7 :
神も仏も名無しさん:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE 天台宗の「三諦偈」「一心三観」「円融三諦」
『中論』の原義から言えば、
「空」(空性)も、「仮」(仮名・仮説・仮設)も、「中」(中道・中観)も、全て、
「縁起」「無自性」の言い換えであり、
同じ内容を違う言葉・表現で言い表してるだけ、
ただの「同義語」として使用しているだけに過ぎず、
対置・対立させるような関係にはそもそもないのであり、ましてや、
「空」と「仮」が、「無」(断見)と「有」(常見)の「二辺」としての捉え方は、
端的に言って、解釈としては、明確に誤りである。
こうした天台宗・中国仏教的な「誤解」を、前向き・好意的に捉えることもできなくはない
実際、語彙・概念にまつわる誤解は混じっているものの、
「空」という概念もまた「非空」なる諸々の概念と相互依存的に成り立っているとも見ることができる
8 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 14:09:38.13 ID:167jiwWB
9 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 14:34:18.90 ID:167jiwWB
一方帰謬論証派
帰謬論証派
↑ 訂正して、お詫び申し上げます
10 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:19:36.51 ID:48z+mTAP
>>8 >自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場
>
>一方帰謬論証派 ← 世俗の次元においても自相(自性)を、否定する
これはゲルク的理解で原義は全くちがう。
自立・帰謬という宗派は、特に言葉はインドで使われなかった可能性が高い。
そして月称菩薩の中観をチベット的に自立・帰謬で呼び習わすとしても、
帰謬派ということはできても帰謬論証派ということはできない。
なぜなら、論証したなら主張・見解を持つことになり、そうなると中観の趣旨である四句分別遮断による戯論寂滅への導きという道から逸脱することになるからだ。
これはゲルクが批判する離四辺中観に他ならない。離四辺中観こそインド中観の王道を伝えるもので、シナ・日本の中観も基本的に変わらない。
一方、特殊な論理学を用いて自立論証を中観に取り入れた清弁菩薩は、だからこそ月称菩薩に批判されたのであって、論証法の違いでも、自相(実在)に対する解釈の違いからでもない。
そんな些細なことではなく、中観の本質に関わる問題だから批判されたのに他ならない。
ゲルク中観はより自立論証的であり、私見ではよりアビダルマ的で全く中観的ではないと思う。
>> 自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場
>> 帰謬論証派 ← 世俗の次元においても自相(自性)を、否定する
> 帰謬派ということはできても帰謬論証派ということはできない
> なぜなら、論証したなら主張・見解を持つことになり、そうなると中観の趣旨である四句分別遮断による戯論寂滅への導きという道から逸脱することになるからだ
了解致しました
常住な自性、無常な自性、無自性、中観、チベットなどで(日本語限定で)推薦できる処があればリンクの貼り付けお願い致します
12 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:57:39.16 ID:48z+mTAP
>>11 もしかして?
?なら、そんなことより水野弘元『仏教要語の基礎知識』を三回音読した方がいいよ。
じゃないなら、言ってください。リンクします。
私【?】以外の人で
常住な自性、無常な自性、無自性、中観、チベットなどに
興味が有る人がいるので
(日本語限定で)推薦できる処があればリンクの貼り付けお願い致します
14 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 16:31:08.27 ID:48z+mTAP
>>13 その人のリクエストがあれば貼るけど、
君は混乱するだけだから、貼らない。
帰謬っていうけど輪廻や仏教が救いになるという根拠のない前提
に反するから間違ってるっていう理屈なんでしょ
16 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:35:23.48 ID:48z+mTAP
>>15 全く違うよ。
帰謬っていう場合は、あらゆる思考、見解、主張が矛盾に導かれ、
あらゆる考えが停止して頭真っ白な状態に導くこと。
その場合は、輪廻にしろ四諦にしろ方便として仮設された仏教の教え、
それも停止するために帰謬される。
だから、よく中観は輪廻を否定したとか言われるけど、
それは論証とか世俗的な議論のレヴェルで否定するわけではない。
頭真っ白な状態に導く言葉が、勝義への方便
輪廻とか善悪、四諦など仏教の一般的な道が世俗としての方便
この世俗と勝義をごっちゃにしたり、どちから片方を取って妄想すると、
全く分からないことになる
17 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:47:54.56 ID:gWJheXv2
>>5 >反省の上に立って自浄努力をしてないでしょ!
>まだ歴史的総括をしていないし、信徒に是非を問うてない!!
>だから指摘するのです。
接点そのものが無いからね。対話のしようがない。
まぁ、言いたいことはわかる。
>すべてテルマだの感得だので済まされては困る。
これは、わからない。
ひとがどう消化するかにケチをつけてるのかな。
連中が、俺が気に入らない見解・解釈を持つ事が気に入らない。
そういうことかな。
何様のつもりなんですか?
宝珠氏が望んでいるのは、大乗非仏説を明かされる事そのものじゃなくて、その先。
「ニセ仏教」がある種の敗北宣言をして、
信者がもっと離れて、「ニセ仏教」が衰退して
それを見て、溜飲を下げることじゃないのかな。
「仏教」の枠組みがとれた彼らが自分達のような
自由な探求をする人々の列に加わることへの期待もあるかもしれないが。
そのためには彼らに感得説やテルマ説をとられることはこまる。
18 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:57:07.30 ID:gWJheXv2
自由な探求をする人々は「 」つきで
「自由な探求をする人々」としたほうがいいな。
修正します。
21 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 20:10:43.78 ID:48z+mTAP
>>19 そういう問いは、なんらかの見解を掴もう、xである、xでない、などという知的理解を求めようという方向で、
帰謬は、そういう何らかの答えを言語的認識的に与えるものではなく、
言語的認識的こそ誤りで、その無明を鎮めるものなんです。
ですから、こういわれても分からないようでしたら根本的に発想の転換をしないと理解できなものだと納得してください。
もしかするといつか分かるかもしれません。
>>21 なぜ言語的認識的な理解が誤りなのか
それがわからないんですけどね。
誤りだというからには理由が掛かれてるんでしょう?
24 :
神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 22:09:58.01 ID:48z+mTAP
>>23 それを示す言葉ばかりですよ仏教は。
無我・空・無常
「これあらば、これあり。これなくばこれなし」
これは此縁性といわれ縁起を端的にしめしています。
「これあらば、これあり」が流転門の縁起、つまり、輪廻の迷いの縁起です。
「これなくばこれなし」が還滅門の縁起、つまり、輪廻からの解脱の縁起です。
「これあらば、これあり」と「これ」と認識する一切を我、本質・実体、恒常と捉えるのが迷いの縁起です。
「これなくばこれなし」と「これ」が空と遮断し、一切を無我、無本質・無実体、無常と捉えるのが寂滅への縁起です。
こういう意味で凡夫の言語によって分節され認識される一切が無明によって我、本質・実体、恒常と捉えるのが迷いでそれによって業を作り、業が苦を生み出す輪廻の円環だから誤りに他ならないと仏教では説きます。
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 瑜伽師地論
人間がまさに死するときに、
過去の輪廻に於いて長い間経験され蓄積された『我愛』が現起し、
その力により促されて自己に愛着・執着し、
無始無終に続いてきた、
戯論(けろん)と善業悪業により、
中有を形成する。
その中有が次に生まれるべき処・縁を求めて、
やがて母体に入り、
ここで父母の精子が結合する時、
中有は滅して同時に生有が生じ、
一切の種子たるアーラヤ識がこれに結合して、
精子は成長し、胎児を形成し、出生に至るのである。
「これなくばこれなし」というのがというのがわからんね。
縁起のことなんだろうけど。
たとえばさっきの
「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」
これがどのように誤りだというの?
火に関する理解は凡人も仏教徒も同じでしょう
27 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 06:23:34.66 ID:cZafnZqV
>>26 >「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」
世俗の習慣の中では、それぞれの言い習わしがあり、その習わしに従って、
言葉が示す習慣的意味・対象通り、それぞれの習わしがあるがままに認められます。
これが自相、自性、我、実体、本質と仮設されたものです。ですから、世俗諦です。
凡夫はそれを真実、実在と捉えるので有我、恒常、有自性となり、それが苦のもとです。
それは幻であり、それらが鎮まった状態に導くのが仮設された仏教の道です。
それら幻が鎮まった状態が涅槃寂静で勝義諦です。
これで分からないようでしたら、無理だと思いますので、もう止めときますね。
28 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 08:53:45.37 ID:v9DsjjwI
>>27 >これで分からないようでしたら、無理だと思いますので
分かってないのは、はたして誰なのか?
29 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:00:32.18 ID:cZafnZqV
30 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:06:46.71 ID:v9DsjjwI
『もしも私に何らかの主張があるならば、
しからば、まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存することになるだろう。
しかるにわたくしには主張は存在しない。
まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない。』 (龍樹 廻諍論29)
31 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:23:23.20 ID:cZafnZqV
>>30 その内容は寂滅ということでしょ。
上で言った勝義、涅槃、『中論』で仏は何も説かれなかったということでしょ。
つまり、仏は何も説かれなかったというのは、xであるなどの四句分別形式で何らかの主張を説かれなかったという意味ね。
あらゆる仏の教えは、戯論寂滅への導きであって、何らかの見解を主張しているのではない。だから、欠陥がない。その状態では論理そのものがない。だから、欠陥もない。
私の解釈にはなんの矛盾もないよ。それでも何か矛盾すると言うなら、君がどう考え、私の説明がどう分かってないとするのか説明してくださいね。
32 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:26:40.50 ID:v9DsjjwI
論破済み
33 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:27:39.23 ID:Yji7QAGB
竜樹が在野の自由思想家なら、彼を仏教が取り入れる理由は無いんだよなあ。
34 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:28:57.86 ID:Yji7QAGB
35 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:41:29.18 ID:cZafnZqV
>>33 自由思想家とか、思想持っちゃったら
>>30と明らかに矛盾するし、
中観じゃなくちゃうんだよね〜
そこら辺、仏教学者で理解できてる人が極めて少ない
>>34 ハッタリでしょ。感情的に違うと言いたいだけで、意味も分からず『廻諍論』を引用しただけ。
この説を論破された覚えは一度もないなあ。
36 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 10:15:30.82 ID:v9DsjjwI
分かってないのは、はたして誰なのか?
仏は矛盾なきを矛盾のうちに説く(無分別の分別)
直接現実(勝義空性)の様相を、間接現実(無明世俗)にて還滅(無分別の分別)すれば、
無明の連鎖である十二支縁起(俗數法)なるものは批判排除<除俗數法>されて当然だ。
ならば、<除業報輪廻転生>であることも理の当然だろう。
第一義空法經たるゆえんである。
以降、遮断寂滅。
37 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 10:36:56.89 ID:cZafnZqV
>>36 なんだ遊びか? 論破なんかされてないだろ、一方的に君の妄想解釈と違うって言われてるだけで、なんの根拠もない。その根拠が妄想だからな話にならない。
ところで「チャンドラキールティも当然、反対者の偈と規定している。これを龍樹の偈とみるのは青目ぐらいだろうw」ってのは自分で確認したんじゃなく孫引きなのにハッタリかましちまったことは認めるのか?
これが認められないヤツは、話しても仕方ないんだよ。
だから、話にならないって最初から言ってるんだ。そこが重要なんであって、それぞれの解釈は違って当然なんだ。
これが認められないなら、どうしようもない。生命教とか机とかと同じなんだ。
宝珠は、明白な間違いは一応認められるだけ、マシなんだよ。
さて、どうする?
アンタの理解だとマーヤー・現象とアートマン・実在と変わらないんだよ。
アートマン・実在を無分別・戯論寂滅と言い換えただけでしょ。
で、教えを仮設として捉えないから縁起の意味が見えない。
だから、幻としての現象から真実の無分別へ行くというだけで、
その過程、道として最も重要な縁起が全く見えない。
38 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:03:20.08 ID:v9DsjjwI
やっぱり無理ですねえw 町のペンキ屋と変わらない。
こういう無明の温室の中で、揚げ足取りでしか通用しない。
縁起の現観にはほど遠い。
他所ではまったく通用しません。
では、無明踊りをお続けください。
戯論寂滅 涅槃寂静
39 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:18:18.57 ID:cZafnZqV
>>38 間違いを認められない人だということはよくわかった。
だから、オレチャン教なんだって、
他所で通用するっていう場合の「他所」ってのは、オレチャンの周りという意味だろう。
これを機会に自覚されたし、まずは間違いを認められる人にならないとね。
がんばって、エゴを乗り越えてね〜
40 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:25:49.72 ID:cZafnZqV
誤解なきように付け加えると、たしかに現象・実在という理解で、
その過程である縁起を問題としない神秘主義は普遍宗教を目指すニューエイジ的な人たちの間では受けがいいだろうと思う。
しかし、その解釈を認める伝統仏教はない。
だからこそ遊びは伝統仏教をマハーカッサパの陰謀という妄想解釈で呼ぶわけだが、
さて、時代も地域も超えて共通理解を示す伝統仏教の見方と、
自分の明らかな間違えさえ認められないニューエイジ解釈の仏教と、
どちらがより仏教かはオイラには明白すぎるほどハッキリしているとしか思えない。
仏教っていわなきゃいいのにといつも思う。
41 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:29:12.20 ID:v9DsjjwI
459 :考える名無しさん:2012/09/17(月) 00:58:07.23 0
>そりゃ事実だからしかたない。
>
>なぜなら『梵網経』でキッチリ説かれてるから。
仏教が間違っているのは事実。
なぜならシャンカラやクマーリラに論破されているから。
天啓聖典たるヴェーダの権威に背くから。
……と言われてあなた納得します?しませんよね?
それと同じように、この発言で非仏教徒を納得させるのは無理です。
あなたが「仏教は特別」と思い込みたいのは、よくわかります。
……いや、そう思うのは別に構わないんですよ。
ただ、それが正しいと信者以外に証明するのは無茶なことです。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287385458/
42 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:30:00.13 ID:v9DsjjwI
461 :考える名無しさん:2012/09/17(月) 08:25:25.13 0
>信に依らずに、無明の中にいる凡夫がどうやって道を歩めと
「無明の中にいる凡夫」
この時点で仏教教義の刷り込みを受けています。
あと、そもそも釈迦が信を必要としたかどうかも考えた方が良いですね。
>パーリ『梵網経』読んだことある?
六十二見がどーのこーのという、語りがくどく、繰り返しの多い書物のことですよね。
明らかに後世の編纂物の。正直、わけのわからん決めつけも多くて感心できませんでした。
何かあると仏教論者が印籠のごとく振り回すので、もう少しまともな書物かと思っていたのですが。
ところであなたは仏教徒が外道と蔑む論者の書を注意深く読んだことがありますか?
竜樹や無着の言うことを鵜呑みにして安心しているだけでは無いのですか?
>そういう意味じゃないって。まあ、説明しても無駄みたいだから止めとくけど
仏教信者、あるいは今の自分の宗教に幻滅し、仏教を信じたがっている人
(西洋のインテリとか)以外には有効な論法ではないですね。確かに無駄です。
実際、インドの地では折伏があまり効果がなく、傍流どまりでしたし。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287385458/
43 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:33:15.18 ID:v9DsjjwI
44 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:34:21.09 ID:cZafnZqV
おい、他でって2ちゃんでかよw
それじゃ、単なるネラだろw
論破されて、根拠は2ちゃんか、いや〜、これは電波男以来のドキュンか、
まあ、彼には負けると思うが
45 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:40:35.88 ID:v9DsjjwI
注文と違う色を(意図的に?)塗るお方ですから、
町のペンキ屋としても失業・倒産ですねえ。
46 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:42:35.26 ID:v9DsjjwI
内容を吟味せよ
内容が真実であれば論破する必要がない。
内容が真実であって相手が気に入らないなら
虚偽を真としてでも論破すればよい。
48 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 12:26:12.80 ID:v9DsjjwI
>>40 >その過程である縁起を問題としない神秘主義は
>普遍宗教を目指すニューエイジ的な人たちの間では受けがいいだろうと思う。
おっさん!
白ペンキの注文やのに、黒ペンキ塗るな! お前クビや!
わざわざ、用語でも『縁起の現実(あるがまま)』という仏法をベースにおいて、
・分別知覚・記憶・判断を通す「間接現実」(いわゆる世俗)と
・無分別智による直接智覚「直接現実」(いわゆる勝義)との
二相で観るのが仏法として当然のことだろう。
これのどこが縁起撥無なのか?
むしろ縁起の法の二相把握であって、ブッダに最も忠実だろう。
49 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 13:06:28.19 ID:cZafnZqV
>>48 >むしろ縁起の法の二相把握であって、ブッダに最も忠実だろう。
ブッタの法じゃなくて遊びちゃんの妄想に忠実だろ
何回も指摘したように、君の場合はその妄想が先ずあって、
それに合わないテキストは全てマハーカッサパの陰謀で片付けてるから、
どう読んでも「遊びちゃんの妄想」なんだよ。
で、丁寧にほら違うでしょって指摘しても
「マハーカッサパの陰謀」だの「筏」に乗らないだの言ってるから話にならんのだ。
で、さらに単純な「チャンドラキールティ」見てないのにさも自分が直接見たように書いたということも認められんで「2ちゃんのみんなもオマイなんか認めてねえよ」じゃ、駄々っ子だろ。
かなり酷いは、もう絡まんといてえな〜
50 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 13:12:48.12 ID:cZafnZqV
>>49 誤解のないように付け加えると、
仏法にしろ仏教にしろ、ここで話してるのは「筏」つまり道、方便として仮設された教えの話だぜ。
それを「筏」に乗らんから、そんなことはどうでもいいみたいにいうのは野狐ってもんですは。
中論の戯論寂滅への導きも言葉に他ならず、それは教えで、「筏」なんだよ
「筏を捨てよ」という教えも「筏」に他ならない。
戯論寂滅の境地なんか、言葉で指し示せるわけないっしょ。そこら辺が全然分かってないんだ。
その点は机と一緒。だから、机が気に入ってるんだと思う。二人で話してりゃいいじゃん。話が合って楽しいかもよ〜
>>17 >「ニセ仏教」がある種の敗北宣言をして、
>信者がもっと離れて、「ニセ仏教」が衰退して
>それを見て、溜飲を下げることじゃないのかな。
仏教学上の歴史的史実に基づいた大乗の位置付けを明確にすること。
大乗諸経中のデタラメやフィクション(あまりにも膨大と思われるため、
特に主だった部分だけでいい)を認め、これらを明らかにし、そして謝罪すること。
ゴータマ仏の説いたものではない部分をハッキリと示してから、その上で尚且つ、
大乗各宗門の持つ優位性について語るべき。
>「仏教」の枠組みがとれた彼らが自分達のような
>「自由な探求をする人々」の列に加わることへの期待もあるかもしれないが。
望ましいことですけれど、まったく期待しません。
自己意思による探求はある意味で非常に強い精神力が求められます。
場合によっては、伝統などいつでも廃棄するくらいの冷徹さが必要。
すべては本人次第です。
>そのためには彼らに感得説やテルマ説をとられることはこまる。
不誠実というか、
ただの嘘デタラメをそういうことにしてしまうのは殆ど詐欺同然かと。
空想と架空の諸菩薩に神話と迷信含みで創作物語を盛り込んだ教義をつくりだして、
保証の出来よう筈ない出任せのご利益をテンコ盛りなのですから・・・。
〜ということで、
理由を述べ出すとどうしても目を覆いたくなるような表現になってきてしまうので、
もう、取り合えずこの辺にしたいと思います。
現在の大乗僧侶たちも、
その多くはただ鵜呑みにしてしまった被害者的位置付けになるでしょうね。
基本的に悪意はありませんから・・・。
54 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 13:45:21.43 ID:v9DsjjwI
>>49 >ブッタの法じゃなくて遊びちゃんの妄想に忠実だろ
>>48は中論24-8〜10をベースにして、
自己咀嚼したものだ。
「神秘」「超越」「神通」などの観念が一寸たりとも潜入する余地はない。
ならば中論24-8〜10および
>>48を批判せよ。
お前の揚げ足取りとナンセンスな揶揄は無視し見逃してやる。
55 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 14:35:07.99 ID:v9DsjjwI
>>50 >戯論寂滅の境地なんか、言葉で指し示せるわけないっしょ。そこら辺が全然分かってないんだ。
前スレ45
998 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:44:47.78 ID:8ySLylYR
涅槃寂静
999 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:45:36.12 ID:8ySLylYR
〇〇〇〇〇
1000 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:46:32.91 ID:8ySLylYR
.
56 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 14:40:18.86 ID:v9DsjjwI
>>50 >戯論寂滅の境地なんか、言葉で指し示せるわけないっしょ。そこら辺が全然分かってないんだ。
447 :〇〇〇〇〇の無分別智による直接智覚:2012/09/16(日) 17:53:55.26 0
かくて覚者は
『そこでは、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、
空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、
この世もなく、あの世もなく、月も太陽もない。
修行僧たちよ、(そこに)来るとも、行くともいえず、(そこに)いるとも、死ぬとも、(再)生するともいえない。
それは何かに依っているのでも、何かから生じたのでも、何かに支えられているのでもない。
<それこそが苦しみの終わりである。> 』(ウダーナ8:1)
57 :
神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 14:43:45.58 ID:v9DsjjwI
446 :〇〇〇〇〇の無分別智による直接智覚:2012/09/16(日) 17:51:22.52 0
無分別智は、分別知ではなく、閃きでもなく、気づきでもなく、無思考でもなく、
奔放でもなく、カオスでもなく、自然体でもなく、現状肯定・諦念でなく、意識でも無意識でもなく、
偶然でも必然でもなく、合理でも不合理でも超合理でもなく、超越者の啓示でもなく、
努力によるものでもなく、執着によるものでもなく、苦しみによるものでもなく、思いやりによるものでもなく、
瞑想によるものでもなく、集中によるものでもなく、自力でも他力でもなく、知能・経験によるのでもなく、
男女の区別なく、守誓戒の結果でもなく、仏教によるものでもなく、
いかなる導師によるものでもなく、またいかなる超越的体験や神秘体験によるものでもない。
<まさに住するところなくして、しかも其の心を生ずべし>
応無所住而生其心(金剛般若経)
58 :
ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 16:02:15.87 ID:KqnADu6C
大乗、なかんずく法華経の読み方も知らない椰子が多い。
法華経は歴史的にみて、一番読まれてきた経典と言われている。
内容的にフィクションと言っている椰子がいるが、
釈尊は悟りの胸中を比喩をもって現した。
虚空に聳え立ち、7つの宝石に散りばめられた宝塔は、自身の生命であり、衆生の生命を表したもの・・
まあ、一事が万事だと言える。
59 :
ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 16:13:58.92 ID:KqnADu6C
つづき
衆生の生命が何故宝塔なのか、それは、誰しもの生命には仏性が内在されているからだと教えている。
これは、誰しもが無限の可能性があると言うことに他ならなあいのである。
物事を理解するに根拠が同じであればだれでも同じような答えになる。
61 :
ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 16:58:01.60 ID:KqnADu6C
方便品第二・・
50年の人生で起こることはすでに過去に誰かに書かれている
63 :
ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 17:13:46.43 ID:KqnADu6C
仰る通り。
六道輪廻の六道がなんなのか知る人は多いが、四聖について知っている人は少ないのではないか?
信が必要なのか?よく言われるけど
悟ってない人が悟りを目指すときは信に依らないの?
信に依らない人はすでに悟ってるんでは?
人にしろ教えにしろ最初は信では?
人はウソをいうのでそれを根拠にしないことが重要
生命には、生命の側面と死の側面とがあり、
極楽も地獄もこの生命の中にあるだと。
その昔、この世は苦しみだらけで
輪廻を嫌う思想が起きた。だが、このシャバ世界こそ衆生が遊楽する所と説いている。
米に税金をかけるのが始まって払いたくないから青田刈りとかやったらしいけど
困ったときに集めた米を配給するのが目的だったと思う。食い物がないと死ぬから地獄
68 :
ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 18:06:27.67 ID:KqnADu6C
シャハカ
自性がある、自性がない、言い方は違うけど意味内容は全く一緒なんだよ。
火に関する知識を考えてみたら仏教徒も凡人も何も変わらないでしょ?
外延が同じなら言葉の意味も同じ。
実在だ、仮設だ、というのも同じで中身がないんだよ。
わかりやすくするために物のたとえを使うと誤解させるいことがある