般若心経って仏教じゃなくて竜樹教なのかね?

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1考える名無しさん
キリスト教がイエス教じゃなくてパウロ教みたいなものでな。
大乗仏教とか般若心経で説かれていることはプラトンのイデア論とかと
通ずるところがあるような気がするんですが
ちなみにキリスト教を攻撃したニーチェは仏教を褒めてましたが。
たぶん、原始仏教とか小乗仏教のことじゃないかと。

2考える名無しさん:2010/10/18(月) 16:20:52 0 BE:4089639097-2BP(0)
密教の現世肯定論とかゾロアスター教とか
ニーチェはそういうことを言いたかったのかな。
パウロ教とか般若心経とかが気に食わなかったんだよ
たぶんな。
3考える名無しさん:2010/10/18(月) 16:31:05 0
その考え方でいくと、上座部はブッダゴーサ教かw
4考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:13:28 0 BE:1752703439-2BP(0)
日本の仏教というのは
龍樹教だと思うね。
インドの仏教活動者で
自らの半生を龍樹になぞらえている
佐々井さんなんかは
龍樹教の逆輸入活動してるようなものだろうか。
5考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:13:54 0
龍樹って、いまでいったらウィトゲンシュタインみたいなもん?
6考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:16:37 0 BE:1557957683-2BP(0)
和の精神とか
内心の共有みたいなものを説いてるのでなかろうか。
心の共産主義というか。
7考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:17:55 0
>>5
そうかもしれない。
8考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:19:00 0 BE:2596596285-2BP(0)
ウィトゲンシュタインって
哲学は言葉のお遊びみたいなこといってたんだっけか?
しょせん知りえないみたいな
それじゃ違うんじゃないの?
むしろシステムの破壊者?
9考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:19:04 0
普段は宗教板の仏教スレにいるけど、哲学板の人はなかなか理性的ですな。
上座部仏教と親和性がいいんだろうかね。
10考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:21:41 0
>>8
なにかの理論が完全であることを証明するためには、より上位の概念が必要で
理論の枠の中でその理論の完全性を証明することはできない。

というようなことを証明してしまったらしい。
要するに、完全な理論はない(というか完全であることを証明できない)と気づいちゃった。

・・・聞きかじりの知識だけど。
11考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:24:34 0
したがって、完全なる絶対神というものの存在は立証できない。
しかし不完全な枠の中にいる人間がそれに気づいてしまった。

晩年はその矛盾に悩んで、理論を超越した神(というか真理)に思いを馳せた。

そんな話じゃなかったかな。
間違ってたらごめん。
12考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:25:34 0
良スレの予感
13考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:28:18 0 BE:2336936966-2BP(0)
ある下位フォルダの中味の人はその互いの理論の
道筋としての上位にフォルダに繋がる
絶対パスは知りえないみたいな比喩でどうだろうか?
14考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:30:41 0
そういうモデルがすぐにポンで提示されるのもさすがだ。
15考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:34:20 0
ウィトゲンシュタインが中道とは思えないな
16考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:36:17 0 BE:1363213073-2BP(0)
日本の仏教というのは優れものだと思うんだけどね。
ニーチェが勧めていたのはまさにこれだと思うんですが。
17考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:46:14 0
結局は素質が全てなんです。
現代の哲学者に古代から沢山有った宗教や哲学を否定し内包できたほどの
カリスマ性を持つ仏陀やキリストを上回る素質なんて無いでしょう。
只科学が発達してますから、そこに頼るんでしょう。
人の心に至っては未だ心理学は宗教以下ですが、結局は一人のカリスマの存在がないと文明の飛躍的進歩はありえません。
18考える名無しさん:2010/10/18(月) 17:51:05 0 BE:389489832-2BP(0)
釈迦より龍樹のほうが実をいうとすごいのかもしれないな。。。。
19考える名無しさん:2010/10/18(月) 18:00:09 0
女百人をとか羨ましいな、現代のN1ホストなんかが生まれ変わった姿じゃないのか?
違いはコンドームを使うことだけ、
20考える名無しさん:2010/10/18(月) 18:09:49 0 BE:2077277748-2BP(0)
理性的な釈迦に比べて龍樹は本能的だったんだよ。
どちらも囚われているにすぎないんだけどね。
でも龍樹はなにかを悟ったのだろうか。
色欲に溺れながらそれを自戒して苦しむのは
佐々井さんと似ているな。
21考える名無しさん:2010/10/18(月) 18:27:43 0
理解は平和を生み出し
誤解は争いを生むなら
宗教は言語の共通認識を必要とする哲学に他ならない。
先ずは理性的に生きたモデルとしての
釈迦でありソクラテスでしかないんじゃないのだろうか
やっぱり、弟子というか小説家が曲者くさい感じがする。
非常にパワフルな脳じゃないでしょうか。
22哲学者:2010/10/18(月) 18:33:22 0
釈迦もキリストも【神】この場合で言う【自然神、生命の祖】とでも言うべき存在が
色欲におぼれた人間に怒り滅ぼすと考えていたからね。
その論理で言うとゴミ箱に消えていった者達の怨霊が俺を殺しに来てもいいと思うんだが、
だがあの時代ではあれはすごく優秀な哲学だ。
解らなかったのはそれこそ責めるところじゃない、人間は歴史的にはもっと【自然神の意思】に背く事を沢山してる、

快楽を肯定することは現代において正しい哲学、ただ快楽を得ることと礼儀を蔑ろにする事は別問題、
23哲学者:2010/10/18(月) 18:45:08 0
後釈迦は他人に悟りの力、即ち哲学の力が無いことを生活習慣のせいにしてたけど、
実際は能力の差異が最も大きい、
大体自分は童貞じゃないだろ!!
24考える名無しさん:2010/10/18(月) 19:28:49 0 BE:1038639528-2BP(0)
新しい思想集団を結成するなら
しゃべくり担当と物書き担当だと
俺は物書き担当にしとこっと、、、。
磔にされちゃたまんないしね
25考える名無しさん:2010/10/18(月) 19:34:09 0
>>4
仏教が伝わるまでの経路で現在の日本の仏教は、何処の国の影響[脚色?]が強く現れて
いるんでしょうか?何かの本で「チベット仏教[ラマ教?]の特色は原典からの解釈の仕方が純に
近い」という一文を読んだのを思いだし疑問も生まれました。勿論伝わる距離が遠方になるほど
派生や、思想の解釈の相違が生まれるのは理解しているつもりです。
自分は馬鹿なうえ、拙い文章で読みにくいかもしれません、あいすみません。
26考える名無しさん:2010/10/18(月) 19:48:20 0
仏教の場合、最古の仏典でも仏陀の死後数百年経ってから
書かれたと言われている。原典といわれているものも原典ではない。
27考える名無しさん:2010/10/18(月) 19:54:26 0
>>26
そうなんですか!原典じゃないっていうのはもう古すぎて断定的な確証を
得ることができないって言う解釈でいいですか?質問ばかりですいません。
28考える名無しさん:2010/10/18(月) 19:59:37 0
実在した釈尊のもともとの教えが
歪曲されずに書かれているという保証がない。
初期の仏典ですら、すでに原型をとどめないほど
歪曲されていると言う人もいる。
29考える名無しさん:2010/10/18(月) 20:00:45 0
結局、シャカもソクラテスもキリストも、
黒幕に利用されたにすぎないんだよね。
30考える名無しさん:2010/10/18(月) 20:02:33 0
>>28
なるほど、解りやすい説明感謝です!突然の質問にありがとうございました。
31おじさん:2010/10/19(火) 20:28:02 0 BE:1622873055-2BP(0)
色即是空
空即是色

みたいなことを釈迦は言ってないことは確実。

自灯明 法灯明

イエスも

汝の御心のままに
32考える名無しさん:2010/10/19(火) 21:17:46 0
経典を記した人が「これは俺が半分以上考えた教えだ!」という自己主張が少ない分、
どこまでがオリジナルの部分か分かりませんね。
龍樹などは自分の名を残そうという野望が強いですから、かなりの部分が彼の作り話だと思います。
33おじさん:2010/10/19(火) 22:14:40 0 BE:3180830677-2BP(0)
いや
なんというのだろうか
俺は龍樹みたいな人って別に珍しくないと思う。
般若心経みたいな考えって西洋哲学でもあるじゃない。
認識論とか唯識論とかね。
映画の「マトリックス」みたいなのも感じるし。
三位一体説とかね。
そもそも極楽浄土とか天国とか地獄とかね。
そういうのって作り話になってしまうのだろうけど
太陽を絶対基準で幾何学(geometrix)をもとに地球の物質を
こねくりまわしてる雛形は天国のイデアだみたいなことを言う人
に思考構造もわからんでもない。
34おじさん:2010/10/19(火) 22:35:31 0 BE:778979243-2BP(0)
解剖学者の養老猛さんが面白いことを言っていた。
現代人は死体を見慣れてない。
しかし古代の人は死体どころかその物体が朽ち果てる様を
しごく当たり前の風景として捉えていた。
戦国時代などの世で飢饉や疫病でそこらへんに腐乱死体があふれ、
生きて形あるものが死に、その朽ち果てる様に昔に人はなにを見たか?
そんな時代に鎌倉仏教が現れたみたいなことを言っていた。
般若心経の世界観はリアルに民衆の心を掴んだと思うね。
俺はむしろ、そちらの考えのほうが興味がひきます。
35おじさん:2010/10/19(火) 22:43:46 0 BE:3115915968-2BP(0)
西洋哲学でいうと
イギリス経験論系の
ヒュームとか
ドイツ観念論の
カントとか
どうなんだろ。
なんか似たようなことを言っていたような、、、。
36考える名無しさん:2010/10/20(水) 00:37:36 P
龍樹のトリレンマは、もちろん純粋な論理学だから西欧にも対応物(ベン図で表記できる)は
あるが、そのスケールの大きさからカントの『純粋理性批判』の無に関する記述と対応させる
のが妥当だと思う。
岩波文庫だと上巻の最後の部分。ライプニッツを唯心論と決めつけ、その勢いで「無」のカテゴ
リー分けをしている。

カントは実在論的理性の越権行為もまた質的な「無」に対応させて否定しているが、関係におけ
る無(純粋空間/時間が対応する)は龍樹同様否定しきれれていない。

龍樹は言葉や楽器は否定できたが、音楽は否定しきれなかった、、、、
(多分自分の過去の罪悪を否定するための論理の構築に夢中で、音楽を楽しむ余裕がなかった、
あるいは音楽を考えたことがなかったから。)
37考える名無しさん:2010/10/20(水) 00:39:55 0
ヒュームの関係性論との比較は?
38考える名無しさん:2010/10/20(水) 13:30:53 0
ヒュームは因果否定・懐疑
39考える名無しさん:2010/10/21(木) 13:08:51 P
論理学以前の公理とも言える一対一対応を数学的に規定したヒュームは
カントのせいでフレーゲに評価されるまで誤解されていた。

東洋にヒュームに対応するものがあるとしたら仏教ではなくヒンズー教
側の実在論的な哲学の方だと思う。
40おじさん:2010/10/21(木) 19:24:40 0 BE:2596596858-2BP(0)
仏教における
仏の台座が蓮華なのは
どういう意味があるのか
考えてみよう。。。
41おじさん:2010/10/21(木) 20:47:53 0 BE:1947447656-2BP(0)
一蓮托生の人の繋がりとはなんだろうねえ

42考える名無しさん:2010/10/21(木) 22:58:02 0
うちの死んだ曾ババアは家族で食事しているときに、
関東大震災の時は沢山の焼死体を踏みつけて逃げた、
B29の焼夷弾が落ちてきて近所の人の体がバラバラになったと話していた。
性格が悪いババアだった。
小学校に向かう途中に雑木林があって、犬の死体があった。
毎日通る道なので、犬の死体が腐っていく過程を何ヵ月も毎日見ていた。
自動車に轢かれてぺちゃんこに潰れた猫が道路に放置されており、
日に日に雑巾のようになっていくのも見ていた。
学校の毎日の行き帰りでそれを見るたびにブルーな気分になった。
死の憂鬱さよりも、かわいい生き物の死体が腐って醜くなる過程を見ることの憂鬱さの方が大きかった。
43おじさん:2010/10/21(木) 23:19:53 0 BE:2596596285-2BP(0)
やはりさ
この世に真実はないと思うほうがテンションあがるんじゃないの
嫌な世の中のときはね
すごい美少女がさ火傷でただれたマシュマロマンみたいになったときを見たときはさ
同じ本人(魂は同じわけだよね)なのに「なんと美しさとは儚いのだろ」
と思ったわけ。
美少女に見た美はその物体それ自体ではなかったわけだね
その物体自体の形を通して美のイデアを感じていたのではないかと
その美のイデアとは人が思い描く幾何学文様
現実とは理想であり
理想とは現実であるのだね
44考える名無しさん:2010/10/23(土) 04:08:00 0
>>1
>プラトンのイデア論とかと
>通ずるところがあるような気がするんですが

全く通じません。ソクラテス以来の本質主義は反縁起・空です。

>>2
>密教の現世肯定論

全くの誤解です。密教は現世肯定などしてません。

>>4
>佐々井さんなんかは
>龍樹教の逆輸入活動してるようなものだろうか。

佐々井さんは仏教とはあまり関係ない新興宗教でしょう。

>>5
ちょっと近いけど、ウィトゲンシュタインは、はなはだ未完成。
45考える名無しさん:2010/10/23(土) 04:12:26 0
>>25
そりゃシナですよ

>>26
原典って自筆本って意味じゃないでしょ。

>>28
そういうマテリアルな実在論は、反縁起ですね。

>>33
いやいや、縁起・空・仮設は仏教以外にないでしょう。
46考える名無しさん:2010/10/23(土) 04:16:32 0
>>36
トリレンマというよりテトラレンマの否定(是・非・両・両非)ですね。
つまり、凡人の思考形式・論理形式を超えたもの。

>>37
ヒュームはきっちり読んでませんが、若干の類似性を感じます。
47おじさん:2010/10/23(土) 13:28:55 0 BE:1168469429-2BP(0)
なんかいきりなマルチレスポンスする人が出てきたけど
基本的な私の考え方を言っておくと
人間の思考も解釈もまた物理法則の必然性に彩られているという考えです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0
このエニアグラムというものを私は信じてます。
まるで機械の歯車のごとく人間の相関関係が形成されているという考えなんですね
これが根本なんです。
つまり、イギリス経験論だの大陸合理論だのと先験的だのアプリオリだのと
昔から延々と論争が続いてるわけなんですが
哲学者もこのエニアグラム理論の枠の囚われのなかで動いていただけなんですね。
哲学というのは?の学問だと思うんですね。
なぜ、あなたと私の意見は違うんだろうね?
と思ったらエニアグラムという答えが見つかりました。
合理論にこだわるのも経験にこだわるのも
実は脳物理の必然だったというわけです。
48おじさん:2010/10/23(土) 13:36:11 0 BE:1557957964-2BP(0)
そんで私の考えたコミュニティサイトです
http://ryzo.net
一蓮托生という言葉があるんですが
人の繋がりって本来もっと自然であるべきだと私は思うんですね。
そういう繋がりをインターネットを通じてコネクトできないかと
思ったわけなんです。
そんなこんなでご利用をよろしくお願いします。
49おじさん:2010/10/24(日) 12:26:16 0 BE:3635235078-2BP(0)
ラ・メトリだったっけかな
フランスの哲学者
人間機械論ってどういうものか読んでみたい気がする。
人間も脳を発達させた動物という観点で
その思考方式のメカニズムをそれぞれの固体の物理作用(人間関係)
から見た着眼点で捉えていきたい。
つまり、こういったインターネットの掲示板での通信上の言語のやりとりでも
認識、解釈、思考、発言のプロセスのなかで
三つのパターン(三位一体)のロジックを見えてくるのだ。
理性、本能、感情であり、その三つのポイントが各人の脳内の
構造のなかで巧妙に造られているのだ。

50おじさん:2010/10/24(日) 12:41:56 0 BE:778979726-2BP(0)
ソクラテス、プラトン、アリストテレス
釈迦、龍樹、親鸞
デカルト、ライプニッツ、スピノザ
これらの哲学者の思想の違いは脳物理論で答えが出ます。
アリストテレスは
イデア論を否定して
物質の因果論を説明しましたが
人間の脳もその因果論のなかでの物質として捉えると
各思想家の脳も因という囚のなかで思考を展開しているのです。
51おじさん:2010/10/24(日) 13:00:04 0 BE:3115915586-2BP(0)
つまりこういった掲示板でのやり取りも
エニアグラムの脳物理の理論的展開で説明されるのです。
52おじさん:2010/10/24(日) 13:16:22 0 BE:1298298645-2BP(0)
色即是空も空即是色も
色即是色も空即是空も脳理論の個別脳のメカニズムです。
プロタゴラスは人間は万物の尺度と言いましたが
人間それ自体も万物のひとつです。
相対主義ですとかニーチェの実存主義とか
も実は物理法則の必然性にもとずくものなのです。





53おじさん:2010/10/24(日) 13:39:35 0 BE:2272021875-2BP(0)
考え方は違って当たり前。
その違いも必然だったからです。
終わり。
54考える名無しさん:2010/10/26(火) 10:18:26 0
プラトンの後期の有論にはそれなりに似てるよ
55考える名無しさん:2010/10/31(日) 08:06:41 0

般若心経って中国で作られた偽経だろ?

内容はどう考えても道教の影響受けまくりだし
空の解釈もまったくおかしいしな

56考える名無しさん:2010/10/31(日) 08:27:56 0
偽教というか、どの教典も書いた人の想像や自分の思想を織り交ぜてるだろうな。
所詮宗教だから、おおもとのオリジナルである仏教の開祖だって真理を語っているかは怪しいし。
57考える名無しさん:2010/10/31(日) 08:33:58 0
>>55
違うよ。ナティエという学者がそういった珍説を発表したけど論破されてる
http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnlabstract_ja.php?cdjournal=jeb1947&cdvol=2002&noissue=209&startpage=L17
58考える名無しさん:2010/10/31(日) 08:37:21 0
>>56
いや、釈尊の正しさは2600年ほど掛けて実証されてるよ。
多くの成就者、解脱者がでてるし、最近では欧米でも出てる。

それに仏教によって蛮族の無残さが宥和されたことも明か。
アショカ王、カニシカ王、石勒、モンゴル、チベットなどなど。
59おじさん:2010/10/31(日) 14:25:30 0 BE:778979243-2BP(0)
そもそも釈迦から始まったインドでの仏教をまったく違った独自の解釈で
新仏教を構築した龍樹が元だと思うんだけど。
大げさにいうと世界のすべての仏教は禁欲的に理性的に生きた
釈迦をモデルにした龍樹教だよ。
60考える名無しさん:2010/10/31(日) 15:33:35 0
>>57

面白いから読んでみたけど
言葉の解釈と前提条件が
ずいぶん食い違ってるから論破したとはいえないな

Aという単語にBという意味を付加して、そこから話しを進めてるから
はっきり言って噛み合ってないよ?

あとさ、論文なんだから

〜成立したであろうと推察される点で、こんにち学者たちの意見は一致しているようである。
〜した観がある
とか

なんてめちゃくちゃ自信なさそうに、しかも伝聞推定で予断を書くってどういうことなの?

これ本当に論文なの?
理系だったらこんな事書いたら指導教官に大目玉くらうぞ?

終始自信なさげに

「いや、最新の●●の本にも伝統的な理解で本が出版されてるし・・・」
とか
そもそも伝統的な空理論で解釈された本を紹介・引用しまくって
「だから空の方が正しいよね」って全然論破したことにならんのだが?

61考える名無しさん:2010/10/31(日) 15:45:20 0
あと
日本テーラワーダ仏教の
アルボムッレ・スマナサーラ長老が書いた
『般若心経は間違い?』(PHP文庫)

なんかはどう考えてんの?
62考える名無しさん:2010/10/31(日) 16:48:09 0
>>60
そうか?
独断や先入観で盲信することなく、
現在入手・確認できる資料を(列挙)精査し、歴史的視座を忘れることなく、その関連性を組み上げる、
(手本とも言うべき)隙の無い文献学の手法通りの論考だと思うが?
また、「>伝聞推定 (の予断)」が気に入らないようだが、
それが、文献学の限界である以上、仕方のないことだ。
資料を並べ、その関係性を類推することの先へ進むことは不可能だ。
だから、文献学に於いては、常に「一説として」という位置付けを免れ得ない。
その時代の、実際に携わった生き証人が居ない限り、全ては推測の域を出ない。
どんなに明らかな証拠が列挙されても、それでも、(その証拠の確実性も同様に)99%より先へは進めない。
理系文系という区分は、その意味でも「冗談や揶揄・卑下・優越の区分」ではない。
63考える名無しさん:2010/10/31(日) 17:15:32 0
>>62
言い訳としか聞こえないんだけど

引用の概念がもう全然違うよね
引用文献の引き方次第でどうとでも結論出せるって認めてるんじゃないの
都合の悪いのは引用しないんでしょ?
全ての関連文献に言及してるわけでもないし

文献学(の仏教関連と限定しておこう)って糞だなぁ・・・
本当にこんなのが許されてんのか?
だから馬鹿にされんだよ

>理系文系という区分は、その意味でも「冗談や揶揄・卑下・優越の区分」ではない。
そんなこと言ってないけど?

概括すれば「あの人はこういってました」の体系でしかないから
そこに真偽は見出せないよね
64考える名無しさん:2010/10/31(日) 17:51:10 0
>>63
ほうw
>文献学(の仏教関連と限定しておこう)って糞だなぁ・・・
ほかにどんな方法があると?w あ、文献学自体無意味な領域ってことですかw わかりました。

>引用の概念がもう全然違うよね
はて・・? では、どういう引用が良い引用なんでしょう?w

>引用文献の引き方次第でどうとでも結論出せる >都合の悪いのは引用しないんでしょ?
自説に反する説にも言及し、且つ反論が加えられていたようですが、見えませんでしたか?w
また、何のための「註」だと思ってるんでしょうか?w 何のための参考文献一覧だと思ってるんでしょうか?w

>全ての関連文献に言及してるわけでもないし
何のための参考(引用)文献一覧だと思ってるんでしょうか?w

>本当にこんなのが許されてんのか?
許されてますよw てか、それしか方法がないからです。
で、そうした方法によってでも、考察を加えなければ、
現在流布している説が、その通り古代、或いは古い文献の内容から導かれたものかどうかの考察はできないわけです。
まあ、そうした考察自体不要だというなら、それでも構いませんが・・w
また、あなたはそうした過去の成果の恩恵に与っていないとでも?
昔の文書なぞ不要、というスタンスなら、それはそれで構いませんがw

>「あの人はこういってました」の体系でしかないから
まったくその通りですよ。それ以上何ができるというのでしょうw

>そこに真偽は見出せないよね
そうですね。真である(或いは偽である)という見做しにしかなりませんね。
だから、そこが、古の文献をいじる際の限界だと言うのですw

(つか、全部読んでないだろ?w)
65考える名無しさん:2010/10/31(日) 17:52:02 0
>>63
>そんなこと言ってないけど?
そうですか?w  文脈上は、
《理系の論文に於ける、
〈引用の正確さ〉〈引用の多さ(全ての関連文献・論考を引用)〉〈自説への反証となる説の引用〉、
〈推測による発言をせず、常に断定の文体で記述する〉〈確定していることのみを記述する〉
といった姿勢に比べて、理系外の論文・論考はそれら全てが粗雑である》
という意図(→理系の論文の方が優れている)と読めましたが、深読みし過ぎでしたか?w

>だから馬鹿にされんだよ
これが、「蔑視&優越感」でなくて何だと言うのでしょうかね・・w
66考える名無しさん:2010/10/31(日) 20:28:17 0

仏教者は簡単に釣れるんだなwww
マジレス乙www

一生文字の伽藍で遊んでなさい
67考える名無しさん:2010/10/31(日) 21:00:25 0
>>60
いや、そういう一義的な意味があるというのは無理ですね。
西洋思想、ソクラテス以来の本質主義以来の幻想ですね。
68考える名無しさん:2010/10/31(日) 21:01:49 0
>>59
全く違うよ。石飛先生の新刊を読んでね
69考える名無しさん:2010/10/31(日) 21:03:14 0
>>61
ただの誤解ですね。

縁起・空・仮設が分かってない。


70考える名無しさん:2010/10/31(日) 21:09:55 0
>>63
文献学は所謂科学・学問に徹するなら、諸文献の記号の物理的差異を記述するだけになりますね。

なぜなら、科学・学問は実在論・本質主義に基づいているからです。

意味については何も言えません。

意味について、記述すると必ず解釈が入るからです。
71考える名無しさん:2010/10/31(日) 21:13:31 0
>>63
>文献学(の仏教関連と限定しておこう)って糞だなぁ・・・

いやいや、文献学がクソなんじゃなくて、
実在論・本質主義に基づく科学・学問では、意味は追求できないだけです。
72考える名無しさん:2010/10/31(日) 21:26:30 0
>>68

3行でまとめて
73考える名無しさん:2010/10/31(日) 21:49:14 0
>>72
龍樹菩薩は釈尊が説いた通り書いた。
ただし、釈尊は縁起・無常を中心にといていたが、龍樹菩薩は縁起・空・仮設を中心とした。
無常は常識に近く、空は常識に遠いのでまるで違うように思われがち。
74考える名無しさん:2010/11/01(月) 01:46:43 0
色即是空
空即是色

一切の存在は現象であって、空であるが、その空であることが体得されると、
その現象としての存在がその儘実在であると判る?

これおかしいよな
仏教云々よりも前に漢文が読めてないとしか思えない
只の強調表現だよ?

原典ではどうなってんの?
75考える名無しさん:2010/11/01(月) 06:02:25 0
日本人が「仏教」とみなしているナニカは
世界の人が仏教とみなしているものとはかけ離れている
 日本人は、これだけたくさん寺がある国でありながら
実は仏教に縁遠い妙な国だったりしている
76考える名無しさん:2010/11/01(月) 06:14:08 0

pam sunyata, sunyataiva rupam

物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象である

form is here emptiness, emptiness is form
77考える名無しさん:2010/11/01(月) 06:23:45 0
>>74
なに実在って?


78考える名無しさん:2010/11/01(月) 08:28:48 0
英訳は、materialじゃなくてformってとこがミソの一つかな?
79考える名無しさん:2010/11/01(月) 11:03:54 0
三蔵の般若心経は元々一つ欠けてるからな
80考える名無しさん:2010/11/01(月) 18:20:59 0
>>76

漢語訳も余計なの増えてるけど
日本語訳するとさらに助詞とか余計なものが増えるな
rupam sunyata, sunyataiva rupam

ruがぬけてるよコピペミスったかな?
81考える名無しさん:2010/11/01(月) 18:30:59 0
>>80
基本的に、一語の格変化で助詞の意味を持たせるから語数が少なくて済むからね。
82考える名無しさん:2010/11/03(水) 00:09:46 0

日本には本当の仏教は伝わっていない。
「葬式」も「位牌」も「戒名」も、じつは釈迦の教えとは関係ない。
これらは儒教や道教に由来するもので、仏教が中国を経由して伝わったがゆえのものである。
『般若心経』など、中国で創作されたと疑われる経すら存在する。

チベットの高地で発見された『チベット大蔵経』が20世紀になって日本にも紹介され
他の宗教の影響を受けていない釈迦の教えがようやくわかるようになった。

本来の仏教は絶対的な存在=神を否定し、平等な社会をめざしていた。
83考える名無しさん:2010/11/03(水) 00:13:40 0
釈尊に著作物はありません。
また釈尊の時代にサンスクリット語は出来てません。
サンスクリット語は釈尊滅後100年目前後、
バラモン(ヒンズー)教徒が神の言葉を示す為に作った雅語です。
(紀元前1000年にはあったとする見方もあります。)
仏教徒は釈尊の言葉を口伝していたのです。
サンスクリット語が成立したあと、
仏のみ教えも口伝ではなく記述されるようになります。
ちなみに一番古いとされる仏典はサンスクリット語ではなく、
プラークリット語(パーリ語)です。

漢訳されると漢訳されたものが原典と見なされ、
サンスクリット語やプラークリット語の仏典は破棄されてました。
中華思想の弊害ですね。漢字第一主義です。
84考える名無しさん:2010/11/03(水) 00:33:23 0
>>57

うは、この原田って「般若心経はマントラだ!」とか
無茶苦茶なトンデモ説唱えてる奴じゃん


どっちが珍説だよwwww
85考える名無しさん:2010/11/03(水) 00:43:56 0
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               >>84
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86考える名無しさん:2010/11/03(水) 01:10:32 0
>>85

知らないの?

57御推薦ののpdfでも見てみたら?

87考える名無しさん:2010/11/03(水) 01:17:59 0

竜樹の創作+玄奘の捏造でFA
88考える名無しさん:2010/11/03(水) 05:53:12 0
>>82
>『般若心経』など、中国で創作されたと疑われる経すら存在する。

オイオイ『般若心経』は『チベット大蔵経』にも入ってるぞ。
しかも、敦煌文書にはチベット文小本『般若心経』も発見されてるし。

日本仏教も本当の仏教だったよ。
たしかに「葬式」も「位牌」も「戒名」は唯の方便だし、
今の日本仏教者のほとんどがやってることは非仏教だけど。

>本来の仏教は絶対的な存在=神を否定し、平等な社会をめざしていた。

別に平等な社会は目指してないよ。
平等な方がいいと推奨してるけど。
89考える名無しさん:2010/11/03(水) 05:54:39 0
>>84
それが珍説と思う方がおかしい。
読めばそうでしょ。

マントラというより正にフリダヤだ。
90考える名無しさん:2010/11/03(水) 05:55:44 0
>>87
こういった実在論に立っては仏教の縁起・空・仮設は何も分からないでしょう。
91考える名無しさん:2010/11/03(水) 07:27:57 0
>>82
否定はしていない、唯一絶対の神は見つけられなかった
といっているだけで。(要するに非肯定)あと神々(別次元)の存在は肯定している。
92考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:33:18 0
>>88

般若部と般若心経は違うだろ?

何いってんの?
93考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:40:49 0
>>92
>般若部と般若心経は違うだろ?

そりゃ、違うというより般若部の一部が心経だぞ
http://jinglu.cbeta.org/cgi-bin/tibet_detail.pl?lang=&id=0021

なんにも知らない出来の悪い学生あたりか
シルクの校訂本も知らないのか?

たく
94考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:43:05 0
中村訳岩波文庫でも書かれてるぞ、チベット訳

ほんとに何も知らないらしい
95考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:44:42 0
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96考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:46:03 0
ところで、般若って、得ると般若の面にみたいな顔になるの?
97考える名無しさん:2010/11/04(木) 17:39:54 0
>>93

うは 「一部」とかwww

ダイジェストとか言ってみろよ

にわかが何言ってんだか

98考える名無しさん:2010/11/04(木) 18:05:18 0
>>94

うは でかい釣り針だなwww

中村元が サンスクリット語⇒日本語 したのが売りの本だけど
その参照してるサンスクリット原典wが漢語からの翻訳じゃないかってのが
ナティエの論旨なのにな
成立順序わかってる?
時系列とか意味わかる?

ここには文献学とか吹聴してる奴いるのに
そんなことも知らないなんてwwww

思わずレスせずにはいられんなwww

捏造乙
そこまでわかってんのに
99考える名無しさん:2010/11/04(木) 18:23:26 0
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100考える名無しさん:2010/11/04(木) 18:30:08 0

そもそも仏陀はマントラを禁じていたわけで・・・

それを来歴の怪しい般若心経をマントラ扱いして
ドヤ顔するって・・・何をしたいのかイミフ

真言宗系が幅を利かせているからこそ起こる
日本独自の転倒なんだけどねーwww
むしろまともな仏教学やってる人なら常識でしょ?

そんなことも知らないビリーバーって・・・
原始仏教一からお勉強しなおしたらいかが?

101考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:06:55 0
>>98
そこじゃなくて、チベット語訳があるってことだよ。

ナティエに関しては原田さんの論文で十分に論破されてるぞ。

お前こそ、何も分かってない。
102考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:09:59 0
>>100
インド註でも密教解釈あるし、
諸写本で、スートラではなくフリダヤとして扱っているだな。

チベット大蔵経には、般若部にも収録されているが、タントラ部にも収録されている。


だから、そういう実在論的歴史解釈は話しにならないんだが。
103考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:14:49 0
>>97
おまえ、何も分かってないな。

般若部ってのは諸般若経を纏めたものだ。
十万般若、二万五千般若から始まって、サンチャヤ・ガーターとか般若心経が収録される。

般若心経がダイジェストだって、まあ、そういう説もあるけどな。
ダイジェストなら、まさにサンチャヤ・ガーターだろ。

たく、何も知らんくせに
104考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:32:24 0
>>101

まったくさぁ
話になんないよ

原田のは反論になってないって

論旨ここで説明してみ?

書いてる端から疑問が噴出するからさ

105考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:44:47 0
>>103

はいはい俄乙wwww
知ったかぶるのも大変だね
じゃぁ、じっくり論破してやるから

お前の説では

>般若部の一部が心経だぞ

なんだろ?
お前の信奉する原典は何なんだよ

そこから始めようじゃないの

逃げんなよ




106考える名無しさん:2010/11/04(木) 20:45:34 0
>>104
おいおい、なんでオイラが般若部の構成も知らん素人のために長文書かなきゃならんのだ。

お前、基本もシランのに困ったシッタカだな
107考える名無しさん:2010/11/04(木) 21:13:52 0
>>105
>お前の説では
>
>>般若部の一部が心経だぞ

何いってんだ目録に明かだろ。この間違いも認められないようなヤツはどうしようもないな。

チベット大蔵経:
http://jinglu.cbeta.org/cgi-bin/tibet_detail.pl?lang=&id=0021
部類: 般若部 って書いてあるだろ。
もっとも、これだと諸大蔵経でどうなってるか分からないが。
ちょっと観てみると、パンタンマだと般若部という分類はしてないが、
もっとも初期にカンギュルを編纂したチョンデン・リクレル目録には、
般若類として分類してるぞ。同じことだ。

漢訳大蔵経:
http://jinglu.cbeta.org/cgi-bin/jl_detail.pl?lang=&sid=zrvsm
【開寶藏】【磧砂藏】【高麗藏】【永樂北藏】【嘉興藏】【乾隆藏】【縮刻藏】【卍正藏】【大正藏】【佛教大藏經】でも般若部 って書いてあるだろ。

これでも間違いを認められないなら、真正コマッタちゃんだ
108考える名無しさん:2010/11/04(木) 21:50:58 0
>>106

はいはい苦し紛れの言い訳ですね

はい論破ww
109考える名無しさん:2010/11/04(木) 21:59:45 0
>>107


なんだよwwwww
漢籍でドヤ顔でつかwww

パーリ語の原典くらいは出してくるんだと期待してたんだが
だいたい、玄奘の般若心経が疑問視されてんのに

おまえ、本当に今までの議論把握してんの?

低能困ったチャンはお前の方だろwwww

じゃあ
@最古の般若心経はどこにある?
Aその般若心経とお前の出した出典の成立順序は?

ちゃんと答えろ

はぐらかしはいい加減しろよ






110考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:08:14 0
>>109
何いってだ。
チベット大蔵経って言い出したのはお前だろ。
先ずそこに誤解があったから、指摘した。
上に挙げたのも主はチベット大蔵経目録だよ。
漢訳は副。漢訳でも般若部に分類されてるってことを示したのみ。


>パーリ語の原典くらいは出してくるんだと期待してたんだが
>だいたい、玄奘の般若心経が疑問視されてんのに

なんで、心経でパーリの原典なんだ。
そんなものあったら観たいものだ。

>はぐらかしはいい加減しろよ

お前が何も分かってないだけだ。
ここまで無知なのに偉そうなのは、相当、アホだな。

久しぶりにみたよ。

111考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:09:36 0
おまえとはやっとれんはレヴェルが違い過ぎる
112考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:14:26 0
この二人、噛み合ってないな。
113考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:20:56 0
>>109
>@最古の般若心経はどこにある?
>Aその般若心経とお前の出した出典の成立順序は?

いっとくが、漢訳や蔵訳で成立論をやる場合、
漢訳や蔵訳は下限にしかならないということを忘れてはならない。

漢訳年代を恰も成立年代のように扱った密教成立論なるものがあるが、
あれは悲惨だ。ダルマキールティが仏教の所謂母タントラを引用しているというのに、
母タントラの成立年代を漢訳年代に依拠して論じている。
話しにならない成立論だ。

それと同じことだ。漢訳年代など下限にしかならない。
決して役されなかった経典もたくさんある。
114考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:27:02 0
>>112
噛み合ってないんじゃなくて、

>>82
>これらは儒教や道教に由来するもので、仏教が中国を経由して伝わったがゆえのものである。
>『般若心経』など、中国で創作されたと疑われる経すら存在する。
>
>チベットの高地で発見された『チベット大蔵経』が20世紀になって日本にも紹介され
>他の宗教の影響を受けていない釈迦の教えがようやくわかるようになった。

『般若心経』が『チベット大蔵経』にも含まれている。
「『般若心経』など、中国で創作されたと疑われる経すら存在する」とするなら、
チベット仏教が紹介されたから、
「他の宗教の影響を受けていない釈迦の教えがようやくわかるようになった」
という二つの段落は互いに論理矛盾することを指摘されて、
その後、無理筋でごねてるだけだよ。
115考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:33:50 0
因みに『金剛三昧経』など、中国で感得されたことが明かな経典もあるけど、きっちり元暁菩薩などによって認められている。

これはチベットでテルマが認められていることや、『般若経』やタントラが感得されたものであることと同じ。

『華厳経』や『金剛頂経』『サンバラ』『ヘーヴァジュラ』『カーラチャクラ』の自然法爾本というのは、実在論に基づけばありえない空想に思えるかもしれないが、縁起・空・仮設という仏教の根幹に基づくならあたりまえなのである。

116考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:35:32 0
>>110

はいはい言い訳乙  そんなに顔真っ赤にすんなよ
仏教学んでんだろ?

>なんで、心経でパーリの原典なんだ。
>そんなものあったら観たいものだ。

wwwwwwwwwwwwww
語るに落ちるとはこのことだなwwwちょっと笑いが止まらんわ
お前自分が延々何言ってきたか忘れちゃったの?
偉そうに騙ってるから少しは勉強してる奴かと思えばwwwww

だいたいお前は

>『般若心経』など、中国で創作されたと疑われる経すら存在する。

これに反論してんだろ?
お前の主張は「チベット大蔵経に般若部がある→般若心経はある!」
どこに「ある」かどうかなんて初めから俺は問題視してねーよ
「偽経」として存在してんのは別に争ってねーんだよ
おまえが必死こいて「ここにあるここにある!」って力説しても
なんの反証になってないのわかんないの?

だから散々、それを覆す典拠を示してくれんのかと期待してたのに
ほんとに頭大丈夫?混乱しちゃってるの?wwwww
おれがはぐらかしはいいかげんにしろよって言った意味わかってる?
で?あらためて聞くけど成立順は?

さっさと答えろよ
117考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:52:05 0

面白いスレだな
『般若は偽経=天台』VS『般若は正典=真言』
って事?
118考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:05:17 P
119考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:08:25 0
>>117
そんな単純な構図じゃないよw

「玄奘訳心経」「羅什訳心経」「他漢訳心経」/「漢訳大本」「羅什訳大本」/
「小本Skt」「大本Skt」/「大本Tib」/「異本小本」/「法隆寺本」/「先行般若経典群」/
&「心経原典(仮想)」、
これらの位相、時系列の話だから。

で、強いて対立構図を示すなら、
『「先行般若経群」→「心経原典(仮想)」→「各漢訳・諸訳」』
 VS
『「先行般若経典群」→「玄奘訳心経」→「羅什訳心経」「他漢訳心経」→「各種Skt・各種異本」』
といった感じかな?w
120考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:12:05 0
証拠だされて認めないヤツに何を言っても無駄
121考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:13:09 0
ageってたからざっと覗いてみたけど

仏教は哲学じゃありませんから

宗派論争とか他の板でやれよ
くだらない事ばっかやってんだな
名前欄にsageとか流行ってんの?
122考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:13:31 0
>>107>>120
つーか、【今の流れで】
>>105 >信奉する原典は何なんだよ >そこから始めよう
なんて言い出す時点でDQN決定だろw

目録は彼には通じないでしょw
彼の主眼は「玄奘“作”心経→Skt本」が起点となっているのだから。
各種言語版があって、それがどう分類されていようと、
《それら全て「玄奘“作”心経【からの】訳出本」であって、それが【誤って】目録に記載されてるだけ》
という感じなんじゃない?
各蔵経の分類がどういう視点(≒基準)でされたものなのかとか、
時系列とか、転訳(という言い方が妥当かは知らんがw)の流れとか、
思想の系譜とか、用語・術語の変遷とか、異本の扱い方とか、
漢訳の際の訳語の選定とか、漢訳←→Skt←→Tibの訳語の対応とか、
大本との関係とか、先行般若経典との関係とか、
そういうの関係ないんでしょ。 たぶんw

(ま、97-103-105の流れは、「一部」という表現を、
「カテゴライズされた集積の一部」ではなく、「まとまった一つの経典の一部」と読み違えただけだと思うが・・w
>>82は、「『般若心経』という表現・表記で、【玄奘訳のみ】を想定しての発言」ってことでしょう。
Skt本(とか各種異本)のことじゃなかったんでしょうw ましてや「玄奘以外の漢訳」のことでもないのでしょう。


>>109
隠居並みにワロタw
123考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:16:47 0
>>121
確かに、このスレタイは板違いだなw (テーマとしては面白いけど。)


あと、どんな専ブラ使ってんの?
名前欄は全部「考える名無しさん」になってるけど・・。
124考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:32:24 0
>>122
最初のリアクションからドキュンでしょ。

まず、般若心経のような偽経がを信奉している日本仏教は仏教じゃなく『チベット大蔵経』が紹介されて純粋な仏教が分かったってのが>>82の主張で、

それに対して『チベット大蔵経』にも『般若心経』は入ってるから、その主張は成り立たないっていったわけだ。>>88

それに対して>>92>般若部と般若心経は違うだろ?
だよ、何も分かってないんで、

『チベット大蔵経』目録を見せて『般若心経』が般若部に分類されて居ることを示し>>93
>>94で>中村訳岩波文庫にもチベット訳があること記述されているを示した。それに対して>>97-98だ。何も分かってない。


しかも、証拠の提示は一切ないぞ。
125考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:39:34 0
という訳で、論点は上にあったわけだ。
それで般若部に『般若心経』が含まれることを証拠を突きつけられても認めないヤツに。

わざわざ、めんどくさい論証しても無駄でしょ。

どうせ、屁理屈並べて勝利宣言だから。

何故書いてるかと言えば、こういったドキュン説を信じかねない人がいるから。
126考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:51:46 0
>>125
釣りや煽りのつもりが、自分が池に嵌ったり、
上から目線で批判して返り討ちに遭う、といった類が多いのも哲板の特徴。
その人口比率は宗教板神仏板の比じゃないw
(それを考えれば、隠居のレスなんか真面目で可愛いもんだw)


ノシ
127考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:54:23 0
>>122 あれ? もしかしてセブンか?
出張か?www
128考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:58:07 0
>>127
間違いないよ
129考える名無しさん:2010/11/05(金) 00:01:18 0
宗教板が過疎ってるから、道場やぶりか?www
俺は哲板では、ほとんどロム専だがw
130考える名無しさん:2010/11/05(金) 00:03:59 0
>>127>>128
スレタイに呼ばれてねw(>>123
(哲板は、一時、某コテ相手にお世話になったカテだからw)、覗いてただけ。
今は時々、横から無責任に口出すのが仕事ですw

ノシ
131考える名無しさん:2010/11/05(金) 00:04:59 0
あ、カテじゃなくて板でよかったか・・。  寝る
132考える名無しさん:2010/11/05(金) 02:51:16 0
>>82

ああ、どっかで聞いたなと思ったら
天台宗ハワイ別院の苫米地の本の説明じゃないの?

セブンVS苫米地かwww

胸熱

133考える名無しさん:2010/11/05(金) 06:07:55 P
http://www.youtube.com/watch?v=uig-2QJR3Eo&t=2m48s
チッタゴンにおける仏教 
134考える名無しさん:2010/11/05(金) 06:47:01 0
>>132
苫米地 英人か、トンデモじゃないか。
そんなもん信じるなよ。まさか本人じゃあるまい。
あれは酷すぎる。
135考える名無しさん:2010/11/05(金) 07:10:50 0
苫米地英人
136考える名無しさん:2010/11/05(金) 07:20:34 0
ドクター中松と同じ種類の人間だろ。
すさまじい胡散臭さで頭が痛くなってくる。
137考える名無しさん:2010/11/05(金) 07:25:55 0
>>136
だよな。
138雑感:2010/11/05(金) 08:03:51 0
苫米地は、名前は知ってるけど、著作を読んだことはない。
(あ、浅草キッドとの対談動画は見たなw)
印象は、「理」のみを見る人、って感じ。
(キャラとしては面白い。ユーモアを交えた楽しませる言い方(誇張した)とか。)

最近使ってないフレースだがw、
「知的パズルとしての仏教は面白い」、を地で行ってる人という感じだった。
その賢さによって「パズルの解法」に特化した仏教理解の人かな・・、と。
ただ、82のようなことを、(たとえ素人向けの略式発言としてででも)言っているとしたら、
自分が使ったピース以外の知識への詰めが甘すぎる。
 *(心経云々の箇所じゃなくて、「 >他の宗教の影響を受けていない釈迦の教えがようやく・・・ 」
  の部分。これだけで、他の行も、他の概説書の丸写しで、自分で考え、同意したことじゃないんじゃないか?
  と疑いたくなるw 83もそうだとしたら、これも甘すぎる。今時「パーリ“文献”最古論」を言う者など稀だw
  また、「パーリ=プラークリット」ではない。言語の時系列に触れるなら、
  位置付けとしては、「パーリ語もまた、サンスクリットと同じ位相を持つ」ことを頭の隅に置いとかなきゃ。)
その意味では、「仏教のある一面に詳しい人」という域を出ていないんじゃないかな。
学界とは一線を画した在野の研究者という位置付けをするとしても、不足要素がかなり多い気はする。
139考える名無しさん:2010/11/05(金) 09:56:35 0
>>138
苫米地等流はできる人だが、誠一は普通の学者、英人はただのドキュンだろ。

仏教のことは概説書程度の知識しかなく、
チベット仏教関係ではほとんどカルト的活動をしている。

ビジネス宗教家。
140考える名無しさん:2010/11/05(金) 19:10:24 0
宮崎哲弥推薦らしいが、宮崎がどの程度かよく分かった。
141考える名無しさん:2010/11/05(金) 19:58:41 0
>>140
宮崎哲弥って、輪廻否定だし、山口・松本とかを評価してる時点で、仏教のことが全く分かってないよ。

以前、福田さんや佐藤さんにきっちり論破されてたよん。
142考える名無しさん:2010/11/05(金) 20:47:19 0
143考える名無しさん:2010/11/05(金) 21:08:27 0
苫米地フリークは、流石にもう書けないか
144考える名無しさん:2010/11/07(日) 21:20:04 0
>>143 (煽ってみようか?w)

せっかくなんでポチった「お釈迦様の脳科学」が昨日届いた。
さっき読み始めた。読み始めて1ページで噴いた。

> また、以前から50歳代、60歳代の男性が仏教に興味を持つ傾向がありました。
>定年退職して時間に余裕が出てくる。また、これから先の人生に残された時間を考えるようになると、
>にわかに仏教書を読み始めるようです。
【 >そして、数冊も仏教書を読めば、立派な「にわか仏教通」となり、周囲の人たちに仏教を語り始めます。】
*自己紹介ですかwww

>実際、私も何度か喫茶店などで年配の男性が【若い女性】に仏教を語っている姿を見かけたことがあります。
>聞かされている人は、内心は迷惑かもしれませんが、
>「そうなんですか」「さすが、物知りですね」と、感心したふりをしています。
*>>142の動画のことですか?www

> これが、ラジコンや鉄道模型といった趣味では、その趣味仲間の間ではともかく、
>周りからは評価されないでしょう。仏教のように人生や哲学を語ることは難しいからです。
【 >仏教は、自分をお手軽に偉そうに見せられる趣味としてはうってつけです。
  .>費用も書籍代くらいで、ほとんどかかりませんし、たとえ間違った解釈を語ったとしても、
  .>ほとんどの人にはわかりはしません。かえって、「仏教って難しいんですね」と言われることで、
 《 >難解な仏教を語っている自分に酔えるかもしれません。 》 】
*また自己紹介ですかwww

他、・(茂木の言うクオリアがどうなのかは知らんがw)、チャーマーズのクオリアも「霊」だと言い切る大胆さw
(著作読んでないんじゃないか?w  って、自分も1冊しか読んでないが・・w)
・>余談になりますが、量子論でノーベル賞をもらった日本の研究者に
. >京都大学出身者が多いのも、こうした仏教の考え方と関係があると考えられます。
*余談過ぎるだろwww つか、せめて文末を、「関係があるかもしれませんね(笑)」くらいにしとけw

既に読むのやめようかと思っている・・w
(新書で週刊誌みたいな書き方してんじゃねーよ・・w PHP文庫かと思ったわw)
145考える名無しさん:2010/11/07(日) 21:38:53 0
>>144
金出したの?

悪口って、大抵、自分の鏡だよね。

オイラは読んでないが、以下を観ると
http://higashiooi-machio.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-a7d9.html

* スピリチュアル批判は日本仏教批判
* スピリチュアルの代替品として使われる脳科学と仏教
* 厳密には上座部のみが仏教
* 大乗仏教は墓守が始めた新宗教
* 大乗仏教はお経を呪文にしてしまった
* 日本仏教は老荘思想
* 神を否定した釈迦が神にされた
* 『チベット死者の書』は仏典ではない
* アートマンは続かないが縁起は続く
* 釈迦には「自力」も「他力」もない
* 悟りとはすべてのスコトーマが外れる体験


 概説書読んで、受け売りして脳科学を混ぜたかんじですね。
146考える名無しさん:2010/11/07(日) 23:10:09 0
それってゴーストライターがさ、いつもいつも
この人のために原稿を書いてやってるのが馬鹿馬鹿しくなって、
この人の悪口を書いて埋め込んだって感じじゃないの?
せめてもの反抗というか。

那覇地検の次席検事が「日中関係を考慮して」と記者会見で暗に政府批判するようなものじゃない?
147考える名無しさん:2010/11/07(日) 23:42:52 0
>>146
その可能性も否定できないが、往々にしてこういうナルシスト・タイプは、
悪口が鏡です。ハイ
148考える名無しさん:2010/11/08(月) 00:09:41 0
>>145
・上座部をもって「小乗」を代表させている。
・分裂直後及び暫くの上座部と現行上座部を同一視。
・上座部という名前の由来を誤読。
・日本仏教における「葬儀」や「戒名」に対する掘り下げ不足。
 *(「戒名と日本人」保坂俊司(祥伝社新書049)でも読んどけと言いたいw)
・女性の出家禁止の理由が浅薄で通俗的。 (裸形に近いから/行が(環境的に)厳しいから/危険だから、など。)
 *(そうした側面がないとは言わないが、「>最大の理由」ではない。)
・「 sutta , sUtra 」→「経」(…道教の書物のこと)という訳出は不適切。
 *(中学生用でいいから漢和辞典くらい引けよwww って感じだw あと、格義仏教という言葉も知らんらしい。)
・「ケガレ」概念も中国由来、中国経由という短絡。 ・「地獄」概念の誕生も中国。
・Tib大蔵経の過大評価。
 *(オリジナル扱いとか、Tib蔵経から漏れてるものは原典(Skt)が存在しない可能性大とか、
  上座部が伝える初期の仏典までも包含するとか・・アホですかw)
・例の心経の件(くだり)の中、菩薩概念の幅の狭さ&大乗の菩薩概念への完全な無知。
 *(インド時代(Skt版)から大乗経典に於ける菩薩優位は明らか過ぎるだろw)
・「色即是空空即是色」の《読み方》のお粗末さ。(しかもやっぱり「色」にしか触れず、後四蘊は無視w)
 *(この独特さは隠居以上だw 著名経営者が「私の読む般若心経」とかを出版する方がまだマシだw)
・末尾マントラの解読は、腹筋崩壊を狙っているとしか思えない。
・縁起」の説明が、やはり『物』による説明のみ。当然、関係性にしか触れ得ない。
 *((たとえ話者が意図せずとも)、結果として時間性(≒因果)はまたまた蚊帳の外へ追い出されてしまう・・。)
・五戒に触れているが、出家戒と在家戒の別は、敢えて無視してるんだろうか?
・八正道の件(くだり)、「正しい」(sammA)の解釈の何と浅いことか・・orz
・7章で〆へ向かうあたりなども、幸福の科学(大川隆法)を彷彿とさせる・・。
 *(いや、あそこまで無茶苦茶ではないがw)、
  《『実生活、日常への援用法』として有効な言辞》と、《所謂「仏教」としての言辞》とは、
  一線が引かれるべきだと俺は思う。)
149考える名無しさん:2010/11/08(月) 00:11:22 0
  ↑
>>145
>オイラは読んでないが
(自分の領域で気付いた範囲だが)、参考にどうぞw


貶すばかりも何なんで、少しフォローを入れれば、6章「煩悩」の件(くだり)前半は結構面白かった。
(自分のテリトリー(得意分野)で、【そこからの視線】による新知見を
【外野からの新知見】として述べるのは一向に構わない。)
結局、仏教関連・仏教主軸の部分(の知識、理解)が脆弱だということが明らかになる著作って感じだ。
「パフォーマンス」と「(キャラとしての)大言壮語」の人だね、彼は・・。
目を惹くためのオーバーな言辞を責めるつもりはないが、その後に
きちんとしたフォロー、緻密で正確な解説(・謎解き)が無ければ意味がない。
電車の中吊り広告と何も変わらない。スカスカなキャッチコピーの羅列で一冊成立とはね・・。
恐れ入るわw



>金出したの?
幸福の科学やオウムが流行った(勢力拡大し、広く名が知られるようになった)頃、
(ちょうど学生時代だったしw)、何冊か買って読んだ。(KGは1冊程度だがw)
オウムは、「翻訳チームを作ってちゃんとやっている!」とも言っていたから、
知らずに発言することの愚を犯さない爲に・・。
ま、実際は、(訳自体は普通だし)、一部都合のいい様に意訳してあるくらいで真新しいことも無く、
その解釈・付加説明がトンデモだったんで、「学部1年でさえ似非だってのが判るのになぁ・・」と思ったのを思い出すw
だから、少し引っ掛かる所がある場合は、大抵一度(一部)は目を通すことにしている。
正当性無き批判や指摘は本意でないんでねw その意味で、新書一冊なんて安いもんだw
150考える名無しさん:2010/11/08(月) 00:46:10 0
面白そうだね。
彼の本て表紙が変だから立ち読みも買うのも恥ずかしくて
本棚に近づけないんだよね。
151考える名無しさん:2010/11/08(月) 00:51:22 P
>>148

たいへん勉強になり、ありがたいです。
一つだけ質問させていただくと、

>・「 sutta , sUtra 」→「経」(…道教の書物のこと)という訳出は不適切。

適切な訳語は何になるのでしょう?
もしかしたら経典、聖典という訳語でも不適切なのでしょうか?
152考える名無しさん:2010/11/08(月) 07:25:50 0
>>151
「経」以上に相応しい訳語は無いと思うよ。
彼が先走ってる
(→既存の通説と違う意見を一つでも多く盛り込んで、自分のセンス・卓見をアピールしたい)
だけ。子供の自慢話と何も変わらん。
いや、仏教を、趣味どころか商売の為の手駒としてしか見てない感じだな。
子供の大言壮語・オリジナル解釈の方が100億倍マシだ。
153考える名無しさん:2010/11/08(月) 07:49:53 0
>>148
酷いよね。オイラは動画見ておもったけど。10分以上耐えられなかった。
慢心とハッタリの塊で、仏教とは正反対。

>>149
なるほど。オイラはオウムは途中まで支持してたよ。
その頃は、宝珠解釈だったんで、縁起も『梵網経』も中観も、全く分かってなかった。

幸福は、パロディのマンガとしか思えなかった。最澄さんが地獄で反省してるとか。どう読んでも概説書をネタ本に適当に妄想したとしか思えないのに、信じる人がいるのが分からない。

その幸福に近いもんだよね。苫。酷い。

>>152
>(→既存の通説と違う意見を一つでも多く盛り込んで、自分のセンス・卓見をアピールしたい)
>だけ。子供の自慢話と何も変わらん。
>いや、仏教を、趣味どころか商売の為の手駒としてしか見てない感じだな。

動画とか、ネットの書き込みから、そう思う。全くそれしかない。
しかも、センス・卓見がただの諸概説書・啓蒙書の受け売り。
まったく幸福と一緒。
154考える名無しさん:2010/11/08(月) 11:00:22 0
松本・山口・宮崎などを喜ぶのは柄谷とかああいった似非インテリが好きなやつらですな
苫ヲタあるいは苫本人も、その流れでしょ。
それをこの柄谷書評は証してあまりあるのではないか?
http://book.asahi.com/review/TKY201010260202.html
>ラマ教が輪廻(りんね)転生の教義やそれに付随するさまざまな身体技法をもっていたからだ。
>これは、ブッダの教えの真髄(しんずい)が輪廻転生するような同一的な自己を仮象として批判することにあるとすれば、まったく仏教に反する見解である。
>しかるに、チベットでは輪廻転生の考えにもとづいて、ダライ・ラマの後継者が決められている。

以上が松本・山口・宮崎・並川などの和辻以来の珍説に依っていることは明か。
以上には二つの誤認がある。一つは輪廻なしに仏教はありえないこと。
釈尊以来、いくつかの些末な異端を除いて仏教が輪廻を前提としてきたことは疑いえない。

もう一つは、ダライラマは輪廻転生に基づいているのではなく、大乗仏教の根幹である、菩薩行・普賢行・誓願・無住処涅槃・化身に基づいているので、輪廻ということが基盤にあると言えるが、転生では全くない。
155考える名無しさん:2010/11/08(月) 11:08:03 0
http://book.asahi.com/review/TKY201010260202.html
>要するに、西洋人が「仏教」に見出すのは、西洋に存在しない何か、輪廻転生の理論やそれにもとづく魔術の類なのである。
>19世紀末にブラヴァツキーらが始めた神智学協会は、チベット仏教を称揚し、心霊的自我が転生するという考えを広げた。それは今日の「ニュー・エイジ」につながっている。
>著者は、エドガール・モランの「西洋は、自身の東洋を抑圧しつつ形成された」という言葉を引用する。
>つまり、チベット仏教は、西洋人にとって、みずからの内なる「抑圧された東洋」を開示するものだ、ということになる。

あまりに一面的。たしかにオカルト・ニューエイジの類は多い。
しかしながら、現在、チベット仏教が西洋に受け入れられているのは、そういった魔術からではない。
マチウ・リカールに代表されるような素晴らしい西洋の行者もたくさんいるし、
そのような本格的な立場でなくても、不害や菩提心、空性、無我が実に効果的に生き方や職場の問題を解決することが認められ積極的に取り入れられていることを全く知らないらしい。

柄谷とかは、マルクス主義みたいな科学/宗教の誠に偏狭な視野しか持たない、ケツの穴の小さい文学中年以外の何物でもないように思える。
156考える名無しさん:2010/11/08(月) 16:54:09 P
近代主義者を近代主義者だと批判しても何も得られない。
実質がないから。
例えば、チベット仏教が白人から評価されることではじめて近代化すると考えるとしたら愚かなことだ。
先の柄谷の批判は映画『クンドゥン』↓などを見れば的を射ていることがわかる。
http://www.youtube.com/watch?v=D-nOYRCw4zw
ただ監督のスコセッシは自らのカトリック的資質(及びそこからの離反の困難さ)に自覚的だから
それでどうなるわけでもない。柄谷の批判は常識的なことを述べたまでで、問題はそこから先だ。

例えば龍樹を宗教家ではなく論理学者として評価することによってのみ、自律的な近代主
義の道が開けるだろう。
論理学には白人も東洋人も関係ないからだ。
157考える名無しさん:2010/11/08(月) 17:01:16 0
でも言い方は面白いですね。
「チベット仏教は西洋人にとって、抑圧された東洋を開示する」だなんて。
偏狭な視野しか持たないカラ谷が言うように、勘違いしたニューエイジが多そうですし。
158考える名無しさん:2010/11/08(月) 18:48:11 0
>>156
何いってんの?

ほんと浅薄な見方。流石、ブンガク者
159考える名無しさん:2010/11/08(月) 19:45:12 0
欧米にディープな人も多いでしょうけど、浅薄な人も多いだろうから、浅薄な見方でも半分は正しいのでは?

大衆は浅薄な見方をするものですし、
柄谷のような社会評論系は浅薄な大衆の政治的動きを注視しているのだから、それでいいと思いますが。
160考える名無しさん:2010/11/08(月) 20:13:47 0
>>159
仏教という記号を使うなら、そのような表層批評は許されないよ。
161考える名無しさん:2010/11/08(月) 20:51:49 0
表層批評も一つの分野。
ほとんどの人間は表層的であり、それは無視できない。
深層なんて怪しいもんだ。
162考える名無しさん:2010/11/08(月) 21:09:02 0
尖閣ビデオスレの加速でカモメが飛んだらしいw
163考える名無しさん:2010/11/08(月) 22:20:46 0
>>161
別に真相とか深層とかいうわけではない。
現象・感覚に基づく社会習慣を仏教では幻のような仮設と観るので、
そのような習慣は、しゃかいのあるがままで尊重するが、
ほとんど意味がないという態度。

いわゆる仏教に影響されたオカルトや葬式などの社会制度などは、
ほとんど関係ないもの。

そういうものに無理矢理結びつけてグダグダいうのが
マルクス主義に結びつけて漱石を論じて、まぐれ当たりしちゃった柄谷みたいな人、
和辻などの亜流もほぼ同様。
164考える名無しさん:2010/11/08(月) 22:30:15 0
>>163
すじ違いだね。
柄谷が仏教学者なら、そういう批判をすればいい。
柄谷は仏教の真理の教えなんかに注目しているのではなく、
社会の変遷に注目している。
社会の変遷に注目している評論家は仏教徒から見れば浅薄だろうけど、
そういうものなんだからすじ違いの批判だね。
人類の誰もが仏教学者であるべきで、仏教学者で無いから浅薄だと言うのなら、
カルト野郎は勝手にしろと言いたい。
165考える名無しさん:2010/11/08(月) 22:34:06 0
>>164
そんなこと言ってない。
要するに仏教について何も分かってないのに、分かったフリして語るなってことだ。
ブンガクでも語ってろっての
166考える名無しさん:2010/11/09(火) 01:34:03 0
>>165
また、すじ違いだよ。
柄谷は、西洋中世、西洋近世、西洋近代において
仏教がどのように西洋人に受け取られていたのかに注目しているんだ。
歴史的に政治的に昔から今までの西洋社会でどう見られていたかに注目してるんであって、
おれ柄谷は、仏教学者並みに仏教を理解しているんだぞーということが言いたいのではない。
文章には主旨ってもんがあるんだから、読むときはまず主旨をつかむようにしろよ。
167考える名無しさん:2010/11/09(火) 06:52:35 0
>>166
筋違いもなにも、上に書いたようにこの段落全てが誤解で成り立ってるからしょうがない。

>>154
>http://book.asahi.com/review/TKY201010260202.html
>>ラマ教が輪廻(りんね)転生の教義やそれに付随するさまざまな身体技法をもっていたからだ。
>>これは、ブッダの教えの真髄(しんずい)が輪廻転生するような同一的な自己を仮象として批判することにあるとすれば、まったく仏教に反する見解である。
>>しかるに、チベットでは輪廻転生の考えにもとづいて、ダライ・ラマの後継者が決められている。

確かにいい訳のために重要な部分は仮定節になっているが、それでも無理だろ。
要するに妥当な仏教象を和辻・山口・松本・並川のような輪廻否定説に基づいてるから、倒錯した主張が生まれている。
それだけのことだ。

それを基準に各時代の社会と比較しても、基準が間違っているから比較にならないということ。
168考える名無しさん:2010/11/09(火) 10:57:57 0
チベットの場合、後継者の候補者に前世の記憶を確認させるとかいう儀式をさせるらしいから、
それは同一的霊魂が転生したかを確認しているようなもんで
不一不異との整合性が問題になるだろ
169考える名無しさん:2010/11/09(火) 12:02:29 0
>>168
全然分かってないな。現在の意識で考えてみろ。
過去の記憶はあるだろ。その記憶のある過去の自分と今の自分は同一的霊魂じゃなく不一不異だよな。

これは縁起の根本だ。縁起しているあらゆるものは無我・空で、不一不異だが、何かxとして仮設される。そのxが世俗では同一性を持って呼称されるわけだ。
例えば、現代風に譬喩でいうなら、我々の意識も肉体も瞬間瞬間に変化していて、一瞬一瞬違うだが、世俗では同一性を持って呼称される。

これが分かってない和辻は無我と輪廻が矛盾すると言い出した。
これに従う仏教学者は無我も縁起も空も全く分かってないと断言できる。

過去世も同じだ。

更にトゥルクというのは転生してるんじゃなくて、化身してるんだよ。
全く違う。

分かってないのにグダクダいうな。
170考える名無しさん:2010/11/09(火) 12:52:14 0
>>167
もう1回それ読んでみ。
柄谷は昔の西洋で仏教がいかに受容されてきたかを考えている。
神学論争や仏教学論争しているのではない。
基準とか言われても、もともと西洋人の基準が違ってるんだから、
そういう批判は的外れ。西洋人も柄谷も仏教の知識は薄い。
今度から、何かの文章を読むときには、書いた人が何が言いたいのかを把握するようにな。
171考える名無しさん:2010/11/09(火) 12:59:11 0
>>169
柄谷は無我と「輪廻」ではなく、輪廻「転生」の事について書いてるんだが。
172考える名無しさん:2010/11/09(火) 13:22:42 0
化身というなら、なぜ過去世の記憶を確認するのか不明だな
確認しなくとも現世の言動によって判断できるだろ
173考える名無しさん:2010/11/09(火) 13:38:59 0
>>170-172
だだこねるな。もういいわ。柄谷信者はだめだな。
174考える名無しさん:2010/11/09(火) 13:47:29 0
>>173
苦しいね。
過去の仏的なものが化身したかのように今の時代に現れるという考えは、論理的にはおかしくはない。
非仏教徒である者でも、論理整合性があると素直に受け入れられる。
その範囲なら輪廻という概念は誰でも許容できるだろう。
だが、予言で転生者を捜して故人の遺品がどれかを選ばせて、
前世の記憶を確認するのは、ひいき目に見ても魔術だね。
だだをこねるなと言われるが、だだはこねてない。
そういう宗教なんだなと思って寛容の精神で見ているよ。
175考える名無しさん:2010/11/13(土) 05:55:43 0
柄谷書評について
http://yfukuda.blog.so-net.ne.jp/2010-11-12

オイラは書評対象を読んでないから、断言できないが、
少なくとも上の基本論調には同意だな。

柄谷がやってることは書評でなく、
書評の形を借りた自分語り以外の何物でもないように思う。
176考える名無しさん:2010/11/13(土) 08:44:02 0
柄谷が己を空しくして陰に隠れてけなげにブックレビューなんかするわけないだろ。
基本的に著者なんかどうでもいい人なんだ。
177考える名無しさん:2010/11/13(土) 09:46:26 0
>>176
つまり、自分語りのドキュンで信者だけがエンタメの読み物として楽しむもんなんだ
178考える名無しさん:2010/11/21(日) 21:29:43 0
* *
179考える名無しさん:2010/11/21(日) 22:08:24 0
>>177
低脳w
柄谷は自分の思想を語っているのであって、お前のウジウジした自分の悩み語りと同じレベルで考えるなよwww
180考える名無しさん:2010/11/22(月) 07:31:11 0
>>179
自分語りのご都合話が高尚だと。信者はつらいね。
181考える名無しさん:2010/12/03(金) 19:46:30 0
+
182考える名無しさん:2010/12/05(日) 21:30:45 0
竜樹はなんかピンとこないんだよなぁ。
世親の方が好き。
183考える名無しさん:2010/12/05(日) 22:25:52 0
>>182
まあ、人それぞれ合った道がいいとおも
184考える名無しさん:2011/01/04(火) 02:50:44 0
【原始仏教】スッタニパータ【最古の仏典】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1294074608/
185考える名無しさん:2011/01/17(月) 20:27:26 0
やっぱりVIPの作法って効くんだなぁ・・・
ちょっと語調を変えるだけでこの通り
まんまと引っ掛かったよ
哲学板なんかアホばっかりだもんね
186考える名無しさん:2011/01/18(火) 04:29:33 0
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ___                       ____  ┃
┃ ゙=c_  \                    /_っ='  ┃
┃      く:::\                 /:::>'       ┃
┃       \::::\   ...-ー、,-─    /::::/        ┃
┃        \ ` .-=・=- i、-=・=-   /        ┃
┃          \..    / ー-' ヽ   /            ┃
┃           \::.| ト‐=‐ァ' |: /            ┃
┃              |::| ` `二´' |:| ここまでよんだんじゃよ             
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
187考える名無しさん:2011/01/19(水) 04:24:54 0
ネタバレじゃないですよ。分かりやすくフラグ立ってるから。
気付いてなかったのならすみません。
そんなボケとか失礼とか言われるようなこと書いたつもりないですよ(^-^)
188ライフライナー:2011/01/19(水) 04:37:49 0
             `゙'''ー ..,_         `゙''ー ,,,>.._,.. ,,,.゙"     .''-、    ヽ   .l   .!  r ̄ 、/    /
            - ..,,_"''― ..,,,_、 ゛..,,,_           `゙'''`-..,゛ rー      `'-、  \       / 、,〃  //
           、 .`゙゙'''〜      `゙゙''''― ..,,,_.     {   ミ      `'-、 \(^o^ )/   うわああああああああああああああ!!!!!!!!!!.
               `゙゙゙'"  __  r'"⌒'- ..,,.    ´゙"''―`''' ー= .`゙''ー ,,、  `'-│  │′   ″ /   //
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄              ⊂ω )       : ー ..,,_.
            ,, -――ー- .              /  .゙│ : ー''''"゙,゙.. ー'''',゙./   /  \        、,    .`゙'''ー
          /        ゙̄二ニ--、   : _,,,.. -ー''''  ゙ー- .″ .‐''"´ ,.. -''″   /     \  \
       .l゙         二ニ-- ‘´    _,,.. -ー     _..-‐'″ .,..ー _/     .i′ ! .l,   、 \
       .l             'ニ―' ._,,.. -‐'''"゛     ,,, -'"゛.,..  ,/´ /    ,   .l゙  | ヽヽ ヽ  `-、
... --ー'''^゙´ .ヽ          _;;jjl″       ._,,, ._..-''"゛._.. ‐'´ ., / .../    ../    . l  ! .! .ヽヽ ヽ  .`'-,
        . ゙'ー ..,,..  .'“´       ,,‐'"  .''彡….‐'″ ,/゛ . ,/     ./   .,  !  ,!  !  .ヽ ヽ ヽ
   ._,,,.. -‐''"                _,, ‐l゙   ._ /   ,..-'´  _、./   / /   /   .!  │ .!  ..l, .ヽ .゛
''''"´                 ,,, -''"  ._.ゝ__ r'"  .,..‐″  .,..-"// /  /    / 
189考える名無しさん:2011/03/20(日) 12:07:28.26 0
亡くなった人のために、般若心経を一心不乱に唱えるスレ
http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1300588960/l50
190 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/05/08(日) 02:21:34.49 0
般 波 羯 即 実 呪 多 三 般 倒 掛 般 無 無 明 流 眼 是 不 亦 色 厄 多 観  摩
若 羅 諦 説 不 是 是 藐 若 夢 礙 若 得 老 目 無 精 故 生 復 即 舎 時 自  訶
心 僧 羯 呪 虚 無 大 三 波 想 故 波 以 認 無 眼 鼻 神 不 如 是 利 照 在  般
経 羯 諦 曰 故 等 神 菩 羅 究 無 羅 藻 盡 無 界 舌 中 病 是 空 子 見 菩  若
   諦      説 等 呪 提 蜜 竟 有 俺 所 無 明 乃 身 無 不 院 空 色 五 薩  波
      波   般 呪 是 故 多 涅 定 多 得 苦 盡 至 意 色 垢 利 煮 不 蘊 行  羅
   菩 羅   若 能 大 知 故 確 怖 故 故 集 乃 無 無 無 不 子 是 藻 皆 深  蜜
   提 羯   波 除 明 般 称 三 遠 心 菩 滅 至 意 色 受 浄 是 色 空 即 般  多
   薩 提   羅 一 呪 詐 阿 世 離 無 提 道 無 識 聲 想 不 諸 受 空 度 逝  心
   婆     蜜 切 卒 波 耨 諸 一 掛 薩 無 老 界 香 行 増 法 想 不 一 波  経
   訶     多 大 無 羅 多 佛 切 礙 陀 智 死 無 味 識 不 空 行 異 切 羅
          東 真 上 蜜 羅 依 顛 無 依 亦 亦 無 觸 無 減 相 識 色 苦 蜜
191考える名無しさん:2011/06/01(水) 23:06:26.77 0
坐禅と見性76章工程表は90年先までか?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1305713199/
坐禅と見性スレ避難所第1章
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11155/1296476490/
   __           i`:.          __
  (__.`ー-::...    ,rt': : :\      ,::-'",...)
  ,..::ア - ::::::)-:'':':'(|i(゚):(゚)テ):-:-:-::、イ:::  `┬-っ
 (,.::'",::' / ,....: : : : r'" ・・' く/i!: : : : :!、,:::::,<` `ニつ
  `-(_λ_/: : : : : ( トェェェイ )/: : : : : : : : : ;,.,`::`つ
      `-;;;;;;;:/i\二二_/" : /\;,;,;,;,;/ `'"
           \:.:.:.:/ `i , :く.
             `i: :i : : !": : : )
            r: :i DK:!-┬"
            r--`:、 /000
            000O"

【仏教】悟りを開いた人のスレ93【天空寺】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1306053969/
悟りを開いた人のスレ の避難所 15
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1305886065/
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】7
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1302949419/
[人生相談板] 悟りを開いた人に聞いてみるスレ の避難所
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1257178145/
【秘密の】 馬鹿者の集い 【しゃべり場】その3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1279184518/
精神世界で癒される第40章
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/healing/1293898132/
【正定】坐禅・立禅・歩行禅(経行)実践スレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1303014547/
仏教 議論スレッド 15
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1306496038/
192考える名無しさん:2011/06/21(火) 10:14:57.33 0
どの経典使ったって悟れりゃそれでイイじゃないか
193考える名無しさん:2011/06/21(火) 12:32:07.05 0
仏教には啓示はない。解脱だけを目的としている。救済の思想はない。
仏教は本来不立文字が本質である。
大乗経典は、全て釈迦とは何の関係もない。
最澄の法華経も、法然、親鸞が所依の経典である阿弥陀経も、
般若心経もみな、後人の作であって仏教ではない。
仏教には墓の概念さえない。もちろん超能力や、神通など論外である。
194考える名無しさん:2011/06/21(火) 15:15:16.43 0
仏教の本質は「瞑想的になること」だ。
195考える名無しさん:2011/06/30(木) 12:49:52.20 O
実用性が無い。ニートの自慰
196考える名無しさん:2011/07/10(日) 12:32:03.01 O
実用性のある宗教ってなんすかねぇ……

それってもはや宗教じゃない……?
197考える名無しさん:2011/07/10(日) 19:50:09.78 0
仏教だね。とにかく苦を減らし、調和できるようになる。
欧米では仏教を応用したワークショップとかもあるらしい。
しかも、ありありと成果を上げてるそうだ。といって日本仏教を想像してもらっては困るよん。
198考える名無しさん:2011/07/10(日) 22:19:24.23 0
イギリスの仏教心理学(カウンセリング)やってる人のサイトあるね。

amidatrust というサイト。
199考える名無しさん:2011/07/11(月) 00:10:32.29 0
>>194
瞑想という言葉は誤解を与えやすいし、実際、与えている。
例えば西洋の宗教学者なんかが、「仏教は瞑想の宗教」なんていう場合、100%誤解。

仏教は、徹底して物事をリアルに観る立場だろ。実相を以下に看取するかが、仏教の肝なわけで。
莫妄想の極限まで行って、これ以上無いクリアな(えらい軽い表現だけど)認識に達するのが目標。
そこまで達して、法無我、人無我になるわけだ。
200考える名無しさん:2011/07/22(金) 20:36:49.66 0
また、般若心経を否定する本が出てきた。

『お釈迦様の脳科学』 苫米地英人著 小学館新書。
201考える名無しさん:2011/07/22(金) 21:56:45.74 0
苫米地英人(笑)
202考える名無しさん:2011/07/24(日) 00:00:56.96 0
203考える名無しさん:2011/07/25(月) 20:38:55.64 0
佛説摩訶般若波羅蜜多心経

摩訶 = マハー = 大
般若 = パンニャー = 智慧
波羅蜜多=パラミター=渡、完成

大智度論 ってそういう意訳なの?
204考える名無しさん:2011/07/27(水) 12:46:47.91 0
>>202
ワロタw自分が苦労して得た悟りを教えたくないとか
ブッタってとんでもないエゴイストだったんだな
205考える名無しさん:2011/08/07(日) 05:02:37.65 0
般若心経はないわー
206六道の系譜ってこれでおk?:2011/08/08(月) 18:00:51.77 0
地獄┬→餓鬼→阿修羅
   └→虫┬→龍
        └→金翅鳥
207考える名無しさん:2011/08/09(火) 01:03:45.52 0
「哲学的おしゃべりをやめさせる」ウィトゲンシュタイン
「戯論寂滅」龍樹

似たようなことを言っている。

その姿勢が逆に無駄話の爆発的増加を招いた所も似ているww
208考える名無しさん:2011/08/10(水) 06:48:58.85 0
ウィトゲンシュタインが、日常言語を守って哲学的妄想を否定したのに対して、
龍樹菩薩は、日常言語を日常もちいることは否定しないが、
根本的には日常言語も戯論(妄想)として、それら言語活動一切が鎮まった境地を目指した違いがある。

龍樹菩薩の著作は無駄話ではないよ。今でもチベットなどで活きた形で、利用されている。

日本でもかつては利用されていた。

ところが、18世紀にモンゴルの情報提供者から西洋人学者が中観を研究するようになって、
無駄話が始まったのである。なんと日本も過去の伝統を捨て西洋人に追従している人ばかり。
209考える名無しさん:2011/08/10(水) 09:52:34.51 O
胎蔵界曼陀羅 たいぞうかいまんだら
210考える名無しさん:2011/09/21(水) 10:04:12.73 0
  /\___/\
/ /    ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|  ,,ノ(、_, )ヽ、,,   |  < まーたはじまった
|   ,;‐=‐ヽ   .:::::|    \______
\  `ニニ´  .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
211考える名無しさん:2011/10/06(木) 17:28:46.12 P
空海は般若心経は5分割(一〜五)されるという。以下松長有慶著『空海、般若心経の秘密を読み解く』137-8頁を参照。

題 目 仏説摩訶般若波羅蜜多心経
一 人法総通分___観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
二 分別諸乗分(声聞と縁覚を含め、7つの宗派の教えが説かれているという。真言は四、五へ)
   |______健(華厳)舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是 色。受・想・行・識 亦復如是。舎利子。
   |______絶(三論)是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
   |______相(法相)是故空中、 無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、
   |        無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。   
   |______二(二乗、声聞と縁覚)無無明、 亦無無明尽、 乃至、無老死、 亦無老死尽。(縁覚=独覚)       
   |        無苦・集・滅・道。                  (声聞=教えを受けた悟り)
   |______一(天台、観自在菩薩)無智亦無得。以無所得故、  
三 行人得徳分___菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、          (因と行)
          心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、
          究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、     (涅槃に入ること)
          得阿耨多羅三藐三菩提。             (証)
212考える名無しさん:2011/10/06(木) 17:29:24.73 P
四 総帰持明分___故知、般若波羅蜜多、(修行の結果が真言に帰するという説明)
          是大神呪、  (声聞の真言)
          是大明呪、  (縁覚の真言)
          是無上呪、  (大乗の真言)
          是無等等呪、 (秘蔵の真言)(〜以上、名)
          能除一切苦、            (用)
          真実不虚。             (体)
五 秘蔵真言分___故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、       (名体用、すべてが真言に帰することの説明)
          羯諦          (1教えを聞いての悟り)
          羯諦          (2独自の悟り)
          波羅羯諦        (3法相、三論等終業の結果)
          波羅僧羯諦       (4真言等修行の結果の結果)
          菩提薩婆訶       (5究極的悟りに入る意義)
          般若心経。
213訂正:2011/10/06(木) 17:52:41.13 P
空海は般若心経は5つ(一〜五)に分けられるという。以下松長有慶著『空海、般若心経の秘密を読み解く』137-8頁を参照。

題 目 仏説摩訶般若波羅蜜多心経

一 人法総通分___観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。(人と法に関する総説)

二 分別諸乗分     (声聞と縁覚を含め、7つの宗派の教えが説かれているという。真言は四、五へ)
   |______健(華厳、普賢)舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識 亦復如是。舎利子。
   |______絶(三論、文殊)是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
   |______相(法相、弥勒)是故空中、 無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、
   |        無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。   
   |______二(二乗、声聞と縁覚)無無明、 亦無無明尽、 乃至、無老死、 亦無老死尽。(縁覚=独覚)
   |        無苦・集・滅・道。                  (声聞=教えを受けた悟り)
   |______一(天台、観自在菩薩)無智亦無得。以無所得故、  

三 行人得徳分___菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、  (修行の結果の説明)(因と行)
          心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、
          究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、       (涅槃に入ること)
          得阿耨多羅三藐三菩提。               (証)
214訂正:2011/10/06(木) 17:53:09.97 P

四 総帰持明分___故知、般若波羅蜜多、      (名体用、すべてが真言に帰することの説明)
          是大神呪、  (声聞の真言)
          是大明呪、  (縁覚の真言)
          是無上呪、  (大乗の真言)
          是無等等呪、 (秘蔵の真言)(〜以上、名)
          能除一切苦、            (用)
          真実不虚。             (体)

五 秘蔵真言分___故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、        
          羯諦          (1教えを聞いての悟り)
          羯諦          (2独自の悟り)
          波羅羯諦        (3法相、三論等終業の結果)
          波羅僧羯諦       (4真言等修行の結果の結果)
          菩提薩婆訶       (5究極的悟りに入る意義)
          般若心経。
215213:2011/10/08(土) 20:35:32.48 P
         識
        /\
    ___/行|\______
   /  / 想| \    /
  /  /__受___\  /
 /            /
/______色_____/
http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/gensi1.html

 ________________________
|色______受(想行)__識_______五蘊|
|色(しき) |眼(げん)|眼識(げんしき)|
|声(しょう)|耳(に) |耳識(にしき) |
|香(こう) |鼻(び) |鼻識(びしき) |
|味(み)  |舌(ぜつ)|舌識(ぜっしき)|
|触(そく) |身(しん)|身識(しんしき)|
|法(ほう)_|意(い)_|意識(いしき)_|
|六根____|六境、六処|六識______|
|____十二処_____|________|
|_________十八界_________|
216213/二/二:2011/10/08(土) 20:37:18.41 P
      触______受_____愛
      /           /\  
     /       天   /  \
  六処/  阿        /    \取 
   /  修    ____/   人  \
  /  羅    /    \       \
名色_______/ 蛇  雄鶏\_______\有
 \       \   豚  /       /
  \   餓   \____/    畜  /
   \   鬼  /    \   生  /
   識\    /  地獄  \    /生   
     \  /        \  /
      \/__________\/
      行     無明     老死

    六道輪廻図(付:十二支縁起)

六道輪廻図(カラー)
http://www.thangka-iori.net/rokudou.html
http://www.thangka-iori.net/photo/rokudou3.jpg
217214/三:2011/10/08(土) 20:42:13.86 P
「般若心経」(『八月のラプソディー』黒澤明)
http://www.youtube.com/watch?v=4FazT2adewI#t=32m35s
三の行人得徳分から。五の冒頭までいったあと、三の途中までもどり、真言は7回繰り
返す。単に時間合わせのサウンド処理の結果かも知れない。なお倶会一処という
言葉が出て来るが、これは阿弥陀経の言葉で浄土真宗系。
218考える名無しさん:2011/12/08(木) 14:55:00.37 0
+                                  +
         最もポップでオサレなお経が般若心経じゃよ
                  _____
                へ/        \ へ      +
           ___./\i /           \ /\___   
      +  /  \.r/               ヽ-/   \   +
        / ./~\.`l                |._./~\. \
             \ ` .-=・=- i、-=・=-   / 
               \..    / ー-' ヽ   /
                \::.| ト‐=‐ァ' |: /
                 /  ー--´    /          
                 |.∵∴∵∴∵∴|____
                 |::::/◎\/∵∴∵∴.\ 
                 |:: | ト‐=‐/-=・=-∴-=・=-i  
                 |:: | ` `二..|.∵∴∵∴∵∴.|
         ── = ニ   =、。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。r=、ヽ
          ─ =ニ三 (◎ ヽ-───────(◎  )
             ノ◎、  |\  \          /  / |  /◎、 
            (_,rへ `ソ  /> ◎)         (◎く|  レ' ,rへ )
         ─ = ニ  \◎'/ /          \ ヽ、◎/
                  ノ /             \ ヽ   
          ─ =ニ三 ( ◎(                ) ◎)
             ─ =  ー、_ら             ⊂、_,r´
219考える名無しさん:2011/12/16(金) 23:18:34.66 0
たぶんこれは蒟蒻 さっき夜店で買って来たばかりのやつ
たぶんあれは青空 昨日までは青かった青空
今じゃそれは紺色 コインロッカーに忘れたアイロニー
吾はいつだって 無知をさらけ出して
笑えるとこだって 夢中で戦へ出る
いっぱい かしこい みせたい みせたい?
やっぱり 過去になる 無知みたい 無知みたい…
思い切り語って 真っ更な知識広げて
複雑さ語って 一本気な自分に気づく
やっぱり かしこい かしこい かしこい?
つっぱり こっちこい こっちこい ばっちっこい
語らった肩を掴み 掴んだ勢いで転げて
紺色の空を見上げ 蒟蒻くわえ青空待つ
喉に詰まらせないように…
220 忍法帖【Lv=24,xxxPT】 :2011/12/17(土) 00:16:27.00 0
仏教の考え方を全肯定して欲しいですよねー!?♪。
221考える名無しさん:2011/12/17(土) 00:43:50.60 O
サンスクリットを勉強して良かったのは漢訳・日本語訳・英訳の般若心経を読んであまりピンとこなかったのがサンスクリットで読むと呆気ないくらい分かりやすいというところだ
222考える名無しさん:2011/12/17(土) 10:30:37.90 I
まるで歌詞みたい
歌手みたいに歌を歌っているみたい
誰か知っている人みたい
一体誰がみている
そこから
223考える名無しさん:2011/12/17(土) 11:57:49.43 0
中論のすすめ

認識対象は存在シナイ よって認識主体も存在シナイ
したがって認識行為も存在シナイ よって総ては存在シナイ

Aは存在シナイ 非Aも存在シナイ Aであり非Aであるものも存在シナイ
Aでなく非Aでないものも存在シナイ 総て存在シナイ

色即是空 空即是色
224考える名無しさん:2011/12/17(土) 13:44:20.35 O
観察主義は「無い」という結論に至る

仕事や作業をする行動主義ならば、そもそも「無い」という形容詞的な判断・考えをしない
225考える名無しさん:2011/12/29(木) 22:39:38.82 0
般若心経はこの世は虚しくて当たり前だと説いているのではないか?
とかく人は意味を探りたがる。
何故なら人間がこれまで知ってきた物事には必ず意味が存在してきたからである。
人生に意味があるかどうかはわからないが、
もし無いとすれば人間の思考回路はシャットダウンされるであろう。
意味がわからない…、つまりエラーの状態である。
人間の脳は無を理解出来ないのだ。
226考える名無しさん:2011/12/30(金) 16:13:49.30 0
149 :考える名無しさん:2011/12/28(水) 19:27:11.79 0
丁度スレの話題に合っているので。
以下、小泉義之による『リアルの倫理』書評より

ジュパンチッチが指摘するように、近年のカント解釈はまったくダメである。
ロールズやハーバーマスやアレントの解釈(柄谷行人『トランスクリティーク』はこの段階にある)は、すべてダメである。カントの凄まじさを見逃しているからだ。
カントは、日常的な「功利主義の倫理」を断ち切って、「欲望の倫理」を導入したのである(浅田彰『構造と力』はこの段階にある)。
しかし、カントを越えて進まなければならない。ラカンは、欲望の倫理を突き破って、「欲動の倫理」を導入したからだ(スガ秀実『「帝国」の文学』はこの段階にある)。
しかし、ラカンも越えて進まなければならない。ry
227考える名無しさん:2012/01/05(木) 10:45:21.59 0
般若心経に登場する観自在菩薩って釈迦の十大弟子の一人、
舎利弗を弟子としてに宇宙の真理を説いているみたいだけど、
観自在菩薩=釈迦なの?
あと釈迦=釈迦如来なの?
228考える名無しさん:2012/01/05(木) 11:20:35.63 0
この世は色即是空 不生不滅
なにをあくせく生きることに思い煩う
死を怖れるな 実体の無いこの世
思い煩うものはナイ
229考える名無しさん:2012/01/06(金) 20:58:22.10 0
歴史も何も恐れずに言いたい。

般若心経の前半部分は人の生き方考え方を説いた究極の哲学である。

が、後半部分はまるで昨今のマスゴミの宣伝のようである。

とうとうしまいには ギャテー ギャテーと踊らしている。
そう感じながら88箇所廻りをしたおれはばちあたりなんだろうか?
230考える名無しさん:2012/01/07(土) 17:08:34.85 0
皆さん、
私が2003年作った般若心経のHPをぜひ見てください。
語句の解説も見てくださいね。

http://www.h4.dion.ne.jp/~kiyokiyo/

宜しくお願いします。
231考える名無しさん:2012/01/11(水) 07:20:58.49 0
真理と客寄せパンダが共存している
それをマントラと言う人もいる

「もし空でない何ものかが存在するならば、空である何ものかが存在しよう
しかし空でない何ものも存在しないから、どうして空であるものが存在しようか」

色即是空は理解できても空即是色は理解できない人もいる
存在しないことは虚空でも幻でも何でもよいが無ではない。

信仰する人はこれを如来とし縁起を示すものとよろこぶ
無我の気付きが智慧。無(滅私)になるのではない。
232考える名無しさん:2012/01/11(水) 20:28:00.52 0
>>230
結構な味わいで。
233考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:33:01.07 P


「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。 受想行識、亦復如是。」の解説。

   /\       /\
  /  \     /  \
 / 色  \   /  空 \
/      \ /      \
\      / \      /
 \    /   \    /
  \  /     \  /
   \/       \/

     /\    /\
    /色 \  /空 \
   /    \/    \
  /色不異空 /\     \
 /     /  \空不異色 \
/     /色即是空\     \
\     \空即是色/     /
 \     \  /     /
  \     \/     /
   \    /\    /
    \  /  \  /
     \/    \/
234考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:33:41.11 P

       ______
      |  識   |
      |  /\  |
      |_/__\_|
       /    \
  /\  /      \  /\
 /  \/        \/  \
/ 色 /\   空    /\ 行 \
\   \/        \/   /
 \  /\        /\  /
  \/ _\_    _/_ \/
    |  \|  |/  |
    | 受 \  / 想 |
    |   |\/|   |
    |___|  |___|

人間=空性∩(色∪受∪想∪行∪識)
235考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:37:16.85 P
是諸法空相a、不生不滅b、不垢不浄c、不増不減d。

上記はカントのカテゴリーにそれぞれ対応し得る。

参考:
カント、純粋理性のカテゴリー
量(単一性、多数性、全体性d)
質( 実在性c、否定性、限界性)
関係(実体性、 因果性b、相互性)
様態(可能性、現実存在、必然性a)

カントが挙げているアンチノミーには、(カテゴリー順に)四つ(a-d)ある(それぞれのテーゼにアンチテーゼが対応)。
1 世界は有限(時間的、空間的に)である。←→世界は無限である。d
2 世界におけるどんな実体も単純な部分から出来ている。←→単純なものなど存在しない。c
3 世界には自由な原因が存在する。←→自由は存在せず、世界における一切は自然法則に従って生起する。b
4 世界の内か外に必然的な存在者がその原因として存在する。←→必然的な存在者など存在しない。a
http://www.ne.jp/asahi/village/good/kant.html

1量 2質
3関係4様相

1不増不減d2不垢不浄c
3不生不滅b4諸法空相a
236考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:41:39.22 P

         識
        /\
    ___/行|\______
   /  / 想| \    /
  /  /__受___\  /
 /            /
/______色_____/ 
 ________________________
|色______受(想行)__識_______五蘊|
|色(しき) |眼(げん)|眼識(げんしき)|   
|声(しょう)|耳(に) |耳識(にしき) |
|香(こう) |鼻(び) |鼻識(びしき) |
|味(み)  |舌(ぜつ)|舌識(ぜっしき)|
|触(そく) |身(しん)|身識(しんしき)|
|法(ほう)_|意(い)_|意識(いしき)_|
|六根____|六境、六処|六識______|
|____十二処_____|________|
|_________十八界_________|
237考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:44:01.39 P

    触__受___愛
 六処 /阿  天 /\ 取
   /修    /人 \
名色/羅____/____\有
  \ 餓鬼 /\ 畜生 /
  識\  /地獄\  /生
    \/____\/ 
    行  無明  老死
       六道輪廻図(付:十二支縁起)


最初は無知(無明)があり、
無知によって行為(行)が生じ、
行為によって意識(識)が生じ、
意識によって名称と色彩(名色)が生じ、
名称と色彩によって六つの感覚領域(六処)が生じ、
六つの感覚領域によって接触(触)が生じ、
接触によって感受作用(受)が生じ、
感受作用によって欲求(愛)が生じ、
欲求によって執着(取)が生じ、
執着によって生存と呼ばれる成熟した業(有)が生じ、
生存によって誕生(生)が生じ、
誕生によって老衰と死(老死)が生じる。
238考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:46:44.65 P
四諦
(したい、サンスクリット語 catvāri āryasatyāni
चत्वारि
आर्यसत्यानि、
パーリ語:cattāri ariyasaccāni)とは、
仏教用語で、釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決
する方法論をまとめた苦集滅道の4つをいう。四諦は簡略形であって、直訳された
四聖諦が正しい。
諦とは「真理」という意味であり、四聖諦とは「4つの聖なる真理」の意である。
4つの真理とはそれぞれ、

• 苦諦:苦という真理
• 集諦:苦の原因という真理
• 滅諦:苦の滅という真理
• 道諦:苦の滅を実現する道という真理

        人生の課題(四諦)
問題は何か     苦
原因を分析する   集
原因を取り除こう  滅
問題解決の実践方法 道=八正道
            ↓↑
      正見、正思惟、正語、正業、
      正命、正精進、正念、正定
239考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:47:40.80 P

無智亦無得。以無所得故

1931年,ゲーデルによる「『プリンキピア・マティマティカ』やその関連体系での形式的に決定不可能な命題について」という論文によって,いわゆる「不完全性定理」が証明され,ヒルベルトの計画は挫折に終わる.

つまり式G(Gは,ゲーデル数 sub(n, 13, n)をもつ式は証明不能であるという超数学的言明を,体系内の算術的な命題で表したもの)はその否定が証明可能なとき,そしてそのときにかぎり証明可能である.
ところが体系は無矛盾であるから,これはあり得ない.つまりGもその否定も,証明可能ではない.

つまり体系は完全ではない.
http://aozoragakuen.sakura.ne.jp/taiwa/taiwaNch01/taikaku/node9.html
240考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:53:38.48 P

   仏説摩訶般若波羅蜜多心経
        
    __因__ ___行____ _時_ __証___ __入__
一___観自在菩薩 行深般若波羅蜜多  時、 照見五蘊皆空、度一切苦厄。
  (人と法に関する総説。因・行・証・入・時)

二 (声聞と縁覚を含め、7つの宗派の教えが説かれているという。真言は四、五へ)
|_(華厳、普賢A)
|   舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。>>233  
|   受想行識 亦復如是。>>234
|_(三論、文殊B)                     |        
|   舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。  |>>235
|_(法相、弥勒C)                     |_______
|   是故空中、無色、無受・想・行・識、         ||       |
|   無眼・耳・鼻・舌・身・意、             ||       |>>236
|   無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。 ||       |
|_(二乗、声聞と縁覚)                           |
|   無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。(縁覚)______  |>>237
|   無苦・集・滅・道。     (声聞=教えを受けた悟り)____  | |>>238
|_(天台、観自在菩薩D)                      | | |
    無智亦無得。以無所得故、                   | | |>>239
                                   | | |
241考える名無しさん:2012/01/12(木) 23:55:25.59 P
                                   | | |
    _人__ __以下、法(因と行他修行の結果の説明)___   | | |
         ___因と行__ ______入_____     | | |
三___菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無礙、無礙故、無有恐怖、(涅槃に| | |
    _____________入_____________    | | |
    遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、入る)| | |
    ____証_____                     | | |
    得阿耨多羅三藐三菩提。 (証)                | | |
                                   | | |
四___故知、般若波羅蜜多、(名体用、すべてが真言に帰することの説明)| | |
    是大神呪、  (声聞の真言)_________________| | |
    是大明呪、  (縁覚の真言)_______________|___| |
    是無上呪、  (大乗の真言)___________  | |     |
    是無等等呪、 (秘蔵の真言)(〜以上、名)__  | | |     |
    能除一切苦、            (用)  | | | |     |
    真実不虚。             (体)  | | | |     |
                           | | | |     |
五___故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、       | | | |     |
   (真言〜ここも5分割出来る〜の解説)      | | | |     |
    羯諦     (1教えを聞いての悟り)____|_|_|_|     |
    羯諦     (2独自の悟り)________|_|_|       |
    波羅羯諦   (3法相、三論等修業の結果)__|_|_________|
    波羅僧羯諦  (4真言等修行の結果の結果)__|
    菩提薩婆訶  (5究極的悟りに入る意義)
    般若心経。
242考える名無しさん:2012/01/15(日) 00:59:49.32 0
>1

結果としてプラトン主義、新プラトン主義に近くなった。すくなくとも
そう受け入れられるようになったところはあると思う。
でもいいの。後世の創作かもしれないが俺は大乗の方が好き。
小乗(上座部)は、深遠な教えかもしれないが、面白くない。
243考える名無しさん:2012/01/31(火) 12:01:28.20 0







なぜ中国は反日か?で検索









244考える名無しさん:2012/04/19(木) 12:43:00.93 0
般若とは阿耨多羅三藐三菩提を得るための方便の一つ。
245考える名無しさん:2012/04/19(木) 21:48:33.93 O
阿耨多羅(anuttarA)=ない(an)+それ以上(uttarA)=最高・無上
三藐(samyak)=正しい・正等
三菩提(saMbodhi)=目覚め・正覚


阿耨多羅三藐三菩提(anuttarAsamyaksaMbodhi)=最高の正しい目覚め(無上正等正覚)





般若(prajJA)=前方(pra)+知(jJA)=超越的英知
246承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/19(木) 22:19:45.19 O
仏教は仏教。
釈迦や龍樹個人の思想ではなく、道としての理法。
だからシッダールタ教ともナーガールジュナ教とも言わない。
247承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/19(木) 22:40:53.56 O
あと、上座部対大乗という安直なイメージを持つ連中が多いが、教義的にはあくまで阿含経典群をベースにした方向性の違いでしかなく、龍樹は論、即ち経の解釈をしたに過ぎない。
般若経というものもまた、六波羅の一をフォーカスしたに過ぎない。
248考える名無しさん:2012/04/22(日) 02:30:08.32 0
>>247
パンニャーは偽典

そんな事もわからんのか
249考える名無しさん:2012/04/22(日) 10:08:37.91 O
概念(色)の内容は「入れ替わってる」「関係からなる」の発想にハマったら、
混沌とした具体的内容に紛らわされて概念で考えるのが嫌になるんだよな

それでどんどん精神疾患・認知疾患みたいなのになってく人結構数見たわ
250承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/24(火) 14:46:39.89 O
>248
寺和田乙wwwwwwww
251考える名無しさん:2012/04/26(木) 22:31:57.98 O
般若心経って失敗してないか?
「無〜」と観察の仕方を語ることによって、観察するという状態から脱け出せなくなってそう
252考える名無しさん:2012/04/27(金) 03:34:19.50 O
観察してるというより我には実態がない心には質量がないの一言なんだけどね

心に浮かぶものすべてには実態がなく所得無きを以ての故に菩提薩タ般若波羅蜜多に依るが故に
心にケイゲ無し心にケイゲ無き故に恐怖あること無し一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す

まあここでアノクタラサンミャクサンボダイを得て悟りに至るわけだが

心に実態がないのは意識をボックスとして捉えボックスのなかで
われわれを自らの世界をうつしているに過ぎない。うつしてる世界は
実態がないとしてそれが悟り解脱に至る入り口としてるわけだが
実際は実態があるものを我々はうつしている
それが心のなかの世界であって実態がないとは唯識の世界になるわけだが
日常で感じている不安や苦しみは実はこの心の作用だけで回避できうる
可能性があるというわけだ。
253考える名無しさん:2012/04/27(金) 19:32:10.50 O
「心には実体が無い」…心というもの(観察)に対する断定(心に付属させた「実体性」「無い」)

「実体性とは?」「無いってどういうこと?」みたいに概念のみで考える…観察に依存しないで、今実際に心が働いている
254考える名無しさん:2012/04/27(金) 20:22:38.23 O
観察というより存在でいいか

「心に実体は無い」が絶対になると、非実体的心に縛られる。
「心に実体などありえない」「自分など無い」など、不毛な議論になる。

「心は実体化するし非実体化もする。心が非実体的であるほうが楽だ」は選択の自由がある。心はどのようにもなるので、心について縛られない。
255考える名無しさん:2012/04/27(金) 21:36:22.65 0
そして、縛られない楽なほうへ楽なほうへと堕落して
矛盾したことばかり抱え込んで行き、
論理的な思考力を奪われていくわけだ。
つまりバカで無責任になるということ。
256考える名無しさん:2012/04/27(金) 21:46:43.91 O
ある存在について、概念を付属させる→その存在(恣意的な他者)が諸概念を具有する

独自的・絶対的な思考により、概念の連関を作り上げる→概念の連関を存在(記号)として纏める
257考える名無しさん:2012/04/27(金) 22:00:56.53 O
「心に実体は無い」を例にしよう

心…外的存在 実体、無…概念
└同じ系列でないため、このような断定は宗教になりうる

心、実体、無…概念
  あるいは
心、実体、無…外的存在
└同じ系列なので、断定は各概念or各存在の連関を生成する。その連関で頭が固くなることはあっても、宗教化はしない
258考える名無しさん:2012/04/30(月) 14:25:37.77 O
Aは外的存在 B・Cが概念
→Aというもの(指定)について、私は今「BがC」という思考にある

A・B・Cが概念
→私は今「AはBがC」という思考にある

前者は、「について」(思考の外部を指定し、その存在の内部に閉じこもる)が揺るぎないために宗教化が起こる
259考える名無しさん:2012/04/30(月) 19:48:16.60 0
というように日本語が不自由なようだw
260救世主:2012/04/30(月) 19:52:03.36 0
心と宗教板の救世の提案で世界が平和。(本当に)3を見て下さい。
ここまですごいことが書けるのかと思うと思う。私は純日本人です。
とても幸せになる。
261考える名無しさん:2012/04/30(月) 20:11:57.34 0
え?
日本人じゃなくても日本語の正しい文章をちゃんと書ける人はいるよ。
262考える名無しさん:2012/04/30(月) 21:49:38.50 0
>>250
般若心経はマジで仏教徒は関係ない思想だよ
中国経由で道教と折衷したのが日本にごっちゃに輸入されただけ

だから日本人にウケがいいってだけの話なの
俗流道教大好きだからね日本人は
263考える名無しさん:2012/04/30(月) 22:34:28.53 0
上の方で議論していたようだが、全然噛み合ってないな
そもそも両者とも「般若心経偽経説」の中身を理解してないよね

ナティエの主旨は、

玄奘訳般若心経は、鳩魔羅什訳〔大品般若経」の一部を核に据えて
その前後に書き加えられ、まず中国語で書かれたもの
その中国語の経典からサンスクリットのテキストが還元されるように作られた

モンゴル仏教では、この還梵<BACK TRASLATION>という作業は、よく行われており
この作業を行ったのが、玄奘であろうという推測

中国ではあきらかに儒教思想を背景とした〔仏説父母恩重経」や「仏説盂蘭盆経」等などの
偽経<仏教でいうインドの原典からの翻訳ではないという意味>がつくられている

つまり、玄奘訳般若心経は中国語で新たに書かれた物だと言う意味で
仏教でいうところの偽経である
264考える名無しさん:2012/04/30(月) 22:55:24.80 O
ダライ・ラマがサンスクリットで唱えてるこれも還梵ルートでチベットに伝わったってこと?
http://www.youtube.com/watch?v=fHgqeop7hyw
265考える名無しさん:2012/05/01(火) 03:27:48.98 0
>>263
ナティエ説は今でも支持する人いるんか?

ナティエ論文:
http://www.jayarava.org/375_JIABS_15_2_1992_Nattier.pdf
ジャン・ナティエ著、工藤順之・吹田隆道訳 「般若心経は中国偽経か?」『三康文化研究所年報』第37号、2006年。

ナティエ論文要約:
http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/36194236.html

ナティエ論文の引用・反論これで終わってると思うが:
http://www.journalarchive.jst.go.jp/archivesearch/Search_ja?search=Jan+Nattier&bar_go.x=37&bar_go.y=16&from=top_ja
266考える名無しさん:2012/05/01(火) 04:58:13.83 0
>>264
そういう可能性もあるってことなんじゃないの?

>>265
肝心の反論とやらがNot Foundみたいなんだけど・・・
メンテ中か?
反論の骨子教えて
267考える名無しさん:2012/05/01(火) 11:35:06.16 O
ナティエの主張通り玄奘が鳩摩羅什訳の大品般若経から一部抜粋したのにマントラなどの部分をつけて般若心経を作ったというなら、鳩摩羅什訳の摩訶般若波羅蜜大明咒はどこからやってきたんだ?

あと鳩摩羅什の摩訶般若波羅蜜大明咒も玄奘訳の般若心経も

色不異空 空不異色
色即是空 空即是色

は2段になっているわけだが

法隆寺の梵文だと
ruupaM zuunyataa zuunyataiva ruupam
ruupaan na pRthak zuunyataa zuunyataayaa na pRthag ruupam
yad ruupaM saa zuunyataa yaa zuunyataa tad ruupam
って三段になっているのはどう説明するんだろう?
玄奘は自分で作った2段の該当文章を還梵する際に三段にわざわざ書き改めたのかね?

もし梵文がもともと実在していてそれを素直に漢訳したならば、色空也空色也ってなるんで、それは漢文から見たらリズムが悪いから鳩摩羅什なり玄奘が省いて2段にしたって考える方が自然じゃないか。
268考える名無しさん:2012/05/01(火) 11:39:52.60 O
素直に訳すなら○色空也又空色也だった
269考える名無しさん:2012/05/02(水) 04:48:11.50 0
J-STAGEにちょうど移行中だった
ナティエ論文の反論:
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/2002/209/2002_209_L17/_article/-char/ja/


自分で読んでくれ、たしか註の中に散説されてたはず。
270考える名無しさん:2012/05/02(水) 11:47:35.89 P
仏教は仏教であって、龍樹教でもなければ、釈迦教でもない。
釈尊の教え以外は仏教ではないという考え方は邪教だよな。
271考える名無しさん:2012/05/02(水) 15:16:33.90 0
ゴータマとナーガールジュナには違いがあるのに
違いがないと言い張るのならそれはそれは宗教的なことだと思いますね。
非現実的な架空の「仏教」なるものを想像し、それを信じるというわけですからね。
272承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/05/03(木) 23:03:39.63 O
>262
心経の内容と道教の所説には何の接点も無いよ?
273考える名無しさん:2012/05/05(土) 20:56:18.89 0
スカッとゴルフ パンニャー
274考える名無しさん:2012/05/08(火) 12:29:49.06 i
パンニャーコッタ
275考える名無しさん:2012/07/04(水) 16:02:40.67 0
日本でこれだけメジャーな般若心経だが、
意味を知らずに、考えずに、音だけで、
たくさんの人(主に高齢者)が唱える日本の般若心経って、いったいなんなのか?と思う。
一種の思考停止だろうか?
頭では(「知的」には)わかっても身体ではなかなかわかれない、それが般若心経だと思うのだが。
276考える名無しさん:2012/07/04(水) 18:50:18.52 O
そもそも般若心経自体がマントラの宣伝文だからな

最後のマントラを百万遍でも繰り返して思考停止のその先目指せというものだから、それでいいんじゃない
277考える名無しさん:2012/07/04(水) 21:19:41.83 O
般若心経で痴呆症になろう
278考える名無しさん:2012/07/05(木) 00:21:38.49 0
般若心経が、マントラって説は、どうなの?
確かに、最後のあれは、真言だが、それじゃあ
その他の般若教のとの関係がよくわからんく成る。
279考える名無しさん:2012/07/05(木) 00:41:20.86 O
他の般若経が成立してから密教成立の過度期に般若経の要約からマントラの宣伝文として纏めたんんじゃないの

サンスクリットで読めばmahaamantraだとかvidyaamantraだとかこりゃ猛烈な広告文だなあって分かるが、
だいたい日本人は色即是空とか空即是色とかあたりで満足してるが、それは般若経から抜粋した内容であって、心経で重要なのは最後の部分だよね、マントラ宣伝の為の新聞の折り込みチラシみたいなもんだよ

だからこそ逆に仏教の要点が簡潔に纏められてて空海始めみんな称賛するんじゃね
280考える名無しさん:2012/07/05(木) 00:52:18.96 0
一般の本で般若心経の最後の部分解説が詳しく書いているのは、ほぼ真言宗系の人だよね
密教系だから、マントラに対して意識が行くのかな。

あと、般若経典の空って龍樹菩薩の空でしょ。だとしたら、般若心経をマントラだと捉えるのは、
根本的な誤読ってことにならないか? 
まあ、心経は、その他の般若経典とは、違うと言うのなら一応話の筋は通るけど・・・
281考える名無しさん:2012/07/05(木) 01:04:31.68 O
どんな文章でも一般的に最後に結論がくるわけで、般若心経は唐突にマントラの宣伝が高らかに鳴り響いて結語となるわけだが

熟読して論理の展開を追っていくと、おまw無茶やりやがったなっwて思うような方角に論理が展開してるんだよね。

般若心経全体が真言かは知らんが書いた人がマントラを唱えさせる為にこの短文を纏めたのは確かだよね


般若経は空を説いてるだろうが、心経の空を説いている部分は完全に般若経のコピペだからな、結局誤読してるのは日本人じゃないの?纏めた人の結論をスルーしてるんだから
282考える名無しさん:2012/07/05(木) 01:11:47.02 0
サンスクリット読めるわけではないから 原典ではどうなってるのか
知らないけど、漢文に訳した玄奘三蔵や鳩摩羅什が意識して
音訳したって言うことは、何かしら意味があると思って間違いないかもね。
283考える名無しさん:2012/07/05(木) 01:42:40.35 O
あんまり大雑把にまとめるとうるさいのがきちゃいそうだけど、禅の公案もマントラもあんまり意味は重要じゃない。

心経のマントラは

gate gate paaragate paarasaMgate bodhi svaahaa

だが、>>269の人がgateは尊格だと言ってるが感心したよね。

チベットに白ターラー菩薩のマントラってのがあるが
aum taare tuttaare ture mama aayuH puNyaajJaana puSTiM kuru svaahaa

内容は白ターラー菩薩に加護を祈る内容だが、taaraa菩薩はサンスクリットの渡るという動詞のtRRを名詞にした名前でtaareはtaaraaの呼格なんだよね、



心経のgateもgataaの呼格という解釈が一番合理的だと思われるから、心経のマントラは彼岸に逝った菩薩への祈願の文章だよ。


こんな感じの内容だから心経で重要なのは祈りでもってマントラを唱えることを訴えているんであって、空がどうたらこうたらみたいな理屈は導入部分でしかないと思われる。


マントラも禅の公案も雑念とかを排除するのが目的だからね、
結局論書を読んで悟った奴はいないから、凡人はマントラなり禅の公案なりを方便にして覚りを目指すしかないってのが行き着くところなんじゃない。
284考える名無しさん:2012/07/05(木) 02:39:38.74 O
呪術だな
285考える名無しさん:2012/07/05(木) 04:31:36.38 0
>>284
シャーマニック・トランスと同じってことになるよな。
286考える名無しさん:2012/07/05(木) 10:10:32.91 0
真実にして虚ならず
287275:2012/07/06(金) 03:27:53.36 0
>みなさま

一般には(主に高齢者)
マントラってことさえも知らずに唱えてる思考停止状態じゃないのかと思うのだが。
そのあたりはどうなのかと。
288275:2012/07/06(金) 03:32:58.27 0
>>276

>そもそも般若心経自体がマントラの宣伝文だからな 最後のマントラを百万遍でも繰り返して思考停止のその先目指せというものだから

まったくです。
289考える名無しさん:2012/07/06(金) 04:07:27.44 O
結局こういう感じで唱えろってことなんだよな

http://www.youtube.com/watch?v=LvaFdYSD4C0
290記憶喪失した男 忍法帖【Lv=7,xxxP】 :2012/07/25(水) 23:01:03.50 0 BE:1437144337-2BP(3)
般若心経はまちがっています。
原始仏典には、シッダールタが「空なりと観ぜよ」といったと書いてありますが、
空について説明したナーガルジュナの「中論」では、空には本質はないといっています。
ですが、この世界には、カントが「純粋理性批判」で述べた「物自体」が存在します。
それは認識することができない存在の根幹ですが、
わたしは世界に本質がないとする「中論」をもとにした般若心経よりも、
物自体の存在を信仰します。

仏教はまちがった過去の遺物です。仏教の空への信仰は、キリスト教の創造論のように非科学的なものです。
291考える名無しさん:2012/07/26(木) 00:56:05.50 0
>115 :考える名無しさん:2010/11/04(木) 22:33:50 0
>因みに『金剛三昧経』など、中国で感得されたことが明かな経典もあるけど、
「感得」とか言えば「創作」は認められるの?
グノーシス派やマニ教みたいで気持ち悪いよね。
>きっちり元暁菩薩などによって認められている。
内輪の人間が認めたからって、対外的な説得力はないぞ。
292考える名無しさん:2012/07/26(木) 00:59:55.55 0
>これはチベットでテルマが認められていることや、
>『般若経』やタントラが感得されたものであることと同じ。
つまりこれらも後世の「創作」というわけだ。
そもそもチベットが埋蔵経典を認めている時点でおかしい。
293考える名無しさん:2012/07/26(木) 01:05:30.95 0
>『華厳経』や『金剛頂経』『サンバラ』『ヘーヴァジュラ』『カーラチャクラ』の自然法爾本というのは、
>実在論に基づけばありえない空想に思えるかもしれないが、縁起・空・仮設という仏教の根幹に基づくならあたりまえなのである。
そんな「信仰」の世界の話しを垂れ流されても困る。ここ「哲学」板だぞ?
仏教では捏造が常態化していたことに対する、正直な開き直りではあるけれども。
294考える名無しさん:2012/07/26(木) 01:07:47.78 0
きちんと自らの思想、哲学を自説として発表すればよいのに、
権威付けのため「お釈迦さんが言った」ということにする。
そして矛盾した学説が現れると、異端だ外道だと貶しあい、殺しあう。
チベットなんか凄いよね。ダライ・ラマなんか何回殺されてんだか。
295考える名無しさん:2012/07/30(月) 16:45:58.83 P
「お釈迦様がおっしゃった」というのは龍樹本人が言ったんじゃなくて、
後から龍樹の弟子やら、弟子の系統がいい始めたんじゃないのか?
296考える名無しさん:2012/08/09(木) 03:15:08.76 0
龍樹の著作は、原始仏典の釈迦の事をを弟子たちがまとめた物に
そっくりだから、「お釈迦様がおっしゃった」と言うのが成り立つらしいよ。
学者の間では。
297考える名無しさん:2012/08/11(土) 10:28:15.64 0
>>291-293

実在論に立つなら、仏教はちっとも分からないよ。

298考える名無しさん:2012/08/11(土) 10:30:58.04 0
>>294
>チベットなんか凄いよね。ダライ・ラマなんか何回殺されてんだか。

そりゃ、学説の問題じゃなく、単なる政治だぞ。
要するに世俗に日和った権力者が、自分より権威あるダライラマを暗殺したということ。
本質的に仏教とは関係ない。
299考える名無しさん:2012/08/11(土) 21:16:01.85 0
新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
またの機会にどうぞ。。。


シネヨウンエイ
300考える名無しさん:2012/08/11(土) 22:00:04.78 0
>>297
仏性(如来蔵)の実在論に立ったら、仏教とは言えませんか?
301考える名無しさん:2012/08/12(日) 05:03:18.23 0
>>300
仏性(如来蔵)は空性ですよ。如来蔵を実在論なんて言ってる人が何も分かってない。
302考える名無しさん:2012/08/12(日) 05:32:42.15 0
>>301
ということは、鎌倉仏教を始めとする
浄土宗・禅宗・日蓮宗・天台宗などは、仏教を分かっていない。
または、わかっているが、経典には一切真実の教えを説かなかった
ということですか?
303考える名無しさん:2012/08/12(日) 05:55:30.70 0
>>302
なんでそうなるんですか?

如来蔵を実在なんて言ってるのは現代の文献学者や、勘違いした人ぐらいでしょう。
304考える名無しさん:2012/08/12(日) 06:19:23.88 0
いや松本史朗を始めとする、駒沢学派みたいな事いうなと思って(ry
ただ、こちらの勘違いみたいだったね。

何が言いたかったかというと、仏性(如来蔵)を安易に空性としてしまうと
鎌倉仏教の多くの教えが、何を持って涅槃に到るのか、という意味で支離滅裂
なものになってしまう。これは、世俗の教えであると割りきるのは、簡単だが、
なかなか、そうとは言い切れないところが多い様に思う。
305考える名無しさん:2012/08/12(日) 06:30:47.87 0
>>304
>何が言いたかったかというと、仏性(如来蔵)を安易に空性としてしまうと
>鎌倉仏教の多くの教えが、何を持って涅槃に到るのか、という意味で支離滅裂
>なものになってしまう。

なんで? 一切皆空でしょ。少なくとも大乗は。

そして一切皆空だからこそ、諸法は縁起し、一切皆空だからこそ、涅槃は可能というのが仏教、少なくとも大乗はそう。
306考える名無しさん:2012/08/12(日) 09:30:43.30 O
>>302
はなしの腰を折ってすまんが天台宗は鎌倉仏教ではない
真言宗と天台宗は平安時代にできた仏教じゃよ
鎌倉仏教は融通念仏宗、浄土宗、臨済宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗、時宗じゃ
真言宗から派生した真言律宗も鎌倉時代にできた仏教じゃよ
平安時代の前に日本に伝わった仏教は6つ。そのうち今あるのが3つ
法相宗(三論、倶舎、成実)、律宗、華厳宗じゃ。江戸時代に中国から日本に伝わってできた
禅宗の黄檗宗をあわせて13仏教が大本の日本仏教じゃ
307考える名無しさん:2012/08/12(日) 09:43:46.99 0
>>306
そんな教科書的どうでもいいことを。

『仏教十二宗綱要』とか、そういう分類の話は、今問題になってないつ〜の。
308考える名無しさん:2012/08/12(日) 13:25:20.11 0
>実在論に立つなら、仏教はちっとも分からないよ。
いや、実在論云々は関係ないでしょ?
たとえば中国共産党は「人民解放軍によるチベット解放」という神話をつくり、
資料の改竄や文献の創作をするわけだけれども、それを信じるいわれはないよね。
仏教側のプロパガンダでも、それは眉に唾をつけて聞くのが当然。
内輪の聖者やら成就者やらの認定があったとしても、外部の目からすれば、
中国共産党がチベット“解放”を公式認定してるのと何も違いはない。
309考える名無しさん:2012/08/12(日) 13:50:15.89 0
>298
ホントにそう思う?
310考える名無しさん:2012/08/12(日) 13:57:02.50 0
>>308
まあ、思うのは勝手だが、そう考えるなら、仏教について何を論じても、単なる文化伝承、因習伝承を辿るぐらいにしかならないでしょう。


>>309
そう思うよ〜
311考える名無しさん:2012/08/12(日) 13:58:35.27 0
>298
あるダライ・ラマが死んだ後、「何故か」「たまたま」ある特定の少数派への弾圧が強まり、
改宗の強制や、その派の聖人像の破壊が行われたとき「単なる政治」の問題だと思う?
特にそういうことを推進する奴らが、以前は死んだダライ・ラマに押さえつけられていた場合は?
312考える名無しさん:2012/08/12(日) 14:01:02.82 0
>まあ、思うのは勝手だが、
逆。仏教の特定セクトが創作経典を信じるのは勝手だが、
それを客観的な心理として周りに認めさせるのは不可能ということ。
特に「哲学」の領域ではね。
313考える名無しさん:2012/08/12(日) 14:44:11.36 0
>>312
哲学として、ってのが全く理解できないな。

哲学ってのは、あらゆる予断を捨てて根本的に考えることじゃないのか?

それとも現代英米哲学の意味に限定してるのか?

君が、マテリアルな歴史や文献学に立つってんなら、話は簡単だが、そこに立ってるってことは形而上学的に実在論を選択している、あるいは無意識に常識の予断に嵌ってるってだけだと思うが。
314考える名無しさん:2012/08/12(日) 15:21:04.47 i
日本人は、戦争に負けた。
でも何時から奴隷になった?
あなた達は今目覚めないと、二度とその目は開かない。
歴史というのはいつも編集されている。平清盛がとても優しい人だった。
『江談抄』で平安を生きた公家が鎌倉期にそれを階述してる。でも『平家物語』では悪役にされるんだよ。
http://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc&feature=related
315考える名無しさん:2012/08/12(日) 17:53:27.71 0
>>305
亀レスで悪いが、ほんとにそう思うか?
ニュアンスや無条件で信じてしまうのは宗教だ。
すくなくとも哲学は、論理的に考える事を必要とする。

例えば、大乗で有名な経典「般若心経」でいうと、
「色即是空」の空は、サンスクリットでは「シューニャター」
「空なること」であるという意味で「空なるもの」という意味の
「シューニャ」とは違う。
原文をそのまま訳すと、「色は空性(空なること)である」となる。
これだけ読むとなんだかわかった気になるが、言語的には、(原文でも日本語でも)
文章として成り立っていない。別の言葉に置き換えると
「この本は、重要性(重要なこと)」であるとなり、同じように
おかしな文章とななる。「重要なもの」なら意味が通じるのですけど・・・

なぜ、ワザとこんな言葉を使ったかと言うのは諸説ありますが、少なくても
まとめもに読めば、意味不明な文章であることには他なりません。
316考える名無しさん:2012/08/12(日) 19:23:12.09 0
また、こんな文献学的なアプローチでなくて、別のアプローチをすると
大乗仏教は、まず龍樹菩薩(仏教から離れる為に以後尊称は使わないことにする)の流れを組んでいる。
ゴータマ・ブッダは、非我(乃至無我)を説いたが、龍樹は、明らかに無我を説いている。ココが、初期仏教と
大乗仏教違いだと思う。龍樹自身が自らを「一切智者」と自称しているため、大乗仏教は、ゴータマ・ブッダの
直接の教えより、龍樹の教えの方が、ゴータマ・ブッダの本来の見解に近いと考える。例えば、ゴータマ・ブッダは、
空、縁起、中道の内縁起を熱心に説いたが、龍樹は、空の中に他の2つを取り込んでほぼ同意義としてしまった。
また、空・空性の定義にしても、論理的には全く意味をなさない定義を与え、一切は空・空性であると言った。これを前提
として、解脱(大乗仏教では、三解脱門)を説いているため、初期仏教や龍樹の流れにない、部派仏教などのの
解脱とは、全く違うものになってしまっている。

つまり、何が言いたいかというと、仏教の本来の目的は解脱することであるが、龍樹以後と以前では、解脱の意味が
違うという、まさに意味不明な事になっているということである。
317考える名無しさん:2012/08/12(日) 19:54:26.77 0
>>315
論理も仏教の方が優れてるよ。

それは、仏教から論理を学んだピュロンと、パルメニデス・アリストテレス以来の西洋論理の限界を指摘したハイデガーに現れている。

つまり、ピュロンを通して仏教論理が西洋に与えた衝撃と、ハイデガーが直感して乗り越えようと格闘していたことを釈尊・龍樹菩薩が軽々と乗り越えていることね。

シューニャは、xは実体なく空っぽという意味の限定詞、もしくは術語と考えられるでしょ。

シューニャターは、破格構文という説も捨てがたいけど、諸現象が実体なく空っぽで幻のような性質であるという意味と考えればいいと思う。

言い換えると、シューニャは個別の現象が本質を欠いていると示し、シューニャターは、本質を書いた一般的性質を示していると考える。

>>316
いや、アーガマ・ニカーヤの釈尊と中論の龍樹菩薩は同じだよ。ただ、力点が違うだけ。
どう違うかといえば、アーガマ・ニカーヤの釈尊は、勝義・中道をほとんど説かなかったが、中論の龍樹菩薩は勝義・中道を中心に説いたということ。

アナタのいう論理が西洋論理なんで理解できないだけでしょ。

例えば、四句分別ってのは、中道を示す論理だぜ。何を示してるかというと、
x,非x,x且非x,非{x且非x}という四項が成り立たない、戯論寂滅の境地を示している。
それこそが中道で、『中論』のほとんどは、これを用いてx,非x,x且非x,非{x且非x}という四項のいずれの戯論にも陥らない境地に導いている。

これが般若だよ。だから、チベットだと根本般若と中論を呼ぶわけだ。

318考える名無しさん:2012/08/12(日) 19:55:58.38 0
そして、パルメニデス・アリストテレスは、四項の前二項だけを論理と認め、後二項をドグサ、非論理とした。
こんな狭い論理では釈尊・龍樹菩薩の真意は追えないだけど。

そして縁起を、空性・仮設・中道の同義語とするのは全く正しい。
これは『中論』諸註もやってるけど、『入中論自註』で、アーガマ・ニカーヤを根拠にきっちり論証されてるよ。

ただし、そこで使用される根拠の一つ『勝義空性経』は、パーリ・ニカーヤにないけど、『清静道論』で同様の言葉が古人の言葉として引用され、『中論』と同じことを述べてる。

ただし、『清静道論』の注釈者ダンマパーラは、不生縁起を認めないけど、これは彼の見解が低いだけだとオイラは思ってる。

確かに解脱の意味は、部派と違う。それも部派の見解が低いだけで、釈尊の見解は龍樹菩薩と一致するとオイラは思ってる。
319考える名無しさん:2012/08/12(日) 20:13:51.96 0
>>317
哲学とは、本来アリストテレスの流れを組む西洋哲学を意味するように
論理学って言うのは、YESとのNO、あるかないかで中間を認めない。
だから、それ以外のものはあくまで、仏教(の)哲学や仏教(の)論理
であって、最初に○○を必要とするものである。だから、論理学と言っても
本来の論理学と仏教論理学は、違うものであって、お互いに、ヒントを得る
事はあっても、それはあくまで、仏教なら仏教世界観での論理あり、仏教から
離れてしまえば、それを安易に受け入れることは、ほぼ不可能となる。

316で、「仏教から離れる」と書いている通り、仏教(というか中観派)の外から見れば
彼らの言っている論理、例えば空・空性の定義一つとっても、すでに定義とは言えないもので
中観派の言っていることはそもそも支離滅裂と言うことになる。

つまり、本来の論理学と言うのは、万人が理解できるように作られているが、仏教論理は
仏教世界観の内でしか、理解することは難しいと言うこと。これを宗教といえばそれまでだが、
そう言い切るには、もったいない物が、ココにはあると思うから、自ら勉強しているわけだが・・・
320考える名無しさん:2012/08/12(日) 20:32:06.54 0
>>319
まあ、哲学をそう考えるなら、ほぼそうなるかも。

だけど、現代論理学も含むアリストテレス系論理学より、釈尊・龍樹菩薩の論理学の方が使えるし、一般人にも理解できると思うよ。

なぜかというと、何を真とするかにある。

西洋論理の真というのは、同一律に基いていて、一度、概念設定すると、観念領域で操作される対象となり、大抵、現実と合わない。

ところが、仏教の論理は、縁起だから、言い習わしに沿った認識に一致すれば真だから、常に現実と合致する。

ここでいう仏教論理は、此縁性と『方便心論』ね。世親菩薩の弟子系統ものではないよ。

それと、『入中論』もいうように本来、『中論』が説く内容は、空性を体験できる気根がある人のために説かれたのであって、一般全てに説かれたのではないよ。

あれは戯論寂滅に導くために説かれたので、何かを論証しようとか、誰かの説を否定するために説かれたのではありません。

誰かの説を否定しているように読める部分は、その説という掴んだ戯論を寂滅に導いているのであって、他ではないっす。

ちなみに支離滅裂というのは、恐らく四句分別の第三項、第四項のことだよ。
これらはパルメニデス・アリストテレスがドクサ、詭弁などと名付けたけど、正に神秘主義に他ならない。

西田幾多郎の絶対矛盾の自己同一とかも、正にそれ。そして、西田は般若を即非の論理と読んでそう解釈したけど、誤解です。

321考える名無しさん:2012/08/12(日) 21:22:28.55 0
>>320
テトラレンマについてもそうだけど、いろんな人が色々言ってるからここでは言わない。
支離滅裂って言ってるのは、そもそも論で龍樹の空の定義こと。ゴータマ・ブッダ自身は、「空」に
ついてそれほど語らなかったから、「空」を多用しているため、当然定義が必要になってくる。
そこで、「空とはものに自性が欠如していることを指す」という定義を与えた、ここまではいい。だが
問題なのは、自性の定義で、中論15章などを読む限り「自性は常住かつ不変不滅」としている。
自性って言うのは、本来「恒常で不滅である」であるから、「常住かつ不変不滅」なものは、そもそも
自性では無い。その自性ではないものを自性として「空」を定義しているわけで、その「空」の定義で
説かれた中観派の思想が支離滅裂と言っているんです。
322321:2012/08/12(日) 21:24:19.72 0
ついてそれほど語らなかったが、龍樹は「空」を多用しているため、当然定義が必要になってくる。
323321:2012/08/12(日) 22:52:18.82 0
ごめん読み返して見たら、自分の文が支離滅裂になってたわww321は無しってことでお願い。

321で言いたかったのは、自性は、本来「無常なもの」であるから「常住かつ不変不滅なもの」
を自性と定義するのは間違っているということ。龍樹は、自性をアートマンか何かと間違えているのではないでしょうか。

つまり、そもそも十八界には、無常でないものなどないことは、龍樹が言うまでもなく常識なわけで、
だからと言ってそれが=自性がないとか実体がないとか言うことには繋がらない。
324321:2012/08/12(日) 23:12:32.11 0
また、あなたは違うと言うでしょうが、ゴータマ・ブッダは、非我を説いた。つまり、十八界のいずれにも
私は、いないと言ったということ。これは、アートマンを初めて説いたヤージュニャヴァルキヤの定義からしてそうで
アートマンは、見るものであって見られるものではない。つまり、仏教でいう十八界の何処にも私と言うものはなく、
如何なる瞑想体験であろうと、私を見ることはないとした。「これは、私ではない」というのはまさにゴータマ・ブッダの
非我と同じである。

であるから龍樹の無我も、あくまで「コレは私ではない」というアートマンの証明に他ならず。アートマンが存在しないということには
繋がらない。空についても、上で書いた通り定義からして間違っており、簡単に言うと、大げさに世界(十八界)は無常(空)であると
至極当たり前のことを言っているだけである。ただ、その証明の仕方が独創的かつ証明の過程はしっかりとしていたという意味で後世に
多大な影響を与えたと言う意味では偉大であると思うけどね。

あと、個人的には、こういう論理とかより、解脱の方に関心があって、何故、中観派にかぎらず
仏教って言うのは、ほかのインド哲学に比べレベルのが低いのかと言う1点がものすごく興味がある。


325考える名無しさん:2012/08/12(日) 23:27:53.07 0
外野から一言。
中観派的に仏教=空と考えればそりゃ貧しいだろう。実際は非常に豊穣で六派哲学や西洋哲学にもバラエティでは劣らないと思うよ。
六派哲学それぞれとの関わりを考えてみるのも面白いだろうね。
326考える名無しさん:2012/08/13(月) 01:29:44.84 0
西洋哲学の哲学は、言うまでもなくphilosophy「知を愛する」から来ているけど
六派哲学や仏教ジャイナ教などインドの哲学は、この世の苦しみからどうやって
開放されるかということから来ているから、目的というかなんか根本的に違うよね。

哲学(philosophy)って言葉が便利で他にぴったりな言葉がなかなか無いから、
同じ哲学としているけどさ。
327考える名無しさん:2012/08/13(月) 05:30:39.01 0
>>324
う〜ん、およそ文献学の主流説なんでしょうけど、そういう理解では仏教、縁起は全く理解できないと思うよお。

基本的に言うことは言ったので、オイラは止めとく。これ以上は循環になると思うので。

他のインド哲学・思想・見解に比べ、仏教、特に釈尊・龍樹菩薩は圧倒的高みにあると思ってる。というか、外道も釈尊・龍樹菩薩の縁によって、いろいろな面で高くなったと思ってる。

有名な所では、ヴェーダーンタだけどヨーガもニヤーヤもそうでしょ。他は詳しくないので、分かりませんけど。
328考える名無しさん:2012/08/13(月) 06:43:05.05 0
>>327
龍樹をはじめ仏教の論理が東洋の哲学や思想(近代の西洋もだけれど)に与えた影響は、量りしれない。
これは確実であり、私の専門(と自称できるほど言うほど詳しいわけではないが)のアドヴァイタは
中観派の論理や唯識派の世界観を丸パクりして、アートマンを肯定している。これが、シャンカラが
「隠れ仏教徒」と揶揄される所以であるのだけれど、これは、一般に無我を説くと言われる仏教の論理で
アートマンを肯定出来るということであり、ゴータマ・ブッダ自身が非我を説いたと考えれば、これは何ら
不思議ではなく、とてもおもしろいなと感じ、アートマンを肯定するという立場で、仏教を読んでいるのですが
まあ、どうでもいいですね。

またヴェーダの流れを組む多くの学派の論理と言うのは、解脱するための方法論や世界観を説明するために
発展してきたもので、仏教の十二縁起や中道などもその一例と言えるでしょう。が、問題なのはその解脱についてであり、
仏教は、時代をへるにしたがってどんどん劣化していき、ひどい例を上げるとさすがに「南無阿弥陀仏」と唱えても解脱
はできませんし、上座部の阿羅漢にしても、龍樹が「大智度論」で言ってる三解脱門にしてもそうです。解脱にはほど遠い。
辛うじて、阿含経典の「九次第定」がまともと言える程度です。

その意味では、ヨーガ学派などの方が(論理では、仏教の足元にも及びませんが)優れているといえます。ゴータマ・ブッダ自身が
言っている通り解脱してしまえば、論理などの形而上学的な問題は全く無意味なものですが、俗人である私は、割りと論理や世界観に
惹かれてしまうという(ry これも、どうでもいいですね。
329考える名無しさん:2012/08/13(月) 08:12:21.63 0
>哲学ってのは、あらゆる予断を捨てて根本的に考えることじゃないのか?
そのとおり。
あらゆる予断を捨てて根本的に考えれば、仏教は釈迦の教えでは無いってことになる。
シャンバラだとか、転生活仏だとか、イスラム教との最終戦争だとかを、
哲学的に、釈迦の教えと結び付けようというのがそもそも無理。
何度も言うけれども、実在論云々は関係ないでしょ?

仏教神学のはしためとして、仏教蛸壺内の整備に邁進するのであれば、
仏教哲学にも多少の意味はあるのかもね……だが対外的な説得力は持たない。
なぜ仏教がインド思想・哲学・宗教の世界で最後まで傍流でしかなかったのか、
考えたことはある?
仏教は最後までインド土着の思想の悪意あるパロディでしかなかった。
そのままでは直視に堪えないから、お釈迦さんの教えという建前で、
コーティングしているけれども。
330考える名無しさん:2012/08/13(月) 08:31:56.94 0
321さん
>321で言いたかったのは、自性は、本来「無常なもの」であるから「常住かつ不変不滅なもの」
>を自性と定義するのは間違っているということ。龍樹は、自性をアートマンか何かと間違えているのではないでしょうか。

間違えているのではなく、そのものだと思っているのでは?
中外日報の宮元啓一さんの中村元東方学術賞受賞インタビューが参考になると思う。
331考える名無しさん:2012/08/13(月) 08:37:44.24 0
>>なぜ仏教がインド思想・哲学・宗教の世界で最後まで傍流でしかなかったのか、
インドの傍流でしか無かった仏教が、今や世界宗教として主流になっているというのは皮肉だな。

>哲学ってのは、あらゆる予断を捨てて根本的に考えることじゃないのか?
プラトン・アリストテレスがギリシャ神話、デカルトカントなどの西洋哲学がキリスト教の影響を
多大に受けそれこそキリスト教から生まれたと言っても過言では無い。あらゆる既存の哲学は、
神話から生まれたものであり、神学の発展系として考えても的外れではない。それこそ、本当に
あらゆる予断を捨ててしまったら考えることすら出来ないではないか。なぜなら、考えるとは
経験や知識を基にして、道の事柄を解決しようとして、頭を働かせることだからである。
332考える名無しさん:2012/08/13(月) 08:40:11.45 0
321さん
近代合理主義の祖デカルトが、近代合理主義者でなかったように、
龍樹が既存仏教に都合の良い存在である必要はないでしょう。
333考える名無しさん:2012/08/13(月) 08:53:22.07 0
>ひどい例を上げるとさすがに「南無阿弥陀仏」と唱えても解脱はできませんし、
>上座部の阿羅漢にしても、龍樹が「大智度論」で言ってる三解脱門にしてもそうです。
>解脱にはほど遠い。
別にひどい例ではないでしょう。
仏教徒でも薄々感じているんじゃないですか?
仏教の聖者伝なんかを読んでも、こんな奴らを聖者扱いしないといけないとは!
と思うことが多いですからね。
「坊さんは勉強ばかりで解脱する暇がない」とは、上座部国でも言っているようですし。
334考える名無しさん:2012/08/13(月) 08:58:55.24 0
>インドの傍流でしか無かった仏教が、今や世界宗教として主流になっているというのは皮肉だな。
主流?地方の土俗宗教と習合して水増ししても、
それでもローカル宗教であるヒンドゥー教の数より少ないんだけれども。
世界二大宗教(キリスト教、イスラム教)では、なんとなくすわりが悪いから、
員数合わせでしょ。
335考える名無しさん:2012/08/13(月) 09:10:25.03 0
>それでもローカル宗教であるヒンドゥー教の数より少ないんだけれども。
数?よくわからないがあなたが世界宗教とは何なのか理解できていない事は分かった。
336考える名無しさん:2012/08/13(月) 09:20:40.93 0
>>328
>上座部の阿羅漢にしても、龍樹が「大智度論」で言ってる三解脱門にしてもそうです。解脱にはほど遠い。
>辛うじて、阿含経典の「九次第定」がまともと言える程度です。

 この止・三昧が解脱の道というような見方、はフラウワルナーを始めとする西洋文献学者の多くの考え方だと思います。

 ですが、上の考えだと禅定から無分別智が出てくるというヒンドゥーと同じ神秘主義に他ならない。それは中道で遮断される「非・是且非・非是且非非」のどれかに他ならない。

 仏教だと伝統的に四禅、つまり色界定で観ずることで無我・空を悟って解脱すると伝えられいます。

 ヒンドゥーと同じ神秘主義だと縁起・無我・空が全く意味をなさなくなり、外道と仏教が何も変わらなくなるでしょ。

 因みに中道ってのは、〜である、〜でない、〜であり〜でない、〜であるのでもないのでもないという四句分別、つまり四つの論理形式で何かを掴むこと、戯論が寂滅ていることを指していると考えられます。

 禅定という集中状態で縁起が分かれば、無我・空が悟れるから、ラーマプトラ以外にもカーラーマ、五ビクに教えを説こうされたと考えます。

 そして、五ビクにはより高い禅定に入れなどと教えず、恐らく四禅には入れたから、まず縁起を説かれている。この縁起を理解した証拠がカウンディニヤの「何であれ生じたものは、全て消え去るものだ」でしょ。

 これは現象が実体・実在ではなく縁起・空であることを理解したもので、だから釈尊は彼は分かったとお喜びになられた。これは戒定慧の因としての慧にあたる。

 つまり、四禅の集中状態でこの縁起を観じることで、悟れるというのが仏教で、この縁起・空性・無我が外道にはないから、全く外道と仏教は違う。

 だから、縁起や観・ヴィパシュヤナーが重視され、縁起こそが仏教の特性とされるわけです。もっとも縁起の素晴らしさは、他にも色々ありますけど。これこそが最も重要な点だと現在考えてるわけです。
337考える名無しさん:2012/08/13(月) 09:31:00.49 0
>>330
ページが消えてて読めないのですが、もし、何かの方法で閲覧可能ならURLを教えて下さい。

>>332
哲学を学ぶ上でアリストテレス、デカルト、カントが重要であるように
既存の大乗仏教を学ぶ上で龍樹は、避けては通れません。また、
哲学として考えるなら、デカルトカントを読む時のように龍樹を乗り越える気持ち
(批判的な態度)で望むことが必要であると個人的には感じています。

>>333
私自身不勉強でなかなか上手く言えないのですが、現代の仏教は、一体何をする宗教なのでしょうか?
338考える名無しさん:2012/08/13(月) 09:51:05.72 0
>>333
>「坊さんは勉強ばかりで解脱する暇がない」とは、上座部国でも言っているようですし。

そりゃ単に誤った道に行ってしまったテーラワーダなだけじゃないか?

スリランカ仏教は、ほとんど文献学で現代日本仏教と似たようなもんだと聞くけど、伝統的なビルマ仏教は違うでしょう。ビルマ仏教では現代でも解脱者が出てると聞くよ。

同様なのがチベットのゲルク系と、非ゲルク系。
339考える名無しさん:2012/08/13(月) 10:10:35.65 0
>>336
あなたとの、やり取りはとても勉強になるがとてつもない隔たりを感じる。

説明するまでも無いかもしれないが、私の言っている解脱と言うのは、仏教でいう滅尽定、ヨーガ学派で言うと
無種子三昧これらの共通点は、「心の作用の止滅」この1点に限る。これが出来れば、仏教やヨーガに関係なく
それこそ、無宗教であっても解脱出来る。逆に言えば、「心の作用の止滅」が出来なければ、幾ら仏法に帰依し
ていようが辛い修行していようが解脱出来ない。(ここでは、ややこしくなるので無想三昧については言及しない)

繰り返しになるけれど、幾ら一切を空(縁起)であると理解しようが、幾ら業を消費しようがそれだけでは、解脱出来ないと言うこと。
龍樹が解脱できると言ってる三解脱門について言うと、コレは、「心の作用の止滅」を解脱だとする立場から見ると、既に乗り越えたもので
あくまで、心(チッタ)の想念に気づいているというレベルでしかない。ここで、気をつけて欲しいのは、彼らの解脱に対する認識のレベルが
低いといっているだけで、空や縁起を全否定しているわけではないということだ、ゴータマ・ブッダ自身が解脱した(滅尽定に至った)と言っ
ているわけだから当然だけれど。
340考える名無しさん:2012/08/13(月) 17:41:48.41 0
>この縁起を理解した証拠がカウンディニヤの「何であれ生じたものは、全て消え去るものだ」でしょ。
確証が無いから書かなかったけど、阿若・?陳如も滅尽定に至ったと考えていいかもしれないな。
基本名前が残ってる仏教徒で解脱者を見つけることはとても難しいのだけれど、さすが初期仏教と
言ったところだね。
341考える名無しさん:2012/08/13(月) 20:56:49.45 0
>>339
 実は私も仏教を学び始めて半年から伝統仏教の師匠から教えを受け、自分の誤解だったと納得するまでアナタのような見解でした。それも納得するまで、結構時間がかかったので、アナタの立場はよく分かるつもりです。

 滅尽定について、一応の見解はあるつもりだけど、あまり自身がないのでざっと調べてみました。

パーリ・ニカーヤの滅尽定:
 PTS, DN II, 156: 九次第定で涅槃する時にアーナンダが涅槃と勘違いする
 MN I, 302: 滅尽定から出たビクの心は遠離に傾き、遠離に向かい、遠離に滑り落ちる。
 SN II, 151: [七界を説くなかで]想受滅界、この界は滅尽定を得る。
 SN IV, 294: 滅尽定は想と受を止滅すること。
 Ptm 97ff.: 滅尽定は止観を前提する。止は精神集中。観は、無常・苦・無我などの十六の観法。

 以上からは、滅尽定が解脱、あるいは涅槃ということを示す直接の記述は見つかりませんでした。
 特に最後の『無碍解道』の記述は、滅尽定は止観を前提するので、観、つまり、縁起・空性、あるいは無常・苦・無我などの観法のある仏教の聖者だけが入り、外道は入れないという北伝系の説に接近します。
 更にテーラワーダ教学を決定づけている『清静道論』で「定の等流は非想非非想処、観の等流は果定、止観の等流は滅尽定」PTS320と説かれるます。
 つまり、定、禅定・三昧という方法だけでは非想非非想処、言い換えれば有頂天にしか行けないと説かれ、北伝系の伝承はもちろん以下の『梵網経』の記述に一致します。

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
342考える名無しさん:2012/08/13(月) 20:57:21.27 0
これは以下の北伝系の記述、特に『倶舎自註』で滅尽定は聖者がこれが涅槃であると勘違いする境地とされていることに一致します。

北伝系の滅尽定:
 倶舎自註 ad 2.43 ff.: 滅尽定は心・心所の止滅。非想非非想処の境地。聖者がこれが涅槃であると勘違いする境地。
 月称五蘊論 Lindtner 142, acip 265: 滅尽定は非想非非想処の愛欲を離れた想が先行する作意によって心・心所が止滅すること。

 チベット・シナ・日本の大乗系は上のような解釈に従っているので、滅尽定を涅槃とすることはないが、八解脱の一つと考えます。
 ですから、確かに解脱というのは正しいのですが、この場合の解脱は究極の境地という意味ではなく、煩悩から開放される八つの精神集中段階、八つの禅定階梯という意味でしょう。
 アナタはそういう意味ではなく、究極の境地、つまり涅槃というような意味で使っていたと考えますので、記号は同じでも意味は違うと考えます。これでいいでしょうか?
343考える名無しさん:2012/08/13(月) 21:02:08.14 0
 しかし、青目註『中論』は以下のように、滅尽定は心・心所が止滅し、不生不滅の諸法実相で、寂静相で涅槃のようと述べています。

T1564_.30.0024c28: 問曰。
T1564_.30.0024c29: 若諸凡夫心不能見實。聖人心應能見實。
T1564_.30.0025a01: 何故説一切心行滅。答曰。諸法實相即是
T1564_.30.0025a02: 涅槃。涅槃名滅。是滅爲向涅槃故亦名爲
T1564_.30.0025a03: 滅。若心是實。何用空等解脱門。諸禪定中。
T1564_.30.0025a04: 何故以滅盡定爲第一。又亦終歸無餘涅
T1564_.30.0025a05: 槃。是故當知。一切心行皆是虚妄。虚妄故
T1564_.30.0025a06: 應滅。諸法實相者。出諸心數法。無生無滅
T1564_.30.0025a07: 寂滅相。如涅槃。

 これは単なる譬喩表現なだけかもしれませんが、今回探し得た唯一の反証ですので、あげておきます。

 因みに『中論』で説かれることは、観に他ならず、中道を観ずるので、中観といわれ、それこそが般若に他ならなず、縁起であり、空性なのです。
 どういうことかと言えば、『梵網経』に説かれるように三昧状態であっても何らかの形で見解を掴んでいることを、般若・中観の四句分別によって断ち切り、涅槃寂静の境地に導くためです。
 このことは『中論』諸註や中観諸論が『梵網経』に説かれる六十二見、あるいはその要約形である十四無記を八不で断ち切ることになるので明解です。
 数が合わないように見えますが、主題は四つで、それぞれ四句分別という論理的組み合わせなどから様々な法数で呼ばれるだけのことです。

 以上の根拠を覆す、滅尽定が涅槃である根拠をアナタが知っているなら、あげてみてください。あげられないなら、誤解であることを認めた方がいいと思います。
344考える名無しさん:2012/08/14(火) 00:13:21.92 0
>>343
私自身上にも、書いた通り勉強中で完璧に裏を取ったと言うわけでは無いので、私個人の
見解を含むと言う意味で聞いてください。

すくなくとも私が「解脱とは真実か、とするならばどういうものか」と言う事を軸に仏典をとむ時は、
仏教を離れているので、っといっても仏教を蔑ろにしているわけではなく、解脱を一人の人間の心の状態と
言うんですかね。上手く言えませんが、宗教人種時間一切関係なく、万人が(実際出来るかは別として)可能な
ものであると思うわけです。でなかれば、神秘主義以前にただのつくり話になってしまいますから。

仏教を信じたから、何か体の仕組みが変わると言うわけではなく同じ人間(しかも今のインド辺りの人)ですから、
取り敢えずヴェーダと仏教の解脱のすり合わせを行なっているわけです。

でまず、ヨーガ学派と初期仏教の解脱に共通点があるので、これらを軸に、他派の解脱をすり合わせて見ると、
「九次第定」は、正直荒いですが、ヨーガ学派は、とてもすっきりしていて分かりやすく、仏教の例えば上座部
中観派、唯識派などが、解脱とするものが、ヨーガでは、同じような心の状態として、解脱する過程で出てくる
わけです。一応ここまではいいですか?

345考える名無しさん:2012/08/14(火) 00:46:30.20 0
そして、肝心の解脱とは、何かということですが、これは、あくまで私個人の見解ですが、
「心の作用の止滅」」=解脱ではないです。解脱とは、本来一つの頂点ではなく、どの
聖典経典にも書かれていない、名もない更なる境地と言うんですか、みたいなものが
数えきれないほどあります。しかし、解脱していない、私達には、これらに意味はない
のでココでは言及しません。

ココで言う、解脱とは、仏教でいう滅尽定の定義の通り、俗世に戻っても、瞑想の状態から
再び後戻りしない、コレを解脱といいます。その一つの結論(方法)として初めて「「心の作用
の止滅」が出てくるわけです。繰り返しますが、滅尽定・無種子三昧に至ったから解脱ではなく
それらによって再び後戻りしない状態になったから解脱なのです。

ですから、日常では、あり得ない例えば臨死体験などをして、意識の転換が起こり、正に
人が変わってしまった。と言うような事も、滅尽定と=ではないにしても、解脱と言っていいでしょう。

ただ、自力や偶然になると言うのは、色々危険ですので、しっかりと体系付けられた、ヴェーダ・仏教を
調べているわけです。
346考える名無しさん:2012/08/14(火) 00:57:11.31 0
肝心の体験例なんですか、名前が残ってる有名なところは近代でいうとラマナ・マハルシ、
ラーマクリシュナ、文献的には、パタンジャリ・シャンカラ、ヤージュニャヴァルキヤなど
仏教徒でも上に挙げた、ゴータマ、カウンディニヤなど、また名前を残していない仏教徒で
私が、レベルが低いといった上座部、中観派と言った中にも、おそらく経典を超えて、解脱に
至っている人は、少なくないと思うんですが、資料がない。

ほんとに、解脱した人にとって、解脱の報告なんて無意味ですから。ゴータマ・ブッダ自身
ブラフマンに(ホントにブラフマンかどうかは別として)お願いされなければ、話さなかったでしょうし。
ではければ、仏教は、ありませんでしたしね。

これから、色々深めて行こうと思います。
347考える名無しさん:2012/08/14(火) 01:47:45.35 0
ただ、一つ確実なのは、究極の涅槃成るものは、その時点で嘘っぱちと云えます。
何故ならば、解脱とは、この世の苦しみからの解放が目的であり。どんな解脱をするかは
問題ではないからです。心の状態としてならわかりますが。宗教として涅槃や解脱に優劣を
付けるというのは、本末転倒です。解脱できれば、声聞独覚であろうがそれ以外であろうが
全然構わないのです。
348考える名無しさん:2012/08/14(火) 04:43:08.34 0
>>344
違いますね。ヨーガや三昧だけでは涅槃できないというのが仏教の立場です。
それは『梵網経』以来一貫しています。滅尽定も観のない外道は至れないというのが仏教の立場です。
それは仏伝のカーラーマとラーマプトラの話にも出てくるでしょう。
彼らの三昧、つまり止、定という方法では涅槃できないと釈尊は直感します。

>>345
アナタの論理より、滅尽定が解脱・涅槃というアナタの典拠を示してください。
示せないなら、誤解であることを認識してください。

>>346
体験例ならチベットに山ほどありますよ。現代の例も含めて。
ビルマにもあると聞きますが、私は知りません。

>>347
仏教にとって解脱智は明解に「生死已盡梵行已立所作已辦不受後有」というものでしょう。
つまり、「我が生は尽き、これより以後の生を知らない」という尽智と無生智で、
輪廻から完全に解脱し、もはや輪廻することはないという直接知覚以外の何ものでもないでしょう。

アナタはテキストをあるがままに読まずに、あまりにも先入観で読み替えているように思いますよ。それでは文献研究にすらならないと思います。
349考える名無しさん:2012/08/14(火) 05:27:57.80 0
>>348
>違いますね。ヨーガや三昧だけでは涅槃できないというのが仏教の立場です。
だから、最初から仏教の立場には立っていないし。仏教の言ってる(理解している)
ヨーガや三昧は、レベルが低くて解脱は程遠いと最初から言っているでしょう。
その証拠に、仏教が、解脱するとする論理やヨーガや三昧を論駁する論理を
すでに、ヨーガ学派などが、解脱に到る過程に見ることができるともいいました。

繰り返しますが、私は、仏教の立場には立っていません。ファンダメンタリストが
聖書を読むように、ヴェーダも仏典も読みません、あくまで肩を借りる程度です。
社会学的に見て、仏教に釈迦も龍樹も必要ありません。なぜなら、法前仏後、
釈迦や龍樹が法や縁起、空を作ったのではないからです。言葉や論理は作った
かもしれませんが、言葉それ自体には何の意味もありません。ヴェーダにしても
そうです。仮に、釈迦がこの世界を想像したと言うなら、キリスト教みたいで面白いですがww

私が関心があるのはその意味の解脱のみでして、あなたが、仏典を完璧に読み解けば
解脱出来る見たいな事を考えているなら何も言いませんが、私は、興味がありません。

辛うじて、先入観によらずに、あなたの意見が聞きたテキストと言えば、「自灯明法灯明」くらいですかね。
出来れば、あなたの解釈をお願いします。
350考える名無しさん:2012/08/14(火) 05:45:24.45 0
>>349
アナタが文献研究を行なっているなら、先ずテキストをあるがままに読むべきでしょう。
それなしに先入観で読んでも、意味がない。
確かに記号としての言葉は、単なる仮説で、単なる言い習わしに沿ったものでしょう。
それでも、その記号の正確な理解なしには、それがどのようなことを指し示しているかすら分かりません。
それを適当に常識を混ぜて理解したつもりになるのは、私には思想研究には思えません。少なくとも古典的文献研究から逸脱しているのは確かだと確信します。

「自灯明法灯明」という言葉は、完全に誤解されていると考えます。
本来は、自洲法洲と訳すべきでしょう。

意味としては、輪廻という瀑流のなかで、自分の身体、法という中洲を得たことで、教えという乗り物に乗って、解脱という彼岸に渡れという文脈で捉えるべきものと解釈します。

つまり、一部誤読されているような「自灯明」を自分自身の検討によって認識しろ、とか自分自身に依れみたいな意味ではなく、輪廻のなかで解脱するチャンスとしての人身というような意味に他なりません。

逆に仏教では自分自身の認識は無明に覆われていて倒錯しているので、当てにならず、明の眼を得た師に導いてもらう必要があると考えます。

これは特に大乗ではそうで、浄土教を例外として、どの流派でも尊重されていると思います。
351考える名無しさん:2012/08/14(火) 06:03:15.14 0
>>350
ありがとうございます。私個人は、文献研究とかより畑は理系方面なので。
ヨーガ・三昧などの、瞑想体験を唯物論的ではなく、精神的または別の問題として
アプローチし明らかに一般のヨーガ・三昧と一線を画していると言われる解脱と言
われるものの差異について興味が(ry 話がそれましたね。


自洲法洲ですか。ただ、ほんとに生き物は輪廻してるんですかね。解脱という意味で
「私とは、誰か」「今ここ」と言うのは、最重要問題としてよく言われますが、
今の私には、なかなか難しいです。
352考える名無しさん:2012/08/14(火) 06:25:48.57 0
>そりゃ単に誤った道に行ってしまったテーラワーダなだけじゃないか?
そもそもテーラワーダ(と称するもの)は正しいのでしょうか?

>スリランカ仏教は、ほとんど文献学で現代日本仏教と似たようなもんだと聞くけど、伝統的なビルマ仏教は違うでしょう。
>ビルマ仏教では現代でも解脱者が出てると聞くよ。
ビルマ仏教は本当に伝統的なんでしょうか?

>同様なのがチベットのゲルク系と、非ゲルク系。
論外。

どうも、あなたは既存仏教側の宣伝を鵜呑みにする傾向がありますね。
「仏教は正しい」というイドラを受け入れれば、視界がクリアになる錯覚を
味わえるのかも知れませんが。
353考える名無しさん:2012/08/14(火) 06:25:50.64 O
「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他をたよりとせず
法を灯明とし、法をたよりとして、他のものをたよりとせず生きよ」(自灯明法灯明)
354考える名無しさん:2012/08/14(火) 06:43:34.93 0
>>違いますね。ヨーガや三昧だけでは涅槃できないというのが仏教の立場です。
>だから、最初から仏教の立場には立っていないし。仏教の言ってる(理解している)
>ヨーガや三昧は、レベルが低くて解脱は程遠いと最初から言っているでしょう。
仏教側がこれをかたくなに認めないのはなんとも。
仏教論客は他宗教で使う用語を、自分たちのヘンテコ定義に押し込めて、
それを嘲笑し、自分たちは優位に立っているんだという宣伝をしますが、
当の自分たちが正しいという根拠は非常に脆弱です。
突き詰めていくと、内輪の成就者やらのお墨付きに頼るしかない。
仏教のパラダイム内に居ないものには、無意味な箔付けですよね。
(「明の眼を得た師」とやらの真贋は誰が判定するのか?)

テキストをありのままに、先入観なしに読むのならば、
既存仏教(ことにチベット仏教なんか)は非仏教とならざるを得ないのですが、
結局、彼らは「明の眼を得た師」から渡された色眼鏡を通して読むわけで、
他人に要求することを自分で実践しない。言行不一致も甚だしい。
355考える名無しさん:2012/08/14(火) 07:02:32.72 0
>>352
ビルマ仏教は伝統的だと思うよ。

>>353
それ完全な誤訳でしょ。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E6%B4%B2&mode=search&uop=1

>>354
師を吟味することが最も難しいんですよ。正に。

私はテキストはキッチリ、読んでるつもりですよ。

違うというなら、誤読を指摘するしかないでしょ。

それができず、そういうなら単に話すべき相手じゃないってことですね。

次で、まともな答えがなければ、それで終了としますね。
356考える名無しさん:2012/08/14(火) 07:08:14.14 0
仏教徒ってなんか「論争はしません」「争いは嫌いです」とか言う雰囲気を漂わせながら、めちゃくちゃ論争好きだよね。
面と向かっては言わないまでも、グチグチグチグチと般若経典転読してると、ホントこいつら黙ってられなかったのかなと思う。

で、読んでみると対して中身はないっている。
357356:2012/08/14(火) 07:10:36.38 0
で、読んでみると対して中身はないっていう。
358考える名無しさん:2012/08/14(火) 07:25:53.99 0
>>355
阿含経に釈尊が滅尽定で解脱したって書いてあるけど、
他の経典で滅尽定が否定されたら、滅尽定は、解脱じゃないって事になるわけ?
逆に、その経典を否定する経典が出てきたら、それも否定されるって事かな。

とういうか、悪意を持って解釈すると、滅尽定を外道であるヨーガの
解脱と一緒にされて焦ってるだけにしか見えないよ?
359考える名無しさん:2012/08/14(火) 08:32:33.63 0
>>358
>阿含経に釈尊が滅尽定で解脱したって書いてあるけど、

出典を明記してください。

焦ってるんじゃなくて、既に書いたように過去の自分が為した初歩的な誤解を、訂正しようとしてるだけだよん。

まあ、どう思うと勝手だけど。
360351:2012/08/14(火) 09:43:29.16 0
>>350
すいません。まだいますかね。
なんで、こんなに咬み合わないのか。色々考えてたんですけど。
もしかして、あなた、ヨーガや三昧=ハタヨガ的なものって、固定観念がありませんか。
私の言ってるヨーガって言うのは、ギャーナ・ヨーガのことです。
解脱には智慧が不可欠とする意味で仏教と全く同じだと思うのですが。

つまり細かい事は既に上で書いたので、大雑把に整理すると
まず、ヨーガ学派の解脱(無種子三昧)を立てる。この根拠(解脱者)としてラマナ・マハルシを挙げる。
次に、仏教の滅尽定とヨーガの無種子三昧、且つそれらに到るまでの過程に多くの(心的)類似点が認められる。
さらに、上記の2つは一般的に解脱であるとされ。解脱者が出ている。
このことから滅尽定・無種子三昧が同じ(心的)レベルであり、当然解脱できる。
これで一応科学的(笑)裏付けと云えなくは無いのではないか。
361考える名無しさん:2012/08/14(火) 09:53:50.40 0
>>359
お経なんて常に手元にねえよ
滅尽定のwikiでも見てくれ。
そこで、間違ってると思ったら
自分で直してくれ。
362考える名無しさん:2012/08/14(火) 14:59:44.72 0
「この解釈だけが正しい」的な姿勢が、そもそも仏教的でないよね。

私的には悟りとは「身心脱落」なのだが、これは道元の「誤読」なのかもしれない。
だが、「誤読」かどうかは、この際あまり問題ではない。
363考える名無しさん:2012/08/14(火) 15:20:38.76 0
つーか、てめえら「仏教」「釈迦」っていう名前でしかない形骸語を使うなやカルト脳共

理論内容だけ述べろや 布教活動か?コラ
364考える名無しさん:2012/08/14(火) 15:46:21.17 0
そもそも言葉というものが、「名前でしかない」もの。
道元的には、理論ではなく「行」が重要なのだ。
「行」によって、分別と無分別との二元を超えること。
365考える名無しさん:2012/08/14(火) 17:21:11.17 0
>>362
「解脱」これに関してはは、単なる文章の解釈の問題ではありません。
自称でも、いいので最低限、覚者のお墨付きが必要です。

例えるなら、『徒然草』 第52段.仁和寺にある法師見たいなものですね。
文章を読むだけなら、法師がちゃんと岩清水に行ったかどうか判断できません。
これは、落ちになって、実際に岩清水に行った人(覚者)の証言があって、初めて
今まで、岩清水(解脱)だと思ってたいことは、勘違いだったと分かるわけです。

ただ、この実際に岩清水に行った人(覚者)まで疑い出したらきりがありませんが、
少なくとも、その根拠として、更に上に行った覚者のお墨付きが必要であるということに、
違いありません。
366351:2012/08/14(火) 21:35:31.68 0
一応言っとくと>>360の後半は、>>343
>滅尽定が涅槃である根拠をアナタが知っているなら、あげてみてください。あげられないなら、誤解であることを認めた方がいいと思います。
に対する答えね。
367考える名無しさん:2012/08/15(水) 01:34:50.54 0
「滅尽定」が涅槃であるというのは、少なくとも大乗仏教的ではないだろうね。

あまり「解脱」ということに捉われすぎるのもどうかと思う。
道元的には、「悟り」と「迷い」とは、線引きできるものではない。
ここからは「悟り」です。はい「合格」・・・みたいなものじゃない。
○か×かの問題ではなくて、深さの問題です。

「自灯明」については、その場合の「自」が何を意味しているのかが重要で、
道元的には、その「自」は、「尽大地自己」の「自」であるでしょう。
368考える名無しさん:2012/08/15(水) 01:57:42.73 0
滅尽定(九次第定)は、仏教が上座部大乗に別れる以前の話だからね。

それに、初期の仏教の解脱や涅槃と道元の言ってる悟りは、おそらく本質的に違うものでしょう。

曹洞宗にかぎらず、日本の仏教は、戒律や教義という意味で、他国の仏教とは、色々違いますから。

369考える名無しさん:2012/08/15(水) 06:23:00.68 0
本質的に違うとは私は思わない。
「違い」を強調して見る人の目には、「本質的に違うように見えるのかもしれないが、
それを言うなら、原始仏典が成立した時には、既に仏教は「分裂」していたのだ…
アビダルマのように、「存在」を「自己」の向こう側において客観的に分析するのではなく、
道元の、自己ぐるみの存在を実践的に捉える態度は、アビダルマよりもブッダの態度に近いだろう。
ただ、道元の立場は「修証一等」だから、「行」を離れて「悟り」という状態があるのではない。
その点で、解脱に関するいろんな意見には、違和感を覚えることが私は多いね。

ちなみに、服部正明氏は、仏教の三昧に至る過程はヨーガと共通点があるとしながらも、
ヨーガと仏教の「違い」について、次のように言っている。
「ヨーガは心の作用を止滅させてあらゆることに無関心になること、神秘的境地に達することを
目的とするのに対して、仏教の場合は、定によって得られた心の平静さは人生の真相を見るための
ものだという点で異なるのではないでしょうか。」(『仏教の思想2 存在の分析〈アビダルマ〉』)
370考える名無しさん:2012/08/15(水) 06:46:28.07 0
服部正明、分かってないなあ。文献学者は、だいたいこんなもんだけど。

服部正明はかつて某日本学者の研究を世界の学会に対して日本の恥みたいなことを言ったという。

しかし、その学者の方が少なくとも仏教に関しては分かってると思う。

要するに服部正明のような学者にとって西洋文献学の流れに添っていることが、重要だということでしょう。

371考える名無しさん:2012/08/15(水) 17:28:03.33 0
>>369
違うって言うのは、比叡山の影響を受けているかってことね。
同じと言うなら、影響を受けていない仏教で道元と同じ事を言ってると言う
根拠を示してください。できれば、チベットやビルマ辺りでお願いします。
372考える名無しさん:2012/08/15(水) 19:27:55.07 0
>355

ん〜、何か変な方向に議論を誘導しようとしていないかい?
仏典の露骨な女性差別、賤民差別、殺人肯定を認めなよ?
ヒンドゥー側から伝承や神格を盗んだことを認めなよ?
異教弾圧の恥ずべき歴史を認めなよ?
これらは「テキストをあるがままに読めば」自明のことだよ?
中世の日本やチベットじゃないんだからさ、正しい情報を隠すのは無理だよ。
君だって、以前までの護法尊が、突然、悪霊認定される世界がおかしいって、
薄々わかっているんじゃないの?小手先の解釈の問題に矮小化したって無駄さ。
373考える名無しさん:2012/08/15(水) 19:36:41.84 0
>>372
しょうがないねえ、そういうこと問題にしてもしょうがないっしょ。

情けない
374考える名無しさん:2012/08/15(水) 19:59:09.93 0
>仏教徒ってなんか「論争はしません」「争いは嫌いです」とか言う雰囲気を漂わせながら、めちゃくちゃ論争好きだよね。
「優劣」を競って論争するのならば、まだ共存できなくはないけれども(例:インドの六派哲学)、
「正邪」を争うのだがら、仏教の論争は陰湿になる。追放、暗殺、呪殺が横行したりね。不寛容極まりない。
教義上の問題を解決するために、権力者を抱き込んで、対立派を弾圧することもあったしね。
スッタニパータ 八つの詩句の「テキストをあるがままに読めば」こんなことはないんだけれどもね。
375考える名無しさん:2012/08/15(水) 20:11:43.60 0
>しょうがないねえ、そういうこと問題にしてもしょうがないっしょ。
>
>情けない
でも、他派の哲学や他宗教が似たようなことをしていたら容赦しないでしょ。
仏教論客は。

それに教義の根幹がウンコだったら、いかに論理を駆使して正当化しても、意味が無いんだしね。
いっそのこと新宗教、新学派でも創立したほうがいい。
376考える名無しさん:2012/08/15(水) 20:18:34.69 0
>>375
いや、オイラはそういう政治的なことを非難することもないし、
他者の見解・思想・哲学を非難することもないよ。

オイラがいいたいのは、それは仏教ではないとか、それは誤解だということだけ。
377考える名無しさん:2012/08/16(木) 01:16:02.71 0
>>376
仏教って時代とか国の宗派で言ってることが違うけど。

その時代のどの国のどの宗派の仏教を仏教として

>オイラがいいたいのは、それは仏教ではないとか、それは誤解だということだけ。

と言ってるの? もしかして、いろんな宗派からつまみ食い?
378考える名無しさん:2012/08/16(木) 01:33:14.41 0
>>376
お前、>>359
>>焦ってるんじゃなくて、既に書いたように過去の自分が為した初歩的な誤解を、訂正しようとしてるだけだよん。
って言ってるんだから、ちゃんと>>360に答えてやれよ。
379考える名無しさん:2012/08/16(木) 05:19:09.56 0
>>377
上見れば分かるっしょ。

一応、アーガマ・ニカーヤと中観を基本にしてるよ。

しかし、逸脱したものを例外とすれば、ほとんどの宗派は方便として解釈できるよ。
それが分かるには、縁起・空性・仮設が分からないと無理。

>>378
上、読んでもらえば分かると思うけど、もう言うことはいったので、
彼が、滅尽定が解脱・涅槃であるという根拠を示せない限り、
もはや平行線なので答える気はありません。
380考える名無しさん:2012/08/16(木) 05:56:45.70 0
>>379
360で、滅尽定が解脱(つまり涅槃の事だと思われる)みたいな根拠を示していると思うのだけど
仏教でも、解脱とかの経典の真偽は、覚者の再現によってのみ(と言ってもチベットなど一部だけど)確認保証されるし
ラマリシを上げてることからも、これは、クリアできてると思うけど
381考える名無しさん:2012/08/16(木) 06:08:11.70 0
>>380
え、あれ仏教じゃないでしょ。

記号も違うし、体系も違う。

それを一緒とするのは根拠のない前提に基づいているからでしょう。

私が示して欲しいのは仏教のテキストで滅尽定を涅槃の意味の解脱とするものです。

近代ヒンドゥーでは仏教と同じと考える方が沢山いますが、仏教側ではそれを認める方はいません。

そしてヒンドゥーでもアドヴァイタの最高権威シャンカラなど伝統的な方は、仏教とは違うとしています。

私としてはこちらの立場しか信じられません。
382考える名無しさん:2012/08/16(木) 06:20:30.66 0
>>381
えっそうなの?
アドヴァイタって、アートマンを考えなければ、龍樹と言ってる事、同じだと思ってたんだけど
龍樹の空やギャーナ・ヨーガ(一般人には難しい修行)って事は、仏陀が、出家者以上にしか
説かなかった教え見たいなものってことでしょ。
ってことは、龍樹の空と、仏陀が、出家者以上にしか説かなかった高度な教えを、智慧の
瞑想によって、涅槃にいたったってのが、マハリシといえるんじゃないの?

まあ、シャンカラ達が、これを仏教とは、違うというならそうなんだろうけど、私には、同じにしか
思えないな
383考える名無しさん:2012/08/16(木) 06:55:52.15 0
それに、
>>記号も違うし、体系も違う
とは、言っても龍樹とニヤーヤ学派が、お互いに出来上がって来たように
バラモン教(ヒンドゥー教)から、仏教は出てきて発展してきた事は、事実なわけだから
記号は、違っても同じ物は、たくさんあると思うんだけど、むしろ無いとおかしいでしょ
まあ、そこら辺は、あなたの方が詳しいとおもうけど
384考える名無しさん:2012/08/16(木) 09:01:22.24 0
>>382
言えない。龍樹菩薩も外道を戯論に導いてるし、
アドヴァイタは中観をアートマンで再構築したものだから、
龍樹菩薩はなかったので直接遮断してないけど、
同じ中観の月称菩薩や寂護菩薩が明確に遮断してるよ。

>>383
>バラモン教(ヒンドゥー教)から、仏教は出てきて発展してきた事は、事実なわけだから

これは事実ではないと思う。
いわゆる苦行者文学、シュラマナ文化の言い習わし・記号を釈尊が用いているのは事実だけど。

それは単にその場の言い習わしを用いただけのことだと仏教は解釈してるよ。
バラモン教は、世界中によくある祭儀宗教ですよ。
ただ、言語分析に関しては世界の祭儀宗教の中で傑出していたと思うけど。

そういうものと全くちがう。それらの記号を超えた圧倒的な跳躍、飛躍があると思うよ。

もっとも私はヴェーダはもちろん、ブラーフマナ、ウパニシャッドを精読してもないし、伝授も受けてないから、そこはあまり正確な知識ではないと思うけど。

仏教と全く違うのは明らか。もっとも近いジャイナは、より知らないけど、表層、形式はよく似ていても、本質的に断絶があるように思うよ。
こっちは全く論証することもできないけど。
385考える名無しさん:2012/08/16(木) 09:19:45.52 0
そうなんだ
(西洋)哲学的に、考えれば類似点と相違点を歴史的時間的なヨコやタテ
の関係性に基いてしっかり分析して区別するんだけどね

仏教哲学では、弁証法を嫌って外道は問答無用で遮断なんだね

なぜ、西洋がこうなっているか言うかというと、
彼らが、学問は最終的に一つなるという
願望みたいなものに起因するんだけど

仏教には、哲学は向いてないみたいね
386考える名無しさん:2012/08/16(木) 09:33:35.47 0
>>385
>仏教哲学では、弁証法を嫌って外道は問答無用で遮断なんだね

 いや、そうではなく外道の執着を問答によって遮断(打ち壊)し、戯論寂滅に導くのが仏教。

>(西洋)哲学的に、考えれば類似点と相違点を歴史的時間的なヨコやタテ
>の関係性に基いてしっかり分析して区別するんだけどね

 そうかなあ。オイラには西洋の論理こそ弁証法でなく、自分の立場だけで相手を分析して否定してるだけにしか思えないけど。

 ヘーゲルのインド・シナ思想・哲学分析はもちろん、ウイリアム・ジョーンズ以来のインド文献学もそう。まあ、オイラの西洋に対する知見はたかが知れてて、ほぼ有名な人のものしか知らないけど。

 むしろ仏教が『梵網経』以来、相手を正確に分析して体系づける方法を行なってきたように思う。

 その影響が『四百論』『中観心論』『タットヴァ・サングラハ』など仏教の著作はもちろん、『サルヴァダルシャナ・サングラハ』などインド一般の論書にも出ていると思う。
387考える名無しさん:2012/08/16(木) 22:44:22.33 0
>385
>仏教には、哲学は向いてないみたいね
仏教哲学は哲学のようでいて、その実、神学ですからね。
論理はたいてい護教目的で使われます。
仏教が他教に影響を与えたことは宣伝しても、その逆は認めなかったり、
あと、明らかに変な教説は「方便」だなんだと開き直ったりしますね。
「方便」て結局「嘘」なんですけれども。

「相手を正確に分析して体系づけてる」とか、
「執着を問答によって遮断(打ち壊)し、戯論寂滅に導く」とか主張する向きもありますが、
インドの地で、それがあんまり成功していなかったことは、あまり言いませんね。
六派哲学側からの反論の研究をする学者を腐すことは、たまに見かけるようですが。
388考える名無しさん:2012/08/17(金) 02:34:51.60 0
>>386
初期のインド哲学に対する、評価は、おそらく白人目線の物があったからね。
(ヘーゲルとは関係ないけど)植民地支配された国の文化を大切に扱うって言うのは、
あまりないから、初期のインド哲学(論理学)分析は、よく言われてることだけどアリスト
テレスの形式論理学の劣化ぐらいの認識だったんでしょ。

最近では、先端科学などの仏教を始めとする。東洋思想が見直されて研究が進ん
でるから、西洋の論文とかもレベルが高いんでしょ(よく知らんけど)。

あと、弁証法嫌いって言うか軽視って言うかのは、これ別に、仏教にかぎらず、
東洋(特にインドだけど)に多いね。科挙をはじめ、丸暗記の公理体系重視で、
総合分析に疎い。これは、ちょっと偏見かもしれないけどさ。

西洋哲学では、基本ほとんどが懐疑の対象だから、デカルト見たいに、公理は
「我」のみで、後は、それによって総合分析ってのが可能なんだけど。
東洋哲学は、これは譲れないっってところが多すぎる。

>>387
内向きで排他的ってことですか?それは、外野で見てるとすごく感じますね。
389考える名無しさん:2012/08/17(金) 06:19:24.92 0
>東洋哲学は、これは譲れないっってところが多すぎる。
開祖の説を否定しちゃいけないって縛りはきついですよね。
師の説を簡単に踏みにじる西洋哲学の徒と比べて、精神の自由が無い。
開祖とまったく違うことを言う場合でも、無理やり理論武装して、
矛盾していないかのように振る舞わなければならない。
ヒンドゥー側でもヴェーダ聖典の権威を認めなきゃいけないから、
窮屈なことです。

>内向きで排他的ってことですか?
本当の意味で排他的なら、それはそれで一つの主張になるんだけれども、
彼ら流行に敏感で、他教の教義を盗むのに貪欲でしょ?
プラーナ文献からシャンバラ伝承を借りて、意味を捻じ曲げてみました…とか、
インドの地でタントラが席巻しているから、うちでもタントラ経典を編みました…とか。
そして、それをお釈迦さんが言ったことだと言う形式に整える。
「縁起」だ「空」だという理屈を後からくっつける。
西洋だと、この手の後だしジャンケンが得意なグノーシス派は駆逐されたけれども。
390考える名無しさん:2012/08/17(金) 09:19:40.82 0
>師の説を簡単に踏みにじる西洋哲学の徒と比べて、精神の自由が無い。
むしろ、踏みにじるのが、彼らなりの哲学といえるね。言葉を選ぶならポスト○○(乗り越える)って感じ。
プラトン→アリストテレス、カント→ヘーゲル見たいな例は成功したかどうかはともかく、挙げればきりがない。
彼らの、唯一譲れない物といえば、「神の証明」くらいですが、それもカントやニーチェによってぶっ壊されちゃいましたし。

>西洋だと、この手の後だしジャンケンが得意なグノーシス派は駆逐されたけれども。
駆逐が、可能なのもカトリック教会って、分かりやすいヒエラルキー構造があるからだけど、仏教は、あの膨大な経典を
みれば分かる通り、一回作られたら、そのまんまで管理する上位機関みたいなものがない。宗派にしてもそう。だから、
その意味で好き勝手出来る。カトリック教会なら絶対認めないキリスト仮現説みたいな仏陀仮現説は、仏教では、割り
と見られるけど、問題なく機能してるし。日本の戒律をほぼ排斥した、仏教も仏教として名を保っていられる。
391考える名無しさん:2012/08/17(金) 09:52:53.54 0
>>389
>インドの地でタントラが席巻しているから、うちでもタントラ経典を編みました…とか。

 これは文献学的にも仏教タントラがヒンドゥー・タントラに先行する可能性が高いよ。

>そして、それをお釈迦さんが言ったことだと言う形式に整える。
>「縁起」だ「空」だという理屈を後からくっつける。

 じゃなくて、縁起・空性・仮設だから、この本質を外さなければ、表層の文化、習わしは譬喩みたいなもの。

 勘違いされてるけど、タントラ・密教も本質・原理は空性で、儀礼とかは単にインドの文化・習わしを用いたというだけ。

>>390
西洋の場合も、もっと譲れないものあるっしょ。
アルケーがあるという実在論、同一律という前提とか。
ハイデガーが疑問視した程度で、全然乗り越えられてないように見えるけど、
誰か乗り越えた人いるのかな?
392考える名無しさん:2012/08/17(金) 10:12:01.78 0
>>391
390で、「成功したかどうかはともかく」と書いた通り、乗り越えようとしたかが問題。
仏教で言うなら、仏陀を乗り越えようとした人が、いるかいないかって話。いないでしょ。

実在論も同一律も、神の存在を必然性として成り立つものだった(数学は、例外として)。
その、神でさえ、上で示した通り否定されたのだから、一見自明とされるものであっても、
それが、懐疑の的とならないとはならない。よって、アルケーがあるという実在論、同一律も
仮に認められているだけで。当然のように、疑われる。
393考える名無しさん:2012/08/17(金) 10:32:55.66 0
>>392
いない。乗り越えようと考えるなら、仏教ではなくなるから。
もともと、釈尊と龍樹菩薩を乗り越えるのは無理だと思うよ。
だって、何も主張してないから、言ってるのはあらゆる妄想・思想・哲学が鎮まった境地に導く道。
その道も仮のもので、文化・習慣に応じて述べただけのものだから。


別に神の存在を前提としなくてもいまだに、実在論と同一律のように見えるけど、
例えばクワインに代表される英米系は、まるでそう。

ハイデガーの影響を受けているドイツ・フランス系では、多少あるように思えるけど、誰か乗り越えた人いるの?
394考える名無しさん:2012/08/17(金) 10:44:06.02 0
「仏教」vs「西洋哲学」みたいな話になってるね。(くだらない…)
それらは、「仏教」とか、「西洋哲学」とか、十把一絡げにできるほど、幅の狭いものではないし、
仏教の中にも、西洋哲学の中にも、かぎりなく深い思索がある。
(あたりまえのことなんだが…)

>393
「実在論を乗り越える」とは、どういうこと?
そもそも「実在論」がここでどういう思想を指しているのかわからないし、
自ら「実在論」を自称した哲学者はそれほど多くないのではないか。
395考える名無しさん:2012/08/17(金) 10:52:33.63 0
>>393
アリストテレスの形式論理学を乗り越えるのにも、2000年近くの時が必要だったのだから、
近代のハイデガーが提示した難問をそうやすやすと乗り越えれるわけがないでしょう。
ただ、彼らは、思考停止せず、乗り越えようとしている。その努力が、上で言うなら記号
論理学と言う形で現れたのです。これが、哲学です。

乗り越えない・乗り越えようとしないってどういうことかと言うと、例えるなら
2500年前から、アリストテレスやってま〜す(一歩も進歩してない)!って事。
アリストテレスは、哲学史上誰もが認める巨大な哲人なんだけど、
2500年前から、アリストテレスが、すべての頂点だとすると、
蛆虫は、自然発生するとか、脳は血液を冷やす機関とか、今見れば、明らかに間違った
事を色々言ってるわけ。それが、今大きな誤りだと分かっているのも、アリストテレスを
乗り越えようとした、哲学者・科学者たちのおかげなの。

だから、2500年前から、釈尊を頂点としたままでいる。仏教は、ほんとにあってるか
間違ってるかの検証が不十分。喩え乗り越えれなくても、乗り越えようと挑戦することこそが、哲学
なのだから、2500年前から釈迦を乗り越えようとする人がいない思考停止の仏教は、哲学には向かない。
と言える。
396考える名無しさん:2012/08/17(金) 11:01:06.16 0
ああ、「アルケーがあるという実在論」か…

万物の根源は「水」である・・・とか考えている哲学者は、今ではあまりいないだろう。
たとえ「万物の根源」は「ある」と考えている哲学者であっても、
それに関しては不可知論的立場に立つ人が多いのではないか。

>395
「乗り越えない」=「思考停止」、ではないよ。
397考える名無しさん:2012/08/17(金) 11:06:57.24 0
そもそも、「乗り越える」とか「乗り越えない」とかを問題にする必要はないだろう。

ヘーゲルは、カントを「乗り越えた」の?
シェリングはヘーゲルを「乗り越えた」の?

哲学者たちはみな、過去の哲学を乗り越えようとした、ということも、怪しい。
それぞれの哲学者は、ただ、自己の思索を深めようとしただけなのではないかな…
398考える名無しさん:2012/08/17(金) 11:07:45.70 0
>>395
仏教はアリストテレスも現代論理学も超えてるよ。

仏教の妥当性は、再現性が証明になると思う。

狭い西洋的思想枠で分析しても分からないと思う。


>>396
アルケーといってもギリシャ的な意味だけでなく、
何か第一原因を想定する考え方全てを指してますよ。
この意味でクワインなど英米系は免れてないと思う。

不可知論は第一原因を想定してるよね。
399考える名無しさん:2012/08/17(金) 11:13:02.06 0
>>398
分かってないな。2500年の歴史で一回も自己批判が行われていないって事が問題だと言ってるの。

>>397
「乗り越える」とか「乗り越えない」じゃなくて、問題にしてるのは乗り越えたようとしたかしてないかね。
まあ、どっちでもいいが
400考える名無しさん:2012/08/17(金) 11:16:26.72 0
>仏教はアリストテレスも現代論理学も超えてるよ。

だから、そういう言い方は、ナンセンスだと思うよ。
アリストテレスの思想を、アリストテレスと《同じ深さで》理解していなければ、
そういうことは言えない。

>不可知論は第一原因を想定してるよね。

なぜ?
401考える名無しさん:2012/08/17(金) 11:26:56.99 0
>>399-400
話してもしょうがないと思うは
402考える名無しさん:2012/08/17(金) 11:28:02.38 0
>>401
もしかして、あなた論理学=哲学とか思ってる? 違うよ。
とは言っても、仏教から論理抜いたら、まじほとんど残んないからしょうがないか。

一応聞いとくけど、龍樹から論理抜くと何が残ると思う?
403考える名無しさん:2012/08/17(金) 11:38:50.91 0
>一応聞いとくけど、龍樹から論理抜くと何が残ると思う?

ほんとうにくだらないな、君はw
もう話してもしょうがないらしいので、一応僕が答えると、
縁起と空が残るよ。

龍樹を批判するなら、まず縁起と空について
龍樹と《同じ深さで》説明してみてくれw
404考える名無しさん:2012/08/17(金) 17:33:13.50 0
>>403
仏教の証明って幾ら深く考えたって、不完全帰謬法や不完全帰納法でしょ
これのよって、得られる縁起や空または、無我を、単なる仮説以上のものだと
思い込んでいるとしたら、それは随分思い上がった態度です。
405考える名無しさん:2012/08/17(金) 22:14:39.28 0
今までに無いまったく新しいゲームを企画するとき、仏教は役立ちますか?
哲学は重用していますが、
仏教や神秘系は内容が無く、アイデアを生むのは難しいように思います
406考える名無しさん:2012/08/17(金) 22:42:52.40 0
>>405
役に立つと思います。

恐らく仏教について詰まらない通説しか知らないから、そう思うのではないかと思います。
407考える名無しさん:2012/08/18(土) 02:38:24.69 0
純粋な龍樹教と言える仏教って
日本には、ないよね
なじまないのかしら
408考える名無しさん:2012/08/18(土) 12:35:03.94 0
縁起や空・無常などは見えている・創られた物事を観ての理であり、それを用いてアイデアを創ることは不可能に近いのでは?

幾何学や哲学は例えば革新的なレースゲームを考える場合に、既存レースの幾何学的抽象化(それは哲学的意味を含む)と幾何学的モデル変更はそのまま役に立ちますが

そもそも宗教は創造的活動をするために、あるいはする過程で出来たものではないから、考えること自体無意味なのでしょうか
409考える名無しさん:2012/08/18(土) 15:09:25.47 0
>>408
そりゃ、プログラム理論が西洋思想を基盤にしているから用いやすいってだけじゃないか?
410考える名無しさん:2012/08/18(土) 22:50:04.75 0
>仏教の証明って幾ら深く考えたって、不完全帰謬法や不完全帰納法でしょ
あとそれに加えて、再現性のなさが致命的。
お釈迦さんが生きていたときみたいに、ポコポコ解脱者(あるいは解脱したと称する者)が続出してたら、
特に誰も文句は言わないんじゃないかな?
でも後の論者は解脱がいかに困難で、何回もの転生を重ねなきゃできないかご高説を垂れる始末。
普通に考えれば、何か取りこぼしがあるか、教えに断絶があるかを考えるものだけどね。
……あと、そもそも教えが間違っているのかどうか、疑問に持つとかね。

そんなわけで、縁起・空性・仮設だから……
表層の文化、習わしは譬喩みたいなものだから……
と言い訳をしながら、既成宗教に寄生して教えの水増しをおこなうことになる。
譬喩、譬喩ねえ…だから表層の文化に合わせて経典にチャンダーラ差別とか入るのね。
インカ帝国に仏教が伝わっていたら、表層の文化に合わせて食人を容認しかねんな。
411考える名無しさん:2012/08/18(土) 22:55:25.11 0
>>410
>あとそれに加えて、再現性のなさが致命的。
>お釈迦さんが生きていたときみたいに、ポコポコ解脱者(あるいは解脱したと称する者)が続出してたら、
>特に誰も文句は言わないんじゃないかな?

そりゃ、日本を基準に考えるからでしょ。

現代でもチベット・ビルマ系だと解脱・成就者たくさんでてますよ。
412考える名無しさん:2012/08/21(火) 20:30:29.88 0
>そりゃ、日本を基準に考えるからでしょ。
日本は確かにひどい。空海とかありゃ何だ?
鬼畜だと思う人がいても不思議ではないくらいの奴だ。
だからといって他国に幻想を抱くのはねぇ。

>現代でもチベット・ビルマ系だと解脱・成就者たくさんでてますよ。
チベット系とビルマ系は両立するのかね?
どちらかが間違っているか、どちらとも間違っているかだろう。
軍事政権の庇護を受ける邪命ビルマ仏教とか、
最近まで普通にシュクデン崇拝をしていたチベット仏教に、
解脱者があらわれるって何?悪い冗談だ。
ブッダゴーサ系列もナーガールジュナ系列も双方腐っているよ。
そもそもヒンドゥー側だって解脱者を出していると主張し、
口汚い仏教側より明らかに性格が良さそうなのだが。

「聖ツォンカパ伝」とか「八十四人の密教行者」を読んでも、
「駄目だこいつら」としか、思えんしなあ……。
413考える名無しさん:2012/08/21(火) 20:49:29.27 0
>>412
いや〜、全く正反対の意見だなあ。

弘法大師は、日本最高の菩薩でしょう。これは揺るぎない。

チベット系とビルマ系は実際認め合ってるよ〜

シュクデン・悪魔崇拝者には成就者がいないって聞くよ。
成就者が多いのは彼らから弾圧された方々だよ。

ブッダゴーサもいいが、龍樹菩薩は最高だは。


414考える名無しさん:2012/08/21(火) 21:02:07.28 0
三蔵は?
415考える名無しさん:2012/08/21(火) 21:11:32.94 0
>>414
三蔵って、人物? なら、誰?
それともパーリ、蔵・漢・蒙? あるいは大蔵経一般か?
416考える名無しさん:2012/08/23(木) 22:19:58.39 0
>弘法大師は、日本最高の菩薩でしょう。これは揺るぎない。
冗談でしょう?
「日本最高の菩薩」は権力の犬となってパトロンのために調伏護摩を焚く。
「日本最高の菩薩」は経典のチャンダーラ差別の言を真に受けて差別発言をする。
「日本最高の菩薩」は無間地獄を持ち出して反対者を誹謗する。
「日本最高の菩薩」はパトロンの敵(蝦夷)を人面獣心と罵る。
「日本最高の菩薩」は「即身成仏義」を執筆するが自分は成仏していない。
これらはナンセンスです。
417考える名無しさん:2012/08/23(木) 22:30:53.31 0
>シュクデン・悪魔崇拝者には成就者がいないって聞くよ。
なるほど、だからゲルク派には成就者が見当たらないのですね?
何せシュクデンが異端視され、排斥されてから数十年しか経ってませんしね。

>成就者が多いのは彼らから弾圧された方々だよ。
はて?どこの方ですか?
よもや、ボン教から教義を盗み、仏教式に捻じ曲げるのを担当している、
ニンマ派の人を指しているわけではありませんよね?
418考える名無しさん:2012/08/23(木) 23:59:32.88 0
>>416-417
つまんない
419考える名無しさん:2012/08/24(金) 21:07:02.21 0
>>>416-417
>つまんない
でも、416-417は何か間違ったことを書いてあるわけではないよね?
420考える名無しさん:2012/08/24(金) 22:28:54.93 0
>>419
まあ、曲会だな、つきあってられん
421考える名無しさん:2012/08/26(日) 12:25:50.65 0
>>>419
>まあ、曲会だな、つきあってられん
曲会(曲解?)ってどこらへんが?
空海の人生が416のとおりだってのは、別にアンチのプロパガンダではなく、
空海サイドの資料から読み取れることなんだけれども。

事実を書くと、具体的な指摘をせずに、捨て台詞をはく傾向があるね。
「プロパガンダ」や「神学」、「信仰」を書きたいのであれば、
「哲学板」より妥当なところが色々あるから、そこで同志と傷を舐めあったり、
内ゲバをしていれば良いのではないかな。
422考える名無しさん:2012/08/26(日) 13:11:36.21 0
ん〜、420さんは、ひょっとしたら、
「仏教によって蛮族の無残さが宥和された」とか考える類の人なのかな?
だから蛮族(と手前勝手に判断した人たち)を調伏しても良い(むしろするべきだ)
と考えているのかもしれない。だとしたら、かなり危険な思想の持ち主だと思う。
423考える名無しさん:2012/09/03(月) 20:20:47.44 0
>「日本最高の菩薩」は権力の犬となってパトロンのために調伏護摩を焚く。


君のアタマが悪いのはしかたがないとしても、理解が浅すぎる。
実際は全く逆だよ、
弘法大師は「権力者たちをいいように使った」と言っても
言いぐらい手玉に取ってる。

それは弘法大師の験力が圧倒的に優れていたから
最高権力者をはじめ有力者たちがこぞって帰依をしていたわけだ。
釈迦と同じで、相手次第で言葉を変えているから誤解もされるかもしれないが
せめて空海の本質を掴む努力をしてくれ。

存在がでかすぎてお前程度に理解できる人間じゃないと思うけどな。
424考える名無しさん:2012/09/03(月) 20:24:11.82 0
空海が長安で教えを受けたインド僧の一人がカシミール出身だったことは
とてつもなく大きな意味を持ってる。

君たちには分からないだろうが・・・。
425考える名無しさん:2012/09/03(月) 20:27:28.91 O
あなたには説明できないだろうが・・・。
426考える名無しさん:2012/09/03(月) 20:31:01.80 0

哀れな・・・
427考える名無しさん:2012/09/03(月) 20:33:25.24 0

知れば知るほど空海は本物中の本物だということが分かる人には分かる。
428考える名無しさん:2012/09/03(月) 21:18:02.89 0
>>424
「空海が長安で教えを受けたインド僧の一人がカシミ−ル出身だったことは、
とてつもなく大きな意味をもっている。」

この大きな意味とは、「密教」と「両界曼陀羅」との連関でしょうか。或いは、
「原始仏教」と「空」の連関でしょうか。
429考える名無しさん:2012/09/03(月) 22:05:34.91 0
>>424
どうせ、仏教史の些細なことだと思うぜ。

カシミール、中央インド、南インド、ベンガルの違いとか

弘法大師の仏教と『入中論自註』の仏教はそっくりだけどね

430考える名無しさん:2012/09/03(月) 22:19:52.01 0
>それは弘法大師の験力が圧倒的に優れていたから
>最高権力者をはじめ有力者たちがこぞって帰依をしていたわけだ。
「験力が圧倒的に優れていた」と朝廷の連中に思われていたのはわかるよ。
密教が金食い虫でパトロンが必要なのもね。
だからってそいつらにあわせて、パトロンの敵を羅刹だなんだと言うのは品がない。

>釈迦と同じで、相手次第で言葉を変えているから誤解もされるかもしれないが
「相手次第で言葉を変えている」確かにね。お追従もほどほどにしろよと思うもの。
まあ何にせよ、チャンダーラ差別をする釈迦とか、
天皇に取り入り国家鎮護の祈祷をする釈迦とか、俺は想像できないね。
431考える名無しさん:2012/09/04(火) 00:26:13.60 0
龍樹の伝言
432考える名無しさん:2012/09/04(火) 00:59:09.09 0
犍稚を打ち鳴らせ
433考える名無しさん:2012/09/04(火) 01:55:07.94 0

>天皇に取り入り国家鎮護の祈祷をする釈迦とか、俺は想像できないね。

当時の日本や中国と釈迦の時代のインドじゃ
国家の姿勢・許容力が違うってどこかで読んだことあるけどな。
インドなんて統一国家ですらなかったし、宗教家が国家権力を気にせず
自由気ままにやれる伝統があるんだろう。

時代は後になるが、インドまで来たアレクサンダー大王に呼び出された高名な
インドの哲学者が呼び出しに応じず、逆にそちらから来いとか
言って来させたりしてる国だから。
434考える名無しさん:2012/09/09(日) 13:34:05.71 0
>433
国家の姿勢・許容力に応じて教義を改竄するのは、おかしいと思うね。
実際、そういうふうにしていった結果、インドで仏教が一度駆逐されたのだろう。
世俗の権力の庇護を得て、不可触民差別をしているようでは、
仏教がヒンドゥー教と別個に存在している意味がないから。

あと、当時の日本でも国家権力に媚びを売らずに宗教活動をする奴はいたよ。
「日本奇僧伝」(ちくま学芸文庫)とか読むと面白いよ。
435考える名無しさん:2012/09/12(水) 13:57:10.08 0
はっきり言っちゃうと、現代に伝わり信仰されているキリスト教は、ヴァチカン教。わかりやすく言うと要するに、原キリストの教えとは違うってこと、これは大切だから覚えておいてね。権力者の都合で歪曲されてるってこと。
436考える名無しさん:2012/09/13(木) 07:52:34.18 0
>国家の姿勢・許容力に応じて教義を改竄するのは、おかしいと思うね。

それは理想であって、現実はそんな甘っちょろいことは言ってられない。
日本や中国の統一王朝の絶大なる国家権力に逆らったら滅ぼされるだけ。
何も残らない。敵に回すより取りいって庇護を受けたほうがずっとマシという
現実的な判断。

まあ、その結果、仏教は国家鎮護、国家守護のための宗教に変容してしまった。

それでも、弘法大師は京の都から遠く離れた紀伊和歌山の山中に
自分の理想を形にしたさ。

本音は権力志向では決してなかったのは分かるだろう。
437考える名無しさん:2012/09/13(木) 07:53:49.34 0
インドで仏教が駆逐されたのはアラブからきた
乱暴なイスラム勢力に滅ぼされたからだろう、
何を言ってるんだよ。
438考える名無しさん:2012/09/13(木) 07:59:18.41 0
>教義を改竄

べつに変えてないでしょう、コアの教義は。
平安以降に出てきた連中が変えまくっていった、
インドとは似ても似つかないものに変えていった。
439考える名無しさん:2012/09/13(木) 08:52:11.74 0
>>438
真言宗は入中論あたりにとても一致するよね

でも、日蓮と近代真宗教学を除いて、大抵の日本仏教は本質的には仏教だと思うよ、姿形は違っても。

逆に形式が似ててもスリランカ仏教とか、本質外して日蓮に接近したナショナリズムになっているように思う。

仏教の場合、形式より本質が重要だと思う。特に大乗の場合はなおさら
440考える名無しさん:2012/09/15(土) 01:00:25.64 0
>436
>それは理想であって、現実はそんな甘っちょろいことは言ってられない。
哲学や宗教が理想を語らないようでは三文の価値もないよ?

>日本や中国の統一王朝の絶大なる国家権力に逆らったら滅ぼされるだけ。
>何も残らない。敵に回すより取りいって庇護を受けたほうがずっとマシという
>現実的な判断。
ならばお釈迦さんが日本で悟りを開いたら、蝦夷を人面獣心と罵り、
加持祈祷を行ったということか。とてもそうは思えないけれども。
そもそも「国家権力に逆らったら滅ぼされるだけ」というのも怪しい。
実際「日本奇僧伝」に出てくる反骨の僧たちは、別に滅ぼされていないからね。
441考える名無しさん:2012/09/15(土) 01:09:11.21 0
>437
>インドで仏教が駆逐されたのはアラブからきた
>乱暴なイスラム勢力に滅ぼされたからだろう、
>何を言ってるんだよ。
ヒンドゥー教やジャイナ教はムスリムに滅ぼされたかい?
民衆の支持があったから守ってもらえたよね。
象牙の塔に籠って、商人への貸し付けの利子で飯を食っていた教団は、
民衆から守る価値ありとはみなされなかったってことでしょ。
後期タントラでは、とってつけたようにヒンドゥー側にすり寄っているけど、
そんなんに、みんな騙されると思ったんだろうか?

仏教教団には反カーストの役目があるにはあただろうけれども、
それだってチャンダーラ差別をする教団なんかより、
ムスリムにまかせたほうが良かっただろうしね。
まあ、滅ぶべくして滅んだんだよ。
442考える名無しさん:2012/09/16(日) 13:41:52.29 0
>>1
>般若心経って仏教じゃなくて竜樹教なのかね?

似て非なるものです。

仏は何も説かれなかった(中論25:24)のですから、
仏教も竜樹教も存在しないからです。
443考える名無しさん:2012/09/16(日) 14:12:45.29 0

般若心経も五蘊皆空としているのですから、
有無の相対の範疇では有りません。

議論は無明無意味です。 

除無明。

     すべては中道にて調う。
444考える名無しさん:2012/09/16(日) 14:51:05.15 0
>>442
>仏教も竜樹教も存在しないからです。

そういう意味じゃないけどね〜

>>443
>般若心経も五蘊皆空としているのですから、
>有無の相対の範疇では有りません。

いやいや、「般若心経」は「有無の相対の範疇」を鎮めるために「有無の相対の範疇」で説いているんですよ。

文字、言語は「有無の相対の範疇」以外のなにものでもないでしょ
445考える名無しさん:2012/09/16(日) 17:08:19.68 0
>>444
いかにも「論語読みの論語知らず」、「仏教読みの仏法智らず」には困った困った、こまどり姉妹ですねえw
446〇〇〇〇〇の無分別智による直接智覚:2012/09/16(日) 17:51:22.52 0

無分別智は、分別知ではなく、閃きでもなく、気づきでもなく、無思考でもなく、
奔放でもなく、カオスでもなく、自然体でもなく、現状肯定・諦念でなく、意識でも無意識でもなく、
偶然でも必然でもなく、合理でも不合理でも超合理でもなく、超越者の啓示でもなく、
努力によるものでもなく、執着によるものでもなく、苦しみによるものでもなく、思いやりによるものでもなく、
瞑想によるものでもなく、集中によるものでもなく、自力でも他力でもなく、知能・経験によるのでもなく、
男女の区別なく、守誓戒の結果でもなく、仏教によるものでもなく、
いかなる導師によるものでもなく、またいかなる超越的体験や神秘体験によるものでもない。

まさに住するところなくして、しかも其の心を生ずべし
応無所住而生其心<金剛般若経>

447〇〇〇〇〇の無分別智による直接智覚:2012/09/16(日) 17:53:55.26 0

かくて覚者は
『そこでは、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、

空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、

この世もなく、あの世もなく、月も太陽もない。

修行僧たちよ、(そこに)来るとも、行くともいえず、(そこに)いるとも、死ぬとも、(再)生するともいえない。

それは何かに依っているのでも、何かから生じたのでも、何かに支えられているのでもない。

         <それこそが苦しみの終わりである。> 』(ウダーナ8:1)

448考える名無しさん:2012/09/16(日) 19:31:17.75 0
入中論がどーの、有無の相対の範疇がこーのと言っているのは護教目的の煙幕。
目くらましをして自らのテリトリーの仏教的蛸壺に引きずり込むのが目的。
信仰者としてはそれで良いのかもしれないが、哲学的態度では無いね。
449考える名無しさん:2012/09/16(日) 19:35:35.19 0
仏教 議論スレッド 45(心と宗教板)で興味深いやりとりがあったので紹介。
結局突き詰めていくと最後には「信仰告白」をせざるを得ないんだよね。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1346067224/
949 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 12:09:25.70 ID:O2MXOu7v
仏教者として推論はできないのですか?
汎神論やモナド論、デカルト的な考え方なのでわりと一般的だと思うのですがね
950 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 12:14:05.44 ID:gooSnVaC
>>949
そういう実在論も虚無論も神秘主義もまとめて形式化されてキッチリ否定しているのが『梵網経』
『中論』『入中論』『中観荘厳論』『十住心論』チベットの諸宗義書もそう
951 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 12:18:09.18 ID:O2MXOu7v
で、どういう否定のされ方をされているの?
952 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 12:20:43.62 ID:gooSnVaC
>>951
そういう捉え方は解脱に至らない、楽をもたらさないと。
リンク先読んでね。
956 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 12:48:48.78 ID:gAWXKRb4
>>952
え?それって順序が逆じゃん。
正しいからそれを信じるんじゃなくて
信じたら得だから信じるの?
965 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 20:35:15.35 ID:gooSnVaC
>>956
それが正しいかどうか凡夫には分からないよ。
要するに信じるか信じないかしかない。
仏教ではそうなってる。再現性がある。オイラは信じる。
アナタが信じるか信じないかはアナタ次第だ。
ここでは仏教のテキストでどう説かれているか、その中で記述の妥当性を話しているのであって、
仏教自体の正誤なんてことはオイラに扱えるわけがない。
450考える名無しさん:2012/09/16(日) 20:42:19.44 0
>>445
いや〜、あれで分かった気になってちゃ、どうしようもないと思う

>>448
その哲学的態度ってのは何が基準になるだい?

>>449
そりゃそうでしょ。仏教の是非が分かるってのはブッダ、一切智者であるってことですぜ。

そんなのだれもいないし、何らかの判断基準で仏教を判定するのは単なる誤解に過ぎないことが仏典に明解に説かれててるし。

譬喩で言えば群盲象を撫でるですね。
451考える名無しさん:2012/09/16(日) 21:13:29.59 0
>そりゃそうでしょ。仏教の是非が分かるってのはブッダ、一切智者であるってことですぜ。
仏教「信者」相手ならそういう言い方は有効かもね。
「仏教は正しい」「外道では悟れない」という刷り込みをされている人相手なら。
仏教に義理立てする必要の無い人にとっては、他宗教同様、呪術と迷信、詭弁の塊に過ぎない。

>何らかの判断基準で仏教を判定するのは単なる誤解に過ぎないことが仏典に明解に説かれててるし。
そりゃ「仏典」だからそう書くでしょ。
自分たちの「信仰」に疑義を差し挟むのを良しとするわけはないよね。
信者以外の人間に説得力があるかは別問題だよ?
452考える名無しさん:2012/09/16(日) 21:45:04.47 0
>>451
いや、言いたいことは分かるが、

じゃ、その判断基準はどうするのよ? あらゆる知覚も経験も学説も体系外からみれば信仰でしかないっしょ。例え再現性があったとしても、その知覚・経験を信じるしかない。
多くの他人が一致して認めたとしてもだよ。

上の体系内での整合性以外、体系自体の妥当性は判断不能ってのは、ゲーデルの不完全性定理と同等と思われる『エジョウ論』の説ね。

オイラはそれが至極もっともだと思う。

『大智度論』とアーガマ・ニカーヤにも既に説かれてよ。
453考える名無しさん:2012/09/16(日) 22:20:14.96 0
>>452
>その判断基準はどうするのよ?

あふぉですね?

『度一切苦厄』が唯一絶対の基準。

これに役立たないインポ知見は豚に食わせろ!
454考える名無しさん:2012/09/16(日) 22:26:54.92 0
>>453
ほんとしょうもないな。文読め〜

哲学的判断基準だぞ、仏教内部の基準ではない

この手合いは言うだけ無駄だと思うけどね〜
455考える名無しさん:2012/09/16(日) 22:41:03.61 0
>あらゆる知覚も経験も学説も体系外からみれば信仰でしかないっしょ。

>体系内での整合性以外、体系自体の妥当性は判断不能

なにかもっともらしく響くけれども、このスレの仏教擁護者はそう考えないようですよ。
>ウィトゲンシュタインは、はなはだ未完成。
とか
>仏教はアリストテレスも現代論理学も超えてるよ。
とか
>外道は至れないというのが仏教の立場です。
とか、他体系について判断くだしまくり。
「うちの体系は他体系を断罪するのが特徴なんですよ」と開き直るとしたら、
かなり悪質な二枚舌だと思われても仕方なかろう。
456考える名無しさん:2012/09/16(日) 23:17:51.74 0
>>455
そりゃ事実だからしかたない。

なぜなら『梵網経』でキッチリ説かれてるから。
457考える名無しさん:2012/09/17(月) 00:01:24.72 0
ご都合主義のダブルスタンダード丸出し。

[哲学的判断基準」と「仏教内部に基準」とやらを都合に合わせて使い分けるw

歴史的人物としての釈迦が説いたわけでもなく、どこの坊主が書いたか判らない『梵網経』で『キッチリ説かれてるから』と、
鰯の頭と同じく無批判に信仰する。

梵天勧請でもピンギヤ(Sn.1140)にも「信仰を捨てよ」と釈迦は説いたにも拘らずだ。
個別問題に密着し具体的な苦しみの解決を図った釈迦の待機説法の精神からすれば、
抽象的教義仏教=信仰などナンセンスそのものだろう。

最初期の仏教は信仰なるものを説かなかったし(中村元 ブッダのことば p431)
臨終に至るまで「仏教」なるものは説かなかった。



458考える名無しさん:2012/09/17(月) 00:20:36.40 0




          スナインコッコスマナラコッサーラ長老の陰謀が匂うな。
459考える名無しさん:2012/09/17(月) 00:58:07.23 0
>そりゃ事実だからしかたない。
>
>なぜなら『梵網経』でキッチリ説かれてるから。
仏教が間違っているのは事実。
なぜならシャンカラやクマーリラに論破されているから。
天啓聖典たるヴェーダの権威に背くから。
……と言われてあなた納得します?しませんよね?
それと同じように、この発言で非仏教徒を納得させるのは無理です。

あなたが「仏教は特別」と思い込みたいのは、よくわかります。
……いや、そう思うのは別に構わないんですよ。
ただ、それが正しいと信者以外に証明するのは無茶なことです。
460考える名無しさん:2012/09/17(月) 05:28:26.25 0
>>457
分かってないな。信に依らずに、無明の中にいる凡夫がどうやって道を歩めと
自灯明とか「信を捨てよ」の近代解釈が好きなんでしょw


>>459
パーリ『梵網経』読んだことある? まあ、読んでも分からないかもしれないが
論理可能性を言っているわけ。

>>459
>あなたが「仏教は特別」と思い込みたいのは、よくわかります。
>……いや、そう思うのは別に構わないんですよ。
>ただ、それが正しいと信者以外に証明するのは無茶なことです。

そういう意味じゃないって。まあ、説明しても無駄みたいだから止めとくけど
461考える名無しさん:2012/09/17(月) 08:25:25.13 0
>信に依らずに、無明の中にいる凡夫がどうやって道を歩めと
「無明の中にいる凡夫」
この時点で仏教教義の刷り込みを受けています。
あと、そもそも釈迦が信を必要としたかどうかも考えた方が良いですね。

>パーリ『梵網経』読んだことある?
六十二見がどーのこーのという、語りがくどく、繰り返しの多い書物のことですよね。
明らかに後世の編纂物の。正直、わけのわからん決めつけも多くて感心できませんでした。
何かあると仏教論者が印籠のごとく振り回すので、もう少しまともな書物かと思っていたのですが。
ところであなたは仏教徒が外道と蔑む論者の書を注意深く読んだことがありますか?
竜樹や無着の言うことを鵜呑みにして安心しているだけでは無いのですか?

>そういう意味じゃないって。まあ、説明しても無駄みたいだから止めとくけど
仏教信者、あるいは今の自分の宗教に幻滅し、仏教を信じたがっている人
(西洋のインテリとか)以外には有効な論法ではないですね。確かに無駄です。
実際、インドの地では折伏があまり効果がなく、傍流どまりでしたし。
462考える名無しさん:2012/09/21(金) 22:02:44.38 0
ヤミ金地獄物語 @9;28 A9:50 B8:05
http://www.youtube.com/watch?v=_gw-DVCxU2I&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=-YF1U9Guo3k&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=cuY6GhYt_1o&feature=relmfu

中国報道:インドが日本の90式戦車を買うかも 1:54
http://www.youtube.com/watch?v=pijG1XJzYnA&feature=related
90式戦車 自衛隊の実力と実情 最新情報(AM-6th-Jun-2010) 9;58
http://www.youtube.com/watch?v=uZ6KgiZSKLQ&feature=related

中国軍事力の真実[桜H24/2/25]  3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=YeMo1JaOm0U&feature=list_other&playnext=1&list=SP742E374F1A55EBAD

尖閣諸島・日中もし戦わば[桜H24/6/9] 3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Itu8VN7UrSo&feature=list_other&playnext=1&list=SPE6A5B81B8A7DB63E

!】日本が核武装したら世界はどうなる[桜H24/6/23] 3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=C8lGIqJV_k8&feature=list_other&playnext=1&list=SPF6E7CF849E89964C
463考える名無しさん:2012/09/22(土) 06:09:58.87 0
>>461
>実際、インドの地では折伏があまり効果がなく、傍流どまりでしたし。

これは何を根拠に言ってるのですか?

折伏が以下のような意味なら、インド仏教にないと思うけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E4%BC%8F

論争のようなものはあったとしても、挑まれて初めて受けるのが仏教本来のありようじゃないかな
464考える名無しさん:2012/09/22(土) 17:36:55.02 0
仏教というのは西洋哲学をひっくるめてソクラテス教と呼んでいるようなものだから。
465記憶喪失した男 忍法帖【Lv=19,xxxPT】(1+0:8) :2012/09/22(土) 20:30:32.03 0 BE:1026531735-2BP(3)
284 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=18,xxxPT】(1+0:3) :2012/09/21(金) 23:23:14.17 ID:NNhy5eel0 ?2BP(3)
駄目人間さん、キリスト教徒なんですか?

最近、仏教を勉強して、
仏教はまちがっているけど、
人のすることを二元論とすると、反対要素になるには仏教は非常に適しているとおれは見てますねえ。

285 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=18,xxxPT】(2+0:3) :2012/09/21(金) 23:25:19.94 ID:NNhy5eel0 ?2BP(3)
スレイヤーズの魔族は、世界が消滅するのを目指していますけど、
仏教も、世界の止滅を目指していますねえ。

いや、びっくりでした。

288 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=18,xxxPT】(1+0:3) :2012/09/21(金) 23:33:02.21 ID:NNhy5eel0 ?2BP(3)
いや、勉強したので熱く語りますが、

キリスト教は、産めや増やせや、ではないですか。
仏教は、生きるのはすべて苦だから、子を産むことを奨励していませんね。
仏教は、結婚するより出家しろといってます。

涅槃(ニルバーナ)というのは、あらゆる束縛から解き放たれた状態らしいですが、
なんのことだかさっぱりわかりません。
ちょっと想像の外ですね。
全知全能よりもすごそうな世界観です。

けっこう、仏教はおすすめですよ。
ナーガルジュナの空も、ものごとに本質はないという考えです。
わたしは、カント哲学の物自体が存在すると思ってますが、反対原理としては空も面白いです。
466考える名無しさん:2012/09/22(土) 21:09:49.88 0
>論争のようなものはあったとしても、挑まれて初めて受けるのが仏教本来のありようじゃないかな
「論争のようなもの」があったのはお認めになるのですね。
「挑まれて初めて受ける」の箇所は疑問ですが、実際に仏教では論争があったのでしょう。
そして、その時点でお釈迦さんの教えには背きますね。
あと、論争で特にヒンドゥー側に勝利はしていないこともお忘れなく。
467考える名無しさん:2012/09/22(土) 21:27:21.11 0
>>466
>実際、インドの地では折伏があまり効果がなく、傍流どまりでしたし。

これは何を根拠に言ってるのですか?

468考える名無しさん:2012/09/22(土) 22:26:04.98 0
>>実際、インドの地では折伏があまり効果がなく、傍流どまりでしたし。
>
>これは何を根拠に言ってるのですか?
「折伏」ってのは463でとぼけて紹介しているwikiの意味じゃないよ。
揶揄だってのはわかっている?

あと仏教側の他学派側への難癖が効を奏しなく、
仏教哲学はインドの地では主流にならず、
異端的な傍流の位置にとどまったのは単なる事実。
469考える名無しさん:2012/09/22(土) 22:43:39.14 0
>>468
うわ〜、つらいな。じゃ、いいや。

数の多少なんて、なんも本質に関係ないっしょ。
日蓮宗、ゲルク、スリランカ仏教、有部をみれば十分。
470考える名無しさん:2012/09/23(日) 08:47:34.72 0
>じゃ、いいや。
ホントかな?

>数の多少なんて、なんも本質に関係ないっしょ。
では467の書き込みは意味は無かったと言うことで。
傍流だろうが本質には関係ないようだから。
本流がわからずや揃いだったと主張するがよいでしょう。

ただインドの地で他派の教化に失敗しているのに、
まるで外道を次々に論破したスーパーマンであるかのように、
自分のところの学匠を紹介する人が世の中にいるようなので、
牽制しておかなきゃと思ってね。
仏教側の宣伝だけ聞いていると、哲学的な諸問題は、
仏教が既に議論の余地なく解決していると勘違いしちゃいますから。

>日蓮宗、ゲルク、スリランカ仏教、有部をみれば十分。
ダライ・ラマ率いるゲルク派その他は、ある一定地域で信者数が多かったり、
西欧メディアへの露出が多かったりするけれども、必ずしも正しいとは言えないからね。
471考える名無しさん:2012/09/24(月) 12:01:52.34 0
誰か中論を小学校3年生にも分かるように簡単に言ってみて。
472考える名無しさん:2012/09/24(月) 12:15:20.20 0
>>471
簡単に言っちゃうと見解・思想として掴まれちゃうんで、ああ言ってるだろうけど。

要するにあらゆる思い考えを鎮める、断つために十四形式にまとめられる考え方を、いろんな形で鎮めていって。

最後の方で、この世の中は習わしによって様々に現れ、その中で原因と結果の関係、法則があるけど、その中身は空っぽですよと。
473考える名無しさん:2012/09/24(月) 13:23:40.08 0
>>472
ありがとございます。 なるほど〜。 むっちゃややこしく書いてるけど要は
一切のものはないということで思考を鎮めようとしてるんだ。
お釈迦様があらゆる概念の否定したのと同じこと?
474考える名無しさん:2012/09/24(月) 13:33:31.07 0
>>473
いえ、「ない」のでもなく、「ある」のでもなく、「あり且つない」のでもなく、
「あるのでもないのでもない」のでもないのです。

こういった四つの論理形式で「〜ってこと」と納得すること、掴むで頷くのではなく、そういう納得や頷きが鎮まった境地への導きを行なっているのです。

決して思想的に「あらゆる概念を否定した」思想なのではなく、そういう思想として納得するようなあらゆる思い、微細な考えが鎮まった境地への導きです。

実際にはこの導きは禅定や三昧という精神集中状態が前提となっているので、単なる観念的な思想実験とか、観念操作ではありません。
475考える名無しさん:2012/09/24(月) 13:58:56.75 0
>>474
わかった〜 ではないんですね。 
分からないのでもない、
わかった且つ分からないのでもなく、
分かるのでも分からないのでもないのでもないんですね。

実際には修行をしてってことですか。
一言で分からないで済ませれないんだw

昔の人がよくここまで書いてたね〜 すごいね〜。

どうも丁寧にありがとうございました。

476考える名無しさん:2012/09/24(月) 14:11:05.78 0
1)¬A
2)¬¬A
3)¬B
4)¬¬B

矛盾するってことですか?どんなことでも。
477考える名無しさん:2012/09/24(月) 14:53:05.81 0
>>476
違います。そこで同一律に基づく観念的な西洋論理、特に排中律を持ち出すと、
中論は詭弁論だということになりますが、それは西洋論理の枠内で考えるからです。

アリストテレスは x、非x、x且つ非x、非{x、非x}の四つの論理形式の内、後二形式を詭弁、ドグサとして切り捨て排中律を設定しました。

大抵の現代人はこの形式に沿ってものごとを理解しようとし、それから逸脱したものを非論理、あるいは非古典論理、矛盾許容論理などとして理解しようとします。

ですが、そういうものではありません。

〜だという思考、理解形式、そういう把握こそが問題で、それを鎮めることが道であり、それを行なっているわけです。
478考える名無しさん:2012/09/24(月) 15:19:45.55 0
>>471
宇宙には究極の構成要素というものは存在しない。
つまり、素粒子とかは存在しない。
しかし究極の構成要素が存在しないために
そういう主張も言語的には破綻するので
最終的は言語で何かを主張することはできない。
徹底した反-科学、不可知論である。
479金剛般若経30:2012/09/24(月) 15:39:10.45 0
>>478
>つまり、素粒子とかは存在しない。
既に金剛般若経30に明快に示されている。

須菩提。若善男子善女人。
以三千大千世界碎爲微塵。
於意云何。是微塵衆寧爲多不。
甚多世尊。何以故。
若是微塵衆實有者。佛則不説是微塵衆。
所以者何。
佛説微塵衆則非微塵衆。是名微塵衆。

素粒子の集合体は、素粒子の集合体ではない。
ゆえに素粒子の集合体というのだ。

<存在 ⇔ 不存在>という様相ではない。

同趣旨

龍樹 宝行王正論 2-1〜
480考える名無しさん:2012/09/24(月) 17:02:01.75 0
結局なに一つ分からないてこと?
どんなことでも分からないに行き着く?
481金剛般若経30:2012/09/24(月) 17:56:54.73 0
>>480
>結局なに一つ分からないてこと?

分かるということではなく、分からないということでもない。
<知⇔不知><存在⇔不存在><無我⇔有我><無常⇔恒常><可得⇔不可得>の二項相対ではない。
「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」(金剛般若経:18-2)
そして遂に、「仏法不可得」
ゆえに「応無所住而生其心」。

この「感覚」を掴んでください。
コトを難しくしているのは論理的に考えるからです。
至道無難、何も難しいことはありません。
<平常心是道>(南泉) 趙州和尚はこの語で一挙に全体を掴まれました。
482考える名無しさん:2012/09/24(月) 19:36:43.16 0
>>480
というか、〜と分節・分別して分かってはダメなんです。
483考える名無しさん:2012/09/24(月) 19:56:25.42 0
ものの区別は妄念によるもの。
ものの区別の根拠はものの中に含まれていない。
ものに本質はない。
妄念を払拭しさえすればものとものの区別は無くなる。
自他一如。

「山は山でしょ」
これが普通の意識状態。
山が山であることを疑わない。

ちょっと悟るとそうは言えなくなる。
上に書いたように区別が無くなるから。
山も私も世界も一体となってしまっているから。
「山」と口にした瞬間に妄念・区別が生じてしまうから。

もっと悟ると自由になる。
妄念に全くとらわれなくなる。
妄念と区別の鎖が断ち切られ、
妄念抜きで自由に区別できるようになる。
山をどうとでも見ることができるようになっている。
つまり山を山として見ることもできるようになっている。
だから結局「山は山」と口にできるようになる。
それでいて山=山に固執しない。
融通無碍。
484考える名無しさん:2012/09/24(月) 20:12:29.39 0
>>483
実在論から戯論寂滅(色即是空)して、
さらに現れ知覚が空そのものになる(空不異色、円融不二)
485考える名無しさん:2012/09/24(月) 20:17:17.95 O
親鸞聖人によると「山」も「人」も如来や仏になるのです
ただ自分だけが未熟な存在として浮かび上がるわけです
自分とそれ以外。そのそれ(自分)以外が他力であり
自分を教えに導くわけです。というわけで悪人正機、「悪人こそ救われる」は
存在の悪を悪人が認識し他力が本願に導かれやすいのです
そういった意味で善人は自分より悪がたくさんあるので
より存在に対して鈍感であるといえます。自分より悪意がある人を
みてそれが如来(他力)とは見にくいわけです。どんなものであっても
自分以外のものは他力であって自分を導く力があるわけです
486考える名無しさん:2012/09/24(月) 21:33:48.23 0
「一切衆生悉有仏性」というのは、「全ての生きとし生けるものが仏陀になれる」という意味です。
「仏陀」というのは、今の我々の心の延長線上にある存在であると言っております。
全ての対象が、ありのままにわかる智慧を持った瞬間に、「仏陀」と言います。
我々は、本来清らかな「心」を持っています。
仏になることができるのは、あくまでも「心」を持った存在でなければいけないということです。
そして一般的に、草とか木は「心」を持っていません。
心と肉体を合体した、他の対象を認識することができる存在ではないので、草とか木は「仏陀」になったりはしない。
これが、基本的な考え方であると思います。
しかし、日本で、山、川、草や木も仏になるという説があることは、何らかの意味がある伝統であると思います。
私は、それについては詳しくはわかりません。
あくまで、一般的にはそう言われているということです。
487考える名無しさん:2012/09/24(月) 22:15:27.66 O
本質論だと思いますよ。本質というと哲学の世界では
嫌いますけどなになに哲学だって確かなものを扱ってないのですから
「一即多、多即一」「空」もすべては本質があって成り立っている
ニルバーナも本質のみが肉体に宿った状態です
ジョージハリスンもそのことについて歌ってます
そして本質はどのような容になっていてもひとつです
それが仏性でありひとつの無垢な状態である存在が
仏というわけです。日本仏教のみならず釈迦もそのように
いっていたと信じてます合掌
488考える名無しさん:2012/09/24(月) 22:41:34.87 0
仏教というのは、我々一人一人が「仏」になることを目指すわけです。
「仏」というのはどのような存在かというと、最初から神様のように、我々とは全く別の人であったり存在であったりというわけではありません。
最初は、今の我々と同じです。
しかし、ある時から、我々のように自分のことばかり考えるのではなくて、「利他」のためだけに活動するようになります。
そして、利他を行う、他の生きとし生けるものの役に立つためには、他の人が考えていること全て理解しなければ、他の人を救うことができないわけです。
全ての対象を理解しようとして「一切智」を実現します。
一切を知ることができれば、全ての生きとし生けるものが求めているものが、わかるようになります。
それが、他者を救うことになるわけですね。
そうなった時に「仏陀になる」といいます。
成仏するというのはそういうことです。
489考える名無しさん:2012/09/24(月) 23:25:40.28 0
>>483->>488

はいはい、似非仏教妄想ご苦労さん!

お竹や! 救急車呼んだか?

      もうすぐ、救急車のお迎えが来ますよって、

      さっさとお引取りくださいませ!
490考える名無しさん:2012/09/25(火) 00:03:05.53 0
我々の肉体というものは、お父さん、お母さんの精子と卵子からできてくるわけです。
例えば、そのお父さん、お母さんが非常に賢くても、子どもがそうではない、ということがあります。
我々の肉体と心が同一であれば、例えば足や手がなくなると、その分だけ心が減るということになるわけですが、そうはならない。
そう考えると、やはり、物質的なものと心は違うものではないかと。
そして物質とは違うのであれば、今現在ある心と同類のものでないと、過去のものにはならない。
例えば、昨日の別の人が、今日の私にならないというように、今日の心は昨日の心の延長線上にあると。
そういうふうにずっと突き詰めて考えると、仏教では、全くの無から物質ができたり、全くの無から心ができるとはいいませんので、過去とは無限にあるというふうにしか結論を出せないと。
そして、我々の今生きている意識であったり、心それを魂というかそれはわかりませんけれど、それは、前世からやってきて、その記憶がないだけで、現在の我々の意識と同じようなものが、過去にもあるはずであろうと、仏典では説明しております。
私もそれについて深く考察し、そうではないかなと今まで考えてきました。
491考える名無しさん:2012/09/25(火) 01:26:50.95 0
>>471
>誰か中論を小学校3年生にも分かるように簡単に言ってみて。

龍樹の論法は、帰謬論法といって、反対者の主張を取り上げてその論理的矛盾を衝く論法。
そしてその反対者の主張というのは、当時のアビダルマ仏教とか、ニヤーヤ学派などの主張。

我々にとって龍樹の論法が分かりにくいのは、
我々にとっては、そもそも、その「反対者の主張」がピンとこないからでしょう。
アビダルマ仏教の考え方を見ても、「なるほどね」とはなかなか思えない。

だからその意味では、龍樹の著作にも、大きな時代的制約があるということですね。
492考える名無しさん:2012/09/25(火) 06:20:45.55 0
>分かる

上記は所詮世俗的論理思考の範疇でしかない。

『分かる』『分かりにくいのは』などといっている以上、
最初のボタンから掛け間違っており、
100%掴めないことを保障する。

分かった風な言説で、人を迷わすのは、仏教的には悪魔だ。
493考える名無しさん:2012/09/25(火) 06:22:48.36 0

仏法は哲学的側面が有るとしても、

哲学ではない。

この感覚が掴めないと、もうどーしようもない。
494考える名無しさん:2012/09/25(火) 07:02:14.03 0
>『分かる』『分かりにくいのは』などといっている以上、
>最初のボタンから掛け間違っており、

そういう反論は論外ですね。話をすり替えてようとしているので。
初めから「分かる」ことがなければ、言葉によって書く意味がなくなってしまいます。
495考える名無しさん:2012/09/25(火) 07:13:44.46 0
>>491
分かっておられるようですので、お尋ねします。

『去るものは、去らず』
上記を龍樹の中論以外の論法で、
 >小学校3年生にも分かるように簡単に言ってみて。
496考える名無しさん:2012/09/25(火) 07:14:10.81 0
>>491
違う。こういうのが文献学者が中観から掴んだ見解・思想でただの誤解。

>>492
悪くないが、そこへ行く道を示せないと単なるスローガンか神秘主義になる。
そこへの導きを言葉できっちり示したのが中観に他ならない。

>>494
これが微妙甚深なとこ。「分かる」つまり、なんらかの論理形式で掴むことこそ執著で、それから離れる戯論寂滅へ至ることが中観の道です。
その道筋は言葉で分かるように書いてありますが、最終的には「分かる」がない境地への導きとなっています。

ここが「分から」ず文献学者の多くはテキストから「分かる」思想を掴みとろうとしたり、詭弁だと断定してみたり色々論理形式のなかで藻掻きますが、
それでは中観になりません。

といって無分別とかスローガンのように唱えるの不可知論、神秘主義でもありません。中観は戯論寂滅への論理的な導きに他ならないからです。

ただしそこへ至るには禅定・三昧による精神集中ができるという前提があります。
497考える名無しさん:2012/09/25(火) 07:17:18.55 0
>>495
小学校3年生に分かるように言うのは難しいが、
簡潔に言えば、龍樹は、主体と作用とを分離してそれぞれを実体的にとらえる見方を批判しているんですね。
498考える名無しさん:2012/09/25(火) 07:22:49.53 0
>>497
ぜんぜん説明にもなってませんが・・・
『去るものは去らず』
簡単ですよね?
499考える名無しさん:2012/09/25(火) 07:26:01.85 0
>>496
>そこへ行く道を示せないと

いまはそーゆーこととちゃいまっせ。
500考える名無しさん:2012/09/25(火) 09:00:45.36 0
>>499
いや〜、アナタの説明がどれか分からないが、
少なくとも分かるように説明したつもりだけど
501考える名無しさん:2012/09/25(火) 09:49:23.02 0
>>500
>少なくとも分かるように説明したつもりだけど

わたしには「分からない」から>>495>>494にお聞きしているのです。
龍樹の中論第二章のヘタクソなレトリック以外の簡易(簡潔かつ明瞭)な
「説明」を自称『分かって』おられる方>>494ならできるはずです。

いまはそーゆーことです。
502考える名無しさん:2012/09/25(火) 09:53:51.66 0
>>501
レトリックじゃないよ、>>472-477読んだ?


503考える名無しさん:2012/09/25(火) 09:59:47.63 0
そんな失礼な聞き方があるかよwww
504考える名無しさん:2012/09/25(火) 10:12:53.51 0
>>503
オイオイ、説明してもらってるのになんなんだ
前に書いたものも読まずに、説明繰り返させる方が失礼だと思うし
そんな人に説明する気ないなあ
505考える名無しさん:2012/09/25(火) 10:17:34.62 0
ごめん>>501の方ね
506考える名無しさん:2012/09/25(火) 10:46:33.23 0
>>505
え〜、そうだったの。

それは失礼しました。

あれはいいですよ。
507考える名無しさん:2012/09/25(火) 10:51:26.78 0
>>498
元々一つだから去るもの去らずなんだよ。 んでね、一つもないよ>小3
508考える名無しさん:2012/09/25(火) 10:54:06.32 0
>>504

なんでそこまで誤解する?
あなたの>>472->>477>>496>>492宛て文言、などは問題にしていません。
あなたはお相手にしていません。
→いまはそーゆーこととちゃいまっせ。(>>499)

お相手にしてお尋ねしているのはあくまで>>491>>494>>497氏です。

509考える名無しさん:2012/09/25(火) 11:01:57.56 0
>>507
>元々一つだから去るもの去らずなんだよ。 んでね、一つもないよ>小3

あなたはお相手にしていません。
小さな親切、大きなお世話、です。
しかも提示文言>>507が矛盾であることさえ示そうともしない。
ホント、大きなお世話、妨害です。
510考える名無しさん:2012/09/25(火) 11:10:38.30 0
君見ずや 絶学無為の閑道人。妄を除かず 真を求めず。
511考える名無しさん:2012/09/25(火) 11:17:02.85 0
>>508
そりゃ、アンカもコテもないからやがな

失礼した
512考える名無しさん:2012/09/25(火) 11:25:47.82 0
中論読み中論しらず、戯論寂滅、戯論す。
513考える名無しさん:2012/09/25(火) 11:30:44.35 0
>>512
まあ、そういうのはほとんど誰でもできるな
514498 小学校3年生:2012/09/25(火) 15:45:49.06 0
おやおや、覗いてみたら未だ>>497さんの>>498へのコメントはないですね。
お忙しくて、小3なんか相手にしていただけないのかな?
515498 小学校3年生:2012/09/25(火) 16:21:58.10 0
ちょっと、混ぜ返すと、
普通、龍樹みたいに「ゆく竜馬がゆく」なんてコジツケは言いませんよね。
やっぱり「竜馬がゆく」ですよね。ゆく動作は一つです。
ここでは「三時門破」は成立しないように思えます。
なぜなら、日常で「竜馬」は時間的持続でしか存在できないからです。

そして、「竜馬」も「ゆく」も事象に対する言語名称や概念解釈でしかありません。
縁起事象に対するSVOCは知覚・記憶・判断でしかないのです。
実体の存在の保障はまったくありません。
516考える名無しさん:2012/09/25(火) 16:54:03.20 0
なるほど。 普通の人はそれで実体があると勘違いしとるわけだ。それで実体があるということにはならんのですね。
517考える名無しさん:2012/09/25(火) 16:56:58.21 0
>>515
まった〜

中論は、言い習わしはあるがまま、言い習わしによって妄想分別を掴み取ることを言い習わしを用いて破壊して、戯論寂滅に導くんだがな

だから、そういう批判はお門違い
518考える名無しさん:2012/09/25(火) 17:21:54.95 0
昼休みはパラドキシカル
(ゼノンと竜樹)
http://www.yamcha.jp/novel/novel.html?p=t2&i=46
519498 小学校3年生:2012/09/25(火) 17:42:54.57 0
>>517
>戯論寂滅に導くんだがな

中論第二章は失敗作ですね。
破壊に失敗しています。
あんなインチキ詭弁レトリックでは、返って言語論理に対する執着を生み、
ほとんどの人が了解不能で学生たちの劣等感と無能感で「苦」を増やしています。
反仏法です。

「竜馬がゆく」これを『言い習わしを用いて破壊して、戯論寂滅に導』いてみてくださいよ。
520考える名無しさん:2012/09/25(火) 18:25:33.71 0
東京名古屋間の新幹線に乗っている1時間20分ほどが東京から名古屋に行きつつある時間。
行きつつあるという語の指すことは明瞭。
したがってゼノン・竜樹のパラドックスは微分積分学で解決済み。
ただし現実の時間は離散的だが、ゼノン・竜樹はそういうことをいっているわけではない。
521498 小学校3年生:2012/09/25(火) 19:05:53.45 0
>>520
えー、あの世でゼノンさんと吉蔵さんにインタビューしてきました。

・ゼノンさん新理論で曰く、新幹線が動いているってどうして証明するんだ?
             刹那滅という不連続の連続でしかないから、動いていると錯覚してるんや。
             したがって、新幹線は本当は止まっているのや。

・吉蔵さん曰く 行きつつある新幹線が『行く』ことはありえない。行きつつあるのに、
        さらに屋上に架を重ねて行くことは、論理的にありえない。

 とのことでした。
 
 天国よいとこ一度はおいで、酒は旨いし、ねーちゃんはキレイやw


522498 小学校3年生:2012/09/25(火) 19:20:12.98 0
× 屋上に架を重ねて行く 

〇 屋上に屋を架して『行く』

失礼
523考える名無しさん:2012/09/25(火) 19:55:58.59 0
>>519
いや〜、そう掴んでる人はなかなか導けないよ〜


524498 小学校3年生:2012/09/25(火) 23:19:48.41 0
>>523

「竜馬がゆく」、これを『言い習わしを用いて破壊して、戯論寂滅に導』いてみてくださいよ。
          

ただ、・「竜馬」は時制に対しては、タイトルですからニュートラルです。
   ・「竜馬がゆく」は物語です。いくらでも妄想可能です。

      知り得ないことについて知っているかのように語られるあらゆることは物語です。
      物語をウソだというのは野暮です。
      物語をホントウだというのは馬鹿げています。

      仏典そのものも物語ではない、という保障はなにもありません。
      一切行無常なのですから、ゴミとなったことに反証できる根拠はなにもありません。

 龍樹さんなら、妄想物語にどう帰謬論法(プラサンガ)を駆使するんでしょうかね。
525考える名無しさん:2012/09/26(水) 06:31:51.12 0
>>524
え、そんなこともしらないの

後の言葉でアルタクリヤーが無いものは、単なる言葉だけで、アルタ(対象)がない兎の角みたいなものである、でおわりだよ。
526考える名無しさん:2012/09/26(水) 06:47:35.37 0
「四句分別」→「戯論寂滅」だけでは短絡的になってしまいますね。
(たとえば石飛道子氏の書き方には、そういう短絡を感じる。)

このスレで「四句分別」→「戯論寂滅」を繰り返し書いている人は、
禅定についても書いているけれども、ほとんど付け足しのようになってしまっている。

例えばこのスレを見ていても、「末那識」といわれるもの働きが執拗であることが分かります。
「四句分別」→「戯論寂滅」とは、実際にはならない。

我執の心である末那識は、潜在的に、しかも恒常的に働いているとされます。
潜在的にということは、自分ではその働きに気づかないということです。

日常生活において「自」と「他」を区別する時に(「自」と「他」の区別がなければ生活できない)、既にそこに末那識が働いています。
(「空」「無常」という真理に関しても、人間は「空」や「無常」の直中にあるはずであるのに、
人間の思惟というものは、それを「自」の外側に置いて「他」として対象化して見てしまう性質を持っているので、
そのように見られることによって、「空」や「無常」は、常に既に「有」化してしまっている。)

唯識では、修行を重ねれば心も浄化されていくとされるけれども、それは表面だけのことだとされます。
つまり、底に潜んでいる性癖は、機縁に触れれば忽然と姿を現す。
だから、修行や信心で人間の持つ諸問題が解決されるという安易な思いを唯識は拒否します。
深層において、末那識は執拗に働きつづけているのだ・・・と。
527498 小学校3年生:2012/09/26(水) 09:03:14.00 0
>>525
>アルタ(対象)がない兎の角みたいなものである、でおわりだよ。

だからなんなんですか?
どこが、『戯論寂滅に導』いているんですか?

>我執の心である末那識は、潜在的に、しかも恒常的に働いているとされます。

身心は世俗でこそ保たれ、煩悩あればこその身心ならば、
縁起の現観の覚智(いわゆる悟り)があったとしても、
煩悩(←末那識)とは付き合ってゆかざるを得ないわけですね。
我執がなくなるということはない。

でも、カラクリを智り体得した覚者は二念を継がずにいることができる、ということですね。
528考える名無しさん:2012/09/26(水) 09:08:53.14 0
>>526
ああ、唯識の方なんですね。しかも伝統説とは思えません。

もし、マナ識にしろアーラヤにしろそれを仮設でなく実在と捉えるなら、仏教としてはおかしいと思いますよ。

そうでなく仮設と捉えるとしても、それは唯識的で、方便としてはありでも仏教としては傍系だと思います。

戒定慧という方面から、説明しないのは哲学板だからですよ。

>だから、修行や信心で人間の持つ諸問題が解決されるという安易な思いを唯識は拒否します。
>深層において、末那識は執拗に働きつづけているのだ・・・と。

これは本当ですか? どこで説かれてるの? だとしたら、もはや仏教とは思えませんね。
529考える名無しさん:2012/09/26(水) 09:11:33.69 0
>>527
>>アルタ(対象)がない兎の角みたいなものである、でおわりだよ。
>
>だからなんなんですか?
>どこが、『戯論寂滅に導』いているんですか?

そう。そんな妄想止めなよってこと。知覚可能な現象について扱えというのは仏教で一貫してるでしょ。

因みに知覚可能な現象は一般人の常識に限定されるものではありませんよ。
行者が三昧の内に知覚するものも含まれます。
530考える名無しさん:2012/09/26(水) 09:16:36.97 0
>>529
誤解ないように補足しとくと、中観は戯論寂滅への導きだけど。

オイラがここで言ってることは、単なる論証とか説明。

つまり、常識的な言い習わしの中のことだからね〜
531考える名無しさん:2012/09/26(水) 09:29:22.51 0
>>527
>煩悩(←末那識)とは付き合ってゆかざるを得ないわけですね。
>我執がなくなるということはない。
>
>でも、カラクリを智り体得した覚者は二念を継がずにいることができる、ということですね。

こういうことは誰が言ってるの?
532考える名無しさん:2012/09/26(水) 11:41:43.47 0
誰か中論を非常に分かり易く解説してるサイトしりませんか?
色々みてるんですがややこしい言い回しやその人独自の見解ばっかりで全然入ってこないとこが多いです。
533考える名無しさん:2012/09/26(水) 14:04:46.38 0
ない。すくなくとも日本語サイトには。

佐倉哲エッセイ集 仏教について
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

の 空の思想について が中之頌の解説ではないがわりとわかる。
534考える名無しさん:2012/09/26(水) 14:15:57.22 0
どうもありがとう!
535考える名無しさん:2012/09/26(水) 15:02:15.65 0
>>533
佐倉は誤解してるから見ない方がいいよ。

サイトでは知らないけど、石飛道子『龍樹』が最も分かりやすく本質に迫っていると思う。

その後で梶山雄一『空の論理』の第一部だけ読むのがいいと思う。
上山春平の部分は読まない方がいい。
536考える名無しさん:2012/09/26(水) 16:13:29.48 0
>>535
>誤解してるから見ない方がいいよ
>上山春平の部分は読まない方がいい。

仏教生齧りのお前ほど我執の強い人間は滅多にいない。
お前が悟っていないことはその文章からビンビン伝わってくる。
悟ってもいないくせに、読む本について上から目線でアレコレ指図しているなんざ、
ほとんどマンガの図だ。固定硬直分子とはお前のことだな。反仏教だ。

我執まみれのおまえには、ブッダの悟りは絶対に現観できないことは断言しておく。

人に勧めるなら、〜こういう考えもあるからよく学んでください、というべきだ。

つけあがるな!

537534:2012/09/26(水) 16:31:05.40 0
つまり見解が未だに一致してないってこと? あれこれ言われるとどれが本当か分からなくなる。
やっぱ原文読んだほうがいいのかな? 専門用語ビシバシだったから全然わからんかったけどw
2ページ目まで今よんだ さっきのリンク。 一応読んでみる。
それが全てとは思わないでおきます。 見解が一致してないみたいだし。
538考える名無しさん:2012/09/26(水) 16:42:18.50 0
>>537
仏法は自帰依と法帰依です。
法とはなにかを念頭に、菩提心のある自己で、
自分で掴むことです。

本当は、見解を捨てるところまでゆきます。
見解なんかないんです。
>>535みたいに固執することが最も拙いです。

はやく菩提を掴まれますように。
539考える名無しさん:2012/09/26(水) 16:50:17.28 0
>>537
あれこれ読まない方がいいよ。

文献学者で中観が分かってる人は少ないから。

上の石飛、梶山だけにした方がいいよ。

ほんとに難しいので。
540考える名無しさん:2012/09/26(水) 16:53:22.78 0
>>538
菩提心は重要です。

見解も捨てることが重要です。

>仏法は自帰依と法帰依です。
>法とはなにかを念頭に、菩提心のある自己で、
>自分で掴むことです。

しかし、上は見解に他ならないでしょう。
しかも方便の道としても誤解だと確信できますよ。
541考える名無しさん:2012/09/26(水) 17:13:29.96 0
>>540
>しかし、上は見解に他ならないでしょう。
>しかも方便の道としても誤解だと確信できますよ。

このあなたの言説も見解です。
ここは世俗ですよ。

矛盾なき様相を矛盾のうちに言わなければならないのです。
こんなことぐらい固定テキスト主義者で、体得していなくとも、
知識として「知っている」でしょう。

以上も、もちろん見解です。矛盾はテキストや世俗では解消できません。

もう、アキメクラと話しても無駄です。

534のお方、小さな親切大きな毒のあるお世話、に注意されて、
菩提をはやく掴んでください。
542考える名無しさん:2012/09/26(水) 18:05:51.78 0
>>537
なお青目注羅什訳の漢訳中論の訓読、現代語訳のサイトがある。
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron01a.htm

訓読、現代語訳だけで余計なことは書いてない。
543考える名無しさん:2012/09/26(水) 18:07:37.63 0
544考える名無しさん:2012/09/26(水) 19:44:32.68 0
>>541
もちろん私が示してるのは世俗の言葉ですよ。

そして私自身は唯のエロオヤジです。

本物を求めるならネットで探しても仕方ないでしょう。

545考える名無しさん:2012/09/26(水) 19:48:09.42 0
>>542
これならこの宇井伯寿訳で
http://archive.org/details/kokuyakudaizky19tokyuoft
546考える名無しさん:2012/09/26(水) 23:00:35.55 0
>>542
そうそう!そこそこ 専門用語ビシバシw ま〜じっくり見ます。 
バカなんでたぶん理解できないけどw どーもありがとう〜!
547526:2012/09/27(木) 14:57:39.99 0
>>528
>ああ、唯識の方なんですね。

僕が一応専門的に勉強したのは西洋哲学だけです。

>もし、マナ識にしろアーラヤにしろそれを仮設でなく実在と捉えるなら、仏教としてはおかしいと思いますよ。

「末那識」という〈コトバ〉に対応する〈モノ〉があるとは考えていません。

>戒定慧という方面から、説明しないのは哲学板だからですよ。

貴方の言葉遣い、たとえば「導く」とか「鎮める」とかいう言葉遣いに僕はちょっと違和感を覚えていましたが(他者を導くというニュアンスに)、
小学3年生の人も、僕と似たようなことを感じたらしく、
《「竜馬がゆく」これを『言い習わしを用いて破壊して、戯論寂滅に導』いてみてくださいよ。》と書いています。(>519)

四句否定によって他者を戯論寂滅に「導き」「鎮める」ことなんて、できないことでしょう・・・

沢木興道老師は、「坐禅とは自己が自己に鎮まることである」と書いていますが、
結局は、自己が自己に「鎮まる」しか道はないだろうと思います。
だから、そこにはどうしても自己自身の「行」がなければならないし、それが中心になるはずなのであって、
(この前書いたように)貴方のような「付け足し」のような書き方になるのはおかしいと思います。

(ですので、龍樹の解説書の中で僕が好きなのは、「空の論理」と「菩薩道の行」とを表裏一体のものと見る瓜生津氏の『空の論理と菩薩の道』。
それに対して石飛氏の『龍樹』は、「頭」で考えて書いている印象を僕は受けましたが、確かに分かりやすいので、
龍樹を知らない人が最初に読むには良い本かもしれないと思います。)
548526:2012/09/27(木) 15:00:47.74 0
この前僕が「末那識は執拗に働きつづけている」と書いた点については・・・

唯識の修行は「五位の修行」といわれ、「資糧位」「加行位」「通達位」「修習位」「究竟位」の五段階に分かれています。
第二段階の「加行位」で「空」が〈理解〉され、第三段階の「通達位」で自己自身が「空」に〈なる〉とされます。
だから「通達位」に到達すると、人は〈凡夫〉ではなくなり、〈聖者〉と呼ばれます。

しかし末那識の「種子」は、さらにそのはるか先の「修習位」の最後まで力を失わない、とされます。

龍樹と月称も重視したとされる『十地経』の「十地」で言えば、第一の「極喜地」が「通達位」に相当し、
既にそこで、自己は「空なる自己」となっているのだけれども、
そのはるか先の第十「法雲地」の途中まで、末那識の「種子」は滅しない。

このような唯識の考え方には、人間の迷いの深さが、よく示されていると思います。

この前「修行や信心で人間の持つ諸問題が解決されるという安易な思いを唯識は拒否します」と僕が書いたのは、このような意味です。
549考える名無しさん:2012/09/27(木) 15:26:16.02 0
>>547
>四句否定によって他者を戯論寂滅に「導き」「鎮める」ことなんて、できないことでしょう・・・

 そう言われても仏教の王道はそうですよ。特に中観は。

 沢木興道老師は、曹洞宗の権威にはなるかもしれませんが、中観や仏教一般で引き合いに出されてもね。

 瓜生津先生の空性と菩薩行を不二と見る立場は全く伝統的で、その通りですよ。全く異論はありません。

 しかし、中観の読みでは石飛先生の方が上だと確信してます。瓜生津先生もなかなかいいんですけど。
550考える名無しさん:2012/09/27(木) 15:33:31.29 0
>>548
>龍樹と月称も重視したとされる『十地経』の「十地」で言えば、第一の「極喜地」が「通達位」に相当し、
>既にそこで、自己は「空なる自己」となっているのだけれども、
>そのはるか先の第十「法雲地」の途中まで、末那識の「種子」は滅しない。

用語の問題は措いて、基本的に上は伝統的におかしくありません。

しかし、最終的には解決するという点で中観も唯識も一致しているでしょう。

>修行や信心で人間の持つ諸問題が解決されるという安易な思いを唯識は拒否します

この文はそれを否定しているように読めますね。

今回のレスを踏まえると以下のように書くべきでした。

>修行や信心で人間の持つ諸問題が「安易に」解決される「こと」を唯識は拒否します

これなら中観でももちろんそうで通大乗的見解です。
こう書いていたなら、何の異論もありませんよ。もちろん。
551小学校3年生:2012/09/27(木) 19:09:39.03 0
>>531
>こういうことは誰が言ってるの?
失念してたわw

当然、小学校3年生なりの智見です。
大事なのは(逆説的ですが)捨てるべき智見に触れて、また捨てることでしょう。
二念を継ぐなは、白隠禅師が、無心になる方法の最短距離として、教えたそうです。
もちろんこの智見もそうです。
ネット記事での伝聞ですから小3は未確認です。

一方、一応、仏典上はブッダのことばということになってます。
『比丘たちよ、
・まだ教えをきかぬ人々は、苦受をうけると、歎き悲しんで、いよいよ混迷するにいたる。
 それは、ちょうど、第一の矢を受けて、さらに第二の矢を受けるに似ている。 
         
・それに反して、すでに教えをきいた人は、苦受をうけても、いたずらに歎き悲しんで、混迷にいたることがない。
 それを、わたしは、第二の矢を受けず、というのである。』
                  (相応部経典、36、6、箭。雑阿含経、17、15、箭。>



552考える名無しさん:2012/09/27(木) 19:58:04.48 0
>>551
我執はなくなるということで仏教は一貫してますよ。

その言葉は、我執、煩悩がなくなっても業の現れはあるが、
その苦の現れにとらわれ流されて、新たな業を作ることがないというような意味でしょう。


553小学校3年生:2012/09/27(木) 22:31:35.03 0
>>552
>我執はなくなるということで仏教は一貫してますよ。

どこの誰が書いたかわからない「仏教」ではなく、

大事なのはあなたの自帰依上の智見です。

わたしは『小学校3年生なりの智見』を示しているのですから。

テキスト解釈(これ自体が分別そのもの)でしかないなら、無駄ですから応答は無用。
554考える名無しさん:2012/09/27(木) 22:38:03.54 0
>>553
>大事なのはあなたの自帰依上の智見です。

これはアナタの見方でしょう。

おそらくアナタのいう自帰依・法帰依というのは現代日本でのみ流通している自灯明・法灯明の言い換えなんじゃないですか?

それでしたら、完全に伝統仏教から外れてますよ。
555考える名無しさん:2012/09/27(木) 23:18:58.91 0
>>554
>完全に伝統仏教から外れてますよ。

たかが小学校3年生の問いにも、「伝統仏教」とやらに逃げ込むのですねw

おやおや、ここは哲学の場だから、伝統宗教知見を振り回さないと言ったのは、あなたですよ。
556考える名無しさん:2012/09/27(木) 23:36:25.87 0
もう、明日は早いので寝ます。

ヒントをいうと、大パリニッバーナ経での臨終前のブッダの混乱?は

どうなんでしょうねえw

この仏典の作者はアホなんでしょうかw
557考える名無しさん:2012/09/28(金) 01:42:49.76 0
中論は論理を否定してるみたいだけど、
ためしに一つの論理を破たんに導いてみてよ
558考える名無しさん:2012/09/28(金) 05:27:45.02 0
>>555
>おやおや、ここは哲学の場だから、伝統宗教知見を振り回さないと言ったのは、あなたですよ。

そんなこと言ったか、オイラが言ったのは「戒定慧という方面から、説明しないのは哲学板だからですよ」だが。

一貫して伝統仏教の立場をテキストから述べてるだけだけど
559小学校3年生:2012/09/28(金) 11:07:08.23 0
>>558
>伝統仏教の立場

このポジション自体が『伝統仏教の立場』とやらに自己矛盾していませんか?矛盾のドツボに嵌っていますよ。
戯論の消滅が様相なら、「立場」はありえません。
いわば「無立場の立場」(方便:中村元 釈尊の生涯)ですよね。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/62885347.html (650もの真摯なコメントは凄い)

立場は戯論です。ところがあなたは「立場」に固執しておられる。反仏教的態度ですよね。 
・『伝統仏教』とやらを定義して下さい。これも空だから何でもあり、は詭弁でしかありません。
・『伝統仏教』とやらには実体はなく、派閥的闘争による恣意的選択の連続の結果でしかなく、
  みずからの「正当性」を権威づけるための装飾語でしかないのではないですか?
  恣意的選択のテキストに書いてある、だけですか?
・あなたのあれもダメ、これもダメの態度が『伝統仏教』に相応しいのですか?
  たとえば、禅宗は摩訶迦葉以来の法系図でその正統性を根拠付けていますが、
  あなたの「立場」からいっても、当然、正当な『伝統仏教』ですよね。

560小学校3年生:2012/09/28(金) 11:13:00.88 0
>>557&>>558
>ためしに一つの論理を破たんに導いてみてよ(>>558)

すでにお題は出ているんですがねえ。 
第一段階の破壊とやらに失敗しておられますw(>>519>>527

矛盾ですが、>>558のお方の『立場』にはまったく説得力がありません。
だって、根拠はご都合主義選択の「テキストに書いてある」だけですからw

<「竜馬がゆく」、これを『言い習わしを用いて破壊して、戯論寂滅に導』いてみてくださいよ>(>>519>>524

『論理を破綻(破壊)』 −?どうしてやるの?→ 『戯論寂滅』?? それがどーした?

 それでも腹は減る、一休や良寛みたいに老いらくの恋もする??
いくら『戯論寂滅』というお札を振りまわそうが、念仏を唱えようが、理性以外の生理的情動や情緒は残ります。
隻手の音も、音符譜面ではない非戯論のシャコンヌという音楽もありますよね。→>>36  どうですか?

>我執はなくなるということで仏教は一貫してますよ。(>>552)


白痴状態のままで入院するのが理想ですか?
生活保護受給前提の聖者様が理想ですか。
迷惑ですねえw

561考える名無しさん:2012/09/28(金) 11:14:43.42 0
>>559
詭弁だし、分かってないなあ。

教えってのは、戯論だよ。もちろん。

だけど、その戯論の方便によって、無戯論に導くわけ。

だから、方便としての筏は、無戯論の境地に着いたら自然に捨てられてるわけだ。

あとはいいだろ、単なる論争のための屁理屈だ。

次の答え次第で、続けるか止めるか決めるは。
562小学校3年生:2012/09/28(金) 11:22:51.10 0
訂正>>559
× 派閥的闘争
〇 分派的闘争
563考える名無しさん:2012/09/28(金) 11:29:09.24 0
>>562
細かいねえ、そんなとこ善意で読むのにw
564小学校3年生:2012/09/28(金) 11:31:34.77 0
>>561

>>557の御希望です。
<「竜馬がゆく」、これを『言い習わしを用いて破壊して、戯論寂滅に導』いてみてくださいよ>(>>519>>524
565考える名無しさん:2012/09/28(金) 11:32:57.16 0
>>564
じゃあ、終了ってことで〜
566小学校3年生:2012/09/28(金) 12:00:29.43 0
>>565
>じゃあ、終了ってことで〜

今後の修行の参考に石飛流トリレンマで戯論寂滅って範例を
皆さん期待しておられただろうに残念です。

応答不能ということで、小学校3年生はいいんですけど
>>557さんにはフォローをお願いしますよ。
567考える名無しさん:2012/09/30(日) 08:30:30.30 0
>566

>今後の修行の参考に石飛流トリレンマで戯論寂滅って範例を
>皆さん期待しておられただろうに残念です。
残念です。石飛道子先生はHPを読む限り
「釈迦・竜樹>仏教徒」と考えておられるようですし、
ご自身は仏教徒ではないことを明言しておられます。
よって「石飛流トリレンマで戯論寂滅」が可能であれば、
「伝統仏教」なるものは必要ないという証明になったでしょうに。
568考える名無しさん:2012/09/30(日) 09:02:06.27 0
>>567
まず、四句分別をレンマと捉えるのはどうかと思う。
次にレンマと捉えるとしてもテトラレンマでトリレンマではない。

最後に石飛先生の立場はそうかもしれないが、伝統仏教や中観で戯論寂滅に導くのは少なくとも禅定・三昧に入れることを前提にしているので、
単に論理の筋道を追って、いままで掴んでいた見解が論理的に否定されても、それでは論証による理解になり、単に新たな戯論を掴むだけで戯論寂滅になることはないよ〜

戯論寂滅に至るためには戒定慧に沿って行しないと無理。
569考える名無しさん:2012/09/30(日) 10:59:48.71 0
>>568
>伝統仏教や中観で戯論寂滅に導くのは・・・

「導く」という場合、「導く」の主語が問題であるわけだが(誰が誰を導くのか)
君の書き方だと、「導く」の主語は、君自身であるように読み取れる。
だから「導いてくださいよ」というリクエストがくる。
もし「導く」という言い方をするのなら、
「導く」の主語は、君などではなく、如来とか、そういうものではないのか?
仏教に詳しくないが、それぐらいはなんとなく分かるよ。
570考える名無しさん:2012/09/30(日) 11:14:57.24 0
>>569
そりゃ、勘違いだ。

オイラが言っているのは、テキストとしての中論がどういう言説・戯論になっているかという意味。

つまり、中論が西洋論理で前提とされるような真偽の二値による価値判断のもとになんらかの論証や主張を立てているという誤った見方ではなく、
西洋論理の肯定と否定はもちろん、そこで切り捨てられた二項を含む四つの論理形式で判断することを鎮めること。

これを戯論寂滅へ導くといっているわけ。だから、その文脈で主語というなら中論は戯論寂滅へ導くということができるという意味。
言い換えれば、如来、あるいは龍樹菩薩は中論で戯論寂滅へ導くということもできるよ。

実際に仏教的に私が戯論寂滅に導くという意味ではない。
そんなのネット上で無理だし、私にそのような器量はないよ。
571考える名無しさん:2012/09/30(日) 11:24:35.15 0
>言い換えれば、如来、あるいは龍樹菩薩は中論で戯論寂滅へ導くということもできるよ。

やはりそうだろうね。
だったら、君の今までの書き方がおかしかったということだね。
君は
>「竜馬がゆく」これを『言い習わしを用いて破壊して、戯論寂滅に導』いてみてくださいよ。
に対して
>いや〜、そう掴んでる人はなかなか導けないよ〜
と答えている(これは君だろう?)
やはり今までの書き方がおかしかったのだよ。。
572考える名無しさん:2012/09/30(日) 11:48:36.77 0
>>571
なるほど、それは筆が滑った。

しかし、書き方は最初から一貫してるつもりだよ。
テキストの論理だ。それは読んでもらえば分かると思う。
まあ、名無しだから、そこら辺は分かりにくいだろうが。

それを勝手に仏教の実践、教えを行なっていると勘違いして読み込むヤツがいるだけ。
573小学校3年生:2012/09/30(日) 11:57:05.38 0
>>568
・戯論寂滅だけならサルでもやっています。ゴキブリ、ミミズ、ミトコンドリアも 戯論寂滅中。

・>単に論理の筋道を追って、いままで掴んでいた見解が論理的に否定されても、それでは論証による理解になり

だったら、中論は無用ですか? 
『禅定・三昧に入れること』という修定至上主義では、ブッダの本懐である苦の根本的超克(度一切苦厄、無苦集滅道)に
役立たない霊肉二元論ですが、その超克(論破)を中論で成し遂げられるのではないですか?

・そもそもここでは般若心経を契機として、中論の『(帰謬)論証』を問題にしているのですが、
 帰謬論証からは『新たな戯論を掴む』ことは理論的にありえません。
            (六十頌如理論16-50、廻諍論29・30 中論 帰敬序、25‐24)
 だから、安心して>>557さんのためにも『論理の筋道を追って、
 いままで掴んでいた見解が論理的に否定』される様相をお示しください。

⇒<「竜馬がゆく」、これを『言い習わしを用いて破壊して>みてくださいよ。 
574考える名無しさん:2012/09/30(日) 12:02:43.24 0
>>573
屁理屈やめれ、本当に聞く態度がでない限りアナタには答える気はない
575考える名無しさん:2012/09/30(日) 12:03:37.49 0
まず見解を論理的に否定する段階で失敗してるでしょ
576小学校3年生:2012/09/30(日) 12:15:14.41 0
>>574

>>557さんのためにも
577小学校3年生:2012/09/30(日) 13:50:09.05 0
>>575
>まず見解を論理的に否定する段階で失敗してるでしょ

同意。

中論第二章はじめ『見解を論理的に否定する』偈が問題です。

毒(矛盾)をもって毒(矛盾)を制するのは不可能です。

そのこと自体が矛盾に他なりません。
578考える名無しさん:2012/09/30(日) 14:35:20.26 0
>>575
まあ、これだけ説明しても分からないんじゃ、そう思うしかないかもね
中観は分からないとするのが無難だと思うよ〜
579考える名無しさん:2012/09/30(日) 15:06:53.11 0
>>578
どのレスが見解を論理的に否定してみせたレスなの?
580考える名無しさん:2012/09/30(日) 15:18:07.99 0
>>579
いや、だからそうじゃなくて。
中論は論証してるんがなくて見解・主張などという戯論を寂滅に導く言説・教えだといってるだけ。

ちなみに中論が非論理的だというのは、ギリシャ・ラテン文法に合わない日本語が非論理的な言葉と言われているようなもん。

今は言語学が開かれてそういう見方の可笑しさが分かってきたけど、アリストテレスに基づく西洋論理の偏狭さは、まだまだ認識されていない。

その西洋論理に基いて中論などを判定するのはそのようなことだと。
581考える名無しさん:2012/09/30(日) 18:25:09.56 0
名家 ソフィスト マードゥヤミカ。
インド論理学の発達はギリシャよりずっと遅れる。
582考える名無しさん:2012/09/30(日) 18:49:17.38 0
>ちなみに中論が非論理的だというのは、ギリシャ・ラテン文法に合わない日本語が非論理的な言葉と言われているようなもん。
逆は考えないのかな?
アリストテレスに基づく西洋論理が偏狭だというのは、
仏教論理学の歪んだ眼鏡を通して見ているせいだとは?

何か「中論は凄い!竜樹は一切知者!!」という、
滑稽な前提を「信仰」しているだけのように見えるね。
583考える名無しさん:2012/09/30(日) 18:49:29.20 0
>>580
あなたの言葉で言えば論証はしないけど論理的に矛盾に導くんでしょ?
これはどうなんですか?
どのレスが矛盾に導いたレスなんですか?
584小学校3年生:2012/09/30(日) 19:18:21.61 0
参考のために、代表的な戯論寂滅を提示するテキスト文言を挙げておきます。

*ブッダ「『わたくしはこのことを説く』ということが、わたくしにはない。
 もろもろの事物に対する執着を〔執着であると〕確かに知って、もろもろの見解における(過誤を)見て、
 固着することなく、省察しつつ、内心の安らぎをわたくしは見た。」(スッタニパータ837)


*ブッダ「知覚のままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
 ──このように理解した者の形態は消滅する。けだし、時空の意識は、想いにもとづいて起こるからである。」(スッタニパータ874)
 

*ブッダ「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、
 ──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」(スッタニパータ1072)


*龍樹「あらゆる見解を脱するために、勝者(仏)によって空性が説かれた。一方、人がもしも空性の見解を抱くならば、その人々を治癒しえない人と呼んだのである。」(龍樹・中論13-8)


*龍樹「涅槃とは、いっさいの知解が滅し、戯論が滅して、めでたい(境地)である。
 ブッダは、どんな教えも、どこにおいても、誰のためにも、説かなかった。」(龍樹・中論25-24)


*龍樹「わたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない。」(廻諍論29・30 )


*スブーティ「如来によって説かれた法というものは何もありません」(金剛般若経7,13-b、21-a, 22など)


585考える名無しさん:2012/09/30(日) 20:00:25.87 0
>>581
それは学者の誤解というか、西洋人がそう思いたいだけでしょ。
その一例としてピュロンはインドに来ていた。
ピュロンの説をセクストス・エンペイリコスなどから総合的に解釈すると、
ピュロンは仏教の四句分別などに基づく論理学を持ち込んだに他ならない。

これを何人かの西洋学者も認めるが、ギリシャ学者で認めるものはいない。

>>582
まあ、そう思うのは勝手だが、オイラはギリシャもインドも原典あたった上で言ってるぜ。

>>583
そんなこと言ってないつーの。もう説明しても無駄だからしないよ。
586考える名無しさん:2012/09/30(日) 20:19:03.67 0
>もう説明しても無駄だからしないよ。
この手の書き込みをしておいて、何度も舞い戻ってくる人っているよね。
587考える名無しさん:2012/09/30(日) 20:27:14.82 0
>>586
君にはという意味。

この質問を繰り返す人にはという意味なんだが。
588考える名無しさん:2012/09/30(日) 20:30:55.54 0
584を読んで思うのだけれども、ブッダがいれば龍樹いらないんじゃない?
589考える名無しさん:2012/09/30(日) 20:32:55.62 0
>587 名前:考える名無しさん :2012/09/30(日) 20:27:14.82 0
>>>586
>君にはという意味。
586と583は別人だよ?
590考える名無しさん:2012/09/30(日) 21:01:47.86 0
『スッタニパータ』837
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html
591考える名無しさん:2012/09/30(日) 21:07:30.08 0
>>589
その二行目、読んでくれ。同じ意味だろ。
592考える名無しさん:2012/09/30(日) 21:20:27.82 0
>その二行目、読んでくれ。同じ意味だろ。
ふむ、なるほど。

>この質問を繰り返す人にはという意味なんだが。
納得のいく説明がないから質問を繰り返すんじゃないかな?
593考える名無しさん:2012/09/30(日) 21:25:27.19 0
>>592
オイラは三回以上説明した。

日本語を非論理と捉えたような譬喩も示した。

これ以上説明しても無駄だと思う。

分からない人は、自分が分からないことを人のせいにしたがるが、
先ず自分が不明であることに自覚を持った方がいい。
特に仏典の場合は、そうだと過去の経験から痛感するよ。

もう、テキストに沿った内容以外については答えないので〜
594小学校3年生:2012/09/30(日) 23:49:56.39 0
>>593
>もう、テキストに沿った内容以外については答えないので〜

⇒<「竜馬がゆく」、これを『言い習わしを用いて破壊して>みてくださいよ。 
これをまさに中論第二章というテキストに沿った内容ですので、お願いします。
595小学校3年生:2012/09/30(日) 23:50:45.84 0
× これを
〇 これは
596小学校3年生:2012/10/01(月) 06:49:40.54 0

>>593のオイラ氏は、もはや自縄自縛で身動きがとれない状態のようですねw

597小学校3年生:2012/10/01(月) 08:48:21.50 0
ここが哲学スレッドだと言うことを意識して、
誤解を怖れず言うと―小学校3年生にとっては―

仏教は最も徹底した“シュルレアリスム”なんですよ。

このスレタイの般若心経の「空」も龍樹・中論の「勝義」も、
徹底した直接的強度(シュル)の現実(レアリテ)=直接現実に他なりません。

この意味で、私たちの日常は知覚・記憶・判断という分別するフィルターを通している「現実」=間接現実といえます。

直接現実は分別フィルターがありませんから、その様相は直接智覚するしかありません。
その直接智覚をもたらすものを「無分別」智といいます。

仏教は大昔の学僧感覚で「世俗」だの「勝義」だのという上から目線の死語?で今でも語られますが、
できるだけ現代用語で語らないと生きた仏法にはならないと思います。


598記憶喪失した男 忍法帖【Lv=34,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/08(月) 05:27:12.82 0 BE:3284899968-2BP(3)
仏教と現代哲学の比較の話
http://ameblo.jp/tuorua9876/entry-11373993804.html

仏教を学んだかぎりで、おれの見解を書いてみました。
599考える名無しさん:2012/10/10(水) 08:51:58.06 0
うーん 空のこと勘違いしてるよね。
中村元の本読んだだけで仏教全てを分かった気になってるし。
全体として浅い。
仏教は頭でするもんじゃない身体でするもの。
600考える名無しさん:2012/10/10(水) 11:23:00.09 0
>>599
身体より心だけどね〜
601考える名無しさん:2012/10/10(水) 11:23:52.91 0
それはない 身心一如。
602考える名無しさん:2012/10/10(水) 11:44:12.68 0
>>601
釈尊は身口意と説かれてるよ
そして身を重視するジャイナに対して心を重視すると明言されてる。

そして心身一如というのは勝義を指してるんじゃないか? 禅のその言葉、よく知らんけど
603考える名無しさん:2012/10/10(水) 12:36:21.77 0
それも妄想、これも妄想。 本当のことは言葉などで言い表せない。
604考える名無しさん:2012/10/10(水) 15:00:44.45 0
>>603
それはそう。勝義は言葉ではあらわせない。

しかし、空にしろ縁起にしろそこへ至る道は言葉で示された。
599以降の話は、その言葉で示されたこと、つまり仏の教え、仏教を扱っています。

ですから、そういういいようは話題から外れてますよ。
605考える名無しさん:2012/10/10(水) 15:54:38.82 0
「本当のこと」は言葉でも体感でもわからない。確かめようがない。あるのは信念、「これだ」という確信です。仏教のことはよくわかりませんが、これが現時点の哲学の結論だと思います。
606小学校3年生:2012/10/10(水) 16:00:33.04 0
>>598
>空とは、ゼロという意味と同じです。

いくらなんでも、これはハナからアカンで。

ゼロはカウント(分別)できるが、空であることはカウントできない(無分別)。
哲学はあくまでカウント(分別)できる相のハナシ→言語論理だが、
仏法は、分別相を手段として、カウントできない(無分別)相を透過させる。
カントの物自体もあくまでこの分別相での問題設定であって、
無分別相の空であることとは、まさに相が違うのだ。

この違いは、仏法の本懐が実存苦の根源的超克にあり、
このためには苦しみの原因である我執は相対分別の一方への執着であるがゆえに、
必然的に、無分別相の透過を問題とせざるをえないからだ。

で、哲学との絡みでは、仏法は最も徹底したシュルレアリスム(>>597)かが問題となる。

607考える名無しさん:2012/10/10(水) 16:58:54.51 0
>>605
哲学という前提のもとだと分かりませんが、
仏教の場合「これだ」という知覚、感覚、判断がある状態は、本当ではないとします。

608考える名無しさん:2012/10/10(水) 17:16:16.99 0
>>604
それはあなたがそう思うことでバランスを取ってるんですよ。
話題などというものも本来はありません。
>>607
そうですね。ですから入り口は実践的な坐禅であったり修行です。
609考える名無しさん:2012/10/10(水) 19:57:39.71 0
>>608
入り口は信、帰依、教え、師あたりです。
禅定などの修行は、道です。
610考える名無しさん:2012/10/10(水) 20:43:52.11 0
おれだ!
611考える名無しさん:2012/10/11(木) 11:31:04.00 0
道とはこれ生活です。 ご飯を食べ 服を着て 疲れたら寝る。 これが道です。
612考える名無しさん:2012/10/11(木) 14:09:52.47 0
>>611
そういう高度な道もあるけど、単に煩悩まみれで凡庸に暮らしてるのは道でもなんでもない。
禅とかを勘違いしてそう思ってるなら完全な間違い。
613考える名無しさん:2012/10/11(木) 23:10:33.56 0
勘違いしてるのはあなた。
頭で仏教は分からんとですよ。
614考える名無しさん:2012/10/11(木) 23:14:32.75 0
>>613
まあ、死んだ時には分かるでしょう。
615考える名無しさん:2012/10/12(金) 17:56:19.50 0
はいはい、あなたがねw
あんたの言い分どおりだと修行してる人は救われてしてない一般な人は救われてないことになる。
つまり二元相対の世界を抜け出せていない。
法から見れば煩悩があろうがなかろうが既にみんな救われた後です。
頭で分かったはありません。それは違います。
毫釐有差 天地懸隔 です。
あなたこそ禅を勘違いなさってるようですよ。
616考える名無しさん:2012/10/12(金) 17:59:22.32 0
死んだらどうでもいいだろう
617考える名無しさん:2012/10/12(金) 19:46:19.59 0
>>615
それ完全に野狐禅だよ
618考える名無しさん:2012/10/12(金) 21:15:20.82 0
おまいら謙虚になれよ、わからないものはわからないでいいじゃない、しったかぶりするから苦しくなるんだよ
619考える名無しさん:2012/10/12(金) 22:17:16.58 0
分からないままほっとくなよ
調べろよ
620考える名無しさん:2012/10/12(金) 22:43:54.48 0
俺の表現力がなかったのかな。「わからないものはわからない、しったかぶりするな」ってそういう意味じゃないからw
621考える名無しさん:2012/10/13(土) 01:11:18.09 0
>>617
どうして野狐禅って分かるのかな? 何かはっきりした根拠がないと言えないよね?
思い込みがひどいですね〜。
>>618
正解。分からないものは分からない。 その分からないの上で普通に生活できてる。
>>619
じゃあ教えて。 どうして女が子どもを産むの? 犬はなんでワン!と鳴くの?
622考える名無しさん:2012/10/13(土) 01:45:32.59 0
>>621
釣られてみるか

>じゃあ教えて。 どうして女が子どもを産むの? 
男性と性交して、卵子が精子を受精し成長したから出産するんですよ
>犬はなんでワン!と鳴くの?
犬が声帯を振動させて音を出しているんですよ
623考える名無しさん:2012/10/13(土) 03:00:57.59 0
>>621
これが野狐禅。

>>615
>つまり二元相対の世界を抜け出せていない。
>法から見れば煩悩があろうがなかろうが既にみんな救われた後です。

624考える名無しさん:2012/10/13(土) 07:01:00.10 0
>>622
そんなこと聞いてません。もっと根本的な事です。なぜ女が産むと決まったんですか?受精して成長したらなんで女が産むんですか?
卵巣とか言い出すならなぜ卵巣が女にあると決まってるんですか?
なんで犬はワン!と鳴くんですか?声帯の振動とか要りません。もっと根本的なことを聞いてるんです。なぜですか?
>>623
>>615がなんで証拠と言えるんですか?
625考える名無しさん:2012/10/14(日) 22:11:59.85 0
>>623
>>つまり二元相対の世界を抜け出せていない。
>>法から見れば煩悩があろうがなかろうが既にみんな救われた後です。

こんな事言ったら因果を否定することになるでしょ。

要するに勝義が分かってれば、なんでもいいんだと。

それが野狐禅の典型なんですが。

上の文だと、そうとしか読めません
626考える名無しさん:2012/10/14(日) 23:29:14.56 0
>>625
あなたの中で勝義だの世俗だのあるうちは分からんでしょう。
だからといって悪平等を言ってるのではありません。
法から観ればすべては一つですので縁起もありません。
分からなくても問題ないですがどうしても分かりたいなら坐りましょう。
文を読むからそうなるのです。 すべては事実があるがままです。
627考える名無しさん:2012/10/15(月) 06:08:37.81 0
>>626
いや〜、野狐禅ですな〜
座りましょうなんて人が、こんな文字だけの人でこんなこと言ってるのは他ならない。

禅でいくなら、こんなとこで座りましょうなんって言ってる場合じゃないでしょう。
628考える名無しさん:2012/10/15(月) 07:50:57.93 0
629考える名無しさん:2012/10/15(月) 14:31:58.20 0
麻谷山宝徹禅師、あふぎをつかふ。
ちなみに僧きたりてとふ、風性常住無処不周なり。なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。
師いはく、なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらずと。
僧いはく、いかならんかこれ無処不周底の道理。
ときに師あふぎをつかふのみなり。
僧礼拝す。

佛法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。
常住なればあふぎをつかふべからず、つかわぬおりも風をきくべきといふは常住をもしらず、風性をもしらぬなり。
風性は常住なるがゆゑに、佛家の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。
630考える名無しさん:2012/10/15(月) 16:10:28.30 0
誰も答えんね〜。 試しに野狐禅と言った方が答えてみては。
本物こそ野狐禅と言えるだろう。
631考える名無しさん:2012/10/15(月) 16:45:30.31 0
>>629
縁起・空性だってことでしょ。

要するに「空なれば一切なる。空ならざれば一切ならぬ」『中論』24.14ですよ

632考える名無しさん:2012/10/15(月) 16:57:24.50 0
違う。
633考える名無しさん:2012/10/15(月) 17:03:11.71 0
>>632
え〜、そうとしか読めないけど、じゃ、どうなの?
634考える名無しさん:2012/10/15(月) 17:23:56.23 0
あんた野狐禅と言った人かい?
635考える名無しさん:2012/10/15(月) 17:33:43.48 0
>>631
>縁起・空性だってことでしょ。

それだけでは、「師あふぎをつかふのみなり」の説明としては不十分でしょう。
「縁起・空性」と「師あふぎをつかふのみなり」がどうつながるのかの説明がないと…
636考える名無しさん:2012/10/15(月) 17:57:45.92 0
またオイラ氏か…w
637考える名無しさん:2012/10/15(月) 18:01:59.47 0
野狐禅と言った方を待つか。
彼が五百生も野狐にならぬよう。
仏家の風は大地を黄金に変えチーズの大河にするからなぁ〜。
638考える名無しさん:2012/10/15(月) 20:00:55.87 O
あきタソと野狐は永遠の繋がりなんじゃよ
639考える名無しさん:2012/10/15(月) 20:01:31.21 0
>>635
それは簡単に説明できるけど、まずは違うという人の答えが欲しいなあ
640考える名無しさん:2012/10/15(月) 20:54:41.61 0
答えを書けば分かるからな〜。 んじゃひねって四弘誓願。
はい、次どうぞ。
641考える名無しさん:2012/10/15(月) 20:56:36.86 0
もうひとつ書くと
色即是空 空即是色。
642:2012/10/15(月) 21:15:23.76 O
まあわしが一番と見抜いたなら極意を授けよう
643考える名無しさん:2012/10/15(月) 21:37:38.50 0
>>641
こんなの縁起・空性とおんなじですがな
644考える名無しさん:2012/10/15(月) 23:33:00.67 0
ん?違うよ。 ところで野弧禅さんこないね〜?
645考える名無しさん:2012/10/15(月) 23:38:04.52 0
同じだというなら>>631をもうちょっと説明してみて。
特に縁起はどういう意味で書いたの?
646考える名無しさん:2012/10/16(火) 00:22:41.86 0
>>643
別の言い方をすると
ダイヤモンドの原石 と ダイヤモンド  一緒かい?
647考える名無しさん:2012/10/16(火) 06:42:48.15 0
>>644
え、オイラだけど

>>645
説明するのは簡単だけど、なんかそれずるいは。
648考える名無しさん:2012/10/16(火) 08:19:42.17 0
え?なにがずるいの?
649考える名無しさん:2012/10/16(火) 08:52:54.18 0
あーあなたがオイラ氏ね〜w
過去ログちょっとみました。
まぁもういいですよ。遊びのつもりでやってただけなので。
それにせっかく貴重な宝徹古仏の公案ですのでこのまま置いときます。
どうも絡みありがとうございました。

法門は無量なれど誓って学ばんことを願う。
仏道は無上なれど誓って成ぜんことを願う。
既にそなわれりといへども未だ修せざるにはあらはれず証せざるにはうることなし。

さぁ今日も良い天気だからこのスレにあふぎの風を起こし坐ってみせるか。
650考える名無しさん:2012/10/16(火) 10:11:55.91 0
>>649
了解!
651考える名無しさん:2012/10/16(火) 10:44:20.69 0
道元の場合は、やはり「自己」というものが中心にあるよね。


(内山興正『現成公案・摩訶般若波羅密を味わう』より)

現成公案――現在が現在になる当たり前の深さ――

誰でもいつでも現在を生きている
その現在の深さは
それを知らずに どれほど宙に浮いて迷おうと
それぐるみが現在であるような深さである

誰でも彼でも尽界自己を生きてる
その尽界自己の深さは
それを知ろうと知るまいと 疑っても拒絶しても
自己はその尽界ぐるみであるような深さである

この迷い疑いそれぐるみ
そうである尽界自己の現在
そのいのちの深さの風こそを
今ここで扇ぎだすこと――
それが現成公案
現在が現在に成る あたりまえの深さである
652考える名無しさん:2012/10/16(火) 10:58:05.42 0
当たり前の現実の中にこそ一切が詰まってる。
弾指の音ひとつで八万四千の法門を説く。
あるがままの現実をなおざりにし想念の世界に住するを迷いという。
653考える名無しさん:2012/10/16(火) 11:28:03.19 0
>>651
そりゃ道元禅師じゃなくて内山老師がそうなだけじゃないの
654考える名無しさん:2012/10/16(火) 11:35:39.13 0
そうでもないと思うよ。

例えば親鸞なんかを見てみると、基本は同じでも、やはりニュアンスはだいぶ違う。
そのニュアンスの違いがどこから来るのかと考えてみると、
ひとことで言えば、「自己」の捉え方の違いかな、と思う。

でも、自力と他力と言われるけれども、道元も基本は他力ですよ。
655考える名無しさん:2012/10/16(火) 12:39:29.66 0
>>654
よくわかんない。

道元禅師は龍樹菩薩の『大智度論』をよく読んでいて、
結構、スッタニパータとか中論とかに近いと思うけど。

日本の学者は、道元禅師や親鸞上人について色々いうけど、ほとんど間違いばっかりだと思う。
656小学校3年生:2012/10/16(火) 16:36:37.69 0
>なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらずと。

ちょっと来れなかったら、なんだ、こんなことして遊んでたんだw

これは道元さんの『本来仏性を持つ人間が何故厳しい修行を必要とするか?』と同じ趣旨の公案ですね。
道元さんの留学成果の答えは『修証一等』だったんだけど、
小学校3年生には、道元さんはちょっとルートが違うと思う。

小学校3年生のアタシなら『風性常住は風性常住ではない。ゆえに風性常住という』ですね。

この僧は知覚できる「風性常住」は知りえても、「風性常住ではない」が掴めていない。
しかし「風性常住ではない」はロゴスでは掴めない。
『師あふぎをつかふのみなり』は当然です。
『僧礼拝す。』ってホンマに大丈夫なんかいなw

趙州和尚の「庭前の柏樹子」と同じです。

657考える名無しさん:2012/10/16(火) 16:56:15.60 0
なぜ当然なんです?
658考える名無しさん:2012/10/16(火) 16:57:23.48 0
>>655
>道元禅師は龍樹菩薩の『大智度論』をよく読んでいて、
>結構、スッタニパータとか中論とかに近いと思うけど。

親鸞も道元も龍樹を非常に尊重していたんだけれども、
親鸞においては親鸞的な現れ方になり、道元においては道元的な現れ方になるということでしょう。


>>656
>この僧は知覚できる「風性常住」は知りえても、「風性常住ではない」が掴めていない。
>しかし「風性常住ではない」はロゴスでは掴めない。

よくわかりませんが・・・

僧は、「風性常住」という真実を、一般論として受け取ってしまっており、その一般論を自らの向こう側に置いて、それを傍観している。
そして彼は、自らの動きも、「風」を生み出しているのだということを忘却している。

「常住」である風を、今ここで扇ぎ出すことが肝心なのであり、
僧のように「風性常住」という真実を自らの向こう側に置いて外から傍観するのではなく、
それを自己自身の事柄として引き受け(「風性常住」という真実の中に入り込み)、
「風性常住」を、自己において〈現成〉させることが肝心なのである、
ということだと思います。
659小学校3年生:2012/10/16(火) 17:38:51.80 0
>>657>>658
>なぜ当然なんです?
>よくわかりませんが・・・

あのですね、これは禅の公案でっせ。
⇒ロゴスでは掴めない。
『なぜ=理由』とか『分からない』を必死で考えて、ヒラメキを体得するもんです。
マトモな修行僧が、必死で取り組んでいる。ほとんど毎日怒鳴られる。

この閃き(アタシの用語では時空際断)で開示された縁起の直接現実を掴む=縁起の現観が「見性」です。

ヒント
・『風性常住(分別)は風性常住ではない(無分別)。ゆえに風性常住という(無分別の分別)』 :金剛般若経
・龍樹 中論18―5・6・7・8・9, 22-11・12, 24-8・10・18, 25-10・19など参照。

>>658みたいな屁理屈が一番アカンのや。

660考える名無しさん:2012/10/16(火) 17:44:40.13 0
「即非の論理」をここに無理やり当てはめるほうが「屁理屈」のように思われるが、
まあ、いいです(君は荒れる人なのでw)。
661小学校3年生:2012/10/16(火) 18:08:20.39 0
>>660
>「即非の論理」

アタシのは「即非の論理」ではありません。
したがって論難は失当です。

鈴木大拙の「即非の論理」は完全に間違っています。
西田幾多郎の絶対矛盾の自己同一と同じく、
金剛般若経を読み間違っています。

ここでは、本公案とはべつの誤設定なので、論じません。
662考える名無しさん:2012/10/16(火) 19:43:50.31 0
分かってて聞いてます。 なぜ当然なんです?
>>659では△です。
663考える名無しさん:2012/10/16(火) 19:51:57.95 0
>>658
>親鸞も道元も龍樹を非常に尊重していたんだけれども、
>親鸞においては親鸞的な現れ方になり、道元においては道元的な現れ方になるということでしょう。

道元禅師は、まんま中論、大智度論系統なんだよね

親鸞上人は、やっぱり傍系の浄土で、信が全てというかんじだから
664考える名無しさん:2012/10/16(火) 21:36:29.35 0
>>663
>道元禅師は、まんま中論、大智度論系統なんだよね
>親鸞上人は、やっぱり傍系の浄土で、信が全てというかんじだから

そういう風にカテゴライズすることによって「自分にとっての仏教」というものを作っていくものなのだろうけれど…

親鸞の「自然の浄土」というのは、浄土というものが実体的にどこかに存在するということを否定するものであって、
生死即涅槃ということに他ならないそうであるから、「傍系」と言えるのかどうかね…
665考える名無しさん:2012/10/16(火) 22:10:12.75 0
>>664
>親鸞の「自然の浄土」というのは、浄土というものが実体的にどこかに存在するということを否定するものであって、

 そんなの縁起・空に基づく仏教ならあたりまえ。
 そこが分からないと仏教にならない。

>生死即涅槃ということに他ならないそうであるから、「傍系」と言えるのかどうかね…

 それでも傍系だよ。明らかに。言い換えれば方便説。

 こんなのインドからアジア諸地・諸時代の代表的な経論をみれば当然なことだよ。

 それが分からないんじゃ、あまりに仏教的な知見が狭すぎると思う。
666考える名無しさん:2012/10/16(火) 22:19:07.94 0
>>665
>>親鸞の「自然の浄土」というのは、浄土というものが実体的にどこかに存在するということを否定するものであって、
>そんなの縁起・空に基づく仏教ならあたりまえ。

ということは、親鸞以外の浄土系仏教は、「傍系」どころか、仏教でないということなのかな…
まあ、こんなカテゴライズはくだらないと思われるので、もうやめましょう。
667小学校3年生:2012/10/16(火) 22:31:04.96 0
>>662
>分かってて

分かっているということは、分かっていることではありません。

このまま、スルーしようと思っていましたが、バッシング承知で敢えて書きます。
パラドックスであることは承知です。

縁起の直接現実⇒無分別中道は(分別)言語表記不能です。
⇒ロゴスでは掴めない。
説示一物即不中です。
無分別智直覚しかありません。そのために(片道)「修行」があります。
ゆえに、『師あふぎをつかふのみなり』は当然です。師の場合、沈黙あるのみです。
修行僧はこの状況で、無分別智で直覚しなければ『縁起の現観』はありません。

これができないから、坐るのです。身心脱落(道元)させるのです。

もちろん、気合音(喝ぁ〜〜ツ!が代表)、無関係語(庭前の柏樹子)、動作でも提示可能でしょう。
言語の場合、戯論寂滅(出離:ウダーナ8-3)で無限に直接現実(勝義)に接近できますが、
ゼノンのパラドックス同様、遂に「寂滅するものは寂滅せず」の矛盾は解消できません(中論第二章)。

やはり、大死一番、彼岸へ飛ぶことが必要です。
このように、間接現実(世俗)=テキスト主義ではパラドックスの解消は不能です。
668小学校3年生:2012/10/16(火) 22:57:17.01 0

覚者は、矛盾なき(空・中道=無分別))を、

     矛盾のうちに(二項相対=分別)説く。

戯論の寂滅(分別)は戯論の寂滅に非ず(無分別)。寂滅そのものがありえない(不滅)。
              よって、戯論の寂滅という(無分別の分別)。

     上記は、「即非の論理』ごときではありえない。
         金剛般若経における勝義の世俗還滅である。
               

     
669小学校3年生:2012/10/16(火) 23:02:21.10 0
>>667補訂正
× 動作
〇 動作(例、師あふぎをつかふのみ) 
670考える名無しさん:2012/10/16(火) 23:23:26.94 0
その中に答えも有りましたが余計なものが一杯ありますね。
その答えは を持って行けば間違いなく違うと言われますよ。
以無所得故です。まずはその余計なもの全部捨てて坐りんさいな。
何故にあふぎをつかふのみなのか
671考える名無しさん:2012/10/16(火) 23:36:42.21 0
ところで四弘誓願が公案になっとるて誰も気づかんのか。
672考える名無しさん:2012/10/17(水) 00:28:40.68 0
公案禅は、思わせぶりなところが大嫌い。
ここの書き込みもね。 素直じゃない人間は結局駄目だと思う。
673:2012/10/17(水) 00:37:04.28 O
Force
674考える名無しさん:2012/10/17(水) 00:50:57.11 0
公案なんてやってると、性格が歪んじゃうんだろうねw
675考える名無しさん:2012/10/17(水) 01:20:04.94 0
んじゃマジックとかDAIGOもそうだよなー。
ネタ明かす訳ないでしょ。 答え知りたいから言ってんでしょそれw
676考える名無しさん:2012/10/17(水) 01:29:58.15 0
いやほんとに嫌いなんだ。あの思わせぶりは、生理的に受け付けない。
俺は、生まれ育ちが上品なんだろうなぁw
677考える名無しさん:2012/10/17(水) 01:45:50.87 0
上品な人が好き嫌いを見せるかー?他人にw

ま−何年も上の公案に参じてる人とかいるからね〜。
小学校3年生みたいにベラベラと答え書いちゃうって時点で間違いだよ。
まーオレもひねりがたらなくて簡単にばれるかもわからん答えかいたが。
オレも未徹底だなー。坐るっきゃナイト!
678考える名無しさん:2012/10/17(水) 01:51:43.19 0
「ネタ明かす」とか「ばれる」とかw 下品の極みw
679考える名無しさん:2012/10/17(水) 01:55:03.85 0
まーその上品だの下品だの分からんわw
公案は妄りに明かしてはならんのだよ。 公案の意味がなくなる。
3年生もいってたがそもそも言葉で表現は不可能なんよ。 
さー寝るわー! おやすみ〜!
680考える名無しさん:2012/10/17(水) 02:00:42.60 0
>3年生もいってたがそもそも言葉で表現は不可能なんよ。 

なんでそんな言い古されたことを、得々と繰り返すのか、まことに不思議だよ。
それを前提にみんな書いているんじゃないの。
681考える名無しさん:2012/10/17(水) 02:01:52.46 0
前提を忘れるからだよw

おやすみ〜!
682考える名無しさん:2012/10/17(水) 02:06:51.79 0
扇の公案のヒントだけ出しとくよw 
仏、あんたの目の前にあるであろうPCモニター。

んじゃほんとおやすみ〜!
683考える名無しさん:2012/10/17(水) 02:22:41.76 0
「ヒント」も生理的に受け付けない。
今までの話の流れで、それぐらい分からんのかなw
684考える名無しさん:2012/10/17(水) 07:45:00.91 0
あ〜そうw  あんま好き嫌いしない方がいいよ〜!
てか、哲学の方が自我の強化 ひねくれが加速する気がするがw
不可能なのを前提で話す方が不思議じゃないのかな?そいえばw
だってどっちみち不可能なのに。
685考える名無しさん:2012/10/17(水) 08:05:15.18 0
分かっているということは分かっていない 分かっているそのものがありえない よって分かっているという。

こうですか?わかりまえん!
686考える名無しさん:2012/10/17(水) 08:39:49.01 0
>>666
>ということは、親鸞以外の浄土系仏教は、「傍系」どころか、仏教でないということなのかな…
>まあ、こんなカテゴライズはくだらないと思われるので、もうやめましょう。

親鸞上人も浄土どころか、この世も実体的に実在してるとは考えてないと思うよ。
まともな仏教徒なら縁起・空だから

そこら辺、山口益先生の『大乗としての浄土』を読んでね

真宗の教学は変なのが多いんで気をつけましょう

山口益先生、金子大栄先生、七里恒順師あたりが信用できる。
687考える名無しさん:2012/10/17(水) 09:06:09.72 0
親鸞聖人じゃないの?  親鸞にまるで聞いてきたみたいな言い方w
688考える名無しさん:2012/10/17(水) 09:50:44.32 O
聖人(しょうにん)も上人(しょうにん)も基本的には
同じ高僧という意味で使われる。両方読み方一緒だが
昔聞いた話聖人のほうが上人によランクが上だそうだ
寺によっては例えば日蓮聖人、日蓮上人、日蓮大菩薩などそれぞれ寺の石碑に
書いてある。創価に至っては日蓮大聖人とか言っている
日蓮がインチキに見えるわ
689考える名無しさん:2012/10/17(水) 10:22:41.84 P
>>668
小学3年生は小学3年生に非ず。小学3年生そのものがありえない。
よって小学3年生という。



ははは、バカらしい
690小学校3年生:2012/10/17(水) 12:38:57.69 0
>>689
>ははは、バカらしい

覚者は、矛盾なき(空・中道=無分別))を、

     矛盾のうちに(二項相対=分別)説く(>>668)

『師(ブッダ)は、(われわれのこの)生存と非生存(についての執着)を捨て去る(断ずる)ことを説いた。
それ故に、「ニルヴァーナは存在にあらず、非存在にあらず」というのが正しい。』(龍樹 中論25-10)
『世間(生滅の相)にはニルヴァーナ(不生不滅の相)といかなる区別も存在しない。
 ニルヴァーナには、世間といかなる区別も存在しない。』(同上 25-19)

縁起の直接現実は,無差別であり,仏法そのものである。

法を観るものは、無苦集滅道を観る(般若心経⇔中論24-40)。

したがって、世間もニルヴァーナも,ともに存在でもないし、非存在でもない。

すべては有無の二項相対を離れた中道(中庸ではない)にて調うのである。


691考える名無しさん:2012/10/17(水) 12:52:05.45 P
>>690
だから何?
理解すれば悟れるとでも言うの?
692考える名無しさん:2012/10/17(水) 12:56:58.43 0
自説に執着してる間は悟ってないでしょ。自分のものなんて何もないんだから。
ある人がこういってたよ。↓

「悟り」について語るんなら説明するのは間違いだけど、
「仏教哲学」として語るんなら説明もアリだと思うよ。
693小学校3年生:2012/10/17(水) 13:16:00.27 0
>>670
>余計なものが一杯ありますね。

恐れ入ります、恐縮です。
『人に逢うては且らく三分を説け』(無門関三十三則)に反しました。


694小学校3年生:2012/10/17(水) 13:20:08.20 0

ここは哲学カテゴリーですよね?
695考える名無しさん:2012/10/17(水) 13:22:11.99 0
誰も公案を哲学しろとは言ってないかと。
公案はそういう為にあるんじゃないでしょ。
696小学校3年生:2012/10/17(水) 13:32:48.97 0

ギリギリまで言語論理化(哲学化)(⇒月をさす指=テキスト)することが、
宗教と哲学の分水嶺でしょ。

仏教には(公案を論じたモノも含め)膨大な論書や経典類がある。
697考える名無しさん:2012/10/17(水) 13:36:44.60 0
それがあんたが公案を哲学した理由?
毎日怒鳴られるとか書いてたけどあんたなら三十棒じゃないかな。
698考える名無しさん:2012/10/17(水) 13:38:39.32 P
>>696
おかしな話だね。
「無分別中道は(分別)言語表記不能です。」って書いてるから
すでに「無分別中道」は哲学ではないんじゃないの?

板違いじゃね? 宗教板行ったら
699小学校3年生:2012/10/17(水) 13:45:41.10 0
>>691
>理解すれば悟れるとでも言うの?

無分別智で直覚しなければ『縁起の現観』はありません。

これができないから、坐るのです。身心脱落(道元)させるのです。 (>>667)

直覚はそれなりに準備できたものでないと、できません。

そのための八正道とくに  正見 正思惟 でしょ。



700考える名無しさん:2012/10/17(水) 13:48:50.51 0
頭で分かったは間違い。 どうしても言い返したいのね。
黙ればこの話題止むのにw
自分があるうちは悟れんね〜。
701考える名無しさん:2012/10/17(水) 13:50:58.73 P
>>699
座った人の何%が身心脱落するのですか?

1000人に1人くらいの割合で身心脱落しないと
とても効果があるとは言えないのでは?
702小学校3年生:2012/10/17(水) 13:55:03.46 0
>>700

無駄をしました。
703考える名無しさん:2012/10/17(水) 14:01:26.07 P
>>699
>そのための八正道とくに  正見 正思惟 でしょ。

正見、正思惟の基準となる「正しさ」ってなんだと思う?
704小学校3年生:2012/10/17(水) 14:01:27.66 0
>>701
>座った人の何%が身心脱落するのですか?

ここではマトモに応えると石を投げるところですから、

申し訳ないが控えます。

御立派なお方が生息しておられるらしいwので、
その方に応えてもらって下さい。
705小学校3年生:2012/10/17(水) 14:05:04.14 0
>>703
>正見、正思惟の基準となる「正しさ」ってなんだと思う?

明々白々ですが、

上記(>>704)のようにお応えできません。
706考える名無しさん:2012/10/17(水) 14:08:53.26 P
>>705
明々白々なのに応えられないか・・・・・・
つまんないスレだね。
707考える名無しさん:2012/10/17(水) 14:34:41.44 0
是れ什麼物か恁麼に怒る。
708考える名無しさん:2012/10/17(水) 14:44:01.92 P
>>707
無無
709考える名無しさん:2012/10/17(水) 14:56:07.06 0
(−−)b
710考える名無しさん:2012/10/17(水) 21:16:38.22 0
ところで、何の役に立ちそうですか?この宗教
711考える名無しさん:2012/10/17(水) 21:45:10.59 0
どの宗教?
712考える名無しさん:2012/10/17(水) 21:46:17.85 0
>真宗の教学は変なのが多いんで気をつけましょう

「変なのに気をつけましょう」と変なのに言われたら、どうしよう・・・

クレタ人か?w
713考える名無しさん:2012/10/19(金) 14:16:23.27 0
>>701
餃子3人前脱落します。
>>703
一に止まる。
714考える名無しさん:2013/01/11(金) 09:46:58.48 0
せやんね
715考える名無しさん:2013/01/11(金) 18:31:35.71 0
般若心経は役に立たない、無用の長物
716考える名無しさん:2013/02/13(水) 12:57:26.23 P
んだ、んだ
717考える名無しさん:2013/02/26(火) 16:51:14.31 P
はい
718考える名無しさん:2013/03/07(木) 21:06:01.35 0
>>715
しつこい電話(勧誘とか物売り。切ってもすぐに「何で切るんですか!」と逆ギレする
タチの悪いやつ)、宗教勧誘が来た場合、般若心経を唱えるとすぐに切る、
立ち去る。祝詞とダブルでやれば気味が悪いんだろう、すぐ退散するよ。
大変、役立ちます。また、不法投棄や犬のフンの始末をしない現行犯に唱えると
効果てきめん。
719考える名無しさん:2013/03/10(日) 11:53:26.84 0
>718
この発想はなかった!
720考える名無しさん:2013/03/10(日) 21:39:50.95 0
所業の悪い老若男女、マナーの悪い人など、今は面と向かって注意するのはこっちが
怖いです。そういう時、相手の目を静か〜に見て、真剣に唱えると後ずさりして
逃げますよ。仕上げに、知ってる真言を適当に唱えて、九字でもセーマンでも適当に
切りながらキエィッッ!!とやると、確実です。
くそ意地の悪い上司に悪意のこもった意地悪をされた時など、聞こえるか聞こえないかの
声でボソボソとやるとかなりの確率で牽制できます。
721考える名無しさん:2013/04/20(土) 22:33:45.23 0
仏教も聖書もアプローチの方向は違っても
人がなるべく幸せに近づける方法を書いているんだと思う

仏教にも聖書にも十戒はあるけれど、
どれも人が守れないようなもの.り

だけどそれを心掛けて生きるのと、全く知らないのでは雲泥の差があると思う

聖書も仏教も、そうでない人を攻撃しろと言ってはいないんだよね
どういう人でも人間である限りは罪があって、だけど本人が心底悔い改めるのでれば
許せと言っている

それと許しを求めるのは人ではなく、神に対して悔い改めよって言っているんだよね

人々が売春婦に石を投げている時に、イエスが
「この中に石を投げられる人はいるか?罪を犯した事のない者はいるか?」
と周りに問うところが一番好きだった

人間である以上、生きている以上、大なり小なり、人は罪を犯すものなのだと思う
恥ずかしくない自分であると思うのは驕りであって、神様の前ではどんなに立派な人でも
誰でも半人前なんだと思う

私も時々人を裁いたり、判断したりするけれど、それは驕りで、
それを最終的に決めるのは神様だと思う
722考える名無しさん:2013/04/21(日) 09:02:27.88 0
釈迦の教え≠般若心経
釈迦の教え≠大乗の「空」
龍樹の空論は、釈迦の教えの延長線上でなく、相似はするが同一性のない別次元

NHK 100分de名著「般若心経」より
723考える名無しさん:2013/04/21(日) 10:38:06.29 0
ねむい
724淀屋橋ハニワ:2013/04/21(日) 12:29:55.57 0
まだ、改訂版とか出ないの?
凄いね
725淀屋橋ハニワ:2013/04/21(日) 12:30:51.40 0
海賊版はいっぱいあるけど
726考える名無しさん:2013/04/27(土) 09:24:10.34 0
>>722
それは完全な間違いだと思うね・・・。
ただ文献だけをとって、おそらくそういうこと言ってるんだろうけど、
物事を継承するって、文献の言葉尻を追及して、継承しようとすると、
ただカタチだけになって、中身の本質がまったく異質なものになるんだよな・・。
ちょうどそれは、昔の実践武道が、継承されていくうちにただの演舞になっちゃってるのと同じ。
ようなカタチじゃなくて、本質的部分の継承が必要なんだよ。
本質的部分の継承って、本当に中身の分かる人物じゃないと出来ない。
本質を知らない人は、その継承されたものしか説明できない。
本質の分かってる人は、たとえば球体を本質とするならば、その球体をさまざまな角度から説明できる。
球体の一面しか見ていない・・・、教えのカタチの部分だけを継承するものは、その本質が球体であることを知らない。
727考える名無しさん:2013/04/27(土) 15:53:37.90 0
>>726
まず釈迦の教えとドコに相違点があるか調べてからにしてほしい。
そのNHKテキストを読むと早いが。日本仏教学会賞の学者先生だけど、
故東大仏教学中村元氏も原始仏教と大乗仏教は違うという認識でした。
728考える名無しさん:2013/04/27(土) 22:25:35.09 0
>>727
具体的にどことどこが違うのか・・、まずそれを提示してほしい。
729考える名無しさん:2013/04/28(日) 08:08:22.49 O
>>728
釈迦の「空」と大乗の「空」の違いについては、
このNHKテキストを一冊読んだ方が早いです。
長文を打つのは大変で、略して書くと誤解を招きますので。
550円で買えます。決して大乗批判でなく、確かに違いがあるのです。
読みましたら感想でもお願いします。
730 [―{}@{}@{}-] 考える名無しさん:2013/04/28(日) 12:30:10.50 P
>>728
釈迦が説いた言葉を編纂した初期仏典(阿含経)と、大乗仏典とに違いがあることには
今さら説明はいらないのでは?
例えば、大乗で登場し、仏法修行者の目指すべき境地とされている「菩薩」という概念は
阿含経には登場しない概念だし。
731考える名無しさん:2013/04/28(日) 13:46:05.27 P
>>726
自分はこういう解釈です。

釈迦の教え(の論理学的部分)=般若心経 ≠大乗
732考える名無しさん:2013/04/28(日) 17:37:32.86 P
>>731
釈迦は「空」にはそこまで拘ってないよね
733考える名無しさん:2013/04/28(日) 20:19:53.20 O
>>731
それはないですよ。仏教学でも仏教徒でも般若心経 =大乗が共通認識です。
分析すれば般若心経は、釈迦の教え(小乗)を貶めている内容です。

釈迦 :この世にあると言えるのは、最小単位の基本要素と、
その間に成り立つ因果則がある。その上で「空」

般若心経
・空をハイライト
・釈迦の教えや仏道を無、無、無、、、(五蘊、十二処、十八界ない)
・虚無主義へ極論に浸ってしまう空、空と無は両立せず
・釈尊が否定した呪文を崇める
・観自在菩薩(創作キャラ設定)<菩薩の先生、阿羅漢舎利子(釈迦の高弟子)
(つまり貶めようとした設定)
734考える名無しさん:2013/04/28(日) 22:02:49.85 0
>釈迦が説いた言葉を編纂した初期仏典(阿含経)と、大乗仏典とに違いがあることには
>今さら説明はいらないのでは?
確かにそうだね。
大乗側は、自分たちは正しく、釈迦の教えは程度が低い教えなのだと、
素直に本心を主張すればよいのにね。
なのに、何故かムキになって、釈迦と連続性があるかのように思わせたがる。

……そりゃまあ、貸付利息で飯を食ってた、僧院の霊的エリート気取りより、
御釈迦さんの方が人気もあるし、信者も集めやすいだろうがね。
御釈迦さんの教えを踏みにじっておいてムシが良い話ではあるが。
735考える名無しさん:2013/04/28(日) 22:09:14.51 0
>本質の分かってる人は、たとえば球体を本質とするならば、その球体をさまざまな角度から説明できる。
>球体の一面しか見ていない・・・、教えのカタチの部分だけを継承するものは、その本質が球体であることを知らない。
「本質の分かっている」振りをする有象無象に貶められ続けたのが釈迦の教え。
「本質の分かっている」と称する者たちにより、奇怪な呪殺祈祷マニュアルや、殺人肯定経典がつくられ、賤民差別等が横行した。
736考える名無しさん:2013/05/01(水) 11:49:43.17 P
 たとえば、ここにオレンジ、すいか、テニスボール、フットボールがある。
それらを記憶にとどめるためには分類するほかない。

A           __________
           /          \ 
          /            \ 
         |     (果物)     |
   ______|___        ___|______
  /      |オレ \      /   |      \  
 /        \ ンジ\    /すいか/        \ 
|          \___|__|___/          |
|    (小)    ___|__|___   (大)     |
|          /テニス|  |フット\          |        
 \        /ボール/    \ボール\        /         
  \______|___/      \___|______/
         |    (ボール)     |
         |              |
          \            /
           \__________/
737考える名無しさん:2013/05/01(水) 11:51:30.19 P
ある人は、それらをオレンジとすいか(果物)、テニスボールとフットボール(ボール)に分けるだろうし、
他の人は、それらを形態によって、オレンジとテニスボール(小)、すいかとフットボール(大)に分ける
だろう。いずれの分類もそれだけではツリーになる(図BおよびC)。

B                       C           
         /\                     /\
        /  \                   /  \ 
       /    \             小さな球◯    ◯大きな卵形
      /      \               / \  / \
   果物◯        ◯ボール          /   \/   \ 
    / \      / \           /    /\    \
   /   \    /   \         /    /  \    \  
  ◯     ◯  ◯     ◯       ◯    ◯    ◯    ◯
 オレンジ  すいか テニス   フット    オレンジ すいか   テニス   フット
           ボール   ボール               ボール   ボール
738考える名無しさん:2013/05/01(水) 11:55:08.73 0
二つを合わせると、セミ・ラティスになる(図D)。


     __________      
    /    /\    \ 
   /    /  \    \
果物◯   小◯    ◯大   ◯ボール  
  |\  / \  / \  /|
  | \/   \/   \/ | 
  | /\   /\   /\ |
  |/  \ /  \ /  \|
  ◯    ◯    ◯    ◯
オレンジ  すいか   テニス   フット
            ボール   ボール

それらを集合論的に示すと、図A>>736のようになる。しかし、後者は視覚化するのが難しいので、
一般に、われわれが明瞭に視覚化できるのは、ツリーであり、実際、自然都市のようにその
内部で集合がオーヴァーラップするようなセミ・ラティス構造を思いうかべねばならないと
き、それをツリーに還元してしまう傾向がある。(定本『隠喩としての建築』53頁)


 もしツリーが厳格に守られると、都市も組織も荒廃せざるをえない。現代都市計画はそのような
ものだとアレグザンダーはいう。ブラジリアのような人口都市における生活の荒廃感はよく知られ
ている。『いかなる有機体においても、過度の区画化と内的要素の解離は、きたるべき崩壊の最初
のしるしである。解離は社会においては混乱であり、個人においては分裂病とさしせまった自殺の
徴候である』(Chiristopher Alexander "A city is not a tree" 「都市はツリーではない」1965)。
(定本『隠喩としての建築』59頁)
739考える名無しさん:2013/05/01(水) 11:58:01.65 0
「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。 受想行識、亦復如是。」の解説。

   /\       /\
  /  \     /  \
 / 色  \   /  空 \
/      \ /      \
\      / \      /
 \    /   \    /
  \  /     \  /
   \/       \/

     /\    /\
    /色 \  /空 \
   /    \/    \
  /色不異空 /\     \
 /     /  \空不異色 \
/     /色即是空\     \
\     \空即是色/     /
 \     \  /     /
  \     \/     /
   \    /\    /
    \  /  \  /
     \/    \/
740考える名無しさん:2013/05/01(水) 12:01:27.38 P
   /\       /\
  /  \     /  \
 / 色  \   /  空 \
/      \ /      \
\      / \      /
 \    /   \    /
  \  /     \  /
   \/       \/

   色\  /空
  /  \/  \
 /   /\   \
/  1/2 \3  \
\   \  /   /
 \   \/   /
  \  /\  /
   \/  \/ 

三つの領域に区分される。
「色であり、かつ空でない」領域1、
「空であり、かつ色ではない」領域2、
「色であり、かつ空である」領域3の三者である。
この段階でさらに色と空は異ならないという規定を適用すると、前二者が否定されてしまい、
「色であり、かつ空である」だけが残る。
ここまでくると「色即是空 空即是色」と実質的に同じ意味になるだろう。
したがって、「色不異空 空不異色」は、ここまで両者を一体化させるために両者の観念を
重ね合わせようとする働きをしていたのである。
741考える名無しさん:2013/05/01(水) 12:21:37.66 0
有の極端(=対象の実体化)でもなく無の極端(=虚無)でもない中道をゆくのが仏教である。

      ______
     |  識   |
     |  /\  |
     |_/__\_|
  /\  /    \  /\
 /  \/      \/  \
/ 色 /\  空   /\ 行 \
\   \/      \/   /
 \  /\      /\  /
  \/ _\_  _/_ \/
    |  \||/  |
    | 受 \/ 想 |
    |___||___|

 あえて集合論的に表現するならば、「人間=空性∩(色∪受∪想∪行∪識)」と表記されるだろう。現象としての
人間はどの部分をとっても空性だが、自らの五蘊の全体またはその一部でもある。たとえば、肉体の一部が欠
けていても人間だし、感覚が麻痺している場合には受がないし、深く眠っている場合には識がない。また、感
情などを抑圧している場合には、私の心の一部を恣意的に否定していることになろう。誰でも「人間」と言っ
たり「私」と言ったりする場合には、このようにその状況で生理的・恣意的に変化する伸縮自在な一定範囲を
指してそう宣言しているのである。
 結局は、「これが私だ」と恣意的に定義され、執着され、永遠だと誤認されたものが「我」なのであって、
それは実体として客観的に存在するものではない。ところが、実体としては存在しないけれども、「私」とい
う言葉のもとにかき集められた身心が、現象としては存在しているのである。
http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/2008/02/9_7cc1.html
http://kongou-koji.tea-nifty.com/blog/2009/12/12-2f05.html
742考える名無しさん:2013/05/05(日) 23:08:25.30 0
だって、仏教の基本構造って
元々はブッダの行業マンセーの体系でしかないわけで
悟りだのはサブセットに過ぎないよ
英語がbuddismと「ブッダ主義」と訳してるのは本質を突いてるよね
仏教って、主義であって宗教じゃないんじゃね?ってのはマッタクその通りなわけ
でも、日本で宗教に相当する概念は神道か仏教くらいしかないから
日本人にはイマイチピンとこないんだな

だから、諸々をブッダ(だけ)に帰属させたくない奴は
ブッダも仏教的世界観の中の構成要素のひとつに過ぎないよとブチあげる
つまり、悟りが大事だとか、仏教的世界構造の把握が大事だとか言い始めるわけだ
まぁ、あとは「ちょっとお得な処世術」情報が組み込まれてるだけ(客寄せだわな)

つまり、ブッダ「について」語られる言説体系と
ブッダ「が語った」とされる言説体系がごっちゃになっちゃってるの
しかもその上に、これを理解せずに各自が勝手に独自解釈だのした上で
(ちゃんとわかってる奴もいるけど)孫引き曾孫引きだのシッチャカメッチャカに
引用の伽藍を積み上げていったもんで、膨大な糞みたいな注釈書の山が聳え立つ訳だ
743考える名無しさん:2013/05/05(日) 23:15:45.13 0
>>731
釈迦の教え=龍樹菩薩=般若心経<大乗
744考える名無しさん:2013/05/06(月) 04:12:16.85 0
そりゃ、発祥インドだから中国だのチベットだのにローカライズしなきゃいけないのは
わかるけどさぁ・・・・、特に、日本は中国ローカライズ版を有難がって輸入して
さも、俺は本場で修行してきたんだぜ!なんてドヤ顔で猿山ボス猿気取ってるんだから
もう、目も当てられんよ(お山同士で経典巡って喧嘩してれば世話ないわ)
しかも、それで「法統が〜」とかマジ顔で議論したりするんだから笑わせるじゃないの
原始仏教から見れば、「ソレ、仏教ジャナイヨ?」と思われても仕方ないわw
しかも、アホだから日本流にローカライズするなら、ちゃんと日本語訳して
皆にわかるようにすればいいものを、「なんか呪文みたいでカッコよくね?」って
中国訳訛り変な発音をさらに日本風に音読みしてるからもう、何を言ってんだかサッパリわからん
それでありがたみが増すと本気で思ってるんだから…「救い難い」とはこの事だw
仏様にもわかるめぇって話よ

しかも手抜きは、「もう中身分かんなくてもいいから取り敢えず唱え続けろ」と
トランス誘発法に至ってもう、仏教を貶めてんだろ?としか思えない下法が
罷り通るようになってさあ大変。後は一路葬式仏教へ邁進する日本仏教でありました

「なんで日本人がインド人の考え方やら世界観で生きなきゃいけないの?」

日本仏教はそれを誤魔化し言いくるめる便法で半分くらい占めてる
それは、そもそも日本にはない輪廻転生やらカーストやらわざわざ概念を覚えた上で
それを否定するなんてイチイチ面倒くさい事しなきゃいけない
勿論、そんな事する必然性なんかどこにもないのにねw
完璧、日本仏教者の「都合」に民衆は付き合わされてんだよ

だいたい、「人を殺すな」なんて仏教に言われんでも皆知ってるわけよ
それを、イチイチ仏教風にアレンジして話すからウザがられるんだよな
745考える名無しさん:2013/05/06(月) 04:12:59.52 0
もう、仏教者はそこんトコロ諦めてる人もいて
「もう、いいじゃないの、融通無碍、これがわたしの仏教Style」と称して
適当な理系の本読みかじって、仏教風にアレンジして説法しまくってる奴多いよな
文学者気取りで賞とったりしてさwんなことお釈迦様は言っとらんてww
テキトーここに極まれりって奴よ。まぁ、本人は仏教を延命したつもりなんだろう

大体、仏教者ほど破戒ばかりしてる奴もいねーんじゃねーの?
殺したり、嘘付きまくったり、適当すぎるよな
746考える名無しさん:2013/05/06(月) 04:35:23.96 0
チベット密教やヒンドゥー教を含むのは懐の深さで欠点ではない
アルカイックなものの維持は課題ですらある
それらと仏教論理学は相反しない

般若心経はそのバランスが絶妙
747考える名無しさん:2013/05/06(月) 13:26:18.79 0
>>746
原始オリジナル仏教の堕落形態がヒンズー教化(習合)された密教
釈迦の遺言を知らないのか。
般若心経は釈迦の教えと違う。よく分析すること。
釈迦は呪文を否定。神秘性に委ねない。
原始仏教以外は創作と習合、多くの仏教学者の共通認識。
748考える名無しさん:2013/05/06(月) 15:07:31.10 P
日本語へ翻訳する時点でその国の音韻体系は無視出来ない
また、大衆へ布教する時点でイメージを駆使するのは王道

純粋主義は袋小路だ
749考える名無しさん:2013/05/06(月) 15:12:31.99 P
だいたい葬式仏教を批判しないで
テクスト批判している時点で信用出来ない
原始仏教がそんなに大事ならチッタゴン↓で暮らせばいい
http://youtu.be/uig-2QJR3Eo
750考える名無しさん:2013/05/06(月) 15:24:33.69 P
ブッダが生きていたら般若心経のようなその国で受け継がれた文化を大事にしたと思う
キサーゴータミー↓を頭から否定せず、新たな試練を与え自ら気づかせたように、、、
http://youtu.be/_NrcK0bQSg8
般若心経は別にカースト制度というわけではない
般若心経は一種のクリエイティブコモンだ
今必要なのは空海がやったような新たな般若心経解釈だ
全否定することで何かが生まれるとは思えない
751考える名無しさん:2013/05/06(月) 17:21:01.52 O
宗派に属さないNHKは、公平、公正に伝えましたね。
「般若心経は、釈迦の教えと違う。」NHK 100分de名著「般若心経」

「大乗仏典は、新しい仏教徒が信仰心を炸裂させて創作した宗教的文芸作品」
(仏教学最高権威、故東大中村元氏)
「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法したという文献学者はいない」
(東大文学博士 宮元啓一)
「大乗非仏説」(菅野博史創価大学教授)
「釈尊の仏教とは違う哲学思想に過ぎない」(駒沢大学大野達之教授)
752考える名無しさん:2013/05/07(火) 05:24:25.08 0
>>744
仏教は言語習慣の部分は縁起するんですよ

確かに現代日本仏教は悲惨だけど
753考える名無しさん:2013/05/09(木) 00:05:49.47 0
般若心経って仏教じゃないんだね
754考える名無しさん:2013/05/09(木) 03:21:30.93 0
そうだね
必死に取り繕ってるやつって
あの本にはこう書いてあった!って叫んでるだけだし
755考える名無しさん:2013/05/09(木) 09:33:52.63 0
いやいや、素朴実在論や歴史主義に立つことこそ仏教じゃない
756考える名無しさん:2013/05/09(木) 22:15:23.74 0
誰もそんな話してないんだがな
相変わらず仏教者は頓珍漢
757考える名無しさん:2013/05/09(木) 22:23:29.13 O
w

小物が
758考える名無しさん:2013/05/10(金) 03:05:35.88 0
仏教者はココロが狭すぎるね

修行しなさいw
759考える名無しさん:2013/05/10(金) 03:07:53.44 0
そもそも自分を律する事ができない出来損ないが仏教を信じる

まともな人間は仏教等ひつようないから
760考える名無しさん:2013/05/10(金) 05:51:50.82 0
>>759
まあ、そう考えてもいいよ

オイラはそんな人間にはなりたくないは
761考える名無しさん:2013/05/10(金) 13:25:00.87 O
中論は龍樹が分かりやすく体系化しただけ
金剛般若経なんかは高レベルすぎるが、本質は完全に同じだ


仏教に限らず、宗教はすべて本質+方便でできてる
方便が多いほどわかりやすく、しかし本質から遠ざかる
多くの人に広めるには方便が必要で、方便が多いほど宗教臭くなるジレンマ


哲学系ならあらゆる宗教の本質はヘーゲルの精神現象学とほぼ一致するので、
あれが読める奴は金剛般若経も中論も普通に読めるし、逆もまたしかり
762考える名無しさん:2013/05/10(金) 13:33:51.21 O
教えは単なる方法論
釈迦は一律の形式(呪文や偶像崇拝)を否定しただろうが、一律には否定しなかったろう
経が有効な人には経にて、偶像が必要な人には偶像にて悟りへ導くのが本懐


>>744
それは方便
人を殺しても良いし、自殺しても良い、本質はただ有るがまま
ただ悟ると我が無く生死もないことを理解するため、結果としてそういう行為に至りにくいだけ
763考える名無しさん:2013/05/10(金) 13:41:40.07 O
>>722
そんな権威ですら最低限の理解ができてないって仏教ヤバくね……?
2chのコテハンですら理解できてる奴が数人いるくらいなのに
仏教はキリストイスラムなんかに比べればかなり本質残して伝わってるように見えるんだがな
764考える名無しさん:2013/05/10(金) 13:50:17.12 O
>>736-741なんかは素晴らしい解説だし、解る奴には当たり前すぎて、
何でこれで通じないんだよ!となるレベルなんだが、解らん奴にはどうやら意味不明らしいな


ちなみに>>739だけが解説途中だからちとわかりにくくなってる
これだけ見せたら解る人でも一瞬変に思うかも
765考える名無しさん:2013/05/10(金) 13:54:32.35 O
仏教そのものを信じてるようでは一生わからない
解る奴は、仏教が単なる手段であることを理解するから
信じるくらいなら徹底的に疑う方が理解しやすい
疑うというのは決めつける事ではない
766考える名無しさん:2013/05/10(金) 15:09:21.38 P
>>762
師は答えた、「マーガンディヤよ。『教義によって、学問によって、
戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、私は説かない。
『教義がなくても、学問がなくても、戒律や道徳を守らないでも、
清らかになることができる』とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、
平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)」
767考える名無しさん:2013/05/10(金) 15:24:15.54 O
>>766
まさにそうなんだよな
清らかになるとか正しくあるとかじゃない、あるがまま

中道も、善悪とかの真ん中をいこうってんじゃなく、自分がいる場所がどちら側でもないと気づくこと
768考える名無しさん:2013/05/10(金) 15:33:10.29 P
>>767
かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、
他の諸々の教えが清らかでないと説く。
「自分が依拠しているもののみを善である」と説きながら、
それぞれ別々の真理に固執している。
769考える名無しさん:2013/05/10(金) 15:53:02.32 O
>>768
そこにあるのは清らかさでなく平安
こういうのは哲学書と同じ、言葉の正確さが命
「清らかさ=平安」と書いてあればそう取るべきで、
書いてなければそう取ってはいけない
思い込みが誤読に繋がる
素直に文字通り読もうぜ
770考える名無しさん:2013/05/10(金) 15:59:36.22 P
>>769
所詮訳文だから正確さは担保されないし誤読はしょうがないよね〜〜〜
771考える名無しさん:2013/05/10(金) 17:26:02.48 O
>>770
理解してない人が訳すとそうなるね
772考える名無しさん:2013/05/10(金) 17:32:45.26 O
あー、ダンマパダの訳で平安のことを清らかな道としてるね
経典と訳者ごとにわけないと混乱招くね


ちなみに逆だと思ってる人もいそうだが、大乗仏教が基礎編で初期仏教が応用編というか実践編にあたる
だから方便は初期仏教のが多い
773考える名無しさん:2013/05/11(土) 05:41:37.02 0
>>761
>哲学系ならあらゆる宗教の本質はヘーゲルの精神現象学とほぼ一致するので、
>あれが読める奴は金剛般若経も中論も普通に読めるし、逆もまたしかり

それは誤解なんで。西田の即非とか完全な誤解です。
それで分かったつもりじゃ、仏教の理解はない。

>>765
そういう近代主義は仏教とは関係ないです

>>766
それはこういう風に理解すべき
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

>>770
中村訳はダメですね

>>772
逆だね。『入中論』を読めば分かると思う。
774考える名無しさん:2013/05/11(土) 14:10:07.37 0
単独の自己なんてものはなくて、他者との触れ合いの間の中にこそ
自分は成立するんじゃなかって考えてたら仏教でもそんなこといってた
仏教すげえ
775考える名無しさん:2013/05/11(土) 15:09:47.76 0
>>774
もっともっとスゲ〜ぞ
776考える名無しさん:2013/05/11(土) 23:43:22.18 O
住職レベルでも阿呆はいるからなあ、なあどこぞの大僧正さん
777考える名無しさん:2013/05/12(日) 03:07:56.97 0
>>776
仏教徒なら誰でもスゲ〜ってわけじゃない
まして現代日本仏教は全体的に非常に形骸化してるから
778考える名無しさん:2013/05/12(日) 03:15:13.07 O
>>773
そこの清浄は平安をさしてるのかよ!
繰り返し語られることだから「はいはいどうせこれが言いたいんだろ」的な手抜き訳だな
翻訳というか翻案になってる
リンク先は先で情報はいいのに解説が酷い
779考える名無しさん:2013/05/12(日) 03:32:19.89 O
>>774
大乗仏教には、自己だけでなく存在すべてがそうだとしてる
哲学も似たようなことは出てくるけど、なかなかそこから続かないね
780考える名無しさん:2013/05/12(日) 07:55:34.08 0
>>778
それはアナタの見方がおかしいんじゃないか?
酷いのはどこ?
781考える名無しさん:2013/05/12(日) 08:55:31.01 O
>>780
思考が止まってるところ
宗教ばかりで論理学や突き詰める思考に慣れてない人が解説を書いてると思う
非論理で凄い、非論理だから凄い、で止まらずあと一歩考えると、非論理なのに凄いとわかる
経典は非論理的なのに凄いから評価され原型を保ち受け継がれる
単に神秘的なだけのものをわけもわからず伝承すると、伝わった時期や国で原型留めないレベルに内容が変わる
782考える名無しさん:2013/05/12(日) 09:18:13.41 0
>>781
う〜ん、そう考える人もいるのか
あれは非常に論理的だと思うが、
アナタのいう論理というのは、論理学でもなんでもなく
単なる科学的常識に添っているということじゃないのかい?

しかもリンク先は原典諸訳の異同をきっちり追った上での論だよ

最近流行りのインド語が正しくシナ訳は間違ってるという新書の論調は
数世代前のもので今は噴飯ものなんだがなあ
どうもそういったものを盲信しているように見えるけど
783考える名無しさん:2013/05/12(日) 10:38:54.04 O
正解間違いじゃなくて解説があと一歩考えを進めればかなりよくなりそう
訳者は意訳できない自覚があるからか英訳経由してる?からか謙虚で真面目な性格がよくわかる
もし訳と解説が別人なら解説の頭が固いだけだから解説変えた方がてっとり早い
もし同人なら何故凄いのかを少し頭空っぽにして考えると確実に中村訳より素晴らしい訳と解説になる
せっかく研究が深く訳もいいのに勿体無い、メールあるのかな
見比べると中村訳は翻訳としては笑えるくらい酷くて、確かにこんなこと言ってない、
でも他で語られてることをここにも書いてしまってるだけで世尊が語る内容としては間違ってない
思い込みの質の違いというか、この訳者と中村先生の生まれた時代が同じで二人が語り合えたなら、
日本仏教は今と全く違っていたかも


だいたい謙虚で真面目じゃなければこんな膨大な仕事できないわ
↑ここで論理か科学的常識かの区別がつくなら最低限の論理が身に付いてる
784考える名無しさん:2013/05/12(日) 12:16:17.33 0
昨日NHKで被災地の坊さんを取材した番組をやってて少し見たんだけど
なんか全然わかってなさそうに感じた
真摯な姿勢は悪くないけど、肝心な思索が浅いというか
785考える名無しさん:2013/05/12(日) 12:28:42.04 0
>>784
見てないけど、それが日本仏教の現状
利他するだけいいと思うよ〜

だけどこれから日本仏教は再生すると思う
というか、再生するように頑張っている、ちょっとだけど
786考える名無しさん:2013/05/12(日) 14:22:26.93 0
>751 :考える名無しさん:2013/05/06(月) 17:21:01.52 O
>宗派に属さないNHKは、公平、公正に伝えましたね。
>「般若心経は、釈迦の教えと違う。」NHK 100分de名著「般若心経」
>
>「大乗仏典は、新しい仏教徒が信仰心を炸裂させて創作した宗教的文芸作品」
>(仏教学最高権威、故東大中村元氏)
>「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法したという文献学者はいない」
>(東大文学博士 宮元啓一)
>「大乗非仏説」(菅野博史創価大学教授)
>「釈尊の仏教とは違う哲学思想に過ぎない」(駒沢大学大野達之教授)

この当たり前の物言いが常識にならない仏教界の不思議。
素朴実在論や歴史主義なんてのは関係なく、
単に「別物」ってだけなんだけれども。なぜそれを認められないのか?
ホントに素晴らしい教えなのなら、お釈迦さん切り離しても構わないはず。
「仏教」でなくても「般若教」なり「竜樹教」で良いじゃない。
既成宗教に寄生するマニ教やグノーシス派、スーフィーみたいで気持ち悪いよね。
787考える名無しさん:2013/05/12(日) 14:43:39.28 O
>>785
完全な悟りなんてないと最近わかったよ
好きで他人に何かできる人間はそれだけ悟りに近いが、
悟りといわれる現象に出会ってもまだまだ途上
788考える名無しさん:2013/05/12(日) 14:51:58.89 O
>>786
テセウスの船
思想が同じで方法が違う、方法が同じで目的が違う、目的が同じで教えが真逆
どこから別物とか、わける必要があるのは単に自分が別けたいから
学者はそれを仕事に選んだから好きでやってるが、学者以外が別ける必要はない
すると学者も別ける必要がなくなる
最後にある通り、切り離すと考えた時点で繋がっている
789考える名無しさん:2013/05/12(日) 16:38:39.52 0
>>786
いやいや、そうじゃないから
790考える名無しさん:2013/05/12(日) 21:42:16.70 0
>>783
解説と訳者は同じ
なるほど、説明不足ということですか
791考える名無しさん:2013/05/12(日) 23:59:31.35 O
教訓:守るべきものを間違うと大切なものを喪う
792考える名無しさん:2013/05/13(月) 00:38:52.51 P
そして気づく、守るべきものも大切なものも元々ありはしないんだって
793考える名無しさん:2013/05/16(木) 21:21:36.34 O
同じ部分も違う部分もあるに決まってんだから、
違うだの同じだのは単に「俺はどこを見ている」て宣言してるだけ
794考える名無しさん:2013/05/17(金) 06:42:22.73 0
>>793
たしかに同じ部分も違う部分もある。
だが、基本は同じなんですよ。
それは『中論』『入中論』を見れば分かる。

違うのは一切智を求め菩提心を起こし普賢行の誓願を立て行ずるとこと、
方便の多様性

そして現代日本仏教は多様な方便の各宗派の特性だけ語り、
これこそ仏教と言うから違うように見えるだけのこと。
基本を辿れは同じこと。

それを簡明に説明しているのが山口益先生の諸著
一番簡明で総合的な『仏教思想入門』を見るといいよ。
795考える名無しさん:2013/05/17(金) 07:18:08.73 O
>>794
内容的には同意するが、それは
「俺は仏教の基本はここだと思う、ここは同じ」宣言でしかなく、
「仏教の基本」が「ここ」であるという証明はなされていない、
単純に、どこが同じでどこが違うかを見るだけでいいのに、
基本だの本質だの、他人と共有不可能なものを共有しようとすれば迷いになる
796ヘソマガリ:2013/05/17(金) 08:35:36.66 0
釈迦の「さとり」の真実は、正確には「不明」と言うのが、正しい

如来自身は、「記録を残していない」
後の世の人々の、「言い伝えられたハナシ」を記録したものが「お経」、つまり、文献である

記録の「真偽」を疑う事は、仏教学者(竜樹も含め)のあいだでは、許されない
「竜儒教」と言われても、やむを得ない

だが、仏典の「解釈までパターン化」しては、それは「学」では無い
竜儒教徒は、それでヨイ
所詮、宗教は「哲学(論理のあるもの)」では、有り得ない

哲学徒の一部まで、竜儒教徒はいるのは現実
竜樹には、それだけの魅力があります
797考える名無しさん:2013/05/17(金) 10:01:14.35 O
>>796
そそ
学者の都合を学者以外に押し付けちゃならんし、逆もまたしかり
もし押し付けでなく語り合いたいなら、前提を明確にしなきゃ意味がない


ただまあ学問一般として見ても、仏教でなく龍樹教、て言い方は不正確に見えるけどね
学問は論理によって成り立つから、アリストテレスをひくまでもなく、仏教でなければ非仏教だ
798考える名無しさん:2013/05/17(金) 10:33:06.82 0
>>795
それを論証したのが『入中論』の評釈
以下の『入中論自註』テキストのアパラトゥスと、
評釈の資料原文からもそれが分かる人には分かるでしょう。
http://kishin-syobo.com/index.php?%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF
799考える名無しさん:2013/05/17(金) 10:36:00.71 0
>>796
そういう見方はセム的ロゴス中心主義に基づく歴史文献主義で
縁起に立つ仏教はそうは考えないんだけど、
仏教学がセム主義、歴史文献主義に立ってるんで、
日本ではその滑稽さが見えにくいと思う
800考える名無しさん:2013/05/17(金) 12:07:07.76 O
しかしまあ、人間が書いたという大前提を無視したら、それは純粋な非学問でいいのか

どんな経典も歴史の連続した流れの中で産まれ伝えられてきたものだから、
文化社会政治経済風俗戦争哲学数学……それらの現れとしての人間が書いたに違いなく、
それら隣接研究を無視して仏教文献だけいくら見ても何一つ解釈できないのは明らかだ

解釈を諦める、文字をコンピュータに打ち込んで、「どの文字がよく出てきます、意味は知りません」とかやる方がまだ誠実
801考える名無しさん:2013/05/17(金) 12:32:30.53 O
まー仏教学は知らないが、他にもそういう詐欺師が多い学会はあるようだな
指摘しても権威ある人間はだいたい年食ってるから、いままでやって来たことを守りたくて、否定にかかるぽい
(もちろん、そこで気がついて、隣接研究やらに取り掛かる年輩研究者もいるとか)

学問と非学問に明確な境はないが、しかし多くの人間が学問だと思うもの、非学問だと思うものはある
一般的に、飛躍が多くて前後が繋がってないのは非学問だが、詐欺師はそのあたりうまく取り繕うからバレにくい

ちなみに、仏教哲学はこういう詐欺師を見抜くのにも使える
詐欺師はこちらの偏見を最大限利用するから、多少でもありのまま見るよう心がけると、繋がってない部分がわかりやすい
802考える名無しさん:2013/05/17(金) 13:25:47.84 0
>>800
今見てるものは人間が記号化伝承したことは否定しようもない
が、釈尊を歴史的に限定して言語分析と伝承過程だけ追っても
分かるのはテキストの伝承史ぐらいで、意味内容は常識を一歩もでない解釈になる可能性が高いし、
結構そうなってる

>>801
仏教の場合は逆のパターンが多い
常識で矮小化するもの
典型で代表が和辻
流石に和辻の矮小化は仏教学でも認めない人が多いけど
803考える名無しさん:2013/05/17(金) 13:28:50.34 0
>>800
>解釈を諦める、文字をコンピュータに打ち込んで、「どの文字がよく出てきます、意味は知りません」とかやる方がまだ誠実

優秀な文献学者はそう。
だから、厳密なテキスト再現や言語分析、伝承史に留まり解釈は放棄し、
あくまでマテリアルな事実を記述する。

それを仏教学に期待する。
804考える名無しさん:2013/05/17(金) 14:24:56.12 O
>>802
「仏教ではなく龍樹教」て言い方が、単に目を引くための典型的な詐欺師の言い方に近いので、
俺の勘違いならそれに越したことはない
よかった
805考える名無しさん:2013/05/17(金) 16:51:02.09 O
般若心経の作者って不明なんでしょ
なら竜樹教ではないのでは
806考える名無しさん:2013/05/17(金) 20:34:57.02 O
仏陀は純粋精神に片足突っ込んですぐ戻ってきた普通人
ナーガーひと樹くんは純粋精神にボッシュートされたガチキチ
みたいな印象はある
脳が正常なら戻って来ざるを得ない
807考える名無しさん:2013/05/17(金) 23:40:28.97 0
>>806
両者とも純粋精神とか、実在、アートマンとか無とかいう体験も概念も妄想だと説かれてます。
808考える名無しさん:2013/05/18(土) 01:24:26.20 O
>>807
その「妄想」という概念は有と無のどちらですか、色と空のどちらですか
概念でないなら我々には扱えず、誰も知らない概念ならば
「両者とも純粋精神とか、実在、アートマンとか無とかいう体験も概念もサビリバスノポーンだと説かれてます。」
でも良いということになります

トートロジーやがな
809考える名無しさん:2013/05/18(土) 05:32:43.46 0
>>808
妄想は有る人には有る、無い人には無いものでしょう。
もちろん、空で仮設の幻のようなものに決まってます。
色も何も一切法、あらゆる現象・知覚が空で仮設です。

空は空っぽで実体・本質のないものという意味です。
仮設というのは言い習わしによって記号づけられて知覚されるというような意味です。
これはクリプキの「名前の記述説」やエヴァンズの「名前の因果説」に似てますが、仏教の縁起の方が正確でしょう。
『中論』24-18や『勝義空性経』などに説かれています。

言い習わしが彼らのいう「因果連鎖」ソシュールのラング、ウィトゲンシュタインの「言語ゲームス」に相当するでしょう。

この意味で「サビリバスノポーン」は日本の言い習わしにない記号ですね。
「妄想」はたいていの人が知っている言い習わしでしょう。
つまり、だれでも知っている「概念」とも言い換えることができます。
ここを同じと考えるのは詭弁でしょう。

 ただその「概念」は適当なもので各自微妙にズレながら、意味・内容・対象を持つものです。
 西洋は『メノン』に説かれるようなソクラテスあたりから、その「概念」に一義的な相(本質的特性)を求めるようになり、定義を追求しあれこれ体系構築をするような点が妄想に妄想を重ねる行為でしょう。
 この点ウィトゲンシュタインは正しく哲学が妄想だと捉えているように思います。
810考える名無しさん:2013/05/18(土) 09:25:49.79 O
>色も何も一切法、あらゆる現象・知覚が空で仮設です。
>空は空っぽで実体・本質のないものという意味です。
では実体、本質、仮設でないものは例えば何なのでしょうか
811考える名無しさん:2013/05/18(土) 10:43:01.50 0
>>810
誤解してますよ
実体・本質は全くなく仮設でないものは知覚するもの一切にありません。
それが諸法無我・一切皆空

こういうと実在論者たちはニヒリズムと勘違いしますが、そうではなく
知覚とその功用はあるがままにあるだけで、それは幻のような仮設です。

実在論者たちは、何か基体がないと耐えられないという意識・無明から
アルケーを求めますが、そんなものありません。
その典型が「ライプニッツの問い」です。

これが核心的な問題だと気づいたのがハイデガーで流石ですが、
仏教では2500年前にすらっと解決されてます。
812考える名無しさん:2013/05/18(土) 12:40:21.33 O
>>811
科学では、物質をそれ以上分割できない最小単位である素粒子があります。
その「幻のような仮設」と言うなら、素粒子は、どのような集合体の構成なのですか?
素粒子が無自性なら、それを構成する正体は何ですか?
真の姿は、不可知な世界ってことですか?
不可知な世界の想定なら神秘になりませんか?
813考える名無しさん:2013/05/18(土) 12:53:40.86 O
>>811
なんだ、つまりサビリバスノポーンのことか


まあ気付きそうにないので意地悪はここまで
お前は単に段階を分けないから破綻してるだけだ
感情を見つめるときは縁起は空や色ではないが、縁起に至った後は縁起を空や色として良い
縁起を空や色にしたならば、この段階そのものも空や色として良い
縁起を知る前に縁起を空や色とすることはできないんよ
最初の段階に最終真理を適用しようとするのは、人間に分子の普遍性を適用するに等しい
814 [―{}@{}@{}-] 考える名無しさん:2013/05/18(土) 13:24:01.67 P
>>812
これ以上分解できない最小単位のような「物質」は存在しないかもしれないという
仮説も有力になってるよ。
どこまで細かく分解しても次々に新たなエネルギー場が現れるだけで、
物質的なものはない世界。
815考える名無しさん:2013/05/18(土) 13:42:30.61 O
>>814
物質(色)は関係性(縁起)つまりエネルギーの法則性によって成り立つ架空(空)のもの
しかし物質(色や空)とエネルギー法則(縁起)は変換可能だから、
この段階で縁起によって物質を説明するのは無意味ということになる
ならば物質とエネルギーの法則性は何によって成り立つか……
多分、ここで諦めが来る
脳が関係性を捉える物質だから
816考える名無しさん:2013/05/18(土) 14:25:49.68 O
読み返したら酷い、かなり訂正

物質(色)は関係性つまりエネルギー(空)の法則性(縁起)によって成り立つのもの
物質(色)とエネルギー(空)は変換可能だから、つまり色即是空
法則性(縁起)によって物質とエネルギーは説明できるが、ならばエネルギーの法則性は何によって成り立つか……
ここで諦めが来る
脳が既に法則性を持っちゃってるからだ

世界が法則性を持つのか、脳の法則性が世界を見せるのかは、語り得ない無駄な問い
脳と法則について問えばガチキチ領域に至る
817考える名無しさん:2013/05/19(日) 11:40:22.60 O
>>816
色と空の縁起でなくて、
色は何かの縁起、無自性だから空なんでしょ
空はエネルギーと誰が言ったのですか?
818考える名無しさん:2013/05/19(日) 11:59:52.63 0
>>812
下で言ってる人も居るように実在論は科学の一仮説でしょう

>>813
分かってないなあ
もしこれ以上話したいなら仏教のテキストによってくれ
819考える名無しさん:2013/05/20(月) 15:04:51.31 O
>>817
関係性が空でなく関係性だから空だな、すまん

>>818
仏教以前に日本語が……
大事なのは結論でなく道筋だぞ?
820考える名無しさん:2013/05/20(月) 16:31:37.35 O
色が妄想で縁起も妄想、順序は逆でもいいんだが、これならわかる
しかし、色や縁起が妄想ってのは、それぞれ示す妄想(非非妄想)の集合が違うから不正確だと言ってんだが
821考える名無しさん:2013/05/20(月) 17:00:54.04 0
>>819
そういう言い方は困るね。
分からなければ聞けばいいだけ。
なにせ対話だから

それに論証しているわけじゃないでしょ。

>>820
それは仏教が分かってないってことでしょ。
発想がソクラテスを起源とするアリストテレスに基づかなければならないってかんじだよね
それじゃ仏教は分からないよ。
アリストテレスの分類体系も論理体系も超えないと仏教は理解できないっす。
822考える名無しさん:2013/05/20(月) 18:05:26.03 P
いくら仏教を理解しても、悟りとは関係ナッシング
823考える名無しさん:2013/05/20(月) 20:24:55.59 0
>>822
う〜ん、理解したからといって悟れるわけではないけど、
理解しないと悟れない可能性が高い
例えば、ヌーエイジとか井筒俊彦とか、逆に和辻みたいな理解では決して悟れない
信だけで行く道もあるけど
824考える名無しさん:2013/05/20(月) 21:35:31.66 P
>>823
>理解しないと悟れない可能性が高い

ガイドとしての知識はある程度必要だが理解は必要ない
そもそも仏典は仏教の理論体系のために作られたもので
悟るためのものではない
825考える名無しさん:2013/05/21(火) 01:55:26.82 0
仏典は、臨済義玄によれば人を惑わすもので『人惑』という
唐代の中国禅は『知識』とか『理解』から解脱することを目指した
826考える名無しさん:2013/05/21(火) 04:27:46.05 0
>>824
八正道の最初が正見だって知ってるよね
断見や常見じゃ悟れないし
教えを聞いて「生じたものは、全て消え去るもの」と理解して
始めて正見が得られる。カウンダーニャを始めみんなそう。

これは世界、体験が実在しているのではなく縁起していることが分かったということですよ。
この理解を得て仏道が開かれる。
だから釈尊もカウンダーニャがそう言った時、すごく喜んだわけだし
シャリホツが同様の縁起法頌を聞いて悟り、仏教に転向したわけだし、
釈尊の「滅するものが一切諸行である」という遺言も同じこと、
世界、体験が実在しているのではなく縁起していることを示している
最も重要な認識だから遺言されたので、
単に無常だからいつ死ぬか分からないので「怠ることなく努めよ」ということだけを示しているのではないんです。

だからこそ仏教は縁起と言われ、縁起という正見が道の基盤として始めに説かれるわけですよ。

>>825
禅とか浄土系のような特別な道で一般化するのはどうかと思う
特に現代の禅解釈は断見に陥っているものが多かったり、
常見に陥っているものが多かったりで危険だと思う。
禅こそちゃんと悟った師匠から直接学ばなければどうしようもない道で
本とかで云々すべきものじゃないでしょ

もちろん仏教が一般にそうですが
827考える名無しさん:2013/05/21(火) 11:55:11.11 P
>>826
>だからこそ仏教は縁起と言われ、縁起という正見が道の基盤として始めに説かれるわけですよ。

仏教的には、その考え方で良いよ
でも、それでは悟れないけどね
828考える名無しさん:2013/05/21(火) 16:39:10.25 0
ちゃうちゃう
829考える名無しさん:2013/05/21(火) 16:47:50.15 0
「滅するものが一切諸行である」とか
般若心経ではそんなこといってないよ

基本は不生不滅・不常不断・不一不 異・不来不去。
滅するものが無い

縁起ってのは「=(イコール)」だ
あらゆる現象はグラデーションで繋がっていて輪になっている
単体で取り出せるもんは無い
だから空、0なんすよ。
830考える名無しさん:2013/05/22(水) 01:09:44.30 0
>>829
0は空でないすよ
なんだか法華経の教説みたいですな
831考える名無しさん:2013/05/22(水) 01:13:55.44 0
>>826
だから唐代の禅といっているので当代ではありません

ついでに書けば悟りも空だから、悟ることも空です
悟りを特別な境地として捉えるべきでないというのが『般若経』の主旨
832考える名無しさん:2013/05/22(水) 22:56:29.85 0
>>827
>でも、それでは悟れないけどね

なんで?

>>829
いやいや、そりゃ誤解でしょ
『入中論』読んで

>>831
後段はそういうことはできるよ
唐代の禅といっても、その解釈が現代でしょ。
まあ、禅の解釈で話してもどうも無駄だと思うけど。
833考える名無しさん:2013/05/22(水) 23:53:11.25 P
>>832
>なんで?

縁起は知っても知らなくても、縁起は縁起のままである
それを知った所でどうなるものでもないよ
834考える名無しさん:2013/05/23(木) 00:51:22.72 0
>>832
考える以前の境地を求めるのが唐代の禅だから、
解釈などしてはいけない
哲学もない境地
これが般若波羅蜜多
835考える名無しさん:2013/05/23(木) 04:54:07.78 0
>>833
分かってないな。
縁起ってのは、止観の観でもあるんだよ。
この観によって、無我・空性を悟るわけ。
この観は般若とも言われ、戒定慧の慧とも呼ばれるもので、
最も重要な修行法でもあるんです。

>>834
ちゃうちゃう、それは上の通り現代的誤解だよ。
そういう風に語録などで言うこともあるけど、
意味が全く違う。そう考えているってことは分かってないってことですね。
836考える名無しさん:2013/05/23(木) 07:50:41.37 P
>>835
>この観によって、無我・空性を悟るわけ。

ここ読むだけでも仏教的ドグマにどれだけ汚染されてるかが分かるね
837考える名無しさん:2013/05/23(木) 08:38:54.60 0
>>836
少なくともここは仏教の体系内で話すんじゃないのか
もし、体系外で話すというなら、その基準が常識や西洋思想だとするなら、
何も分からないということは明らかだ
838考える名無しさん:2013/05/23(木) 10:13:27.63 P
>>837
仏教の体系内で話すのならば、各宗派ごとのドグマは極力避けるべきだと思うよ
839考える名無しさん:2013/05/24(金) 00:55:08.85 0
>>835
貴君は必死でロゴスに留まろうとしている
『誤解』に唐代も現代も無い
一所懸命、他人が「分かってない」と判断しているが
それを諦めれば楽になるよ
840考える名無しさん:2013/05/24(金) 19:14:02.40 0
>少なくともここは仏教の体系内で話すんじゃないのか
誰が決めたんだそんなこと?

>もし、体系外で話すというなら、その基準が常識や西洋思想だとするなら、
>何も分からないということは明らかだ
このスレの過去の書き込みを見ると、仏教体系外の他教の見解を、
お手軽お気軽に否定している、独善的な仏教徒はいるようだね。
君の見解によると、彼は何もわかっちゃいないことになるのかな?

そもそも「哲学板」の中の「般若心経」や「竜樹教」を疑うスレに来ていながら、
伝統仏教(般若心経や竜樹教を含む疑惑の教え)の体系に従ってどうする?
841考える名無しさん:2013/05/24(金) 19:25:36.49 0
>仏教の体系内
この言葉を使う人の「仏教」の範囲ってなんなんだろうね。
スレタイトルの「仏教」だと大乗仏教の歪曲を受ける前の、
(般若心経や竜樹の影響を受ける前の)初期「仏教」だと思うのだけれど。

なのになぜか最初から、竜樹や空思想が仏教であるのが自明であるかのように
決めつけて話す人がいる。不思議だね。
842考える名無しさん:2013/05/24(金) 19:29:34.07 0
>仏教の体系内
ん?体系外の思想で判断するのがおかしいのだとするならば、
仏教の体系外の竜樹教を持ち出すのがおかしいのかもしれないね。
843考える名無しさん:2013/05/24(金) 23:28:12.74 O
仏教は釈迦に始まる。釈迦の教えより、なぜ後期の創作や習合の(異端)仏教に
焦点を合わせ信仰するのだろうか。

「空」をもて遊ぶ般若心経
生滅がない→思考して論理だけを引き伸ばした。(観念であり哲学)
釈迦→生滅説、一切は無常、生滅も増減も明らかにある。

無、無、無、、、の最後のオチは釈迦が否定した呪文。
信仰者がフォローして解釈してあげないといけないお経。
それなら原始経典でいい。
・ダンマパダ→諸行無常、一切皆苦、諸法非我
・スッタニパータ→空
なぜ原初のオリジナルの教えではいけないのか問いたい
844考える名無しさん:2013/05/25(土) 01:06:51.16 0
オリジナルの教えなるものは、噂話みたいなもの
そもそも釈迦が書き残すことを許さなかったから当たり前

龍樹や密教が正反対の教説であっても、まごうことなく『仏教』の範疇である

何故ならそれら自身が『仏教』を標榜しているからだ
845考える名無しさん:2013/05/25(土) 09:08:16.13 O
>>844
仏教史を知らない乱暴なこと書きますね
北伝と南伝の違いぐらいわかりますよね
許さなかったという噂話でなく、書きものがなかった、書く文化でなかった
846考える名無しさん:2013/05/26(日) 01:56:37.85 0
>>845
そういうのを紋切り型というんですよ
文化とはね、弥、弥、弥
つまり、ないんですな、オリジナルなんてものは
847考える名無しさん:2013/05/26(日) 09:53:04.28 O
>>846
「真理の教え」と「文化は変化する」とは別です
釈迦の教えは、神秘性、超越性に委ねなかった(自帰依、法帰依)
電車の運行システムも正しい原理だから目的地へ行けます
それを変化させては、違ったものになります
848考える名無しさん:2013/05/26(日) 19:31:36.78 0
2chはブログ代わりにするのがお勧め
ホトケの座を体感できる
ブログだと少しだけ特別な存在な気分になるけど
2chだと他大勢の中に紛れつつも他とは違う気分になれるので
これが「ホトケ」なんだなと実感する
849考える名無しさん:2013/05/26(日) 19:41:22.31 0
ユダヤは奴隷の宗教だから耐えるために選民思想を持ち込んだが
ホトケは王族から始まっていて「どんな階層でも死は平等だ」と
夢のない主張をしているだけなので同じく発展性がない

哲学や神話は庶民のもので闘争本能むき出しで戦っているので
グチャグチャに成りながらも根を張る

ここから発展性を得るためには根付かないとならない
ただし根付くと内容の整合性は取れなくなる

宗教と哲学が合わせると神学や寺子屋みたいになる
850考える名無しさん:2013/06/01(土) 17:46:45.27 0

1週間考えたが、何を言いたいのか分からん
普通の日本語を使ってくれ
851考える名無しさん:2013/06/02(日) 01:35:34.72 0
だいたい分かるぞ?

根付くと(宗教という形になってしまい)真理性が失われる
真理をそのまま保存しようとすると根付かない(滅びる)
って話だろ

仏教で言えば、真理を伝えようとすればするほど方便が多くなる
方便を極限まで削ると、殆どの人にとって意味が不明になる
852考える名無しさん:2013/06/02(日) 08:25:50.25 0
タワゴトも繰り返し言っていれば本格的なタワゴトになる
ということか
853考える名無しさん:2013/06/05(水) 01:43:48.45 P
そんなにオリジナルがよければ仏像でも破壊していればいい
般若心経は仏教の論理学的レッスン
その非合理的部分もその論理によって分節化されている
原始仏教の論理学的部分を認めないのは無知の証
その発展としての般若心経を認めないのは自由だが
やはり無理解の証だ
854考える名無しさん:2013/06/05(水) 02:27:22.43 0
デカルトじゃあるまいし、オリジナルなんてものは無いに等しい
何かがあって、それが発展ないし進歩してきたというのがタワゴト

心経は心経で、心経なるものがある
これはタワゴトではない
855考える名無しさん:2013/06/05(水) 21:51:38.26 0
完全にタワゴトやがな
「心経は心経でなく、故に心経なるものがある」
なら言って良いッ!
856考える名無しさん:2013/06/06(木) 00:35:52.98 0
貴公に言っとるんじゃないわい
心経は単なる心経である
857考える名無しさん:2013/06/09(日) 11:06:03.42 P
以下、末木剛博(すえきたけひろ)『東洋の合理思想』講談社現代新書33ー34頁より
「…カントはこれら三種(魂、宇宙、神)の問題に一定の解答を与えることは
不可能である
ことを論理的に証明している。したがってこれらの問題に関
する形而上学
は論理的には成立しないといって、形而上学を排除したのである。
 これを初期仏教の形而上学批判とくらべると、精粗の違いはあるが、主旨は
はなはだよく
似ている。初期仏教では形而上学の立場を前述のように常見と断見との二種に大別しているが、
さらにカントのあげた諸問題とほとんど同じ問題を論じている場合もある。たとえば『中阿含経』
の一部の「箭喩経(せんゆきょう)」では次の諸問題があげられている。


(A) 自我および世界は時間的に、
 (1)無限である。
 (2)有限である。
 (3)無限かつ有限である。
(B)世界は空間的に、
 (1)無限である。
 (2)有限である。
(C)魂と肉体とは、
 (1)同一である。
 (2)別異である。
(D)如来(完全な悟りを得た者)は死後に、
 (1)生存する。
 (2)生存しない。
858857:2013/06/09(日) 11:07:32.66 P
 これらの問題は、カントのあげた問題とは多少のずれがあるが、それは時代と国土にもとづく関心
のちがいである。しかし、たとえば(A)と(B)とは、カントの第一および第二の問題とほとんど
同じであり、(D)の如来の問題とカントの第三の神の問題とも類似している。
相違点を挙げれば、初期仏教は(A)の問題に対して四種の解答を用意しているのに対し、カントは、
(1)無限であると(2)有限であるとの二つだけを用意し、その二者択一を
せまるのである。
『箭喩経』では四種の解答を(A)の問題だけにそろえてあるが、他の文献では、あらゆる
問題に対してそろえている場合もあり、そのほうが論理的には完全なわけである。それで
後世には、この四種の解答、つまり一問題に対する(1)肯定、(2)否定、(3)肯定
かつ否定、(4)非肯定かつ非否定、の四つを四句分別と名づけている。
 ともかく、
カントの提出した問題と、形の上では多少の差はあるが、本質的にはほとんど同じ問題をかかげて、
しかもカントと同様にこれらの問題に対しては何らの解答も与えられない、と言うのである。
したがって形而上学批判に関しては初期仏教はカントの批判哲学と本質的に
一致するのであり、哲学上は一種の批判主義である。」
859考える名無しさん:2013/06/09(日) 18:05:07.81 0
で?
カントは仏典を読んだということ?
初期仏教がヴェーダ批判から成立したのは誰でも知っているが
860考える名無しさん:2013/06/09(日) 21:58:06.10 P
>>235の改訂版

是諸法空相a、不生不滅b、不垢不浄c、不増不減d。

( 様相    関係    質    量  )

上記はカントのカテゴリーの範疇(下段)にそれぞれ対応し得る。

参考: カント、純粋理性のカテゴリー
量(単一性、多数性、全体性d)
質( 実在性c、否定性、限界性)
関係(実体性、 因果性b、相互性)
様態(可能性、現実存在、必然性a)

カントが挙げているアンチノミーには、(カテゴリー順に)四つ(a-d)ある(それ
ぞれのテーゼにアンチテーゼが対応)。
1 世界は有限(時間的、空間的に)である。←→世界は無限である。d
2 世界におけるどんな実体も単純な部分から出来ている。←→単純なものなど存在
しない。c
3 世界には自由な原因が存在する。←→自由は存在せず、世界における一切は自然
法則に従って生起する。b
4 世界の内か外に必然的な存在者がその原因として存在する。←→必然的な存在者
など存在しない。a
http://www.ne.jp/asahi/village/good/kant.html

カントはプロテスタントだが、その論理学的思考は仏教に通じる。
質に関しては第三批判(一般には様相が主題と解釈されるが)で詳述されると考えられる。
861考える名無しさん:2013/06/09(日) 22:10:13.20 P
普通の論理学は自分を対象外とするが仏教論理学は自分を対象とし、
相対化する
自己を特権化出来なくなることで(論理学の臨界を経ることで)初め
てそこに倫理的契機が現れる
身体的修業的要素、美的要素、いろいろあるが、仏教の論理学的要素
に着目するに足る理由は十二分にある
繰り返しになるが般若心経は無意識裏の論理学のレッスン
この要素がなければ歴史的に仏教はもっと神秘主義的、秘教的になっ
ていたと思う
862おじさん:2013/06/09(日) 23:50:07.63 0
このスレだけ放置しても地味に生き延びてるのな、、、。

ペダンチックな学者まがいの論争とか興味ねえ。

俺が想う仏教の真髄

大道に捨てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい蓮華が生ずる

ダンマパダより

そんで
般若心教のほうが真理を伝えてると思う。
でも、現世は虚ろ、肉体に囚われるな、と説くより
生かせ、昇華せよ、花を咲かせよと説くほうが俺は好きだ。
どんなに現実が悲惨でつらくてもな。
死体があちこちに転がってた乱世の時代に生きていた人の
つらさは推し量ることはできんが。

そんじゃな。
863考える名無しさん:2013/06/10(月) 00:31:58.54 0
般若心教ねえ。。。
心経が真理を伝えていると思う人は心経を読んでいない
心経は、真理など無いといっているんだぞ
真髄など無いといっているんだぞ
だから呪文を奉っているのだぞ
864考える名無しさん:2013/06/10(月) 11:11:48.60 O
>>863
無いと勘違いしてるならそれも違う
有るのでもなく無いのでもない
865考える名無しさん:2013/06/10(月) 21:26:09.98 O
>>864
だから素直に解釈すれば、無化している
龍樹の空論がわかっていない作者、呪文信仰の作者
それを般若経という熱心な偽経信者は、自分とその信念を同一化して
正当化に走り、フォローして解釈しているという有様

あなたはいつも矛盾をつくと、ごまかして龍樹の空論へもっていくよな
866考える名無しさん:2013/06/10(月) 23:03:42.29 O
龍樹の失敗は、空を哲学化して釈迦の戒めを破った。
空論は、極論な哲学思想に浸ってしまい、仏道(※実践)でなくなる。
愚者が喜ぶ空論となり、自分とその信念を同一化させ根本仏教を否定してしまった。
867考える名無しさん:2013/06/10(月) 23:45:17.16 0
中庸どころか極論になってしまうんだよな
仏教は論理学ではない
独自の論理学的要素を含むとしても
868考える名無しさん:2013/06/11(火) 00:55:11.54 0
>>864
そういう貴君みたいな賢しらな考えを捨てよ
といっているのだ
「有るのでもなく無いのでもない」
という命題なんぞは無いといっているのだ
そういうことは人を惑わすものだ
869考える名無しさん:2013/06/11(火) 04:10:12.32 0
空論は確かに「有るのでもなく無いのでもない」 だろうけど
般若心経はなんでもかんでも無に帰結してるだろ
その無いでもないという感じが伝わらないんだよ
不生不滅と書いてあるのにテレビで遺族の為に般若心経写経してた時には唖然としたわ
不生不滅なら悲しくないはずだろ。
870考える名無しさん:2013/06/11(火) 10:42:06.59 O
>>868
賢らぶった、という感想を抱いたなら、まさにそれをもって自らを戒めよ
871考える名無しさん:2013/06/11(火) 10:45:48.64 O
>>869
何かしら分かったという思いがあるな
俺にもある
ただそれを自覚していればいいんだよ
872考える名無しさん:2013/06/11(火) 21:57:06.40 P
議論のレベルが印象論で終わっている
反論する意味もない

とにかく、

空海の『般若心経秘鍵』を読んでから議論して欲しい


空海「般若心経秘鍵」 (角川ソフィア文庫): 空海, 加藤 精一
http://www.amazon.co.jp/dp/4044072248
空海コレクション 2 (ちくま学芸文庫) [文庫]
http://www.amazon.co.jp/dp/4480087621/
空海 般若心経の秘密を読み解く: 松長 有慶: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4393172795/
873考える名無しさん:2013/06/11(火) 23:23:48.61 O
>>872
真言密教というフィルターがかかっているので読まない方がいいという
読者の感想があるが
仏教の堕落形態、密教を持ち込んだ空海こそ問題がある
874考える名無しさん:2013/06/12(水) 01:02:36.79 0
仏教と正反対の教義までも許容するのが仏教だと言うことだ
何のために心経を取り上げているのか

空海は自分の薬籠に仏教を取り込んでしまったが
真理はこれを許容する
875考える名無しさん:2013/06/12(水) 06:00:12.02 0
そうするとチベット仏教なんか堕落の堕落になるだろ
一方的な価値観だ
876考える名無しさん:2013/06/12(水) 06:39:38.21 0
原理主義的に堕落とやらを排していくと直接の仏弟子以外による文献以外にしたがうのはナンセンスになる
大乗仏典を含めたあきらかに後代の文献にもとづくのはすでに堕落になる
そうではないと思うんだよな
ブッダの教えにもとづいたさまざまな展開として後の仏典は成立してるしその価値はある
展開ならば日本密教のベースのインド初期密教ばかりかその後のインド後期密教やチベット密教をも視野に入れてはじめて議論になる
877考える名無しさん:2013/06/12(水) 06:44:29.73 0
直接の仏弟子による文献以外にしたがうのはナンセンスになる
だな
そもそもその最初の仏弟子によるいわゆる結集すらも厳密にはブッダは希望していなかったことだ
878考える名無しさん:2013/06/12(水) 07:05:08.01 O
本質なんざ突き詰めると何もなくなるのは当たり前だ
879考える名無しさん:2013/06/12(水) 08:49:47.43 0
全部許容するならオウムとかも許容することになるね
実際あれが仏教じゃないか?と聞かれたら返答に困る
なんせ日本に初めて本格的に入ってきた仏教の密教自体が本来の仏教からかけ離れてるからなぁ
だいたい日本の坊主五戒の一つの不飲酒すら守ってないからなぁ
守ってる人もいるとは思うけどね
880考える名無しさん:2013/06/12(水) 09:17:16.16 0
>>838
方便説という意味なら、避けてるつもりだけどね
一貫してるよ仏教は
一貫してないように誤読してるのが近代仏教学と宗義の特殊性だけに注目した浅薄な宗論でしょ

>>869
無であるということを言ってるわけじゃない

>>873
分かってないなあ
上に紹介された三冊は読まない方がいい
読むなら勝又俊教を読むべき

>>876
同意、物理的、実在史観で仏教語っては伝承史ぐらいしか分からないってこと

>>879
オウムは話にならない
動機が復讐だし、伝承もなく常見だから明らかに仏教じゃない
881考える名無しさん:2013/06/12(水) 09:27:04.26 0
じゃあ輪廻説に肯定的なのは仏教じゃないってこと?
三世の因果を肯定した道元の曹洞宗は仏教といえないわけ?
882考える名無しさん:2013/06/12(水) 09:38:10.36 0
>>881
輪廻と縁起・空は全く矛盾しないよ

『心経』や『中論』でそれらが無などと言われるのは次元が違う
『心経』や『中論』は勝義に導いている教え
戯論寂滅への観を説いている

輪廻や因果、善悪などを説くのは世俗の教え
戒定慧という三つの段階があって、

戒定は世俗、戒で悪いことを止め善いことをやって外的に安定させ
定で内的に心を集中させる。

その集中した状態で『心経』や『中論』で説かれる観を行うのが慧であり、
般若と呼ばれるわけ

ここらへんをごっちゃに同じ次元で考えるから分からない

道元禅師も両方説かれてるよ。
分かりにくいけど。
そんなのより龍樹菩薩の『勧戒王頌』か月称菩薩『入中論』寂天菩薩『入菩提行論』の方が分かりやすいと思う
883考える名無しさん:2013/06/12(水) 09:59:21.32 O
オウムが仏教がどうかなんてもはや定義問題

色即是空と空即是色はセットなんだよ
884考える名無しさん:2013/06/12(水) 10:07:03.28 0
>>883
>オウムが仏教がどうかなんてもはや定義問題

 伝統仏教では仏教というのは三法印に叶い法脈の伝承があり三宝に帰依するものだからね
 オウムはアートマン論で法脈の伝承がなくシヴァに帰依するものだし
 何より動機が水俣病の復讐として毒ガスによる首都壊滅だよ
 宗教的なことはその手段に過ぎないのが松本

>色即是空と空即是色はセットなんだよ

 それはそうだけど、全く誤解してるんじゃないか?
 どういう意味で考えてんの?
 
885考える名無しさん:2013/06/12(水) 10:12:15.33 0
ギャーテーギャーテーが勝義?
とてもじゃないけどそうは思えないんだけどね
龍樹って戯論っていうわりにはエライ遠回しに物事伝えるよね
886考える名無しさん:2013/06/12(水) 10:47:57.14 0
>>885
いや全て導き。
前段は仮設による戯論寂滅の導き
心真言は心真言による戯論寂滅の導き

中論は全て戯論という仮設による戯論寂滅の導き
しかもほぼアーガマ・ニカーヤに根拠があると思われる
全て比定したわけじゃないけど
887考える名無しさん:2013/06/12(水) 11:07:45.58 0
じゃあ結局世俗の凡夫が般若心経唱えてもなんの意味もないってことか
写経とか読誦しても観ずることができなきゃ意味ないもんなぁ
世俗を離れて勝義にいって初めて意味あるんでしょ
龍樹なら世俗即勝義とか言いだしそうだけどさ
888考える名無しさん:2013/06/12(水) 11:59:30.41 O
>>884
そうそう
>伝統仏教では仏教というのは三法印に叶い法脈の伝承があり三宝に帰依するもの
「俺は、俺が伝統仏教だと思っているものの立場をとる」
「俺は、伝統仏教においては仏教はこういうものである、と考える」
という自己完結した二重の宣言でしかない
だから中身はまさに空論でしかないん



しかし空論だから語るな、空論だから語らないなんてのは色即是空しか見えてないアホの極み
結局、人間が語る定義は全てそういう宣言でしかなく本質は空論でしかないんだから、
本質本質言ってたってしゃあねえんだよ
空論であることを自覚しながら色論を語りゃあいいんだ
889考える名無しさん:2013/06/12(水) 12:04:45.80 0
>>887
いやいや勝義は言葉にできないんで
そこへの導きなわけ

で、それを読誦すると功徳になる
特に心真言部分ね。だから読誦はとっても意味あるよ。

>>888
その空論と色論ってどういう意味で使ってるの?
890考える名無しさん:2013/06/12(水) 12:19:19.58 O
>>889
ご想像にお任せします、どうぞ
だけど空即是色なんよ
891考える名無しさん:2013/06/13(木) 01:48:18.64 0
>>889
「とっても意味ある」は「ちっとも意味ない」と同義
意味を求めるなら意味は得られない
892考える名無しさん:2013/06/13(木) 09:25:03.25 0
>>890
それじゃわざわざ書き込む意味が分からないよ
ここで話すなら、そこを話さないと意味がないと思うけど?

>>891
そんなこと何を根拠に言ってるんだ?
893考える名無しさん:2013/06/13(木) 18:26:42.98 0
無文節=一様ってこと?
894考える名無しさん:2013/06/13(木) 20:43:38.52 0
>>893
普通は無分別=一味っていうけどね
でも、アートマン、ブラフマンとか神というような実在ではないよ
895考える名無しさん:2013/06/14(金) 00:17:19.11 0
>>892
根拠をお尋ねか

考えたって悪くないんだよ
>>889 の文自体が告白しているではないか
896考える名無しさん:2013/06/14(金) 06:20:33.11 0
>>895
根拠でもいいけど、どういう意味で記号を採っているかが重要

後段は意味不明だ、どうもアナタのは悟った人の断定口調のようだけど
そういうのはネットでは無理だと思うよ
897考える名無しさん:2013/06/15(土) 00:59:47.93 0
>>896
貴君は自分で何を書いているのか分かっていないようだ
ネットとは貴君のような奇人が出入するところか
898考える名無しさん:2013/06/15(土) 06:38:55.06 0
>>897
いやいや、よく分かってるつもりだよ
非常に常識的でもある

逆にアナタのように短文で根拠を示さずに断定するのはネットでは無理でしょ
そういうのは信仰ある弟子に師が説くもんだ
しかもここは哲板だぜ
899考える名無しさん:2013/06/15(土) 12:20:06.92 P
 ____7>>214
|真言密教|_1>>741
|  中 華厳|_6>>239
|  国   天台|_2>>860
|大乗 イン   三論|_3>>215,236
|____ド_____法相|_4>>216,237
|小乗          縁覚|_5>>238
|______________声聞|_
|外道              道教|_
|                  儒教|_
|____空海『秘蔵法鑰』________野蛮|

空海『秘蔵法鑰』(角川文庫)参照
数字は空海による心経>>213>>214の構成要素を登場順に記載した。
階段を降りてから上がるのが般若心経。
900考える名無しさん:2013/06/15(土) 12:42:15.59 P
>>899,改訂版

                   _真言
                 _|密教|7>>214
               _|中 華厳|1>>741
             _|  国 天台|6>>239
           _|大乗 印  三論|2>>860
         _|_____度__法相|3>>215,236
       _|小乗        縁覚|4>>216,237
     _|____________声聞|5>>238
   _|外道            道教|
 _|                儒教|
|__________________野蛮|

空海『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく) 』(角川文庫)参照
右の全角数字は空海の解釈>>872における心経の構成要素を登場順に記載した。
階段を降りてから上がるのが般若心経>>213>>214
901考える名無しさん:2013/06/16(日) 00:40:50.70 0
>>898
哲学板だからこそ指摘している
これがネットだ
あるべき姿などない
是諸法空相

貴君はセンチメンタリズムに溺れている
哲学に対峙するからには、もっと冷徹に
自分の記述を読み直さなければならない

自分を、非常に常識的だというなら
それは哲学的ではない

功徳がある、だの、とっても意味がある
などといった記述はセンチメンタリズムそのものだ
龍樹教のようにハードボイルドでなければならない
902考える名無しさん:2013/06/16(日) 01:49:34.97 O
>>61
この本をきっかけに論争が起こったりしたのかな?
903考える名無しさん:2013/06/16(日) 06:54:05.67 0
>>899--900
それだけ書いて何か意味あるのか?
しかもどうせなら秘鍵だろ引用するのは

>>901
もう好きにして


>>902
その本は相手にするほどのもんじゃないんで
まっとうな人は相手にしてないと思う
904考える名無しさん:2013/06/16(日) 07:24:08.11 0
>>892
貴方が普通に読んだ場合の文脈で捉えてもらっていいですよ、(ご想像に)
それが一致しないとしたら私の責任ですよ(お任せします)
という意味です
905考える名無しさん:2013/06/16(日) 08:44:19.55 0
>>904
そこで意味を対話によって摺り合わせてから、
話すことに意味があるのに、それをしないなら話すことに全く意味がない
906考える名無しさん:2013/06/16(日) 09:04:24.24 0
>>905
何を当たり前のことを
まだ言い直さなきゃダメか

>>888を普通に読んで理解できないなら、この先、会話は成立しないだろう
もし理解できないなら、それは読んだ者が悪いんじゃなく、
俺の書き方が悪いのだ、と言っている
907考える名無しさん:2013/06/16(日) 09:09:59.06 0
やっと意味などないことが分かったか

2ちゃんねるは、誰がどのレスを書いたか分からず
而して議論が混迷し昏迷していくところに意味がある
だから意味が無いというのだ
むきにならずに楽しまなければいけない
908考える名無しさん:2013/06/16(日) 09:36:46.76 0
無粋を承知で言えば、
>>905は、まさに>>888の前半と一致する
宣言に意味など無い
909考える名無しさん:2013/06/16(日) 09:45:06.41 0
>>906
もう無駄だと分かったんで好きにしたらいい
910考える名無しさん:2013/06/17(月) 20:32:11.62 P
911考える名無しさん:2013/06/30(日) 17:55:11.75 0
And Then There Were None.
912考える名無しさん:2013/07/02(火) 21:55:44.00 0
仏教というと、どうしても「悟り」ということを中心にして読んでしまう傾向があると思うが、
「悟り」ではなく、「迷い」を中心にして読んだ方が、仏教がよくわかると思う。
「迷いの中にいる自分」を前提として、「我が事」として読まなければならないと思う。
913考える名無しさん:2013/07/03(水) 01:25:04.43 0
そのとおり
哲学板にあるスレの割には分かっている人もいるようで安心した

デカルトのコギト云々と違って佛教では『我は無い』というのが基本
『自分』と言う事物が有ると思いこんでいる、というのが迷いの根源
914考える名無しさん:2013/07/07(日) 18:43:20.75 0
般若心経は、仏教が密教の方向に流れていく時期に出来た、般若経と密教の強引な融合。
かなり特殊な経典で、正直まじめに論じる価値があるかは怪しい。
915考える名無しさん:2013/07/07(日) 19:42:21.83 0
>かなり特殊な経典で、正直まじめに論じる価値があるかは怪しい。
でも厄除けの呪文として「効く(と信じられている)」から使われるんでしょ。
哲学的に論じる価値があるか?といったら、ちょいともにょるが。
916考える名無しさん:2013/07/07(日) 19:47:44.93 0
>般若心経は、仏教が密教の方向に流れていく時期に出来た、般若経と密教の強引な融合。
そもそも密教は御釈迦さんの教えと両立するか?という問題はあるね。

>また、ある尊敬すべき沙門・バラモンたちは、信者から施された食べ物で生活しながら、
>たとえば、肢体の占い、前兆の占い、天変の占い、夢の占い、身体的特徴の占い、
>ネズミの齧りあとの占い、火の献供、杓の献供、籾殻の献供、糠の献供、米の献供、
>バター油の献供、油の献供、口の献供、血の献供、肢体の呪術、宅地の呪術、王族の呪術、
>墓地の呪術、鬼霊の呪術、土の呪術、蛇の呪術、毒の呪術、
>サソリの呪術、ネズミの呪術、鳥の呪術、烏の呪術、寿命判断、矢の呪術、獣の輪といった、
>このような無益な呪術によって邪な暮らしをしている。
>しかし、かれはそのような無益な呪術による邪な暮らしから離れている。
>これもまた、比丘の戒です。
917考える名無しさん:2013/07/08(月) 00:55:27.12 0
>>914
蓋し正論だ
『般若』という語が題名にあるから般若経典の一つだという輩は多い
哲学板で論ずるべきは般若経だろう
しかも仏教ではなく、『大乗仏教』ないし『龍樹教』の経典として。。。
918唯識 ◆Vidya0E1.s :2013/07/08(月) 01:04:37.46 0
>>914さん
般若理趣分というのもありますね。
919承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/08(月) 01:28:03.93 O
六波羅の一つである般若は、大智度論で他の五波羅の基礎とされる。
即ち、施戒忍進禅の根幹であると。
勿論、八万四千の法門には、
仏教を論理学扱いする門もあるかも知れないから、否定はしないが、
どこぞの個人崇拝宗のような安易な他宗否定はみっともないかと。(笑)
920考える名無しさん:2013/07/08(月) 01:41:07.55 O
哲学的になら、無理に何教に分類しない方が見えやすかろ

仏教から仏教哲学だけを抜き出すなら、
要はその時代の最高哲学をもってして
「仏陀が言ったのはこういう意味に違いない!仏教の真髄はこれだ!」
と言っていただけなんだから


釈迦や龍樹は基本的な哲学をしっかり語ったから、後の世にも通じるだけのことで、
各時代の僧「科学(哲学)的な真理はこれだ!釈迦が言ったのはこういうことだったんだ!」
なんてのは、
ドイツ人「エポケー大事じゃん、ギリシャ哲学すげえ!ギリシャ人俺らより先進んでたんじゃね!?」
ってやるくらいアホの所業


仏教は宗教というにはあまりにしっかり哲学し過ぎたんで、
かえって各時代の哲学を釈迦(宗教的な権威)と結び付けてしまった
921考える名無しさん:2013/07/08(月) 01:51:42.97 O
だから、BC400あたりに存在しないはずの哲学を含む教えは、すべて初期仏教とはかけ離れてると言わなきゃオカシイ



ただ俺としては、各時代や地域の哲学を含む流れこそが仏教哲学だと思うし、
変化も融和も思想も実践も偶像も葬式も輪廻も全部含めて仏教全体だろ、と
他の宗教も巨視的にはそうなってる
922承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/08(月) 02:15:18.81 O
いや、それぞれの時代でそれぞれの宗派で、
個々の仏教徒が継承し体得した「仏教」を学びながら、
自心に「仏教」を問うのが正しい在り方。
はっきり言えば、学問としての「仏教哲学」などというものは、所詮西洋哲学の亜流であり、
疑似科学でしか無いだろう。
923唯識 ◆Vidya0E1.s :2013/07/08(月) 02:21:14.74 0
十分哲学スレでも議論できる内容ですね。
924考える名無しさん:2013/07/08(月) 07:01:02.69 P
本来の仏教に立ち返るなら仏像の存在をも否定すべきかも知れない
禅宗のように
ただし個人的に釈迦苦行像は美しい、と思う

美が世界を救うのだ
(龍樹も音楽だけは否定できなかった)
般若心経による論理学レッスン=悟りはそれらを補助する
925考える名無しさん:2013/07/08(月) 07:05:55.16 P
状況論的な印象批評ではなく、出来ればテクストに沿った議論をして欲しい
他の経典をあげるなら尚更
最低限空海は読んで欲しい

空海「般若心経秘鍵」 (角川ソフィア文庫): 空海, 加藤 精一
http://www.amazon.co.jp/dp/4044072248
926考える名無しさん:2013/07/08(月) 07:27:23.78 O
>>922
全般、仏教ならその通りだろうけど、まあ哲学板だし

仏教哲学が西洋哲学の亜流なんてとんでもねえ
西洋哲学が明瞭に整理されてるから、その文脈で語りやすいというだけ
むしろ他の宗教(ヒンドゥー教など)を介して西洋哲学にも影響与えた部分もあろうさ

>>924
学として遡ることは出来るが、実践として立ち返ることはできなかろ
禅なんて立ち返ろうとして一面の本質に捕らわれ尖鋭化した典型だろう
個人的には好きな方向性だけど、本質追いすぎて全体を見失ってるかと
927考える名無しさん:2013/07/08(月) 11:28:27.11 O
中論から一切諸法即如来、スピノザの神まで見てとった中村は、宗教家としては正しい
ただ学者としては、書かれていないこと、書かれているはずがないことを読み取ってはいけない


大乗という括りは、仏教の中で縁起の法という論理を中心に据える流れであって、
だから法は常住だが、世界観は時代によって移ろいゆく、現象としては法典が常住となり解釈が移ろっている
中論で語られているのは明らかに素朴実在論だが、それを導く論理(法)が大乗仏教という宗教を支えるものであり、
実在論自体は、移ろいゆくものなので、宗教にとっては法に比べれば大して重要ではない
928考える名無しさん:2013/07/08(月) 12:03:04.86 O
でまあ宗教は論理と世界観が合わさってるものなので、もし龍樹教なるものがあったとすれば、とっくに滅びてる

大般若、般若心経は当時最高の法(論理)であり、未だにかなりの部分で通用するが、
世界観が希薄なため、著者も成立年代も不明では、単体で特定宗教の法典としにくいと思う
大乗の根本に一致はするが、関係がわからん
929承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/08(月) 16:46:19.41 O
>926
倶舎宗、三論宗などで継承されてきた仏教哲学は、仰る通りインドやシナで様々な影響を与えたが、
それと近代に於ける学問としての「仏教哲学」は別物。

(^。^)大事な事なので繰り返しました。
930考える名無しさん:2013/07/08(月) 18:14:28.93 0
>>928
『当時』とは何時頃を想定してますか?
大般若経と般若心経を一緒に括ることが出来る時代とは?
931考える名無しさん:2013/07/09(火) 01:20:28.90 O
>>929
なるほろ、既にある仏教哲学て言葉からはかなり外れてたわ

>>930
具体的な年代不明なんだから想定は無理しょ
いついつでなく成立の当時
932承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/09(火) 01:34:41.61 O
因みに、般若経典群が最高というのも考えもの。
仏教とは本来、彼岸に至る筏であり、その為の各法門であり各種行法。
シュリハンドクとシャリシに高低は無く、五波羅の基幹に般若を置くも行法としての話。
無論、一門に帰依した行者の心構えとして無上と謳うは道理だが、
それを他宗の否定とするは法我執に過ぎない。
一々の法門には其々の法流が在る。

(^。^)「輪廻転生は仏教の大前提」って宣う「仏教哲学」の学徒には判らない話だろうが。(笑)
933考える名無しさん:2013/07/09(火) 09:33:14.21 P
インド人の論理学―問答法から帰納法へ (中公新書): 桂 紹隆: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4121014421

東洋の合理思想 (1970年) (講談社現代新書) [古書] [新書]
末木 剛博 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9BWPY/

プレミアはついているが買う価値はある
特に前者の内在的龍樹批判は貴重
934考える名無しさん:2013/07/09(火) 09:36:52.22 0
いま『大乗起信論』を読んでいるが、なかなかすばらしいね。

ああいう思想を批判する人たちは、「実在」と「実体」の違いについて
よく考えた上で批判しているんだろうか。

哲学的には、「実在」と「実体」はかなり違う。
935考える名無しさん:2013/07/09(火) 10:06:10.24 0
仏教関係の本を読んでいると
そのへん(「実在」と「実体」)が、非常に曖昧な感じがする。
936考える名無しさん:2013/07/09(火) 14:55:51.22 O
>>932
当時の最高の論理だと言ってるのであって、経典の価値の話はしてないよ
お前さんは、ちと宗教に寄りすぎだ


輪廻は世界観の現れだから、哲学的にはその変遷が大事なのであって、一定したものとして捉えてはいけないね
唯識論なら、この世は地獄、的なのが輪廻だろうし、拡張された実在論なら、来世もあろうさ
937考える名無しさん:2013/07/15(月) 18:34:51.31 0
>933
桂紹隆さんは正直で良いですね。
インド哲学の研究者、宮元啓一さんとのやりとりで、
龍樹の時代は、場合によっては詭弁を使っても、
議論でのルール違反にならなかったんだYO!
という意味のことを言って龍樹を弁護(?)してました。
納得はできませんでしたが、妙に感心してしまいましたね。
938承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/20(土) 12:29:02.04 O
論理学の連中が「仏教哲学の中論は優れている」というのは、
結局は>936みたいな視点で「評価している」だけの話。
つまり、量子物理学の学者が「仏教の空」を「評価」しているのと同じレベル。

(^。^)と言っても理解は出来ないんだろうなぁ。(笑)
939考える名無しさん:2013/07/20(土) 16:01:26.34 O
>>938
そらそうよ
940考える名無しさん:2013/07/21(日) 00:47:13.33 0
議論にルールなど無いのは殆どの人が体験している

声の大きいものが勝ちだ

ノックアウト勝ちというのもある
941考える名無しさん:2013/07/21(日) 05:47:26.69 O
どれだけ考えても実体がない状態で、存在が(仮にでも)成り立つという理屈がわからん

こういう議論じゃ説一切有部とか唯物論みたいに根源的な実体を認めるか
あるいは唯識みたいに妄想だからそもそも成立してないと主張するかしかない気がするんだが
もし実体がないなら例えば、机に触っているとき一体俺は何を触っていることになるんだ

空は存在を無限に分析していけるという意味だろ?
存在が底なし沼的な構造ならそれは成り立ってなくね?

そして、もしそうなら机触ったときにスカッてならないとおかしくないか?

俺が空を勘違いしてるのかもしらんが誰か教えて
942考える名無しさん:2013/07/21(日) 21:22:17.94 O
>>941
アンチノミーは無記でよろし

現代の唯物論だって、大体はこの次元の"物"を絶対としてるわけじゃなく、
「この次元の物は観念より根元的であろう」って程度だ
943考える名無しさん:2013/07/22(月) 00:54:13.79 0
>>941
考えるから分からなくなる
般若波羅蜜は、根本的には考えないことを会得することだ

哲学の目で仏経を考えるからいけない
龍樹の主張は、あらゆる命題は成立しない、ということの論証なのだ

ヨハネ傳福音書と正反対で、初めからロゴスなどなかった、ということだ
944考える名無しさん:2013/07/22(月) 04:16:59.35 O
それが当に哲学の目だが
945考える名無しさん:2013/07/22(月) 10:04:20.75 0
般若心経よいよね
「全ては無、世界も無、心も無、お前の存在も無」
とか主張しつつ最後の最後には
「彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸あれ」

心の無を主張しつつ、最後は「幸あれ」という願い(心)を込めてる

龍樹はツンデレの先駆けなんですわ
946考える名無しさん:2013/07/23(火) 11:50:53.34 0
*
947考える名無しさん:2013/07/28(日) 00:55:13.90 0
龍樹が般若心経を作ったわけではないし
般若心経は般若経典群の代表でもない

般若波羅蜜多心経とは、
般若波羅蜜多菩薩の呪文を潤色するために
何者かが般若経から適宜抜粋した経文を前段に
置いただけの、中国撰述の代物・・・・らしい
948考える名無しさん:2013/07/28(日) 14:33:04.19 0
上座部はブッダゴーサ教だなって書こうと思ったらすでに3年前に書いてあったw
949考える名無しさん:2013/07/30(火) 08:44:57.69 P
般 波 羯 即 実 呪 多 三 般 倒 掛 般 無 無 明 法 眼 是 不 亦 色 厄 多 観  摩
若 羅 諦 説 不 是 是 藐 若 夢 礙 若 得 老 亦 無 耳 故 生 復 即 舎 時 自  訶
心 僧 羯 呪 虚 無 大 三 波 想 故 波 以 死 無 眼 鼻 空 不 如 是 利 照 在  般
経 羯 諦 曰 故 等 神 菩 羅 究 無 羅 無 盡 無 界 舌 中 滅 是 空 子 見 菩  若
  諦     説 等 呪 提 蜜 竟 有 蜜 所 無 明 乃 身 無 不 舎 空 色 五 薩  波
    波   般 呪 是 故 多 涅 恐 多 得 苦 盡 至 意 色 垢 利 即 不 蘊 行  羅
  菩 羅   若 能 大 知 故 槃 怖 故 故 集 乃 無 無 無 不 子 是 異 皆 深  蜜
  提 羯   波 除 明 般 得 三 遠 心 菩 滅 至 意 色 受 浄 是 色 空 空 般  多
  薩 提   羅 一 呪 若 阿 世 離 無 提 道 無 識 聲 想 不 諸 受 空 度 若  心
  婆     蜜 切 是 波 耨 諸 一 掛 薩 無 老 界 香 行 増 法 想 不 一 波  経
  訶     多 苦 無 羅 多 佛 切 礙 陀 智 死 無 味 識 不 空 行 異 切 羅
        呪 真 上 蜜 羅 依 顛 無 依 亦 亦 無 觸 無 減 相 識 色 苦 蜜
950承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/03(土) 02:32:32.90 O
>941
だから、それが正に物理学的視点。
仏教は、存在自体の考察では無くて、
自心の制御に関して説かれた教え。
素粒子などの構造についてでは無く、
他の五波羅の基本としての般若が空。
例えば、机というものの本質は炭素などで構成されて実体は云々では無く、
机と認識しているが、それは木が組み合わされたものであり、机という自性は無い、という話。
別の例を上げると、弾道の計算式というものが弾道を支配している訳では無く、発射速度や空気抵抗や重力などが働いて、その様な数式に表されるだけ、という話。
951考える名無しさん:2013/08/04(日) 01:18:20.48 0
古代天竺でさえ中観や唯識と馴染めなかった仏教徒はいた。
経量部というのがそれで、>>941君に非常に近い感覚だから
>>941君は決して悲観することは無い。
求めるものがある、と思うなら求め続ければ宜しい。
そういう君にとっては、何が般若であり龍樹だろうか。
君が物理学的視点から解脱できないなら無理することはない。
偉大なる凡人を目指し給え。
952考える名無しさん:2013/08/04(日) 02:23:23.20 P
実体の有無は排中立だが仏教は空を提示する

    実 体
    有 無
認 有  |
    ー十ー
識 無  |空

いわば排中立に集合論的場所をあたえるのである
仏教に4分割思考が比較的多いのは偶然ではない
953訂正:2013/08/04(日) 02:24:40.45 P
立→律
954承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/04(日) 07:09:24.07 O
>952
ハズレ。
955考える名無しさん:2013/08/04(日) 10:57:07.30 0
>古代天竺でさえ中観や唯識と馴染めなかった仏教徒はいた。
そもそも仏教が古代天竺に馴染めなかったのでは。
桂紹隆さん言うところの詭弁(中観)を駆使したり、
アートマンもどきを想定した理論(唯識)を立てたりしても、
六派哲学の連中が説得されないのは当然だし、民衆もついていかないよね。
956考える名無しさん:2013/08/05(月) 11:51:36.86 O
>>954
内容については同意できるが、それは何的視点なのかな
よもや仏教的とは言うまいが
957952:2013/08/06(火) 03:30:31.54 P
>>954
それが排中律

>>956
論理学は主知的態度ではなく
天才的直観不在でも悟りの可能性を開く倫理的なもの
958考える名無しさん:2013/08/06(火) 08:22:36.67 O
>>957
承り太郎に聞いてるんよ

あとまあ、論理は単に論理的な視点だろうさ
959承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/06(火) 23:18:43.76 O
>956
無知亦無得以無所得故

仏教は論理学でも哲学でも無い。
彼岸への筏に過ぎん。


(^。^)まぁ、無理っぽいから俺は凡人で十分だがな。(笑)
960考える名無しさん:2013/08/07(水) 01:04:42.74 0
>>959
凡人になる前の無垢の貴君の意識は彼岸にあったはずだが
如何なる筏に乗って此岸に辿り着いたのか
961承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/07(水) 16:50:43.69 O
>960
キリスト教徒?それとも性善説の信者さんですか?
無垢なはずの幼子を放置したらカスパー・ハウザーや、隔離児イザベルみたいな事になってます。
つまり、人は学習して人になるという事ですよ。
962考える名無しさん:2013/08/08(木) 00:39:29.46 0
>>961
そのスタンスでは仏経とはまるで別世界です。
そもそも考えて返信をするということがアンチ仏経です
963承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/08(木) 23:34:20.34 O
>962
君の頭の中では、十二因縁がさぞかし奇っ怪な解釈されてるんだろうな。
964考える名無しさん:2013/08/09(金) 01:13:16.34 0
>>963
諸君らは佛教を誤解している

十二支縁起など思いつく前の無垢こそ佛教の極致です
965考える名無しさん:2013/08/09(金) 01:57:05.01 O
中観派は胎生学的な十二縁起観を持たないんだっけ
966考える名無しさん:2013/08/09(金) 12:02:51.08 O
リンゴの種がリンゴ全体を把握できるものか
967考える名無しさん:2013/08/10(土) 01:00:56.20 0
>>966
把握しようという観念は全く佛教から離れている

不可得なのだから

哲学的スタンスを捨てなければならない
968考える名無しさん:2013/08/10(土) 04:01:34.99 O
理論より実践
慈悲瞑想とヴッパナサー瞑想やりましょう

スレ趣旨は
ほぼその通り
969承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/10(土) 05:26:02.52 O
>964
月を示す指に優劣など無いだろ。
970考える名無しさん:2013/08/10(土) 13:09:51.97 O
>>967
しようとすること、すること、できること、連関はしているが必要以上にどれかに縛られる必要はない
971考える名無しさん:2013/08/11(日) 01:07:41.10 0
>>968
そんなことに惑わされてはいけない
瞑想など何の実践でもない

>>969
優劣なんと言っているのは貴君ではないのか

>>970
何ものが貴君を縛っているのかな
貴君は惑わされているのか
972承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/12(月) 06:00:52.03 O
>971
ほう、極致とは優劣を想定した概念ではないのか。
973考える名無しさん:2013/08/12(月) 08:41:38.79 0
一定時間の瞑想など現実逃避。
一日の始まりから終わりまでの生活の全てが仏道の実践である。
974考える名無しさん:2013/08/12(月) 08:48:45.34 0
仏教なんて必要ない
975考える名無しさん:2013/08/12(月) 09:07:07.73 0
うむ。見事な仏道実践である。
976考える名無しさん:2013/08/12(月) 13:39:22.98 O
急がば回れといいますからな
瞑想という回り道も必要ですわな
977考える名無しさん:2013/08/12(月) 17:58:43.61 0
>>972
極致とは優劣を超越した所、即ち優劣概念の生ずる以前の境地をいう
978考える名無しさん:2013/08/12(月) 18:02:40.48 0
>>976
急いで何処に行きたいのか
往く処などないのに

そうか、貴君は迷想しているのか
979考える名無しさん:2013/08/12(月) 18:16:01.97 0
>理論より実践
>慈悲瞑想とヴッパナサー瞑想やりましょう

理論より実践というのは、そのとおりだと思うが・・・
日々の生活や仕事の中で実践していくことが大事だ。
日々の生活の中で、自分(の中にある迷い)を見つめていく、ということ。

瞑想や坐禅をしていても、
それが、日々の生活の中に生かされていなければ、
まったく意味のないものになるから。
980考える名無しさん:2013/08/12(月) 18:20:34.43 0
0.1秒前の此処に行きたいです。
981考える名無しさん:2013/08/12(月) 18:58:46.59 O
>>978
そら志次第だろう
迷いも道だよ
982考える名無しさん:2013/08/12(月) 20:12:02.43 0
その通り。迷ったら迷うに任せる。
983承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/08/12(月) 20:43:20.59 O
>977
極致
力を尽くして最終的に到達する所。この上ないおもむき。

と、広辞苑にあります。
もう少し正しい日本語を学びましょうね。
984考える名無しさん:2013/08/13(火) 01:00:11.21 0
>>983
貴君は小学生か
985考える名無しさん:2013/08/13(火) 05:16:34.38 0
短い行数でチクチクと小蜂が刺すような指摘をしてないで、
これが正しくてそれは間違いだと堂々と論じればいいじゃないの。
986考える名無しさん:2013/08/13(火) 11:10:17.13 0
>>985
焚きつけていないで自分自身でやったら如何
987考える名無しさん:2013/08/13(火) 15:10:29.00 0
>>986
俺はROM専だから当スレで主張したいネタは何もない。
数行レスでチマチマした応酬を読んでても
みんな面白くないと感じているはずだから、そろそろ止めたら?と提案した。
988考える名無しさん
>>987
提案するのは貴君の自由だ
面白くないと感ずるのも貴君の自由だ