仏教 議論スレッド 46

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1神も仏も名無しさん
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仏教 議論スレッド 45
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2神も仏も名無しさん:2012/09/16(日) 21:38:52.15 ID:brVfWxHw
『中論』17-20は対論者の説というのは、どうも誤読の可能性が高い。
『中論』17-19までは不失法を説く部派の説で、17-20から龍樹菩薩の説でしょう。

青目註とほとんど同じ『無畏』『仏護註』はもちろん、『般若灯論』も『明句論』も。

恐らく学者は仮設と空性の関係を理解してないのと、『明句論』対17-20の最後に対論者の詩句が挿入されているのに惑わされていると思う。

もうちょっと検討したら『スッタニパータ』『大智度論』とともに公開するよ〜
3神も仏も名無しさん:2012/09/16(日) 21:45:26.17 ID:aX3AOW3N
「明らかに間違っているものを指摘してるだけ」という意識で叩いている時、
ひとは自分のことを「偏狭」とは思わないものなんだな、と宝珠氏に教えられた。
「白か黒かをはっきりさせているだけ」という認識なわけだ。
「偏狭」という語には「不当」というニュアンスがあるが、正当という自覚なら
せいぜい「厳格」ではあっても「不当」ではない。

かれは鏡を見たほうがいいと思うんだよなあ。
自分の考えを相対化・俯瞰した上でじゃないとあまり意味ないと思うけど。
4神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 13:27:20.55 ID:2VFTeIPl
>>前スレ991
>でも大乗では悟れないなんて妄言は止めましょう。
>唯識系でもアサンガなど弥勒系の覚者はいたわけで、
>そういう方々が釈迦に泥を塗ったとは言えませんでしょ?

私の主張は、
ゴール可能な宗教は“唯一ということはない”というものですよ。
当然、大乗の道からでもそれは可能です。
完成への道程というのは、個人的な資質こそより重要なのです。
ただし、多種多様な宗教存在の中での優劣と個人的な向き不向きがあるだけです。

尚、“完成された覚者”であるとは見ていませんが、
もちろん、大乗から輩出された歴史上の高僧名僧たちというのは、
それ相当のレベルの進化段階にあるものとしては認めています。
一部、パドマサムバヴァ、マルパ、ミラレパなどは、
阿那含レベルか、或いはそれ以上かと。
5宝珠愚者@(規制代行):2012/09/17(月) 13:29:35.53 ID:2VFTeIPl
>>3
反省の上に立って自浄努力をしてないでしょ!
まだ歴史的総括をしていないし、信徒に是非を問うてない!!
だから指摘するのです。
すべてテルマだの感得だので済まされては困る。

例えば、ローマカトリック・バチカンは自ら過去の攻撃的な血の歴史を反省し、
他宗教に対する寛容性と友愛の精神を持とうとしています。
まずは、人類は同じ父を持つ兄弟姉妹なんだという基本に立てば、
人種や国家や信仰の違いなど超えられるでしょ。
私の記憶が確かなら、ヨハネパウロU世が日本に降立ったとき、
全キリスト教を代表する者として原爆投下を謝罪し、
日本国も兄弟として愛する意思を示すべく大地に接吻を交わされた。
あの方の意識の清らかさは相当なものでしょう。
末端のクリスチャンがそれになかなかついてこれないほど・・・。
6宝珠愚者@(規制代行):2012/09/17(月) 13:44:32.14 ID:2VFTeIPl
>>4
宝珠でした(失礼!!)
7神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 13:56:09.59 ID:167jiwWB

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE

天台宗の「三諦偈」「一心三観」「円融三諦」

『中論』の原義から言えば、
「空」(空性)も、「仮」(仮名・仮説・仮設)も、「中」(中道・中観)も、全て、
「縁起」「無自性」の言い換えであり、
同じ内容を違う言葉・表現で言い表してるだけ、
ただの「同義語」として使用しているだけに過ぎず、
対置・対立させるような関係にはそもそもないのであり、ましてや、
「空」と「仮」が、「無」(断見)と「有」(常見)の「二辺」としての捉え方は、
端的に言って、解釈としては、明確に誤りである。

こうした天台宗・中国仏教的な「誤解」を、前向き・好意的に捉えることもできなくはない

実際、語彙・概念にまつわる誤解は混じっているものの、
「空」という概念もまた「非空」なる諸々の概念と相互依存的に成り立っているとも見ることができる
8神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 14:09:38.13 ID:167jiwWB

>>7
> 「空」という概念もまた「非空」なる諸々の概念と相互依存的に成り立っているとも見ることができる

非空 ← 例えば 「常住なる自性、絶対不滅、常住不変のアートマン」 とか?

空 ← 無常なる自性か? 或いは、自性ではないものか?

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B

自相(自性)とは
「それをそれたらしめている本質的な要素がそれ自体の側にある」と思い込んでいる

私たちは、
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
と習慣的に思い込んでいる

自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場

一方帰謬論証派 ← 世俗の次元においても自相(自性)を、否定する
9神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 14:34:18.90 ID:167jiwWB

一方帰謬論証派

帰謬論証派


 ↑ 訂正して、お詫び申し上げます
10神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:19:36.51 ID:48z+mTAP
>>8
>自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場
>
>一方帰謬論証派 ← 世俗の次元においても自相(自性)を、否定する

これはゲルク的理解で原義は全くちがう。

自立・帰謬という宗派は、特に言葉はインドで使われなかった可能性が高い。

そして月称菩薩の中観をチベット的に自立・帰謬で呼び習わすとしても、
帰謬派ということはできても帰謬論証派ということはできない。

なぜなら、論証したなら主張・見解を持つことになり、そうなると中観の趣旨である四句分別遮断による戯論寂滅への導きという道から逸脱することになるからだ。

これはゲルクが批判する離四辺中観に他ならない。離四辺中観こそインド中観の王道を伝えるもので、シナ・日本の中観も基本的に変わらない。

一方、特殊な論理学を用いて自立論証を中観に取り入れた清弁菩薩は、だからこそ月称菩薩に批判されたのであって、論証法の違いでも、自相(実在)に対する解釈の違いからでもない。

そんな些細なことではなく、中観の本質に関わる問題だから批判されたのに他ならない。

ゲルク中観はより自立論証的であり、私見ではよりアビダルマ的で全く中観的ではないと思う。
11神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:53:48.36 ID:167jiwWB

>> 自立論証派 ← 例えば 「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 とする世俗的な考え方に近い立場
>> 帰謬論証派 ← 世俗の次元においても自相(自性)を、否定する

> 帰謬派ということはできても帰謬論証派ということはできない
> なぜなら、論証したなら主張・見解を持つことになり、そうなると中観の趣旨である四句分別遮断による戯論寂滅への導きという道から逸脱することになるからだ

了解致しました

常住な自性、無常な自性、無自性、中観、チベットなどで(日本語限定で)推薦できる処があればリンクの貼り付けお願い致します
12神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 15:57:39.16 ID:48z+mTAP
>>11
もしかして?

?なら、そんなことより水野弘元『仏教要語の基礎知識』を三回音読した方がいいよ。

じゃないなら、言ってください。リンクします。
13神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 16:09:04.25 ID:167jiwWB

私【?】以外の人で

常住な自性、無常な自性、無自性、中観、チベットなどに

興味が有る人がいるので

(日本語限定で)推薦できる処があればリンクの貼り付けお願い致します
14神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 16:31:08.27 ID:48z+mTAP
>>13
その人のリクエストがあれば貼るけど、
君は混乱するだけだから、貼らない。
15神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:21:24.42 ID:LgeNYYYL
帰謬っていうけど輪廻や仏教が救いになるという根拠のない前提
に反するから間違ってるっていう理屈なんでしょ
16神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:35:23.48 ID:48z+mTAP
>>15
全く違うよ。

帰謬っていう場合は、あらゆる思考、見解、主張が矛盾に導かれ、
あらゆる考えが停止して頭真っ白な状態に導くこと。

その場合は、輪廻にしろ四諦にしろ方便として仮設された仏教の教え、
それも停止するために帰謬される。

だから、よく中観は輪廻を否定したとか言われるけど、
それは論証とか世俗的な議論のレヴェルで否定するわけではない。

頭真っ白な状態に導く言葉が、勝義への方便
輪廻とか善悪、四諦など仏教の一般的な道が世俗としての方便

この世俗と勝義をごっちゃにしたり、どちから片方を取って妄想すると、
全く分からないことになる
17神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:47:54.56 ID:gWJheXv2
>>5
>反省の上に立って自浄努力をしてないでしょ!
>まだ歴史的総括をしていないし、信徒に是非を問うてない!!
>だから指摘するのです。

接点そのものが無いからね。対話のしようがない。
まぁ、言いたいことはわかる。

>すべてテルマだの感得だので済まされては困る。

これは、わからない。
ひとがどう消化するかにケチをつけてるのかな。
連中が、俺が気に入らない見解・解釈を持つ事が気に入らない。
そういうことかな。
何様のつもりなんですか?

宝珠氏が望んでいるのは、大乗非仏説を明かされる事そのものじゃなくて、その先。
「ニセ仏教」がある種の敗北宣言をして、
信者がもっと離れて、「ニセ仏教」が衰退して
それを見て、溜飲を下げることじゃないのかな。
「仏教」の枠組みがとれた彼らが自分達のような
自由な探求をする人々の列に加わることへの期待もあるかもしれないが。

そのためには彼らに感得説やテルマ説をとられることはこまる。
18神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:57:07.30 ID:gWJheXv2
自由な探求をする人々は「  」つきで
「自由な探求をする人々」としたほうがいいな。
修正します。
19神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 19:08:04.74 ID:LgeNYYYL
>>16
なぜあらゆる見解は矛盾するの?
20神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 20:05:02.04 ID:167jiwWB

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm
中論觀四諦品第二十四
諸仏は二諦に依り衆生に説法される
一は世俗諦
二は第一義諦で
若し人が二諦を分別することを知らなければ
則ち深い仏法の真実の義を知らない
一切の法は性空だが而し
世俗諦とは
世間は顛倒の故に虚妄の法を生じ
世間には是れが実である
諸の賢聖は真に顛倒の性を知るが故に
一切の法は皆、空で無生だと知り
聖人には是れが第一義諦で実と名づける

 − − −

> 帰謬っていう場合は、なぜ?あらゆる思考、見解、主張が矛盾に導かれるのか?

一切の法は性空だが而し
世俗諦とは
世間は顛倒の故に虚妄の法を生じ
世間には是れが実である故に
21神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 20:10:43.78 ID:48z+mTAP
>>19
そういう問いは、なんらかの見解を掴もう、xである、xでない、などという知的理解を求めようという方向で、

帰謬は、そういう何らかの答えを言語的認識的に与えるものではなく、
言語的認識的こそ誤りで、その無明を鎮めるものなんです。

ですから、こういわれても分からないようでしたら根本的に発想の転換をしないと理解できなものだと納得してください。

もしかするといつか分かるかもしれません。

22神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 21:48:05.08 ID:167jiwWB

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1579_,30,0279a01

T1579_.30.0279a04: 瑜伽師地論卷第一

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1579_,30,0282a12

T1579_.30.0282a13
云何生。由我愛無問已生故。無始樂著戲
論因已熏習故。淨不淨業因已熏習故。彼所
依體由二種因増上力故。從自種子即於
是處中有異熟無間得生。死生同時如秤
兩頭低昂時等。而此中有必具諸根。造惡
業者所得中有。如黒羺光或陰闇夜。作善
業者所得中有。如白衣光或晴明夜。又此
中有。是極清淨天眼所行。彼於爾時先我愛
類不復現行。識已住故。然於境界起戲論
愛。隨所當生即彼形類中有而生。
23神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 21:52:05.05 ID:LgeNYYYL
>>21
なぜ言語的認識的な理解が誤りなのか
それがわからないんですけどね。
誤りだというからには理由が掛かれてるんでしょう?
24神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 22:09:58.01 ID:48z+mTAP
>>23
それを示す言葉ばかりですよ仏教は。

無我・空・無常

「これあらば、これあり。これなくばこれなし」

これは此縁性といわれ縁起を端的にしめしています。

「これあらば、これあり」が流転門の縁起、つまり、輪廻の迷いの縁起です。
「これなくばこれなし」が還滅門の縁起、つまり、輪廻からの解脱の縁起です。

「これあらば、これあり」と「これ」と認識する一切を我、本質・実体、恒常と捉えるのが迷いの縁起です。

「これなくばこれなし」と「これ」が空と遮断し、一切を無我、無本質・無実体、無常と捉えるのが寂滅への縁起です。

こういう意味で凡夫の言語によって分節され認識される一切が無明によって我、本質・実体、恒常と捉えるのが迷いでそれによって業を作り、業が苦を生み出す輪廻の円環だから誤りに他ならないと仏教では説きます。
25神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 22:56:52.47 ID:167jiwWB

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424

瑜伽師地論

人間がまさに死するときに、
過去の輪廻に於いて長い間経験され蓄積された『我愛』が現起し、
その力により促されて自己に愛着・執着し、
無始無終に続いてきた、
戯論(けろん)と善業悪業により、
中有を形成する。

その中有が次に生まれるべき処・縁を求めて、
やがて母体に入り、
ここで父母の精子が結合する時、
中有は滅して同時に生有が生じ、
一切の種子たるアーラヤ識がこれに結合して、
精子は成長し、胎児を形成し、出生に至るのである。
26神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 23:27:11.28 ID:LgeNYYYL
「これなくばこれなし」というのがというのがわからんね。
縁起のことなんだろうけど。

たとえばさっきの
「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 
これがどのように誤りだというの?
火に関する理解は凡人も仏教徒も同じでしょう
27神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 06:23:34.66 ID:cZafnZqV
>>26
>「火の熱さや燃焼作用が火の自相として認められる」 

世俗の習慣の中では、それぞれの言い習わしがあり、その習わしに従って、
言葉が示す習慣的意味・対象通り、それぞれの習わしがあるがままに認められます。

これが自相、自性、我、実体、本質と仮設されたものです。ですから、世俗諦です。

凡夫はそれを真実、実在と捉えるので有我、恒常、有自性となり、それが苦のもとです。

それは幻であり、それらが鎮まった状態に導くのが仮設された仏教の道です。

それら幻が鎮まった状態が涅槃寂静で勝義諦です。

これで分からないようでしたら、無理だと思いますので、もう止めときますね。
28神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 08:53:45.37 ID:v9DsjjwI
>>27
>これで分からないようでしたら、無理だと思いますので

分かってないのは、はたして誰なのか?
29神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:00:32.18 ID:cZafnZqV
>>28
はいはい、つきあってっられませんよ〜
30神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:06:46.71 ID:v9DsjjwI

『もしも私に何らかの主張があるならば、
しからば、まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存することになるだろう。
しかるにわたくしには主張は存在しない。
まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない。』 (龍樹 廻諍論29)
31神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:23:23.20 ID:cZafnZqV
>>30
その内容は寂滅ということでしょ。
上で言った勝義、涅槃、『中論』で仏は何も説かれなかったということでしょ。

つまり、仏は何も説かれなかったというのは、xであるなどの四句分別形式で何らかの主張を説かれなかったという意味ね。
あらゆる仏の教えは、戯論寂滅への導きであって、何らかの見解を主張しているのではない。だから、欠陥がない。その状態では論理そのものがない。だから、欠陥もない。

私の解釈にはなんの矛盾もないよ。それでも何か矛盾すると言うなら、君がどう考え、私の説明がどう分かってないとするのか説明してくださいね。
32神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:26:40.50 ID:v9DsjjwI
論破済み
33神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:27:39.23 ID:Yji7QAGB
竜樹が在野の自由思想家なら、彼を仏教が取り入れる理由は無いんだよなあ。
34神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:28:57.86 ID:Yji7QAGB
>>32
どこで?
35神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 09:41:29.18 ID:cZafnZqV
>>33
自由思想家とか、思想持っちゃったら>>30と明らかに矛盾するし、
中観じゃなくちゃうんだよね〜
そこら辺、仏教学者で理解できてる人が極めて少ない

>>34
ハッタリでしょ。感情的に違うと言いたいだけで、意味も分からず『廻諍論』を引用しただけ。
この説を論破された覚えは一度もないなあ。
36神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 10:15:30.82 ID:v9DsjjwI

分かってないのは、はたして誰なのか?




仏は矛盾なきを矛盾のうちに説く(無分別の分別)

直接現実(勝義空性)の様相を、間接現実(無明世俗)にて還滅(無分別の分別)すれば、
無明の連鎖である十二支縁起(俗數法)なるものは批判排除<除俗數法>されて当然だ。
ならば、<除業報輪廻転生>であることも理の当然だろう。

第一義空法經たるゆえんである。

以降、遮断寂滅。
37神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 10:36:56.89 ID:cZafnZqV
>>36
なんだ遊びか? 論破なんかされてないだろ、一方的に君の妄想解釈と違うって言われてるだけで、なんの根拠もない。その根拠が妄想だからな話にならない。

ところで「チャンドラキールティも当然、反対者の偈と規定している。これを龍樹の偈とみるのは青目ぐらいだろうw」ってのは自分で確認したんじゃなく孫引きなのにハッタリかましちまったことは認めるのか?

これが認められないヤツは、話しても仕方ないんだよ。
だから、話にならないって最初から言ってるんだ。そこが重要なんであって、それぞれの解釈は違って当然なんだ。

これが認められないなら、どうしようもない。生命教とか机とかと同じなんだ。
宝珠は、明白な間違いは一応認められるだけ、マシなんだよ。

さて、どうする?

アンタの理解だとマーヤー・現象とアートマン・実在と変わらないんだよ。
アートマン・実在を無分別・戯論寂滅と言い換えただけでしょ。

で、教えを仮設として捉えないから縁起の意味が見えない。

だから、幻としての現象から真実の無分別へ行くというだけで、
その過程、道として最も重要な縁起が全く見えない。

38神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:03:20.08 ID:v9DsjjwI

 やっぱり無理ですねえw 町のペンキ屋と変わらない。

 こういう無明の温室の中で、揚げ足取りでしか通用しない。

 縁起の現観にはほど遠い。

 他所ではまったく通用しません。

 では、無明踊りをお続けください。

 戯論寂滅  涅槃寂静

 

 
39神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:18:18.57 ID:cZafnZqV
>>38
間違いを認められない人だということはよくわかった。

だから、オレチャン教なんだって、

他所で通用するっていう場合の「他所」ってのは、オレチャンの周りという意味だろう。

これを機会に自覚されたし、まずは間違いを認められる人にならないとね。

がんばって、エゴを乗り越えてね〜
40神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:25:49.72 ID:cZafnZqV
誤解なきように付け加えると、たしかに現象・実在という理解で、
その過程である縁起を問題としない神秘主義は普遍宗教を目指すニューエイジ的な人たちの間では受けがいいだろうと思う。

しかし、その解釈を認める伝統仏教はない。

だからこそ遊びは伝統仏教をマハーカッサパの陰謀という妄想解釈で呼ぶわけだが、

さて、時代も地域も超えて共通理解を示す伝統仏教の見方と、
自分の明らかな間違えさえ認められないニューエイジ解釈の仏教と、
どちらがより仏教かはオイラには明白すぎるほどハッキリしているとしか思えない。

仏教っていわなきゃいいのにといつも思う。
41神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:29:12.20 ID:v9DsjjwI
459 :考える名無しさん:2012/09/17(月) 00:58:07.23 0
>そりゃ事実だからしかたない。
>
>なぜなら『梵網経』でキッチリ説かれてるから。
仏教が間違っているのは事実。
なぜならシャンカラやクマーリラに論破されているから。
天啓聖典たるヴェーダの権威に背くから。
……と言われてあなた納得します?しませんよね?
それと同じように、この発言で非仏教徒を納得させるのは無理です。

あなたが「仏教は特別」と思い込みたいのは、よくわかります。
……いや、そう思うのは別に構わないんですよ。
ただ、それが正しいと信者以外に証明するのは無茶なことです。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287385458/
42神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:30:00.13 ID:v9DsjjwI
461 :考える名無しさん:2012/09/17(月) 08:25:25.13 0
>信に依らずに、無明の中にいる凡夫がどうやって道を歩めと
「無明の中にいる凡夫」
この時点で仏教教義の刷り込みを受けています。
あと、そもそも釈迦が信を必要としたかどうかも考えた方が良いですね。

>パーリ『梵網経』読んだことある?
六十二見がどーのこーのという、語りがくどく、繰り返しの多い書物のことですよね。
明らかに後世の編纂物の。正直、わけのわからん決めつけも多くて感心できませんでした。
何かあると仏教論者が印籠のごとく振り回すので、もう少しまともな書物かと思っていたのですが。
ところであなたは仏教徒が外道と蔑む論者の書を注意深く読んだことがありますか?
竜樹や無着の言うことを鵜呑みにして安心しているだけでは無いのですか?

>そういう意味じゃないって。まあ、説明しても無駄みたいだから止めとくけど
仏教信者、あるいは今の自分の宗教に幻滅し、仏教を信じたがっている人
(西洋のインテリとか)以外には有効な論法ではないですね。確かに無駄です。
実際、インドの地では折伏があまり効果がなく、傍流どまりでしたし。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287385458/


43神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:33:15.18 ID:v9DsjjwI
>>40
445 :考える名無しさん:2012/09/16(日) 17:08:19.68 0
>>444

いかにも「論語読みの論語知らず」、「仏教読みの仏法智らず」には困った困った、こまどり姉妹ですねえw

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287385458/



44神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:34:21.09 ID:cZafnZqV
おい、他でって2ちゃんでかよw

それじゃ、単なるネラだろw

論破されて、根拠は2ちゃんか、いや〜、これは電波男以来のドキュンか、

まあ、彼には負けると思うが
45神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:40:35.88 ID:v9DsjjwI

注文と違う色を(意図的に?)塗るお方ですから、

町のペンキ屋としても失業・倒産ですねえ。
46神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:42:35.26 ID:v9DsjjwI
内容を吟味せよ
47神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:48:16.14 ID:jdmf1uSU
内容が真実であれば論破する必要がない。
内容が真実であって相手が気に入らないなら
虚偽を真としてでも論破すればよい。
48神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 12:26:12.80 ID:v9DsjjwI
>>40
>その過程である縁起を問題としない神秘主義は
>普遍宗教を目指すニューエイジ的な人たちの間では受けがいいだろうと思う。

おっさん!
白ペンキの注文やのに、黒ペンキ塗るな! お前クビや!

わざわざ、用語でも『縁起の現実(あるがまま)』という仏法をベースにおいて、
・分別知覚・記憶・判断を通す「間接現実」(いわゆる世俗)と
・無分別智による直接智覚「直接現実」(いわゆる勝義)との
二相で観るのが仏法として当然のことだろう。
これのどこが縁起撥無なのか?
むしろ縁起の法の二相把握であって、ブッダに最も忠実だろう。


49神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 13:06:28.19 ID:cZafnZqV
>>48
>むしろ縁起の法の二相把握であって、ブッダに最も忠実だろう。

ブッタの法じゃなくて遊びちゃんの妄想に忠実だろ

何回も指摘したように、君の場合はその妄想が先ずあって、
それに合わないテキストは全てマハーカッサパの陰謀で片付けてるから、
どう読んでも「遊びちゃんの妄想」なんだよ。

で、丁寧にほら違うでしょって指摘しても
「マハーカッサパの陰謀」だの「筏」に乗らないだの言ってるから話にならんのだ。

で、さらに単純な「チャンドラキールティ」見てないのにさも自分が直接見たように書いたということも認められんで「2ちゃんのみんなもオマイなんか認めてねえよ」じゃ、駄々っ子だろ。

かなり酷いは、もう絡まんといてえな〜

50神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 13:12:48.12 ID:cZafnZqV
>>49
誤解のないように付け加えると、

仏法にしろ仏教にしろ、ここで話してるのは「筏」つまり道、方便として仮設された教えの話だぜ。

それを「筏」に乗らんから、そんなことはどうでもいいみたいにいうのは野狐ってもんですは。

中論の戯論寂滅への導きも言葉に他ならず、それは教えで、「筏」なんだよ

「筏を捨てよ」という教えも「筏」に他ならない。

戯論寂滅の境地なんか、言葉で指し示せるわけないっしょ。そこら辺が全然分かってないんだ。

その点は机と一緒。だから、机が気に入ってるんだと思う。二人で話してりゃいいじゃん。話が合って楽しいかもよ〜
51神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 13:18:59.76 ID:NcNGqu7N

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1338854916/l50

 ↑ 机先生が常駐してる処です よろしく
52宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/18(火) 13:26:06.67 ID:dhAH8r7l
>>17
>「ニセ仏教」がある種の敗北宣言をして、
>信者がもっと離れて、「ニセ仏教」が衰退して
>それを見て、溜飲を下げることじゃないのかな。

仏教学上の歴史的史実に基づいた大乗の位置付けを明確にすること。
大乗諸経中のデタラメやフィクション(あまりにも膨大と思われるため、
特に主だった部分だけでいい)を認め、これらを明らかにし、そして謝罪すること。
ゴータマ仏の説いたものではない部分をハッキリと示してから、その上で尚且つ、
大乗各宗門の持つ優位性について語るべき。

>「仏教」の枠組みがとれた彼らが自分達のような
>「自由な探求をする人々」の列に加わることへの期待もあるかもしれないが。

望ましいことですけれど、まったく期待しません。
自己意思による探求はある意味で非常に強い精神力が求められます。
場合によっては、伝統などいつでも廃棄するくらいの冷徹さが必要。
すべては本人次第です。
53宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/18(火) 13:27:06.70 ID:dhAH8r7l
>そのためには彼らに感得説やテルマ説をとられることはこまる。

不誠実というか、
ただの嘘デタラメをそういうことにしてしまうのは殆ど詐欺同然かと。
空想と架空の諸菩薩に神話と迷信含みで創作物語を盛り込んだ教義をつくりだして、
保証の出来よう筈ない出任せのご利益をテンコ盛りなのですから・・・。

〜ということで、
理由を述べ出すとどうしても目を覆いたくなるような表現になってきてしまうので、
もう、取り合えずこの辺にしたいと思います。

現在の大乗僧侶たちも、
その多くはただ鵜呑みにしてしまった被害者的位置付けになるでしょうね。
基本的に悪意はありませんから・・・。
54神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 13:45:21.43 ID:v9DsjjwI
>>49
>ブッタの法じゃなくて遊びちゃんの妄想に忠実だろ

>>48は中論24-8〜10をベースにして、
自己咀嚼したものだ。
「神秘」「超越」「神通」などの観念が一寸たりとも潜入する余地はない。

ならば中論24-8〜10および>>48を批判せよ。

お前の揚げ足取りとナンセンスな揶揄は無視し見逃してやる。
55神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 14:35:07.99 ID:v9DsjjwI
>>50
>戯論寂滅の境地なんか、言葉で指し示せるわけないっしょ。そこら辺が全然分かってないんだ。

前スレ45

998 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:44:47.78 ID:8ySLylYR
  

           涅槃寂静


999 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:45:36.12 ID:8ySLylYR
  



            〇〇〇〇〇


1000 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:46:32.91 ID:8ySLylYR


.


56神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 14:40:18.86 ID:v9DsjjwI
>>50
>戯論寂滅の境地なんか、言葉で指し示せるわけないっしょ。そこら辺が全然分かってないんだ。

447 :〇〇〇〇〇の無分別智による直接智覚:2012/09/16(日) 17:53:55.26 0

かくて覚者は
『そこでは、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、

空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、

この世もなく、あの世もなく、月も太陽もない。

修行僧たちよ、(そこに)来るとも、行くともいえず、(そこに)いるとも、死ぬとも、(再)生するともいえない。

それは何かに依っているのでも、何かから生じたのでも、何かに支えられているのでもない。

         <それこそが苦しみの終わりである。> 』(ウダーナ8:1)
57神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 14:43:45.58 ID:v9DsjjwI
446 :〇〇〇〇〇の無分別智による直接智覚:2012/09/16(日) 17:51:22.52 0

無分別智は、分別知ではなく、閃きでもなく、気づきでもなく、無思考でもなく、

奔放でもなく、カオスでもなく、自然体でもなく、現状肯定・諦念でなく、意識でも無意識でもなく、

偶然でも必然でもなく、合理でも不合理でも超合理でもなく、超越者の啓示でもなく、

努力によるものでもなく、執着によるものでもなく、苦しみによるものでもなく、思いやりによるものでもなく、

瞑想によるものでもなく、集中によるものでもなく、自力でも他力でもなく、知能・経験によるのでもなく、

男女の区別なく、守誓戒の結果でもなく、仏教によるものでもなく、

いかなる導師によるものでもなく、またいかなる超越的体験や神秘体験によるものでもない。

<まさに住するところなくして、しかも其の心を生ずべし>

応無所住而生其心(金剛般若経)

58ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 16:02:15.87 ID:KqnADu6C
大乗、なかんずく法華経の読み方も知らない椰子が多い。
法華経は歴史的にみて、一番読まれてきた経典と言われている。
内容的にフィクションと言っている椰子がいるが、
釈尊は悟りの胸中を比喩をもって現した。
虚空に聳え立ち、7つの宝石に散りばめられた宝塔は、自身の生命であり、衆生の生命を表したもの・・
まあ、一事が万事だと言える。
59ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 16:13:58.92 ID:KqnADu6C
つづき
衆生の生命が何故宝塔なのか、それは、誰しもの生命には仏性が内在されているからだと教えている。
これは、誰しもが無限の可能性があると言うことに他ならなあいのである。
60神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 16:20:19.44 ID:jdmf1uSU
物事を理解するに根拠が同じであればだれでも同じような答えになる。
61ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 16:58:01.60 ID:KqnADu6C
方便品第二・・
62神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 17:02:52.61 ID:jdmf1uSU
50年の人生で起こることはすでに過去に誰かに書かれている
63ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 17:13:46.43 ID:KqnADu6C
仰る通り。
六道輪廻の六道がなんなのか知る人は多いが、四聖について知っている人は少ないのではないか?
64神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 17:53:44.85 ID:G4mLhhWB
信が必要なのか?よく言われるけど
悟ってない人が悟りを目指すときは信に依らないの?
信に依らない人はすでに悟ってるんでは?
人にしろ教えにしろ最初は信では?
65神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 17:59:39.39 ID:jdmf1uSU
人はウソをいうのでそれを根拠にしないことが重要
66神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 18:02:29.44 ID:KqnADu6C
生命には、生命の側面と死の側面とがあり、
極楽も地獄もこの生命の中にあるだと。
その昔、この世は苦しみだらけで
輪廻を嫌う思想が起きた。だが、このシャバ世界こそ衆生が遊楽する所と説いている。
67神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 18:04:49.48 ID:jdmf1uSU
米に税金をかけるのが始まって払いたくないから青田刈りとかやったらしいけど
困ったときに集めた米を配給するのが目的だったと思う。食い物がないと死ぬから地獄
68ミルキー・ウェイ:2012/09/18(火) 18:06:27.67 ID:KqnADu6C
シャハカ
69神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 18:36:12.77 ID:qiWxt6ac
自性がある、自性がない、言い方は違うけど意味内容は全く一緒なんだよ。
火に関する知識を考えてみたら仏教徒も凡人も何も変わらないでしょ?
外延が同じなら言葉の意味も同じ。
実在だ、仮設だ、というのも同じで中身がないんだよ。
70神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 18:38:45.34 ID:jdmf1uSU
わかりやすくするために物のたとえを使うと誤解させるいことがある
71神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 20:19:05.45 ID:cZafnZqV
>>69
>自性がある、自性がない、言い方は違うけど意味内容は全く一緒なんだよ。
>火に関する知識を考えてみたら仏教徒も凡人も何も変わらないでしょ?
>外延が同じなら言葉の意味も同じ。

 仏教徒は世俗があるがまま用いるからね

>実在だ、仮設だ、というのも同じで中身がないんだよ。

 そこは違うな。実在・実体・有自性と捉えて現象に執著するか、
 無我・空性・無自性と捉えて現象から開放されるかで大きく違う。
 少なくとも仏教では、そのように捉える。

 じゃなきゃ、我と無我、有自性と無自性、実体と空性の違いを言う意味がないな。
72神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 20:36:22.10 ID:GUh4PJX8
「火」という概念(法)は無我である。
勝義諦としては、色(物質的な刺激)。
その刺激を皮膚で感じれば熱さや痛みと感じるし、
耳で感じれば音声だと感じるし、網膜で感じれば色彩だと感じる。
身体のどこのセンサーで受けるかの違いであり、どれも物質的な刺激、つまり色である。
73神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 20:44:54.39 ID:GUh4PJX8
>>69 物質的な刺激を受けると、心身はそれに反応して次の動作をしたがる。
火に触れば「あつっ」と言って手を引っ込めるし、
エロい刺激には身体がエッチモードになるし、
梅干しを見たら唾がわいてきたりする。
気持ちいい刺激もそうでない刺激も、とにかく受が入ってきたら、
心身は反応せざるをえない。
それは本当に煩わしいことである。
朝から晩まで、入力され続ける刺激に対して出力し続けるしかない。
満足しきってもう何も反応する必要がない、というふうにはならない。
いつも、刺激に対して反応せずにはいられない、満足しきっていない、次の行為を求めてしまう。
74神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 21:00:23.76 ID:RiLITM7g
>>52
逃げ場を塞いで、「権威」の鼻を折って、屈服させたいだけでしょ。

釈迦が説いた、という意味での「仏説」だけでなく、
仏法を感得した、という意味での「仏説」を名乗ることも容認しない。
彼らが【宗教的・信仰的な意味で】仏教を自認することを許さない。
大乗仏教徒が仏教ヅラをするのが許せない。

「自分たちのことを
仏教の二次創作&修法・呪法コレクション
だと考えろ」
そういう要求なわけだ。
75神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 21:08:33.84 ID:GUh4PJX8
食べることに満足したら、食べることを止める。
眠ることに満足したら、眠ることを止める。
輪廻に満足したら、輪廻を止める。
生きることに満足したら、生きることを止める。
私達は、自分の名前を呼ばれたら反応せずにはいられない。
仮に返事をしなくても、耳の意識は呼び声に向いてしまう。
しかし、入滅したお釈迦様は、名前を呼ばれて返事することにも満足しているから、
いくら呼ばれても返事をすることはない。
聴くことにも満足しているから、呼び声を聴くこともない。
すなわち無余涅槃、吹き消された、平安なる滅び。
76神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 21:26:33.74 ID:gwGsjZcb
釈迦個人に執着する者は、その執着故に、いくら論理を説いても、その論理
は歪まざるを得ない。即ち、その論理はもはや論理ではなく、信仰に過ぎない。
77神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 21:38:21.21 ID:RiLITM7g
>>53
>不誠実というか、
>ただの嘘デタラメをそういうことにしてしまうのは殆ど詐欺同然かと。

俺が嘘デタラメと思うものはお前らも嘘デタラメと思え……
否定する選択肢しか認めず、調和化する選択肢は認めない。

でも、自分は寛容だ。偽仏教でも救われることを認めるのだから……。意識が目覚め
救いを獲得して霊性レヴェルが上がったら自然と自分の宗教を退けるのは当然だが。

この発想だと、相手がレベルを上げたら棄教するのを前提に放置しているだけだ。
相手宗教にとってどれだけ重要かは関係なく、あるドグマは
ただの因習であり、副次的産物に過ぎないのだから
そうしたものへの信仰・支持を弱め、捨てることが
霊性の成長をはかる一種の基準となる。

これを「他宗教にも真理があると認めている」ことにするのは、言葉遊びだ。
欺瞞にすら感じる。実際に認めているのはそれぞれの宗教が備える
メソッド・方法論の機能と効用に過ぎない。
78神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 21:46:01.73 ID:RiLITM7g
しかも、相手宗教が本来意図していない方向に働くことを前提としている。
79神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 21:50:02.91 ID:RiLITM7g
ID:cZafnZqVにとっては経典や論書にある戯論寂滅の表現は、
実際にそこに連れて行くための筏で、せいぜい緯度経度の書いてある
像の薄ぼんやりとした写真みたいなものなのか。

でもID:v9DsjjwIにとってはそのものズバリを言い表し尽くした物ということか。
頭の中で、文面上の表現と文句を全て重ね合わせて、何らかのテクニックで合一させれば、
その境地になるという発想なのか。
80神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 21:58:45.32 ID:cZafnZqV
>>79
だからはっきり「筏」ただの言葉だって書いてるでしょ。もうちっとキッチリ読んでクリヤ〜
月が勝義だとすれば、それをさし示す指ね。

勝義そのものは戯論寂滅の体験自体。

勝義を示す言葉は、言葉の勝義(異門勝義、パリヤーヤ・パラマールタ)って言われてるよ。

これを混同するのも困ったもんだ。
81神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 22:07:59.20 ID:RiLITM7g
月を描いた絵、じゃないのね。
82神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 22:17:55.72 ID:cZafnZqV
>>81
絵でもいいけど、その絵が本物じゃなく、
本物を示すための図、似姿、譬喩みたいなもんですね

図、似姿、譬喩を勘違いして勝義とはこれだと言ってもらっては困るってのが、
郡盲象を撫でる『智光明荘厳経』に次のように説かれるのも譬喩ですよ。

 文殊よ! 不生不滅な時、意心識は働かない。そこに何の分別もな
い。そ(分別)の妄想で理に適わぬ意識(不如理作意)も働かない。理に
適った意識(如理作意)を働かすことに努める者。彼は無明を起こさない。
無明を起こさないから、有の十二縁起が起きない。有の十二縁起が起き
ないこと。それが不生です。文殊よ! 何か不生なこと。それは無欠で
す。何か無欠なこと。それは了義です。何か了義なこと。それは勝義です。
何か勝義なこと。それは無人格な(無我の)対象です。何か無人格な対象。
それは言い表せない対象です。何か言い表せない対象、それは縁起です。
何か縁起の対象。それは法の対象です。何か法の対象。それは如来の
対象です。だから「誰か縁起を見る者は法を見る。誰か法を見る者は
如来を見る」と言われます。つまり、どのように探求しても観られない。
そのように観るのです。文殊よ! そこで「何も」とは何かというなら、
つまり、心と知覚対象[を何も]です。彼が心も知覚対象[を何]も観な
い時、正しく観るのです。以上のようにそれら諸法を如来が平等性か
ら同一だと正しく悟るのです。
83神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 22:19:02.57 ID:gwGsjZcb
釈迦を「信仰」する者が、いくら論理を弄しても無駄・無意味。その論理は、
「信仰」故にすでに歪み、論理ではなくなっているから。

「信仰」とは「非論理」「反論理」の行為である。

釈迦教徒の根本的誤りは、そこにある。
84神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 22:28:38.10 ID:RiLITM7g
いまありそうな陥穽を思いついた。

絵を見る→自分の頭の中でイメージでパワーアップさせて
→「実際の美しい月」を想像(創造)する
→「実際の美しい月」に兎さんや蟹さんが跳梁跋扈する。
85神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 06:44:41.11 ID:B4tgIh77
>>79
>でもID:v9DsjjwIにとってはそのものズバリを言い表し尽くした物ということか。

・いいえ。直指表現はありえない。

・無分別相(縁起の直接現実:あるがまま)は時空際断(Sn.874参照)ゆえ、分別言語論理・イメージもありえない。
>>55 1000 、十牛図 八 人牛倶忘 
*白地とか無色透明そのものではない。
*多くの仏典の「清浄」分別観念(例、理趣経)も作った坊主が掴めていない証拠であり、落第ニセ仏典。
これが仏性、如来蔵、本覚などの歪曲「仏教」として反仏法「思想」となる。

・無分別智で直接智覚するしかない⇒>>57 *「頭真っ白な状態」(>>16)など掴めていない者の典型的な表現。

・言語論理でなら分別間接現実で間接否定形式で隔靴掻痒に示唆するしかない⇒例>>56

・他に、比喩、気合音(喝〜〜〜ッ!が典型)、無視、沈黙、無関係語などなど。
86神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 07:22:17.54 ID:GIlvUnbH
縁起一代が悟りの境地を「思 考 停 止」のことだと考えてる。
と思っているのか。

意識の状態を最終目的地に持っていくための筏に見えたが。
「頭真っ白な状態(勝義)に導く言葉(方便)」
という対応関係でみたんだろうけど。

>・無分別智で直接智覚するしかない

具体的な方法は?
87神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 08:42:28.03 ID:HFx0ko3R
>>86
>縁起一代が悟りの境地を「思 考 停 止」のことだと考えてる。
>と思っているのか。

いや、違う。思考停止は滅尽定と考えることができるでしょう。
言い換えると三昧、禅定、止は精神集中で、最終的には心の動きを止める。

しかし、止では解脱できないというのが仏教の立場。

心を止めるのではなく、ほどよい精神集中状態で生滅を観じるなどの
縁起観によって無我・空性を悟り戯論寂滅に導くのが仏教。

これが観、般若、ヴィパシャナ、プラジュニャーなどと言われます。

戯論寂滅と思考停止は似ているように思うかもしれません。
ですが、縁起・無我・空性・仮設を経ているかいないかが大きな違いで、
単なる思考停止だと、その状態をアートマンなどの実在、真実などと捉えることが残ってます。

これは『梵網経』以来仏教が強調する点で、この違いが最も大きな違いと思われます。
だから、仏教は無我・縁起・空性であると説かれるのです。

少なくともこの点を理解しないと、仏教とは言えないというのが私の現在の理解です。
88神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 08:51:16.89 ID:B4tgIh77
>>86
>縁起一代が悟りの境地を「思 考 停 止」のことだと考えてる。 と思っているのか。

本人に聞けよ。
思 考 停 止など間接現実ベッタリの様相でしかない。

>最終目的地

始まりもないのに、最終なんぞあるわけがない。
只今、此処、自己の(間接=直接)「現実」(十牛図十 入鄽垂手)しかない。体質の差があっても、一休も良寛もここまで到達したと看る。

ちなみに、ウダーナ8-1<それこそが苦しみの終わりである。>の境地(無分別相の示唆)は折り返し点(十牛図八 人牛倶忘)であって、(九 返本還源 十 入鄽垂手)という復路、還滅(間接)現実で慶安に生き直すことで、ブッダの本懐は達成される。

>具体的な方法は?

平常心是道(南泉)

自帰依 ←<大疑団> フィードバック <菩提心> → 法帰依
                 (各種筏の検証) 
これは、何度も書いた。

89神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 09:40:35.60 ID:HFx0ko3R
>>86
ああ、遊びへの問いだったのね。

誤読しました。失礼しました。
90宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/19(水) 14:34:05.10 ID:0OdNPR1X
>>74
>釈迦が説いた、という意味での「仏説」だけでなく、
>仏法を感得した、という意味での「仏説」を名乗ることも容認しない。

“仏法を感得した、という意味での「仏説」”という言い方もかなりのクセモノ(曲者)かと。
まず、厳守すべきは「仏説」を使用できるのは原始経典だけだということ。
これ以外は、決して“許されない”。
ただし、ゴータマが語らなかった真理の部分(たとえ仏教といえどもい真理の部分に過ぎない)を、
高い意識状態にある高僧がインスピレーションで捉えた箇所というのは当然あるでしょう。
であるから、大乗は高い次元の有益な宗教とみなすことができるわけです。
それでも「仏説」は使用できない!
(もちろん、純粋に仏説をそのまま仏説として取り入れる分にはまったく構わない)。
91神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 14:34:42.14 ID:0OdNPR1X
>彼らが【宗教的・信仰的な意味で】仏教を自認することを許さない。
>大乗仏教徒が仏教ヅラをするのが許せない。

もう、細かいことをいうのは辞めましょう!

大乗が“ゴータマの教えとは直接的には関係ない”ことを認めて、
これをただ宣言されればそれでいい。
別に、これまでの教義を特に変更したり、寺院をたたむ必要もありません。
大乗には大乗の素晴らしい面が多くあるし、すでにこうして永い伝統を抱えて地域に根ざしています。
(事実と反省点について)認めることは明確に素直に認めた上で、
尚且つ、信念と自信を以って大乗独自の宗教を説けばそれでいい。

恐らく、信徒もそのことによって離れていくということはまず殆ど起こらないでしょう。
何故ならば、人々は慣れ親しんだ伝統と習慣を失うことは強く避けたがるものであるし、
大乗の勝れた信仰部分を知ってして信仰してきているわけであるから、
それを放棄する必要性は特に感じないでしょう。
92神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 14:38:13.50 ID:0OdNPR1X
>「自分たちのことを
>仏教の二次創作&修法・呪法コレクションだと考えろ」
>そういう要求なわけだ。

以前にも述べたように、
呪術もその使用の動機と意図、そして意識状態が重要なのです。
単なる欲望、願望の成就を目的とするならば、ただの呪術に過ぎないけれども、
大乗仏教としての高い意識次元で修されるならば、それは単なる呪詛呪術ではない、
ゴータマが称賛した真のバラモン祭祀といえるものになるでしょう。
修行という視点においても、これはこれで非常に優れた修行システムです。

ただの呪術との違いは、
その背景に高いレベルでの思想体系があるかどうかということ。
ただし、密教といえども、その使い方によっては呪殺も可能な恐ろしいものであるし、
立川流、宜しく左道密教の魔道とも化す。
密教だから良しとできるものでもないということ。
93神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 14:42:43.75 ID:oax0uwFd
つまり、「ボクが信じたいことは釈迦の教え、信じたくないことは後世のでっちあげ。」
・・・・・こういうことねwwwwwwwwwwwww
94神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 15:12:17.26 ID:RdaKSwV6
「釈迦が、イエスが言ったから真理」ということは、論理的にどこからも
出てこない。明らかな方法論的誤り。単なる「開祖盲信」。

真理とは、「誰が言っても真理」のことである。
95神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 20:32:22.44 ID:XfnlZNSY
>>88
>本人に聞けよ。

なるほど、「頭真っ白な状態」という文面の背後の(縁起一代の)意見を
推定した上で批判したんじゃなくて、そもそも自分が認められる表現じゃなかったから
否定したんだ。

>始まりもないのに、最終なんぞあるわけがない。

「最終目的地」というのは
そういう哲学的な話じゃなくて、いろんな段階を乗り越えて
そこに至り、至ったらそこに留まり続け、
仮に脱落したらそこにまた戻るべき状態、という意味で言った。

>これは、何度も書いた。

前スレでスレ内検索してるけど、
通過点の名前が書かれた図という形しかまだ発見してない。
636とか。銃で言えば「弾の装填」というプロセス名は書いてるけど、
弾の詰め方の中身が書いてあるのが未発見。スレ番号とレス番号を指定するか、
改めてここで、どういうふうに実践してるのか教えてほしい。
それで実際に効果があったのかも。
96神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 20:55:00.47 ID:zj3hnzb8
>>94


だから、世界中のどこにも、
 「 >釈迦が、イエスが言ったから真理 」だなんて言ってる人は居ないのw
みんな、『科学の実験等と同様に』確認して、その通りだと認証されたから言ってるのw

まだ解ってないんだから・・w ┐(´ー`)┌
97神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 20:58:23.86 ID:XfnlZNSY
>>90
>これ以外は、決して“許されない”。

誰が?
許さないのはあなたの好悪の感情でしょ。

あなたは他人の信仰のある形を許さない、と言っている。
私は偏狭だと思う。

仏教学を学ぶことを禁ぜず、あるいは自分から教えた上でも、
その上で感得説などの調和化の手段をとることすら詐欺や不誠実というならなおさら。
感得→言語化された時代や地域の違いという形での(縁起一代の)説明を見てきた上で
それを書いているのだから、多分そうだとは思うが。

あとは>>77-78につきる。

貴方の「偏狭でない」とは、相手がどう感じるか・どう位置づけるか・何を重んじるかを無視し、
相手があずかり知らぬものを振りかざし【認めてやっている】というものだ。

偏狭であることは仕方ないと思うが、その自覚は持っておいたほうがいいと思う。
98神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 21:14:09.25 ID:XfnlZNSY
ひとの信仰を
施設を畳むとか畳まないとか、
教団に籍を置き続けるとか、
思想・技法としてよくできてるから運営していける、とか
そのレベルでしか捉えられないのにはため息が出る。
「だから仏教じゃなくてもいいじゃない!
俺も価値を認めてあげるよ!」
こんなの、相手にとって、何なの?
99ミルキー・ウェイ ◆vCu3xnmzh2 :2012/09/19(水) 22:54:12.15 ID:ZJMZt4wK
>架空の・・

何を滑空と言ってるのか分からないが、仏とか菩薩というのは生命の働きをいうのだよ
逆に超人的な人物が超人的事象を起こすということこそ詐欺ではなかろうか
物事は道理の上になりたつもの、棚から牡丹餅はまやかしであろう
釈迦は述べている、研究し学び努力していきなさい・・と
100神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 23:21:42.48 ID:SCm1EruY
>>96
>『科学の実験等と同様に』確認して、その通りだと認証されたから言ってるのw

WWW。その前に、彼等の精神病の感染(「感応精神病」)と言う、精神医学的
現象があることを、片時も忘れてはならない。
101ミルキー:2012/09/20(木) 00:17:24.47 ID:MYzMYdw8
生命の境涯(状態)は仏界から地獄界までの十の境涯に分けられている。
病気や借金等で苦しんでいる状態は地獄界であろう。人の為に尽くしている時は菩薩の働きだ。
但し仏界は現じ難しと言われ、これを涌現するには、それなりのことをしなければならない。
それぞれに仏性が内在していることは先に述べた通り。
102神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 00:20:19.81 ID:0sOyHQVW
アマチュアのこのひと↓が、最近お勉強しましたよッと言うことで・・・アップしたらしい

仏道入門1前編【原始仏教】★音声・図解版★ 11:08
http://www.youtube.com/watch?v=Y9I0uq8CsEg&feature=relmfu
仏道入門1後編【原始仏教】★音声・図解版★ 9:53
http://www.youtube.com/watch?v=z3Nit589HVA&feature=relmfu
仏道入門1【原始仏教】★文字を読む動画版★ 11:41
http://www.youtube.com/watch?v=ScHscfz2TXE&feature=relmfu
仏道入門2-1 煩悩【原始仏教】★音声・図解版★ 11:16
http://www.youtube.com/watch?v=7aG0OswnBTs&feature=relmfu
仏道入門2-2 煩悩【原始仏教】★音声・図解版★ 4:22
http://www.youtube.com/watch?v=qrFg5rDzx5M&feature=relmfu
仏道入門2 煩悩【原始仏教】★文字を読む動画版★ 10:40
http://www.youtube.com/watch?v=CawSJ6JwmKQ&feature=relmfu
仏道入門3-1 十二縁起【原始仏教】★音声・図解版★ 14:32
http://www.youtube.com/watch?v=gESMHaXJLPw&feature=relmfu
仏道入門3-2 十二縁起【原始仏教】★音声・図解版★ 5:17
http://www.youtube.com/watch?v=qu6KoOW3mco&feature=relmfu
仏道入門3 十二縁起【原始仏教】★文字を読む動画版★ 12:04
http://www.youtube.com/watch?v=BhiH_MWEj1U&feature=relmfu
103神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 00:29:51.77 ID:Z3R3OxYA
>>102
「日本の仏教」は「大乗仏教」だから、「原始仏教」は完全に筋違い。

南方諸国の仏教である「テレワダ」の文献ばかりではないか。

日本人のROM者を、誤導してはならない。
104あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/20(木) 00:44:00.27 ID:0sOyHQVW
>>103

>「日本の仏教」

先生!(o´・∀・)ノ ハーィ 「日本の仏教」 って、どういうの?
105あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/20(木) 00:50:02.62 ID:0sOyHQVW
今の自分から成長する方法 【名言集】 7:02
http://www.youtube.com/watch?v=tMt8kkXM978&feature=related
106神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 01:20:19.93 ID:Z3R3OxYA
>>105
「自利利他」は大乗仏教の教え。原始仏教(釈迦仏教)の教えではない。
107あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/20(木) 01:26:22.13 ID:0sOyHQVW
>>106

>「日本の仏教」は「自利利他」、大乗仏教の教え。

エートォ (・o・) エートォ?

日本の仏教は大乗ってどうしていえるの? 都バスって、何?

「日本の仏教」は「自利利他」って、なに?


108神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 01:30:16.77 ID:bGEfQvWc
原始仏典に我を愛しいと思うならば他を愛しめと言う言葉が出てくるけど
109神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 01:44:57.62 ID:Z3R3OxYA
>>108
一般に、釈迦の悟りには他者がないと言われる。その誤りを是正したのが
大乗仏教である。

大乗発生の理由を調べられたし。
110あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/20(木) 02:06:26.25 ID:0sOyHQVW
>>109

まずは、自己を解決しないと・・・
111神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 02:15:49.74 ID:Z3R3OxYA
>>110
共同体では、利他がなければ、いくら自己を解決しても無意味。他人の「自己解決」
という自己満足など、知ったことではない。
112あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/20(木) 02:31:06.94 ID:0sOyHQVW
>>111
> >>110
> 共同体では、利他がなければ、いくら自己を解決しても無意味。他人の「自己解決」 という自己満足など、知ったことではない。

(゜Д゜) ハア??

では、全ての最初は自己ではなく、共同体ってか !?
113あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/20(木) 02:33:43.58 ID:0sOyHQVW
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?21
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1347928517/
114神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 02:35:58.57 ID:Z3R3OxYA
>>112
>では、全ての最初は自己ではなく、共同体ってか !?

当たり前だろ。父と母という男女共同体がなければ、そもそも我は生まれない。
君は、一人で生存できるとでも思っているのかね。

「個は、他との関連においてのみ存在し得る」。これが大乗仏教の真髄。
115神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 03:43:27.01 ID:dXxCk0UE
仏陀は三時(過去・現在・未来)を離脱した出世間智として常住である
人間ゴータマは死んでも、真理のあるところには仏陀が存在する
116神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 05:13:32.34 ID:k4pxSGJq
・真理は月であり、真理を指す言葉は月を指す指である。
・絵に描いた餅は食べられない。

これらが指し示すことは何か。『月餅は美味しい』という真理である

117神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 06:45:15.83 ID:qik0Y0HM
>>113
アナタが対話してる人は生命教という人で、彼は仏教のことが全く分かってません。
彼のいう大乗仏教は全く伝統大乗でも、文献学者のいう大乗仏教でもなく、
彼が勝手に自分の思いを投影した妄想説なので、ここでまともに相手にする人はほとんどいませんよ。
118神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 09:22:07.07 ID:1fsbpA0W
仏陀の真の姿は「法身」であり「無住処涅槃」を特徴とする。そのためには大乗の実践が不可欠→ググれ
119神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 09:24:30.85 ID:yaj5S9gB
>>95 なんで重箱の隅まで説明せにゃならんのだ?
あんたはアホのゆとり世代か?
無門和尚の「三分を説く」(無門関)の教えに反するではないか。

>意見を 推定した上で批判したんじゃなくて、
>そもそも自分が認められる表現じゃなかったから否定したんだ。

・「思 考 停 止など間接現実ベッタリの様相でしかない。」(>>88
・『頭真っ白な状態』(>>16)=「*白地とか無色透明」(>>85)は間接現実での心理状態の様相であって、
  直接現実における<縁起の現(あるがまま)観>(十牛図八 人牛倶忘:照見五蘊皆空)ではないといっている。
  この<現観>は>>87にいう『観、般若、ヴィパシャナ、プラジュニャー』と同趣旨か?ならば>>16は誤解を招く舌足らずだ。

  <現観>は無分別智による直接智覚(>>57)による。

  以上はすべて既出であって、あんたの咀嚼力が足りないだけだ。

>改めてここで、どういうふうに実践してるのか教えてほしい。それで実際に効果があったのかも。

 『人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ』(W・ジェームズ)←これで十分だ。

  アホのゆとりはもっと咀嚼力と行動力を磨け!

  釜ヶ崎「自由学校」(獅子 文六)で2〜3年修行せよ。
  菩薩だらけだぞ! 
  
120神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 09:26:29.45 ID:1fsbpA0W
原始仏教にしか関心がない人、大乗仏教にしか関心がない人は確かにいる→これはその人の持って生まれたカルマだなぁと思う→現在、日本には真の大乗は無い
121199:2012/09/20(木) 09:40:30.32 ID:yaj5S9gB
親切ついでに
>無門和尚の「三分を説く」(無門関)の教え
  
これは無門関第三十三則 「非心非仏」(ひしんひぶつ)にある。

『人に逢うては且(しば)らく三分(さんぷん)を説け、
 未だ全く一片を施すべからず。』

アタシはまたゆとり度を増やすヘマをやったか?
122宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/20(木) 10:20:17.24 ID:aIA6fVKy
>>77
>俺が嘘デタラメと思うものはお前らも嘘デタラメと思え……
>否定する選択肢しか認めず、調和化する選択肢は認めない。

私の述べていることは、
仏教学的な大乗非仏説に基づくものです。
私の勝手な好き嫌いの話ではありません。

>>93
>>77に対するレスと同様。

>>97-98
私の好き嫌いではなくて、
“ゴータマの教えとしては認められない”という意味です。

もちろん、信仰は自由です。
大乗を含め、いろいろな宗教の信仰があってもいいのです。
ただし、“ゴータマの教えではない”ということは公に明らかにしないさい、ということ。
でないと、欺瞞(罪)になるからです。
123宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/20(木) 10:21:00.48 ID:aIA6fVKy
>>94
当然、内容で判断するからですよ。

ニルヴァーナに到達した史実のゴータマの説法を纏めたものがアーガマ(口誦伝承)。
このアーガマを背柱として文字化されたものが原始経典群。
大乗諸経典は内容が異なる。

>>109
>大乗発生の理由を調べられたし。

当時の小乗としての上座部(長老派)に反旗を翻したグループが、
上座部と対抗する意図で創作されたものが大乗諸経典。
諸悪の根本原因は当時の上座部であって、
これをゴータマ仏陀のせいにしてしまうのは本末転倒も甚だしい限り。
上座部の偏狭ぶりはゴータマとは無関係。
124宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/20(木) 10:23:06.97 ID:aIA6fVKy
>>77>>93>>97-98
この私を責めたところでどうしょうもない。
大乗は自らのしてきたことの歴史的責任を摂る必要があります。
ダンマリは許されない・・・。ただそれだけです。

まず、そもそも仏教を学ぶのならば、
仏教史(仏教学上の)については把握しておく必要があります。
「根本二大分裂」、「インド仏教史」、「智の“五時八教説”の間違い」、「悲運の阿含経」・・・
といった事柄をキーポイントとして、その基本を押さえて下さい。

智説の絶対的権威のせいで暗黒の歴史へと葬られた『漢訳四阿含』
(『パーリ五部聖典』に対応する漢訳原始経典)の悲運について知って下さい。
下記の文献などを参考にして下さい。
話はそれからです。

増谷文雄著
 『阿含経典 第一巻』(総論p3-80)筑摩書房
増谷文雄著
 『原初経典 阿含経』筑摩書房
水野弘元著
 『原始仏教』平楽寺書店
友松圓諦著
 『阿含経』<仏教聖典を語る叢書2>大東出版社
125神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 10:26:18.94 ID:BN1QKGdz
>>125
「ゴータマだけは無謬」という結論は、論理的にはどこからも生じ得ない。
そのような前提が、方法論的に既に誤り。単に、「開祖の精神病の感染」と
いう「精神医学的現象」に過ぎない。
126神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 10:27:26.79 ID:dWOeeOOM
創価シネ
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127神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 11:09:24.47 ID:yaj5S9gB
倚りかからず自帰依

茨木のり子


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない 
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
128宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/20(木) 11:17:53.29 ID:aIA6fVKy
>>125
ゴータマは覚者であられる仏陀なのです。
仏教とは、「仏陀の教え」「仏陀になる(ための)教え」のこと。

しかしながら、大乗というものは、
仏陀ではないただの人間(後の弟子ではあるが)によって、
アーガマ(原始経典)に依らずに自分たちが勝手に創作を織り交ぜて
(アーガマのエッセンスを含ませつつ)書かれたものです。

極論、
これは“仏陀の教え”と“ただの人間による教え”という決定的な違いであって、
前者は仏陀になられた実際の経験に基づく確かなものです。
しかし後者は、ただの人間が勝手に仏陀のなるための方法論を経験に依らずに説いたもの。
そして、そこへ“如是我聞”なる、「わたしは仏陀からこのように聞きました」
という原始経典お決まりの文句をつけた。
高級ブランドのマークを勝手に着けて販売したら、もちろん逮捕されても当然。

で、ゴータマだから正しいではなくて、その説かれている中身の問題。
これを否定するのであれば、原始経典から部分引用をして、
そこが何故、間違いなのかを明確に解説して説得する必要があります。

まっ、あなたに話しても無駄だから辞めます。
一応、これは見ている他の方々のために書きました・・・。
129神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 11:21:23.99 ID:OcqYeZot
>>127
いい詩だね。引用thanks。
130神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 11:44:51.87 ID:yaj5S9gB

宝珠愚者は茨木のり子>>127にKOされました。
131神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 13:44:37.70 ID:XTErxoAR
>>130
釈迦もイエスもKO。
132神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 17:20:47.27 ID:v3l3xDH9
>>119
「どういうふうに実践してるのか」というのは、
>>95で言った「最終目的地」の意味みたいに、そのまんま簡単な意味だよ。

本を読んでいるのか、文句を頭で思い浮かているのか、
茣蓙を敷いて座してどれどれの方法で瞑想とかしているのか、
そのまんまの単純な問いだよ。

それによって「無分別智による直接智覚」というものを
貴方もするに至ったのかも確認したい。

>『人に逢うては且(しば)らく三分(さんぷん)を説け、
> 未だ全く一片を施すべからず。』

ttp://www.saikoji.net/houwa/houwa0907.html
「人に説法するときには、初めから全部を言ってしまうのではなく、三割程度に抑えておくのが良いというのです。」
これを言いたい為の引用ということでいいかな。

言えない事情があるなら一から十までは説明しなくてもいいよ。
伝統仏教でいう「行」に対応するものを貴方がしているかを知りたいだけだから。
個人的には残りの七分に入るような物じゃないと感じるが。
133神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 17:37:26.59 ID:v3l3xDH9
私は
閻魔氏が、自身が「無分別智による直接智覚をした」と感じる体験をしていると
予想している。

でなければ、仏典から真理であるものとそうでないものとを区別して
これは仏法で、これは非・仏法である、
というふうに分けていくことはできないから。

そういった体験が無い場合は、単に
自分の感性や常識を大昔の外人に当てはめてるだけ、
となるだろう(縁起一代はそれも誤った三昧体験から出来た感性・常識に過ぎないとか言いそうだが)。

ちなみに「無分別智による直接智覚をした」と思い込んだことが無い私は、
大昔の外人は当然、現代世俗日本人とは異なる思考フレームで生活していたと思うので、
自分にとって矛盾があったり幼稚に見えたり辻褄が合わなかったり不合理に見えても、
そこを受け入れないだけで、実は相手の意見はこうだったのだ、と修正することには慎重になるタイプだ。
134神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 17:48:35.82 ID:v3l3xDH9
(縁起一代はそれも誤った三昧体験から出来た感性・常識に過ぎないとか言いそうだが)。

(体験があったとしても、縁起一代はそれも誤った三昧から出来た感性・常識に過ぎないとか同列にしそうだが)。

修正。
>>124
えーと、貴方は私が「大乗仏典は釈迦が説いた」説の支持者だとでも思ったのかな?
正直、意図をはかりかねる。
「大乗経典だって、釈迦が実際に説いたかもしれんだろ!1パーセントくらいは可能性あるかもでしょ!
だから相手の意見も認めろよ!」という論法をしてるように見えたのか?
でないとその紹介レスはありえないよね。
135(´〉ω〈`):2012/09/20(木) 17:58:53.75 ID:1fsbpA0W
そもそも宝珠の「ブッダは悟った」という「盲信」は経典以外に根拠は見いだし得ない。「阿含経典」が完全無欠という根拠も無い
136(´〉ω〈`):2012/09/20(木) 18:02:23.07 ID:1fsbpA0W
宝珠の好きなヴェーダーンタ的解釈で言えば「悟り」だの「涅槃」だのこれらの概念は「すでにマーヤーの領域下にある」よった言葉上の響きの良さだけで、ブッダが悟った証拠にはならない
137(´〉ω〈`)オラオラ!:2012/09/20(木) 18:11:27.32 ID:1fsbpA0W
まあ、同じ事は大乗経典にも適用されますけどね?ところでいったい誰が「悟った」んでしょうねえ?「悟った」のなら「二元性の知覚」やら「自我の滅」も無く、悟っていないなら「自我の無自性」は無効です
138神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 18:39:40.54 ID:v3l3xDH9
ジャンの書は、外部から見れば、様々な神話・神秘ネタを
より合わせて作り出した架空の文献だ。
勿論、内部の視点からすれば、そうではない。

お互い、相手からすれば知ったことではない論点によって批判したり支持したりしているわけだ。
さて、ここで批判者が、支持する人々に対して
「貴方が支持するものは間違いだ」「私は貴方方の意見・信仰を支持しない」というだけでなく、
「詐欺だ」「貴方達は不誠実だ」とまで言ったらどうか?
どう思うか?

伝わらないかな〜
139神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 18:48:50.80 ID:bGEfQvWc
共同体マンセーと言ってるのも自己だろう
自己が無ければ共同体もない
140(´〉ω〈`):2012/09/20(木) 18:59:07.41 ID:1fsbpA0W
他者の内に自己を見いだし得ない内はコミューンもヘチマもない。で、宝珠さん、「大乗非仏説」を認めないのは罪とおっしゃるが、非常にそれは傲慢な態度だと気づいてください
141あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/20(木) 19:03:59.51 ID:HLIjYO1k
142神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 19:18:18.19 ID:v3l3xDH9
(´〉ω〈`)氏からほんのり漂うナタクさん@twitter臭……
143神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 19:43:24.93 ID:Isg42zpj
>>83
論理的思考というものは信仰に似ていませんか?
自分の掴んだ論理(その時点での直観でしかない)で現実を
評価していくとことか

わしは信仰者なんで許してねw
144神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 20:49:41.95 ID:7X7ltHyb
>>143
似るというかズバリ信仰だと思う。
そんなものは必要ないとも思うが、信仰したいものがあるとすれば、
言葉概念、五感で感じるものをひっくるめた「現実」だろうね。
145神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 21:31:24.85 ID:sCO2bWo8
>>101
じゃオレ地獄界だわ
146あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/20(木) 21:34:05.45 ID:HLIjYO1k
>>145 名無し 無反省 さん

ヤミ金地獄物語 1/3  9;28
http://www.youtube.com/watch?v=_gw-DVCxU2I&feature=related
ヤミ金地獄物語 2/3  9:50
http://www.youtube.com/watch?v=-YF1U9Guo3k&feature=relmfu
ヤミ金地獄物語 3/3  8:05
http://www.youtube.com/watch?v=cuY6GhYt_1o&feature=relmfu
147神も仏も名無しさん:2012/09/20(木) 23:25:05.79 ID:+ab35+rK
悟りは不敗
勝ち負けがないから
俗世間は金だの地位だの色々上下、勝ち負けがあるみたいだが
悟りは俗世間を超えてるからな
148神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 02:06:57.78 ID:giA6rBa5
釈尊は久遠の昔に色究竟天で悟りを得ていた
とかなんとか
149あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/21(金) 02:19:19.08 ID:sYb2AAQp
中国軍事力の真実[桜H24/2/25]  3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=YeMo1JaOm0U&feature=list_other&playnext=1&list=SP742E374F1A55EBAD
尖閣諸島・日中もし戦わば[桜H24/6/9] 3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Itu8VN7UrSo&feature=list_other&playnext=1&list=SPE6A5B81B8A7DB63E
!】日本が核武装したら世界はどうなる[桜H24/6/23] 3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=C8lGIqJV_k8&feature=list_other&playnext=1&list=SPF6E7CF849E89964C
150承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/09/21(金) 04:19:00.47 ID:hhXF9Dso
俗世超えてるとかって空見してるバカが多いよな。(笑)
151神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 06:51:21.05 ID:KW3JHVhy
空見がダメなら何がある?
まさか観察(笑)?
152承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/09/21(金) 07:16:47.61 ID:hhXF9Dso
>151
とりあえず、現実逃避してる自分を観察しないとな。

(^。^)生死涅槃無二無別聖俗不二なんだよね?(笑)
153神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 07:37:52.44 ID:KW3JHVhy
>>152
現実が空なんだよ
人間なんて実際はいないんだよ
修行が足りない未熟者は人間が実在してると錯覚しているようだが
人間なんて生き物は夢、幻にすぎない
154神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 07:42:00.46 ID:lHlCWG3a
>>153
相手にすんな。そいつは唯の現状肯定者だから。

釈尊も現法涅槃と切り捨てたもんの信仰者、言い換えればちょっと前に流行った科学・常識信仰者だから
155承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/09/21(金) 07:44:06.32 ID:hhXF9Dso
>153
幻だろうがケンダッパ城だろうが水槽の中の脳髄だろうがオンライン上のデータだろうが、其処に居る以上其処がお前のリアルなんだよ。
逃げないでちゃんと働けや。(笑)
156承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/09/21(金) 07:50:37.14 ID:hhXF9Dso

輪廻を信じないなら自殺しろとか言うバカに騙されんな。

連中はヤソ病に感染した異文化根絶を願うレイシストだ。(笑)

157神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 08:19:58.16 ID:r1igSHPw
「輪廻を信じないなら自殺しろとか」

そうじゃないでしょ。もし来世がなく今生で終わりなら
本気で煩悩を滅するつもりなら自殺すればいいだけ、で
釈迦もそう説いてただろ、という論法でしょ。
来世がある場合は、自殺しただけではそのまんま生まれ変わるだけで
何にもならないから、実際の釈迦は自殺を説かない、と。
(「悟った」人間が自殺するのは認めてたみたいだが)

ひとの台詞を歪めてはだめだ。
158神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 08:55:07.91 ID:BWJIrlUM
来世・輪廻を信じる者は、まず自分で自殺して試してみることだなw。

自殺できない者は、本当には信じていないことの証拠。

俺は、そんなアホなことはやらんがw。
159神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 09:09:25.66 ID:lHlCWG3a
>>157
しょうがない。文を読む力ないから。
そしてそのことを認めることもできないんで。

>>158
アホだな、そんなことして悪趣に生まれちゃってどうすんのよ?
仏教で人間に生まれるというのは、とっても稀なことなんだよ。
信じないのはいいが、相手の言ってること理解せずに批判するなら、
自分が馬鹿だって宣伝してるようなもんだぞ。承狂とおんなじだ。
160神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 10:55:38.62 ID:jqoTsWqN
>>133
>閻魔氏が、自身が「無分別智による直接智覚をした」と感じる体験をしていると予想している。

         不識 & ノーコメント

161神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 13:51:39.57 ID:CnqPBzDn
>不識

達磨さんの物真似なのか、単に「わかんね」という意味なのか
ようわからんな。

もし達磨さん(本人)がこの仏教議論スレッドという場に居て、この流れで
「不識」と言うだけで済ませたら「別にそれでもいいと思うけど、
あなたがここにいる理由は無いんじゃないの?
せいぜいROMるだけで十分じゃね?」と伝えると思う。

ここは
師――弟子、出家――在家のような、「そういう語り方でもいい」という同意・前提が共有されてる場所じゃないから。
162神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 14:04:08.97 ID:CnqPBzDn
師――弟子、出家――在家の場合は、
同意というよりも信仰・信頼といったほうがいいか。
個人崇拝という意味じゃなくて、師や詳しい善智識が背景としていることは真理であり、
彼らのやり方は、真理を伝えるのに適したものであり、聞き手を真理へと歩ませることにはなっている、
という信仰・信頼ね。
163神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 15:32:29.91 ID:jqoTsWqN
>>161
「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」(金剛般若経)
時空一切は無分別・無実体・空ゆえに、得べくもなく、執着すべくもなく、識り得べくもない。

ゆえに、遊びをせんとや生まれけむ。
一陣の舞(敦盛)で、風とともに去りぬ。

>>162
『真理』なんてあらへん。

では。
164敦盛:2012/09/21(金) 15:44:50.65 ID:jqoTsWqN


思へばこの世は常の住み家にあらず

草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし

金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる

南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ




165神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 15:46:47.16 ID:a6woyVpk
162では何が問題にされているのかわからんかな〜。

簡単に書くと俺と閻魔氏との間に共有されているものと、
例えばダルマさんと武帝との間で共有・容認されているものとは違うという事だ。
だから禅の典籍にある事例や言葉をそのまんま
この場(議論スレッド)に移し変えても意味が無い。
ここでやることじゃない、ってことだ。
166神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 15:48:55.49 ID:a6woyVpk
最近じゃtwitterという便利なものもある。
167神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 23:09:04.23 ID:gSBiCZyE
また落ちたのか・・w

サルベージ
168宝珠愚者@(規制代行):2012/09/22(土) 08:24:23.22 ID:Iboo+XQo
138
>お互い、相手からすれば知ったことではない論点によって批判したり支持したりしているわけだ。

『ジャンの書』が今も現存するかどうかはわかりませんが、
要するに、これは当時の太古の文献をハイアラキーの覚者によって
ブラヴァツキーにアストラル投影で見せたものとして理解。
内容についてのそのような一般的批判は、
無知から来るただの神智学に対する如何わしさ感からのものです。
真理は宗教を超えて共通項が随所に確認されて当たり前です。
それを各諸宗教からのパクリ、寄せ集めと悪評しているに過ぎない。

一方、大乗非仏説は明確に、
学問によって確認された学術的な事実(定説)です。
信仰ですから、大乗の説く事柄すべてを正しいとすることはご自由ですが、
少なくとも、ゴータマの言説から纏められた原始経典とは内容がまったく異なることだけは、
明らかに公言される必要があるでしょう。

まだ、学問的にしか公にされていませんが、
宗門はこのままダンマリを通す?
169神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 08:56:26.10 ID:OXNzUdAO
>>168
まあ、君と話してもしょうがないが、他の人が勘違いしないように指摘しとく。

>一方、大乗非仏説は明確に、
>学問によって確認された学術的な事実(定説)です。

これは素朴実在論に基づくもので、これを認めるなら、以下は認められない。

>要するに、これは当時の太古の文献をハイアラキーの覚者によって
>ブラヴァツキーにアストラル投影で見せたものとして理解。

これを認めるなら、以下の『入中論自註』に説かれるような大乗が仏説であることを認めないのは可笑しい。

> 福徳によって有為の身体(化身)が起こることは言うまでもないが、
>その加持によって諸化身から法の真如を証す何らかの御声が出る。
>さらにそれから世間で真如が決定される。諸化身から起こるだけでなく、
>他にもその力によって心と心の働き(心所)が働かなくても虚空や他に、
>草や木や壁や岩などからその力によって御声が出る。
>さらにそれから世間で、それ自体が知覚されるのである。 

文献学のように素朴実在論に立つなら、縁起・空の仏教が全く成り立たない。
文献学はマテリアルな資料論、言語学的な意味確定には大きな力を発揮するが、
教義となると無意識に素朴実在論を持ち込んで解釈する人が多いので、役に立たない場合が多い。

戒定慧でいえば、戒については妥当なことが多いが、定は半々、慧については誤解が多い。
170神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 09:24:17.71 ID:otyEK/s2
>>168
閻魔氏にも言ったけど、論点を受け止めてくれないかなあ。

自分の中じゃ消化(納得)できるから俺のはよくて
相手の消化方法(テルマやら感得やら)は間違いだ、
それだけでなく不誠実な詐欺だ、という返答は予想はしてたけど
期待はしてなかったよ。

せっかく例に出してみたんだから対応させてみるかな

(ジャンの書)【東洋宗教神話のアイデアが盛ってある】【本物と主張される】
       【とはいえ現物が学問の棚の上に出されたことはない】
(大乗経典)【伝統的宗派に伝承しない人々がおり、捏造やめて等の批判もなされた】
       【本物と主張される】【とはいえ現物が学問の棚の上に出されたことはない】

外野から見ればうさんくさいことこの上ないが
(なぜなら、ただの寄せ集めでも、多少文才があれば「各宗教に通底する真理をまとめた本」は作成できるからだ。そしてその実例は他でよく見られる)、
それぞれの信者は消化するための体系を持っている。
神智学はといえば「凄い年月を生きて活動してくれるハイアラーキーが他所では最近みかけない古の叡智を明かしてくれたんだよ」
チベット仏教はといえば「聖者が法を感得して文字化したんだよ」+>>169で引用されてるパッと見、俺も正直よくわからん記述

なぜ仏教学・文献学が、テルマ説・感得論を大乗非仏説を覆すものとみなさないか?
それはハイアラーキーの皆さんとその活動によって捏造説が解消されると外野にみなされない理由と同じだ。
171パーピマン:2012/09/22(土) 09:25:01.77 ID:9GNKfLln
>『ジャンの書』が今も現存するかどうかはわかりませんが、
>要するに、これは当時の太古の文献をハイアラキーの覚者によって
>ブラヴァツキーにアストラル投影で見せたものとして理解。

ん???  宝珠よw
お前確か、一代のテルマ、批判してなかったか??
上記のことなんか、それこそ神智学版テルマだろうが?www
172神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 09:26:10.42 ID:9GNKfLln
ゴメンwww

コテは無視してねww  消し忘れたwwww
173神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 09:32:56.79 ID:otyEK/s2
同じ超自然を支持する立場なのに、

ハイアラーキーの皆さんが教えてくれた、には納得できるのに
テルマ式に感得した、には納得できないのか。

それは「自分には馬鹿馬鹿しく見えるし、他の一定数の人々も省みないから」に他ならない。

そして「他の一定数の人々」の多くは宝珠愚者と異なる立場の持ち主であり、
彼らがそう判断する土台に拠るならば、彼らの「省みない」はそのまま自分に跳ね返ってくる。
174神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 09:43:32.16 ID:otyEK/s2
>>170>>173は私がいま言っている趣旨からすれば、枝葉のようなものだ。

メインは「意見が違う時、支持しないとか、誤りだ、と批判するだけでなく
自分から見て馬鹿馬鹿しいと見えるからと、相手の誠実さまで否定するのは偏狭である」
「それでもいいとは思うが、自分が偏狭であることは自覚しておいたほうがよい」

「ついでに言うと貴方のスタンスで『他宗教にも真理があると認めている』と主張するのは欺瞞である」
175あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/09/22(土) 17:26:20.83 ID:NuBCm9Bp
般若心経って仏教じゃなくて竜樹教なのかね?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287385458/
176神も仏も名無しさん:2012/09/22(土) 19:11:46.99 ID:ujLxm4Dq
177《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/09/22(土) 20:51:06.24 ID:qo0RQuP6
>>176

韓国人宗教団体の危険性を論ずる
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1344603863/
178神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 01:13:36.17 ID:KhFoxLXr
『入中論自註』って9月出版って一代さんが言ってたと思うんですけど、もう出てます…?
はやく読みてぇぇぇぇ
179《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/09/23(日) 01:15:57.20 ID:zydZMryS
180神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 05:22:03.04 ID:1fFmQz3l
>>178
まだです。年内には出ると思います。
181神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 08:49:39.90 ID:9Krt/PZx
これから、いろんな重要テキストの和訳が出るといいなあ。
182神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 10:09:16.16 ID:ExkWzLM6
入中論自注おでも読みたいYo
183神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 12:27:31.72 ID:ja6XMZbV
ここで『入中論自注』とやらを

ボロボロになるまでチェックするのが面白い。

一年後には全面改訂版を出さざるを得なくなったりしてw

ネタが増えたな。
184神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 12:33:22.86 ID:p3YotI3J
ここに彼の誤訳を指摘できる人はいないような。

セブンも読めるのは漢文までじゃなかったか。
185神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 14:46:22.82 ID:1fFmQz3l
>>183
そりゃ、よろしく〜

そのうち梵本も出るから、蔵本の作業版は発売と同時にネットに公開されるでしょう。

>>184
細かい誤訳は結構あると思う。

それと不明な部分も明らかにしたいよね。

ただくだらない指摘は困るけど、直訳じゃないとかw
186神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 15:21:55.56 ID:ExkWzLM6
「入中論自註」の出版者どこ?あとお勧めの「大乗仏教書籍」は何?
187神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 15:41:24.92 ID:1fFmQz3l
>>186
それは出てからのお楽しみで〜

概説は山口益先生の『仏教思想入門』を始め山口益先生の諸著は素晴らしいです。
あとダライラマ猊下の『智慧の眼を開く』『仏教哲学講義』『愛と非暴力』
それとマリヤ・リンチェンの諸訳

原書なら沢山ありますが、訳書なら梶山雄一先生のものがいいです。
中央公論社の大乗仏典シリースはインドも中国・日本編もいいですよ。

あと生井智紹先生の『密教・自心の探求』と石飛道子先生の『龍樹』をあげときます。
ただし前者は読みにくく、指示された論文を読まないと理解できませんが、内容は素晴らしい。
あと金倉円照訳『悟りへの道』『入菩提行論』の和訳で一番いいと思います。
188神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 15:43:21.69 ID:ExkWzLM6
サンクス
189暇人:2012/09/23(日) 16:04:59.44 ID:ix7NpByD
>>187
山口益先生は私もお勧めしたい。今なお色褪せない良書だよね。
しかし山口益を推奨されるとは、かなり御年輩?

ダライラマ猊下。げいかって、チベット人や亡命チベット人の方々の
ダライラマに対する尊敬の念はすごいとお聞きしているが
日本人なのになぜ、「げいか」と尊称されるの?
190神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 16:29:06.27 ID:7z2T11UM

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章/ダライラマ14世テンジンギャツォ(著)

出版社: 大蔵出版 (2010/05)

長年の研鑚と瞑想・修行に基づいた、法王自身による縁起・空思想の珠玉の解説書
191神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 16:51:52.46 ID:1fFmQz3l
>>189
それほどでも〜

実は山口先生が優れていると分かったのは五年ぐらい前のことで、20年前ぐらいに読んだ時は全くその良さが理解できませんでした。

猊下と呼ぶのは一応、弟子の端くれですから。

>>190
その本の中観解釈はゲルク的で余りお勧めではないです。
噂によると猊下の講義は素晴らしいものだったが、ゲルク学者によるゲルク説への修正が施されたという噂もあります。

猊下講義は録音があるのですが、ちゃんと確認してません。
192暇人:2012/09/23(日) 16:56:08.49 ID:ix7NpByD
>>191
不躾な質問に
丁寧なお答えをありがとうございました。
193神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 17:00:18.99 ID:1fFmQz3l
>>192
そうそう暇人さん、懐かしい〜

お元気? たまにはこちらにも書いてくださいよ〜
194神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 17:06:27.79 ID:sU8fp0Uh
一代さんのすすめで俺も山口さんの仏教思想入門読んでるけど面白いねこれ^^

深いなーかゆいところに手がとどくなー
195神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 17:33:33.23 ID:7z2T11UM

大乗としての浄土―空・唯識から念仏へ/山口益(著)

出版社: 大法輪閣 (2007/02)

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804612491/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

「出世間無分別智(煩悩障を断つ智慧)」

「清浄世間智(所知障を断つ慈悲)」

「清浄世間智(慈悲)」は四沙門果の智
196神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 20:31:08.35 ID:1fFmQz3l
>>194
いいでしょう。しかも分かりやすいですよね。


>>195
これもいいです。

これを読めば浄土教が大乗であることと全く矛盾しないことがよく分かると思います。
197神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 20:46:52.15 ID:p3YotI3J
極楽浄土でちゃんと修行するつもりだということを知った上で
非・大乗仏教というのなら、ほんとうに意味がわからない。
198神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 21:01:17.61 ID:p3YotI3J
「浄土」の真意とはなんだろう。
もしや
来世で確実にいいとこで修行できる場所、
という意味だけではない?
199神も仏も名無しさん:2012/09/23(日) 21:20:02.75 ID:9xeu27VP
>>184
いやいや、
漢文は当てずっぽうw パーリだって舐める程度しか読めんよ・・ (;´ー`)


ところで、あの暇人は、あの暇人なのかな?w
200宝珠愚者@(規制代行):2012/09/24(月) 02:07:44.09 ID:FGvsnun0
>>169
勘違いも甚だしい限り。

私は大乗にテルマや感得が皆無などとはいっていません。
個人的には全部だとは見なしていませんが、確かにそういう部分はあるでしょう。
いや、もちろんあると思っております。それは認めています。

しかしながら、
その大乗のテルマや感得を「=(イコール)」で
ゴータマの教説と同じ仏説であるとして結び付けることは同意できません。
そして、勘違いも酷過ぎるのですが、
この私は以前にも述べているように神智学のことを仏教などとは主張しておりません。
そういうアプローチもブラヴァツキーからは成されていません。
ただし、仏教(ゴータマの教説)には依らない真理の部分も
この世の中(及び、他の諸宗教等々)には存在する、
ということをこの私は認めるのです。

大乗のしたことというのは、
ゴータマが言いもしないことを勝手に「ゴータマが教えた」、
または、「ゴータマから教授された」ことにしたという点にあります。
これは明らかに“詐称”ですから、即刻、辞めるべきです。
201宝珠愚者@(規制代行):2012/09/24(月) 02:08:19.26 ID:FGvsnun0
伝統的な信仰にはどうしても迷信がつきもので、それがとても蔓延っています。
しかし、これを打破して排除することは、その信仰者の中からでは無理なのです。
そうして数千年でも迷信は信奉され続けていくのです。
これを打ち破る唯一の手法は信仰には依らない純粋な学問のみ。
それが文献学というもの。特定の信仰心を持ち込んだ研究というのは偏るからダメなのです。
これをあなたは素朴実在論として切り捨てようとしているするわけですよ。
迷信を指摘するものを素朴実在論として罵倒する姿勢はとても愚かです。
まっ、信仰は迷信も含めてご当人のご自由ですけれど・・・。
文献学というのはその性質上、どうしても宗教性の超常的な部分は事実とは見なしていないというだけ。
尚、「当時、そのように信じられていた、説かれていた」という意味においては認めることができます。

この以下の経文は、
明らかに未来に登場することになる大乗徒のことを指すものであり、
しかも、ゴータマはそれを良かれとして評価されておらず、
逆に、ご自分の教えは異なるものとして批判を告げています。
あなたが天才として称賛される石飛氏も、この経文を警告として紹介されています。
202宝珠愚者@(規制代行):2012/09/24(月) 02:08:53.36 ID:FGvsnun0
 『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
 如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応して
いるものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、
了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは
考えないであろう。
 これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するもので
あり、弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けよ
うとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものである
と考えるであろう。
 かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応してい
る諸経典は消滅してしまうであろう。
 比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―――[如来の説かれた、深遠にして意義
が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにしよう。
耳を傾け、了解しようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると
考えることにしよう]と。』(『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5)
203宝珠愚者@(規制代行):2012/09/24(月) 02:09:19.09 ID:FGvsnun0
>>170
参考:http://houjugusya.web.fc2.com/hpb.html
(特に、中段の“『シークレット・ドクトリン(秘密教義)』の真実”の項を)

>>171>>173>>174
>>169に対するレスを参照のこと。
204神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 04:33:33.85 ID:d30zpq7j
>>201
話しても仕方ないというか、本当に何も分かってないというか、倒錯してるというか。

文献学に妥当性があるのは、どう考えてもマテリアルな側面なんですよ。
これは私も否定できないし、大いに依拠している面です。
要するに写本の異同とか、言語学的分析です。

ですが、それらの読みから意味、体系を構築する際に文献学者で、素朴実在論を免れている人が少ないのも事実です。

単純な話、輪廻も認められない人もいる。まして感得など認める人は少数です。
それを認める少数の一人が石飛先生で、アナタが挙げた文はどちらかといえば部派を指す面が多いと思います。
その文は大乗を指すのではなく、空性から経典を読めず実体化、本質化、あるいは固定化する人を指しているでしょう。

少なくとも石飛先生はその方向で読まれています。
その大きな証拠が、龍樹菩薩を釈尊に対する最大の理解者とすること、
『法華経』を空性を理解し、一切智から説かれたとすること、
弘法大師、道元禅師、親鸞上人を極めて高く評価することに表れているでしょう。

私の理解するところ、アナタの立場と石飛先生は全く逆ですよ。
信じられないのでしたら、HP で直接聞いてみたらいいでしょう。

HP ではほとんどアナタと同じような立場のアオミ(ハンドルは変わります)が全く逆の立場で、しょうもない誹謗中傷一辺倒であることからも簡単に分かると思いますが。
205神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 04:35:41.44 ID:d30zpq7j
>>199
ああ、そういえば、あの暇人さんはトリ付きでしたね。
別人かも?
206神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 04:39:54.34 ID:d30zpq7j
>>198
浄土というのは、実在する場所ではなく心のありように縁起した現れ、知覚というのが仏教の見方で、山口先生もそう捉えておられます。
そのように見えるのが荘厳といい、聖なる知覚変換を意味すると考えます。

そして今、我々が知覚しているのも全く同じことで、心のありように応じた現れに過ぎないと。

もちろん、心も縁起するもので、仮設された空なるものに過ぎません。
207暇人:2012/09/24(月) 08:00:41.34 ID:/asVl6US
>>200
二つ、指摘します。
一つは公平に文献学に従うのであれば南伝経典も釈尊に遡れません。
これは史的イエス研究で出た一つの結論でもあるわけですが
釈尊でも同様です。
だから一つの仮定(パーリ古層や阿含古層から釈尊に至る。
共観福音書の共通部分からイエスの言葉を推定する)が立てられているだけです。

ちなみに四ニカーヤや五阿含が文字化されたわけですが
文字化される前の仏教は九分教、十二分経と分類してましたが、
その分類での経典は残っていません。
また釈尊自体がかくまとめよと指示したのではなく伝説によると
釈尊の死後、釈尊の教法をかるんじる事態を恐れた比丘たちが
「私はかく聞いた」と経典をまとめていったわけですので
経典のはじまりは、そもそもが釈尊の直説ではなく
弟子側の理解に基づくモノです

第二に、釈尊は比丘たちに遺骨崇拝にかかわるな、遺骨のことは在家にまかせよ
と説かれました。経典を形成したのは伝説では500人の比丘たちで
在家は含まれていません。釈尊は対機説法をされ、比丘に対する説教と
在家に対する説教が違ったわけですので、500比丘が伝承する経典だけを
仏説とするのには無理があります。
208暇人:2012/09/24(月) 08:07:44.40 ID:/asVl6US
>>201,202
そもそも釈尊は説教を文字化されたことはありませんので
「如来の説かれたこれらの諸経典」と発言される事はありえません。
純粋に文献学に立つのであれば、サンユッタ・ニカーヤ自体は古層を含む
経典ですが、その個所は、いろんな経典が出来た後の比較的新しい個所でありましょう。
「専門家が大乗を指す」と言われているのあれば
釈尊死後500年後に現れた大乗経典が成立後にサンユッタ・ニカーヤに挿入された
こととになります。

それと純粋に文献学に立つと、釈尊の直説は素朴ということになりましょうや。
「深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応している経典」は
パーリにしても大乗経典にせよ、長い年月をかけて弟子たちが研鑽した結果でありましょう。
209神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 08:13:55.74 ID:8xGT3hVu
>>200
>その大乗のテルマや感得を「=(イコール)」で
>ゴータマの教説と同じ仏説であるとして結び付けることは同意できません。

それはいい。だが同意できないからと、相手のことを不誠実だの、詐欺、というのは偏狭だ、ということ。

>この私は以前にも述べているように神智学のことを仏教などとは主張しておりません。

一代の論点は、自分も「超常的な出自」を認めるなら、他の「超常的な出自」を
出鱈目と切り捨てることはできないはずだ。一貫していない、ということだ。
なぜ一部はそうだが、他はそうではないのか?
それもまた貴方の感性の投影に過ぎず、主張としての根拠や価値も
チベット仏教と同等にはなってもそれ以上にはならないだろう。

>これは明らかに“詐称”ですから、即刻、辞めるべきです。

相手にとってはそうではない。
もしかしたらそういう出自かも、しれない、という論点だからではなく、
少しは相手の身にもなろう。
210神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 08:31:59.41 ID:8xGT3hVu
>>203
信者やシンパシーを抱いた人々の証言をもとに捏造説をシャットアウトするなら、
大乗仏教に対しても同じことをすればいいんじゃないかな。

神智学がたの主張を受け入れてくれて、やはりジャンの書やそれを取り上げたシークレットドクトリンは
ハイアラーキーの導きで示されたものだったんだよ!と言ってくれる人が出たら
その人のことは「特定の信仰心を持ち込んだ研究ではない、真実を認めただけなんだ」と認めてやるのか?
なんというご都合主義。そっくりそのまま>>173をまた返すよ。
211神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 08:41:37.19 ID:8xGT3hVu
大乗仏教に同じことをされた人には「迷信に囚われてしまった、
洗脳されてしまった」と言うのだろうか。
212神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 08:41:44.47 ID:17vjkUOe
>>206
俺もそう思う。
現象が縁で存在が空かもしれないが、存在に無影響ってわけでもないし、
要は想いと心理作用で縁を築き築かれて存在に影響を与えるものと思う。
それは固定されるものでなく移ろうものであろうけど、
固定=静止であって、つじつまがあわなくなるから、
浄土=移ろうものでいいと思う。
人間でいえば、人間の数だけ想いや感覚があって、それは真理なわけだから
争うことは何もないのかもしれない。
それをひっくるめての真理は一つだと思う。
浄土は自分で築くものであると同時に縁により築かれるものと思う。
そう考えると釈迦や仏教は単に道具であり実質的縁に無関係な気がする。
213神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 10:32:30.28 ID:dX3XFofn
浄土ってのは自我を滅却して見えてくる世界だと思うね。
世俗諦でいうなら、大我で見る世界
もともとただありのままの世界が浄土で、ありのままじゃない状態が
今の人間が見ている世界
大我じゃなくて、個々に分かれた我で見ている世界
本当に我がなくなれば、荘厳な仏の世界が今ここに現れると思う。
その現れているものを見るものは、我じゃない
214神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 10:54:04.86 ID:d30zpq7j
>>208
>それと純粋に文献学に立つと、釈尊の直説は素朴ということになりましょうや。

純粋に文献学に立つと、教え、考え方、道については何も言えないでしょう。
素朴なものが原初形態であるというのは、明らかな予断でしょう。
実際、最も古形を示すアッタカ・ヴァッカ、アルタ・ヴァルギーヤ・スートラ、義足経の内容は見解が高く、『中論』『大智度論』はそれに沿っています。
逆に一般に文献学者の描く見方は非常に浅薄で縁起の本質を捉えていないので、
アッタカ・ヴァッカなどと『中論』『大智度論』の類似性が分からないのでしょう。

>「深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応している経典」は
>パーリにしても大乗経典にせよ、長い年月をかけて弟子たちが研鑽した結果でありましょう。

いや、逆です。それこそ釈尊の教えの本質を掴んでいるのです。
本質は方便による戯論寂滅への導きで、だからこそ「何も」主張や見解は「説かれなかった」
そして方便で「空と相応している」教えだからこそ、形態、姿は変わってもその本質さえ同じ方向なら法性に適った道なのです。
だからこそその方便という筏は、どんなものでも最後は捨てられ戯論寂滅するのです。


そしてこういう誤解ばかりだから、文献学は素朴実在論解釈ばかりというのです。
テキスト分析には文献学が力を発揮しても、教えの内容には余り発揮できなかったのはこういう意味です。
単純にいうなら、常識では計り知れないのが仏教に他ならないのです。

それを超えた奇跡的読みを行ったのが山口益先生や石飛道子先生なので、驚いています。
特に石飛先生はほとんど一人で読み抜いたのですから、天才としか思えない。
山口益先生は恐らく七里恒順師などの本物の伝承と、シルヴァン・レヴィの西洋文献学の奇跡の融合でしょう。
215神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 10:58:19.24 ID:+7uCIkXB
2 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:40:15.40 ID:+7uCIkXB [1/4]
998 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 09:50:57.37 ID:ZaPaLnxt [48/49]
>>995
コテハン付けて書き込むやつは

「自分アピール大好き。みんなにおれのこと見て見て注目してーーー。おれのことすごいっていってよーー。おれすごいこときづいたよーーおれわかってるよーーおれのことわかってる人っていってよー」
「おれ不思議ちゃんだよーーー」

こういうやつ
あと2ちゃんねるの良さをけしてるやつ

3 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:41:45.58 ID:+7uCIkXB [2/4]

これ以外に理由なし。
コテハン付けててこれ以外に理由があるやつは書き込んでいけ

4 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:45:42.44 ID:+7uCIkXB [3/4]
「1000 返信:麦とホップ[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 09:54:51.72 ID:2/Ou+MNg [8/8]
>>999
もう最期だよ。続きは次スレが立った時にでも・・・・・・」

麦とホップ次スレ立ったぞ。


5 自分返信:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:52:03.67 ID:+7uCIkXB [4/4]
>>2
「悟りを開いたことあるけどなにか質問ある?」なんてたいそうな名前を付けているが、
スレ主自体がコテハン付けてるどうしようもないやつ。コテハン付けているやつら 分かったか?
216神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 12:23:04.60 ID:+7uCIkXB
時間があるときにお手数だが「悟りを開いたことあるけどなにか質問ある?21」を読んでいただきたい

「悟りを開いたことあるけどなにか質問ある?21」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1347928517/
217神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 19:50:20.76 ID:17vjkUOe
>>213
我というか執着でしょ。
自分に執着してる者っているのかな?
ゲームやアニメ、飲む、打つ、買うならなんぼでもいると思う。

執着ない=縁見える。てことだと思う。
218神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 21:54:57.30 ID:aHtg6JRX
>>206
心を自動機械とみる 最近はやりの小池龍ノ介先生の本にそう書いてありました。
219神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 22:04:42.57 ID:LPi2yP6C
スッタニパータによるとゲーム、ギャンブル、セックスなど執着の喜びは悪魔の罠だからな
人間は悪魔の罠に嵌ってるものがほとんどだけど
220神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 22:22:44.89 ID:g5W1vQZa
>>219
その意味で、
「知恵の木の実」「蛇の誘惑」「女が先に誘いに乗り、その薦めに男が乗る」
「木の実の存在は予め知らされていながら、禁忌とされていた」
「人を堕落させたのは、まさに“知恵”であった」
且つ「その知恵により、神へ近づこうとする塔の建造が惹き起こされた」
という構図は誠に興味深い・・・。
221神も仏も名無しさん:2012/09/24(月) 22:32:17.03 ID:D0B8Ni4R
222宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/25(火) 09:08:48.07 ID:AzZgblMr
>>204
>単純な話、輪廻も認められない人もいる。まして感得など認める人は少数です。
>それを認める少数の一人が石飛先生で、

(その殆ど多くの)文献学者個人が、
内心で輪廻や感得といったものを信じていなかろうが、
そんなことはどうでもいいこと。

当時、どう信じられていたか?どう語られていたか?
それがどのような書かれてあるか?が、明確にできればそれでいい。
その記述そのものの内容を研究者当人が信じようが信じまいがなど関係がない。
寧ろ、何か特定の宗教的感情の元で処理される方こそ色眼鏡の悪影響がでるから辞めて頂きたい。

>アナタが挙げた文はどちらかといえば部派を指す面が多いと思います。
>その文は大乗を指すのではなく、空性から経典を読めず実体化、本質化、
>あるいは固定化する人を指しているでしょう。

ここで、「外道」とハッキリいってるでしょ!
弟子の説いたものだが“外道に由来するもの”といっている。
大乗の掲げる思想やら崇拝対象(諸仏諸菩薩・・・)がどこから(アイディアを)持ってきたものか?
それらすべては、バラモン・ヒンドゥーやイラン文化、ゾロアスター教etc.・・・などの外道や外教からですよ。
これらを全部、テルマ感得にしたがるのでしょうけれど・・・。
“文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい”とは、もろ法華経そのものをイメージできるもの。
これこそ初期大乗であり、永期に渡って大乗の頂点に君臨してきた法華経そのものでしょう。
223宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/25(火) 09:10:08.13 ID:AzZgblMr
>少なくとも石飛先生はその方向で読まれています。
>その大きな証拠が、龍樹菩薩を釈尊に対する最大の理解者とすること、
>『法華経』を空性を理解し、一切智から説かれたとすること、
>弘法大師、道元禅師、親鸞上人を極めて高く評価することに表れているでしょう。
>
>私の理解するところ、アナタの立場と石飛先生は全く逆ですよ。
>信じられないのでしたら、HP で直接聞いてみたらいいでしょう。

もしそうなのであれば、あまり大した方ではありませんね。
ただの大乗マンセー、元々からの大乗信奉者なのでしょ。

>弘法大師、道元禅師、親鸞上人を極めて高く評価

宗教者、信仰者としてはもちろん敬意に値いするでしょう。
ただし、信奉経典が仏説かどうかは全く別問題です。
とにかく、そのように感情(信仰心)にいちいち左右されていてはどうしょうもない・・・。
224宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/25(火) 09:11:06.86 ID:AzZgblMr
>>207
あなたの説明は概ね理解できるものです。が、
それでは、仏典には何ら求めるべき価値がないことになってしまう・・・。
けれども、そうではなくて内容をみれば解ること。
仏典の基本部分は信頼に値するものです。

>経典を形成したのは伝説では500人の比丘たちで
>在家は含まれていません。釈尊は対機説法をされ、比丘に対する説教と
>在家に対する説教が違ったわけですので、500比丘が伝承する経典だけを
>仏説とするのには無理があります。

仮に、在家の当事者たちからの言葉がなかったとしても、
在家に対する基本的な教えは取り上げられました。
確かに、全般に渡って、出家者用中心の内容になっていることは止む得ない・・・。
225神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 09:23:45.72 ID:aEoIM4NV
>>222-223
何が問題になっているのか分からないで、自分に引きつけてやたら自分は正しいとがなりたてるのがアナタ

だから話にならない。端的に言おう。

大乗非仏説に立つ文献学者は素朴実在論に立って解釈する。
その立場の文献学者なら必ず神智学も認めない。

だから、文献学によるなら神智学も認められない。

あるいは神智学を認めるなら、文献学者の大乗非仏説は認められない。

神智学を認めながら、文献学者の大乗非仏説を根拠にするのは可笑しいと分からないような人と話すことは何もないし、多くの人はそんな人が何を言おうと聞く耳を持たないのです。

実際、ここでアナタの説を認める人はカラス以外何人いたか、そこをよく考えてもう仏教について云々するのは止めて神智学に専念するか、神智学は止めてまともな仏教の師匠に就くかするのがいいよ。
226神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 09:30:07.35 ID:ZsXk4yvV
大乗経典に、大乗経典が蔑ろにされちゃうんだお、という話が書かれているのと同様、
大乗発祥後に、大乗への改宗を防ぐためにカウンターとして生まれたのかもしれんなあ。
あのあたりの章句の成立時期はわかっているのだろうか。

実際、「空と相応している諸経典」は消滅するどころか漢訳や蔵訳もされ、
竜樹によってネタにされているわけで、これもまた大乗側からの返答かもしれない。
「消滅させてないから、俺らのことじゃないな」
227神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 09:38:31.86 ID:ZsXk4yvV
もし最初からあった章句なら、あえて丸かぶりするようにはしないだろう。
クリティカルな弱点になりうるのだから。

「詩文調であり、文辞麗しい諸経典」って阿含経もそうじゃないのか?
ハッとさせるようなうまい表現もあるし、パーリの読経もなかなか美しい。
228宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/25(火) 09:42:53.57 ID:AzZgblMr
>>208
>そもそも釈尊は説教を文字化されたことはありませんので
>「如来の説かれたこれらの諸経典」と発言される事はありえません。

大乗経典を指すものとしての(中村 元氏による)“意訳”でしょう。

>「専門家が大乗を指す」と言われているのあれば
>釈尊死後500年後に現れた大乗経典が成立後にサンユッタ・ニカーヤに挿入された
>こととになります。

これは、
私はゴータマの予言として、或いは透視能力に拠るものだと解しますけれどね・・・。
だから、「未来世に」と書かれてあるわけでしょう!
「今、ここにある大乗経典は・・」ということではないので・・・。

>パーリにしても大乗経典にせよ、長い年月をかけて弟子たちが研鑽した結果でありましょう。

大乗経典は書かれた“経緯と意図、目的(狙い)”が原始経典とは違います。
229神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 09:48:11.99 ID:aEoIM4NV
>>226
いや、それは大乗経典とは限定して読めないよ。

それより寧ろ部派やゲルク、法相への警告に見える。
正に有、本質、実在に行ったし、煩瑣複雑は体系構築に向かったものだから


というか、日本での大乗経典のイメージが偏ったものだから仕方ないけど。

オイラ的には『大智度論』『入中論自註』『十住心論』『往生要集』『クンサン・ラメー・シェルン』あたりに大乗の大乗らしさ、形態としての方便はどのようであれ本質として縁起・空性で一貫してるものを感じるんだけど。
230神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 12:59:47.94 ID:QERVYA+E
西洋のキリスト国から仏教国に来て驚くのは人柄の良さらしい
なんといってもあっちは個人主義がすごいらしく東京以上に他人に関知しないらしい
それが常識でサービスはすべて有料らしい。
オレオレ詐欺なんてものじゃなくて漬け込み方が根本的に違うらしい
ちょっと前までは。ここ20年でちょっと変わったらしいけど
231神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 14:52:54.78 ID:aEoIM4NV
>>230
オイラもインド・ネパールのチベット人コミュニティに接して驚いた。
温かい。日本でも田舎、特に沖縄では近いかんじを受けます。

やはり心持ちは仏教的な方がいいと思います。
232神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 15:39:27.75 ID:q0hKXV9N
キリスト教は天国を目指す
仏教は天国も空に過ぎないと天国を一笑に付してるからな
233神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 15:48:37.52 ID:aEoIM4NV
>>232
そこは重要じゃないでしょ

仏教は生き物が平等で、他を傷つけず優しくすることを勧める
キリスト教は神・人間・生き物に階層断絶があり、神に従うをことを命令する

ここらへんか、あるはい近代以降のニヒリズム、個人主義が違いかと?
234神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 16:06:36.20 ID:gN1UO3q2
笑顔で殺人をするのが仏教
235神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 19:54:51.63 ID:QERVYA+E
言葉で他人をだます・ころすこともできるけどそれを考える人はそこから先に進まない
236神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 20:51:16.24 ID:cclLK/DV
日本の国力が経済的にかくも疲弊し、地震による津波、原発事故、日中間における戦争の危機…これらの根本的理由について考えてみたことあるか?
237神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 20:53:06.47 ID:aEoIM4NV
>>234-235
みなさん、スレ違いなんで、そろそろお引き取りを
238神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 22:38:22.00 ID:vOoYG4G3
お坊さんは妻帯しなくても、還俗して善知識として生きればよかった気がするが
どうしてこうなったんだろう。お坊さんじゃないとお寺を運営できない、という決まりでもあるのだろうか。
239宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/26(水) 01:06:29.68 ID:kr0XCwVb
>>225
>神智学を認めながら、
>文献学者の大乗非仏説を根拠にするのは可笑しいと分からないような人と話すことは何もないし、
>多くの人はそんな人が何を言おうと聞く耳を持たないのです。

これは“仏説か否か”ということであって、
この私がいうときの仏説とは“史実のゴータマの説法”以外を指さない。
神智学が如何なるテルマ感得であろうとも、もちろん仏説ではないし、
こちらは最初から仏教などとは誰も主張していない。
同様、大乗教理のどれだけがテルマ感得であろうとも
アーガマを根拠にせずに書かれたものがゴータマの教説であろう筈がなく、
従って、仏説などでは在り得ない。

こんな単純なことすらも分らない人とは、
こちらだってどうしようもないこと。
240宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/26(水) 01:07:53.01 ID:kr0XCwVb
参考:
 『大乗仏教運動が起った時点ではすでに諸部派において「釈尊の言い伝え」として承認される経
典の範囲が確定していた可能性は高い。つまり、大乗経典は四部または五部に分類される経典の
何処にも場所を持たなかったと考えられるのである。
 文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相
応部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ
定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。』
(wikipedia)

 『日本仏教は完全に大乗仏教の流れを引き継いだものなので、今でも教典に説かれている教え
はゴータマ・ブッダの教えだと広く信じられているが、これは事実に反する。事実はまさに、まさに
「大乗非仏説」なのである。』(宮元啓一著『ブッダ─伝統的釈迦像の虚構と真実』光文社)

 『従って今日から見れば、諸宗派の教義は、釈尊の仏教とは直接何ら関係もない哲学思想に過
ぎないのであるが、遺憾ながら、この最も重大な問題には、各宗とも目をおおって、根本的解決を
図ろうとしていない。』(大野達之著『日本仏教思想史』吉川広文館)
241宝珠愚者@(規制代行):2012/09/26(水) 01:10:11.30 ID:kr0XCwVb
 『しかるに、ブッダがなくなられてから数百年を経たのち、いわゆる大乗仏教なるものが起こり、か
つ大乗教典なるものが生産されはじめた。それとともにこの阿含経が持っていた独占的な地位はよ
うやく崩壊し始め、そこからこの経の運命の浮沈がはじまるのである。』
(増谷文雄著『原初経典 阿含経』筑摩書房)
 『しかるに、いま、かくのごとくにしてはじめられた明治以後の新しい仏教研究においては、厳密な
経典批判の結果として、この阿含経典のみが、よく仏教の根本聖典たることを主張しうるものとなっ
た。つまり、今日の仏教研究においては、仏陀の教法をその原初的なすがたにおいて伝える経典と
して、よく学問的吟味にたえるものは、この経典群を措いて他にまったく存しないのである。(中略)
そして、それを私どもは、根本経典と呼ぶのである。』
(増谷文雄『日経新聞』文化欄/論説-昭和55年8月5日付)
242宝珠愚者@(規制代行):2012/09/26(水) 01:23:03.12 ID:kr0XCwVb
>>225
>実際、ここでアナタの説を認める人はカラス以外何人いたか、

いなくても当然、それは最初から承知のこと。
ここには、ただ仏教事典を開けばそこに書かれてあること程度のことしか話せない者、
唯物主義の視点から、仏教の宗教性の確たる部分である輪廻転生や神通を排除する愚か者。
伝統仏教なり、伝統宗門のいうまま鵜呑みにして、これにただ追従するだけの者。
〜ばかりだからです。この私が、このような人々から支持を得られなくても当然のこと。

その中にあって、カラスさんは別格だといえる。
家系の信仰として洗礼を受けた身でありながら、
真実のイエスとは異なるとして伝統カトリックには従わず、
迷信に束縛されることなく、自らの意思で真理の探求を続けられている。
つまり、イエスの説かれた精神そのものに忠実で、
同様の視点から仏教についてもその本質を見抜いている。

>そこをよく考えてもう仏教について云々するのは止めて神智学に専念するか、
>神智学は止めてまともな仏教の師匠に就くかするのがいいよ。

それはこちらのセリフです。
ダメなものはいつでも捨て去る勇気と覚悟が必要。
この私は、神智学であろうが何であろうがいつでも捨てる。
243宝珠愚者@(規制代行):2012/09/26(水) 01:25:17.44 ID:kr0XCwVb
>>226
>実際、「空と相応している諸経典」は消滅するどころか漢訳や蔵訳もされ、

そうではなくて、
大乗徒の存在は上座部(小乗)のアンチテーゼであり、
その基本精神は“菩薩の偉大さ”を説くことによって、
上座部の覚りをより低きものとしてのレッテルを貼りつけること。
同時に原始経典に対してまで小乗経の印象付けを図った。
そうして、大乗の絶対性を確立しようとしたのです(上座部信者を大乗側へと奪うこと)。

インドでは仏教が衰退し、シナ(中国)仏教においては智の影響下で、
日本も含め阿含経(漢訳原始経典)は千五百年もの永期に渡って陽の目を見ることができなかった。
まさに大乗によって、本物であり、かつ唯一の仏説がこうして闇へと葬られてしまったわけです。
ゴータマの予言は“ズバリ的中”したのですね。
244暇人:2012/09/26(水) 01:56:38.74 ID:EMvzsaFe
>>228
「ゴータマの予言とか透視能力」が立てられるのであれば、
大乗経典編纂者たちにも「瞑想力」があって、瞑想によって
500年の時空を飛び越え、釈尊の説法を直接聞法し、大乗経典が成立した
という話を立てることも可能ではないでしょうか。
>>240
宮元啓一氏は「ブッダが考えたこと―これが最初の仏教だ」で
パーリ律大品(マハーヴァッガ)の釈尊伝によって史実の釈尊に迫ろうとされます。
マハーヴァッガなどから見えてくる釈尊は、単に生存にまつわる諸々の欲が
苦を産んでいるとみなし、諸々の欲を観察することで欲に囚われないように生きることを
見出し、出家・遊行生活を送った素朴な生き様です。
しかし、氏は、釈尊を独自性を持った天才と位置付けられますので、
十二支縁起説を釈尊のオリジナリティとみなし、「此あれば彼あり」に二支が
原点であり釈尊オリジナルという通説を否定されます。
ただマハーヴァッガのすべてを釈尊説として肯定されるのではなく
前世譚は否定さます。採用/不採用の基準は氏が納得できるかできないかという
恣意性に基づいている点が、氏の論の学問性に疑問符がつくところです。

大野達之助さんは、駒沢の日本仏教史の先生で原始仏教の専門家ではありません。
パーリ経典が成立が一番古いという程度の認識で、駒沢流の各宗門は史的釈尊との
整合性を本気で考えないといけないという主張をされているだけで
この系譜に袴田憲昭氏などがおられるのではないでしょうか。


245暇人:2012/09/26(水) 02:09:37.60 ID:EMvzsaFe
>>243
玄奘の旅行記をはじめ、各種の情報(島史・大史)を総合し分類しますと
1.部派専門の寺
2.部派・大乗兼修の寺
3.大乗専門の寺
とあったことになりますが3は少数派です。

般若・維摩経経典群は部派否定なので、アンチテーゼといいうると思います。
しかし初期大乗は法華を出し、三乗成仏という一乗仏教を説きますので
早い段階でアンチテーゼを脱したといいうると思います。

しかも冷静に見る時、部派側は大乗を「非仏説」と非難したのに対し
大乗側は部派側を「小乗説」と対抗しただけですので
絶対性に固執したのはむしろ部派側かもです
246神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 06:25:11.57 ID:s03xJbkC
>>245
ショペンなどの最近の説を参考にしますと、
チベットの学問仏教と行者仏教の二重構造から、部派と大乗の構造を考えれば納得できると思います。

部派・学問仏教は寺院仏教で文献仏教なので史料に残ることが多い、
一方、大乗・行者仏教は隠遁者仏教なので史料に残ることが少ない。

大乗・行者仏教はテルマとして時空を超えて教えを受けることが多い。

部派・学問仏教でもそういうことがあります。
例えば、アビダルマで有名な六因説に以下のように迦多衍尼子が感得したという伝説が伝えられています。

T1545_.27.0079b03: 復
T1545_.27.0079b04: 有説者六因亦是契經所説。謂増壹阿笈摩
T1545_.27.0079b05: 増六中説。時經久遠其文隱沒。尊者迦多衍
T1545_.27.0079b06: 尼子等。以願智力觀契經中説六因2處。
T1545_.27.0079b07: 撰集製造阿毘達磨。是故於此分別六因。
T1545_.27.0079b08: 曾聞増壹阿笈摩經。從一法増乃至百法。
T1545_.27.0079b09: 今*唯有一乃至十在餘皆隱沒。又於増一
T1545_.27.0079b10: 乃至十中。亦多隱沒在者極少。
247神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 06:31:23.60 ID:7V5vFFvK
興味を持って近くから見るのもいいけど
時間を置いて頭の中でまとまってから
多角的に遠くから見ると2度楽しめます
248神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 06:32:35.08 ID:7V5vFFvK
おかしな解釈をしてそれを残した人も居るのでよく読みましょう
249暇人:2012/09/26(水) 07:30:15.07 ID:EMvzsaFe
>>245
グレゴリー・ショペンさんに基づきますと
人々の尊敬を集めるほどの僧は財施によって多くの財産を持ちましたので
部派仏教の僧は学問仏教というよりカネ勘定ばかりする世俗臭い人たちで
他方大乗といえば、大乗経典編纂後も部派から独立したグループではなく
嫌悪され、反感をかい、嘲笑され、あざけられ、軽蔑されてた人たち。

5,6世紀になってはじめて大乗が独立した仏教集団として自立してくるが
従来の仏教を知らない辺境地方であるベンガル州のグナイガル、
オリッサ州ジャランプール、グジャラート州デヴニモリなどに出現した
ということになると思います。
250神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 07:40:16.67 ID:nxfR9jiw
>>239
だからw (^^;

『 >これは“仏説か否か”ということ
 >いうときの仏説とは“史実のゴータマの説法”以外を
 >仏教などとは誰も主張していない 』
ではなくて、
『 構図 』・『 態度、姿勢 』 の問題だということです。
>>225(一代)も端的明快だがw)、>>209さんの言葉が届いてませんか?

 >「超常的な出自」を認めるなら、他の「超常的な出自」を出鱈目と切り捨てることはできないはず
 >なぜ一部はそうだが、他はそうではないのか?


日直の早智子さんが、通学路途中にある一軒の家からチューリップを抜いてきて、教卓に飾りました。
美奈子さんは、それを咎めました。「それは泥棒じゃない?」と。
早智子さんは返しました。
「貴方はこの間、向かいの家のバラを黙ってもって来てたじゃない。それは泥棒じゃないの?」と。
美奈子さんは言います。「いつでも持っていっていいよと言われてるし、仲のいい家だし」と。
早智子さんは言います。「私も、先日声をかけたら、いつでも持っていっていいよと言われたわ」と。

(ここでは、仲のよさ(知人かどうか)が問題になるか???w)
251神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 07:56:40.41 ID:s03xJbkC
>>249
>人々の尊敬を集めるほどの僧は財施によって多くの財産を持ちましたので
>部派仏教の僧は学問仏教というよりカネ勘定ばかりする世俗臭い人たちで

 チベットの学問仏教にもそういう側面があります。

>他方大乗といえば、大乗経典編纂後も部派から独立したグループではなく
>嫌悪され、反感をかい、嘲笑され、あざけられ、軽蔑されてた人たち。

 チベットの行者仏教にもそういう側面があります。

 日本の山岳仏教と官学仏教という形で考えても似ているでしょう。

 もちろん、本来は複雑なのですが、単純化していえば、学問仏教は煩瑣哲学の文献主義であり、行者仏教は行者で正に真の仏教徒だったように思います。

 部派と大乗の関係もそう思うのです。

 もっとも重要なのは素朴実在論に基づく文献学者は、感得などをありえないことで、創作・著作とする人が多く、これが大乗・テルマ非仏説の根本的根拠なのですが、

 大乗はもちろん上のように部派でさえ、仏教徒は感得を認めるというこです。これは縁起に立つ仏教徒なら当然のことに私には思えます。

 ここを抜きに素朴実在論に立って、仏教史を論じるのは本質を欠いているように私には思えます。単なる文献史か、文献思想史にしかならないように思います。
252暇人:2012/09/26(水) 07:58:57.97 ID:EMvzsaFe
>>249
失礼。×>>245>>246

さて、ついでに蛇足。
『阿毘達磨大毘婆沙論』ですね。
『発智論』を著したとされる迦多衍尼子を
『発智論』の注釈書である『阿毘達磨大毘婆沙論』が
「六因を説く経典がある。増壱阿含経である。しかし時代が経ち
増壱阿含経に説かれていても難解で意味がわからない。
その時に迦多衍尼子が出て、願を持って優れた知力で増壱阿含経を観じて
その意味を解き明かした」という意味では?

「時空を超えて教えを受ける」といっても、この場合、リアル経典の増壱阿含経を
読解しただけなので。。。
253暇人:2012/09/26(水) 08:05:51.55 ID:EMvzsaFe
>>251
釈尊は雨季の夏安居の弐ヶ月間を除き、定住されず遊行され続けたわけですので
『寺』というものが既に、豊富な財施を求める世俗性と学問研究性を保有しているのかもです。

対して行者生活ですと、多くの財産は移動に不便ですので
次第に軽蔑されていったのかもですね
254神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 08:05:52.03 ID:lDqLAI7w
>>238 各寺院それぞれに寺院規則(宗教法人規則)があり、
住職の要件としてその宗派の僧侶資格を持つ者という内容の定めがあるはずです。
255神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 08:11:52.20 ID:EL1wsC8Z
>>239
肉身の釈迦が説いてないものは非仏説だ、というだけの論法じゃなかったでしょ。
まるっきり出鱈目、というものだ。だから感得説が不誠実で詐欺、となる。
突っ込まれてるのはここなんだよ。
同じ構造を持つハイアラーキーの啓示を支持しながら、なぜ感得という解釈を出鱈目と切り捨てられるのか?

相手が私にとっての「古代英知」「神智」に該当しないから、
とか言い出しても今更だろうに。問題はそれまで言ってた論点だ。

そこがわかっていないように見えるが。
いや、意図的なのか?
256神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 08:29:21.78 ID:EL1wsC8Z
宮元氏や大野氏や増谷氏がハイアラーキーの存在とその啓示を
支持する人物が確認してみたらどうだろう。
宮元氏はご存命でサイト持ちで連絡できる。
257神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 08:51:28.52 ID:s03xJbkC
>>252
そう考えたら終わりですがな

>>253
マハーカッサパのような遊行者とそうでない人との違いは始めからありますね。

>釈尊は雨季の夏安居の弐ヶ月間を除き、定住されず遊行され続けたわけですので
>『寺』というものが既に、豊富な財施を求める世俗性と学問研究性を保有しているのかもです。

釈尊はどちらへの執著もないと思いますが、少なくとも世俗への執著も苦行への執著も否定的であることは確かでしょう。
私見では、世俗への治療として無所有や遊行が始めのうちは強調され、
それが克服されて無所有や遊行への執著も克服されなければならないと思います。

>対して行者生活ですと、多くの財産は移動に不便ですので
>次第に軽蔑されていったのかもですね

釈尊も所有には否定的ですね。

問題はそうい対立ではなく、感得と認めるのが行者であるということです。
これはどこの国でも同じです。

それで文献学者は、それを認めない人が多いので仏教史が歪んでるというのが重要な点です。

暇人さんは素朴実在論への偏りが感じられますね。別名、科学的とも言われますが、本当に科学的なら素朴実在論という偏見は克服されると思います。
258神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 08:55:49.33 ID:s03xJbkC
>>255
そこら辺が認められないのはいつものことでしょう。

最終的に神智学を信仰してるから、それは捨てられない。

それを擁護する、あるいは支持すると思われる説はパッチワーク的に引っ張ってきても、綻びを指摘されても認めた試しがないのが宝珠。

ただ彼は単純明解な誤りは認められるので、そこは救いだけど、本質は変える気がないのでしょう。

だから、仏教にかかわらず神智学だけやってればいいのにと言っているのですが、どうもそうする気もないようで、そこら辺はエゴなんでしょう。
259神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 09:21:10.81 ID:No7WIZ61
>>242
さいしょから仏教にこだわってるやつは信用できないよな。
260神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 10:27:45.13 ID:0f4Ui02N
面白いな、この「暇人」とかいうコテさんwww

よく知らないのだが、新人さんなの?
視点が、観念主義に偏重することなく、推論も「そうかも」と思わせるような
ところがあるなwww
俺としては、今後の書き込みに大いに期待したいところだがw
(まあ、一代との親和性は、かなり低そうだがwwwww)
261神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 10:39:51.75 ID:s03xJbkC
>>260
古参です。というか原始仏教スレの頃からの方。

いいよ、彼は。

いいんです。親和性などなくても論拠が確かで話せる人なら。
262神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 10:49:00.18 ID:0f4Ui02N
>>261  なるほどw  原始仏教スレの人かw

なら、俺は知らんなww
異なった視点からのアプローチを期待したいねw

禅かぶれの知ったかバカやオカルトキチガイには少々、食傷ぎみなんでねwwww
263神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 11:04:28.63 ID:s03xJbkC
>>262
ポジションは何でも結構ですが、
明らかな間違いも認められない人とは話しても無駄なんですよね〜
264神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 11:17:47.42 ID:nxfR9jiw
>>251
>これは縁起に立つ仏教徒なら当然のことに

そこは異義を挟んじゃうなw
そういうことじゃないと思うしね。神秘的に何がしかを(どこからか)「受領する」というのは嫌いだね・・w
265神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 11:32:14.77 ID:s03xJbkC
>>264
それを過去の説明を知らない暇人さんが言うなら分かるけど、
何度も説明を読んだと思われるセブンが言うか。

実在論に立たず縁起・仮設に立つ仏教徒なら当然だと思うけど。
266神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 11:53:31.37 ID:nxfR9jiw
>>265
師から弟子への(直接的時間的連続も込みで)、
因により縁により弟子に生じた知恵をも「感得」「テルマ」だと言うならば首肯できるってことさ。
縁起ってそういうことでしょ?そういう意味で連続性を見るわけでしょ?(輪廻議論の際の心識の相続の如く・・)
そうではなく、どこかにあるものが舞い降りてくるかの如き「感得」という言い方は嫌だなということ。
あくまでも、
「情報(おしえ・知識・ノウハウ・示唆・方便等等)が感受されて(因や縁が紡がれて)、機が熟して、
そこに先人と同じ智慧が生じる」という意味でなら、縁起による感得と言い得るだろうということ。
だから、その意味でいけば、
実は神智学側でいう「覚者方からの啓示」という形とも明確に構図を異にすると思うしね。
もし同じ構図だと言ってしまうなら、大乗の先師達もまた、誰かから・どこかから啓示を受けた、と言わねばならなくなる。
267神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 12:12:04.82 ID:s03xJbkC
>>266
そりゃ、聖者には同じ縁起でしょう。

しかし、凡夫には方や知覚可能なこと、方や超常現象だ。

だからこそ、素朴実在論に立つ人には認められない。

しかし、縁起に立つ人なら、推論可能でしょ。
ここはどうよ?
268神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 12:13:51.59 ID:s03xJbkC
なるほど、感得という記号の問題か、チベット的にタクナン、
華厳的に浄観といえばいいかもしれないけど、言い習わしとしてわかりにくい
269神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:00:45.91 ID:tKz7oPIs

 見性も得られていないのに、知ったかするスレなんだな。

 動物園のサル山状態で、もっと旨いエサ(ネタ)を投げろって我執状態かw


 よい子の皆さんはこのサル山には入らないようにしましょう。
270神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:24:28.93 ID:s03xJbkC
>>269
いやいや、そういう体験は措いてテキストについて話そうというのが主な目的ですよ〜
271神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:54:34.20 ID:0ZUzFxlY
例えば、釈迦如来は過去荘厳劫以来の佛の系譜から言えば1004人目のブッダなんだよ(現在は賢劫)で数えて四番目
272神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:56:21.15 ID:0ZUzFxlY
で、一番最初のブッダは華光仏とされているが…このブッダは誰から影響されて悟ったかみたいな話しなんだな…
273神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:57:45.25 ID:0ZUzFxlY
ちなみに釈迦の次は弥勒仏。それでも残り1995人のブッダ出現が予言されている
274神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 14:59:29.37 ID:s03xJbkC
>>271-272
そりゃ、誤解じゃないか?
釈尊は賢劫の千仏の中で四番目でしょ。

そんで華光仏は賢劫の千仏の中の第一で、一番始めの仏ではない。

じゃ、一番始めの仏は誰か? こう聞きたいわけでしょ。

そりゃ、問いが間違いだは。始めは無い。輪廻と同じ。

十四無記と同じだ。そういう限界、起点の設定こそ妄想というのが仏教。
275カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/09/26(水) 16:36:59.31 ID:h3kwKjcF
>>274
妄想全開なのは実の無い言葉遊びに夢中な
空理空論中論教患者の君らの方だと思うよ。
276神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 17:53:57.48 ID:tKz7oPIs
>>274


要するに、ここは菩提心も見性もない『仏教(テキスト)趣味者』ばかりで、

仏法の現観はありえない方々ばかりなんですね。



やっぱり、動物園の観え猿山じゃんw




277神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 18:10:29.41 ID:0ZUzFxlY
いや、そうでもないよ。俺個人は瞑想したもん。
でも、瞑想による悟りは今世では無理と判断した
だから摂論宗的に教えの「薫習」
つまりは経典を読み
来世で瞑想に適合した身体とセンスを獲得しようと必死なんだよ
278神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 18:14:41.17 ID:0ZUzFxlY
だいたい普通の人間が今生や来世辺りで悟れるわけない…
唯識仏教でも、中観派でも普通は何億劫も修行して悟るとされる
ミラレパのような密教行者はすでに悟りの下準備が出来ていたと見るべきだろう
279神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 19:41:02.58 ID:s03xJbkC
>>276
いや、そういう自分の体験から語っても、要するにそれを信じるか信じないかになるので、
テキストに基いて話しあおうという場だと思ってます。

少なくとも私の感覚では、ネットで悟ってるとかいう人で真っ当だったのは鬼和尚ぐらいでしたよ。
280神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 19:42:12.62 ID:7V5vFFvK
現実にはどうでもいいことは切り捨てられております。
281神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 19:55:20.69 ID:nxfR9jiw
>>276
このネット電子掲示板上に、《「貴方の」「悟り」(現観)》を表現して(示して、顕現して)御覧なさいな。
できるものならね・・w ( ̄ー ̄)ニヤリ
282神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 20:44:05.48 ID:7V5vFFvK
聖書とか仏典を書いた人が今の世の中を見たら何と思うだろうか?
283神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 21:08:03.77 ID:ePQJaV0R
釈尊は死んだ。
十大弟子も死んだ。
五百羅漢も死んだ。
龍樹も死んだ。
かの大学者も行者さえも死んだ。
誰も死から逃れた者はいなかった。
釈尊の教えは正しかったと思うだろうさ。
284神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 22:16:01.99 ID:tKz7oPIs
>>281
できません。

しかし、敢えて無理やり隔靴掻痒で(無分別の分別で)示唆するなら、

出て来たことばは、『時空際断』でした。

説明無用です。こんなこと自体がナンセンスです。
批判は覚悟しています。

今度は、あなたの番です。



285神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 22:54:43.77 ID:s03xJbkC
>>284
>できません。

え、まだ分かんないの?

彼が言いたかったのは、できないこと要求すんなってこどでしょ。

アナタの番はないは
286神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 22:59:37.24 ID:tKz7oPIs
>>285
そのまま、>>284をあなたにお返しします。
287神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:04:10.93 ID:s03xJbkC
>>286
アナタはネットで本物の仏教を教えられる、
あるいは教えてもらえると思ってんの?
288神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:09:03.79 ID:tKz7oPIs
>>287
本物の仏教ってなんですか?

ここで論じている「仏教」とやらは、
単なるテキストであるに過ぎず、ニセモノであることを認められるわけですね。

289神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:20:58.68 ID:s03xJbkC
>>288
本物の仏教というのは、聖者である伝統の師から学ぶものですよ。

ここのはテキストについて話すこと、まあ偽物、紛い物ですな。

で、ネットで本物の仏教を学ぼうなんて無理だなんてことは真っ当な人は分かって書き込んでるんだって。

それを彼は言ってるんでしょ。で、説けるってんなら説いて、
説けないって分かったんなら、アナタの書き込みは愚問だって分かったでしょ?

290神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:37:52.73 ID:tKz7oPIs
>>289
本物 ⇔ 偽物 に『分別』している時点で、あなたが偽物(世俗)であることが分かります。

で、『伝承』とやらが単なる物語であることも当然です。
「万世一系の天皇」と同じ程度にね。

で、本物とは鰯の頭を信心するものだけに成立するのです。
仏法ではありません。

わたしは既に>>284で応えています。
ボールはあなたがたのコートにあります。
291神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:39:05.21 ID:nxfR9jiw
>>289
ワシも彼を買い被ってたかも・・w

今のこのレスの流れの意味が解(判)らなかったら、
達磨と慧可の「安心」の逸話も解ってないってことだからね・・。
292神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:40:45.89 ID:NJG1abGi
twitterで、独り言で垂れ流してる分にはいいんだよ。でも、
こういう議論をする場で、立場もいろいろ違う相手と喋るなら、
それだけじゃ駄目なんだよ。俺らは達磨さんと武帝じゃないんだよ。

なんでこんな簡単なことがわからないかな……
293神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:40:50.34 ID:s03xJbkC
>>290
ハイハイ、単なる勝義、無分別主義ね。じゃ、アナタの書いてる言葉は分別じゃないの?

机とか遊びと同じだ。

まあ、好きにしてください。

オイラはもういいは。
294神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:42:33.50 ID:tKz7oPIs

たしかに、わたしは愚かでした(爆笑

撤退します。
295神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:46:15.06 ID:0f4Ui02N
ちと聞くが  ID:tKz7oPIs って、
「遊び大王」か?ww

違うだろ?w  あいつはこんなに馬鹿だとは思えないがww
296神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:46:47.10 ID:NJG1abGi
彼の中では、達磨さんは仏法を伝えたい相手に会うこともなく、
赤ペン先生でもやっていたことになってるのかなあ。
297神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:48:55.89 ID:s03xJbkC
>>296
赤ペン瀧川先生なら好きだけど
298神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 00:00:42.98 ID:nxfR9jiw
>>295
>>284での用語(術語)の選び方は「遊び=閻魔=摩訶迦葉悪玉論者」そのものかと思ったが・・w

 *(摩訶迦葉のせいで上座部が歪んだとは、ワシも感じてるけどね・・w)
299神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 00:03:57.74 ID:6JOFKOHI
>>298  wwwww  確かにww

「時空裁断」は、「遊び・・」の好むフレーズの一つだなwww
300宝珠愚者@(規制代行):2012/09/27(木) 04:16:41.52 ID:ZWF8B/hR
>>250>>255-256>>258
話を判りやすくするために、今から質問の形式を摂ります。
一代はどういうつもりで大乗をテルマによる仏説と主張するのか?

1.大乗はゴータマ仏からの時空を超えた感得テルマである。
  従って、原始経典のゴータマの教えとは何ら違いなし。
2.大乗はゴータマ仏からの時空を超えた感得テルマである。
  従って、大乗は原始経典のゴータマ教示の発展形である。
3.大乗はゴータマではない別存在(複数可)の仏からの感得テルマである。
  従って、大乗も仏説(ゴータマの教説同様に)である。原始経典との教えの違いは仏の個性である。
4.以外の理由

因みに、
この私の摂るスタンスというのは、
“ゴータマによる教説以外を仏説とはいわない”というもの。
従って、神智学も仏説ではない(大乗も然り)。

尚且つ、
神智学文献(学徒による研究書ではなく)はゴータマとは異なる別存在の覚者(仏)
によって与えられたとみる。が、大乗経典、及び大乗教理の一部は高次存在の介入
の可能性は認めるものの、そのレベルについてはかなり不確か。
私の大乗批判は、ゴータマの教説ではないという意味と当然、その内容にある。
その理由(内容的批判)については、この後に投稿します。
301宝珠愚者@(規制代行):2012/09/27(木) 04:17:21.01 ID:ZWF8B/hR
>>266
>実は神智学側でいう「覚者方からの啓示」という形とも明確に構図を異にすると思うしね。
>もし同じ構図だと言ってしまうなら、大乗の先師達もまた、誰かから・どこかから啓示を受けた、
>と言わねばならなくなる。

神智学的理解では、
弟子の(自己修行によって)準備が整ったときに初めて“内なる魂”から、
或いは、高位の弟子存在や覚者からのインスピレーションが与えられる。
通常、殆どの場合、本人は必ずしも外部の高次存在による介入だとは、
知ることができない。これが霊的“閃き”という。
302宝珠愚者@(規制代行):2012/09/27(木) 04:17:43.98 ID:ZWF8B/hR
>>244
>「ゴータマの予言とか透視能力」が立てられるのであれば、
>大乗経典編纂者たちにも「瞑想力」があって、瞑想によって
>500年の時空を飛び越え、釈尊の説法を直接聞法し、大乗経典が成立した
>という話を立てることも可能ではないでしょうか。

架空の想定ならどうにでもできます。
けれども実際、内容が原始経典とはまったく以って異質なのだから、
そういう理屈は通らないでしょう。

>宮元啓一氏は「ブッダが考えたこと―これが最初の仏教だ」で--中略--
>この系譜に袴田憲昭氏などがおられるのではないでしょうか。

確かに、そういう部分がまったく無いとはいいません。
303宝珠愚者@(規制代行):2012/09/27(木) 04:18:14.14 ID:ZWF8B/hR
>>245
>しかし初期大乗は法華を出し、三乗成仏という一乗仏教を説きますので
>早い段階でアンチテーゼを脱したといいうると思います。

 彼らのアンチテーゼは、上座部の出家集団である比丘比丘尼に対抗する在家信仰の確立であり、
これはそのまま修行(三十七菩提分法の修得)の放棄でもあります。彼らは、“修行せずとも解脱成
仏できる”ことを謳い始めたわけです。それがジャータカからアイディアを貰った“慈悲の実践”として
の菩薩行であって(ジャータカ自体が創作逸話です)、その根本精神は、ただひたすら“仏の本願に
スガレ”というもの(仏は大いなる慈悲を以って一切衆生を救わんとする本願を打ち立てている-とい
う解釈)。この場合の重要ポイントは修行の放棄、禁止であり、自己修行による自力解脱の精神性
は他力本願とは相成れないものとした。こうして、原始経典の説く菩提分法の自己修行と決別した
のです。
304宝珠愚者@(規制代行):2012/09/27(木) 04:18:46.99 ID:ZWF8B/hR
>>245
>しかし初期大乗は法華を出し、三乗成仏という一乗仏教を説きますので
>早い段階でアンチテーゼを脱したといいうると思います。
 『衆生は仏の教えを受ける場合、どこまでも仏の本願を信じそれに随順するのみであって、自己の
修行に功を認めるような態度によっては絶対に真の仏果は得られない。これは法華経の方便品の
眼目であると同時に、後世中国・日本において唱えられた浄土教信仰の基調でもあった。』
(横超慧日著『法華思想』平楽寺書店)

 究極的には、法華経を読誦するだけで勝手にこんな功徳が得られるなどと創作し、更には、「南無
妙法蓮華経」の題目だけで法華経読誦と同等の効果を得るものとしたのです。
 もちろん、そういうことは有得えません。
 
 『この法華経を受持し、若しくは読み、若しくは誦し、若しくは解説し、若しくは書写せば、この人は
当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、 八百の身の功
徳、千二百の意の功徳を得べし。 この功徳をもって六根を荘厳して皆、清浄ならしめん。』
(『妙法蓮華経法師功徳品』第十九)
305神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 07:02:33.97 ID:mpxpN2Mc
>>300
もう君に付き合うつもりはないよ
306神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 07:10:02.77 ID:mpxpN2Mc
>>298
オイラも似てると思ったけど、善意で他人と思いたい。

本人なら、自演みたいなもんでしょ。もう絡むなよ。
307神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 07:19:40.59 ID:ir2UYmf5
≫304
南無妙法阿含経がほざいてんじゃねえよ…( ̄∀ ̄)
308暇人:2012/09/27(木) 07:44:31.17 ID:cJxK9Mh1
>>302
『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5について「釈尊の予言」と主張された。
私は【文献学的発想】に基づき後代の挿入説を提示した。
するとあなたはあくまで>「ゴータマの予言とか透視能力」に固執された。
これは【信仰的発想】なので、同じ【信仰的発想】である
大乗編纂者による「瞑想力」を立てました。
しかしながら、あなたは拒絶された。
ということはつまり、ご自分の信仰のみの正当性を主張され
他人の信仰は否定する立場であるということになります。

>>303
阿含にはほんの一例ほど在家で悟った例がありますが、例外中の例外で
あくまで出家した比丘だけに悟りは可能ですよね。
私は史的釈尊もそう考えていたと思います。在家は悟りではなく昇天を目指すモノ
なのです。この意味で大乗は釈尊からの逸脱であることに同意します。
そして私はあなたと違い、この逸脱故に大乗は史実の釈尊より豊かであり優れていると思っています。
そして大乗の説く釈尊は史実の釈尊ではなく、大乗の釈尊です。
法華寿量品などは、史実の釈尊にはっきりと死刑宣告を下し、永遠の釈尊という
大乗流の豊かな釈尊を説いています。
309暇人:2012/09/27(木) 08:08:42.38 ID:cJxK9Mh1
>上座部の出家集団である比丘比丘尼

文脈からは上座部系だけでなく、大衆部系を含めた部派全体なのでは?
南伝派を指されているのであれば、上座部そのものではなく
上座部系の地方部派の分別説部です。
それと上座部の比丘尼は、あくまで在家ですよ。12c比丘尼サンガが滅び
それ以来、外形が比丘尼でも扱いは在家となつています。
出家としての比丘尼サンガが現在も継続しているのは大乗の中国・台湾の
比丘尼サンガだけです。上座部系統法蔵部の四分律を用いておらるそうです

>三十七菩提分法
ところが捨ててないですよ
37を大別すれば「止」と「観」になります。
四正勤・五力・七覚支が「止」。四念処・四如意足・五根・八正道が「観」です。
天台智は止観を説きました。止観を極めて摩訶止観を知るし
四種三昧という瞑想法に至りました。
この四種三昧を理の一念三千として、日蓮は事の一念三千として
「唱題」を明らかにされたわけですので、
三十七菩提分法による修行法が「唱題」に至ったともいえます。
また道元などは三十七菩提分法それ自体を説いております。

とはいえ三十七菩提分法は史実の釈尊が説いた修行法ではなく
部派仏教がまとめた修行法です。
310宝珠愚者@(規制代行):2012/09/27(木) 09:23:09.35 ID:E4gjl1/C
 ゴータマ教説の主眼はあくまでも自己修行であって、“わたしにすがったところで決して成仏するこ
とはできない”、何故なら彼らは修行しないからだ、と看破したのです。
 かくして小乗経典と謗って、アーガマ(原始経典)を放棄した大乗から完成者(阿羅漢)が輩出しな
いのは当然のことなのです。

 『比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著す
るところなくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところな
く、もろもろの煩悩より解脱してあることはできないであろう。
 それは何故であろうか。それは修習しないからであるといわねばならない。では、なにを修習しな
いのであるか。四つの熱心なる観想(四念処)を修習せず、四つの正しき精進(四正勤)を修習せず、
四つの意志力の修練(四如意足)を修習せず、五つの能力の修練(五根)を修習せず、五つの能力
の実現(五力)を修習せず、七つの観察(七覚支)を修習せず、また、八つの正しい実践(八正道)を
修習しないからである。』(『雑阿含経』10.8応説/『相応部経典』22.101手斧の柄)
311神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 10:02:17.64 ID:ir2UYmf5
ところでキミ、例えばマハー・ヴァッガを読んで阿羅漢になれましたか?実践して滅尽定に入ったと…
312神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 11:00:15.65 ID:tFh4Y7tr
宝珠愚者がスルーしてる部分があからさま過ぎて頭を抱えた。
>>310
阿羅漢になったら輪廻を脱出したはいいが、それ以上の救済は出来なくなってしまう。
だから大乗の行者は菩薩に留まり最終的には仏陀になることを目指す。
仏陀は仏国土に座し、輪廻脱出後も救済できるとされるためだ。

自分には阿羅漢と聖者の境地の違いなんてわからんが、仮に同質のものであろうと、
大乗の行者は自分のことを阿羅漢と認識せず、よって「阿羅漢が出た」という自称・他称・報告もありえない。
313神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 11:16:56.49 ID:mpxpN2Mc
>>312
というか阿羅漢になるのは菩薩の死なんですよ。そこら辺、彼は全く分かってない。
親鸞上人は「七地沈空の難」と言っております。
菩薩の第七地で、滅に入って涅槃し、普賢行を行わないという意味です。

『入中論自註』でも同じようなことを説いていて、それは『華厳経』や『金剛頂経』と全く同じです。

大乗の捉え方が、変な近代日本の大乗を薄めたような理解だから仕方ないと思いますが。
314神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 12:32:23.78 ID:ir2UYmf5
普賢行は世界宗教史上、もっとも崇高な理念だ
315神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 16:16:00.67 ID:pMi7se1X
【正定】坐禅・立禅・歩行禅(経行)実践スレ 3
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1312476433/
316神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 23:35:58.10 ID:FeRTB7Ab
俗水自流従高低
聖行令流従低高
万事流転随縁
転処不決定相
故世尊曰諸法壊法慎不放逸
故古人曰勉旃勉旃日日相見
317神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 23:42:38.41 ID:FeRTB7Ab
水は高きより低きへ流れ、行は低きより高きへ流す。
万事、縁に隨い流転すといえども、転所は相を決定(けつじょう)せず。
故に世尊曰く、諸法は壊法なり、慎んで放逸ならざれ、と。
故に古人曰く、勉旃勉旃日日相見、と。
318宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/27(木) 23:56:14.15 ID:E4gjl1/C
>>308
>そして私はあなたと違い、この逸脱故に大乗は史実の釈尊より豊かであり優れていると思っています。
>そして大乗の説く釈尊は史実の釈尊ではなく、大乗の釈尊です。
>法華寿量品などは、史実の釈尊にはっきりと死刑宣告を下し、永遠の釈尊という
>大乗流の豊かな釈尊を説いています。

本音、もしくは裏のカラクリが遂にでましたね・・・(苦笑)。

>>309
>>三十七菩提分法
>
>ところが捨ててないですよ
>37を大別すれば「止」と「観」になります。

大雑把ではある程度そうかもしれませんが、
果たして内容的には如何なものでしょうか・・・疑問です。

>とはいえ三十七菩提分法は史実の釈尊が説いた修行法ではなく
>部派仏教がまとめた修行法です。

後の分類や体系化はいいとして、
“三十七菩提分法”と称されている原始教団の実修行の内容のことです。
大衆部がこれを受け継いだとは考え難いことです。
319宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/27(木) 23:57:35.77 ID:E4gjl1/C
>>312-314
>>312
>阿羅漢になったら輪廻を脱出したはいいが、それ以上の救済は出来なくなってしまう。
>大乗の行者は自分のことを阿羅漢と認識せず、よって「阿羅漢が出た」という自称・他称・報告もありえない。
>
>>313
>というか阿羅漢になるのは菩薩の死なんですよ。そこら辺、彼は全く分かってない。

何故、意識がニルヴァーナ境に留まり続けながら
外界で救済活動(救済という言葉は嫌いですが・・)ができないのです?
涅槃に入らずに救済活動をするのが菩薩だというのは奇麗事であって、
本当は、涅槃に入れるレベルではないからではありませんか?
もちろん、積徳梵行としての奉仕活動の実践そのものを否定しているのではありません。

いつも大乗側の話は奇麗事(耳障りの心地良い話)ばかり・・・。
320宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/28(金) 00:04:19.46 ID:2yWFHQdO
意識がニルヴァーナ境へと常にありながら、
伝道救済の生涯(成道)を送られたのがゴータマ仏陀その人であった、
という事実をまったく無視した、実に都合のいい身勝手な主張が菩薩理論。
321神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 00:17:33.55 ID:JD5kVv04
>>320
そうじゃないw

仏となることは、監督やコーチになることを意味する。
チームメイトではなくなるのさw
だから、チームメイトのまま一緒にフィールドでプレイをするために、監督やコーチ就任を辞退するということだよ。
何で解らないかな・・w
322神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 01:32:18.14 ID:wluTUvat

>>318 宝珠愚者@
> “三十七菩提分法”と称されている原始教団の実修行の内容のことです
> 大衆部がこれを受け継いだとは考え難いことです

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm

中論觀法品第十八

 ☆ 八聖道分を修習して ☆ 我、我所を滅する因縁の故に無我、無我所を得て智慧を決定する

諸の禅定の中で ☆ 滅尽定を以って ☆ 第一と為し又、終に無余涅槃に帰する
  _  _  _

中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法の

八正道(八聖道)
正見(正しい見解)正思惟(正しい考え)正語(正しい言葉)正業(正しい行為)
正命(正しい生業)正精進(正しい努力)正念(正しい念慮、気づき)正定(正しい集中)
323神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 01:44:46.81 ID:wluTUvat

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%98%A7

仏教の阿含経典では、三昧に至る過程には、まず初禅から第四禅までの4段階があるとする
続いて空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処の4段階があるとする
前の4つを「四静慮(四禅)」、後の4つを「四無色定」としている
さらに深まった状態として
「心のあらゆる動きが全く止滅した状態( ☆ 滅尽定 ☆ )」があるとしており
以上9の段階を「九次第定」と数えている

 − − −

滅尽定
渇愛(タンハー)を滅し尽くす為の禅定法(瞑想法)
324神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 02:00:24.87 ID:534uA/wi
>>320 仏の存在と菩薩は矛盾しない。
仏の前世が菩薩なんだから。

業を心の習慣力(心の癖付け)だと考えると、
前世でたっぷりと利他の癖をつけたあとで悟ったら
悟ったあとの余生を利他に注ぐ可能性が高くなるという理屈は、
わからなくもないですよね。
阿羅漢も教団の一員として弟子や信者を育成してるから利他行もやってるけど、
その時代・その世界の中で初めて覚って教えを説きはじめた仏は、利他で突出している。
325神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 02:03:16.82 ID:wluTUvat

>>322 続き

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm

中論觀顛倒品第二十三

無漏法に至るまで尚お不生の相と名づけない

顛倒が不生の相のはずがない
  _  _  _

無漏に到達してない人は

有漏の故に

又、次の、この世の生に戻り来る

それ故に

不生の相と名づける事は出来ない
326神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 02:53:07.49 ID:wluTUvat

>>322 の続き

死に向かって逝こうとする働きも、又、次の、この世の生に向かって逝こうとする働きも

たとえ、心の働きも、身体も、周りの環境などが変化しても相続しようとする働きは

これ即ち自性ではない

この自性ではないと言う事においては分別はない故に

 − − −

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04b.htm

中論觀涅槃品第二十五

諸の因縁を受けるが故に、その人は生死の中を輪転する

如実に顛倒を知らないが故に、その人は五受陰に因って生死を往来する
327神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 03:05:11.31 ID:wluTUvat

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91

五蘊仮和合

我は
常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ
支配されていると考えるのである

釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として
諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた

異蘊相続とか
五蘊仮和合などによって
「心の働きは縁起によって仮りの存在として現れる」と仮設する
328神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 04:03:12.54 ID:a/r5pmXJ
≫319
阿羅漢の境地に達した者は自己が阿羅漢に達したとは思わない
この辺は金剛般若経でサラリと理解してね
>救済という言葉がキライ…
終わってますねあなた…
宝珠は終わってる…
329神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 04:09:13.76 ID:a/r5pmXJ
≫319
>意識がニルヴァーナ境にありながら救済活動出来ないのですか…
それはブッダでも不可能
ブッダは三昧境にあっても、救済活動をする場合「世俗的心」を起こして世界を観察する
330神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 04:27:02.26 ID:a/r5pmXJ
菩提心を決して失ってはならない
諸仏はこれにより生じ
諸仏無くして、声聞、縁覚の劣った二乗さえも存在し得ないのだから…
声聞、縁覚は自利のみ求める愚か者
仏菩薩のみが自利利他を円満に成就する
宝珠には気をつけな…
331神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 04:28:47.23 ID:wluTUvat

>>322 の続き

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章

96ページ
空に一点集中する禅定によって
空を直接体験として理解する智慧にとどまり続けて…

134ページ
無明(根源的無知)を滅したら
行(行為)などのすべても生じない
無明(根源的無知)の断滅は
〔縁起という〕真如を知って
それに瞑想することから〔得られる〕

 − − −

大乗の中でもチベットの場合は
禅定(瞑想)を前面に打ち出しているらしい
中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法も
瀉瓶(しゃびょう)の如く、引き継いで、実践しているかもしれない
332神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 05:15:08.46 ID:uoBJs1af
俺が自殺したら俺のことをイジメてたこの田舎町の人間達はカルマを背負う?
333神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 05:22:55.24 ID:NUjlsCzR
>>332
分からない。相手の思い次第です。
しかし、そういう動機で自殺するならアナタが大きな悪業を背負うことは確実ですよ。
334神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 05:24:56.11 ID:wluTUvat

> 俺が自殺したら俺のことをイジメてたこの田舎町の人間達はカルマを背負う?

業報輪廻肯定派の場合は「はい、そうです!」

中有(幽霊)肯定派の場合は「怨みの念がある場合とか、自殺などの場合は未成仏霊となって、さまよう事になる!」
335暇人:2012/09/28(金) 05:35:50.23 ID:+Nj7nZrr
>>310
(『雑阿含経』10.8応説/『相応部経典』22.101手斧の柄)
基本的な事柄なのですが、あなたが直接、雑阿含やパーリ相応部から
直接訳されたのではなく、増谷文雄さんの「阿含経典 第二巻」p186 手斧の柄から
増谷さんの訳を全コピーされているわけですので
(増谷文雄「阿含経典 第二巻」p186 )も表記されるのが礼儀だと思いますよ。

さて本題。p190で増谷さんは、引用された経典を解説されて
「この経もまた、かならずしも、最古のものではないようである」
つまり、この経を説いたのは釈尊ではありません。
なぜそう専門家がみなすかといえば、この経典が三十七菩提分法を説いているからですし、以下略

>>318
雑阿含/相応部が既に釈尊の教説を増広しているのです。
なぜ増やし拡げたのかというと生の釈尊だけだと不充分だったからです。

三十七菩提分法と称される修行法を大衆部が受け継いでないのであれば、
三十七菩提分法は、根本分裂後の上座部系統で産まれた修行法ということに
なりますが、あなたはご自分が何を主張されておられるか理解されておられますか?
336神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 05:45:52.99 ID:NUjlsCzR
>>335
>三十七菩提分法と称される修行法を大衆部が受け継いでないのであれば、

 これは何から分かるのですか?
 これが事実だとしても、以下を主張するのは飛躍でしょう。

>三十七菩提分法は、根本分裂後の上座部系統で産まれた修行法ということに
>なりますが、

 なぜなら、有部も大乗も三十七菩提分法を行うので、大衆部が受け継いでないとしても、受け継いでない部派が特殊である可能性もあるからです。
337神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 05:49:01.49 ID:NUjlsCzR
宝珠の文は読んでません。
338暇人:2012/09/28(金) 07:10:44.00 ID:+Nj7nZrr
>>336
>>318の主張の
「後の分類や体系化はいいとして、
“三十七菩提分法”と称されている原始教団の実修行の内容のことです。
大衆部がこれを受け継いだとは考え難いことです。」を要約して
「三十七菩提分法と称される修行法を大衆部が受け継いでない」と受けています。

>受け継いでない部派が特殊である可能性もあるからです
100%ありえんでしょう。
伝承によると大衆部と上座部は釈尊死後100年目に二大分裂したわけです。
枝葉分裂の一部派であれば、あなたの主張はありえますが、事は根本分裂です。
分裂の原因は北伝と南伝で相違しているとはいえ、修行法を巡って対立があったという
記事はありませんので、三十七菩提分法が上座部のみ所伝だとすると
釈尊死後、100年以上経った後に上座部が編み出した修行法ということになります。
大衆部と大乗は別ものですので、上座部から上座部系統の有部の三十七菩提分法を
大乗が受け継いだと考えれば、矛盾はしませんので、>>336は反証となりえません。
339暇人:2012/09/28(金) 08:10:22.01 ID:+Nj7nZrr
それと基本的な事ですが、漢訳されたとはいえ阿含経は
4,5cに梵語かガンダーラ語より翻訳されたのですが
パーリは、スリランカにもたらされた際に1c頃シンハラ語に翻訳され
衰微していた大寺(南伝分別説部の拠点)にブッダゴーサが5c頃に着た時
パーリ語に最翻訳されました。このあと南アジア諸国に伝播するのですが
スリランカでは8c頃に大寺は衰え、一旦消滅します。
12cにビルマからパーリを再輸入して最復活して以後、スリランカでは
大寺が主流となります。

パーリ相応部に対応する雑阿含は「根本有部律」との類似性を根拠に
根本説一切有部のものと推定されているわけですが、5c頃の大陸インドと
5c頃のセイロン島では三十七菩提分法が一般的な修行法だったことがわかります。
また初期大乗経典の維摩経も佛國品第一佛國品第一で「三十七道品是菩薩淨土」
(三十七菩提分法は、菩薩の浄土だ)と肯定していますので4c鳩摩羅什訳でも
三十七菩提分法が大乗によって肯定されていたことがわかります。
つまり4,5c頃ですと三十七菩提分法は、セイロンでも大陸でも上座部系統が
肯定し大陸の初期大乗で一番厳しく部派を批判した維摩経ですら肯定する
修行法だったわけです。
この広く肯定されていて三十七菩提分法を大衆部が否定して別の修行法を
提唱していたとすれば記録に残っていそうなモノですが
私は聞いた事がございません。
340神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 09:29:52.00 ID:NUjlsCzR
>>338
ああ、帰謬法だったのですね。

すいません。私は暇人さんが「大衆部は三十七菩提分を受け継いでない」と主張しているのだと誤読して不思議に思い質問してしまいました。

既に書いたように宝珠の文は読んでません。部派関係の歴史などには疎いのですが、>>339程度のことは分かってるつもりです。

一応、言っときますが、宝珠と話しても時間の無駄だと思いますよ。
彼は一応根拠は示しますが、それは見せかけみたいなもんですから。
341神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 09:35:03.87 ID:UNFa+IzF
>>319
>何故、意識がニルヴァーナ境に留まり続けながら
>外界で救済活動(救済という言葉は嫌いですが・・)ができないのです?

さあ?メカニズム的にどう説明されているかは知らない。
輪廻から脱出した阿羅漢(とその意識)がどうなるとされているかも知らない。
一つ言える事は、阿羅漢に下生とか化身とかして地上で救済してくれる、
という設定は大乗だけでなく上座部にも無い、ということだ。

阿羅漢になり、死を迎えれば、もう救済はできないわけだ。
もったいない気はするわな。普通の阿羅漢と差別化されていた正等覚者(ブッダ)に
死後も救済できる、という設定がついていったのも無理はない。
救済活動が悟ってから肉体を失う数十年間から一気にすごいタイムスパンになる。
釈迦が入滅してしまっても、他にも仏陀と仏国土があるのなら
そこに転生さえできれば、釈迦に教わるのと同じ最高の環境で求道できる。
大乗のブッダには夢と希望が詰まっている。
342神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 09:44:39.72 ID:NUjlsCzR
>>341
滅、ニルヴァーナに入っちゃうと働きがないからですよ。

ちなみにテーラワーダでも菩薩道を選択して阿羅漢にならない方もいます。

現代でもいるそうです。
343神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 09:52:20.59 ID:8VMluw9S
苦しみから逃れる「理屈」じゃなくて、具体的な方法論を学ぶには何宗あるいは何と言う経典が適してますか?
344神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:04:41.05 ID:a/r5pmXJ
≫343
残念ながら具体的な苦の滅への方法論は
ストレートな意味では「大品」や「阿含経」による四聖諦の洞察を
みずから「瞑想」し
「名称と形態」のすべてを遠離するしかありません。
いずれにせよ生きている限り苦しみは尽きず、最後は死です
345神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:04:52.41 ID:UNFa+IzF
全ての宗派が理屈だけでなく「具体的な方法論」を持っています。
ただし、その道はとてつもなく険しいとされます。

あなたにとっての「苦しみから逃れる」がどういうものかは存じませんが、
どこに行ってもそれは一生モノの大作業になるでしょう。

意識をテクニックでストレッチして、上に箴言や金言を乗っけることも出来るでしょうが、
少なくともそれは各宗派が目指す目的地ではありません。
346神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:12:54.77 ID:a/r5pmXJ
大乗仏教は苦の滅を取り上げますが、利他の強調、大悲が余りに強烈ゆえ、衆生済度のためなら地獄へも堕ちます。
輪廻による生存苦を身の毛がよだつ程に厭いながらも、大慈大悲ゆえ、またブッダになり無住処涅槃獲得のために、あえて
苦しみに苦しみます
菩薩にとって目に映るすべてが自己なのであり、無分別智により、活動します
347神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:16:06.68 ID:NUjlsCzR
>>343
まず、本物の師匠に会うことが重要だと思います。

あるいは、単に世俗的な苦から逃れたいなら、菩提心、思いやりを持つことで、大抵のことは解決されると思います。
348神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:28:58.08 ID:UNFa+IzF
師がなくても出来る仏教って念仏くらいじゃないか。

本願ぼこりに気をつければ大丈夫そうだ。
349神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:33:39.45 ID:JD5kVv04
>>347
>大抵のことは

そうもいかんでしょ・・w (^^;
心頭滅却すればとまで言わずとも、
自身の心の向き(…在り様)を変化させることで、確かに多くの案件は改善されるでしょう。
が、そうもいかないケース(≒環境・状況の堅牢さ)も多々あるし、
世俗で生きるということは他者との世俗的関係の中で生きるということであり、
他者の心が変わっていなければ、自身が「現状を甘んじて受け入れる」という形を取らざるを得ません。
(そこに必要なのは寧ろ「忍辱」でしょう。)

だから、ここに、(『世俗の中に在り続けなければならない』人々に)、
現状肯定というリスクを必然的に背負う『あるがまま』という方向性が生じるわけです。
(半聖半俗の形態を取ろうとするなら、或る意味必然と言ってもいいかもしれません。)
350神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:37:25.32 ID:a/r5pmXJ
大雑把な分類で申し訳ないですが
もし、貴方が苦しみを一刻も早く滅したいなら「大品」だけで突っ走りあれこれ考えてはいけません
351神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:42:44.36 ID:a/r5pmXJ
もし、貴方が大乗、つまりブッダになりたいのならば
「中論」による空性の把握、そして「華厳経」による方便の学びが必要です。
なお、中観派はアーラヤ識を否定しますが「摂大乗論」なども知識として知っておく必要があります。
なんとなれば菩薩の活動範囲、学習範囲は「無限」だからです
スレ汚し失礼しました
352神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:46:54.31 ID:NUjlsCzR
>>349
忍辱も菩提心がないと、単なる痩せ我慢になって悲惨が結果を生みかねないよ。

菩提心さえあれば、大抵のことは解決すると確信してますよ。
353神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:49:31.04 ID:NUjlsCzR
>>350
ちゃんとしたテーラワーダの師匠に就かないとそれも普通無理

>>351
>なお、中観派はアーラヤ識を否定しますが「摂大乗論」なども知識として知っておく必要があります。

必要ないと思う。

そしてなによりちゃんとした師匠に就かないと大乗の普賢行は歩めないと思います。
354神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:52:03.56 ID:/PT7dMZY
>>308
>そして大乗の説く釈尊は史実の釈尊ではなく、大乗の釈尊です。
>法華寿量品などは、史実の釈尊にはっきりと死刑宣告を下し、永遠の釈尊という
>大乗流の豊かな釈尊を説いています。

全く同意。私はこのスレで、このことを「釈迦個人から釈迦の象徴化」と
呼んでいます。

未だに「釈迦個人」に執着している人々は、「釈迦の精神病の感染による
洗脳」という精神医学的現象に過ぎません。
355神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:54:53.47 ID:JD5kVv04
>>349

故に、御隠居のスタンスに一理あるとするならば、次のような問いを避けるべきではないということです。

凡そ“人”たるものが、聖なる領域へ入り身を置くことが、そもそも可能なのか?そこにどれほどの価値があるのか? と。

少なくとも
『当人にとって』(当人関係者達にとって)、聖なる領域への移住が、
『幸せなことなのか(≒最善の方法・方向・手段なのか)?』という問いは、最低一度は設けられるべきだということです。

(その意味で、四住期は誠に良くできていますw)


>>352
ですね。 確かにセット物だと思いますよ。
というか、菩提心を根とし、その上に六つの枝が伸びるわけでしょう?w
356神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 11:05:44.54 ID:NUjlsCzR
>>355
そう。で、他がなくても菩提心さえあれば、自他ともに幸せになりますが、
菩提心がないと例えば般若があっても、あやういというのが大乗のスタンスですね。

ここから、明恵上人は法然上人を否定したわけですが、法然上人のありかたは方便として完全にありだと思います。

菩提心を持てない有情も念仏で導こうという。
357神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 11:06:40.72 ID:a/r5pmXJ
忍辱と言っても
「瞬間的な怒り」は避けがたい
「餓え」「性欲」「病苦」は耐え難い
タバコは体に良くないと知りつつも
わかっちゃいるけど止められない
だけど凡夫でいたくない
これ、すべて身体と心があるがゆえの苦
必要なただひとつの事は
死への覚悟
いつ死んでも動揺しない心を養う事
人間は皮肉にも死ぬために生きている
358神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 11:11:12.22 ID:a/r5pmXJ
念仏や題目で救われるなら、それも有効…
しかし人間は絶えず疑念を抱く生き物
もし、念仏題目を持って救いとするならば
死の直前にこそ必要なもの
最後には祈りしか無いんだ…
それが普通の人間
359神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 11:15:27.21 ID:JD5kVv04
>>356
>ここから、明恵上人は法然上人を・・・・・・導こうという。
なるほど。解り易い。

>菩提心がないと例えば般若があっても
俗に言う「キ○ガイに刃物」にすらなりかねん、と・・w
(それはオーバーにしても、知的遊戯に堕し易いしね。)



>>358
まあね・・。
所謂末期医療の現場に、仏教の居場所は狭いと思うしね。
現時点では、キ教の独壇場かもしれんw
360神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 11:17:06.02 ID:NUjlsCzR
>>357-358
気持ちは分かるけど、そういうことは本物の師匠に聞いた方がいいよ。

ここは基本的にテキストに基いて話し合う場だよ。

質問が来たので、それには答えるべきだと思うけど、長々論じるテーマじゃないと思う。
361暇人:2012/09/28(金) 12:39:48.76 ID:+Nj7nZrr
>>343
>苦しみから逃れる「理屈」じゃなくて、
>具体的な方法論を学ぶには何宗あるいは何と言う経典が適してますか?

「苦から逃れる」のは「苦がなくなる」わけではなくて
「苦があっても苦とならない」ことではないかと思うのです。
「生老病死」の苦や別離の悲しみがあっても倒れない。

これはどの宗のどの経もそれぞれのやり方で明示していると思います。
しかしながら問題は こういう設問がなされるといことは
「経」や「宗派の教え」が設問者に届いてないからだと思います。
それは設問者に問題があるのでしょうか、「経」や「宗」の側に問題があるのでしょうか
362神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 12:41:12.46 ID:MMhJWRYM
>>360
その師匠がニセモノの俗物だったら救われないね
363神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 13:00:11.88 ID:534uA/wi
念仏には二河白道の譬喩がある。
怒りの火河と欲の水の河を渡る白い道がある。
この白い道が念仏の道。
怒りや欲の激流にのまれても、念仏するたびに河からあがって白い道の上にもどれる。
364神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 14:26:29.91 ID:wluTUvat

スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念と精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落させるものである

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81

中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法の

五根 五つの能力
信根 ← 信仰
精進根 ← 意欲と努力
念根 ← 念
定根 ← 精神統一
慧根 ← 明知が … に結びついて頭(無明)を裂け落させる
365神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 15:02:15.97 ID:wluTUvat

新アジア仏教史02 インド2 仏教の形成と展開/奈良康明、下田正弘/佼成出版社(2010/10)

63〜64ページ

初期経典の成立

最近では『スッタニパータ』の第4章と第5章に関する新たな指摘がなされ
より明確に、ゴータマ・ブッダに最も近い資料であるという見解が文献上
思想上から究明された

中には、ゴータマ・ブッダの金口直説もあるとの指摘もあるらしい
366神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 15:40:09.86 ID:wluTUvat

シリーズ大乗仏教 1 大乗仏教とは何か/高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明/春秋社(2011/06)

松田和信

168ページ
樺皮巻物の断簡
パーリ語『スッタニパータ』の第四章「アッタカ・ヴァッガ(漢訳では『義足経』)」に対応するガンダーラ語の小さな断簡
『法句経(ダンマパダ)』の断簡
『般若経』のガンダーラ語の写本が含まれていた

169ページ
大英図書館のコレクションも含めて
最近発見されたガンダーラ語樺皮巻物写本は
紀元後1世紀を中心に書写された写本であると見なされている
炭素14による年代測定の結果
数点については
紀元前1世紀に遡る数値を示す巻物もあるという
367神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 16:01:11.98 ID:wluTUvat

シリーズ大乗仏教 1 大乗仏教とは何か/高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明/春秋社(2011/06)

下田正弘

189ページ
漢訳仏典は
インドで大乗仏典が編集されていた時代と翻訳時期が重なるため
時代としては
より古いものを直接に
反映している可能性が高い

190〜191ページ参照
現存する漢訳仏典は
古典サンスクリットではなく
俗語の特徴を反映していることは
20世紀初頭には気づかれていた
368神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 16:13:15.95 ID:O115XRPQ
>>355
>凡そ“人”たるものが、聖なる領域へ入り身を置くことが、そもそも
可能なのか?そこにどれほどの価値があるのか? と。

そもそも、釈迦が、人間を「凡」と「聖」とに差別した時点において、
彼は宗教者としてばかりでなく、人間として終わっている。「聖俗併せ
持つのが人間」であることに、彼は思い至っていない。
369神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 16:18:28.49 ID:mEW7/j/x
【宗教】中国報道「国有化のせいだ」…真言宗僧侶70人が訪中取り消し [09/28]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1348816252/
370神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 16:21:53.96 ID:wluTUvat

新アジア仏教史02 インド2 仏教の形成と展開/奈良康明、下田正弘/佼成出版社(2010/10)

67〜68ページ
チベット語訳の初期経典の研究
チベット語訳のみで伝えられる
『アビダルマコーシャ・ウパーイカー』の全貌が明らかになり
新しい阿含経が開示された
近々、全訳が出版される予定であるが
この成果は初期仏教に大いなる実りをもたらしそうである

68ページ
漢訳阿含経典の研究が見直され、新しい知見を生んでいる
最近になって
『中阿含経』の帰属部派に関しては説一切有部中の古い伝承を保持する教団
『雑阿含経』は根本説一切有部
『別訳雑阿含経』は根本説一切有部に近い教団である
という見解などが提示されている
371神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 16:28:18.75 ID:a/r5pmXJ
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
ドンドンド〜ん!
372神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 16:39:23.47 ID:JD5kVv04
>>368
馬〜鹿w
まだ言ってんのか。
ゴールキーパーはゴールを守る。 フォワードは得点を目指す。
同じこと。役割分担だよ。
民俗学的視点で聖俗の話もしたろ? 昔過ぎて忘れたか?w
373神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 22:44:22.84 ID:JD5kVv04
仏教の歴史 その2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1300330865/

591 世界@名無史さん New! 2012/09/28(金) 22:35:14.80 0
仏教なんて屁のツッパリにもならんですよ。
寛容だなんて言い出すバカがいるけど、単に大勢に流されやすいだけでしょ。
戦時中の国家神道との妥協による戦争協力などね。
どうにでもなる宗教なんですよ。
仏教が世界史を動かした例なんて知れたものでしょ。


>一代
出番だよwwwww
374神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 00:52:11.56 ID:g6fkcp9j
噂の入中論自註!11月初旬ってやつ!?
375神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 00:57:23.24 ID:hZ0nIRQV
>>372
釈迦は、「聖・俗」に、精一杯の「価値観」を含めているとしか思えんがねw。
376神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 01:18:40.21 ID:KX/AMY3s
>>375
日本語で述べてくれないか?w
377神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 02:24:20.82 ID:QYskfg9n
378神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 04:33:38.60 ID:iA7yzWu/
>>375 仏教の基礎が四諦であることを忘れてはいけない。
苦を消すことをめざしたい場合には聖をめざさねばならない。
これは法則であって、選択を強要するものではない。
ボクサーは減量するが、これは目的があって減量するのであり、
ボクサーだって一般人にまでダイエットを強要しない。
しかし、ボクシングを教えてくれと言ってきた奴がいたら、必要なら減量を勧める。
379神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 07:44:38.64 ID:0dgOsXNK
>>378
うまいこと言うね。
理由はいたって単純。
理由を集めぬ者、理由に従わぬ者は滅には至らぬ。
380神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 08:46:50.54 ID:wMPLd1t7
>>378
その「苦を消すこと」への執着は、何とかならんかw。その執着から、新たな
苦を生じる。

釈迦は、選択を強要しているのは明らか。
381神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 12:13:50.38 ID:0dgOsXNK
>>381
ボクシングの例えでいうと、素人にアドバイスしてやらないと
かわいそうなことになるだろ。
選択の強要ではなく、生きるためのごく自然なあり方。
382暇人:2012/09/29(土) 13:32:24.19 ID:YsM62RxG
ボクシングに譬えると
南伝は普通のボクシングで北伝はキックボクシング
違うスポーツなんだ。
「ボクシングでは足を使わない」というアドバイスは的外れなんだよ
383神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 13:38:52.44 ID:CZrH2NIE
>>382
南伝がボクシングなら北伝はヨーガも含む総合武術かな
384神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 14:14:03.69 ID:SEOoShW7
>>382
で、次に出てくる話題が、
「原点は素手の殴り合いだったんだから、キックボクサーは素手の殴り合いに戻るべき!」とw
385神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 14:24:01.04 ID:0dgOsXNK
そんなこと言うたら噛みつき、目潰し、武器の使用なんでもおkやんw
できることできぬことのルールが勝手に設定されてるんだから、
ルールに従わぬ者は反則負けとなるw
386神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 14:33:33.18 ID:KX/AMY3s
さて、そこで問われてくるのは

「○○の爲に許容される」(禁じ手とされる)手段・手法はどういうものか?
また逆に
「○○の爲に外せない」 (必須とされる) 手段・手法はどういうものか?
ということにでもなろうかね・・。

そして、そこ(禁許両者の間)に幅はあり得るか?と・・・。
387神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 14:48:17.77 ID:0dgOsXNK
禁じ手は殺傷でしょうなぁ…
外せないのは野性と理性かなぁ…
比重のかけ方が個によるものだから
幅はありえると思う。
388神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 15:00:32.48 ID:KX/AMY3s
幅を認め得るということは、部派も大乗も認め得るということになるね。
尤も、「禁じ手(逸脱)の線引き次第」という点は変わらず残ってしまうわけだが・・。

また、「殺」はともかく、「傷」に於いては、
相手の戦意喪失及び再戦の意向を挫く・絶やす爲に腕なり足なりを折ることは、
正当なこととしてあり得そうだが・・w(格闘技系の物語では、非常に重要な要素だw)
389神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 15:06:12.86 ID:0dgOsXNK
腕とか足折られたら痛いやんw
自分がして欲しくないことは相手にもすべきでない。
まぁ個々によるんかな…
ムチで打たれたいローソク垂らされたい人もいるかもしれんしw
390神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 15:22:38.80 ID:ZqfF2rcr
>>381
>選択の強要ではなく、生きるためのごく自然なあり方。

アホですか。「ダニヤの章」だけで充分だろ。
391神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 15:41:23.89 ID:0dgOsXNK
>>390
俺に文句言ってどうするんだw
君がそれで充分なら、それでいいじゃないか
392宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/29(土) 15:47:11.47 ID:zHhSAKNw
>>58
>大乗、なかんずく法華経の読み方も知らない椰子が多い。
>法華経は歴史的にみて、一番読まれてきた経典と言われている。
>内容的にフィクションと言っている椰子がいるが、
>釈尊は悟りの胸中を比喩をもって現した。
>虚空に聳え立ち、7つの宝石に散りばめられた宝塔は、自身の生命であり、衆生の生命を表したもの・・
>まあ、一事が万事だと言える。

最も世間で“ポピュラー”な経典/信仰ですね。

イエスの教えでいえば、カトリックにプロテスタントというように、
最も広まっている信仰ほど真実からは程遠く歪曲された教えであることが殆どではないかと。

華厳経などはプロでなければ書けないものという評価もあるので、
『大乗経典の作者が出家か在家であるかも判らない』(水野弘元著『原始仏教』平楽時書店)
という(素人にも書ける)程度の評価については、主に初期大乗の法華経/阿弥陀経などを指してのことでしょう。
393宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/29(土) 15:49:20.78 ID:zHhSAKNw
>>328
>>319
>阿羅漢の境地に達した者は自己が阿羅漢に達したとは思わない
>この辺は金剛般若経でサラリと理解してね

 『比丘たちよ、しかしながら、まさに、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為
されたもの」でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が存在するがゆえに、それ
ゆえに、「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為されたもの」「形成されたもの(有為)」から
の出離が、覚知されるのである。』(『ウダーナ』8:3)

“覚知される”そうですよ。
大乗諸経を根拠にされても困る。

>>337
>宝珠の文は読んでません。

ごめんねぇ・・・
それは嫌な想いをさせましたねぇ(苦笑)。

皆さんが凄く嫌がることは最初から十分に承知していますが、
それを遠慮して黙っているわけにはいかなかったもので・・・。
394宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/29(土) 15:51:51.47 ID:zHhSAKNw
>>318 追記:
>>>308
>>そして私はあなたと違い、この逸脱故に大乗は史実の釈尊より豊かであり優れていると思っています。
>>そして大乗の説く釈尊は史実の釈尊ではなく、大乗の釈尊です。
>>法華寿量品などは、史実の釈尊にはっきりと死刑宣告を下し、永遠の釈尊という
>>大乗流の豊かな釈尊を説いています。
>
>本音、もしくは裏のカラクリが遂にでましたね・・・(苦笑)。

一代に問うたのもそういうことなのですが>>300
大乗の教理はゴータマとは異なる別存在としての仏からのテルマ感得である、
と主張するならば確かにご自由です(その内容が完成者からの教示という評価が得られるかどうかは別として)。
しかしながら、勝手に原始経典のゴータマとは異なる釈尊(感)を創作するのは辞めて頂きたいということ。
原始経典とは異なる矛盾した内容を創作の釈尊に説かせるのならば詐称問題です。
中身が異なるのならば、ゴータマ仏とは直接関係がないことを公言すべき。
395宝珠愚者@(規制代行):2012/09/29(土) 16:41:03.23 ID:zHhSAKNw
>>335
>増谷さんの訳を全コピーされているわけですので
>(増谷文雄「阿含経典 第二巻」p186 )も表記されるのが礼儀だと思いますよ。

了解。
出来る限り努めます。

>>338
>修行法を巡って対立があったという
>記事はありませんので、三十七菩提分法が上座部のみ所伝だとすると
>釈尊死後、100年以上経った後に上座部が編み出した修行法ということになります。

それはおかしい。
(本来あったものを)片方が破棄すれば有得ることです。

>大衆部と大乗は別ものですので

イコールではなくても、別物で済ますことなどできないと思います。
大乗の発生に大衆部の存在(関り)があったことは、まず間違いがないこと
396宝珠愚者@(規制代行):2012/09/29(土) 16:44:43.22 ID:zHhSAKNw
>>339
>三十七菩提分法が大乗によって肯定されていたことがわかります。--中略--
>この広く肯定されていて三十七菩提分法を大衆部が否定して別の修行法を
>提唱していたとすれば記録に残っていそうなモノですが
>私は聞いた事がございません。

では、
ここに訂正して“否定した/破棄した”という極論は辞めておくことにします。
しかしながら、決別の意図は在家信仰者の扱いにあったわけですから、
在家にも可能なレベル内容をということで菩提分法そのままに取り込むことは辞めた、と。
(菩提分法の)エッセンスは持ってきた。そこから大乗的なアレンジで修行(六波羅蜜)が構築されていった・・・。
397宝珠愚者@(規制代行):2012/09/29(土) 17:36:02.58 ID:zHhSAKNw
>>329
>>>319
>>意識がニルヴァーナ境にありながら救済活動出来ないのですか…
>それはブッダでも不可能

どーして??

>>321
>仏となることは、監督やコーチになることを意味する。
>チームメイトではなくなるのさw
>だから、チームメイトのまま一緒にフィールドでプレイをするために、監督やコーチ就任を辞退するということだよ。
>何で解らないかな・・w

すべて大乗の勝手解釈(聞こえにいい具合に創作した)に過ぎません。
意識がニルヴァーナにありながら、普通に生活をしつつも伝道遊行(救済奉仕)
の生涯を送られたのが史実のゴータマの姿というもの。
一体、普賢行/菩薩行とその意味合いに何が違うというのか?

三昧の境地は、三昧を出たら終わりで日常意識に戻ってしまう。
けれども、完成者は日常生活に置いてもその意識状態を保つことができる。
つまり、意識がニルヴァーナ境のままで救済奉仕の活動ができる。
逆にいえば、ニルヴァーナ意識に到達しているからこそ、そこから大いなる慈愛が発露してくる。
398宝珠愚者@(規制代行):2012/09/29(土) 17:38:06.28 ID:zHhSAKNw
>>324
>仏の存在と菩薩は矛盾しない。

一体、大乗の菩薩思想と何が違う?

どうにもこの私には、
ただ上座部よりも(思想的に)何とか高位に立とうとする意図しか感じられない。
現実に阿羅漢を輩出している上座部に対抗するのに、
阿羅漢を最終段階としてしまうならば上座部の方が正統ということになってしまう・・。
そこで阿羅漢は上座部の低い境地というレッテルを貼り付け、
大乗考案の菩薩をその更に上位に位置づけしたのです。
399神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 18:11:14.85 ID:iA7yzWu/
>>380 苦をなくしたいという趣味嗜好、目的で一致する者だけが仏教徒になればよい。
ブッダのもとには目的を同じくする者が寄ってくるのだから、
ブッダは目的の話は飛ばして手段の話から入る。
苦をなくすという目的に賛同しない人はブッダに関わる必要もないのでは。
逆に、目的を同じくしない人が仏教にちょっかいを出したい理由がわからない。
400324:2012/09/29(土) 18:26:43.43 ID:iA7yzWu/
>>398 大乗は菩薩道を強調して「小乗より上」と言いたいのだろう、ということには私も賛同。

でも、在家信者でも菩薩を意識して六波羅蜜を実践するのはいいことだと思います。
しかし、阿羅漢を見下すなどもってのほか。
401暇人:2012/09/29(土) 19:10:31.11 ID:YsM62RxG
>>392
>『大乗経典の作者が出家か在家であるかも判らない』
>(水野弘元著『原始仏教』平楽時書店)

ほう。水野さんの『原始仏教』ですか、話が早い。
水野さんはパーリ研究の我が国における第一人者であるし、
この著書『原始仏教』も定番の入門書ではあり良書ではありますが、如何せん古い。
例えば雑阿含を有部系部派とされておられるが、今では根本説一切有部説が有力となっています。

さて「大乗経典の作者が出家か在家であるかも判らない」という文言は
『原始仏教』の何ページにありますか?
これは、ひょっとするとP37の
「その作者誰であるかは、今日全くわからないけれども…」という部分からの
あなた独自の解釈ですか?

>>394
水野さんの『原始仏教』をp30の【四 初期及び中期の大乗仏教時代】から
読んで見られてください。
p32「釈尊時代のように智慧経験も深く、聖者として完成した人々の多かった場合には
彼らには細かい戒律規定も必要とせず、教理組織にしても極めて程度の高いものが適当であった。
然しこのような高い教えは、一部の優れた人にしか通用せず、一般大衆にはやはり細かな
戒律規定や通俗的な教理組織を立てることが必要であり、無難だった。
原始仏教の終わり頃から、次第に高い立場のものは失われて、戒律においても教理においても
次第に通俗化・低級化がなされ、それのみで統一されたのが部派仏教であった。
このように高い立場の教えが失われると、理想の高い人々には不便と不満とが感ぜられるを得ない。
そこには釈尊の最も奥深い真精神は含まれていないからである。
例えば仏教の根本教理としての無我や空の思想にしても、諸部派の今日伝えた原始経典からは、
その正しい理解は殆ど得られないのである。」以下略

水野先生に立つのであれば、
「原始経典とは異なる矛盾した内容を創作の釈尊に説かせるのならば詐称問題」とはならない。
原始仏教典に説かれてない「仏教の根本教理としての無我や空の思想」を大乗経典が説いていることになります。
402暇人:2012/09/29(土) 19:19:07.84 ID:YsM62RxG
>>395
片方が捨てたのであれば、記録に残っています。(しかし残っていない)

大乗の発生には大衆部のみならず、上座部系統の諸部派も関わっています。

>>396
上座部の上座とは、通俗語に翻訳すれば「長老」の意味です。
大衆部の大衆とは、通俗語に翻訳すれば「多数」の意味です。
両者とも比丘であって、在家は無関係です。
南伝の伝承によると対立の原因は「お金」と「塩」の布施を受け取るか、拒否するかです。
頑固な長老たちは、古来よりの法を守り拒否。
多数派は、便利な「カネ」と「塩」を受け取る。

>>398
確かに水野さんにはじまって従来は大乗側は部派や南伝を必要以上に
低く理解している面があり、それは間違っていると思います。
もっと公平であるべきでありましょう。
しかし、南伝側が、現代の学問水準を無視し、伝統的な信仰に留まっているのも
客観的な事実です
403宝珠愚者@(規制代行):2012/09/29(土) 20:01:13.65 ID:zHhSAKNw
>>341
>一つ言える事は、阿羅漢に下生とか化身とかして地上で救済してくれる、
>という設定は大乗だけでなく上座部にも無い、ということだ。
>阿羅漢になり、死を迎えれば、もう救済はできないわけだ。

そう。本来的には仏教の基本としては、
“救済する”とか“救済してもらう”というスタンスではないからです。
(であるから、情的に訴えで“救済”という聞こえのいいアプローチを打ち出すことが嫌いなのです)

しかしながら、
善行(積徳)として困っている人には手を差しのばすという
純粋な行為の必要が説かれているわけですから、
これで何も問題ないでしょう。
途上の者は自己の修行として、完成者はそのレベルでこれは続けられていくわけですから・・・。
404宝珠愚者@(規制代行):2012/09/29(土) 20:01:52.84 ID:zHhSAKNw
ゴータマは、
「身見」「疑惑」「戒取」の三結を断じて須陀桓果に達してない者は、
再び“三悪趣”(地獄・餓鬼・畜生の三界)に堕ちかねない、
といわれています。

私自身の自戒も含め、
大乗徒たちはここは大いに気をつけたいところではないでしょうかね?
405暇人:2012/09/29(土) 20:03:55.31 ID:YsM62RxG
ちなみにタイ健康プロモーション協会がタイのお坊さんの健康状態を調査したところ
45%が肥満で、40%に糖尿病や高血圧などの成人病だったそうだ。

原因は信徒による布施が高カロリーなモノが多くなったのと
タイのお坊さんの清涼飲料水好き。
タイ健康プロモーション協会は信徒に低カロリー食の布施を呼び掛けているそうだ。

頂いた布施を食するというのは伝統的だし、戒律に清涼飲料水がダメとはない。
お坊さんたちは伝統的な戒律を遵守してビョーキになったわけだ。
これは時代状況にあわせて戒律や教法を変化させない【愚】が招いた結果であろう。
406神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 20:59:44.93 ID:iA7yzWu/
>>405 2500年前に比べれば、糖尿になっても現代の平均寿命のほうが長いのでは。
407暇人:2012/09/29(土) 21:46:22.53 ID:YsM62RxG
>>406
2500年前の平均寿命って何歳ぐらいでしょうね。乳幼児の死亡率が高いでしょうし
30歳代とか、せいぜい50歳まで生きるとよかったのでしょうね
その時代に釈尊は80歳まで生きたのだからたいしたものです。

ちなみに現在の平均寿命は日本は82.9歳。
発展途上国のベトナム74.8歳、スリランカ74.7歳、タイ73.9歳
ミャンマーに至っては64.7歳、カンボジアは62.5歳。。。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1670.html
408神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 00:24:11.69 ID:XNbBDelG
409神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 00:59:23.51 ID:KyfKLFHF
>>403
>>341の下半分を無視でもしなければ、「救済」という語をそのように取らないよ。
いつものアンチョコだね。

>そう。本来的には仏教の基本としては、
>“救済する”とか“救済してもらう”というスタンスではないからです。

大乗仏教もだよ。あくまで貴方の考えているであろう「救済」という意味では、だが。

下半分は意図不明だな。ある人が
輪廻から脱出して、これ以上生まれ変わったり出現したりしなくなってしまっても、
(阿羅漢としての最後の生の後は)人助け出来なくてもいいだろ。これまで善い事してきたんだし
もうゴールしてもいいよね?という話なのかな。
410宝珠愚者@(規制代行):2012/09/30(日) 03:10:00.37 ID:fFdJlTJe
>>400
はい、その通りだと思います。

もちろん、
在家信者(大乗徒)が菩薩行だといって六波羅蜜に精進するのは素晴らしいことです。
ただ勝手にゴータマが説いたことにしたりせず、
大乗は大乗としての素晴らしさを独自にアピールされればそれでいい。
411宝珠愚者@(規制代行):2012/09/30(日) 03:10:42.81 ID:fFdJlTJe
>>401
>さて「大乗経典の作者が出家か在家であるかも判らない」という文言は
>『原始仏教』の何ページにありますか?

すみません。
30年位前の古いメモ書きを押入れから引っ張りだしたのでした(苦笑)。
後日、著著を確認してからコメントします。

>水野先生に立つのであれば、
>「原始経典とは異なる矛盾した内容を創作の釈尊に説かせるのならば詐称問題」とはならない。
>原始仏教典に説かれてない「仏教の根本教理としての無我や空の思想」を
>大乗経典が説いていることになります。

確かに、
『仏教要語の基礎知識』を見ても、
水野氏は“大乗は仏説である”と明言しています(06年新版第1刷p45)。
私も、もちろん大乗の勝れた部分は認めます。
ただし、ゴータマの教説だけを仏教と見なす私は、
仏説ではない高次の宗教としてです。
412宝珠愚者@(規制代行):2012/09/30(日) 03:12:47.27 ID:fFdJlTJe
>>402
>>>395
>片方が捨てたのであれば、記録に残っています。(しかし残っていない)

逆ですよ!
残さなくて当たり前ではないでしょうか?
彼らが菩提分法の破棄を明確に記録に残したら最後、
大乗(経)が仏説ではないことの明白な証拠にされてしまうからです。
逃げ道をつくるため(創作の勝手な釈尊像を登場させて誤魔化す)に記録しませんでした。
また、そうとしつつも、菩提分法から六波羅蜜や摩訶止観を考案したのでしょう。

>大乗の発生には大衆部のみならず、上座部系統の諸部派も関わっています。

確かに、
同調して加入した者もいたかもしれませんね。
413宝珠愚者@(規制代行):2012/09/30(日) 03:13:33.89 ID:fFdJlTJe
>>396
>上座部の上座とは、通俗語に翻訳すれば「長老」の意味です。
>大衆部の大衆とは、通俗語に翻訳すれば「多数」の意味です。
>両者とも比丘であって、在家は無関係です。

分裂ですから、元々は上座部の出家僧侶の身分だったのでしょう。
対立原因は在家信仰との関りだったものと推察されます。

>南伝の伝承によると対立の原因は「お金」と「塩」の布施を受け取るか、拒否するかです。

その辺りは、
上座部(長老派)にとって不都合な部分は彼らによって曖昧にされた可能性がありそうです。
おそらく多分に、これは大衆部側に正当な主張があった可能性が高く、
在家育成と指導という課題に対して、当時の頭コチコチの長老達は事の受け入れに難色を示した。
このように保守的で自己の修行にただ専念するだけの姿勢だったために
遙か後代の未来世までも“小乗”と罵倒されることになったのでしょう。
それで不都合だったので、南伝側には理由(の伝承)が明確でないだろうと思います。
414宝珠愚者@(規制代行):2012/09/30(日) 03:14:47.25 ID:fFdJlTJe
>>398
>確かに水野さんにはじまって従来は大乗側は部派や南伝を必要以上に
>低く理解している面があり、それは間違っていると思います。
>もっと公平であるべきでありましょう。

そうです。

>しかし、南伝側が、現代の学問水準を無視し、伝統的な信仰に留まっているのも
>客観的な事実です

保守的意識が強くて古い。時代にそぐわない面が多々あるでしょう。
私も現代において、古代の原始仏教や南方のテーラワーダそのままが
理想的で相応しいといった見解にはありません。
そこに開拓の余地がある・・・大乗のノウハウや経験を生かせる部分もきっとあるでしょう。
415宝珠愚者@(規制代行):2012/09/30(日) 03:43:49.59 ID:fFdJlTJe
>>409
私には涅槃(入滅/無余涅槃)に入ったら最後、
“もう救済活動はなされない”といった見解はありません。

死んで終わりではないし、不死(意識上)でもある。
場合によっては地上に降臨もするでしょう。弟子の肉体を用いた意識活動か、
或いは再び母胎に宿る(悪しき業報輪廻ではなく/自らの意思によって自在に)こともあるでしょう。
原始経典中にはそういう記述はないかもしれませんが、
書かれてないから起こり得ない、
という意味にはならないでしょう。
416宝珠愚者@(規制代行):2012/09/30(日) 03:46:51.91 ID:fFdJlTJe
>>405
>お坊さんたちは伝統的な戒律を遵守してビョーキになったわけだ。
>これは時代状況にあわせて戒律や教法を変化させない【愚】が招いた結果であろう。

重要な箇所以外については必要に応じて変更することが認められていた筈でしたが・・・。
実際、変えるというのは勇気のいることなので、結局、何も変えないほうを選択したのでしょう。
無難を選択した結果でしょうね。
417神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 09:18:45.55 ID:LXtpusRo
>>412
陰謀論思考過ぎる。

彼らにとってはそのような形で擁護するものではない。
なぜかというと、ガチで信じているから。
捏造がバレてしまう!という以前に捏造だという感覚がない。
>>415
貴方と仏教徒では「阿羅漢」の死後についての問題設定が異なるということ。
それだけ。

それを仏教徒批判に使うとするなら、呆れる。
418神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 09:37:55.56 ID:LXtpusRo
彼らにとって重要なのは、同時代の法友をどう説得するかだ。

何らかの理屈は明言しておくだろう。
419暇人:2012/09/30(日) 10:45:00.17 ID:C0I+JKCo
>>412
あなたの論理では「大衆部=大乗」が前提されていますが、まずこれが間違いです。
少し詳しく説明します。中国からインドに行った僧の旅行記が残っており、インド仏教を描いてます。
1.法顕(399年出発)…小乗国9、大乗国3、大小兼学国3、(大小明記なしの)仏教国20
2.玄奘(629年出発)…小乗寺60(説一切有部14,正量部19,上座部2,/大衆部3,説出世部1/大乗上座部(スリランカ無畏山寺派)5,部派名なし小乗寺16)
大乗寺20,大小兼学寺15
3.義浄(671年出発)…大小の区別は明らかではない。両者共に250戒遵守し、四諦を修している。
          その上で大乗経典を読む者を大乗、読まない者を小乗である。
         大乗は、中観派と瑜伽行派の二派のみ。
         小乗は大衆部、上座部、根本有部、正量部の四派が主な部派。
         マガダ地方は四部を修するが有部が盛ん。
         西インドでは正量部が最も多いが他の三部もある。
         南インドは上座部が圧倒的ではあるが、少しは他の三部もある
         東インドは四部派が混じっている。
         セイロンはすべて上座部で大乗が斥けられている。
         南海諸州はもっぱら根本有部であるが正量部が少しある
         マレー半島に少しく大乗がある。

大乗経典は1Cには世に出ているが、7C終わりになっても大衆部は大乗と別に
存在しているし、スリランカには大乗上座部とみなされる無畏山寺もあったほど。
420暇人:2012/09/30(日) 10:51:40.60 ID:C0I+JKCo
>彼らが菩提分法の破棄を明確に記録に残したら

上座部側が、大衆部を非難するために、破棄したと記録に残すでしょうに。
実際、上座部側は、大衆部が「金銭浄」と「塩浄」という戒律を破棄したと
非難している記録が残っていますし、
大衆部側の記録では、上座部が戒律を改変したという非難が記録されています。

>>413
対立の原因がなんであつたか、記録が残っています。
記録に依らず、妄想を主張されても説得力がありません。
421暇人:2012/09/30(日) 11:27:22.26 ID:C0I+JKCo
>>411
>ゴータマの教説だけを仏教と見なす私

大乗経典は釈尊死後500年頃に世に出ますので、確実に釈尊が説いたわけではありません。
同時に原始仏教典も文字化されたのは伝承によると釈尊死後500年頃ですので
似たり寄ったりではないでしようか。
勿論、科学的に実証的に原始仏教典のうちの古層を探り、釈尊の教法を確定していく
という作業があるわけで、その「成果」を「ゴータマの教説」と見なした場合、
大乗も原始経典も共にすべてが釈尊直説ではないとして捨てられるはずです。

ところが、あなたが批判されるのは大乗だけです。
すると原始仏教典を釈尊直説と信仰しつつ、大乗を直説ではないと非難する立場という
こととなります。これは公平さを欠くのではないでしょうか。
422神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 12:00:43.21 ID:3Wag/NBr
>>421
それだと突き詰めると誰かの自説なんてものはなくなるよ。
なぜなら、聞いたものの編集だから。

まあ、生な録音、録画だけは例外なのかな?

しかし、文字起こしした時点で自説ではないね。

こういう思考の根本に素朴実在論があると考えるわけだ。
なぜなら、なんらかの実在本質が唯一無二の形態であらなければならないという見方を根本としているから、そう考えることになるから。

もし、釈尊がそういう立場に立つなら、恐らく教えは一代で、
以後はそれぞれの弟子の教えとすべきなどとしたはずだ。
しかし、そうはしてない。教えは伝わるとお考えになったからだ。

だから、素朴実在論に立つなら、仏教の文献学は成り立っても、仏教の本質はこそには全くないと確信できる。

なぜなら、仏教の縁起・空性はそういう見方こそが苦しみの根源であるとしているから。

私は正にその通りだと思う。だから仏教文献学では仏教の姿は分かっても仏教の本質は分からない。
423暇人:2012/09/30(日) 12:19:54.48 ID:C0I+JKCo
伝承によれば、
紀元前3C スリランカに仏教が伝わる。口承にて教法が伝わる。大寺建立。
紀元前1C マハーティッサ長老に国王が無畏山寺を献じる。大寺はマハーティッサ長老を排斥。
     国王の支持のない大寺は危機感を持ち、経律論を文字化する。
     インドからダンマルチ長老が来て無畏山寺に入る。
     無畏山寺派は、インドと密接に関係を持ち、常に最新の仏教を受け入れる派となる。
     大寺派は上座部系の分別説部の立場を堅持する。
紀元後3C 無畏山寺にインドから大乗が入るが国王から放逐される。
紀元後4C 無畏山寺にまたまた大乗が入るが排斥されサーガリヤ派が立てられる
     国王が大寺を弾圧し、無畏山寺が黄金時代を迎え、仏歯が安置される
紀元後5C ブッダゴーサが来島し、大寺を復興し、シンハラ語仏典をパーリ語に翻訳しなおし
     注釈書を表し、南伝仏教の基礎を築き、スタンダードとなる。
しかし一貫して無畏山寺が優勢であった。
紀元後11C 他国の侵攻に拠り、仏教が滅ぶ
紀元後12C ビルマより長老を招いて仏教復興
     教団浄化が断行され、大寺派が正当とされる。無畏山寺派滅ぶ
その後も外国の侵攻が相次ぎ、16Cには法灯が断たれる。
紀元後18C タイ及びビルマから仏教が輸入される。
     移入の地にちなんでシャム派、ケラニ派、アマラブラ派、フーマンニヤ派があるそうだ

タイのサンガは13Cにビルマからの輸入だそうだ。
ビルマ仏教はモン族が紀元前よりインドから直輸入したと主張しているわけだが
ビルマ族がモン族の影響から上座部を信仰し国教化したのは11Cのことだ。
ビルマ族アノラータ王が大乗が盛んなのを排斥する為にモン族に
スリランカから伝来したパーリを乞うたが、拒否されたので兵を発し
僧や仏典・仏舎利を掴まえて持って帰ったそうだ。
424暇人:2012/09/30(日) 12:23:41.75 ID:C0I+JKCo
>>422
「ゴータマの教説だけを仏教と見なす」という前提の是非をあなたは問わないから
そういう単純な結論となるのです。

部派時代から、釈尊以外にも仏がいたという伝承を形成しましたし
釈尊ご自身が、高弟に半座譲ったりしています(つまり同格の仏)。
425神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 13:39:29.78 ID:Jd9WT5Ux
おおよそ同じもの(仏典)を根拠としていても
人により解釈・見解が異なるのはなぜか?
426神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 13:41:50.22 ID:Jd9WT5Ux
どこかのサイバンチョが「裁判の証明は完全でなくとも
おおよそ妥当であればよい」と言ったらしい。なぜか?
なぜならば完全な証明は不可能であることがあるからである。
427神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 14:03:42.70 ID:3Wag/NBr
>>424
すまん。オイラはそういう前提はどうでもいいは、大した問題じゃない。

問題は、実在論や本質主義に立って仏教を解釈して平然としてる愚かしさ。

そこが問題なんだは。まあ、分かんないでしょう。
428神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 15:18:27.88 ID:Sw5v03c/
>>422
>>427
いつもお世話になってます!理解できたか確認させてください。
例えば、「釈尊の言葉と○○菩薩・大師の△△説が矛盾する!」
と簡単に思い込むべきではなく、△△説を方便・筏として捉えて、
釈尊と共通するその(彼岸へ渡すための)内示的な意図を汲み取れば良い、という感じですか?
矛盾するように思えるのは、釈尊や○○の1つ1つの言葉に対して、
「その言葉に対応する不変の実在がある」という実在論に無意識に立っているから、という感じですか?
つまり、科学や哲学のように、言葉を一意に定義して仏典を解釈している…?
xと定義したらずっとx…というやつですかね。
429神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 15:31:01.20 ID:DYsOgsVr
>>428
賢いねw
概ねその理解でよいと思うよ。(´∀`)b
430神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 15:36:14.03 ID:3Wag/NBr
>>428
そう。賢い。正にそうです。

みんな、こういうふうに理解した上で批判したり異論を言ってくれるとありがたいんだけど。
431神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 15:39:36.17 ID:3Wag/NBr
>>428
付け加えると、多様な方便があるのは有情の意識に差があるからです。

空性を聴いて直ぐ理解できる人もいれば、
逆に空性を聴いて、誤解して実在論と取ったり、逆に怒りだす人もいるので、
そういう人にはそれぞれに見合った方便説を説くので違いが多様にあるということもあります。
432神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 15:42:50.45 ID:3AXkOEzM
>>428
無理にゴータマ個人と関連付けなくともよい。ブッダは「多数」いるのですよ。
「個人崇拝」自体が「実体論」「偶像崇拝」である。
433神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 16:08:20.51 ID:Sw5v03c/
>>429
ヽ(^◇^*)/ ワーイ
>>430
よかった。2chは「自分は間違っていない、誤解していない」という前提で話す人、
相手の意図とその意義を理解せずに物を言う人が多くて大変ですよね。
「私は何を誤解しているのでしょうか」というスタンスの人が本当に少ない気がします。
>>431
その付け加え1つ1つも私には本当に貴重な言葉となります。助かります。
>>432
すいません、よく話が見えないのですが、なぜ個人崇拝の話になったのでしょうか。
434神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 16:20:26.61 ID:3AXkOEzM
>>433
ゴータマ自身の教えからのみ、演繹しようとしているからです。
435神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 16:33:26.15 ID:Sw5v03c/
>>434
あ〜、分かりました。428の私の立場は、どちらかというと
「ゴータマ自身の教えからのみ演繹しようとする」立場の逆のようにも見えるのですが。
そういう立場に立つ人への警鐘に近いものさえ含んでいる気がします。
少なくとも、「仏法はゴータマからしか出てこない」という意図は自分には無かったです。
436宝珠愚者@(規制代行) :2012/09/30(日) 17:37:57.87 ID:/VF5stX3
>>427
>問題は、実在論や本質主義に立って仏教を解釈して平然としてる愚かしさ。
>そこが問題なんだは。まあ、分かんないでしょう。

横レスしますけれど、
“分りますよ”一代のいいたいことは!

しかしながら、どうして中身の吟味なくして、
文献学者のいうことは実在論だからすべて間違いで、
法門宗門の教えはテルマ感得なので全部正しいものとして決めつけるの?
すべて実体験でその正しさが確認される、と?

こういうのも?何でも全部ですか??終いには題目だけでOK、と???
 『この法華経を受持し、若しくは読み、若しくは誦し、若しくは解説し、若しくは書写せば、この人は
当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、 八百の身の功
徳、千二百の意の功徳を得べし。 この功徳をもって六根を荘厳して皆、清浄ならしめん。』
(『妙法蓮華経法師功徳品』第十九)
437神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 19:32:00.08 ID:KTuMdVMm

>>436 宝珠さんへ
>すべて実体験でその正しさが確認される、と?

一代さんよりも、宝珠さんの方が

実体験派のような気がするけど?

例えば、瞑想における体験とか? どうですか?

(私はチベット系も瞑想も肯定派です)
438前世は:2012/09/30(日) 19:54:19.89 ID:K5/ZS6cn
>>398 :宝珠愚者@(規制代行):2012/09/29(土) 17:38:06.28
>現実に阿羅漢を輩出している上座部に対抗するのに、
阿羅漢を最終段階としてしまうならば上座部の方が正統ということになってしまう・・。
>>415
>或いは再び母胎に宿る(悪しき業報輪廻ではなく/自らの意思によって自在に)こともあるでしょう。
原始経典中にはそういう記述はないかもしれませんが、

横レスで失礼します。

長部経典の「自歓喜経」に意思を持って母胎に宿っても、入胎の時にほとんどが記憶を失い、菩薩のみが出胎の時にも記憶(意識)を失わないと明記されております。
よって原始仏典でも阿羅漢は最終段階でないことをサーリープッタは表明し、釈尊は保証しておられます。

尚、菩薩が仏になると輪廻する必要もなくなりますが、無量寿の仏(如来)が何回も輪廻することは「大本経」の過去七仏で説かれていると存じます。
439神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 20:01:12.10 ID:KTuMdVMm

>>437 の続き

瞑想肯定派の場合は
瞑想による
この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものであるらしい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E6%80%A7%E6%84%8F%E8%AD%98%E7%8A%B6%E6%85%8B
変性意識状態
「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い
この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる
精神疾患に対する
有効な療法として、一時的にこの状態を患者に与える方法が活用されている
440神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 20:13:09.89 ID:KTuMdVMm

> 原始仏典でも阿羅漢は最終段階でない

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C
須陀洹
斯陀含
阿那含
阿羅漢

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83
有余涅槃
無余涅槃
441神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 20:21:45.46 ID:KTuMdVMm

ウィキペディア参照

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C

応供

供養を受けるにふさわしい者で

今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない位

阿羅漢を指す
442絶対神:2012/09/30(日) 20:22:54.13 ID:agDTt4Gw
『一言、「お前なんかにキリスト教をどうこう言われる筋合いはない」』
お前が「もっとも間違いだらけの神秘主義者のくせしやがって、呆れかえるわ」
       「予言を外した教訓がまだ生きていないようだな」
443絶対神:2012/09/30(日) 20:31:07.94 ID:agDTt4Gw
上は宝なんちゃらへのレスね
それと、仏教は個人崇拝だよ、宗教に限らないが、人間の体系的な思想や
学問で、「個人崇拝でないものはない」(科学ですらニュートンだのアインシュタイン
だのがいるくらいだ)、性欲がない人間が基本的にいないのと一緒だよ
444前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/09/30(日) 20:36:21.21 ID:K5/ZS6cn
>>441
>今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない位
>阿羅漢を指す

舎利弗や目蓮も前世は阿羅漢でしたが再生しました。況や釈尊をや。
再び三界には生れない位の方々の中にも輪廻される方がおられるようです。

所謂、衆生済度の発願でしょうか。
445絶対神:2012/09/30(日) 20:37:28.29 ID:agDTt4Gw
           「仏教の最大に駄目なところは」
    『素直にそれを認めないで、欺瞞をするところなのさ』(凄いいかがわしい)
キリスト教の優れたところは、「宗教」であり、「個人崇拝」である事を
「あっさり素直に認めるところだよ」(ほんといかがわしいな、お前たちは)
446絶対神:2012/09/30(日) 20:44:32.61 ID:agDTt4Gw
        「俺が何度か予言を当てるか、ほぼ当て」
    『地震ですら事実上、予知していたという事を忘れるな』
相手が本当に神であるのならば、「個人崇拝」が正しいのだよ
お前たちがどのような事をしたところで、なにほどの事が出来るか
しょせん、お前たちは、神には遥かに及ばんのだ
447神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 20:48:23.49 ID:Jd9WT5Ux
絶対神回収に参りました。
   ∧∧      ∧∧
  <   >     <   > 手間掛けさせるなっつってんだろ
  (==\(`Д´)テ==)
   >λ )(   ) | i 丿
   ○ ( ) O人O ( )
       ∫ ∫
      ∫ ∫ズルズル
448絶対神:2012/09/30(日) 20:50:53.69 ID:agDTt4Gw
               「つまりだ」
『たかが人間であり、あまつさえ予言能力があるなどと思いあがっていた愉快な
 お前が』
    「「神」である私が信者である「キリスト教」を批判するなど」
              『許されんという事だ』
まあ、ここまでにしておくがな、身の程を、弁えておくのだな
449神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 20:56:11.33 ID:KTuMdVMm

> 舎利弗や目蓮も前世は阿羅漢でしたが再生しました。況や釈尊をや
> 再び三界には生れない位の方々の中にも輪廻される方がおられるようです
> 所謂、衆生済度の発願でしょうか

大乗の概念はわからないけど

根本仏典においては

阿羅漢は

今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない

と言うことだと思うけど?

ちなみに

第13世ダライ・ラマトゥプテン・ギャツォの転生がダライ・ラマ14世であるらしい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E14%E4%B8%96
450神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 20:58:21.90 ID:DYsOgsVr
一在家(と宝珠)は、ホント、『ほとぼり冷めたら・・・』の典型だなw

あれだけ全否定されながらまた出てくるか・・・。
その根性には讃嘆を禁じ得ないよw  (-人-)
451神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 21:03:39.17 ID:3Wag/NBr
>>2 で告知したもの。まだ不完全だけど。時間もないので。

『スッタニパータ』837など
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html
452神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 21:05:16.26 ID:3Wag/NBr
>>449
>第13世ダライ・ラマトゥプテン・ギャツォの転生がダライ・ラマ14世であるらしい

違う。転生じゃなく化身。化身は誓願によるもの。
転生は業によるもの。
453絶対神:2012/09/30(日) 21:06:08.36 ID:agDTt4Gw
    「まあ、キリスト教とか仏教とかいう枠組みを捨てちゃって」
そんな「人間的視点で見ないで」
『この世には本当に、「神」が生まれてくる事があるのだという事を覚えておけ』
 「神は何千年に一度しか生まれないのだから、「お前たちは幸運だよ」」
ネット上とはいえ、会話ができるという事はな
454絶対神:2012/09/30(日) 21:20:03.30 ID:agDTt4Gw
           『とはいえ、めんどくさい』ww

          「イエス様救ってくれないかな」(大笑)
神としての通力を鍛えるなんて、なんで、私がしなければならないのでしょうか?
 「誰か世界を救ってくれないかな? いや、世界はいいから『俺』を」ww
455神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 21:28:21.37 ID:KTuMdVMm

>> 第13世ダライ・ラマトゥプテン・ギャツォの転生がダライ・ラマ14世であるらしい

> 違う。転生じゃなく化身。化身は誓願によるもの
> 転生は業によるもの


 ↑ 了解 おじゃる
456神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 21:34:33.65 ID:3Wag/NBr
>>455
君には前にも説明したと思うんだが

コテつけてくれないかな〜
457絶対神:2012/09/30(日) 21:41:13.91 ID:agDTt4Gw
         「まあ、何年か前から予告しているように」

            『最後の奇跡を起してやったら』

            「ここにそれを告知してやるよ」
それで、こんな宗教板なんかとは、おさらばさ
458絶対神:2012/09/30(日) 22:11:42.02 ID:agDTt4Gw
            「で、ついでに言っておくと」
  『経典というものはすべて、釈迦の死後、記憶によって書かれており』
         「当然ながら、かなり正確性を欠く」
人の記憶というものがどれほどいい加減なものか、お前たちの知っているだろう
「つまり、「仏説など元々正確さにおいて何らあてにならないものでしかない」」
459絶対神:2012/09/30(日) 22:15:42.32 ID:agDTt4Gw
              「更に言っておこう」

        『宗教の経典は「すべていい加減なものだ」』
     「壮大な神話を描いた方が、「人々を引き付けるからだ」」
 『逆に言うと、派手な神話がない経典なんて「大して意味のないものだ」』
            「それくらい理解しておけ」
460絶対神:2012/09/30(日) 22:24:05.98 ID:agDTt4Gw
      「つまり、無学な人間が書いた「壮大な妄想」こそが」

       『しばしばもっとも人々をひきつけるものなのさ』
教祖に必要なのは、「筆致よりも」

               「口のうまさだ」
461絶対神:2012/09/30(日) 22:26:19.36 ID:agDTt4Gw
        「ある意味、お前たち仏教徒にはあきれるよ」

        『お前たちの議論には、心底あくびがでるぜ』
462神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 22:34:36.77 ID:DYsOgsVr
>>451

>煩悩の尽きた諸聖者は記号だけを持つ

一代の(≒中観の)見解を端的に言い切っとるな・・w
463神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 22:38:28.33 ID:/zEFvplo
あらゆる言説、見解、仏説に依拠しないぞー
絶対神様いらないよw
464神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 22:47:16.91 ID:3Wag/NBr
>>462
『大智度論』いいよね。まあ当たり前だけど。

ただ『大智度論』はテキスト的にも典拠の分析にも問題ありだ。
どうも大正などの高麗系と磧砂などの宋本系統は随分違うよう。

中華大蔵経も見たかったんだけど、見られなかった。

ラモットは英訳しか見てないけど、かなりいいけど、まだまだだと思う。

465神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 22:48:26.02 ID:/zEFvplo
依拠から離れることを依拠とする目的理由は
けんかをやめて〜♪
なんだろなw
466神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 22:54:02.69 ID:3Wag/NBr
>>465
そりゃ、二次的だと思う
467神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 22:57:16.73 ID:DYsOgsVr
>>464
いい仕事しとるねw

素人(というか般人)は、ああいう比較(精査)できないから。
また、多少掘り下げても「手に入り易い」或いは「メジャーな解釈」にしか手が届かないから。
(たとえば中村とか三枝とかw 奈良さんも悪くないけど系譜は中村さんだからね・・(^^;))

きちんと、適切な原典比較ができるように、
諸資料は閲覧し易く、書籍は購入し易く(安価で)、あるべきだよなぁ・・w
468神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 22:58:28.28 ID:/zEFvplo
>>466
ふむ、内的対立も含むが違うかな
対立の止む境地と思うた
469神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:02:51.96 ID:2+GGdRlt
仏教は元々、悟りを開くために修行するものじゃないのか

指の間は心を落ち着けるツボがあり、
手を組み、楽な姿勢である胡坐をかいた座禅のポーズは
じっくり考え事をするのに適している

真剣に考え事と続けていると、頭は湯気が出るほど熱くなる
滝行は大自然の中、頭を冷やしながら悩めるため、
難題を存分に悩むのに適している
滝の刺激も大自然に常に活をいれてもらっているようなものだ

髪の毛は長い間水を浴びていると、
海藻のようにドロドロした感触になり気持ちが悪い
頭髪を剃るということは、これを防ぐこともできるし
滝行をしなくても空冷効果が期待できる

ただ座して悩んでいるだけでは行き詰ることも多いだろう
健全な精神と健全な肉体はよくセットで語られる
存分に悩むには存分に体を鍛える修行も欠かせない

こういった修行を極めた悩みのエキスパートであれば、
民間人の悩みなど簡単に解けるだろう
修行により、人が救えるようになるのである

無論、解けぬ悩みだってある
だが、それこそが望むところだろう
そのような難題からは新しい仏題が見出せるはずだ
修行の糧を授かり、さらなる精進の機会を得る、なんとすばらしいことか


こう考えると、現代の坊主なんてほとんどものぐさ坊主か破壊僧だよね
奴らが修行している姿が想像できない
470神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:06:28.41 ID:2+GGdRlt
余談だけど、手のひらは足の裏くらいツボが集まっている
集中して考え事をするのには合掌は実に理に適っている

座禅の姿勢から、組んだ手を裏返し
適当な机か何かに肘をついて跪くと
キリスト教のお祈りのポーズになる

文化の違いだろうけど、
じっくり考え事をするポーズとしては同じ

あちらは自分の理想の姿を強く思い描く(祈る)事で
自分が到達すべきビジョンを見出し
自然と自分が成すべき事がわかるというもの
471前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/09/30(日) 23:07:47.68 ID:K5/ZS6cn
>>450
>あれだけ全否定されながらまた出てくるか・・・。
その根性には讃嘆を禁じ得ないよw  (-人-)

悟ってないから、輪廻しているだけですよ。
前世よりは知識は多少増えております。
472神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:10:22.86 ID:DYsOgsVr
>>471
巧いこと言ったつもりかw








ちょっとクスっと来たw
473前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/09/30(日) 23:11:06.16 ID:K5/ZS6cn
>>464
>『大智度論』いいよね。まあ当たり前だけど。

100巻の内、龍樹作と言われている40巻は訳を一読しました。

オイラ氏からの入れ智恵が縁でした。
474前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/09/30(日) 23:15:23.27 ID:K5/ZS6cn
>>471
>悟ってないから、輪廻しているだけですよ。

正見、正思すれば、この板も輪廻しておりますでしょう。
475神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:17:32.51 ID:DYsOgsVr
>>474
輪廻させてるのは、或る特定の数名だと思うが・・・w (^^;
476天女様の処に逝ってみなイカ?:2012/09/30(日) 23:19:00.14 ID:KTuMdVMm

> 悟ってないから、輪廻しているだけですよ
> 前世よりは知識は多少増えております

現状においては仮設として

輪廻はあると考えているけど

前世の記憶はないので

前世より現世の方が智識が増えているのか? どうか? は、わからないと思うけど?

前世の事を明確に明瞭に覚えているんでつか?
477神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:22:10.05 ID:DYsOgsVr
>>476
そういう意味じゃネーよwwwwwww
前回(や過去)の登場時を前世に見立て、その時々に指摘されたりしたことは
多少なりとも蓄積されてますよ(利用してますよ・役立ててますよ)という意味での「前世」表現だろがw
コテの意味合いもそれだ。




つか、ギャグや洒落を解説させんなw
478神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:24:36.71 ID:ZKWTjFxQ
菩薩にもなれてないから転生のたびに頭の中がリセットされるのか。納得。
479前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/09/30(日) 23:24:54.13 ID:K5/ZS6cn
>>476 :天女様の処に逝ってみなイカ?
>前世の事を明確に明瞭に覚えているんでつか?

三明智を用いなくても簡単に分かりますよ。
2chの法の中に、「過去ログ嫁の法」がありますので。
480前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/09/30(日) 23:28:38.04 ID:K5/ZS6cn
>>477
>多少なりとも蓄積されてますよ(利用してますよ・役立ててますよ)という意味での「前世」表現だろがw
コテの意味合いもそれだ。

本当に素晴らしい解説をおーきにです。

コテの意味は「今は異教だけれど以前は仏教徒(浄土宗)だった」という意味です。
481前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/09/30(日) 23:33:58.83 ID:K5/ZS6cn
>>475
>輪廻させてるのは、或る特定の数名だと思うが・・・w (^^;

貴兄にも前世(過去ログ)でお会いしましたね。
過去ログを「7回」以上遡っても貴兄がおられました。
正に常住、無量寿の如来みたいですね。
482神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:41:57.70 ID:DYsOgsVr
>>480
>コテ

ああ、そうだったけ?w
爺ちゃんが云々って話はあったような気もするが、本人もだったかw
それは失礼した。 m(_ _)m
483神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:44:01.70 ID:KTuMdVMm

> そういう意味じゃネーよwwwwwww
> 前回(や過去)の登場時を前世に見立て、その時々に指摘されたりしたことは
> 多少なりとも蓄積されてますよ(利用してますよ・役立ててますよ)という意味での「前世」表現だろがw
> コテの意味合いもそれだ。
> つか、ギャグや洒落を解説させんなw

了解 おじゃる ↑ セブン先生かしら おじゃる?
484神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:52:31.94 ID:/zEFvplo
依拠するものがあるから対立するわけであり
対立なければ輪廻はしないわな
元凶は仏教かw
485神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:56:55.76 ID:KTuMdVMm

前世は一在家さん

> コテの意味は「今は異教だけれど以前は仏教徒(浄土宗)だった」という意味です

手かざし によって霊魂を浄めると言う 真光 の人だったけ?

 ↑ 人違い、勘違いだったら、スマソ
486神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 23:58:41.80 ID:DYsOgsVr
>>484
卵が先か鶏が先かになるけど、包括的に言えばそうかもしれない。
「仏教」という名前、或いは「仏教という名の下に流布している幾つかのワードや考え方」
を軸に、或る思想を(世界観を)叙述する者がいるのだから。
或いはまた、
「仏教」という名前、或いは「仏教という名の下に流布している幾つかのワードや考え方」
に対して、攻撃が仕掛けられているのだから。
487神も仏も名無しさん:2012/10/01(月) 00:14:52.20 ID:N+HimBDb
488中論17-20:2012/10/01(月) 09:41:43.52 ID:CSqiBSbU
>>2>>451
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/37.html

オイラ氏はまだ結論を出しているかどうか知らんが、
業報輪廻転生論執着論者のオイラ氏の「立場」(爆笑)からすると、
中論17-20は龍樹の偈だとこじつけてくるのは目に見えている。
代わりに結論を出しといてあげるわw

不失法(中論17-14)とは、反対者の業報輪廻転生論を前提とした「消失しないと妄想した輪廻するもの」
であって、「輪廻の主体」に他ならない。
世俗においても「仏法には無我にて候」(蓮如)に反する反仏法である。
中論17-20はこのような謬論である反対論者の、批判対象としての文言だと断ぜざるを得ない。

オイラ氏は当然この逆であることは当然だ。

邪魔したなw
489中論17-20:2012/10/01(月) 09:54:13.87 ID:CSqiBSbU
『ブッダにより説かれた<業は消失しないという原理>は、
業は空性であって断滅ではなく、輪廻であってしかも常住ではない、というものである。』(中論17-20)

業・輪廻・<業は消失しないという原理>←世俗そのもの       非断滅非恒常←勝義の示唆

このように、この偈には明白に世俗の様相と、勝義の様相の混乱把握がある。
反対論者が実体論に陥らざるを得ないゆえんだ。

中論17-20を龍樹の偈だなんて言ったら龍樹は泣くぜw

もうこんなところにはこないのだが、宿題の回答を出しておいた。

あばよ!
490神も仏も名無しさん:2012/10/01(月) 10:09:28.16 ID:P1IZ9ObV
>>467
ほんとは『大智度論』に適切な解説つけたかったし、中論諸註ももっと検討したかったんだけど、いろいろあってもうできそうもないんで。

総合的に読むと中村先生のあの訳はどうもですね。

読んだ中ではタニッサロがよかった。

ですね。安価でありたいが、出版社にも事情があるらしい

>>488
君と話するわけでなく他の人のために
まず仏教も龍樹菩薩も以下のように輪廻を前提にしてる。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html

中論が輪廻を否定するというのは、一切法の四句分別遮断を論理的否定と誤読しただけのこと。

「空であり且つ断じない。輪廻し且つ恒常でない。諸業は消え去らない法とブッダが説かれた」 [17-20] と自ら書きながらこの文を否定するならブッダを否定することになる。
他派の引用なら「ブッダ」と明記しない。

以下のように諸註も龍樹菩薩本人の解釈としている。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/37.html

以下のように龍樹菩薩本人が『大智度論』で根拠として『勝義空性経』とともに述べている。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

この『勝義空性経』の解釈は『入中論自註』や『中観荘厳論自註』の解釈と同じである。
http://www.scribd.com/doc/32972938/

17-20を他派説と読む学者は仮設について理解がないだけである。
491神も仏も名無しさん:2012/10/01(月) 10:13:34.15 ID:P1IZ9ObV
『大智度論』が龍樹菩薩本人の著作でないという説がかつてあり、今も主張する人がいるけれど、それは根拠が弱い。

恐らく羅什三蔵の挿入句はあるにしても基本は龍樹菩薩本人の著作であるという方向の方が文献学的にも有力に見える。

オイラはもちろんご本人の著に羅什三蔵の挿入句、及び省略があるものだと考える。

内容からして、そう思う。余人には説き得ないと思われるから。
492神も仏も名無しさん:2012/10/01(月) 10:19:11.70 ID:P1IZ9ObV
>>490
>17-20を他派説と読む学者は仮設について理解がないだけである。

昔の記憶だけで、読みなおしてないので、

17-20を他派説と読む学者は仮設について理解がないだけだろう。

に訂正しとく。
493中論17-20:2012/10/01(月) 10:22:52.69 ID:CSqiBSbU
>>490
>「空であり且つ断じない。輪廻し且つ恒常でない。諸業は消え去らない法とブッダが説かれた」 [17-20] と自ら書きながらこの文を否定するならブッダを否定することになる。
>他派の引用なら「ブッダ」と明記しない。

上記はいつもどうりの意図的誤解だから抹消しといてねw
見えすたことするなよ。

他の点についても反論したいところだが、止めとく。

あとは勝手にどうぞ。
494神も仏も名無しさん:2012/10/01(月) 10:29:11.79 ID:P1IZ9ObV
>>493
オイオイ、きっちり梵蔵漢パの諸本諸註あたって総合的に出しか読みだぞ

君等のような適当に翻訳読んで妄想に引きつけたもんとは違うんだが

で、証拠突きつけられて誤読だって言われると、「マハーカッサパ」とか変な解釈装置持ちだして妄想の正当化、言い逃れなんだよな〜
495宝珠愚者@(規制代行):2012/10/01(月) 10:51:16.24 ID:N30FPABs
>>437
実体験というか・・・
確かに“実践重視派”であることは間違いない。

ある意味で、書物などはある一定レベルを超えれば、
それ以上は読むほどに弊害がある(「書物など捨ててしまえ!」)、
という見方さえします。

『ヨーガスートラ』とかの聖典なんかいくら読んでも実践には殆ど役に立たない。
ものごとの実際は逆であって、指導者について(全面追従すべき絶対者などではなく)
実体験した後に聖典に書かれてある意味がそれとして分り、
その記述が正しいという事実を理解します。

実践行をどれだけするかがより重要。
496中論17-20:2012/10/01(月) 10:51:18.81 ID:CSqiBSbU
『ブッダにより説かれた<業は消失しないという原理>は、
業は空性であって断滅ではなく、輪廻であってしかも常住ではない、というものである。』(中論17-20)

上記17-20を中村元 龍樹p361も『仏は』と訳している。
偈そのものを『否定』などしていない。
龍樹が描いた“反対論者の”偈だと言っている。
17-21から“龍樹の”反駁偈が開始される。

>>439 >はいつもどうりの意図的誤解だから抹消しといてねw
ちょっと、やり方が汚いぞ。

もう一回、あばよ!

497宝珠愚者@(規制代行):2012/10/01(月) 10:52:53.67 ID:N30FPABs
>>438
>長部経典の「自歓喜経」に意思を持って母胎に宿っても、
>入胎の時にほとんどが記憶を失い、菩薩のみが出胎の時にも記憶(意識)を失わないと明記されております。

仏教でいうところの「斯陀含」クラス以上の存在、神智学の説く第三段階イニシエート以上ともなれば、
ある程度は母胎に宿る時期を選択したり、出生時に前世の記憶を保つことすらも可能になったりすると理解。

>尚、菩薩が仏になると輪廻する必要もなくなりますが、
>無量寿の仏(如来)が何回も輪廻することは「大本経」の過去七仏で説かれていると存じます。

業による転生輪廻と自らの意思で奉仕すべく再誕してくるのとは違うという意味でしょう。

>>444
>舎利弗や目蓮も前世は阿羅漢でしたが再生しました。

元々、阿羅漢だったというのは原始経典の記述で確認できるのですか?
できれば引用紹介を希望します。勝手な創作による神格化が激しいので、
大乗諸経の記述ならば無意味です(何とでも書いてくるから・・・)。
498宝珠愚者@(規制代行):2012/10/01(月) 10:53:55.79 ID:N30FPABs
>>452
>>>449
>>第13世ダライ・ラマトゥプテン・ギャツォの転生がダライ・ラマ14世であるらしい
>
>違う。転生じゃなく化身。化身は誓願によるもの。
>転生は業によるもの。

一応、・・・そういうことにはなっています。
尊崇の念を集めた信仰心(神格化)の結果として。
(しかし、まだ完成者じゃない)
499中論17-20:2012/10/01(月) 10:54:38.48 ID:CSqiBSbU
× >>439
〇 >>493
500神も仏も名無しさん:2012/10/01(月) 12:02:59.49 ID:NzLin50t
墓参りめんどくせー
菩提寺・本山巡礼とかどーでもいいー

どうせなら他の寺社に観光にいったほうがいいー
501神も仏も名無しさん:2012/10/01(月) 16:07:26.81 ID:Dk02KefZ

>>497
>>498
>>495 宝珠さん
> (瞑想などの)実践行をどれだけするかがより重要

 ↑ ありがとうございます

バラモン(ヒンドゥー)も
仏教の南伝も、北伝も、チベット伝も、すべて素晴らしき事です
502宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/01(月) 17:36:28.20 ID:N30FPABs
>>501
それぞれに素晴らしい伝統とノウハウを携えているでしょうから、
勝手に、ゴータマの教えなどと称しなければ何も問題なし。
503神も仏も名無しさん:2012/10/01(月) 19:10:54.17 ID:bS5xuEWe
めんどくせーも
どーでもいいーも
〜のほうがいいーも
素晴らしいも
全部気のせいだから
人によって違うものだから
つまり虚実であり操り人形であり
そんなもの必要ないのです。
504不説 ◆AnATTa/dJc :2012/10/01(月) 20:52:04.08 ID:2tT+grmQ
(※やっと規制解除)

>>497 宝珠愚者氏
>>>444
>>舎利弗や目蓮も前世は阿羅漢でしたが再生しました。
>
>元々、阿羅漢だったというのは原始経典の記述で確認できるのですか?

パーリ仏教の範囲内でそのようなこと(阿羅漢が輪廻する)は有り得ません。
505神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 00:03:45.65 ID:2Nlnri7P

>>441
>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C
>> 阿羅漢 ← 今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない

>>504 不説さん
> パーリ仏教の範囲内で「阿羅漢が輪廻する」と言うようなことは有り得ません


 ↑ 了解 おじゃる
506中論17-20:2012/10/02(火) 08:46:45.95 ID:1rDCjfVC
念のために、皆さん、お間違えにならないでくださいね。

『不失法』というのは龍樹が批判した<正量部>の見解ですよ。
ですから、中論17-20という世俗と勝義をごちゃ混ぜにしている偈は<正量部>の見解に他ならず、
17-21から不失法を中心とする<正量部>の見解に対する龍樹の反駁が開始される構成となっています。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002707319
http://www.inbuds.net/search/namazu.cgi?key=%c9%d4%bc%ba&max=20&result=short

当然上記のように17-20を中村元 龍樹p361も『仏に』と訳され、
しかも『法有の立場に立つ人々の主張である』と断定しておられます。
こんなのトーゼンですよねw
507神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 08:56:45.88 ID:WrUsStIr
>>506
対論者の説としての不失法は17-19まで

以下のように諸註も青目註も『大智度論』もそう解釈してるし、
本頌もそう読める。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/37.html

中村先生を根拠にしても仕方ないねえ
508中論17-20:2012/10/02(火) 09:05:28.29 ID:1rDCjfVC

だったら、そもそも中論は根本的にイロイロ欠陥のある作品だし、

大改訂して、アップツーデート化されるべきでしょうw
509神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 09:18:30.36 ID:WrUsStIr
>>508
ぜんぜんだよ。完璧だ。

それが分かんないのはただひたすら君が無知なだけだ。
インドで仏教徒はもちろん他派も尊重され、
チベット、モンゴル、シナ、朝鮮、日本でずっと尊重され続けられ、
現代では世界からも注目されているのに、なんで君が理解できないという理由で
改訂しないといけないんだ。

普通は、自分が如何に分かってないか自覚できるんだが、
どうしようもない。

そういうヤツだから、和訳だけちょろっと読んで分かったつもりになれるんだろうが
和訳だってどれほど信憑性があるものか『スッタニパータ』837の中村訳と読み比べれば分かりそうなもんだが。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

改変すべきは君の仏教観に他ならないのが、どうして分かんないかな〜
510宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/02(火) 09:18:53.60 ID:hAZCD9ta
>>504
規制解除-御祝!!
不説さんがいうならば間違いないでしょうね。

「元々から如来だった」
「前世ではすでにホトケであった」・・・といった
久遠仏的発想というのはすべて大乗思想でしょう。
511中論17-20:2012/10/02(火) 09:44:27.62 ID:1rDCjfVC
>>509
>改変すべきは君の仏教観に他ならないのが、どうして分かんないかな〜

そっくりそのままお返しするよ。

龍樹論者は、世俗と勝義をごっちゃ混ぜにして論じる程度の学僧だったのだろうw


512神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 09:49:18.33 ID:WrUsStIr
>>511
ちがうな、世俗と勝義をきっちり提示したのは釈尊以降龍樹菩薩のみだった。
部派は全滅、まあ方便としてはありとしても心・心所なんかを勝義と捉えるようじゃ、体系は破綻するは、部派論書は大抵そういうのの継ぎ接ぎで終始してるから。
『清浄道論』は流石に一味違うけど

それも分かんないで分かったつもりだから困るは
513中論17-20:2012/10/02(火) 09:58:29.01 ID:1rDCjfVC

皮肉が分からないとは・・・w
514神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 10:07:21.37 ID:WrUsStIr
>>513
皮肉もなにも自説が間違ってたこと認められずに、
主張の根拠にしていた中論を改めないとみたいなこと言うヤツは
どうしようもないって自覚できないのか、ほんと情けないヤツだ

煩悩から一歩も退いてないどころか、凡人の中でも相当汚れてるって気づかないと
ほんとどうしようもないぞ

この言葉は、手向けだ、それじゃな〜

オイラに絡むのは止めてくれよ
515神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 10:41:11.78 ID:1rDCjfVC

中論の誤りや編集自体の甘さについては適宜指摘してきた。
応無所住而生其心。

権威主義的に盲目信仰する態度を改めないと、
オイラ氏には仏法は絶対に掴めないことを保障する。
最終的には、仏法そのものも捨てなければならない。
ましてや、中論をや。

あんたのイメージする龍樹は17-20のハチャメチャ偈を書く程度のタマか。
笑わせる。結局、業報輪廻転生論に固執したいだけ。

頭でっかちには、仏法は「無理」(そのまま)。

皆さん、仏教趣味なら勝手ですが、道の人でありたいなら、迷わされないでください。

あばよ!

516神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 11:51:25.25 ID:HaieDSNR
独立独歩を披露しつつも、スターやヒーローに、自分の陣営に立っていてもらいたい。
その気持ちわかるよ。
517神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 11:53:55.79 ID:ofTRq4gB
賢明な人は仏教(権威主義)を蹴落とし
仏法に学ぶのである。
518神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 12:06:52.12 ID:WrUsStIr
>>516
つかあるのはエゴだけ、権威付けのための仏教でしょ
遊びにしても、生命教にしても、
だから自分の妄想が正しくて、テキストも伝統も間違いなわけだ
妄想に合った部分だけ権威づけのために釈尊もこういっていると
519神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 12:39:37.71 ID:5jFN3Thq
≫517
賢明な人は仏教…
ところがどう転んでも勝算はないです
僕の場合ね…
もう、僕は宝珠先生にさえ敗北宣言しますよ…
しょせん生存欲を振り捨てることなんぞ
わっしにゃ、ちと荷が重すぎるし、さりとて権威主義に(あらゆる権威です)盲従するも潔しとしないからです
520神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 12:44:26.26 ID:5jFN3Thq
僕はここ三日間あまり、ドストエフスキー悪霊を読んで、何かしらこう…
人間の本質的苦悩と馬鹿げた「遊びの感覚」に悪酔いして、思わず唾をペッと吐きました
そうですなあ、わっしゃせいぜい頭にターバンを巻いた一人のシーク教徒ですわ…なにせ何事も中道を事とする輩ですからね。
それはさておくもこのシーク教の教義さえわっしゃろくに知りゃしませんがね
521神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 12:51:00.42 ID:5jFN3Thq
わっしの仏教における最高理想も、ここに尽きるんでさあ…
つまりは自分は取るに足らない虫けらだろうと
この世界、もしは別の世界に最も崇高な悟りを開いたお方がいらっしゃる
で、わっしゃその方の足下でさめざめと人生における苦悩と悔悟の涙を流し
たとえどんなに現実が醜悪な事象で満ちていようと、その方は菩薩としても仏としても普賢菩薩行の体現者でいてさえくれれば、僕はもう満足なのです
522神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 21:56:07.78 ID:eCIzVZEb
>>『チャラカ・サンヒター』で仏教徒が、
>><「自己(アートマン)は存在しない」という説を説いているわけではない><仏教徒について『チャラカ・サンヒター』四・一・四八で「自己(アートマン)を説かない」とは述べているが、
    それ以上の言及はない。後代、仏教の説とされる「自己ならざるもの(無我)(=「自己は存在しない」)」という説についても何も説かれていない>(p.70)
>>> と述べられることを挙げています。つまり、『方便心論』以前には仏教は「自己を説かない」=非我を説くと非仏教徒も認識していたという一例です。

『方便心論』(つまり龍樹)以前には仏教は「自己を説かない」=非我を説くと非仏教徒も認識していたって、今さっき始めて知ったんだけど、ほんとなんですか?
523神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 22:40:01.38 ID:WrUsStIr
>>522
そうですね。

これは龍樹菩薩と学会では一般的に承認されてませんが、
パーリ経典も非我から無我に変わったことは承認されています。

私は龍樹菩薩、あるいは大乗経典の出現で転換されたと考えます。

しかしながら、非我も無我も同じことです。

違いは外道に対して非我というか無我というかという対外的な表現の違いでしょう。
その根拠は以下です。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html
524神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 22:41:25.66 ID:WrUsStIr
>>523
>これは龍樹菩薩と学会では一般的に承認されてませんが、

これというのは非我から無我に変えた起点というか、世俗での時期がという意味です。
525神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 00:10:18.92 ID:0sTuc+Mm
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526神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 01:40:45.28 ID:+dkMgqK+
>>525

>買ってね☆

wwwwwwwwwwww  オメーは作者か?www
とっくに買って読んでるぞwwww

その外道振りが、大変気に入ったwwww
527神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 02:49:27.49 ID:+dkMgqK+
ここんとこ、オウム関連のビデオをよく見ていたんだが、
信仰ってのも、方向性を一つ間違えると、実に厄介なものとなるなwww

奴らに対する批判のひとつに、その信仰形態というか修行形態に対する
批判があった。 いわゆる出家という形の集団生活様式だw

世俗との関連を断ち切って、修行生活に入るという形式は日本では
特異だが、東南アジアの諸国では今だにあるわけだよな?w
彼らは世俗との接点をどのように保っているのかね?
下手すりゃ、自分らだけのコミュを形成し、その価値観から世俗を
見る、鼻持ちならない集団を作りかねない危険性もあるw

オウムの奴らの思想の根底には、「自分らが何も知らない一般大衆を
救済してやるんだ。」というのがあるわけだw
菩薩の慈悲をこれに比すと一代は怒るだろうが、もし万が一、
「自分は助けて≪やってるんだ。≫・・・教えて≪やってるんだ。≫」
という、意識がほんの僅かでも生じれば、オウムの奴らと大同小異となって
しまう。
528神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 02:50:23.72 ID:+dkMgqK+
大切なのは世俗から浮き上がらないことww
自分らだけの世界を作って、そこからの物言いをしないことw
前にも言ったが、これが宗教者が陥りやすい最も危険な落とし穴だと思うねww

南直哉って禅坊主がいるんだが、(その到達境地はともかくとして)
どのように世俗と向き合うか? 仏教徒として自分は何が出来るのか?
という視点を常に持ち続けているところは、俺としては大変好感を持ってるんだが
そう言うのは、世俗への迎合と切って捨てるかい?

「信仰」ってのは、ある意味、純粋なわけだw
非常に透明度の高い絶対性を求められる。 オウムの奴らも、純粋性という点に
おいては、非常に高いと考えられる。(その方向性が間違っているだけでねw)
その純度の高さが、自分らのコミュを形成することで、さらに高められる。
しかし、その一方で世俗との乖離は促進される。(まあ、世俗的価値観との決別が
その目的の一つだから、当然だが)

さて・・・・  これからの日本では、聖俗の接点というのは、どうあるべきなのかな?
(ダニヤを一概に切って捨てることは、出来ないとパーピマンは思うのであったwwwwww)

以上、徒然なるままにwww
529神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 07:40:33.99 ID:5kkQkoYZ
>>528 出家信者の生活を支える在家信者がいるから教団が運営できるのであり、
世俗とまったく関わりがないわけではない。
仏教だったら托鉢にまわったり、日本だったら法事もあれば寺院運営もあり、
年金も健康保健も払わないといけないし、世俗と離れてはいられない。
オウムを取材した「A」というビデオみたことあるけど、ゴキブリも殺さない生活は見習った。
530神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 11:28:30.63 ID:E8c62kzJ
一言でいうと偏見だよね。
偏見を持ちなさんなということ。
偏見で自我が構成されているなら間違ってますよということ。
531神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 11:58:50.57 ID:E8c62kzJ
死ぬ前になったら何考えるかなぁ…
いろいろやったが結局何も無かった…
あるのはそう想う自分の心境だけ
その心境を死ぬ前でなく今でも持てると思うんだよね
くだらんことで争うわけでもなく
くだらんことをするわけでもなく
くだらんことを想うわけでもなく
この想い自体がくだらんことかもしれんがw
532神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 14:23:34.85 ID:bIPgVvaG
>>523
>しかしながら、非我も無我も同じことです。

中論を前提とする限り、このレスは間違いです。
同じではありません。
17-20の偈が世俗と勝義を混乱させているのと同じことです。
基本的に中論が掴めていないのでしょう。

詳しくはレスしませんが、中論18-6でわざわざ区別して論じている意味が、
掴めていないのです。
533神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 14:29:10.52 ID:FvCa1nYU
>>532
岡野? 

そりゃ、そっちが誤解してるんじゃないか?

理由を説明せずに間違ってるというのは中傷以外のなにものでもないんだが

石飛先生の HP で岡野とかがやってることのように
534神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 14:41:56.44 ID:bIPgVvaG
岡野なんてどこの馬の骨か、知らん、無関係。

理由は>>532のレス中にある。

宿題にしておく←『詳しくはレスしませんが』
535神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 14:45:07.84 ID:FvCa1nYU
>>534
オイオイ、何が宿題だよ

恐らく18-6を妄想してるだけでしょ

止めてくれよ、キッチリ根拠を示してくれるならありがたいが、
それじゃ机とか遊びなんかとおんなじですぜ

付き合ってられませんがな
536神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 14:49:58.44 ID:bIPgVvaG

大昔の人間のコピーばかりやらず、

自帰依で大疑団を起そう。

脳とオチンチンは使えるときに使おう!
537諸星あたる:2012/10/03(水) 14:58:20.67 ID:T0uUPfmv
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11363884269.html
進化する天使の教えと逆行する地球環境
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11364404299.html
指導者の導きと共に進化する
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11362816099.html
続・宇宙の法則番外編 釈迦の教え
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11367035436.html
続・宇宙の法則 番外編 善と悪という名の幻想
538神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 15:05:55.58 ID:FvCa1nYU
>>536
なんだ遊びもどきか

妄想だって自覚しろよ〜

まあ、聖者にあったことがないと分からないかもしれないが、
格段に智慧も存在感もちがう、今に至るまで名が残っている方は、
そのなかでもよりすぐりなんだよ

オイラさえ言いくるめられないような君が、そういう方々を超えることはありえないって自覚できないかな〜

要するに居酒屋で政治家の愚痴ってるヤツが、本物の政治家にあったら軽くあしらわれるようなもんだ

まあ、ここは居酒屋だから許されるといえば、そうだが勘弁してくれよ〜
539神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 16:05:29.32 ID:E8c62kzJ
くだらねえw
政治家なんてただのメタボのおっさんだw
聖者なんてどこにいる?
ダライラマか?
グラサンかけた変なジジイのことか?
どっかの悪魔みたいな顔した教皇と名乗るジジイか?
全員が本物の只のジジイ、オッサン、ババア、オバハンw

540神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 16:32:41.09 ID:FvCa1nYU
>>539 「の想い自体がくだらん」な

「くだらねえw」なら
「くだらんことで争う」なよ
「くだらんことをする」なよ
「くだらんことを想う」なよ

「一言でいうと偏見だよね。偏見を持ちなさんなということ」なんじゃねえの

言ったそばから矛盾しちゃいかんだろ
541神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 16:43:34.98 ID:E8c62kzJ
ジジイ、ババア、オッサン、オバハンで偏見ではない
世の中にはいい人、悪い人、どっちもの人いろいろいる
聖者になりたいんなら、いい人を極めてみたら?
単純な話よ、聖者なんていうものは
何をもって聖者とするかだけ
いもしない神や仏にお祈りするのが聖者ではない
542神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 16:48:08.02 ID:E8c62kzJ
ただのメタボのオッサンを何者かのような目で見る
これが偏見だ。
頭の中の理想論では誰も評価されない。
行動のみで評価される。
543神も仏も名無しさん:2012/10/03(水) 17:59:12.81 ID:5kkQkoYZ
>>539 リアルに自分よりも頭の回転の早い人や、
記憶力、洞察力の鋭い人に会ったことないのでしょうか?
イチロー選手だってただのボール遊びが上手な人でしょう。
でも、なぜ多くの人が彼を尊敬するのか。
野球に興味ない私でも、凄い人だと思うのは、
自分が同じ立場だとして、同じ仕事をできる自信がないから。
544神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 07:15:39.53 ID:qwBd1xi7
>>543
君は、野球ではイチローに敵わなくても、他の点ではイチローよりも優れた
ものを持っているはずだ。別に、全人格的に「凄い人」と信服する必要はない。
自分に自信を持たないと、宗教などに騙される。
545神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 07:25:29.25 ID:ecH4JB6f
>>543
>自分が同じ立場だとして、同じ仕事をできる自信がないから

つまり自信の問題であり、気のせいです。
頭の回転の早い人、記憶力、洞察力、観察力の鋭い人は山のようにいます。
デーブスペクターなど凄いですよね。
なにをもって尊敬するのかということです。
どんなに有能な人でも悪人を尊敬しますか?
個人の嗜好で仕草一つで尊敬どころか卑下にまわるケースもあるでしょう。
気のせいですよ。完璧な人間などどこにもいない。
たとえいたとしても能力とともに老いて死にます。
546神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 07:26:04.10 ID:Gm501OSe
>>544
生命教、アンタのいいとこって何よ?

ここで見る限り見つからないんだが
547神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 07:45:54.75 ID:qwBd1xi7
>>546
一代、宝珠等の釈迦狂信者を除き、全体としては生命教の流れで進んでいる
のではないの?
548神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 07:53:09.19 ID:Gm501OSe
>>547
そうか? 断片初見で生命教に共感する人はいるかもしれないが、
生命教の支離滅裂な論旨を読んでついていく人は可笑しいと思うが
549神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 07:55:47.30 ID:qwBd1xi7
>>548
生命教が大乗仏教だから、共感できないのではないですかw。
550神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 07:59:09.05 ID:Gm501OSe
>>549
なんだ本人か、オイオイ、オイラは大乗仏教徒だって
アンタのは唯のエゴイスティックな現代人の常識に妄想を包んだもので大乗でもなんでもないって
551神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 08:04:12.74 ID:qwBd1xi7
>>550
現代人なら現代人として考えるのは当たり前。釈迦も、当時の社会に
おける、当時の人々に説いたのですよ。

釈迦が現代に生きていたら何を説くかを考えることが必要でしょう。
552暇人:2012/10/04(木) 08:16:36.08 ID:7aEnthVR
>>551
釈尊が現代に生きていれば。。。
吉野の山奥の町長の息子で引篭もり。
家出をして東京を目指したのはいいが
アキハバラで所持金が尽きた後は。。。ホームレス。

ホームレスの間ではリーダー的な存在になるが
45年、一ホームレスとしての人生を終える。

釈尊の死後、ホームレスたちの一部が集まって
新たな宗教を立ち上げる
つーかんじだろうな

特になんにも説かないのでは?
553暇人:2012/10/04(木) 08:21:01.14 ID:7aEnthVR
生命教の御隠居が一ホームレスの釈尊をありがたがるとは思えないのだが
ご隠居を見誤っていたのであろうか
554神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 08:29:30.14 ID:Gm501OSe
>>551
あれ、鬱病でダメなんじゃなかったけ? しかも、大乗問題はスル〜してw

こういうその場しのぎの一貫性のなさと根拠のデタラメな読みで、普通の人は生命教に共感できないと思うんだが

だいたい常識的な現代人ならこのスレなんか見てないんだってw

このスレを見てること自体、現代日本人としてはマイノリティなんだってことは否定できないでしょ
555神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 09:18:11.16 ID:EwgcNUDh
マジョリティだと思うならリアルの知り合いに向けてレイプセクハラ肯定でもやってくればいいんじゃないの?

普通に生命を尊重してるだけの人を、生命教にしたり(あの謎のエネルギー論に同意する人間なんてどれくらいいるんだ?)
大乗仏教諸派と全く解釈が別物なのに、勝手に自己流大乗の仲間にして
日本の大乗諸派が説かない排外主義で気に入らない相手を国外に行けと言ったり
滅茶苦茶。言葉遊びですらない。これで自分をごまかし続けて、どうするんだ?

英語で世界に自分の意見を発信するのも理由をつけて拒絶していたが、
それじゃあネット上の人間関係も今のままだ。2chの片隅の片隅のスレで
いつもの面子にいじってもらうだけだ。このままずっとな。

せめてmixiかtwitterはじめたほうがいいだろう。
556神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 09:25:48.77 ID:Gm501OSe
>>555
>せめてmixiかtwitterはじめたほうがいいだろう。

止めた方がいいよ。その二つは。
特定されて晒されちゃうから。

オイラは特定されちゃってるけどね〜w
557神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 09:43:47.20 ID:qwBd1xi7
>553
わたしは、釈迦は、その程度、それ以下としか思っていませんよ。
現代の言えば、そこいらのカルト教祖。得るものは何もない。単に精神
医学的興味だけです。前レスを呼んでいただければ分ります。
558神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 10:10:52.51 ID:qwBd1xi7
>>555
中村元博士の見解さえ「誤り」として排除する日本の自称仏教徒がいることの
ほうが、問題ではないでしょうか。
559神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 10:22:58.90 ID:/RJuy/Os
竜樹は透明人間になってレイプしまくったクズ
560神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 10:35:28.62 ID:Gm501OSe
>>558
オイオイ、アンタの妄想とちがってこっちはキッチリより広範なテキストによって裏付けて言ってるんだけどな〜

一緒にするない
561神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 10:47:09.15 ID:qwBd1xi7
>>560
テキスト自体が妄想であることも、疑う必要がありますねw。
562神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 11:10:50.01 ID:Gm501OSe
>>561
ちょっと考えてみろ

テキストが妄想なら、そのテキストに依っている〈中村元博士の見解〉なんか
〈「誤り」〉も正しいもないだろ。

〈テキスト自体が妄想〉といいつつ、そのテキストに依っている〈中村元博士の見解〉に依って自説を述べることと可笑しさも分かんないのか?

あるいは分かっても強引に取り敢えず言ってみるのか?

だから誰も相手にしないか、からかうだけなんだけどな〜

まあ、何度も言われ続けてるから、変わることはないだろうけど
563暇人:2012/10/04(木) 11:31:46.95 ID:7aEnthVR
中村元さんは世間から距離を置く象牙の塔に籠る哲学者なので
世捨て人の釈尊に自分と同じ「哲学者」を見たのでしょう。

そもそも元さんは、六師外道の思想というか哲学の研究者なんですから
哲学という側面から釈尊なり仏教に切り込んだ視点はオリジナリティがあり
それはそれで素晴らしい研究成果だった。そして世に広まりスタンダードとなった。
でも哲学の側面を重視するあまり、返す刀で「信仰」という側面を切り捨ててしまった。
単に元さんの「興味関心の幅」という問題なのだが、如何せん権威になってしまったので
元さんの言説を>>558のように素朴に受け取ってしまう人も大勢でた、というところでしょうね
564神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 11:42:06.05 ID:Gm501OSe
>>563
中村先生の真骨頂はヴェーダンーンタでしょう。
私にはそこら辺、未知の分野なので評価できませんが。

仏教に関しては現代語を取り組んだ翻訳家で普及者というかんじ。

565暇人:2012/10/04(木) 11:53:28.07 ID:7aEnthVR
>>564
このスレッド的には宇井先生以来の仏教文献学の方法論の確立にあると思います。

1.韻文が古層。散文は増広
2.諸文献に共通するテキストが古層

この基準をストイックに適用すると「信仰」は否定されるので
宮元啓一や石飛道子はちゃぶ台ひっくり返しの暴挙に出たわけでしよう
566神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 12:12:43.21 ID:Gm501OSe
>>565
宇井さんというよりオルデンベルクとかのドイツ文献学でしょ。

その編纂史は否定しないよ。

ただ、そこに古層ほど素朴とか読み込むのは無理。さらにキリスト教のように文献だけの伝承と仏教は全く違うことを意識してないことが誤解の一因だと思う。
もちろん、根本は実在論史観だけど。

その一つの証拠としてアッタカ・ヴァッカ、あるいはアルタカヴァルギーヤ・スートラの内容が、中論、大智度論、マハーニッデーサ、清浄道論で一致していることがあげられると思う。
567宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/04(木) 13:00:46.87 ID:oeSvaGf5
>>401
>さて「大乗経典の作者が出家か在家であるかも判らない」という文言は
>『原始仏教』の何ページにありますか?
>これは、ひょっとするとP37の
>「その作者誰であるかは、今日全くわからないけれども…」という部分からの
>あなた独自の解釈ですか?
>
>>411

水野氏の著書が手元に届き確認できたので、
とりあえず至急、その部分について返答します。

 『ところが大乗仏教になると、厳密な意味での出家教団は失われたのではないかと思われる。
大乗では出家在家の区別を重視せず、人格完成のために修行努力する者は出家でも在家でも
等しく大乗菩薩と見做されたのである。大乗経典の作者が出家であるか在家であるかも判らな
いし、大乗の徒が教団組織をなしていたかどうかも判らない。』(p42)
(水野弘元著『原始仏教』02年第16刷/平楽時書店)
568神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 13:28:10.00 ID:ecH4JB6f
信仰=妄想、依存、偏見
569宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/04(木) 13:41:08.70 ID:oeSvaGf5
訂正:>>567

×「平楽時書店」
○「平楽寺書店」
570宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/04(木) 13:59:37.76 ID:oeSvaGf5
>>521

わかります。

>>568
>信仰=妄想、依存、偏見

確かに、
そういう部分を含みますね。
迷信は信仰の中にある・・・。

因みに神智学の道では、信仰心の必要は問われません。
逆に、“尊崇の念”や“献身の想い”は(一定レベル以上からは)進歩の妨げとなります。
この道では、聖典の偏愛をしない(ブラヴァツキーの著作であろうが何教の聖典であろうが)、
聖典読誦の習慣を説かない、尊像などの御祀りをしない、礼拝も説かない・・・。
神智学の歩みはオカルティズムの科学の基づくものなので、
信仰心がなくとも実行したことの結果はそのまま自分に帰ってくるものとして説かれます。
571神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 14:05:04.96 ID:s7nQ1GRg
≫568
あなたは冷たい空虚な心の持ち主ですね…
あなたのような人が京都学派を甘やかし
仏教を取るに足らない唯物論にまでも堕落させてしまったのです
しかしあなたの名誉のため付言しますが
あなたはヴェーダーンタ的資質は充分持ち合わせているのです
572神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 14:09:52.51 ID:s7nQ1GRg
私は宮元啓一氏の著作物を愛好しましたし、本人から講義さえ受けましたが
あの方の一部の論説には「牽強付会」な部分が多すぎて閉口しました
仏典中登場する「神」や「悪魔」をあくまで霊的生命体としてでなく
「人間」としての「隠語」として解釈している点です
そこがあの方の唯一の欠点です
573神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 14:11:56.37 ID:ecH4JB6f
>>570
全て正しいと思います
>>571
どう思われようが構いませんが、たぶん偏見です
574神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 14:23:29.82 ID:s7nQ1GRg
私は以前から宝珠氏に、それとなく匂わせましたが、
私は根っからの「聖典崇拝者」なのです。
で、シーク教云々の戯れ言もあながち不真面目な態度ではないのです
この際「大乗」は宝珠氏の言う「仏教」から「独立」してもよい時期ではないかと思います
理想を断じて現実のレベルまで引き下ろして堕落させるよりマシですからね…
575神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 17:31:57.62 ID:p1TxDiQI
>>562
>テキストが妄想なら、そのテキストに依っている〈中村元博士の見解〉なんか
>〈「誤り」〉も正しいもないだろ。

そう。妄想かもしれないという自覚があるから、中村博士は、現代人の立場から、
思いきった「解釈」をされているのです。どうせ妄想なら、妄想には合理的な
妄想で、です。超古代のことは、文献からだけでは「本当のこと」は分るはずが
ないのです。

なお、信仰の要素があったら、文献の客観的解釈など不可能です。どうしても
信仰に影響されざるを得ないから。文献学は「人文科学」であり、「客観性」は
科学の不可欠な要素です。私はこの見地から、既に、石飛氏や水野氏を何度も
批判しています。
576宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/04(木) 18:03:09.44 ID:oeSvaGf5
>>572
>仏典中登場する「神」や「悪魔」をあくまで霊的生命体としてでなく
>「人間」としての「隠語」として解釈している点です
>そこがあの方の唯一の欠点です

いや、妥当な正しい解釈でしょう。
(そう見なすのは宮本氏に限らずです)

これは以前に一代にも指摘した通りであって、
素朴実在論による間違いなどというものではなく、
ほぼ明白な確定論といえるでしょう。
念のために以下に再掲しておきます。

仏典でいう「悪魔」とは五蘊と五蘊の性質に対する比喩的象徴(決まり文句)です。
本当に恐ろしい悪魔が眼前に出現してるというわけではありません。
ゴータマは五蘊と五蘊の作用こそが、
自身を真実でないものへと縛り付ける苦悩の根源と見なし、
これを悪魔と呼称しました。
まず、仏典であればこれについて例外はない筈ですので、
このように読んでいけば、経文にある象徴の背後にある真義に迫れるものと思います。
はい、 これがゴータマ自身によって明らかにされた“悪魔”の正体です。
(“魔羅”マーラと表現されたり様々ですが、すべて同様です)
577宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/04(木) 18:04:48.90 ID:oeSvaGf5
 『「大徳よ、悪魔、悪魔と仰せられますが、大徳よ、いったい、なにを悪魔と仰せられるのでございますか」
「ラーダよ、色(肉体)は悪魔である。受(感覚)は悪魔である。想(表象)は悪魔である。行(意志)は悪魔
である。識(意識)は悪魔である。
 ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪を離れることができる。貧を
離れることによって、解脱する。」』(増谷文雄著『阿含経典 第一巻』筑摩書房-総説p58転載
/『阿含経典 第二巻』p230-231『相応部経典』23:11)

梵天勧請の逸話についても同様です。
説こうか否かを悩み、そして梵天から説かれるよう奨められる話の内容すべてが
自己の心の葛藤を示したものであって、仏教的(宗教的)な文学表現と見なすべきです。
尚、このことは何も悪魔や神々が存在しないという意味ではありません。

悪魔や神々が存在していることが分っているからと、
つい篤き信仰心から、当然の如く悪魔が神々そのものが顕れたものと思い込みがちになりますが、
冷静に読まれるようお奨めしたい。

是非、皆さんには、
増谷文雄著『阿含経典 第一巻』総説p57-64
を読まれることを強くお奨めします。
578神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 18:18:50.95 ID:k/ZXXScj
>>560
>こっちはキッチリより広範なテキストによって裏付けて言ってるんだけどな〜

お前は馬鹿か?
傲慢、慢心、倨視の徒よ!
見苦しいいぞ、図に乗るな!

おそらく中村元博士の方が、お前の何百倍も『 より広範なテキストによって裏付け』と
極めて深い体験と経験をへておられる。
真のプロを舐めるな!

しかも、単なる学者ではなく、極めて立派な仏法徒であったことは、
亡くなられるまで“毎日欠かさず”『般若心経』『四誓義』『三帰依文』『生活信条』を読誦されていたそうだ。(中村元 老いと死を語る p92・93)

中村元博士の『生活信条』とは、

・み佛の誓いを信じ 尊い御名を唱えつつ 強く明るく 生きぬきます

・み佛の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに 励みます

・み佛の教えにしたがい 正しい道をききわけて 誠のみのりを ひろめます

・み佛の恵みを喜び 互いにうやまいたすけあい 社会のために つくします


ここまでの人格的に甚大な落差があるのに、まだ頭でっかちで傲慢の徒をさらし続けるとは、見苦しすぎる。





579神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 18:52:23.55 ID:k/ZXXScj
    中村博士が毎日読誦されていた三帰依文

人身受け難し 今すでに受く
仏法聞き難し 今すでに聞く
この身今生に於いて度せずんば
さらにいずれの生に於いてかこの身を度せん

大衆もろともに至心に 三宝に帰依したてまつる

自ら仏に帰依したてまつる
まさに願わくは衆生とともに 大道を体解して
無上意をおこさん

自ら法に帰依したてまつる
まさに願わくは衆生とともに 深く経蔵に入りて
智慧海の如くならん

自ら僧に帰依したてまつる
まさに願わくは衆生とともに 大衆を統理して
一切無碍ならん


580神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 19:18:40.89 ID:k/ZXXScj

『決定版中村元選集』は全32巻/別巻にもなる。

しかも、一巻が千ページ前後にもなる。
400字詰め原稿用紙で一巻約3000枚にものぼるものだ。
本巻だけでも96,000枚!
しかも、いずれも厳密な考証を重ねられたものだ。
まさに、人間業ではない。
どれだけの激闘があったか、門外漢でも推測できようものだ。

この『決定版中村元選集』を1999年7月に完結させた後、
同年10月10日にお亡くなりになった。

まさに、今年亡くなったレオンハルト氏もそうだった。

            感謝申し上げます。

581神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 19:49:45.76 ID:Gm501OSe
>>575
>そう。妄想かもしれないという自覚があるから、中村博士は、現代人の立場から、
>思いきった「解釈」をされているのです。

ありえない。それは文献学者失格ですよ。
中村先生ももちろん文献のあるがままに提供することを心掛けていたと思います。

ほんと、勝手なその場しのぎの思いつきだけですな〜
582神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 20:06:16.71 ID:Gm501OSe
>>578
そう思うしかないだろうけど、
事実は違う。

確かにヒンドゥーに関しては私より広範でしょう。

しかし、仏教に関しては私の方が広範な資料によっている。
これは時代的な問題もある。

後発の方が新資料が利用できる。特にチベット資料に関しては中村先生より圧倒的に利用できるし、直接伝統から教えを受けているこれが大きい。そして今はネットで簡単に原典にアクセスできる。

実際見たものをくれべてくれれば、分かるんだが、アナタにその能力がないんだろう。

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html
上の『スッタニパータ』は第六結集版を中村先生は参照してない。これがでかい。
もっとも読みに大した違いはないが。

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/37.html
上の『中論』に関しては中村先生はチベット資料をほとんど用いてない。
だからこそ、18-17をあのように読んでしまったのだろう。

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/36.html
上の『大智度論』に関しては中村先生は解釈にすらいれていないし、
ラモットも優れた梶山雄一先生も『磧砂藏』や『永樂北藏』を参照していなし、
『勝義空性経』などの典拠を比定して読んでいないので、もう一歩読みが足りない。
複数で和訳していた以下は話にならない訳だったよ。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001022512

もちろん、私のものも色々誤りはあると思うが、上に挙げたものよりは、これに関して一歩進めていることは確信する。

違うというなら、きっちり指摘してくれよん
583神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 20:08:20.46 ID:Gm501OSe
>>578
悪いが、行はオイラのがしてると思う。

おお、レオンハルト好きなのか。
オイラもだ。しかもクラヴィコードがいい。


584神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 20:48:07.92 ID:wJBc2ckt
ご隠居が中村先生について言った事は、
研究者に対するものとしては、最大級の侮辱だと思う。
>>566
>さらにキリスト教のように文献だけの伝承

正教会やカトリックには「聖伝」というのがある。
マリアはイエスを産んだ時だけでなく、産んだ以降も亡くなるまで
処女だった(新約聖書に出てくる「イエスの兄弟」じゃ実際は異母兄弟とかイトコ扱い)とか
肉体を持ったまま天に引き上げられたとか(これも聖書に書いてない)
伝承や伝統としてあったものが、聖書とともに真実とされる。
あえて言うなら聖書が全部で何巻で、その正典リストはこれ、というのも
聖書そのものには書いてないので聖伝と言える。

プロテスタントは聖伝を支持せず「聖書のみ」
プロテスタント的な文献学、と言うのがふさわしいのではないか。
585神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 20:56:28.01 ID:Gm501OSe
>>584
ああ、恐らくそう。

だからこそドイツ文献学なんだと思う。

なるほど、ありがとう。
586神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 21:11:05.70 ID:wJBc2ckt
「聖書のみ」を説くルターもマリア崇敬していたり、
マリアが無原罪で生まれてたり、終生処女だったと信じていた。
彼にとっては当たり前すぎて「聖書のみ」に反するとは思えなかったんだろう。

人によって「当たり前」な事というのは違うんだなあ、と感じさせる。
この事は色んな事を物語っていると思う。
ある人にとっての「夾雑物を取り除いたありのままの姿」は、
他の人からもそう見えるとは限らない。
自分が違和感を感じないだけの常識や偏見を色濃く残しているものなのかもしれない。
587神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 21:15:47.12 ID:Gm501OSe
>>586
仏教の場合は戯論寂滅だから最終的には何も残らない。

だけど、そこへ行くための様々な道が教えとして説かれる。

その教えが文献として残されている。

その諸テキストの妥当な解釈がここで論じられるものだと思ってます。
588神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 23:32:47.45 ID:YrDQxIwN
>>584
>研究者に対するものとしては、最大級の侮辱だと思う

「大昔の文献の『内容』のホント・ウソは絶対に分らない」、で終了。

現代の週刊誌の記者でも、記事を書くときは、必ず関係者全員に会って聞き込み
調査を行い、裏を取る。大昔の文献の場合は、関係者全員死亡だから、確認の
方法は皆無。

仏典の内容を信憑性は、現代の週刊誌の記事以下ということ。

「真実」だと思い込むのは、愚かさの極み。
589神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 23:36:39.52 ID:YrDQxIwN
>>588の訂正
×仏典の内容を信憑性
○仏典の内容の信憑性
590神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 23:37:44.64 ID:wJBc2ckt
分からないと考えるなら分からない、と言うよ。
それをいいことに他の人に自分の妄想を語らせたりはしない。
少なくとも自覚的にはな。
彼らは彼らなりの誠実さをもって研究する。

自分の下劣な品位を他人に投影するなよ、という話。
591神も仏も名無しさん:2012/10/04(木) 23:52:50.62 ID:wJBc2ckt
ここはネットでの書き捨てだけど、
中村さんの場合、出版社が金出して本にして、
消費者が金出して買ってくれる、って代物だべ?
しかもある程度の期待と信頼をもってだよ?

>どうせ妄想なら、妄想には合理的な 妄想で、です。

なんていう仁義にもとるような真似をすると思うか?
少なくとも俺にすら無理だわ。
592暇人:2012/10/05(金) 04:34:34.55 ID:HzsJTmMb
>>566
>アッタカ・ヴァッカ、あるいはアルタカヴァルギーヤ・スートラの内容が、
>中論、大智度論、マハーニッデーサ、清浄道論で一致している

ほう。これが論証できればスッタニパータ第四章の
アッタカ・ヴァッカ(原始仏教)と中論、大智度論(北伝大乗)が一致している
アッタカ・ヴァッカ(原始仏教)とマハーニッデーサ、清浄道論(南伝分別説部)が一致している
ということになりますね。
ところで「アルタカヴァルギーヤ・スートラ」って知りませんです。
解説を希望します。

>>567
確認できました。失礼しました。
593暇人:2012/10/05(金) 05:07:18.30 ID:HzsJTmMb
>>566
ところで、このスレの55さんなの?
http://www.geocities.jp/jfcps873/kanren/sanpo.html
594暇人:2012/10/05(金) 05:21:58.92 ID:HzsJTmMb
>古層ほど素朴とか読み込むのは無理

アッタカ・ヴァッカと中論を読み比べると、一致が見られたとしても
明らかにアッタカ・ヴァッカが素朴ですよ。
宮本さんあたりはアッタカ・ヴァッカなどの古層と目される部分だけを本当の仏教と
するのではなくて、原始経典すべてを釈説とすると、豊饒なものを仏教とできる。
その豊饒の中から、たとえば12支縁起を取り上げるとかしたいのでは?
595神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 05:50:37.32 ID:XHiCI05C
>>592
アッタカ・ヴァッカの梵本ですよ。

リンク先にヘルンレの論文がリンクされてるでしょ。

未見だけど。

>>594
例えば、非我から無我になってるという点はありますが、
本質的に同じで、部派より中観がアッタカ・ヴァッカに接近すると思います。

詳しくは以下『入中論自註』 評釈を読んでください。
http://kishin-syobo.com/index.php?%E4%BB%8F%E6%95%99%E4%B8%80%E8%88%AC

宮本さんの解釈は取りません。

それと宮本さんにしろ、石飛先生にしろ信仰を護るためにそのように解釈したのではなく、
テクストの読みの整合性を求めてそのように解釈したのだと思いますよ。

逆にいわゆる和辻・宇井解釈だと仏教は常に誤解され、彼らによって本来の形が読み取られたということになりますが、それはありえないと思います。
特に和辻解釈は正に『梵網経』で切り捨てられる凡夫解釈でしょう。電波男、生命教、机解釈もそう。
因みに宮本さんの解釈は『梵網経』で外道の聖者とされるもの。宝珠、カラス、遊び解釈もう。
596暇人:2012/10/05(金) 06:20:32.35 ID:HzsJTmMb
>>595
私は専門教育を受けたあなたと違って西洋哲学専攻でしたので、
全学生必須の「仏教学」を受講した程度(しかも二回落とした)なので
色々とお尋ねしたいのですが、
「部派より中観が釈尊に近い」というようなことは、まあ入門レベルでも
お聞きしているところです。

私の論点は「古層ほど素朴とか読み込むのは無理」と言えるかどうか、です。
アッタカ・ヴァッカと中論に一致ポイントがあるにはせよ、
あなたはアッタカ・ヴァッカが中論よりも【素朴】と思われませんか?
素人目(行者でも学者でもない一般人)には素朴です。

宮元、石飛氏の信仰とは、「何を釈尊説」とするかという点です。
原始経典を切り刻み厳密に古層を探る文献学にストイックに立てば
つまり立てられた仮説に従い客観性のみに立脚すれば
真の釈尊から離れるという立場でありましょう。
あなたの観点(和辻・宇井解釈だと仏教は常に誤解される)と同じでありましょう
597神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 06:46:38.10 ID:XHiCI05C
>>596
意味的には素朴ではないですね。
素朴だと思うのは、進化論的先入観でしょう。

その文献学に古いほど素朴だという先入観が混入していると思うんですが。

それと素朴実在論的前提が文献史の前提となっていることも問題だと思います。

598暇人:2012/10/05(金) 06:46:49.85 ID:HzsJTmMb
どさくさにまぎれて質問。

新約聖書の校訂本のネストレですと、27版も改訂されていて
常に新たな知見(写本の発見や校訂の成果)が反映されているわけで
翻訳聖書は、常にネストレあるいはUSBの最新版を参照されるわけです。
1.パーリの場合、PTSの校訂ってどうなっているのでしょうか?
2.PTS本とビルマ本とタイ本、その他の整合性はどの程度?
3.パーリの古い写本は何世紀の写本なのでしょうか?
599暇人:2012/10/05(金) 06:50:58.37 ID:HzsJTmMb
>>597
先入観のない子供に
アッタカ・ヴァッカと中論とを読ませたとします。
アッタカ・ヴァッカはその子供の経験に応じて理解できるかもですが
中論を理解できる子供は稀ではないでしょうか?

わたしは中論の方が難解だと思いますが、あなたはこの素朴な観点も否定されますか?
600暇人:2012/10/05(金) 06:57:10.13 ID:HzsJTmMb
http://06647158.at.webry.info/201005/article_3.html
よりコピー

パーリ聖典協会 Pali Text Society 
ttp://www.palitext.com/

ビルマ第六結集版を閲覧できるサイト Vipassana Research Institute 
ttp://www.tipitaka.org/

タイのダンマソサエティ財団 
ttp://society.worldtipitaka.info/
601神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 07:12:18.10 ID:nrD93eaj
難解な哲学や科学の論文と、入門書だけが後世に残ったら
入門書のほうが古いことにされるのだろうか。

「最初からこれほど優れたものが出るはずはない。
のちに徐々に出来上がっていったはずだ。
著者名が○○となっているのも仮託されたせいであろう」
602暇人:2012/10/05(金) 07:14:48.25 ID:HzsJTmMb
なかなか興味深いお方だね
小谷信千代門下で、チベット系仏教信者で、真言宗僧侶。
603カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/05(金) 07:20:08.27 ID:/jW8jXSu
>>595
なんか懐かしいコテですね。
さて、僕の話のどこが外道なのか?説明してもらいましょうか。
604暇人:2012/10/05(金) 07:24:11.53 ID:HzsJTmMb
>>601
簡単に言うと、釈尊を神格化していると
釈尊が最初から真理を説いたというおとぎ話を信ずる羽目になる。
この前提下にいると、
アッタカ・ヴァッカより中論が緻密精緻であるとか
アッタカ・ヴァッカより中論が優れているとか
中論よりアッタカ・ヴァッカが素朴であるという言説に頷けないということですね。

>>601の論点ですが、中論が新しいのは自明ですので論が成立してないと思います。

たまたま残っているのは素朴なアッタカ・ヴァッカ
800年後ぐらいに記された中論は緻密精緻。
事実はこれだけです。
605神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 07:35:49.76 ID:nrD93eaj
いえ。書物として「難解な哲学や科学の論文と、入門書だけ」が残り、
その上で素朴なものが古い、詳細なもの、記載が込み入ったものが新しい
という基準がストイックに使用されれば、>>601の結論を導き出すでしょうというだけの話です。
入門書に取り上げやすい基本部分は複数の入門書に出そうなので、
「諸文献に共通するテキスト」故に「古いもの」に含まれるでしょうか。

さすがに大乗仏教の人が書いた(とされる)ものより、アッタカ・ヴァッカが新しいとは……
606暇人:2012/10/05(金) 07:36:27.31 ID:HzsJTmMb
私は釈尊を神格化しなくていいと思うのです。

2500年の歴史の中で仏教は釈尊個人を超え、深まり拡がり豊饒になったと。

こう見ると、護教的束縛から開放されるのではないでしょうか。

私は釈尊はそういう意味で、我々の思うよりもっと自由であったと思います。
607カラスの唄:2012/10/05(金) 07:45:24.81 ID:/jW8jXSu
僕は単純な真我論を語っているわけじゃないんだがね。
ところでバッタもんの仏教徒ほど中論にかぶれる様はみてて非常に笑えるんだけど。
竜樹は致命的なミスを犯している。中論みたいなはなから間違えてる欠陥品をありがたかって、
さも自分達の仏教は特別なものだといいたげな輩は救いようのない知傷だろ。
608暇人:2012/10/05(金) 07:46:33.42 ID:HzsJTmMb
>>605
科学論文の場合は、難解な学説が発表され、まず優秀な専門家が新説を
追証し、支持され、そしてスタンダードになり、権威になってそれから
権威に基づき入門書が書かれるわけですが
釈尊は専門家ではなく、一個の実践者(行者)だったのです。
一個の行者の実践のとりとめもない言説を後世の人々がまず個々の素朴な断片をまとめ(アッタカ・ヴァッカ)
その後時間かけていろんな方々が整理し(雑阿含など)、更に整理・増広され(中・長阿含)、
深く研究され(部派仏教)、更に再点検された(中論)のでしょう。

素朴な断片を整理された入門書などといっしょにはできんでしょう。
609暇人:2012/10/05(金) 07:51:10.32 ID:HzsJTmMb
ちなみに小部経典についての扱いは部派で違いがあったそうです。
南伝分別説部は五ニカーヤの一つにしていますが
大衆部は小部を認めてなかったそうです。

整理された長部や中部経典ができると部派仏教内ですら
素朴な断片であるアッタカ・ヴァッカは軽視されたようです
610神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 07:56:27.63 ID:nrD93eaj
それがわかるのはいま現に
「難解な哲学や科学の論文と、入門書だけ」でなく
それ以外の記録が残っているからですね。今現在も行われてますし。
扱いの手続きや経緯について知識として持っているから言える。

古代文献の場合、詳細に知ることは困難なので
判断基準を作って当てはめているんですね。
そうすると配列しなおすことができる。
611カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/05(金) 09:04:25.78 ID:/jW8jXSu
>>606
違う。ゴータマは肝心なことは全て曖昧にして、あえて混乱を招くような説法をしている。
おかげで大乗を代表する後世の仏教徒達は、ゴータマを越え、豊かに実を結ぶどころか、邪見が邪見を呼び、
真理から最も遠い人達になっている。ゴータマは後世は末法の世になるといった。当たり前だ。
あんな説法じゃ後世は末法の世になるのは必然であり、そうなることは、あえて混乱を招くような説法をした
ゴータマ自身が一番よくわかってたんだろ。あと思うんだが、肝心な真理の部分はのらりくらりと
曖昧な説法しかしなかったくせに、布施の教義については誰にでもわかるようにはっきり説いているところが非常ににわらえるんだけど。
在家の誰一人導けないくせに施しを受けて飯食ってる分際で坊主共の態度は散漫でいやしい。全てゴータマの残したこの教義のおかげだ。この布施の
教義はカルトには都合がよく、実際にオウムも利用した。
ゴータマは確かに瞑想などで真理に触れたんだろうけど、だからといって実際に輪廻の鎖の輪から解脱したかどうかは別の話だ。
人は皆、自分で撒いた種は自分自身で刈り取らなければならない。負の業の清算を済ませないかぎり、そこには帰れない。
ゴータマの最後はまさしく因果応報だったんだろう。ヒンドゥーでは、ゴータマは確かに真理を悟った人だが、彼は世を惑わすヴィシュヌの化身扱いだと聞く。まさしくいい得ていると思う。

612神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 09:15:50.97 ID:XHiCI05C
>>598
ネストレは28版がでましたね

PTSは部分的にしか最新版が出ないようです。

私はパーリはそんなに見てないので信頼できない印象ですが、
第六結集版の方がいいかんじですね。それほど異読はないと思います。
PTS はものによっては校正があまりされてない印象もあります。

写本は調べないと分かりません。

>>599
それは説き方の違いでしょう。
釈尊は重層的に説いていますが、中論は表層的理解を拒む形で書いているからだと思います。

そこで一般には表層的な理解でアッタカ・ヴァッカを理解したつもりなので、
素朴だと感じると考えています。
613神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 09:17:11.31 ID:XHiCI05C
>>602
>小谷信千代門下

これは誤解ですよ。
614カラスの唄:2012/10/05(金) 09:20:51.82 ID:/jW8jXSu
施しは、相応しい相手に。
相応しい相手がいなければ、右手に握ったものは、そのままにしておきなさい。
615神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 09:25:01.87 ID:XHiCI05C
>>606
いや、これがオルデンブルクとかルナン、シュトラウスみたいな19世紀的な見方だと思うんですよね

つまり、素朴実在論、イエスや釈尊を凡人に解釈するもの

その流れを20世紀にやったのが和辻・宇井だと思うです。

そして『梵網経』はそういう見方を「聞いたことのない凡夫たちの如来に対する賞賛は、つまらないことを語り述べる」と説きます。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
616カラスの唄:2012/10/05(金) 09:27:56.26 ID:/jW8jXSu
智恵のある者は教えの真髄を探るものだが、お勉強はできても智恵の無い者は、肝心な教えの真髄は探らず、
文献学などの学問的アプローチに夢中になる。ゴータマの教えの真髄を探るのに必要な文献は、
スッタニパータとダンマパタ二つあれば充分。他はむしろ邪魔ですらある。
617神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 09:31:32.05 ID:XHiCI05C
>>609
そこで部派は分かってないな〜、と論じたのが龍樹菩薩

これはゲルクに対する行者の反応とか、
法相宗に対する行者の反応が近いと思います。

体系づけて自分たちが理解できないものを切り捨てる方向。
こういった学問的な宗派は常識に歩み寄る傾向があるようです。

切り捨てられた部分に本質があったりするように思います。

で、大抵、本質を掴んでる人は少数派みたいですよ。

チベットの伝承では月称菩薩を学ぶものは少なく、
唯識が盛んだったと説かれます。
618神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 10:30:38.07 ID:SSh2uvXN
≫616
ゴータマの教えなど、さしたる興味も無いですね
いや、全然興味ない…
で、やはり後世の大乗文学作家の頭脳とハートの方が
よほど興味あります
彼らは無名の天才、いわば栄光なき天才ですわ…
大乗は大乗で独立すれば良いのです
619神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 10:35:36.40 ID:SSh2uvXN
知恵有る者は教えの真髄を…なるほど
しかし、それを知ったところでね…
知っちまったところで
とどのつまり
凡夫としてむなしく一生を終えるのが
人間ってもんです
なんとなればすべての宗教は、その教祖の死を持って「終わる」からです
これが法則です
620神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 11:15:24.17 ID:SSh2uvXN
施しはたとえ相手が善人だろうと悪人だろうと
報いを求めずどしどし与えれば良い
偽善的行為は気に入らんという御仁もいるだろうが
どうしてどうして
偽善にも良いところがあるし
これを否定すると人類は善行そのものまで否定しかねない。
まあ、大乗は真理にもっとも「近い」に違いないです
621神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 11:23:07.25 ID:EHF5YXmf

なんで皆さん、ここまで世俗ベッタリなんですかねえ。

ホント、もう呆れますね。

『仏法聞き難し 今いまだに聞いても不可得』ですねえ。


ほとんどの方が、色即是色から一歩も出ていないことに気づいておられませんねえw
622絶対神:2012/10/05(金) 11:30:09.84 ID:R4gL5AC4
小乗に対する大乗のように、ある意味において、前にあるものより
後に出てきたものの方が、より高度に複雑になって価値を持っている
というのは
        「極めて当たり前の事だけどね」w
宗教の世界では、この当たり前の事を見おとす事が多い
623カラスの唄:2012/10/05(金) 11:50:39.25 ID:/jW8jXSu
>>620
違う。悪人でも生きるか死ぬか、本当に困っているなら助けてやればいいが、
そうでもないのに施しを与えるのは間違いだ。つまりオウムの麻原などに布施するのは間違いだということ。
彼らは間接的に麻原の悪業に手を貸したことになる。ましてや、布施することにより徳を積み、
自分の欲が満たせると下心があって布施した者の業は深い。もちろんその業の清算は本人に降りかかる。
彼らは人を見る目が無いのである。

施しは相応しい相手に。相応しい相手がいないなら、
右手に握ったものは、そのままにしておきなさい。
624カラスの唄:2012/10/05(金) 12:09:13.76 ID:/jW8jXSu
>>619
違う。教えの真髄を知った者は、たとえ今生で過去の業の深さゆえ直接知に達しなくとも
彼はもう無知ではない。その知恵は彼の業に刻まれ来世に引き継がれ、彼は真理の道に入るだろう。
真摯に求める者は与えられる。真摯に求め与えられた知恵は来世に引き継がれ、決して今生は無駄にならない。
末法仏教徒の皆さん。ゴータマの仏教は、死んで終わりの唯物論じゃないんですよ。
625神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 12:11:44.80 ID:o2XVBw7A
>>621
>なんで皆さん、ここまで世俗ベッタリなんですかねえ。

「世俗べったり」の反対語は「忌むべき選民意識」であることを忘れないでね。
626神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 12:24:35.06 ID:SSh2uvXN
≫623
あなたの話を聞いて、不殺生のアンチテーゼを思い出しました。
つまり不殺生の「程度」ですね
人類を滅亡させる病原菌を「愛」ゆえに放置して殺さない…
しかし人類はウイルス感染で死滅するという…(笑)
この問題は西洋では
クリスチャンによってヒトラーを暗殺すべきや否やの問題で、実際暗殺未遂で獄死した神父もいるぐらいです
627神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 12:28:41.01 ID:SSh2uvXN
しかしながらオウム真理教の純粋な世間知らずな若者たちに
傷口を開いて塩を塗るような発言はよしにしましょうや
彼らは麻原が悪党だとはこれっぽっちも知らなかったんですからね
罪はよし彼らにも道義的責任があったにせよ
羽毛のごとく「軽い」
628神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 12:33:21.97 ID:SSh2uvXN
ゴータマの言葉が偉大な真理なら
大乗の真理はさらに偉大ですわ
かような事は文献学以前にわかるこってす
されば「菩提心」の種を心に記憶修習させればやはりもう
「無智」では有り得ない
それが来世においてブッダとなる因となるに相違ないです
629神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 12:38:55.33 ID:SSh2uvXN
最後に一言
罪とか悪業といった観念は
それ自体たいそう人間を弱く堕落させるだけのものです。
大胆に言えば「罪有り」と思う者にしか断じて罪など
ありゃしません
630神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 12:39:09.90 ID:mxb7uGeY
>>628 仏に成ることにこだわる必要はないのでは。
お釈迦様の教えは阿羅漢になる教え。
みんながお釈迦様をめざす必要はない。
631神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 12:44:30.74 ID:SSh2uvXN
≫630
それは自由選択でしょうよ…
しかし天人師になりたい人だっているかも知れないでしょう。
如来の十号をすべて完成させたい人
632神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 12:45:39.01 ID:EHF5YXmf
>>625
>「世俗べったり」の反対語は「忌むべき選民意識」である

この文言が「世俗べったり」なんですよ。

おわかりにはなれないでしょうが・・
633神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 13:29:16.72 ID:EHF5YXmf
>>627
>しかしながらオウム真理教の純粋な世間知らずな若者たちに
>傷口を開いて塩を塗るような発言はよしにしましょうや

多くのオトナ達にも言えるが、
これだけのカルトのはびこりを考えれば、
メディアリテラシーならぬ、宗教的リテラシーのなさは呆れるばかりだ。
幼稚すぎる。
徹底的に批判されて当然だ。

この意味では隠居の批判は一面的にだが、マトを射ている。

ブッダがあれほど自帰依(→大疑団)×法帰依(→菩提心)による自己検証を説かれているにも拘らずだ。
仏法は断じて信仰宗教ではない。
634神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 13:36:43.59 ID:2P73DlMr
法を自分が心情的に帰依できる形に改変した上で帰依することを菩提心というのか。
635神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 13:45:14.80 ID:bvDDZabo
>>606 暇人氏 >>622 絶対神氏
歴史が新しいものほど価値がある? こんな進化論的な、
単純なモノサシでは宗教の値打ちは測れない。
真理に近いか遠いかが問題なのに。
636絶対神:2012/10/05(金) 13:49:12.22 ID:R4gL5AC4
>>629
   「ばーか、罪とは社会が秩序維持のために決めるもんだ」
     『お前が頭の中で決めるもんじゃねーんだよ』
637絶対神:2012/10/05(金) 13:51:18.66 ID:R4gL5AC4
>>635
  「文明とか文化とかいうものは時代とともに発展していくものです」
     『現に今がもっとも世界の文明が発達している時期です』(大昔に
現代レベルの科学文明なんてある訳もないです)
「おおまかな事を言えば、過去よりも現代が進歩するのが当然であり、しばしば
 宗教や思想が「先祖がえり」しようとするのは奇妙な事です」

638宝珠愚者@(規制代行):2012/10/05(金) 13:57:15.97 ID:klS/5JQn
>>630
時折り、
大乗に洗脳された者による言い回しがなされるので、
知らず知らずの内に周囲の人々もその影響に感化されます。
以下に、正しい本来の「阿羅漢」について掲載しておきます。

 『(2)応供(arhan, arahan) 阿羅漢と音訳され、略して羅漢ともいう。大乗仏教では、阿羅漢とか
羅漢の語は小乗声聞の悟りを得た最高の聖者であり、自利のみを目的とする者とされたが、これ
は阿羅漢の本来の意味ではない。阿羅漢の原意は応供と訳されるように「供養に応じられる人」
「供養を受ける資格のある人」の意味である。--中略--故に阿羅漢のことを無上の福田ともいう。
このように阿羅漢は存在するというだけで世を救い人びとを幸福ならしめる者であって、仏は当
然に阿羅漢である。
 弟子(声聞)の中では最高の悟りを得た人を阿羅漢という。この点では仏も弟子の阿羅漢も同じ
であるといえる。ところが大乗仏教では、阿羅漢とは教化活動をしない小乗の聖者のように見ら
れたが、これは阿羅漢の本来の意味をゆがめたものである。』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊p80-81)

>>592
了解!!
639絶対神:2012/10/05(金) 14:03:20.24 ID:R4gL5AC4
           「まあ、科学技術と違って」
 『哲学的領域では、実は人間は古代からさほど進歩していないと言えば』
           「それはそうかもしれません」(哲学や宗教は
頭の中で考えればできるものですから、知能と言語能力があれば、かなり早い時期で
完成させる事が可能です)
「だけれども、何千年も、何百年も前の人間の教えを、いまだに信じてこねくり
まわすというのは奇妙だとは思いませんか?」
640神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:04:38.11 ID:bvDDZabo
>>637
635を訂正する。真理には二種類あり、
霊的真理と物質的真理とでは事情が異なるのではないか。
霊的真理には進化論があてはまらない。
641宝珠愚者@(規制代行):2012/10/05(金) 14:05:59.99 ID:klS/5JQn
>>606
>私は釈尊を神格化しなくていいと思うのです。

私も神格化には反対しますが、
その神格化を強く推し進めてきたのは大乗なのですよ。
大乗はこうして、最終的には我々がゴータマのようになれる可能性を塞ごうとしたのです
(そして、これに代って打ち立てらたものが「菩薩」というもの)
642絶対神:2012/10/05(金) 14:07:59.43 ID:R4gL5AC4
>>638
       「こいつ確か、神知学の信者じゃなかったっけ?」
 『いつの間に、小乗なんていう狭い観念にこだわるようになったんだ?』
私がここに書きこんでいるのはね
    「ある意味、奇妙な仏教徒の議論を見ているのが面白いからです」
とくにこの宝なんたらっていうのは、かなり前から見てますけど、支離滅裂で

          『典型的な宗教信者の欠点が出ています』
643神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:12:43.35 ID:2P73DlMr
文献学者はハイアラーキーの教導も認めない、という話をスルーし続けるダブスタ宝珠さん。
>>642
目的というか、根本にあるのは、スピリチュアル反権威闘争でしょ。
644神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:23:29.75 ID:2P73DlMr
彼は伝統的キリスト教会や大乗仏教のような悪の宗教屋軍団と戦う
真理の闘士なのだ。熱いパトスに漲っている。滾ってる。
645神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:35:18.21 ID:2P73DlMr
外国の神智学徒で、ゼンに憧れてる人とかいたら、
大乗仏教をジャンの書とかの傍流として好意的に見てたのかね。
ある程度「抹殺された真実」があるにせよ。

ところで神智学での「アルハット」の設定は、仏教の阿羅漢とどれくらい一致してるんだろ。
646神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:38:19.25 ID:EHF5YXmf
>>634
>法を自分が心情的に帰依できる形に改変した上で帰依することを菩提心というのか。

この文言自体が、掴めていない者の言い草でしかない。
647神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:42:58.44 ID:2P73DlMr
イエスがアルハットって時点で、同一のものではありえないが。
>>646
俺は掴めてる、という信仰だよね。
648神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:45:34.68 ID:SSh2uvXN
≫642
まあ、宝なんとかは一言で言えば愚か者ですわ
しかしあなた程じゃない
いったい「社会秩序」って何を言ってんだか…
そんなもん「革命」が起これば明日にでも崩壊する根拠の希薄なものです
だいたい「罪」って何です?
日本は罪刑法定主義ですよ?
例えば殺人が「罪」なのは法律の条文に記載されているからです
記載されていなければ「罪」では有り得ない
もっとも私はここで法律やら政治の話をしてる訳じゃない
649神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:50:12.57 ID:bvDDZabo
霊的真理と物質的真理の違いは、たとえば川の源流と下流の関係
かもしれない。下流に行けば行くほど真理は拡散し希薄になる。
逆に、源流に遡れば遡るほど真理そのものに近くなる。
650神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:50:30.80 ID:SSh2uvXN
愚か者の頭の中には、(宝なんとかと絶対神)単純極まりない感情的報復感情でしか物事の本質を捉える事が出来ないらしい。
宝なんとかはつまらない退歩主義者でしかない
物質的のみならず、霊的事柄に関しても
もちろん進化説は採用出来ます。
ただし「常に後退を繰り返しながら」ですがね。
後退なき前進は有り得ない
651神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:57:56.95 ID:SSh2uvXN
ブッダが説いた道は、せいぜい狂信的ジュニャーナヨーガに過ぎない
これは万人向けの教えでは有り得ない。
方便があまりに少なすぎるし万人向けでない以上
宗教的に言って少数派の理論に止まり
あまり「役には立たない」
ブッダとなるならないはともかくも、
万人がサルベージされる宗教こそ「実践的」宗教です
虚栄心から聖者ぶっても現に宝なんとかは悟っていないじゃありませんか?
652神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 14:58:31.12 ID:EHF5YXmf
>>647
>俺は掴めてる、という信仰だよね。

仏法は断じて信仰宗教ではない。(>>633)


653神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 15:04:32.77 ID:SSh2uvXN
いや、仏法とて信仰宗教ですわ
ブッダが苦の滅を説く
それを信じる
それはニルヴァーナへの盲目的と言って良いほどに、立派に「信仰」です
654神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 15:07:01.61 ID:SSh2uvXN
ちなみに仏法という名の「信仰宗教」は、
ニーチェ的「ニヒリズム」とは似て非なるものです
当たり前でしょう?
655神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 15:46:28.02 ID:EHF5YXmf
>>653>>654
井戸カエルさん、〇〇〇〇〇ですよ。
656絶対神:2012/10/05(金) 15:49:24.08 ID:R4gL5AC4
>>648
 
           「それを言うなら」
       『お前だってあっさり死ぬけど?』
革命とか戦争とか起こればねw
    「なんでお前の主観が善悪の基準になるんだよ」(大笑)
       「善悪とか罪がどうしたなんてのは」
社会があれば、いつの時代、どこの場所にでも存在する概念だ
別段、それが同一であるとか絶対であるとかはまったく言っていないし
言う必要もない
657絶対神:2012/10/05(金) 15:52:36.20 ID:R4gL5AC4
>>652
     「いや、仏法は信仰だよ、信仰の最たるものだ」
     『その点に関しては一般的な宗教よりも酷い』

>>650
          「ちゃんとよみたまえw」
『大体において進歩しているとかそういう言い方をしているだろうに』ww
ここでも完全とか絶対とか言う観念を持ちだしてくるかね
658神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 15:58:58.61 ID:SSh2uvXN
≫656
ばーか
法律なんぞなくとも
武器を持って自分で敵を殺すわい!
殺されるなら殺されりゃいい…
ただし!敵への無抵抗などは絶対にしない。
それだけだボケ
659神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:01:46.36 ID:SSh2uvXN
≫655
蛙in井戸さん
ふぁっきゅー!
660神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:09:03.77 ID:SSh2uvXN
俺とて、ラスコーリニコフになりたいわな…
罪というものが仮に有ると仮定した場合…
なんら良心の呵責も感じず、むしろ義務として遂行した罪は、
果たして百の善行によってあがなわれるか?
カルマの法則上、少なくとも結果はその毒性を緩和するか、まったく解消してしまうだろう
ギーター式解釈では、かえって殺さないと不名誉の謗りを受ける場合もある…
はてさて…
661絶対神:2012/10/05(金) 16:12:38.47 ID:R4gL5AC4
       「それに俺はお前の説」(小乗より大乗が上)
を支持してやっているのにどうこう言われる筋合いはないね
    「自分の説を一部でも否定すれば、それは全否定な訳か?」
              『馬鹿馬鹿しい』
662神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:15:43.70 ID:SSh2uvXN
じゃあ謝罪しとくよ…俺がちょいと無作法なのは…
ロシア文学にかぶれたからに過ぎんよ…
663神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:22:51.66 ID:EHF5YXmf
>>657
>仏法は信仰だよ、信仰の最たるものだ

貧乏神さん、

 信仰は、信仰ではありません。

 だから、信仰というのですよ。
664神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:32:49.26 ID:SSh2uvXN
≫663
おめーいい加減にせえよ…
原始仏教とてまず始めに
「信」を強調するやんか?
ブッダは盲目的信は避けよとゆうとるが
いったい人間は「認識」の段階ですでに、
信仰が生じとるよ…
665神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:36:18.46 ID:EHF5YXmf
>>653
>ブッダが苦の滅を説く
>それを信じる

ブッダは何も説いておられませんよ。
なのに、何を『信じる』のですか?
666神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:36:52.83 ID:SSh2uvXN
風邪をひいた人間が、「風邪薬」は毒だと信じて生きてきたとする
無理やり飲まされて、初めて「風邪薬」は毒ではなくクスリだった、
と認識するような人間があたかもゴマンと存在するかのような不毛な議論だ
667神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:41:15.31 ID:SSh2uvXN
≫665
文献学に基礎を置かずに煙りにまく議論かね?
んなもん知るかよ?
俺は古代インド人でブッダのそばにいないのだからね?
そーゆーのは勘弁してくれ…
まさか拈華微笑とか言い出すんじゃないか?
668神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:44:56.12 ID:EHF5YXmf
>>666
>不毛な議論だ

およそ不毛な議論もありませんし、有用な議論もありません。
669神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:50:57.38 ID:SSh2uvXN
≫668
戯論寂滅ってか?
それさえ寂滅ってか?
阿羅漢くん?
670神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:52:40.41 ID:EHF5YXmf
>>667
>文献学に基礎を置かずに

木刀を磨いたら、真剣になるのですか?
671神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 16:59:00.24 ID:SSh2uvXN
≫670
禅宗くさい臭いがするね…
真剣も木刀もあるさ…
(後は誰か相手してやってください)
真剣も木刀もあるもんかなんて言わないよ…
(俺はしばらく様子見します)
672神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 17:04:02.97 ID:EHF5YXmf
>>671
>俺はしばらく様子見します

 ご苦労様でした。
673神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 17:10:54.76 ID:SSh2uvXN
≫672
リセットボタンは押さずに
そのまま電源を切ってやるよ…(笑)
674宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/05(金) 17:12:41.34 ID:klS/5JQn
>>645
サービスで答えておく!

神智学徒で禅の研究をしていたアメリカ人女性と結婚し、
自身もインド・チェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となったのが
世界的な禅研究者として知られる鈴木大拙です。

大拙はブラヴァツキー著『沈黙の声』を絶賛して、夫人のことをこう評していたといわれる。
 『チベット仏教についての知識は、その当時の大衆や西洋の学者が入手できる情報よりも豊富
であり、彼女はまた秘密仏教の修行についてもよく知っていた。この知識は鈴木大拙博士によっ
ても裏付けられた。彼は述べている。「次の世紀に禅を西洋にもたらした人物であり、疑いもなく、
ブラヴァツキー夫人はある意味で大乗の教えのより深いところに参入していた。」』
(『ヘレナ・ブラヴァツキーに当てられる新しい光---コニー・ハーグレイブによる書評』より)

正直、神智学の教えは殆どそのまま大乗に瓜二つであって、特に密教との親和性は非常に高い。
天台密教の一寺院であった鞍馬寺なんかは神智学を教義に取り込んで独立し、
現在は鞍馬弘教総本山となっている。
675宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/05(金) 17:13:40.85 ID:klS/5JQn
私がいってるのは、
本来はなかったものをデタラメに神格化を図ったり、
いいもしない勝手な創作教義を打ち立てて、それをゴータマの教えと誤解するようなことをするなということ。。

神智学の説く「アルハット」は、
完成者に至る五段階あるイニシエーションの、その一歩手前の“四段階イニシエート”であることを指す。
仏教的には“阿那含”の方がより境地的には近いでしょう。
阿那含が“一来”といわれているように、もう一度だけ最終イニシエーションに至るべく地上に転生してきます。

誤解や偏見が酷いのでいっておきます。
因みに、神智学は仏教ではありませんが、ブラヴァツキー夫人とオルコット大佐の初代会長の両名は共に、
1880年に南伝仏教スリランカのWijananda 僧院にて正式に“受戒”しているブッディストです。
更に、オルコット大佐はスリランカ仏教の復興にその後の生涯をすべて捧げたスリランカの英雄(銅像あり)です。
http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/photo/olcott_1.jpg
混迷を極めて迷走する近代日本の仏教会が再生のアドバイスを求めた先が神智学協会でした。
“アショーカ王の生まれ変わり”とも評され、“19世紀の大菩薩”として歓迎されたオルコットは
正式な招待を受け明治22年に来日しました。
676神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 20:28:43.92 ID:PKNx+x5Z
>>674
夫人とか大佐とか、他の神智学の大物は、貴方のような激しい筆致で大乗を否定していたかな。

付き合いや立場があると難しいか?
>>675
>本来はなかったものをデタラメに神格化を図ったり、
>いいもしない勝手な創作教義を打ち立てて、それをゴータマの教えと誤解するようなことをするなということ。。

だからブーメラン、都合のいいところのツギハギだと言われている。

アナタが引用する学者が大乗非仏説を唱えるのは、大乗側の超自然的な主張を認めないからだ。
だから同時に存在するすり合わせ説(別の角度から説明しただの、「高度」な教えだの)という話も却下される。
彼らが大乗非仏説を選択する理由を支持するなら、ジャンの書の実在も否定されなければならない。
夫人の作品は才能ある人間の大作以上でも以下でもなくなる。
677神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 22:18:07.85 ID:wglhBPl9
釈迦は作られた偶像か
それとも只の勘違い野郎か

教えとされるものと描かれる釈迦像が違う気がする
678宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/05(金) 23:23:41.94 ID:Kprs71tx
>>676
>夫人とか大佐とか、他の神智学の大物は、貴方のような激しい筆致で大乗を否定していたかな。

彼等には敬意を示しこそすれ、大乗を批判する意図はどこにもありません。
批判しているのは私個人によるものです。私の大乗批判は神智学とは無関係。

>アナタが引用する学者が大乗非仏説を唱えるのは、大乗側の超自然的な主張を認めないからだ。--中略--
>彼らが大乗非仏説を選択する理由を支持するなら、ジャンの書の実在も否定されなければならない。

私は、大乗というものが原始経典とは内容が異なっており、
しかも大きく矛盾だらけで、尚且つ、ゴータマが言いもしなかったことを勝手に言ったことにしたりと、
そういう意図的な模造着色の行為を批判しているのです。
ゴータマの顔に泥を塗るなといってる。神智学の話は関係ない。

超自然の主張を学者が認める筈がないなど、
そんなことはここではどうでも宜しい。
679神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 23:25:19.77 ID:kMKUg8sJ
すべて幻だから劣等感なんて持つ必要ない
他人の経歴とか能力とか所有物に劣等感を持つのだろうが
経歴も能力も所有物もすべて幻だから劣等感を持つ必要はない
680神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 23:53:17.48 ID:PKNx+x5Z
>>678
>私は、大乗というものが原始経典とは内容が異なっており、
>しかも大きく矛盾だらけで

アナタも神智学や各宗教の開祖が説いた「本来の教え」と
伝統宗教の違いについて、陰謀論とかで処理するでしょ?
大乗仏教徒もそれに相当するフィルターを持っているだけ。
他所では失われたはずのジャンの書からの引用を可能にする
ハイアラーキーの人達も、そうした説明・解釈装置と言える。
超自然を認めない(少なくとも学問上の処理としては)立場では
どちらも採用されないし、自動的に信者が使ってるフィルターも使わない事になる。

信者フィルターによって貴方は神智学やジャンの書の出自を納得しているし、
大乗仏教徒は大乗仏教を釈迦本人と矛盾しないものとして納得している。
どちらも相手が納得しなかろうが気にしない。
681神も仏も名無しさん:2012/10/05(金) 23:53:46.13 ID:SSh2uvXN
≫978
方便の肥大化に対しては確かにゴータマの説ではあるまい。
が、しかし
>ゴータマが言いもしなかった事を勝手…
それは違う
あなたの一八番である「法華経」化城喩品第七を読んでご覧なさい。
ゴータマの言葉がハッキリ書かれてますぜ?(十二因縁の順観・逆観)
あなたは明きめくらかただ単に「大乗」を攻撃したいだけなんです。見え見えですよ…あなたの潜在意識下の邪念は
682神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:05:06.33 ID:sA+OPplm
なぜ大乗のほうは
>そういう意図的な模造着色

>ブラヴァツキー夫人のは
東洋神話からの拝借と寄せ集めにならないのか?
断りもなく勝手に言い出すならそりゃ盗用ですらある。

夫人に対し、支持者や好意的な人の話をもって肯定するのなら、
なぜ大乗にもそうしないのか?

好感を持つ経緯とそこに起因する恣意の使い分けに他ならない。
要は、感情。
683神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:07:22.78 ID:QpY4BEdj
もう少し素直になればいいのに…
宝珠さんは「自灯明」を持ち出し、自己と他者との関わり合いを意図的に無視しようとしている。
これは原始サンガ時代でも在家からサポートを受けていながら、
自分たち出家だけ悟ってしまい
在家は天国辺りでほったらかしにしておく傲岸不遜な態度に対する
民衆の怒りと悲しみがまるで理解出来ていない
どの面下げて大乗を叩く権利があるのやら…
684神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:13:35.63 ID:sA+OPplm
>自己と他者との関わり合いを意図的に無視しようとしている。

これは違うと思う。わざわざ成田山の信者になってるし。
神智学のグループは個人主義的で、メンバー同士のつながりがあまり無かったそうだ。
お父さんの葬儀をきっかけに、また仏教に吸収されたバラモン祭儀にひかれていったそうだ。
大乗仏教への本音を住職さんに明かして無いのも
他者との係わり合いを維持したいという気持ちの表れだろう。
同じ口で大乗仏教教団には筋通して信徒に真実を教えろ、と言うわけだが……
685神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:16:37.48 ID:AaxcoSLw
>>679
劣等感とは優越感の裏返しであり、優越感を持たぬ者は劣等感を持ちようがない。
また劣等感はそれ自体が存在するわけでなく作られたものです。
また自らが作り出すものではなく縁起により形成されたものです。
この世は出来レースですが縁起観に視点を置いた方がいい気がします。
686神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:20:04.32 ID:QpY4BEdj
ところで先ほどの≫672の豚野郎は
明らかに中論くずれの木っ端か
とある上座系団体関係者である可能性が高い
ああゆう、のらりくらりとした論法上の悪知恵を考えつくのはこの世界に龍樹と「ヤツ」の二人しかいない(笑)
あるいは金剛般若経でもかじったか?
687宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 00:20:35.00 ID:T1dWkM8U
>>680
>アナタも神智学や各宗教の開祖が説いた「本来の教え」と
>伝統宗教の違いについて、陰謀論とかで処理するでしょ?

陰謀論?何が??
神智学と伝統諸宗教との違いを陰謀論で説明したことなどはない。
その必要性すらもない。

>大乗仏教徒は大乗仏教を釈迦本人と矛盾しないものとして納得している。

どう矛盾がないの?
私が時折り、指摘し取り上げている事柄に対してまともな反論がないでしょ!
まっ、できる訳がないのだけれどもね。

>どちらも相手が納得しなかろうが気にしない。

でしょうね。
気にしないから続けているのでしょうね。
私はよく判らずに、ただ信仰心だけで着いて行ってる無垢な信者が可哀想に思うだけ。

反論できる筈がないから、しなくても結構ですから。
688宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 00:21:59.05 ID:T1dWkM8U
>>681
>あなたの一八番である「法華経」化城喩品第七を読んでご覧なさい。
>ゴータマの言葉がハッキリ書かれてますぜ?(十二因縁の順観・逆観)

そりゃー弟子の系譜にある徒が作成したのだから、
ゴータマの教え(言葉)そのものも登場していますよ。
そんな弟子として当たり前のことをしていて威張る何ものもないでしょう。

>あなたは明きめくらかただ単に「大乗」を攻撃したいだけなんです。

最初に上座部(長老派)を攻撃し、
同時に真実のゴータマの姿と教えに泥を塗ったくったのは大乗側。
この私ではない。
689神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:29:04.61 ID:sA+OPplm
>神智学と伝統諸宗教との違いを陰謀論で説明したことなどはない。

神智学に合致しない、背反する部分といったほうがよかったか。

各宗教の開祖が説いた「本来の教え」と伝統諸宗教との違いを
陰謀論で説明したことはあったよね。キリスト教がイエスの教えから輪廻説を抹殺したんだ論とか
釈迦は真我を否定していなかったが、後代の仏教徒によって変えられた論とか。
690宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 00:29:28.87 ID:T1dWkM8U
>>683
>これは原始サンガ時代でも在家からサポートを受けていながら、
>自分たち出家だけ悟ってしまい
>在家は天国辺りでほったらかしにしておく傲岸不遜な態度に対する
>民衆の怒りと悲しみがまるで理解出来ていない

悪かった原因の発端は当時の上座部としての長老派ビクたち。
けれども、大乗は彼らを小乗と謗る行為と共にアーガマも小乗経扱いをしたのです。
要するにアーガマの護持を続けたのが上座部だからです。
こうして、真実のゴータマの姿そのものまで小乗のレッテルが貼られた。
この歴史的な誤りを認めるよう、その訂正を求めている。
何も知らずに着いて行く信者が可哀想だ。

確かに悪かったのは古代の上座部だった・・。
しかし以降、彼らは大乗の謗りに無言で耐え、反論せずに偲んできた。

まっ、そんことはどうでもいい・・・。
ゴータマ仏陀の教えを勝手に改変へるな!!
そういうこと。
691神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:38:14.29 ID:QpY4BEdj
基本的原点に立ち返って言えば
私は以前から宝珠氏は「普遍宗教論者」
「少なくともリベラル派」
と思っていましたが…
残念です。
あなたはキリスト教で言うところの
「片意地なるプロテスタント」です。
せいぜいそんなとこです
(話は別ですがプロテスタントにはまったく霊的に期待出来ません)
692神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:39:46.02 ID:sA+OPplm
反論はしてるよ。

捏造やめろやとか相手に言われたから大乗荘厳経論で
外野の人間にはちと苦しいものにしか見えない弁明を
大乗側が行っている。
693宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 00:46:06.52 ID:T1dWkM8U
>>689
おっしゃることは判りました。

>>690
誤字訂正:

×「勝手に改変へるな!!」
○「勝手に改変するな!!」
694神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 00:51:45.80 ID:QpY4BEdj
≫623
俺はオウム真理教の愚行を擁護はしないが
罪の無い、むしろ被害者であった末端信者の心をこれ以上傷つけるべきでないと言いたい。
彼らに人を見る目が無かったと言って責めるなら
チベットのヴァチカンたるダライ・ラマその人でさえ麻原の正体を見抜けなかったのだから
まして当時の純粋な若者たちを責めるべきでない!とハッキリ言っておく。
もし、罪が有るとすればそれはチベットのヴァチカンに責任がある
695神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 01:06:14.25 ID:QpY4BEdj
≫690
>真実のゴータマの姿まで小乗のレッテルを…
ん?なんか変だぞ…
アーガマを小乗経扱いして不遇な立場に置かれたのは確かだが…
大乗は依然とゴータマを崇拝していたぞ?
あなたの言いたいのは観音菩薩などの菩薩群や異世界の阿弥陀仏などの存在で、
ゴータマの影が薄くなったという事でしょ?
それは「被害妄想」
大乗はゴータマもしっかり崇拝してるよ
696宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/06(土) 01:48:13.20 ID:T1dWkM8U
>>695
>大乗は依然とゴータマを崇拝していたぞ?
>あなたの言いたいのは観音菩薩などの菩薩群や異世界の阿弥陀仏などの存在で、
>ゴータマの影が薄くなったという事でしょ?
>それは「被害妄想」
>大乗はゴータマもしっかり崇拝してるよ

それでいいことにはならない。

ゴータマが言いもしなかったことをゴータマの言説かのように装ったことも然りですが、
それに加えて更に、ゴータマはご自身が神のように祀り上げられることを決して望まれてはいない。
特に、お願いごとを叶えてくれる神のような対象にしてはならない。
ゴータマをこのような扱いをする者は、真にゴータマの全生涯をかけた命懸けの教えに背く行為だということ。

ゴータマの教えを守って正しく実践しつつ、
尊像としても御祀りしたいというのならばまぁいい・・・。
しかし、やってることは違うわ。ただのお願い事の対象として御祀りするわ。
とてもお話にならない。
697宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/06(土) 01:54:55.50 ID:T1dWkM8U
>>694
>罪の無い、むしろ被害者であった末端信者の心をこれ以上傷つけるべきでないと言いたい。
>彼らに人を見る目が無かったと言って責めるなら

私も大乗の一般信者を責めてなどはいない。
彼らには何の責任もないし、その篤き信仰心はただ尊く敬意申し上げる。

しかし、僧院を運営している側である僧侶はプロなのであり、信者たちすべての指導者です。
その信仰については一般信者たちを導き保護する責任がある。
デタラメや間違いを正さず説いていては罪でしょう。
知っててやってるのだから・・・。

私は隠さずに歴史的誤りの清算をし、
真実を信者に教えなさいといっているのです。
その上で大乗独自の素晴らしさをアピールすべき。
698神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 02:26:36.10 ID:gtM2Fm8D
大乗も小乗もブッダが生きてた頃の教えとはちがってるわな
なんとゆうか世俗化してる部分もあるが全部まちがってるわけじゃない
俗世間で仏教が残っていくための方便みたいなもん
699神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 02:33:09.91 ID:gtM2Fm8D
ブッダの教えって俗人にとっては面白くないもんだからいろいろおまけつけなきゃ
のこりにくいとゆうか
700宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 02:42:39.37 ID:dozzctnR
>>691
>私は以前から宝珠氏は「普遍宗教論者」
>「少なくともリベラル派」
>と思っていましたが…
>残念です。

単なる権威主義の否定やデタラメ奔放の自由などは主張しない。
過去の歴史的事実を認めて、意図的改ざん部分については明確に訂正し、
その上で大乗としての大乗たる素晴らしさを説くのならばもちろん自由です。
ゴータマが説かなかった新しい部分に付いては
仏教の聖者たちからのテルマ感得によるものとするのならばいいでしょう。
ただし、原始経典の内容と整合性が説明できる範囲内においてです。

私は基本的にどの宗教も認めますから。
701宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 02:43:21.34 ID:dozzctnR
>>698
もちろん、そのことは判る部分はあります。
私も原始仏教の世界がそのまま現在に相応しいとはみていませんから。
そこは大乗のノウハウと経験は生かされていい部分が多々あるでしょう。
ある意味で、もっと現在にマッチしたものになってもいいくらい。

大乗ですら、すでに古くて時代遅れの感もあります(個人的感想として)。
ただ古くて暗い印象も払拭する必要があるし(葬式仏教としての問題部分もある)、
伝統寺院などは本当にお年寄りばかりしか来なくなってきてる・・・。
(仏教系新興宗教は若者も盛んのようですが)
702神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 06:34:49.54 ID:gtM2Fm8D
最近はみんなの寺みたいな無宗派の寺もあるよね
703カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/06(土) 07:07:07.46 ID:Me2vflCc
>>694
ダライラマ?ダライラマなんて麻原がどんな人物で、麻原の宗教団体になにか問題点はないのかも
よく調べもしないで、金積まれたらホイホイ麻原と記念撮影に応じるような、ただのおっさんやろ。麻原の
ことをマスコミに突っ込まれたら逆ギレ。あのときのダライラマの醜い顔を思い出すと笑える。
ダライラマと記念撮影してるからとオウムは大丈夫だと判断する輩はただの権威主義者。だから人を見る目が
無いと言ってるんだよ。末法の世代の今の仏教界に、聖者はいない。
ただの一人もいない。
704神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 07:24:06.57 ID:JlnKxYrV
進化論的に、大乗の方が小乗よりもすぐれている?
この考えは乱暴であって、知識と体験の区別が無視されている。
時が経てば、宗教的な知識はいくらでも増えるだろう。
しかし問題なのは宗教的体験ではないか。
705神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 07:30:15.82 ID:JlnKxYrV
百歳八万の宝蔵を談論すとも
 
三毒の賊いずくんぞ調伏せんや ・・・ 空海
706神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 07:43:14.23 ID:JlnKxYrV
自分とは何か、神はいるのかいないのか、霊界はあるのか否か、
わたしたちはどう生きたらいいのか、などなど。
こういった問いに答えるには、霊的体験が欠かせない。
知識では足りない。頭で考えるだけでは足りない。
707神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 08:04:48.01 ID:AaxcoSLw
霊的体験というものはない
あるのは実際の体験のみ
霊の仕業と思うのは只の気のせい
708神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 08:29:48.47 ID:JlnKxYrV
>>707
そう思うならそれでいい。自分を偽る必要はまったくない。
神を信じようが信じまいが、その人の人生であり、その人の自由だと思う。
しかし、自分の考えを他人に強制することは控えめに。
709神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 08:35:29.54 ID:JlnKxYrV
たとえば、桃を見たことも食べたことのない人に、
言葉で桃をわからせることは不可能だろう。
宗教的体験でも同じことが言える。それは個人的体験であり、
それを言葉でわからせることは不可能だろう。
しかし桃を見ればわかる。食べればわかる。自分で体験する以外にない。
710暇人:2012/10/06(土) 08:49:09.04 ID:gayKj3hv
>>704
なんで2500年前のホームレスのおっさんが文明人である私たちより優れていると
考えられるのか、そこがわからんわ。

釈尊の宗教体験って
1.実家で引篭もりやっている時の瞑想体験→家出
2.家出して当時の大都会のマガダの首都ラージャグリハの有名な瞑想の先生の所に行き
 瞑想体験するが、二か所に出かけ二か所とも落ちこぼれて脱落
3.落ちこぼれた釈尊は今度はヴェルヴェーラの苦行林で瞑想修行するがここも落ちこぼれ
4.山から脱走した釈尊は麓の村の村娘スジャータと親密な生活に。
5.しかし若いスジャータが釈尊に飽きて別の男に走ると釈尊は菩提樹の下で再び瞑想を
6.オンナに去られ無常を実感し、以後一ホームレスとして遍歴生活に入る

釈尊だけが偉いと思うならばまずホームレスになれよとマジで思う。
711神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 08:52:57.47 ID:JlnKxYrV
結局は言葉で説明することができないのに、それをやろうとするから、
ぼう大な経典ができあがり、何が何だかわからなくなる。
経典を学ぶことは否定しないが、その限界をわきまえるべきだろう。
712暇人:2012/10/06(土) 08:54:56.07 ID:gayKj3hv
>>711
言葉で説明できるから経典があるんだってば(笑)
君が経典を理解できんからと言って、みんながそうだと思わんことだ
713暇人:2012/10/06(土) 08:57:47.65 ID:gayKj3hv
釈尊の悟った程度の悟りは誰でも悟れる
それが証拠に釈尊が生きていた時代はホームレスになりさえすれば
誰でもぼこぼこ悟っていたんだよ。

ところが時代が下るにつれて、悟りはそんな安いものではなくなった
インフレ化(神格化)したんだよ。

生の釈尊でいいのであれば、経典なんて不要
まずホームレスになって瞑想すればよいだけ
714神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 09:10:47.36 ID:JlnKxYrV
>>712 → >>709
言葉は月を指さしている指だよね
715神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 09:30:13.74 ID:236W4HIO
イエスは勿論、釈迦も精神病で、宗教とは、開祖の精神病の感染による
狂気の世界。精神医学的現象に過ぎない。別に「ありがたいもの」ではない。
716神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 09:55:01.28 ID:LjxErf14
ふ〜〜〜〜〜む、 この暇人さんには、「てすと」に近いものを感じるなwwww

>ID:JlnKxYrV

観自在ww  ここで、体験体験言っても相手にされないぞwwww
それは、悟りスレでやれwww
717神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 10:36:36.17 ID:QpY4BEdj
≫714
月指す指も、月そのものも月ですぞ。
釈尊は筏の喩えや、
「法を取り上げてはならないし、
まして不法をや」
と説いている。
しかし学んではならないとは言わず
「学んでいるという捕らわれさえ無いように学べ」
と言っている。
これはたいそう難しいです
718神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 10:42:21.84 ID:QpY4BEdj
ある人々は仏像を拝んで、高い境地に達するし、
ある人々はお経を拝んで「感涙」する…
現にそういう人々を見てきた
「瞑想だけで」悟れるとは限らないという事はおぼえておく方が
懸命だ
日蓮宗では驚くべき事に「法華経」の一字一句を生身の釈尊と考えている
719暇人:2012/10/06(土) 11:16:36.12 ID:gayKj3hv
>>715
オレは釈尊は、元引篭もりで、単なるホームレスだが、精神病ではなく
きわめてジョーシキ的な普通の人間だと思うぞ。
釈尊をプロデュースしたのがシャーリプトラだったわけだが、
舎利弗が釈尊に目をつけて神輿に担いだわけだが
同時代のジャイナ教は「仏教のリーダーが舎利弗だ」とちゃんと見抜いていた。
釈尊も息子ラフーラを舎利弗に託したぐらいだ。

ところがイエスときたら犯罪者だよ。
麻原はサリンを撒けと指示したわけだが
イエスは神殿突入の実行犯たちのリーダー。
洗礼のヨハネの洗礼を受けて突然目覚めてしまった(誤解なんだが)、イエスは
徒党を組んで「悔い改めよ、神の国は近づいた」とアジテーションをはじめ
挙句の果てには大祭で賑わうエルサレム神殿に突入して参詣者たちのために
犠牲獣を用意している屋台や、神殿献金用の両替商の屋台を破壊するという狼藉を働く始末。
次の年の大祭に突入準備しているところ、逮捕されて死刑になったわけだが
この犯罪者を神と崇める頓珍漢な宗教がキリスト教
720神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 11:32:38.23 ID:QpY4BEdj
≫696
>釈尊をお願い事を叶える偶像にしてはならない。
これは同意
腐った肉身の釈尊など拝んでも意味は無い
ただし大乗教徒が仏像を拝むのは、「原理」であり、森羅万象を包含する「法身」の釈尊なのです。
仏像は「象徴」にすぎません
721神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 11:34:11.49 ID:0v8wCaHX
>>712
>言葉で説明できるから経典があるんだってば(笑)

この一言で、暇人とかのチンピラがどの程度か、お里が知れたな、狸の尻尾がばれたなw
なりすまし「仏教」。

まるで仏法が掴めていない。

木刀を磨いたら、真剣になるのですか?(>>670



722神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 11:37:28.81 ID:QpY4BEdj
宝珠氏がどのような観念で釈尊を捉えているか
よくわかりませんが、歴史上のかりそめの釈尊にこだわるあまり
雄大なる宇宙論的な「法身仏」の探求への道を閉ざしてしまうのはあまりにもったいない話です。
くどいようですが大乗教徒は
「宇宙原理」としての釈尊を拝むのです
723神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 11:37:44.90 ID:dWium/SZ
仏教=精神的勝利法
724神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 11:42:45.43 ID:udjDdX5h
>>719
仏典から見れば、釈迦はやはり双極性障害だろう。「一切皆苦」など、うつ状態
以外にはない。

イエスは、釈迦の「気分障害・感情障害」とは違って、典型的な統合失調症。
「人格の崩壊」が生じている。
725神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 11:56:42.55 ID:c4NIE+Gb
724
お前さんが鬱であり、統合失調なんだよ〜
ま、俺もだが。
ブッダってのはそれから目覚めた人だよ。
マトリックスなんだよ〜って言ってもわからんのだよね〜

超高度な人格崩壊が悟り?
726神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 11:59:00.13 ID:ksJ1UeTe
>>717
>月指す指も、月そのものも月ですぞ。
 
えーーーどうしてそうなるのーーー?
727神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 12:13:36.39 ID:QpY4BEdj
昼下がり、憂鬱の発作襲い来て…か…
ちょっと独り言
仏身は一も二も無く、畢竟寂滅。
されど、森羅万象、自然界ひいてはこの粗雑な宇宙世界そのままでもある。
そしてそれが瞑想の手掛かりに成り得る。
我々が求むべき理想
それは「無限」Infinity…
何であれこの無限に達し得ないものは
「理想たりえない」
「無限」それが我々の合い言葉
728神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 12:15:20.60 ID:wraekWWA
>>709
体験しないと分からない。それは確か。
「他に依らない」智慧はそれを指している。

しかし、指す指がないと月を示せないように
教えがないと正しい戯論寂滅の体験に導けない。

そして、ここは戯論寂滅の体験を論ずる場でないし、それは論じられない。
ここは教え、指す指がどのようにどこを指しているかその妥当性をテキストにもとづいて論じる場ですよ。

テキストに基づかず、どうのこうのいっても、それは妄想を語るに等しいでしょう。
729神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 12:17:41.64 ID:wraekWWA
>>710
いや〜、そう思う現代人の奢りで解釈しても

>>719
それはジャイナ・テキストに基づく文献学者の一説でしょ。
私にはセコイ妄想に思われる。
730神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 12:49:17.89 ID:ksJ1UeTe
>>728
このスレのタイトルもテンプレも間口が広く、
仏教のテキストに基づいて議論するなどとは言っていない。
あなたのカン違いではないだろうか。
731神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:03:01.14 ID:0v8wCaHX
体験したいのか?

昨日、不覚にもひどく感動してしまった俺がいる。

これは美しくも、危険な音楽だ。

アーリアンのヤージュニャヴァルキアの不二一元論の魂がワグナーに乗り移ったのか!

ヒトラーも溺愛した。


ワーグナー トリスタンとイゾルデ 愛の死

ビルギット・ニルソン(歌)
ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

http://www.youtube.com/watch?v=FhtFbF02IVQ&feature=relmfu

これは、完璧で美しくも、危険な音楽だ。
732神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:15:11.03 ID:QpY4BEdj
≫731
俺も今日、深夜2時頃に体験した。
ジョン・コルトレーン
「Interstellar Space」
共演ラシッド・アリ。
ジョンの吼えたけるサックスと
アリの激しいパルスビートが、
コズミック・ヴァイブレーションを醸し出し、
その妖しいまでのフォースに呪縛され金縛り状態に達し
俺の魂は成層圏を突破して
宇宙を遊弋しておった
733神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:31:39.26 ID:0v8wCaHX
>>728
>ここは教え、指す指がどのようにどこを指しているかその妥当性をテキストにもとづいて論じる場ですよ。

これ自体が矛盾だ。
妥当性だって?
所詮、色即是色でしかない。

木刀を磨けば、真剣になるのですか?

また、瓦を磨けば、鏡になるのですか?
734神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:39:40.87 ID:QpY4BEdj
≫733
木刀を磨けば真剣になる日が来るだろう…
瓦をみがけば鏡になる日も来るだろう…
その時「無分別智」が来るだろう。
だって「無分別智」には真剣も木刀も瓦も鏡も同じもの…
でも、その日まで魂は燃え燃えて燃え尽きてしまうだろう…
735神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:39:52.90 ID:ksJ1UeTe
>>731
不二一元論かあ。詩も曲もそんな感じがしたね。
>>724 御隠居氏 
躁鬱にしろ分裂にしろ、いばらの冠が悟りなんだとそろそろ気づいたら。
736神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:43:52.50 ID:QpY4BEdj
≫733
衆生は無辺無量、地獄も無辺無量…
よって、菩薩の修行も無量です。
終わり無き疾走です。
これはある意味で悲劇的帰結ですが必然性を有します
なぜならそれが大乗菩薩道だからです
737神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:45:12.86 ID:AaxcoSLw
要は我慢や忍耐なのかな
音楽も仏教も所詮オナニーの道具かもしれん
738神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:46:45.68 ID:QpY4BEdj
入中論自註について、ちょこっと調べてみたけど…
これってやはり華厳十地説がベースになってますね…
なんとしてもGETせねば。
出版社は予約受付はじめたらすい
739神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:47:18.59 ID:0v8wCaHX
>>732
あのなあ、紹介するんやったら、仕事キッチリ!

http://www.youtube.com/watch?v=KncD3ya0B1s&feature=related

凄い渾身の演奏だ。

コルトレーンの相棒として、やはりラシッド・アリがベストだなw
740神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:53:23.12 ID:ksJ1UeTe
>>739
10月から施行されたDL法で自粛しているのかもね
741神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 13:57:47.51 ID:wraekWWA
>>730
まあ、そうなんだが、概ねそういう方向なんだよ

テキストに基づかないなら、オレオレ悟りの言い合いにしかならないことは、10年見てきて明らかだと思うが、

まあ、やりたいならどうぞ 2ちゃんなんだし
742神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 14:00:06.80 ID:wraekWWA
>>733
遊びか、遊びもどきか知らんが、
譬喩がなってないな

完全な詭弁だ

アンタがやってるのは、単なるオレオレ悟り自慢でしょ、恥ずかしい
743神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 14:01:27.40 ID:wraekWWA
>>738
なってる。恐らく世親の十地経論に対する是正を意図したものと思われ
744宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/06(土) 14:06:14.42 ID:T1dWkM8U
>>707
宗教哲学の世界において“霊的体験”という場合には、
通常、唯物論の濃密物質次元を超えた高い次元のものとして使われます。
“霊の仕業”などという限定意を指しません。
これは誤解を生じます。

>>710>>713
これが暇人さんの
ゴータマ観(仏教理解)ならばひじょうに残念です。
ガッカリしました・・・。

>>720
あなたのいいたいことは解ります。
私は単に、キリスト教徒のような偶像崇拝の禁止(罪)として主張しているわけではありませんから。
仏像を作成しようが、用いようがいい。精神的向上の役に立つのならば・・・。

*エーところですみませんが、
アンカー>>の振り方をちゃんとリンク(青色になる)が付くようにしてもらえます?
レスの内容が確認したいときに不便ですから。
ただの半角記号でそのまま2回打ちですよ。
745神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 14:20:50.13 ID:AaxcoSLw
正しいとするものに依存しつつ、悪しき慣習、悪しき依存をやめていくことで
得られる何かがあるのだろう。
体内エネルギーの変換だと思うけどなぁ…
この時の正しい、悪いが超微妙なんだろう
その辺をテキストで判断して下さいねって感じか…

746神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 14:38:31.88 ID:QpY4BEdj
>>999
↑アンカー青くなってるかな?
俺携帯から打ってるからどうも…
747神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 14:46:18.73 ID:wraekWWA
>>745
>正しいとするものに依存しつつ、悪しき慣習、悪しき依存をやめていくことで
>得られる何かがあるのだろう。
>体内エネルギーの変換だと思うけどなぁ…

 これは和辻とかの常識解釈以外の人に異論はないんじゃないでしょうか。

>この時の正しい、悪いが超微妙なんだろう

 単純にいうと縁起解釈と神秘主義解釈でしょうね。

>その辺をテキストで判断して下さいねって感じか…

 そう。体験だとその体験、及びその体験を語る人を信じるかどうかになってしまうでしょう。
748神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 14:47:41.71 ID:wraekWWA
>>746
なってる、なってる
749大滝秀治:2012/10/06(土) 15:05:56.19 ID:0v8wCaHX
>>742

 つまらん !

 おまえの話は つまらん !

 ・・・・・・・・

 つまらん !

http://www.youtube.com/watch?v=g0w_-e-caBw
750神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:07:21.68 ID:QpY4BEdj
>>748
ありがとさん
751神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:18:07.71 ID:wraekWWA
>>749
赤ん坊が泣くのは自分の思いが遂げられない時、

子供だな、「つまらん」じゃ

赤子が泣いてジタバタするのと一緒
752神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:22:04.41 ID:AaxcoSLw
>>747
宗教詐欺や宗教犯罪は神秘主義発信だと思う。
目に見えるもの、見えぬものに関わらず、普通の現実があり、
さして特別でもない縁の作用しかないのに、あれこれ悩んだり、
大げさに考えることが誇大妄想を引き起こし結果犯罪に繋がる
ものと思います。
753宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 15:24:35.08 ID:T1dWkM8U
>>722
>宝珠氏がどのような観念で釈尊を捉えているか
>よくわかりませんが、歴史上のかりそめの釈尊にこだわるあまり

史実における人間ゴータマの苦悩と覚醒に至る過程、
及び覚った仏陀としての教説、その生涯のすべてです。

そういう意味においては私は原理主義者です。
“歴史上のかりそめの釈尊”というならば、私などはそういう意味になるでしょう・・・。

ただし、原始経典だからといって記述のすべてを鵜呑みにする姿勢はありません。
信仰心からきたところの不要な神格化や迷信の類は排除しないと真実のゴータマの姿が捉えられない。
よって、文献学研究の姿勢がほぼ私の求めるものとしては有益なものです。
仏典中の超常部分については、「そう説かれていた」「信じられていた」と提示して貰えればそれで何も問題なし。
彼らにその真実性の確認が摂れる筈はないので、そういうことはどうでもいい(体験の問題ですから)。

ただ仏典の記述を丸呑み妄信して、
学術的成果をなんでも素朴実在論などと切り捨てる一代などとは姿勢が異なる。
こういう姿勢は私が最もしたくないものとして自戒するもの。

ゴータマが言ってもいないことを勝手に説いたことにしたりする模造を正すならば、
あとは別に仏像を利用しようが、そんなことはどうでも構いません。
754宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 15:25:43.71 ID:T1dWkM8U
>>746
はい、大丈夫です。
サンクス!!!
755大滝秀治:2012/10/06(土) 15:35:54.03 ID:0v8wCaHX
>>751

つまらん とは 愚か 下らん 誤謬 アキメクラということだYO!
756神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:42:07.19 ID:QpY4BEdj
>>753
私は一代なる人物はよく知りませんが、
例の宮元啓一氏の著作は矛盾が有ると思います。
「仏教かく始まりき」P139
「繰り返して言いますと、初期の仏典に登場する悪魔というのは、煩悩を象徴するものではありません。
そうでなく、出家の存在を嫌い…(中略)世俗主義の人間…」とある種の人々への隠語としています
757神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:46:38.21 ID:wraekWWA
>>752
多分そういう方向への反動として和辻解釈みたいなものがでると思うのですが、
そういう詐欺やインチキの方向は、興味ないんですよね。

問題としたいのは、三昧体験などの道を示せないで体験しないと分からないという
神秘主義と、その道を言葉で示した縁起の違いです。
758神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:48:51.79 ID:QpY4BEdj
そのくせ、宮元氏は超能力を否定しません。リアリストなのか詩人なのかよくわからん。
そして重要なのは、「神変」と銘打ってあるはずの記述にP156「時に、四大王天が深夜に絶妙な色彩であまねく鬱蒼とした森を照らし…幸あるお方に敬礼し、あたかも大きな火の塊のように四方に立った」という「神変」を素直に読み取らず、出家に親和的人間としているのです
759神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:49:50.39 ID:wraekWWA
>>755
「つまらん」と切って捨て高みに立ってるつもりのヲタと一緒なんだって

要するに言葉で自分を言い聞かせてるだけ

ちゃんとした人は、明瞭に説明したり、超然とした態度をとれたりするんです
760神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:52:18.29 ID:wraekWWA
>>758
宮元さんHP閉鎖しちゃったね

あのHPも単なる宣伝と、褒めてくれるファンのためのものだったけど、
あれは酷かった。ちょっと意見が合わない人は直ぐ削除する。

あれで書き込む人が不思議だった。
761神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:53:27.52 ID:QpY4BEdj
宮元氏は素直にテキストを読み、自分たちの頭で解釈出来ない部分を
「後世の増広と言いたがる学者には要注意です」と述べているのです。
もっともこれはゴータマ教義とは無関係な箇所なので、どうでもよいと言えばそれまでですが…
僕個人はやはり霊的生命体の釈尊への接近と解釈せざるを得ません
762大滝秀治:2012/10/06(土) 15:53:27.89 ID:0v8wCaHX
>>759

木刀を磨けば、真剣になるのですか?
763神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 15:57:13.42 ID:wraekWWA
>>762
仏教は生き物をそう解釈してないよ

生き物には全て菩提心があると捉えている

君のは不当前提による屁理屈のひとりよがり、「あ〜ん、おれちゃんっていいっ!」みたいな
764大滝秀治:2012/10/06(土) 16:09:14.39 ID:0v8wCaHX
>>763
却下
>木刀を磨けば、真剣になるのですか?
765神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:10:50.86 ID:AaxcoSLw
縁により菩提心が菩提心を呼ぶものと捉えます。
菩提心の作り方講座が仏教と捉えています。
766神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:11:21.24 ID:wraekWWA
>>764
勘弁してよ。机と同じ真性かまってちゃんデショ

先ず、自分が大したもんじゃないって、自覚してから出直してこ〜い
767神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:12:16.79 ID:wraekWWA
>>765
それは大乗ですね。
768神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:14:42.32 ID:60hrfY1M
どうもその、真剣てのが分からないんです。
清のフェルビーストの欣天監正あたりかと踏んでいるんですが…
769神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:15:29.54 ID:AaxcoSLw
>>767
大乗かもしれないが、その理由としての自己改革に小乗があると思う
原因と結果みたいなもんで同じものと捉えていいと思うんだが…
770神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:21:25.71 ID:QpY4BEdj
ちょっと失礼な言い方かも知れませんが、宮元啓一氏は
「やたら増広と言いたがる学者には要注意」
と言いながら
自分でも無意識にテキストにおける「増広」をしてしまったとしか思えません。
しかし本人から伺った「仏教における因果関係確定法」についての説明などは
たいそう参考になりました。宮元氏の名誉のために付言しておきます
771神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:23:58.93 ID:wraekWWA
>>769
いや、道が違います。
戒定慧だけで、アルハットを目指す小乗と、
それに発心、誓願、廻向を加え、一切智者を目指す大乗では。
772宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 16:28:40.45 ID:T1dWkM8U
>>756
ん?こういうことではないと?
これ>>576-577を認めてるというわけではなく、否定してるのですか?

ならば、私も同意できませんね。

>とある種の人々への隠語としています

意味不明ですね。
具体的には何を言おうとしてるのです?
773大滝秀治:2012/10/06(土) 16:34:05.43 ID:0v8wCaHX
>>766
>自分が大したもんじゃないって、自覚してから

 大したもんでも、大したもんじゃない、でもありません。

>勘弁してよ。

では、少し変えて、
『非我も無我も同じことです。』(>>523)は撤回しませんね?
774神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:34:15.40 ID:QpY4BEdj
木刀は真剣になるまで…
大海の水を小さな器ですっかり汲み尽くすまで…
風を鎖で繋ぎ止めるまで…
修業に終わりは無い。
三千大千世界を微粒子にまで木っ端微塵とし
一微粒子を一億劫とし
世界の微塵が尽きる劫涙の果てまでも…
修業は終わらず、それら膨大な時間を一瞬として苦としない。
それが普賢菩薩行…
無量劫修業
つまりは「華厳経」の道だ
善財童子求道の旅だ
我々の歩むべき道だ
775神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:35:16.77 ID:AaxcoSLw
>>771
じゃあ俺は大乗だな
一切智者は目指さんし誓願もせんけどね
信仰と一切智という偏見が落とし穴っぽい
776大滝秀治:2012/10/06(土) 16:40:29.35 ID:0v8wCaHX
>>774
つまらん !

 おまえの話は つまらん !

 ・・・・・・・・

 つまらん !

http://www.youtube.com/watch?v=g0w_-e-caBw
777神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:44:36.49 ID:wraekWWA
>>775
釈尊も龍樹菩薩も信だけが、仏道への門と仰ってます。

これは間違いないでしょう。

なぜなら、自分の知覚こそ信じられないし、自信を欺くものだからです。

これがないと仏教をやってるつもりでも、エゴの餌を集めるだけになると思います。
778神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:48:39.07 ID:QpY4BEdj
>>772
まあ、教義とは無関係なので…
しかし悪魔→反対派
神々→仏教シンパ
という解釈が解せないという事です。
これらはやはり人間ではなく霊的生命体、
得体の知れないクリーチャー達と「素直に」解釈すべきと言ったまでです。
(例)ムチャリンダ龍王は少年に変化して世尊にちかずいた→〇
キングコブラのそばに少年がいた→×
前者の通りで良いと
言っているのです
「素直に」テキストを読むべきと言っているのです
779神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 16:54:06.55 ID:QpY4BEdj
確かに自分の心ほど、信用出来ないものは無い。
はたして俺は菩提心を起こしたのか?
それはキリスト教的メシア願望ではないか?
衆生救済という名の「傲慢」ではないか?
疑念は尽きない
しかし考えても仕方ないから…
とりあえずその路線で…みたいな感じ
780神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 17:06:05.23 ID:wraekWWA
>>779
方向はいいけど、師匠はいるよ〜
781神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 17:14:20.94 ID:QpY4BEdj
>>780
そうですね…
でも最近グルイズムに少し(ほんの少し)
疑念が生じているのです
ちなみに俺には師匠がいます
彼曰わく
「弟子と師匠の関係は永遠」だそうで
なんだか暑苦しいなあ…と感じました。
イニシエーションされた以上
もう逃げられない(笑)
でも、師とするに足らず!とわかればすぐにその人から去るつもりです
782神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 17:20:16.37 ID:KufXXP0b
くだらない話をするぐらいだったら国連でも手を焼く国家間紛争事案に
率先して介入して丸め込んでくるべきである。
783暇人:2012/10/06(土) 17:45:15.44 ID:gayKj3hv
仏教サンガは、南伝でも北伝でも伝統的に
「師」とか「先輩」を重んじ尊ぶわけだが、
史実の釈尊は、弟子たちに対して「師」という立場ではなくて
同じ「行者」という立場で接していた。

ごくごく最初から、釈尊より逸脱しているわけだ
784暇人:2012/10/06(土) 17:50:56.73 ID:gayKj3hv
このスレでは、やれ瞑想体験とか深い悟りとか言う人はいるが
釈尊に倣ってホームレスになって修行する方が出ないのはどうして?

南伝の自称比丘ですら日本に来たら、遊行しないのはなぜなのだろうか。
釈尊は雨季の三か月を除き、マガダとコーサラの間約500kmを遍歴されたわけだから
日本に来たら、厳寒期の三か月を除き東京大阪間を自分の足で歩き野宿しろよと思うのだが。。。
無茶なのであろうか
785神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 18:48:08.40 ID:ksJ1UeTe
>>784
だれしも楽がしたいのであり、自分から苦労する人などいないよ。
周囲に追い詰められて苦労するか、悟りを得ようと苦労(修行)するかでは。
釈迦もイエスもムハンマドも・・・みんな同じ。
786神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 19:01:55.39 ID:ksJ1UeTe
福音書にある山上の説教(マタイ)、平地の説教(ルカ)を読めば、
神や天国がどこにあるかがなんとなくわかるだろう。
人間が苦労するのは、神と出会い、天国に行くためだと言っていい。
この世で恵まれた人々は地獄へ落ちる。
787神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 19:21:16.45 ID:wraekWWA
>>783
そりゃ、誤解でしょ。

仏教の基本は三宝帰依だもん

暇人さんは限りなく和辻よりですな〜
788暇人:2012/10/06(土) 19:27:15.49 ID:gayKj3hv
>>787
三宝帰依なんてのは、【教団】が確立してこそのものだわ
こーいうのを創る才能があったのは釈尊時代では舎利弗。
釈尊はそんなことにかかわらなかっただろうし、
どーかすると後代の信仰だよ

但し、後代の信仰であるが
南伝も北伝も、北伝の伝統に従う暇人も三宝帰依を尊重する。
そのことと、「史的史実」の前に謙虚でいることは別問題だわ
789暇人:2012/10/06(土) 19:30:07.95 ID:gayKj3hv
例えば
「自灯明 法灯妙」と「三宝帰依」を比べてみるとよい。
「法」についてはイコールかもだが
「自」の代替物として「仏」と「サンガ(僧=教団)」がある事に気づくでしょうに
790神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 19:43:46.39 ID:wraekWWA
>>788
いや〜、そりゃ誤解だと思う。
帰依が増高してった流れは極めて自然だと思うよ〜
僧に帰依するのは後から付け加わった

>>789
それ完全な誤解ですから。

自灯明は、本来自洲で、輪廻という激流のなかで人身という中洲で一時的な安息・自由が得られたことを意味し、
この人身という自洲によって法洲・仏教という船に乗り、解脱・涅槃という彼岸に渡れという意味だから。

その解釈は増谷文雄など自我を尊重したい人の府会に他なりませんよ。

ネットで検索すれば、きっちりこの方向で解説してる人が何人かいるよ〜
791暇人:2012/10/06(土) 19:47:09.06 ID:gayKj3hv
>>790
ん?  帰依の「増広」を認めるのだったら私と同じ立場でしょ。
あなたは、最初から「三宝帰依」があったと主張しないと議論にならんよ

平行パーリでは「自分を拠り所にせよ」とあるので
キミの論は詭弁だよ
792神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 19:51:50.18 ID:wraekWWA
>>791
>ん?  帰依の「増広」を認めるのだったら私と同じ立場でしょ。
>あなたは、最初から「三宝帰依」があったと主張しないと議論にならんよ

最初からなんて言ってないぞ。しかし、帰依はあった。
三宝帰依という言葉を使ったのは通りがいいからと、オイラは歴史的にあまり考えてないから。

>平行パーリでは「自分を拠り所にせよ」とあるので
>キミの論は詭弁だよ

そうか。それは無理はそっちだと思うが、
そういうなら、きっちり証拠を挙げていただきたいものだ。
筋が通るなら、改めるのはやぶさかではないよ。
793神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 19:54:58.17 ID:wraekWWA
一つ感想を言うと、もともと原始仏教とか、パーリへの関心は希薄だったんだよね

でも、ネットではキリスト教文献学みたいな原初が正しいみたいなドイツ文献学が根強くて、原始仏教を学ばざるえなかった。

その御蔭で中論の理解が進んだ面もあるのは有りがたかった。

794神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 19:56:19.20 ID:60hrfY1M
唯物論と唯心論の共通項である三世間=天地人思想=三角不等式
が元ネタだと言う説を提唱いたします
795神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 20:04:05.36 ID:wraekWWA
>>791
>平行パーリでは「自分を拠り所にせよ」とあるので

ああ、誤解なきように、文脈がないと分からないけど、
自洲も同じ意味だよ。
自分の身体、有暇の人身を拠り所にして輪廻を渡れでしょ。

ただ、増谷解釈のような自分で判断しろとか、自分の見方を信じろという意味ではないでしょ。
もちろん、カーラーマ・スッタのように経典を吟味しろということはある。
しかし、増谷解釈のような自分の信じろという意味は、ないでしょ、という意味だよ〜
796神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 20:12:31.71 ID:60hrfY1M
太陽と生産者(樹木)と分解者(細菌)の三項共働だったりして…
まぁどうせ思い付きなので精密な論評には耐えられないでしょうが…
797神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 20:35:54.88 ID:wraekWWA
気がついた。

>>791
>平行パーリでは「自分を拠り所にせよ」とあるので

これって自洲と読むべきという意味であって、
自灯明という意味ではないという証拠になるよ。

なぜかというと洲は拠り所だけど、灯明は拠り所というより指針、目先という意味だから。

そして近代解釈もそう読みたいから、自灯明と訳したんでしょ。
それで自分を指針とせよ、自分で判断せよと読み込んだ。

それが誤りであるという証拠になっても、自灯明の根拠にはならないでしょ。
まあ、文脈が分からないので確定できないけど、その断章だとこうなるね。
798暇人:2012/10/06(土) 20:41:06.87 ID:gayKj3hv
>>797
ん?
「阿難よ、このようにして、比丘はみずからを灯明とし、みずからを依処として、他
人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とせずにいるのである」

灯明=依処だよ。指針、目先という意味ではないです。
799前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/06(土) 20:45:19.35 ID:EkW3obuK
>>485
>↑ 人違い、勘違いだったら、スマソ

貴兄の認識で正しいです。 亀レスにて失礼。
800神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 20:47:45.38 ID:wraekWWA
>>798
それ訳でしょ。しかも増谷訳なんじゃないの?
明らかに灯明じゃなく洲、中洲などと訳したほうが「依所」に符合するでしょ。
原語はディーパでどっちにも取れる。だから、灯明の含みがあるとも言えるけど、少なくとも表の主たる意味は洲だ。

なんだ、それじゃ全然証拠になってないって。

逆にオイラの証拠になってるじゃん。
801神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 20:55:48.66 ID:LpCfugc0
大乗非釈迦説の人は、ジャータカをどう思ってるの?
昔話を釈迦が説いたと言いはるなんて、けしからんとかおもっちゃってるの?
802前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/06(土) 20:58:21.54 ID:EkW3obuK
>>497 :宝珠愚者@(規制代行):2012/10/01(月)
>>舎利弗や目蓮も前世は阿羅漢でしたが再生しました。
>
>元々、阿羅漢だったというのは原始経典の記述で確認できるのですか?
>できれば引用紹介を希望します。勝手な創作による神格化が激しいので、

長部経典V(春秋社)P425 自歓喜経の解説(by中村元)
一)三時に意識を持っているのは菩薩
二)入胎・住胎時に意識を持っているのはサーリプッタとモッガラーナ
三)入胎時にのみ意識を持っているのは八十人の大声聞
四)三時に意識を持たない者はその他の有情

亀レス=前世レス でした。
803暇人:2012/10/06(土) 21:15:20.06 ID:gayKj3hv
>>800
中村元 訳『ブッダ最後の旅』p64 第二章二十六 だそうだ。

http://www.horakuji.hello-net.info/BuddhaSasana/Theravada/paritta/Ratanattaya_puja.htm

注目すべきは「ディーパ」ではなくて、
「ディーパ」を説明して「みずからを依処として、他人を依処とせず」という部分
「attasaraNa」の「atta」は自らだし「saraNa」は「帰依、隠れ家、避難所」
804神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 21:18:54.41 ID:wraekWWA
>>802
>長部経典V(春秋社)P425 自歓喜経の解説(by中村元)

長部経典V(春秋社)P425 自歓喜経の註(by浪花宣明)

 (N)が浪花さんの註だってことは、凡例に書いてあるぞ


>二)入胎・住胎時に意識を持っているのはサーリプッタとモッガラーナ

 こりゃ、元々阿羅漢だったという意味じゃないでしょ。
 阿羅漢だったら、転生しないって。
805神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 21:30:41.63 ID:wraekWWA
>>803
『ブッダ最後の旅』p63 を読めば分かるようにこれは四念処で、
観の境地にいる聖者を示してる。

 しかも島ってやくしてるし、註を見ればオイラの読みに接近するでしょ。

 自洲、自法と三宝帰依は何も矛盾しないって分かんない?

 それが認められないようじゃ、話すに足りない人だと決定ですな。
806暇人:2012/10/06(土) 21:38:00.88 ID:gayKj3hv
>>805
オレは「洲」=「灯明」=「拠り所」という立場
キミは「洲」=「拠り所」だが、
「灯明」は「拠り所」ではなく「指針、目先」だという立場。

キミは、「灯明」が「拠り所」と意味を持たず「指針、目先」ということを
証明しないといけない。

>自洲、自法と三宝帰依は何も矛盾しないって分かんない?
まったくわからん。
矛盾するという立場の私に対して、矛盾しないという説を立てたのがキミ。
キミはぜ矛盾しないか説明していない。
私は「自」の代りに「仏」と「サンガ」が立てられたと主張しています
807神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 21:39:00.07 ID:ksJ1UeTe
>>796 三位一体なんてのもあるし、三は座りがいいのだろうね。
>>801 釈迦が説いたわけではないのだろうが、
わかりやすいたとえ話でいいと思う。ウサギの話を読んでみた。
無邪気な子供が読めば立派な大人になるだろうね。
808神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 21:44:47.33 ID:lKlVzgR2
ご隠居の自灯明・法灯明ループについて
ttp://houjugusya.web.fc2.com/loop1.htm

暇人さんが昔のご隠居に見えなくもない。
809神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 21:52:44.16 ID:wraekWWA
>>806
>キミは「洲」=「拠り所」だが、
>「灯明」は「拠り所」ではなく「指針、目先」だという立場。

そうは言ってない。増谷などが「指針、目先」という意味を出したくて、
灯明と訳し、自分を信じろみたいなことを言い出した。
それに乗った言説でしょ。アナタのは。

>>自洲、自法と三宝帰依は何も矛盾しないって分かんない?
>まったくわからん。

え、ここまで来てわかんないの?
ネハン経の文脈で「みずからを依処として、他人を依処とせず」というのは、
聖者の境地なんですよ。
カーティヤーヤナへの教えや中論18-9で他に依らずと言われるのと同じ。

つまり、アナタや増谷さんが主張してるのは、世俗でもなんでも空だみたいなことを言う、机や遊びと同じ。聖俗の境地で別に説かれたことをごっちゃにして、みんな常識で解釈してるだけ。

これで分からないなら、もう対話するのは止めるは。
810暇人:2012/10/06(土) 22:03:28.56 ID:gayKj3hv
>>808
>・釈迦は、死を前にしても弟子や信徒たちが教えを遵守するかどうかを気にしていた

これは昔学校で習ったことだが、釈尊がこれを付託したのはアナンダ。
まだ悟らないアナンダに「自灯明 法灯明」を説いた。
「弟子や信徒たちが教えを遵守するかどうかを気にしていた」のでなくて
未熟なアナンダに説いたんです。
「諸先輩を拠り所にせよ」ではなく「自らを拠り所にせよ」と説いた。
このことを軽視しすぎですね

戒律が厳然としてあり、サンガが確固としてあったのであれば
「教えと戒律とサンガを拠り所にせよ」と言ってもいいはずだが
「自分と教えを拠り所とせよ」とアドバイスされた。

私が最初、これを聞いた時、愕然としたものだ
未熟な者が自分と教えを拠り所にしたら間違ってしまうだろうと。

しかし教団や諸先輩を拠り所、帰依処にするという指向性は史実の釈尊になかった
のだろうと思う。だから彼は開放された自由人としてシンプルな遍歴人生を送れたのだと思う。
811神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 22:13:18.30 ID:QpY4BEdj
>>801
ジャータカは単なるお話、お伽話と捉える人がいますが
あれは立派な「お経」です。
大乗非釈迦説の人々も大切にしていると思います
とくに547話の冒頭にある「因縁物語」は本生譚中の白眉です。
ただし大乗非釈迦説の人々は北伝系ジャータカは「正統な伝承」と認めているかは定かではありません。
大乗ではむろん菩薩行が説かれているので、これを重視します。
ジャータカ以外にお勧めなのは「ディヴィアヴァダーナ」で、「ブッダが謎解く三世の物語」平岡聡訳が出版されているので気が向いたら読んでみて下さい
812暇人:2012/10/06(土) 22:26:40.73 ID:gayKj3hv
整理する
暇 「自灯明 法灯妙」と「三宝帰依」を比べてみるとよい。
   「自」が「仏」「サンガ」に変化している
君 自灯明は、本来自洲で法洲・仏教という船に乗り、
解脱・涅槃という彼岸に渡れという意味だから
(「自」と「仏」「サンガ」はつながっている)
暇 帰依の増広を認めるのだったら私と一緒だよ。
  平行パーリに自分を拠り所にせよとあるので
君の論((「自」と「仏」「サンガ」はつながっている)は詭弁
君 これは自灯明が誤りで自洲の証拠となる。
洲は拠り所だけど、灯明は指針、目先という意味だから。
暇 灯明=依処だよ。指針、目先という意味ではないです
君 増谷訳でしょ? ディーパは灯明とも訳せるが洲が主たる意味
暇 中村元 訳だよ ディーパではなくて「attasaraNa」(自らを依処)
君 自洲、自法と三宝帰依は何も矛盾しないって分かんない?
暇 まったくわからん。

こういう流れだね OK?
813暇人:2012/10/06(土) 22:31:58.62 ID:gayKj3hv
>>811
ちなみにジャータカは、北伝の四阿含や南伝の五ニカーヤという分類より
古い分類の九分教の一つでもあるので現存する経典が成立する前から
仏教では教法の一つの代表パターンだった。
前世譚にちなんで教えを語るという形式なんだが
ジャータカ研究によると、仏教に先行するジャータカ譚を仏教が
一形式として利用したようだ

私は生身の釈尊はこういう当時よく知られた例え話を利用しつつ
教えをわかりやすく説かれたと思う。
814前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/06(土) 23:29:47.28 ID:EkW3obuK
>>804
>阿羅漢だったら、転生しないって。

Q.菩薩でも転生するのに、阿羅漢は転生しないのですか?
815前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/06(土) 23:36:23.05 ID:EkW3obuK
無量寿の如来は転生しない。 これは方便で実は転生する(法華経)。
菩薩は意識を持ったまま転生した(長部経典)。
大声聞は意識を失って転生した。

サーリプッタやモッガラーナは前世で阿羅漢でなかったのですか。
これはYESでもNOでもなく不明でしょうか。



816神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 23:39:57.30 ID:QpY4BEdj
外見声聞・内面菩薩
817神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 23:40:59.75 ID:lKlVzgR2
>>814
しないです。

阿羅漢でも転生していろいろ衆生を導いたりできる、という設定が最初からあったのなら、

【アラカンではなく】菩薩→如来コースをたどらなくてはならない、という問題意識も生まれてないと思います。
818神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 23:41:11.14 ID:A3Y+62Pi
>>809
>ネハン経の文脈で「みずからを依処として、他人を依処とせず」というのは、
>聖者の境地なんですよ。

聖者にわざわざそんなことを教えたとしたら、釈迦はアホ丸出しということ
になる。「俺が、俺が」のカルト教祖と何らの相違もない。
819神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 23:45:43.83 ID:A3Y+62Pi
>>809

「自灯明・法灯明」などと言い切れた宗教の開祖は他にはいないのだから、
そんな解釈をしたら、釈迦の価値はがた落ちとなる。

師の誤りを訂正するのは、弟子の義務ですよ。
820神も仏も名無しさん:2012/10/06(土) 23:47:30.75 ID:QpY4BEdj
仏教じゃないけど、そのお友達宗教では
ニルヴァーナに入って
そこから出てくる者もいるとかいう話が確かにあった。
まあ、通常は滅尽定に入ってしまえば、こっち側には戻れない
821宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 23:53:29.07 ID:T1dWkM8U
>>771
どうも、その辺が納得いかないところです。

まず、「小乗」などという言い方は失礼だから即刻、辞めるべきです。
確かに古代の一部にはそういう教団は生じましたが、
現代の南伝仏教もそう呼称するならば相応しくないでしょう。
本来、仏教には小乗なる教えなどは存在してませんから、
その誤解は改めたほうがいいでしょう。

 『小乗とか声聞乗とかいう名称は、大乗仏教の側から部派仏教に対して軽蔑の意味で命名さ
れたものであって、部派仏教自身は自らを小乗や声聞乗と呼ぶことはない。--中略--
 なお明治以前の中国や日本では、小乗仏教の中に部派仏教だけでなく、部派以前の原始仏
教も含めていたが、小乗といわれるべきものは形式的な部派仏教だけであって、原始仏教や根
本仏教といわれる初期の仏教は小乗仏教とすべきではない。(p22)』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
822宝珠愚者@(規制代行):2012/10/06(土) 23:56:16.75 ID:T1dWkM8U
>それに発心、誓願、廻向を加え、一切智者を目指す大乗では。

そういうのは大乗側の身勝手な論理としか私には映らない・・・。
呼称こそ違えど、テーラワーダにもほぼ同一のものがある筈でしょう。
ただ「廻向」については、業報理論から完全に同一のものは説かれることはないでしょうが、
他者や万人の幸福を願う意識は同じくあるわけですから大した違いとは思えません。

是非、これらの大乗側からの批判に対する
テーラワーダに詳しい方からの解説を希望したいところです。
823神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 00:14:23.78 ID:OXHhw1jK
>>822
僕はテーラワーダには疎いですが、
あえて「大胆」な「推測」をするに
「釈尊の根本仏教」は「始まりからして大乗であった」
もしくは「大乗的」であったと推測します。もちろん単なる憶測に過ぎません
824大滝秀治:2012/10/07(日) 00:19:34.39 ID:6Um4R3OG

 ホント、カビくさいテキスト主義の弊害丸出しだなw

 大昔のすべての基盤がまったく異なる荘園貴族坊主たちのコピーの、

 そのまた「解釈」をやってんだから、何をか言わんやだ。

 固定仏教は仏法に非ず。

 本当に優れた先達連中は、その時代に語りかけ、撃ってきたのだろうに。

 すべては壊法である、怠ることなく、生きた仏法の修行を完成させなさい。

 
825神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 00:21:59.89 ID:OXHhw1jK
釈尊は出家在家共通の教えとして自利利他を説いた。
プンナの伝道
ジャータカ物語による菩薩道etc.
それにシャーリプトラは菩薩行をしていた伝説もあります。
大乗的には法華経などで一仏乗による声聞成仏もあります。
よって「上座」というネーミングには上から目線が感じられるし、「大乗」というも多少の傲慢さが感じられる。
いっそのこと「仏乗」で統一すれば良いと思います
826神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 00:25:18.91 ID:OXHhw1jK
しかし、そのためには「上座部」と「現行大乗」の和平交渉が必須となります。
それは目下のところ極めて困難であり、
キリスト教とイスラム教が握手するようなものです
827神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 00:43:41.97 ID:OXHhw1jK
単なる憶測で語るなボォケ!という非難をあえて
顧みず、大乗仏教起源説を述べるに
私は「釈迦の根本仏教」そのものが想像以上に大乗的であった
否、大乗だったという仮説を立てたい
828神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 00:48:36.57 ID:CRcUVeN0
イスラム「イエスは自分は神じゃないって言ってるし磔になってないし、ついでに言うと世界の終わりには十字架ぶっ壊します」
大乗仏教「阿羅漢目指すなんて間違ってます。阿含経に拘るのは魔事です」
「「握手しましょう」」

キリスト教「失せろ氏ね」
上座部「失せろ氏ね」
「「……と本音を言うと世間に叩かれるから仕方ない。握手はしておくか……」」
こうやって世の中は少しずつ平和になっていくのか……?
829大滝秀治:2012/10/07(日) 00:49:51.15 ID:6Um4R3OG
>>822
>「廻向」については、業報理論から完全に同一のものは説かれることはないでしょうが、
>他者や万人の幸福を願う意識は同じくあるわけですから大した違いとは思えません。

おっさん、縁起が仏法の全基盤と体得する秀治はその「廻向」とかいうのがイマイチよーわからんのや。

仏法の仏法たる由縁が縁起にあるとするなら、「廻向」思想と縁起に整合性があるとは納得できん。
なんぼ大昔の馬鹿坊主のテキストに書いてあってもや。

詳しいいハナシを聴こうじゃあないか。

830神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 00:55:45.19 ID:OXHhw1jK
時系列的には、釈尊生存中→原始大乗。
釈尊入滅後→上座化。
BC1頃→原点回帰としての第二次大乗。
根本分裂や部派の乱立など細部に渡る事情も考察の必要有りだが
大雑把にはこんな感じ
831神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 01:03:27.25 ID:OXHhw1jK
訂正
BC1→AC1
832神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 01:11:00.20 ID:zHy5bna3
>>830
>時系列的には、釈尊生存中→原始大乗。
>釈尊入滅後→上座化。

証拠は?大乗は、釈迦仏教のコペルニクス的転回だから、両者はもはや
原理的に異なる宗教。
833前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/07(日) 01:25:51.23 ID:Qf88PsXu
>>814 Q.菩薩でも転生するのに、阿羅漢は転生しないのですか?
>>817 A.しないです。

(参照)大智度論第三十六より、
声聞、辟支仏は方便の力が無いが故に、三解脱門(空、無相、無作)に入ると直ちに涅槃を取りますが、
一方、菩薩は方便の力があるが故に、三解脱門に入って涅槃を見ても、慈悲心を以って心を転じて涅槃を取らないそうですね。

↑私も答えの出典を探しました。

Q.阿羅漢が輪廻しないなら、菩薩の前世は阿羅漢ではないのでは?

834神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 01:28:09.11 ID:zHy5bna3
>>830
大乗は、釈迦との関係性をいろいろと挙げているが、それらは権威付け
のための、些細な形式的なものに過ぎない。

大乗においては、釈迦は単なる「象徴」であり、「歴史的釈迦」とは
実質的に無関係。
835神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 01:39:10.12 ID:OXHhw1jK
>>832
私が仮定する原始大乗は「素朴な自利利他」
教義面でのコペルニクス転回は第二次大乗で発生したと「仮定する」
あくまで「憶測」に過ぎません。
(今夜、宝珠は不機嫌らしい)
憶測ですから、推理にすぎないですから
証拠も根拠もありません
836神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 01:44:28.62 ID:UzUTg5BM
自灯明 はもう終わりかい?w

あれは仏教の中でも、かなり重要な位置を占めると思われるので
きちんとした解釈を希望したいのだがww

通常、最もよくある解釈としては、
→「他者のいい加減な言説に惑わされることなく、常に自己でよく吟味
した上で、その是非を決せよ。」・・・・と言うやつだわな?
これは、何も「自己の(手前勝手な)判断を重視せよ。自分の思い通りにせよ。」
ということではなく、
仏道を歩む上では、必ず道に迷う時があるだろう。そういう時に、安易に
他者の教説を鵜呑みにするな。  常にそれが仏法にかなうか? よくよく
自分で考えてみることが必要である。・・・・というものだと解してきたが
これではいかんのかい?wwww

837神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 01:52:10.06 ID:JaC0VEAx
> そのためには「上座部」と「現行大乗」の和平交渉
問題は能力として既に火の付いた導火線の火を扱う技術をどうやって身に付けるかと思われ
一本ならともかく安易に火を消して別の導火線に火口が付いたらどう危機管理をするのか
838神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 01:52:42.90 ID:OXHhw1jK
>>836
いいと思います。
で、さっきの話ですが証拠をあげろゴラァ!
と言うなればお釈迦様の「慈経」
「サンユッタ・二カーヤ・第4章三節」などは
いかにも大乗的であります。
いささか苦しいとこです。
靴を隔てて足をかくような「たいした証拠」ではあります(笑)
839神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 02:06:54.62 ID:t2SfAnBJ
物事には全て理由がある
仏教に興味を持った理由
ここに書き込む理由
何か気付きがあるならその理由
自己に苦があるならその理由
他人との間に軋轢があるならその理由
理由を明かし改善の努力をする
たったそれだけのことであり神秘主義も糞もないことと思います
840神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 02:16:21.54 ID:OXHhw1jK
素朴的原始大乗の気づき…
「サンユッタ・二カーヤ・第一篇第五章第七節・植林する人」
これは私にとってすごい発見だ…
841宝珠愚者@(規制代行):2012/10/07(日) 03:18:18.28 ID:BtO8tzDa
>>778
「神々」や「悪魔」とは「支持派」や「反対派」の人間であるとしたり、
「龍王」とは「キングコブラ」であるとしたり・・・ということかな?

ならば、この私も疑問符をつけたいと思う。

私の理解では、ゴータマの前に出現した「梵天」や「悪魔」は
ご自身の心の葛藤の象徴的比喩で仏教文学表現。
ゴータマ最終解脱に至る七日間の瞑想においてゴータマをとぐろ巻きして守護したという
「ムチャリンダ龍王」というのは、ゴータマの意識が超常的状態にあることを示している比喩で神通の象徴表現。

基本的には通常、
龍王/龍神とは神界に住む霊的生命体であるとして理解。
842宝珠愚者@(規制代行):2012/10/07(日) 03:18:55.48 ID:BtO8tzDa
>>781
>彼曰わく
>「弟子と師匠の関係は永遠」だそうで

それが現実となるのは、
“覚者とその弟子の関係”においてです。

>>792
>オイラは歴史的にあまり考えてないから。
>>793
>一つ感想を言うと、もともと原始仏教とか、パーリへの関心は希薄だったんだよね

やっぱりね・・・
どうりで変だと思った。
843宝珠愚者@(規制代行):2012/10/07(日) 03:19:21.90 ID:BtO8tzDa
>>784
>釈尊に倣ってホームレスになって修行する方が出ないのはどうして?

私なんかは(一時期)それが望みだった頃がありました・・。。
当時、仏教(原始経典)に出遭って感動した若き日の私は今生解脱しか脳裏になかった。
TV・ラジオ・新聞を見ず、一切の動物質の食事を摂らず、起床から消灯まで行に没頭を続けた数年間。
その熱き想いで社会生活などには興味を失っていた・・・。
山野の屋根無き生活に入って、覚りを目指して修行したいと強く願うようになっていた。
家族との接触も面倒で修行の邪魔だけでしかなかった・・・。

そんな私を変えたのが神智学との出遭いだった。
ズーと抱えていてたインド教の出家至上主義に対する疑問を解消してくれたのは
唯一、この神智学だけでしたから。
844宝珠愚者@(規制代行):2012/10/07(日) 03:19:49.37 ID:BtO8tzDa
暇人さんと一代のこの議論については、
たぶん、暇人さんの方に軍配が上がるに一票かな!!

>史実の釈尊は、弟子たちに対して「師」という立場ではなくて
>同じ「行者」という立場で接していた。>>783
>
>但し、後代の信仰であるが
>南伝も北伝も、北伝の伝統に従う暇人も三宝帰依を尊重する。
>そのことと、「史的史実」の前に謙虚でいることは別問題だわ >>788

に、同意します。
845神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 03:26:26.47 ID:t2SfAnBJ
>>840
釈迦仏教の根本思想は世の為、人の為に集約されるということですね。
846宝珠愚者@(規制代行):2012/10/07(日) 03:34:56.41 ID:BtO8tzDa
>>801
>けしからんとかおもっちゃってるの?

「ゴータマが説いた本物の話で“実話”です。」
ということにしないと、ジャータカとしての存在意義を失うでしょうね。

文献学者は唯物主義の素朴実在論だから認めないだけ、
という方もいるでしょうが、私は神格化であるから認めないという姿勢を摂ります。
どんなに数百、数千年が経とうとも、
世界の何処にも火に自ら身を投じて食べられてあげよう、
などという動物は出現しない。出現したためしもないし、今後もない。
“唯一、ゴータマの過去世だから”などという理屈ならば、尚更、それは神格化に他ならない。

私は、ゴータマは絶対に
ご自身の神格化や崇拝対象にされることを決して望まれていないものと見ています。
多分、神格化されていることを知ったら、すぐに辞めるよう弟子達をお叱りにならなれること間違いなし。

まっ、素敵なお話だと評価したい方は、
もちろんご自由にどうぞ!
847宝珠愚者@(規制代行):2012/10/07(日) 03:35:28.41 ID:BtO8tzDa
>>823
>「釈尊の根本仏教」は「始まりからして大乗であった」
>もしくは「大乗的」であったと推測します。もちろん単なる憶測に過ぎません
>>827
>私は「釈迦の根本仏教」そのものが想像以上に大乗的であった
>否、大乗だったという仮説を立てたい

私の記憶が確かなら、
同じくそういう論旨を立てる学者もいた筈と思います。
「大乗だった」「大乗的だった」という言い方は好みませんが
(大乗の方がゴータマより勝れている的表現なので)、
大乗側が自慢する思想は本来、元々ゴータマの説く原始仏教には殆どあったものと私は見ています。
名残はある。本来の原型そのものは部派によって消失してしまったのかな・・・。

ゴータマ仏陀そのものまで小乗視する
(大乗の方が勝れているという発想)などは待っての他!
これが私の摂る姿勢スタンスです。

>>835
>(今夜、宝珠は不機嫌らしい)

んなことはない!
あなたの気付き“素朴的原始大乗”には大いに賛成しますよ。
848宝珠愚者@(規制代行):2012/10/07(日) 03:36:04.42 ID:BtO8tzDa
>>829
>仏法の仏法たる由縁が縁起にあるとするなら、「廻向」思想と縁起に整合性があるとは納得できん。
>なんぼ大昔の馬鹿坊主のテキストに書いてあってもや。
>
>詳しいいハナシを聴こうじゃあないか。

「廻向」を全面に押し出してるのは、その道がご専門の一代の方でしょう。
ですから、それは一代に問う方が宜しいのではありませんか?

果たして、
(善行の)功徳は他者へと廻向できるのか?

南伝テーラワーダの理解では、
その(自分に対する供養の)行為に対して湧いてくる喜びの念が
自己の救済に寄与すると見ているようです。

これを“得達の随喜”とか“随喜の功徳”などいう。
849絶対神:2012/10/07(日) 04:11:24.65 ID:wn7pM3uM
        「何日か前に、仏教は信仰宗教ではない」
というのはいたし、たまにそう言っている連中がいるが
         『もちろん、仏教は信仰宗教である』
理由は仏教徒以外には説明するまでもないのだが
  「釈迦と仏典を信じる事なくしては当然なにも成り立たないからである」

850絶対神:2012/10/07(日) 04:13:55.96 ID:wn7pM3uM
              「仏教の教説は」
           『殆どすべて非科学的なもので』
  「輪廻も含めて、今日、殆どの部分が科学的には否定されている」
客観的に証明可能な領域というのは、ほとんどまったくない
「なんで今の時代に信仰宗教でないなどと主張するのか不思議としかいいようがない」
     『釈迦は自身が主張するほど、客観的でも公正でもない』(という事を
説明しないと判らない時点ですでに「どうしようもなくどっぷり信仰している証拠
なのだがな)
851絶対神:2012/10/07(日) 04:18:39.72 ID:wn7pM3uM
>>846
          「第一に釈迦と弟子は同格ではない」
  『いかなる理由があれ、人間の集団が同格になる事はあり得ない』
        「必ず、リーダーが出来、ランクが出来る」
  『それを認める事が出来ていないのなら合理的な思考ができていない』
(釈迦が神格化されている事を認めているのに、何故、初期からそれがなかった
などと初期だけを「絶対視」「神格化」するファンタジーが信じられるのか?)
     『お前がやっている行為を「まさに神格化というのだよ」』
釈迦を単なるひとりの人間とみなしているのなら「初期仏教教団と釈迦を」
            『そこまで理想化しない』
852絶対神:2012/10/07(日) 04:22:40.75 ID:wn7pM3uM
             「お前の言っている事は」

       『結局「典型的な宗教信者の理論」でしかない』
          「すなわち、「自分たちが特別だ」」
という事である
     『気付かないかね? 仏教を特別視している事じたいが』
        「既に「典型的な宗教なんだ」って事に」(大笑)
自分がもっとも「神格化」を行っているんだと言う事に
それに、イエスも釈迦もはっきり「洞察力」が足りないよ
『どんな人間も宗教的領域で有名になれば、「絶対に神格化」するし、「教祖化」
 するなんて事は』
             「神でなくても判るだろう」
『禁止してどうかなると思ってる時点で、「既に洞察力を欠いてる、どうしようもない
低レベルだって」』
「前にも言ったが、「正直に自分を神だといって宗教的活動をする者の方が
 そう言わないものよりも」」
           『遥かにましなんだってば』ww
そういう意味では


853絶対神:2012/10/07(日) 04:30:59.93 ID:wn7pM3uM
          「神として予言しておいてやるが」

  『お前が仏教徒をやっていても、「結局、何にもならないだろう」』
        「100パーセント、そう断言しておいてやる」
仏教がもっとも駄目な点は、釈迦の理屈に騙されて
「自身が「単なる信仰宗教である」事すら認められないでいるところにある」
(そんなんじゃ、余計現代に通用しねーよ)
  『なんでキリスト教が世界最大の宗教になったのか、非常によく判る』
    「キリスト教はそういう部分に関しては非常に正直である」
(宗教であり、信仰である事、そして、非科学である事をキリスト教は実に
あっさりと認めている)
 「合理的に言って、「仏教」は「キリスト教」に『永遠にかなうまい』」
854絶対神:2012/10/07(日) 04:36:14.48 ID:wn7pM3uM
            「前にも書いたけど」

 『最初から「宗教」を作ろうと思って「宗教」を作った「教祖」は』
      「恐らく、大昔の宗教ではあまりいないと思うぞ」
だが、あるていど、続けば
  『それは「絶対に宗教になる」ていどの事も洞察できないようでは』
  「はっきり言って、「どうしようもないとしかいいようがない」」
釈迦が少なくても
  「凡人であり、未来を見る能力がまったくなかったのは確かだ」
(まあ、その程度の未来を洞察するのに「超能力」はいらないと思うけどね)
855うさピョン:2012/10/07(日) 04:42:52.70 ID:UzUTg5BM
>世界の何処にも火に自ら身を投じて食べられてあげよう、
>などという動物は出現しない。出現したためしもないし、今後もない。

・・・・・・私を食べてください・・
856絶対神:2012/10/07(日) 04:44:35.14 ID:wn7pM3uM
     「よしんば、釈迦と他の連中が対等だったと仮定しても」

       『そんなものは弱小な小教団たったからにすぎん』

「世界に広がる為の大宗教になる為には、そんな初期の頃の『仲良しクラブ』
 みたいな形態は」
          「どこかで捨て去らないと成長できない」(だから初期は
理想ではなくて、単に小規模な組織なら最初はどこでもそうである程度の意味合い
しかないし、それを大宗教になった現代に移植しても何の意味もない)
         「釈迦のやり方は「別に正しくなんかない」」
そういう視点から見ても、「単なる過渡的なやり方でしかない」
よく考えたら、最初期が「みんな平等だった」なんて
      『宗教団体として、「ごく当たり前の事でしかないや」』(別に
特別じゃない(大笑))
私みたいに明らかに通力を持っているのが始めるのでない限り
「大抵、最初期はみんな、人の道を追及する対等な人たちの集まりにしか過ぎない」
857絶対神:2012/10/07(日) 04:47:30.85 ID:wn7pM3uM
   「大抵宗教は、志しを持った少数のグループから始まるのであり」

         「その中には「絶対的権威」もないし」

               『生き神もない』
そういう事が多い
     「なんだ、騙されたわ、こいつのもの言いが大袈裟なので」
     『特別な事を言っているかのように思いこんでしまったわ』
858絶対神:2012/10/07(日) 04:55:21.47 ID:wn7pM3uM
              『逆に』

「最初から絶対的権威を持った私のような「超能力者」が宗教を作る方が」

            『非常に珍しいわ』(大笑)
まあ、そう思い込ませているやつが作る場合も無数にあるだろうが
   「最初っから権威を持てる方が、恐らく全体の割合としては少なく」
何人かのにたような思想を持った連中から宗教は始められる場合が多いだろう
         「やっている内に権力闘争が起きて」
自然に序列が出来ていくのが組織としてふつうのありかただ(釈迦もダイバダッタと
対立して追い出している)
なんかこいつの言い方って大袈裟なんだよね、平等=優れているという印象を
与えかねない(事実はそれとはかけ離れており、初期から権威があるやつがいる
方が逆に「おかしい」のだが)
859絶対神:2012/10/07(日) 05:10:14.44 ID:wn7pM3uM
       「つまり、本意であるとかないとかいう以前に」

『宗教が初期の段階では宗教とは言えない、対等な少人数の、人生について真面目に考えるような
 グループであるのは極めて当然だし』

「発展していく仮定において、明確に「宗教化」し「教祖」が「神格化」されるのも」

            『極めて当然という事である』(人類全体の救済とかを
本気で考えているのならば、寧ろ、大型化による変質と変化を見越し、受け入れない
方が『おかしい』のである)

    「つまり、初期の頃の型に固執するのは「ただの馬鹿である」」
本当は教祖は何を言いたかったのか、などという以前に
 『将来そうなるだろう事を見越すくらいの事は「当たり前の事である」』
繰り返すが初期規模の段階と、大集団になる時とでは、根本的に運営方法を
変えるのは、教えがどうしたとかいう以前の問題なのである
860絶対神:2012/10/07(日) 05:21:26.74 ID:wn7pM3uM
              「単純に言うと」

            『根本的な構造的問題として』
 「数が増えていけばいくほど、対等であっては組織は成り立たなくなり」
ある程度の数が加入すれば
            『それは絶対に不可能になる』
             「組織の運営の都合上も」
『絶対に代表者が必要になるし、対外的な責任のありどころを明確にする為にも』
 「代表者は絶対者に近くならなければ、不都合が生じる場合が多くなる」(その場合の
代表者とは少人数のグループでも問題はない)
      「つまり、人類の救済を本気で考えているのならば」
  『絶対的権威を持っている代表者と、そして、「序列」と「階級」は』
      「どう贔屓目に見たって必要になってくるのである」
ましてや、世界的に広がったその宗教の事実上の根源となれば
       「神に等しく見られるようになる事は当然である」(これを防ぐ
事は元々出来ない)
まあ、あくまで「単純に言った場合」)
861絶対神:2012/10/07(日) 05:28:28.53 ID:wn7pM3uM
          「つまり、それが大宗教である限り」

             「そういう角度から言うと」

       『「信仰宗教」でない「宗教」は存在し得ない』(教祖か、
教説の絶対視なくして、大宗教組織が存在し得ない為である)

        「従って、仏教は、これ以上ないというくらい」

           『典型的な「信仰宗教」である』

          「この程度の事、自分で考えて気付け」
まあ、あくまで、「単純」に言った場合だけど
862絶対神:2012/10/07(日) 05:32:09.04 ID:wn7pM3uM
          「また、同様の理由によって」

   「少人数であった初期は「信仰宗教でなかった」というのなら」

           『そんな宗教は『珍しくもない』』
歴史学的に言うと

  「キリスト教だって、最初期のイエスが生きている段階においては」

     『恐らく、誰ひとりイエスを神だなんて信じていなかった』
863絶対神:2012/10/07(日) 05:38:07.72 ID:wn7pM3uM
     「で、「仏教が信仰宗教でない!」と主張したい連中は」

    『当たり前だが、そんな当たり前の事を言っているのではなく』

「他の宗教に比べて、キリスト教なんかに比べて、「特別な宗教だ」という事を
 主張したいのであろうが」

『長々と説明したように、「そんな事はまったくなく、どこにでもあるつまらない
 宗教です』(仏教が主張するような初期の頃の特異性などは、どの宗教でも
ふつうに通ってきている道にしか過ぎない)

「そもそもそれを理解していないからこそ、「仏教は信仰宗教ではない!」と
 主張するのであって」

        『そうでなければ、「主張する必要すらない」』
864絶対神:2012/10/07(日) 05:42:03.66 ID:wn7pM3uM
        「貧乏神と言われた事に怒ったのかって?」

      『自慢じゃないが、私は結構根に持つタイプでね』(笑)
逆に自分に「絶対のプライド」を持たないようなやつは「神」とは言えないよ

それから、宝なんたらくん

        『お前は「宗教」について「何も知らないよ」』(多分、
言われても判らないと思うけど)
865絶対神:2012/10/07(日) 06:08:40.34 ID:wn7pM3uM
         「長くなりすぎたので、ここまでにする」

    『つまり仏教とは「事実上釈迦の神格化そのものである」』(たとえ
架空の仏、架空の教説を絶対視していようと、結局、根源的には、基礎は、釈迦の
神格化なしには始まらない。何故なら結局、彼が全体をまとめ得る唯一の代表者
だからである)

「で、また教説を絶対視するとは、「とどのつまりやはり神格化」でしかない」

     『つまり、仏教を特別視する事=釈迦の神格化なのである』
866前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/07(日) 06:13:38.34 ID:Qf88PsXu
>>836
>通常、最もよくある解釈としては、
→「他者のいい加減な言説に惑わされることなく、常に自己でよく吟味
した上で、その是非を決せよ。」・・・・と言うやつだわな?

自灯明のことですが「八正道を実践しなさい」とほぼ同じだと思料します。

正しく見て、正しく思い、正しく実践する、って十分に自身を拠り所としているかと。
867神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 06:21:49.18 ID:MNLXrFic
>>836
それなら、いいよ。

帰依と矛盾しない。

帰依と矛盾するという近代解釈はおかしい。


868前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/07(日) 07:01:17.99 ID:Qf88PsXu
>>846 宝珠氏
>多分、神格化されていることを知ったら、すぐに辞めるよう弟子達をお叱りにならなれること間違いなし。

梵網経では、仏でなくても瞑想にて幾多の過去世を遡れるので、常住論が出てきたそうです。
大梵天は自身を無量寿と思われていたそうなので、一部常住&他は無常論も出てきたそうです。
また過去世の中に天界や梵天界が含まれておりましたら、自身が神だったことを認識されます。

まして無量寿の如来であれば、多分、神格化されていることを知ったら、神を絶対視する必要もないことを説かれたかと思料します。
以上、私見にて自灯明です。
869神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 07:07:11.09 ID:MNLXrFic
>>868
>以上、私見にて自灯明です。

こういう用法が困るんだって、ただの妄想でしょ。
870神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 07:37:15.96 ID:GI7PmKY6
>>783 大パリニッバーナ経(ブッダ最後の旅)では、
ブッダは、自分の滅後は先輩・長老を尊ぶように遺言してなかったっけ?
871神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 08:03:38.45 ID:MNLXrFic
>>870
チベットだと真っ当な師は、対等な立場で接してくる。
弟子は信・帰依の思いで接するべきとされます。

師は教えを与えるが撰択は弟子に任せられる。
ただし、弟子が道に沿ってるか反してるか師は導いてくれます。

これは私が読むかぎりパーリ・ニカーヤも同じでしょう。

パーリ・ニカーヤでも信・帰依は重視されます。

ダメな学者は、どんな人に説いたか、人の境地を考慮せず、一律に解釈するので自分の考えに引きつけて解釈したり、整合性がないと言うわけですが、浅薄だと思います。

ここらへんが中論18-6なわけです。
872神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 08:31:24.87 ID:fWqgO3hd
自洲なのか灯明なのか ・・・ 両方正しい!
たとえば、自分の立場を憲法にすれば、憲法が自分自身の拠点(自洲)になる。
他方、その人が社会に対する時、憲法実現が処世方針(憲法が灯明)になる。
憲法の、自分にとっての役割が自洲、社会に対する役割が灯明である。
873暇人:2012/10/07(日) 08:35:44.33 ID:FLBEkNi7
>>836,867.866
ポイントは「自灯明 法灯明」という教えと「三宝帰依」は矛盾するです。
それはなぜか。
「自灯明」は比丘に説かれ、「三宝帰依」は在家に説かれたからでしょう。

欲望が大暴れする濁流の中で、頼りになるのは他人ではなく自分だ。
自分の欲望をコントロールできるのは自分だけだという意味でありましょう。
出家修行者に釈尊はこう説かれたわけです。
対して在家に欲望制御を説かれたりはしません。
仏を信頼し、教えを信頼し、サンガを信頼せよと説かれます。
874暇人:2012/10/07(日) 08:42:00.14 ID:FLBEkNi7
このことは、「自からを洲とし」が説かれる直前の個所で
・如来の教法には教師の拳は無い
・アナンダよ、如来は「私はサンガを導くであろう」とか「サンガは私に頼っている」
とか思うことがない。
と発言している事からも言える。
またダンマパダにも以下略
875神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 08:48:32.95 ID:fWqgO3hd
自灯明を自洲とした場合、仏教という船が法灯明になり、
自灯明(僧)と法灯明(法)と解脱(仏)になる。こう理解すれば、
三宝帰依と自灯明・法灯明とは矛盾しない。ただし三宝帰依は、
釈迦の神格化が始まってからの産物だろうとしか思えない。
876大滝秀治:2012/10/07(日) 09:01:16.22 ID:6Um4R3OG
>>836
>自灯明 はもう終わりかい?w
>これではいかんのかい?wwww


自帰依 ←<大疑団>  フィードバック  <菩提心> → 法帰依
          (各種筏の自己検証)
 
*信より菩提心。信より大疑団→どこまで自己とは何か、を追い込めるか?
        自己ある限り法の現観はない。身心脱落せよ。
 平常心是道(無分別)→悟りを目指したら得られない。
            心不可得(金剛般若経)、仏法不可得。
877神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 09:05:08.27 ID:5Vs/MiCT
信というのは心の拠所、つまり依存ですが、
問題なのは依存の対象と度合いだと思います。
危険なのは妄信、盲信であり麻原に代表されますが、
名前や形態、偶像、経典そのものへの信は依存の性質上
無意味なもの以上に危険なものになりうると思います。
依存していいのは現代の生活上問題のない教えまでであり、
不要になれば捨てれる範囲のものです。
教えを信ずるのはいいと思いますが拝んでしまうのは過度の依存であり
月を見ず指を拝むの教えの通りだと思います。
878大滝秀治:2012/10/07(日) 09:05:35.31 ID:6Um4R3OG
>>876
>こう理解すれば →心不可得(金剛般若経)、仏法不可得(>>876)


879大滝秀治:2012/10/07(日) 09:08:18.18 ID:6Um4R3OG
× >>876
〇 >>875

>>877
>>876
880神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 09:17:11.58 ID:fWqgO3hd
天地人、仏法僧、三位一体などにある「三」の意味
「一」はまとまりがよく、わかりやすい。しかし単純すぎる。
「二」は不安定。落ち着かず、一か三になってほしいと無意識に思う。
「三」は座りがいい。二がはじけたかと納得する。ごまかし。
881大滝秀治:2012/10/07(日) 09:22:27.50 ID:6Um4R3OG
>>848
>功徳は他者へと廻向できるのか?

仏法が縁起の直接現実をベースとする限り、その文言自体がナンセンスだ。

縁起撥無ヒンドゥのパクリ創出した空虚な菩薩キャラクター概念導入で、

事実上「縁起」は歪曲・破壊され、「物語」仏教が始まったのだ。
882神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 09:23:14.76 ID:5Vs/MiCT
>>876
自己とは何かは割りとどうでもいいと思います。
考え、思い、心の作用は自己への依拠であり、
生きる限りは避けられるものではないです。
問題となるのは自己への固執、依拠の対象、度合いと思います。
883大滝秀治:2012/10/07(日) 09:25:43.59 ID:6Um4R3OG
× 縁起撥無ヒンドゥのパクリ創出
〇 縁起撥無ヒンドゥからヒントを得てパクリ創出 
884神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 09:27:02.75 ID:fWqgO3hd
大滝秀治氏の話には真剣の切れ味がある。いいね(^^)
885大滝秀治:2012/10/07(日) 09:27:21.17 ID:6Um4R3OG
>>882

それなら、おまえはなにか?
886大滝秀治:2012/10/07(日) 09:31:21.21 ID:6Um4R3OG
>>882

来客。
>>885に応えといてね。
この問いに、必死になって数年かかった奴がいる。
887神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 09:33:52.39 ID:5Vs/MiCT
>>885
めんどくさいから考えもしませんし答えも出しません。
888神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 11:43:57.10 ID:fWqgO3hd
>>887 
かりに真の目的があるとすれば、自分とは何かを追求することぐらいか。
ほかのことはいっさい、世を忍ぶ仮の姿にすぎない。
889神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 11:48:58.41 ID:fWqgO3hd
ジャータカのウサギはインドの悪弊・サティを思わせる。
その他も輪廻転生やら何やら、釈迦の神格化に重要な役割を果たしている。
無邪気な子供や、単純な善男善女を洗脳するにはもってこいだろう。
釈迦を神格化できれば、つぎは宗教で大衆をコントロールできる。
いまならテレビ、インターネットぐらいの影響力か。
890神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 13:35:15.25 ID:OZM/rrzS
>>888
>自分とは何かを追求することぐらいか

自分で自分を追求することなど出来ない。自分を追求するのは、もう一人の
自分、そのもう一人の自分を追求するのは、さらにもう一人の自分。どこまで
行っても「自分の主観」を免れることはできない。

「自分探し」は、幼稚なナンセンス。
891前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/07(日) 14:21:47.31 ID:Qf88PsXu
>>890
>「自分探し」は、幼稚なナンセンス。

そうですか。
瞑想によって幾つも過去世の自分は遡れるそうです。梵網経では。
そして来世の自分も。

釈尊が弟子の誰だったかの未来を見せて、当人がびっくりして改心したという話もどこかで読みました。
892神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 14:41:33.01 ID:fWqgO3hd
>>890 そんなことはない。
夢の中の(自分)を見ている自分がいる。その自分が別の「自分」になる。
その別の「自分」を再び元の自分が見る。「A」が真の自己。
A →(A)→「A」← A
893神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 15:04:21.77 ID:fWqgO3hd
暇人氏には恐縮だが、>>873 から霊を取り出してみよう。 
>欲望が大暴れする濁流の中で、頼りになるのは他人ではなく自分だ。
>自分の欲望をコントロールできるのは「自分」だけだ・・・
 
文中の「」はわたしが追加したが、これが真の自分ではないかと。
894神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 15:07:51.11 ID:5Vs/MiCT
>>892
それは観の仕方であり現象の判断材料に有効ですが
自分がどうこういうものでもない。
自分がどういうものであるかは医学書でも見ればいい。
895神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 15:39:31.01 ID:fWqgO3hd
>>894 解剖学上の自分は論外だが、普段何気に生活していて、
もう一人の「自分」が自分自身を観察していることに気がつかない?
もうひとつの押印、「わたし」という主語は真の自己に関係する。
それは破片の集合ではなく、統合された、ひとつの実体ではないか。
896神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 15:50:59.02 ID:5Vs/MiCT
>>895
脳の仕組みがどうなってるかわかりませんが、
もう一人の自分というのも脳の作用と思います。
真我がないのは釈迦の通りと思うし、統合の末の
一現象かもしれません。別に拘る必要もないかと…。
897神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 17:03:21.35 ID:c3bR3liJ
>>892
夢は、睡眠時における脳細胞の混乱状態だから論外。何の根拠にもならない。

真の自己も偽の自己も、いずれも自己である。

自己を判断してくれるのは他者のみ。人間界が、徹頭徹尾「共同体」である
所以。
898カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/10/07(日) 17:25:58.92 ID:5fKI3V6m
>>896
ゴータマは、ただこの現象世界にはアートマンとも言える自性はないと言っただけで、
真我、引いてはブラフマンなどないなんて一言も言っていないだろ。
相も変わらす君ら仏教徒の盲目度は観察してると本当、笑える。
救いようがないとはこういうこったね。
899カラスの唄:2012/10/07(日) 17:32:03.05 ID:5fKI3V6m
ちなみに俺はこの現象世界意外に別の世界があるなんて言っていないので、
お間違いないように。ゴータマはただこの世界には自性(アートマン)は無いと言ってるだけなんだよ。
900神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 17:59:25.74 ID:5Vs/MiCT
>>898
仏教徒でないし無勉強で申し訳ない。
この世は複合で一つを為していると思ってるだけです。思い込みです。
901前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/07(日) 18:08:54.22 ID:Qf88PsXu
>>833 一つ前の前世
(参照)大智度論第三十六より、
声聞、辟支仏は方便の力が無いが故に、三解脱門(空、無相、無作)に入ると直ちに涅槃を取りますが、
一方、菩薩は方便の力があるが故に、三解脱門に入って涅槃を見ても、慈悲心を以って心を転じて涅槃を取らないそうですね。

Q.阿羅漢が輪廻しないなら、菩薩の前世は阿羅漢ではないのでは?

ロジックから見ると、阿羅漢を飛ばして菩薩にならないと、再生できないかと。
902神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 18:10:13.31 ID:kiUpDzEH
質問スレから
>>意味的には無我です。そのスッタニパータも相応部の『無我相経』 などもすです。
>>ですが形式的にはできません。パーリ・ニカーヤでは形式的に非我だからです。
この部分が、どうもすっきりしないので確認だけ

意味的に非我か無我かは置いておくとして。形式的と言うのはどういう意味で使っているのですか?
903前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/07(日) 18:16:44.53 ID:Qf88PsXu
>>897
>夢は、睡眠時における脳細胞の混乱状態だから論外。何の根拠にもならない。

過去世(ログ)でも話しましたが、私の祖父は睡眠時に寝言で仏教関連の話をします。
祖母が起こされてノートに記載し、一冊の本を自費出版しました。
目覚めた本人は何も覚えておりませんし、特に仏教書を読んでいた訳でもなかったです。

内容は、前世での話し、近所の地蔵達や来訪者(過去世の釈尊の弟子)との対話、等々。
前世での仏教徒に起きた出来事は少しジャータカに似ております。
904前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/10/07(日) 19:16:20.30 ID:Qf88PsXu
近所の地蔵達や来訪者との対話内容(全て祖父の寝言)から、阿難、目連と一緒に修行をし、
浄土では阿弥陀仏の膝元にいた一方が衆生済度を発願して再生したが、全て記憶を失い、
50代になってから寝言で語るようになったとの経緯が分かります。

何分、300頁ほどの寝言なので、少しずつ紹介致します。
聖道門と浄土門、一元か二元かのお話も具体的です。
親鸞聖人のご霊が来られて肩に乗り地蔵らが礼をした場面や、次男幼児が「父さんのお腹にノンノン様が見える」と叫んだり、不思議な内容です。
905神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 19:37:21.35 ID:MNLXrFic
>>902
言語的形態としてという意味です。
906神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:04:03.11 ID:kiUpDzEH
>>905
と言うことは、ニカーヤの言語的形態は非我であるという事は、無我を唱える人も認めているわけですか。
私になりに整理すると、
・初期の仏典は、言語的形態は、非我が説かれた。
までは、共通だがここからが問題で、
・ブッダは形式的には非我を説いたが、意味的には無我である(アナタが言うには、龍樹がそれを明らかにした)という説
・ブッダは、形式的にも意味的にも非我を説いただけで、それ以上の事はなにも言ってないとする。つまり無我は後世の仏教徒の(意図的な?)誤読による付加物であるする説
に別れるわけですね。
907神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:11:14.35 ID:MNLXrFic
>>906
>と言うことは、ニカーヤの言語的形態は非我であるという事は、無我を唱える人も認めているわけですか。

 それを認めない人は、問題外ですね。

>私になりに整理すると、
>・初期の仏典は、言語的形態は、非我が説かれた。
>までは、共通だがここからが問題で、
>・ブッダは形式的には非我を説いたが、意味的には無我である(アナタが言うには、龍樹がそれを明らかにした)という説

 非我というのはニカーヤの頃、外道を否定しない表現形式だったのではないかと思います。
 龍樹菩薩の頃は、そういう表現形式では、誤解が多くなってきたのではないかと思っています。

>・ブッダは、形式的にも意味的にも非我を説いただけで、それ以上の事はなにも言ってないとする。つまり無我は後世の仏教徒の(意図的な?)誤読による付加物であるする説
>に別れるわけですね。

 そういう人もいますが、挙げだ無我相経やスッタニパータで十分反証になると思います。
908神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:19:25.35 ID:kiUpDzEH
>>907
『無我相経』って、石飛さんのサイトに上がってるやついいですよね。読んでみます。
あと、スッタニパータの中で反証になる部分は、中村訳757, 758以外にありますか?
909神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:20:08.84 ID:kiUpDzEH
>『無我相経』って、石飛さんのサイトに上がってるやついいですよね。読んでみます。

>『無我相経』って、石飛さんのサイトに上がってるやつでいいですよね。読んでみます。
910神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:24:19.72 ID:5wHYl/Uw
>>897 
>夢は、睡眠時における脳細胞の混乱状態だから論外。
 
どんな夢にも意味がある。ただ簡単には解読できないだけ。
荒唐無稽、混乱した夢ほど、抑圧された思いが背後に隠されている。
911神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:24:43.65 ID:MNLXrFic
>>908
そうです。石飛先生の訳はいいですよ。

スッタニパータでは簡単には出せません。
結構、いろいろ読み込まないと分からない経典です。

それと中村訳はよくないので、日本語訳は水野訳の南伝大蔵経か講談社の荒牧・榎本訳の方がいいですよ。
英訳なら、これはなかなかいいと思います。
http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/snp/index.html
912神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:42:53.79 ID:5wHYl/Uw
抑圧がなければ、意味のわかりやすい夢を見る。
思いが変形していないからだ。道路わきの草むらに野良猫がいる。
可愛いので足を止めば猫がニッと笑う。心が通じた。
そして野良猫が数匹、のどをグルグル鳴らしながら追いかけてくる。
猫の王様になったような気分・・・
913神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:44:37.67 ID:kiUpDzEH
>>911
中村訳は良くないのですか?
値段的にはお手頃ですし(と言うより他が高すぎる)専門家のなのでも白眉の書と聞きましたので深く考えず購入したのですが・・・
ほぼ初訳みたいなもんですしそもそも完璧な訳など不可能なので訳の良し悪しついては別にいいです。

水野訳の南伝大蔵経か講談社の荒牧・榎本訳って検索してもそれらしいのが出てこないのですが、もしかして共に絶版ですか?
914神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 20:57:45.25 ID:MNLXrFic
>>913
講談社のは絶版ですね。図書館で借りてください。

南伝大蔵経は売ってると思いますが、高いです。

中村訳は、現代語に訳してて意訳しているので解釈が入ってますが、結構間違ってて、そのために誤解すると思います。

915神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 21:27:36.08 ID:ROooPbL2
>>914
それって中村元が、非我の立場だから良くないって言ってるんじゃないよな
「結構間違ってて」って例えばどういう所が間違ってるの?
916神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 21:31:20.84 ID:MNLXrFic
>>915
だから形態的に非我は否定できないって。

例えば、以下の和訳とそこに示される諸英訳、諸和訳、及び諸資料と中村訳を比較すれば一目瞭然だと思いますが
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html
917神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 21:59:20.10 ID:MNLXrFic
諸訳とは比べてないけど以下の『スッタニパータ』757, 758の方が分かりやすいかも
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html
918神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 22:45:37.85 ID:hpn3vUTS
なんという輪廻スレw

灯明・洲も、非我・無我も、自灯明・自洲も、散々出尽くしてるよなw
私も、>>836は良い理解だと思う。


>>787
>限りなく和辻より
何を今更w

ま、
(一時期、ヤクルトの古田やノムさんは、監督兼捕手とかやってたと思うがw)、
それを例に出さずとも、
共に歩む行者であり且つ師・先輩であること、は全く無矛盾に成立すると思うけどね・・。
919神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 23:07:47.90 ID:MNLXrFic
>>918
やっぱり、そこが現代人に阿った所だからでしょう。
そう思いたい現代人に会通して解釈した和辻・増谷が未だに支持されてる点。
今、売れてる植木さんだっけ、その方も同じようなものだと思います。
920大滝秀治:2012/10/07(日) 23:15:21.33 ID:6Um4R3OG
無我と非我は、どちらなのか?ではなく、言語表現であることをふまえて(中論24-10)<相の違い>だ。

こんな簡単なことでさえも、古代人のコピー至上主義者には掴めない。
もう散々書いてきたから、説明しない。
あらよっ!

縁起の直接現実(あるがまま)をベースにして、存在は二相にて掴み得る。

◎間接現実<分別知覚・記憶・判断の二項相対を通す> *世俗←分別相

@一切内   ・時間: 一切行無常(有⇔無の相対無)      空間: 一切法無我(有⇔無の相対無)★←無我(なし)
 
A一切外    無記

B間接現実からの直接現実の隔靴掻痒の示唆: 間接否定形式(四句第4:直指肯定不可)
 非有非無    非無常非恒常  不生不滅、 不一不異、     非無我非有我★★←(〜でない)
*言語表記では、 <非(不)〇〇非(不)▲▲>という間接形式が直接現実を示唆できる限界。

◎直接現実<無分別智直接智覚による縁起の現(あるがまま)観> *勝義←無分別相

・〇〇〇〇〇  ⇒    (メタ空白)       ←あえて空(知・不知も、沈黙・発言も不可:平常(無分別)心是道:あるがまま)
・無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相・無分別の空=中道=時空際断(間接現実の空間・時間の“際”そのものが断たれている)

921神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 23:19:07.74 ID:gCFXlzeH
何故そんなに釈迦個人に執着するのかの心理のほうが興味がある。その執着
を去らなければ、解脱など不可能。

釈迦の価値とは、大乗発生のヒントのヒントとなった点だけではあるまいか。

大乗は、どの宗派でも、それなりのものを持っているね。
922大滝秀治:2012/10/07(日) 23:22:39.72 ID:6Um4R3OG
× ★★←(〜でない)
〇 ★★←非我(〜でない)  
923不説 ◆AnATTa/dJc :2012/10/07(日) 23:35:23.45 ID:XyvfgtfK
>>920 aka 閻魔大王氏

anatta の訳として非我と無我を対立する訳として扱う
(無我ではない有我であるということの援用に非我が正しいというような手法)のではなく、
どちらか一方のみを選択するのならば、どちらがより適切かということならいいんじゃないかと思います。
非我・無我セットの上で、非我を良しとするなり、無我を良しとするのはokでしょう。
有我とセットで非我が訳として正しいと主張するのは、仏教陣営としては明らかに却下でしょうね。
924神も仏も名無しさん:2012/10/07(日) 23:44:16.31 ID:gCFXlzeH
>>923
どちらも不適切。単なる釈迦の勘違い、単純ミスw。
925大滝秀治:2012/10/07(日) 23:53:32.66 ID:6Um4R3OG
>>923
>有我とセットで非我が訳として正しいと主張するのは、仏教陣営としては明らかに却下でしょうね

当然。
そもそものブッダの本懐が実存苦の根本的超克であり、我執が原因(縁起)ならば、
消去の必然性は子供でもわかる。

非我・無我は二相把握の問題であることは>>920の通り。

中論7-34,13-8,18-6,18-8から体系的にしっかり掴み取ってんか。
926神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 00:00:07.00 ID:gCFXlzeH
>>925
中論は、無我だの非我だの、アホなことは言っていない。
927大滝秀治:2012/10/08(月) 00:27:58.23 ID:UrA2gvS8
>>926
>中論は、無我だの非我だの、アホなことは言っていない。

たとえば→中論18-6を嫁。 
お前のごときアホには、ブッダは親切にも「我(アートマン)が有る」と仮説(&仮設)される(初段)。
コンサルティングの要諦=待機説法だ。

      我は我にあらず、ゆえに我という。
928不説 ◆AnATTa/dJc :2012/10/08(月) 01:24:49.12 ID:q9g1PC/G
>>924 御隠居殿
五欲(もしくは唯五欲主義)にとっては不適切というか不都合ですよ、確かに……。

>>925-926
私は中論に関しては守備範囲外ですのでスルーさせていただきます。m(_ _)m
929神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 02:05:32.43 ID:gpfSRshv
>>928
>五欲(もしくは唯五欲主義)にとっては不適切というか不都合ですよ、確かに……。

だから釈迦が、「無我」「非我」などと「己の我」で考えたのが、彼の初歩的
論理矛盾なのですよ。分りませんか。そもそも「五欲を排除しよう」というこ
とこそ「欲」ではありませんか。

「中論は守備範囲外」なんて、あなたは一体どこの国の仏教徒?日本は大乗仏
教の国ですよ。

>>927
竜樹は親切で頭がスバ抜けて良いから、釈迦の初歩的ミスを、「待機説法」と
いう便利な言葉で庇ってあげているのですよw。中村博士は、18:6に、
「中間派には<定説>というものが無いのである」と注をつけています。
「無我」だの「非我」などと言ったら、まんま「定説」になってしまいます。
930神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 02:07:23.51 ID:evRCAeSP
話題が輪廻してんのは、周知のことだが輪廻には当然理由があるわけで
おそらく、キリスト教でいう、三位一体説であるとかマリア処女説の様に、誰でも疑問に思うがなかなか答えるのが難しい問題が輪廻している様に思う。
しかも、そういう基本的な問題は、双方なかなか譲らないので長々と議論が続くことになる。一つの解決方法としては、よくある質問としてまとめを作ることだが
結論に対して議論があるので、簡単にはまとめられない。

そこで

>>灯明・洲も、非我・無我も、自灯明・自洲も
これらの論点はおそらく既にほとんど出尽くしただから、結論を出すのではなく、あくまで各主張の論点をまとめるwikか何かを作って
輪廻してる話題は、一回そちらに誘導するのがいいと思う。過去レス見直すにはさすがに酷だとおもうし。質問スレでも同じような輪廻が起こるからそちらと兼ねてもいい。

論争してるレスをそのままコピペすると言うのでもいいかもしれん。 さすがに、同じ話題を延々に繰り返すのはみんな嫌でしょ。あと新規の人も話題に入りやすい。
931神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 02:11:29.49 ID:evRCAeSP
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/1.html
当然コレとは別にね
932不説 ◆AnATTa/dJc :2012/10/08(月) 02:26:14.54 ID:q9g1PC/G
>>929 御隠居殿
>日本は大乗仏教の国ですよ。

「その」大乗仏教は元々日本になく、「全て」「丸ごと」「ことごとく」「骨の髄まで」
中国からもたらされたものなので、「御隠居殿は一体中国の仏教徒?」なわけですね。
「日本の何らか」ではない、と。

私は日本だろうが、中国だろうが、インドだろうがどこでも、真正品であればいいんですが、
もし原産地を巡って自国産かどうかということを巡る論法になるのでしたら、以上のように
ならざるを得なくなります。
933神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:27:32.98 ID:YBrgFS7j
有我だ非我だ無我だとやりあうのは、自分とは何かの根本問題だし、
やりあうのが楽しくてやってるのだと思う。
自分とは何かがわからないうちは議論し合いたいテーマなのだろう。
人さまざまだし、いくら輪廻してもよいのではないだろうか。
934神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:30:07.62 ID:p6zu7aia
我に現代日本人が考える霊魂や精神という意味をあてはめて
インドのアートマン(我)概念の中身を無視したら
和辻ってしまいますな。
935神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:43:55.86 ID:P3SksUlz
怒る奴ってのはホントバカだな
本物はいきなりぶん殴られて全財産持ってかれても怒らない
いかなる理由があろうと怒る奴はニセモノでバカ
936神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:45:30.92 ID:YBrgFS7j
問題なのは、木を見て森を見ずのような議論だろうか。
そうならないために、釈迦の悟りは何だったのか、
これを絶えず意識すべきである。その手がかりとして、四諦八正道、
十二支縁起、三(四)法印などがあるではないか。

これを絶えず意識すべきである。
937神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:49:25.48 ID:cuD5dxIN
>>936
テキストに基いて語ってね〜
938神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:51:14.25 ID:qhnyobG7
>>933
その立場は非我なのかな。私も良いものは輪廻してかまわないと思う。
無我の立場をとれば、我というものはどこにも存在しないから無我であり、
非我の立場をとれば、釈迦が心の働きを重視し良いものは無くす必要がない
し心の働きが無くなるわけでもないことことから端を発すると思う。
そう考えれば、どちらも正解と思う。
何をもって無我、非我とするのかは、それぞれの主観であって、無理矢理
否定しなくても丸く治まればそれで良しの立場こそ重要と思います。
939神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:54:00.39 ID:YBrgFS7j
テキスト? 具体的に名前を挙げてほしいね
940神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 08:58:08.58 ID:cuD5dxIN
>>939
そんなこと言われても、アナタが主張する根拠となるテキストに基いてといっているので、
何に基いているのかわかりませんよ。

なんであれテキストであれば、結論はでるけど、

>四諦八正道、十二支縁起、三(四)法印

とだけいってもね〜、それじゃ掛け声みたいですよ。
941大滝秀治:2012/10/08(月) 09:08:49.48 ID:UrA2gvS8
>>938

仏法に「立場」なるものはない。

あなたの文章は全体がデタラメ・ハチャメチャだから、
最初歩の入門書から顔を洗って出直してください。

それまで、こんな気違いヤクザの出入りする場末に足を踏み入れてはいけません。
942神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:10:50.41 ID:YBrgFS7j
>>940
四諦八正道や十二支縁起や三(四)法印という言葉を使うのに、
いちいちテキストを挙げる人はいないだろう。
言葉の意味がわからないなら、ウィキや辞書で調べてくれ。
943神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:10:58.64 ID:p6zu7aia
禅師ごっこは一人じゃできない。
だからこんなところにいるんだな。
944神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:15:00.40 ID:cuD5dxIN
>>942
そっちに行っちゃったか、じゃ、いいや
945神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:16:46.48 ID:qhnyobG7
心の働き方、矯正の仕方なのかな…
十二支縁起は心の働きを無理矢理名称意味づけてるのであって、
実際の心の働きはそんなもんじゃ済まされないかもしれないし、
言葉にするのも変とも思うが必要性のあることでの名称意味づけであり、
指標とするものは、やっぱりあった方がよろしいかと…
とはいえテキストに拘るのも、証拠だせや〜であるし、
証拠かどうかも解らないし、結局は個人の主観にもよるし、
結局、名称意味づけがどこまで重要なん?てことだと思います。
946神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:26:20.44 ID:cuD5dxIN
>>945
テキストに基いてとうのは、そういう主観で話してもしょうがないからですよ。

テキストに基づくなら、少なくとも形態上の一致までは客観的に話し合えるわけ。


947神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:39:48.53 ID:qhnyobG7
テキストに基づいたとしても見解の相違は生じるのであって、
諸派仏教の主義主張があっての俺が俺がでわけわからないことになっている
のであって結局何がしたいん?に終結されるかと…
客観的に話あって生じるのは苦か和解か。
客観的に話あうことに何を求めているのか。
結局俺が俺がになるようなら無我でも非我でもないようなw
948神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:43:23.82 ID:YBrgFS7j
議論で重要なのは、話の論理性や客観性であり、
テキストの有無ではない。テキストはないよりはあった方がいい。
その程度であり、言葉のいちいちにテキストを要求するのは
病的な感じを受ける。>>944-945
949神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:48:03.87 ID:cuD5dxIN
>>947
テキストに基いて、最終的に解釈が分かれるのは仕方ないです。

ただ、テキストに基づくなら、オレオレの無根拠な妄想はなくなるでしょう。
950神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:54:15.21 ID:YBrgFS7j
>>946
テキストもその作者の主観に基づいてるわけだから、
そこでいくら論じてもその作者の主観を論じているのに過ぎない。
あなたのテキスト主義は最初から破綻している。
そんなことなら自分が作者になった方がいいと思わない?
951神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 09:54:35.56 ID:qhnyobG7
議論にしろ何にしろ求められているのは精神安定剤であり
精神安定剤という薬はあるが薬にたよらなくとも
欲求自体が精神安定剤であるし欲求を抑えるのも精神安定剤であるし
物や思想、行動、仏教や議論も精神安定剤。
ミイラとりがミイラになれば本末転倒。
952神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:03:51.42 ID:cuD5dxIN
>>951
いや、そういうことを話そうとするからオレオレになっちゃうんだよ。

テキストに述べられていることに限定せざるえない。

テキストという共に確認できる基準以外で話しても、オレオレのぶつかり合いにしかならないと思う。
953神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:08:16.67 ID:YBrgFS7j
>>946 あなたのようなテキスト主義が、
木を見て森を見ず、のような議論を作るのだろうと思う。
全体から部分を論じるには → 自分が作者になる必要がある。
自分の主観性を薄める作業が、論理性と客観性の追求。
954神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:11:28.14 ID:qhnyobG7
>>952
そもそも話しの流れはテキストに沿ってないかもw
ぶつかり合いはあっていいしテキストもあっていいし、
それが世のため人のため私のための精神安定剤であるなら…
今日は>>951が言いたかっただけなのが本音w
955神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:12:46.66 ID:wLOPZNzX
>>953
いや、彼は(こういう掲示板上での)文字媒体で有益な議論が出来るのは、テキスト準拠まで、という考え方なんだよ。
テキスト以上のことは認めてるが、師と弟子が会って相手の機根とか見つつ慎重にやるものだと思っている。
956神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:14:47.95 ID:qhnyobG7
>>955
雑談は駄目なのか・・・
きびしーな・・・
957神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:27:32.00 ID:cuD5dxIN
>>956
いや、雑談でも、オレオレでもなんでもありなんだけど、
真面目に離したいなら、ここではテキストしかないと思うんです。

ただ、雑談とか、オレオレで、こうあるべきみたいな流れだったので、私見を述べたまで、別にオイラが仕切ってるわけじゃないで、好きにしてください。
958大滝秀治:2012/10/08(月) 10:28:39.82 ID:UrA2gvS8

テキスト教相判釈はもちろん妄想です。

天台智のおっさんもトンチンカンな分別三昧で恥を晒しよったw

で、それを妄信して、法華経サイコーの日蓮みたいなキチガイも出た。

だって、古代人が「如是我聞」つけて“書いたモン勝ち”なんだもん。

それをこねくり回すのが仏教オタク趣味。

ブッダがなんでテキストを残そうとしなかったのか?

パラドックスなんだよ、「仏教」は。

よーく、『法』を感じてみよう!
959神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:35:15.82 ID:cuD5dxIN
ほれ、こんなふうに
960神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:39:13.73 ID:wLOPZNzX
閻魔さんは、禅籍は使うけど、それに書いてあるような状況、禅籍が実際に用いられる場所に
身を置いたことがない人だと思う。なんというか、無邪気すぎるんだよな。
961大滝秀治:2012/10/08(月) 10:39:45.06 ID:UrA2gvS8
>>959

ブッダはなーんでテキストを残そうとはしなかったの?
962大滝秀治:2012/10/08(月) 10:42:54.71 ID:UrA2gvS8
>>961

あんたの勝手な妄想だけど、アタシに『邪気』はないよ。

だって、遊びなんだよ、人生は。
963神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:46:02.15 ID:qhnyobG7
>>957
まぁそれを承知で殴り込みかけたのが実情であって、
本来カラスに指摘された通り物知らぬ俺の出る幕ではない。
でも漢字ばっかり並べて神妙になっても面白くないじゃんw
アホが醜態さらすのも無意味とは思わん。
まぁ場違いが居すぎても迷惑になるし、この辺で…
964神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:46:47.63 ID:YBrgFS7j
>>958
ほんとだね。さすが真剣の切れ味。
965大滝秀治:2012/10/08(月) 10:47:22.55 ID:UrA2gvS8
× >>961
〇 >>960

  あんまりマジにやってると、
  ファウストみたいにメフィストにからかわれるぞw
966神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:47:28.59 ID:wLOPZNzX
相手の言葉から端をつまんで自分が言いたい事を表現するために使うから
たまに会話にならないんだよね。一貫性があるとも言えるが。
967神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:57:12.47 ID:cuD5dxIN
>>966
そうなんだよね〜

ようするにオレチャンかっこいって言いたいだけ、そんなことしてもしょうがない。

カッコワルいだけ
968神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:00:27.07 ID:9x0TETiL
>>961
法華経の中のブッタはテキストを残させるような指導をしとるね。

>>963
ミイラとりのミイラが“迷惑になるし”とは随分と謙虚なことで。
969神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:01:22.13 ID:YBrgFS7j
>>955
>テキスト以上のことは認めてるが、師と弟子が会って相手の機根とか・・・
 
肝心の師がニセモノかもしれない。本物とニセモノをどうやって判別するの
だろうか。かれの主張にはかれの都合とか下心が隠されていそうだね。
970神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:05:48.45 ID:YBrgFS7j
>>966-967
みんな同じようなことをやっているよ。自分がやっているのに、
それで他人を批判したら天に唾するようなものだろう。
971神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:06:56.26 ID:wLOPZNzX
>>969
ttp://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/psy/1346067224/972-973
チャーチルの民主主義評みたいなもんか。
972神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:13:08.87 ID:9x0TETiL
>>970
仏だとか神だとかのお話は昔から批判しあうものらしいぞ。
つか、利用されてきたというべきか。
973神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:16:25.15 ID:qhnyobG7
>>968
言葉は真実でない。その場はそうであっても
実の所はほんの社交辞令w
974神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:18:03.65 ID:cuD5dxIN
テキストに依らないと、こういうことになっちゃうでしょ。

結局、
975神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:22:07.04 ID:qhnyobG7
テキストに実の所はないってことですよw
976神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:25:45.81 ID:YBrgFS7j
>>974 どうして極端から極端に走るのかな。
あなたはオレがオレがの主観性を嫌っているように装っているが、
その実、自分の主観性に鈍感な主観主義者なのかもしれない。
977神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:29:27.60 ID:cuD5dxIN
>>975
実の所など、こんな所で話せましょうか?

少なくともオイラは、無理
978神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:30:18.99 ID:9x0TETiL
だからね、本音の出所はブッタではなく・・・オレ、オレなわけよね結局。
979神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:32:39.63 ID:qhnyobG7
>>977
そりゃオイラも同じで底にあるのは、
辛く厳しい物語かもしれん。
それをオブラートに包んでの苦かもしれんw
980神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:35:07.32 ID:cuD5dxIN
>>979
そうでなく実の所を話せるのは、聖者が信のある弟子と対面してでないと無理でしょうという意味ですよ
981神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:39:14.98 ID:evRCAeSP
弟子「仏法のぎりぎり肝要の処を伺いたい」

師はすかさず「かーっ」

こうですね
982神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:39:45.77 ID:qhnyobG7
>>980
言葉上では話せるが実際の胸の内は己以外わからない。
また意識もしなければ、それが何かもわからない。
他人の過去を全て透視できるなら話は別w
983神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:39:56.90 ID:9x0TETiL
そいいうのを、“馴れ合い”っていうんだよね。
宗教ってもいうし。
984暇人:2012/10/08(月) 11:44:15.60 ID:l1X4ElHU
登山して頂上に至った時の【感動】を知りたければ
自分の足で登るしかないというのはあるだろうとは思う。

ヘリコプターで頂上に降り立ち、風景の美しさは味わえても
こつこつと自分の足で登った時の感動を味わえないだろうしね。
985神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:50:31.88 ID:9x0TETiL
>>984
そう、
大乗とか小乗とかの乗り物で登山しても感動は薄れるかもよ。
「おまえ、ここまで歩いて来たんね!」
なんて言う奴には分からんだろうしな。
986神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:55:11.94 ID:cuD5dxIN
>>981
仏教的には実の所を聖者から伝承され自ら体得している聖者以外、実の所はわからないから

>>982
凡人の胸の内は妄想だというのが仏教の一貫した立場だと思いますよ
987暇人:2012/10/08(月) 11:58:55.28 ID:l1X4ElHU
>>985
聖道門というのは北伝であれ南伝であれ、自分の足で登山しようという
人たちのモノで
私が親近感を持つ浄土門は、ちゃっかりとさ大船に乗って
らくらく対岸に渡るというズル。
聖道門のような感動はないんだが頂上の景色は味わえる。

>>986
典型的な「教師の握り拳はある」派ですね
988神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 12:09:39.06 ID:cuD5dxIN
>>987
そうではないよ。

知覚できることと、できないことが、それぞれの境地で異なっていることは仏教で一貫してるでしょ。

以下の『梵網経』のように凡夫はつまんないことしか分からない、聖者はそれぞれの三昧の境地に応じて知覚領域が広がる、そしてブッダはそれを超える。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

和辻とかは、こういう知覚の違いを認めずに、近代的なコモンセンスで論じるから話にならないんです。
989神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 12:13:47.64 ID:4V2aNTHH
釈迦が自分の教えを文字に残さなかったのは、文字に出来ないってのもある
だろうし、それにとらわれちゃうってのもあるだろうけど、人が人に伝える
ってことを信じてたんじゃないかなって思ってます。
だから、対面じゃなくて文字だけのコンナところでも(w)伝えたいことを
伝えたいままに(ほんとに伝えたいことはテキストじゃなくてテキストに
出会えた時の感動や思いだとおもう)伝えればわしみたいな不勉強な者に
だって仏教は届くんだと思います。
990神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 12:23:33.13 ID:9x0TETiL
>>987
ずいぶんとよろしい豪華船なのだろうか?w
これなら、中洲とやらの譬えであるかとも思うが、仏法テキストもいらんって事だな。
舵は他人まかせろってところか。
さて、船を降りてからが問題だな。

その浄土には太陽が沈まないだろうから、何を観に登るんじゃろか?

つか、このような議論ではなさそうだったな。失礼
991大滝秀治:2012/10/08(月) 12:29:40.64 ID:UrA2gvS8
>>986
>仏教的には実の所を聖者から伝承され自ら体得している聖者以外、実の所はわからないから

テキストによれば、ブッダはこう言っている。

『わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。

 完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握り拳は、存在しない。』
                (大パリニッバーナ経2-25 中村 元 訳 岩波文庫p62)


<わたくしは“内外の隔てなしに”(ことごとく)理法を説いた。>

だが、戯論の消滅なるが故にブッダはなにも説いていない。当然だ。


ところが、「仏教」は分派闘争の歴史でもあった。

な〜んでかな?
ブッダはな〜んでテキストを残そうとはしなかったのか?

その聖者さんが実の所をわかっているとすれば、聖者ではない。

まあ、反応は想定内なんだけど・・・w



992神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 12:33:47.99 ID:evRCAeSP
>>986
仏教的には正自覚者は、釈尊ただ一人ってことか

当然といえば当然だがそういうところは、神が作ったヴェーダ経典は随覚者つまり
正当な伝統に乗っている聖者から教わらないと意味が無いとするバラモン教と同じだな。

ただ、大乗は正自覚者である仏陀に成ることを目指す宗教でもあるから
正自覚者は、釈尊ただ一人っていうのは少し違うか
993暇人:2012/10/08(月) 12:34:06.01 ID:l1X4ElHU
>>988
一致してない仏教もあるよ。
例えば「海一味」という考え方。

凡夫も聖者も五逆の罪人や法謗の咎人でも
大川、小川、いろんな川の水が海に入れば同じ味になるように
悟りに入ればいっしょだ。

ところで「梵網経」、
1.凡夫は戒律を実践する釈尊を尊敬するが、それは卑近な事柄だ
2.外道の62見を紹介し、如来はもっと凄い事を知っているから偉い
という二部構成には、なっているが、
仏教の戒律実践を称賛する凡夫より外道の62見が優れているという構成に
なってないのではないか。
994暇人:2012/10/08(月) 12:37:50.78 ID:l1X4ElHU
>>990
そう至りつくせりの豪華船なので、
「そんな虫のよい話があるわけない」と疑いの目で見られて
たやすく対岸に着けるのに、滅多なことで信じて貰えないという意味で
【難信】でもある。
995大滝秀治:2012/10/08(月) 12:39:56.97 ID:UrA2gvS8
>>990
>浄土

浄土ってのは、まあ、つり餌ですなあw
996暇人:2012/10/08(月) 12:42:02.00 ID:l1X4ElHU
>>995
そう。釣り餌。
これをギョーカイ用語に換言すると【方便】となる。

真実に至るための手立てと解釈されている。
997神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 12:48:15.65 ID:9x0TETiL
な〜んだな、
俺が釣られたみたいだw

998大滝秀治:2012/10/08(月) 12:48:36.35 ID:UrA2gvS8
>>996

で、浄土で釣って、回向を信じさせて、一丁上り。

業報輪廻転生論への攻撃だが、反撃はどーなった?

こっちは高みの見物なんだけどw
999大滝秀治:2012/10/08(月) 12:55:34.32 ID:UrA2gvS8

回向と縁起の直接現実は両立せんやろ?

どーでっか?
1000大滝秀治:2012/10/08(月) 12:56:18.82 ID:UrA2gvS8
親鸞!出て恋!!
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