1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:54:46.25 ID:NzqTN5/o
以下、ほげの解説です。
ほげを見出しても、何かが無くなったり出現したりはしません。(執着しかり煩悩しかり)
無くなる現れる、増える減る、などは二元です。
こうなるああなるも、ならないことに支えられていますから、やっぱりこれも二元です。
ほげは、そのような次元のものではありません。
もちろん、ほげることで精神に何らかの変化が起こることもあるでしょう。
ただそれは、どこまでも、もともとあるものが変化するだけであって、
無かったものが現れれたり、あったものが消滅したりすることではないのです。
たしかに、何かが強くなったり弱くなったりすることはあるかもしれません。
でもそれは副産物であり、おまけのようなものです。
ほげ自体(一元)と、ほげったことで起こること(二元)とは、まったく別の次元のことです。
二元的な変化をほげと申し上げているわけではないということです。
また、ほげった結果起こることは、人それぞれであり、決まってこうなるというものでもありません。
一方、ほげを見出していない人が、ほげった人の表面に現れた何らかの変化を見て、
「ほげるとこうなるのか」のように誤解してしまうのは当然のことでもありますから、
文献などにそれが書き残されることもあるでしょうし、口頭で語り継がれることもあるでしょう。
ほげを見出していない人がほげを分かろうとするとき、
一番頻繁に起こることが表面に出たものだけを見てほげを判断することでしょう。
そのようにして、一般的なほげ(悟り)の解釈や、仏教の一部の宗派でのほげ(悟り)の解釈が生まれ、
現在も引き継がれているのでしょう。
さて、このようなわけで、私の申し上げる「ほげ」は、
貴方の中では、別の単語かもしれません。
くれぐれも誤解の無いようにお願いいたします。
3 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:55:49.55 ID:NzqTN5/o
amaさんが述べている内容のガイドライン。
(内はコテ473)他はamaさんの言葉。
amaのいう悟りは仏教で言うような(「体などへの執着の消滅した境地」「苦しみは存在しないと見出す」 といわれるものではなく、)
「執着に苦しまなくなる」というものです。
(> 執着が残っている状態で、あくまでこれまでの経験を背景としてるとはいえ知的な理解で
> 悟りをわかっているように語るのはいかがなものか。 )
いえ、ですから悟っても執着が消えたりはしないと申し上げています。
何かが消えるとか消えないとか、そういうことではないのです。
***
適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
(> 悟りへのイメージは自我が作るだけで、イメージがること自体がもう執着であるといえないだろうか。 )
おっしゃる通りです。
(> なんでもない、何も求めず、何も名づけない状態。それを悟りとただ呼ぶのが悟りという言葉の用法だったかもしれないということです。 )
私は、認めることが出来ないもののことを悟りと呼んでいます。つまり、悟りは無いのですね。
(それと執着があることは矛盾しません。悟りは存在しませんが、amaに執着は存在すると彼は明言しています。)
4 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:57:13.58 ID:y0U1J2cD
スレ立て乙(はやww)
前スレ
>「ほげ」の語感がなんか好きだw
>「醒得」の読みを(ほげ)にしてくれwwwww
wwwwww それ、いいかもww
5 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:57:45.21 ID:NzqTN5/o
以上、仮のテンプレになります。
皆さんで協議してゆきましょう。
6 :
ろん:2012/07/19(木) 11:58:11.47 ID:lrvUdFUt
7 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:59:21.39 ID:4YEv66r8
スレたて乙ですー。
8 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 12:03:31.21 ID:oWsZwIAw
ほげ ほげ たら たら ほげっほげ 愛してる♪
どろろが一休さんになったでござるの巻w
9 :
473:2012/07/19(木) 12:04:03.09 ID:NzqTN5/o
要点は、
悟り=ほげ
ほげ(悟り)
という主張であり、amaは言葉を変えただけで全く同じ主張をしており、
その空気の読めなさと夢の強固さをあらわにしたということ。
ほげについての説明ほとんどなし。悟り=ほげ ほげ=悟り 以外になにか説明があったっけ?ww
これに気づかないような実践者は実践者失格かも。
前スレ
>>954 amaに限ったことではないけど、観念論者は自分のことを実践論者だと思っている。
実践論者自身が思うのよりも何倍も強く。
観念論者は実践論者を否定することでしかその観念を保てない。
だから、観念論者が実践をしってるふりをして実践論者を否定したり諭そうとして優位に立とうとするのは自然現象であるといえる。
そして外側にいる観念論者は、他ならぬ私自身の自我のトリックを映す鏡。
外側の人の意見にかき乱されるということは自身の自我が同じトリックを使って自分を騙そうとしようとしてるということ。
自分自身を騙していることに気づくほど、他者のそれはただただ、関心を失ってゆく。
「ほげ」を五段活用したときのおもしろさはガチw
11 :
ノスタルジア:2012/07/19(木) 12:07:55.31 ID:+WR/X2or
シャンバラ空洞説仮説についての私論。そもそも「地球」とは科学的概念であり
そこから生まれ展開された空洞説は僕が応用すれば、ようは行動による観察
のフィールドのどこかに、または3Dの観察フィールドのところに入り口は
現れるのだ。前者は操り人形という皮肉な行動というものによる背景であり、
後者は3Dという脳とパソコンの融合における想像という背景である。自然と
してか分からないが、背景が重要なのである。私たちは背景を必ずこの世界
に限らず、何かどこかで見ている。知識が好きな人は夢で、多種のアカシック
レコード的なものを見るだろう。空洞説も熊楠師匠によれば、物不思議に由来
する付随の概念であり、ということは心不思議としての、心としてのシャンバラ
というだけではだめで、心不思議とシャンバラを付随させる概念必要であります。
そうしないと事不思議つまり事象にまで結びつかないのであります。数学を用いる
科学である物理学が全体把握する、良い学問だとするならば、心にシャンバラを
見つけていない状態にいる私に、物理学的見地である全体把握は、消えるという
現象を私には起こしてくれないだろう。全体把握による規制トラップは無意味
である。続く。
冗談はさておき、脱力感があって、何のイメージも起こさせないという意味では、
「ほげ」いいとおもうなぁ
>>1 >誤解を避けるために「ほげ(hoge)」という言葉を使いたいと思います
スレタイで思いっクソ誤解させてるしw
14 :
ノスタルジア:2012/07/19(木) 12:18:00.82 ID:+WR/X2or
言葉における方程式など無数にある。よって私がシャンバラの入り口にまで
辿り着く方法も無数にあることになる。しかし神の方程式ってあると思う。
なぜなら「神の図形」って本があるように・・・。何度研究しても新たな
発見が得られる作品ってあると思う。言葉の列挙<羅列<方程式だな。
心不思議に由来する付随の概念についてとりあえず回答を一つ提示したいです。
「ドーム」という概念はどうでしょうか?ドームには出入り口があり、そこから
シャンバラに行けるのです。現実空間は一施設にすぎないということです。
空洞説とドームの組み合わせによる認識により初めて、シャンバラに事象と
していけるのです。東西南北、四方には地平線があるとします。地球は球体
だから、地平線である四方の四点を結ぶとドーム型の地球の部分が出来ます。
地上の地下にシャンバラがあるとするならば、私の立っている今ここが、
現実空間の中心であり、シャンバラの本当の入り口であるのです。僕が消える
というのは逆の地涌の菩薩だなこりゃあ。
15 :
473:2012/07/19(木) 12:25:05.00 ID:NzqTN5/o
前スレ
>>954 他者からの認証も否認も当てにしちゃいけない。
それは自分自身が気をつけてあるためのスパイスとして有効だけど、本当のことは分からないし、
その言葉を聴くのが自分なんだからそれがまた当てにならない。
ひとついえるのは自身の理解は、どこまでも相対的な観念と違い、理解していない他者という相対的な犠牲者を求めないということ。
16 :
473:2012/07/19(木) 12:38:00.74 ID:NzqTN5/o
>そのようにして、一般的なほげ(悟り)の解釈や、仏教の一部の宗派でのほげ(悟り)の解釈が生まれ、
現在も引き継がれているのでしょう。
amaのほげが、あらゆる悟りの精髄であるという主張だよね、これ。
本音だだもれ。
スレタイ「ほげ」で検索してたら見つけるの苦労したぜ。
>>9 そうですね。やたらと否定ばかりでしたね。
ブログを数時間読みましたが、
既に誰しもが悟ってる。
だから修行やら二元やら一元やらは余計なことでそのまま何もしなくていいそうです。
「諸法無我」
「禅・仏法は、理解するものではない」
「聞いたもの、知ったもの、解ったもの、も禅ではない」
「そこに人の介在はない」
そして矛盾も平気で言うそうです。
弟子「悟りとはなんですか?」
師匠「そのまま」
弟子「そのままですか」
師匠「違う」
とのことです。これまでの事をすぐに判断せずに味わっていこうと思います。
朝にろんさんのレスを観てから身と心の分断を観ました。 洗濯物を乾かしてるときは危険ではないのですが、運転してるときは正直、不安でした。
それからしばらく坐ってそれらを味わいました。
こんなこというとまたあれですがお陰で良い修行になりました(良いも悪いもないのですが)
>>15 そうですね。当てにしないようにします。
20 :
473:2012/07/19(木) 13:52:41.27 ID:NzqTN5/o
私はわかるが彼はわからない。
彼はわかっているようだが私はわからない。
これは2つあわせてひとつの現象でしょう。
自分がわかっていると思うことと、ああ、彼のいうとおりだと思うことに大した差はない。
結局それは彼ほどではないが自分も他の人よりはわかっているという方向に進む。
そして、私と彼、彼と私という関係そのものが自我の雲に覆われている。
この前提から発したあらゆる会話は自我からの出発であり、自我か、自我の2乗であるより非現実的な想像以外の産物を生まない。
必ずより間違った他者か、より間違った自分というイメージに意識がいってしまう。
その時その意識の主体は自我であり、本性は忘れられてしまう。
間違った何かに対してではなく、単純に自分自身に覚めるという質。それが瞑想であったはず。
親密な関係、差し迫った状況でのみ、私とお前というかたちで叱責することもあったろう。
祖師は中心に投げ返した。祖師は誇りを与えた。
祖師は弟子にとって他者の役割ではなく、弟子自身の潜在性を映す鏡であった。
自我が不在なら、他者の理解も、誤解も不在であってしかるべきだが、まだ目に付くというのはそれがまだ私の本音なのでしょう。
21 :
473:2012/07/19(木) 14:00:38.16 ID:NzqTN5/o
観念論者同士も、要は互いにそうではないんだよと言い合う仲です。
一見敵のようでいて、それは互いに依存しています。
そういう論争あってこそ、自己の苦しみから逃げられますし、何者かと思うことができます。
そこに逃避せざるおえない人々は、そうあるのであり、それは彼らの問題です。
矛盾しているというより、何においても直接、微妙なnoをつきつけるので、結果矛盾するでしょう。
あなたと釈迦はひとつなのですと、町野さん言ってましたが、
肝心の町野さんと質問者の間に壁を作っていました。
私とあなたという幻影を強化する人は師ではない。
師は、面白いことに私の、あなたの、潜在的可能性。内側の本性にもぐりこむ。
かれは他者として捕まえられない。
そんな風に私もまとまりました。きっかけに感謝を。
>>1 スレ立てありがとうございます
m(_ _)m
まあ宗教そのものが逃避欲求から来るからねえ。
そんなに宗教の話ばっかりせずにいられないほど困ってますかね?
という風に、他を卑下することで、自己からの逃避をはかるということですね
25 :
ろん:2012/07/19(木) 15:22:48.47 ID:lrvUdFUt
梅雨明け、蝉が鳴きはじめ、夏らしくなった。。
平日休みに朝寝をし、昼寝をし、やっと頭スッキリ。。
おいらは多分生まれながらのロング・スリーパーなのだろう。。
水槽リセットしたら、熱帯魚が続々と死んだ。。
6匹生まれた子供は、今4匹に。。
ベランダの鉢のメダカは暑さを知らずに元気そのもの。。
アサガオが咲くのはまだか。。
今週のイカ娘は何の啓示だ?www
>>24いえいえ、「宗教を語る」ということと、宗教の本分はまた別の事とと思いませんか?
あら、目ざとい人からもうレスがあったようです。
>>27 確かに、そうだね〜
しかし、どちらかと言うと、このスレは後者の方だと思いますよ
みんな、逃避させてくれませんからw
29 :
ろん:2012/07/19(木) 15:40:39.75 ID:lrvUdFUt
シャカだのサトリだのくだらんの〜。。
こいつらはいつになったら、マトモになるのか。。
30 :
ろん:2012/07/19(木) 15:48:26.90 ID:lrvUdFUt
ただ人間卒業すると、もっとデカいものがありますよ、生命が蘇りますよ、というだけなのに。。
人間だけ他の生き物から仲間はずれ、地球の孤児じゃない、天地ものみなと同死同生底。。
もとからそうだったとわかるだけなんだわさ。。
お箸と
ナイフとフォークと
右手のなかに
皆が仲良く生きてるのかもしれない。
32 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 15:56:46.40 ID:y0U1J2cD
>シャカだのサトリだのくだらんの〜。。
そうだ、そうだ。
陰謀論以外は、みんなくだらんw
>こいつらはいつになったら、マトモになるのか。。
そうだ、そうだ。
まともなのは、ロンだけだw
33 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 15:59:23.91 ID:y0U1J2cD
>ただ人間卒業すると、もっとデカいものがありますよ
そうだ、そうだ。
妖怪人間になれたのは、ロンだけだw
34 :
ろん:2012/07/19(木) 16:12:40.77 ID:lrvUdFUt
ん?
ジョンレノンのパクりだろ
バンドブームか
自分らのときは学校の音楽の授業でバンド演奏やらされたぞ。
ボーイの曲でベースひかされた。
39 :
ろん:2012/07/19(木) 17:13:40.78 ID:lrvUdFUt
>>36 ボーイのベースは直立不動でやんなきゃダメだぞ。。w
ギターは足を上げてダンスだ。。w
40 :
ろん:2012/07/19(木) 17:21:43.81 ID:lrvUdFUt
小学校の時は、青い山脈を歌わされた。。
中学の時の音楽の授業は、なんか全共闘の歌をいっぱい歌わされたような。。w
「夜明けは近い」とか。。
もっとも全共闘の曲とは知らなかったけど。。
41 :
ろん:2012/07/19(木) 17:27:52.89 ID:lrvUdFUt
小学校の時の木造校舎は懐かしいな〜。。
小中学校の校舎はみんな昔ながらの木造にすればいい。。
そうすりゃ、イジメとかももっと減るんでなかろうか。。
小学校から、鉄コン筋クリートじゃ、なんかかわいそうだ。。
今は耐震化がうるさくて学校病院なんかは耐震最上位のほうかもな。
自分が木造校舎いたときは、壁穴開いたとこからアスベストでまくりだったがw
そんで卒業した直後新校舎立ってむかついたもんだ。
小豆島に24の瞳のロケセットが観光地として残ってて旧校舎はそのまま再現されてる。
>>37 悟入、悟出ありで、その状況を固定しない「一転語」が大事なの。
マニュアル操作じゃなくて、オートに入れる操作というかそれが工夫としてある。
そろそろ、「悟り」をはなしたくてウズウズしてそうな人いるから閑話休題。
「何、悟りと関係ない話してんだ」とか「真面目にやれ」といらだってるひといそうだしね。
44 :
473:2012/07/19(木) 18:56:36.21 ID:NzqTN5/o
原田雪渓の「呼吸を見る」
>当の三昧になれば、三昧に入っている状態を自分で意識、あるいは認識することは、不可能なはずです。
知識でわかった気になっても仕方がない。
むしろ、認識者がいるということはどういった苦しみにつながるのかそれを痛感してゆくほかない。
それが実情なのだから。
>、必ず「脱落」という境地が得られる。一方何もしないでただ坐っている人は、
そういう脱落ということがありません。そこに天と地の相違ができてまいります。
いつも比較相手がいる。ある一人の人がどうなるかの可能性ではなく、2人の人を比べている。
個人という、他人という思いの強化。だれかより、だれかよりと自我を太らせる。
実体らしいイメージも、脱落という虚無のイメージも、イメージに違いはなく、結局それはあり、それを得る人もいる。
脱落という言葉で、自我は体験によって自分を太らせているのではないと言い訳する。
観念。観念の否定という観念。観念でないという観念。見掛けが変わっても中身は同じ。
45 :
473:2012/07/19(木) 19:02:21.82 ID:NzqTN5/o
ブッダは
私とあなたというのは幻であると説き、そして、悟った私という主張も、
修正されるべきあなたというものも講話には出てこない。
ブッダは
悟った人について語った
道の人について語った
愚か者について語った。
その帰結について語った。彼はただ事実を語った。
法則について、真実について語った。
誰かについて、自分について語ることは稀であった。
適切なとき、適切な相手に、適切な法則を語った。
(私もあなたもない法則の描写でも、時を間違えるといやみになり、
自他という思いを強めてしまう。)
46 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/19(木) 19:17:49.01 ID:D9fSxXH2
>>45 おっと、次でにくいイヤミになっちゃったかな?自分のセリフ。
でてきて損なとこ出てきてくれてありがとうね。
48 :
ろん:2012/07/19(木) 19:52:18.76 ID:lrvUdFUt
夕方から涼しくなったので窓を開けた。。
子供がメロディオンの練習をしている。。
とっかえつっかえ、吹いているのがいい。。
僕らはみんな生きている、君が代、その他。。
昼間はピアノの練習も聞こえるな〜。。
やっぱ窓開けて、外の音を聞くのがいい、風に乗っていろいろな音が聞こえる。。
49 :
ろん:2012/07/19(木) 20:20:37.32 ID:lrvUdFUt
まあいつまでもブッダブッダシャカシャカ言ってるやつは乳離れできない乳飲み子か、仏教を何かの習い事と思っているんだろう。。
法がわかれば、自己を忘ずるということがわかれば、いつまでたってもシャカシャカ言ってない。。
シャカシャカ言ってる、というのは、Opeさんのパクリだけどね。。w
50 :
ろん:2012/07/19(木) 20:24:41.69 ID:lrvUdFUt
問題があるっつったって、自分以外問題をつくっている人はいない。。
環境因もあるかもだが、自分を明らめる、というのが基本。。
で、今ある自分が標準・・他は関係ない。。
他が気になって仕方がないのは病気・・マスターがどうの他人の悟りがどうのとかばかり言って粘着してるのは、病気なんだろうな。。
でも他人ばっかり気になるから、自分の愚が見えない、病識がない、故に病気ということだろう。。
51 :
ろん:2012/07/19(木) 20:30:23.78 ID:lrvUdFUt
要は見るもの聞くものの奴隷ということだろう、他が気になって仕方がないのは。。
あるいは崇拝するマスターの奴隷か、下働きの宣伝マン。。
回向返照の退歩を学すべし、とは、要は自分の思いを自分が作っていることに気付くことだ。。
あいつは偽物だ、と思い込んで粘着するのではなく、偽物だと思っている自分は何だろう、その思いにとらわれている自分は何だろう、とすべて自分に帰して、捉えなおすことだ。。
他人のことばっかり言ってるのは、ブッダがどうのシャカがどうのばかり言ってるやつは、自分だけ蚊帳の外、棚上げして、愚をさらしていることにいつまでたっても気が付かない。。
まー何言っても無駄なんだろうが。。
52 :
ろん:2012/07/19(木) 20:37:34.65 ID:lrvUdFUt
仏教にしろ悟りにしろ、なんでそんなものを自分が必要と思うのか、というところが、問題かもしれない。。
自己がある、世界がある、で、本来何にも問題はないはず。。
問題をつくってるのは誰だ、宗教やマスターに依存し、知識に依存し、法に依存しなければならないと思っているのは誰だ。。
本来、法も悟りも要らんものなんだぜ、自分が余計な問題をつくらなければ。。
13スレ695
>amaさんはわかりにくい話にもって煙に巻こうとする
大丈夫簡単な話です
有るものは有るとか
思考は思考だとか
意識するのは意識とか
暑いときは暑いとか
当たり前のことしかamaさんは言ってませんとも
54 :
ろん:2012/07/19(木) 20:41:42.44 ID:lrvUdFUt
平々凡々で何もなくていいと思ってれば、ちっとはマシなものを、何かしら自己を特別なものに仕立て上げようとする、イッパシを気取ろうとする、で、マスターがどうの、釈迦がどうの、悟りはこうでとか、
いつまでたっても、他人の借り物を並べ立てるだけ。。
いいかげん、しょーもなことやってるのに気付かないのだろうか?
>>1 スレ立て乙かれー
悟り子さんの言う「ドーナツの穴」が非常にしっくりくる例えでしたが、
悟りも覚醒もドーナツの穴のようにあるし、それを得たなら得たと普通に
言っていいと思うのです。
>>2の考察は面白いけど、他の言葉に変えたところで、つまるところ
「結局どっちなの?」になるし、それだったら最初から「悟り」や「得た、
得ない」を言ってしまっていいかと。
無難に無難にの路線はかえって遠回りでは?
そして、どう遠回りしても「それって悟りだよね」からは抜けられないように
思うのです。
どのみち言語化できない領域の話なので、どう表そうとも通じる人には
通じるし、通じない人には通じないから。
>>49 教えの中には本当に必要だったことは何もないものね。
教えには"それ"の表現はたくさんあるけど"それ"自体はないという意味で。
13スレ697
>私も同じく思います。
688他多数で表現しました
☆そう言えばオショウもゾルバ ザ ブッダとか言ってましたね
大悟の人帰って迷いを行く、と言う人もいます
「こうでなければならない」
は無いのかもしれませんね
あっても良いのですが
58 :
ろん:2012/07/19(木) 20:52:37.76 ID:lrvUdFUt
>>2 ホゲという言葉は面白いですね。。w
まあ、悟り悟り言ってるやつはてんで違うところを探していて、ホゲでもハゲでもいいwwと思ってる人のほうが、安心と自由を得ているのかもしれません。。
草生やしのやつが、悟りというブランド・バリューなんてアホなこと言ってたけど、教団が乞食集団から、人々の尊敬を集める、大伽藍に住まう集団になったところから、おかしくなったのかもしれません。。
僕は悟りもホゲもハゲも要らん。。w
悟ってる迷ってるとかアホな論争もこりごりだ。。
ただ自由に楽しくいきたいだけだな、この世に生まれた生を謳歌する、なんかにならねばならんとか見出さねばならんとかアホなこと言ってないでさ。。
59 :
ろん:2012/07/19(木) 20:53:40.36 ID:lrvUdFUt
>>56 要は消去法だから、こういうのは迷いですと言ってるでけでしょ。
悟り自体は表現不可能なわけだから。。
>>59 > 悟り自体は表現不可能なわけだから。。
仏典のどこかに臭香国という喩え話があるらしいです。
その国では香りを嗅ぐだけで悟りを開けるとか。
きっとその章を書いた人は、どう書いても伝わらないから、
香りで伝わるような国を書いてみたんでしょうね。
>>21 あなたも観念ばかりでなく、瞑想でも内観でも学業でも仕事でも、
そろそろ何かしたほうがいいです。
あなたの今はただキーボードを打っている以上のことはしてないです。
62 :
ろん:2012/07/19(木) 21:11:08.85 ID:lrvUdFUt
>>60 視覚以外の聴覚、嗅覚、味覚、触覚は、ものとか振動自体が入ってくるものだから、二元性がないんですね。。
視覚でも自分がなくなれば、それ自体になってしまいますが。。
思い込み、知識、仏教、マスターがどうの、全部なくならんと気づかないものでしょう。。
>>58 > ただ自由に楽しくいきたいだけだな、この世に生まれた生を謳歌する、
> なんかにならねばならんとか見出さねばならんとかアホなこと言ってないでさ。。
それは「自由に楽しく生きる」ということ自体に混濁してない?
>>62 > 思い込み、知識、仏教、マスターがどうの、全部なくならんと気づかないものでしょう。。
ちょっと補足すると、「なくなりはしないが、実体がないことがわかる」だよね。
ただ、こう書いても微妙・・・。うまく書けたらいいのにねぇ。
65 :
ろん:2012/07/19(木) 21:40:28.57 ID:lrvUdFUt
>>63 誰彼みんな自由なのに、自分で自分に枠をはめて、縛って、他人をも縛ろうとする。。
解き放つこそ、如来の役割なのに。。
仏の言葉に、マスターの言葉に縛られ、経典に縛られしてるのが、ここの人たちなんじゃない?
>>64 いや、わかったら捨てるもの、忘れて何も問題ないものですよ、本来。。
仏教なんてもともとないものだから、法と言ったらすべてが法、ものみなという以外なくても何も困らない。。
67 :
ろん:2012/07/19(木) 22:09:47.84 ID:lrvUdFUt
>>66 いや、ホントにわかったら、悟りはなくなります、ホゲはどうか知りませんが。。w
迷いがあるから悟りがある、迷いなければ悟りもない。。
それでやっと元に戻るんですよ、元の木阿弥。。
もとの自分のまんま、それで何にも不自由がない、ひっかかるものがない。。
見出すも何も、見つけたら、自我の対象です、見つからないとき、探していないときがそれです。。
だから、全部忘れても、なくなりはしない、もともとあったものだから。。
>>67 そうですか、まだそこまでいってないようなので、わからない境地ですね。
悟りはなくなるというのは、また物事に実体があるように思えたりすること
ですか?全てが縁起で統一されている感覚が消えたりしますか?
69 :
ろん:2012/07/19(木) 22:13:32.49 ID:lrvUdFUt
過去に書いたものは忘れました。。
で、おいらはこれから涼しい水風呂に入りまーす。。
ガス代もかからずに、一石二鳥かな?
70 :
ノスタルジア:2012/07/19(木) 22:17:54.11 ID:tQEaOUt5
71 :
ろん:2012/07/19(木) 22:18:00.41 ID:lrvUdFUt
>>68 実体がないとか空ということは、お釈迦様の時代にはなかった高度な認識です。。
お釈迦様は、単に空っぽ、空虚であるといったんですよ。。
この世のすべては無常で、空しいものであると。。
だから、実体あるように思えても、だいじょうぶ。。
自分を空じれば、全てが空になる、ひっかからなくなる、ということです。。
73 :
ろん:2012/07/19(木) 22:24:13.91 ID:lrvUdFUt
悟りがなくなるとは、悟ったという思いが消えるだけです。。
悟り自体、もともと何の実体もありません。。
ただどうにもならんものをどうにかしなければというのが、無くなるだけなんですよ。。
自分が一つになる、というだけです。。
74 :
ろん:2012/07/19(木) 22:45:18.13 ID:lrvUdFUt
ホントは誰もが迷ってなどいないんです。。
でもこう言われても、わからないから、法を学んで、修行する、と言うプロセスが必要となる場合がほとんど。。
だから、法を学んで、悟を得たらなら、迷いも悟りもなくなる、もとのまま。。
もとのままで自由、安心がある、こうならねばとか、何かを学んで知ってとか言うことが終わってしまうんです。。
75 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/19(木) 22:53:28.34 ID:5wk5JtVw
>>71 > 実体がないとか空ということは、お釈迦様の時代にはなかった高度な認識です。。
私見ですが、初期仏教に空はあると思います。
これ在るときにかれ在り、これ生ずるときにかれ生ず。・・・
これは実体がないことであり空ことを内包しています。
確かに空という言葉はなかったかもしれませんが、それは縁起で事が足りていたからかと
思います(憶測ですが。。。)
大乗は発展した仏教との史観ならば、”高度な認識”と称することもあるでしょうが、
時代が下るにつれ悟性の低いのが増えたから、その人らにわかるように話す
必要に迫られて、縁起という高度で全体的な認識から”部分的に切り取った認識"が
空のように感じます。
部分にすれば、真実から遠ざかりますが把握しやすくなりますから。
以上、勝手な憶測でした。
>>73-74 はい、定性的には全面的に賛成です。
肝心なのは前スレでも聞きましたが、ありきたりの日常で
どれだけそれができているか、ではないでしょうか?
要は量です。
ちなみにスレ2でamaさんに聞いたときは5〜8割だそうです。
正直、アンビリバボーです。
78 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 23:10:49.19 ID:y0U1J2cD
>二カサ
「覚者」の話は、どうするの?w
「お前の勘違いでした」で終了するのか?www
79 :
ろん:2012/07/19(木) 23:11:53.03 ID:lrvUdFUt
>>76 悟性の低いのって、あんたよくそんなこと言えるな〜。。
>>77 できるできないとか言う次元は、アマさんは卒業しちゃったんじゃなかろうか?
二元がないと言ってるのだから・・もちろんそこからさらに、自由になって、と言うのはあるかもしれないけれど。。
80 :
ろん:2012/07/19(木) 23:13:15.75 ID:lrvUdFUt
あーあ、ホゲホゲの話に付き合ってたら、もうこんな時間じゃないか。。
2ちゃんねるのやりすぎだ、ママに怒られる〜。。ww
81 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 23:14:11.71 ID:y0U1J2cD
>悟ってる迷ってるとかアホな論争もこりごりだ。。
と、言ったと思ったら、相変わらず、「悟りが、なんちゃら・・」
「迷いがなんちゃら・・・・」
アホか? こいつはww どんだけ、「知ったか」したいんだかwwww
82 :
ろん:2012/07/19(木) 23:14:50.78 ID:lrvUdFUt
だって楽しんだも〜ん。。w
83 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 23:16:48.79 ID:y0U1J2cD
>だって楽しんだも〜ん。。w
まだまだ、だなwwwwww
wwwwの数が足りんwwwww
>>79 > 悟性の低いのって、あんたよくそんなこと言えるな〜。。
すまん、言い過ぎた。
ただ、空や実体のないことを”後に出てきた高度な認識”というのに
引っかかった。
まるで、それ以前は低度な認識であるかのように聞こえたもので。
時代が下れば高度なのか、と。
85 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 23:23:10.42 ID:y0U1J2cD
>>76 >確かに空という言葉はなかったかもしれませんが・・・
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、
世界を空なりと観ぜよ。」
スッタ二パータ1119
>>78 教えの中に悟りがあるけではなく、悟りの中に教えがあるから
別にどうでも良いのが本当のところ。
それでも覚者は覚者だ、目覚め切ってなかったとしても、ね。
そして、あなたは一般(あなたの理解の一般だが)を、今度は
仏教用語と別の言葉に擦り替えたが、その言葉でいうのなら
前スレの上座部の伝統では一般だとしか言いようがない。
また、「単なる些細な気づき」を大袈裟にいうつもりはないが、
それがあるとないでは、世界への接し方が根本から違ってくるのを
わかって欲しい。
例えば、それがあれば一輪の花を見れるが、
それがなければ、一輪の花を見ることさえなく死んでいくように。
一輪の花はあなたにとっては単なる些細なものかもしれないが、ね。
>>85 あるじゃん!
手元の「感興のことば」(中村元訳)をパラパラとめくったら、
第十二章「道」に
「一切の形成されたものは空である」と・・・
とあった。ただ、こういった訳語は原語に空の概念を当てはめた
だけという可能性もあるのかもと思うのです。
88 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 23:36:24.56 ID:y0U1J2cD
>>86 >そして、あなたは一般(あなたの理解の一般だが)を、今度は
>仏教用語と別の言葉に擦り替えたが、その言葉でいうのなら
>前スレの上座部の伝統では一般だとしか言いようがない。
やるわけねwww
ならば、
@上座部で、預流果のものを「覚者」と呼称するのが、一般的であった・・・・
これを証してくれw
まず、「上座部」というのは、どこの上座部だ? タイ? ビルマ? ミャンマー?
スリランカ?
オレも、日本のテラワダの用例を出来る範囲で調べてみたが、そのような用例は
見当たらなかった。目にしたものは全て、「覚者」=「修行完成者」的な用例だww
まず、そこをちゃんと証してくれw
そのあと、
Aなぜ、それを「仏教全般を代表させる一般例」とするか? の話に移ろうww
この世は、空の海
ぼくらは、ぷかぷかと浮かぶ
でも、誰かが言った
きみのからだは、塩でできてるよ
そう言われた途端
ぼくのからだは海にぜんぶ溶けてしまった
そしてぼくは海になった
そしたら、他にも海のなかまがいて
一緒に、渦をつくって、あそんだんだ
>>91 ゴッホさんの目から見えた世界があなたにはわかるのですか?
94 :
ろん:2012/07/19(木) 23:53:52.37 ID:lrvUdFUt
初期仏教に空と言う言葉があっても、竜樹がいったような、無自性というような概念まではなかっただろう。。
空っぽ、空虚くらいの意味なんじゃなかろうか。。
95 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/19(木) 23:55:39.94 ID:5wk5JtVw
96 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 23:57:03.26 ID:y0U1J2cD
>>90 ちょっと待てやww
そのリンク先の記述のどこに、 「預流者」=「覚者」 があるか?ww
97 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 00:09:48.47 ID:o+DKYM9t
「かくのごとく、覚者(ブッダ)は証知して、・・・」
ディーガ・ニカーヤ vol. 3 正田大観訳
「覚者(仏:ブッダ)を対象として生起した随念が、・・・」
清浄道論 正田大観訳
「覚者はnamaとrupaに引っ掛かることはありません。namaとは、心のことです。感情、妄想、思考、概念などです。
覚者は、自分の感情、妄想、概念などは持たないのです。全て捨てているのです。
世間の思考、感情などにも振り回されないのです。rupaとは、物質のことです。
自分の肉体も物質で、外の全てのものも物質なのです。物質は瞬間瞬間変化する、無常なるもので、
執着に値しないのです。心にも物にも一切執着しないということは、
何にも囚われない完全なる智恵を獲得したということです。苦しみを完全に乗り越えるためには、
無常なる存在の全てに対して(namaとrupa)執着を捨てなくてはならないのです。」
スマナサーラ 法話
「また、それが何であれ、まさに、知られるべきものが存在するなら、まさしく、
〔その〕全てを、→『解脱の終極の知恵を所以に覚ったことから』、「覚者」。
あるいは、四つの真理(四諦)を、自己によってもまた覚り、
他の有情たちをもまた覚らせたことから、それゆえに、このような
〔あり方〕等々の契機によってもまた、覚者である。
しかして、また、この義(意味)を識知させることを義(目的)として、人々を覚らせた者、ということで、『覚者』」
(マハー・ニッデーサp.457,パティサンビダー・マッガ1p.174)と、このように転起された、『ニッデーサ(義釈)』
の〔説示の〕方法、あるいは、『パティサンビダー(無礙解道)』の〔説示の〕方法が、〔その〕全てでさえもが、詳知されるべきである
「〔四つの〕真理を覚った者、ということで、『覚者』。
正田大観 清浄道論
98 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 00:10:30.78 ID:o+DKYM9t
預流果に悟ったもの→「預流者」
藤本晃
「世尊は阿羅漢であり、正覚者であり、明行具足者(智慧と道徳の完成者)であり、善逝(正しく涅槃に到達し、
善く修行を完成し、正しく善い言葉を語る方)であり、世間解(宇宙・衆生・諸行の三つの世界を知り尽くした方)であり、
無上の調御丈夫(人々を指導することにおいて無上の能力を持つ方)であり、天人師(人間と超次元的存在である神々たち一切衆生の唯一の師)
であり、→『覚者』(真理に目覚めた方、仏陀) であり、世尊(すべての福徳を備えた方)である」
スマナサーラ マハーナーマ 経
テラワダ関連の記述の中から、「覚者」という語彙の使用例を拾ってみたが
上記のように、全て、「覚者」=「最終解脱者」のような意味合いでの使用だ。
「預流者」=「覚者」としている例を提示してくれww
99 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 00:19:45.63 ID:o+DKYM9t
>初期仏教に空と言う言葉があっても、竜樹がいったような、無自性というような概念まではなかっただろう。。
>空っぽ、空虚くらいの意味なんじゃなかろうか。。
wwwwww 見事に「隠居」の主張、そのまんまww
>>85 だから「ただ、よくよく気をつける」に帰結する
ほな、どーすりゃええの?を追求するとこうなる
常に気をつけるのは割りとしんどい
だから修行という形がうまれる
目指す方向はマトモの延長戦上に相違ない。ごく当たり前路線
自我がどーたら、空がどーたらは副産物に過ぎない
「ただ、よくよく気をつける」を実践していけば勝手にそーなる
ホゲって何だ?読むのだりーから一言で教えてくれw
101 :
ろん:2012/07/20(金) 00:24:44.13 ID:+roFP8Ev
初期仏教は、寂滅主義、煩悩死滅主義。。
大乗は、結果はそんなに変わらんかもだけど、煩悩もともとない、有る無しにこだわらない派、と言うところだろうな。。
自己を明らめる、法を明らめる、全体遙かに塵埃を出づ。。
102 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 00:24:53.27 ID:o+DKYM9t
>>100 え〜〜と、オレにアンカーふってるが、何が言いたいのか
よくわからんw
>>102 スッタ二パータ1119についてコメントしとるだけだよ
104 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 00:32:11.37 ID:o+DKYM9t
>>92 レスないから寝るぜぇ
また別の名無しに転生しちまったぜぇ
なかなか解脱できないぜぇ
カルマがカルマを呼ぶせぇ
無明だろぉw
いけね、呼ぶせぇとか打っちまったw
ダセえだろぉ
無明なんだぜぇ
「ただ、よくよく気をつける」
これを忠実に実践しとれば
流れというものが見えてくる
こーすれば、あーなるじゃろの予測だな
八正道みたく、正しさの追求みたいなことに自然となる
夢みたいなこと考えんと
現実路線を歩んでいけばよろし
わたしは御名を彼らに知らせました。
また、これからも知らせます。
わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、
わたしも彼らの内にいるようになるためです。
にょろにょろの美味しい食べ方。
(意外と大作)
■みつけたら?■
先ず、にょろにょろを見つけたら生えてきた事に感謝・歓迎しましょう。
にょろは自分の抱えた思いつき以外のことは全く知りません。
ここに居ていいのか、ここが何処なのか、怒られないか不安いっぱいです。
安心させてあげましょう。
うちに持って帰る途中も、にょろを安心させ続けることを忘れずに!
にょろは安心していれば逃げません。鮮度も落ちません!
■調理方法■
大きかったり固いにょろは味噌・醤油・ウスターソース等の伝統的な調味料がお勧めです。
小さいにょろは、シンプルな塩味がおススメ。
味の濃さは、にょろの風味を損なわないように顔色を伺いながら、少しずつ加えていきます。
にょろは焦げやすいので、火を通している間はずっと転がしているように。
優しすぎず、激しすぎず、にょろが楽しそうな程度で転がします。
火を通している間、歓迎の気持ちをベースに、上手くいくこと行かないこと・誉められる事怒られること・他の経験との付き合い方を教えてあげます。
にょろが不安な表情にならないか要注意です。
にょろが思いつきに自信を持って、食べられたい仕草を見せたら出来上がりです。
■食べる■
良く噛んで食べましょう。
にょろが貴方の中に入ると、経験で培った森・草原をにょろが元気に駆け巡り、枝や葉に思いつきの自己紹介をして馴染んで消えてゆきます。
思い付きを受け取った森・草原は、枝や葉を伸ばし、時には花や果実を実らせます。
にょろの調理の仕方や、今まで食べたにょろに因っては、一度にたくさんの花や果実を実らせることがあります。
にょろが元気に駆け巡れるように、調理に気を使いましょう。
貴方の中の森や草原は、いつも面白そうなことを待っています。
面白そうなことを見つけると、新しいにょろにょろを生やします。
にょろにょろを見つけたら、おいしく頂きましょう。
おしまい。
みなれた景色の落ち葉と風とホウキに馴染むかな?
>>110 まずにょろとやらを捕まえてみせてくれんか
114 :
473:2012/07/20(金) 02:21:04.57 ID:+A8o3umE
自我は他者の過ちを見る。
そうして自分はそれより優れているのだという相対的な夢を見る。
そうやって自我と自我の苦しみは存続し、他者への微妙な否定と争いは存続する。
思想はどこまでも相対的に存在する。
これがある。それはない。それはないということはない。
思想は永遠に既存のものにかぶせ続けること、優位を主張することができる。
これがあるのに見出していないのだ。これはないのに囚われているのだと。
しかし、それは自我に束縛されたものがその束縛を永続化する夢に過ぎない。
概念ならざる真理は変わらず昔から存在する。
概念だけ、それは延々と既存のものを否定し続け、その相対性の連鎖の中太ってきた。
面白うないのぅ〜
116 :
473:2012/07/20(金) 02:31:21.75 ID:+A8o3umE
それぞれの自我に癖がある。
何かを賞賛したり、何かを指摘したり、他者の執着を指摘したり、他者の欺瞞を指摘したり。
そうして、自我は自身が選りすぐれたものであると夢想し、指摘の対象より優れていると夢想し、執着を超えて自由だと夢想し、誠実で真実に近いと夢想し、
より自分は成長しているのだと実感する。
自らの過ちを見る。
他者を利用して選りすぐれた存在になろうとするその動機を見る。
他者は確かに鏡になりうる。
しかし微妙な形でも他者を否定したり、見下すことは、自分自身に不注意になること。
自らの過ちを見る。他者の批判が相対的な空想を作るように、自己の批判も相対的な空想を作る。
そのどちらにも覚めていよと。
他者は自らのそれに気づくための鏡としてあると。
他者の振る舞いは何らかの考察のきっかけにはなる。
しかし最終的にどこを落としどころにするのかがその考察の行方を決める。
真理は相対的な、つまり優劣のある空想ではない。
絶対的なものを見出すか、相対的な空想とともに自我にとどまるか。
また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。
そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」
もし赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない。
他人の過失を見るなかれ。
他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。
118 :
473:2012/07/20(金) 02:45:01.14 ID:+A8o3umE
>amaさん宛の
前スレ 969
煩悩が二元のものでしょ
一元の中には何もないよ
貴方がいないことが一元なのに、その一元を使って
いつまでも自分自身を保護し続けてるのが貴方のパターンだよ
一元とは、自己による一元の空想ではなく、自己と対象という2元性が存在しないことを示唆している。
一元の夢を見ることは2元性だし、他者の2元性の指摘も一元性ではない。
しかし、一元性を見るという2元性を自我は一元性だと思う。
2元性を指摘するという2重の2元性を自我は一元性だと思う。
ああ、なんという罠。
119 :
473:2012/07/20(金) 02:50:22.48 ID:+A8o3umE
>>117 みんなの書き込みから、日々見失っていた自分自身の実際の姿に気づく。
互いにそれに気づきあい、無意識の闇を振り払ってゆく。
ここでそれを実行するとしたらそんな感じでしょうか。
そのハーモニーは稀なこと。例え独りでもそう在るということ。
互いに批判しあうとだれも成長しない。しかも言い争う。
誰もが自分を見るならば、誰もが成長せざるを得ない。自殺的な行動を誰も取らない。
それを、たった一人で先陣を切って成し得る勇気とは、いかなる種類の勇気であろうか。
どのような知恵であり、愛であろうか。
120 :
473:2012/07/20(金) 03:04:45.89 ID:+A8o3umE
内に敵がいれば、その敵より優れているのだという空想に永遠にはまることになってしまう。
それはある種その敵と同レベルにとどまり続けるようなこと。
そういったことはそれに無意識だから起こりえる。
何をやっているのかに気づけば。
それに気づけば、内面において敵の否定をするのではなく、実在を分かち合える。
実在を分かち合うなら、見かけ上の敵の否定は深刻なものではなくただの話のきっかけ、容器に過ぎなくなる。
坐ればいいと思うよ
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1342102892/994 最後のところは、「ほげ(悟り)」ではなく、
単に「悟り」としたほうがいいのかもしれませんが、
それはそれで変な感じもします。
難しいところです。
「ほげ(悟り)」はおっしゃるような意図ではなく、
別の意図で書いたのですが、
分かりづらいので、単に「ほげ」としますね。
あくまで「ほげ」について書いています。
ほげが一般的な仏教の悟りと違うということについては、
「ほげを見出しても、何かが無くなったり出現したりはしません。(執着しかり煩悩しかり)」
のように書いています。
一般的な仏教の「悟り」は、執着も煩悩も消えるんですよね?
すみません。
たしかに「ほげというものに実態は無い」という文言が抜けていました。
スッタニパータ
9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
842「等しい」とか「すぐれている」とか、あるいは「劣っている」とか考える人、かれはその思いによって論争する
であろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人、かれには「等しい」とか「すぐれている」とか、あるいは
「劣っている」という思いは存在しない。
798
ひとが何か或ものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と真実に達した人々は語る。
それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。
彼らは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかではないと説く。
「自分の依拠しているもののみを善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執している。
彼らは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を愚者であると烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争を交わす。
自ら真理に達したものであると称しながら、自分が称賛されるようにと望んで。
集会の中で論争に参加した者は、称賛されようと欲して、おずおずとしている。
そうして敗北してはうちしおれ、論敵のあらさがしをしているのに、他人から非難されると、怒る。
諸々の審判者がかれの所論に対し「汝の議論は敗北した。論破された」というと、論争に敗北したものは嘆き悲しみ、「かれはわたしを打ち負かした」といって悲泣する。
これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には得意と失意とがある。
ひとはこれを見て論争をやめるべきである。称賛を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。
人生とはドミノ倒しのようなものである
自分にも倒れてくる不思議なドミノである
amaさんと473さんはなにをしてるんですか?
50文字以内に簡潔に教えてください。
テンプレの作成?
おはよすー(´・ω・`)
>>127 此処は自ら考え、自ら答えを出す謎なぞスレです。
正解は貴方の中で日々移ろいます。
129 :
473:2012/07/20(金) 09:22:13.24 ID:+A8o3umE
>>123 「そのようにして、一般的なほげ(悟り)の解釈や、仏教の一部の宗派でのほげ(悟り)の解釈が生まれ、
現在も引き継がれているのでしょう。 」
そのようにして、だと、悟りとほげは同一であるような主張になってしまうので。
翻って、仏教の悟りにおいても、こういうことが起きたのではと推察します。
と別の話と割ってしまわないと、その混同が感じられます。
この括弧の部分は無いほうがいいと思います。
つけるにしても、はっきり話題をamaの仏教観と変えてしまったほうがいいでしょう。
また、仏教の悟りは、悟りを見出すと執着が消えるというより、執着が消えることを悟りというような表現も多いので、
もう本当に別物の感じがします。
3と同じぐらい内容が伝わるようになっていれば、誤解も少ないでしょうが、2ではちょっとつかめない。
2だと3にも読めますが、悟りというか、近代宗教のあるがまま、光明との勘違いが起きます。
光明やあるがままも、仏教の悟りと同一の属性があるので、そちらのルートで混同してしまいます。
130 :
473:2012/07/20(金) 09:27:34.26 ID:+A8o3umE
私、執着、ほげ
これに複数の2元性が見え隠れします。このうちのひとつだけをとれば一元性なのでしょうけど、見る人や、他のことが別口で存在するということは、、。
前スレッドの969さんの指摘があります。
131 :
473:2012/07/20(金) 09:30:15.49 ID:+A8o3umE
>>125 実に印象的な内容でしたが、それそのものとはどういうものか実感しては射ませんでした。
まさにここにおいてその経文は復活します。
実に生き生きとしています。
132 :
473:2012/07/20(金) 09:39:46.88 ID:+A8o3umE
>>amaさん
というわけで前スレ969さんにも答えてみてください。
>>127 テンプレ作成です。
しかし、どんなテンプレでも良くも悪くも人は変わらないし、見る人は本質を見ている。
また、
http://www.youtube.com/watch?v=QPp4OnUeLaQ など、同じようなことをいって過去の言葉をだれもが心地よく聞けるようにするというのは
世界中で行われている。
目の前で起こっていることは実にありふれた世界的現象の一角に過ぎない。
修行者は犀の角のようにただ独り歩め。
133 :
473:2012/07/20(金) 10:05:07.36 ID:+A8o3umE
優越性に逃避しなければ、その逃避の対象も露になってくる。
それとともに生きるか、また逃げるのか。
二元性も体験するためには不可欠で、全てが過不足なく…。
てか、そもそも体があって生きてるうちは二元性残るっしょ
しかし、知性による確信では不十分だとムージはいう。
直観は体験だからねえ
今目を通して見ているものがいることだけは直観で分かる。
139 :
473:2012/07/20(金) 11:08:01.53 ID:+A8o3umE
知性は、知性による確信では不十分だと相対的な観念を膨らますことができる。
知性は、初めからあるものを求めても無意味なのだと相対的な観念を膨らますことができる。
実際にどうであるか、実際にどうなるような影響を与えるのか。
実際の変化は理解からくる。
変化は覚醒において思考という魚を捕まえることから来る。
実際に捕まえなければ魚はふらふら泳ぎ続ける。
理解は、自分の実情に覚めて、それが苦の元であると理解しなければ起きないのではないだろうか。
ある種正しく間違えるという弁証法を取る他ない。
私が、執着が、恐れを作る。
恐れだけを取り除くことができるだろうか。
140 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 13:34:31.21 ID:aJ8HuwbN
2010年5月にイエスが復活して神が出現してから、日本はかなり変化したね。
ニュースを見てみよう。天罰ばかり。
妄想使って一瞬で宇宙の彼方へ行き、振り替えれば何も見えず
程よい所から見れば、只の玉。
其処で整え、壁の前面に還る。
玉だと見抜くことと、段取りを武器に、他は諦め受け入れるしか無いかな?
>>140 確率的なキズに塩を塗ってるのは人の様な気がしますが。
ただ、客観的に見て面白いと思える世の中じゃ無いよね…
それ、主観じゃね?
そこそこ楽しんでると思ってたけど、なんか自分の本音見てビックリ…
まったくもーw
なぞなぞ山に行ってみるよ!
>>125 前に読んだときはなんとも思わなかったですけど
今読むと「あっ」てなりました。 さすがはブッダよく観てらっしゃる。
>>128 答えいっちゃうんですねw
148 :
473:2012/07/20(金) 18:16:34.66 ID:+A8o3umE
もともとは名前をつけなくても稼動している実態がある。
そこに、私という認識者と、恐怖という対象としての状態という分離が生じた。
命名するものがあり、命名されるものがある。
ここで認識者が、これはあるがままだ、こういうものだというように思うことによって、
そもそもの自分が作り出したとされる、あらゆる執着とそれにともなう苦しみや純然たる恐怖
そういうものは事実としては残っているのだけど、あるがままという2重の夢見によって、
それらに対して限界まで鈍感になれる。
ひとつの対処法ではある。
amaさんはそれになりきるといっている。
それは苦と恐怖があり、認識者と認識が分離し、さらに認識者が一体の、あるがままの、一元の夢を見るということで成り立つ。夢の多重構造。
しかし、認識者と認識の分離、命名、過去からの評価の働きがなかったら?
そもそもの執着と苦と恐怖の働きがなかったらどうなのだろう。
私は何をやっているのだろう。
それがわからない。それに覚めていないのだ。覚めようとしても覚められないかもしれない。
しかし、覚めていないから、これらをやってしまっているという逆説の事実がある。
私は死に始まる、あらゆる喪失を恐れている。私は恐れざるを得ない。
それから逃避して、争ったり、愛したり、静寂を装ったりできるが、結局一時の逃げ場。あきるもの。
149 :
473:2012/07/20(金) 18:25:15.32 ID:+A8o3umE
認識者が悟りの夢を見てどんどん鈍感になるか。
それとも事実である不満、恐怖、苦しみ、執着と向き合い、それがない境地を見出すか。
そもそもの認識者と対象の分離に覚醒するか。
そして分離が起きる前の純然たる執着と恐怖にも覚醒するのか。
何が賢明かはわからない。
前者に飽きた人は後者に向かうという。
後者が賢明なのかはわからない。
ただ、死は迫りくる。私もあなたも明日生きている保証はない。
150 :
473:2012/07/20(金) 18:27:11.76 ID:+A8o3umE
148修正
もともとは名前をつけなくても稼動している実態がある。
そこに、私という認識者と、恐怖という対象としての状態という分離が生じた。
命名するものがあり、命名されるものがある。
ここで認識者が、これはあるがままだ、こういうものだというように思うことによって、
そもそもの自分が作り出したとされるあらゆる執着とそれにともなう苦しみや純然たる恐怖
あるがままという2重の夢見によって、そういうものは事実としては残っているのだけど、
それらに対して限界まで鈍感になれる。
ひとつの対処法ではある。
amaさんはそれになりきるといっている。
それは苦と恐怖があり、認識者と認識が分離し、
さらに認識者が一体の、あるがままの、一元の夢を見るということで成り立つ。夢の多重構造。
しかし、認識者と認識の分離、命名、過去からの評価の働きがなかったら?
そもそもの執着と苦と恐怖の働きがなかったらどうなのだろう。
私は何をやっているのだろう。
それがわからない。それに覚めていないのだ。覚めようとしても覚められないかもしれない。
しかし、覚めていないから、これらをやってしまっているという逆説の事実がある。
私は死に始まる、あらゆる喪失を恐れている。私は恐れざるを得ない。
それから逃避して、争ったり、愛したり、静寂を装ったりできるが、結局一時の逃げ場。あきるもの。
151 :
473:2012/07/20(金) 18:31:54.78 ID:+A8o3umE
149修正
もともとは名前をつけなくても稼動している実態がある。
そこに、私という認識者と、恐怖という対象としての状態という分離が生じた。
命名するものがあり、命名されるものがある。
ここで認識者が、これはあるがままだ、こういうものだというように思うことによって、2重の夢見によって、
そもそもの自分が作り出したとされるあらゆる執着とそれにともなう苦しみや純然たる恐怖
そういうものは事実としては残っているのだけど、 それらに対して限界まで鈍感になれる。
こういった人々の鈍感さはひとつの共通点ではある。怒りに苦しみに鈍感なように、あらゆることに鈍感である。(さっきのリンク先の動画の人のように)
ひとつの対処法ではある。
amaさんはそれになりきるといっている。当然なりきる主体がいる。
それは苦と恐怖があり、認識者と認識が分離し、
さらに認識者が一体の、あるがままの、一元の夢を見るということで成り立つ。夢の多重構造。
しかし、認識者と認識の分離、命名、過去からの評価の働きがなかったら?
そもそもの執着と苦と恐怖の働きがなかったらどうなのだろう。
私は何をやっているのだろう。
それがわからない。それに覚めていないのだ。覚めようとしても覚められないかもしれない。
しかし、覚めていないから、これらをやってしまっているという逆説の事実がある。
つまりなろうとしたりしようとするのではなく、無自覚にやってしまっていることに気づいて、それをしないという方向であるということ。
私は死にはじまる、あらゆる喪失を恐れている。私は恐れざるを得ない。
それから逃避して、争ったり、愛したり、静寂を装ったりできるが、結局一時の逃げ場。あきるもの。
152 :
473:2012/07/20(金) 18:56:48.09 ID:+A8o3umE
自我がなにかしなくてはいけないと夢を見るのか。
自我がなにもしなくていいのだと夢を見るのか。
自我に目覚め、了解するということは前者2つと相対的な関係にない。
権利は攻
義務は守
同じ響きを持つ組を知ること。
許された組なのかを、先ずは知ること。
>>147 食ってんだか食われてんだか…(゚д゚)
食うものと食われるものですか、重要ポイントかもしれません
ここから先は脳内理論では届かない世界です。
自分の心身にきくより他はありません。
157 :
473:2012/07/20(金) 19:40:05.03 ID:+A8o3umE
先ほどのこと、全く万人向けではない。飛び込まざるを得ないほどわが身を焼き尽くした人は勝手に飛び込むがいい。
だけど、鈍感さと夢見をもたらす万人向けの偽りと、
究極へ向かう成熟をもたらす万人向けの方便は違う。
後者を時代に合わせ創り出せる人こそマスターの名にふさわしい。
oshoも古いけど、現代で真理に向かう方便を提示している人を私は知らないので。
13スレ762
>探り求めようとすると、あらかじめ予期したもののみしか、あなたの目には入らなくなります
☆この辺に探求のパラドックスを感じます
探求の必要が無いことを知るには探求するしか無いとゆう(笑)
13スレ798
>執着にせよ何にせよ、生まれることも滅することもないわけですから、
それをわざわざ消さなくてもいいという理解です
もちろん保持する必要もないでしょう
☆ことは起きては過ぎ去るのですね
13スレ799
>> つまりamaさんは悟りを求めているのですね。
>いえ、求めていません。
(というか求めることが出来ない。)
☆ドーナツの穴だけ別売りは難しいですね(笑)
今を体験するために今を否定するのも妙な話です
13スレ801
>実際にはあるんだから、ある状態で悟りを語るのに無理があるんじゃないですか
☆悟りを語るのは常に無理があるかもしれません
その基本的な理解が双方にあるとき対話の成立する可能性があるのかもしれません
13スレ801
>執着のこってて悟りを理解しているというのに無理があるんじゃないのという
本当にシンプルな話です
☆悟り、執着、理解、執着がある、といった概念に対する理解がヨナミさんとamaさんで違う場合は複雑かもしれませんよ?
無智亦無得。以無所得故。菩提薩?。依般若波羅蜜多故。
心無?礙。無?礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。
ドーナツの穴はドーナツの穴。
ドーナツの穴がドーナツなれば顛倒夢想。
>>132 なるほど。みなさんが見易いテンプレになるといいですね。
動画みさせてもらいました。 彼も臨在禅のように既に悟ってるということが
言いたいのでしょうか。
犀の角のように独り歩め 有名な言葉ですよね。
犀の角のようにというのが意味がわからないですけど独り歩めとうのは自分で答えを探し出せということでしょうか。
>>148 難しいことを考察していますね相変わらずw
下に続く書き込みも時間あるとき読ませてもらいます。
ただ一つ感じたのは、
>そこに、私という認識者と、恐怖という対象としての状態という分離が生じた。
これは同時にその対象との一体化もしてないでしょうか。
他のことが認識できないならなおさら一体感を感じます。
>>154 問答ですか? 分からないので分からないままにしておきます。
>>158 慧能は坐ることをせず米つきだけで第六祖になったと聞きました。
やはり坐る以外にも悟る道はあるのですね。
では今日から海に行くので出かけて参ります。
166 :
473:2012/07/20(金) 22:45:08.45 ID:+A8o3umE
>>165 もともとそれが一から分かれる前、それに目覚めている意識があれば、同化はなかったかもしれません。
「それ」が、恐怖する人と、恐怖に分かれることが同化なのでしょうか。
一体化というのは2つに分かれたものがくっつくということでしょう。
2つ無いと一体化もできません。
一が二になり、それがくっついて1のよう?
oshoは、内側を見て自我が本当にあるかどうか見極めてごらんと誘っていました。
それについては断るべくもありません。
他者より、なによりも自らが最大の謎です。
167 :
473:2012/07/20(金) 23:43:22.03 ID:+A8o3umE
>>165 そう。賛成もなく、反対もなく。
自らを知れば、相手が何を指し示しているのか感じられるときがくる。
そして、それはあなた独りの理解。
あなたは他者を見通せるが、見通された本人は自分が何をしているのか気づいていないので、自らの心の働きに無自覚なので
それを指摘されても全く理解できない。
あなたは、賛成も反対もせず、実に控えめに、あくまで自分の理解としてみている。
わからないことに賛成せず、反対せず、保留している。
自己を意識している。自己を探求している。
473はそれを伝えたかったのかもしれない。自分自身を知らずして表面的な意見や理論に賛成されてしまったら、
それは473の意図するところではなく、その責任を取るべく火消ししなければならなかった。
そうであればあなたは先に進む。自らを知る。
たまたま今473の述べることを見通せるか、見通せないかは時間の問題に過ぎない。
言葉に酩酊すんなよ
170 :
473:2012/07/21(土) 00:42:20.56 ID:awk1q0BN
表層意識と無意識を分かつのが自我であり、自我が虚構なら表層意識と無意識の区別も虚構。
しかし、それも、信条にも他者にも欲望にも覚醒がそらされず、無意識の全容に目覚めていてこそ意味のあること。
まずもって無数の逃避のパターンを理解し、かわしていないとこれは目覚めではなく夢に向かう示唆になってしまう。
自我がある限り、覚醒の欠如がある限り、表層意識と抑圧された広大な無意識とその入れ替わりは実情なのだから。
無意識と表層意識の境目は覚醒の欠如によって存在する。無意識など本来ない。すなわち表層意識、自我も本来ない。
かもしれないと感じているので、無意識ということを強調しすぎたかなと思ったのが473。
そういうものなのだから、最終的には無意識という方便も捨てよと言ったのは過去の人。
一体いつまで、そこに居座るつもりなんだろう
そこは、ゴールではない
入り口だろう
今、世界は大きく揺れ動いている
世界の揺れは意識の揺れ
揺れは大きく大きくなり、全てを飲み込むブラックホールと化す
・に、身を委ねよ
サインヲ、ミツケヨ
もし、そこに留まりたいなら、そうすれば良い、永遠に…
ひとつに、皆が語らぬ、神通力というものがある
果たしてこれは、オカルトか、真実か?
確かめて観るべきだろう
神通力は、無我となった人に、神が乗り移るともいう
もう一つに、霊魂というものがある
日本には、三種の神器と呼ばれるものがある
剣と、鏡と、玉
今や、この日本は、止められない暴走特急
これを、妄想だと無視するか?
自らの苦しみを滅することも、とても必要な事であるが、もし、目覚めたなら、神の使いとなるのならば…
現実世界と向き合い、成すこともあるやもしれん
無我であるなら
さあ、目覚めよ
その時は迫っておるぞ
自律神経失調症なだけなんじゃない?
逃避が悪だとわかってるのなら
逃げなきゃいいだけと
何故にわからぬ
殻にこもることを逃げと言う
自律神経を活性化すればいいだけと
何故にわからぬ
どうやって?
潔癖とは妄想への捉われである
自律できないのは妄想から脱却できないからである
妄想とは?
>>174 自分で考えろ。自分で考えることが自律の第一歩
人に頼るな。依存は敵であると知れ
自分を律しようとすれば方策はいくらでもある
ただし潔癖は捨てよ。肩の力を抜け
勘違いをするな
あんたはまだ、妄想から脱却しとらん
方策に頼るなら、方策に溺れる
自分は妄想を脱却していると思うなら、まだ脱却しとらん
抜くのは、肩の力ではなく、自分じゃよ
自分を律することもできぬは愚か也
愚かという妄想を作り上げて、さぞ「自分」は満足なんだろう?
そりゃ〜、ただ単に常識という妄想が好きなだけなんだがな〜
>方策に頼るなら、方策に溺れる
逃げ口上
>自分は妄想を脱却していると思うなら、まだ脱却しとらん
>抜くのは、肩の力ではなく、自分じゃよ
ただの妄想
あはは〜、自分の気に喰わんもんは全部妄想か
それで、妄想を脱却したとでも?
473の文章をよく読んで観たらどうだ?
あんたにぴったりだw
>>116
>>184 それを固定観念に捉われているという
一言だけいうておくが
誰も妄想を脱却しとると言ってない
妄想を脱却していないものが、他人の妄想を指摘することは、最も愚かなこと
自分置き去りにして、他人に何ができる?
自分を置き去りにした憶えはない
他人の逃避行は見苦しいものだ
なぜ見苦しいか教えてやろう
それが、自分の中にあるからだよ
>>188 自分を含めての戒めである
責任転嫁などではない
それを逃避と言うのだろう
>>189 当たり前のことを言うな
だから、それについてどうするかということだ
>>191 俺は神通力を逃避と捉えた
自分がそんなもの持ってる?否定は肯定に繋がる?
イラッときた
以上
ならば、
>>116 あたりからここまでの流れをよくよく読んで観るがよい
神通力については様々な意見があるだろう
わたしは、皆さんの見解が知りたいだけだ
>>194 読まぬ
>>195 そもそも悟りというものがイラッとできて楽しいw
修行という名の息抜きじゃよw
あっそ
473の連投は精神病チックで見ていて楽しい
なくてはならぬキャラとは思うが
それを読むのはイラッとくる程度では済まなくなる
君子危うきに近寄らず
自分で考えるな。自分で考えないことが自律の第一歩
人に頼れ。依存は味方であると知れ
自分を律しようとすれば方策はひとつもない
方策は捨てよ。他を鏡とし、自分自身を観抜け
改造人間は行く
どうせだから、知りたかった続きの近くへ。
ライダーライダー(´・ω・`)
アナグラムと普通に遊びたかったよ。
>>129 > つけるにしても、はっきり話題をamaの仏教観と変えてしまったほうがいいでしょう。
たしかに、後半部分は、一般的な仏教についてだけ言及したほうが分かりやすいかもしれませんね。
> 3と同じぐらい内容が伝わるようになっていれば、誤解も少ないでしょうが、2ではちょっとつかめない。
2に3の内容も盛り込んでみますね。
>>199 精神病患者の特徴が如実に出ましたね
結果として自分自身を観た時
神にでも見えるのでしょうか?
憐れなものですね
逃げれば追う、追えば逃げるは自然の摂理
立ち止まって張り手をかますのも逃げの方策
>>132 >>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1342102892/969 >煩悩が二元のものでしょ
おっしゃるとおりです。
>一元の中には何もないよ
これもまったくです。
>貴方がいないことが一元なのに、その一元を使って
>いつまでも自分自身を保護し続けてるのが貴方のパターンだよ
はい、私はいて二元を繰り返しています。
私がいないときは、私は、そのいないことを認識することは出来ません。
私がほげではないのです。
一元は認識できませんのでこれを使うことは出来ません。
使うことが出来るのは一元の概念だけですね。
出来るだけ聞かれたことにだけお答えするようにしていますが、
お伝えできるのは概念だけです。
私は、場合によって自分自身を保護するでしょうし、
場合によってはしないかもしれません。
特にこのことにこだわってはいません。
知ったげは辞めた方がいい
わたしは、鏡となり全てをあなたに返す
神通力を信じる信じないは、あなた次第だが、自らの罠にハマることになる
キヲツケタホウガイイ
あなたに、自然の摂理を語る資格はない
自分自身を観抜けんものが、平等に観る眼をもたないことは、自然の摂理である
>>206 自分自身を観抜けん精神病患者が、
平等に観る眼をもたないことは、自然の摂理である
精神病患者が自然の摂理を語るのは無理である
頭の中の妄想で手一杯だからである
それ以上妄想を膨らますのは、あなた次第だが、お勧めはしない
さあ、どうする?
はぁ?神通力の話か?
死ねw
わたしは既に死んでいるので問題ないですが、あなたは困るんじゃないですか?
ところで、精神病患者って何処にいるんですか?
お前はどこにいるの?
>>213 厳密には目の前の文章だな
普通ではないと診断しました
カラスは白いで文章は成り立つ
しかし、それを誰も認めはしない
へ〜、文章が精神病患者なんだw
このように
精神病患者の世界観はズレまくっています
みなさんも気をつけて下さいね
めんどくさいので生態観察を終了します
あはは〜、一体何を観察していたのやらw
勘違いさんw
あんたが、観察されてんだよ
自分自身にな!
219 :
ろん:2012/07/21(土) 10:33:36.61 ID:0Aoen+10
>>203 一元と言えば、ダルマそのものが一元。。
三法印、存在、すべての現象、縁起、無自性、空。。
すべての存在、現象を完成されたもの、法界、
仏様の掌の上と言う風に捉えるようになったのは、華厳経あたりだろうか?
僕はそこらへん詳しくない。。
でも、道元の時代には、誰もがそのままで成仏している、経典に書いてあって、
だったらなぜ修行が必要なのかと言う疑問を抱えて、彼は中国に渡る。。
悉有仏性とか悉皆成仏なんていうことが言われるようになったのは、大乗になってからだろうけど、
そういう考えが出てくる契機は、お釈迦様の悟りの中に既にあったのだろう。。
縁起、や人の心を本来完成されたものと感じる観方。。
それから、縁起と言ったら、一つ一つの個体の性質を実体としては見れない、見たら妄想だという考えも出てくる。。
苦もあり、煩悩もあるが、全体としては、すべて完成されている、不調和や対立や矛盾を包摂する、大いなる全体、
その全体の変化を導く、すべての生命に本来与えられている智慧のようなものの直観と言ったところだろうか。。
220 :
ろん:2012/07/21(土) 10:38:43.40 ID:0Aoen+10
三人寄れば文殊の智慧とかさー。。
バカでも三人集まれば、それなりにいい知恵が生まれると言う。。w
これも、人間知性を信頼する見方だな。。
だったら、ギリシアみたいに、公務員も抽選制にすればいいかも。。w
ついでに政治家や会社の社長も抽選制にする。。
バカでどうしようもない場合は、不信任決議で辞めさせればいい。。
朝からなんか妄想が止まらんな〜。。w
221 :
ろん:2012/07/21(土) 10:48:45.91 ID:0Aoen+10
そもそもホッブスが間違ってるんではないか。。
無政府状態だと、万人の万人による闘争になるうと言う。。
だから国家に、権力を預けて、管理させる必要がある。。
ホンマにそうやろか?
国家なんてものがあるから、越後屋と悪代官の癒着みたいな、
利益誘導、資本家、金融家と政官の癒着と言うことが起こる。。
で、庶民は搾り取られるばっかり。。
ナチスみたいに国家社会主義がいいんかな〜?
今ある問題の解決策だって、根本的なところをバサッと変えれば、解決しそうなものを、
できない。。なぜできないかって、利権断代の票を失いたくないとか、根本的な政治の機能不全がある。。
大企業とか利権団体が政治的に力を持ってしまっている。。
やっぱ、政治家は抽選制にして、選挙制は止める。。w
これでズバッと解決かも〜。。ww
222 :
ろん:2012/07/21(土) 10:55:35.27 ID:0Aoen+10
そうでなきゃ、アリストテレスが言ったような哲人政治にする。。
「日本かくあるべし」みたいなタイトルで、600枚〜1000枚くらいの論文を書かせる。。
いちばん優れた論文を書いたやつを大統領にして、大権限を持たせる。。
任期を6年くらいにして、大規模改革をやらせる。。
一回大統領になったやつは一生恩給が出るようにして、
次の選挙のことなんぞ、気にする必要がないようにする。。
これでズバッと解決にならないだろうか。。w
>>218 んんん〜…
ジェイムス・ヘッドフイールドのスピリットで The Ting TingsのHang It Upを唄う&叫ぶ!
ケイティかわいすぎる(*ノωノ)
>>97-98 「覚者はnamaとrupaに引っ掛かることはありません。」で了解です。
やっと具体的なものが出てきて嬉しいです。名称と形態(nama-rupa)で
ようやく掴めました。それは確かに目覚めた者(Awaked One)です。
>>204 > 一元は認識できませんのでこれを使うことは出来ません。
> 使うことが出来るのは一元の概念だけですね。
ここはその通りですね。同意です。
精神病患者を診断する医師は
自分自身を診断しているのではない
何でもかんでも自分中心にするのは
精神病患者の悪いクセである
直感とは具体的事象から抽出した抽象的事象を捉えたものである
特徴(クセ)を捉えたもので全体像を現すものではない
抽象的事象が正解でないにしても、特徴に関しては正解なのである
抽象的事象は具体的事象に影響を与えるのである
マトモになれば、ろんさんみたく妄想が政治に及ぶのか
観点が現実に近いのは健康的です
228 :
ろん:2012/07/21(土) 12:09:16.01 ID:0Aoen+10
精神病なんつーもんは、近代の医学が作り出したものだよ。。
法や常識を守る従順な、国民をまともとなし、それ以外を隔離病棟にぶち込むという、近代の発明。。
近代以前のヨーロッパでは、狂人は聖人とみなされていたんじゃなかったっけ?
でなくとも、精神疾患なんて概念は昔にはない。。
医者と国家と製薬会社の利益のためにあるようなもん、精神疾患なんて。。。
230 :
ろん:2012/07/21(土) 12:16:18.11 ID:0Aoen+10
社会の矛盾が集約したところに、いじめや暴力や狂いが生まれる。。
仏法から見れば、そういう縁と因があったということだから、すべて自然なんだな。。
自然以外ない、自然の自己運動と自己展開、が歴史ということか。。
>>93 絵を見る人は二種類います。
1. 絵を何の判断も予断も持たず、そのまま見れる人
2. 絵を見ようとして、絵そのものではなく、思い描いたイメージ、解釈、価値観を
通して絵を見てしまう人
1はとても少ないのです。
仏陀が蓮華を手に取ったとき、ただ一人迦葉だけが微笑まれたように。
232 :
ろん:2012/07/21(土) 12:31:37.18 ID:0Aoen+10
>>231 絵なんて好きに見ればいいんだよ、自分の好み、趣味、思想で切っていいの。。
自分の好きな絵がいい絵、で普通の人は構わんけど、美術評論家とか画商になりたいなら、
また別の話になる。。
>>158 > 探求の必要が無いことを知るには探求するしか無いとゆう(笑)
ホント、この道はパラドックスだらけですね
無我を実感するには、究極的な我を実感することが条件とか
一番ゆっくりやるのが一番早いとか
探し物は何ですか?ドーナツの穴です、みたいな話とか、論理的には語りにくい話しばかりです。
>>201 あんたがほんとうにほげっているなら()とか違うものとかじゃなくて悟りを否定すべきじゃないかなあ
悟りという言葉にはあらゆる規制がかかっているし、あらゆる観念が投影されてるでしょ
そもそも空だからこそ何でも入るんだろうけどねw
だから彼の悟りと彼女の悟りがぶつかって煽り愛が始まるわけでさ
ま、それはそれで楽しいけどw
つまり独裁者がほげっていれば独裁国家はいい国なのかもしれないってことだw
235 :
473:2012/07/21(土) 12:36:03.15 ID:awk1q0BN
>amaさん
>>204 想像上のほげ、悟り、という境地について語っているのか。
じっさいのama自身の境地について語っているのか。
よくわからない。
204では道の途上であることを表現しているように感じる。
途上なのなら、現状と、そして自分なりの完成のビジョンを合わせて提示すればいいのではないかと思います。
そしてそれを明確に区別なさることです。
みんなamaさん自身が1元に組み込まれた存在、宇宙、自我、体、執着、苦悩、喜び、生、死、男女これらの要素がもう要素としてでなく
1なるものとして存在しているのかどうかに興味があるのです。
あなたが二元なら、現状あなたがそれから離れている理念上のほげはけっこうどうでもいいのです。
もしくは、ほげが現実で、あなたが理念といえるかもしれませんが、どちらにせよ理念であるあなたがあなたの、そしてわれわれがみるあなたの現実です。
amaさんなりに、悟りが、真理が、どういうものか見える、感じられる、推測できる。
ということにはあまり興味はないのです。それは誰もがしていることですし、いろいろな本がありますから。
ここの区別をしっかりされると良いかと思います。
誤解を望まれていないようですので、ポイントを抑えさせていただきました。
いもしない、精神病患者を作り出し、その脳内で独り相撲をとっていることに気づかんほど滑稽なもんはない
妄想以外の何者でもないがw
全く、無明にもほどがある
>>231 「単なる些細な気づき」から花を見るあんたは2だなw
みんなもともとどっちでもあるし、どっちでもないということがわからないから
そこにこだわるのかねえ
239 :
473:2012/07/21(土) 12:46:06.05 ID:awk1q0BN
>amaさん
私が一般というと、仏教だけでなく、古来からの宗教の一般ですね。
ヒンズーやイスラムのスーフィー、そして近代宗教のOSHO、クリシュナムルティ、グルジェフ、ラーマクリシュナ、マハラジ。
彼らはさまざまな方法で導きますが、その終着点の、境地、悟り、光明、そういうものの描写といったり生死や感覚の超越というものについては共通でした。
そういう意味での一般です。
過去の集大成である、自我、自我が認識者として機能していると、あることに快楽を感じてわれを忘れるかもしれないが、
基本的に既存の執着している対象を失うことに純然に怯えざるおえない。
その構造に我々は無自覚なのだ。
それを自覚するほどの、表層意識と、無意識と、その仕切りである自我の全てに覚めるほどの目覚めがあれば、
もうそれをしなくなる。
執着しなくなる。苦しまなくなる。眠りのうちにしていたことを目覚めとともにやめる。たったそれだけのことが説かれています。
消えたのが悟りとはいいましたが、悟ったらそれが消えるという発想はそもそも持っていません。
後者の発想が出てくるのはamaさんの内部に理由があるのではないでしょうか。
悟りは自分自身のあり方から離れたものではなく、自分自身のあり方が変わったから、それを悟りといったり、
またy双璧であった自分自身が消えたから、今まであったけど接触のなかった悟りを見出すというものですから。
他人を観る、何かを思うということは、
そういう思いがあるということ
その思いは誰かというと、自分以外の何者でもない
思いが自分であり、また、思いが思いを観ているのである
241 :
473:2012/07/21(土) 12:50:19.75 ID:awk1q0BN
>amaさん
>はい、私はいて二元を繰り返しています。
つまり、ほげが1元であり、あなたは二元を繰り返しているのなら、
ほげがなんであっても仕方ないような。
というのも、あなたはそれを体得していないのだから。
ほげと執着は無関係でも、あなた、わたし、は執着の塊でしかない。
みんなほげについてでなく、生身のあなたに関心があるのです。
「完全に体得していませんが、一緒に目指してみませんか。」
それがわかるようにお願いします。
>>232 耳切って描いたゴッホさんディスってんの?
ムンク先輩も黙ってないぜ
ピカっちのゲルニカは楽園じゃないぞw
道元が言った、「眼は横、鼻は直」ってほんまなんかなぁって思う。
そんなのどうやって確認できるのだろうか。
自分が消えれば他も消えるというが、
自他のどちらが先ということはなく
同時なのだろう。
244 :
ろん:2012/07/21(土) 12:55:15.52 ID:0Aoen+10
>>239 オショーって、ロールスロイスを何代も所有して、無免許でいろんなところに突っ込みまくってたんじゃなかったか?ww
そんなんで無執着って言えるのかよ、おい。。ww
>>239 クリシュナムルティは不倫の末に裁判起こしてるぞw
そうして、自分が他の思いと変わらず思いであると気づくとき、平等智、智慧が開かれるのである
さらに、自性無くあるなら・に導かれるとも言えるのである
・は、・でしかないが、+ともなり卍ともなり、蓮華ともなる
しかし、その本質は・である
247 :
473:2012/07/21(土) 13:10:43.67 ID:awk1q0BN
>amaさん
一元であるもののかけらと、二元であるものがせめぎあっている。
そういう段階の人がいるとします。
一元は対象もなく、自覚もないので、「対象もなく、自覚もないのです」
という遠回りな、いや明らかな自己主張などしないでしょう。
本当に対称でなく自覚でないとしたら、彼にとって目に映るのは彼自身の二元でしかありません。
一元を身に宿した人だけが二元を語りえます。
二元でしかない人は二元について語れません。彼らは二元を二元の2乗、三乗と強めることしかできません。
一元を身に宿した人は、一元は本当に語りえないので、単に語りません。二元に目覚めるじっさいの方策を提示し、
また、自己の二元に目覚めようと勤めるでしょう。
自覚のないものですと、言葉で言いながら、どれだけそれを自覚してそれを繰り返したか。
あなたとほげの関係がどういうものかこのあたりが如実に語っています。
>>237 いまはそうですね。判断だらけで見てます。
それを日常とするところまでは辿り着いていないです。
ただ、無我となれば、
一枚の木の葉はこれ以上にないぐらい光り輝き、
世界の全てが完成され完璧であること、
時間というものは存在しないこと、
人間がその存在自体として限りなく幸福であること、
世界には戦争も貧困もあるけど、全てが統一され完成されていること
が内的にわかります。
ただ、この「単なる些細な気づき」さえ分かる人は少ないのです。
249 :
ろん:2012/07/21(土) 13:17:55.83 ID:0Aoen+10
>>247 どうでもいいがな。。
それより自分がamaさんに、粘着、妄修してることに目覚めたらどうだ。。
どこか遠いところにある妄想の悟りにあこがれ続けてるのも問題だがな。。
251 :
ろん:2012/07/21(土) 13:20:09.81 ID:0Aoen+10
一元とか二元とか仮の説明過ぎない。。
そうなかくて、すべての観念思考を捨てて、無心。。
説明するのは自分が悟ってからにすればいい。。
悟る以前の思考など、みな妄想みたいなもんだから、473の場合、確実に妄想だな。。
自分だけが、悟りを知っていると、いやいや、一番遠い人だよ。。
252 :
473:2012/07/21(土) 13:21:01.88 ID:awk1q0BN
過去の集大成である、自我、自我が認識者として機能していると、あることに快楽を感じてわれを忘れるかもしれないが、
基本的に既存の執着している対象を失うことに純然に怯えざるおえない。
その構造に我々は無自覚なのだ。
それを自覚するほどの、表層意識と、無意識と、その仕切りである自我の全てに覚めるほどの目覚めがあれば、
もうそれをしなくなる。
わたしはどう在ってしまっていて、必然的にどうしてしまっているのか。
それがわからない。
一度やめてみないことにはわからない。だけど何しているのかわからないのでやめ方もわからない。
、、わからないのはいいことだ。実地にみることができるから。
>>232 絵の評価としてはそうでしょうけど、ここで話し始めたのは認識や対象物の
形成作用の話しかと
ただ、無為と呼ばれているような在り方は掴めてないので、そこは課題です
>>250 的確な表現ですね、この病も癒えることを願います
256 :
473:2012/07/21(土) 13:26:30.74 ID:awk1q0BN
>>240 なにが何でも他者に影響を与え、反応を見て、自己逃避したい人にとってはそうではない。
だけど、自身の思いという束縛から解放されたい人にとってはあなたのおっしゃるとおりだ。
自分なんか放っておいても大丈夫。
悩みたくない、悲しみたくない、痛みたくない
それこそが逃避なのさ。
258 :
ろん:2012/07/21(土) 13:37:09.28 ID:0Aoen+10
>>252 >わたしはどう在ってしまっていて、必然的にどうしてしまっているのか。
それがわからない。
wwww
お前は、ごみカスが集まる2ちゃんねるで、無意味な長文自己紹介文書き続けて、
特定コテに粘着して、偽物だなんだ、このスレ誕生以来ず〜と時間とエネルギーを浪費、
精力をつぎ込み続けているわけだ。。
で、人からみると、精神病っぽいなと思われ、誰もまともに相手にしない、読まないとなる。。ww
>一度やめてみないことにはわからない。だけど何しているのかわからないのでやめ方もわからない。
僕の場合、毎日欠かさず坐ってれば、2ちゃんねるからは自然と離れるけどな。。
あるいは、まともに働くことだ。。
もっと、マシなことやれってことだな。。
259 :
ろん:2012/07/21(土) 13:38:05.55 ID:0Aoen+10
>>253 認識も形成作用もそのままでいいんですよ。。
何かしらあることを迷いとみなすのが迷いかな。。
>>259 作者の想いはあるだろ
それくらい感じてやれよw
私はハイハイしていたら柱に頭を激突させてしまいました。
いまより2500年ほど前、四十五年の永きに渡り、インド全土を巡り教えを
説き続けた男がいたが、彼は人間に執着していなかったのだろうか?
それとも彼の行いは
>>244や
>>245とは異なるものだから執着ではない?
後から心がああだった、こうだったというのが
悟りの病。
悟りが病んでいるわけではない。
>>238 ある者が全面的に涅槃、ある者が全面的に迷いということは
ないのかもしれませんね
>>263 おいおい、他人の言葉を勝手に定義するなよw
266 :
473:2012/07/21(土) 13:49:29.30 ID:awk1q0BN
>>240 256続き。
後者を志す場合半端でいてはどうしようもない。
価値判断、執着の総体である自我はなんとしてでも、何かを好きにさせ、嫌いにさせ、
それ自身に覚めることを妨害しようとする。
自分がどのようにして前者に落ちているか、もしくは誘われているか。注意してもし足りることは無いと痛感します。
そして、他者に語ることはまさに自分にも語る価値のあることであるようなことであるように。
>>259 > 認識も形成作用もそのままでいいんですよ。。
> 何かしらあることを迷いとみなすのが迷いかな。。
「認識も形成作用もそのまま」は日常的にそうしてますか?
それとも坐ったとき限定ですか?
じゃあ他の人の言い方をしようか
「観覚の病」
☻が自己、☺が悟った人で、☹が未悟の人だとする。
本当に悟ってるなら、自己の基準を立てて、
こいつは悟っていて、こいつは悟っていない、というような評価はしないんじゃなかろうか・・・。
客観的視点
☟
☻☹☺☹☺☹☹☹☹☺☹☹☹
>>264 全面的に迷い?
それわかんない。
全面的に涅槃っつったって、どんなに幻想に気づいていたって、
元に体があって生きているわけだし、言葉を使ってコミュニケーションするわけだし。
そうしたら、「こことあそこ」とか我とか彼とか認知しないと生活できないじゃん。
修行してると迷う暇なんかねーよ
あぁーきつ、だが心地よし
全部暇がわりーんだな
暇がある上に迷うなんて贅沢だなw
272 :
ろん:2012/07/21(土) 14:01:13.82 ID:0Aoen+10
>>267 というか、出てきたものを引っ込めることはできないのだから、出てくるままでしょう、妄想も思考も。。
日常からそうです。。
でも坐ることは、僕の場合、やっぱり必要だと思いますね。。
坐らんと、やっぱりダメな気がします。。
何がダメって、やっぱり、思考想念の世界に落ちてしまう気がする。。
思考想念が悪いわけじゃないんですが、やっぱりそこから頭一つ抜け出ないと、ぜんぜん解脱じゃないわけだから。。w
要は、そのままとは、思考想念に、振り回されないということかもしれません。。
それらを無くすのではなくてね。。
自分はなにもしなくてただすべてを観ているだけで、
あとは自分の体を含めた世界がオートマティックで展開していく状態っていうのもあるけど、
自分がすることも話すことも、どこからかオートで生じている状態。
常にそこに住しているのかということを問われているのかね?
よし、暇だから、座るかなw
寝そうな気がするw
275 :
473:2012/07/21(土) 14:09:33.55 ID:awk1q0BN
>>269 本当のことはわからないし、また自我に目覚めるなら、
気にしてはいけないことだとは思います。
ただ、表現されるものについて語り合い、刺激を与え合うだけではないでしょうか。
そういうような表現は、こういう人がしているように感じるけどどうなの。
といいあって、刺激を与え合うゲームでしょうか。
周りの人がどうでも、それを好いたり嫌ったりして、自分から意識が離れてしまったら、結果は変わりません。
悟った人は、相手によって言うことが変わります。それはひとつの事実。
そして、彼らは評価したり好き嫌いしたりすることはない。これは見えにくい真実かと。
相手によって言うことが変わるが、その認識にも行為にも全く束縛されていない。それは存在しない。
のようなことが金剛経にあったような。
>>258 473さんは、精神的な餓鬼道に堕ちているような気がしてきた
六道というものを空想の産物と片付けるのは容易いが、生身の人間の
心の在り方の例えと捉えると、
473さんは常に(精神的な)飢えと乾きに苦しみ、(精神的な)食物、
また飲物でさえも手に取ると火(自己解釈)に変わってしまうので、
決して満たされることがない
のような感じで、精神的な餓鬼道を犀の角如く邁進していないだろうか、と
人間と看做すと精神病とか頑迷さとか出てくるけど、人間ではなくて、
餓鬼と見れば、また違ったアプローチもできるのではないかと。
なんだかこれまでで一番酷いこと書いているような気がしないこともない
けど、構わず投下。先に謝っときます。ごめんなさい。
>>270 わたしもわからないです。文章全体が冒頭から末尾まで「〜かもしれません」です。
>> そうしたら、「こことあそこ」とか我とか彼とか認知しないと生活できないじゃん。
その通りだと思いますし、
>>204のamaさんのいうように
> 一元は認識できませんのでこれを使うことは出来ません。
> 使うことが出来るのは一元の概念だけですね。
とは思うのです。
ただ、あとは「「こことあそこ」とか我とか彼とか認知」のこびり付き具合の加減の
問題なのかもしれませんが、
>>262の仏陀の永きに渡る布教は執着?執着とは
違うのも?一体何?という具合です。
そして、こびり付き具合という問題の設定自体が間違っているかもしれません。
>>275 生活していれば認知の歪みは知らず知らずの内に生じてしまうものです。
279 :
ろん:2012/07/21(土) 14:26:53.49 ID:0Aoen+10
>>276 あたまも心もガチガチに固まってしまっているから、自分の思い込み、知識が絶対に正しいと思い込んで、
他の人の言うことや思想や考え、知識、をまったく受け付けない。。
ATフィールドwみたいなもので弾いてしまう、精神的な受信拒否、未知の他者と言うものが存在しない。。
すべてを自分の思い込み知識で解釈して、それが正しいと思い込む。。
だから、ぶっ壊れた機械みたいなもんですよ。。
カルトの教信者、と全く同じ精神構造。。
自分の信じる教祖が絶対的に偉大で崇高であり、それを信じている、知っている自分が2番でなければならない。。
他の覚者や教えや法は認められない、と言う病気。
>>255 ありがとう
でも、あなたも熱に浮かされているように見えるけど、ご自身の病はいいの?
餓鬼道、畜生道の人間はいる
あさましいと感じる直感は正しい
精神病などありはしない
その通り
だが普通と思われる人間が
ある日突然往来で刃物を振り回す
これが問題なのである
282 :
ろん:2012/07/21(土) 14:31:27.93 ID:0Aoen+10
なんで長文を書きみ見続けるかって、長文=自己だから。。
2ちゃんねるの自己紹介文で自己確認する、無意識の自我はそれを見ている。。
意識的な主体が書くわけだけどね。。
賢そうな文体で書いても、おいらみたいに精神分析わかってる人間から見ると、無意識の理論とかメチャクチャなんだわさ。。
フロイトさえまともに理解してると思えない。。
自分の文章を見て、悦に入ってる、自己愛性障害。。
まっとうな社会生活とか、仕事言うものをやっとらんのだろう。。
・・おいらも、気をつけなきゃいけないけど。。ww
>>277 自分も仏教詳しいわけじゃないから、論争に参加するの嫌なんだけどさw
執着とは関係なしに起きることは起きる。そうなることは、そうなる。
そういうのカルマとか言うんじゃないのかね?
駄目だ。眠くて足いてえw
フロイトも仏教も哲学も興味がない
そんなものいらんし
寒い・・・。
夏はいずこへいったのか・・・
287 :
ろん:2012/07/21(土) 14:52:01.00 ID:0Aoen+10
>>285 涼しくていいじゃないか。。
今日は、初朝顔が咲いたよ。。
>>282 > 無意識の自我はそれを見ている
無意識は自我が関われないからこそ無意識なんだけどねw
おっと、自我を使うならイドかエスだなw
>>287 末端冷え性で足が冷たい(-_-)
⚆⚔♘
ロンドン五輪が近い。甲子園が近い。
☭プーチン☭はソ連へ逆走中・・・
291 :
ろん:2012/07/21(土) 15:17:05.40 ID:0Aoen+10
>>288 自我と言うのは、意識的な部分と無意識的な部分があるの。。
意識されうる部分だけが自我ではないの。。
健全な自我は意識的な部分が強い、不健全な自我は無意識が強い、ということ。。
恐怖や不安を抑圧するくらいなら、恐怖や不安にいったん負けた方がいい。。
認められないものを認める、自我がこれを遂行できたら、まあ病気は治るかもね。。
292 :
ろん:2012/07/21(土) 15:20:05.97 ID:0Aoen+10
自分は何にも知らん、と認めることができないのが、473の自我だろうな。。
読んだ本を正しく理解しているか、どうかも怪しいが、もっと問題なのは、自分の知識こそが優れている、近代のマスターとやらだけが優れている、と思って譲らないことだ。。
何にも知らない人=仏。。
知らぬが仏だよ。。
293 :
ろん:2012/07/21(土) 15:23:56.31 ID:0Aoen+10
>>288 無意識なんか、冷静に観察すれば、だいたいわかるもんだ。。
精神病者じゃなかったら、自分でだいたいわかる、わかれば無意識でなくなるしね。。
>>289 イドとかエスというのは、無意識の一番根源的な衝動のことだね。。
この根源的な衝動、欲望が、充足を断念せざるを得ないことによって、自我が生じる。。
だから、傷の上にできたかさぶたみたいなもんだ、自我なんて。。
イドとかエスって、日本語に訳すと「それ」。。
>>921 自我って言葉をどっから持ってきてるの?
自我に意識と無意識があるとすると精神分析の話じゃないのか
282は精神分析の文脈から書いてると思ったんだがw
296 :
ノスタルジア:2012/07/21(土) 15:29:10.71 ID:bf8IhIzu
方程式とは左がXの場合、右の未知数に、特別の値を与えるとき、成立する等式
であります。Xは感情迷路であり、それを未知数、つまり数で表します。私は
未知数はいくつでもよくて、そのXがどういう感情の迷路に迷っているかで、
未知数も決まると思います。思うというのは思考であり、「竜思考」であります。
つまり過去にあった「Y」という不特定な未知のアルファベットに限定され、
限定がさらに複雑な方程式(と言っても中学レベルですが・・・)を呼びます。
逆説的に言うと、「Y」の方程式から「X」の方程式に、つまり竜思考が初めにあり
そこから「答え」という名の感情迷路を作り出しました。しかし中学の時、
(笑)、答えの本が付属されていたんだよ。だから問題である「Y」の方程式も
答えである「X」の方程式も知っていたんだよ。というか最初から在ったんだよ。
つまり後はぼくの理解が追いつけば良かっただけであり方程式であるが、
ただの等式のようでもあり、だから方程式を僕は解いてはいなかったのでは
なかろうか?学校教育は大事だけど洗脳と捉えると脱洗脳に取り組めれるはずだ。
学校の夢よくみるんだよ。脱洗脳だ。元を断ちきるには本当に習ったことを
マスターしてなければならないのではないか?
297 :
ノスタルジア:2012/07/21(土) 15:30:05.03 ID:bf8IhIzu
等式を解く、つまり足し算や引き算などの算数は、数学の土台であるが、
算数の土台は数自体である。プラスの数が数自体の最初に学んだもの。
数、算数、数学というものを私たちは何となく積み重ねてきた。例えば
分数は小数にするものだと教えられてきた。X=「分数いろいろ」 を解けるか
?本当の意味で・・・。僕は分数が縦横無尽に並んでいるのが、瞬間毎に
に入れ替わりながら、数秒間続いていくのが見えた。それはエネルギー注入
、もしくはエネルギーを脳から出したりして見るものなのだが・・・。
我々は分数のなんたるかを小数で転換して分かった気でいる。同様に、数自体
や小数を分かった気でいる。なぜこういうのかというと、言葉の方程式あるなら
「X」の方程式つまり「X」という感情迷路について、または「Y」の方程式、
つまり「Y」という竜思考について当てはめれるのではないか。ここでまた
数値に置き換えてその二つをつなげるのは人間の悪い癖だ。それはそれ、
これはこれという理屈がある。言葉の方程式=「X」か「Y」の方程式であり
そこに数値をイコールでつなげるのはよくないことだ。
298 :
ろん:2012/07/21(土) 15:30:26.41 ID:0Aoen+10
>>294 精神分析だよ、自我に意識と無意識がある話。。
自我=意識ではない。。
意識できない無意識下の根っこを含んだものが自我。。
>>293 真っ暗なところにライトを当てたところが意識とすると、
光の当たらないところが無意識なわけで、でも見ようとするとライトを当てないといけないわけで、
そうするとそこはもう無意識じゃないわけでw
じゃ、最初からもう真っ暗でいいじゃんてな話にわるわけでw
>>297 分数いいすね!
約分は手段としては正しいけど、作文としての意味を失う。
小数変換も%変換も、割りきった手段としての正しさであって、出される解は別物です。
教師が分かってない。
あした無骨な方へ…
301 :
ろん:2012/07/21(土) 15:41:09.67 ID:0Aoen+10
>>299 ようわからん。。
無意識は、直接は見えないけれど、錯誤行為や夢などを観察すると、間接的に知ることができるのではないかと言うのがフロイトの理論ね。。
>>298 ユングでもなさそうだしフロイトでもなさそうだし、だれの理論?
精神分析系はいろいろいるからなあ
ひとつ参考までに教えておくんなましなw
無意識を見るとか観察とかは素直な自分の心を丸裸にする訓練で
無心というのは操作されてない心、はかりごとのないことで、結局両者のことは同じなんだ。
自分が自分に落ち着くという表現も同じこと。
>>301 このスレ的に言えば、悟ったと言うといやいやそれは違うと言われ、
これこそが悟りだと言うと、悟ったというと自体が悟ったということではないのだと言われ、
はいはい悟ってませんよというと、人は最初から悟っているのだということになるわけでw
305 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/21(土) 16:11:37.37 ID:rwnzxb2e
306 :
ノスタルジア:2012/07/21(土) 16:17:57.22 ID:bf8IhIzu
>>296 >>297 形(色)の数式を推理してすべてを数として見れば、長さや面積や体積などは
意味づけしなくていいものだろう。そのためには言葉の方程式=数の方程式
にしなければならず、声聞界って数学や理科も入ってますよね?実験や呪法
社会や作法までも一生懸命しなければ大涅槃に至れないだろう。なんか菩薩界から
声聞界に戻るのって危険らしいですね。真宗では今が大事だが、今このスレで
声聞界やっている者ってあまりいないな!!二乗を超えて菩薩界に行った気で
いる。実は二乗を大事にしないと、六道と菩薩界は密接に繋がっていたりして。
菩薩の誓願って恐いって感じか。僕はそれに今日あらためて気付いた。危険でも
ある意味二乗の方が聖域かもね。実力のない菩薩擬なんてどこの仏国土も雇って
くれないだろうな〜力二乗でみんなで蓄えようよ。まあ仕事勉強で忙しい皆に
とっては地獄なみにきついしいつになっても地獄から抜け出せないし、俺は加害者
として被害者にいじめられる立場になるんだろうがwww
307 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/21(土) 16:22:06.26 ID:rwnzxb2e
>>304 名無し さん
>
>>301 > このスレ的に言えば、悟ったと言うといやいやそれは違うと言われ、 これこそが悟りだと言うと、悟ったというと自体が悟ったということではないのだと言われ、 はいはい悟ってませんよというと、人は最初から悟っているのだということになるわけでw
言われたいのか、言われたくないのか、そこが、分かれ目。
分かれ目を言われれば、どこが、と探す。
いやいや、元から分かれ目は無いよ、と言われもする。
つまりは、腰砕け名自己を見る羽目になる。
シャキャ族の聖者、シャキャムニは、生まれて七日目に七歩歩み、天と地を指差し、云わく、
天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん) と。
あなたの同じ 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん) である。
悪魔のささやきに耳を貸すな。
308 :
473:2012/07/21(土) 16:36:16.77 ID:awk1q0BN
無数のやり方がある。
それは真実に近いものもあれば遠いものもあり、近づくものもあれば遠ざかるものもある。
個人で追及している人もいれば、指導者とともに歩む人もいる。
それらを好んだり、嫌ったり、嫉妬したり、軽蔑したり、尊敬したり。
無数のそれらがあり、自我はそれに反応して自身を延命させようとしている。
自分が相対的に真理に近づく道にあろうと、相対的に遠ざかる道にあろうと、ひとついえるのは、
無数にある他者の道、無数にある集団。
それらに無自覚に自我が反応して自我が延命しているということ。
これが、最古の自我のゲームと聞きます。
表立ってやってみても、自分の中でこれが活動していても違いはありません。
「あれはちがうけど、本当はこうなんだ」という相対的な夢に囚われる働き。
自分が一番厄介な敵なのだから。
309 :
ろん:2012/07/21(土) 16:43:02.62 ID:0Aoen+10
>>304 そういう意識のつくりごとを卒業する、無心に至れるか。。
悟ったか悟ってないか、なんてどうでもいいではないか。。w
意識の上のことではないのだから。。
310 :
473:2012/07/21(土) 16:44:10.75 ID:awk1q0BN
宗教でいう無意識は昔からさまざまな言葉や例えで表現されていました。
学術の世界のほうで無意識という概念ができたので、宗教はそれを利用しています。
宗教でいう無意識は、あくまで宗教の文脈での無意識です。
精神分析の体系とは関係がないでしょう。
無意識は絶対にわかりようがない。分析すればするほど事実から遠ざかるから、何も求めず、何も非難せず、
実際の有様を感じるほかなく、それに覚め、それを続けるのをやめるほかないのだと。
時々、部分的に分析があたって効果があるかもしれませんが、全容に覚め続けるというのは全く違った話でして。
無意識に左右される夢遊病者が人類なのだと。
そのようなニュアンスでの無意識かとおもいます。非常に適当な描写ですいません。
学術は分析で何とかしようとしてるのに対し、宗教はその方面では解放は無いと放棄していますね。
311 :
473:2012/07/21(土) 16:54:30.97 ID:awk1q0BN
自分は高校こういう考え方、やり方をしているというつもりはなく、
いざ考えてみても出てきはしないのですが、他者のやりかたが気になるということは、
無自覚になんらかの相対的な観念で探求しているということを意味する。
自我の働きを示唆している。
きっと、過去の人々の自発的な表れを知識として記録してしまい、それで自他を裁いてしまっているのでしょうね。
あれらはそう計算したことではなく、刻々と現れたことなので、形を好んでも仕方がないのに。
探求の姿勢においてとくに信条がなくても、振る舞いや表れのほうに実に多くの執着と注文があるかもしれない。
理想は、道徳は、他者を裁き、自らの自然な表れを塞いでしまう。
ともに夢を見るか、もしくは人を裁くほうにいってしまう。
共に自然な表れ、意識の開花に向かうほうにいかない。
312 :
473:2012/07/21(土) 17:06:09.82 ID:awk1q0BN
他人を見ているというのは、世界中の人が悟ったら自分も悟るよ。
それまでは(自分よりひどく見えてしまう、むしろ見てしまう」)他者の改善をがんばるよ。ということかもしれない。
しかし、他者全体が変わることなど起きたことはなかった。
また、起きたとしても自らの咎を投影してそれを改善しようと健気に奉仕することだろう。
そういう働きが、自我の延命作用でしょうか。
それに自覚してない限り、犠牲になっていないとは思えない、ありふれた働き。
313 :
473:2012/07/21(土) 17:15:12.07 ID:awk1q0BN
自分の体験や、悟りや、一元に対する思いばかり語って、
自らの過ちについて、意識の欠如について真剣に語らない。
そういう人から受ける影響は好ましくない。
そういうひとはまさにそういう人で、言葉で方針転換するということはないから、
放置が正しいのですけど。
314 :
ろん:2012/07/21(土) 17:18:09.45 ID:0Aoen+10
長文自己弁護=無意識・自我に支配され続けること、とは気づかないのだろうか?
ただ、止めればいいだけなのに・・止めて、マトモな仕事でも修行でもすればいい。。
315 :
473:2012/07/21(土) 17:35:38.88 ID:awk1q0BN
私はいまなんであるか。
私は本当は何であるか。
その探求のためのひとつの導きである宗教の方便。
方便を愛してしまうと、道がそれてしまう。
316 :
ろん:2012/07/21(土) 17:36:43.96 ID:0Aoen+10
>>310 無意識に支配されるなんてのは、アホだけ、ちょっと足りないやつらだけ。。
伝統宗教は、そういうやつらは相手にしてないの。。
まともで意識的な人だけが、菩提心を起こし、法を理解し、修行を行うことができる。。
クリちゃんやオショーはそれ以下の、大衆、下衆を相手にしたから、無意識、無意識とか言わねばならなかったんだろう。。
しかし、実際は、無意識に支配されている者は、修行なんぞ不可能。。
病院へ先に行ってくださいと言うようなもの、473もそうだと思うけどなー。。
>>292 > 知らぬが仏だよ。。
そだね
>>262 > 説き続けた男がいたが、彼は人間に執着していなかったのだろうか?
分かち合いの精神だな
>>252 > 一度やめてみないことにはわからない。だけど何しているのかわからないのでやめ方もわからない。
難しく考える必要はないし
知識も必要ない
死ぬ前に、先に死んでしまうことなのだから
(主語は自由に当てはめてください)
318 :
ろん:2012/07/21(土) 17:39:40.93 ID:0Aoen+10
>>315 お前は悟り悟りと言いながら、実際の修行何にもしないで、2ちゃんに醜い悪文、自己紹介書きまくってる2ちゃんねらー。。
探求探求と言って、語るだけで、やってることは2ちゃんねるだけ。。wwww
319 :
ろん:2012/07/21(土) 17:40:37.86 ID:0Aoen+10
>>317 Opeさんでしょう。。
コテが抜けてますよ〜。。
320 :
Ope:2012/07/21(土) 17:41:05.26 ID:jrN9F4ti
コテ抜けた
321 :
Ope:2012/07/21(土) 17:41:40.04 ID:jrN9F4ti
322 :
ろん:2012/07/21(土) 17:42:43.55 ID:0Aoen+10
323 :
鮎の笹焼き:2012/07/21(土) 17:45:28.44 ID:XNFvSbAy
>>307 笹焼きは旨いなw
>>309 願書も出してないんだけどw
悟りなんて意識のつくりごと派なんだけどw
324 :
Ope:2012/07/21(土) 17:47:18.54 ID:jrN9F4ti
>>322 > ニュータイプの直感ですよ。。ww
すごい
>>318 > お前は悟り悟りと言いながら、実際の修行何にもしないで、2ちゃんに醜い悪文、自己紹介書きまくってる2ちゃんねらー。。
やることが見つからないのでしょう
>>318 ちなみに473は他人から見て少しは進歩してるのかなー
繰り事ばかりな気がする
しかし、ガチガチに固まった観念を持ったまま、修行とか宗教とかやるのは、逆効果な様な気がしてきた
結局、自分が観えないから、なんでも自分都合で書き換えてしまう
意味がないどころか、その逃げは巧妙になるみたい
まずは、自分が落ちないと逆方向やね
やはり、蛇の力しかないのかね〜
ここは473が公開オナニーを見せつけて、
イケるようになるまでみんなで見守るスレですか?
イケたら、エヴァの最終回みたいにみんなで「おめでとう」って言えばいいの?
>>327 それで書き込みしなくなるんなら、「おめでとう」って言ってやろうず
ま、おれはやることやるだけだな
あんたらも、外ばっか観てないで、内を観なはれ
330 :
鮎の笹焼き:2012/07/21(土) 18:55:00.59 ID:XNFvSbAy
>>328 オナニーしてるとこ見せるのが好きなやつには効果ないな
喜んで2発目始めるぞw
あぼーん
13スレ810
>羨ましいと妬ましいは同じベクトルのものか?
☆羨ましいは人の幸せを見て、良いなぁ私もああなりたいなぁ、と願う感じで
妬ましいは人の幸せを見て腹を立て引きずり下ろしたいと願う感じだと感じます
334 :
ろん:2012/07/21(土) 20:08:42.86 ID:0Aoen+10
>>317 知らぬが仏はせったんさんのパクリ〜。。
・・現実に戻ると、仕事がいっぱいたまってるぞ〜。。
ホゲホゲ〜。。w
13スレ810
>個の集まりと集団は異なるものなのか?
☆一定の目的や理念のもとに集まった人達を集団と言うこともありますが
その人達が自立心の強い人達なら個の集まりの集団と言っても良いかもしれません
群集を個の集まりと言うこともあるでしょう
13スレ810
>何事も疑ってかかれと言われてすぐさま肯くのは問題があるのではないか?
☆疑うことも信じることも先入観を通して見るとゆうてんでは同じベクトルかもしれませんね
13スレ810
>生命の重みは皆平等という論理を否定するのは聡明か暗愚か?
☆赤ちゃんに食事を与えることも生命の働きでしょうね
13スレ810
>1番好きな異性と2番目に好きな異性がいたとして、1番好きな異性が遠ざかったら2番目に好きな異性が1番になるのか?
☆逆に遠ざかった1番が、さらなる憧憬の対象になる可能性もあるかもしれませんね
339 :
ノスタルジア:2012/07/21(土) 21:58:54.40 ID:bf8IhIzu
私は声聞界で一生を捧げると言う願いを起こすよ?!。宗教は無理だ。天才じゃないと
無理ってことに気付いた。我煩悩にとらわれた認識欠如の精神障害者にはついていけない
ことに気付いた。真宗も無理だ。学校で習ったこと、それ以外は、それ以内の
束縛を絶対受けてしまう。どのように素晴らしく見えても、身につかないことが
習ったこと以外のそれらに当てはまることが分かる。南無阿弥陀仏を称えさせて
もらうよ。どうも菩薩から仏から降臨して声聞になったみたいだ。やっと自分の
立ち位置が分かったかもしれない。ありがとう2ちゃん、そしてみなさん。
神仏、その下菩薩etcに対して意を持って証明して正すよ。僕なりの正義だ。
勉強しまくるよ〜。「親鸞パウロ」は成仏したはずだ!!私も死んで成仏するよ!!
方程式をたっくさん作るよ!!。一生勉強するよ!?宗教学とは僕の中では
宗教を理学全般、数学、心理学、社会学etcを統一する宗教を学ばせてもらう
ものだ。あくまで僕のスタンス、モットーとして、私は阿弥陀のおられる
宗教から離れて声聞で南無阿弥陀仏するのだ。声を聞くのだ。南無阿弥陀仏という
名号の声を聞くのだ。人類に僕と言うドーピング、麻薬を与えよう。
ドーピング麻薬の撤廃賛成賛成賛成。
340 :
ノスタルジア:2012/07/21(土) 23:51:38.42 ID:bf8IhIzu
九は竜であり神聖なもので数としては使ってはいけないと思う。よってかけ算
の最高は8×8=64で、等式の右に位置する64が最高の88(ヤヤ)である。
今右脳が痺れた。64には名数があって64卦がそれだ。間違いなく正しい
言葉の方程式だろう。僕の基本の土台にふさわしいものだ。8×8=64だが
もっと複雑にいうと8+8+8+8+8+8+8+8=64だ。数の自然数というのも
1、2、3・・・6、7、8、10 このように9はいらない。同様に10の位
20の位でも同じである。私たちは直線的に数の列挙が続いていくと思いがち
だが九を失っただけでここまでへたりこむのか?「龍滅社会」というスレッドで
そのような社会について推測しているので、もしよかったら参入よろしくお願い
します。(o_ _)o自然数の順番通りの列挙じゃもうしょぼいのだ。順番通り列挙
してもいいがその代わり9や19etcはいらない。九(竜)を使っちゃだめだ。
龍滅社会とは龍の加護が無くなった場で、しかし生きる異端、つまり全人口の
1%の異端の増加システムを作ることが出来るかという試みのことを指します。
逆に竜を人間から解放してあげるという人類意識があってもよくね?以上。
341 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 00:56:31.16 ID:Zp/hcCQX
>>224 何、勝手に終結させてんだ?wwww >二カサ
いいか? お前は、「預流者」=「覚者」 というのが、「一般的」だと
言ったな? 上座部では、そうだとw
ところが、俺が見た限りでは、テラワダでも、「預流者=覚者」の用例は
見当たらなかった。 それどころか、俺が目にした例は全て、「覚者=最終解脱者(もしくは
それに類する者)」 だったわけだ。 それもちゃんと提示したな?
今度は、お前が提示する番だろ?
「預流者=覚者」とされている例をwww
342 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 01:02:28.97 ID:Zp/hcCQX
>>251 >説明するのは自分が悟ってからにすればいい。。
wwww おまえ、これ、そのまんま、ブーメランだぞww
こりゃ
ノス
344 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 01:04:27.16 ID:Zp/hcCQX
ノス君、こっちにも進出か?www
覚者は「羅漢」つまり「阿羅漢果=應供」に到ったものだけだよ。
上座部の教学では恐らくそうなってるはず。
羅漢の1つ手前の不還果でも煩悩の残りがある者とされる。
346 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 01:07:45.04 ID:Zp/hcCQX
>>345 お! 安堂w
違うんだってよ、二カサによればw
預流者でも、「覚者」なんだってよ、上座部ではww
>>346 正直、上座部は日本テーラワーダしか情報知らないから
ミャンマーやタイやセイロン島の状況はよく知らない・・・。
覚者ってのは「目覚めた人(=buddha)」つまり「仏」のこと。
須陀洹(預流果)は「菩薩」であり「如来」ではない。
上座部においては「菩薩」は修行者を意味するから「預流果=覚者」と同定できない。
「龍滅社会」って郷愁師のスレだったんか・・・。
349 :
Ope:2012/07/22(日) 01:47:26.30 ID:VIp/JG+x
>>1 > 誤解を避けるために「ほげ(hoge)」という言葉を使いたいと思います。
なんだか知らないうちに
悟りが 「ほげ」 になったのか。
趣味悪すぎ
350 :
Ope:2012/07/22(日) 01:55:21.41 ID:VIp/JG+x
>>347 坊主社会にも、あの世社会にも、身分の差があるってこったな
>>349 ハゲでもホゲでもチゲでもクソでも何でもいいんでしょうよ・・・。
Aが自分の悟りをBに説明した。するとBは
B「それは悟りではありません。ハゲです。」
C「Bさん違います。ハゲではなくホゲです。」
D「ホゲの訳なかろう。チゲじゃよ。」
E「どいつもバカだな。そんなのクソに決まってんだろ。」
みたいになると思います・・・。
>>350 あの世は知らん。来世だけが私の希望だ。
352 :
Ope:2012/07/22(日) 02:08:07.58 ID:VIp/JG+x
>>351 > あの世は知らん。来世だけが私の希望だ。
来世があるってどうしてわかるの?
前世があったかどうかもわからないのに
353 :
ろん:2012/07/22(日) 02:29:30.27 ID:HfFJ5/l/
>>341 上座部仏教は、どうやって預流果とか阿羅漢果とか判定するんだろうか?
まさか、煩悩なくなりましたとかの自己申告じゃないだろうな?
>>342 うん、犬が拾ってくれるように投げたのさ。。w
>>352 来世があるか、来世はないか。そんなことは知らんがね。
理由はないけど、あると思うの。
別に来世がなくてもいいけど、今生はどうもならんかったということや。
前世はどうか知らんけど。
355 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 02:48:20.10 ID:2HAGbKQ0
真理は内側にあるけど
悪魔は誘惑して外部にひっぱりだしてくるから恐ろしい
ご馳走、酒、テレビ、パソコン、セックスなどで誘惑して
悪魔、マーラ、ダイバダッタはインテリヤクザみたいなもんだな
356 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 02:50:26.65 ID:2HAGbKQ0
真理は内側にあるけど
悪魔は誘惑して外部にひっぱりだしてくるから恐ろしい
ご馳走、酒、テレビ、パソコン、セックスなどで誘惑して
悪魔、マーラ、ダイバダッタはインテリヤクザみたいなもんだな
>>355-356 真理が内に有りて外にゴチャゴチャ曰うとは不吉や。
酒やテレビやパソコンその他はどうでもよい。
まあ少し坐って休めばすむやろうて。
358 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 03:14:09.09 ID:Zp/hcCQX
>>353 >上座部仏教は、どうやって預流果とか阿羅漢果とか判定するんだろうか?
>まさか、煩悩なくなりましたとかの自己申告じゃないだろうな?
判定員がいるんじゃねえのか?wwww
「君はまだ、預流果だね。 お! 五年ぶりに阿羅漢果さんが誕生です。」
とかwwww
ユダヤ系ジャパニーズクリスチャンアンドリューとしては
佳作に入ると思う。けど、面白うないのう・・・。
ここら辺は
「おおきに」というのでしょうな。
>>245 悟り系のスレでナンパする人もいるらしいです。
どこか自分を抑圧してありのままじゃないんでしょうね。
それもありのままと言うかもしれないが。
言葉を便利につかってる内はダメなのかもしれないですね。
>>247 どうでしょう。 人こそ最も無常を表してると思うんですがね〜。
それとですね、昨日一瞬だけハッとなったんでまだ分からないですが、
運転してたんですよ。高速を。もちろん集中してますよね。
すると三昧ではないのに自己がいないと感じたんです。
こういう名言があります。
「考えるな!感じろ!」
「わかりました」
バン!「考えるな!」
要するに思考とは概念や言葉と記憶や想像から成り立ってますよね。
そうではなく感じるんです。あらゆるものを感じる。 感じきる。
すると、自己がいなくなる。 感じ切らないと思考がいつのまに居るんで、
相当難しいです。なんせ例えば息をのむほどの恐怖をまさに感じたとして、
記憶を元に後では思考はできるけど正に恐怖に呑まれてるその時、
自己がいるかどうかの確認までできる余裕がない。
いまこのことを修行してるんで何か分かれば報告します(私のみのことかもしれないですが)
ただ、そうすると般若心経や大乗でいうところのすべては無我ゆえに空というのが分からないですけどね。
もし本気でそうなれば昨日の夜のように
トラックに急に車線変更された時のことも空であれば大した事じゃないでしょう。
ブレーキを踏む必要はなかった。
しかし、身の危険を感じるほどの実感がありましたので減速しました。
今日は自分の指の傷口に松の葉を強く刺してみたんですが痛かったです。
空と観じることができなかった。この辺がまだわからんです。
>>282 長文だろうと短文だろうと自己。一文字でも自己。
無意識とは無明のことやね
夢とは無意識下での遊びである
虚妄を離れようとする者は夢を見ない
>>361 高速のあるあるやねw
虚妄を離れようとすれば、
「ただ、よくよく気をつける」これを意識下において
無意識下の自己と一体になろうとする現象に至る
俺と同じ道進んでますね。松の葉は良くわからんですがw
修行あるのみです。気負うことなく精進あるのみです。
お互いがんばりましょうぞ
俺は二元大好きだなぁ
それでは善を極めてください。
労力に見合わん
身の丈に合ったことをすればええ
座るぐらいなら誰にでもできるだろ
足が組めぬなら半跏でもええ
そのうち組めるようになる
370 :
473:2012/07/22(日) 10:44:04.55 ID:SCj4mVAU
静寂な精神は真理との障壁がない。
静寂な精神から新たな創造が始まり、本性との世界との調和もそもそも存在するだろう。
しかるに、今精神は静寂でなく混乱している。
その今の現状が大切だった。
どうにも、知識として体との非同化、生死からの超越を知っているが故に、それを望んでしまい、
混乱に拍車をかけてしまっていた。
その他の、特定の生活や、仕事や、成功へのイメージもまた同じ。
これらの理想は、精神の混乱の静寂と、そこからの新たな中心からの新生に向かうのなら致命的であった。
悟りも、生死の超越も、無も、全体も、その他のことも、それらの知識は何もかも。
また逆に、すでにある、あるがままでいいというのも混乱した精神による平安の投影でしかなく、それも
あるがままの精神の混乱を抑圧し、それをより強化する。
この「どちらも」全ていま自分が何であり、本当は何であるのかみることに対する障害であった。
これらは所詮無数にある思考、執着のうちのひとつに過ぎない。
覚醒の妨げにこそなれど代用品にはならない。
371 :
473:2012/07/22(日) 10:52:16.79 ID:SCj4mVAU
>>361 今、そのいなくなった自己が中心から影響を与えて、語るのがそれではないでしょうか。
いなくなった自己に(ついて)かたるのは、古いいる自己ではないでしょうか。
247で述べたのはこういえるかもしれません。
一元性を考察する主体は2元性だが、2元性を考察ではなくその動きをあるがままに見てゆく働きは
内在する一元性の働きではないかという逆説です。
一元性を求めなくとも、あるがままの自分の働きに気づき、覚醒することで、自分自身は一元性に組み込まれ、
また内に一元性の働きが現れるようになるのではないでしょうか。
372 :
ろん:2012/07/22(日) 11:25:33.07 ID:HfFJ5/l/
自分観察してあーだこうだはすべて脳内妄想。。
自分が〜だったも妄想。。
達磨不識、見えるはずない、わかるはずない、見えたら嘘、妄想。。
見えないまま、わからんまま・・あるがままというのも嘘。。
373 :
ろん:2012/07/22(日) 11:27:44.35 ID:HfFJ5/l/
自分大事に大事大事にもて運んでは修行になってない。。
しかも、いちいち2チャンネルで報告するなんてのは、ホントの大馬鹿野郎。。ww
375 :
鮎の笹焼き:2012/07/22(日) 11:55:02.80 ID:Ym/tHUc1
>>370 しかし読んでるこっちが恥ずかしくなる文章だなw
>>234 > あんたがほんとうにほげっているなら()とか違うものとかじゃなくて悟りを否定すべきじゃないかなあ
?
「()とか違うもの」とは何でしょうか?
執着や煩悩を消さなければならないとする悟りは否定しております。
自己と勝負したきゃ息止めてみろ
100%負けるから安心せぇ
1分も持たないなら「自己弱ッw」と思っていい
負けてどうのこうのではない
間隔置いて次やった時は最初より長く息を止めれる
繰り返して訓練するほど長く息を止めれるだろう
見える見えないの問題ではない
行っていれば自然とわかるものである
>>235 > じっさいのama自身の境地について語っているのか。
もちろん、実際のこと現実のことについてお話しています。
想像とか理念ではありません。
(私の個人的な境地などはどうでもいいのかもしれませんが。)
ただ、どこまでもamaの言葉でしかお話できませんので、
別の言葉を持っている方には分かりづらいところなのだと思います。
> よくわからない。
私も473さん(に限らずですが)の文章はよく分からないので、
こういうことを聞かれているのではないかと想像してお答えしています。
ですので的外れのことを申し上げることもあると思います。
ご勘弁ください。
> 204では道の途上であることを表現しているように感じる。
もうこれ以上どうすることも出来ないので、その意味で、終着点にいます。
一元とか二元とか申し上げているのは、このことを言っています。
つまり、執着や煩悩がある「この現状」を離れてもっと良い何かになろうとすること、
これがまさに二元であるということです。
「なる」「ならない」は二元ですよね?
煩悩が二元であると申し上げたのは、また別の意味です。
ややこしいところです。
道の途上か完成か、という文脈の中では、途上であるとすることが二元なのです。
> 途上なのなら、現状と、そして自分なりの完成のビジョンを合わせて提示すればいいのではないかと思います。
執着と煩悩があることが現状です。
完成のビジョンはありません。
ここのスレを観てもそうだし、世の中を観ても、あまりにも自分で自分を苦しめ、他人に当たり散らしているやつが増えてきてるね
まあ、これも仕組みだし仕方ないけれど、この先に起こることには、悲観しかない
自分と言うものはいないのに、必死で自分と言うものを作ろうとしている滑稽さ
それに気づくか気づかないかで、この先の世界に起こる出来事を受け入れられるかられないか
できるだけ、気づいて欲しいが、もう時間はない
神の仕組みは、もうそこまで迫っているよ
一元とか二元とかめんどくせぇよ
んなもんに拘ってるのがどうかしとる
好きなことして「修行じゃ」
と偽っておけばええw
家族から座禅野郎とあだ名がついたw
381 :
鮎の笹焼き:2012/07/22(日) 12:29:02.39 ID:Ym/tHUc1
>>376 「ほげ(悟り)とか、悟りと違うもの」って違うけど要は悟りなんですよってことでしょ
>執着や煩悩を消さなければならないとする悟りは否定しております
“それ”じゃなく“これ”ですって言ってるだけじゃんw
わざわざほげとか言い換える必要があるわけ?
悟りと違うなら少なくともスレタイはミスリードじゃないの?
>>363 私が目にするのはこの書き込みだけです。
この書き込みがある背景や原因を推測することはできるのですが
それが確たるものかどうかの判断ができません。
だから判断できないだけかもしれません。
すいません返事したつもりになってました→
>>167 >>167も踏まえてのレスにさせてもらいます。
>>371 うーん、正にそうかもしれません。
自己が無くなると感じただけでやはり自己なのかもしれません。
しかしその自己はただ感じ切ってるので評価、分析、検証、判断などできないのです。感じる以外できない。
このたとえは間違ってるかもしれませんがビデオカメラのようなものです。
ただただ撮るだけです。 「自己がいない」と感じたのは錯覚かもしれないです。
文字にしてみると何でもない誰しもが経験してることかもしれませんが、
何かを感じてるまさにその時、自己がいない とも言える気がするんです。
>>379 グダグダ抜かすと張っ倒すぞ、クソガキャ
アーイマイマシイ
384 :
ろん:2012/07/22(日) 12:32:15.10 ID:HfFJ5/l/
>>379 この先の世界で何が起こるんだ?
おいらも薄々感じてはいるが・・確信はなくってね〜。。
385 :
ろん:2012/07/22(日) 12:35:12.81 ID:HfFJ5/l/
チベットで修行した中沢新一という学者、思想家がいる。。
憲法第9条を世界遺産にとか、原発反対の政治団体をつくったりして、
なんでそんなことやるのかと不思議に思っていた。。
最近、違う見方をするようになった。。
すなわち、彼はこれからの世界で起こることを見越しているのではないかと。。
ひとつ言っておくが、あんたらの気づかん世界に気づいておる人も沢山おるよ
なぜこの世界があるのか、なぜ…
その様な法に巻き込まれる自我
もう、神はまたれんと言っている
もうすぐ八月だろう?
八月に起こること、よくよく気をつけなされよ
全ては、全ての為にあるのだよ
あんただけの為にあるのではないのだよ
いや!何もないから!いい天気すぎて吐き気がしますから!
388 :
ろん:2012/07/22(日) 12:41:52.14 ID:HfFJ5/l/
>>386 それは自分の直感で言ってる?
それとも人が言ったこと?
>>386 グダグダ抜かすと張っ倒すぞ、クソガキャ
アーイマイマシイ
熱気に頭ヤラレタカ?
>>372 そっくりそのまま釈迦や達磨や黄檗や臨在禅師にもそうとも言えます。
あなたのおっしゃるとおりなら、彼らにも見えなかったので脳内妄想であったと。
しかし平気で論理矛盾する 悟りやダルマ(法)とはそうだというのであれば我々の書き込みもそのままそうです。理屈ではありません。
>>373 あなたも同じ。
>>375 なんて書いてあったのですか?
>>370は。
私には難しくて理解するのに時間かかってます。
まだ分からないので繰り返し読んでます。
>>378 正に観たとき、正に感じたとき、正に聞いたとき、正に触れたとき
正に匂いをかいだとき、正に心が思ったとき、
これを言葉にできないのはなぜなんでしょうか。
私には分からない・・・
>>241 > つまり、ほげが1元であり、あなたは二元を繰り返しているのなら、
ほげが一元と申し上げたのは、
執着や煩悩を消すとか消さないとかそういったものではない、という意味です。
そして、私は、執着や煩悩を消そうとは思っていない、ということです。
二元を繰り返していると申し上げたのは、
食べたり食べなかったり、行ったり行かなかったりといった、
生活の様子のことです。
でも、それすら、それだけのときは一元ですよね。
> ほげがなんであっても仕方ないような。
たしかに、ほげのことなどどうでも良いです。
> というのも、あなたはそれを体得していないのだから。
体得するとかしないとかではなく・・・。
まったく別のことを申し上げています。
392 :
鮎の笹焼き:2012/07/22(日) 12:44:36.41 ID:Ym/tHUc1
>>386 ノストラダムスにはまって1999年の7月が来るのをどんなに待ちわびたことか
おまえも来月になって同じ落胆を味わうと思うと少しだけ気分が晴れるよw
>>391の続き
> ほげと執着は無関係でも、あなた、わたし、は執着の塊でしかない。
> みんなほげについてでなく、生身のあなたに関心があるのです。
はい、ですから私にはいろんな執着があると申し上げています。
そのままの自分に落ち着いているのです。
否、落ち着くも何もないのです。
だって、もう、これしかないじゃないですか?
どうしようもないのです。
(どうにかしてもいいのですが・・)
その意味で、ここが終着です。
はじめから、ここが終着点だったのです。
473さんは、執着を持ったままでは完成ではないと考えていらっしゃるわけですから、
「それは終着点ではないでしょ」、とamaにおっしゃりたいのだと思います。(違ったらすみません。)
すると、私は「そういわれても・・・」となってしまうのです。
生身の私は、本質的に473さんとなんら変わりません。
具体的にどのような執着や煩悩がどのように私を苦しめるのか?
そして、なぜ、それが問題なのか?
ということについてはいかがでしょうか?
人間心ではわからんかもしれんが、素直に観てくだされ
原発事故による影響を、人間だけで捉えてはだめ
なぜ、地球の大気が、宇宙からの放射線からこの地球を守っているのか?
人間を守るため?
もっと、大き心で観てくだされ
この世界には、神による仕組みが満遍なく散りばめられておる
その様な仕組みにみな気づいてくだされ
それは、とても大切なことで、かけがえのないことです
>>394 反吐がでるわ!
虚妄を離れようとする者は
虚妄に拒絶反応を示すw
396 :
ろん:2012/07/22(日) 12:56:02.39 ID:HfFJ5/l/
>>395 どうして自分ではわからないものを虚妄と言えるのか?
397 :
ろん:2012/07/22(日) 12:56:53.88 ID:HfFJ5/l/
自分を守ろうとする者は、自分の知らないこと、自分の世界観に対立するものに対して拒絶反応を起こす、というのが正しい見方だ。。w
人間の仕組み、大地の仕組み、・の仕組み
それらが、たったひとつの仕組みによりできているとは、想像もつかんのだろう
この世は、回転する蓮華の様
全ては、全ての為に働いておる
それは、世の元から決まっており、そこに人間もおる
人間は、神との連絡役なのに、それを忘れ、我欲に囚われるから、苦しみが生まれる
なぜ苦しみが生まれるかわからんのか?
なぜ、そこにいるかわからんのか?
>>381 > 「ほげ(悟り)とか、悟りと違うもの」って違うけど要は悟りなんですよってことでしょ
悟りという言葉を使うべきではないとおっしゃる方がいますので、
違う言葉を使ってみました。
> >執着や煩悩を消さなければならないとする悟りは否定しております
> “それ”じゃなく“これ”ですって言ってるだけじゃんw
> わざわざほげとか言い換える必要があるわけ?
私は、どちらでもかまわないと思っています。
今思うと、「ほげ」より「それ」とか「これ」の方が良かったのかもしれませんね。
なんだか特定のものがあるように錯覚してしまうのかもしれません。
>>397 それが、どうした、文句があるか〜♪
あ〜めんどくさッ
401 :
473:2012/07/22(日) 13:03:05.78 ID:SCj4mVAU
>>393 これは意外。
その、途上でもなければ完成でもないというその述べんとしていたことは、473も表現していたわけで。
しかし、「終着点じゃないでしょ」と言われるのは、悟りという終着点を暗示する言葉を使ったからです。
体得してないでしょと言われるのは、執着を残したまま執着のない境地悟りを語るからです。
執着も煩悩もないというのが悟りであり、途上でもなければ完成でもないというありかたは、「瞑想」といわれます。
瞑想するではなく瞑想、の指し示すものです。
瞑想について語っているのに、それを悟りといってしまうと、執着と煩悩が残っていることでngを食らってしまいます。
そういう意味では、悟りに近づけば近づくほど、悟りという概念は重要ではなく、瞑想という質が大切になってくるのでしょう。
所詮悟りという言葉は一般向けの概念であり、より実践的で本質的なのが瞑想という質なのではないでしょうか。
しかしね。
ちょっと言葉のあやだけではすまない。表現方法がわからなかったというだけではない。
どうしようもない。といえる意識があり知性があるのと同時に、結局悟りという概念に逃げるような描写も多い。
どうしようもないならさとりやほげというよりどころもいらない。
どうしようもないということに悟りやほげと名前をつけるのは何故でしょう。
名前をつける人はそれで鈍感になれます。自己逃避できます。
自己保身
上等じゃ
かかってこいやーw
13スレ811
>もし私がわかっていないなら、私は私がわかっていない事もわからないし、相手がわかっていることもわからない
☆そうですね、そして分かっていないことがわかっているとき、人は注意深く意識的になるかもしれません
では、楽しい修行に行ってまいります♪
・から人は生まれ、・へと人は帰る
なぜ、その様なサイクルがあるか?
それが、神の仕組みであり、世の仕組みであるよ
神は人に因果を与え、縁を与える
なぜ与えられておるのに反発する?
そこに、間違いはないか?
しかし、もう語るには遅すぎる
全ては、全ての為にある
たったひとつの全ての為
406 :
473:2012/07/22(日) 13:13:08.79 ID:SCj4mVAU
どっちが本当とはいわない。両方が現実なのでしょう。
この4スレの内容も、今までの指摘もおそらく両方が本当です・
その「終着点」という言葉ですべっています。
その終着点という発想が、完成であり、悟り、ほげへの態度を出しています。
今までの473の指摘の的確さを裏付けます。
amaさん。これ、amaさんの無自覚な表現ですからね。自覚がないから違うんじゃなくて、自覚がないから怖いんですよ。
473ならそれを出発点と言うでしょう。(ゴールのない)
>473さんは、執着を持ったままでは完成ではないと考えていらっしゃるわけですから、
いや、それは違う。
執着のない状態を暗示する、悟りという言葉をさも知ってるかのようにamaさんが使うから、また自らが一元そのものであるかのように仰るからそういうだけで、私がそう思っているんじゃない。
そうやって473に完成への欲求を投影して、自分は持ってないだけましだと自己正当化しないこと。
そのどうしようもないということ。
どうしようもないとき何に直面するのか。
どうしようもないといわないで希望や、自己肯定(終着駅)の夢を見るとき、何を見逃しているか。
それについて探求されるのであれば、473の書き込みの意図もみえてくるでしょうし、話も弾むやも知れません。
13スレ811
>自身の夢におのおの気付く。
ここに落ち着こうではないですか
☆そうですね、夢が夢だと気づくだけで充分かもしれませんね・
>>401 > どうしようもないならさとりやほげというよりどころもいらない。
まったくおっしゃるとおりです。
そして、私は、悟りもほげもよりどころにしていないのです。
(出来るような代物ではない。それは無いのですから。)
> どうしようもないということに悟りやほげと名前をつけるのは何故でしょう。
名前をつけないと、ご質問にお答えできないのです。
「それ」くらいのほうがよかったでしょうか?
409 :
473:2012/07/22(日) 13:23:10.95 ID:SCj4mVAU
>>amaさん
401 406の補足。
悟り 完成を連想させる 執着と苦悩の消滅を示唆する一般用語
瞑想 プロセスを連想させる 微妙な質を暗示する実践的な側面では究極の言葉
瞑想は終着点のないプロセスを暗示させるのでうまく使いこなせれば仰りたいことを表現できるかもしれません。
そしてこの3レスの内容を本当に示したいなら、悟りという単語を使ってもいいのです。
むしろ否定的な意味合いで使えるでしょう。
その境地がどうかということでなく、それを否定することによって途上でもなければ完成でもないということを表現できるのではないでしょうか。
ただ、個々が終着駅だとしがみつき、他の人をも巻き込んでここにとどまることをやめてしまうことは。
人類の集合無意識、全ての思考、また個人としての全ての記憶とその執着に覚め始めることを意味するので、、、
これはぜんぜんやらないか完全にやってのけるか。
もしやり始めてしまったら、発狂か精神の静寂かどちらかしかないかもしれない。
いろいろと準備が要るでしょう。
8は弥(矢)であり、9は空(苦)であるよ
表と裏があるのじゃよ
竜も恐ろしい竜と、神の竜があるのじゃよ
その時になりては、遅いのじゃよ
あーなんかわからんくなってきたので、ここで終わりにしますw
後はたのんます
411 :
473:2012/07/22(日) 13:29:59.36 ID:SCj4mVAU
>>amaさん
いや、無自覚によりどころにしている。
そのどうしようもないという感覚が無限に膨れ上がらないのは、
無意識によりどころによりすがったり、自分はこのままでいいと自己肯定してバランスをとっているから。
そして人助けをすればさらにそれから逃避できる。
しかし。amaさんのいうことはamaさんが一休みするにはいいですが、ほとんどの人に有害ですね。
探求し始めの人は誤解するし、ある程度進む人には有害。
してないと思うことと、実際にしていないことは違う。
それは473自身がそうだった。
生死の超越にあこがれてるつもりはなく、語ることはその憧れの反対だった。
が、実際には無自覚にあこがれていた。
>名前をつけないと、ご質問にお答えできないのです。
「悟ってるわけではないですが、瞑想、宗教についてお答えできる範囲でお答えします。」
それでいいんじゃないですか。
このスレッドタイトルは結構面白いので、釣りにしちゃえばいい
473さんはナルシスト赤ペン先生になったんだ。
誰も求めてないのに。
はっきりいっねウザいから書き込みやめてほしい。
そもそもの話をすると
実体がないことをさして「空」と呼んでると思いますが
そのものを指してないというのが誤解を生んでるのかもしれない。
たとえばよく店が変わるテナントビルのように入れ物自体は存在している。
だから「無我」というのもあくまでその変わる部分だけを指して「無我」と呼んでるのであってその入れ物は存在するのではないのか。
それなのに「無い」と言ってしまってるから最果てにはすべての事象を無いことと捉える向きも生まれてきた。
事象は無常なれどその入れ物は存在し、その入れ物はその時々の事象と同化をしているので
「私は以前は禅にどっぷりでしたが今はフロイドやユングなどの精神分析を専門にしている
ーうちは以前はラーメン屋だったけど今は中華料理専門だよー」と言ってるのではないか。
私はこの入れ物の存在をあると感じて仕方が無い。
中身はめくるめく変わっていくのだが。
体験がないと言葉に振り回されるよね
415 :
473:2012/07/22(日) 13:37:55.25 ID:SCj4mVAU
思考、執着、逃避。
だれのものでもない、どこにでも向かい、どこからでも入ってくる。
完全な覚醒がない限り、473のamaのまた他の人自身の知らないところでそれは活動している。
それはたとえば自分の文章に出る。
他者の指摘は微妙でも、自分の書いたこの部分を読めといわれると、自分が何をしていたのか、
何を考えていたのか自覚もできる。
しないほうが幸せかもしれないけど。
416 :
473:2012/07/22(日) 13:42:14.55 ID:SCj4mVAU
>>amaさん
気をつけてね。
amaさんがいま語ることは、人をamaさんのところにつれてくるとは限らないから。
そこまでいくには別の言葉が必要なことが多いから。
みんなに好かれるだろうけど、そのみんなは成長しないよ。
473は役にはたたないけど誤解もできないことをいうから。
2つの方向がある。
こっちに興味はないかと思ったけどそういうレスがあったからこちらを示唆したよ。
お好きなほうを。
>>415 あんた、自分のエゴへの執着が酷いわ。
読んでる人を不愉快にさせるぐらい。
スレタイと180°逆の人間だと思うよ。
>>408 >私は、悟りもほげもよりどころにしていないのです
必要ねえもんな
必要がねえってのは至福だな
そして必要ねえって思うことすら必要ねえから必要と思っても良いわけだ
イザナギ、イザナミで生まれたこの世なのに、なぜ・を黄泉へと追いやってしまったのか
アマテラスだけのこの世ではないだろう?
アマテラサレルがあってのこの世だろう?
人は前しか見えんから、すぐにその様になってしまうが、人でなければ、前も後ろも全て見通せる様になっておるのじゃよ
ぬこに後ろから近づいてみればわかるじゃろう?
はよう、気づけよ
真実に間違いはないのじゃよ
420 :
ろん:2012/07/22(日) 14:09:49.93 ID:HfFJ5/l/
>>401 牛を見つけてつかまえたのだから、悟りでいいではないか。。w
そもそもゴールやプロセスがないから悟りなのだよ。。
>>402 2ちゃんねるではっ倒すとかかかってこいやーとか言ってるバカ多いよな。。ww
421 :
473:2012/07/22(日) 14:18:13.63 ID:SCj4mVAU
>amaさん
>名前をつけないと、ご質問にお答えできないのです。
それについて質問させるということ自体、それについて語りたいのだと告白しているようなもの。
だれもがあるがままに直面するほかないのだから。
「宗教、瞑想を通じて、人生について語り合いましょう。」
こういうのが間違いの少ない入り口じゃないでしょうか。
スレッドタイトル通りの質問をすると、悟りについて聞いたとたん、そのひとはあるがままから離れています。
422 :
ろん:2012/07/22(日) 14:20:41.22 ID:HfFJ5/l/
牛を見つけて乗っかる、あとは牛が連れて行ってくれる、これでいいのだとか思い込まなければね。。
あるところまで行くと、牛が消えてしまう、もともとんなもんなかったのだ〜。。ww
423 :
473:2012/07/22(日) 14:31:23.84 ID:SCj4mVAU
>amaさん
そもそも無自覚に欲しており、それゆえに苦しみもある。
無自覚に欲することに目覚めようではないか。
そんなことを口ではw473は言っていたわけです。
執着を無くす、とか、なにかの境地を求めるとか、そういうこととは求める方向が違うのではなく、
そもそもの立脚点が違います。
私は何も求めない、私は何にも頼らない。よりどころにしていない。
むなしい声明です。
なぜなら、
「私は欲しており、よりどころを必要としており、しがみついている。それが執着であり自我であり、自身の実情であるのだ。」
というのが実情で、それをやめられないでいるだけなのですから。
本当に何もよりどころがなければもとの煩悩がありえないのです。
そんな「自身を知らない私たち」が本当に悟りをよりどころにしていないかわかりませんし、
なにかよりどころがあればそれは何であっても同じでしょう。
>422
語り方、タイミングで、観念を超えたものは単なる観念、思想、期待に変質してしまう。
424 :
ろん:2012/07/22(日) 14:35:11.30 ID:HfFJ5/l/
山を登るのではない、転がり落ちていくのだ。。
辿り着くのではない、故郷に帰るだけなのだ。。
わかったら、あとは気楽な帰り道。。
425 :
ろん:2012/07/22(日) 14:39:27.50 ID:HfFJ5/l/
>>423 自己紹介文にすぎんのに、なんでそれをすべてに投影して、「私たち」になってしまうのか。。
このバカは何を言ってもわからないのだろう。。
僕らは無依、無心があたりまえ・・
それもあんたから見れば観念にしか思えんだろう。。
あなたは言葉や観念の世界に住んでいて、その外を見たことがないのだろうから。。
かわいそうな人だね。。
426 :
473:2012/07/22(日) 15:19:17.50 ID:SCj4mVAU
実際に自分がどのように思っているのかはわからない。
わからないからやめられない。
自分がそうとおもっている自分ではない。
それが悲喜劇だ。
>422
その原文を書いた人が伝えたかった意図と、422の人が伝えたかったものは別のものだ。
単なる引用でもこめているものは別だし、タイミングや提示の仕方、提示におけるコメントで印象は変わる。
良くも悪くも、それを表現した祖師のものではなく、全くあなた自身の境地の言明である。それだけだ。
そして文体から受ける印象、観念の想起という感想をしただけのこと。
たとえば424の一行目からは観念が想起されない。
しかし、2行は相対性が強く、目的地、期待があるし、3行目に至っては、観念の表現の作法そのもの。
427 :
473:2012/07/22(日) 15:31:07.10 ID:SCj4mVAU
>>425 自らの意思でやっているのだとしたらやめられる。
知らずにやっていることがないなら、いったん全てやめることはできる。
無自覚な思考の動きが一切ないなら無心はたやすい。
悟りへの障害は何もない。
だが、誰もが悟っているというわけではない。基本的に人は悟っていない。
それは知らずにいろいろやっていて自覚していないからということになる。
それに気づくための瞑想だから。
それに気づくこともできない人は多い。
何故ひとはそう易々悟れない?
それは欲しているからだ。無自覚に欲しているから。
無自覚な欲がなければ悟らないほうが難しい。
428 :
473:2012/07/22(日) 15:35:16.99 ID:SCj4mVAU
それでも、悟りが起きないのを、自分はあえて欲してしまってるからいけないんで
後一歩なのだと永遠に騙し続けることはできる。
また、他の人は無自覚でなく自覚的に欲しているからやめるべきだと諭し始めもするだろう。
だけど、問題は自覚した欲望じゃないんだ。それだけなら誰だってそこまで苦労せず片をつけられる。
それを永続させないコツはそこまで困難なものじゃない。
自分のも、他人のも、全部意識上の問題だということにしたいわけですね。
この言葉をお送りしましょう。
「なんでそれをすべてに投影して、「私たち」になってしまうのか。。 」
無門関序(無門慧開禅師)
「門より入るものは家珍にあらず、縁によりて得るものは始終成壊す。」
「門から入ってきたものはその家の本当の宝物ではない、また因縁によって得たものは必ず失われる。」
普勧坐禅儀(道元禅師)
原(たず)ぬるに夫(そ)れ道本円通(どうもとえんずう)争(いかで)か修証(しゅしょう)を仮(か)らん、
宗乗自在(しゅうじょうじざい)何(なん)ぞ功夫(くふう)を費さん。
況(いわ)んや全体はるかに塵埃(じんあい)を出(い)ず、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん、
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており、我々が修行したり、悟り証したりすることもないはずである。
真理や教えも自在に手に入れることができるので、何も修行をこらしたりする必要もないはずである。
まして物事の本然の姿は全て塵や汚れから離れたものであり、誰が塵を払う手立てなど信じるだろうか。
菩提もとより樹無し. 菩提もとより樹無し 明鏡もまた台ならず 本来無一物 何れのところにか塵埃を惹かん(大観慧能禅師)
わたしは、あなた方から直感を貰い、また、直感をかえす
みな、そうやっているではないか?
直感は、個人のものではないだろう?
わたしは、あなた方に従うし、あなた方は、わたしに従う
従と属は一方通行ではなく、等価であるよ
縁は、円でありその真中に・がある
わたしとあなた方の間にも・がある
ほーら、観えてきただろう?
聖なるものに、鳥があり、邪なるものに、蛇がある
その両方を兼ね備えたものが、竜である
人間の身体は、宇宙そのものであり、全く同じ法則でできている
未知なるところから道が生まれる
蛇が立ちて、鳥羽ばたく
これも、法則、真理である
432 :
473:2012/07/22(日) 16:47:52.21 ID:SCj4mVAU
自覚せざる欲望の自覚は、その自覚をふさいでいた自我の死を意味する。
自我はどんなことも意識上で認知できるものとして捉えてそれを解決することで、生き延びようとする。
無自覚な欲望がもたらす問題や、欲望による内部エネルギーの錯綜を解決しようとする。
が、それはより大きな混乱をもたらす。
無自覚な実際の欲望を見ることなく、意識上に新たな(架空の)欲望を作り出してそれと闘うのだから。
無意識の問題を全部意識上のものに転換するなどという無茶はしなくても、これは私もやっていること。
意識上で認知できる問題の解決に知らぬ間に躍起になってるけど、それはいつも偽りの問題で、例え解決しても
より深刻な無自覚の欲望と、執着と、恐怖は決してなくなりはしないのだ。
それにしても問題が摩り替わる様の巧みさよ。
例え表層の問題が死活問題でも、なお、それは自分自身の心理的な問題からの逃避に過ぎない。
ああ、一体どんな欲望の群れが実際に動いてるんだろう。
433 :
ノスタルジア:2012/07/22(日) 17:32:43.43 ID:/0GYKMbw
金を想念界で払い続ける身内、しかしそこは想念界のノスタルジア財閥腐るほど金がある。
それを理由に現実界で暴れる、2ちゃんで暴れる、私生活で異端の行動をとる、趣味に暴れる。
その結果に、ものすごい量の負担がかかり、ものすごい量の金が想念界ノスタルジア財閥
から引かれていく。現実界は心の現れなので、心の借金は半端じゃなくなっていく。
悪の連鎖、悪のサイクルから外に出せなくなり、現実界の自分という一点において
極楽でも周囲がすべて地獄となる。そうなると地獄を見ている極楽体現者に救いは
あるのか?このあといつも通りあの造語の展開になっていくので終わらせよう。
434 :
ろん:2012/07/22(日) 17:45:15.21 ID:HfFJ5/l/
>>426 僕の駄文に原文なんかないんだが・・何を言ってんだ?
435 :
ろん:2012/07/22(日) 17:46:34.25 ID:HfFJ5/l/
>>427 あなたの場合、一定期間独りで坐ってないと無理だと思うが。。
独りじゃなくても、2チャンネルとかしないでねww
>>432 参考になるかわかりませんが、夢うつつの状態で、奥の方から暗い塊とともに
「生命への憎悪」「神への復讐」と浮かんできたことがあります。
437 :
473:2012/07/22(日) 17:56:56.70 ID:SCj4mVAU
心が動いていれば、何をしてもしなくても同じ事。
438 :
473:2012/07/22(日) 18:02:19.28 ID:SCj4mVAU
>>436 名前は本当は付けないほうが良くて、あえていうなら「」。
のほうが正確性があるとは思います。
ただ、要点は。
こんなこと考えてたのか私は。という自己イメージとのギャップではないでしょうか。
思考は私自身ではありません。
それゆえに極端な思考もあるでしょう。互い矛盾するそれが。
オカルティックに言えば
世にあるものは全て業を積んでいる
誰も読んでないから業などないとは
ゆめゆめ思うなよ
おい、自分の発言を観たほーがいいぞよw
441 :
ろん:2012/07/22(日) 18:43:59.25 ID:HfFJ5/l/
んだんだ。。w
知るか、アホたれどもw
あ〜あw
まぁ虚言には気をつけたほうがええ
業もまたまやかしみたいなもんだ
何の力も持たない
>>446 と思うとればええ
人を喰う者は必ず人に喰われる
縁の力を甘くみるなよ
だから〜、自分の発言を観ろっての
勘違いさんw
混乱してるにも、程がある
自分で理解してないことを、他人に偉そうに言うこと、これ虚言なり
>>448 俺は関係ねえよ
俺は俺のカルマを背負う
あんたはあんたのカルマを背負う
それだけの話だ
あんたみたいなんが、縁とかカルマを語るのは迷惑なんだよ
全く、間違いの手本みたいなやつだな
ま、あんたにはわからんよ
13スレ817
>求める事は執着の類似系なので、求めるという事は提示した執着がないという状態とかけ離れている
☆欲求と執着は似て非なるものかもしれません
公園に散歩に行くことを求めても、普通それを執着とは言わないのではないでしょうか?
しかし全部が自己紹介文になるのは、おもしれえよなw
えーおいw
456 :
473:2012/07/22(日) 19:37:08.05 ID:SCj4mVAU
>amaさん
423の続きでね。
もし本当になにもわからない。どうしようもないなら、その時初めて自分自身について学べるのではないでしょうか。
それ(473のいう瞑想)は、教えることの始まりではなく、学ぶことの始まりだから。
蓄積ではなく、蓄積してきたものの理解。
知られざる自分自身の理解。表面の信条とは関係ない実際の心の動き。
自分自身を知らないのに他者に何を教えるのか。それは災いを生むだろう。
自分自身を知らなければそれを学ぶだろう。何の信条も期待もあるがままの正当化も持たないことによってのみ
無自覚に動いている自分の心をしりうる。
2つの道とは、言語化、概念化して人に教えるというわき道、
それをしないで自分自身を理解してゆく道の分かれ道のことです。
教えるということが念頭にあると肝心の自分自身の歩みが止まる。
自身を学ぶのであれば人とのかかわりも有益でしょうけど、学ぶより教えるほうに傾き始めたら潮時でしょう。
また、人が本当に必要としているのは、その人に必要な苦労と苦闘。
後でそれは無駄だったといえるようなその人に必要な試練。
あなたにも必要であったそれを人に合わせて与えなければ同じ事は起きない。
教外別伝にある悟りを文字や言葉で示さなければならない立場にある師家たちとここで云々してる者たちといかなる差があろうか。
あるとする者は善悪高低に囚われており、
ないとする者は一元に囚われている。
祖師録は彼らの自己紹介文または後の人間の脚色、作り話に過ぎない。
しかしそこから頓悟を得る者も居れば頭で分かってそれにしがみつく者もいる。
いかなる事象も無我であるならば影響を与えることは不可能のはずだ。
しかし実際は与えてる。
その者の苦を等価交換として。
業を作らないてのは己の業に対してだろ
他の者なぞ知らんわい
無責任なもんだw
言葉では伝えることができないことならば伝えてみせよ。
考えるな 感じろ。
思考や自我は知らぬ間に忍び寄り、あなたに言葉を持たせ、罠にはめる。
風や匂い 木々のざわめき 入道雲やスイカ、そしてあなた自身が教えてくれる。
460 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 19:58:07.86 ID:KuFZ71zs
まぁ感受にも嘘や誇大表現が多いからな
気をつけられたし
>>460 レスありがとう。
なるほど、しかしその嘘や誇大表現が教えてくれるかもしれない。
上の落書きは自分に対して書いた記述です。
無我ゆえに不識ならばいかにして知る(分かる)ことができるのだろうと。
それに対しての心情の吐露です。
>>461 偶然だな。俺の落書きも俺オンリーに対してだよw
感受が何者と見極めるのもええ方策だなや
463 :
473:2012/07/22(日) 20:18:24.15 ID:SCj4mVAU
宗教、人格、知識、お金、節約、修行、、、、どんなものにもあるおおっぴらな、ほのかな
よりよくしようとすること、、、それが実は対象が違うだけで同じ貪欲のはたらきかもしれない。
貪欲に気づいたとき、私は空虚さに気づきました。これは2つでひとつの現象なのでしょう。
夢としての無、空を求めるのは好きでも、実際の無、空は、自我にとってただただ恐ろしいものではないでしょうか。
以下引用
そして、人々が力を渇望するのは、内面の空虚さからだ。
なんとしても彼らはこの空虚さを何かで埋めようとする、 それが、おそらくお金、力、名声、世間体、人格、徳だ。
彼らはその内なる空虚さを埋めようとする。
世界には2つのタイプの人が居る。
内なる空虚さに詰め込もうとする人たちと、 とても稀な人たちだが、その内なる空虚さを見ようとしている人たち。
詰め込もうとするものは、空虚なままで、欲求不満なままに留まる。
彼らは、がらくたを溜め込みはじめる、彼らの生涯は無駄で、不毛だ。
唯、もうひとつの、とても希少な 内なる空虚さにどんな欲望もを詰め込もうとしないで、
覗く人たちは瞑想者になる。
瞑想とはあなたの内なる空虚さを覗くことだ、それを招くこと、楽しむこと、
それと共に存在すること、満たすべきどんな欲望もなく、
そんな必要はない、なぜなら、それは既に満たされている。
それが空虚に見えるのは、あなた方が正しくそれを見ていないからだ。
あなたはマインドをとおしてそれを見ている、それは間違いだ。
もしもあなたがマインドを脇に置いて、 空を覗いたら、それは途方もなく美しい。
それは神聖であり、それは喜びであふれている。
他に必要なものなどない。
そのときには、人はお金のことを考えるのは止める。
力について考えるのを止め、パラダイスについて考えるのを止める。
なぜなら、彼は既にパラダイスに居る。
なぜなら、彼は既に豊かだ。
なざなら、既に力に満ちている。
464 :
473:2012/07/22(日) 20:23:25.35 ID:SCj4mVAU
あ、うそうそ。
空虚さに気が狂わんばかりでしたが、さまざまな形での貪欲さを自覚したのはつい先ほどです。
案外、際限ない言語化、理論化は、金銭の蓄積に似ている。
自我が、よりよくよりよくなろうとする働き。
>>462 昨日夕方に、不思議な方を見かけました。
「あそこの芝生で食べよう」と、
家族で芝生に分け入ったとき、
道すがら「誰かいるな」と気づきました。
気にせず、湖畔にシートを広げて暮れ行く湖を観て、歓談し、坐り、
時間にして1時間半以上経ってから車に戻るときまたそこをみると
まだその人は座ってました。
「あれは釣りしてると思ったがもしや坐ってるのかもしれないと」
もう真っ暗になった湖畔に静かに近寄ってみました。
暗すぎて判然としないがやはり釣竿を持ってるようには見えなかったんです。
なんでもないように見えるかもしれませんが、私は驚きました。
自身も坐ったから分かったのですが相当数の虫が寄って来るんです。
ほんの10分程度しか坐ってない私でも10ヶ所以上刺されたりかまれたりしました。
しかし、彼はたじろいだ様子もなくただ坐っていました。
ただ途方に暮れていたのか。それとも坐っていたのか・・・。
話しかけることなど出来ませんでした。
おはよう、こんにちは、こんばんは。
出会いを楽しむ小さな人たち。
さようなら、また明日。
再開を夢見る小さな人たち。
お久しぶり、元気だった?
再開を喜ぶ小さな人たち。
あがってください、お粗末さま。
おもてなしを楽しむ小さな人たち。
いただきます、ごちそうさま。
食べる事を楽しむ小さな人たち。
いらっしゃい、毎度あり!
職を楽しむ小さな人たち。
楽しむことしか知らない、
とてもとても小さな人たち。
静かな人たち。
467 :
Ope:2012/07/22(日) 21:52:06.50 ID:VIp/JG+x
>>463 とても変な日本語だな
> それが空虚に見えるのは、あなた方が正しくそれを見ていないからだ。
> あなたはマインドをとおしてそれを見ている、それは間違いだ。
> もしもあなたがマインドを脇に置いて、 空を覗いたら、それは途方もなく美しい。
マインドってなんだ?
⇒ そこに当て嵌めるとすれば 自我 が適当だろう
> 力について考えるのを止め、パラダイスについて考えるのを止める。
> なぜなら、彼は既にパラダイスに居る。
パラダイス? ⇒ 天国 が適当だろう
468 :
Ope:2012/07/22(日) 21:57:04.33 ID:VIp/JG+x
>>463 > 以下引用
473さんの文章はよくわからないのだが、以下引用だけは理解できた
ただ単語の当て嵌め方がおかしいけどね
あと引用する時は、できれば引用元を書いてね
469 :
Ope:2012/07/22(日) 21:58:21.67 ID:VIp/JG+x
ところで473さんとamaさんは共通の宗教か何かをしているの?
470 :
Ope:2012/07/22(日) 22:04:15.48 ID:VIp/JG+x
わかった 「ほげ教」 か
471 :
Ope:2012/07/22(日) 22:17:57.63 ID:VIp/JG+x
>>394 > なぜ、地球の大気が、宇宙からの放射線からこの地球を守っているのか?
地球の大気じゃなく、地球の地磁気によってできたバン・アレン帯によって放射線の影響を少なくしているらしいけどな
でもって、南極と北極は宇宙線の影響が大きいから、オーロラとなって現れる
何を主張したいのかさっぱりわからないから具体的に書いてくれまいか
472 :
Ope:2012/07/22(日) 22:21:47.12 ID:VIp/JG+x
>>392 > ノストラダムスにはまって1999年の7月が来るのをどんなに待ちわびたことか
信じてたのは、日本の子供だけだろうな
473 :
Ope:2012/07/22(日) 22:22:20.45 ID:VIp/JG+x
訂正
信じてたのは、日本のオカルト好きな子供だけだろうな
474 :
Ope:2012/07/22(日) 22:24:03.13 ID:VIp/JG+x
>>386 > もう、神はまたれんと言っている
> もうすぐ八月だろう?
あんた北朝鮮の動きがわかるとね?
475 :
Ope:2012/07/22(日) 22:26:57.99 ID:VIp/JG+x
>>378 > 私も473さん(に限らずですが)の文章はよく分からないので、
> こういうことを聞かれているのではないかと想像してお答えしています。
理解してレスできているのはamaさんだけに見える
何の宗教?
476 :
Ope:2012/07/22(日) 22:32:38.11 ID:VIp/JG+x
>>354 来世というわらを掴まねば、今世は生れ変わるかも
477 :
Ope:2012/07/22(日) 22:36:55.34 ID:VIp/JG+x
478 :
Ope:2012/07/22(日) 22:45:15.03 ID:VIp/JG+x
>>335 > 13スレ810
どうして2スレも過ぎてから4回連続レスしてるの?
>>334 >
>>317 > 知らぬが仏はせったんさんのパクリ〜。。
どんなじいさんか見たことあるの?
ネットの写真は、確か太って油ギッシュだった
(苦手そうな人)
悟りは争わない。これだけは確か。
俺は今まで10回くらい悟った。
そのうち9回は偽の悟りだった。
皆、偽の悟りには気をつけよう。
わかった、と思ったらもうそれはわかってない。
悟りというのは、実によくできてる。
480 :
ろん:2012/07/22(日) 22:59:24.34 ID:HfFJ5/l/
>>478 見たことあるどころか、僕はあそこの接心何度か行ったんですけど〜。。w
481 :
ろん:2012/07/22(日) 23:01:59.72 ID:HfFJ5/l/
482 :
ろん:2012/07/23(月) 00:07:38.85 ID:FTlbPW4O
「お〜い主人公」
「はい、はい」
「しっかりしなされや」
「はい」
「どんな時でも他人に騙されてはなりませんぞ」
「はい、はい」
「はい」は一回にしなさい! ( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
>>481 そこがあなたなんだよ。 そう答えるのが。
私の文章だけではなにも分からんのに判断をする それがあなただ。
487 :
ろん:2012/07/23(月) 01:02:40.50 ID:FTlbPW4O
もともとどうでもいい話。。
どうでもいいならなぜ絡んだのでしょう。
489 :
ろん:2012/07/23(月) 01:16:47.21 ID:FTlbPW4O
ヒマだったから。
490 :
Ope3:2012/07/23(月) 01:45:11.09 ID:yHbkvI8b
>>479 100回でも1000回でも同じことになるだろうね
ループしてたら
>>480 > 僕はあそこの接心何度か行ったんですけど〜。。w
そうですか
すごいですね
491 :
ろん:2012/07/23(月) 01:47:52.83 ID:FTlbPW4O
492 :
Ope3:2012/07/23(月) 01:59:10.17 ID:yHbkvI8b
>>491 > どういう意味ですごいのか。。ww
おそらく遠方なのによく何度も行ったなあと思って
493 :
Ope3:2012/07/23(月) 02:06:41.75 ID:yHbkvI8b
>>479 悟りってのは、同じことを何度もすることじゃないんだよ
1回こっきり
何度もするのはループなんだよ
思い出して、あの悟りは真か偽か
これループ
釈迦はこういったああいった
これもループ
何度も同じ事を書く
これもループ
前と同じこと書いたかどうか比較する
これもループ
言ってみれば、一期一会なんだな
494 :
ろん:2012/07/23(月) 02:09:01.61 ID:FTlbPW4O
>>492 そういう意味か。。w
まあ接心は、提唱あり、独参あり、長時間坐れるのでよかったですけどね。。
大人数で坐ると、その坐禅パワーみたいのがすごい。。w
なんか宙に浮いちゃいそうに感じたことあった。。w
まあ最終日、飲み会明けの朝の坐禅ですけどね。。
495 :
ろん:2012/07/23(月) 02:10:16.88 ID:FTlbPW4O
まあ二日酔いで、僕は坐らんで、楽屋で休んでたんですが。。w
496 :
473:2012/07/23(月) 02:21:04.73 ID:r2j8sOGO
金銭でも、感情でも、快楽でも、宗教でも、あらゆる次元、側面で
あらゆる次元で、マインドはよりよいビジョン、生き残りのビジョンを提示し続ける。
それがその本性だ。
より良いものが本当にあるかどうか関係なく、あえて意識しなければ、なにかをよりよくしようとずっと計画を練ろうとしている。
生き残ろうとしていろいろ考えて、結局生きていない。
しかし、いつになっても今生きないなら。これは一体なんだろう。
永遠に明日のために苦闘したり、快楽というもっともっとというせつなの未来を追ったりするだけなら。
自殺したほうがましと、知性的な人は考えてもおかしくない。
さらにそれを突きつけられたひとの、もうひとつの選択は、
死んだつもりで今を生きることか。
そんなに怖がらなくていいのかもしれない。
今を生きれていないのだから、実際すでに死んでいるようなもの。
生に耐えられなくなったら自殺すればいい。失うものは何もない。
ここがポイント。生き延びるほどのものは何も持っていない。快楽に心が囚われ苦痛を忘れていでもしない限り。
だから少々のリスクは意識しないで今生きて今死ねばいいのかな。
497 :
473:2012/07/23(月) 02:41:11.08 ID:r2j8sOGO
>amaさん
今ここにいる。
というのは、今ここにいないという実情の反対原理でしかない。
今ここにいるというけど、そもそも今ここにいないという恒常的な構造って一体なんだろう。
あくまで基本的には今いないのであって、今いるというのは例外的な質だ。
いまいることだけでなく、今いないという実情と、それが指し示す意味と、その帰結について無知なままでいてはいけないのではないだろうか。
これも、瞑想なしでは不可知である自身の精神の働き。
それに、今あるという質は、実は、今いないというより根本的な深い無意識の働きに上書きされた2重の夢、
単なる表面的な体験に過ぎないかもしれない。
そもそも、なぜ、というか、どのように人は今にいないのか。
死ぬまで明日のためのお金のことを心配して、本当に死んでしまう。
全く生きないで死を迎える。
その強固で、微妙で、しつこく、水も漏らさない精神の働き。
>>497 そうですね。
つまらない家事や仕事中は妄想したり過去や未来を思って今をなおざりにしてる。
そのうち、それがクセになって簡単に思考を起動できるようになる。
まるで夢遊病のようにその時々に頭に浮かんだことを考えてる。
私が今を生きてると感じるのは、
楽受に夢中になってるか、苦受の真っ最中なんだろうと思います。
だけどこれも思考で分かったことで正にその時にはどうなってるのか分からない。
なんせ夢中ですから。
上の人のように不苦不楽受のとき人は迷妄に陥る。
楽受を追いかけ 苦受に逃げ回る。 感受の奴隷。
>>406 > 473ならそれを出発点と言うでしょう。(ゴールのない)
「終着点」というのは、473さんの言葉をお借りしたつもりだったのですが、違いましたか・・・。
最終的なもの、とか、到達するもの、のような言葉を使っていらっしゃいませんでしたっけ?
>>411 > 無意識によりどころによりすがったり、自分はこのままでいいと自己肯定してバランスをとっているから。
とてもひそやかに(無意識に)よりすがっている「このままでいい」を落とすのですね。
> 「悟ってるわけではないですが、瞑想、宗教についてお答えできる範囲でお答えします。」
> それでいいんじゃないですか。
> このスレッドタイトルは結構面白いので、釣りにしちゃえばいい
なるほど、では、あらためまして。
〜テンプレ〜
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?16
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。
*前スレ
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?15
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1342666438/ ≪ご注意≫
amaは悟ってはいません。
スレタイは釣りです。
>>475 > 理解してレスできているのはamaさんだけに見える
いえ、本当にほとんど理解できていません。
なので、たぶんズレまくりなのだと思います。
お互いが見当違いのことを言っているのかもしれません。
> 何の宗教?
キリスト教は多少かじりましたが、それ以外の宗教については詳しくないです。
微かな疑問
何故ニヒリズムを脱却できないのか?
このスレの表題が「悟り」である以上
ニヒリズムと逆に傾くはずである。
ところが主流はニヒリズムに見える。
仏教の流れを汲むのであれば、
業論者、業道論者、精進論者に至るはずである。
ニーチェの流れを汲んでも永劫回帰に至るはずである。
世の中はニヒリズムとは逆方向に進んでいるのに
ニヒリズムに停滞しようとする。
現代の病巣がここにある気がする。
打算で動くな
無価値の中に価値がある
と提言してみる
漫画家の水木しげるは印刷でつぶれてしまうような背景でも
精魂込めて正確に描くそうです。
あだち充はいかにして手を抜くかを考えるそうです。
またベルセルクの作者の三浦健太郎はアシスタントはおらず一つひとつ、
一人ひとりの戦士の姿をていねいに描くそうです。
また、お百姓さまは今の時期、毎日のように水田に生える雑草を丁寧にひとつずつ除草するそうです。
これらはある方から見ると尽きぬことのない単純作業です。
私たちも歯磨きであったり掃除であったり洗濯そうじ、仕事上での尽きぬことのないこまごまとした作業があります。
せみ時雨を聞いていると一匹いっぴき一生懸命鳴いています。
ある人はやかましく感じ、ある人は風流に感じ、ある人は認識すらしない。
今日はせみ時雨をずっと聞いています。
505 :
473:2012/07/23(月) 09:12:57.90 ID:r2j8sOGO
>>501 あくまで自分が実際にそれに思い当たったから自分の言葉で書いてます。
が、基本的にosho、クリシュナムルティー、グルジェフが語った内容でもあります。
彼らはいろいろな側面で語りましたから、語っていないということではないです。
ある意味メジャーかと思います。
ただ、今になって重要さに気づいた、ようなところのピックアップなので、一般的に見過ごされやすい部分かも知れず、
難解かもしれません。
oshoは宗教言語としては結構メジャーかと思います。それ以後の人も影響というか、考慮しますし。
506 :
473:2012/07/23(月) 09:18:58.30 ID:r2j8sOGO
>amaさん
505続き。
>>500 ざっくりしすぎですが、それでいいのかも。
>とてもひそやかに(無意識に)よりすがっている「このままでいい」を落とすのですね。
まず、厄介なのは自己イメージですね。
私はなになにをしています、していませんという自己イメージと、
私たちが気づかないところで動いている無意識の自己は違うので、それが気づかせない理由になっています。
死の恐怖だとある種謙虚に受け止めても、それは空虚だったかもしれない。
なにがなにやら。
落とすんじゃない、なんてつまらないことはいいません。
まあ、そんな感じなんです。
気づかずやっていることは、探しても見つからない。
それに直接触れるには、あるがままという質、瞑想という質が唯一の鍵となると思うのです。
では。
なんか473さんがスレ主みたいですね
508 :
473:2012/07/23(月) 09:59:26.52 ID:r2j8sOGO
>>499には
>>406 をどうぞ。
一般的な観点での、状態についての悟り。執着のあるなしなど、客観的な測定。
実践的な観点での、始まりも終わりもないプロセスとしての瞑想。
amaさんはずっと後者のつもりで話していたかもしれないけど、一般的な視点だと、
悟りという言葉は前者に受け取られるし、473としてもamaさんのいいたいことではなく、単に文章を
そのままとるしかなかった。
2つの観点を区別しないとこんがらがるということと、そもそも後者を示すのには前者を連想する悟りという言葉は不適当だと思うのですね。
このあたり。
>507
主はもともと呼ばないと出てこない人ですしね。
一スレ目はamaさんを囲む人生相談+瞑想シェアになるかと思ったのですけど。
そういう質問が来ないというか、そういう質問が来ないような振舞いになり始めたので迷走。
473とのある程度の理解あるレスもありますけど、そういう相互理解のレス量は473は少ないので、
あくまでスレ主ということはないです。
、、、というより、相互理解のあるレス量が多い人が実質的なスレ主だとしたら、
議論ばっかりのこのスレに、主は不在じゃないかな?
509 :
ノスタルジア:2012/07/23(月) 10:20:12.46 ID:YwedXfrc
僕の中では想念界で僕の今住んでいる寺に案内されたが、そこには知らない
人々がおられた。その一人に自己紹介とかいろいろ言ったが、どうも内なる
住人(外の住人は派手だなと言われたから。)であるその者は僕のこと名前だけ
知っていたらしい。
>>僕の中では想念界で僕の今住んでいる寺に案内されたが
僕の中ではということは違う者から見たら僕の想念界ではなくて、それに
想念界でさえないかもしれない。しかし僕は自分の想念が現象化した映像を
見ているのは確かであり、しかし僕の想念の現象化に居座っている何者か達
は居心地がいいのであり、じゃなかったら居座ってないだろう。
>>どうも内なる住人(外の住人は派手だなと言われたから。)であるその者は僕のこと名前だけ
知っていたらしい。
これについては名前にしか興味はなくてその寺というものにか分からない何を
目的としてそこにいるのかは分からないがとにかくそういう者なのだろうと思った。
余談だが金が想念界でもかかるらしい。金がかかるということらしい。
510 :
473:2012/07/23(月) 10:34:55.71 ID:r2j8sOGO
>amaさん 508続き
>最終的なもの、とか、到達するもの、のような言葉を使っていらっしゃいませんでしたっけ?
473は言ったかもしれない。それは油断でありました。
いわゆる一般的な意味での悟りという言葉は、ある状態を示しています。
そしてその状態に473もamaさんの自分の状態の自己申告でも当てはまらないのですね。
だからといって、それが最終段階のようにいう必然はなかったです。
今そうではない、ある状態といえばよかった。
でも、あくまでそういう状態についてであり、amaさんのいう悟りが最終状態などと473は言っていないと思います。
そもそも、状態を示す悟りという言葉と、プロセスを示すamaさんの言う悟り(=473のいう瞑想)は単にまったく別のものです。
前者を最終的なものと方便で提示したりうっかり目的地だと思ったりすることと、後者をそう思うのはまるで話が違うような。
そもそも、前者は目的地になりうるけど、後者を最終的なところと止めてしまったら、プロセスという属性そのものが死んでしまってなにをやってるやら。
511 :
473:2012/07/23(月) 10:38:10.83 ID:r2j8sOGO
>amaさん 508続き
これが(一般的観点での「状態」と実践的観点での「プロセス」)が最初からの論点です。
ちょっとややこしいかもしれませんが、この論点をつかんでいただかないと何もかもが無駄になり、なんだか。
amaさんはこの2つを悟りという言葉に落とし込んでるかもしれません。
これは一緒にしちゃいけない何かだと思うのですね。
二元的観点が一元的観点に吸収されるのではなく、両方が存在したままちぐはぐに主張している感じ。
悟りという言葉は状態を連想させます。
始まりも終わりもないプロセス、だが執着はある状態=瞑想
始まりも終わりもないプロセス、かつ執着ももうない状態=悟り
これが、近代宗教の言葉の使い方だと思います。
amaさんが悟りという言葉に、ある状態という意味づけを全くこめてないならamaさん自身はなにも間違っていない。
けど、それはほぼありえないでしょうね。悟りという言葉を拾ってくるところはみな同じですから。
仮にそうでも、他の人は悟りという言葉を状態をして受け取るのであって、
執着の有無に関係ない、始まりも終わりもないプロセスのこととしては受け取らないので、
ことがややこしくなる。
基本的に、複数の観点。言葉への意味づけに対応できるかどうかは、自身の観点からどれだけ自由になっているかの
パロメーターです。自分の意味づけで言葉に反応せず、述べている内容を取るということは悟りと関係ないことじゃないんですよ。
473としても状態と、プロセスと、言葉と、目的と、整理できました。どうもこれは長くなりますね。
テレパシーと言われるものは、頭の中に声が聞こえるのかと思っていたが、少し違う様な気がしてきた
念を送られた人は、その念に行動を左右されるのかも知れない
自然とその様に行動している
しかし、波長の様なものもあるので、誰でも通じるという訳でもなさそうだ
仕事をして人付き合いもして家庭も持ち個人的な趣味の時間も楽しむ
世捨て人にならず快楽主義にも走らず、全ての体験を受け入れ、その流れの中でそっと自分にできることをして落胆も希望も等価に見なし生を慈しむ
とゆう様な在り方が一番難しいのかもしれません
>>478 >どうして2スレも過ぎてから4回連続レスしてるの?
マイペースで順番にレスしていたらこうなりました(^。^;)
4回連続は字数が1レスにあまり書きこめ無いので
分けてレスしてます
まあ、ぼちぼち行きます
蝉時雨の中、坐ってみた。
言葉では蝉時雨と簡単に一言で片付くが、実際にその中で坐ってると、
一匹いっぴき、一人ひとり、声が違うことに気づく。
また遠くで鳴いてる蝉から目の前で鳴く蝉まで音声のグラデーションが出来上がってまるで輪唱してるようだった。
鳴き方も「ミンミンミン」と、単純なものでなく「ミンミンミーミミミンミンミンミミーミンミミミミミミミッミンミー」と、かなり不規則であり、一匹いっぴきトーンも違えば鳴き方もピッチも違う。
まるで壮大なオーケストラだった。ハっと気づいた。
いつのまにやら三昧に入って蝉の声もそれをきく私もなくなっていた。
実に深いふかい三昧でした。
蝉時雨という一言で片がつく概念。
言葉でなくどっぷりつかって味わう全霊でもって蝉時雨と共にあるということはこの一言では表せない何かがあった。
なにときかれても答えるすべを私は知らない。
蝉三昧 ミンミンミーン ミミミミミミミ
>>455 正に。
みんなここで自己紹介してるんです。 自分のおもちゃを見せびらかしてるんです。
私の今日のオモチャは蝉時雨でした。
最近は私は「認識することのできない悟り」なるおもちゃを手に入れて
それに夢中です。
518 :
473:2012/07/23(月) 21:10:51.48 ID:r2j8sOGO
不死を求めると、生死の分割、束縛は強まる。
苦しみゆえに楽を求めると、苦楽の分割は強まり、苦しみは強まる。
そして無自覚にそれを望んでしまっているが故の、現状での分割、生死、苦楽への深刻さである。
死も、苦しみも、私の認知が作ったもの。消したり超えたりはできない。その不可能を好むのが自我。
もっと楽にしよう、もっと生き延びようとしているが、その実際の帰結をマインドは知らない。
その認知スタイルゆえに全く逆の苦しみと、死という悪夢に付きまとわれるということを。
>>272 お答えありがとうございます。
> 要は、そのままとは、思考想念に、振り回されないということかもしれません。。
言い得て妙ですね。
>>283 事象が起きることについて説明するのは縁のほうが良さそうです。
一見、「関係なしに起きる」ように見えているとしても、眼前に起きることは
全て縁起によって起きているので無関係に起きていることは全くないです。
どこかの縁をたどれば無関係に見えるものでも必ず繋がっています。
そして、その個別の縁を個々の事象を引き寄せているカルマと呼んでも
良いかもしれません。
>>353 どうやってんでしょうねぇ・・・
そういえば禅宗は印加状みたいな風習はまだあるのです?
>>391 > 体得するとかしないとかではなく・・・。
元からあったものに気づいただけですものね
524 :
479:2012/07/23(月) 21:40:17.97 ID:zZ7xlob0
俺は今日、悟ってないからこういうことが言えるんだけど、昨日は悟り純度55%くらい。
今は20%くらいか(笑)もうダメダメ。ダメ出しされてちょっとカチンときたくらいだからな(笑)
昨日は言い方があれだったがね、偽の悟りってのは要は100までいってない。
100%到達が真の悟りというか大悟なんだろうな。
この純度100の悟りはすごい。争いが一切ない。つまり至福。
これを一度掴んだら、もう他のことはどうでもよくなるというか、本当に無私になる。
で、ほとんどの人はそれを広めたいって思うだろうな。布教とかじゃなくて。
要は愛なんだよ。悟りって。悟ると世界と人間を愛するようになる。
でも今の俺はダメダメ。ダメダメだからここに書いている。
そしてそれ(愛)は伝わらないだろう。
無私のときは、ここにはこれない。ここは何かを満たしたい人だけが来る場所。自然と来れるような場所ではない。
そういう場所だってのは認識しといたほうがいい。
>>408 > そして、私は、悟りもほげもよりどころにしていないのです。
心底そうありたいものです。
ところで、自灯明、法灯明の遺偈はamaさんはどのように見てますか?
ふふふふふ
>>413 空とは実体がないことを指します。
# ここでいう実体とは「他の何者にも依らず、それだけで存在できるもの」と 定義します。
この世界はどんなものでも全て縁が寄り合わさって成り立っているだけです。それは、あなたも私もそうです。
無限に続く水面を思い浮かべてください。そこに小さな水面の盛り上がり(突起)が2つかあるとします。
それがあなたや私です。
この水面の盛り上がりは、実は小さな波が無数に一時的に重なって、たまたまそこが盛り上がっているだけです。
波の一つ一つはとても小さく、縁と呼ばれます。その一つ一つがあなたや私の構成要素ですが、どれもあなたや
私ではありません。
また、水面に新しい波が立てばあなたと私のと見えている突起も、その波の影響も受けます。これが縁によりて
生ずるということ(縁起)です。
縁が生じてたまたま事象(水面の突起)が生じているが、突起自体は実体ではない。
このように見るのが空です。
>>414 > 体験がないと言葉に振り回されるよね
ここ難しいところですよね。
自我意識みたいに、原理的には誰にでも体験できることのはずなのですが、
なかなか少ないみたいで。。。
といっても私も無為とか言われるとチンプンカンプンになります。
>>424 > 辿り着くのではない、故郷に帰るだけなのだ。。
英語でいうところの再び仲間になる(re-member)ですものね。
上の方で473さんが目覚めたとき、「おめでとう」と言おうとかいうレスがありましたが、
より適切なのは「おかえりなさい」の気がします。
ただ、ちょこっと帰宅困難者っぽいので、もうちょっと先になるかな。
>>502 ニヒリズムといっても何かの相対であることには変わりなく、
ここでは、直接、その相対という枠組みを超えたもの、、、
スレの流れ的には一元と表現されるものを擁しているから
じゃないかな。
>>507 「473だけど何か質問ある?」で普通にスレ主できそうですね。マメにチェックされますし。
>>513 神との対話のどこかで「家庭人の道が一番険しいのかもしれない」とあったのを思い出しました
>>524 違うと思います。
ここは愛で満たされた天国です。
医者のように苦しんでる人をみるとほっとけない人の集まりです。
>>527 わかり易い喩えありがとうございます。
ただ、縁起も方便と聞いております。
この主客の存在を実感できるのはどうしてなのでしょう。
木をみて森をみてないのでしょうか。
たとえば車で子どもをひきそうになったらどうするでしょうか。
ブレーキを踏むなら実感を優先してることになり、
これは実体のない空だというのであればブレーキを踏まない。
またブレーキを踏むがこのことは縁起によって起きていることで、
本来は空である。だから踏むのもこれもまたあるがままだ。
と、言うことなのでしょうか。
縁起は分かるのですが、すべてが空だというのが分かりません。
空であってもブレーキは踏むのか。それとも縁起に作為(はらかい)を持たないで踏まないのでしょうか。
質問ではないです。
自分で答えを探さないと結局人にきいていてはわからない。
ただ、これは私が率直に思う疑問を述べました。
これは実に楽しいオモチャですね。
別に
喜びも悲しみもない
力を持たない
535 :
473:2012/07/23(月) 22:43:20.40 ID:r2j8sOGO
私と喜びがあって、私と苦しみがある。
おかしいな。何故1つではなく2つあるのだろう。
苦しみと闘わないなら私はやることがなくなり途方にくれるのだろうか。
喜びを追っているのも何故だろう。私と喜びと2つがある。
壮大な独り言だ。
私と喜び、私と苦しみは1つである
間違ってるが、途中まではそれでもいい
あ
そうそう
悪意は無いけど473は長らく書き込みし続けて、ちょっとは進歩した?
538 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 23:02:26.77 ID:AEbrLU0G
>>521 >あなたの提示の通りですね。
分からんなww
これは、「自分が勘違いしてました。上座部でも預流者=覚者 とはしていません。」
すなわち、預流者=覚者 としているところはなく、そう考えているのは、
「自分(もしくは自分の周りの数人)だけであり 、「一般的見解」ではありません。」・・・・
こういうこと?w
539 :
473:2012/07/23(月) 23:03:53.54 ID:r2j8sOGO
おかげさまで。
これで同じ書き込みはしないようにしています。
なにかしら進展があったらすね。
>536
それは理想だったり、刹那の邂逅であって、人間のあり方の基調ではないでしょう。
特別な瞬間にすがるより、そこにある基調への理解が解放へと導くかもしれません。
まさに536そのものを見出すようなことを書いているのです。
540 :
473:2012/07/23(月) 23:11:15.21 ID:r2j8sOGO
>>524 他人の意見、自己イメージ、というのは自我について回るぬぐいがたい我々の習慣ですから。
1 自己イメージと、他者からの評価は違う。
それゆえに、自己が正しいとは限らぬし、他者が正しいとは限らない。
2 他者からの評価はばらばらであり、同じ人でも気分で変わる。
それゆえに、他者からの自己評価は一人だけあっているか、全員間違っているかである。
3 その人の機嫌をとるならその評価、夢を考慮するべきだし、共同体で生き延びるなら、
あくまで自己中心的な人のたわごとではなく、共同体全体からの評価だけを考慮するべきである。
なのですが、かく思考は、自分はこれこれだと強く思い込んだり、他者からの評価を正当だと思い込んだり、
つまり全ての、自己、複数の他者評価が、自分こそ正しいと合い争っている状態です。
このあてにならない自己評価と、他者評価全てに覚め、
自分の意思でいき、自分でその結果を受け止める。
さもなくば、自分が何者かわからないのでそれをはっきりさせてくれる何かを求め続けることになる。
それにしても、根深い習慣だと思うのは自己評価を盲目的に信頼することと、他者評価を過大評価すること。
他者評価も大概あてにならないのは1,2から明らかなのに。
541 :
473:2012/07/23(月) 23:16:04.31 ID:r2j8sOGO
>>524 それに、自分自身が言葉でしかないうちは、他者からの評価は当たることがありえます。
しかし、もし言葉ではなく、自分自身が意識だったらどうでしょう。
それは言葉を超えているのです。
もし、だれかから、あなたは過去の全ての束縛から離れた、自由な、意思の、意識の人です。
といわれたとしても、その言葉をあなたが真に受けたら、また言葉の人。
臨機応変でない自意識過剰の存在に戻ってしまいます。
言葉は、評価は、死んだものを表現できても、生きてあるものを捉えることはできないようです。
私の言葉も、誰の言葉も、、。
このしょせん言葉であるところに執着して私たちはなんと喜び悲しむことか。
>>540 >2 他者からの評価はばらばらであり、同じ人でも気分で変わる。
>それゆえに、他者からの自己評価は一人だけあっているか、全員間違っているかである。
他者からの自己評価、全員違った部分で少しだけ合ってるって可能性は?
543 :
473:2012/07/23(月) 23:26:41.60 ID:r2j8sOGO
>>542 残りの間違った部分を削除するのは大変そうです。
その、間違った部分が曲者で、それは基本的に他者からの投影です。
他者から非難されない状況が正常だというような思いがあると、絶えず他者に悩まされることになります。
自分自身でもそうだと見出したことについてだけ自分自身の責任でその習慣を止め、自分自身で見出せなかったことは
一切考慮するべきではないでしょう。
自分自身を言葉で縛ること、他者の言葉で縛られること、これが自我であり、移り変わる現実への対応を困難にさせます。
他者の言葉は、自分自身を縛る言葉と一緒に投げ捨てるためのきっかけにはなるかもしれません。
諸悪の根源は、意識より、自己認識や理想が自分の支配を握っていることかと思います。
逆説的に言えば、自分自身は、他者の言葉によってのみ、存在するのだよ
545 :
473:2012/07/23(月) 23:32:21.40 ID:r2j8sOGO
全く独りで、初めての人として日々新たに生きられるだろうか。
理想や、他者からの賞賛を頼って人生の指針としたくならないだろうか。
自分の信条を持ちたくならないだろうか。
しかし、それに頼ったとたん、種種の理想、自己イメージ、他者の意見、他者からの投影
それが互いに主導権を争う地獄が内面で展開されることになるようです。
依存、無自覚な依存の帰結。
自分の信条というものも、何処かで教わったり、知らぬ間に取り入れてきた他者の言葉であり、他者の影響なしには、自分の信条は、無なのだよ
547 :
473:2012/07/23(月) 23:39:49.02 ID:r2j8sOGO
>>544 いわれた言葉と、読んだことばがありますが、結局他人の言葉ですね。
後者も、安全策であり、あとでそのとおり生きていると他人から言われたいためがでしょうし。
また、他者からの評価の中で、好ましいものが表層意識を創り、忌まわしいものは無意識に投げ込まれているようです。
この好ましいもののほうを自分の意見といいましたが、実際はこれも他者からの集積です。
他者の言葉の無視というのは、自己中心的に生きることではなく、好ましいものも忌まわしいものも両方投げ捨て、本性を見出すことですから。
548 :
473:2012/07/23(月) 23:43:10.83 ID:r2j8sOGO
だれもが、言葉によって自分の生を取り逃がしている。
なのに他者に指摘し、助言する。
ことばを使うにはいいが、それに頼ったり、影響されたりすると、苦しみが付きまとう。
(ただ、他者の言葉を否定して、自分の自覚、無自覚の信条(言葉)の犠牲になりませんように)
しかし、自分自身が無であるが故に、全てが全てなのだよ
自分自身を忘れ、全ての縁に悟るとき、その時、何を感じるだろう?
良いとか悪いとか、結局揉めるし。
解んないし。
それならイタズラでやり合う方が愉しいし、お互い其れなりに謝れる。
善悪の人は真面目にやれと言うけど、真面目に考えればイタズラの方が良いだろう。
なぜイタズラ心は怒られるのだろう。
自分自身が何でできてると思う?
縁起の集合体だとは思わないかい?
想念、思考、感受、執着、欲求
全ては物質から発せられたものであり
それ自体が縁起となりうるものである。
縁起により仏は作られる。
個人がなければ縁起は動かない。
縁起がなければ個人は動かない。
環境が個人を作る。
また、個人は環境を作りだせる。
人間が動く理由は縁起があるからである。
正と誤。善と悪。美と醜。優と劣。
人間は全てを内包している。
動機という縁起をどちらの方向に向けるかい?
魂をぶつけることができるかい?
>>548 それは自分自身の自浄作用というものだ
あんたには関係ない
苦しむ必要もない
気にするな
あんたは自分の自浄だけ考えとればええ
自浄に逆らえば病を悪化させるぜよ
473に言うとるのではない
自分自身に言うとるのだよ
心体の一致?
簡単なことよ
魂をぶつけるだけでええ
釈迦がアホみたいに自分を整え
アホみたいに徘徊しまくった理由は
ここにあるんじゃないかねぇ
さて、瞑想するか・・・。
557 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 02:20:32.83 ID:mk1sEl0G
>>556 wwwwwwww
いいな、その書き込みwww
釈迦は暑苦しいまでに情熱の人
結局は、そういう人間が人から好かれるんだよ
動かない人間には誰も興味ないんだよ
動かない人間なんておるんか?w
そりゃ〜、死人だわw
縁は頼みもしないのに勝手にやってくる
心のあり方、魂の入り方によって
全く違うものを形成していく
仏は集う
類は友を呼ぶというやつだ
ここの連中は仏の集まりか
はたまたロクデナシの集まりか
>>525 「自灯明、法灯明の遺偈」が分かりませんでしたので調べました。
http://www.myourenji.com/tomoshibi/sa/397.html 「迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられ、自分自身が目覚めるよりほかに道はないのです。」
とあります。
これは、言い方を変えるとこんな感じです。
「迷いから抜け出すには、この法に根拠を置くのでも、教えられるのでもなく、
すでに法そのものでありその中にいてそれそのものであることに気づくことよりほかに道はないのです。」
もちろん、法という概念も、その中にいるというイメージも、それそのものであるという観念も、必要はないのですね。
>>561 悟る(気づいている)方法は悟っている(気づいている)ことに気づくこと
確かにその通りなのですがそれが人間には難しい
これは人間が過去を振り返り未来を予測し恐れるが故なのかもしれません
最大の敵は想像上の無益な恐怖なのかもしれません
今日は蝉時雨がうるさいなぁ。
564 :
473:2012/07/24(火) 09:34:53.31 ID:YuAaWOnp
>>561 リンク先の内容、本当に読まれたのでしょうか。
いつもどおりの改変をなさっている。
相手の言葉を聴かず思ったこと、いいたいことを繰り返すだけでしょうか。
そこで語られている法、というのはそういうもの(悟り的なもの)ではありませんよね。
あくまで私たちが持ちがちな執着や恐怖に対しての、現実、事実はこういうものだよ。
無常なのだよという指摘になります。
法に、その事実に、無常という現実にしたがって、己の迷いを打ち砕き、目覚めよ、と。
そこで語られる法は概念的なものではなく、私たちの執着に反対して語られる現実の法則のような意味づけのはずです。
ブッダは哲学者ではなく、リアリストでした。
彼のいう法というのは単なる現実の帰結でした。
そしてその現実の帰結を拒むのが我々です。
>>564 私も同じようなズレを感じました。
ブッダの言う法とは動かしがたい確かなことだったような覚えがあります。
ただうろ覚えなのではっきり分かりませんでしたが。
何にも執着してはならない。 これという概念を持ってはならないという観点でamaさんは書かれたのかなと。
だから法であっても自分のことでも何かを頼りにしてはならないよ。
と、いう観点でamaさんは書かれたのかなと思いました。
ただもしかしたら悟りとは本当はそういうものなのか。
私が考えてるものとは違うものなのかという思いもあります。
どうも「ありのまま そのまま」という言葉に依存してる気もする。 すがってる気がしてならないのです。
実際人間は、そのままでは苦が絶えぬし、苦に苦しみ(嫌悪)、快楽(渇望)を追いかけヒマ(迷妄、不苦不楽受)になれば、誰かをかまったり
ーひどい場合はいじめー何かしていないと落ち着かないというのが人間というもののはず。
禅のように一回転して元に戻るというのもそれは修業の成果であって、
中途のものが「そのまま」といってもそれは頭でわかってるだけでなんの説得力も持たない。
この悟道を知ってしまってからの「そのまま」は大変難しいことと思います。
私個人の勝手な調べ。
私は以前、二元的にならない為にも坐るだけでなく普段の生活にも修行ー呼吸を意識する、今に集中するなどーを持ち込むべきだと発言しました。
そして禅について少し調べて参りました。
どうも元々の初期仏教では比丘ーサンガでは自ら生産活動を行って食料を得ることを禁じられていたようです。
それを禅の馬祖道一という祖師が普段の生活も修行だという教えをされたそうで、その弟子の百丈壊海なる祖師が「普請作務(ふしんさむ)」という修行体系を確立し、日本に伝わる禅宗のほとんどはこの概念を取り入れてるようです。
ちなみにこの百丈は「働かざるもの食うべからず」の語源となった人だそうです。
馬祖禅師は雑貨舗(雑貨屋)と呼ばれ、日常的な営為のすべてを仏道修行と見る考え方であったそうです。
この馬祖道一や弟子の百丈や南泉禅師たちは数多くの語録、逸話を残し、後の臨済宗に発展していったそうです。
以上
どうやら禅にも普段の生活を修行とする考えがあったようです。
あくまで歴史的なもので何一つ確かなものとは言えないが、実際にあったとするならば、
約1300年も昔に私が思ったことを実践している祖師がいて嬉しい限りです。
567 :
473:2012/07/24(火) 15:18:08.26 ID:YuAaWOnp
>>565 単純に、「リンク先の内容で語られている」法については、
私の国語力が崩壊していない限り、そういう意味だったかと。
観点で書いたというより、先入観に染まっているから、書かれていることをまともに読めていないだけ
ということを自身で暴露なさっています。
そういう観点で書くなら、観点の変更を宣告してから書きますから。
ま、誰だって不注意はあります。
問題はその不注意を認めないこと。
568 :
473:2012/07/24(火) 15:21:41.01 ID:YuAaWOnp
>>566 自然な生活サイクルに収まりましょう。
いつも気づいていなさい。
本性に従って行動して、自分の思考や体や感情にきづいていて、
そして自然と座りたくなるに任せましょう。
座ることに本当に効果があるとすればそれらの日々の気づきの総決算としてでしょう。
ただ座ることでなにか起きたほとは記憶にありません。
何かの後に座ったり、座った後にはたと自身を理解したり、尊家感じです。
OSHO、クリシュナムルティ、グルジェフなどみなそういうガイダンスです。
569 :
473:2012/07/24(火) 15:24:10.72 ID:YuAaWOnp
と、すいません。急いでいるので、急ぎが出てしまってますね。
ひとついえるのは、人は追及すると着飾るけど、自由なままにしておけば無限にぼろが出るということですね。
追求せずともことは明らか。
それゆえに犀の角のようにただ独り歩め。
570 :
473:2012/07/24(火) 17:42:51.36 ID:YuAaWOnp
>>566 日々自らに気づいていればあらたな深刻さと緊張を生むことはない。
日々自らの行いに気づいていれば、日々の無自覚な深刻さと緊張のサイクルを自覚できるかもしれない。
緊張を消すことはできない。
だが、緊張の原因である、日々活動している深刻なマインドに気づくことができるかもしれません。
消し去ることはできない。
しかし、気づきがあれば、自分自身の実態における理解があれば、もう作ることは無い。
理解したときには克服すべきものはもう作られなくなっている。(なくなっている。)
それゆえに知識は役に立たない。
たとえ話や方便として言葉は有用ですが、言葉を知識として利用することは無知であることの代用品になってしまいます。
571 :
473:2012/07/24(火) 20:10:44.16 ID:YuAaWOnp
思考はゆれうごき、定まることがない
思考は欲するままに彷徨う
それを制するのは良いことだ
そのあるじとなれば幸福がもたらされる。
‐ブッダ ダンマパダ
これは逆を言えば、思考が主であるが故に不幸にさいなまれているのが我々だということです。
自らの主ではなく、思考の奴隷である。
その現実からの解放がなくして、一体何が意味を持つでしょう。
自らの主でなければ悟りも神もなんら意味は無い。
572 :
473:2012/07/24(火) 20:12:39.51 ID:YuAaWOnp
だがなんと思考の微妙なことか
なんと捕らえがたいことか。
それをみまもることがつとめだ
それを支配すれば幸福が見つかる
ひたすら心をひとつにすることで
師は自らの思考を静め
そのさすらいを終わらせる
胸の洞窟に座し
自由を見出す
573 :
473:2012/07/24(火) 21:15:19.52 ID:YuAaWOnp
当の心は、心が生んだものに恐れと、苦しみと、悲しみと名前をつけ、
それを静めようとする。
その戦いにあっては心は決して静まることは無い。
そして何と多くの戦いがあることだろう。
言葉は感情を正しく表現しません。
他に手段が無いから頼っているだけです。
快感・不快感が有り、内在的に思い付いた言葉の候補の内、一番感情を治めた言葉を真実として判断します。
そして、その選択した言葉からの感情の変動も有り、よくループに陥ります。(重度の勘違いを連想してください。あと権利・義務の反射も)
人の言葉に対する信頼は絶大で、記憶・思考・伝達・記録に因る進化の裏付けは、そうそう切り離すことは出来ません。
でも、実際は他に手段が無いから、言葉に頼っているだけです。
言葉のバリエーションの中に魔が住みます。
氾濫した思想の複合の隙間に潜むなら、予見されることは無く、発現は恐らく突発です。
魔は利害によって他者に伝わります。これが共犯です。
寄り添う宗教も無く、憲法も知らない場でのコミュ力重視とは??
寒気がしますねw
大津というヒントが在る。
イタズラ心と、小さい人たちとの出会いを見失ってはダメですよ?
579 :
473:2012/07/25(水) 00:07:32.27 ID:H50YEt4H
)amaさん
こんなテンプレもいかがでしょうか。
借り物の知識で概念を作って夢を見ている人の特徴
1どんな質問に対しても一定のパターンで返答する。相手の質問の観点を無視する。
2自分自身のことを自分自身の言葉で語り始めたとたん、いつもの言説と明確に矛盾する。
理解から話す人の特徴
1さまざまな話題に対応し、さまざまなスタンスで語ることができる。それでいて基底となるものは変わらない。
一定のパターンで語らないとぼろが出るということは無く、何を語ってもその人の理解が伝達される。
2あらゆることを話し、時として矛盾するが、矛盾すら含めてのその全体の言説が調和している。
一部のことについての特化した知識ではなく、全ての知識の関わりあい、全ての段階の必要性とその矛盾を理解した包括的な知識を持っている。
>>579 これって473さんの方がamaさんより優れてるって意思表示でしょうか?
神は遠くにいるわけではない。極めて近くにいる。
必要なことは、思考をわずかに静寂にさせ、わずかに鎮め、
いま少し平和に、くつろがせる技法だ。
思考がくつろぎの中に落ち着くと、
突然、自分の内側に神聖な音楽が聞こえ始める。
神があなたの心の楽器を鳴らし始めたのだ。
あなたの心の琴を―そしてその音楽は変容していく。
一度聞くと、忘れ去ることはできない。
一度聞くと、人生は二度と同じにはならない。
一度聞くと、あなたは不滅の存在の一部になる。
あなたはもはや、必滅のものではなくなる。
>>579 amaさんによっかからずに自分でスレ作ってそのテンプレ使えばいい
>>582 失笑するとこだね。
473さんのレス全般的にですが。
書けば書くほどエゴがおーきくなってゆくね。
悟りスレで大切にエゴを育ててるんだね。
此岸からの声は日常的なものである。
我々の意識は個体のみのものではない・・・。
航行する船は多けれど、浮いているのは一つの海だからだ・・・。
あなたが何もしていない時・・肉体的にも、精神的にも、どのレベルにおいても・・
すべての行為がやみ、あなたがただ単に在り、存在そのものである時、
それが瞑想だ。
それを為すことは出来ない。
それを修練することはできない。
あなたは、それを理解しなければならないだけだ。
>>557 もっともっと瞑想しなさい。
もっともっと内側を見ようとしなさい。
さて、明想するか・・・
589 :
Ope3:2012/07/25(水) 02:20:01.85 ID:lTzpRjBF
>>561 >
>>525 > 「自灯明、法灯明の遺偈」が分かりませんでしたので調べました。
> 「迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられ、自分自身が目覚めるよりほかに道はないのです。」
> とあります。
最古の経典、一番最初に口伝から文字にされたパーリ語の相応部経典が漢訳されて雑阿含経になったものが
釈迦の生きていた時代を最も伝えていると言われていて
そこに書かれている1つが、自灯明、法灯明らしい
訳すとこのようなことらしい(次のように覚えている。たぶんに筆者の思いも入っていると思うが、
東大出身の仏教学者で、最古の経典研究では日本の第一人者なので、大きくは外れていないだろう)
釈迦が臨終を迎えいよいよ最後のとき、釈迦は最後に聞いておきたいことは無いか?と問うた
集まった弟子達は、聞ける状態ではなく、皆何もありませんといった。
もう一度釈迦が最後に聞いておくことは無いかと問うた。
その時、釈迦の従者であるアーナンダが問うた。
貴方がいなくなったら、私たちは何を頼ればいいのですか。誰を頼りにすれば良いのですか。
暗に後継者を求めるような質問であった。
釈迦は答えた。
法を灯明としなさい。法を知らぬ者は己を灯明としなさい。
・・・・・・
解説は要りませんね。
>>564 > リンク先の内容、本当に読まれたのでしょうか。
じっくり読む時間がなかったので、
取り急ぎ「自灯明、法灯明の遺偈」を説明しているであろうと思われるところを抜粋しました。
>>590 ということは知らなかったので読んで説明したということでしょうか。
>これは、言い方を変えるとこんな感じです。
なぜ言い換える必要があったのでしょうか。
>「迷いから抜け出すには、この法に根拠を置くのでも、教えられるのでもなく、
すでに法そのものでありその中にいてそれそのものであることに気づくことよりほかに道はないのです。」
もちろん、法という概念も、その中にいるというイメージも、それそのものであるという観念も、必要はないのですね。
前半のー迷いから抜け出すには、この法に根拠を置くのでも、教えられるのでもなくー
この部分がなければ素晴らしい言葉だと思いました。
もしかして後半部分はどこかから拾ってきた文言なんでしょうか。
率直にいって、知らないことは知らないで構わないのではないでしょうか。
私もoshoやグルジェフ、クリシュナムルティのことは名前程度しか知りませんし、キリスト教もほとんど知りません。
かといって仏教も知ってるかといえば、多少のことしか知りません。
ありのまま、そのままというのであれば正直に知らないことは知らないで
いいんではないでしょうか。
>>567 そうでしたか。私もこの世に不変のものなど何もないが、
唯一つこの法だけは変わることなどない
変えることなどできない真実と、聞いたおぼえがありましたので。
先入観なのかどうかまでは私には分かりません。
私にはあの書き込みだけが読めただけで、
あの書き込みが書かれた背景も人物もよく知りません。
>>568 >>569 そうですね。なんのはからいもなくリラックスしていたいですね。
坐ることは短いですが毎日続けてます。
他の活動で、坐ってるときほど静かに周りに溶け込むことが未だにできない未熟な私です。
坐っていると様々なことがおこります。
様々な思考や妄想がいつのまにやら浮いては消えていき、
やがて自己がいなくなります。
そしてそれもやがて醒めてしまいます。
一種の寂しさのようなものも感じます。
この状態に長く留まっていたいという欲が出てきます。しかし叶いません。
無常を実感するのに坐ることほど適したものを知りません。
上にも書いたとおりosho、クリシュナムルティ、グルジェフは
名前と多少のネットでの書き込みしか見たことがありません。
ほぼ知らないに等しいです。
>>570 すいません難しくてほとんど分からないです。
言葉 概念 思考 観念 これらに頼る私たちの心がいけないんでしょうか。
593 :
473:2012/07/25(水) 10:11:53.16 ID:H50YEt4H
amaさん
>>590 最後の3行だけ読んで言い換えたと?まさにその直前がそのリンク先での法の解説でしたが。
最後の3行から読むことは不可能ですよね。
つまり、そこまでも飛ばし飛ばしながらも確実に読んでいるわけで、その内容はそこまで無意味なものだったのでしょうか。
561の内容はリンク先の内容とほぼ反対の方便であり奇妙だという印象だけが残ります。
561の内容が単体で間違っているというわけでもないですが、リンク先はほぼ反対の手法で法という言葉を使っていました。
概念ではなく、どちらかというと現実という意味で使われていました。
自己防御ばかりで、元の話題を伸ばそうとする発展性にかけるのは残念です。
594 :
473:2012/07/25(水) 10:20:24.22 ID:H50YEt4H
>>581 まさに。
誰もがある意味事実を捉えつつ、その事実に反発している様は面白い。
自分のパターンに閉じこもるのも自我だけど、他人のやり方に口を出すのも自我だ。
かといってそれを指摘するのも自我なので、それに無自覚なのは喜劇か。
つまりこの3つのどれも自我の発露であるという意識があれば戯れですむかもしれないし、
それに無自覚で他者に自我を投影しているなら自我との同化がある。
595 :
473:2012/07/25(水) 10:35:45.30 ID:H50YEt4H
>>592 心が苦しみの原因なら心が静まるべきだ。
心によって、心が作り出した苦しみのほうを静めようとしてしまうが、それは決してうまくいかない。
引用したブッダの箇所もそんなメッセージであるように思います。
>>591 >なぜ言い換える必要があったのでしょうか。
amaさんは
>>525のニカサさんの
>、自灯明、法灯明の遺偈は
>amaさんはどのように見てますか?
とゆう質問に答えてamaさんなりの見解を示したのかもしれませんね
>>561 迷いから抜け出すには、この法に根拠を置くのでも、教えられるのでもなく
経典に根拠を置くことも導師の教えも迷いから出る為の方便かもしれませんね
それらを気づきの代用品にするなら自我は場合によっては内外に敵対者を求めるかもしれません
>>561 >すでに法そのものでありその中にいてそれそのものであることに気づくことよりほかに道はないのです
☆全て光そのものでありその光の中にいて光そのものであることを体験することは難しいかもしれません
そこで方便として・・・
601 :
473:2012/07/25(水) 15:45:35.19 ID:H50YEt4H
>>578 真実の反対は偽りではなく、真実に見える偽りだとOSHOはいいます。
愛の反対は憎しみではなく、愛に見せかけた偽りの愛であるといいます。
それゆえに宗教というのは、非常に見極めがたい両端への可能性があるといいます。
瞑想とは何でしょうか。
私は瞑想ではないものについて議論し、そして自分の心の動きの実情という瞑想でないものについて描写しました。
真実は、真実ならざるものの理解によってしか見出せません。
それは私たちが偽りに囚われているからです。
もし偽りに囚われていないのなら真理と共に在らざるということがありえない。
それゆえに、473の他者に偽りだと指摘したことが偽りだと感じたら、ただそれをやめるだけで真実に近づき、瞑想に落ち着きます。
他者のそれを糾弾するから473が、あなたが正しいのではありません。
ただ、それがどういうことなのかその帰結を他者から学び、それを自分ではやらない、そういう心の動きを静めているからこそ、偽りの影響下に無いのです。
473が自身の心の動きを描写したのを感じたら、ただ、それが自分の中にないか感じてみてください。
473はあらゆる偽りについて語っているだけです。
だから、ただ、それを自らに感じ、その動きを感じ、それを休ませてください。
それが、瞑想です。
(帰結を見定めるため、その言葉とその人の実存の調和、非調和を見定めるため議論をしなければなりません。
人との対話の中で自分自身の偽りを見出すためにも議論は有効である場合もあるでしょう。
議論から学ぶことが無いわけではありませんが、議論に囚われ同化しない、完全な覚醒があるわけでもないので、
危険なゲームです。
究極的には議論は不毛。自身から意識をそらすものでしかないとは思う。
だが、それが自分の全存在から来る根本的な理解となるまで、喜んだり苦しんだりしながら議論をする他無いのではと思います。
議論好きな人はいつか、知識として出なく経験として議論の有用さと、究極的な不毛を了解するのではと思います。)
602 :
473:2012/07/25(水) 15:51:46.79 ID:H50YEt4H
ここには、あらゆる生きた偽りがある。
それであってこそ、真理を語った過去のスートラも生命を吹き返す。
偽りに満ちた心が、偽りを見出さずしてどうして真理に触れられよう。
ここはとても価値ある。ありがたい場所なのだ。
603 :
473:2012/07/25(水) 16:34:05.24 ID:H50YEt4H
>>578 こららのことを完全に了解した心は小さい心ではないのでしょうか。
大きく見せかけようとする小さい心、ということはないかとおもいます。
ですが、結局、あるがままの静まりがたい、自分自身のありふれた心と直面するだけです。
自分自身の凡人の心と。
すさまじいエネルギーで動き続ける騒がしい心と。
平凡さは、それを平凡というエゴがあるうちはそれが直面しない安全弁ですが、
名前をつけず、それと直面するとなるとそれはとてつもない嵐か、闇か、混沌か。
騒がしい心はみなそれぞれに平凡です。
それから逃げて賢く見せかけることこそ真の平凡。
そうでないものは非凡そういう逆説がありました。
13スレ826
>誰の言葉ですか?
名前は不明ですが古代の賢者の言葉らしいです
悟り子が真理をついた言葉だと感じたので採用しました
覚者Bの後半部分(全ては現実でありよって執着も私に他ならない)は悟り子の創作です
605 :
ベゲザンピーク:2012/07/25(水) 19:56:09.13 ID:HNO0yI7D
お前らトイレ汚して掃除しそうもないな。
606 :
473:2012/07/25(水) 20:05:29.13 ID:H50YEt4H
>>566 実情として、世間の苦闘から抜け出す手段として宗教に頼っていた。
しかし、宗教が指し示すのは、その現実とその苦闘を作り出す自分の心という現実に直面せよ
ということであり、宗教は世間と対立する概念として存在せず、概念として存在していない。
もし、概念として頼ってしまうと、世間を、金を取るか、宗教や瞑想時間を取るかという新たな対立まで生んでしまう。
死、あらゆる喪失の恐怖からの解放として宗教に頼っていた。
しかし、宗教はあらゆるものが移り変わる現実と、それに怯える心という現実に向き合えというだけ。
向き合えばそれは存在しないことが見出されるのだと。
やはり、宗教は救済してくれる概念ではない。
救済してくれる概念は一時的に苦しみを、恐怖を、葛藤を忘れさせてくれる。
しかし、より強くなってそれは帰ってくる。
607 :
ベゲザンピーク:2012/07/25(水) 20:11:37.64 ID:HNO0yI7D
>>606 宗教に費やした時間、私は何かをしっていると最後の二行で匂わし
てるな。本当に死や喪失を意識したらそのようなものとはきっぱり
縁を切るだろう。瞑想にしても一日10分でもかまわないわけだし。
いいわけにしては、上から目線だし何いってるかわからないよ。
>>590 知らないと答えるか、スルーするべきだった気がしますが。
もう覚者として取り繕う必要は無いですよ。
あ、ごめん。
俺もよく取り繕うわw
お互いに気を付けまし。
>>605 昨日用を足したあと便器を見たらへばりついていたのでキレイにしましたよ。
掃除はいい。 特に便所掃除ほど自己と向き合えるものはない。
>>606 おっしゃるとおりかもしれませんね。自分も今まで何度も夢みました。
しかし、私は宗教を全て網羅して知り尽くしてないのでその時々、調べるくらいで結局、私の中で一つ概念ができる程度です。
ところで、473さんは悟りの道が見えてきましたか?
611 :
ノスタルジア:2012/07/25(水) 21:45:51.35 ID:ExfNIJkD
ツインソウルの親鸞こと私がいるとするなら、性質個性は真逆であるはずであり、
僕親鸞はもともと頭が良く、言葉のチョイスもよく現代で見事に通用する愚(?)
のことだが、よって真逆の性質個性では行がそれに加わったアダムカドモン、
ヘルメストリスメギストスのような人物が私のツインソウル、パートナーで
あってほしい。それは誰なのか?何か得体の知れない者同士なのだろう。
そういう候補は今のところ一人もいない。そもそもその時見つけたときの感動って
いったら・・言葉に言い表せないものだろう。
612 :
ノスタルジア:2012/07/25(水) 21:46:52.85 ID:ExfNIJkD
やっぱプラス思考だよね〜
>>612 ですよねー。
でも、ちょうど良いリラックスって難しい。
しかし、スートラって扱い難しいねぇ。
悟りは車の運転みたいなもんだろ
他人から見て車の運転が上手に見えるだけのもの
だが車は空を飛べない
人間は空を飛ぶ機能を有してない
世界に国境があるのを不思議に思ったことはないかい?
枠の中にいれば安心するかもしれない
ただ、楽しくなかろ?窮屈ではないかい?
頭の中だけでも枠を取り外せ
理想であり 自由であれ
その時、車の運転なんか簡単にできるだろう
615 :
473:2012/07/26(木) 00:20:52.88 ID:bCh0xMGa
>>610 そんなに宗教に詳しい必要はありません。
606で私が描写したのは、複雑な宗教の観念ではなく、私たちの心、無意識自身の、恐れと何かに頼り逃避しようとする
ありふれた働きそのものです。
誰もが異なる観念を持つでしょうけど、この心、無意識の動きそのものに違いは無いと思います。
>>614 んー…
適度なサイズっ有るような。
トイレがただっ広いと落ち着かないし。
617 :
473:2012/07/26(木) 00:21:53.90 ID:bCh0xMGa
悟りや、ファンタジーや、贅沢や、人間関係を夢見て心は留まることを知らない。
現実との対応は葛藤に満ちたものになります。
が、現実を思う心というのもまたひとつの夢ではないでしょうか。
それは過去であるということが一点ですが、なにより、夢というのは2元性があり、好みがあります。
広大な現実を包括的に捉える夢など無く、それこそ現実の一部分だけを過大評価して自身に葛藤を持ち込んでしまいます。
ああ、だから無心なのかと。
現実的な心でも、空想的な心でもなく。
心は混乱であり、無心だけがと。
仏陀も宗教もオショーもクリームシチューも枠である
枠など取っ払え
やり方などありはしない
あるのは自由で生きては死ぬ繰り返しだけだ
619 :
473:2012/07/26(木) 01:01:19.37 ID:bCh0xMGa
思考の問題はそれひとつに決して全一になれないことにあります。
表層意識でひとつの思考と同化し、それを欲望として全エネルギーを投入したつもりになっても、
広大な無意識の無数の思考は活動しており、エネルギーの大部分はそちらが持っていってしまっているとも聞きます。
表層で愛を感じ、宗教を感じていても、無意識では恒常的な身体への同化と恐怖が活動している。
それゆえに、ちょっと何かが起きるとそれまでの気分は台無しになり、大部分を占める無意識と、無意識が管理するエネルギーの支配下に置かれる。
ひとつの思考を選ぶということは、全ての思考を選ぶということに他ならない。
思考の領域にいる限り、無意識にあるあらゆる思考の影響を受ける。
思考は部分的なもの、ある領域の2元性を司るに過ぎない。
それに対し、私たちの本性は広大すぎるのかもしれない。
枠を否定はせんよ
枠に遊び、新たな枠をつくる
それもまた一興である
泣きたい時は泣いたらええ
苦しみたい時は苦しんだらええ
それ以外は遊んでおればええ
どうしようが自業自得w
わたしには、あなたの苦しみが観えるが、どうすることもできない
なぜなら、その苦しみはあなたが乗り越えるものであり、乗り越えなければ、わたしの言葉は伝わらない
わたしは、伝えたいからこそ、冷たくするのであり、見守るのである
しかし、いつもあなたは安易な逃げ道を選んでしまう
あなたに、運命が観えないのなら仕方ないが、観えているのに、観ないふりをするのは、とても悲しい
あなたがもし、それに気づくのであれば、わたしは、愛を持って迎え入れるでしょう
わたしは、ずっと待っているでしょう
苦しみから救われることは無上の喜びだが、
他の者たちを苦しみから救ってゆくことと比較すれば何でもない。
自分が苦しみから救われることは、依然として自己中心的であり、
自己に焦点が合わせられている。
自分のなにかが依然として残っている。
あなたは自分のことにしか関心がない。
自己が消え、あなたが救われたからといって、
どうしてその旅をやめることができるだろう?
さあ、今度は他の者たちを救わなければならない。
イエスが「救済者」と呼ばれるのはそのためだ。
だが、彼が唯一のキリストではない。
彼の前にもたくさんのキリストがいたし、
彼の後にもたくさんのキリストがいた。
これからもたくさんのキリストが現れるだろう。
覚者になる者はみな、必然的にあらゆるものを救済しなければならなくなる。
>>621 せやな
苦しみは乗り越えるべきものだな
そうしないと生まれず死期を早めるかもしれん
どうせなら、遊んで楽しみながら乗り越えようや
仏陀は綺麗に道を作り、あそこまで歩け、と言う。
キリストはその綺麗な道の先におり、ここまでこい、と言う。
菩薩は人に寄り添い、共に歩もう、と言う。
>>590 「あるがまま」と「ありのまま」・・・
amaさんは、どっちを選ぶ?
禅僧に「あなたはどこで考えるのか?」と聞いたら、彼は腹に手を置く。西洋人が最初に日本の僧に会いに来たとき、
彼らは理解できなかった。「ナンセンスだ! どうやって腹で考えるというんだ?」
しかし、禅が言うことは意味深い。意識は身体中のどのセンターでも働ける。もっとも本源に近いセンターは臍だ。
頭は本源からもっとも遠い。生命のエネルギーが外向きに動いているなら、意識の中心は頭になる。
生命のエネルギーが内向きに動くなら、究極的には臍が中心になる。
混沌としたメソッドは、意識をその根っこに押し下げるために必要だ。なぜなら、根からのみ変容は可能だからだ。
さもなければ、あなたがいくら言葉だけを並べ続けても、変容は起きない。何が正しいのかをただ知るだけでは充分ではない。
あなたは根から変わらなければならない。そうでなければ、あなたは変わらない。
自分のペースでまたーりでいいような気がする。
何かを手に入れたいと思った瞬間、道はねじ曲がる。
正しく生ていれば、いずれ変容は起きる。
子供が大人になろうとしてもごっこでおわる。
あるべき時にあるべき変化が訪れる。
自力と他力の真ん中で真っ当に生きられればそれで大満足。
危ないと思えばチョコチョコ修正したらええ
そうすれば事故を事前回避しやすくなる
人間急には変われんよw
チョコチョコッとづつ変えたらええ
悟りなんかどうでもいいよw
自由であれw
本当に変容をのぞむなら、クンダリニーを覚醒させることだ
全ての人間にある、性欲のエネルギー
それは、肚の奥底にある
頭では変容は起きない
肚からそれが起こりうる
頭が作り出す相対性
それを貫くエネルギーの絶対性
それを呼び覚ますには、呼吸が鍵となる
深く早く、プラーナを送り込め!
意識を肚に据えよ!
一心不乱に行えば、すぐさまそれは起こるだろう
健闘を祈る!
寝て目が覚めたら元に戻ると思うよ
俺は地道戦をとるよw
戻らんよ
まぁどうでもいい
そんな覚醒いらんよw
そんな覚醒じゃなく、それが覚醒
まぁどうでもいいw
あんたにとってはそうかもしれんが、間違いは正さんといかんからな〜
メンドくさいんで黙っといてくれんか?
せいぜい取り付かれるがいいw
なんだそれ
結局、自我の塊じゃんか
まあ、逃げる人間は追わんから勝手にしてちょ
どうでもいい割に絡むね〜
なんか言いたいことあるの?
変容しても人格は未熟なんだなぁ
変容してないってことさw
他人の人格を否定するほど未熟ではないけどね
変容してるけどね
そうかなぁ
>>591 見解を聞かれましたので、私の言葉で表現させていただきました。
観自在は、相変わらずだな
649 :
ノスタルジア:2012/07/26(木) 10:40:38.05 ID:jzsAxKz7
悪鬼神は僕じゃないことはたしかです。
善鬼神は仏法に帰依したらしい。そして念仏者を守るらしい。それは念仏者の
有無を言わさずにだろう。僕は善鬼神からのイエスの愛を受け取る側だが、
同時に心に抱く特定の女性の善鬼神からの「隔離」の役割を持っている。
つまり特定の女性には神にとらわれて欲しくないよ〜、その一心を僕は恋いと
呼ぶ。仏教における渇愛ばかりが今の世の中における恋いだが、その恋いの魔力
から一歩この理論で遠ざかりました。次は二歩目である「キリスト・阿弥陀」から
超えなくてはいけない。僕は空っぽの道を作るだけで、特定の女性がいるから
実感がわくのだ。
650 :
ノスタルジア:2012/07/26(木) 10:44:44.04 ID:jzsAxKz7
男性の心の内に女性を思い、女性は愛が源だろうからそうだろう。
女性は分からなくてもいいのだ。ただ盲目に理想の男性のイメージを
持っていればいいのだ。男性は本当の女性というものをその恋いにより育む。
あるがまま、感じるままに生きればいい。
結局はそうしているのですが、誰であっても、ただ自覚がないだけで。
感じるままに生きてはいけないという心の葛藤が認識を遠ざけている。
心を研ぎ澄ましてよく見れば、誰とも違う自分なりの生き方を見つけることが出来るはずです。
あるがままは自分のあるがままであり、他人には分からない…。
652 :
473:2012/07/26(木) 11:42:38.85 ID:bCh0xMGa
それぞれの人が、何かに、思考や感情や行動のどれかの領域において、
夢中になっちゃう癖みたいなものがあるんじゃないでしょうか。
473は知らぬうちに考えすぎます。
それぞれが異なった方向に平凡なので、どうも他人のそればかり目に付いてしまう。
けど、自分の心の、感情の根本的な方向性、それを、根っこからつかむことが、、。
でも急につかもうとしてどうなるわけでもないから、それをつかめなくさせる偽りとは何かを
語っている先達は頼りになると感じます。
>>621 無常、と、愛でしょうか。
無常とはこのようにも表現されるのですね。
とても心落ち着きます。
時にその事実、運命に触れても、基本的に日常において心はそれを避ける。
心は地獄を作るけれど、地獄を歩んだ先に待っているのかもしれません。
イカ引用。
「君の人生の道のりで、自分より高レベルか、せめて自分と同じレベルには
性格の良い人に出会えないなら、いっそのこときっぱりと独り歩むのがいい。
性格の悪い人と一緒にいるなら君はその人の心を無意識にコピーして、悪影響
を受けるだろう。そんな人とは、道を共に歩みつつ高め合っていく友情を
育てることは、できないのだから」『法句経』51 ※超意訳
「ブッダが言う、優れているとか同じレベルというのは、どんな状態でしょうか。
それは、性格が自分よりいい相手ということです。(略)その見分け方の大まかな
指針としては、「一緒にいてリラックスかどうか」が役立つかもしれません。
今の自分よりもスッキリしている思考の人と話したり、一緒にいたりすると、
乱れている心がその影響を受けてやや静まって安らかになり、心持ちがリラックス
してきます。また、話をしているうちにしばしば本人も気づいていなかった問題点が
明らかになり、「ああ、こういうことで自分は悩んでいただけだった」とスッキリ
することがあります。どんなに悩んでいても、悩みごとというのは突き詰めていけば
シンプルなものです。それをやたらと複雑に頭の中でこねくり回し、「考える苦役」を
重ねているのです。その状態をパッと解き放ってくれるのが、優れた人です。
性格の悪い者というのは、その逆です。論理性が低く、心が陶冶されていない状態の
人は、人と争うことを楽しみ、心が迷妄に覆われていて、混乱状態に陥っています。
論理的な話を理解することができません。
例えば、そういう人に自分の困っていることを話しても、自説をとうとうと述べる
だけだったり、的外れな話になったりして、むしろ問題がややこしくなることが
あります。そういう人と一緒にいることによって、自分の心がさらに混乱し、ノイズが
走りだし、感情的になってしまいます。(略)
知識があるとか、学歴が良いなどではなく、心が明晰かどうかが大事なのです。
この「心が明晰である」というのは、論理的であることとほぼ同じと考えて良い
でしょう。
けれども問題は、一般に論理的と言われている人の論理性の背景には、自説を
押し通そうという衝動、ないしは相手を論破しようとする攻撃性が含まれているのでは
ないかと思われることです。
一見すると、論理的に見える文法や難解な言葉を使い、「これが正論だ!」と言い張って
強引に人を説得しようとする人がいますけれども、そういう自我や自意識が含まれていると、
聞いている側からしてみれば、とても嫌な感じがするものです。
一般的にも、「論理的な人」とか「理屈っぽい人」は、どこか面倒臭い人といった
マイナスイメージがあるように思われます。
なぜ理屈っぽい人が面倒くさがられるかを考えてみますと、相手が聞きたくないことを
くどくど理屈をこねくり回しているからです。くどくどと感じられるということは、
必要以上に話しているのです。
しかしながら、本来、論理的であるということは、複雑に見えることをスッキリ簡潔に
まとめられる性質のはず。すると人に嫌がられる理屈っぽさは、「理屈っぽい」のではなく、
「知識っぽい」のです。自分を良く見せたい、自分の説を押し付けたいという欲から自分が
持つ知識を並べているだけで、並べているもの同士の関係性や階層秩序、因果関係や法則を
わかりやすく示せていない結果、何ともスッキリしないものになってしまっているのです。
本来、論理そのものは非常にシンプルで、そこに自意識や感情がこもっていませんので、
相手の心をスッキリさせ、リラックスさせる働きを持ちます。
ですから、明晰な人というのは、言うことがシンプルで、そこに人を論破してやろう
などという余計な感情がなく、心が静まっているもの。そのシンプルさは、物事の
因果関係、つまり原因と結果を俯瞰的に見てズバッと整理する力に裏打ちされています。
その反対に、論理が通っていないことや整合性がつかないことを言われたり、目撃したり
しますと、モヤモヤして嫌な気持ちになるでしょう。
また、しばしば世の中には、難解で文学的な言い回しをし、必要のない装飾をつける人が
多く見られます。それはきっと、もしかしたら自分はつまらないことや間違っていること
を言っているのかもしれないと心配になり、そのアラをわかりづらくするために、複雑な
言い回しをするクセがついているのでしょう。その場合、論理的でないうえに複雑化して
いるので、読んだり聞いたりすると、さらにモヤモヤしてしまいます。
日常生活でも、こんがらがったデータ処理を行わなければならないような人間関係や
混乱状態に陥った人からは、なるべく離れておくのが賢明なことです。
どうしてもそういう人と一緒に仕事をしなくてはならないとか、一緒に過ごさなければ
いけない時は、なるべく相手のノイズや影響を受けないよう、自分の心を防御し、
整えながら付き合ってまいりましょう。」
引用おわり
656 :
473:2012/07/26(木) 17:27:23.68 ID:bCh0xMGa
>>654 身もふたも無いことを書いたので補足しようと思っていたところ、ちょうどいい内容が投稿されていました。
思考が発達した人間はひとつの思考に囚われませんし、また、それを静める統率力もあり、それゆえに直感が働き、それを言語化できます。
ただ、生活において基本的に思考に偏るのがその基底にあります。
感情が発達した人間は、感情豊かであり、また愛において真理に近づくでしょうし、執着を断ずることもできるでしょう。
それでも、基本的には感情に偏ったパターンにはまっています。
行動があり、決断力がある人は、逆にくつろぐことができます。
しかし、過剰な行動にわれを忘れるという基本的なパターンがあります。
自分の主要な特徴でないことにおいては、それにおおぴらに囚われてはいませんが、実は原始的なそれに恒常的に囚われており、一向に抜け出せていないということでもあります。
日常で思考に囚われがちでない人はそれを吟味することも無いので、思考の領域においては単純なことを繰り返すだけのあきらかな不自由さを見せることは多いのです。
反面、行動、感情の切り替えは実に実際的。
意識が発達していれば、自分を支配している主要なパターンにおける休息から現れる知恵を伝達できるでしょう。
行動や感情や思考における自由を。
その3つの次元のどれかにおける自由、生きた知恵。
3つ共に働きかける伝統もあれば、そのうちのひとつから働きかければ十分という伝統もあり、
その教え同士の矛盾というのは厄介な問題ではあります。
どの扉からでも到達するといいますが、やはり、肝心なのは自分がどんな種類の牢獄にいるか知ることだと思います。
それを知らなければそれにあった鍵も見つからないでしょう。
657 :
473:2012/07/26(木) 17:39:43.42 ID:bCh0xMGa
日常のさまざまな判断で思考はある程度役に立ちますが、思考ではここまでしかわからないという壁があります。
入手できる情報が限られているので不確実性に直面せざるを得ない。
割り切って行動するという能力は、思考にはありません。
思考は永遠に完璧な選択肢という見つからないものを追い続けます。
無心であるか、むしろ感情や、体に対応した行動力決断力であることが多いのです。
そういう人たちは今度は思慮のほうが足りないで後々後悔することが多いです。
なにもできないか、やって後悔するか。全く逆のトラブル。かつ、トラブルという意味では同じ。
考えてもわかりようが無いことの解を限界まで突き詰めようとするのは行き過ぎであり、
思慮と決断のバランスをもたらすのは覚醒であり、知恵なのだと思います。
658 :
473:2012/07/26(木) 18:14:42.17 ID:bCh0xMGa
>>655 心は移ろい、また騒がしい。それを静めるのが務めでであることは誰も変わらない。
しかし、それに直面などとてもできず何かしらの信条を求める人にとっては、それこそ心安らぐ正しいものであるし、
よりその混乱に直面するための意識や良心が存在しない人は、その主張や、他者の説の非難によって意識の焦点を
他人に合わせることでようやく安息するというのが実情です。
実際にそれらは真の安息ではないですが、その人の意識と良心、自己の混乱と矛盾に向き合う力という実情によって、
なにがその人にとって安息なのかというのは動かしがたい習慣として定まっています。
その心を観る人にあっては、心を観ることだけが務めであり、あらゆる言説は、目覚め、意識させるための道具であり、
何にも頼ってはなりませんし、あらゆる非難や賞賛もどちらも心が主導権を握ろうとするトリックでしかなく、
考慮してはなりません。
また、上記の逃避や闘争は心を見ようとする人々もしばしば陥ってしまうことであり、それについては他者を非難するのではなく、
自身のこととして理解してゆくべき何かです。
自身のそれを理解すれば他者のそれはありきたりの風景となり反応できなくなってゆくでしょう。
そんな風にブッダはいっていたような気がします。
睡眠不足で精神を追い込まれたり、断食での追い込みや薬物で得られるものは、ヒントになる可能性はあっても解では無いですね。
日々の自分への嘘のない問い掛けがなければ、ヒントすら得られない。
それならば、日常からかけ離れた追い込みは完全に無意味で、リスクでしかない。
他の誰かが貴方を称賛しても、自身の実感が伴わなければ、それは意味がないです。
棚ぼたは、利益の話であって貴方の成長とは関係無いですよ?
13スレ826
>文脈で捉えないとこういうことだと意味がとりきれませんが
☆人は自分の知覚と意識以外経験できないのです
例えば貴方が花を見ていると思っても、その花は貴方の意識に浮かんだ映像であり貴方の意識に他ならないのですね
貴方が世界なのです・
何故、法が公平で在るのか。
在るべきなのか。
それは、個人が回りから受けること、個人が回りへ行動することを整理して、各々が持つ能力を最大限に発揮させるためです。
身分・肩書・利害の都合で制約が有る状態では、個人の能力を発揮できる環境は作れません。
法を無意識下に取り入れ、ナチュラルに法を守れる状態が自由です。
公平に法に守られ、最大限に力を発揮できる環境が自由です。
法を破る自由など有る筈もなく。
誰かの評価や承認を気にすればするほど、貴方の能力は発揮出来なくなっていきます。
成長できる筈もなく。
質問が素直に出来ない&誤魔化す事が重要になる。と、考えてみてください。
貴方の環境はどうですか?
法が有ったとして、自由になれる法ですか?
何故、法が公平で在るのか。
在るべきなのか。
それは、個人が回りから受けること、個人が回りへ行動することを整理して、各々が持つ能力を最大限に発揮させるためです。
身分・肩書・利害の都合で制約が有る状態では、個人の能力を発揮できる環境は作れません。
法を無意識下に取り入れ、ナチュラルに法を守れる状態が自由です。
公平に法に守られ、最大限に力を発揮できる環境が自由です。
法を破る自由など有る筈もなく。
誰かの評価や承認を気にすればするほど、貴方の能力は発揮出来なくなっていきます。
成長できる筈もなく。
質問が素直に出来ない&誤魔化す事が重要になる。と、考えてみてください。
貴方の環境はどうですか?
法が有ったとして、自由になれる法ですか?
こ…
これはナカナカ恥ずかしいw
ごめんなさいorz
665 :
473:2012/07/26(木) 20:29:51.40 ID:bCh0xMGa
>>660 473は他者のの賞賛を気にして自身の実感をないがしろにするが、660さんはそうではない。
と語っているような文章がちょうど出てきました。
心がこれを真に受けて、自分自身のそういう部分を無くそうとしても、心が心と闘うだけです。
心がこれを否定するということは、まさに他者からの評価を真に受けるということです。
「あなたは心を静めている」と直接間接に思われることを心は好むでしょう。
なぜなら心は静まってないのに静まっているという評価をもらうことで、心は生き延びることができるからです。
非難も賞賛も無視して向き合ったら本当に死んでしまいかねません。
473が473の心に覚めるという事においては、いかなる他者の存在も、いかなる指針も、希望も、自己非難も
心から気をそらせるものでしかありえません。
そして、他者からの評価を気にして、指摘やアドバイスにしたがってあれこれしようとするのは心であり、
473でも660さんでもありません。
それにいいようにされているという事実はあっても、それが真の主体であるなら改革の可能性はありません。
それをしているのは心であり、本性がそれを超えているからこその可能性ではないでしょうか。
放った言葉が、どんな言葉と遊ぶのか。
どんな言葉を連れてきてくれるのか。
いじめられてたりもする。
ずっと引っ付いてるのは面白くないし勿体ない。
言葉にしてみれば「せっかくお外でたのに…」的な。
サイの出目を好きなように弄るなら、それは八百長って見方もw
物惜しみする人々は天の神々の世界におもむかない。
愚かな人々は分かちあうことをたたえない。
しかし心ある人は分かちあうことを喜んで、そのゆえに来世には幸せとなる。
袈裟を頭から纒っていても、性質が悪く、つつしみのない者が多い。
かれら悪人は、悪いふるまいによって、悪いところに(地獄)に生まれる。
戒律をまもらず、みずから慎むことがないのに国の信徒の施しを受けるよりは、
火炎のように熱した鉄丸を食らうほうがましだ。
そこには、すでに有ったものが存在せず、
虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在せず、
月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている。
672 :
473:2012/07/27(金) 00:44:40.04 ID:tMRkmzr1
ワーカーホリック。
際限の無い利益の増大への欲求に翻弄され、嫌気が指した人。
そんな人はその人生のうちか、もしくはたぶん来世で、
社会学的ユートピア論者になり、意図的な怠け者になる。
そして、良心が反発するからこんな仕事はできないという。
しかし、そういったものは、元のワーカーホリックであることのバランスをとるための、
道徳の概念、良心の概念、平等の概念、ユートピアの概念でしかない。
ワーカーホリックの心が静まっていれば、仕事に執着せず仕事の為すべきことをなし、
そして理想を一人唱えるのではなく、実際にできる活動を為すかまったく興味も持たないだろう。
ワーカーホリックにうんざりした人は、その人なりの悟りを思い描く。愛を思い描く。
しかし、それもどこまでも概念でしかない。
正に、その心が落ち着けば、宗教において語られていた全てがあるのだ。
捨てるのは宗教だけじゃない。あらゆる価値観。
あらゆる価値観は根本の心の動きが自分の行き過ぎを止めるために利用している、偽りの、偽り。
理想主義者はその大元のワーカーホリックを、愛を語る人はその冷淡な心の動きを、
そういう本体の心の動きは、人生のパターンから見えてきます。
自由時間をどんな風に使っているか。その中に暴露されてゆきます。
信条と、尋常とは別のちゃっかりした自分の行動や心の動き、後者に注目です。
673 :
473:2012/07/27(金) 00:46:51.88 ID:tMRkmzr1
現代人はごまかしがうますぎる。
それをどうこうしようとする現代宗教が必要だった。
473と私のいう「来世」は意味がまったく違うようだ・・・。
まあそういうものだ・・・。
675 :
ろん:2012/07/27(金) 01:01:50.17 ID:DRnwIS5a
迷いの目に映るものはすべて幻想である。
幻想に基づいた思考、意図、分析は全くの無意味である。
だから、悟っていない者は、まず悟りを求め、修行しなければならない。
悟り以前に考えたことには何の意味もない勘違いに過ぎないのだから。
心を落ち着かせるために、身心を整えるために必要なものは、沈黙と静寂である。
迷いの心に映じたものに、価値があると思ってはならない。
それらが過ぎ去り、消え去るまで、迷いの世界に対して、何らかの働きかけをしようと思ってはならない。
それは新たな業と苦しみと混乱を生み、あなたを迷いの世界につなぎ留め続けるものであるのだから。。
>>643 そりゃそうでしょ、と言いたいところですがどこが違うかもう少し詳しく説明して欲しい。
興味本位で。
473さんではなく、安堂さんに。
アンカーがよくわかりません。
変容とは一瞬であり、精神状態の急変であり、
意識状態の上昇である。
あ、ごめんなさい。
473さんとの「来世」の意味の違いについて少しだけ突っ込んで説明してほしかったのです。。。
>>680 来世とは、この世に繁栄される浄土である。
来世自体には中身がない。
「鏡」だからだ・・・。
まあ、自分にしかわからんことを説明しても無駄だが。
戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。
自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。
つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、
このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、
神も、ガンダルヴァも、悪魔も、梵天もなすことができない。
弱い犬ほど良く吼える
弱さを認め心が静まり返った時に、抗体ができる
抗体を多く持つ者程、吼えなくなる
自分の弱さを認めない段階では、表向きの防御策で
戦おうとする。抗体がない限り弱さの輪廻である
弱さからの逃避
自分の弱さを認めず、自分は強いと勘違いすることである
弱さそのものを直視せず、他の物に代替しようとする
論理に逃げる者もいる。抗っている間は、弱さの輪廻である
弱さは自浄作用であることを認め、これを打ち破れ
さすれば抗体の力で心に平静が訪れる
何かに打ち込み、常に気をつけ、
己の心と目の前に起こることを観察せよ
重要なのは、常に気をつけようとする姿勢である
そこから事前予測をたて危機回避に努める
あるいは問題があるなら改善を繰り返す
やがて体に抗体ができるであろう
抗体を持つ者は、さらにこれを拡大、維持に努める
強さの輪廻となる
685 :
ベゲザンピーク:2012/07/27(金) 04:08:12.83 ID:5leUMHaC
宗教はなぐさみものではない。さし中って必要なのはファイティングスピリッツだ。
宇宙に一人大きく坐りなおしてその何やらを見つめてみなさい。
抗体などできない。ただ全てが過ぎ去っていくことを知るだろう。
アーメン
空想への逃避である
スポーツに打ち込み続ける者は
抗体の力でオリンピック選手までになる
それを抗体の力と理解する者がどれだけいるか…
体はやがて衰え、同時に抗体も消える
抗体の拡大維持に努めた者のみが勝者となる
抗体を科学の知識として知るだけでは活用はできない
己が自らの働きかけで作り出す以外に意味はない
オリンピック選手とかw
何と勘違いしてんだろw
弱さと精神力と抗体の関わりの話である
筋肉や柔軟性の話ではない
宇宙に座すとか臍が茶をわかす
>>689 ああ、そうw
じゃあ、オリンピック選手の精神は悟ってるとw
競技中はいいとしても、日常はどうなんかな〜w
あんた、勘違いしてるよw
オリンピックの競技中の精神を日常も持続しようとしたら、壊れるぜw
気をつけな
ここで話てるのは、そんなちゃちな話ぢゃない
顔洗って出直してきなw
というか、抗体という話からひとつ
抗体とは、何かに対抗するものだね
細菌の抗体とか…
では、精神の抗体というとき、何が、何に、対抗するんだね?
そこらへんがわからんと、一生何かが何かに対抗し続けるって話になる
そこに、迷いがあるのだよ
喩えを喩えとして受けないのは、どういう精神構造だ?
競技中だろうが日常だろうが変わらぬ抗体の話である
判る者にしか判らぬ
判ろうとしない者は置いてゆく
判らぬものは判らぬ
判らぬものへの捉われが迷いである
あはは〜w
逆ですよ、兄さんw
わかってないのは、あんただよw
じゃあ、あんたの精神は、何に対抗してるんだ?
その抗体が必要なんだろ?
何に対抗してる?
未知に明け渡す的なことでしょうね。
涅槃は生きている者にとっては未知ですが、私たちはそこから来てそこへ帰る的な。
悟った人はどこからも来なかったし、どこへも帰らないと表現しますが…。
例えば、オリンピック選手は、同じ競技の他の国の選手に対抗する
それがオリンピックだからだな
じゃああんたの言う、精神の抗体は、何に対して、対抗するんだね?
よ〜く考えてみなされ
それを、多くの人は、外に見つける
ライバルや、社会などだな
しかし、それに終わりはない
なぜなら対抗し続ける限り、敵は現れるからだ
では、内に探して見ると、それにも終わりはない
なぜなら、自分の問題点など想像でいくらでも作り出せるからだ
では、どうしたらいいのか?
ということが、ここでの議論だよ
まずは、そこまでおいでなさい
>>698 言いたいことはわかるんだけどさ、
>なぜなら、自分の問題点など想像でいくらでも作り出せるからだ
それで、君は自分が作り出してきた想像から、今は自由になってるのかな
元々自由であるものが、自由になる必要などない
>>700 だから、実際はどうなの?
それは言葉でしょ
精神的に苦手なこと、緊張すること、怖いもの、実際はあるでしょ
つまり、本当はまだまだ対抗してるんだよ
その様な状態に直面すれば、その時に対処すれば良いではないか?
その実体のない抗体の主が幻であることは、はっきりと知っておるが、緊張することもあれば、怖いこともある
それは、その時の話であり、今は関係ない
ちなみに、ジェットコースターは怖い…
704 :
473:2012/07/27(金) 10:39:28.60 ID:tMRkmzr1
>>676 来世というより、過去生に今の自分の信条と全く逆の人生を歩んでいたという仮定かな。
過去生であることをやっていてうんざりして死ぬと、今回の生でその逆を行こうとする。
が、結局過去生の性分を継承している。
未来のことはわからない。
現在が過去の延長か、過去への反抗によって成り立っているというお話。
未来に逆のことをする予言をしても仕方ないので、実はこれ過去から現世への話でした。
705 :
473:2012/07/27(金) 10:43:21.82 ID:tMRkmzr1
672は訂正しておきます。
過去生をそれそのものとして認識していないので表現を控えましたが、
生まれたときからのユートピアと、怠けの信条と、内に潜むワーカーホリックは、
過去生のワーカーホリックと、その反動としての現生の信条だったのではないか。
そういう風に感じることとして過去生を理解しています。
実体である心の方向性と、表面上の信条の乖離が感じられるなら面白い方便だと思います。
なかなか自分の心の方向性が信条と正反対であるという事実は認識できません。
>>703 本質的なことを言うと、対抗というものはあるね
でも、対抗する自分というものはない
勘違いしてはいけないのは、対抗してはいけないと言っているのではないよ
それこそ、自由ではないね
対抗することも自由なのだよ
しかし、そこに自分を感じるなら、その対抗は、続くだろう
それが、自我の働きであるから
それを、流れてゆくものの様に感じられるなら、それは、何時の間にか消えているでしょうね
>>705 私をここに連れてくるのは私のエゴだと捉えていますね、現時点では。
自分の深い何かが方向性を決めていて、私はそれを達成していないらしい。
だから、ここに自分を引き戻すのだろうと。
全てにこだわりがなくなったとき、つまり、あるようにあることが出来たとき
ここでの私も卒業するのではないかと、何も問題なかったと。
こだわっていることさえも、実は問題ないんだと。
あとは野となれ山となれ、未知に明け渡しますと…。
対抗というものは、対抗する側と対抗される側があって成立する
これが精神の中で起こるとするなら、対抗する側も、対抗される側も、どちらも自分であるということになる
自分の中に、仮想の敵を作り、対抗するのである
しかし、その作用自体は、人が成長するためには、必要な作用である
しかし、それが、自と他に分離されるなら、争いが終わる事はない
なぜなら、他を敵として作り出せるのは、自分しかいないからである
自分で敵を作り、自分で対抗する
おそらく、これが精神の作用である
その事に気づいているなら、対抗しても良いし、対抗しなくても良いということになる
少し難しいけど、こんなところですかね
みんな幻想が大好き過ぎるんだよ
711 :
ノスタルジア:2012/07/27(金) 14:44:04.13 ID:yU7iM3u+
極端を言えばニーチェが精神錯乱を起こして生気を失ったまま死去したように、
それは、希望のところだな、精神錯乱そして死の後何が見えるのか、ニーチェは
元の故郷に帰ったのではないか?それならニーチェと同じように精神錯乱というもの
に罹ってみたい。夢に限らずこの宇宙世界は不思議な摩訶不思議な不可思議な
複雑な構造をしているから、しかし夢を例にとると、何度も何度も救われる映像を見せられて
なぜに救われないのか?神は人間を見捨てたのか?複雑な構造をしていて神にも
分からないのではないか?以前教えて!!と言われたことがある。神は死んで
夢で主役を忘れて生活しているのではないだろうか?逆説的に言うなら私たちも
主役を忘れて生活しているのではないだろうか?秩序あるところに何も起こらない。
人間をビジョンとして見れる、どこかのところで見れるようにならないといけない
のではないか?見せられる夢には二種類があって仏(仏性としての僕の)の
失敗作と仏の成功作がある。本当の夢は天女と仏の会話ともう一つ御浄土と
いうものがある。御浄土はまだ経験してない、「想像記憶」の中にある。
ここでいう御浄土は四つあって極楽界、シャンバラ界、仏界がある。あとひとつは再三言っている
ので内緒だ。
712 :
ベゲザンピーク:2012/07/27(金) 15:55:27.49 ID:5leUMHaC
>>711 「ガラスの家の住人は石を投げるべきではない」と言うことわざは
何を意味しているか、答えてほしい
713 :
ノスタルジア:2012/07/27(金) 17:20:58.19 ID:yU7iM3u+
普通に考えたら石は凶器だろう。ガラスだからだめだなのであり、他の素材で
出来た家だとだめなのだろう。だからガラスに強迫観念がある文となるはずである。
よってガラスの家の住民が石を凶器に思うのをやめさせる誰かがいるのでは
ないだろうか?つまり例えば神などのその住民にとっての超越者の想念であるはずであり
それが空想か現実かはあまり関係のないことだ。想念の整理をしているのではないだろうか?
どうせ僕も神に操られているんだしwww
13スレ826
>前半は個人と全体の境界がないことを同じことを違う言葉で表現してるようですが
☆そう、個人と全体の境界線は体験の記憶と定義付けで想定され観念化された概念ですね
これが最初の幻想を生み
ここから他のあらゆる幻想が生まれます
>>533 まず、縁起も空は万有引力の法則みたいな普遍的な法則の発見であって、法則に過ぎません。
ブレーキを踏む踏まないの判断に与える影響についていえば、人間が炭素と水分からなる有機物と認識するのと
同じ程度かと思います。
> この主客の存在を実感できるのはどうしてなのでしょう。
ここから先は私見ですが、それが実感できるのはあなたや私が、主客の分離を作っているからと思います。
では、この分離はどこから生じたか、ですが、分離が生じるのは幼少期に目覚める自我自体が本能的にそのように
分離することで自己を防衛しようとしたからだと思います。非力な肉体・精神を防衛する術として、自他を区別し、
情報を整理し、肉体・言語・表情を統制して、外部環境に適応していくことを優先せざるを得ずに過ごします。
また周囲の環境(教育)もそれの強化に努め、肉体が成熟したあとでも外部環境への適応方法も「これとあれでは
どっち」という分離を暗黙の前提とした基本的な考え方が求められてます。
こうなると手段であった分離がいつの間にか目的(=求められること)と化していますね。
本来は非力な肉体・精神の防衛のための一手段でしかなかったものが、まるで全てであるかのように固定化されて
いる気がします。もっといえば、人間本来の成長段階としては、自我が目覚める幼少期以降に分離以外の選択肢が
花開く過程があるべきとは思いますが、公的にそれを行なっているところはないかと思います。
>>538 前者ですね。
どこかの経典の聖者のくだりと、また別の経典の覚者のくだりを取り違えてたからかと思います。
>>561 回答ありがとうございます。
> もちろん、法という概念も、その中にいるというイメージも、
> それそのものであるという観念も、必要はないのですね。
また、空で返されたー
いやぁ、そうなんでしょうけど、、、うん、そうなのですよね。
>>565 違う意味でのズレは私も感じました。
最初の引用はお約束としても、最後一行の率直な声以外はgoogle先生に
聞いても良かったかと思うのです。
要はamaさんの生身の声が聞きたかったのです。
どこかの和尚さんの引用もいいのですが、どの和尚さんも機をみて
説かれているかと思いますので、googleの上位に来るものが必ずしも
質問者の質問に適するものではないのかと思います。
>>589 > 法を灯明としなさい。法を知らぬ者は己を灯明としなさい。
スッキリしました。
自灯明って「自分が誤っていたらどうするんだろう・・」と思っていましたが
法句経で
「自分こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?
自分をよくととのえたならば、得難き主を得る。」(中村元訳)
とあり、
「己こそ己の寄るべ己を置きて誰に寄るべぞ。よく整えし己こそ
まこと得難き寄るべなり。」
との訳もあることから、ここでいう己は"よく整えた"己だと思っていました。
>>596 引用元
「迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられ、・・・
↓
amaさんの
>>561 「迷いから抜け出すには、この法に根拠を置くのでも、教えられるのでもなく、・・・
文面だけ見ると、法に対する扱いが置く/置かないで180℃変わっているので
言い方を変えるレベルではないですが、
概念自体不要としている最後の一行で、やっとamaさんが出てきましたね。
>>715 その場合、前提としての幼少期の環境に問題が有りそうですが。
親子のコミュニケーションも敵対なのかな?
その種の公的機関がないのは、親の勤めだからですよw
というか、通常の親子関係を暗に否定してますよね?それ。
うん、間違いなく個々がもつ理想の親子像までをも否定しているから。
受け継がれるべき物の否定では宗教を語ることはできなくないですか??
親子が初めて出会う主従関係・身分なら、子供はペットか?
まぁ確かにバカスカ死んでるわ
お前なに考えて長文書いたか解ってんの?
なんかいいかんじでキレましたよw
もっともらしいこと書いて読まれて影響も少なからず有るんだろうな。
お前が今までに子供何人殺して何人虐待してるか把握してんの?
あーっ!
罪に問われなければ問題ない&間接的になら心も痛まないっすか!
そっすね!
えらいよかしこいよ
726 :
473:2012/07/27(金) 23:34:27.53 ID:tMRkmzr1
欲望は際限が無い。
欲望は欲し続けるという機能に過ぎない。
執着、恐怖には限りが無い。
執着し恐れるという機能なのだからその機能のまま無限に走り続ける。
この2つを、ほどほどのものとして調整して使用し、ほどほどに幸福に生きる、生きれるという神話があるように思うが果たしてそうだろうか。
行過ぎる欲、行過ぎる恐怖、その結果としての、宗教や快楽への逃避、他者と他者への愛着、嫌悪、比較への逃避
あらゆる倒錯によってばらばらになっていて、それがバランスの取れた幸福な生というのだろうか。
無限に更新される欲望、落ち着くことの無い執着と恐怖。
これに母屋を乗っ取られていない人がいるとすれば、これを完全に静めおおせた人だけだろう。
奴隷になって分裂するか、静め仰せ、主人になるかどちらかしかないかもしれない。
そして主人になったときは、もはや何もかもの次元が違っているかもしれない。
私たちが創造できる次元のあらゆることは同等の幸福と不幸が内在しており、解放というのは人知を超えたものかもしれない。
私が恐れている、私が欲している。
そういうようにいうと、まるでそれから離れている私がいるようだが、それは勘違いである。
基本的に恐れと欲に主導権を握られている。私が恐れと欲望であり、覚醒を覆いつくそうとしているというのが実情。
そんな私に重要性は無い。恐れと欲が消えればこの私も消えゆくもの。
覚醒は欲と恐れの隙間に通る一条の光に過ぎず、基本的には日常では存在しないものだ。
727 :
473:2012/07/27(金) 23:39:51.05 ID:tMRkmzr1
×創造 ○想像
基本的な日常のベースが覚醒にあるのなら全くの自由だろう。
しかし、基本的なベースが欲と恐怖にあるからこその束縛であり、
基本的なベースがそちらにある上での覚醒も愛も、そのベースの延長上に過ぎない。
そのベースの延長上ではない、真実である属性を持つ覚醒や愛は、不可知なもの。
その言葉から想像するのではなく、単に不可知な何かを示唆しているのではないだろうか。
728 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 00:04:39.69 ID:tMRkmzr1
マインドは機能であり、私の本性とは関係がない。
肉体とすら関係がない。
マインドはただただ動き続けたいだけ。
だから不幸があると、苦難があるとそれを喜ぶ。
不幸や苦難が無ければマインドは機能しようがない。
大金が転がったら、体は喜ぶだろう。
しかし、恐怖執着、欲望の思考、マインドは途方に暮れる。
マインドは機能するために、新しい問題、新しい不幸を設立する。
そしてそれに向かって戦い続けるだろう。
この思考というよそ者。よそ者であり、ただのストッパーの無い機能。
母屋を乗っ取られると、人間存在は非常にかき乱される。
全部分かって欲しい、文章に全て書き込みたい、はエゴ。
順序立てて文章を読めば追体験できる、文章で他者のためにそれを伝える、は正しい思考そのもの。
エゴは自分しかみない。
正しい思考は思考対象だけと、愛からできている。
あなたの長文はどちらですか?
義務を辿ってみよう。
>>715の文には、子供一人では理解できない事を反芻してあげる親の存在が無いです。
理想としては、子供に降りかかる現象を全て反芻して、子供を納得・理解させる事が出来る親。
で、親を問わずに何故か公的機関が無いことを問題視してるですよ。
子供の教育・理解の手助けは親の義務。
義務を勘違いしてる人が多いですが、義務は与えられたり強制されるものじゃなく、ある想いからの反射的な感情・行動です。
子供の教育・理解の手助けの義務が発動しないのなら、親の子供に対する思いは?…
幼少を思うにあたって、親を考慮しないということは?…
あの文で暗に語っている子供に対する親の思いは…
それが一般的なのかも知れませんが。
731 :
473:2012/07/28(土) 01:32:54.15 ID:l2mFuW00
>>729 さまざまな側面で語れることかと思います。
「私」という記憶と執着の総体があり、それが混乱の元です。
「私」は「私」−「あなた」の関係で存在します。
私がわかり、あなたはわからない。あなたはわかり、わたしはわからない。
このような関係を連想させる書き込みは、どれだけ優れた内容に見えても、
根本的なメッセージが、自我、主観の夢に閉じこもることの伝達でしかありません。
732 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 01:37:20.76 ID:1GeBJULA
「カミサマ・神様はいますか?」→俺「宗教団体により、神様の定義がめちゃくちゃだからね。一概に”いない”とういうのは知能が低い人のすること。敗北者で負け犬で、バカ。パー。
神様の最初の定義からすると、神様は確実に存在する。神様の最初の定義は、漢字で ネ+申 で根(原理原則)を申す者。すなわち、開拓者、発見者、開発者の事。
これは漢字でハッキリ定義されている。よって、神様は居ない、妄想という人は知能が低い。」
(これは同じ内容を2年前から来り返し明記している)
「PL教団で、本物皇帝である林田様よりも主従関係のランクが上の人は居ますか?」→俺「いないよ。スーツの男たちも、俺が見ようとすれば見れるし、撮影しようとすればいくらでも撮影できる。
彼らはビビッて、嘘ついて”あーやって、たまに出さないとバレるからね”とかいうんだけどね。彼らもかなり元々の人は呪いwで、殺されちゃってるよねw。目がグルンしてるw。」
733 :
473:2012/07/28(土) 01:38:25.59 ID:l2mFuW00
>>729 それをかわしても、やはり名前をつけるということは危険なのです。
473が直面したことにおける、恐怖と執着、欲望の無限の更新と行進。
この言葉で別のものを連想させ、そして、この言葉によって持つべきでない目的意識
を与えてしまい、他者を混乱させる危険が無いわけではありません。
結局、今の、ありのままの自分の心に直面して、それに覚めていればその直面した層は去り、
新たな層が現れます。
その層の構造や順番は個人差があるので、ある人にとって表層のことがある人にとっては深層のこともあるでしょう。
また、この問題を解決したい、という発想は、まだ直面すらできていない深層の心を、表層の心が想像してしかもそれと闘うという自作自演の
茶番を意味します。
問題や、真相意識を知識としてもって、それを解決しようとすることはそういう全くの無駄足を踏ませてしまいます。
それゆえに、名前をつけず、多重構造の精神に、ありのままの、いまのそれに直面して、次々と新たな層に、
想像上ではない本当の自分の心の動きに直面し、それが静まってゆきます。
そして、体験や結果が現れるのではなく、より不確実でより執着の無い、より未知なる人生が今正に開き続けてゆくことでしょう。
来世の功徳を積め。功徳は実にあの世における人々のよりどころであるからである。
神々は功徳をほめたたえる。正しい行いをなす人は、
この世で非難されることがなく、また死後には天にあって楽しむ。
なすべきことに努めはげむことを賢者はつねにほめたたえる。
つとめはげむ賢い人は、つぎに挙げる二つのことがらを極めてよく把捉している。
一つは現世に関することがらであり、他の一つは来世に関することがらである。
思慮ある人は、事柄を見きわめてさとるから、賢明な人と呼ばれるのである。
737 :
ベゲザンピーク:2012/07/28(土) 04:45:53.06 ID:L7U/OPn4
世の中は調整作用で動いている
思考に際限はない その通り
暴走すれば外界からの調整作用が働く
身体に関しても同じである
暴走すれば外界からの調整作用が働く
この調整作用が苦悩の元になる
調整作用は自我の塊でもある
このことを良く理解し己の調整に努めよ
早過ぎても遅すぎても苦悩は働く
仮想敵などはいない
こうすれば良かったという指標のみそこにある
そこに留まり続ける限り苦悩は続く
指標に向かい進むことが苦悩を解消する道である
ここに書き込むことは自我の働きであり
調整作用であり、指標である
また、意図せぬ外界への働きかけでもある
外界のことなど知らぬ存ぜぬ
だが、外界からの働きかけに感じるものがあるならば
それは、やはり自己への指標である
そのことを否定しても何も始まらないのである
受け入れ、それが何なのか考えることから始めるのである
740 :
ろん:2012/07/28(土) 07:27:07.57 ID:JI5BbhDC
>>738 単に世間慣れしてまっとうになればいいってか、アホめ。。
>>739 そんな神経質になってどうするんだよ。。
741 :
ろん:2012/07/28(土) 07:29:58.37 ID:JI5BbhDC
自己を明らめるとは、私なんてもんがどこにもないと知ることである。。
行為があり、言語活動があり、思考があり、妄想があり、喜怒哀楽がある。。
どこにも私はない。。
これが私だと思う思いが、間違いなのである。。
私とは何か?
わかるはずはない。。
もともとどこにもないものだから。。
742 :
ろん:2012/07/28(土) 07:33:13.14 ID:JI5BbhDC
じゃあ何があるかと言ったら、縁起がある、因果ある。。
その因果によって生じる現象がある。。
人間が捉えることのできるのはその現象だけだ。。
どのような因果によってそのような現象が生じたかなんてことは、いくらかはわかっても、
全部わかるということはない。。
今日なんで晴れなのか、わからないのと同じ。。
だから、どうあってもほっとけ、気にするな、その状態に落ち着けばいい、落ち着かなくてもよい、どうでもよい。。ww
>>740 クソガキャ張り倒すぞw
おぬしの自我のことなど知らぬ存ぜぬ
神経質に感じるのは、おぬしであって俺ではない
744 :
ろん:2012/07/28(土) 07:37:17.48 ID:JI5BbhDC
自分が自分を所有している、コントロールしている、そんなことはあり得ない。。
思考も想念も勝手に生じる、任せておけばいい。
呼吸も心拍も、眠気も、朝の目覚めも、尿意も便意を自分ではコントロールできない。。
コントロールできんのだから、それに任せることが安心であり、自由であるのだ。。
745 :
ろん:2012/07/28(土) 07:37:57.78 ID:JI5BbhDC
746 :
ろん:2012/07/28(土) 07:41:24.88 ID:JI5BbhDC
自己を運びて万法を修するを迷いとす。
万法進みて自己を修するは悟りなり。
能動的にに自己をいじくって、もて運んで、どうにかなる、悟りに近づく、なんてことはあり得ない。。
禅とはそうした他の修法とは全く別のものである。。
能動性ではなく受動性、有為ではなく無為、全くの無心になった時に、自然に脱落し、自然に感得されるものなのである。。
自己とは何か、正法とは何か。。。
>>745 まぁ、あなたが良く調整されてるなら、それで良かろ
あなたは調整されていて、俺は調整されていない
それでいいではないか
何か文句があるか?w
748 :
ろん:2012/07/28(土) 07:47:26.74 ID:JI5BbhDC
迷を大悟するは諸仏なり
悟に大迷するは、衆生なり
迷いの他に悟りがあるのではない。
迷いでも悟りでもない、今の自己を勝手に迷ってるとか問題であるとして、迷いをつくることが迷いであるのだ。。
迷いは自分は思ってるだけ、今の他にある悟りも自分が妄想してるだけ。。
どうして今に落ち着けないのか、そこに問題がある。。
749 :
ろん:2012/07/28(土) 07:50:42.60 ID:JI5BbhDC
>>747 それは世間的な問題、カルマの問題であって、悟りから見れば何の問題もない。。
まるで無作法デタラメ野郎であっても、迷悟とは関係ないんだよ。。
悟りとは、カルマの次元とは別の次元にある。。
カルマの次元にある自己がどんなによくなっても、悟りとは関係ないんだよ。。
むしろ、カルマの次元を捨てる、放棄するのが悟り。。
750 :
ろん:2012/07/28(土) 07:52:26.81 ID:JI5BbhDC
不昧因果であって、不落因果ではない。。
因果の次元を気にしないということだ。。
>>748 悟りを意識している、おぬしがそこにいる
所詮は志向作用であり、思考作用である
指標がそこにあるだけである
無などはどこにもない
おぬしは動いている、呼吸している、カキコしている
752 :
ろん:2012/07/28(土) 07:55:49.11 ID:JI5BbhDC
迷いとは自己を捉えて、自分があると思ってしまうこと。。
自己の行為や形や状態が問題ではない、そうした自己が在る、自分がいると思ってしまうことが迷因であって、自己の形がどうあるかではないのだ、根本は。。
753 :
ろん:2012/07/28(土) 07:57:49.27 ID:JI5BbhDC
>>751 悟りを意識している僕がいるなんてのは、あなたがそう思ってるだけだろう。。w
この言葉を打ち込んでいるものがなんなのか、わかるわけがない。。ww
他人を相容れぬということは
自己があるということである
そこから逃避して、どうするのだ?
結果は、どうどう巡りを繰り返すのみである
>>753 それは悟りの文字からの推測でしかない
あなたのことなど知らぬ存ぜぬ
756 :
ろん:2012/07/28(土) 08:07:49.18 ID:JI5BbhDC
>>754 自己と認識できるものがあってとしても、実体がないんだから、その認識に意味はないし、その認識から出発した思考はすべて間違いだということ。。
757 :
ろん:2012/07/28(土) 08:08:52.39 ID:JI5BbhDC
>>755 自分のことも知らぬ、存ぜぬになってくれ。。w
>>756 自己と認識できるものに実体がないとな?
実体なくして認識できるものと思うのか?
思考はすべて間違いとな?
ならば、何故わざわざ過ちを犯そうとする?
759 :
ろん:2012/07/28(土) 08:15:28.61 ID:JI5BbhDC
>>758 人の認識作用によって、実体があるように錯覚してしまっているということ。。
思考がすべて間違いではなく、実体視から出発した認識は、真実を捉え得ないということ。。
自己のことは知らぬ存ぜぬ
精進しようとせぬ姿勢は
比較を生み、結果苦悩となる
とは思わんか?
直近の、いじめの問題がある
761 :
ろん:2012/07/28(土) 08:25:12.93 ID:JI5BbhDC
まあとにかく自分が精進して悟ってくれ。。w
人のことはそのあとだ。。
今のあなたはなんもわかっとらんのだから。。w
なんだ、面倒になったかw
自己を無いものとして周囲に流されるがいいw
>>761 あなたは何かをわかっている
しかし、何ひとつそれを証明することはできなかったw
それが悟りというものかw
764 :
ろん:2012/07/28(土) 08:38:37.73 ID:JI5BbhDC
なんもわかっとらんよ。。ww
わかったはウソ、わからんのがホントってことはわかったかな〜。。w
あなたはなんもわかっとらんで了承した
なるほど、わからんことを
わかろうとすることが無意味といいたいのだなw
さて、俺は意味あることと捉える
もちろん指標があるものに関してのみである
なんだか妙に頭痛がする
そういえば昨日遅くまで酒飲んだ
志向作用が続く限り迷いは存在し
それに対する指標(対策)というものが生まれる
768 :
ろん:2012/07/28(土) 08:57:55.42 ID:JI5BbhDC
迷いなんてはじめからないんだが、これが実際は、無心に至らんとわからんのかもだな。。
まあがんばってくれ。。
了承した
趙州和尚は、僧が
「犬にも仏性がありますか」
と問うたので、
「無」
と、答えた。
これは有名な無門関第一則の公案です。
この公案をとおったものは見性(悟り)するそうです。
当然、悟っているものも、とおるでしょう。
この「無」は有る無いの相対的な無でもないしニヒリズムで言うような、
虚無の無でもないそうです。
ところでamaさんはこの公案をどのように見ていますか?
>>525の質問形式を流用しています↑
また、ろんさんはこの無門関をとおられましたか?
無というのは、わからんということだw
772 :
ろん:2012/07/28(土) 09:08:39.01 ID:JI5BbhDC
門がないんだから、みんなはじめから入っている。。
おいらが透ってるかどうかは、今までの書き込みから勝手に判断してくれ。。w
空とか無って、ちゃんとわかるのは難しいよ。。
概念としてわかっても、その認識を浸透させて、使いこなせるかどうか。。
773 :
ろん:2012/07/28(土) 09:12:31.02 ID:JI5BbhDC
要は因果、縁起だから空だ、無だと言うこと。。
因果がないとか、無視していいということではない。。
ものがないとか現象がないとは言ってない。。
ただ実体がないと言うだけだが、この実体がないがわからない人が多い。。
ガラスのコップが目の前に会ったとして、コップと言う認識は人の中にしかない。。
ガラスと言う物質、その物質を構成する素粒子等が、実在であり、空性と言えるかもしれない。。
個物、現象が空で、それらの素材、物質が実在、なんて説明したらダメなのかもだが。。ww
物質と物質でないものに分けりゃいいじゃんw
俺は物質という外壁を切り崩す法をとる
物質を無いものを捉えるのは勝手である
心が休まる方を選択すりゃ良かろw
775 :
ろん:2012/07/28(土) 09:30:41.97 ID:JI5BbhDC
心を休めるには、2ちゃんを休むことだな。。w
俺の見解じゃこの世は全て物質で覆われてるね
想念、名称、現象は空である
では、空であることに対してどうする?てのが
命題だわなw
777 :
ろん:2012/07/28(土) 09:32:10.77 ID:JI5BbhDC
休みの日は、仕事や人間関係や自分のことも考えるのを止める、関係ない、アホらし、さいならまたな。。
諸縁を放捨し 万事を休息せよ
778 :
ろん:2012/07/28(土) 09:33:03.94 ID:JI5BbhDC
>>776 おれの見解なんぞあったら余計だって、まだわからんのかい。。
それかまともに法を学ぶことだ。。
>>778 まともな法とは欺瞞に満ちた法のことかw
780 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 09:37:17.23 ID:39+oFAJ/
しかし神仏って脳にインスピレーションを送るんだろ?それにより人間が煩悩
から解放されたくてうじうじしているんだよ。人間の悲しみや喜びや楽しみや
うれしさ、それらの感情をもてあそぶのが神仏でしょう?神仏は神仏になって
欲しい一心でそうするのでしょうけども・・・。人間の悲しみ、喜び、うれしさ
楽しさは本当に手放していい感情でしょうか?むしろその無邪気さが僕にとって
は手放してはだめな感情のような気がするのです。だから僕はそういう感情を
率直に神仏に分け与えることは出来ない。無条件に神仏は僕たちに脳に直観を
分け与えてくるのですが・・・。余談ですが僕の脳は調合されているみたいですwww
>>780 いや、わかってるね、その通りだよ
あと神仏でもいいけど真実性を与えるために
生命とか自我がいいかもね
782 :
ろん:2012/07/28(土) 09:45:29.14 ID:JI5BbhDC
>>779 法とはこの世の存在総て、それらが生滅する法則、生滅を超えた実在。。
あなた自身、あなたがないと言う真実のことだ。。
認識せずとも働いている大法・・ものみなすべてこの大法の中に住まう・・宇宙全体が仏様の掌の上。。
783 :
ろん:2012/07/28(土) 09:46:57.13 ID:JI5BbhDC
784 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 09:51:56.34 ID:39+oFAJ/
僕は夢を見てたんだよ。それにより自分の他者に気付いてしまったんです。
「自分の・・・」だからやはり、自身は仏以外、僕は知らないな〜
夢で確信を得るのが癖なんです。
>>780 有るものは必要だから有るわけで。
いつものノスさんなら、悲しさ+嬉しさ=優しさ、の様な公式?で証明してくれそうなんだけと。
なんかノリが違う。さみしいw
指向性を持たせてぶっぱなすか、屁のように漂わすかは、どうなんだろうね?どう決めるんだか。
>>780 >だから僕はそういう感情を 率直に神仏に分け与えることは出来ない
それが現状の志向作用だよ
できないことに対し無理する必要はない
だが、将来において、そのことを潔しとしない志向作用(指標)がある
どこで折り合いをつけるかは自分のカルマとの相談であり
折り合いがついた時に、迷いは消える
787 :
ろん:2012/07/28(土) 10:00:23.46 ID:JI5BbhDC
個々人の問題とは、抽象ではなく、具体的なものだ、しかもたいていはつまらんものだ。。w
自分の問題を整理して片づけておく、どうしたらいいかわかっている、これが大事なこと、基本だな。。
788 :
ろん:2012/07/28(土) 10:03:55.78 ID:JI5BbhDC
>>784 僕は昔夢日記つけてたことあるよ。。w
けど、今は目覚めたら忘れる、覚えてても、2秒と持たないな。。
今日の仕事はなんでとか考えた瞬間に忘れる。。w
そもそも覚えてる必要などないものだ、たいていは。。
心の残りかす、破棄されたデータの残りみたいなもんだろう、夢なんぞ。。
789 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 10:09:54.06 ID:39+oFAJ/
木を見て枝を見ず
枝を見て木を見ず
抽象とは具体の集合体である
具体の中にも抽象がある
見えぬものはさておいて
見えるものに対峙する
それを、つまらんものと放棄するのは勝手である
見えぬものに溺れるのも勝手である
>>782 >法とはこの世の存在総て、それらが生滅する法則、生滅を超えた実在。。
この法っていうのは実在だから実体があるの?
それとも、物質じゃないから実体はないの?
法則って言うくらいだから、何か物理法則みたいな感じ?
792 :
ろん:2012/07/28(土) 10:26:12.79 ID:JI5BbhDC
>>790 お前はつまらん、会わなくてもわかるわ。。w
>>791 現象には実体がない、実在と言うのは、それとは別の話。。
物理法則、因果もすべてひっくるめた法則を法と言うの。。
>>770にもう少し説明を加えると釈尊は「一切衆生、悉有仏性
(すべての生きとし生けるもの、またはすべての事象には仏としての本質がある)と宣言されました。
それなのに趙州和尚は「無し」と答えたのです。
これは教主 釈尊の言うことを否定したことになります。
もし必要でしたら「無字の公案」で検索してみてください。より詳しい説明が各所でされてると思いますので。
無門関 作者の無門和尚は、これは禅の第一関門にして禅宗の門と呼べる公案だ。
禅に参ずるものは何があってもとおらねばならぬ門だ、というようなことを言いました。
要するにこの公案を解いたものは合格ってことです。
amaさんがもし答えられないなら無門和尚に不合格を言い渡されるでしょう。
794 :
ろん:2012/07/28(土) 10:27:24.13 ID:JI5BbhDC
まあ唯識なんかだと、見えるもののが実在かどうかわからんから、夢の如し、夢と変わりがないなんて言うんだけどね。。
795 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 10:28:09.13 ID:39+oFAJ/
>>788 まあどちらにしても僕には信心があると思うからな〜
人差し指は阿弥陀だと思ってて、人差し指で指せるものすべては無だと思ってて、
「あれ」とか「それ」とか「これ」とかの指示対象だな。全体的でも部分的でも指示対象に
あてはまる。具体的でも抽象的でも当てはまる。ろんさんは皆を無心、無に引きずり
こもうとしているように見える。だが個体としての仏、つまり皆の仏性がある。それは有
である。阿弥陀は有無を問わない。南無阿弥陀仏を称なえれば無の世界である
極楽に往生することは出来る。つまり無に引きずり込むのが南無阿弥陀仏の教えだと
錯覚する。しかし僕は南無阿弥陀仏自体が重要でその結果を見たら見えるものも
見えなくなると思う。
796 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 10:30:04.81 ID:39+oFAJ/
>>795 なぜなら人差し指で人差し指を指すことは出来ないから。物理的に不可能だから。
だから阿弥陀は無ではない。阿弥陀は有無を問わない。
797 :
ろん:2012/07/28(土) 10:31:06.79 ID:JI5BbhDC
南無阿弥陀仏だけになるのが成仏なんでしょ。。
だから、難しいことわからん下駄職人とかでも成仏して、そういう人たちが妙好人と呼ばれる。。
798 :
ろん:2012/07/28(土) 10:32:18.50 ID:JI5BbhDC
南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ、ナムアミダブツ、namuamidabhutu・・・
799 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 10:32:40.54 ID:lXjjMv++
久々にほんものがいる
ろんって人、しかも相当レベル高いわ
一言一言が輝いてる、というか、濁りがない、澄みきってる
>>792 なにも自分がつまらないと卑下せんでもええでwww
>>796 右手の人差し指で左手の人差し指を指したらええやん?
802 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 10:37:41.65 ID:39+oFAJ/
>>801 (笑)いやいや僕の理論であり、あまり深追いは禁物だな。しかしサウスポーなら
サウスポーのそれが、右利きなら右利きのそれがが阿弥陀であるというところまでは僕も分かっている。
804 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 10:56:33.87 ID:39+oFAJ/
>>797 南無阿弥陀仏はあくまでも名号ですよ。だから報身だって先生いってました。
阿弥陀は法性法身ですよ。心に仏を具体化することは出来ないって真宗の坊主養成学校で
先生がいってました。だから心にいる阿弥陀も具体化出来ない。心の内側に阿弥陀は
いるんですよね。だが阿弥陀は何なのか本来のところは分からない。阿弥陀の前身である
法蔵菩薩も報身らしい。そういうものを通してしか分からない。って先生が言ってました。
805 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 10:58:43.17 ID:39+oFAJ/
>>803 いやどう考えても僕は劣っているでしょう。
>>805 まぁ周りが判断することだ
周りのことなど知らぬ存ぜぬでええよw
807 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 11:03:01.33 ID:lXjjMv++
>>803 その正しいとか格の違いとか
そういうものの捉え方をしなさんなって事と思いますよ
>>807 それを潔しとするなら、それがあなたのカルマだ
文句は言わんよ
809 :
ろん:2012/07/28(土) 11:08:42.73 ID:JI5BbhDC
>>807 そうだよ、ひとそれぞれ・・でOKなんだけどね、そのままで。。
それがわからん奴だけが、云々する。。
810 :
ろん:2012/07/28(土) 11:10:58.79 ID:JI5BbhDC
>>804 南無阿弥陀仏だけになって、自己を忘じれば仏でしょう。。
法身と言ったって、全体が法身なのだから、あなたも含めての話です。。
ただそれに気づくかどうかというだけでしょう。。
先生の言うことじゃなくて、親鸞自身のテクストを読んで身分なりに理解すべきだと思いますが。。
さて、話がややこしくなって、おもろいぞw
では何故対立意見に対して
受け入れの姿勢を見せぬ?
ろんさんときどきスイッチ入って徒労に乗り出すよねw
813 :
ろん:2012/07/28(土) 11:12:47.31 ID:JI5BbhDC
身分なりじゃなくて、自分なり。。
朝っぱらからピール飲んでる、おいら。。w
>>814 違うよ。ろんさんはわかってるよ。
君のほうがデタラメ言ってるよw
816 :
ろん:2012/07/28(土) 11:16:47.59 ID:JI5BbhDC
要は、華厳経の法界と言う教えは、全体を信頼する、仏とみなすという直観から来ていると妄。。
因果応報もそうだけど、全体がそれなりに秩序と言うか法理によって包摂されている、仏の掌にある、と言う信頼・・遍在する、愛、知性、仏の慈悲。。
それを信じなさいと言うことだと思うけどなー、浄土真宗。。
818 :
ろん:2012/07/28(土) 11:18:37.92 ID:JI5BbhDC
「と妄」って、すごい変換ミスだ。。
やっぱニコチンとアルコールがけっこう入ってるからな〜。。
820 :
ろん:2012/07/28(土) 11:20:11.82 ID:JI5BbhDC
みんなそのままで救われているのに、さらに教えようとする、徒労かもだな。。
そのままじゃないから救おうとするんだろ?
自分自身をなw
自分があると思っているうちは法の中でくつろぐのは難しいのかもね
823 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 11:22:20.55 ID:GZO2lIz5
くさかりたみよさんにそっくりだと言われている空手初段の婦警でしたが、やくざに抱かれちゃいました・・・・・
いけないことですか?
>>822 気楽なもんだw
俺がくつろぎまくってるのが、わかるかい?
825 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 11:26:54.70 ID:39+oFAJ/
>>816 しかし我々真宗門徒はレベルが低いし・・・そんなこと大日如来でさえ全然知りませんよ〜。
我々真宗門徒らは行をもう出来ないのだ。真宗のその他のことに対して空論しか言えないのだ〜www
僕の発想の源は夢だからね〜。帰命尽十方無碍光如来。
826 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 11:30:22.08 ID:lXjjMv++
>>817 あなたもあなたで面白いですよ
ちょっと昼寝します
827 :
ろん:2012/07/28(土) 11:33:34.00 ID:JI5BbhDC
>>823 いいじゃないか、おいらも抱きたいよ。。ww
828 :
823:2012/07/28(土) 11:35:24.39 ID:GZO2lIz5
正確には昏睡レイプでした・・・・・
829 :
ろん:2012/07/28(土) 11:35:39.88 ID:JI5BbhDC
>>825 まあ行なんてしなくとも、ホントに帰命すれば、安心が得られると思うけどな〜。。
浄土真宗いいじゃないか。。
830 :
ろん:2012/07/28(土) 11:36:40.32 ID:JI5BbhDC
>>828 知らねーよ。。w
けどやられちゃったものはしょうがないな。。w
831 :
823:2012/07/28(土) 11:39:05.31 ID:GZO2lIz5
ガンガンされて何だか気持ち良くなりましたよ
ろんは妄想プレイしだしたしw
行に移るかw
833 :
ろん:2012/07/28(土) 11:42:44.49 ID:JI5BbhDC
>>831 そーか、じゃーおいらもガンガンしてやるから来いよ。。ww
834 :
823:2012/07/28(土) 11:43:46.97 ID:GZO2lIz5
妊娠しちゃいました
835 :
ろん:2012/07/28(土) 11:44:44.59 ID:JI5BbhDC
ほほう、いい子が生まれるといいね。。w
836 :
823:2012/07/28(土) 11:46:53.79 ID:GZO2lIz5
あいつの子供ですよ。
174cm
96cm
62cm
88cm
837 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 11:47:46.04 ID:39+oFAJ/
自己を忘れるじゃなくて、思い出すってことの方が強いな〜
忘れているのはあたりまえじゃないの?思い出すのが自分に起こることでしょう。
南無阿弥陀仏という自己を思い出すんじゃないかな〜
838 :
ろん:2012/07/28(土) 11:51:28.09 ID:JI5BbhDC
>>836 しらんわ。。
子供は子供、親は親だろう。。
839 :
823:2012/07/28(土) 11:53:10.99 ID:GZO2lIz5
最初はゴムを付けていました
840 :
ろん:2012/07/28(土) 11:56:29.14 ID:JI5BbhDC
ゴムつかるレイプってあるんかな〜?
ノスさんは何でもお見通しだなw
842 :
823:2012/07/28(土) 12:35:03.91 ID:GZO2lIz5
それがあいつの配慮でした。
オリンピックがはじまたよ。、
と、何かここお酒臭い・・・・・
>>842 ええ話や
昏睡させといてゴムはめてレイプかいな
でも、しまいには生で出しはったんやなあ
あんた、その子、大事にしいや
845 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 13:24:08.58 ID:39+oFAJ/
846 :
ろん:2012/07/28(土) 13:44:24.59 ID:JI5BbhDC
ええ話かどうか。。w
とにかく自分が思ったようにすればいいだけだと思うけどな。。
そのヤクザだけが悪いとも思えんし。。
848 :
ろん:2012/07/28(土) 14:21:53.73 ID:JI5BbhDC
大物が釣れた〜って話だな。。w
>>848 ひょっとしたらホンマの話かも知れんなあ
ネットは怖いとこやw
850 :
ろん:2012/07/28(土) 14:31:53.07 ID:JI5BbhDC
いやハマりすぎるとまずいというだけだろ。。
自爆じゃないよ〜。。ww
852 :
823:2012/07/28(土) 14:50:25.89 ID:GZO2lIz5
最初やしばらくの間は、ゴム付きでしたよ
だいたい1時間でしたね。
854 :
823:2012/07/28(土) 15:08:24.73 ID:GZO2lIz5
あいつが教えてくれました
855 :
ろん:2012/07/28(土) 15:16:52.64 ID:JI5BbhDC
そもそもなんで昏睡してたわけ?
856 :
823:2012/07/28(土) 15:20:37.00 ID:GZO2lIz5
あいつの家で手料理を食べましたが、酒のなかに薬が入っていました・・・・・
857 :
ろん:2012/07/28(土) 15:27:20.70 ID:JI5BbhDC
自分で家行ったんじゃないかよ。。w
858 :
ろん:2012/07/28(土) 15:28:29.99 ID:JI5BbhDC
どこでその薬買えるか教えてほしいな〜、なんちて。。w
859 :
ろん:2012/07/28(土) 15:30:57.33 ID:JI5BbhDC
しかし、やっぱ反応ない女とやっても面白くないような気も。。。
ただやったという、事実、目的、それだけなんだろ〜な〜。。
セックスそれ自体を楽しむんじゃなくて、やったことが大事みたいな。。
860 :
ろん:2012/07/28(土) 15:32:58.81 ID:JI5BbhDC
ヤクザと言うのは美女が好きなんだよ。。
それは権力や金が好きなのと一緒。。
自己を示すステータスみたいなもんなんだわさ。。
ブスっ娘と一緒に歩いてるヤクザなんて見たことないのと同じ。。
861 :
823:2012/07/28(土) 15:34:33.95 ID:GZO2lIz5
ろんさん、こんにちわ
ということは私は美人ですか?
862 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 15:45:01.53 ID:39+oFAJ/
特定したものから逃避逸脱が起こり、また違う特定を探す私たちの理由根拠は
何か?私は宝寺というものを特定したい。ようは二次元的に見たら、地図にある
何ら普通と変わらないスーパーマーケットの位置に属している、卍(宝寺)である。
それは私がいつもいる住んでいる寺から、ちょうど五分くらいで行ける範囲に
ある、自称属性としての寺である。そこには僕の求めているものがすべてある。
平和や静寂や本や科学所まである。つまり科学所というのは寺ではないから寺の
外にあるということだ。つまり住居が変わると宝寺を選択すると緑の宇宙街の
一角にある宝寺になるのだ。自分の信念、自分の単一の世界観(?)を持たない
限り、この世からの解脱は不可能だろう。
863 :
ろん:2012/07/28(土) 15:45:10.72 ID:JI5BbhDC
>>861 しりません。。
高身長でもおいらは守備範囲だから、おいらのところへおいで〜。。ww
逆に男の夢かもだな〜、高身長でスタイルのいい女。。
864 :
ノスタルジア:2012/07/28(土) 15:48:35.15 ID:39+oFAJ/
あらゆる習慣という洗脳が解放された時、もぬけの殻になった私に一つの意思
があるとします。南無阿弥陀仏という信念です。そこに宝寺という概念を含み、
インプットしたとします。そうすると私は信じていたその場所へ、目的地へ
這いずってでも行くべきなのです。俺は習慣にとらわれる人間じゃない。一目散
に目的地に行くんだ!!三乗すべて方便だ!!仏乗だけが私を目的地にまで
運んでくれる。「単一!」の世界観でいいんです。愚者にとってはね。それで十分
なんです。荷物は少ない方がいい。しかし無いのはだめだ。無明、無心、無にとらわれ
るのはだめだ。南無阿弥陀仏だけではとうてい無理だ。荷物は軽い方がいい。愚者で
いい。
865 :
823:2012/07/28(土) 15:49:08.33 ID:GZO2lIz5
ありがとうございます
866 :
473:2012/07/28(土) 15:51:48.65 ID:l2mFuW00
恐怖や欲を変えようとしなければ、それは全面的なものとして強烈なその姿を現す。
といっても誇張しているのではなくただ抑圧していないというだけ。
そしてその、もはや抑圧されていないありのままの欲望や恐怖は、逆にただ過ぎ去り行くしかない。
もやは葛藤は無く、消え去るほか無い。
恐怖や欲望の反対を養うのではない。
中間点で振り子は止まる。
-osho
867 :
473:2012/07/28(土) 16:35:06.55 ID:l2mFuW00
既知への想定があるか。
全くの未知に身を投げるのか。
なんだかんだ言って、既知のイメージの落としどころを想定しがちである。
それはどのようなものであっても、未知のイメージであっても、自我の影響の下にある
既知の繰り返しに過ぎない。
これから解放されれば、捨てれば、消えれば、という言葉の裏に、自我によるイメージがあり、
そのイメージを通じて自我は生き延びる。
既知という質、未知という質。
868 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/28(土) 16:42:16.25 ID:wzR0PQkM
>>741 ろ ろんろ、ろん、道端にポン! イラン (/--)/ ⌒≫○ ポイポイッ さん
>自己を明らめるとは、私なんてもんがどこにもないと知ることである。。
ないのか。。在る よな、おまい 透明人間になって、やりたい事をみっつまで、家。いな、言え。
永嘉の玄覚禅師は、温州の戴氏の子で、少年の時に経と多くの学問を修め、維摩経を読んで天台宗の止観に精通し、
心地について良く知っていた。たまたま大師の弟子である玄策が玄覚の師を訪ねて来て長時間会話をしたとき、
言うことが代々の宗祖の教えと同じであることを観察し、「あなたは何と言う先生に学ばれたのですか」と質問した。
玄覚は「方等経論を聞いた時には、いろんな先生がいました。その後維摩経を読むためにここへ来て、仏心の要点を悟りました。
まだ私の知識を証明し確認してくれる師は、誰もいません」。
玄策は「威音王以前は得られました。威音王以後は、先生なしに自分で悟るのは、天然外道です」と言った。
玄覚は「もしそうなら、私が法に到達したことを、あなたに証明していただくことはできないでしょうか」と言った。
玄策は「私の言葉には重さがありません。曹渓村に大師がいらっしゃるので、同じ目的、つまり法を授かるために各地から大勢の人が訪ねてきます。
あなたが行きたいなら、喜んで案内します」と答えた。
玄覚は玄策と一緒に曹渓へ来て大師を訪ねた。玄覚は拝礼もせずに大師の周りを三回廻ると、杖を持って黙って立った。
それを見た大師は、「僧は当然二千項目の戒と、八千の細かい作法を学ばなければならなりません。
何があなた(大徳)をそれほど尊大傲慢にさせるのですか」と言った。
玄覚は「生死は大きな問題であり、無常は迅速です(いつ死が訪れるか知れません)」と答えた。
大師は再び、「なぜ急いで、体が生じないようにしないのですか」と尋ねた。
玄覚が「体が生まれなければ苛立ちはありません」と言うと、大師は「その通り。その通りだ」と頷いた。
すると玄覚は礼儀に適った礼拝をし、間もなく、大師に別れの言葉を告げた。
大師は「あなたは帰ろうとしているが、早すぎませんか」と言うと、
玄覚は、「動きが無いのに『速さ』などあるでしょうか」と返した。
大師は「動きもないと知っているのは誰ですか」と訊き返した。
「賢い人は自然に分別が生じます」と言った。
大師は玄覚を褒めて「あなたは『生まれないこと』を明らかに理解することができた」と言うと、
玄覚は、「『生まれないこと』に『理解』があるでしょうか」と言った。
大師は「意味が無いと誰が分別するのでしょう」と問い返すと、玄覚は、「分別もまた『意味』ではありません」と答えた。
大師は「素晴らしい」と叫んで、一晩泊まって行くよう懇願した。
玄覚は、「一宿覚」と呼ばれることもある。後に有名な『證道歌』を著し、それは非常に広まった。
死後は「無相大師」と呼ばれ、「覚焉」と呼ばれることもある。
871 :
ろん:2012/07/28(土) 17:07:17.44 ID:JI5BbhDC
>>870 大師とは六祖慧能か。。
不生に理解など要らぬというのがいいね。。
もともと備わったまま。。
872 :
ろん:2012/07/28(土) 17:08:19.98 ID:JI5BbhDC
>>866 マヌケなこと言ってんね。。
どこに振り子なんてあるんだって話。。
おととい来やがれだよ、まったく。。
873 :
ろん:2012/07/28(土) 17:09:39.36 ID:JI5BbhDC
>>868 透明人間なんぞになりたくない。。w
こっちが存在するから面白いんだよ、なんでも。。
874 :
ろん:2012/07/28(土) 17:11:17.45 ID:JI5BbhDC
ちんちん脱落なぞしなくていいわ。。w
猛る大和魂だ。。ww
875 :
823:2012/07/28(土) 18:39:08.43 ID:GZO2lIz5
ろんさん、こんばんわ
876 :
ろん:2012/07/28(土) 18:45:25.34 ID:JI5BbhDC
>>875 こんばんわ〜。。
おいらに会いたくなった〜?
877 :
823:2012/07/28(土) 18:47:35.30 ID:GZO2lIz5
私を評価してくださっているのはありがたいですが、すみません
13スレ826
>私のほかに何もないなら現実とそうでないものの区別はつかないので現実とはいえないですし
☆はい、現実とそうでないものの区別は記憶と定義付けにより貴方が作りだしています
879 :
ろん:2012/07/28(土) 20:21:26.42 ID:JI5BbhDC
>>877 うっふっふ、一発やれてもヤクザにボコボコじゃーなー。。ww
880 :
◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 20:27:33.17 ID:GZO2lIz5
本当にすみませんね
96cm 62cm 88cm・・・・・
882 :
◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 20:41:27.17 ID:GZO2lIz5
あたいへの返事かしら?
883 :
ろん:2012/07/28(土) 20:43:04.90 ID:JI5BbhDC
ヤクザとどんなプレイをしたのか聞きたいな〜。。
ついでにどんなプレイが好きかも教えて〜。。ww
884 :
◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 20:45:43.38 ID:GZO2lIz5
騎上位ですよ。
885 :
ろん:2012/07/28(土) 21:20:37.67 ID:JI5BbhDC
886 :
◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 21:26:48.14 ID:GZO2lIz5
ありませんよ。
ただ裸踊りを、させられましたよ
887 :
ろん:2012/07/28(土) 21:28:22.63 ID:JI5BbhDC
釣りかな?
890 :
◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 21:29:59.36 ID:GZO2lIz5
もちろん、させられましたよ。
891 :
ろん:2012/07/28(土) 21:30:46.99 ID:JI5BbhDC
>>888 下品な忘年会やの〜。。
自分からすすんでやってるんだろうか?
892 :
ろん:2012/07/28(土) 21:31:40.16 ID:JI5BbhDC
>>890 他にどんなポーズやったのか教えて〜。。
894 :
◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 21:35:52.69 ID:GZO2lIz5
あとは腕を上げるポーズでしたよ。
896 :
ろん:2012/07/28(土) 21:46:36.64 ID:JI5BbhDC
>>893 うん、バカになれと言う教えも大事だな。。
誰か引き継ぐものが出てくれりゃ―いいのだろうが。。
>>894 なんだそりゃ、よくわからん。。
M字開脚で御開帳とかやらないのかよ〜。。w
897 :
ろん:2012/07/28(土) 21:48:01.65 ID:JI5BbhDC
>>895 あれ?
裸踊りってもしかして、お盆かなんかでやるの?
だったら、もしかして大人数の前でやるのか。。
そりゃーけっこうな羞恥プレイだな〜。。
898 :
◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 21:49:03.70 ID:GZO2lIz5
ボディビルのポーズですね。
>>898 キレてるキレてるってかけ声がかかるアレかw
900 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 21:55:19.28 ID:GZO2lIz5
ろんさん、こんばんわ
901 :
ろん:2012/07/28(土) 21:56:42.40 ID:JI5BbhDC
>>900 おこんばんわ。。
結局その裸踊りは大勢の前でやらされたわけ?
902 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 21:59:36.43 ID:GZO2lIz5
そうですよ。
903 :
ろん:2012/07/28(土) 22:00:19.05 ID:JI5BbhDC
いつからここはセクハラスレになったのだろう(笑)
905 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:03:37.53 ID:GZO2lIz5
恥も何もかもわすれてしまいましたよ
906 :
ろん:2012/07/28(土) 22:07:17.30 ID:JI5BbhDC
>>904 セクハラじゃないだろ。。w
書きたくてここにカキコしたんだろうし。。
>>905 解放感とか悦びはないわけ?
あるいは屈辱感とかはないんだろうか?
907 :
473:2012/07/28(土) 22:07:27.83 ID:l2mFuW00
私が、
私があるという夢を見てもそれは主体とは別だし、私が無いという夢をみても主体とは別だ。
主体である見る人、知る人は変わらずある。
その2つの夢をいったりきたりするが、夢見る人そのものは変わらない。
見せ掛けの変化に翻弄される。
908 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:09:22.00 ID:GZO2lIz5
最初は嫌でしたが、楽しくなってきましたよ。
909 :
ろん:2012/07/28(土) 22:13:45.07 ID:JI5BbhDC
>>908 そうでしょう。。
基本肉体を見せるのは、悦びのはずなんだよ、女性の場合は。。
ただ世間体とかで洗脳されてるだけなんだと思う。。。
ただ恥じらいが全くなくなったら、それはそれで女じゃないから、問題かもだけど。。w
910 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:15:14.19 ID:GZO2lIz5
ありがとうございます。
911 :
ろん:2012/07/28(土) 22:16:31.14 ID:JI5BbhDC
>>910 複数プレイとかはやってないの?
と、またセクハラ発言をしてみる。。ww
912 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:18:03.71 ID:GZO2lIz5
複数プレイはありませんよ。
913 :
ろん:2012/07/28(土) 22:24:45.76 ID:JI5BbhDC
914 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:26:40.30 ID:GZO2lIz5
いっさいありませんよ。
915 :
473:2012/07/28(土) 22:28:41.20 ID:l2mFuW00
>>878 覚者A:私は存在しない、それゆえに全てが存在しない
(執着が存在しないというのは蛇足であり、あえてないということはあるという実情を露呈する)
覚者B:私の他には何も無い、全てが私であり、この世のあらゆる執着が私自身である。
(私ー現実の主客の要素があることに違和感があります。そして執着において私のという境界が消えていることを示す必要があるので
あらゆる執着を内包するさめを描きました。)
916 :
ろん:2012/07/28(土) 22:28:50.72 ID:JI5BbhDC
ほほう、ヤクザってけっこうマトモ、性的には健康的なのかもだな。。
917 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:31:07.07 ID:GZO2lIz5
そうですよ。
私は入れ墨はしていませんから。
918 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 22:31:11.05 ID:PLj6IemV
ロンも健康的になれwww
919 :
ろん:2012/07/28(土) 22:33:38.55 ID:JI5BbhDC
あっはっは、下半身はいたって健康、元気すぎて困っちまうくらいなのだ〜。。w
って、宗教かぶれを脱して、マトモになっただけかもだが。。
920 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:35:28.11 ID:GZO2lIz5
ろんさん、あたいへの返事かしら
921 :
ろん:2012/07/28(土) 22:35:29.13 ID:JI5BbhDC
結局変態プレイと言うのは、性的なものの中に、自我の欲望を持ち込むことだと思うのよ。。
しかし、人間は自我なしにはあんまり興奮しないというところもあって。。
まあ、女の肌や裸体を見て欲情する、と言うくらいが、健康の内で、変態チックなのは、やっぱちょっとおかしいのかもね。。
922 :
ろん:2012/07/28(土) 22:36:06.30 ID:JI5BbhDC
>>920 そうだよ〜。。
もっとエッチな話をして〜。。ww
923 :
473:2012/07/28(土) 22:36:13.49 ID:l2mFuW00
>>さくら ◆NJraxAH1mi8Eさん
>>ろんさん
スレ違いなので他所でやっていただけますか。
924 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:37:41.23 ID:GZO2lIz5
ろんさん、どこかに移転しませんか?
926 :
ろん:2012/07/28(土) 22:37:44.99 ID:JI5BbhDC
>>923 お前がどっかへ行け。。
「オショウとクリシュナムルティ」とかスレたてればいいじゃないか。。
まあその手のスレは、すぐ落ちてしまうんだが。。w
>>923 ギリギリスレチじゃないと思うよ
あなたのスレではないだろうに
928 :
ろん:2012/07/28(土) 22:38:59.60 ID:JI5BbhDC
>>924 いやいや、天国の道元さんも喜んでる。。
エロの供養になるから、言って言って〜。。
道元さんじゃなくて、一休さんか。。w
929 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:41:56.24 ID:GZO2lIz5
エロい話ですか。
930 :
ろん:2012/07/28(土) 22:47:03.88 ID:JI5BbhDC
>>929 そう、なんか印象に残ったエッチとかってないの〜?
シチュエーションとか場所とかいろいろ。。
931 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:50:08.61 ID:GZO2lIz5
処女喪失ですかね。
>>923 エロ話の間だとおまえのバカさ加減が際立つなw
933 :
ろん:2012/07/28(土) 22:57:19.63 ID:JI5BbhDC
>>931 えー、初めてが昏睡レイプか〜。。
でも、初体験て、半分くらいは、まあレイプみたいなもんらしいからな〜。。w
彼氏の家に行って、押し倒されてとかが半分くらいなんじゃなかろうか。。
934 :
ろん:2012/07/28(土) 22:58:28.85 ID:JI5BbhDC
ヤクザ、チンピラ相手なら、輪姦されなかっただけましかもだね。。
935 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 22:59:06.74 ID:GZO2lIz5
性に目覚めるきっかけでしたからね。
936 :
ろん:2012/07/28(土) 22:59:23.37 ID:JI5BbhDC
逆に言うと、マジメにいい子で育った女は、ヤクザみたいな悪に惹かれるところがあるんだろうな〜。。
世間知らずだからなおさらとか。。
937 :
ろん:2012/07/28(土) 23:01:10.35 ID:JI5BbhDC
>>935 オナニーとかしてなかったのか〜。。
そういうビデオとかも見なかったんだね。。
男からすると、そういうのは、ちょっとめんどくさいか、逆に落としやすいかどっちかだろう。。
僕は、基本不器用なんで、リアルではけっこうヘタレなんだけど。。ww
938 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 23:02:57.22 ID:GZO2lIz5
無表情で堅物や清楚が服を着ている人間と、言われていましたからね。
イケメンでしたから
939 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 23:04:24.09 ID:dO2vLIYe
940 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 23:06:59.10 ID:GZO2lIz5
オナニーなんてしたことは、一度もありませんよ
941 :
ろん:2012/07/28(土) 23:07:22.16 ID:JI5BbhDC
>>938 おいおい、イケメンって、男じゃないんでしょ?
今までダマされてたのかよ〜。。
942 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 23:09:15.34 ID:GZO2lIz5
彼がイケメンだという意味ですよ
943 :
ろん:2012/07/28(土) 23:09:38.43 ID:JI5BbhDC
>>940 フロイトはクリトリスオナニーの経験の有無、それを罪と感じるかどうかが、女性のセクシュアリティーを決定する、なんて言ってたな〜。。
えすみまきこは、女もオナニーみんなするんですよ、なんて言ってた。。
経験した後での話なのかね〜?
945 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 23:13:51.20 ID:GZO2lIz5
私は今でもしませんよ
946 :
ろん:2012/07/28(土) 23:14:05.70 ID:JI5BbhDC
しかし、大人になっても性を知らんなんてのは、あり得ん話だ。。
清楚と言っても、ホントは興味津々、やる気満々なんじゃなかろうか。。w
947 :
ろん:2012/07/28(土) 23:14:38.10 ID:JI5BbhDC
948 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 23:15:39.95 ID:GZO2lIz5
ありませんよ。
949 :
ろん:2012/07/28(土) 23:17:05.23 ID:JI5BbhDC
>>948 お腹に子供がいると、やる気も起こらないのかな〜。。
950 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 23:19:31.95 ID:GZO2lIz5
満足していますから、起きませんよ
951 :
ろん:2012/07/28(土) 23:23:25.55 ID:JI5BbhDC
952 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/28(土) 23:25:04.56 ID:GZO2lIz5
満足しています
953 :
ろん:2012/07/28(土) 23:31:10.80 ID:JI5BbhDC
>>952 ほほう、妊娠してても最初はやれるんだっけか?
954 :
ろん:2012/07/28(土) 23:31:54.91 ID:JI5BbhDC
いっぱい子供つくって、極道のママになるか。。w
955 :
473:2012/07/28(土) 23:33:52.91 ID:l2mFuW00
>>823 普通育ちの良い女の子には、
無表情で堅物や清楚が服を着ている人間の価値観があって
危ない男との火遊びを楽しむという価値観、秘めた欲望もある。
人間にはそういう矛盾した価値観が渦巻いてて、互いに批判しあって苦しい。
それに自覚していれば囚われないで自分の責任で楽しむことができる。
それをやりたいって欲望はあるし、そういうのは悪いことでこういうことが正しい生き方なんだよという道徳もある。
どちらもあなた自身ではなく、あなたに植え付けられた欲望であり、価値観。
その矛盾から脱却したいと思ってここにこられたのですか?
どちらもいやだ、自分の意思で、そして自分の責任で生きたいとそういうことでしょうか。
どちらかに落ち着きたいのでしたら悟りは関係の無いことかと思います。
956 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/28(土) 23:36:10.08 ID:cKPdVka2
>>873 プチパタ ろん、道端にポン! イラン (/--)/ ⌒≫○ ポイポイッ さん
>
>>868 >自己を明らめるとは、私なんてもんがどこにもないと知ることである。。 透明人間なんぞになりたくない。。w こっちが存在するから面白いんだよ、なんでも。。
>こっちが存在する
あっちかこっちか、それとも、どちらも、在るのか、無いのか?
958 :
ろん:2012/07/28(土) 23:39:30.89 ID:JI5BbhDC
>>956 あるかないかとか言ってたら、初関で落第なの、わからんのかね〜。。
959 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/28(土) 23:40:10.48 ID:cKPdVka2
960 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/28(土) 23:43:20.11 ID:cKPdVka2
>>958 る、ろんろ、ろん
>
>>956 > あるかないかとか言ってたら、初関で落第なの、わからんのかね〜。。
わからんねぇー
あるのか、ないのか、はっきりしろ!
961 :
473:2012/07/28(土) 23:44:35.16 ID:l2mFuW00
>>823 生まれ変わるごとに聖職者と売婦を交互にやるのだという話を聞いたことがあります。
つまり、どちらにも満足できないから次の生では逆側に希望をかけるのです。
今の流れに身を任せて経験してみるか、それともこれを契機にまったく別の方向の旅に身を投じるか。
寓話ですね。
どこか他に正解を求めずにいられない。
963 :
473:2012/07/28(土) 23:54:51.35 ID:l2mFuW00
>>878 私があるかないかというのもひとつの仕掛けでしょうけど、
私、ということばを軽々しく使いすぎていると473は自身の不注意を自覚しました。
主客というものは本当に在るのでしょうか。
主客すなわちわたしというものは本当にあるのでしょうか。
あると確認したわけでもないのに、自己の感覚をもち、私という言葉を使ってしまっています。
473は私があるかないかではなく、そもそも私と名づける前に事実関係を深く見入ったのでしょうか。
964 :
ろん:2012/07/28(土) 23:56:20.17 ID:JI5BbhDC
>>961 ほら、お前みたいな宗教バカ、妄想人間が話しかけるから、逃げちまったじゃないか。。
965 :
ろん:2012/07/28(土) 23:59:37.97 ID:JI5BbhDC
966 :
473:2012/07/29(日) 00:02:03.41 ID:l2mFuW00
>>823 >これを契機にまったく別の方向の旅に身を投じる。
この場合、場合によっては家族や職場にもきちんと話したほうが話はすっきりするかもしれません。
そうすると、家族にも職場にもお相手にも誰からも責められるでしょう。
そうしたほうがいいような気がします。
最低限(自分から)話したほうがいい相手はいるでしょう。
味方は一人もいません。
でも、それが人々を支配している価値観の正体です。
それは絶対的なものではありえず、またとかく人を縛りつけ批判します。
ですが、家族の人も、職場の人も、お相手も、その価値観とは別にあなたを愛してもいます。
価値観によって一時的に裁かれることを怖がらないで下さい。
そしてあなたは知るのです。
誰の中にも尊敬される人物でありたい欲と、恋愛ゲームの欲望の両方があって、苦しんでいるということに。
それがわかれば、あなたのしたことがばれて人が何を言ってももう気にならないでしょう。
あなたは、誰もが恋愛ゲームを本当はしたいということ、まただれもが紳士として見られたいということを理解しているのだから。
968 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/29(日) 00:04:08.50 ID:cKPdVka2
>>964 渓流かと思っていたら外洋まで出てたな
ろんは釣られていたのか釣っていたのかw
970 :
ろん:2012/07/29(日) 00:11:14.70 ID:HTh1kO/3
>>968 自分でわかること、確かめられることだ。。
人に訊くなんぞ愚の骨頂。。
訊いて答えが得られるとでも思っているのだろうか。。
971 :
ろん:2012/07/29(日) 00:12:18.87 ID:HTh1kO/3
>>969 なんかの縁だろう、とでも言えば納得かな。。w
972 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/29(日) 00:13:31.14 ID:H7x+4Jzb
>>970 戯論のケェーRon害 さん
何かひとつでも、まっとーなこと、いえや!
973 :
473:2012/07/29(日) 00:24:58.00 ID:7qd+Riou
やってしまったという後悔。
これさえしなければ。これをやってしまった現実は認められない。
マインドはそのように動く。
そう考えても事態は好転しない。なのにそうマインドはかたくなに考える。
マインドって大体がそういうものなんだよね。
賢明なマインドなんてありえないし、下手に言い聞かせても抑圧にしかならない気がする。
もう過ぎ去ったどうしようもないことを決して認めない。死ぬまで認めない。それがマインドであり、自我だと。
473は金曜日の2時に持ち株を手放したことを決して認めたくないそうです。
何もかも決して認めないのが、マインドの仕事なんだろうね。
974 :
ろん:2012/07/29(日) 00:30:13.61 ID:HTh1kO/3
976 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/29(日) 00:44:08.19 ID:lCseLMBY
>>974 ろ ろん、道端にポン! イラン (/--)/ ⌒≫○ ポイポイッ さん
>
>>972 >
おふざけで、なんでも やりすごすのか!?
977 :
安堂 ◆3LK.0gZrV2 :2012/07/29(日) 01:00:07.19 ID:x+4QgRLV
善悪の判断能力なし。
心神喪失にて無罪・・・。
979 :
あぁ〜なぁ〜だ ◆AnandaHSy. :2012/07/29(日) 01:42:39.09 ID:lCseLMBY
>>979 俺も手が開いたけど、
握り拳を見たときにグニャグニャに変形して見えるのがおもろい・・・。
981 :
ベゲザンピーク:2012/07/29(日) 04:57:46.93 ID:PtqzTGuV
お前らはいい女に燃えてもらいたいのか優しくしてもらいたいのか
どっちだ?
閑人きどりたいおんなは俺の行くクリニックにもいるけど、、
俺はあまりみたくないなぁ〜〜かまうヤツもいるだろうけど、最近は少ないと
思うよ。催眠術師とかすきそうだけどねw。
982 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/29(日) 07:06:22.59 ID:L1m2dHOO
おはようございます、ろんさん。
警察は辞めちゃいました
983 :
799:2012/07/29(日) 07:33:55.77 ID:slsRg+pc
みなさまおはようございます
今日は葬式ができたのでいってきます
ここは良いです、良い気が流れてます
>>770 私もまったく同感です。
あるもないもない。
つまり、あるとかないとかを論じれるものではないということです。
>>984 お返事ありがとうございます。
それが答えでしょうか。
では次もお願いします。
>>561のくだりで法というものをご存知という前提でお聞きします。
ここは2ちゃんねると呼ばれるところですが、
そう呼んでしまえば法に触れるし、呼ばなければつぎの質問に背いてしまいます。
さて、ここはなんというところですか?
諸行無常という常というものが有る
不生不滅で常が無いとも言い換えられる
有るもので有り、無いもので有る
ノスさんの賢者モードが続いているか楽しみで有る
>>985 それは個々人によって違う
俺の場合は馬鹿なりに考え抜くところである
考えるのを止める人もいる
どちらも正解であり、不正解ではない
人は人なりに生きている
人は全力で生きている
全力で生きようとしている
全力で命を絶つ者もいる
休憩、睡眠を挟みながら生きているが
その様は、やはり全力なのである
989 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/29(日) 09:50:50.27 ID:L1m2dHOO
ろんさんは、死んじゃったのか?
>>987 それは趙州無字の公案のことですか?それともこの2ちゃんねるの問題ですか?
正解とも間違ってるとも言ってません。無字の公案にせよ、この2ちゃんねる問題にせよ考え抜く問題です。
考えるのがお得意ならどうぞあなたもやってみてください。
まぁ、禅問答みたいなものです。
もしかすると見性(悟り)するかもしれませんよ。がんばってみてください。
要は名前をつけて呼んではダメだし、かといって答えなければ質問を無視したことになります。
では問題です、ここはなんという所ですか?
イシキを観察していると、オモロイ
蝉の声を聞いていると思ったら、あの子の事を考えてる、かと思ったら、通りを走るトラックの音
イシキの連続性
その様なものはなく、ただ一瞬一瞬イシキは現れる
それを繋ぎ合わせると、自分ができる
それをほといてゆくと…
>>990 答えはスルーですw
行いは自分が困る、他人が困るをやらなければいい
結局は自分が困るをやらなければいいのである
生きるとは選択である
意識的にせよ無意識にせよ人は絶えず選択している
選択の違いが価値というものを生む
避けては通れぬ道である
その人がどこに価値を見出すか
そのことにおいては正解というものは無い
自分が困れば自分に対して不正解なのである
993 :
ノスタルジア:2012/07/29(日) 10:32:20.63 ID:zEcKv/AB
>>993 メコスジ学会ワロタwww
俺はノア学会に対しては無為である
メコスジ学会に対しては少し興味があるw
996 :
ろん:2012/07/29(日) 11:26:06.54 ID:HTh1kO/3
>>992 お前は頭の悪い説教オヤジみてーなやつだ。。
997 :
ろん:2012/07/29(日) 11:27:02.10 ID:HTh1kO/3
>>989 別にここに常駐してるわけじゃないんですが〜。。ww
998 :
さくら ◆NJraxAH1mi8E :2012/07/29(日) 11:30:00.63 ID:L1m2dHOO
それはすみませんでした。
>>996 それはトラウマかな?
それとも自分自身の姿かな?
潔しよしとしない自分がいるのかな?
お前は駄々っ子のよーだ。。
1001 :
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