1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2011/12/31(土) 02:01:18.52 ID:OuxtFkDd
3 :
キャラメル:2011/12/31(土) 04:07:16.97 ID:hOd/4Vin
おはようございます。
年末年始 稼い夫はキャラ
新スレ開けましておめでとうございます
(*^o^*)
じゃあまた皆さん楽しく遊びましょう
前スレ980
シンプルでストレートでパワフルな歌詞ですね
そして「勇気」を感じる歌です
>人には歴史があるけれど
僕達生まれたばっかりだ
本当にそうですね
毎日が一番新しい日です
前スレ866 仏陀(ぶっだ)です
前スレ985
>あとは奥田民夫も悟ってるかもだなー。。
「マシュマロ」の歌詞の主人公は悟ってる感じがします
悟り子は山崎まさよしさんの「One more time one more chance」も好きです
純粋な悲しみは悟りの一面かもしれませんね
ただ泣くこと
ただ悲しみであること
ただ笑うこと
ただ喜びであること
それくらい悟りはシンプルなことなのかもしれませんね・・・
前スレ998
>本気ですか
スレの存続が気になるのですか
この木なんの木気になる木♪
みんなが集まる木ですから♪♪
みんなが集まる花が咲くでしょう〜♪♪♪
・・・なんちゃって
【お題】
[ ・ ]
でわこれならどうでしょうか?
一度に全体を正解に見ることができるでしょうか?
自分の視点の微かな動きも自覚しながら
全体を一度に正確に見ることができるか実験してみましょう
なにしろ小さいですからね(笑)
見れそうな気はするのですが...
前スレ966
>クオリアか
クオリア検索しました
面白い研究ですね
機会があったらこのスレで取り上げたいです
実はクオリアが人生の意味(意識の味わい)の本質かもしれませんね
8 :
キャラメル:2011/12/31(土) 09:50:33.40 ID:hOd/4Vin
>>7 (。-_-。)ポクポクポクポクチーン(。・_・。)
[・]遠くにある点だなぁ
[●]近くで見ると丸。
[★]上からは星!……って事は 東京タワー見たいな円錐の周りに丸い傘が付いた形かなぁ〜
イメージを文書で伝えるの難しい
<クオリア> 聞きなれない言葉だけど、Wikiを見ると、良くわかるね
養老猛の「バカの壁」っていうのもこれに近いね
でも驚くようなことでもないでしょう
悟り子さんの書き方から、まるでクオリアを知らないような書き方ですが、
そうであるならば、また不思議なことです
悟りというのもクオリアかもしれませんね
これで不思議も解決です
前スレ
>>994 > 今日はamaさんの不思議なところを書いてみましょう
よろしくお願いします。m(_ _)m
> > 孫悟空は、この手の範囲から飛び出すことができるのでしょうか・・・。
> 飛び出せるわけありません
飛び出せないのですか?
なぜなのでしょう?
> まさか「お釈迦様の手の中」の喩えが分からないはずないでしょう
すみません、分かりません、教えてください。
> > 「私」の葛藤はすべて、この「足りない」という思い込みから起こるのかもしれませんね。
> 本当ですか
> 「私の思った通りに進めたい」と思ったり、いろいろな「しなければならない」という義務感、いろいろな思考に縛られているからじゃないですか
なぜ、 「私の思った通りに進めたい」と思うのでしょう?
なぜ、「しなければならない」と思うのでしょう?
> 最も大きな原因は「私」が不安定であるところから来ていることじゃないですかね
なぜ、「私」が不安定なのでしょう?
前スレ
>>998 > いえ。それで充分です。
「私」は足りていたのですね。
> キャラメルさんと悟り子さんの杖を少し試してみたくなっただけです。
杖、ですか・・・。
杖がなくなれば、自分で立てることが分かるのかもしれません。
一方、自分で立っていても、杖は持ちますよね。
その場合は、杖というよりおもちゃと言った方がいいのかもしれません。
あるいは、伊達眼鏡ならぬ伊達杖といったところでしょうか・・・。
なくてはならないものではなく、あってもなくてもいいけど、あっも邪魔にならないし、
せっかくあるものはあるうちに使っておこう・・・、
そんな感じ。
> > 代わりに立てていただけませんでしょうか?
> > というお願いです。(笑)
> 本気ですか
「私」はいつでも本気です。
> スレの存続が気になるのですか
終わりが近づくと気になります。
死を連想させるのでしょうか・・・。
前スレ
>>999 > でも、「存在してる」って事はわかっています。
そうですか・・・。
私はそれすら分かりません。
>>10 意図が良くわかりませんが、とりあえず、簡潔に書いてみましょう
・1つめ
一切は「 」で満ちています
「 」でないものは今のところ見当たりません
ここでもしも「 」の外があったとしたら「 」でないものがあったとしたら、「 」でないものを認識できるでしょうか
いいえできません
認識できるものは「 」の範囲に限られます
また私達が互いに認識できるのも「 」の範囲だからです
そこで「お釈迦様の手の中」の話はおそらくこのことを指しているのだなと分かります。
・2つめ
> なぜ、 「私の思った通りに進めたい」と思うのでしょう?
思っていることが「私のもの」であり思った通りにすることが「私」を大きくするからです
> なぜ、「しなければならない」と思うのでしょう?
私の思っていることに束縛されているからです
> なぜ、「私」が不安定なのでしょう?
「私」は観念の中でしかないことが、誰もが実はよく分かっているからです。
>>11 > 「私」は足りていたのですね。
知ることを求めなければ、知る必要もないですから
> 終わりが近づくと気になります。
> 死を連想させるのでしょうか・・・。
死は連想でしょうか 連想以外のものでしょうか
>>8 >[・]遠くにある点だなぁ
[●]近くで見ると丸。
[★]上からは星!
なるほど、人は認識の違いによって「それ」を別のもののように感じるのね?
認識の違いによって
「・」が「・」に見えたり
「・」が「●」に見えたり「★」に見えたり立ち位置や認識能力によって「・」が違うもののように認識される訳なのね
さすがキャラメルお兄様
隠れ覚者ね?
>>8 >イメージを文書で伝えるの難しい
同感よキャラメルお兄様
人は同じ「・」を見ても
その立ち位置、認識能力の違いによって
「・」を「・」と認識したり「●」と認識したり「★」と認識したり...
実際の認識の在り方の数はこんなものじゃ無いわね(笑)
それをまた各自のデータをもとに解釈して言語化して表現して・・・
それをまた各自のデータに基づいて解釈するのだもの・・・(笑)
スケールの大きい伝言ゲームみたいなものね
そしてその伝言ゲームで「・」は自己を認識する感覚を楽しんで遊んでるのかも?
>>17 続き
>>8 そして人の認識能力には限界があって、大きいものは一度に正確に全体を認識できないのね
小さいものは小さい故に一度に全体を正確に認識できないの、ただの点に見えてしまうから...
じゃあ認識能力が増して 「・」が「●」に見えるようになったら?
そのときはやはり大きいから一度に全体を正確に認識できないの(笑)
そして悟り子の言葉もただのざれ言なのよ(笑)
>>14 > 意図が良くわかりませんが、とりあえず、簡潔に書いてみましょう
意図と言うほどのものは特にないです。
私も悟り子さんと同じで遊んでいるだけです。(笑)
> 一切は「 」で満ちています
> 「 」でないものは今のところ見当たりません
> ここでもしも「 」の外があったとしたら「 」でないものがあったとしたら、「 」でないものを認識できるでしょうか
> いいえできません
> 認識できるものは「 」の範囲に限られます
> また私達が互いに認識できるのも「 」の範囲だからです
すると孫悟空の、世界の果てを知ったという慢心や、
あるいは出たいという葛藤なども「 」に含まれているのでしょうか?
孫悟空は、どのようにして「 」を認識するのでしょう?
>>14 > > なぜ、 「私の思った通りに進めたい」と思うのでしょう?
> 思っていることが「私のもの」であり思った通りにすることが「私」を大きくするからです
なぜ、「私」は「私」を大きくしたいのでしょう?
> > なぜ、「しなければならない」と思うのでしょう?
> 私の思っていることに束縛されているからです
はい、ですから、なぜ「しなければならない」という思いに束縛されているのかを問うています。
> > なぜ、「私」が不安定なのでしょう?
> 「私」は観念の中でしかないことが、誰もが実はよく分かっているからです。
分かっていると不安定になるのですか・・・。
21 :
キャラメル:2011/12/31(土) 12:33:23.20 ID:hOd/4Vin
共通する事をはイメージ伝えられるけど
共通してない事って伝えらるのかな?
クララのゴールデンボールぶつけた痛みって
丹田の辺を突き上げる様な痛み……キーンと響く、熱いくて鳥肌が立つ冷たい汗……
女性に言っても「分かるわかる!」って伝わらない……限界見極め。
>>16 覚者!マジでぇ!嬉しいんだけどヽ(≧∀≦)ノ
>>17 ♪遊びに そびえ立つ ソビエトの壁Yo
崩壊するのは マトリョーシカじゃない
崩壊するのは 遊び疲れた政府達
インを踏むなら ヨウも踏みたい♪
来年の目標:データ増すにしよ。
>>15 > 死は連想でしょうか 連想以外のものでしょうか
死も痛みもそれをイメージするときだけ恐怖ですよね。
23 :
キャラメル:2011/12/31(土) 12:39:02.50 ID:hOd/4Vin
>>16 覚者!マジでぇ!嬉しいんだけどヽ(≧∀≦)ノ
オチ忘れてた
キャラメル、隠れムッツリたけどいいの?
駄々スベリ………
>>7 > [ ・ ]
見ようとすると見れないですね。(笑)
25 :
キャラメル:2011/12/31(土) 12:39:49.84 ID:hOd/4Vin
仕事戻ります
26 :
神も仏も名無しさん:2011/12/31(土) 18:57:26.26 ID:LcNS6EC9
正月の準備もできたことだし・
そういえば
【お題】「自由とはなんでしょうか?」の答って出ましたっけ?
>>19 > 私も悟り子さんと同じで遊んでいるだけです。(笑)
だったら、本気で
> すると孫悟空の、世界の果てを知ったという慢心や、
> あるいは出たいという葛藤なども
西遊記ってそんな話でしたっけ
> 「 」に含まれているのでしょうか?
含まれています
> 孫悟空は、どのようにして「 」を認識するのでしょう?
「 」の表面に映し出されたもの(世界の果てや出たいという葛藤)に興味を失なったときに「 」を認識するかもしれません
>>20 > なぜ、「私」は「私」を大きくしたいのでしょう?
なぜでしょう?
「大きくしたい」「証明したい」「認められたい」「守りたい」
そのように我は出来ているようです
>
> > > なぜ、「しなければならない」と思うのでしょう?
> > 私の思っていることに束縛されているからです
>
> はい、ですから、なぜ「しなければならない」という思いに束縛されているのかを問うています。
自分の言ったこと思ったことを、その通りにしようとしますが
それは他人だけでなく自分に対しても従おうとするからです。
> 分かっていると不安定になるのですか・・・。
ただの観念だと、すぐに消えてしまうような不安定なものだからです
「私」を悪く書かれたり、「私」が書いたことを否定されたりすると「傷ついた」と思うでしょう
どこに傷がついたのでしょう
その「私」の観念に傷がついたのです
「私」は観念であることをよく知っている証拠です
もしも「私」が確固として不動のものだと認識しているならば、
「私」を「大きくしたい」「証明したい」「認められたい」「守りたい」と思う必要はありません
>>21 > 覚者!マジでぇ!嬉しいんだけどヽ(≧∀≦)ノ
良いイメージを持っているのですね
30 :
北風小僧の勘太郎:2011/12/31(土) 22:53:15.07 ID:YhbFjTw9
>>28 もっと悪いのは、全て自分に置き換えてしまう事ですね。
そうなってしまうと、もう議論すらできない。
今年もありがとうございました
来年もよろしくお願いします
ROMですが
>>28 >「私」を悪く書かれたり、「私」が書いたことを否定されたりすると「傷ついた」と思うでしょう
どこに傷がついたのでしょう
その「私」の観念に傷がついたのです
「私」は観念であることをよく知っている証拠です
>「私」は観念であることをよく知っている証拠です
観念の「私」を私(ここでの私は「気づき」の意味です)だと錯覚している証拠ではないでしょうか?
自由とは無人島で一人生活するようなもんだろ。
さらに突き詰めるなら無の中で一人生活するようなもんだ。
34 :
北風小僧の勘太郎:2011/12/31(土) 23:15:47.69 ID:YhbFjTw9
>>33 残念。不正解。
自由とは、自由そのものに生きる事ですよ。
無の中に生きる自分はあるのでしょうか?
世界を無にするのではなく、自分が無であったことを知る事。
そうすれば、自由自在。
>>28 >「私」を悪く書かれたり、「私」が書いたことを否定されたりすると「傷ついた」と思うでしょう
つまり自我(思考の産み出した自己のイメージ)を本当の自己(実在)だと錯覚するから人は不自然な怒りに捕われるのですね?
>>35 >他者と関わる限り自由ではないよ
幻想を幻想だと見抜いた上で他者と関わりなさいとゆう意味でしょうか?
他者などいないとゆう理解でよろしいのでしょうか?
>>37 幻想であっても腹は減る
腹が減るのも幻想であればそれは夢でしかない。
夢で飯は食えぬ、故に苦があり、縁があるのじゃろう。
みなさん
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
40 :
キャラメル:2012/01/01(日) 01:27:58.58 ID:EBOZNLe5
おはようございます
あけよろ♪です。行ってきまーす!?
41 :
キャラメル:2012/01/01(日) 02:40:05.20 ID:EBOZNLe5
しんねんあけまして
おめでとうございます
ほんねんもよろしく
おねがいします
m(_ _)m
...じゃあ、早速お年玉お題を一つ
シリーズ最終章は・・・
【お題】
〔 〕
さあ、どうでしょうか? (笑)
【ある覚者の詩】
私はあらゆる存在の源である。
私は継続するものであり、目的である。
私は根源である。
私は成長するものである。
私はまた朽ちるものである。
私はあらゆるものを創造した。
私はそれらの存在を支えている。
分離の夢から目を覚ましたとき、 私は再び、それらのものを 自分の内に引きもどす。
私は生命である。
私は法の輪である。
私は超越者のもとに導く道である。
私の他には何もない。
私とは何ぞや
>>27 > > 私も悟り子さんと同じで遊んでいるだけです。(笑)
> だったら、本気で
あ、いえ、本気は本気なのですが・・・。
というか、本気って何?という話もありますが・・・。
「私」は見たものを言葉で表現しようとしますよね。
つまり、それは、判断なわけです。
「「 」を見た」、「観念がある」、「自我の限界だ」、「判断がある」などなど・・・。
もし、見たものに対して判断することをやめるとどうなるのでしょう?
私たちは、いったい何について対話(議論?)しているのでしょう?(笑)
本当に本気で見ると・・・。
> > すると孫悟空の、世界の果てを知ったという慢心や、
> > あるいは出たいという葛藤なども
> 西遊記ってそんな話でしたっけ
(笑)
> > 「 」に含まれているのでしょうか?
> 含まれています
>
> > 孫悟空は、どのようにして「 」を認識するのでしょう?
> 「 」の表面に映し出されたもの(世界の果てや出たいという葛藤)に興味を失なったときに「 」を認識するかもしれません
なるほど。
新年、あけましておめでとうございます。m(_ _)m
今年もよろしくお願い申し上げます。
>>28 > > なぜ、「私」は「私」を大きくしたいのでしょう?
> なぜでしょう?
> 「大きくしたい」「証明したい」「認められたい」「守りたい」
> そのように我は出来ているようです
「大きくしたい」「証明したい」「認められたい」「守りたい」などの言葉を使わずにそれを見ると、
そこには何があるのでしょう?
>>38 > 夢で飯は食えぬ、故に苦があり、縁があるのじゃろう。
飯が食えないのはつらいですね。
苦がありかすか・・・。
でわ、【お題】
「自由とはなんでしょうか?」
の悟り子からの回答を一つ・・・
解答してくれたかた全員に正解をプレゼントする約束でしたね
もちろん約束は守ります
皆さん自由な発想のもと自由に解答してくださって悟り子感激です
このこと自体が皆さんが自由であることの証明ですね
ですから全員正解です!
そう、自由の定義は皆さんが自由にして良いのです
(無論自由を定義しないのも自由です)
なぜなら皆さんが自由だからです(笑)
>>44 >私とは何ぞや
それが〔 〕の問いかもしれませんね
...多分〔 〕は〔 〕でしょうけど...
あっ、〔←とか、〕←とかは、便宜上使ってるだけなので〔とか〕には捕われないでくださいね
言葉自体〔 〕みたいなものですけど(笑)
51 :
キャラメル:2012/01/01(日) 10:36:31.84 ID:EBOZNLe5
>>42 〔“ごちそうさま”には、様が付くのに“いただきます”には様が付かないんだろう?〕
じゃないかなぁ?
(ラジオのキャラメルが好きなCM)
もう人踏ん張り仕事初めが終わるよ。
ガン!タンって事故らない様に無理せずカマして来まーす。
イヤ〜ン イヤ〜ン(エンジン音)
>>52 「お話いていることは単純です。」
この書きマチガイの一行だけ、とてもこころに残りました・・
そんなのよりタイトル間違ってるけどね
あけまして あ めでとうございます。
すばらしい
55 :
キャラメル:2012/01/01(日) 13:13:21.51 ID:EBOZNLe5
ただいまぁ〜!!
>>49 ピコーン歩いて無いのに
ひらめ筋
自由だから不自由なんだ♪
ルールが不自由じゃなくて、ルールに縛られるのが不自由なんだ。
ルールを自由に使うから発想が発送されてくんだ!
“こりゃ〜元旦から 愛でてえなぁ”
と思ったキャラメルでした。
56 :
キャラメル:2012/01/01(日) 13:16:09.16 ID:EBOZNLe5
57 :
キャラメル:2012/01/01(日) 13:31:53.25 ID:EBOZNLe5
昨年の震災と人災で「おめでとう」って言いにくいけど
“雨降れば地固まる”
日本が一つになった?
「どんな事で一つになってんだよ!」
って話しもあるけど
“優しさ”“繋がり”見直されたもんな。
キャラメルも言わなきゃ
“新年おめでとうございます”
>>54 なかなかスルドイなw
でも黒門町の伝七親分は、最後の指じめやったあと
>>51 >〔“ごちそうさま”には、様が付くのに“いただきます”には様が付かないんだろう?〕
本来“ごちそうさま”と“いただきます”に分離は存在しないのかも?
実は「ごちそうさまをいただきます」
「ごちそうさまをいただきました」が略されただけなのかもね?
まあ、どのみちキャラメルお兄様の解答も〔 〕であることに変わりは無いわね(笑)
もちろん正解よ〇
>>23 >キャラメル、隠れムッツリ、だけどいいの?
隠れて沈黙しているってことかしら?
まさに隠れ覚者ね(笑)
60 :
キャラメル:2012/01/01(日) 17:54:13.70 ID:EBOZNLe5
>>59 >隠れて沈黙しているってことかしら?
まさに隠れ覚者ね(笑)
そ、そうだぜ
v(* ̄。 ̄*) カクシャン、スケベさんやってお仕舞い…エッチィ事、、。
>>53 >「お話いていることは単純です。」
悟り子脳内変換!
「お話いていることは単純です。」→
「お話、いて、いることは単純です」→
「お話、居て、居ることは単純です」→
「お話、存在するのならば、存在することは単純です」→
「お話、皆さんは存在するのですから存在してください、単純なことです(悟りとは)」
・・・なんちゃって
または
π 、円
64 :
キャラメル:2012/01/01(日) 20:32:13.97 ID:EBOZNLe5
そして
ユーロ 、 ドル
>>62 >>63 >答え
∞ 、 0
>または
π 、円
ユニークな表現ですね
無論それも〔 〕であり正解です(笑)
しかしこれは面白い...
勝手に解説します(笑)
>答え
∞ 、 0
全てであり、それは無に等しい(白しか無い世界で白を知る感覚は生じない)
知っている感覚には比較する対象がいる
十全であり分離が無いなら存在しても存在を知る感覚は消える
>または
π 、円
円とゆう概念は存在する
しかし円周率は存在しても、数字(現象)で表現すると
正解がある(全て在る)が実際上は永遠に正解を数字で表現できない
(笑)
こんな感じでしょうか?
>白しか無い世界で白を知る感覚は生じない
これいいねこの言葉
いいえて妙というか
67 :
キャラメル:2012/01/02(月) 03:37:40.91 ID:FLjy+C+Y
おはようございます
オハヨウ ヾ(。・ω・。)`*:;,。・★
眠い…
行ってきまーす。
行間には万物が入る
万物は∞であり、膨大でもある
車、人、砂、山、火、・・・・ ∞
膨大から車や人を俯瞰すれば点にしか過ぎぬ、点などゼロに等しい。
車も人も山も火も 全て点で構成されている。
人でさえも土塊と水の塊で構成されているパーツに過ぎない。
車や砂や山や火 すべてがパーツだ。
足元の土塊が自分の体を構成しているかもしれない。
しかし、全てがゼロに還る
全てが円環の内に住んでいる
もっと俯瞰してみよ
地球でさえ丸いのだ 円の太陽から恵みをうけ、円の地球から恵みをうけ
太陽系は円を描いて回っており、その太陽系は円を描いて銀河を回っており
その銀河は円を描いて・・・・
その星でさえ、∞の前で点にしかすぎぬ、銀河でさえ・・
そして宇宙の塵が地球であり点でありゼロである。
円環のπ は∞に続く無理数であり、数学定数である。
仏陀は説く、万物は繋がっていると
そして人の定数、智慧を導けと
幸せの定数 悟りを開けと仏陀を説く
∞のまえで点を悔やむよりも、∞を捉え真理のπを探しなさいと仏陀は説く
私はそう解釈している
70 :
キャラメル:2012/01/02(月) 06:14:34.32 ID:FLjy+C+Y
♪永遠なのか 本当かぁ〜 時の流れは続くのかぁ〜
いつまで たっても変わらない
そんなもの あるだろうかぁ〜
見てきた物やぁ〜聞いたことぉ〜
いままで覚えた 全部ぅ〜
でたらめだったら面白い〜
そんな気持ちわかるでしょ〜
答えはずっと
奥のほぉ〜
心のずーと奥のほぉ〜
涙はそこからやってくる
心のずーと奥のほぉ〜
情熱の真っ赤なバーラを
胸に咲かせよぉ〜
花瓶に水をあげましょ〜
心のずーと奥のほぉ〜♪
キ:一つひとつやって∞に届くかな?億劫ぅ〜
>>68 >>69 とても味わい深い解釈であり言語表現だと感じます・・・
それをさらに解釈して解説したい悟り子の自我があります(笑)
じゃあ一つ、「1」は無限に小さく分割できますね
いくら無限に分割しても
さらに無限に分割できる
そして「1」は無限に大きくできる
「1×10の100億乗」とか、そしてそれを「1」と定義することも自由だったりします(笑)
定義付けによって「1」を無限に数字とゆう概念上で表現できるのですね
そして数字の基本は「1」と「0」だけだったりします・・・
「 」「・」「・・・」
>>70 それよキャラメルお兄様
悟り子が「情熱の薔薇」と言ったヒロトさんの歌は・・・
とても素敵な歌だと感じるの・・・(は〜と)
>>66 >>白しか無い世界で白を知る感覚は生じない
これいいねこの言葉
いいえて妙というか
ありがとう(v^-゚)
前スレ909
>そうですか・・・
自らの光を映し出すのです
意識(光)は青い鳥と家の両方だったんですね?
いや、もしかすると...
青い鳥も家もヘンゼルとグレーテルも世界も意識(光)なのかも・・・?
>>12 >悟り子さんも気になるわけですね
とっても気になります
>>71 1と説くのが一神教で
0と説くのが仏教だと思うけどね。
仏教は1でさえも0と為すと、自身でさえも0と説いてると私は解釈しているよ。
在るとも在らざるとも言える点だと。
例えば天空を見てみよう 星が見えるだろう、その星は今現在消滅して
無いかもしれない、しかし瞬いてる。 数億年も過去の光だ。
その光は私と同じ時間に存在するのだろうか。
望遠鏡で覗くまで発見されない星がたくさん在る。
しかし、発見されなければ無いに等しい。
発見されずに消えた星は 在ったのだろうか、無かったのだろうか。
在っても、無くても 「縁」 は続いている、
前スレ791
>般若心経の色即是空空即是色について、
書いてみたいと思います
般若心経も味わい深いですね
悟り子にとって架空の虹も架空の虹も同じです
どっちも架空の虹ですから(笑)
...ん?...何言ってるんだろ私?
>>74 >1と説くのが一神教で
0と説くのが仏教だと思うけどね
フフ、じゃあ悟り子はどちらも美味しくいただきます(-^〇^-)
>>42 > 【お題】
> 〔 〕
見ることができないです。
見られるモノがないと、見る者もいないですね。(笑)
>>57 > 昨年の震災と人災で「おめでとう」って言いにくいけど
本当に本当に大変な1年でした。
>>75 > 悟り子にとって架空の虹も架空の虹も同じです
> どっちも架空の虹ですから(笑)
私たちは当たり前のことに気づくのにとても遠回りをするのですね。
世界はこんなにもシンプルなのに・・・。
> ...ん?...何言ってるんだろ私?
なるほど!
新年と言えば門出、
門出と言えば「笑う門には福来る」ということわざがあります。
そこで≪お題≫。
「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
>>77 そういえば、
「全体を一度に正確に見ることができるか?」
というお題でしたね。(笑)
「あ」のばあいは、近くで見ると、
全体を一度に正確に見ることはできませんでしたが、
遠くから見ると全体が見えました。
「 ・ 」のばあいは、遠くから見た「あ」と同じですから、
やっぱり全体が見えました。
(思いっきり近づいて見るとやっぱり全体は見えませんが)
「 」のばあいが一番、全体が一度に正確に見えました。
「 」の中には無限に小さな点がある(つまり無い)ので、
小さければ小さいほど全体が一度に正確に見れたということになります。
82 :
キャラメル:2012/01/02(月) 12:50:26.63 ID:FLjy+C+Y
>>77 なるヘソΣd(ゝω・o)
キャラメル【お題】ばっかり見てた。
考えてる人見て無かった……♪
83 :
キャラメル:2012/01/02(月) 12:54:19.46 ID:FLjy+C+Y
>>80 ≪お題≫。
「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
楽な時。
>>80 >「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
悟り子は扇風機と目が合って爆笑したことがあります(笑)
「あ、貴方扇風機とかって...扇風機なの?」みたいな感じで(笑)山が山だったり猫が猫過ぎても笑いますね
箸が転がったりしようもんならもう大変(爆笑)
...なんなんでしょうね「おかしさ」...
存在の本質でしょうか?
存在は笑いで出来ているのかもしれません
宇宙とか凄く真面目に宇宙やってますし(笑)
世界は壮大なるジョークであり
何かの弾みで思考の雲が晴れて「それ」に気づいたときに人は笑うのかもしれませんね
そういえばいつも笑ってる覚者がいたような...
85 :
キャラメル:2012/01/02(月) 13:29:27.98 ID:FLjy+C+Y
86 :
キャラメル:2012/01/02(月) 13:59:33.69 ID:FLjy+C+Y
>>84 >箸が転がったりしようもんならもう大変(爆笑)
あ、箸が転がるお年頃だ(≡゚∀゚≡)
笑い過ぎるとお腹開くぞ!
観音開きで…
>>80 >「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
既に「おかしくないもの」を握っていたとき
>>81 >遠くから見ると全体が見えました
なるほど、全体を正確に見るには距離がポイントになるのですね?
勉強になります ありがとうございますm(_ _)m
...今ふと、思考実験を思い付きました
もし、無限大に大きくて
無限大に完全正確な視力をもった存在がいたら
〔 〕の全体を正確に見ることができるのでしょうか?
〔←や〔←は無いものとして、空即是色の空、つまり「この世界」全体が正確に見えるのか?
とゆう問いです
悟空(空を見抜く目)は、お釈迦さんの手(認識の地平線)を越えられるでしょうか?
>>77 >見られるモノがないと、見る者もいないですね。(笑)
なるほど、存在する感覚は比較対象が無いと生まれませんね(笑)
他者がいないなら自我の感覚も消えるのかもしれません
>>74 >仏教は1でさえも0と為すと、自身でさえも0と説いてると私は解釈しているよ
確かに1しか存在せずに他に比較対象がなければ1は0に等しいですね
存在する感覚を得るには比較が必要です
純粋に意識だけがあり、そこになんの動きもなければ、意識は存在しても意識の存在する感覚は生まれません
そこで1は自己の存在する感覚を味わいたくて自らを分割したのかもしれません
そのとき初めて意識は意識を意識できるようになったのでしょう
青い鳥と家とヘンゼルとグレーテルと世界が存在することになったのですね
92 :
キャラメル:2012/01/03(火) 06:47:00.72 ID:nVkGjOO0
おはようございます。
才ノヽ∋―_φ(゚▽゚*)♪
前スレ833
>自由とは何か分からないとき、その人は自由だろう
なるほど、自由そのままで在るとき自由を知るものはいないのですね?
前スレ834
>全ては相互に関連している以上
自由というものは存在しておらず
ただの妄想ではないでしょうか
でわ存在に委ねることが自由なのかもしれませんね?
前スレ835
>創世記から引くなら善悪を知る木を食べなければ
裸であることも恥じない
すると、不自由の感覚は善悪を判断することから生まれるとゆうことでしょうか?
前スレ836
>空気を吸う事は自由だろうなぁ〜
自由よ、自然に由来することだから自由なの(笑)
>考え思った事が行動できるかなぁ
思考と行動は創造の強力なツールね、プラス愛の感情があれば最高よ
>分かった!漢字、6画と5画で11画だ!
「じゆう」いっかくね(笑)
前スレ839
>現代人は、いや、自分が年をくったからかも知れないが、かなり不自由に生きていると感じているかもしれない
思考の訓練はしても、瞑想の訓練はしないからですかね
ただ「在る」とゆうことを学校では教えてくれないのですね
前スレ840
>空っぽになったとき勝手に動くからそれをそのままにしとく
素晴らしい、素敵です
前スレ844
>束縛という観念によってそれは「自由」だと表わすことができる
自由の観念は自由じゃ無い観念によって表すのですね
なるほど勉強になります
m(_ _)m
前スレ850
>一切を区切らないでおくことは可能なのだろうか
一切を区切らないでおけば可能でしょう
前スレ857
>色んな事を意識的に、無意識的に選択しちゃってることに気づいてないからじゃない
なるほど、でわ全て意識的に選択するのも手ですね(笑)
気づきに在って非選択に選択する感じでしょうか?
前スレ859
>すること言うこと考えることでは、自由を得ることは出来ないということでもあるんですね
すると自由とは「在り方」なんでしょうか?
例えば・・・
とらわれ無いこと
意識的であること
全てを味わい愛でること
存在を信頼して受容性に委ねること
こうゆう「在り方」とかは自由でしょうか?
>>80 今【お題】に返レスしていて気づいたのですが...amaさんは他の人が答えた後で答えてますね
素晴らしい配慮です
覚者は配慮を忘れてはいけませんね(-.-;)
以後見習うことにします
amaさんには教わることが多いです
いつも感謝しています
ありがとうございます
m(_ _)m
>>83 > 楽な時。
同感です。
リラックスしていない状態では笑えないですね。
ひょっとして落差(楽さ)のある時でしょうか?
だとしたら、ますますもって同感です。
ギャップがあるとき、つまり、思っていたのと違うときに、
おかしさを感じますね。
>>84 > 悟り子は扇風機と目が合って爆笑したことがあります(笑)
> 「あ、貴方扇風機とかって...扇風機なの?」みたいな感じで(笑)山が山だったり猫が猫過ぎても笑いますね
> 箸が転がったりしようもんならもう大変(爆笑)
綿棒なんかやばいですね。(笑)
もう綿棒過ぎです。
「おまえ、ちょっと力み過ぎなんじゃ・・・?」
って言いたくなります。(笑)
101 :
キャラメル:2012/01/03(火) 13:06:56.05 ID:nVkGjOO0
>>99 意外性のジェットコースターだよv(^∀^*)
ユニクロと同じでアイテムの合わせ方でオシャレにもダサダンサーにも変わっちゃう♪
難しいよね。
102 :
キャラメル:2012/01/03(火) 13:10:23.50 ID:nVkGjOO0
>>100 綿棒って(*/□\*)ポークビッツ?
クララ落ち込むな
立てる様になったじゃん。
>>84 > ...なんなんでしょうね「おかしさ」...
> 存在の本質でしょうか?
> 存在は笑いで出来ているのかもしれません
まったくです。
> 宇宙とか凄く真面目に宇宙やってますし(笑)
この、まじめさや一生懸命さ、があるからおかしいのですね。
>>84 > 世界は壮大なるジョークであり
> 何かの弾みで思考の雲が晴れて「それ」に気づいたときに人は笑うのかもしれませんね
思っていたこととは違うものが見えたとき、
つまり、落差があるときに笑ってしまうんですよね。
(落語とはよく言ったものです。)
すると、「○○があるかどうか見てみよう」とか、
「あ、やっぱり○○があった」は、
ぜんぜん笑えないのですね。
「○○だ」と思っていたら、ぜんぜん違っていた。
しかもまじめに一生懸命「○○だ」と思っていただけに、
これはもう笑うしかないわけです。
宇宙はあまりにもまじめに宇宙をやってますから、
箸が転がって笑ってしまうのは、
極めて自然なことであり当たり前のことなんですよね。
逆に、箸が転がっても笑えないくらい私たちは病んでいる、
とも言えるのかもしれません。(笑)
> そういえばいつも笑ってる覚者がいたような...
いつも、ですか。
会ってみたいですね。
>>85 > 怒る直前
なるほど。
たしかにおかしなことに対して怒りますね。
人間とは、おかしいのに怒る不思議な動物だったのですね。(笑)
いやいや、もし怒りと笑いが同じもので出来ているとしたら、逆に納得です。
>>87 > 既に「おかしくないもの」を握っていたとき
おかしくないものというのは、たとえばどのようなものでしょう?
>おかしくないものというのは、たとえばどのようなものでしょう?
「これはおかしいものだ、と分かることができるもの」です
アンカー間違えた(笑)
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
>>107 > >おかしくないものというのは、たとえばどのようなものでしょう?
> 「これはおかしいものだ、と分かることができるもの」です
同感です。
分かっているとおかしくもなんともないですね。
>>112 そして分かっていると「私」は自由を失います。
>>102 > クララ落ち込むな
> 立てる様になったじゃん。
言葉なしに動機なしに気づき自体があるとき、
「私」はクラクラして立っていられなくなります。
クララが立っていられなかったのにはわけがあったのですね。
117 :
キャラメル:2012/01/03(火) 15:20:00.02 ID:nVkGjOO0
>>115 お嬢さん、立てない理由はアッシの口では……
言えません
若い頃には「舐めんなよ!コラァ。」
なんて眼くれてましたが、、、
いや、言えやせん。
「・・・ホシ〜の(*/□\*)」
なんて
>>89 > もし、無限大に大きくて
> 無限大に完全正確な視力をもった存在がいたら
>
> 〔 〕の全体を正確に見ることができるのでしょうか?
なんだか健康に悪そうな視力ですね。(笑)
想像するだけでお昼に食べたものが出てきそうです。(笑)
これは難しい問いですね。
完全にギブアップです。
> 〔←や〔←は無いものとして、空即是色の空、つまり「この世界」全体が正確に見えるのか?
> とゆう問いです
「私」が見てるものがこの世界の全体ですので、
その意味では見えていますね。
正確さも、やっぱり見えているものがすべてです。
> 悟空(空を見抜く目)は、お釈迦さんの手(認識の地平線)を越えられるでしょうか?
超えようとする限り超えられないのでしょうね。
超える超えない、ではなく、超える必要がないのですね。
私は悟空であり釈迦なのだから。
そしてこのことに気づいた上で超えようとするなら、
その行為はただ楽しいだけであり遊びなんですよね。
(西遊記とはよく言ったものです。)
悟空(空を見抜く目)はこのことに気づいているわけですから、
超える必要も無く、遊んでいるだけなのでしょうね、きっと。
>>118 >「私」が見てるものがこの世界の全体ですので、
その意味では見えていますね。
正確さも、やっぱり見えているものがすべてです
なるほどそうですね
世界に二人しか人間がいなくて、一人が通常視覚、一人が色盲視覚の場合
どっちが正しい色を見ているとも言えませんね
どっちも正解です(笑)
>>111 よろしくお願いします
m(_ _)m
>>118 >超える超えない、ではなく、超える必要がないのですね。
私は悟空であり釈迦なのだから。
そしてこのことに気づいた上で超えようとするなら、
その行為はただ楽しいだけであり遊びなんですよね。
なるほど、私はまだ自分の意識以外の現実が在るとゆう幻想に捕われていました(-.-;)
そして幻想が幻想だと気づくことは楽しかったりします(^O^)
ありがとうございました
m(_ _)m
>>30 > もっと悪いのは、全て自分に置き換えてしまう事ですね。
全て自分との関係に置き換えていると思います。
もしも自分と関係なければ興味を持たないでしょう。
>>41 > 朝の目覚めは良い 邦画 E〜ですから。
覚者って人は目覚めが良い方なんですね
>>45 > あ、いえ、本気は本気なのですが・・・。
大晦日で慌てていました。
訂正します ⇒ だったら、本気で「遊んでいるわけですね」
>>73 > 青い鳥も家もヘンゼルとグレーテルも世界も意識(光)なのかも・・・?
現れた色彩が異なっても同じなんですよね
> とっても気になります
私は全く気にならないのに、どうして気になるのでしょう
>>75 > ...ん?...何言ってるんだろ私?
まったくです。虹に魅せられて何を言っているかわからなくなるのでしょうね
>>78 > 本当に本当に大変な1年でした。
それはそれは大変でしたね
>>80 福が先か笑いが先か、卵と鶏の関係みたいなものでしょうか
> 「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
奇妙な時と喜ぶ時と・・・
悟りの時
>>100 > > 悟り子は扇風機と目が合って爆笑したことがあります(笑)
全くです。目を合わせちゃいけません。
123 :
キャラメル:2012/01/04(水) 03:18:32.34 ID:Ri2fzOzG
おはようございます。
≪お題≫。
「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
ギャップの中に優しさを見つけた時
>>121 >覚者って人は目覚めが良い方なんですね
じゃないかな?
ウダウダしないで布団から起き上がり
コーヒーか、濃い緑茶を飲んでますね。
イメージでは
>>47 > 「大きくしたい」「証明したい」「認められたい」「守りたい」などの言葉を使わずにそれを見ると、
> そこには何があるのでしょう?
イメージを言葉にして書いているのですが、言葉にしなかったらイメージです。
イメージを簡素な言語に直すと「存在したい」になりますね。
>>84 > 何かの弾みで思考の雲が晴れて「それ」に気づいたときに人は笑うのかもしれませんね
それ、それを書こうとしながら、うまく表現できなかったのですよね
> 存在は笑いで出来ているのかもしれません
だから目が合うと笑っちゃうのでしょう
>>123 > ウダウダしないで布団から起き上がり
(覚者って人は)寒い冬もへっちゃらなわけだ
<お題>
覚者は布団に入ってからすぐに眠るでしょうか?
127 :
キャラメル:2012/01/04(水) 03:33:30.53 ID:Ri2fzOzG
>>125 >(覚者って人は)寒い冬もへっちゃらなわけだ
そんな感じしません?
キャラメルは「ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ、クソッタレー」
って 呪文唱えたら「ヨイショー」と布団引きずってストーブ着けてる。
うー寒い((+_+))
では、仕事いってきま〜す。
128 :
キャラメル:2012/01/04(水) 03:34:51.19 ID:Ri2fzOzG
暇な時間に また 来まーす。
129 :
キャラメル:2012/01/04(水) 04:48:46.47 ID:Ri2fzOzG
>>126 “俺の背中を見ろ”と股間を……
オマタ セ……
冬だねぇ〜((+_+))
<お題>
覚者は布団に入ってからすぐに眠るでしょうか?
眠たきゃ寝るし眠れなきゃ寝ないんじゃないかな?
キャラメル見たいに「あした、眠くなったら どーすっかなぁ…」
なんて心配はしないね。
浅草きっと、、、
>>80 >「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
【覚者爆笑の巻】
全てがジョークだと気づき
全てが完璧だと気づき
全てが愛だと気づき
全てが自己だと気づき
全てを見ていたことに気づき
そして楽しさも愛しさも虹も永遠に終わらないと気づいたとき
人は笑わずにいられないのかもしれませんね
あまりにも素晴らし過ぎて笑いながら泣いたりすることもあります
πすら永遠ですね
・・・永円・・・とか言ってみたりして(笑)
>>97 これらになろうとか、そうしようとすることではなく、
もともとそうであることに、何もしなくてもそうであることに、気づく、
という意味でおっしゃるとおり「在り方」だと思います。
断言のない状態、つまり、ただ気づきがある状態、
つまりそこには自由になるとかならないとかが無く、
「自由」という観念すらないわけで、これはまさに自由ですね。
私たちは、過去に刷り込まれた(叩き込まれた)あるいは採用した思考に支えられており、
条件付けられた行動を起こします。
こうありたいけど出来ないのです。
そこで、なぜこうありたい、と考えるのか?
を見るんですね。
するとそこに逃避があるんですね。
つまり、今の自分ではないより良い自分になりたいとか、自由になりたいとか、
があったりするわけです。
そして、さらにその逃避(と自我が言っているモノ)を言葉なしに動機なしに見ると、
そこには・・・。
>>121 >私は全く気にならないのに、どうして気になるのでしょう
楽しいからです(-^〇^-)
小学生が遊んでる感じです
>覚者って人は目覚めが良い方なんですね
(笑)
>>122 >目を合わせちゃいけません
気をつけますm(_ _)m
>>126 >覚者は布団に入ってからすぐに眠るでしょうか?
明日解答します
>>98 問いは、結論が出てしまうと、もう死んでいるんですよね。
答えずに、その問いの中にいるときにのみ、
ただ「今」だけがあり生のリアルがあるんですよね。
言葉なしに、結論なしに、ただ問いであるとき、
つまり、私が何も知らないというその未知の空間にいるとき、
鋭敏さがあり、動機のない気づきがあります。
それは、すべてを照らして明るみに出してしまいます。
また、そこには限界が無く、完全な自由があるんですね。
「○○が見えた」「○○があった」・・・。
なんて陳腐なんでしょう。
腐敗臭すらします。(笑)
ですから戯言なんですね。全部。
(↑これらの結論も含めて。)
>>133 イエスはこのことを
「幼子のような心」
と表現したのかもしれません。
>>133 そうそう、振り返って石になってしまった話がありましたが、
言葉にしてしまったのかもしれませんね。
>>116 > その私とあなたの違いは何なのでしょうか
菊と牡丹くらいのちがいでしょうか・・・。
> それを消したいのです
私とあなたは違うものですよね。
それを消す必要はないと思うのですが・・・。
一方、同じものがあるとすれば、気づきだけですね。
ただそれだけが人の共通点です。
そして、↑これは断言であり判断です。
つまり、思考であって気づきではない。
「気づきとは?」も「気づこう」も「気づきたい」も「気づかなきゃ」も思考ですね。
そうではなく、気づき、それ自体です。
それは、まったく「私」の知らないものです。
たとえば、もし、気づきがあっても、そこから出て解説を始めたとたん、
それは、機知のものであり、思考です。
知っているもので安心を得たとたんに自由を失うのです。
もちろん、「気づきとは?」も「気づこう」も「気づきたい」も「気づかなきゃ」も方便として役に立ちます。
ただ方便であることに気づかないでそれを万能の道具のように握ってしまうと、
気づき自体からは遠ざかります。
気づきは持つことが出来ないのです。
>>134 人々はイエスや仏陀といった覚者の言葉を自分の観念を通して聞き
それが自我の気にいれば新たな観念として再構築して後生大事に持ち歩いたりしますね
「私は真理を知った、イエスの言葉は真実だ、彼は神の子だ」
とか言って
でも、その神の子のイエスさんの言いたいことは
「ご兄弟、貴方の頭の中のその観念とやらをちょっと置いて、私と一緒に生のリアルを楽しみませんか?」
とかだったりするわけですね(笑)
>>134 「貴方方は誰も先生と言ってはならない
ただ天なる父だけが貴方方の先生だからである」
とゆうイエスの言葉を今ふうに言うと
「どんな立派な覚者の言った言葉も観念として持ち歩いてたら生のリアルから乖離します
気づきと共に遊びましょう」
て感じかもしれませんね
↑
当然これも観念として持ち歩いたらアウトかも?
あっ、こんなこと言うと今度は
「私は観念を持ち歩かないようにしないといけない」
とゆう観念を持ち歩く気がしてきました(笑)
大悟だ小悟だと言われるが
悟れば皆、凡夫ではあるまいか。
142 :
ろん:2012/01/04(水) 19:32:41.12 ID:np9AJavQ
>>137 14歳、サイコ―。。
しかし、カラオケで歌おうとするとしくじるのだ。。
>>142 >14歳、サイコ―
14歳と言えばエヴァのパイロット達も14歳でしたね
LRS人の悟り子は「新劇場版ヱヴァンゲリヲン・破」に感激しました
「魂のリフレイン」は好きな曲です
無論、新劇場版の「Beautiful World」も好きです
・・・そう言えば綾波レイは零号機 碇シンジは初号機のパイロットでしたね
0と1・・・全ての数字の基本ですね
たとえ世界が零であっても、シンジるなら愛の花が咲くかもしれませんね
144 :
ろん:2012/01/04(水) 22:49:48.48 ID:np9AJavQ
>>143 LRS人って、なんじゃらほい?
エヴァは新しいのはまるっきり観てないからわからない。。
アスカは好きだけどね。。
歌は、Fly me to the moon が好きかな、アニメ版のエンディングテーマね。。
145 :
ろん:2012/01/04(水) 22:52:30.14 ID:np9AJavQ
新しい劇場版は、テレビでやるまで気長に待つかな。。
・・って最初のはやったんだっけ?観てなかったような。。
借り暮らしのありえっちぃは観たけどね。。
思いついた言葉をここにメモさせてもらう
自由コンプレックス
147 :
キャラメル:2012/01/05(木) 04:43:06.48 ID:crFNgFoo
おはようございます。
(*´∇`)o。゜:.・+ オハヨォォ・.:゜。o(´∇`*)
>>120 > なるほど、私はまだ自分の意識以外の現実が在るとゆう幻想に捕われていました(-.-;)
あ、そういうお話でしたか。^^;
携帯で通話しながら車の運転をするととても危険ですよね。
赤信号が視界に入っていても意識が携帯から聞こえてくる相手の話に向いていると、
赤信号に気づかずに交差点内に進入してしまったりします。
その意味では、「あ」も「 」も全体を一度に正確には見れないです。
お題の趣旨の理解が不十分でした。m(_ _)m
意識は、視界に入っているものに向けることも出来ますし、
それ以外のものに向けることも出来ます。
心臓の鼓動や呼吸に意識を向けることもできますよね。
で、≪お題≫です。
「意識は私のものでしょうか?」
>>121 > 訂正します ⇒ だったら、本気で「遊んでいるわけですね」
はい、かなり気合入って遊んでいます。
>>122 > 福が先か笑いが先か、卵と鶏の関係みたいなものでしょうか
きっと同じタイミングなのだと思います。
> > 「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
> 奇妙な時と喜ぶ時と・・・
たとえばどのようなときが奇妙なのでしょう?
> 悟りの時
これは、もう、笑うしかないです。(笑)
あ、でも、それまでの求道心の強さにもよるのかもしれませんね。
>>123 > 「私たちはどのようなときに笑う(おかしさを感じる)のでしょう?」
>
> ギャップの中に優しさを見つけた時
笑いというのは自然に起こることだったのですね。
>>144 >LRS人って、なんじゃらほい?
ラブ(L)レイ(R)シンジ(S)人
レイとシンジの恋愛を応援する人達のことです
>アスカは好きだけどね
人気のあるキャラですね
>歌は、Fly me to the moon が好きかな
私も好きです、ロマンチックな歌ですね
>>145 >最初のはやったんだっけ?観てなかったような
「序」も「破」も放送しました
レイは庵野監督のアニマ(意識の中の女の部分)
でシンジはインナーチャイルド(内なる幼子)とのことです
アニマやインナーチャイルドとは
ユングの言う原型(アーキタイプ)とかゆうものの一つです
実は原型とは無色透明中立な「それ」のことかもしれません
言い替えれば存在とか神とか空とか・・・
>>126 ><お題>
覚者は布団に入ってからすぐに眠るでしょうか?
眠るまでは目覚めてます
>>123 >ウダウダしないで布団から起き上がり
コーヒーか、濃い緑茶を飲んでますね。
イメージでは
そのあとしばらく瞑想して呪文の練習とかするのよ
「イオナズン!」...とか
>>126 意識は常に目覚めています。
現世夢を見るか、夢を見るか。
どちらにしても起きている。
154 :
キャラメル:2012/01/05(木) 10:18:33.69 ID:crFNgFoo
>>152 (。・o・。)ノおこんにちゎぁ♪
>「イオナズン!」..とか
うっそだぁ〜「パルプンテ」でしょ。
兄ちゃんよくかけられるもん。
キャラメルは混乱している
キャラメルは ウダウダしている
キャラメルはニヤケている
キャラメルは普段からだ…
ケイを倒した
経験値 1 かくとく
ケイケチだ
>>146 >思いついた言葉をここにメモさせてもらう
自由コンプレックス
Yes That's right
>>148 >「意識は私のものでしょうか?」
興味深い問いですね
考えたこともありませんでした・・・
しばらく問い(今)の中で遊んで日曜日辺りになにか、それっぽい多和言を述べましょう(笑)
>>154 >うっそだぁ〜「パルプンテ」でしょ
フフ、「パルプンテ」も良いわね(笑)
じゃあキャラメルお兄様専用のお題をサービスするわね
【お題】
キャラメルお兄様に「パルプンテ」の呪文をかけてる人は誰でしょうか?
157 :
キャラメル:2012/01/05(木) 11:13:58.08 ID:crFNgFoo
>>156 【お題】
キャラメルお兄様に「パルプンテ」の呪文をかけてる人は誰でしょうか?
興味深いq(^m^q)
直ぐに答えちやうぞ!
テンポの悪いギャラメルの野郎(*`^´)=3
テンポは歩く速さだぞ
って言っても直ぐに突っ走るの
ムカちんでしょ。
158 :
ギャラメル :2012/01/05(木) 12:06:37.22 ID:crFNgFoo
↑↑↑
>>148 >「意識は私のものでしょうか?」
その意識イッシキはあなたのものです
この意識イッシキは私のものです
一色の一式は混ざると色が変わります
意識の色は 絵の具の色だから青、緑、紫…綺麗に染まってくんだけど
集まりすぎると
ピュアな黒になってちゃう
光で染めた無意識は、虹色に分かれてて
集まると
ピュアな白になっちゃうんだ。
無意識な事を意識しちゃって半透明
それは意識してない つもりだから
つもり積もってピュアな黒になってくの
160 :
ギャラメル :2012/01/05(木) 13:06:31.60 ID:crFNgFoo
イェイ!ヤエィイ♪
あ゙
・・・・数息観
161 :
キャラメル :2012/01/05(木) 13:09:58.18 ID:crFNgFoo
v(^∀^*)
>>148 >意識は私のものでしょうか?
私のものだと思います
それで、私とは全てです
ということになりますと、○○は私か、□□は私か
そういう質問は、それは全て私です、となります
と、口で言うのは簡単なんですけどね
本当にそうだと思い切れないところに突き詰めの甘さを感じているわけです
それを確かめて本当にそうだったと自身で、見抜きたい、見切りたいわけです
という地点にいるのです
163 :
ろん:2012/01/05(木) 17:27:32.01 ID:SCPyP9gp
>>151 要するにオタってことかw
僕のインナーチャイルドは、ケロロ小隊だったかもな。。
どうやら成仏したっぽい。。
レイはシンジの母親のクローンでしょ。。
近親相姦的なんだよなー。。
164 :
ろん:2012/01/05(木) 17:29:35.32 ID:SCPyP9gp
エヴァはね、パパ―ママーボクのエディプス三角形が、やたら近いところにあるから病的に感じてしまうのよ。。
165 :
キャラメル :2012/01/05(木) 17:43:48.30 ID:crFNgFoo
エヴァんなよ…!
エヴァラ焼肉のたれ
サザエさんの住所は
東京都世田谷区あさひが丘三丁目10番地とゆう設定らしいです
1.サザエさんはあさひが丘三丁目に住んでいる〇
2.サザエさんはあさひが丘に住んでいる〇
3.サザエさんは世田谷区に住んでいる〇
4.サザエさんは東京都に住んでいる〇
5.サザエさんは関東に住んでいる〇
6.サザエさんは日本に住んでいる〇
7.サザエさんはアジアに住んでいる〇
8.サザエさんは地球に住んでいる〇
9.サザエさんは太陽系に住んでいる〇
10.サザエさんは銀河系に住んでいる〇
11.サザエさんは宇宙に住んでいる〇
12.サザエさんは世界に住んでいる〇
でもいきなり11や12を言うと誤解されるかもしれません(笑)
>>140 まったく同感です。
「葛藤」・・・、
そんな分離の体験が出来るのは、
おそらく人間だけなのでしょうね。
まったく人の心は甘美です。
>>140 >>141 そして、悟るとどうなるかを考える必要はないのですね。
(もちろん、考えてもいいですが。)
それそのものは、そんなことは考えない。(笑)
まさに「私」が悟りなんですね。
>>144 >アスカは好きだけどね
アスカは何故シンジにシンクロ率をぬかれて腹を立てたのでしょうか?
>歌は、Fly me to the moon が好きかな
非常に興味深い歌詞ですね
私達は月に飛びたいのでしょうね
実は月は・・・
自分というものを、どうこうしない。
この間、友人と話していたら、いつも、自分が他人にどう見られているかが気になって仕方がない。
でも、しんどいと。
じゃあ、やめればいいじゃないか、と言ったら、やめたら不安になるって。
その時、横にいたもう一人が、そんなの考えるだけ無駄だ。
前を向いて生きるしかない、と。
こんな会話はよくあると思います。
自分という妄想が気になって仕方が無い人と、それを見ることすら拒否する人。
この二人に共通しているのは、自分を知らないという事です。
常に思考を張り巡らし、スキのない様に見せかけている。
そして、その思考で、常に自分を良くしていく必要があると思い込んでいる。
しかし、その人の人生はそれです。
その様なことに、人生のエネルギー、時間を注ぎこんでいるのです。
何かを成し遂げるには、余りにも、エネルギーと時間が足りない…
でも、自分は何かを成し遂げなければならないと思考し続けている…
これを突破するのが瞑想。
思考を止めて、思考が自分でないことを理解し、思考をコントロールできるようにする。
今のまんまで、いいってことを理解する。
ここで間違いやすいのが、現状維持。
諸行は無常なので、現状が維持される事などない。
よって、現状維持も思考による思い込みであることに気をつけなければならない。
>>163 >レイはシンジの母親のクローンでしょ。。
近親相姦的なんだよなー。。
そう言えば近親相姦は神話によく見られるパターンですね、何か理由があるのでしょうか?
>僕のインナーチャイルドは、ケロロ小隊だったかもな。。
どうやら成仏したっぽい。。
ザオリク!
>>171 >今のまんまで、いいってことを理解する。
ここで間違いやすいのが、現状維持。
諸行は無常なので、現状が維持される事などない。
よって、現状維持も思考による思い込みであることに気をつけなければならない。
こっちは、正統派ローキックかよ。
ありがとうございますm(__)m
年男は、つかまりタッチするでしゅぅ。
ちょっと、ちょっとちょっと…
>>171 >これを突破するのが瞑想
朝晩5分間の瞑想で思考エネルギーが節約できるかもしれませんね
数息観とかでも充分です
それに適度な運動と食事と休息、ちょっとした趣味でもあれば最高ですね
そして時々このスレで遊んだり(笑)
常に今が永遠にある
>>173 ローキックw
色んな人と話して、思うのですが、その勘違いがとても多いですね。
同じ瞬間などたったひとつすらないですね。
全ての瞬間が、新しい。
言葉に置き換えるから古く感じるのです。
>>174 日々の生活のふとした瞬間に、心の沈黙を作れる事が望ましいと思います。
>>176 >色んな人と話して、思うのですが、その勘違いがとても多いですね。
同じ瞬間などたったひとつすらないですね。
全ての瞬間が、新しい。
言葉に置き換えるから古く感じるのです。
ローキックは基本なんです。
じわじわ追い詰める
って言うともっと勘違いしそ
“冷酒と親の小言は後で効く”
てなもんです。
なんか、届きましたかな?
あーざーす。
なにか、私に届きましたかな〇
へんだ
ハートに来た!!
トホホな俺
さーせん
深呼吸して
ハートに届いた物が、何かありました。
サーセン…
仕事戻ります(ペコリ
>>9 >悟り子さんの書き方から、まるでクオリアを知らないような書き方ですが
ロールシャッハテストでしょうか?
99.89%の確率でわざとこうゆう書きかたをしていますね?
面白いからもっとやってくれると嬉しいです
(*^o^*)
>>104 宇宙:いつもお世話になります、宇宙です
今日は悟り子さんの気づきを借りてamaさんにご挨拶に来ました
amaさんのおっしゃる通り確かに私は真剣に宇宙をやっています
でも良く観察すると私は至る所に遊びを用意しております→
>>183続き
皆さんに楽しんでいただけたら幸いに存じ上げます
でわ、字数制限中ですので本日はこのへんで
PS・いつも私と遊んでくださってありがとうございます
m(_ _)m:宇宙・
やっぱり宇宙さんて真面目な方ですね(笑)
>勘さん
勘違いしない目印あると楽です。
サーセン
男ってペットは、強くて(e)ペットに憧れと嫉妬を抱いても
認め合えるから、(e)と思っちょります
女心は、下が絡むと怒りに変わるから
おっかねぇッス
186 :
ろん:2012/01/06(金) 17:58:53.26 ID:b+sPLQVG
>>172 近親相姦の禁止は、文化・社会が成立する要件だから、
その成立を説明する神話に、よく登場するんでしょう。。
>>186 神話とゆうのは〔世界〕のなりたちを示すものでしょうか?
〔社会〕のなりたちを示すものでしょうか?
〔世界〕と〔社会〕は同じでしょうか?
〔世界〕とは何でしょうか?
〔社会〕とは何でしょうか?
〔世界〕と〔社会〕より本質的で永続性が在るのはどちらでしょうか?
>>185 変わりゆく一瞬、一瞬に、目印は難しいですねw
今のまんまと、現状維持を取り違えるのは、自我が固定されるからでしょうかね。
自我は自分が変わらないと思っている。
しかし、本当は、常に変化している。
だから、今のまんまでいても変化してゆくのです。
変化を求めようが、求めなかろうが変化してゆく。
変わりゆく自分を観ればいいのです。
わたし自身ここを見たり、書き込んだり、レスを貰ったりする事で変化しています。
毎回違う気持ちで書いている様に思います。
だから、たまに、名前を変えますw
189 :
ろん:2012/01/06(金) 19:52:39.70 ID:b+sPLQVG
>>189 >そんな質問ばっかりして何になるの?
ろんさんと対話をしてみたいと感じたのです
ただ、無理にとは言いません
不躾な点が悟り子にあったのなら私のいたらなさです
どうかお気を悪くなさらずにいてください
失礼しましたm(_ _)m
191 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/06(金) 23:11:29.74 ID:tU/yhgjN
>>189 ろん ばか さん
>
>>187 > そんな質問ばっかりして何になるの?
意味を聞いてどうする?!
192 :
ろん:2012/01/07(土) 00:39:07.89 ID:Q7lu6gfV
>>190 あんまり答える意味があると思えませんでした。。
対話のネタとしても、あんまり・・・
193 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 02:19:05.13 ID:dTjpKslJ
人は何の為に生きるのでしょうか?
「そんな質問ばっかりして何になるの?」じゃなく
「あなたの何がそんな質問ばかりをしてしまうの?」の方がよかったな
経典より人肌が恋しいんだろ。
エディプスか、父と母のケンカが私の事で子供部屋に閉じ込められてるの辛かった。
【お題】
〔この文章を意味を読み取らずにただの模様として見てみましょう〕
>>196 >父と母のケンカが私の事で子供部屋に閉じ込められてるの辛かった
父も母も自分達のケンカ(葛藤)から可愛い貴方を守りたかったのかもしれません
「辛かった」貴方へ「今」の貴方から何かアドバイスできることは無いでしょうか?
>>162 > ということになりますと、○○は私か、□□は私か
> そういう質問は、それは全て私です、となります
つまり、すべては私なので、意識もその中に含まれる、ということですね。
では、ちょっと質問を変えてみます。
意識は、私の前に置くことができるでしょうか?
つまり、意識を捕まえたり見たり感じたり、
のように対象として扱うことができるでしょうか?
どうぞ、実際に試されてください。
これは業務命令です。(笑)
(TV見てなかったらスミマセン。)
> と、口で言うのは簡単なんですけどね
まったくです。
いろんな人が言っていますし、本にも書いてありますもんね。(たぶん)
> 本当にそうだと思い切れないところに突き詰めの甘さを感じているわけです
いえ、その姿勢が何よりだと思います。
> それを確かめて本当にそうだったと自身で、見抜きたい、見切りたいわけです
> という地点にいるのです
必ず答えを見出されると思います。
隠されているものなどないのですから。
>>197 Σd(ゝ∀・)→ヽ(≧∀≦)ノ→(*`д´*)→
。・+゚゚(うд´。)゚゚+・。→(。-_-。)…
>>193 >人は何の為に生きるのでしょうか?
それは自分で好きに決めて良いと感じます
無論ただ「今」を生きるのもありでしょう
究極的には「存在」が存在する感覚を楽しんでる感じがします
悟り子は生は遊びだと感じています
あくまでもご参考までに
>今の私は「辛かった」私で出来ています
今の「私」(自我、過去の集積)は「辛かった私(過去)」
で出来ているのですね?
おっしゃる通り、自我とは過去で出来ています
自我は過去を現実だと思い込む癖があるようです
その自我を判断無しに観察するのも良いかもしれません
あくまでもご参考までに
>>194 >「あなたの何がそんな質問ばかりをしてしまうの?」
遊び心ですね
楽しいのです「問い」自体が
問いは存在の性質かもしれません
悟り子もただこのスレで遊んでいるだけです 何の意味も目的も無く(笑)
>>195 >経典より人肌が恋しいんだろ。
ビンゴ(笑)
ただ恋しいです、全てが憧れであり虹であり詩であり自己であり未知です
存在自体が恋なのかもしれません
風も雨も日照りも嵐も友達(恋人)です
愛しさと切無さと心強さと・・・なんて歌がありましたね
206 :
ろん:2012/01/07(土) 11:01:34.92 ID:Q7lu6gfV
>>162 目の前に何かがある(あるいは見える、と言うかもっと正確には、意識内容だけですね・・)、までは無心で、意識そのものだ。。
けれど、わたしは〜だ、とか、〜はわたしだ、と言うのは思考であって、意識ではないです。
>>199 本に書いてあったとしたら嘘でしょうw
207 :
ろん:2012/01/07(土) 11:04:30.92 ID:Q7lu6gfV
実際に自他がなくなる、ということと、知的にすべて私だ、と思うことは全然違う。
前者の実際に自他の垣根が外れること、が本当であって、知的にすねたが私だ、と思うことにはあまり意味がない、というか、そう思うことが、意識を解放することの妨げになるんじゃないかな。
208 :
ろん:2012/01/07(土) 11:05:24.75 ID:Q7lu6gfV
「すねたが私」は間違いね。。
「すべてが私」と言いたかったのでした。。
209 :
ろん:2012/01/07(土) 11:07:12.02 ID:Q7lu6gfV
付け足すと、すべてがあなたですとか、書いてある本があったとして、それは著者が実際体験したなら嘘じゃないかもしれないが、それを読んでわかった気になると、嘘になってしまうかもしれない。。
>>195 悲しみに 出会うたび〜
あの人を 思い出す〜
こんな時 側にいて〜♪
かたを抱いて ほしいと・
なぐさめも 涙もいらないさ愛
温もりが 星意だけ〜☆
一は皆 一離では〜
生きてゆけない ものだから愛♪〜θ(^0^ )
211 :
ものまね:2012/01/07(土) 12:08:04.22 ID:Y+0vRX3V
スネた私もすべて私。。
>>136 そうなんですよね
>>148 > 「意識は私のものでしょうか?」
意識と意識の目が合ったとき、はたしてこれはどちらのものか言えるでしょうか
>>152 > 眠るまでは目覚めてます
眠ることはこちらからしようとしてもできないのですよね
眠ろうとすればするほど目が覚めてきます
悟りもこちらからの働きかけには応じてくれないのでよく似ています
覚者って人がいたら、あれこれ考えずに、おそらくすぐ眠ることでしょう
すぐってどれくらいか おそらく数秒でしょう
>>153 > 意識は常に目覚めています。
眠っているのか、覚めているのか難しそうですね
>>182 > >悟り子さんの書き方から、まるでクオリアを知らないような書き方ですが
> ロールシャッハテストでしょうか?
はい。直接的に書かずに疑問形で書いたり、少し趣向を凝らしています。
例えばこのように
福と笑いはどちらが先でもない という場合
↓
> 福が先か笑いが先か、卵と鶏の関係みたいなものでしょうか
>はい。直接的に書かずに疑問形で書いたり、少し趣向を凝らしています。
糸があるのですね。
縄でなく助かります。
>>182 > 99.89%の確率でわざとこうゆう書きかたをしていますね?
直接的に書くとこうなります
クオリアのことは何も読まなくても悟り子さんなら既に分かっているでしょ
世界があり人があり、互いに触れ合っていると 多くの人は思っていると思いますが
しかしながら
世界も人も心を通して見ており、その心は同じかどうかは分からない
ということを悟りをとおして気がついているはずです
>>193 理由がないとだめなのでしょうか
>>210 > 一は皆 一離では〜
> 生きてゆけない ものだから愛♪〜θ(^0^ )
なるほど。だから理由が必要なのでしょうね。
>>193 > 人は何の為に生きるのでしょうか?
究極的には、人が生きるための意味はありません。
人生は創造と体験ですから、意味は自分で創り出します。
人はなんでも考えたものになれます。
「人は何の為に生きるのか?」と考えると、
そのような人になれます。
ですから、探しても永遠に見つからないのですね。
探すのではなく、創り出すのです。
今考えていらっしゃる通りにあなたはなっていて、
それを体験していらっしゃいます。
そして、私が今書いたこの考えを受け入れると、
やっぱり、そのようになります。
つまりこれは、
「人は○○の為に生きるのだ」
という考えに縛られないほど、
あなたが自由であるということの証明なんですね。
>>199 >意識は、私の前に置くことができるでしょうか?
多分すごく鋭い質問なのは伝わるんですが、どう鋭いのか説明できません
単純に答えさせてもらえれば、できませんでした
アテンションプリーズ
悟り子です\(^ー^)/
ここで、このスレをご覧の皆様にお知らせがあります
このスレのレスを読む時には文脈に注意してお読みくださいませ
例えばこのスレにおける「私」は文脈によって、自我、意識、自我意識現象全てと意味合いを変化させます
わざと誤読を誘って遊んでられる覚者さんもいます(笑)
あまり観念に縛られることなく
自由な遊び心のままに当スレをお楽しみくださいませ
以上悟り子でしたm(_ _)m
220 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/07(土) 15:35:51.61 ID:xxXWEEoL
>>209 ほんとに あほ 突っ込みどころ満載のしったか ばかろんばか さん
> 付け足すと、
ないよ、なにも
222 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 16:56:14.50 ID:YwSCCfOQ
質問です。
どうなったら悟りを開いた事になるのでしょう?
自分も悟りを開いたつもりなのですが。
>>222 > どうなったら悟りを開いた事になるのでしょう?
何かになろうとしないことです
>>219 > 例えばこのスレにおける「私」は文脈によって、自我、意識、自我意識現象全てと意味合いを変化させます
そうなんですか
自我=私で使ってます
> わざと誤読を誘って遊んでられる覚者さんもいます(笑)
覚者って人は意地が悪そうですね
>>224 >自我=私で使ってます
その辺りが微妙ですね
言葉で定義付けすると観念が強化されて分離の感覚が強くなりますし... サザエさんは世田谷区に住んでいると思い込むと
・・・
解釈しなければ分離は存在しない
でも解釈しなければ対話もできない
だからざれ言なんですね
(笑)
私達は言葉がただの言葉だと気づき、観念がただの観念だと気づいたうえでじゃれあってるのです(笑)
じゃあお休みなさい
m(_ _)m
226 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 20:57:18.72 ID:CMN87+rY
本を読んだだけで信じやすくなる事ってあるのかな
227 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 21:04:42.83 ID:lTpXU7HT
何を?
私=自我と良く使うのですが
そうすると「本来の(元から存在する)私」
を指す言葉が無くて困ります。
みなさんは、どうやって解決していますか?
>>193です
やっぱり無いのか。
毎日同じ事のくり返しで疲れます。
夢でもあったらまた違うのかな。
ありがとうございました。
230 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 02:27:06.57 ID:4RbwbUAh
>>228 以下の三つで使い分けてるかな。
真我
自我(独我論のいう)
通常の自我(エゴ的ニュアンスが含まれる)
232 :
ろん:2012/01/08(日) 03:23:11.67 ID:DUVVzH7F
>>211 私は私に非ず、すねた私も、私に非ず。。
私って何だよ?
私って思うものだよ。。
233 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 03:29:45.34 ID:4RbwbUAh
>>232 突っ込みどころ満載のしったか ばかろんばか さん
>
>>211 > 私は私に非ず、すねた私も、私に非ず。。 私って何だよ? 私って思うものだよ。。
思うのかよ、(爆)
考えるだ。Pさんは・・・しったか、Bろん
234 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 03:32:21.88 ID:4RbwbUAh
才八∋ウ_〆(・ω・)┌┛)β`)/
>覚者って人は意地が悪そうですね
意地を割ってくれる事も…
237 :
ろん:2012/01/08(日) 05:19:30.15 ID:DUVVzH7F
万法ともにわれにあらざる時節、まどいなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。
仏法もとより豊検より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。
しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。
(現成公案)
238 :
ろん:2012/01/08(日) 08:17:54.05 ID:DUVVzH7F
(ろん様口語訳)
万法がみな私でない時節(認識以前の今ここ)、惑いなく悟りなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅もない。
仏法はもともとも、多いとか少ないとか言った対立(有無の対立?)を超えているから、生滅あり、迷悟あり、生仏がある。
しかし、そうはいっても、花が散るを惜しみ、草が生えるのを嫌うのである。
>>207 > 実際に自他がなくなる、ということと、知的にすべて私だ、と思うことは全然違う。
同感です。
>>209 > 付け足すと、すべてがあなたですとか、書いてある本があったとして、
> それは著者が実際体験したなら嘘じゃないかもしれないが、それを読んでわかった気になると、嘘になってしまうかもしれない。。
「すべてが私である」というのは自我の出す結論(判断)ですね。
どのようにして自我は、そのような結論を出すのでしょう?
「すべてが私である」というのは体験だと思われますか?
>>218 > >意識は、私の前に置くことができるでしょうか?
> 多分すごく鋭い質問なのは伝わるんですが、どう鋭いのか説明できません
鋭いかどうか分かりませんが、単純な質問です。
> 単純に答えさせてもらえれば、できませんでした
ですよね。
意識以外はどんなものでも調べようとする者の前に置くことができるのに、
意識だけはできないのですね。
これはどういうことなんでしょう?
>>222 > どうなったら悟りを開いた事になるのでしょう?
ただ当たり前のことに気づくこと、
たとえば思考が自分ではないことに気づくことです。
>>229 >毎日同じ事のくり返しで疲れます。
夢でもあったらまた違うのかな
新しいことを始めるチャンスかもしれません
悟りでも開きませんか?
貴方を疲れさせてるのは多分無意識的思考と観念と、それらとの同化です
つまり気づきの無さです
手初めに自分の思考と行動をできるだけ詳しくノートに書き込むのはどうでしょう?
何か気づきがあるかもしれません
>>222 >どうなったら悟りを開いた事になるのでしょう?
ただ見ること 聞くこと 触れること 感じること
在ること
ただ泣くこと 笑うこと 寂しいこと 楽しいこと 悲しいこと 幸せなこと
愛しいこと・・・
つまり葛藤無く生きること
自分にも他者にも自然に優しい配慮が起こること 過去にとらわれず 結果にこだわらず 存在を信頼して 気づきと遊ぶこと
つまり世界と分離無く生きること・・・
言葉で表現するならだいたいこんな感じです・
>>238 ありがとうです。
おバカでも飲み込めた。
246 :
キャラメル:2012/01/08(日) 09:39:02.22 ID:1LKHhIGH
キャラメルでした。
247 :
ろん:2012/01/08(日) 09:47:31.15 ID:DUVVzH7F
>>240 自我とか思考なしに体験した主客身分の意識を、仮にそう表現したのでしょう。
ホントは訳せない外国語を無理に翻訳することに似ているかもしれません。。
主客が無くなったら、ホントは向こう側だけで、私と言う意識は出てこないと言えるかもしれません。。
あるいは、すべてが私だ、と言った時の私は、個我としての私ではないでしょう。。
個我の延長上にはない、だから、個我としての私を忘れ果てた先の実感でしょう。。
身心脱落、脱落身心ですね。。
>>228 >私=自我と良く使うのですが
そうすると「本来の(元から存在する)私」
を指す言葉が無くて困ります
「本来の元から存在する私」とゆう表現もありだと感じます
それにしても本来の私を
指す言葉が無いとどう困るのか興味深いです
>>224 >自我=私
悟り子は...
自我≦私
まあ、こんな感じです
>覚者って人は意地が悪そうですね
→悪そうですね
→悪「そう」ですね
→「そう」←これ?
気づきのネタを提供してくれてる優しい覚者さんだと感じます(笑)
249 :
ろん:2012/01/08(日) 09:48:36.51 ID:DUVVzH7F
>>245 そうか、じゃあまた気が向いたらやるかな。。
250 :
ろん:2012/01/08(日) 09:53:57.96 ID:DUVVzH7F
>>248 本来の私は意識そのもので、見ているものだから、自分自身を見ることはできない。
すなわち知りようがない、わかりようがない。
だから、世間の人は、何かとりえとか肩書きとかいろいろとっつけて、自分がわからない不安を無くそうとするんですが、ホントは無駄な足掻きなんですね。。
知りようがない、名指しようもないのがホントですから。。
達磨さんは、中国の武帝に「おまえは誰だ」と聞かれて「知らず(不識)」と答えました。。
指しようがない、指す必要もないんです、解決してしまえば。。
本来を知ったとしても、知ったもの、と言うのは、やっぱり自我になってしまいますから。。
知ってる分が余計、嘘なんです。。
・・とかいって、おまえが言ってるのは知ってることじゃないんかい、オラァ!と言われればそれまでかな―ww
251 :
ろん:2012/01/08(日) 09:57:51.00 ID:DUVVzH7F
>覚者って人は意地が悪そうですね
僕も数年前、ネット上の覚者らしき人に、ぶっ叩かれたことあったなー。。
せったんさんと言う禅師にも、ぶっ叩かれてた。。
252 :
ろん:2012/01/08(日) 10:03:58.44 ID:DUVVzH7F
だから、知ってることは嘘くらいに思って、知らぬ存ぜぬわからないまんまでいるのが修行かも。。
覚者は叩かないだろ。
怒りを持たないんだし。
叩かれてる方が驕りがあるから
叩かれたと感じるんじゃないの。
メガネを逆さに掛けてるよと指摘されて
どう受け取るかだろう。
>>148 >≪お題≫です。
「意識は私のものでしょうか?」
意識が私です
でわ多和言タイム(*^o^*)
「意識は私のものか?」
とゆう問いを発しているのも意識だったりします(笑)
そして「意識は私のものか?」とゆう問いには
あたかも意識じゃない「私」などとゆうものがあって「意識」とゆう何かを「所有」している感覚が感じられます
この「所有」とゆうのも自我のもつユニークな感覚ですね
その根底には「分離」の感覚があります
実は自我のあらゆる思考、感情はこの「分離」の感覚が根底にありますね
そしてこの感覚を使って私達は様々な体験を楽しんでるわけです
なにしろ自我を創ったのも意識ですから(笑)
そしてさらに深い所で意識は意識しか無いことを知っているのですね
全ては意識の自作自演な分けなのです
茶目っ気たっぷりなんですね、意識ちゃんは
>>200 >Σd(ゝ∀・)→ヽ(≧∀≦)ノ→(*`д´*)→
。・+゚゚(うд´。)゚゚+・。→(。-_-。)…
>→(。-_-。)…
キャラメルお兄様?
じゃあ正解(笑)
256 :
ろん:2012/01/08(日) 11:03:39.80 ID:DUVVzH7F
>>254 そうなのかなー。。
問いを発するものや自我をつくったものは、思考じゃないの?
だいぶ物心ついてからの話だと思うよ、そういうのができるのは。。
257 :
ろん:2012/01/08(日) 11:05:38.22 ID:DUVVzH7F
>>253 覚は叩かないけど、者は叩くよ。。
だって人間だものw
悟りと人間がドッキングしてるのが覚者。。
覚者=凡夫でもあるわけだしね。。
258 :
ろん:2012/01/08(日) 11:07:30.34 ID:DUVVzH7F
まあ指導しようという意志がなければ、叩かないだろうな。。
叩くときは、意義があると思ってやるんだろう。。
>>250 >本来の私は意識そのもので、見ているものだから、自分自身を見ることはできない。
すなわち知りようがない、わかりようがない
そうですね、悟り子は便宜上、純粋観察者と表現しますが、まあ、ざれ言です(笑)
「それ」は名付けようがなく、定義不能で永遠の神秘です
>本来を知ったとしても、知ったもの、と言うのは、やっぱり自我になってしまいますから。。
知ってる分が余計、嘘なんです。。
「雨」とゆう言葉は「雨」とゆう現象それ自体ではありませんね
>・・とかいって、おまえが言ってるのは知ってることじゃないんかい、オラァ!と言われればそれまでかな―ww
楽しいのでしょう、こうゆう話や考察をしたりするのが
楽しいことは楽しいのです(笑)
>>215 >時々、模様に見えます
そうゆう ケッカ? 観念突破 卵求麗ですね
わかりづらくてすいませんm(_ _)m
>>240 >「すべてが私である」というのは体験だと思われますか?
「私」以外の全ての想いが消えると
智覚できる世界の全てが「私」そのものだと感じるよ。
だから体験だと言ってもイイと思う。
でも、「私」しかない世界では「私」という感覚も直ぐに消えて
「存在する」って感覚だけが残るよ。
>>256 >そうなのかなー。。
問いを発するものや自我をつくったものは、思考じゃないの?
仮に意識を身体、思考を運動に例えるとすると
身体=運動ではありませんね
その意味で思考は意識が基底にあるとは言え意識とは別のものです
しかし運動は身体がしているのも事実
その意味では思考と意識は同じものです
定義の問題ですね
本来は全てが一つで分離は存在しないのです
でも解釈により認識されるものを定義付けして分類することにより
分離の感覚が生まれ世界はとても複雑なもののように感じられます
解釈も定義もしなければ世界はシンプルに在るがままです
>>242 >ただ当たり前のことに気づくこと、
たとえば思考が自分ではないことに気づくことです
そしてまたあとで、思考も私だったと気づいて爆笑するのですね?わかります(笑)
覚者はそのときの対話で相手がなにを求めているかを鋭敏に見抜き
ざれ言(方便)を使うわけですね?
勉強になりますm(_ _)m
>>241 >意識以外はどんなものでも調べようとする者の前に置くことができるのに、
>意識だけはできないのですね。
>これはどういうことなんでしょう?
前に置くことができるのは、「調べる者」が「調べる対象と別のとき」で
前に置くことができないのは、「調べる者」が「居ないとき」だから
かな
意識というのは、「調べる者」が「居ないとき」にあるもの
ということでしょうか
>>247 つまり、「あのとき私はいなかった」ということですね。
>>251 (爆笑)
私も、とても(ありえないくらい)意地の悪いことを言う覚者さんを知っています。
それはもう、現実の対人関係でこんなこと言ったら死人が出るだろうな、くらい。(笑)
でもって、言われている相手も相手で、全部吸い込んでしまうのですから、
これは見ていてとても気持ちよかったです。
両名とも、自分の反応を楽しんでいただけなんですね。
終わってみると、
なんだこの2人、遊んでいただけなのか!
そんな感じ。
>>242 >ただ当たり前のことに気づくこと、
たとえば思考が自分ではないことに気づくことです
別の表現をするなら、思考は自己の本質的な部分では無いと気づくことでしょうね
思考は事物を解釈したり意味付けしたり、人生を想像(創造)したりして遊ぶ楽しいおもちゃだと気づく感じだと感じます
無くても良いけどあっても邪魔にならない(思考を自己だと勘違いして思考に同化しなければ)
アダムとイヴは知恵の実(思考 意味付け)を食べた(思考 意味付けに同化した)
からエデンの園(生のリアリティ)を追い出された(失った)のかもしれませんね
存在するものは存在する
存在しないものは存在しない
在るものは在り
無いものは無い
有は有であり
無は無である
実在は実在であり
非実在は非実在である
ここに永遠の平和が在る
268 :
ろん:2012/01/08(日) 14:40:58.27 ID:DUVVzH7F
>>261 あなたが一番解釈して定義してるように感じるけどなー。。
人は何のために世界を定義したり分離したりすると思いますか?
分別思考によって、世界が分離し、「すべては一つ」が見えなくなる?
すべてが意識なら、分別思考を休んで、意識自体を体験する必要もないですよね?
何のために分けて考えているのでしょう?
何のために様々な言葉の定義があるのでしょうか?
269 :
ろん:2012/01/08(日) 14:42:10.27 ID:DUVVzH7F
>>267 実在と非実在はどうやって見分けるのでしょうか?
270 :
ろん:2012/01/08(日) 14:47:02.54 ID:DUVVzH7F
>>265 あっはっは、せったんさんもあり得ないくらい意地が悪かったなー。。
僕は吸収せずに、全部返す刀で切り返してたw
ホントは最初ガマンしてたんだけど、だんだんガマンできなくなってしまったのでした。。
最後ウンコの掛け合いみたいになってたかもだw
271 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 15:04:56.91 ID:dAAWvxzR
272 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 15:07:01.86 ID:dAAWvxzR
273 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 15:09:23.48 ID:dAAWvxzR
274 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 15:10:59.16 ID:dAAWvxzR
275 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 15:13:45.09 ID:dAAWvxzR
276 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/08(日) 15:15:51.79 ID:dAAWvxzR
振り向いて欲しくて
クレヨンでラクガキする坊やか・・
障子に指で穴を開けても振り向いてはくれんぞ
>>268 >あなたが一番解釈して定義してるように感じるけどなー。。
ありがとうございます
m(_ _)m
>人は何のために世界を定義したり分離したりすると思いますか?
好奇心や楽しさでしょうか?
発見や発明や創造、生活の利便性を求めているのかもしれません
>分別思考によって、世界が分離し、「すべては一つ」が見えなくなる?
世界を概念(自分が知っていると思っていること)を通じて見るようになるのかもしれません
(分別するから分別思考...なんちゃって(^O^))
>すべてが意識なら、分別思考を休んで、意識自体を体験する必要もないですよね?
必要は必要としない限り必要ないのかもしれませんね
>何のために分けて考えているのでしょう?
何のために様々な言葉の定義があるのでしょうか?
一つには生活の利便性でしょうか?
それと知的好奇心や探究心 楽しさでしょうか?
真相は悟り子にもわかりません
>>269 >実在と非実在はどうやって見分けるのでしょうか?
実在とは悟り子の言う純粋観察者のことでしょうか?
それは見分けられません、見ることも聞くことも触れることもできない、定義不可能の永遠の神秘です
貴方が見るものは全て実在の自己表現であり実在ではありません
貴方が実在です
>>225 > その辺りが微妙ですね
はて、自我=私 以外に出会ったことはありませんが・・・
>>228 > 私=自我と良く使うのですが
> そうすると「本来の(元から存在する)私」
ああ、本来の私 ということですね
それって何でしょう?
>>248 > 気づきのネタを提供してくれてる優しい覚者さんだと感じます(笑)
覚者ってそんな人がいるのですか?
そいつはすごい
私もまだ1度しか・・・
いや・・・、人だったかどうかわかりません
まさかとは思いますが、ネット上のことではないですよね
>>251 > 僕も数年前、ネット上の覚者らしき人に、ぶっ叩かれたことあったなー。。
そいつはすごい
どのようなことを書かれたのでしょう
> せったんさんと言う禅師にも、ぶっ叩かれてた。。
一度だけ、ネットで対話したことあります
その人にイエスしかいわないコバンザメみたいな人がくっついていました
>>259 > そうゆう ケッカ? 観念突破 卵求麗ですね
模様に意味を持たせるのも、持たせないのも、その時に応じて使っています
>>270 > ホントは最初ガマンしてたんだけど、だんだんガマンできなくなってしまったのでした。。
どちらもガマンならなかったのでしょうねきっと
> 最後ウンコの掛け合いみたいになってたかもだw
ネット上なのでどんな人かわからないので、試しに反応を見て見たのですが、
コバンザメと一緒にうんこかけてきました
反応を見たかっただけですので、失礼しましたすいませんと謝っておきましたがね
>>280 >自我=私 以外に出会ったことはありませんが・・・
自分以外を体験したことは無いとゆう理解でよろしいでしょうか?
お休みなさいm(_ _)m
何か失礼なことを書いたというよりは、気になるところをちょっと突っ込んでみただけなんです
確か、自分の寺の将来を気を気にしていたところ
自分の息子の将来を気にしていたところ
本を書いていたところ
このぐらいですかね
>>280 駄目です気になります(笑)
>覚者ってそんな人がいるのですか?
そいつはすごい
私もまだ1度しか・・・
いや・・・、人だったかどうかわかりません
「気づき」のことですか?
今度は本当に休みます
お休みなさいm(_ _)m
そしたら、何か気に障ったようです
もっと他にも気になるところがあったのですが、突っ込むまでもなかったようです
>>284 すいませんが基本的なことを1つ(勝手に基本だと思っております)聞きます
覚者(人がいたとしたら)かどうかわかる方法は1つしかありません
その方法を知ってますよね?
知らないとしたら、まだ、覚者に出会っていないということでしょう
そんなはずないか 扇風機と出会っているのだから
「拈華微笑」が分かり易い話です
迦葉はどうやって法脈を受け継いだというのでしょう
釈迦はどうやって迦葉が受け継いだことを知ったというのでしょう
笑ったから・・・とんでもない
>>286 >覚者(人がいたとしたら)かどうかわかる方法は1つしかありません
その方法を知ってますよね?
知りません(笑)
眠ろうとすれば眠れませんし
気づこうとすれば気づけませんし
正しく判断するためには判断しないことしかありません
見抜こうとすれば見抜け無いのです
悟り子には何も分かりません(・◇・)?
289 :
ろん:2012/01/08(日) 18:53:42.43 ID:DUVVzH7F
>>278 生活の利便性でも好奇心でも探究心でもないだろーなー。。
物事を明らかにするためでしょう。
そして問題を解決する。。
医者が病気を治すためには、多くの医学的知識が必要です。。
体の部位から、器官、ホルモンから血圧から、全部分けて名付け手定義することが必要ですね。。
それが出来なければ、病気やけがなどは直せないでしょう。。
それで、定義とか名前(普通名詞の方ね)と言うものは、基本的には社会的に誰にでも同じ意味を指すように意味が決まっています。。
例えば、世界と社会、意識と思考、これらの意味は辞書を引けばあるとおりです。
自分勝手に意味付けして発言すると、対話が成り立たなくなります。。
ここら辺は、ルールに従うしかないところです。。
世界と社会、意識と思考と分けることで、いろいろ考えることができるわけです。。
全部ひとつですとか言ったら、考えることも、対話することもできないわけです。。
290 :
ろん:2012/01/08(日) 18:54:26.62 ID:DUVVzH7F
>>279 見るものが全て実在ではなく、私自身が実在であるということをどうやって確かめるのですか?
291 :
ろん:2012/01/08(日) 18:56:40.17 ID:DUVVzH7F
10時まで起きてることにしました!(b^ー°)
>>289 >生活の利便性でも好奇心でも探究心でもないだろーなー。。
>物事を明らかにするためでしょう。→好奇心 探究心
>そして問題を解決する→生活の利便性
定義とか名前(普通名詞の方ね)と言うものは、基本的には社会的に誰にでも同じ意味を指すように意味が決まっています。。
例えば、世界と社会、意識と思考、これらの意味は辞書を引けばあるとおりです。
自分勝手に意味付けして発言すると、対話が成り立たなくなります。。
ここら辺は、ルールに従うしかないところです→生活の利便性
世界と社会、意識と思考と分けることで、いろいろ考えることができるわけです。。
全部ひとつですとか言ったら、考えることも、対話することもできないわけです→好奇心 探究心 楽しさ
>>290 >見るものが全て実在ではなく、私自身が実在であるということをどうやって確かめるのですか?
確かめる方法はありません
今だに確かめた人はいません
それは科学的に証明することができないのです
ただ貴方が見ている全てが夢であっても
夢を見ている何かは「在る」のだろうと推測するくらいですね
貴方がいないのなら貴方が見ている夢も無いでしょう
そんな表現が悟り子には限界です
貴方は居るのですか?
貴方はいないのですか?
それは貴方にしかわからないのです
>>293 >悟りなんてものはないということかなあ
悟り子には分かりません
ただ
思考の中の自分を現実の自分だと思いこんでいる人達と
思考の中の自分は単に思考の中の自分だと気づいている人達はいるように感じています
>>288 そうですか。少し驚きです。
だったらどうやって覚者だと分かったのでしょう
>>265 > 私も、とても(ありえないくらい)意地の悪いことを言う覚者さんを知っています。
amaさんはどうやって覚者だとわかったのでしょうか?
ぜひ、拈華微笑の話がわかるか聞いてみたいです。
>>296 >そうですか。少し驚きです。
だったらどうやって覚者だと分かったのでしょう
気づき以外に知のより処が無いのです
じゃあ気づきを知っているかと言うと知らないのです
人間の覚者を定義するとすれば、その人が気づきを知のより処としているか
知識を知のより処としているかです
これはしばらく話しを聞いてれば分かります
298 :
キャラメル:2012/01/08(日) 22:29:23.31 ID:1LKHhIGH
テンポは歩く早さ、、、分かってんのにスキップしてるんだよなぁ…
走ってる愉しそうなアイツ裸には
追い付け無い…
振り返ると離れてる
ポツン
また、浮かれてた\(__)ハンセイ
道草で草むしり
おやすみなさい
299 :
ろん:2012/01/09(月) 00:12:42.92 ID:2R+HKT+A
>>292 なんというか、率直な感想として非常に詭弁的。。
言葉を自分の都合のいいように解釈して、自説を曲げようとしない。。
それでいて、戯言だとか楽しみだとか、これも自分に都合のいい逃げのように感じます。。
真実を明らめることは生活の利便性ですか?
普通はそうは言わないですよね。。
それがなければ死んでしまうことを医術によって、救うことが生活の利便性ですか?
相当に拡大解釈しない限り、普通はそうは言いません。。
ガキの屁理屈に聞こえる。。
ほとんど、まともに対話ができない人ですね。。
300 :
ろん:2012/01/09(月) 00:25:11.09 ID:2R+HKT+A
>>294 >確かめる方法はありません今だに確かめた人はいません
>貴方は居るのですか?貴方はいないのですか?
>それは貴方にしかわからないのです
だったら、何でわかったように言うんだよ、と言う話。。
>>267みたいなのは、ただの寝言、たわごと。。
もっともらしいこと言ってごまかしてるだけ。。
嘘で固めて、らしいように見せているだけなの。。
あるいは、わかったつもりなのかもしらんけど。。
>>300 >だったら、何でわかったように言うんだよ、と言う話。。
ろんは悟ってるって前に言ってたのに、
何で分かんないんだろうという不思議。
302 :
ろん:2012/01/09(月) 03:01:08.76 ID:2R+HKT+A
303 :
ろん:2012/01/09(月) 03:03:44.93 ID:2R+HKT+A
せったんさんは、彼岸に渡るとか言ってた割に彼岸に渡っているような気がしなかったな。。
特に2ちゃんでは、暴れん坊でひどかった。。
悪口雑言おれの方が上だとかなんとかww
さて、彼岸はこことは別のところにあるのでしょうか?
それともここがそのまま彼岸なのでしょうか?
304 :
ろん:2012/01/09(月) 03:08:30.89 ID:2R+HKT+A
今ここと言うのは、わかりやすいけど、わかった気になってしまうという落とし穴がある。。
今にいないのに、自我に支配されているのに、欺瞞があるのに、捉われているのに、これでいいと決めつけてしまうことだ。。
で、これ以上わかる必要も悟る必要も求める必要もないと、思い込んで図に乗ってしまう。。
そういう人は、今の自分を否定した方がいい。。
今のまんまじゃダメ、ありのままじゃ醜いだけ、嘘偽りの人生であると。。
何にもわからないに帰る。。
305 :
ろん:2012/01/09(月) 03:13:58.42 ID:2R+HKT+A
特に悟りと言うのは、わかったつもりが強いと、人に説教など初めて、非常に困ったさん、勘違いさんになってしまう。。
でも当人が悟ったと思い込んでいるから、人に言われても耳を貸さない。。
まあ心地の良い幻想だ。その幻想が心地よいから、自覚がないのだろう。
自覚がないから、幻想から出られないのだろう。。
306 :
ろん:2012/01/09(月) 03:17:20.04 ID:2R+HKT+A
悟りと言うのはチラッと見ただけでは使えない。。
すぐに自我が捉えて、おれは悟ったと、自我肥大症になってしまう。。
道元も言っている、ちらっと見て、完全にわかった、でもダメですよ。。
それだけでは、道が閉ざされますよと。。普勧坐禅儀ね。。
だから、チラッと見たら、悟ったとか思わずに、あるいは悟ったとしても捨てて、急いでその先にダイブしていかなければならない。。
307 :
ろん:2012/01/09(月) 03:19:26.88 ID:2R+HKT+A
接心の時、チラッとでも悟ったら捨ててください、とせったんさんは言った。。
そのときは、何で捨てなきゃならんのか全く分からなかった。。
悟ったと思ってるのは悟りじゃないんだ、まだまだその先がある。。
達磨さんは面壁九歳だもんね。。
308 :
キャラメル:2012/01/09(月) 03:44:41.99 ID:Q25+h9X9
おはようございます(^-^)
いってきまーす。
先生、ゴチになります♪
309 :
キャラメル:2012/01/09(月) 07:42:38.75 ID:Q25+h9X9
昨日、おみくじ引いたら“大吉”!!
ちょ〜〜(*´∇`*)にこちゃん♪
後は落ちるだけ…
ネガティブ!
憂い。
一片無瑕玉だって♪(*/□\*)テヘ
♪調子に乗ってるぜ 嘘つきエンジェル♪
>>222 >質問です。
どうなったら悟りを開いた事になるのでしょう?
自分も悟りを開いたつもりなのですが
あくまでも私の私見ですが
悟りとは今にくつろぐことです
別の表現を用いるなら[くつろいだ「在り方」]です
貴方が意図してくつろいだ「在り方」を選んでいるなら貴方は悟りの人です
あくまでもご参考までに
>>226 >本を読んだだけで信じやすくなる事ってあるのかな
観念を通じて本を読むのなら信じやすくなることもあるでしょう
気づきにあって本を読むのならば、それは楽しい遊びだと感じます
あくまでもご参考までに
>>254 > なにしろ自我を創ったのも意識ですから(笑)
確かに何もないところから言葉(思考)があふれてくるように見えますね。
出てきたときだけ見えて、出てこないときは見えない。
それが、すべてなんですよね。
>>256 確かにそうなのですが、
同時に、意識がないと、思考すらないのでは?
>>260 つまり、体験者がいなくて、体験だけがある、
とそんな感じでしょうか?
>>263 > 意識というのは、「調べる者」が「居ないとき」にあるもの
> ということでしょうか
いえ、意識は常にあります。
(究極的には、あるもないもないのですが)
ただそれを調べられない、
つまり前に置けないのですね。
ですから意識だけは永遠に見られることはないのでしょう。
その意味で意識は、「見る」自体である、とも言えます。
観察者ではなく、観察自体ですね。
また、別の見方をすると、意識はすべて、とも言えます。
すべては、すべてを前に置けない、のです。
前に置くには、主体と客体、つまり分離が必要なんですね。
意識がすべて、ということは・・・。
>>250 > ・・とかいって、おまえが言ってるのは知ってることじゃないんかい、オラァ!と言われればそれまでかな―ww
何を言おうが何を考えようが、
それを見ているか、それに気づいているか、
がすべてなんですよね。
>>296 > amaさんはどうやって覚者だとわかったのでしょうか?
とても当たり前のことをおっしゃってたので、
覚者だと思いました。
> ぜひ、拈華微笑の話がわかるか聞いてみたいです。
「拈華微笑」を検索してみると、
ウィキペディアにそのような伝説がある、
とありました。
私に言えることは、
思考を一切の判断なく見ている者同士なら、
つまり、「私」の言っていることはすべて嘘であることを知っている者同士なら、
多くの言葉を交わさなくても通じるものがあるのだろう、ということくらいです。
>>297 > 人間の覚者を定義するとすれば、その人が気づきを知のより処としているか
> 知識を知のより処としているかです
「気づき」は「気づき」をもって測り、「 」は「 」をもって測る他ないです(おそらく)
「 」は伝えることができるのですよ。いや勝手に伝わるといった方がいいでしょう。
もしも「 」を受け取ってくれる人がいたら・・・その人こそ覚者です。(次の日は覚者かどうか分かりません)
「拈華微笑」の話では、「微笑」と「法脈を受け継いだ」というキーワードから
「 」を釈迦から迦葉へ伝えて、迦葉が受け取ることができた
と想像できます
受け取ってくれて、釈迦は喜んだことでしょう(勝手な想像ですが)
>>309 >♪調子に乗ってるぜ 嘘つきエンジェル♪
じゃあキャラメルお兄様専用のお題をプレゼント
!(b^ー°)
【お題】
キャラメルお兄様が嘘を見つけるところはどこでしょうか?
>>317 > 多くの言葉を交わさなくても通じるものがあるのだろう、ということくらいです。
「 」が伝わることには一言も要りません。
「 」は想像上のものでしょうか
いいえそうではありませんね
「 」は伝わるものでしょうか 伝えて伝えられて受け渡しできます
>>317 あと、私の感じでは、大体において覚者さんは、話してて軽いです。
(軽さを演じていてもバレバレですし。(笑))
言っていることはとても心に響くのですが、
そんなことはどうでもいい感のようなものが伝わってくる。
重いときもありますが、その重さを楽しんでいるのがうかがい知れたりします。
つまり、やっぱり見ているのですね、自分を。
一見、人のことを言っているようで、やっぱり、自分の方を向いている。
そんな人は、恐怖が非常に希薄です。
すると、どうしても軽くなってしまう。
こんなことを書くと「軽くなろう」とする人がいるかもしれませんが、
やめたほうがいいです。(笑)
(それを楽しめるなら別ですが)
322 :
キャラメル:2012/01/09(月) 13:07:40.78 ID:Q25+h9X9
>>319 鼻に決まってらぁ〜
花が菊からタンポポに…
♪どんな花より タンポポの花をあなたに送りましょ♪
おバカは、力強くハナタレてますからぁ〜
>>321 >
>>317 > あと、私の感じでは、大体において覚者さんは、話してて軽いです。
そうなんですか。。
植木等みたいな人なんでしょうね
軽いといえば、キャラメルさん
なるほど、覚者とは知りませんでした。
325 :
キャラメル:2012/01/09(月) 13:56:36.92 ID:Q25+h9X9
>>324 ♪ポイ ポイ ポイポ ポイポイポぴー♪
キャラメルが頭軽いですって!
ちょっと ちょっと失礼しちゃう〜♪
てか、覚者なの(* ´艸`)
ナノとかマイクロとか
ミノとかモンタとか聞いた事
アリキトテレス…
ひょうたんからコマ
に似た言葉で…
ひょうきん で 困る♪ウレシス
>>299 > それでいて、戯言だとか楽しみだとか、これも自分に都合のいい逃げのように感じます。。
戯言だと考えることと、それに気づいていることは、まったく別なんですよね。
○○と言っている者がいる、それだけ。
>>247 > ホントは訳せない外国語を無理に翻訳することに似ているかもしれません。。
ということなんですよね。
>>326 言葉というものは、どんなものでもとらわれになる・・・。
だから・・・。
328 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 14:53:01.83 ID:8O2u3Yt8
329 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 14:54:14.14 ID:8O2u3Yt8
330 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 15:00:26.87 ID:8O2u3Yt8
331 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 15:05:03.07 ID:8O2u3Yt8
332 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 15:08:54.47 ID:8O2u3Yt8
>>305 せったんを語る ばかろん さん
> 特に悟りと言うのは、わかったつもりが強いと、人に説教など初めて、非常に困ったさん、勘違いさんになってしまう。。
でも当人が悟ったと思い込んでいるから、人に言われても耳を貸さない。。まあ心地の良い幻想だ。その幻想が心地よいから、自覚がないのだろう。 自覚がないから、幻想から出られないのだろう。。
増上慢だったなー...( - -)トオイメ
333 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 15:17:47.33 ID:8O2u3Yt8
>>307 ろん ばか さん
> 接心の時、チラッとでも悟ったら捨ててください、とせったんさんは言った。。 そのときは、何で捨てなきゃならんのか全く分からなかった。。 悟ったと思ってるのは悟りじゃないんだ、まだまだその先がある。。 達磨さんは面壁九歳だもんね。。
そこが、色即是空をから、空即是色と、リアルに戻るところ、だ。
それがない曹洞宗は、怪僧、奇僧が出る。
ああ。勘違いだ。
30棒!
>>325 フフ 実はキャラメルお兄様は覚者であるとか覚者で無いとか
悟りを開いているとか開いていないとかどうでも良くて
ただ気づきの光の中で楽しく遊んでるだけなのね
(笑)
お題の回答は明日以降ぼちぼちと...
...ただ、悟り子は笑いの才能には乏しいの(哀)
>>279 > 貴方が見るものは全て実在の自己表現であり実在ではありません
> 貴方が実在です
要約すると「私が見るものは実在ではなく、私は実在です。」
なるほど。ろんさんはここに引っ掛かってレスしているわけですね。
実在と非実在が反対じゃないのかって。
・・・
>>297 > 人間の覚者を定義するとすれば、その人が気づきを知のより処としているか
> 知識を知のより処としているかです
> これはしばらく話しを聞いてれば分かります
知識の拠り所を重点にしているということですね
>>317 > 思考を一切の判断なく見ている者同士なら、
> つまり、「私」の言っていることはすべて嘘であることを知っている者同士なら、
> 多くの言葉を交わさなくても通じるものがあるのだろう、ということくらいです。
少しの言葉で何か通じたものを重点にしているということですね
いろいろ参考になります。
>>325 > ♪ポイ ポイ ポイポ ポイポイポぴー♪
↑
この辺りが軽いです。羽根生えて飛んでます。
>>291 ろんさんの鋭さには恐れ入ります
それとも私の気のせいでしょうか
338 :
キャラメル:2012/01/09(月) 16:26:43.73 ID:Q25+h9X9
>>334 ピーンポーン♪
楽しすぎて 美味しすぎて依存性
駄菓子…。
>お題の回答は明日以降ぼちぼちと...
...ただ、悟り子は笑いの才能には乏しいの(哀)
哀しい顔は、似合わないぞヽ(。-_-。)コイテツゥ♪
笑いの才能まであったら兄ちゃん家に帰ってこれないよ。
♪愛の才能あるの〜♪
>>306 > 悟りと言うのはチラッと見ただけでは使えない。。
> すぐに自我が捉えて、おれは悟ったと、自我肥大症になってしまう。。
最初の関門だと思いますが、自我が大きくなったというより、自我がよく見えるように良く聞こえるようになったから起こります。
【お題】
{「気づき」と「自我」は出会えるでしょうか?}
出会えるでも出会え無いでも夕日が綺麗でも音楽聴きながら漫画読むの好きでも正解とします
皆さんの意見を聞かせてくださいm(_ _)m
>>340 > 【お題】
> {「気づき」と「自我」は出会えるでしょうか?}
お互いはすれ違いです
342 :
キャラメル:2012/01/09(月) 16:36:41.60 ID:Q25+h9X9
>>336 何いっちゃってんすか♪
飛ばしたのOprerationさんですよ(///ω///)♪
イエローキャブなんだから(乗せ上手)
>>314 起こる事は起こるが、体験っていう感じじゃない。
「私」がやってる事じゃない。
344 :
ろん:2012/01/09(月) 18:10:41.07 ID:2R+HKT+A
>>310 それはあくまでも悟りの一側面でしかない気がするなー。。
>>313 当然です。
意識があるから、言葉を覚えられる、概念が理解できる、そこから思考が生じるわけです。。
>>316 「すべて」といのはどういう意味なんだろう?
>>325 >♪ポイ ポイ ポイポ ポイポイポぴー♪
あやまんジャパンだろ。。
345 :
ろん:2012/01/09(月) 18:12:03.56 ID:2R+HKT+A
>>326 >○○と言っている者がいる、それだけ。
これはどういう意味でしょう?
ぼくにはわからんのですが。。
346 :
ろん:2012/01/09(月) 18:14:24.83 ID:2R+HKT+A
>>333 色即是空と空即是空に違いはないが。。
リアルって心経のどこに書いてあんの?
347 :
ろん:2012/01/09(月) 18:16:45.44 ID:2R+HKT+A
>>335 私だけが実在って考えるのはちょっとあぶないと思います。。
私と私の考え以外が実在、とみなした方がスッキリ。。
348 :
ろん:2012/01/09(月) 18:18:35.65 ID:2R+HKT+A
>>337 でも、わからないことはわからいんですよ。。
まえ言ってた魂の話とかも聞きたいですねー。。
Operationさんが、どう捉えているのか。。
349 :
ろん:2012/01/09(月) 18:25:57.88 ID:2R+HKT+A
>>340 気付きなんてのは大したことなくて、思考、想念の隙間があれば誰にでも訪れますが、それがあれば即悟りって思ってしまうのは、ちょっと違うと思います。。
これは気付きじゃなくて、今ここでも同じですね。。
気付きと自我は、共存可能ですから。。
気付きがあるときは自我が働いてないというだけで、なくなっているわけじゃないです。。
自我に何か問題があれば、たとえば、嘘とか自惚れとかそう言うものがあって、気付いていなければ、カルマが残り、苦を生む原因になりますね。。
だから気づきかがあるから、これでOKとは言えないものでしょう。。
空じ切る、とか言っちゃうと思言って思われそうですが、まさにいったんは空じ切る必要があると思います。
350 :
ろん:2012/01/09(月) 18:30:56.56 ID:2R+HKT+A
「思言って」じゃなくて「重いって」か。。
昨日また普勧坐禅儀なんて読んでたけど、昔の人は命がけで求めたわけですよ。。
その真剣さが違うと思います。。
お気楽でフワフワしてんのはなんかなー。。
平和で豊かだからそうなんのか?
いや無常の世だから、どうなるかわかんないよ。。
351 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 18:47:15.45 ID:KFC9cskM
352 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 18:48:35.14 ID:KFC9cskM
353 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 18:50:24.69 ID:KFC9cskM
354 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 18:51:57.27 ID:KFC9cskM
355 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 18:55:30.67 ID:KFC9cskM
もうチョット言おうか、道元ですら、中国から無手で帰ってきたと、インタビューで答えてたぞ。
356 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 18:56:06.64 ID:KFC9cskM
357 :
ろん:2012/01/09(月) 19:29:27.36 ID:2R+HKT+A
>>351 眼で見るのは映像、耳で聞くのは音、それらをリアルと判断しているのは何だ?
リアルと言う観念自体何なんだよ。。
358 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 19:33:45.81 ID:KFC9cskM
>>357 ばかろん さん
青りゃ、なんだ、あーなんだ、あんのか?
359 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 19:37:18.39 ID:KFC9cskM
360 :
ろん:2012/01/09(月) 20:16:02.80 ID:2R+HKT+A
ポは無視して思考について書くと、思考と言うのは、誤りを除くこと、この世の道理、成り立ちを知るにに必要なんであって、ただの邪魔者として排除していいものではない。
気付いているか否か問題かもですが、それよりもその思考が正しいか間違っているかの方が大事だと思います。。
それに拘らなければ、正しい道と言うものがわからないわけだから。。
思考内容なんて何でもいいとか、言葉は問題ではないとか言ってしまうと、
誤りを除いて、誤りのないあり方へ転じていく道が閉ざされてしまうでしょう。。
思考を休んで気づきを発見するのも大事ですよ。。
しかし、正しく思考することも大事です。。
361 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/09(月) 21:43:14.61 ID:KFC9cskM
>>360 ばかろん さん
>ポは無視して
ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!
>┼○ バタッ
曹洞宗は、禅なのか?
>>348 > まえ言ってた魂の話とかも聞きたいですねー。。
書かずに終わってましたっけ。
個別にある魂ってないです。
幽霊もいません。
あるとしたら、思念を感じているのでしょう。
魂は全部で1個です。
ここまでしか分かりません。
生まれる前のことは分かりません。
記憶がありません。
死後のことは・・・
おそらく察するに・・・覚めているならば、大悟と同じことが起こるでしょう
覚めていないならば眠るでしょう
記憶は0歳の時までしか遡れません
それより前が本当に分かるのでしょうか?謎です
>>345 > >○○と言っている者がいる、それだけ。
> これはどういう意味でしょう?
これまでの流れからすると
どう言っても、ただの表現なのだし、言葉で表わすこと自体、嘘なのだから
どう言ったとしても、ただの言葉でしょ
ということでしょう。おそらく。
>>344 > 「すべて」といのはどういう意味なんだろう?
これまでの流れからすると
悟りのすべて ってことでしょ おそらく
>>346 > リアルって心経のどこに書いてあんの?
そこは同じく引っ掛かった
>>342 > 何いっちゃってんすか♪
えー。覚者って言われたら嬉しいの?
何、妄想しておるのって思わないのですか
366 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/10(火) 01:54:39.45 ID:iT/5M+Wd
367 :
キャラメル:2012/01/10(火) 05:05:28.04 ID:GJqXc5ZW
>>344 >>♪ポイ ポイ ポイポ ポイポイポぴー♪
>あやまんジャパンだろ。。
世界の鍋熱
政界の黒幕
正解者のろんセン
疲れとるなら、温泉…。サーセン
>>365 >えー。覚者って言われたら嬉しいの?
何、妄想しておるのって思わないのですか
そんな嬉しい妄想竹なら 竹細工にだって利用しちゃうよ〜♪
妄想竹の子供達も原宿で踊ってたでしょ♪
型を変えてヲタ芸に…
“妄想のすすめ”有りそう♪
いつだて、真剣です♪(*≧∀≦*)キャハ
>>343 > 起こる事は起こるが、体験っていう感じじゃない。
> 「私」がやってる事じゃない。
?
起こるのですか?
「私」がやっていることでもない、
そして体験でもない。
なら、起こっていないのでは?
体験のように見えるのなら、起こっているようにも見えるのでしょうが。
つまり・・・。(笑)
>>344 > 「すべて」といのはどういう意味なんだろう?
単純に、気づいているかいないかしかない、という意味です。
>>250 でろんさんが書いていることは、知っていることでなく、
判断ですよね。
>>250 でろんさんは、
> 知ってる分が余計、嘘なんです。
とおっしゃっていますが、
それは、
>>250で書いていらっしゃる諸々も含まれているわけですよね。
つまり、「知ってる分が余計、嘘」自体も自我の判断する戯言に過ぎないわけです。
自我の言うことはすべてそうなのですから、
それを、さらに判断しても始まらない、
つまり、「知ってる分が余計、嘘」と言っているだけ、
ただそれだけ、ただ、ただ、それだけ、ということです。
>>345 > >○○と言っている者がいる、それだけ。
>
> これはどういう意味でしょう?
> ぼくにはわからんのですが。。
どのようなことを言っても、断言しても、それは、自我がそう言っているだけ、
ただそれだけ、という意味です。
自我の言っていることは、例外なくすべて観念ですよね。
「知ってる分が余計、嘘」も観念であるなら、それすら信じる必要はない。
もちろん、「知ってる分が余計、嘘」は、私も同感です。
で、ここで気づくわけです。
あ、同感だと言っている・・・。
(便宜上言葉にしましたが・・・)
それだけです。
判断なしです。
そのときだけ、本当の「分からない」があるのでは?
>>322 >鼻に決まってらぁ〜
蓮のはなは泥の上に咲くわね
>花が菊からタンポポに…
きく耳のある人は思慮深い人、そんな思慮深い人は内なる神のお告げ(気づき)にも素直に耳を傾ける
そんな人はやがて真心の愛の人になるのよ
>♪どんな花より タンポポの花をあなたに送りましょ♪
飾り気の無い真心の愛、それは人が人に贈ることのできる最高の贈り物ね
>おバカは
自らの無知を知る人だけが光を呼びこむの
「己を空しくして貴方の主(体)である神(気づき)に従いなさい」
>力強くハナタレてますからぁ〜
そう、愛の神託を真心に受け入れた人は一切の無明を断ち切り力強く自由に生きるのよ(は〜と)
とゆうわけで大正解!
あらら、結局キャラメルお兄様の中に嘘(無明)は見つからなかったわね
光が強すぎたかしら?
372 :
ろん:2012/01/10(火) 10:55:03.24 ID:mPyqkh0a
>>369 >
>>250 でろんさんが書いていることは、知っていることでなく、
判断ですよね。
どうしてそう判断するのですか?
僕は判断ではなく自分で確かめたつもりです。。
>それは、
>>250で書いていらっしゃる諸々も含まれているわけですよね。
つまり、「知ってる分が余計、嘘」自体も自我の判断する戯言に過ぎないわけです。
僕は言う価値があると思うから言っている。。
まえにamaさんが、私語を注意する教師の方がうるさいことがあると言われた。。
しかし、私語を注意することは必要ですよね。。
こういうのは嘘ですよと言う知をシェアすることにも価値があるはずです。。
戯言だなんて言ってませんよ。。
ぼくは、こういうことを知っていて人に言ったりすると同時に、それを知っていることが執着にならないように、気づいていることが必要だ、
と言う意のことを語っているのみです。
>自我の言うことはすべてそうなのですから、
どうしててすべてそうだと言い切れるのですか?
だったら、あなた自身語ることを止めればいいのでは?
すべて戯言だとするならば。。
373 :
キャラメル:2012/01/10(火) 10:56:02.69 ID:GJqXc5ZW
>>371 イェーィv(^∀^*)
(ウッシッシ…
こっそりスピード違反してるのばれてない)
374 :
ろん:2012/01/10(火) 11:02:14.95 ID:mPyqkh0a
>>369 >それを、さらに判断しても始まらない、
つまり、「知ってる分が余計、嘘」と言っているだけ、
ただそれだけ、ただ、ただ、それだけ、ということです。
ちょっと誤解を招く書き方だったかもしれませんが、
僕は本来の私がなんであるか、言葉や概念で知ることはできないと言っているだけです。。
知りようがないということは、知っておくべき大事なことだと思います。。
だから語録が残されているわけですしね、当然でしょう。。
禅の場合は、まず知ることが第一のステップです、それから修する、悟る、忘れる、と言う順番です。。
わからないは、修行の段階から、わからない方がいいのですが、いったん知って納得したうえで知識は知識に過ぎないとして忘れるわけです。。
この段階では、何が間違いでどうすればいいか知ったうえで、さらにはなぜわかってはいけないかも知ったうえで、わからないまんまを行じます。。
最初から、何もわからずにいたらどうすればいいかも、修行の方向性もわかりませんから。。
375 :
ろん:2012/01/10(火) 11:13:42.71 ID:mPyqkh0a
>>370 >自我の言っていることは、例外なくすべて観念ですよね。
言語って何かご存知ですか?
花と言う語は花と言う観念ではなく、花と言う対象を指しているわけです。。
よって、自我が言っていることはすべて観念、ではありえません。。
>「知ってる分が余計、嘘」も観念であるなら、それすら信じる必要はない。
観念ではなく、実際を示しています。。そういう場合が実際にあるということです。。
信じる信じないは、解決になりません。。
ご自分でお確かめになってください。。
>それだけです。
は?
>判断なしです。
自我の語る言語はすべて観念であるなんてとんでもない独断をしているじゃありませんか。。
>そのときだけ、本当の「分からない」があるのでは?
判断なし、と言う判断をしていますよ。。
376 :
ろん:2012/01/10(火) 11:27:29.37 ID:mPyqkh0a
わかるも30棒、わからないも30棒。。
わかればいいってもんじゃない、わからなければいいってものでもない。。
1は1であり2は2であり3は3である
「あ」は「あ」であり「い」は「い」であり「う」は「う」である
とゆうことにお互いが合意する
ここに対話の成立する可能性がある
>>373 >(ウッシッシ…
こっそりスピード違反してるのばれてない)
あらあら、悟り子の気のせいかしら?
キャラメルお兄様はとても安全運転を心がけている気がするのだけど?
それとも何かのメタファーなのかしら?
378 :
キャラメル:2012/01/10(火) 14:14:45.88 ID:GJqXc5ZW
>あらあら、悟り子の気のせいかしら?
キャラメルお兄様はとても安全運転を心がけている気がするのだけど?
リアルでは怪獣モチロン
安全第一 作物大地
♪自分の腕で掴むよぉ〜♪
>それとも何かのメタファーなのかしら?
慌てんぼうなもんで、、、自惚れてマウス(^3^)/チューチュー。
>>362 >魂は全部で1個です。
ここまでしか分かりません
>生まれる前のことは分かりません。
記憶がありません
今ふと思ったのですが、記憶とゆうものは普段どこにあるのでしょうか?
なぜ寺院は装飾にこだわるの
お寺なんて町内会館的に無味乾燥でいいじゃない
仏像なんて手のひらに載る程度でいいじゃない
袈裟なんて私服でいいじゃない
仏前でお経なんていらないじゃない
お経は日本語説法、会話形式でいいじゃない
どうして装飾にこだわるの
381 :
キャラメル:2012/01/10(火) 17:29:34.71 ID:GJqXc5ZW
>自惚れてマウス(^3^)/チューチュー。
キショ!ごめんなさい
>>380 >どうして装飾にこだわるの
鳥でも異姓を勝ち取るためにダンスや装飾して求愛するし
珍獣の一角はツノの高さで競争するらしいから
信者獲得の為?
説法聞く人いなきゃしないでしょ。
>>114 >そして分かっていると「私」は自由を失います
悟ったと「思った」ときには悟って無いのですね
「ほら、光が見えたよ」
と言って、恋人にふり返った若者のように
気づきを失う基本パターンは気づきを保持(記憶化 概念化)しようとすることなんでしょうね
だから悟ったと思ってはいけないと禅の覚者は言うのかもしれません
どんなに素晴らしい気づきもそれを概念として持ち歩き始めた途端世界は石(概念)になるのでしょう
そして気づきを記憶として持ち歩こうとしない限り気づきは美しい恋人としていつも楽しく戯れてくれるのでしょう
>>381 >>自惚れてマウス(^3^)/チューチュー。
キショ!ごめんなさい
フフ ハイなのね?
実は気づきとゆうのは常にいくばくかの喜びをともなうの
と言うより気づき自体が喜びなのね
言い替えれば気づきに従うとゆうことは喜びに従うこと
気づいてるかしら?
人は喜びのときはとても自我の感覚が希薄になるの、怒りとは逆ね
だから喜びのときはただ喜ぶのが一番良いのよ
チューチュー(笑)
説法はダンスに劣るとは・・・
説法を高めずにダンスするとは何事じゃ。
>>379 > 今ふと思ったのですが、記憶とゆうものは普段どこにあるのでしょうか?
どこにあるのでしょう?わかりません
感じられません
自我はどこにあるかわかります
これは簡単です
心臓の位置です
>>380 > どうして装飾にこだわるの
赤い明太子と赤くない明太子
どちらが良く売れるかな
387 :
キャラメル:2012/01/10(火) 18:40:38.08 ID:GJqXc5ZW
>> 383
チューチュー(笑)
惚れてまうやろぉ〜…♪(*≧∀≦*)
>>384 >説法はダンスに劣るとは・・・
劣るねぇ…。勝るから説法してんだ…
>>385 記憶って不思議ですよね
忘れてしまっているようで、実は覚えているけれども、思い出せないだけなのかもしれません
突然昔の記憶が甦るってことないですか
よーく思い出してみればかなり幼少の頃まで思い出すかもしれません
>>386 華美を排し智慧を拝すべき寺院が
装飾に走るのは 自らの否定 では無いですか。
美しさは内面であって外面ではない
それこそが求める道でしょう。
スレのpart1、2、3、を誰かHTMLファイルにしてUPしてほしいんだが
誰かできませんか
>>315 >意識がすべて、ということは・・・。
すべて、はじめから分離はなかった
ということでしょうか
>>388 記憶も思考も五感も毎日会ってる極親しい遊び仲間だし、ある意味自分自身と言っても良いくらいの存在なのに
よく考えてみるとなにもこの人達のことわかってなかったんですね(笑)
多分この先いくら科学が発達しても記憶も思考も五感も永遠に神秘のままなんでしょう...
そして何故記憶や思考や五感のような奇跡としか言い表しようのない存在があるのかと言うと、その究極の理由は...
なんの理由も無い
なんでしょうね・・・
393 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 01:09:04.65 ID:TuPnH5Gn
>>376 ばかろん さん
> わかるも30棒、わからないも30棒。。
分別しなしってことだが・・・襖|_・) チラリ!
>わかればいいってもんじゃない、わからなければいいってものでもない。
答えが書いてないとまったく駄目だな。おまえ、ばかだろ!?
394 :
キャラメル:2012/01/11(水) 04:52:58.60 ID:WjYKf3bI
おはようございます
今日も適当に働くぞぉ〜♪
>>372 > >
>>250 でろんさんが書いていることは、知っていることでなく、
> 判断ですよね。
>
> どうしてそう判断するのですか?
> 僕は判断ではなく自分で確かめたつもりです。。
いえいえ、確かめていないと申し上げているのではないのです。
言葉はそれ自体じゃないですよね、と言っているだけです。
言葉にするという行為は、判断をすることではないのですか?
> こういうのは嘘ですよと言う知をシェアすることにも価値があるはずです。。
同感です。
その言葉が何を指しているか、それ自体を見るために言葉は役に立つと思います。
> 戯言だなんて言ってませんよ。。
私は「戯言」という言葉を、言葉はそれそのものではない、という意味で使っています。
「嘘だ」という断言は、何かを指しているのですよね?
言葉に意識を向けながら、同時にその指している対象にも意識を向けることはできるでしょうか?
>>372 > ぼくは、こういうことを知っていて人に言ったりすると同時に、
> それを知っていることが執着にならないように、気づいていることが必要だ、
> と言う意のことを語っているのみです。
まったく同感です。
私も「こういうのは嘘ですよ」とよく言います。
で、「こういうのは嘘ですよ」という判断があることに気づくのです。
ただ、それだけです。
その判断を、良いとか悪いとか、正しいとか間違っているなどのような判断はしません。
(してもいいですが。)
自我は、判断をしますが、気づき(意識)は判断しない(できない)のです。
> >自我の言うことはすべてそうなのですから、
>
> どうしててすべてそうだと言い切れるのですか?
言葉はそれそのものではないからです。
>>374 > 僕は本来の私がなんであるか、言葉や概念で知ることはできないと言っているだけです。。
同感です。
> 知りようがないということは、知っておくべき大事なことだと思います。。
これも同感です。
ということは、「嘘」という言葉が指し示すそれそのものも、
やっぱり、言葉や概念では知ることが出来ないのではないですか?
>>374 > 禅の場合は、まず知ることが第一のステップです、それから修する、悟る、忘れる、と言う順番です。。
(略)
> 最初から、何もわからずにいたらどうすればいいかも、修行の方向性もわかりませんから。。
観念も方向性を定める上で役に立つのですね。
で、忘れる、捨てるのは、知識だけなのでしょうか?
つまり、経験的に得た、自分で確かめたこと、まったく明らかだと言えることは、捨てないのでしょうか?
>>398 >>250「本来を知ったとしても、知ったもの、と言うのは、やっぱり自我になってしま」うのですよね?
で、ご自分に突っ込みを入れていらっしゃいます。
「・・とかいって、おまえが言ってるのは知ってることじゃないんかい、オラァ!と言われればそれまでかな―ww」
その知っていらっしゃることすら手放せば、それまで、ではないのは?
ということを申し上げています。
人に伝えるときは、何かを断言しますが、自分に向き合うときまでしなくてもいいですよね?
>>375 > >自我の言っていることは、例外なくすべて観念ですよね。
> 言語って何かご存知ですか?
> 花と言う語は花と言う観念ではなく、花と言う対象を指しているわけです。。
> よって、自我が言っていることはすべて観念、ではありえません。。
言葉には観念がくっついていることが多いので観念と言いましたが、
やっぱり、これも、言いたかったことは、単に、それそのものではない、
ということです。
つまり、
「自我の言っていることは、例外なくすべて言葉(判断・断言・観念などなど)ですよね。」
です。
(もちろん↑これも含まれます。)
>>375 > >「知ってる分が余計、嘘」も観念であるなら、それすら信じる必要はない。
> 観念ではなく、実際を示しています。。
何かを指し示しているのですね?
> >そのときだけ、本当の「分からない」があるのでは?
> 判断なし、と言う判断をしていますよ。。
言葉がないときは、判断できませんよね?
(もちろん書いていることはすべて判断です。)
>>376 > わかればいいってもんじゃない、わからなければいいってものでもない。。
私たちにとって、良い悪いという価値判断は、とても根強いと思うのですが、いかがでしょう?
それは、とてもとてもひそやかに、あれやこれを判断しているように見えますが、どう思われますか?
良いという判断も、悪いという判断も、
同じ土俵の中での動き、同じ穴のむじな、
であると思いますが、いかがでしょう?
>>392続き
そして科学は人間の五感 思考 記憶等で事物 宇宙 世界の実体(実態)を捉えることが可能である
とゆう前提を基盤にしてなりたっています
前提が無いと学問はなり立たないので仕方の無いことです
ただこの前提が正しいことを科学では証明できません
科学の前提を科学で証明するのは不可能です
(例)純粋観察者は純粋観察者を観察できない
前提はその前提を基盤にする分野の人達の
「ここを立脚点にして、ことを進めましょう」
とゆう合意事項です
...では、この科学の前提が実は実体の無いものだとしたら・・・
>>70 >見てきた物やぁ〜聞いたことぉ〜
いままで覚えた 全部ぅ〜
でたらめだったら面白い〜
そんな気持ちわかるでしょ〜
答えはずっと
奥のほぉ〜
心のずーと奥のほぉ〜
>>403続き
知覚は事物それ自体では無く事物が五感それぞれの機能に応じて変換されたものだと私達は知っています
(ここでは意識以外の現実が存在するとゆう文脈で話してます)
そして五感がどのような
働きをするか私達は経験上知っています
そして五感を通じて知り得た自分の外側の世界
と自我が考えている現象について
記憶を基に思考して解釈して定義付けして
「私は、世界の中の(花)と言われている現象を理解した」
等と認識したりします
でもソクラテスはそもそも自分は記憶や思考や五感自体なんであるかわかっていない
そのよくわかっていない記憶や思考や五感でなにをわかったと言えるのだろう、何も言えない」
と気づいたのでしょう
故にソクラテスは言ったのでしょう
「私がただ一つだけ知っていると言えるのは私が何も知らないとゆうことだけだ」と
>>341 >お互いはすれ違いです
なるほど正解です
自我は自我、気づきは気づき 決して交わることはありませんね
同様に視覚は視覚 聴覚は聴覚 味覚は味覚 嗅覚は嗅覚 触覚は触覚
それらは同時に存在していても別の現象です
夕日の美しさに気づきつつ今週読んだ漫画について考えつつ
優しい風を頬に感じつつ
花の香りを楽しみながら
コーヒーを味わいながら
音楽を聴いていても
それらが交わることはありません
全ては同時に存在して分離は存在せず 全ては違い全ては一つなのですね
そして同じ瞬間は無く時間は永遠に今です
・・・今ふとamaさんのレスを思いだしました
...確か意識は思考でも景色でも身体の一部でも向けたいところに向けられるとか・・・
>>349 >いったんは空じ切る必要があると思います
ろんさんが必要だと思っている空じ切るがうまくいくといいですね
>>405補足
>>318 >「気づき」は「気づき」をもって測り、「 」は「 」をもって測る他ないです(おそらく)
でまあ、全てをまとめているのが「 」でしょうね、おそらく・・・
全ては「 」であり「 」しか無いのでしょう
このスレで私達がやっていることも「 」の自作自演なのでしょうね
・・・そう言えば、人間とゆう字は人の間(あいだ)と書きますね
実は全ては間であり間が全てをまとめているのですね・・・
全ては愛だ(間)
・・・なんちゃって
...そう言えば、愛も間も
「あい」と読みますね・・・
408 :
ギャラメル:2012/01/11(水) 12:36:07.42 ID:WjYKf3bI
>>399 >人に伝えるときは、何かを断言しますが、自分に向き合うときまでしなくてもいいですよね?
ギ:曖昧meマイン♪
お料理しちゃうぞ(^-^)ミサンガ〜
>>403 (* ´艸`)
>>407 あ〜ヨイヨイ♪
間の手入れて良い愛を…
ジ〜ンと来たでしょ
北風に乗って♪温かい方向へ
北半球より
409 :
キャラメル :2012/01/11(水) 13:02:33.91 ID:WjYKf3bI
>あ〜ヨイヨイ♪
間の手入れて良い愛を…
ジ〜ンと来たでしょ ×
“でしょ”いらんべ、
たく、ギャラメルちんちくりんチンチン
>>347 >私だけが実在って考えるのはちょっとあぶないと思います。。
私と私の考え以外が実在、とみなした方がスッキリ。。
それは、分離の感覚と分離の感覚に基づく思考以外が実在とみなした方がスッキリする
とゆう理解でよろしいでしょうか?
412 :
キャラメル :2012/01/11(水) 16:29:56.33 ID:WjYKf3bI
問い♪
信用って みなさんどうしてます?
>>349 >気付きなんてのは大したことなくて、思考、想念の隙間があれば誰にでも訪れますが
同意します、思考、想念の隙間があれば気づきは誰にでも訪れます
その思考、想念の隙間をうむ方便として、座禅や瞑想、その他の技法があります
ただ今にくつろぐことができるなら、それが一番簡単ですが、これが一番難しいのかもしれません(笑)
>気付きがあるときは自我が働いてないというだけで、なくなっているわけじゃないです
自我は無くなら無いほうが良いかもしれませんね
我執は無いほうが良いかもしれませんが
>>349 >自我に何か問題があれば、たとえば、嘘とか自惚れとかそう言うものがあって、気付いていなければ、カルマが残り、苦を生む原因になりますね
はい、気づいていることが大切ですね
>だから気づきがあるから、これでOKとは言えないものでしょう
気づきは誰でもありますからね
気づきを信頼するか、気づき以外を信用するかですね
415 :
キャラメル :2012/01/11(水) 17:13:28.15 ID:WjYKf3bI
>>414 ごめん悟り子…
気づき意外は信頼しないの?
信用があって信頼できるよね?
信用して頼るんだよね?
416 :
キャラメル :2012/01/11(水) 17:15:25.52 ID:WjYKf3bI
>>415 信用があって信頼できるよね? ×
信用があって信頼できるんだよね〇
>>415 >>416 >ごめん悟り子…
気づき意外は信頼しないの?
あら?悟り子が冷たく感じたかしら?
私達は自我のレベルで見ればとても複雑な存在
一人の人でも状況によって反応は様々
でも「 」と気づきのレベルで見れば全て完璧な愛の表現であり光なの
気づきを信頼するとゆうのは他者を表面的な人種 民族 主義主張 宗教 思想信条 趣味 性癖 性別 学歴等で判断せず
全ての人を自分の分身であり兄弟姉妹であり友人であり恋人だと見なす姿勢なのよ
安心したかしら?キャラメルお兄様(は〜と)
418 :
キャラメル :2012/01/11(水) 18:24:20.03 ID:WjYKf3bI
419 :
ろん:2012/01/11(水) 19:02:29.81 ID:4S1Jmm8+
>>395 言葉は対象を示す者ですので、それ自体ではないのは当然です。
だから、対話や議論は、その示されたものについて議論、対話するわけですね。。
あたりまえなことだと思います。
言葉に意識を向けながら、その対象に意識を向ける子ができるか否か?
対象を知っていればできるでしょう。
知っていなければできないでしょう?
当然なことと思います。。
どうしてこのようなことをいちいち確認したいのでしょうか?
420 :
ろん:2012/01/11(水) 19:06:10.26 ID:4S1Jmm8+
>>396 何が言いたいのでしょうか?
善悪、正誤の判断は、時に必要であり、また必要でない時もありますが、道を歩むには必要でしょうね。
社会生活でも時に必要でしょう。。
善悪、是非がどうでもよくなれば、道もなくなり、社会もめちゃくちゃになることでしょう。。
421 :
ろん:2012/01/11(水) 19:08:09.66 ID:4S1Jmm8+
>>397 嘘とは、概念ですから、概念の意味を知っていれば十分です。。
嘘と言う言葉の意味をご存知ですか?
だったら、それで十分対話できるはずですが?
概念であって、問題あると考えるのはなぜ出でしょう?
422 :
ろん:2012/01/11(水) 19:09:24.09 ID:4S1Jmm8+
>>398 捨てても捨てなくてもいんじゃないですか?
問題になるのは、それが自我の持ちものになって、我執が強まることのみです。。
知識として記憶しておく文には何も問題はないでしょう。
423 :
ろん:2012/01/11(水) 19:12:55.18 ID:4S1Jmm8+
>>399 わかっていればいいでしょう。
>>400 同じことを繰り返しているみたいですが、それによって何を言いたいのかわかりません。
言葉がそれ自体でないとして、それが何なんでしょう?
私に言葉の無意味さを気づけって言いたい?
それとも判断を捨てさせたいのですか?
なんか強情な否定性を感じるなー。。
いったいなんなんだろ?
424 :
ろん:2012/01/11(水) 19:19:50.60 ID:4S1Jmm8+
>>401 人間は言葉も認識力も持っているので判断して当然ですよね。
道があれば、是非正誤判断あって当然です。。
あなた自身、判断無く気付きであるるのがいいという判断をしている。。
だったら、その判断、考えの正誤について議論すればいいのではないですか?
言葉がそれ自体でないなんで当然ですよ。。
言葉の内容の正誤について議論するのがこの場の役割だと思います。
その場合、言葉の名用を通り越して、言葉が根本的にそれ自体じゃないなんて話をしてもしょうがないんじゃないですか?
仏教系の掲示板ではよくいるんですがね。。
何言ってもそれば言葉だろとか理屈だろとか、、いや、理屈も大事なんですよ、言葉も大事です、判断も大事です。。
言葉がそれ自体でないから意味ないだろみたいな議論は、馬鹿げている、意味がないと思います。
425 :
ろん:2012/01/11(水) 19:23:10.99 ID:4S1Jmm8+
>>402 価値判断は時に余計ですが、道を歩もうとするなら、道を知らなければなりません。。
よって、判断、認識も当然必要です。
気付きであればいいと言っても、自我があれば、欺瞞や嘘などを同時に抱えている場合がありますから、欺瞞を欺瞞として判断し、嘘を嘘として知ることが必要でしょう。。
そうした判断や認識まで余計だというのはおかしいでしょう。
426 :
ろん:2012/01/11(水) 19:30:03.55 ID:4S1Jmm8+
>>410 分離の感覚と言うのはどう言うものですか?
僕はよくわからないのですが。。
427 :
ろん:2012/01/11(水) 19:32:23.77 ID:4S1Jmm8+
>>413 機能としての自我はなくなったら困りますね。。
ただこれが私だという私意識といのは、いったん忘れる必要があるかもしれません。
428 :
ろん:2012/01/11(水) 19:45:28.68 ID:4S1Jmm8+
>>414 自分を本当に解決しているかどうかですね。。
気付き以外も大切ですよ。。
429 :
ろん:2012/01/11(水) 19:46:28.03 ID:4S1Jmm8+
>>426 >分離の感覚と言うのはどう言うものですか?
僕はよくわからないのですが
自我独自の感覚で自分が世界から独立した存在とゆう感覚です
これ自体は悪い感覚でも無いのですが、これに不安や恐怖が加わると我執が強まり
気づきをシャットアウトしてしまいます
すると人生において幸せな感覚が薄れ生きることが辛く感じます
ただ、そこから素晴らしい文学や芸術が生まれたり
強い愛や感動が生まれたり
悟りや悟りを求める感情が芽生えたりすることもあるので
一概に悪いとも言い切れません
431 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 20:48:11.06 ID:fqqrw0ju
>>428 ばかろん さん
> 自分を本当に解決しているかどうかですね。。 気付き以外も大切ですよ。。
アラララァ〜 ̄|_|○ドテッ
気づき・・・
なんなの?それって・・・
とり?
キツツキ とか?
432 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 20:50:42.74 ID:fqqrw0ju
>>427 突っ込みどころ満載のしったか ばかろんばか さん
騒動衆には、空即是色が、無いからなー、仏教なの?
433 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 20:52:53.65 ID:fqqrw0ju
>>425 なにうそこいてんの?Ron外 さん
松田勇作、だな〜
434 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 20:55:33.54 ID:fqqrw0ju
>>424 しったか ばかろんばか さん
何を言い出すのやら・・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
435 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 20:57:12.49 ID:fqqrw0ju
>>422 二枚舌の吹聴自慢傲慢どうだのとっちらかしのヨッパのRon外 さん
(゜Д゜) ハア??
436 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 20:58:44.40 ID:fqqrw0ju
>>421 何処からその上から目線でしゃべれるのか、聞いてみたい・・・よRon さん
(▼▼メ)ナンダトォ
437 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 21:00:03.39 ID:fqqrw0ju
>>420 ばかろん さん
エ━━━(;゚д゚)━━━ッ・・
438 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 21:00:59.29 ID:fqqrw0ju
>>419 なにうそこいてんの?Ron外 さん
NoNoNo(゚ ェ ゚)b゙
439 :
キャラメル :2012/01/11(水) 21:04:36.27 ID:WjYKf3bI
>>433 なんじゃこりゃ〜
分かりにくいぅ〜、探偵だけに断定できん…
>>428 >自分を本当に解決しているかどうかですね。。
気付き以外も大切ですよ
もちろんです
美味しくて健康的な食事や適度な運動や休養
学ぶこと 仕事 人間関係
趣味等の楽しみ 瞑想や座禅等で内側に向かうこと
良い本を読んだり 芸術、音楽 映画 旅行を楽しんだり
世の中を良くするために勉強したり話し合いをしたり活動したり
自分の愛する人との時間を慈しんだり
公園でのんびり空を眺めたり
ここでお喋りしたり(^O^)
大切なことはたくさんあります、ここでは書き切れ無いくらい...
そしてその大切なことに気づかせてくれたり
その大切なことをもっと素晴らしく味わい深くしてくれるのが気づきだったりします(笑)
441 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 21:16:50.67 ID:fqqrw0ju
>>440 >自分を本当に解決しているかどうか
自分と言うものが無いのに、その自分を
本当に
嘘の存在を前提、ものを言う。
解決
怪傑黒頭巾ゾロって、アレン、デロンがやってたなー
なんじゃ、そりゃ
と、松田優作は、言う。
442 :
キャラメル :2012/01/11(水) 21:30:20.41 ID:WjYKf3bI
ちょっと、
まつだぁ〜 と、言うサク…
443 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 21:45:03.62 ID:fqqrw0ju
444 :
キャラメル :2012/01/11(水) 21:51:47.03 ID:WjYKf3bI
v(^∀^*)失礼しました
445 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/11(水) 22:29:35.13 ID:fqqrw0ju
>>424 >言葉がそれ自体でないから意味ないだろみたいな議論は、馬鹿げている、意味がないと思います。
そう思う。
そもそも、事物の現れそのもので私達は満足出来ないように出来ている。
事物の表象は根源の存在性の物質界への現れなのだから、その表象だけではそもそも不完全。
そこに概念である言葉を付与して、根源の存在性まで高める道もある。
表象としての事物と根源の存在性は「連続している」。
だからこそ、事物と概念からその連続性を辿って根源まで至る道がある。
極論を言えば、全ての現象はマーヤーだが、未熟のままそれを語っても、偉い人の言うことの雰囲気暗記ゲームでしかない。
私達に必要なのはお空に輝く星を眺めることではなく、自分の足でその星まで到ること。その手段であり、行を行うこと。
別の言葉で言うと、生きること。
>>391 >
>>315 > >意識がすべて、ということは・・・。
> すべて、はじめから分離はなかった
> ということでしょうか
おっしゃる通りです。
はじめから分離はないし、「私」という観念もない。
と同時に分離があり、「私」という観念はあるのですね。
それは、「すべて」なのですから。
ただ、それをご自分で確認されたときだけ事実であり、
それ以外は嘘(のように自我からは見える)です。
>>419-424 私の見たものをお伝えできれば、と思いました。
それだけです。
私が申し上げていることは、真の「分からない」についてです。
こんな感じです。
例えば、「意識的に考えることはできるか?」
という問いがあったとして、
やってみて、出来なかったとします。(あるいは出来たとします。)
「できない」(あるいは「できる」)が結論となり、それを持つかもしれません。
持ったら、それを捨てます。
想像するでもなく信じるでもなく、きちんと確かめることは大事です。
でも、確かめた結果を確認したらそれはもう捨てていいわけです。
ずっと持っている必要はないのです。
>>448 もちろん記憶には残りますが、記憶自体が囚われになることはありません。
記憶を持ち出して、持ち続けると、それに囚われてしまいます。
持ち続ける、というのは、たとえば、自我がそれにしがみつく様子を言っています。
捨てるとは、捨てようと考えることではなく、その結論を意識的に見る、ということです。
「持つことはいけない」など、つまり、価値判断によっては捨てることは出来ません。
もし、持っていたい場合は、どうして持っていたいのかも見ます。
すると、また何かが見えるかもしれません。
見えたら、その持っていたい理由も捨てる(意識的に見る)のです。
そのようにして「分からない」に至ります。(至らないかもしれませんが・・・(笑))
その意味で、「分からない」に至るために自我がすることは、意識する(見る、気づく)だけです。
それ以外は、お釈迦さんの手の中での動きになります。
だいぶ端折りましたが、まあだいたいこんな感じでしょう。
450 :
キャラメル :2012/01/12(木) 07:46:41.62 ID:0n0SMc6M
おはようございます
寝坊したぁー_(^^;)ゞ
>>377 > 「あ」は「あ」であり「い」は「い」であり「う」は「う」である
「あ」が「い」であるときも、また味わい深いです。(笑)
>>449 そして、このことすら分からない。
本当は全く違うことが起こっているかもしれないのです。
>>405 > ...確か意識は思考でも景色でも身体の一部でも向けたいところに向けられるとか・・・
意識を向けたものが、経験されるのですね。
で、≪お題≫。
「経験というのは、誰が(何が)しているのでしょう?」
>>11 >自分で立っていても、杖は持ちますよね。
その場合は、杖というよりおもちゃと言った方がいいのかもしれません
そんな(笑)、amaさんが悟り子のおもちゃだなんて(笑)
悟り子悪い子!(笑)
冗談です♪〜θ(^0^ )
amaさんはとても聡明でユニークな遊び仲間だと感じてます
覚者は良い子なのです
!(b^ー°)
・・・今ふと思ったのですが、自由とはおもちゃの杖(利便性)を楽しみながらも必要としない
拡大解釈すると、全てを味わい愛で楽しみながらも全てを必要としない
楽しめど執着せず
愛すれど執着せず
そんな姿勢なのかもしれませんね
そして多分その姿勢の根底には 天 天 天
>>452 その意味で、「私」の申し上げていることは、すべて「私」の独断であり偏見です。
(それ以外にありえない。)
すると、これ↑すら本当かどうか分からないのです。(笑)
人は考えたものになっている、ただ、それだけのことなのかもしれません。
で、≪お題≫です。
「「私」は、一切の判断に囚われることなく生きることは、出来るでしょうか?
たとえば、価値判断することなく、何かを価値判断することができるでしょうか?」
456 :
ろん:2012/01/12(木) 09:35:18.82 ID:ujUQax/4
370 返信:ama ◆BmUbLWewsM [sage] 投稿日:2012/01/10(火) 07:22:40.62 ID:gPmNCx94 [3/3]
自我の言っていることは、例外なくすべて観念ですよね。
「知ってる分が余計、嘘」も観念であるなら、それすら信じる必要はない。
それだけです。
判断なしです。
そのときだけ、本当の「分からない」があるのでは?
457 :
ろん:2012/01/12(木) 09:41:47.76 ID:ujUQax/4
>>448 だから、それと同じことを僕も言ってるわけでしょ。。
>>250で。。
それに対してあなたは、上のように
>>370のように返しているわけです。。
だったら僕が、
>>448にたいして、それも単なる言葉だから、気づきじゃないですよね。。
要らないですよね。。忘れた方がいいですよ、と言えるわけです。。
それがあなたのやったことです。。
それをやり続けると無限ループですよね。。
意味なくないですか?
そういうレスをすること自体おかしくないですか?
あなたの言っていることは正しくても、レスの仕方がおかしい。。
非常に言いがかり的な印象を受けるわですよ?
そうした自分のやっていることのおかしさには気付かないんでしょうか?
まえも言いましたが、私語を注意する教師に対して、それもおしゃべりじゃないかと反論する子供のようです。。
本当におかしなことを言ってることに気づかないのでしょうか??
458 :
ろん:2012/01/12(木) 09:51:32.62 ID:ujUQax/4
>>449 政治家の演説みたいなだなw
・・と言う戯言は置いといて、わかった時点で、忘れなければ記憶に残るわけでしょ、持ってないとしても。。
だから、こういう掲示板を読んで、そういう認識が役に立つのではと思った時に、それを思い出して僕は
>>250のようなことを言うわけですよね。。
それに対して、あなたは、それ自体が判断だから余計だ、捨てた方がいいという。。
言うことと持っていることは違いますよね、記憶があれば、認識があれば言えるわけですから。。
だったら、やはりあなたの一連の僕に対するレスは意味がないことになる。。
僕がわかっていること、言ったことを繰り返しているわけですしね。。
どっかで誤解、誤認がある、あるいは、おかしな「反応」をしていると思うのですが、いかがでしょう?
全くそういう自覚、気づきはないのでしょうか?
459 :
ろん:2012/01/12(木) 09:59:46.00 ID:ujUQax/4
僕の思ったこと、感じたことをお伝えできればと思いました。
それだけですw
この「それだけです」が曲者だな。。
それ以外の意図なんてないですよ。。
僕は覚者様だから、皆さんに悟りをお伝えしたいだけのですって感じでしょうかw
460 :
ろん:2012/01/12(木) 10:02:25.96 ID:ujUQax/4
言葉の端々、言い方からして鼻持ちならんわ。。
いいかげん気付けアホって、感じだな。
もちろん、ぼくは、自分の感じたことをお伝えしたいだけなのですw
悪しからず。。
ろん、熱くなり過ぎだぞ。
少し落ち着け。
462 :
ろん:2012/01/12(木) 10:51:52.16 ID:ujUQax/4
463 :
ろん:2012/01/12(木) 10:52:47.53 ID:ujUQax/4
>>461 いや、こういうのも大事。。
お悟り澄ますのは好きじゃないんで。。
悟った人が熱くなるのかい
465 :
神も仏も名無しさん:2012/01/12(木) 11:20:14.31 ID:dI98L7Hw
>悟った人が熱くなるのかい
あれ? ロンはまだ、自分のこと「悟った人」だと言ってるのか?ww
466 :
キャラメル :2012/01/12(木) 11:21:43.84 ID:0n0SMc6M
熱い漢(e)です(。-_-。)ノ
>>460 >いいかげん気付けアホって、感じだな。
思考が止まった後の静寂について語る一方で、
お題と称して思考実験を繰り返す矛盾に
ろんならとっくに気付いてたと思ったんだけど・・・・・
一階が建たないと二階は建たない。
50階を建ててないで100階を建てることはできない。
100階まで建てよう、という意志のある地道な途上の人の言葉のほうが真実味があり、価値があるように思う。
そこには個の尊厳がある。
それを無知から否定する人間は自分で自分の足場をなくしている。
地に足がついていない。
469 :
神も仏も名無しさん:2012/01/12(木) 11:34:55.48 ID:dI98L7Hw
>>468 wwwwww
同意ww
だが、悟り関係のスレで
>・・・・真実味があり、価値があるように思う。
このようなこと書くと
「分別してはいけません。」「価値判断など捨て去るのです。」
というポイントのずれたレスがつくぞwww
>>468 悟りって100階建てるっていうより
100階建てを壊して地面に足を着けるって感じじゃないかい。
>>469 確かにw
でも、そんなのは「ちょっとの体験」と悟りを巡る「概念ゲーム」だから。
悟った人の分別や価値判断による言説は一味違うと思いますけどねw
472 :
キャラメル :2012/01/12(木) 12:06:58.10 ID:0n0SMc6M
>>470 そんでまた建てて壊す♪
“回転アグラ寿司”本日開店
あぐらかいて座ってんしゃないよ♪
担がれる
神輿 見越して
遠慮する…
あきらめたら終わり
あきらめなくても終わりくる♪
だったらキャラメルあきらめ無い
>>467 >思考が止まった後の静寂について語る一方で、
お題と称して思考実験を繰り返す矛盾に
ろんならとっくに気付いてたと思ったんだけど・・・・・
とてもするどい考察ですね、考えたこともありませんでした・
勉強になります
ありがとうございます
m(_ _)m
・・・今ふと思ったのですが...
実はそれが今回のお題
>>455 > ≪お題≫です。
「「私」は、一切の判断に囚われることなく生きることは、出来るでしょうか?
たとえば、価値判断することなく、何かを価値判断することができるでしょうか?」
のテーマかもしれませんね...
まあ、十牛図で言うところの酒瓶を持って街に繰り出すあたり・・・
あくまでもご参考までに
>>4 >>19 >>140 >>383(-^〇^-)
>>470 失うものは何もなく、ただ増えるだけかと。
人が信じるより、世界は複雑で広大だと思います。分別で処理できないぐらい。
それを個が切り取るのだと。
475 :
キャラメル :2012/01/12(木) 14:03:30.64 ID:0n0SMc6M
>>473 > ≪お題≫です。
「「私」は、一切の判断に囚われることなく生きることは、出来るでしょうか?
たとえば、価値判断することなく、何かを価値判断することができるでしょうか?」
なめる((人生))詩人の会
皿の上に残った 一粒の胡麻
「これは、ゴミじゃない。勿体ない
頂きましょう。」
テーブルの隅に落ちた 一粒の胡麻
「汚く…無い♪大丈夫、死にゃ〜しない!」
部屋の隅に落ちた 一粒の胡麻
「ごめんなさい。掃除させて頂きます」
マンションのロビーの隅に落ちた胡麻
「誰か掃除する…よね…し〜らんぺ♪」
誤魔化すの自分で決めたらOK僕キャラメル
牧場か…
だから、断言して!
“出来なそう”!
476 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/12(木) 15:29:52.97 ID:b0c8+3SG
>>459 しったか ばかろんばか さん
> 僕は覚者様だから、皆さんに悟りをお伝えしたいだけのですって感じでしょうかw
でたらめだから、なるべく、ちんもくをたもつよう、
477 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/12(木) 15:31:59.06 ID:b0c8+3SG
>>460 ばかろん さん
> もちろん、ぼくは、自分の感じたことをお伝えしたいだけなのですw
僕がそう言うのなら、他も、そうなのだ。
478 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/12(木) 15:44:23.17 ID:b0c8+3SG
井上義衍老師
「 井上義衍老師は手元にあった湯飲み茶碗を私の前に出して、「この茶碗はあなたが思うたからあるのか、それとも思わんでもあるのか」と問いました。 」
479 :
神も仏も名無しさん:2012/01/12(木) 15:53:37.21 ID:dI98L7Hw
>それを個が切り取るのだと。
うん、その言い回し好きだww
俺も時々、使うw
480 :
神も仏も名無しさん:2012/01/12(木) 15:55:05.09 ID:dI98L7Hw
ぽったんの連続ジャブw
ろんには効いているか?w
481 :
キャラメル :2012/01/12(木) 15:59:47.89 ID:0n0SMc6M
>>478 失礼します\(__)
東京湾では茶碗と思わん、犬のエサが入ったビタワン……
失礼しました♪
482 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/12(木) 16:17:33.85 ID:b0c8+3SG
483 :
キャラメル :2012/01/12(木) 16:33:15.30 ID:0n0SMc6M
(*゚ノ 3゚)ふ、二人ともですよ…サーセン
神・お邪魔します神です
いつもお世話になります
!(b^ー°)
今日は私もお題遊びしたいので悟り子さんの気づきと自我を借りてレスさせてもらいます
じゃあ早速(o^∀^o)
>>455 >人は考えたものになっている、ただ、それだけのことなのかもしれません
神・多分そうだと思います、今までのところそんな感じです・・・
>≪お題≫です。
「「私」は、一切の判断に囚われることなく生きることは、出来るでしょうか?
たとえば、価値判断することなく、何かを価値判断することができるでしょうか?」
神・あっ、私が今やってることですね
皆様のおかげで楽しいです(*^o^*)
まあ、皆様は私ですけどね
>>453 >≪お題≫。
「経験というのは、誰が(何が)しているのでしょう?」
私です・
お邪魔しました
m(_ _)m ・
485 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/12(木) 19:14:33.92 ID:4xavC0W5
>>303 >さて、彼岸はこことは別のところにあるのでしょうか?
それともここがそのまま彼岸なのでしょうか?
ここがそのまま彼岸に3000点!全部彼岸に500点...
>>408 >>409 名コンビね(笑)
素敵なあいの手をありがとう(^з^)-☆Chu!!
>>453 >「経験というのは、誰が(何が)しているのでしょう?」
・?・・・
>>455 >≪お題≫です。
「「私」は、一切の判断に囚われることなく生きることは、出来るでしょうか?
たとえば、価値判断することなく、何かを価値判断することができるでしょうか?」
...そんな!一度に2題お題を出すなんて!
amaさんのお題にはタメがないんですね?
大魔王バーン並のお題力!
まさにビッグバーン
(多和言はあさって以降...って充分戯言言ってますね(笑))
>>158 >>148 >>「意識は私のものでしょうか?」
>その意識イッシキはあなたのものです
この意識イッシキは私のものです
多分個人の意識を一式にまとめる装置があるのね アストラル体やら何やら
>一色の一式は混ざると色が変わります
色即是空 空即是色ね
>意識の色は 絵の具の色だから青、緑、紫…綺麗に染まってくんだけど
集まりすぎると
ピュアな黒になってちゃう
光で染めた無意識は、虹色に分かれてて
集まると
ピュアな白になっちゃうんだ
透明と黒は同じ色なのね
純粋な光は闇と同じ
>無意識な事を意識しちゃって半透明
それは意識してない つもりだから
つもり積もってピュアな黒になってくの
光を当てれば闇は消えるわね
ピュアブラックは純白の愛なのね(は〜と)
488 :
キャラメル :2012/01/12(木) 21:40:51.72 ID:0n0SMc6M
>>487 光を当てれば闇は消えるわね
ピュアブラックは純白の愛なのね(は〜と)
残念な事に
闇で光は照らせないから
ピュアホワイトは
自分で見つけるしかないんだ …
>>488 >残念な事に
闇で光は照らせないから
ピュアホワイトは
自分で見つけるしかないんだ …
そのピュアホワイトが見つかるところはどこかしら?
ヒント→
>>70
490 :
キャラメル :2012/01/12(木) 22:15:30.29 ID:0n0SMc6M
あ!
サルにゾウ♪キリンにカバ♪ペンギン♪
zooっと奥に……
おやすみなさい♪
491 :
キャラメル :2012/01/13(金) 01:02:59.18 ID:Ou2o9stf
♪努力 根性 義理人情ぉ〜
ステキなステキな合言葉
走れば元気が湧いてくる♪
何かのCMソングです。
記憶のzooっと奥にあった♪
変な人たちだ
493 :
キャラメル :2012/01/13(金) 07:25:50.04 ID:Ou2o9stf
>>491 リゲインだ多分…大黒けん?
(サラリーマン)してた♪
>>457 > それがあなたのやったことです。。
・・・そうでしたか。
>>458 > どっかで誤解、誤認がある、あるいは、おかしな「反応」をしていると思うのですが、いかがでしょう?
> 全くそういう自覚、気づきはないのでしょうか?
誤解があったのかもしれません。
自分がやっぱり何も分かっていないことを再確認しました。
反応は、そうですねー、表現できる言葉がないですが、
一番近いのは、放尿後の「ブルブルッ」とした感じが少しだけ近いかもしれません。(笑)
SEXの時のエクスタシーにも少し似ているかもしれません。
496 :
キャラメル :2012/01/13(金) 07:38:54.68 ID:Ou2o9stf
コケコッコ〜ってチキンと誤れば怒るけど
“チキン野郎”って
誤れば許してくれるのに
>>459 > この「それだけです」が曲者だな。。
なるほど。
(↑これも曲者ですね。(笑))
前スレ904
>感謝や尊敬は己と向き合うときにおいては重要なことでしょうか
いえ、己と向き合うときにおいては重要ではありません
己と向き合うときにおいて重要なのは点数付けしないで、ただの観察であることです
あくまでもご参考までに
>己をみるのに、自分以外の誰かに対してのあれこれがどうして重要になりましょうか
自分とゆう感覚は自分以外とゆう感覚があって初めて得られる感覚であり
そして自分とゆう感覚と自分以外とゆう感覚のどちらとも自分の感覚なのです
そして認識を得るには比較する対象が必要です
純粋な光は闇に等しいのです
無論、それが悪いわけではありません
あくまでもご参考までに
前スレ904
>外部への型が綺麗であることで防衛をしていませんか
外部と自我が錯覚している世界も自己の五感と意識なのですね
案外気づき難いものかもしれません
そう言った意味で他者にすることは自分にすることであり
他者にしないことは自分にもしないことです
視点を変えましょう
集団生活(行動)をする生物には一定の規律があり
高等生物にはやはり礼儀はあります
猿 犬 象 等を観察するとわかりやすいでしょう
>外部への型が綺麗であることで防衛をしていませんか
御心が天(内部)にあるように地(外部)にも御心をならしめたまへ
知行合一したところに本物(美しい虹)があるのですね
視点を変えましょう
余計な軋轢をさけて楽しいことにエネルギーを注ぐのは賢い態度と言えませんか?
前スレ904
>外部への型が綺麗であることで防衛をしていませんか
>防衛をしていませんか
防衛したほうが良いときは防衛したほうが良いでしょう
防衛は防衛です、それ以上でもそれ以下でもありません
>すべて消え去るかもしれない恐怖から
全ては過ぎ行くものですね
そして「生」は常に新しく、貴方は永遠に「今」を旅するものです
恐れ無ければ恐れることはなにもありません
「今(生のリアリティ)」にしがみつく態度(概念化して持ち歩くこと)だけが「今(生のリアリティ)」を逃します
あくまでもご参考までに
前スレ904
>言葉や礼儀などを装飾することで
「こういうようなものは相手に対して悪いものではありませんよね」
「ですから、そうしている「これ」は残しても構いませんよね」
このように交換条件で自我を残すことを水面下に許可されようとしていませんか
>「こういうようなものは相手に対して悪いものではありませんよね」
相手に配慮することは美しいと悟り子は感じます
>「ですから、そうしている「これ」は残しても構いませんよね」
自分が良いと感じるものは自分が良いと感じるものですね
相手に許可を得る必要があるでしょうか?
それとも対人関係の話でしょうか?
それは相手次第でしょう
人には、それぞれの事情とゆうものがありますから...
前スレ904
>このように交換条件で自我を残すことを水面下に許可されようとしていませんか
自我を消さないといけないとゆう強迫観念に捕われているのでしょうか?
自我は貴方とゆう個人を体験できる素晴らしい機能であり全体への贈り物でもあります
少しも消す必要は無いと悟り子は感じるのですが...
ただあまり狭い観念に捕われるのは本人にとって幸せじゃ無いかもしれません
無論幸せじゃないといけないとゆうわけでも無いのですが...
悟りは言葉なのか?
それとも感覚なのか?
言葉であれば言葉で知り
感覚であれば感覚で知らねばならぬのでは?
感覚は言葉にし難い、また伝えにくい、理解しづらい。
言葉で同一でも感覚が同一とは限らない。
さてどう思うかね。
前スレ904
>私は尊敬や感謝、礼儀などは、自我を生き長らえさせるために用いられる、非常に巧妙なテクニックのひとつだと思っています
多分我執の意味合いで自我と言う言葉を使っておられるようにお見受けします
自我は思考、記憶、感情、五感等からなる機能であり、消す必要はありません
そして自我を消したいと考えるのも自我だったりします(笑)
>私は尊敬や感謝、礼儀などは、自我を生き長らえさせるために用いられる、非常に巧妙なテクニックのひとつだと思っています
悟り子の見た限りにおいては、我執の強い人ほど 攻撃的な態度をとることが多いようです
あくまでもご参考までに
前スレ904
>巧妙というのは、それをしている本人にその自覚を持つのが難しい点、
また尊敬や感謝を受けた側も、ともすれば悪い気はしないので何とも言い難くさせてしまう点です
>危惧する点は、外面的に美しく尊敬や感謝をすることにより
結局彼の自我が安心したまま、しめしめ危なかったと依然として残ってしまうことです
何か問題があるのでしょうか?
何故自我を敵のように感じるのでしょう?
自我を悪いものと見なす観念を見つめるのも良いかもしれません
悟り子が見た限りにおいて自我はただの自我です
それ以上でも、それ以下でもありません
あくまでもご参考までに
前スレ904
>そうして彼はそれを残したまま見ることができず
それ以外のものを延々と追い求めていくかもしれないのです
なるほど、自分の思考や感情に気づいてることが大切だと言いたいのですね?
同感です
だからと言って、わざわざ他者にたいして非礼な態度を取り
余計な対人関係の軋轢を産む必要は無いのでは無いでしょうか?
自己を見ていることと、礼儀や感謝は矛盾するとお考えされているのでしょうか?
>>412 >問い♪
信用って みなさんどうしてます?
見つめること・・・
感覚に近寄る言葉遊び♪
コジンマリした希望…
たどり着く絶望
隠された魅惑
見つめられる喜び不安♪
前スレ905
>相手の神格化や信仰、崇拝などを行う人が、
それらをする際にしている裏取引のようなものは大抵こういったものではないでしょうか
互いの自我が死なずに済む方法を見つけ、そこには触れないという契約をするのです
この契約にサインすると自我がまんまと生き残るというわけです
どうしても自我を殲滅したいのですね(笑)
かわいそうな自我
(爆笑)
人は自分にするように他者にもします
自分の自我が許せ無い人は他者の自我も許せ無いでしょう
そして軋轢を経験することになります
自分が持っているものを見つめると幸せを経験して
自分が持っているものから目を逸らすと不幸を経験すると言っても良いでしょう
あくまでもご参考までに
>>503 鬼和尚さんですか?
それにしても・・・
悟りを円に例えるなら
悟りについて語ることはπの数字を並べ立てることに似てますね
悟り(円)はシンプルに存在するのに
それを言葉(数字)で語ろうとすると...(笑)
>>508キャラメルお兄様?
じゃあ正解(笑)
v(^∀^*)
>>503 「悟りとは言葉では無くて感覚です」
と「定義」するとですね・・・
そうですね、悟りとは、ひとときひとときを噛み締めるように味わうように生きること
とでも言っておきましょう、そんな感じです
513 :
悪い子:2012/01/13(金) 16:36:33.11 ID:Ou2o9stf
〆(・ω・)┌┛)β`).;*・.;..
お風呂に入って“カミ シメル”
>悟り子
汗水たらして
理解して
頑張る あなた が
とっても素敵です♪
うんちハナタレ爆弾v(^∀^*)
おやすみなさい♪
>>514 >>悟り子
汗水たらして
理解して
頑張る あなた が
とっても素敵です♪
うんちハナタレ爆弾v(^∀^*)
・・・今ふと、「モーニング娘。」の歌の一節が思い浮かびました
...ひとりぼっちで少し 退屈な夜
私だけが淋しいの? Ah Uh
くだらなくて笑える
メール届いた なぜか涙止まらない
Ah ありがとう
フフ、悟り子は遊んでるだけよ(^O^)
でも言わなくちゃ☆
ありがとう(v^-゚)
おはようございます♪
今度“嵐の二宮”君
コンサート来たら
マジックやって
消えるしか無いね
カンシャク起こさず感謝しますサーセン
>>412 その人を知ること。色んな意味で。
その知ったことの深さが信頼の深さ。
なので観察主体に全面的に依存する。
だから見つめることでもいい。
>>517 汁庭二羽鶏はチキン……\(__)
知るには、知ってもらわなきゃ♪
信用度はキャラメルの足下
“マシタ”かな?
意地になって意地毛虫になってると
蒸し返しても無視されちゃう♪
あっかんべー嫌なこった♪
パンナこった♪
あーん(^○^)パ〜ンチ♪
♪そおだ恐れないで みんなのために
愛と勇気だけが友達さぁ〜 ♪
ちょこっと寂しい歌(*μ_μ)♪
>>518 >知るには、知ってもらわなきゃ♪
当たり前だが他者や自分が閉じていても知られる、知ることは可能。
観察主体に全面的に依存する。
知られることはさしたる問題ではない。
どちらであれ、知らなければ信用は発生しない。
>>470 > 悟りって100階建てるっていうより
> 100階建てを壊して地面に足を着けるって感じじゃないかい。
足を着けるところがなくて、
落ち続けていくような感じかもしれません。(笑)
【お題】
お題〔 〕シリーズで見た要領で身の回りのものを見てみましょう
筆箱 ボールペン 窓 ハンガーに架けた服
花 蝶 信号機 車 土 道路 木 「 」 空 夕日 夕日に照らされた街
まぶたの裏側 闇 思考
感情・・・
>>522続き(字数規制中)全体を正確に見れるでしょうか?
部分に意識を持って行くとどうなるでしょうか?
実験してください
遊んでください
「わ〜、木ってこんなにも生々しく木だったのね、きづかなかった!」
とゆう体験ができるかもしれません〇
>>453 >「経験というのは、誰が(何が)しているのでしょう?」
私です、(何が)とゆうと何かでしょうね
便宜上それを純粋観察者と呼んでます
いわば、見られることの無い見るもの
視点の始点ですね
でもって全ての支点
私は支店(笑)
>>455 >「「私」は、一切の判断に囚われることなく生きることは、出来るでしょうか?
一切の判断に囚われ無ければ一切の判断に囚われること無く生きることはできるでしょう
>>525続き
>たとえば、価値判断することなく、何かを価値判断することができるでしょうか?」
価値判断することなく、何かを価値判断すればできるでしょう
amaさんに質問があります
静寂の価値を知り、静寂について語ることと
吉本新喜劇を観に行って笑い転げることは矛盾するのでしょうか?
それとも本人の勝手でしょうか?
あとバナナはおやつに入るのでしょうか?
悟り子には分かりません
(・◇・)?
>>528 驚きました!
人間本当に笑っているときは思考することができないんですね(笑)
悟りと笑いは同じものなのかもしれませんね?
あっ、だからamaさんは新年の初お題を「笑い」にしたんですね!
やっとamaさんのお題の意図がわかりました(*^o^*)
>>529続き
悟りと笑いは仲の良い兄弟だったんですね?
あっ、それで悟り子とキャラメルお兄様は仲の良い兄妹なんですね!
これで謎が一つ解けました(笑)
お後がよろしいようで
m(_ _)m
>>530 サービスさん「険しい山に挑戦しなよ」
キャラメル「はい、お嬢様♪」
そ〜れから ドシタ
キャラメル「来ては見たが……どっちにいけば?」
“ソウナン”だ、悟り子……。
できた妹持って嬉しいよ兄ちゃん♪
追試
山に子守りされてきます。
>>529 おまえさんは悟りの境地より
落語で至福の境地を目指した方がいいよ
宗教の真実
 ̄ ̄| ┌‐┐ オラ!自分とは異なる宗教、宗派の人間を排斥しろ!!
__|_ _l__|_ ┌‐┐
^宗^) /⌒ヽ \ / (^宗^) _l__|_
7 ⌒い _( ;信;) X. /⌒ヽ / ヽ (^宗^) 我々に金を貢がないと死後天国に行けませんよ。
| l /フ ̄⌒ヽ n/ \ (;信; )_ l / ヽ 信者さんwww
宗\ \ (/l、__\__ソ (^Vヽ  ̄ 、\ 宗教運営者
教 \ /っ / ,(_\ ー' 人 ̄ )(つ
│/_/ /__ノ 〈__r‐\ \
___)─' └--' └-┘ (フ
│ | │ 宗教信者
┤ ト-ヘ
↓信者のエサ(人間を不安に陥れ、金を巻き上げようとする宗教運営者の定番ネタ)
・カルマや原罪などを捏造し、理不尽な罪悪感を植え付ける。
・異なる宗教間、宗派間で対立を煽り、運営側には非難が向かないようにする。
・金を寄付しないと死後天国に行けないと洗脳し、金を巻き上げる・・・など対立や不安を煽るネタ。
>>449 > だいぶ端折りましたが、まあだいたいこんな感じでしょう。
どんな隠し玉があるのかと少し期待しましたが
たぶんろんさんは気づいていますよ
>>453 > で、≪お題≫。
> 「経験というのは、誰が(何が)しているのでしょう?」
答を言っているようなものなので省略します。
ところで、amaさんは
去年は「本当に本当に大変な1年でした」と書いていたように記憶がありますが
どのような大変なことがあったのでしょうか?
わざわざ、書くくらいなので、何かなーと気になったのです。
>>455 > で、≪お題≫です。
> 「「私」は、一切の判断に囚われることなく生きることは、出来るでしょうか?
> たとえば、価値判断することなく、何かを価値判断することができるでしょうか?」
判断しないで判断する というところが、文章として成り立っていませんので答えられません
>>460 > もちろん、ぼくは、自分の感じたことをお伝えしたいだけなのですw
> 悪しからず。。
amaさんが《アラシを呼ぶ男》 みたいになるかもしれんよ
>>467 > 思考が止まった後の静寂について語る一方で、
> お題と称して思考実験を繰り返す矛盾に
お題は遊びでしょう
でないと、話題がないし・・
>>468 > それを無知から否定する人間は自分で自分の足場をなくしている。
> 地に足がついていない。
そのとおりだよ
まったくそのとおり
無知こそ全て
地に足がついていないことが全て
なのだから
>>503 > 悟りは言葉なのか?
> それとも感覚なのか?
> さてどう思うかね。
言葉でもなく感覚でもなく思うことでもない
もちろん書くことでもない
>>527 > 吉本新喜劇を観に行って笑い転げることは矛盾するのでしょうか?
笑い転げられないと思います
> あとバナナはおやつに入るのでしょうか?
間食で食べたら おやつ です
食事でたべたら おやつ じゃありません
>>529 > 人間本当に笑っているときは思考することができないんですね(笑)
思考して照らし合わせてから笑いませんか
>>468 > 一階が建たないと二階は建たない。
> 50階を建ててないで100階を建てることはできない。
> 100階まで建てよう、という意志のある地道な途上の人の言葉のほうが真実味があり、価値があるように思う。
> そこには個の尊厳がある。
> それを無知から否定する人間は自分で自分の足場をなくしている。
> 地に足がついていない。
いやいやまったく驚きです
その通りです
個を成長させようと、個を尊厳しようと頑張るわけですね
そして積み上げて行く
そこに価値があるから
でも悟りはそうじゃありませんね
無知を知り、足場をつくらない
ということにつきますね
【お題】
「祖師西来意」(そしせいらいい:達磨大師が西から来た理由)は何でしょうか
何れ様々な潮流が合流することを可能にするための準備。
一つの巨視的な精神文化の有機的な流れ。
言葉を変えると、意志のある歴史の営み。
>>538 >無知を知り、足場をつくらない
はい。でもね、
何も足場がなく、奈落に堕ちてゆき、正気に戻った後、現実世界に私達は何を持って帰るのか?
奈落に堕ちる、という表現には「恐怖」が付着してますね。
その「恐怖」を克服するために必要なものは一体なんなのか。
中心が必要だと思う。
キャラに縛られながら本当も嘘も伝るんだ
いや、違うな。
中心なんか元からない。
545 :
ろん:2012/01/15(日) 08:09:28.22 ID:COvUWzea
>>495 教えようとか、指摘しようとしている時は誤解しやすいでしょう。。
相手はわかったおらず、自分はわかっているという判断で行うわけですから。。
「反応」というのは、そういう認知・判断・行動のプロセスに、誤認や誤認を行わせる無意識的な意図などが含まれてしまう、一種反射的に行為してしまうという意味で言いました。。
もともと悟り子さんに向けたレス
>>250に対して、どうしてそんなに食いついてくるのだろう?
と言う疑問からの、僕の判断です。。
誰でも教える、指摘するという立場に立った時には、自他に対する誤解、が生じやすいのだと思います。
546 :
ろん:2012/01/15(日) 08:16:23.89 ID:COvUWzea
>>535 >amaさんが《アラシを呼ぶ男》 みたいになるかもしれんよ
あっはっは、言い過ぎたか。。
でも、まともな人はポみたいにはならんでしょう。。
ポはおいらに取り憑いてるストーカーみたいなもんだなw
547 :
ろん:2012/01/15(日) 08:24:37.06 ID:COvUWzea
>>540 というか、祖師西来意というは、仏法、悟りの根本とは何か、と言う意味なんだよ。。
今までの解答例としては、
「庭先の柏の木(庭前の柏樹子)」とか「履物を揃える(脚下照顧)」なんてのがある。。
548 :
ろん:2012/01/15(日) 08:26:32.83 ID:COvUWzea
>>541 奈落に落ちるってファンタジーじゃない?
足場なしに平気で生活するということだよ。。
空の青さを見た
緑色の山を見た
風が頬に触れ
鳥が可愛らしく歌う声を聞いた
光に包まれて
私の心の中にある最後の孤独の影はさよならと笑った
私は覚者にあった
覚者は素朴な人だった
私は今泣きながら笑っている
>>473 > >思考が止まった後の静寂について語る一方で、
> お題と称して思考実験を繰り返す矛盾に
> ろんならとっくに気付いてたと思ったんだけど・・・・・
>
> とてもするどい考察ですね、考えたこともありませんでした・
思考が静まるようなお題はありませんでしょうか?
【お題】
このレスを読んでから明日までの24時間
「猿」のことを考え無いようにしましょう
時計で時間をチェックしたら開始です(笑)
>>522 見ているのか見られているのか分からなくなりました。(笑)
見ているものは自我ではないようですが、見ようとしているのは自我のようです。
1点に集中したままにしておくと、思考の動きが制約され、その微細な動きがよく見えます。
体を見てみますと、触覚は体全体にあり、味覚は口の中、視覚は目、聴覚は耳、嗅覚は鼻にあるようです。
頭の中を見ると、思考が言葉になる前のチロチロとした音のような動きが見ました。
それは、外からの刺激や、記憶などの刺激を受けて明滅しているように見えます。
感情は、体の中、特に胸から上の方で反応が見られます。
記憶を見てみますと、「私」なしの体験が随所に見られます。
冷えた体を湯船に沈めたときのような圧倒的な感覚に翻弄されるとき、
恐竜に食べられそうになったときなど(笑)考える暇がないとき、
趣味など何かに没頭していたときなど、
体験者のいない体験があったようです。
何のことはない、ただ意識があっただけのようです。
>>552 そして、最後に、こういったものが見えたとかあったなどのように言っている自我がいることに気づきます。
記憶は、「何か」が像を結んで記録されたような感じ、思考は、その記憶が動き出しているような感じです。
つまり「何か」が止まっているときに記憶と言い、動いているときに思考と言っているのかもしれません。
そして、「何か」は、自我の知らないものです。
記憶の正体が結局自我の知らないものだったので、
「思考が」「感情が」「五感が」、このへんにあってこのように動いているというのも、
本当かどうか分からない、実際には何が起こっているのか分からない、と自我が言っています。
あと、五感や記憶や考えや感情以外には意識を向けることができませんでした。
以上、amaレポートでした。(笑)
>>527 > 静寂の価値を知り、静寂について語ることと
> 吉本新喜劇を観に行って笑い転げることは矛盾するのでしょうか?
この2つは同じことのように思えます。
> それとも本人の勝手でしょうか?
> あとバナナはおやつに入るのでしょうか?
これは、難しい判断ですねー。
きっと悟った人にしかわからない難問なのだと思います。
私に言えることは、バナナは、
八つ時に食べると、おやつになり、
朝食に食べるとダイエット食品になり、
食後に食べるとデザートになるということです。
受け入れないと怒りとなり、
受け入れるとエクスタシーとなります。
バナナと一つになると新しい神が生まれ、
彼は、更にたくさんのバナナや人を・・・。
その意味で(?)バナナ(意識)はおやつ(意識)だということになります。
お役に立てると幸いです。(笑)
> 悟り子には分かりません
分からないことすら分からないのは、どのようなときなのでしょう?
>>555 >分からないことすら分からないのは、どのようなときなのでしょう?
とても難しい質問ですね
・・・まあ、便宜上...自我が分かっていると判断を下したときかもしれません (・◇・)?
でも、逆にわかり過ぎて自我消失状態でも...
分かろうとする動機が消え去った状態でも・・・
わかりません(笑)
一生懸命 粉から打った うどん
腰があって
あまりの 美味しさに
目から うどん粉が落ちました…\(__)
>>539 >「祖師西来意」:達磨大師が西から来た理由は何でしょうか
西に住んでたから、東から来ようとしたら凄く遠回りになって大変だったんでしょうね
...わからないときはパスするのも手ですね(笑)
>>558 打ち立てのうどんは美味しいわねキャラメルお兄様!(b^ー°)
>>555 静寂とは蝋燭の火みたいなもんじゃろ
感情で蝋燭の火が揺らめいてそれが静寂なのかね
揺らめかない蝋燭の火で
部屋を眺めるようなもんじゃろ
どんなに風が吹いても 火が揺れない 部屋の明かりがチラチラしない
心のLED電灯に転換することじゃろ
>>534 >「純粋観察者」って誰かが作った造語ですか?
悟り子が便宜上使ってる言葉です
観察されることの無い観察者の意味と
一切の不純物無しに純粋に観察するものとゆう意味をかけてます
造語かどうかは不明です
>自我=我執 じゃないのですか
自我は 独立した個人としての感覚
我執はその個人が何らかの執着に囚われた状態とゆう意味で悟り子は使っています
詳しくは国語辞典を御参照ください
悟り子は「新明解」を愛用しています
>>534 >キャラメルさんに似てきましたね
はい
>>537 >思考して照らし合わせてから笑いませんか
知的な笑いを好まれる方なのですね
悟り子は電柱を5秒凝視しただけで・・・
気をつけますm(_ _)m
>笑い転げられないと思います
実際に笑い転げると大変でしょうね(笑)
>間食で食べたらおやつです
食事でたべたら おやつじゃありません
じゃあ食事で食べます
おやつはプリンにします
>>560 LEDは風に揺れなくても
発電は自家発電?
エネルギー作るのに
何を揺らすの?
>>534 煮くずれしても 味付けが決めて♪
積み方が悪いと荷崩れします♪
似てても それぞれです。
>>563 煩悩を燃やす代わりに
生命の火を灯すんじゃろ
>>541 > 何も足場がなく、奈落に堕ちてゆき、正気に戻った後、現実世界に私達は何を持って帰るのか?
これを解読するのは難しいようです
> 何も足場がなく、奈落に堕ちてゆき
ここまでは、正気でないから、こう思ったということですね
> 正気に戻った後、現実世界に私達は何を持って帰るのか?
正気になったら、妄想だったということでしょうね
> その「恐怖」を克服するために必要なものは一体なんなのか。
> 中心が必要だと思う。
克服する必要があるのでしょうか
恐怖に蓋をしてしまうと、恐怖しているにもかかわらず、それを感じ取れなくなってしまうのではないかと思います。
そしていずれ、それは爆発するでしょう。
>>553 記憶や思考の産物である自我は、その、記憶や思考全体を知ることは出来ないと言う事ですね。
もし、その事を了承して、自我を記憶や思考にお返ししてしまうなら、どうなるでしょう?
>>564 ジャロってなんじゃろ?
揺れる灯りを楽しむ発想
煩悩から配送されてます
>>547 > というか、祖師西来意というは、仏法、悟りの根本とは何か、と言う意味なんだよ。。
そうなんですか。
本当の所は、当人しかわからないでしょうけど。
> 「庭先の柏の木(庭前の柏樹子)」とか「履物を揃える(脚下照顧)」なんてのがある。。
なるほど、そういう答え方ですね。
>>551 > 【お題】
> このレスを読んでから明日までの24時間
> 「猿」のことを考え無いようにしましょう
お題を出しておいて、それはないだろう と自我が言ってます。
>>555 > きっと悟った人にしかわからない難問なのだと思います。
結構、面白かったです。(爆笑)
>>556 > これは地震や津波や放射能汚染のことを言いました。
そうですか。被災者でしたか。
> OSHOの、
> 「大災害というものは、人をあるがままの現実に目覚めさせる。」
> という言葉を思い出します。
>
http://kanako-laxmi1011.cocolog-nifty.com/blog/cat22630882/index.html これは、おかしなことです。大災害があったからといって、痛みを伴なわなければ別に何でもないです。
「痛みが、現実に目覚めさせる」だったら、わかります。
>>561 > 自我は 独立した個人としての感覚
> 我執はその個人が何らかの執着に囚われた状態とゆう意味で悟り子は使っています
> 詳しくは国語辞典を御参照ください
国語辞典を見ましたが、違いがわかりません。
自我から我執をとったら何が残るのでしょう。
>>559 > >「祖師西来意」:達磨大師が西から来た理由は何でしょうか
> 西に住んでたから、東から来ようとしたら凄く遠回りになって大変だったんでしょうね
理由なんて知るかという質問ですよね
> 「庭先の柏の木(庭前の柏樹子)」とか「履物を揃える(脚下照顧)」なんてのがある。。
からすると、自然とそうなった。理由なんて無い。ということのようです。
中国の西は砂漠が多いので、放牧でたまたまついて来たのかもしれません。
けれど、私が思うに、「 」を受け取ってくれる人を求めてきたのではないかと、思っております。
>>569 >自我から我執をとったら何が残るのでしょう
幸せ
何でもできると
日図和言うけれど
魔女っ娘巡は一人ぼっち
だから愛して偉大意
夢巳留ように
あの子の涙は
私の涙
涙君さよなら
上を向いて歩こう
さよなら涙君
こぼれないように
いいないいな人間っていいな
笑って笑って笑ってキャンディー
でんぐり返しでバイバイバイ
愛と勇気だけが友達さ
生きているから友達なんだ
パンジーの花を育てる
一般人のチンパンジー
あちゃ、猿の事 考えちった……
>>541 >中心が必要だと思う
お腹を中心にするのはどうでしょうか?
腹の据わった人になるのです
あくまでもご参考までに
>>574 あっ、キャラメルお兄様そんなこと書いたら(笑)
>>562 > 悟り子は電柱を5秒凝視しただけで・・・
> 気をつけますm(_ _)m
電柱も笑っていることでしょう
人のいないときに、やりましょう
おはようございます♪
兄ちゃんな
山子守りされて気づいたぜ
リアルは自分なんだって
エネループ
悟り子♪
切り開くゼ!
観音開きで!
>>570 本人は、
「大気圏に突入するときの角度を間違えてしまった、不覚。」
と言ってますが・・・。
>>568 > これは、おかしなことです。大災害があったからといって、痛みを伴なわなければ別に何でもないです。
> 「痛みが、現実に目覚めさせる」だったら、わかります。
きっと、痛みのことを言っているのでしょうね。
>>566 > 記憶や思考の産物である自我は、その、記憶や思考全体を知ることは出来ないと言う事ですね。
思考全体もそうなのでしょうが、
思考それ自体についても知ることはできないように思えます。
何かのエネルギーであると言うこともできますが、
ではエネルギーってなに?となって、
どんどん突き詰めていくと、そもそも知るとか理解するって何?
という問題も出てきて、しまいには、悟ってしまうかもしれません。(笑)
> もし、その事を了承して、自我を記憶や思考にお返ししてしまうなら、どうなるでしょう?
お返しするというのは、消してしまう、ということでしょうか?
もし、そうなら、そんなことができるのかどうか私には分かりません。
死んだら消えそうな気はしますが・・・。
というか、そもそも本当に自我があるのでしょうか?(笑)
>>581 >ではエネルギーってなに?となって、
どんどん突き詰めていくと
現代科学では意識は電気信号とゆうことらしいですね
たいていの人はここで
「わかった、あがり!」
となります
でもamaさんみたいに素敵な人は・・・
「じゃあ電気って何?
電気信号って何?どうして起こるの?
そもそも電気は何故存在するの?
そもそも存在って何?
存在と認識は別々にあるの?
電気信号が私の意識体験を創っていることはどう説明できるの?・・・」
と終わりの無い問いの中に遊ぶのですね(笑)
>>577 >兄ちゃんな
山子守りされて気づいたぜ
リアルは自分なんだって
エネループ
悟り子♪
フフ、青い鳥は虹を越えたのね?
虹の彼方、そこはいつも青空・・・
その雲一つ無い空こそが真の実在であり基盤なのよ
覚者は空をセンター(基盤)にして生きるの
キャラメルお兄様も今日から覚者ライフね
(v^-゚)
...じゃあ、朝はテキパキ起きなきゃね(笑)
>>541 >奈落に堕ちる、という表現には「恐怖」が付着してますね
じゃあ天国に昇る、という表現にしましょう
これなら「喜び」が付着してますね?
>>552 >見ているのか見られているのか分からなくなりました。(笑)
冷蔵庫と目が会ってるamaさんを想像しちゃいました(笑)
>見ているものは自我ではないようですが、見ようとしているのは自我のようです
その両方を見ているものがあるのですね(笑)
智慧を身につけずに覚者なのかい
>>586 >智慧を身につけずに覚者なのかい
あくまでも私論ですが
何も知り得ないことを知り
常に意識的であれば覚者です
あくまでもご参考までに
>>583 >...じゃあ、朝はテキパキ起きなきゃね(笑)
☆0ωo*●)イーー
布団のフートンが 優しい奴でさ…
暖めてくれるから…
フートンの善意…
断るの苦手なんだよ…
ほら、新聞も各社そろってる
最先端の浄水器もGETだぜ……(笑)
または執着に左右されないから覚者なのではないのかね
そのことにより
執着とは何たるかを知ってるから覚者ではないのかね
執着に左右されないから覚者なのではないのかね
そのことにより
執着とは何たるかを知ってるから覚者ではないのかね
>>590 執着が存在しないからこそ覚者なのだよ。
人に振る舞う時
インスタントラーメン
と
拘りラーメン
状況によるけど
拘りラーメン振る舞いたいし
振る舞われたら嬉しい…
それだけ
執着が存在しないなら産まれて死ぬ瞬間まで覚者だよ
>>589 >>590 >(または)執着に左右されないから覚者なのではないのかね
そのことにより
執着とは何たるかを知ってるから覚者ではないのかね
大事なことだから二度言ったのですね(笑)
執着してますよと言いたくて(笑)なんだろうね。
このように返答するのも執着であり(笑)も執着の体現だよ
>>590 >執着に左右されないから覚者なのではないのかね
悟り子のイメージでは覚者は執着に左右される自我を冷静に見ているイメージですね
あくまでもご参考までに
>>595 >執着してますよと言いたくて(笑)なんだろうね
気を悪くされたのなら謝ります
配慮に欠けた発言でした
ごめんなさい
m(_ _)m
>このように返答するのも執着であり(笑)も執着の体現だよ
執着があっても全然かまわないと感じます
執着が苦しみにならず、たんに心地好いものならば
悟り子にとってこのスレは執着(愛着?)です
>>581 例えば、コップに入った水を、海に返すと言う事です。
水は消えるのでしょうか?
同じ様に、自我を、その元である思考や、記憶に返すとどうなるでしょう?
これは、自分自身で試すことができます。
分かりやすく言うと、自分という考えは、他のどんな考えとも違わず、考えであるという事です。
要するに、自分への執着が、思考全体という大海原との障壁になるのです。
思考を自分の思考と、その他の思考に分断してしまっている。
その壁が無くなれば、思考全体を使える様になるのです。
では、どの様にすれば、その壁が消えるのか?
方法などあるのだろうか
あるとすれば、その方法を用いたものは「そういうもの」なのだろうか
おはようございます。
休みの日は、フートンの善意断れるんだ…
なんでだろ?
お言葉に甘えてもぅ一眠り。
>>601 > 方法などあるのだろうか
解説なしに理由なしに原因なしに評価なしに、
ただ自分を自分なりに感じて生きることだと思います。
なんとか三昧ってやつですね。
> あるとすれば、その方法を用いたものは「そういうもの」なのだろうか
↑これは、日本語が分かりませんでした。
>>595 >執着してますよと言いたくて(笑)なんだろうね。
このように返答するのも執着であり(笑)も執着の体現だよ
愛かもしれませんよ?
私達はイチャイチャしたいだけなのかもしれません(笑)
>>603 >休みの日は、フートンの善意断れるんだ…
なんでだろ?
リラックスしているときは誰もが覚者なのよ
リラックスするためのテクニックにあえて緊張するとゆうのがあるの
>>606続き(字数規制中)緊張が極限まできたらストンと緊張が落ちるのね
つまりリラックスするとゆうわけ
それが昔の禅の修業が厳しかったりした理由なのよ(笑)
>>451 >「あ」が「い」であるときも、また味わい深いです。(笑)
フフ、もちろん「あ」は「い」ですよ、分離は存在しません〇
日本語の基本です
愛意宇恵生(あいうえお)
宇宙は愛の意識で生まれたのです
>>606 力をググググ!っと入れて♪
ふ〜…抜く
リラックス……〜(´ー`〜)
ありがとう!悟り子♪
この技で強敵フートンの善意を断って魅せる♪
緊張と緩和♪
緊張ばかりじゃアカンワ〜……
失礼しました\(__)
おはよ〜ございます〜
>>579 >まあ、そんなものかもしれないです
私もです、あと悟り子の経験では心から可笑しくて爆笑しているときでも
その中心にぽつんと台風の目のような真空部分があります
>>611続き
どんな騒がしい中にあっても、この中心の真空部分が消えた試しが無いです
それは感情の揺らめきにも外的騒音にも一切影響されることなく常にあります・
【お題】
素敵な異性をイメージしましょう
その素敵な異性が自分だとイメージしましょう
(実際その通りです)
その素敵な異性といろいろ話してみましょう
キャラ「メルはどんな男がタイプなの」
メル「タイプかぁ〜、熱くて強くて守ってくれる人」
キャラ「強い、かぁ…ケンカ弱いから駄目だな俺。」
メル「お馬鹿さんねw相変わらず。」
キャラ「おぃおぃ馬鹿とはなんだよ!」
メル「強いって力じゃないよ♪頑固さ、柔軟さ、いろいろあるし
力の使い方に迷ってるキャラは優しいとおもうぞ♪」
キャラ「こいつぅ〜」
キャラメル「………いいのか?……」
>>614訂正
キャラメル「………いいのか?……」
キャラメル「……これで…いいのか?…俺…。」
オモロイw
キャラメル「間違ってなかった…♪」
>>616有り難き幸せm(__)m
>>614 あら素敵(は〜と)
とてもメルさんと仲が良いのね〇
メルさんはキャラメルお兄様が現実に存在するように現実に存在するの・
キャラメルお兄様の一番親しい友達(恋人)なのよ☆
これからも仲良くしてね
!(b^ー°)
>>615 >キャラメル「……これで…いいのか?…俺…。」
フフ、メルさんが楽しそうだから大丈夫☆
(メルさんはキャラメルお兄様だから)
620 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/17(火) 13:48:17.57 ID:96H4sVZh
>>598 >例えばコップに入った水を海に返すと言う事です。
水は消えるのでしょうか?
消えないと思います
>同じ様に自我をその元である思考や記憶に返すとどうなるでしょう?
思考や記憶になると思います(思考や記憶を思考や記憶に返す?)
>>598 >これは、自分自身で試すことができます
多分amaさんは既に自我が記憶や思考だと気づいてらっしゃると思います
悟り子はたまに混乱します(笑)
>>600 >要するに、自分への執着が、思考全体という大海原との障壁になるのです
なるほど、勉強になります
ありがとうございます
m(_ _)m
言葉遊びしてるだけで分かる気ゼロやろ
>>600 >どの様にすれば、その壁が消えるのか?
その壁は自分で想像しない限り存在しません、実体性の薄いものです
貴方が思考対象に鋭敏な気づきの光をあてるのなら
その鋭敏さの中に壁の入り込む余地は無いでしょう
あくまでもご参考までに
>>624 俺?正解♪
♪わかっちゃいるけど やめられない♪
てか、何がわかるの?
>>625続き
【思考のイメージ】
1.事物 データ等をよく観察する
2.答えが出る
3.概念を使って概念化 言語化等を行うこともある
>>627続き
道を歩いていてマンホールのフタが空いてるのに気づけばよけますよね
空腹になれば食事をして
眠くなれば寝ます
信号が赤なら停まります
興味深いことは忘れません
実は思考はそんなに必要無いのかもしれません
あくまでもご参考までに
ふーん
じゃ、愛とは何ぞや。
>>625 その想像している自分とは、何でしょうか?
壁というものは、自分からは見えません。
なぜなら、自分が壁だからです。
>>630 >その想像している自分とは、何でしょうか?
おそらく思考や記憶や価値判断等でしょう
>壁というものは、自分からは見えません。
なぜなら、自分が壁だからです
その自分とは固定観念や執着でしょうか?
気づきのことでしょうか?
>>631 そうですね〜、ここで言う壁とは、固定観念や、執着のことかもしれません。
気づきは、その壁にひびを入れるようなものかもしれません。
>>604 >解説なしに理由なしに原因なしに評価なしに、
ただ自分を自分なりに感じて生きることだと思います。
なんとか三昧ってやつですね。
なんとか三昧になる「方法」というものは無いのでしょう
もしあるとしても彼はその方法によって「そういうもの(なんとか三昧)」になっていないだろうと思います
そういうものが、なんとか三昧ではないでしょうか
635 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/18(水) 01:48:51.62 ID:iXPhnMIO
誰も見ないの張って何したいんだか
>>577 > リアルは自分なんだって
まったく目の覚める言葉ですね。
>>622 > 悟り子はたまに混乱します(笑)
そして、混乱もまた甘美なんですよね。(笑)
>>633 ブログ拝見しました。
>「自身に落ち着くこと」
まったくです。
私が神なのですね。
>>634 > >解説なしに理由なしに原因なしに評価なしに、
> ただ自分を自分なりに感じて生きることだと思います。
> なんとか三昧ってやつですね。
>
> なんとか三昧になる「方法」というものは無いのでしょう
おっしゃるとおり、ただ生きるのに方法はないですね。
> もしあるとしても彼はその方法によって「そういうもの(なんとか三昧)」になっていないだろうと思います
なっていないなら、それは、単なる方法や方便でしかなく、そこにリアルはないかもしれません。
> そういうものが、なんとか三昧ではないでしょうか
なっているなら、方法や方便すら、「そういうもの」かもしれませんね。
>>240 >「すべてが私である」というのは自我の出す結論(判断)ですね。
どのようにして自我は、そのような結論を出すのでしょう?
悟り子の自我によると...
私(自我)は私(五感 思考 記憶 感情)以外体験したことが無い
気づきとやらが起こっても私が認識したときは既に私だ
だから私(自我)は私以外には出会え無い
私が見るもの聞くもの触れるもの味わうもの嗅ぐもの全て私だ
それらを基になり立つ私の思考も感情も記憶も全て私だ
つまり全てが私だ
とゆう認識です
>>240 >「すべてが私である」というのは体験だと思われますか?
全てが体験とゆう意味では体験でしょう
ただこの文脈だと記憶、認識、判断と言ったところでしょうか?
前スレ806
>マウスがとてつもなく大きく感じることもあります
人はマウスを見るとき通常過去のデータに基づいて見てますね
マウスは10pくらい、マウスと私の距離は60pくらい、私の身長は160pとか...
こうゆう観念無しに、ただマウスを見ればマウスが銀河系くらいの大きさに見えても不思議ではありませんね
実はマウスも銀河系も視覚器官を通じて変換され意識に受かんだ映像であり
その映像自体私達の意識なんですよね
>>643続き
私の場合だと...
例えば空を見ていると最初上空数千メートルを見ている感じだったのに、突然その距離感が消えるんですよ
空が目の前数10pにあるみたいな感じになるのです
そして見ている感じも消えて、ただ意識が空だけになるのです
これは多分誰でも体験できるのでよろしければ、皆さんもやってみてください
ただ横になって空を見るだけです
空になれますよ!(b^ー°)
>>634 まず、三昧の定義を、なんとか三昧と捉えていますが、それは、補助的な意味であり、本来の意味は禅定の事であるという事です。(wikipedia参照)
そして、悟りと三昧は、同じものではありません。
三昧は、ここで言う気づきの様なものです。
なぜなら、もし、三昧状態で居続けるなら、三昧などありませんからね。
三昧でなくなるから、三昧であったことを認識できるのです。
そんな出たり入ったりする事を悟りとは言えません。
あと、もう一つ、方法の話ですが、方法はあります。
三昧になる方法なら、坐禅をすれば良い。
悟る方法は…観つけて下さい。
しかし、方法が無ければ、悟りもない。
では、なぜあなたはここに居るのでしょうか?
その様な自己矛盾を解決して行く事が、それに近づく道かもしれませんね。
おはようございます。
パンパン☆「はぃ、集中!」
何処の学校の先生でもいませんでした?
パンパン☆「はぃ、三昧!」
いなかったのは、子供には分からないからだと思います。
パンパン☆「はぃ、サマーディ!」
PTAで問題になると思います。
ニーズって大切ですね♪
647 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/18(水) 15:42:38.42 ID:ISHZECiS
>>639 ama ちゃん
>まったくです。 私が神なのですね。
ヘー(´ν_.` )ソウナンダ
では、神は、なんなの?
感性で完成! 作詞キャラメル印
頑丈な感情が
イクラだなんて
勘定するのは
ヤボってもんよ
火事で寝る場所
失うよりも
ボヤで不満たれてりゃ
幸せだ♪アーコリャコリャ
>>648 >頑丈な感情が
イクラだなんて
勘定するのは
ヤボってもんよ
感情と戦っても葛藤が増すだけね
>火事で寝る場所
失うよりも
ボヤで不満たれてりゃ
幸せだ♪アーコリャコリャ
風も雨も日照りもアラシも友達ね
>>646 >パンパン☆「はぃ、サマーディ!」
PTAで問題になると思います
TPOも大切ね(笑)
>三昧になる方法なら、坐禅をすれば良い。
方法を教わり、その通りにやってもできない
何もかも全て無くなったからできるのではないでしょうか
そういうことに方法などありますか?
あると言っても、厳密には彼はその方法によって三昧にはなれないと思います
そういうものが全て無くなって、なんとか三昧ではないでしょうか
ですから方法があったとしても、方法も消えてしまい
つまり厳密には何らかの方法によってではなく、何にもよらないので三昧なのだと思います
「この方法で可能」というものは、「その方法が指す目的地」には着くでしょう
しかし「どんな方法にもよらないであるもの」には永遠に辿り着けないと思うんです
>>571 > 幸せ
では最も幸せな時は自我はどうしているでしょう
>>581 > というか、そもそも本当に自我があるのでしょうか?(笑)
では思考は何処から出てくるというのでしょう
>>600 > 思考を自分の思考と、その他の思考に分断してしまっている。
同じじゃないのですか
>>612 それは何歳になっても変わらないようです
またずっと感じているもののようです
>>600 >要するに、自分への執着が、思考全体という大海原との障壁になるのです
思考が大海原なら実在はどう表現するのでしょう
吹けば飛ぶような将棋の駒が巨大な岩だったとしたら、宇宙の大きさはどうなるのでしょう
>>644 > これは多分誰でも体験できるのでよろしければ、皆さんもやってみてください
湯船に浸かって、目を閉じると、ゆらゆらとお湯になります
これも簡単です
>>650 > 「この方法で可能」というものは、「その方法が指す目的地」には着くでしょう
> しかし「どんな方法にもよらないであるもの」には永遠に辿り着けないと思うんです
既に着いているならば出かける必要もないでしょう
>>498-509 要点は
「礼儀は悪いものだから止めたほうがいい」とか
「自我は悪いものだから消したほうがいい」などということではなく
「礼儀を使って巧妙に自我を守ろうとする動きがあるのではないか」、という点です
>防衛したほうが良いときは防衛したほうが良いでしょう
防衛不要ということではなく、「なぜ今防衛が必要だと思ったんだろう」ということです
>相手に配慮することは美しいと悟り子は感じます
美しいかどうかではなく
「礼儀を使って相手に配慮することを利用した、非常に巧妙な自我を守ろうとする動き」があるのでは、ということです
>自我を消したいと考える
消そうとしても仕方ないです
消したいのではなく「守ろうとして自我はどのような方法をとるのか」を考えていたのです
>何か問題があるのでしょうか?
「それ以上でもそれ以下でもないもの」を、なぜ見つからないように守ろうとするんだろうと思ったのです
おはようございます。
マジこいつエゴいよねぇ〜
なんて若者言葉で使ったな…
何p?
オセンチ…♪
自分を守るのは何故?
辛いの嫌だから
面の皮熱くなった♪
面の皮薄いから…
今日も頑張るぞ!
>>645 > まず、三昧の定義を、なんとか三昧と捉えていますが、
> それは、補助的な意味であり、本来の意味は禅定の事であるという事です。(wikipedia参照)
すみません、禅定というものをよく知らないのです。
> そして、悟りと三昧は、同じものではありません。
> 三昧は、ここで言う気づきの様なものです。
そうでしたか・・・。
私は、ただシンプルに生きる、という意味で使っていました。
おそらく、悟らないと、「ただ生きる」というシンプルなことをとてつもなく難しくしてしまうのだと思います。
> なぜなら、もし、三昧状態で居続けるなら、三昧などありませんからね。
なんであれ、それそのものであるときは、それを意識しませんもんね。
> 三昧でなくなるから、三昧であったことを認識できるのです。
まったくです。
「私」がいないときは、それを認識できないのですね。
> そんな出たり入ったりする事を悟りとは言えません。
そうでしたか・・・。
> では、なぜあなたはここに居るのでしょうか?
これは、永遠の謎です。
>>647 > >まったくです。 私が神なのですね。
> では、神は、なんなの?
現実と和解した「私」だと思います。
下手なラーメン屋より
鍋水炊きした後の〆に塩味の中華三昧
これキャラメルは最強♪
“ワカイ”って素晴らしいです。
いつまでもハートは若くなきゃ♪サーセン
>>650 > 何もかも全て無くなったからできるのではないでしょうか
(笑)
まったくです。
> そういうことに方法などありますか?
ないと思います。
一方、あらゆるものがその方法であるようにも思えます。
> あると言っても、厳密には彼はその方法によって三昧にはなれないと思います
> そういうものが全て無くなって、なんとか三昧ではないでしょうか
普通に生きるのに方法は要らないんですよね。
> ですから方法があったとしても、方法も消えてしまい
> つまり厳密には何らかの方法によってではなく、何にもよらないので三昧なのだと思います
同感です。
> 「この方法で可能」というものは、「その方法が指す目的地」には着くでしょう
> しかし「どんな方法にもよらないであるもの」には永遠に辿り着けないと思うんです
これも同感。
>>651 > > というか、そもそも本当に自我があるのでしょうか?(笑)
> では思考は何処から出てくるというのでしょう
思考があるのでしょうか?
・・・今ふと思ったのですが...
そもそも神話とは何なのでしょうか?
アダムとイヴとは
救世主イエスとは
過去に居た誰かでしょうか?
それとも・・・
今ふと聖書の一説が浮かびました
「私はかつて在り、一度は死んだかに見えたが、見よ、世々常に在る」
考古学者、歴史学者でなければ
存在に大した意味があるとも思えない。
寓話を作ってまで後世に伝えたい思いは何か
そこにこそ、登場人物の意味があるんじゃろ。
前スレ737
>私が悩んでいると
マリア様が現れて
この場合のマリアは受容性の象徴かもしれませんね
マリアが処女で聖霊からイエスを身篭ったとゆう話は
純粋な受容性の中で聖霊(愛)の種子が宿ることの隠喩かもしれません
>>663続き
イエスはキリスト(救い主)であり救済の隠喩かもしれません
つまり純粋な受容性のなかで聖霊(愛)の一人子である
イエス(気づき、正解)が生まれ彼に従うことにより御国(愛の状態)に行ける(なれる)とゆう隠喩なのかもしれませんね
>>664続き
イエス「誰も私(気づき、正解)を通さずして父のもとに(御国、愛の状態)に行くことは(移行することは)できない」
とは、そんな意味の隠喩だったのかもしれません
あくまでもご参考までに
>>651 >では最も幸せな時は自我はどうしているでしょう
くちびるから自然にこぼれ落ちるメロディー♪
でも言葉を失った瞬間が一番しあわせ♪♪
It's automatic・
聖書の旧から新は
ダンマパタから法華経 みたいな感じなの?
どっちも 友達の友達
程度に知ってるぐらいだもんで。
リンゴ
気になりました…
>>667 >聖書の旧から新はダンマパタから法華経 みたいな感じなの?
法華経は名前だけ知ってるわ ダンマパタは最近鬼和尚さんのレスで読みかじったくらいね
聖書は三回読んだの
機会があれば法華経も読んでみたいわね
!(b^ー°)
>>668 旧訳聖書は、
ゼウスを筆頭に海鮮丼ポセイ丼とか天狗連合ナルシス党とか
たくさん神様いらっシャッター
閉店ガラガラ
から
マリアサマー 授かったのは
スプリング ビヨョ〜ン
十月十日でウィンター メリクリ♪
フェアリー レフリー ジャッジは天秤で
変わって進級しただけなのかな?
心境の変化で 般若心経になったりマッタリ
南無阿弥陀仏だったり
変わらないの悟り子?
エホバの絵馬にプロセス立てて カトリック風のゴスペル歌うのは
お経でトランス状態と同じだよね?
知らぬが仏♪で失礼してます\(__)ゴメンサイ
>>669 聖書の成り立ちは悟り子にもわからないの
ただイエスのような人物は他の神話にも出てくるわね
聖書自体他の神話を編纂したものかもしれないし
まあ、真相は不明ね
般若心経は好きよ
トランス状態は同じ刺激を脳に与え続ければ起こるわね
>>670 ありがとう。
兄ちゃんの理解者♪
♪妹ぉ〜とよ♪(南降雪よく知らないメンゴ)
こゆー笑いは欲張りバリバリでHしたのに……\(__)スタンス ハンセイ スタン・ハンセン ラリアット…
キャラメル的に何だけど難だけど?シツケー
キリスト教は女性が似合う
仏教は男性が似合う
オカマとオナベはどちらも似合う…
ドッチラケ〜
頑張った受験生です。
歌丸:なんだいそれは
落ち無いんですm(__)m
>>655 >すみません、禅定というものをよく知らないのです
多分、意味づけしたり、解釈したりせづにただ見ること
本質的には動機もなく理由付けもせづにただシンプル生きること
つまりamaさんの今の状態でしょう
あくまでもご参考までに
673 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/19(木) 21:44:01.15 ID:yxAWkqJd
>>656 ama さん
>まったくです。 私が神なのですね。
では、神は、なんなの?
>現実と和解した「私」だと思います。
(¬ε¬) フーン 現実と和解した「私」 って、なんなの?
おはようございます
今日も((+_+))寒い。
アップーぅ縛られたい
間違い
シバレルねぇ〜…
>>673 > >まったくです。 私が神なのですね。
>
> では、神は、なんなの?
>
> >現実と和解した「私」だと思います。
>
> (¬ε¬) フーン 現実と和解した「私」 って、なんなの?
何の理由も解説も疑問も答えもなく、ただシンプルに生きる「私」だと思います。
あるいは、自分の反応をすべて受け入れ、感じている「私」だと思います。
>>629 >ふーん
じゃ、愛とは何ぞや
貴方の本質であり常に貴方の中に在るものであり貴方に最高の喜びをもたらす在り方です
愛には何の理由も動機も意味も期待も不安もありません
何故なら愛が「在る」ならそれが究極だからです
amaさんは私が神だとかいいますけどね、あなたじゃなくて神なのはこっちですよ
でもそんなに神があなただっていうならば、まあそればらそっちが神でもいいですけどね
そしたら今月はあなたでもいいですが来月はわたしが神です
とはいえ休日くらいは神を止めて遊びたいので土日は譲っても構いませんけどね
>>674 >アップーぅ縛られたい →アップーぅ(りんご)
>間違い
シバレルねぇ〜…
人は気づいている代わりに知識と同化して安心したいのかもね
でも生のリアルは縛れないわね(笑)
愛はそんな高尚なものじゃないよ
一本のロープみたいな代物だ。
相手を引き寄せたり、縛ったり、殴りつけたり
はたまた首吊りのロープにもなる。
使い方しだいで未来を変えてしまうロープなのさ
素敵なものでも格好いいものでもないよ
>>660 >
>>651 > > > というか、そもそも本当に自我があるのでしょうか?(笑)
> > では思考は何処から出てくるというのでしょう
>
> 思考があるのでしょうか?
>
思い考えることは無いのですか
思い考えることを見ている意識も無いのでしょうか
自我とは投影先ではなくここでは投影元をそう呼んでいるわけです
それもないのですか
>>667 > ダンマパタから法華経 みたいな感じなの?
>>668 > 法華経は名前だけ知ってるわ ダンマパタは最近鬼和尚さんのレスで読みかじったくらいね
「ダンマパダ」なんだけど・・・
>>669 > 旧訳聖書は、
> ゼウスを筆頭に海鮮丼ポセイ丼とか天狗連合ナルシス党とか
> たくさん神様いらっシャッター
> 閉店ガラガラ
ギリシャ神話とユダヤ教のコラボしてる・・・
>>670 > 聖書の成り立ちは悟り子にもわからないの
・・・モーゼが海を割って道を作って脱出してユダヤ教ができた。
確かそんな話だったと思う。
旧約聖書は将来世界が破滅する時、ユダヤ民族だけ救って、千年王国を作ってあげましょう
そのかわり、きっちり崇めることという神とユダヤ民族の約束 じゃなかったか
新約聖書は将来世界の終末(ハルマゲドン)が起きた時、キリスト教を信じる人だけ、神の御国へ連れて行きましょうという、神と人の約束だったと思う
世界が破滅した後でなければ、ミレニアムや神の王国がやってこないから
どちらも危険な思想に見える
アメリカとロシアが何度も地球を破滅させられるほどの核弾頭を持っている訳は宗教によるのかもしれないな
どちらもキリスト教国だし。
しかし、それが比喩だったとしたら・・・
世界が消え去った後に現れるミレニアム・・・
悟りのことじゃないか
現れた世界は美しい
>>677 > amaさんは私が神だとかいいますけどね、あなたじゃなくて神なのはこっちですよ
あ、やっぱり?
> でもそんなに神があなただっていうならば、まあそればらそっちが神でもいいですけどね
ほっ。
> そしたら今月はあなたでもいいですが来月はわたしが神です
順番ですね。
> とはいえ休日くらいは神を止めて遊びたいので土日は譲っても構いませんけどね
7日目に神は創造を休んだらしいですね。
つまり何もしてはいけない日です。
その意味では、6日間遊んで7日目に何もしない、これが理想かもしれません。
どんなにつらく大変な仕事でも、それを遊びにできれば最強ですね。
>>680 どれもあるように見えるのですが、
本当にあるのかな、とも思うものですから・・・。
>>552 >1点に集中したままにしておくと、思考の動きが制約され、その微細な動きがよく見えます
確かに、意識を全て見ることに振り分けると思考できませんね
そして見れば見るほど正確に見れ無いことに気づいたりします(笑)
>>681 >「ダンマパダ」
了解です
>ギリシャ神話とユダヤ教のコラボしてる・・・
あらまあ...
>モーゼが海を割って道を作って脱出してユダヤ教ができた。
確かそんな話だったと思う
そう言えば海割ってましたね(笑)
>>684 悟り子もそう感じてます
ハルマゲドンとは自我の価値観の崩壊?
千年王国は三昧体験?
サタンは自我との同化?
キリストの再臨は悟り(自我を理解した上でただ今を生きること)の隠喩?
まあだいたいそんな感じかな?
とか感じてます
>>552 >体を見てみますと、触覚は体全体にあり、味覚は口の中、視覚は目、聴覚は耳、嗅覚は鼻にあるようです
同感です
>頭の中(中略)刺激を受けて明滅しているように見えます
思考もおしゃべりしたいのでしょうね、夢とか特にそんな感じがします
>>685 >6日間遊んで7日目に何もしない、これが理想かもしれません
実はその何もしない時に次の楽しみが用意されるのかもしれませんね
得てして新しいアイデアは心の空白に生まれるものです
そんな訳で悟り子も明日は何もしれません(笑)
何もしないとは、実に難しい。
693 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/22(日) 01:15:06.99 ID:8wDatE2t
>>661 >そもそも神話とは何なのでしょうか?
過去にあった霊的事象が様々な形態で語り継がれた物語が神話なのではないでしょうか。
>アダムとイヴとは
>救世主イエスとは
>過去に居た誰かでしょうか?
キリストは第二のアダム、とも呼ばれますね。キリストの磔の絵画にも彼の下に髑髏(アダム)が配置されています。
>「私はかつて在り、一度は死んだかに見えたが、見よ、世々常に在る」
キリストはとても高次の存在で、人のために人になった存在だとされています。
他の偉大な人物の違う点は、ようは人間だったことがあるか、ないかだと。
キリストはゴルゴタの丘に血が注がれた時に地球と融合しその実質になり、人類の未来に対し決定的な「何かを足した」と言っている人もいます。
そうであれば、それは私達の人生とカルマを巡る物質的な生と常に共にあるのでしょう。洗足は大事ですよね。
まぁ、いずれにせよ煙のないところに本物の物語は生まれないのでしょう。
おはようございます
>>681 コラボしちゃおうよ宗教全部って事で
(///∇///)
よく知らないのに
ごめんなさい…
日本のトップ はコロコロ変わって信用できない
sorry…
裏切った弟子が伝承する聖典に意味があるのか
697 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/22(日) 16:22:26.28 ID:pYbYtysM
∧_,,∧ みなさん、あったかいお飲み物はいかがですか…
(´・ω・`) _。_
/ J つc(__アi!
しー-J 旦~
) ) ) ) ) ) )
( ( ( ( ( ( _(__
旦 旦 旦 旦 旦 旦 \_#/
緑茶 ほうじ茶 玄米茶 蕎麦茶 烏龍茶 柿の葉茶 お抹茶
) ) ) ) ) )
( ( ( ( ( (
c□ c□ c□ c□ c□ C|■|
 ̄
紅茶 ミルクティー コーヒー ココア ホットミルク ホットチョコレート
698 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/22(日) 17:33:53.12 ID:pYbYtysM
>>687 > >1点に集中したままにしておくと、思考の動きが制約され、その微細な動きがよく見えます
>
> 確かに、意識を全て見ることに振り分けると思考できませんね
> そして見れば見るほど正確に見れ無いことに気づいたりします(笑)
見ようとすることなく全体を見ると・・・。
700 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/22(日) 18:38:36.75 ID:pYbYtysM
>>685 > どんなにつらく大変な仕事でも、それを遊びにできれば最強ですね。
仕事大変そうですね
>>686 > 本当にあるのかな、とも思うものですから・・・。
見る側は、何が見ているのか見えませんので。
例えば、目で見ているというのは、判断によって目で見ていると言えるわけです。
>>689 だいたいそんな感じでしょうね
ハルマゲドン:私と世界の終わり
千年王国:サタンのいない世界の始まり
サタン:我見
キリストの再臨:悟り
>>695 > コラボしちゃおうよ宗教全部って事で
宗教ってのはコラボできないのでしょうね
分派した宗教はたくさんあっても合併した宗教は聞いたことないです
Oprerationさんは座禅やってる人ですか?
【お題】
[音楽は存在するでしょうか?]
☆それはさて置き、どうも書き込み数が多いと字数や連投に規制がかかるようです
レベルを上げる為には書き込みを控えることも大切ですね
まあ、そんな訳でぼちぼち行きますf^_^;
704 :
観自在さん:2012/01/23(月) 12:05:42.03 ID:p0wbMC3Q
アイフォンからだと大丈夫ですよ。
>>704 情報感謝します
コンピューターの情報処理能力等の都合があるのでしょうね
あと、「2ちゃんねるには、掲示板荒らしを防止したり、運営上の目的でさまざまな規制が存在しています」
とゆうのもあるらしいです
2ちゃんも配慮しているのですね
706 :
神も仏も名無しさん:2012/01/23(月) 17:19:29.85 ID:LcNYHpcP
707 :
マリー:2012/01/24(火) 08:28:51.71 ID:8EY7OJIJ
>>703 >【お題】
[音楽は存在するでしょうか?]
御楽輪尊在主留十和最意真寿
708 :
マリー:2012/01/24(火) 19:31:39.72 ID:8EY7OJIJ
>>645 >悟る方法は…観つけて下さい。
しかし、方法が無ければ、悟りもない
悟里和唯見事
"Let it be."
>>703 > [音楽は存在するでしょうか?]
それがそれするって感じでしょうか・・・。
演奏家は、本当に素晴らしい演奏が出来たときは、
「演奏者がいなかった」のようなことを口をそろえて言いますね。
「音だけがあった。」
「いや、音でもなかった。」
「なにかに飲み込まれてしまった。」
「何が起こったのか分からなかった。」
「言葉では説明できない。」
つまり、まあ、そういうことです。(笑)
>>703 音楽など存在しねぇ、そいつは幻想だ
一見存在するように見える音楽だが一音一音分析して見な
ただの音だ
人の不完全な認識能力が音楽という実態の無いものを存在しているように錯覚しているだけだな
...しかしまあ音楽は好きだぜ(笑)
音など存在しねぇ、そいつは幻想だ
一見存在するように見える音楽だが一音一音分析して見な
ただ空気の振動 だ
人の不完全な認識能力が音楽という実態の無いものを存在しているように錯覚しているだけだな
...しかしまあ音は好きだぜ(笑)
>>709 おうamaの旦那元気そうで何よりだ、相変わらず悟ってるねえほれぼれするぜ
悟り子は今レベル上げをかねてドラクエのレベル上げしてるらしいぜ
しばらくしたらけえってくんだろ
しかしまあ、あの子がそう大人しくしてるとも思えねえがな(笑)
>>711 >一見存在するように見える音楽だが一音一音分析して見な
ただ空気の振動だ
なるほどねぇ、分析して知ったことは分析して知ったことに過ぎないって訳かい?
こいつぁ一本取られたね 大将の言う通りだな
俺も二元大好きでなけりゃなあ(笑)
714 :
ろん:2012/01/25(水) 11:27:29.98 ID:qfkyksTa
>>710 そう、一瞬一瞬の音の時間的な変化を頭の中で、物語のように構成して、認識してるんだな。。
植物に音楽を聴かせるとよく育つとか言うけど、植物が人間と同じように音楽を聴いているかどうか。。。
単に心地のいい振動かもしれん。。
715 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/25(水) 18:40:12.28 ID:4bT9TMDF
「あ」は「あ」であることが「あ」以外のものを指し示す
つまり「あ」は「あ」であり同時に「い」も内包する
つまり「あ」は「い」でもある(少なくとも意識内において)
あっ、意識しか無いなら「あ」も「い」か
同時に「あ」は「あ」であり「い」は「い」とくらぁ(笑)
>>703 ついでに言うとな
本当に音楽を聴くと音楽は消え失せる
そこに在るのは静寂だ
音楽は在ると同時に無い
つまり真に知るときには知るものは居ないって訳よ
amaの旦那の言う、「それがそれをしている」ってやつさ
マリーの言う"Let it be."だな
>>703 音楽を歌、実在を歌手に例えよう
歌は歌手が歌っている間は存在するように思える
しかし歌手が歌うのを止めたら存在しない
そう言った意味で歌は幻想だね
でも歌は歌手の中に常に潜在的に存在している
そう言った意味では存在しているね
>>694 >キリストはとても高次の存在で、人のために人になった存在だとされています。
他の偉大な人物の違う点は、ようは人間だったことがあるか、ないかだと
・・・おやおや、まるでキリストが自分以外の誰かさんであるかのような言い方ですね?
まあ、そんなお茶目なところも貴方の愛される理由なんでしょうねきっと
>>532 >おまえさんは悟りの境地より
落語で至福の境地を目指した方がいいよ
悟りの境地と至福の境地は違うのですか?
>>541 >奈落に堕ちる、という表現には「恐怖」が付着してますね。
その「恐怖」を克服するために必要なものは一体なんなのか。
中心が必要だと思う
運動するのも良いかもしれません
>>719 処女から産まれた
復活した
など胡散臭さ満載だが
なぜ高次な人間が平然と嘘をつく
嘘つきを信じる気になれぬ
>>679 >愛はそんな高尚なものじゃないよ
「愛」という言葉に抵抗感があるのですね
では「愛」という言葉を「喜び」に置き変えてみましょう
実はこの二つは同じものなのかもしれません
ただ人は特定の人間関係に喜びを感じる時に愛という言葉を好んで使う傾向があるようです
ちなみに喜びは意味付けも価値判断もせず、期待も理由もなく、ただ今にある時に自然と起こるみたいです
(私の経験では)
つまり喜びとは貴方の本質であり常に貴方の中に在るものであり貴方に最高の愛をもたらす在り方なのですね(笑)
>>722 愛の本質を愉悦、喜びと捉えるのはさすがじゃ。
しかし、喜びは方向性が抜けているから
ロープなんだよ。
喜びとは願望に置き換えられる
願望 → 結果
の一つの形態に過ぎないからだ。
それゆえ縁の願望を無視しやすい。
だから喜びは不完全なのだよ。
願望 ← → 願望
↓↓
結果
が完結しない限り縁者の願望を拘束する
だから愛とはロープなのだ。
故に慈悲喜捨が尊いのだよ。
>>701 >処女から産まれた
復活した
など胡散臭さ満載だが
あくまでも私見ですが
神話とはメタファー(隠喩)により意識世界を顕したものかと感じています
もしよろしければこちらを御参照ください
>>663 >>664 >>665 >>689 >>701 あくまでもご参考までに
>なぜ高次な人間が平然と嘘をつく
嘘つきを信じる気になれぬ
ご自由にどうぞm(_ _)m
>>723 >喜びは方向性が抜けているから
ロープなんだよ
なるほど、方向性が必要だと考えてらっしゃるのですね
ちなみに私は方向性の無い喜び、つまり目的も願望も動機も期待も理由も無い喜びを至福だと感じています
それが存在の本質であり実在であり無くしようの無いもの、奪われようの無いものだと感じています
あくまでもご参考までに
しかし貴方は貴方が大切だと感じる価値観に従って生きるのがよろしいかと感じます
>>699 >見ようとすることなく全体を見ると・・・
赤ちゃん目線ですね、素敵な体験です
うっかり悟っちゃうかもしれません(笑)
>>725 全てに適用出来ないようじゃ
真理とは言えんよ。
「愛の名の悲劇」がどれほど起こっていることか。
愛ゆえの悲劇とも言える。
方向性は不可欠だよ。
728 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/26(木) 14:18:57.39 ID:7MGpDQgH
>>727 多分貴方も私も非言語的理解においては同じようなことを感じている感じがするのですが
おそらくは愛とか喜びとかいう言葉に対する意味付けや解釈や感覚が違うのでしょう
私が使う愛という言葉の意味合いは貴方が使う慈悲という言葉の意味合いに近いと感じます
貴方が使う愛という言葉の意味合いは私が使う我執という言葉の意味合いに近い感じがします
ですから
>「愛の名の悲劇」がどれほど起こっていることか。
愛ゆえの悲劇とも言える
これを私の言葉で言い表すとするなら
→「我執の名の悲劇」がどれほど起こっていることか。
我執ゆえの悲劇とも言える
となります
まあそんなことを感じました
あとできればコテを付けてくださると貴方を理解する助けになるかと感じます
失礼、なぜかOprerationさんにレスしてますね
>>724は
>>721へのレスです
>処女から産まれた
復活した
など胡散臭さ満載だが
あくまでも私見ですが
神話とはメタファー(隠喩)により意識世界を顕したものかと感じています
もしよろしければこちらを御参照ください
>>663 >>664 >>665 >>689 >>701 あくまでもご参考までに
>なぜ高次な人間が平然と嘘をつく
嘘つきを信じる気になれぬ
ご自由にどうぞm(_ _)m
>>729 世に語られる「愛」はほぼ「我執」の印象を受ける
ならば愛と言わずに慈悲の感情を持っていると
発言すべき時勢じゃないかな。
私は貴方に執着した感情をもっている
が美化される風潮を後押ししてると感じますよ。
愛の名はよく耳にするが、話を聞くと 我執 である例が
山のようにある。
732 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/26(木) 18:08:16.74 ID:8EM22h2O
>>731 >世に語られる「愛」はほぼ「我執」の印象を受ける
同感です(特に異性間)
>ならば愛と言わずに慈悲の感情を持っていると
発言すべき時勢じゃないかな
間とって気遣いとか配慮とかはどうでしょうか?
まあどの道言葉は使う人によって意味合いが変化する性質がある気がします
慈悲と言う言葉も一度巷間で流行するとすぐに別の意味合いが主流になるかもしれません
例えば自分の我執を押し付けることを慈悲と言う言葉で表現する人が主流になると・・・
「慈悲」も「愛」と同じ運命をたどるでしょう
言葉の限界を感じます
>>731 >私は貴方に執着した感情をもっている
が美化される風潮を後押ししてると感じますよ
同感です
「あなたを愛しています」が
「私の奴隷になりなさい」
と同じ意味合いで使われてたりしますね
>愛の名はよく耳にするが、話を聞くと 我執 である例が
山のようにある。
同感です
神の名の下の侵略
正義の名の下の我欲
自由の名の下の搾取
愛の名の下の我執
真理の名の下の偏見
いろいろありますね
>>731 え〜、コホン!
ちなみに...私が観察したところ悟り子さんの使う「愛」という言葉は・・・
「貴方が神であり私であり恋人(友人)であり完璧な愛の表現であることを知っています、それがとても嬉しいです」
という様な意味合いだと思います
じゃあ私(mam)はこの辺で失敬します
楽しい時間をありがとうございましたm(_ _)m
貴方を愛してます
mam
悟りを開くとは、具体的に身体のどの部分を開くのでしょうか?
>>719 >・・・おやおや、まるでキリストが自分以外の誰かさんであるかのような言い方ですね?
はい。自分以外の誰かでもあるし、自分でもあるし、キリストでもあるのだと。
738 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/28(土) 03:52:36.94 ID:G2Hgyfc4
739 :
悟り子:2012/01/28(土) 12:17:38.95 ID:M9MedLhP
静寂
566:神も仏も名無しさん :sage:2012/01/28(土) 01:57:06.48 ID:F6ajFFfp
-"何をやってもいい"。これには"「〜してはいけない」と伝える事"も含まれる-
↑が悟り。世界の答え。反論はいつでも受け付けているよ^^
567:神も仏も名無しさん :sage:2012/01/28(土) 11:52:25.03 ID:JOoNrdYx
反論する価値のない論は悟りとして安堵できる
568:神も仏も名無しさん :2012/01/28(土) 12:16:14.19 ID:vqDXtS0j
悔しいがその通りです
まで読んだ
569:神も仏も名無しさん :sage:2012/01/28(土) 13:05:18.60 ID:qZVE6xHb
"反論する価値が無いと伝える事"も"何をやってもいい"に含まれる
はい次
>>709 >それがそれするって感じでしょうか・・・
究極全部そうでしょうね
自我の役割はそれがそれをいろんなレベルで体験する為の装置なんでしょう多分
悟り子も自我が軽くなればなるほど全てが自動的に起きてる感じになります
溶けそうです(笑)
742 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/28(土) 20:19:59.93 ID:g/HKa+9j
743 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/28(土) 21:00:38.97 ID:g/HKa+9j
・・・今ふと思ったのですが...人は無意識に平安を恐れているのかもしれません
>>707 >御楽輪尊在主留十和最意真寿
なるほど、音楽は存在するわね、正解〇
人が何かを思ったなら、それはもう思いとゆう形で存在するのね
車もテレビも冷蔵庫も洗濯機もパソコンも2ちゃんねるも音楽も
最初は意識の中にアイデアとして生まれたのね
>>736 >悟りを開くとは、具体的に身体のどの部分を開くのでしょうか?
特に身体のどこが開くとかは無いと思います
思い込みがリセットされる感じでしょうね
>>740 >-"何をやってもいい"。これには"「〜してはいけない」と伝える事"も含まれる-
自由の中には自由を否定する自由も、その否定をさらに否定する自由も含まれるのですね(笑)
>↑が悟り
そういった一切合切に捕われず(価値判断せず)にただ見ることが悟りなのかもしれませんね
もちろん捕われたければ(価値判断したければ)捕われても良いのです(価値判断しても良い)
捕われてはいけないは
「捕われてはいけない」に捕われてますものね
(価値判断してはいけないは価値判断してはいけないと価値判断している)
ただし覚者は自分が価値判断したことを自覚しているのでしょう
自分を覚えているから覚者なんでしょうね多分...
>>708 >悟里和唯見事
"Let it be."
なるほど、悟りとはただ在るがままをあるがままに見ることだったのね
言い替えれば五感や思考や記憶や感情全てを許す深い受容性に充ちた在り方なのね
そしてその全てを見ることの中から自然と湧き上がる気づきのままに生きること・・・
とてもシンプルなのね、悟りって(笑)
>>748続き
どれくらいシンプルかと言うと・・・
A=A B=B C=C
これくらいシンプルね
「眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である」
↑
amaさんはこの見解についてどう感じますか?
ちなみに悟り子は音楽やユーモアや小説やゲームとか好きです
あとキリンさんも好きです
でもゾウさんはもっと好きです〇
>>750続き
もちろん何もしないで、ただ静寂の中に在ることも大好きです・
752 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/01/31(火) 23:44:08.65 ID:DtkDIgLM
Niku//EHDE <= #{L12o{O? 肉
Gasu///FAI <= #e0Fciu'A ガス
Foma//V.EY <= #セ$ト5c,G\ フォーマ
3Taka//BiA <= #uサ[UhC#~ 3羽のタカ
zaru//K.XM <= #]osシMAB0 笊
Coro//b6fY <= #Yレ_T~m「z 頃
Karu//27CY <= #SvクsL.wa 借る
Aara//55so <= #=|フ)vy,E あぁ〜ら
Deiku//jno <= #p32?tRXm 大工
vaku//MiDs <= #XタmG30=w バク
Nasa//Cqgc <= #.dQ'm=WW ナサ
rebi///YMA <= #シ5[_bPjb レビ(女性名)
Vasi//fpHs <= #w.(.ySR* 石橋さんの略称
DrTuma//Wk <= #wCカ8aT+7 ドクター妻
5Caba//3oE <= #シGQGA(^] 5頭のカバ
rabo//Pj5Y <= #oo22^5l+ ラボラトリー
hiku//LWWk <= #w2_i%zd* 引く
Taka//2Khc <= #vPヌ:UW\( 鷹
8Babe//JW6 <= #Ylワy)uEg 8人の赤ちゃん
dako//KpHI <= #avテ1uYj' 抱こう
3pabu//hc2 <= #24,%Rvb6 3軒目のパブ
ziku//rlL6 <= #fーツ~Z@#+ 軸
pako//lX8A <= #%ム'A)]7j 西部劇の映画に出てくるメキシコ人名は必ずパコ
juro//wi.w <= #8ツZrf&F. 大岡越前、入牢申し付ける
Doro//iXtI <= #Eoテ.T^3_ どろ遊び
Kako//L3BM <= #|キーpcxk} かっこイイ!
0Hima//mv. <= #;コ4Pw\?+ おひま大統領!
nara//16aE <= #*,ソ;GVBZ 音を 鳴ら す
gaso//xH0A <= #6レ~ij~a1 画素
.nabi//Wqw <= #D7e_LueS ナビ付きバイク
753 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/02/01(水) 00:41:12.77 ID:92MJ7W3i
754 :
マリー:2012/02/01(水) 09:21:52.47 ID:J9dc2w3t
>>749 >どれくらいシンプルかと言うと・・・
A=A B=B C=C
これくらいシンプルね
在留意和・
「苦しみから逃れるために悟りを開く必要があるってことだな。
まあ必要ない人は悟りを求める必要はないだろう。永遠に輪廻すればいいさ」
↑
天三輪惟仁追手導主今守家
満月や 星数かぎりなく 空はやみ
amaさんからもキャラメルお兄様からもレスが来ないので
気になってさっきGoogleで「悟りを開いたことあるけど何か質問ある4」を検索したのですが...
なんと悟り子の名前が一件もヒットしませんでした(爆笑)
だいたい事情は察しました(哀)
悟り子は何も悪いことをしようとゆうのではないのです
ただここでamaさんやキャラメルお兄様やOperationさんや名無しさん達と楽しくお喋りしたいだけなのです
いけないことなのでしょうか?
ある人がとても怯えた様子でしたので理由を尋ねたところ
とても怖いホラー映画を観て恐怖のあまり食事も喉を通らず夜も眠れず困り果てているとのこと
でわ楽しい映画でも観て気分転換されてみては?と言うとその人は
「私はホラー映画以外観ないのです」(笑)
760 :
ろん:2012/02/02(木) 16:14:37.72 ID:O1uDcAs8
>>760 そうでしたか、情報感謝します ほっ(-.-;)
ありがとうございます
m(_ _)m
アク禁は仕方ありませんね
amaさんは風のような方なのでそのうちひょっこり帰って来るでしょう
まあ当分は悟り子一人でのんびりやります(笑)
風のような方と言えばOperationさんもかなり風っぽいですね
おそらくここにいない間はアベンジャーズかX‐MENあたりに所属して世界の平和の為に戦ってらっしゃるのですね
amaさんはそよ風
Operationさんは疾風のイメージがあります
>>750 > 「眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である」
無常であることは苦ではなく、至福だと思います。
無常というのは、今という瞬間が、
つねに変化していてとどまることがない様を言うのだと思います。
つまり、今は、常に新しいわけですね。
今において、私は、まったく欠けることなく完璧であり、
そこには苦しみの発生する余地がないのですね。
この圧倒的なリアルこそが無常だと思います。
「苦」の代わりに「リアル」を入れて読むと、私などはすっきりします。
> ちなみに悟り子は音楽やユーモアや小説やゲームとか好きです
私も、どれも好きです。
音楽はピアノをやります。
生きている時点でユーモラスです。
小説も書きました。
ゲームも作りました。
> あとキリンさんも好きです
キリンさんは作れませんでした。
> でもゾウさんはもっと好きです〇
実は、私はゾウです。
雪がひらひらと落ちていくさまを見ていました。
雪にしろ落ち葉にしろ、
このような速度で落ちていくものは人の集中力を喚起するようです。
ただ、ただ、
あまりにもシンプルにそれを見るなら、
(意識的に体験するなら、)
それが世界のすべてであり、
人生のすべてなんですよね。
目の前に、
宇宙の果てがあり、
人生の究極の意味があるわけです。
この圧倒的なリアルの前に、
解説や理由といったものは
まったく意味をなさないのです。
聖者の話
村人A「このクソ坊主、俺の娘に手ぇだしやがったな、責任とりやがれ!」
白隠「ほぉ、そうか」
一年後
村人A「白隠様、真に申し上げありません、全ては娘の嘘でした、貴方こそ真の聖者です、なにとぞ平にお許しを!」
白隠「ほぉ、そうか」
>>763 >実は、私はゾウです
誤解してました、てっきりクマさんかと...どおりで最初から素敵な方かと(クマさんも好きよ)
>キリンさんは作れませんでした
キリンは悟り子の発案でした 神とか宇宙にお願いしました
かなり昔の話ですが・
>>763 >私も、どれも好きです
究極の愛を見ました
>音楽はピアノをやります
きっとamaさんはピアノでもあるのですね
>生きている時点でユーモラスです
...昨日は郵便ポストと...(笑)
>小説も書きました
気になります
>>763 >ゲームも作りました
「今度宇宙創ることにしたけど悟り子さん人間やってみない?」
とか言われたときは爆笑しました
よくそんな面白いことを思いつくなぁと(笑)
あの時は私達全員で笑い転げ回りましたね
また再会する時が楽しみです(笑)
>>763 「眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である」
↓
「リアルは変化である。全てリアルなるものは至福である。全て至福なるものは無我である」
こんな感じでしょうか?
>>764 >雪がひらひらと落ちていくさまを見ていました
悟り子も雪は好きです
雪の結晶も神秘ですね
郵便ポストも負けてませんけど(笑)
じゃあ詩を一つ・・・
白い雪は空の色
風に舞う雪は静寂の調べ 見つめる瞳は存在の詩・
771 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 11:12:08.96 ID:7mVuQKgJ
>>764 >この圧倒的なリアルの前に、
>解説や理由といったものは
>まったく意味をなさないのです。
amaさんは、そろそろ現在の境を捨て
次に進まなければならないように感じますが、
いかがでしょう?
そのリアルがどこから起こるのか
確かめる必要があるように思えます。
>>764 >目の前に、宇宙の果てがあり、人生の究極の意味があるわけです。
同感です、見慣れた街角が宇宙の果てであり究極の意味だと感じるとぞくぞくします
ジョンさんも「Imagine」でそんなこと言ってましたね
「今人」・・・なんちゃって
774 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 19:22:14.12 ID:7mVuQKgJ
>>773 悟りを1回だけ開いた人はたくさんいるよ。
最低でも4回開かないと。
775 :
ろん:2012/02/03(金) 21:04:46.11 ID:LojAuNkb
776 :
ろん:2012/02/03(金) 21:07:24.85 ID:LojAuNkb
>>764 僕も北陸出身だから、子供の頃とか雪をよく見てたな。。
・・関東も寒い。。
メダカの鉢にけっこう厚い氷が張ってた。。
777 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 21:22:53.66 ID:7mVuQKgJ
>>775 それが驚いたことに、どうにもならなかったんだ。
悟りなんて嘘っぱちだね。
宗教の金稼ぎさ。
778 :
ろん:2012/02/03(金) 23:15:20.65 ID:LojAuNkb
>>777 悟ったのに、悟りは嘘と?
何を悟ったんだろ?
>>777 >それが驚いたことに、どうにもならなかったんだ
どうにかしたかったのでしょうか?
780 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 00:22:19.02 ID:maYiqM6c
>>778 真我と呼ばれる自己があり、自己に戻る悟りだって。
真我に戻ってみたら、真我なんて何もなく自己なんて何もなかった。
781 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 00:25:14.57 ID:maYiqM6c
>>779 どうにかしたかった訳じゃないが
世界に組み込まれて何も出来なくなってしまった。
特に不満はないが、満足もない。
782 :
ろん:2012/02/04(土) 00:34:23.63 ID:UwEhTrzm
>>780 迷いはどうなりましたか?
煩悩はどうなりましたか?
783 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 00:44:20.35 ID:maYiqM6c
>>782 >迷いはどうなりましたか?
迷う? 誰が何のために?
>煩悩はどうなりましたか?
煩悩って何だ?
784 :
ろん:2012/02/04(土) 00:52:12.79 ID:UwEhTrzm
>>783 迷いとは一般には悟りの反対だな、惑いと言う時もある。。
悟ったって言うなら、それまで迷ってたんじゃないの?
煩悩とは読んで字の如し、煩わし、悩ませるものだ。。
785 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/02/04(土) 01:11:56.68 ID:rVhXefkK
786 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 01:44:46.27 ID:maYiqM6c
>>784 正直、迷ってた時期は確かにありましたね。
煩悩も以前はあった気がしますが、もう忘れてしまいました。
787 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/02/04(土) 03:05:56.60 ID:rVhXefkK
修行僧、問う。
牛頭(ごず)、未だ(いまだ) 四祖に見え(まみえ)ざるとき、百鳥(多くの鳥) 花をふくみて供養す。
見(まみ)えてのち、なんとしてか 百鳥 花をふくみて供養せず。
師、曰く。
世に応じ、世に応ぜず。 』
のちに牛頭禅の祖となった法融禅師が 四祖に見(まみ)えない以前、修行がまだ完熟していない頃、坐禅をしていると多くの鳥が花をくわえて来て彼に供養し、その坐禅が見事だとして、これを讃歌していた。
ところが彼が四祖大師に見え、大悟してからは、これからこそ花供養と礼賛があってよさそうなのに、却ってそれが無くなったと言うことですが、kpれはなぜなのでしょうか、どういう仔細なのでしょうか。
世間に応じる と、 世間に応じない との違いだ。 』
○ 習う時は、まねる事から、入る。
学ぶは、まねぶ、まねる事だと言う。
そこから、おのれの独自のものを出していく。
師を超えなければ、ものにはならない。
つまり、誰もやったことがないもの、創った事が無いもの、新発見、新発明、だ。
それを主人公と言い、いまふうに言うと、主体性、あるいは自由と言うこと。
てst
789 :
ろん:2012/02/04(土) 04:38:40.39 ID:UwEhTrzm
>>786 どうにもならなかったと言っているのに、迷いも煩悩もなくなったと。。
では、悟前と悟後にちがいはあるのですか、ないのですか?
790 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 07:52:25.64 ID:maYiqM6c
>>789 >悟前と悟後にちがいはあるのですか、ないのですか?
悟前と悟後に違いはありますが、どこに違いがあるかは分かりません。
見える風景も前のままです。
でも、何かがすっぽり無くなっています。
>>780 >真我と呼ばれる自己があり、自己に戻る悟りだって。
真我に戻ってみたら、真我なんて何もなく自己なんて何もなかった
なるほど(笑)
>>781 >どうにかしたかった訳じゃないが
世界に組み込まれて何も出来なくなってしまった。
特に不満はないが、満足もない。
大悟ですね
>>777 悟りを開いたら悟りを開く人がいないことに気づいた
悟りを開く人がいないなら迷いも無い
だから悟りを開く前と後では何も変わらない
つまり悟りなど存在しない
...新しい【お題】の形でしたか(笑)
794 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 08:51:51.75 ID:maYiqM6c
>>770 > 雪の結晶も神秘ですね
> 郵便ポストも負けてませんけど(笑)
雪の結晶と郵便ポストが同列に見えるとは・・・
さすがですね。
> 白い雪は空の色
> 風に舞う雪は静寂の調べ 見つめる瞳は存在の詩・
これは素晴らしい!
思わずうなってしまいました。
>>771 > amaさんは、そろそろ現在の境を捨て
> 次に進まなければならないように感じますが、
> いかがでしょう?
次は何があるのでしょう?
> そのリアルがどこから起こるのか
> 確かめる必要があるように思えます。
どこから・・・ですか・・・
面白そうですね。
どうすれば良いのでしょう?
>>773 > 俺も悟りを開いた事があるよw
素晴らしい!
>>774 > 悟りを1回だけ開いた人はたくさんいるよ。
> 最低でも4回開かないと。
白隠という人は、ウィキペディアによると、
36回悟りを開いたそうですが、
ここまでくると悟りマニアですね。
細かいものもカウントしてたのでしょうか・・・。
分かりませんが・・・。
>>777 > それが驚いたことに、どうにもならなかったんだ。
> 悟りなんて嘘っぱちだね。
どうにもならないは、ある意味そうですね。
少なくとも空を飛べるようになったりはしないです。(笑)
イエスは、パンを増やしたり、死人を生き返らせたりしたそうですが、
このへんはよく分かりません。
一方、悟った後で、今まで受け入れがたかったものを受け入れたとき、
エクスタシーを感じることはあるようです。
あと、自我が、地に足をつけて生きるようになったりもします。
今を生きるってやつですね。
これが、最終的なところかと、私は思っています。
はなから、すべてを受け入れ、今を生きている人は、
悟り自体無縁なのかもしれません。
> 宗教の金稼ぎさ。
お金を稼ぐことで、悟る人が増えるなら、
これは、ビジネスモデルとして大いに結構だと私などは思いますです。
どんどん展開してほしいですね。
当スレでは随時レスを募集しています
貴方もamaさんや悟り子と楽しくお喋りしてみませんか?
悟りの体験、好きな技法
好きな覚者、思いついたお題 好きな逸話 好きな聖典の文章
好きな詩 アニメ 漫画のヒーロー
何でもお気軽にレスしてくださいね
801 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 12:44:55.20 ID:maYiqM6c
>>796 まだ「私」って感覚が残ってるなら
「私」って感覚に集中して「私」だけを感じて。
「私」って感覚が無くなってるんなら
あとは、ただ見て感じるだけだよ。
そこには本当にリアルがある?
802 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 12:47:11.90 ID:maYiqM6c
>>799 >あと、自我が、地に足をつけて生きるようになったりもします。
その自我は本当に実在してる?
実在するって根拠はある?
>>802 >その自我は本当に実在してる?
実在するって根拠はある?
素敵な問いですね
自我が実在するなら実在する自我に
自我が実在しないなら実在する何かに問うているのですね
一体問いはどこから来てどこへ向かうのか?
とても興味深い問いです・
804 :
ろん:2012/02/04(土) 17:55:58.79 ID:UwEhTrzm
【お題】
悟り終って悟りなし これ如何?
805 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/04(土) 18:51:24.41 ID:tehtNxxO
私というものはあらゆる過去の経験の繰り返し、あらゆる過去の維持を求める執着の総体であります。
私というものはあらゆる矛盾する欲望の総体であります。
俗も悟りもその私の作り出す夢です。
自分の過去の経験の喜ばしい部分だけをかき集めて悟りの夢や俗世の夢を見ますが、
物事は部分だけ取り出せるものではありません。喜びに相対し、喜びを補完する苦しみも必ずやってきます。
主体は私、客体すら主体が織りなす夢でしかなく私そのものといえる。
私というのは主体でもあり客体でもあるその構造全てであり、実に捕えがたく、また、逃げがたい。
推論は既知の総体である私がするものであるから究極的には無意味なものです。
理解は解き放つかもしれない。
806 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/04(土) 19:35:55.98 ID:tehtNxxO
究極の例外を除いて、誰もがその私の枠組みの中で喜び、苦しんでいる。
そして自分を含めて誰もが、私が私を否定する理論を駆使して自分を救済しようとしている。
また、他人がそれをやっているのを見るとそれを指摘する。
そうすることで自分の囚われを一時でも忘れることができる。
みな非常に似ている。劣るものも勝るものもなくみなそれぞれ喜び苦しみ、未来を恐れている。
主体と客体の総体である
わたしとあなたの総体である
それが自我であり私であり、
正に越えがたい。
かもしれないとかいってないで確認する以外ない
アマさんと会話すればするほど分かる、要するに確認する以外ない
ここで死ぬまで会話を重ねても多分・・・
808 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 21:00:44.71 ID:maYiqM6c
>>806 >主体と客体の総体である
>わたしとあなたの総体である
>それが自我であり私であり、
>正に越えがたい。
越えがたいと感じているのは、自我かい?私かい?
それとも別の何かかい?
809 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/04(土) 21:44:21.57 ID:tehtNxxO
私は私、目標も私、悟りも私
超える対象である客体と主体である私が合わせて私であるという考察からくる
正に越えがたいというのは、一通り試してみて超えることが不可能という事実に関しての声明です。
越えようと欲すれば越えがたいと感じることでしょうが、全文のニュアンスとして今回はそちらの意味は含まれないように書いたとは思います。
超えることをあきらめると、無限の可能性を秘める未来を恐怖する過去に根差した私のおののきが見出されます。
そしてまた越えようとして美しい夢を語る時もあるかもしれません。
確認するのは誰でしょうか。過去とのつながりを持ち、快楽の記憶を所持しつつ、
それを超えたものをも認知しようとするのは虫がいいかもしれません。
確認できるものはいつでも過去に根差したものだけと思います。
810 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/04(土) 22:17:33.32 ID:tehtNxxO
>>794 私は自分を美化し自分を過大評価するような悟りの夢を見ていないとはとても言えない。
また、他者が自分をどのように感じているであろうか多かれ少なかれ見誤っていると思う。
そのギャップによってショックを受けることで自我は死にゆくのかもしれない。
むしろより強固な自己イメージの殻に閉じこもるかもしれない。
811 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/04(土) 22:23:37.27 ID:tehtNxxO
>>amaさん
お久しぶりです。
楽しそうにやってますね。
ちょっと周りのペースに巻き込まれて一緒に変な夢見てるんじゃないかと心配になったこともありますが、
影響を受けず、影響を与えようとせず、日々湧いてくる新鮮な生を分かち合うのは永遠の遊びであり全体からの恵みでもありましょう。
それぞれの囚われ、それぞれの喜び、それぞれの苦しみ、それぞれの道
しかし一つにしてすべてのあらかじめある自由。
なんと人間とは脈絡のないことか。
なんと比較を絶する全く違う囚われの中なんとか意思を疎通させようとしていることの滑稽さか。
>>805 悟りを開くと言うと何か能動的に意思の力で悟りを達成するイメージがありますね
実際には悟りを閉じ続ける為の努力を手放すと言ったほうが悟りのイメージに近い感じがします
813 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/02/05(日) 00:18:40.47 ID:TfMQvR4n
815 :
神も仏も名無しさん:2012/02/05(日) 04:23:59.79 ID:2BPwaGqu
成瀬雅春 出版特別記念 講演&ライブ
「悟りのプロセス」 2/29発売 BABジャパン
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会 場 きゅりあん 1F 小ホール (東京都品川区東大井5-18-1)
講 演 者 成瀬 雅春
出版記念ライヴ 桜井 ひさみ(ヴォーカル) サッティヤ・ジーヴ(ギター)
入場料金 前売: 2,500円 (ご予約あり+事前お支払い)
予約: 3,000円 (ご予約あり+当日お支払い)
当日: 3,500円 (ご予約なし+当日お支払い)
主催/問合せ 成瀬ヨーガグループ
Mail:
[email protected] Fax : 03-3441-0740
※会場の「きゅりあん」には、電話問合せをしないようお願いいたします。
定員 280名
>>801 > まだ「私」って感覚が残ってるなら
> 「私」って感覚に集中して「私」だけを感じて。
ありがとうございます。
やってみます。
> 「私」って感覚が無くなってるんなら
> あとは、ただ見て感じるだけだよ。
ただただ、見て感じる、それだけ、ですね。
> そこには本当にリアルがある?
リアルはないですね。
何もない。
ただ、「それ」を「リアル」と言いたいだけです。(笑)
>>802 > その自我は本当に実在してる?
> 実在するって根拠はある?
自我は実在していないみたいですね。
>>804 > 【お題】
> 悟り終って悟りなし これ如何?
とても興味深い問いですね。
悟ったら普通の人になる・・・
なら悟る必要はあるのか?
そんな感じでしょうか?
まあいずれにせよ、この問いが答えなのかもしれません。
>>809 > 確認できるものはいつでも過去に根差したものだけと思います。
まったく同感です。
「確認」とは、「分類」つまり「あてはめる」ことなんですよね。
そうではなく、
言葉なしに、観念なしに、確認すること、
つまり、それを完全に味わう、体験する、感じる、見る・・・
まあ、どれでもいいのですが、
つまり、実際に、「それ」であること。
これしかないのではないかと・・・。
すると、「私」は「分からない」を生きることになるんですね。
【1分間悟り講座】
(知識編)
1.「こうならなければならない」が落ちる
2.迷いも落ちる
3.1と2は同時に起こる
(実習編)
「こうならなければならない」が無い自分をイメージしてどう感じるか感じてみましょう」
多分それが悟りです
>>798 >白隠という人は、ウィキペディアによると、
36回悟りを開いたそうですが、
ここまでくると悟りマニアですね。
細かいものもカウントしてたのでしょうか・・・
几帳面な方なのですね
>分かりませんが・・・
↑
悟り子はこれで充分です(笑)
>【お題】
悟り終って悟りなし これ如何?
行雲流水 雪月花
>>790 >悟前と悟後に違いはありますが、どこに違いがあるかは分かりません。
見える風景も前のままです。
でも、何かがすっぽり無くなっています
>何かがすっぽり無くなっています
多分この辺りが違うのでしょうね
>>794 >いいえ、素直な心境の吐露です
つまり悟りを開いて自己に実体が無いことに気づいて
何かがすっぽり無くなっていることに気づいているけど
悟りは嘘っぱちだとゆう心境だとゆう理解でよろしいのでしょうか?
>>801 >ただ見て感じるだけだよ。
そこには本当にリアルがある?
そこにリアルが無いのなら、そこにリアルが無いとゆうことがリアルなのでしょうね多分
amaさんが前スレでおっしゃった
ただ花を見るのなら
世界には花しか無い
そして花すらも無い
とゆうことなのでしょう多分
>>552 >感情は、体の中、特に胸から上の方で反応が見られます
腹→胸→頭と上に感情が行くに従って冷静さを失う感じがします
落ち着くには腹に意識を振り分けるのが良いかもしれませんね
>記憶を見てみますと、「私」なしの体験が随所に見られます
案外「私」なしの体験のほうが細かくてなんでも無いことでも覚えてたりします
>恐竜に食べられそうになったときなど(笑)
わりと高齢なんですね
>体験者のいない体験があったようです
三昧ですね
>何のことはない、ただ意識があっただけのようです
偶然ですね、悟り子もです
>>315 >すべては、すべてを前に置けない、のです。
前に置くには、主体と客体、つまり分離が必要なんですね
なるほど
>>89 >もし、無限大に大きくて
無限大に完全正確な視力をもった存在がいたら
〔 〕の全体を正確に見ることができるのでしょうか?
の答えが出ましたね
答え 見れない
それで「光あれ」とか始めたんですね(笑)
>>118 >想像するだけでお昼に食べたものが出てきそうです
御自愛ください
828 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/05(日) 13:09:52.64 ID:/8ZwO8wl
>>819 それという客体も私という主体あっての物ではないでしょうか。
私という過去の記憶である孤島は、全体である生の新たな進展との間に苦しみつつ、
また苦しむがゆえに解放を至福を夢見ます。
その2つが行ったり来たりしてるだけなのに、そのパターンに気づかないのが我々の生の全容ではないでしょうか。
この2つを分割しなければ、この2つはついには一つのものではないでしょうか。
畢竟、それについてはなにもわかりません。
それは、それですらない、客体ですらないかもしれないのです。
また我々の過去の記憶である分離という体験の対極としての一体ですらない、
比類を絶した一体のようなものでしかないかもしれないのです。
私、は一見無限に新しい体験をし続けているようですが、Aの後には−Aがやってくるという
自我の世界の法則に縛られていて、その法則そのものはいつでも古いものです。
前スレ806
>> 空(そら)は大きいか
とても大きくて、それでいてとても小さいと思います
空には最大と最小の境界線は無いのですね
極大は極小の集まりであり
極小は極大の極点であり
そして極大はさらなる極大から見たら極小であり
極小はさらなる極小から見たら極大であり
どこまでいっても最大に行き着くことは無く
どこまでいっても最小に行き着くことは無い
つまり空には分離も限界も無く最大と最少がありながら最大と最少を捉えることはできないのですね
830 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/05(日) 13:24:47.95 ID:/8ZwO8wl
人の表層意識、言語の世界は人間のエネルギーのほんの3パーセント程度で、
残りの97パーセントは感情の世界、肉体の世界、無意識の世界であり、
この97パーセントの方が人間の本体なのでこちらが変容しない限り人間に変化はありません。
言葉による自己欺瞞は実に危険なものです。
完全な覚醒がない限り人は自分を欺く思念に囚われざるを得ません。
自分を欺く人も、他人の欺きを看過して自分の欺きを見ぬ振りする人も、
そこには意思の働きなどなくただ油断して思念に囚われてしまっているだけです。
831 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/05(日) 13:31:47.68 ID:/8ZwO8wl
その97パーセントの感情や記憶からくる実体と表層の言葉にずれが大きい場合、それを粗雑な欺瞞といいます。
粗雑な欺瞞に囚われていると、他者を客観的にみることなく自分の見たいもの、自分を正当化できるように他者を称賛したり非難したりして投影するでしょう。
また、無意識や感情が意識によって浄化され言葉と実存のずれがより少ない洗練された欺瞞に囚われている人なら、比較として粗雑な欺瞞に囚われている人に対してそれを自己の投影ではなく客観的に指摘できるでしょう。
が、洗練された欺瞞を身にまとう人こそ正に最後まで覚醒の炎で事故の欺瞞を焼き尽くす機会に恵まれている。それを犠牲にしても誰も利益を得るものはない。
覚醒の不足に伴って思念に囚われることは避けがたいことです。人は、自分は、かくあるべくしてある。人は覚醒の不在がもたらすような存在であることしかできない。
ただくつろぎ覚醒していればそれは伝播され、自己の思念とそして人々の思念が覚醒によって焼き尽くされる。
なにもしないということを言葉で伝えるという矛盾した遊びは危険ではあるが、また、楽しい。
>>814 >法事の後に、「主人が近くに居る気がする」と奥さんが言うので、
「それは、単なる思い込み、錯覚です。」と答えた。
死んでも何処にも行かない。
>死んでも何処にも行かない。
なら奥さんの言うことは正しいのではないでしょうか?
>「本当に主人に会いたかったら、徹底坐禅して悟れば会える。
それだけじゃない釈尊にも誰とでも会える。何故なら自己だからだ。」と
なるほど非自我の実存においては皆さん一つですね
>「主人が近くに居る気がする」
そして特殊な精神状態に置かれると人は非自我の実存性に目覚めたりすることはよくありますね
>>710 >一見存在するように見える音楽だが一音一音分析して見な、ただの音だ
なるほど、一つ一つの音だけ見ると音楽は存在しませんね
小説もその中の一文字だけ見ればただの文字です
私達は記憶とゆう機能があるから音楽や小説を楽しめるのですね
>しかしまあ音楽は好きだぜ
そして音楽の楽しさの本質は音の変化に在るのかもしれません
>>717 >本当に音楽を聴くと音楽は消え失せる
そこに在るのは静寂だ
音楽は在ると同時に無い
つまり真に知るときには知るものは居ないって訳よ
そして完全に今(リアル)に在るときは過去との比較は消えて認識は不可能になるのですね
>>731 >世に語られる「愛」はほぼ「我執」の印象を受ける
ならば愛と言わずに慈悲の感情を持っていると
発言すべき時勢じゃないかな
1.悟り子は虹を愛してます
2.悟り子は虹に慈悲の感情を持ってます
悟り子は1がしっくり来るのです
多分愛だと平等な響きがあるからでしょうね
慈悲は言葉にせずに内側に秘めていて
あとになってほかの人から
「あの人は慈悲深い人だ」
とか言われる言葉かと感じます
例えば悟り子がamaさんにたいして
「悟り子はamaさんに慈悲の感情を持ってます」
とか言うのはとてもお門違いに感じるのです
>>771 >amaさんは、そろそろ現在の境を捨て
次に進まなければならないように感じますが、
いかがでしょう?
何故amaさんが現在の境を捨て次に進まなければならないように感じるのでしょう?
進まなければ「ならない」理由が在るのでしょうか?
amaさんは悩み事でもあって、それを解決する為には次の境に進まなければならないとかゆう話でしょうか?
>そのリアルがどこから起こるのか
確かめる必要があるように思えます。
何故そのリアルがどこから起こるのか確かめる必要があるように思えるのでしょうか?
確かめる「必要」があるのでしょうか?
確かめないとどうなるのでしょう?
amaさんが将来大変な目にあったりするのでしょうか?
836 :
神も仏も名無しさん:2012/02/05(日) 17:36:48.25 ID:OswgHmjS
>>835 極端だねぇ。
その書き込みはamaさんに対するもので
amaさん以外には役に立たないと思うよ。
道の半ばをゴールだって書いてたから
先もありますよって意味で書いただけだから。
837 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/05(日) 18:59:10.75 ID:/8ZwO8wl
道半ばというのは過去の経験からいつも先というものを想定する自我に惑わされないようにという程度の意味でしょう。
現在は絶えず移り変わるので現在に留まろうとすれば事実と対立することになるし、
先はいつも過去から類推されるものだから先というものは主観的なものであり、事実としては存在しないのではないでしょうか。
過去にしがみつかず、未来にも期待しない。
とはいうものの
それがどういうことなのかは誰も知らない。
誰もがそれぞれの真理に対する考え方を持っており、その同意を求めている。
他者への助言もその考え方の共有を求めてのことです。
世の中でいう愛や奉仕はこういった類の物であり、各人の見解の違いから必然的に憎しみに発展する。
あるがままの事実に対し、かくあるべきという基準を持ってしまったなら、あるかままの世界はあるがままの世界ではなく、
自分に敵対するものとして映ってしまうだろう。
真理、事実は争わないが、それについての考えは各々の個人の過去の経験からくるものであり、争いが避けられる性質のものではない。
言い争いは互いの無意識を強くし、互いの夢を強くする。
何もしないのが上策。
838 :
神も仏も名無しさん:2012/02/05(日) 19:07:17.68 ID:A8uOyk1t
〜人はなぜ生きるのか〜
それは、家族を養い喜怒哀楽を共有するためである。
よって日本経済、いや、地球のために40歳以上の未婚者や婚姻後5年経過で子無し夫婦は死んで下さい。
なぜなら1家族も作れないなら公務員やニートも科学者でさえも生きてる事が無意味だからです。
>>836 そうでしたか...ならば悟り子は静観しましょう
・・・
話題を変えます
【レス募集のお知らせ】
最近悟り開いた方、長く覚者やってる方、学校や職場、近所に覚者がいるとゆう方
今覚者とお付き合いされている方
私の悟り自慢
私の考える悟り
将来悟り開きたい方
有名人でこの人悟ってるかも?とか思う方
べつに悟らなくても人生楽しければ良いじゃん
とか思ってる方
ひょっとして私って覚者?とか思ってる方
いろんな方からのレス随時お待ちしております
今日ふと思ったこととかでも気楽に書き込んでくださいね(-^〇^-)
でわキャラメルお兄様のアク禁解除を祈りつつ本日はこの辺で m(_ _)m
840 :
死越え:2012/02/05(日) 20:11:05.99 ID:HBsY8/YV
私の悟りのキーワードは憲法9条を宗教的に実践してみることでした
強き猛禽類がえさを食らう世界に真理がありました
無条件の愛です
弱肉強食の愛・・
取るに足らない弱い小魚が愛なのだと
愛と9条には食う食われるの境界がありません
弱い人強い人も無条件の愛の中で すべてが包まれているのだと・・・
命のひとつとして命を悟る
>>839 相変わらず、盛り上がってますね
> 【レス募集のお知らせ】
> 最近悟り開いた方、長く覚者やってる方、学校や職場、近所に覚者がいるとゆう方
残念ながら、いません
> 今覚者とお付き合いされている方
怖い
> 私の悟り自慢
自慢できるものでしょうか?
> 私の考える悟り
> 将来悟り開きたい方
そんな人がいたらロクな人間にならないと思います
> 有名人でこの人悟ってるかも?とか思う方
会ったことありません
> べつに悟らなくても人生楽しければ良いじゃん
> とか思ってる方
いずれ事実に気がつくでしょう
> ひょっとして私って覚者?とか思ってる方
> いろんな方からのレス随時お待ちしております
怖い
>>836 > その書き込みはamaさんに対するもので
> amaさん以外には役に立たないと思うよ。
不思議なことに悟り子さんは覚者への憧れがあるようです。
> 道の半ばをゴールだって書いてたから
> 先もありますよって意味で書いただけだから。
面白いことに、なぜかそう思っている人が多いようです。
>>823 > 悟り子はこれで充分です(笑)
5回超えてきた辺りから、回数は覚えていないでしょうね
たぶん、白隠って人の冗談ですよ
>>801 > 「私」って感覚が無くなってるんなら
> あとは、ただ見て感じるだけだよ。
ずっと、その感覚がないの?
そうだとしたら、よほど諦めがいいのか
離人症なのか
毎日が誕生日
846 :
神も仏も名無しさん:2012/02/06(月) 08:39:06.42 ID:p2g2RQtE
>>844 「私」の中には「私」しかなく
「私」そのものになれば「私」という感覚は消える。
「私」しかないのに「私」という感覚が残る不思議は
各自探求して下さい。
>>842 >不思議なことに悟り子さんは覚者への憧れがあるようです
あっ、ばれちゃいました?
実はそうなんです
(o^∀^o)
もちろんOperationさんにも憧れてます(は〜と)
>971:キャラメル ◆Z.rsi.gvb2 :sage:2012/02/06(月) 04:55:15 ID:V7Bhf6GU0
おはようございます。
昨日より過ごしやすい気がする朝
テケト~♪にいってみよう!( ̄0 ̄)/
フフ、元気そうねキャラメルお兄様・
人間元気が何よりね〇
前スレ11
>元気なときは交感神経が優位な場合と副交感神経が優位な場合とがあるのですが、どちらも優位な場合は・・・
・
前スレ12
>(。-_-。)ノはい
コウフク感神経が優位だと思います
そのときが一番幸福ね
>>846 >「私」そのものになれば「私」という感覚は消える。
「私」しかないのに「私」という感覚が残る不思議は各自探求して下さい。
はい、分かりました・・・
>>842 >> 道の半ばをゴールだって書いてたから
> 先もありますよって意味で書いただけだから。
>面白いことに、なぜかそう思っている人が多いようです
実は悟り子も道の半ばをゴールだと感じてます
あっ、未知の中場かも?
どの道旅は続きます・
>>805>>806>>809>>811 ...つまり、その...
人は色々観念的に考えるけど、それで何がどうなるものでも無い
人生楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る
歩いて行くんだしっかりと
自分の道を踏みしめて
とか言った意味合いのことを、おっしゃられているのでしょうか?
852 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/06(月) 15:07:50.54 ID:UdFuvU0k
私が
という感覚は不思議と主体自身の感覚ではない。
自分のある執着と、現在の望みに葛藤があるとき、現在の望みは私を感じる。
が、あくまで自身の欲望との関係の中にあるだけ。
世界全体との衝突がある時私を感じる。
私とは主体のことではなく、全体との衝突、分裂した精神の衝突という現象の総体。
あくまで何かとの関係性の中にしか私はないというのなら、私というものの機縁はそれそのものにない。
偶然あらわれては消える泡のようなものか。
853 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/06(月) 15:20:08.12 ID:UdFuvU0k
>>851 言葉は単なる2元性。
ブッダが発しても単なる言葉は単なる言葉でありそれにこだわってはいけない。
文章は書き手の実体を露わにするでしょう。
しかしそれすら巧妙なその人の記憶と体験のつなぎ合わせにすぎません。
覚醒の炎であなたの私の文章に現れる記憶の総体を焼き尽くすことができるのなら、
そのとき新鮮な言葉、新たな生を紡ぎだすことができるでしょう。
それを書き込むことができれば、書き込んだ人にもそれを読む人にも恩恵があることでしょう。
さもなくば、同じ夢を見てより眠りを深めるか、異なる夢同士執着しあい無意識を深めるかになってしまうでしょう。
自分の経験を手放すことができれば特定の形の幸せ同士の対立ではなく、不可思議な調和がもたらされます。
>>853 >言葉は単なる2元性。
ブッダが発しても単なる言葉は単なる言葉でありそれにこだわってはいけない
はい
「指を見るんじゃない、指の指す月を見るんだ、指にこだわると指の指し示す月の美しさを見失う」
(ブルース・リー)
ですね、確かに仏陀の指も指に他なりません
おそらくは他のどの指よりも正確に月を指し示す指ではあるでしょうが指は指です
そして得てして人は、月はそっちのけでどの指が正確に月を指し示しているかの論議に夢中になり
月を忘れてしまうものです
月はいつもそこにあるのに・
月を示唆する指が月を覆い隠す主因になるとは皮肉なものですね
855 :
ama ◆BmUbLWewsM :2012/02/07(火) 07:50:22.16 ID:purDMmAr
>>828 > それという客体も私という主体あっての物ではないでしょうか。
そうかもしれないし、そうでないかもしれないです。
判断(解説)不可能です。
「それ」については論理が崩壊しているのかもしれません。
そもそも論理自体が、「私」であり、分離であるなら、
それを適用すること、つまり解説するという行為それ自体が、
主客を分ける行為なのかもしれません。
主体と客体という概念だけでなく、ありとあらゆる概念が適用できない・・・。
それでも無理に知っていることを(概念を、観念を)あてはめることで、
私たちは、葛藤を、苦しみを生み出しているのかもしれません。
なにも解説しなければ、「それ」は未知のものです。
そして、そのような解説なしの生活を通して、体は、無意識は、
今までとは違う別の結論を持つようになるのかもしれません。
「何も怖がる必要はない」と・・・。
そして、それすら、私は分からない・・・。
私は、まったく間違っているかもしれないのです。
(自我とは、そのようなものなのかもしれません。)
856 :
ama ◆BmUbLWewsM :2012/02/07(火) 07:53:35.18 ID:purDMmAr
>>854 > 「指を見るんじゃない、指の指す月を見るんだ、指にこだわると指の指し示す月の美しさを見失う」
> (ブルース・リー)
そんなことを言っていたのですね、ブルースリーは。
「考えるな、感じろ」は有名ですが・・・。
(ただものじゃないですね。)
> 月はいつもそこにあるのに・
> 月を示唆する指が月を覆い隠す主因になるとは皮肉なものですね
(爆笑)
まったくです。
いっそのこと指し示す(解説する)ことをやめてもいいのかもしれません。
解説などしなくても、それはそこに在るのだから。
「解説したい(指し示したい)」という欲求、
つまり、知りたい、納得したい、理解したい、という欲求が、
まあ、いろいろと、あれなのかもしれません。
857 :
ama ◆BmUbLWewsM :2012/02/07(火) 07:58:15.92 ID:purDMmAr
>>801 > まだ「私」って感覚が残ってるなら
> 「私」って感覚に集中して「私」だけを感じて。
もう少し具体的におうかがいしたいのですが、
ここでおっしゃっている「私という感覚」というのは、
この身体感覚のことでよろしいでしょうか?
>>780 >真我に戻ってみたら、真我なんて何もなく自己なんて何もなかった
真我はソングライター
なんちゃって
>>781 >特に不満はないが、満足もない
俺はいつでも満足してるぜ、おお素晴らしきかな我が人生ってな
今日も飯がうまいなぁ
>>801 >そこには本当にリアルがある?
リアルじゃないものなんてあるのかい?
それは知らなかったな
861 :
神も仏も名無しさん:2012/02/07(火) 11:20:15.72 ID:yvjlh3Ai
>>857 身体感覚っていうのが良く分かりませんが
身体感覚が五感を指すのなら、それは「私」ではありません。
身体感覚が五感を元にした自分の存在を表すならば
それは「私」と呼んでもイイでしょう。
私が「私」と呼んでいるのは
自らを指し示す時に自分の中に、その対象となるものがあるかどうかで
自らを指し示す対象があれば、それが「私」になります。
指し示せない場合はどうなるのか
863 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 00:57:26.18 ID:kVJuCsu0
>>862 >指し示せない場合はどうなるのか
指し示す対象が分からない場合と
指し示す対象が存在しない場合の2つのケースが考えられますが
あなたの場合はどちらでしょうか?
水が水の中で水を指し示せますか
865 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 01:39:39.78 ID:kVJuCsu0
知識や思考で得た結論に興味はありません。
>>846 > 「私」そのものになれば「私」という感覚は消える。
> 「私」しかないのに「私」という感覚が残る不思議は
> 各自探求して下さい。
消えるのか残るのか一体どっちなのです?
>>850 > あっ、未知の中場かも?
> どの道旅は続きます・
なるほど
スタートとゴールに距離があれば道があり
道の始め道の半ば道の終わりがあるのでしょうけれど
そもそも距離が無ければ道の始めも半ばも終わりも無く道自体がないってことですね
>>854 > 「指を見るんじゃない、指の指す月を見るんだ、指にこだわると指の指し示す月の美しさを見失う」
> (ブルース・リー)
昔はブルー・スリーと思ってました。
>>804 > 【お題】
> 悟り終って悟りなし これ如何?
そりゃそうです
悟りを知らぬうちは悟りを求め
悟りを知るとただものを求めるものです
867 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 06:51:34.02 ID:CykzqJ+R
868 :
ろん:2012/02/08(水) 06:53:24.44 ID:DDk83umO
>>866 >ブルー・スリーかと思ってました。。
ww
>悟りを知るとただものを求めるものです。。
で、悟りははじめからあったのだろうかってことを考えちゃいます。。
ホントはもともとなかったでしょう。。
迷いがあっただけなんです。。
自分その他ないものをあると思っている、これが迷い。
それが消えたのを仮に悟りと言う。。
悟った自分があれば、それもまた迷いだ。。
迷いがなくなれば、ただ実在があるだけで、あとはなにもない。
そんな気がするな。。
869 :
ama ◆BmUbLWewsM :2012/02/08(水) 07:12:33.59 ID:tLDltLr4
>>861 > 私が「私」と呼んでいるのは
> 自らを指し示す時に自分の中に、その対象となるものがあるかどうかで
> 自らを指し示す対象があれば、それが「私」になります。
それは自己イメージのようなものでしょうか?
>>802 >その自我は本当に実在してる?
実在するって根拠はある?
記憶や好みや感情ならあるぜ レスもできるしな
ところで実在ってなんだい?
871 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 08:59:27.51 ID:kVJuCsu0
>>869 >それは自己イメージのようなものでしょうか?
自己イメージを持っているのが「私」ですね。
>>804 >【お題】
悟り終って悟りなし これ如何?
悟りかぁ、いっぺん開いてみたいもんだね
873 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 09:05:55.24 ID:kVJuCsu0
>>870 「実在」って実際に存在するって意味ですよ。
>記憶や好みや感情ならあるぜ レスもできるしな
あなたは自我でレスしてるの?
意識じゃなくて?
>>838 >よって日本経済、いや、地球のために40歳以上の未婚者や婚姻後5年経過で子無し夫婦は死んで下さい
お金>社会の機能性?
「健康の為なら死んでも良い」ってタイプ?
875 :
アンチノミー:2012/02/08(水) 11:16:41.98 ID:Oq24djHP
>「実在」って実際に存在するって意味ですよ。
実際に存在する??とはどういうこと??
たとえば太陽の波、可視光線と呼ばれる帯域は人間に知覚できるものだよね。
その帯域以外は計測器で存在が確認されたり、理論で予言されたりしている(?)。
人間に知覚されるものは存在し、計器で発見されたものは存在しない?そんなことはないよね?
じゃあ存在とはなんだろうね?
人間によって発見され人間によってその存在が証明されたもの?学会で多くの人にその理論がみとめられたもの?
実在とは誰にとって?
すべてのひとにとって存在するものが実在なのかい?それともみとめたものだけに存在するもの?
876 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 11:36:12.21 ID:kVJuCsu0
>>875 あなた自身が、思考や知識や思い込みによらず
実際に存在すると言い切れるモノが実在ですよ。
知覚で感じる全ての物が実際に存在していると言い切れる
根拠は何かありますか?って事です。
>>840 >無条件の愛です
>取るに足らない弱い小魚が愛なのだと
クジラは無条件の愛の条件的にはアウトですかい?
>>861 >自らを指し示す時に自分の中に、その対象となるものがあるかどうか
外も「私」かもしれないでしょう、中にあるものだともいえない
>>865 >知識や思考で得た結論に興味はありません。
「興味を持つ」をしているものこそ「知識や思考で得た結論」の塊では?
「知識の塊」が、「知識や思考で得た結論」かどうか判断するのだとしたら
「知識や思考で得た結論ではないもの」は、「知識の塊」が、理解できるものですか?
879 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 14:41:05.16 ID:HN1sRT4a
>>878 >外も「私」かもしれないでしょう、中にあるものだともいえない
それって「私」が分からないって事ですよね。
>「興味を持つ」をしているものこそ「知識や思考で得た結論」の塊では?
仮定が間違っています。興味を持っているのは「知識や思考で得た結論」の塊ではありません。
>「知識の塊」が、「知識や思考で得た結論」かどうか判断するのだとしたら
前の仮定が違うので、ここの仮定も違います。
>「知識や思考で得た結論ではないもの」は、「知識の塊」が、理解できるものですか?
間違った仮定の上で質問されても答えは出ません。
880 :
アンチノミー:2012/02/08(水) 14:48:46.58 ID:xq9IwL21
なるほど
思考や知識や思い込みによるものは実在しないもの
実際には存在すると言い切れるモノは実在する、、、
存在すると言い切れるモノと言い切れないモノ
思考と思考ではないモノ
思い込みと思い込みではないモノ
これらをわけるモノはなんでしょうか?
思考ではないモノでしょうか?
思い込みではないモノでしょうか?
881 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 15:09:52.53 ID:HN1sRT4a
>>880 >思考や知識や思い込みによるものは実在しないもの
>実際には存在すると言い切れるモノは実在する、、、
実際に存在すると言い切れるモノは実在するのか?ですね、正しくは。
>存在すると言い切れるモノと言い切れないモノ
>思考と思考ではないモノ
>思い込みと思い込みではないモノ
>これらをわけるモノはなんでしょうか?
わけているのは「あなた」です。
882 :
アンチノミー:2012/02/08(水) 15:35:37.90 ID:xq9IwL21
え?
876 :神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 11:36:12.21 ID:kVJuCsu0
>>875 あなた自身が、思考や知識や思い込みによらず
実際に存在すると言い切れるモノが実在ですよ。
この書き込みは
思考や思い込みによるものは実在ではない、というあなたのものではないんですか?
883 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 15:44:03.21 ID:HN1sRT4a
>>882 >あなた自身が、思考や知識や思い込みによらず
>実際に存在すると言い切れるモノが実在ですよ。
ああ、これは
あなた自身が、思考や知識や思い込みによらず
実際に存在すると言い切れるモノが実在ですよ。
(ホントにそんなモノがありますか?無いでしょ)
って意味ですよ。
実在してるって言い切れるモノなんて
何も無いじゃないか!!って反論を期待したんですけど・・・・・・
884 :
アンチノミー:2012/02/08(水) 17:11:34.62 ID:xq9IwL21
>あなた自身が、
>実際に存在すると言い切れるモノが実在ですよ。
これならわかるんですよ。ぼく自身に実在がなんであるのかを決める自由が与えられているからね。
でもそうじゃない。
あなたの
>思考や知識や思い込みによらず
っていうあなたの見解(観念?)がはいってるのはナゼか?って問うているのです
むずかしいかな?
そこには
思考や知識思い込みによって導きだされたものは実在ではない、という思い込みと制限があるようにぼくは観じるのですが。
885 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 18:31:54.15 ID:HN1sRT4a
>>884 思考や知識や思い込みは「私」や「私のモノ」じゃないので
割りと早い段階で「私」から切り離されるからです。
まあ、思考と思い込みはもともと存在していないものが
存在してるように感じてるだけなんですけど・・・・・
886 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/08(水) 19:07:35.82 ID:x54Z6Q96
>>861 > 私が「私」と呼んでいるのは
> 自らを指し示す時に自分の中に、その対象となるものがあるかどうかで
> 自らを指し示す対象があれば、それが「私」になります。
私を感じるという場合、私を感じている主体は誰かということを忘れがちです。
それも私でしょうし、感じられる対象としての私も認知する主観としての私もひっくるめて私なのでしょう。
私とは、複数の欲望や記憶が対立する現象全体を指し示すのではないでしょうか。
>>885 >思考や知識や思い込みは「私」や「私のモノ」じゃないので
割りと早い段階で「私」から切り離されるからです。
思考や知識や思い込み以外に私(矛盾する思考や知識による葛藤や自己内部の対立としての私)
というものが発生する理由があるのでしょうか。
それらから本当に自由であるならば、そういった存在は私たちにとって全く次元の違う、過去の束縛から完全に解き放たれた
異質の存在でありましょう。
だが、あなたは我々によく似ている。
思考や知識や思い込みによって作られた私という構造、
私という幸せ私という不幸、即ち私という矛盾と葛藤。
その矛盾と葛藤から逃れようと、思考や知識や思い込みによって作られた私自身が
それによらない私を夢見ることになり、もう1頭馬が加わりさらに矛盾は深まります。
887 :
アンチノミー:2012/02/08(水) 20:28:03.56 ID:xq9IwL21
>思考や知識や思い込みは「私」や「私のモノ」じゃない
なるほど。これはとくに否定はしないです。
しかし、それがどうして
>思考と思い込みはもともと存在していない
こうなるのか。これには?????ってかんじですね。
どうしてそのような見解に至ったのでしょうか?
888 :
ほくろ刑事:2012/02/08(水) 20:45:57.32 ID:5XGNkE8N
>>887 そんな、チューマルササエティでは割り切れんよ。実際のところ。。。
889 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 21:00:25.07 ID:HN1sRT4a
>>886 どうも話が食い違う理由を私なりに捉えてみたのですが
私を感じている主体は「私」ではありません。
それは言い表す言葉がなく、言語で表現できないモノで
「存在」しているだけです。
これが「世界」と「私」に存在を与え実在(リアル)の根拠となっています。
でも、この「存在」には実体の何もありません。
この「存在」を知るのに知識や思考は役に立ちません。
それらを超えているからで、ただ気付くしかありません。
「私」とは「あなた」が「あなた」だと感じている全てで、
これは人によって違います。
890 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 21:10:41.76 ID:HN1sRT4a
>>886 >思考や知識や思い込み以外に私(矛盾する思考や知識による葛藤や自己内部の対立としての私)
>というものが発生する理由があるのでしょうか。
もともと「あなた」の中に葛藤や対立が存在していて
その葛藤や対立を思考や知識や思い込みに投影しているとは考えられませんか?
>それらから本当に自由であるならば、そういった存在は私たちにとって全く次元の違う、過去の束縛から完全に解き放たれた異質の存在でありましょう。
過去や未来が実在していないのに、どうして過去の束縛が存在するのでしょうか?
過去の束縛は今目の前にありますか?
あなたの記憶の中にしか存在していないのではありませんか?
>だが、あなたは我々によく似ている。
私はカテゴリー的には日本人男性なので、あなたと同じだと思いますよ。
891 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 21:16:07.83 ID:HN1sRT4a
>>886 >思考や知識や思い込みによって作られた私という構造、
>私という幸せ私という不幸、即ち私という矛盾と葛藤。
>その矛盾と葛藤から逃れようと、思考や知識や思い込みによって作られた私自身が
>それによらない私を夢見ることになり、もう1頭馬が加わりさらに矛盾は深まります。
矛盾と葛藤から逃れようとせず、それらは「あなた」が作り出したもので
実際には存在していないという事実に気付けば、すぐに解決しますよ。
連続投稿、失礼しました。
892 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/08(水) 21:25:07.34 ID:x54Z6Q96
≫私を感じている主体は「私」ではありません。
それらを超えているからで、ただ気付くしかありません。
であるならばあなたは我々と次元を異にしている。それを悟りというのだろうか。
が、誰もが通るありきたりな地点にいるようにしか見えない。
最初は方便で私に気づいていなさいというところから瞑想は始まりますが、
畢竟その私を感じる意識というのが私なのだということが説かれます。
詳しく言うならば瞑想によってある程度統括された無意識の全容が主観である私であり、
(この私は瞑想者だけが持ち得るものであり、そうでなければ人には通常統括された無意識の総体としての私などなく
入れ変わる欲望がただあるだけです)
感じられる側の私はその時力を持っている一つの欲望、夢であるといえます。
それはグルジェフも段階においてそうですし、クリシュナムルティーは全編そうですし、
仏教においてもそれが理解できるほどに、自らの無知と囚われを理解できるところまで進んでいれば
同様の記述をブッダから把握できるでしょう。
893 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/08(水) 21:39:54.53 ID:x54Z6Q96
>>891 矛盾と葛藤が私であるのだと886で述べましたが、
あなたは矛盾と葛藤を作り出すのが私だとおっしゃる。
それでは私が残ったまま矛盾と葛藤をなくせるかのようではないですか。
どうして矛盾と葛藤を分けるのでしょうか。
矛盾と葛藤そのものである私を残したまま、矛盾と葛藤の苦しみだけから解き放たれようとするために、
人はそれらは初めからなかったのだという夢を見ることもあるでしょう。
その夢があなたのエネルギーを独占している間は清浄なる無の夢を見るでしょう。
苦しみとわたしを分離しないとき、自分が賢明な調停者ではなく、種々の欲望そのものであり囚われた存在であるという事実を
ただ理解したとき全く違うことが起こってきます。
賢明な調停者であり、真理を知っているという私という自己イメージがある限り、その自己イメージと
自己の囚われとの内紛は続きます。
何かがないということは何かがあるということの裏返しにすぎず、それは2つが一つで、
一つの精神の働きを示します。
886の内容をもう少し噛み砕いてみてはいかがでしょうか。
894 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/08(水) 21:41:40.12 ID:x54Z6Q96
訂正
どうして矛盾と葛藤と、私とをを分けるのでしょうか。
895 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/08(水) 21:46:17.98 ID:x54Z6Q96
あるという夢、ないという夢、
交互に取り付かれる悲喜劇
両方に気づいた際の葛藤。
そして両方がないという境涯とは。
>>889 >私を感じている主体は「私」ではありません
それは凄い!
俺は自分の意識以外一度も経験したことがないぜ・
897 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/08(水) 22:01:57.59 ID:x54Z6Q96
>>855 無条件の苦しみ、無条件の喜び。
無条件の喜びを見出せるような人はその下地あってこそ自我の構造が本源的にもつ
無条件の苦しみと対峙することもできるでしょう。
無条件の苦しみと対峙できるような人は、エネルギーそのものである無条件の喜びと
共にあることができるでしょう。
その人が内向的であればその苦しみに名前を付けそれを知ろうとするでしょうし
外交的であればその喜びに名前を付けそれを楽しもうとするかもしれません。
ある人にとっては苦しみを克服しようとすることが障害であり、
ある人にとっては喜びを愛することが障害になるのかもしれません。
でもそれらは同時に存在するようですし、そもそも存在しないものであるかもしれません。
おまえらいっぱい本よんでてエライ!
おれなんかちょっと読むと眠くなるよ
899 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 00:23:47.25 ID:CmCPJUYC
473さんは自分の思い込みが強すぎて
他人の書き込みが読めてないのが問題だな。
言っても無いことに過剰に反応されても答えようがないよ。
人は喋ることには慣れてないが、見ることには慣れている。目が肥えている。観客とはそういうもの。
473さんは取り敢えず、自分は語っている。
901 :
観自在さん:2012/02/09(木) 06:52:50.73 ID:RmWzPc2K
大切なのは、矛盾や葛藤が空なのではなく、
それを作り出している中心が空なのです。
わたし、が見る体験や、感じる事が空なのではありません。
それを、体験したり、感じたりする、わたし、が空なのです。
例えばそれは、深い瞑想にいるとき、わたしを感じなくなる様に、
元々、その中心には、とても静かな空・・・
わたし、が空であるから、様々な色が体験できるのです。
しかし、その色の体験も本質は空であるから、
体験だけして、空に還ってゆく。
では、空は体験することができるのか?
これは、全ての色の体験を止めたとき、
はっきりとするでしょう。
それは、ご自身で観てネ!
かなり分かりやすい説明ですね。感謝します!
空から雪が降る
たたずむ人
ただ雪を見る
微かな風に舞う白い雪
みちに咲く一輪の花
素人Adさんも頑張っておられます。
>>134 >
>>133 イエスはこのことを
「幼子のような心」
と表現したのかもしれません。
なるほど、幼子は「それ」をみて「これは花だ」とは考えませんね
「それ」が花だと知るその日までは・
>>842 >不思議なことに悟り子さんは覚者への憧れがあるようです。
おそらくは月や雪の美しさに見惚れるのと同じ感覚で覚者さんにも見惚れてるのでしょう・
自己に恋してるのかもしれませんね
...あっ、郵便ポストもでしたね(笑)
>>870 >ところで実在ってなんだい?
分かりません・
少なくとも私が知ることができるものは実在では無いでしょう
あえて言うなら私が実在ですが...
しかして私にとって私は永遠に知り得ない何かです
・・・実は全てが実在かもしれませんけど(笑)
>>771 >そのリアルがどこから起こるのか
今に在ること 動機も解釈も理由も期待も無くただ気づきのままに生きること
ただ見て 聞いて 触れて 感じること
そんなシンプルな在り方からでしょうか?
悟りは実存性の開花なのかもしれませんね
909 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/10(金) 00:35:39.02 ID:lm34DMnB
>>900 まあそういったところです。
みな自分自身の実態とかけ離れた言葉で自分を偽りがちです。
良かれと思って真実のような夢を語るのかもしれませんが、
現実にある種々の執着と、賢明な理想の自己のイメージ悟りのイメージ
その両者の葛藤が私という現象である以上、どんな甘美な夢もその実苦悩の片翼を担いでいるにすぎません。
かくいう私も、非常に怖がりであるがゆえに安心のため理論武装を無意識にしてしまいがちです。
それは後天的に身に着けた賢明で強気な自分というベールを剥ぐと幼い日の自分に出会います。
910 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/10(金) 00:51:40.21 ID:lm34DMnB
>>901 >大切なのは、矛盾や葛藤が空なのではなく、
それを作り出している中心が空なのです。
もし中心があるならば葛藤はないのではないでしょうか。
矛盾や葛藤は同等の存在が互いの覇権を争うところにあると思われます。
>それを、体験したり、感じたりする、わたし、が空なのです。
言葉の上ではブッダもそうおっしゃいました。
しかしブッダの言葉すら、それを表層意識で理解してしまってはただの自己欺瞞になる恐れがあります。
わたしが空なのだという言葉すら、私が言葉の上で知ってしまえばその夢で自らを偽り、自らと葛藤してしまうでしょう。
言葉から逃れるのに言葉をもってしては不可能なのです。
それゆえに、おお。ブッダはそれを知的な理解とさせないための不条理な表現をしてくださり、
その言葉の不思議な響きはわたしの空性を理論としてではなく事実として伝えてくれます。
それゆえにわたしの空性を語る時は、それを体得しているのならそれが事実として伝わるように語っていただきたく思いますし、
体得していないのでしたらそれを体得してはいないがおそらくと語るべきです。
文章によって自分自身はさらけ出されてしまいます。
自分自身の実体とかい離するようなことを述べると自分だけではなく他者も混乱させてしまいます。
>>868 > ホントはもともとなかったでしょう。。
> 迷いがあっただけなんです。。
なるほど
> 自分その他ないものをあると思っている、これが迷い。
> それが消えたのを仮に悟りと言う。。
そうですよね
> 迷いがなくなれば、ただ実在があるだけで、あとはなにもない。
> そんな気がするな。。
悟りってのは、ほどけた大きさだけ大きく、ほどけた内容で理解するようになっているようです
迷いが深ければ深いほど、ほどける大きさも大きいようです
迷いがなくなったときに悟りがどうなるのか
きっと悟りはなくなることでしょう
>>906 > ...あっ、郵便ポストもでしたね(笑)
郵便ポストに者は付くでしょうか
覚者と郵便ポストに違いはあるのでしょうか
不思議なところはそこです
覚者に者はあるのでしょうか
郵便ポストに気がついているなら、覚(者)にも気がつきますよ
私は一度だけですがね
横浜のある駅で降りた時に感じたのですよね
悟ってもいないのに、悟りを感じる 何この奇妙な現象は?
で、その方向へ歩いていきました
だんだん大きくなって、1キロ以上歩いて、見つけました マンションの中のようです
近くまでくると驚くほど大きいのですが、歩いている人は誰も気がつかないのですよね、それに。
今まで気がついた人に出会ったことがないのだから、そりゃそうでしょうけれど
これだけ大きいのに気がつかないの?と思いつつ
ここまできたら、近くまで行ってみるかと、場所が分かりました
でも尋ねることもできないので、帰りました
おそらく大悟に出会ったようです珍しいこともあるものです
914 :
観自在さん:2012/02/10(金) 04:04:20.77 ID:/JXT+6LR
寺や神社に残る、人の智。
経典だけが、空の痕跡ではないだろう。
念仏だけが、空の痕跡ではないだろう。
行く末に宿をそことも定めねば
ふみ迷うべき道も無きかな
(一休)
>>849 >はい、分かりました・・・
なるほど
「はい」が存在するようになった瞬間に「いいえ」も存在するようになり(二元性が生まれ)
世界は認識可能になったのですね
神は「光あれ」と言った
光が在るようになった
神は光を是とされた
神は光を昼 闇を夜と呼んだ
世界の(認識の)創造(想像)ですね・・・
>>912 >郵便ポストに者は付くでしょうか
郵便ポスト者
とりあえず付けてみました
>覚者と郵便ポストに違いはあるのでしょうか
色とか色々...
>覚者に者はあるのでしょうか
「者」が無いと「覚」ですね
「者」はお嫌いですか?
>>913 何やら不思議な体験をされた記憶をお持ちなのですね
1q歩いて大悟に会いに行き、そのまま会わずに引き返す下りは圧巻です!
(大悟って会えるものなのですね、知りませんでした(笑))
まぁ、悟り子さんの言う覚者とはamaさんのような方なのでしょうね多分
919 :
観自在さん:2012/02/10(金) 12:33:24.06 ID:/JXT+6LR
心を静かに出来る場所を確保すべきだろう。
そこには、智慧がある。
逆に言うならば、心を静かに出来なければ、智慧に出会うことはないだろう。
それは、修羅の道。
争いの道。
心静かなとき、争いはない。
争いのない場所に、智慧は下りてくる。
争いのある場所に、智慧はない。
心を静め、争いを終わらせるとき、真の智慧に出会うだろう。
>>850 >実は悟り子も道の半ばをゴールだと感じてます
きっと生にはゴールなんて無いんでしょうね
ある意味あらゆるときがゴールでありスタートでもあるのでしょう
921 :
ろん:2012/02/10(金) 20:59:49.91 ID:e7KtYaTn
>>913 えー!
大悟(者)の気のようなものがあるってことですか?
924 :
473♯mayoibito:2012/02/10(金) 22:11:01.66 ID:0IpUxJ3P
これを真理としてしまえばそれが基準になり、世界は偽りと映り対立してしまいます。
これが愛だとしてしまうとそれが基準になり、それに反する世の中のありようへの憎しみを持たざるを得ません。
どんなに真理に近づいてもそれを体験としてしまえば、それは新たな束縛であり基準の設定でしかないようです。
悟りを求めるとそれは苦しみを呼び込みます。
苦しみを苦しみと認識することすらそれはすなわち快楽への欲求以外のなんでもないかもしれません。
体験しないでいられるでしょうか。
473は今までどういう経緯を経てきたの?
926 :
473♯mayoibito:2012/02/10(金) 23:12:57.74 ID:0IpUxJ3P
>>924 >これを真理としてしまえばそれが基準になり、世界は偽りと映り対立してしまいます
そうですね
Aという概念は必然的に非Aという概念を顕しめますね
概念は対比によってしか成り立たないからでしょう
そして結論との同化は生を死(概念・分離)に変える危険性をはらんでます
判断せずに概念を見ると概念はただの概念であり
楽しい恋人かもしれませんけど・
928 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 01:46:42.99 ID:zYUgZLCL
生理的な罪悪感や恐怖心を滅したい
いわゆる気質を変えたい
どうすれば良いんですか?
それともやはり不可能なんですか?
ひ弱で臆病なのをどうにかしたいんです
929 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/02/11(土) 03:33:00.57 ID:RJmClaGw
931 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/02/11(土) 04:31:31.55 ID:RJmClaGw
腹式呼吸もいいよ
嘆くなよ 真の道はそのままに
二つとも無し 三つとも無し
(一休)
>>917 >「者」はお嫌いですか?
好きです、「者」があるから味わい深いのですよ 「覚」だけだと立体感が味わえ無いのです
「覚」と「者」も全体の中で一つなのですね・
935 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/11(土) 10:10:07.10 ID:/COIWAOT
>>928 あなたはとても感受性豊かで心優しい人です。
そしてとても正直でもあります。
その分生死を割り切って決断するという、ハラの据わった部分が隅に追いやられ抑圧されるのは自然な成り行きです。
あなたがあなたである限り臆病であるという構造は決して消えません。
何かを取ると何かを失います。
あなたが欲しがっているものを優先して取った人は、あなたが持っているものを失っています。
そこには単純な相対性の原理が見えます。
各々が、各自独特のその構造を理解してゆく他ないと感じております。
どうか自分と戦わず、すなわち自分を変えようとせず自分を自分全体として受け入れ、
ただ、あなた特有のあなたについての事実関係を認識してみようとしてください。
絵の上手な人が空き缶をとてもリアルに描くと人は感心してその絵をしげしげと眺めたりしますね
そしてリアルの空き缶はただのゴミとみなすのです(笑)
世界は美に満ちているのかもしれません
・・・でわ給水タンクでも見てきましょう
>>917 > 「者」はお嫌いですか?
者を見つけられないだけです
>>918 > (大悟って会えるものなのですね、知りませんでした(笑))
では悟りとは空想物語なのでしょうか
現実のものでしょうか
> まぁ、悟り子さんの言う覚者とはamaさんのような方なのでしょうね多分
会ったことも無いのにわかりません
>>921 > えー!
> 大悟(者)の気のようなものがあるってことですか?
悟りに気がつくならわかります。
同じものですから。
どこかに、そんな記述がなかったですか?
・・・
いいやあると思いますよたぶん
だって、これ以外に悟りのコミュニケーションはありませんから
>>928 誰でもひ弱で臆病なものですよ例外なく
できることはそれを認めることぐらいでしょう
>>936 悲しいかなリアルを感じられないから
実写に近い絵などで、喜ぶことができるのでしょう
絵と実物と比べれば・・・比べるまでも無いですが
スッポンと月ぐらいちがいます
実際のスッポンは食べられて、月は見るだけなので
スッポンの方が良いですが
この場合 月が良くて スッポン はごみの意味です
>>918 > 何やら不思議な体験をされた記憶をお持ちなのですね
確かに不思議です。もっとたくさん出会うと思っていたのですが、これだけ少ないとは思いませんでした。
> 1q歩いて大悟に会いに行き、そのまま会わずに引き返す下りは圧巻です!
2Fの一室でしたが、あなただったらどうしますか?
会いにいってませんが、興味ですよ
うわ、何これ誰か悟ってるよ、ちょっと行ってみようかな
ぐらいですよ
>>937 スレ立て感謝します
ありがとうございます
m(_ _)m
給水タンクを愛でる旅から帰り、さてとスレを開くと新スレ設立の僥倖
ただ喜びに言葉も無く
ただ胸が躍るばかり
ただアルファ波が溢れるばかり
今日も頭の中は常春の悟り子です・
>>938 >悟りとは空想物語なのでしょうか
現実のものでしょうか
悟り子の言う悟りとは「空」も「現象」もどちらも楽しみながら、どちらにも囚われずに、ただシンプルに生きることです
その根底には存在への無垢な信頼があります〇
>>940 >2Fの一室でしたが、あなただったらどうしますか?
悟り子なら迷わず会いに行きます
それは存在が大悟に会いなさいと言っている状況にも見えます
きっと呼ばれたのですよ(笑)
まあ実は大悟に会って無いときは無いのかもしれませんけど・
悟り子にとってのamaさんとはこのスレで出会うamaさんが全てです
悟り子が覚者と言うamaさんはレスとしてのamaさんであり、そのレスとしてのamaさんを観て感じたことが全てです
それ以上の証明は何もいらないのです
>>943 > その根底には存在への無垢な信頼があります〇
あなたの言う悟りとは個人の中だけにあって、空想かどうかわからなものが悟りなのですか
あるいはあなたの中だけではなく全てにあるものでしょうか
ということを質問したのです
前者ならば悟りによるコミュニケーションは不可能ですが
後者であれば可能です
というより・・・
悟りとはコミュニケーションではないのでしょうか
>>944 > 悟り子なら迷わず会いに行きます
> それは存在が大悟に会いなさいと言っている状況にも見えます
> きっと呼ばれたのですよ(笑)
珍しいから見に行ったのですが
会ってどうするのでしょう
おめでとう。じゃ、がんばれよ。
と声でもかけるのでしょうか
あんた誰だよと言われそうです
>>942 > 給水タンクを愛でる旅から帰り
何ですか その旅って
トイレですか
私もこれから、トイレのことを給水タンクを愛でる旅と呼ばせて頂きます。
感じられるたのは、覚者へのあこがれ があることです
また、覚者が自分をなんとか導いてくれる
そう思い込んでいるようにみえます
たとえ覚者がいたとして
何ができるでしょうか
何もできないでしょう
眠っている人に伝えることはできない
起きている人に伝える必要はない
のだから
952 :
ろん:2012/02/11(土) 23:27:36.55 ID:vmR+xDdT
>>946 悟りが全てにあるとしたら、なぜその横浜のマンションの一室にそれを感じたのでしょう?
覚が全体にあって、覚者はいない。。
でも、ある個人にそれが実現されていることを感じたわけでしょう?
ちょっとよくわからないなぁ。。
>>952 >
>>946 > 悟りが全てにあるとしたら、なぜその横浜のマンションの一室にそれを感じたのでしょう?
気のせいだったのかも
> でも、ある個人にそれが実現されていることを感じたわけでしょう?
湧き水が出てきた
そこは個人の所有している土地だった
その水は土地の所有者が実現して作り出した水なのだろうか
ちょっと、給水タンクを愛でる旅に出かけましょうかね
955 :
473♯mayoibito:2012/02/12(日) 00:34:08.33 ID:vsTr+sIq
もし知的な理解ではなく自分の全存在の変容を求めるのなら、
OSHOの瞑想技法と和尚の講和を利用するしか殆ど可能性はない。
あらかじめ真理の種がありそれを思い出すだけの人間の場合内部で何が正しいかわかっているので道を踏み外さないが、
それ以外の人間の場合経典を正しい自殺に使うことなく自我の餌とすることを避けるのは不可能だ。
覚者は真理は伝えられなくとも虚偽を打つことはできる。
それが不在である以上、意識的に矛盾して語られており知的な理解を粉砕するように設計されたOSHOの講和によって
知的な確信の危険を少しでもゆるめるほかない。
>>949 あなたの依存、あなたの欲望を理解しない限り、
それを他人に投影し、自分にはそれは必要ないと知的に思い込むパターンから抜けられないでしょう。
それぞれのタイプ、それぞれの段階で有効である方便というものがあります。
超努力は技法にすべてをかけてそれを行うことです。
ばらばらのエネルギーが一瞬でも一つの望みにまとまることで、その対極としてのトータルなリラックスが起きえます。
自己想起は日々の意識と似たようなものです。
少し違うのは、自分の行為だけではなくその行為を観察する自分も観察しようとすることです。
しかし、これらの技法と日々の気づきよりずっと大切なのは、
何かを欲して道を志すのではなく、自分にうんざりしきっており自分から脱出したいという切迫感です。
正直世間での成功と幻滅が一番の近道であるともいえます。
>>955 このように読み取れました
絶対的な覚者がいてその人が考えた方法でしか真理は伝えられない
それ以外は道を踏み外す
もしも、たった1人の人が持っている熟練した技であったなら、そうかもしれませんが
道というものは現実でしょうか妄念でしょうか
覚者というのは現実でしょうか妄念でしょうか
妄念を打ち破るのに、妄念をもってことに当たるのは徒労に終わるような気がします
今度こそ給水タンクを見てきましょう
958 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 00:58:34.31 ID:hAeFtJCt
>>930>>932 腹式呼吸ですか
>>933 そのままでいろと?
>>935 お心遣いありがとうございます
それでも私は変わりたいんです
変わらなければ生き残れない
生き残れないのもまた運命という人もいるでしょうけど、私は嫌です
>>939 本を読んでも偉い人は皆そう言いますね
受け入れろと
みなさん、返答ありがとうございました
>>955 > 自分の全存在の変容を求めるのなら、
おそらくあなたが求めているのでしょう
私は求めていません
> OSHOの瞑想技法と和尚の講和を利用するしか殆ど可能性はない。
全存在が変容する技法と話があると思いますか?
ありえません(断言)
> 覚者は真理は伝えられなくとも虚偽を打つことはできる。
つまり嘘をついて騙すと
> それが不在である以上、意識的に矛盾して語られており知的な理解を粉砕するように設計されたOSHOの講和によって
> 知的な確信の危険を少しでもゆるめるほかない。
少し落ち着いた方がいいです
つまり全存在を変容させるために、騙されても信じきってついていくと
宗教って恐ろしいものです
961 :
ろん:2012/02/12(日) 06:12:52.40 ID:tJSgqavL
>>953 >気のせいだったかも
いえ、否定してるわけじゃないんですよ。。
横浜のどこか、駅名を訊いて詣でたいくらいですw
湧水の喩えは、なんとなくわかります。。
大悟によって、エネルギー的な変容があるということかなー。。
地下水に通じる穴、全体と結ぶ穴が開いたということか。。
962 :
ろん:2012/02/12(日) 06:22:33.47 ID:tJSgqavL
>>955 僕はオショウは、インチキだと思っちまうけどな。。
彼は真理を伝えるために矛盾したことを言うのではなく、いろんな本を読みまくって、都合のいいところだけ取り出して、自分の理解で言うものだから、
結果矛盾してしまう。。
クンダリ―ニと禅とアドヴィタとスーフィーと愛の道となんたらと、全部ちゃんぽんだから、
彼の本読んだらアー面白いというのはあっても、結局、美味しかったというだけで、何にもならない。。
禅だったら、道元とかその他、信頼できるものを読んでわかってくれば、オショウのどこがおかしいかわかってくる。。
変容と言うのは、クンダリーニとか密教であって、禅にはそう言うものはない、「そのまま」が禅だから。。
963 :
ろん:2012/02/12(日) 06:25:51.28 ID:tJSgqavL
>>949 読みました。
がんばって修行したんですね。。
でも日常で、自己想起とか自己観察とかに入れあげたら、誰でも発狂するでしょうww
必要のないことなんですよ。。
仕事の時は仕事、テレビ見るときはテレビ見る、酒飲むときは酒飲む、これで解決してるでしょう?
存在の全的変容とか、そう言うものがなぜ必要と思うのか?
というところから、やり直した方がいいのかもしれない。。
964 :
ろん:2012/02/12(日) 06:31:37.86 ID:tJSgqavL
>>949 僕はグルジェフも読み物としては面白いと思う。。
悟ったわけじゃなくとも、人間論と言うか、思想家としては面白い。。
本買ったけど読んでないんですけどね。。
彼の言う「主観芸術」とか「客観芸術」と言う概念に関心があるんだけど、どれを読んでいいのやら。。
僕が持ってる本には書いてないようなんですが。。
どの本に書いてあるかご存知ですか?
『ベルゼバブの孫の話』とか全部読んだ人いるんかなー。。
「ベルゼばぶ」なんつーアニメが出たときは、ぶっ飛びましたけど。。
【覚者と知行合一】
般若心経には 「知ることと行いが一つになったところに真実が在る」と書いてあります
覚者の覚とは知であり
覚者の者とは人です
覚者とは認識(知)と行い(行)が一つになった人です
そこに真(知)と実(行)
真実が在るのです
>>965続き
【覚者と空即是色】
アラシさんが
「そこが色即是空から空即是色に転じるとこだ」
と言うのも知行合一のことを言っているのでしょう
修業して悟り(色即是空)を得たら、今度はそれが在り方(空即是色)になってこそ本物と言う訳です
>>934 >「者」があるから味わい深いのですよ 「覚」だけだと立体感が味わえ無いのです
「覚」と「者」も全体の中で一つなのですね・
そう、全一であってこそ悟りですね
「覚」即「者」
「覚」が「者」そのものになってこその悟りであり覚者です・
>>938 >者を見つけられないだけです
貴方に準備ができた時に覚者は現れるでしょう
貴方が覚者なら常に覚者を見つけずにいられ無いでしょう
>悟りとは空想物語なのでしょうか
現実のものでしょうか
現実は空想物語だと見抜く感じでしょう
そこで貴方は好きな役割を選んで演じています
>だって、これ以外に悟りのコミュニケーションはありませんから
貴方が目覚めたのなら
全てが悟りのコミュニケーションかもしれません
>>939 >絵と実物と比べれば・・・比べるまでも無いですが
スッポンと月ぐらいちがいます
そうですね、比べるまでもありません
そして比べる必要も無いのです
絵も実物も月もスッポンも全ては完璧な存在の詩ですから・
>>940 >2Fの一室でしたが、あなただったらどうしますか?
興味があれば会うでしょう
>>946 >悟りとはコミュニケーションではないのでしょうか
かもしれません
>会ってどうするのでしょう
コミュニケーションをとるのも楽しいかもしれませんよ
>あんた誰だよと言われそうです
「貴方の大悟に興味があって駅から1q歩いて来た者です」
と正直に言えば良いのでは?
大悟さんならそれで通じるでしょう
>>951 >たとえ覚者がいたとして
何ができるでしょうか
何もできないでしょう
私の知る限りでは、覚者はただ居るだけで人々の精神に大きな影響を与えるようです
>>953 >湧き水が出てきた
そこは個人の所有している土地だった
その水は土地の所有者が実現して作り出した水なのだろうか
湧き水はどの土地にも湧くのですが
何故かほとんどの土地の所有者は湧き水を嫌ってコンクリートか何かで埋め立ててしまうのです
その湧き水を埋め立て無い土地の所有者を覚者と呼んでる感じですね
976 :
ろん:2012/02/12(日) 10:38:18.09 ID:tJSgqavL
>>965 >般若心経には 「知ることと行いが一つになったところに真実が在る」と書いてあります
え!?どこに?
知行合一って、孔子じゃなかったか。。
覚と知は一致しないな。。
知とは自我のものだよ、認識は覚ではない、むしろ無知、あるいは非知が悟りだ。。
真実なんてどこにある?
977 :
ろん:2012/02/12(日) 10:41:14.80 ID:tJSgqavL
大悟を感じるって、ニュータイプだな、ガンダムだ。。
シャア: アムロ・・私は阿漕なことをやっている。。近くにいるなら、わたしを感じてみろ!
www
>>924 >これが愛だとしてしまうとそれが基準になり、それに反する世の中のありようへの憎しみを持たざるを得ません。
そんな感じもします
>どんなに真理に近づいてもそれを体験としてしまえば、それは新たな束縛であり基準の設定でしかないようです
↑
どんなに真理に近づいてもそれに固執してしまえば、それは新たな束縛の基準の設定でしかないようです
こっちのほうが分かりやすくないですか?
>>976 >え!?どこに?
私の読んだ般若心経の訳文に書いてありました
>覚と知は一致しないな
覚と知識に対する価値判断は一致しないでしょう
ここでは知を知覚の知の意味合いで使っています
知覚とは自我の判断の入ら無い純粋体験のことです
ただ見る ただ聞く ただ触れる ただ歩く ただ食べる ただ嗅ぐ そう言った意味合いです
>知とは自我のものだよ
知識に対する価値判断が自我のものではないですか?
>認識は覚ではない
認識(知)に対する価値判断が覚ではないのでは?
雨が降っていることを認識することは覚ではないでしょうか?
>真実なんてどこにある
人の誤解以外全てに
980 :
ろん:2012/02/12(日) 11:51:11.23 ID:tJSgqavL
>>979 般若心経に訳文は要らないでしょ。。
訳者が余計なのくっつけたね。。
どうして価値判断が覚なんだ?
どうして知覚が純粋体験なの?
知覚になった時点で、純粋じゃないよ、雨って認識した時点で、雨そのものではない。。
と言うか雨って言う認識が、人間の中にしかないしね。。
だから雨も誤解だ。。
>>980 >どうして価値判断が覚なんだ?
認識(知)に対する価値判断が覚では「ない」のでは?
と書きましたよ
>>認識は覚ではない
これに対するレスです
「無い」と書けばよかったですね
誤解される書き方でしたね、すいませんm(_ _)m
>どうして知覚が純粋体験なの?
知覚になった時点で、純粋じゃないよ、雨って認識した時点で、雨そのものではない。。
知覚以外の純粋体験とは何でしょうか?
>雨って言う認識が、人間の中にしかないしね。。
雨という「概念」が人間の中にしかないのでは?
>だから雨も誤解だ
雨に降られてた体験は事実としてあるのでは?
雨とゆう言葉で指し示す現象を体験したことはあるのでは?
982 :
ろん:2012/02/12(日) 14:20:49.14 ID:tJSgqavL
>>981 あーちょっと僕が誤読してたところがったかもね。。
知覚と言っても、人間の場合、概念に媒介されて知覚してるからねー。。
花見たら花って認知するでしょ。。
この認知はもう刷り込まれてて、概念を媒介にせずにものを見るのは、困難ですね。。
赤ん坊のように世界を見渡せたら純粋経験かも知れませんが。。
体験はあっても、それを概念的に理解した時点で、人間の認識に過ぎないでしょう。
983 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/12(日) 14:47:44.17 ID:vsTr+sIq
>>978 体験に固執するのではなく、固執が体験を作り出します。
体験する人と体験が束縛です。
わかりやすいもの、何か得たと感じられるものはいつも古い自分のパターンを強化しています。
どちらにせよこのような般若のようなスートラより955の方がよほど実践的です。
>>974 > 私の知る限りでは、覚者はただ居るだけで人々の精神に大きな影響を与えるようです
それは無理です。(ハッキリと断言できます。)
>>970 > 貴方に準備ができた時に覚者は現れるでしょう
> 貴方が覚者なら常に覚者を見つけずにいられ無いでしょう
貴方が覚者とやらに興味があるだけで私にはありません
>>977 ニュータイプだとは気がつかなかった ww
>>984 >それは無理です。(ハッキリと断言できます。)
1q以上先から覚者の存在に気がついたのではないのですか?
それはノーカンですか?
それと、覚者に興味がなく覚(者)を見出だしたことが無いのではないですか?
では何故覚者に影響力が無いと分かるのでしょう?
>貴方が覚者とやらに興味があるだけで私にはありません
↓
>>941 >会いにいってませんが、興味ですようわ、何これ誰か悟ってるよ、ちょっと行ってみようかな
ぐらいですよ
ツンデレさんですか?
まあ、でも、わかりました、Operationさんは覚者に興味が無いのですね? 了解です(全然OKです)
>>763 >無常であることは苦ではなく、至福だと思います
何も無いことは至福であり
変化は幸せかもしれませんね
その両方を自由に出入りすることを幸福と言うのかもしれません
それらの変化自体が生の美しいメロディーなのかもしれませんね
前スレ737
>目覚めると音楽が聞こえる
音楽は恩寵の楽しみ
御楽なのかもしれません
>>769 >「リアルは変化である。全てリアルなるものは至福である。全て至福なるものは無我である」
それでいて今、全てが存在していて全てが終了していてしかも永久に経験は終わらずに選択肢は無限だとしたら・・・
>>827 >なるほど
>>89 >もし、無限大に大きくて
無限大に完全正確な視力をもった存在がいたら
〔 〕の全体を正確に見ることができるのでしょうか?
の答えが出ましたね
答え 見れない
時間が幻想ならどうでしょうか?