仏教 議論スレッド 24

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1神も仏も名無しさん
仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。
仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
または、議論に発展すると感じたら、
或いは、話題・論点を拡げたい時は、
ここに誘導し、質問箱の機能の確保に御協力ください。
2神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 17:37:43.32 ID:Ojpe9O1S
3神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 18:10:36.29 ID:Kuzh2tCF
まぁ真の仏教信者、仏弟子であれば議論なんかしなくてもいいんだけれどもね。というよりする必要がない。
4机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/16(日) 18:37:08.07 ID:MKZqsLY7
>>1
乙です。
>>2
ここは仏教信者だけでなく、生命教も書き込みしてますからね、
一概に「仏教信者」というカテゴリーに当てはまらないかと思います。
しかし私が分からんのは・・・
隠居氏が「生命とは上位概念」と主張するのは分かるが、
「だから何?」って質問しても、彼はそれに答えようとしない。

本来無一物を信念とします私にとっても、ここは重大な事案に思われ。
ただ単に隠居氏は「生命は上位概念」をアンチ宗教のツールとして主張してるのか?
@アンチ宗教ツール
Aそれ以外に、何らかしかの「生命」について拘りがある。
B生命が上位概念であることを発見したので、ネット上で持論を公開。
Bそれは考え過ぎで、ボケ防止として書き込んでいるに過ぎない。

このどれかと思われますが、是非隠居氏に回答して頂きたい。
5神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 19:29:17.67 ID:kr//ejUU
>>4
>「だから何?」って質問しても、彼はそれに答えようとしない。

宗教者だけが気付いていない、また気付こうとはしない「事実」を指摘して
いるだけです。

「ボケ防止」にも、大いに役立ちますがねw。
6机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/16(日) 20:24:16.48 ID:MKZqsLY7
>>5
そうですか、ひとつのことに固執しますと、余計にボケますよw
「仮設」→「仮設住宅」と軽く長さないで、
龍樹が好きなら、龍樹を一生かけて研究した方がアタマは冴えてきますよ。
印哲の奥行きは果てなしですから、
アタマの運動はこれが一番です。

身体の運動は二輪車がベストです。
運動神経が良くなりますからね。

このアタマの運動と、身体の運動の両輪で、老いを乗り越えてください。
では、おやすみ。
7机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/16(日) 20:29:19.47 ID:MKZqsLY7
>>5
>宗教者だけが気付いていない、また気付こうとはしない「事実」を指摘して
いるだけです。

そんなことは、とっくに分かってますよ。
即心即仏→非心非仏で、生命は無くなってますよw
8神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 21:54:48.35 ID:GRibFdTV
ここの住民は縁覚が多そう
悟りを56億年まえから目指すが
いまだ途上で議論中
9神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 22:03:58.10 ID:mEt7XbtS
>>7
>>6
>龍樹が好きなら、龍樹を一生かけて研究した方がアタマは冴えてきますよ

仏典一つに一生かけていたら、何生あっても足りませんよw。どうせ大昔の
素朴な人が書いたもの。生命という「最上位概念」を基準とすれば、一読して
理解できる。下位概念ばかりに拘り、難しく考えすぎるから分らないのです。
却って誤解してしまう。

「即心即仏」「非心非仏」も、生命の下位概念、生命の機能に過ぎません。
10神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 22:08:57.58 ID:Ojpe9O1S
>>9
思考停止の典型だなw

「生命」あるところでのみ、全ての活動は成立する。
 ↓
「生命」が、「根源」「基盤」「最上位概念」
 ↓
「生命」以外を考察しても無駄。「生命」だけ考えていればいい。


九条神話、人権神話、平等神話、グローバル神話を崇める輩と瓜二つだw
11神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 22:23:38.76 ID:mEt7XbtS
昭和30年代に、渡部昇一と平泉衆議院議員(?)との間で「英語教育論争」と
いうのがあった。英語教育の目的は「読解」か「会話」かというものです。英
語教育を超えた、一大思想論争となりました。

「読解説」は、「外国の思想に何かありがたいものがある」ということを前提と
している。自分でよく分らない外国のことをやたらとありがたがるのは、日本人
の悪い癖。日本人本来の思想は、外国の思想よりはるかに優れたものを持っている。
これからは、「読解」より「発信」の時代です。
12神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 22:30:47.02 ID:mEt7XbtS
>>10
>「生命」以外を考察しても無駄。「生命」だけ考えていればいい。

「生命だけ」ではなく、生存本能(生命)を「思考の基盤」とするということ
です。宗教のように「下位概念」を基盤としたら、思考の方向が狂ってしまいます。
13神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 22:43:02.50 ID:fNy64KVJ
では生命の上位概念である「存在」を思考の基盤にしたらどうですか?

存在なくては生命はありえない訳です

御隠居が生命が大事といえるのも存在しているからです

14神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:03:26.98 ID:GRibFdTV
あのう
生命の定義を知りたい
ウイルスも生きたい
15神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:04:09.53 ID:mEt7XbtS
>>13
生命とは、「生命現象を現す肉体」という「存在」です。また、生命を維持する
「自然」という存在を認識・利用できるのも、「生命」です。

「具象物」に100%依存しない限り、生命は一瞬たりとも維持できません。
霞を食っては生きられないし、幻の女を抱いても、子供は作れません。
16神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:12:13.16 ID:nmLLq03C
死体という肉体がうしなった何かが
生命なのでは?


「生命現象を現す肉体」は「存在」ではないでしょう。それは、生命ある肉体でしかない。
17神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:23:40.95 ID:55aOc/NN
>生命とは、「生命現象を現す肉体」という「存在」です。

バカがwwww  また適当こいて言い逃れしてるwwwwww
生命を肉体にしたら、「生命とは対象化出来ない唯一のもの」ってのは
どうなるんだ?wwww
肉体は対象化してるぞwwwww  だから医学が発達したwwww  アホがwwww

こいつはホント、その場その場で適当こいて誤魔化すだけ。
そして、誤魔化しきれなくなったら論点ずらして逃走wwwww
まさに、クズの極みwwwwww

どうした?   「最初の人間は地球に生まれたんじゃないのか?」
これにも答えてねえぞwwwwwwwww  スルっと無視して逃走か?  カスwwwww
18神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:25:28.56 ID:mEt7XbtS
>>16
生命は肉体のみに宿り、肉体と生死を共にする。「生命=生命現象を現す肉体」
と定義した所以。

死体は「存在」だが、「生命」ではない。もはや「生命現象」を現さないから
です。
19神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:30:54.53 ID:mEt7XbtS
>>17
少しは自分の頭で考えてみ。頭付いてるんだろ。それとも宗教で「頭
取られた」のかw。福永法源が「頭取れ、頭取れ」といってたな。
君も「最高でーす」の人かw。
20神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:32:23.46 ID:55aOc/NN
>>19  はいはい、反論できなくなったら、そうやって逃げるのねwwwwww

まあ、いつものことだがwwwwwww
21神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:40:49.03 ID:55aOc/NN
んでなあ、あのオウム崩れが、隠居の自演だと言ってたひとがいたが
俺も今まで、その可能性もあるが断定するには根拠に乏しいので、保留
ということにしていた。  だが、以下の書き込み見るとかなりその可能性が
強いような気がしてきたわwwwwww


641 :神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 07:42:08.68 ID:Jp+hXKpQ

■「人類は『宗教』に勝てるか(一神教文明の終焉)」(町田宗鳳著、NHK Books、2007年5月30日発行、定価¥1070)■

筆者は、臨済宗の僧侶で、その後アメリカでキリスト教神学を研究した比較宗教学者であるので、まだ「精神的」なものへの
こだわりが残っているが、一神教を名指しで批判しているのは、宗教学者としてユニークである。
しかし、人間の生物的生命や生存本能、特に共同体形成維持本能との結びつけがまだ不十分。

著者が説くような他宗教との融和が「原理的に」絶対に不可能なのが、まさに一神教の本質なのである。♪

著者は、社会心理学者岸田秀の「はっきり言えば、一神教が人類の諸悪の根源なんで、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、
一神教がすべて消滅すればいいんですけどね」という言葉を引用している。

いずれにせよ、宗教学者としての研究と学殖に基づき一神教そのものを名指しで理論的に批判している点で、宗教批判の嚆矢
としての基本書と言えよう。

著者の前著として、「なぜ宗教は平和を妨げるか」(講談社+α新書)がある。


これ、どう?wwwwwwwwww  別の過疎スレでの書き込みねw
■や、♪ を隠居が使ったの見たことないから、オウム崩れの書き込み
なんだろうが、文体、使用してる語彙、言い回しが、まさに隠居そのもので
今までのオウム崩れの文とは明らかに違うんだがwwwwwwww
22神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:46:30.09 ID:nmLLq03C
>>18
>死体は「存在」だが、「生命」ではない。
はい。そうですね。付け加えると死体は存在ではなく、
単なる物質です。
寝ている時は、肉体である物質とともにあります。
ちなみに、寝ている時に生命ある肉体と
共にないものが>>13の言う存在に近いと思います。
23神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:47:27.58 ID:mEt7XbtS
>>21
>今までのオウム崩れの文とは明らかに違うんだがwwwwwwww

君も、頭付いてるじゃんw。ちゃんと違いが判断できてるw。

コピペ有難うw。
24神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:49:35.95 ID:55aOc/NN
>>23  は?  んじゃ、コピペの文は隠居が書いたのか?wwwww
25神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:51:19.55 ID:0AO+LU+y
>>24
昆布だよ 取り巻きは
26神も仏も名無しさん:2011/10/16(日) 23:56:06.94 ID:55aOc/NN
どうした? 隠居ww
>>21の  コピペはお前の書き込みか?   それともお前以外の人間の
書き込みか?   どっちだ?w 
27神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:00:42.30 ID:fNH9i/vN
>>26
コピペのコピペ(のそのまたコピペ)もあるんだがw。宗教の経典がその典型w。
28神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:06:56.42 ID:PSkps8DB
結局、御隠居さんは、「存在」を生命の上位概念と認めるの?どっち?

下位概念にこだわるのが異常行動だというならば、「存在」を蔑ろにして生命という下位概念にこだわる御隠居は生命というカルト宗教の信者だということになる

ちなみに、生命は動植物の死体という存在を食べて生きている訳で
存在がなければ生命はその生存を維持することが出来ない。
勿論、地球という存在
宇宙という存在もなければ生命は存在根拠を失ってしまう
ネットや2ちゃんねるという存在がなければ
御隠居は書き込みをすることが出来ない
勿論、「生命」も存在に含まれる
しかし単なる下位概念に過ぎない生命に執着し
存在を忘れるならば
その生命すら失うだろう
29神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:09:24.32 ID:hypEbVFH
>>27  やっぱり、ストレートに答えんかwwww
そうだろうと思ったわwwww

オウム崩れが隠居の自演  って言ってた人の説は正解だわwwwwww
お前、過疎スレなんで気を抜いて、うっかり、オウム崩れの時に使う
■や、♪   を使っちまったってわけかwwwwwwwwww
30神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:12:15.59 ID:hypEbVFH
まあ、いいぞwwww

お前は「別人」として通したいんだろうから、こっちも
そういう「建前」でやってやるからwwwwwww
31神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:20:27.20 ID:PSkps8DB
生命とは所詮、存在の一形態なのである

存在こそが全てに優先する

存在抜きの生命とは幽霊かなにかでしかない

存在抜きに生命は己を維持することが出来ないのである

存在を否定するものもまた存在するがゆえにであり
存在抜きにあらゆる生命活動が不可能

ゆえに存在こそが全てに優先する究極の原理なのである

32神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:22:50.35 ID:PSkps8DB
存在していなかったら
ご意見は2ちゃんねるに書き込みすることも不可能

生命活動も存在するがゆえにである


存在してないのに呼吸したり飯を食ったりは出来ない

もしできるとしたらオカルトである

33神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:26:45.80 ID:fNH9i/vN
>>22
>死体は存在ではなく、単なる物質です。

「物質」とは、「存在する物」のこと。「存在」とは、物理学的には、「空間に
質・量を持って存する、実質的なもの」。観念や思想も「存在する」というが、
これらは「空間に質・量を持って存する」ものではないから、前者の物理学的
存在は、「実在」として区別したほうがよい。
34神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:26:52.45 ID:PSkps8DB
ご意見→御隠居


さあ存在教が生命教を駆逐しましたよ


御隠居は上位宗教である存在教に改宗しなくてはならない

それても下位概念に過ぎない生命教を振り回して
存在に立ち向かってくるかね

それもまた存在してなくてはできないというのに

35神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:37:06.17 ID:PSkps8DB
生命などという下位概念を基盤にしたら思考が狂ってしまいますよ
人間という生命は空気という存在がなければ生きて行けない訳ですし
大地という存在なしには日常生活すら営めません
生活などという下位概念に執着するから限りない自然破壊、環境破壊などが起こり生存の基盤すら
危うくするのです
それらは生命教というカルト宗教が招いた種なのです
36神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:39:53.80 ID:fNH9i/vN
>>34
存在(実在)を「認識」し得るのは「生命」のみだから、やはり「生命」が
上位である。
37神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:40:36.91 ID:PSkps8DB
生活などという→生命などという

存在こそ全ての基盤
存在しなくては呼吸も出来ない、文字も書けない
生きて行くことすら出来ないのである

全ての生命が存在に気が付かなくては
その成立基盤を失い消滅してしまうだろう

38神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:40:47.37 ID:8reRdOnm
>>33
>物理学的存在は、「実在」として区別したほうがよい。

そうですね。
39神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:44:33.43 ID:5/Q/8pA8
「生命」は、 >「空間に質・量を持って存する」 であろうか?

 (対処):「生命」=《生命現象を現す「肉体」》(という >「空間に質・量を持って存する」 《実在》)

では、「死体」は >「空間に質・量を持って存する」 《実在》であろうか?
「死体」とは、《生命現象を現す「肉体」》という >「空間に質・量を持って存する」 《実在》)とは違う。
なぜなら、そこでは「生命」は失われているから。でなければ、生きている・死んでいるの判断が出来ていないことになるし、
『死体処理』という行為の位置付けに困ることになる。

もし、そうであるあなら、《生命現象を現す「肉体」》を《生命現象を現す「肉体」》足らしめる要素によって、
「死体」とそれとが分別されねばならない。
また、《生命現象を現す「肉体」》がそのままイコール「生命」だとしたなら、
それが、死体となってしまうのはなぜか?
「 >肉体と共に失われ 」なんて言い方も時々あったが、
どっこい、「生きている状態だけが喪失し、【肉体はまだ残っている】という事態」が、死の現場では起きる。

だから、「弾道」「走り」「泳ぎ」「スイング」などと同じだと、何度も指摘していますが、
全てスルーです。また、そうした、「抽象的要素」なれば故に、
『イコール「肉体」』などという愚は絶対に犯してはならなかったのです。
40神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:45:25.95 ID:PSkps8DB
存在していなければどうやって認識することが出来るのかね

君が生きているのは存在しているからではないのかね

それとも君は存在しなくても生存出来るとでも言うのかね

それはオカルトの世界である

呼吸や食事などの生命活動は存在しているから成立しているのである

君は存在しなくてもそれらが出来るのか

だったらやってみろ

そんなことを言えるのも存在しているからではないか

41神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:52:20.28 ID:moZEHc0K
仏陀は死後の世界は無いと結論づけた
哲学者だったので仏教というのは
本来、存在するべきものではないと思う。
42神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:54:10.26 ID:fNH9i/vN
古今東西、「色即是空・空即是色」に優る存在論はない。「この世界は、人間の
目に映じた世界に過ぎないから、それが「本当に」存在するかどうかは、人間には
分らない。しかし、その世界こそ、人間がこれまで生存し、将来も生存し得る
唯一の世界(即ち、現実界)なのである」。人間が生存できなければ、すべては
人間にとっては無関係・非存在。

知覚し得ない「物自体」の存在を認めたカントは、その存在は一体どうやって
確認したのか。単なる「妄想」に過ぎない。
43神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 00:56:07.99 ID:5/Q/8pA8
>>40
「存在する」ということは「生きている」ということ。「命がある」ということ。
木や草、微生物、ウィルスは言うに及ばず、石も、山も海も川も、空も水も星も、陽も光も、
茶碗も針も箸も包丁も、戸棚も、服も、布団も家も、
喜怒哀楽も、思想も哲学も、家庭も、学校も工場も、村も町も国も、
すべて、命ある生きているもの(存在)だ。
だから、「命を吹き込む」という表現や、「命(命脈)が失われる」とか
「この点こそが、譲れない、まさに命とも言うべき部分(要素)だ」等といわれたりする。
(或いは○○供養が行われたり、「勿体無い」という意識の元での利用・活用努力がなされる。)

そうした意味でいけば、『生命=存在』として、上位下位と互いの位置関係を気に病む必要はないw
44神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 01:06:46.13 ID:PSkps8DB
それは詭弁だよ

石ころは生命ではありません

存在しているが生きてはいません

つまり生命よりも存在の方がより普遍的で上位の概念なのです

地球という存在も「生命」とは言えませんが
この地球という存在抜きに生命は存在しえません
則ち存在こそが上位の概念であり生命教はカルトなのです
生命という存在の一部に過ぎないものを絶対化する思想があらゆる自然破壊、環境破壊、そして生命をも破壊する事になるのです

生命教こそは究極のカルト宗教なのです

45神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 01:13:19.56 ID:8reRdOnm
>>42
>目に映じた世界に過ぎないから、それが「本当に」存在するかどうかは、人間には
>分らない。

しかし、何かが存在するから、その作用で目に何かが映る。

それは、その現像と比べれば、幻想と呼べるかもしれないが、
だからといって、その映像が幻想なわけではない。

現像そのものではないが、ちゃんとした、現像の現れである。
46神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 01:24:48.02 ID:PSkps8DB
ようやく邪教生命教をジャクブクすることが出来た。
これにてご隠居も邪教の布教を諦めて真っ当に生きてくれるだろう
47神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 01:53:17.12 ID:hypEbVFH
wwwww  また存在論やってるwww

「存在に人間の認識も確認も証明も無関係」→小学生でも分かること

最初の人間はいったいどこに誕生したの?  地球でしょ?w
なら、地球は人間が認識も確認も証明もなしに、存在していたことになる。
はい、『論理的帰結』wwwwww

って、いまどき、人間誕生以前に地球は誕生した→これに異論唱えるバカは
世界で隠居くらいしかいないだろ?wwwww

そういえば、どこぞのバカが
「健常者の大多数の認識と異なる見解の持ち主は、精神病治療の対象である。」
とか、吐かしていたなwwwwwww

『精神病院行って治療してこい』、アホ隠居wwwwwwww
48神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 02:51:13.81 ID:hypEbVFH
ちなみに、隠居のバカの主張の大元は、バークリーというキリスト教の
「聖職者」なんだよなwwww

「全ての物の実在は、『人間がそれを認識したからである。』」

さすがに、これには当時の人たちも、
「んなわけねえだろw 人間が誰も見てないときに、このコップは実在して
ないのか?  人間が生まれる前には、全ての物が実在してなかったのか?」
と、ツッコミをいれたwww
それに対する、バークリーの回答
「たとえ、人間が居なくても「神」がおられます。神は全ての時、全ての物を
認識しております。」
wwwwwwwwwww  わかった?

バークリーの主張は、神の存在証明が目的だったんだよwwwww
さすがキリスト教の主教さまwww
言うことがちがうwwwwwww

ん?   隠居ってキリスト教徒だったかいな?www
49神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 03:00:20.12 ID:qOsCriNJ
石には確かに動物のような生命はないな。

ところで皆さん考えすぎかな。
仏教の本質は、迷いからの救いだったはずですよね?
50昔に人も(ry:2011/10/17(月) 07:55:10.05 ID:7yRBkqX1
>>46
魔法のワード「いずれにせよ」で脳内リセット→再出発です。

懲りてもう出さないならまだしも、(本人が)忘れた頃に
そっくりそのまま同じネタを同じように繰り返します。
見直しや改良は皆無。それがご隠居です。

↑のようなレスへの返答は決まって「宗教こそ無反省そのものではないかね」等ですが、
それによって彼は自分が嫌いな物と同質・同程度であることを自ら証明してくれます。
51神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 08:26:37.66 ID:nG3YqDLN
>>45
>しかし、何かが存在するから、その作用で目に何かが映る。

完全な循環論法。「存在する」とはどういうことかを問うている。

>>47
ちっとも論理的ではない。「何時から」存在したかの証明は出来ないのだから、
結局、「人間が知覚した時」が存在の始まりとなる。

君は何とかして、「人間の知覚に関係ない神」を存在させたいだけ。宗教者にも
関わらず、極端な「唯物論者」だw。
52神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 08:30:44.96 ID:nG3YqDLN
>>48
バークリは、「実在とは知覚できることである」と言いながら、知覚出来ない
神の実在を認めたのだから、完全な論理破綻。
53神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 08:34:59.88 ID:GT86jzX9
>>51
>完全な循環論法。「存在する」とはどういうことかを問うている。

原像とその現れについて、私は話しました。

このスレの人たちは主観と客観が混同してますね。
54神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 08:43:12.17 ID:nG3YqDLN
>>53
その原像が存在することの証明は?wカントの「物自体」と同様の妄想ですか。

宗教者は、生まれたばかりの赤ん坊に習って、存在論をやりなおす必要がある。

実在・非実在の区別ができなければ、人間は一瞬たりとも生存できない。目の前
に見える大地が実在しないのなら、忽ち奈落の底だw。
55神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 08:51:53.76 ID:GT86jzX9
>>54
あなたの指摘はまとはずれです。

私は大地がないとも判別出来ないとも
いっていません。

原像は知覚出来る人が知覚すればいい。
あなたには関係ないので気分を害さないでください。
56神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 08:54:02.84 ID:PSkps8DB
生命を上位概念にしたいなら地球や酸素抜きに生存してみろよ
今すぐ
出来ないだろ
それは生命が存在の下位概念だからだよ
生命が無ければ存在もないと反論しても無駄
生命もまた存在の一要素だからだ
存在が究極で普遍的な究極の概念であるのはそのため
御隠居は負けを認めて存在教に改宗しなさい
57神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 08:58:07.48 ID:PSkps8DB
生命教はカルト宗教である
一体今までいかなる存在が生命の名の下に弾圧されたか
それは生命もまた存在であることを忘れた暴挙の歴史であった
存在という自らの成立基盤を破壊する生命は自らをも滅ぼすであろう
58机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 09:12:48.93 ID:iSWJzONi
>>9
>どうせ大昔の 素朴な人が書いたもの。生命という「最上位概念」を基準とすれば、

素朴な人でも、西洋哲の矛盾はちゃんと指摘してましたよw
現に西洋哲は「結局、結論は出ない」で終わっちゃたじゃないですか?
唯心論とか唯物論とか、過去に飽きるほど議論はあったのです。
しかし段々と矛盾が出るようになって、今じゃ語ちる人も居なくなりました。

まあ結局は二元論法の敗北と言っていいのかと思います。
つまり語義の二元性です。依存がないと成り立たないのです。

中論の三時否定は、いろいろ解釈が出来ますが、私が今の段階ですと3とおりは可能です。
龍樹は、もしかしたら3とおり全ての意味を込めて中論を書いたのか?
それとも、ひととおりなのか?そこは分かりませんけど、

とにかく中論は、読めば読む程に奥が深いです。


59神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 09:28:54.44 ID:hypEbVFH
>>51
>ちっとも論理的ではない。「何時から」存在したかの証明は出来ないのだから、
>結局、「人間が知覚した時」が存在の始まりとなる。

wwwwwwwww
「存在自体にに『証明』は無関係なの。」
『証明』というのは、あくまでも蓋然性の高度を上げ、その信頼度が高まった
ことを提示して、多くの人間の賛意を得る作業にしか過ぎないのwwwww
「ある対象の存在証明に、誰かが成功した」→よってその「あるもの」出現した?ww
「ある対象の存在証明に、誰かが失敗した」→よってその「あるもの」が消滅した?wwww

アホか?wwwww  人間による証明の成功、失敗の結果が 対象の有無に干渉するかwwwwwww

「人間の生まれる前の地球は、誰もその存在を証明してないぞ。」
人間が生まれてないんだから、当たり前ww
なら、人間が誕生する前に地球は存在していなかったのか?

この突っ込みに答えるには、「バークリーのように神様持ち出してくるか」
お前のように「逃げ出すか」かしか、ないんだよ、アホ隠居wwwwwww

60神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 09:32:37.44 ID:D/+JosN1
>>56
>生命を上位概念にしたいなら地球や酸素抜きに生存してみろよ
>今すぐ

その酸素を「利用できる」のが生命。死体にいくら酸素吸入やっても、生き返る
ことは絶対にないw。
61神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 09:32:39.97 ID:hypEbVFH
>>52
>バークリは、「実在とは知覚できることである」と言いながら、知覚出来ない
>神の実在を認めたのだから、完全な論理破綻。

あっれ〜〜〜〜〜〜?
バークリー批判に転向か?wwwwww

以前は、バークリーを賞賛して、「彼が神に言及したのは、単なる
悪ふざけに過ぎない。」なんて言ってたの、もう忘れたの?wwwwwww
62神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 09:37:33.23 ID:hypEbVFH
>その酸素を「利用できる」のが生命。

どわっはっはっは〜〜〜〜〜〜〜
人間が「酸素に『依存』してるの認めちゃってるじゃん」wwwwww

んじゃ、酸素がなければ、人間は生きていられないwwww
はい、「酸素」の勝ちwwwwwww
酸素が『上位概念』だあああwwwwwwwwww
63神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 10:29:37.71 ID:IQzV6+CP
諦めろ。ご隠居。そして存在教に改宗せよ
64神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 10:34:00.53 ID:IQzV6+CP
生命カルトは往生際が悪いな。存在が全ての基盤であることは自明なのにそれを認められず
狂ったように反発するのは実に不可解
知的良心が有るなら早く存在教に改宗しなさい
65神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 10:37:24.57 ID:IQzV6+CP
生命も存在に含まれてるんだから生命カルトにいくら執着しても存在教を論破する事はできない
所詮生命とは存在の下位概念だからである

66机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 14:00:06.48 ID:iSWJzONi
>>42
>この世界は、人間の 目に映じた世界に過ぎないから、

必ずしもそうとは言い切れなくて、無実体とすると、また矛盾になる。
つまりようは、結論を導き出すための思考システムツールの問題になってくる。
ようするに世界には、このシステムツールが大別すると、2つある、と解釈していい。

中論が普通に読んで内容が一応理解できるのは、
つまり西洋哲論理にも対応しているということではあるけど、
これが印哲論理でも勿論解釈できて、
この双方の解釈が出来る。ということになる。

@西洋哲では、中論は表面的な解釈しか出来ない。→つまり限界があるということ。
A印哲は、中論の深低にまで辿りつける。
この違いかと思いますよ。
ここまで読みきれんと、本当の中論の良さは分からない。
67神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 14:38:37.18 ID:PSkps8DB
つか実際に座禅や瞑想の体験がないと書いてる事だけ読んでもわかんないって
インド哲学特に仏教は純粋な論理や頭だけの理解では問題は解決しないという所から出発してるんだから
68机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 14:57:51.81 ID:iSWJzONi
>>67
極端に言えば、西洋哲論理の破壊が仏教だけど、
では先ずその西洋哲の矛盾に到達しないと、初っ端から無理だろう?

矛盾を矛盾としての前提がなく、あぁだこうだ、と論じても意味が無いと思われ。
で貴方はそもそも、生命教とか存在論とか、仏教的に何処が問題かと思いますか?
論じる以前の「前提」を崩さないと、問題の本質には至らない。
69神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 14:59:17.04 ID:PSkps8DB
「目に映った世界しかない」というのが西洋思想の盲点なんだな
というのも視覚以外の感覚する世界もある訳です。というのも視覚というのは案外粗雑な感覚器官でもあるわけよ
例えば現在の量子論の世界でも観測のパラドックスとされているように「光」で捉えられないような対象は認識出来ない。
そのパラドックスを解消する方法が瞑想だと一応言って置こうか
70机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 15:16:53.81 ID:iSWJzONi
>>69
>そのパラドックスを解消する方法が瞑想だと一応言って置こうか

で、パラドックスを解消して、何らかのヒラメキがあったのですか?

>「目に映った世界しかない」というのが西洋思想の盲点なんだな

盲点だとしても、そもそもその発想自体が西洋哲論理なんじゃ〜ないですか?
パラドックスを解消するヒントは、もしかしたら、このあたりにあるかも知れませんね。
71神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 15:20:41.06 ID:PSkps8DB
存在教を持ってきたのは単に御隠居の生命哲学をジャクブクする為の方便だよ
存在は空であり、空の方が上位概念ですが
空を頭だけで理解しても人生の役には立たんのよ
そんな事よりあるがままの貴方自身を一分間でもいいから見つめなさい
お経や理論を百回読むよりよっぽど解脱に近付きますよ
お経を読んで得られる妄想と違ってあるがままの貴方自身こそはまごうことなき現実であり、真理であり、ニルバーナなのですから
72神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 15:31:54.74 ID:Zz/rP8ip
>>69
>「目に映った世界しかない」というのが西洋思想の盲点なんだな

洋の東西を問わず、人類は、その発生以来、「目に映った世界(五感で知覚
できる世界)」のみが「実在」であるとして生存してきた。五感の偶発的誤り
は「錯覚(誤った知覚)」であると判断できる能力を有する。

量子論的な知覚や、瞑想による異常知覚は、生存には関係なく、むしろ生存を
害する。

どんなに偉い宗教者でも、飯を食うとき、「この飯は果たして実在するか」など
と考えて食う者はいないw。
73机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 15:38:07.83 ID:iSWJzONi
>>71
>お経や理論を百回読むよりよっぽど解脱に近付きますよ

解脱に近づくヒントは「脚下照顧」なんじゃないですか?
(自分の足元に注意する)

>>「目に映った世界しかない」というのが西洋思想の盲点なんだな

自らの問いに「疑問」はないですか?
疑問に気づいたら、解脱に近づくかもしれんですね。
74神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 15:38:57.28 ID:PSkps8DB
それが西洋哲学の盲点なのよ
アリストテレスの形而上学には視覚こそ哲学の根本であると書いてるから
その影響かもしれんね
別にアリストテレスは視覚だけを特別視するつもりは無く何気なく書いたのかもしれんが
構成の学者や弟子や信者がそれを絶対化したのだろう

さて御隠居は視覚以外のものは幻想だと言っているが、だったら君をビンタしたとしてその「痛み」は幻想なのかね
また3D画像のご飯には味が無いが、それはご飯に見えるから現実のご飯だとでも言うのかね
75机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 15:46:54.51 ID:iSWJzONi
>>74
>それが西洋哲学の盲点なのよ

西洋哲を、真正面から対峙しても、ただただ対立するだけ。
釈尊は、モノゴトを側面から見る眼も持ってた。これが慧眼。
つまり「第三の眼」です。

パラドックスを解消とは、もしかしたらこの第三の眼を持つことなのかも知れん。
76神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 15:51:15.34 ID:GT86jzX9
>>72
>瞑想による異常知覚は、生存には関係なく、むしろ生存を
>害する。

瞑想による知覚が異常知覚とあなたが
定義している理由は通常の五感での知覚
ではないからですか?

分からないことは、分からないで良いと
思いますが。分からないのに「生存を害する」なんて言えないでしょう。
もちろん、生存を害するような瞑想もあるでしょうが。

>どんなに偉い宗教者でも、飯を食うとき、「この飯は果たして実在するか」など
>と考えて食う者はいないw。

そんなことは当たり前ですが、だからといって、
全てを素朴にもする必要はないと思いますが。。。
あなたの世界観教だと思います。
77神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 15:52:20.07 ID:PSkps8DB
西洋哲学を全否定している訳ではないよ
誤解のないように
釈迦が他の哲学を全否定するような人であったら
仏教以外の哲学も理解出来る私の方が賢いということになってしまう
78神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 15:52:22.52 ID:Zz/rP8ip
>>74
>だったら君をビンタしたとしてその「痛み」は幻想なのかね

「物の実在」と「感情・思想・観念などの存在」とを混同してしまっている。
両者は厳格に区別されなければならない。前者は、生命の維持に必須だが、
後者は、生命の機能に過ぎない。

ビンタした腕が、知覚できない物、即ち非実在・幻覚であれば、痛くもかゆくも
ないよw。

宗教者の最大の誤りは、生命の機能に過ぎない思考や観念とのみ戯れ、それら
を生み出す根源としての生命に思い至っていないことである。
79神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:03:59.11 ID:PSkps8DB
御隠居は自分の不完全な生命哲学に執着する余り思考が錯乱しているみたいだね

腕が知覚出来るとか出来ないというはなしではなくて感覚が存在するか否かの話しですよ

痛みが存在しないなら
試しに君を釜茹でにしてみようか?

知覚しないものは存在しないと言ってるが
タンスの存在に気が付かず小指をぶつけた時「痛い」と反応するだろう
後ずけでタンスを見たら存在したから痛いというのは無しね
小指をぶつけた時点では知覚していないタンスは存在していないのだから
君の理論だと痛みを感じるはずがない訳だ
しかし視覚で認識しなくても
痛みを感じている訳で
タンスは存在した訳です

視覚では捉えてなくても小指は痛みとして
タンスの存在を感覚し
痛みを感じた訳です

視覚以外にも人間には物事を認識する能力があると言う訳です

80机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 16:07:24.61 ID:iSWJzONi
>>77
>西洋哲学を全否定している訳ではないよ

勿論わかってます。
西洋哲は、人間が言語を使うようになってから、
言語と深い関わりがありますから、人間の思考は西洋哲です。
81神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:08:04.82 ID:PSkps8DB
御隠居の理論だとタンスに足をぶつけても
視覚で認識してないうちは痛みを感じるはずがないということになる
そんな馬鹿な話しはない訳で、だったら不慮の交通自己でも、目で認識してなかったら
俺の身体が怪我をしているはずがないというようなものだよ
身体はぶつかってきた存在を知覚している訳です

82神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:12:37.83 ID:Zz/rP8ip
>>78
そのタンスが「不特定多数人によって知覚可能なもの、即ち実在」だから痛い
のである。

人間界は徹頭徹尾共同体であるから、1個人のみの知覚は問題にされない。

それ故、私の「実在」の定義には、「生命の維持と直接の関係を有する対象」
というテストを設けている。妄想患者や宗教患者の「妄想」「幻覚」「変性
意識」を排除するためである。
83神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:23:06.80 ID:PSkps8DB
「実在だから痛い」

その事と瞑想による知覚は矛盾しない。

瞑想というと変成意識を使って神や仏の幻想を見る事だと思っているから
そういう発言をするのだろうが
仏教瞑想は基本的に神や仏が出てきても雑念と処理する。
あくまであるがままの現実をありのままに知覚するのが瞑想の目的である
84神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:29:51.92 ID:Zz/rP8ip
>>83
>あくまであるがままの現実をありのままに知覚するのが瞑想の目的である

ならば、「生存努力」「日常生活」の中で行わなければ意味は無い。知覚や認識は、
専ら、人間の生存目的のためのもの。生存に無関係な人為的な「瞑想」は、「知覚・
認識」の「目的外濫用」である。
85神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:34:48.65 ID:PSkps8DB
西洋が視覚の科学だとすれば東洋は感覚の科学だとも言える

実在を捉えられる器官が視覚だけでないのは明か。
感覚もまた実在世界を独自に捉える事が出来る

特に感覚は身体の全細胞に隈なく行き渡っている

なので、瞑想では外ではなく内側を見る

視覚は外側の現実を見るのに適した感覚器官だが
内側を捉えるのには向かない

また不安や恐怖などの感情的反応はまず身体の生理的反応として現れるが
それは全身に張り巡らされた神経細胞が直接的に知覚する
目だけに頼っていると
他の五感の存在を忘れてしまう
そして内部の生理反応のコントロールが難しくなる

という訳で、視覚の科学だけではなく、感覚による科学も必要なのです

内側と外側をコントロールして始めて人間は真の意味で自由で幸せな人生が送れるでしょう

86神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:44:21.17 ID:PSkps8DB
西洋科学の実験は大多数の日常の生活とは無関係の研究室で行われる
洗濯をしたり車が飛び交っているなかで、正確な実験などできないし
落ち着いて思考することも出来ない
同様に、日常生活では主に感覚は外側に向かう
じっくりと内側を観察し、心と身体の反応パターンを観察するのは難しい。
道場はある意味では心と身体の研究室でもあるのである

そして心と身体の仕組みについて繊細な感覚が養われるならば
日常生活でも、身体の生理反応に敏感に気が付いてそれをコントロールすることも可能になるのである

しかし西洋科学がビッグバン理論など日常生活とは関係なしに大宇宙の真理を発見するように
感覚を科学するならば
日常意識では気が付かないような常識を超えた事実を発見することもあるだろう
それが何かということまでは瞑想初心者の私には言えませんけどもね
あくまで自分で確かめることが重要でしょう
87神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 16:50:54.95 ID:5/Q/8pA8
>>78>>82

(子供が)、「お前は駄目な奴だ。何のとりえも無い。お前が存在すること自体がこの世の無駄だ」
等と(内容は別に何でもいいがw)言われて、傷つき、悲しみ、悲嘆し、その胸に痛みを感じたとき、
或いは、恋人から「そんな人間とは思わなかった。他人を気持ちに思い遣れない最低な人間。
嫌いになっただけでなく軽蔑する(わ)」等と(内容は別に何でもいいがw)言われて、傷つき、悲しみ、悲嘆し、その胸に痛みを感じたとき、
(今仮に『痛み』とラベルを貼っておくが)【この痛み】は、どんな「実在」によって【生じた】のでしょうね?w
よしんば、そうした「痛み」が「肉体的反応」だとしても、その肉体的反応を起こしたのは『どんな実在』なのでしょう?

もしかしたら、その言葉を発した人物が実在するとして、《その実在する人物によって》などと貴方は言うかもしれません。
しかし、その人が居たからといって、罵倒を受けた側に痛みが生じるわけではありません。
その言葉が発せられるまでは、寧ろ、喜び・幸せの根拠だった筈だからです。
次には、『音声』(振動する空気という実在)ということになるかもしれません。
しかしそれは、同じ言語を使用し、且つ各語の意味が共有されていて初めて成立することです。
未だ共有されていない罵倒語(或いは皮肉w)は、聞いた者に何も生じさせはしないでしょう。
疑義や不可解な戸惑いは生じても、少なくとも上記のような痛みは生じないでしょう。

では、そこで「痛み」を生じさせているのは何でしょう? それは「実在」と言えるようなものでしょうか?


 * ここを掘り下げたのが仏教なわけです。 上記のような「痛み」だけでなく、
  およそ人が感受によって抱く「あらゆる感情、あらゆる想い、あらゆる心の在り様」について、
  「なぜか?」と問い詰めたものなのです。
88神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 17:14:52.41 ID:Zz/rP8ip
>>87
「すべての人間は、生命において等価・至上」の自覚さえあれば、相手を傷つける
ような言葉は、そもそも出てこない。宗教には、その自覚が欠けているから、何を
やっても無駄である。
89神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 17:22:23.87 ID:fLqJnGlE
老人の集いだな

最近、正しい功徳を説教する人少なくなったな〜
老人の種別が変わってしまった
コリ固まった考えの変態が増えた
目つき悪いわ動物を殺傷するわ子供に強気で暴言や革被った手で暴力するわ

聴くと言う恩と言う概念が薄れたのかな?
90神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 17:24:54.88 ID:fLqJnGlE
信用無くすよね

子供達は、そんな悪い見本の老人達のようにはなりたくないって育つ
91神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 17:30:58.00 ID:n+RR9Eek
92神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 17:31:56.32 ID:fLqJnGlE
何歳ぐらいから、気持ちの変化が見えるのだろうな
痛手を感じ生きる人達は?
1部分の子供達〜40か50
1部の老人達
それぞれが冒険心抱く伸び伸びした大人しい大家族が成立しない
みんなが動き手伝いバーべキューや鍋を囲むように、いろりを囲んだ方がいいのか?
93華厳の日記:2011/10/17(月) 17:53:49.77 ID:+p2qZrwQ
>ここの住人は縁覚が多そう
どうしてどうして、縁覚どころか声聞の腐ったのにも値しない連中ばかりだ
俺はすべての神を殺戮し、仏陀さえ必要なら殺せ!と書き込んだことさえある
真理ではお腹いっぱいにはなれない
もっとも真理とは「全人類・全生命体のあらゆる欲求の総和及び充足」を意味するが
それらを提供できる宗教思想なり哲学は存在したためしがない
ダライ・ラマだろうがなんだろうが殺せ殺せ殺せ!と
「むかつく」なら殺せと主張してきたし、それが清らかなる宗教性の維持には不可欠な態度なのは
なんとも皮肉な話である
革命が虐殺を肯定する過程に似ている
真理の浄化にもヒトラー・スターリン式方法は大いに実行さるべきであり
最近、調子に乗ってる腐れ上座部の誰かさんにも適用されるべきだ
ブッダさえ殺せ!
しかし、俺が「法華経」を誹謗中傷したことは一度もないしこれからも無いだろう
ありえない・・・絶対に
94神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 17:56:06.90 ID:9fi5Q/eQ
>>93
法華経はゴミ作文
95神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 17:57:49.82 ID:qfvFSzQ1
>>88
前スレから拝見していますが、
貴方の言う「生命」の定義が良く判りません。
簡潔に再定義して頂けないでしょうか?
ちなみに日本語の辞典では「生物の活動をささえる、根源の力。いのち」となっております。

また「すべての人間は、生命において等価」はなんとなくわかりますが
「至上」と言うのは何と比べて「至上」と言うのでしょうか?
等価であるなら「平等」であり「至上」とはならないと思いますが?
96神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 17:58:03.84 ID:+p2qZrwQ
法華経が理解できない者は
悟る事あたわじ
97神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 18:09:40.01 ID:n+RR9Eek
>>96
> 法華経が理解できない者は  悟る事あたわじ

って、あなたが言うの?
それともこぴぺ?

法華経と言うドラマって、何を言うものか、お聞きしたい。
98《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/17(月) 18:12:10.74 ID:n+RR9Eek
99神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 18:14:10.55 ID:mXepNI12
>>95
「等価」とは「生命間の等価」であり、「至上」とは、生命以外のあらゆるもの
と比較して「優越する」の意味である。

生命の定義は、その辞書の通りでよいと思う。
100机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 18:29:19.13 ID:iSWJzONi
仏教スレじゃなくて、哲学スレになってきましたね。
こういう議論は飽きないですか?
101神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 18:44:49.89 ID:mXepNI12
>>100
竜樹は、古今東西、比肩する者の無い、天才的大哲学者ですよ。
宗教的要素は見当たらない。だから、釈迦佛教などのカルトが寄り付かない
のです。
102神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 18:46:07.14 ID:5/Q/8pA8
>>99
だからw
たとえ鼻糞のような菅直人であっても、総理大臣及び議員である以上、
【貴方の生命より彼の生命の方が重い】のですw
これが、アメリカ大統領やチャールズ皇太子でもあってごらんなさいw
貴方とこれらの人と、どちらか片方しか救えないとなれば、(大事故のトリアージを想定してみてもいいw)
総理や大統領や皇太子の命を救わねばなりません。(本人の意思はまた別です。)
【世俗においては】、貴方の命なんぞ芥子粒ほどの価値すらありませんよwww

>「至上」とは、生命以外のあらゆるものと比較して「優越する」の意味
世界経済、国際平和の前に、貴方の命なぞ等価でも至上でもありえませんw

世俗・(世間)とはそういうものなのです。
ここに至って尚、正面から、「等価」「至上」を言い得る領域が、
まさに「聖なる領域」・「出世間の領域」なのです。言い換えれば「宗教」の領域なのです。

 *(だから、“九条神話”“憲法前文神話”それらの“信者”という言い方が揶揄として可能なのですw)
103神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 18:52:05.20 ID:mXepNI12
>>102
トリアージでそんなことやったら、忽ち大問題になるよ。

「すべての人間の、生命における等価・至上」の自覚の片鱗さえないのが宗教。
それはむしろ、「真如としての衆生心」の領域である。
104神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 18:52:50.78 ID:PSkps8DB
まあ確かに龍樹の空論は御隠居の稚拙な生命哲学よりは数段上でしょうね
私もその点は同意見ですw
105神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 18:57:25.84 ID:mXepNI12
>>104
竜樹の「空」で、君の「命より大切な神」は吹っ飛ぶが、それでも構わない
のかね。
106神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 18:59:56.43 ID:PSkps8DB
命より大事な神って何の話ですかね
仏教に絶対神はいませんよ
大乗仏教なら別でしょうが
107神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:02:50.04 ID:5/Q/8pA8
>>103
なんて平和なお花畑思考でしょうwww
いいですね、幸せそうで・・・w 羨ましいですよ。その天真爛漫な単純さがw
108神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:04:18.62 ID:5/Q/8pA8
ああ、そうそう。アンカー入れ忘れてましたが、
>>39>>33(&他のROM者)宛の趣で書きました。
109神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:06:45.15 ID:PSkps8DB
御隠居は龍樹に屈服したみたいですな

これからは生命教ではなく龍樹教の信者ということで。

確かに龍樹の空を踏まえた生命論の方がまともな生命論だからね
110神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:08:43.94 ID:5/Q/8pA8
さて・・w

>>88
そんなことは誰も訊いていませんw 話題に上っていませんw
この88のレスなぞ、典型的な「論点ずらし」(しかもあからさまに外れ杉ときてるw)ですね。

人が「心理的負荷」を受けた時、その負荷は≪どのような「実在」物による、どのような「物理的」影響≫なのですか?
という問いには答えていただけないんですか?w
111神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:11:45.34 ID:PSkps8DB
俺が五年位前にカルト的生命論を説く御隠居に龍樹の話をした時
御隠居は「龍樹のような古代の土人に学ぶ事は何もない」とか言ってたが
それからすると大分成長したな
112神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:12:32.55 ID:k2I02VP2
>>99
ありがとうございます。
あなたの言われる「生命」とは私が日常的に感じている生命となんら変わりないように
思われます。
ただ、確かに基本的人権と同じく「生命というレベルにおいて人間に区別はありません」が
人間の社会は昔より「生命」の価値に区別、差別を設けてきたのも事実。102氏
のおっしゃるのも現実です。
日本の保険会社も人間の命に区別を設けております。
航空機事故でもその人の年齢、職業、によって補償額は異なります。
基本的人権は平等でも、世界に貧富の差はあり、不当な差別も蔓延しております。
いまだ戦争、紛争もなくなりません。
日本では死刑も当然のごとくあります。
従って、「生命としての平等、命の尊さ」を訴えていく必要は当然あるのですが、
単に訴えるだけでは不完全ではないでしょうか?

また、前スレを拝見しますと貴方はこうした差別の根源を宗教に求められております。
確かに、各宗教が宗教戦争において排他的であった事実も、差別を助長した事実もありますが、
こうした排他性、差別と言うのは人間と言うより動物的、生物的な本能ではないでしょうか?
宗教も人類が作り出したものであるからこそ、宗教にそうした排他性、差別が潜んでいるのだと
思います。
しかし、一方あらゆる宗教が愛、慈悲、平等を説くのも事実です。人に悪を勧め善を行わせないような
教義を持つ宗教はないと思います。
人間は完ぺきではありません。ややもすると本能の赴くままになります。それを節制しコントロールするのが
宗教や道徳なのではないでしょうか?




113机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 19:13:29.62 ID:iSWJzONi
>>101
西洋哲と印哲の大きな違いは
@西洋哲は、自分と世界が対立している、という前提に基づく。
A印哲(つまり龍儒)は、自分と世界は対立の関係ではない。と説く。

貴方のいう「生命」というのは、世界と対立した関係になる。
こういう議論は、古今東西人類は飽きるほど議論を尽くしてきたのです。
そういう議論は、もう古い。

中論は古さを感じない。恒久に人類のバイブルになるであろう。
114神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:20:26.59 ID:mXepNI12
>>110
「心理的負荷」とは、究極的には、「生存に対する脅威」だろうね。生命の
維持に直接関係するのは、「実在物」のみ。実在でないものを、実在と信じ
込ませることも、脅威となる。

釈迦の「生・老・病・死」は、すべて「(肉体的)生存に対する脅威」。
これは偉い。だからこそ、心理的に解決する(煩悩滅)のは無理で不可能。
115神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:24:14.94 ID:PSkps8DB
しかしちょっと机さんに聞きたいのだが

龍樹の本を読んだからと言って世界と対立せずに生きて行けてますか?

主客は一如であるなどという意見も良く聞く意見ですが
だからといって自分を無くして生きている人がどれだけいるでしょうか

116神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:28:03.98 ID:5/Q/8pA8
>>111
Aという人物(或いは書物)に「宗教色が濃い」場合、Aは批判対象です。
Aという人物(或いは書物)に「自分の考えと合致する部分がある」場合、Aは賞賛の対象です。
さて、
批判してきたAに「賞賛要素」が見つかった場合、
過去の批判要素は、古の過失及び、解釈の仕方が誤っていたということになります。
 (中論で言えば帰敬偈なんかが例になりますねw)
また、
賞賛してきたAに、「フォローしきれない、明らかな批判要素」が見つかった場合、
賞賛要素はそれとして残しつつ、その人物や書物もまた、時代や環境にもよった「宗教色の染汚」を受けている、
となります。(中村元や三枝充悳、奈良泰明等、インド全般や大乗系の学者が例になるでしょうか・・w)
新たな、Bという資料・情報が提供された場合も、自分の考えに合う部分だけが引用されます。
たとえそれが、切り張りによって原意が歪んでいたとしても、です。
117神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:30:02.48 ID:PSkps8DB
お、ご隠居もわかって来てるじゃん

そうなんだよ
釈迦は肉体的脅威を心理によって解決しようなんて思ってないのよ

これは机さんへの皮肉みたいになっちゃうけど

いくら色即是空などという念仏を百回唱えたところで
人間の肉体レベルに蔓延る物理的な次元での不安は解消されないんだよ
118机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 19:35:14.09 ID:iSWJzONi
>>115
だからそれを仏教では五蘊とか、いろいろな角度で説明してるでしょ?
実体がない自分と、実体がない世界は関係性においてしか成り立たない、と。
しかし五蘊は「実体がない」とは言えない。
実体有でもなく、実体無でもない、それは人が感受し得るから。
自己を自己であると認識できるのは、この五蘊においてしか成り立たない。
これを縁起と言い、仏教の根幹として継承されているのです。
119華厳の日記:2011/10/17(月) 19:36:18.77 ID:+p2qZrwQ
そもそも宗教が世俗に媚びへつらうなどあってはならない
世俗的価値観が「誤り」であるならば僧侶といえども銃を手にして
戦争(ここでは内戦を想定する)すべきなのだ
これはわたくしの個人的意見にすぎないが3・11による未曾有の国難
地震、津波、原発事故などは起こるべくして起こったと思う
正しい法が国家の内で実践されていない(具体的には法華経を誹謗しクソッタレ上座が跳梁跋扈するありさま)
では被災で三万人ぐらい死んでもらい、オトシマエをつけてもらわねば理屈にあわん
俺はTVの報道で津波、放射能に被爆した者どもを見ながら
すまないが「ざまあ」と思っていた
これから日本はますます「悔い改め」ない限り裁きの業火(と言っても自業自得だが)にさらされるであろう
それはますます俺の信仰を強化してくれる
法華経誹謗の罪とはこれほどまでに過酷なものなのだ
俺は生命よりも、正義を、正義よりも正法を求める
それが俺の美学であり、ヒューマニズムなどには価値など見いだせないほど強い男なのだ
原点をさかのぼれば昭和20年当時、なぜ日本人は醜い敗北より
民族滅亡の道を選択しなかったのか?これもわたしの美学に反する
極楽浄土を建設するのはかまわないが、媚びへつらう者は死に値するほど
俺にとっては価値のない連中なのだ
天皇ヒロヒトはゴミ以下である「軍人なら戦場で戦って死ね」
120神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:37:34.00 ID:5/Q/8pA8
>>114
いやいやいやw
そういう問題じゃないでしょw
「心理的負荷」が生じたとき、それを生じさせたのはどういう「実在物」ですか?
と尋ねているんです。

・心理的負荷の言い換えを訊いているのではありません。
 (>「心理的負荷」とは、究極的には、「生存に対する脅威」)
・生命の維持に寄与しているものが何かを訊いているのではありません。
 (>生命の維持に直接関係するのは、「実在物」のみ)
・話題になってもいない「>脅威」の一例を挙げてほしいわけでもありません。
 (>実在でないものを、実在と信じ込ませることも、脅威となる
  >釈迦の「生・老・病・死」は、すべて「(肉体的)生存に対する脅威」)
・話題にもなっていない「>脅威」の解決法を尋ねたわけでもありません。
 (>だからこそ、心理的に解決する(煩悩滅)のは無理で不可能)

結局貴方は、『関係ないこと』を延べ、肝心な部分は完全なる無視を決め込んでいるわけです。
これが、議論・対話に於ける姑息で下劣な態度でなくて何でしょうか?


ちなみに聞いてみますがw、 >「生存に対する脅威」  ってのは、どういう「実在物」なんですか?
121神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:38:37.38 ID:PSkps8DB
>>118
それはわかってるけど
実際、そういう説明を聞いたからといって
それで自意識が無くなったり、苦悩がなくなったりしますか?と聞いている訳です。
122神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:39:01.82 ID:mXepNI12
>>112
>しかし、一方あらゆる宗教が愛、慈悲、平等を説くのも事実です。

それが誤り。それらはすべて生存本能(生命)として、すべての人間の肉体に生来
的にビルトインされており、宗教の開祖などに教えられる謂れのないもの。

「教える」ことによって、それらの「肉体的本能」が観念化、抽象化、精神化されて
変容し、その実質を失い破壊される。

「愛」を教えたイエスを熱心に信じるクリスチャンたちが、史上そして現在も、
最も多くの人間を、最も残酷な方法で殺してきたのは、イエスの「愛の教え」
が原因であることに思い至らなければならない。
123神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:45:19.80 ID:PSkps8DB
龍樹の理論はあくまで知性に訴えるものだけど

御隠居も気が付いたように、生病老死はあくまで肉体的な恐怖なのよ

いくら明晰な理論を聞いた所で、肉体的は空であるなんて言ってみた所で
それは心理主義に過ぎず
生命全体を納得させるものではないのだよ
実際に死に直面すれば理論など、どこかに吹っ飛び全身の細胞が呼吸が心臓が恐怖を感じるはずである。
頭での理解と身体での理解は別だからである
124神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:47:26.64 ID:k2I02VP2
>釈迦の「生・老・病・死」は、すべて「(肉体的)生存に対する脅威」。
その解釈では不完全だと思います。
生老病死は「命には限りがある」と言うことです。
「いつか死ななければならないと知りつつ生きること」です。
生命は、生命というだけで無条件に貴いのではありません。
生命は限りがあるからこそ貴いと仏教は考えます。
若者は、2ちゃんで日がな一日暇つぶししてもどうということもないでしょうが
老人や明日をもしれぬ病人にとってその時間は貴いものであり、
まさに命がけで2ちゃんと戯れているのだと思います。
ただ、その「自覚」があるかないか。

「生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸」という自覚こそが仏教の生命観だと思います。
こう考えますと「生命」そのものより、その「限られた生命で何を為すか」がもっと重要だと思います。



125神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:49:34.17 ID:5/Q/8pA8
>>122
>生来的にビルトインされており  >教えられる謂れのないもの

気付けなければ意味がありませんw
自らがそれに気付き、それを顕現し得て初めて、その効果・効能があるわけです。
(貴方の好きな言い方をすればw、その時初めて“機能”するのです。)
宝の持ち腐れが如く、そうした崇高さ・重要さをせせら笑い、非道を重ねる輩の何と多いことか・・w
(それらは宗教者無宗教者を問いませんw)

ここで、そこへ(―貴方流に言えば「生命」に、「生命の大切さ」に―)気付かせる
ツール、手段、方法、方便、等々が、『教育(倫理・道徳・情操の教育)』だったり、宗教だったりしたわけです。
現代社会(特に日本)は、戦後の国家神道排除とセットの形で、
あらゆる宗教的要素を排除或いは下位扱いし、そうした教育ツールを手放したクセに、
それに代わるものを用意しなかった。だから、乾燥した社会になっているわけさ。
別に宗教的要素を完全排除した社会があってもいいさ。
けど、そのときは、代替案が準備されていないと話にならない。
126神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:52:42.59 ID:5/Q/8pA8
>>123
>御隠居も気が付いたように
いやいやw
彼は、その登場当初から一貫して、人間に心理的要素は存在しない。
《釈迦の言う「苦」は、全て「肉体的苦」である!》と宣言してたよ?
《だから、心理的に解決するのではない。外科や精神科で外科的或いは薬物治療によって苦を解決すべき》
と言ってたよ。 何も変わってないw
127机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 19:54:33.13 ID:iSWJzONi
>>121
>それで自意識が無くなったり、苦悩がなくなったりしますか?と聞いている訳です

自意識とか苦悩とか、そういった一連の心的作用はまったく変化します。
つまり世俗的用語の語義自体の捉え方が変わります。
それを私は二元性と言っておるのですが、
例えばですが「〇〇が歩いてる」という文脈の捉え方でも、
人間は無意識的にその前提を仮設してますね?
どうですか?「歩いてる」というのは、その起点は必ずあるはずです。
起点のない「歩く」は成り立たないですね。
128机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/17(月) 19:56:04.14 ID:iSWJzONi
では、そろそろ寝ます。おやすみ。
129神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 19:58:34.63 ID:PSkps8DB
机さんまだ八時前ですけどw
130華厳:2011/10/17(月) 20:00:29.16 ID:+p2qZrwQ
変わるわけないだろ
アホ
131神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:00:41.16 ID:k2I02VP2
>>122
すみませんが何が誤りなのか良く理解できません。
宗教が誤った行為を為したのは事実ですが、だからと言って全面否定できるものではありません。
それほど人間にとってマイナスであれば説くの昔に滅びるか不法行為として
取り締まられていることでしょう。
宗教に全責任を押し付けるのは感情的で余りに短絡的ではないでしょうか?

またが先天的に人間の本能に内蔵されているのなら、
なんの教育も必要ないことになります。
その理屈ですと狼に育てられた少年、トラに育てられた少女はもっとも愛にあふれていることになります
迷信や宗教に否定的な科学者こそ、もっとも「愛、慈悲、平等」にあふれた人格者になってしまいます。
原爆を始め冷酷な大量殺人兵器を開発した科学者、
福島原発の危険性を指摘しなかった科学者はなんと慈悲深いことでしょう。
132《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/17(月) 20:01:23.64 ID:iAP46MGm
133華厳:2011/10/17(月) 20:05:04.06 ID:+p2qZrwQ
生きてるかぎり肉体的苦悩、精神的苦痛からは逃れられんよ
それが出来ると思うのは単なる怠け者だ
不幸は必ずやってくる
あきらめろ
むしろお前の極限的苦痛の内に安らぎをみいだせ
ここはしょせん「娑婆」だぜ
134神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:06:40.48 ID:PSkps8DB
確かに心理的苦悩というのは大方「気のせい」なんだよ
気のせいなんだけど、普通の人にとって、それは、物理的現実の如く、確固として不動に存在したりしている。
もし、苦痛とは肉体的苦痛であり、それ以外の苦痛は妄想という域に至ればある意味で悟りに近いよ。
彼にとって苦痛とは物理的刺激に過ぎず
感覚の痛みに過ぎないものを恐怖しても仕方がないのだからね
そこまで徹底すればある意味悟りだよ
常人が恐れている事の99%は心理から生じる恐れであり、大抵は妄想なのだ。
135華厳:2011/10/17(月) 20:13:15.21 ID:+p2qZrwQ
善意とはまっすぐな愛
殺意とは歪んだ愛
どちらにせよ原理的に差異はない
それが理解できていないから131みたいな
アフォな質問が出る
飢え死にしかかっている者に唾を吐くようなヤツから
相手の喉笛をナイフで切り裂きメッタ刺しに殺してパンを奪うのは
歪んではいるが正当防衛であり、愛である
愛ゆえに人は人を殺すのだ
中論なんぞで問題が解決する程、世の中甘くない
136華厳:2011/10/17(月) 20:15:23.51 ID:+p2qZrwQ
134オナニーは一人でやれ
137神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:15:46.28 ID:PSkps8DB
常人が恐れている事の99%は心理的恐怖でありそれは全て妄想であり
残りの1%は物理的苦痛だが、物理的苦痛って
少しすると慣れて痛くなくなるんだよねw
多分、脳がある程度の痛み信号を送ったら、仕事終わりと思って、それ以上信号を送らなくなっちゃう。
或は脳内麻薬を出すという説もある。
何にせよ、物理的痛みもよくよく分析すると、ピリピリ身体が揺れてるだけで「痛い!」というのはイメージなんだよな
痛みという刺激に記憶が条件反射的に連合して
恐怖を齎すのであり、痛みという感覚自体はそんなに苦痛でもないんだよね。
ということは実際は(冷静な心境さえ保たれればだが)苦と言うのは無いとも言える。
138昔の人も(ry:2011/10/17(月) 20:20:30.49 ID:lg6rNwPU
>知覚出来ない

まさに認識も対象化もできない「生命」じゃないですか。
まさに「完全な論理破綻」。加えて「近親憎悪」とも言えましょう。
認識できない理由をくっつけて無問題とするスタンスも同じ。
少なくとも「信仰上の事柄であること」を自覚できている、という点では
キリスト教徒のほうがマシですね。
139神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:24:21.59 ID:PSkps8DB
日蓮の思想と釈迦の思想は全く異質のものだと思うよ
あえて近いものを上げればヘーゲルかな
日蓮の方がずっと昔の人だけどね
140昔の人も(ry:2011/10/17(月) 20:27:35.70 ID:lg6rNwPU
ヘーゲルって日蓮みたいに排他的攻撃的な人物だったんですか?
141神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:31:09.80 ID:mXepNI12
>131
>すみませんが何が誤りなのか良く理解できません。

理由はレスで簡潔に述べたとおりです。

申し訳ないが、このスレの過去スレ全部を読んでいただければ、誤りの理由が
よく分ると思います。

宗教が未だに存在しているのは、宗教の精神医学的要素と、惰性によるものです。
142神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:32:53.27 ID:5/Q/8pA8
>>137
「心が折れる」という表現をしたのは、結構昔の女子プロレスラーらしい。
以降、特に格闘技・武道・スポーツの世界及びそれらを題材にした物語の世界で
頻繁に使用されるようになる。

この言葉が(表現が)意味するところは何だろうか?
(心理的痛み・傷を物理的なものに変換、還元、或いは解消させようというのではない。)
その表現が用いられる場面・シチュエーション(→TPO)に於いては、
《「折れる」という物理的表現》が最適だというコンセンサスが得られた、ということと思う。
そして重要なことは、肉体的傷害よりも、根深く、重篤である場合も多い、ということだろう。
已むことなく継続する可能性が高い、ということだろう。
折れた骨なら数ヶ月で再生する。 だが、折れた心は、なかなか元に戻らない。
(この、「折れた心が再生し、前よりも強靭なものとして蘇る」という図式は、スポーツ物で好んで用いられるプロットだ。)

この「折れた心」による痛みは、まさに幻肢の如きものではあるが、その影響力はとてつもなく大きい。

一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観
143神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:35:26.15 ID:Y5jIdxQE
>>142
神取忍
144神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:42:46.01 ID:mXepNI12
>>142
なんだか心に執着し過ぎだね。心(精神)とは、「外部の状況に応じて生命を
維持するためのソフト」に過ぎない。本末を顛倒してはならない。

キリスト教をあれほど徹底的に批判したニーチェが、佛教を「唯一の実証的
宗教」として絶賛しているのは、「生・老・病・死」で明らかなように、
佛教の持つ「肉体性・現実性・合理性」の故であり、その「精神性」の故では
ない。
145神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:47:33.78 ID:0+9V4GVd
>>141
一通り読んではいるのですが、多分に感情論のように感じましたので、そのように申しあげました。

>宗教が未だに存在しているのは、宗教の精神医学的要素と、
>惰性によるものです
宗教に精神医学的要素があるということは、宗教の有用性を認めているということですね?
それなら宗教=悪とはなりませんが?
惰性と言うのは習慣と言うことでしょうか?
習慣であれ、何らかの社会的機能を有するのなら消滅することはないと思います。
まさに日本の冠婚葬祭がそれです。
大正時代、日本の古い慣習は科学の発展とともに消え去ると盛んに議論されましたが
簡略化されつつもいまだ続いています。
宗教が必要ないほど、人類が賢くかつ慈愛に満ちた生物になるなら、それはそれでいいと思いますが。


146神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:48:41.90 ID:PSkps8DB
科学者の報告によると
心理的ショックを受けると本当に脳の神経細胞が破壊されるらしい
恐らく「心が折れる」体験をした人は、実際に脳や身体に物凄いダメージを追っているのだと思われる。
強いトラウマを負った人が癌になる確率が高い事を立証した論文もある。
そういう訳で現代医学でも心と身体は一体であるという東洋的な考え方が見直されつつある訳だ。
もちろん釈迦の物理主義は近代唯物論とは違って、心と身体の相互関係を良く見据えた上での
物理主義な訳です。
必ず心理的な不安が起きる時は物理的生理的な反応に応じる形で発生するというね
なので物理次元での反応をコントロール出来るならば心理的反応が起きない
則ち「心が折れない」という発見した訳だ。
147神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:52:20.26 ID:5/Q/8pA8
>>144
夢枕獏に
「牙の紋章」、「サラリーマン空手道場練馬支部」って作品がある。
読んでみろ。 てめぇの言ってることが、いかに虚ろで、
人間の実際の在り様から乖離している―心身の連関が見えていない―かが少しは解ろうというもんだ。

「我が身に引き当てる」ということ、「他者の痛みに同調する」ということ、
「心理的負荷への視線こそが、人間関係においては最重要である」ということ、等から
最も遠いのが貴方ですよ。そんな貴方が、
共同体維持とか人間関係とか他者への配慮とか、それらは生命の“プリセットな機能”である!
とかを声高に叫ぶんですから・・w  これほどのジョークはなかなか無いだろうよw
148神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:54:46.59 ID:0+9V4GVd
>>141
ともかく貴方の主張には
「宗教は害悪である」と「生命観」の2者が混合しております。
前者は余人が散々議論してきた問題ですので改めてする必要はないかと思いますし
「生命観」と必然的な脈絡は無いようなのでこれ以上は不問にします。
ご教示ありがとうございました。
149神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 20:55:51.41 ID:+p2qZrwQ
黙って消えればいいのに
なにが・・・
150神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 21:03:01.85 ID:PSkps8DB
アインシュタインの有名な理論でエネルギー=質量というのがあるじゃないですか。
恐らく心理的エネルギー、怒りとか執着というのも、何処かに保存されると思うんだよ
こりゃ俺の仮説だけどね
何処に保存されるかというと「身体」で、怠(だる)い感じとか肩凝りみたいな形で過去の感情は
身体の一定の状態(感覚)に置き換えられて保存される
恐らくそれが積み重なると肝臓が悪くなったり
細胞が癌化したりするのではなかろうか
もっと重篤になると遺伝子レベルでの変異が起きるのかもしれない
東洋の針治療などは、物理に働きかけて、心理的疲労なども取る訳であるが、これも人間の心理がイコール物理であることを経験的に知っているからではないか
西洋の学者で言うとクレッチマーが身体付きと性格の関係を論じているね
闘士型は躁鬱気質とか
痩せ型は分裂気質とかね
151神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 21:09:22.89 ID:0+9V4GVd
宗教の扱う問題の最たるものは「死」だと思います。
死は「生命の限界」です。
その「死の恐怖」を乗り越えるために悪戦苦闘してきたのだと思います。
あるものは天国を説き輪廻を説き解脱、涅槃を説く。
医学も「いかに死なないか」を追及すると言う点では似てますね。

こうして書き込んでいる間にも、私の命は減ってゆき、確実に死に向かっています。
人によっては、書き込むことで「生きている実感、充実感」を味わっている方もいるでしょう。
でもそういう実感とは裏腹に、確実に死に近づいていることこそ「現実」です。
そいういう恐怖を「生きがい」や「生きている充足感」でごまかすというやり方もあるかもしれません。
でもそれは苦痛を一時麻痺させるだけのもの。
「生きてるって素晴らしい」と絶叫したところで、時間は止まりません。



152神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 21:17:03.75 ID:PSkps8DB
死の恐怖をやせ我慢や逃避ではなくてある意味自然に「克服」出来るのではないかと思われる方法が一つだけある
しかしその方法は私が実際に実践してみて
本当に克服出来た場合にのみ書き込みをしようかと思う。
そのためにはちょっと根性も必要なので一朝一夕には参らぬだろうが
153神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 21:59:34.54 ID:PSkps8DB
しかし我々はやたら物事を深く考えるね
御隠居にしても何にしても、ある意味似た者同士なのだろうか
ここ数日仏教の話ばかりしつこくしているが
フェイスブックで知り合った友人は、この一週間で沖縄に行き、北海道に行き、今ヨーロッパにいますとか言ってるぞ

人種が違うw

良い悪いではないだろうが

人間というのも違えばこれほどまでに違うものだなと

感心した次第だ。

154神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 22:43:07.72 ID:ZPpJCy1t
>>151
>宗教の扱う問題の最たるものは「死」だと思います。
>死は「生命の限界」です。
>その「死の恐怖」を乗り越えるために悪戦苦闘してきたのだと思います。

死は、すべての人間に極めて公平に訪れる大自然の摂理。死があるからこそ、
生が輝く。個の死によって新たな生命の誕生が可能になり、種属としての
生命が維持される。

宗教者は、そうやって、常に死に怯えながら生きているのか。それは、生きながら
死んでいることだ。何のために宗教やってるのか。
155神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 22:46:41.31 ID:5/Q/8pA8

ttp://www.youtube.com/watch?v=NPcKZLrFRJw(年齢制限の為、視聴にはアカウントによるログインが必要
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm15911497
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm15911079
いずれ新唐人TVもニュースにするだろうな。(ttp://www.ntdtv.jp/ntdtv_jp/vnews/
156神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 22:47:32.09 ID:5/Q/8pA8
>>143
言われてその名前思い出したw
以前ネットで調べた時、そこまで辿り着いたけど、確証はとれなかったんで。
今改めてぐぐった結果が以下w
ttp://unkar.org/r/csaloon/1249719044
>44 :1[age]:2009/08/12(水) 19:33:17 ID:???
>みなさん、お久しぶりです
> 1です
>その節はご迷惑をおかけしました。
>
>「心が折れる」という表現はバキ発と言いましたが
>皆さんから神取忍という指摘を受けて非常にショックを受けました。
>
>しかし、あれから私は調べました。
>その結果、とんでもない事実が判明しました。
>何と「心が折れる」という表現の発祥はバキでも神取忍でもなく
>川端康成だったのです。
>
>昭和7年に発表された「抒情歌」という小説で既に使われていたのです。
>「父は母の死に心折れて・・・」という一文があるのですが
>興味のある方は文庫本か図書館で確認してください。


>>153
リアルでも、こんなツッコんだ仏教の話をしてるのか?w
つか、周囲がそういう人間ばかりなのか?w
羨ましい限りだw
157神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 22:58:35.45 ID:PSkps8DB
154
それは理屈であって
御隠居は無理をしている。
死の恐怖を文学的に昇華しても問題は解決しない
158《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/17(月) 22:59:51.64 ID:iAP46MGm
159神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:07:39.74 ID:PSkps8DB
死があるから生が輝くみたいな事を言って死を克服しようというのも
一種の心理主義だよ
死の恐怖は肉体から生じるものであって
いくら観念で説得しても限界がある
宗教と同じく現実逃避に過ぎない。
160神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:09:38.36 ID:ZPpJCy1t
>>157
後に残る家族の者たちのためにいろいろやっていると、大忙しで、死の恐怖
に浸っているような暇はないw。

死の恐怖を克服する唯一の方法は、常に死に怯える宗教ではなく、全力投球
で生きることだ。死の恐怖の誇張と植え付けは、宗教の信者獲得のための営業
手段。騙されてはならない。
161神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:11:08.87 ID:hypEbVFH
う〜〜〜〜〜〜ん、今日も異常にスレの進みが速いが論点が
定まらないwwwww

結局、いつもの通り隠居のバカが妄想喚いてるだけかいwwww
162神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:13:52.99 ID:5/Q/8pA8
>>157
それもいつもの手口。
一般論を議論している際に、個別の事案・個別の感情を持ち出してあたかも誤っていないかのごとく演出する。
或いは、大局的な視座からアウトラインの話をしてるのに、細部ではこういう点があるからとその視座を排しようとする。
個別の事案・個別の感情がお題なのに、一般論で細部の瑕疵を煙に巻こうとする。
或いは、細部の問題を論じているのに、大局的にはそれは問わなくていい、と棚上げする。
或いはまた、154のように、詩的・文学的表現で装飾し、あたかも自説が正しいかの如く粉飾する。

通常運転ですw
163神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:18:38.64 ID:PSkps8DB
160
それを現実逃避というんじゃないかな。
表明上忙しくして忘れたつもりになったとしても
恐怖が無くなった訳ではなくて、潜在意識に保存されている。
忘れるのと無くなるのでは違うのだ。
御隠居の解決法は根本的な解決ではない
むしろ恐怖は無意識に潜りこみ、盲目的に生命哲学を布教するという神経症的行動に人を駆り立てるのではないか
164神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:19:21.79 ID:j7ce4ufe
活性化はいいことだ
165神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:23:11.73 ID:hypEbVFH
>>162 に補足

そして、どうしようもなくなったら、無視してスルー。
ほとぼり冷めた頃、また繰り返すwwwww
166神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:23:32.96 ID:5/Q/8pA8
>>159
そ。
>>160という>>154と同種のレスが入ったがw、
彼は、自分が主張している「各種克服法」等が、
自分が批判している心理的テクニックであることを認めたくない。
だから、言葉を選んで、「自分は違う!(キリッ」 ということにしたいだけ。
中身はどうでもよくて、ただ反宗教のネタになれば何でもいい、そういう言葉遣い・用語を選ぶだけ。

以前、「ぬいぐるみの熊(代替物、代替案、代替法)」の話をしたことがありますが、
自覚があるんだかないんだか(自分でも解っててしらばっくれてるのか)判んないんですよねぇ・・w
167神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:44:33.14 ID:ZPpJCy1t
宗教などというクソの役にも立たないことをやっていると、死ぬ時に必ず
後悔するぞ。

前にも書いた渡部昇一氏の実話だが、ある高名なキリスト者は、臨終に際して
「悪魔が来る」と狂いまわったそうだ。これを「死ねば無」と一喝して鎮めた
のが、その弟子の禅者だった。
168神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:50:22.63 ID:PSkps8DB
その禅者も生悟りだな。
「死ねば無」というのも観念で「死ねば天国」という観念と似たり寄ったりのモルヒネ効果しかない。
唯一の解決法は死ぬ前に空を体験することだ
観念ではなく体験というのが重要な部分である
169神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:51:09.55 ID:5/Q/8pA8
>>167のような反応(―お題、論点、関連事案等全てを放り投げて、全く別次元の感情論を突如持ち出す―)を
俗に(特にネット上で)「火病る」と言うw
170神も仏も名無しさん:2011/10/17(月) 23:54:22.23 ID:ZPpJCy1t
宗教者は、死ぬ時までも騙されて死ぬことに、後悔はないのかな。

天国に行けると騙されて、赤い糸を握り締めて死んで行った藤原某は惨めだな。

無神論者のヒュームは、臨終に際して入信を進められたが断り、従容として
死に赴いた。これが後悔しない死に方だ。
171神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 00:04:45.43 ID:R93slEK/
>>170
お前、日本の(別に映画でも小説でも何でもいいがw)しっとりした文学的作品とか好きじゃないだろw

あと、その考え方は、
宝珠の「死ぬ間際の安心なぞ意味が無い」という発言とベクトルを同じくしてるが、いいのか?w
172神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 00:12:11.43 ID:sp9KwDhF
ヒュームの美化された臨終を信じているのも
藤原道長の臨終も似たりよったりの観念信仰である。
どっちが幸せということは言えない
173神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 00:48:06.63 ID:0LxduqLu
「死」について語っているが、

人類誕生以来、「死の恐怖を如何にして遠ざけるか?」が現在まで未解決の
最大の問題の一つなわけだ。
それを物理的に解決しようとする試みが医学であるが、これは未だ満足できる
レベルに到達していない。  一方、
「恐怖」というのは精神作用であるから、「恐怖を感じないようにしよう」という
方向性が生み出したものが「宗教」と言える。
死に対する恐怖というのは、「死によって自己が消滅する恐怖」なわけだから、
ほとんど全ての宗教が「死後存続」を説くことになる。すなわち、死は単なる
通過点であり、死後も「自分」というものは消滅せずに存続すると主張する。
そのように信じることによって、死を恐れない心を創造するわけだ。

では、非宗教者はどうか?
簡潔に言えば、「それを考えないようにする」ということだ。いずれ、自分も
死ぬことは分かっているが、それを身近なものと捉えない。
良くいえば、それは「今を精一杯生きる」ということであり、悪く言えば
「目をそらす」ということになる。これもまた、心を「死の恐怖を感じないように
持っていく」心理操作であることに変わりはない。

174神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 00:48:52.65 ID:0LxduqLu
では、どうあるべきか?
それはまさに人それぞれだろう?
それこそ、他者がとやかく言うことではない。死に対する恐怖というのは、
あくまでも個人の内心の問題であり、それをどのように克服するかという手段の
選択は、その個人に委ねられる。  「信仰」もって生きることを選択し、それにより
死を乗り越え、(その人にとって)充実した人生を送った人に、「それは
間違っている」  という権利は誰にもないわけだ。また、信仰とは無関係に
生きて、死に臨んで「その時がきました。皆さん、さようなら。」と死んでいく
人生の選択も良しだ。

(ただね、釈迦の説いた「無我」    これは異質だと思うわけよ。
死を恐怖する主体そのものをないとして、死を克服する。単なる死後存続による
救済措置とは一線を画する方向性であり、これこそが仏教を特徴付けるものだと
俺は感じるのだがww)

と、このように書くと、「い〜〜え、仏教でもちゃんと死後存続は説いてますよ。
地獄もあり、六道輪廻が・・・・・・・」  と言う声が聞こえてきそうだがwwwww
175神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 00:55:59.63 ID:Z4+qwZ69
>>174
>死を恐怖する主体そのものをないとして、死を克服する。
なんかそこらへんの坊さんに口だけの説法してもらってるみたいだな
それで死の恐怖が消えるのか?「色即是空、みんな空なんですよ〜」って言われてるのと変わらんな
176神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 01:01:17.11 ID:0LxduqLu
>それで死の恐怖が消えるのか?

知らねえなwww
それで死の恐怖が本当に消えるのか?否か?  は、自分が悟ってみる
以外に確認のしようがないわなwww
177神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 01:01:24.35 ID:R93slEK/
>>175
だから「禅定」(或いは三昧或いは瞑想)が必須なんじゃないw
自らが、腹のそこから「ああ、そうだ」と自らの縁起に頷くことができて初めて
真に「克服」と言えるんじゃねーの?w

ノシ
178机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 08:51:04.07 ID:aS+/G5Ag
>>159
>死があるから生が輝くみたいな事を言って死を克服しようというのも
>一種の心理主義だよ

いやいや、死を前提としての「生の輝き」とは意味が違う。
そもそも、生の結果として死がある。という考えも妄想に過ぎない。
(経験的な学習としての結果ならば、生→死は間違いない)→(世俗締)

貴方の考えを否定している訳ではないが、
もし仮に、人間が永遠に死ねない。と仮設したなら、
その方が遥かに恐怖のどん底に至るだろう?
つまりそのベクトル(生⇔死)では、何ら解決策は無いんじゃないですかね?

矛盾を矛盾と、自分が納得する以外に方法はないかと思います。
そもそも「何が矛盾なのか?」なんて、西洋哲では無理かと思いますね。
印哲じゃないと。
179神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 08:59:59.14 ID:sp9KwDhF
妄想に過ぎないと頭だけで考えても実際は死に直面したら恐怖するでしょ
それは妄想に過ぎないはずの死をなんだかんだで実体化しているからですよ
頭でわかっていても肉体で遺伝子レベルで恐怖が刻み込まれているんだよ

まあそれはそれとして
次はちょっと日蓮について語ってみよう

180神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 09:08:42.25 ID:sp9KwDhF
やっぱりやめよう。
とりとめもない話になりそうだ。
181神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 09:12:26.51 ID:R93slEK/
>>178
誤読してるだろw
彼は、《「生の輝き(生きていることの充実)」によって「死という事象」を装飾して隠し、その怖れを克服する》
という方法もまた心理的なものであり、「真の解決(≒ブッダが示したもの)」とは違いますよ、
と、隠居に対して言ってるわけで。
彼の主張が、上の《 》部分だというわけではないでしょ?w
この《 》部分に対する批判・指摘を彼に向けるのは筋違いじゃね?

貴方はいつも、こういうズレた絡み方なんですよねぇ・・。
流れが読めてないなら黙ってればいいのに・・w
182机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 09:27:55.98 ID:aS+/G5Ag
>>181
>誤読してるだろw

誤読とは違うですねw

>貴方の考えを否定している訳ではないが、>>178

私は肯定しております。
肯定したうえでの、一般論として私はレスポンスしちょりますw
183神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 09:30:33.08 ID:0LxduqLu
>貴方はいつも、こういうズレた絡み方なんですよねぇ・・。

wwwwwwww
机は、『相手の見解に対して、』自己の見解を述べるのが目的なのではなく、
自分が「俺って印哲わかってるんだぜ。すごいだろ?」と言いたいだけだから、
使えそうのところを拾い上げて絡んでくる。
だから、当然、流れもわからず、頓珍漢なレスを付けることになるwwww

いつものことwwww
184神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 09:39:16.84 ID:R93slEK/
>>182
wwwwwwwwww

だからw
肯定とか否定とかどっちでもいいのw


>貴方の考えを否定している訳ではないが

『 >貴方(159)の考え 』 これが間違ってるんじゃねーの?と言ってるのw (本人が実際どうなのかはさておき、文章上は。)
>>181で《 》書きした部分は、『 >貴方(159) 』 の考えじゃないの。隠居の主張なの。
その《 》書きの部分を、『 >貴方(159) 』 の考えとしてるから、誤読じゃないの?と言ってるの。

解る?
185机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 09:53:58.17 ID:aS+/G5Ag
>>159
>一種の心理主義だよ
と、一応の見解を述べておるから、そのことに関してレスポンスした訳ではない。
私は
>死があるから生が輝くみたいな事を言って死を克服しようというのも
これに関してレスポンスしている訳だ。
つまり一般論としての死生観における、
私なりの分析を試みたに過ぎんのですよw

>一種の心理主義だよ

この見解に、私が何らかのコメントを発言した訳ではありませぬ。
186机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 09:59:19.23 ID:aS+/G5Ag
(つづき)
つまり、一般論と
個人的見解が
>死があるから生が輝くみたいな事を言って死を克服しようというのも
>一種の心理主義だよ
これに該当していて、私は前者にレス付けてる。
脈絡に分断があるだろ?
どうよw
187神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 10:08:11.14 ID:R93slEK/
>>186
だからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

本人に確認しないと真偽のほどはわからないが、

 >>181で《 》書きした部分は、『 >貴方(159) 』 の考えでなく隠居の主張。
 その《 》書きの部分を、『 >貴方(159) 』 の考えとするのは誤読ではありませんか?
 と言ってるのw

寧ろ、(>>185
>>一種の心理主義だよ
>と、一応の見解を述べておるから  というところにレスしてるなら、正当なレスなのw

そうでなく、
>>死があるから生が輝くみたいな事を言って死を克服しようというのも
>これに関してレスポンスしている
のなら、誤読なのw

それを159の見解と見做している発言が
 >>178>貴方の考えを否定している訳ではないが  『 >貴方(159)の考え 』
なの。 これが誤読、もっと大胆に言えば捏造なの。
確認は本人の答弁を待つしかないが、文章上はそうなるの。 解る?
188机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 10:08:21.06 ID:aS+/G5Ag
>>184
セブン氏が私に絡むのは珍しいことですが・・・
なんだったら、私の一連の書き込みについて
貴方なりの見解を頂戴頂けたらありがたいですが。
どうですかw
189机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 10:11:20.37 ID:aS+/G5Ag
>>187
>確認は本人の答弁を待つしかないが、文章上はそうなるの。 解る?

なるほど、そうですか。
では本人の答弁を待ちましょう。
190神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 10:15:03.91 ID:R93slEK/
隠居と言い机と言い在家と言い、
どうしてこういう人種は、「判で捺したような詭弁」を駆使するんだろう・・?w  (直近では>>188>>167とかw)
だから、特亜みたいだと言うんだw (>>169)(この種の発言は(レイシスト的だとして)このスレでも不評だが・・www)
191机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 10:31:05.91 ID:aS+/G5Ag
>>190
川端康成ネタが>>156にあったので、少し川端に思いを馳せていまして、
少し集中力が欠けていたのかもしれません。

しばらく文学作品は縁が遠かったものですから、
また再び川端に会いとうなりました。
あの繊細な作品は日本人じゃなければ、先ず無理でしょ?
では、また、オチ。
192神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 10:34:31.99 ID:R93slEK/
>>189


「確認」ってのは、「本音を」という意味だよw
表に表れていない(文章上表現されていない)部分で、
「無関係なふりしてるけど、ホントは賛成だよんw」という可能性もあるからだ。(政治家の発言なんてそういうの多いだろ?w)
ただ、他者が確認できる文章上は、彼(159)は、「貴方が横槍を入れた《 》部分」に対して、
どちらかといえば否定的・低評価なわけだ。
それを、あたかも「彼(159)が《 》部分の如く考えている」とするのは、彼(159)に対して失礼だろ?ってことだ。

ここまで解説してもまだ解らんか?w
193ジャッジメン:2011/10/18(火) 10:58:42.15 ID:/EbOlafk
まぁまぁ、ジャッジメンこと>>179だけど

基本的に議論の構造やルールへの無知が誤解を生むんじゃないかと思うんですよ。
いうなれば、交通ルール無き路上の自動車みたいなもので、議論が脱線してしまう。
そして、その逸脱を指摘するのも非常に面倒くさい作業になる。
と言うわけで、ひとつ国際標準のディベートルールで考える癖をつけてみるといいと思います。

初心者の為のディベート講座というHPがあるけど、直接リンクするのはあれなので
基本中の基本を説明しますと

「主張+根拠+データ」をワンセットで考えると言ういうことね。
自分の主張に根拠やデータがあるかな?
或いは相手の主張に根拠やデータがあるかなと発言者が考えながら発言すれば
議論はスムーズに行えるし、この議論の構造を知らない人と知っている人では、
議論における実力が天と地ほど違うはずです。
ご隠居が馬鹿なことを言っても「あぁ、根拠もデータも無い発言してらぁ」と思えばいいだけなので
他人の意見に左右されることもなくなります。
是非、お試しください。
ジャッジメンでした。


194神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 11:08:17.32 ID:0LxduqLu
>ご隠居が馬鹿なことを言っても「あぁ、根拠もデータも無い発言してらぁ」と思えばいいだけなので
>他人の意見に左右されることもなくなります。

隠居の発言に、根拠もデータも無いことは皆が知ってる衆知の事実www
よって、今更、そのような認識を行う意味はなく、また、隠居の意見に左右される
アホも皆無なので試す必要性はないww
少なくとも、隠居についてはなwwww
195ジャッジメン:2011/10/18(火) 11:21:52.09 ID:/EbOlafk
しかし、ルールを知らない人は脱線して人に迷惑をかけるでしょう。
そして迷惑をかけてもルールなど知らないと言えば開き直れる訳だ。
これがこのスレの無限の反復に繋がっている。
釈迦の12因縁ではないが、無知によって、議論の混迷が起こり、議論の混迷により、無限の反復が起こり、無限の反復によって
対話者の貴重な時間が失われる。こういう構造になっているわけです。

196神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 11:28:08.81 ID:R93slEK/
>>193
論文形式ってこと?w
一見、良案のようだが、会話形式である場合、
「常にそのセットで発言する」ということは、甚だ流れを滞らせ、また、聞く側も整理がし難い面がある。
それは文字で言えば、3行で済むものが(一行につき3〜4行の補足事項があるなら)9行12行と増えるということだ。
口頭によるものなら、その分【時間がかかる】ということだ。
(スピーチや講演に於いてこの制限はでかいw 文章なら「紙数の関係で・・・」ということになる。)

また、そうしたセット物というのは、「本文と註・注がセット」とも言い得るわけだが、
註・注により補足が必須な論文に於いても、
たとえば、『一文一文ずつに註がある文章』が「読み易く・理解し易い(→頭に入ってき易い)」ものかどうか
は疑問の余地があろう。新書やペーパーバック的なものであれば、段落毎に註が入っているものもあるが、
大概は、最小区切りでも一節毎程度。 多くは巻末か章毎と思う。(場合によっては註自体省略されている場合もある)
その頁の下段や上段というのもあるな。いずれにしろ、
こうした時の(余計な要素の無い)「読み易さ」「理解し易さ」は、対話形式においては大きなポイントと思う。
注や註が、なぜ本文と別かということを考えれば、発言の際に常に「根拠&データ」セットは、
発言する方も、発言頻度が減る。つまり、キャッチボールのような対話にならない。
一言一言、一文一文を、調べて、根拠を確認してからってのはタルイw
殆どのものが、記憶頼りと思う。その中で、必要な時に裏を取る作業をする程度。
それで十分じゃない? (ループを止める方法は完全スルーしかないよw)

*(私の文章が読み難いのは、まさに、この注・註にあたる内容を括弧書きでその場で記すからだw
 ただ、後述・後記とする場合、連携として注番号が要るし、寧ろ余分に文字数を消費する。)

それとも、互いに「発言の根拠を想定し合っていればいい」ってことかな?
で、怪しければそれを要求すればいい、と。 (それって、今までと同じだけど・・w)
197神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 11:34:42.25 ID:SlneD0Ue
>>193
無駄、無駄。かつても主張には根拠・出典をみたいなことは、何度も言われてる。
生命教とか机みたいな人は、スル〜しましょうというしかない。

また、二人ともとにかく真性かまってちゃんだから、
なるようになるしかないよ
198神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 11:36:53.70 ID:R93slEK/
>>195
ま、「相手にしなければいい」と言ってしまえばそれまでですが・・w

たとえば、農道で「熊に注意!」という標識を立てたとします。
この標識を、一回(三日程度?w)立てたからといって、その後撤去してしまっても良いでしょうか?
その道を通る者が限られた者・決まった者であれば、それでもいいかもしれません。
しかし、もし、不特定多数の者が往来する場所であれば、
その標識(内容)は掲示され続けねばなりません。
或いは、貯水池や急な河等の危険表示等を例としてもよいです。
これと似た状況だと思ってくださいw
199ジャッジメン:2011/10/18(火) 11:41:39.81 ID:/EbOlafk
道路交通法で厳しく取り締まりすぎてもかえって不便と言うことは確かにあるが
もし、問題が起きたときにルールへの合意が無ければ話がこじれてしまう。
なので、普段は一般の対話形式で話して、それぞれがデータや根拠を推測すればいいが
問題が起きた場合は、その主張の根拠は何?データは?と追求すれば話が早くすむので
無法者は退散するし、生産的な議論をしたい人には有効かと思われる。
200ジャッジメン:2011/10/18(火) 11:42:54.68 ID:/EbOlafk
ただ、余りにも話が早くまとまってしまい。スレが終わってしまうと言う逆説も覚悟しなくてはならないがw
201神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 11:52:17.88 ID:SlneD0Ue
う〜ん、基本ループ、輪廻なんで。

優秀な新人さんに期待するしかないでしょう。

これもまた縁起
202神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 11:55:14.80 ID:R93slEK/
>>201
「>優秀な新人」はこんなトコに来ない、に1000デナリw
203神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 12:07:09.76 ID:tRXGTIyM
「現実上の根拠のある宗教」などない。この意味で、経典も根拠にはならない。
204ジャッジメン:2011/10/18(火) 12:14:14.26 ID:/EbOlafk
>>203
現実上に根拠がある宗教のひとつとして仏教がある。
宗教の定義にもよるが、もし宗教が神の絶対的な命令に信者が従うシステムだとすると
仏教は宗教ではない。
ゆえに、仏教スレで、宗教批判をするつもりで仏教批判をするのは筋違いである。
もっとも、仏教の中の宗教性を解体すると言う意味での生産的批判であれば、賛同する人もいるだろう。
205ジャッジメン:2011/10/18(火) 12:23:06.70 ID:/EbOlafk
ところで、君は、よく釈迦の人格を批判し、それに意義を唱えた人を「宗教に毒されている」と言うのだが
君は、ヒュームを尊敬して、かれのようにありたいと言っているが、仏教徒が釈迦に抱く尊敬も
君がヒュームに抱くそれと同じようなものだと考えることは無いのかね?
ヒュームは偉いと言う意味で、仏教徒も仏陀は偉いと言う。そこに本質的な違いは無い。
また、君は別にヒュームを神様だとは思わないし、命尽きれば消えて行くただの人間だと思っているだろう。
それは仏教徒も同じ。釈迦は偉いが、ただの人間であり、命尽きれば他の生物同様塵芥に帰すひとつの生物に過ぎない。
ただ、大乗仏教の一部では(それでも殆ど露骨な神格化というのは見られないが)釈迦を神格化し、御伽噺の神様にしているケースもあるが
仏教の根本思想からするとそれはイレギュラーな解釈であると言うことは了解するべきである。

206ジャッジメン:2011/10/18(火) 12:31:41.48 ID:/EbOlafk
釈迦が何故偉いかについても説明しておこう。
釈迦は苦悩が生じる構造を説明し、その解決法を示したからである。
その解決法が正しいかどうかは私は今の所わかりません。
それをとことんまで実践した訳ではないからです。
ただし、ちゃんと理論を提示し、実証可能な問題解決の方法を残したと言う点では
ディベーターとしても或いは「心の科学者」としても見本になる態度です。
深層心理学でも仏教心理学が見直され、取り入れられているのもその為でしょう。
207神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 12:49:57.63 ID:QQ//NRtM
>>206
私は、釈迦のその理論を、すべての人間に共通する唯一の普遍の事実としての
生存本能(生命)の見地から批判している。

人格批判でも、人格崇拝でもありません。「すべての人間は、生命において等価・
至上」だからです。
208ジャッジメン:2011/10/18(火) 12:55:04.73 ID:/EbOlafk
「全ての人間は生命において、等価、至上」と言うのは、仏教思想と矛盾するものではないので
批判になってないですよ。
209神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 13:06:29.74 ID:QQ//NRtM
>>208
大乗ではあきらかにその通りだが、釈迦佛教において、釈迦がそれを明言したか
どうかは知らない。

「佛教」という場合、「大乗」と「小乗」とを区別したほうがよい。私の見解では、
両者は「異なった二つの宗教」。その理由については、何度も述べたところだから、
繰り返さない。
210ジャッジメン:2011/10/18(火) 13:20:00.08 ID:/EbOlafk
>>209
知らないことは軽率に発言しないほうがいいですよ。
無用な議論を呼びますからね。
私が体験した限りでは、大乗と上座部(大乗が言うところの小乗仏教)では上座部仏教の方が
徹底して、あなたの言うところの「実在」
あるがままの身体を「御神体」の如く崇める宗教ですよ。
211ジャッジメン:2011/10/18(火) 13:22:28.39 ID:/EbOlafk
>>あるがままの身体を「御神体」の如く崇める宗教ですよ。

勿論、これば比喩ね。
212神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 14:04:37.81 ID:R93slEK/
>>209
大乗仏教「も」『明言』はしてませんよ?w
213宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/10/18(火) 14:04:41.54 ID:6gBFhCGC
>>171
>宝珠の「死ぬ間際の安心なぞ意味が無い」という発言とベクトルを同じくしてるが、いいのか?w

 これは誤解されているようです。私は、死の間際の精神状態というのは、とても重要だといいました。
その意識の在り方によっては、アストラル体(情緒/想念形態)の死後の状態とその後の残存過程に
違いが生じるからです。
 そういう意味においても、極楽浄土や天国に赴くことへの確信のような信仰者の想いというのは、心
を不安から解放させて安心させる効果を得るという点において絶大な差があるでしょう。

 キリスト教圏での、死の間際における神父からの祝福がないと天国へ行けないといった俗信は広く
信じられていて、彼らは必死になってそのような不備が起こらないよう手配に念入りです。
 尚、唯物主義者の死に際しては、その間際での意識には不安が生じないものなのかどうかは、この
私にはよくわかりません。

 とにかく、死の不安を取り除いて、極楽行きなどの安堵を得られるものというのは、正直、とても有難
いことだと言えるでしょう。
214神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 15:05:24.73 ID:SlneD0Ue
>>210
テーラワーダと大乗、それぞれ体験はどこ?

オイラ的にはテーラワーダは選択宗で簡明だけど、局所的、アルハット止まり。
大乗は、包括的で一切智を目指すので境地も見解も高いと思うけど。

根拠は、『清浄道論』等と『入中論自註』等ね。
215神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 15:07:55.54 ID:0ISqyLDX
>>212
「如来蔵」「本覚思想」「一切衆生悉有仏性」は、それに近い。
216神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 15:53:51.74 ID:TrFLn0j0
>>154
>死があるからこそ、生が輝く。個の死によって新たな生命の誕生が可能になり、種属としての
>生命が維持される。
多くの方が、このような抒情的で詩的表現をなさいますね。
死を積極的に評価し、文学としては美しい表現です。

自身が元気な時は、このような表現で心を満たすことはできましょう。
しかし、そんな時も刻々とタイムリミットは近付いています。
少なくとも仏教はそんな「めくらまし」で、死を忌避することはありません。
死は恐怖です。
貴方は死が怖くは無いのかもしれませんが、もしそうなら感覚が麻痺しているのだと
思います。

死を恐怖として感じれるのは人間の特権です。
そこを出発点として超克がある。
死を怖がらないのは、酔っ払いか子供くらいでしょう。
単に恐怖をなくすだけなら、酒や麻薬で十分です。
217神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 16:00:56.61 ID:TrFLn0j0
>釈迦佛教において、釈迦がそれを明言したかどうかは知らない。

>「佛教」という場合、「大乗」と「小乗」とを区別したほうがよい。
は矛盾しませんか?
宗教全般を批判していると思っていたのですが、そういうわけではないのですね。
遅ればせながら再確認でき安心しました。
しかし、釈迦ムニを否定したら大乗であれ、中観であれ仏教そのもが成り立たないので、困りますね。
218神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 16:44:35.22 ID:nXbO1XBn
>>216
>死を恐怖として感じれるのは人間の特権です。
>そこを出発点として超克がある。

冗談じゃない。どんな小動物でも、捕らえようとすれば必死で逃げる。

生存本能は、人間を含むすべての動物に共通する唯一の普遍的事実。

死は、出発点ではなく、生の終着点である。より良き生があって、より良き
終着点がある。宗教が死の恐怖をことさらに強調・誇張するのは、布教のため
の脅迫に過ぎない。脅迫は不法行為である。

>>212
>しかし、釈迦ムニを否定したら大乗であれ、中観であれ仏教そのもが成り立
>たないので、困りますね。

「釈迦」という「ブランド名」を借りているだけ。実質は異なる。

大乗では、釈迦とは、もはや釈迦個人ではなく、生命やそれを維持する大自然
の「象徴」であると思う。大日如来も、久遠実成の本仏も、阿弥陀仏も、
無量寿仏も、釈迦ではない。
219机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 16:50:06.15 ID:aS+/G5Ag
>>216
>自身が元気な時は、このような表現で心を満たすことはできましょう

貴方が何歳か分かりませんが、元気なほど死の恐怖があるんじゃないですか?
人生、老いることを実感してくると、このまま老いて朽ちちて逝きたいと思うんじゃないですか?
朽ちるまでは元気でいたいと・・・
今の70・80歳は元気です。
若い方は元気がないですけどね><

まあ、人生観を語ちるのも、たまに良いですね。
それでは暫くオチ
220神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 16:57:59.46 ID:ZYbGwQ0k
221神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 17:27:34.93 ID:jlgQWTZ/

諸苦の諸因は貪欲これ豆也
222神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 17:28:26.72 ID:Vw/gLd5R
>>218
>冗談じゃない。どんな小動物でも、捕らえようとすれば必死で逃げる。
>生存本能は、人間を含むすべての動物に共通する唯一の普遍的事実。
冗談ではありません。
必死で逃げるのはおっしゃるように生存本能です。
しかしそれは「生きたいという欲求」であり、「死の恐怖」ではありません。
「死の恐怖」は「生存本能」から生まれるものではありませんから。

動物が逃げるのは「敵」からであり「死」ではありませんよ。
歳老いた犬や猫が、自身の死を予想して、それから必死で逃げますか?

そもそも貴方は人間であるのに、どうして動物の気持ちが分かりましょう?

>宗教が死の恐怖をことさらに強調・誇張するのは、布教のため
>の脅迫に過ぎない。脅迫は不法行為である。
宗教があろうが無かろうが「死は恐怖」です。
そもそも貴方にとって「死は恐怖でない」ですから、脅迫ではありませんよね?

こうしている間も、私も貴方も確実に死に近づいている。
これは誰も否定できない事実。
これをまずは自覚すべきです。
あなたの生命は確実に失われつつある。
その大事な命を何に使うつもりですか?

223神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 17:40:57.80 ID:AZk4/e7l
犬や猫は死の恐怖は感じないだろうね
ともに仏性はあるが
224神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 17:56:40.48 ID:nXbO1XBn
>>222
>その大事な命を何に使うつもりですか?

死など恐れている暇があったら、生きることだw。
225神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 18:22:10.88 ID:0ERRzWa1
>死など恐れている暇があったら、生きることだw
貴方に言われるまでもなく、死ぬときまであらゆる生物が生きてます。
ただ、それぞれの生き方は異なり、生の質も異なります。
呼吸をし、食事をし、寝る・・・
ただそれだけで満足ならそれはそれで素晴らしいことです。
しかし、貴方はそれだけでは満足できないから、何らかの慾にほだされて
ここに書き込んでいるわけです。
私は、その趣味もしくは生きがいにケチをつけるつもりはありませんが、
人それぞれの人生、生き方を押し並べて「生きる」の一言でかたづけるのは
ちょっと乱暴ではないかと思います。
貴方は5年も前から書き込んでいるそうですが、ここに書き込む時間は
相当なものだったと推察します。
その膨大な時間はすでに過ぎ去りました。
もはや、過ぎ去った時間は取り戻せませんよね。
226机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/18(火) 18:48:55.14 ID:aS+/G5Ag
ボケ防止に掲示板は役立ってますか?

知り合いの介護師に聞いたのですが、
高齢に達すると昼間でも転寝(うたたね)するよになる。
それを介護師は無理に起こすそうです。
そして高齢者に話しかける。
つまり、高齢者は常に脳に刺激を与えないとボケが直ぐ進行するらしいですよ。
そしてボケ防止以外にも長生きもするらしいですよ。

ボケ防止に2ちゃんへの書き込みなんて・・粋じゃないですかw
良いとこ見つけましたね。
227神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 19:51:23.61 ID:SlneD0Ue
>>222
>そもそも貴方は人間であるのに、どうして動物の気持ちが分かりましょう?

この言葉、神通がなければそのまま君に落ちていくよ。

それとも神通あるの? なきゃ、主張撤回しないと生命教と同じだよ〜
228神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 20:24:29.11 ID:O7ctpi6f
『論語』の立場は非常にはっきりしてるぞ。
不可知論だ。
弟子がきて、「先生は死をどういうふうに思うか」と言うと、
孔子は、「我、生を知らず、いわんや死をや」と答える。
人生のことさえわかっていないのに、死のことなど私にはわからないと言うわけだ。
それをもう少し引き延ばせば、われわれには人生の問題がたくさん残っているんだから、それを考えたほうがいい、
死を論じるのは、時間の無駄だ、ということだろう。
要するに中国の伝統のなかには不可知論的立場がある。
いまの自然科学者の、あるいは論理実証主義者の考えかたとちょっと近いところがある。
229神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 20:34:59.83 ID:9kQFtM+h
>>227
彼が「死の恐怖」と言う気持ちを動物も持っていると前提しましたので。
その前提がプラサンガであることを申し上げたまでですが?
何か問題でも?

そもそもありもしない動物の「気持ち」がどうして理解できましょう?
神通力があっても不可能ですよ。
兎の角のごとし。
230神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 20:41:03.02 ID:R93slEK/
>>218
>「釈迦」という「ブランド名」を借りているだけ。実質は異なる。

また口から出まかせをwww
貴方が大乗仏教の実質を知っているわけがないでしょう?w 何を寝ぼけてるんですかw

貴方は大乗仏教がどういうものかをまるで解っていない。
231神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 20:43:12.57 ID:R93slEK/
>>215
明言してないじゃんw
232神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 20:44:55.14 ID:9kQFtM+h
>大乗では、釈迦とは、もはや釈迦個人ではなく、生命やそれを維持する大自然
>の「象徴」であると思う。

大乗仏教に対するご感想ありがとうございました。
昔の「お天道様」と同じような素朴な受け止め方、それはそれで素晴らしいと思います。
233神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 21:13:09.16 ID:SlneD0Ue
>>229
おや、中観のプラサンガなら、相手の主張を仮定として言明した上で、
矛盾や背理に導くと思うが、どうも仮定を示す文がみあたらないが?

>そもそもありもしない動物の「気持ち」がどうして理解できましょう?

こりゃ、生命教の立場ってことね。

生命教にプラサンガなんか無駄、無駄。

生命教とか机は、明かな誤読、誤解を指摘されても一度も認めたことがないから。
議論が成立しないんだ。
234神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 21:42:31.15 ID:AqtmS/15
>生命教とか机は、明かな誤読、誤解を指摘されても一度も認めたことがないから。
>議論が成立しないんだ。

恥ずかしながら、遅ればせながら分ってまいりました。
「議論すべきでない人々」の範疇に入りそうです。


235《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/18(火) 23:27:48.59 ID:0lJhRbjm
Wake up !!

宇宙から ウエイクアップコール
http://www.nhk.or.jp/space/program/wakeup.html
236神も仏も名無しさん:2011/10/18(火) 23:42:04.27 ID:yWXFDu0L
>>233
>明かな誤読、誤解を指摘されても一度も認めたことがないから

そもそも、現実上の根拠皆無な宗教の経典などに依存せず、読んでもいないの
だらか、誤読・誤解もへちまもない。
237神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 01:50:13.87 ID:Zc0thrVB
>現実上の根拠皆無な宗教の経典

それを信じるのが宗教だが
クリスチャンは復活を信じてるし


238机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/19(水) 07:45:53.92 ID:ifeOUG/n
>>228
>孔子は、「我、生を知らず、いわんや死をや」と答える。

これは正しい。
人間、生や死を考えるようになると、それで終わったようなもんだ。
何も考えず、ただただ日々是好日。

昨日街で出会った、見覚えのある老婆?
「貴方、どこかで私と出会ったことありますね?」と私は尋ねた。
彼女は、私を知っていたらしく、それなりのヒントを提示。
う〜〜〜ん、思い出せない><

ヒントを頼りに、なんとなく記憶の断片を繋ぎ、ようやく思い出した。
彼女は私よりグンと若い、それなりの美人であった・・・
あの美人が十数年くらいで、これだけ老けるのか?
人生無常なり。
239昔の人も(ry:2011/10/19(水) 07:53:43.58 ID:J7oW3/wM
>>236
>、読んでもいないの

読んでもいないなら仕方ないですね。
読んでもいない議題・話題についてはヲチに徹しましょう。
わからない点についての質問だけにしましょう。
それがマナーだと思います。
240神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 08:31:21.82 ID:J7oW3/wM
私にも何の価値、面白みがあるのかわからない話題というものはありますが、
だからといって読まずに知ッタカをする気にはなれません。

指摘されたときに、資料や作品を読んでいないから誤解も糞もないんだよと
開き直るのは流石に斜め上に突き抜けすぎていてありえません。
241神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 08:43:59.66 ID:i0WtGRlu
生命教と議論するわけじゃないが、直前に『中論』引用しといて、よく言えるなあ。
この人の論法は、ほどんどこんな取って付けたような幼稚なアドホック。

一ヶ月以上、フォローしてレスする人の気がしれない。
確かに偶に指摘してあげるのは、新しい人のためにもいいが、一ヶ月ごとに二三回で充分でしょ。
242神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 10:28:33.68 ID:ui2WULN1
>>241
>直前に『中論』引用しといて

「中論」は「宗教書」ではない。どこに「宗教的要素」がある?

「もろもろの存在の構成原理」を説いたのだから、むしろ自然科学書だw。

「釈迦への謝辞」は、内容とは無関係。
243神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 10:38:00.41 ID:hTbDTe9o
>>242
>むしろ自然科学書だ

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244神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 10:52:21.10 ID:ui2WULN1
>>243
中論の「空の原理(相互依存性・関係性)」は、そのまま、最新の自然科学の
原理なのだがw。

物質の原子構造然り、相対性原理然り、ゲシュタルト心理学然り、である。

中論の宗教的要素って何?
245神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 10:53:00.25 ID:i0WtGRlu
この通り、話にならんでしょ。

この人は話の流れがあれば「聖書やコーランのどこが宗教書なんだ」とも言うでしょう。

生命教が楽になりたいと思うなら、自分の無知を認めること、そうしないといつまでたっても苦しいだけ。

このような無茶な詭弁で、笑われるだけだって何時になったら認められることか?
246神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 11:05:44.50 ID:hTbDTe9o
>>244
>中論の宗教的要素って何?

マジレスすれば、「極限まで研ぎ澄まされた“抽象性”」。

それは、『「言語」「言葉」の抽象性』と相似する。(つか、ほぼ同質・同種のもの)。
「りんご(ri・n・ngo)」という言葉、この言葉自体が物として、或いは事象として存在するのではない。
(そこにあるのは、文字列(インクの染みやモニターのドットの点滅等)や音声(空気の振動)だけだ。)
また、《その言葉が指し示す『その言葉と【一対一対応する】“りんご”と称される【唯一の】何か』》があるわけではない。
そこでは、
≪「最大公約数的共通性を基準とし」、「細部の差異を捨象し」た上での【抽象的括り】としての「りんご」が提示されているだけ≫だ。
(そうした抽象性であるからこそ、すべての『りんご的モノ』を「りんご」として包含することが可能となる。
 それが、言語の学習と言ってもいい。)

いずれにしろ、そうした抽象性の上に、中論の義は提示されているのさ。
具象について述べている?w  ちゃんちゃらおかしいw
247神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 11:07:08.09 ID:ui2WULN1
>>245
仏典や聖書とは異なる中論の要素を指摘してみよ。

中論は「現実界」にそのまま合致する。

松本史朗さんは、「中論は現実志向が強すぎるから、自分は時間制を導入した」
と言っている。語るに落ちた話。

だから中論には、釈迦教徒を初めとするカルトは、絶対に近寄らない。
248神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 11:17:36.92 ID:ui2WULN1
>>246
あくまで「具象における研ぎ澄まされた抽象性」である。雲をつかむような
「心理現象」のことなど言ってはいない。

中論の誤解ではないの?
249昔の人も(ry:2011/10/19(水) 11:25:45.01 ID:J7oW3/wM
セブンさんの「相手が誰であれ、せめて有益なやり取りにしようとする努力」はすごいですね。

素で尊敬します。
250神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 11:45:03.47 ID:ui2WULN1
>>246
その抽象性は、リンゴという「具象物」に対して成立している。抽象性に対する
抽象性など、成立しない。
251神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 11:46:22.13 ID:OT2x4IxQ
>素で尊敬します
慈悲のなせる技でしょう。
空性を究めれば、自然に慈悲が溢れだすと聞いております。
252神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 11:49:34.84 ID:OT2x4IxQ
>>250
貴方の身体もその具象性のゆえに、朽ち果てていくわけです。
一分一秒と貴方の寿命が短くなっていることを、まずは自覚しましょう。
「生きてて良かった」と感じている隙に、死は確実に貴方にも近づいているのです。
253神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 11:54:18.99 ID:ui2WULN1
>>252
当たり前のことだ。君も同じw。

宗教の「死の恐怖」による「脅迫」が、誰にでも通用するなどと思うなよ。

宗教者の「脅迫」は、地獄に落ちるに値する大罪であることを、自覚せよ。
254神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 12:09:00.13 ID:hTbDTe9o
>>248
史朗ちゃんの方の誤解でしょw

>>250
>その抽象性は、リンゴという「具象物」に対して成立している。
「 >「具象物」に《 >対して 》成立しているのではなく、考え方・視線の投げ方における構図として
援用の元となっているのです。

>抽象性に対する 抽象性など、成立しない。
「愛」やら「友情」やら、あるいは「誇り」或いは「国家」或いは「家庭」(“家族”じゃありませんよ?w)などなど、
挙げていけばキリがありません。
指示対象が抽象か具象かは問題ではないのです。
《「カテゴリ」として括る》という作業が爲される時、
それは、個々の(それぞれ唯一無二の)存在・事象達を十把一絡げに「一つ」(一種)にまとめることに他なりません。
≪細部を捨象し、共通項で括る≫。この作業がこの場合の「抽象化」なのです。

対象が具象であろうが概念であろうが、≪個々の差異が捨象され、或る一つの「ラベル」に集約される≫こと、
これが抽象化でなくて何でしょうか?

蛇足を加えれば、
貴方の言う《『生命』という括り》(―実は一般での「生命」「いのち」も、同様の、相似したケースですが―)もまた、
こうした、≪【個々の差異、細部の差異を捨象】した上で成立している≫のです。
255机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/19(水) 12:20:58.51 ID:ifeOUG/n
>>252
>一分一秒と貴方の寿命が短くなっていることを、まずは自覚しましょう

横槍ですけど、
そうですかね?一般論ではそうかも知れませんけど、
寿命というのがモノサシのようなもんですかね?
モノサシなら、そのモノサシが妄想なんじゃないですかね?
256神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 12:34:42.60 ID:i0WtGRlu
>>254
インド註と青目註を根拠とするオイラの解釈だと、
『中論本頌』は三昧に入れる人を前提に説いてるので、
所謂、見道に入った聖者、最低でも三昧に入れる人以上じゃないと、
本来の意味、つまり、戯論寂滅への道たりえないので、
そういう人には第26、27章が説かれたのではないかと思う。

それに対して、ジェ・ツォンカパは方便として中観を見道に入っていない人のために組み換えて、
『量評釈』で説かれるような解脱への道の確認に書き換えたのではないかと思う。
これがゲルクでいう否定対象の確認というもの。

つまり、戯論寂滅への導きとしての観を、無我への論理的確認作業に換えた。
なぜなら、三昧にも入れない人に四句分別というあらゆる論理形式を鎮める観などできないから。
そのため常識、凡人の意識でも理解できる内容に換えた。

だから、常識にゲルク教学は接近するので、常識こそ仏教と信じるような批判仏教派は喜んだわけだ。
しかしながら、批判仏教派は、和辻の劣化版みたいなもので、もちろんゲルク教学とも全く異なる。
そのメルクマールは輪廻否定や、釈尊さへ仏教を理解しないという非仏教というか、ただの近代文学青年的立場にあると思う。

だからこそ、生命教は部分的に共感するわけだ。
つまり、自分の妄想をテキストに押しつけるという姿勢に共感するのに他ならない。
257神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 12:57:23.16 ID:u1GthkNm
>宗教者の「脅迫」は、地獄に落ちるに値する大罪であることを、自覚せよ。
貴方は地獄を利用して人を脅迫するのですか?
私は「貴方は死ぬ」という極当たり前の事実を指摘しただけなのに、
なぜそのような脅迫をなさるのですか?
「死が恐怖」でないなら笑っていればいい。

そもそも宗教者に地獄に落ちるなどの「脅迫」が通用するとでも思ってるのですか?笑止

いいですか、こうしている間にも貴方は歳老いていく。
寿命は必ず尽きます。確実に。
「俺はまだまだ」と思っていても無常の風は平等に吹きます。
10年先かもしれないし、今日明日かもしれない。
親しい人との別れも必ずやってくる。

地獄などという死んだ先の事よりも、すぐそこに転がっている死を自覚したほうがいい。



258神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 14:59:37.38 ID:AU0jKBWU
>>254
「うぬっ。俺の誤解だと」(史朗)

>愛」やら「友情」やら、あるいは「誇り」或いは「国家」或いは「家庭」

すべて「具体的行為」や「具象物」の属性。これらに基づかなければ、無意味な
言葉。

「美しい花」がある。「花の美しさ」なぞない。(小林秀雄)

>>256
その「見道」「三昧」とやらも、「自分の妄想をテキストに押し付けた」もの
でないことが、どうやって証明できるか。「他人の見解(テキスト)」ばかりに
依存するのは無意味。
259《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/19(水) 16:05:47.64 ID:vmEn1qw5
260神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 17:39:55.65 ID:hTbDTe9o
>>258
だから、「抽象化の話」だったでしょうにwww
具象の属性かどうかとか、具象に基づいているかどうかは関係ないんですよ。
抽象的概念もまた抽象化される、ということです。
 *(実は、ヒトが他の動物と異なる大きな点が、この(思考に於ける)「抽象化能力」だとも言えるわけですw)

>「美しい花」がある。「花の美しさ」なぞない
中論に基づけば、「美しさ」もなければ「花」もないんですよw
261神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 18:02:07.68 ID:tyENSJGF
>すべて「具体的行為」や「具象物」の属性。これらに基づかなければ、無意味な
>言葉。
dhrminのみ認めてdharmaを認めないか。
ヴァイシェーシカ?
262神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 18:05:28.25 ID:tyENSJGF
しかし、そうなると
肉体があるのみ、生命はない。
というべきだなw
dharmin

263神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 18:28:26.30 ID:IYeFjIV6
>>260
>中論に基づけば、「美しさ」もなければ「花」もないんですよw

中論の誤解。それでは「世間の一切の慣習」に反する。
264神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 18:35:46.67 ID:IYeFjIV6
>>260
中村元博士が「空とは無ではない」と声高に注意しなければならないほど、
仏教徒には中論を誤解している人が多いということだねw。
265机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/19(水) 18:59:12.87 ID:ifeOUG/n
>>264
中論は「これが正しい」とは、一言も書いてないですから、
捉え方は人それぞれなんじゃないですか?

般若心経もそうですよ。
どうにでも解釈できる訳です。

もしかしたら隠居氏は核心的な捉え方をしている可能性だってある。
そこは誰にも分からんかと思いますね。
266神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 19:10:57.15 ID:hTbDTe9o
>>264
アホですかw
【まともな】学者及び仏教者で、「空」を「無」と捉えている人はいませんw
居るなら是非紹介してくださいwww
267神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 19:31:51.06 ID:om8hc9RH
>>263
誤解ではない
中論において、空性の立場からは「常」どころか「無常」もないと説かれるのに、
どうして「美しさ」や「花」があるというのか

世俗の立場からはもちろん認められるが
268神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 19:49:20.06 ID:Og9Bb9Bh
竜樹の「空」とは、釈迦でも、イエスでも、竜樹自身でも、いかなる宗教でも、
「執着すべき自性はない」ということ。「無」に執着しても、空ではなくなる。
269神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 19:52:36.48 ID:om8hc9RH
>>268
別に無に執着してるわけではないだろ
それこそ空性を誤解してる
270神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:01:18.25 ID:RUgZdpot
>>263
中論ばかりでなく仏教全般君は理解できていない。
ヒュームでも何でもいいから別の事やったらいいよw

もし仏教に興味があるならもっと専門書読まなきゃ。
本気で学びたければ2ちゃんじゃなくて、大学の聴講生になって勉強したらいいよ。
できればインド哲学全般からね、金倉先生の本をまずはおすすめするよ。
何でもそうだが、独学は良くない。
271神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:05:52.38 ID:RUgZdpot
>>268
『「執着すべき自性はない」ということ』に執着してますねw
君は「空」に執着している。
それはもはや空ではないw
272神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:11:36.31 ID:Og9Bb9Bh
あまり本を読むと、本に影響され、結局は「借り物の思想」になってしまうね。

本を読むより、人間や自然や社会の直接観察の方が重要。

本を読むときは、常に、批判し、反論する心がけで読むべきである。
273神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:16:58.04 ID:Og9Bb9Bh
>>271
「自性のないもの」は、執着の対象になり得ない。

中論では、「物理現象」や「一切の世間の慣習」は無条件の前提としているね。

竜樹は、執着すべきものには、ちゃんと執着している。これが竜樹の偉大さ
だと思う。
274神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:27:04.08 ID:Og9Bb9Bh
>>266
石飛さんや松本さんは、空を「因果関係」だと解釈してるね。しかし、因果関係
だと、一方が他方を「支配」し、「生起」させる関係。何とかして、釈迦の「業報」を
維持したいからだと思う。竜樹には、「業報」「支配」「生起」「消滅」とい
う思想はない。
275神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:36:01.84 ID:Og9Bb9Bh
竜樹には、また、因果(原因・結果)の思想もない。
276神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:36:36.44 ID:om8hc9RH
>>273
>中論では、「物理現象」や「一切の世間の慣習」は無条件の前提としているね。
どこらへんが???

>竜樹は、執着すべきものには、ちゃんと執着している。これが竜樹の偉大さだと思う。
それは君が龍樹に自分の思想(執着)を投影しているだけだろ
それと
>「自性のないもの」は、執着の対象になり得ない。
この文章と前後矛盾してるけど、どう理解したらいい?
一切法に自性はないわけだが、どこに龍樹は執着してるのか?
277神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:38:18.54 ID:FQb306tF
>あまり本を読むと、本に影響され、結局は「借り物の思想」になってしまうね。

ハイハイ2ちゃんの知ったかちゃんの常套句ですねwww知ってますよwww
まず、君は「本の影響」をうけるほど熟読玩味してないでしょ?
次に、「他人の解釈」の受け売りでは学問にならない。
受け売りだけの学者なんていないけど?文献学をなめてる?

>本を読むより、人間や自然や社会の直接観察の方が重要。
つまり「ぼくは本を読みません!中論もろくに読んでません、直感です!」と宣言するわけですねw

だから、基本的なことくらい学びなさい、と言っているんですが?

278神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:44:15.31 ID:FQb306tF
>「自性のないもの」は、執着の対象になり得ない。
これはひどい間違いだねw
君は自分自身、自分の言葉にしっかり執着している。
君の体も言葉も自性は無いがねw

>竜樹は、執着すべきものには、ちゃんと執着している
竜樹が執着してるものって何?
ぜひ答えて呉れたまえ。
どうせヤマ勘だろうけどねwww

「空とは○○である」という主張は間違いですよw
279神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:49:41.59 ID:Og9Bb9Bh
>>276
物理現象については、中論第4章参照。「世間の一切の慣習」については、
既に何度か引用済。

私は、中論も、常に批判・反論の対象として読んでいるのだから、勿論、
自分の思想を投影しているところだけしか採用しないw。
280神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:51:14.00 ID:om8hc9RH
>>279
>>「自性のないもの」は、執着の対象になり得ない。
>この文章と前後矛盾してるけど、どう理解したらいい?
>一切法に自性はないわけだが、どこに龍樹は執着してるのか?

これにも答えてくれ
281神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:54:09.28 ID:hTbDTe9o
>>272
本を読むのは、交通教則本を読むようなものです。
それを読まずに、勝手気ままに道路を走られたら、大迷惑なのですw
最低限の基礎知識くらいは押さえていただかないと、
一緒にツーリングはできないのですw

>>274
>石飛さんや松本さんは、空を「因果関係」だと解釈してるね
ハァ?(゚∀゚)
『 >「因果関係」 』とは「無」のことなんですか?
『 >「空」を「無」と捉えている(人) 』の例を挙げていただけるんじゃなかったでしたか?w >>266

>しかし、因果関係だと、一方が他方を「支配」し、「生起」させる関係。
『支配』ではないでしょう?www  どこの国の辞書を使ってるんですか?w
『 >生起させる 』というのは、因となり縁となることですから、それはよいですけれども、
因とも縁ともならない場合もあるということが抑えられねばなりません。(解ります?w)
(というか、苦へ繋がる因や縁は結ばないようにするわけです。)

>何とかして、釈迦の「業報」を維持したいからだと
だからw
何度も言ったでしょう?w 「業報」もまた「縁起」の一側面でしかありません。
【業報があるから縁起なのではありません】。(この辺は宝珠も貴方と同じように考えているのかもしれませんがw)
また、【業報が護持されるべきものなのでもありません】。
それは、縁起を見る際に、恣意的に、都度都度必要な部分にピントを合わせた時に付随して生じる価値判断なのです。
付随して見られる、世俗の価値判断であるだけで、縁起の本質ではありません。



>>279
おお!w
ついに自認されましたかw 貴方のその一言まで、ずいぶん長くかかりました・・・(^^;
282神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 20:56:40.63 ID:FQb306tF
>>279
>竜樹は、執着すべきものには、ちゃんと執着している
280氏も言ってるが竜樹が執着してるものって何?
ぜひ答えて呉れたまえ。
283神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 21:01:08.13 ID:FQb306tF
しかし恐ろしいまでの頑迷さ。
やはり高齢者なんですかね?

もしそうなら、納得しますわwww
老人特有の大脳前頭葉の委縮が始まってるんでしょうね・・・・

そりゃ棺桶に片足突っ込んでるんじゃ、生命に執着するわけだwww
284神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 21:02:44.77 ID:Og9Bb9Bh
>>279の訂正
×物理現象
○物質現象
285神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 21:06:25.27 ID:om8hc9RH
>>284
どっちでもいいから龍樹が何に執着してるか早く
286神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 21:07:36.10 ID:oZvj7v5L
>>279
>自分の思想を投影しているところだけしか採用しないw

おーいw
本音をぶちまけちゃってるぞwww
287神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 21:19:33.64 ID:Og9Bb9Bh
>>286
皆そうだし、また、そうでなければならない。さもなければ「借り物の思想」
に過ぎなくなる。
288神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 21:20:40.51 ID:qvk0Akvc
test
289神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 21:26:51.08 ID:FQb306tF
竜樹は君のような実在論者を駆除するための毒として中論を書いたんだが
まさか、毒をおいしそうにパクつくなんて・・・竜樹もビックリww

しかし、その前にヴァイシェーシカに謝れ!
290《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/19(水) 21:30:23.81 ID:vmEn1qw5
291神も仏も名無しさん:2011/10/19(水) 22:27:31.32 ID:hTbDTe9o
>>287
>皆そうだし、また、そうでなければならない
ですよね〜w

そういえば昔、貴方が、「生命=(生命現象を現す)肉体」と再定義した時、
「それは生命教として異端だ!」と指摘してさしあげました。
もし、私が生命教徒であったならと仮定して、その教義を受け止めた上での指摘です。
言ってみれば、
貴方の説を参考にして、批判すべきところを批判し、
貴方の説をツマミ食いして(→>自分の思想を投影しているところだけ を採用して)
「生命は抽象的包括概念でなければならない、断じて“肉体”などと定義してはならない」
という自説を立ち上げたことになります。
古い、誤った教義(ご隠居説)を、新たに、自分の解釈に合うように再解釈したわけです。
《もとの考え》(ご隠居説)などどうでもいいのです。

どこかの誰かさんと同じじゃないですか?w
○釈迦を参考にして中論を書き上げた竜樹、それを再解釈した貴方。
 *(貴方にとって、《もとの考え》(…釈尊の考え(つまり初期仏教)はもとより、中論の伝統的正統解釈)などどうでもいいわけです。
  漢訳の註釈とか、多くの研究者・学者の中論解釈の幅や傾向とかもどうでもよかったですよね?w
  寧ろ批判する勢いでしたよね?w 青目釈だしたら、「本文で考えるべき」とか「大昔の漢訳は誤りが多い」とか、
  あまつさえサンスクリット原本(実際は抽出本だが)すら「古代人のもの、現代人が再解釈すべき」ですもんね・・w)
○中論を参考にして生命教を立ち上げた貴方、それを再解釈した私。

もし、「生命=(生命現象を現す)肉体」という再定義を批判した私に反論するならば、
それは、貴方自身の「釈尊及び仏教・縁起、そして中論に対する態度への批判」となることに気付くべきです。
292神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 00:17:39.00 ID:ZAgDvEjN
>>280
>>一切法に自性はないわけだが、どこに龍樹は執着してるのか?

「執着」という言葉はナンだから、「無条件の前提」と言い換える。

それは、「世間の一切の慣習」と「物質現象」である。

前者については、すでに何度も引用したとおり。

物質現象については、特に「空」などとは言っておらず、その原因も色で
あるが、原因は不可得であるから、現象は生じたままであり、その原因
について分別してはならない、と言っている。

そして、物質現象についての方法を、「感覚と表象と、意志作用と、一切の
存在」について同様に適用している。つまり、これらについても、物質現象と
同じく、「生じたまま」で、原因と結果の分別はするな、と言っているようだ。
換言すれば、「あるがまま」を、無条件の前提としている。
293神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 01:50:40.99 ID:v2rWBwkY
まあ、あまり読み込んでいないので誤読の可能性が、かなりあるが、
中論における竜樹の趣旨というのは、「・・・・・とは、〜である。」
のように、「ある真理の正当性を説く」  というのとは違うのでは?
それとは正反対に、そのように論理を持って、或ことの正当性を主張
する者を否定することこそが、その主旨であると思うのだが。

論理的整合性をもって、真実に迫ろうとする試みは、この現象界(世俗)
においては非常に有力な手段であるが、それは同時に、自己の論理への
執着、すなわち我執の生起につながる。竜樹がやろうとしたことは、
論証の成功を主張する相手の瑕疵を指摘し、その論理の破綻を示すことに
依って、「論証することの無意味さ」を明らかにしようとすることなの
では?

よって、隠居のよく言う「相依性、相互依存性」についても
この現象界において、「ある対象物が存在している」(それを前提として)
その存在原理を→「相依性」による    と見るのは間違いであり、
(つまり、この現象界の個々の存在を「相依性」によって論証したのではなく)

正しくは、正反対にまず、
「相依性」(という法? または縁起と言っても良いのか?)が、前提で
あって、それによって個々のものが仮設されると。→これは論理的帰結という
のではなく、多分に体験的要素を含むと思われるがw

つまり、視線の方向性が重要であって、それを間違うと個々のものに自性を
見てしまい、それを相依性によって論証するという  アホなことをやって
しまうとw
(まあ、正直よくわからんが、少なくとも竜樹は、「何かの正しさを論証」
しようとしたのではないと思うがね、中論ではww)

以上は部外者の私見wwwww
294神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 03:36:21.26 ID:v2rWBwkY
ちょっと、追加w
竜樹の「因果の否定」について(隠居がよく言うやつねww)

これは第20章のことだと思うが、竜樹の言う「否定」とは

「原因」→「結果」  というように、それぞれを独立した
(すなわち自性を有した)、別々の事象と捉えることを却下
したのでは? (世俗的には、勿論、それで良いと思うが)

また、言うまでもなく「原因と結果を同一の事象」と捉える
こともダメ。
つまり両方とも却下で、そこには論理性は全くない。
「原因」と「結果」を異なるとも、また同一とも見ない。
すなわち常識的な一般的視点を排除して、論理を消す。
そこに「空」をみるのでは?

竜樹の言う「否定」とは、俺らが日常に使用する「否定」とは
かなり意味合いが違うように思うのだが?w
295承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/20(木) 04:23:04.57 ID:0j28un1a
そして隠居らの言う「生命」と生物学的な概念としての「生命」の意味も違うのであった。

(^。^)ディスコミニケーション飽きた♪
296前世は一在家:2011/10/20(木) 06:23:10.08 ID:o8NShw21
>>293
>(つまり、この現象界の個々の存在を「相依性」によって論証したのではなく

当初、私は龍樹は「机上空論(言語論理世界で空を論証した)」と認識しておりました。

今は釈尊の「言い争うな」の教えを守り、「空は論証できないことを証明した」と認識しております。
(参照:中論、方便心論、大智度論)
297神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 06:38:42.20 ID:GqmUbxQm
>>293-294
近い。もう一歩。戯論寂滅のための方便ですよ。
ここでいう戯論とは、xである。xでない。xでありxでないのでもある。xでもxでないのでもない。
という四つの論理形式で示されるような、xを成立させる言語的展開、妄想構築、抽象付与展開をいいます。

そのような戯論によって真実とはxと掴んでいる見解・見方一切から逃れて空性・寂滅の境地に入ることを目指す、
慈悲に基づいた著書です。

それに入るためには三昧に入れる、止の状態であることが前提となり、
観の状態に入るための『中論』の論法は縁起・空・仮設に基づいて行われています。
そして四つの論理形式に依らない、戯論を超えた状態は釈尊によって中道と呼ばれ、
『中論』15-7に明らかなように『カーティヤーヤナ経』の有無を離れた中道こそがそれで、
まさにその中道こそが、『中論』というタイトルの根拠となっていることは間違いないでしょう。
これらはいちいちアーガマ・ニカーヤに典拠を見つけることができますが、
本質的には『般若経』『稲竿経』『勝義空性経』あたりが典拠となっています。

だから、始めの帰敬偈で縁起を説いて戯論を滅したブッダに帰依し、
最後の偈頌で中道を説いて一切の見解を断じたゴータマに礼拝しているわけです。
298神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 06:56:24.01 ID:GqmUbxQm
>>296
論証というのは全くの誤解でしょう。
なぜなら、論証したなら見解が残るから。

論証と読みかえたのがジェ・ツォンカパね。>>256
ここら辺は、高い確率で間違いないと思う。

そして論証と思うから、『中論』中観は誤読されてきたのだと思う。
そして自立論証派は、論証してしまったから、月称菩薩に中観から逸脱してると指摘された。
寂護菩薩は、論理学を取り入れながらも、論証でなく寂滅への道としたが、
弟子の蓮華戒菩薩は、論証にしてしまった。
だから、蓮華戒菩薩と、ゲルク教学は接近し、寂護菩薩とは遠く読みかえている。
299神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 07:06:55.62 ID:GqmUbxQm
この意味で月称菩薩を帰謬論証派と呼ぶことは完全な誤りですよ。
もともと、自立・帰謬の二分法は、高い確率でチベット起源だけど、

月称菩薩は帰謬を用いて論証などしていないです。
帰謬論証派と読みかえたのがゲルク。
で、ゲルクを情報提供者として文献学界に紹介したのが、ペテルスブルグの学者たち。
だから、そのような誤解がいまでも流通している。

その流れに乗って、ゲルクの常識路線を評価してより常識的に読みかえたのが松本さんたちね。

だから、文献学の提示する中観は、ほとんど誤解なんですね。

それを免れている奇跡的な方が、山口益先生、石飛道子先生。

もちろん、ペテルスブルグ説系統でない中観説を提唱する学者もいるけど、
そのような人は、大抵全くの妄想ですよ。生命教とほとんど変わらない。
300神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 07:58:19.53 ID:vGUxQ6Bb
>>298-299
なるほど。 今までで一番解り易いw
今一、それぞれの相関や各人物の立場がぼやけてたけど、
全体俯瞰した流れ(と各ポジショニング)はそういうことなのね。
(特に299 1〜4行とかw 月称をそういう立場と見るってのは確かにあまり聞かなかったし・・。)

>>297
なるほどね。
縁起に基づく(≒四句分別に拠らない)寂滅の状態(≒境・境涯)そのものが提示されているわけだ。
で、それはとりもなおさず戯論寂滅である、と。
((言語による)戯論寂滅を示すことで、「涅槃としての寂滅」の提示に代えている、と。)

つーことは、中論に於いて、
≪『「縁起」(を見ること)による一切の寂滅』が示されている≫ と読むのは錯りなのか?
そうではなく、ただ、
≪『(言語による)「戯論」(言葉によるあれこれの把捉・特定含)の遠離』のみが示されている≫ と読むべきか?
301机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/20(木) 08:07:39.84 ID:TrE8rtIy
>>279
>私は、中論も、常に批判・反論の対象として読んでいるのだから、勿論、
>自分の思想を投影しているところだけしか採用しないw。

中論は自己投影的なところがあるから、それはそれで充分かと思います。
ちなみに、
私はミッション系の学校で、聖書の授業は全く無意味でした。
関心があればそれなりに興味が沸くのですが・・・それがどうも関心事態が皆無><
それに比すれば、中論に出会えただけでも幸運かと自分では思ってます。
302昔の人も(ry:2011/10/20(木) 09:21:22.28 ID:kzbglwr1
中論と大智度論の作者の別人説が、中論を毛色の違う論理パズルのように解した上で、
大智度論が注釈書・解説書としてけっこう普通に書いてあるから龍樹っぽくなくね?

という感じで出ていたりしてませんか?さすがにないか。
303神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 09:32:27.80 ID:v2rWBwkY
う〜〜〜〜ん、つまり、
「自立論証派」と「帰謬論証派」の両派とも、中論を論証しようと試みている時点で
アウト。よって、月称菩薩は帰謬法による論証などをしているのではなく、唯、
戯論寂滅のみを説いているだけである。そして、それこそが竜樹が中論において
目指したところである。   と、こんな理解でOK?ww
304机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/20(木) 09:46:22.83 ID:TrE8rtIy
龍樹は三世実有論を破壊しただけで、他に論証(世俗締)の意味はない。
305神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 09:46:40.14 ID:v2rWBwkY
セブンの
>((言語による)戯論寂滅を示すことで、「涅槃としての寂滅」の提示に代えている、と。)

これは面白い。w
中論の意図はそれか?

あと、、
>つーことは、中論に於いて、
>≪『「縁起」(を見ること)による一切の寂滅』が示されている≫ と読むのは錯りなのか?
>そうではなく、ただ、
>≪『(言語による)「戯論」(言葉によるあれこれの把捉・特定含)の遠離』のみが示されている≫ と読むべきか?

これww (相変わらず難解な言い回しなんで、隠居なんか何言ってるのか分からんぞwww)
俺はまともに読んだのは中論くらいで、他の竜樹の著作はしらんが、
竜樹のスタンスというのは、全て後者であって、「何かを積極的に示し、
説く(あるものに対する肯定的視線)」という方向性は見られないのか?w


306神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 10:21:34.88 ID:enpBMx1e
>>305
>竜樹のスタンスというのは、全て後者であって、「何かを積極的に示し、
>説く(あるものに対する肯定的視線)」という方向性は見られないのか?w

皆、大昔の注釈書にばかり飛びつかないで、中論の本文を、竜樹の言わんとする
心理を辿りながら、自分の頭だけで読んでみたらどうか。

そうすれば、中論は、論証しないどころか、完璧な論理の書であり、堂々たる
現実肯定の書であることが分る。
307神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 10:32:08.21 ID:vGUxQ6Bb
>>306
アホかwww

本文のみで判断したら、ますます貴方の考え方と乖離するんですよw

貴方の考えと合致しているように見えるのは、
貴方が参照した解説書が合致しているだけで、もともとの本文と合致していることを担保しません。

言ってみれば、以下の図の如くです。

     解釈     鵜呑み ・・・(実際は「自分で調べ、裏を取り、検証した後の賛同」ですが・・w)
      ↓        ↓
諸経 →  →解説書→  →他者
(もと)     (翻訳)
(本文)
(古代)    (昔・現代)    (現代)

貴方は上図を、古代の書物を鵜呑みにした借り物思想、と批判しますが、
下図と同じなんですw 解ります?www

     解釈     鵜呑み
      ↓        ↓
竜樹 →  →解説書→  →貴方
(もと)     (翻訳)
(本文)
(古代)    (昔・現代)    (現代)
308神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 10:37:13.57 ID:enpBMx1e
>>295
>そして隠居らの言う「生命」と生物学的な概念としての「生命」の意味も違うのであった。

そんなことは、どこにも言っていない。生命は、生物学的な生命のみである。「生命」と
「いのち」との異なった二つがある訳がない。宗教者の被害妄想かw。
309神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 10:40:48.79 ID:v2rWBwkY
>・・・・・自分の頭だけで読んでみたらどうか。

その結果が、

>中論は、論証しないどころか、完璧な論理の書であり、堂々たる
>現実肯定の書であることが分る。

これか?ww
どわっはっはっは〜〜〜〜〜〜〜wwwwwwwww

そうだよなw  うんうんwwww
中論は「自然科学の本」だよねwwwwwwwww

310神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 10:41:55.24 ID:vGUxQ6Bb
>>308
ん?

>「生命」と「いのち」との異なった二つが

なぜ、違う言葉にした?
今までは、 「生命に二種類あるのかね?」 としか言ってなかったのに。
311神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 10:59:28.97 ID:enpBMx1e
>>310
宗教者は、「生命」を「いのち」と書いて区別しているw。

>>307
どこが?中論思想のkeynoteである第1章の言葉(特に、原因も結果もない)、
及び「相対性ならざるものはない」の、本文の言葉だけで充分。

要は、注釈書を読みまくって、中論をひねくり回さないことだ。竜樹は、素朴な
古代人の一人に過ぎないのだから。
312神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:26:08.29 ID:5M6tIc0W
原因も結果もないなら科学が成立しないと思いますが?
313神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:33:59.12 ID:enpBMx1e
>>312
「原因・結果」と言うより、両者の「関係性」の視点。相互に、何らかの
影響を及ぼし合っている。これは、現代科学の視点そのもの。
314神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:40:49.52 ID:6dHy96YY
例えば?
火事になったのは誰かが火をつけたからだとする。
放火が原因で、燃える家は結果だ。
しかし、燃える家が放火の原因にはならないだろう。
つまり、相互依存関係の関連性が適合されるパターンもあるだろうが
原因結果の関係もある。
315神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:44:03.63 ID:enpBMx1e
>>312
現代哲学における「現象学的還元」も、同様な視点だね。
316神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:46:35.73 ID:enpBMx1e
>>314
放火しても、燃える家と燃えない家とがあるねw。
317神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:52:04.10 ID:GqmUbxQm
>>300
そうかもしれない。

> (特に299 1〜4行とかw 月称をそういう立場と見るってのは確かにあまり聞かなかったし・・。)

これはずっと言ってきたつもりなんだけど。

> 縁起に基づく(≒四句分別に拠らない)寂滅の状態(≒境・境涯)そのものが提示されているわけだ。
> で、それはとりもなおさず戯論寂滅である、と。
> ((言語による)戯論寂滅を示すことで、「涅槃としての寂滅」の提示に代えている、と。)

提示じゃなく導くわけ。言語的な認識じゃなくて、分別のなくなった空性そのものになる。
単純にいうと頭真っ白な状態になること。

> つーことは、中論に於いて、
> ≪『「縁起」(を見ること)による一切の寂滅』が示されている≫ と読むのは錯りなのか?
> そうではなく、ただ、

頭真っ白な状態を縁起というならそれでいいけど、因果関係だとか、関係性がとか捉えて、
縁起を説明体系、つまり、ある見解として掴んだのなら『中論』13.8で「空性という見解を持つ人たちは救いようがない」
と言われるようにどうしようもないっす。

> ≪『(言語による)「戯論」(言葉によるあれこれの把捉・特定含)の遠離』のみが示されている≫ と読むべきか?

頭真っ白にさせるためにそうするわけね。
318神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:54:57.16 ID:GqmUbxQm
>>302
オイラは完全に読み切ってないから、断言できないけど、
もちろん龍樹菩薩著でしょ。見解がそう。他者はありえない。

ただし、羅什三蔵が編集したりしてる部分はあると思う。
319神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:58:03.27 ID:6dHy96YY
>>316
解答になってないと思うけど。
そもそも現象学的還元というならば、相互依存関係も実在を疑わなくてはならないのでは?
家に火がつかなかった例を上げて何を言いたいのでしょうか?w
それは単に放火が失敗したと言うだけの話だが


320神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 11:59:31.06 ID:GqmUbxQm
>>303
アウトとは言わない。方便説だろうと思う。少なくとも中観本来の方法とは違うのは確か。

そういう意味でそんな感じ。で、通説と違って、三論宗や非ゲルク系チベット諸派は本来の中観に近いんだよね。

それと公案とかの禅宗の方法も同じことを目指していると思う。
つまり、禅定で三昧に入って、公案で戯論を断つと。
これと同じことを中観は、六ハラミツで行うのではないかと。
321神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 12:01:02.07 ID:enpBMx1e
>>300
>(言語による)戯論寂滅

竜樹も、言語を使っている(使わざるを得ない)のだから、それも「戯論」と
なるw。

言語学で「意味論」という分野があるが、それも言語の意味を使って論じて
いるのだから、無意味となる。
322神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 12:01:53.79 ID:GqmUbxQm
>>305
オイラは上に書いた通りだと考えます。

つか、ここと翻訳読んだだけでフォローできる、アナタはホントに賢いは。

随喜、随喜!
323神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 12:06:03.92 ID:GqmUbxQm
古代人がオレチャンより、賢いわけがないと思ってるのはどうしようもないな。

古代の文献で、今までいろんな批判に耐えて現代までずっと称賛されてきたテキストだよ。

ここでさえ、ほとんどの人にバカにされてるヤツと一体、どっちが優れてると思う?

龍樹菩薩は、現代でも世界中から注目されてるんだぜ。

もっとも、ほとんどの人は全く分かってないけどね。
324神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 12:30:36.65 ID:6dHy96YY
殺人が起きても「死ななかった人も居れば死んだ人も居るねw」と言う論理が
成立するならば、刑法の一切は破綻するよ。
それでは世間一般の慣習に反するのではないですか?

325神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 12:35:08.36 ID:6dHy96YY
街中で突然拳銃で撃たれても「防弾チョッキを着ていれば死ななかった」と言う
論理が成立するならば、あらゆる犯罪を追及することは出来なくなる。
結果の側の原因を考慮すべきケースもあるが、もしそれを絶対化するならば、被害者に常に落ち度があることになるよ。




326神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 12:39:30.34 ID:6dHy96YY
なるほど、確かに竜樹は面白い視点を提供しているね。
ただ、因果関係が逆向きにも働くと言うことを言っているのであり
因果関係そのものを否定しているわけではない。
327神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 12:44:56.73 ID:7Apiqb5v
>>306
君の中論解釈は

新聞の社説を切り刻んで脅迫文を作るようなもの。

コンテクストを無視して、君の「頭のなか」だけで読まれてもねwww
脳内妄想だって宣言されても、ハイそうですか・・・としか言えない。

だから誰も君の解釈に同意しないんだよw
2ちゃんだけではなく世界が君に同意していない。
これが現実だが、ちゃんと認識できてる?
328神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 12:49:51.80 ID:7Apiqb5v
>竜樹も、言語を使っている(使わざるを得ない)のだから、それも「戯論」と
>なるw。

そりゃ世俗に関することだからねw
竜樹は「私の著書を読めば戯論寂滅の境地に至ります」とは言っていないw
329神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 14:47:45.78 ID:GqmUbxQm
>>328
というより、道だから、導きだから。

言い換えれば、戯論によって戯論寂滅に導く。

これが『中論』24.10 世俗によらずに勝義は得られない。

また『廻ジョウ論』がよく論じてるとおも。

330《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/20(木) 16:11:43.36 ID:id44zxBQ
331神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 17:19:52.39 ID:G9FK4i1u
>>324
>>325

「未遂罪」という犯罪類型があることを忘れないように。

>>327
>2ちゃんだけではなく世界が君に同意していない。

竜樹の「真意」は、地下の竜樹に聞いてみない限り分らないこと。君自身が、
「殆どの人は分っていない」と言っているではないか。清弁や月称等についても
同じ。
332神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 17:33:43.54 ID:6dHy96YY
>>331
未遂罪があることと、因果律の存在とどういう関係があるんですか?
333神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 17:38:20.37 ID:6dHy96YY
>>331
ちなみに生命教は「よりよく生きるために」何が必要だと教えているんですか?
334神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 18:26:18.89 ID:vGUxQ6Bb
>>317
>これはずっと言ってきたつもりなんだけど
いやw 貴方がということじゃなく、
「竜樹は、中論に於いて“縁起”を論証してみせた」というのが世間一般の評価、イメージでしょ?w
そういう意味で。

>提示じゃなく導くわけ
悪いけど、中論のみでは導きにはなってないよ。(少し意地悪く言えば竜樹のオナニーみたいなもんだw)
貴方自身が、他の論書や経、或いは禅定を併読・併修して初めて―と何度も言うように・・。
つまり、【中論頌に於いては】「提示」にしかなっていない、ということ。(方法論及び手順等があって初めて「導き」だろ?w)

>頭真っ白にさせるためにそうする
つまり、どこかに、《そのために、「中論頌」に言われるようなことをツールの如く用い、追証すべきである》といわれねばならない。
帰敬偈だけで十分だろうか。

縁起を「 >説明体系 」と捉えるのは確かにアウトだろうが、「 >ある見解として 」というのはどうだろう?
八正道に於ける「正見」のひとつは、「諸法の縁起してあること」と如実に・正しく見ることと言えると思うが、
それすら捨象する、という所まで踏み込むってことか?(そう、まるで禅者の如くw)
335神も仏も名無しさん:2011/10/20(木) 18:45:54.66 ID:vGUxQ6Bb
>>311
>宗教者は、「生命」を「いのち」と書いて区別している
また特亜人みたいな姑息な発言をwwwww
『貴方が、なぜ、違う言葉を用いたのですか?』と、【その瞬間の貴方の使用法について】聞いているのです。
宗教者がどう使っているかなぞ尋ねておりませんが?w

>どこが?
いやいやいやいやwwwww  盲ですか?
まったく同じ図のなってるじゃないですかw

>第1章の言葉(特に、原因も結果もない)、及び「相対性ならざるものはない」の、本文の言葉だけで充分
いやいやいやいやw
それ、貴方の言う(他者を批判する際に言う)本文じゃないからw
誰だか知りませんが、『或る学者の個人的解釈による、その学者の日本語訳』でしかありませんからw
だから307の図なんじゃないですかw  ホント、頭悪いですねwww

>要は、注釈書を読みまくって、中論をひねくり回さないことだ
ハァ?(゚∀゚)
本文のみでも、貴方の考え方と正反対だといってるじゃないですかwww
貴方こそ、『どこの馬の骨か解らない学者の解釈に依拠せず』、『本文に即して【自分で読み解いたら】』どうですか?w

>古代人の一人に過ぎない
古代人は皆貴方より劣ってるんでしょうかね?www
何年前の人からが古代人になるのか知りませんがw、
たとえば、紫式部とか清少納言とか、(この辺は古代人じゃないと言いそうですがw)、
貴方より劣ってるんでしょうかね?w


んと、下劣な人格ですよ、貴方は・・。
336机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/20(木) 19:21:52.85 ID:TrE8rtIy
>>331
>竜樹の「真意」は、地下の竜樹に聞いてみない限り分らないこと。

真意は実有論アンチ書と解釈してます。
スレの流れを簡単に読んでみたのですが、
「論理破壊」は正解かと思います。
ところが、それだけでは実有論者に簡単に論破されちゃうんじゃないか?
つまり完璧な中論に仕上げるのは、そこに矛盾はあってはなりませんから、
矛盾があれば、矛盾がないように、その後理論武装は2つくらいありますね。
つまり龍樹の視座は、大方3とおりあるんじゃないでしょうか?

では、おやすみ。
337神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 01:14:16.60 ID:YeOCczt8
>>314
原因と結果は瞬時だよ。ほぼ同時ってこと。
たとえば、空気の振動によって音が鳴るという場合、
空気の振動が原因で、音が鳴るというのが結果だけど、
この二つは相互に依存していて、
音が鳴ってんのに空気の振動が無い・・・、
ということはない。
結果 → 原因 と、可逆的に依存関係が成り立ってる。

まず、因果関係を時間的幅のあるものと考えてるところから
誤解が始まってる。
そこから因果関係を逆もあると、考えるから
おかしくなる。

本当の仏教的な意味での因果関係とは瞬時(刹那・即今)であって、
結果にすべてが集約されている。
338神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 02:08:52.72 ID:dSn18y7+
なるほど。
その洞察は見事だけど
それを釈迦批判に持っていくのは強引じゃね?
ボールが飛んでいる結果の中に誰かがボールを投げたという原因が含まれているのは確かだが
誰かがボールを投げなければボールが飛んでる結果もない訳で
あらゆる因果関係を否定する思想ではないでしょ
339神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 05:49:12.53 ID:UQiYNcjE
>>334
だって読むテキストじゃなくて伝授して教えて貰うものだから。

見解としては微妙、とりあえず一度、寂静の境地に入ることは確実。
その後、後得智としてどうなるかは、インドで無住派と如幻派の二つがあるように違うよう。
如幻派は、色即是空・空即是色以降もあるので、現空不二・双運になるようです。
この方法は、三論・天台・華厳・真言やチベットの現空双運と同じだと思う。

その場合、見解と言ってもいいようですが、それが龍樹菩薩や月称菩薩に遡及できるかなどは、
まだまだ研究が足りませんです。今後の課題としたいっす。
340神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 08:50:52.43 ID:QrVAlrjb
>>336
>真意は実有論アンチ書と解釈してます。

本文の訳文からの引用をお願いします。私は、筑摩書房発行の「大乗仏典」の
平川彰訳しか読んでおりませんので、その訳文からお願いします。

竜樹は、非実有の女を抱き、非実有の飯を食って生きていたのでしょうか。
彼ほどの頭脳の持ち主が、そんなアホなことを言うとは思えません。

また、「論理破壊」についても、同様に本文の訳文から引用をお願いします。
中論自体も、西洋哲学から見ても完璧な論理の書であり、論理の乱れは殆ど
ないと思います。
341神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 09:04:14.01 ID:QrVAlrjb
>>333
>ちなみに生命教は「よりよく生きるために」何が必要だと教えているんですか?

生命は、すべての人間が既に持っているものであり、「宗教」ではありませんから、
「教えを説く」ことなどしないし、またその必要もありません。

「より良く生きる方法」などありません。ただ、自己の生命の指示に
忠実に従って「生きる」だけです。「より良く」などの観念が介入すると、
「生きた」ことにはなりません。背伸びしてしまって、生命の指示を無
視する恐れがあるからです。

「すべての人間は、生命において等価・至上」の「自覚」のみで充分です。
342神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 09:21:04.24 ID:W+hEg+Wl
>>329
>というより、道だから、導きだから
言わんとすることはよく分る。
中論の著述の目的は、チャンドラキールティも指摘するように
戯論寂滅と吉祥なる涅槃に到達すること。
中論の見解は、般若ハラミツとしての道そのものである。
ただ、ユガ行派のような詳細な道(マールガ)は説かれていないだけ。
343机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 09:29:22.30 ID:PLxriNHw
>>340
>中論自体も、西洋哲学から見ても完璧な論理の書であり、論理の乱れは殆ど
>ないと思います。

論理の乱れはない、と解釈するのも、それもひとつの選択肢じゃないでしょうか?
例えば貴方が実有論者だとして、中論を拝読した場合、
実有論という立場なら、中論のアラでも探し始めるんじゃないでしょうか?
「ここんとこが矛盾するんじゃないかい?」とか、
必ず法論を仕掛けてきますよ。
そういう法論に対して、何らかの理論的構築がなされてないと、
簡単に中論は崩壊してしまいます。
ですから龍樹は、それに対応した武装をしておるのです。
もっともこの武装を第一義と解釈すべきでしょうね。



344机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 09:38:28.75 ID:PLxriNHw
>>340
>本文の訳文からの引用をお願いします。私は、筑摩書房発行の「大乗仏典」の
>平川彰訳しか読んでおりませんので、その訳文からお願いします

私はテキストから書き込みしている訳じゃないです。
古典的論理学から抽出したまでのこと。

>竜樹は、非実有の女を抱き、非実有の飯を食って生きていたのでしょうか

これは全くカテゴリーが違うんじゃないでしょうか?
原子力研究家の小出助教授は、原子の飯は食っておらんだろ?

花は紅(くれない)柳は緑、ですね。
345神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 09:55:35.84 ID:QrVAlrjb
>>343
実有論から見ると、中論にはアラなどありません。「物質現象」はそのまま
認め、「物質現象に関する何らの分別も、分別すべきではない」と戒めている
のですから(中論第4章)。しかも、同章で、この物質現象に関する論理を、
「感覚と表象、意志作用、および一切の存在」についても適用しています。
つまり、すべての存在はあるがまま、ということになります。
346机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 09:55:42.78 ID:PLxriNHw
>>340
>また、「論理破壊」についても、同様に本文の訳文から引用をお願いします

これはスレの流れで、そういう解釈が書かれていたのは
殆どの人間は納得するんじゃないでしょうか?
それだと
>中論のみでは導きにはなってないよ。(少し意地悪く言えば竜樹のオナニーみたいなもんだw)>>334
とか
>アウトとは言わない。方便説だろうと思う。少なくとも中観本来の方法とは違うのは確か>>320
とかの方便説まで出てくる。

だからこれは私がとやかく言うもんじゃないし、
各人の捉え方で良いんじゃないでしょうか?
347机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 10:01:30.03 ID:PLxriNHw
>>345
>実有論から見ると、中論にはアラなどありません

自性とする実有論からしますと、無自性はいくらでも突っ込みはできます。
それに対応しなければならないのは、中論の宿命なんじゃないでしょうかね。
348神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 10:09:05.58 ID:QrVAlrjb
>>347
それは簡単なことではないでしょうか。実有ではあるが、「関係性の産物」だから
「自性はない」と。
349机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 10:12:58.66 ID:PLxriNHw
>>348
ええ、そのとおり。簡単に解釈しちまえば良いんですよ。
ただ私は、貴方の書き込みに矛盾を感じますがね。

ようは、矛盾を感じるか?
感じないか?
それだけの違いであって、ただ感じなければ良いんじゃないでしょうか?
「疑」なくば矛盾もない。
350神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 10:14:10.92 ID:QrVAlrjb
>>344
竜樹は「もろもろの存在」について語っているのだから(第1章)、「カテゴ
リーの違い」などはあり得ません。
351机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 10:21:13.16 ID:PLxriNHw
>>350
女は女でしかない。
飯は飯でしかない。

非実有の女など存在しない。
こういう意味に受け止めてください。
352神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 10:25:15.97 ID:QrVAlrjb
>>351
結論がでましたね。要するに「最も当たり前のこと」を言っているだけ。

ご教示有難うございました。
353机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 10:30:43.18 ID:PLxriNHw
(つづき)
これを踏まえた上で、
無自性だから、生起しようがない。という矛盾がある。
生起してるのは何か?こういう指摘もできる訳で、
これを完全に体系つけないと中論の崩壊になる。
それはちゃんとやってるようですよ。龍樹は・・・
論理破壊だけでは、どうも治まらんのです。
354机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 10:34:10.57 ID:PLxriNHw
>>352
つづきがありますから>>353

>ご教示有難うございました。

いえいえ、じゃあこれで落ちます。
355神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 10:37:55.51 ID:QrVAlrjb
>>342
>吉祥なる涅槃に到達すること

「生死の世界と涅槃とはいかなる区別もない」のだから(中論25:19、
25:20)、「到達する」という言葉はおかしい。それでは「戯論」になっ
てしまいます。「到達する」のではなく、「既にその中にある」ということ。
356神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 10:46:22.20 ID:YeOCczt8
>>338
ボールを投げる行為が原因となるには、ボールが飛ぶとか、ボールが当たるとか、ある結果が出ないといけない。
結果の無いうちに原因はありえない。
そういう意味で、原因と結果は相互依存関係にあるといえる。
例えば、放火犯AがBの家を全焼させた、というとき、
Bの家が全焼した原因は、Aの放火以外にはありえない。
Bの家が全焼したのはあくまでAの放火なわけで、
ストーブの火の不始末が原因なんじゃない。
原因は結果とともにしかありえないのに、原因と結果を別々に考えるから、
原因と結果が複数存在することになる。
357神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 10:49:23.95 ID:QrVAlrjb
>>353
「生起したものを、そうやって分別するな」と竜樹は言っているのですw。

「生起の原因は、すでに生起したものに含まれている」ということ。
358神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 11:21:53.69 ID:d125oBV6
不生亦不滅 不常亦不断 不一亦不巽 不来亦不出

能説是因縁 善成諸戯論 我稽首曜弗 諸説中第一


帰敬偈 ねw  これが中論のダイジェストだと思うが?


『縁起は、「減」はなく、「生」はなく、「断」はなく、「常」はなく、
「来」はなく、「去」はなく、「異義」でなく、「一義」でなく 、
戯論が寂滅し吉祥であると説かれた、諸説法
者中の最勝者なる正覚者に稽首札する。』

最重要は→『戯論が寂滅』であり、そのために「八不」を述べ、その
詳細を本論で語る。
これが中論なのでは?ww

では、「戯論の寂滅」とは?

覚者がありのままに「縁起」を観るとき、『相のある戯論』→すなわち
「何かしらの主張、見解、を有する考え」  は完全に滅する。
そこにおいては、思考、知識、言説など、あらゆる心的ゆらぎは消滅し、
生老死等に対する怖れも完全に消滅せられるから、「吉祥」となる。


戯論が寂滅した境地とは、全ての言葉、思考の滅した世界であり、言う
なれば、「完全なる沈黙の世界」  とでも言うものか?

つまり中論を  「中論というのは・・・・という真理を・・・・のように
完璧な論理を持って論証している。」  と捉えた時点でそっぽ向いてるとww
359神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 11:33:34.20 ID:d125oBV6
え〜〜〜と、別に中論について「語ろう」としてるわけではないのでwwww

(隠居のアホがあまりにも酷いので、ちょっと、チャチャ入れてみただけwww)

>仏教徒諸氏
360神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 11:36:39.63 ID:QrVAlrjb
>>358
ならばまず、「釈迦の教え」なるものも、戯論として寂滅すべき。

帰敬偈(これは単なる挨拶文)などに執着している限り、戯論寂滅などありえない。
361昔の人も(ry:2011/10/21(金) 11:41:56.72 ID:4edzb2iH
>者中の最勝者なる正覚者に稽首札する。』

これは形ばかりのもので、内心ではペロッと舌を出して
自分のほうが上だと思っていた。
……というのはもはや「解釈」ではなく「妄想」だと思います。

人間には、自分が理解・共感できる「頭のいい人」と
理解・共感できない「頭の悪い人」しかいないと思っているから、
彼はこのような空想にもっともらしさを感じるのでしょう。
362神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 11:44:20.67 ID:QrVAlrjb
>>359
私がやってるように、原文の和訳をきちんと引用して批判してください。

罵詈雑言や感情論や差別用語は、「批判」や「反論」には一切なりませんよw。
363神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 11:50:34.31 ID:d125oBV6
>私がやってるように、原文の和訳をきちんと引用して批判してください。

どわっはっはっはっは〜〜〜〜〜〜〜wwwwwww

その訳文を「自分勝手に」「俺様流に」曲解して、妄想垂れ流してる
アホをどうしろと?wwwww

今まで散々、多くのものから誤読、曲解を指摘されながら、全く改ためようとも
しないアホに、また一から説明しろって言うの?wwww
それは勘弁してくれやwwwwww
364神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 13:24:59.21 ID:FKGoAPPf
>>345
> 「物質現象」はそのまま認め、
はい。間違い。

> 「物質現象に関する何らの分別も、分別すべきではない」と戒めている
そうですね。

> しかも、同章で、この物質現象に関する論理を、「感覚と表象、意志作用、および一切の存在」についても適用しています。
違いますね。 『 >適用 』ではなく、【『同様である』という並列・併記】ですね。
五蘊のそれぞれに、主従の関係はありません。

> つまり、すべての存在はあるがまま、ということになります。
何が 「 >つまり 」なんでしょう?w
貴方の接続詞の使い方は、毎度ながら意味不明ですね。


>>350
>竜樹は「もろもろの存在」について語っているのだから(第1章)、
はい。 諸々の存在について語ってますね。
ただし、「物」「個物」「rUpa」限定ではありませんね。
貴方が>>345で触れる通り、(心経で触れられる通り)、「名色nAma-rUpa」のことですね。
「色」が最初に述べられる意味は、「それが、一番判り易く、一番執着し易く、確認しやすい」からです。
また、「色受想行識」という順序が、認識の順序とシンクロしているからです。

>「カテゴリーの違い」などはあり得ません。
そうですね。
勿論、勝義に於いて全て「bhava」なわけですが、考察の便に於いて、それらが「名と色」「五蘊」「個々の存在」
といったカテゴリが必要となるのです。
そして、これが、【世俗に依らねば】【示し得ない、語り得ない】ということです。

貴方の中論理解はこのように錯誤のミルフィーユなわけですw
365神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 14:05:00.94 ID:Ws1064Y3
>>355
君のような邪見は昔から多々ありまして・・・・
今でもちょっと禅をかじった人がすぐそうした妄言を吐きます。
分った気になって酔うw
喫茶去とかと同じで、誤解が生じやすい。
野狐禅ですね。大変な悪業です。
「到達する」を否定するくせに「既にその中に有る」なんて言ってしまってるw

だからわざわざ間違えないように龍樹菩薩は道をお示しになられた。
道は歩かないと意味がありませんw
戯論は戯論によってしか対治できませんよ。
366机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 14:29:01.36 ID:PLxriNHw
>>357
>「生起したものを、そうやって分別するな」と竜樹は言っているのですw。

龍樹が言ってるからといって、私はなにも無批判に全部信じ込んでしまう訳ではない。
必ずそこには対実有論のアンチテーゼがあるはずだ。
実有論においても無我です。ただこの無我の捉え方が中論とは違う。
論法においては自性の実有論の方がはるかに有利ですし、
無自性ならそれだけで論法は不利で、そこに必ず疑問があるはず。
(なければないで、それでいいのだが)
実はこの疑問において、私は次のステップが待ってる。と解釈している。
まさにそれは実有論においての中論の核心部分ではないか?

論法は二度ほど矛盾に突き当たる。
367神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 15:01:49.83 ID:dSn18y7+
356
なるほど。
家が燃えるという結果は放火という原因以外にありえない。
しかしそれって通常の因果論と何が違うの?
368神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 15:04:37.24 ID:s29XMK+9
>>364
>はい。間違い。
間違いの根拠を、本文を引用して示してね。

>違いますね。 『 >適用 』ではなく、【『同様である』という並列・併記】ですね。
>五蘊のそれぞれに、主従の関係はありません。
同様であるからこそ、「適用」という言葉を使う。若干異なる場合は、「準用」と
いう。平川さんは「適用」としている。私なら「準用」とするところだが。

>> つまり、すべての存在はあるがまま、ということになります。
>何が 「 >つまり 」なんでしょう?w
「物質現象があるときも、ないときも、その原因は不可得である。原因なくして
物質現象があるということは、絶対にありえないことである。それ故に、物質
現象に関する何らの分別も、分別すべきでない」と言っているのだから、つまり
(換言すれば、in other words)、「生じた現象のあるがまま」ということになる。

>勿論、勝義に於いて全て「bhava」なわけですが
勝義の根拠は何ですか?それとも「妄想」ですか。世俗諦には、「世間の一切
の慣習」という厳然たる根拠があるが。
369神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 15:31:56.01 ID:FKGoAPPf
>>368
>間違いの根拠を、本文を引用して示してね。
wwwww
本文の中に存在しないことを述べていらっしゃるから、
間違っている(→本文で述べられていない)と申し上げました。
本文の中に存在しないことを本文によって示すというのは、全文引用しろということですか?w

>同様であるからこそ、「適用」という言葉を使う。若干異なる場合は、「準用」と
>いう。平川さんは「適用」としている。私なら「準用」とするところだが。
(法務委員会で、森まさ子と仙石の遣り取りがあったがw)、
準用というニュアンスの場合、「準用元が基準である」ということになるでしょう?w
(貴方の場合は、まさに「色」をそうした基準としたいわけですから当然の語用だと思いますがね。)
しかし、そうではありません。この場合、所縁により生じ、滅し、或いは存続する諸法としての
5つの「カテゴリ」なのですから。
(心経でもそうですが)、それのみでなく『乃至・・・』と続けて、他を示さねばならないのは、
それらが、カテゴリとして並立するものだからです。

>「物質現象があるときも、ないときも、その原因は不可得である。原因なくして
>物質現象があるということは、絶対にありえないことである。それ故に、物質
>現象に関する何らの分別も、分別すべきでない」と言っているのだから、つまり
>(換言すれば、in other words)、「生じた現象のあるがまま」ということになる。

事象Aの原因は不可得。
原因無き事象Aはない。
それ故、
事象Aについて、何等の分別もなされることがない。
分別がされない=あるがまま

また、「それ故」という接続が意味不明ですwwwww
物事の構図を見るスキルも低いですが、接続詞の使い方も小学校から復習したほうがいいんじゃないでしょうか・・w
370神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 15:33:05.50 ID:FKGoAPPf
>>368

>勝義の根拠は何ですか?
いやいやw
根拠とか関係ないでしょw  貴方自身が、(上記「分別なし」と同様)
『 >「カテゴリーの違い」などはあり得ません。 』 と仰っていることを指して、
≪そのような、差異による分別・カテゴライズをせず、一切を『一』(不二)と見る姿勢が『勝義』である≫
ということです。貴方自身が、勝義目線で物事を見ているのです。
生命という最大公約数的括りも、やはり同じ『勝義目線』なわけです。

また、ちなみに申しておけば、『 >「世間の一切の慣習」 』なるものは、世俗諦の『根拠』ではありませんよ?
世俗諦の現れ方であるだけです。そういう現れ方(→「見え方」)である、というだけです。
根拠でも何でもありません。 だから、そうでない別の「見え方」が勝義なわけです。
371神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 16:00:40.47 ID:FKGoAPPf
>>339
随分謙虚だなwwwww

しかしまた、むつかしい熟語を並べやがってw ぐぐる先生も詳しく知らないみたいじゃないかw

筏は背負って歩くには重いが、チューブ式の浮き輪なら、
畳んで持ち歩けばかさばらず、必要な時は空気吹き込んで膨らませばいい、みたいに、
「渡河後も持ち続けるかどうか」という点と、>一度、寂静の境地に入ることは とあるように
「悟りの目線は、(世間を俯瞰視する際に、世俗で人として生きざるを得ない故に)
維持・活用され続け(≒働き続け)ねばならず」、その意味での現空双運ということだろうか?
(でっかい仏教辞典は手元にないんで確認できない。)

>その場合、見解と言ってもいいようですが
まさに、八正道において正見が言われる中、智慧波羅蜜が言われる大乗は、その正見を、
渡河後の筏と見做すのかどうか? という疑問と言ってもいいかな。
勿論、八正道が手順・方法論である以上、涅槃が一切の寂滅なれば、
そこでは一毛一厘の見解すら寂滅している、と見るべきかもしれんがね・・。(パーリでもね。)
そして、竜樹は、それをこそ示したかった、と・・・。
372神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 16:32:38.45 ID:UQiYNcjE
>>342
オイラも20年前ぐらいは唯識には道があるから優れてると思ってた。
間違いだった。

中観ももちろんある。『明句論』のチベット訳にだけある、月称菩薩の跋に、
『宝行王正論』『経集』諸讃に依って詩句を編んだとある。
この詩句は『入中論』に他ならないでしょ。
そして『入中論自註』は正に『宝行王正論』『経集』諸讃に依っている。

『勧戒王頌』『四百論』などを見ても三論宗やチベット系中観を見ても、
あきらかに道がありますよ。
373神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 16:35:00.35 ID:s29XMK+9
>>368
物質現象を、何の留保もなく記述していれば、「あるがままの物質現象」と
いうことになる。君は、書いてあることだけしか分らないのか。言葉の表現
能力には制限があることくらいも分らないのか。

「適用」も「それ故に」も、平川さんの訳語のまま。そもそも「乃至」などと
いう言葉を使ったら、文章が成立しない。

一切が「一」なら、何故、聖者と凡夫、釈迦と凡夫、勝義と世俗諦の区別など
をする?

勝義が「見え方」なら、誰にとっての「見え方」か?精神病者と健常者とでは、
ものごとの見え方がことなる。釈迦一人にとっての見え方なら、健常者が取り上げる
に値しない。この世は世俗によって成立・維持されているのだから、世俗の見え方
に合致させないと、この世では生きてゆけないよ。
374神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 16:50:05.23 ID:UQiYNcjE
>>358
鋭い。今話題の平川訳中論を収めた『大乗仏典』は1974年版。
訳者である平川彰先生が龍樹説を概説した『インド仏教史』下巻の出版は1979年。

つまり、明らかに『大乗仏典』で訳した解釈が要約されているわけですが、その42頁で、
全く同じく八不偈を根本と捉えて、こう述べています。

   釈尊の根本思想を「縁起」であると受けとめている。
   そしてそれを解明することを『中論』述作の主目的としている。
   これは竜樹が原始仏教を正しく受けついでいることを示すものである。

 この三行だけでいかに生命教が平川訳を誤解しているか明解で、
少なくともこの点では、アナタの解釈こそ平川訳に添っているのも明解です。

 また以下のように捉える平川先生の仏教観、中論観が生命教と全く相容れないことも明解でしょう。
http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnlabstract_ja.php?cdjournal=tja1948&cdvol=50&noissue=1&startpage=1

 これでも、平川訳を根拠に珍説を展開するのかどうか、
 あるいは、どういい訳するか、ちょっと興味ありますね。
375机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/21(金) 16:57:08.89 ID:PLxriNHw
>>373
>一切が「一」なら、何故、聖者と凡夫、釈迦と凡夫、勝義と世俗諦の区別など をする?

横槍ですけど、勝義と世俗の区別は大事かと思います。
たしか中論では「生起し、そのまま滅す」の記述がありますが、これは世俗締です。
勝義だと「生起する訳はない」。不生不滅ですから。
こうなるのがいわゆる、
世俗においての勝義の明示という脈絡に入っていかんとあかんだろう。

つまり世俗論理をそのまま、なんの疑なく解釈すれば、到底その範疇にしかおれない。
戯論寂滅においても、そういった勝義の根拠は中論において
ちゃんと明示してます。
そこを読み込んで逝けばアンチ実有論の方向性になる。
376神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 16:58:59.86 ID:UQiYNcjE
>>371
そこは難しくて、まだ自信がないからですよ。

現空双運というのは、現れはあっても無戯論の境地という意味。
これが正に大乗の見解で、色即是空だけでなく空即是色以下が活きてくる。

顕教では、果としてそういう境地になるわけですが、
それを道として行じるのが密教。

龍樹菩薩がそれも論じたかどうかは、今のところ分かりません。
月称菩薩は、高い確率でそうで密教行者だったと思う。
これは論証が難しいけど、『入中論自註』の七章以降と弘法大師の仏教が非常に接近することが挙げられると思う。
もはや、法身説法と紙一重だよ。報身説法だけどね。
377神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 17:01:00.26 ID:FKGoAPPf
>>373
>物質現象を、何の留保もなく記述していれば、「あるがままの物質現象」ということになる
なりませんwwwww  それを左右するのが「文脈」なんですよ。

>君は、書いてあることだけしか分らないのか
wwwww 自己紹介ですか?w

>そもそも「乃至」などという言葉を使ったら、文章が成立しない。
ハァ?(゚∀゚) 漢訳仏典は「乃至」の目白押しですよ?w 貴方も大好きな心経もそうでしょう?w
お得意の中国語読解力で、「乃至」が用いられる場合の意味合いを考察してみては如何ですか?

>一切が「一」なら、何故、聖者と凡夫、釈迦と凡夫、勝義と世俗諦の区別などをする?
区別がなかったら、社会が成り立たないでしょう?w
必要な時に必要な分別をする、というのが大人でしょう?w
何も問題ありませんよね?w  生命として皆、至上で等価なんですよね?
なんで、教師と生徒、首相とコンビに店員、天皇陛下と二丁目の床屋の親父、憲法と社訓の区別などをするんですか?w

>勝義が「見え方」なら、誰にとっての「見え方」か?
そのように見る人にとっての見え方でしょう?w それ以外に何がありますか?w
378神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 17:01:55.76 ID:FKGoAPPf
>>373
>精神病者と健常者とでは、ものごとの見え方がことなる。
仰るとおりですが、どちらかの基準の上で、どちらかを正当としているのでしょう?
無重力状態で頭と足を向け合った二人にとって、どちらが上ですか?

>釈迦一人にとっての見え方なら
とんでもないw  その後多くの者が、それこそ貴方は「感応しただけだ」と言うでしょうが、
まさにそうなんですよ。それを否定したりはしません。
学問でも教育でも、思想でも、職人技・機微・感性などなど、全ての「継承事案」とはそういうものです。
そして、多くの人が(私自身もミニマムな相似として)、多くの伝承を「実体験として、或いは、世間の人々の観察として」
その通りだと【検証】してきているわけです。 この検証は、努めれば誰にでも可能なのです。
身一つでよいのですから。 勿論、貴方の言うような(西洋医学的)身体の観察だけではありませんよw
寧ろ、「心の在り様」をこそ観察しなければなりません。
そういえば、貴方も「内観」という言葉をつかっておられましたが、これはいったい【何を】【見て】いるのでしょうかね?
どのような【作業】がされていると言えるのでしょうね?w

>世俗の見え方に合致させないと、この世では生きてゆけないよ。
仰るとおりですw
ですから、釈尊爾来、そのように伝承され続け、龍樹に於いてもまた
24:8〜10の如く継承されているわけです。
世界中でただ一人貴方だけが、頓珍漢な奇説を弄しているわけです。
379神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 17:26:22.88 ID:FKGoAPPf
>>376
難解さはあまり変わってないぞw

>現空双運というのは、現れはあっても無戯論の境地という意味。
>これが正に大乗の見解で、色即是空だけでなく空即是色以下が活きてくる。
ふむふむ。 確かに、
「入てん垂手」の部分が、(単に、法施(町へ出る、法を説く、姿を見せる、等)としてだけでなく)、
自身の生き方(日の送り方)に於いて、自由自在融通無碍なることを目指す、というのは、
小乗アビダルマにも、上座部(パーリ)にも、欠けている或いは希薄である側面だとは言えるだろうけど。
そういう「自在無碍」な在り方、ってわけではないのかな?(どうしても語彙的に禅の範疇になるのは許せw)

>顕教では、果としてそういう境地になるわけですが、
で、ここまでは、ふむふむだが、
>それを道として行じるのが密教。
これは、果の状態もまた、方法論のひとつ、通過点のひとつ、(寂滅しきってない)、ということ?
それとも、道元の打坐の如く、或いは孔子の矩を越えざるが如く、或るいは雲門の12月25日の如く、
そのように行じていること(且つそのことに縛られていないこと)、そのこと自体に最大級の価値を置く、
(それこそ「(日々)行じること」そのことを「果」とする)、みたいなニュアンスか・・。
380神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 18:54:01.12 ID:s29XMK+9
>>374
>これでも、平川訳を根拠に珍説を展開するのかどうか、
>あるいは、どういい訳するか、ちょっと興味ありますね。

私は、平川先生の翻訳を利用させていただいて、「自分の解釈」の参考に
しているだけ。解釈まで真似る必要はない。平川先生も「自分の解釈」を
されている。

リンクの論文読んだが、先生も、根源としての生命には思い至られて
いない。しかし、「生得的な般若」や「如来蔵」は、生命と矛盾する
ものではない。

平川先生を「何処の馬の骨だか分らない学者」と呼んだ者がいるが、
相当の学者のようだね。少なくとも、2chの自称仏教学者よりも10倍は
学識がありそうだw。
381神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 19:24:30.74 ID:8kqr8vAn
文献解釈はどうでもいいや。

大事なのは、仏教が、今日、我々にとって、なんの役に立つかだよ。



382神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 19:41:45.75 ID:UQiYNcjE
>>379
まあ、そこは口が滑ったというか、本来、ここで書くことじゃないんで、
これぐらいでよろ。
383神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 20:13:36.48 ID:FKGoAPPf
>>382
了解。
384前世は一在家:2011/10/21(金) 20:53:35.87 ID:PrFvVWqh
>>337
>原因と結果は瞬時だよ。ほぼ同時ってこと。

そうでしょうか? 土から瞬時に瓶ができますか。

ヒントは同じく龍樹『大智度論』に次の一節があります。

「土塵は過去世であり、泥の塊は現在世であり、瓶は未来世である。
時の相は常であるから、過去の時は未来の時とならないし、現在の時ともならない。」
「もし過去がまた過ぎ去ったならば即ち過去の相をこわす。もし過去が過ぎ去らなかった
ならば即ち過去の相はない。どうしてなのか、自相が捨てられるからである。
未来世も同じである。こういうわけで時の法は実ではない。」

時の相は無常でなく常だそうですが、ちとこの般若経の解説は難しいですね。
385前世は一在家:2011/10/21(金) 21:17:22.45 ID:cGVjarX9
>>384
大龍菩薩が龍樹に授けたと言われる般若経。
摩訶般若波羅蜜経の解説書の大智度論は龍樹作と鳩摩羅什記載。
尚、鳩摩羅什は龍樹菩薩伝の筆者です。

『時』大智度論より抜粋。
『如是我聞一時』の五語の各各の義を仏は説かれ、その中で『時』の義も説かれた。
天竺には、『時』について、二種の名が有り、迦羅(から、実時)と三摩耶(さんまや、仮時)という。
例えば、『泥丸』を現在の時、『土塵』を過去の時、『瓶』を未来の時とすると、『時の相』は、
『常』であって変わらないので、過去の時は未来の時とならない。
もし、『三世の時』に『自らの相が有る』ならば、『現世』となり『過去と未来の時は無い』はず。
この故に、『時法』は実有でないので、仏は三摩耶(仮時)という。
386神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 21:20:30.84 ID:FKGoAPPf
>>337の指摘自体は、重要だし意味のあることだが、
(そのレスとしては)重大な錯誤がひとつある。
それは、
>たとえば、空気の振動によって音が鳴るという場合、
>空気の振動が原因で、音が鳴るというのが結果だけど、
これが、(もしかしたら敢えて解っていてのミスリードかもしれんが)、
ここには、原因と結果という相はない。 なぜか?
「空気の振動」と「音が鳴る」というのは、一つの事象であり『別物でないから』だ。
我々は通常、空気(或いは媒介物)の振動を、そのことを指して、音がしているという。
勿論、レアなケースとして、そうでない場合もあり得るかもしれない。
しかし、何かの振動が耳小骨に伝わらなければ、そこに音は感受されない。
その意味で、
 >この二つは相互に依存していて
依存どころか、「空気の振動」と「音(音がする)」というのは、一つの事象の異名に過ぎない。

一方、(>>314で言うような)火事の場合、そうではない。
そこには、明らかに「外部から火(火種)がやってきて、それまで燃焼していなかったものAが燃焼し始める」わけだ。
この時、事象の解説として、論理上、Aの燃焼しているところには必ず、その因となった火種Cが存する、といえないこともない。
だが、Aが燃焼するから、そこにCが生じるわけではない。 Cが生じるより先にAが生じるということはありえない。
ケースとして、『Cが生じたからといって必ずAが生じるとも限らない』。
だが、『Aが生じているならば、そこには必ずCの生起があった筈』なのだ。

337に於ける「火事」と「音」の例は、事象として異なる相のものであり、比較には適さない。
387前世は一在家:2011/10/21(金) 21:53:14.81 ID:vzcbZPQ3
世俗諦は有為法の内。
勝義諦は有為法と無為法をも。

無為法は縁起によらない。如来、涅槃、等々。

本スレで酷評された法華経の某訳を再提示します。
「無常で無いものは無いというのは浅はかな考えである。仏の眼で見れば仏も世界も常住で美しい。」

凡夫には汚れて無常に見える世界が、如来からは常住で美しいとは、ちと難しいですね。


388神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 21:56:17.78 ID:dSn18y7+
それもいい突っ込みだね
勉強したから東大に合格しと言うような場合
一年間予備校に通って継続して勉強したという
長いスパンがある訳だ
東大に合格したのが原因で勉強は結果だと言う事も出来なくはないが
勉強している最中は東大合格という結果は現れていない
もっとも苫米地英人氏などは竜樹思想や、現代分析哲学の観点から
現在の中に全てがあり
東大合格という未来(可能世界)も現在の中にあるので
東大合格という結果は勉強している今この時にも存在しているとしている
という主張をしている
放火の例で言えば、放火しようと考えた瞬間、放火の結果(家の全焼)も現在の中に存在していることになる。
389神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:01:11.75 ID:FKGoAPPf
>>385に絡んで少し。

samayaは、「時刻、時節、機会、時機」といったようなニュアンス。
kAlaは、所謂「流れとして、或いは直線の線分としてイメージされているような、そういった、量をもった」もの。
或いは「時間がない、時間を作る、時間(時)が過ぎてゆく」といった表現がされる時にイメージされているもの。
だから、後者は擬人化され、女神としてヒンドゥ文化の中に存在する。

また英語を絡めて補足すれば、
前者は「o'clock」或るいは「 at、on 等で示されるようなケース」
後者は、所謂「time」或いは「distance」といったニュアンス。

samayaは頻繁に使用されるが、kAlaは滅多に使われない。
(常に特別な意味が付されるということでもある。輪廻とか死とか。)
samayaには有名なフレーズが幾つかあるので二三例を挙げておく。
ekaM samayaM bhagavA 〜「或る時世尊は〜、/世尊が一時〜(な時)」・・・経の語り始め
tena kho pana samayena 「一方その頃」
tena samayena bhagavA 〜「その時世尊は、〜」・・・律の語り始め

大乗及びアビダルマ含めた論書の発展の中、
両者に付加される意味合いは、時代を下るごとに複雑且つ深遠なものとなってゆく。
(「実時」「仮時」という訳(漢訳)及び解釈が妥当かどうかは、ちと疑問符。)

また、引用されている解説も、「文字を分節して」の解説だが、
そのように「時」の字一字とってもしょうがない。それはまさにTPOに於けるTでしかない。
そこにおけるOが、「慈悲による、弟子たち・衆生の為の説示」ということになる。
(特に大乗仏典で)「或る時/その時」と言われるのは、
『機が熟し、今まさに教えが説かれるにふさわしいタイミングで』という意味を持つ。
強いて言うなら、その『六字』中の「時」は、そのような、稀有な貴重な機会という意味となる。
390神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:02:49.63 ID:oRoQ8tss
>>372
中観派じゃなくて『中論』にはユガ行派のような道が説かれていない、
という意味なんだけどね。
私もユガ行派の五道は優れていると思っていたw
それからやはり中観だと思ったが、
今は・・・どうでもいいw

ところで
>それを道として行じるのが密教。
この場合の道とはどういうこと?
禅では悟後について言及するが(十牛図や曹洞の自受用三昧等々)
密教ではどう言ってるの?
391神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:08:54.35 ID:dSn18y7+
現在の意思が原因で現在の状態は結果
というように解釈すると
原因と結果は同時という意味は解る。
ボールを投げようと意図した事が原因で実際にボールが投げられる訳だからね
するとボールが飛んでいるのは原因(意思)でもあり結果(現れ)でもある。
392神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:14:50.75 ID:FKGoAPPf
>>388
勿論、捉え方(≒受け止め方)として、
そのような見方( >東大合格という結果は勉強している今この時にも存在している )もアリと思う。
つか、寧ろ「美しい」と思う。
一念岩をも通すじゃないが、願い、望み、希み、一心に念じる時、その成就は約束されているってのは美しい。
各界の色んな人も言うしね。強く願っていれば、いつかそれは叶う、と。

それはともかく、大乗仏教には、それを教義的に可能とする策がないでもない。
それが、網の目のような法界縁起だ。
この縁起の中だからこそ、人人具足の仏性はあり続けるし、すでに成仏しているし、
この世の一切の事象は不可分に繋がり合っている、と。
その意味で、我々は(我々の仏性、仏心は)仏様と一体であり、不生不滅であり生き通しであり、
本性清浄であり、全宇宙に満ちている等々と表現されることになる。
(初期仏教からすれば真逆のw)「常楽我浄」と言うフレーズを担保するのもこの部分。

この辺の話と言うか言い回しは、あちこちの坊さんの話や著作の中に溢れている。
(その辺は、隠居が言うようにw「日本は大乗仏教の国だなぁ・・」と感じる瞬間でもあるw)
393神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:15:10.83 ID:dSn18y7+
我々が2ちゃんねるをしているのは原因(意思)でもあり結果(現れ)でもある
それ(つまり結果、現れ)以外にその原因を見出だすのは難しい。
我々は2ちゃんねるをしているから2ちゃんねるをしている
それ以外に原因はない結果もない。
394神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:19:54.34 ID:dSn18y7+
釈迦の12因縁で言えば
無知と苦悩は同時に存在している
悟りと自由も同時に存在している
ある意味では同じ現象の裏表とも言える。
395神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:21:14.12 ID:FKGoAPPf
>>391
>>392も踏まえた上で)、問題は、
 「成就しない(果を結ばない)ケースがある」
ということだw
396神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:28:54.56 ID:NWmSrz2y
私が2ちゃんをやってるから
2ちゃんが存在する
やらなければ
存在しない
これを唯意識と言う

そんなことないよな
397神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:34:26.33 ID:dSn18y7+
時間というのが実在しないとするとですよ
所詮暦とか時間は人間の発明であり実在はしないとするならば
ピアニスト志望の若者がプロになろうと何年も努力している
その時間も実在しない
もし山奥の山荘で時間を忘れてピアノを弾き
会心のレコード録音が出来上がり山から下りて来たら百年経っていたということもある訳だ
この場合、傑作レコードを作ろうと思ったから
傑作レコードが出来た。
意思と現れは「同時」という事になる
時間が実在しないとすれば、何事も「同時」である。
強引過ぎるかなこの論理は
398神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:39:02.74 ID:dSn18y7+
時間が実在しないならば
東大合格とその為の努力は同時に存在する
時間が実在するなら
東大合格とその為の努力は別々である
399神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 22:54:05.55 ID:FKGoAPPf
>>397-398
こういうとき、いつもイメージしてもらうといいのが、
テーブルの上の氷柱。
(特に真夏なればw)、氷はあっという間に溶けていく。

まず、過去・現在・未来が別々に存在するか、或いは同時に存在するか、という点。
この時(今まさに溶けていっている時)、
未だ解けていない氷柱(過去)が、「そこ」にあるか?
既に溶けきって、氷柱が存在しないということ(未来)が「そこ」にあるか?
どちらも否。よって、過去も未来も存在しないし、同時にも存在しない。
これは、氷(物質)「色」だけでなく思考(心)に於いても同様である。

次に、原因と結果が同時に存在するか? これは、上で幾つか見たようにケースバイケース。
次に、原因が、その結果によって引き起こされるということがあり得るか?
答えは否。 氷が溶けることによって気温が高くなる、或いは氷が溶けるほどの気温を存在せしめているのではない。
(寧ろ、氷が解けているということは冷えているということw)

「因果同時」というのは、実はもの凄く特殊な事例だと考えるべきかと思う。

(そういえば、アインシュタインも、一般と特殊と二種類言ってなかったか?w)
400前世は一在家:2011/10/21(金) 22:56:18.95 ID:GiOz5UvH
>>387
>無為法は縁起によらない。如来、涅槃、時の相、等々。

>>389
>samayaは、「時刻、時節、機会、時機」といったようなニュアンス。

大変お詳しい方ですね。
「一切皆苦」、「諸行無常」という言葉は有名ですが、「一切無常」とも訳せると聞いたことがあります。

無為法の如来、涅槃は「常」で「苦」が無いそうですので、釈尊が「一切」と説かれた際には仏は含まれていなかったことになりますか。
菩薩ならいざ知らず、苦楽の無い涅槃に入った仏が苦しんでいるのでは明らかに論理矛盾ですから。
401前世は一在家:2011/10/21(金) 23:04:32.69 ID:GiOz5UvH
>>392
>その意味で、我々は(我々の仏性、仏心は)仏様と一体であり、不生不滅であり生き通しであり、
本性清浄であり、全宇宙に満ちている等々と表現されることになる。

仏性は不生不滅であり生き通しであっても、我(意識、記憶)は輪廻の度に失われて無常ということでしょうか。
菩薩だけは入胎時も出胎時も意識があるそうですが(参照:長部経典)。
402神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 23:09:44.36 ID:dSn18y7+
特殊時間論は悟った人だけの時間感覚で
一般時間論でいうと
現在の中に溶ける前の氷もあるし溶けた後の氷もある
勿論、これは心が生み出した妄想だが
普通、人は妄想の時間の中にいる。(一般時間)
というのも普通の場合、自分は昨日の自分と同じ自分だと思っている訳だから。
家族も昨日と同じ家族だと思っている。
氷の例えで言うと過去の氷と未来の氷を現在の中に見ている状態
403神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 23:19:53.74 ID:FKGoAPPf
>>400
このスレで三法印の話は何度目だよwww

sabbe saNkhArA dukkhA  「諸行 苦 、一切行 苦 、一切皆 苦 」
sabbe saNkhArA anicccA  「諸行無常 、一切行無常、一切皆無常」

正確に言えば、諸行は苦の因となっているという意味合いだから。
また、仏や如来を行に含める例には出会ったことがない。
人間存在・五蘊存在総体を行として括る例も見たことがない。(稀少なりともどこかにはあるのだろうか?)
だから強いて、仏・如来を人間存在・五蘊存在としての「行」と見做せば、そのことによって「苦」を感受する人もいるかもしれない。
ただ、仏・如来に於いては、五蘊が残っている以上そのことによる感受は生じるものの、
そこから更に苦が生じることはない。そこには、行として、作られていくことがないから。
行がないから。 だから、ウダーナ8のような謂いになる。
この場合の「行」こそが、形成・生成するものされたもののことだから。
形成・生成されること無きが故に、そこに苦もまたない。
404神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 23:29:20.01 ID:FKGoAPPf
>>402
そう。
だから人は、今は無き幻影としての過去像に捕らわれ、囚われ、
その像の変異に憂い、喪失に憂い、また、それからの変異(という現状)に怖れ、憂う。
また、未だ無き幻影としての未来像に捕らわれ、囚われ、
(理想とする)その像へと変異し得ないこと、或いは満足にある現状からの変異を憂い、怖れる。
また、現状の喪失に憂う。
常に一瞬一瞬、一つの像しかないのに・・・。
過去や未来は、当然の如く「如夢幻泡影」。そして、現在もまた同じ。

ちなみに、
道元さんの「前後際断せり」は、当然>>402及び>>398後者を指しているものと思われる。
405神も仏も名無しさん:2011/10/21(金) 23:55:39.25 ID:ap6Kv0By
過去のことも、未来のことも、考えているのは「今ここ」の生命だから、すべては
今ここである。

ニーチェの「永劫回帰(正しくは、永遠の反復)」も、同義であろう。
406神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 02:46:00.47 ID:zkHSc/O8
南無阿弥陀仏のお題目は、人は悟るとミラクルパワーに目覚めることを前提にして話を進めてるんだとふと気付いた。
たとえ悟れて成仏できてもミラクルパワーは生まれませんとなると、みんなで討ち死にだな。
407前世は一在家:2011/10/22(土) 07:37:28.77 ID:ywii8270
>>403
>ただ、仏・如来に於いては、五蘊が残っている以上そのことによる感受は生じるものの、
>そこから更に苦が生じることはない。そこには、行として、作られていくことがないから。

幾度目かの解説をいただき、申し訳ございません。

三法印の「一切」には仏と涅槃が含まれていないというのは、涅槃経の四法印「常楽我浄」が出典かなと考えております。
408前世は一在家:2011/10/22(土) 07:45:54.71 ID:ywii8270
>>406
>たとえ悟れて成仏できてもミラクルパワーは生まれませんとなると、みんなで討ち死にだな。

修行完成者が得られるミラクルパワー(神通力)に関しては、上座部の経典には多数明記されております。
もし阿羅漢や菩薩でもパワーが生じない、嘘であれば、生存中に検証可能ですから誰も仏の教えを広めたりはしなかったでしょう。

ただし、神通の範囲が六神通全てなのか、三明智までか(残りは後世の追加)は分かりませんが。

神通は魔術でもできると釈尊は注意しておりますし。
409宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/10/22(土) 08:14:38.57 ID:9VMqtEjX
>>407
ここは重要な論点なので、
在家さんの完成で続けてツッコミをお願いしたいところ^^

しかし、
>涅槃経の四法印「常楽我浄」が出典

大乗の涅槃経は、
原始経典のものとは内容が異なると思われます(ストーリーは同様・・・)。
「常楽我浄」の教えは大乗教理かと・・・(つまり、ゴータマが説かれたわけではないとされる)。
410宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/10/22(土) 08:28:37.39 ID:9VMqtEjX
>>409
訂正:
 ×「完成」
 ○「感性」
411机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/22(土) 08:38:32.45 ID:lZPLkK/Q
>>392
>その意味で、我々は(我々の仏性、仏心は)仏様と一体であり、
>不生不滅であり生き通しであり、

そうですかね?
不生だから生きてないんじゃないですかね。
生きてないから滅すこともない。
412神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 08:40:04.53 ID:FSuyFDW0
>>390
そやから、密教には突っ込まんといて〜な〜

あんさんも、いけずやな〜、ほんま、後生でっせ!
413神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 09:27:12.40 ID:CLJ6bfpC
>>412
samayaを護っておられるようで・・・
それは失礼しました。
414昔の人も(ry:2011/10/22(土) 10:40:53.33 ID:ubQlZOVa
もし伝承できる人が途絶えたら密教経典・文献は金庫に納めるかして海底に沈めるか
埋めるか、焼却しないとやばいということですかね。
書いてある言語と文字がわかる人が呼んでしまえば、その人を地獄に落としかねない。
書いてある内容をひとに話したら完全にクロでしょう。
よく言えば薬品、悪いもので例えれば言えば地雷でしょうか。
前に読んだ『ゲルク派版 チベットの死者の書』の解説だと
無上瑜伽タントラのやばさは凄まじい。

もし密教の立場が真理なら、『和訳 秘密集会タントラ』を読んだ私は
ここでは書けない目に逢いそう。
もしそうでも見るなと言われるとかえって見たくなる……。

密教のことが書かれた書物は所定の僧院の奥で厳重に管理されるのが
本来の姿なのでしょうか。チベット仏教国ではどうなっているんでしょう。
415昔の人も(ry:2011/10/22(土) 10:47:29.45 ID:ubQlZOVa
『ゲルク派版 チベットの死者の書』という邦題って印象操作くさい。

「用法が違うものにニンマ派のと同じ呼び名をつけて
あっちは枕経だけど、こっちは生前から学んでいく。
つまりゲルク派はニンマ派より現実的実践的なんだよ」

という「色」をつけようとしている、というのはうがち過ぎか。
416神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 11:16:02.60 ID:FSuyFDW0
>>415
まったくその通り。
そもそもその本は、ゲルク派の密教入門教科書みたいなもので、タイトルも三身の定義、設定ですから。

死者のために読み聞かせることで、解脱に導くお経という意味で西洋人がつけた
『死者の書』という言葉とは全く関係ないものです。

明らかに羊頭狗肉でしょう。

ゲルクのものを読むなら、マリア・リンチェンか斉藤さんのものをお勧めします。
お二人とも立派な方ですよ。少なくとも心が綺麗。
417神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 12:07:14.15 ID:itYVL6UF
>>407
>三法印の「一切」には仏と涅槃が含まれていないというのは、涅槃経の四法印「常楽我浄」が

だからw そういうことじゃなくて、
【 「sabbe saNKhArA 」・・・《 全ての 行 》は〜/《 諸々の 行 》は〜 】 であり、
 ↓
涅槃という境地以外、この世の全てが「行」であるので、
 ↓
『一切、一切皆』と称された(訳された)、ということ。

まず最初に《大きな括りとしての『一切』という概念、包括の仕方》があるのではなく、
対象として述べられたものが、『一切』として括り得る「相、性」を持つものだから、
後付として、意訳として、読解の幅として『一切』の一語でも可としているだけ。
だから、ブッダや如来を、五蘊存在として捉えれば、その存在自体は「行(saNkhata)」と言っていい。
だから、「死ぬ」のだ。(表現としては「死」ではなく「般涅槃」だがw)
ブッダの存在により妬み・恨みを抱く(=苦を感受する)者もいるだろう。
その意味で、泡沫の一であることを免れてはいない。(だから、「法身」に対して「報身・応身・化身」などと言う必要がでてくる。)

境地としての涅槃及びその延長での法身といったものはsaNkhataでないから、上記sabbeの中に入らない。
後付で除いたのでなく、「もともと外れている」だけ。もともと外してある上で「一切(sabbe saNKhArA)」と言われている。

当然、大乗涅槃経以前から継承されている事案だ。
418神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 13:02:15.42 ID:RHzw6g9d
大昔に体制が一般人を支配するために
半島 大陸から輸入しコピーした
洗脳兵器を
そんなにまじめに研究する必要があるのかね
他にやることがあるんじゃないの
419昔の人も(ry:2011/10/22(土) 13:18:10.54 ID:ubQlZOVa
そんなあなたはなぜここにいるんですか?
420机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/22(土) 14:00:15.90 ID:lZPLkK/Q
>>418
>そんなにまじめに研究する必要があるのかね

まじめに研究すると、ここがオカシイんじゃないか?とか疑問も出てくる。
じつは疑問が出てきたとこで論点が絞れるのですが、
それがないのは研究という段階じゃないでしょう?

>他にやることがあるんじゃないの

仏教に関心のある方は、これを語ちるのが生きがいなのです。
ですから、あまり心の琴線に触れないようにお願いします。
421神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 14:09:25.12 ID:itYVL6UF
>>420
>これを語ちるのが生きがいなのです

wwwwwwwwwwwwwww


いや、当たってるのかもしれんwww
422神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 15:37:00.64 ID:Ve3dsU2K
社会に悪影響が出なければいいが
それが心配だ
423机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/22(土) 15:41:29.03 ID:lZPLkK/Q
(つづき)
何故、龍樹は「生起」などと抽象的表現を用いたか。
生起というのは、それ以前は生起してない状態を意味するのであって、
生起してない、というのはそれ以前は生起していた・・・という無限的意味を有す。
これはまるで実有論(いわゆる有部)にとって有利な論法じゃないか?
この意味するところは、つまり有部における刹那滅論に論点の基軸を当てたものと解すべきだろう?

刹那滅というのは、刹那に滅しそれの連動を意味する。
つまり解釈とすると、ドミノ倒しと考えたらいい。
刹那が現時であって、ドミノの駒が倒れながら未来へと連関されていく。
(有部が、無我をどうにか理論体系つけたのがこれである)

中論は、この有部における実有論破壊を企てたのであろう?
そうでなければ、有部に基軸を合わせるわけはない。
424神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 17:03:42.20 ID:aJ+31ucA
>>423

ほんと研究熱心な態度に感心します
で現実生活でなんかいいことありましたか
あなたの前世は学僧ですね
425机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/22(土) 17:23:44.46 ID:lZPLkK/Q
>>424
現実世界で良いことはなにもありません。
仏教は無功徳であります。
そういう宗教でありますから、私はこうして仏教一筋になれるのであります。

もし功徳を期待するのであれば、仏教は害毒になりますね。
この信念で私はこの掲示板に書いております。

>あなたの前世は学僧ですね

いやなんの、私には前世というものはありません。
前世がある人もおりますがね、それはそれで良いんじゃないでしょうか?
人それぞれに仏教の縁をもちまして、こうして語ちるだけなのでありす。
秋の夜長を、どうか2ちゃんで楽しんで逝って下さいまし。
私は、もうそろそろ飯食って寝るだけですけどね・・・
426神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 18:50:28.19 ID:zC7zDSQf
>>423
>生起してない、というのはそれ以前は生起していた・・・という無限的意味
>を有す。

生起したもの(実在物、五感で知覚できる対象)を、無理に非実在などと考えようと
するから、そのような無理・矛盾が生じる。実在物を実在物として認め、その上で、
その実在物が万物との関連で存在しているので「無自性」であると考えれば、
矛盾は容易に解消する。

竜樹は、「生起」という概念を否定している。

そして、実在の認識は、生きている認識者の「今ここの生命」によってのみ
可能なのであるから(認識しない限り、実在は成立しない)、「刹那」なので
ある。

生とは、「刹那の生命の反復」である。ニーチェの「永劫回帰(永遠の反復)」
とは、このことを意味する。
427神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 19:06:52.48 ID:itYVL6UF
>>426


>竜樹は、「生起」という概念を否定している

「否定している『ステージ』」と「否定していない『ステージ』」がある、ということに
いつになったら気付けるのでしょう・・w


>実在物を実在物として認め
勿論、その通り認めるから、「色rUpa」という語が存在し、五蘊のひとつとして扱われ、
年老いたお釈迦さん自身、
「今の私は、ぼろ車が革紐で結わえられて何とか進んでるようなものだ」と仰られているw

しかし、そうした「色rUpa」だけでは、【人間社会】は成立しないんですよw
「名色」という術語を全否定ですか?w 恐れ入っちゃいますね・・。
「色以外の四蘊」を何だと思ってるんでしょう?w (このお題は以前やりましたけどね・・w)


ちなみに聞いてみましょうか?w (無駄でしょうけど・・w)
貴方の思考はどういう実在ですか?
貴方の感情、貴方の主張、貴方の言葉はどういう実在ですか?
428神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 19:26:59.51 ID:14a2bq1z
>貴方の思考はどういう実在ですか?
予想だが、生命そのものとか良いそう・・・・
429神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 19:55:28.17 ID:zC7zDSQf
>>427
>貴方の思考はどういう実在ですか?
>貴方の感情、貴方の主張、貴方の言葉はどういう実在ですか?

幼児的な質問。私のいう「実在物」とは「物質」のこと。思考、感情などは、
その肉体を維持するためのソフトと考えればよい。勿論、そのソフトも、電子
という「物質」の働きなのだが、そこは区別したほうが分りやすい。
430神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 19:58:26.40 ID:itYVL6UF
>>429
wwwww

>・・・するためのソフトと考えればよい
>・・・という「物質」の働きなのだが

だからw

「 >ソフト 」が【存在】してるじゃんw
「 >働き 」が【存在】してるじゃんw

何、すっ呆けてんだよwww
431神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 20:09:21.62 ID:zC7zDSQf
>>430
だから「実在」と「存在」とを区別して使用している。前レス参照。

「存在」は「実在」を含むが、「実在」より広い概念。「思想・感情が存在す
る」とは言うが、「実在する」とは言わない。「人間の生命維持」に直接の関
係を有するのは「実在(物質)」のみ。

宗教者は、まず、実在と非実在との区別を、生まれたばかりの赤ん坊から教わって
ねw。
432神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 20:30:01.94 ID:itYVL6UF
>>431


だからw

>「実在」と「存在」とを区別して使用して
>「思想・感情が存在する」とは言うが、「実在する」とは言わない
竜樹は、「存在」するもののことを考えてないとでも?w
中論で、それらは述べられていないとでも?w

>「人間の生命維持」に直接の関係を有するのは「実在(物質)」のみ
ほうw
いじめに遭って死を選ぶ子は、【どんな物質によって】死を選択するんでしょうね?w
「ストレス」「心的負荷」等は、生命維持を脅かさないんでしょうかね?w
過労死なんて言葉もありますが、これは【どんな物質が】生命維持を脅かしたんでしょうかね?

>生まれたばかりの赤ん坊から教わってねw。
教わるまでもなく、そなものは判り切った前提です。
そこを混濁してるのは一部の心霊マニアだけでしょうw
寧ろ、一方を排除している貴方の姿勢のほうが、
非常識であり、現実に即していない、(まるで九条神話主義者の如く)お花畑感丸出しの姿なんですよw
433神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 20:47:57.50 ID:zC7zDSQf
>>432
9条神話絶対視は、釈迦神話絶対視と全く同一の心理状態であることに気付け。

しかし、後者のほうがはるかに重症。
434神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 21:22:55.33 ID:itYVL6UF
>>433
はい、また答えに窮しましたねw なんて判り易い人なんでしょうwwwww
435神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 21:36:26.65 ID:zC7zDSQf
>>434
君たちは、外部者からみれば、釈迦の精神病の感染により狂った基地外と
しか見えないことを自覚せよ。ただただ、「観念の遊戯」。

竜樹は、「物質現象」をまず取り上げ、その原理を、心的現象に対して
「準用」しているだけだ。彼は、釈迦のような精神病者ではない。

私のレスは、机師の書き込みに対するものだから、まず彼の反論を待ちたい。
436神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 22:03:43.03 ID:itYVL6UF
>>435
www

>その原理を、心的現象に対して「準用」しているだけ
ならば、竜樹は「心的現象」の存在を認め、且つ、「そこにも縁起がある」(この言い回しの是非は措くとして)、
としているのじゃないかい?w
でなければ「準用」の意味がないwww

どうも勘違いをなさっているようですが、(今上がった語句を用いれば)、
「心的現象」が、石や山やリンゴや鈴木さん、のように存在すると言っている者は誰も居ないんですよ。
別の事象だということは皆さん百も承知なのです。
また、心的現象が手品の如く「物質現象」を生み出し得るなんて言ってる人も(少なくともここには)居ないのです。
世の中には、新興宗教系、心霊系オカルト系として大勢いらっしゃるかもしれませんが・・w
いずれにしろ、別の事象ではあるけれども「存在している」という前提で世界観を構築するわけです。
そうでなければ、(貴方も讃した)“内観”だって成立しませんw

夏休みの宿題で読書感想文を書かされた経験はありませんか?
作者の意図は、どのような存在形式でしょう?
これを、生命維持に関係ないからと排除していていは社会は(というより人間関係が)成り立ちません。
人は、そうした『無形な部分、非物質的な部分』での遣り取りで、関係性を保つからです。
(別に贈り物を用いても構いませんがw、それも、【無形な部分を物品で表現して、伝えようとしている】わけです。)


ああ、論語にもあったでしょうか・・?
ちょっとマイナー気味な禅語を挙げておきましょう。(以前も一回書いたかな?)

礼は玉帛に非ざれば表れず、楽は鐘鼓に非ざれば伝わらず。

まさに貴方の主張と相似形ですが、決して
【礼など無い!妄想だ!】【楽など無い!妄想だ!】という一句でないことは明らかですよね?w
437神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 22:06:08.01 ID:itYVL6UF
>>435
>私のレスは、机師の書き込みに対するものだから

個々のレスはそうかもしれませんが、
内容は、これまで散々反証・反駁を提示してきたものです。
それらがスルーされていて尚且つ何度も同じ主張が繰り返されるのですから、
横から茶々入れする権利はあると思いますよw
438神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 22:19:36.85 ID:zC7zDSQf
>>436
>礼は玉帛に非ざれば表れず、楽は鐘鼓に非ざれば伝わらず。

君の解釈は逆ではないかな。心的作用は、具象物によってのみ現れる。
具象物がなければ、無と同然。一方、具象物は、それのみで価値を
有する。

それから、「礼」や「楽」が、何故人間にとって必要なのかも考えて
欲しい。
439神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 22:32:13.03 ID:vxDZofyp
一定年齢より上の人(団塊以上)は自分が理解出来ないものは「宗教」と断定するきらいがあるよなな。
マルキシズムの負の遺産なんだろうか
440神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 22:35:51.25 ID:vxDZofyp
ご隠居はニーチェ気取りで釈迦とイエスというビックネームを批判する事を生き甲斐にしているから、何を言っても無駄なのかもな。
生命教だなんだと押し付けるのはやめて頂きたいね
441神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 22:42:02.58 ID:vxDZofyp
ミッシェル・フーコーなども指摘しているように、「精神病」というレッテルは近代監獄システムを維持する為の一種のスティグマであり
そこに絶対的な正当性は無い。
ニーチェが云々というなら近代思想も相対比しろよ
442神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 22:42:37.87 ID:vxDZofyp
相対比じゃなくて相対化
443神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 22:49:58.31 ID:vxDZofyp
生命教の観点から釈迦を否定するならば
釈迦が生命を否定したという証拠を持ってきて下さい。
また釈迦を擁護したから釈迦を宗教的盲目的に崇めているなんて事は言えないはずですよ
一方的なレッテル張りの方がよっぽど真実を見えなくするからね
それに対する対策でもある。
444前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/10/22(土) 23:02:24.82 ID:gfliXXnE
>>417
>境地としての涅槃及びその延長での法身といったものはsaNkhataでないから、上記sabbeの中に入らない。
後付で除いたのでなく、「もともと外れている」だけ。もともと外してある上で「一切(sabbe saNKhArA)」と言われている。

涅槃や法身は「一切」に含まれていないということで、理解しました。
丁寧な解説を有難うございました。
445神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 23:08:18.57 ID:vxDZofyp
そもそも「宗教」がなんで悪いのと言う話だし
「世間の慣習」から離れてると何が悪いの?
宗教でもそれがその人の人生を豊かにし、周りの人を物理的に傷つけるようなもので無ければいいと思いますよ
また世間の慣習は絶対ではないし常に変化しています。
慣習が絶対だったら未だにチョンマゲを結った人が歩いてますし
電話やパソコンも普及してないよ
自然というものの特長に変化、流動性があります
今というのは常に変化し
新しい状態に変わっているのです
世間の慣習も例外ではありません
446神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 23:17:28.85 ID:itYVL6UF
>>438
「表れず」なんですよw

この意味が解りませんか?w

ちなみに、論語のは別の話でしたね。(438の形のものは虚堂録が初出だろうか?)
陽貨篇第十七.十一   (墨括弧は引用者による)
子曰、礼云礼云、玉帛云乎哉。楽云楽云、鐘鼓云乎哉。

子曰く、礼と云い礼と云うも、玉帛を云わんや。楽と云い楽と云うも、鐘鼓を云わんや。
 先生が言われた。
 「礼だ礼だといっても、玉や絹布のことであろうか。楽だ楽だといっても、鐘や太鼓のことであろうか。」
 (儀礼や雅楽は形式よりもその精神こそが大切だ)   ・・・岩波文庫版/金谷治訳注(昭和43年第10刷)

子曰く、礼と云い礼と云う、玉帛を云わんや。楽と云い楽と云う、鐘鼓を云わんや。
 「礼」は、秩序ある【善意あるいは愛情】の象徴的表現であり、「楽」は、秩序ある【調和】の象徴表現である。
 【象徴的表現であるから、道具がいる】。礼の道具としてはまず「玉」と「帛」が意識にのぼる。
 すなわち、君主自身なり外交官が、外国を訪問した時に、善意のしるしとして、
 相手に示す貴重な玉(ぎょく)、またそれを載せ包む帛(きぬ)である。
 また、音楽の道具、すなわち楽器としては鐘(しょう)、その実物は、たとえば京都の住友家にあるが、
 そうした鐘、また太鼓が、まず意識にのぼる。諸君が、礼と楽を尊重し、それをやかましく言われるのは結構である。
 しかし、【表現の道具である玉帛、鐘鼓だけが、問題なのではない。】
 重要なのは、【それによって象徴される精神】なのである。
 この言葉は、後世もっともしばしば引かれる言葉の一つであるが、そうした資格をもつだけの美しい言葉のように思われる。
 ・・・朝日文庫版/吉川幸次郎(1995年第5刷)
447神も仏も名無しさん:2011/10/22(土) 23:23:05.02 ID:itYVL6UF
>>438
>>446後者はかなり晦渋だがw、どちらも言わんとしてることは同じだなw
論語に於いては、『形式及び物品のみに陥るな』ということ。(まさに貴方のことですよ?w)
今改めて噛み砕けば、
 礼儀だ礼儀だと言うが、玉や帛のことを言っているのか?そうではあるまい。 【「玉帛」は「礼(礼儀)」ではない】
 音楽だ音楽だと言うが、鐘や太鼓のことを言っているのか?そうではあるまい。【「鐘鼓」は「音楽」ではない】
ということだ。

対して虚堂録ほかいくつかの禅家の語録では、まったく逆の用い方となっている。
つまり、論語を受けた言い方をすれば≪精神性を重視するのも結構だが、形式(や儀礼)に依らなければ判らんぞ≫、と。
 *(これは、法式(ほっしき)や威儀、規矩、或いは戒律といった『形式』を疎かにするな、というベクトルを持つ。)
おそらく全て、論語の言葉を踏まえていると思われるが、逆の位相に持ってくるのは禅系ではよくあること。
ただし、ここでも、玉帛や鐘鼓といった形式(物品)を用いねばならないが、それによって表現される中身がなかったなら、
そもそもお話にならないわけで・・w (悟ってない者が禅語を弄するようなもんか?w)
 *(この辺は、「言語に依らねば―」と読み換えるのも面白い。)
448神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:10:43.59 ID:GSn/78Sw
釈迦もイエスも生命である。生命が生命を裁く事は出来ない。
ご隠居も釈迦もイエスも生命でありそこに優劣はないからこそ
お互いに認め合うしかないのである。
449神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:33:01.69 ID:prhXG5Ld
>>446
>(儀礼や雅楽は形式よりもその精神こそが大切だ)

孔子ともあろうものが、そんな誰でも言える陳腐なことをいうのでは、面白くない。
吉川さんの解釈も同じ。

歌舞伎も茶の湯も、道元さんの只管打坐も、形式のなかにすべてが含まれている
ことを想起されたし。
450神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:38:28.64 ID:prhXG5Ld
>>448
彼等の生命を聊かも裁いているのではない。彼等の「病気」を裁いている
のである。

イエスは勿論のこと、釈迦も、生命を「無明」などとして裁いた。
451神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:41:44.62 ID:GSn/78Sw
生命を裁いているのではなく無明を裁いているのだよ
452神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:43:23.54 ID:GSn/78Sw
釈迦はご隠居を裁いているのではなく無明を裁いているのだ。
一切は無常である。
生命も例外ではない。
453神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:48:21.42 ID:GSn/78Sw
一切は無常である。
生命も例外ではない。
これは真実であって、否定する方がむしろ病理である。
釈迦は無常を強調するから悪だと言うが
善い悪いではなくそれは真理なのである
一切は無常
生命も例外ではない
生命にしがみつくご隠居は釈迦に反しているからおかしいのではなく真理に反しているからおかしいのである
454神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:48:49.14 ID:prhXG5Ld
>>451
釈迦の「無明」とは、「生活作用を生じるもの」だから、「すべての人間」が
有する「生命」以外の何物でもない。「般若」も、生命から直接生じる。
455神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:56:42.63 ID:prhXG5Ld
>>452
>>453
無常であるからこそ、状況に適応して自由に変化できるのである。無常を裁く
理由は、聊かも無い。無常を裁くことは、「真理」ではない。それはむしろ、
常在に真理を認めていることになってしまう。
456神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 01:59:02.95 ID:GSn/78Sw
一切は無常
生命も例外ではない
この真理を認められないから異常なまでに書き込みをして異常観念を他人に吹き込もうとするのである
生命生命と言うが
それもまた無常なのであり
いずれ消えゆく
この世のありとあらゆるものと同じでいずれ消えゆく
脅しているのでもなんでもなく
それは真実なのである
現実を見よ
全ては無常である
生命も例外ではない
欝病でもなんでもなくて
それは事実なのだ
事実を指摘されて欝病になっているのはむしろご隠居である
永遠の生命などない
生命もまた無常である
阿弥陀如来は永遠の生命の象徴?
出鱈目もいい加減にしてくれ
生命もまた無常である
生じては消える
生命全てがそうである
個体は消えるが生命は永遠?
嘘も休み休み言え
一切の生命もまた、生まれ消えて行く
永遠などではない
457神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 02:02:48.41 ID:prhXG5Ld
>>456
永遠でないからこそ貴重なのである。「永遠の生命」とは、地獄の別名。
458神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 02:03:25.15 ID:GSn/78Sw
一切は無常である
釈迦は真実を言ったに過ぎない。
欝病でも精神病でも何でもない。
単に真実を述べたまでである。
真実を否定し、生命は永遠だとか述べる奴が
むしろ異常なのだ。
459神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 02:06:53.44 ID:GSn/78Sw
永遠でないのは生命だけではない
ありとあらゆるものが無常である
永遠でないから貴重だと言うならば全てが貴重なのだ
生命だけを特別扱いするのは異常である
生命は宇宙の特別な現象でもなんでもない
あらゆるものと同じ
生じては消える無常なものである
460神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 02:10:59.32 ID:GSn/78Sw
一切は無常。生命も例外ではない
この真理、この現実を直視出来ないご隠居は異常である。
欝病患者であり精神病であろう
真実にそして現実に反しているからである
一切は無常であり
生命も例外ではない
生命だけを特別に取り出して、これだけは例外であるとするのは異常である。
一切の現象と同じく生命もまた生じては消える
無常なものである
釈迦は全くもって真実を説いている
461神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 02:11:04.11 ID:prhXG5Ld
>>457の訂正
×「永遠の生命」とは
○「永遠の生命や涅槃」とは

そもそも「無常」でなく「常在」では、「空」は成立しない。
462神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 02:13:27.24 ID:GSn/78Sw
一切は無常である。
釈迦は真実を説いている。
だから肯定される。
釈迦だから擁護されるのではない
真実を説いているから擁護されるのである
463神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 02:21:48.04 ID:GSn/78Sw
釈迦の無明とは一切は無常であるという事を認められない意識である
生活作用でもなんでもない、単に現実を見てない妄想観念の事である
一切は無常である
生命も例外ではない
全てが無常である
このことを認められない心理を無明と言っているのである
現実を真実を認められず
無常ならぬものがあると見る認識を無明と言ったのだ。
釈迦は実に正しい事を言った。
このことが認められないものこそ
誤りである
釈迦だから正しいのではない
真実を言っているから正しいのである
464神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 02:25:54.36 ID:GSn/78Sw
自然の法は生命を特別扱いしない
ありとあらゆるものがそうであるように生命も無常である。
無常であるものに執着し、それが何かこの宇宙で特殊なものであるように
主張する
ご隠居の意識が歪んでいる
生命もこの世のありとあらゆるものと同じく無常である
生じては消えて行く
例外は一切ない。
465神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 07:28:19.05 ID:eD/9Du6L
>>646
一切衆生は、無常・無常と泣き言を垂れるのではなく、その無常の生をひたむきに
生き、それに輝きを与えている。釈迦こそ、生命に執着し、涅槃という常住まで求めた。

限りあるものこそ尊い。永遠の生命や涅槃は、地獄の別名であることに、釈迦や
イエスは思い至らなかった。
466机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/23(日) 07:40:09.60 ID:CGfYdVFA
>>426
>生起したもの(実在物、五感で知覚できる対象)を、無理に非実在などと考えようと
>するから、そのような無理・矛盾が生じる。

いやいや、文脈から解釈してもなんの発展性もないかと思います。
実は「生起」そのものの語義自体がすでに矛盾があるのです。
そういうところから先ず疑問を持たんと何ら打開策なないかと思われ。

例えばですが「来るものは来ない」。これは中論の一節でありますけど、
これにしたって矛盾を前提として、龍樹は語ちておるんですね。
では何処に先ず矛盾があるのか?「来るもの」です。
「来るもの」とは、「来ないもの」を論拠として成り立つものですが、
「来ないもの」を前提としてないなら、そもそも「来るもの」などないのです。
ですから、本来ならば龍樹は中論で「来るものは本来ないもの」。と記述すべきを、
何故に「来るものは来ない」と、「来るもの」を前提としたのでしょうか?
これは明らかに「来るもの」は有部に基軸を当てたものと解釈するのが妥当と考えます。

中論の文脈においては、こういった有部におけるアンチを基軸に論が纏められております。
ですから、それを念頭において解釈せねば中論の本来の方向性を見失うことになります。
467神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 08:20:22.22 ID:Xp9jiyGp
>>449
> 孔子ともあろうものが、そんな誰でも言える陳腐なことをいうのでは、面白くない。
はい、思い込み乙w
> 吉川さんの解釈も同じ。
自分の意見と合わない場合、相手が誰であろうと間違っていると見做す。
自分の意見と合う場合は正しく解釈・解説できていると見做す。
よーするに、相手が大学者だろうが素人だろうが、中村元だろうが平川彰だろうが関係ないわけです。
自分の考えに合うものだけを「正しい」とするのですからw

御自身で、現代日本語訳にして、解釈し直したらどうですか? 貴方のお得意な中国語でしょう?www

> 歌舞伎も茶の湯も、道元さんの只管打坐も、形式のなかにすべてが含まれていることを想起されたし。
含まれている、ということは、存在している、ということですよね?
含まれている、ということは、歌舞伎も茶の湯も只管打坐も、
【形式によって表現したい何かがあって】【それを何とかして表現する為の「工夫」が形式である】、
と言えるのではありませんか? 「推敲」という行為も(その出展となる逸話も)
【無形のものを表現する為の工夫に他ならない】のではありませんか?

歌舞伎も茶の湯も道元も、孔子も虚堂和尚も、【「形式しかない」などと言ってはいない】筈です。
寧ろ、形式に依存して外へと表現される【無形なる何ものか】があることを認め、
且つ、【そこに大きな「価値・意味・意義」を見ている】のです。
相撲もそうでしょう。武道もそうでしょう。
そういう捉え方と同様に、仏教における様々な概念も押さえられねばなりません。

形式と中身は、車の両輪の如きものです。
468神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 08:32:41.24 ID:GSn/78Sw
>>465
一切は無常というのは釈迦の根本思想である。
それに対して「釈迦は無常に思い至らなかった」というのは明らかにおかしいでしょ
釈迦憎しの余り明らかにおかしい論理をおかしいとすら思わず堂々と主張している
それが異常なんだよ
469神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 09:40:42.84 ID:czlwzjmd
>>465
また狂いだしたw
>イエスは勿論のこと、釈迦も、生命を「無明」などとして裁いた
前は釈迦は生命を軽視とか言ってたなwww
で今度は
>釈迦こそ、生命に執着し、涅槃という常住まで求めた
じゃあ、御釈迦様は生命重視じゃんwww

どうも脳味噌の梗塞がひどくなったようだなw
健忘症の症状が現れ出したねw
日曜日だが緊急外来に即行くべし。
470神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 09:54:01.41 ID:GSn/78Sw
アルツハイマーなら仕方がないが
一切は無常という真実を説く人を誹謗し
生命に執着する教えを説くものは危険である
無常に過ぎない生命に執着し無常に過ぎない財産に執着し無常に過ぎない権力無常に過ぎない名声に執着する凡夫の人生を素晴らしいなどと説くようでは
火に油を注ぐようなものだ。
大きな罪を作っている
ご隠居の財産も無常
ご隠居の家族も無常
ご隠居の命も無常
それは事実であり真理なのだ
真理を説くものを精神病扱いしたり欝病扱いするのは天に唾する行いである。
道理をめちゃくちゃし
人の世に混乱を齎す
罪深い行いなのである
471神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 10:14:59.15 ID:GSn/78Sw
私は生命に執着してないというなら生命教説くのやめろよ
一切は無常であるというなら釈迦は素晴らしい真理を説いたと認めればいいだけの話です。
472神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 10:22:39.19 ID:GSn/78Sw
釈迦も無常、そしてその教えも無常
この世に無常ならぬもの無し
生命も無常
もちろん生命教なども無常である
無常であるものに執着するなかれ
生命教が広まらないと苦を齎すだろう
生命教に執着するからである
無常なのだからいくら頑張って説いても消え失せるよ
釈迦は「私の教えは私の死後五百年もすれば変質し、根本が失われ、別のものになるだろう」と言っている。
自分が説いている教えすら無常であり
変化し消滅する
死後何百年もするとご隠居みたいな奴が現れてその教えを曲解する事を予言しているのである
473神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 10:30:10.61 ID:GSn/78Sw
しかし同時に釈迦の教えを正しく解釈して
仏教を再興する者が現れるのも無常なるが故にか
仏の教えはかなり変質している面もあるが
なんだかんだで二千五百年説かれ続けている訳ですから
正確なものを受け継ごうと言う人間も消えては生まれ消えては生まれて来た訳である
無常の波を越えて仏陀の教えは今、ここにある。
いずれ消えるにしても
また仏陀が現れ、同じように無常という真理を説く
私が生命教を否定するのはご隠居が憎いからではない
真理を尊ぶからである

474神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 10:55:13.84 ID:GSn/78Sw
生命に執着してないなら
生命教ではなく
無常を説くべきなのである
それでは仏教になってしまうので
なんだかんだ理屈を付けて生命を特別視した理屈を生み出した訳だが
生命も無常だよというと
その通りですというのだから
だったらそれは生命教じゃなくて無常教だろよ
著作権法違反を逃れる為に本物と微妙に変えた海賊板みたいなものを作るのは止めなさい。
475だいおう:2011/10/23(日) 11:49:23.70 ID:SeXHI+0q
おおっつ、ゴインキョー将軍も追い込まれたなあw
そうだ、ピョンヤン放送やろうwwww

こういう追い込みが隠居に対して必要なのさ、
追い込み手法が現実離れしすぎていたのだ、他の連中は
476神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:01:53.64 ID:633wiB+5
>>467
>寧ろ、形式に依存して外へと表現される【無形なる何ものか】があることを認め、
>且つ、【そこに大きな「価値・意味・意義」を見ている】のです。

形式と「一体化」している中身を分別して、恣意的に取り出そうとすれば、中
身も破壊される。イエスの教えた「愛」がその好例。

価値・意味・意義などを分別しない、それらを取り去るのが禅ではないのかね。
477神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:20:34.81 ID:633wiB+5
>>469
>じゃあ、御釈迦様は生命重視じゃんwww

そうだよ。釈迦は、自分では生命を「無明」などとして軽視している積りでも、
彼の上位概念である生命は、それを許さなかった。彼の精神病も、実は生命維持
のための防衛反応なのである。

人間のすべての営みは、生命維持を「特別視」し、すべてその方向に向けられて
いる。殺人罪は、罪が最も重い。宗教でさえ、「建前上」は、殺人を最大の罪と
する。社会をよーく観察してみよ。
478神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:33:49.75 ID:GSn/78Sw
君は「馬鹿」ですか。
いくら特別視しても
生命は無常であり、他のあらゆるものと同じで、やがて消え失せるよ
それを特別視することを執着というのだ。
自然は生命を特別扱いしない。
他のありとあらゆるものと同じく無常である
私の生命だけを特別扱いして下さいと言っても
自然を殺人罪で訴えても全くの無駄
全ての生命は他のありとあらゆるものと同じく無常
現れては消える
無常が認められないなら無常でないものをもって来い
いくら生命が生命に執着しても無常という真理は微動だに揺らがない。
479神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:38:41.77 ID:zsz9kF9D
>>477
>じゃあ、御釈迦様は生命重視じゃんwww
そうだよ。釈迦は、自分では生命を「無明」などとして軽視している積りでも

「そうだよ」ってあんた・・・開いた口が塞がらぬwww
そんなら、なんで「生命軽視」なんてウソつくの?
だいたい「無明」は「生命軽視」じゃないしwww

>宗教でさえ、「建前上」は、殺人を最大の罪とする
これも前に指摘されてたよな?
仏教は不殺生、慈悲を説きキリスト教は愛を説く。
あらゆる宗教は生命を重視していると指摘されたら、
「そんなことはない」と宗教戦争を引き合いに出して、全否定してたろwww

何度も言うが生命重視はお前なんぞが言わなくても常識だからw
赤ん坊でも知っているw

あんたみたいな物忘れの酷いやつと話してると、健常者はホント疲れる。
480神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:39:50.35 ID:GSn/78Sw
古今東西、無常という真理に反して永遠に存在したものがあったか?
あったというなら持って来い。
ローマ帝国も大日本帝国も無常
どんな聖人でもどんな権力者でもこの真実を覆すものは現れ無かった。
この唯一の真理を説いた釈迦自身も無常を体現消滅した。
一切は無常である
あらゆる生命も例外ではないのである
481神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:47:36.06 ID:zsz9kF9D
思うに、「病人」である隠居が生きている限り、あいつのおしゃべりを止めさせるすべはない。
御釈迦様でもイエスキリストでも無理だw

なんせ人の話は聞かない、というか性格上聞けない。
何より直前に言ったことすら忘れる健忘症じゃ、議論は無駄というもの。
禅坊主なら驚策で三十棒だろうが、2ちゃんじゃそれは無理。

ここは隠居の生命が尽きるのをじっくり待つしかないだろう。
死人じゃキーボードは叩けないからなwww
482神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:51:09.27 ID:8z+l6NYS
>>478
>生命は無常であり、他のあらゆるものと同じで、やがて消え失せるよ
>それを特別視することを執着というのだ。

「消えうせる」ものだからこそ、「在る」間の価値が生じる。死があるからこそ、
生が尊い。「永遠の生命」なら、単なるゴミに過ぎない。

それから、君のその書き込みも含めて、人間のすべての営みは、その生命の機能。
死者には、一切不可能。宗教が、無常などとして」「死」をやたらと強調する
のは、人間の「死に対する恐怖」を利用して信者を獲得するための、悪質な布
教手段である。
483神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:52:58.14 ID:zsz9kF9D
まさに隠居の生命も無常の風にさらされている。
これこそ絶対的な現実、リアリティーだ。
そこから目をそむける以上、隠居の生命教も机上の空論。

「永遠の生命」を望んでるのは隠居だろ。
隠居にとっての「生命の輝き」が2ちゃんの書き込みじゃ・・・・
生きている甲斐がないwww
哀れむべきは隠居自身ではなく、隠居の「性への執着」
執着こそが無明と心得よ。
484神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:53:41.31 ID:8z+l6NYS
>>481
>死人じゃキーボードは叩けないからなwww

君のその言葉が、私の考えをすべて代弁してくれているw。
485神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 12:59:28.16 ID:zsz9kF9D
>人間の「死に対する恐怖」を利用して信者を獲得するための、悪質な布
>教手段である

またオウム返しか・・・・それも完全なる錯誤。分りますか?
「死」は誰にでも訪れる現実であり、脅迫ではない。
「悔い改めなければ死後地獄に落ちるぞ」は脅迫だ。
この違いが分らぬほど耄碌してるのか?まだ若いのに・・・・www

そういや、あんたはには「死の恐怖」が無いんだよね?
恐怖が無ければ、あんたが死ぬことは必然の事実、なにか問題でもある?
486神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 13:02:25.83 ID:GSn/78Sw
死に対する恐怖が生まれるのは生命に執着するからである。
無常なのだから恐怖も無常。
恐怖に執着するのも無常を知らぬが故にである
生命は無常である
死に対する恐怖も無常である。
無常と言う真理を体得するなばそれは涅槃である
勿論、涅槃も無常で
愛着やそれを失う恐怖も現れ消える
しかし現れ消えるものだから悟った人はそれに囚われない
あらゆるものと同じで恐怖も無常なのである
恐怖も無常と説く、釈迦が恐怖を利用して宗教ビジネスをしようとしていたなどと曲解するなは
全くの無知からする邪見に過ぎない。
487神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 13:03:35.51 ID:zsz9kF9D
>>484
>私の考えをすべて代弁してくれているw
それも錯誤なんだが・・・
言葉・文章のコンテクストを理解しないと大変なことになるよ。
おれは、「あなたが死んでくれたら、2ちゃんに無意味な書き込みが無くなる」
という意味で書いたんだが・・・・
これが代弁?
488神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 13:04:24.15 ID:yF8DOwsj
個の意識と生命をごっちゃにしてない?
生命は少なくとも30数億年、しぶとく続いてる。
489神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 13:12:45.27 ID:GSn/78Sw
生命は無常、無常に対する恐怖も無常である
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
恐怖というのは勝手に現れて勝手に消えて行く
無常である
無常を知らずそれに執着するから精神を病んだり
欝病になったりするのである
欝病の人は「欝だ欝だ欝だ欝だ」と言ってその状態にしがみつこうとする
欝などという気分も無常であり、実際はテレビでも見て笑ったり
飯をうまそうに食ったりしている時は欝じゃないので、頭の中で「私は何年も欝です」と信じているだけの話で
実際は無常なのだ
無常を知れば欝な気分や楽な気分に囚われる事はない
無常だから生じては消えるからである
それに執着するから苦が生じる
実に真っ当な真実を説いている。
490神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 13:14:47.24 ID:GSn/78Sw
生命が30億年なり40億年前に「生まれた」というのは永遠でない証拠である
永遠だったら宇宙開闢以前から存在している
無常である証拠である
491神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 14:37:13.56 ID:GSn/78Sw
病人も永遠に病人ではなかろう
仏教スレに書き込むでいるうちに縁に触れて無常を悟り仏の教えに帰依する可能性もゼロではない
一切は無常ゆえにご隠居もまた無常なのだ
ご隠居が永遠にご隠居だったら本人が言っているようにそれは地獄だろう
しかし無常ゆえにご隠居が何かの拍子に悟る可能性もある
一切は無常、生命も例外ではない事をである

492神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 14:44:15.54 ID:Xp9jiyGp
>>476


>形式と「一体化」している中身を分別して、恣意的に取り出そうとすれば、
「形式と中身」に限らず、何事かを分別することなしに人は生きることはできません。
必要な時に必要な分別を行うから、社会は円滑に動いていくのです。
貴方が、レイプ議論に絡んでよく口にされる法曹界、司法に関してもそうです。
そうした分別こそが「求刑」であり「量刑」であり「判決」であるわけです。
夏休みの読書感想文もそうです。文字・文章・構成構文という形式から、
中身(作者の意図)を分別抽出する作業にほかなりません。

だからこそ、「世俗―分別」「勝義―無分別」なわけです。 仰る通り、禅の世界に顕著ですねw
しかし禅家には、≪分別→破壊→無分別→分別再構築→自在な分別≫といった経路があるわけです。
再度、分別の世界に戻ってくるわけです。それを、もとと同じと単純に言ってしまってはいけません。
無分別を透過していない分別は、迷いでしかないからです。振り回されているだけでしかありません。
振り回されているのと、自らが主体的に流されていくのとでは雲泥の差があります。

ここでもやはり、貴方こそが『勝義』に立脚し、『勝義』の文脈で全てを捉え、
『勝義』の名(→『生命』)の下に全てを画一化し、個性を埋却没却し、或る一色に強制的に染め上げているわけです。
貴方が散々批判する姿そのものに堕しているわけです。

>中身も破壊される。
いいえ、破壊されません。TPOによって抽出されるだけです。
法律の世界もそうです。絵画の世界もそうです。映画や漫画の世界もそうです。文学・小説の世界もそうです。
行政制度もそうです。外交から会社同士の営業も含め交渉事もそうです。
「必要な時に必要な抽出、特化、或いは絞込み、等をする」ことが分別でなくて何でしょうか?

破壊されるかどうかは、まさしく、『抽出後の用い方』に依存しているわけです。
抽出したからといって破壊されるわけではありません。
493神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 14:51:33.66 ID:GSn/78Sw
まぁご隠居も無常だから彼の主張に振り回される必要はないのである
ご隠居も近いうちに消えて行くし
その妄想観念もやはり無常であり消えて行く
一切は無常、怒りも恨みも何もかもが無常である
生じては消える
我々はなんと自由な事か!
494神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 15:41:00.85 ID:4N6gEEZH
そのとおりだね。
隠居も無常だから、時間が解決してくれよう。

肉体も無常。
生命も無常。
感情も無常。
観念も無常。
こして如何なる生命にも観念にもとらわれることのない生き方がしたいね。

命みじかし恋せよ乙女www
あたら命を下らないことに使うとは・・・もったいない、もったいない。

495神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 15:51:35.10 ID:ehVZ90gk
>>492
>抽出したからといって破壊されるわけではありません。

そんなことはない。「一体化」した物からその一部を取り去れば、全体が
破壊される。化合物から、その原子の一つを取り除けば、化合物が破壊
されるが如し。

宗教における観念の抽出は、その観念を含む「全体」の「破壊の跡」に
過ぎない。
496神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 15:56:25.38 ID:GSn/78Sw
ならば生命と言う観念を主張するならば生命が失われるではないか
君がやってることは自己矛盾もいいとこだよ
497神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:02:11.26 ID:ehVZ90gk
>>496
生命とは、「生命現象を現す肉体」と定義している。肉体を破壊すれば、
生命も同時に破壊される。
498神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:04:52.67 ID:GIBjG1ea
こちらでの論戦も激アツだぜ!

【根拠なしはNG】 死後世界・霊魂・輪廻はあるか?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278402246/
499神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:11:32.04 ID:GSn/78Sw
497
では愛とはどういう定義をして何をもってイエスを否定してるの?
500神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:18:39.47 ID:Xp9jiyGp
>>495
なるほどwww

建物で言えば「柱や部品を取り出す(=取り去る)こと」だと思ってんのかw
どんだけゆとり教育だよwww

この場合の「抽出」は、海岸でのゴミ拾いやコーヒーのドリップのようなことじゃないぞw
『ピントを合わせる』ということだ。 君が危惧しているような、「物理的除去」は行われない。
解る?
野球場やサッカー場で、「フィールド全体を見て、選手の動きを観察・把握・観賞する」ことと、
「或る一選手に注目し、その動きを追う」ことと、或いは「ボールの動きを追う」こと等といった違いのようなものだ。
このとき、野球場やサッカー場が崩壊するかい?ゲームが成り立たないなんてことがあるかい?
また、実際にプレーしている選手に於いても、(特にサッカーのMFなんかそうじゃね?w)、
「フィールド全体の流れ」「ボールの行く先」「味方選手の位置、敵選手の位置、動き」の把握は場面場面で必須だろ?
これが「分別」「抽出」でなくて何だ? それで“ゲーム”が壊れるか?

笑わせんなw
501神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:26:11.44 ID:GSn/78Sw
要は愛は形に現さなくては愛ではないと言いたい訳?
まあ愛があれば自然に形に現れるよね
それでイエスの何を批判してるの?
イエスは隣人が死にかけていたら治療してやりなさい。それが愛ですと言ってるぞ(ルカの福音書)
502神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:27:24.25 ID:Xp9jiyGp
>>497
だからw
それは、『生命教』の教義では異端だと申しましたでしょう?w


ちょいと揚げ足をとればw
『 >肉体を破壊すれば、生命も同時に破壊される 』という表現は、
「肉体」と「生命」が別物であるときに成立するのが基本的構文だが、
そこのところはレトリックとして無視するかい?w
「生命」が「生命現象を現す肉体」なれば、
≪肉体の破壊≫は、《同時に》どころか、ズバリ≪生命の破壊≫にほかなりません。
わざわざ《同時に》と言う必要はありません。
次のように言われるべきです。

 >生命とは、「生命現象を現す肉体」と定義している。
 >そして、肉体を破壊することは、生命を破壊することである。

と。(こっちの方がずっとシンプルで判り易くないです?w)
503神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:35:24.60 ID:GIBjG1ea
死後の救済を説かないのは、
宗教としての魅力が無い。
現世的な問題は、現世的な手段によって
解決できるからである。

人知が及ばない領域を扱うからこそ神聖であり、
死後や霊魂を取り扱ってこそ、宗教として定義できる。

儒教は単なる道徳や倫理観にすぎないが、
宗教は道徳・倫理をも幅広く含む深さを有している。

もしも仏教が解脱のみを目的とするならば、
苦しみから忌避するだけ現実逃避にすぎない。
仏教は精神安定剤と同類なのですか?
504神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:38:33.85 ID:Xp9jiyGp
>>503
>仏教は精神安定剤と同類なのですか?
私はそう思ってますよ。
(「意見は違いながらも反対する御仁」が2・3人はいらっしゃるでしょうがw)

つーか、『安心(あんじん)』以外に何が必要なんだ?
505神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:39:41.61 ID:GSn/78Sw
仏教が死後の救済を解かないのは死後の事など誰も知らないからだよw
見た事がないのにそれがあるなどと言ったら単に嘘じゃん。
506神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:41:02.36 ID:GIBjG1ea
>>504
キリスト教のように、
死後の霊魂を救済するような教義こそが
宗教の定義かと存じます。
507神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:44:36.82 ID:GIBjG1ea
>>505
そのような論旨では、戒名、読経、などが
無意味になってしまいます。

仏教の葬儀では、死者の救済のために
祈願するのではないのですか?
508神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 16:45:01.33 ID:Xp9jiyGp
>>506
なら、「宗教」じゃなくていいよw
その称号授与式は辞退させていただきます!(`・ω・´;)
509神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:23:38.75 ID:Vj+SpcZC
戒名、読経は残された生きてる人のためにやるんです
彼らを満足させるために
510神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:33:12.14 ID:ehVZ90gk
>>501
愛とは、相手の窮状を目の当たりにして初めて生じる、助けるための具体的
行動の原動力となる自然の感情。すべての人間が生来的に有する肉体的行動
本能だから、口にしたり、他人から教えられる謂れのないもの。

イエスが、軽薄にも愛を口にしたり、教えたりしたから、肉体的行動本能で
ある愛が観念化、抽象化、精神化され、その本質を失い、破壊されたのである。

「善きサマリア人の話」でも、イエスの真意は、サマリア人にかこつけて、
自分(イエス)の気に入らない祭司とレビ人を非難することであった。さもなければ、
単に「他の通行人」とだけ言って、彼等を「悪人」にすることはなかったはず。
また、彼等二人が道の向こう側を急いで通り過ぎたのは、被害者のことを気に
かけながらも、助けられない何らかの事情があったはず。

イエスの「愛の教え」なるものは、常に、自分の気に入らない者に対する非難・
排斥とセットになっていることを看破されたし。これは、愛とはほど遠く、
むしろその対極にあるもの。
511承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/23(日) 17:37:48.24 ID:sFNj5Bsg
仏教では、死後も説くし、死者に供養もする。
しかし、より良い生まれ変わりの為の教えでは無い。

(^。^)プライオリティなど無いのだよ。(笑)
512神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:41:19.90 ID:ehVZ90gk
>>500
サッカー場と選手とボールは、「一体化」などされていない。同じサッカー場で、
違った選手が、違ったボールでプレーすることが出来る。何をピント外れの
ことを言ってるw。
513神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:41:35.00 ID:GIBjG1ea
>>510
善悪を明確に示し、
悪を断罪するのは正義です。
悪人を改心させるのは慈愛の一つです。

悪を悪のままで放置しておくほうが
無関心な冷淡でしょう。

被害者を顧みないのは無慈悲であり、
悪人を諭さず改善させないのも、
無慈悲です。

キリストは悪と罪を嫌悪していた。
本当の慈悲があるならば動くのは当然です。
ファリサイ派や大祭司を、
そのままに放置して動かないほうが
慈愛に反するかと存じます。

助けられる状況で動かないのは冷淡です。
514神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:43:07.38 ID:GSn/78Sw
気に入らない人間を非難する為に綺麗事を説く‥
何かこう、ご隠居が説くイエスとご隠居自身がダブって見えるがw
そのラビをイエスに変えてみたらそれはご隠居の行動様式じゃないか(笑)
515神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:46:50.02 ID:GIBjG1ea
>>510
たとえば、悪政で沈黙するのは義ですか?
誰かが声を上げて言わなくてはならない状況もある。

あの場面でキリストは、腐敗した聖職者を
指摘する必要性があった。
腐敗を腐敗のままにしておくのは良くないからである。
516神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:49:44.54 ID:ehVZ90gk
>>513
すべては、イエスが、「自分が一番、自分が神になりたい」ための主観と欲望。

悪とは何か、罪とは何か?イエスにはその定義さえできていない。

イエスと、祭司、レビ人、サマリア人、パリサイ派などとの利害関係を精査
すれば自明のこと。

パウロは勿論のこと、イエスも「パリサイ派神学」。宗教お決まりの宗派内
紛争に過ぎない。
517神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:50:02.74 ID:GSn/78Sw
大体ラビに急用があったかどうかなどご隠居には伺い知れない事だ
そもそも例え話である可能性もある
というか文脈上その可能性が高い。
つまり、素直に解釈すれば口で愛を説いているだけじゃ無意味で実際に助けなきゃそりゃ愛じゃねーよと言ってる訳だ
悪意で解釈しなければご隠居の説く愛とも矛盾しないはずである
518神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 17:57:03.64 ID:Xp9jiyGp
>>512
馬鹿か?
場所の問題じゃないだろw

>野球場やサッカー場【で】、【「フィールド全体を見て】
この段階で既に、事例を挙げる為の場所の説明でしかないだろがw
【そこで生じている事象】、一言で言えば【ゲーム】と一括呼称される事象について言ってんだよ。

マジでその程度の理解力しかないのか?


>>514
「あんな奴と一緒にするな!
アイツは拳銃という殺人専用の道具(=宗教)で危害を加えたが、
私は包丁という、生活に密着した必須な道具(=生命)を使っているのだから悪くない!」

という論理ですw
519神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 18:01:44.66 ID:ehVZ90gk
>>517
>大体ラビに急用があったかどうかなどご隠居には伺い知れない事だ
>そもそも例え話である可能性もある

そのあたりの事情は、聖書学者が具体的に解明している。たとえ話であるなら
なおさら、何故、祭司とレビ人を名指しで挙げて、彼等を「悪人」にしなければ
ならないのか。

イエスからこの話を聞いたユダヤ教徒は、何の反論もしていない。当たり前のこと
をいうな、という気持ちだったのだろう。
520神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 18:13:34.61 ID:ehVZ90gk
そもそも、真意の程は全く確認できない大昔の開祖の言葉に大騒ぎするのは、
愚の骨張。地下の開祖に聞いたら、「俺はそんなつもりで言ったんじゃネーよ」
と一喝される可能性は、極めて大きい。
521神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 18:52:50.15 ID:LG5aT1Lx
んで、こっちはいつもの通り、アホ隠居がループでバカ晒してるとwwwwwww
ん〜〜〜〜〜〜〜、平和で良しかwwwwwww
522神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 18:55:53.30 ID:LG5aT1Lx

>>仏教は精神安定剤と同類なのですか?
>私はそう思ってますよ。

wwwwwwwwwww  そうそう、  こう言えるところがセブンの良いとこだwwww
一代はしかめっ面してそうだがwwwww
523神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 19:04:06.09 ID:ehVZ90gk
>>522
このスレから見る限り、その精神安定剤が少しでも効いてるとは思えんなw。
524神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 19:09:51.77 ID:4N6gEEZH
>生命とは、「生命現象を現す肉体」と定義している。肉体を破壊すれば、
>生命も同時に破壊される。
肉体って何?これまた相変わらず漠然とした言い方だなwww
だいたい、どこまでが肉体なんだ。
手足は肉体か?
爪や髪は肉体じゃないのか?
爪切りや髪切りも肉体の破壊だろwww
お前は詰め切っただけで死んでしまうのか?
大変だなwwwww
525神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 19:12:11.79 ID:Xp9jiyGp
>>523
未熟な者にとっては2chはガス抜きw
526神も仏も名無しさん:2011/10/23(日) 21:40:40.44 ID:N9PUBQxT
>>524
そういやご隠居は「生命とは心臓の事である」とか言い出して、人工心肺付けた人の扱いに四苦八苦したことあったなw
527神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 08:33:52.21 ID:+IAlR7do
ようやく隠居が出没しなくなって平安が訪れたw
しかし、この平安も無常ですからいつ壊されるか分らない。

一応、隠居の生命論は置いといて
この人物の社会的問題点を指摘しておいきたい。
まず隠居は高学歴、高等国家資格保有者を自称し、法曹用語を何の脈絡もなしに
しばしば持ち出し、あたかも法曹関係者であるかのように暗に示している。

ここで問題なのは
彼が高学歴詐称はまだしも(2ちゃんではよくある話w)、法曹関係者であることを詐称していた場合
これはれっきとした犯罪であること。明言はしなくても案にほのめかすだけでも詐十分罪であろう。
警察官や弁護士を詐称しただけで犯罪だ。

また本当に法曹関係者であった場合、いわれなき宗教批判は信教の自由を保障する憲法の遵守に反し、懲戒請求
に値する。公権の乱用だ。

隠居がここでまた書き込みを楽しみたかったら、正直に話し、
そして皆に謝れ、そして反省しろ。
528机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/24(月) 08:49:57.34 ID:7t1uXPD+
仏教談義も一段落したことだし、これで皆様はぐっすり睡眠とれたかと思います。
実は生命にとって何が大切か?これは休むことかと思います。
2ちゃんやるときは真剣にやる。
睡眠とるときは真剣にとる。
何事も真剣。成り切ってこそ、最も生命には良いかと思います。

ちなみに、日光の紅葉は盛りを過ぎたようですね。
今は塩原あたりが良いんじゃないでしょうか?
これから東証が開きます。
529神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 09:38:08.84 ID:WoI7VX0J
生命教というよりオレチャン教でしたね。オレチャンが良ければ生命も龍樹菩薩もどうでもいいと。

不思議なのは、文について文意・原義などどうでもいいと宣言しながら、
一応、根拠を出すこと。

やっぱ根っからのネラ体質なのかな、手軽に偉ぶれればなんでもすると、
しかし、偉く見えると思ってるのは、ほとんど本人だけというのも、
正にネラですね。

そこを自覚して勇気を持って一歩踏み出し、間違いは認められるありのままの姿勢になれといいのにね。

もちろん、机ちゃんも
530机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/24(月) 10:03:32.08 ID:7t1uXPD+
>>529
遠慮せずに、全開ガス抜きよろしこ。
そして今日も頑張りましょう。
おせん泣かすな火の用心。
531神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 10:51:16.31 ID:1vzsBL+w
じゃあちょっとご隠居から離れて仏法から日常生活を考えてみたいと思います。

昔の友達と再開して親しく語り合ったのだが
別れるころには気まずい雰囲気になってしまった
まさに無常。

結局、親しく語り合う事で同化してしまい
つい境界を踏み越えて余計な事まで言ってしまい気まずくなる訳だ
つまり「楽しい気分」に呑まれ、苦を齎した訳だ。
我々の人生とはこの連続だ。
中の良い恋人が旅行に行き帰り際にはもう大喧嘩してるとかさ
「楽しい」→「苦しい」→「楽しい」→「苦しい」の連続が人生である
まさに無常
苦しいよりも楽しいの方が油断してその気分に乗っかってしまうんだな
「楽しい」はご用心
楽しくても節度を弁えと駄目ですな
532神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 11:14:37.08 ID:1vzsBL+w
この宇宙で一体何が頼りになるだろうか
模範的解答は「自己」とかだろうとしても
自己が頼りにならない
或は自己が自己を頼りするというのは矛盾でもある訳だ
頼りというのは己以外のものを暗に想定しているのだからね
自己以外では、彼氏彼女、旦那奥さん、家族友人、財産金銭、健康美貌才能、会社国家、神仏
しかしこれらは無常な訳だ。
この世に常なるものなしとすると、何もかもが頼りにならない訳である

一切は頼りにならない

まあ絶対的に頼りにならない訳ではなく
相対的には頼りになる場合もあるが
絶対ではないと。
この世に絶対はないとすると相対的な存在を頼りにしながら我々はこの世を生きて行かなくてはならない訳である


533神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 11:22:57.67 ID:1vzsBL+w
絶対的なものはないとすると相対的な存在と共に我々は生きて行かなくてはならない
絶対的ではないがゆえに
そういった様々な縁を大事にして生きて行く必要かあると
そういう事になるかもしれない
例えば海で遭難した人を考えてみよう
絶対的な存在が居ればそのような存在に救いを求めればいいが
絶対的な存在がいないとすると海辺に漂う「藁」すら大事になる。
丸太があればしがみつく
舟が通りかかるのを待つ
救助隊に救いを求めるなど、相対的な縁に縋って我々は窮地を脱する
534神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 11:36:22.49 ID:4PRMSuBL
生命の毀損も、全部と一部があり、それに従って、殺人罪、傷害罪、暴行罪の
区別が設けられている。

爪も髪も生命(身体)の一部。傷害罪が身体の完全性を毀損することか、それとも
生理機能を害することかについては、学説上争いがあるが、他人の爪や髪をその
意に反して切れば、少なくとも暴行罪は成立する。本人が長くなりすぎた爪や
髪を切るのは、生存(共生)に支障を来たすからである。

本当に高学位と高難度国家資格を有する者に対して、「詐称」などと言ったら、
名誉毀損罪が成立する。宗教者が、そのような疑問を、開祖・教祖に対して絶対に
抱けないのが、宗教の病理。宗教は、公益に関する営みだから、常に批判の対象
となり得る。
535神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 11:38:32.50 ID:1vzsBL+w
仏教的な考え方だと
絶対者は居ない訳で
その場合「縁」が大事になる。
良縁を結ぶ事がいくらかの救いに繋がる訳だが
当然、縁は無常であることも前提な訳だ。
良縁が悪縁に突然転換する場合もある
つまり縁に依存してはならない事になる
気分も縁の一つであるが気分に依存しては人生という道に迷う可能性も高まるであろう
ではバンニャーへの依存はどうだろうか
パンニャーは無常を悟る能力であるが
パンニャーも縁であり
常にパンニャーが作動している訳ではない
パンニャーが曇る事もあり、すると無常なる縁を常とみて苦が生じる事もありえる
しかしパンニャーが発動するならば苦を無常とみて苦から脱する事も出来る訳だ
536神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 11:41:56.94 ID:1vzsBL+w
パンニャーも恒常ではないとすると
苦が生じたり消えたりしながら生きて行くのがあるがままの人間の姿ということになる
537神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 11:46:11.98 ID:1vzsBL+w
だとするとご隠居という生命教の教祖に批判や疑問を呈するのは健全な心の機能ということになる
それを否定することはカルト宗教を作る事になる
なのでもし宗教ではないと言うならばご隠居は自分の主張に対する批判に対して常に開かれた立場をとらなくてはならない
538神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 11:54:14.96 ID:4PRMSuBL
>>531
楽しいと感じたときは楽しみ、苦しいと感じたときは苦しむ。それが生命の
指示である。生命の維持に不可欠な役割を果たしている。

それを、1個人に過ぎない開祖の「教え」で規制・抑圧することは、生命の毀
損という大罪に他ならない。
539神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 12:02:20.54 ID:1vzsBL+w
じゃあ覚せい剤が楽しくてやめられない人は覚せい剤を打ちまくるのが正しいのですか?
開祖の指示に従ってやりたいことを抑圧するのが病理ならそれこそご隠居という唱導宗教の開祖の言葉に惑わされては行けない事になる
540神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 12:09:37.92 ID:wDx9atpW
隠居の開祖の「教え」で規制・抑圧することは、生命の毀
損という大罪に他ならない。

でよろしいでしょうかw
隠居氏も規制、抑圧しようと妄想していますよ、
むしろ隠居の方が激しいでしょうw
541神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 12:11:34.84 ID:1vzsBL+w
楽しい事が善い事とも限らないし苦しい事が悪い事とも限らない。
楽しい感覚に埋没し毎日ギャンブルをしまくって
身を持ち崩す事もある訳です。
542神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 12:19:10.97 ID:jf/F9gCx
>本当に高学位と高難度国家資格を有する者に対して、「詐称」などと言ったら、
>名誉毀損罪が成立する。宗教者が、そのような疑問を、開祖・教祖に対して絶対に
>抱けないのが、宗教の病理。

また小学生レベル以下の作文。
「そのような疑問」って何を指すんだ?意味不明。
名誉棄損と宗教がどういう関係があるん?
御釈迦様もキリストも学歴・職歴詐称してませんがwww

何度も言うが「高難度国家資格」って具体的に何だ?
言えなければ詐称確定ですよwww高学歴さんwww
543神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 12:22:38.93 ID:1vzsBL+w
本当に高学位と高難度国家資格を有する者に対して、「詐称」などと言ったら、
名誉毀損罪が成立する。宗教者が、そのような疑問を、開祖・教祖に対して絶対に
抱けないのが、宗教の病理。宗教は、公益に関する営みだから、常に批判の対象
となり得る。


↑この文章前半と後半で前々論理的整合性がないよな
もし彼が裁判官とかの法曹関係者だったら共同体の利益を損ねる大問題だぞ
544神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 12:38:52.42 ID:ts4i8cnS
【社会】お坊さん・お寺の娘さんも婚活 仏教各宗派が支援
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1319425589/
545神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 13:03:18.13 ID:1vzsBL+w
「人生は苦しみの連続」
これはマジで真理だと思う。
楽しさの背後には苦しみが付き纏う
仲が善いほどに衝突も大きい。
大いなる安心を得られるなら迷わず苦楽を捨てるよ。
苦楽に没入することで苦楽を超越出来るというのは体験上間違いだと断言出来る。
余計問題を拗らせるだけでしかない
546神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 13:10:08.64 ID:1vzsBL+w
とは言え現実問題苦楽は避けられない。
ただ「無常」であることが救いではある
無常ゆえに苦しいのだが
その苦しみもまた無常なのだ
547神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 13:14:57.85 ID:1vzsBL+w
心が傷付いたとする
すると傷付けた対象を怨む。怨む事により傷付いた時の事を思い出しさらに傷付きさらに深く怨む。
怨みの連鎖は止む事がない。
仏教は言う。
あるがままをみよ
傷付いた心もいずれ癒える。
傷をほじくり返すな
無常であると。
548神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 13:31:49.87 ID:1vzsBL+w
現象学的に価値判断をせずにあるがままの心の状態を観察してみよう
確かに冷静に観察すれば感情の連鎖反応は弱まる。完全ではないが、やはり怨む気持ちは多少残っている。
観察を続けよう。
それは弱まって行く。
私は「楽」に埋没した結果苦しみを生み出した。
これも事実。
楽というのは惰性の裏返しだったり、他人への依存の結果生じる感情である場合が多く
一瞬楽に思えても長い目で見れば苦に転じるケースが多い。
例えば自分の荷物を他人に預ければ「楽」だが
その楽は他人を苦しめている訳で、罪深いものだったりする
楽な時は楽に没入すればいいという単純な問題ではないのだ


さて観察を続け論理によって思考した。
怨みは随分弱くなった。
ほぼ無くなった。
もし怨みをもって言い返していたら
感情は深くこじれ
回復は遅れただろう
観察によって今気持ちが落ち着いた。
同じ事を繰り返さぬようにしよう
549神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 13:44:38.93 ID:1vzsBL+w
「共に生きる」というのは現実だが
「共に幸福に生きる」というのは理想である。

理屈ではなくこの理想を現実のものにするのが
あらゆる宗教だったり哲学の目的であるべきだ。

550神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 14:59:41.41 ID:jf/F9gCx
>>543
そうなんですよ。
どんな奇妙奇天烈な理論でも書き込む権利はある。
しかし隠居が法曹関係者なら、言いがかり的宗教批判、
ましてや「宗教者、信者を精神病である」と断言するなど人権侵害も甚だしい。
公権力を有する者がこのような行為に及ぶのはもとより憲法違反だと思いますので、
懲戒の対象だと思われます。
匿名で宗教者、信者を精神病扱いするのはなお悪質でしょう。

一方、ウソならウソで問題みたいです。

第1条〔軽犯罪〕左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
 十五号 官公職、位階勲等、学位「その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し」
又は資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作つた物を用いた者

551ワトソン:2011/10/24(月) 15:03:53.48 ID:CYk2cTsR
お釈迦様が原始仏教の阿含経の中で『無常・苦・空・非我』という法則を説いています。

@無常
この世界は無常である。無常とは変化・生・滅である。
人は生まれ、変化(老病など)し、死んで行く。

A苦
無常はすなわち苦である。
苦とは、生老病死憂悲悩苦である。

B空
なぜ、苦が生じるのか。
この世界が空(幻)の世界だからである。
幻は発生(生)し、変化(病気事故災害)し、そして消滅(死)して行く。

C非我
この世は空(幻)であるから、人間も幻である。
だから、この世に自分(我)という者はいないのである。

これが阿含経の中心的な論理です。
552神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 15:10:19.95 ID:1vzsBL+w
無我の説明を読んだくらいでは我を克服するのは至難の業ですよ
現実的な話
553神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 16:08:58.98 ID:jpczPVb6
>>548
「怨み」という観念に拘っていたら、恨みは消えない。それよりも、「すべての
人間は、生命において等価・至上である」という、上位概念としての生命に
直接持ち込んだほうが良い。「怨み」の観念そのものが消失する。
554神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 16:24:15.88 ID:jpczPVb6
>>550
>しかし隠居が法曹関係者なら、言いがかり的宗教批判、
>ましてや「宗教者、信者を精神病である」と断言するなど人権侵害も甚だしい。

「根源としての生命」から批判することは、言いがかりではない。根源を離れた
宗教のほうが言いがかりである。

人権を大切にするからこそ、精神医学がある。「病気」であれば、いかなる
人格誹謗もない。それを人格批判と解釈するほうが、精神病者の人格誹謗で
ある。
555神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 16:35:54.33 ID:1vzsBL+w
その生命教で具体的にどうやって問題解決するのかね

例えばアル中のおっさんを生命教でどうやって治療すんの?

556神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 16:40:56.07 ID:1vzsBL+w
>>553
例えば誰かがご隠居の家族を傷付けたり殺害したとする。
ご隠居は全く怒りを感じない訳ですか?
557神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 16:47:28.87 ID:1vzsBL+w
生命教の理屈だとこの世に争いは無いはずなんだよな。しかし現実の社会を見るとそうではないよね。日本人の六割は無宗教というし、宗教信者と言うものでも葬式くらいの形式的な信者が多い。
にもかかわらずストレス社会、年間三万人の自殺など、理論と矛盾するような事象が起きている。
これはどう説明するの?
558神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 17:20:41.12 ID:xB+dOsb4
自殺する人は自殺病にかかった
病人ですよ
559神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 17:28:43.71 ID:1vzsBL+w
自殺病、自己中病、悲観病、楽観病、愚痴病、拒食病、大食病、ET CETERAあらゆる人はその意味では何らかの「病気」にかかっているとも言える訳ですが、それに対して生命教はどんな解決を齎す訳ですか?と聞いている訳です。
560神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 17:34:17.96 ID:Pg4a33kO
仏教以前に宗教で無くなってしまったイメージだが。

少なくとも「聖職者」では無いと自覚しているのなら、
「僧侶」なる形式に拘ることを、やめればいいのでは?


お坊さん・お寺の娘さんも婚活 仏教各宗派が支援
http://toki.2ch.net/psy/#menu
仏教の各宗派の間で、お坊さんや住職の娘さんらを主な対象にした結婚支援に乗り出す動きが広がっている。
背景には少子高齢化による寺院の後継者難があるようだ。

東京都港区台場にある高層ホテル。
レインボーブリッジや東京タワーを望む30階のフロアに、頭髪を短く刈り込んだスーツ姿の男性が次々に姿を現し、貸し切りスペースに向かった。
黒っぽいワンピースを着た女性の姿も。
行き先は、日蓮宗の宗務院総合相談所(東京都大田区)主催の婚活パーティー会場だ。

男性22人、女性29人が参加。愛知県一宮市の女性教諭(24)は「寺の四女。実家を継いでくれる人をぜひ、見つけたい」。
岡山県倉敷市の男性僧侶(27)は「自分から動かないと、寺に来たいという女性になかなか出会えない」と話す。

一方、寺院とは特に関係がないという東京都杉並区の女性会社員(37)は「お寺はリストラもなく、民間企業と違って安定している。良いお坊さんがいれば、お付き合いしたい」。

アルコールと食事が付いているが、費用は無料だ。
だが、参加には総合相談所への登録が求められる。
561神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 17:39:11.68 ID:1vzsBL+w
ご隠居さんよ
全然返答がないな
結局、机上の空論と言う事でしょ
綺麗事の理想論だけ言うのやめろよ
しょうもない自己満足の為にあなたの時間を使っても仕方がないでしょ
562神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 18:31:46.00 ID:lKX/tTBM
現実からの試練受けたら、既存宗教みたいに汚れざるを得ない。
だからずっと机上の空論でないといけない。
そうしておけば、まだ罪を起こしてないという高みから
実社会で汚れてしまった思想信条行動活動なんでも一方的にヘイトできる。
563神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 19:08:54.78 ID:ujCuF3i2
>>556
その状況における生命の指示にまかせる。

>>559
すべての後天的疾病の医療は、生命による治癒力を支援しているに過ぎない。
564井戸魔神F ◆Tny1JrNujM :2011/10/24(月) 19:10:40.17 ID:fO444CqD
大乗非仏説についてはどう思う?
565神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 19:12:54.91 ID:s8LsFrLf
>>489
貴様キチガイだなぁwww

欝のときは飯の味なんてしないからw
566机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/24(月) 19:15:14.70 ID:7t1uXPD+
隠居氏は法曹関係者である可能性は充分にある。

私は刃物工学の一人者にも関わらず、疑われたことがあってね。
それで「工学の専門家であることを実証しろ!!」って突っ込まれて
わざわざ刃物板・日本刀スレでやれ。とか、で仕方なく逝きました。
このスレで実証しようかと思ったのですが・・・とんだ大外れでしたよ(苦笑

あのスレは、工学の専門どころか、日本刀オタの集まるとこで、
てんで話しになりません。

まあ、ついには私が折れて「工学の専門家ではない」。で落ち着きましたけど(苦笑
こういう専門の話しは、専門でなければ分からんもんです。
ちなみに、今どき日本刀の研究家(研磨部門)など稀にしか居ませんよ。
私はそういう稀の中の一人ですけど、今の近代工業においては殆ど化石的存在です。
だから研究する人間だって殆ど居ないです。
567神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 19:18:31.90 ID:s8LsFrLf
隠居の息子は宗教にはまって自殺したらしいwww
568神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 20:54:32.73 ID:1vzsBL+w
>>563
生命の指示が「あいつを殺せ」だったら殺す訳ですか

何の解決にもなってないじゃん
569神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:13:07.95 ID:ujCuF3i2
>>568
生存本能(生命)は、「自他の死に対する恐怖・嫌悪」を有する。

喜んで人を殺すのは、宗教観念によって本能を破壊された宗教信者だけ。
570神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:13:12.80 ID:PvnrzCUr
>>566
嘘つくなよ
おっかけて日本刀スレも見てきたが、専門家が居るところでは鳴りを潜めて、自分のトンデモ説を一言も言わなかったじゃねえかw
いい加減、自己欺瞞するのを辞めれば、少しは楽になれるぞ
571神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:22:54.82 ID:w/xri6E4
>「根源としての生命」から批判することは、言いがかりではない。根源を離れた
>宗教のほうが言いがかりである。
宗教者・信者を「精神病」と決めつけているのが言いがかりだと言っているのだが?
「根源としての生命から批判」・・・またしても意味不明な言葉の羅列だなw

で、法曹関係者詐称ということで良いですか?
反論がない場合、「詐称を認めたこと」になりますよ。
572神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:26:44.38 ID:w/xri6E4
サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、
情け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、
財産を奪われ尽くした人を後に残して行く。
良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、
罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、
好きなように振る舞う。

これが、精神病質者の定義だが、宗教者・信者が当てはまると言うなら
人権侵害だろ。
573神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:31:48.40 ID:w/xri6E4
>隠居の息子は宗教にはまって自殺したらしいwww

それがもし、本当であるなら、
自殺の原因は宗教ではなく、多分にその息子の気質と家族の無理解だろ。

宗教が原因なら、少なくとも日本の自殺者のかなりの割合が
熱心な宗教信者でなければならない。
隠居が宗教を憎悪するならお門違いで、息子の心情を全く理解しなかった
隠居にこそ非がある。

もっとも、この話が事実だったら・・・の仮定ね。
574神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:37:59.28 ID:J+mtwsSI
机さん
お勧めの銘柄はなに?
575神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:40:22.38 ID:1vzsBL+w
>>569
ご隠居。
「傷害罪や殺人罪を犯すものは全て宗教信者である」というデータを持って来て。
さもないと生命教は全部君の信仰によって成り立っていることになるよ
576神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:43:51.06 ID:u4ZrKLI/
>>567>>573

事実の如何にかかわらず、そうした類の発言は如何なものかと思う。
577神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:51:28.64 ID:1vzsBL+w
ご隠居は自分で自分の生命哲学を単なるカルト宗教にしてしまう事を遺憾に思わないのかね
事実に基づかない、全部自分の信念によって論理を組み立てたらそりゃ宗教そのものでしょうよ
578神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 21:59:42.11 ID:w/xri6E4
>>576
>喜んで人を殺すのは、宗教観念によって本能を破壊された宗教信者だけ。
これには何とも思わないのか?
敬虔でまじめな宗教者・信者の心境は?
また翻って宗教犯罪に巻き込まれた被害者の遺族はどう思う?
579神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 22:03:16.01 ID:w/xri6E4
>生存本能(生命)は、「自他の死に対する恐怖・嫌悪」を有する。
あんた自分は「死の恐怖」は無い、と豪語してたよなwww

そんなら、さしずめあんた死人だなw
「身内の死」を悲しいとも思わないとは・・・恐れ入るwww
580神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 22:06:23.28 ID:u4ZrKLI/
>>578
違いが判らないなら、所詮貴方のレベルがそこまでということです。
581神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 22:14:37.23 ID:jCXCMz/n
>>580
違いを作る貴方のレベルがそういうことです。
582神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 22:15:33.56 ID:u4ZrKLI/
>>581
勝義厨なら間に合ってますw
583神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 22:20:08.09 ID:1vzsBL+w
ご隠居の生命哲学は宗教ということがこれではっきりしました。
以後、彼の宗教批判は全て彼自身に向かいます。
もはや彼の思想は誰にも相手にされないでしょう
自分の思想がそもそも宗教なのに宗教批判をしたら自己矛盾です。
今後は宗教批判をしてもお前自身が宗教信者であり、唱導宗教の教祖じゃないかと笑われるだけでしょう
584神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 22:21:02.08 ID:jCXCMz/n
>>582
ま、冗談はさておき、自分が彼らの発言を気に入らないだけのことに
レベルだなんだと正当化を持ち込むなよ。むしろ低くなるぞ。
585神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 22:39:43.14 ID:u4ZrKLI/
>>584
以前宝珠が、実父が亡くなったという報告をしたことがある。
このとき、『ざまぁw前世の大悪業が果を結んだんだろw さぞ醜悪な死にっぷりだったろうなw』
とレスを入れるに等しい、と言っているのです。
特定個人を中傷することに(しかも、「本人でない」且つ「反論の術を持たない」者への打擲に)なっている、ということ。
一般論としての中傷、或いは公人的性格を有する立場の者に対しての中傷と、
特定個人(しかも対話の相手でなく、且つ対話相手の身内・関係者)へ向けてのものとが同じだとは、私は思わない。
それだけだ。 それを「 >自分が  >気に入らないだけ 」と判断するならそれでも構いません。
気になったので一言挟んだだけですから、甘んじて受けますし、これで終えておきますよ。
586てすと:2011/10/24(月) 22:55:17.86 ID:S7D9B0J8
ご隠居は極端だけど宗教が殺人のハードルを下げてるのは事実なんだから、宗教側はあんまり調子こかない方が良いと思うよ。
587前世は一在家:2011/10/24(月) 23:01:20.75 ID:QtWQTUiN
>>551 :ワトソン:2011/10/24(月) 15:03:53.48 ID:CYk2cTsR
>お釈迦様が原始仏教の阿含経の中で『無常・苦・空・非我』という法則を説いています。

そうですね。
またお釈迦様は大乗仏教の法華経『如来寿量品第十六』の中で弥勒菩薩らに以下の法を
説いておられます。

「全てのものは、生まれ、かつ死に、必ず変化するものでありますが、
それはただ現象の上だけのことであって、如来の眼をもって全ての物事の
実相を見れば、全ては消え去ることもなく、現れることもありません。
また、この世に在るとか、世を去るということは、本来ないのであります。」
「目の前に物事が現実に『在る』と見るのも間違いであれば、『無い』と
断定するのも誤りです。また、物事が常住するもののように考えるのも迷い
でありますが、現象面だけを見て常住のものが無いと考えるのも浅い見方です。」
「衆生の目から見れば、地球の命が尽き、大火に焼かれ、破滅してしまう時代が来ても、
仏の国土は安穏であって、人間・天人が充満し、安らかに暮らしているのです。」
「多くの衆生は、良くない業を積み重ねる為に、長い年月を経っても、仏・法・僧の
三宝の名を聞くことさえもない。それと反対に、美しい心を持ち、様々な善行をなし、
気持ちが柔和で素直な者は、常に私を見ることができる。私がいつも傍にいて、
常に法を説いているのを自覚することができる。」

本スレで度々解説のあった三法印の「一切皆苦」の一切に如来・涅槃は含まれていない
ということの事例とします。
588神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:04:28.01 ID:6prou48Z
お〜〜〜〜〜〜、久しぶりに、てすと登場wwwwww

んで、レスの進行はいつも通りに、アホ隠居の妄想と机の「俺ってすごい」か?wwww

589神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:15:36.88 ID:1vzsBL+w
別に宗教側ではないよ。
宗教が無ければ全てが解決するみたいな安易な意見に疑問を呈してだけ
590てすと:2011/10/24(月) 23:17:34.06 ID:S7D9B0J8
ご隠居は結果論として宗教擁護側の人なんだよね。

生命教の主張は宗教による間接的暴力肯定になんのダメージも与えずに問題点をそらすだけ。
591神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:19:29.49 ID:1vzsBL+w
法華経に書いてるから正しいとかそういう主張もおかしい訳で
ご隠居思想と同じで現実逃避がある
現実に苦を滅却出来るかを評価の基準にするべきである
592神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:21:33.83 ID:VeWuvkf6
>>578
>これには何とも思わないのか?

「宗教」を批判しているのであって、「人間」としての信者を聊かも批判
しているのではない。

「すべての人間は、生命において等価・至上である」。批判できる訳がない。

それにしても、真意のほども定かでない大昔の開祖の言説で、現代人がこれほど
大騒ぎすることほど、愚かで滑稽なことはないぞ。
593神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:22:11.03 ID:u4ZrKLI/
なるほど、「間接的暴力肯定」かw 巧いこと言うな。
てすとは、こうした用語創出に長けてるよなw
昔の「戦術的思考停止」なんてのも、ちゃんと憶えてるぞw
594神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:24:03.31 ID:1vzsBL+w
大昔の開祖だろうと現代の愚か者だろうと
関係ない。
無能な思想は無能な思想だし有用な思想は有用な思想である
595てすと:2011/10/24(月) 23:25:17.72 ID:S7D9B0J8
苦も楽も最初から無いのだから滅する事などできるわけないだろ。

苦の消滅が無いのだから、基準にもならない。

基準マニアの戯れ言だね。
596神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:26:30.80 ID:1vzsBL+w
釈迦の説く無常は古代に置いても現代に置いても未来に置いても真理である。
597てすと:2011/10/24(月) 23:28:17.06 ID:S7D9B0J8
有用とか無能とかも基準の話だろ。

石を砕くのにハサミは無能だから捨てるのか。
598てすと:2011/10/24(月) 23:30:24.84 ID:S7D9B0J8
>>596

変化してるんじゃなくて変化と呼んでいるだけ。
599神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:30:34.32 ID:1vzsBL+w
苦がないというのは君の主観的な意見に過ぎないよ
苦がないなら病院もないはずだし、自殺者もいないだろよ

これに対して仏教は苦はあるでもないでもなく空であると説く
より現実的な思想である
600てすと:2011/10/24(月) 23:32:42.00 ID:S7D9B0J8
>>599

だから滅却不可能だって言ってるだろ。

あなた分裂してるよ。
601神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:33:28.44 ID:1vzsBL+w
私は苦の滅却という観点から宗教を評価しているのだから
それでいいのだよ
基準が無ければ美味しい料理も作れないし
適切な医療も成立しない
それとその基準が絶対かどうかは別の話だがな
602てすと:2011/10/24(月) 23:35:16.84 ID:S7D9B0J8
>>601

ご隠居の生命教と全く同じじゃん。
603神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:36:53.38 ID:1vzsBL+w
君は「苦がない」と言ってるよ
それは現実的ではない。
あと俺はレトリックが上手いだけの奴は評価しない
時間の無駄
604てすと:2011/10/24(月) 23:38:43.58 ID:S7D9B0J8
>>603

あなたが洗脳されているだけ。
605神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:41:19.10 ID:1vzsBL+w
602
へーどこが同じなの?
606神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:42:01.12 ID:1vzsBL+w
604
へーどこが洗脳されてるのかね

607神も仏も名無しさん:2011/10/24(月) 23:45:35.70 ID:1vzsBL+w
ちょっと追求されたら答えられないような中身がない主張するなよ

608てすと:2011/10/24(月) 23:46:31.06 ID:S7D9B0J8
>>605

基準を求めて年を取って死ぬだけの無能な存在。
609てすと:2011/10/24(月) 23:52:01.20 ID:S7D9B0J8
>>606

苦の滅却を基準としなければ生きられない憐れな存在。
610神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 00:02:27.98 ID:1vzsBL+w
歳を食って死ぬのはお前も同じだろうよ

また、君は議論に置いては馬鹿だが
たからといって君の価値を絶対的に否定する訳ではない
他の基準からすれば有用かもしれないからな

また苦の滅却に関しては「全ての基準を取っ払う」という方法もある
基準があるから苦が生じるという逆説もありえる訳だ。

「無基準」こそが苦を滅却する方法である
何故なら基準によって自他を裁く事になり
取りも直さずそれが人に苦悩を齎す要因だからである
というような主張も全然成立する

そういう意見に関してはむしろ同意見と言ってよい。

ただ言うは安く行うは難しである

実際我々は何らかの基準で行動している

611てすと:2011/10/25(火) 00:04:41.95 ID:S7D9B0J8
だからご隠居が生命を基準にしたっていいじゃん。
612神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 00:09:49.81 ID:olk7fTKY
別に駄目だって言ってないよ
俺も生命を基準にしてるしね
613神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 00:12:44.53 ID:olk7fTKY
まあ私は相対的に基準から自由である
絶対的な基準を持たないからね
基準を持っている事とそれに執着しているかどうかはまた別だ
執着していなければ基準を持っても苦は生じない
614神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 00:21:56.49 ID:olk7fTKY
その意味では私に生じる苦は相対苦だな
価値という眼鏡をかけると生じるが外すと消える幻みたいなものだ
因みに私は「生命」という基準を比較的評価している
この眼鏡をかけると生命の苦悩が放って置けなくなる訳だ
苦は苦だが個人的な苦悩は越えている訳で
その苦悩は社会的に見ると善というポジティブなものに転換する訳である
615てすと:2011/10/25(火) 00:24:04.93 ID:tT3bUpCT
風邪を引いたとき解熱剤を飲めば一時的に良くなるが完全に治るにはかえって時間がかかってしまう。

熱を出す事で病原菌を殺しているからだ。

人生が苦しいからといってそれを取り除こうと仏教に頼るのではなく正面から苦しみを受け入れる方がうまくいく。

苦しみは人生に有用であり完全滅却には反対だ。
616神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 00:35:41.28 ID:olk7fTKY
俺は正しいこと有益な事を言っているならば堂々と仏教を採用するよ
それはご隠居に関しても同じ。
まあ生命や苦悩に関する洞察は君やご隠居より仏教の方が一枚上手であるのは確か。
その点私は公平である
617てすと:2011/10/25(火) 00:40:09.47 ID:tT3bUpCT
洞察しようがしまいが、何も変わらないさ。
618《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/25(火) 00:53:09.98 ID:5TdXxYWD
>>615 試験的に私見 sん

苦とは?
619《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/25(火) 00:54:35.42 ID:5TdXxYWD
620てすと:2011/10/25(火) 00:55:14.70 ID:tT3bUpCT
>>618

基準の話しはもう終わったよ。
621神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 00:59:31.23 ID:K6Ju9Gaz
ACIMが一番糞
622《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/25(火) 01:58:31.22 ID:5TdXxYWD
>>620 てすとは無点だな。

> 基準の話しはもう終わったよ。

あんのかよ、
おそえて
623《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/25(火) 01:59:18.57 ID:5TdXxYWD
624神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 04:09:49.45 ID:Jx6RlIYj

>苦とは?

てすとに代わって、お答えしよう


苦とは、・・・・・・

「ぽったんに質問されることである」

どう?   初関 パスだろ?wwwwwwwwwwww
625前世は一在家:2011/10/25(火) 06:23:35.06 ID:ikigrems
>>615 :てすと
>風邪を引いたとき解熱剤を飲めば一時的に良くなるが完全に治るにはかえって時間がかかってしまう。
>熱を出す事で病原菌を殺しているからだ

貴兄のその考えには賛同します。
更に高熱を出すことで、体内の不要蓄積物(老廃物、添加物、薬物)を溶かして体外に出しますから、腫瘍や血栓や癌の発生を回避します。

苦しみや辛いことで過去世からのカルマの清算をしておくことは悪くはないでしょう。
さもなくば人生の幸福の絶頂期に、一気にカルマ清算が起きる方が人には耐え難いからです。

もちろん、悪いカルマのを善行(徳)によって返済する方がお得でお奨めです。
626ワトソン:2011/10/25(火) 06:39:41.66 ID:1E1vb8Eb
☆阿含経**********************************************

人間は「六道(地獄・畜生・餓鬼・人間・阿修羅・欲天)」の世界に生まれ死に生まれ死にを繰り返しているのです。
その原因は「貪(性欲)瞋(怒り)癡(無知)」の力によります。
そこで、四諦、八正道などを修行して、死後六道から解脱して寿命の長い天界に生まれなさい。
これが阿含経の修行です。

☆大般若経**********************************************

阿含経の修行が終わって、仏になるためには大般若経の修行をしなさい。
この世界は空(幻)の世界です。つまり煩悩が造った幻の世界なのです。
だから一切は映像であり、すべては存在しないのです。したがって、仏の教えも幻の教えなのです。
だから、人々は幻の苦しみによって苦しんでいるので、人々に阿含経の修行を教えて、苦から救って下さい。これが仏になる道であり、菩薩の修行です。

☆法華経**********************************************

阿含経から大般若経の修行をしてきた菩薩の皆さんに最後に本当のことを教えます。
この世界は幻の世界ですから幻の修行法を説いてまいりました。
しかし、幻を見るには幻ではない実在の世界がなくてはなりません。なぜなら、幻は実在の世界においてのみ見ることが出来るからです。
だから、真実、あなた方は実在の世界に住んでいるのです。

真実を明かすこの法華経は最終的なもっとも大事なお経です。だからこのお経に書いてあることを忘れないようにしなさい。

忘れそうになったら、土で塔を造って、それを見て法華経の内容を思い出しなさい。また、法華経の題目「南無妙法蓮華經」だけを記憶しておき、法華経の内容を忘れそうになったら、「南無妙法蓮華經」と唱え法華経の内容を思い出しなさい。
**********************************************

この世界は幻(空)の世界であるが、幻は幻でない実在の世界がなくては幻単体では存在できません。夢を見ている世界がなくては夢の世界もないのと同じです。実相の世界の説明が法華経です。
627机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 08:08:27.87 ID:yrrPvuVw
>>570
>専門家が居るところでは鳴りを潜めて、自分のトンデモ説を一言も言わなかったじゃねえかw

刀の刃を手指で触る話しだろ?あんなもんは専門家なら常識だよ。
ただ素人が触るのは危険ではある。
触る刹那というもんがあってな、その刹那なら絶対安全圏というのがあるんだよ。
だからあのスレに、もしも専門家が居れば、それなりのレスポンスは付いたはずだ。

まあ、もっとも私のことを信じないなら、それなりの書き込みをしてもいいよw
素人にも刀の触り方を教えてやってもいい。
しかしズバリは教えられない。危険があるから。

新聞紙で刃物の研ぐ方法もある。これも教えてやってもいい。
専門家でなければ門外不出の情報だがな・・・(笑
628神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 08:40:34.92 ID:UagJKZRV
>>569
>生存本能(生命)は、「自他の死に対する恐怖・嫌悪」を有する。

それなら、なんで人間は「自殺」すると思う?

>喜んで人を殺すのは、宗教観念によって本能を破壊された宗教信者だけ。

あなたの理窟だと皆宗教に毒されているわけだね。
「宗教に入信すると、殺人または自殺する」と思っているわけだ。
629神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 08:42:10.43 ID:hDfKuUfI
机のホラなんか、常識だからスル〜すればいいのに

もしかすると、本当のことも混じってるかもしれないけど、
あれだけホラ吹くは、間違いや、誤解認めないと信じる方がおかしい
630机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 08:57:27.51 ID:yrrPvuVw
>>629
>もしかすると、本当のことも混じってるかもしれないけど、

日本刀には、人の心を魅了する力と、同時に心を狂わせる力が内在する。
故に、そのエピソードは数え切れない。
なんだったら、そういう話をき聞かせてもいい。
刃物板・日本刀スレでは絶対に聞けない話しだよw
あそこは、刃物どころか、日本刀を眺めて楽しむだけのオタしかいない。
私はモノホンの専門家だよ。
質疑応答もやぶさかではないw

ちなみに、日本刀に触って少しでも傷がつけば簡単に刃はめり込む。
こうならない方法はひとつしかない。それは代々と伝授されてきた。
今ここにその秘伝を開示しようじゃないかw
631神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 09:02:06.07 ID:olk7fTKY
やたら安っぽい専門家だな。

何にせよ日常生活で余り使えない知識ですな

包丁の簡単な錆びの取り方とか教えてよ
632机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 09:11:47.51 ID:yrrPvuVw
>>631
話しをはぐらかなよw
日本刀の刃を触ることが納得しないんだろ?
私は素人でも触れる。と言ってるんです。
それはテクニックではない。武士社会において培われてきた知恵なのだ。

これは仏教にも大いに関係する。
633神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 09:13:23.71 ID:olk7fTKY
刀触ったくらいじゃなんともならんだろ

634机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 09:18:07.17 ID:yrrPvuVw
鹿島流(たしか塚原ト伝もそうだ)では、これが代々秘伝とされてきた。
ここにも通じる。

鹿島のヒントで、私の語ちりたいことが、ある程度は察しが逝くだろう?
答えは、そういうことだよw
635神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 09:22:42.86 ID:olk7fTKY
別に知りたくもない知識だな
636神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 09:37:44.24 ID:olk7fTKY
ごめん。ほんとはちょっと知りたいです。
637神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 09:46:03.13 ID:jCLqTyGa
>>628
「生きたくても」、苦しくて生きられないから、自殺するのだよ。

宗教は、「自殺」ではなく、「他人を殺す」。
638机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 09:51:00.57 ID:yrrPvuVw
あぶない、あぶない、鹿島流を板に書きそうになっちまったじゃないか!!
こんなことしたら大変なことになる。

日本の武道は、殆ど精神論と言ってもいい。
テクニックは二次的なもの。
そこに禅とも絡んでくるのだが・・・
特に鹿島流はこの「精神」に重点のある流派だ。
639神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:01:59.57 ID:olk7fTKY
苦しんでいる人の大多数は宗教とは無関係の問題で苦しんでますよ
統計によると国別自殺者数では日本と旧社会主義国がトップレベルである
皮肉にも宗教の縛りが薄い地域で自殺者が多い
640神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:08:28.82 ID:jCLqTyGa
>>615
>苦しみは人生に有用であり完全滅却には反対だ。

そのことに気付かなかったアホが釈迦である。鬱病の症状だから、責める訳には
ゆかないが。当時は、精神医学が無かった。
641神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:18:49.88 ID:Jx6RlIYj
>私はモノホンの専門家だよ。

机が執着しまくりwwwwww

これで禅者気取ってんだから、笑えるwww
642神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:22:19.19 ID:olk7fTKY
苦しみが有用だとすれば生命の危険を回避する為のセンサーとして必要な訳でしょ
しかしそのセンサーは暴走する時もあるし
そもそもセンサーが作動しないような人生を生きるのが理想なのだ
643神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:25:58.54 ID:jCLqTyGa
>>642
センサーが作動しなければ、「死」という「最大の苦」に至る。釈迦は矛盾
しまくり。
644神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:28:18.20 ID:J49UsaDq
>>637
>「生きたくても」、苦しくて生きられないから

「生きたい」という(『生命』由来の)“本能”“志向性”だけでは生きられない、ということではありませんか。
「生きたい」という(『生命』由来の)“本能”“志向性”及び“機能”だけでは、苦しみを除去できてないじゃないですか。

>>538
>苦しいと感じたときは苦しむ。それが生命の指示である。生命の維持に不可欠な役割を果たしている。
「苦しい」ということは「 >生命の維持に不可欠な役割を果たしている 」んですよね?
なぜ、それが自殺という真逆の方向へ向かうのですか?
また、
>>553
>「怨み」という観念に拘っていたら、恨みは消えない。それよりも、
> 「すべての人間は、生命において等価・至上である」という、上位概念としての生命に直接持ち込んだほうが良い。
> 「怨み」の観念そのものが消失する。

>生命において等価・至上であ  り、 >上位概念としての生命に直接持ち込んだほうが良い
という、この類の発言は過去多くありました。
上記538同様、「《『生命』という根源》の土俵に持ち込めば」全て解決、的な発言も多々ありました。(>>563も同様ですね。)

解決してるのでしょうか? 苦しみを苦しみとして受け入れつつ生を全うできないケースが現実社会には溢れています。
皆が皆、生存本能に従って、「生きたい!」と望んでいるのにです。(>>555>>559などに言われるように。)
 *(生存本能に従えば、利害対立が生じ、争いが生じ、社会が荒れる・乱れるという側面は今は措きましょう。)

だから、「綺麗事」「机上の空論」「神話・お伽話」と指摘されるのです。九条神話と変わらないと言うのです。
>>557にある通りです。 尤もこれは、他の宗教、宗教的思想全般、道徳倫理思想全般にも
矛先が向いてしまうものではありますが・・・。)

>>562を、耳の痛い痛烈な台詞として聞けないなら、やはり処置なし、貴方はオワッてます。
645神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:30:18.59 ID:olk7fTKY
苦しみや不安というセンサーが働いても
それが問題解決に繋がるとは限らない訳です
驚いて腰が抜けたら逃げる事も出来ないし
鬱病になって自殺したら
生命をも失うでしょう
センサーによる合図を冷静に認識し
それに囚われることなく冷静に対処する
その為に「あるがままにみる」訓練が重視される訳です
646神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:36:03.21 ID:olk7fTKY
何故、鬱病になるかと言うとセンサーが鳴っても抑圧するからです
生命のサインを見てないんですな
お釈迦さまはそれをしっかり見なさいと言った訳です
それは単なるサインにすぎない
問題そのものではない
また、センサー自体間違って作動している場合もある
だからセンサーを認識してもそれに執着するなと言っているのであり
これは現代の精神医学とも通じる方法ですよ
647神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:42:18.82 ID:olk7fTKY
644
おっしゃる通りで
生命は「盲目的な生きる意思」に駆り立てられ
妄想的な恐怖に支配され周りを攻撃したり、不安を感じたりして
生命そのものを危険に陥れたりする
生命は妄想と現状の区別がつかない
だから宗教の妄想に洗脳されて自爆テロなども起こす訳ですが
それは宗教に限らず
人間の特性でもあるんですな
だから観念ではなく「あるがまま」を冷静に観察するのが大事だというのである
648神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:48:16.39 ID:jCLqTyGa
>>644
釈迦のように、苦を苦と意識し、排除しようとするから、苦は更に強まるだけ。

釈迦の鬱病の症状としての「苦悩感」「厭世観」が感染した時点で、君は既に
オワッテいるw。

自殺は犯罪とはならないが、殺人は最大の犯罪である。両者を混同するな。
649神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 10:58:39.57 ID:olk7fTKY
釈迦は苦をあるがままに認識すると無常ですと言ったんであり
君のように抑圧したり逃避せよと言った訳ではないよ
650神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 11:00:57.36 ID:olk7fTKY
苦は「空」であり無常である。
あるともないとも言えない。
これがバランスの取れた認識。
苦を存在しないかのように言うのは現実逃避に過ぎない
651神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 11:02:32.44 ID:olk7fTKY
苦も楽も無常である

反論あるか?

652神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 11:10:22.79 ID:jCLqTyGa
>>649
「苦・苦・苦」と鳩のように鳴く釈迦。彼が抗欝剤でちゃんとした治療を
受けていれば、佛教は生じなかったことは確かだな。

贅沢三昧に暮らした釈迦は、そもそも、「本当の苦」など味わったことがない。
単に彼の「心の病」に過ぎないのである。その心の病が感染したのが、釈迦仏教徒
というだけのこと。
653神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 11:37:20.43 ID:olk7fTKY
具体的にどういう抗鬱剤が有効だと言うのかね?
副作用の問題をクリアーした万能抗鬱剤が開発されたなんて話しは聞かない。
654神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 11:53:34.96 ID:jCLqTyGa
>>653
宗教とは異なり、医学は殆ど6ヶ月単位で急速な進歩を遂げている。

殆どすべての薬剤には副作用がある。効果と副作用とのバランスを常に考慮
するのが、薬物療法である。

書店に行けば「治療薬マニュアル」という医学書院から毎年発行される本が
ある。それを見れば、副作用は満載。胃の薬にも「胃腸障害」という副作用
が記載されているw。しかし、その副作用が「実際に」生じることは、極めて
稀である。
655神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 11:55:22.77 ID:olk7fTKY
要するにご隠居の苦悩の解決法は「抗鬱剤を飲め」というものな訳ねw
よくわかった。実に簡潔明瞭。
非常にアメリカ的というか「近代的」な考え方だね
こういう発想も私は全否定はしない。
656神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 11:59:31.58 ID:olk7fTKY
まあご隠居の理論が正しければ日本に鬱病で死んだり自殺する奴もいないし、あらゆる凶悪犯罪も無くなる訳だね

しかし何故か精神病の割合や自殺率は右肩上がりで伸びている
精神医学が六ヶ月事に進歩しているのにおかしな話しだ。

657てすと:2011/10/25(火) 12:08:50.37 ID:tT3bUpCT
仏教で鬱病を治したり、自殺を減らせるとか思い上がりも甚だしい。
658神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:10:32.72 ID:olk7fTKY
また、苦は生命の維持の為に必要な機能といいながら「薬でごまかせばいい」というのもちょっと矛盾である。

659神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:12:06.35 ID:olk7fTKY
仏教は万能ですなんて言わないが
相対的には優れた健康法だと思うよ
まあ対案を出さないで批判だけする奴よりは千倍マシでしょう
660てすと:2011/10/25(火) 12:18:41.75 ID:tT3bUpCT
>>656

対案が無いからといって効きもしない仏教が肯定されるのはおかしい。

対案がなければなんでもありって良くない考えだと思うよ。
661てすと:2011/10/25(火) 12:22:17.43 ID:tT3bUpCT
>>659でした。

仏教が健康法?また嘘ばっかり。

仏教やってなんで健康になるんだよ。
いい加減にしなさい。
662神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:22:47.98 ID:jCLqTyGa
>>656
「すべて」とか「万能」とか、直ぐに極端に走るのが、宗教者の特徴。
「初めからすべてが分った『積り』」の宗教とはことなり、医学をはじめとする
自然科学は、常に「批判」「実験」「実証」を前提とする。その結果、誤り
が検証されれば、直ちに訂正される。だからこそ「進歩」「発展」があるので
ある。宗教は、2000年以上も誤りが訂正されないw。

自殺の原因は、鬱病だけではないよ。精神病が右肩上がりにのびていると
いうのは事実ではない。いままで発見されなかった精神病が発見されるように
なっただけ。治癒や寛解もまた、右肩上がりに伸びている。診断法の発達により、
今まで発見されなかった腫瘍や他の病気も発見されるようになった。例えば「副腎
偶発腫瘍」などといわれるものが、その一例。診断法の発達により、他の病気の
診断中に偶然に発見される腫瘍のことである。

皆、宗教などと言うクソの役にも立たないものをやる時間があったら、医学でも
やったほうがよい。未解決の分野は無数にあるから、より世の中の役に立つ。
663神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:22:59.01 ID:olk7fTKY
ちなみにSSRI離脱症というのがアメリカでは問題になったらしい。
精神薬で爽快感を人工的に作った結果
セロトニンが自然に出なくなり薬が手放せなくなりその量もどんどん多くなってしまうというね
苦痛から解放するための精神薬が新しい苦を作り出してしまうという
悪循環が否定出来ない訳だ。
そういえばフロイドも若い頃はコカイン万能幻想に取り付かれ、自分自身コカイン中毒になり
中毒患者を作ってしまった反省から精神分析療法を生み出したとも言うね
私は仏教というのは洗練された精神分析療法に近いものだと思うよ
治療の発想に違いがあるので全く同じとは言わないけどね
664神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:25:47.40 ID:olk7fTKY
仏教が万能とは言わないと書いてるでしょ

大体「宗教患者」はご隠居の事でしょうよ

665神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:26:22.51 ID:J49UsaDq
>>642
苦をセンサーとしてしまうと、>>643のような謂いが成立してしまいます。

だから、《感受のみがあって、そこに苦が(楽が)生起しない》という言い回しが必要なのです。
伝承者たちは、晩年ブッダの描写に於いて、そうした部分(言葉の用い方)に大きな注意を払っています。


>>648
>両者を混同するな
寧ろ、混同しているのは貴方の方でしょう。

>苦を苦と意識し、排除しようとするから
ちょっとお待ちくださいw 「 >苦を苦と意識 」し得るから、センサーとして機能するのではありませんか?
それを、「 >苦を苦と意識 」しないなら、それは生命の危険へのサイン、センサーとして役立ちません。
(まさに、貴方が批判する各種宗教における“殉教精神”は、その多くがこうした側面を持っています。
 また、貴方の主張が宗教的であることが証明されてしまいましたね・・。)

>排除しようと
勿論、結果として「総論・総称的に」“排除”です。貴方のいう薬物療法も同じでしょう?w
苦が残っては意味ないでしょう?w その除去が、薬効なのでしょう?w (でなければ詐称だw)
結果として排除されねば意味が無いでしょう?
その為の手段として「薬ですべて解決する」と考えているとしたら、これまた九条神話と同じく『薬物神話』でしかありません。
(貴方による批判は、全て御自身に帰ってきているのがわかりませんか?w ミンス以上にブーメランがお得意なようで・・。)

いずれにしろ、
貴方の採用している方法は「抑圧」「隠蔽」「代替」なのですが、(これも何度も指摘しましたね)、
それでは再発を防げない、ということです。
そして仏教は、再発を防ぎ根治させることを目指すわけです。 (ま、ご理解できないでしょうね・・w)
666神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:27:23.89 ID:J49UsaDq
>>648
勿論、多くの「苦」は「心的在り様そのもの」ではあります。
薬物を用いた解決・治療もアリでしょう。しかし、再発防止の爲に【「各種条件」の整備・調整】もまた必須なのです。
環境改善が同時に行われて初めて意味があるのです。もし、環境が変わっていなければ、
薬効が切れれば又同じ状態です。環境が変わらない限り、薬を飲み続けることになります。(副作用の発生率も上がりますね?w)
また、「自身の心の向きを変え、強い心で以て―」と言っても実は同じです。心的在り様を持続させねばなりません。
だからこそ、「なぜ、このような想い(≒苦と感じる想い)が生じているのか?」という観察こそが必要なのです。
その上での、諸条件の整備(因、縁の滅、捨断・遮断、忌避・遠離)だけが有効なのです。

って、御理解困難なんでしょうね・・・。
667てすと:2011/10/25(火) 12:28:52.34 ID:tT3bUpCT
>>663

また嘘ばっかり。

1000人の患者に仏教やらせて何人治るのよ?
668神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:29:04.22 ID:olk7fTKY
665
おっしゃる通りです。
確かにセンサーと言う言い回しは誤解を生みますね
669てすと:2011/10/25(火) 12:33:42.07 ID:tT3bUpCT
1000人中1人だけ治ったとしても「万能ではない」と表現するのは論理的に正しいが、一般的には「無能」と表現するだろう。

仏教に騙されるな。
670神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:35:23.34 ID:olk7fTKY
実際は原始仏教の方法論を実践するには精神的にも身体的にも強靭な人じゃないと難しいんだよね
だから密教とか大乗仏教みたいな一種の「対処療法」も生まれた訳で
その意味では薬物療法もありだと思います。
「仏様が救ってくれますよ」的な教えはあくまで気休め効果でしかなく、副作用も強いが、気休めでも無いよりマシなので後代の仏教では方便として認められてはいる。
しかし釈迦本来の教えではないよ
671神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:37:40.16 ID:J49UsaDq
>>667>>669
貴方らしくもないw
1000人居たら1000通りの言葉、方法というのが仏教でしょうにw

画一的に、規格品的に同じ方法で行えば、貴方の言う通りだと思いますよw
672神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:39:34.88 ID:olk7fTKY
釈迦が生きてる時だってその時代の弟子が全員悟った訳じゃないからな
「万能」なんかでは全然無いよ。
673てすと:2011/10/25(火) 12:43:24.83 ID:tT3bUpCT
>>671
自分にあった方法を探してる暇があるなら、動いた方が早いでしょ。

専属旅行ガイドとして機能する僧侶は絶対数が少なすぎるし。
674神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:44:55.76 ID:olk7fTKY
ただ一般的でないからと言って全否定するのもおかしい訳です。
ご隠居の生命カルトも効果がゼロではないでしょう
ただそれを絶対化するので論争になっちゃう訳だ
675神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:47:35.68 ID:4ROsP0zT

>>670
>しかし釈迦本来の教えではないよ

その「釈迦本来の教え」が間違っていることに絶対気付けないのが釈迦教徒。
釈迦の精神病に感染してしまっている結果である。
676神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:50:34.57 ID:TMdzmSBZ
>>637
>「生きたくても」、苦しくて生きられないから、自殺するのだよ。
これはまた浅はかな・・・答えになっていないし今までの発言と矛盾する。

>生存本能(生命)は、「自他の死に対する恐怖・嫌悪」を有する。
と言っておきながら、なぜ人は自殺するのか、と聞いているのだが?
生存本能が脅かされれば反撃や逃走するんだろ?あなたの教義では。
矛盾するだろ、と言っているの。
「苦しい」と言う感受の方が「生きたい」という、あんたの言う「生命」より
強いということだ。
「苦」の前には「生命教」なんぞ、糞の役にも立たない。
「死」の前に生命教は無力である

結局あんたの生命教では年間3万以上にのぼる日本の自殺者を救うことはできないということだ。



677神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:52:08.93 ID:olk7fTKY
釈迦本来の教えを知らないと間違っているかどうかも検証出来ないでしょ
根拠なしに正しいとか間違っていると決め付けるのがカルトの証拠
678てすと:2011/10/25(火) 12:53:08.31 ID:tT3bUpCT
自殺者が多い仏教国というのがあるらしいよ。
679神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 12:56:09.49 ID:J49UsaDq
>>673
確かに、人類の人口(とまでいかず、国、地域としても)からすればその通りだがw

しかし、だからこそ「一期一会」であり「仏法聞き難し」と、古人は嘆じたのでしょう。
上で「規格品」の低評価みたいな書き方をしましたが、(禅家の達人でもない限りw)
その場その場、一瞬一瞬の最適を見つけ出すなんてなかなかできんでしょうw
その意味で、基本としての教則本的なものはあった方がいい。
680てすと:2011/10/25(火) 12:58:39.58 ID:tT3bUpCT
俺が自殺を減らす特効薬を教えよう。

それはお金です。

自殺志願者の口座に1000万入金したら1000人中950人は自殺しないよw
681てすと:2011/10/25(火) 13:05:44.31 ID:tT3bUpCT
>>679

世界地図を眺めても自分の位置を知る事は出来ない。

経典群だけで現在地とゴールがわかるような期待を持たせるのは良くないよ。
682神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:06:40.18 ID:olk7fTKY
950
経済学上では何度も議論されている政策であり今日のようなデフレ下では必要な政策でもあるが、その一千万を使い切ったらどうなる?
国家財政も無限ではない。
実現性が薄いという問題もある。
683てすと:2011/10/25(火) 13:10:06.83 ID:tT3bUpCT
対案を出せというから俺は自殺を辞めさせる方法論を説いただけ。

仏教で自殺減る訳ないでしょw
思い上がりだなぁ〜
684神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:14:16.98 ID:TMdzmSBZ
>宗教は、「自殺」ではなく、「他人を殺す」。
>自殺は犯罪とはならないが、殺人は最大の犯罪である。両者を混同するな

生命教の教義なら
死刑や戦争は最大の犯罪と言うことになるな。
一体、死刑を求刑する日本の検察官や裁判官、執行官は何教徒なんだ?
法曹に詳しいそうだから即答えられるよね?

685神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:15:13.11 ID:olk7fTKY
>>680の間違い。

悪くないが実現性が薄いのがネックだな。

実現性を高めるには世論を変える必要がある
その政策がもし実現するとしたら20年後位かと思う。

頑張れば五年位早める事はできるかもしれんが

もっとも釈迦の方法論も
六年位座禅してあらゆる価値判断を超越する超人になれば救われるという
一般性が無いものなので
現実的には大乗理論や薬物療法の併用も全否定は出来ない。
686神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:18:01.70 ID:olk7fTKY
「金に対する執着を無くす」が即効性という意味では最強の方法だよ

687てすと:2011/10/25(火) 13:18:32.22 ID:tT3bUpCT
経済って経世済民の略だぞ。

人を救うのは人の営みって事。

人類全員出家したら餓死で全滅だw
688神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:21:28.97 ID:TMdzmSBZ
>自殺志願者の口座に1000万入金したら1000人中950人は自殺しないよw
自殺の原因の95%が経済的理由だと言いたいのか?
が、実際はそんな単純な話ではない。本気で自死防止に寄与したければNPOを
紹介するが、そんな気はさらさらないよね。
689神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:23:38.84 ID:TMdzmSBZ
自殺志願で1000万もらえたら、日本中自殺願望者だらけになる
特に関西とか
690てすと:2011/10/25(火) 13:25:19.42 ID:tT3bUpCT
仏教徒は社会的自殺者。

面倒な義務が嫌なのはわかるが、寺が燃えたら消防車が来てくれる事に感謝するように。
691神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:26:17.02 ID:olk7fTKY
そうでもない。
現在は人類全員を食わせて余りある食料生産がある。
一方で十億人が餓死している現実もあるので
先進国の人間が毎日精進料理を食えば、食料価格が安くなり、餓死が減る事になる
692てすと:2011/10/25(火) 13:26:55.80 ID:tT3bUpCT
>>688

あなたは他者を否定ばかりしてないで、仏教では自殺は減らないと認めなさい。
693てすと:2011/10/25(火) 13:28:56.88 ID:tT3bUpCT
>>691

全員出家したら誰が食料生産するの?
694神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:31:54.23 ID:TMdzmSBZ
>全員出家したら誰が食料生産するの?
出家者が農業すればいいだけだろw
695神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:32:45.42 ID:olk7fTKY
全員出家する必要はないよ
全員が医者になる必要がないのと同じ。
多くは在家で修行しながら精進料理を食って経済活動もすれば良い
696てすと:2011/10/25(火) 13:35:37.16 ID:tT3bUpCT
>>695

農民が全員出家したいと言ったら、
「それじゃ俺たち食えないから駄目」と拒否するの?
697神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:36:05.82 ID:olk7fTKY
工業国の人は工業をしたっていいわけよ
禅に傾倒していたと言われるスティーブ・ジョブスもアイフォンを作ったりパソコン作ったりしてた訳だろ
698神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:37:07.04 ID:TMdzmSBZ
そろそろ「隠居」のキャラに戻ってくれない?
多重人格者さんwww
699神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:39:24.96 ID:olk7fTKY
695
その場合はローテーション制を採用したらどうだろう。
一種のワークシェアリングだ
700てすと:2011/10/25(火) 13:40:09.16 ID:tT3bUpCT
話をそらすな。

全員が出家を「希望」したらどうするの?
701てすと:2011/10/25(火) 13:41:15.72 ID:tT3bUpCT
釈迦もワークシェアリングするの?
702神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:41:30.60 ID:hDfKuUfI
>>670
全く逆だよ。大乗の方が難しい。
テーラワーダの方が単純明解なんだよ。
現代日本の大乗仏教本は、ほとんど仏教じゃないからね。

>>687
そりゃ、漢語の語源だろ。現代ではそんな意味で使ってるやつはほとんど居ないでしょ。
economy finance などの意味で使うでしょ。

あいかわらずヴィッパーだな
703神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:43:56.53 ID:olk7fTKY
>>696の間違い。

年に一ヶ月は国民の権利として座禅休暇を取っていいとかさ

実際、企業の中には研修に取り入れてる所もあるでしょ
704てすと:2011/10/25(火) 13:50:37.90 ID:tT3bUpCT
それで全員出家したら釈迦も畑を耕すのか?
705神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:51:28.71 ID:olk7fTKY
全員出家を希望したら自己責任で出家したらいいだけの話。
どっちにしろサンガの中でも勤労はあるよ
最低限の食料を生産する為に農作業をしたり
道場を建設したり
パソコンによる管理事務も発生するかもしれんね
結局、自然にローテーション制になる訳で
在家で休日に座禅をするのと変わらないことになる。
706神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:53:02.27 ID:J49UsaDq
>>681
だから、本来は、(しっかり把握してる)教習所で言えば隣に乗る教官の如き人がいるとベターだろうよw
四六時中同乗してる必要もないだろうけど、ポイントポイントで横から声かけるような、時折替わって見本を示すような。

或いは同乗でなく、常に見本(=サンプル)を示し続けられるなら更にベターだろうけれども、
ここが現代日本仏教が批判されている中核の一つでもあるわけでwww
707てすと:2011/10/25(火) 13:55:25.53 ID:tT3bUpCT
>>705

釈迦はサンガで農作業したの?
708神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:59:14.04 ID:olk7fTKY
704
釈迦も弟子に交じって針仕事をしていたと言う記録がある
709神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 13:59:39.96 ID:J49UsaDq
>>705
サンガってのは、純粋な共産主義・社会主義だからねw
耕作に際しての虫類等の殺生・生活環境の阻害、
金銭を扱うこと、
雑事をすること・世俗的対応・対処を許容すること等、幾つかハードルは発生するだろうけれども、
近代文明社会としてあり続けつつサンガたろうと思えば、それしか方法はないね。
勿論、最大のネックは「殺生」だけれども。(知らずに踏み潰してる小さな虫は沢山居るだろうしねw)
710てすと:2011/10/25(火) 14:03:24.58 ID:tT3bUpCT
>>708

それ目が悪い弟子を手伝っただけでしょ。
711神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:06:03.25 ID:olk7fTKY
一般人でもパソコンが出来ない人の為にパソコンを打ったりする事を仕事にしている人もいるでしょ

また釈迦は座禅の指導をしたり説法したりする仕事があるはずだ

712てすと:2011/10/25(火) 14:07:46.02 ID:tT3bUpCT
>>709

寺和田派生原始くんってぶっちゃけカルトだよね?

ご隠居的には鴨が来たって感じだけど大乗側はどう対応するの?
713神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:14:53.68 ID:J49UsaDq
>>712
大乗仏教は「比丘」である必要ないんだから無問題でしょwww
714てすと:2011/10/25(火) 14:16:03.40 ID:tT3bUpCT
ここにいる大乗側の人は日本の寺和田信者の目を一度みてみるといい。

人間があんな風になってしまって本当に良いと思ってるの?
715神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:16:55.39 ID:olk7fTKY
国民一人に一千万円を配る政策を今ここで実現する事が出来なければ君の話しも絵に書いた餅。
問題解決には繋がらない。
716てすと:2011/10/25(火) 14:18:52.81 ID:tT3bUpCT
>>715

仏教で自殺を解決してみろよw
717てすと:2011/10/25(火) 14:25:07.89 ID:tT3bUpCT
原始仏教を求めるやつは権威主義で差別的。

力の無い人間が釈迦の名を借りて優越感に浸りたいだけ。

ご隠居の言うとおりマジキチ。
718神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:25:53.89 ID:olk7fTKY
仏教だけでも解決出来ないが空想的な経済政策でも解決しないだろうな
残念だがね
719神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:30:20.43 ID:J49UsaDq
先日、災害復興委員会の質疑で、
3月以降、旅館業観光業で自殺した人は120人ほどいるらしいよ。

原因が、具体的な生活基盤の維持・確保である以上、具体的行政施策しか解決し得ないでしょw
このケースで仏教ができるのは、気休めか出家(≒ホームレス)の薦めくらいのもんだw


>>717
何言ってんのw
「何やってもいい、何でもいい」って大乗仏教なんかより、
やること決まってる原始仏教或いは上座部の方が楽じゃんw
道に迷って日蓮系みたいになる心配もないしwww
720神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:40:28.33 ID:olk7fTKY
旅館業の人が全員自殺した訳ではない
環境を整える事も大事だが、行政政策が実現するにはタイムラグがあるのだから、条件が同じならばメンタル面での救済があった方が生き残る確率は高いと思うぞ
721神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:46:30.67 ID:olk7fTKY
古典的な自殺研究では自殺の原因は貧困ではなく生活の急激な変化によるという。
だとすると「無常」を悟れば、自殺にまで至るストレス要因は無くなる事になる
722神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:47:54.45 ID:olk7fTKY
結論としては無常を悟れば自殺は無くなる。
そういう事になります。
723神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 14:48:58.67 ID:i+R2wb4Z
死に至る苦しみを観察してこれを取り除くことが仏教の古典的手法だろ。
金が無いから死んでしまうのなら金を渡すも仏教のうちだろう?
無常や無我を説くだけが仏教だなんて狭苦しい。
724神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 15:01:29.72 ID:olk7fTKY
全然オッケーだと思いますよ
ただ〜仏教はこうだと決め付ける差別主義者が勝手な事を言ってるだけです
725神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 15:05:58.42 ID:J49UsaDq
>>720
そりゃそうだ。何もない(しない)より、何かあった方がいい。
それがたとえ鰯の頭でもね。>>723も御尤も。
というか、可能な、あらゆる手段を採ることを仏教は妨げないだけ。
唯一、それが「他者及び社会への害、不利益」とならない限り。
(この辺微妙で難しいけどね。社会ってのは利害衝突の場そのものだから・・。
 「民主版こども手当て」と「児童手当の改変」との間に於けるメリットデメリット及び社会へ与える影響等の総合勘案とかねw)

だから、「理念」と「現実」との間を繋ぐ言葉が必要になる。
聖俗のダブルスタンダードが必須な理由もまた、ここにこそある。
726神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 16:07:51.36 ID:gTxuzj7n
>>627
>刀の刃を手指で触る話しだろ?あんなもんは専門家なら常識だよ。
その「専門家なら常識」というトンデモ説を、専門家が居るスレで一言も書かなかったよなw
過去レス抽出してきたが、ハサミと物理の話ばっかりじゃないかw
書いたというなら、そのレスを引用してみなよ。

>新聞紙で刃物の研ぐ方法もある。これも教えてやってもいい。
ロクに知識もない机ちんのトンデモ技術を披露されてもなw

>>634
細かい突込みだが、「鹿島流」と言うと普通は鹿島神流の方を指すと思うんだが。
塚原卜伝の流儀は、鹿島新当流で、略すとすれば「新当流」。
流派の秘伝を知る様な方が、略称を間違えるとか、そんなことないですよね?w
727机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 16:34:22.34 ID:yrrPvuVw
>>634
>細かい突込みだが、

まさに細かい突っ込みだねw
私は確信があって書いたわけではない
>鹿島流(たしか塚原ト伝もそうだ)では、>>634
と書いた訳だが・・・つまり正確を期している訳ではない。記憶の断片だよ。
(注意:私は流派については専門家ではないし、検索もしない)
そんな細かいとこを突っ込みいれるなら、何も答えられんね。

貴方が正しい、私が間違ってる。これでいいだろ?
これで話しは終わりにしよう。
728机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 16:41:16.10 ID:yrrPvuVw
>>726
>その「専門家なら常識」というトンデモ説を、専門家が居るスレで一言も書かなかったよな

そのとおりだよ。
ちなみに、刃を触るだけでなく、多少の圧力さえ掛けてもなんともない。
刃の上に乗ることも出来るらしいけど、
それは試したことはない。

ようはそういう秘伝が伝授されている。ということだよ。
私がそれを書いても、それを真似されたら困るから書かんだけだよ。
ヒントくらいなら書くつもりだったが、それは止めた。
729神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 16:47:10.90 ID:gTxuzj7n
>>727
へ〜
「流派の秘伝」とやらをご存知の方が、流派の名称や先人の事について知らないんですかwww
730神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 16:52:14.19 ID:gTxuzj7n
>>728
>そのとおりだよ。
論点ずらしばっかりして逃げ回り、スレの内容と関係ない話しかしなかったと認めるわけだwww
「常識」だから語らなかったり、「秘伝」だから語らなかったり……、そもそも机の頭の中には、語る内容が少しでもあるのか?
「騙る」内容なら詰まってそうだがなwww

古い話を蒸し返すたびに恥の上塗りになるんだから、もうやめればいいのにw
731机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 16:53:21.05 ID:yrrPvuVw
>>729
鹿島流のことはよく知らない。研究したこともない。
某研究室で学んだことしか記憶にない。
その記憶が「鹿島流」の話が出ただけのこと。後は殆ど無知。

つまり研究というのは、その畑では一人前でも、
他の畑では全く使い物にならない。ってことだよ。
大学の研究室なら、私だけではない。他の人も殆どそうだよw

まあ、この話は貴方の楽勝ということで納めよう。
しかし貴方の執着はどうにかならんか?
732机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 16:59:04.54 ID:yrrPvuVw
>>730
>「常識」だから語らなかったり、「秘伝」だから語らなかったり……、

一応書いたつもりだよw
人間というのは、なんのためらいもなく刃に触れば切れるに決まってる。
じゃあ、その原因だけ掴んだらそれを滅す術を弁えればいい。
つまりテクニックでなく、精神の問題ってことだよ。
これくらいのヒントで、普通は理解できる。
突っ込みが入るからこれ以上は書かない。
733神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 17:31:59.85 ID:olk7fTKY
「勝ちを相手に譲れる」と言うのが最近の机さんの新境地なんでしょうな
連発されると鼻に付くけどね。

734机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/25(火) 17:42:53.46 ID:yrrPvuVw
>>733
本当は鹿島流のことは、一回の講義だけど鮮明な記憶がある。
これは現代のビジネスにも通用するんじゃないかと思う。
武道というのはよく研究されている。
「しかし人間というのは、その道に徹したら凄いな」という印象だけ残ってる。
まあ、興味があったら「鹿島流」で検索かけたら、きっと良い情報がある。

735神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 17:45:02.77 ID:X1VJ0yyc
仏教てのは滅す滅すの苦行だからなぁ
敷居高いよなぁ
覚悟がないと門前払いくらうよなぁ
門戸は広いんだが気軽さに欠点がある
736神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 18:06:30.14 ID:gTxuzj7n
>>733
「勝ちを相手に譲れる」と言えばカッコイイが、その実は「間違いを認めたくなくて誤魔化してる」だからなあw

「開示しよう、書くつもり、教えよう」とか散々言っておいて、とどのつまりは「書かない」
まあ、書かなくて正解だろうな。
書いちゃうと、「そんな当たり前の事も知らなくて、秘伝だと思ってたのかwww」と言われるのがオチだからなw

そもそも、「よく知らなくて、研究した事も無くて、一回講義を受けた事があるだけの流派」なのに、知っている「秘伝」なんぞ、秘伝でもなんでもないだろwww
情報的に価値があるとは思えない。
737神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 18:19:43.75 ID:J49UsaDq
>>735
敷居を低くし、バリアフリーを目指しているのが大乗仏教だけれども、
現代日本では、門戸の戸自体廃してしまった感があるからなw

バリアフリー化の程度についての検討は必要だろうねw
738神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 18:44:54.22 ID:X1VJ0yyc
大乗仏教て他者の救済が第一でいいのかな?
自分の救済もできないのに他人の救済なんて…
今の日本では余計に敷居が高いような…
上座部を少し取り入れた方が現代にマッチするかもね
739神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 18:46:20.49 ID:olk7fTKY
まあなんであれ勝ち負けへの執着が無くなれば
我々にしてもより生きやすくなるのは事実だろう
執着はさらなる執着を呼び、無意識下に強力なコンプレクスを形成してしまうからな
740神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 18:48:33.28 ID:2rsWOIdR
戒律守らないのに上座部のふりするヤツよりはマシかもな
戒律守らない上座部なんて
741神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 19:00:19.99 ID:i+R2wb4Z
>>738
自他の救済が第一ずらよ。
滅私奉公も利己主義もちょいと違う。
さらにハードルをあげてるが仕方がない。
742神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 19:11:07.76 ID:X1VJ0yyc
>>741
なるほど…理想型ですね
難解さも加わって…
ハードル高いなぁ…
743神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 19:26:48.44 ID:8vXaLK6P
>結論としては無常を悟れば自殺は無くなる。
>そういう事になります。

日本以外の仏教国と自殺者の人口比を比べれば歴然だろうね。
ブータンなんかGDPを比べたら最貧国の一つだが日本に比べて自殺率が極端に少ない。
スリランカ、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなんかも日本に比べれば少ない。

744神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 19:44:07.23 ID:J49UsaDq
>>743
(セット物wとはいえ)「無常」でということではないっしょ。
寧ろ「無我」の方でしょ。(>>741にちょいと違うと言われてるがw)
戦前までの日本も同様だった筈。
「公」というものが、ちゃんと認識され、重視され、「私(わたくし)」の制限・抑制がちゃんと利いた社会だった筈なのだ。
明治の文豪たちの嘆息にもあるように、維新後の変革も大きいが、やはり昭和20年以降が決定的と思う。
(自らへの反省・自戒も込めて)「悪しき個人主義」こそが『自我の肥大化』を助長し、
「自己の利と保身、防護、不快等の排除の徹底」こそが、自殺件数増加の大きな一因と思う。
勿論、不可抗力はあると思う。だが、人間関係や、就職や受験の失敗等も原因となっているとすれば、
それは、あまりにもタフさが減衰したと言わざるを得ないのだと思う。

そういう意味でも、そうした各種場面で《「対立が生じにくい」気立て・気質が育まれている》と言えるだろうし、
対立削減に最大限の効果を発揮するのは、やっぱり「無我」じゃないかな。
勿論、そこに上がってる国や地域は、日本とは明らかにストレスのかかり方が違う社会ではあるけれども・・。


(隠居が、ホウジロザメの如く噛み付いてくる、に10000ルピーw)
745神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 19:46:00.13 ID:J49UsaDq
ああ、タフさというより「しなやかさ」かもしれんね・・。
746神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 22:04:05.95 ID:bW7TFwuT
>>744
そうだね。無我とくれば縁起と言う考えも影響してると思うね。
助け合いの精神とか家族とか共同体とか・・・
孤独であることも自殺の原因の一つだからね。

しかし人間関係を煩わしく思う人が増えたのも事実で、家族ですらストレスの対象であり
けっして心安らぐ場でなくなってるそうだから。

そろそろ血のにおいを嗅いで隠居が出てきそうだなwww


747神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 22:55:01.45 ID:J49UsaDq
>>746
>孤独であることも
逆もあるけどね。
「自らを」護り、保護し、塀を立て、殻をつくり、繭の中の永遠のさなぎたることを望んだ時、
他者や外界は煩わしく、邪魔で、粗雑で、無神経で、土足で上がりこんで「自分の想い」を踏みにじるものとして捉えられる。
そうした荒波の中、「自らを」そうした魔の手から「守る爲に」採られる方法でもある。
まさに、社会的存在であることが忘却されている。(この辺は、やっぱり、御蔭様の縁起観があるかどうかはでかいかも。)

或いはまた、いじめ等であれば、上記「危険な外界からの退避」&「“味方”及び“防具・防御技”を見つけられずにあることという孤独」
ってことになるのかもしれない。或いはまた、「解決策を見出し得ない難関」とか「終わりの見えない苦難」とかね・・。
特にこれらは具体的手立てが要請されるだろう。心的側面でのテクニカルな対処(のみ)ではやはり限界がある。


今、自殺の理由の内訳ってどんな感じなのかね・・。
70年代80年代、バブリーな時代ももはや過去。
金銭や貧しさが原因の時代へ戻りつつあったりして・・・?
それとも、(人間関係等の)心的負荷によるものが更に増加してるのかな?
748神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 23:52:56.51 ID:i+R2wb4Z
幸せだとか不幸せだとかで人は死なない。疲れたから死ぬんだ。
いまの世の中は複雑すぎるんだよ。
749神も仏も名無しさん:2011/10/25(火) 23:59:54.49 ID:J49UsaDq
>>748

ああ、そうか・・

   ∧∧
   ( ・ω・)    丸っと同意して寝るとしよう・・
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
750井戸魔神F ◆Tny1JrNujM :2011/10/26(水) 00:11:42.91 ID:ZXokRLAt
751神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 01:10:33.36 ID:8VZRb4Gp
大乗仏教てイメージの上では倫理・道徳が前面に出すぎて仏のイメージが
ないなぁ。倫理・道徳が戒律とさえ思える。
上座部仏教の方は五戒の時点でアウトだしw
結局仏教は、守れんヤツは来るなって感じのエリート宗教で落ちこぼれを
生み出しやすい側面があると思う。
俺は自分を含めた落ちこぼれ達を救うのが仏教の根本であると思うんだ。
原始仏教を柔軟に噛み砕いて少しずつ実践しながら大乗仏教のふりをして
細々と教えを守って俺は生きていこうと思う…
752神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 05:05:36.18 ID:YVjL9NHR
本来、釈尊はどんな人でも縁ある人は導いた。

部派は、道を狭め限定したと思う。その点で小乗と言われてもやむなし。

大乗は、再びどんな人でも導いた。その広さが大乗。

簡単な道もあるが、難しいというか高度な道もいろいろあるよ。
753神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 05:59:00.85 ID:aEwfRgXl
いや部派の肩を持つ訳じゃないが部派はその釈迦の「布教」スタイルを踏襲している訳ですが
限定もしてないし
来るもの拒まずだよ
754神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 06:04:23.74 ID:aEwfRgXl
上座部の戒律ってイスラム教やユダヤ教の絶対的戒律とは全く違ってて
あくまで集団生活を円滑にするルールでしかないよ
戒律の為の戒律ではなく
修行に集中出来るようにする為の指針みたいなものだ
会社の壁に「火のもとあり喫煙禁止」とか書いてあるのと同じ
755前世は一在家:2011/10/26(水) 06:33:08.69 ID:0UV44wyG
>>722
>結論としては無常を悟れば自殺は無くなる。

「輪廻の法」が腑に落ちた方が自殺は減るのではないでしょうか。

「無常」、「空」、「無我」ばかりを思うと、自身の生存への執着も
弱まるのでは無いでしょうか。
756前世は一在家:2011/10/26(水) 06:36:42.96 ID:0UV44wyG
>「無常」、「空」、「無我」ばかりを思うと、自身の生存への執着も
弱まるのでは無いでしょうか。

仕事も家族も友人も「空」に思えませんか。

「空」を悟る過程で、誤って虚無に陥る人達がいるのではないかと危惧します。
757神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 07:26:57.67 ID:aEwfRgXl
755
無常というのは大乗仏教だと時代の移り変わりとか形あるものみな壊れるといった解釈が主なんですが
上座部だと、感受作用の無常を知る事に力点が置かれます。
世の中の無常を知るだけだと空虚感を感じるだけですが、そういった感覚自体が無常であると知るならば
世の中の移り変わりに一喜一憂することは無くなる訳です。
社会科学的な自殺研究によると、自殺は環境変化時に急激に増大するらしいので
感覚の無常を知るならば
心理的に安定が生まれるので、自殺する動機が無くなります。
輪廻転生思想に関してはあくまで形而上的な観念であり、そもそも存在するかしないかという議論があります
明確に存在が確認が出来ないので信仰の領域になってしまいます
つまり「信じるものは救われる」(信じれなければ救いにならない)という条件付きなので
信じられないと不安だろうし、ある種の気休めだったり
狂信に転化する可能性もある。
感覚を観察する方法は誰でも出来るし
直接体験出来るので、その場で、より確実に心を安定させる事が出来るかと思います
758神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 08:12:53.42 ID:9uyVrQbW
>>750
・文献的伝承の連続性という点では、非仏説でしょう。
 特に、経典の形式自体が、聞話の伝言ゲームから逸脱している(「偽経」の問題)点でその言葉が言われます。
 しかし、それを言えば、現存する伝承は、全て滅後100年以降に文字化され残されたものであるので、
 その意味で言えば、大乗どころか《「仏説」そのものが伝わっていない》とも言えます。
 文献(経典・論書)に依らず、口伝によって金口が伝わっているとうことが証明されない限り、
 この《現存仏教は全て非仏説》―『つまり、弟子たちの解釈のバリエーションのみが伝わっている』―
 という考え方もありえます。
 或いはまた、余分な要素が多く付加され過ぎている、余分な部分がメインになってしまっている、
 と見るならば、非仏説と言い得ます。(が、上記同様、余分な要素の不可のない文(経典・論書)なぞ存在しません。)

・内容(本質)の継承という点では、まぎれもなく仏説でしょう。
 勿論、「如是我聞〜」という書き出しを用いたという点を責めることもできますが、
 何を言いたいのか、古層と思われる阿含系をベースにして、どこに着目し、その爲に言葉を紡いでいると見れば、
 やはり全て仏説と言えるでしょう。
 また、余分な要素が付加されたり、余分な要素が主軸・主題として扱われる形であっても、
 それが、本質を踏まえ、本質に気付かせ、至らせる爲の方便(手段)と見ることができれば、
 やはり、(八万四千の法門と言われる如く)導きとしての応機接化の一環であると見做せるでしょう。
759神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 08:40:57.56 ID:YVjL9NHR
>>753
そういう意味じゃなくて道が少ない、方便が少ないという意味。
基本的に清浄道論などの路線か、四念処(ニューウウェーヴでいうヴィパサナー)ぐらいではないかと。

>>754
そんなことないよ。少なくともハライと僧残は、根本的でしょ。
些末な部分は、そういう点が中心だと思うけど、
戒の基本は、悪業と心の散乱の抑制統御だと思う。

>>757
全くそんなことない。大乗を日本の通俗説で捉えすぎ。
もう少し学ばなければ、大乗について発言する資格ないよ。

>>758
いや、仏説でしょ。
理由は、縁起・空性・仮設と、『大智度論』『入菩提行論』などの論説および、
パーリ・ニカーヤにもジャータカが説かれることね。
もう何度も書いたから繰り返さないけど。

760神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 08:42:56.01 ID:gXgo+PZg
>上座部だと、感受作用の無常を知る事に力点が置かれます。
これは大事だね。
「苦しい」という思いも無常
「楽しい」という思いも無常
どんなに苦しくても必ず変化し、明けない夜は無いと思って頑張る。
どんなに楽しいことでも時間がたてば色あせる。楽しみにうつつを抜かさない。

なんか昔の日本人の生き方でもあったような気がする。

761神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 08:45:46.26 ID:aEwfRgXl
「そんなことはない」では議論の発展性がないのでもう少し具体的な事例を示して頂きたく思います。

762神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 09:03:36.80 ID:aEwfRgXl
前世さんの疑問は一般人も感じる伝統仏教に対する疑問点だと思うんだよね。
愛する人を失って苦しんでいるときに「無常ですよ」では見たままで何の救いにもならない。
前世さんの言う通り「空虚感、厭世感」しか感じないだろう。
本来ならば、この空虚感、厭世感こそが無常だと説かなくては意味がない訳です。
しかも、単なるお説教ではなく、実際にある「苦」を「解消」する具体的な実践と共に説かれなくては意味がない。
大乗上座と分けるのは認識論上の方便であり
どちらも同じ仏教ですからそういう知恵は大乗にもあるでしょうが
着眼点や方法はやはり違うし、この点は余り強調されない点だと思う。
763神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 09:18:33.26 ID:aEwfRgXl
例えば阿弥陀信仰と比較すると、苦しい時に阿弥陀如来を観想するならば
その瞬間苦しみが忘却され、気が楽になるのは確かですが
実際の苦は無くなる訳ではないし
苦の原因や誘因もそのまま残っている訳です。
苦の発生原因や誘因がそのまま残っているので
念仏から覚めると苦は再び襲ってくる
さらに「阿弥陀様や観音菩薩が物理的現実的に救ってくれる」という他力本願に至ると、現実感覚にズレが生まれてしまう。
現実感覚が麻痺し、その瞬間、その瞬間の現実に即応出来ないので
下手すると苦しみの種が増える原因を作ってしまう可能性もある。
阿弥陀信仰によって大乗の全てが語れる訳ではないし、阿弥陀信仰ももっと奥が深いものだとは思いますが、こう言う陥穽に陥らない工夫をする必要はあると思います。

764神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 09:19:52.97 ID:O858e+0C
>>758
「非釈迦説」なだけで「仏説」とは言える。

「仏説」と呼ぶ時点で、仏教の主張側に片足突っ込んでるので、
既に仏教側から弁明がなされている以上、>>759が正しい。

伝承者にナーガとか超自然勢を加えれば、文献的伝承も不可能ではない。
般若経は龍宮に保管されていたらしい。仏教寄りの考え方(「仏説」)なら可能。
765神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 09:38:35.33 ID:aEwfRgXl
しかし実際に浄土経などを読むと、阿弥陀如来とは己自身の真実の姿なんですよと説かれている場面がある。
この場合の阿弥陀信仰は、空の悟り効果があると思う。
空を悟った阿弥陀如来が自分本来の姿だと無意識働きかける訳だから
超特急で悟りの道に至ると思われる
大乗仏教はその意味で悟りに至る窓口だが
ただ、その後の道が敷かれているかどうかには疑問が残るんだよな
特に日本人が自分の先祖を祭っている寺に行って「悟りたいんですが」と言ってもそもそも在家の為の修行システムがない可能性がある。
766神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 09:40:57.76 ID:YVjL9NHR
>>762
大乗を語りたいなら、できれば『大智度論』『入中論自註』『摩訶止観』『十住心論』のいずれか、
せめて『宝行王正論』『往生要集』『ダライラマ智慧の眼を開く』山口益『仏教思想入門』のどれかを通読してからにしてほしい。

無常観とか四念処というのは大乗でももちろんやるよ。
日本仏教は、平安時代に高度化して、見解が高く成りすぎた結果、
念仏とか禅とか、分かりやすい方向が出てきて、
二極分化しているですよ。

あなたの場合は、特に念仏を大乗と捉えているようだけど、
世にある念仏本のほとんどは、どうしようもないから、
念仏・浄土を語るなら山口益『大乗としての浄土』を、
世親の『浄土論』とともに併読しないと、全く誤解するでしょう。

念仏も菩提心、縁起、空性、誓願、廻向、普賢行といった視点がなければ、
体系、道としてテーラワーダと比較することは不可能。

もちろん、道として行ずるのは信さえあれば可能だけど、ここはそういう場じゃないでしょ。
767神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:04:34.33 ID:aEwfRgXl
十住心論や摩訶止観は読んだ事があるよ(ということは貴方の基準からすると私は大乗を語る資格がある)
恐らく歴史のある時点で仏教改革が起きて
仏教以外の既存宗教も方便として認めようと言う事になったと思うのだが
それはある意味では修行体系が豊富になったと言えるがかえって本質が見えなくなっている面もあると思う。
現代ではかえって大乗仏教側の方の自己改革も期待したいというのが本音である。
無常という視点からすると、あらゆるシステムは崩壊を免れない訳でそれは無常を説く仏教団体も例外ではない。

768a:2011/10/26(水) 10:09:28.27 ID:7MzzU+zy
阿含経の止息法と「深秘法」 北澤米吉著と

金剛頂ユガ中略出念誦経第三 一切成就三摩耶契

この3つと金剛杵と四神足法は同じである。

「振動は形状と機能の関数」である。

深秘法 からいあく、4字合成の風ふけば、迷いも晴れて

弥陀も・・・・

金剛頂経、自心の中に於いて、四面に金剛杵ありと思うべし、


蓮華と金剛杵の観想





769神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:13:28.48 ID:E3JTb4c+
仏教を学問として学ぶなら倶舎論、八宗要綱も読んだ方がいいじゃない?
それと起信論も
770神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:29:33.70 ID:YVjL9NHR
>>767
『摩訶止観』『十住心論』を読んだのなら、なぜそのような論になるのか私には理解できません。

少なくとも四念処や無常観については詳細に書いてあるでしょ。

私はそのような実在史観はとらない。縁起史観で、インド・チベット・シナ・日本を俯瞰するなら、
本来の仏教に戻したのが大乗、特に龍樹菩薩は明らかにテルトンに相当すると思う。

>>769
八宗綱要は、『十住心論』の入門書みたいなものですから、
クシャも『十住心論』で充分だと思う、それに基本的に大乗じゃないし。
起信論もいいけど、起信論はテーラワーダとの比較には向いてないと思う。

771神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:31:30.16 ID:aEwfRgXl
実際は浄土真宗系のホームページなどを見ると物凄い勉強になるんだよね
しかも俗世間から離れた玄学的な学問ではなく
いかに世間から学び世間を救う知恵として生かすかと言う観点から
価値ある情報を沢山発信している
その姿勢には頭が下がる。
特に浄土系のお坊さんはそういう傾向(世俗救済の志)が強いみたいで、勉強もしっかりなさっている。
とても心強いと思います。
772神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:31:53.17 ID:9uyVrQbW
>>764
>「非釈迦説」なだけで >仏教の主張側に片足突っ込んでるので
そんな狭義の話なのか?www 『普通に“仏説か否か”と言ったときは、“お釈迦さんがそう言ったかどうか?”でしかない』んだがw

だから、そこでは、「こうした内容、本質(―つまりはお釈迦さんが示されたことということだが―)が、説かれていれば、
それは、『ほとけのおしえ』として紛れもなく仏説である」とは言えるけれどもね。
しかし、一般的に常に質問として上がる場合は、そうしたことが聞かれているのではないでしょう?
だから、「学問的にはそういう見方になるけれど、仏法としてはこうだよ」という回答の仕方であるべきでしょう? (違う?>>759w)
773神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:32:57.17 ID:9uyVrQbW
>>759
wwww
別に釣りのつもりではないんだがw、この内容だと喰い付き早いなぁ・・w

>道が少ない、方便が少ないという意味。
>基本的に・・・・・・ぐらいではないかと。
それはその通りだと思うよ。 だからこそ、「やり易い」「わかり易い」「逸脱・紛い物を分別し易い」って面はあるとも思う。
大乗は、(貴方の言いたいことは解るけれどもw)、「“紛い物”の生成と、見究めの困難さ」はリスクとして自覚すべきだと思う。

> そんなことないよ。少なくともハライと僧残は、根本的でしょ。
そりゃそうだけど、 >>754>修行に集中出来るようにする為の指針 ってのもまたその通りで、
「なぜ、いけないのか(避けねばならないのか)」を、その理由を考えれば、
四波羅夷もまた、成道の妨げになるからに他ならない。(だから、律である前の戒であろうとも思うし。)
対外的側面だけでなく、内面的側面も併せ修められるべきものでしょう。

> 全くそんなことない。大乗を日本の通俗説で捉えすぎ。
その『通俗説でない大乗仏教』ってのは、いったいどれくらい知られているんだい?
「より知られている」「人口に膾炙している」「そういう意味での主流・メジャーである」ものを通俗説というんじゃないのかい?
極一部のものしか知り得ない、小さな世界の専門的話を示されても、
「いやいやw 大勢はそうじゃないじゃんw」ってことになるw

> いや、仏説でしょ。
758は、《「あばたもえくぼ」という“真理”w》に比して言えば、
《「あばた」は「あばた」、「えくぼ」は「えくぼ」》という(次元の)話であり、《あばたもえくぼ》という話ではないと思いますよ。
758後者のような謂いでは不服ですか?w

>>766
申し訳ないけれど、貴方の言うような大乗仏教は、
マイナーで知名度が低く、難解な書物を読み解かないと触れ得ないものなんですよ。
(ま、それは上座部・原始仏教でも同じだけどw その意味では、大乗運動が起きた時と同じ状況かもしれない。
本質部分がセパレートされていて、一部の閉じた世界でのみ弄されているが如く・・。)
774神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:45:34.36 ID:aEwfRgXl
770
私が学んだ(というか読書程度ですが)のはあくまで大乗の理論であって
実際に寺に行って修行した訳ではないので
修行法に関しては一般的な感想しかない訳です。
空海などは天才だとは思いますが私の菩提寺は禅宗ですし
真言宗や天台の修行をしたことはありません
(たまたま縁がなかった訳です)
ですからその見解には偏りがあると思います。
ここに書き込んでいるのも偏りを是正する為でもあるので、様々な反論やご意見を頂けるとありがたいですね
775神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:46:13.78 ID:YVjL9NHR
>>769
失礼。「学問として」を読み落としてました。
それなら、もっともっとハードル高いと思いますが。
梵パ蔵漢の基礎資料は、とりあえず眼を通しておきたいとこ。

>>773
確かに現代日本の通俗大乗はその通り、だからこそテーラワーダと比較するなら、
そんな通説でしても意味がないと指摘したつもりです。
776神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:49:25.36 ID:9uyVrQbW
>>775
了解。
777神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:54:21.97 ID:aEwfRgXl
空海や天台ちぎの論や人物が偉大であったとしても、それが現代の我が国の仏教に生かされているかというと微妙な訳であって
例えば770さんはどこかのお寺で修行をされた事がありますか?
単に本を読んで「大乗は素晴らしい」と言っても、その大乗イメージは過去の偉大な時代の残滓である可能性もあるし
本を読む事と実際に空を悟る事は別次元です。
本を読んだだけで悟れるなら、私はとっくに悟ってるはずだよw
778神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 10:58:10.25 ID:YVjL9NHR
>>774
だから山口先生とダライラマ猊下の本を読み直してみてよ。
それも厳しいなら、以下の二つが無料だし簡明だ。

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/handle/10723/72

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/handle/10723/816

これも読めないなら、もうオイラとは縁がないってこってすね。
779神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 11:04:32.30 ID:aEwfRgXl
読みますけど元々大乗仏教を否定している訳じゃないっすよ
また同じ大乗でもチベット仏教と日本仏教ではまた事情が違うでしょう
780神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 11:17:15.84 ID:YVjL9NHR
>>777
修行してますよ。その結果、日本は無理、テーラワーダならビルマ、
大乗ならチベット系で学ぶべしというのが私の所見。

本物の仏教に触れたいのでしたら、そのどちらかのいい師匠に就かないと無理でしょう。
そのためにはどちらにしろ最初は、いろいろ師匠を探さないと無理だと思います。
そこで自分の縁のある師匠と出会うことが重要だと信じます。

ここでできるのは、そのような本物の仏教ではなくて、
テキストに基づいていろいろ話すだけだと思ってます。

ですから、本物を求めるなら、ここでは無理。
何かその手がかりぐらいは、もしかしたら、掴めるかも? ってとこだと思ってます。
781神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 12:13:48.90 ID:i0qzviwc
上記のリンク読みました。
「空を悟り、菩提心を得る」と言う意味では、大乗も上座もない訳です。
ただ、方法論としては、それぞれに違いはあるようだがね。

上記の趣旨とは違うが、気になったのが、「チベットでは日本のような発展した国で、心の病に苦しむ人が多いのは意外だと捉えている」
と言う点で、同様に、我々も「高度な思想や実践を持つ、日本の他の仏教国で、貧困や紛争などの問題をかかえ、中々それを克服することが出来ないで居る」
と言う点がある種、 「意外」でも「疑問」でもあるわけです。(ユング的に言えば学問の発展が内向的過ぎると言いますか、一方、欧米や日本はやや外向的か。)
お互いに、「それぞれのシステムの上で成功したが故の陥穽」と言うものがあるんだと思います。
これらの矛盾を止揚するような新しい考え方と言うのが出てきてもよいかと思います。
782神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 12:28:21.07 ID:i0qzviwc
日本仏教の発想で面白いのが、(まぁ日本仏教だけではないかもしれないが)理念から現実を見るのではなく
現実の中に理念を見ると言う点ね。日蓮系の宗派なども一生懸命歴史分析などをしている。
さっき浄土真宗のHPを見たら、上杉鷹山の研究をしてるんだよね。
確かに、歴史上の、名君と言うのは、生きた如意輪王とも言える訳で、衆生救済の実証データでもある。
783神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 18:12:49.38 ID:OP+52LjM
780
スリランカのはカースト差別したりシンハラ・ナショナリズムに毒されてると聞きますが、
タイの仏教にもどこか問題があるんでしょうか。
784神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 18:38:14.18 ID:9uyVrQbW
>>778
面白かった。 前者は、いつも一代が言ってることで耳タコな感もあるがw、
確かに良くまとまってる。
(尤も、声聞乗でパーリを指し示せるかどうかは「?」付けとくがw p145左下段とかw 片山さんの意見が聞きたいところだw)

で、別件だが、
p143右下から144左上までは「常楽我浄」を指して、且つそれを「四顛倒」(≒無明)としているわけだが、
延命十句に代表されるように、『大乗という括りに於いて』広く膾炙しているわけだが、
これはどう位置づけられてんのかな? さすがにこれは偽経扱い?
それとも「方便の一環」として風呂敷に一緒に包んでる?



ま、上記は余分で、何より面白かったのは後者論文のp89〜終まで。
古典で終わらせない言葉(の紡ぎ方)を工夫することが、現代、仏法に触れているものの責務ではないかと、
やっぱり思うわけだw そのままではマズイ側面もあるという一例だね。
(勿論、手塚治の作品だけじゃないが、原典ママということの価値は尊重され護持されねばならないのだけれども・・。
 語録の数々なんかは、やっぱり現代語訳(日常語訳)よりは、漢文読み下しの方が味わい深かったりするしね・・w)

いや、ダライラマ良いねw
いろいろ言われることもあるようだが、「菩薩」の顕現に努めてるよね。
で、旧態依然でもなく、また極度に革新的でもなく、
(実際は苦労しながらだろうけどw)今の時代に必要な言葉、適した言葉を紡ごうとなさってるのでしょうね。
785神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 22:12:19.38 ID:9uyVrQbW
なんで急にスレ止まってんだよw
786神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 23:25:17.71 ID:136vpnRF
>なんで急にスレ止まってんだよw

てすと、お呼びだ。
火を付けてまわれwwww
787《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/26(水) 23:40:42.55 ID:nvh4pj4X
788神も仏も名無しさん:2011/10/26(水) 23:46:40.58 ID:9uyVrQbW
いや、少し前の状況に戻るだけだから、別にこのペースでいいけどw
(寧ろ、勢い76.6ってのはありすぎw 栗スレじゃあるまいしw、こういうスレは一桁でいいよ。)
789神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 06:26:58.52 ID:J4BsKB//
よくも悪くも、ご隠居と言う毒のおかげでスレが活性したし、考えることも多かったと言うことだな。
790神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 06:28:03.13 ID:SV9Mp9FW
>>781
> 「空を悟り、菩提心を得る」と言う意味では、大乗も上座もない訳です。

まず、菩提心こそ大乗だけのものですよ。テーラワーダ圏でも希に普賢行に入る方がいるみたいですが
空という言葉はあるけど、空性を全面にださないでしょ。テーラワーダは。
空性の見方に大きな開きがあるように思います。

例えば、スリランカ仏教でテーラワーダを代表させるのもなんですが、
色即是空は分かっても空即是色は誤解みたいなこと言ってるでしょ。
あれは完全な誤解、無知以外のなにものでもありません。
概念の包括関係で否定してるらしいので、あまりの規準の低さに驚きました。
791神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 06:30:40.19 ID:J4BsKB//
一切は無常である。我々は毒を持って世間に立ち向かうことも恐れてはならない。
「己の中に毒を持て」(岡本太郎)
恐れと言う感情も無常である。叩かれることを恐れていては人を幸せにすることは出来ない。
792神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 06:33:39.99 ID:J4BsKB//
>>790
概念化すると、現実からずれるので、体験しなさいって感じ。
言葉によって議論はしないが、修行の内容は空の体験以外の何ものでもない。



793神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 06:41:39.87 ID:SV9Mp9FW
>>784
「常楽我浄」は方便でしょう。少なくとも『入中論』などではそう解釈してる。
というか仏教の場合、思想体系を提示しているわけではなくて、
それぞれの人に応じた道を、それぞれに提示しているわけだから、
道も教えもそれぞれになるということ、これは基本じゃないですか?

その中で中観は、あらゆる戯論、言葉、概念を鎮めることで寂静に導く道で、
これはスッタニパータなどでも説かれている高い見解の道の一つだと思います。

ダライラマ猊下は、菩薩ですよ。圧倒的菩提心、射程の広さ、教えの多様性。
現代に即して記号は換えても、内容は変えない。こちらのゾンサル・ケンツェー・リンポチェも同じ。
個人的にはゲルク説が入ってないだけ、ケンツェー・リンポチェの方がぴったりきます。
http://teaching-of-siddhartha.org/the-antidote-to-delusion/
794机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/27(木) 07:50:39.53 ID:vuzTt4h6
仏教議論も一段落しましたね。
日々是好日
795神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 09:21:46.35 ID:KRUntui6
東方学院の植木雅俊氏の研究はどのような評価でしょうか?
興味あります。
796神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 11:10:34.43 ID:J4BsKB//
何故、チベットや、ブータン、スリランカなどは、仏教と言う立派な教えがあるにもかかわらず
最貧国で紛争や侵略に悩まされるのであろうか。
考えられることは、唯心論的傾向が強すぎて、客観的に不幸でも、主観的に克服できてしまう。
つまり、仏教システムが成功しすぎて、社会システムがうまく機能しないと言う矛盾があるのではなかろうか。
ある意味では、日本や米国のような企業による労働者の搾取と言うような現象が起こらず幸せだとも言えるが
そこまでして皆で今この場で幸せに生きようと言う、まことにもっともな志向性が強すぎて、経済的には成功しなかった。
隣国に侵略されても、無我の境地で対応するので、国すら失ってしまう。
こういう問題点と言うか立派過ぎる点がひとつあるわけである。
長所と短所は表裏一体といいますか。

797神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 11:16:28.49 ID:J4BsKB//
一方で、わが国は、日本国憲法で戦争を禁止する一方で、最新鋭の軍事兵器を持ち専守防衛に
備えると言う、理想を守りながらも、最低限の現実的な対応もするという
まことに中庸を弁えた、現実的で理想的な政治を展開しているわけで、ある意味凄いのではないかと思うしだいなのである。
我々が、原始仏教やチベット密教から学ぶにしても、それは一切合財を無批判に受け入れると言うことではなく
わが国の伝統の中に、足りないところを補うと言う形で、受け入れていけばいいと思うのである。
それこそ、その柔軟さこそがわが国の伝統であり、これまで成功してきた秘訣でなかったかだろうか
798 忍法帖【Lv=16,xxxPT】 :2011/10/27(木) 12:15:36.27 ID:QyAjGwLW
テストですよ
799神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 12:19:41.65 ID:T3OLjp84
>>790
>色即是空は分かっても空即是色は誤解みたいなこと言ってるでしょ。

スマナサーラさんの他宗教他宗派ヘイトスピーチの一環ではなく、
スリランカ仏教そのものの見解なんですか?
800神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 12:41:56.52 ID:GokwIxCP
色即是空空即是色は、岩は鉱物である
しかし鉱物は岩である
と言っているようなもので、論理的にはおかしいよね
あの辺の地域の人は論理に関して特別な感覚があり、東アジア地域の人からすると細か過ぎることでも気になるんじゃないかな
801神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 12:52:08.63 ID:nVS6WhvZ
色有空性亦空有色性
802机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/27(木) 14:12:20.43 ID:vuzTt4h6
>>796
>何故、チベットや、ブータン、スリランカなどは、仏教と言う立派な教えがあるにもかかわらず
>最貧国で紛争や侵略に悩まされるのであろうか

実有論だから、現世でどんな酷い目にあっても、それが来世への果報として相続されるから。
一応、この議論板でもそういう意見が大勢を締めてます。
そして総括としまして、説一切有部と中論の内容はほぼ同一内容です。
このようにスレは結論に至ったようです。
803神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 14:32:50.61 ID:J4BsKB//
>>802
なるほどね。しかしそれだと殆どヒンズー教と変わらないじゃないですかw
スマナサーラさんなどが竜樹に割りと辛辣なのはその為なのかもしれんね。
無批判に仏教を取り入れるのではなく、日本の現状を冷静な目で見て、「伝統に従ってw」本当に
素晴らしい部分だけを、つまみ食いして取り入れると言うのが、正しい日本仏教徒の在り方かと思いますw
804神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 14:33:41.63 ID:J4BsKB//
無批判に仏教を取り入れるのではなく
↓(修正)
無批判に他国の仏教を取り入れるのではなく

805机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/27(木) 14:52:47.21 ID:vuzTt4h6
>>803
ここに書き込みしてる人は、殆どヒンドゥー教徒ですね。
私が書き込みすると「机は仏教徒ではない」と、あからさまに言いますから。

「三世実有を認めん者は仏教徒にあらず」が、一応の暗黙の了承になってます。
もしも三世実有のアンチの立場を唱えんものなら、
即「常識者」として排斥されますので注意願いたいものです。
806神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 15:02:27.40 ID:8qc01kX0
>>803
>素晴らしい部分だけを

釈迦教徒(他国の仏教)にとっては、「釈迦のいうことならすべて本当に素晴らしい」
としか思えないのが、問題の原因。

内容的には基本的に異なる竜樹まで、懸命に釈迦に引き入れようとしている。
前レスでの吉村氏の論文でも、「中論の頌」以外の書物を「竜樹の著書」と
して引用しているが、それが証明されている訳でもない。竜樹の「空の思想」に
ついては、「中論の頌」の一部だけを、「完結した思想」と解するべきであろう。

まず、釈迦の批判ができなければならない。一切衆生の生存努力にのみ、すべての
根拠が存在する。大昔の釈迦や仏典から無批判に演繹するのは、真理の探求の
方法として「方法論的に誤り」。
807神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 15:07:56.05 ID:J4BsKB//
>>805
すんません。実は私も昔は「三世を認めない机は仏教徒ではない」と批判してた口でした。
時間と共に、反対の結論に至りました。まさに無常です。
と言うわけで、今、机さんを批判している人も無情ゆえに、机さんと同じ立場になるかもしれないし
逆に机さんが、臨死体験とかをして、輪廻はあるとか主張するかもしれない。
無常ゆえに、現在の立場や意見に囚われてはいけないと言うことでしょう。
もしかすると、我々にとって最大の敵だと思っていた者が、将来、最大の味方になるかもしれず
そういう意味では、全ては無常なので、感情に流されること無く、大いなる慈悲の精神で物事を見守ることが大事なのかもしれません。
その意味では、将来、ご隠居が敬虔なクリスチャンになったりする可能性もゼロではないのだし、わからないものです。








808神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 15:09:33.34 ID:HVqJnc0Z
>>806
だからw

間違っていない部分を批判する必要はないんですよw
合理的で整合性があり、実生活にも有効であるものをどうして批判する必要がありましょうやw

お釈迦さんの批判をする必要はないんですよ。
寧ろ、貴方の考え方のほうが、社会的に害悪で迷惑なものなんですけどね・・。
所謂「公序良俗に反する」という感じでしょうかw
「生命生命」と綺麗なスローガンを掲げる割には中身は醜悪という、民主党の政策みたいですねw

>真理の探求の方法として
そんな御大層な真理なんてもんがあると思っている時点でお花畑ですよw
809神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 16:02:25.55 ID:8qc01kX0
>>808
「すべての人間は、生命において等価・至上」という命題のどこが公序良俗
違反?むしろ、公序良俗の基盤であることを自覚せよ。

この命題を否定するすべての「宗教」こそが、そのまま公序良俗違反である。
中東の惨状を直視せよ。「宗教の狂気」以外の何物でもないではないか。
810神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 16:35:50.92 ID:WfbJK1nU
死者の人権はどうなってんの?
811神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 16:36:10.06 ID:8qc01kX0
>>808
>お釈迦さんの批判をする必要はないんですよ。

やっぱりどうしても批判できないw。それが「洗脳」なのだよ。「洗脳」は、
すべての「宗教」の共通する病理。

釈迦が、生命を「無明」呼ばわりしたことは、充分に批判に値するとは思えないのか?
812神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 16:38:23.45 ID:GokwIxCP
医者が患者を風邪呼ばわりしたら生命を冒涜してると言っているようなものだよ
813神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 16:43:04.70 ID:8qc01kX0
>>812
だから、生命を「病気」だなどと思っているところが、生命の軽視なのである。

釈迦は「己の生命」を以って「教え」を説いた。生命が「無明」「病気」なら、
彼の「教え」も「無明」「病気」である。彼は自分を一体何様だと思っている
のか。
814神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 16:51:22.74 ID:GokwIxCP
生命は病気であるなんて言ってないでしょ
生命は病気にかかっていると言っている訳
だから修行でそれを取り除ける訳でしょ
生命=病気なら取り除けないじゃん
815神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 16:55:23.58 ID:GokwIxCP
ご隠居ははじめから釈迦憎しで議論をするから変な主張になっちゅうんだよ
個人的な恨みもないんだから冷静に評価したらいいのに
816神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 17:21:34.97 ID:ElmblLhY
>>805
机さん
あなたは生まれるまえどこにいましたか
817神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 17:56:10.05 ID:8qc01kX0
>>815
信者ではないからこそ、冷静に判断できるw。イエスと同様、釈迦の「我のみ
良し」の思い上がった独善性とカルト性は、スッタニパータのダニヤの章を
読んだだけでも自明。
818神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:12:09.19 ID:J4BsKB//
まぁ、なんというか、こういう、ご隠居みたいな異見がまったく違った人の主張も
冷静に聞けるかどうかが、一種の「修行」だと思うんですよ。
人生には、こういうケースが多々あるわけです。
別に宗教に限らず、それで喧嘩別れしたなんて場合も多い。
夫婦だって離婚する場合も多いだろう。
他人の意見を冷静に、涼やかに聞けるかどうか。これがその人の「悟りの境地」を図る指数とも言える。

819神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:17:43.71 ID:J4BsKB//
>>817
ちなみに、釈迦は経典を残さなかったらしいので、だとするとスッタニパータですら
弟子の誰かが、過去のことを思い出してまとめた経典であるわけです。
経典の記述からその人物を推し量るのは難しいですよ。
我々の日常でも、対面ではそうでもないがメールでの書き込みは無礼に感じるときがあるわけじゃん。
つまり、釈迦という2500年前の人物に関する人格の評価はほぼ不可能なわけです。
生きている時だって、人は人を客観的に評価するのは難しいものです。
だとすると、その評価は彼の仕事、つまり後世に残した彼の修行法が有効かどうかで判断するしかないのだと思います。




820神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:22:16.31 ID:J4BsKB//
ご隠居の書き込みは「お前のかあちゃんでべそ」と言っているようなもので、
尊敬する人物を侮辱されるのは誰しも嫌なものです。
しかし、悪口を言われ、立腹し、その状態から抜けきれないのでは、苦の滅却はまったく出来ていないわけで
何を言われても、ぜんぜん、腹が立たないと言うようでなくてはならない。
そして相手の論の欠点をやさしく諭してあげる、或いは論理の欠点がわかっていても
指摘せず、その人が気づくまでやさしく見守っているとかでなくては、仏教の理想は達成されていないことになる。

821神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:26:22.13 ID:J4BsKB//
だからある意味で2チャンネルと言うのは格好の修行道場でもあるわけだ。
ここでは日常生活ではありえないような非難中傷が飛び交う場所だが、こんな場所に居ても
冷静で、にこやかに、爽やかに対応できるのであれば、どんなときにでも冷静さを失わず、涅槃の境地で
人生を生きることが出来るだろう。
ちなみに、私は、仏教修行をする前は、ちょっと悪口を言われると、所詮、ネット掲示板のことに過ぎなくても
なんとなく、イライラして、反論を書き込まなくては居られなかったものだが、最近は、そんなにイライラしなくなった。
これはもしかすると仏教の修行の功徳かもしれないですな。
まぁ、もしかするとプラセボな部分もあるかもしれませんがね。
822神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:28:21.66 ID:J4BsKB//
その意味では、ご隠居は最強の修行パートナーでもあるわけだ。
仏教徒の泣き所「釈迦」を非難中傷してくれるわけですから
彼を本当の意味で慈悲深い目で見られるならば、この世に苦は無いだろう。
823昔の人も(ry:2011/10/27(木) 18:31:39.81 ID:8mDhKL5W
>>809
>「すべての人間は、生命において等価・至上」という命題のどこが

だから、スローガン「は」綺麗だと言われてますよ。
自分が発言してきたことのどこが(ひとからみて)醜悪に見えるのか、本当に自覚できないんですか?
思い当たる節はあるけど、めんどくさいから話をはぐらかしてるだけかもしれませんが。

どちらにせよ、そのままである限り貴方はずっと同じことを言われ続けることになります。
824神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:35:32.62 ID:J4BsKB//
存在は、「消えてなくなれ」と言っても消えるわけではない。
しかしご隠居と言う存在も無常であり、生じては消える、
これが「空」である。あるともないとも言えない。
確かにあるといえばあるが、永劫不変ではない。無常である。
地面に降り積もった雪の如しである。
無視するのではなく、過剰に反応するのでもなく
そのあるがままの存在を認め、しかしてその空性を見ることが出来れば
それはゆるぎない涅槃の境地であろう。
825神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:36:57.89 ID:WfbJK1nU
>>822
苛立ちの根底を掴まずに冷静だの優しさだのを推奨するなら、
仏教の皮を被っただけのこと。いわずもがな修行ではない。
826神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:39:56.65 ID:J4BsKB//
釈迦の目指した理想、この世にあろうがあの世にあろうが、ゆるぎない涅槃の境地の確立
仏教徒が目指すのはこれである。不動心である。
楽しいときでも苦しいときでも、冷静で落ち着いた自由な意識が維持されていること。
1000億円の宝くじに当たっても、100パーセント冷静で居られる。ならばクジの当選が間違いでもぜんぜん苦は生じないだろう。
こういう境地に至るのが、まずは仏教徒の第一目標だな。これが達成されれば、他人のことも助けられる。
自分が動揺していては、他人に気が回らないからね。
827神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:41:34.02 ID:J4BsKB//
>>825
同意見ですよ。仏教スレですから、その根底はつかんでいるのが前提で話しています。
だから修行になります。
828《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/27(木) 18:41:40.12 ID:8UEC4fpN
829神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:44:46.80 ID:J4BsKB//
もし、仏教を学び、修行しても、それまでどおり、無常なる現象に振り回されるのであれば、その教えや修行はどっかおかしい。



830神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:46:07.24 ID:WfbJK1nU
>>827
あんな、君の文章が勧めてるのは我慢だ。
勧めるならちゃんと内観を勧めなさいな。
831神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:49:08.09 ID:J4BsKB//
>>827
内観をお勧めします。
832修正:2011/10/27(木) 18:52:18.35 ID:GokwIxCP
>>830
内観をお勧めします
833神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 18:57:17.06 ID:GokwIxCP
一仏教徒としては内観をお勧めしますが
手前味噌になるので、修行するのはあくまで涅槃の境地があの世だろうとこの世だろうと維持されることが目的で
それが達成されない修行ならば釈迦の瞑想だろうがなんだろうが
駄目なものは駄目
834神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 19:09:59.10 ID:J4BsKB//
知人と話をしていたら、その人が、あるキーワードに敏感に反応して、突然、それは違うと延々と主張しはじめたわけだ。
そのワードがいわゆる彼の「心の琴線」に触れるワードなのだろう。
そして芋ずるしきに、色んな不平や不満が出てきて、話し合いの時間の8割くらいその話をしていた。
そのうち、彼も、私の心の地雷を踏んだりして、私自身も、少しイラっとしたりした訳だが、
別に彼は私を批判しているつもりはなかったようである。たまたま誰かを批判して、私の心の地雷が勝手に爆発したわけである。
しかし、爆発させた誘引を作ったのは彼なので、彼にむかって反論を述べたくなるわけだ。
つまり、過去のイライラは、現在も心の奥底に貯められて何かのきっかけで外に出るのを待っている訳です。
835神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 19:24:55.35 ID:J4BsKB//
例えば、上司が、物凄い頑固で、これはこうだ!!と決め付けて語るタイプだった場合。
瞑想の達人はどのように対応するのだろう。
@ニコニコと話を聞く。
A黙れい!と一喝する
B論理的に相手の意見を反駁する
C適当にあしらう
Dうまくボケて話をそらす
836神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 19:27:15.03 ID:J4BsKB//
Eじっくり話を聞き、聞くべきことがあったら取り入れ、間違っていることがあったら
 間違っていると言う
Fそもそも必要なこと意外は話さない。
837神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 20:06:45.53 ID:8qc01kX0
>>620
>尊敬する人物を侮辱されるのは誰しも嫌なものです。

大昔の、赤の他人に過ぎない釈迦を批判(侮辱ではない)されると、狂ったように
なるのが、君たちの「洗脳状態」なのだよ。

親を批判されたら怒れ。しかしそれは絶対にできないw。オカシイとは思わんのかね。

釈迦を批判できなければ、理解も一切できていないのいうこと。単なる「盲信」。
そこいらの新興カルト宗教の信者(例えばオウム)と何らの違いもないことを
自覚せよ。
838神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 20:28:43.50 ID:WfbJK1nU
自論のために態々他人を貶めないだけなのだがなぁ。
禅を修めるにあたって釈迦のやり様をあげつらう意味がないわけで。
839《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/27(木) 20:47:44.17 ID:di5TDE8s
840神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 20:58:13.46 ID:HVqJnc0Z
>>837
少なくとも、貴方の発言は「批判」にすらなっていないわけですw
何度も「論証」したでしょう?w
貴方が無視してスルーしているだけで証拠なら過去ログに残ってますけど、
今更拾ってくる気にもなりませんね・・。 ┐(;´ー`)┌ )

また、私は一貫して「貴方の発言の論理的不備及び矛盾、或いは捏造、或いは視野狭窄、或いは思い込み」
を指摘してきてるんですけどね・・。 貴方は何一つそれを反証できていない。

きっと、「論理的不備や思い込みは宗教信者の方」とレスを返すのでしょうw
しかし、それすらも無根拠な、貴方の勝手な思い込みであることもまた、何度も論証されてきました。
これもまた貴方が無視しているだけです。

御自身の愚かな醜態に気付けない限り、同様の指摘を貴方は受け続けることになります。
その意味で貴方には、やはり「議論の資格」はないと思いますよ。
交通ルールが守れないのと同じです。免許があるなら剥奪・免停レベルの話ですw
841てすと:2011/10/27(木) 21:15:10.53 ID:Du9qgH/k
ご隠居
aここの仏教徒は釈迦を批判できない。
b全ては生命が基準である。

bを論破したからといって、aの否定にはならない。

実際に釈迦を検証対象として客観視できないのだから、洗脳と言われても仕方ない。

「池田大作の悪い所ってどこ?」
「そんなのありません」

まあ信仰=無批判=洗脳だからご隠居の主張が宗教板ではナンセンスなんだけど。
842神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:22:51.69 ID:J4BsKB//
いやー、修行になるなぁw

やっぱりご隠居には居てもらったほうがいいのではないか?
我々の「無我の境地」を図る試金石としてw

>>親を批判されたら怒れ。しかしそれは絶対にできないw。オカシイとは思わんのかね

ちなみにこの文章いまいちわからんね。
「それ」と言うのは何のことなんですか?

843神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:26:57.99 ID:J4BsKB//
ちなみに俺が上のレスで、修行の目的を云々書いたのは

正直、釈迦がどうだろうと余り関係ない訳です。
と言うのも、「涅槃」と言う境地に常に至っているというのが目的で
その方法論として釈迦の修行法を参考にしているに過ぎないからです。
涅槃と言うのは、要するに、誰に煽られようが、どんな危機に直面しようが
揺るがない、冷静な気持ちで穏やかに対処できると言う境地ね。
抑圧もなく、無理することもなく、ただ自然に、在るがままの現実を見て、冷静に対処できるかどうか
その初級試験として、ご隠居に釈迦を批判してもらうと言うテスト、いいと思います。



844てすと:2011/10/27(木) 21:31:12.19 ID:Du9qgH/k
訳も分からず無批判に受け入れるのが宗教の面白さなのに、検証したいなら哲学板で板でやるべきでしょ。

>>843

揺るがない心って言うけど、腹が減るたびに心は揺らぐでしょ。

生きている限りそんな境地は絶対に無い。
845神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:35:25.10 ID:J4BsKB//
釈迦自身も「別に仏陀と言うのは俺だけじゃないよ」と言っているのですから
釈迦本人がどうこうというのは、仏教徒にとって余り関係ないんだよね。
禅宗なんか特にそうでしょ。殆ど釈迦とは無関係に悟りの境地を目指している。
釈迦は「尊敬できる先輩」とかそういう位置づけだと思います。
よく「守・離・派」の原則とか言うじゃん。
何かを習うのに、はじめから批判ばかりしていては生産的じゃないでしょ
とりあえず、瞑想の達人釈迦の瞑想を試してみて、それを完全にマスターしたら、釈迦から離れ、新しいゴールを探せばいいわけです。
ご隠居がやってるのは、道場六三郎の弟子に「お前らは、道場を尊敬しているから駄目だ!!」と言っているようなもので
ある種、意味のない批判をしている面もある。
846神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:36:40.75 ID:dtdfi9U3
>検証したいなら哲学板で板でやるべきでしょ
生命教が哲学板に行っても門前払いww
だって生命教もその前提を自己非難できないから神学だ。
君も神学と哲学の違いが分らない手合いか?
847てすと:2011/10/27(木) 21:37:21.46 ID:Du9qgH/k
腹が減っている自分を観察して、
「俺は腹が減っている」とヴィパサナでラベリングを続けてみるがいい。

空腹は克服できてもそいつは死ぬだろう。

そしてそいつは馬鹿と呼ばれる。
848神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:37:23.38 ID:J4BsKB//
>>844
ちょっと腹が減るくらいで心が揺らぐのかよw
まぁ、一週間も飯を食ってないとかならやばいだろうが、その場合は飯を食えばいいじゃん。

849神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:39:08.87 ID:J4BsKB//
ヴィパサナは別に苦行じゃねーぞ
苦行をやめた釈迦が改めて取り組んだ瞑想な訳で、腹が減って瞑想に集中できないようならば
飯を食いなさいと言うのが、リニューアル釈迦のスタンスだ。

850神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:39:09.59 ID:dtdfi9U3
御釈迦様自体が例え仏説であっても試金石で金を試すように
よく吟味しなさい・・みたいなことを言っている。
851てすと:2011/10/27(木) 21:41:44.06 ID:Du9qgH/k
>>849

性欲が我慢出来なくて瞑想に集中できないときはオナニーしろというのがリニューアル釈迦のスタンスですか?
852神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:43:00.59 ID:dtdfi9U3
いちいち「すべての人間は、生命において等価・至上」などと考えないと
息一つできないとは・・・・ずいぶんとめんどくさい体だwww
853神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:49:24.39 ID:J4BsKB//
>>851
釈迦は自慰行為についてなんていってたかしらんが、性欲に振り回されてしまう人は
在家のままで修行したらいいというスタンスなんじゃね?
854てすと:2011/10/27(木) 21:53:46.63 ID:Du9qgH/k
>>853

仏典読んでないのバレバレだぞ。

本当に仏教徒?
855神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 21:55:04.62 ID:J4BsKB//
私は釈迦オタクではないので、悟りを得るのに十分な知識さえあればいいと思ってまーす。
856てすと:2011/10/27(木) 21:56:31.25 ID:Du9qgH/k
>>855

え?君は悟りたいの?なんで?
857神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 22:03:17.26 ID:J4BsKB//
>>856
悟りたいからでいいじゃん。ピアノを弾きたい人に「君は音楽がすきなの?何で?」とたずねるようなものだよ。

858《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/27(木) 22:44:46.38 ID:di5TDE8s
859神も仏も名無しさん:2011/10/27(木) 22:54:07.66 ID:6F2boGR/
>>853
正解
ちなみに律で「自慰行為」は禁止されてる
一定期間、修行僧としての資格剥奪
860てすと:2011/10/27(木) 23:55:47.61 ID:Du9qgH/k
>>857

悟りが好きなんじゃなくて、悟りの定義付けが好きなんじゃないの?

高い楽器を買って満足しても練習しないと演奏出来ないぞ。
861てすと:2011/10/28(金) 00:02:48.64 ID:I5Bk4Wai
しっかし、ご隠居も小乗カルト相手に飽きないねぇ。。

やっぱり日本人の仏教は大乗仏教だよね。

大きな乗り物は多くの人を救う。
862神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 00:16:19.31 ID:vTeonANG
>>841
www

隠居の言う「批判」は、普通に辞書に載ってる「批判」じゃないぞw
『否定し、嫌い、そこから離れる』ことを意味する「批判」だから。

で、「そこまでする必要はないです」「否定する必要も、嫌う必要も、離れる必要もないです」
とお答え申し上げてるのに、聞き入れて頂けないのですw
(私個人は、批判とまで言えるかどうか知りませんがw、お釈迦さんへの批評、雑感は何度か述べてるんですけどね・・。)

てすとも、ご隠居と同じ辞書を使ってるの?
863神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 00:22:56.79 ID:vTeonANG
>>861
蟻や蜂の群れでは、遊んでて働かないのが何割かいるみたいだけど、
割合で言ったら、規模が大きければ大きいほど、箸にも棒にもかからないレベルが増えるのも事実。
(で、それが、偏って集まっちゃってるのが日本仏教?w)

遊んでてもいいグループに入る爲に、あくせく働いて、
結局働きっぱなしで一生を終える日本人。 切ないねぇ・・w
864神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 00:29:07.27 ID:aIWLKz8S
863は箸にも棒にもかからないレベルてことか

865てすと:2011/10/28(金) 00:29:12.85 ID:I5Bk4Wai
>>862

池田大作を否定する必要も、嫌う必要も、離れる必要もない、と創価が叫ぶ。

まあ、住み分けが出来てるみたいだから良いけどさ。

そういう意味で日本の仏教は完成してると思うよ。

なにも皆で見解を合わせる必要なんて無いんだから好きな仏教をやればいい。
866てすと:2011/10/28(金) 00:46:18.45 ID:I5Bk4Wai
座禅やヴィッパサナより、写経読経の方が遥かに優れていると思う。あと作務かな。

声を出して読む、落ち着いて書く、日常のやるべき事をこなす。

仏教はこれでファイナルアンサーでしょ。
867神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 00:54:46.33 ID:UQKfJHcB
ヴィッパサナってどこ起源の呼び名なんだ?
ヴィパシャナならまだわかるけど
vipassanAをヴィッパサナっておっさんかよ・・・
868てすと:2011/10/28(金) 01:25:16.04 ID:I5Bk4Wai
釣れないな。。

今日はみんな忙しいのか。。
869てすと:2011/10/28(金) 01:38:07.69 ID:I5Bk4Wai
じゃあの。
870承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/28(金) 01:38:30.56 ID:Si3dLFt1
>863
因みに、遊んでる蟻を全部取ったら、真面目に働いてた蟻が遊びだすらしいぞ。


(^。^)検証してみたら?(笑)
871神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 04:24:18.25 ID:8DPiGifs
自然の摂理だなw
全ては無常であるw
872机龍之介 ◆FjIfTkk1pxep :2011/10/28(金) 08:13:54.76 ID:DYJwvdVn
>>816
>机さん あなたは生まれるまえどこにいましたか

私は正直言って、過去世とか来世とか殆ど関心はないのですよ。
私の経験では、精神的不安定の時期に、そういった妄想が発現する場合が多い。
つうことは、
ここに書き込んでる住人は殆ど精神的不安定を呈してる。と
かように解釈してます。

私が好きな言葉に、水木しげるの「死んだら地獄とやらに行ってみたい」。
水木は妖怪の世界は信じてたみたいですね。
だけどたまに「漫画が売れないのは、もしかしたら妖怪はいないんじゃないか?」。
とか、悩んだ時期があったそうです。
しかし漫画が売れはじめたら、途端にその疑問も消えたそうです。
年老いても、こんなメルヘンチックな人生は素晴らしいじゃないですか(笑

私も、いつまでも少年の心で人生を歩みたいものです。
873神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 09:02:13.37 ID:gKjKQJZ2
>>867
言語に無頓着なのが日本人で・・・
長母音も短母音もRもLも区別が無いのがNIHONJINで・・・
真言宗と言っても、もはや原型をとどめていない真言・陀羅尼を唱えているわけで・・・・
ナモーと言ったらナマクと言えと怒られるわけで・・・・
874神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 10:42:31.44 ID:+UPbUgNg
>>846
>生命教が哲学板に行っても門前払いww
>だって生命教もその前提を自己非難できないから神学だ

チンケな宗教、哲学、神学ではなく、それらすべての最上位概念。

非難も、生命の機能。生命を以っていくら生命を非難しても、非難にはならない。
むしろ生命を賞賛していることになる。
875神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 10:43:43.64 ID:/XdszBML
生命教は存在教に論破されたはずだが
876神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 10:49:08.34 ID:+UPbUgNg
>>875
存在を認識するのも、生命の機能。認識しなければ、存在はない。

まず、君の目の前のPCの存在を証明して見よ。
877神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 11:00:03.52 ID:vTeonANG
ロケットで月へ人を運ぶのも生命の機能。
遠い惑星の写真を撮ってくるのも生命の機能。
宇宙遥か彼方の星の誕生を観測するのも生命の機能。
原爆を作るのも落とすのも生命の機能。
街中で、抱えた爆弾を爆発させるのも生命の機能。
トラックで秋葉原に突っ込むのも生命の機能。
小学校に侵入し、子供たちを切りつけるのも生命の機能。
鏡餅を作るのも生命の機能。年賀状を書くのも生命の機能。
お金を使うのも生命の機能。パチンコするのも生命の機能。
傘を差すのも生命の機能。布団を干すのも生命の機能。
落語を聴いて笑うのも生命の機能。
不倫するのも生命の機能。嫉妬で殺人を起こすのも生命の機能。
すき屋で強盗するのも生命の機能。


いやぁ、生命ってホントいいもんですね。(水野晴郎風
878神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 11:12:14.33 ID:+UPbUgNg
>>877
生命の破壊と闘い、生命を維持しようとすること(生存本能)が、生命の最大の
機能である。
879神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 11:18:12.28 ID:+UPbUgNg
下位概念に過ぎない宗教などにへばりついていないで、最上位概念である生命
の声を聞け。

生活者は、すべてこれを覚っている。覚れないのは、宗教者だけ。

宗教は、例外なく開祖の精神病から発生したのだから、あまりにも当然のこと。
880神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 11:26:14.80 ID:vTeonANG
>>879
>生活者は、すべてこれを覚っている

覚っているから、生命の指示に従って、他を害して自己の利益を追求するわけですねw
うむ。単純明快で素晴らしいですね。(棒

生き残る為に邪魔な他者を、虐げる、排除する、殺害する。
実に生命の持つ本能に従った素晴らしい姿ですね。人類は生命の導きに従い、こうあるべきですね。
881神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 11:39:04.40 ID:+UPbUgNg
>>880
全体のバランスの上で、物事を考えよ。極端から極端に走り、その中間の
無数のニュアンスを考えられないのが、すべてのカルト教徒の特徴。

「大量殺戮」をしているのは、「宗教」のみ。「宗教」こそ、人間に巣食う
最大・最悪のがん細胞。一刻も早く摘除すべき対象。
882神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 11:48:27.74 ID:vTeonANG
>>881
>全体のバランス  >「大量殺戮」をしているのは

大量でなければ良いのですね?w
2・3人なら無問題ということですね? 法律変えたらいいのにw
5人までは殺してもいいですよ、ってwww
883昔の人も(ry:2011/10/28(金) 11:53:35.99 ID:kLV3f0XP
>>879
心と宗教板なんぞから離れて、生活や自然の中でただ「生命」の声を聞く生活を送られてはいかがでしょうか。

ここにいても、あなたにとって何も良いことはないと思います。
884神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 11:55:19.90 ID:YEPOVvoh
生命が全体のバランスを考えて活動してるだなんてオカルトだな。
個々の生命体は利己的な衝動に従って活動するのが自然。
人間は宗教や妄信で倫理を持ち衝動を抑えて全体の数を増やすことに成功したというのに、
それを捨てろだなんて隠居は生命教の信者としても劣等だな。
885神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 12:07:20.19 ID:vTeonANG
>>881
マジレスすると、
「間を飛ばしている」(極端と極端でしか考えていない)、「グラデーション、幅を忘却している」のは
寧ろ隠居の方なんだけどね・・。
精神異常認定もそうだし、レイプ肯定もそうだし、大量殺戮もそうだし、
極と極の間に無数のバリエーションがありうることを無視して、
恣意的にズバッと線引きして、こっからこっちは健常者、
こっからこっちは和姦、こっからこっちはやむなき殺害、と。
この線引きの身勝手さも論じて差し上げましたが完全スルーでしたね・・w

どのレベルが、精神病者なのか?
「素人が見ても明白だ」と言ってたような気もしますが、本当にそうでしょうか?w
生命の有無も、「幼児に聞けば明白」だとか言ってたような気もしますね。


結局、ステレオタイプな類型でしか考えていないんですよ貴方は。
その類型からはみ出る部分については徹底黙殺なわけです。
だから、「大量殺戮イコール宗教」となるw
経済とか、民族のアイデンティティとか、資源とか覇権とか、或いは生活の向上とか、
何も見えていない・・。
貴方の言葉の方が、空々しい、虚ろな、お花畑言語なんですよ。
886神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 12:26:39.70 ID:/XdszBML
存在は生命の上位概念であり、生命が「存在」しなければ生命の機能もない。
存在していないのにどうやって認識するの?
認識機能も存在の下位概念に過ぎないのだから。
もし存在してないのに認識出来るとしたらご隠居は幽霊といいことになるよ。また認識こそが存在の根源だと言うならば
神や仏を認識したと言う人の認識も認めなくてはならない
887神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 12:46:22.70 ID:vTeonANG
>>881
また、極へ移相して齟齬を有耶無耶にするのも、似た方法論と言えます。
直前にも出た「それも生命の機能」という言い回しにも端的に表れていますが、
「細かな差異を捨象して、大きな括りで見る」(これは往々にして抽象化そのものとも言い得るわけですが)ことによって、
或る事案、事象に関しての齟齬、矛盾点を帳消しにするわけです。
或いは(次元を変えて)差異として抽出しないテクニックです。
 *(だから、貴方こそが勝義厨とも言えるわけですが・・・w)
或いはまた、「大利の爲に小痛を耐える」ような感じでしょうか・・。
或いは「大過を見て小益を見ず」といった感じでしょうか・・。
過失致死という言葉があります。或いは老人による万引きもあります。
止むを得ない事情・状況であろうとも、罪は罪なわけです。誤りは誤りなわけです。
それを不問にしてよいケースなど、そうそうあるものではありません。
悪事は悪事として受け止められねばなりません。
また逆の位相では、太平洋戦争に於いて日本を完全悪と見做すようなものでもあります。
貧しさゆえだから(飢えを避ける生命の導きだから)、小さな悪事なら不問。
 (どの規模が小さな悪事で、どれくらいの規模からが、罪に問われる宗教絡みの悪事なのか知りませんが・・w)
多くの犠牲者をだし、周辺諸国へ干渉したのだから(大きな括りとして、戦争という悪しき行為を行ったのだから)戦前日本は悪だ。

どちらも極論だということがお分かりにならないでしょうか・・・。
888神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 12:47:07.63 ID:8DPiGifs
覚者の方がいらっしゃったら教えて頂きたい
釈迦がラベリングを瞑想に用いたのは事実です
ですが、なぜラベリングが読解力に繋がっていくのでしょうか?
そのシステムが謎なので、よかったら教えて下さい。
889神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 12:49:20.24 ID:rFKngg18
仏教徒は釈迦より生命や存在、空が上位概念であることを既に了解している。
そもそも釈迦自身が「私を崇めても何の功徳も無いよ。私自身空であり、無常なんだから。」と当時の弟子に諭している
訳です。
と言うわけで、ご隠居の説教は、多くの仏教徒に対しては「釈迦に説法」と言うことになると思います。
明確に言いましょう。
釈迦は生命、存在、空の下位概念です!

一仏教徒より

890神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 12:50:47.51 ID:rFKngg18
次スレには「釈迦は生命、存在、空の下位概念」とテンプレに入れておいたらいいんじゃね?

これならばご隠居も納得するでしょう。

891神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 12:52:41.85 ID:rFKngg18

「釈迦」と言う個人は生命、存在、空の下位概念である  by釈迦


892神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 12:58:21.08 ID:rFKngg18
釈迦、資本主義、阿弥陀仏、共産主義、天皇、天照大神、宇宙、ニュートリノ、ビッグバン、生命、地球

・・・全て「空」の下位概念である。

それを知る事が「悟り」である。

893神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 13:05:18.79 ID:YEPOVvoh
上位と下位の意味合いは、
AがなければBが成り立たない故にAはBの上位である。
という意味合いでいいのかな?
894神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 14:03:16.89 ID:5bycr32G
>>799
すいません。現代スリランカ仏教を把握しているわけではありません。
個人名出すのも悪いと思ったので、ぼやかしたつもり。

>>800
そういった言語習慣に基づく論理構造が、たんに習慣で空、実体のないものであり、
だからこそ、それぞれの因としての業と縁としての習慣などから諸現象が縁起するってのが、
色即是空空即是色の基本理解だよ。
固定した言語習慣の論理構造が、絶対的真実といった考えではないわけ。

そういった傾向のアビダルマやゲルクのやり方もありだと思うけど、
そんな見解の低い方便で見解の高いもの否定しちゃあかんでしょ。
895神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 14:07:24.21 ID:5bycr32G
>>888
もちろん覚者じゃないですが、そこで言うラベリングってなんですか?
仮設のこと? 本来、無我・空でも、何かを名付けることで、
道として理解していく時に使うという意味?


どうもニューウェーヴ・テーラワーダの用語は分かりにくい。
原語か漢訳で言ってくれればいいのに。
896神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 14:33:36.96 ID:vTeonANG
>>895
四念処でしょ。
897神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 14:44:23.69 ID:5bycr32G
ああ、そうか四つの対象に念を置いて、分析して実体がないと修習することをそう呼ぶわけ?

つまり念が、止になった時、始めてその分析がヴィパサナになるので、
それ以前を分析、伺察と呼ばずにラベリングと呼ぶわけか?

これでいい?
898神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:09:59.00 ID:rFKngg18
四念処
仏語。三十七道品(ほん)の最初の修行法。
身を不浄とする身念処、感受するものすべて苦とする受念処、
心は無常とする心念処、法は無我であるとする法念処の四つをいう。

観察中、浄不浄、苦不苦というラベリングはしないと思うけど。
浄とか苦って思考から生まれる観念じゃね?
899神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:12:26.44 ID:67mY60hl
>>891
>「釈迦」と言う個人は生命、存在、空の下位概念である  by釈迦

神、釈迦、イエスが生命の下位概念であることを、例え殺されても認めること
が出来ないのが、宗教という「精神病」である。

なお、「空」「存在」も、生命による認識・思考の結果だから、生命の下位概念に
過ぎない。死者は、空も存在も認識できない。
900神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:22:20.68 ID:67mY60hl
>898
四念処は小乗の概念に過ぎない。大乗では「常楽我浄」。釈迦の誤りを
訂正したもの。
901神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:22:46.46 ID:rFKngg18
>>899
生命は存在の下位概念だよ。
生命が「ある」から君も書き込みが出来るわけでしょ。
また、生命は世界から独立して存在する訳ではない。
酸素、地球、食料などの存在があって始めて成立する。
それらの存在を無視して、思考や認識は成り立たない。
君がここに書き込むことが出来るのは、パソコンと言う存在があってのこと。
ネットやパソコンと言う存在を無視して、どうやって書き込みをするの?
もちろん、生命も存在の下位概念だから、生命も必要だが
生命があるから活動が出来ると言うとき、生命の「存在」を前提している。
生命として「存在」しない、幽霊のような状態で、活動が出来ますか?
存在とは生命を含む幅広い概念だからこそ、生命の上位概念なのです。
902神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:24:20.37 ID:rFKngg18
もし、生命が最上位概念だと言うならば、地球、宇宙、酸素、太陽などの存在を無視して
生命活動をしてみてください。
それが出来ると言うならば、生命が最上位概念であることを認めましょう。
903神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:24:56.35 ID:YEPOVvoh
概念の上位や下位って概念同士の包括的関係を示すものだよな。
どうにも自分言語で話されては意味が解らんようになるわ。
904神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:25:12.18 ID:5bycr32G
うん。だから、それらを凡夫は浄楽我常と倒錯して捉えてるでしょ。
でもそれは本来、不浄・苦・無我・無常なわけだ。

しかし、止・三昧に入れない凡夫は四念処によって、それぞれに念・注意しながら、
意識的、観念的に不浄・苦・無我・無常と分析・伺察して修習・馴らすわけ。

その内、集中力がますと念が、止になって、そうすると観念的ではなく、
直観、直接知覚として不浄・苦・無我・無常と観じることができると。
これがヴィパサナ、観と言われるわけだ。

つまり、止という精神集中状態がないと唯のラベリングだと言っているのではないかと思う。
伺察とかヴィタッカ、ヴィチャーラと言ってほしい。
そうすれば分かるのに。

だとしても、なんで読解力に繋がるのか分からない。
ただ、念によって集中力がでると明晰になって、読解力、論理性は上がると思う。
905神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:27:55.66 ID:rFKngg18
例えば、普段、人間は、酸素とか心臓とか呼吸の存在を忘却しているわけだが
それらを認識していなくても、生命活動は成り立っている。
むしろ、それらの「存在」を基盤として、生命活動が成り立っているのである。
あらゆる存在を失っては、一秒たりとも生命は活動をすることが不可能である。
生命すら存在の一要素だからである。

906神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:32:43.30 ID:rFKngg18
もし、存在が思考の結果だとするならば、思考によって、鉄屑を黄金に変えることが出来るはずである。
新聞紙の束を札束に変えることも出来るだろう。
「水よ、湯になれ」と命じれば、見ただけでお湯が沸くことになる。


907神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:48:39.74 ID:67mY60hl
>>901
自然を利用することができるのも生者のみ。死者には空気は吸い込めないw。

何処まで行っても、「生命上位」は揺らぐことはない。
908神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 15:53:51.96 ID:/XdszBML
しかしその利用する自然が無ければ生命は失われる訳です。
もし生命の優位を主張したいのであれば今そこで5分間息を止めてみな
存在の有り難さに気が付くだろうW
909神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 16:04:41.90 ID:/XdszBML
また生命は毎日動植物の死体を食ってエネルギーに変えている訳ですから
生命と非生命の境界も本来ない訳です。
非生命の存在無くしては生命は成り立たない。
生命と非生命この二つの領域を超え包含する概念が存在と言う概念ですから、生命も非生命も存在の下位概念であり
存在教が生命教の上位宗教ということになるわけです
910神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 16:09:13.60 ID:67mY60hl
>>906
息を止めるのも生命の機能w。

面倒だから、「生命及びその維持に不可欠な自然」とを「最上位」とすれば
よい。いずれにせよ、すべての「宗教」は吹っ飛ぶ。

自然宗教では、「最上位」なるもをの的確に把握していたが、創唱宗教の開祖
の精神病の症状としての「観念の遊戯」により、下位概念を最上位概念とすると
いう「倒錯」が生じてしまったのである。
911神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 16:11:44.30 ID:/XdszBML
じゃあその生命の機能を発揮して酸素という存在を超越してみろよW
一番簡単なのは君が存在教に改宗することだw
912神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 16:21:32.75 ID:vTeonANG
>>897
ん? 一代じゃないのか?(四念処でピンと来るかと思ったが・・。)

おそらく彼の言っているヴィパッサナー(―そしてそれは、現在流通しているヴィパッサナーのベースとなってる
“マハーシ流”とみていいと思うが―)は、大念処経に言われるところの方法を、具体的に、詳細にしたものだから。
歩く時には、その行為の一つ一つに、粗いものなれば《「歩いている」と見る(知る)→「歩いている」とラベリングする》、
微細に見るならば、《「右足が上がっている」「上がっている」「下りている」「下りている」「地に着いた」と見る(知る)→ラベリングする》
感受についても心についても同様に、今現在の心身に生じている事象を生じているままに、
一つ一つ確認してゆく、つまり「見定め、認識し、確認してゆく」そのことを『ラベリング』としているんじゃないいかな。
単に詳細なだけで、大念処経で言われていることそのままだから、別になんとも思わなかったけど。
>>888に言う >読解力 』が何を指すかが判らなかっただけで。
諸法の縁起(および現状)を『如実に』見る爲のテクニック、方法論、ってことだと思うけど。
(併せて、他の念が入り込む隙を作らないというのもあるかな。或いは、煩悩・欲としての念が生じないように、と。)

どの辺を指して読解力と言ってるのかは知らない。


尤も、自分は(今のところw)この瞑想法の実践者ではないんで、眉唾で聞いといてくれw
(一代はマハーシ長老の「ミャンマーの瞑想」って本、持ってるとも言ってたような気がするが、
あの内容はそのまま、ラベリングという方法論だと言い換えが可能じゃないか?)
913神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 16:27:48.64 ID:5bycr32G
>>912
ども〜

それだとラベリングというのは念に対応するわけ?

マハーシ本、持ってないです。
914神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 16:38:44.06 ID:/XdszBML
ご隠居はこれからは潔く生命の上位概念は存在であり、存在こそが全てに優先する根本概念だと言えよ
登場する度にそう言うんだぞ
存在教2ちゃん支部の司教に任命するからな

以上
915神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 17:06:33.61 ID:vTeonANG
>>913
いや、寧ろ(ヴィパッサナーという名前の通り)《「観る」(或いは「知る」)こと》に対応するんじゃないかな?
DN22でも始まってすぐに、
「比丘たちよ、ここに比丘は身において身を【観つづけ】(anupassati)、
熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、(AtApI sampajAno satimA)
世界に於ける貪欲と憂いを除いて住みます。もろもろの受に於いて・・・云々」 とあるように。
また続いて呼吸について言われてるが、
「彼は、念をそなえて出息し、念をそなえて入息します。
長く出息する時は〈私は長く出息する〉と【知り】(pajAnAti)、
或いは長く入息する時は〈私は長く入息する〉と【知り】ます。云々」 とあるように。

「念」(念じて)と言うのは、「この行を総じて言う」際のことって感じじゃないかな。
そのようにすることが、(上の冒頭「念をそなえて住む」と言われるように)【念をそなえる】ということで。


今、片山さんが大法輪で連載してるけど、単行本いつになるかな・・w
916神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 17:13:41.25 ID:vTeonANG
414KBか・・。
今回も1000まで行けそうなんじゃないか?w

また次スレが間に合わない事態になりそうだが・・・w
917神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 17:46:57.85 ID:/XdszBML
生命教は存在教の下位概念だから下位だから悪いという訳ではない
経済学にもマクロとミクロがあるように生命教はミクロ存在学として存在意義を持つ
だから生命教をもう少し使えるようにしてくれたまえ
生命生命と言えは全てが解決するというのでは
それはマントラと変わらないからな
918神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 17:53:55.35 ID:/XdszBML
ところでご隠居はニーチェについてはどう思うかね。
私も存在教の教皇だ。
仏教など言うケチ臭い枠に囚われることなく様々な思想を知っておきたいのだよ
君は哲学や思想に詳しそうだからな‥
919神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 17:59:55.40 ID:aIWLKz8S
だれか
早めに次スレたてとけよ
1月ももたんとは
駄レスが多いのか
920神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 18:24:30.13 ID:rFKngg18
仏教議論スレッド 25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1319793495/l50

新スレ建てました

921神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 18:31:20.86 ID:vTeonANG
すげぇwww  >>920 規制や制限ないの?


って、テンプレ先にしろよwww
それか、>>1は常に表示されるんだから
「 >>2-5 」とアンカー付けてテンプレ参照できるようにするとか。
922教皇:2011/10/28(金) 19:04:52.58 ID:/XdszBML
ニーチェの思想の根幹は
生命などという一般概念の否定にあると思うのだがどうだね
いや、これは最近読んだ適菜版ニーチェ解釈の受け売りなんだがね
生命を尊重しなさいなどと言うのは忌まわしきプラトニズムの伝統であり
「生命」などという具体的個物はどこにも存在しない。
生命という一般観念から具体的なものを把握しようとするから
我々は現実を見失うのだと
そういう主張だろ?
そこでニーチェは人間などいう観念を破壊して
超人という観念を生み出した。
それは権力、美、偉大さといった美徳を求めてやまない何かである。
また彼は神とは人間の理想の投影だとも主張していたので、神は死んだ
人間よ、神たれ!と言いたかったのかもしれん
まあ要するに、言語によって規定された存在のイメージを破壊しようとした訳だ。
神を目指して永遠に努力する存在
それこそが人間‥いやまさに人間を克服せんとする「超人」であると
そういう思想で間違いないのかな?
923教皇:2011/10/28(金) 19:17:19.39 ID:/XdszBML
こう言う思想は、現実の資本主義体制の中で惨めに生きている人々に希望を与えるだろう
君たちは洗脳されていると、労働者という奴隷の立場に甘んじ、それ以外に自分の価値を見出だす事が出来ない人々に
電気ショックを与えるだろう。
真理や常識の立場から解釈される定義される客体であったものから、世界を解釈し定義する主体に認識の転換が行われる
私は私が定義する何かであると。
世界の解釈権を奪い取れという思想でもある
これまで世界の解釈権は僧侶階級が握っていた。
そして僧侶階級に仕えるのが哲学者であったと
それゆえ彼はキリスト教とその価値観を擁護すると思われたカントらの哲学者を徹底攻撃した訳だ。
人間の本質的な自由の為に。
924神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 19:47:20.20 ID:gh7O/Mrk
>自然を利用することができるのも生者のみ。
生命活動も単なる化学反応ですが?
酸素がなければ生命は維持できませんから酸素こそ上位です。
「生命」はただの概念ですが酸素は実体です。
925神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 19:59:26.91 ID:5bycr32G
>>915
おいおい、それじゃ、本物のヴィパサナーになっちゃうよ。
彼らの特殊性は、止に入れないのにヴィパサナーと言ってるとこですよ。

だから、あのように穿って考えるわけ。

そこんとこ、ヨロシコ
926神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 20:20:15.34 ID:vTeonANG
>>925
そか。
今、流行ってる上座部系の瞑想って、そんなに異質なもんなのかな・・。(´・ω・`)
一辺、(スリランカ系もビルマ系も)体験教室みたいなの行ってみるのも手だなwww
しかし、スマさん系は評判悪いなぁ・・w
ま、ビルマ系を少しまじめに体験するなら、片山センセに相談するだろうけどねw
(憶えてないだろうなぁ・・w)


やっぱり2回ほど貼ってたw 中山書房のは注文すれば済むだろうけど、他はなぁ・・。
(駒大の小っこい方の売店ならあるかな?)
仏教 議論スレッド 12
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1302158994/973
 仏教 議論スレッド 11
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1299236825/802
802 神も仏も名無しさん sage 2011/03/18(金) 12:54:49.41 ID:fAXjes7W
>> 799
南方仏教基本聖典
 (中山書房仏書林/ウ・ウェープッラ/1978第1刷)

処世訓―ローカニーティ―
 (世界平和パゴダ/ウ・ウェープッラ監修:ウ・ダンマサーラ訳/1982第1刷)

ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法―
 (発行:世界平和パゴダ/販売:国際語学社/マハー・シー著・ウ・ウィッジャーナンダ訳/1993)

南方上座部 仏教儀式集
 (中山書房仏書林/ウ・ウェープッラ/1986第1刷)
927教皇:2011/10/28(金) 20:56:58.52 ID:/XdszBML
まあ私もだな
男として生まれた限りはニーチェや釈迦、孫子、ウィトゲンシュタインなどを超える哲学者になりたいと思っている訳だよ
せっかく生まれて来たからには、これまでに無い発想、人類の千年の歴史を方向付けるような思想を残したい。
わかってくれるね
928神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 21:00:19.49 ID:5bycr32G
もちろんビルマ系は素晴らしいと思う。

四念処をヴィパサナとか言わないし、
ましてや、サマタが要らないなんて言わないでしょ。

それより、あの攻撃性と大乗への無理解は可笑しいと思うよ。

例えば心経もテーラワーダの教義で認められないかもしれないけど、
少なくとも無我や空性の体験があれば、あんな論理的包括関係で否定するような
しょうもない話はしないと私は、不遜ながら思うのだけど。
929教皇:2011/10/28(金) 21:18:37.99 ID:/XdszBML
哲学というのはニーチェの以降、客観的真理を求めるとかそういう方向じゃなくなって来たんだな
この私、この自分にとっての真理
百人百様の真理があるとね。
まあ実際、現実の民衆が、自分固有の真理を追求して生きているかというとそうでもないがね
社会の価値観に従って
不十分な人生を生きてる
ご隠居のような御用学者が共同体の真理こそが上位の真理であるとヘーゲルみたいな事を言い出すからさ。

さて、ニーチェみたいな発想になると「哲学」自体が成立しない訳だ
誰かの真理はその人に取っての真理であり他人に移植出来ない。
何が真理とはその人の「体質」が決めるという訳だ。
女の好みだって人それぞれだしな
「若いうちに勉強しなさい」みたいな親父の説教が役に立たないのは
勉強したから成功するなどという安易な方程式で
人生の成功不成功が決まる訳ではないし
人によっては勉強しない方が成功する場合もある訳だ。
則ち親父に取っての真理と私にとっての真理は違う訳。
それはまあおっしゃる通りだが、それでは哲学は成立しない
この親父に取ってもこの息子に取っても有用な何かを言語によって創造したい訳だ。
真理を押し付けるのではなく、人をより自由にする思想
そして自由な人間がさらに人生を充実して生きる為の方法を知識として残したい。
よく「部屋の整理術」とかおばちゃん先生が教えてたりするじゃん
だけどああいう整理術はそのおばちゃんにしか不可能な訳
こう言うのじゃないのね
930神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 21:33:21.20 ID:vTeonANG
>>925
ああ、でも↑の書のは、結局そういうこと( >止に入 ることなしに観察すること)か・・。
けど、だとするなら、パーリにおける禅定の次第は、こういうもんだしな・・。
それは大念処経でも変わらない。
ただ、厳密に言えば、それらは随観(anupassanA)であって、観(vipassanA)ではないということになるし、
たぶん貴方の言うヴィパッサナー(観)も《「縁起を観ること」限定のものであり、且つsamatha(止)の経由後》
だから、そこに齟齬が生じているのでしょうね。

上記書物でも、またDN22でも、
そうした随観(anup-)の先に(阿羅漢果として)観(vip-)を見ているけれども、
≪両者含めて(呼称として)観(vipassanA)、つまり止(samatha)と対なる瞑想、手法として位置づけられている≫、
とは言えるんじゃなかろうか。 あくまで推測だけど。
DN22でも、辛うじて法の随観が全て述べられた後、実践する期間云々に入る前の註に
『〈以上、(1)出入息、(2)四威儀、(3)四正知、(4)三十二様相、(5)四界確定、(6)〜(14)九墓地、
 (15)受随観、(16)心随観、(17)蓋把握、(18)蘊把握、(19)処把握、(20)覚支把握、(21)諦把握、
 という二十一の業処が延べられている。そのうち、(1)、(4、)(6)〜(14)の十一は安止の業処である〉。
 なお、
 〈これらのすべてに、観の確立(abhinivesa=《vipassanA-abhinivesa》)は生まれるのか。
 【生まれない】。というのは、威儀、正知、蓋、覚支においては観の確立が生まれることはなく、
 【残りにおいて】生まれるからである〉と言われる。』
とあるから、随観(anup-)と観(vip-)は厳密に分かつべき、というのも一理あるわけだが・・。
通常の語用に於いて、そういう厳密な使い分けがあるかどうかは、現場の人間でないんで、申し訳ないが不明。
その辺は、経典もしっかり読みつつパーリ式の禅定をやってる人に聞かないと・・w
931教皇:2011/10/28(金) 21:41:53.33 ID:/XdszBML
仮に、客観的にニートとかフリーターだとしても
「ふざけんな。俺様は貴族だ!」と高貴な人生を送るのがニーチェイズムだ。
ある意味で詫び寂びの価値観に近いかもしれない。
客観的状況がどうであろうと「私は上位の人間である」と己自身を定義する者
それこそ超人である。
人間よ。卑屈になるな。
貨幣経済や奴隷道徳に洗脳され、己を低く見てはいかん。
己自身こそ、無条件に尊敬されるべき
宇宙の究極主体なのであると
道徳に騙されるな!
とまあこんな感じだ。
ご隠居思想とちょっと違う気がするよねw
ニーチェの思想は人生に勇気と希望を与えるが
ご隠居思想は、おっさんは偉いんだ、生活者であるおっさんをもっと尊敬しろという
「おっさんのイデオロギー」と化している
そこに何か嫌らしさを感じて、賛同出来ないんだろうね
ニーチェみたいな聖なる過激さゆえにじゃなくて
俗物過ぎて嫌われる訳だ
932神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 21:45:13.53 ID:Q/DntmHI
ニーチェって自殺したんじゃなかったっけ
933教皇:2011/10/28(金) 21:48:09.72 ID:/XdszBML
ニーチェの思想とご隠居思想は異質だと思う。
ニーチェ思想は人間の限りない可能性を認めるものだが
ご隠居思想は生命の名に置いて人間を抑圧するものだ。
ニーチェイズムからすると爆破解体しなくてはならない腐臭に満ちた思想である
まさに解放の哲学の仮面を被った忌まわしきプラトン主義の再来
道徳を説く梅毒患者
気をつけろ!
934教皇:2011/10/28(金) 21:52:00.90 ID:/XdszBML
ご隠居思想とニーチェは正反対である
ご隠居思想は人間を「生命と言う一般概念」の枠に閉じ込め、飼い馴らそうという「嫌らしいオヤジズム」から生じた。
実に不健康な宗教である。
まさに思想とはその人間の体質から生まれる
ご隠居の先祖は間違いなくプラトンである

935教皇:2011/10/28(金) 21:54:47.45 ID:/XdszBML
ご隠居は釈迦やイエスという超人が嫌いなのだ
それはオヤジズムに反するからである
それゆえ、善きもの美しきもの強きものを目指す人間を「生命」の名に置いて裁く訳である
まさにこれはキリスト教会の司祭ではないか!!
ふざけんな!!!
936神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 21:55:39.28 ID:vTeonANG
>>925
(つづき)
片山さんも、経紹介文の中で、
『この四念処(四念住)は観(ヴィパッサナー)随観(アヌパッサナー)の行法として知られるものであり、
 仏教固有の、また仏教の最も重要な実践の一つであると言ってよい。』
としているから、四念処の先が観であるという認識ではあろうと思う。
が、大法輪での初回では、こう記している。
(連載本文中には、道元始め天台の止観にも触れつつだから、踏まえた上でのことと思うが)
『止観とは、すなわ止の修習と観の修習です。「止」(samathaサマタ)は、諸煩悩を寂止させる心の修習、
 またはその静まりをいいます。「定」の因であり、心が一点に集中する心一境性を本質とします。
 それに対して、「観」』(vipassanAヴィパッサナー)は、三界における身心の相(無常・苦・無我)を観察し、
 道・果・涅槃にいたる智慧の修習、またはその智慧をいいます。苦の生滅を知る智慧、「慧」の因であり、
 知る慧を本質とします。たとえば釈尊は・・・・略(Dhp277-279偈)・・・・と。これは「観」という「清浄にいたる道」
 を示されたものです。智慧によって諸行の無常、苦を見るとき、また諸法の無我を見るとき、苦を離れる。
 苦は苦でなくなる。生死という輪廻の苦は、すなわち輪転の苦のない涅槃である、と言われたものです。
 苦は苦であり、苦ではない、というのです。この観は「大念処経」に説かれる最上の実践であり、智慧でもあります。』
とあるから、観の前提、前段階という位置付けではあっても厳密な区別はしていないようだ。
その後も
『すでに触れたとおり、心の静まりを保つ「止」という実践に対して、「観」は洞察の智慧であり、智慧の実践です。』
『本経は、その止観の「観」を主に説き、「念」「念処」を所縁、対象として観る念処観を明らかにしたものです。』
『仏の教えを根本から学ぶ者、ヴィパッサナー(観)の瞑想をする者、・・・・この経の理解は不可欠であります。』
とある。道元さんも多く引用されてるが、総じて、寛容な使い方といえる。
また、「止」が前提であることは、“禅定を修する上でのありふれた前提”という感じだ。(いや、実際そうであろうし。)

こういう点は、やっぱり『パーリは見解が低い』発言のネタになっちゃうかね・・?www
937神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 21:55:43.92 ID:Q/DntmHI
教皇って人も自殺願望があるの?
938神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 21:57:38.09 ID:vTeonANG
リロしてないから、>>928への返答としてはちょっとズレルw (928の反例になってるかもなw)
939教皇:2011/10/28(金) 21:58:58.30 ID:/XdszBML
ご隠居はまさにニーチェが批判した存在そのものだよ
それがニーチェ思想をバックにして超人批判をする訳だから恐ろしいよな
何と言う悪。何と言う醜さであろうか
940教皇:2011/10/28(金) 22:01:12.43 ID:/XdszBML
ニーチェは自殺してないっすよ

いやしかしご隠居という宗教や哲学を泥を塗りまくった究極レベルの俗物のおかげ、我々の思想が鍛えられたのは確かだな
941教皇:2011/10/28(金) 22:06:05.67 ID:/XdszBML
私は高貴な人間だ(キリッ


942神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 22:08:51.37 ID:Q/DntmHI
調べたら自殺じゃなかった、発狂した後病死だね
943教皇:2011/10/28(金) 22:21:31.09 ID:/XdszBML
ゴーリキーの小説に『どん底』というのがあって黒沢明が映画化して有名だが、あの中に「殿様」って奴が出てくるんだな。
千秋実が演じてて、それはそれで楽しいんだが
あの殿様は勘違いしている。
殿様とは身分ではなくて生き様なんだ。
生き様が殿様だったら
いくら落ちぶれても殿様です。
しかし殿様という身分に執着していれば
その身分を失えばただのコジキな訳です。
944神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 22:28:12.17 ID:vTeonANG
>>936

つまり、止観を言うときに、

・《完全なる「止」の成就》の後に「観」を修する(実践する)か、

・「止」「観」を《併習》するのか
 (両者を均等に、或いは偏ることなく、或いは常に「止」によって調身調心して「随観」「観」を修するのか)、

という違いなのかな。 今言われているポイントは・・。
945《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2011/10/28(金) 22:37:43.15 ID:08bvhMDP
946神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 22:44:16.30 ID:vTeonANG
>>944

で、基本的に、
『修習、実践の実際、行じるにあたっての具体的方法論として』後者だろうと思うんだよな・・。
少なくとも「随観」を示す念処経はそうだ。
もし、後者であるなら、そもそも禅定というものが「止」の状態が基本・ベースなれば、
わざわざ「止」を成就してからと言う必要は無く、
寧ろ、特に「観」「随観」を修める際に、それが「観」「随観」を修める方法として特化提示される感じで。

また、止と観が同時には無いことを鑑みれば、併修・併習されるもの、という見方の方が妥当な気もする。

それとも、「止」を会得・成就しないうちは「観」「随観」に入らない、入らせない、という形であるべきなのかな?

この辺は、実地にやってみんと判らんか・・・w
947神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 22:54:00.77 ID:Q/DntmHI
コジキから殿様に成りあがった者は殿様という地位を失うともとのコジキに帰っちゃうみたい。
948教皇:2011/10/28(金) 23:12:44.10 ID:/XdszBML
仏教はニーチェ思想すら解体してしまう面がある訳だ。
殿様根性もコジキ根性も「条件付け」の結果であって、生来の条件付けを一枚一枚剥がして行って真の自由な境地を手に入れようというね
現に釈迦は殿様だった訳で殿様という人生にも苦悩がつきものだったのだろう。
殿様もコジキも「不自然」な在り方であり
人為的に作られた行動パターンな訳だ。
それらを全て剥がして行き、無我の境地になること。これが仏教の目的なのだから、「より善い」条件付けを身につけようというニーチェイズムとは方向性がちょっと違う。
949教皇:2011/10/28(金) 23:26:15.29 ID:/XdszBML
ただニーチェの場合は「自ら、自分の意志で成りたい存在になれ」という思想であり
まず一切の価値から自由になるのが前提
なので必ずしも仏教が目指す方向性と全く違うとも言い切れない。
ただ仏教は自分が純粋に生み出した価値観であろうがなんであろうが
条件付けが生じると、それは人間を縛り、苦を生み出す、という考えが根底にあるように思う。
950神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 23:27:16.71 ID:Q/DntmHI
西洋哲学の根っこには神様がいるみたい。根っこを取っ払うと自由には成れるけど
立ってられなくなってコケるらしいよ。
951神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 23:38:01.27 ID:/XdszBML
いや苦を生み出すから悪いのではなくて
行為が条件付けを生み、生みだされ積み重なった条件付けが意識の制御から独立して暴走してしまうと言う問題を指摘しているといった方がいいか
ただそれが人倫に敵う事ならば別に悪い事ではないし、仏教の瞑想でも、条件付けを剥がすと同時に「ありとあらゆる生命が幸せになりますように」などと祈って条件付けをしてるんだよね
究極のゴールはこう言った条件付けからも自由になることだというが
その過程までは確かに条件付けをしている
952教皇:2011/10/28(金) 23:42:19.01 ID:/XdszBML
東洋では神無しで生きる技術が大昔から開発されてるからその点は助かるかもね。
953神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 23:43:43.08 ID:vTeonANG
>>951
で、到達して以降、
そうした条件付けは取り払われたままでよいか?
ということは、大きく検討に値すると思うよ。
954教皇:2011/10/28(金) 23:51:47.84 ID:/XdszBML
条件付けが取り払われば、本来の自然性が働き出して、条件付けをする必要もなく、純粋な行為が生まれると言う見方が一つ。
結局、これだと梵我一如みたいな話しにもなるよね
内的神と合一するみたいな。
ユングの言う「自己実現」

一方、条件付けが全て消えると何にもない
白紙であると
白紙である故に自由に書き込めば良いと
白紙になるだけでは何の意味もないからね
955神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 23:53:32.19 ID:UQKfJHcB
>>894
>そういった言語習慣に基づく論理構造が、たんに習慣で空、実体のないものであり
つまりチベット仏教は超論理、論理の超越を説く、と
それは神秘体験至上主義じゃないんですかね・・・?
徹底して論理的なアーガマ・ニカーヤ(なにしろ論理学がつくれるくらい)とは真逆の方向へ向かってるような
956神も仏も名無しさん:2011/10/28(金) 23:55:16.93 ID:vTeonANG
>>954
いや、そういうことじゃなくて、
条件付けを取り払ったまま生活できるのか?ということ。
勿論、そこが桃源郷であれば、難なく可能だとは思うけど。
957教皇:2011/10/28(金) 23:58:11.04 ID:/XdszBML
何故、瞑想センターでは
条件付けを取り除きなさいといいつつ
「生きとし生けるものが幸せでありますように」という条件付けをするのか。
つまり余計なものを剥がして、新しい洗脳をしている訳だよな
まあこれで「グルは神である」とか無意識のレベルで条件付けられればまるでオウムだが
一応個人崇拝もないしセンターへの忠誠を誓わせられる訳ではない訳で
誰も損をしない公共善にかなったプラスの洗脳とも言える訳だが
条件付けは条件付けだ。
958教皇:2011/10/28(金) 23:59:56.28 ID:/XdszBML
956
そりゃ出来るよ
余計な条件付けがない分臨機応変に生活に対応出来る
959神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:00:39.74 ID:UQKfJHcB
>>873
>ナモーと言ったらナマクと言えと怒られるわけで・・・・
そりゃきついですね
でも伝統もいいけど慈雲尊者よろしくサンスクリット原典回帰に行ってもいいと思いますけどね、特に真言宗は
960教皇:2011/10/29(土) 00:07:22.36 ID:99ATHZkE
社会とは基本的に公共善を目指している訳だが
生命は公共善に適う条件付けだけを持っている訳ではない
ゆえに色々失敗したりもする訳だ。
条件付けが無く、内なる自然が公共善を目指すものならば
条件付けを取っ払えばむしろ日常生活の全てがうまく行くだろう
反社会的な条件付けに足を取られる事がないからね
961教皇:2011/10/29(土) 00:10:32.49 ID:99ATHZkE
現実の社会が公共善を目指しているかどうかは別にとして社会の理想は公共善の達成だろう
果たして自然は公共善を目指すだろうか
それは信仰に過ぎないんじゃないかな
自然は自然に過ぎず何の価値観も持たない。
ただ現れては消えるだけ
だから公共善にしたがった条件付けをするんじゃないか
962神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:10:53.17 ID:X2ay4upb
>>958
条件付けすること無しに(臨機応変に)対応?
ありえんでしょwww
963教皇:2011/10/29(土) 00:15:47.63 ID:99ATHZkE
条件付けというのはあくまで感情的反応の条件付けの事だよ
964神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:20:10.98 ID:X2ay4upb
そか。横からスマンかったw m(_ _)m
965教皇:2011/10/29(土) 00:20:58.30 ID:99ATHZkE
つまり好きとか嫌いで行動しなくなる訳だ
と同時に仏教寺院では「生命讃歌の条件付け」をしているので
生命を害するのは感情的なレベルで嫌になると思われる
966神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:23:20.72 ID:C+ku6tCJ
>仏教寺院では「生命讃歌の条件付け」をしているので
たしかにwww
967神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 00:33:39.12 ID:/q/p8j0z
東洋の根っこに神様がいるかいないか、簡単には言えないみたいだよ。
ユングだったっけ「見えざる神」とかなんとか言ったのは、ユングという人西洋と東洋の中間あたりに
いる人のような気がするな。
968承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 00:48:54.82 ID:80hmux7V
>873
仏教をツールとしか見てないからそんな話になる。
信仰というものは、学術研究ではない。

例えば、生物学的にはネアンデルタール人だと科学的に実証されたとしても普通の感性なら自分は日本人だと思うだろう。
継承されてきた伝統には、様々な矛盾と共にそれなりの善さがある。

つーか代替品と従来品に格段の差が無ければ代替品に変える理由は無いわな。(笑)


(^。^)尤も、日本なんて既に亡国だから宗教なんて意味無いかも知れんが♪
969神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 01:11:28.96 ID:vWrrlIMl
>>922
>ニーチェの思想の根幹は 生命などという一般概念の否定にあると思うの
>だがどうだね

ニーチェは、哲学に「生物学的」という概念を初めて導入することにより、
キリスト教や哲学を根本から破壊したのである。「生物学的」とは、「生命現象
を現す肉体」即ち「生命(生存本能)」を意味する。

「生命」は、白紙どころか、あらゆる条件と知恵がぎっしりと詰まっている。
だからこそ、人類は、無限の期間、存続し続けている。「生命」を無明とした
釈迦は、根本的に誤っている。

「超人」とは、宗教や哲学などあらゆる「観念的なものから離脱し、己の生命
だけによって立つ者」、即ち「平凡な生活者」のことであると解する。テレビで、
ある精神医学者が、「超人」とは「引き篭もり」のことである、と言っていた。
「何物をも信じず、何物にも依存せず、只、己の生命の指示のみを信じる」。
これは一面当たっていると思う。
970888:2011/10/29(土) 01:16:12.38 ID:a6AJuLl9
皆様ご迷惑おかけしました。
なにぶん仏教用語は全然に等しいぐらい知らないもので…
私はただ物の道理を知りたいだけなんです
>>915さんの
「比丘たちよ、ここに比丘は身において身を【観つづけ】(anupassati)、
熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、(AtApI sampajAno satimA)
いいたいのはここなんです。
観つづけることが、そのまま正知に繋がり、念を呼ぶんです。
観つづけることが全てを引き起こす気がするんです。
この道理がわかるかた、いらっしゃいましたらお願いします。
971承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 01:19:43.31 ID:80hmux7V
(^。^)あはははは♪
相変わらずバカだなぁ。
良いかい?
ヒッキーなんてのは、アニメやネットや薬物に依存した適応障害者だ。


(^。^)お前もそうだろ?(笑)
972神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 01:22:51.59 ID:vWrrlIMl
心的作用や思考・感情とは、本来、状況の変化に応じた肉体(生命)の維持のためのもの。
「心自体のために心を使う」宗教は、「心の目的外使用」「心の濫用」「心のオナニー」
である。
973承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 01:27:21.44 ID:80hmux7V
>972
ふむふむ、
つまり、精神作用とか心とか言うのは、生物の進化の過程でポッと湧いて出た訳ですな?
(^。^)いやぁ、実に道理を弁えたお話ですなぁ。(笑)
974888:2011/10/29(土) 01:40:21.64 ID:a6AJuLl9
すいません。自己解決しました。
『身において身を』ここは自分の感覚を研ぎ澄ませるのは重要なのですが、
観るのは自己の内面でなく、外の景色・現実の景色です。
たわごとすいませんでした。
975神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 01:48:23.54 ID:vWrrlIMl
>>971
ヒッキーは、やろうと思えば本質論はやれる。宗教者は開祖や経典からの「借り物」
だけで、自分独自の普遍的本質論は一切やれない。自分ではやっているつもりでも、
開祖・経典の「枠内」で足掻いているに過ぎない。

>>973
心は、人類の発生時から存在し、現代まで、実質的には何も変化してはいない。
「状況の変化に応じて肉体(生命)を維持するためのソフト」だから、時代の如何を
問わない。
976承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 01:58:41.63 ID:80hmux7V
>975
え?人類発生時?
それって、ホモサピエンスサピエンスがその辺の地中から湧いて出たって事?
それとも、
いや、まさか、
進化の過程で、こっから新人って境目があるとか考えてんの!?
いやいや、いくら君でも、まさかそんなバカな事は考えてないよな?
神様だか宇宙人だかが人類を作ったとか考えてんだよな?(笑)

(^。^)さぁ吐け♪
977神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:04:23.75 ID:vWrrlIMl
>>935
「善きもの美しきもの強きもの」などの「観念」に囚われた者は、「超人」では
ないよw。ニーチェが徹底的に批判したキリスト教やカントと何らの相違もないでは
ないか。そのような「観念の呪縛」から離脱し得た者が、「超人」なのである。
978神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:11:53.47 ID:a6AJuLl9
超人?は現実を徹底的に捉えた者だと思うよw
内面は嘘の塊だからねw
979神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:12:42.42 ID:vWrrlIMl
>>976
自然によって「作られた」人間のちっぽけな頭脳で、「人間がどこから来たか」
など考えても分るわけが無い。「人間の思考能力の範囲」を忘れてはならない。

人間は、そんな「思い上がり」を捨てて、与えられた生命に忠実に生きるだけで
よい。
980承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 02:22:24.23 ID:80hmux7V
>979
あ〜、判るわぁ。
居るよね、たまに。
「人間の思考能力の範囲」を考えず、
「思い上がり」をして、他人の信仰をネットの駄文で変えようとする奴とかね〜。

(^。^)まぁ、彼ら?も同じ猿なんだから、多少は大目に見てやろうぜ?(笑)
981神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:29:47.35 ID:a6AJuLl9
それは違うねw
書き込みはただのラベリングなのさw
982神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:32:08.49 ID:a6AJuLl9
よくいるのが、やってみもせず考えもせずにに批判するヤツw
滑稽だねw
釈迦を見習ったらどうだいw
983承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 02:43:04.53 ID:80hmux7V
>970を書いて>982を書ける、その面の皮の厚さには脱帽だ♪(笑)
984神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 02:53:44.58 ID:a6AJuLl9
仏教の魔力なんかね
もの凄く真剣に考えてくれたんだろうなって
申し訳なくなったんだよね
982は素直に物の道理と釈迦の偉大さを言いたかっただけw
985承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 03:01:23.63 ID:80hmux7V
因みに、念ずるという言葉は、単なるラベル張りでは無い。
行住坐臥一切時に於いて心を一にして雑念を払いひたすら行ずるを仏家では念ずるという。
従って、
あ、俺今、チョ〜歩いてんな〜♪
などという考えは雑念でしかない。
986神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 03:08:21.91 ID:a6AJuLl9
簡単に言うと記憶術
右脳ラベル張り
勉強のできるヤツはラベル張りが上手いだけなんだよ
同時に読解力もつく、今は絶対無理な英文も当時は情景が浮かんだものだよね
要はこの応用を瞑想に生かすだけ
987神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 03:30:20.76 ID:a6AJuLl9
五感を使って、あるがままを捉えるんだよ
脳で考えたら落ちこぼれるw
憶測だけど釈迦はこれをやってるね
精神は勝手にあるがままになる
その後に、あるがままの思念が沸いてくるって寸法だよ
俺は釈迦を尊敬してるから思ってることは包み隠さず書くよw
ここを隠しちゃうと、あるがままから離れるw
988基地外:2011/10/29(土) 03:41:35.33 ID:QDhLaIe4
貴方達はいったい何と戦っているの
ですか? σ(^_^;)?
989承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/10/29(土) 03:45:05.43 ID:80hmux7V
あるがままと如實知自心ってのは違うよ。
自在境ってのは、自我や身体的制限からも自在って意味だ。
でもまぁ、釈尊があるがままで対機説法されたと、本気で思ってんなら好きにすりゃぁ良い。

(^。^)俺の知った事じゃねーしな。
990神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:02:45.28 ID:a6AJuLl9
>>988
因縁とw
>>989
無理だろうが、やってみればわかるw
我が消えていくのが手に取るようにわかるよ
あるがままから生まれる正しい思念からのものですよ
正しい思念は真理への悟りに変化するしくみ
991神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:08:18.38 ID:a6AJuLl9
くれぐれも瞑想ですからねw
脳を使えば負け。我が出る
992神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:13:42.50 ID:MnG3TFSv
時間がないので、あまりきっちり読んでないセブンへの詳細なコメントは、
重要な論点だと思うので、明日、新スレでしたいです。

とりあえず以下、

>>944
そう。伝統説で止前提として観と以降する、四念処でもそれは自然に成立する。
四念処をヴィパサナーと言い換えて、伝統説の方便として説いてるので混乱がある。

>>955
まったく逆だよ。『般若経』『中論』はもちろんアーガマ・ニカーヤでも説かれている。
『清浄道論』でも説かれてるよ。詳細な論証は『入中論自註』に明か。
『カッチャーナへの教え』『勝義空性経』『ウダーナヴァルガ』等に説かれている。
それが分からないのでは、話しにならない。

>>970
>>観つづけることが、そのまま正知に繋がり、念を呼ぶんです。

だから、始めは念、途中から止になることがあり、
その時は本当の観(ヴィパサナー)が成立するです。
これは伝統的に四念処と呼ばれる修行法で、ヴィパサナーとは呼ばれません。
ヴィパサナー・観と呼ばれるのは、止・三昧が成立してから。

この四念処をヴィパサナーと呼ぶのはハマーシ流で、
その流れを受ける、あるいはその方法を使う人たちをニューウェーヴ・テーラワーダと呼んでます。

993神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:16:52.20 ID:a6AJuLl9
う〜ん、難しい。脳を使うなは語弊がある。考えるなが正解。
でも思念する解きは考えなきゃダメなんですよw難しいなぁ…
994神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 04:43:03.63 ID:a6AJuLl9
>>992
ありがとうございます。四念処は今日初めて聞いたので後で勉強してみます。
どちらもやってますです。後者は訓練と捉えてますです。
やっぱり仏教用語で人に言ってもらったほうが、わかりやすいな;
995基地外:2011/10/29(土) 05:07:38.86 ID:QDhLaIe4
>>990
薬の効能書を一生懸命読みといても
病は癒され無いのではないですか?
南無(^人^)
996神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 06:21:44.53 ID:C+ku6tCJ
新スレ立てました

仏教 議論スレッド 25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1319836819/
997神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 06:22:28.32 ID:C+ku6tCJ
うめ
998神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 06:42:11.82 ID:99ATHZkE
999神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 09:42:01.84 ID:X2ay4upb
>>992
こっちが厳密でないんだから、ざっくりでいいよ、ざっくりでw
そこまでまだ手を広げてないから、今はあれ以上のことは言えんし。


少し付加しておくと、「 >止前提 」というのが、
・「止」の状態から(―止の状態に入り、続いて―)順次「随観」「観」へ移行する
ということなのか
・「止」の修練は日々修され積まれる中、それとは別に(―止は止、観は観として―)「随観」「観」もまた修める
ということなのか

こんな感じでもあるのかな?
たとえていえば、バッティングの練習と走塁の練習みたいなもんか。
(打てなきゃ塁にでないから)バッティングが先で(完成される必要が)ある、と言えるかどうか、みたいな・・。
1000神も仏も名無しさん:2011/10/29(土) 09:44:21.99 ID:X2ay4upb
>>992
追記:
944後段で挙げた連載開始時の頃の大法輪は、出版社から贈呈されてて手許にあるんじゃない?w
10011001
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