3共観福音書とヨハネ伝と他の新約文献を比較研究して ヨハル伝の性格(イエス神格化)を浮き彫りにします。 そしてヨハネ伝のイエス神格化がどのようにキリスト教に 受容されて行ったかを考究します。 特にエイレナイオスがヨハネ伝を正典化したことに焦点を 当てたいと思います
グノーシスを隠れ蓑に 自分のエゴを肥大化させる在家と部落解放同盟工作員暇人を叩くスレですwwww
3 :
神も仏も名無しさん :2010/02/20(土) 10:13:08 ID:ZPxmHmO5
中学の英語の時間に知識(ノウレッジ)という単語が覚えられなくて苦労したなぅ。。 今も書けないけど。
>>4 それで中学中退でやくざになったのですね 。。。
6 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/20(土) 16:51:25 ID:gDD6os9/
>>5 いや、高校でノウレッジは覚えなおすぞ。
お前の方が世間知らずなんじゃないのか?
キリスト教は善悪のノウレッジ グノーシスは命のノウレッジ
8 :
前世は一在家 :2010/02/20(土) 19:49:33 ID:71nbxOFO
3共観福音書とヨハネ伝と他の新約文献を精査した結果をまとめます。 @3共観福音書に記載のゲッセマネでの十字架での処刑は止めて下さいの祈りが削除。 その代わりに長い3章が挿入されたヨハネ伝。 Aマルコ伝、マタイ伝に記載のイエス様の最期の台詞「レマサバクタニ」を削除。 B「十字架の刑=過越祭のいけにえの子羊」と演出するべく、十字架での処刑日を 一日前に改竄。 C更にヨハネ書簡と合わせて読めば、筆記者はグノーシス出身者の証あり。 【証拠文書】 (ヨハネによる福音書 1:5) 「光」は「闇」の中で輝いている。そして、闇は光を理解しなかった。 ※光と闇の二元論、グノーシスでは光=叡智 (ヨハネ第一の手紙 5:19〜5:20) また、私達は神から出た者であり、全世界は「悪しき者の配下」にあることを知っている。 更に神の子がきて、「真実なかた」を知る「智力」をわたしたちに授けて下さったことも、 知っている。 ※反宇宙の二元論、グノーシスは智力の意 天の父とイエス様と一体、本質的には同じものであるとクリスチャン達に 思わせた結果、3共観福音書までは天の父に直接祈っていたクリスチャン達は ヨハネ伝を正統としたニケーア公会議以降はイエス様に祈るようになったという のがヨハネ伝筆記者の狙いだったのではというのが私の仮説です。 特にヨハネ伝からは「神は愛」を強調されますが、エリア再来の洗礼ヨハネの 斬首刑やイエス様の十字架刑などを見ますと、人智で創造する暖かく優しい 「愛」とは次元が異なるかと思料します。
9 :
神も仏も名無しさん :2010/02/20(土) 20:01:32 ID:c8zhq508
これは興味深いスレですね。
10 :
前世は一在家 :2010/02/20(土) 20:03:05 ID:71nbxOFO
3共観福音書を正見しますと、イエス様ご自身が十字架の意義を認めておられなかった ことが明白かと存じます。 イエス様はまた、天の父の遣わした預言者であり、洗礼ヨハネの水の洗礼の後、 聖霊が降下し聖霊による洗礼にて人々の病気を癒し、悪霊を追い出された様子がよく 分かります。 (マルコ伝 14:36) ※アバはアラム語 「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」。 (マルコ伝 15:34) ※エロイはアラム語 そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 (ルカ伝 22:42) 「父よ、御心ならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、御心が成るようにしてください」。 (ルカ伝 23:46) そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。 (マタイ伝 26:39) うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、御心のままになさって下さい」。 (マタイ伝 27:46) ※エリはヘブライ語 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
11 :
前世は一在家 :2010/02/20(土) 20:05:55 ID:71nbxOFO
(ヨハネ伝 14章〜17章) ※イエス様の天の父への悲しい祈りは割愛。さすがグノーシスですね、文才があります。 聖霊による自動書記だとする為には、「イエスに愛された弟子」という自己主張が強く、ナルシスト的な筆者の自己紹介は不自然かと思料します。 (ヨハネ伝 19:30) ※イエス様の最期の叫びも割愛。 すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終わった」と言われた、首をたれて息をひきとられた。 ご参考(ガラテア人への手紙 6:7〜8) 人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から 永遠のいのちを刈り取るであろう。 ※人々が積んだ罪を、イエス様が代わりに十字架上の処刑で償うということは 教義上でも不自然ですね。 私はこれまでマルコ伝、ルカ伝、マタイ伝、ヨハネ伝が正統派で、トマス伝、 フィリポ伝、マリア伝、ユダ伝がグノーシスによる福音書扱いにされていると認識して おりましたが、ヨハネ伝こそがグノーシスの福音書だとの認識を深めております。 この仮説は暇人氏や心ある方々と引き続き検証して参りましょう。
12 :
前世は一在家 :2010/02/20(土) 20:09:28 ID:71nbxOFO
次に4つの福音書におけますイエス様の最後の晩餐の日の相違を 皆さんで確認致しましょう。 マルコ:ユダヤ教の過越(すぎこし)の祭の第一日目 ルカ:ユダヤ教の過越の祭の第一日目 マタイ:ユダヤ教の過越の祭の第一日目 ヨハネ:ユダヤ教の過越の祭の前日 あれー、ヨハネの福音書の筆者のみ意図的に日を変えておりますよ。 勘の良い方であれば、なぜヨハネの福音書の筆者のみがこのように 大切な日を変更したのか、彼の狙いがお分かりかと存じます。 すなわち「過越の子羊」を準備する日にイエス様は死刑を宣告され 拷問を受け磔にされたというストーリーでなければ、 「イエス様自身が犠牲の子羊」というヨハネ筆者の信念が成就されなかった という仮説が立ちます。
13 :
前世は一在家 :2010/02/20(土) 20:10:12 ID:71nbxOFO
この仮説の検証はシンプルです。 「(兵士達は)イエスのところに来ると、既に死んでおられるのを見て、 脚を折らなかった。」(ヨハネ19:33) 当然ヨハネの筆者は「出エジプト記」にある、犠牲の子羊の準備においては 「その骨を折ってはならない」という句は熟知していたからです。 検証が進みますと、結構「ヨハネの福音書」の異質性がはっきりして参ります。 補足ですが、ヨハネの筆者は最後の晩餐の時の「水で割った葡萄酒」の意味を わざわざ明示しております。 「しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を突き刺した。すると 血と水が流れ出た。」(ヨハネ19:34) 余談ですが、ヨハネの筆者はトマスの福音書とフィリポの福音書を意識して いた可能性が伺えます。 (ヨハネ14:5)でトマスに、(ヨハネ14:8)ではフィリポに 結構愚かな質問をさせております。 最古のマルコの福音書には無いシーンをヨハネの筆者は彼のシナリオを 演出する為に追加した可能性が見受けられます。
14 :
神も仏も名無しさん :2010/02/20(土) 20:17:53 ID:c8zhq508
共観福音書とグノーシス文書、ヨハネ伝はどちらに近いのですか? 中間くらい?
15 :
前世は一在家 :2010/02/20(土) 21:08:30 ID:71nbxOFO
>>14 >共観福音書とグノーシス文書、ヨハネ伝はどちらに近いのですか?
>中間くらい?
それは共観福音書がヨハネ伝と近いですよ。
イエス様は予知能力にて自身の十字架が近い将来に「過越祭のいけにえ=贖い」
にされることをご存じあり、「この杯(十字架刑)を取り除いて下さい」と
天の父にお願いされますが、結局は思し召しに従うことになりました。
(この大切な史実を削除して、処刑日まで一日ヨハネ伝は改竄しましたが。)
殉教する命が惜しかったはずもなく、ただ「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」
という真理(因果応報の法)が、将来「イエス様が代わりに贖って下さった」と
誤解されることを回避したかったのではと推察致します。
16 :
暇人 :2010/02/20(土) 21:43:05 ID:7LWg4fyn
17 :
前世は一在家 :2010/02/20(土) 21:49:47 ID:71nbxOFO
>>16 暇人氏
ヨハネ書簡の末尾に「グノーシス出身」の証を残すところは、相当の自信
ですね。
(ヨハネ伝 14章〜17章)で長文の挿入も聖霊によるとしておりますが、
他の箇所は3共観福音書と比べてあまり変わらず、聖霊が加筆して下さら
なかったという言い訳になりますか? 無理がありますね。
18 :
暇人 :2010/02/20(土) 22:03:49 ID:7LWg4fyn
ちなみに無教会派(聖霊派)の市川喜一先生の論考 「ヨハネ文書の成立 第四章 長老ヨハネの遺訓-ヨハネの第一の手紙・翻訳と講解」 に拠りますと 「最後に長老は、「わたしたちは知っています。神の御子が来て、真理なる方を知る理解力を わたしたちに与えてくださいました」と語ります(二〇節前半)。この「真理なる方」は、 続く句に「その方の子であるイエス・キリスト」とあることから、神を指すことが分かります。 神の御子である方がイエスとして世に来られて、「真理なる方(神)を知る理解力をわたした ちに与えてくださいました」。ここで「理解力」と訳した《ディアノイア》は、「理解、悟り 、心」と訳してもよい語です。 《グノーシス》(知識)という語こそ用いていませんが、救い主の働きを、真理なる神を悟る 理解力を与えて、悪の世《コスモス》から救い出すこととするのは、まさにグノーシス主義の特色です。 ↑ 私もこの解釈に賛成します
19 :
暇人 :2010/02/20(土) 22:04:46 ID:7LWg4fyn
20 :
前世は一在家 :2010/02/21(日) 07:17:43 ID:SkMZk834
誤解無きよう先に自己申告しておきますが、私はグノーシス派ではなく主流のグノーシスにも異論がございます。 ただ、正統派から異端とされて焚書され、第二次大戦後に復活した文献の中に真理を見出して紹介しているのが基本スタンスです。 トマス伝では「全ての人に神の光が受肉」と記載されております。 エッセネ派ユダヤ教では「全ての人に光の箇所と闇の箇所が宿る」、「だから義人でも罪人の要素があり、罪人にも義人の要素がある」と説かれております。 光と闇との何れに近いポジションに位置するかは人の意思で決まります。 換言しますと、人は自由意志にて神にも獣にもなり得ます。 神の似姿にて人が創造された当初は、光の箇所のみだったのですが、後に闇の箇所も人に加えて「完全なる人」ということでしょう。 ユダ伝でも「完全なる人」は登場します。 法華経でも「人に仏性が宿り、すべての仏子はやがて仏になり得る」と説かれておりますが、共通の真理(法)をイエス様と釈尊が説かれたことと思料します。 そして苦しみの原因の欲があるから、人は努力し成長します。 このことはオリンピックのアスリートを見ていても悟れます。 科学者も芸術家も事業家もプラス方向の強い「欲」をモチベーションとしております。 ようするに闇の箇所「欲」は必要であり、光の箇所「神性」がこれをどうコントロールするかが肝要です。
21 :
前世は一在家 :2010/02/21(日) 07:19:48 ID:SkMZk834
「神の国」はいつ到来するか?ですが、ヨハネ伝もトマス伝も共通して 「今到来した」と告げております。 その証として、イエス様や十二使徒による死者の復活の事例が明記されて おります。 内なる神性(受肉した神の光、神の似姿、光のコア)を悟ることが即ち 「神の国」の到来と認識すれば、腑に落ちることかと存じます。
22 :
前世は一在家 :2010/02/21(日) 07:25:21 ID:SkMZk834
グノーシスに興味を持って、これから学ぼうとされる方々の存在を 感じますが、その前に「死海文書」と「ナグハマディ文書」の学習を お奨めします。 「死海文書」の中ではエッセネ派宗規要覧が、「ナグハマディ文書」の 中ではトマス伝を私は愛読しております。 イエス様の本来の教えを推察するには特に「エッセネ派」の思想が重要だと 考えております。尚、死海文書の研究者達の多くは、イエス様が絶賛された 洗礼ヨハネはエッセネ派の可能性が高いと認定しております。 根拠の一つは、洗礼ヨハネは彼の洗礼を求めるユダヤ人全てに洗礼をした 訳ではないからです。パリサイ派とサドカイ派のユダヤ人を「まむしの子」 と罵倒し洗礼を拒否しておりますし、イエス様もパリサイ派とサドカイ派 とはしばしば対立されておられます。 またクムランの民(死海文書を隠した人々)の特徴が洗礼ヨハネと類似点が 多いとのことです。
23 :
前世は一在家 :2010/02/21(日) 07:38:38 ID:SkMZk834
(参考文献) 「死海文書のすべて」青土社:死海文書のやや学術的解説書 「禁じられた福音書」青土社:トマス伝、マリア伝、フィリポ伝の紹介
24 :
前世は一在家 :2010/02/21(日) 16:27:00 ID:KcfYw2wa
>>19 暇人氏
紹介いただきました市川先生の論考の中で下記も参考になりました。
また、「彼ら」はヨハネ福音書を自分たちの福音書として携えていった
ので、グノーシス主義たちはヨハネ福音書を愛好し、正統派共同体は長らく
この福音書を受け容れることを躊躇したと見ています。
R.E.Brown, The Community of the Beloved Disciple, p.166 Chart One
( The History of the Johannine Community )を参照。
>>22 「イエス様が絶賛された洗礼者ヨハネ」って言うか、
イエスは洗礼者ヨハネに師事して荒野で聖書研究をしていたとは
考えられませんかねぇ。。
26 :
暇人 :2010/02/27(土) 17:59:13 ID:shjGR3hb
プリニウス書簡集には 「彼らの自供によれば、彼らは定まった日(日曜日)の夜明けに定期的に集まり、 神に対して、またキリストに対して、賛歌を歌い合うと言います。 いったん解散した後、食事を取るために再び集まるのが習慣だそうです」 とあるそうです。 これが後代の偽作でないとすると トラヤヌス帝宛のこの書簡は、112年に書かれたこととなります。 そしてこの時代のキリスト者は「神=キリスト」ではなく 「神」と「キリスト」をそれぞれ賛美していたことの証拠となります。 また初期のミサは日曜の夜明け、日の出と共に賛美(ラウデース)する ことで始まったことがわかります。
27 :
前世は一在家 :2010/02/28(日) 07:19:56 ID:F+783Ibb
>>25 サンチャゴ氏
>イエスは洗礼者ヨハネに師事して荒野で聖書研究をしていたとは
>考えられませんかねぇ。。
週末しか書き込みができませんので、亀レスで済みません。
イエス様が洗礼者ヨハネの弟子だった可能性はありますが、
断定できるだけの証拠は少ないと思います。
戦後の死海文書の発見にて世界中の研究者達が調査、考察をして
大体以下の状況が分かってきているそうです。
・洗礼者ヨハネはエッセネ派の可能性が高い
・死海文書が発見されたクムランの廃墟から洗礼用施設が多く発見
・エッセネ派はナザレも活動拠点としていた
・最後の晩餐のあった2階の建屋のすぐ近くにエッセネ派拠点あり
以上の研究結果とイエス様が新約の中で度々パリサイ派、サドカイ派
を批判(時には罵倒)されていたことを鑑みますと、洗礼者ヨハネの
弟子ではなかったとしても、エッセネ派の師匠から学んでいたであろう
ことが推察されます。
28 :
前世は一在家 :2010/02/28(日) 07:41:16 ID:F+783Ibb
>>26 暇人氏
>トラヤヌス帝宛のこの書簡は、112年に書かれたこととなります。
>そしてこの時代のキリスト者は「神=キリスト」ではなく
>「神」と「キリスト」をそれぞれ賛美していたことの証拠となります。
非常に良い文献証拠だと判断します。
ヨハネ伝が記載されたのが90年頃だとしますと、その20年後でも
「イエス=神」でなかったことが証明されますね。
「禁じられた福音書」の著者の宗教史学教授も、ヨハネ伝以前では
「イエス=神」でなかったことを度々指摘しております。
しかし「神の預言者=神」とした人々は大罪を犯したことになる
かも知れませんね。それを責める権限は私達にはございませんが、
一番困っておられるのは「神の預言者=イエス様」だと仮説して
おります。
イエス様が天界からその旨の信号を送ったとしても、正統派で
熱心なクリスチャンほどそのメッセージを受け付けることはない
と思料します。
引き続きグノーシス出身のヨハネ伝筆者(ヨハネ派集団)の登場
した時代背景と彼らの動機をご一緒に調べて参りましょう。
PS
仏教では、釈尊の本来の教え(原始仏教)を改竄したのは
天才哲学者の龍樹(大乗の開祖)だという仮説を立てております。
その根拠は龍樹は「中論」の中で、「八不」の証明を行い、「因果の法」
から「運動」と「時間」を排除して「縁起の法」確立し、更に「空」
へと展開しております。
良いスレですね。
30 :
前世は一在家 :2010/02/28(日) 08:31:21 ID:he4THsZX
>>28 なお、「イエス=神の御子」というならば、私も同意します。
天界にいた神の御子が現界に降臨され、やがて肉体を脱いで
天界に戻り父神の横に座るという意味です。
死海文書の中には旧約聖書も含まれており、年代測定法では
イエス様存命中の時代が表されており、現存する最古の旧約
と認定されております。
以下、クムランテキストと呼び、従来のマソラテキストや
七十人訳テキストと区別致します。
(クムランテキスト、申命記32:8)
「至高なるおん方は、人類を分けられたとき、国々を割り振られた。
おん方は、神の子らの数にしたがい民族の境を固定された。」
おん方(天の父)には、神の子ら(複数の御子)がおられることを
意味しております。
もし「イエス=神の御子」を天の父と同格の存在とみなしますと、
複数の神の御子達も天の父と同格になり、複数の神的実在者(多神)
に言及したことになります。
31 :
前世は一在家 :2010/02/28(日) 09:49:48 ID:mDZbi+6K
余談ですが、「出エジプト記」でのエジプトに下ったヤコブの 子孫の数は3つのテキストで異なっております。 マソラテキスト:70人 七十人訳旧約:75人 クムランテキスト:75人 ※七十人訳と一致です この他にもマソラテキストと七十人訳旧約とで異なっていた箇所を クムランテキストで検証することができます。 特に「エレミア書」、「サムエル記」などには大きな相違点があり、 検証も興味深いですが、本スレタイから脱線しますので割愛します。
32 :
神も仏も名無しさん :2010/02/28(日) 16:01:10 ID:SpUir1SX
>>26 その書簡から断言できるのは、そのグループの信仰が様態論ではなかったことくらいじゃないでしょうか。
33 :
暇人 :2010/02/28(日) 19:35:03 ID:XyBgrBjZ
様態論というとWIKIによれば 「2世紀の終わりにあらわれたサベリウスは北アフリカのキレナイカ(現リビア東部)の出身で ローマで自説を述べて 一時は教皇ゼフィリヌスやカリストゥス1世の支持を受けるほどになった。 しかし後に神学者ヒッポリュトスがサベリウスの思想の問題点を指摘すると、 カリストゥス1世に破門されることになった。 (ヒッポリュトスはサベリウスにはじめ理解を示していた二人の教皇もまた 様態的モナルキア主義の持ち主だったとして批判している。)」 とのことだが これが本当であれば 様態論を最初ローマが支持してことになりますですね。 対抗教皇側が様態論を批判していたわけですね 1.110年頃、ヨハネ伝は成立していたが、まだキリスト者にとってイエスは神ではなかった 2.マルキンオンが最初に新約正典を編集した(修正ルカ+パウロ書簡)形式 (仮現説を提唱しイエスは神の顕現だから十字架で苦しまなかったと主張) 144年破門 3.172-173年頃、タティアノスが四福音書を一福音書に統合した『ディアテッサロン(四部合唱)』 という統合福音書が編纂され、エデッサを中心にシリア人たちに5cまで使用されていた。 停止したのはエデッサ大主教ラブラ。 4.マルキオンの改訂ルカ+パウロ書簡やシリアのディアテッサロンを批判して エイレナイオスが180年に付加も削除もなしの「四福音書」を提唱する 5.ロマ教皇ウィクトル1世(在位189-199)が、復活祭問題でアジア諸教会をすべて破門すると 火病するとエイレナイオスが調停に入り、ロマ最高と宥める。 ウィクトル1世は、ロマの優位性を解りやすい形にするために 伝統的なギリシア語ミサを廃止し、新奇なラテン語ミサに移行する 6次の教皇ゼフィリヌス(在位199-217)は グノーシス・ヨハネ書を先代教皇が導入した為、 つまり異端説と正統説が逆転したため、本格的な異端問題時代に突入することになる 7.サベリウスは教皇ゼフィリヌスやカリストゥス1世(在位217-222)の支持を得るが ヒッポリュトス(対立教皇在位217-235) が様態論と批判。
34 :
暇人 :2010/03/01(月) 08:20:33 ID:RHKEtEl/
教皇ベネディクト十六世の96回目の一般謁見演説によると
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message217.htm アフリカ人テルトゥリアヌス(160以前−220年以降)は197年頃からラテン語で
著作群を精力的に書いたらしいのだが
「一つの実体(una substantia)」と「三つの位格(tres personae)」という用語を導入したそうだ
これは後に三位一体の基盤となる用語だがテルトゥリアヌス自身は
三位一体など夢に思っておらず
1.「われわれが信じているのは、『一なる神』である」という一神論であり
2.イエスを「神の子にして真の人であるキリストの神秘」として捉えた
3.。「われわれは信じる。イエス・キリストは約束に従って御父を通して聖霊を遣わされた。
この聖霊は、弁護者であり、父と子と聖霊を信じるすべての者の信仰を聖なるものとするかたである」(護教論:ibid. 2, 1)
弁護者と書いているということはテルトゥリアヌスはヨハネを知っているの
だろうか。しかし彼にあつてはイエスはまだ神ではなく神の子である
しかし
「われわれはこの信仰の基準に従って、唯一の神が存在すること、このかたが世界の造り主に
ほかならないことを信じる。
このかたは、すべてのものに先立って生まれたみことばによって、無からすべてのものを造られたのである」
(『異端者への抗弁』:De praescriptione haereticorum 13, 1)
とテルトゥリアヌスという時、後代のキリスト者は、この先在の「みことば」を
容易にイエスと解釈しうるであろう
>>22 「エッセネ派」=「クムラン宗団」=「サドクの子ら」=「サドカイ派」という可能性もあるね。
36 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 10:28:05 ID:Fd28Sibf
それはない。 エッセネ派の彼がサドカイ派はまむしの子孫と 罵倒して洗礼を拒否したし。
37 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/04(木) 11:09:00 ID:nBgDpMMm
38 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 11:12:52 ID:uPHd9++c
イエスがエッセネ派じゃなくて、エッセネ派を批判する側だったと35は言ってるんだよ。 禁欲的なグノーシスがエロ集団と書かれたり、中世ヨーロッパでのうんこみたいなイスラム理解という事例もあるので クムランな人達が唯物論者チックに描かれていても不思議はない。 でもエッセネ派は隔地で修行タイプだから怪しいか。話を通そうとすれば、イエスより前の時代に 「サドクの子ら」を自称する集団がサドカイとクムラン宗団に分裂しておく必要がある。
39 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 12:18:19 ID:Fd28Sibf
イエスがエッセネを批判だって? 何を根拠に? 新約では師匠?ヨハネもイエスもパリサイ派とサドカイ派は度々批判だけど。
40 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 12:31:11 ID:Fd28Sibf
それからクムラン宗って? 死界文書の民はエッセネ派だしね。
>>38 エルサレムから死海沿岸のクムランまで、直線距離でたかだか20kmだ。
神殿に勧告を出せような特殊な地位だったらしいが。
42 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 12:43:04 ID:Qz/axqtX
もしイエスがエッセネ派だとすると、エッセネ派側からイエスについて あれこれ言った記載は無いのかな。あいつは修行やめて出て行ったけしからん奴だとか、 あの偉大なイエスはうちの教団から輩出されたんだ、とか。 身内からユニークな人物出したならそれについて何か発言して 初期の教父とかに叩かれてるとおもうんだけど。
43 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 13:07:21 ID:Fd28Sibf
三大派の中でエッセネ派は禁欲で有名だな。 イエスで宣伝するかな? 伝統的なユダヤ教で、聖なる食事の時は、ブドウ酒が先でパンが後。 しかしエッセネ派ではパンが先でブドウ酒が後。 イエスは最後の晩餐でどっちだった?
44 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 13:21:02 ID:Fd28Sibf
他の二派と違って、エッセネ派は動物をいけにえ とした罪の購いは認めていなかった。 イエスがエッセネ派出身ならば、十字架での購いは ナンセンスだと考えたたろうな。 それでも自分を遣わした天の父の思し召しには 従ったね。
45 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 13:30:39 ID:Fd28Sibf
自分でまいた種は自分で刈り取る。 この真理、法則を設定した神様が、 人間の犯した罪を動物の購いで消せる? イエスの十字架で消せる?
>>38 >唯物論者チックに描かれていても
復活を否定してた点? 当時のユダヤ社会では死は「その民に加えられ」る永遠の眠りで
あって、復活は一般的な考え方ではなかったから、別に唯物論的というわけでもない。
47 :
神も仏も名無しさん :2010/03/04(木) 15:03:48 ID:8UY5KQS8
天使と霊の否定は?
日本の保守主義が靖国の英霊を熱く語るのに心霊主義を持ち出す 必要がないのと一緒だろ。奴らは科学万能論者だ。人間ってのは、 とかく習慣的にしか考えないもんだから。
49 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/04(木) 17:07:42 ID:SyMgLfrF
それでもどっかの企業のCMでは 「科学は万能では無いが、人を救うことは出来る」と偽善的な広告を出しているな。
クムランの神殿への影響力はウィルソンの『死海写本』だ。 ウィルソンは「ルナン的伝統」を強調してるんだが、ウィルソン自身は 「ルター的伝統」だな。
51 :
前世は一在家 :2010/03/05(金) 00:08:33 ID:7mbm9mtY
>>45 人は神の似姿にて、全ての人に神の光の箇所が受肉しております。
そして同時に全ての人に闇の箇所も受肉しております。
だから義人でも罪人の要素があり、罪人でも義人の要素があります。
換言しますと人は自由意志にて神にも獣にもなりえます。
以上はユダヤ教の三大派の中のエッセネ派の考え方であり、
死海近くのクムランの洞窟から発見された文献に記載されております。
最近の死海文書の研究により、洗礼ヨハネはエッセネ派の可能性が
高く、イエス様は彼ほど偉大な人はいないと絶賛されていますから
元々はエッセネ派だった可能性が高いと思料します。
なおエッセネ派は動物を贖いとした人の罪の贖いは認めておりません。
イエス様が人の罪を贖う十字架は不自然かと存じます。
マルコ伝で「この杯(十字架の処刑)は取り除いて下さい。」と天の父に
祈られたこととも符合します。
子羊のいけにえにて贖いを認めるのはパリサイ派とサドカイ派でしょう。
52 :
前世は一在家 :2010/03/05(金) 00:09:53 ID:7mbm9mtY
1)洗礼者ヨハネは彼らが律法をゆがめたから洗礼を拒絶した 2)洗礼者ヨハネは彼らがマムシの子孫だから洗礼を拒絶した 新約を読んだ小学生のクリスチャンに何れが正しいか質問 しては如何でしょうか。 小学生の方が天国の門に入りやすいかも知れませんね。
53 :
前世は一在家 :2010/03/05(金) 01:00:00 ID:7mbm9mtY
>>43 >伝統的なユダヤ教で、聖なる食事の時は、ブドウ酒が先でパンが後。
>しかしエッセネ派ではパンが先でブドウ酒が後。
>イエスは最後の晩餐でどっちだった?
イエス様の最後の晩餐ではパンが先で葡萄酒は後でしたね。
54 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 04:10:36 ID:3ncrkKHt
>>53 在家氏は真光なのだから、「イエス様」などと「様付け」は止めたほうがよい。
それとも、真光の異本はイエスなのかね。
55 :
前世は一在家 :2010/03/05(金) 06:29:36 ID:iLJ/aJJe
>在家氏は真光なのだから、「イエス様」などと「様付け」は止めたほうがよい。 いつもイエス様、釈尊、中山みき様、と預言者の皆様に敬意を表しております。 また預言者ではない方々には、○○氏と呼ぶ事にしております。
キリストは洗礼ヨハネをエッセネ派と同定する歴史は長いからな。 「サドクの子ら」を「まむしの子ら」と罵声を浴びせるセンスがイカス・・・。
57 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 10:43:24 ID:D9/ax90H
>>55 >いつもイエス様、釈尊、中山みき様、と預言者の皆様に敬意を表しております。
三人とも、現代の精神医学的には、明らかな精神病患者。基地外に「様」を付
けて崇めるのは、滑稽だよw。
キリストは、の間違い。 ヨセフスの伝えるエッセネ派は、まんまクムランみたいな修道院生活だもんな。
また間違い、「キリストや」。ええちゅうねん… エッセネ派=サドカイ派説はマイ学説だからな?
60 :
神も仏も名無しさん :2010/03/05(金) 12:14:16 ID:uO1aCgeJ
サドクの子孫は祭祀。 洗礼ヨハネ、イエスは蛇だまむしだと罵倒した。 律法を守らなかっただけの理由ではない。 カインの子孫も関係するね。
61 :
前世は一在家 :2010/03/06(土) 18:40:54 ID:mDu+4wE3
「ロゴスとソフィア−ヨハネ福音書と初期教父への道」 大貫隆著、教文館、2001年7月10日発行 ↑もう絶版でしたが、やっと中古で入手しました。>暇人氏 ざっと流し読みしましたが、期待していた以上の深い内容のようです。 ただ、ミュンヘン大学神学部で博士号を取得した著者が、 東京大学大学院教授として講義した内容の編集とのことで学術論文的で 結構難解です。 これから、咀嚼できました箇所から何回にも分けて、少しずつ内容を お伝えします。 ■グノーシス主義のヨハネ解釈 ヨハネ文書(特に福音書)は成立後のグノーシス主義をどこまで前提し、 どのような教派と接触があったのか、無かったのか、今世紀の初頭以来の ヨハネ研究の未決の論争点であって、ナグハマディ文書の発見以後も決着が ついておらず、今後もつかないであろうとの著者の所感です。 私達がクリスチャン各位と本題で議論しており、シロクロがついておりませんが、 神学者達でもグレーだそうです。
62 :
暇人 :2010/03/06(土) 18:46:09 ID:YNF3/I8T
63 :
前世は一在家 :2010/03/06(土) 19:12:32 ID:rA3xQ9+6
>>61 (続き)
ただし逆に、グノーシス主義の側がヨハネ文書をどう読んだかは、実際の文献に
即して明瞭に確かめることができる。
例えばエイレナイオス「異端反駁」第一巻八章はプトレマイオス(ヴァレンティノス派)
の解釈を記載している。
彼はヨハネ伝1:1-9を転釈しながら、光の世界の四組八柱の神々の発生の次第を物語る。
「ロゴスにおいて生じたことは、命(ゾーエー)であり、その命は人々の光であった。」
光はイエス・キリストであり、その実体は光の世界の神々の一人だとプトレマイオスは
説きます。
64 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/07(日) 03:54:43 ID:ocU/sQ68
65 :
前世は一在家 :2010/03/07(日) 08:03:08 ID:pN2IqMtk
>>63 (続き)
■ドイツ神学派のヨハネ解釈
ドイツ神学派の中で教義史・教会史家のフェルディナント・
クリスティアン・バウル(1792-1860)を中心とした
新チュービンゲン学派のからのヨハネ伝の宇宙論・人間論・
キリスト論の共通する解釈を紹介します。
1)宇宙論
初めから二つの対立する原理、一方の神、ロゴス、霊、光と、
他方の悪魔、肉、闇とによって決定される。
2)人間論
人間には二つの種族がある。
一つは「神の子ら」であり、他の一つは「悪魔の子ら」、
「世の子ら」である。
前者は「霊の子ら」であり、肉から生まれたとしても、その内部に
神的な原理「神的光の断片」を持っている。
66 :
前世は一在家 :2010/03/07(日) 08:04:44 ID:pN2IqMtk
>>65 (続き)
3)キリスト論、救済論
ヨハネ伝のロゴス論は、グノーシス主義ヴァレンティノス派の
アイオーンの教説・神話を歴史化・単純化してイエスに転用している。
イエスは「世」を救うために到来したが、人類一般を救うののでは
なく「神の子ら」を救うためであり、彼の教えの信仰と不信仰への
「さばき」は「神の子ら」と「悪魔の子ら」との区別を具現化する。
ただし、このような一義的なヨハネ伝の解釈には無理があるとホルツマン
(アルバート・シュヴァイツァーの師)は指摘した。
「神の子らにまで信仰への意思の決断が要求されるのは、ヨハネ的な
形而上学から見ると首尾一貫していない。」と。
67 :
前世は一在家 :2010/03/07(日) 15:42:55 ID:ZkARQIcH
>>66 (続き)
■ヨハネ伝での光言語の多用
「光と闇」と「昼と夜」との対句を「光言語」と総称することにします。
(ヨハネ伝 1:5)
その光は闇の中にあって輝いている。闇はこの光をとらえることができなかった。
(ヨハネ伝 3:19)
光が世に出てきているのに、自らの業が邪悪だったため、人々が光より暗闇を愛したこと、これがさばきである。
(ヨハネ伝 8:12)
私は世の光である。私についてくる者は闇のうちを歩くことはなく、命の光を持つことになる。
(ヨハネ伝 12:46)
私を信じる人が、誰一人として闇の中に留まることのないよう、私は光としてこの世に来ている。
(ヨハネ伝 9:4)
私たちは昼の間に、私を派遣した方の業をなさなければならない。誰も働くことのできない夜がくる。
(ヨハネ伝 11:9-10)
人が昼間歩むならつまづくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし夜歩けばつまづく。
ヨハネ伝の筆者達が「光言語」を多用していることが分かりますし、「光言語」はグノーシスでも多用されます。
68 :
前世は一在家 :2010/03/07(日) 15:55:16 ID:ZkARQIcH
>>65 >2)人間論
>人間には二つの種族がある。
>一つは「神の子ら」であり、他の一つは「悪魔の子ら」、
>「世の子ら」である。
>前者は「霊の子ら」であり、肉から生まれたとしても、その内部に
>神的な原理「神的光の断片」を持っている。
洗礼を受けにやって来たパリサイ派とサドカイ派の人々を、洗礼者ヨハネ
は「まむしの子ら」と罵倒し洗礼することを拒否しました。
「まむしの子ら」と「悪魔の子ら」とが同義なのであれば問題ですね。
なお、死海文書では「すべての人は光の箇所と闇の箇所を宿す」といい、
「100%神の子」も「100%悪魔の子」も存在しないとのことです。
69 :
前世は一在家 :2010/03/07(日) 19:07:07 ID:ZkARQIcH
>>67 (続き)
■グノーシス主義の本質と光言語
グノーシス主義とは、有力な学説によれば、キリスト教の起源とほぼ同じ頃に、
しかも同じようにユダヤ教の周縁に発生し、キリスト教や一部イスラム教とも
接触しながら複雑多岐な展開を遂げた独特な宗教思想運動に対する総称である。
グノーシス主義の世界観と人間観の本質を一言で言えば、それは人間が肉体と
その中に閉じ込められた魂(あるいは霊)、すなわち本来の自己に分裂している
こと、その本来の自己がこの現実世界に居場所を持たないと信じることにある。
現実世界に対する違和感の中で、本来の自己がそれらを無限に超越する価値、
神性そのものであると信じるのである。
この意味での「人間即神也」がグノーシス主義の本質であると言ってよい。
教派の別を問わず、人間と世界に関する見方を多くの場合神話に言語化して
表現した。そこでもっとも重要な役割を演じるのが「光言語」、「光」と「闇」
を中心とする象徴言語である。
70 :
前世は一在家 :2010/03/07(日) 19:24:13 ID:ZkARQIcH
>>69 (続き)■エイレナイオスの自然観
グノーシス主義はキリスト教と接触して、二世紀前葉以降の
所謂「キリスト教的グノーシス主義」となったと考えられる。
旧約聖書の創造神を至高の救済神から切り離し、その下位に
おく神学のゆえに、当初から旧約の自然観との激しい相剋を
ひきおこした。
他方エイレナイオスは正統主義の代表的な反異端論者として
対決し、旧約以来の聖書的自然観を擁護・継承することを
自身のミッションの一部と考えた人物である。
※エイレナイオスとの対決は次週末までによく読んで、理解
できた内容から順次ご紹介致します。
71 :
神も仏も名無しさん :2010/03/07(日) 19:40:42 ID:cdHGp7RQ
シルさん?
72 :
前世は一在家 :2010/03/07(日) 23:11:59 ID:eBgh+p9M
グノーシスでは、イエス様は至高神が創られた御子達のお一方という 位置付けです。 イエス様より下位の御子としてソフィア(智慧という名の女神)が おられて、その女神が産まれたのが旧約の創造神と説かれております。 イエス様は旧約の創造神より上位でずっと昔から存在していたという ことで、キリスト教以上にユダヤ教からグノーシス主義は批判された ことと推察します。
73 :
神も仏も名無しさん :2010/03/08(月) 09:52:04 ID:oMk0cN8f
>>48 こういうこと言うと保守が顔を真っ赤にして怒るので、どんどん言いましょうね?
74 :
前世は一在家 :2010/03/08(月) 22:59:59 ID:BLemPHgY
>>63 ■ヨハネ伝での光言語の多用 とマルコ伝との比較
「光と闇」と「昼と夜」との対句を「光言語」と総称することにします。
(ヨハネ伝 1:5)
その光は闇の中にあって輝いている。闇はこの光をとらえることができなかった。
(ヨハネ伝 3:19)
光が世に出てきているのに、自らの業が邪悪だったため、人々が光より暗闇を愛したこと、これがさばきである。
(ヨハネ伝 8:12)
私は世の光である。私についてくる者は闇のうちを歩くことはなく、命の光を持つことになる。
(ヨハネ 12:35)
光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
(ヨハネ伝 12:46)
私を信じる人が、誰一人として闇の中に留まることのないよう、私は光としてこの世に来ている。
75 :
前世は一在家 :2010/03/08(月) 23:01:29 ID:BLemPHgY
(ヨハネ伝 9:4) 私たちは昼の間に、私を派遣した方の業をなさなければならない。誰も働くことのできない夜がくる。 (ヨハネ伝 11:9-10) 人が昼間歩むならつまづくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし夜歩けばつまづく。 ヨハネ伝の筆者達が「光言語」を多用していることが分かりますし、「光言語」はグノーシスでも多用されます。 一方、最古の福音書のマルコ伝ではこのような「光言語」は確認されません。 もしイエス様が光言語(光と闇の対句)を説法で用いられていたら、マルコ伝でも記載があったかと存じます。 以上の考察より、ヨハネ伝の筆者らはグノーシス出身者またはグノーシスと接触を持っており、 習慣的に「光言語」を多用していたことがマルコ伝との比較にてはっきりして参ります。
「光の形而上学」の方が通りは良いんだが、「形而上学」はいろいろ言われるからな。
ヨハネ福音書には光と闇の二元論のようなマニ教異端な印象はないな。 2〜3世紀の教会の人たちがグノーシス主義との論争を通じて、その 神学用語を自分たちのもののように駆使していたらしいのは伺い知れるが。 使徒信条は二世紀半ば頃に見られるローマ信条が由来。 >「使徒信条との比較による古写本中に伝えられたローマ信条のギリシャ語本文訳」 > > “ 我は〔天地の造り主〕全能の父なる神を信ず。 > 我はその独り子、我等の主キリスト・イエスを信ず。 > 主は聖霊と〔によりてやどり〕処女マリヤとより生まれ、ポンテオ・ピラトの > 下に〔苦しみを受け〕十字架につけられ〔死にて〕葬られ、〔陰府にくだり〕、 > 3日目に死人の中から甦り、天にのぼり、〔全能の〕父なる神の右に坐したまえ > り、かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。 > 我は聖霊を信ず。聖なる〔公同の〕教会、〔聖徒の交わり〕罪の赦し、身体の > よみがえり〔永遠の生命〕を信ず。 > アーメン ” > > *〔 〕内は使徒信条にて補足され、また順序変更された語句です。
78 :
前世は一在家 :2010/03/10(水) 19:24:00 ID:5XjRm/cx
>>77 >2〜3世紀の教会の人たちがグノーシス主義との論争を通じて、その
>神学用語を自分たちのもののように駆使していたらしいのは伺い知れるが。
だからと言って、イエス様の言葉「聖句」として福音書に「光と闇の対句」
を追加することは如何でしょうか?
私が同じことをしたら、「聖句改竄の大罪にて地獄へ落ちろ。」と
叫ぶいつもの方が登場するでしょうね。
(ご参考)四福音書とヨハネ書簡での「光言語」の記載回数
マルコ伝:0回
ルカ伝: 0回
マタイ伝:0回
※よって通常のイエス様の説法上では「光言語」は用いられていなかった。
ヨハネ伝: 7回 ※内2回は「昼と夜の対句」
ヨハネ手紙:4回
ヨハネ書簡の筆者のみがグノーシスと同じ「光言語」を多用して
おりますことが文献調査上で明らかですね。
筆者は日常「光言語」を用いる習慣があったのでしょう。
79 :
前世は一在家 :2010/03/10(水) 19:25:03 ID:5XjRm/cx
>>78 ■ヨハネ第一の手紙でも「光言語(光と闇の対句)」は4箇所
(1:5) 私達がイエスから聞いて、貴方に伝える訪れは、こうである。神は光であっ
て、神には少しの暗いところもない。
(1:6) 神と交わりをしていると言いながらも、もし闇の中を歩いているなら、私達
は偽っているのであって、真理を行っているのではない。
(2:8) しかも、新しい戒めを、貴方に書きおくるのである。そして、それは、彼に
とっても貴方にとっても、真理なのである。なぜなら、闇は過ぎ去り、真の光がすで
に輝いているからである。
(2:9) 「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお闇の中にいる
のである。
(2:10) 兄弟を愛する者は、光に居るのであって、つまずくことはない。
(2:11) 兄弟を憎む者は、闇の中に居り、闇の中を歩くのであって、自分ではどこへ
行くか分からない。
ヨハネ第一の手紙の筆者はヨハネ伝の筆者と同じ人物で、
グノーシス出身者かグノーシスの影響を受けた人 だということに
文献調査上でスポットライト「光」が当りますね。
私も別に「光と闇」の頻繁な言い回しがイエス自身のものとは思いませんよ(ですます調でお送りします)。 少なくとも、共観福音書では数箇所程度しか登場しません。パウロも余り使いませんね。 ローマ人への手紙でも共観福音書と同じくらいです。
ただ、イエスの神格化が問題なのであれば
>>77 のようにローマ信条が
聖母マリアについてをのぞけば、基本的にパウロ書簡と矛盾しない点が
問題なのだと思います。これはマルコ書の12.18-12.27などを片目に読み
ながら言ってるのですが。
82 :
神も仏も名無しさん :2010/03/10(水) 20:36:12 ID:hDm9+S3k
>前世は一在家 ヨハネ伝の記者は自分のことを愛された弟子と書いてる、 故に傲慢だからデタラメ、という主張はどうなったんですか。
ここで「ジェンダーのペルソナ化」という問題を喚起して置こう。 キリストの教え(マルコ書12.18-12.27他)を額面通りに受け取るなら、 ジェンダーというのは地上的なものだ。キリストが神を「父」と呼ぶ のは言葉の彩(あや)であって、神が男性であり妻がいるとかいう ことを言いたいのではないだろう。地上的なものとしてのジェンダー について、キリストの教えは男であるからどうしろ女であるからどう しろという事は言わない、言う必要がないからだ。 結婚の問題にしても、神が自然の摂理として男女というものを設 けたのだから、それに従えというくらいにしか言わない。 神の唯一子であるキリストと、その母であり、論理的帰結として神の 妻でもある聖母マリアという概念は、キリストと同時代人である パウロの書簡には登場しない。しかし、ローマ人への手紙を概観 すると、その萌芽は見える。 第七章を読んで気づくのは「律法を成就するために来た」キリストと、 律法を地上的なものとしかみなさないパウロの相違だ。「律法を成就 する」とは、律法を単に形式的な条文としてではなく、それを定めた 原点として精神そのもの、つまり信仰を重視することとでも言うべき だろうか。 ・・・俺は生まれてこの方、教会に近寄ったことはないから、こういう こと言って良いのか分からんがな。
84 :
暇人 :2010/03/10(水) 23:23:34 ID:p8OE+Evn
教会というのはある意味「神学」という【お約束】に立つ場所だから 出来あいのお約束から聖書を『再確認』するという作業になってしまうわけだけども このスレでは【お約束】を取り除いて 【お約束】がどうキリスト教徒によって構築されて行ったのかを検証するスレなので 色んな視点から書き込んでくれると嬉しいよ 「ジェンダーのペルソナ化」と関係するかどうかわからないが ヨハネ書がはじめて「聖霊」をペルソナ化したという問題が あるですね
85 :
暇人 :2010/03/11(木) 00:00:13 ID:bR6rHVbg
「神格化」の問題は 最初期に教会の実験を握ったのはイエスの家族だったのですよ 母マリア、弟ヤコブ、恋人のマリアもいたかもしれない。 弟ヤコブが最高幹部になった後のヤコブの後継者も イエスの家族(親族)から出たわけですね このイエスの家族からするとイエスは神ではなかったし イエスはマリアとヨセフの子であったわけです。 しかし彼らはエルサレムからペラを移住後 ユダヤキリスト教的異端としてキリスト教史から葬られてしまいます。
86 :
暇人 :2010/03/11(木) 00:06:55 ID:p8OE+Evn
さりとて ギリシア語話すユダヤ人の有名人であるパウロも イエスを神と思っていなかった 共観福音書もイエスを神と思ってなかった。 しかしマタイとルカは教会の実権がイエスの親族で占められるのに反対してか イエスがヨセフの子ではないという変わった作り話を付加します。 この付加はユダヤ教からイエス私生児の攻撃になる一方、 処女降誕という「神学」を産み、ついにはヨハネ書でイエスは神となってしまうわけです しかしイエスが神だとするヨハネ書がキリスト教に広がるのは 180年のエイレナイオス以後です。 この180年前後ロマがギリシア語ミサを捨てラテン語ミサに転換し ロマ教会の優位性を唱えだした時期です。
87 :
暇人 :2010/03/11(木) 00:14:53 ID:bR6rHVbg
つまり 元々の正統キリスト教とは イエスの親族を中心としたユダヤ教的伝統(神殿崇拝、割礼や律法遵守)を 大切にするヘブライニストたちだったが 神殿崩壊後、エルサレム教会から放逐されたため世界伝道をしていた 非割礼派のヘレニストたちに実権が移った。 とりわけアジア諸教会が元気であったが アジア的グノーシスがイエスを神とするヨハネ書を産むが アジアのメインラインはヨハネ書を無視した。 アジアで勝てなかったエイレナイオスは片田舎リオンに逃亡し リオンでヨハネ書を正統福音書の一つに入れることに成功する この成功はロマの権威を補強したのでロマと共に ロマの提携していたアフリカのアレクサンドリアで用いられ 三位一体教理に発展する。 その発展の過程でアジアの教学の中心であるアンティオケアと論争となり アンティオケアが敗れ異端と破門され 三位一体教理がキリスト教本流となった 乱暴に言えばこんな流れかと
>>85 「聖家族」が最初期の教会から、ある程度特別視されていた可能性については、
否定はしません。ただし、それは「預言者は故郷では尊敬されない」と言った
キリスト自身にとって、どうでしたかね。
なるべく、信頼のおける文献を基礎に論じたいと思いますが。
89 :
神も仏も名無しさん :2010/03/11(木) 01:07:02 ID:1SnZCp3y
もともと私生児→処女懐胎扱いって説はよく見かけますけど 普通の子供だったのに後付で「私生児と誤解される」出自にされた、 という説ははじめて見ますね。 マリアが恋人、というのはどこから?
私はヨハネ福音書にパウロ書簡とマルキオンのアンチ・セミティズムの影響を見ています。 神を「父」と呼ぶ者は「神の子」だけです。キリスト者は本来、全て神の子であるべきなのだと 思います。しかし、キリストを「神のひとり子」、つまり唯一の神の子としてしまうと、では一般の キリスト者はどうなるのかという矛盾が生じます。共観福音書には、このような矛盾は処女懐胎 の逸話をのぞけば余り感じられません。しかも、それはマタイ書とルカ書に限ったことです。 共観福音書には説教をしているイエスに、イエスの家族が面会に来る場面があるのですが、 マタイ書では、マルコ書にあるイエスの家族がイエスが気が狂ったと思い込んだという文面を 削除してします。イエスが自分の家族は信仰によってのみ定められるのであって「肉の家族」を 特別扱いしないと言明する場面は共観福音書に共通しているのですが、マタイ書とルカ書には 処女降誕の逸話があるからには、説教するイエスを家族が気が狂ったと思い込むのは矛盾が 生じてしまうからでしょう。 「イエスは神である」というような信仰の内実の極端な単純化は歴史的なキリスト教の本流ではない と思うのですが、しかし歴史的なキリスト教の中にもそのような流れは確かにあります。このような 意味での「イエスの神格化」と排除しても、キリスト・イエスのもたらした福音そのものを否定する ことにはならないと思います。
91 :
神も仏も名無しさん :2010/03/11(木) 15:45:21 ID:WQhgpfFT
>>90 >イエスのもたらした福音そのものを否定することにはならないと思います。
「イエスの福音」とは、具体的に何ですか。
イエス(キリスト教)の出現により、史上、無数の人命が理由なく失われ、
現在も失われつつあります。すべて「イエスの福音」なるものを熱心に信じた
結果です。「Good News」どころか、「The Worst News」だったことは確かでは
ありませんか。
最後の審判で、皆、地獄にたたき落とされますから何も心配しないで良いのですよ?
93 :
前世は一在家 :2010/03/13(土) 10:28:07 ID:W3TZu1bZ
>>86 暇人氏
>しかしイエスが神だとするヨハネ書がキリスト教に広がるのは
>180年のエイレナイオス以後です。
■エイレナイオスまでは真の弟子達が奇跡を行なったが
暇人氏の調査した内容のように、エイレナイオスが彼の著書を出すまでは
イエス様は「神の預言者」だと弟子にも家族にも認識されており、奇跡も
続出しておりました。
(証言者:エイレナイオス)
「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語を語り、
人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」
「真のイエスの弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体に
する人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」
(Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851))
ところが、エイレナイオスがヨハネ伝を支持してイエス様は「神自身だと」主張し
現代に至っておりますが、クリスチャンの間で奇跡は如何でしょうか?
奇跡は神様(天の父)が行なうものであり、神様と神の預言者とを「同格」視していては
奇跡も起こらなくなるというのが私の仮説です。
94 :
前世は一在家 :2010/03/13(土) 10:28:58 ID:W3TZu1bZ
(一服)釈尊の法を変えた者 イエス様の教えをヨハネ伝筆者、エイレナイオス、アタナシウスが 変えたというのが私の仮説ですが、同様に仏教でも釈尊の教えを変えた 者がいるというが私の仮説です。 天才哲学者の龍樹は著書「中論」の中で「八不(例、不去)」を証明し、 釈尊の「因果の法」を否定し、「縁起の法」を証明して「空」へと展開し 現代の大乗仏教では常識化しております。 簡単に言いますと、原始仏典に記載の「輪廻の法」、「因果応報の法」の ベースとなる「因果の法」におきまして、「運動」と「時間」が無いことを 机上(言語論理世界)で証明しております。 尚、原始仏典では釈尊の真の弟子達は三明智(または六神通)にて、 相手の心を読み、過去世まで遡ってカルマと苦しみの真因を見抜くことが できたと記載されております。現代ならばカリスマ・カウンセラーですね。 キリスト教でも仏教でも高弟の誰かが教え(真理、法)を改竄したとしたら、 奇跡も起こらなくなるのも当然かと存じます。
95 :
前世は一在家 :2010/03/13(土) 10:30:04 ID:W3TZu1bZ
>>89 >マリアが恋人、というのはどこから?
多分、フィリポの福音書を「ダビンチコード」は元ネタにしたと推測します。
「フィリポの福音書」32
「三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母と彼女の姉妹と
彼の伴侶と呼ばれていたマグダレネーであった。なぜなら、それぞれ
マリアという名前だからである」
「フィリポの福音書」55b
「主はマリアをすべての弟子達よりも愛していた。」
「弟子達が主に言った、『あなたはなぜ、私たちすべてよりも
彼女を愛されるのですか』。救い主は答えた。『なぜ、私は
君たちを彼女のように愛さないのだろうか。』」
PS パソコンが2台アク禁に巻き込まれて、ネットカフェにて亀レス。
96 :
神も仏も名無しさん :2010/03/13(土) 10:43:41 ID:vTwBhF1i
フィリポの福音書には肉的なアレコレを嫌悪する思想が盛り込まれてるので 恋人説に使うとグノーシスの人に怒られてしまいます。
97 :
前世はトマスでも :2010/03/13(土) 10:47:27 ID:W3TZu1bZ
>>92 >最後の審判で、皆、地獄にたたき落とされますから何も心配しないで良いのですよ?
皆さんは「最後の審判」はいつ来ると思っておられますか?
その時には死者達が生き返ります。
ヨハネ伝とトマス伝では、「死者の復活の日は既に到来!」という
認識で共通しております。
わざわざラザロの復活の出来事が明記されておりますので。
また、先に紹介しましたエイレナイオスの証言でも、他にも
死者の復活事例が目撃されていることが分かりますね。
>>82 >ヨハネ伝の記者は自分のことを愛された弟子と書いてる、
>故に傲慢だからデタラメ、という主張はどうなったんですか。
主張というよりも私の直感ですね。
神の啓示を受けて記載した筆記者(預言者)は太古から自身を
神に比べて取るに足らない存在だと卑下する場合が多いのです。
しかるにヨハネ伝は聖霊によって記載されたと言われる割には、
筆者が自己主張が強く「イエスに(最も)愛された弟子」と
ナルシスト的に自称しております。
私は、命が惜しくて裸で逃げ出した若者(マルコ伝筆記者)の
方に神様やイエス様への敬虔さ感じる次第です。
98 :
前世はトマスでも :2010/03/13(土) 10:52:34 ID:W3TZu1bZ
(一服)「イエス=神自身」としたヨハネ伝筆者のナルシスト性を検証。 福音書では作者はあのペトロ以上に「イエスに愛されたと匿名の弟子」 だと記載されております。 (ヨハネ13:34) 彼は最後の晩餐でイエスの胸に寄り添って、「裏切りものはだれですか。」 と直接尋ねました。 (ヨハネ19:26-27) 彼はペトロが逃げた後も、3人のマリアとともに十字架の傍らで立っていた。 更に母のマリア様を自分の家に引き取った。 (ヨハネ19:34) 兵士がイエスを槍で刺すのを見届けた。 (ヨハネ20:4) 彼はペトロよりも早く走って、先に墓に着いた。 (ヨハネ21:20) 彼は「イエスに(最も)愛された弟子」だと自己宣言します。
99 :
前世はトマスでも :2010/03/13(土) 10:59:35 ID:W3TZu1bZ
>>96 >恋人説に使うとグノーシスの人に怒られてしまいます。
グノーシスの人とは誰ですか? ヨハネ伝筆者ですかね。
現在のグノーシスの定義は正統派が規定しておりませんか。
その中に洗礼者ヨハネが罵倒した「まむしの子ら」はおりませんか。
暇人氏が提唱されましたように【お約束事】から解脱した時に、
「本当の人間(真我)」が表に出てまいりますので、また対話
致しましょう。
おあとはよろしいようで。 ネットカフェより
100 :
神も仏も名無しさん :2010/03/13(土) 11:05:42 ID:vTwBhF1i
フィリポ記者やこの福音書を使用していた人々です。
>>97 ■ あなたは黙示録に熱中しているようですが、その到来が早まることを
望んでいるからですか。
タルコフスキー 黙示録というのは、やがて起こるであろうことではありません。
それはとうの昔に始まったことなのです。問題にできるのはその終わりだけなの
です。私はただわれわれがどこまで来たかを見ているだけなのです。
・・・・・・黙示録というのは、「終わりの書物」ですから、悲しみにみちた思想は
そこからおのずとやってくるのです。チェルノブイリ(これはウクライナ語でにが
よもぎのことです)のタイプは、「にがよもぎの星」と関係があるのです。
「フランス・カトリック」1986年6月号
ピリポ福音書はナグハマディ出土のグノーシス文書だな。史的イエスの資料に
するのはどうだろう? 「史的」であるということは「科学的」であることは必ずしも
意味しないが。
1903> さて、パリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。
1904> イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女に造られ、
1905> そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、二人のものは一体となるべきである』。
1906> 彼らはもはや、二人ではなく一体である。だから、神は合わせられたものを、人は離してはならない」。
1907> 彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には、離縁状を渡せ、と定められたのですか」。
1908> イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。
1909> そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うものである」。
1910> 弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。
1911> するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることのできるのはすべての人ではなく、だだそれを授けられている人々だけである。
1912> というのは、母の胎内から独身者に生まれついているものがあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものである。この言葉を受けいれられる者は、受けいれるがよい」。
・・・マタイ書のこういう箇所は、マルコ書にはないのな。マルコ書はマルコがペテロから聞いたことを配慮なしに
素のまま書き記したものだとエウセビウスの伝承にはあるが。マルコ書のジェンダー問題については
>>83 。
っと、
>>102 のマタイ書19.03-19.09は、マルコ書からの引き継ぎだな。19.10以下はマルコ書にはない。
マルコ書12.18-12.27は、そのままマタイ書に引き継がれている。
グノーシス文書のイエスは「私は女を男にする」というようなことを言う。性意識の問題は常に
難問としてつきまとう。
自転車は速度が遅いとフラフラするが、ペダルを踏み込むと立ち直って真っ直ぐ進む。
イエスの教えでの欲望と信仰の関係もこれに似ているだろう。
104 :
前世は一在家 :2010/03/14(日) 19:10:49 ID:hz3WytJ5
※隣のキリスト教板で書いた内容を再掲します。 古代ユダヤ教はパリサイ派、サドカイ派、エッセネ派に分かれており 最初の2宗派は新約にも度々イエス様と対立する存在として登場します。 【死後の生】 (パリサイ派)死者の復活を信じた。 (サドカイ派)死者の復活のような奇跡を一切否定した。 (エッセネ派) 肉体は滅びるものであり、それを構成する物質は永遠ではないが、 霊魂は不死で滅びないと確信していた。 【運命(予定論)】 (パリサイ派) ある出来事は運命による業の結果であり、その他は人間側の自由意思に かかっている。 (サドカイ派)運命の存在を認めない。 (エッセネ派) いま存在しているものや、これから存在するもの、それらすべては知識の神 から来る。 神は、それらが存在する前に、それらの全体的な構想を考えられた。(宗規要覧3:15) (神の青写真に従って歴史が展開されるという意味でしょうか。) 参考:「死海文書のすべて」青土社
105 :
前世は一在家 :2010/03/14(日) 19:12:52 ID:hz3WytJ5
【エイレナイオスがヨハネの福音書を担ぐようになった経緯】 ・少年時代、師のポリュカルポスの許に身をおいていた。 ・師とともに全世界のキリスト教徒がカトリック(普遍的の意)と呼ばれる唯一の教会の一員になることを夢見ていた。 ・ポリュカルポスの師はヨハネ(ヨハネの福音書の筆者)だと聞かされていた。 ・よって後にヨハネの福音書の最初の擁護者になった(←ココ重要)。 ・ポリュカルポスはキリスト教党派をまとめる為に盟友ポティヌスをガリアの地に送った。 ・次に16歳から17歳だった弟子のエイレナイオスをポティヌスの許に送った。 ・167年冬、ローマの守備隊はポリュカルポスを逮捕。 ・当時86歳のポリュカルポス司教は闘技場で生きたまま焼かれた。 ・167年2月23日午後、ローマにいたエイレナイオスは突然「喇叭のような声」の啓示を聞き、師の最期を知った(←重要)。 ・十年後、20代のエイレナイオスは、キリスト教徒に対する集団暴行、拷問の末に野獣の牙、等を目撃した。 ・更に別のキリスト教徒が同じキリスト教徒の手によって迫害されていた。 ・「新預言」と呼ばれる信仰復興運動が起こり、「三人組」と呼ばれる者達は幻視や聖霊交感を訴えていた。 ・ローマからガリアに戻ったエイレナイオスは見る影も無くなったキリスト教共同体を見た。 ・そしてエイレナイオスは全ての真実を含む福音はただ四本の柱であると大胆に宣言した。 ・理由は「宇宙には四つの領域があり、四つの風がある。また預言者エゼキエルが神の王座を支える四つの生き物を見た」からと。 (註) ・今日の新約学者の中で、エイレナイオスの説に賛同するものは殆んどいない。 ・理由は四つの福音書は、トマスやマリアと同様に実際には誰によって書かれたのか全く分かっていない。
106 :
前世は一在家 :2010/03/14(日) 19:14:17 ID:hz3WytJ5
【アタナシウスと原罪】 ・エウセビウスの「教会史」によると、312年10月28日、神は異教徒である皇帝コンスタンティヌスの見上げる空にキリストの徴を現出せしめる奇跡を起こし、皇帝を信服させた。 ・皇帝はキリスト教を容認し、支援者になった。 ・そして諸宗派にとってカトリック教会を体現する者として名乗りを上げるものは誰かが問題になった。 ・司教アレクサンデルの元で18歳位の熱烈で戦闘的で一途な青年アタナシウスは秘書を務め、エイレナイオスの定式を受け継いで発展させていた。 ・まずアレクサンデルはアリウスの思想は異端だとして、彼を支持する全ての司教と司祭をアレクサンドリア教会からの破門を宣言した。 ・そんな時、皇帝から普遍的教会のための信教を作れというニカイアへの招待状が届いた。 ・アリウス派を拝するために、アレクサンデル派は「キリストは父なる神と同一の存在」という一フレーズを信教に入れるように主張した。 ・これにはそのような観念は極端で聖典にもキリスト教の伝承にも存在しない反論が出た。 ・だが、同一説を主張する者が優勢であった。 ・たった一つのフレーズを巡って論議が延々と続いていることに、嫌気がさしたに違いない皇帝は取り敢えずそのフレーズを入れて議論を早く終わらせろと促した。 ・皇帝の一声は決定的で、最終的に多数決で信教(公式協議)は決定された。 ・アレクサンデルの死後、アタナシウスは司教になるがやがて皇帝が彼の追放を承認し流浪になるが、皇帝の死後舞い戻り地位を回復する。 ・しかしアタナシウスは2年後に司教教会により追放され、十年後にまた舞い戻り、349年にまた追放され、361年に舞い戻り373年に死ぬまでその座にいた。 ・367年にアタナシウス司教は復活祭書簡の中でエイレナイオスのデッサンした指針を拡張する。
ポリュカルポス(69年頃-155年頃) マルキオン(100年?-160年?) エイレナイオス(130頃 - 202年) エウセビオス(260年? - 339年5月30日) エイレナイオスの時代はマルキオンが先行して現役で活躍してる時代。 マルキオンの神学についてはハンス・ヨナスの『グノーシスの宗教』に 解説があるが、割と込み入った話。
108 :
前世は一在家 :2010/03/18(木) 20:06:09 ID:N9VrJLmw
>>107 >エイレナイオスの時代はマルキオンが先行して現役で活躍してる時代。 そうですね、マルキオンは確かルカ伝のみを正統だと主張しましたね。 それをエイレナイオスは四柱が正統と主張して彼を批判しました。 ここ数週間、パソコンがアク禁なんでエイレナイオスの経緯や動機を 調べております。 彼は師と同じく、共通の正統教会を夢見ておりました。 正しい理解かどうかの実証は難しいですが、とにかく正統と呼ばれる ただ一つの解釈を作り、その解釈を守る組織「カトリック」を作る ことが彼の悲願でしたね。 また、週末にでもまとめてアップします。 ネットカフェより
マルキオンがルカ書を選んでヨハネ書は選ばなかったのは、 「異邦人の使徒」であるパウロの系譜を受け継ぎたかっただけ で、ヨハネ書がマルキオンの時代にはなかったわけではないと いうことかな? 単純な神学的傾向だけで判断したら駄目か。 確かにエウセビオスを確認すると、使徒ヨハネの福音書を著した 経緯も、事細かに記録されてる。素人学問はこれだから困る。 読まずに言ったら駄目だなぁ。以下、『教会史』から しかし、〔この者たち〕すべての中でマッタイオス(マタイ)とヨーアン ネース(ヨハネ)だけがわたしたちのために主の行動の覚え書き (ヒュポムネーマタ)を書き残したが、伝承によれば、彼らは必要に 迫られて書いたのである。マッタイオス(マタイ)は、はじめはヘブル 人に宣教していたが、他の人びとのところへ行こうとしたとき、 残された人びとのために母国語で彼の名を冠した福音書を書き、 自分の不在を補おうとした。マルコス(マルコ)とルーカス(ルカ)は すでにそれぞれの名を冠した福音書を出していたが、ヨーアン ネース(ヨハネ)は文書に書かれていない使信をつねに用いたと 言われる。※訳注「言われる」は口頭伝承 しかし遂に彼は、次の理由でそれを書いた。云々・・・
追加 最後の「文書に書かれていない使信」には「アグラフォス」というルビ付き。 普通、「アグラファ」と呼ばれてる言葉。
111 :
暇人 :2010/03/19(金) 07:59:38 ID:tcwflQYy
http://polylogos.org/philosophers/christ.html アウグスティヌスまでの教父と著作
エウセビオスは4C人なんだから、180年代の言説を考察する時
その証言になんら価値はない。
むしろエウセビオス証言の虚妄性を再確認する為に2Cを確認しているのです。
エイレナイオスの四福音書主義に先行、あるいは同時代として重要なのは
1.マルキオンの修正ルカ+パウロ書簡という形式
2.タティアノスの四福音書から一福音書を編纂したディアテッサロン
(シリア教会では5Cまで聖書として使用された)
3.アテナゴラスの定式
「神の御子(パイス)は、イデアと働き(エネルゲイア)における、御父の言(ロゴス)なのである」
四福音書が使徒の著述を元にしているとしも、どこまでが後代の付加が 入っているか分からないから難しいのは確かですね。 ヨハネ書における一貫した非ユダヤ主義的視点や、マタイ書における ユダヤ民族への呪詛のような箇所が、使徒の著述とは思いにくい。 いろいろ疑っていく挙げ句にQ資料とかの話になってしまって、コプト語 パピルス文書から歴史資料を見出したりしてるわけですが。
『使徒教父文書』講談社の中にパピアス断片集があって、 それによると、使徒ヨハネと長老ヨハネは別人と書いて ありますね。 読み囓りで整理しないで話をしてもアタマがゴタゴタになる だけですね(笑
一つ、見落としてはならないのは、戦後のグノーシス主義の 研究は実存主義的な思想潮流の基盤から出発している点な。 「反宇宙的現存在」という言葉は言うまでもなくハイデガーが 元になってる。ハンス・ヨナスが代表だが。 最近は、こういう哲学的な理解の基盤も希薄化してしまってる。
115 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 10:21:27 ID:e80keDjM
116 :
前世は一在家 :2010/03/20(土) 17:35:12 ID:ydofpqHn
>>111 暇人氏
>エウセビオスは4C人なんだから、180年代の言説を考察する時
>その証言になんら価値はない。
>むしろエウセビオス証言の虚妄性を再確認する為に2Cを確認しているのです。
彼は二ケーア公会議ではアタナシウスよりもアリウスを支持した
そうですが、両派ともヨハネ伝を担いでいたという点は同じであり、
その前にヨハネ伝を正統化したエイレナイオスの言説を考察するには
エウセビオスの証言もそのまま信じるわけにはいかないでしょう。
エイレナイオスは、マタイしか奉じないエピオン派を批判し、
ルカしか奉じないマルキオン派を批判し、更には様々な福音書を
リライトしてまとめあげて総合的な福音書を創ろうとしたタティアノス
を批判しました。
そして四つの福音書の明白な差異には目をつぶって受け入れることを
奨励し、「四つの福音書」を正統と主張したのがエイレナイオスですね。
117 :
前世は一在家 :2010/03/20(土) 21:11:53 ID:ydofpqHn
■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁T〜X) 以下に概要を箇条書きにします。 ・「ロゴス=イエス」は「知恵=聖霊」と共に「神の両手」であり、万物に先立って存在した。 ・神は無から世界の素材を創造し、御子と聖霊によって万物を形造り、最後に人間を「神の形と神との類似性に従って」創造した。 ・御子によってその肉体と魂に「神の形」を与えられ、聖霊によってそれに「神との類似性」が結び付けられて、「完全な人間」となるべく人間は創造された。 ・言わば「幼児」の状態にあった人間はその弱さゆえの堕罪によって、聖霊による「神との類似性」を喪失してしまった。 ・「神の両手」は人類を見捨てず、人間を教育しその完成に向けて成長せしむる為の「神の経綸」の為に働き続ける。 ・終末論的未来に、人間の「肉体」は「霊」によって復活させられ、神を見て不死性を与えられる。 ・人間は最終的に「神のかたちと神との類似性に従って」完成される。(W 38:3-4) ・御子が人間となった受肉の出来事に、人間が神化されて「神の子」となる完成が対応するのである。(V 19:1) 私もエイレナイオスを誤解していたようです。 彼が「人間が完成し神化する」と説いていたことが検証されたからです。 それでは、誰が「神と神の子=人」との間に線引きをしたのかということですが アタナシウスかも知れませんね。また調べてみます。
118 :
前世は一在家 :2010/03/20(土) 21:12:35 ID:ydofpqHn
>>117 ■エイレナイオスの新約聖書論
以下に彼が現在の正典四福音書を正統と主張した根拠の概要を示します。
現代の神学者達を納得させられる論理性は無いようです。
・全世界は「四つの領域」と「四つの方角」から成っているように、教会も「四つの支柱」を持たねばならない。
・ケルビムの四つの生き物がいる。(エゼルキエル書1:5-10、黙示録4:7)
・ヨハネ伝は、ロゴスの受肉を述べるから最も王的な「獅子」
・ルカ伝は、祭司ザカリヤの話で始まるから生贄にもされる「雄牛」
・マタイ伝は、イエスを人間として描くから「人間」
・マルコ伝は、霊のように鋭く飛ぶように迅速に叙述するから「鷲」
・ヨハネ伝はモーゼ以前の族長時代、ルカ伝は律法以後の旧約時代、マタイ伝はロゴスが受肉した時代、マルコ伝は聖霊が派遣されている時代を表わす。
エイレナイオスは真剣だが、一見便宜主義的な「数合わせ」に思われる。
119 :
暇人 :2010/03/21(日) 00:39:39 ID:eUqOeM6S
http://www.aquilax.net/canon_2c.htm に拠ると
1.エビオン派はヘブル人福音書とマタイ伝を偏重(『新約聖書正典の成立』、荒井献編、教団出版局、第四章「エイレーナイオス」は大貫隆筆、p205)
2.マルキオンはルカだけ
3.マルコ伝だけを偏重するのはキリスト仮現論的(『書物としての新約聖書』、田川健三著、p98)
4.ヨハネ伝を重んじるのはグノーシス主義の派のうちいくつか(ヴァレンティノス派含む)
イエスの親族を最高指導者とするエルサレム教会は、ペラに移住しており
ペラに産まれたエビオン派との関連がきになるところです
私は「イエス→弟ヤコブ→親族シメオン(イエスの父ヨセフの弟クロパの息子)」
の系譜がエビオン派となったと思います。
つーか初代教会である正統派教会が後に正統派を自称するロマなどにから
エビオン派として排斥されたのである、と
120 :
前世は一在家 :2010/03/21(日) 05:46:24 ID:Ct9espdw
■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁T〜X) 以下に概要を箇条書きにします。 ・「ロゴス=イエス」は「知恵=聖霊」と共に「神の両手」であり、万物に先立って存在した。 ・神は無から世界の素材を創造し、御子と聖霊によって万物を形造り、最後に人間を「神の形と神との類似性に従って」創造した。 ・御子によってその肉体と魂に「神の形」を与えられ、聖霊によってそれに「神との類似性」が結び付けられて、「完全な人間」となるべく人間は創造された。 ・言わば「幼児」の状態にあった人間はその弱さゆえの堕罪によって、聖霊による「神との類似性」を喪失してしまった。 ・「神の両手」は人類を見捨てず、人間を教育しその完成に向けて成長せしむる為の「神の経綸」の為に働き続ける。 ・終末論的未来に、人間の「肉体」は「霊」によって復活させられ、神を見て不死性を与えられる。 ☆人間は最終的に「神のかたちと神との類似性に従って」完成される。(W 38:3-4) ☆御子が人間となった受肉の出来事に、人間が神化されて「神の子」となる完成が対応するのである。(V 19:1) 私もエイレナイオスを誤解していたようです。 彼が「人間が完成し神化する」と説いていたことが検証されたからです。 それでは、誰が「神と神の子=人」との間に線引きをしたのかということですが アタナシウスかも知れませんね。また調べてみます。
121 :
前世は一在家 :2010/03/21(日) 06:41:09 ID:Ct9espdw
■エピオン派 (参考:「ロゴスとソフィア」大貫隆著、教文館)
>>119 暇人氏
>私は「イエス→弟ヤコブ→親族シメオン(イエスの父ヨセフの弟クロパの息子)」
>の系譜がエビオン派となったと思います。
>つーか初代教会である正統派教会が後に正統派を自称するロマなどにから
>エビオン派として排斥されたのである、と
聖母マリアも含めたイエス様の親族の流れをくんだ「原始正統派教会」という
ことですね。大貫教授の著書より一部紹介します。
・ヘブル語で「貧しい者たち」を意味する名称の「エピオン」
・元来エルサレムの原始教団が一世紀半ば以後にユダヤ主義化を深めて生まれた。
・所謂「ユダヤ人キリスト教」の流れの一つである。
・一説によると外典の「ヘブル人福音書」を偏重。
☆イエスの超自然的な「処女降誕」を否定し、旧約聖書による予言証明(イザヤ 7:14)も否定。
☆パウロの使徒性を否定し、パウロ書簡を放擲した。
聖母マリアとイエス様をよくご存じだった親族が「処女降誕」を否定したということでしょうか。
これは大変重要ですね。>暇人氏、本スレの住人各位
122 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/21(日) 11:57:06 ID:5/+a30jz
有名なのは獣の数字666のネタだろうな。
>>119 マルコだけを持ち上げるのが仮現論的であるというのは、
荒っぽく言うと神様が「ほら、これが"完成品のキリスト"だ。
つべこべ言わずに受け取れ」という風に、人間に投げて
寄越すようなヨハネ的なキリスト観が前提になっているの
ではありかせんかね。遡れば、パウロの神学に行き当たる
と思いますが。
つまり、現場的な視線で見た受難劇のプロットがあまり
重視されずに、抽象的なキリスト論を中心に考えている。
「キリスト教」は、イエスが「聖書」と読んだ、「旧約聖書」の 世界から、なるべく「新約聖書」の世界を切り離したがる弊が あると思います。 イエスの時代の民衆のメシア待望論は、最低でもマラキ書を 参照しないと意味がありません。「キリスト」の概念は動的な ものであって、「キリスト」という概念の明瞭な定義を定められ れば何かが得られるというものでもないように思います。 イエスをキリスト(ここでは救い主という意味)であると信じる のがキリスト者であると思うのですが、そのイエスをキリスト たらしめているのは、まずもって、イエス自身の信仰である 点を見落とすべきではないでしょう。
ちょっと訂正、 >そのイエスをキリストたらしめているのは、 そのイエスをキリストであると信じるに相応しい人物たらしめているのは、
普遍救済説と万人救済説をごったにしたら駄目だよね。 前者は「信じる者は誰でも救われる」だけど、後者は「信 じなくても誰でも救われる」。
127 :
暇人 :2010/03/21(日) 16:35:13 ID:eUqOeM6S
>>121 イエスの弟の義人ヤコブはキリスト教全体の最高指導者だった。
パウロですらその権威を認めていたし
アンティオケア教会に来たペトロは義人ヤコブが派遣したキリスト者が
アンティオケアに立ち寄った際、それまでは非割礼の者たちと共に食事したのに
義人ヤコブの配下の巡視を恐れて非割礼の者と食事をしなくなったほどだった。
つまり使徒ペトロでさえ義人ヤコブの権威の前には野良犬同然であった。
しかし義人ヤコブが処刑された後のエルサレム教会は
エルサレムを捨てペラに移住した。
この移住は「エルサレム放棄」とキリスト教内で受け止められ
ペラに移住した主流派の権威は完全に失墜した。
マルコ伝がイエスをヨセフの息子ではなく、マリアの息子と記したのは
ペラ教会の指導者がヨセフの弟の息子のシメオンだったからではないだろうか
つまりイエスの親族が最高指導者である現実を否定するために
あえてイエスを「マリアの子」と読んだ。
ルカ/マタイは、この「マリアの子」という表記から私生児と読みこんだのかも
しれない
神様は慈愛に満ちた方でおられるので、 進んで地獄に堕ちたいというタコどもを 無理強いして天国に引きずり込むような 残酷な真似は決してなさらないでのある。
129 :
暇人 :2010/03/21(日) 17:47:31 ID:eUqOeM6S
オリゲネスはじめアレクサンドリア学派は 十字架の贖いの理の必然から万人救済説だったそうよ ところがマニ教徒のアウグスティヌスが自由意志論を展開して 「信ずる者だけが救われる」という論が勝ったらしいよ
そもそも生前のイエス自身に自分は神の子羊で全人類の罪の贖いである!という 意識はあったのでしょうかね。
イザヤ書ではメシアは「海辺の国々はその教えを待ち望む」という 普遍的救済者になるとある。それはある程度は常識だったんじゃ ないか? だから、異教の女と食卓からこぼれたパン屑の逸話が出てくる。
>>129 贖罪論をどう受け止めるかだな。
贖罪論=万人救済説とも限らない。
贖罪論を考えるなら、何より聖餐の場面(以下、マルコ書)。 1422> 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言わ れた、「取れ、これはわたしのからだである」。 1423> また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。 1424> イエスはまた言われた、「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 1425> あなたがたによく言っておく。神の国で新しく飲むその日までは、わたしは決して二度と、ぶど うの実から造ったものを飲むことをしない」。 1426> 彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけていった。 「これは、全ての人のために流す」ではない。異邦人の救いについては、イザヤ書の「島々」の一節が ある42章は有名だが、56章に新共同訳で「異邦人の救い」と小見出しの振った箇所もある。イエスの 時代には宗教的普遍主義についての意識は普通にあったと考えてもおかしくはない。 以下はマルコ7.26-29(他に同じ逸話があるのはマタイのみ)。 0726> この女はギリシャ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、娘から悪霊を追い出して くださいとお願いした。 0727> イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って 小犬に投げてやるのは、よろしくない」。 0728> すると、女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供た ちのパンくずは、いただきます」。 0729> そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出て しまった」。
134 :
暇人 :2010/03/21(日) 19:37:08 ID:eUqOeM6S
「多くの人に」は、 男性名詞・単数・与格なので テキスト通りの意味だと「女性」が省かれているのですよ。 古代人は「女性」を「多くの人」から排除していたつーことです。 イエスといっしょに食事した場面からイエスに従った女性たちが 省かれているでしょ。
135 :
暇人 :2010/03/21(日) 19:48:51 ID:eUqOeM6S
それと悪霊追い出しや癒しにおける「救い」と 十字架の贖いにおける「救い」は 同じ「救い」という語を使っていても 同様の「救い」とみなしてよいか議論が別れるところですね
136 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 20:11:27 ID:FVbF7yVi
そういえば女性の弟子を排除するどころか大切に扱ったはずなのに 最後の食事に女性がいないのは不思議ですね。
137 :
前世は一在家 :2010/03/21(日) 20:32:12 ID:myfTFxvg
>>130 >そもそも生前のイエス自身に自分は神の子羊で全人類の罪の贖いである!
>という意識はあったのでしょうかね。
私見ですが、イエス様は自身が「神の贖いの子羊」として利用される
ことを予知されて、ゲッセマネで「この杯を取り除いて下さい。」と
天の父に祈られます。
「蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」と説かれたイエス様が
「人類が積んだ罪を代理で贖う」と説かれるのは不自然ですね。
もしイエス様が神であれば、なおさら神が設定した罪を自ら贖うのは
不自然です。
結局、天の父の思し召しに従いましたが、イエス様は「レマ・サバクタニ」
と絶叫されて、世を去られました。
138 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 22:22:58 ID:NMosE80R
万人救済説で、信じなくとも誰でも救われるなら、 キリストの教えなんて、歴史の堆積の下に埋めて あるままにしとけば良いさ。
我々がそれに気づこうが気づくまいが、 勝手に救われてしまっているんだろう? それじゃ、わざわざ屋根の上で言い広める 必要もなかろう。
141 :
前世は一在家 :2010/03/21(日) 22:54:31 ID:myfTFxvg
>>138 >直接エイレナイオスから引用してるとは思えない。元にした本は何?
元にした本は、「ロゴスとソフィア」大貫隆著です。
「異端反駁」の下記の巻・章節の和訳だそうです。
W 20:3
X 6:1
X 28:4
X 1:3
T 10:1
W 38:3
V 19:1
>「蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」と説かれたイエス様が >「人類が積んだ罪を代理で贖う」と説かれるのは不自然ですね。 自分の面倒は全部自分で見て当然、という発想ならそうだろね。 できない奴は穢れ状態のまま居ればいいし、裁かれれば良い。自業自得だから。 そこで律法を守れない人に歩み寄り、重荷を背負ってる人を招き、病人のための医者になるのがイエス。 贖罪論というのは、神の側から基準で選り分けするだけじゃなく、人間に和解の切っ掛けを提供してくださるって発想なんでしょうよ。 宗教観・文化の違いを別にすればそれほど歪(いびつ)だとは思えないんだけどね。 >私見ですが、イエス様は自身が「神の贖いの子羊」として利用される >ことを予知されて、 少なくとも↑こういう悪意のぶつけ方をする気にはなれないな。 正直、揶揄っていうか「売り言葉に買い言葉」的なところがあるでしょ?
143 :
前世は一在家 :2010/03/21(日) 23:17:38 ID:myfTFxvg
■物語を預言に合うように捏造 ヨハネ伝ではイエス様を過ぎ越しの子羊にする為に、十字架の処刑日を 3共観福音書に記載の処刑日よりも一日前にしておりますことは指摘済み です。 またマタイ伝ではイエス様がエルサレム入城時のロバの数を2頭として おり、マルコ伝とルカ伝での1頭と違えております。 マタイ伝ではゼカリア書の「(あなたの王は)ロバに乗ってくる。 荷を負うロバの子、子ロバに乗って。」という預言にあわせたよう ですね。 もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって 記載内容が変更されることもないかと存じます。
悲しむべきことに、万人救済説に関してだけは、 キリスト教の福音原理主義右派派と意見が一致 してしまうらしい。
145 :
前世は一在家 :2010/03/21(日) 23:34:08 ID:myfTFxvg
>>126 >普遍救済説と万人救済説をごったにしたら駄目だよね。
>前者は「信じる者は誰でも救われる」だけど、後者は「信
>じなくても誰でも救われる」。
誰でも神の子であるから平等に救われる可能性がありますが、
信じていてもみ教え(真理)の実践が伴わなければ救われない
かと存じます。
見るからに「まむしの子」みたいな面の奴も多いがなw
見ないで信じる者は幸いである。 信じ得るのは疑い得るものだけであり、 疑い得ぬものは、事実に過ぎないからである。
148 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 23:23:54 ID:k4RFhQM7
アク禁にて亀レスにて失礼。
149 :
前世は一在家 :2010/03/25(木) 00:36:39 ID:l3/QPSTp
>>145 >誰でも神の子であるから平等に救われる可能性がありますが、
>信じていてもみ教え(真理)の実践が伴わなければ救われない
>かと存じます。
カラスの唄さんも似たことを言ってましたね。
150 :
前世は一在家 :2010/03/26(金) 06:43:28 ID:HYNS2+sA
>>145 >誰でも神の子であるから平等に救われる可能性がありますが、
>信じていてもみ教え(真理)の実践が伴わなければ救われない
>かと存じます。
神様を信じない唯物論者が、他人の悪口や批判をしても罪を積みます。
それはそのような法(もののあり方、真理)があるからです。
しかし、「神は愛なり」と信じている人が、他人の悪口や批判をした場合の
罪は唯物論者と比べて桁違いに多いと思料します(汗)。
2chで議論が高まると相手に怒りや憎しみの念が高まることも多いかと
存じますが、相手も神の子(神性・仏性を宿す)と信じていれば腹を立てて
罪を積むことも無いかと存じます。
>>135 キリストは奇蹟治癒では常に「あなたの信仰があなたを救った」と言うが。
0524> そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大勢の群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。 0525> さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。 0526> 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費やしてしまったが、なんのかい もないばかりか、すえってますます悪くなる一方であった。 0527> この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。 0528> それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。 0529> すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。 0530> イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの 着物にさわったのはだれか」と言われた。 0531> そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわっ たかと、おっしゃるのですか」。 0532> しかし、イエスはさわったものを見つけようとして、見まわしておられた。 0533> その女は自分の身に起こったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、 すべてありのままを申し上げた。 0534> イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。 すっかりなおって、達者でいなさい」。
153 :
前世は一在家 :2010/03/27(土) 18:03:01 ID:Bk6BIdba
>0530> イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、 >群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。 とても興味深い一節ですね。 イエス様がいつから聖霊をまとっておられたかは分かりませんが、 少なくともヨハネの水の洗礼を受けた直後に聖霊が鳩のように降下 されております。(マルコ伝 1:8-10) イエス様と十二弟子は掌から聖霊を放射する洗礼(バブテスマ)にて 病を癒し、悪霊を追い出されたことは有名ですね。 通常の人には見えませんが、オーラのように聖霊をまとっておられますので 着物にさわっただけで、否ある距離まで近付いただけで十分に聖霊の影響を 受けたことと推察します。
154 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/27(土) 20:08:44 ID:S5+zUj28
グノーシスは異端だがカルト化はしないな。
155 :
前世は一在家 :2010/03/28(日) 01:34:47 ID:dBR9VQkK
>>121 ■エイレナイオスの聖書証明と異端反駁 (参考:「ロゴスとソフィア」大貫隆著)
(異端反駁時の原則)
・新約からの引用が大半
・著書「異端反駁」の第T巻と第U巻では異端説を暴露し、その内的自己矛盾を暴露
・第V巻では四福音書と使徒行伝から引用して異端説を論駁した。
・第W巻では譬え話を中心とする「主の言葉」から引用して異端説を論駁した。
・第X巻では使徒的書簡及び譬え話以外の主の言葉から引用して異端説を論駁した。
(聖書証明時の原則)
・旧約の予言からの引用が圧倒的に多い
156 :
前世は一在家 :2010/03/28(日) 01:37:56 ID:dBR9VQkK
>>155 ■エイレナイオスの聖書主義的テーゼ
・新約と旧約は神の言葉と聖霊によって語られたものであるから完全である
聖書が述べることで無意味なものは一つもない(自己充足性、明証性)
・教えはすべての箇所で字句通りの意味である(一義性)
・全ての人にとって、信じられないまでも、理解はされ得る
・読むときに文章間の、文脈間の「秩序と関連」に注意を払うべし
彼の立場では、聖書解釈の為のあらゆる技術(解釈学)は本来不要となり、
聖書の本文を復読、復唱でよい訳ですが、下記のように一部不都合な事例
があったそうです。
(第二コリント)
4:4 この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、
神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないように
したのです。
文法的には、パウロも「至高神」と区別された「この世の神」の存在を
認めていることになり、グノーシス的で不都合ですね。
157 :
前世は一在家 :2010/03/28(日) 01:43:47 ID:dBR9VQkK
>・教えはすべての箇所で字句通りの意味である(一義性) >・全ての人にとって、信じられないまでも、理解はされ得る 私も聖句は当時の普通の人が読んで理解できなければ、信じて実践して 救われることはないと考えております。 当時の普通の人の読解力は、現代の小学高学年レベルでしょうか。 もちろん、智者に対しては行間に深い意味が伏せられていることは 否定はしませんが。
158 :
前世は一在家 :2010/03/28(日) 06:45:07 ID:dBR9VQkK
■トマスの福音書 (参考:「禁じられた福音書」ペイゲルス著) ヨハネの福音書と同じ頃(1世紀の終わり頃)に書かれ、正統派から 抹消された「トマスの福音書」が「死海文書」の発見より2年前の 1945年に上エジプトの洞窟で発見されました。 「死海文書」は旧約聖書と関係が深く、「トマスの福音書」は新約聖書 との関係が深いので一部対比して再度紹介します。 「イエスに受肉した神の光は全人類が共有している、何故なら私達は みな「神の似姿」に創られたからである」とイエス様は説かれたそうで 後世のグノーシス派の中でも参考にされているそうです。 「弟子達がイエスに言った、『どの日に死者の復活があり、どの日に 新しい世が来るのでしょうか。』 イエスが彼らに言った、『あなた方が待っているものは既に来た。 しかし、あなた方はそれを知らない。』(中略) 「もしも彼らがあなた方に、『あなた方はどこから来たのか』と言う ならば、『私たちは光から来た、光が自ら生じた場所から。そこで 光は彼らの像において現れ出た。』と言いなさい。」と。
159 :
前世は一在家 :2010/03/28(日) 06:46:13 ID:dBR9VQkK
>>158 死海文書にも全人類に神の光(神性)が宿っていることが説かれており、
また法華経の最高真理「全ての人に仏性あり」ともよく一致しております。
しかしヨハネ伝の筆者は、ただ独りイエスだけが神の光を世にもたらすと
主張しました。
トマス伝の筆者は、イエスに受肉した神の光は全人類が共有している、
何故なら人はみな神の似姿に創られたからであると主張しました。
神の似姿は万人の中に隠されているが、殆どの人はその存在に気づかないと。
そして勝利したのはヨハネの福音書で、トマスの福音書は異端として焚書され
幻の福音書になった次第です。
奇しくもユダの福音書の中でイエスが「あなたがたの内にいる完全なる人を
取り出して、私の眼前に立たせなさい。」と一致しているのはトマスの方に
なることはご理解いただけるかと存じます。
160 :
前世は一在家 :2010/03/28(日) 06:47:04 ID:dBR9VQkK
>>159 ■エイレナイオスの神学 (参考:「ロゴスとソフィア」大貫隆著)
以下にポイントを再度整理します。
・御子によって人の肉体と魂に「神の形」を与えられ、聖霊によってそれに「神との類似性」が結び付けられて、「完全な人間」となるべく人間は創造された。
・言わば「幼児」の状態にあった人間はその弱さゆえの堕罪によって、聖霊による「神との類似性」を喪失してしまった。
・「神の両手」は人類を見捨てず、人間を教育しその完成に向けて成長せしむる為の「神の経綸」の為に働き続ける。
・終末論的未来に、人間の「肉体」は「霊」によって復活させられ、神を見て不死性を与えられる。
・人間は最終的に「神のかたちと神との類似性に従って」完成される。(W 38:3-4)
☆御子が人間となった受肉の出来事に、人間が神化されて「神の子」となる完成が対応するのである。(V 19:1)
そしてヨハネ伝を正統化したエイレナイオスでさえも「人間は完成し神化する」
と説いていたことが確認されました。
後に正統派の聖書の解釈では「人間の神化」には否定的になるようですが、
アタナシウス以降で神学が変更された経緯を心ある皆様とトレースして参り
たいと存じます。
162 :
前世は一在家 :2010/03/31(水) 07:04:11 ID:u+hM8yIQ
>>160 >そしてヨハネ伝を正統化したエイレナイオスでさえも「人間は完成し神化する」
>と説いていたことが確認されました。
本スレが始まった頃は、「全ての人は神性を宿す」というエッセネ派の考えや
「トマスの福音書」をエイレナイオスが否定した経緯を調べる予定でした。
しかし、エイレナイオス自身が著書「異端反駁」の中で「人の神格化」を提唱して
いることを確認しました。
そこで、以降は誰が「人の神格化」を否定するようになったのかを調べる必要が
ありますが、その前に「人の神格化」を説かれた文献(異端として焚書)について
いくつか紹介して参りたいと存じます。
163 :
神も仏も名無しさん :2010/03/31(水) 08:19:29 ID:u+3qUcly
否定されてはいません
ttp://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/sekaikan01.html >「人が神に成る」という言葉は、それだけをとりあげた場合、かなり危険で誤解を招きかねませんが、
>しかし、「テオシス(神成)」は、正教会の教えの根幹にあるものです。人が神に成るといっても、人でなくなるのではありません。
>あくまでも人でありつづけながら、神の本性(愛とか自由とか永遠とか喜びとか力)をいただくことを言います。
>だから「テオシス(神成)」は特別な人にではなく、すべての人にとって関係することです。また何か特異なことをするのではなく、
>全く普通の信仰生活を励むことによってテオシスはなされていきます。普通の信仰生活とは、教会に参祷し、
>機密を受け(第5章@を参照)、聖書に耳を傾け、深く祈り、互いに愛し合い、赦し合い、助け合うということです。
>聖人はテオシスの栄光にあずかった人々ですが、しかし、罪の自覚、痛悔の心は逆にますます深くなっています。
>神がへりくだりの神であるように、テオシスされる人間はへりくだりをもちます。テオシスとは、
>言い換えれば人間がより人間らしく(神の像として)なることです。
164 :
神も仏も名無しさん :2010/03/31(水) 08:38:44 ID:3A8FBXRk
165 :
前世は一在家 :2010/03/31(水) 23:57:10 ID:GIgbw8Su
>>163 >しかし、「テオシス(神成)」は、正教会の教えの根幹にあるものです。
ご紹介を有難うございます、正教会のホームページを見て参りました。
エイレナイオスの神学でもある「人間は完成し神化する」 が正教会では
受け継がれていることを確認致しました。
隣のキリスト教板で「人は神性を宿す」というエッセネ派の神学を紹介
しました際には自称カトリックの方から悪魔崇拝だと批難されまして、
初期教父エイレナイオスの神学は受け継がれていないのかなと思い
ましたが、一部の教派には受け継がれていることが分かりました。
仏である釈尊が説かれた「すべての仏子はやがて仏になり得る」という法
は法華経に残されております。
神化されたイエス様が「すべての神の子はやがて神化し得る」という真理
を説かれたのであれば、聖者お二方の教えは符号します。
166 :
前世は一在家 :2010/03/31(水) 23:58:09 ID:GIgbw8Su
>>164 不勉強で申し訳ございませんが「エホバの証人」でも神化は説かれており
ますか。またご紹介下さい。
本スレでは、イエス様は神の御子であり、人も神の子であり、ただイエス様
は神化されていたということを確認するのがミッションかも知れませんね。
神の預言者達の多くは程度の差こそあれ神化されていた方々が多かったか
と思料します。
167 :
神も仏も名無しさん :2010/04/01(木) 01:05:38 ID:ir8yOfym
168 :
暇人 :2010/04/01(木) 02:10:35 ID:zQVyU3gp
「罪の自覚、痛悔の心はますます深まる」という正教伝来の【神化】 と 人を傲慢にする【神化】は区別した方がええのではと思います。 エホバの証人は論外でありましょう
169 :
前世は一在家 :2010/04/01(木) 06:37:40 ID:vzTAGMe3
>>168 暇人氏
>人を傲慢にする【神化】は区別した方がええのではと思います。
私も「実るほど頭をたるる稲穂かな」というような神格化を想定して
おります。
本スレではテオシス(神化、神成、神格化)は認めている方々が
多いことを確認しました。
このことが確認されましたら、イエス様が神自身なのか、神の預言者
なのか、神格化した神の子なのかはあまり拘る必要はないようにも
思料します。
また「全ての人は神化し得る」は異端として焚書された「トマスの福音書」
に記載のイエス様の教え(真理)でありますので、引き続き経緯を調べて
参りたいと存じます。
170 :
前世は一在家 :2010/04/01(木) 07:00:32 ID:hc9nceGv
>>169 「神の子」の定義を整理します。
至高神(または創造主)が生み出された神々は「神の御子」。
旧約(死海文書版)の申命記に登場する「神の子らの数に従い」
の場合の「神の子=神の御子」。
詩篇に登場する「汝らは神なり」も同様でしょう。
肉体のあり人類は「神の子」。
つまり「神の御子」は人類の創造以前から存在していたという
ことで区別はできるかと存じます。
イエス様は人類の創造以前から存在されていたと思われますので
「神の御子」であり、人に受肉された神の預言者、教師ということか
と認識しております。
そうそう、ヨハネ書の思想背景としての「ロゴス中心主義」は 重要な問題かも知らん。 0101> 初めに言[ことば/ロゴス]があった。言は主と共にあった。言は神であった。 0102> この言は初めに神と共にあった。 0103> すべてのものは。これによってできた。でたもののうち。 一つとしてこれによらないものはなかった。 0104> この言は命であった。そしてこの命は人の光であった。 0105> 光はやみの中で輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
饒舌な福音書だからな。「黙示録」とは正反対だ。
173 :
前世は一在家 :2010/04/02(金) 06:53:21 ID:UMavSMyk
(詩篇81) 81:8 わが民よ、聞け、私は汝に勧告する。イスラエルよ、汝が私に聞き従うことを臨む。 81:9 汝のうちに他の神があってはならない。汝は外国の神を拝んではならない。 81:10 私はエジプトの国から汝をつれ出した汝の神、主である。汝の口を広くあけよ、私は それを満たそう。 (詩篇82) 82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。 82:6 私は言う、”汝らは神だ、汝らは皆いと高き者の子だ。 私は旧約の神が他の神々に言及されたと認識しました。 カトリックではこの「神々」を裁判官達や為政者のように解釈しているという 解説も読みました。 後者であれば、イエス様以外にも「高き者(神)の子」が存在するということ になりますね。 ダン・ブラウンも著書「ロスト・シンボル」の中でこちらの意味で引用されてました。
174 :
前世は一在家 :2010/04/02(金) 22:33:06 ID:nxRkpzpq
(創世記) 1:26 神はまた言われた、「我々のかたちに、我々にかたどって人を造り、これに海の魚と、 空の鳥と、 家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとをおさめさせよう。」と。 こちらでも、「神は複数」になっておりますね。 旧約聖書の原語のヘブライ語において、「エル」とは単数形で「神」、複数形で「エロヒム」です。 また別の神様をさす言葉「アドン」の複数形は「アドナイ」だそうです。 詩篇以外にも旧約聖書には複数形の神々が登場しますので、またご一緒に確認して参りましょう。 本日ふと思ったのですが、もしかしたら有名なマルコ伝の「エロイ、エロイ、レマサバクタニ」と マタイ伝の「エリ、エリ、レマサバクタニ」ですが、本当は「エル(神)、エル、レマサバクタニ」 だったのかも知れませんね。
175 :
前世は一在家 :2010/04/04(日) 23:04:59 ID:VtY0Ordc
■トマスの福音書 (参考:「ナグ・ハマディ文書U 福音書」荒井、大貫、他) ヨハネの福音書と同じ頃(1世紀の終わり頃)に書かれ、正統派から 抹消された「トマスの福音書」が「死海文書」の発見より2年前の 1945年に上エジプトの洞窟で発見されました。 114章の内、42章は新約聖書に書かれていない未知のイエス様の言葉 (アグラファ)ですが、その中から重要と思われるものをいくつか 紹介します。 (トマス50) イエスが言った、「もし彼らがあなた方に、「あなた方はどこから来たのか」 と言うならば、彼らに言いなさい、『私たちは光から来た。そこで光が自ら 生じたのである。それは自立して、彼らの像において現れ出た』。もし 彼らがあなた方に、『それがあなた方なのか』と言うならば、言いなさい、 『私たちはその光の子らであり、生ける父の選ばれた者である』。 もし、彼らがあなた方に、『あなた方の中にある父の徴は何か』と言う ならば、彼らに言いなさい、「それは運動であり、安息である」と」。 ※すべての人が聖なる光から来たものであるとイエス様は説かれた。 ヨハネ1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 ヨハネ1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 (神の光はイスラエルの民の所へ来たが、民は受け入れなかったとの意味) (トマス51) 彼の弟子たちが彼に言った、「どの日に死人の安息が入り来たり、どの日に 新しい世が来るのでしょう」。彼らが彼らに言った、「あなた方が待っている 安息はすでに来た。しかし、あなた方はそれを知らない」。 ※ルカ伝17:21は「実に、神の国はあなた方の内にあるのだ」と。
176 :
前世は一在家 :2010/04/04(日) 23:06:55 ID:VtY0Ordc
>>175 (トマス70)
イエスが言った、「あなた方が内にそれ(光、本来的自己)を生み出すならば、
あなた方が持っているものが、あなた方を救うであろう。あなた方の内に
それを持たないならば、あなた方の中に持っていないものが、あなた方を殺す」。
(トマス77)
イエスが言った、「私は彼らすべての上にある光である。私はすべてである。
すべては私から出た。そして、すべては私に達した。木を割りなさい。
私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなた方は、私はそこに
見出すであろう」。
(トマス83)
イエスが言った、「像は人間に現れている。しかし、それらの中にある光は
父の光の像の中に隠されている。彼は現れるであろう。しかし、彼の像は
光によって隠されている」。
(トマス114)
シモン・ペトロが彼らに言った、「マリハム(マグダラのマリア)は私達の
もとから去った方がよい。女達は命に値しないからである」。
イエスが言った、「見よ、私は彼女を天の王国へ導くであろう。私が彼女を
男性にするために、彼女もまた、あなた方男達に似る活ける霊になるために。
なぜなら、どの女達も、彼女らが自分を男性にするならば、天の王国へ入るで
あろうから。」
177 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 16:31:15 ID:FZbuAv56
>>176 >「私は彼らすべての上にある光である。私はすべてである。
自分からぬけぬけとそんなことをいうイエスが、まず胡散臭いと思わなければ
ならない。これほど思い上がった、傲慢な言葉が、外にあるか。
光は闇に依存する。原初の創造は闇であった。
人間を光の中に長時間おけば、必ず発狂する。これに反し、闇は、生命力の
根源となる平安と休息と睡眠とを与えてくれる。
光が闇に依存することに思い至らず、光という言葉ばかりを口にする宗教者は、
イエスを初めとしてすべて胡散臭いと考えて間違いない。「真光」もその一例。
178 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 16:39:47 ID:FZbuAv56
人間の神性とは、各人の生まれながらの「生命」に存する。イエスなどの、見 知らぬ他人が入り込み、占拠したら、神性は忽ち破壊される。
179 :
前世は一在家 :2010/04/07(水) 23:22:41 ID:HT9MkRog
グーグルにて「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 EL」で検索すれば 「死海文書」版の申命記32:8の多くの解説を英語で読むことができます。 ★ Michael S. Heiserの論文その1 ”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?” 至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈したMark S. Smithの学説 も紹介しております。
180 :
前世は一在家 :2010/04/07(水) 23:24:08 ID:HT9MkRog
>>179 (はじめに)
The polytheistic多神論の nature of pre-exilic前追放 Israelite religion
and Israel’s gradual evolution toward
monotheism一神教 are taken as axiomatic自明 in current biblical scholarship.
This evolution, according to the consensus view, was achieved through
the zealous熱心な commitment of Israelite scribes who edited and reworked
the Hebrew Bible to reflect emerging monotheism and to compel強いる
the laity信徒 to embrace the idea.
One specific feature of Israelite religion offered as proof of this development
is the divine council会議.
Before the exile追放, Israelite religion affirmed肯定 a council of gods神々の会議
which may or may not have been headed by Yahweh.
During and after the exile, the gods of the council became angels天使,
mere messengers of Yahweh, who by the end of the exilic period was conceived
of as the lone council head over the gods of all nations.
Deuteronomy申命記 32:8-9 and Psalm 82 are put forth as rhetorical修辞的な evidence
of this redactional strategy and assumed religious evolution.
The argument is put forth that these texts suggest Yahweh was at one time
a junior member of the pantheonパンテオン under El the Most High至高神,
but that he has now taken control as king of the gods.
Mark S. Smith’s comments are representative:
181 :
前世は一在家 :2010/04/07(水) 23:26:03 ID:HT9MkRog
>>179 >至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈したMark S. Smithの学説
>も紹介しております。
死海文書と同じく異端として焚書された「ユダの福音書」も大戦後に発見され研究が進んでおります。
ユダ伝では、ある日弟子たちが旧約の神(Yahweh)に祈っているのをご覧になったイエス様が
「私は至高神の名を知っている」と微笑まれました。
「ユダの福音書」と「死海文書」とがシンクロし出して、真実が輝きだしているように感じます。
182 :
前世は一在家 :2010/04/12(月) 00:31:55 ID:iGYaiFfW
183 :
前世は一在家 :2010/04/14(水) 22:20:14 ID:CJ9NG4lR
ニケーア公会議後に異端として焚書されたトマスの福音書、マリアの福音書、 フィリポの福音書、そしてユダの福音書、死海文書はお互いに矛盾し反発し あうことはなく、むしろ一致し調和しております。 共通の真理「全ての人に神性が宿り、いつか神格化し得る」という点で。 この共通真理は異教の法華経の「全ての仏子はいつか仏となり得る」の 法とシンクロします。 そして正統派と認定されたヨハネ伝はイエス様のみが神の独り子としますが、 ヨハネ伝とヨハネ手紙を精査しますと著者は光言語(光と闇との二元論)を 癖として多用するグノーシスの影響を受けた人だということが検証されます。 更に死海文書(クムランテキスト)は至高神Elの子供たちの存在と、その中に ヤハエの存在を示しております。 ニケーア公会議が時間切れで多数決で正統と異端を決めたことも宗教史上で 明確になってきております。 21世紀の現代、神に欲心を与えられた人類が開発したコンピュータとインター ネットによって、ニケーア公会議が再検証されますことに感謝致します。 God be with you!
184 :
前世は一在家 :2010/04/17(土) 18:06:38 ID:yIrML3o8
>>99 >暇人氏が提唱されましたように【お約束事】から解脱した時に、
>「本当の人間(真我)」が表に出てまいりますので、また対話
>致しましょう。
「マリアの福音書」8より
救い主は言った、「人の子がいるのはあなたがたの内部なのだから、
あなたがたは彼の後について行きなさい。彼を求める人々は見出すで
あろう。それで、あなたがたは行って、王国の福音を宣べなさい。」
だが、ほとんどの弟子達は自分の内部に神を見出すと聞いて途方に暮れ、
悲しみにくれ大いに泣いたそうです。
ペトロがマリアに言う、「姉妹よ、救い主が他の女性にまさってあなたを
愛したことを私達は知っています。」
「フィリポの福音書」32
「三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母と彼女の姉妹と
彼の伴侶と呼ばれていたマグダレネーであった。なぜなら、それぞれ
マリアという名前だからである」
「フィリポの福音書」55b
「主はマリアをすべての弟子達よりも愛していた。」
「弟子達が主に言った、『あなたはなぜ、私たちすべてよりも
彼女を愛されるのですか』。救い主は答えた。『なぜ、私は
君たちを彼女のように愛さないのだろうか。』」
「フィリポの福音書」と「トマスの福音書」は特に「ヨハネの福音書」派
だったアタナシウスにとって邪魔であり、4世紀のニケイア公会議以降、
367年に廃棄するようにお触れ「復活節書簡」が出されました。
それから1600年間、幻の福音書でした。
しかし、上エジプトの修道士がこれらの福音書を壺に入れて洞窟に隠し、
1945年十二月にナグ・ハマディ付近でアラブ人農夫により発見された
という経緯があります。
185 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/04/20(火) 00:38:09 ID:2hp58LBq
186 :
前世は一在家 :2010/04/23(金) 22:21:18 ID:qdXYiWBW
>>185 >ファイズもグノーシスの偽書、外典ネタがたっぷり。
偽書も外典もエイレナイオス達の自己申告です。
実際に3共観福音書にはトマス伝の方がヨハネ伝よりも似て
おります。
そこから共通のイエス様語録のQ資料の存在が浮かび上がって
参りました。
187 :
前世は一在家 :2010/04/29(木) 20:02:24 ID:tWLEoGlp
■エイレナイオスの旧約聖書論 使用した旧約聖書は「七十人訳聖書」ですが、ユダヤ教側による 改訂版の方だそうです。 この改訂版の目的はキリスト教側のいわゆる予言証明に利用されない ようにすることだそうです。 改定前と改定後の事例をご存じの方はご紹介下さい。
188 :
前世は一在家 :2010/05/02(日) 23:58:38 ID:Qogv70Kw
暇人氏の調べた内容の一部(
>>85 ,86,87)を要約して、隣のキリスト教議論板
で紹介させていただきましたことをご報告致します。
189 :
前世は一在家 :2010/05/08(土) 09:45:00 ID:Vg7lnHJU
★マリアによる福音書 参考:「ナグ・ハマディ文書 U福音書」岩波書店 (内容構成) 1.救い主の弟子たちへの教え ・物質の消滅についての問いと答え ・世の罪についてのペトロの問いと答え ・人の死について ・内にいる人の子について ・宣教命令 ・法についての指示 ・救い主の退去 2.その教えに対する反応 ・救い主が去った後の弟子達の悲しみ ・マリアの勧告 ・ペトロのマリアへの要請 3.マリアが救い主から受けた啓示を語る ・幻について ・心魂の上昇の叙述 4.マリアの話に対する反応 ・アンドレアヌスの否定的反応 ・ペトロの同調 ・マリアの抗議 ・レビの叱責と勧告 ・弟子達の出発
190 :
前世は一在家 :2010/05/08(土) 09:47:00 ID:Vg7lnHJU
>>189 隣のキリスト教議論板で「原罪」が議論されましたので、マリア伝の該当箇所を
紹介します。
(・世の罪についてのペトロの問いと答え)
ペトロが救い主に言った、「あなたは全てのことを私達に告げて下さいました。
もう一つのことを私達に言って下さい。世の罪とは何ですか。」と。
救い主が言った、「罪というものは存在しない。本性を真似たこと、(例えば)
姦淫をあなた方が行うと、これが罪と呼ばれるが、(存在するのは)その罪を
犯す人、(つまり)あなた方なのである。この故にこそ、その本性の根のところ
へと本性を立て直そうとして、あなた方の領域にいかなる本性のもののところへも
善い方が来たのである。」と。
191 :
前世は一在家 :2010/05/08(土) 10:21:02 ID:Vg7lnHJU
>>190 >隣のキリスト教議論板で「原罪」が議論されましたので、マリア伝の該当箇所を
>紹介します。
(・心魂の上昇の叙述)
欲望が言った、「私はお前が降るところを見たことがないのに、今お前が昇る
ところを見ている。お前は私に属しているのに、どうして私を騙すのか。」と。
心魂が答えて言った、「私はあなたを見た。あなたは私を見たこともないし、
私を知覚したこともない。私はあなたにとって着物のようであったのだが、
あなたは私を知らなかった。」と。心魂は大いに喜びつつ、去って行った。
192 :
前世は一在家 :2010/05/15(土) 06:39:11 ID:oAXr0LJV
>>190 グーグルで「Gospel of Mary」にて検索すれば、英語で全文が読めます。
Peter said to him, "Since you have explained everything to us,
tell us this also: What is the sin of the world?" ,
The Savior said, " There is no sin, but it is you who make sin
when you do the things that are like the nature of adultery,
which is called 'sin.'
That is why the Good came into your midst, to the (essence)
of every nature, in order to restore it to its root."
193 :
前世は一在家 :2010/05/15(土) 06:40:19 ID:oAXr0LJV
>>191 And desire that, 'I did not see you descending, but now I see you ascending.
Why do you lie, since you belong to me?'
The soul answered and said, 'I saw you. You did not see me nor recognize me.
I served you as a garment, and you did not know me.'
When it had said this, it went away rejoicing greatly.
194 :
前世は一在家 :2010/05/15(土) 10:11:48 ID:oAXr0LJV
(・内にいる人の子について) マリア伝 P8 祝された方は皆に言葉を送った、「平和があなたがたにあるように。 私の平和を自分達のために獲得しなさい。護りなさい。何者にも あなた方を惑わさせるな。その者が『ここにいる』とか『そこにいる』 というようなことを言っても。 人の子がいるのはあなた方の内部なのだから。あなた方は彼の後ろに ついて行きなさい。彼を求める人々は見出すであろう。 それで、あなた方は行って、王国の福音を宣べなさい。」と。
195 :
前世は一在家 :2010/05/15(土) 10:13:48 ID:oAXr0LJV
>>194 When the blessed one had said this, he greeted them all, saying,
"Peace be with you. Receive my peace to yourselves.
Beware that no one lead you astray, saying, 'Lo here!' or 'Lo' there!'
For the Son of Man is within you. Follow after him!
Those who seek him will find him. Go then and preach the gospel
of the kingdom. "
196 :
前世は一在家 :2010/05/16(日) 07:30:51 ID://i6vTtK
>>192 マリア伝の「罪」に関する頁は分かりにくいの解説書で調べました。
人には肉的本性(欲心)と霊的本性(心魂)とがあり、霊的本性に反し、
肉的本性従った行為を行った時を「罪」を犯したと呼ぶだけで、本来は
「罪」などないという説法だとのことです。
換言しますと、「原罪」など無いということです。
続く頁でも、自分を欺く者(肉的本性)を愛するから、人は病気になって
死ぬのであるとイエス様は説かれております。
197 :
前世は一在家 :2010/05/28(金) 19:55:14 ID:k6MtHUdJ
>>173 >(詩篇82)
>82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。
>82:6 私は言う、”汝らは神だ、汝らは皆いと高き者の子だ。
>私は旧約の神が他の神々に言及されたと認識しました。
>カトリックではこの「神々」を裁判官達や為政者のように解釈しているという
>解説も読みました。
エイレナイオスの「異端反駁V」を入手して読み始めております。
上記の詩篇82における「汝ら」をエイレナイオスは「普通の人々」と解釈
しております。
神が人となり、やがて人が神となる、というのが彼の一貫した神学のようです。
198 :
前世は一在家 :2010/05/29(土) 00:03:24 ID:JDnqCtMe
(エイレナイオス著「異端反駁」第3巻、19:1) み言葉はその恵みの賜物のことを語った際、この人々に言った。 「私はいった、あなたがたは皆、神々であり、至高者の子らであると。 しかし、あなたがたは人間として死ぬであろう。」と。 み言葉はこれを子とする賜物を受け入れず、神のみ言葉が清い出生に よって肉なる人となったことを侮辱し、人から神に向かって昇っていく 道を奪い取り、自分たちの為に肉なる人となった神のみ言葉に忘恩の 態度をとる、人々に向かって言っているのである。 旧約の中で多神について説かれているとも思われた七十人訳詩篇81 (新共同訳82)をエイレナイオスは多神というよりも、全ての人々が 元々神であり、やがて神に向かって昇っていくと解釈していたことが 分かります。
199 :
前世は一在家 :2010/05/29(土) 00:40:03 ID:8lmWBO33
(エイレナイオス著「異端反駁」第3巻、11:8) 福音書はその数に関して、四つより多い数でもあり得ないし、 また少ない数でもあり得ない。なぜなら、私たちのいる世界の 方向は四つであり、主要な風(普遍的な霊)も四つであり、 他方教会は全地上にまき散らされていて、福音すなわち生命の霊 が教会の柱であり、支えであるゆえ、あらゆる方向から不死性を 吹き込み、人々を再び燃え立たせる柱を教会が四つ持つことは 理にかなうことだからである。(中略)ダビデもみ言葉の来臨を 求めて「ケルビムの上に座する方、姿を現して下さい。」と言って いる通りである。そしてケルビムたちは確かに四つの顔(エゼ1:6) があり、彼らの顔は神の子のわざの似姿である。 現代人から見て、四つがこじつけであることと、四つの顔の一つが ヨハネ伝である必然性がないことが分かるかと存じます。 また他の顔がトマス伝やマリア伝でないことも、エイレナイオスは 論理だって説明しておりません。
200 :
前世は一在家 :2010/05/29(土) 07:25:58 ID:8lmWBO33
(エイレナイオス著「異端反駁」第3巻、24:1) 神への上昇のはしごである聖霊が任されている。 創世記28:12 時に彼は夢をみた。1つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、 神の使たちがそれがそれを上り下りしているのを見た。 来るべき人の「神化」に備える力が聖霊であるという神学を エイレナイオスは度々語っております。
201 :
前世は一在家 :2010/06/04(金) 00:12:35 ID:ZMKZVDDF
エイレナイオスは人は神の似姿であるから、神化(テオシス)すると 度々説いております。 しかし、皮肉にも彼の担いだ(選んだ)ヨハネ伝ではテオシスは無理 だという方向にクリスチャン達をミスリードしていったように存じます。 最近のベストセラーの「ロスト・シンボル」でも、神化(テオシス)を扱って おりますので、一読をお奨めします。
202 :
前世は一在家 :2010/06/08(火) 02:06:36 ID:UivDzsj0
釈迦仏教にとって最大の歪んだサングラスは龍樹の「机上空論」だという仮説を 立てています。机上(言語論理世界)で空を論じた(証明した)という意味です。 自分の家族を見ても「本当はお前らは空で存在しないんだな。」とか、 「ビッグバーンも現在と同時に存在するのだよ。」とか、リアルな現実世界を バーチャル(言語論理学上)世界と見ているのに、本人はそれがリアルだと信じて 疑わない、そういうサングラスがあるかも知れませんね。 そのサングラスで世界を見れば、運動も時間も消え、因果の法は消滅しますので、 因果の法を説かれた釈尊に敬意をはらうことも無いでしょう。 産婦人科で自分の子供の出産に立ち会って「不生不滅」と称えて、感動もない 人を見かけたら、生きたいと「生命」に執着する人の方がずっとまともな普通の 現代人かと存じます。 そしてキリスト教を変えた最大のサングラスはヨハネ伝だとの仮説を立てて おります。 全ての人が神化し得るという真理を閉ざしつつあるからです。
203 :
前世は一在家 :2010/06/28(月) 00:31:31 ID:ScHibdF2
平行板で暇人氏が調べました教会史は論破されたと語る方がおられますので、
主な内容を「復活」致しましょう。
>>85 暇人氏
「神格化」の問題は
最初期に教会の実験を握ったのはイエスの家族だったのですよ
母マリア、弟ヤコブ、恋人のマリアもいたかもしれない。
弟ヤコブが最高幹部になった後のヤコブの後継者も
イエスの家族(親族)から出たわけですね
このイエスの家族からするとイエスは神ではなかったし
イエスはマリアとヨセフの子であったわけです。
しかし彼らはエルサレムからペラを移住後
ユダヤキリスト教的異端としてキリスト教史から葬られてしまいます。
204 :
前世は一在家 :2010/06/28(月) 00:33:06 ID:ScHibdF2
>>203 続き
平行板で暇人氏が調べました教会史は論破されたと語る方がおられますので、
主な内容を「復活」致しましょう。
>>86 暇人氏
さりとてギリシア語話すユダヤ人の有名人であるパウロもイエスを神と思っていなかった
共観福音書もイエスを神と思ってなかった。
しかしマタイとルカは教会の実権がイエスの親族で占められるのに反対してか
イエスがヨセフの子ではないという変わった作り話を付加します。
この付加はユダヤ教からイエス私生児の攻撃になる一方、
処女降誕という「神学」を産み、ついにはヨハネ書でイエスは神となってしまうわけです
しかしイエスが神だとするヨハネ書がキリスト教に広がるのは
180年のエイレナイオス以後です。
この180年前後ロマがギリシア語ミサを捨てラテン語ミサに転換し
ロマ教会の優位性を唱えだした時期です。
205 :
前世は一在家 :2010/06/28(月) 00:34:16 ID:ScHibdF2
>>204 続き
>>87 暇人氏
つまり元々の正統キリスト教とは
イエスの親族を中心としたユダヤ教的伝統(神殿崇拝、割礼や律法遵守)を
大切にするヘブライニストたちだったが
神殿崩壊後、エルサレム教会から放逐されたため世界伝道をしていた
非割礼派のヘレニストたちに実権が移った。
とりわけアジア諸教会が元気であったが
アジア的グノーシスがイエスを神とするヨハネ書を産むが
アジアのメインラインはヨハネ書を無視した。
アジアで勝てなかったエイレナイオスは片田舎リオンに逃亡し
リオンでヨハネ書を正統福音書の一つに入れることに成功する
この成功はロマの権威を補強したのでロマと共に
ロマの提携していたアフリカのアレクサンドリアで用いられ
三位一体教理に発展する。
その発展の過程でアジアの教学の中心であるアンティオケアと論争となり
アンティオケアが敗れ異端と破門され
三位一体教理がキリスト教本流となった
乱暴に言えばこんな流れかと
>>204 暇人の論拠はすべて枯れ個人の推測ですw
初代教会の資料はすでにAD一世紀末にはイエスを神として礼拝されていた事実が残されていますw
>>206 その事実を示すソースは?
そもそもキリスト教以外で、イエスが実在したという資料なんてどこにもないんだけど。ヘロデ王はあるのにな。
>>205 違いますねw
すでに一世紀末にイエズスを神として礼拝するように初代教会の教皇から指示が出ています
あと小アジアのヨハネ文書編纂グループは司教やローマと密接だったので異端ではありませんw
>>208 だから妄想じゃないなら、ソース出してくれよ。
211 :
前世は一在家 :2010/06/30(水) 23:52:57 ID:8pblXngy
>>206 終わりの日〜www各位(人格C=自称東大)
>暇人の論拠はすべて枯れ個人の推測ですw
そうですか? あなた自身(神の似姿)が
>>208 で暇人氏を裏付けしてますよ。
>>208 終わりの日〜www各位(人格C=自称東大)
>すでに一世紀末にイエズスを神として礼拝するように初代教会の教皇から指示が出ています
>あと小アジアのヨハネ文書編纂グループは司教やローマと密接だったので異端ではありませんw
3人格の中ではあなたは一番よく勉強していて、大変正直な方ですね。
本スレでは人格A(攻撃的なリーダー)とはできるだけ交替しないで下さいよ。
人格B(女性)との交替は了解です。
折角、クリスチャン達が皆で「ヨハネ文書」は聖霊により記載されたと見解を合わせている時に
「小アジアの編纂グループ」が登場したら、前提が崩れてしまいますよ(宗教史上では正しいけど)。
ヨハネ伝の筆記者は小学校も出てない「無学な漁師」が良いのです。聖霊による啓示というものは
そういうものです。 または、命が惜しくて裸で逃げた情けない小僧(マルコ)でいいのです。
「中卒」と対話相手を馬鹿にするようでは、聖霊降下はないかも知れませんね。
>>211 別に構いません
コアの部分は聖ヨハネの記述あるいは口述でも問題ないしな
手かざし殺人Mカルトの真光ジジイWWW
聖霊に夜をお前は真光の邪教センスで認識してるんだよ統合失調の被害妄想WWW
213 :
前世は一在家 :2010/07/01(木) 00:24:31 ID:sXSeogQe
>>212 >コアの部分は聖ヨハネの記述あるいは口述でも問題ないしな
また貴方の神性(ロゴスの受肉)が真実を語っておりますよ。
「ヨハネ伝のコア以外は当時の知識層で創作しました」とね。
光言語(光と闇の対句)を多用する、グノーシスの影響を受けた
編纂グループだったことは紹介済みですね。
本スレの過去ログで、ヨハネ伝とヨハネ手紙での光言語の使用回数
を具体的に紹介済みです。
>>213 だからどうして創作につながるんだよアホw
使徒ヨハネの証言を中心に 長老ヨハネやイエスに見えた生き証人たちの証言を
ひとつにまとめたのがなぜ創作になるんだよ阿呆W
グノーシスを意識して彼らとの差異をはっきりさせただけでw
小アジアのヨハネ文書編纂グループがグノーシスだったなんてまったく証拠ないですのでW
>>213 グノーススとキリスト教の光の意味合いが違うのw
グノーシスは個人の優越をそそのかす光Bる氏増えるの傲慢な知の光W真光と同じサタンの光W
キリスト教は愛の光 神と隣人をつなぐ光なんだよ殺人カルト在家W
216 :
神も仏も名無しさん :2010/07/01(木) 00:57:06 ID:LEaEg1k+
賢しらな「神学者」にもてあそばれる以前の 素朴な信仰者たち…そんな憧憬がみてとれる。
217 :
神も仏も名無しさん :2010/07/01(木) 01:09:39 ID:j+sn2DKt
ヨハネ伝は、トマス伝を意識して差異をもたせてある、 という説を紹介してたよね。少なくとも引用部分では サロメの主張を後押ししてるわけだ。
218 :
神も仏も名無しさん :2010/07/01(木) 01:16:43 ID:j+sn2DKt
>>207 キリスト教@質問箱229の345番目のレスより
>ローマ教皇クレメンス 第二の手紙(おそらく1世紀末か2世紀前半のもの中には「われわれはイエス・キリストを神とみなさなくてはいけない。」
>荒井献他訳『使徒教父文書』聖書の世界 別巻4(講談社 1974年)93
>ビテニヤの長官プリニウスAD112年「キリスト教徒は日の出まえに集まり、神に対するごとくにキリストに讃美歌を交唱し」
>F・F・ブルース『イエスについての聖書外資料』(教文館 1981年)31, 34頁
>スミルナの司教ポリュカルポス「われわれは神の御子なるキリストを尊び、キリストを礼拝する。」
>荒井献他訳『使徒教父文書』聖書の世界 別巻4(講談社 1974年)166頁
私もよく 浄土真宗にあわせて用語や言い回し使ってキリスト教の説明するんだけどねw 大慈大悲のイエズスの本願に頼み参らせる とかw でも私はクリスチャンW 真宗の門徒サンにだったらそう言い方するかもね まぁ在家って最初に下心と言うか結論あるからねぇw 頭も悪いしWWW このたとえも理解できんだろwww
>>218 あたしが出したやつだw
暇になったらそこら辺調べてみるわw
ポリュカルポスが決定的だわな 実質小アジアのヨハネグループの後継だから
>>215 訂正 光Bる氏増える→ルシフェル
>>215 貴方はグノーシスの光を理解していないと思われます。
グノーシスの光とは、命の光であり、真理の光。優越とか傲慢とかからは程遠いものです。
理解していると思うなら、グノーシスとは何か、自分の言葉で説明してみると良いでしょう。
>>221 しましたよ?w
お題目ではなく実質をみましょうねw
グノーシスも個人の超越を目指すものであって 知的選民思想であり
東方の仏教などと同じく だれも救われることのない夢物語でありますW
キリスト教の福音はまったく正反対
私たちのうちにある永遠の生命を誰でも得られ 復活によって誰もが永遠の身体を持てる
いや永遠の命によって今ここで御国に生きることが出来る
神との愛の関係の回復の道ですw
>>222 >グノーシスも個人の超越を目指すものであって 知的選民思想であり
ここまでは大体あっています。
>東方の仏教などと同じく だれも救われることのない夢物語でありますW
いいえ、違います。「それ(光、神性)」に気が付くことで誰でも救われます。
これはキリスト教でいうところの「イエス」や「道」と同じようなものなのでり、
福音と正反対ということはありません。
>私たちのうちにある永遠の生命を誰でも得られ
グノーシスでは、わたしたちのうちに「永遠の命がある」ことに自分が気が付くことで、誰もが救われます。
人からそう言われていることを信仰するのではなく、そのことを認識するわけです。
「富士山の山頂からの景色は素晴らしい」らしいと信仰するのではなく、
「富士山の山頂からの景色は素晴らしい」ことを体験・認識することが救いだとグノーシスは示し申し上げるのです。
つまり、それこそが示申というわけです。
>>223 いえ
ただの能書きです キリスト教では永遠の命は悔い改めて神の贖いを
信じるほかにありません
ただ頭で気がつくだけではダメですW
グノーシスは単なる形而上のお遊びに過ぎませんW
225 :
神も仏も名無しさん :2010/07/01(木) 14:21:17 ID:LHhEoOwA
ユダの福音書によると、人間には 奉仕させるためにミカエルから霊だけを与えられた人々と 誰にも支配されない存在(大いなる世代)としてガブリエルから霊に加え魂も与えられた人々がいる グノーシスは霊的選民思想でもある。
>>224 貴方がそう思ってしまうのは、認識できずに、信仰だけしているからです。
貴方はまだ気が付いてすらいないのです。
ヨハネによる福音書 / 8章 14節
自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。
しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
ヨハネによる福音書 / 8章 19節
あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。
ヨハネによる福音書 / 8章 55節
あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。
マルコによる福音書 / 8章 17節
まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。
マルコによる福音書 / 8章 18節
目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。
>>226 だからさw
古代の終末に流行した霊的スノビズムなのグノーシスはw
キリスト教は信仰であり全人類に開かれた神との契約に加わる
契約で流された御子の血によって救いに預かる
そして御神との愛の関係を回復する
これが使徒以来今日まで続いてきた福音の信仰であってw
わかったふり 覚醒wしたふりのごっこ遊びのグノーシス教とは根本から違う
グノーシス系の文書なんて古代にいたお前さんやてかざしカルト在家が自分らのために作ったに過ぎないのW
>>227 >キリスト教は信仰であり全人類に開かれた神との契約に加わる
>契約で流された御子の血によって救いに預かる
>そして御神との愛の関係を回復する
>これが使徒以来今日まで続いてきた福音の信仰であって
別にそれを否定はしていません。キリスト教においてはその通りだと思います。
ただ信仰しているだけでは、一般的には「認識」に到達できません。
なお、キリスト教の中でも、彼らが気が付いていないだけで、グノーシスと同じものがあります。
聖霊を受けるというのは、グノーシスでいうところの覚醒と同じようなものです。
貴方が聖霊を受ければ、そのことに気がつけると思います。
また、グノーシス系の文書というのは、真理や覚醒に至る「たとえ話」に過ぎなく、それらは無限に作り出すことが出来ます。
それは兎も角、
ヨハネによる福音書 / 20章 17節
わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る
イエスだけではなく、わたしたちもまた神の子なのです。
さて、貴方は父を知っているのでしょうか。
>>228 しってるよw
永遠の命って知的スノッブなグノーシス主義者が蔑むような
平凡で貧しい庶民にも今ここで与えられるもんですからw
いまこの場所が御国になる
御子なる神イエズスの贖いを信じ御父の愛を受け入れ聖霊を受ければねw
>>229 それは良かった。貴方が既に救われているならそれで良いと思います。
ただグノーシスによる救いもあるのです。
もし、貴方がそれは「ない」と思うなら、それは貴方がそれを知らないだけです。
231 :
神も仏も名無しさん :2010/07/01(木) 16:43:30 ID:B18rKy5a
ユダの福音書でイエスはヤハウェ拝む弟子を嗤ってたよね。
>>231 てかざしカルトがでっち上げたようなパチモン文書www
233 :
神も仏も名無しさん :2010/07/01(木) 16:52:14 ID:MmS5HER2
「救済」を宗教的満足としての意味にとどめなければ ヤハウェを真の神として祈り救われる救済と ヤハウェをヤルダバオート、低劣なデミウルゴスとした上での救済は両立しない。 グノーシス主義者もヤルダバオートに祈ることで救われるとは考えてないだろう。
234 :
神も仏も名無しさん :2010/07/01(木) 16:58:36 ID:MmS5HER2
>>232 一在家曰く、あの嗤いは「快活」らしい。
>>233 ヤハウェであろうとイエスであろうと至高者アイオーンであろうと、そんな名称はラベルに過ぎません。
そのような名前に向かって祈ったり、礼拝するのは、偶像崇拝者と同じ行為であることに気が付くことが重要だと思います。
グノーシスの「光」は、グノーシス系の文書はもちろん、イエスの言葉の中にも、旧約聖書の中にも見出せます。
グノーシスにおいては、キリスト教やユダヤ教や仏教、どんな宗教であろうと、また無神論者であろうと、救済の道が開かれているのです。
>>236 それは貴方が福音書にしか光を見出せないということに過ぎません。
>>237 内的光とか向上とかw
まぁ選民思想ってここちいいからねwww
>>238 キリスト教の天の国に入れるほどの「選民」ではないですよ。認識によって誰でも「選民」になれます。
聖霊を冒涜したとしても、少なくともグノーシスでは救われます。キリスト教では残念ながら救われません。
カトリックスレを見ていると自動破門なんてものもあるようですしね。
キリスト教名乗らないなら好きにやってw
241 :
前世は一在家 :2010/07/01(木) 23:26:42 ID:8iMw57QP
>>236 >在家は統合失調だからw
あのー、「3重人格者」に「統合失調」だと言われたら、正常だということですね。
それから、「永遠に焼かれる〜www」とか「終わりの日に永遠に焼かれる〜www」
というコテは止めた方が良いですよ。
この「獣」のようなコテで、「悔い改めて救われます」と宣言されても、天の父と御子
に大変ご迷惑がかかるのではないかと、異教の私でも思料します。
「汝の論敵を愛せよ。(許せよ)」ですから。
リーダー格の人格Aでない、人格B(多分女性)と人格C(自称東大生)の信仰心が
あれば、すでにお気付きかと存じます。
さて、この数カ月はエイレナイオスの神学を中心にして調べ、「異端反駁」まで読んで
おりますが、一つの疑問点が浮上しております。
Q.エイレナイオスが「トマスの福音書」を反駁した文献があるのだろうか?
確かに4福音書の中の一つを正統と見なす集団や、4福音書を融合して新しいものを
生み出そうとした集団を彼は異端として反駁しております。
そして突然、ケルビムの四つの生き物から、「4つやねん!」と宣言した訳ですが、
現代の常識人で彼の論理を肯定する人はまずいないでしょう。
>>241 勝手に思い込んでろよ阿呆w
現実逃避が醜悪www
>>241 ゲマトリアで4は完全数のひとつだからだよてかざしカルトジジイw
ていうか部落解放同盟の工作員暇人の受け売りでエイレナイオスに粘着って笑えるw
お前の論拠だったイエスを神とするのはエイレナイオス以降って言うの歯とっくに崩壊してるんだよ統合失調w
243 :
前世は一在家 :2010/07/01(木) 23:40:52 ID:8iMw57QP
>>242 人格Aは対話できないから、人格Cに交替して下さいよ。
共同生活教会の管理人さんへ。
初代教会の時代からすでにイエズスは神と認識されていた てかざしカルト在家の論拠はすでに崩壊していますw あとは牧会書簡 聖ペテロ伝聖パウロ伝など多彩な伝承や書簡を 編纂し ローマとも密接だった小アジア教会群がなぜグノーシス?www 統失隠居を追い込むかw
まぁ議論スレでやればいいかw 在家のキチガイ仲間の有本偽トマスもあっちにいるしw
246 :
前世は一在家 :2010/07/01(木) 23:59:14 ID:8iMw57QP
>>244 >初代教会の時代からすでにイエズスは神と認識されていた
ご自身では「人の子」でしたよ。
まあ、私もイエスは神々の中の御一方が受肉されたと信じております。
むしろ、神の子達の神格化の道を閉ざして、原罪を誇張したのが誰だったのかを
落ち着いて着実に検証して参りましょう。>住人各位
>>246 人間には神の養子の道が開かれているが 神格などもてません
ていうか神格なんて用語はないですねw
どうして手かざしカルトの統失在家って超人願望に凝り固まってるんだろうかw
それと
イエズスの人の子は 御父に対する謙遜だってw
>>246 >むしろ、神の子達の神格化の道を閉ざして、
私は歴史には詳しくはないですが、映画マトリックスではそのことを仄めかしていますね。
>>248 マトリックスってwwwwwwwwwwwwwwww
馬鹿かお前わwwwwwwwwwwwwwwww
エヴァでセンズリしてろwwwwwwwww
>>247 >ていうか神格なんて用語はないですねw
しん‐かく【神格】
神としての資格。神の地位。また、神の格式。「―化」
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
しんかく0 【神格】
[1] 神の地位。神の資格。
[2] 神の格式。神の階級。社格。
[ 大辞林 提供:三省堂 ]
>イエズスの人の子は 御父に対する謙遜だってw
ヨハネによる福音書 / 20章 17節
わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る
イエスだけではなく、わたしたちもまた神の子なのです。
>>249 一神教について語られた箇所を貴方は見出すことができなかったのですね。
>>250 キリスト教にはないって意味だよ害基地在家w
それとヨハネの神の子は養子の意味ですw
ローマ8:15
あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、
子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、
わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
つまり子でない時期があったから養子です
実子なら生まれつきであるはずです
この実子と養子の区別を表現して、「わたしの父、そしてあなたがたの父」と言われた(ヨハネ20,17)
といわれていますw
>>252 >キリスト教にはないって意味だよ
それはそうですね。でもグノーシス主義にはあるんですね。
>害基地在家w
誰かと勘違いしているのではないでしょうか。
>それとヨハネの神の子は養子の意味ですw
キリスト教の狭い考え方ではそうですね。
>>253 あw
ごめん誤爆^^;
独自の信仰としてのグノーシスに文句つける積もりないので^^;
すんません^^;
255 :
前世は一在家 :2010/07/02(金) 00:32:17 ID:89faP7iE
>>247 >イエズスの人の子は 御父に対する謙遜だってw
あなたの神の似姿がまた答えておりますよ。
イエスも神の御子達の御一方で、天の父とは同格でなかったということですね。
>>255 違います御子なる神は時間が始まる前から存在しましたw
ヨハネ17:5
「今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。
世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの
栄光で輝かせてください。」
ヨハネ17:24
「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわた
しのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなた
がわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに
下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。」
コロサイ1:15−17
「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのもの
より先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造
られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、
また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子
によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御
子のために造られたのです。 御子は、万物よりも先に存在し、
万物は御子にあって成り立っています。
で 害基地在家が信じる手かざしカルトw 岡田光玉 アトランティス霊障 ・・真光誌274 昭和60年7月号 P.20より・・・ ・・・結局、原因は恐るべき「集団霊障」である。 アトランティス大陸文明と ムー大陸文明とは、嘗て「原水爆」を使ってさえやったほどのものすごい大戦争 をしたのですが、さらには、「金星や他の遊星」にいた霊と現界に肉体を持った 人間界との闘争もあったのです。 それで、負けた方の霊統は、現在地上人に対して霊的に「非常な憎しみ」を持って しまった。 実を言いますと、それが随分「憑依」している。・・・一方、その霊が、 「他の星」からでさえ、人間に転生をして現代人の中に混じってきている。 例えて言えば、「ムー大陸に滅ぼされたときのアトランティス文明人」は、こんにち 憑依しているばかりではなく、実を言いますと、現界人に再生をしてきている。 これらに「怨みの集団霊が憑かる」のですから、ますますひどい憎しみの世界をつく っていく という関係があります。・・・・・
258 :
前世は一在家 :2010/07/02(金) 00:38:16 ID:89faP7iE
>>254 >すんません^^;
やはりこの人格Cは自称東大生に相応しい品位がありますね。
共同生活教会の1台のパソコンを共有するのもご苦労様です。
学生の頃、通った教会で原理講論を聞いた週末を今でも思い出します。
皆、節約に心がけて布教に熱心でしたね。
>>258 手かざしやりすぎると統合失調になるんだねwwww
ていうか害基地在家って宇宙戦争信じてるんだwwwwww
260 :
前世は一在家 :2010/07/02(金) 00:45:26 ID:89faP7iE
>>259 >手かざしやりすぎると統合失調になるんだねwwww
>ていうか害基地在家って宇宙戦争信じてるんだwwwwww
不思議ですね。貴兄がいくらwwwwを多用しても、敵意が
まったく伝わってこないですね。
やっぱり隣の板の人格Aとは別人だということでしょう
今晩は読書をしますので、対話はこれにて失礼致します。>住人各位
>>260 おそらくアタシはアトランティスだからwww
>>256 >>255 氏は、「時間が始まる前から存在」を否定しているわけではありませんね。
謙遜するということから、同格ではないという指摘をしているのでしょう。
ヨハネによる福音書 / 5章 30節
わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
ここだけではなく「父が子をお遣わしになった」というのは多々書かれています。
また、
ヨハネによる福音書 / 13章 16節
はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。
>>262 謙遜は
御子の位格として御父に
人間として天の神に
対してとってるんですよね
あと三位一体は神性=神の本質はひとつで三つの位格は
職務=役割として差があります
それ以外は平等です
これがキリスト教の三位一体の理解です
>>263 平等かどうかは、どこに書かれているのでしょうか。
キリスト教でも三位一体はもめた歴史がありますけどね。
大多数の教派が支持していることは知っております。
マタイによる福音書 / 22章 37節
イエズスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これはイエズスが神でないか、第一の掟が廃止になったのか、どちらかだと思います。
イエズスが「イエズスを愛しなさい」だと、「我を崇めよ」って言っているサタンと同じではないかと思います。
もちろん、これはキリスト教の考えとは違うのでしょうけど。
>>264 平等性はアタナシウス信条にあります
地上生涯のイエズスは御子であり人間です
父なる神を礼拝して当然です
>>265 子は父から生まれたのに、どちらが先でも後でもない、というのは理解するのが難しいと思いますが、
貴方はどのように理解されているでしょうか?
>>266 時間が始まる前ですからね
先もあともないでしょうw
>>267 では「生まれる」とはどういうことでしょうか。
>>269 「そこにいる」のは「父」の方ではないでしょうか。
父はなにものから成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。
子は父からのみ生まれたのであって、成ったのでも、造られたのでもない。
父が子から生まれたわけではないようなので、「生まれる」と「そこにいる」は違うことだと思います。
それとも、「生まれる」=「そこにいる」ということなのでしょうか。
仮にそうだとして、何故「生まれる」という、誤解を招く表現をしたかが問題になると思います。
>>270 アタナシウス信条で重要なのは みこが被造物ではないということです
イエズスが造られたわけでも 人間が向上して神となったわけではないということ
すると残るのは生まれたということです ただ時間が始まる以前の話なので
どういう経過があったのかは認識することは困難ですが
神の本性から御子の位格が聖霊のように湧出したと私は考えます
>>271 >アタナシウス信条で重要なのは みこが被造物ではないということです
>イエズスが造られたわけでも 人間が向上して神となったわけではないということ
キリスト教でそのように考えていることは理解しています。
グノーシスでも、それらは永遠から存在している「光」であり「命」であり「真理」であるわけですが。
>すると残るのは生まれたということです ただ時間が始まる以前の話なので
いえ、何故「生まれた」とするかということです。
どちらも存在しているだけなら、父と子に違いをつける必要はないでしょう。
「生まれた」は余計な概念ではないですか?ということです。
それによって、どういう差異を表現しようとしているのでしょうか。
>>272 ちょっとあれなのですが
質問は本来の位格のあり方ですか?
それとも受肉した御子についてですか?
どちらにしてももう寝るのでw
父と子の関係は御子が御父に従う従属関係にあるのですが
それは地上障害において御子がその職務を果たすためです
最後の審判が終われば御父と御子の従属関係は終わり
本来の愛の絆の関係に戻ります
父子聖霊は本来は愛によって結ばれている存在で神の本質
愛においてひとつだったのです
>>273 >質問は本来の位格のあり方ですか?
いえ、位格のあり方ではなく、どちらも永遠に存在しているのに、
何故片方にだけ「生まれた」という表現を用いたのかということです。
275 :
前世は一在家 :2010/07/06(火) 00:08:02 ID:F4/XczD+
エイレナイオスの著書を調べても、ネットで検索しても、スレで 質問しても、結局出て参りませんでしたね。 ユダ伝は異端反駁Tで反論したそうですが、トマス伝、マリア伝、 フィリポ伝への反駁が見つからないのです。 【一仮説】 もしトマス伝、マリア伝、フィリポ伝の筆記者が不明だと反駁すれば、 ヨハネ伝の筆記者も同じく不明だと指摘されるでしょう。 具体的な内容を引用して反駁すれば、幻の福音書の内容を「異端反駁」 の読者も確認して、どうして異端とされたのであろうか?と疑問視 され得るます。だから、引用はできません。 突然「正統は4つだ!」宣言をして、それ以外は異端だとせざるを得なかった。 エイレナイオスの崇拝者だったアタナシウスも各教会に書簡を送って これらの福音書群を焚書してこの世から葬りさることに成功したかの ようでしたが、神の経綸にて福音書群は次々に現代に復活して参りました。 現代語訳を誰でも読めるようになりますと、神格化では旧約聖書との 違和感もなく読めるのがトマス伝であり、原罪はないと説かれたマリア伝 でしたね。 もしかしたら、正統派や権威にとってのハルマケドンかも知れませんね。
276 :
神も仏も名無しさん :2010/07/06(火) 12:51:24 ID:OnYJWFFd
トマス福音書の成立は2世紀末だとか。遅くても二世紀初頭成立の ヨハネ記者がトマス伝をどうやって意識できるだろう。
>>275 この馬鹿w
ディオクレティアヌス帝が総力挙げてもキリスト教の福音書を全滅できなかったのにw
どうして一司教のアタナシウスが焚書できるんだよw
それに福音書の正典が決定したのはエイレナイオスの時代じゃまったくないw
おまえさぁw
マジで暇人の受け売りみっともないぞ?www
278 :
神も仏も名無しさん :2010/07/06(火) 16:33:47 ID:lPI/LpWk
279 :
神も仏も名無しさん :2010/07/06(火) 16:43:35 ID:lPI/LpWk
280 :
前世は一在家 :2010/07/06(火) 21:41:11 ID:kAvL6gpe
>>277 サロメさんか共同生活者
>ディオクレティアヌス帝が総力挙げてもキリスト教の福音書を全滅できなかったのにw
>どうして一司教のアタナシウスが焚書できるんだよw
着物を脱がせる(焚書)にディオクレティアヌス帝(北風)は失敗し、
アタナシウス一派(太陽)が成功しただけでしょう。
同じキリスト教の司祭が各教会に通達を出しましたので従ったのでしょう。
書簡を調べたら、従わない場合の罰則(罪)も明記されてたでしょうから
また調べておきましょう。
本当はこれはクリスチャンのお仕事ですね。イエスと初期教会をより
知ることができますので。
それから、トマス伝の方がヨハネ伝よりも古いとの見解が神学者達
(失われた福音書の著者と仲間の学者)からも出されております。
281 :
前世は一在家 :2010/07/06(火) 21:43:08 ID:kAvL6gpe
>>278 >>279 あなたはいいところまで調査が進んでおられます。
その先は神様のご加護がありますように。
>>280 意味不明ですね
ディオクレティアヌスは特にキリスト教の文書の捜索と焚書を徹底的に行いました
しかし現在正典となってる新約の文書はすべて無事でした
ディオクレティアヌスの統治下で帝国は安定し 盛時の勢いをつかの間取り戻していたので
その追求は苛烈でした
アレキサンドリアの一司教が 主にアリウス派を対象に官憲や軍事力を背景に行った異端文書
破棄運動とどちらが効果的か一目瞭然でしょうねw
そもそも当時は司教が違う司教区に指令を出すのは禁じられていましたのでw
本当にいい加減だな食堂の見本にかじりつく真光殺人カルト在家爺はwww
283 :
前世は一在家 :2010/07/06(火) 23:41:57 ID:SGnudHrv
>>282 >アレキサンドリアの一司教が 主にアリウス派を対象に官憲や軍事力を背景に行った異端文書
>破棄運動とどちらが効果的か一目瞭然でしょうねw
もしニケーア公会議で大勝利し、皇帝をバックにする前の一司教であれば、
あなたの論理も正しいでしょうね。
清和源氏のDNAを馬鹿にされませんように。
>>281 あのさぁw
それってアタナシウスがようやくアレキサンドリアに復帰したときの手紙でw
正典を決定したのはアタナシウス個人ではないしw
>ところが、先の『ニカイア公会議』で勝利したアタナシウス派は、
>その後、徹底した焚書を行った。エジプト中のキリスト教会に、
>正典以外のすべての聖書を焼きすてるよう命じたのである。
の根拠は?w
どう考えてもアリウス派対策ですよ?wこの当時はグノーシスなんかとっくに衰弱していて
アリウス派の脅威のほうがずーーッと大きかったんですけどw
都合がいいサイトつなぎ合わせてるんじゃねーよ真光ハゲwww
>>283 大勝利ではありませんし ニケア会議のときのアタナシウスはただの助祭ですw
またニケアの終了後もアリウス派の勢力は強大でしたw
マジで寝ぼけてるだろ真光ハゲ爺www
286 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 00:03:23 ID:SGnudHrv
>>284 サロメさん一派
>どう考えてもアリウス派対策ですよ?wこの当時はグノーシスなんかとっくに衰弱していて
>アリウス派の脅威のほうがずーーッと大きかったんですけどw
あなた方は、人格が多い分、お仲間が過去ログで言ったことを忘れることが
多いようですね。
過去ログで、アリウス派もヨハネ伝を含む4福音書を使用していたと
貴兄は言っておりますよ。
それでは「焚書」の必要は無いということでしょう。
もし違うならば、アリウス派がトマス伝、マリア伝、フィリポ伝を愛読して
いたとの文献があるかと存じますが。
>>286 あのさぁw
おまえアリウス派の規模知ってるか?w
アリウス自身やその高弟の文書 アリウスに組した連中の文書
野放しに出来ると思うのか?w
ほんととことん阿呆w
それと
トマスはね異端文書の特徴ありありなんだよw
グノーシスの主張に益する部分が不自然なほど詳細なんだよ間抜けw
真光ハゲの在家ってwアリウス派がグノーシスの偽福音書採用すると思ってる低脳www 基本的知識つけろよ爺さんwww
289 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 06:30:05 ID:ZJmcVhFm
>>288 前コテはサロメさん一派
>真光ハゲの在家ってwアリウス派がグノーシスの偽福音書採用すると思ってる低脳www
採用しないから、焚書の必要もないということを指摘しておりますが。
290 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 06:46:06 ID:g8Wf7g9s
>>279 のリンク先の書簡を見てみたが、燃やせとか破棄しろとは書いてないな。
旧約と新約の範囲を書いてるだけ。旧約続編にあたる諸書も加えるとある。
異端者の手による偽の書き物がある、と書いてある。以上。
抄訳だというなら教えてもらいたい。
>>280 >それから、トマス伝の方がヨハネ伝よりも古いとの見解が神学者達
>(失われた福音書の著者と仲間の学者)からも出されております。
どんな根拠で?
>>289 だーかーらーw
当時のアタナシウスの宿敵はアリウス派でwアリウスは結局復帰してるし
アタナシウスにとっては終生宿敵だった だからアレキサンドリアに
やっと戻れた彼にとっては アリウス派の排除こそ至上命題であったといってるのw
マジで自分に都合のいいように相手の文章読むんだなこの真光馬鹿はwww
>>290 真光馬鹿は名図いい加減な日本人のブログを見つけて その記事を受け売りに
アタナシウスの書簡の記事を見つけたんでしょうねw
だから当時の状況をまったく知らず アタシに突っ込まれても回答できないのよw
292 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 11:21:32 ID:kWCflulY
293 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 14:12:36 ID:QYgY/HQ7
295 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 21:09:39 ID:DY8+MOzz
>>290 >どんな根拠で?
例えばヨハネの筆者はトマスの福音書とフィリポの福音書を意識していた可能性
が伺えます。
根拠は(ヨハネ14:5)でトマスに、(ヨハネ14:8)ではフィリポに
結構愚かな質問をさせております。
最古のマルコの福音書には無いシーンをヨハネの筆者は彼のシナリオを演出する為に
追加した可能性が見受けられます。
ヨハネ14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。
どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
ヨハネ14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます。」
神学者のペイゲルス氏はヨハネの福音書よりもトマスの福音書の方が古い可能性が高いと
分析しております。 仲間の学者達にも同じ見解の人がいると。
その根拠はヨハネの福音書の筆者がトマスの福音書を意識して記載したと思われる箇所が
いくつか確認されたからだそうです。
ペイゲルス氏の著書「禁じられた福音書」にてご確認願います。>クリスチャン各位
296 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 21:12:32 ID:DY8+MOzz
>>292 >グノーシス文書の名前はあがってないし、「他の福音書」を「焚書、破棄しろ」という文面はない。
【アタナシウスと原罪】 ★該当箇所
・エウセビウスの「教会史」によると、312年10月28日、神は異教徒である皇帝コンスタンティヌスの見上げる空にキリストの徴を現出せしめる奇跡を起こし、皇帝を信服させた。
・皇帝はキリスト教を容認し、支援者になった。
・そして諸宗派にとってカトリック教会を体現する者として名乗りを上げるものは誰かが問題になった。
・司教アレクサンデルの元で18歳位の熱烈で戦闘的で一途な青年アタナシウスは秘書を務め、エイレナイオスの定式を受け継いで発展させていた。
・まずアレクサンデルはアリウスの思想は異端だとして、彼を支持する全ての司教と司祭をアレクサンドリア教会からの破門を宣言した。
・そんな時、皇帝から普遍的教会のための信教を作れというニカイアへの招待状が届いた。
・アリウス派を拝するために、アレクサンデル派は「キリストは父なる神と同一の存在」という一フレーズを信教に入れるように主張した。
・これにはそのような観念は極端で聖典にもキリスト教の伝承にも存在しない反論が出た。
・だが、同一説を主張する者が優勢であった。
・たった一つのフレーズを巡って論議が延々と続いていることに、嫌気がさしたに違いない皇帝は取り敢えずそのフレーズを入れて議論を早く終わらせろと促した。
・皇帝の一声は決定的で、最終的に多数決で信教(公式協議)は決定された。
・アレクサンデルの死後、アタナシウスは司教になるがやがて皇帝が彼の追放を承認し流浪になるが、皇帝の死後舞い戻り地位を回復する。
・しかしアタナシウスは2年後に司教教会により追放され、十年後にまた舞い戻り、349年にまた追放され、361年に舞い戻り373年に死ぬまでその座にいた。
297 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 21:13:26 ID:DY8+MOzz
>>296 ★367年にアタナシウス司教は復活祭書簡の中でエイレナイオスのデッサンした指針を拡張する。
★旧約と信じられている22の書物の目録と、新約の目録を挙げ、外典を拒絶せよと言った。
・最後にアタナシウスは、創造の際に形成された神の似姿を通じて神に直接接近しようとする者が出ないようにこの道を封じた。
・「言葉の受肉について」の中で、「神は元来自らの似姿に基づいてアダムを創ったが、人間の罪はその似姿を人間の力では回復不可能なまでに損なってしまった」と、アタナシウスは説く。
・後にアウグスティヌスはこの考えを発展させて原罪の理解に至る。
(引用:「禁じられた福音書」ペイゲルス*著、青土社、P48) *プリンストン大学宗教学部教授
PS
サロメさんは「権威の受け売りをするな」と批判し、自分は「東大の見解」と権威を利用。
同じく清和源氏と華族のDNAだそうですがね。
>>295 >最古のマルコの福音書には無いシーンをヨハネの筆者は彼のシナリオを演出する為に
追加した可能性が見受けられます。
おまえの感想だろうがw
確実な証拠もってこい馬鹿がw
>神学者のペイゲルス氏
ないないw
現実に写本がさかのぼって発見されてないんだから憶測だよ阿呆ww
>>296 だからどこにグノーシスがでて来るんだWWW
>エイレナイオスのデッサンした指針を拡張する。
だから正典の確定は違うってw
ニケアのあとw
マジでナニ駄文羅列してるんだよ本当に無能だわこの真光馬鹿ww
>>297 アタナシウス自身はほとんどグノーシスなんか眼中にないよねw
繰り返すけど彼が宿敵としたのはアリウス派であってw
アレキサンドリアにもアリウス派の有力なセクトが存在していたし
そこへアタナシウスが復帰するんだからまず教区の思想的統一を図るのは当然
まぁほとんどまともな根拠なく強引にグノーシスにむすびつけてるだけだわな真光馬鹿爺はw
300 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 22:54:22 ID:l6sJGB3E
775 名前:地獄直行偽トマス有本康夫と厨卒野郎と栗きんとん&康治と在家w[] 投稿日:2010/07/07(水) 23:09:31 ID:Webq4vu3
>>769 ハイ判明しましたw
エイレナオウスはユダの像を知識を鼻にかけ イエズスの意図が理解できる
そう思い上がった態度を批判していたわけですね 人間は自身の知性と理性では救われないという
一種の信仰義認です
でグノーシスのユダはその正反対ですからw
要するにグノーシスのユダは真光馬鹿在家でもあるわけですなwww
302 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 23:14:48 ID:l6sJGB3E
>>297 >★367年にアタナシウス司教は復活祭書簡の中でエイレナイオスのデッサンした指針を拡張する。
>★旧約と信じられている22の書物の目録と、新約の目録を挙げ、外典を拒絶せよと言った。
じっさい外典としてグノーシス文書挙げられてないよね。
単に拒絶するのと、焚書、廃棄に乗り出すのは違うよね。
303 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 23:21:26 ID:+nw48X1q
>>300 >トマス(れっきとした使徒)の描写とトマス福音書(彼らから見て異端思想)への評価とを
>結びつけることについて、どういう話をしたか?ちょっと↓を確認して思い出してほしい。
【過去ログ】
>>もし、トマスを「トマスの福音書」の著者と見なしていたなら、
>>トマスが回心した描写がなされることもない。(貴兄)
>
>ヨハネの筆者はトマスを「トマスの福音書」の著者とは見なして
>いないでしょう。(私)
過去ログを読み返しましたら、私が返事をしなかったので、貴兄がご自身で
結論を出したことが分かりました。
トマス伝の筆者はトマスでないことを、ヨハネ伝の編纂グループ(ヨハネでない)は
よく知っておりました。
ただトマス伝の内容が彼らがヨハネ伝のコンセプトとした内容に不都合だったので
トマス伝を批判する必要がありましたね。
そこでトマス(れっきとした使徒)の愚かさのエピソードを丁寧に3回も挿入して、
後ほど回心するというストーリーに創作されておりますね、と前スレで私がはっきりと
コメントしておかなかったことを深くお詫び致します。
神学者のペイゲルス氏達も同様にヨハネ伝筆記者達の執拗なトマスへの牽制を
指摘しておられました。
304 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 23:21:58 ID:l6sJGB3E
>サロメさんは「権威の受け売りをするな」と批判し、自分は「東大の見解」と権威を利用。 300のリンク先でも書いたが、ペイゲルスの論法はおかしい。 ペイゲルスに同僚の教授ジョン(仮名)がいるとする。ジョンは学生時代に同じ教授に学んだ学友だとする。 (学友の子供でも兄弟でも親戚でも友人でも後輩でも弟子でもいいが) ある日、彼が主張してもいない学説が「著者:ジョン」と偽って言い出されたとする。 その学説はペイゲルスにとって、かなり不快なものだった。悪口ぶちまけたいぐらいに。 ただし、ペイゲルスはその学説が実際はジョンによるものでないと知っている。 少なくともそう認識している。しかしどっかでイライラをぶちまけないとやってられない。 そんな矢先、かつて自分が師事した老教授と彼と縁ある人々について伝記を 書く機会がやってきた。 さて、このときペイゲルスはどうするだろうか。 @自分の気に入らない学説を説いたジョン(偽者)への恨みを果すためジョン(本物)をアホとして描く。 A少なくともそんなわけのわからないことはしない。 @を選択するような人物なら、肩書きは無意味といえるだろう。
305 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 23:26:34 ID:l6sJGB3E
>そこでトマス(れっきとした使徒)の愚かさのエピソードを丁寧に3回も挿入して、 >後ほど回心するというストーリーに創作されておりますね、と前スレで私がはっきりと >コメントしておかなかったことを深くお詫び致します。 トマス(本物)の人物像を悪し様に描くことが、トマス(偽)への批判に どう寄与するというのか?ヨハネ記者から見て両者は赤の他人だべ?
>>303 あのー^^
ヨハネ福音書は使徒ヨハネの残した草稿が基本となり 彼の弟子たちによって
成立されたと考えられるので ヨハネの福音書で問題ありませんw
グノーシスの筆者なんて知るかボケw
>神学者のペイゲルス氏達も同様にヨハネ伝筆記者達の執拗なトマスへの牽制を
指摘しておられました。
単なる感想文に過ぎませんねw
確実な写本が出てくれば別ですがwww
マジで頭大丈夫かおまえはww
307 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 23:31:04 ID:+nw48X1q
>>301 前コテはサロメさん一派
>ハイ判明しましたw
>エイレナオウスはユダの像を知識を鼻にかけ イエズスの意図が理解できる
>そう思い上がった態度を批判していたわけですね
また、聖霊があなたがたに働きかけたようですね。
「ハイ判明しました」と申告されましたから、引用文献を提示できることに
なりましたよ。
英語の文献でも結構ですから、「異端反駁」の該当箇所をアップして下さい。
住人各位とご一緒に確認させていただきますので。 さーどうぞ。
清和源氏のDNAであれば、潔くですね。
308 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 23:36:14 ID:l6sJGB3E
「トマス(れっきとした使徒)の愚かさのエピソード」を 「トマス福音書への批判」の要素として有効にするためには、 ヨハネ記者が、トマスはトマス福音書の記者(又は思想の説き手)だと みなしていなければならない。著者と赤の他人が馬鹿だったところで 著作を書いたのが馬鹿ということにはならないからだ。当たり前だが。 トマスの場合、改心までの期間に異端教義を作り説いていなければならない。 あるいは改心後しばらくしてから異端教義を作り説いていなければならない。 『ヨハネによる福音書』にそんなこと書いてあるか?
309 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 23:37:54 ID:+nw48X1q
>>304 貴兄は真面目に深く考察される方だとよく分かりました。
ジョン氏の譬え話は乙ですね。
受け売りの私ではなく、一度「禁じられた福音書」を読まれて、
ご感想をアップいただければ幸甚です。
310 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 23:42:35 ID:qzbzUvtc
>>309 ここで一在家が紹介したものと、ペイゲルスの著書に書いてある文面
での論法に変わりないのなら、意味をなさない。
311 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 23:46:31 ID:+nw48X1q
>>305 >トマス(本物)の人物像を悪し様に描くことが、トマス(偽)への批判に
>どう寄与するというのか?ヨハネ記者から見て両者は赤の他人だべ?
まったく、貴兄の言う通りです。「ヨハネ記者から見て」赤の他人ですよ。
でも、「当時の読者から見たら」どうだったでしょうか?
トマス伝の筆者は使徒トマスで、ヨハネ伝の筆者は使徒ヨハネですね。
マルコ伝の筆者と異なり、ヨハネ伝の筆者達は自尊心・自己顕示欲の
非常に強い者達だったことは何度もクリ板で提示しております。
啓示を受けた預言者は神への怖れから、通常は自分自身を取るに足らない
存在のように記載することが多いのですが、さてヨハネ伝では?
>>307 いや
別に目新しくもないキリスト教の正統教理による説明ですけど?
なにか問題でも?w
私の書き込みに不都合があるなら遠慮なく指摘してよ真光馬鹿w
313 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 23:52:57 ID:+nw48X1q
>>311 自称「イエスに(最も)愛された弟子」として、ヨハネ伝の中に
繰り返し繰り返し登場します。
更に4つの福音書におけますイエス様の最後の晩餐の日の相違を
皆さんで確認致しましょう。
マルコ:ユダヤ教の過越(すぎこし)の祭の第一日目
ルカ:ユダヤ教の過越の祭の第一日目
マタイ:ユダヤ教の過越の祭の第一日目
ヨハネ:ユダヤ教の過越の祭の前日←★ココに注目!
あれー、ヨハネの福音書の筆者のみ意図的に日を変えておりますよ。
勘の良い方であれば、なぜヨハネの福音書の筆者のみがこのように
大切な日を変更したのか、彼の狙いがお分かりかと存じます。
すなわち「過越の子羊」を準備する日にイエス様は死刑を宣告され
拷問を受け磔にされたというストーリーでなければ、
「イエス様自身が犠牲の子羊」というヨハネ筆者の信念が成就されなかった
という仮説が立ちます。
314 :
前世は一在家 :2010/07/07(水) 23:53:46 ID:+nw48X1q
>>313 この仮説の検証はシンプルです。
「(兵士達は)イエスのところに来ると、既に死んでおられるのを見て、
脚を折らなかった。」(ヨハネ19:33)
当然ヨハネの筆者は「出エジプト記」にある、犠牲の子羊の準備においては
「その骨を折ってはならない」という句は熟知していたからです。
検証が進みますと、結構「ヨハネの福音書」の異質性がはっきりして参ります。
補足ですが、ヨハネの筆者は最後の晩餐の時の「水で割った葡萄酒」の意味を
わざわざ明示しております。
「しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を突き刺した。すると
血と水が流れ出た。」(ヨハネ19:34)
>>311 お前の感想はいいからw
当時はすでに異端がはびこっていたし元来福音書などは教会に所蔵され
朗読されるものだった
得体の知れない異端の書物なんでw
グノーシス教自体の信者は富裕層だったらしいから彼らが個人的に
彼らの教本を所蔵していた可能性はあるけどねw
グノーシス文書が一般の中流以下の信者の目に触れることはなかったでしょうねw
>>313 はいw何度論破してもすぐ忘れるオバカサンw
ヨハネだけ暦が別だったんですよ?常識よこんなのw
317 :
神も仏も名無しさん :2010/07/07(水) 23:57:19 ID:qzbzUvtc
>>311 >でも、「当時の読者から見たら」どうだったでしょうか?
著者の意識の話だよね。読者の中にどんなアクロバット解釈する人間がいようと、
それによって著者の考えもそうだったということにはならない。たとえ人格がどうであれ。
それから下の文章は、トマス(真)への評価とトマス(偽)の福音書への批判とが
どう結びつくか、という話とは全く無関係な方向に飛んでいってしまっている。
あと
>>313 からの話題のシフトの仕方が露骨すぎ……そんなにこの話題から話を逸らしたいか。
>>314 ん?
死亡してれば骨折る必要ないしw
血と水も医学的に説明がつくしw
あのさーw
もっと下調べしろよ間抜けwww
>>318 やっぱりサロメだったか。
その言動が、イエズスの御心に適ったものかどうかよく考えなさい。
321 :
前世は一在家 :2010/07/08(木) 06:54:05 ID:LzNDyiBd
>>316 前コテはサロメさん一派
>はいw何度論破してもすぐ忘れるオバカサンw
>ヨハネだけ暦が別だったんですよ?常識よこんなのw
本当に正直な人ですね。また聖霊が働いて告白されましたね。(快笑)
そうですよ、「ヨハネだけ」聖霊による啓示とは「別だったんですよ」
これからは常識ですね。
>>321 聖霊の問題ではなく暦の問題
ヨハネ書編纂グループの主力が小アジアなどの都市にあるユダヤ居留地に
移ったことも大きいでしょうねぇw
Zそうたってなんでも聖霊の啓示とか大げさにするw
詐欺師の典型的な手口だわなwww真光馬鹿在家爺w
>>320 うざいよ子猫殺し気仙沼のファンファンリラックマwww
323 :
神も仏も名無しさん :2010/07/08(木) 09:27:42 ID:QqQ57YU8
>>322 >うざいよ子猫殺し気仙沼のファンファンリラックマwww
いい加減に、誰かと勘違いするのはやめていただけないでしょうか。
前↓も、全然関係のない他人と同一視されましたが、違います。
それに議論の相手を敵視し、罵倒したり悪口を書くのはやめませんか。
その言動が、イエズスの御心に適ったものかどうかよく考えなさい。
253 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/07/02(金) 00:17:04 ID:66dTdaO3 [2/9]
>>252 >害基地在家w
誰かと勘違いしているのではないでしょうか。
254 名前:終わりの日に永遠に焼かれる偽トマス有本康夫www[sage] 投稿日:2010/07/02(金) 00:18:56 ID:cT+9SM6N [3/13]
>>253 あw
ごめん誤爆^^;
独自の信仰としてのグノーシスに文句つける積もりないので^^;
すんません^^;
人違いなら黙ってろ気仙沼のふぁんふぁんww
327 :
神も仏も名無しさん :2010/07/08(木) 12:20:00 ID:3iBiW5pM
328 :
携帯一在家 :2010/07/08(木) 12:48:46 ID:94VV9LVh
聖霊にとって百年も瞬き。 君の大前提は証明が要る? また聖霊が君に働いたようですね。
329 :
神も仏も名無しさん :2010/07/08(木) 12:53:40 ID:3iBiW5pM
>聖霊にとって百年も瞬き。 それがどうしたの? >君の大前提は証明が要る? 少なくとも言い出したほうには証明が要るよね 。 >聖霊は異なる暦を用いることを許容しない、という前提は >どこから持ってきたの? きちんと答えよう。
>>328 だからなぜ別の暦を用いると聖霊の啓示じゃなくなるのか答えろハゲwww
331 :
前世は一在家 :2010/07/08(木) 21:51:10 ID:3DSCUYfB
>>327 一派でない方
>>330 前コテはサロメさん一派
>大前提:聖霊の導きで書かれた福音書はある一種類の暦を用いる。
>小前提:『ヨハネによる福音書』は別の暦を用いる。
>結論: ゆえにヨハネ伝は聖霊の導きで書かれていない。
>三段論法を成り立たせるには、こういう形でなければならないんだが、
>そもそも大前提がすっぽ抜けているという有様。
>>328 携帯一在家
>聖霊にとって百年も瞬き。 君の大前提は証明が要る?
私は回答済みですが、携帯からのアップで言葉が足りず、ご理解いただけ
なかったようですね。ではPCから補足致しましょう。
最古のマルコ伝からヨハネ伝まで50年間ほどで、時間の前から存在する
神や御子や聖霊から見たら「瞬きする」ほどの一瞬に過ぎませんでしょう。
ですから「聖霊が瞬きする度に暦を変更する必要はない」ということです。
>>328 で、君の大前提は証明が必要ないでしょう?と述べた次第です。
それとも、聖霊様は小アジアの都合に合わせて、瞬きしたら別の暦を使われる
ほど人類にサービスされるのでしょうか?
小アジアの光言語(光と闇との対句)を多用する智的グループは、イエスの十字架
を「ユダヤ教の過ぎ越しの子羊」と印象づける為に、運命の日を意図的に変えた
ということをペイゲルス教授も指摘しております。
他にもイエス逮捕のきっかけを3共観の神殿での大あばれから、ラザロの復活に
変更しておりますことは誰でも分かるかと存じます。
尚、ペイゲルス教授の著書は大反響を生み、他の研究者達が論文で引用しております
ので、少しずつ本スレで紹介して参りましょう。
332 :
前世は一在家 :2010/07/08(木) 21:59:35 ID:3DSCUYfB
>>307 >英語の文献でも結構ですから、「異端反駁」の該当箇所をアップして下さい。
「異端反駁 エイレナイオス トマスの福音書」でググりました。
Against Heresies Irenaeus Gospel of Thomas
沢山ヒットしましたので、私の一読したものから順番に紹介しましょう。
1)「Beyond Belief: The Secret Gospel of Thomas」
Christian Research Journal
Daniel Hoffman執筆論文
h
ttp://www.equip.org/articles/beyond-belief-the-secret-gospel-of-thomas (興味深い章)
・John and Irenaeus Are the Culprits.
・The Gospel of Thomas Is Superior to the Gospel of John.
Pagels 教授がヨハネ伝の筆者はトマス伝を知っていたという考えを持っていたことの解説。
333 :
前世は一在家 :2010/07/08(木) 22:00:13 ID:3DSCUYfB
2)「Too Many Factual Errors!」
Institute for Religious Research
E. Pagels & K.L. King執筆論文
h
ttp://www.irr.org/pdfs/Huggins-PagelsKing.pdf エイレナイオスは異端反駁でユダ伝には反駁しましたが、エジプト人の福音書と
トマスの福音書に言及したが何もコメントしていない、ことが指摘されております。
つまり彼はトマス伝を知っていたが、反駁しなかったということです。
Irenaeus does mention the Gospel of Judas (Against Heresis 1.31.1).
He does not, however, mention the Gospel of the Egyptians or
the Gospel of Thomas.
>>331 だからー^^
三共観はユダヤ地方に近い もしくはユダヤ人を意識していたので
パリサイらと同じ伝統的な暦を使った
ヨハネ書などはすでに異邦人も意識していたので別の暦を使った
ただそれだけだってw
ペイゲルスは単にグノーすすがキリスト教の異端だと思う古い頭でw
キリスト教の権威破壊しようとしてるだけwww
おまえと同じだ真光ハゲ爺www
>>333 だからw
トマス伝否定した教父はヒュッポリュトス オリゲネス カイサリアのエウセビオス
などいくらでもいるだろうがw
彼らがエイレナイオスを批判しない以上 エイレナイオスがトマス伝を受け入れたわけがないさろうがW
まったくwww都合がいい部分だけ切り張りする捏造爺www
336 :
前世は一在家 :2010/07/08(木) 22:10:27 ID:3DSCUYfB
>>334 前コテはサロメさん一派
>三共観はユダヤ地方に近い もしくはユダヤ人を意識していたので パリサイらと同じ伝統的な暦を使った
>ヨハネ書などはすでに異邦人も意識しいたので別の暦を使った ただそれだけだってw
もし私が聖霊さんだったら、こう言いますね。
「大馬鹿もん! なぜ私がユダヤ人や異邦人を意識して啓示をおろさんとあかんのじゃ。
お前と一族は未来永劫、福音書を読む資格はない。」 とね。
今まで、クリ板を色々と見て参りましたが、貴方ほど聖霊をコケにした人たちを
見たことはなかったですし、これからも無いでしょう。 気の毒です。
>>336 当たり前だぞwww
おまえ当時の福音書の機能 まーーッたくわかってないだろwww
福音の広がり方もw
福音書も対象意識するの当たり前だ間抜けwww
338 :
前世は一在家 :2010/07/08(木) 22:44:18 ID:3DSCUYfB
>>337 前コテはサロメさん一派
>福音の広がり方もw
>福音書も対象意識するの当たり前だ間抜けwww
私の内なる聖霊さんがまた怒っておりますようです。
「大馬鹿もん!恥の上塗りをして。福音が世界中に広がることを知っておる
神と聖霊がなぜイスラエル近郊の読者を意識するのじゃ。」とね。
今まで、クリ板を色々と見て参りましたが、貴方ほど聖霊をコケにした人たちを
見たことはなかったですし、これからも無いでしょう。 ますます気の毒です。
>>338 千里の道も一歩からw
っていうかさぁw
おまえに取り付いてるのは確実に悪霊だなwww
340 :
神も仏も名無しさん :2010/07/08(木) 22:58:57 ID:HP/ZFQFC
>>331 >ですから「聖霊が瞬きする度に暦を変更する必要はない」ということです。
必要がない、という事がなぜ拒絶する理由になるの?
別の例をあげてみよう。
イエスの教えと生涯を記すなら、福音書一冊でもいいよね。
だから最初の一冊だけが必要だったもので、後のは蛇足、と言うこともできる。
これはまあ、いち人間の感想に過ぎないのだが、それを即、
神の観点に代入してしまうと飛躍に過ぎなくなる。
「神にとって必要ないはずだ」→「必要ないなら神はやらないはずだ」
このように「仮想上の神の事情」をふりかざしているだけに過ぎないからだ。
ちょうど
>>336 でやるように。
>それとも、聖霊様は小アジアの都合に合わせて、瞬きしたら別の暦を使われる
>ほど人類にサービスされるのでしょうか?
サービスしたら何か問題あるのか?感覚的に気に入らないだけでしょ?
>>336 >今まで、クリ板を色々と見て参りましたが、貴方ほど聖霊をコケにした人たちを
聖霊の配慮を矮小化した、という視点も成り立つ。
341 :
神も仏も名無しさん :2010/07/08(木) 23:10:09 ID:HP/ZFQFC
>>338 >「大馬鹿もん!恥の上塗りをして。福音が世界中に広がることを知っておる
>神と聖霊がなぜイスラエル近郊の読者を意識するのじゃ。」とね。
一在家的にいえば、聖霊は福音書が書かれた当時の信徒たちを、
世界宗教化過程のいち部分として割り切ってるわけ?ずいぶんと冷淡だな。
ていうか、いま一在家が展開してる観点って、万教帰一の発想と食い違うぞ。
万教帰一説によれば、地域や時代によって同じ真理が別の表現で説き分けられるんでしょ?
342 :
神も仏も名無しさん :2010/07/08(木) 23:35:38 ID:HP/ZFQFC
端的に言うと、いま在家が述べている聖霊観は、 万教帰一の説き分けをも、神や聖者の「配慮」「愛」によるものではなく、 純粋な「計算」によるものにしてしまう危険をはらんでいる。
343 :
前世は一在家 :2010/07/08(木) 23:38:17 ID:jzkSvn4+
>>341 ※適当なコテを付けて下さい。
>万教帰一説によれば、地域や時代によって同じ真理が別の表現で説き分けられるんでしょ?
貴兄のおっしゃる通りですよ。
500年異なるインドや千年異なる日本やアラブでも同じ真理が別の預言者によって
説き分けられるという意味ですよ。
貴兄はサロメさん達と違って冷静ですからもうお分かりでしょう。
わずか50年ほどの間に、エルサレム近郊で同じ真理を別の表現で説き分ける必要は
信者にはあっても神や聖霊にはないのです。 元は同じイエス様ですので。
>>343 だからこの世の領域は待ったく別w
ていうかさ 暇人って言う部落解放同盟の赤から受け売りで
リベラル聖書学の一環でエイレナイオス知った真光在家の馬鹿はさw
基本的な初代教会の歴史がまったくわからないw
当時の東地中海の状況 福音が伝播していく過程 ひいては福音書そのものの機能さえ知らないw
で何でもかんでもグノーシス 教父はエイレナイオスだけw
無様っていうか間抜けっていうかww
言葉に詰まって聖霊の怒りだとさw悪霊使いのくせにwww
>>342 あなたは
基本的な初代教会の歴史がまったくわからないw
当時の東地中海の状況 福音が伝播していく過程 ひいては福音書そのものの機能
ご存知ですよね?
346 :
神も仏も名無しさん :2010/07/08(木) 23:48:00 ID:HP/ZFQFC
>>343 >信者にはあっても神や聖霊にはないのです。
もろに
>>342 に該当するね。
>一在家的にいえば、聖霊は福音書が書かれた当時の信徒たちを、
>世界宗教化過程のいち部分として割り切ってるわけ?ずいぶんと冷淡だな。
>>340 と↑にも言及してほしいな。
>>345 じつはよく知らない。とくに一番目は。
あとの二つは、キリスト教徒を人間扱いすることで想像はできる、って感じ。
ペイゲルスのトマスネタ批判はそこから出てきたようなもの。
>>346 了解ッす
しかし在家って基本を知らないから賛嘆たるものです
彼はおそらく当時の信者が現在のように個人で福音書を読みふけっていたと確実に思い込んでますねw
348 :
ペイゲ(仮) :2010/07/09(金) 00:01:55 ID:HP/ZFQFC
私の内なる聖霊さんにこう喋らせることもできる。
「大馬鹿もん!恥の上塗りをして。伝承が蓄積され、歴史学・聖書学が発達し
イスラエル近郊の読者に配慮した暦の用法の真意も理解されるはずじゃ。
第一に今ここにいる信徒たちにダイレクトに体感させてもいいじゃないか」とね。
不必要だけじゃ、即拒絶される、という意味は引き出せない。相当の不都合がなければね。
暦の用法が違っても説かんとすることは伝わる。なので変えることはありえない、と結論するのは飛躍と言える。
>>343 >アラブでも同じ真理が別の預言者によって
クルアーンには、後に出てきた章句によって前に出された章句が撤回される、という例があるよね。
何年の間でだったっけ?
48 名前:地獄直行偽トマス有本康夫と厨卒野郎と栗きんとん&康治と在家w[sage] 投稿日:2010/07/09(金) 00:00:41 ID:zNrNzfVj
>>47 あのねw
おまえは初代教会当時の歴史的事実 まったく知らずに書き込みしてるのw
同じ古代でも旧約の最後の預言書の時代から主の公的生涯までの間
数百年の空白があるのねw
だから。。。って講義するのもめんどくさいわ阿呆がw
それと使徒の後継や教父らによって新約は成立したんだから聖霊の権威には何の
影響もありませんけどw
これもクリスチャンであるなら常識だよ真光ハゲwww
52 名前:地獄直行偽トマス有本康夫と厨卒野郎と栗きんとん&康治と在家w[sage] 投稿日:2010/07/09(金) 00:10:30 ID:zNrNzfVj
>>50 あー
アタシが書き込んでる意味さえわからないのかぁw
もう完全にアホw
真光ハゲってwww使徒を預言者扱いしてるんだねwww
350 :
ペイゲ(仮) :2010/07/09(金) 00:20:03 ID:3sAhzYCk
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278578922/47 >聖霊と同様に、神による啓示の共通点はその時代の読者に気を使って
>預言者に神示をおろすような情けないことはしなかったということです。
なんで
気を使う・即・妥協になるんだよ。
>ですから、預言者はその地域の読者達に受け入れられず、基地外だとか
>悪魔つきだとかと罵倒、迫害されながらも教え、福音を説いたという
>ことです。
受け入れられなかったのは、スタンスの違いによるものだろ。
別のやり方で伝えたも、言おうとすることは変らないのに
どうして相手に合わせて意図を曲げたことになるんだよ。
西暦で記録された出来事・事件について、アラブ人に対して、
イスラム暦に置き換えて説明したらアラブ人に妥協したことになるのかね。
自分の考えを曲げたことになるのかよ。意味不明だ。
>そのままでは預言者は殺されてしまいますので、神は奇跡の力を預言者に
>与えて、人々を癒し、救いながら教えを広めさせております。
人々への救いが身を守る手段になってしまってるじゃないか。
冗談じゃなく「計算」づくじゃないか。
>>349 歴史的事実なんて知っている人はいないよ。
イエスが実在した証拠も、キリスト教の文献以外には存在していない。ヘロデ王は書かれているのにね。
352 :
ペイゲ(仮) :2010/07/09(金) 00:36:25 ID:3sAhzYCk
ちょっと調べたけど 共観はユダヤ文化を厳格に守ろうとするクムラン一派が採用していた暦 ヨハネは当時離散の民になっていたユダヤ人全般が採用していたパリサイの暦を使っていたらしいね まぁヨハネ文書編纂していた当時のクリスチャンがユダヤ人たちのスタンダードな暦を使うのは当然でしょうしw 彼らが置かれていた状況もそれを裏付けますね 共観編纂の時代は まだユダヤ人の国が残っていたかその影響が強かった ヨハネの時代は離散集団が新たに自分たちのアイデンティティを再編していた時代 でクリスチャンは微妙な状況であった そういうことw
>>351 議論スレ読み直してみろwww
>>352 時代に合わせて対応するのは聖霊にそむくことでもなんでもないんですけどねw
真光在家の心理って常人には理解困難ですねw
>>352 >神から見れば数十年も数百年もほんの一刻なのに、
とは限りませんね。タイムスケールが大きくなる方だけじゃないのだから。
ペトロの手紙二 / 3章 8節
愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
神の「ほんの一刻」が人の100億年かもしれないし、人の「ほんの一刻」が神の100億年かもしれないのです。
356 :
ペイゲ(仮) :2010/07/09(金) 00:50:44 ID:3sAhzYCk
352は一在家の言い出した「神の時間(感覚)」と 同じく彼が述べている主張との齟齬を指摘しただけの文章ですので。 実際のところはわしも知りません。
>>357 違うものを勝手に同一視するなって指摘なんですよ。
それに全知全能であるなら、人間より認識の解像度は圧倒的に高いでしょうね。人よりも大雑把ということはないと思います。
あれだなぁ初代教会がユダヤ共同体の重力振り切って かといって異邦人の東方密犠に飲み込まれなかったのはまさに奇跡だって思うわなぁ ヨハネ文書一つ調べても当時の教会にかかる重圧が伝わってくる
>>358 まさに小学生www
=====
エイレナイオスはグノーシスが二元論の中で人性を蔑視するのに対し
神と似姿としての人間 神が人間という作品を通じて栄光をあらわす
そのことによって人性を宣揚したわけなのか
在家の主張と正反対じゃんかwww
神に接近する人間ではなく 神の栄光をあらわす人間 上昇するわけではなく
神の栄光を彩る人間だね
>>360 主観に流れる時間の速度というのは、その主体が処理できる情報量に比例する。
従って、処理能力が高い方が、ある一定の時間を長く感じる。
>>362 物理は御心の表れなんだよ。神がどのように力を振るわれるか、その一部を語る。
元々自然科学は神の御旨を理解しようと発展したもの。
364 :
前世は一在家 :2010/07/09(金) 06:39:57 ID:Be4fRFX/
>>352 ペイゲ氏
コテ付け有難うございます。
サロメさん一派にはすぐ噛み付かれるので、冷静な貴兄の方へレスします。
>50年が大したことなくて、数百年なら特別(別の預言者を送って説く必要がある)、
>というのは上記の『神からみた時間間隔』と齟齬がある。
神から見れば、50年も2千年も瞬きする間ということは同感です。
だから、数十年間のエルサレム近郊の人々に対しては啓示の内容は変える必要は
ないということです。数百年後のニケーア公会議で4福音書が選ばれることも
神と聖霊はお見通しですから、別の暦を使う必要がないでしょう、聖霊は。
でも、エジプト、インド、日本と国が変わったり、同じ地域であっても数百年が
経過して人心が変わった場合に別の預言者を送って説く必要があるということです。
私は詳しく知りませんが、旧約で多くの預言者が登場しますが、暦も変わりました
でしょうか? ご存じの方はご教示願います。>住人各位
365 :
前世は一在家 :2010/07/09(金) 06:47:34 ID:Be4fRFX/
>>363 >元々自然科学は神の御旨を理解しようと発展したもの。
名無しなのでどなたか存じませんが、同感です。
万教帰一には科学、医学、歴史学等も含まれております。
自然科学と宗教は収斂すると信じております。
開祖が説いた真理(法)を自然科学が検証していくという意味です。
事例では釈尊が説かれた色即是空の法ですが、素粒子論が検証しつつあります。
366 :
ペイゲ(仮) :2010/07/09(金) 08:59:28 ID:HMqI/07K
>>364 >だから、
の前後が繋がっていない。五十年も数百年も大した違いは無いのだから、
その程度の時代の経過に併せて新たに啓示を説く必要も無い、というなら筋が通るが。
これは突き詰めると、最初に一つの啓示だけあればいい、というところにまで行き着く。
時代ごとの啓示、の意義を薄れさせてしまう。
>だから、数十年間のエルサレム近郊の人々に対しては啓示の内容は変える必要は
>ないということです。
数十年も数百年も大差ないので、預言者を時代ごとに送って啓示を説き分ける必要はないということです。とも言える。
以前に「こういう奴・教義はアウトだよ」と知らされて、それを元に判断しさえすればいいのなら、
旧約で預言者を複数送る必要もなかった。最初に一冊ありゃいい。
>数百年後のニケーア公会議で4福音書が選ばれることも
>神と聖霊はお見通しですから、別の暦を使う必要がないでしょう、聖霊は。
つ
>>348 >>350 。
>でも、エジプト、インド、日本と国が変わったり、同じ地域であっても数百年が
>経過して人心が変わった場合に別の預言者を送って説く必要があるということです。
んにゃ、時間経てばイエス級の人物がいなくても宗教は改革・改善される。
はじめに原則さえ説かれていればね。別の預言者は必要不可欠ではない。
367 :
ペイゲ(仮) :2010/07/09(金) 09:22:05 ID:HMqI/07K
自然治癒が駄目、だというなら現代に至るまで全ての宗教には、数百年ごとに預言者が送り続けられていなければならない。 だが、少なくともアブラハムの宗教では千年以上、新しい預言者不在の時代が続いている。 さて、福音書に話を戻してみる。福音書が書かれたところはどんな状況か? とうぜんクリスチャンの共同体だ。信仰持たない人達の間に完成品がポンと投げ込まれても 粗末に扱われるか売り飛ばされるかが関の山だし。 つまり、四福音書が生まれた状況はいずれも、預言者が送られる必要がある、 という意味での「人心の変化」に直面していたわけではない。 もしそうなら預言者から新たに啓示を伝達されていなければならない。 第一世代の信者が亡くなっていき、またそれに備えて 新世代の信者の教化のために書物の形に記録した、といったところか。 で、共同体内での教化、また共同体の拡大(伝道、人口増加、世代の変化)を元として 文書化されるならば、共同体内での物の捉え方(暦)が適合されつつ行われる、ことは十分あり得る。 日本の歴史の授業では、イスラム史・イスラム世界での出来事も西暦換算で教えられるように。
368 :
神も仏も名無しさん :2010/07/09(金) 10:47:21 ID:buTzF4LN
>>365 >開祖が説いた真理(法)を自然科学が検証していくという意味です。
それは間違い。数千年前の開祖は、当然のことながら、科学については無知蒙昧
だった。開祖絶対の現代の信者たちが、開祖の言葉を現代科学にこじつけている
だけ。開祖に、現代科学と同様の認識があったとでも思うのかね。中世は、科学
の暗黒時代である。
科学は、人間の理性の目覚めと共に、神から離れる努力の中に発達した。
人間が「神の似姿」なら、神のそっくりさん。神とは区別が付かない。従って、
神概念は人間と重複するから不要である。人間の神性とは、人間である他者の
生存に対する責任の自覚である。人間にあらざる神とは関係ない。
サロメの狂乱状態を見て、イエスによる狂気と人間軽視の恐ろしさがよく理解
できたと思う。
大本が日本のカルトの源泉となっているのは、西洋かぶれの出口王仁三郎が
軽薄にもキリスト教に嵌った、影響された結果であることを、理解する必要
がある。彼の「万教帰一」とは、あくまで忌むべきキリスト教的一神教への
帰一のこと。
「架空の、空想上の神概念」から、「人間とその生存を支える自然」へのパラダイム
の大転換が、現代人に課された喫緊の責務である。
なお、「色即是空・空即是色」は大乗の教え。釈迦の教えではない。
>>364 あwとうとう逃亡か阿呆w
こっちは一向に構わないw真光馬鹿の虚偽と無知をさらけ出すだけだからwww
>だから、数十年間のエルサレム近郊の人々に対しては啓示の内容は変える必要は
>ないということです。数百年後のニケーア公会議で4福音書が選ばれることも
>神と聖霊はお見通しですから、別の暦を使う必要がないでしょう、聖霊は。
ニケアで福音書が選ばれたんじゃないってバカwおまえ本当に基本的な知識が欠落してるなぁwww
福音書などの正典が公式に制定されたのはカルタゴ地方公会議w
アリウス派との対決が一段楽してからだよw
そしてそこまで教会が成長したのは初代教会が危機を乗り越え異端を克服し弾圧を潜り抜けたから
そうできたのは初代教会がまずユダヤ人たちにしっかり福音を教え込み その上で異邦人を迎え入れたからだ
つまり共観はユダヤ人やそれに近い層 ヨハネは異邦人にどうかしつつあるユダヤ人やギリシア人などを対象に
書かれた意義はそこにある
つまり聖霊の意思でもあるわけなのw
棚ボタで 神のご計画にすがって宣教できるかアホwww
>>365 科学はあくまでの人間の道具w信仰は人間の仰ぐべき道しるべw
道具を道しるべにしてどうするんだバカw
真光みたいな金儲けのカルトは権威付けに科学引っ張り出す必要があるだろうけどwww
まともな信仰と手かざしのカルト混同するな間抜けw
>>368 貴様の書き込みなんか何の価値もないww
生命至上主義www
何ならリアルでオフしようか?w貴様を頃してやるからw
おまえの生命で自分を守ってみろw
370 :
神も仏も名無しさん :2010/07/09(金) 14:26:22 ID:yNNyfFKb
>>369 >何ならリアルでオフしようか?w貴様を頃してやるからw
完全に狂乱状態だな。狂人イエスを信じると、必然的にこうなるということ。
すでに精神医学的に明確に指摘したとおり。これが「人間の仰ぐめき道しるべ」
とはw。
在家氏も充分に警戒したほうがよい。聖書こそ、「読んではならない、読ませては
ならない悪書No. 1」。このように、開祖の精神病は感染する(感応精神病)。
大本は、聖書の影響により、日本のカルトの源泉となった。「手かざし」は、
聖書の猿真似。ある著名な精神医学者は、「絶対に近づいてはならない危険
な宗教」であると個人的に警告してくれた。
>>370 だからオフしようよパラノイアのキチガイw
アタシは素手でおまえ十分コロせるのでwww
場所と日時は任せるからw武器持っててもいいよw
貴様の生命を自分自身で守ってみろよwwww
おまえなんてしょせん口先だけの青白きインテリwwむき出しの暴力からは逃げ隠れして震えるだけw
おまえが讃える生命至上なんてwwおまえがあたしの前で土下座して這い蹲る奴隷哲学なんだよw
悔しかったらアタシとオフしてタイマンしろwww
372 :
前世は一在家 :2010/07/10(土) 00:04:33 ID:uhcf9ruR
>>334 >三共観はユダヤ地方に近い もしくはユダヤ人を意識していたのでパリサイらと同じ伝統的な暦を使った
>ヨハネ書などはすでに異邦人も意識していたので別の暦を使ったただそれだけだってw
>>345 >基本的な初代教会の歴史がまったくわからないw
>>353 >ちょっと調べたけど 共観はユダヤ文化を厳格に守ろうとするクムラン一派が採用していた暦
>ヨハネは当時離散の民になっていたユダヤ人全般が採用していたパリサイの暦を使っていたらしいね
今日もサロメさんの内なる聖霊さんが「暦のこと知らなかった。済まない。」と告白
されてましたね。 意外と素直な人のようですね。
>>372 とうとう幻覚まで見えるのかwww
人の回答まで切り張りしてwww惨めだぞ真光在家爺ww
>基本的な初代教会の歴史がまったくわからないw
はおまえのことだぞ大丈夫か?www
374 :
前世は一在家 :2010/07/10(土) 00:53:52 ID:8xM3XuZo
>>334 前コテはサロメさん一派
>三共観はユダヤ地方に近い もしくはユダヤ人を意識していたのでパリサイらと同じ伝統的な暦を使った
>ヨハネ書などはすでに異邦人も意識していたので別の暦を使ったただそれだけだってw
>>345 前コテはサロメさん一派
>基本的な初代教会の歴史がまったくわからないw
>>353 前コテはサロメさん一派
>ちょっと調べたけど 共観はユダヤ文化を厳格に守ろうとするクムラン一派が採用していた暦
>ヨハネは当時離散の民になっていたユダヤ人全般が採用していたパリサイの暦を使っていたらしいね
今日もサロメさんの内なる聖霊さんが「暦のこと知らなかった。済まない。」と告白
されてましたね。 意外と素直な人のようですね。
※
>>373 前コテはサロメさん一派
>とうとう幻覚まで見えるのかwww
多重人格(多人数)なので、自分達の言ったこともすっかり忘れて、相手を幻覚
呼ばわりしていることがまた検証された次第ですね。
できれば清和源氏のDNAを持つ人格と交替しなさい。
>>374 だからさw
どう見ても揚げ足取り以下なんだよ真光在家バカw
お前の病状いちいちここで報告しなくていいからw
376 :
前世は一在家 :2010/07/10(土) 09:13:25 ID:EL13vKWA
>>353 前コテはサロメさん一派
>ちょっと調べたけど 共観はユダヤ文化を厳格に守ろうとするクムラン一派が採用していた暦
そしてクムラン一派も焚書に会い、死海近くのクムランの洞窟に文書を隠しました。
死海文書と3共観とトマス伝とには共通点が多く違和感が少ないのも歴史的な背景が
あったのかも知れないですね。
そしてヨヘネ伝が異質なのは、編纂された地域も背景も読者も暦も異なるという
ことがサロメさんの情報から理解が深まりました。
>>376 クムランはユダヤ文化を保守的に固持する イエズスの地上生涯における保守派の
一方だと解釈すべきであり トマス伝の思想とは正反対の存在だろうがw
クムランにいた連中はおそらく知的好奇心の一環でキリスト教文書を保存してただけだなw
正統派や保守派だからって異端を焚書するとは限らないんだよバカ在家www発想が狭いじじいだなぁw
ヨハネ文書についてはユダヤ戦争のあとだってことがわかってないしwwwどこまで基本的知識がかけてるんだこの真光カルトの低脳はwww
378 :
ペイゲ(仮) :2010/07/10(土) 15:14:55 ID:k4dLduEv
グノーシス主義者ってヨハネ伝をどう読んでたんだろう。 父なる神(デミウルゴス)をプロパテールだかプレーローマだかに 単語入れ換えしてたんだろうか?仮現説との折り合いはどうするんだろう? 「内的意義」を設定すれば自在に「文意」を捏造できる事は かのスウェーデンボルグが教えるところでもある。 彼らもそこはうまくやっていたのかもしれない。
379 :
前世は一在家 :2010/07/10(土) 18:48:45 ID:dC/vquJV
>>377 >クムランはユダヤ文化を保守的に固持する イエズスの地上生涯における保守派の
>一方だと解釈すべきであり トマス伝の思想とは正反対の存在だろうがw
死海文書の中のクムランの民(エッセネ派)の宗規要覧4・15によりますと、
「二つの道があり、光の道と闇の道、善の道と闇の道がある。(中略)
どの人間にも光の部分と闇の部分がある。たとえ光の子らの一人で
あっても、誰もが罪人なのである。
人の子らの性格は二つの霊によって支配され、その存命中、
人間は誰でも二つの霊の一部を持ち、それらの道を歩む。」と記載。
貴方がグノーシスと批判されている内容と近いでしょう。
トマスの福音書では、イエスに受肉した神の光は全人類が共有している、何故なら私達は
みな「神の似姿」に創られたからである、とイエス様は説かれたそうです。
またマリアの福音書では、光の部分と闇の部分を、「心魂と欲心」という別の言葉で
説かれております。
つまり、クムランの民(エッセネ派)の宗規要覧とグノーシスとが同じという訳ではない
ですが、少なくとも異端とされて焚書された複数の福音書とは共通の真理(法)が担保
されております。
λ氏も指摘しておりましたが、イエス様の聖句のいくつかが捨てられてしまった可能性が
高いということが、死海文書とナグハマディ文書の奇跡的発見にて検証されつつあります。
奇跡は神と聖霊によってなされたということです。
380 :
前世は一在家 :2010/07/10(土) 19:15:33 ID:dC/vquJV
>>378 ペイゲ氏
>グノーシス主義者ってヨハネ伝をどう読んでたんだろう。
というか、グノーシスと接触していた人達がヨヘネ伝を編纂しております。
証拠はヨハネ書簡(ヨハネ伝、ヨヘネ手紙)に光言語(光と闇の対句)が
多用されているからです。
先の議論でサロメさんは読者に合わせて異なる「暦」を使用したとのこと
でしたが、光言語を用いて合わせたかった読者はグノーシスだったという
ことでしょうか。
実際、グノーシスのメンバーの愛読書はヨハネ伝だったそうです。
>>379 うんやw
だから光と闇の二元性がグノーシスか否かの決め手じゃないだろうがw
人間性が闇に属し 人間の本質が光で 人間が叡智によって本質が光に
合流する
だぞ?w
それを貴様は真光的な邪教とキリスト教をどう次元におくために利用してるだけw
ユダヤ教の二元論 キリスト教の二元論はグノーシスとまったく違うんだよ阿呆w
>イエスに受肉した神の光は全人類が共有している、
これなんてグノーシスそのものwwww
382 :
●レス代行●理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/07/11(日) 01:21:23 ID:+XBXFLdL
383 :
前世は一在家 :2010/07/11(日) 06:42:08 ID:AcMormFw
>>381 前コテはサロメさん一派
>>イエスに受肉した神の光は全人類が共有している、
>これなんてグノーシスそのものwwww
もし神の御子が神の形を作り、それに息吹(精霊)を吹き込まれたのが人
であれば、神の御子にも人にも精霊が内にあるということになります。
ただし、精霊の発信者と受信者という大きな違いはあります。
>>383 聖霊は乳から発し御子を通して働くんだよw
御子も聖霊も位格のひとつだから本質はひとつ 御子と聖霊は
対等であってどっちかが従属するわけではないw
人性をもたれた御子なる神イエズスの地上生涯でも同じ
聖霊は御子を通じて働かれるだけだwww阿呆がwww
でトロイ在家はわざとだろうけどw
人間に聖霊が働くだけで人間が聖霊を内部に持ってるわけじゃないのw
グノーシス教とはそこも異なるんだなw
待った食う同じ書き込み繰り返すなって真光カルト在家馬鹿ww
385 :
前世は一在家 :2010/07/11(日) 15:21:37 ID:AcMormFw
>>384 前コテはサロメさん
>人間に聖霊が働くだけで人間が聖霊を内部に持ってるわけじゃないのw
>グノーシス教とはそこも異なるんだなw
それはサロメさんの見解でしょう。
(某初期教父の神学)
・「ロゴス=イエス」は「知恵=聖霊」と共に「神の両手」であり、万物に先立って存在した。
・神は無から世界の素材を創造し、御子と聖霊によって万物を形造り、最後に人間を「
神の形と神との類似性に従って」創造した。
・御子によってその肉体と魂に「神の形」を与えられ、聖霊によってそれに「神との類似性」
が結び付けられて、「完全な人間」となるべく人間は創造された。
人の形に吹き込まれた「神の息吹」は聖霊でなければ、なんだと思いますか?
>>385 >それはサロメさんの見解でしょう。
キリスト教の正統派の見解だよアホw
>人の形に吹き込まれた「神の息吹」は聖霊でなければ、なんだと思いますか?
吹き込まれたのは聖霊だが 聖霊は人間に分割して内蔵されるわけじゃないのw
あくまでも人の中で働くだけw
だからアダムが原罪を持つにいたり 聖霊がはなれて人間は死ぬことになったんだってw
で イエズスの十字架の犠牲によって それを受け入れれば新約が成立し 人間に聖霊が
また働くようになり 永遠の命が戻る 不滅の肉体は審判のときだけどねw
人間はあくまでも神の模造品 真光ハゲ在家が嫁にしてるダッチワイフと同じなんだよ馬鹿www
>>385 >・御子によってその肉体と魂に「神の形」を与えられ、
魂に?その魂はギリシア語でナニ?
該当のエイレナイオスの文章出してみろww
>>386 >キリスト教の正統派の見解だよアホw
キリスト教の正統派の見解が正しいのは、せいぜいキリスト教内においてだけです。
カトリックの司祭ですら、イエスの復活については事後予言の物語、
十字架刑も、実際には十字ではなく杭にぶら下げられただけのむごい死に方、
三位一体は、イエスを神にするために作られたものだという人間もいます。
ましてや、ここはグノーシス主義のスレであって、カトリックのスレではありません。
カトリックの見解が正しいと言っても、それは無意味な行為に過ぎないのです。
それはともかく、グノーシス主義は、キリスト教成立以前からあり、
その思想がキリスト教に取り込まれていても何もおかしくはなく、
ヨハネ福音書はもちろん、イエスの思想自体がグノーシス主義の影響を受けていないとは誰もいえないのです。
>>388 グノーシス教自体を語るのは好きにすいればいいがw
変態真光在家バカがキリスト教を誹謗するしw
おまえもエホバの証人じゃねーかwww
>>384 >人間に聖霊が働くだけで
これはキリスト教の言葉では、そのように表現されるわけですが、
グノーシス主義においては、その働きは内なる光によるものになるわけです。
表現の仕方が異なるだけであって、言っていることに明確な違いはありません。
コリントの信徒への手紙一 / 3章 16節
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
コリントの信徒への手紙二 / 4章 6節
「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
ヨハネの手紙二 2節
それは、いつもわたしたちの内にある真理によることで、真理は永遠にわたしたちと共にあります。
グノーシス主義の光は真理ですから、真理を書いた書物なら(それ以外が含まれていようとも)、
どこにでもそれを見出すことが出来ます。新約聖書はもちろんのことです。
そして、それを否定することは、キリスト教の立場からは不可能です。
>>389 馬鹿が何かを言っても放っておけばよいでしょう。ここはグノーシスのスレなんですから。
貴方の言動は、イエズスの御心に適うものではないと思いますし、そもそも、
ヨハネの黙示録 / 22章 11節
不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。
と書かれていますよ。
>>390 異教徒が何をほざこうと勝手ですがw
キリスト教と異教を勝手に混交させないでくださいね
キリスト教がグノーシスであったというなら証拠を出せw
キリスト教は神を光とするけど 人間がそれと融合するとかw
得体の知れない叡智wwwを自覚すれば救われるイなどと教えたりしませんのでw
>>391 宮清めしなければなりませんのでw
ここは真光馬鹿の在家がキリスト教の歴史を捏造するためのスレですしwww
393 :
前世は一在家 :2010/07/11(日) 19:40:32 ID:AcMormFw
>>387 前コテはサロメさん一派
>魂に?その魂はギリシア語でナニ? 該当のエイレナイオスの文章出してみろww
東大の先生の著書では異端反駁Xに出てくる、魂(心魂)という訳です。
私は異端反駁のXは持っておりませんので人格C(自称東大生)がお調べ下さい。
■エイレナイオスの救済史
(参考:「ロゴスとソフィア」、引用箇所は異端反駁のW:37,X:16)
・アダムの堕罪により失われた人間の原初的な「神類似性」は完成されていなかった。
・堕罪以後も、神への原初的な帰属性「神の形」は失われることがなかった。
・人間は自然的本性に従えば、神の子である。
・救済史は全体として、人間が自らに与えられた「自立性」に基づいて不断に成長していく過程。
・その人間の成長していく過程を神はロゴスと聖霊を通して見守り、指導し、教育する過程。
・神の目指すところは、人間の完全なる神類似性、人間が「神化(Vergottung)」されること。
394 :
前世は一在家 :2010/07/11(日) 19:41:31 ID:AcMormFw
>>393 ■初期教父ユスティノスの経緯
エイレナイオスの師であったユスティノス(165年頃没)は、ストア派、
ピュタゴラス派、プラトン派の哲学の師に学んで失望を繰り返しました。
そして最後に彼は、人間の精神はそれ自体、真実を発見する力を持たないと
結論して落胆しました。
ある日、彼は浜辺で老人に会い、「哲学者よりも古い人々で義人であり
聖霊によって語る預言者達がいて、彼らは論理的な論証はなどはせん。」
それを聞いたユスティノスは哲学を捨てて、洗礼を受け、後に初期の
教父と呼ばれるようになったそうです。
■ユスティノスの神学
・歴史はその初めから終わりまで、不変の主体ロゴス・キリストが自ら予言し、
自らそれを実現していく過程である。 ※2chでの自作自演とは異なる
・ヨルダンでの受洗も十字架も必然であったのではなく、人類が彼を認識すべき
出来事であった。
次に教父タティアノスも調べようと思いますが、エイレナイオスがまだ一番合理的かと
予感します。 例の思いつめて、「四つだ!」宣言以外はですね。
>>393 >東大の先生の著書では
それは人間の体を維持するプシュケーだなw
神の似姿 イミテーションでも問題ない 身体と共に滅びるものだからwww
何度も繰り返すが神化(Vergottung)とは限りなく神に似たものとなることであって
神と融合することでも 神と一体になることでもないwwww
ここらへんは正教でも一線を画しているんだよ阿呆w
>例の思いつめて、「四つだ!」宣言以外はですね。
違うってwユダヤの学問であった数秘学に基づくんだってw
本当に教養がないなぁwww
>>381 >>イエスに受肉した神の光は全人類が共有している、
>これなんてグノーシスそのものwwww
そうでもない(グノーシス主義だけではない)ようです。
エフェソの信徒への手紙 / 4章 6節
すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます
コロサイの信徒への手紙 / 3章 11節
そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
397 :
前世は一在家 :2010/07/11(日) 19:58:24 ID:AcMormFw
>>390 GODIS氏
>コリントの信徒への手紙一 / 3章 16節
>あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
>
>コリントの信徒への手紙二 / 4章 6節
>「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
>>一在家
>■エイレナイオスの救済史
>・堕罪以後も、神への原初的な帰属性「神の形」は失われることがなかった。
>・人間は自然的本性に従えば、神の子である。
エイレナイオスの救済史と同時にコリントの信徒への手紙が2chに露出しました。
これは偶然ではなく、聖霊かみ言葉(ロゴス)のみ働きかと感じた次第です。
>>391 >馬鹿が何かを言っても放っておけばよいでしょう。ここはグノーシスのスレなんですから。
それは貴兄の認識ですね。
私は異端として焚書された福音書(聖句)の中でグノーシスでなかったものは何れか、
またヨハネ伝の中に内包されたグノーシス主義はどこかを検証することを目的として
おります。
でも、貴兄が紹介された聖句には目が現れますので、引き続きご教示願います。
>>392 グノーシス主義は異教徒を示すものではありません。
キリスト教グノーシス主義者は、キリスト教なのです。
>キリスト教と異教を勝手に混交させないでくださいね
そもそも相反するものではありません。
>キリスト教がグノーシスであったというなら証拠を出せw
キリスト教全体がそうだとは言っていません。
キリスト教の中に、本当の真理を知っているグノーシス主義者がいるだけです。
>ここは真光馬鹿の在家がキリスト教の歴史を捏造するためのスレですしwww
グノーシス主義者に歴史を語っても無意味だと思います。
グノーシス主義者にとってそんなものはどうでもいいものです。
逆に言えば、歴史に固執するグノーシス主義者は、「本物」ではないか、悟りに達していません。
>>396 グノーシスだけです
人間はあくまでも光に従属するもので光に離れないというのが
キリスト教の根幹だからです
>>397 >これは偶然ではなく、聖霊かみ言葉(ロゴス)のみ働きかと感じた次第です。
ばーかw
お前は思い込みだよ気色悪いw
エイレナイオスはグノーシス否定してるんだよ?w
だから何度も人間は神の模造だって強調してるのw
>キリスト教グノーシス主義者は、キリスト教なのです。
いいえ それはキリスト教とはいえません まったく別の宗教です
人間は光にはならないからです
>本当の真理を知っているグノーシス主義者がいるだけです。
キリスト教の構造に反するものはキリスト教ではない
>歴史に固執するグノーシス主義者は、
在家にいってやれwww
別の表現の仕方をすれば 人間は神の肖像であるということ 神の似姿を持ち限りなく完成に接近しようとする存在である 正教などは人間をひっくるめて神のイコンであるといったりする こちらのほうがわかりやすいかもね それゆえにキリスト教は 人間の人性 人間であること 肉体である存在 ひっくるめて聖であるとする まずここがグノーシスと根本が違うところです
正教の見解から 神の像としての人の成長や発展には、終わりがありません。限りなく尽きることなく、人は、神に似てゆきます。 それは、神ご自身が限りなく永遠であるからです。 神に似てゆくということは、「神の本性にあずかる」(ペトル(ペテロ)後書1:4)ということです。 人間が神の本性にあずかるようになることを、正教会では「テオシス」と言います。 「テオシス」は正教会では「神成(しんせい)」と訳されます(一般では「神化」と言う)。アファナシイという聖師父は、 「神が人となったのは、人が神になるためであった」と言いました。 「人が神に成る」という言葉は、それだけをとりあげた場合、かなり危険で誤解を招きかねませんが、 しかし、「テオシス(神成)」は、正教会の教えの根幹にあるものです。 人が神に成るといっても、人でなくなるのではありません。あくまでも人でありつづけながら、 神の本性(愛とか自由とか永遠とか喜びとか力)をいただくことを言います。 だから「テオシス(神成)」は特別な人にではなく、すべての人にとって関係することです。 また何か特異なことをするのではなく、全く普通の信仰生活を励むことによってテオシスはなされていきます。 普通の信仰生活とは、教会に参祷し、機密を受け(第5章@を参照)、聖書に耳を傾け、深く祈り、互いに愛し合い、 赦し合い、助け合うということです。聖人はテオシスの栄光にあずかった人々ですが、しかし、罪の自覚、痛悔の心は 逆にますます深くなっています。 神がへりくだりの神であるように、テオシスされる人間はへりくだりをもちます。 テオシスとは、言い換えれば人間がより人間らしく(神の像として)なることです。 >グノーシスと違う点は上記のようにこの世界の創造の神が光であるとみとめ 人間がその神と密接につながる あくまでも神の被造物として従属しながら神とつながるところですね キリスト教には私たちの世界のさらに別のどこかにいる真理の神など認めません それとひとつになって人間が神になる発想もありません 人間はあくまでも神の肖像です
>>399 >>キリスト教グノーシス主義者は、キリスト教なのです。
>いいえ それはキリスト教とはいえません まったく別の宗教です
いいえ。キリスト教です。さらに言えば、カトリック・グノーシス主義だって存在可能です。
>人間は光にはならないからです
それは光に対する言葉の意味合いが違うだけです。
グノーシスの「光」は人間にあるのですが、貴方はそれを知らないだけです。
>キリスト教の構造に反するものはキリスト教ではない
別に反しません。
>在家にいってやれwww
すべての人に言っているので、当人も含まれます。
>>400 >それゆえにキリスト教は 人間の人性 人間であること 肉体である存在
>ひっくるめて聖であるとする
グノーシス主義はその立場も取れます。
>まずここがグノーシスと根本が違うところです
なので、その指摘は間違いです。
>>402 繰り返すけど キリスト教はグノーシスの教義や右中間などを認めませんのでw
上記のレスのように根本的に相違しています
>>403 あなたの独自なグノーシスですねww
脳内グノーシスwww
>>401 >キリスト教には私たちの世界のさらに別のどこかにいる真理の神など認めません
それは表現の違いに過ぎません。
別の世界というは、主体の認識する世界(哲学でいう世界)とは別という意味もあり、
必ずしもこの世と隔離している存在とは限りません。
>>404 >繰り返すけど キリスト教はグノーシスの教義や右中間などを認めませんので
それは貴方が認めていないだけに過ぎません。
貴方がキリスト教を定義できると思うのは傲慢です。
真理があるところには、グノーシスの光があるわけで、
言葉が違うだけで、グノーシスの光を認めていない宗教は、皆無に等しいです。
それを知らない人が認めないとか言っていることはありますが。
>>405 グノーシス主義は、それぞれ独自のものです。貴方は根本的に理解していないようです。
>>408 いい加減wwwww
さすがサークル宗教www
>>409 それは国や時代、民族によって言語が違うのと同じです。
ただ、真理は一つであり、それを知っているのがグノーシス主義者です。
ヨハネによる福音書 / 8章 55節
あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。
>>411 真理によって救われるのです。それとも偽りのもので救われてもいいのですか?
413 :
前世は一在家 :2010/07/13(火) 06:42:44 ID:AzXgJlVp
>>412 GODis氏
>真理によって救われるのです。それとも偽りのもので救われてもいいのですか?
私も人は真理(法)に従った生き方にて救われると思います。
本スレで、ヨヘネ伝、ヨハネ手紙では光言語(光と闇の対句)の多用が
グノーシスの影響大だと紹介済みですが、他にもありましたらご紹介
願います。
特に旧約や3共観にない考え方もご教示いただきたく。
>>413 ホントこりねぇファックじじいだなぁwww
415 :
ペイゲ(仮) :2010/07/13(火) 14:20:30 ID:o8EW9+CO
意味は考えずに、「影響」という言葉のイメージを曖昧に利用してるだけ。 イスラム教から改宗したり、ムスリム向けを意識したキリスト教徒が 福音書をインジールと呼んだりイエスをイーサーと呼んだら 言ってる内容そのものがイスラムになったりするのか? つーか、光と闇を良いもの-悪いものになぞらえる発想ってありふれてるだろ。 アンラマンユは光ってていい奴だったのか。 アヴィディヤー(無知)を無明と訳した人は隠れグノーシスだったのか。 光があれば、暗いところが見えるのだし、暗いままならよく見えない。 見えなければ前に進みにくいし、見えないことが死に結びつくこともある。 古代においては闇の中での光は現代よりも印象的な意味合いを持ってただろう。 なんで日常的な感覚が信仰に結びつくという発想が無いんだろうか。
416 :
ペイゲ(仮) :2010/07/13(火) 14:57:29 ID:o8EW9+CO
旧約での 光(良いもの、好ましいもの、幸い)←―→闇(悪いもの、苦しいもの、災い) サムエル記下 22:29 まことに、主よ、あなたはわたしのともし火、わが神はわたしのやみを照される。 ヨブ記 30:26 しかしわたしが幸を望んだのに災が来た。光を待ち望んだのにやみが来た。 詩篇 18:28 あなたはわたしのともしびをともし、わが神、主はわたしのやみを照されます。 88:12 あなたの奇跡は暗やみに、あなたの義は忘れの国に知られるでしょうか。 112:4 光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。 箴言 4:18 正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。 4:19 悪しき人の道は暗やみのようだ、彼らは何につまずくかを知らない。 6:23 戒めはともしびである、教は光である、教訓の懲らしめは命の道である。 13:9 正しい者の光は輝き、悪しき者のともしびは消される。 20:20 自分の父母をののしる者は、そのともしびは暗やみの中に消える。 伝道の書 2:13 光が暗きにまさるように、知恵が愚痴にまさるのを、わたしは見た。 イザヤ書 5:20 わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。 8:22 また地を見ると、見よ、悩みと暗きと、苦しみのやみとがあり、彼らは暗黒に追いやられる。 9:2 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。 42:7 盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる。 58:10 飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。 60:2 見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。 旧約からある発想なのに、他派が使っているからって、わざわざその表現を拒絶するか?
417 :
前世は一在家 :2010/07/13(火) 21:27:35 ID:J9vxDBFF
>>416 ペイゲ氏
>旧約での光(良いもの、好ましいもの、幸い)←―→闇(悪いもの、苦しいもの、災い)
>旧約からある発想なのに、他派が使っているからって、わざわざその表現を拒絶するか?
貴兄はどのような方かは存じませんが、大変学識な方で恐縮です。
わざわざ、サムエル記下、ヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書、イザヤ書 から光と闇の対句を
ご紹介いただきまして有難うございます。
これまで、グノーシスは光と闇との二元論と伺っておりましたが、旧約の頃から「光と闇」
の対句は使われていたことを確認しました。
言葉上では旧約とヨハネ伝とグノーシスとは違和感がないという意味です。
一方、3共観の方では光と闇の対句を見かけませんでしたが、ご存じでしたらまたの機会に
ご教示願います。
418 :
ペイゲ(仮) :2010/07/13(火) 21:41:53 ID:/bmu1sbF
もともと知ってたわけではなく、その場で聖書検索サイトにかけただけ。 旧約にもあるんだろうなーと思ったらやっぱりあった。 マタイ 4:16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 イザヤ書9章1節からの引用 マタイ 22:13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 「内」は天の国。そこでアブラハム、イサク、ヤコブとの宴がある。 ルカ 1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」 洗礼者ヨハネの父ザカリアの預言の最後。
419 :
ペイゲ(仮) :2010/07/13(火) 21:57:35 ID:/bmu1sbF
マタイ 5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 マタイ 5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。 燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 マタイ 5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。 人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」 ともし火としての用途とイメージが重ねられている。 照らすべき暗闇、陰に相当するものがある。 マタイ 6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、 マタイ 6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」 感覚上の視覚の明るさを内面的な光の描写に用いる。 この文章で「暗さ」が肯定的な意味で用いられていると読む人はいないだろう。
>>417 何でもかんでもグノーシスかwwwwwwファッキン在家馬鹿www
421 :
ペイゲ(仮) :2010/07/15(木) 13:55:48 ID:kaXhhn7f
宗教家の伝記のバリエーションの例
ttp://www.aritearu.com/Influence/Francis/PhotoAssisi/ThomasCelano.htm >この「アシジの聖フランシスコ」は、「第一伝記」を補うもののように見られる。
>著者自身は、そのプロローグの終わりにこの目的を述べ、できる限り前よりも聖人
>の理想を明らかにしようとする。そのために「第一伝記」の幾つかのエピソードと考察を省き、
>その代わりにその代わりにより重大な多くの事柄を語っている。「第一伝記」の奇跡も
>大分省いたが、それは伝記をあまり長くしないためであろう。
>「第二伝記」を「ペルージアの伝記」と比較すると、その「第二の伝記」の中でチェラノは、
>たいてい文にはより文学的な形を与え、「ペルージアの伝記」の内容を
>ほとんど全部入れたということが分かる。その点では、チェラノのトマスの死の3年ぐらいの後で、
>1263年ごろ、決定的なものとして最後に書かれた、聖ボナヴェントウラによる
>「聖フランシスコの大伝記」は、少し違う。すなわち、聖ボナヴェントウラは、その作品を作るとき、
>大分チェラノの両伝記を使用し、それはある箇所をほとんど写すほどであるが、
>チェラノが「ペルージアの伝記」から拾い出したらしいエピソード、話などを、何度も
>省くのである。しかしそれは聖ボナヴェントウラの目的に適っている。すなわち、主な出来事を
>きれいに描きながら、短く、明らかに聖フランシスコの精神とその生涯の霊的なメッセージを示そうとするのであった。
第二伝記だけしか持っていないが、もくじを見てみると興味深い。
もくじにある各章には、並行記事のある別伝記の名称が書かれているわけだが、
第二伝記にしか無いエピソードもあれば、あと一つの伝記にもあるエピソード、
あと二つの伝記にもあるエピソードがわかる。福音書のようだ。
amazonでの取り扱い状況を見てると信じがたいが、
以前に聞いたところによれば和訳版元のあかし書房はじつは潰れてないらしい。
422 :
前世は一在家 :2010/07/23(金) 01:03:34 ID:ZHdEEVO4
>>304 >@自分の気に入らない学説を説いたジョン(偽者)への恨みを果すためジョン(本物)をアホとして描く。
貴兄の譬え話は難しくて理解できず、回答を控えます(無記)。
自分の気に入らない教えを説いたトマス伝筆記者への恨みを果たす為に
トマス(本物)をアホとして描いた筆記者がおりましてね、2世紀頃に。
423 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 09:37:55 ID:KpYrNhnj
こっちでつけていたこのコテ(ペイゲ(仮))は議論スレの次スレでも使用することにしよう。
>>422 「貴兄の譬え話は難しくて理解できず、」
そんなわけないよな。まず日本語として難しいものではない。
そして、下二行で304で述べた喩えの意味を前提して返答している。
>>311 でもちゃんと答えている。
>自分の気に入らない教えを説いたトマス伝筆記者への恨みを果たす為に
>トマス(本物)をアホとして描いた筆記者がおりましてね、2世紀頃に。
その前提には根拠が無い。「なんかわからんけど、とにかくそうしたに違いない」
という強弁でしかない。
424 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 10:55:08 ID:OqOE/Io+
「トマスのアホさ」と「トマス福音書の異端性」は全く性質が異なることに注意しなくてはならない。 「トマスのアホさ」は単にイエスを理解できなかった、示されるまで受け入れなかった。 というものだが(でも示されれば「私の主、私の神」と呼ぶ)、 「トマス福音書の異端性」は(少なくとも正統派から見て)偽りの福音書を捏造し、 イエスの名でもって謬説を説いた、というものだ。 前者は未熟という意味でしかないが、後者は厳然たる悪なわけ。 前者はイエスから直接示されて、あらためてイエスを称えている。 加えて、イエスの神性を証する花形であると言えなくも無い。 そもそも恨みを果すための描写と言えるだろうか? 昔は学生やってた教授も(優秀ではあったにせよ)最初から 既に学者レベルだったわけではないだろう。 失敗、誤解があってもおかしくはない。それでも きちんと言われて自分の態度を改めた、と記述されれば ジョン(本物)はペイゲルスに馬鹿にされたとは感じないだろう。 外野から、ペイゲルスは「ジョン (偽者)を批判するために、 あなたをあんなふうに伝記で書いたんですよ」と言われても 「いやその理屈はおかしい」となるだろう。
>>424 何を根拠に、また、どういう指標を元に、「偽り」とか「捏造」とかという判定をされているのでしょうか。
426 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 12:22:53 ID:OqOE/Io+
>少なくとも正統派から見て
427 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 12:34:18 ID:OqOE/Io+
成立年代が四福音書より遅れる。
ヨハネより先んじるか同時代という主張に根拠が無い。
それだけ古い写本が見つかっている訳ではなく、
「異端」を批判する為にれっきとした「使徒」を貶めた、
というあまりに意味不明な論拠に依存している。
イエスとトマスを「双子」として結びつける、といったグノーシス主義の特徴を持つ。
グノーシス主義はヘブライの信仰と真っ向から反対する神観、世界観を持つ。
もしイエスが元々(
>>402-403 のような脳内グノーシスではない通常の定義における)グノーシス主義の人間であったなら
イスラエルの宗教の流れを汲む宗教が、後付けで彼をキリストとして扱い、取り込んだりはしない。
>>427 >成立年代が四福音書より遅れる。
その根拠は何でしょうか。キリスト教の文献以外でそれを証明するものはありますか?
>ヨハネより先んじるか同時代という主張に根拠が無い。
これはその通りだと思いますが、「偽り」や「捏造」の判定とは無関係ですよね。
>「異端」を批判する為にれっきとした「使徒」を貶めた、
>というあまりに意味不明な論拠に依存している。
それは、誰の主張ですか?
>グノーシス主義はヘブライの信仰と真っ向から反対する神観、世界観を持つ。
それは反宇宙的二元論グノーシス主義の場合の話であって、
ユダヤ教グノーシス主義、キリスト教グノーシス主義には当てはまりません。
グノーシス主義を否定したい側は、そういう枠組みに押し込めようとしますが、
グノーシス主義を主張する側から、そのような限定されたものであることを主張することは普通はありません。
>もしイエスが元々グノーシス主義の人間であったなら
>イスラエルの宗教の流れを汲む宗教が、後付けで彼をキリストとして扱い、取り込んだりはしない。
それは貴方の推測であって、そのように断定できるものではないでしょう。
例えば、カトリックの神父ですら、イエスは十字架(当時そのようなものを作るのは高価だった)にかけられたのではなく、
杭にぶら下げられて無残に死んだ、また生き返ったりはしておらず、復活の予言は、事後予言であって後世に捏造されたものだとか、主張する人もいます。
イエスが実在したかどうか、また、実在したとしてもキリスト教徒が主張するような人間であったかどうかは、今となってはわからないことだと思います。
光と闇については宗教的な二元論だけではなく 地上の権力に対する揶揄や 隠喩に使われることもある クムランの宗派文書がその典型ですね 彼らは保守の癖になぜかw マカバイ家がだいっきらいだったようですから クムランが荒野に逼塞した理由のひとつかもしれませんね だからそれも念頭に置かないと在家のような道化になってしまいますw
>>428 聖書の歴史的問題を論じる際に
>キリスト教の文献以外でそれを証明するものはありますか?
はガキの言い分ですからいい加減やめようw
それを持ち出すならグノーシスなんて
>キリスト教の文献以外でそれを証明するものはない
。。。と言う情けないことになるw
>それは反宇宙的二元論グノーシス主義の場合
そもそもキリスト教含めたユダヤ的宇宙観は二元論ではありえないw
隠された叡智なんてないしw
人間は徹底的に神の模造でそれから変化することもないw
>グノーシス主義を主張する側から、そのような限定されたものであることを主張することは普通はありません。
畜生在家はその典型だなw自分らが利用するためにキリスト教に規制するのがグノーシスw
>例えば、カトリックの神父ですら、
そういう糞リベラルは現実世界ではとっくに力を失っているのでww
十字架はローマの処刑法でイエスの刑を執行したのはローマだった だから実在するしw
復活にしても旧約からの預言で新約編纂当時には承認が多くいた
イエズスの実在に関しては釈迦だってゾロアスターだって確証はないw
>>430 >聖書の歴史的問題を論じる際に
それはキリスト教の立場とそれ以外の立場で変わってきますよね。
>それを持ち出すならグノーシスなんて
>>キリスト教の文献以外でそれを証明するものはない
グノーシス主義は歴史的な証明を必要としません。
歴史がどのようなものであったとしても問題ないのです。
極端な話、世界が5分前に創造されたとしても問題ありません。
>隠された叡智なんてないしw
>人間は徹底的に神の模造でそれから変化することもないw
それはキリスト教徒や貴方の信仰に過ぎません。
>十字架はローマの処刑法でイエスの刑を執行したのはローマだった
これもキリスト教徒の信仰であって、当時のローマの記録からは見つかっていません。
「処刑なかった」とは言いません。が、あったという証拠もないのです。
>>431 >それはキリスト教の立場と
常識の問題ですなぁw
>グノーシス主義は歴史的な証明を必要としません。
思い込みですかw
>それはキリスト教徒や貴方の信仰に過ぎません。
絶滅宗教と違ってすでに世界基準ですよキリスト教はwww
>これもキリスト教徒の信仰
いいえ
属領については死刑はローマの管轄です
433 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 14:27:01 ID:OqOE/Io+
>>428 >これはその通りだと思いますが、「偽り」や「捏造」の判定とは無関係ですよね。
客観的事実として「偽り」がどうか、という話はしていない。
>それは、誰の主張ですか?
ペイゲルス。このスレを「ペイゲルス」で検索すればわかる。
>ユダヤ教グノーシス主義、キリスト教グノーシス主義には当てはまりません。
ヤハウェをヤルダバオート扱いする態度とは調和しない。
>例えば、カトリックの神父ですら、イエスは十字架(当時そのようなものを作るのは高価だった)にかけられたのではなく、
>杭にぶら下げられて無残に死んだ、また生き返ったりはしておらず、復活の予言は、事後予言であって後世に捏造されたものだとか、主張する人もいます。
「グノーシスとの立場の違い」とは異なる。なぜならその神父は「別の信仰」を根拠に
それらを否定したわけではないからだ。例えばムスリムが自身の信仰を元にイエスの磔刑を否定するのとは違う。
福音書を書いたのは、特定の信仰を持っている人々だ。書く内容を事実と信じている人々だ。
434 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 14:35:57 ID:OqOE/Io+
>>431 >極端な話、世界が5分前に創造されたとしても問題ありません。
脳内グノーシスはどうでもいい。
>これもキリスト教徒の信仰であって、当時のローマの記録からは見つかっていません。
あちらからすれば、辺境の異教カルト教祖が処刑された程度の話だろう。
磔刑というのは、律法では汚らわしいものにあたる。申命記21章23節を参照。
かなり強い表現で否定されている。
神の子として創作する際に、わざわざ後付けで穢れた設定をつけるだろうか?
開祖が処刑されてしまった、という事態がまずあり、そこから十字架刑にまつわる
教えが形成されていった、というほうがまだ筋が通る。
>>432 >属領については死刑はローマの管轄です
その記録は残っていません。「処刑がなかった」とは言いませんが、あったという証拠もないのです。
>>433 >ペイゲルス。このスレを「ペイゲルス」で検索すればわかる。
ペイゲルスの主張であって、「偽り」や「捏造」の判定とは無関係ですよね。
>ヤハウェをヤルダバオート扱いする態度とは調和しない。
ですから、それは反宇宙的二元論グノーシス主義の場合でしょう。
>福音書を書いたのは、特定の信仰を持っている人々だ。書く内容を事実と信じている人々だ。
そのように思いたいのはわからないではないですが、それはわからないと思います。
物語を書いた人が、その物語を信じているかどうかは別の問題ですよね。
>>434 >脳内グノーシスはどうでもいい。
貴方はグノーシス主義とはどういう立場のこと指し示すのかわかってないと思われます。
>神の子として創作する際に、わざわざ後付けで穢れた設定をつけるだろうか?
そこは想像の世界なのでわからないと思います。
人間が「創作」することができない物語があるのでしょうか。
>開祖が処刑されてしまった、という事態がまずあり、そこから十字架刑にまつわる
>教えが形成されていった、というほうがまだ筋が通る。
可能性としてはそちらの方が高いようには思えます。
ユダヤ教徒の話としては、クーデターを謀ったために処刑されたというのも聞いたことがあります。
ただ、だからといって、それが正しいと主張しているわけでもありません。
438 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 17:57:33 ID:DVEr6nQG
>>436 >ペイゲルスの主張であって、「偽り」や「捏造」の判定とは無関係ですよね。
「正しさ」や「真正性」の論拠として挙げられたのなら、関係がある。
その論拠が切り崩されるわけだから。正しさや真正性を主張する根拠が一つ消えるわけだ。
>ですから、それは反宇宙的二元論グノーシス主義の場合でしょう。
ユダヤ教グノーシス主義、キリスト教グノーシス主義とは具体的にどういうものを指しているんだ?
カバラを前者のカテゴリにぶっこむような独自用語じゃないといいんだが。
>物語を書いた人が、その物語を信じているかどうかは別の問題ですよね。
創作物語としては書かれてはいない。
作り事として割り切っているのなら、旧約に予言された存在であることに
あれほど固執はしない。ルカ伝の冒頭では、事実の記録と報告である旨が
記されている。書いた当人らに創作という意識があったというなら
そちらのほうに立証責任がある。
439 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 18:16:34 ID:DVEr6nQG
>>437 >そこは想像の世界なのでわからないと思います。
>人間が「創作」することができない物語があるのでしょうか。
娯楽のための創作するのと、信仰の対象とするのは別。
強烈な宗教的タブーを持つヘブライの宗教ならなおさら。
>ただ、だからといって、それが正しいと主張しているわけでもありません。
重要なのは、イエスの存在を創作する理由や必然性が皆無ということ。
イエスの名を高めるような付けたしはあっても、
わざわざイエスを貶めるような付けたしを後付けでする理由が無いこと。
そのような存在が捏造されたところで、広がる理由が無いこと。
当時のユダヤ教にとって「イエスの教え」は誤った律法解釈であり、
異端の謬説。しかも本文中では既存の宗派がかなりひどく批判されている。
イエスを信じ、熱心に信じる者がそれなりの数存在しなければ
福音書が伝達・伝承され、その教えが宗教として存続したことに説明がつかない。
440 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 19:10:09 ID:DVEr6nQG
キリスト教グノーシス主義なら以前のレスで書いてあったな。
>キリスト教グノーシス主義者は、キリスト教なのです。(
>>398 )
脳内グノーシスはいらない。それを前提に
>貴方はグノーシス主義とはどういう立場のこと指し示すのかわかってないと思われます。
と言われても困る。 グノーシスという語を「知識・認識」であることを元に自由な創作をしているようだが、
例えばイスラームという場合、「神に服従する」というコンセプトを持つ信仰なら何でも指すとは普通なら考えない。
あくまでクライシュ部族のムハンマド・イブン・アブドゥッラーが創始した「服従」という語義の名前を持つ宗教のことを言う。
グノーシスもまた同様。
>>435 容易に類推できる事柄です
ユダヤでは普通絞殺してから木に晒す
晒しながら死に至らしめるのはローマの処刑法です
>>438 >その論拠が切り崩されるわけだから。正しさや真正性を主張する根拠が一つ消えるわけだ。
そうです。しかし元の話(
>>425 )の、
「何を根拠に、また、どういう指標を元に、「偽り」とか「捏造」とかという判定をされているのでしょうか。」
の根拠にも、指標にもなっていません。
例えば、ある人がいい加減な根拠によって「イエスが実在した」と主張しており、その根拠が消えたとしても、
「イエスが実在しなかった」となるわけではありません。あくまで一つの論拠が消えたに過ぎないのです。
>ユダヤ教グノーシス主義、キリスト教グノーシス主義とは具体的にどういうものを指しているんだ?
それぞれの宗教において、グノーシス主義という立場をとる人です。
それとも、グノーシス主義がどういう態度や立場なのかわからないということでしょうか?
>創作物語としては書かれてはいない。
それはわかりません。そう信じるのは、それこそ信仰だと思います。
>作り事として割り切っているのなら、旧約に予言された存在であることに
>あれほど固執はしない。
創作でも固執するかもしれません。それは人によるでしょう。
>ルカ伝の冒頭では、事実の記録と報告である旨が
>記されている。書いた当人らに創作という意識があったというなら
>そちらのほうに立証責任がある。
創作だとは主張していません。「創作だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない」です。
>>439 >娯楽のための創作するのと、信仰の対象とするのは別。
それは作った本人しかわからないと思います。
>強烈な宗教的タブーを持つヘブライの宗教ならなおさら。
ユダヤ教徒は新約聖書は認めていません。
>重要なのは、イエスの存在を創作する理由や必然性が皆無ということ。
>イエスの名を高めるような付けたしはあっても、
>わざわざイエスを貶めるような付けたしを後付けでする理由が無いこと。
>そのような存在が捏造されたところで、広がる理由が無いこと。
それらはユダヤ教とは別の新興宗教を作る立場なら十分理由になりえます。
>当時のユダヤ教にとって「イエスの教え」は誤った律法解釈であり、
>異端の謬説。しかも本文中では既存の宗派がかなりひどく批判されている。
ここは、おそらくその通りだと思います。
>イエスを信じ、熱心に信じる者がそれなりの数存在しなければ
>福音書が伝達・伝承され、その教えが宗教として存続したことに説明がつかない。
旧約の様々な事象同様、信じる対象が実在したかどうかとは別の話ですよね。
真偽に関わらず、熱心に信じる者がいれば存続するというだけのことですよね。
>>440 >グノーシスという語を「知識・認識」であることを元に自由な創作をしているようだが、
いいえ。違いますよ。
>例えばイスラームという場合、「神に服従する」というコンセプトを持つ信仰なら何でも指すとは普通なら考えない。
>あくまでクライシュ部族のムハンマド・イブン・アブドゥッラーが創始した「服従」という語義の名前を持つ宗教のことを言う。
こちらはその通りだと思います。
>グノーシスもまた同様。
同様とは具体的にどういうことでしょうか。
グノーシス主義の立場がどういうものであるかわかってないのですか?
>>441 そういうことではなく、当時のローマの文献には、イエスの処刑が行われたという記録は残っていないということです。
>>445 そんなこといったら天皇家の存在もAD5世紀まで存在しないことになるw
釈迦もゾロアスターもムハンマドも怪しいなぁw
おまいさんも先祖がいたかどうか。。。w
447 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 21:45:10 ID:EcXltMW1
>>422 >「イエスが実在しなかった」となるわけではありません。あくまで一つの論拠が消えたに過ぎないのです。
他に有力な論拠があるならその通り。無ければきわめて怪しい、となる。
>それぞれの宗教において、グノーシス主義という立場をとる人です。
>それとも、グノーシス主義がどういう態度や立場なのかわからないということでしょうか?
オリジナル定義は知らないな。
>それはわかりません。そう信じるのは、それこそ信仰だと思います。
福音書の文面は確認した?あれで「わからない」なら、
著者の意図のわかる文章なんてこの地上に存在しなくなる。
448 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 22:12:09 ID:EcXltMW1
>>442 >創作でも固執するかもしれません。それは人によるでしょう。
「人による」レベル。これで人数が大幅に減る。命をかけるほどの
人間がどれほどいるか?宗教運動を維持できる勢いを持てるか?
>>443 >ユダヤ教徒は新約聖書は認めていません。
作りだした人間が元ユダヤ教徒だと言ってるだけだが。
他の人を説得できなかったからといって、その出自が
元ユダヤ教徒であることまで否定することはできないだろう。
>それらはユダヤ教とは別の新興宗教を作る立場なら十分理由になりえます。
ユダヤ教が勝手に言ってることならそれでよかった。
しかしそれは旧約聖書という原典に書いてある。
キリスト教徒はユダヤ教と同じく旧約聖書の正しさを主張し、
なおかつ開祖の権威をそこから引き出している。旧約を捨てるなら、旧約の記述を
誤りとして否定し、木にかけられたからなんだ、そんなものは糞くらえ、と言うことができる。
しかし、それをしなかった。
イエス自身が旧約を朽ちることのない神の教えとみなし、
自身を旧約の予言と結びつける発言をしていたから、
それゆえ、信者はイエスが木にかけられてもその死に意義を与えなければならなかった、
とするほうがまだ説明がつく。
449 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 22:25:45 ID:EcXltMW1
>>443 >旧約の様々な事象同様、信じる対象が実在したかどうかとは別の話ですよね。
福音書の成立時期の早さがそうでもなくしている。数百年、千年単位も前のことを
いきなり言い出した、ってなわけではない。
>真偽に関わらず、熱心に信じる者がいれば存続するというだけのことですよね。
「真実」として存続するためには、「真実」であると信じる人々の存在が必要だ。
神が明かした真実だと主張しつつ、既存の宗教的立場と衝突する場合なおさらね。
>>444 >いいえ。違いますよ。
なら具体的に説明しないと。
「キリスト教グノーシス主義者は、キリスト教」だとか
「カトリック・グノーシス主義だって存在可能」という
オリジナリティしか見せてもらっていない。
>>446 「存在しない」ではなく、どのように存在したか確かではないというだけです。
また、親から子が生まれるわけですから、今いる人間の先祖は一般的には「いた」はずでしょう。
>>447 >他に有力な論拠があるならその通り。無ければきわめて怪しい、となる。
いえいえ、その中間もあるわけです。
イエスの実在性については、キリスト教徒でない限り、疑問の余地があるのが一般的です。
ただし、これは疑問があるだけで、実在を否定するものでもありません。
>オリジナル定義は知らないな。
貴方が知っているものを書いてみては如何でしょうか。
>福音書の文面は確認した?あれで「わからない」なら、
>著者の意図のわかる文章なんてこの地上に存在しなくなる。
もちろん、他者に「創作」と思わせるように書いていないのは同意ですが、
「あたかも事実である」かのように創作されていないかどうかまではわかりません。
452 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 22:45:31 ID:EcXltMW1
>>451 >いえいえ、その中間もあるわけです。
中間は中間でもど真ん中、とはいかない。思想上の違いから、
否定側に大きく寄っている。
>貴方が知っているものを書いてみては如何でしょうか。
そちらが「反宇宙的二元論グノーシス主義」と言ってるもののことだ。
そんなまだるっこしいことをせず、そちらから明示してくれ。
>>449 で引用したような記述をはじめにし始めたのはそちらなんだから。
>もちろん、他者に「創作」と思わせるように書いていないのは同意ですが、
>「あたかも事実である」かのように創作されていないかどうかまではわかりません。
わからない、とする根拠は?どこに意図的創作の自覚があることを仄めかす要素がある?
相対主義を乱用してるようにしか見えないのだが。
>>448 >「人による」レベル。これで人数が大幅に減る。命をかけるほどの
>人間がどれほどいるか?宗教運動を維持できる勢いを持てるか?
命をかけて滅んだ宗教もたくさんありますし、それらは創作性を否定する根拠にはならないと思われます。
また、キリスト教徒ではない、聖書学者からの意見は、創作を肯定するほうが多いように思えます。
特に旧約聖書の創世記などは、大多数の人が創作物だと考えているのではないでしょうか。
>元ユダヤ教徒であることまで否定することはできないだろう。
それは否定はしませんが、「強烈な宗教的タブーを持つ」はそこでは根拠として採用できないと思います。
>キリスト教徒はユダヤ教と同じく旧約聖書の正しさを主張し
そこはどうでしょうか。旧約の神の言う「滅ぼせ」という態度とか、神から悪霊が来たとかは、キリスト教徒の中でも同意しかねる人もいるようです。
>なおかつ開祖の権威をそこから引き出している。
その点については、現代でもキリスト教系カルトの新興宗教はそういうことをしていますね。
>旧約を捨てるなら、旧約の記述を誤りとして否定し、木にかけられたからなんだ、そんなものは糞くらえ、と言うことができる。
できますが、そういうことを言わないという選択もありますね。
>イエス自身が旧約を朽ちることのない神の教えとみなし、自身を旧約の予言と結びつける発言をしていたから、
いえいえ、そこは「イエスという人物を想像し、イエス自身が旧約を朽ちることのない神の教えとみなし、
自身を旧約の予言と結びつける発言をしていたという物語」でもいいわけです。それでは説明がつかないと思うのはキリスト教徒ぐらいでしょう。
>それゆえ、信者はイエスが木にかけられてもその死に意義を与えなければならなかった、
カトリックの中の人にも後世が復活を捏造したという立場もありますから、それはそうかもしれませんが、確かなことはわからないと思います。
>>449 >福音書の成立時期の早さがそうでもなくしている。
早さの問題でもないと思います。
キリスト教徒以外の聖書研究者は、奇跡は事実ではなく創作という立場をとっていますし、
現代科学の教養がある人には、奇跡を信じる人は少ないです。
処女懐胎も熱心なキリスト教徒以外信じていません。
>「真実」として存続するためには、「真実」であると信じる人々の存在が必要だ。
>神が明かした真実だと主張しつつ、既存の宗教的立場と衝突する場合なおさらね。
でも、それが真実であるかどうかとは別ですよね。そうでなければ、イスラームだって真実ということになるでしょう。
部外者から見れば、「イスラームもキリスト教徒も、真実もあるかもしれないが、間違いもあるんじゃないの?」だと思います。
>>449 >なら具体的に説明しないと。
貴方が一般的なグノーシス主義とは何かわからないというのならご説明いたします。
>「キリスト教グノーシス主義者は、キリスト教」だとか
グノーシス主義というのは、「主義」であって宗教ではありません。
だからその場合はキリスト教徒になるわけです。キリスト教徒に菜食主義者がいるのと同じです。
>>453 >また、キリスト教徒ではない、聖書学者からの意見は、
意味ないですね 祖もそのその学者とやらの質が問題ですw
>そこはどうでしょうか。旧約の神の言う「滅ぼせ」という態度とか、
まったく無問題ですw現在の基準で計るなw
>カトリックの中の人にも後世が復活を捏造したという立場もありますから
そいつはただの阿呆ww
>>454 >キリスト教徒以外の聖書研究者は
おまえ朝鮮の歴史家の天皇研究信じるタイプwww
>でも、それが真実であるかどうかとは別ですよね。
クリスチャンの立場で論じてるんだよバカw
ここはキリスト教誹謗スレだからwww
457 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 23:45:21 ID:8z/o1+mE
>>453 >命をかけて滅んだ宗教もたくさんありますし、
命をかけても滅ぶ宗教がある。それによって命をかけないことで可能性が高まる、
とはならないだろう。そこは命をかけても滅ぶなら、なおさらが妥当だ。
>また、キリスト教徒ではない、聖書学者からの意見は、創作を肯定するほうが多いように思えます。
>特に旧約聖書の創世記などは、大多数の人が創作物だと考えているのではないでしょうか。
聖書に創作は無い、とは言っていない。イエスの場合、
彼の存命時期と、福音書の成立年代の近さを考慮に入れて話をしている。
>数百年、千年単位も前のことをいきなり言い出した、ってなわけではない。
>「強烈な宗教的タブーを持つ」はそこでは根拠として採用できないと思います。
「根拠」にかかるのは「聖典で汚らわしいとされる死に方を創作する可能性」の部分だ。
>そこはどうでしょうか。旧約の神の言う「滅ぼせ」という態度とか、神から悪霊が来たとかは、キリスト教徒の中でも同意しかねる人もいるようです。
新約と旧約を切り離すのはイエスの教えではない。実際には聖書の主張をあまり信じてないだけ。
それも「別の信仰」によって否定しているのではない。
福音書記者の信仰はそうではないし、そちらを意識してキリスト教徒は、と言った。
>カトリックの中の人にも後世が復活を捏造したという立場もありますから、
所属してるだけで信じていない人を例にはあげられないだろう。
>>455 宗教ですね
現代の研究者は荒井の阿呆のようなキリスト教のアンチテーゼではなく
独自の宗教とみなしています
459 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 23:48:56 ID:8z/o1+mE
>>454 >早さの問題でもないと思います。
>キリスト教徒以外の聖書研究者は、奇跡は事実ではなく創作という立場をとっていますし、
その創作は「潤色」という意味合いだよね。実在した自分たちの開祖を
超人化、権威化しようとした。
>でも、それが真実であるかどうかとは別ですよね。
だから「 」付きで真実と書いている。「神が明かした真実だと主張しつつ」と続けている。
でも本人たちにとっては「 」はない。
460 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 23:50:30 ID:8z/o1+mE
>>455 どういう「主義」か内容を述べてくれないと。
462 :
ペイゲ(仮) :2010/07/23(金) 23:55:19 ID:8z/o1+mE
>>461 だから別宗教
キリスト教は契約なのでw
真理の探求なんて必要ないのw
テラワーダと真宗の念仏なみの差異がありますw
>>456 >意味ないですね 祖もそのその学者とやらの質が問題ですw
>まったく無問題ですw現在の基準で計るなw
>そいつはただの阿呆ww
それは貴方の信仰であり、貴方の信仰はここでは何の意味もありません。
>おまえ朝鮮の歴史家の天皇研究信じるタイプwww
いいえ。人間が昔から伝えてきたものは、確かであるかどうかわからないという立場です。
>クリスチャンの立場で論じてるんだよバカw
こちらはキリスト教徒の意見を聞いているのではありません。
>ここはキリスト教誹謗スレだからwww
それは違うと思います。
>>464 誹謗スレです
真光という現実に何人も使者を出してる殺人カルトの信者が
グノーシスを使ってキリスト教を利用しようとするスレだからです
>>457 >命をかけても滅ぶ宗教がある。それによって命をかけないことで可能性が高まる、
>とはならないだろう。そこは命をかけても滅ぶなら、なおさらが妥当だ。
全然妥当ではないと思います。それらは評価軸になるとは限らないということが言えるだけでしょう。
>「根拠」にかかるのは「聖典で汚らわしいとされる死に方を創作する可能性」の部分だ。
どうでしょうね。逆説的な話が多いため、そういうことがあってもおかしくはないと思います。
もちろん創作ではなくて、イエスのモデルとなる人物がいてクーデターを謀って処刑されたぐらいは、ありえそうに思えますが。
キリスト教徒でなければ、新約聖書の記述がどこまで信憑性があるかは疑問の余地が多分にあると思います。
>新約と旧約を切り離すのはイエスの教えではない。
そうではなく、「新約と旧約を切り離すのはイエスの教えではない」とされている。です。
仮にイエスが実在したとしても、数年間の説教の量は恐らく福音書に記述されたことよりも遥かに多く、殆どは失われた可能性もあります。
その一部を抽出したもので、イエスの全体像を正しく表しているかどうかは、キリスト教徒でなければ、疑問の余地があるでしょう。
それは兎も角、イエス自身がユダヤ教徒だったとされているので、旧約を切り離すことはなかったという主張には、ほぼ同意できますが、
全肯定ではないとする主張の方が、分があるように思われます。
>所属してるだけで信じていない人を例にはあげられないだろう。
カトリックの司祭ですよ。まあ、サロメ氏の言うとおり、おかしなのもいるわけですが。
>>458 貴方が宗教だと思うのは勝手ですが、グノーシス主義は宗教ではありません。
グノーシス主義を取り込んだ宗教はあるでしょうけどね。
>>459 >その創作は「潤色」という意味合いだよね。実在した自分たちの開祖を
>超人化、権威化しようとした。
でも、創作なんてなくて全部事実かもしれないですし、創作だとしても、どこまで創作かはわからないと申し上げているのです。
>>462 要点は、ここです。
グノーシス主義・グノーシス思想は、『叡智・真智 Gnosis(γνωσι?), Sophia(Σοφια)』の存在を認め、叡智を求め、思索し、実践して行く「実存の営み」であり、
それは、究極的には、智慧と救済の超宇宙的・超理性的『光=ポース Phos(φω?)』を要請する、超越的な「希望の世界観・人間観」であるのです。
反宇宙的二元論に限らないこと、また、キリスト教の中のグノーシス主義はキリスト教徒であることもわかるはずです。
>>463 >だから別宗教
主義であって宗教ではありません。
>真理の探求なんて必要ないのw
貴方が必要ないというのも理解できますが、探求しても構いという立場が大多数でしょう。
キリスト教徒は、数学や物理の研究をしてはならないってわけではないのですから。
>>465 そんな人でグノーシス主義を見るのはよくないと思います。
サロメさんだって、田川氏でカトリックとはこういうものだと言われたら良くは思わないでしょう。
472 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 01:15:29 ID:HOQN9Qkb
>>466 >全然妥当ではないと思います。それらは評価軸になるとは限らないということが言えるだけでしょう。
いや、なるね。宗教が生育する上で、信者のモチベーションは大きな要素だ。
創作と割り切り、かつその上で固執する人間の数と各々の意思の強さを考慮するのは無駄ではない。
「命をかけても潰れた宗教」etcをこれの例として挙げるのがどの程度的確かはわからない。
開祖まで創作するほどの自覚があってやる宗教なんてパロディカルトぐらいしか無いんじゃないの?
>どうでしょうね。逆説的な話が多いため、そういうことがあってもおかしくはないと思います。
逆説的に啓示を創作するのはありえないね。離婚が実は禁止、のあたりを逆説的、と言ってるかもしれないが、
律法に明示されている以上、資格の無い者がひっくり返せば、それは神意の否定でしかない。
実際に資格がある(神の命を受けたか)という問題ではない。本人にその認識があり、
それを認める人々(信者)が現れるかだ。架空の人物が資格を持ち得ないのは当然だ。
神意を自称するものとして架空の人物を作り出すことは無い。それは創作で済む話ではなくなるから。
冒涜だね。
>ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、
>あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」(申命記 18:20)
これほどの戒めのある宗教伝統の上に成立してるわけ。
聖書にはまたこれ以外の偽預言者の警告もある。「偽物の予言」について牽制がなされた文化において、
少なくとも啓示を創作する、という発想を持つ者が現れるか?それを支持し
次世代に伝わっていくほどの人数と協調がなされるか?
473 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 01:30:40 ID:HOQN9Qkb
磔刑が無かった、というのはあからさまな矛盾だわな。 福音書では公然と処刑されたことになっているんだから。 かっこうの攻撃材料、というか、真実を装って創作するなら、 もっと足のつかない描写をするだろう。 興味深いことにグノーシス主義者も磔刑を否定する場合、 「磔刑と言う事件」そのものは否定しない。 そう見えてないだけで、実はイエスは十字架にかかっていなかった」とする。 歴史上の出来事には説明をつけてるわけ。 >そうではなく、「新約と旧約を切り離すのはイエスの教えではない」とされている。です。 新約ってのは、もちろん福音書やそこに収録されたイエスの教えも含むわけだが、 神に遣わされた、とか神の意図を語る、と主張する人物が、れっきとした神の教えと みなされる旧約と自分の教えが分断されている、と説くものか? 誇張や潤色をされる場合、モデルがなくてはならない。 このモデルとは、人物に限らず、思想や言行も含む。 肉付けの基礎となりうる点で、オリジナルのイエスが説いていた可能性が高いと当方は見ている。
474 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 01:41:39 ID:HOQN9Qkb
>>468 >でも、創作なんてなくて全部事実かもしれないですし、創作だとしても、どこまで創作かはわからないと申し上げているのです。
たとえば
>>451 のような形にまで相対主義を突き詰めるなら、
何か論拠を出して可能性を探る、どれほど確からしいかを議論することも無駄だと思う。
>>469 「他でも使えるコンセプト」だけを抜き出し、それ以外は無視しつつ
抜き出し元の名前は冠する。まさに
>>440 じゃないか。
【神の啓示を信じ、教えを守り、神に従う。
ムハンマドの説いた宗教に限らないこと、また、キリスト教の中のイスラームはキリスト教徒であることもわかるはずです。】
475 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 02:03:15 ID:HOQN9Qkb
こうした独自の「グノーシス」用法を、トマス福音書など歴史を扱うところで 持ち出しても何の意味も無い。テキトーに選んだ個人や集団を「グノーシス」認定したり、 新たに「グノーシス」な個人や集団を想(創)定して何になる? 「断定はしていない、ただ可能性を提示しただけだ。 ただしその可能性はどれくらいかはわからない」 不毛さしか感じられない。
>>472 >いや、なるね。宗教が生育する上で、信者のモチベーションは大きな要素だ。
「必ずならない」と申し上げているのではなく、「必ずなる」とは限らないということです。
>逆説的に啓示を創作するのはありえないね。
聖書には、山上の垂訓をはじめ、多くの逆説的表現が出てくるといわれています。(聖書、逆説的で検索すればいくらでも見つかります)
ありえないと考えるのは、貴方の想像力の限界を表しているだけでしょう。
>>ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、
>>あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」(申命記 18:20)
>これほどの戒めのある宗教伝統の上に成立してるわけ。
だからこそイエスや弟子は死んだのかもしれませんよね。ユダヤ教徒的には。
>聖書にはまたこれ以外の偽預言者の警告もある。「偽物の予言」について牽制がなされた文化において、
>少なくとも啓示を創作する、という発想を持つ者が現れるか?それを支持し
>次世代に伝わっていくほどの人数と協調がなされるか?
文鮮明はすごい支持者がいますよね。
時代の波に乗ったら、くだらないものでも広がったり支持されたりするものですよ。
>>473 >磔刑が無かった、というのはあからさまな矛盾だわな。
それは、なにを「信じるか」によって変わると思います。
>かっこうの攻撃材料、というか、真実を装って創作するなら、もっと足のつかない描写をするだろう。
そう考えるのは、貴方の想像の範囲の話であって、実際の人がどういう描写をするのかは、その人の能力によるでしょう。
貴方が「こうするはずはない」と思っても、もっと未来や人の考えを見据えてあえて「こうする」という人はいるものです。
貴方は、自分の考え方を、他人が同じようにすると考える時点で間違っています。
>興味深いことにグノーシス主義者も磔刑を否定する場合、
特定の宗教に拘らないグノーシス主義者は、肯定も否定もしないでしょうね。どうでもいい話ですから。
>そう見えてないだけで、実はイエスは十字架にかかっていなかった」とする。
>歴史上の出来事には説明をつけてるわけ。
クルアーンでは、イエスは十字架にかかっていませんね。死んでもいないですし。
>誇張や潤色をされる場合、モデルがなくてはならない。
当然というか、それはモデルがある場合の話ですから。モデルがなかったら、誇張や潤色とは呼びませんからね。
>このモデルとは、人物に限らず、思想や言行も含む。
もちろん、それは否定しませんよ。
>肉付けの基礎となりうる点で、オリジナルのイエスが説いていた可能性が高いと当方は見ている。
そういう可能性がないとは申し上げておりません。しかし、100%そうだとも言えず、疑問の余地はあるというだけのことです。
>>474 歴史において、どれほど確からしいかというのは、どれだけいろいろな角度から検証されたものであるかによると思います。
少なくとも利害関係にない、第三者的な記録がないと、確かなんてことはほぼ言えないでしょう。
例えば、竹島問題や日本海名称問題がありますが、日本および係争相手の根拠は、当人が正しいと思っていても、
お互いを認めないものです。そこではヨーロッパの文献とか他の国々で書かれていたことが重要な根拠になってきます。
キリスト教徒であるなら、キリスト教が提示する根拠だけを信じていればいいでしょうが、
キリスト教を外から見る世界の歴史においては、そうでないのは、誰の目にも明らかでしょう。
死海写本のようなものが新たに見つかり、別の視点から検証が進めばそれなりの確かさが得られるかも知れません。
>>475 >こうした独自の「グノーシス」用法を、
独自ではありません。
グノーシス主義・グノーシス思想は、『叡智・真智 Gnosis(γνωσι?), Sophia(Σοφια)』の存在を認め、叡智を求め、思索し、実践して行く「実存の営み」であり、
それは、究極的には、智慧と救済の超宇宙的・超理性的『光=ポース Phos(φω?)』を要請する、超越的な「希望の世界観・人間観」であるのです。
というだけのことです。逆に言えば、そういう態度、立場をとる人は「グノーシス主義」としても問題ありません。
>テキトーに選んだ個人や集団を「グノーシス」認定したり、新たに「グノーシス」な個人や集団を想(創)定して何になる?
そこに「グノーシスの光」があれば、その光を求める人へのヒントになります。
「真理」があるところには、「グノーシスの光」があるわけで、それはグノーシス主義者が書いたかどうかとは関係のないことです。
人間には本質的に「グノーシスの光」があると考えるのが、グノーシス主義者の立場ですから、
本人が意識していようがいまいが、それが文献や芸術に顕現されるのは、何も不思議なことではありません。
480 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 13:14:24 ID:EGdQKjrj
>>476 >それは、なにを「信じるか」によって変わると思います。
批判側にとっても、ということだよ。「信じるか」の内容が
架空とみなす出来事でもいい、と彼らが見なしていたというなら、
そちらがその可能性の根拠を示すべきだ。
>聖書には、山上の垂訓をはじめ、多くの逆説的表現が出てくるといわれています。(聖書、逆説的で検索すればいくらでも見つかります)
山上の垂訓の場合、「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」等、何かが欠けている状態と、
神によってその欠乏が埋め合わされることがセットになっている。後者があるからこそ、前者は幸いと言える。
実際にある苦しみだからこそ、それはある。他の「逆説」の紹介と解説も見てきたが、
物質的世俗的価値観や、損得の計算とは異なる、というものだ。
意図的に落ち度を創作しても良い、という発想につながるものは見えないのだが。
「それでも神は救ってくれるから、罪を意図的に行う」という発想は新約に表現されていない。
神を手段として利用することだからな。そんな発想のある宗教のほうがありえないだろう。
「逆説的」という字面だけから意味を引き出そうとしているように見えるな。
>ありえないと考えるのは、貴方の想像力の限界を表しているだけでしょう。
整合性を無視することが、想像力の高さを証明はしないだろう。
>文鮮明はすごい支持者がいますよね。
>時代の波に乗ったら、くだらないものでも広がったり支持されたりするものですよ。
内容がくだらないか、ではなく当人たちの意識の話をしているのだが?
そもそも時代の波に乗るために必要な要素のね。
481 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 13:33:21 ID:EGdQKjrj
>>477 >そう考えるのは、貴方の想像の範囲の話であって、実際の人がどういう描写をするのかは、その人の能力によるでしょう。
それさえ思いもよらない人物なら、大した知性は無い、と言える。
その程度の考慮もできない人間が、少なくとも四人、情報元や伝承を伝える集団を
含めればそれ以上いたことになる。どちらがありえない話か、どちらがありうる話か。
>特定の宗教に拘らないグノーシス主義者は、肯定も否定もしないでしょうね。どうでもいい話ですから。
それは「歴史的に当時存在したグノーシス主義者」の意見じゃないんだろ?
根拠は無いけどいたかもしんない。相対主義的な意味で。という話なら
するだけ無駄。
>クルアーンでは、イエスは十字架にかかっていませんね。死んでもいないですし。
6世紀になって生まれた人物の意見をとりあげて何になるの?
クルアーン 4:157–158に「只かれらにそう見えたまでである。」とあるな、
そう見えたことがあった。というわけで、ユダがかかった、という説が生まれている。
>当然というか、それはモデルがある場合の話ですから。モデルがなかったら、誇張や潤色とは呼びませんからね。
創作の可能性の低さについて説明はした。
>そういう可能性がないとは申し上げておりません。しかし、100%そうだとも言えず、疑問の余地はあるというだけのことです。
どちらが確からしいか、という話をしている。極端な相対主義を用いないなら、
ナザレのイエスという人物そのものの存在を否定する根拠はない。
なのでソクラテスのような人物でも歴史教科書に実在人物として書かれる。
GODISNOWHEREさんは穏健だなぁw ただ契約の次元とグノーシス的信仰宇宙は両立しないんだよ 新約にしても圧倒的上位の神が圧倒的に譲歩して立てられてる 人類はそれを受け入れるしかないものだからね
483 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 13:51:58 ID:EGdQKjrj
>>479 >というだけのことです。
と書いてるのは誰?現代のサイト主さんでしょ。
少なくとも当時に遡れるわけではない。
なんでそんな用法を歴史談義で使わなくてはならない?
トマス福音書の書き手の候補として念頭に入れなくてはならない?
断定さえしなければ可能性を乱発してもいいのか。
484 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 14:07:43 ID:EGdQKjrj
>>482 圧倒的上位の神から、自然や論理を超えた信仰の光をいただき、
希望をもって生きることを可能にする、
英知をもとめ、研鑽することで神に対する思索を深め、
信仰生活や伝道の役に立てる。……というわけで両立する。
てな感じで結びつけられると思う。
>>480 >架空とみなす出来事でもいい、と彼らが見なしていたというなら、
そのようなことは申し上げておりません。そうなのかちがうのか、わからないというだけです。
>意図的に落ち度を創作しても良い、という発想につながるものは見えないのだが。
貴方が「見えない」というのは理解できます。しかしそれを他の人に適用できるかといえば違うと思います。
そもそも「落ち度」と決まった話でもありませんし。
>整合性を無視することが、想像力の高さを証明はしないだろう。
福音書のイエスの言葉(とされる)ものでも整合性が取れていないぐらいですから、
整合性を無視した創作が行われている可能性もありますね。
>当人たちの意識の話をしているのだが?
>そもそも時代の波に乗るために必要な要素のね。
普通、そのようなものは知りようがありません。想像することができるだけです。
さらに「それを支持し次世代に伝わっていく」過程で捏造されたり、改変されることがあってもおかしくはありません。
例えば、熱心なキリスト教徒であれば「復活した」は納得し、信じることが出来るとは思いますが、
キリスト教徒ではない、現代科学の教養を持っている人が見れば、そこはファンタジーなんですよね。
そういう紛い物を何故入れたのか、何故事実をそのまま受け入れなかったのか、
といった疑惑が否定派から出るのも一理あるでしょうし、もっとも重要な部分が捏造されていたら、他は信頼するに値しないわけです。
結局どこまでが事実ということには結論が出なく、どこまで信じるかという信仰の問題に過ぎないと思います。
>>484 >英知をもとめ、研鑽することで神に対する思索を深め、
>信仰生活や伝道の役に立てる。……というわけで両立する。
無くてもよいものではあるが アリストテレスやガレイノスなどのように
あると大変役立つ ってかんじですね
487 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 14:32:09 ID:EGdQKjrj
>>485 >そのようなことは申し上げておりません。
その可能性を想定していないなら、「そうなのかちがうのか、わからない」とはならないよね。
選択肢が無いのだから。その可能性の根拠について説明してほしい。
できないがそうかもしれない。なら、これ以上議論の進展のしようがない。
>そもそも「落ち度」と決まった話でもありませんし。
> 普通、そのようなものは知りようがありません。想像することができるだけです。
>さらに「それを支持し次世代に伝わっていく」過程で捏造されたり、改変されることがあってもおかしくはありません。
事実であれば悲劇、別の立場から見ればやはりメシアでなかったという証明。
後発的に造る理由が無い。教祖があんな目に遭ったが、実は意味があったに違いない、
という発想のもと意味が付加された。……という論をこれまで展開してきた。
その上で「可能性が低いと言える理由」も重ねてきた。この上で「どちらが確からしいか」という話をした。
信仰なしでも、ここまでは言える、という範囲を出した。
>福音書のイエスの言葉(とされる)ものでも整合性が取れていないぐらいですから、
>整合性を無視した創作が行われている可能性もありますね。
並行記事の矛盾とかそんな話だろ?後天的な付加や情報の欠落は否定していない。
伝承する人間と、受け手が多くいたことの証とはなっても、個別の個所の
改変を疑う理由にはなっても、コアとなった「ナザレのイエス」を否定する根拠にはつながらないと思うが。
>>486 「神を素直に信じられることこそ最高の知恵」とか
そんな微調整を加えて、両立をさせちゃったりして。
相手が受け入れなくても、俺がそう思うならグノーシス、
相手が受け入れられないのは、相手がまだ理解が足りないからだ。
と相手の立場について補足すれば、一応そうカテゴリすることはできるけど
意味があるとは思えない。
>>481 >それさえ思いもよらない人物なら、大した知性は無い、と言える。
そう判断するのは貴方の考えの中の話だと思います。
>その程度の考慮もできない人間が、少なくとも四人、情報元や伝承を伝える集団を
>含めればそれ以上いたことになる。どちらがありえない話か、どちらがありうる話か。
少なくとも4人がどこから出てきたのかわかりませんが、
どちらもありえるでしょうし、それ以外もありえるでしょうね。
>それは「歴史的に当時存在したグノーシス主義者」の意見じゃないんだろ?
当時のグノーシス主義者に限定した話なんてしていません。
グノーシス主義者なんて、それ以前にも、それ以降にもいくらでもいるでしょうから。
>6世紀になって生まれた人物の意見をとりあげて何になるの?
捏造された話でも、多くの人に支持され、後世に伝わっていく良い例ですよね。
>創作の可能性の低さについて説明はした。
それは貴方にとって可能性が低いと思っていることに過ぎません。
世の中の非キリスト教の人間が、創作を否定しているわけではありません。
>ナザレのイエスという人物そのものの存在を否定する根拠はない。
普通、存在の否定の根拠というものはないものです。存在を肯定するものの確かさ問われるだけです。
>なのでソクラテスのような人物でも歴史教科書に実在人物として書かれる。
ソクラテスには非人間的な要素はありませんから、疑う必要性が少ないと思います。もちろん事実はどうだかはわかりませんが。
490 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 14:45:42 ID:EGdQKjrj
>少なくとも4人がどこから出てきたのかわかりませんが、
>どちらもありえるでしょうし、それ以外もありえるでしょうね。
ありえる理由も書かずに、ひたすら「かもしれない」「かもしれない」と
繰り返すだけじゃないか。
>当時のグノーシス主義者に限定した話なんてしていません。
トマスの思想的背景を語る場合、当然当時のことになるよね。
その場で、
>>428 で今ままで語って来たグノーシス定義を挙げて、
相手の背景がそうであるとは限らない、と言ってたじゃない。
可能性を述べるなら、根拠を出してね、と言っている。
かねてからGODISNOWHERE定義的グノーシス主義者がおり、定義で述べられた自覚を持ち、
論を展開したものがトマス福音書の可能性がある、というならね。
相対主義的な不明性にまかせて述べるだけなら、発展のしようはない。
>>482 >ただ契約の次元とグノーシス的信仰宇宙は両立しないんだよ
それはどうでしょうかねぇ。
反宇宙的二元論の立場でも、プレーローマからソーテールが来たというのは、
父が子を遣わされたのと構造的には似たものと言えますし、
基督仮現論もありますが、別に人間として存在しても問題はありません。
寧ろ、貴方の嫌いなリベラルなキリスト教が言うような、
霊的な出来事を排除した人間的イエス像や教えの方が、
グノーシス主義からは遠いもののように思えます。
>>483 >と書いてるのは誰?現代のサイト主さんでしょ。
そうですが、グノーシス主義というものは、過去から現代を通して、そういうものを指すのです。
>少なくとも当時に遡れるわけではない。
遡る必要なんてありません。アウストラロピテクスは、
存在した当時にアウストラロピテクスと呼ばれていたわけではないのです。
>なんでそんな用法を歴史談義で使わなくてはならない?
別に使いたくなければ使わなければいいでしょう。使いたい人をやめさせる理由もないですが。
>トマス福音書の書き手の候補として念頭に入れなくてはならない?
それこそ、好きにしたらいいのではないですか?
それで夢が膨らむなら候補にすればいいでしょうし、入れたくないならそうしなければいいだけですよね。
>断定さえしなければ可能性を乱発してもいいのか。
ええ。いいと思います。
そんなものに惑わされるようでは、修行が足らないとしか言いようがありません。
ムーみたいな雑誌はこの世に存在したらダメだとでも思っているのでしょうかね。
>>489 霊的ルサンチマンは相手にしたくないなぁ。
弾圧されてきた歴史があるにせよ、アンチキリスト教と化したグノーシス主義モドキほど見苦しいものはないと思っていますし、
そのレベルに留まるなら、それこそ叡智など得られるはずもありません。
>>490 >トマスの思想的背景を語る場合、当然当時のことになるよね。
使途トマスの話?そんな話はしておりませんが。
>かねてからGODISNOWHERE定義的グノーシス主義者がおり、定義で述べられた自覚を持ち、
>論を展開したものがトマス福音書の可能性がある、というならね。
私はトマス福音書がグノーシス主義者が書いたものだとすら主張していません。
もちろん影響を受けている可能性を否定はしませんが。
496 :
神も仏も名無しさん :2010/07/24(土) 22:03:17 ID:yfWr3hVf
>>492 >そうですが、グノーシス主義というものは、過去から現代を通して、そういうものを指すのです。
そう指して呼んでいるのは、古代からすれば最近の人間。
グノーシスを看板にいろんなものを詰め込むのはいいが、
それを歴史上のことを語る文脈で使用する意味は無い。
>別に使いたくなければ使わなければいいでしょう。使いたい人をやめさせる理由もないですが。
「新しいグノーシスの定義」の質を踏まえているならそれでいい。
「イスラム(服従)」やら「オーソドックス(正統)」「カトリック(普遍)」
という名の思想のカテゴリを作っても構わないし、
そうして集めた材料から新しいものを作っても問題は無い。それだけなら。
歴史を語る文脈で、外野の人間に対して、相手も用いないことを不備とみなす、
という押し付けをしなければ、こちらも気にはしない。
>それこそ、好きにしたらいいのではないですか?
>それで夢が膨らむなら候補にすればいいでしょうし、入れたくないならそうしなければいいだけですよね。
>ええ。いいと思います。
事実かどうか、どんな者であったか、それを推定する上で意味があるか、という問題。
読み手を面白がらせるかどうかは別の価値だ。面白がらせる価値そのものは否定していない。
497 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 22:28:00 ID:yfWr3hVf
>>493 >貴方の考えではそうかもしれませんが、他の選択肢がない(見えない)からと言って、他の可能性がないことにはなりません。
どちらが確からしいか、という話をしている。
あるのかわからないような事がクジのような確率で起こった、
という可能性も同列に並べる、というスタンスはこちらはとらない。
>それらは貴方の考えの中での話であって、一般的なことなら、
斬新な新事実を提供した、とは考えていない。
>そんな根拠があるなんて話はしておりません。
否定論に傾く根拠があるというなら、当然提示してもらいたい、と言っただけ。
無いなら無いで構わない。可能性についてどう捉えているかはわかった。
>恐らく(少なくとも)モデルとなる人物は存在しただろうというのは同意できますが、
>それをもってしても、実在を100%肯定できるわけではありませんし、
「99パーセント」「ほぼ確実」と表現されるような状態であれば、
日常的な言葉の使い方として「存在する」と言っても良い。というのがこちらの考え方。
「1パーセント」や「疑いの残る要素」が、「あるかもないかもわからない、
確率的には少なくとも0ではない、かもしれない」の場合、それを大きく評価はしない。
>誰もが実在を肯定することを強要しようとしているのでしょうか。
異論を述べているだけでそうではない。
498 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 22:32:38 ID:yfWr3hVf
>>495 >使途トマスの話?そんな話はしておりませんが。
>>428 を読み返したところ。
紹介されたリンク先で、「ヘレニク・グノーシス」と表記される、
通常の意味での「グノーシス主義」について言ったところ、
「新しいグノーシス主義の定義」をかぶせようとしているだけだった。
GODISNOWHEREがトマス伝と結び付けようとしている、というレスは撤回する。
499 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 22:43:49 ID:yfWr3hVf
>そういう話ではなくて、同じ福音書内でイエス自身の言葉で矛盾しているところがありますが、 これについて記述してほしい。
>>496 >事実かどうか、どんな者であったか、それを推定する上で意味があるか、という問題。
それは貴方の興味の問題であって、それによって他者に制限を加える必要も無ければ、権利もないでしょう。
>>497 >どちらが確からしいか、という話をしている。
そのようなことは究極的には主観によるものです。「確からしい」ことが事実を示すと限るわけではありません。
貴方がそのようなことに興味があるのはいいとしても、それによって他のあり方を否定するべきではないと思います。
>という可能性も同列に並べる、というスタンスはこちらはとらない。
別に貴方がそのように認識し、そうするのは構いません。
>否定論に傾く根拠があるというなら、当然提示してもらいたい、と言っただけ。
そんな話はしていません。こちらは全肯定する十分な根拠がないと申し上げているだけですから。
>「99パーセント」「ほぼ確実」と表現されるような状態であれば、
>日常的な言葉の使い方として「存在する」と言っても良い。というのがこちらの考え方。
99%爆発事故を起こさない携帯電話の電池を、安全なものとして装備したいと思うでしょうか。そんな馬鹿はいませんよね。
そのような事例が100件あったら、一件間違っているのが99%のレベルなんです。
>「1パーセント」や「疑いの残る要素」が、「あるかもないかもわからない、
>確率的には少なくとも0ではない、かもしれない」の場合、それを大きく評価はしない。
一般的に統計学から「ない」と言われるのは、30万分の1程度です。
>>499 ヨハネによる福音書 5章 31節
もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。
ヨハネによる福音書 8章 14節
たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。
503 :
ペイゲ(仮) :2010/07/24(土) 23:48:54 ID:nG3T6X66
>>500 歴史談義、という言い回しだったから、面白ければ何でもいい、
という意味合いを読み取ったわけかな。
>それによって他者に制限を加える必要も無ければ、権利もないでしょう。
議論の内容による。今やってるような
「事実かどうか、どんな者であったか、それを推定する上で意味があるか」
という内容なら差し控えるべき。
>>501 >そのようなことは究極的には主観によるものです。
究極的な話はしていない。
>貴方がそのようなことに興味があるのはいいとしても、それによって他のあり方を否定するべきではないと思います。
「無いなら無いで構わない。」
>99%爆発事故を起こさない携帯電話の電池を、安全なものとして装備したいと思うでしょうか。そんな馬鹿はいませんよね。
「99%」という表現の意図と、1パーセントの内容による。
99の成功1の失敗、50の成功50の失敗という数字を割り出す、統計的な根拠が頑としてある場合と、
今回の場合は同列に並べられない。今回の場合、というのは具体的な1パーセントに相当するものが
どこにも見当たらず、可能性は延べたが、「ないかもしれないがあるかもしれない」と言っている状態だから。
504 :
ペイゲ(仮) :2010/07/25(日) 00:09:11 ID:gtCDOqBK
>>502 >もし、わたしが自分自身についてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。
>わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人がするあかしがほんとうであることを、わたしは知っている。(5:31-32)
あかしをするかた=神
>わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。(5:34)
福音書でしつこく信用される預言も人間の創作ではなく神の啓示とされる
>しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。
>父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、
>今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。(5:36)
イエス自身もまた同様とされる。
>たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。(8:14)
自分について証をしている、という批判に答えたもの。その後に続く弁明で、
自分が神とともにあることを語り、自分が裁きを行うとしてもそれが正当である
理由もそこに置いている。そして、律法を引用し、「自分の証」が正当である理由を説明する。
>あなたがたの律法には、ふたりによる証言は真実だと、書いてある。
>わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、
>わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかしして下さるのである」。(8:18)
あかしの出所が神であることにより、イエスの証が有効なのである、という主張で貫かれている。
実在性を疑う材料になるほどの矛盾を抱えているようには見えないな。
>>503 >「事実かどうか、どんな者であったか、それを推定する上で意味があるか」
>という内容なら差し控えるべき。
そんな「べき」などありません。
>究極的な話はしていない。
そうだとしても、そもそも貴方が「確からしい」と思うかどうかは、関係のないことです。
>今回の場合は同列に並べられない。今回の場合、というのは具体的な1パーセントに相当するものが
>どこにも見当たらず、可能性は延べたが、「ないかもしれないがあるかもしれない」と言っている状態だから。
同列に並べられないなら、根拠もなく1パーセントなんて馬鹿な指標を持ち出さないことです。
それにどこにも見当たらないのではなく、貴方が主観で可能性から捨てているだけでしょう。
506 :
ペイゲ(仮) :2010/07/25(日) 00:31:11 ID:gtCDOqBK
>>505 >そんな「べき」などありません。
冗談だと言ってくれるなら、冗談だとわかる言い方と挟んでくれるならいいと思う。
ひとを面白がらせる価値そのものは否定しない。
>同列に並べられないなら、根拠もなく1パーセントなんて馬鹿な指標を持ち出さないことです。
乾電池みたいに全く同様な例をいくつも揃えられるわけではないしね。
wikipediaみたく積極的に否定する根拠は無い、としておこう。
>それにどこにも見当たらないのではなく、貴方が主観で可能性から捨てているだけでしょう。
支持する理由が無いので捨てている。それが複数折り重なるならなおさら。
可能性を支持するとしても、なんか全部重なってそう見えるかもしれない、
という曖昧なものだし。もう一方の可能性と同列に並べるレベルで
考慮に値する域になってない。捨ててもいいレベルだと考える人が
一定数いるからこそ「定説」になってるわけでしょう。どちらになるかは
究極的な見方にどれだけ身を置くか、という一点にかかっている。
>>504 そういう解釈ができるのは知っていますが、それはあくまで「解釈」なんですよね。
文言としては矛盾した記述であることに変わりはありません。
>あかしの出所が神であることにより、イエスの証が有効なのである、という主張で貫かれている。
そう解釈することもできるというだけですね。
>実在性を疑う材料になるほどの矛盾を抱えているようには見えないな。
「直接的には」という意味ではその通りでしょう。
小さな矛盾や、奇跡のような常識ではありえないような記述が積み重なって、キリスト教徒以外から見たときの
新約聖書の記述の確からしさを損なっているのです。逆にそういう記述がなければ、歴史的により確かなものとして認められていたでしょうね。
処女懐胎する確率や、死んだ人間が生き返る確率に比べたら、馬鹿馬鹿しいイエス宇宙人説だって何でもありでしょう。
もちろん信仰であれば確率など関係ないのですが。
>>506 >冗談だと言ってくれるなら、冗談だとわかる言い方と挟んでくれるならいいと思う。
別に本気でも構わないでしょう。貴方がその人の発言を採用しなければいいだけのことです。
>支持する理由が無いので捨てている。それが複数折り重なるならなおさら。
貴方はそれで良いと思います。
でも他人が貴方と同じ選択をしないからといって、それを否定する必要もありません。
>捨ててもいいレベルだと考える人が一定数いるからこそ「定説」になってるわけでしょう。
では例えば貴方がキリスト者であっても、貴方の周りの多くの人間がキリスト者でなくなったら
(核戦争キリスト教圏が壊滅したでもいい)、イエスは神ではない、処女懐胎も捏造だと言い出すのでしょうか。
まあ、そういう立場もありといえばありでしょうけど。
509 :
ペイゲ(仮) :2010/07/25(日) 09:22:09 ID:cpIthGtL
>そう解釈することもできるというだけですね。 イエスの信条的立場と発言の出た文脈を踏まえるとそうなるというだけ。 前に発言したことでやりこめられそうになった際に、 自分の立場(自分の空想ではなく、神から教えを授かっている)と 律法を理由に正当であると言い返した、の域を出ない。 >小さな矛盾や、奇跡のような常識ではありえないような記述が積み重なって、キリスト教徒以外から見たときの >新約聖書の記述の確からしさを損なっているのです。 イエス非実在説の確からしさも、そうだとすると矛盾する、常識ではありえないような組み合わせを必要とする。 >歴史的により確かなものとして認められていたでしょうね。 コピーも録音も出来ない時代のことだからこそ、伝え聞き、記憶上での変化に さらされて変化していてもなお不自然ではない。もし全部同じ場合、一種類の原典が 既に存在し、また同時進行で逐次微調整が入りつつ作成がなされた、と推測されるだけだろう。 執筆場所が大きく離れる、という伝承がある場合、それを疑う理由にされるかもしれない。 >別に本気でも構わないでしょう。貴方がその人の発言を採用しなければいいだけのことです。 本気、本人が事実という位置づけでそれを語るなら、事実とするなら それはおかしい、と異論を述べる。それだけ。
510 :
ペイゲ(仮) :2010/07/25(日) 09:30:05 ID:cpIthGtL
>では例えば貴方がキリスト者であっても、貴方の周りの多くの人間がキリスト者でなくなったら >(核戦争キリスト教圏が壊滅したでもいい)、イエスは神ではない、処女懐胎も捏造だと言い出すのでしょうか。 >まあ、そういう立場もありといえばありでしょうけど。 言わない。言う場合は「キリスト教は神の教えでなかった。キリスト教が神の教えであるなら、 クリスチャンがこれほど死ぬのがゆるされるはずはない」とかいう理由になるんじゃないかな。 信仰を持っていない今の自分の場合、釈迦やソクラテスを実在する、みなす理屈について語っている。 究極的立場をとらなければ「なさそうな可能性を切り捨てられる程度のものとみなせる」判断があることについて話している。 彼らが核で死んだことを理由に「イエスは捏造」という方向変換はしない。 決定的な新事実・資料があって立場を変えた。その立場をとる人が現れたのではなく、 無関係な死によって人数が減ったりいなくなったに過ぎないから。
511 :
神も仏も名無しさん :2010/07/25(日) 14:56:45 ID:lad0QJ3Q
ニュース速報:2010/07/25(日) 14:41:29 HOST:cdu02c40.cncm.ne.jp 「スクープ!!国民総背番号制!!!!!導入か? 政府が発表!!!国民ひとりひとりに番号がつけられる!!」 政府が税と社会保障の共通番号制度の導入(どうにゅう) にむけ原案を公表した。 共通番号があれば、個人の所得情報などが把握(はあく) しやすくなり、 所得に応じた手当(てあて)の支給や社会保障サービスに活用できる。 一方で個人情報がもれてプライバシーを 侵害(しんがい)するリスクもある。 使う番号は、プライバシー保護(ほご)や導入(どうにゅう)コスト などの面から、住民票コードをもとにあらたな番号をつけることが のぞましいとしている。 (西日本新聞記事より)
>>509 >イエス非実在説の確からしさも
そういうのは主観の上にあるもので、客観的世界にあるわけではないのですよ。
貴方にとって「確か」に思えることが、他人で同様に成立するわけではないのです。
貴方の信仰として「確かである」「確かでない」というのは貴方の自由です。
>>510 でも、結局は他人の情報によって、貴方の中の「確かであるもの」や「確かでないもの」が、
踊らされる人間であることはわかりました。
>彼らが核で死んだことを理由に「イエスは捏造」という方向変換はしない。
でも、「彼らが死んでいた」ことを知らない世界に生まれていたら、
貴方は、『捨ててもいいレベルだと考える人が一定数いるからこそ「定説」』に流されるわけですよね。
根拠に近い新たな出来事が見つかったら、確率が変わって貴方の中の「確かなもの」が変わったりするわけですね。
何に立脚するかは個人の自由ですし、そういう生き方もありだとは思います。
514 :
前世は一在家 :2010/08/16(月) 23:48:11 ID:ZfPQ9p6o
>>184 ※焚書された福音書の復活
マリアの福音書」8より
救い主は言った、「人の子がいるのはあなたがたの内部なのだから、
あなたがたは彼の後について行きなさい。彼を求める人々は見出すで
あろう。それで、あなたがたは行って、王国の福音を宣べなさい。」
だが、ほとんどの弟子達は自分の内部に神を見出すと聞いて途方に暮れ、
悲しみにくれ大いに泣いたそうです。
ペトロがマリアに言う、「姉妹よ、救い主が他の女性にまさってあなたを
愛したことを私達は知っています。」
「フィリポの福音書」32
「三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母と彼女の姉妹と
彼の伴侶と呼ばれていたマグダレネーであった。なぜなら、それぞれ
マリアという名前だからである」
「フィリポの福音書」55b
「主はマリアをすべての弟子達よりも愛していた。」
「弟子達が主に言った、『あなたはなぜ、私たちすべてよりも
彼女を愛されるのですか』。救い主は答えた。『なぜ、私は
君たちを彼女のように愛さないのだろうか。』」
515 :
前世は一在家 :2010/08/17(火) 07:11:13 ID:FX0h0BLc
質問板
>>927 :暇人:2010/08/16(月) 23:08:36
>成立年代が違うから比較意味あるんぢゃん。
>最初の福音書のマルコと比較することで
>ヨハネの特異性(グノーシス度)が明確となる
「失われた福音書」の著者のペイゲルス教授も3共観と比較して
ヨハネ伝の異質性を列挙しておりました。
尚、ペイゲルス教授の専攻は「教会史」であり、当時の背景の記述は
暇人氏の記述との一致が多いです。
例えば、リヨンは田舎でしたね。
516 :
前世は一在家 :2010/08/17(火) 23:53:10 ID:QVQO1GSL
暇人氏と私が良く著書を引用する教会史専攻の教授を紹介します。
Elaine Pagels プロフィール
http://womenshistory.about.com/cs/religion/p/p_elaine_pagels.htm Born in California on February 13, 1943, as Elaine Hiesey, married to Heinz Pagels,
theoretical physicist, 1969.
Elaine Pagels graduated from Stanford University (B.A. 1964, M.A. 1965) and,
after briefly studying dance at Martha Graham's studio, began studying for her Ph.D.
at Harvard University, where she was part of a team studying the Nag Hammadi scrolls,
documents found in 1945 that shed light on early Christian debates on theology and practice.
Elaine Pagels received her Ph.D. from Harvard in 1970, went to teach at Barnard College
in 1970 where she became the head of the religion department in 1974.
In 1979 her book based on her work with the Nag Hammadi scrolls, The Gnostic Gospels,
sold 400,000(40万部)copies and won numerous awards and acclaim.
In this book, Elaine Pagels asserts that the differences between the gnostics and
the orthodox Christians was more about politics and organization than theology.
In 1982, Pagels joined Princeton University as a professor of early Christian history.
Aided by a MacArthur grant, she researched and wrote Adam, Eve, and the Serpent,
which documented the shift in Christian history when Christians began to focus
on a meaning of the Genesis story which stressed the sinfulness of human nature and sexuality.
フィリポ福音書か何かの グノーシス文書読んで驚いたな、あんな精神性高いようなこと イエス以外が言う訳無いからさ、ヨハネ福音書以外にもあったんだな あそこまで凄いのが
フィリポ福音書じゃなくて 真理の福音だった
グノーシス文書はヨハネ福音書の冒頭のように 独特のセンスがあるというか、芸術性のある言葉が多いんだよな
>>520 都市に寄生する知識人のお遊びですからww
522 :
前世は一在家 :2010/08/18(水) 22:15:30 ID:9gfaGbQy
wikiでパウロを調べた後の仮説と検証です。 (経緯) ・復活したイエスに出会ったことが原因で「回心」したのではない。 ・出会った後に目が見えなくなり、あるキリスト教徒が祈って見えるになった。 ・「目から鱗が落ちて」クリスチャンになった。 (参考) ・復活の奇跡では、腐敗したラザロの復活の方が奇跡レベルは高い。 ・ラザロの復活を目撃した弟子達がイエスの復活で驚愕するのは不自然。 ・十字架以前にも十二使徒達は死者の復活を行なっており復活に慣れていた。 (仮説) ・クリスチャンにならなければ、再び失明することをパウロは恐怖した。 ・パウロは、主への信仰心<<主への恐怖心 (一検証) ・もしイエスへの信仰心があれば、復活後に出会った時点で回心している。 (考察) ・目どころか命も惜しまず殉教した多くのクリスチャン達とはまったく動機が異なる。 ・コンスタンティヌス帝も天空の奇跡に恐怖して改宗したのでパウロに類似。 ・恐怖心で入信した訳でない現代の多くのクリスチャンの方が動機が純粋であり 天国に入り易いと思料する。
523 :
前世は一在家 :2010/08/18(水) 22:21:33 ID:9gfaGbQy
(前提) ・福音書が書かれた1世紀後半でも筆記用具は非常に高価で弟子達が買える ものではなかった。 ・だから書面を個人で所有することはなかった。 ・文盲の弟子も多く、イエスの言葉をアラム語のまま記憶していた。 (整理) ・因って記憶モードでのイエスの聖句は短いものが大半であった。 ・イエス語録のQ資料や3共観福音書には短い聖句が多い。 (考察) ・もし長文の聖句があれば、それは後世の者の創作、作文である可能性が高い。 ・もし聖霊が代わりに記憶していたとするならば、新約の中に長文の聖句は 多数存在する筈である。(聖書は聖霊のみ働きで筆記を前提) (質問) 新約の中で一番長文の聖句はどれでしょうか? 前後の章と比べて異常に長くないですか? (回答) ヨハネ伝の16章、17章は長文です。 一回読んだだけで記憶できた人は世界中で一人でもおりますか? いなければ創作ということが証明されます。
413 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/08/18(水) 22:16:05 ID:PFRgAog5
>>411 お前の勝手な推測だなw
改心までの時期が長いからこそ12使徒のように主を裏切らなかったといえるぞ赤痢在家ww
>>412 筆記用具が高価ではなく 書籍自体が高価だったんだよw
記録だけならいくらでも手段があるのw
教会が整備されたヨハネ福音書の時期には一時的な記録は十分にできた
だから長文なのw
414 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/08/18(水) 22:19:28 ID:PFRgAog5
ていうかビンボーなパウロなんておもいっきり長文じゃんw
長期の保存考えていない記録法はあったのw
今残ってる福音書はそれなりに金かけてるから
今でも残ってるんだよ赤痢在家www
415 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2010/08/18(水) 22:25:44 ID:PFRgAog5
>>412 それと福音書程度www
インドじゃヴェーダ全部暗記するんだぞwwww
グノーシス文書は間違いなく精神性も高い、芸術性も高いよ やっぱり魂や霊みたいなのを大切にしている、それにイエス自体がそんな例え方よくしてたのは 確定しているんだから、まるっきり根拠が無い訳ではないだろ 日本でも仏教が長い間大乗一色だったけど、現在は小乗も共存してる
イエスの毒麦、良麦の見極めは概存のユダヤ教の範疇から大きく逸脱してたんじゃないのか? 小さな子供、百人隊長、異邦人、イエスの弟子の大半、そもそもこれらはユダヤ教徒だったのか? ユダヤ教徒から好まれやすい正統の教義と輪廻転生とか瞑想の悟りで霊的に物質世界から救われるとか言ってる グノーシスとではエルサレムでの受け入れられやすさはまるっきり違うだろうな マニ教の影響も受けずにこれらの教義がいきなり現れた、しかも殉教した者も多く居るらしい ユダヤ教の範疇から大きく逸脱してるからこそ逆に怪しいと思うのだが
グノーシスのほうが繊細、ヨハネ福音書のイエスも繊細 対して共観福音書のイエスは物質的で物事をハッキリ言うんだよな どちらがユダヤ教徒から好まれてたかと言うことだよ、ようするに 神殿を建て直すのも、文字通り立て直すと解釈してたのばかりだったからな
グノーシス文書は古くから存在してたんだよ、文書が処分されてるから 2世紀頃に書かれたものと思われているが、おそらく元々は正典とごっちゃだったんだよ トマス福音書とかあれで2世紀頃に書かれたものとか思えないんだけどな そしてその頃は異端とか言い出す者もいなかった、だって本物のイエスの言葉だったからさ
529 :
前世は一在家 :2010/08/19(木) 06:19:33 ID:yp9oYM5v
>>525 >やっぱり魂や霊みたいなのを大切にしている、それにイエス自体がそんな例え方
>よくしてたのは確定しているんだから、まるっきり根拠が無い訳ではないだろ
>日本でも仏教が長い間大乗一色だったけど、現在は小乗も共存してる
トマスの福音書やマリアの福音書は、死海文書の宗規要覧や原始仏教との類似性も
あります。
共通の真理が説かれているとの仮説を立てて検証を進めております。
それらを根拠もなく、「正統は四つだ!」宣言で異端としたのがエイレナイオスです。
530 :
前世は一在家 :2010/08/19(木) 06:51:34 ID:yp9oYM5v
質問板
>>481 :前世は一在家:2010/08/19(木) 06:31:27 ID:yp9oYM5v
>>414 サロメ姉
>ていうかビンボーなパウロなんておもいっきり長文じゃんw
パウロはパリサイ派のインテリだったでしょう。
漁師だった(おそらく文盲)ヨハネと同じはずがないでしょう。
>>415 >それと福音書程度www
>インドじゃヴェーダ全部暗記するんだぞwwww
「一度聞いただけで」ヴェーダを全部暗記できる人が世界中に一人でも
いたら、君の説も正しいでしょう。>サロメ姉
本スレの住人の中でも、ヨハネ伝の聖句を一度聞いただけで暗誦できる者
がいたら、手をあげて下さい。
以上、「ヨハネ伝の16章、17章の長文」は後世の人の作文だとの証明
と致します。
531 :
前世は一在家 :2010/08/19(木) 06:53:17 ID:yp9oYM5v
質問板
>>482 :前世は一在家:2010/08/19(木) 06:46:45 ID:yp9oYM5v
>>411 :前世は一在家:2010/08/18(水) 22:11:10 ID:9gfaGbQy
>wikiでパウロを調べた後の仮説と検証です。
>(経緯)
>・復活したイエスに出会ったことが原因で「回心」したのではない。
>・出会った後に目が見えなくなり、あるキリスト教徒が祈って見えるになった。
>・「目から鱗が落ちて」クリスチャンになった。
>
>(仮説)
>・クリスチャンにならなければ、再び失明することをパウロは恐怖した。
>・パウロは、主への信仰心<<主への恐怖心
>>413 >改心までの時期が長いからこそ12使徒のように主を裏切らなかったといえるぞ赤痢在家ww
回心までの時期が長い人ほど信仰心が深い? 焦りましたね。>サロメ姉
12使徒のペテロはイエスへの恐怖心が無いから三度も裏切ったのでしょう。
クリスチャンを批判して失明したパウロ、クリスチャンの祈りで視力が戻ったパウロ、
「もう二度と失明はごめんだ。」という心境は信仰心? それとも恐怖心?
以上、「パウロの動機はイエスへの恐怖心」の証明と致します。
513 名前:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 [sage] 投稿日:2010/08/19(木) 13:10:06 ID:BlR5SxNM
>>481 パウロ書簡読んでから書き込めw
リアルアホのの赤痢在家w
>>481 何回も暗証するに決まってるだろ?元の記憶をw
アレくらいの分量の情報なんて古代人にはなんでもないのw
519 名前:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 [sage] 投稿日:2010/08/19(木) 13:18:35 ID:BlR5SxNM
>>482 >回心までの時期が長い人ほど信仰心が深い? 焦りましたね。
恐怖や不安は当たり前
失明よりももっと恐ろしい目にあうこともある
アウグスティヌスにとってそれは母モニカの涙だった
彼はマニ教の聖職で放蕩の限りを尽くしたからね
後代のジョン・ニュートンは船で遭難して死の間際に神にすがった
奴隷船船長でおそらく大せいの奴隷を殺してきた彼にとって 自分の死より
その先の地獄の劫罰がありありと見えていたのだろうね
その悲しみや絶望の先で アウグスティヌスやニュートンは神に出会ったのだよ
パウロも第三の天に引き上げられたといっている
劇的ではなくともキリスト教とはこういう入信前の砕かれる体験を伴って回心することが多い
ゼニ儲けで誰でもホイホイ入信させる真光殺人カルトじゃ想像もできんだろ赤痢在家w
真理の福音は霊性高いだろ、あれを読んで異端絶叫するのがわからん ユダの福音書は確かに創作かも知れないが、あれだけを例に出すあたり ようするに世にキリスト信者が増えてきてユダヤ教から祭司やエイレナイオスの学者やらが商売のため 職替えしたものの、個人で救われるとか言ってるグノーシスが商売する上でも邪魔だっただけだろ それにユダの福音書とトマス福音書が同時代のわけないだろ、素人目でもわかる 創作するくらいならトマス福音書の出来なら加筆するわ それに冒頭にトマスが書いたと証ししてるんだよ、殉教者まで出してまで創作するわけないだろ
ユダヤ教改宗者と異邦人やらユダヤ教で無いキリスト者が居て、イエスを直接知るものがいた 一世紀末頃はまではグノーシス文書にもしぶしぶ従ってたんだが、それが後世になって力のバランスが 崩れたんだろうな、とにかく真理の福音やトマス福音書とか異端絶叫されるような内容でも無いし あれだけのものが処分されていたのは事実なんだからな
グノーシスって2世紀頃に全盛を迎えてるんだよな 時期的にもvsユダヤ教改宗者だった可能性は高いな
>>533 霊性ってwwww
>>534 いーや
最初からグノーシスは排斥されていますね
>>535 衰退期ですよ?
都市が内乱で打撃受けてますので
グノーシスなんてしょせん異教ですからどうでもいいけどw
エイレナイオスはようするにユダヤ教改宗者向けの新興宗教作りたかっただけなんだろ 本音は信仰なんかより先生と呼ばれることをこよなく愛しただけ パウロの手紙にあるように、最初からユダヤ教改宗者と異邦人は仲悪かったからな 旧約の神デミウルゴスなんてのもシナゴークに旧約や共観福音書見に来た異邦人キリスト者を ユダヤ人が見下したりしたから グノーシスはイエスの救いは概存のユダヤ教の救いとは大きく違うと主張したかっただけだろ
>>537 988 名前:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 [sage] 投稿日:2010/08/20(金) 23:03:02 ID:s5qzD7cp
>>986 馬鹿の一つ覚えwww
>>987 ヨハネ書の根幹は
イエスは神のひとりご です
グノーシスには受け入れがたい概念ですね
人間は神の模造で神には絶対に自力では届かない
信仰も修行も向上も関係ない
神の養子になれるのは神の一方的な選び 恩寵によるのですからw
989 名前:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 [sage] 投稿日:2010/08/20(金) 23:07:03 ID:s5qzD7cp
>>987 キリスト教では神はただお独り 光もたった一つ
三位一体の神であり この地上においては人となられた
御子なる神 イエス・キリストお独りです
人間が輝くのは神の光によるもので 人間自身は光を持ちません
すべては神の恵み 恩寵によります
それは叡智でも真理でも修行でも信仰でもない
すべてが神の一方的な恵みの賜物です
人間ができるのは恩寵により信仰を持ち悔い改め
罪の許しと罪の清めを得ることだけです
>>538 >イエスは神のひとりご です
>グノーシスには受け入れがたい概念ですね
グノーシス主義では文字通り受け止めたりはしないので、別に問題ありません。
ある意味何が書いてあっても関係ないのです。
>人間ができるのは恩寵により信仰を持ち悔い改め
>罪の許しと罪の清めを得ることだけです
キリスト教の妄想ではそういうことになっていますね。
キリスト教が真の神の光を遮っているので、信徒は人間が本質的に光を持っていることを知らないのです。
2000年前のニューエイジじゃんかwww クッダらねー^^
とにかくヨハネ文書読んで イエスの伝えたかったことを全力で吸収するしかないな
542 :
神も仏も名無しさん :2010/09/14(火) 01:39:31 ID:t1s/Y/qL
なんでグノーシスに夢見すぎな人がけっこういるのだろう。
543 :
神も仏も名無しさん :2010/09/14(火) 02:04:18 ID:t1s/Y/qL
グノーシスに、自分の期待するイエス像を読み取ろうとしてないか。 一種の謎解き的な装いも魅力のひとつだろうか。 「信仰は馬鹿のやること」だが、秘教的な象徴や要素をあれこれするのは「知的」で「信仰よりも上等」な気がする。知的作業や技術に傾いているかぎり信仰の必要は少ない。 内容は「正統派」より複雑で難解だが、没入するためのハードルは低い。 思考上の操作にとどまるから、精神的な拒否感や改宗時のような苦悩もない。 前レスでほのめかされてるように文献を元に自由に解釈を作り上げる作業だから、 異物を外から入れていく苦しみがない。 だから多くの人に好まれる。自分と違う価値観への拒否感と 偉人が自分の側でいてほしい、という気持ちが根底に横たわっているんだろうな。
544 :
神も仏も名無しさん :2010/09/15(水) 23:29:42 ID:tgRsFMvZ
修辞法もギリシア哲学の素養も何もない貧民ユダヤ人がへたくそなギリシア語で書いた福音書と ヘレニズム世界でプラトン哲学やヘルメス思想をこよなく愛し一級の修辞法と洗練された筆致でインテリたちが 書きあげたグノーシス諸文書。 そりゃ後者に惹かれてもおかしくないわな
545 :
前世は一在家 :2010/09/15(水) 23:48:46 ID:dYppZw5D
>>544 >修辞法もギリシア哲学の素養も何もない貧民ユダヤ人がへたくそなギリシア語で書いた福音書と
>ヘレニズム世界でプラトン哲学やヘルメス思想をこよなく愛し一級の修辞法と洗練された筆致でインテリたちが
>書きあげたグノーシス諸文書。 そりゃ後者に惹かれてもおかしくないわ
前者が、3共観福音書、トマス伝、Q資料
後者が、ヨハネ伝、パウロ書簡
素養も何もない貧民ユダヤ人がへたくそなギリシア語で書いたから、聖霊を通した啓示、
お筆先ということです。
パリサイ派のインテリが書いた洗練された文書は所謂「作文」ですね。
現代であれば、東大の文学部卒であれば洗練された文書は量産できるでしょう。
546 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/09/16(木) 07:54:14 ID:jnXBHcoF
>>545 学歴コンプレックス丸出しの宗教馬鹿www
547 :
携帯一在家 :2010/09/16(木) 09:02:50 ID:5xELYdrl
はい、はい。 偏差値60以上の国立大を卒業しております。
548 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/09/16(木) 09:25:55 ID:jnXBHcoF
549 :
神も仏も名無しさん :2010/09/16(木) 22:42:17 ID:bkGwDcc1
グノーシスのインテリたちの考えは学究的で論理的だよ。 一番この世界のリアルというものを見つめた上でその根底の原理を見つけ出そうとしている。 すなわち造物主が完全で善なるものなら、なぜその被造物である世界が悪意と殺りくと憎悪と醜悪で満ち溢れているのか? 唯一神が完全な善で無欠の存在ならこんな世界は存在するはずがない。 造物主は愚劣な存在であり、救済を導く真に崇高な存在は全ての俗世を離れた隔絶の至高の別世界に存在する。 すごく論理的で知性の行きつく先にある真理だ
トマス伝の3番目の語録とか 言いたいことが具体的で本当に隠された言葉だと思うけど 他がハッキリしてないのばかりだからな マルコ伝に似た語録もあるし、本当に何ともいえない福音書だな
551 :
前世は一在家 :2010/09/16(木) 23:48:08 ID:anorATbf
>>550 >マルコ伝に似た語録もあるし、本当に何ともいえない福音書だな
本当に素朴な福音書でしょ。
文章が洗練されていて長文が多い福音書は、後世の作文のようですね。
ヨハネ伝の筆記者はトマス伝を知っていたことは、両福音書を比較研究
した神学者達がコメントしております。
トマス伝:全ての人に神性が宿る。
ヨハネ伝:イエスのみが神の独り子。
一見矛盾しておりますが、実は矛盾していないと認識しております。
全ての人には神々の霊の一部(分魂)が宿っていて、神に近づくことは
できますが神そのものにはなれないし、イエスは神の中のお一方が
受肉したということでしょう。
552 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/09/16(木) 23:50:57 ID:pF6MdthD
553 :
神も仏も名無しさん :2010/09/17(金) 00:30:00 ID:2SAXPRky
トマス伝は失われたQ資料=無加工のイエス語録集にもっとも近い福音書と言われてるな
トマス伝の冒頭にあるような隠された言葉なんかそもそもないんだよ ヨハネ伝に書いてあるようにイエスの教えに躓いて多くの弟子が去ってるから それはメシアとして旧約やユダヤ教の教義と大差ない限定された範囲で説法しないと 弟子が迫害されて最悪殺される可能性もあったからなんだと予想してる そういった意味でヨハネ伝とトマス伝は矛盾するんだよな、ともかく処分されてるのかトマス伝の 元々の原本は無いから何とも言えんが ガツンとくる隠された言葉に相応しい内容なのが個人的に3番目の語録くらいしか無いのがな
555 :
前世は一在家 :2010/09/17(金) 07:01:24 ID:nrYPMaVh
>>554 >ガツンとくる隠された言葉に相応しい内容なのが個人的に3番目の語録くらいしか無いのがな
(トマス伝3)
しかし神の国はあなたがたの中にある。そして、外にも
ある。あなたがたは、自分自身を知るならば、知られるであろう。
ルカ伝でも「人の間にある」とイエスは説かれてましたね。
私は下記が興味深いです。
(30)
3つの神がいるところに神々がいる。←3大神と神々
(50)
人々があなたがたに[どこから来たのか]と尋ねるならば、こう言いなさい。
「私達は光から来た。光が自ら生ずる場所から。それは立って彼らの像において現れた」
【ネットで読めるトマス伝】
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html
556 :
前世は一在家 :2010/09/17(金) 07:09:34 ID:nrYPMaVh
>>555 >(トマス伝30)
3つの神がいるところに神々がいる。←3大神と神々
天使達とイエスは言ってないところが興味深いですね。
尚かのエイレナイオスもトマス伝に対しては具体的な反駁を行って
おりません。
旧約から見ても、3共観から見ても、反駁はできないでしょうし、
ヨハネ伝は後から作られておりますので。
トマス伝のどこの部分が特に隠された言葉で 何に対して隠さないといけなかったのか、これらを吟味しないといけないな マルコ伝と重なってる部分とか別段隠さなくてもいいような内容だし
558 :
神も仏も名無しさん :2010/09/17(金) 20:47:57 ID:2SAXPRky
神の国が人と人との間にあると、人の中にあるはまったく意味が違うだろ。 前者は人と人との営みの中にあるということ。 後者は真の自己の探求の行きつく先が神の国というグノーシス的価値観。 前者は現にある人との触れ合いの昇華が神の国、つまり現世肯定的なのに対して、 後者は肯定・否定は断言できないがグノーシス的価値観で説明がしやすい言葉ではある
なるほどな トマス伝の記者はヨハネ伝を知らなかったらしいが 神々とかの言葉が出るのが中々深いな 他にもグノーシス文書の中にはイエスの裁判で理不尽な判決に持っていったのは ユダヤ人が悪いとかの文書があるらしいが、悪徳ピラトが判決に疑問に思うくらいだから 根の歯も無い創作とは思えない内容だ
それでもヨハネ伝に書いてあるようにイエスの教えに躓いて 多くの弟子が去っていったのは事実なんだから、隠された教えとかあると疑うよりも 本当にわかりにくい例えや抽象的な表現を多用していたのは事実なんじゃないかと思うんだけどな 仏教の空思想のような難解さの
561 :
前世は一在家 :2010/09/17(金) 23:41:19 ID:5SneUIPk
>トマス伝の記者はヨハネ伝を知らなかったらしいが 神々とかの言葉が出るのが中々深いな ヨハネ伝の記者はトマス伝を知っていて、「不信のトマス」を3回も 福音書の中に登場させます。 トマスとはあだ名で意味は「双子」です。 本名はユダとのこと。ただし、ユダ伝のユダとは異なります。
562 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 15:38:51 ID:7M4k9zqE
トマス伝と関連付けた上でトマスを貶めた、 という説明の不自然さを認めたんじゃなかったの?
563 :
迷い人 :2010/09/30(木) 23:31:09 ID:lH8cOhlk
イエス様を信じてはいるけど、旧約の神の器の小ささに疑問を持ってる人は 正統派からみると異端なんですかね? グノーシス的キリスト教も信じてはないんだけど、旧約の神=イエス様の仕える神とも 思えない、どっちつかずの心境・・・。 十字架の罪の贖いは信じてはいるんだけど。(グノーシスの認識による救済は疑問符)
神はどこにでもあるよ。
565 :
迷い人 :2010/09/30(木) 23:42:10 ID:lH8cOhlk
ユダの福音書は興味深いが、これってグノーシス派がキリストを解釈しただけで イエス様が十字架で死ぬ、動機付けが弱い。 アイオーン界に帰るのにわざわざ十字架にかけられる必然性がないし。 ユダがパリサイ派に売り渡すのも強引なこじつけだ。 ユダはイエス様を裏切ったわけでなく、他の使徒同様に、命が惜しくなって傍観してた だけだろう。ユダに罪をおっかぶせたのだろう。
イエスが生きてる間に聖書を書けばよかったのに、 馬鹿どもが殺してしまった。特に権力者がその地位を守るために。 これこそ人類の罪、これによって人類が更に真理から遠ざかる。 あのレベルの霊力があるなら、もっと真理を語らせるべきだった。 殺した権力者の魂こそが、地獄の中でもがき続けるのだよ。
567 :
前世は一在家 :2010/10/01(金) 00:57:12 ID:yMqMuLFn
>>563 :迷い人:2010/09/30(木) 23:31:09 ID:lH8cOhlk
>イエス様を信じてはいるけど、旧約の神の器の小ささに疑問を持ってる人は
>正統派からみると異端なんですかね?
素朴な疑問だと思います。
旧約の神とアッラーは預言者を出して、従わない人達は都市や国ごと滅ぼすことを
繰り返し、イエスは隣人愛を説き、三位が一体化していない位格(ご性格)の違い
が明確ですね。
>>565 :迷い人:2010/09/30(木) 23:42:10 ID:lH8cOhlk
>ユダの福音書は興味深いが、これってグノーシス派がキリストを解釈しただけで
>イエス様が十字架で死ぬ、動機付けが弱い。
>アイオーン界に帰るのにわざわざ十字架にかけられる必然性がないし。
良い種は良い実を、自分で蒔いた種は自分で刈り取るという教えを説かれたイエスが
人々が積んだ罪を代わりに償うというのは疑問がありますね。
ゲッセマネでも「この杯(十字架)は取り除いて下さい。」と天の父に懇願されて
おり、見解の相違が3共観福音書にも記載されております。
ただ肉体を脱ぎ捨てるのに聖者が自殺する訳にもいかないですね。洗礼ヨハネは
斬首されております。
コテの「迷い人」は「真理を探究する人」という意味でしょうか。
568 :
神も仏も名無しさん :2010/10/01(金) 21:00:01 ID:ZwYTPcL/
グノーシスは論理の究極だから。 聖書との整合性はおいておいて世界観は一貫してる。 正統の教えではキリストの死と復活による原罪の購いが神の計画通りに もたらされたとあるが、であればユダがキリストを裏切ったのも予定調和という ことになる。つまり論理的に考えれば、ユダは12使徒の中で一番重要な役割を果たしており、 真の英知に目覚めた使徒だったと考えて、初めて上の矛盾は解消される。
569 :
神も仏も名無しさん :2010/10/01(金) 21:03:22 ID:ZwYTPcL/
旧約聖書の残虐なまでにカナンの異部族を女子供まで虐殺しまくる妬みと憤怒の神が キリストの説く博愛の神と同じと考えるのも論理的に無理。 キリストの父は別におり、造物主は愚かで低位の神と考えるグノーシスの方が納得できる
グノーシスの原型そのものは古くからあったらしいから もともとはイエスをメシアとして信じる人々をキリスト者としてたから グノーシスも分裂する前はキリスト教だったんだろうね むしろイエスは宗教を問わない子供ですら天の国に相応しいとか 言ってたんだから、本来は正統も異端も無かったんだと思うよ
571 :
神も仏も名無しさん :2010/10/22(金) 13:08:35 ID:VjXTx/sN
神のマッチポンプは旧約からあるからな。 信者たちに試練や罰を与えるため ファラオをわざわざ惑わしたり、 イスラエルの民を攻めさせるために ネブカドネザルを呼んできたり。 (当然ファラオやネブカドネザルが使徒扱いされることはない。) ユダの裏切りくらい放置したり仕込んだりするだろう。 で、博愛についてだが、ヨナ記でニネベ人たちがヤハウェを敬ったり、 他の預言書にも、いずれ世界の民がヤハウェを拝むようになる、 ということが書いてある。世界進出の要素は旧約から既にある。 旧約でも聖絶を命じる一方、寄留者に害を与えるな、と命じる一面もある。 虐殺といっても、実在するなら毎年災害で数十数百万単位で人殺してるしなあ。 イエス的には神は自然現象にノータッチだったのか? 部下の天使にやらせたとしても責任がなくなるわけではないだろう。
572 :
神も仏も名無しさん :2010/11/01(月) 20:42:34 ID:9ys6OP9F
573 :
神も仏も名無しさん :2010/11/03(水) 14:33:57 ID:vTbFasho
これはすごい
574 :
前世は一在家 :2010/11/03(水) 16:55:55 ID:fNPXXW8W
>>572 >岩波の既刊ナグ・ハマディ文書4冊の別巻みたいなものがでるらしい。
異端として焚書された文献が次々に発見されて、邦訳を誰でも読めるのは
とても良い報せです。
公会議での多数決や教会通達での抹殺プロセスが現代人の常識で検証できる
からです。
聖句を含む文献の「復活」は神のご意思、経綸かと存じます。
ただし、一部の方々には最後の審判、「ハルマケドン」と映るかも。
575 :
神も仏も名無しさん :2010/11/04(木) 09:37:41 ID:ehnAfTYn
グノーシスが材料としてヘブライのネタを利用することはあっても ヘブライの土壌からグノーシスは沸いてこないだろ、 ってのが常識的な見方だと思うけどなあ。 キリスト教ネタを目にすると一在家は感情的になりすぎると思う。
576 :
神も仏も名無しさん :2010/11/04(木) 10:09:56 ID:ehnAfTYn
一在家がやってるのは「肩入れ」以上のものではないんだよ。 グノーシス側に仲間意識を投影して感情移入してるだけ。 イエスと輪廻ネタでも宝珠愚者がやってしまっていた。 「かわいそう」「悲劇だ」と感じる相手の 何かを疑うのがいやになる気持ちはわからんでもないが 議論するならひとまずその感情から距離をおかないと。
577 :
神も仏も名無しさん :2010/11/12(金) 09:33:31 ID:rk95eAYe
講談社学術文庫のトマスによる福音書は面白い。 グノーシスの反宇宙論に合わせてイエスの発言を加工してある部分がわかる。
578 :
神も仏も名無しさん :
2010/12/04(土) 23:18:55 ID:KRikC0ic 「ナグハマディ文書・チャコス文書 グノーシスの変容」を購入 内容はナグ・ハマディ文書の未邦訳の文献 使徒パウロの祈り ペトロと十二使徒の行伝 われらの大いなる力の概念 第八のものと第九のものについて アスクレーピオス シルウァノスの教え ゾーストリアノス メルキゼデク マルサネース 知識の解明 ウァレンティノス派の解説 ヒュプシフロネー など そしてユダの福音書 グノーシス好きは必見の一書です