>・トマス伝を意識して、トマスの愚かさを演出するシーンを3つも追加しております。
これは不自然だな。なんでれっきとしたイエスの弟子を、批判する文書と結び付けるんだ
この話題は過去スレに出てる。
ttp://mimizun.com/log/2ch/psy/1236678285/ 798では一在家はヨハネ記者はトマスをトマス福音書の記者とはみなしていないだろう、と述べた。
それに対し
800で『では、トマスへの評価を「トマスの福音書」へのそれに対応させる意味はないね。』と言われ、
回答を求められた後、一在家は805、811で同意してる。
190 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 00:12:21 ID:QJ9+9vUH
>>187 >困ったことに、福音書もクルアーンも開祖の死後からけっこう早くに成立している。
>福音書は100年しないうちに書かれ、クルアーンも記録そのものは当時からとられていた。
ヨハネ伝とトマス伝とを比較した研究者達の報告では、ヨハネ伝の筆記者はトマス伝を
知っており、意識して執筆したということです。
先に執筆されたトマス伝を異端として抹殺して、神の子の神性を閉ざし、その代わりに
原罪と過ぎ越しの子羊を植えつけた存在が誰と誰なのかを仮説しております。
191 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 00:15:30 ID:J+NGx5Td
万教帰一というものは究極にまで高い至高の理想論だと思うので、
自らが自他共に認める最高の精神性を有しており、その上で更に他宗教に対しても
自らの信じる宗教と同等もしくはそれ以上の理解と尊敬があるのでなければ、
とても語ることが出来ない、たいへんな作業であると感じているのです。
そうであるから、他宗教の教義に関して安易に議論をふっかけるなどという事は、畏れ多くて、
とてもとても出来ない。
ただ出来得ることは、自らの向学のために他宗教にお願いして教えて貰う、といった範囲までですね。
192 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 00:26:03 ID:QJ9+9vUH
>>189 ご紹介いただいていない過去ログも復活しましょう。
>>794 ペイゲルス氏はヨハネの福音書よりもトマスの福音書の方が古い
可能性が高いと分析しております。
その根拠はヨハネの福音書の筆者がトマスの福音書を意識して
記載したと思われる箇所がいくつかあるそうです。
私ももう一度言いますが、ペイゲルス氏の著書「禁じられた福音書」
にてご確認願います。>クリスチャン各位
>あと
>>整理から
>>742>>752のポイントを外してるのはわざとかな?
>をスルーしないように。
スルーせずに、上記のコメントでまとめて回答しましたよ。
貴兄らはヨハネは古いとの見識ですが、トマスはもっと古いという
宗教学者の見識があるということです。 >サロメさん
>>188 他宗派否定の代名詞みたいな人なのにそれでいいのか?
万教帰一の真逆をいってるよ。教えの真贋はともかく白黒分けすぎる人物ではあるだろ。
>>190 ええと、その引用部分にかかってるのはイエスの十字架刑をどう記載してるか、
ということだ。実際に起こったかどうかって意味でね。
内容的には189に言及してるのか?はっきりしとくれ。
189の参照からするに、
>ヨハネ伝の筆記者はトマス伝を 知っており、意識して執筆したということです。
「意識して執筆した」には
【名前流用されただけの(少なくとヨハネ記者側からすれば)トマスをわざわざ
「流用してるだけの文書」の批判のために愚かに描く】は含まれないと、一在家は考えている。
ということでいいのか?
194 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 00:33:13 ID:J+NGx5Td
どのスレなのか、スレ名およびアドレスを提示しないと検証できない。
195 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 00:38:50 ID:QJ9+9vUH
>>191 >そうであるから、他宗教の教義に関して安易に議論をふっかけるなどという事は、
>畏れ多くて、とてもとても出来ない。
まったく貴兄の仰るとおりです。
議論でなく、対話するように心がけることが肝要ですね。
本スレのタイトルの「議論」に次第にはまっていたようです。
少なくともヨハネ伝の読み手はトマスは愚かだなあ、こんな愚かな人の名前を
冠した書物だから信用できないな!否定だ否定!という読み方はしないだろう。
そんな読み方をする精神状態が想像つかない。
「トマスが仮現説なんて「異端」な説を信じるはずはない。だって自分で確めて
イエスから教えられたんだから(20:25-29 )」という読み方だろう。
「異端の書」の題名に使われているようなイエスの弟子たちは、あくまで
自分たち(「正統派」)の側なんだ。という書き方・読まれ方なんだろう。
>>194 スレタイは【独善主義】キリスト教の問題点【優越主義】
アドレスは
>>189に書いたとおり。コピペしてurlに貼れば
飛べる。過去スレだけど閲覧可能です。
197 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 00:44:27 ID:aDynKvKy
神が実在するのなら、何故宗教ごとにその姿や教えがこれほど大幅に異なるのか。
同じ神のために、殺し合いまでやるのか。
神が実在ではなく、各宗教の開祖を含む「人間」の空想・妄想の産物に過ぎな
いことを、如実に証明している。
「万教帰一」などやったら、それが原因で宗教戦争が勃発することは必至。
現に、「宗教多元論」についてさえ、同じ宗教内部で争いの原因になっている。
比叡山の世界宗教者会議で、出席者がそれぞれ自分の宗教の神に祈ったそうだが、
これは自分の信じる神に祈れば祈るほど、他宗教との争いの原因になることを
忘れた結果である。祈るなら、それぞれ、他宗教の神に祈るべきであった。
宗教多元論については、宗教学者も絶望的である。ある学者は、論議の対象を
人間の「身体」に関する事項のみに限定することを提案している。身体・生命
は、すべての人類について共通だから、全人類的な合意が得られる可能性がある。
科学における「真理」は、全人類的な合意が容易に到達できるのに、宗教における
真理は、必ず争いの原因になるのは何故かを、考えるべきである。
また、「原始」であれば正しいと考えることも誤り。その後の多くの人間による
思索の積み重ねを忘却した、開祖の盲信、開祖の神格化に過ぎない。開祖が誤り
である可能性はないとでもいうのか。大乗仏教は、「真如としての衆生心」や
「空の思想」の発見により、釈迦仏教のコペルニクス的転回を行い、その欠陥
を除去したものである。
198 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 00:48:00 ID:QJ9+9vUH
>>193 >「意識して執筆した」には
【名前流用されただけの(少なくとヨハネ記者側からすれば)トマスをわざわざ
「流用してるだけの文書」の批判のために愚かに描く】は含まれないと、一在家は考えている。
ということでいいのか?
貴兄のご質問が難解なので答えに窮しております。
3共観福音書にないようなトマス批判のエピソードを3話も挿入している
ヨハネ伝の筆記者の意識のことを論点にしております。
199 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 00:50:23 ID:J+NGx5Td
在家氏は議論や対話をする前に、自らの考え方が
教団(真光)としては流れを汲んでいる大本教および世界救世教の教義と
同一もしくは同質のものであるのか、それとも教義において何らかの異質性や断絶があるのか
という点について、明らかにしておいた方が良い。
そうでないと、在家氏自身の立場がぼやけてしまい、折角のコメも理解し難い。
200 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 01:03:52 ID:QJ9+9vUH
>>198 >ヨハネ伝の筆記者の意識のことを論点にしております。
その論点の内容について質問している。
ざっとおさらいしてみよう。
>>189で参照されたレスで一在家は
【ヨハネ記者は「トマスがトマス福音書の記者であるとは考えていないだろう」と述べた。】
【ヨハネ記者が「トマスがトマス福音書との間に繋がりが無い」と考えているなら、
トマスが愚かに描かれている事と、ヨハネ記者のトマス福音書への評価は結びつかない。】
これにも一在家は同意した。
しかしこのスレで一在家は再び書いた。
【・トマス伝を意識して、トマスの愚かさを演出するシーンを3つも追加しております。 】(
>>180)
これはヨハネ伝記者が「トマスへの評価とトマス伝への評価を結び付けている」
「トマスとトマス伝につながりがある」と考えている、ということだ。
189とは真逆の主張である。
>>193はいったいどちらが現在の一在家の意見なのか、という確認のレスだった。
202 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 01:11:19 ID:aDynKvKy
在家氏が帰一しようとしている神は、あきらかにキリスト教的「一神教」
の神概念。ヒックの「宗教多元論」も、それで批判された。
開祖の神格化こそ、宗教間紛争の原因であることを理解すべきである。
スピノザの「神」はどうなるのか。彼の「神即自然」は、神が自然に宿る
のではなく、あるがままの自然自体が神なのである。神道も、自然そのもの
が神。トイレの神まである。クリスチャンがこれらの神に帰一することは、
殺されても不可能であろう。「自分の」神概念を捨てきれず、その生命まで
捨てたキリスト教の多くの殉教者の姿を見よ。神が実在なら、神は、
彼等に「空想・妄想は捨て去って、生き延びること」ことを教えたはず
である。
203 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 01:18:01 ID:QJ9+9vUH
>>201 ヨハネ伝の記者もトマス伝の記者も誰だか分からないというのが神学者達の
共通認識だと伺っております。
ただ、ヨハネ伝の記者はトマス伝の内容を知っており、意識していたという
のも学者達の両福音書を比較分析した結果だとのことです。
(参照:「禁じられた福音書」)
つまりトマス自身を批判したのではなく、トマス伝を否定したというのが
現在の私の意見(仮説)です。
>>200 >>196は、当時のヨハネ伝読者が、トマス伝を呼んだときに「愚かな内容」と評価したとして、
それを「トマスの愚かさ」とは結び付けないだろう。というレス。
彼らがトマス伝を否定する理由は「アホのトマスが書いたから」
「アホのトマスの名前を冠してるから」にはなりえない。
だってトマスがトマス伝を書いたんじゃないんだから。
人名くっつけただけなのに、トマスの経験や内面なんて反映されようがない。
>>202 むしろ「神々のサラダボウル」だろう。
>>203 >・トマス伝を意識して、トマスの愚かさを演出するシーンを3つも追加しております。
つまりこれは書き間違い、ってことでいいね。
205 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 01:37:07 ID:aDynKvKy
宗教の「神」とは、他宗教の「神」との「相違」においてのみ存在しうるので
ある。「万教帰一」のためには、宗教自体を撲滅する以外には、絶対にありえない。
「相違」ではなく、「すべての人間に共通する要素」こそ、追求すべきなのである。
何を神と呼び、どこまでを神と呼ぶか、という範囲も教団しだい人しだい、
どれも間違っていると言うわけでもなし(
>>170)
あえて言うなら「x神教」か。xにはどんな数字を入れても構わない。
どれもそれなりに正しい。
キリスト教は他に無い(他と矛盾する)教義によって白黒を分けようとする。
一在家式万教帰一は、複数の宗教が共有する教義を、「共有されている」という
理由で重視する。真理が世界のどこにも限定されずに流布されている根拠としているからだ。
キリスト教的一神教では他教との矛盾・齟齬は真理と偽りを分ける普遍的規準だが、
万教帰一的x神教では、それはむしろ普遍性の無さをあらわしている。
以上から、一在家の宗教観はキリスト教的「一神教」とは、かなり違っていると言える。
207 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 01:40:39 ID:aDynKvKy
臨済宗の「仏に会ったら、仏を殺せ」はどうなるのか。「帰一」など、初めから
問題外である。
208 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 02:06:49 ID:aDynKvKy
宗教(神概念)の存在の根拠が、他宗教(他の神概念)との「相違」にあるとすれば、
「万教帰一」とは、とりもなおさず、「宗教(神概念)の消滅」を意味する。
王仁三郎は、ひょっとして、そこまで考えていたのではないか。だとすれば、在家は
開祖を理解していないことになる。
209 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 02:15:19 ID:J+NGx5Td
そもそも在家氏は、議論を楽しむ目的で「万教帰一」というテーマを持ち出していただけだと思う。
これではまるで、学校の教職員組合が、組合活動のスローガンとして
夢想的な「平和」という概念を打ち出して、
その反動として、生徒には最も重要な‘自らの生命を守ること’すら教えず、
更に道徳や宗教まで否定してしまったために、学力低下と学級崩壊を招いてしまい、
強く非難されている現状と、さして変わりは無い。
現実を踏まえていない少女趣味的お花畑議論では、少し前に辞任した某国の宇宙人総理と同じだ。
在家氏が具体的な万教帰一のための持論を提示できないのであるから、これ以上はこの議論は
在家氏から仕掛けられた実現性の無い机上の空論に過ぎないので、終結させた方が良い。
210 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 03:23:55 ID:0pUkfe+C
>>173 >イスラムでは十字架かかったことを否定するが、
>これにまつわる教義はキリスト教の根本的信仰だ
「イエスの十字架による贖罪」は、聖書上も根拠がない。イエスには、「己の
十字架上の死によって、人類の罪を償う」などという意図は毛頭なかった。彼は、
処刑の前日には、処刑を極端に恐れているし、十字架上では、己の罪さえ悔い改める
ことなく、女々しくも神に救いを求め、神を怨んだが、結局は、槍の一突きで、
断末魔の叫び声を挙げて絶命した。「復活」は、「目撃者」の幻覚であろう。
復活後、イエスは、いつのまにかいなくなる。
「普遍的な真理」は、キリスト教の最も恐れるところである。例えば、すべての
人が「神の似姿」であれば、イエスもその父なる神の面目は丸潰れである。
旧約における神の唯一の自己定義は、「わたしは、ある」即ち、神は全実在
の意である。神が「全実在」であれば、イエスも、彼の父なる神も、一瞬にして
吹っ飛ぶ。
211 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 03:30:45 ID:173Yvvvm
英BP、原油流出で1兆8千億円補償 米大統領と暫定合意
212 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 03:39:23 ID:0pUkfe+C
>>211 オバマを含め、米国人はBPの石油を散々利用しているのだから、あまり文句を
いえる立場にはない。血の滴るビフテキを頬張りながら、「鯨が可哀想」と
言っていると同じ矛盾。BPは「故意」でやったのではない。あくまで「過失」
である。
213 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 06:33:29 ID:mErXcT/J
>>204 >当時のヨハネ伝読者が、トマス伝を呼んだときに「愚かな内容」と評価したとして、
>それを「トマスの愚かさ」とは結び付けないだろう。というレス。
そういう意味では了解です。
ヨハネ伝の筆記者が「不信のトマス」を印象付ける為に、
トマスの愚かさを演出するシーンを3つも追加しておりますと
私は指摘しているだけです。
214 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 06:43:15 ID:mErXcT/J
>>205 >宗教の「神」とは、他宗教の「神」との「相違」においてのみ存在しうるので
>ある。「万教帰一」のためには、宗教自体を撲滅する以外には、絶対にありえない。
各宗教の誕生する時代、国、言語が異なります。
更に後世の弟子が教えを付加、改ざんする場合もあります。
宗教間での「相違」は現代における結果であって、立教時点での
相違ではないことも多いのですと指摘している次第です。
215 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 06:50:54 ID:mErXcT/J
>>206 >何を神と呼び、どこまでを神と呼ぶか、という範囲も教団しだい人しだい、
どれも間違っていると言うわけでもなし(
>>170)
>キリスト教は他に無い(他と矛盾する)教義によって白黒を分けようとする。
一在家式万教帰一は、複数の宗教が共有する教義を、「共有されている」という
理由で重視する。真理が世界のどこにも限定されずに流布されている根拠として
いるからだ。
ハンドルが無いのでどなたか存じませんが、よくご理解いただき幸甚です。
「キリスト教は他に無い」 という文ですが、「現代のキリスト教は」
という意味で、「原始のキリスト教は」どうだったのかを調べております。
※今朝時間がございませんので
>>206以降の方へのレスはできませず失礼。
216 :
前世は一在家:2010/06/17(木) 06:57:29 ID:mErXcT/J
>>210 >「イエスの十字架による贖罪」は、聖書上も根拠がない。イエスには、「己の
十字架上の死によって、人類の罪を償う」などという意図は毛頭なかった。
ヨハネ伝以外の文献上はそのようでしょうか。
>「普遍的な真理」は、キリスト教の最も恐れるところである。例えば、すべての
人が「神の似姿」であれば、イエスもその父なる神の面目は丸潰れである。
ここで論理が飛躍ですね。
人が「神の似姿」であることは旧約に記載の真理(法)の再認識になるだけで、
ユダ伝では「完全なる人間を立たせよ」と別の表現を用い、
ルカ伝でも「内なる神の国」というまた別の表現をされております。
217 :
神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 07:11:42 ID:uus810d2
>>216 ならばイエスは、何故「神の国は近づいた。悔い改めよ」などと騒ぎ立てたのかねw。
すべての人間が「神」なら、イエスの立場はどうなるのかw。キリスト教にとっては、
イエス以外の「人間」を「神」とすることは、絶対に出来ないことなのである。
驚くべきことに、「神の似姿」を「イエス」のみに限定して解釈していることを、
君は知っているのか。
>>207 「仏すら『殺す』必要がある」なぜなら「不要なドグマ」「後代の付加」が含まれているからだ。
つまり仏を『殺す』ことで既存の仏教を解体し、不純物を排し、万教の源に還ることが可能になる……
という読み替えをすればおk。読み替えくらい隠居にも覚えがあるだろう。
>>210 贖罪に根拠があるかどうか、という問題じゃない。
それが相手方にとって「否定」であるかどうか、という話を一貫してしてる。
あとは
>>181>>187をもう一度参照。
>「普遍的な真理」は、キリスト教の最も恐れるところである。例えば、すべての
>人が「神の似姿」であれば、イエスもその父なる神の面目は丸潰れである。
人類は「神の似姿」は明記されているのでおk、「イエスすごい」の根拠は、彼もまた「神の似姿」だから、
ではなく、ロゴスとしてすごい昔から存在してるから、神から権威と力を授けられたから、とされているので
キリスト教からしてみれば痛くもかゆくも無い。
>旧約における神の唯一の自己定義は、「わたしは、ある」即ち、神は全実在
>の意である。
ニューエイジの人いがいでそんな語義解釈する人なんていんの?
単にユダヤ教、キリスト教出身の人が「あ!なんかもう全部神じゃね?」という気分になった、
ってんじゃなく、「トーラーの書き手が実際にその意味として書いた」「ヘブライ語の表現法として
その意味になる」と【語義解釈】してる人はいるの、って問いだからそこを取り違えないでね。
>>213 イエスの弟子は基本的に愚か。そうじゃなかったら
イエスが栄光を受ける時には両側に俺たち兄弟置いてください、とか
一行を歓迎しないサマリア人を燃やしてしまいましょう、
などと持ちかけたりはしない。
結局イエスにたしなめられて受け入れ、彼に従っているのだから
彼らは誤っているわけではない、という発想になる。
トマスがアホだと書いたところでトマスへの否定にはなりえない。
トマスを否定するためには「不信」のまま終わらせなければならない。
つまりイエスから示されてもその誤りを認めなかった。
それを最期まで繰り返し続けた。イエスの言葉を聞き入れることはなかった、と書く必要がある。