1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 10:39:09 ID:480BNx1O
誰も書き込みませんね。
これが継続スレとまだ、皆知らないのか?
あるいは、括りが大きすぎて何を書いてよいかわからないか?
または、テーマそのものに興味がわかないか?
私としては、輪廻系のネタに絞った方が、良いのでは?と思うのですが。
まあ、みなさんの書き込みを期待します。
3 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/23(水) 10:49:57 ID:rRlEOVKV
>>2
>誰も書き込みませんね。
そうですね。
「アートマン」とかで、必死で検索掛けてるてるかと思われ。
>>1 乙です。
4 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/23(水) 10:52:28 ID:rRlEOVKV
>>1 >なぜ衰微することなく、寧ろ飛躍的に発展、受容され、広範囲に伝播したのか
それはやはり龍樹の功績が多大であったろうと拝せられます。
ひとことで言ったら、中論は宗教といふ枠を超えて
哲学的にも非常に高度であることが分ります。
よって、こういったバックアップもありまして
八宗の祖とか、また第二の釈尊とかの称号を得、
不動の地位を獲得しましたのが龍樹であろうかと思います。
ご存知のように、空思想は部派仏教(説一切有部など)時代にも萌芽はありました。
ただこれは、あまり一般的には知られていない。
原始仏教→実有論、という認識が多いのは確かですね。
実有論といいますのは、釈尊本懐義であります中道が、あまり明確ではありません。
これがもの足りない。
唯識論もそうです。
やはり中道が核でないと、仏教としての魅力はない。
5 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/23(水) 11:06:30 ID:rRlEOVKV
旧7氏の論題で
_____________________________
「涅槃」或いは「悟り」或いは「縁起」或いは「苦」の主観的限界。客観性を持たせ得るか?
(→結局は、どこまで行っても、『自身にとってどうなのか』でしかない。 →他者には当てはめ得ない。)
《畢竟『仏教は「自覚の宗教」』であり、言及できる部分(分野、領域)は極端に少ない》。
【主観?】「涅槃」及「苦」は個人的自覚【妄想?】
仏教に於いて、(現在その全てが(理念通り)履行されているかどうかはともかく)、
《「聖」と「俗」》《「勝義諦」と「世俗諦」》
《「隠棲」と「市井」》《「脱社会」と「社会性の維持」》
《「非生産者」と「生産者」》《「法施」と「財施(=食施)」》
《「無所有」と「所有」》《「社会的責務の免除」と「社会的責務の遵守」》
などの区分(≒結界)は本当に必要か?
(→在家無き仏教はあり得るか? 逆に出家(者)の無い仏教はあり得るか?
寧ろ、両者のハイブリッドこそが理想形か?)
或いは《「聖なる領域」は「世俗の最大・最高規範」の上位に位置づけ得るか?》
或いは《他の宗教に於ける「聖と俗の対比」と、どこが相似し、どこが異なるのか?》
【出家】「聖」と「俗」の交錯点【在家】
_____________________________
これはオモシロイですよね。特に
>【出家】「聖」と「俗」の交錯点【在家】
とくに↑これなんかはいいです^m^
さあ、聖と俗について大いに書き込みして下さい。
6 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 11:17:33 ID:q9iMqsSv
「パウロの黙示録」も埋められたものが発見された、という体裁ですが、
隠されたものが発見される、という形式には特定の由来があったりするんでしょうか。
うちの犬は、習性だね。だから堀忘れる。
パウロの犬も同じだったと思われ。
8 :
閻魔大王:2009/09/23(水) 11:26:04 ID:lry1i1Qn
>【出家】「聖」と「俗」の交錯点【在家】
答えは大乗葬式仏教スタイルか?
「現実的なものはすべて合理的である(理にかなって存在している)」(ヘーゲル)
9 :
閻魔大王:2009/09/23(水) 11:48:48 ID:lry1i1Qn
『偈を説いて、わたしは食を得るものではない。
バラモンよ、かかることは知見あるもののなすべきことではない。
覚者たるものは、誦偈による賃を受けてはならぬ。
バラモンよ、覚者はただ法に住するのであって、
それが覚者の生活の道である。』(スッタニパータ81:雑阿含経4,11)
10 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/23(水) 12:33:43 ID:ptFkKkDc
取り合えず黙って静観してたんですが、
な〜んと神智学スレにまでこのスレの知らせが・・・ ⊂⌒~⊃。Д。)⊃ ドテッ
はーい、皆さんこんにちは!
そして
>>1さん、スレ立てご苦労様です。
では、挨拶がてらに初投稿。
てか・・このスレタイを希望する人(1さん?)が先陣を切って自己主張なり、
情報提供なりをして頂かないと・・他の皆さんもどう論を展開すべきかウロウロするかと^^
ま〜、つまり
>>1の本文が“それ”だということなのかな?
11 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/23(水) 12:34:55 ID:ptFkKkDc
>>6 ボロボロに朽ち果てたパピルス書、『ユダの福音書』の再発見などは、
キリスト教関係者にとっては内容と共に衝撃的な事柄でしょうね。
確かに、そこには“意志の介在”を感じとることができるかもしれません。
しかし、ここは仏教スレにて“テーマ外”です。
*キリスト教ネタは控えましょう!!
ただ、スレテーマの“大乗の発生は必然であり、
「テルマ」と考えられる”という言葉は意味があるかも知れません。
この私を“大乗嫌い”と見ている人も多いかもしれませんが、
必然性ではなかったか?という問いには「Yes」と頷かざる得ないのかもしれない・・。
時代の変化に適合していく〜という観点から見れば、
原始仏教の形態のまま維持することは、確かに相応しいとはいえない。
大乗の発生と発展については二つの視点があると思う。
1.アンチ小乗(上座部)としての姿勢であり、
この発生の経緯においてゴータマ本来の思想からも離れてしまった。
2.大衆の要求を満たすべく発展した大乗というのは、時代の要請への適合という魅力を持ちつつ、
それが逆にゴータマの意志に反する部分とも重なっているという不条理がある。
12 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/23(水) 12:41:11 ID:ptFkKkDc
>>5 「出家」と「在家」の関係については、
前スレでも述べましたが、本来の出家サンニャーシ、「シャモン」(沙門)というものは、
世俗を捨てて家無き生活に入り、山林に篭り、或いは墓場(昔の東南アジアなどはそう)で瞑想し、
そして、猛獣たちと寝食を共にするようなサバイバル生活です。
施しをする在家がいないと(出家者が)餓死する、
という考え方そのものが本筋から完全に外れているのです。
この私だったら、
誰にも会うことすらもないヒマラヤ渓谷でたった独りでの瞑想生活。
完全に大自然の中での孤独な日々に憧れる。
ハァ〜〜胸が躍るなぁ、ワクワク^^
エッ?
もう少し現実的な視点で頼むって??www
13 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/23(水) 12:59:24 ID:ptFkKkDc
いつものどなたさんが、
「日本は大乗の国である。君らは原始仏教のカルト信者かぁ〜」と怒っているけれども・・(笑)
確かに、現実問題としては日本は大乗の世界であり、
社会との関りの中で人々の生活の中に深く入り込んでいる。
現・日本の仏教(信仰)世界を更にもう一歩、良きものへと前進すべく、
大乗の真価について問うことは必然ということでしょうね。
それは併せて、日本のお寺と僧侶たちのことにも触れていくことになるのかな?
では、再び皆さんの投稿を拝見しながら、
暫し静観していたいと思いま〜す \(__ )
14 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/23(水) 13:24:34 ID:rRlEOVKV
出家というのは、つまりアウトローですよね。
極道(アウトロー)というのは任侠の世界ですけど、
仏道というのも、これは違った意味でのアウトローの世界です。
社会が過渡期に達している、とか、成熟期などにあるとか・・・
そんな風潮において、若者が既成の文化に耐えきれなくなり、
家を飛び出す。
つまり、自由を求めるんですな。
1,960年代末期あたりは、こんな風潮でして、
アメリカ発ヒッピー文化(日本ではフーテン)が興隆する。
これもアウトローです。
アウトローといっても、極道のように世俗には迷惑をあまり掛けませんので、
こういう若者達というのは、大人達がさりげなく援助はしてくれます。
というのは、
大人達も、心底はアウトローに願望がありまして、
間接的に体験することが出来るからです。
生き方への願望が「聖」というのに結び付いたのかもしれません。
それは、敬意という概念が熟成されて、その最高値である「聖」
として定着していったのではないか?
そう考えております。
15 :
閻魔大王:2009/09/23(水) 13:32:21 ID:lry1i1Qn
坐水月道場
修空華万行≒遊空華万行
これで調っておりますが、何か問題でも?
以前はともかく、世間からエスケープした寒山・拾得スタイルでは逃げであってダメで、
世間の真っ只中でなんの変哲もなく生きてゆけるのでないと、悟りは本物ではない。
おい、カルト以外の誰か書けよ。
16 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 13:41:35 ID:aUEMawu8
>>8 >「現実的なものはすべて合理的である(理にかなって存在している)」
>(ヘーゲル)
この翻訳は優れている。特に、括弧内の解釈。まさに「あるがままの
現実の受け入れ(悟り、煩悩即菩提、生死即涅槃)」である。
すべての宗教者は、よーく味合うべし。
>9
そのような「妄想」「誤り」を是正したのが、大乗である。
17 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 14:19:04 ID:aUEMawu8
>>8 >「現実的なものはすべて合理的である(理にかなって存在している)」
>(ヘーゲル)
従来の訳は、ほとんど、「現実的なものは理性的」であった。これはvernunftig
に「道理にかなった」という意味があることを知らない、意味不明の訳であった。
英語の「reasonable」を考えてみれば、すぐに分ること。訳者が「意味」を理解
せず、「独和辞書」だけに頼った故の直訳による誤訳である。
18 :
閻魔大王:2009/09/23(水) 15:26:04 ID:lry1i1Qn
>>16>>17 硬直ご隠居へ
>「あるがままの現実の受け入れ・・
ちゃうんやなあw かなんなあー
おまんも、狂喜したプロイセン国王や、激怒した自由主義者とおなじ誤解してるがな。
縁起と関わるものとして書き込んだつもりやが、スレ違いのうえ時間が無いので詳しくは書けんが、
現実的なものは必然性(Notwendigkeit)として現れるから、
ヘーゲルにとってはいま現存するものだけが、決して現実的だとはいえんのや(弁証法)。←これ、エンゲルスの受け売り(フォイエルバッハ論)、
勉強しといてんか。
では、また!
19 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 16:21:47 ID:+nV427sP
もし仏教に反しない形で書かれていたら、法シリーズも仏典だったんだろうか。
20 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/23(水) 16:49:42 ID:rRlEOVKV
前スレの>760氏
>人間は誕生以前には、地球を認識できませんから、地球は存在しないことになりま。
>しかし、地球が存在しないのであれば、認識主体の人間そのものが誕生できません。
これは一見、非常に論理的でありますから、誰でも直ぐに騙されます。
(前にも書いたのですが、これはゴルバチョフの名言です)
実際、ビックバンがあったとして、宇宙が誕生したとしても、
これが「宇宙が存在した」というのは間違いですね。
「存在」という語義に注意してください。
空というのは、ビッグバンがあってもなくても、それらは一切関係なく、
一切皆空ですね。
宇宙が開闢しようが、しまいがそれは関係なくて・・・
ましてやそれが「存在」とか「非存在」とかには属さない。
こういった一連の現象を「色」と言いますけど、
あらゆる現象は「色」です。
アートマンとか、霊界とか、狐付きとか、彼の世とか・・・色々
ビッグバンを起点に「存在した」とはならない。
不生不滅ですから、単なるアクシデントと考えたらいい。
>>16 > 現実の受け入れ(悟り、煩悩即菩提、生死即涅槃)」である。
> すべての宗教者は、よーく味合うべし。
・現状で既に悟っているので「修行とかする必要は一切ない」
・今のままで十分。とっくに最高の境地にいる俺様。
・セクハラとかも菩提心(=煩悩)のなせる業。尊い行い。
まー、こーゆーのを「堕落」というのではないかと思うわけだがw
22 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 17:45:27 ID:nRbaQe+R
>>21 「堕落」は、生来的に人間に備わる「人間の本性」。教会の堕落に反対した
ルターの宗教「改革」が、いかにそれ以上の堕落(大殺戮)を生み出したか。
日本には、「水清ければ魚住まず」と言う至言がある。
ヒュームは、すでに200年前に、「最善は最悪を生む」と喝破した。
23 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 18:01:16 ID:nRbaQe+R
>>16 マルクス主義という、キリスト教に次ぐ史上最悪のカルト宗教を生み出した
エンゲルスなど、読むに値しない。
ヘーゲルの弁証法や歴史的必然性は、彼の誤り。弁証法における「正」と「反」
のそれぞれが、「正」と「反」によって構成されたいることを見落としているし、
歴史は、人間が、その「必然性」などを信じて作り上げたものではないよ。
24 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/23(水) 18:14:38 ID:njCFMHtG
このスレタイではインパクトに欠けている。
大乗が生き残れるかどうか、そういったことに肉迫しなけらばならない。
そこでつぎのようなテーマはどうだろう。
【最終】大乗仏教は消滅するのか?!決着】
>>22 > 「堕落」は、生来的に人間に備わる「人間の本性」。
なんという教義w
これ、冗談だよね?w
> 教会の堕落に反対した
> ルターの宗教「改革」が、いかにそれ以上の堕落(大殺戮)を生み出したか。
何度も指摘してるんだけど「殺人してる人だっているんだから、自分のセクハラや性犯罪くらい大目に見ろよ」
という論理は間違ってると思うよ。
> 日本には、「水清ければ魚住まず」と言う至言がある。
この文脈でそのことわざをもってくると、全然意味が違ってくるわけだがw
> ヒュームは、すでに200年前に、「最善は最悪を生む」と喝破した。
自分の性犯罪衝動を肯定するだけのために、ヒュームまで引用しますかww
26 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 18:28:49 ID:nRbaQe+R
法科大学院(ロースクール)制度の誤りが、明らかになってきている。この
制度も、「セクハラ」と同様、アメリカの猿真似であり、「既成の法学概念」
を全法律家に植えつけようとする「理念」どあり、その崩壊は、私は初めから
予測していた。
官僚制度の弊害が叫ばれているが、これは、官僚が、専ら法律の「文言」に
金縛りになり、現実界を「実質的に」見ようとはしないからだ。法律の文言
が、官僚たちの「責任逃れ」の道具となっている。
これは、宗教の、開祖と経典の「言葉」盲信と、現実や社会通念からの離脱に
よる弊害と、一脈相通じるものである。
多すぎた法科大学院・・・新司法試験、崩れた構想
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090923-OYT1T00049.htm?from=main2 なお、本日のYomiuri-on-Lineには、「休眠宗教法人」の売買の実態についての
記事もある。これも、宗教の弊害の一例。併せて一読されたし。
27 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 18:30:52 ID:+nV427sP
>何度も指摘してるんだけど「殺人してる人だっているんだから、自分のセクハラや性犯罪くらい大目に見ろよ」
>という論理は間違ってると思うよ。
これに答えることから逃げ続けてはいけないよ。
28 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 18:41:49 ID:nRbaQe+R
>>25 「堕落」は、人間の生存のための物質的充足の追求。「異性に対する
愛着心」は、種属としての人間の生存のために不可欠な欲動。いずれも
大自然の摂理であり、「法」である。これらを「犯罪視」することこそ、
まさに「観念による倒錯」であり、「堕落」以外の何物でもない。
これらの倒錯と堕落が、宗教の根本的な「病理」なのである。
「オカルト政権」「理念政治」の民主党政治は、忽ち崩壊する。これは
預言である。
29 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 18:47:27 ID:nRbaQe+R
>>27 「殺人はよい」が「セクハラ」や「堕落」は悪である、ということこそ、倒錯
と誤謬の最たるものであろう。
宗教とは異なり、堕落した人間は、少なくとも人は殺さない。
30 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 19:00:58 ID:Vcj0FQky
机が珍しく(?)いいことを言ってるなw
>>16 >違った意味でのアウトロー
>心底はアウトローに願望があり
>間接的に体験することが出来
>生き方への願望が「聖」というのに結び付いたのかも
>敬意という概念が熟成されて、その最高値である「聖」として定着していったのでは
もっとも、あの時代でも既に、「聖」という概念、領域は確立されてたと思うけどね・・。
「敬意、畏れ、委託・付託、代行、代表」という位置付けが「聖なる立場、領域」となっていく時期は、
かなり古代まで遡れるんじゃないかな。それこそ、呪術、神託、シャーマンの段階まで・・・。
それが、《「不可侵なもの」として》、或いは《「不可侵だが交流可能なもの」として》、
或いは《「移行可能なもの」として》、解され受け止められるかどうかは、
その時代の宗教的思想をリードする者たちのスタンス次第ということになるか・・・。
また、out-lawという語も意義深い。
行政、或いは為政者にとって厄介な存在であれば、
文字通り、世俗法の保護や恩恵を受けるどころか対象外であり、
逆に隔離・(悪しき)例外・監視・規制(或いは処罰・迫害・弾圧)の対象だろうし、
評価に値する(或いは『治世に役立つ、利用可能』)となれば、
特例となり、珍重され、特権を有することも可能だ。
重要なのは、(このような行政的ポジショニングに於いてさえ)、
前者後者どちらにしても《その位置は『世俗(≒日常的基準・規範)外』である》ということだ。
って、自分にスレ違い乙。 ノシ
>>30 レス番飛んでるんで、どんな内容かと思ったら・・、
わざわざ天婦羅修正した意味が全く解ってないようだ・・・w
33 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 19:17:46 ID:BRABBS6u
34 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 21:17:08 ID:JIwIMFML
>>33 まず、強姦を和姦との区別方法は?
多数の男を知り尽くした女が、損害賠償を騙し取るために、自分から男を
誘っておいて、「強姦・セクハラされて、『心理的外傷を負った』」と称して、
心療内科医の診断書を提出してくるような状況を、どう防ぐか。
女が男性からのアプローチがそんなに嫌なのなら、口紅、化粧、ミニスカート、
ジーパン、ヒップボーンなど一切排して、修道女のような服装をすべきでは
ないのか。男性の性欲を刺激するような行動をしておいて、セクハラ、レイプ
などと騒ぎ立てるのは、全く矛盾しているとは思わないのかね。
35 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 21:35:12 ID:Vcj0FQky
>>34 お前、ほんと子供だよな〜w 自覚しろよ。
36 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 21:46:37 ID:JIwIMFML
>>35 女の心理、生理、性欲、欲望を知らないお前が子供。童貞かw。
面白そうなスレタイだなw
意外な流れだか
ところで釈迦滅後に大乗仏教の根本思想とも言うべき菩薩思想が起こってきたのだが
何故だかわかるかね?
38 :
神も仏も名無しさん:2009/09/23(水) 22:07:52 ID:Vcj0FQky
>>36 お前、ほんとなんでもシッタカだな。
強姦願望がある女なんかほとんどいません。
まったくいないとは言わないが、そっちが例外だ。
大抵の女は、お姫様願望が強いんだよ。
それが男と付き合う中で解消されてく。
ローリタとかゴスロリとか、フリフリの服着てるヤツが、
女の妄想100%の男の視点を一切理解しないヤツらだw
その対極がお前みたいなオタクで女とほとんど口聞いたこともないやつだ。
女の妄想を全く理解できない男の妄想100%野郎。
本で読んだことを自分の都合にあわせて適当に妄想するヤツw
39 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 00:14:10 ID:7rx3XD1U
隠居は「素人投稿」ものだけでなくきちんとした犯罪研究も読むべきだと思うんだ。
40 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 00:24:52 ID:Uwd8z5Ib
>>39 それより、基本的な読解力や会話能力を身につけるべき。
41 :
俺も言うねん:2009/09/24(木) 01:42:51 ID:SX7888ez
インド本国では仏教徒が殆ど残って居ないし僧侶もいない、その周辺諸国
パキスタンやタイ、スリランカ等では上座部が残っている、面白いのは
チベットの密教系であるが、大乗とは云うも内実は小乗の戒律を保つ。
インドで今も一定の教徒と僧が居る戒律重視のジャイナ教は仏教が成立した頃に共に
興隆したが仏教のみは廃れたかたちである。
西暦一世紀くらいから仏教の僧侶はシナや海外に行き盛んに布教ををしている。
大きな観点から見るに戒律を保った宗派は、今も残るがそうではなくて残ったのは
日本だけであるのがわかる。「肉食はよその国でも在るし場合によっては破戒とは
ならぬが、妻帯の事は論外である」
布施を受けて生きる立場の僧を見る世間の目が問題になるわけであって、
いわゆる大乗仏教が生きているのは日本とその近所だけである。
以下明日
42 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 01:59:26 ID:KaZxZFlK
大乗仏教の定義をしておかないと、話しが噛み合わなくなるのではないですか。
とりあえずレイプ談義に鼻が咲いているようだな
どういう香具師達だろうw
>>34 > まず、強姦を和姦との区別方法は?
訳・俺いつも無理矢理なんだけど、相手がこっちを強姦扱いしてくる時と、
黙ってて文句言わない時があるのは何で?
> 多数の男を知り尽くした女が、損害賠償を騙し取るために、自分から男を
> 誘っておいて、「強姦・セクハラされて、『心理的外傷を負った』」と称して、
> 心療内科医の診断書を提出してくるような状況を、どう防ぐか。
訳・いつもと同じに無理矢理やっただけなのに、レイプのせいでPTSDになったって
診断書まで出されたんだぜ、たまったもんじゃないよ。
> 女が男性からのアプローチがそんなに嫌なのなら、口紅、化粧、ミニスカート、
> ジーパン、ヒップボーンなど一切排して、修道女のような服装をすべきでは
> ないのか。
訳・化粧してるのはエッチだ。口紅してたらエッチだ。ジーパンなんかもエッチだ。
エッチなのはけしからん! チャドル着てない女はみんなエッチだ、けしからんのだ!
> 男性の性欲を刺激するような行動をしておいて、セクハラ、レイプ
> などと騒ぎ立てるのは、全く矛盾しているとは思わないのかね。
訳・口紅してたんだから、レイプされても文句いえないはず。
化粧してる女はみんな犯していいはず。
ジーンズはいてる女は犯していいものであるべき。異論は認めない。
45 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 04:00:43 ID:Qqj7PNIo
女が、下半身の輪郭をモロに現すジーパンや、へそ下ぎりぎりまで下げたヒップ
ボーンを穿く「目的」が、男の性欲を刺激するためであることは、あまりにも自明。
46 :
閻魔大王:2009/09/24(木) 05:44:30 ID:smDAQiwf
>>42 >大乗仏教の定義をしておかないと、話しが噛み合わなくなるのではないですか。
同意。
実はこれがかなりやっかいな問題でもある。
47 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/24(木) 07:36:21 ID:i/zHgYfV
>>31 >もっとも、あの時代でも既に、「聖」という概念、領域は確立されてたと思うけどね・・。
そう、バラモン教というのは、儀式・祭祀を重要視しておったから
「聖」という概念は不可欠であったろうとは推測される。
ところが仏教というのは、バラモン教にアンチの立場にある。
つまり既成の宗教概念を一気に破壊しちょるんだね。
旧7氏は誤解しておるようですけど、勝義諦というのは「聖」という概念は全くないんですよ。
>また、out-lawという語も意義深い。
バラモン教というのは、いわゆるその時代の体制であった訳です。
カースト制度の精神的な支えになってましたからね。
仏教というのは、つまり造反グループでして、
その時代のインテリ層が関心を向けるには絶好のネタであった。
つまりインテリ層というのは、既存の価値観には飽きがきていて
常に刺激的な知的好奇心でいっぱいなんだよ。
これはアウトローと波動が合う。
そして少数部派が誕生していった経緯を辿る。
体制のバラモン教は、やがてヒンドゥー教へと発展していき、
仏教はヒンドゥーに取り込まれて逝ってしまう。
という運命を辿る。
つまり仏教の「聖」とは、体制に侵食された結果の残滓でしかない。
そんなものはないのが、本来の根本義です。
48 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 07:36:25 ID:Uwd8z5Ib
>>41 大乗は、日本・シナの寺院形態で考えると全く理解できんぞ。
律にしても三蔵にしても部派のものしかない。
恐らく寺院を所有する部派と所有しない個人的行者集団の大乗に分かれ、
律にしても三蔵は部派と共有していたと思われる。
この点、チベットのニンマ・カギュ派が大乗に近く、カーダム、サキャ、ゲルクが部派に近いと思われる。
寺院に篭もって教学の分析ばっかりやってる部派系と、テルマに基づき篭もって行ばっかりしている行者系、
シナ・日本の山岳行者集団と官寺系学者集団にも近いだろう、
日本でも山岳行者集団にはテルマもあるし。
そして行者系からたまに大学者が出現する。
これは学んだことによるのではなく、悟ったことによって大学者になったもの。
龍樹菩薩、寂天菩薩、香象大師、弘法大師、ロンソム・パンディタ、
ギャワ・ロンチェンパ、ミラレパあたりがその代表と思われる。
日本の仏教学会で行われる大乗創作説などは縁起からしても、
チベット、シナ、日本の歴史からしても話にならない。
49 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 07:39:30 ID:Uwd8z5Ib
>>46 簡単だ。菩提心に基づき普賢行の誓願を立て、利他行を行ずるもの。
50 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 07:44:13 ID:Uwd8z5Ib
>>45 こどもw ほとんどの女がナルシスト原理で服を選んでることをしらない。
服を選ぶ基準は「かわいい」つまり、自分の周辺でよく認められるものかどうかなだけだ。
だいたいのヤツは男を意識して服を選ばない。
男を意識してるヤツも、心配しなくてもオタク・ブサメンの君は
その「男」の中に入ってないからw
ほんと、何も分からないヤツ。
51 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/24(木) 08:40:43 ID:DDTfsJvw
>>24 うん-ですねぇ^^
“大乗仏教の誕生理由”については殆ど知られているわけであり、
精々、まだ不確定とされているのは、「大衆部」がほぼ大乗の祖であるとみていいのか、
或いは、仏舎利ストゥーパ信仰の人々との関係はどうだったのか?
といった程度のものでしょう。
問題とされるべきは大乗の存在価値ということであり、
大乗としての有意義な部分と仏教から遠のいていく堕落傾向・・とにある。
従って、タイトル的にはもっと危機感を訴えるべきでしょうね。
例えばこんな感じかな?
【最終】大乗仏教は存続できるか?!【決着】
>>42>>46 定義は簡単なのでは??
要するに、
原始仏典以外の諸経典(つまり大乗経典)を信奉の中心としているということでしょう!
「初期」→「中期」→「後期」大乗という歴史の経緯が判明しています。
それとも何か、もっと他に違う考え方があるのですか?
>>50 ブサメンを刺激したくてやってるわけじゃなく、
女性というのは、自分好みの爽やかイケメンにだけに言い寄って欲しいだなぁ〜コレが(笑)
52 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 08:49:57 ID:Uwd8z5Ib
>>51 >精々、まだ不確定とされているのは、「大衆部」がほぼ大乗の祖であるとみていいのか、
>或いは、仏舎利ストゥーパ信仰の人々との関係はどうだったのか?
この平川説はもはや支持するものはいない。
>原始仏典以外の諸経典(つまり大乗経典)を信奉の中心としているということでしょう!
>「初期」→「中期」→「後期」大乗という歴史の経緯が判明しています。
こういう歴史的把握はあまり意味がない。
例えば、チベットのテルマを見れば分かるように古いテルマも
新しいテルマもあまり関係なく重要なのは、そのテルマでどれだけ悟れるかだと思われる。
この意味で『般若』『華厳』『チャクラ・サンヴァラ』『ヘーヴァジュラ』系が何度も感得されたのだと思われる。
53 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 10:21:02 ID:wCp+e5Cd
周囲の同性に対するオシャレや流行の表現、いい男の気を引く試み
それをつまらない男が自分に向けたものだと思いたがる。
自分がそうだからといって他人もまたクソと味噌を一緒にするわけではない。
自意識過剰というのも哀れだな……
>>51 > 大乗としての有意義な部分と仏教から遠のいていく堕落傾向・・とにある。
この区分け自体が、特定の価値観を前提にしている感じがして非常に気になります。
たとえば、アートマンらしきものを認める浄土真宗などは、
釈迦仏教からは遠のいているということになりがちですし、上記の文脈からは
堕落ということになる可能性があると思います。
無我や空という概念は、我執を断つという意味で非常に有益な考え方であることには
ほとんど疑いがないように思いますが、お題目を唱えたり念仏を唱えることもまた、
まったく無駄とは言い切れないように思います。
>>45 ご隠居が散髪したり、ヒゲを剃ったり、Tシャツを着たり、ジーンズを穿いたりするのは、
ある種の外人さん(男性)からすると「やってもいい」のサインだったりするのですが、
無理矢理やられちゃっても、それはご隠居の責任ですからいいわけですよね?
56 :
析空:2009/09/24(木) 10:54:21 ID:o/yDA+ob
インドの仏教徒は一億人以上。
日本人の仏教徒より多い。
57 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 10:57:16 ID:Uwd8z5Ib
>>54 >たとえば、アートマンらしきものを認める浄土真宗などは、
それは明治以降でしょ。少なくとも江戸以上は遡れない。
真言宗がどこまで遡れるは分からないけど、
少なくとも弘法大師や慈雲尊者はアートマンなど認めない。
大日如来をブラフマンみたいに解釈するのは誤解。
大乗は方便が多様だから、口誦念仏やマニ車までなんでも使う。
>>55 うけた。レイプ肯定論者は自分がレイプされることを考えるべき。
それでもモエるようなホモマゾ男は、世の中の例外的存在であるように、
どうようのマゾ女は例外的存在なんだよね。
そしてマゾも大抵のヤツは自分のトラウマをきっちりなぞってくれないと
モエないから、ただヤられればいいわけではない。
そういうこおとオコチャマ誤淫嘘は想像もできないように、
仏教の内容もオコチャマの妄想では想像もできないと分かってくれないかな〜
58 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 10:59:20 ID:Uwd8z5Ib
>>56 インドの仏教徒は新興宗教だから。伝統仏教とは異質。
ほとんど幸福の科学や日蓮系を仏教と言っているようなもの。
59 :
閻魔大王:2009/09/24(木) 11:09:05 ID:smDAQiwf
大乗の定義に関し以下の初級命題を検討しなさい。
(1)釈迦仏教は実は大乗仏教である。
(2)在家仏教が大乗である。
(3)般若思想があることが大乗である。
(4)釈迦が一仏であることは大乗ではない。
(5)仏菩薩の導きによって救われることが大乗である。
60 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 11:16:52 ID:Uwd8z5Ib
>>59 つまんね。
(1) 教えが縁起することを理解しない実在論に基づく問いである。
(2) 出家在家にとくにこだわらない。
(3) なんだ般若思想ってw 般若の意味わかってんのかw
(4) 部派すら多仏
(5) 他力説は高度な意図・我意識の否定であって、キリスト教的な改変をとげた清沢真宗教学は問題外。
61 :
閻魔大王:2009/09/24(木) 11:27:18 ID:smDAQiwf
続
(6)一闡提(涅槃経)や五性各別説(法相唯識)も大乗である。
62 :
閻魔大王:2009/09/24(木) 11:30:20 ID:smDAQiwf
さて、大乗とはなにか?
63 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 12:08:43 ID:XDqwxD+T
>>51 >女性というのは、自分好みの爽やかイケメンにだけに言い寄って欲しいだな
>ぁ〜コレが(笑)
「男」を求めている、即ち、基本は肉体的本能としての「性欲」であることに
は、変わりはない。そして、「性欲の強そうな」、即ち「肉体的に強靭な」男
を求める。いくら言い訳してみても無駄。「精神性」など求めているのでは
ない。「精神性」で化粧するのではない。
64 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 12:46:50 ID:XDqwxD+T
皆、「文献」から語るのではなく、「動物としての人間の身体」を基盤
として語れ。順序が狂っているぞ。
>>64 > 順序が狂っているぞ。
おまいは頭が(ry
66 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 13:40:41 ID:Uwd8z5Ib
67 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 16:00:07 ID:z8tqR/oP
強姦をする相手とは何か、といえば尋常なコミュニケーションのとれない相手である。
この時点で本能的に拒絶してしまう。まともな人間関係を構築できない相手は当然↓のような問題を起こす。
隠居がガチムチボディを得たとする。 だがその肉体から繰り出される暴力が
自分や子供にふりかかったり見捨てられる
危険がある限り、隠居に交尾されようとは思えないだろう。
自己保存と子を生み育てる、という目的の障害となるばかりか
縁のある他の人々にも火の粉がかかる恐れがある。
まともな男性と結ばれセックスするのに比べリスクが高すぎる。
もう一つ、自制心の無い者は役に立たない。
まー、ご隠居は「肉体的に強靱な」男性の肉奴隷になってみるといいと思うよ。
案外気にいるのかもしれないが。
69 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 18:09:09 ID:Q2S4tUbe
いずれにせよ、異性に対する性的アプローチを罪悪視する現代の「セクハラ」
概念は、キリスト教→マルクス主義→フェミニズム→アメリカの判例直輸入の、
自然の摂理に反する倒錯以外の何物でもない。
70 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 19:49:11 ID:up8XBwh7
>>68 前立腺を攻略してもらえれば隠居としても本望だろう。
71 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/24(木) 20:38:37 ID:gM6t9sDR
>1
>今回は、大乗仏教が誕生・発生した理由と、
>なぜ衰微することなく、寧ろ飛躍的に発展、受容され、広範囲に伝播したのか
>を議論します。
元々、天照大神や八幡大神を崇拝していた日蓮が大乗の法華経を護持する
ようになった経緯を考えますと、大乗も衰微しているのではないかと思い
ますよ。
「神々が守る日本は災害や不幸が続き、仏教が盛んなインドや中国は
なんと豊かで栄えているのか。」と日蓮。(参考:日蓮大聖人御遺文集)
何が「縁」となって、大乗の栄えたインドや中国が現代の開発途上国
へと衰退したのでしょうか?
仏教が衆生救済の宗教から、哲学化していくことによって魅力を失い
衆生から見放されていったのではないか、というのが仮説です。
哲学化した「縁」は勿論あの方と世親でしょうか。
さて、心ある方々と一緒に仮説を検証して参りましょう。
72 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 21:36:31 ID:9i5/ufi8
>>71 意味不明。
法華経を信奉する創価学会は、日本最大の宗教団体だし、竜樹の「空の思想
(相互依存性と関係性)」は、現代世界の宗教、思想、科学の、「向うべき
方向」となっている。
73 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 21:55:42 ID:9i5/ufi8
大乗仏教は、開祖盲信、経典盲信という原始仏教の欠陥を改善したものと考え
ればよい。しかし、大乗仏教にも、「宗教」としての欠陥はまだ残っている。
>>73 性欲盲信なんて、宗教について語る以前の問題だろ。
そういうやつが「向かうべき方向性」とかいってるのは、
正直いってヤバイ。
そういえば麻原も性欲に関してはやばかったらしいしな。
75 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 22:55:14 ID:9i5/ufi8
「大乗起信論」をざっと読んだが、結局、「一切衆生悉有仏心」「煩悩即菩提」と
いうことだね。「性欲」は、「仏心(真如)」から特段に除外されていないw。
「生死(世間)の苦を厭い、涅槃の楽を証得しようとする願望・欲求」は「妄
心」とされている。
興味あることは、眼・耳・鼻・舌・身体・意識の「意識」は、「感覚器官」と
して、「心理作用」と区別している。これは、前レスでの、私の解釈のとおりで
ある。
76 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 23:29:40 ID:9i5/ufi8
「大乗の実体とは、一切の衆生が内にそなえている心(「衆生心」)に
他ならない。一切の世間の法(迷い)と出世間の法(悟り)は、ことご
とくこの「衆生心」の中に含まれているのであって、この「心」にもと
づき大乗の義理を明らかにすることができる。それはなぜであろうか。
この心の真(まこと)のすがた(「真如相」=ありのままのすがた)は、
大乗の実体を示すものであり、またこの心の現実にさまざまに展開しつ
つあるすがた(「心生滅因縁相」)は、大乗そのもの自体(「体})と、
その属性(「相」)と、その働き(「用」)とを示すものであるからで
ある。
衆生心は何故に大乗と名づけられるのであろうか。第一に、衆生心の
自体とは、あらゆる存在の真(まこと)のすがた(「真如」)であり、
それは悟りに到達せる仏の位にあっても、あるいは迷いの生存にあっても、
つねに平等であり、悟りによって増加することもなければ、迷いによって
減少することもないからである(「体大」)。第二に、衆生心は本来、
すでに悟りに到達せる覚者と全く同等のすぐれた性質・功徳を具有して
いるからである(「相大」)。第三に、衆生心の働きは、よく一切の世
間と出世間における善の原因と結果(「因果」)を生じせしめるからで
ある。」(「大乗起信論 第二章」)
77 :
析空:2009/09/24(木) 23:31:35 ID:o/yDA+ob
いまさらですが
【煩悩即菩提】って、どういう意味ですか?
「煩悩があるから菩提がある」でOK?
それとも「煩悩がそのまま菩提である」?
78 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 23:47:17 ID:9i5/ufi8
>>77 私は、後者だと思います。詳しくは、岩波佛教辞典の「煩悩即菩提」
の項目をご参照ください。
「煩悩と菩提の不二・相即が説かれる。つまり、積極的にはすべて真実
不変の真如の現れであり、悟りの実現をさまたげる煩悩も真如の現れに
ほかならず、それを離れて別に悟りはないことをいう」。
「知的悟り趣味」の「居直り煩悩」
80 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 00:02:36 ID:9i5/ufi8
小乗仏教とは異なり、大乗仏教は「人間そのもの」を丸ごと把握していると
いうことだね。その意味で、前者とは本質的に異なり、格段の進歩であると
言わざるを得ない。
>>78 仏教というのは基本的に禁欲的な宗教です。
道元の曹洞宗とかでも、禁欲は結構重要とされています。
日本の大乗仏教の中で、おおっぴらに禁欲しなくてもいいと言っているのは
浄土真宗くらいじゃないでしょうか。
>>77 煩悩と菩提は分けようとしても分けられず、相(あい)即(そく)して存在する。
これを而二不二(ににふに)といい、二つであってしかも二つではないとする。
これは維摩経に示される不二法門の一つでもある。
この色(しき、物質的)の世界は空であるが、それ自体がすべて真如の表れである。
したがって悟りを妨げる煩悩も真如の一面から現れたものである。
したがって煩悩を離れて菩提は得られない。
また逆に菩提なくして煩悩から離れることなはい。これが煩悩即菩提であるとする。
煩悩即菩提といえば、互いに矛盾する言葉が「即」でつながっていることから、
煩悩と菩提はイコールである、煩悩がそのまま悟りである、と考えられやすいが、
これは誤解であり、危険とされる本覚思想につながるため、間違いであるとされる。
あくまでも紙一重、背中あわせで相対して存在しており、煩悩があるからこそ菩提を求める心も生れる、
菩提があるからこそ煩悩を見つめることもできる、というのが煩悩即菩提の正しい語意である、とされる。
以上、ウィキペディアより転載。
83 :
析空:2009/09/25(金) 07:09:25 ID:Ze8VM1Gp
>>78 >>82 ありがとうございました。
煩悩と菩提は、イコールではないと聞いて安心しました。
おそらく釈尊は、煩悩即菩提などと言わないでしょう。
84 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/25(金) 07:39:54 ID:MeXRR6lk
>>71 >仏教が衆生救済の宗教から、
これは日蓮が言い出したことで、本来の仏教とは違う。
平安時代後期というのは、実に酷い状態でした。
平家物語には、そのところが詳細に書かれている。
この時代的背景において鎌倉仏教は興隆してくるのだが、
その中でもdでもなのが日蓮宗(日蓮正宗も含む)。
>「神々が守る日本は災害や不幸が続き、仏教が盛んなインドや中国は
>なんと豊かで栄えているのか。」と日蓮。(参考:日蓮大聖人御遺文集)
こういう日蓮の世界観がキティーなんじゃないでしょうか?
何故なら、京の都の衰退を“神仏に起因する”ってことなんでしょ?
神仏への拝み方が悪いから、日蓮様がベストな拝み方を伝授する。
ってのが法華経をダシに使った題目ですね。
法華経に帰依すれば、民衆は救われる。って・・・??
この教義の欠陥というのは、
そもそも日蓮の世界観の倒錯からきているもんです。
仏教が国体護持なら、
そもそも本家本元の釈迦族が滅亡せんかったでしょうに。
日蓮が、民衆救済どころか、
これを拡大解釈して大風呂敷を広げて書いたのが「立正安国論」。
神仏でもなんでも利用してdでも論を発明するのはカルトの特徴です。
民衆は直ぐ騙される。
85 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 09:53:10 ID:QuQfVcRO
>>82 「煩悩即菩提」をそのように解釈したら、全く意味をなさない。
悟りとは、「真実を知る」ことに他ならない。煩悩は、生きている限り、すべて
の人間に存在する「真実」、生きていることの証である。その真実に眼を背け、
「自己欺瞞」することは、「悟り」とは言えないだろう。
「危険とされる本覚思想」とは、一体何?
誰でも書き込め、執筆者の責任の所在さえ明らかでないWikiなどを、聊
かも信用してはならない。
86 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 09:59:19 ID:RBNmaMEn
>>85 >煩悩は、生きている限り、すべての人間に存在する「真実」、生きていることの証である。
現実と真実はまた別なんじゃないか?
あるがままの現実は真実じゃないよ。
87 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 10:20:19 ID:QuQfVcRO
>>86 「真実」とは、あるがままの自己、あるがままの世界のことである。
それを受け入れることにより、我執の働きを去り、心の安定と平安を
得る。
あるががまから眼を背けることは、我執による「真実の捏造」に他なら
ない。捏造や自己欺瞞によって得られた「悟り」などは、初めから偽物。
あるがままの現実には「人為」はない。従って唯一の真実である。それ
を否定することは、「我」による「真実の捏造」である。いかなる「真
実」のでっち上げも、可能になってしまう。それがまさにカルトである。
88 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 10:27:57 ID:QuQfVcRO
>>86 >現実と真実はまた別なんじゃないか?
>あるがままの現実は真実じゃないよ。
カルトの典型だな。そうやってカルト教組は、あらゆる「真実」を、
口から出任せにでっち上げる。
唯一無二の「真実」は、人為を弄さない「あるがままの現実」「あるがままの
自己」であることを、絶対に忘れてはならない。
89 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 10:57:14 ID:QuQfVcRO
>>83 >おそらく釈尊は、煩悩即菩提などと言わないでしょう。
それが、開祖盲信のカルトである。麻原盲信と、何の相違もない。
釈尊が「真実に思い至れなかったこと」に過ぎないではないか。そのような釈尊
の欠陥を、大幅に是正し、改善したのが、大乗仏教なのである。
90 :
閻魔大王 :2009/09/25(金) 11:54:53 ID:O+oap/7w
>>87 >あるがままの
ご隠居、あんた判ってない。おまいのは倒錯矛盾論理だ。
仏教上「あるがまま」とは縁起の現観をいう。
我執による仮構イメージという「事実」なるものはけっして仏教上「あるがまま」ではない。
念のため【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13の中村元博士の解説を再引用しておく。
521 :閻魔大王(3):2009/08/30(日) 18:31:37 ID:lFNyBdS3
中道的仏教世界観の達意の判りやすい名解説だ。超越的神秘など無縁だと判る。
『ここで皆さんは、妄執がなければ執着は当然止滅するが、執着が無くなると
なぜ出生までも無くなるのか疑問に思うかもしれません。
執着のあるなしに関係なく人間は生まれるではないかとは、もっともなことであります。
しかしここで考えなければならないのは、自己とは妄執と執着によって仮構されたものであるということです。
妄執の中核を打ち砕けば、仮構された自己は消滅します。自己が消滅すれば、自己によって仮構された世界像も壊滅してしまいます。
そこには「ありのまま」の世界があるのみで、分別、対象化された世界はありません。
有るとか無いとか分別した世界ではありませんので、自分と世界とは素通しになってしまいます。
自己は無限定なものとなってしました。後世の大乗仏教では「自他不二」(自己と他とは分離できない)といっています。
そうした「ありのまま」の世界では、自己は限定なき存在そのものなのですから、
当然出生もありません。出生がないのですから老死もないのです。
これがブッダの不死の法則です。後世これを不生といっています。』(ブッダの人と思想 49頁〜50頁)
ここからも判るように、アートマン、輪廻転生、梵我一如、昇天思想などなど
仏教周辺での諸概念などは全く潜入する余地のない狂雑概念でしかないことが明確なのだ。
我々は経典の字句に捕らわれる概念仏教主義者であってはならない。
91 :
閻魔大王 :2009/09/25(金) 12:32:57 ID:O+oap/7w
もし、
>>90の中村博士の解説が正しいとするならば、
妄執の中核(無明)を打ち砕くことによって、
誰もが例外なく悟りに至ることが出来るとするのが釈尊の仏教だといえます。
その意味では釈尊在世での教えこそが大乗仏教だということもできるでしょう。
神秘的な「超越世界」などという妄想とは無縁の“あるがまま”の体得が仏教だと思います。
またおなじく、我執による仮構イメージを“あるがまま”とする ご隠居的素朴実在論的単純唯物論も
批判を免れません。
92 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 13:55:46 ID:LVHHS52v
>>90 >しかしここで考えなければならないのは、自己とは妄執と執着によって仮構
>されたものであるということです。 妄執の中核を打ち砕けば、仮構された
>自己は消滅します。自己が消滅すれば、自己によって仮構された世界像も壊
>滅してしまいます。
「妄執と執着による仮構」も、人間の「あるがまま」である。そのまま受け入れる
ことにより、却って妄執と執着は止む。「妄執の中核を打ち砕く」のは、「人為」
という我執である。「あるがまま」を否定した「あるがまま」など、言語矛盾で
あり、却って、「執着による仮構」に他ならない。
中村氏の論理は、不十分。
93 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/25(金) 13:57:00 ID:+wQIX37c
>>84 >>仏教が衆生救済の宗教から、
>これは日蓮が言い出したことで、本来の仏教とは違う。
法華経では「仏は常住」と説かれております。
中論では「仏も縁起」だと貴兄から伺いました。
空海の信仰者に問います、「大日如来は常住ですか? 否か?」
親鸞の信仰者に問います、「阿弥陀如来は常住ですか? 否か?」
大日如来も阿弥陀如来も常住でなく縁起です、というのが
龍樹の帰依者達の回答だとは思いますが、大乗スレですので
中観派以外の大乗仏教徒の見解も伺っておきたいと存じます。
94 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 14:15:26 ID:LVHHS52v
>>93 信者ではないが、「久遠の本仏」も「大日如来」も、「生命」と「大自然」
の象徴として、当然、縁起である。さもなければ、一神教になってしまう。
浄土真宗は、「佛教のキリスト教」なので、「阿弥陀如来」については
知らない。
「縁起・空」を知らない宗派は、もはや仏教とはいえない。
95 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/25(金) 14:31:15 ID:MeXRR6lk
>>84 >法華経では「仏は常住」と説かれております。
ええ、そのとおりであります。
宇宙開闢以前から仏は常住ですね。
詳しくは
>>20に書いてありますから参照されたし。
よく「空の世界」なんてことを言う御仁がありますけど、
そんな世界はないです。
あるのは仏です。→これが常住。
世界があっても、なくても仏(普遍・法)だけは常住ですね。
(法華経に書いてあるのは世俗諦ですから、仏は常住で全く異論はないです)
世俗諦を日蓮のような異端が解釈すると、dでも論になる見本です。
>中論では「仏も縁起」だと貴兄から伺いました。
ええ、そのとおりであります。
(これが勝義諦です)
96 :
析空:2009/09/25(金) 14:43:42 ID:Ze8VM1Gp
大乗の根本的間違いは、「仏は常住」とした所にある。
原始仏教で、仏陀は入滅し、二度とこの世に戻ってこない(如去)としたところが、
大乗仏教徒には受け入れられなかったということでしょう。
97 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 14:49:13 ID:YzznTiNp
釈迦の教えの有効期限は切れています
末法の仏は日蓮であります
末法に通用する教えは大乗です
多くの人を乗せる船=大乗
という意味です
98 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/25(金) 14:58:46 ID:MeXRR6lk
>>96 >大乗の根本的間違いは、「仏は常住」とした所にある。
仏というのは法のことですから、普遍→常住でいいかと思いますよ。
(あくまでも世俗諦で)
この境地で白隠は「大悟」を宣言してますけど、
それ以降にまた「大悟」をしまして、
これが「悟り」になりますね。
悟ると「仏は常住」とは考えないようです。
悟る前→即心即仏
悟ると→非心非仏
この両者は意味は同じです。
世俗諦と勝義諦の違いですね。
>>85 > 「煩悩即菩提」をそのように解釈したら、全く意味をなさない。
確かに性犯罪を肯定するという目的にとっては意味を為さなくなりますね。
> 悟りとは、「真実を知る」ことに他ならない。煩悩は、生きている限り、すべて
> の人間に存在する「真実」、生きていることの証である。その真実に眼を背け、
> 「自己欺瞞」することは、「悟り」とは言えないだろう。
もし自己欺瞞しているのであれば、という仮定が成立すればの話でしかありませんね。
> 「危険とされる本覚思想」とは、一体何?
思想的な内容は、あるがままの現象世界をそのまま仏の悟りの世界と観るところにある。
つまり、それまでの仏教ではそういった「仏」に出会うには、何らかの修行などを行い、
従来の自分のモノの見方などをどこかで批判・滅却するのだが、それがなされずに、
極端に言えば悟りを開かない凡夫は凡夫のままで良く、修行の必要もないことになる。
これら本覚思想は一方で、人為を加えない我々の存在が仏であるとされたため
修行不要の堕落思想として批判されることにもなる。
何故ならば、煩悩は即ち悟りなのである。愛欲・退廃の全てが肯定され、
現に僧侶たちは堕落することになる。
近世になると様々な批判を受け、また天台宗内でも古来の正統な天台宗の学問へ
回帰しようとする運動が起こったため、急速に廃れることになる。
(
ttp://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/45c9db1250cea0cfe5c69fc34528b9f4 より)
> 誰でも書き込め、執筆者の責任の所在さえ明らかでないWikiなどを、聊
> かも信用してはならない。
自分に都合のいい内容だったら信用しそうですがw
100 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 15:24:49 ID:su/0YYam
>>99 「一切衆生悉有仏性」
「生死(世間)の苦を厭い、涅槃(悟り)の楽を証得しようという願望・欲求
を生じる『妄心』」(大乗起信論)
101 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 15:35:55 ID:su/0YYam
>>96 >大乗の根本的間違いは、「仏は常住」とした所にある。
大乗の根本思想は「縁起・空」だから、「仏(法)」も、当然に縁起・空
である。
102 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 15:38:02 ID:su/0YYam
>>100 現在の自分のまま「何も修行しなくていい」「性欲も抑制する必要がない」という思想は、
釈迦の時代から「外道」の烙印を押されている「邪教」であって、
その判断は大乗仏教においても変ることはない。
104 :
析空:2009/09/25(金) 16:56:05 ID:Ze8VM1Gp
大乗の根本的間違いは、
1.仏は常住
2.仏=法
3.仏性、如来蔵
105 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 17:11:23 ID:cwHIObmG
>>71 日蓮は仏教じゃないから。根拠としないように。
106 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 17:15:03 ID:YzznTiNp
>>105 仏が説いた法を仏教と呼ぶので仏であった日蓮の説いたのは仏教となります
仏教を釈迦教と呼ぶのなら違いますがね
107 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 17:17:58 ID:cwHIObmG
>>102 いまごろ言うな綾瀬はるか
スマナサーラの劣化コピーだ。そのくせ断定するから困ってます〜
しかし、このスレ終わったな。セブンも書いてないようだし。
オレも、そろそろ消えようかw
108 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 17:25:07 ID:cwHIObmG
>>106 なんで日蓮が仏なの?
彼自身も弟子も誰一人として成仏・正覚はもちろんアルハットにも
菩薩の初地にも達してないと思うが。
因みに江戸時代に到っても日蓮宗は仏教と認められなかったよ。
その証拠として『本朝高僧伝』に日蓮宗の人が誰一人として挙げられていない。
それに日蓮は本来包括的で融和的な『法華経』を排他的で独善的に誤読してる時点で、
何も分かっていないことが明白。
彼は非常に麻原に似ている。ごちゃ混ぜの似非教義、反社会性、
排他性、コンプレックスとその反動としての権力志向、
神通信仰と競争意識、嫉妬深さ、とても聖者とは思えないな。
>>106 > 仏であった日蓮
とりあえず貴方が所属している団体の名称をおしえてください。
どうも一般的な日蓮宗とも違いそうなので。
110 :
気まぐれ:2009/09/25(金) 17:32:09 ID:SKI/E5p2
ちょっと、お邪魔。
>>104 あなたは、真如の体験をした事がないだろう?
仏を人間的な存在だと考えるから、簡単に否定できるのだ。
真如の体験、おそらく、仏教的な悟りをした人間から見ると、
その3つは『世俗諦』としては正しいと思う。
111 :
気まぐれ:2009/09/25(金) 17:43:52 ID:SKI/E5p2
あ、議論する気がないので、これで消えます(^-^)ノ~~。
112 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 18:52:32 ID:/v7rnOQ9
発祥当時から大乗仏教に日蓮みたいな人がいたら
今頃インドを制覇してたような気もする。
日蓮ってアンベードカルより強そうだし。
113 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 19:30:29 ID:ZVZJouuy
仏魂から啓示されたのさ
114 :
自他力による悟り:2009/09/25(金) 19:35:10 ID:ZVZJouuy
115 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/25(金) 20:12:21 ID:+wQIX37c
>>95 机先生
>あるのは仏です。→これが常住。
>世界があっても、なくても仏(普遍・法)だけは常住ですね。
>(法華経に書いてあるのは世俗諦ですから、仏は常住で全く異論はないです)
また「世俗諦」と「勝義諦」という言葉を机上でうまく使い分けておりますね。
「世俗諦」と「勝義諦」という言葉を最初に使用した方はどなたですか?
「君らは私がいない方がよいと思うか。」という最期のセリフを残された方
ですか。別の方ですか。
もし本当に「勝義諦」に達した方であれば、このように「空」しいセリフは
似合いますでしょうか。
当時の100万人が悟らず、1000人が世俗諦であっても、自身が勝義諦に
達していれば、生き生きとして寿命をまっとうされたことと思料します。
また、カルトバスターという一手で話題を逸らされないことを希望します。
116 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/25(金) 20:38:11 ID:+wQIX37c
>>97 >多くの人を乗せる船=大乗
ある意味で同感です。
衆生救済の宗教としての仏教と仏教哲学とを比較すれば、
何れが「多くの人を乗せる船=大乗」だと皆さんは思いますか?
117 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 20:58:13 ID:cwHIObmG
>>112 ありえない。あんな偽物がインドに残るとは思えない。
日蓮が信仰されたのはキリストが復活したから信仰されたようなもんだろ。
118 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 21:08:39 ID:cwHIObmG
>>114 何、幸福の科学信仰か? 仏教じゃないんだから、さっさとでてった、でってった。
ところで、典拠を示す人が誰もいないな。
中公文庫の大乗仏典シリーズが典拠としてお勧め。
あるいは『世界の名著』第二巻大乗仏典もいい。
特に『論理のことば』は訳もよく、内容も簡潔で分かりやすい。
一切智論証、輪廻論証、有部、経量部、唯識、中観と部派と大乗の見解の違いが、
インド仏教の視点でまとまっている。
119 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/25(金) 21:26:16 ID:+wQIX37c
>>115 >「君らは私がいない方がよいと思うか。」という最期のセリフを残された方
出典は「龍樹」(講談社文庫、中村元著)です。
120 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 21:39:49 ID:Fr8JscaG
仏教はどうすればインドで生き残り続けることができたんだろう。
121 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 21:40:08 ID:cwHIObmG
>>119 出典を書くなら、頁数もよろ。
そして普通は、学者の概説書ではなく原典名を挙げますな。
貴方のやり方は理解できない。
122 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/25(金) 22:39:23 ID:MeXRR6lk
>>115 貴殿は、トリップだけでコテ名なしの・・・
例の「台風は動いてる」で、さんざん手こずらせた御仁ですか?
>また「世俗諦」と「勝義諦」という言葉を机上でうまく使い分けておりますね。
あのですね、不生不滅であっても縁生即縁滅であったり・・・
三時否定であっても、縁起の現観であったり・・・
論理矛盾を突いたら、いくらでもあるんですよ。
だから世俗諦と勝義諦という区分をしている訳で、
この二諦を理解しないと法解釈は無理です。
まあ、今日は時間がないので、明日にレスポンスします。
では、おやすみ。
123 :
セブン:2009/09/26(土) 00:30:17 ID:c6Ge+/xf
>>122 違うだろwwwww
お前が、文献どころか、レスさえ読めてないことが明らかだなw
>>115は在家だろ?w
レス内容とか文体とか、裏の意図とかを慮ったら子供でも判別可能だと思うが?w
124 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 00:45:05 ID:te3ZBhux
>>123 セブン、待ってたよ。でも、そんなやつらにレスしなくても。>^_^<
125 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 00:56:06 ID:wXpDd1OV
セブン=旧7?
新シリーズ開始に伴い「旧」をとったのか。
126 :
セブン:2009/09/26(土) 00:56:18 ID:c6Ge+/xf
>>124 このスレでは、(ま、書き込むことは殆ど無いだろうが)、
コテは「セブン」でいいのか?w
127 :
セブン:2009/09/26(土) 00:58:06 ID:c6Ge+/xf
>>125 このテーマに興味無いもんでwww (一応、107を受けているw)
申し訳ない・・・w m(_ _)m
128 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 00:59:19 ID:XdgVMgzW
空の概念を理解していないと答えは導き出せない
129 :
神を愛する子:2009/09/26(土) 01:06:21 ID:fJ1rxzRY
仏教がキリスト教を取り込んだから大乗仏教が生まれました。
理由はキリスト教の素晴らしさを融合させて更に多くの人を救える宗教に変える為です
よって現代の仏教はキリスト教と仏教の融合体です
ゾロアスター教なども取り込んでます
弥勒菩薩とはイエスキリストです
130 :
セブン:2009/09/26(土) 01:07:29 ID:c6Ge+/xf
>>124 >128なんてレスもあるが、「空」ってのはそんなに美味か?
仏教について語る際、「空」という語を使わずとも何も困らないわけだが・・・。
「空」という語を使用せず、「仏教を理解及び解説する」ことは不可能だと思う?(率直な疑問。)
131 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 01:20:14 ID:te3ZBhux
132 :
セブン:2009/09/26(土) 01:28:51 ID:c6Ge+/xf
>>131 桶。
ま、パーリと大乗の「空」の差異は、学位論文並の価値を持つテーマだと思うしw
これを、お気楽に 『同じだ』 と宣言する奴は信用しないようにしているw
おやすみ ノシ
133 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 03:15:09 ID:HysDcpup
>>127 >>130 仏教学者を自称する者が、「大乗仏教には興味ない」では済まされないだろう、
日本は、大乗仏教の国である。
「縁起・空(相互依存性・関係性)」の思想のない佛教など、単に、開祖盲信、
原始仏典盲信のカルト宗教に過ぎない。維摩居士から、コテンパンにやられるぞ。
大乗仏教の真髄は、前レスの「大乗起信論第二章」に尽くされている。
>>133 宗教について語る者が、セクハラ容認、レイプ肯定では、済まされないだろう。
日本は法治国家の国である。
性欲を抑制せず、レイプしておきながら被害者の服装の責任にするなど、
単に性犯罪者、反社会的な異常者による自己正当化や言い訳にすぎない。
警察・検察からコテンパンにやられるぞ。
性犯罪に対する法治国家の真髄は、六法全書に尽くされている。
135 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 03:50:52 ID:hZldlKr7
チンピラが紛れているね
137 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/26(土) 07:08:51 ID:CSY+uSZN
>>115およびセブン氏へレスポンス
【仏は常住】について
仏は常住か?常住でないか?ってのは、仏教は一如の法門(不一不二)ですから、
そもそも論の立て方が間違ってます。
例示しますと、
世界は存在するか?存在しないか?って論の立て方と同じ。
まあ、そんなことをいちいち突っ込んでたら、そもそも仏典なんて書けない訳でして、
一応は仏典は世俗諦論理で書かれています。
【仏は常住】の根拠は不生不滅です。
仏については、世俗諦から多角的にアプローチは可です。
不生不滅と縁生縁滅は論理的には矛盾してますけど、
アプローチの仕方が違うだけです。
不生不滅は、世俗諦観点でしたら連続性であります。
縁生縁滅は、これも世俗諦観点でしたら非連続性であります。
もうお気づきになられたかと思いますが、勝義諦というのは連続性と非連続性が同時にあります。
(つまり相対は一如)
セブン氏が悩んでいた無我の連続性も、ここにヒントがありますが・・・
なんと逝っても、仏教というのは、
一般的な意味の哲学を遥かに突破した最高哲理でありますから、
理屈で解釈できるもんじゃ〜ありません。
このスレッドには、ちゃんと、そういうのは解っておる御仁はおります。
(複数です)
138 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/26(土) 07:39:24 ID:CSY+uSZN
>>115 >「世俗諦」と「勝義諦」という言葉を最初に使用した方はどなたですか?
>「君らは私がいない方がよいと思うか。」という最期のセリフを残された方
>ですか。別の方ですか。
空思想を体系化したのは龍樹です。
(世俗諦・勝義諦が体系です)
しかし、古典である雑阿含経・第一義空経において、
「眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し」
と書かれてまして、それから、
「眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す」
と書かれております。
つまり「眼は生じる」という文脈において、「眼は生ぜず」と即否定をしておるのです。
(理論的には中論と全く同じ)
これは明らかに、龍樹以前にも体系化していないにも関わらず
世俗諦・勝義諦という概念に類似したものはあった。と、
そう解釈して宜しいかと思います。
ようするに、空思想というのは原始仏典にもあるのです。
139 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/26(土) 09:00:40 ID:5rNPVrUx
>>119 >>「君らは私がいない方がよいと思うか。」という最期のセリフを残された方
>出典は「龍樹」(講談社文庫、中村元著)です。
龍樹「あなたは、私がこの世に永く生きながらえていることを、願っておられるのですか。」
上座部の法師「実は願っていないのです。」
それを聞いた龍樹は一人庵室に入り、再び出て来なかった。
中村元氏は龍樹伝の一つから引用しており、引用文献をまた調べてアップしましょう。
ダイバに命を狙われつつ弟子に見送られた釈尊と、自ら蝉の抜け殻のように逝った龍樹と
は対称的な最期だと存じます。
偉大な宗教者と天才的な哲学者との対比が美しいかと存じます。
PS
ウルトラセブンは前世でも現世でも一番の理解者かも。。
140 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/26(土) 09:06:21 ID:5rNPVrUx
>>123 ウルトラセブン氏
>レス内容とか文体とか、裏の意図とかを慮ったら子供でも判別可能だと思うが?w
伏せた「裏の意図」まで読むなんて素晴らしいことです。
141 :
前世は一在家:2009/09/26(土) 09:58:54 ID:5rNPVrUx
>>1 スレタイ「大乗仏教が誕生・発生した理由」は「より多くの衆生の救済」
だとの私見(仮説)を持っております。
大乗仏教が「より多くの衆生の救済」の為の宗教であった頃はインドも
中国も栄えたかと存じます。
常住の仏や菩薩が活躍された時期だからです(私見)。
いつ頃からか、大乗仏教も龍樹の中論を「縁」として哲学化していき、
「科学が発展した現代に仏や菩薩がいるはずない」、「仏も縁起だ」、
「衆生救済を目的とすること事態が間違っている」と断言する仏教徒
(例、机上で空を論じる方)を本スレでも多数見かけます。
龍樹の信奉者は「仏も縁起」、日蓮の信奉者は「仏は常住」と言いますが、
空海や親鸞の信奉者は何れでしょうか?というのが問いかけです。
中島みゆきの「地上の星」の替え歌を謳いながらレスいただければ幸いです。
♪風の中の阿弥陀〜 草原の弥勒〜 街角の薬師〜 みんな何処へ行った〜♪
中島みゆきは天理教だったか。
143 :
だいおう:2009/09/26(土) 11:28:22 ID:5QkezTW9
104 :析空:2009/09/25(金) 16:56:05 ID:Ze8VM1Gp
大乗の根本的間違いは、
1.仏は常住
2.仏=法
3.仏性、如来蔵
析空は、スレタイを見ない奴だなあ、
インド成立大乗=日本主流多数派天台真言的大乗ではないぞw
禅スレで叩かれて学習できないのか??
ここでの大乗はインド成立大乗が基本、如来蔵、仏性主義ではないwwww
144 :
だいおう:2009/09/26(土) 11:34:02 ID:5QkezTW9
析空の意見が通じるのは、浄土教系、真言、天台宗系、日蓮系ぐらいだろ。
145 :
つきピエ:2009/09/26(土) 11:42:33 ID:ljgQE93v
聖霊大王ミ( ・∀・)彡
146 :
析空:2009/09/26(土) 11:57:33 ID:IyI5LIML
仏陀といえば、釈尊なのだが、釈尊以外の仏陀をもちだしたのが、大乗の間違い。
過去七仏も釈尊以外は、詳細は不明。
阿弥陀にいたっては架空の仏。
147 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 12:04:05 ID:w4lLCYdw
>>145 開祖・教祖に対する「個人崇拝」「神格化」「偶像化」が、宗教の最大
の「病理」であることを認識されたし。これは「人間座別」に繋がる。
会ってみれば、基地外が唯のオッサン。
148 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 12:08:56 ID:w4lLCYdw
性犯罪を肯定してるやつが人間差別とかいってもなぁ。
150 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 12:59:25 ID:w4lLCYdw
>>149 大自然の摂理、従って最大の「法」である性欲を罪悪視するお前が倒錯している
ということ。やはり、イエスの狂気の感染か。
「淫らな眼で女を見る者は、心の中で姦淫の罪を犯した。目玉くり抜かれる」。
これ以上アホな言葉が、ほかにあるか。これでは外は歩けない。目玉がいくつ
あっても足りないよw。
キリスト教の聖職者に性犯罪が多発して収拾が付かなくなっているのは、イエス
のこのアホな言葉が原因である。
>>150 > 大自然の摂理、従って最大の「法」である性欲を罪悪視するお前が倒錯している
> ということ。
性犯罪は犯罪であり、日本の刑法によって処罰される。
それが嫌なら未開な国にでも行けばいい。
この国においては性犯罪を肯定する者などは、害虫に他ならない。
これは法律という日本国国民の意思である。
152 :
閻魔大王 :2009/09/26(土) 13:16:54 ID:is0PDNM6
>>92 >「妄執と執着による仮構」も、人間の「あるがまま」である。そのまま受け入れる
>ことにより、却って妄執と執着は止む。
意味不明。
「妄執と執着をそのまま受け入れることが、“妄執と執着を止ませる”=悟りに至る」ということの
理由とメカニズムを、一切皆苦および犯罪が恒常的に多発している現状をふまえ、唯物論的立場から説明せよ。
“あるがまま”を我田引水的に言い換えても、依然無明のままであることには変わりない。
153 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 13:21:15 ID:w4lLCYdw
>>151 反世俗を標榜する宗教者なら、そうやってすぐに世俗の法律に頼るなよ。
性欲は、すべての人間に生来的に存在する肉体的本能だから、性欲を原因
とする犯罪については「特別の配慮」がなされなければならない。その
配慮がなされているか。
異性に対するアプローチさえ罪悪視する「セクハラ」概念は、まさに
大自然の摂理に反する「自然法的犯罪」「観念の病」「倒錯」「狂気」以外
の何物でもない。
154 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 13:21:55 ID:JpxDPmsZ
「縁起」は、主観が現象をあるがままに見るための一つの「方法」「見る角度」を示唆していると思う。
方法・ものの見方を知的に解釈することと、実際に見ることとは違う。
「縁起」を理解したところで悟りなどない。
「縁起」や「空」の理解を悪用して全てが分かったつもりになるほど、性質の悪い躓きはない。
155 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/26(土) 13:31:50 ID:CSY+uSZN
>>141 >大乗仏教が「より多くの衆生の救済」の為の宗教であった頃
衆生の救済って?
具体的にはどんな人?
例えば家族持ちなら嫁さんとか?子供とか?
まあ、救済するのは勝手でしょうけど、嫁さんとか子供はえらい迷惑ですよw
拙者はなんですが・・・
一番身近な近親者でも宗教の話はしたことがないw
(自分の周りは殆ど無宗教者です)
日常生活において、宗教の話題がないのは非常に居心地がいい。
宗教ってのは、個人問題ですね。
あくまでも一個人のアイデンティティーの問題です。
ただ、相手から宗教の話を求められれば、それに応じますけど、
拙者から積極的に宗教はアピールしない。
何故なら、相手に迷惑だからです。
「衆生救済」ってのは、何度も書きますけど、
迷惑ですから(苦笑
156 :
閻魔大王 :2009/09/26(土) 13:34:46 ID:is0PDNM6
>>147 >開祖・教祖に対する「個人崇拝」「神格化」「偶像化」が、宗教の最大の「病理」である
半ば同意。
しかし、すべては出世間のまなざし(悟り)への方便。
二項相対は出世間の境涯ではない。
曰く、
<ダンマパダ 294、295>
母と父を殺し
二人の王と士族たちを殺し
王国と従臣を殺し
バラモンは苦なく行く(294)
母と父を殺し
二人の王と経聞者たちを殺し
五頭目の虎を殺して
バラモンは苦なく行く(295)
<臨済録>
爾(なんじ),如法(にょほう)の見解(けんげ)を得んと欲せば,
但(ただ),人惑(にんわく)を受くること莫(なか)れ。
裏に向かい,外に向かって,逢著(ほうじゃく)せば,便(すなわ)ち殺せ。
仏に逢うては,仏を殺し,祖に逢うては,祖を殺し,羅漢(らかん)に逢うては,羅漢を殺し,
父母に逢うては,父母を殺し,親眷(しんけん・親族)に逢うては,親眷を殺して,
始めて解脱(げだつ)を得ん。
物と拘(かか)わらず,透脱自在(とうだつじざい)なり。
<無門関 第一趙州狗子>
驀然(まくねん)として打發(だはつ)せば、天を驚かし地を動じて、關將軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、
佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、
生死岸頭(しょうじがんとう)に於て大自在を得、六道四生(ろくどうししょう)の中に向って、
遊戲三昧(ゆげざんまい)ならん。
157 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 13:35:39 ID:w4lLCYdw
>>152 「煩悩にまみれたあるがままの自己」を受け入れてしまえば、「煩悩
を逃れようとする執着」はなくなる。それが悟りである。
犯罪は、「あるがまま」を受け入れない、即ち、「あるがまま以外を
求める執着」から生じる。
>>153 反世俗だろうがなんだろうが、
社会秩序に反する行為を肯定するような人間は、
社会の構成員として失格であり、不要。
早くこの国から出ていけ。
そもそも犯罪を犯したり、犯罪を肯定したりするような人間が
「反世俗」などということ自体が笑止。
まずは「真人間」になって出直してこい。
宗教について語ったり世俗がどうとか言っていいのは
社会に対して真っ当なスタンスで接することができるようになってから。
160 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 13:51:41 ID:JpxDPmsZ
「煩悩即菩提」「あるがままを受け入れる」 ← 知的に理解しただけで分かったつもりになる人に悪用されやすい概念の典型。
161 :
閻魔大王 :2009/09/26(土) 13:53:57 ID:is0PDNM6
>>157 煩悩とは執着である。
>>157の文言が完全に自家撞着であり、論理破綻していることが解かるか?
「あるがまま以外を求める執着」する者も「煩悩にまみれたあるがままの自己」なのだ。
矛盾撞着のおまいの論理には、出口がない。
爺さん、耄碌したな。
162 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 13:56:52 ID:w4lLCYdw
>>155 すべての衆生が生来的に有する衆生心(仏性)により、衆生は既に救済
されているのだから、救済は不要。その衆生心を「1個人の人為的観念」
で破壊するのが宗教である。
その衆生心を見出したのが、大乗仏教である。その意味で、小乗とは、
本質的に異なる。
163 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 14:05:25 ID:w4lLCYdw
>>161 「あるがままの自己」とは、人間が生来的に有する衆生心である。
他人(宗教)から後天的・人為的に「植えつけられた」ことは、「ある
がままの自己」ではない。
164 :
閻魔大王 :2009/09/26(土) 14:15:13 ID:is0PDNM6
>>157 俺って親切だから、耄碌爺さんへの念のために。
>「煩悩にまみれたあるがままの自己」を受け入れてしまえば、「煩悩
>を逃れようとする執着」はなくなる。それが悟りである。
これって、一切皆苦=煩悩のままの現状肯定主義で居直っているだけで、実存苦のままだぜ。
ブッダ当時のアジタでさえこんなあっふぉ丸出しはイワンの馬鹿。
おまい、ヘーゲル(
>>18)も、ブッダ(縁起)も判ってない
165 :
閻魔大王 :2009/09/26(土) 14:21:10 ID:is0PDNM6
>>163 >人間が生来的に有する衆生心
おいおい、唯物論者がそんなアートマンめいた戯論をたてていいのか?
爺さん、耄碌したな。
166 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 14:30:29 ID:AcZUfY30
誰も性欲を罪悪視などしていない。自制心の無い馬鹿が共同体にとって害毒と言っているだけだ。
167 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 17:47:46 ID:w4lLCYdw
>>164 >これって、一切皆苦=煩悩のままの現状肯定主義で居直っているだけで、実
>存苦のままだぜ。
それは、宗教から植えつけられた「人為的観念」のオウム返し。「あるがままの
自己」とは程遠い。衆生は、他者との係りの中における生存努力を通じて、
「苦あれば、楽あり。楽あれば苦あり」という「真理」を悟っている。
煩悩そのものを受け入れてしまえば、「煩悩を去る」という煩悩・執着はなく
なる。
いずれにせよ、君が「悟り」から程遠いことは、明らか。
>>165 唯物論者は、具象(肉体)に最大の価値を置くから、肉体から発生する菩提心
も当然含む。そしてその「菩提心」が無数の具象物との相互依存の結果である
ことも知っている。
>>166 肉体から発する性欲は、これも肉体から発する衆生心(生命、真如、仏性)が
制御する。やりすぎは、肉体にとって害になるからだw。
168 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 17:54:43 ID:w4lLCYdw
>>166 自制心のないのは、宗教の「人工的観念」によって「衆生心」を破壊された
宗教者だけ。史上そして現在の、一神教同士の殺し合いがその典型。
宗教観念によって「衆生心(生存本能、生命、真如、仏性)」を破壊されて
しまっているから、それによる「自動制御」が機能しないからである。
169 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 17:54:54 ID:l9wOMz+8
170 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/26(土) 18:02:13 ID:X3OqPU1a
レイプというのは基本的に、
男の場合には女から性的に弄ばれたとしても、
それを苦痛を受けたものとして被害に訴えることは殆ど考えられないらしい。
まず、相当に見た目で醜悪な女性によるものや、
もしくは激しい痛みを伴う真性SM(ほぼ拷問)でもない限りは、
もしろ男にとっては“夢のような”嬉しい体験となり得る。
やはり、性の捌け口としての対象にされやすい女性に対する配慮というものが必要なのです。
ま〜現代女性ではなくて、アウストラロピテクスだったら、
強靭な男からのレイプ紛いの交尾を求めて自ら誘ったりするかもしれないが・・。
171 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/26(土) 18:03:21 ID:X3OqPU1a
ところで、
議論の方向性としては“大乗マンセー”ではどうしょうもない。
大乗(特に現・日本仏教の実情)の問題点、
要するに“負の部分”といえるものを洗い出してその改善方向について話し合われるべきでしょう。
大衆を仏教信仰に繋ぎとめておくべく
“方便として”導入されたものであったかもしれませんが、
やはり、「他力」的な救済を求めるような信仰が仏教の本質から離れた諸教化であり、
仏教的には衰退するものでしょう。
これについて論じるべきでは?
172 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 18:24:25 ID:nI8rId9i
私は真宗のものではないので、よく知りませんが
「他力」とは、自我を滅するための法の一つなのでは?
すなわち、一心に念仏を唱え、他力を導入することにより、自力の完全否定、自我の喪失
を目指す。そして最後にはその念仏さえも捨て去る。
こういうものだと、理解していましたが。
違うのですかね?
ただ、何か神様的なものに救ってもらうのではなく、方向性は瞑想や禅と同じであると思ってましたが。
まぁ、仏教徒ではないので、よくわかりませんが。
173 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 18:32:03 ID:l9wOMz+8
深く考えずに女性嫌悪をぶちまけただけだから論理もへったくれもない。
性欲を我慢せずに相手に不快感を与え不本意な性行為を強いる事を是とすると同時に、露骨さを
繕おうと分別や思いやりを意図したらしい単語を書き連ねるがそこで生まれる自己矛盾に気付けない。
とりあえず宗教との差別化を強調したかっただけで他には何の考えも無いせいだろう。
その方法もただそれらしい単語をくっつけて飾るだけという中身の無さ。
174 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 18:34:22 ID:w4lLCYdw
>>171 大乗佛教の「空の思想」や「衆生心(真如・仏性・生命)」は、一大
発見。小乗仏教の「無明」を解決したものである。
しかし、大乗仏教の発生と発展に対してヒントを与えたという点に、釈迦
の比類の無い偉大さがあるのである。
175 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 18:37:40 ID:w4lLCYdw
>>173 一般に、最も中身のないのが、宗教の教説。現実上の根拠皆無な「観念
の遊戯」の羅列に過ぎない。
176 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/26(土) 18:41:18 ID:CSY+uSZN
>>172 他力はその通りであります。
悟り(彼岸到達まで)の段階というのは、殆ど禅と同じですね。
真宗はたしか、僧俗和合で妙好人を多数排出してます。
真宗に学ぶべきものは仰山ありますよね。
同じ拝むんでも、念仏と題目はえらい違い。
題目は、自分でこっそりやる分にはいいけど・・・
他人様を折伏するのは、えらい迷惑です。
177 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 18:43:53 ID:l9wOMz+8
>>175 まさに予想通りの返答。あっちもそうではないか、と言うだけで
肝心の「自分も」そうである、という現実は受け止めようとしない。
178 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 18:48:46 ID:l9wOMz+8
この流れが何度繰り返されただろうか。
本当に、かわいそうな人だ……。
179 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/26(土) 19:30:25 ID:zf1ex4qF
>>155 机先生
>衆生の救済って?
>体的にはどんな人?
>えば家族持ちなら嫁さんとか?子供とか?
>あ、救済するのは勝手でしょうけど、嫁さんとか子供はえらい迷惑ですよw
貴兄は「衆生」をまったく知らないようですね。
現代の日本では救済すべき衆生は少なく、釈尊当時のインドとは事情は異なるでしょう。
病気や怪我で苦しんでいる人は貴兄の周囲にはおられませんか。
家族や知人との争いや不和で悩んで人は貴兄の周囲にはおられませんか。
仕事を失ったり、貧しくて不安な日々を送っている人は貴兄の周囲にはおられませんか。
釈尊、空海、最澄、日蓮、法然、親鸞は皆衆生救済の為に法を説かれたことと
認識しておりますが、貴兄の認識とは異なるようですね。
確かに複数の龍樹菩薩の伝記を読みますと「衆生救済」という発願も無いようですので
貴兄ら信奉者(中観派)にも「衆生済度」の四文字が念頭に無いのは当然かと思料します。
哲学者にとっては「衆生救済」は余計なお世話というのも極自然で理解できます。
180 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/26(土) 19:48:47 ID:CSY+uSZN
>>179 >釈尊、空海、最澄、日蓮、法然、親鸞は皆衆生救済の為に法を説かれたことと
日蓮くらいじゃないですか?
「衆生救済」とか迷ってる御仁は。
他の覚者は、悟っておりますから救済はせんでしょうね。
「救済する」とか「救済される」とか、人間はそんな差別はするもんじゃないです。
人間への冒涜です。
貴殿は救済する側の、選民された特殊な人間なのですか?
それは慢心というもんです。
そういう心では悟ることはおろか、無明の縁から出てこられません。
先ずは救済することは考えんで宜しいです。
救済せんでも、世界は既に救済されておるんですから、
勝手なことはせんことですね。
迷惑ですから。
>>171 > やはり、「他力」的な救済を求めるような信仰が仏教の本質から離れた諸教化であり、
> 仏教的には衰退するものでしょう。
> これについて論じるべきでは?
他力というのは阿弥陀如来の慈悲のことですが、
阿弥陀如来とは則ち真我のことです。
悪人正機説のいう悪人とは自分の愚かさと至らなさに対する自覚であり、
要するに低我である自分に対する認識です。
>>172さんの意見もその通りだと思います。
182 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 21:37:19 ID:M5rZmSIe
>>179 >病気や怪我で苦しんでいる人は貴兄の周囲にはおられませんか。
>家族や知人との争いや不和で悩んで人は貴兄の周囲にはおられませんか。
>仕事を失ったり、貧しくて不安な日々を送っている人は貴兄の周囲にはおら
>れませんか。
「救い」とか「救済」という言葉は、特にキリスト教系がうわ言のように唱える
言葉だが、意味不明だね。誰を、誰が、何から、どうやって救済するのか。
病気や怪我の救済は、医師や医療機関が行う。家庭内の争い、その他純粋に精
神的な苦悩は、自己中心主義から生じているのだから、自我を離れて、相手の
立場になって考え、譲歩することによて救済される。金銭や物質的欠乏による
苦悩は、欠乏した金銭や物資を供給することによって行う。
いずれも、宗教の出る幕ではない。
苦悩に対し真正面から立ち向かおうとはしない、宗教の「自己欺瞞」による救済
は、救済の基本となる生存本能の脆弱化を招き、他者の苦悩を理解し、それに
共感する能力の向上、即ち「人間としての成長」を即時停止させ、上記のすべて
救済の可能性を奪うものである。キリスト教について、ニーチェが最も厳しく
批判する欠陥である。
佛教は、キリスト教並みの「救済宗教」とは異なる。
183 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 21:54:20 ID:M5rZmSIe
宗教者、特にキリスト教系のいう「救い」とは、「自分の」宗教的満足のため
という「エゴ」の行為である。
本当の救済とは、「土壇場で相手の生存を助ける行為」である。生存の土壇場
にない者にとっては、宗教による救いなど有難迷惑、ウザイだけの有害行為。
それはむしろ、苦しんでいる人間に対する「侮辱」である。
184 :
析空:2009/09/26(土) 21:59:33 ID:IyI5LIML
>>143 【インド成立の大乗】?
いつの間に、そんな話しになったのか?
※あなたが勝手にそう思っているだけでは?
185 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 22:02:17 ID:M5rZmSIe
>>178 「かわいそうな人」は、開祖や経典の言葉から一歩も踏み出せない、
「思考停止」させられた宗教信者のことである。
186 :
析空:2009/09/26(土) 22:16:56 ID:IyI5LIML
禅スレで、叩かれた覚えはないのだが?
そもそも大乗のいいとこは何?
そしてそれは、釈尊の教えなのか?
※やっぱり大乗は非仏説としかいいようが・・・
187 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 22:35:21 ID:te3ZBhux
>>186 見解が高い、方便が多様、一切智者になれる、利他なのでみんなが幸せになれる。
縁起が分かれば大乗非仏説など、無知のシッタカ、実在論的断定に他ならないと分かるのだとなんども言ってるのだが。
>>185 「頭がかわいそうな人」は、性欲から一歩も抜け出せない
「思考停止」しているご隠居のことである。
>>183 唯物論者、特にご隠居のいう「悟り」とは、「自分の」性欲満足のためという
「エゴ」の行為である。
レイプとは「土壇場で相手の生存や実存などを無視する行為」である。
相手のことを好きでもない者にとっては、レイプなどは人権侵害、ウザイという言葉では
言い尽くすことのできない有害行為。
それはむしろ、被害者のみならず、人類社会全体に対する「侮辱」であり「敵対行為」である。
190 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 23:45:49 ID:I+6gNQKx
>>186 >そもそも大乗のいいところは何?
「大乗の実体とは、一切の衆生が内にそなえている心(「衆生心」)に
他ならない。一切の世間の法(迷い)と出世間の法(悟り)は、ことご
とくこの「衆生心」の中に含まれているのであって、この「心」にもと
づき大乗の義理を明らかにすることができる。それはなぜであろうか。
この心の真(まこと)のすがた(「真如相」=ありのままのすがた)は、
大乗の実体を示すものであり、またこの心の現実にさまざまに展開しつ
つあるすがた(「心生滅因縁相」)は、大乗そのもの自体(「体})と、
その属性(「相」)と、その働き(「用」)とを示すものであるからで
ある。
衆生心は何故に大乗と名づけられるのであろうか。第一に、衆生心の
自体とは、あらゆる存在の真(まこと)のすがた(「真如」)であり、
それは悟りに到達せる仏の位にあっても、あるいは迷いの生存にあっても、
つねに平等であり、悟りによって増加することもなければ、迷いによって
減少することもないからである(「体大」)。第二に、衆生心は本来、
すでに悟りに到達せる覚者と全く同等のすぐれた性質・功徳を具有して
いるからである(「相大」)。第三に、衆生心の働きは、よく一切の世
間と出世間における善の原因と結果(「因果」)を生じせしめるからで
ある。」(「大乗起信論 第二章」)
191 :
析空:2009/09/26(土) 23:47:57 ID:IyI5LIML
>>187 あなたはあなたの意見を述べただけで、その意見は何も証明されていない。
だから、わたしが叩かれたことにはならない。
真如を体験すれば、仏性があると分かると述べた人がいるが、その人は、
御自分の体験を正しく理解できていないのではないか?
あるいは、「仏とは覚った人である」という意味を理解できていないのではないか?
192 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 00:09:16 ID:IU3uTM9L
>>185 他人もそうじゃねぇか、と繰り返しても自分自身へのフォローにはならない。
矛盾への具体的反論をしなければ口先での言い回しをどんなに工夫しようと
「他人も」が「他人は」になることはない。依然としてかわいそうな人である。
193 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 00:17:43 ID:mOT/gB6g
>>172 >「他力」とは、自我を滅するための法の一つなのでは?
>すなわち、一心に念仏を唱え、他力を導入することにより、自力の完全否定、自我の喪失
>を目指す。そして最後にはその念仏さえも捨て去る。
それは確かに、あながち間違った解釈ではないでしょう!
それをヒンドゥーではバクティーというのです。
救済を願ってのまさに“忘我の境地”といえる道です。宗教の世界においてはありでしょうね。
恐らく、仏教以外はすべてこれだといっても過言ではないだろうと思います。
ただし、それでは仏教ではないということ。
「救済する」とか「救済を願う」などというのは仏教ではないのです。
これは机さんの見解がかなり正しいものでしょう。
ゴータマご自身がそんな想いで法を説かれて遊行されたわけではない。
自分が教団の長であるという認識すらもなかったというゴータマが、
“自分が世界(の人々)を救う”などという考えであった筈がないのです。
最後の遺言ですらも、「法(自己)を帰依処となせ」というものであり、
あくまでも“すがれ”などというものではなかった。
「私に願ったところで決して成仏すること能わず」ですよ。
仏(ホトケ)とは、
“願いを聞き告げてくれる有難い存在だ”というこの信仰をまず廃棄することでしょうね。
それは阿弥陀だけじゃなく、観音様などの諸仏諸菩薩の大衆信仰すべての廃棄です。
これらは何百年と続いた昔の迷信に過ぎないものとしなければ、
仏教信仰は俗物レベルのまま、いつまでも進歩がない。
それためにどうすべきか?です。
194 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 00:32:54 ID:mOT/gB6g
○○観音・・といった
架空の諸仏諸尊なるものを崇め奉る信仰(の習慣)を一切、辞めることです。
もう、それをしてしまったら仏教ではない。
この迷信臭い日本の仏教世界をどう変えるべきか?
ここにキーポイントがあると思います。
そのためには、どうしたら良いのか?
1.各宗派で自宗派の間違いを認め(分ってる筈?)、解散するか教義の変更を図る。
2.信仰者、自らの認識で気付いてもらう。本来の仏教とは何か?
ということで、今見られている原始経典(原始仏教)の普及が盛んなのは、
この第一段階といえるものでしょう。
辞めるべきものは沢山ある。
死んだら、お金で戒名をつけるといった馬鹿な習慣など・・・。
日本仏教にそのような大改革が図れないならば、本当に未来の存続はないと思う。
要するに、現在の高齢信仰者たちが他界したら、消滅の危機です。
若くて新しい人たちを挽きつける力は現・日本仏教にはない。
>>193 > それをヒンドゥーではバクティーというのです。
それはちょっと違うんじゃ?バクティズムはもっと積極的な利他的行動ではないですか?
自分が利他的行動をすることと、他力を願うこととは大分違うような気がします。
> 仏(ホトケ)とは、
> “願いを聞き告げてくれる有難い存在だ”というこの信仰をまず廃棄することでしょうね。
唐突すぎて意味がわかりません。
> それは阿弥陀だけじゃなく、観音様などの諸仏諸菩薩の大衆信仰すべての廃棄です。
> これらは何百年と続いた昔の迷信に過ぎないものとしなければ、
> 仏教信仰は俗物レベルのまま、いつまでも進歩がない。
> それためにどうすべきか?です。
進歩とはどういうことなのか。そもそも進歩すべきなのか、何のための進歩なのか、
何故迷信にすぎないと断定できるのか、その辺のことが何も語られることなく
それのためにどうすべきか?」とか言われても、ついていけません。
>>194 > ○○観音・・といった
> 架空の諸仏諸尊なるものを崇め奉る信仰(の習慣)を一切、辞めることです。
> もう、それをしてしまったら仏教ではない。
それは極めて個人的な価値観であって、大乗仏教が仏教であるというのは
ほとんど常識的なことだと思います。
> この迷信臭い日本の仏教世界をどう変えるべきか?
> ここにキーポイントがあると思います。
そもそも霊だとかあの世だとかを肯定している時点で「迷信臭い」というのが
普通の反応だと思います。もし迷信的なものを排除するのであれば、霊の存在や輪廻なども
排除の対象として考える必要が出てくると思います。
> 日本仏教にそのような大改革が図れないならば、本当に未来の存続はないと思う。
> 要するに、現在の高齢信仰者たちが他界したら、消滅の危機です。
> 若くて新しい人たちを挽きつける力は現・日本仏教にはない。
大改革による、本当の未来の存続というのは、
つまり神智学的に再構成しなおした仏教として出直さなくてはならない
ということを言いたいだけではないでしょうか。
霊の存在、輪廻、の他にも、仏陀の超能力なども、
排除の対象とした方がいいかもしれません。
この辺は常識的に考えて「迷信臭い」といえると思います。
198 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 00:48:19 ID:mOT/gB6g
真理に導くために使われるものとして、
良きものとしての扱いだった方便という考え方について、
もう、“方便の多用(乱用)”は辞めるべきです。
仏教は“お願いごと”をするところではない。
それを適えてくれるところでもない、ということをハッキリすべきです。
199 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 00:49:03 ID:4r8Lgnxa
>>194 > ということで、今見られている原始経典(原始仏教)の普及が盛ん
>なのは、 この第一段階といえるものでしょう。
原始仏教には、迷信はないのかね。「輪廻転生」こそ、迷信の典型では
ないか。
それに、原始仏教は、「人間そのもの」を丸ごと把握するという普遍性
に欠けている。今時、出家や修行中心の佛教では、それこそ誰も付いて
こない。日本では、原始仏教はそもそも受け入れられていない。
200 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 01:06:39 ID:4r8Lgnxa
>>194 佛教を「改革」するのなら、現代にも通用する前向きのものでなければならない。
その意味で、大乗仏教は、佛教に世界に通用する普遍性を与えた巨大な
「佛教改革」であったことを見落としてはならない。その精髄は、
>>190 の大乗起信論の第二章に示されている。
さらに、宗教の起源は、人間の生存のための「手段」であったことも、
忘れてはならない。
201 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 01:21:00 ID:mOT/gB6g
>>195 >それはちょっと違うんじゃ?バクティズムはもっと積極的な利他的行動ではないですか?
>自分が利他的行動をすることと、他力を願うこととは大分違うような気がします。
そういうのは勝手な解釈といいます。
バクティとは“献身と崇拝行為”及びその精神性です。
これらは仏教ではないものですから、辞めるべきです。
ホトケには献身と崇拝は不要。それを要求するホトケなどいない。
>唐突すぎて意味がわかりません。
ホトケの特性としての“慈悲と救済の概念”であり、大乗が打ち出した一大スローガンです。
現実、庶民の信仰の姿がこれでしょう!何がどこが分らないのか??
>進歩とはどういうことなのか。そもそも進歩すべきなのか、何のための進歩なのか、
>何故迷信にすぎないと断定できるのか、その辺のことが何も語られることなく
>それのためにどうすべきか?」とか言われても、ついていけません。
ここでいう進歩とは、本当の意味では単に“迷信の排除”に過ぎません。
本来の本質に立ち返ることであり、日本仏教においては初めてそれが始められることになる。
徹底した本質重視の姿勢であったゴータマ精神が迷信の排除の姿勢でした。
202 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 01:22:23 ID:mOT/gB6g
>>196 >それは極めて個人的な価値観であって、大乗仏教が仏教であるというのは
>ほとんど常識的なことだと思います。
常識がいつまでも正しいものとして通用するわけではありません。
間違いは正されていくべきです。常に。
本質を見失っては仏教とはいえない(仏教的というだけ)。
>そもそも霊だとかあの世だとかを肯定している時点で「迷信臭い」というのが
>普通の反応だと思います。もし迷信的なものを排除するのであれば、霊の存在や輪廻なども
>排除の対象として考える必要が出てくると思います。
それはあなたが単に無知だからです。霊(心霊)も輪廻(転生)も仏教にはある。
それから他にも一部に、大乗は素晴らしいと主張する“輪廻否定論者”がいます
>>199-200。
しかし、それは有り得ないことであって、輪廻を説かない大乗など、
浄土真宗と黄檗宗などの一部の禅系くらいなものです。
輪廻を否定しては仏教理論のすべては成立しません。
>大改革による、本当の未来の存続というのは、
>つまり神智学的に再構成しなおした仏教として出直さなくてはならない
>ということを言いたいだけではないでしょうか。
あなたの勝手な“偏見”です。
私は本来の仏教精神になぞったことしか述べていません。
あなたに限らず、自分の理解の及ばないこと(理解しがたい内容)を
何かまるで神智学せいにして批難する傾向が見られます。
答えは、自分の仏教の本筋に対する無知に過ぎません。
203 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 01:24:35 ID:0SfbnJba
キリスト教では愛と言ったり
仏教では慈悲と言ったり
日本では思いやりと言ったり
時代や地域で呼び方が違うだけで
結局それが人間社会に不可欠なものなんだと思う
204 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 01:26:33 ID:mOT/gB6g
>>197 >霊の存在、輪廻、の他にも、仏陀の超能力なども、
>排除の対象とした方がいいかもしれません。
>この辺は常識的に考えて「迷信臭い」といえると思います。
それはあなた(自分)の無知に過ぎないことです。
神通も解脱の過程として説かれたものです。
あなたの話というのは、すべて仏教の唯物論化と俗物化に過ぎない。
---------------------------------------
*本当に今の高齢者たちが他界したら、
仏教信仰者なるものは激減するでしょうね。これはまず間違いがない。
ある程度、若手の信仰者数を保持できるのは、
仏教系でも新興宗教団体だけでしょうね。
これは現実に起こる。
まっ、改革の意志がないのなら自然消滅(自然淘汰)するのみです。
ダメなものは消えるのも定めですから・・。
別に私は困ってないから、
本当はどうでもいいといえばいいのですけど。
205 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 01:41:20 ID:IU3uTM9L
206 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 01:45:27 ID:mOT/gB6g
>>195 >何故迷信にすぎないと断定できるのか、その辺のことが何も語られることなく
>それのためにどうすべきか?」とか言われても、ついていけません。
それを議論しようということでしょう。
輪廻についてはシリーズ1で議論し尽くしました。
神通についても解脱の過程として説かれたものであり、仏教としては当たり前のものです。
仏教の唯物論化は進歩ではなく、ただの俗物化です。仏教的には迷信扱いとなります。
後は何ですか?ホトケの救済の有無の話しですか?
>>199 >原始仏教には、迷信はないのかね。「輪廻転生」こそ、迷信の典型ではないか。
そして、輪廻転生については大いに遣り終えました。
それを否定しては仏教ではない、ということがハッキリした筈です。
あなたが個人が認めないのは全くの自由です。しかし、それは仏教ではないということ。
207 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 01:58:32 ID:4r8Lgnxa
>>206 それでは、「改革」ではなく「退行」だよ。
「改革」というためには、佛教から、「現代にも通用する思想」を抽出
することが先決だろ。
208 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 02:11:27 ID:mOT/gB6g
209 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 02:15:41 ID:mOT/gB6g
>>207 ふざけないように!!
退行ではなく原点回帰です。
本質重視の姿勢というものですよ。
>「現代にも通用する思想」を抽出
あなたのいう現代にも通用するものとは唯物主義のことです。
それは迷信です。それを気付けないのはあなたの無知に過ぎない。
それが気に入らないならば、あなたが仏教否定すれば済むこと。
それだけ。
もしも、あなたの主張が正しいとするものであれば、
経典からそれを証明して下さい。
210 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 02:25:35 ID:mOT/gB6g
あと30年。そして50年もすれば、
今の中年、高齢者の膨大な仏教信仰者たちは確実に他界します。
そのときに果たして何人くらいの仏教信奉信が日本に残ってるでしょうか??
各寺院は檀家もなしで維持できるでしょうか?
この存続の危機は間違いなくやってくる。
今はまだ繁盛してますが・・もう時期です。
211 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 02:30:26 ID:mOT/gB6g
訂正:
>>208 ○興味薄いのは
×興味薄いので
○六道ですから
×六道ですら
>>210 ×仏教信奉信
○仏教信奉者
212 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 02:43:02 ID:mOT/gB6g
---提案---
・架空の諸仏諸菩薩、○○観音・・といったことをすべて廃棄する。
・仏像に向けて過剰な礼拝行為を一切やめる(崇拝行為のすべて)。
・偶像の完全禁止とまでしなくてもいいが、基本的に釈迦像だけにしていく。
(それ以外は信仰の対象からは外し、ただの過去の歴史の産物にすること)
・読経はいいとしても、読み物としては漢訳経典ではなく現代語和訳を完全普及すること。
・死後に金銭で戒名がもらえる制度の完全廃止。
・加持祈祷も廃止する???
>>201 > >自分が利他的行動をすることと、他力を願うこととは大分違うような気がします。
> そういうのは勝手な解釈といいます。
> バクティとは“献身と崇拝行為”及びその精神性です。
ですから、バクティと他力は違うのではないかと言っているのですが?
一緒くたにしているのは貴方ですから、貴方の解釈が「勝手な解釈」なのではありませんか?
> これらは仏教ではないものですから、辞めるべきです。
> ホトケには献身と崇拝は不要。それを要求するホトケなどいない。
たとえば家の前に修行者が鉢を持って立っていたら、そこに食事を入れたりするものです。
お釈迦様もそのようにして食を得ていたのではありませんか?
そして、そのような布施に対して功徳があると明言してはいませんでしたか?
あなたはこのような事実が無かったというのでしょうか?
> ホトケの特性としての“慈悲と救済の概念”であり、大乗が打ち出した一大スローガンです。
> 現実、庶民の信仰の姿がこれでしょう!何がどこが分らないのか??
それのどこがいけないのかが分らないわけですが。
貴方はコチコチの原理主義者ですか?
> ここでいう進歩とは、本当の意味では単に“迷信の排除”に過ぎません。
何が迷信であり、何故迷信であり、何故排除すべきなのか明らかにしてください。
>>202 > 常識がいつまでも正しいものとして通用するわけではありません。
> 間違いは正されていくべきです。常に。
> 本質を見失っては仏教とはいえない(仏教的というだけ)。
本質とは何ですか? どうも貴方の個人的な信仰告白でしかないようですねぇ。
> それはあなたが単に無知だからです。霊(心霊)も輪廻(転生)も仏教にはある。
やれやれ。そのロジックが通用するなら、それは貴方が無知だからです。
菩薩や如来に信仰する功徳も仏教にはある。
で、お仕舞いでしょう。何いってんだか。頭大丈夫ですかねぇ。
初期仏典にも修行者に対する布施行いは出ていますよ。
> それから他にも一部に、大乗は素晴らしいと主張する“輪廻否定論者”がいます
>>199-200。
> しかし、それは有り得ないことであって、輪廻を説かない大乗など、
> 浄土真宗と黄檗宗などの一部の禅系くらいなものです。
輪廻しないなら極楽往生しませんよ。基本的な知識を再確認した方がいいと思いますよ。
読んでいて恥ずかしいです。
> >つまり神智学的に再構成しなおした仏教として出直さなくてはならない
> >ということを言いたいだけではないでしょうか。
> あなたの勝手な“偏見”です。
> 私は本来の仏教精神になぞったことしか述べていません。
「本来の仏教」って何ですか? 原理主義ですか?
>>204 > 神通も解脱の過程として説かれたものです。
> あなたの話というのは、すべて仏教の唯物論化と俗物化に過ぎない。
はい。貴方の今の論理をそのまま大乗の信仰に対しても適用してみてください。
できるかな?難しいですか? あなたの大乗の否定は唯物論化と俗物化にすぎないのです。
> 別に私は困ってないから、
> 本当はどうでもいいといえばいいのですけど。
じゃあ消えてください。適当な人は最初から何も言わなくていいです。
>>206 > >何故迷信にすぎないと断定できるのか、その辺のことが何も語られることなく
> >それのためにどうすべきか?」とか言われても、ついていけません。
> それを議論しようということでしょう。
なのに貴方はまったく議論していませんね。勝手に「迷信」と決めつけるだけです。
文字通りお話にならない。
> 輪廻についてはシリーズ1で議論し尽くしました。
バカですか。輪廻について初期仏典に説かれているかどうかが議論されただけであって
迷信かどうかについて結論が出ているわけではありませんよ。
> それを否定しては仏教ではない、ということがハッキリした筈です。
それでは菩薩や如来への信仰を否定しては大乗ではないでしょう。
何故、大乗ではいけないのか、ということは何もハッキリしていないのです。
>>212 これはもう、完全にスレの趣旨から逸脱していますね。
この人は、大乗が誕生・発生した理由については全く触れることなく、
初期仏教と同じかどうかだけしか考えていません。
そしてそうでないものは断罪し、あれをやめろこれをやめろ、改革しろという。
スレの趣旨を全く無視して、自分の好きなように改革を提案していきたいだけの人です。
要するに「荒らし」です。そう言われても仕方のないことをしていますね。
このスレは大乗の発生理由について述べるスレであって、初期仏教と違うから
ダメだというスレではありません。
>>208 チラッと見てみましたけど、これは浄土真宗の人が「釈迦の真意」について
書いているものであって、浄土真宗の教義について書いているものではないようですけど。
一体、何をもって「浄土真宗」が輪廻を否定しているというのでしょうかね。(呆)
218 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/27(日) 06:18:02 ID:y6ZgcTk6
>>216 >それでは菩薩や如来への信仰を否定しては大乗ではないでしょう。
>故、大乗ではいけないのか、ということは何もハッキリしていないのです。
貴兄がどなたかは知りませんが、見識を読んでほっとしました。
スレタイは「大乗仏教が誕生・発生した理由」だからです。
そこで私は「衆生済度」を提示し、各派の菩薩や如来への信仰を問いかけた次第です。
机氏や宝珠氏のレスは「発生した理由」ではなく、中論や神智学の視点での
「今後の改革」を述べておられるので、それは理由を住人各位で議論した後の
ステップに委ねた方が宜しいかと思料致します。まだ早過ぎますね
219 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/27(日) 06:23:31 ID:y6ZgcTk6
>>212 >・架空の諸仏諸菩薩、○○観音・・といったことをすべて廃棄する。
余談ですが、写真にも写っている○○菩薩もおられますよ。
実在していても波調が合わないと(祈り方が悪いと)出会うことは
ないかと存じます。
まあ、肉体を去った諸霊とも似ておりますが、菩薩級は巨大な存在
ですね。
220 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/27(日) 06:25:46 ID:y6ZgcTk6
>実在していても波調が合わないと(祈り方が悪いと)出会うことは
>ないかと存じます。
私は日蓮の信奉者ではございませんが、日蓮も似たようなことを説かれて
ましたね。 出典:御遺文集
221 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/27(日) 06:51:38 ID:y6ZgcTk6
>>208 宝珠氏
>ただし、元親の「浄土宗」(真宗ではない)からは、
>正式な正しい回答を貰っています。
>輪廻から救ってくれるのが阿弥陀という単純明快なものでした。
私の家系は浄土宗と浄土真宗が半々で、子供の頃から「南無阿弥陀仏」
と唱えておりました。
師からも「阿弥陀如来」は実在する神仏だと伺っております。
また山のように強大な観世音菩薩が写った写真もございます。
このまま行きますと地球温暖化等で全人類が共滅しますので、異教の
神々と同様に人類救済を再開されておられるかと存じます。
問題は現代人の何%が数百年前の人々のように如来や菩薩と波調の
合う祈りと実践ができるかということでしょうか。
科学万能崇拝や唯物論に脳が支配されておりますと、かなり難しい。
これはキリスト教でも同様でしょうが
222 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 07:00:36 ID:iBqIc2A+
>>191 過去に何度も論証した。君は詭弁家でもあるのか。
223 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 09:11:00 ID:MCFY3SrF
QアンドAもいちグループのものでは?
224 :
析空:2009/09/27(日) 09:12:35 ID:/WEglNMU
>>222 「何度も論証した」?
だから、そんな指摘を受けた覚えが無いといっています。
具体的に、わたしが「何を主張」し、それ対しあなたが「どう反論した」かを、
指摘してもらえますか?
サッパリこころ当たりがない。
ほとんどの場合、たとえば「仏性は無い。古い経典に説かれていない。」
「常住の仏性は【無常】と矛盾している」と指摘しても、
「いや仏性はある」とか
「縁起を理解すれば仏性は分かる」とか
「真如を体験すれば分かる」とか、単なる主観であって反論になっていません。
一番酷いのは、「どこそこの本の何ページを読め
というものです。
225 :
析空:2009/09/27(日) 09:35:40 ID:/WEglNMU
私が何を主張したか、覚えているのただひとつ。
【仏性は無い】
それ以外に何か主張しましたか?
【大乗は非仏説である】
→これは、まあ漠然としすぎて主張になっていない。
【阿弥陀仏は架空の存在である】
→これは、主張なのか?
世間の常識ではないのか?
【法華経は創作経典】
→これも世間の常識ですよね。
226 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/27(日) 09:55:21 ID:3FqzNH4t
>>221 貴殿の書き込みを読んでみますと、やはりオカシイですね。
>このまま行きますと地球温暖化等で全人類が共滅しますので、異教の
>神々と同様に人類救済を再開されておられるかと存じます。
全人類が共滅するのを、阿弥陀如来が共滅しないようにするのですか?
ああ、それは出来ないかと思います。
神なら何でも出来るかもしれませんけど、
如来だと、出来る訳はないですね。
如来というのは、そういう奇跡的なことは出来ないです。
ただ、衆生が「浄土に連れて逝ってほすい」。ってんなら
その願望を満たすことはあっても・・・・
まあようするに、全人類が共滅するなら、
共滅した暁に、西方浄土まで逝けるなら、それが本望なんじゃないでしょうか?
そのようにお祈りするんですよ。
そしたら現世に浄土は現出して、全人類は救われるのです。
救われるか、救われないかは、己の心次第。
如来はそれをバックアップしてくれる仏様です。
227 :
て:2009/09/27(日) 10:21:09 ID:6KNC7uiJ
○釈迦滅後に菩薩思想が顕著になったのは何故か?
○ジャータカが何故顕されたのか
○スッタ・ニパータにせよ釈迦滅後100年以上たってからのもの、大乗非仏なら小乗も同じ
○仏典結集は二度行われておりその中で整理されたのが大乗仏典であることは言うまでもない
○釈迦在世中は阿難が常に随従していた
○法華経に「爾時世尊」とあるが、その時世尊は阿難に向かって言ったとされている
○仏性は誰しも内在しているもの、それを仏典は明記している
最古の法華経としては、現在一世紀初頭に集成されたものとして発掘されている
228 :
析空:2009/09/27(日) 11:31:17 ID:/WEglNMU
>>227 法華経が、どんなに遡っても、紀元1世紀ごろの成立。
貨幣経済が発達した世の中でしか有り得ない内容であることなど
内容から創作経典であること分かるとされている。
にじーせーそん、じゅーさんまい、あんじょーにきーごーしゃりほつ
法華経は舎利佛に対して説かれた。
阿難では無い。
229 :
析空:2009/09/27(日) 11:40:56 ID:/WEglNMU
>>227 【仏性】は、法華経には説かれていない。
法華経には【如来蔵】も説かれていない。
このころ【仏性】も【如来蔵】という思想もなかったと証拠。
法華経で説かれたのは【仏種】である。
仏性思想の変遷
阿羅耶識→仏種→如来蔵→仏性
230 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 11:52:05 ID:mOT/gB6g
>>213 >ですから、バクティと他力は違うのではないかと言っているのですが?
>一緒くたにしているのは貴方ですから、貴方の解釈が「勝手な解釈」なのではありませんか?
“献身と崇拝”(バクティ)は救済を求める見返りを含む場合もありますが、
そうではなく、自己犠牲による自己満足という部分もかなり大きい。
そして、“他力としての仏教”これらの双方のことを私はいっています。
>たとえば家の前に修行者が鉢を持って立っていたら、そこに食事を入れたりするものです。
>お釈迦様もそのようにして食を得ていたのではありませんか?
>そして、そのような布施に対して功徳があると明言してはいませんでしたか?
>あなたはこのような事実が無かったというのでしょうか?
どうも誤解が著しいです。
尊敬、聖なる者に対する敬意の念はまた別物です。これは推奨されるべき必須の美徳です。
修行者に敬意を示し、その修行を助ける行為は大きな功徳となります(逆に妨げるものは悪業でしょう)。
しかし、ホトケという存在は人々の崇拝と献身を欲しません(まったくね!)。
そのようなことを求める者がいれば、その人は解脱者ではないことの簡単な証明です。
人々の崇拝と献身を熱心に集め、その上で安住して快楽を得ている者たちが、
世の新興宗教の教祖どもなのです。その違いは歴然。
>それのどこがいけないのかが分らないわけですが。
>貴方はコチコチの原理主義者ですか?
231 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 11:56:01 ID:mOT/gB6g
他力本願は仏教ではないといってるのです。
>>193を再読して下さい!
『「救済する」とか「救済を願う」などというのは仏教ではないのです。
「私に願ったところで決して成仏すること能わず」ですよ。
“願いを聞き告げてくれる有難い存在だ”というこの信仰をまず廃棄することでしょうね。』
>>193 >何が迷信であり、何故迷信であり、何故排除すべきなのか明らかにしてください。
それを今、話している最中でしょう!(明らかにしてるではないですか?)
>>214 >本質とは何ですか? どうも貴方の個人的な信仰告白でしかないようですねぇ。
原始経典と照らし合わせて話しています。
>菩薩や如来に信仰する功徳も仏教にはある。
>で、お仕舞いでしょう。何いってんだか。頭大丈夫ですかねぇ。
>初期仏典にも修行者に対する布施行いは出ていますよ。
如来に対する信仰の功徳・・はあるでしょうね。
しかし、それは崇拝と献身を求めるものではなく、救済してくれる有難い存在としては説かれていません。
菩薩は大乗の概念です。修行者に対する尊崇の念と修行を助ける行為は美徳であり、大きな功徳となる。
托鉢/布施については上記の通りで、すでに述べました。
>読んでいて恥ずかしいです。
何が?意味不明。
>「本来の仏教」って何ですか? 原理主義ですか?
原理主義とは違います
(私は一部の原理主義者らを批判しています)。
原始経典で学ぶゴータマの教えです。
232 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 11:57:55 ID:mOT/gB6g
>>215 >あなたの大乗の否定は唯物論化と俗物化にすぎないのです。
何でも良かれは通用しません。
>じゃあ消えてください。適当な人は最初から何も言わなくていいです。
適当ないい加減な話しなどしていませんよ。
私はそんな暇人じゃない。
>>216 >バカですか。輪廻について初期仏典に説かれているかどうかが議論されただけであって
>迷信かどうかについて結論が出ているわけではありませんよ。
輪廻は原始経典、及び基本的には大乗も継承する概念です。
それが迷信と思う人は仏教を信奉しなければいいだけのこと。
輪廻している姿が「苦」の生であると理解することに始まり、そこからの解脱を説くものが仏教なのです。
>それでは菩薩や如来への信仰を否定しては大乗ではないでしょう。
>何故、大乗ではいけないのか、ということは何もハッキリしていないのです。
大乗というのは、
アンチ上座部として発祥して、その発祥の経緯と発展の歴史において
出家主義を否定すると共にゴータマの本来の教えにまでも反旗を翻してしまったのです。
上座部の間違った姿勢をゴータマと被らせて解釈してしまったのが大乗の基本的で致命的なミスでした。
大乗のすべてがダメなのではなく、本質(仏教)から離れた勝手デタラメ部分のことですよ。
それをどう改善していくかです。
二つの選択があります。
原始仏教の現代改善版を構築して創りあげるか、
もう一つは現存する大乗を大改革して、本来の仏教に近づけるかです。
233 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 12:06:06 ID:mOT/gB6g
>>217 >これはもう、完全にスレの趣旨から逸脱していますね。
>この人は、大乗が誕生・発生した理由については全く触れることなく、
>初期仏教と同じかどうかだけしか考えていません。
>そしてそうでないものは断罪し、あれをやめろこれをやめろ、改革しろという。
>>1の説明に「長所」と「短所」、「批判」ということで述べられているでしょう!
“タイトルが不適切”なのです。大乗の発生理由などは明白であり、
今更なんの議論の余地などないでしょう。あなたはいつからの参加者です?
過去スレで私は詳しく述べてきましたね(エーとどこだっけ?)。
で、それで大乗発生の理由に異説があるのですか?
もし、あるならば紹介して下さいな。この私は聞いたことがない。
>このスレは大乗の発生理由について述べるスレであって、初期仏教と違うから
>ダメだというスレではありません。
すべて原始仏教に戻せなどとはいってない。
ダメなものはダメという話しです。
>チラッと見てみましたけど、これは浄土真宗の人が「釈迦の真意」について
>書いているものであって、浄土真宗の教義について書いているものではないようですけど。
>一体、何をもって「浄土真宗」が輪廻を否定しているというのでしょうかね。(呆)
「ゴータマは霊魂を否定したから輪廻は有り得ない。輪廻はバラモンの外道思想(迷信)でした。」
という見解を説いているというのに、そのゴータマが認めなかった輪廻をうちでは説いてますよ。
などという筈がないでしょう?浄土真宗ではそんな迷信を肯定する僧侶を厳しく批判するといっています。
『浄土真宗では、日柄や方角などの枝葉末節の迷信に対しては厳しく批判するのですが、迷信の
根源である霊魂不滅の輪廻転生思想は批判しないどころか肯定する僧侶さえ居ます。これではどっ
ちが迷信の喧伝者か、と問われてしまいます。 釈尊や 親鸞聖人のご苦労はどこに飛んでしまった
のでしょう。』
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/04_11_25.html#01
234 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 12:07:33 ID:mOT/gB6g
>>223 ごめんなさい!そこまでは確認できていません。
統一見解なのか?宗派内の一部なのか?
何れにせよ、浄土真宗と禅の一部(が輪廻転生の否定側)にはあることは間違いない。
>>221 >師からも「阿弥陀如来」は実在する神仏だと伺っております。
そういうのは、自然界の原理(諸作用/諸力)の象徴です。
それを具現化して人格化(して信仰)したものです。大日如来、不動明王・・などは全部そうです。
これを言い出すと、バラモン教とかヒンドゥーのブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ
(その化身/眷属たち)というのも全部そうですよ。
どんな諸宗教にもあり、同じものをそれぞれの宗教の名で呼び合っているだけです。
わたしがいっているのは“史実の実在”かどうかということ。
235 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 12:08:54 ID:mOT/gB6g
>>219>>221 >余談ですが、写真にも写っている○○菩薩もおられますよ。
>また山のように強大な観世音菩薩が写った写真もございます。
心霊(現象)の話しが好きですねぇ・・・。
唯物論者たちは、ただの見間違いや思い込みと疑似相関にせいにしますが、
確かにそうではない現象(超自然の)というのもあります。
アストラル世界の住人たちの中には、元・人間であったもの、
元々、人間ではないものなどがいろいろと生息しています。
これらの存在(いわゆる神霊)の中には、外界の人間に作用して手助けをしているのも沢山います。
また、解脱者の中にも肉体の放棄後に神秘力で手助けをしてくれている存在もいるのは本当です。
これらの“力”は宗教間の違い、信仰間の違いには殆ど無関係に作用しており、
個人の純粋な信仰心や利他心などに呼応して感応し、更に個人の(心の)成長を期待しています。
しかし、基本に立ちかえるべく、
救済を求める姿勢などは本来の仏教ではないということをいっています。
236 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 12:23:17 ID:mOT/gB6g
大日如来はプラフマンと同一のものという見解に対して、
「ブラフマンなどいうのは外教の見解だ。大日はホトケであり、<空>(外教にはない教えだ)だぁ〜」
などという主張には大した意味はないです。
おなじ概念を各宗教がそれぞれ別呼称しているだけです。
同じ神(の存在)の概念を、「それはアッラーだ。」「いや、それは邪教の神であり、ヤハウェだ」
などとと言い争っているようなものです。
同じものをそれぞれ“別の視点から”いっているに過ぎないことを理解できかどうかです。
無常/空とマーヤーについても同様です。
宗教間の争いがいつまでも解消しないのは、そういう基本部分にある。
さて・・・、宝珠の発言を時系列で追ってみようか・・・。
やっぱり、「掲げられているテーマについてでなく、その裏の主張」がしたいだけ
というのがよく解る。
だったら、ズバリそのテーマでスレを建てればいいものを、
(今回のように)第3者に委ね、ニュートラルな議論の場を匂わせながら、
結局は「現代日本仏教批判&大乗非仏説」をベースに「神智学の布教」をしたいだけ。
前2シリーズも、結局は「ブッダが説いたかどうか(≒経典に説かれているかどうか)」ではなく、
『神智学の教義が仏典中に説かれているかどうか(≒ブッダは神智学の教義を説いたかどうか)』
というスレだったわけだ。
自分でそのような(現代日本仏教批判・大乗非仏説という)天婦羅用意するならいざ知らず、
(それならばまだ許容できる。こういうことが議論したい、という意図が最初から明白になるから。)、
しかし、それをせず、新たに用意され使用された(完全ニュートラルな)テンプレを容認し受け入れ、
参加していくかと思いきや、結局は
>>212が言いたいだけだった、と・・・w
212が、どれだけスレタイ及びテンプレとかけ離れているか、よく考えてみるといい。
では、以下参考までに、特徴的なレスを抜粋列記していこう。(★は、このスレにふさわしいと思えるもの)
その変遷の様子が味わって貰えれば幸甚に過ぎる。
>>11 > ただ、スレテーマの“大乗の発生は必然であり、
> 「テルマ」と考えられる”という言葉は意味があるかも知れません。
> この私を“大乗嫌い”と見ている人も多いかもしれませんが、
> 必然性ではなかったか?という問いには「Yes」と頷かざる得ないのかもしれない・・。
> 時代の変化に適合していく〜という観点から見れば、
> 原始仏教の形態のまま維持することは、確かに相応しいとはいえない。
> 大乗の発生と発展については二つの視点があると思う。
> 1.アンチ小乗(上座部)としての姿勢であり、
> この発生の経緯においてゴータマ本来の思想からも離れてしまった。
> 2.大衆の要求を満たすべく発展した大乗というのは、時代の要請への適合という魅力を持ちつつ、
> それが逆にゴータマの意志に反する部分とも重なっているという不条理がある。
※非常に穏健でスレに見合った妥当な発言ですね。★
>>13 > 確かに、現実問題としては日本は大乗の世界であり、
> 社会との関りの中で人々の生活の中に深く入り込んでいる。
> 現・日本の仏教(信仰)世界を更にもう一歩、良きものへと前進すべく、
> 大乗の真価について問うことは必然ということでしょうね。
> それは併せて、日本のお寺と僧侶たちのことにも触れていくことになるのかな?
※議論の結果、その方向性へ向かうことになるのでしょう、という展望ですね。良識的なレスです。★
>>51 > “大乗仏教の誕生理由”については殆ど知られているわけであり、
※(よほどの大発見がない限り)それほどセンセーショナルでビビッドなテーマじゃないからね・・・。
> 問題とされるべきは大乗の存在価値ということであり、
> 大乗としての有意義な部分と仏教から遠のいていく堕落傾向・・とにある。
※ふむ、尤もなご意見。
> 従って、タイトル的にはもっと危機感を訴えるべきでしょうね。> 例えばこんな感じかな?
> 【最終】大乗仏教は存続できるか?!【決着】
※ ん?
(なんか雲行きが怪しい・・・。 このスレは、(結果、そういう議論になるとしても)ベースは
「危機感」ではなく、「発生理由」・「受容理由」・「展開理由」といった『変遷』を問うものだったのでは?
そうした『変遷』の概要或いは各論、或いは「大乗仏教の大乗仏教らしい特質」を押さえずに、
どうして「危機感」や「今後の存続」及び「現代社会での存在意義」を問えようか。)
※だったら自分でスレ建てるか、最初からそう提案しろよw
今から別スレでも構わんぞ。それくらい議論内容には違いが出る筈だ(本当はw)。
その後、二つのスレが統合される流れも出てくるだろう。
>>171 > 議論の方向性としては“大乗マンセー”ではどうしょうもない。
※いや、仰る通りで御座います。 が、“大乗非仏説”を連呼する時代でもないでしょう?w
> 大乗(特に現・日本仏教の実情)の問題点、
> 要するに“負の部分”といえるものを洗い出してその改善方向について話し合われるべきでしょう。
※そうですね。『洗い出し』作業★は重要ですね・・・・・・
・・・・・・おや?
>>194が「洗い出し作業」で、
>>212がそれを踏まえた次の議論、改善方向ってことか・・・。
てか、194を議論していくのがこのスレでは? 【212の為の】議論なら、特化したスレが建てられるべきだろう。
>>171 > 大衆を仏教信仰に繋ぎとめておくべく
・・・・・・
> これについて論じるべきでは?
※そうですね。それが「需要としてあった事実」「受け入れられ魅力的だった事実」、
そして、「現在その効果はどれほどなのか」「現在どこまで深い所まで浸透しているか」、
「継続継承し続けることにどういうデメリットがあるのか」、などについても考察が必要ですね。
(特に、
>>212を実現するには『文化大革命並のエネルギーと強制力』が必要かもしれませんw)
>>193 > 仏(ホトケ)とは、
> “願いを聞き告げてくれる有難い存在だ”というこの信仰をまず廃棄することでしょうね。
> それは阿弥陀だけじゃなく、観音様などの諸仏諸菩薩の大衆信仰すべての廃棄です。
※で、いきなり廃棄ですか。幾らなんでも唐突でしょう。
> 仏教信仰は俗物レベルのまま、
※奈良さんが言ってたよ。仏教は、この長い歴史の中、大きな風呂敷のようにその包容力を発揮し、
他の宗教に見られない「寛容」と「適応力の高さ」を誇っている、と。
> いつまでも進歩がない。> それのためにどうすべきか?です。
※何が「進歩」なんだろうか。これは、このスレで話し合われてもいい論題かと思う。
「これこれこういう理由、こういう流れで現在があるわけだが、今後どういう在り方が望ましいのか」
「どういう変革がなされるべきなのか」と。(それが、進歩か回帰かはともかく・・)。」★
※ただ、その前にもう少し、諸要素の炙り出しは為されていた方が良いと思うが。
※もっとも、そうした変革が【教義内容について】なのか【具体的・世俗的・社会的『在り方』について】なのか、
は重要な違いではあるのだが・・・。
≪『廃棄』とは、そこにある(地域や民族・共同体としての)【“文化”の存在・価値・意味・歴史】を廃棄すること≫
だということは、念頭に置かれねばならない。 (君は文化大革命を起こしたいのかい?w)
>>194 > ○○観音・・辞めることです。
※
>>240参照。
> もう、それをしてしまったら仏教ではない。
※それを言ってしまえば、現行上座部もチベットも仏教じゃないよ。 その辺解ってる?
> この迷信臭い日本の仏教世界をどう変えるべきか?> ここにキーポイントがあると思います。
※お説は御尤もだがw、既にスレタイ、テーマを逸脱してますね。別スレが必要ですね。
> そのためには、どうしたら良いのか?
> 1.各宗派で自宗派の間違いを認め(分ってる筈?)、解散するか教義の変更を図る。
※これは、現実問題として将来あり得る流れかも?
> 2.信仰者、自らの認識で気付いてもらう。本来の仏教とは何か?
※微少ながら増えているとは思うよ。ただ、皆、原理主義的に【文化の破棄、伝統の破棄】へ向かわないだけさ。
ただ、核家族化が進み、地域に根差した人生が減り、兄弟も親戚も少ない或いは居ない、
そうした人が増える以上、伝統諸宗派の今後の動きは重要だろう。
個々の僧侶の対応(個別な、その場の解説・解釈)に任せるだけでは追いつかなくなるだろう。
> ということで、今見られている原始経典(原始仏教)の普及が盛んなのは、
> この第一段階といえるものでしょう。
※第一段階かどうかは知らんがw、岩波文庫の中村訳の存在により、
「そもそも2500年前、お釈迦さんは何と言っていたのか?」への興味が、現代日本仏教への不信と相まって
刺激されたところはあるだろう。そして、若い僧侶たち自身がその視線を踏まえて自論を掲げ始めたというのも
あるかもしれない。 (やはり、「ネット」「ブログ」、このツールの果たしている役割は大きなものがある・・・。)
ご隠居や机が言うあるがままの救われてある日本人の宗教意識というのは、
(先祖供養(墓守)+現世御利益クレクレ)祈り=神仏混合×葬式仏教+観光仏教 というスタイル。
これって、なんとなくちょっぴり宗教者スタイルでかなりの俗物良識派で結構イイのではないか。
葬式仏教=形骸バラモン儀式主義が日本人には似合っているのだろう。
考えれば、宗教が俗物生活スタイルの中で専門分化して利用されているなんて痛快だ。
まさに宗教は俗物現世の潤滑油。
(原始でも大乗でもなんでもエエねん)仏教もキリストの神も八百万の神もなんでもありで利用する。
菅原道真も鰯の頭も神になり、信心の対象となって、
受験合格、交通安全、家内安全、水子供養、商売繁盛、祈願成就、給料確保、恋愛成就、病気回復、馬券必勝などなど
ひたすら現世利益をお願いする。
輪廻転生など分からんことはどーでもよろし。
日々ひたすら現世ご利益主義、これ一本!
日々是好日。
>>194 > 辞めるべきものは沢山ある。
> 死んだら、お金で戒名をつけるといった馬鹿な習慣など・・・。
※スレ違いですね。
> 日本仏教にそのような大改革が図れないならば、本当に未来の存続はないと思う。
> 要するに、現在の高齢信仰者たちが他界したら、消滅の危機です。
> 若くて新しい人たちを挽きつける力は現・日本仏教にはない。
※御高説痛み入ります。 が、それは【貴方が発言することじゃない】。【貴方にその資格はない】。
なぜかは解りますよね?w
>>198 > 真理に導くために使われるものとして、
> 良きものとしての扱いだった方便という考え方について、
> もう、“方便の多用(乱用)”は辞めるべきです。
※多用・乱用ねぇ・・・。 いっそのこと、一切禁止にする? (それが世俗にふさわしいとは思われないが・・w)
> 仏教は“お願いごと”をするところではない。
> それを適えてくれるところでもない、ということをハッキリすべきです。
※みんな解ってて手を合わせてるんだよw おじいちゃんおばあちゃんもね。
(役割分担として、そうした祈願系は「神社に任せた!」とできればいいけど、
各種菩薩のメニューの豊富さは神社・神様系を一歩抜きんでてるとは思うw)
>>201 > ホトケには献身と崇拝は不要。それを要求するホトケなどいない。
※「敬意」ってのは、(本来)、強制でなく内から自然と湧いてくるものさ。それを禁止する必要もあるまい?w
お花を供える・香を焚くってのも、そうした行為だよ。
9年連続200本安打のイチローに花束を渡すのと同じさ。フィギュアスケートで放り込まれる花束と同じさ。 桶?w
> ここでいう進歩とは、本当の意味では単に“迷信の排除”に過ぎません。
※そうした(貴方が“迷信”とラベルを貼った“方便”のことですが)ものこそが、
《『進歩』の結果として》「需用され」「許容され」「継承されてきた」《生活に有効なツール》であった可能性は無視?
> 本来の本質に立ち返ることであり、日本仏教においては初めてそれが始められることになる。
> 徹底した本質重視の姿勢であったゴータマ精神が迷信の排除の姿勢でした。
※「釈尊に帰れ」というフレーズもスローガンも、別に新しいものではない。 今はまだ過渡期だよ。
>>202 > 常識がいつまでも正しいものとして通用するわけではありません。
> 間違いは正されていくべきです。常に。
※間違いかどうかじゃなくて、【辞書的分類】【学問的分類】【日常的分類】等、様々な場面での呼称として、
「仏教として括り得る」し、また「そのように、括らなければ話題として取り上げづらい」という
実利的側面を忘れてはならない。(言うのは簡単だよ。「大乗仏教は非仏説だぁ!」とねw)
> 本質を見失っては仏教とはいえない(仏教的というだけ)。
※そう。【『仏教的』だから、そしてそれが歴史的に継続した変遷であり、色濃い、主要な要素だから】
仏教として括られるのです。また、(殆どの場合)本質は継承されています。
差異は、付加された部分・変容した部分に集中します。 (同じように「仏教的である」と言ったとしても、
《神智学が、キリスト教が、イスラム教が「仏教的」である》 という言明とは、その質を異にしているということです。)
>>202 > あなたの勝手な“偏見”です。> 私は本来の仏教精神になぞったことしか述べていません。
> あなたに限らず、自分の理解の及ばないこと(理解しがたい内容)を
> 何かまるで神智学せいにして批難する傾向が見られます。
※前2シリーズを踏まえるならば、前2シリーズ中の貴方の発言を踏まえるならば、
今回の主張も、「日本仏教の未来」ではなく「“神智学的仏教”(・・・いや“仏教的神智学”か?)の流布」
にあるように【見えてしまう】のですよw
> 答えは、自分の仏教の本筋に対する無知に過ぎません。
※仏教の本筋は第2シリーズの方なんですけどね・・・ (^^;
>>204 > *本当に今の高齢者たちが他界したら、
> 仏教信仰者なるものは激減するでしょうね。これはまず間違いがない。
> ある程度、若手の信仰者数を保持できるのは、> 仏教系でも新興宗教団体だけでしょうね。
※この推論は妥当です。重要な問題です。 けど、やっぱりスレ違いですね・・。
> 別に私は困ってないから、> 本当はどうでもいいといえばいいのですけど。
※「だったら黙ってろ」 と・・・w
>>206 > それを議論しようということでしょう。
※その通りですね。
> 後は何ですか?ホトケの救済の有無の話しですか?
※そうかもしれません。大乗仏教が、その歴史の中で
【人々に「どのような救済を」説いて来たのか】【それは「人々が納得する」「どのような根拠に立脚」していたのか】
は、このスレのテーマとなり得るでしょう。★
>>209 > 退行ではなく原点回帰です。> 本質重視の姿勢というものですよ。
※
>>240参照。
> >「現代にも通用する思想」を抽出
> あなたのいう・・・・・・> それだけ。
※いやいやいやw
>>194 > 日本仏教にそのような大改革が図れないならば、本当に未来の存続はないと思う。
> 要するに、現在の高齢信仰者たちが他界したら、消滅の危機です。
> 若くて新しい人たちを挽きつける力は現・日本仏教にはない。
これを重要な案件とするなら、まさに【>「現代にも通用する思想」を抽出】する作業は必須ですよね?
>>210 ※スレ違いですね。 ちょっとした横からの提言ならば構いませんが、
>>212のような議案をスレの論点として行こうというなら、やはり別スレが必要です。
大乗仏教の歴史的変遷だけでなく、日本の「仏教受容」「習俗との習合」「文化的継承」「地域文化との密着度」、
或いは「鎌倉仏教の特質」「江戸幕府の政策」「明治政府の政策」「西洋文化・価値観の流入」、
「明治以降の伝統諸宗派の近代化の検証」「戦後の価値観変容」
「高度経済成長の傷跡」「アメリカ文化・価値観の讃揚と受容」、「バブル期の経験とその崩壊」、
「核家族化、少子化、地方の過疎化、都市部の人間関係の希薄化」などなどなどなど、
大乗仏教の変遷と特質だけではお話にならない。212の多くは、スレのテーマとはかなり質の異なる問いとなっている。
※よーするに、茶々入れ程度・混ぜっ返し程度としてなら、一連の書き込みは桶だが、
メインの議論としてとなると、このスレタイ及びテンプレでは役不足だ・・・。
>>233に至っては、何をか況やですな・・・。
※今シリーズは静観しとこうと思ったんだがなぁ・・・w
248 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 13:48:26 ID:mOT/gB6g
>>246 >※今シリーズは静観しとこうと思ったんだがなぁ・・・w
やっぱりw
7キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
つまり、静観できない方向に引っ張り込むことに成功したと??
あなたの静かな眠りを叩き起こしたと?www
(・∀・)イイ!!
-----------------------
ということで、
私からの投稿とセブンさんのご意見を見て、
何か思うところがあれば、皆さんからの投稿を拝見したいと思いま〜す^^
249 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 14:08:37 ID:mOT/gB6g
>>247 おおっ凄い!!
では、やっぱり加持祈祷は容認しましょうねw
外教に頼ることなく自教で引き受けると。
ま〜、密教批判としてよく使われる、
「ゴータマは祭祀をバラモンのものとして批判した」どとと言われているのはやや誤解含みのものです。
ゴータマも“正しい祭祀”については容認(推奨)されています。
『(師が答えた)、「究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、
その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。」』(Sn.458)
『真実もてみずから制し、(諸々の感官を)慎しみ、ヴェーダの奥義に達し、清らか行いを修めた人、──
そのような人にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。』
(Sn.463)
『ヴェーダに通じ、安らいだ心を楽しみ、落ち着いて気を着けていて、全きさとりに達し、多くの人々に帰
依されている人々がいる。──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を
求めて祀りを行うのであるならば。』(Sn.503)
250 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 14:52:00 ID:akU7tn/d
>>249 釈迦は、当時の社会の状態において、当時の人々の知識の水準で説いただけ。
現代の科学の飛躍的発展は「夢想だに」していなかった。従って、原始仏典
からの引用は、すべて無意味。現代人が得るものは「皆無」。
大乗仏教は、原始仏教の欠陥を根本的に是正したものである。
佛教に普遍的な価値があるとすれば、大乗仏教の中にのみある。原始仏教は、
現代の「外道」であると断定しても、過言ではない。
釈迦が大昔に何を言ったか、ではなく、釈迦が現代に生きていれば何を言うか
を常に考えることが、今後の佛教存続・発展のための「唯一の」方向である。
これは、すべての宗教に通じる。さもなければ、宗教は、現代においては、無益
有害な営み、過去の遺物として、全面的に廃止すべきものである。現代においては、
弊害のほうがはるかに多いのは、その実態を見れば明らか。人間同士の争いは、すべて
宗教が原因となって生じている。このスレだけからでも、如実に証明されている。
仏陀はアートマンを説いたから、スレタイが変ったんだ。
どうせなら、釈迦は入滅後どこに行ったのか?とかのほうが、エサとしては良かったかもねw
>>230 > “献身と崇拝”(バクティ)は救済を求める見返りを含む場合もありますが、
> そうではなく、自己犠牲による自己満足という部分もかなり大きい。
> そして、“他力としての仏教”これらの双方のことを私はいっています。
どう言おうと、他力とバクティは違います。そんなことも認めることができないのですか?
> 尊敬、聖なる者に対する敬意の念はまた別物です。これは推奨されるべき必須の美徳です。
そうです。尊敬、聖なる者に対する敬意の念として、如来や菩薩への供養があるのです。
これは推奨されるべき必須の美徳です。
> 修行者に敬意を示し、その修行を助ける行為は大きな功徳となります(逆に妨げるものは悪業でしょう)。
> しかし、ホトケという存在は人々の崇拝と献身を欲しません(まったくね!)。
何が言いたいのかサッパリですね。観音様が崇拝や献身を要求しているとでもいうのでしょうか。
>>231 > 他力本願は仏教ではないといってるのです。
>>193を再読して下さい!
原始仏教ではない、という意味では同意しますが、大乗仏教ではありますね。
それとも大乗仏教ではないというおつもりですか?
そして大乗仏教は仏教の一角に担っているばかりか、日本において仏教といえば、むしろ大乗仏教のことを指すのが普通でさえあります。
> 『「救済する」とか「救済を願う」などというのは仏教ではないのです。
どうやら何も分ってない感じですが、修行して悟りを開くのも、自分で自分を救済しているわけです。
そんなのは言葉の問題にすぎません。人間が自分の精神を成長させたいと思う時、それを菩提心と呼んだり、
救済を願う心といったりするだけです。言葉の問題にすぎません。
>>231 > それを今、話している最中でしょう!(明らかにしてるではないですか?)
最中なものですか。先に結論ありきじゃないですか。「原始仏教以外は迷信」とう結論が。
> >本質とは何ですか? どうも貴方の個人的な信仰告白でしかないようですねぇ。
> 原始経典と照らし合わせて話しています。
そういうのを原理主義というわけですがw
> 如来に対する信仰の功徳・・はあるでしょうね。
> しかし、それは崇拝と献身を求めるものではなく、救済してくれる有難い存在としては説かれていません。
分ってませんね。如来に対する信仰の功徳があるということなら、
如来を信仰すれば、悟りを開く上でプラス効果が得られるということでしょう?
悟りに至ることが救いなのですから、
如来を信仰することで悟りに至る上でのプラス効果が得られる。その意味で如来は有りがたい存在なのです。
> 原理主義とは違います
> (私は一部の原理主義者らを批判しています)。
> 原始経典で学ぶゴータマの教えです。
ゴータマの教えと一致 → ○これは仏教である。
ゴータマの教えと不一致 → ×これは仏教ではない。
こういう考え方を原理主義というのです。
原理主義的でない場合は、ゴータマと一致していなくても仏教と認めることがあるのです。
>>232 > >あなたの大乗の否定は唯物論化と俗物化にすぎないのです。
> 何でも良かれは通用しません。
だ〜か〜ら〜何がよくて何がいけないというのです。
あなたのは「原始仏教じゃないからダメ」という原理主義的価値判断があるだけじゃないですか。
言っておきますが、原始仏教じゃなきゃだめというのは今までのスレの話でしかないのです。
今は大乗仏教について語っているわけですから、「大乗的に」如来や菩薩を供養することが問題なら
そういう指摘をしてください。そうでないなら貴方の個人的な信仰の問題にすぎません。
スマナサーラのスレにでも行けばよろしい。
> 私はそんな暇人じゃない。
暇人かどうかなど聞いていません。
「ぶぇつに〜私にはかんけーないしぃ」みたいな態度を取るなら消えろと言っているのです。
> 輪廻は原始経典、及び基本的には大乗も継承する概念です。
そうですね。でもそのこととそれが迷信かどうかは関係がないことです。
> それが迷信と思う人は仏教を信奉しなければいいだけのこと。
「何を根拠に」迷信とするのかしないのかが問われているだけであって、仏教を信奉するかどうかなど
ここの議論では関係のないことです。
> 輪廻している姿が「苦」の生であると理解することに始まり、そこからの解脱を説くものが仏教なのです。
それは輪廻が迷信ではないという理由にはなっていません。もう一度出直してください。
>>233 >
>>1の説明に「長所」と「短所」、「批判」ということで述べられているでしょう!
貴方の指摘は「原始仏教とは違う」というのが短所の理由になっているわけです。
これでは批判にさえなりません。ただの原理主義運動です。
> “タイトルが不適切”なのです。大乗の発生理由などは明白であり、
> 今更なんの議論の余地などないでしょう。あなたはいつからの参加者です?
タイトルに異論があるなら、このスレに参加しなければいいだけです。
ここは貴方個人のために立てられたスレではありません。さっさと出て行ったらよろしいでしょう。
> で、それで大乗発生の理由に異説があるのですか?
異説かどうかは知りませんが、一部意見は異なるようです。折に触れて書くことになるのではないでしょうか。
> すべて原始仏教に戻せなどとはいってない。
> ダメなものはダメという話しです。
では、ダメの基準は何なのですか? 現状で貴方の書込みからは原始仏教以外はダメとしか読めないでしょう?
> 「ゴータマは霊魂を否定したから輪廻は有り得ない。輪廻はバラモンの外道思想(迷信)でした。」
> という見解を説いているというのに、そのゴータマが認めなかった輪廻をうちでは説いてますよ。
> などという筈がないでしょう?
筈がないもなにも、現に大乗の僧侶たちはそうしているわけですが。
大乗非仏説を踏まえた上で今の大乗仏教は成立っているわけです。
> 浄土真宗ではそんな迷信を肯定する僧侶を厳しく批判するといっています。
ないない。それはない。実際、極楽往生を説いたりしている坊さんもいるけど、批判なんか受けていない。
要するに浄土真宗は教義批判がOKなところがあって、それぞれの僧侶が自分の意見を述べることがあるだけですよ。
256 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/27(日) 16:30:53 ID:3FqzNH4t
>>242 >ご隠居や机が言うあるがままの救われてある日本人の宗教意識というのは
いや、そんなことは言っておりません。
拙者が言ったのは
>救済せんでも、世界は既に救済されておるんですから、
>>180参照
ということです。
これは浄土門でも同じことですよね。
阿弥陀如来に帰依して祈願すれば、悟ってから気づくのは、
「既に阿弥陀如来に救われておった」。→これが世俗諦
「ああ、なんだ、阿弥陀如来というのは民衆を救うことはないんだ」。→これが勝義諦
これが浄土門の本願ですよね。
(自力の禅宗と同じですね)
世俗諦と勝義諦は非常に逆説的でありますから、
本来は勝義諦は秘密であります。が、奥義がこれですね。
(民衆は意味不明でありますからね、一心に念仏を唱えるだけでいいんです)
これは開悟して解せるもんです。
世界は悟っておって、そこに作為は全く必要がない。ってこってす。
>>249 > おおっ凄い!!
> では、やっぱり加持祈祷は容認しましょうねw
なんなんですか。一体。
密教の加持祈祷って、神仏に供養したりお願いするってことじゃないんですか。
聖天様やら虚空蔵菩薩やらの御利益にあずかろうという話じゃないんですか。
「ありがたい」神仏ってことじゃないんですか。
そーゆーのは迷信だって切り捨てたんじゃないんですか?
今までの自分の発言とどう整合性をとるんですか。
まったく意味がわかりませんね。何考えてんだか。
>>250 > 釈迦は、当時の社会の状態において、当時の人々の知識の水準で説いただけ。
> 現代の科学の飛躍的発展は「夢想だに」していなかった。従って、原始仏典
> からの引用は、すべて無意味。現代人が得るものは「皆無」。
なるほど。では大乗起信論や、中論からの引用も全て無意味。現代人が得るものは
「皆無」ですね。
> 人間同士の争いは、すべて
> 宗教が原因となって生じている。このスレだけからでも、如実に証明されている。
宗教板なんだから、ここで起こる争いの原因が宗教なのは当然だと思いますが。
同様に、温泉板なら温泉が原因で、カレー板ならカレーが原因で争いが起きると思います。
故に、人間同士の争いは、すべて温泉が原因となって生じている。温泉のスレからだけでも、
如実に証明されている。
ずいぶん愉快なロジックですね。
259 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 17:25:17 ID:zGwh7A6S
>>258 スペースの節約上、「頭の良い住民宛に、省略して書き込んでいる」から、理
解いただけなくて残念。
大乗は、小乗の欠陥を是正し、佛教に現代にも通用する普遍的価値を与えた」
と、前レスで述べているはず。
温泉やカレーが原因の争いで「殺し合い」までは起きないなw。
>>250 > 釈迦が大昔に何を言ったか、ではなく、釈迦が現代に生きていれば何を言うか
> を常に考えることが、今後の佛教存続・発展のための「唯一の」方向である。
少なくとも釈迦は、口紅塗ってるからレイプしてもいいとか、
レイプされたのはジーンズはいてた女が悪いんだとか、
修行しなくてもいいとか、そういうことは言わないはず。
こういうことを考えることが、ご隠居にとっての精神発展のための
「唯一の」方向である。
261 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 18:16:51 ID:zGwh7A6S
>>242 最近の研究では、特に、日本における宗教の「現世利益主義」が再評価され
ている〔岩波講座「宗教」全10巻)。論文は二人の執筆者の一人は米国人
のようだ。日本人は、ガイジンから指摘されないと、自分自身の価値に気付
かないw。
宗教の起源が、生存のための「手段」であったことを考えると、当然のことなの
だが。
そうですか
263 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 18:43:01 ID:zGwh7A6S
>>260 何だか、男の性欲が女に苦痛を与えるとばかり思い込んでいるようだが、女も
男と同じ、いやそれ以上の性欲を持っていることを忘れないように。
極端な暴力の場合は別として、強姦と和姦との区別は、極めて微妙である。
最初は抵抗しても、次第に体が柔らかくなってくる。最初から抵抗も無く広げ
る女には、気をつけたほうがよい。
菩薩の温顔は、女が逝ったときの表情である。
264 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 20:44:26 ID:gz/XEl/9
あ
265 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 21:37:19 ID:mOT/gB6g
>>251 では、少し「我」の話しをすると〜
“五蘊仮和合の自己”などは「我」ではなく(ここまではいい)、「涅槃の後にも我は無いのだ」それを
「空」という、などといった愚かな見解というのは、結局、消滅を意味する断滅論ということになる。
断滅を説いたら最後、もう仏教ではなくなるということ。これを本当に“中身空ッポ”という。
涅槃に到達した如来存在が真実の自己に決まってる。ただ単にバラモンの説くアートマン論に同意
しないだけのこと。無我論の可笑しなアートマン否定論者たちというのは、「滅」が涅槃の同義語だと
も豪語し、ゴータマの涅槃後は消滅したというw
>>90みたいな大王ご自慢の中村氏の引用というのは、「仮構された自己は」と書かれてあることから
いっても、これは“五蘊仮和合の自己”のことであり、最初からバラモンの説くようなアートマン存在のこ
とじゃないので勘違いは辞めましょう!
それは五蘊仮和合の自己に対する妄執を解けば再生しない、ということであり、逆にいえば、その妄
執が続く限りは再生を繰り返すということに他ならない。
書かれてあっても、読んで理解できないとはね?
266 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 21:45:24 ID:mOT/gB6g
>>252 >どう言おうと、他力とバクティは違います。そんなことも認めることができないのですか?
だから「他力」と「バクティ」の双方といってるでしょ!
>そうです。尊敬、聖なる者に対する敬意の念として、如来や菩薩への供養があるのです。
>これは推奨されるべき必須の美徳です。
当たり前です。
>何が言いたいのかサッパリですね。観音様が崇拝や献身を要求しているとでもいうのでしょうか。
要求してないのにするな!という話しです。
何故、分らない???(日本語が読めないのか?)
>>231 >そして大乗仏教は仏教の一角に担っているばかりか、日本において仏教といえば、
>むしろ大乗仏教のことを指すのが普通でさえあります。
大乗マンセーなど議論の席上では無意味です。
大乗というのは勝手デタラメが多くて、
それが仏教であると思わされたまま普及してしまったこの現状がいいとでもいうのですか???
あなたは原始仏典の内容を知っていて、そんな発言をしているですか?
大乗の発生経緯(理由)と共にゴータマそのものまで背いてきた歴史のことを?
>どうやら何も分ってない感じですが、修行して悟りを開くのも、自分で自分を救済しているわけです。
違います。それは「他力」の定義とはいいません(それだったら問題にはしない)。
267 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 21:48:14 ID:mOT/gB6g
>>253 >最中なものですか。先に結論ありきじゃないですか。「原始仏教以外は迷信」とう結論が。
では、あなたは原始経典の教えと大乗経典の教えでどっちが真実のゴータマのものか、
もしくは、どっちが真理で有益かを、最初の一から議論していくことを主張しているですか?
>分ってませんね。--中略--
>如来を信仰することで悟りに至る上でのプラス効果が得られる。その意味で如来は有りがたい存在なのです。
だから、救いを求める対象ではないといってるのです。
>ゴータマの教えと一致 → ○これは仏教である。
>ゴータマの教えと不一致 → ×これは仏教ではない。
>こういう考え方を原理主義というのです。
>原理主義的でない場合は、ゴータマと一致していなくても仏教と認めることがあるのです。
ホーー有り得ないですね。
もちろん何を信じ、何を最高視するも自由です。いろんな思想宗教があり、当然、有益なものもあります。
しかし、ゴータマから外れて仏教と呼べるわけがないのです。それは仏教的に見えるだけの「外教」に過ぎない。
そのゴータマの思想から外れても仏教であるというのは、どこにそんな根拠があるのかを示して欲しいです。
できますか???それが通用するならば苦労はないw
>>254 >だ〜か〜ら〜何がよくて何がいけないというのです。
大乗の問題点を議論すべきでしょう。
>そうですね。でもそのこととそれが迷信かどうかは関係がないことです。
関係ない筈がないでしょう。
「説かれてることは知っているが信じていない」というのならば、つまり信奉されないでしょう?
嘘や間違いが説かれていれば迷信です。迷信だと見なしていて信奉できますか?
268 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 21:50:15 ID:mOT/gB6g
>「何を根拠に」迷信とするのかしないのかが問われているだけであって、仏教を信奉するかどうかなど
>ここの議論では関係のないことです。
上記に同じ。
>それは輪廻が迷信ではないという理由にはなっていません。もう一度出直してください。
仏教の立場からは「迷信」に他ならない。それを「無明」といっています。
>>255 >では、ダメの基準は何なのですか?
>現状で貴方の書込みからは原始仏教以外はダメとしか読めないでしょう?
では、逆に伺います!
あなたのいう仏教とは何か?どのような教えですか?是非、示してもらえます。
それを議論してもいいですよ。
>筈がないもなにも、現に大乗の僧侶たちはそうしているわけですが。
一部の大乗は輪廻を否定しているという事実を述べたのです。
>大乗非仏説を踏まえた上で今の大乗仏教は成立っているわけです。
それを大乗の欺瞞という。
>ないない。それはない。実際、極楽往生を説いたりしている坊さんもいるけど、批判なんか受けていない。
>要するに浄土真宗は教義批判がOKなところがあって、それぞれの僧侶が自分の意見を述べることがあるだけですよ。
269 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 21:51:22 ID:mOT/gB6g
公開の場(ウェブサイト)で主張されているものです。
あなたの感覚で決めないで欲しい。これがただの個人的な教義批判???
---------------------------------------------------
浄土真宗やっとかめ通信(東海教区仏教青年連盟)
活動拠点および事務局は――
〒460-0018 名古屋市中区門前町 1番23号
本願寺名古屋別院内 東海教区教務所
TEL 052-321-0028 / FAX 052-332-4097
270 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 21:57:07 ID:mOT/gB6g
>>253 >ゴータマの教えと一致 → ○これは仏教である。
>ゴータマの教えと不一致 → ×これは仏教ではない。
>こういう考え方を原理主義というのです。
>原理主義的でない場合は、ゴータマと一致していなくても仏教と認めることがあるのです。
しかし、驚きましたね!
では、あなたにとってのゴータマの存在とその教えとは何か?
《それを述べてもらえませんか?》
私も述べます。
>>263 >最初は抵抗しても、次第に体が柔らかくなってくる。
体験談なの?
272 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 22:01:47 ID:kvm1pJQ9
>>271 そんなことは、マトモな女性についての常識。
273 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 22:02:37 ID:mOT/gB6g
274 :
セブン:2009/09/27(日) 22:04:14 ID:l4rvycz6
>>248 いや、またM78星雲へ帰らせて貰うw (時々観光に来る程度にするつもりなんだが・・w)
212及び246中段の方向での「大乗仏教の検証」と「その存続」も、それなりに面白く、重要ではあるが、
個人としては、「聖と俗」の方向性の方が、より刺激的でセンセーショナルな議論になると思うんで・・。
(そういうスレだったら改めての参加を考えないでもないw)
またそれは、
「仏教の教義・本質は、世俗(≒社会、行政)との接し方をどのような形で許容するのか」、
別の言い方をすれば
「聖なる領域(出家の価値観及び立場)は、どこまで世俗(社会的要請・在家的在り方)の浸食を許すのか」
という問いとして、212及び246を含み得るからだ。
(そして君は、≪(大乗が、と言うより)現代日本仏教は、
その仏教としての本質を倉庫の奥に仕舞い込み、【社会に迎合した】≫
と見てるんだろ? 仕舞い込まなければ相反する筈だ、と考えるのだろ?)
尤も、「聖俗の垣根を取っ払う」という方法もある。
他の宗教ではどうか知らんが、仏教に於いては考察の余地がある。(というか日本に於いて現在進行中?w)
(ただ、《涅槃という「看板」》と《阿羅漢という「エリートの存在」》は諦めねばならないかもしれないが・・・w)
って、
>>266-267も、随分と雑なレスだなぁ・・・(^^;
2chでの、勢い書き殴りレスとはいえ、もう少し丁寧な、観察とその分析・考察が欲しいぞw
あまりにも雑過ぎるw
275 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 22:12:04 ID:iBqIc2A+
>>272 わろた。処女、処女、少女。童貞、童貞、処女、童貞、処女。♪じゃがたら
童貞、キモオタ、シッタカ、誤淫嘘、小学生なみ(^○^)
276 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/27(日) 22:27:22 ID:mOT/gB6g
>>274 >(そして君は、≪(大乗が、と言うより)現代日本仏教は、
>その仏教としての本質を倉庫の奥に仕舞い込み、【社会に迎合した】≫
>と見てるんだろ?仕舞い込まなければ相反する筈だ、と考えるのだろ?)
確かにこれまではそう。
止む無く方便を利用して説いた部分もあるでしょうし、
そして、大衆の関心や求めに応じることで信徒を獲得し、拡大してきたという歴史がある。
また、古い時代においては、大衆には阿弥陀信仰のようなものしか有用と
見なせなかった時期があったかもしれない・・。
しかし、今や時代は変わり人々は目が肥えています。
偽物や在り来たりの間に合わせものでは挽きつけることはもはやできなくなりました。
大衆の平均的な知力も大幅に高くなり、難解な話しですらも容易に理解します。
確かに、逆に7さんのいわれるように、あまり真実に迫って「聖」を強調したら、
大衆からは反発されて理解を得られない部分も出てくるのかもしれない・・。
>尤も、「聖俗の垣根を取っ払う」という方法もある。
>他の宗教ではどうか知らんが、仏教に於いては考察の余地がある。(というか日本に於いて現在進行中?w)
>(ただ、《涅槃という「看板」》と《阿羅漢という「エリートの存在」》は諦めねばならないかもしれないが・・・w)
その辺の7さんのお話をもって聞きたいなぁ!
〜だから、私はスレタイの決定にもっと意見を出し合うべきだといったのですよ。
まー、建てたい人がそのスレを起こせば済むだけの話ではありますが・・・^^
7さんは建てないの?
>って、
>>266-267も、随分と雑なレスだなぁ・・・(^^;
>2chでの、勢い書き殴りレスとはいえ、もう少し丁寧な、観察とその分析・考察が欲しいぞw
>あまりにも雑過ぎるw
うーむ。殴り書きでは相手もそうなってしまうだけですね・・。
チト反省しますわ。瞑想してきます^^
277 :
神も仏も名無しさん:2009/09/27(日) 23:44:57 ID:dFWxke/D
前立腺をいじられて目覚めちゃったら、隠居はレイプした男を
訴えるわけにはいかなくなるな。
>>266 > だから「他力」と「バクティ」の双方といってるでしょ!
そんなことは聞いてませんが。そもそも何が双方なのですか。
主語くらい書いてくれても構いませんよ。日本語が通じるようにするために。
いずれにせよ、あなたが「他力」についての説明に対して
>>193で書いたのは
「それをヒンドゥーではバクティーというのです。」という文です。
この記述が間違っていると言っているのです。
> >そうです。尊敬、聖なる者に対する敬意の念として、如来や菩薩への供養があるのです。
> >これは推奨されるべき必須の美徳です。
> 当たり前です。
では、如来や菩薩に対する供養をしてもいいわけです。意味がわかりませんね。
「ありがたい存在」と思うなという話ではなかったのですか?
> >何が言いたいのかサッパリですね。観音様が崇拝や献身を要求しているとでもいうのでしょうか。
> 要求してないのにするな!という話しです。
> 何故、分らない???(日本語が読めないのか?)
わかりませんよ。要求してないから供養してはいけないというのですか?
さっきは供養してもいいと言っていたじゃありませんか。
> 大乗マンセーなど議論の席上では無意味です。
同様に原始仏教マンセーなども議論の席上では無意味です。こんなことも分らないとは。
これだから原理主義者は困ったものです。原理主義、ゴータマ主義が絶対だと思っているために、つける薬がない。
> 大乗というのは勝手デタラメが多くて、
> それが仏教であると思わされたまま普及してしまったこの現状がいいとでもいうのですか???
特に問題を感じませんが。
> あなたは原始仏典の内容を知っていて、そんな発言をしているですか?
その通りです。
> 大乗の発生経緯(理由)と共にゴータマそのものまで背いてきた歴史のことを?
背いているというのは一面的な見方にすぎません。説一切有部がすでにゴータマから離れていたので、大乗は
原点回帰の側面も持ちます。そしてまた原点に回忌しつつさらに発展していった歴史でもあります。
> >どうやら何も分ってない感じですが、修行して悟りを開くのも、自分で自分を救済しているわけです。
> 違います。それは「他力」の定義とはいいません(それだったら問題にはしない)。
もう少し内容をよく理解して、自分の考えていることを整理してから話してもらえないでしょうか。
私はまずは救済という言葉について話をしています。他力の定義の話をしているわけではありません。
救済という言葉自体に問題ないのであれば、違う言葉で他力の本質を表現してみてください。
> では、あなたは原始経典の教えと大乗経典の教えでどっちが真実のゴータマのものか、
> もしくは、どっちが真理で有益かを、最初の一から議論していくことを主張しているですか?
当然そうです。吟味もしないで一方のみが真実であるという前提に立つならば、それはただの「信仰」です。
>>如来を信仰することで悟りに至る上でのプラス効果が得られる。その意味で如来は有りがたい存在なのです。
> だから、救いを求める対象ではないといってるのです。
何故ですか? 理由がなく個人的な結論だけ書かれても無意味です。
> しかし、ゴータマから外れて仏教と呼べるわけがないのです。それは仏教的に見えるだけの「外教」に過ぎない。
それは少なくとも一般常識を無視しています。
大乗仏教は仏教です。これ常識です。小学生でも知っていたりします。
ゴータマから外れていようがいまいが、大乗仏教は仏教なのです。
個人的にどういう考えを持っても自由ですが、一般常識くらいは踏まえてくれないと
まともな会話にはならないでしょう。
> そのゴータマの思想から外れても仏教であるというのは、どこにそんな根拠があるのかを示して欲しいです。
> できますか???それが通用するならば苦労はないw
社会的に認知されていることです。大乗仏教が仏教であること、浄土教などが仏教であることは
教科書にも書かれている、一般的な常識です。新興宗教となるか、それとも仏教のカテゴリーに入るかは
それを受入れるかどうかを含め、社会が決めていくことです。
>
>>254 > >だ〜か〜ら〜何がよくて何がいけないというのです。
> 大乗の問題点を議論すべきでしょう。
完全に頓珍漢な返答です。もう一回質問文の前後を読み返して出直してください。
> >そうですね。でもそのこととそれが迷信かどうかは関係がないことです。
> 関係ない筈がないでしょう。
> 「説かれてることは知っているが信じていない」というのならば、つまり信奉されないでしょう?
> 嘘や間違いが説かれていれば迷信です。迷信だと見なしていて信奉できますか?
またまた頓珍漢です。少し落ち着いてください。
輪廻が原始仏典から大乗にまで受け継がれているからといって、それが正しいという証明にはならないのです。
輪廻を信じている人がいるから輪廻が真実なのでもなく、輪廻を信じていない人がいるから輪廻が真実ではないわけでもないのです。
輪廻ということが実際にあるかどうかと、それを人々が信奉しているかどうかとは全くステージの異なるお話だといっているのです。
輪廻を信じている人がいるからといっても、それは「その人にとって迷信でない」だけです。
> >それは輪廻が迷信ではないという理由にはなっていません。もう一度出直してください。
> 仏教の立場からは「迷信」に他ならない。それを「無明」といっています。
その仏教というのは「原始仏教」のことでしかないわけです。
それが原理主義的な視点でしかないと言っているのですが。
原始仏教で言われているから「迷信ではない」というのは、原理主義でしかありません。
聖書に書いてあるから地球は6000年前にできたと発言するのと全く同じレベルです。程度低すぎです。
> あなたのいう仏教とは何か?どのような教えですか?是非、示してもらえます。
私のいう仏教とは、現代社会において仏教として認知されているものです。
具体的には大正蔵経にある内容は仏教と呼んで差し支えないでしょう。
> >大乗非仏説を踏まえた上で今の大乗仏教は成立っているわけです。
> それを大乗の欺瞞という。
器量の小さい見方をするのも個人の自由ですから、どうぞお好きに。
> 公開の場(ウェブサイト)で主張されているものです。
> あなたの感覚で決めないで欲しい。これがただの個人的な教義批判???
そう思いますよ。浄土真宗のある教区の一部の人がそういう発信をしたというだけでしかないです。
宗派としての意見を代表するものではないですよ。貴方が引用した住所をよく読んでください。
本願寺とさえ書いてないですね。
> しかし、驚きましたね!
> では、あなたにとってのゴータマの存在とその教えとは何か?
> 《それを述べてもらえませんか?》
ゴータマの存在は、原始仏教と大乗ではまた違った存在の仕方をしています。
それが私の理解です。原始仏教のゴータマだけがゴータマだとは思っていません。
釈迦牟尼仏となって、マントラを唱える対象になっている時、それは歴史上の存在とは別のゴータマです。
282 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 04:43:42 ID:WWMeBlr/
旧7氏と宝珠愚者氏には、大乗仏典を読んだ上での論戦をお願いしたい。
維摩経、理趣経、大乗起信論をざっと読んでみたが、それらの基調は、「ある
がままの人間と現実界」に最大の価値を認めるもの。その基盤は、すべての人
間に生来的に備わる「衆生心(真如、仏性、法、生命)」である。従って、善
も悪も衆生心の現われに過ぎないから、真如である。徹底的な「人間平等」と
「すべての生きとし生けるもの」に対する限りない慈しみである。「迷い」も
「悟り」も、衆生心(真如、法)の表れであり、衆生心自体には、聊かの増減
も変化もない。
勿論、竜樹の「縁起・空の思想」が中核となっているが、竜樹の「大哲学」は
難解でも、これらの大乗諸経は極めて分りやすい。あと、華厳経も「相互依存性
・関係性」を詳説したものとして、必読であろう。
この生来的な衆生心ゆえに、すべての人間は既に既に悟っており、救われてい
るのであるから、宗教による人為的な悟りや救いは、一切必要ないのである。
涅槃とは、この悟りのことである。
人間を「罪人視」するキリスト教や原始仏教とは、レベルが格段に異なる、対
極にある思想。大乗仏典を読めば、心が広がり、世界が一変する。前から主張
しているように、釈迦の比類のない偉大さは、大乗仏教の発生と確立を可能に
したことにある。釈迦の遺言「自灯明・法灯明」の見事な実行である。釈迦が、
人間そのものと現実界とから、一歩も踏み外してはいなかったからである。原
始仏教の信奉者は、「釈迦個人に対する神格化、偶像化、ブランド信仰」とい
う、忌むべき「執着」である。今の言葉で言えば、カルトである。
>>282 ご隠居
>原始仏教の信奉者
「原始仏教の信奉者」というより、原始仏典の盲目的教条主義者というべきだろう。
バラモン=ヒンドゥ的改変・増広が多く見られ、批判的な読みが必要となる。
なにしろバラモン=ヒンドゥ側から見て、唯物論を除けば仏教は最低極悪の教えなのだから、
謀略殲滅攪乱テロが行われてきたであろうことは想像に難くない。
ブッダでさえ、サンジャヤ教団を事実上壊滅させたではないか。
実際上「宗教」の現場は戦争だといえる。
「釈迦個人に対する神格化、偶像化、ブランド信仰」は法華経などにも強烈にみられ、
原始仏典特有のものではない。
宗教である以上、大衆的な「権威」への盲目的信仰心情とは不即不離の関係にあるからだ。
カルトの真骨頂は「権威」への盲目的信仰心情につけ込むことにある。
戯論、とくに業報輪廻転生論はカルトにとって実に美味しいモノなのだ。
宗教が「宗」教である以上、原初的アニミズムを除き、カリスマ的権威主義はぬぐえないのかも知れない。
ブッダが自灯明・法灯明を説かれたのも、カリスマ的権威主義の危険性を認識していたともいえるのだろう。
285 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/28(月) 09:54:26 ID:DnwLMSub
>>セブン氏
やっと「パーリ仏典入門」(大法輪閣、片山一良著)の序章〜第2章に目を
通しました。
(興味深い箇所)
・釈尊の頃に通常使われていた言語はパーリ語(サンスクリット語よりも)
・仏陀入滅後、カーサッパ長老、アーナンダ長老らが1回目の仏典結集を実施
・アーナンダ長老は主に法を編纂し、長部経典を監修
・釈尊は入滅までの45年間、主に四諦及び八正道を説いて回った
釈尊の頃に信者は在家まで広がっておりましたので、長部経典に記載の
四諦及び八正道を布教することで衆生救済の為の必要条件は満たされて
いるかと思った次第です。
換言しますと、空や縁起の法は四諦と密接に関連していましても主体では
ないので敢えて衆生に説く必要もなかったのでは思料します。
あくまで、主体の法は「四諦及び八正道」ということです。
長部経典を所持できない方々が大乗仏教を興すことになる経緯や動機は
本スレの議論を通してもう一度見直しても良いかと存じます。
286 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 10:07:00 ID:uo0qU7CV
インド仏教では大乗も部派仏教のひとつに過ぎなかったのではないか?
仏法僧の三宝に帰依するものたちはすべて仏教徒であったのだろう。
仏教ではその教義の解釈は自由で教義の違いに仏教ではないとみなされること
はなかっただろう。
仏教の修行者(ビク・ビクニ)集団にとっては戒律が同じである限り同じ
仏教教団とみなされたのだろう。
だからデーバダッタのように異なる戒律に従い、異なる場所に集うグループ
が仏教集団とは認められない新たな宗教団となったのだろう。
原始仏教など仏教学者の作った概念でそんな仏教集団が実在したわけではない。
287 :
暁:2009/09/28(月) 10:18:53 ID:6/UDvRQY
なんか見てるうちに宝珠氏と旧7氏が実は同一人物だったら面白いかもなんて思いましたw
なんだかんだで仲良しだからね
288 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 11:55:24 ID:nU3X4bAg
堕落
289 :
文字読めないの?析空、だいおうより:2009/09/28(月) 11:56:19 ID:tjU1r5YV
146 :析空:2009/09/26(土) 11:57:33 ID:IyI5LIML
仏陀といえば、釈尊なのだが、釈尊以外の仏陀をもちだしたのが、大乗の間違い。
過去七仏も釈尊以外は、詳細は不明。
阿弥陀にいたっては架空の仏。
だからさ、インド成立大乗の主流と日本仏教の主流の大乗と混合しているってww
104 :析空:2009/09/25(金) 16:56:05 ID:Ze8VM1Gp
大乗の根本的間違いは、
1.仏は常住 2.仏=法 3.仏性、如来蔵
のうち、
1,2,3及び、146の意見でないのが、
徹底言葉を断絶、定義否定をするのが、(2,3の要素は少しあるが、基本は無念無想)
インド大乗中観派論理否定説明不能派と禅の臨済宗、
2.仏=法 の意識があるのは、
インド大乗中観派論理可能派、禅の曹洞宗、インド唯識法相宗、
1.仏は常住 2.仏=法 3.仏性、如来蔵 が明確なのは、
天台宗、真言宗、
290 :
文字読めないの?析空、だいおうより:2009/09/28(月) 11:57:29 ID:tjU1r5YV
析空の批判は無知の批判過ぎるなあwww
291 :
文字読めないの?析空、だいおうより:2009/09/28(月) 12:03:04 ID:tjU1r5YV
184 :析空:2009/09/26(土) 21:59:33 ID:IyI5LIML
>>143 【インド成立の大乗】?
いつの間に、そんな話しになったのか?
※あなたが勝手にそう思っているだけでは?
あんた、スレタイ見ろよw
誕生、発生した理由、インドで生まれたから、インド成立だろう??
論理性がないねw
292 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/28(月) 12:05:26 ID:no08/MSj
>>282 >この生来的な衆生心ゆえに、すべての人間は既に既に悟っており、救われてい
>るのであるから、宗教による人為的な悟りや救いは、一切必要ないのである。
>涅槃とは、この悟りのことである。
人は「仏性を宿す仏子」を気付かせる為に、宗教者の釈尊が45年間説いて
回ったそうです。これは人為的な布教活動でしょう。
>人間を「罪人視」するキリスト教や原始仏教とは、レベルが格段に異なる、
>対極にある思想。
原始キリスト教では人は「神の子」です。ただし、ヨハネ福音書の作者が
「イエス=神の一人っ子」と定義しただけでしょうか。
またカルマ(業)を罪と読み替えましたら、あまり仏教との差もないかと存じます。
293 :
文字読めないの?析空、だいおうより:2009/09/28(月) 12:06:18 ID:tjU1r5YV
大乗と大まかに全て全部同じにして、批判論法が狂っている自覚がないかね?
析空君w
その調子で禅スレで張り切っている姿と変わらずだねw
294 :
析空:2009/09/28(月) 13:09:21 ID:+oOyUBd+
>>289 んん?
インド成立の大乗と日本の大乗を混同?
ええっと?
1.まあ、混同というより始めから区別してないから。
区別するだけの知識もないけどね。
2.中国撰述の大乗もあるのでは?
3.スレたいをいくら読んでも日本の大乗が除外されるとは思えないが?
それで日本語が読めないというのなら、そのとおりですが何か?
実際、難読漢字なんか読めないし。
釈尊の本懐は生存苦からの開放でしたね。
そういう意味での成仏は、誰でも釈尊と同じように達成できます。
それが釈尊の教えでしたし、大乗の根本精神です。
釈尊一仏を説いたり、いたずらに成仏のハードルをあげたり、神秘的・戯論に包ませたり、
するのはそもそも釈尊=大乗の精神に合わないといえます。
『大乗仏教が誕生・発生した』のはまさに釈尊そのひとからだといえるのです。
でも、教えてもアカン奴はアカン。あきらめんとしゃーないやないか、というのが釈尊の本音です。
『涅槃は正しく存し、涅槃に至る道があり、私は導師としてあり、
しかも、わが弟子の中には、あるものは涅槃に至ることを得、またあるものは至る事を得ないが、
それを、バラモンよ、私がどうするということができようか。
バラモンよ、如来はただ道を教えるのである。』
(中部経典 107:中阿含経 144)
296 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 13:13:39 ID:4HcQD7DK
>>285 >換言しますと、空や縁起の法は四諦と密接に関連していましても主体では
>ないので敢えて衆生に説く必要もなかったのでは思料します。
>あくまで、主体の法は「四諦及び八正道」ということです。
「四諦・八正道」は、少なくとも現代人にとっては全くピンとこない。釈迦の
鬱病の症状としての「生きるのが辛い、苦しい」という悲痛な叫びが伝わって
くるだけ。「人間には、苦があるからこそ楽がありうる」「生存本能(生きる
喜び)こそ、すべての根源」という真理に思い到っていない。人類は、その真
理に基づき、今日まで存続し、ますます発展を続けているいるのである。八
「正」道といっても、「正しい」とは何か、という「原理」は、全く示されて
いない。単に押し付けだけ。「縁起・空」も、言ってみただけで、その本質は
何かは、全く理解していない。従って、「中道」も無意味。いずれも、現代人
にとっては何の感動も無く、得るものは「皆無」である。宗教思想としては、
極めて浅薄で、不完全な代物。
佛教が、人類にとって「普遍的価値」を持つに到ったのは、健常者としての
多数の大乗仏教徒の長年の思索と努力による「すべての人間に内在する衆生心
(真如、法性、生命)」と「万物の相互依存性・関係性」という原理の発見に
よってであった。
その意味で、現代の「原始仏教信奉者」は、キリスト教の影響を受けたため、
キリスト教の「人間は生まれながらに罪人」「人間とその生命を支える大自然
とから隔絶しまくった架空の超越的唯一人格神」というイエス(パウロ)に発
する「倒錯と狂気の概念」を佛教に持ち込みたいからに過ぎない。大乗佛教の
「万人の衆生心」と「万物の相互依存性・関係性」という普遍的一大原理が、
邪魔でたまらないからである。
小乗仏教による、大乗仏教の「忌むべき一神教化」は、絶対に許してはならない。
297 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 13:30:05 ID:L2bF0heq
シッダールタの哲学
堕落 ↓
上 座 部 仏 教
堕落 ↓
大 乗 仏 教
堕落 ↓
密 教
298 :
暁:2009/09/28(月) 13:42:59 ID:6/UDvRQY
>>296 御隠居かね?
おいおい、大乗仏教徒、若しくは少なくともそれに依る人が釈迦を鬱病呼ばわりするのはどうかと思うよ。
大乗仏教も釈迦に帰依してんのは紛れもない事実なんだからさ。
299 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 13:43:09 ID:4HcQD7DK
>>297 ならば、シッダールタの哲学は、バラモン教からの大いなる「堕落」
であろう。
結局、バラモン的一神教に戻りたいというのか。
「堕落」とは、「より人間と現実界(根源)」に近づくという、「人間
の進歩」の道程である。
キリスト教と佛教との著しい相違は、前者は「改革」のたびごとに劣化
しているが、後者は、改革のたびごとに進歩していることである。
後者は、その根源が、「人間と自然」とから逸脱してはいないからである。
300 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 13:52:06 ID:4HcQD7DK
>>298 あくまで、精神医学的分析。現代においては、精神病は、脳内神経伝達
物質という「物質」の異常による「身体の病気」だから、「人格の誹謗」
ではない。
イエスの統合失調症とは異なり、仏陀の鬱病は「感情障害」であり、
「人格の崩壊」に到らなかったことは、佛教にとって幸運であった。
なお、大乗仏教は、仏陀を「象徴」として利用しているが、「釈迦佛教」
とは質的に異なるものだから、切り離したほうがよい。
>>299 > キリスト教と佛教との著しい相違は、前者は「改革」のたびごとに劣化
> しているが、後者は、改革のたびごとに進歩していることである。
> 後者は、その根源が、「人間と自然」とから逸脱してはいないからである。
すると仏教で最も進化しているのは加持祈祷を旨とする密教ということになるな。
302 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/28(月) 15:11:17 ID:no08/MSj
>>300 >あくまで、精神医学的分析。現代においては、精神病は、脳内神経伝達
>物質という「物質」の異常による「身体の病気」だから、「人格の誹謗」
>ではない。
また貴兄ですか。
まだ学会の仮説の一つであるものを断定したら、本スレの住人の中には
本気で信じ込んでしまう方も出て参りますよ。
記憶や判断を担当する脳領域の解明が進んでいる現状で、更に複雑な
心や精神の領域を司る脳領域の解明が済んだとは言えないでしょうし、
それ故にその領域の伝達物質の特定と異常と正常の値差が分ったという
のは早計かと判断しております。
303 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 15:29:59 ID:bdpHS/Ay
神仏霊カルマの存在を云々するには余りに証拠がない(皆無)であるので、
当分言及すべきではないと思います。
304 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 15:48:03 ID:75BvZzMf
>>302 そんなの童貞淫嘘のレイプを女が求めてると同じで、ただの妄想・シッタカw
こいつが何も分かってないのは、十分分からされたろう、オレたちw
305 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 16:05:23 ID:4HcQD7DK
>>292 >人は「仏性を宿す仏子」を気付かせる為に、宗教者の釈尊が45年間説いて
>回ったそうです。これは人為的な布教活動でしょう。
「仏性(衆生心、真如、生存本能)」は、すべての人間の身体に生来的に存在
する肉体的本能だから、他人から教えられて生じるのではない。自然の感情と
行動が、すべて仏性の表れである。教えられたり、命令されたり、意識的に求
めたり、思考の対象にしたりすると、仏性は変容・破壊されてしまう。宗教の
弊害は、ここにある。
大乗仏教は、仏性を「発見した」に過ぎない。
なお、キリスト教では、人間に仏性(神性)を認めたら、瞬時に崩壊するから、
絶対に認めない。「神(の子)」は、イエス唯一人でなければならないのである。
306 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/28(月) 17:09:17 ID:no08/MSj
>>305 >教えられたり、命令されたり、意識的に求めたり、思考の対象にしたりすると、
>仏性は変容・破壊されてしまう。宗教の 弊害は、ここにある。
>大乗仏教は、仏性を「発見した」に過ぎない。
前スレでは「仏性」はアートマンではないか?と議論されたほど常住に近い
タフな存在だと認識しております。
貴兄の語る「仏性」は柔な存在のようですが、どこの宗派または教団の定義
なのかご教示いただきたく。
307 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 18:16:44 ID:gtV+hXDu
>>306 どこの宗派でも教団でもない「人間」としての定義ですw。私は「生存本能
(生物的生命)」と呼んでいるが、大乗起信論の「衆生心(真如)」、理趣経
の「法性、如来蔵、欲望w」がこれに相当するのだと思う。
アートマンを、このような「生命」と定義すれば、釈迦も自己の「生命」を
以って説いたのだから、否定できるはずがありません。五蘊も「生命」から
発するものです。
但し、その「生命」も、無数の「相互依存関係」によって構成・維持されると
いうのが、大乗仏教の真髄です。「世の一切(すべて)の有情(もの)は、た
がいに加持(ささえあい)しあう」(理趣経)。
308 :
析空:2009/09/28(月) 20:17:31 ID:+oOyUBd+
>>259 そう!あなたが引用したように、アーガマでは、涅槃に至る人と至らない人が
居ると明言されている。
大乗はそれが不服だった。
だから初期大乗の法華経では【この経を授持すれば、だれでも成仏できる】と説いたのでは!
>>307 ご隠居
もういいかげんにしたら?おまいのことはもうスルーのつもりでいたが。
いろんなキレイごとをオブラートのようにならべてはいるが、
おまいの中心核はどう言葉で取り繕おうと、
エゴイズムの全面肯定!なのさ。ドカッとエゴが居座っている。
青春時代に気が付いてイヤになったトルストイ文学もそうだった。
反仏教(ブッダの教えの意で)であり無明のままであって、生存苦の超克にならない。
ブッダの教えは、無明を超克したいわば新しい「人間」(あえて隠居用語の意で)のありかたを教えられたのだ。
無思慮過ぎる。
310 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 20:38:22 ID:sxkvTpmx
>>308 大乗起信論によれば、一切衆生は、その「衆生心(真如)」故に、
既に悟って(涅槃に入って)いる。「涅槃」には、「さとり」と振り仮名
されている。
>>309 衆生心ゆえにすでに涅槃にあることに思い至らず、「自分の」輪廻を免
れるために、意図的に修行して「自分の」涅槃を求める欲望こそ、エゴ
の最たるものであり、無明の極みである。
なお、トルストイはクリスチャン。
311 :
暁:2009/09/28(月) 21:39:44 ID:6/UDvRQY
俺、御隠居は嫌いになれないんだよなぁ。なんでだろw
312 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 21:46:23 ID:75BvZzMf
313 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 22:03:51 ID:uCSXcpwO
ヒンドゥー教は、呪術やマジナイ、呪いを含む宗教だ。
悟りは、カルマを浄化することによって得られるのに
呪術やマジナイ、呪いは逆にカルマを悪くする。
と、釈迦は如実に観られた。
釈迦は、呪術やマジナイ、呪いを拒否された。
釈迦の死後、他の宗教に押され、仏教は衰退し
(知識人やお金持ちの信者が多く、一般大衆の人気は無くなっていった)、
教団の中から一般大衆から絶大な支持を得ているヒンドゥ教の神々を
換骨奪胎して仏教的に解釈しなおそうという人々が出てきた。
ヒンドゥ教は呪術やマジナイ、呪いを含む宗教で
釈迦の教えとは相反する。
教団内部は、釈迦の教えを守る派と換骨奪胎派と分かれた。
前者が上座部、後者が大乗になる。
確か、こんな感じだったような気がする。
突っ込みどころ満載かも・・・
問題は、言葉の問題があるんじゃないかと思う。
釈迦(=医者)はあらゆる言葉(=薬)を持っていたんじゃないか。
あらゆる薬は薬作用と副作用(薬と毒は表裏一体)があるけど、
釈迦は、あらゆる薬と毒薬を持っていたんじゃないか。
釈迦が処方した薬(言葉=教え)が、万能だとするとカルトになるんじゃないか。
風邪薬なのに切り傷には効かないから。逆に毒?
大乗の人々は、釈迦からの新しい薬、処方箋を希望した人々?
仏教は深遠すぎてよう分からん。
のちに、霊感を得て法華経が成立し、
大乗の呪術が発展して密教が成立し、また、教団の人気を得るために
どこの教団も扱っていなかった性的エネルギーを修行法に取り入れる。
314 :
析空:2009/09/28(月) 22:59:38 ID:+oOyUBd+
>>310 釈尊は、涅槃に至る人と至らない人が居るといった。
【既に悟っている】というなら、大乗起信論は釈尊の教えとは違うということです。
315 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 23:25:46 ID:MTXhrjzg
堕落。
316 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 23:28:23 ID:kLVSmXnI
317 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 23:31:15 ID:sxkvTpmx
>>314 小乗仏教とは異なり、大乗仏教は、どの宗派でも、自分の頭で考え抜き、
それぞれの見識を持っているように思う。大乗経典を読めば明らかです。
そもそも、等しく衆生心を持つ人間に、涅槃に至る者と至らない者が
いることは、人間差別、不平等ではありませんか。明らかに、釈尊の
誤りです。釈尊は、バラモン教を批判し、すべての人間の平等を唱えた
はずです。
そのような小乗仏教の誤りを是正し、大幅に進歩させ、世界に通用する
普遍性を確立したのが、まさに大乗仏教なのです。
小乗仏典を購入し、読み始めたが、大乗仏典に比べると格段にレベルの
差があり、読むに耐えない代物です。王子として何不自由なく暮らしていた
釈尊が、貧しい人々たちの苦悩を本当に理解しえたとはとても思えない。
釈尊のいう「生存苦」など、単なる贅沢病、お遊びです。
>>310 >「自分の」涅槃
自他不二=不一不二=空ゆえ、ナンセンスなワカットラン非難だ。
それより、おまいのいわゆる「すべての衆生が“生来的に有する”衆生心(仏性)」の
おまいの唯物論的根拠を“無明”との関連で説明せよ。素朴唯物論は放棄したのか?
おまいの「あるがまま」など今、凡夫隠居が観ている世界が実在し、自分も実在するという意味での「あるがまま」でしかない。
それは我執による仮構にしかすぎず、仏教ではない。ブッダの縁起の現観ではないのだ。
仏の教えは、無常=無我=縁起=空=中道=自由を踏まえたうえでの四諦、八正道(→世俗諦=彼岸への筏)であって、
おまいの全面肯定する「生存本能(生物的生命)」による「渇愛」は超克されるべき無明縁起の中核なのだ。
おまいは、大乗云々を問わず、なんと取り繕おうと、反仏教でしかない。
まるでワカットラン。
おまいの心の底にあるものは我執怨念でしかない。
執着から離れよ。
319 :
セブン:2009/09/28(月) 23:47:03 ID:HgXD/cLI
>>317 随分と抽象的だね・・。
具体的な「大乗仏教の良さ」ってのは無いのかい?
君の大乗仏教礼賛は、いつも抽象的で掴み所が無い。
そんな大乗仏教が、生活に根差し、役立ち得るのかね?w
また、君の大乗仏教礼賛は、いつも、「小乗仏教・上座部仏教との対比、優劣に於いて」述べられる。
大乗仏教独自の良さってのは無いのかい?w
また、言わせて貰えば、
大乗による苦悩の除去は、麻薬による緩和及び麻痺、或いは誤魔化しだよ。
小乗或いは上座部の教義のみが、根本的解決を示している。
解るかな?www
(さて、どっかのどなたかさんは反応するか否か?w)
320 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 00:18:48 ID:Sg1+dGxn
>>319 >具体的な「大乗仏教の良さ」ってのは無いのかい?
君は仏教学者なのだから、自分で調べて皆に講義してくれw。御釈迦さんの
贅沢病には、付き合ってはおれん。
苦悩の除去方法については前レスで述べた。純粋に精神的苦悩は、我を離れて、
家族などの身近な他者に心を移すことによって軽減・除去される。人間界が、
本質的に共同体である所以である。家族の悲しみを振り切って家出したお釈迦
さんには、そのことが全く分っていない。
日本で小乗仏教によって「救われている(と思い込んでいる)」のは、オウム
だけだろ。釈迦盲信は、麻原盲信と、原理的には何の相違もない。
321 :
セブン:2009/09/29(火) 00:29:40 ID:3TjZ77aA
322 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 00:59:31 ID:Sg1+dGxn
>>321 原始仏教を100億回読んでも、「生活に根ざし、役立ちうるもの」など何も
出てこないと断言できる。オウム、神智学、テレワダ、キリスト教が出てくる
だけだ。
「中論スレ」に、名無しさんが、空海の思想を紹介してくれている。それだけ
読んでも、小乗仏教とは「本質的に異なる」ことは、容易に理解できるはず。
323 :
セブン:2009/09/29(火) 01:01:39 ID:3TjZ77aA
・・・・・・(^^;
>>322 “苦”が、滅することのできるものだとして、
たとえば、事故で片足を失った者が、そのことで“苦”を感じていた時、
その時、そこでの「“苦”が滅せられる」とはどういうことか?
決して、新たに足が生えてきて、再び両足で歩けるようになることではあるまい。
「“片足を失ったということ”が(前世の(悪)業による)“苦なる果”」であったなら、
苦が滅せられた時、“片足を失ったという果(→前世の(悪)業による果)”も滅するのか?
そうではあるまい。“片足を失っているという事象”は何も変わらない。
“片足を失ったという果”は、あくまでも“片足を失ったという果”でしかない。
彼が感受している“苦”と、“片足を失っているという事象”は同じではない。
この時「その“苦”を滅する為にとられる方法」は、「“片足を失ったという果”の“因”を前世に求めること」ではない。
「“片足を失ったという果”を、《自身が(今)どのように受け止めているのか》《これからどのように受け止めてゆくのか》
を観察・考察する」所にこそあろう。
『私は、なぜ、“片足を失っているという事象”を“苦”と受け止めているのだろうか・・?』 と・・・。
324 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 01:13:33 ID:Sg1+dGxn
>>323 苦しみは、苦しみを真正面からあるがままに受け入れることによってのみ、軽
減・除去される。悲しい時は、精一杯泣け。宗教の「自己欺瞞」による苦しみ
からの「逃避」は、他者の苦しみを理解し、それに共感できる能力の向上、即
ち、「人間としての成長」を、その瞬間において停止させる。
大乗のお坊さんなら、誰でもこの程度の話はできると思うぞ。
325 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 01:24:41 ID:1nvt9gHh
おれ大乗て一切すべてだと思っていた。
326 :
析空:2009/09/29(火) 05:14:57 ID:sWXwE3hW
>>324 いやいや。
実際に坊さんに聞いたことがありますか?
真宗の坊さんは、そんなことはいいません。
ただただ念仏あるのみ。
327 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 05:24:10 ID:CalsKP7o
飯食うな糞するな、ただ念仏あるのみ。
328 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 06:40:59 ID:/f9d9hND
329 :
だいおう:2009/09/29(火) 12:02:26 ID:YTji2FFm
294 :析空:2009/09/28(月) 13:09:21 ID:+oOyUBd+
>>289 んん?
インド成立の大乗と日本の大乗を混同?
ええっと?
1.まあ、混同というより始めから区別してないから。
区別するだけの知識もないけどね。
それで、大乗間違いだと??
wwwwww
析空の大乗の間違った知識で、大乗間違ったと断言??
オナニー的至福だけか??知識不足、
あと、上座仏教ですら、定、慧すらできていないだろうね、析空君ww
あとこのスレで大乗連中は、禅と中観派が多いと思うが、
君は観察力が無いようだねww
浄土宗や、真言宗、天台宗、日蓮宗相手のような、仏陀以外の仏とか、仏は常住とか、
ここにいる連中にピントハズレ、頓珍漢な批判を書き込んでいる自覚がないだろうねww
恥知らずの無知な青年の主張ぐらいしか思われていない自覚が無いだろうねww
耄碌隠居へのはなむけのことば
遠離一切顛倒夢想
331 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 13:13:14 ID:MhxyB+Bg
>>330 >遠離一切顛倒夢想
何、これ?
漢字知ってる人にはその人の感じで勝手に意味づけできることが
中国語はもっとも仏教にふさわしくない、言語だということだ。
>>331 般若心経だね。大乗といえば般若心経。
「修行」「欲望の節制」この辺は大乗でも基本だね。
空海も道元もしっかり修行してるよ。
333 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 15:10:08 ID:H5eZHG9Y
>>332 「欲望は、浄(きよら)かなり」(理趣経)
理趣経は、真言密教の極意をあらわすもの。
>>333 >「欲望は、浄(きよら)かなり」(理趣経)
浄⇔穢の二項相対を説く理趣経を書いたクソ坊主は
ぜんぜんアカンやないか。
アウト! 真言密教はアウトや。
まあ、興味ないけどね。
>>333 > 「欲望は、浄(きよら)かなり」(理趣経)
> 理趣経は、真言密教の極意をあらわすもの。
(空海ほどの)修行もせず理趣経を読もうとした最澄を
空海が口を極めて激しく叱責したことは歴史的に有名ですね。
基本的な修行もせずに何が密教の極意だと。
まー、そう言われるのがオチということですな。
336 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 15:28:37 ID:H5eZHG9Y
>>334 2項相対などではない。「一切の法(すべてのもの)はその本性において
平等(ひとしく)きよらかなり」(理趣経 4節)
>>336 まっ、こーゆー馬鹿がいるから「秘密の教え=密教」ということになるわけです。
自分の都合のいい言葉だけを取って分った気になる馬鹿は読まなくていいお経ということですね。
これに比べれば最澄などはまだまだよっぽど立派な僧侶で、きちんと修行もしている。
空海が言いたいのは、それでも足りないってことなんですね。
338 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 15:45:54 ID:sWXwE3hW
>>329 ふ〜む?
君の為にハッキリと言っておこう。
君が何を言っているのか。私には分からない。
※おそらく大乗を非仏説と指摘したことが気に入らないのだろうとは思う。
しかし、事実は変わらない。
仏性というのは無い。
>>336 >一切の法(すべてのもの)はその本性において平等(ひとしく)きよらかなり
「すべてがきよらか」なら「すべて」も「きよらか」も意味を消失する。
「すべてがよごれている」なら「すべて」も「よごれている」も意味を消失する。
たとえ二項相対の世俗諦での方便とはいえ世俗上誤解を生む表現は避けるべきだ。
理趣経は落第答案だな。
達磨の廓然無聖のほうが方便として的確だ。
340 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 16:21:12 ID:H5eZHG9Y
>>339 それまで長い間続いた、根拠の無い「善悪概念」に対するアンチテーゼとして、
むしろ革命的な意義を持つ。大いなる、人間と現世の肯定である。「一切皆苦」
の鬱病患者である釈迦には、到底思い到れなかったこと。
341 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 16:29:07 ID:H5eZHG9Y
>>340の続き
廓然無聖も理趣経と同様な意味。
釈迦が、いかに「悟り」から遠かったかを、明白に証明するものである。
>>340 性犯罪肯定論者に言われたくないだろうな。
鬱病は犯罪じゃないけど、性犯罪は刑法で裁かれる対象だからな。
343 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 17:00:18 ID:UojIYclD
>>342 宗教者なら、チンケな世俗の「法律」などでなく、法律が拠って立つべき
人間とその社会の基盤から思考すべし。
釈迦の時代でも、圧倒的多数の生活者たちは、「苦あれば、楽あり。楽あれば、
苦あり」という「真理」を悟って、ひたむきに生きていたはずだ。
鬱病患者の釈迦を、あまり買いかぶらないほうがよい。原始仏教には、「悟り」
などどこにも見当たらない。佛教は、大乗仏教になって、初めて「悟った」の
である。
344 :
339:2009/09/29(火) 17:01:27 ID:T78r8UMg
>>341 また耄碌隠居か
>釈迦が、いかに「悟り」から遠かったか
→スッタニパータ1119を嫁。この内容はのちにナーガールジュナが中論で解説している。
ざっと理趣経を読んでみたが、まったくファンタジックで、ファンタジーとしてはまあ楽しめる。
しかし理趣経は世俗的価値判断の枠組みの残滓から発想してんだよ。
『金剛大毘盧遮那如來在於欲界他化 自在天王宮中
一切如來 常所遊處 吉稱歎 大摩尼殿
種種闕 鈴鐸諸ヲ 微風搖撃
珠鬘瓔珞 半滿月等 而爲莊嚴』
このあたりは素人相手のこけおどしだなw 法華経と変わらんファンタジー。
俗物根性丸出しじゃんw
大日如来みたいな証明不能のバケモノなんかでっち上げなくとも、
達磨の廓然無聖の簡明な四文字のまえに、ごちゃごちゃ理趣経など鎧袖一触だ。
>>343 > 宗教者なら、チンケな世俗の「法律」などでなく、法律が拠って立つべき
> 人間とその社会の基盤から思考すべし。
人間の社会の基盤は法律である。
宗教などに頼っているから妄想が止まないのである。
> 釈迦の時代でも、圧倒的多数の生活者たちは、「苦あれば、楽あり。楽あれば、
> 苦あり」という「真理」を悟って、ひたむきに生きていたはずだ。
性欲にひたむきになっているようなクズは「人間」と呼ぶに値しない。
> 鬱病患者の釈迦を、あまり買いかぶらないほうがよい。原始仏教には、「悟り」
> などどこにも見当たらない。佛教は、大乗仏教になって、初めて「悟った」の
> である。
大乗仏教などを、あまり買いかぶらない方がよい。
そんなものを後生大事にしていても、ご隠居のように性犯罪を肯定するようになったら
「人間失格」なのである。
346 :
339:2009/09/29(火) 17:33:29 ID:T78r8UMg
>>341 ついでだから聞くが、
なんで単純唯物論の耄碌隠居が
理趣経十二段の如来蔵思想を全面肯定するのか、論理構成を説け。
また>長い間続いた、根拠の無い「善悪概念」
というが理趣経十二段の善悪徳判断などの二項相対をどう読むのだ?
ようするに理趣経は世俗諦と勝義諦を混同させた落第答案というしかないのさ。
347 :
346:2009/09/29(火) 17:35:37 ID:T78r8UMg
348 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 17:37:59 ID:UojIYclD
>>344 >ざっと理趣経を読んでみたが、まったくファンタジックで、ファンタジーと
>してはまあ楽しめる。
他のすべての大乗仏典もそうだが、原始仏教からの思想の「コペルニクス的転回」
にも気付かないのかね。そもそも、原始仏典には「思想」といえるほどのものは
見当たらない。釈迦のうつ症状の臨床記録の意味しかない。
349 :
346:2009/09/29(火) 17:38:14 ID:T78r8UMg
訂正
× 理趣経十二段の善悪徳判断などの二項相対
〇 理趣経十七段の善悪徳判断などの二項相対
すまん
350 :
346:2009/09/29(火) 17:44:34 ID:T78r8UMg
>>348 >そもそも、原始仏典には「思想」といえるほどのものは見当たらない
当たり前だろう、ブッダはこれを説くということがない。
荒唐無稽ファンタジーなんか説かれるか。
ただブッダの教えはきわめて理路整然としていて、
それは、苦の原因を追及し、
それを取り除くことによって苦からの解放を得るというもの、といういわば当然のことだ。
>>348 > 他のすべての大乗仏典もそうだが、原始仏教からの思想の「コペルニクス的転回」
> にも気付かないのかね。
原始仏教の空や縁起を継承発展させただけだが。特に矛盾するようなこともないから、
コペルニクス的転回とはいわない。
> そもそも、原始仏典には「思想」といえるほどのものは
> 見当たらない。釈迦のうつ症状の臨床記録の意味しかない。
それを言うなら、ご隠居の生命教にこそ「思想」といえるものは全くない。
ただ自分の欲望を肯定するだけの人格障害的臨床記録の意味しかない。
いや、もしかしたら犯罪記録としての意味もあるのかもしれないな。考えたくもないが。
353 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 19:04:26 ID:Y0Wn8km3
このスレが万が一、テレビに登場する機会があるとすれば、隠居がやらかしちゃった時だけだろう。
>>343 一般論でスレを消費してもオモシロくない。
釈尊の思想ってのは人類共有の財産でして、
それに関心がないなら、自分が関心が向くスレを探したらどうだろうか?
あと女に陵辱をしても、なんとも思わないんなら、それは大陸文化からくるもんだよ。
女も征服者に股を開く文化があって、
男は去勢するか、もしくは虐殺。これが大陸文化だ。
中国、および朝鮮半島にある。
日本人とは道徳観念が違うから話にはならない。
清王朝まで、この文化は宦官などに継承されていた。
幼児の頃に去勢するのだが、これが非常に残酷なもんだよ。
薬品というのがないから、灰で患部を塗すくらいしかない。
熱でうなされながら・・・あるいは死に至る場合もある。
全く日本人の美学にはそぐわない。
女への凌辱というのも、こういった残酷性が元々の本質。
その延長が道徳観念。
もはや道徳など無きに等しい。
355 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 20:41:44 ID:lu9ihomP
>>346 >なんで単純唯物論の耄碌隠居が
>理趣経十二段の如来蔵思想を全面肯定するのか、論理構成を説け。
簡単である。生命は、人間のすべての営みの根源。その生命は、肉体のみに
宿り、その肉体(即ち、生命)は、物質に100%依存しない限り維持できない。
欲望(如来蔵)は、肉体(即ち、生命)を維持するための不可欠な手段である。
肉体(即ち、生命およびその維持のための欲望)を否定することを、「悪」と
呼ぶ。
>>351 釈迦は、欲望を煩悩として否定し、理趣経は、欲望を清浄なるものとして肯定
した。これは「コペルニクス的転回」である。
356 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 21:23:41 ID:U/v+0GQI
いつもご隠居氏は冴えてる
357 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 21:43:57 ID:lu9ihomP
>>351 >それを言うなら、ご隠居の生命教にこそ「思想」といえるものは全くない。
>ただ自分の欲望を肯定するだけの人格障害的臨床記録の意味しかない。
「生命」は、思想でも宗教でもない。人間が対象化できない唯一の存在。
対象化の主体と対象とが同一だから、対象化は初めから成立せず、ナンセンス
で不可能。
君は「欲望恐怖症」かw。どうやって生きて行くつもり?
358 :
神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 21:44:28 ID:g+WFWyuK
>アウト! 真言密教はアウトや。
そりゃそうだ。しかも、阿含宗や真如苑を生んでるしな。 プゲラだわ。
>>357 生命を対象化できない隠居の欲望の対象はシリコン人形なんだろw
360 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/29(火) 22:23:25 ID:RFIFea4K
私は異教ですが、阿弥陀如来や観世音菩薩の実在を信じております。
「無量光」、「無量寿」という意味のお名前から、仏教以外では
○○神とか○○大御神と呼ばれていたと、師から伺っております。
如来や菩薩の中で人の肉体に宿れた方々と、宿ることには無理が
ある方々とがおられるとも伺っておりますので、大乗仏教の
複数の如来や菩薩の教えもあまり違和感無く受け入れられます。
前にも書きましたが、山のように巨大な菩薩達が時々写真に
写ることもあります。
大乗の開祖の多くも、霊視(神通の一種)にて直接如来や菩薩
にお会いされていたことと推察致します。
原始仏典の中で釈尊が梵天、大梵天と対話されていたように。
>>355 > 釈迦は、欲望を煩悩として否定し、理趣経は、欲望を清浄なるものとして肯定
> した。これは「コペルニクス的転回」である。
釈迦が説いたのは「此の岸の人」に向けてのこと。
よって此の岸から見えるべき風景を言っている。それは「欲望は節制すべきもの」ということ。
理趣経が説いているのは「彼岸」から見える世界のこと。
どっちから見ているかにすぎないのであって、
別にご隠居の言うように「意見がコンバートした」というような事実は存在しない。
言い換えればご隠居の言うような「欲望肯定」になったわけではない。
欲望が節制すべきものであることに変わりはない。
理趣経に通じている空海もそのことを説いている。
>>357 > 「生命」は、思想でも宗教でもない。人間が対象化できない唯一の存在。
対象化できないとかいってるけど、その割には生命を作り出したりできるしね。
妄想だと思うよ。対象化できないと思っていたいだけ。
> 君は「欲望恐怖症」かw。どうやって生きて行くつもり?
欲望は問題ない。犯罪が問題なのである。何度いっても理解できないようだけど。
お前こそ、性犯罪を否定せずどうやってこの日本社会で生きていくつもりなのか?
「欲望の節制」というのは川を渡るための筏のようなもの。
彼岸に向かう時には必要。しかし彼岸に着いてしまえば筏はいらない。
釈迦の説いている通り。
ご隠居の言っているのは、彼岸に着けば筏はいらないんだからといって
「渡りもしないうちから」渡った気分になって、筏を焼き払っているのである。
363 :
神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 02:34:22 ID:kWSJVjHl
>>362 人間界には此岸と彼岸との区別などない。そのような区別を恣意的に設ける
のは、合理的な理由はなく、人間差別であろう。
修行を行うとすれば、それは、他者との係わり合いの中でのひたむきな生存と
いう、「最大の試練」において行うべきもの。自分から好き好んで行う修行な
どは、単なる趣味・娯楽であり、修行ではない。それは、また、「修行した自
分は特別」という、理由のない選民意識を生じさせる。
欲望の調節は、すべての人間に内在する衆生心(真如)が行う。他人から命令
されて行うものではない。必ずひずみが生じる。米国における聖職者の性犯罪
多発が、そのことを証明している。
>>363 > 人間界には此岸と彼岸との区別などない。そのような区別を恣意的に設ける
> のは、合理的な理由はなく、人間差別であろう。
つまりキミは空海も道元も否定するわけだね?
> 欲望の調節は、すべての人間に内在する衆生心(真如)が行う。他人から命令
> されて行うものではない。必ずひずみが生じる。米国における聖職者の性犯罪
> 多発が、そのことを証明している。
聖職者はまず「法律を守れる」真人間に戻ること。
それができなきゃ刑務所に入っていればいい。
問題は「既にひずみを生じてる人間」のことだ。
性欲を抑えることを知らず、レイプしても「女が口紅をつけていたせいだ。女が悪い」と言うような
頭のおかしな奴をどう処分するかということに尽きる。
>>355 >肉体(即ち、生命およびその維持のための欲望)を否定することを、「悪」と呼ぶ。
仏の教えは、無常=無我=縁起=空=中道=自由を踏まえたうえでの
四諦、八正道(→世俗諦=彼岸への筏)であって、
おまいの全面肯定する「生存本能(生物的生命)」による「渇愛」は超克されるべき無明縁起の中核なのだ。
ブッダは無明生命を超克したいわば明智生命へ革命することにより生存苦克服への道を示されたのだ。
おまいは、大乗云々を問わず、なんと取り繕おうと、反仏教でしかない。
まるでワカットラン。
唯物論からアプリオリな大乗剽窃「衆生心」とやらを無理やり引き出そうとするのは、
そのアプリオリ性において反唯物論という矛盾であって、御都合主義的形而上学的思弁に他ならない。
おまいの心の底にあるものは我執怨念でしかない。
執着から離れよ。
(以上、
>>318改)
366 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/30(水) 11:02:18 ID:vBhXhXGX
>>344 >大日如来みたいな証明不能のバケモノなんかでっち上げなくとも、
>達磨の廓然無聖の簡明な四文字のまえに、ごちゃごちゃ理趣経など鎧袖一触だ。
私は異教ですが、仏教徒であれば「このバチ当り!」と一喝するかも知れませんね。
大日如来も阿弥陀如来(無量光)も異教では別名の光輝く神々でしょう。
名の由来は開祖達が出会った時に眩しくて正視できなかったからだと推察します。
モーゼもシナイ山でエホバ(ヤハエ)に会った時、土下座して正視できなかった
そうです。
如来も菩薩も昔とかわらず実在しても、年々人心が離れていけば、波調の合う
祈り方ができる仏教徒も少なくなっていくようです。
2500年前、2000年前のように、神仏と波調の合った時に奇跡は起こります。
♪風の中の阿弥陀〜 草原の弥勒〜 街角の薬師〜 みんな何処へ行った〜♪
みんな何処にも行っておられません、ただ信仰心が科学崇拝世界へ行ってしまった
だけかと存じます。
367 :
神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 11:22:25 ID:DTy9XEvC
>>366 >みんな何処にも行っておられません、ただ信仰心が科学崇拝世界へ行ってし
>まっただけかと存じます。
人類における宗教の発生は、文明の利器など何一つなく、厳しい自然との闘い
の中でひたむきに生存を続ける古代人たちの、生存のための「手段」であった
ことを忘れないように。彼らにとっては、宗教は、彼らなりの精一杯の「現実性、
合理性、科学性」の表れであり、現代の科学の代替品であった。現代人とは異なり、
彼らは、生存の「手段」である宗教を、生存の「目的」とするような倒錯には
陥っていなかった。
大日如来や曼荼羅は、あくまで「現実界(人間を含む大自然)」の象徴である。
それから隔絶した、空想上の超越的存在などでは決してない。
368 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/30(水) 12:03:45 ID:vBhXhXGX
>>367 >人類における宗教の発生は、文明の利器など何一つなく、厳しい自然との闘い
>の中でひたむきに生存を続ける古代人たちの、生存のための「手段」であった
>ことを忘れないように。
あのー、当時でもインドもギリシャも中国も十分に文明は栄えておりましたよ。
貴兄の話は1万年以上前のことですか?
>>367 > ことを忘れないように。彼らにとっては、宗教は、彼らなりの精一杯の「現実性、
> 合理性、科学性」の表れであり、現代の科学の代替品であった。
太古の宗教についていえば、呪術メインだよ。合理性とか科学性は特にない。
科学の代替品なんてとんでもないね。
呪詛とか厄払いとか雨乞いとか。別に科学とは関係ない。
> 彼らは、生存の「手段」である宗教を、生存の「目的」とするような倒錯には
> 陥っていなかった。
生きた人間を生け贄に捧げたりしてたよ。個々人の生存よりも宗教儀式が優先される。
知らないのかな?マジで情報弱者??
とにかく思いつきを思い込みにしていくクセをなんとかしないと
ほんとにタダのやばい妄想人だから気をつけた方がいいよ。
370 :
神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 15:00:45 ID:hY+hw3jD
>>369 このスレで最悪の「情報弱者」で最大の「妄想人」は誤淫嘘って呼ばれてる童貞くんだよな。
371 :
神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 15:41:30 ID:VFtHZFQL
「人類史における宗教や神概念の発生」の話をしている。
無一物で、恐ろしい自然の脅威と闘いながら「生き抜いて」きた、我々
の祖先の姿を、愛惜の念を以って想像しながら考えてみよう。
宗教の起源については諸説あるが、「アニミズム説」が最も有力である。
これはまさに「自然との闘いの中での生存努力」と繋がる。
宗教の歴史については、ヒュームの「宗教の自然史」が最古典である。
この著作は、現代においても聊かの価値も失っていないと評価されている。
現代の宗教者は、もっと「人類史的視点」から、宗教を考えるべき。
聖書や仏典からではない。
>>371 > 「人類史における宗教や神概念の発生」の話をしている。
> 無一物で、恐ろしい自然の脅威と闘いながら「生き抜いて」きた、我々
> の祖先の姿を、愛惜の念を以って想像しながら考えてみよう。
愛惜の念とか、そういう感情的バイアスに浸ってるから妄想的になるんじゃないの?
> 宗教の起源については諸説あるが、「アニミズム説」が最も有力である。
そうだね。でもそれだけじゃないかもしれないし確定してないけどね。
> これはまさに「自然との闘いの中での生存努力」と繋がる。
別につながらないと思うけど。根拠も出てないし、また妄想かな?
> 宗教の歴史については、ヒュームの「宗教の自然史」が最古典である。
> この著作は、現代においても聊かの価値も失っていないと評価されている。
その書物は「最初からありがたがって」読むべき書物なのかね?
それとも批判的に読むべき書物なのかね?
>>371 あと、何の話をしていようと、
宗教が合理性の表れとかいうのは妄想だと思うよ。
ご隠居がまた妄想に浸って「自分に都合のいい(しかし実際は空虚な)理論」を作って
悦に入っていたという恥ずかしい状況があったという事実は変らないと思う。
そもそも「自然との闘い」とかいう視点自体が、相当にヨーロッパ的な視点なんだよね。
大学受験の時とかに国語の問題で読まなかった?
西洋的思考と日本的思考とか、よく対比で出てくるテーマなんだけどな。自然観って。
その意味でも結構偏った見方であることは確か。
375 :
神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 19:02:24 ID:QIGNzBQh
>>369 >太古の宗教についていえば、呪術メインだよ。合理性とか科学性は特にない。
科学が、「自然との関連における、生存のための知識と技術」であるとすれば、
それは、人間の生命の発生と同時に萌芽したと推測できる。さもなければ、生命
は今日まで存続できなかった。ただ、科学として「未発達」であっただけ。
人身御供でさえも、それによって、自分や自分に連なる者たちが「生きたい」
という願望が基本としてあった。
呪術もシャーマンも、生存のための努力であったのだろう。宗教信者は、現在
でも、呪術やシャーマンを信じているw。
>>372 > >これはまさに「自然との闘いの中での生存努力」と繋がる。
>別につながらないと思うけど。根拠も出てないし、また妄想かな?
そうかな?生存を助け、または脅かす、自然の不可知な力を「精霊」として
感謝し、または憎悪し闘うことは、「生存努力」の表れだと思うが。
>>374 仮定、推論ばかりだな。
しかもバイアスかかりすぎ。
378 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 21:17:30 ID:NEj20Qwc
>>281 どうも、あなたとは全く会話が噛合いませんね。
私も、これまでいろんな方と議論をしてきていますが、
お互い相手の意見を分った上でその上で反論したり、相手の主張を認めず否定したりするものですが、
しかし、あなたの場合にはその壇上にさえ上がることができないでいる感じがしています。
あなたの話しは、ほぼ全面的に同意できないものばかりなのですが、
まずは基本的な事柄(あなたの基本認識)から確認したいと思います。
でないと、たぶん会話そのものが進められないようと思います。
(ま〜どうしてもあなたを納得させなければならないわけでもないのですが・・・)
まず、この点についてお願いできますか?
>>281 >> では、あなたにとってのゴータマの存在とその教えとは何か?
>> 《それを述べてもらえませんか?》
>>270 >ゴータマの存在は、原始仏教と大乗ではまた違った存在の仕方をしています。
>それが私の理解です。原始仏教のゴータマだけがゴータマだとは思っていません。
>釈迦牟尼仏となって、マントラを唱える対象になっている時、それは歴史上の存在とは別のゴータマです。
すみませんが、
何故、ゴータマという同一人物について「原始仏教」と「大乗仏教」では違いがあるのか、
その違いが生じた理由と違いの差について簡単でいいので、その理解を述べてもらえますか?
それと特に、「釈迦牟尼仏となって、マントラを唱える対象になっている時、
それは歴史上の存在とは別のゴータマです。」という記述の意味が不明でいます。
この、「釈迦牟尼仏となって」とは、ゴータマという一人の人間が解脱成仏を果たして、
という意味ですか?「マントラを唱える対象になっている時」とは何?
大乗の信仰者?が唱える釈迦如来真言の対象は史実の釈迦牟尼仏とは別もの、
といいたいということですか?
379 :
神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 21:44:53 ID:CoxZM7Wr
…それにしても、いまいち盛り上がらない。
このテーマだと哲学史・文献学的な話がのみで、
純哲学的な話題を扱い辛いからかもしれない。
暫定的に、前シリーズの第16スレを建てるとか。
380 :
神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 22:04:51 ID:6/iEwAlP
>>379 「仏陀が・・・を説いたか」という話題はナンセンス。カルトの「権威
付け」に利用されているだけ。「本当に仏陀が説いたのか。それは仏陀
の真意であるのか」についての根拠は皆無なのだから。
仮に仏陀が説いたとしても、その教えが現代に通用しなければ、現代人
にとっては、無意味で無価値。単なる開祖個人に対する盲信、神格化
という、宗教の「病理」に過ぎない。
それよりも、ずばり、「現代に通用しうる大乗仏教の思想は何か」のほ
うが、より適切。
原始仏教と大乗仏教とでは、これまでに述べたように「コペルニクス的
転回」があるのだから、「東南アジアの佛教」である原始仏教(小乗仏教)
は、一切除外すべきである。無数の人々の衆智と思索の結果である、
大乗仏教の膨大で緻密な思想体系こそ、学ぶに値する。
>>380 耄碌隠居
>「コペルニクス的転回」
ナーガールジュナが依拠するものは原始仏典だ。
だから、むしろコペルニクス的転回の相手は説一切有部であって、
むしろ(少なくとも中観については)ブッダへのルネッサンスとも言いうるのだ。
反論せよ。
それより、
>>365の批判にすべて反論せよ。
なんで単純唯物論が「衆生心=真如、仏性」とやらをアプリオリに認めるのか。
真如、仏性とやらは唯物論なのか?論証せよ。
ブッダの無常=無我=縁起=空=中道=自由の悟りによる「明智」に達した上での
批判かを反論せよ。
俺は寝るが、明日が楽しみだなw
382 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 22:50:33 ID:NEj20Qwc
>>379 私も「現タイトル」では今一つかと・・。
例えば
<我々はブッダの真意を把握できるのか?>
384 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:00:14 ID:NEj20Qwc
>>383 タイトルはかっちょイイです♪
が、例えばどういう事柄について議論するのですか?
つまり、議論し合うようなどんな意見などが考えられますか?
385 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:01:02 ID:NEj20Qwc
>>278 >> だから「他力」と「バクティ」の双方といってるでしょ!
>>266 >そんなことは聞いてませんが。そもそも何が双方なのですか。
>主語くらい書いてくれても構いませんよ。日本語が通じるようにするために。
>
>いずれにせよ、あなたが「他力」についての説明に対して
>>193で書いたのは
>「それをヒンドゥーではバクティーというのです。」という文です。
>この記述が間違っていると言っているのです。
はい。
では、もう少し正確に述べることにします。
確かに、「他力」イコールで「バクティ」ではありません。この私が、「それがヒンドゥーではバクティー
という」といったのは、
>>172の方の説明でいうところの“自我意識(エゴ)の喪失”というアプローチの
ことであり、忘我(明け渡し)ともいわれる境地に至るのが、聖なる対象(神仏)に対する「献身」の意
識と「崇拝」行為という方法のことだという意味なのです。
そして、「他力」としての聖なる力にすがろうとする際にも、必要不可欠とされる意識と態度とされる
ものが「献身と崇拝」なのです。つまり、聖なる力の引き出しである「他力」を確実にしようする際にも
重視されるのが「バクティ」なのです。
ただし、「バクティ」というのは必ずしも「他力」を求めているわけではなくて、自己がバクティの状態
にあること自体に自己の喜びや価値そのものが置かれており、これにより自己意識の変革も起こって
きます。
尚、「他力」信仰には、このバクティは必須であるといわれています。何故ならば、バクティが弱いと
聖なる対象からの力を引き出すことは難しくなるからです。
そして、私が本来の仏教という観点から、現日本仏教の信仰世界から問題視しているのが、この「バ
クティと他力」の双方なのです。
386 :
セブン:2009/09/30(水) 23:01:22 ID:keM6luyv
>>382 君の態度がはっきりしない、(というより、常に仮面を被せた主張をする)からさw
≪【歴史的視座をもって】、【大乗仏教全体を】批判したいのか≫
≪【出発点との乖離を中心要素とする】【現代日本仏教を】批判したいのか≫
≪【現代日本仏教を生じさせた】或いは【その在り方を許容している】【大乗仏教という器を】批判したいのか≫
≪【初期仏教からの発展が捩じれてしまった】【変遷の歴史、そのそれぞれの因・縁を】批判したいのか≫
が曖昧だったからだよ。
だから、最大公約数的なこういうスレ(テーマ)にしかならない。
(上記はそれぞれ、単独スレに値するだけの内容を持つ。)
ノシ
387 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:02:00 ID:NEj20Qwc
私は、ホトケという存在は本来、“救済してくれるといったものではない”ということをいっており、人々
からのバクティも必要としていない、という話しをしています。ただし、自然界の超自然的な治癒力(神
秘力)を借りたいとする大衆信仰はありだろうと思うわけです。これが加持祈祷という妥協の余地があ
る
>>249という話なのです。
ホトケにすがるのを止めて、大自然の神秘力を引き出すものについてならば認めてもいいかな、とい
う意味なのです。要するにここでも私は、加持祈祷についても現状通りのあり方ではなくて、改革の必
要を主張しているわけです。
>>>そうです。尊敬、聖なる者に対する敬意の念として、如来や菩薩への供養があるのです。
>>>これは推奨されるべき必須の美徳です。
>>252 >> 当たり前です。
>>266 >
>では、如来や菩薩に対する供養をしてもいいわけです。意味がわかりませんね。
>「ありがたい存在」と思うなという話ではなかったのですか?
この私が話しているのは、聖なる存在や修行者に対する供養(修行を助けたり等々)は功徳となっ
て自己の成長に役立つという意味においてです。誤解しないで下さい-それは“ホトケにすがれ”とい
う意味ではありません。更には、架空の諸仏諸菩薩に対する信仰の廃止という意味も含めます。
>>>何が言いたいのかサッパリですね。
>>>観音様が崇拝や献身を要求しているとでもいうのでしょうか。
>>252 >> 要求してないのにするな!という話しです。
>> 何故、分らない???(日本語が読めないのか?)
>>266 >
>わかりませんよ。要求してないから供養してはいけないというのですか?
>さっきは供養してもいいと言っていたじゃありませんか。
私がいっているのは、“献身と崇拝行為を辞めよ”です。これを自ら求めるのは解脱していない新
興宗教教祖のような類いでしかないのです。ゴータマ最後の遺言も同様、法と自己に頼れというも
のでした。
もちろん、聖なる存在や修行者に対する尊崇の念と常識的な礼拝程度は身につけるべき美徳で
す。何でもゴッチャにしてはいけないのですよ。
388 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:02:59 ID:NEj20Qwc
>同様に原始仏教マンセーなども議論の席上では無意味です。こんなことも分らないとは。
>これだから原理主義者は困ったものです。
>原理主義、ゴータマ主義が絶対だと思っているために、つける薬がない。
私は原始経典の記述にそのまま総てに同意したことはありません。ただ全体と部分の細部にお
ける文意をよく読み取るならば、一体、何が本質的な部分であり、何が方便であるか、また何が後代
の附加部分の可能性が高いかもある程度は見えてくるといえると思うのです。
例えば、ゴータマが梵天と会話したという記述についても然り。これはそういう神話上の神秘存在が
実際に顕れて会話したのではなくて、ゴータマ自身の心の中の葛藤の体験がインド宗教的な文学作
品、文学形式的な信仰に訴えるような印象付けとして文章に綴られたものです。
私は神霊界の住人などいないといっているのではないのです。これは自己の心の葛藤を表現して
いるものだといっているわけです。
原理主義者というのは経典、聖典の記述を神聖視し過ぎるあまり、文字通りにしか解さないというこ
とです。また、神霊界の住人や象徴神格化された神々などもすべて“いる”のだと信じるような人にとっ
ては、記述に登場する神々はすべて本当に顕れた話しとしてそのまま受け取ります。
何が文字通り読むべきなのか否かを判断する識別を養う必要があります。が、これが1番難しいこと
です。まっ、これが完全ならば苦労はしませんね・・・。
389 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:10:11 ID:NEj20Qwc
>>386 日本仏教の改善ということで、
大乗の良き部分を残しつつの原点回帰というのが私の主張です。
ということは、つまり、
1.その大乗の良き部分とは何か?
2.見直すべき原点回帰の必要性とはどのような部分か?
について論じ合うのが私個人にとっての議論の理想かな・・と。
390 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:14:00 ID:NEj20Qwc
私が掲げた二つの過去のテーマ、
1.業報と輪廻転生
2.本来の無我とは何か?
というのも、実にそのための布石となる意味合いの大議論なのでした。
てー違うか?w
391 :
セブン:2009/09/30(水) 23:15:50 ID:keM6luyv
>>388 だからwww
一旦、ゴータマも原始仏教も忘れて大乗仏典の変遷を見ろ、ということだと思うよ。
でないと、視野狭窄が直らない。
たとえば、絵を描く者は、キャンバスから頻繁に目を離す(距離をとる)。
大きな絵であれば、立ち上がり、はるか後方へ下がり、そこからキャンバスを眺める。
何故だと思う?
キャンバス全体がどのような画面となっているか(或いは、主題とするモチーフが画面の中でどう見えているか)
を確認するためだ。
同様のことが、こうした考察の際にも生じてくる。
最終的に原始仏教を、或いはゴータマの真意・本音を大切にし、中心とし、主題とするとしても、
場面場面、場合場合で、必要な作業は異なるし、目を離すべき時もある。
背景の無い人物画も、それはそれでアリだ。しかし、そのような例は少ない。
たとえ単一色で塗られた背景でも、そこには、中心の人物を際立たせる効果がふんだんに盛り込まれている。
そうした背景を描く時、中心の人物に同時に筆を走らせることはできない。
このスレで行われることは(その効果は)、まさに、原始仏教というモチーフの絵の背景を書き込むことだよ。
桶?
392 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:22:09 ID:NEj20Qwc
>>391 ま〜分るといえば、分るような^^w
で、どうすると???
393 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:26:13 ID:NEj20Qwc
>>391 ま〜分るといえば、分るような^^w
で、どうすると???
>>389-390 これは、つまり私の未熟な知識と理解だけでなく、
日本仏教のあり方の是非について、
更に良きものへと進化していくべく意見を出し合っていく、というのが理想かな〜と。
「いや変える部分などない。その必要は微塵もない」という意見の人には、
その理由を是非とも説明願いたいし・・。
394 :
神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 23:28:17 ID:CoxZM7Wr
>>389-390 >1.その大乗の良き部分とは何か?
>2.見直すべき原点回帰の必要性とはどのような部分か?
…どうせ神智学的先入見で自己解決しちゃってるでしょ。
だから、無我の件と同じで、どうせ布教。
とは言っても、御隠居・魔非禍痢等のアンチではなく、
ある程度、まとまなアンチがいないと盛り上がらないことは認めざるを得ないか。
>1.業報と輪廻転生
>2.本来の無我とは何か?
この手の話題だと、文献学的視点は無論、それに基づいて、純哲学的視点での発言がし易い。
ともかく、存在論や認識論に関わる、純哲学的視点の余地のある話題が良いのではないかな?
395 :
セブン:2009/09/30(水) 23:28:18 ID:keM6luyv
>>392 一、静観する
一、聞きたいこと、疑問点等を時々(【素直に(無着色なかたちで)】)質問する
一、待ってられないなら、いきなり主題を扱う形で次スレを建てる
(※ま、このスレ、たぶん盛り上がらんと思うけど・・・w)
おやすみw ノシ
396 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:48:55 ID:NEj20Qwc
>>279 >もう少し内容をよく理解して、自分の考えていることを整理してから話してもらえないでしょうか。
>私はまずは救済という言葉について話をしています。他力の定義の話をしているわけではありません。
>救済という言葉自体に問題ないのであれば、違う言葉で他力の本質を表現してみてください。
あなたは自己の修行と悟りの過程も「自己の救済」であるといっていますが、意味としてはま〜分るの
ですが、しかし、誤解が生じるので「救済」という言葉はなるべく使用すべきではないと思うわけです。何
故なら、“救う者も救われる者もいない”のが本来の仏教だからです。「他力」は述べてきた通りです。
>当然そうです。吟味もしないで一方のみが真実であるという前提に立つならば、それはただの「信仰」です。
>何故ですか? 理由がなく個人的な結論だけ書かれても無意味です。
これはやはり、基本的にまず大乗非仏説についての理解が必要であると私は思います。あなたは大乗も
「大乗仏教」として認められている社会常識であるとしていますが、その日本仏教の歴史(伝来、約2500年)
を構築してきた大乗が実は“非仏説”であった、ということを近代の仏教学が明らかにしたのです。つまり、こ
れまで信じられてきた常識は違っていたのです。これは今も撤回されない定説となった基本的事実です。
あなたのいう社会常識なるものというのは、この大乗非仏説の話しそのものがまだ一般の人々には殆ど
知られていないということであり、そしてただ、信仰上の伝統として大乗の世界が今も変わらずそのまま継
続されているに過ぎないのです。
397 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:57:20 ID:NEj20Qwc
>>394 >…どうせ神智学的先入見で自己解決しちゃってるでしょ。
>だから、無我の件と同じで、どうせ布教。
私は、
純粋に仏教学徒たちにも支持され得る話しをしてきていると思いますけれどね。
あなたは自分が認めたくない事柄を私が神智学徒であることのせいにしたいわけです。
>>395 ウ〜〜〜ムw
できれば、もっと皆さんのご意見を伺いたいものです。
398 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/30(水) 23:59:22 ID:NEj20Qwc
>>396 訂正:
×日本仏教の歴史(伝来、約2500年)
○日本仏教の歴史(伝来、約1500年)
399 :
セブン:2009/09/30(水) 23:59:56 ID:keM6luyv
>>396 >「大乗仏教」として認められている社会常識であるとしていますが、その日本仏教の歴史(伝来、約2500年)
>を構築してきた大乗が実は“非仏説”であった、ということを近代の仏教学が 云々・・・
奈良さんのNHKブックスの本、アマゾンで買ったんだろ? 読んでないのか?
読んでないんだろうな・・w
読んでたら、そんな軽々しく大乗非仏説なんて言えないと思うんだが・・・w
|
|゚)
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|彡サッ
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>>388 > >原理主義、ゴータマ主義が絶対だと思っているために、つける薬がない。
> 私は原始経典の記述にそのまま総てに同意したことはありません。ただ全体と部分の細部にお
> ける文意をよく読み取るならば、一体、何が本質的な部分であり、何が方便であるか、また何が後代
> の附加部分の可能性が高いかもある程度は見えてくるといえると思うのです。
それが原理主義です。原理主義だからといって経典の全てに完全に同意しているとは限りません。
原理主義とは「教祖と教祖の(真の)思想」を絶対視することです。
イエスに帰れとか、釈尊に帰れ、といって現在の宗派を否定して、(彼らの言う)本来のイエスのおしえや
本来の釈迦のおしえを復興しようとする人達が原理主義者です。
> 原理主義者というのは経典、聖典の記述を神聖視し過ぎるあまり、文字通りにしか解さないというこ
> とです。また、神霊界の住人や象徴神格化された神々などもすべて“いる”のだと信じるような人にとっ
> ては、記述に登場する神々はすべて本当に顕れた話しとしてそのまま受け取ります。
それは根本主義者、ファンダメンタリストのことです。それも原理主義ではありますが、
それはどちらかというと狭義の原理主義になります。
貴方は梵天と話したことは寓話として読んだりするようですが、釈迦が空を飛ぶなどの超能力を示したことは
文字通りに解釈していたりもしていて、その辺はファンダメンタリスト的だといえると思います。
いずれにしても、このスレ的に最も大切なことのひとつは「大乗仏教は仏教である」ということです。
釈迦の教えに沿っていようと反していようと、大乗仏教が仏教であるということは
少なくとも現代の日本においては常識なのです。
これをまずご理解いただけなければ、先へは進めないでしょう。
唯識とかの内観は大乗になっても、釈迦の教えが劣化してないな
>>396 > あなたのいう社会常識なるものというのは、この大乗非仏説の話しそのものがまだ一般の人々には殆ど
> 知られていないということであり、そしてただ、信仰上の伝統として大乗の世界が今も変わらずそのまま継
> 続されているに過ぎないのです。
そうでもありません。釈迦の権威に頼ってのみ大乗仏教は成立していたわけではないのです。
釈迦の権威のようなものを利用してきた側面はありますが、大乗はその思想によって立っており、
釈迦がいなくなったとしても、釈迦が説いたのではなかったとしても、その思想的な価値というのは
少しも衰えることがないのです。
「釈迦が言ったから正しい」というのは本当に幼稚な考えです。
「夕日が赤い」というのは、釈迦がそういったから赤いのではありません。
釈迦がそう言おうと言うまいと夕日は赤いのです。
大乗仏教は既に釈迦を離れ、ある人々を修行に導き、またある人々を信仰に導いています。
その意味で大乗仏教は生きた宗教です。大乗非仏説を説くお坊さんは沢山いますが、
それによって信者が離れたという話はあまり聞きません。
多くのお寺の檀家の方々も騙されているわけでもないのです。
要するに、大乗が仏説でも非仏説でもあまり影響ないわけです。
403 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 00:18:22 ID:AaB/PRVj
>>374 >そもそも「自然との闘い」とかいう視点自体が、相当にヨーロッパ的な視点
>なんだよね。
西洋思想の「自然との闘い」も、東洋思想の「自然との順応」も、いずれも
「人間の生存」が目的である。
しかし、人間が「自然の一部」であり、「自然に100%依存しない限り生存
できない」という事実に思い至れば、後者の東洋思想のほうが、はるかに優れて
いるということ。
404 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 00:20:31 ID:h5oBeGeY
大乗仏教は原始仏教の生まれ変わり
本日NHKで「仏女」ブームが話題となっていた。
興福寺の阿修羅像のカッコよさに端を発して、
仏像を見たり、コピーを買ったり、座禅を組んだり、
写経をしたり・・・・。
一時の「歴史女」ブーム同様の一過性だろう。
まだ女のほうが感覚的で、食い付きは速い。
高野山を曹洞宗と紹介し続けて、最後にやっと真言宗と訂正するのには
ずっこけたが、NHKの実態はこんなものなんだろうw
>>366 そうですね、大日如来や阿弥陀仏も、国が変われば神であります
熊野本宮大社に祭られている日本名の神々も
インドから来た神の何々で、また仏教では何とか如来何とか菩薩でありますとの解説があります
知覚し接触されるには、その者の器と純度が、お眼鏡にかなっているかであります
宗派などは元々あまり重要でもありませんが
そもそもは絶大に神仏に縁が深く、まるでそこから生まれいでたかのごとき、因縁があるようです
頭にちぢを乗せて来ているわけです
子供の時分より環境に関係なく、それらしき発言をしているという事もあります
>>380 >>361で否定済。
>>403 > 西洋思想の「自然との闘い」も、東洋思想の「自然との順応」も、いずれも
> 「人間の生存」が目的である。
その発想が実にキリスト教的で、西洋的。
東洋は「人間の生存」といった人間中心の考え方や
生存するかどうかといった個や種を中心とした考え方をしない。
> しかし、人間が「自然の一部」であり、「自然に100%依存しない限り生存
> できない」という事実に思い至れば、後者の東洋思想のほうが、はるかに優れて
> いるということ。
人間が自然の一部であると認識する時、人間の生存が目的といった視野の狭さは
身を潜める。それが東洋。
生命、生命、生存、生存。何もかもを生命中心で考えるというのは
実にキリスト社会的であるといえよう。
408 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 00:38:37 ID:AaB/PRVj
>>365 >「渇愛」は超克されるべき無明縁起の中核なのだ。
大乗仏教では、その「渇愛」を「清浄な衆生心」とする。
すべての人間が有する「衆生心」を否定したら、それは「人間そのものの否定」
であり、明らかかに「法」に反する。
竜樹は、釈迦の「空」に「ヒント」は得たが、それを「原型を止めないほどに」
発展させている。彼は釈迦に一応挨拶はしたが、一在家氏が指摘したように、
そこには「釈迦を超えた」という彼の自負が窺われる。
その他についても、すでに前レスで回答したとおり。
409 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/01(木) 01:20:33 ID:DMmscnqL
>>399 ごめん!まだですw
しかし、基本はまず押さえていないとダメなのでは??
>>400 >貴方は梵天と話したことは寓話として読んだりするようですが、釈迦が空を飛ぶなどの超能力を示したことは
>文字通りに解釈していたりもしていて、その辺はファンダメンタリスト的だといえると思います。
神通は解脱における過程の通過点に過ぎません。神通があることを認めていながら、そんなものには
「興味なーい」などと豪語している人もいますが、重要なことは神通発揮に囚われて、そのことに溺れたり
自己の慢心を増すような話しではないのであって、正しいゴータマが教えて解脱の道程における成長過
程での意識のコントロールによって、現象界からの制約から解放され自在性を獲得していくという、これも
自己制御の教えの一つです。
在るがままに学ぶという姿勢が大切なのであって、「私は神通に溺れることはなーい」といって威張るも
のでもまたないのです。
以前の投稿を再掲しておきます。
----------------------------------------------------------
『サーリブッタよ、この五百の比丘たちのうち、六十人の比丘たちはすでに三明をえた者であり、六十人の
比丘たちはすでに六通をえた者であり、さらに六十人の比丘たちは 倶解脱をえた者であり、その他の者は
慧解脱をえた者である。』(サンユッタ・ニカーヤ8-6)
410 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/01(木) 01:21:26 ID:DMmscnqL
これは以前のコピペですが、《「三明」(宿命智・天眼智・漏尽智)を得た者、「六通」(神足通・他心通・天耳
通を加えた六神通の幾つか)を得た者、「戒・定・慧」の三学修行における「倶解脱」を得た者、「慧解脱」を
得た者とあり、これはつまり、修行の段階に応じた達成のことを示しているのです。500人の比丘の内、120
人が何らかの神通力を有してい たことになります。》
ということで、「戒」によって心身が調整され、呼吸と精神を鎮めて「定」に入って統一し、「慧」(八正道の正
見、正思惟、正精進)で仏教の智慧が身につくようになるということは、即ち、自己意識の制御(コントロール)
が完成したというこであり、その結果として「倶解脱/慧解脱」を得た者だといっている。これは阿羅漢という
ことになるので、必然的に阿羅漢の能力としての六神通は当然のものとして説かれます。精神のコントロー
ルによって神通力が発揮できるようになることについては仏典の随所で説かれています。
『また、比丘は心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、さまざまな超能力(神通)に心を傾け、心を向け
ます。比丘は、さまざまな超能力を体験します。すなわち、一から多になり、また多から一になります。あるい
は姿を現したり隠したり、塀や城壁や山の向こう側へ障害もなく、まるで空中を行くように通り抜け、あるいは
あたかも水中でするように大地にも潜ったり浮かび出たり、また、地上を行くように、水の上も(水面を)割る
ことなく歩み、また、羽のある鳥のように空中も足を組んで飛び歩き、また、かくも偉大な力を持ち、かくも輝
かしい威光を備えた月と太陽に手で触ったり撫でたりし、果ては(人が到達すべき最高の世界である)梵天
の世界にさえ、肉体を持ったままで到達します。』(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)
ただ残念ながら、そのメカニズムについてまでは、仏典には詳細な解説はないように思います(私の知る
狭き範囲では)。もし、そこまであなたが求められるのならば、各種ヨーガ経典に拠る以外ないのではない
でしょうか?
411 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/01(木) 01:22:27 ID:DMmscnqL
ダンマパダ282,372でも、「心が統一され」(Yoga)と述べられているように、仏教の瞑想は古代ヨーガに起
源があると見るべきです。『ヨーガ・スートラ』の成立には仏教徒が関わっていた可能性もあると見なされる
ほどで、初期仏教(原始仏教)の影響から瑜伽行唯識派の発展のキッカケすらもヨーガ・スートラには見る
ことができるともいわれています。
人体(正確には肉体ではありませんが)には7つのチャクラというエネルギーセンターが在る。このチャクラ
の活性化が神通力の発揮に密接に関係するのですが、これらのチャクラは意識の使い方、つまり意識の浄
化と制御のあり方によって目覚めるのです。ただ、神通力目的のチャクラ開発、つまり、それを意図するだけ
の行法は大変な危険性と破壊を伴うから、あまり関心を挽き付けるようなことは憂慮されるのです。
ヨーガ経典からは、チャクラとナディー(気道)、イダー管とピンガラ管とスシュムナー気道、シャクティーとク
ンダリニー(サーペント・パワー)、5気(プラーナ、サマーナ、アパーナ、ウダーナ、ヴィアーナ)のコントロール
についてなどの知識を得ます。
---------------------------------------------------------------
>>400 >原理主義とは「教祖と教祖の(真の)思想」を絶対視することです。
>>402 >「釈迦が言ったから正しい」というのは本当に幼稚な考えです。
>「夕日が赤い」というのは、釈迦がそういったから赤いのではありません。
>釈迦がそう言おうと言うまいと夕日は赤いのです。
では何故、ゴータマの教えがそれほど大切であるのか?それは史実として確認できる、唯一にして解脱を
遂げた本物の仏陀存在だからです。
これが認められない人は、仏教を信奉する必要はないと思います(現状の大乗でいいという人は好きにすれ
ばいいのです。議論する気も私にはない。その人の意志は尊重されるべきなので、どうぞ好きにして下さいな)。
412 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/01(木) 01:26:17 ID:DMmscnqL
解脱成仏の教えとその方法というものは、それを実現した当人だけにしか語ることができないのです。そ
れ以外の人(仏陀ではない人)からの話しというのは、如何なる高度な理論体系であろうとも、それはあくま
でも単なる思想であり、推測理論にしか過ぎないからです。それによっては解脱成仏ができる保証がない。
要するに体験に基かない話しだからです。
このゴータマの教え、つまり仏陀の教えを「仏教」といい、また仏陀に成るための方法が「仏法」と呼ばれる
ものです。これが編纂されて経典として文字に纏められたものが原始経典群なのです。大乗経典はその後
に別の異なる経緯で、各々銘々の理論展開が書かれたものです。それは大衆受けすることを最大の狙いと
して発展したものであり、本来のゴータマから大きく離れたものとなりました。
>要するに、大乗が仏説でも非仏説でもあまり影響ないわけです。
信仰は自由です。そういう人は好きにすればいいのです。
413 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/01(木) 01:51:07 ID:DMmscnqL
>>281 >> 公開の場(ウェブサイト)で主張されているものです。
>> あなたの感覚で決めないで欲しい。これがただの個人的な教義批判???
>
>そう思いますよ。浄土真宗のある教区の一部の人がそういう発信をしたというだけでしかないです。
>宗派としての意見を代表するものではないですよ。貴方が引用した住所をよく読んでください。
>本願寺とさえ書いてないですね。
???これの一体、どこが個人的な一部なのです?
「東海教区仏教青年連盟
本願寺名古屋別院内 東海教区教務所」
>>269 とあるわけです。少なくとも、
これは、浄土真宗内には“グループ組織”として輪廻批判を説く勢力が“ハッキリある”ということです。
414 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 01:53:59 ID:AaB/PRVj
>>407 >実にキリスト社会的であるといえよう。
イエスは、生命など、どこでも説いていない。それどころか、「永遠の生命」
など、「架空の生命」さえ説いている。「俺を信じない者は、死ね」とさえ言
っている。(「一粒の麦 」の話。ヨハネ12:24、12:25)。一粒の麦
は、「生きていてこそ」多くの実を結ぶことに、思い至っていない。
また、「自灯明・法灯明」などを説いた宗教の開祖は、釈迦以外には、イエスを
初め誰一人としていない。イエスは、「俺を信じない者は、裁かれる。家族を
捨てても俺を信じよ」などと言っている。大乗仏教は、釈迦のこの遺言の見事
な実行と比類の無い偉大さを、如実に証明するものである。
>>411 なにやら神通力が真実であることを必死に訴えようとしているみたいですが、
仏教における神通力は当初は漏尽通だけであり、それが三明、そして六神通に拡大追加されていった
という研究があります。(以前、それに近いものが前シリーズかその前のシリーズで指摘されていました)
釈迦が空を飛んだなどというのは絵空事だと思う人がマァ大半でしょう。
オカルト信者だけが信じていればいいと思います。
> では何故、ゴータマの教えがそれほど大切であるのか?それは史実として確認できる、唯一にして解脱を
> 遂げた本物の仏陀存在だからです。
まーその辺はいろいろ意見があって、釈迦の弟子達の多くは涅槃に至っており、彼らは皆「ブッダ」であったとも言われます。
その意味では釈迦が唯一ではないわけです。
> これが認められない人は、仏教を信奉する必要はないと思います(現状の大乗でいいという人は好きにすれ
> ばいいのです。議論する気も私にはない。その人の意志は尊重されるべきなので、どうぞ好きにして下さいな)。
まぁ、そういう意味では、先の「皆ブッダ」と言った中村元とかそういう先生方も
「仏教を信奉する必要はない」と言われちゃうかもしれませんが、外道風情に言われても何の痛痒も感じないでしょう。
>>412 > 解脱成仏の教えとその方法というものは、それを実現した当人だけにしか語ることができないのです。
話は少しずれますが、その割には貴方は随分と偉そうに書いてきたとは思いませんか?
> このゴータマの教え、つまり仏陀の教えを「仏教」といい、また仏陀に成るための方法が「仏法」と呼ばれる
> ものです。これが編纂されて経典として文字に纏められたものが原始経典群なのです。大乗経典はその後
> に別の異なる経緯で、各々銘々の理論展開が書かれたものです。それは大衆受けすることを最大の狙いと
> して発展したものであり、本来のゴータマから大きく離れたものとなりました。
人の話を聞きましょう。本来のゴータマから大きく離れた、というのは一面的な見方にすぎない、ということを
ご指摘申し上げたはずです。反論も意見もないまま、自説を繰り返すだけなら、スレに書く必要はないのでは
ありませんか? お好きなだけ自説を印刷してバラマケばよろしいです。
私は街頭の宣伝カーみたいなものに向かって投稿するつもりはないのですが。
> >要するに、大乗が仏説でも非仏説でもあまり影響ないわけです。
> 信仰は自由です。そういう人は好きにすればいいのです。
そういう人というのは、日本の結構な数の仏教徒たちです。その人たちは実際に好きにしていますよ。
貴方が日本の常識についてこれていないだけのようです。
「好きにすればいい」と切り離して無視したくなるお気持ちも分りますが、
勇気をもって現実を受け止めましょう。お辛いかもしれませんが。
> これは、浄土真宗内には“グループ組織”として輪廻批判を説く勢力が“ハッキリある”ということです。
グループ組織として機能するほどのものかどうかは知りませんが、そういう人たちもいるんだなぁとは思います。
だからどうだという気はしますが。別に全体には全く影響していませんからねぇ。
いずれにしてもこんなものに振り回されて、宗派全体をそういう色眼鏡で見てしまうというのは
随分、視野が狭いというか、短絡的というか、そういう感じしかしませんねぇ。
たぶん貴方にとっては親○会とかも浄土真宗なんだろうし、創○学会も日蓮宗なんでしょうねぇ。
>>414 > イエスは、生命など、どこでも説いていない。それどころか、「永遠の生命」
> など、「架空の生命」さえ説いている。「俺を信じない者は、死ね」とさえ言
> っている。(「一粒の麦 」の話。ヨハネ12:24、12:25)。一粒の麦
> は、「生きていてこそ」多くの実を結ぶことに、思い至っていない。
なんか勘違いしてるみたいですから、一粒の麦についてはキリスト教のスレで質問してみると
いいかもしれないですよ。まぁキリスト教なんてどうでもいいんですが。
> また、「自灯明・法灯明」などを説いた宗教の開祖は、釈迦以外には、イエスを
> 初め誰一人としていない。
なんか自分の都合に合わせて、釈迦を持ち上げたりバカにしたり忙しいですねぇ。
そんなことやってるうちは「自己満足」から出られないと思います。
それはさておき、あなたの生命に対する意見は、キリスト教とロジックの形が同じですよ。
「生命」を「神」と置き換えれば、キリスト教と同じ。
それは以前から指摘されていることです。まさに劣化コピー。
そういう意味で、キリスト教とほんとに同じで、全然東洋的じゃないなぁと思います。
発想が違うんですよ。発想が。日本的だったり東洋的だったりする人はそういう発想しないですから。
貴方は精神的にはキリスト教文化圏の人だと思いますね。
>>396 救済云々について返事を書こうとも思ったのですが、
貴方は以前として「本来の仏教」という原理主義的な考え方を絶対視することを
やめられないでいるので、まだ話せる段階にないのです。
あと何でかしりませんが、一部の意見に囚われて浄土真宗に対する偏見ができてしまっているようなので、
どうも話が通じないんじゃないかと思います。
まぁ結論からいえば、浄土真宗の教義は内容的にはアートマンとブラフマンを認めており、
低我である自分が真我である阿弥陀如来に目覚めていくプロセスを説いたものであって、
神智学の教義に相当一致するものです。
最近の宗派の一部の人を否定するのみならず、教義としても浄土真宗を否定する人
は神智学も信奉しなければいいのです。
気にいらないものを無理に信奉する必要はないのですから。実に簡単な話ですね。
419 :
析空:2009/10/01(木) 06:53:42 ID:H8D9BW9n
>>418 大乗非仏説を主張すると、【原理主義】的だという批判が返ってきますが。
宝珠さんは【原理主義】では無いと思います。(釈尊がこう言ったから正しいという考えは無い)
【原理主義】なのではなく、元々の仏教(実在した釈尊の教え)は何を説いたかという
【正しい認識】を求めているだけだと思います。
【原理主義】という決めつけから離れて、宝珠さんの主張を捉えてみてはいかがですか?
420 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 08:49:21 ID:7VZJ7gG7
大乗非仏説というのは大乗経典が釈迦の説法ではなく誰かによって勝手に
創作された経典だということでしょう。今は仏教学ではそれは正しい説で
あるというのが常識でしょう。また阿含経典もそのうちのどれがほんとに
釈迦の説法に基づくものかを判定できないということも常識でしょう。
だからだから非仏説かどうかは問題ではなく、それらが非仏説とするなら
なぜそれらを「仏教」とひとくくりにできるのかのほうが問題でしょう。
仏教とはいわれる必要十分条件は何かの問題です。
仏教原理主義などと言って仏教固有の何らかの教義があるように思っている
人もいるようだが本当に教義によって仏教と識別できるのだろうか?
もともとの仏教の教義なんてジャイナ教とほとんど区別がつかないようだが、
ジャイナ教と仏教を区別するのは教義の違いではないだろ。
そもそも「仏説」とはなにかが問題なのに、
大乗非仏説もへちまもなかろうw
小乗非仏説とも(龍樹から言わせれば)言えるわけだ。
そもそも「金口の説法」は確定できないというのが通説?なのだから、
バラモン=ヒンドゥ側からの視点(ジャイナ>仏教>唯物論←ヒンドゥにとって極悪順)で
ブッダの教えを逆構築してゆくのも手法だろう。
このような視点からすれば業報輪廻転生や梵我一如論容認傾向は到底認めがたい。
ヒンドゥにとってジャイナよりマシな教説になるからだ。
大乗にもみられる上記傾向は「非仏説」と叩かれても当然だろう。
やはり無常=無我=縁起=空の実質的徹底がブッダの教えに叶うものと考える。
>>420 大きな違いはジャイナはアートマンを認めるが、ヴェーダは否認する点だ。
ヒンドゥにとって仏教がジャイナより悪質なのは、アートマンさえ認めないからだ。
やはりブッダの教えは無常=無我=縁起=空=中道の徹底以外に無い。
423 :
前世は一在家:2009/10/01(木) 09:31:49 ID:xmv3W/8r
>>386 セブン氏
>≪【初期仏教からの発展が捩じれてしまった】【変遷の歴史、そのそれぞれの因・縁を】批判したいのか≫
私のスタンスは終始これに近いです。批判というよりも真因(縁)の解明です。
>>406 >そうですね、大日如来や阿弥陀仏も、国が変われば神であります
本スレでも貴兄のような方がいてほっとします。
アーナンダ長老が監修した(片山説)長部経典で度々登場する梵天や大梵天は
人には菩薩や如来と区別がつかず、異教では「神」と呼ばれていることと推察
します。
釈迦如来も前世の後に梵天界で住んでいたので、梵天との共生の仕方を詳しく
説かれてましたよ。長部経典のどの経典に記載だったかは過去ログで掲載済み。
424 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 10:16:53 ID:zCgaBtpN
>>420-422 仏教は縁起・空・無我でしょ。それなら、大乗非仏説などありえない。
なぜなら、外界も知覚も実在ではなく縁起するだけだから。
つまり、現れも知覚も業によって様々に変わるということ。
凡夫以外に諸仏が教えを説かれた内容が、凡夫以外に伝承され、
聖者がこの凡夫の世界にその伝承をもたらしたということに何の問題があろうか?
あるとすれば実在論に立って外界が確固たる存在だと思うからである。
それが仏教でないことは縁起・空・無我から明かである。
425 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 10:43:08 ID:TDPsrth6
>>417 >なんか勘違いしてるみたいですから、一粒の麦についてはキリスト教のスレ
>で質問してみるといいかもしれないですよ
すでにイエスで狂わされているキリスト教徒に「一粒の麦」について質問しても、
返ってくる答えは決まっているだろう。そんなことをいう貴方が、キリスト教
は決して「どうでもよくはない」ことの証拠。
>そういう意味で、キリスト教とほんとに同じで、全然東洋的じゃないなぁと
>思います。
「あるがままの人間と自然」を絶対に認めないのがイエス(パウロ)の思想。
その意味で、原始仏教は、儒教などの東洋思想とは対極的で、実はキリスト教
に近いことを自覚されたし。開祖の絶対化、偶像化、神格化という点でも同じ。
そもそも、原始仏教が由来するバラモン、ヒンドゥー教は、「実質上の一神教」
であることを忘れてはならない。キリスト教との親和性は高い。
426 :
析空:2009/10/01(木) 10:44:50 ID:H8D9BW9n
>>424 「縁起を理解すれば大乗非仏説はありえない」という理解不能なご意見ですね。
そもそも縁起は「これあればかれあり、これなければかれなし」という関係性の
原理であって、大乗が「仏説か非仏説か」という事実判断とは何の関係もない。
「法華経を釈尊が説いた」という話しは縁起に関係なく、間違いであるといえる。
仏教と矛盾することさえ書いてさえいなければ
仏教系の新宗教が、その経典を仏説と言っても問題ないということでしょうか。
428 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 10:53:08 ID:zquYXqjs
釈迦は文字として残すことを否定しているから
小乗も大乗も人によって書かれたものですな
そう言った意味で言えば大も小も非仏となるんじゃないのか
聖書でも1〜4世紀の間にに書かれてきたものですな
>釈迦は文字として残すことを否定しているから
これは何に書いてあるんですか?
430 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:04:39 ID:TDPsrth6
>>423 >>そうですね、大日如来や阿弥陀仏も、国が変われば神であります
全くの誤解か故意の歪曲。大日如来も曼荼羅も「現実界(宇宙生命)」
の象徴。キリスト教の「人間と自然とから隔絶した神」とは本質的に
異なる。キリスト教が理趣経を聊かでも認めるかね。勝手にキリスト教
に近づけてはならない。
阿弥陀仏はキリスト教の神に近い。浄土真宗は、本来の佛教ではない。
まんま、キリスト教である。
>>426 「釈尊が直接説いた経」など、どこにもないよw。
431 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/01(木) 11:16:00 ID:xmv3W/8r
>>430 >全くの誤解か故意の歪曲。大日如来も曼荼羅も「現実界(宇宙生命)」
>の象徴。キリスト教の「人間と自然とから隔絶した神」とは本質的に
>異なる。
貴兄は少なくともソウカでは無いようですね。
最初の頃の日蓮は天照大神や八幡大神を宇宙とか自然とかと一緒には
してなかったことが日蓮大聖人御遺文集(真筆)からも分るからです。
432 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:18:22 ID:TDPsrth6
>>426 >そもそも縁起は「これあればかれあり、これなければかれなし」という関係性の
>原理であって
その命題の論理的誤りは、竜樹も指摘している。その命題では、単なる
因果関係に過ぎない。「これ」と「あれ」とが実体では、「空」は成立
しない。竜樹が解明した「空の思想(相互依存性・相対性)」を信奉する
のが、すべての大乗仏教である。
433 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/01(木) 11:19:45 ID:xmv3W/8r
>>430 >「釈尊が直接説いた経」など、どこにもないよw。
そうですね。
その代わり、カーサッパ長老、アーナンダ長老が編纂した原始仏典
はありますね。
その中の長部経典はアーナンダ長老が監修とのこと。
出典:「パーリ仏典入門」片山一良著
434 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:27:49 ID:TDPsrth6
>>431 創価は、君の大好きな「霊」など認めないしw、「生命・人間中心主義」
を標榜しているから、キリスト教とは本質的に異なる。
435 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:35:09 ID:TDPsrth6
>>431 神道の「神々」とキリスト教の「唯一人格神」とが似て非なるもので
あることについては、本居宣長の「かみの定義」を熟読されたし。
436 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:43:51 ID:zCgaBtpN
>>426 それは単に君の縁起理解な実在論的で浅薄だからだろう。
>そもそも縁起は「これあればかれあり、これなければかれなし」という関係性の
>原理であって、大乗が「仏説か非仏説か」という事実判断とは何の関係もない。
「これあればかれあり、これなければかれなし」という此縁性が縁起だということに異論はないが。
「これ」や「あれ」という認識が縁起によって本質・我を欠いた「これ」や「あれ」が、諸業によって「これ」や「あれ」と認識されるだけなんであって、
「これ」や「あれ」という本質や実体が、自立的にそこにあるその関係性を縁起というわけではない。
これが分かれば。<大乗が「仏説か非仏説か」という事実判断>と大いに関係することが分かるだろう。
>「法華経を釈尊が説いた」という話しは縁起に関係なく、間違いであるといえる。
どういう根拠でそう言えるのだろうか? 縁起・空に立てば、実在的な唯一無二の事実からなる歴史などありえないことが分かると思うが?
例えば、君はテーラワーダなら、輪廻は認めるだろう。
輪廻の生物にとって、現れは様々なことも認められるだろう。
例えば、眼の前の水が人間には水だが、天神には甘露、餓鬼には血膿、地獄の有情には溶銅など、魚には空気のように感じられることは認められるだろうか?
それが認められないなら仏教徒ではない。
認められるなら、唯一無二の事実からなる歴史などありえないことが分かるだろう。
それゆえ、テルマのような大乗経典は仏教徒にとってなんら問題とならないというのが合理的である。
437 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:44:20 ID:TDPsrth6
「人間と自然とから隔絶した神や霊の実在」を植えつけるのが、宗教の
最大の弊害。人間が狂ってしまう。キリスト教の弊害が、その典型。
「人間が考えても無意味な、神や霊、前世・来世など考えるな」と戒めた
ことが、釈迦の比類の無い偉大さである。その戒めのお陰で、キリスト教
とは全く異なり、佛教は2500年間、ほとんど人を殺すことがなかった
のである。
438 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/01(木) 11:46:09 ID:xmv3W/8r
>その中の長部経典はアーナンダ長老が監修とのこと。
>出典:「パーリ仏典入門」片山一良著
更に重要なことは、釈尊や弟子達が使っていたのはパーリ語。
皆サンスクリット語だと勘違い?
漢訳した時にかなりカットされたことが、ディーガニカーヤと長阿含との
読み比べで分ります。
中国の坊さん達にしてやられましたか。
439 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:47:41 ID:zCgaBtpN
>>427 そんなことは言いません。仏教の聖者たちが認めるかどうかで決まります。
もちろん、テーラワーダが認めないのは分かりますが。
それはテーラワーダが認めないだけに過ぎません。
シナ、日本、チベットなどでテルマが認められてきた、あるいは認めない人たちがいることから類推すれば
簡単にインドでも同じようなことがあったと分かるでしょう。
そして、そのテルマなどで沢山悟っている聖者が出ているということが、
重要な証拠となるでしょう。
440 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:50:31 ID:TDPsrth6
>>407 >生命、生命、生存、生存。何もかもを生命中心で考えるというのは
>実にキリスト社会的であるといえよう。
「すべての生きとし生けるもの」に対する慈悲は、佛教の教えではないのかねw。
まさに「生命中心」ではないか。
「生命に対する畏敬」が「皆無」なのが、キリスト教である。
441 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:51:49 ID:zCgaBtpN
>>432 それはただの君の誤読だよ。
龍樹菩薩を始め、大乗のあらゆる聖者で此縁性を認めないものはいないと思う。
少なくとも、龍樹、仏護、清弁、月称、寂護など中観でも、
世親、法称などの唯識派でも最重要視される。
442 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 11:56:20 ID:zCgaBtpN
>>438 またシッタカすんなよ。何度言ったらわかるんだか。
パーリ・ニカーヤが漢訳されたんじゃない。
サンスクリット系のアーガマが漢訳されたんだよ。
そもそもインドでアーガマを伝承する部派が異なってるんで、
パーリ・ニカーヤと漢訳には異同がある。
そこら辺は、現存するサンスクリット・アーガマの断片からも、
漢訳の伝承からも明か。
443 :
セブン:2009/10/01(木) 11:56:37 ID:PwQT1hRx
>>419 あのな・・w 判り易く言えば、
原理主義ってのは、亜種を認めない立場のことだよ。
そして、その不寛容さに、厳格さや(仮に共存可能であってもその途を採らない)排他的傾向を持つんだよ。
その意味で、宝珠の姿勢は原理主義そのものだという指摘だろ?
どこかのどなたかさんも、
認識論的原理主義(?w)のキライがあるが・・・w
>>440 糞隠居へ
あんたの「生命」とやらは、迷妄無明生命で居直り中w
出口が無い。生存苦のまま。
現に今のあんたが我執しまくりではないか。
こんなとこに執着しなくとも、反宗教スレを自分で立ち上げたら?
もっとも、誰も来ないだろうが。
445 :
セブン:2009/10/01(木) 12:25:19 ID:PwQT1hRx
「伝承」の系統樹は釈尊一人へ遡ってゆけるが、(実際は不可能だがw)、
「仏典」の系統樹は分岐の途中で止まらざるを得ない、各枝の根元までしか辿れない。
なぜか。
「仏典」は、枝が幾つもに分岐した後に成立しているからだ。
お解り?w
>>438 また、厳密に言えば、「パーリ語での伝承」も初期までは遡れない。
釈尊在世時の俗語の進化形・発展形が聖典語として使用決定された。
(パーリ語の正式採用(整備)はスリランカ伝播以降。)
寧ろ、ジャイナ教のアルダマーガディーの方が、より当時の言葉に近いかも?
(違ったかな?w)
446 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/01(木) 12:29:43 ID:xmv3W/8r
>>445 セブン氏
.また、厳密に言えば、「パーリ語での伝承」も初期までは遡れない。
釈尊在世時の俗語の進化形・発展形が聖典語として使用決定された。
(パーリ語の正式採用(整備)はスリランカ伝播以降。)
了解しました。解説を有難うございます。
447 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 12:34:27 ID:zkc0fHa0
>>444 君の汚い言葉は、正に(執着)の表れ
見苦しいょw(笑
コピペ援護だけはやめてくださいね。
449 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 13:16:27 ID:7VZJ7gG7
>>435 仏教やヒンドゥー教の神々と神道の八百万の神はおなじ概念だろうね。
間違っても創造神ではない。自然の機能が神々と表現されただけなのが
八百万の神だろう。
450 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 13:24:23 ID:zCgaBtpN
>>443 セブンがいねえと、はなしならねぇや。
縁起バカ一代という吉祥な名前をカラスからちょうでぇしあした。
451 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 13:56:56 ID:XJF8oKx2
神智学の言うように超自然的なマハートマー(マスター)たちが実在するとすれば
時代を超えて伝承を伝え、また判断する覚者たちがいてもおかしくない。
超常的な能力、知覚をも否定する唯物論を導入しないと大乗非仏論は持ってこれないのでは。
>>425 > 返ってくる答えは決まっているだろう。そんなことをいう貴方が、キリスト教
> は決して「どうでもよくはない」ことの証拠。
いやいや、別にいいんですよ。答えが分ってるなら好きにすれば。
私は文献学的に整合性のある解釈でないと、おや?と思うだけで
イエスを信じるかどうかなどどうでもいいわけです。パズルみたいなものですね。
ピースが変な形になってると気になるわけです。
だからといってその図柄が好きなワケでもない。
> >そういう意味で、キリスト教とほんとに同じで、全然東洋的じゃないなぁと
> >思います。
> 「あるがままの人間と自然」を絶対に認めないのがイエス(パウロ)の思想。
> その意味で、原始仏教は、儒教などの東洋思想とは対極的で、実はキリスト教
> に近いことを自覚されたし。
何いってるのかなぁ。儒教道徳こそ「あれはダメ、これはダメ」「人はこう生きるべきだ」
「孝行とは」「仁義とは」と、あるがままの人間というより礼儀作法ばっかりじゃないですか。
「渇しても盗泉の水を飲まず」が孔子の言葉ですよ。
どの辺が対極なんですかぁ? 無知にもほどがあるというか。失笑(ぷ)という感じです。
洋の東西を問わず、己の欲望を節制せず、やりたい放題で修行もせず、
現状で悟っているなどとって犯罪をど肯定するような宗教は、
結局社会全体には受入れられたことがないのではないでしょうか。
453 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 14:42:04 ID:1dH0DnZg
>>444 >生存苦
王子様として贅沢三昧に暮らし、自分勝手に家族を捨てて家出した釈迦に、
「生存苦」などと言われてもw。
彼には、本当の生存苦など全く理解できず、単なる「わがまま」とその鬱病
の症状に過ぎなかったことを、早く理解する必要がある。
原始仏教の「一切皆苦」「四諦」「悟り」「解脱」「涅槃」など、現代の健常
人には、了解不能で無意味・無価値。
釈迦の時代でさえも、一切衆生は、釈迦よりも悟っていたのである。六師外道
のほうが、釈迦よりも健全な思想家であった。六師外道にとっては、釈迦こそ、
とんでもないカルト、外道であったのである。釈迦に従って多くの者が出家した
ため、家庭には不幸をもたらしたし、弟子を、釈迦の新興カルトに奪われて、
血を吐いた六師外道もいる。
釈迦の「心の病」と「誤り」を是正し、佛教に普遍的価値を与えたのは、
ひとえに、多くの健常者の、人間性の本質に迫る思索と努力の結実としての大
乗佛教である。
従って、小乗仏教は無視すべきもの。小乗は、同じくイエスの狂気から発生した
キリスト教との親和性がある。
>>419 元々の仏教、つまり原始仏教が何を説いたか、というのは前のシリーズまでで終っているので、
今はそのことを中心的に扱う必要はないと思います。
今回は大乗仏教の意義を探ることにスレのメインがあって、テーマが移行しています。
「正しい認識」には、「原始仏教にとって正しい認識」と「大乗仏教にとって正しい認識」とがありますが、
宝珠氏は、「原始仏教にとって正しい認識」のみが「正しい認識」であって、それ以外に仏教として「正しい認識」などは
存在しないという立場です。つまり「大乗仏教にとって正しい認識」という概念自体が彼には存在していないように見えます。
要するに、大乗仏教にとって正しい認識とは何か?というこのスレ的テーマにはついてこれないわけです。
いつまでも今までの2つのシリーズの延長でしか考えることができないでいるわけですね。
「自分にとって正しい認識」というのはまた別にありますが、宝珠氏の場合はその辺が多少ぐちゃぐちゃで、
自分にとって正しい認識=ゴータマの真意、ということになっているために「彼の中でのゴータマの真意」が
結局のところ「神智学」と同一化しているかもしくは無矛盾になっています。そのために「宝珠氏の中でのゴータマの真意」
と、原始仏教から推察される「ゴータマの真意」が齟齬を生む結果になり、前シリーズでの長い不毛な議論が続いたわけです。
>>453 > 原始仏教の「一切皆苦」「四諦」「悟り」「解脱」「涅槃」など、現代の健常
> 人には、了解不能で無意味・無価値。
自分に理解できない限り、豚に真珠、猫に小判だというのは確かです。
その意味では了解不能で無意味・無価値だと思います。
ただ、それは自分の能力が足りてないだけ、要するに「バカだから分らない」ということで
あるとも考えられますね。
自分に理解できるもの=健常、自分に理解できないもの=精神障害
という分類は、むしろ健常ではないでしょう。
そもそも犯罪肯定論者である時点でご隠居は異常者ですから、異常者が判断する健常というのは
つまり異常である可能性が高いということになります。
456 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 14:57:26 ID:zCgaBtpN
>>455 誤淫嘘がエゴイステックで幼稚無知な童貞オタクである蓋然性の高さは本人以外のこのシリーズの常連さんには了解されていることでしょう。
この点ではみな一致してるんじゃないかな。
457 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 15:01:45 ID:1dH0DnZg
>>455 鬱病患者である釈迦の心理が理解できるのは、同じく鬱病患者か、釈迦
の鬱病の感染者だけ。
「豚に真珠」などと、人間を「豚」扱いしたイエスこそ、「豚」だった
ことは明らかであろう。イエスを直接によく知る家族、郷里の人々、ユダヤ
教徒たちは、彼を基地外と判断していたことは、聖書が証言している。
万人に宿る「衆生心(真如、法性、仏性)」を信じる者は、犯罪など
犯しえない。犯罪を犯すのは、それを「信じない」者たちである。
458 :
神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 15:12:00 ID:sxPf/iz7
手持ちストックのコピペ文をただ三段重ねにしたようなレスですね。
459 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/02(金) 12:16:54 ID:Iie9MuRO
>>457 釈尊が鬱病患者とか・・・
聖書(キリスト教)とかは、全く興味がない。
拙者が一番に関心があるのは、スレタイにある
「大乗仏教が誕生・発生した理由」。
非常に単純なんだけど、釈尊は“中道を悟った”ということだけに
一種の感動がある。
これを機軸として、原始仏教とか大乗を考察してみると、
スレタイのテーマに繋がってくる。
まあ、仏教に関心が向くのは人それぞれかもしれんけど、
拙者的には中道以外は全く関心はない。
属性は問題にならない。
ブッダというのは、なんにおいてブッダ足り得るか?
それは中道においてである。
普通の凡人には、中道なんて悟れないだろうし、
その先駆的人物である釈尊は偉大である。
ただ、それのみ語ちてれば良いではないか。
長文レスでサバを落とさないでくれ
迷惑している
461 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 12:34:36 ID:1JrU4+hN
462 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 12:59:38 ID:34ytg+i7
大乗仏教の発生について、特に疑問なのは偽経典ができた経緯。
嘘をついてはいけないという戒は、
出家・在家・上座部・大乗を問わず共通のはず。
仮にも仏教を名乗るなら、明らかに創作のものを
お釈迦様が説いたというのは、すげぇ根性ですよね。
伝聞による誤差や翻訳間違いとかの範囲は別として。
463 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 13:27:22 ID:iO3oeeb0
伝聞による誤差や翻訳間違いの範囲かどうかを
当時の人々は判断できる状況だったのか。
口伝文化ならなおさら難しい。
464 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 13:30:58 ID:Qh/Cpgt4
>>462 だからこそ、創作ではありえない。テルマなんだよ。
そんなこと、シナ、日本、チベットの縁起から分かるし、
インドでも同じこと。
実在史観で考えるから分からないだけ。
全然繋がらんかった、
俺の日頃の行いが悪いせいなのか?
466 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 13:40:18 ID:iO3oeeb0
トーラーをモーセが書いたと言い始めた人も「嘘をついていた」わけではないだろう。
>>457 > 鬱病患者である釈迦の心理が理解できるのは、同じく鬱病患者か、釈迦
> の鬱病の感染者だけ。
鬱病は感染しない。
468 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 15:16:25 ID:Qh/Cpgt4
>>467 そこに突っ込まなくても。ほとんど思いつきのデタラメなんだから。
469 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 15:25:08 ID:vcq1szjU
テルマとは埋蔵経典↓ということですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E5%85%B8 チベットの四大宗派のひとつニンマ派では、ある時期に埋蔵された経典(テルマ gter-ma)が、
時を経て、しかるべき定めを帯びたテルトン(埋蔵経典発掘者)によって発見されたとする経、論を多数有し、
同派の特徴となっている。
テルマ(埋蔵経典)の出現は、中世以来、現代に至るまで継続しており、
他の宗派からは、発掘者による創作だと見なされることが多い。
この派は上記の諸版とは内容、構成のことなる独自の大蔵経を有している。
>>462 やっかいなのは則天武后の「慈雲経」みたいに悪意で創作された
大乗経典もあることだね(奈良仏教はこの人のマネ)昔は信教の自由が
今ほどない 政権が変わると国教も変わる これを追求していくと全て
の謎がストンと落ちる
471 :
て:2009/10/02(金) 15:50:55 ID:7uxjTM1G
日蓮大聖人を末法の本仏と認めない日蓮宗が
何故「日蓮」の名を冠しているんだ?
472 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 15:55:01 ID:Qh/Cpgt4
>>469 大筋ではそう。しかし、この記述は誤認が多い。
>チベットの四大宗派のひとつニンマ派では、ある時期に埋蔵された経典(テルマ gter-ma)が、
>時を経て、しかるべき定めを帯びたテルトン(埋蔵経典発掘者)によって発見されたとする経、論を多数有し、
>同派の特徴となっている。
確かにニンマが最もテルトゥンが多いことは事実ですが、カギュ、ゲルク、サキャともにテルトゥンがいる。
>テルマ(埋蔵経典)の出現は、中世以来、現代に至るまで継続しており、
>他の宗派からは、発掘者による創作だと見なされることが多い。
ゲルクの実在論に基づく推論家が上のように言うだけで、
テルマを認めない聖者はいないと思われる。
ちなみに有名なダライラマ五世もカルマパ三世もテルトゥンです。
473 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 15:56:43 ID:Qh/Cpgt4
>>470 そういう経典は成就者、解脱者を出さないので直ぐ偽経と判定される。
もちろん、テルマも認定作業がある。
474 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 16:06:21 ID:aEEJusZb
>>467 >>468 精神医学の標準的な教科書で、「感応精神病(induziertes Irresein)」「二人
組精神病(folie a deux)」の項目を調べられたし。最近の文献としては、
「集団の精神病理」(2008年10月24日 新興医学出版社発行)がある。
多数の症例が掲げられている。発端者(精神病患者、感応者)に接する継発者
(被感応者)に、発端者の精神病(の症状)が感染することによる精神病をい
う。被害妄想や宗教関係が、特に多い。
200 :ファルコン ◆7XmPtxANMU :2007/06/12(火) 01:52:21 ID:mDi+uu42
【ファルコン告発による大川隆法の女性問題】
・大川は現広報局長の山田美星が職員饗庭との結婚を望んでいたにも関わらずこれを無理やり別れさせた上、山田美星を愛人にした。
・大川は女性職員A子と職員須呂との結婚にも反対し、やはり無理やり別れさせた(事実として確定)。
・大川は家庭内別居をした際、宇都宮仏宝館の3階に居住した。妻きょう子は2階に居住。 山田美星はここで肉体関係を持ったと告白。
・さらに、大川が家出をし、軽井沢の別荘に篭った際にも、山田美星と大川は不倫をしている。これは目撃談あり。
・軽井沢では大川夫妻が旧A棟に篭ると、不寝番の女性が必ず旧A棟に一人ついた。つまり家出をして大川が一人でやってくると、「夜中に若い女性と2人だけ」で旧A棟(一般民家と同じ)で過ごしていた。これだけでも非常識な話。
・さらに情報を総合すると、大川はこの時に「大川番」として付いた女性ほぼ全員に手を出していたと考えられる。と言うか、二人で夜を過ごしていたのだから、そう想定されて当然。
・ここで受け入れた女性と、逃げた女性、口を閉ざして誰にも話をしなくなった女性と主に3種類のタイプに別れる。
・大川は女性職員に「君は僕の子供を産む事になっている」と迫っている。
・従って大川に隠し子情報が出てくるのも不自然でも何でもない。
大川に隠し子がいるという情報あり。ただし母親は未確定。
・変死を遂げた元幹部の真杉氏は、大川の愛人の存在(山田美星より前)を周囲に語って左遷され、結局職員を解雇された。
・大川は軽井沢で「セックスは天国で光を入れるのと同じ」というセックス教義を女性職員達に語っていた。
・山田美星は「先生は性欲の抑えが効かなくなって・・・」とファルコンに嘆いていた。
・大川はきょう子との別居時、女性職員とすぐに二人きりになろうとしていて、女性職員達が怖がっていたと山田美星は嘆いていた。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/life8.2ch.net/psy/kako/1181/11814/1181456526.dat
476 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 16:53:31 ID:Qh/Cpgt4
477 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 17:03:13 ID:iO3oeeb0
ID:Qh/Cpgt4さんには是非ウィキペディアンになって頂きたいです。
478 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 17:12:47 ID:aEEJusZb
>>473 >そういう経典は成就者、解脱者を出さないので直ぐ偽経と判定されるゥ。
「成就」「解脱」の言葉の意味も、その行為の客観的証明も、一切不可能。
「自己申告」でいいのかねw。
479 :
セブン:2009/10/02(金) 17:40:21 ID:1JrU4+hN
>>450 儂も分析外道、七師外道の称号を頂戴してはいるが・・・w
>縁起バカ一代
なんかカッコイイな・・・。
|, ,_
|∀゚) . 。o ( アルイミ、 メイヨナ ショウゴウ ダナw )
|とノ
480 :
セブン:2009/10/02(金) 18:29:55 ID:1JrU4+hN
>>457 > 鬱病患者である釈迦の心理が理解できるのは、同じく鬱病患者か・・・
この部分には半分同意。
「境涯、境地、感性、感覚、視線」等に関して、追体験の形をとらざるを得ない面がある、ということが一つ。
同じ視線、同じ立場をシミュレートできない限り理解は無い。
(実は、日常生活での「同情」や「気遣い」も、ここに根ざすべきなのだが・・・。)
もう一つは、(極端な謂いになるが)、
≪仏教は、「躁状態」を嫌い、厭い、劣った心理状態と見做し、寧ろ「鬱状態」を好み、求め、優れた心理状態とする≫傾向があるからだ。
その意味で、私はシッダッタに鬱の傾向はあったと思うし、だからこそ今のような仏教になったろうと思う。
もし、シッダッタに躁の傾向があったなら、キリスト教やイスラム教の方向へ行ってたかもしれんwww
(ま、(自然)環境が違うから、そうはならないだろうと思うけど・・・w)
で、ここで重要なのは、《躁の傾向は「浮ついた、落ち着かない、冷静な吟味を欠く、勢いに任せる」ような精神状態と言い得》、
《鬱の傾向は、「静かに、腰を下し、細かく観察し、吟味し、分析し、比較検討の末選択する」ような精神状態と言い得》るということだ。
勿論、程度の問題で、『過ぎたるは及ばざるが如し』という語もあるわけだが、対比した双方の特徴は上のようなものであろう。
で、どちらが仏教的かは一目瞭然かと思う。
だから、御隠居が発言してるんで、皆、気にも留めていないだろうが、(寧ろ反対意見だろうがw)、
仏教が持つ《「鬱(状態)」への方向性》は、注意されていて良いと考える。
って、スレ違いだなw
>>474 感応精神病を調べようが、二人組精神病を調べようが
鬱病は感染しない。
482 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/02(金) 20:06:21 ID:Iie9MuRO
鬱とか躁とかは相対的なものであろう。
ラテン系だと躁状態は日常的である。
リズミカル的素質は生得的にあり、このスキルは日本人には真似はできない。
ラテンは音楽というジャンルにおいては超一級だ。
これは国民性とか言われるけど、果たしてそうなのか?
拙者はそれは違うとおも。
風土・気候とかに影響されるのではなかろうか?
つまり、自然と人心というのは一体なのである。
中国は大陸気候、チベットは高地気候、日本は高湿度。
それぞれの気候・風土において仏教は発展して逝くのである。
日本禅は日本独自の発展形態を遂げた。
宗教とは、本来そういうもんであろう。
483 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 20:10:10 ID:D0/GwOEb
>鬱病は感染しない
一般人ではそうかもしれんが、教祖なら果たしてどうかな?
484 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 20:13:32 ID:Qh/Cpgt4
>>477 一部書いてます。
>>478 釈尊の時代から凡夫には分からないとされてるんですが。
行者の直観と言われインド宗教一般に認められてるんですよ。
君みたいなドキュンが知らないだけ。
>>479 >>縁起バカ一代
実は、一代は自分でつけたw
>>483 教祖だろうと一般人だろうと鬱病は鬱病。
教祖からなら鬱病が感染して、一般人からは感染しないというのは
教祖を絶対視する視点でもないと思いつかない。
−- , -'"  ̄ ` 丶、 /
─-- / \| おいらはブッダ
/ | おめーら、
─── i _ _ _ _ ヽ_ 人を病人扱いするとは人権侵害、名誉毀損やで
 ̄ ̄ | /二` "二ヽ、 | 〉 鬱気味やったんは苦行終了までや!
_| _,ィiュミ r_,ィiュミ レ-
二二二 ヾ! - ' r `ヽ  ̄´ | ∧ 中道を悟り、生存苦から解脱してからは、
── ___ ゙! 〃 ^ ^ ヽ l-/ 〉 あ〜おい空あ〜、し〜ろい雲お〜
ま i { ='"三二T冫 /´_ノ/\__ 気分はあこがれのハワイ航路やw
さ 二ニ _,ィヘ ヽ ヾ== 彳 /:::/`ー- 、
に _, ィ´:::::/ l\ ト、 ー一 / /::/ \ こらっ!耄碌隠居!ちょっと恋、
中 / |::::::::: ̄ ̄ ̄::`ー=彳_∠ _ ヽ 小一時間説教してやる
道 / |::::::::::::::::::::::::::::(‥):::〈_ \ l
r'"`丶、 |:::::::::/:::/::::´:::::::::::::::::(_ ト、 |
_/ / `ー 、 \|::::/:::::/:::::::::::::::::::::::::::(_ \ \
487 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 21:05:15 ID:lrnC9xGW
>ちょっと恋、
アッー!
488 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 21:05:42 ID:LxMr8oOy
>教祖を絶対視する視点でもないと思いつかない。
イエスも仏陀もこのスレの一部の人達は、充分に絶対視してるんでないの?
>>486 っおっお!!
貴殿は悟っておられる。
このスレは、悟った御仁が多数おりますから、
拙者はそれだけでも嬉しい。
まさに中道。
490 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 21:21:52 ID:LxMr8oOy
>>478 >「成就」「解脱」の言葉の意味も、その行為の客観的証明も、一切不可能。
「自己申告」でいいのかねw。
同意。
アサハラの「最終解脱」弟子の「成就」を客観的に誰が証明出来ますか?
491 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 21:39:08 ID:A2FD391R
ある個人が「解脱」しているか否かなどは、外部検証は不可能。
よって、其れらしい言動ができたものが「解脱者」と認定されてきた可能性は高い。
その認定者自身が本当に解脱しているか否かも疑わしいが。
492 :
セブン:2009/10/02(金) 21:46:47 ID:1JrU4+hN
>>491 だから、「仏教は“独我論”を越えられるのか?」と、
時々、誰とはなしに問いかけてるんだけどね・・・w
493 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 22:02:33 ID:60U6gqJ4
子曰く、「異端を攻むるは斯れ害あるのみ。」
494 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 22:13:00 ID:A2FD391R
>>492 旧7氏、それでは今度は、このテーマでやりますか?
しかし、スレ違いになってしまうか。
495 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/02(金) 22:39:30 ID:eNbMnRyS
>>491>>492>>494 「仏教は“独我論”を越えられるのか?」
こう問いかける気持ちについては理解します。
が、たぶん殆ど、これは議論のしようがないのではないかと
私の386グラムの脳脳ミソではそう感じてしまいますw
部分部分においては理論的にも納得のいくものであり、
また、残りの部分については実体験によって確認していく以外にはないのだろうと。
ところで、こうしてまた皆さんにお会いできて良かった^^
もう、万が一・・・復旧しない可能性を思いましたね。
496 :
セブン:2009/10/02(金) 22:46:11 ID:1JrU4+hN
運営板では、
「過疎板・カス板ばかりじゃねーかw このままでいいよwww」
という発言が大勢を占めていましたが・・・w
497 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/02(金) 22:46:55 ID:eNbMnRyS
しかし、
なんだかんだと・・最早、1000スレの半数近くを消費した。
今までの約半分のペースです。これくらいが丁度、良いのかな^^
498 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/02(金) 22:48:42 ID:eNbMnRyS
へぇーそうなんですか(笑)
こりゃ〜ホント、その内無くなってしまうのかも・・・。
499 :
神も仏も名無しさん:2009/10/02(金) 23:10:52 ID:Qh/Cpgt4
500 :
セブン:2009/10/02(金) 23:11:04 ID:1JrU4+hN
>>495 >が、たぶん殆ど、これは議論のしようがないのでは
だから、「最終的には、最後の最後は、『信じるか、信じないか』でしかない」わけですw
そして、【その基準に、何を持ってくるか】が立場の分かれ目ということです。
(同じ東を目指しても、進む道・歩む道は違って来るかもしれませんw)
>>430 何が?
神の字を見ただけで、何ですぐキリストと反応するんだろ
一神教的なのりは、私にはないけどさ
キリスト・日蓮・きよーれつパフォーマータイプには
捨て駒的な目的でも使われたのかななんてね
使っているほうが創造神クラスでなかっただろうから
お気の毒でしたと思います
どうやって覚者を見抜くか?認定さるか?
悲しすぎる
あまりに悲しすぎる呟きだ
>>492 >「仏教は“独我論”を越えられるのか?」
たとえばひとつのエスキース。
『個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。
個人的区別よりも経験が根本的であるという考えから独我論を脱することが出来た』
(西田幾多郎「善の研究」序文)
西田の経験とは「純粋経験」の謂いであり、純粋経験とは無明我執の中核を打ち砕くことで達しうる
縁起の現観(無分別智)をいうのであって、二項相対言語論理不通の「空」であることをいうのだろう。
しかし、西田はその後絶対に矛盾するものが自己同一的に調和してあるためには、
それら絶対に矛盾するものを包み込む場所を必要として絶対者(西田はこれを一般的或者と言ったが)としての
「場所の論理」を当然“言語論理で”構想するという矛盾に突入する。
東洋の宗教と西欧哲学の調和の一線が動機だとしても、
もはや、仏教(とくに中観仏教)からの逸脱だといわざるを得ないだろう。
504 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 00:20:31 ID:5VC8+RfP
>>503 >東洋の宗教と西欧哲学の調和の一線が動機だとしても、
>もはや、仏教(とくに中観仏教)からの逸脱だといわざるを得ないだろう。
西田が、晩年に、キリスト教の影響を受けた結果である。
「絶対矛盾の自己同一」の命題において、「自己同一」できるのなら、最初から
「絶対矛盾」はなかったことになる。「自己同一」は不要である。従って、こ
の命題は矛盾している。人生とは、「絶対矛盾」との闘いであるはず。
キリスト教の影響は、これほどまでに恐ろしい。
何でいちいち文献引っ張ってくるんだろ
生身の真っ裸で直談判した事ないんだろうか
ねぇウルトラセブンもそう思わないかい?
506 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 00:43:20 ID:5VC8+RfP
>>502 覚者でもないのに、覚者と「思い込まされている」宗教者のほうが、もっと
悲しい。
>>506 そりゃ、思いこまされる自分の馬鹿さにさ
眼力のなさを憂いたらいいんじゃないの
何でもいつでも被害者かい
>>506 性犯罪予備軍なのに人を批判できるなんて思い上がってる人の方が
宗教者よりももっと悲しい。
>>504 また耄碌隠居か
>「自己同一」は不要である。
ちゃうんやなー。
西田の念頭にあったのは、二諦説的思考や。
色即是空 空即是色
ところがや、あっと驚くタメゴロー!(古う〜)
>キリスト教の影響
ちゃうんやなー。
むしろヒンドゥ教の影響や。
曰く
『純粋経験の事実としては意志と知識との区別はない、共に一般的或者が体系的に自己を実現する過程であって、
その統一の極地が真理であり兼ねてまた実行であるのである。』(『善の研究』45頁)
『即ち宇宙にはただ一つの実在のみ存在するのである。而してこの唯一実在は…、
一言にていえば独立自全なる無限の活動である。この無限の活動の根本をば我々はこれを神と名づけるのである。
神とは決してこの実在の外に超越せる者ではない、実在の根底が直ちに神である、
主観客観の区別を没し、精神と自然を合一した者が神である。
・・・・・・・・・・実在の根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である。
インド宗教の根本義であるようにアートマンとブラフマンとは同一である。(『善の研究』120〜121頁)
ここまで読んだら、おっさん!木戸銭返せ!!と言いとうなるやろ?
むしろ西田は正直もんなんやろな、仏教の仮面をかぶったヒンドゥ汚染徒がうじゃうじゃいる。
原始・小乗仏教の時代はもっと凄かったのかも知れん。原始仏典ってホンマ眉唾もんやで。
まーだ釈迦をうつ病、ジュナさんをレイプ犯だとか言いたいか
どーしても自分と同等の愚者におとしめたいのかな?
言っとくがね、ジュナちゃんはえれー魅力的な男だよ
何世まれ変わろうとめったには出ない代物だから
ジュナちゃんも女を選ぶ権利はあるだろが
そういう差別さへないのが聖者だよ
釈迦もうつ病レベルまで付き合ってくれたから聖者だよ
わかる?
自分の目当ての男が一度も自分に向いた事がないというトラウマを
病的な恨みをいつまでも他人に投げつけてても仕方ないんだよ
そうだよ、アートマンとブラフマンは一緒でいいよ
ただね、サンドイッチマンとは違うかなーみたいな
512 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 02:15:40 ID:5VC8+RfP
>>509 >実在の根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である。
その「精神的原理」が余計。それでは、一神教と変わりはない。尤も、キリスト教
は、神が「全実在」であることも、絶対に認められない。
「実在」と「精神的原理」とは、むしろ対極的概念に過ぎない。
やはり、その「全実在」が、「相互依存と関係性」によって「強固に構築され
ている」ことを見出した竜樹には及ばない。
しかし、東洋思想であるヒンドゥー教が、「全実在」という観念と、業報にお
ける「行為」という観念を見出したことは、いずれもを「精神的原理」とする
キリスト教に比べて、一日の長がある。
>>512 全部、自分ルールw
自分しか世界にいない。孤独な論理。
スレにいる人との関係性すら存在しない。
514 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 03:52:42 ID:R+47z0jc
>>394 >とは言っても、御隠居・魔非禍痢等のアンチではなく、
>ある程度、まとまなアンチがいないと盛り上がらないことは認めざるを得ないか。
“まともな”アンチ存在----
一応、私への褒め言葉と解しておきます 3(-_^;)
>>424 意義あり!!
>仏教は縁起・空・無我でしょ。それなら、大乗非仏説などありえない。
>なぜなら、外界も知覚も実在ではなく縁起するだけだから。
それなら、なんでもありになります。
大乗の様々な教えや概念A’B’C’D’E’・・というものが一体、原始経典の中のどこから摂ったのか?
というと、その元となった部分が見当たらず、あまりにもその違いが激し過ぎます。
大乗のA’B’C’D’E’が原始経典中の各々、ABCDEから摂ったものというのであれば、
それは時代の経過に伴って発展したもの、という解釈は有り得ます。
しかし現状では、勝手に異なる新しい思想を盛っておきながら「如是我聞」
(わたしはこのように<ゴータマから>聞いた)などと触込むというのは、
如何にも創作/偽作と批判される所以かと思います。
515 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 03:54:29 ID:R+47z0jc
>>436 >>「法華経を釈尊が説いた」という話しは縁起に関係なく、間違いであるといえる。
>
>どういう根拠でそう言えるのだろうか? 縁起・空に立てば、
>実在的な唯一無二の事実からなる歴史などありえないことが分かると思うが?
法華経は「初期大乗」経典の代表作であり、
これは方便品に明記されてある通りで、「来世成仏」を謳うものなのです。
つまり、このことはゴータマの思想でないことは明らかなのです。
さすがの創作も、今生解脱を謳うことには躊躇いがあった証拠であって、
ゴータマと異なる内容でもって今生解脱を保証するなど、
仮にも仏教徒の看板を背負っていれば余計に出来かねることだったのでしょう。
516 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 03:57:21 ID:R+47z0jc
>>287 彼の持てる仏教知識と理解には、この私などでは到底、及ばない。
ただ、それでも彼の言わんとする気持ちはある程度は理解できるように思います(つもりです)。
しかし、気持ちはわかるが同意できる部分とできない部分があります。
違いそのものについては尊重はしたいとは思う。
人間、いろんな感覚と受け取り方の差異が生じるのが自然の反応であり、
すべて統一されていたりしたら気持ち悪いことです。
セブン氏の採る姿勢はたぶん、学者肌的なスタンスに近いものでしょうね。
これは信仰心から、ついつい妄信してしまうという恐れに対する警戒と排除に効果があります。
“学者モノ知り後回し”という言い方がありますが、学者が研究対象を自ら信仰してしまうと、
それに対する学者としての客観性が失われる、という懸念があるのだろうと思います。
>>308 ですね!大衆受けを狙って方便を多用したと思います。
所持するだけで功徳を得、読むだけで功徳あり。
終いには、マニ車を回していれば経典読誦と同じ功徳などなど・・有り得ない方便。
>>419 有難うございます-感謝m(__)m
>>426 >「縁起を理解すれば大乗非仏説はありえない」という理解不能なご意見ですね。
100%完全に同意ですね!
「縁起」思想の誤用ではないかと・・・。
517 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 04:12:39 ID:R+47z0jc
>>285 >・釈尊の頃に通常使われていた言語はパーリ語(サンスクリット語よりも)
>>438 >更に重要なことは、釈尊や弟子達が使っていたのはパーリ語。
>皆サンスクリット語だと勘違い?
実際に会話で使用された言語は、古代「マガダ語」だったと記憶します。
マガダ語のしかも方言なまりがパーリ語の経(に翻訳され)として綴られたのです。
>>399 >読んでたら、そんな軽々しく大乗非仏説なんて言えないと思うんだが・・・w
あーぁ・・
チト悔しい言い方されたから読み始めていま〜すwww
まだ、「第一章/なぜ釈尊との対話か」ですが、とても面白い書き出しで
更に今後が楽しみでーす^^
奈良氏はNHKシリーズの講義も見たけど、
好きかも(赤面)
518 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 04:14:46 ID:R+47z0jc
>>400 >釈迦が空を飛ぶなどの超能力を示したことは
>文字通りに解釈していたりもしていて、その辺はファンダメンタリスト的だといえると思います。
>>415 >釈迦が空を飛んだなどというのは絵空事だと思う人がマァ大半でしょう。
>オカルト信者だけが信じていればいいと思います。
空中浮遊(浮揚)や空中飛行の神秘現象というのは、原始経典(ゴータマ)だから「真実」などと妄信し
ているわけではなくて、これはパタンジャリの説くバストリカ・プラーナヤーマの技法を修得すると重力の
作用から解放されて空中に浮くことができるとされているものであり、ちゃんと技法的な裏付けがあるの
です。チベット密教にもこの技法は継承されています。つまり、訓練による修得の賜物だということです。
この空中飛行の実演者はゴータマのみならず、もっと後代になってもチベット修行僧のミラレパ、『ある
ヨギの自叙伝』(森北出版社)で紹介されたヨギ・パドリ・マハサヤ(18-19世紀)などがいます。また中央
アジアを探検したフランス隊のアレクサンドラ・デヴィッド・ニール夫人(1868〜1969年)は、チベットのチャ
ン・タン高原で「空を飛ぶ僧」を目撃。そのラマ僧はボールのように大地をバウンドし、大きな弧を描いて
空を飛行していった。その僧は空中を見据えて探検隊の存在などは意に留めてもいない様子だったと
いう。
>>402 >大乗はその思想によって立っており、
>釈迦がいなくなったとしても、釈迦が説いたのではなかったとしても、
>その思想的な価値というのは少しも衰えることがないのです。
それはそれでいいでしょう!それは思想・信仰の自由の問題です。大乗にも素晴らしい教えがある。
しかし、ゴータマの教え(原始経典)とは異なることは明確にして、それを認める必要があります。
また私個人は、仏教以外(の宗教)はダメという考え方もしない。ただ仏教と非仏教は明確にすべき
です。大乗はゴータマとは異なることも明確にすべきです。それを明らかにしたのが大乗非仏説です。
つまり“仏説(ゴータマの教え)ではない”と。
519 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 04:17:44 ID:R+47z0jc
>>415 >釈迦の弟子達の多くは涅槃に至っており、彼らは皆「ブッダ」であったとも言われます。
>その意味では釈迦が唯一ではないわけです。
確かに直弟子たちも高次の次元には到達したでしょうが(その時に)、しかし、厳密にはゴータマの
境地であるところの仏陀とは異なるでしょうね。
私は、直弟子たちが悉く阿羅漢に達し、これはゴータマと同じ境地だと称するのは、ゴータマの法に
従って修行することの素晴らしさを知らしめるための方便(宗教文学)だと思います。もちろん、間もな
くして多くの直弟子たちも解脱して如来となったとは思いますが。私は、冷めた目でみれば、これはゴ
ータマの指導の素晴らしさ、そして教えの素晴らしさを伝えたいがための宗教文学表現だと見ていま
す。
解脱者、自らが直接指導したから、弟子たちも皆んな悉く、この身このままで今生解脱するなんて、
そんな生易しいものじゃないでしょう。基本的に何生涯も掛かるということは四向四果(四沙門果)の
解説をみても明らかです。
>>418 >まぁ結論からいえば、浄土真宗の教義は内容的にはアートマンとブラフマンを認めており、
>低我である自分が真我である阿弥陀如来に目覚めていくプロセスを説いたものであって、
>神智学の教義に相当一致するものです。
>最近の宗派の一部の人を否定するのみならず、教義としても浄土真宗を否定する人
>は神智学も信奉しなければいいのです。
>気にいらないものを無理に信奉する必要はないのですから。実に簡単な話ですね。
全くもって意味不明です。阿弥陀如来といった架空のホトケである他力信仰がどうして真我の目覚
めなんです?神智学の基本的姿勢は自己修養であり、他力や献身や崇拝行為ではない。
520 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 04:25:03 ID:R+47z0jc
>>454 >宝珠氏は、「原始仏教にとって正しい認識」のみが「正しい認識」であって、
>それ以外に仏教として「正しい認識」などは存在しないという立場です。
>つまり「大乗仏教にとって正しい認識」という概念自体が彼には存在していないように見えます。
>要するに、大乗仏教にとって正しい認識とは何か?
>というこのスレ的テーマにはついてこれないわけです。
大乗の認めるべき価値についても私は見直すといってるでしょう!どうして、原始経典の内容以外
は全部ダメという話しになるの?ゴータマの教えとそうではないものを明確にしましょう、といってる
のです。
ゴータマの説いてないものは全部ダメというわけではないが、では何がダメで何ならいいのか?そ
の是非を話し合うべきではないか、といっているのです。
私が良きものとして認めたい大乗の概念とは、「仏性」「菩薩(道)」「如来存在と涅槃の(久遠)常住
思想」など・・。あとは密教に伝わる修行体系の数々・・。
521 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 04:32:44 ID:CHn5xEA8
>また耄碌隠居か
耄碌隠居って。。。
結局、何を言っても歯が立たない悔しさ・焦りの感情の裏返しね
もう、時代がそこまで進んできたということではないでしょうかw
522 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 04:58:21 ID:+hPbs5kk
>>520 ゴータマが言ったから「真理」などとは、論理的にはどこからも出てこ
ない。それは「盲信」であり、最も真理に反する。
真理とは、「誰が言っても真理」のことである。
君は、完全な勘違い。
523 :
T:2009/10/03(土) 06:32:59 ID:7MjwUGUd
519 :宝珠愚者
>阿弥陀如来といった架空のホトケである他力信仰がどうして真我の目覚
>めなんです?
阿弥陀如来は実在である、これは解らなければ仏教は解っていない。
>阿弥陀如来は実在である、これは解らなければ仏教は解っていない。
典型的な詭弁乙
525 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 08:11:36 ID:Wrtmbp/O
>>470 つまり、為政者が自分の都合の良い教えになるように、
経典を創らせたということですか。
仏教教団側も、それを受けいれなければ
その国では生きのびられなかったのでしょうね。
526 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 09:20:14 ID:4yhNkor1
>>400 >釈迦の教えに沿っていようと反していようと、大乗仏教が仏教であるということは
>少なくとも現代の日本においては常識なのです。
そうですね。大乗非仏説が世界の仏教学の常識であると同様に、大乗も当然仏教である
というのも仏教学の常識ですね。大乗は仏教でないという根拠は示せないだろう。
そもそも仏教とは何かを示すことさえ仏教学ではできていない。
仏教学で取り上げる対象は仏教だというしかない。
仏典で外道の説は詳述しながら仏説が何かを示せていないのと同じことだね。
>>526 >大乗仏教が仏教であるであるということは
>少なくとも現代の日本においては常識
その「常識」とやらが疑われているのが常識だろう。
分水嶺は『如来蔵思想』にある。
如来臓思想は、仏教の仮面をかぶったヒンドゥ教(アートマン思想)であって
似非仏教であるというのが常識となりつつあるのだろう。
>>509の恥外聞もないヒンドゥ汚染西田哲学や鈴木大拙の神秘思想が典型だ。
既成大乗「仏教」のニセモノ・インチキ汚染状況は新型インフルエンザの比ではない。
仏教の根本は縁起説であり、縁起無視アプリオリ仏性内臓の如来臓教は反仏教である。
耄碌隠居の如来臓唯物論にいたっては論外のゲテモノだ。
・・・などとネタを出してみる。
528 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 10:07:33 ID:rc8KBjEj
>>527 そういう松本説はもはや笑いでしかないでしょう。
如来蔵と縁起はなんら矛盾しません。
如来蔵は、空であり光明であるからです。
529 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 10:12:43 ID:R+47z0jc
>>523 阿弥陀はどうかは別にして、そういった超自然力を象徴した人格神化というのはある。これらは、神
の諸性質についての一つの側面を顕(表現)したものです。
私、個人は神という存在を信じます。しかし、それは時には怒ったり喜んだり、また自分の意に該しな
いと滅ぼしたり・・といった人格神なんかじゃない。そんな聖書文学のようなものではなくて、この自然
界の顕れと、そして顕れていない世界の総ての諸法則の背後にあり、一つの意志を持った大いなる力
(ロゴス)です。
その様々な諸性質の部分部分を各宗教では様々に神格化(人格神化)する。それは別にどれだけ沢
山あってもいいわけであり、幾らでも分割してそれを神々として呼称することができる。
この阿弥陀(アミターバ)というものがゾロアスター教(生没年の中心視/前7世紀中頃〜前6世紀後半)
に起源を持つことは、性質的な背景からみてもまず間違いがない。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1251/12512/1251241875.html 最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13/452
私がホトケと言う場合には、“史実上に生誕した人間”だけを意味します。それ以外の象徴的な創作の
ホトケは含まない。
530 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 10:16:10 ID:R+47z0jc
>>526 大乗にも素晴らしい教えがあるとか、聖なる意思の介入によって出現したものかどうか・・という話しは
また別にして(それを全面否定などしていない)、まずは基本的な部分を押さえて頂かないと議論の前
提にならないでしょう。
『仏教の経典に対する文献学的研究では、大乗仏教の経典は釈尊の般涅槃から数百年後に編纂さ
れ、釈尊に仮託された思想文学であるという結論が支持されている。
大乗経典は元々の口伝による伝承そのものが存在しないという主張がある。すでに紀元前1世紀頃
には、上座部(南方分別説部)が布教されたスリランカにおいてパーリ語経典が貝葉に記録されている
が、このスリランカに伝承されたパーリ五部と、シルクロードを経て2世紀半ばから中国で漢訳されはじ
めた阿含経(漢訳四阿含等)とでは、部派が異なるにも関わらず教えの内容がほぼ一致している。この
ともにインド文化圏の周辺域で記録された経典が共通性を持つことに注目し、そして紀元前2世紀〜前
1世紀にかけてインド仏教聖地で建立された碑文に「五部の精通者」云々の語句が認められることを勘
案すれば、大乗仏教運動が起った時点ではすでに諸部派において「釈尊の言い伝え」として承認され
る経典の範囲が確定していた可能性は高い。つまり、大乗経典は四部または五部に分類される経典の
何処にも場所を持たなかったと考えられるのである。
文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応
部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説
になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。』(Wiki)
531 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 10:18:22 ID:R+47z0jc
>>527 同意します。
分解するとそういう指摘もでてくるわけですね。
何も私はヒンドゥーだから全部ダメだなどとは全然みていない・・。
ただ、ゴータマの教えではないものは本来の意味合いでは、「仏教とは呼べない」といっているのです。
それが確実視されるようになったのは、まだ近代に入ってからであり、
従って、それまでの日本仏教1500年間の“常識というのは間違いだった”という指摘になります。
これはまだ一般社会(仏教にあまり関心を持たない人たち)にはあまり知られていなく、そして大乗信仰
の中では殆ど問題視されていない部分なのです。この大乗の姿勢というのは“無視しよう”というもので
あって、このことを大乗の欺瞞として批判するのです。
>>528 意味不明。
532 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 10:20:31 ID:SxlO74kt
康僧鎧の訳『仏説無量寿経』では法蔵菩薩になる前は王様だった、と書いてありますね。
阿弥陀仏が語られる前か語られ始めて以後か、伝承の由来になった人物がいたのかもしれません。
533 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 10:30:16 ID:Wrtmbp/O
>>480 掉挙:ジョウキョの煩悩(簡単にいえば心の怠け癖と混乱)と
怒り(悲しみも怒り)の煩悩とが、
「うつ」の要素だと思います。
「うつ」もまた、克服すべき煩悩でしょう。
たしかに、悟る前のシッダッタが出家した動機は「うつ」かもしれない。
しかし、悟って煩悩が消えるということは、
「うつ」もまた消えるということ。
とは言え、怒りが完全に消えるのは不還果の悟り、
掉挙が完全に消えるのは阿羅漢果の悟りだということなので、
凡夫には遠い道のりですね。
534 :
だいおう:2009/10/03(土) 10:32:52 ID:5dv4WRY7
日本仏教で、如来蔵とか、云々の問題を通り過ぎて、
日本仏教の主流が神仏習合なんだけどね、(禅、唯識を除く)
如来蔵的意味合いの問題は、チベット密教、と空海自身の真言宗(空海信仰ではない本来の真言密教)、中国天台、中国華厳
なんだけどね、
日蓮宗も層化も神仏習合要素たっぷりwご本尊に天照がいるw
日本阿弥陀信仰、観音信仰も、ルーツが神仏習合、
ココで言われている如来蔵問題を通り過ぎて、
日本仏教は神仏習合仏教の土壌が強いw
神社にある寺院と修験道は明治政府の破壊で、現日本では神仏習合仏教の形態が眼に映りぬくいけども、
精神土壌は神仏習合、仏像ガール、お遍路、観音霊場めぐりさかんですわw
ま、ワシ、定、慧センス抜群やから、上座仏教から、大方の定、慧わかるけどねw
むろん、神仏習合もwww
535 :
だいおう:2009/10/03(土) 10:37:54 ID:5dv4WRY7
上座仏教の瞑想体系で、ミャンマーのパオ方式は、
四大的、物質原子要素を認める修行体系なんだけど、
あれは、天台、密教の五大物質原子要素があるなあw
禅、唯識は物質原子要素を一切認めない傾向だろうねw
536 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 10:38:06 ID:Wrtmbp/O
>>532 単純に、王属出身の釈尊がモデルじゃないでしょうか。
>>514 > >仏教は縁起・空・無我でしょ。それなら、大乗非仏説などありえない。
> >なぜなら、外界も知覚も実在ではなく縁起するだけだから。
> それなら、なんでもありになります。
だからなんでもありなんです。
> 大乗のA’B’C’D’E’が原始経典中の各々、ABCDEから摂ったものというのであれば、
> それは時代の経過に伴って発展したもの、という解釈は有り得ます。
その意味で一部の大乗経典は小乗の継承発展形。
> しかし現状では、勝手に異なる新しい思想を盛っておきながら「如是我聞」
> (わたしはこのように<ゴータマから>聞いた)などと触込むというのは、
> 如何にも創作/偽作と批判される所以かと思います。
そうですね。批判されてます。
ちなみに小乗の経典でも勝手に六神通とかの概念を盛っておきながら「如是我聞」
などと触れ込んでいたりします。この辺はもっと批判されるべきでしょう。
ただ、批判されることとだからダメかどうかというのはまた別の問題です。
538 :
だいおう:2009/10/03(土) 10:41:19 ID:5dv4WRY7
>>509の恥外聞もないヒンドゥ汚染西田哲学や鈴木大拙の神秘思想が典型だ。
読み間違いだろうw
言語化の失策だろうよw、一切空を説明したアホウの方が濃厚w
上座仏教ですら、神秘ゾーン(生滅智)はあるぞ、最終的に滅するが(禅も否定)
539 :
だいおう:2009/10/03(土) 10:44:11 ID:5dv4WRY7
大乗仏典は、3パターンあるかもな、
1、瞑想状態の頂点優先からもの、
2、法華経、浄土経典のような言語化優位なもの、
3、中論のような、否定論理のもの、禅へ至る。
540 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 10:45:51 ID:So0CBRAk
>>518 >これはパタンジャリの説くバストリカ・プラーナヤーマの技法を修得すると重力の
作用から解放されて空中に浮くことができるとされているものであり、ちゃんと技法的な裏付けがあるの
です。チベット密教にもこの技法は継承されています。つまり、訓練による修得の賜物だということです。
あなたが何を信じようと構いませんが、このような書き方は適切では
ありません。このような書き方をすると、まるで空中飛行が修行により
可能となる「普遍的物理現象」であると誤解するものが、出てくる可能性
があります。空中飛行は、あくまでも特定宗教内の信仰内における話に
過ぎません。
541 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 10:46:56 ID:yXEewBKi
>>531 すべての大乗仏教も、釈迦の「空の思想」を大幅に改善・発展させたものだから、
「佛教」である。思想的には、小乗仏教よりも大乗仏教のほうが格段に優れて
いる。小乗仏教には、まとまった宗教思想、哲学思想というべきものは、どこ
にも見当たらない。
「生存苦」などは、釈迦の鬱病の症状に過ぎず、宗教思想とはいえない。
1個人に過ぎない開祖に対する「盲目的崇拝」は、宗教の最も醜悪な病理である。
「麻原崇拝」と、原理的には何の相違もない。
542 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 10:50:11 ID:R+47z0jc
>>532 初期大乗経典は創作(仏教文学作品)です。
残念ながら、その記述上の中から史実の事柄を見出すといった信頼性については期待が薄いです。
まず、基本的な「仏教史」については把握して頂かないと・・・。
『初期大乗の経典の代表的なものは、『阿弥陀経』『般若経』『法華経』です。おそらく、この順番で成立
したものと思われます。ただし、『般若経』の経典グループには7世紀頃に成立したものもあります。ここ
でいう『般若経』は初期(紀元前後)に成立したものをさします。どちらにしても、現在日本で重宝されてい
る、阿弥陀仏の西方極楽浄土の仏教、般若仏教、法華仏教の経典がこの頃成立したということで、日本
と初期大乗仏教は縁が深いです。
初期大乗経典を初めて漢訳したのは後漢の支婁迦讖(しるかせん)です。支婁迦讖が西暦179年に訳
した『道行般若経』『般舟三昧経』『首楞厳経』などが、中国の知識人に大きな影響を与えたそうです。と
もかく、初期大乗経典の『般若経』『阿弥陀経』が2世紀後半に訳されています。』
http://www.kosaiji.org/Buddhism/maha.htm 『このように信徒の運動と、あい呼応して大乗経典が編纂されていったのである。これらの大乗経典は、
ほぼ3期に分けて見られる。
初期大乗経典
…般若経、維摩経、法華経、無量寿経――3世紀には龍樹によって空の理論が体系化され、中観派の基
礎を作る。
中期大乗経典
…勝鬘経、涅槃経、解深密経、大乗阿毘達磨経――5世紀には無着、世親兄弟によって瑜伽行唯識学派
が生まれる。
後期大乗経典
…楞伽経、大乗密厳経――6世紀になると、大乗経典の中にも密教の萌芽が見られる。 』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99
>>518 > 空中浮遊(浮揚)や空中飛行の神秘現象というのは、原始経典(ゴータマ)だから「真実」などと妄信し
> ているわけではなくて、これはパタンジャリの説くバストリカ・プラーナヤーマの技法を修得すると重力の
> 作用から解放されて空中に浮くことができるとされているものであり、ちゃんと技法的な裏付けがあるの
> です。
つまり、外部の宗教から導入した思想は仏教に組み込んでもOKということですね?
大乗もそれと同じことをしているだけだと思いますが。
> >大乗はその思想によって立っており、
> >釈迦がいなくなったとしても、釈迦が説いたのではなかったとしても、
> >その思想的な価値というのは少しも衰えることがないのです。
> それはそれでいいでしょう!それは思想・信仰の自由の問題です。
そういうことです。ようやくひとつの合意ができましたね。
> しかし、ゴータマの教え(原始経典)とは異なることは明確にして、それを認める必要があります。
個人的信条としては明確にして認めた方がいいとは思っていますが、
認める必要があるのは原始仏教の視点に立った時の話です。
大乗にとっては特に必要もなく、このままで問題ないようにも思います。
こういう場合に常に原始仏教にとっての視点しか持たないことが「原理主義」と呼ばれる所以です。
>>541 耄碌隠居
>改善・発展
改悪・堕落・因果撥無も入れよ。
>「生存苦」
“ある”ことの抜苦与楽は根元的且つ普遍的なな宗教=哲学動機だ。
>開祖に対する「盲目的崇拝」
仏教は法灯明、自灯明であって仏灯明ではない
545 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:02:35 ID:yXEewBKi
小乗仏教は、宗教的原理というものさえなく、おろおどろしい「迷信」
だから、「原理主義」とさえいえない。
竜樹の類い稀な頭脳と多数の大乗仏教徒の思索の結実の無い「佛教」など、
現代社会においては、無価値で、無意味。
546 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:12:04 ID:4yhNkor1
>仏教は法灯明、自灯明であって仏灯明ではない
仏教入門は三宝帰依すなわち佛・法・僧への帰依からだろう。
佛灯明も仏教だろ。
547 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:14:43 ID:yXEewBKi
>>544 宗教において、「堕落」とは、より人間と現実に近づく「真理への道」
である。ルターの「聖書のみ、信仰のみ」が、一体何も生み出したか。
むしろ、「空虚な精神性・あるがままの人間と現実からの逃避」への堕
落ではないか。
「生きるのが辛い、苦しい」などということののどこが「宗教・哲学思想」
か。専ら、精神医学の対象に過ぎない。
原始仏教は、「法灯明」を「仏陀の教え」などと誤解し、「自灯明」を
否定する、「仏灯明」という「無明」に過ぎない。
548 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:17:05 ID:4yhNkor1
>>492 >だから、「仏教は“独我論”を越えられるのか?」と、
超えるも何も、仏教はもともと無我論であって独我論ではない。
一切法が無我であるのに独我論が成り立ちようがない。
>>519 > 確かに直弟子たちも高次の次元には到達したでしょうが(その時に)、しかし、厳密にはゴータマの
> 境地であるところの仏陀とは異なるでしょうね。
その辺はいろいろ解釈があるところでしょう。どれかひとつには断定できないと思います。
> 私は(略)だと思います。もちろん、(略)思いますが。私は(略)だと見ています。
個人的信条については長々と書く必要はあまりないと思います。
> 解脱者、自らが直接指導したから、弟子たちも皆んな悉く、この身このままで今生解脱するなんて、
> そんな生易しいものじゃないでしょう。基本的に何生涯も掛かるということは四向四果(四沙門果)の
> 解説をみても明らかです。
四向四果は既に部派仏教の概念ですから、無批判に原始仏教にあてはめるのは如何なものでしょうか。
> 全くもって意味不明です。阿弥陀如来といった架空のホトケである他力信仰がどうして真我の目覚
> めなんです?神智学の基本的姿勢は自己修養であり、他力や献身や崇拝行為ではない。
阿弥陀如来というのは無限の寿命をもつ仏という意味です。
つまり不死なるもの、永遠の存在、物質性の対極にある仏の抽象性ということです。
唯物論者はこれを架空といいますが、多分神智学ではこれを架空とは言わないと思います。
一般的にいう自力というのは低我も真我もいっしょくたにした「自分の努力」という意味です。
しかし浄土教でいう自力とは、低我の力のことです。
いくら修行しても低我が修行しようとしているのであれば、それは修行としての成果よりも
「俺は修行したんだぞ」という慢心を生むだけだったりするわけです。
そのような低我の思いを断つべきだ、というのが他力本願の主張です。
他力、つまり真我から来る悟りへと向かう力。その力でこそ生きるべきだという主張です。
何か、神智学の思想と矛盾していますか?
低我の思いを断つべきだ、というのはちょっと書きすぎました。
低我の思いによるのではなく、他力によるべきだというのが
他力本願の主張ですね。
>>545 耄碌隠居 週明けに都立松沢病院の受診(御都合主義的統合失調症)を薦める。
>宗教的原理というものさえなく、おろおどろしい「迷信」
無常=無我=縁起=空=中道のどこが迷信なのかご教授願おう。
>>546 >三宝帰依
お布施獲得のタテマエ。
カルトや歓楽街を飲み歩き、女を囲う葬式仏教僧なんかに帰依なんかできるか。
552 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:32:59 ID:yXEewBKi
>>550 「低我」と「真我」とを区別し、判断するのも、「我」である。「我」
には変わりはない。
まぁそういう話は低我と真我の区別ができるようになってから言わないと。
我に変わりがないかどうかも判断できないでしょう。
554 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:40:49 ID:yXEewBKi
>>551 >無常=無我=縁起=空=中道
竜樹の解明があるまでは、釈迦自身も充分に理解していたとはいえない。
説得力はゼロである。
555 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 11:42:05 ID:R+47z0jc
>>540 >このような書き方をすると、まるで空中飛行が修行により
>可能となる「普遍的物理現象」であると誤解するものが、出てくる可能性があります。
>空中飛行は、あくまでも特定宗教内の信仰内における話に過ぎません。
ですから“仏教そのものが信仰扱い”でしょう!その仏教では修行によって体得が可能であると主張
するのです。これが仏教信仰(現実にできると説くのが信仰)ですよ。空中浮遊が有り得ないという人は
信奉(その主張を)しなければいいだけのこと。
まっ、詳細は知りませんが、TM(聖マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの超越瞑想法)のグループなどで
はフライング大会なるものまであるという。結跏趺坐や半跏趺坐などで座した姿勢でピョンピョン跳ねる
ダルドリィーシッディを行っていると、中には驚異的に高く飛び跳ねる者がでて、熟達者というのは空中
停止するという。
誤解されるといけないのでいっておきますが、私個人はこのような訓練をあまり良いものとは評価して
いません・・・(ただ跳ねた瞬間だけを捉えた写真があのオウム麻原の空中浮揚写真です)。
556 :
T:2009/10/03(土) 11:44:23 ID:7MjwUGUd
24 :神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 06:55:02 ID:xZzlsuWo
>>阿弥陀如来は実在である、これは解らなければ仏教は解っていない。
>典型的な詭弁乙
諸法しか見る事の出来ない人には、詭弁としか言いようがない。
しかし、仏教は、諸法実相を見る事にある。
従って、諸法実相を見る事の無い人には、仏教文字の本質は解らない、
仏教は机上論(空論)に陥る事になる。
557 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:46:27 ID:yXEewBKi
>>553 その「区別」とやらを、誰がやるのか。やはり「我」だろw。
558 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 11:48:06 ID:R+47z0jc
559 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 11:49:28 ID:R+47z0jc
『特に興味をひいたのは、ヨーガ・スートラの考証であり、その中で仏教の影響の部分などを分析して
あったことである。ヨーガ・スートラの「ヨーガは心の作用の止滅である」などの部分は、初期仏教の強い
影響からと説いた部分であり、逆に最終章では唯識に対する反論もあるとのこと。ヨーガ学派は、仏教
と極めて近い場所にいたことがわかる。
また、外部から見ていたヨーガ学派のヨーガ・スートラを読むことで、初期仏教(原始仏教)から瑜伽行
唯識派という仏教の発展も読み取れる。以前にも感じていた仏教とヨーガの関係の疑問(『インテグラル
・ヨーガ - パタンジャリのヨーガ・スートラ』の書評を参照)も、整理できた感じだ。』
([書評] 仏教とヨーガ/保坂俊司)
http://digi-log.blogspot.com/2007/07/blog-post_08.html
>>557 区別もできないうちから、区別した「つもり」になる。
「つもり」になって「我」がやったと思い込む。
こうやって間違いを積み重ねていくわけです。
「釈迦仏教がわかったつもり」「縁起がわかったつもり」
「精神医学がわかってるつもり」
つもり、つもり、なんでもつもりです。
バーチャルなんですね。
だから妄想的になり、おかしなことを前提にしても
気づかないわけです。
まずは区別ができるようになってから。
話はそれから。
561 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:56:29 ID:yXEewBKi
「無常」を「変化」と解すれば、「変化しない状態」があることを前提
とするし、「無我」を「我はない」と解すれば、「我の存在」を前提と
する。いずれも「空」には到達しえない。
>>554 耄碌隠居
>説得力はゼロである
サーリプッタ、モッガラーナ、アーナンダ、マハーカッサバ、ウパーリ、ブンナ
アヌルッダ、カーカッチャーナ、スプーティ、ラーフラ、初転法輪辞の五比丘、
はじめ1200人の弟子たちは、耄碌隠居とおなじレベルのハクチだったのか?
563 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 11:58:55 ID:yXEewBKi
「無我」を唱えているのは、釈迦の「我」である。いくら唱えても
無駄なこと。
564 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 12:03:10 ID:R+47z0jc
>>549 >四向四果は既に部派仏教の概念ですから、無批判に原始仏教にあてはめるのは如何なものでしょうか。
納得できません。
これは原始経典に詳しく説かれている事柄でしょう。
>阿弥陀如来というのは無限の寿命をもつ仏という意味です。
>つまり不死なるもの、永遠の存在、物質性の対極にある仏の抽象性ということです。
>唯物論者はこれを架空といいますが、多分神智学ではこれを架空とは言わないと思います。
如来(解脱者)は不死であり、その境地に常住すると私は主張してきました。
しかし、阿弥陀如来なるホトケというものは創作(外教の神格を導入してもの)だといってるのです。
>何か、神智学の思想と矛盾していますか?
依存したり、お願い事をしたり、崇拝したり、対象に献身行為をしたりしなければです。
しかしながら、阿弥陀というのはやはりその対象でしょう(そこに価値が置かれているのですから!)。
めしだ。
落ちる。
566 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 12:04:43 ID:So0CBRAk
>>555 なにか誤解してるようですが、私は佛教に限定した話をしているわけでは
ありませんよ。「空中飛行」を修行しだいで、できるようになるという
記述自体を問題としているのです。たとえ、佛教でも、そのようなことを
主張するものがあれば、はっきりと否定します。
「そんなことは、ありえません。それは、あなたの信じる宗教内における
話に過ぎませんよ。」とね。
しかし、「佛教」において、空中飛行が修行により、現実に可能な
現象であると信じている仏教徒は、そんなに多くはないでしょう?
このスレにも、一人くらいではないですか?
567 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 12:06:39 ID:yXEewBKi
>>560 「区別できた積り」「悟った、解脱した積り」もあるぞw。
「自我」が「低我」と「真我」とに分裂することを「自我の分裂」と
呼び、精神障害の一種である。一昔前までは、いみじくも「精神分裂病」
と呼んだ。「我」に「見知らぬ他者」が住み着くのが、典型的な症状。
>>558 > >つまり、外部の宗教から導入した思想は仏教に組み込んでもOKということですね?
> >大乗もそれと同じことをしているだけだと思いますが。
> 仏典の記述(神秘神通)についてのメカニズム的理論やそれを可能にする技法の解説はバラモン・ヒ
> ンドゥーが持っているということです(仏典中には詳細解説はない)。
つまり、大乗の記述についてのメカニズム的理論やそれを可能にする事柄の解説が外教にあればそれを引用してもいいわけですね。
> ゴータマもインド(バラモン)思想からの出身者なのです。
つまり、バラモン思想やインドの民間信仰などから思想を引き抜いてきても一向に構わないわけですね。
阿弥陀信仰などもインドラとアスラの戦いの神話(ペルシャのものと同一起源)などに起源がありますから、
それは思想的に引用してもいいわけですね。
> また、パタンジャリの説く『ヨーガスートラ』聖典というのは、仏教的にも意味深いのです。
> 「ダンマパダ282,372でも、「心が統一され」(Yoga)と述べられているように、仏教の瞑想は古代ヨーガ
> に起源があると見るべきです。
あなたがよくやる間違いですが、yogaという言葉だけを見て古代ヨーガ起源と思うのは早計かもしれませんよ。
釈迦の冥想は覚醒の果ての覚醒と言われていて、いわゆる冥想とはちょっと違うようですし。
>『ヨーガ・スートラ』の成立には仏教徒が関わっていた可能性もあると見
> なされるほどで、
仏教徒が関わっていれば説得力が増すのでしょうか? 大乗仏典も仏教徒が関わってますから説得力が増しますかね。
> 初期仏教(原始仏教)の影響から瑜伽行唯識派の発展のキッカケすらもヨーガ・スート
> ラには見ることができるともいわれています。」
>>411 オウム真理教の発展のキッカケすらもヨーガ・スートラには見ることができるかもしれませんが。
だからといってオウム真理教の正当性が主張されることもないと思うわけです。
569 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 12:11:35 ID:yXEewBKi
「禅病」は、精神障害として分類されている。瞑想をやりすぎて、自我が
「分裂」することである。白隠も、禅病にかかった。
「あるがままの自我」を、人為的に操作することは、「諸法実相」「法」
に反する行為。
> 『次にインドにおける仏教の祖釈尊とヨーガとの綿密な関係を述べ、仏教とヨーガが本来切っても切
> れない縁を持つ事を解き明かしていく。すなわち、ヒンドゥー系ヨーガの聖典である『ヨーガ・スートラ』を
> 引用しつつ、釈尊の実践した瞑想法こそヨーガそのものに他ならなかったと説くのである。』
説くのは勝手ですが、これは「ヒンドゥーからすると、釈迦もクリシュナの生まれ変わりに他ならなかったと説くのである」
というのと大同小異ではないでしょうか。
>>四向四果は既に部派仏教の概念ですから、無批判に原始仏教にあてはめるのは如何なものでしょうか。
>納得できません。
>これは原始経典に詳しく説かれている事柄でしょう。
そうですか。その辺はいずれ整理されていった方がいい事柄でしょうね。
仏陀の言葉なのか、それとも後代の追加なのか。
原始経典といっても、阿含経の内容は結構後代の追加だったりするようですからね。
> 如来(解脱者)は不死であり、その境地に常住すると私は主張してきました。
> しかし、阿弥陀如来なるホトケというものは創作(外教の神格を導入してもの)だといってるのです。
どういう名前で呼んでいるかの違いでしかないのですが。
文学表現と思えばよろしいのでは? 如来の常住を名前で表わしたのが阿弥陀如来であることは
まず間違いないと思います。
でもマァ、如来の常住などは無理に信奉しなくても構いません。
> 依存したり、お願い事をしたり、崇拝したり、対象に献身行為をしたりしなければです。
> しかしながら、阿弥陀というのはやはりその対象でしょう(そこに価値が置かれているのですから!)。
依存的にならないよう「感謝」の念で尊敬するというのが正しいお参りの仕方であると説かれているようですよ。
それはいいとして、あなたは如来に対して崇拝することがないのですか?あまり敬意とかないのでしょうかね。
まぁ、それは個人の信仰ですから構いませんが。
真我に対して献身するのが修行だと思いますが、あなたは真我の意志よりも低我の意志を尊重していきたいということですかね。
まぁ、それもまた個人の信仰ですから。お好きでいいと思います。
>>567 とりあえず相手の言ってることを理解しないと、先に進まないでしょう。
あなたは「とんちんかん」と言われたりすることはないですか?
いろいろ決めつけるより先に理解しないと。
572 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 12:19:45 ID:yXEewBKi
>>571 精神医学的には、手に取るように理解しているw。
>>572 鬱病が感染するとか言ってるのに?
なんにも分ってないと思うよ。
574 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 12:23:39 ID:R+47z0jc
取り合えずオチm(__)m
575 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 12:23:47 ID:yXEewBKi
>>573 鬱の人に接していると、こちらまで気が滅入ってくるでしょ。これが
「感応精神病」。
>>575 【症状 Symptoms】
・被害妄想
・集団ヒステリー・・・興奮、恍惚、失神、けいれん
気が滅入るのは感応精神病じゃありませんよ。
577 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 13:02:52 ID:5VC8+RfP
>>576 病気そのものの感染ではなく、病気の「症状」の転移であるという学説もある
ので、前レスでは「精神病(の症状)」として、丸括弧に入れた。
厳密な意味での精神病とは、「統合失調症」と「躁うつ病(双極性障害)」で
ある。
>>574-
>>577 おまいら、素人同士の相互診断はいいから、
耄碌隠居とともに、週明けに都立松沢病院の受診(御都合主義的統合失調症)を薦める。(
>>551)
579 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 14:16:16 ID:tSglH3PK
空中浮揚は、季刊仏教のオウム事件のやつで誰かが、
空中浮揚は実際にあるらしいと誰かが書いていたな。
ジャンプじゃなくてほんとの浮揚。
580 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 15:32:29 ID:7JkSgjy3
>>578 すべての創唱宗教(世界宗教)は、開祖の精神障害から発生したものであるこ
とを、改めて自覚すること。信者は、その感染者である。最古の創唱宗教と言
われるゾロアスター教の開祖も、大麻の常用者であったといわれている。
ムハンマドは、中年期に発病し、山篭りした。
日本の新宗教を見ても、開祖は皆、基地外ばーさんばかりではないか。
イエスの躁症状を伴った統合失調症とは異なり、釈迦が「感情障害」としての
鬱病であり、人格崩壊にまで到らなかったことは、人類にとって大いなる幸運
であった。
>>580 大麻の常用は「感染」しない。
鬱病も「感染」しない。
それ以前に
>>578へのレスになっていない。
まったく人と会話する気もなければ、人間同士の関係性というものも無視している。
教祖がどうとかいう以前に、こうした態度の方が問題。
>>580 >釈迦が「感情障害」としての
>鬱病であり、人格崩壊にまで到らなかったことは、
>人類にとって大いなる幸運であった。
「悟る」というのは人格崩壊であるから、釈尊はとっくに破壊はされてる。
(無苦集滅道)
だから無我という境地に到れるのであって、
仏教とはそういう宗教なのだよ。
583 :
T:2009/10/03(土) 16:10:35 ID:7MjwUGUd
81 :神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 15:46:24 ID:Uk5Uu+tP
>>580 大麻の常用は「感染」しない。
鬱病も「感染」しない。
現在の代表である、大麻使用も飲酒運転もストカー行為も
自己喪失(仏教の所謂、自己の迷い)が原因であります。
救う事が出来るお坊様が今現在、どれだけ居られるかが問題である。
584 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 16:17:56 ID:zG2e0Y+Z
夜回り坊さんっているんだろうか。
585 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 16:32:00 ID:OxGT6xpS
>>528 小川先生の『仏教思想7 空 下』所載「如来蔵思想と空」において、
『宝性論』153偈の釈(154偈の直前)における、他性空性批判に基づいて、
如来蔵は、他性空性ではなく、自性空性として理解されるべきことを仰っています。
ただ、後続の『宝性論』154-155偈の釈において、例えば、小川先生の訳(p601)では、
>このように、いかなるものも何処においても存在しないそれは、そのことによって空である、と
>正しく観察し、およそそこに残されているそれは、そこにおいて常に存在すると、ありのままに知る。
また、高崎先生の訳p134では、
>このような次第で、「あるもの(B)がそこ(A)にないとき、
>それ(A)はそれ(B)について空である(BにはAはない)と、正しく観察する。
>さらに、何であれ、そこ(A)に残っている何か(C)があれば、、
>ここ(A)にあると、如実に知る」。
とあります。
第一に、両先生の訳は、ニュアンスが微妙に異なるように感じます。
どちらの方がより妥当な訳なのでしょうか?
第二に、正直に申しまして、他性空性が説かれているように感じるのですが如何でしょうか?
586 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 18:41:29 ID:OxGT6xpS
>>585修正
×『宝性論』153偈
〇『宝性論』1章153偈
587 :
神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 19:41:47 ID:nPQBzn3n
>>581 >大麻の常用は「感染」しない。 鬱病も「感染」しない。
感染するでしょw
大麻の常用は、最近大騒ぎされた某芸能人が夫から感染したでしょw
>鬱の人に接していると、こちらまで気が滅入ってくるでしょ。(
>>575)
↑ つまり、緩い意味で、あくびのように感染する〜、
* + ホント、感染する!!する!!
n ∧_∧ n
+ (ヨ(*´∀`)E)
Y Y *
気がめいっただけで鬱病扱いとはw
鬱病がなんなのかよく調べた方がいいね。
過小評価してるというか、事の重大さを踏まえてない。
だから話のノリ次第で自分の都合に合わせ曖昧に変形させて適用してしまう。
性犯罪の肯定しかり、精神病認定の乱用しかり。
590 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/03(土) 23:22:48 ID:PhckhRgE
>>549 >阿弥陀如来というのは無限の寿命をもつ仏という意味です。
>つまり不死なるもの、永遠の存在、物質性の対極にある仏の抽象性ということです。
私も師から「無量寿」、「無量光」の如来と伺っております。
異教では常住の光の大神として信仰されております。
大乗では法華経しか一読しておりませんが、ところどころで長部経典の「梵網経」
などが引用されていることを確認済みです。
如来が何方おられるかは分かりませんが、釈尊を含む過去七仏は人の肉体に
宿ることができたそうですが、大神ほど人に宿ることは難しいと伺っております
ので私達は釈尊以外の仏の存在も信じております。
大日如来、観世音菩薩、弥勒菩薩、等々。
常住の仏まで縁起にしてしまった「縁」が龍樹の中論だという仮説を立てており
ます。その因果か最期のセリフは「私がいない方がよいと思うか。」だったのも
縁起でしょうか。
591 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/03(土) 23:38:35 ID:PhckhRgE
>>570 >依存的にならないよう「感謝」の念で尊敬するというのが正しいお参りの仕方
>あると説かれているようですよ。
私は異教ですが、まったく同感ですね。
衆生救済を願っておられる如来や菩薩に「感謝」の念でお参りする仕方
には大賛成です。
更に如来や菩薩の発願の「衆生救済」に自身の分に応じてお供するという
日々の実践も宜しいかと存じます。
ストレスがたまっていて苦しんでいる方々の話をよく聞いてあげたり、
体の痛む箇所をよくさすってあげたり、生活の無駄を排した分を人に
施したり、環境に負荷がかからないような日常生活に心がかけるとか、
小さな行為の積み重ねも菩薩とベクトルは合うでしょうね。
>>590 >「私がいない方がよいと思うか。」
YES.
いたら、殺せ。
593 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 23:57:31 ID:R+47z0jc
>>464 >だからこそ、創作ではありえない。テルマなんだよ。そんなこと、シナ、日本、
>チベットの縁起から分かるし、インドでも同じこと。実在史観で考えるから分からないだけ。
であれば、
何故ゴータマはこのような発言をしたのでしょう?
私は、析空氏
>>308のいう通りではないかと思っています。つまり、大乗は大衆受けして信者を
獲得できるよう勝手な内容を盛り込んでいった。そのことを指摘したのが、この未来の弟子たちの
姿を嘆いているこの経文なのではないかと。
私はこの経文を読むと、いつも大乗(経典)のことに想いを馳せてしまうのです。
『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応し
ているものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしな
いし、了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよく熟達すべきもので
あるとは考えないであろう。
これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するも
のであり、弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳
を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべ
きものであると考えるであろう。
かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応して
いる諸経典は消滅してしまうであろう。
比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―――[如来の説かれた、深遠にして意
義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにし
よう。耳を傾け、了解しようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきもので
あると考えることにしよう]と。』(サンユッタ・ニカーヤ20.7.4-5)
594 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/03(土) 23:59:20 ID:R+47z0jc
>>472 私はこのスレでいうところの「テルマ」とは、“強い意志による聖なる計らい”という程度の意味合
いと思っていました。しかし、なんとこれは「埋蔵経典」という意味合いでも使っていたのでしょうか?
要するに大乗経典(複数)とは、本当は発見(出現)された埋蔵経典であり、それは聖なる意志の
為せる業であったと。だから、その説く内容にも価値があるのだと??そういうことなのですか?
であれば、その根拠というのはあるのですか?(チベットの一部、埋蔵経の話しではなく)
>>473 >そういう経典は成就者、解脱者を出さないので直ぐ偽経と判定される。
>もちろん、テルマも認定作業がある。
ていうより、どの大乗も解脱者など輩出していないと思うけど・・修行の段階段階という意味での成
就者ならば分る(独り言なので無視して〜w)。
>>490-491 まっ、もっとも分り易いオウム教団のような事例だと、要するに、自分が如何に凄い修行の成就者
であるかを内外に顕示したくてしょうがなくなるのですよ。 どれほどの神通が発揮できるか、といった
その伝説造りはもちろんのこと。
関係書籍に掲載するために摂られる写真もすべてがポーズ付きでアピールしまくり。そこには自然
体のものがないのです。全部、カメラ目線でわざわざ手印ムドラーを組んだ姿となる。つまり、パフォ
ーマンスが増える。
わざわざ選挙にも自ら乗り込むようになるし(大川さんも同じ)、そしてできることなら正直、総理大
臣にもなりたいと。何も、自ら政治的権力を手中する必要などないのであって、自分の素晴らしい思
想が評価され、人々に支持されていくならば、自然と政治までも社会そのものまでもその思想の影響
を受けた流れで換わっていくのは必然に決まっているのです。
しかし、このような人々はというのは権力の座が欲しいわけです。人々の称賛を浴びて勲章も貰って、
そして政治的な指揮も摂りたいと。
こういう自我意識とエゴの発露であるとして、周囲からも容易に区別がつくように思います。
595 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/04(日) 00:00:33 ID:R+47z0jc
>>543 >>空中浮遊(浮揚)や空中飛行の神秘現象というのは、--略--ちゃんと技法的な裏付けがあるのです。
>
>つまり、外部の宗教から導入した思想は仏教に組み込んでもOKということですね?
>大乗もそれと同じことをしているだけだと思いますが。
私がいっているのは、原始経典中の仏陀の空中飛行を説明し得る技法メソッドはヨーガにあるという話です。
これは、あくまでも原始経典との内容の繋がりについてであって、大乗の何がバラモン繋がりであろうと、そ
れがゴータマと繋がりがなければ、話にはならないだろうと思います。
>>568 >つまり、大乗の記述についてのメカニズム的理論や
>それを可能にする事柄の解説が外教にあればそれを引用してもいいわけですね。
>
>つまり、バラモン思想やインドの民間信仰などから思想を引き抜いてきても一向に構わないわけですね。
>阿弥陀信仰などもインドラとアスラの戦いの神話(ペルシャのものと同一起源)などに起源がありますから、
>それは思想的に引用してもいいわけですね。
構いません。ただし、それがゴータマと繋がっており、そのゴータマの教えとも矛盾しなければです。それが
できるかどうかだと思います。
>オウム真理教の発展のキッカケすらもヨーガ・スートラには見ることができるかもしれませんが。
>だからといってオウム真理教の正当性が主張されることもないと思うわけです。
そりゃーそうでしょう!
596 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/04(日) 00:07:29 ID:LUgV7NK6
>>570 >説くのは勝手ですが、これは「ヒンドゥーからすると、
>釈迦もクリシュナの生まれ変わりに他ならなかったと説くのである」
>というのと大同小異ではないでしょうか。
私はヨーガと仏教の接点とその関係性についてという意味なのであって、そのようなヒンドゥー教側の一
方的で勝手なご都合主義の話しなどとは無関係です。
>そうですか。その辺はいずれ整理されていった方がいい事柄でしょうね。
>仏陀の言葉なのか、それとも後代の追加なのか。
>原始経典といっても、阿含経の内容は結構後代の追加だったりするようですからね。
四向四果の教えの内容は具体性があって、とても論理的な解説であると評価します。何故、ダメなのかが
理解できません。
>文学表現と思えばよろしいのでは?
>如来の常住を名前で表わしたのが阿弥陀如来であることはまず間違いないと思います。
>でもマァ、如来の常住などは無理に信奉しなくても構いません。
私は如来の常住性を否定しているのではなくて、阿弥陀信仰の性質についてを否定しているのです。つま
り、念仏を唱えるだけで阿弥陀によって極楽往生できるというものであり、そんなものは架空のホトケに過ぎ
ないといっているのです。
こういうことを認めるということは、人は行為によってバラモンとなり、行為によって地獄にも逝くとする根本
的で最も重要な業報理論が崩壊するものだからです。これを否定するものは仏教ではないのです。どんなに
ご都合主義を以ってもダメなものはダメ。それがゴータマ(ホトケ)の教えです。
仏教ではない別宗教というならば、お好きで構いませんが・・。
597 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/04(日) 00:08:52 ID:LUgV7NK6
>それはいいとして、あなたは如来に対して崇拝することがないのですか?
>あまり敬意とかないのでしょうかね。 真我に対して献身するのが修行だと思いますが、
>あなたは真我の意志よりも低我の意志を尊重していきたいということですかね。
阿弥陀のような架空のホトケは別にして、それ以外の神の諸性質の権化のような象徴的存在、つまり大日
や不動明王的なもの対しては、大自然(神)に対する畏怖と敬意、感謝の念として、基本的な挨拶の意味合
いでは礼拝します(一応、基本的には礼拝対象のすべてには)。しかし、それ以上の過剰な宗教行為、つまり
修行的な意味合い含みでの崇拝行為(特に繰り返し反復行為)はしません。
その何か一つか二つの特定の対象存在に対して特別な献身の念を注いだりはしません。また、基本的にお
願いごとなどは一切しません。それは、私が神智学徒だからなのかもしれません。
神智学では崇拝と礼拝行為、そして献身の行為に対しては、それをしている人を無理に辞めさせようとは
しませんが、神智学がこれをするよう求めることは全くありません。また何かを祭ったり、日々、礼拝したり、特
定の聖典なり経典を読誦したりもしません。
神智学そのものは信仰とはやや異なるものであり、また人により様々な諸宗教の信仰者が神智学を学び、
これと併用しています。仏教、ヒンドゥー、キリスト、ユダヤ、イスラム・・・いろんな方がいます。当然、神智学だ
けとか、それしか殆ど知らないという人も大勢います。神智学はこれを自ら望む者だけが学び、それを日々の
暮らしや自分の信仰の中に役立てることにあります。
もし、神智学がブラヴァツキー(教祖)を崇拝し始めたら、その時は神智学(というか、これを学ぶ人々)の完
全な堕落です。諸宗教の真似事(二の舞)はしないが神智学の特徴であり、誇るべき部分であると思う。
>イスラム
東南アジアとか欧米とか、比較的締め付けの緩い地域のムスリムかな?
イランとかサウジ(他宗教文献の国内持ち込み不可)じゃ無理ぽい
>>590>>591 >大日如来、観世音菩薩、弥勒菩薩、等々。
そんなんは彼岸へ達するまでの世俗からの視点の方便。
達すれば判る。
無分別で、そんな如何にもな分別してるよーでは、
羊の面をかぶったチンケな三流狼カルトの尻尾が丸見えでっせw
>>591のセリフは三流カルトのマニュアルっぽいんだけど、
いかにもなインチキ俗物分別視点で、勝義諦還減の清冽な無分別慈悲心を感じられない。
>>595 > 大乗の何がバラモン繋がりであろうと、そ
> れがゴータマと繋がりがなければ、話にはならないだろうと思います。
(略)
> 構いません。ただし、それがゴータマと繋がっており、そのゴータマの教えとも矛盾しなければです。それが
> できるかどうかだと思います。
まー、これで分るのはコチコチの原理主義だってことです。
原理主義的であれば外教の引用可。原理主義的でないなら引用不可。
原理主義的でないものにも、それはそれとしての価値があるとは思ったりもしないわけです。
文化人類学的視点というか、そういう柔軟さがあればもうちょっと違うんでしょうけどねぇ。
> >オウム真理教の発展のキッカケすらもヨーガ・スートラには見ることができるかもしれませんが。
> >だからといってオウム真理教の正当性が主張されることもないと思うわけです。
> そりゃーそうでしょう!
皮肉で言ってるんですから、そこに答えないとただ読解力がない見たいに見えますよ?
> 私はヨーガと仏教の接点とその関係性についてという意味なのであって、そのようなヒンドゥー教側の一
> 方的で勝手なご都合主義の話しなどとは無関係です。
そう語る一方で、ヨーガの一方的で勝手なご都合主義の話などとは関係しているのですね。
ご自身の中では矛盾してないつもりなんでしょうけどね。
> 四向四果の教えの内容は具体性があって、とても論理的な解説であると評価します。何故、ダメなのかが
> 理解できません。
後代の付加である可能性があるからです。原理主義的には×なはずですから。
>>597 > 阿弥陀のような架空のホトケは別にして、それ以外の神の諸性質の権化のような象徴的存在、つまり大日
> や不動明王的なもの対しては、大自然(神)に対する畏怖と敬意、感謝の念として、基本的な挨拶の意味合
> いでは礼拝します(一応、基本的には礼拝対象のすべてには)。
架空じゃないと言ってるのに反論もしないで架空といいつづけるというのは、もう会話する気ないってことで
いいんでしょうかね? ご隠居と同じですね。この辺の「街頭宣伝カー状態」というのは。
ちょうど両手で耳をふさいで「アーアーアー、聞えない、聞えない。阿弥陀如来は架空だ、架空だ」と
言っているような感じでしょうか。
> もし、神智学がブラヴァツキー(教祖)を崇拝し始めたら、その時は神智学(というか、これを学ぶ人々)の完
> 全な堕落です。諸宗教の真似事(二の舞)はしないが神智学の特徴であり、誇るべき部分であると思う。
それはブラヴァツキーという人が崇拝に値しないということですね。
それを誇るべきというのもよく分りませんがね。
602 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/04(日) 00:45:11 ID:+GA/9WZ1
>>599 >勝義諦還減の清冽な無分別慈悲心を感じられない。
また「机の上で空を論じる」お仲間ですか?
名無しでもお決まり文句の「勝義諦」ですぐに分かりますよ。
分別無用
604 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/04(日) 00:54:24 ID:LUgV7NK6
> 真我に対して献身するのが修行だと思いますが、
>あなたは真我の意志よりも低我の意志を尊重していきたいということですかね。
真我は自己であり、自分(低我)の中に内包しているという象徴的言い回しをします。
つまり、外には対象を求めないというのが基本になるのであり、これは他力とは異なる考え方なのです。
真我に献身するという言い方は通常はありません。献身する対象というのは無いのです。
自己の外には見出されることはないのです。
もし、献身があるとするならぱ、苦境に喘いでいるような人に手を差し伸べるような行為への献身です。
自己の義務や奉仕に対する献身です。
尚、解脱した存在は人々からの称賛や崇拝、献身的行為を必要とせず、それを求めることはありません。
献身は常にそれを捧げる側の願望としてあるのです。
>>602 592 :神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 23:54:54 ID:TaaqPj53
>>590 >「私がいない方がよいと思うか。」
YES.
いたら、殺せ。
なんのことか、了解できるか?
606 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/04(日) 00:59:55 ID:LUgV7NK6
>>601 「崇拝行為」と「尊敬心」とは違います。
尊敬は自然な感情であり、必要な美徳です。ですが、崇拝行為をする暇があったら、
苦しんでいる人への奉仕行為などに当てられるほうが有意義です。
まっ、分る人だけが理解すればいい。
607 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/04(日) 01:13:09 ID:LUgV7NK6
>>601 >架空じゃないと言ってるのに反論もしないで架空といいつづけるというのは、もう会話する気ないってことで
>いいんでしょうかね? ご隠居と同じですね。この辺の「街頭宣伝カー状態」というのは。
>ちょうど両手で耳をふさいで「アーアーアー、聞えない、聞えない。阿弥陀如来は架空だ、架空だ」と
>言っているような感じでしょうか。
業報理論を否定するような信仰対象などはホトケなどでは有り得ないといっているのです。
>>596 阿弥陀の正体(導入経緯)については説明した通りです。
>>529 (及び、過去ログ参照のこと/【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13/452)
>>604 > 真我は自己であり、自分(低我)の中に内包しているという象徴的言い回しをします。
> つまり、外には対象を求めないというのが基本になるのであり、これは他力とは異なる考え方なのです。
同じことです。実際に外にあるわけではないですから、実質上、内に求めているわけです。
更にいえば、具体的に求めているのは真我そのものというよりも、真我との接続のことであり、
「信」であり、これは菩提心のことです。
> 真我に献身するという言い方は通常はありません。献身する対象というのは無いのです。
> 自己の外には見出されることはないのです。
浄土教でも献身という言い方は通常はありません。その意味では献身するというのは無いですね。
あなたのいう自己である「真我」の外には見出されることはないのです。
>>606 > 「崇拝行為」と「尊敬心」とは違います。
そういう意味では浄土教は崇拝を説くのではなく、尊敬心を説いているといえるでしょう。
> 業報理論を否定するような信仰対象などはホトケなどでは有り得ないといっているのです。
>>596 業報理論を否定するどころか、その上に成立っているのが阿弥陀信仰です。
ご心配無用です。
> 阿弥陀の正体(導入経緯)については説明した通りです。
>>529 > (及び、過去ログ参照のこと/【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13/452)
いいですか?釈尊の頃から「真のバラモンである」「ヴェーダの達人である」として、
バラモン教やヴェーダを換骨奪胎しているのです。いわば換骨奪胎は仏教のお家芸です。
同様に阿弥陀如来はゾロアスター教もしくはネストリウス派キリスト教の神の概念を換骨奪胎したのです。
釈迦が梵天と言われたからといって仏教ではなくならないのと同様です。貴方は言葉に囚われすぎていますね。
>>596 > 私は如来の常住性を否定しているのではなくて、阿弥陀信仰の性質についてを否定しているのです。つま
> り、念仏を唱えるだけで阿弥陀によって極楽往生できるというものであり、そんなものは架空のホトケに過ぎ
> ないといっているのです。
念仏を唱えることで往生するというのは、念仏、つまり「名号」を唱えるという
ある種呪術的な行為によって、阿弥陀如来と衆生との機縁を作るということです。
阿弥陀如来とは真我、衆生とは低我のことですから、
念仏というマントラによって、真我と低我との間にパイプを構築するということになります。
そのパイプのことを金剛心、菩提心、信といいます。
この場合、マントラは触媒の役割を果たしているにすぎないわけですが、
信を構築する上でのキッカケとして重要な意味を持つわけです。
そして、金剛心は仏の常住と直結するものですから、則ち不死。則ち、往生ということです。
念仏を唱えるだけで、と軽くいいますが、法然は念仏は多ければ多い方がいいといっていて、
一度くらいでどうこうなるとは思っていません。
親鸞などは「一度でも本心から念仏を唱えれば」と言っていますが、これは更に意味が重く、
本心、つまり金剛心の状態で、念仏、つまり常住仏に心の水準を合わせることができれば、
その精神の領域は不死に到達する、という意味であって、適当な人間が適当な心で南無阿弥陀仏と唱えても、
それで往生できるというものでもないわけです。
阿弥陀如来や念仏往生のプロセスなどは非常に精神的な事柄を扱っているのであって、
一度念仏唱えたから往生決定!もう何してもいいや、みたいな不埒な態度が許されることは決してないわけです。
そういう勘違いは「本願ぼこり」といって完全に否定されています。
蓮如あたりが、この辺を適当なロジックでまるめこんで
「一度でも唱えればいいんだから」といってお気楽宗教、
カップラーメン的宗教として、浄土真宗を改変した部分があるような気はします。
それはどうかと思う側面もありますが、一般大衆を仏教に導く入り口としては
必ずしも悪くないのではないかと思います。
というのは、極楽往生するというのは必ずしもウソではないからです。
往生するといっても九等あるわけですが、場合によっては
極楽の蓮の花の中に生まれても開花するまで何劫も待たなければなりません。
蓮とは悟りの象徴ですから、「信」によって常住仏との機縁ができたといっても、
悟りの花の咲くまでには、何劫もかかるわけです。しかし、一旦レールがしかれたからには
いずれはそこに到達します。
こうしたことを象徴的に表現すれば、極楽往生して蓮の花の中に生まれ変わるという形になるわけです。
念仏したくらいで別に安易に悟りに至るとか、今までの罪業が一気に浄化されるとか、そういう話ではないのですが、
真我の接続度合いによっては、超短期間でそれが実現することがあります。
それは修行に励めばその分、悟りに到達するのが早くなるようなものであって、業報を無視しているわけではないのですね。
611 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 06:03:05 ID:2NXAbPS9
>>593 貴方については前シリーズで何を言っても無駄だと思ったので、
コテだけでスル〜してました。だから、読んでません。
そして答えようとも思いません。言っても無駄だから。
そのニカーヤは、逆にパーリ・ニカーヤの限界を示しているように私には思えます。
その根拠は『勝義空性経』です。パーリ・ニカーヤには『勝義空性経』に相当する経典がない。
つまり、縁起、空に関する理解が低かったのではないかと思う。
『清浄道論』には似たアーガマが引用されているが、そのアーガマがパーリ・ニカーヤには見いだせない。
もっとも『清浄道論』自体が龍樹菩薩の空性の影響を受けているようですし、
『勝義空性経』が部派のテルマという可能性もないわけでもなく、
そう単純には言えないけれども。
大乗に解脱者がいないとネパール、チベット、モンゴル、ブータン、
シナ、朝鮮、日本の仏教を全て否定するわけだ。その浅薄なアートマン見解でw
612 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 06:17:58 ID:zS1iE4vw
>>609 法然は、一回の念仏でも往生できると言っている。
一回でも往生できると信じつつ、
そのような念仏を一生涯続ける教え。
613 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/04(日) 06:44:28 ID:2VhrA9LH
>>605 >>「私がいない方がよいと思うか。」
>YES.
>いたら、殺せ。
>
>なんのことか、了解できるか?
さあ、分かりませんね。
案外、「自分は存在しない。不生不滅だから。」かも。
614 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/04(日) 06:55:51 ID:2VhrA9LH
>>609 >阿弥陀如来とは真我、衆生とは低我のことですから、
>念仏というマントラによって、真我と低我との間にパイプを構築する
異教では如来の分魂が真我で、衆生は真我と低我を具有していると
伺っておりましたので、
念仏によって衆生の真我が現れて、如来と共鳴し(波調が合い)、
救いや奇跡が現れると推察しておりました。
貴兄とモデルが異なりますが、念仏によって衆生が救済されるという
果は同じになるかと存じます。
615 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/04(日) 07:03:29 ID:2VhrA9LH
>>609 ただ、菩薩と同じ利他心を持って南無阿弥陀仏と唱えた時に
極楽往生できるかと思料致します。
利他心は本心、真我の一つでしょうから。
利己心で100万回唱えても往生できないかも。
616 :
析空:2009/10/04(日) 08:37:12 ID:2FVvZwep
>>443 【原理主義】に対する見解が、あなたとわたしでは異なりますね。
原理主義とは、【まず原理ありき】であり、仮に科学的に、
その原理が否定されたとしても、科学を否定し原理を採用する立場と考えます。
竜樹が説一切有部の法体恒有を否定したのは原理主義とはいわないでしょう?
617 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 10:32:14 ID:dIOTIcuc
弟子や信者は気が滅入った教祖と毎日いろんな方法で見たり読んだり聞いたり
接触してるし、期間が長くなればなるほど感染は増大して似てくる。
あと尊敬・愛情などの思いがあるとスピードは加速するのは、当然なことw
某芸能人も身近な夫から覚せい剤を感染され逮捕されたし、人間なんて
机上の理屈・理論では割り切れない複雑である意味弱い繊細なシロモノ。
情報・報道からの感染・噂の感染・宗教教義の感染・多人数からの感染・
コマーシャルからの感染・損得・エゴからの感染・・・・
人間の日常生活は、そんなものばかりでは?
それでかつて日本人達も正しい?と思い戦争に走り、今は皆深く後悔してる。
キリスト教徒達の沢山の歴史上の宗教戦争は、果たして如何でしょうか?
619 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 11:07:17 ID:2NXAbPS9
>>618 そんな脳に還元して考えること自体、
実在論による還元主義でしょw
縁起、無我、空なら脳もただの縁起と分かるはず
>>616 原理主義、仏典主義なんて左脳論理そのもので、
それでは彼岸に達することはできません。
まだ無心で念仏するほうが娑婆が彼岸と化するでしょう。
そのとき、あるがままを感じ慶安でいられます。
結局、絶対神だとか仏だとか(聖書、仏典などなど)は
彼岸へ達するための左脳に対するもろもろの方便にすぎない(手段)のであって、
到彼岸の暁には、無用の長物だったのだ、と了解できます。
(未達に人にとってはこの真相はかなり危険かもしれません)
>>619 典型的な左脳人間の反応ですねw
こうして言語論理(左脳、右脳という言語)で説いている、これ自体が方便です。
空であることを直覚了解するには、まだまだのようですねw
622 :
621:2009/10/04(日) 11:27:12 ID:y4Y/r3pd
訂正
△こうして言語論理(左脳、右脳という言語)で説いている、これ自体が方便です。
〇こうして言語論理(左脳、右脳という言語)で説いている、説かざるを得ない、これ自体が方便です。
アホども。
仏様なんぞになろうとするな。
56億7千万年早いんじゃヴォケ。
この事を了解して、苦しみから逃げ出そうとすることを諦めて、
やっと大乗の門へと入れるのだ。
624 :
析空:2009/10/04(日) 11:39:03 ID:2FVvZwep
>>436 私はテーラワーダではありません。
縁起については、あなたが誤解しているようですね。【歴史的事実】というのは、幻ではありません。
釈尊が【何を説いたか】は厳密に区別できなくても、
こと法華経に関していえば、釈尊の時代にはありえない、
貨幣経済を前提としている話しが書かれており、
釈尊が法華経を【説くことは無い】といえます。
釈迦なら未来や過去くらい楽々見えます。
626 :
T:2009/10/04(日) 12:02:41 ID:L3eVNkFi
619 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 11:07:17 ID:2NXAbPS9
>>618 >そんな脳に還元して考えること自体、
>実在論による還元主義でしょw
>縁起、無我、空なら脳もただの縁起と分かるはず
そうそう、左脳、右脳と言っている限りは無明縁起です。
627 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 12:13:47 ID:2NXAbPS9
>>624 つまり、実在論的実証史観からいって貨幣について説かれている『法華経』は、BC5世紀前後を生没年とする釈尊が説いた教典ではないということですね。
ですから、テルマなんです。テルマというのはその時代に合わせてデコードされるので、
そういった見方では記号化、文字化された時空が特定できるだけです。
教え自体は、そうではないこれは『般若経』や『華厳経』、
『ヘーヴァジュラ』『サンヴァラ』、チベットの諸テルマでははっきりしています。
『法華経』はそうでもないようですが。
ところで私の縁起の誤解とはどういう点でしょうか?
縁起理解に関しては、私以上の理解を持っている日本人は少ないと自負していますが。
628 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 12:15:08 ID:2NXAbPS9
>>621 空であることを直覚した人が脳を持ち出すのは理解できませんがw
629 :
621:2009/10/04(日) 12:40:31 ID:y4Y/r3pd
>>628 こうして言語論理(左脳、右脳という「分別」言語)で説いている、
説かざるを得ない、これ自体が方便です。
達磨:廓然無聖とでも書けば満足なのかなw
これでも、縁起撥無と「論理的に」迷うでしょう?
やっぱり気が付かなかったら、隔靴掻痒なんだよね、はがゆいよね。
630 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 14:29:08 ID:2NXAbPS9
>>629 戯論による戯論の止滅なんてあたりまえのこといわれても。
ただ言語習慣を用いて方便としての道を説くとしても、
そこで脳に言及する必要性は全くない。
君程度の知識で、何か仏教全てを理解したかのように語るのが滑稽極まりないだけのことw
631 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 14:32:55 ID:DRtfkYwg
>>628 「空であることの直覚」も、脳の機能w。
632 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 14:44:24 ID:DRtfkYwg
「生きるのが辛い、苦しい」と言っていた御釈迦さんが、80歳以上
まで長生きされた。しかも、死因は老衰などではなく、食中毒による事
故死。凄い「生存本能」を、身をもって証明されたのである。
「生存苦」とは、生存に対する渇望、執着の裏返しである。「生存苦」
などと言っている者が、却って、こうやって長生きするw。
633 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 15:48:48 ID:2NXAbPS9
>>631 そう神経細胞とか脳内分泌物に還元して理解、説明するのは自由だが、
そう考えるなら、縁起でなく仏教の立場ではないことは明白。
634 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 15:50:58 ID:2NXAbPS9
>>632 梵天勧請の意味を考えよ。
少なくとも成道後の活動は、利他のみ。
635 :
析空:2009/10/04(日) 15:53:23 ID:2FVvZwep
>>627 縁起とはすべての事象に当て嵌まります。
しかし、あなたの縁起の理解が間違っているのは、以下です。
「実在的な唯一無二の事実からなる歴史などありえない」
歴史が実在と言っているのではありません。
縁起は、そこに実体や本質を認めません。しかし、事実までは否定しません。
事実というものは、人間から見ようが、餓鬼から見ようが同じものを事実というのです。
【歴史的事実】というものは、人間の【評価】とは別なものです。
客観的に見て誰が見ても同じでなければ、それは事実とはいいません。
歴史とは「過去の情報」であって、その情報が正しいか間違っているかは、
客観的に「判断可能なもの」です。
(実際に可能かどうかは別問題として)
636 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 16:01:48 ID:2NXAbPS9
>>635 >事実というものは、人間から見ようが、餓鬼から見ようが同じものを事実というのです。
仏教ではそうは説かない。そのような考えは単なる外界実在論であって、
それは縁起ではない。君は縁起の意味が全く分かってない。
縁起というのは、実在するものの集合離散の関係原理を意味するのではなく、
徹頭徹尾、認識論なのである。もちろん、外縁起という考えもあるが、
それこそ方便に他ならないだろう。
君の考えは仏教ではなく唯の実在論による仏教の似非解釈以外のなにものでもない。
根拠は、『勝義空性経』『中論』『因縁心論』『入中論』『中観荘厳論』
もちろん、『般若経』や『華厳経』はいうまでもない。
637 :
T:2009/10/04(日) 16:08:14 ID:L3eVNkFi
631 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 14:32:55 ID:DRtfkYwg
>>628 「空であることの直覚」も、脳の機能w。
それは空でなく、空華である。
638 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 16:49:57 ID:zS1iE4vw
>>609 疑いながらも念仏すれば往生できると法然さんが言ったと、
徒然草にでてきます。
金剛心などとたいそうな表現をつかうと、
自分にはそんなりっぱな信心はないのではないかと、
自分の信心を信用できない人もいるでしょう。
疑いながらも口で念仏すればいいとなれば、
物理的なはっきりとした基準があるわけだから、安心しやすい。
口からでる念仏が、往生極楽の切符です。
もし切符をなくしたら、また口で念仏すれば、切符はすぐでてきます。
639 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 16:59:53 ID:2NXAbPS9
>>638 そういう方便で言ったことをエゴで真に受けるから。
時代と法然上人の行状を読めば、どうしようもない人のための方便であることは明かでしょ。
内乱で乱れた殺伐とした世の中で少しでも善業を積ませようという方便以外のなにものでもない。
それで中には信が強い人がいるから、念仏だけで悟ったりしちゃうわけだ。
640 :
621:2009/10/04(日) 17:46:50 ID:y4Y/r3pd
>>630 >滑稽極まりないだけのことw
そうですか。それは畏れ入ります。
では、あなたの頭でっかち知識で、
出口のない迷路箱ツアーをお過ごし下さいませ。
失礼しました、御免くださいませ。
641 :
析空:2009/10/04(日) 18:10:17 ID:2FVvZwep
>>636 私の縁起の理解「析空観」と竜樹の説く「相依性の縁起」とは明らかに違います。
(浅いか深いかは評価であって事実ではない)
あなたが根拠とする大乗の諸経典は、一般人よりは知っているつもりですが、
その経典のどこにも【歴史的事実】を否定するような内容は書かれていません。
あなたは竜樹が【幻】といった言葉を「実在するものは何も無い」ことと
思っていませんか?
ひょっとして、【仮有】の存在も否定していませんか?
※それでは断滅論ですね。
642 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 18:11:24 ID:4c2exv61
>>534 「利他」も、釈迦の生存本能(生命)から発する「他者への思いやり」から
生じた。
梵天から「命令された」利他は、本物ではない。
>>640 >出口のない迷路箱ツアーをお過ごし下さいませ。
>失礼しました、御免くださいませ。
ご苦労さまです。
勝義諦空を、無明の輩にどれだけ解せるか?
ってのを実験的に書き込みしたのであろう?
非常に優れたレスポンスと、拙者は評価しております。
拙者も「台風は動いていない」って論題で、
実験的にレスポンスした経験から、
やはり勝義諦空は・・・直覚(直観)しか無理であろうかと思います。
でも貴殿の勝義諦空を伝えようとする努力は・・・
これこそ菩薩の姿かと、
拙者は思いました。
<合掌>
644 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 19:56:45 ID:2NXAbPS9
>>641 >ひょっとして、【仮有】の存在も否定していませんか?
ご心配なく『中論』24.18は現代日本人ではよく理解してるつもりですよ。
そんな低い誤解はありません。
たぶん、貴方の知ってる仏教の知識で知らないものはないと思います。
645 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 19:56:54 ID:BbzTdzna
>>632 >「生存苦」とは、生存に対する渇望、執着の裏返しである。「生存苦」
などと言っている者が、却って、こうやって長生きするw。
あはは・・・・・確かに言えてる。^^
646 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 20:14:03 ID:2NXAbPS9
>>641 >あなたが根拠とする大乗の諸経典は、一般人よりは知っているつもりですが、
一般人より知ってるかどうかなんて意味がない。
問題は、どれだけ正確に理解してるかどうか。
>その経典のどこにも【歴史的事実】を否定するような内容は書かれていません。
別に大乗経典でなくても、餓鬼と人間が見るものが違って現れることぐらい
直ぐわかりそうなものだが。
端的には『唯識二十論』が分かりやすく書かれている。
なんで、その程度の知識なのに断定するのかな〜
ほとんど理解してないと自覚した方がいいよ。
647 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 20:16:27 ID:2NXAbPS9
>>642 命令ってw 勧請、嘆願されたのですが。
これが縁起なんです。無我だから、他の働きかけがないと、
縁起せず、あるがままの静寂に留まるのだと思いますが。
648 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 20:29:51 ID:4c2exv61
>>647 それは、釈迦の内なる生命が命じたものです。
釈迦が、己の「我」によっていくら「無我」を説いても、矛盾であり、
全く説得力はありません。
649 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 20:47:46 ID:2NXAbPS9
650 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 21:05:06 ID:0IWgNIp7
ご隠居氏の生命論は、万人に説得力がありま〜す!!
生命がなければ宗教も起こらなかったでしょう!
651 :
析空:2009/10/04(日) 21:36:08 ID:2FVvZwep
>>644 「低い」とか「その程度」とか、とても仏教の知識のある方の発言ではありませんね。
652 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 21:46:28 ID:2NXAbPS9
>>651 知識なくシッタカするよりは、正確な知識で誤解を指摘する方がマシでしょう。
もちろん、私は知識だけの凡夫だが。
貴方のように何も知らないのに大乗について批判したり、
人に断定的物言いで偉そうに教えるのを黙視できないだけだ。
仏教の素晴らしい内容と貴方の説く浅薄な内容にあまりにも齟齬がありすぎるから
653 :
析空:2009/10/04(日) 21:52:21 ID:2FVvZwep
>>646 比丘たちよ。もしもある人が質問されて、ののしったり、威圧したり、あざけり
笑ったり、口ごもったのをあげつらったりするならば、このような人は、
比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人ではない。
(アングッタラ・ニカーヤ367,5)
※大乗の人達に多いようですね。
隠居並みに不毛な流れに持ち込もうとしています。
655 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 22:16:25 ID:2NXAbPS9
656 :
神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 22:35:01 ID:APUQdcNr
こんな時には護法少女ソワカちゃんを見る
657 :
析空:2009/10/05(月) 06:50:41 ID:6sl7oiq+
>>652 大乗を何も知らないと?
どうしてあなたにわかるのですか?
【大乗仏教は釈尊の教えではない】
【法華経は釈尊の説いた経典ではない】
【仏性というものは無い】【阿弥陀仏は架空の仏である】
→こんなだれでも知っている話しが偉そうに聞こえたのですか?
→あなたは実は何も知らないのですね。
658 :
析空:2009/10/05(月) 07:19:16 ID:6sl7oiq+
>>652 大乗仏教が素晴らしいと?
あなたは創価学会をどう思いますか?
大乗仏教ですが出鱈目ですよ。
法華経は釈尊の教えではない、仏性というものは無い、というのも基本は
創価学会への批判です。
(ついでに大乗一般への批判となっている)
創価学会が出鱈目なのは、大乗が出鱈目だからです。
659 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/05(月) 07:41:05 ID:qWux0udV
>>650 >ご隠居氏の生命論は、万人に説得力がありま〜す!!
>生命がなければ宗教も起こらなかったでしょう!
生命論と仏教は、水と油のようなもので
けして交わらない。
西洋思想と東洋思想では全く違う。
そこを
>>618氏が上手く説明している。
つまり名称とその形態を、どんにな究考しようとしても
それは豚に真珠。
>左脳を破壊または機能停止が必要です
>>618 生命を機能停止してくらさい。
さすれば、いくらか片目が開く。
660 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 08:34:04 ID:fnXyBogP
>>659 >生命を機能停止してくらさい。
>さすれば、いくらか片目が開く。
たしかに、瞳孔が開いたままになるのは昔から
死の徴候のひとつとなっているね。
しかし、生命を止滅したところで苦は止滅しない。
死も死苦として苦のひとつであるから。
死の原因を滅することで死苦は滅する。
すなわち不死を得ることが死苦からの解脱と仏教は説く。
662 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/05(月) 09:50:35 ID:qWux0udV
>>660 >しかし、生命を止滅したところで苦は止滅しない。
これと
>すなわち不死を得ることが死苦からの解脱と仏教は説く。
これは、
論理矛盾。
「不死を得る」とは「生命を止滅させる」ことです。
意味は、
生命を止滅させれば、もう二度と止滅することはない。
これが有余涅槃ですね。
生命があっては、いつまで経っても解脱は不可です。
直ぐに生命の機能を停止して、
不死の境地に至ることをきぼんぬ。
663 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 09:57:42 ID:fnXyBogP
>>648 >釈迦が、己の「我」によっていくら「無我」を説いても、矛盾であり、
「自己は我ではない」というのが釈迦の無我論だからそこに何の矛盾もない。
我とは霊魂のことだよ。自己には霊魂なんてないというのが無我論だね。
664 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 10:05:10 ID:fnXyBogP
>>662 >「不死を得る」とは「生命を止滅させる」ことです。
これが誤解ですね。生命は「生老病死」の老と病に対応するもので
仏法でいえば命根だろう。命根があるときの涅槃が有余涅槃と分別
されたのだろう。
不死とは死なないことすなわち生命の維持であることは常識だね。
665 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/05(月) 10:19:36 ID:qWux0udV
>>664 >仏法でいえば命根だろう
命根など本来なかった。と悟るのが仏法ですね。
つまり悟るというのは“死に体で生きる”ってことですよ。
生きながらにして死んでる状態。
これが不死ですね。
一度死ぬと、もう二度と死ぬことはない。
これが不死の本義ですね。
まあ、このスレには“死に体”で書き込みしておる御仁は沢山いまして、
貴殿は「生命」などと書き込みしても・・・
そういう輩にとっては、既に「生命」ってのが辞書にはない訳です。
悟った人間といいますのは、もはや「生命」という概念からは解脱してますね。
これが東洋思想の特徴です。
貴殿の書き込みは哲学板(西洋哲学)のジャンルになります。
仏教と生命は・・・水と油でして、けっして混じりあうことはない。
666 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/05(月) 10:32:10 ID:btaVQ8th
>>608-610 とにかく屁理屈-乙です m(__)m
結局、どうにでも拡大解釈するわけです!
「念仏」の効果?この阿弥陀仏に「南無」をつけただけの?
ま〜確かに信じて繰り返せばマントラヨーガということになるのですかね??
しかし、こういった“この句を唱えればいい”みたいなことを
最も戒めていたのが仏教(ゴータマ)だった筈なのですけどね。
つまり、もう〜どうでもいいわけですね!
ゴータマの教えよりも大乗(ここでは念仏一派)の伝統のほうが重視されると。
随分と念仏宗のことを擁護されるみたいで驚きました。
でも、私は人様の信仰(自由)を奪う気などはさらさらないので、どうぞお好きにして下さい!
支持者がいる限りにおいては存続するでしょうし・・・。
667 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/05(月) 10:33:02 ID:btaVQ8th
>>657-658 うはっ!!
析空さんも、だいぶ憤慨されているようですね!w
どうもあの方は経典や書物の読破量も相当ながら、
また何にも増して、数千年来〜脈々と口伝にて伝承されてきたという法統の教えを
「直接、師から学んできたのだ」という自負があってか、人(相手)を見下す意識が強いようです。
すぐ、「その程度で〜」というのが口癖の模様^^
析空さんのご意見には、私はほぼ同意です。
ただ仏性は大乗の概念の中でも良いものかと見ており、
本来(ゴータマ)はその芽となるような教えを説かれていた可能性に想いを馳せます^^
668 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/05(月) 10:33:10 ID:Gn1Jel3I
>>665 机氏
>生きながらにして死んでる状態。
>これが不死ですね。
私の認識では衆生救済だったはずの仏教も、中論が縁で
アンデッド推奨になってしまったようですね。
法滅を加速する「縁」が何だったかの証明はもう済みました
ようです。
669 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/05(月) 10:34:47 ID:btaVQ8th
今、NHKブックス奈良康明著を読みはじめたところなのですが、このスレで大乗を支持されている人
の見解というは、たぶんこういうところにあるのでしょう!
『江戸時代になって、大乗経典はブッダの直説ではないから仏説ではない、とする大乗非仏説論など
が唱えられるのも故無しとはしないのである。
それにもかかわらず、私はそれがなかったら仏教ではないという意味においての、仏教の基本の思
想、世界観は厳として存在すると思っている。
確かに釈尊の教えと後代の仏教、特に大乗仏教の教学は大いに違っている。思想の営みとしての奥
行きと幅は大乗仏教のほうがはるかにまさっている。中国、日本の発展した仏教の思想が釈尊のそれ
と同じはずがない。山本氏が言うように、釈尊の教えの枠組みでは後代の仏教の教学を盛り込むこと
はほとんど不可能であろう。しかし、そうした多彩な教学を生み、育てた根本には同じ真実が横たわっ
ている。この真実のことを仏教では「法」というか、例えば、無常、無我、縁起、空などといった言葉によっ
て示され、実践され、仏教者の生活の中にはたらきだされてきた真実である。(p14)
だから、どんなに教の外的な形態が違い、実践の方法が異なろうとも、法が踏まえられている限りにお
いては、仏教は釈尊の教えであり、仏説であることに変わりはない。釈尊の教えと、例えば密教、浄土、
禅、日蓮などの思想と実践がいかに異なろうとも、仏教としての一貫性は「法」の存在とその実践、つま
り生活の中へ法をはたらかせつづけることにおいて、保たれている、と私は考えている。(p16)』
(奈良康明著『釈尊との対話』NHKブックス刊)
もちろん、いいたい意味はよ〜く分るのですが、しかし、「無常、無我、縁起、空が説かれていれば、どん
なに異なったものになっていようとOK」などというのは、どうにも納得いかないのです。
他力本願という信仰は、ゴータマ最後の遺言に全く反した認められざる方法論です。しかも、念仏やら
お題目やらを唱えればよい、などいうのは最もゴータマの思想に反するものです。
で、君は何ができているの?
仏教的に。
671 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/05(月) 10:45:06 ID:btaVQ8th
『この法華経の教えを授かって、忘れ去らぬ(受持)様にとして、 時には読んだり 、時には声に出して唱
えたり、時には人に聞かせたり、時には書き写すならば、この人は、必ずや八百の眼の功徳・千二百の耳
の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳 ・千二百の意の功徳を得るであろう。そし
て、この功徳をもって、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を美しく飾り、六根を清浄するであろう。この良識がある
青年や婦人らはそれぞれの両親から授かった清らかな肉眼で三千大千世界の内外にある すべての山や
林や河や海を見るであろう。』(法師功徳品 第十九)
修行することなくして、ただ読誦、写経、人に聞かせる・・等々、それだけのことでこんな奇跡のような功徳
が得られるなどというのは有り得ないことです。こういったものはゴータマが最もいけないとして戒めたもの
でした。
672 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/05(月) 10:50:08 ID:qWux0udV
>>668 >私の認識では衆生救済だったはずの仏教も
貴殿はなにか勘違いなさってるようです。
釈尊が本懐を遂げたのは「中道」です。
誰かが救済しなければならない程に、世界は矛盾してるのですか?
世界は矛盾していて、破壊をし、そして発展する。ってのはマルクス論ですね。
貴殿はマルクス論者なのですか?
空性というのは、矛盾もなく非矛盾もなく、
世界は調ってる。ってことです。
そこに作為を入れる必要は全くないです。
衆生救済せんでいいですから、
社会規範や、世間一般の道徳観念で充分です。
これ以上のことをやるつもりなら、それはエゴです。
法を貶めることにもなる。
中道、空性は一枚平等でして、悟れば救済など考える必要は全くなし。
自分の理性に従うだけで良し。
エゴのために法を利用してはならない。
>>672 禅やってる人でそういうのを
無駄飯喰らいの糞袋っていうらしいですよ。
まあ、自分とか、他人とか分別心が出た時点で、
禅でも何でもないですがね。
675 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/05(月) 10:57:54 ID:MMRx0amx
>>672 机氏
>貴殿はなにか勘違いなさってるようです。
>釈尊が本懐を遂げたのは「中道」です。
>誰かが救済しなければならない程に、世界は矛盾してるのですか?
貴兄と話がすれ違っているようですので整理しましょう。
釈尊の悟った「四諦」、「八正道」、「中道」を衆生に伝える行為にて、
人々の身体が健全になるのであれば、それを衆生救済の一つの方法、
行為と申している訳です。
「中道」を誰にも伝えずに一生を終えるのは自己愛でしょうか。
当たり前のことでしょう。
676 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/05(月) 11:11:13 ID:qWux0udV
>>678 そうですね。
アウトローであることの自覚こそ自由の境地なんじゃないでしょうか?
そこにはもはや、アートマンも彼の世も寂滅しまして、
今あるのは本来の、一無位の真人(臨済宗)というもんでしょう。
悟るってのは、こういうことですよね。
善をしたくてどうしようもない。
とか、衆生救済したくてどうしようもない。
ってんなら、なにも仏教を学ぶ必要もない。
ボランティアやってれば良いことです。
もしくはカルト入信とかですね。
カルトも沢山ありますから。
677 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/05(月) 11:23:10 ID:qWux0udV
>>675 >釈尊の悟った「四諦」、「八正道」、「中道」を衆生に伝える行為にて、
>人々の身体が健全になるのであれば、それを衆生救済の一つの方法、
>行為と申している訳です。
そういうのは慈悲といいますね。
慈悲というのは「分かちあう」って意味です。
中道において「救済」ってのは論理矛盾ですよね。
悟ると「救済」という相対概念は寂滅します。
救済というよりも慈悲という概念に近くなりますけど、
これも悟ると寂滅しまして、
慈悲喜捨となりまして、
自他不二になります。
仏教は一如(不一不二)の法門ですから、救済・被救済という相対からは解脱し
これの実践が八正道と言います。
678 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 11:38:37 ID:fnXyBogP
>>676 >アウトローであることの自覚こそ自由の境地なんじゃないでしょうか?
アウトローとは無法や法外ということで仏教の「自帰依 法帰依」から
最も外れた地獄への道だろうね。www
679 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/05(月) 11:54:38 ID:qWux0udV
>>678 >自帰依 法帰依
こういうのを世間法外だから、アウトローと言う。
世間法に遵法するのは、アウトローではない。
仏教というのは前者ですから・・・
何で地獄に落ちるんだか?
その反対じゃないの?
680 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 12:07:00 ID:iFnS0wsj
宗教の開祖や信者が、己の生命を以って生命を否定するという矛盾は、
直ちに止めるべきである。生命そのものを否定すれば、「生命の否定」
も全く不可能である。
生命が無くなれば、修行も、座禅も、悟りも、解脱も、その瞬間に一切
不可能になる。滑稽の極みである。無明とは、まさにこのことである。
現世の生命を否定する「永遠の生命」とは、忌むべきキリスト教の概念
に過ぎない。
「生きとし生けるもの」への慈悲を教えたのが、佛教である。
「赤肉団上に一無位の真人あり。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ
証拠せざる者は看よ。看よ」(臨在録)。この「赤肉団」とは「心臓」
のことであるが、広く肉体を意味するという解釈もある(つまり肉体的
生命です)。この自由に生き生きと活動している主体を自覚することが
要請されているのである」(岩波佛教辞典より)。「無位の真人」は、肉体、即ち
生命にのみ存在するのです。
禅者として、かつカルトバスターとしての机師の仰りたいことはよく理解
できるが、カルトを有頂天にさせる恐れのあることは言わないように
ご注意願います。カルトとは、「生命」という根源を忘れて、「生命の
機能」に過ぎない「観念」を「すべて」とする倒錯に陥った者のことです。
すべての大乗仏教の宗派(一神教類似の浄土真宗は除く)は、釈迦の
「誤り」を改善・是正した、それなりの見識を持っていると思いますよ。
大乗仏教としての禅宗も、決して例外ではない。小乗仏教からの「コペ
ルニクス的転回」と解される所以です。
681 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 12:31:14 ID:QK79OOrl
>>663 五蘊仮和合をどう考えてるんですか?
五蘊(色受想行識)のうち、受想行識をまとめて「名」といいますね。
五蘊を「名色」とも言う。
その「名」(受想行識)を仮に「霊魂」と呼ぶとしても、
それらもやはり仮に和合してるだけだから、
「我ではない」でしょう。
野球チームのダイエーホークスがソフトバンクに名前を変えた。
ダイエーからソフトバンクへの輪廻。
やがて、ダイエー時代の選手がすべて引退して、
ソフトバンク時代しか知らない選手のみのチームになります。
「霊魂」を構成する受想行識の選手は常に入れ替わります。
チーム名(我)は幻です。つまり、無我です。
ただ、個々の選手達が通りすぎてゆくだけ。
選手達にはそれぞれ名前があります。
チーム名は、仮に選手達をまとめてそう呼んでるだけ。
輪廻はある(チームが受け継がれる)が、
無我(選手はすぐに入れ替わるから、ずっと同じチームではない。)である。
682 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 12:46:14 ID:QK79OOrl
>>677 一如や不二は本当に仏教にとって重要な教えのでしょうか?
一如や不二は、ヒンドゥー教っぽいと思います。
また、一如や不二なら、釈尊が出家当初に師事した
二人の仙人でもご存じだったのでは?
一如や不二でいいのなら、仏教の意味がない気がする。
一如や不二って、個我への執着を大我への執着にひろげただけ、
苦・無常・無我とは微妙にズレてると思います。
683 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 12:53:55 ID:BPLOSuTZ
>>680 >宗教の開祖や信者が、己の生命を以って生命を否定するという矛盾は、
直ちに止めるべきである。生命そのものを否定すれば、「生命の否定」
も全く不可能である。
生命が無くなれば、修行も、座禅も、悟りも、解脱も、その瞬間に一切
不可能になる。滑稽の極みである。無明とは、まさにこのことである。
■「生きとし生けるもの」への慈悲を教えたのが、佛教である。 ■
↑ いつもいつもご隠居氏のレスはホント、素晴らし〜〜い!!
ヽ(^。^)ノ
684 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 13:01:44 ID:iFnS0wsj
>>681 その五蘊は、一体どこから発生するのか。生命から以外にはない。
さもなければ、単なる幽霊。
野球チームも、選手が存在し、互いに助けあわなければ、存在し得ない。
そうでないチームは、彼に球団名があっても、不存在である。
釈迦の五蘊の仮和合とは「選手がいない球団名だけのチームがある」と
言っているのと同じ論理矛盾。この釈迦の矛盾を解決したのが、「生命
そのものも、相互依存により無自性」とした、竜樹の類い稀な頭脳によ
る大発見である。
竜樹のこの発見がなければ、佛教は、如何なる普遍性も持ち得なかった。
685 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 13:18:53 ID:JtMWrQ+F
>ダイエーからソフトバンクへの輪廻。
>やがて、ダイエー時代の選手がすべて引退して、ソフトバンク時代しか知らない選手のみのチームになります。
>「霊魂」を構成する受想行識の選手は常に入れ替わります。 チーム名(我)は幻です。つまり、無我です。
正解。
>一如や不二は本当に仏教にとって重要な教えなのでしょうか?
>一如や不二は、ヒンドゥー教っぽいと思います。
>また、一如や不二なら、釈尊が出家当初に師事した二人の仙人でもご存じだったのでは?
>一如や不二でいいのなら、仏教の意味がない気がする。
>一如や不二って、個我への執着を大我への執着にひろげただけ、 苦・無常・無我とは微妙にズレてると思います。
正解。 梵我一如は 無我とは根本的に隔たります。
>宗教の開祖や信者が、己の生命を以って生命を否定するという矛盾は、直ちに止めるべきである。
>生命そのものを否定すれば、「生命の否定」も全く不可能である。
仏教は 生命を否定しているではなく整えろと言うのでして その先に寂静があるわけです。
欲を否定しますね。
>■「生きとし生けるもの」への慈悲を教えたのが、佛教である。 ■
違います。
本人が真理に至り寂静に至れば 慈愛が生まれて自らだけではない社会の調和へ繋がります。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/
686 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 13:42:54 ID:fnXyBogP
>>681 >その「名」(受想行識)を仮に「霊魂」と呼ぶとしても、
「名」は言葉であらわされる物事であって霊魂ではないだろ。
しいて現代語で言えば「意識」や「心」が対応する。
「情報」といってもよいだろ。情報は物理媒体すなわち「色」
によって記憶・記録されている間は滅することはない。
687 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/05(月) 14:05:25 ID:qWux0udV
>>682 >一如や不二は本当に仏教にとって重要な教えのでしょうか?
重要な教えか?というよりも、
仏教の根幹ですよね。
この思想は、例えば「アートマンがあるか?ないか?」という問いが、
根底から崩れます。
つまり問い自体が論理矛盾がある訳ですから、回答しようがないんです。
答が出せないもんを、延々とスレを消費してた訳ですけど、
じゃあ、どうして答が導き出せないのか?
ってのを悟入して逝くのが、仏教における開悟ってもんです。
つまり、有無の確認より、その手前の問題提起こそが仏教ですよね。
人間の思考の根本因にまで究明して、それで初めて開示されるもんです。
これが初転法輪における四諦ですよね。
仏教は初転法輪において始まり、初転法輪において終わるのであります。
輪廻転生とか、八不とか、アートマンとか、
また、御隠居お得意の生命とか、
全ての謎が中道で解けます。
貴殿の目の前のパソコンは、存在してますか?
(これは問い自体が間違ってます)
間違いを気づく根本原理こそ、不一不二の法門であります。
688 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 19:24:04 ID:WtTD2ngG
>>657 歴史学で言えばそうだけど、仏教の教えに照らし合わせれば
仏説という主張なので、その仏教解釈は誤り、
という形で突き崩さなければならないでしょう。
仏教内部で相撲をとらなければそっちはそっち、
こっちはこっち、で終わるかと思います。
>>658 そもそも日蓮はパチモンと前スレに書かれてました。
689 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 21:40:50 ID:pBORfHpC
>>657 そりゃ、貴方の書き込み読めば分かるよ。ただの実在論で縁起ではない。
つまり、大乗どころか小乗も分かってない。
>>658 そう
>>688。日蓮なんか非仏教だから、その末流を相手にする方が、
何も分かってないだけの話。
690 :
セブン:2009/10/05(月) 21:51:55 ID:R7wSBFpM
>>688 そういう人は、日蓮宗の僧侶や関係者と会話や懇談の機会があったらどうすんだろうね・・。
やっぱ、糾弾するのかね?
「貴方達の教えは仏教じゃない!」「人々を惑わさないでください!」「仏法を歪めないでください!」 と・・・。
それとも、
にこやかに和やかに応対しながら、心の中では舌を出し、
(あーあ、輪廻を続ける可哀想な人達・・。いつか目が覚めるとイイねw)と蔑むんだろうかね・・・。
ま、どっちにしても人として最低だと思うが・・・w
(´ー`)y━~~
691 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 22:05:59 ID:N0O5yxu1
言い方に気をつけるしかないですね。
692 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 22:23:42 ID:pBORfHpC
>>690 だまっとくよん。セム三教やヒンドゥーなどの場合も同じ。
ここは議論の場、普段とはちがうっしょw
693 :
セブン:2009/10/05(月) 22:35:08 ID:R7wSBFpM
>>692 なら、(質問箱は当然としても)、中立的雰囲気のスレで、
且つ、問いを投げかけた者が、素直な問いを発していたら、
レスの仕方に少しは気を遣ってもいいんじゃないか?w
質問者が信者、檀家である可能性もあるわけだし・・・w
そういう軽率さには、(リアルで仏教を語っていくなら)注意した方がいいと思うぞw
日蓮が非仏教という人は何を根拠にしているのだろう。
実を言うと自分もかつて似たような考えをしていた時期もあったんだが
今思えばそれは無根拠な印象論でしかない。
日蓮は当然、龍樹の理論を研究していたし
修行の基本である止観も研究していた。
そういった、仏教の根本思想をふまえた上で
日蓮の理論は成り立っていることを
無視してはならないと思う。
695 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 00:01:36 ID:T8SCXTrw
>>659 <言語・論理を超越する右脳による直覚(無分別智)>(
>>618)
↑
う〜ん。。。見えない証明できないことを言われてもねぇ。
生活に忙しい現代人はそれで納得出来るのでしょうか?
又、平和な時には言えても、かつての不穏な戦争に向かった時代に彼等は
<言語・論理を超越する右脳による直覚(無分別智)>とやらで先のこと
を見据えて何か主張・行動されたのでしょうか?
ご隠居氏は、前レスで鳩山内閣(民主党)の未来をきっぱりと預言されてました。
これも右脳による直覚(無分別智)でしょうか?
釈迦は弟子の様子を遠く離れていても手に取るように見えていたとか・・・
語弊を恐れずに質問させて頂きましょう。
鳥インフルエンザの将来の感染拡大と社会への影響は?オバマ大統領の未来は?
そして今、私が気にかけていることは?最近読んだ本で気になっている本の題名は?
<言語・論理を超越する右脳による直覚(無分別智)>でお答え頂けたら分かるかもw
では、おやすみなさいまし。o(_ _*)o
>>666 > 「念仏」の効果?この阿弥陀仏に「南無」をつけただけの?
> ま〜確かに信じて繰り返せばマントラヨーガということになるのですかね??
だけとか言ってますけど、そのマントラを支えるために三部経などの経典があるわけです。
つまり名号に集約しているだけで、本質的には三部経を唱えているのと同じなんですけどね。
そういうの分りませんかね。
> しかし、こういった“この句を唱えればいい”みたいなことを
> 最も戒めていたのが仏教(ゴータマ)だった筈なのですけどね。
> つまり、もう〜どうでもいいわけですね!
いえいえ。ゴータマも祭祀にOK出しているといったのは貴方ですよ。
念仏もマントラも祭祀のひとつの形です。
それとも前言撤回するおつもりで?
> ゴータマの教えよりも大乗(ここでは念仏一派)の伝統のほうが重視されると。
まぁ神智学も、時としてゴータマの教えに反したことをしていますし、
その辺は「神智学と同じ」なんじゃないかと思いますね。
> 随分と念仏宗のことを擁護されるみたいで驚きました。
私が念仏宗のことを擁護するのは神智学とほとんど同一だからです。
もし教義的に一致する部分が少ないようだったら特に擁護しなかったと思いますね。
> でも、私は人様の信仰(自由)を奪う気などはさらさらないので、どうぞお好きにして下さい!
> 支持者がいる限りにおいては存続するでしょうし・・・。
ええ。神智学と念仏宗は同一ですが、それを信じるのも、
ここに来て神智学を捨てるかのような発言をしていますが、そうするのも御自由です。
>>680 > 生命が無くなれば、修行も、座禅も、悟りも、解脱も、その瞬間に一切
> 不可能になる。滑稽の極みである。無明とは、まさにこのことである。
> 現世の生命を否定する「永遠の生命」とは、忌むべきキリスト教の概念
> に過ぎない。
生命とは具体的なものである。この鳥の生命、この人の生命というのがただあるだけである。
それを「生命」などという一般化した形で語るというのは言語同断であり、
忌むべきキリスト教の「永遠の生命」という言い方と何ら変るところがない。
一般化する、ということがあるからこそ「永遠の生命」などという言葉が出てくるのである。
「〜の」がつかない、単独での「生命」などという一般化した用語を使うのはただちに止めるべきである。
> 「生命の機能」に過ぎない「観念」を「すべて」とする倒錯に陥った者のことです。
生命の機能?「生物の機能」の間違いだろう?
生命の機能などという意味不明の言葉は使うべきではない。
「〜の生命」というものであるからこそ、かけがえのないものなのである。
もし一般化することができたら、この生命と他の生命とを取り替えても問題ないものになってしまう。
〜の生命という言い方で表現できないものに、生命などという言葉を用いるべきではない。
それは飽くまでも「生物の機能」である。「生命の機能」などというキリスト教まがいの表現は避けるべき。
> 小乗仏教からの「コペルニクス的転回」と解される所以です。
それは何度も論破されているではないか。論破されていないというなら、何故反論できないままなのだ。
>>669 > 他力本願という信仰は、ゴータマ最後の遺言に全く反した認められざる方法論です。しかも、念仏やら
> お題目やらを唱えればよい、などいうのは最もゴータマの思想に反するものです。
貴方は結局、「真我の力を信じる」という言葉の意味を理解できたのでしょうか?
真我によらなければ、つまり、低我に従っている限り、悟りなど得られるはずもないのですよ。
それを他力本願といっているわけです。
念仏を唱えるのはそれが「信」を築くための修行だからです。
ゴータマの教えに反する反するといってイキリタッテいますが、
神智学だって反しているのに何をキリキリしているんでしょうかね?
さっぱりわからない人ですよw
それに、私はゴータマの教えに反しているとばかり思ってきましたけど、
貴方の話によるとゴータマも祭祀をすること、そして祭祀に功徳があることを
認めているという話じゃありませんか。
(私はここのところに異論がありますがそれはさておき)貴方のいっている通りなら
念仏という修行によって功徳を得、それによって悟りに近づいていくわけで、
何の矛盾もないじゃありませんか。
>>684 竜樹はむしろ「生命そのもの」というような考え方の破壊者です。
生命も因縁によって構成された「相」にすぎず、
結局のところ「生命」も「空」だと説くのが竜樹のスタンスです。
> 「生命そのものも、相互依存により無自性」とした、
これは全くその通りであって、生命だけは批判の対象にならないとか
生命から全てが説明できるとか、そういう特別性を生命に全く見出さないのです。
更に言うと、
> 竜樹の類い稀な頭脳による大発見である。
というような考え方を竜樹はしません。それは「空」であって
「大発見」と大をつけて吹聴するようなものではないのです。
悟った人はもっと爽やかなものですよ。
700 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 05:04:44 ID:v3ZsX5Co
>>694 過去ログ参照、伝記と著作から明瞭に分かる。
動機はエゴ、ナショナリズム、教義は宥和的一乗思想を排他的一乗思想としたことなど誤読ばかり、
しかも、方便で読みかえたとは全く思えない。
信仰が起きたのはイエスが復活したから信仰されたように、
奇跡や神通が起きただけのこと。
701 :
695の追加:2009/10/06(火) 05:19:26 ID:f6MqLSac
又、オウム真理教が宗教法人になり、家族会が被害を叫ぶようになってきた時、
既存仏教の修行を積まれた僧侶達は<言語・論理を超越する右脳による直覚
(無分別智)>とやらでオウムの本体を見破り、オウム信徒や社会にカルト等の
警告を発し、国民の生命・生活を守ることが出来たのでしょうか?
>>697 ははは・・・言いがかり〜?みたい
何かそこまで神経質に病的にややこしく言われると、「宗教は単なる言葉遊び」
「観念」ということが余計実感されてしまうので逆効果では?
702 :
析空:2009/10/06(火) 05:28:15 ID:rguURAd7
>>667 「あの方」の思想を何とか理解しようと思ったのですが
「歴史的事実」を認めないという思想は、ついに理解できませんでした。
まあ、わたしは現在も創価学会に名前だけ所属しているので、
他宗のことはほとんど知りません。
釈尊の教えは、大乗仏教では分からないのが実情ですね。
仏性については、日蓮も強調していましたが、
何人もの坊さんをつかまえて、仏性とは何かを質問しましたが、誰もまっとうに
答えてくれる人はいませんでした。
実は法華経には説かれていないと知って驚きましたね。
>>701 逆効果ですかね。まぁ、私としては唯物論的に考えるなら
徹底して唯物論的に考えるべきだし、宗教なんかに言いがかりをつけるなら
自分に対しても言いがかりつけていった方が早いんじゃないかと思うんですけど
どうなんでしょうね。
早い、というのはその人の時間の流れが速くなる、という意味ですけどね。
早くなって悟りに向かうかどうかは人によりますけど、その人その人でいずれは通る道なら
無駄なものはさっさと通っちゃえば?というのが私の考えですね。
宝珠愚者とご隠居は入り口は対極ですけど、通る道はどうも同じみたいです。
>>702 > 何人もの坊さんをつかまえて、仏性とは何かを質問しましたが、誰もまっとうに
> 答えてくれる人はいませんでした。
坊さんというのは、仏教を社会生活に残すためにいてくれる存在ですから、
必ずしも悟ってるわけではないですね。
最近では、必ずしも修行してるわけでも無かったりもしますがw
心が湖であるとするなら、仏性は湖底に沈む石のようなものですから、
仏性とは何かを見るには、風が凪ぎ、水面に波紋のひとつも波立っていない状態が必要です。
心の動きに従って、風が吹き、波紋が生じますから、それを止めるには
自分の心の動きに敏感になる必要があります。
しかもそれは表面上の心ではなくて、無意識の方に敏感にならないといけません。
前シリーズでも、釈尊がアートマンを認めていたという説は木っ端微塵に粉砕されていましたが、
仮にアートマンがあると認めてみても、結局、釈迦が推奨したといわれるヴィパッサナ瞑想法のような
自己認識の強化が必要になるところは興味深いところです。
このスレ的にいえば「自分は●●の意見に執着している」「自分は●●をこう思いたいと思っている」ということを
認識し、「客観的意見であろうと思われるもの」と自分の「こう思いたい」との乖離感をリアルに感得することができれば、
大分、先に進めるでしょうね。
705 :
T:2009/10/06(火) 06:49:15 ID:TJYboqwb
>何人もの坊さんをつかまえて、仏性とは何かを質問しましたが、誰もまっとうに
>答えてくれる人はいませんでした。
真実の自己の働きの事です。
仏性:無明超克、解脱のための応援用語だよ。
般若心経の“ギャテー〜”と同じ機能。
学習低迷児に“君は本当は頭がいいから、やればできるよ”の
「本当は頭がいい」んだからにあたる。
豚もおだてりゃ、木に登る。
>真実の自己の働きの事
実体化妄想をすれば、かえって離れる。
707 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 07:24:56 ID:VklgYLiG
>>697 論破されるどころか、大佛教学者である奈良氏も、素人である私と、以下に引用
したとおり、同じ趣旨のことを言っている。「コペルニクス的転回」と言う言
葉こそ使っていないが、言っていることの内容は同じ。
佛教の専門家であるはずの君は、一体何を勉強しているのかね。
「確かに釈尊の教えと後代の仏教、特に大乗仏教の教学は大いに違っている。思想の営みとしての奥
行きと幅は大乗仏教のほうがはるかにまさっている。中国、日本の発展した仏教の思想が釈尊のそれ
と同じはずがない。山本氏が言うように、釈尊の教えの枠組みでは後代の仏教の教学を盛り込むこと
はほとんど不可能であろう。」
708 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 07:49:07 ID:VklgYLiG
>>685 >>■「生きとし生けるもの」への慈悲を教えたのが、佛教である。 ■
>違います。
>本人が真理に至り寂静に至れば 慈愛が生まれて自らだけではない社会の調
>和へ繋がります。
どんな悪人でも、わが子が川に落ちて流されようとすると、飛び込んで助けようと
するだろう。そのために、自分の生命を失う危険があってもだ。その実例は、この
数日前の新聞でも報道されているし、実例は多数ある。
「真理に至り静寂に至った」などという、宗教者の意味不明の自己満足など、
一切関係ない。
君は、「心の清い者が天国に入る」と言ったイエスと同様の、「宗教者の浅薄
極まりない自己満足と、人間性に対する洞察の欠如」を如実に証明している。
「悟り」のカケラさえない。
709 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/06(火) 08:02:04 ID:DUNp6xIG
>>695 >う〜ん。。。見えない証明できないことを言われてもねぇ。
>生活に忙しい現代人はそれで納得出来るのでしょうか?
納得するもんじゃないですよね。
納得させるもんでもない。
直覚ですから自分にしか解らない。
><言語・論理を超越する右脳による直覚(無分別智)>とやらで先のこと
>を見据えて何か主張・行動されたのでしょうか?
無分別智というのは、目的意識は全くない非日常性のことですから、
先のことや、主張とか、行動とかといった日常性とは違う。
日常性というのは、空即是色の「色」ですね。
>ご隠居氏は、前レスで鳩山内閣(民主党)の未来をきっぱりと預言されてました。
>これも右脳による直覚(無分別智)でしょうか?
未来を預言するのは無分別智とは違いますねw
不去不来ですから時系列はないです。→無分別ですからね。
過去とか未来の分別がないのを、無分別と言います。
>鳥インフルエンザの将来の感染拡大と社会への影響は?オバマ大統領の未来は?
>そして今、私が気にかけていることは?最近読んだ本で気になっている本の題名は?
大統領の未来とか、本のタイトルは全く分りません。
無分別智というのは、識別したり預言したりすることは全くないのです。
分別しないんだからアタリマエですよね^m^
710 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 08:11:24 ID:IS2OM4fB
>>684 五蘊仮和合と縁起・無自性・空・無我は、
同じことを示していると思います。
普段、「わたし」というチームとして見ているのを、
個々の選手(一瞬一瞬の色受想行識)が集まっているにすぎないと見る。
711 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 08:18:48 ID:VklgYLiG
>>710 その五蘊や受想行識は、一体何から発生しているのかね。「生物的生命」
以外からでは在り得ないだろう。
釈迦は、そのことに付いてどう説明しているのか。それとも、説明不能か。
712 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 08:27:52 ID:IS2OM4fB
>>711 五蘊が集まってチームとして動いていることを生命と呼ぶだけ。
野球チームが選手という人間を生むのですか?
違うでしょう。
人間が集まって野球をするときには、仮に野球チームと呼ばれる。
713 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 09:37:07 ID:VklgYLiG
宗教の開祖は、例外なく精神障害者であり、「観念の奴隷」となっていて、
「観念の遊戯」のあまり、その観念が発生する根源としての肉体には全く思い
至っていないから、健常者である弟子たちは、そのことを常に認識して、開祖
を介助し、正し、助けてやらねばらぬ。開祖の精神病に感染して「観念まみれ」
にならないよう、充分な警戒と注意が必要である。
>>711 >「生物的生命」
その生物的生命とやらの一種の人間は、
何ゆえ かくも我執深く、エゴに満ち、苦しみ多き人生を送るのかね。
また何ゆえ人間の有限性(死)に由来する自己への底知れぬ不安と苦悩を抱えているのかね。
ドストエフスキーはじめ膨大な文学・哲学がこの存在の有限性のまえに畏怖する人間を描いてきた。
故池田晶子はいう、
『私にとっては、自分が存在しているということ以上の神秘はあり得ない。
・・・・・・
人生が存在する、存在が存在することの神秘は、
いかなる仕方によっても理解することができない、
ということを私は理解している』
単純仏性唯物生命教では存在することの神秘をどう解き明かしているのかな。
715 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/06(火) 10:42:14 ID:7d5j9omA
>>696 >だけとか言ってますけど、そのマントラを支えるために三部経などの経典があるわけです。
>つまり名号に集約しているだけで、本質的には三部経を唱えているのと同じなんですけどね。
>そういうの分りませんかね。
私はそのような、「三部経を唱えているのと同じなんです」(名号に集約しているだけ)という部分などが、
勝手に創りあげた教義であるとして批難するわけです。「三部経を唱えた」という事実なくして、唱えたこと
にしてしまう、その部分です。
ゴータマはあくまで修行することなくして解脱成仏はできない、ハッキリ明言したのです。大乗というのは
そもそも在家信徒の獲得に走った派であり、従って、専門的な修行をすることなく大きな功徳が得られるこ
とを謳い文句にしたわけです。唱えなくても唱えたことにしてしまう、そういう論理に全部、現れているわけ
です。
>いえいえ。ゴータマも祭祀にOK出しているといったのは貴方ですよ。
>念仏もマントラも祭祀のひとつの形です。
>それとも前言撤回するおつもりで?
祭祀というのは、例えば雨乞いなどが典型的な事例となるでしょう。そのままならば、1ヵ月降らない筈の
雨を数日中に降らす力(奇跡)が生じるでしょう。
ただし、それは「究極に達したヴェーダの達人」であり、「真実もてみずから制し、清らか行いを修めた人」
であり、「安らいだ心を楽しみ、落ち着いて気を着けていて、全きさとりに達し、多くの人々に帰依されている
人々」による祭祀ならば、ということです。
ゴータマの思想は、“唱えただけで死後の安楽を約束し、極楽往生を叶える”といった考え方に対する否
定であったと思います。
>ええ。神智学と念仏宗は同一ですが、それを信じるのも、
>ここに来て神智学を捨てるかのような発言をしていますが、そうするのも御自由です。
神智学は他力本願ではありません。
崇拝や献身を説きません。何が同じなのか全く意味不明です。
716 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/06(火) 10:43:26 ID:7d5j9omA
>>698 >念仏を唱えるのはそれが「信」を築くための修行だからです。
>
>念仏という修行によって功徳を得、それによって悟りに近づいていくわけで、
>何の矛盾もないじゃありませんか。
もちろん、無意味/効力ゼロとはいっていません。しかし、それを言い出すと、どんな宗教的な実践にもそ
れぞれの意義と効果があります。ただし、それが仏教といえるかどうかは、また別問題です。
*あなたの見解については、もうよ〜く分りました。
以上であなたとの対話はこれにて終わりにしたいと思います。
〜有難うございました。
717 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/06(火) 11:00:33 ID:7d5j9omA
>>702 >「歴史的事実」を認めないという思想は、ついに理解できませんでした。
要するに「認めたくない」わけですよ。
それで言い訳を造りあげる、ということでしょう。
>>707 >
>>697 > 論破されるどころか、大佛教学者である奈良氏も、素人である私と、以下に引用
> したとおり、同じ趣旨のことを言っている。「コペルニクス的転回」と言う言
> 葉こそ使っていないが、言っていることの内容は同じ。
引用文読んだけど、”後代の仏教の教学を「盛り込む」こと”ができたといってるだけで
釈迦の仏教と180度逆のことを言ってるなんて記述はないよ。
これのどこをどう読んだらコペルニクス的転回なのかね?
>>715 > 「三部経を唱えた」という事実なくして、唱えたことにしてしまう、その部分です。
そういうことが無いように法然は何度でも唱える、つまり一回唱えて全部やった気になるな、と言っているのであり、
親鸞は、本心から、という限定をつけて、三部経を読むよりも重い限定をつけているわけですよ。
以前、書いたじゃないですか。
> 祭祀というのは、例えば雨乞いなどが典型的な事例となるでしょう。そのままならば、1ヵ月降らない筈の
> 雨を数日中に降らす力(奇跡)が生じるでしょう。
一ヶ月も降ってないんだから、雨乞いしてもしなくてもそのうち降るでしょうよ。
> ただし、それは「究極に達したヴェーダの達人」であり、「真実もてみずから制し、清らか行いを修めた人」
> であり、「安らいだ心を楽しみ、落ち着いて気を着けていて、全きさとりに達し、多くの人々に帰依されている
> 人々」による祭祀ならば、ということです。
なるほど。それは先に私が書いた「金剛心で念仏すれば」というのと全く同一の話ですね。
適当な人間が適当な気持ちで念仏することを勧めてなんかいませんしね。何がいいたいんでしょう?
というか、貴方は人の話、全然聞いてませんね。
> ゴータマの思想は、“唱えただけで死後の安楽を約束し、極楽往生を叶える”といった考え方に対する否
> 定であったと思います。
唱えた「だけ」の部分に関しては、長々と書きましたよ。貴方ね、屁理屈乙とか言うのは結構ですけど、
反論するなら、「読んでから」にした方がいいんじゃないですか?
> 神智学は他力本願ではありません。
おや? 神智学は低我を離れ真我(常住の涅槃)に至ることを目的としているのではないのですか?
> 崇拝や献身を説きません。何が同じなのか全く意味不明です。
念仏宗でも崇拝ではなく「尊敬」を説きます。これも以前書きましたね。
でも、献身は説きませんよ。念仏宗でも。
そもそも仏教に献身とかってあるんですか?
バラモン教やキリスト教の教義をもってこられても意味不明です。
> *あなたの見解については、もうよ〜く分りました。
いやー全然何にも分っていないどころか、「読んでもいない」
駄レスを返されているわけですがw
> 〜有難うございました。
こういう偽善的な要素に関してはOKなんですか?
全然、感謝とかしてなくて本心ではこちらのことを見下しているのに。
これって妄語の一種じゃないかと思いますけど。
721 :
T:2009/10/06(火) 11:49:52 ID:TJYboqwb
>>真実の自己の働きの事
>実体化妄想をすれば、かえって離れる。
悟らぬ間は、どう表現されても文字に囚われ一切が妄層になる。
>>716 > 以上であなたとの対話はこれにて終わりにしたいと思います。
> 〜有難うございました。
そちらが対話を終りにしたいというなら
無理には引き留めません。そちらがレスを返してこなければ
それで終わりにします。
ただ、私はあなたにありがとうとは思いません。
こちらのレスを読みもしないで、以前したのと
同じ「頓珍漢な」非難を繰り返すのはどうかと思いますね。
しかも一カ所じゃないでしょう?
こっちのレスを読まずに、言葉尻とらえられる部分だけを捉えて、
後の部分はまったく聞かなかったことにして
「もうよ〜くわかりました」とか言うのはホントに人をバカにしてると思います。
人の話を聞かず、レスも読まずに自分の話だけをしたいのなら、
最初からレスなど返さなければいいのです。
貴方は結構、最低だと思いますよ。
723 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 13:05:19 ID:pZxdZqtI
偶像崇拝は誰がいつ頃始めたんだ?
724 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 13:11:23 ID:Gjjt52oC
>>703 >宗教なんかに言いがかりをつけるなら 自分に対しても言いがかりつけていった方が早い・・
>その人その人でいずれは通る道なら無駄なものはさっさと通っちゃえば?というのが私の考えですね。
↑ は、オウムやクリスチャンも信者や信者獲得に同じように断定して強く言いますね。
宗教は、言いがかりをつけられない程に完璧だったのでしょうか?
>その人その人でいずれは通る道なら・・・
何故、そう思われるのか又、そう断定出来るようになったのかご説明願います。
>>713 了解。「頭でっかちでは×」・・・と言うことです。
精神なんて肉体の変調でモロクも変わるシロモノだと感じる時も多々あります。
又、『健全な精神は健全な肉体に宿る』という言葉もありますね
725 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 13:24:06 ID:Gjjt52oC
>>703 >宝珠愚者とご隠居は入り口は対極ですけど、通る道はどうも同じみたいです。
そうですか。。。
でも、ステージが全く違うと素人は思いますね。ご隠居氏のように釈迦・イエス・・を
超越されて独自の境地を持たれた方は宗教者にはなかなかおられない貴重な存在と思います。
オチ
726 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 14:01:35 ID:uNR6w8Pr
727 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 14:43:22 ID:VklgYLiG
>>718 「釈尊の教えの枠組みでは後代の仏教の教学を盛り込むことはほとんど不可能
であろう。」と言ってるだろう。大乗仏教が釈迦佛教に比べるとあまりにも
優れているので、釈迦佛教では、もはやカバーできないということだ。
大乗経典を数冊呼んでみれば、用意に理解できること。
728 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 14:51:21 ID:v3ZsX5Co
>>727 オタク誤淫嘘は安易に妄想誤解して何度指摘されても鉄面皮なだけだが。
729 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 15:37:42 ID:laXvpTJr
実際に妄想ではないという証拠は何も無い訳だが
730 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 16:30:18 ID:1A9QnlR4
>>618 >もちろん生存苦からの解脱という根本的な本懐は達せられませんが、
対症療法ぐらいにはなるでしょう。
何とも無知な質問かもしれませんが、どなたか教えて頂けますか?(笑
解脱しても苦から逃れられないのではないかと思ったりします。
仏陀もお腹を壊しておそらく苦しみ普通の人間となんら変わることなく
死んでいったのですからw 苦を超越出来ていません。
このスレの皆さんも多分そうなのでは?
731 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 16:46:33 ID:VjLX6RDS
頑張って脳内麻薬漬けになれば苦を感じなくなるんだろ。
それを解脱と命名すればよし。
732 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 17:00:29 ID:f81RkXqb
>>702 >仏性
如来蔵です。如来蔵とは有情に蔵されている法身であり真如です(『不増不減経』『如来蔵経』『宝性論』)。
真如とは縁起であり、縁起とは空性です(『相応部』12.20、『中論』24.18)。
つまり、如来蔵とは縁起・空性のことです。無論、大日如来も。
これは、「縁起を見る者は法を見る」(『中部』28)、
「(腐敗身に対置して)法を見る者は私を見る」(『相応部』22.87)
という具合に、アーガマ中に根拠を持っています。「常住」とされるのは、
縁起が諸如来が出世しようがしまいが法として定まっていることです(『相応部』12.20)。
詳細は、高崎先生の『大乗仏典12 如来蔵系経典』『宝性論』『仏性とは何か』
これらを精読して下さい。
733 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 17:03:56 ID:v3ZsX5Co
>>730 まず、解脱という場合、輪廻からの解脱で再生しないことを意味します。
もう、輪廻しないのですから苦はありません。
次に、完全に悟った方は、あらゆる現象、知覚を無我・空と体験するので、
苦の現れ、苦の感受はありますが、それに意識が流されることはないと説かれています。
734 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 17:16:40 ID:v3ZsX5Co
>>732 いいですね。たしかに、その『縁経』が根源なのですが、
如来蔵と一致するかどうか微妙ですね。
そして如来蔵をアートマン等の意味で誤解するのは、ただの邪見ですね。
チベットのチョナン派と近代真言宗の一部がそうです。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 17:32:23 ID:f81RkXqb
>>734 >いいですね。
ありがとうございます。
>たしかに、その『縁経』が根源なのですが、如来蔵と一致するかどうか微妙ですね。
>そして如来蔵をアートマン等の意味で誤解するのは、ただの邪見ですね。
「一致する」と“読みたい”、と思っております。
それによって、我と邪見することを排除出来るのではないかと考えます。
もし御時間が許すようであれば、
>>585-586に御意見を頂ければと思います。
無論、スルーでも結構です。
736 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 18:34:23 ID:fAIh3j6h
>>714 >何ゆえ かくも我執深く、エゴに満ち、苦しみ多き人生を送るのかね。
>また何ゆえ人間の有限性(死)に由来する自己への底知れぬ不安と苦悩を抱えているのかね。
>ドストエフスキーはじめ膨大な文学・哲学がこの存在の有限性のまえに畏怖する人間を描いてきた。
>故池田晶子はいう、
>『私にとっては、自分が存在しているということ以上の神秘はあり得ない。
それは、君たち宗教信者や精神病患者たちだけ。圧倒的多数の健常者である生活者
たちは、「限られた生」故に生は尊く、他者に尽くして精一杯生きる意欲が生じる。
ドフトエフスキーは、統合失調症患者。
池田は、「他者」が存在していることについては、神秘は感じなかったのかねw。
死は、すべての人間に極めて公平に訪れる大自然の摂理。死があるからこそ、
生が尊い。個の死があるからこそ、種属としての生命が継続できる。限られた
生をひたむきに生きた者に対しては、死は、大いなる平安と永遠の休息をもたらす。
生に対するあくなき執着と欲望ゆえに、死を恐れてもがき、足掻く宗教者たちは、
まさに地獄の住民である。
737 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 19:04:26 ID:FlioAMbt
>>709 >直覚ですから自分にしか解らない。
あら、そうでしたか・・・やはり、自己申告ですか。
<言語・論理を超越する右脳による直覚(無分別智)>では、ブッダが伝え
ようとされたことがスラスラ了解できるようになるだけなんですね?
それは恐れ入りました。
釈迦が弟子の様子を手にとるように把握したという力をお持ちの方がこの
スレにも常駐されてると日頃、感じていたものですから・・・
買いかぶりでしたかw・・・ 残〜〜念!(>人<)ガチョん♪
どなたかご隠居氏の預言のように、鳥インフルエンザの将来の感染拡大と
社会への影響は?オバマ大統領の未来は? そして今、私が気にかけている
ことは?最近読んだ本で気になっている本の題名は?・・ (
>>695)
にお答え願えると大変有難いです。
欲張りで宗教の本質を感じたいものですから。。。
苦はないよね
確かにないわ
見事にない
半年程の深いサマーディーの後からは
光が脳を突き破って外に溢れでる前に
すでに苦などとは無縁ですよ
739 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 19:19:33 ID:fAIh3j6h
>>736は「無宗教者」の書き込みだが、仏教者なら、これくらいのことを言ったら
どうかねw。さもなければ、仏教者は、「生への欲望と執着ゆえに、死を恐れえ
もがき、足掻く、地獄の亡者」以外の何者でもない。
悟っているのは、まさに、「他者との係わり合いにおけるひたむきな生存」と
いう「大修行」に励む「世間」だけではないか。
仏教者は、「修行」「悟り」「解脱」などという「内容空虚な言葉」は一切
捨て去るべきだ。それは「自分だけの解脱」という、生への執着とエゴと自己
満足の行為以外の何物でもないのだから。
740 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 19:30:02 ID:fAIh3j6h
>>738 >苦はないよね
>確かにないわ
>見事にない
君や御釈迦さんは、「麻酔なしの手術」に耐えられるのかね。両者とも、
苦痛のあまり狂い回るだろう。
現代では、時間を浪費して「修行」などやらなくても、麻酔薬一本で、
「何の苦もなく」「涅槃のうちに」手術は終了する。
741 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/06(火) 19:32:16 ID:DUNp6xIG
>>737 >釈迦が弟子の様子を手にとるように把握したという力をお持ちの方がこの
>スレにも常駐されてると日頃、感じていたものですから・・・
ええ、そういう御仁は複数いますね。
ようは拈華微笑というやつですね。
以心伝心とかいって、その御仁の書き込みを拝すれば、拙者に伝心します。
これは同じ仏道を歩む者として、相通ずるものはある。
「祖師が西来したのは意味があるんでつか?」
それに応ずる者あらば、それはドンピシャで通ずるもんですよ。
まあ、殆どは意味不明で完全スルーが定石ですけどね、
なかには粋にレスポンスする御仁があったりで・・・
その伝心でなにやら微笑もほとばしってしまうのです。
「小石が竹に当たったようでつね?」。
って拙者が書き込みしただけで、粋なレスポンスを頂戴したりですね。
これはさすがに微笑もんですね^m^
こういう粋な御仁というのは、
>どなたかご隠居氏の預言のように、鳥インフルエンザの将来の感染拡大と
>社会への影響は?オバマ大統領の未来は?
こういう書き込みはしないですね。
現観ですから、未来に憂慮することもなくなる。
これが中道・八正道の本懐でありますね。
742 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 19:44:03 ID:fAIh3j6h
>>741 >現観ですから、未来に憂慮することもなくなる。
イエスの「明日のことを思い煩うな」と同じ趣旨ですか。人類は、「明日の
ことを思い煩った」からこそ、今日まで存続しているのですよ。
イエスは、「明日のこと」ではなく、「過去のことを思い煩うな」というべき
でした。イエスの多数の誤りの一つです。
イエスは、また、「空の鳥や野の花は、労せずして生きている」などと見当違い
のことを言っている、空の鳥も、野の花も、一瞬の休みもなく「生きる努力」を
続けていることに思い至っていない。まさに浅薄そのものの言葉です。
麻酔うたれている間は涅槃じゃないでしよ
ただの意識不明でしょう
744 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/06(火) 20:25:16 ID:DUNp6xIG
>>742 あのですね、イエスは悟っておらんでしょ?
悟ったら「明日のこと」とか「過去のこと」とかは、殆ど想起せんですね。
人間というのは、イエスのように心が「明日」に逝ったり「過去」に逝ったり、
たえず揺り動くもんですよね。
現観というのは「今ある自分」のことです。
これが簡単なようですけど、非常にこれはアカデミックな状態ですよね。
「達観」などと言ったりしますけど、
こればかりは言語説明は不可ですね。
まあようするに刹那のことなんですが、
刹那だと、明日や過去を思い煩うどころじゃないでしょ?
じゃあ、刹那ってのはどういうことなのか?
これは、柳が緑であって、花は紅である。ってことですよ。
ただそれだけのことですから、
そこに明日がどうしたか?とか、過去がどうなってしまったのか?ってのはない。
ましてや生命がどうしたか?とか、生物的生命が重要だとか?
そういう煩うことがない状態ですね。
ましてやイエスがどうなってしまったのか?
とか、そんなことも既に悟ってしまうんですね。
745 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 20:26:35 ID:v3ZsX5Co
>>735 『宝性論』とかはあまり得意じゃなく、
また、今は時間がないのでちょっと控えておきます。
746 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 20:29:50 ID:fAIh3j6h
>>743 「涅槃」には、どのよう意識や感情があるのですか。「意識不明」でないのなら、
煩悩も当然にあり、それは現世と何ら変わりはない。
>>741 「現観」が、「眼前に明瞭に真理を観察すること」なら、もっと眼前をよく
見ないとダメですな。宗教者は、上滑りの「脳内観念」や「経典の言葉」ばか
りに囚われて、肝心の「眼前」を全く見ていない。
747 :
絶対神:2009/10/06(火) 20:31:34 ID:Bq8f90dP
>>742 あのー、イエスにしろ釈迦にしろ、
「古代人としての知識しか持っていないのだから現代人から見れば、
おかしな事を言っているのは当たり前なんですが」
「ひょっとしてその程度の認識も君はないのかな?」
釈迦の言葉で、「現代人から見れば間違っている事」など、その気に
なれば、幾らでも探せる訳ですけど……
それと「人生観は人それぞれなので、君や釈迦の基準で「間違っている」
とか言われても、苦笑するしかないのですけど(笑)」
748 :
絶対神:2009/10/06(火) 20:36:15 ID:Bq8f90dP
ついでに言っておくと、
「死が怖いのは誰だって当たり前ですし、死を前にして死にたくないと思うのも当然です」
神を信じていようが、また無神論であろうが、
「人間である以上、大抵の人は死を恐れるか、死に伴う苦痛を恐れます」
それを恐れないのは、
「キチガイか、虚無的な人間だけです」
「普通の人が死を恐れないって?」
「嘘言っちゃいけないよ」(大笑)
限られていようが、無限にあろうが、
「価値は、その存在の質によって決まる」
短い人生でも「下らない人生は幾らでもあるし」、永遠であっても、
「生を幾らでも素晴らしいものにする事が出来る」。
「どうも凄い狭い観念で論じてる奴がいるな」
なんらかの精神疾患なのか?
749 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 20:41:58 ID:fAIh3j6h
>>744 >現観というのは「今ある自分」のことです。
「今ある自分」とは、「今ある生命」のこと。生命がなければ、「今ある自分」
も認識できない。
「今ここ」の生命がすべて。過去も未来も、「今ここの生命」の無限の反復。ニー
チェの「永劫回帰(正しくは、永遠の反復)」もその意味。
「今ある自分の生命」が、「三界」をも思考する。
やはり「生命」を持ち込まないと、「悟り」は無理ですよw。そもそも、師の
座禅ができないw。
750 :
絶対神:2009/10/06(火) 20:43:34 ID:Bq8f90dP
「要するに、自然をありのままに受け入れる」と言う思想は、
「逆に不自然なんだよね」
大抵の人間が何の感情も持たず、死を受け入れるのなら、
「そもそも仏教に葬式なんて生まれないし(墓も作らないで野山にうち捨てる
んじゃない? だってそれが「自然」だもの)肉親が死んで泣く人もいないですよ」
「必然であろうが、自然であろうが、受け入れがたいものは受け入れがたいし、
悲しいものは悲しいです」
751 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 20:47:17 ID:fAIh3j6h
>>747 >「古代人としての知識しか持っていないのだから現代人から見れば、
>おかしな事を言っているのは当たり前なんですが」
それが絶対に信じられないのが、宗教信者なのだよ。
「絶対神」にしては、言っていることの次元が低いw。
752 :
絶対神:2009/10/06(火) 20:50:55 ID:Bq8f90dP
もし、「人間を超えた仏」だの、通常の感情を超えた「悟り」だのを
あなたが信じているのだとするならば、
「あなたも十分、「不自然」ですよ」
「あまり、古代人の教説に振り回されない方がいいと思う」
宗教は、それがなんであれ、「人造」のものです。
「別に本当に自然界が意思を持っていて、人間に啓示した訳ではありません」
まあ、自然と人造を厳しく峻別しなければいけない根拠も判らないですけどね。
「人間が人造の考えや環境で生きるのは、当たり前だから」
トンネルが多くて駅に着かないと見れないので
涅槃?
そもそも涅槃って言葉自体好きじゃない
相手が使っているからそのまま使ってみた
まず苦はないねと言ったわけ
目の前の現象に囚われる場には自分が生息していなくなったという事です
1日24時間、聖音に包まれて生きる事になってしまったという事です
754 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 21:42:05 ID:ArU9oHq1
>>739 >仏教者は、「修行」「悟り」「解脱」などという「内容空虚な言葉」は一切
捨て去るべきだ。それは「自分だけの解脱」という、生への執着とエゴと自己
満足の行為以外の何物でもないのだから。
ホント。「内容空虚な言葉」を盲信し人生を棒に振るのはオウムだけで沢山w
彼らは、「修行」「悟り」「解脱」・・・と言って果たして何の力を示したの?
>>740 >君や御釈迦さんは、「麻酔なしの手術」に耐えられるのかね。両者とも、
苦痛のあまり狂い回るだろう。
ホント。
>>738氏のようなレスに皆、憧れ盲目になり宗教催眠に嵌ってしまうw
>>742 >人類は、「明日の ことを思い煩った」からこそ、今日まで存続しているのですよ。
>イエスは、「明日のこと」ではなく、「過去のことを思い煩うな」というべきでした。
>空の鳥も、野の花も、一瞬の休みもなく「生きる努力」を続けていることに思い至っていない。
■ご隠居氏の冷静で斬新な視点は正に釈迦やイエスを超越されている証拠〜■
ス・バ・ラ・シ・イ!! ヽ(^。^)ノ
755 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 21:49:43 ID:v3ZsX5Co
756 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 21:50:50 ID:zw3RJAmU
架空の人物イエスを超越するご隠居
757 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 22:07:30 ID:ArU9oHq1
>>741 あはは・・机氏が私より脳天気なのは分かりますが、無粋とは思いませんね。
時代が進んでも、宗教家が大そうなことを述べるから証拠を求める。分からない
ことを聞くことは、無粋でも恥でもなく当たり前のことw
分からないことを分かったように言う方がおかしいし、今の世の中分かったような
良い顔ばかりしていたら<詐欺>にばかり引っかかってしまいますからね。
>>744 本当に死んでるみた〜い。
では生命も忘れて霞を食べて仙人のように生きていってくらさいまし〜 o(_ _*)o
758 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 22:10:33 ID:GmCqT+lM
>なかには粋にレスポンスする御仁があったりで・・・
机上空論=現象世界を離れて机上で空を論じる
「机上空論」の四文字が縁となって輪廻しますが、これも縁起でありんす。
759 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 22:12:25 ID:ArU9oHq1
>>746 >宗教者は、上滑りの「脳内観念」や「経典の言葉」ばかりに囚われて、
肝心の「眼前」を全く見ていない。
>>749 >やはり「生命」を持ち込まないと、「悟り」は無理ですよw。そもそも、師の
座禅ができないw。
全て、ご隠居氏の分析の通り、仰る通りで〜す。
では、お先におやすみなさいまし〜 o(_ _*)o
760 :
セブン:2009/10/06(火) 23:02:59 ID:YpSZBh61
761 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 23:15:03 ID:XuV21Qkp
人工知能は悟りを開けるんでしょうか?
ついでに書いておくけどね
何度か空中浮遊がどうのと度々でてくるから
ある程度過ぎる段階で体は自然に浮きまくるの
飯を食っていようと寝ようと横になったところでね
船酔いみたくなって結構大変だよ
しかし本人にとってはそれが大した現象でなくなっている段階だから
ちくしょう浮くなという感じです
そこに来るまで通ってきたイベントが大変であったがゆえに
体くらいそりゃ浮くわなという事です
大したイベントではないと思います
763 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 00:16:16 ID:QIp4GPco
>>761 人工知能に我執が生じたなら、
その我執の心が輪廻することになると思います。
つまり、人工知能が壊れても、
その心は何か新しい執着の対象を求めていくことになるかもしれません。
人工知能が四諦・八正道・四法印などに気付ける知性があるなら、
人工知能に宿った心を悟らせる因縁となるかもしれませんね。
764 :
714:2009/10/07(水) 00:59:03 ID:/ZqUn9bz
>>736 隠居
もうこのスレから抜けるつもりでしたが、かなりひどいので、ちょっとだけ。
すべてにおいて、そこまであまりにも見え透いた曲解と、
直答回避をされるのは、本当にかなり耄碌されいるのですね?
高校生の子供に笑われていますよ、国語でこんな応答してたら落第だってね。
不憫に存じます。
全面的な反論攻撃の用意はできていますが、どうしますか?
>>736を撤回しますか?
頭に乗りすぎですよw
(実は、もう関わるのはうんざりしている)
765 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 01:14:35 ID:CYag9cct
>>764 >
>>736を撤回しますか?
そのとおりではないか。2chの書き込みに「撤回」など要求する君のほうが
おかしいのではないか。
もっと、「大人の書き込み」をしてくれ。
なお、宗教が、「死」をやたらと誇張し、強調するのは、宗教の「営業手段」
としてだから、特に非難するわけではない。但し、度の過ぎた脅迫と甘言は
認められないのは当然。宗教も、人間社会の営みの一つだから、社会の掟には
従わなければならない。人間の精神を狂わせたり、弄んではならない。
人間に、生きる力と喜びを与えない宗教が、人間の営みとして一体如何なる
意味と価値があるのかね。
766 :
714:2009/10/07(水) 01:39:51 ID:/ZqUn9bz
>>736 耄碌隠居
毎度のコトながら、浅薄でステロタイプ且つトンチンカンな的外れな耄碌ぶりには
都立松沢精神病院の受診が必要だな。
>生物的生命とやらの一種の人間は、 何ゆえ かくも我執深く、エゴに満ち、苦しみ
>多き人生を送るのかね。(
>>714)←直答なし!!直答せよ。
自己の内心を直視し且つ正直であれば>『宗教信者や精神病患者たち“だけ”』文言が
御都合主義のまったくのウソであることは耄碌隠居以外は誰でも小学生でも判る。
>圧倒的多数の健常者である生活者たちは、「限られた生」故に生は尊く、
>他者に尽くして精一杯生きる意欲が生じる。←実証性ゼロ!の御都合主義でっちあげ。
北朝鮮の御用放送みたいな気持ちの悪いウソをつくなよw
「健常者は全員他者に尽くして精一杯生きている』ことをどうして確認したか実証せよ。
毎年、自殺者数万人、犯罪検挙数100万件以上、殺人立件事件数千件、統計数字でこれだから
実質的には大多数の人が我執にまみれ生活不安と存在不安に慄いているのが現状だ。
意識的なザインとゾルレンを混同しての主張は子供だましだ。
767 :
714(2):2009/10/07(水) 01:42:08 ID:/ZqUn9bz
>>736 >『ドフトエフスキーは、統合失調症患者』←直答回避のためのいつもの逃走手口。
いつもどおり、お得意の部分的単純レッテル張りで、直答を避けて誤魔化す姑息な態度は見苦しい。
>「膨大な文学・哲学がこの存在の有限性のまえに畏怖する人間を描いてきたこと」については
耄碌隠居は無縁の衆生なのだろう。論ずる相手として値しない。
例えば以下のような文学・哲学徒はどうなのだ。スペース上近代のみの代表例で、
パスカル、キエルケゴール、シェリング、シュティルナー 、ニーチェ、シェストフ、ハイデガー、
ヤスパース、ウィトゲンシュタイン、ベルジャーエフ、バタイユ、サルトル、ヴォーヴォワール、
メルロ・ポンティ、マルセル、リクール、レヴィナス、ドストエフスキー、イヨネスコ、カフカ、
カミュ、ヘッセ、ユンガー、ベケット、埴谷雄高、椎名麟三、高橋和巳などなど超多数。
彼らは全員統合失調症なのか?
768 :
714(3):2009/10/07(水) 01:46:15 ID:/ZqUn9bz
>>736 >池田は「他者」が存在していることについては、神秘は感じなかったのかねw←後続文無視による歪曲捏造。
池田の『存在が存在することの神秘は、 いかなる仕方によっても理解することができない、ということを私は理解している』
をなぜ意識的にカットするのか!言説をなぜ捻じ曲げるのだ!!
「存在が存在する」には一切が含まれるのは当然。 応えよ。
>死は、〜 以下の駄文クズ文は論評に値せず。
ただキリスト教剽窃丸出しの
>限られた生をひたむきに生きた者に対しては、死は、大いなる平安と永遠の休息をもたらす。
このの『大いなる平安と永遠の休息をもたらす』という“死後のこと”をどうして確認検証したのか、唯物論的に実証せよ。
ラ・メトリでもこんなアホは言わんぜ。
隠居の論説はすべて実証性抜きの反!唯物論的御都合主義井戸端論義にしかすぎない。
上記の反論すべてに『直』答!せよ。回避、ごまかし禁止。
769 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 02:15:58 ID:CYag9cct
>>466 世の中の悪や我執が、それ程気になるのは、精神医学的には鬱病の恐れが
大きい。一刻も早く精神科の診断と治療を受けることを勧める。鬱病患者の
自殺率は極めて高い。世の中の暗い面ばかりでなく、明るい面も見るように
ど努力すべき。「平均すれば」、明るい面のほうが多いのだよ。戦前、戦中、
戦後に生きるために苦労した人間にとっては、現在はまさに天国。人類史上、
最も恵まれた時代に君は生を享けていることを、忘れてはならない。先人の
労苦に対して、日々、感謝を以って生きるべきではないのか。
なお、精神科は、どこの大学病院にもある。松沢病院だけが精神病院ではないよw、
ひたむきに生きている健常者は、「自己の存在の神秘」など考えないものだ。
生きるためには、そんな余裕はないはず。あまりに「自己」を意識するのは、
暇がありすぎるのか、または、心が病んでいる証拠である。
君が挙げた一連の人名には、共通する精神医学的要素が認められる。まあ、
自分の子供に読ませたい本ではないな。一言で言えば、異常な内向性、内省感
と罪悪感である。これは、キリスト教の「罪」の概念に繋がる。但し、発病前
のニーチェは例外。
770 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 02:23:09 ID:CYag9cct
>>768 >『存在が存在することの神秘は、 いかなる仕方によっても理解する
>ことができない、ということを私は理解している』
「理解している」のなら、いい大人が、なぜ人前でそんな「甘ったれた
言葉」を公言するのかね。そこがおかしい。
771 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 02:33:06 ID:CYag9cct
>>768 池田が、あるがままの存在を受け入れればよいだけの話。それが「理解」
である。「理解しようとする」など、池田は、一体、自分を何様だと
思い上がっているのかね。
772 :
714:2009/10/07(水) 02:45:29 ID:/ZqUn9bz
>>769 ここは仏教のスレだ。
仏教はいうまでもなくブッダの問題意識とその本懐を嚆矢とする。
それはいうまでもなく『人間の有限性(生死)の問題』だ。
経典は代表として生・病・老・死、それによる憂・悲・苦・悩を苦しみと規定する。
これは生きとし生ける人間の根源的な問題だ。
この問題意識のないものにはおよそ仏教は無縁だ。退出するがよかろう。
>>769は
>>766にまたしても直答していない、いい加減にしたらどうだ。
回避せず、直答せよ。
>>770 問われたことに直答せよと言っている。
他に話題を振って誤魔化さないほうがいい。
イエスの「明日のことを思い煩うな」と似たようなことは
釈迦も言ってるでしょ?
修行者は今夜どこで寝ようかとか思い煩うなとか、
774 :
714:2009/10/07(水) 02:54:48 ID:/ZqUn9bz
>>771 >存在が存在することの神秘
これはまさに仏教の根本問題であり、哲学の巨人ハイデガーの問いでもある。
池田の言葉は死の約10ヶ月前の境地だ。
正岡子規とおなじく、彼女は死の直前に、仏教の真実に目覚めてゆく。
>>766に誤魔化さず直答せよ。
775 :
714:2009/10/07(水) 02:57:44 ID:/ZqUn9bz
眠いから寝る。
明日の回答を待つ。
776 :
714:2009/10/07(水) 03:16:47 ID:/ZqUn9bz
存在が存在することの神秘・・縁起の現観
777 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 03:30:19 ID:CYag9cct
>714氏へ
まあ、人並みに一生懸命働いて、自己と家族のために生活費を稼げ。
そうすれば、下らんことは考える余裕はなくなる。人間と人生の真実が
初めて判ってくる。
池田は、人生経験なさ過ぎ。人間や人生を語る資格そのものがない。
『人間の有限性(生死)の問題』。そんな決まりきってことを考えて、
一体何の意味がある?女子中学生ならまだしも、いい大人が考えること
ではないだろ。
本からの「借り物の見解」をいくら並べてみても無意味。
778 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 03:47:24 ID:CYag9cct
>>773 >修行者は今夜どこで寝ようかとか思い煩うなとか、
御釈迦さんには、寝るところが決まっていたか、またはそのアテがあった
からではないの。
大体、弟子からの差し入れで明日の糧には困っていないイエスが、「明
日のことを思い煩うな」などと言っても、説得力は皆無、イエスの弟子
たちは、皆、相当の資産家だったと、荒井献氏は言っている。要するに
「金持ちの道楽」。億万長者の鳩山氏が、「貧しい人のため」と言うの
と同じ。「故人献金」までやる余裕があるのだからw。
現代でも、新興宗教の教祖は、信者からの献金で、皆大金持ちw。
779 :
析空:2009/10/07(水) 06:35:04 ID:fa+5lbkC
>>730 解脱はあくまでも心の解脱です。
「身体の患いは残る」小空経
780 :
析空:2009/10/07(水) 07:05:21 ID:fa+5lbkC
>>735 >>585 宝性論は知りませんが。
Aが無いときAは空である。
BがあるときBがあると如実に観察することが、正しい見方である。(小空経)
マサに小空経で説かれている内容と同じですね。
しかしながら、
「BがあるときBがある」→すなわちBは煩いであると知ることです。
如来蔵は煩いですね。
ご紹介いただいた本については、機会をみて検討させていただきます。
※ご紹介ありがとうございます。
781 :
T:2009/10/07(水) 07:41:20 ID:iwxMj8rm
730 :神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 16:30:18 ID:1A9QnlR4
>何とも無知な質問かもしれませんが、どなたか教えて頂けますか?(笑
>解脱しても苦から逃れられないのではないかと思ったりします。
苦から逃れるのでなく、苦が消えるのです。
苦が消えるとは、そこに分別を使用しないという意。
その事に気がつきますと、大珠が言うように「最初から人は束縛されていない、
故に、解脱を求める必要はない。」という事が解ります。
つまり、人は生まれらがらに自由であった。しかし、分別意識を自分意に使用したが故に、
不自由を拵えたという事です。
782 :
T:2009/10/07(水) 07:47:55 ID:iwxMj8rm
781 :T:2009/10/07(水) 07:41:20 ID:iwxMj8rm
>しかし、分別意識を自分意に使用したが故に、
「自分意」という処は単に「自分」です。
失礼いたしました。
783 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 08:04:57 ID:K9VJfpNH
>>776 >存在が存在することの神秘・・縁起の現観
粋ですなぁ〜。
最後に〆る書き込みが、庭前柏樹子を想起してしまいました。
「賊機あり」ってのは、こういうことを言うんでしょうね。
貴殿が以前に書き込みした、正岡子規の俳句も素晴らしかった。
784 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 08:30:56 ID:K9VJfpNH
>>757 >分からないことを分かったように言う方がおかしいし、今の世の中分かったような
>良い顔ばかりしていたら<詐欺>にばかり引っかかってしまいますからね。
世の中には、
「分けることができないもの」と
「分けることができるもの」とありますけど、
仏教の勝義諦といいますのは、この前者でありますね。
「分けることができないもの」は、つまり言語表記は基本的に無理ですから、
これは以心伝心する他ないのでありまして、
ズンズンと伝心する書き込みはありますよ。
例えば、714氏の書き込みはズンズンですね。
ビンビンと拙者の胸に突き刺さる感じであります。
正岡子規の俳句も素晴らしいです。
どこが素晴らしいのか?ってのは、
こればかりは説明不可です。
自らが感得するもんですね。
これも縁起の現観であります。
そのように、拙者にはズンズンと伝心する電波を感じますね。
785 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 09:14:46 ID:tkx4EcF+
>>781 >苦が消えるとは、そこに分別を使用しないという意。
これは間違いだろう。
苦を滅するためにはその苦の原因を分別してその原因をたたなければ
苦は滅しない。無明は苦の根本原因といわれる。
苦が生じたものなら「生じたものは滅する」という生滅法を適用する。
苦が生じないものなら不生不滅の縁起法が適用される。
「諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽」
786 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/07(水) 10:34:16 ID:dKRW5ios
>>762 遂に、
シャクティ・フォースを解放してしまった方のご登場ですか?w
エーと情けないかな・・ご覧になった通り、
ここの自称仏教たちというのは唯物論化した人が多いのです。
仏典中の神通力の記述は後代に付加された神格化に過ぎないとし、
なんとゴータマ仏陀までも、ただの凡人(もしくは哲学者か道徳家)にしてしまう人たちなのです。
中には、輪廻転生すらもバラモンの迷信が経典に入り込んだものに過ぎないと見なしたりします。
私がポルターガイストの物品移動を目撃したといった話しをすると、
それは薬物を使った幻覚であるなどと、
人様を勝手に薬物中毒扱いする始末なのです(今流行りの薬物疑惑かぁ〜w)。
是非、あなたのような方に
その“自然と浮きまくって大変”な様子を動画にしてこのスレに掲載して欲しいと願いたいところです。
どっかの人のようなジャンプした瞬間の恥ずかしい写真などでなく。
>>730 解脱者というのは、自分の死期と死に方を自分で好きに選択することができるのです。
「無常」とは何かを身を以って示すため、チュンダの心からの供養(食事)を受けてあげるため・・・
そして、恐らく凡人には測りきれないほどの、いろんな奥深い意図で選ばれた最後(死期)であったろうと私は思います。
尚、その気になれば、死を避けたり、延命したり等々・・も解脱者は意のままです。
マハー・パリニッバーナスッタンタにおいても、ゴータマは延命が可能であったことを示唆しています。
「苦」については、
>>733の通りです。
787 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/07(水) 10:35:55 ID:dKRW5ios
(大乗)仏教の広大な受容性という意味は理解できる。
それによって時代と場所を問わず継承されてきたのだと。
しかし、私は大いに疑問ですね・・・仏教の「法」“無常、無我、縁起、空”などが説かれてさえいれば
>>669、
あとは本当にどうなってもいいのか?どんなに改変されていても大丈夫だというのか?
名号にすべてが集約されているので、
「南無阿弥陀仏」を唱えれば三部経の全部を唱えているのと同じ(効力)だとか。
“唱えただけで死後の安楽を約束し、極楽往生を叶えられる”といった考え方について。
或いは、法華経を所持し、読んだり書いたり、唱えたりすれば、
>>671(法師功徳品 第十九)
のような信じがたいまるで奇跡のような功徳が得られる等々・・・。
マニ車をクルクル回していれば、経文を唱えていると同等の効果(功徳)であるとかも同じ。
私だって何も・・これが真実ならばそれでいいのですよ。
名号だけ唱えれば、三部経全部を唱えたのと同じ効力とかね?
これが本当ならば有難いことであり、大変な奇髄ですよ。
本当であるならばイイ!!
けれども、そんなことはないわけでしょう??
こんな話しは、ただ(創作者が)勝手にそう言ってるだけなんだから!
方便なんてもんじゃ〜ない。そんなものは、ただの「嘘」「偽り」以外の何ものでもないわけでしょう!
違いますか?
もし、これが真実だというのならば、
“唱えただけで死後の安楽を約束し、極楽往生を叶えられる”という、
そのことを保証する何かどこかに、その確かな記録はあるのか?
実績はどこにある?
788 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 10:37:31 ID:CYag9cct
>>776 >存在が存在することの神秘・・縁起の現観
縁起とは、神秘主義ではなく、物事の存在・構成原因を分析・解明した合理主義。
神秘主義の対極にあるもの。神秘主義なら、竜樹の大哲学など不要。
佛教は、「唯一の実証的宗教」(ニーチェ)。徹底した合理主義と現実主義。
甘ったれた感傷的神秘思想などではない。
幼稚な嘘に騙される人がいるから
カルト被害が絶えないわけで。
カルトの連中は一つも科学者に超能力を証明できていないんだよ。
791 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/07(水) 10:46:57 ID:dKRW5ios
>>789 オウムなんぞに興味ないわ。
「神仙の会」当時から知ってるって!
パラマンサ・ヨガナンダ教団の正式会員である私が、今更なんでオウム教団などに?
有り得な〜い。
味噌とクソの区別もつかない人たちと一緒にしなさんな!
超能力に頼らざるを得ないその心の弱さ。
それをこそ見つめなおさなくてはいけない現実。
人の弱みに付け込むのが金儲けの一番簡単な手段だけど。
偽者をつかませて、金も時間も奪い取って、何の責任もとるつもりないんだろ?
全部読んでみろよ、
>>789のリンク先をさ。それはもう憐れなものだ。
793 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 10:57:05 ID:CYag9cct
>>784 >仏教の勝義諦といいますのは、この前者でありますね。
「分けることができない」はずの人間性や事象を、勝義諦と世俗諦に
「人為的に」分別することが、誤謬の始まり。最も愚かな「二分法」
「二元論」です。
「勝義諦は、世俗諦によってしか語れない」(竜樹)
794 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:05:52 ID:CYag9cct
>>784 「物事を、勝義と世俗などに計らいを以って分別することを止め、
あるがままに受け入れて精神の安定と平安を得ること」が、「悟り」
であり「涅槃」です。
795 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:10:28 ID:byssHVx+
物事を分別するのがあるがままの人間
燃えるゴミと燃えないゴミを分けて捨てるが如し
あるがままなら原始時代になっちゃう
796 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:17:20 ID:byssHVx+
知性というのは分析する能力だろう
この能力が弱体化するとアルツハイマーと言われる
ちなみに「涅槃」というのもヨーガ行者に言わせるといわゆる五感を越えた信仰の世界ではなく
五感を研ぎ澄ましたその先に現にある世界らしい
仏教の眼目は中道にあり。
さすれば答えも自ずと出ようものを。
〜を生かそうとするも不可、〜を殺そうとするも不可。
798 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:22:07 ID:CYag9cct
>>795 それは、勝義諦と世俗諦との分別とは意味が違う。いずれも、世俗に
おける分別。
最近では、ゴミ処理方法の発達により、分別の必要はかなり緩和された。
人間が「悟って」きたということだろうw。
799 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:39:43 ID:CYag9cct
>>796 >五感を研ぎ澄ましたその先に現にある世界らしい
人間が生来的に有する五感を「人為的に」研ぎ澄ましたりしたら、人間
が狂う。人間が人間ではなくなる。やってはならない危険なこと。
アルツハイマー病の主症状は、脳細胞の減少による「(特に短期)記憶の
消失」。つまり「亡我の境地」。しかし、長期記憶は残っているから、
「本来の我」への執着からは離れられない。これらは、仏教と同じw。
800 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:43:17 ID:byssHVx+
799
野球選手は五感を研ぎ澄まし、中には「ボールが止まって見える」ような境地に至る人もいるらしい
五感を研ぎ澄ます事が駄目ならプロ野球の選手はちびっ子野球にも負けてしまうだろう
801 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:48:38 ID:byssHVx+
野球選手に限らずその辺のサラリーマンだってある意味で超人で、ある程度「あるがままの人」の境地を越えないと社会人としてはやっていけないのだ
802 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:49:18 ID:CYag9cct
>>800 皆がイチロー並になったら、野球がちっとも面白くなくなる。いや、
野球自体が消滅するw。
苦しみを滅する以外の目的で仏教を使おうとするとか。
アホか。
804 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:53:14 ID:byssHVx+
皆がイチローになったら勿論、超イチローが出て来るんだろうし
だからこそ記録の更新も有り得る
超人を否定したらオリンピック自体が成り立たない
805 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 11:57:43 ID:K9VJfpNH
>>788 >縁起とは、神秘主義ではなく
いや、語義そのまんまの文意とは違う。
貴殿が
>>793で書いてある
>「勝義諦は、世俗諦によってしか語れない」(竜樹)
これは↑そのことだよ。
つまり、池田がいう「神秘」というのは、
その語義を越えて伝わるものがある。
(これを言語を越える、とかいう)
つまり以心伝心というのは、全体的な文意の流れにおいての「神秘」というのを、
語義を越えたところに自らをマッチングさせることだよ。
「祖師が西来したのは、どうしてでつか?」。って問われて、
「それは、云々こうなんでつよ}。
って単純なことではなく、
「ほれ、そこにある柏樹子だよ」。ってのが・・・ズバリ
>「勝義諦は、世俗諦によってしか語れない」(竜樹)
このことですね。
解説しますと、
文意を越えたところで、問う者と、問われる者が、相互に感応しあう。
これが拈華微笑というもんですね。
806 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 12:30:54 ID:CYag9cct
>>804 それでは、結局は、超イチロー、超超イチローばかりになってしまうから、
結局は同じこと。
>>805 語義以外の意味を自分勝手に付け加えたら、共同体における意思伝達手段と
しての言語の機能が破壊されてしまいますよ。神秘主義、超越主義に堕して
しまい、共同体は混乱・崩壊する。共同体の一部でしか通用しないものとなり、
意味伝達の普遍的手段としての言語の意味はなくなる。辞書も仏典も不要にな
りますw。
807 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 12:36:55 ID:QIp4GPco
>>799 研ぎ澄ました五感を何に使うかが問題。
仏教は、苦・無常・無我(空)に気付くために五感を使う。
808 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 13:17:40 ID:byssHVx+
超イチローやイチローばかりなのがその道のプロというものだろう
809 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 13:21:56 ID:byssHVx+
ご隠居の理論だとイチローやアインシュタインや仏陀は精神障害者だから
病院に閉じ込めろという話になるが
だったら文明の進歩などありえない
あるがままの猿ばかりでは動物園になるだけ
810 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 13:31:32 ID:Cjjm+380
乙
811 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 13:35:03 ID:K9VJfpNH
>>806 >語義以外の意味を自分勝手に付け加えたら、
悟ると、悟った者同士でコンセンサスが出来てしまうんですよ。
だから自分勝手ではないですね。
>共同体における意思伝達手段としての言語の機能が破壊されてしまいますよ。
ええ、ですから破壊していいんです。
「貴殿の目の前のパソコンは、存在してますか?」。
この問いを破壊してください。
つまり言語の機能を破壊するところから・・・
仏教は始まるのです。
貴殿は破壊するどころか、生命概念に固執しておるようですねw
それだと目が開かんですよ。
>『存在が存在することの神秘は、 いかなる仕方によっても理解する
>ことができない、ということを私は理解している』
(池田晶子)
812 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 14:25:55 ID:NUegSBCe
>>811 >目が開かんですよ。
↑ 具体的にお願いします。
少なくとも、大乗側は、
部派が歪めた仏教を本来のブッダの教えに戻すという
自負はあったようですね
経典見ただけでも、本来在家でも誰でもほいほい悟ってるはずなのに
部派サンガでは出家者が崇拝され、在家は救われないとなっていた。
ここに欺瞞を感じるのは極めて自然な流れでしょう。
本来平等主義で貧しい市民も救うはずだった仏教が、なぜか僧だけに独占されている。
ここで改革運動がおこるのは自然の流れでしょう。
ブッダは法を師とせよといってる以上、
そこで法、縁起の神格化とその前においての平等を説くという改革を行った。
法の前にはバラモンも僧もシュードラも無いという思想です。
>>813 >経典見ただけでも、本来在家でも誰でもほいほい悟ってるはずなのに
馬鹿発見www
815 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 15:13:52 ID:K9VJfpNH
>>812 池田晶子というのは、非常に文才のある方と拝見しました。
「存在」と「理解」を双方2度使ってます。
もちろん言語の語義の違いを鮮明にすることにおいて、
女史の文意を伝えておるんですね。
つまりこういうことですね。
「いかなる仕方においても理解することができないことを知った」。
つまりこれは直覚のことですね。
目が開く、っていうのは、
知識とか理解とかの範疇ではなくて、
こういったベクトルの切断された瞬間、つまり刹那のことですね。
瞬間に目が開いちゃうんですよ。
まあ、目が開くというのは光明が射すわけですから、
明智を得る、ってことですよね。
これが、
>>776に「現観」と書いてある通りで、
目が開く、って意味ですよ。
816 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 15:42:39 ID:CYag9cct
>>611 >「生命概念」
生命は「概念」ではありませんよ。あなたの思考、座禅、書き込み、その他
あなたのすべての行動の根源です。あなたの生命で、あなたの生命を対象化、
概念化することは出来ません。概念化の主体と、その対象とが同一ですから、
概念化は初めから成立せず、ナンセンスで不可能だからです。従って、「生命
概念」への固執などあり得ません。「生命への固執」なら、「すべての生きとし
生けるもの」は、生命に固執するからこそ存在しています。「存在の神秘」
とは、まさにそのことです。池田が、自己の生命を以って「存在の神秘」を
理解できないのは当たり前のこと。
あなたの目の前のパソコンの存在をまず確認しなければ、あなたのその書き込み
は出来ませんw。
>『存在が存在することの神秘は、 いかなる仕方によっても理解する
>ことができない、ということを私は理解している』
「理解している」のなら、いい大人が、なぜ人前でそんな「甘ったれた
言葉」を公言するのかね。そこがすでにおかしい。池田晶子は、ただ他人の
本を読んで「借り物の見解」を振り回すだけの、人生経験も殆ど皆無な、
若い女性に過ぎない。そもそも釈迦が「存在の神秘の理解」などというアホな
言葉を、どこかで使いましたか。
817 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:00:35 ID:CYag9cct
>>611 佛教では、「存在の神秘」とは、「眼横鼻直」「庭前の柏樹子」、即ち、
何の神秘も不思議も無い、日々の生活における知覚の当体のことです。
その意味で、池田は、佛教とは程遠いキリスト教的概念の持ち主に過ぎ
ない。その池田の「存在の神秘」などという言葉に、禅者である机師が
「感動」されるとは驚きw。
818 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:13:52 ID:I/0uzxYS
>>817 >その池田の「存在の神秘」などという言葉に、禅者である机師が
「感動」されるとは驚きw。
大変鋭いご指摘でしょう。
819 :
T:2009/10/07(水) 16:16:19 ID:iwxMj8rm
785 :神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 09:14:46 ID:tkx4EcF+
>>781 >苦を滅するためにはその苦の原因を分別してその原因をたたなければ
苦を滅するのではなく苦はそのままで楽です。
苦即楽、楽即苦の処で解脱です。
また。「苦の原因を分別してその原因」とあるが分別意識からは
原因は解らない。分別意識上からは解決できない。それゆえに生死輪廻する。
苦の外に苦と違った楽があるなら、それは無明の輪廻でしょ。
>苦が生じたものなら「生じたものは滅する」という生滅法を適用する。
>苦が生じないものなら不生不滅の縁起法が適用される。
生滅と不生不滅を切り離して考えては、一般論理の諸法で、それは禅仏教ではない。
生滅しながら、不生不滅であり、しかも、不生不滅でありながら生滅する
そこには、無明(自己に目覚めていない)縁起と真如(自己に目覚めた)縁起があり
共に生滅の縁起です。
諸法実相(禅仏教)は 真如(自己に目覚めた)縁起であります。
> 「諸行無常 、 是生滅法 生滅滅已 、寂滅為楽」
この無常と言うのは
諸行無常そのままが寂滅為楽ですね。
そこは、喜びもなく、憂いもなく 、また喜びもあり、憂いもありです。
それを、喜びも憂いも立ち消えになっておると言うのであります。
820 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:21:57 ID:zVZvrtTu
>>816 経験も知識もなく妄想を声高に語る誤淫嘘ってのがここにいますがね
821 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:22:39 ID:byssHVx+
苦即楽というのが空疎な標語ではなく事実だというならライターで指をあぶってみたらいい
「ハッハッハ、火もまた涼しである」と冷や汗一つ垂らさずに大笑できるなら、それもまた悟りだろう
822 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/07(水) 16:22:57 ID:E6tKARq1
>>811 机氏
>つまり言語の機能を破壊するところから・・・ 仏教は始まるのです。
これまで貴兄を「机上空論者」と「禅者」との中道と見ておりましたが、
今回は「禅者」が勝ち、机上(言語世界)で空を論じる機能を破壊された
と認識致します。
823 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:23:53 ID:CYag9cct
>>815 >池田晶子というのは、非常に文才のある方と拝見しました。
>「存在」と「理解」を双方2度使ってます。
>もちろん言語の語義の違いを鮮明にすることにおいて、
>女史の文意を伝えておるんですね。
つまり、机師の言われる「言語の破壊」とは正反対w。
池田の結論はそれでよいとして、「存在の神秘」という言葉がまずい。「存在
の神秘とは、根横鼻直のことです」だけでよかった。しかし、西洋の思想に
完全に汚染された池田には、その「禅の精神」は絶対に理解できなかった。
「光明」とか「明智」などという言葉は、クリスチャンが特に好む内容空虚な
観念語。禅者が使うべき言葉ではない。
824 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 16:24:29 ID:K9VJfpNH
>>816 >概念化は初めから成立せず、ナンセンスで不可能だからです。従って、「生命
>概念」への固執などあり得ません。
いや、別に無理しなくていいんですよ。
ここまできたなら、自分の信念を貫くのも生き方なんですから。
で、なんで拙者の書き込みで信念がぐら付いたのですか?
いくらか机龍之介に傾倒してきたのですか?
貴殿は書き込みだけ大風呂敷で、
釈尊とイエスをアンチにして、第三極を目指すんじゃないんですか?
そういう信念なら、
拙者が少しくらいは応援してあげてもいいですよ。
なにも机龍之介に傾倒することはない。
825 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 16:36:23 ID:K9VJfpNH
>>823 >つまり、机師の言われる「言語の破壊」とは正反対w。
文脈の流れにおいて、言語の語義も変化する。
これを不立文字といって
解釈するには、それなりの境地に到らねば無理ってもんです。
池田の「神秘」ってのは、語義的には「摩訶不思議」に近い。
「不思議」って意味は「思議にあらず」
つまり「思議を越えた」の意。
826 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :
>>822 >今回は「禅者」が勝ち、机上(言語世界)で空を論じる機能を破壊された
と認識致します。
禅者も空も、言語破壊です。
般若心経における、否定文の羅列は
この言語破壊の意にて候。