1000行く前に512k越えてしまったようなので新スレたてました。
誘導できなかったので、集まるまで時間がかかりそうですが各自
空気を読みながら、ぽつぽつ話題を振ってください
3 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 00:50:47 ID:bYP5UrmF
ゴータマははっきり言って大した教師ではない。
待機説法かなんか知らんが、彼の説法は混乱を招くものばかりだ。
そして彼の説法は一番大事なものまで、はっきり語ることなく、のらりくらりとわかりにくく
するばかりか、そんなものはないという誤謬をわざと起こすような説法の仕方をしている。
見事彼の後世の弟子達は、無我思想を誤謬し、一番大事なものを失ってしまった。
今の仏教は、いくら小難しい話をもっともらしく語ろうとも、とどのつまり、苦の滅とは
単なる気の持ちようだけで終わる宗教的には全く価値の無いものだ。
また宗教者としての生き様も決してほめられた者ではない。彼の布施に対する
教義はそれの代表格だ。彼はその境地を知り、今の命に執着するなととく傍ら、自ら
説いた布施の教義により、在家からたかって自らの命に執着して、生きていったんだよ。
その報いは、布施により差し出された食物を食べてそれによる食中毒による死だ。
まさに因果応報だな。彼は自分の説いた教義の正しさを、身をもって示したんだろう(苦笑)
彼の残した布施に対する教義は、後のカルト達の絶好の道具になっている。
オウムの、望まない者に対しても拉致までして、あげくに殺害までしてその人の財産を奪う
行動の根拠となったのも、ゴータマのこの布施に対する教義によるものだ。
そしてこの教義は、君らプロの坊主が飯の種として、在家から金を撒きあげる絶好の道具と
なっている。ゴータマの在家から食い扶持をたかる卑しい生き方に比べ、イエスの生き様はいさぎいい。
何せ彼は、皆の為に、自ら命を捨てたのだから。この世で命を思う者はかえって命を失い、
この世の命を捨てる者は、かえって命を得る。そういうものだ。ゴータマは死ぬほどに求めた。
だから与えられた。だが彼はその境地を知っただけだろう。俺は彼がゴータマと言う名の男の生で
完成したとは思っていない。根性でその境地を知り、悟りを開くのと、実際に解脱して
涅槃に入るのとは、また違う話なのだ。
4 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 00:57:17 ID:bYP5UrmF
>>3 の文はカラスが前スレで書いたものだ。
この文が、ゴータマを誹謗したものではない?
どこをどう読んだら、そういう結論になるんだ?
そこのところをきっちりと説明してもらおうか。
5 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 01:00:58 ID:bYP5UrmF
言うまでもないとは思うが
>>4 はもちろん宝珠に宛てたものだ。
前スレ945へ
>恐らくは、一部の人間だけが抱く、「最も愚かな疑問」である。
>生きることに「意味」などない。生存本能(生命)の指示したがって生きてい
>る、という以外にはない。「生きること」自体が、「生きる意味」なのである。
>「生を考える」ことは、「生きる」ことではない。それは、むしろ、「死んでいる」ことである。
>どんな小さな動物でも、捕まえようとすると必死で逃げる。細菌やウィルスも、
>薬剤に対する耐性を作り出して、生き延びようとする。
>あまり愚かなことを考えると、細菌や昆虫たちから笑われますよw。
要するに、人間社会で生きることについて意味を考えることはタブーになっているわけだね
それを知ろうとすることは生物として欠陥のある固体だと。
んー。まあ、それはそれでいいだろうと思うけど。
おそらく、答えをそれなりに与えている社会の方が生存競争に強いだろうね。
答えを与えないような社会は精神ではなく肉体を進化する方向へ進みそう
集団の社会から、固体の強さへの指向に流れるっぽいから
少しそんな人類の進化が楽しみではあるが、ないだろうなぁ
7 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 05:22:33 ID:qjzo6UM4
>>6 「生きる意味」など愚かなことを「考える」人間だけが、「生きる」ことには
無関係な、「架空の神」や「架空のイデオロギー(これも、神概念と同一)」
のために殺しあう。一体、何億人、何十億人の人間の生命が、理由なく奪われ、
現在も奪われ続けているか。中東の惨状を見よ。まさに、人間は、「犬畜生に
も劣る存在」ではないか。他の動物たちは、生存に無関係な殺戮などしない。
百獣の王ライオンも、獲物は家族たちに優しく分け与える。
「生きる意味」は、「生存本能(生命)」の中に、その中のみに、既に与えら
れていることを知らなければならない。その意味で、最も無知な動物は、人間
である。
>>7 要するに、人間社会で生きることについて意味を考えることはタブーになっているわけだね
それを知ろうとすることは生物として欠陥のある固体だと。
カルト宗教と五十歩百歩だよ
9 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 09:11:16 ID:1Jf2MCng
age
10 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 09:35:38 ID:Ru7ot6em
>8
>カルト宗教と五十歩百歩だよ
人間が動物であり、現実に100%依存しなければ生きられない存在と
いう基本を忘れて、専ら、頭のてっぺんだけでの、「神」「霊」「心」
「愛」「救い」「幸せ」などの「精神性」を「売り物」にしているのが、
まさにカルト宗教。
「具象を離れた精神性・観念性」は人間の狂気を招くことを、常に警戒
しなければならない。
11 :
一在家:2009/07/03(金) 09:45:26 ID:XJ8rLZAh
私も前スレ発言の要点の整理をば致したく。
釈尊の教えは、バラモン達、5千人の修行者達、直弟子達、菩薩級高弟という
4段階で説き分けたように思われます。
死後の魂に対しましても、無記を通した場合、そのようなことを考えずに
修行に励めと説いた場合、常住の存在があると解説した場合の記載が経典に
あります。
法華経の訳の中には「全ての人に仏性が宿る」という説法もあります。
12 :
一在家:2009/07/03(金) 09:46:19 ID:XJ8rLZAh
一方、旧約の創世記には「人は神の似姿」と説かれております。
さて、現存する最古のユダヤ教聖典「死海文書」の宗規要覧では、
「全ての人に光の箇所と闇の箇所が宿る」と記載されております。
更に正統派から異端として抹殺された「ユダの福音書」では、イエスは
「私の目の前に本当の自身を立たせなさい。」と弟子達に言われました。
「本当の自分」を漢字で当てはめると「真我」となり、本スレで命題に
なっておりますアートマンかも知れないというのが私の認識です。
13 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 10:17:00 ID:pQNMvUJF
>>11 >釈尊の教えは、バラモン達、5千人の修行者達、直弟子達、菩薩級高弟という
>4段階で説き分けたように思われます。
それは釈迦の対機説法を誤解してる解釈だね。
釈迦は相手のわかる言葉で説法しただけであいての人格を等級わけしたり、
差別したりしたのではない。キッパリ
相手のわかる言葉で説得するのは現代でもまったく同じ手法であろう。
子供には子供目線で相手の目を見て対話しなければいけない。
14 :
一在家:2009/07/03(金) 11:12:29 ID:5zCueNja
>>13 >釈迦は相手のわかる言葉で説法しただけであいての人格を等級わけしたり、
>差別したりしたのではない。キッパリ
退席した5千人の修行者達と残った菩薩級高弟とに対して同じように分る言葉で
釈尊は法を説かれたと思われますか。
同じ真理を相手の機根に応じて説き分けた、そこポイントです。
ご自身が護持されている経典がありましたら、その経典は誰に対して説かれたのか、
その時に誰が同席していたのか、を一度確認されては如何かと存じます。
15 :
一在家:2009/07/03(金) 11:57:50 ID:5zCueNja
法華経の編集者は阿含経をよく読まれていたと推測します。
その根拠は、「方便品第二」の中に当時62の常住論関連の見解で
争われていたことが記載されているからです。
ということは「自歓喜経」も当然ご存じだったでしょう。
長部経典では舎利弗に説かれた説法ですが、法華経では弥勒菩薩らに
説かれておりますね。
16 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 13:03:47 ID:pQNMvUJF
>>14 法華経なら岩波文庫本を持ってる。
法華経は説話文学として傑作だね。
譬え話が多くてドラマチックだしね。
アニメ漫画にもしやすい。
17 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 13:15:48 ID:0GGK8o4L
>>16 >譬え話が多くてドラマチックだしね。
>アニメ漫画にもしやすい。
アニメですか?良い譬えだと思います。
衆生済度の為の方便として、当時の大衆文学かアニメまで菩薩級の仏教徒達が
創意工夫されているシーンが幻のように浮かびます。
それに比べて、「空」の分りにくいこと。
現代人でも1時間のレクチャーで分る人が1割もいるでしょうか。
18 :
宝珠愚者:2009/07/03(金) 14:01:39 ID:COJIOw+i
>>3-5 ですから、これらは後代における時代の歪曲、及び在家信徒の布施(の概念)を利用
する悪徳宗教者たちに対する怒りをぶちまけたものであり、それはゴータマのサンジャ
ヤ的な言い回しや不可知論的な説法の在り方からくる誤解に原因があった。ということを
言いたいのでしょう。それは私にも判る・・。
ただ、もしや布施の教えに対する誤解が起こっているのかもしれません。自己の苦の原
因は己れ自身の貪りの心から起こったものであるから、苦の消滅とは、その逆の施しの
心を持つようにしていく必要があるのです。施しの心を起こさせることで当人を救済していく
のが布施ということであり、その為に托鉢して歩くのです。従って、金持ちに布施させること
のみならず、現在、貧困に喘ぐような餓鬼地獄に落ちている人々(これも過去世にその貪
りの行為があったということ)にこそ必要なのが布施なのです。
最後の食事の供養であたって亡くなったというのは、これはゴータマ自らが望んだもので
しょう(解脱者は死にかたと時期を自ら選択する/不慮の事故というのはない)。その大役
にチュンダ(供養者)は選ばれたというこです。
因みに、ユダがキリストの磔刑という大役に選ばれたのもそういうこと(ユダ裏切の概念は
無知の証拠)。
とにかく〜あなたも・シツコイ!!(この件はこれで最後とします)
19 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 16:07:39 ID:bYP5UrmF
>>18 は? 何言ってんの? お前は。
これは「悪徳宗教者たちに対する怒りの文であり、
ゴータマを誹謗するものではない」?????
どこをどう読めばそうなるの?
「ゴータマの在家から食い扶持をたかる卑しい生き方・・・・・・」
これはゴータマを誹謗しているのではないわけ?
なんか、その後にやたらイエスを持ち上げてるな。
ゴータマなどとは比べようもないくらい良し、みたいなこと書いてるが。
さらに、カラスは最後にはゴータマは涅槃に入っていないみたいなことも書いてるな。
これも悪徳宗教者たちへの批判なわけか?
お前はホントに自己の主張を押し通すためなら、なんでもありだな。
(この件はこれで最後とします)
勝手に終わらせるなよ。
都合の悪いことは一方的に回答拒否で終了させるつもりか?
俺はお前のその、自分の都合により、コロコロと態度変える、姑息なやり方を改めない限り、
とことんやるぞ。
わかったか? 二枚舌野郎!
20 :
旧7:2009/07/03(金) 16:44:48 ID:0ZDAyE5c
>>18 てめぇ、一遍死んでみるか?あ゛ぁ。
>これらは後代における時代の歪曲、及び在家信徒の布施(の概念)を利用する
>悪徳宗教者たちに対する怒りをぶちまけたものであり
ハァ? (゚д゚)?
≪ >布施(の概念)を利用する ≫ だと?
どう読んでも、【布施の概念の原型、出発点、構図、構造】、
或いはチュンダに関してなら【(大いなる)慈悲心】に対する批判じゃねーか?
お前、どこ読んでんだよ? 日本語に不自由な方から来た人か?w
俺だって、罵倒語を使用はするが、100%「コイツは駄目だ・・・」と思ったことはない。
一在家だって数パーセントは敬意が残ってるさ。
けどな、お前に関してはもうダメだ。100%の幻滅、失望だよ。
今までは半分くらい敬意は残してあったが、それも止滅したよ・・・。
お前らは、ホントにどうしようもねー屑だ。 人間社会から消えろ。
21 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 17:46:34 ID:bYP5UrmF
スレも変わって論点がボケると、まずいのでまとめておく。
この宝珠という奴は今までゴータマに対して批判的なレスをした者に
(正確には自分の意見を受け入れない者に対してだが)
繰り返し「ゴータマを誹謗するものは許せない。このスレから出ていけ。」
このように発言し、気に入らない者を排除しようとしてきた。
しかし、カラスが前スレで
>>3 のような発言をしても
「これは悪徳宗教者への批判であり、ゴータマを誹謗するものではない。」
として、問題なしとの見解だ。
>>3 の文を読んで、宝珠のように「これは悪徳宗教者への批判であり、ゴータマを誹謗するものではない。」
このように解釈する者が宝珠以外にいるのか?
これらを見れば明らかなように、この宝珠という奴は自己の主張を押し通す為には
どんなことでも平気でやる姑息な奴であることが、はっきりした。
今まで繰り返してきた「ゴータマを誹謗するものは許せない。」
これも自己の主張を押し通す為にゴータマを利用してきただけであり
正しくは「私の言うことを聞かない奴は許せない。」
これが正解だろう。
22 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 18:01:00 ID:bYP5UrmF
宝珠が
>>3 の文はゴータマを誹謗したものではないと言うので
何度も読み返してみたが、やはり俺には宝珠のようには
解釈できないんだが。
誰かあの文が「あれは悪徳宗教者への批判であり、ゴータマを誹謗するものではない。」
と言う意見の人、
宝珠に代わって、分かりやすく説明してくれないかな。
23 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 18:11:11 ID:pQNMvUJF
宝珠にくけりゃ、今朝までにくい!
24 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 18:13:45 ID:l0lka1Lv
あげ
みなさんちゃんと集まれましたか?
25 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 18:18:09 ID:bYP5UrmF
>>23 別に宝珠が憎いわけではない。
ただ、コロコロと二枚舌を使い分ける、その態度は吐き気がするくらい嫌悪感を
おぼえるがな。
さて、お前さんは宝珠の同調者なのかな?
それなら、宝珠に代わって
>>3 の文を解説してくれ。
26 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 18:23:08 ID:pQNMvUJF
>>17 >それに比べて、「空」の分りにくいこと。
空(スーニャ?)=ゼロ(0)はインド人の発見だからね。
数理に強い人でないとなかなか理解できないだろ。
西洋人がゼロを使えるようになったのは13世紀のルネッサンス
のイタリアあたりからだもんね。インドでは少なくとも6世紀には
0を使った筆算ができていた。ゼロ分母(0で割ること)などの概念も
考察されている。
ゼロのわかる人には空という概念は当たり前に思えるだろ。
27 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 18:30:54 ID:pQNMvUJF
>>26 追加
空位の表現としての0の使い方、たとえば百を100と表現したときの
0の意味がわかれば空ということが理解できる。
なにもない=無=0であるけど、これだけで中論の空を理解しようとすると
なかなかわからないだろうね。
一番いいのは集合論の空集合と理解することだ。
だから高校生で集合論を学習すれば必然的に空集合の定義により
空を理解する。またすべての集合の部分集合として空集合があることより
すべてのものごとには空集合が含まれることを理解するだろう。
28 :
宝珠愚者:2009/07/03(金) 19:40:32 ID:COJIOw+i
>>21-22 >しかし、カラスが前スレで
>>3 のような発言をしても
まっ、確かにこの文章はよくない。ただカラスさんについては、最初からゴータマを見下
して投稿してきた人たちとは違うでしょう。それは、これまで続けてきた一連の投稿からも
明らかなのでは?私はそのようにみたいと思います。
ところで、あなたのような「人様の過ちを絶対に許さない」といった思考こそが死刑制度
を支持しているのです。一体、あなたは何様のつもりなのか??
>正しくは「私の言うことを聞かない奴は許せない。」これが正解だろう。
そんなことはいってません。
29 :
宝珠愚者:2009/07/03(金) 19:45:12 ID:COJIOw+i
>>スレ6/909
まるで何か犯人を捕まえたみたいな殆ど晒し上げ状態ですね〜www
>>スレ6/879などにも、神智学基準、神智学優位であることが伺える。
私が神智学徒なのであるから仕方ありませんよ。
仏教基準/仏教優位ならばそれは仏教徒の見方でしょう。
伝統仏教の教理、及び仏教世界の諸々について満足していないから今の私がある。
>≒「原始仏典は、『神智学的文脈』で読み解くべき」)という理解で良いのかな?
私自身は当然、そう読むのとは当たり前です。
ですが・・わかる人には神智学に無関係で理解します。
中村氏も、そして水野氏も分ってるみたいですが!?
>>スレ6/917
それは、アートマンが好きだからですよ!
ていうのは冗談ですが〜^^(笑)
エーと、そうではなくて、
コテハンをつけても所詮は匿名であり、結局どこの誰かなどはわからない。
私が個人(コテハン)攻撃を覚悟でそうするのは、
それが同一者からの投稿であることを示すためですよ。
それにより、こちらは伝えたいことがらについて一貫した提示が可能となり、
閲覧者はその把握が容易になります。
従って、反論したい方にとってもすべてが明らかになっていて都合がいい筈です。
投稿の何番ではどう語り、レスの何番ではどう書いていたのかが、
ズーと追えることになるからで、その結果として、
これらの考え方をしている人であるとして示すことができます。
見る側も都合がいい筈です。
30 :
宝珠愚者:2009/07/03(金) 19:49:17 ID:COJIOw+i
>>スレ6/904
はぃ了解!
伝統仏教者は「チャクラ」の話も妄想(魔境)と決め付けるか、或いは精々、実体のな
い縁起存在にしか過ぎないとして重視しないでしょうが・・。
これは仏教よりも遙かな太古から続く叡智であり、実際に見て感じた上でこれらを知っ
ている聖賢たちによって伝承されてきたもので、実体験に裏打ちされたものです。
修行のためにはこの肉体の扱いが大切であるのと同様(誤解している唯物論者が投
稿を続けていますが、肉体が縁起空で実体ではないから放置することではない/肉体へ
の執着を解く教えです)、健康のためには医学/術も重宝されるであって、縁起する幻で
あるから無価値なわけではない。
当然、これらチャクラなどのエーテル体の知識も役立ちます。
>>スレ6/892
たしかに過剰な崇拝行為は宜しくない!私が態々、尊称語で呼ばずに「ゴータマ」と呼称
するのはそういう精神からです(わたしは神仏にお願いごとも一切しない)。
>個人崇拝などしないようにということも言っている。
>経典から勉強したいのならそれくらい読み取ったらどうか?
過剰な崇拝はすべきではありませんが(従って、私は五体投地巡礼を全面肯定しない)、
しかし、ゴータマは聖なる存在に対する基本的な“尊敬の念”(を持つこと)をとても重視し
ています。大パリニッバーナ経では、完成者への最上の尊敬心で以って聖地巡礼、完成
者の埋葬の仕方とストゥーパの礼拝について説かれています。
スッタニパータには聖者への悪口は地獄行きとも説かれています。
31 :
宝珠愚者:2009/07/03(金) 19:50:26 ID:COJIOw+i
『諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、──
これがこよなき幸せである。』(Sn.259)
『悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラップダの[巨大な年
数のあいだ]また五つのアッブダの[巨大な年数のあいだ]地獄に赴く。』(Sn.660)
『正しくさとった仏の説かれた理法をはっきりと知っている人を、尊敬して敬礼せよ、---バラ
モンが火の祭りを恭しく尊ぶように。正しくさとった仏の説かれた理法をはっきりと知っている
人を、尊敬して仕えよ、---バラモンが火の祭りに仕えるように。』(ウダーナヴァルガ66-67)
『アーナンダよ。いかなる修行僧、尼僧、在俗信者、在俗信女でも、理法にしたがって実
践し、正しく実践して、法にしたがって行っている者こそ、修行完成者を敬い、重んじ、尊び、
尊敬し、最上の供養によって供養しているのである。それ故に、ここで「われらは理法にし
たがって実践し、正しく実践して、法にしたがって行なう者であることにしよう」と。お前たち
はこのように学ばねばならぬ。アーナンダよ。
アーナンダよ。これら四つの場所が、信仰心のある良家の子が実際に訪れて見て感激す
る場所である。アーナンダよ。信仰心のある修行僧・尼僧たち、在俗信者・在俗信女たちが、
「修行完成者はここでお生まれになった」、「修行完成者はここで無上の完全なさとりを開か
れた」、「修行完成者はここで教えを説きはじめられた」、「修行完成者はここで煩悩の残りの
無いニルヴァーナの境地に入られた」といって(これらの場所に)集まって来るであろう。
アーナンダよ。誰でも、祠堂(チェーティヤ)の巡礼をして遍歴し、浄らかな心で死ぬならば、
かれらはすべて、死後に、身体が壊[やぶ]れてのちに、善いところ、天の世界に生れるであ
ろう。
アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同じように、修行完成者の遺体
を処理すべきである。四つ辻に、修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと、
そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を清らかにして信ずる人々には、
長いあいだ利益と幸せとが起るであろう。』
(マハー・パリニッバーナスッタンタ)
32 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 20:02:36 ID:CfHdmI55
>>27 数学は一番苦手だが、部分空集合とは、要素の間を繋ぐ空という理解
でよろしいですか。従って、全体の集合は「無自性」となる。
各要素の空は、どう証明するのでしょうか。教えてください。
しかし、「縁起・空」の原理が、現代の数学にもピッタリと当てはまる
とは驚くべきことですね。縁起・空は、現実そのものの原理ということ
になります。
「空集合」に対する反論もあるようですが、それはどう扱いますか。
33 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 20:08:43 ID:bYP5UrmF
>>28 は? 何言ってんだ? お前は。
論点ずらしか? 誰が死刑制度の話をしたか? バカが。
「何様のつもりか?」だと?
お前がそれを言うか?
今までさんざん、自己の独断で「出ていけ」と喚きちらしてきたのは、お前じゃないのか?
お前こそ、何様のつもりで今まで喚いてたんだ?
34 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 20:17:06 ID:bYP5UrmF
おい、宝珠!
コロコロと言うこと変えるなよ
お前は、 カラスの書いた
>>3 の文は「悪徳宗教者への批判であり、ゴータマを誹謗するものではない。」
と はっきりと言ってたな?
それはどうした?
生物の部分を訂正して前スレより再掲
<存在の大別> ・・・ 簡単な存在論
生物 ・・・ 物質 + 生命 → 生命活動 > 精神活動 > 識
無生物 ・・・ 物質 → 実体がある OR 実体がない ・・・ 審議中
<精神活動> ・・・ 簡単な認識論
現実 ← 認識 ・・・ 判断のない識 ・・・ 直接知覚
生物・無生物
判断 ・・・ 判断された識
判断基準 ・・・ 苦楽・善悪・愛憎など ← 縁起
36 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 21:02:30 ID:VVxa6IjO
宝珠氏がカラス氏に執着し擁護する様こそ滑稽。
空だ解脱だと大言を吐きながら、無意味なものに執着している。
無明と言わずば何と言うべきか?
37 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 21:03:01 ID:ah7K7GLb
空に雲が立ち込めている。
雲が晴れると空が広がる。
雲が晴れても太陽のない空は闇。
面倒なので、五位七十五法 → 五位法に省略
35の表は、簡単法、存在論、認識論に省略
39 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 21:24:33 ID:pQNMvUJF
>>32 >部分空集合とは、要素の間を繋ぐ空という理解
>でよろしいですか。
ある集合の部分集合のひとつとして必ず空集合が有る、ということです。
ある集合の「部分集合」とはもとの集合の要素のいくつかでなる集合ということ。
五蘊の(色、受、想、行、識)なら(色)だけの集合が五蘊の部分集合です。
普通、色は身体をあらわすとしている。(受、想、行、識)がまた別の部分集合です。
これは普通、心とか意(識)を現すとする。空集合は( )だけです。
集合を作るための透明の空っぽのうつわと譬えると解りやすいかも。
すなわちこれが実体が無い、空である、ということの意味です。
カントは物自体をを実体と名づけていますが中身は空です。すなわち実体はない。
竜樹の「中論」
・・・縁起論ではなく・・・<大乗の存在論>・・・存在は空・幻
世親の「五位七十五法」
・・・諸法無我・・・存在の空・幻を前提にした・・・<大乗の認識論>
41 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 21:42:42 ID:cZBi3sj0
>>39 有難うございました。しかし、数学は、やっぱり難しい。ベン図の○
と、その重なり合った部分は、何を表わすのですか。
カントには、勿論、「空」などという概念は皆無ですね。
お暇なときで結構です。
42 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 21:55:22 ID:pQNMvUJF
>>41 我(アートマン)が「有る」か「無い」かのベン図を作るのですから、
「有」の○と「無」の○を交差させたベン図ですね。
ここではうまく書き表せないけど。
その交差したところは「有&無」ですね。
「あるでもあり無いでも有る」当然これは矛盾するから「ありえない」
ベン図の○以外の部分は「有るでもなければ無いでもない」ということを
表す。
すなわち、「有」と「無」の2項からなるすべてを判別するなら4句分別となる。
1.有
2.無
3.有&無
4.¬(有&無)
経験論的命題であれば以上のいずれかに該当するはずです。
決められないとすれば、それは形而上学的命題でどうでもよいことです。
竜樹の「中論」は、縁起論ではなく、この現実を空・幻とする存在論である。
自性ならば変化しない。変化するものは無自性である。
しかし変化それ自体を否定する。 → 無自性の存在もありえない。
結局、この現実は空であり、幻であり、蜃気楼という話になる。
44 :
旧7:2009/07/03(金) 21:59:12 ID:0ZDAyE5c
>>39>>42 集合論(或いは、その図式化)に於いて、
3D的なものってあるの? 平面じゃなく立体的な視覚化として・・。
そうすると、「X軸方向から見たら重なり合ってる」けど、「Y軸方向から見たら、大きくずれてる」。
「Z軸方向から見たら、重なりが無い」、なんてこととか、ないのかな?
「どの方向から見ても、必ず重なりがある」、「どの方向から見ても、ずれた部分(はみ出た部分)がない」とかもありそうだけど・・。
論理で考えるから、こういう「視覚化」「空間化」「存在化(?)」「実在論的方向へ流れそうな手法」は好ましくないのかな?
45 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 22:04:24 ID:pQNMvUJF
>>42 訂正
×4.¬(有&無)
○4.¬(有+無)
>>43 の話は、変化に着眼して存在を空・幻とする。
しかし<縁起>はこういったものではなく、「これがあるからこれがある」
「これがなければこれがない」という関係を言う。
この縁起の定義から言えば、この現実を空・幻としてしまうことは、
縁起の完成ではなく、縁起という理法の破壊ではないのか。
そうだとすれば、竜樹の「中論」は仏教を破壊したことになる。
竜樹は、変化を否定し、因果を否定し、時間を否定する。
それゆえ十二支縁起も否定される。
執着も解脱もニルヴァーナも輪廻も仏も否定される。
正確には空・幻なのだろうが・・・似たようなものだろう。
これが「中論」であり、これは縁起の話ではない。
空を図式化するという試みは<空見>にならないのかな?
仮に成功して、「これが空だ」と見せられても、???だと思うけど。
49 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 22:41:27 ID:V4CkJuTY
2000年、大乗は、竜樹の「中論」を縁起の理法だと誤解していた。
大乗から覚者が出ないのも当たり前である。
縁起は悟りの入り口なのに、その入り口をまちがっているのだから。
50 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 22:49:54 ID:+MJRzi1y
>>49 中論は釈尊の縁起を復古して勝義を強調したものでしょう。
大乗から覚者は、たくさん出てますよ。
現代でも。
竜樹も世親もこの現実を<幻>にする。
この現実が幻だってえ、ウソだろ、という思いはわきに置き、
修行を重ね、この現実が幻であると体得できたとしよう。
そんなものを体得したら普通は病院行きなのだが、それもわきに置き、
幻を体得した修行者は果たして解脱したのかどうか、という疑問。
一切皆空、すべては幻、という修行者に危険なものを感じるのだが。
内にこもれば、剥がれ落ちそうな風景を見ることだろう。
外に向かえば、何をするかわからない不気味さ。
52 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 23:05:12 ID:FBZPpy3q
>>50 勝義とか言っても虚しい。口先ばかりで無意味だろう。
世尊の縁起には世俗とか勝義などない。
>>52 竜樹の縁起・空はこの現実を<幻>にする。
変化を否定し、時間を否定したら妄想であり、現実的ではない。
世尊の経験的な縁起を破壊し、それをオカルトにしたのは竜樹である。
理論が現実に合わなければ、理論を現実にあわせるべきである。
大乗はそうしないで妄想にしがみついているだけ。
>>52 佐倉氏の件だが、
あまり時間がないので、できたら簡単に紹介してもらえたらありがたい。
氏が縁起をどう捉えているのかでおおよそわかる。
56 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 23:33:42 ID:FBZPpy3q
>>54 >竜樹の縁起・空はこの現実を<幻>にする。
<幻>などとはしていない。むしろ、「現実とは何か」を、極めて論理的・合
理的に掘り下げたもの。
唯物論者・唯心論者の「双方」にとって基盤となるもの。
釈迦がまだ充分に思い至らなかったことを補充したもの、だといえよう。
カルト信者は、竜樹を理解しようとすることを、自ら拒む。
57 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 23:36:00 ID:+MJRzi1y
>>53 釈尊の縁起は、世俗と勝義できっちり分かれてます。
これあらば、これあり。虚妄法、流転という言葉は違っても意味は世俗。
これなくば、これなし。非虚妄法、還滅という言葉は違っても意味は勝義。
>>54 釈尊も虚妄、幻と仰ってますよ。
なにも知らないのに断定しないように。
お互い様だけど、いくら何を言っても相手には届かない。相手を拒絶する頑固さは、
自分を譲ったら<魂>を失うのではないかと恐れているかのようである。
各人がそれぞれの段階を歩いているという意味で、実際にそうかもしれないが、
それが各人の持っている<業>であるという見方もできるだろう。
59 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 23:48:29 ID:FBZPpy3q
>>55 佐倉さんの文章は、非常に明解かつ論理的だから、
>>52に掲げたサイト
を直接読まれたほうが早いと思う。
結論的には、「縁起・空」とは「相互依存性、関係性(relativity, rel
ationality)」であるということ。これは、最近の佛教哲学による解釈
とも一致する。
>>56 「中論」を読めば、空だけでなく、幻、蜃気楼という言葉も出てきますよ。
唯物論的にこの現実を幻にしたらだめでしょう。幻覚は病気です。
ご隠居ですかね。話の途中で消えたらアク禁です。今回は早めに復帰できた。
61 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 00:03:59 ID:AzbYXLQV
>>60 その、「空、幻、蜃気楼」とは「何か」を、本質的に解明したものです。
唯物論者は「現実」を基盤とするのですから、竜樹の「現実とは何か」の解明
には、いささかの異論もありません。そして、「現実」をその思考の「前提」と
する唯心論者にとっても、竜樹の「現実の解明」には、異論はないはずです。
>>57 世俗と勝義は後世の分別です。
勝義と言っても、結局は世俗に頼らざるをえない口先です。
確かに経典の知識はないに等しいけど、
世尊がいう「形成されたもの」とは判断された識であり、これは虚妄・幻。
しかし現実そのものは虚妄・幻ではない。
63 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 00:11:08 ID:AzbYXLQV
佐倉氏(竜樹?)は、「空」の説明として、「空き部屋のたとえ」を
述べています。「部屋」は存在しても、そこに「住民(自性)」が存在
しなければ、部屋は「空」なのです。
唯心論者、唯物論者はここでは仲間に見える
>>61 視点を変えると、竜樹が何のために現実を<幻>にするのかがわかる。
執着を解消するため。これが目的になっている。
そのために現実を<幻>にし、運動を否定し、時間を否定してしまう。
いくらなんでもそれはないでしょう。
目の前のリンゴが空・幻・蜃気楼・・・ウソでしょう。
しかしそう思っていたいならどうぞ、としか言いようがない。
現実を出発点にする科学者や唯物主義者の道ではない。
>>63 そのたとえは「中身のない箱」でかなり有名です。
竜樹が問題なのは、部屋(家)や箱自体を幻・蜃気楼にするからです。
常識的に考えて、わたしたちはこの現実で生きているわけだから、
この現実を実際にあるものとして受け取っている。これがスタートです。
生きていくためにはこの現実に合わせて行かざるをえないのです。
そのために感覚器官がある。
現実をできるだけ正確に認識することが生死を分ける。
それなのに竜樹や世親は、この現実は<幻>であると説く。
この現実は<幻>だからどうでもいい、などと思ったら生きていけない。
平和ボケしてふやけた社会では生きて行けるかもしれないが、
野生の王国ではすぐに死んでしまう。
68 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 00:43:38 ID:gQTWIliA
>>62 つまり、ただの思い込みですね。今まで形成され思い込まされてきた習慣的思考法で、仏教を思い描いているだけです。
その思い込み、習慣的思考法を壊すために教えはあるのに、
教えを逆に、それらに馴染ませてはなにもならないでしょう。
そしてそういうことはなかなか気づきにくい、現に、こう言われても
あなたは認めないでしょう。だから、師が必要なんです。
それは違う、それがお前の間違いだと指摘してもらうために。
69 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 00:45:56 ID:gQTWIliA
>>67 それなら、常識に生きればいいだけでしょう。
仏教に口を出さなければいい、それだけ。
釈尊も、知覚・現象は全て幻、虚妄と仰ってます。
>>68 判断基準の点検(縁起の理法)が思い込みを防止する。
そういえば竜樹も世親も判断基準の重要性に気づいていないように思う。
師についていえば、師が誤っていたら目も当てられない。
竜樹・世親を仰ぐ大乗の師は、まず誤っていると思ってまちがいない。
幻想から幻想を見たら現実でしょ。
幻想の中からみれば現実、外(解脱)からみたら幻想、ということじゃないのか?
72 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 01:11:51 ID:gQTWIliA
>>70 龍樹菩薩ほど釈尊の教えに忠実な方はいないと思います。
部派には明らかな偏向があります。縁起を実体的に誤解していることが一番問題です。
もちろん、方便とするなら、それもアリです。
実体的にしか縁起を理解できない人がほとんどですから。
このスレをみれば一目瞭然なように。
師の吟味は、重要です。これに成功すればもう悟ったも同然です。
>>69 だれでも真理を知りたいと思う。その思いを他人から指示される理由はない。
大乗に真理がないなら、ニセモノの宗教ということだ。
大乗が仏教であるかのように言うけど、大乗以外に原始仏教や上座部もある。
もっと謙虚に周囲の意見を聞いたほうがいいと思う。
それが大乗の生き残る道だろう。
危機管理から言えば、誤りはできるだけ早く認めたほうがいい。
遅ければ遅いほど傷を深くする。オチ
74 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 01:12:59 ID:gQTWIliA
>>71 全く逆。同様の考え方に輪廻思想からの解脱なんていう珍説があります。
75 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 01:17:15 ID:gQTWIliA
>>73 真理なんて一生かけないと分からないでしょう。
ちなみにあなたは仏教を理解するために何してますか?
師には就いていないようですね。
経典はどの程度、読めるのでしょうか?
自分の理解の判断基準は、まさか常識に置いてないでしょうね。
76 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 02:36:47 ID:HAikpkJk
>>69 >釈尊も、知覚・現象は全て幻、虚妄と仰ってます。
釈尊が言ったことはすべて盲信するのなら、麻原を盲信するオウムと全く
同じ。釈尊を「カルト宗教の教祖」にしてはならない。
麻原とは異なり、釈尊は「自灯明」を教えたことを忘れているのではないか。
法灯明は釈尊の教えであり、それが自灯明に優先するなどというばか者がいるが、
それでは、釈尊を「愚か者」扱いにすることになる。「自分で考えよ。しかし俺の
言うとおりにせよ」などという矛盾語法があるか。自灯明などと言い切れた
宗教の開祖は、釈尊のみという事実の巨大さを理解していないのではないか。
仏教者は「縁起」の意味も、経時的な因果関係だと誤解しているようだね。
「これがあるから、あれがある」の「これ」と「あれ」とは代名詞だから、
交換可能であり、さらに、それらには「すべての名詞」を代入できる。
即ち、縁起とは、「万物の相互依存関係、関係性」となる。竜樹も、全く
同じ点を指摘している。
77 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 03:25:54 ID:bucw9JOQ
>>33 >論点ずらしか? 誰が死刑制度の話をしたか? バカが。
実に、「間違いは許さん!」みたいなあなたのような“正義感”というヤツが、死刑制度の
支持の背景にあるんだ、という判りやすい事例を上げたのです。
そういう輩は、ゴータマのアングリマーラの弟子入りやイエスの姦通の罪を犯した女を救
い出した姿勢を理解できない。「悪者は許さない」「法(律法)の遵守」とかいってね。こうい
うのが・・イスラム系の投石処刑なんかを根強く支持する。
カラスさんはこれまで、ゴータマの教えの最も重要な部分に光を当て、我々の前にそれを
提示し続けてきたのです。今回、たまたまアルコール度数が高かったからといって、これま
での彼の想いや素晴らしい投稿の数々の価値が消えるものではない。
私としては、今後のカラスさんの自省的な投稿に強く期待したいと思います。
78 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 03:31:55 ID:bucw9JOQ
>>43 >自性ならば変化しない。変化するものは無自性である。
>しかし変化それ自体を否定する。 → 無自性の存在もありえない。
それらは、現象界に限定する性質のことに過ぎない。
我々が現実と認識して生きているこの現象界についての説明です。
しかし、“そうではない世界がある”とゴータマは述べた。
現象界とは異なるものがあるから現象界を脱するのだ、と教えている。
『生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、
離れることがあるのである。』(ウダーナ8-3/不生不滅)
>>47 >執着も解脱もニルヴァーナも輪廻も仏も否定される。
もしも、あなたの説明が正しいなら、
ナーガールジュナはただ頭がいいだけの俗人ということになるでしょうね。
恐らく、真言氏から推奨された石飛著『ブッダと龍樹の論理学』を読めば明らかになりそうです。
真言氏の述べる正統派伝統仏教についての理解は信頼性が高いでしょう。
79 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 03:33:04 ID:bucw9JOQ
>>49 >大乗から覚者が出ないのも当たり前である。
>縁起は悟りの入り口なのに、その入り口をまちがっているのだから。
これについては同意します!
縁起の(教えの)内容というのは、「解脱を果たした存在であるからこそ語れた」
ということは、確かに言えるとは思いますが、縁起の理法の理解=解脱ではあるとは思えない。
そう・・入り口の意味合い的な必要な理解ということに過ぎないでしょう。
(瞑想中の縁起観という行法を否定するわけではありません/それらはきっと有用な行法でしょう)
>>51 >そんなものを体得したら普通は病院行きなのだが、
存在論の“理解”ということだと思いますが・・。
「永遠でないものは実在とは見なさい」という価値観のことです。
それを理解し、自分自身としてそのことを了承するかどうかということ。
それだけのことですよ。
80 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 03:35:26 ID:bucw9JOQ
>>50 >大乗から覚者は、たくさん出てますよ。
>現代でも。
まっ、「解脱者は歴史上、我々凡人の認知されていないところにも出現してきた(に違いない!)」
という意味では同意しますが・・。
>>68-69 同意します。
>それなら、常識に生きればいいだけでしょう。
コレは重要!!(そういうことですね)
81 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 03:42:45 ID:HvPI5odU
>>71 >幻想から幻想を見たら現実でしょ。
>幻想の中からみれば現実、外(解脱)からみたら幻想、ということじ
>ゃないのか?
人間を初めとするすべての動物・生物は、現実を離れたら一瞬も生存
できないということ。それが現実界と幻想界とを区別するためのテスト
である。
すべての動物の子は、生まれた瞬間から、現実と幻想とを区別し、現実
従って生存しようとする。大人になっても現実と幻想との区別ができな
いのは、「知恵遅れ」のカルト宗教者だけ。
82 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 03:52:04 ID:QZ3pzE0g
ふざけるなよ、カスが。
お前はまた、自己の正当化を図るために、主張を変えたな。
「たまたまアルコール度数が高かった」だ?
お前は
>>3 の書き込みを今度は酒の上での間違いにして逃げるわけか?
今までお前は、カラスの
>>3 の書き込みは「悪徳宗教者への批判であり、ゴータマを誹謗するものではない。」
こう言ってたな?
それが通用しないと見るや今度は酒の上での間違いにするか?
いいか? カス宝珠!
よく聞けよ!
お前は今まで自分の意見を受け入れない者が、少しでもゴータマに対して批判的なレスをすると
すぐさま「ゴータマを誹謗するものは許せない。出ていけ。」
このように繰り返してきたな?
それがカラスなら、問題なし。
カラスが書いたあのレスほど、詳細に長文によるゴータマ本人を誹謗する書き込みが、このスレで今まであったか?
あれに匹敵するほどのゴータマ罵倒があったと言うのか?
お前はな、ゴータマを誹謗する奴が許せないのではなく、自分の意見を受け入れない者が
許せないだけなんだよ!
だから、自分の意見を支持してくれるカラスは
何を言ってもOKなわけだ。
なにが、「ゴータマを誹謗するものは許せない。」 だ。
この二枚舌野郎が!
お前のその、自己を正当化するためにゴータマを利用する
姑息なやり方はホントに吐き気がするな。
83 :
偽本尊:2009/07/04(土) 07:16:55 ID:mVVo8+WJ
>8
多くの人が「生きる意味」を求め、多くの宗教が、その答えと称して、信仰を説いています。
キリスト教も法華経もそうです。
しかし、釈尊の教えはどうでしょうか?
原始仏教では「生きる意味」は説かれていません。
八正道はいわば「生き方」が説かれているだけです。
よく考えてください。
「生きる意味」が解らなければ生きることができませんか?
なぜ生きることに「意味」を求めるのですか?
意味は自分で決めればいいのです。
他人から与えられた「生きる意味」=信仰が正しいとどうして言えるのでしょうか?
釈尊は、人から話を聞いたら、正しいかどうかを自分でよく考えて決めなさいといっています。
犯罪を犯すカルトは釈尊の教えを知らないことになります。
釈尊に罪はありません。
84 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 08:33:30 ID:vEB+fUlE
>>78 『生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、
離れることがあるのである。』(ウダーナ8-3/不生不滅)
釈尊は悪業と業苦を生じさせるのも、させないも自己しだいだということを端的に仰ってるだけですが?
>>946/スレ6
> >この場合の大我に我ありという思いがあり、個でありつづける要素があるならば、
> これは、大乗の説く概念だそうです。
大乗であれ非大乗であれ、個でありつづける要素があるならば、です。
> バラモンの説くアートマンと完全同一である必要はないですが、
> ニルヴァーナに立脚した真実の自己であり、それが自己の本体ですね。
ニルヴァーナは精神的な意味あいにおいてさえ、実体的なものではありませんから、
その上に立脚できるような性質ものではありません。
自己に本体があるなら、それは個でありつづける要素があるということを則ち意味します。
個であるということは、言い換えれば他者がいるということであり、自他の区別があるということです。
個という限定された存在であるということが明言されている以上は、その個我がいかに大我の域にまで
延長されていようが、個であるということを免れません。個であることを免れないということは
自他の区別がある世界にいるということであり、世界の全体性から隔絶されている、ということを意味します。
これは悟りではありません。
> 縁起/空の幻の自己(五蘊)から意識の焦点が真我に移行したのです。
> これが輪廻からの解脱です。
それは意識の焦点が移行しただけで、煩悩が尽きることとは関係がありません。
そして意識がいかに移行しようと、解脱するためには煩悩が尽きる必要があります。
悟りを開いてもまだ続きがあるのはこのためです。
真我に目覚めるのは一歩にすぎずその先には道が続いており、真我もまた無常です。
> 我無しとは現象界の真実の様を示す言葉です。
それはそうです。
> 私は水野氏『要語』の通りだと思いますよ!
それはどうでしょうか。
86 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 08:52:27 ID:Y/2hL87a
>>83 >釈尊は、人から話を聞いたら、正しいかどうかを自分でよく考えて決めなさいといっています。
そうですね。
それが大パリニッバーナ経でいう、釈迦の遺言「自灯明 法灯明」の正しい解釈だと思います。
そして、その自灯明とは何かを徹底的に追求したのが大乗の般若経典群であり、中論でしょう。
また法灯明とは何かを徹底的に追求したのが部派のアビダルマであり大乗の法華経や唯識でしょう。
釈迦はまた釈迦を含めて師に盲従することを禁止しサンガの中で師を立てることを禁止している。
修行者(僧)は客観的な修行年数(年功序列)だけで識別し、わかりもしない悟りの境地の程度
で分別しないよう遺言している。これを破ったのが上座部と大乗の禅だね。
87 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 09:00:18 ID:Jg0iwogN
>>86 >サンガの中で師を立てることを禁止している。
何処の国のお釈迦さまが言ったの?w
88 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 09:11:19 ID:Y/2hL87a
>>44 >集合論(或いは、その図式化)に於いて、3D的なものってあるの?
時間を入れない空間論理なら3D化は必要ないし、見たことも無い。
いずれにしろ平面の紙に書ける図は二次元が限度だから、後の次元は
推測するしかないでしょうね。相対性理論の光円錐の図のように。
中論の論理については「インド人の論理」(桂紹隆著 中公新書)に
詳しいです。
なお、四句分別の論理図については、○二つの組み合わせではなく、
日の丸の図柄で、真ん中のの赤い○を「有」とし、周りの白い地を「無」
に配する論理図が私の好みです。
四句分別の3番目の「有&無」はもちろん赤い丸の境界線になります。
境界線というのは本来実在しない線でありそれは有であり無でもある、
すなわち、これが「空」に配当されます。
また4番目の「非有&非無」はもちろん有無の分別をしない「旗全体」
と成ります。
89 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 09:37:27 ID:Y/2hL87a
>>87 >何処の国のお釈迦さまが言ったの?w
大パリニッバーナ経の「九 旅にやむ」のなかでアーナンダ
に言っている。
「アーナンダよ。(中略)『わたくしは修行僧のなかまを
導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに
頼っている』とかこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して
何事かを語るであろう。しかし向上につとめた人は『わたくしは
修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは、『修行僧のなかま
はわたくしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は
修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。(中略・・・でこれが)
それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたより
とせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころ
とせずあれ。(・・・と続く)
私はここを読んで、デーヴァダッタの反逆を思い出した。結局、テーバダッタは
釈迦とは別の教団を率いることになったようだね。その出来事がここで
釈迦に思い出されているのではないかと。
長くなったので、長老の年功序列の話はまたの機会にしましょう。
>>28 >
>>21-22 > >正しくは「私の言うことを聞かない奴は許せない。」これが正解だろう。
> そんなことはいってません。
いってはいないかもしれないけど、「やってる」よね。
竜樹の誤りをひとつづつ数えるのは面倒なので、
誤りの根底、大本である、この現実が空・幻なのかどうかを検討しよう。
竜樹によれば、変化が見られる現象には<それ自体>がなく、
それゆえにそれらは無自性であり、空であり、幻であるとされる。
なぜなら<それ自体>があるなら変化しないはずだからである、と言う。
そしてこれらのものが有為法に分類される。
さらに無為法も否定するので、結局は諸法無我・一切皆空になる。
この話は存在論である。存在に実体があるのか、ないのかが論点である。
そして竜樹は四句分別などの論理を駆使して実体がないと結論した。
しかし竜樹の結論は根本的に誤っている。
92 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 10:11:00 ID:bucw9JOQ
>>1 遅れましたが、
スレ建てご苦労さまでした。
>>83 >よく考えてください。
>「生きる意味」が解らなければ生きることができませんか?
>なぜ生きることに「意味」を求めるのですか?
「生きる意味」の理解、もしくはそれを知ることは必要でしょうね!
でなければ、生命体としてただ“生存している”ということに過ぎない。
>意味は自分で決めればいいのです。
>他人から与えられた「生きる意味」=信仰が正しいとどうして言えるのでしょうか?
>釈尊は、人から話を聞いたら、正しいかどうかを自分でよく考えて決めなさいといっています。
ただし、そう・・・。
他人から与えられたものに自分が納得できないのであれば意味がないでしょう。
たとえ仏教と呼ばれる教えでも、自分が納得できないのに追従するなら盲目ということ。
>>84 「生成」「形成」という言葉が何故、当てられているのか?
それも理解できないのですか?
まっ、自己の信条に合わせて無理やり曲解するだけということですね!
そうしたい人はすればいい。自分が損するだけのことです。
おーお、大した教えも無いどころか、涅槃がなにかも
知らないバッタもんの仏教で、仏典に出てくる布施の教義により
糞の役にも立たない分際の癖に、まるで自分達を供養することが
一番の功徳になるかのごとき在家をだまし、在家から巻き上げた布施でメシ
食ってる生臭坊主共が痛いとこつかれたんで、逆ギレしてらぁ。ケラケラ。
あとさ、このスレの論点は、俺がゴータマを愚弄したかどうかではなく、
あくまで、ゴータマの仏教は、アートマンを説いたか、説いてないかだろ。
論点を摩り替えて、宝珠氏を攻撃してんじゃねぇよ、詐欺師共。
94 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 10:23:07 ID:bucw9JOQ
>>84 「形成されたもの」とは「有為」、即ち現象界の存在のことであり、
そうではないもの「ニルヴァーナ」がある、ということを述べているのです。
『比丘たちよ、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」
でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が存在する。比丘たちよ、もし、
その、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」でなく「形成
されたもの」でないもの(涅槃の境地)が有ったことがないとしたら、この〔世において〕、
「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為されたもの」「形成されたもの」からの出離
は、覚知されないであろう。比丘たちよ、しかしながら、まさに、「生ぜられたもの」でなく
「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」でなく「形成されたもの」でないもの(涅槃の
境地)が存在するがゆえに、それゆえに、「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為
されたもの」「形成されたもの」からの出離が、覚知されるのである。』(ウダーナ8-3)
竜樹の誤りを指摘するために<物質>を検討しよう。
身体を含め物質は変化するものである。たとえば水は氷になり水蒸気になる。
そしてこの物質については、<等価原理 E=MC^2>によって、
エネルギーに還元できることがわかっている。
これが意味することは何だろう?
物質に、実体がないことか、実体があることか。
エネルギーという実体があったということではないのか。
であれば、竜樹の主張、<この現実・現象は空・幻>は誤りである。
96 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 10:28:05 ID:ZnyjSayz
>>89 伝統教団で師をたてないところはありません。
戒を見てください。
釈尊から授けられた戒は法の灯明として師から弟子へと受け継がれていっています。
共産党のコミュニティと勘違いしていませんか?
97 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 10:34:25 ID:JGJ8mx+p
>>94 「涅槃の境地」を実体視するのが、おかしいとさんざんいろんな人から指摘されている。
そのようなものの見方の「クセ」をなんとかしなさい。
鉄100kgを肩からおろして、綿100kgを背負うようなもの。
俺は、わかりにくい説法をかましたゴータマではあるが
その説法の正しい教えの見解や、また八正道や、四正勤などの
真理の言葉を愚弄した覚えは無い。ただゴータマが実際に
仏典に書かれているようなわかりにくいどころか、あえて聞き手に混乱を
招くようなおかしな説法の仕方や、まるで自分達が布施を募るのも
自分達が食っていくためではなく、まるで、衆生の功徳を積んであげる為だと
いわんばかりに思いあがった気持ちを持ち、そういう意図で伏せの教義を
残したのなら、たとえ、真理をつかんだとしても、ゴータマ自身は大した
人物ではなく、こいつは、ゴータマという名の男の人生において、
善の修行を完成するどころか、結局はエゴを捨てられなかった半端もんだと
思っている。あの食中毒の最後は、俺は因果応報だと思ってるんでね。
しかし待機説法だがなんだか知らんが、ゴータマの説法は何だ。
あんなのは説法というより、単純に後世の者に混乱を招くだけだ。あんな説法では
彼の知った真理を正しく理解できるのは、本当に限られた、智慧のある人だけだ。
事実、君ら末法仏教徒達は、見事に迷い、真理から最も遠いところにいる。
99 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 10:38:02 ID:WF7IDxFT
竜樹は完全に誤っていたのかと言えばそうでもない。
半分ぐらいは正しかったのだろう。
では物質をどう見たらいいのかと言えば、
無常と常住の<二重性>によって存在していると仮説しておく。
無常である、実体がないから変化する。→ 空・幻
しかし同時に常住である。物質には変化しないものがある。
101 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 10:50:36 ID:bucw9JOQ
>>95 >たとえば水は氷になり水蒸気になる。
ゴータマは、CO2は「水」という液体、「氷」という固体、「水蒸気」という気体の三態を現じる。
この三態を変化させているのは「縁」に拠るのであり、「水」「氷」「水蒸気」という一つの固有
の存在がある(在り続ける)わけではない、という視点の持ち方のことを教えているのです。
今、現じている総ての事象は仮の状態にしか過ぎず、それを留め続けることはできないの
であるから、そのことを理解し、今の仮の姿に執着することを離れよ!ということ。留め続ける
ことはできないのにそれを望むところに人の苦悩が生じているのだ、といっているのです。
まっ、これらは「形成されないもの」があってこそ、はじめて「形成された」のであって、「形成
されないもの」という根源の力一つで、「形成されたもの」などは瞬時に消滅するんだけどね(笑)。
という程度の意味が中論でも述べられていれば、正解かな?
でなければ、龍樹はただのモグリに過ぎないでしょう!
真言氏によれば、龍樹は正しい理解者(解説者)とのこと。
102 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 10:51:43 ID:QZ3pzE0g
なんだ、カラスが来てるじゃないか。
おい、カラス!
お前も
>>3 の発言は宝珠が必死に取り繕ってたように
「あれは酒の上での発言で心にもないことを書いてしまいました」
って、逃げるのか?
ま、布施の教義(内容)自体は間違いではないが、それは供養される側が、前面に
強調して口に出すべきものではないし、ましてや、自分達の食い扶持の為に
在家からたかっているくせに、まるで自分達は、在家の功徳の為にやってあげてるんだ
という意識が少しでも芽生えているなら、その時点で、彼らの堕落は始まってるんだよ。
在家の功徳の話はおいておいても、人は働きに応じた報酬を受け取るのは当然のことだが、あの説法はなんだ。
のらりくらりと、人を食ったような、不可知論に近い、聞き手に混乱を招くような説法ばかりだ。
事実、ゴータマの側近中の側近であった、いつもそばでゴータマの説法を聞いていた
アーナンダ自身が最も混乱してしまい、彼はゴータマの在命中には悟れなかったそうじゃないか。
そんな説法で報酬をもらおうとすること自体間違っている。それは在家に対して
何の答えも導けず、あっても糞の役にも立たない、およそ宗教的な救いとは無縁なものしか
得られない君らの末法仏教の坊主とて同じことだ。君らは、在家から布施を恵んでもらえる
ほどの働きはしていない。布施に対する仏典の教義は、君らの飯の種のため、在家から
たかる格好の道具になっているし、オウムなどのカルトが、一般人から財産を巻き上げる格好の
道具にもなる。事実オウムは、仏典に出てくるゴータマの布施に対する教義を利用して
他人の財産を奪ったんだよ。彼らも、君らも、この教義のおかげで、自分達の食い扶持を恵んで
もらっているくせに、在家に感謝することもなく、当然のように思っているどころか、
まるで、在家の功徳を積む為に、我々は恵んで貰っているんだと勘違いをして、散漫な態度で
在家から金を巻き上げている。
104 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 10:56:14 ID:Y/2hL87a
>>79 >「永遠でないものは実在とは見なさい」という価値観のことです。
永遠であるものはわれわれ人間という有限なる存在者には認識できない。
それは頭脳で空想するだけのものとなろう。だから・・・
>それを理解し、自分自身としてそのことを了承するかどうかということ。
>それだけのことですよ。
という形而上学と成る。
105 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 10:58:20 ID:bucw9JOQ
>>97 「実体」「実在」「常恒」「常住」「永遠」「永久」「不死」「不滅」・・・。
言葉は何でもいい・・。
ただ、ニルヴァーナまで「空」扱いするなといってるだけのこと。
仏教がまさに“空っぽ”の無意味な教えと化す!
>>31 宝珠さん。そこの仏典の文言にあるように、ゴータマ自身が
本当にそのような、自分の死後も、自分の遺体を、世界を支配した帝王のように
敬えと言う趣旨の遺言を残したのなら、ゴータマ自身は、結局己のエゴを
捨てられなかった、修行完成者ではなかった人なんだと僕は思いますよ。彼が
本当にそのような遺言を残したのだとしたのならね。
キリスト教のいう偶像崇拝は、なにも文字通りの像。偶像をのことをいうのではない。
この世そのものが神の似像なのだ。たとえ聖者の遺体であろうが、はたまた
その聖者自身であろうが、.この世のもの一切に執着してはならない。それは偶像崇拝
なのだ。それは、真理の教えについても同じこと。この思考、また教義もこの世のものなのだ。
それらの執着はお前の心にエゴイズムを生み出すだろう。だから、この世のもの一切に
執着してはならない。それは偶像崇拝なのだから。
>>102 しつけぇんだよ、おまえ。おまえストーカーって、立派な人格障害だと
知ってるか?ストーカー体質の人間って、結局は、自己愛が恐ろしく強い人なんだよね。
彼らは、真理と真逆な道をいっている。
竜樹は運動や時間や変化や因果関係を否定する。
この誤りを理解する<たとえ>を示そう。
会社を把握する技術に、損益計算書(I/S)と貸借対照表(B/S)がある。
I/Sは一定期間の損益を計算する。変化する時間の流れを追う。
B/Sはある時点での会社の経済状態を示す。ある時点における静止画である。
この両者は、複式簿記によって関連させ、有機的に統合されている。
要するに、会社という主体が時間と共に変化していく様子を把握する技術である。
竜樹の場合は、I/SとB/Sの関係が理解できなかったのであり、
I/Sという変化を追いながら、最終的には両者を<幻>として否定する。
この話は、複式簿記を知らない人にとっては難しかったかも。
109 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 11:09:26 ID:bucw9JOQ
>>104 >永遠であるものはわれわれ人間という有限なる存在者には認識できない。
>それは頭脳で空想するだけのものとなろう。だから・・・
それはそうです。まったくその通り。
であるから、我々は凡夫なのですよ。
完全に体感できなくとも、しかし、それを理解することで「信」を持つことはできます。
肉体を所有しながらも、その永遠の実在を捉えられるのが解脱者です。
それを凡夫には提示できない(実質的に認識しようはない)から、
無記として詳細の解説を辞めたのです。あとは体験すれば分るからです。
キリスト教徒は、イエスと言う名の男に執着し、彼の残した教えに
執着する。また仏教徒は、ゴータマと言う男に執着し、彼の残した教えに執着する。
はたまた、オウムの信者は、麻原と言う男に執着し、麻原の残した教えに執着するだろう。
それぞれ自分達の信じる師やその教えを他人から貶されたら、頭にき、腹を立てるだろう。
エゴイズムの始まりである。我々の思考を含む、この世の一切のものは、神の似像。
偶像を崇拝してはならないのだ。
イエスは言われた。
ペトロよ。おまえは私がお前達の前から去った後、私の教えを広めるだろう。
その結果、お前の残した教会を信じる者達は、私の名で、ますます汚れるだろう。
111 :
一在家出張帰り:2009/07/04(土) 11:16:28 ID:7ghvBiiJ
>>龍樹スレからのコピぺ
>・もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、
> 「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマン
> なるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。
衆生混乱の教えであることを証明する方法を示しましょう。
貴兄の言葉を女子高生100人に説明してから、理解できたか
確認してみて下さい。
「おじさん、頭大丈夫?」か「きもー」が寒露の雨の如しでしょう。
>頭の良い子なら、「関係性ゆえの無自性」として説明すれば、小学生
>でも理解できる。
>女子高生なら集合論のいい例題になるだろ。
>ベン図書いて説明すりゃ一目瞭然だね。
私は女子高生の評価の高さにびっくりしました。
頭の良い小学生でも分るそうですが、中論メンバー以外で同意しますか?
この板にも龍樹スレの住人が多数おられますが、自尊心とか愛を
龍樹がどう説明したか、ご教示願いたいです。
「それは空・幻だよ」でも結構ですが。。
112 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 11:20:48 ID:QZ3pzE0g
>>107 なんだ?くそカラス
レスに窮すると相手を勝手に規定して、罵倒しはじめる。
いつものパターンかい。
お前、言ってることの論調がかなり変わってきてるぞ。
>>3 では「ゴータマの在家から食い扶持を『たかる』 『卑しい生き方』 ・・・・」
こう言っていたのが、いつのまにか、現在の職業坊主への批判にシフトしてる
さすがにゴータマ本人を罵倒するのは、まずいと思って軌道修正か?
>>101 >という程度の意味が中論でも述べられていれば、正解かな?
>でなければ、龍樹はただのモグリに過ぎないでしょう!
竜樹は論理の透徹したモグリでしょうね。
多くの人がよってたかって2000年もだまされてきた。
114 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 11:22:29 ID:Y/2hL87a
>>76 >仏教者は「縁起」の意味も、経時的な因果関係だと誤解しているようだね。
>「これがあるから、あれがある」の「これ」と「あれ」とは代名詞だから、
>交換可能であり、さらに、それらには「すべての名詞」を代入できる。
>即ち、縁起とは、「万物の相互依存関係、関係性」となる。竜樹も、全く
>同じ点を指摘している。
縁起の法の定式化が「これがあるから、あれがある」では省略しすぎだよ。
仏教の定説では次のストック・フレーズ(定型成句)としている。
これがるとき、かれがある。これが生じるとき、かれが生じる。
これが無いとき、かれが無い。これが滅するとき、かれが滅する。
「これがるとき、かれがある。これが無いとき、かれが無い。」これは
空間的な有無の関係でまさに龍樹によって指摘された「相依関係」としての
縁起だろう。
しかし、「これが生じるとき、かれが生じる。これが滅するとき、かれが滅する。」
は明らかに時間を意識した因縁果の縁起だろ。龍樹はこちらについては「中論第26章
縁起の12支の考察」としてそっくりそのまま肯定・了承している。
相依関係の縁起だけが中論ではない。
>>112 俺は、現代の生臭坊主を非難すると同時に、
ゴータマ本人も非難してるんだが。おまえはつくづく智慧が無いな。
116 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 11:24:02 ID:x6vTA4gT
カラスは金に執着している。
117 :
一在家:2009/07/04(土) 11:26:34 ID:7ghvBiiJ
>てめぇ、一遍死んでみるか?あ゛ぁ。
過去ログを読んでいて笑えるフレーズを見つけました。
何回も死んでいるという考えの人達に言ってもなーって感じです。
118 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 11:31:20 ID:QZ3pzE0g
>>115 なるほどね、「ゴータマ本人を非難してる」わけね。
なら、はっきりと聞いておこう。
お前は「ゴータマの食中毒による死は因果応報だ。」
このように断定していたが、すると当然ゴータマは解脱していなかったことになるな?
お前は
>>3の最後 でも書いていたが、ゴータマは解脱して涅槃に達してはいない。
このような見解なわけだ?
なんだか、ネタ切れっぽいな
誰か新しいテーマだしちゃいなよ
>>118 おれがそう思ってるとしたら、それがどうした?
ゴータマが、ゴータマと言う名の男の人生で涅槃に達したかどうかはどうでもいい話だ。
121 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 11:36:23 ID:bucw9JOQ
>>106 カラスさんのいいたい意味は理解しますが、これは聖者を尊敬する心をもって欲し
い(教えを学ぶために)という意図であり、その為にこれは一般大衆に大変、効果的
(絶大)なものです。
これは、どの聖者に対して同じであり、“自分がして欲しいという利己的エゴ”からで
はないと思いますよ。それまでのゴータマの教えを見るならば分る通り、そんな低級意
識は消滅しています。これは無知で利己的な一般大衆の凡夫たちが、聖者に対する
尊敬心から自己意識の浄化と制御に入っていくという、基本的で最も効果的な方法を
用いてそれを示したということです。
原始教団では本来、無常の教えの実践から死者の葬儀すらもなかっという。その教
えを説き自分の死に際しても泣くなといってアーナンダを制したゴータマ自身が、己れ
の遺体に埋葬のあり方に執着(捨てるべき基本的な名誉欲に過ぎない貪りの心)する
わけがありません。
ゴータマは、自分が教団の長であるという意識(我こそが偉大な師であるといった尊
大ぶる心)すらもなかった様子が、その同じ経文に記されていることからみても分る通
りです。
『「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう「とか、あるいは「修行僧のなかまはわたく
しに頼っている」とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろ
う。しかし向上につとめた人は「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、あるいは
「修行僧のなかまはわたくしに頼っている」とか思うことがない。向上につとめた人は修行
僧のつどいに関して何を語るであろうか。』(マハー・パリニッバーナスッタンタ)
122 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 11:44:04 ID:QZ3pzE0g
>>120 ちょっとまったぁ
ゴータマは解脱して涅槃に達してはいない?
すごいな。正直、はっきりとそこまで言い切るとは
思わなかったわ。
しかし、仏教と言うのはゴータマは解脱して涅槃に達していると言うのが大前提じゃないのか?
お前は仏教徒じゃないから、そんなこと関係ないってわけか?
悟りとは、「一」を悟ることである。
ゴータマが悟っている人で、ゴータマという名の男の人生の中で
善の修行を完成していたのなら、自分を貶し、愚弄する、ここでカラスを名乗る
俺をも、許し、愛してくれるだろうよ。イエスが、自分を殺す者達の為に祈ったようにね。
なぜなら、我々は本当は、一つなのだから。
おやすみだアホ共。くだらない言葉遊びや、凡夫の知恵を得意げに語って
悦にはいるんじゃなく、早く悟れよ。
124 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:06:36 ID:QZ3pzE0g
なるほどね、カラスの主張するところは極めて明快だな。
「ゴータマは解脱して涅槃に達してはいない。食中毒による死は因果応報だ。(解脱していないわけだから、それも論理的にあり得る) そして、対機説法と言う不適切なやり方で後世の者たちを惑わした。
また、在家から食い扶持をたかる卑しい生き方をした。さらに、この布施の教義はオウムの殺人事件の原因ともなった。」
凡夫の俺が言うのも、なんだが
確かにお前は外道だわ。
だが、言ってることに一貫性はあるな。
仏教徒とは、とても言えないと思うがね
125 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:06:42 ID:magT7Ypv
>>123 縁無き衆生は度し難し。
お釈迦様でもスル〜なさるでしょう。
126 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:09:03 ID:gQTWIliA
>>122 単純に本音が出たということでしょう。
グノーシスなどの神秘的結婚のような図式が、無二の真理だと思っている彼は、
その枠になんでもはめ込む、そのフレームに収まらないものは認められないというだけのこと。
要するに他の原理やテキスト、思想によって仏教を語る人は、
ただ自分のエゴや妄想を仏教に投影しているだけだということです。
127 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:14:28 ID:magT7Ypv
>>105 涅槃を自前のものにしようという根性がいやしい。
涅槃は、あんたのお気に召すようなもんではない。
>>111 インドじゃ若い時は宗教より、社会生活を大事にしてきたんだよ。
っていうか、女子高生に宗教の話するやつ自体がキモイから。
129 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:21:43 ID:QZ3pzE0g
さて、カラスの主張するところを
>>124 にまとめてみたが、どうやらカラス本人は自己の発言を酒の
せいにする意図はないみたいだな。
そこは、まことに潔い。
しかし、これは単に非難と言うような語が、ふさわしい発言か?
俺にはゴータマを「誹謗」「罵倒」 あるいはカラス自身も使っていた「愚弄」と言う表現がふさわしい見解だと思うがな
違うか?
ほとんど、時間とか、関係なくレスしてるよね。
一在家じゃなくて、自宅警備員? キモイ・・・
131 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 12:34:04 ID:bucw9JOQ
>>85 >それは意識の焦点が移行しただけで、煩悩が尽きることとは関係がありません。
>そして意識がいかに移行しようと、解脱するためには煩悩が尽きる必要があります。
>
意識の焦点が低級我から真我に移行するということは、
低級性質の制御(煩悩の滅尽)ができて初めてなされるのです。
意識の焦点が移行した後は低級我の制約を受けることがない。
それには低級性質(低級我の性質)の撲滅に成功し、
低級我をコントロール下に納めなければならないということ。
無関係ではなく、煩悩の制御なく意識の焦点が移行できる筈がないでしょう。
全然、解からないのですね・・。
132 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:35:50 ID:QZ3pzE0g
あ〜 あと、これはカラスや宝珠との件とは関係ない、別件なんだが
誰かネットで見られるリュウジュのリンク知ってら教えて欲しいのだが。
上記の佐倉哲氏のリンクは非常に面白かった。
彼の「空」「縁起」の概念は極めて論理的であり、わかりやすかった。
特に「空」をnothing と捉えるのではなく「自性」の欠乏とする視点は面白かったのだが。
それとは異なる見解はあるのかな?
133 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:42:18 ID:gQTWIliA
134 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:51:22 ID:A/nq04/B
>>124 >だが、言ってることに一貫性はあるな。
>仏教徒とは、とても言えないと思うがね
すでに述べたように、このスレの構図は、キリスト教(一神教)と佛教と
の対立。そして、原始仏教はキリスト教と親和性があるから、端的には、
キリスト教と竜樹の「空(関係性)の思想」との対立。竜樹を認めると、
「唯一絶対神」やイエスが、一瞬にして吹っ飛ぶからである。キリスト教
や原始仏教のような「超カルト」は、竜樹を理解することを拒否する。
カルトの洗脳ゆえに、己の存在自体が否定されるという倒錯した心理状態
に「陥らされて」いるからだ。
135 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:54:01 ID:7n0cHXOg
>>131 あんたの言う「低級我」を認識したのは誰?
低級我から厭離したいと願ったのは誰?
低級我を撲滅するのは誰?
低級我を制御するのは誰?
意識の焦点をあわせているのは誰?
真我を見つけたのは誰?
バカなの?
アホなの?
136 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:00:03 ID:QZ3pzE0g
>>134 なるほど。
>>133 乙
創価大の年報に挙げられてる論文を読んでみろと言うことだな?
俺はパーリは読めないんでね
137 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 13:15:19 ID:bucw9JOQ
>>135 >あんたの言う「低級我」を認識したのは誰?
低級我と真我の二つについての知識を得た自己(低級我)です。
>低級我から厭離したいと願ったのは誰?
低級我は真実の自己ではないという知識を得、
その理解から厭離を望もうとしている自己(低級我)です。
しかし、そのことを正しいとして認識できるのは真我の存在(作用)に拠っているのです。
それを人(低級我)は無自覚に受け取る。
>低級我を撲滅するのは誰?
低級我を撲滅しようとするのは低級我ですが、それを正しいものして認識し、
それを背後で推し進めている力は真我の作用です。
138 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 13:16:31 ID:bucw9JOQ
>低級我を制御するのは誰?
それも低級我であり、低級我が低級我を制御しようとするところに葛藤するのです。
これを克服するのが修行であり、それは達成した者にしか解からないのです。
そして、完全な制御を納めたときに、制御に成功したのが実は真我であることを悟るのです。
>意識の焦点をあわせているのは誰?
低級我の意識の焦点です。
低級我の意識の焦点が真我に定まった瞬間、低級我はその存在(の意味)を無くすのです。
>真我を見つけたのは誰?
低級我が真我を見つめようとし、
真我に意識が定まった瞬間に真我のみが存在として自覚されるのです。
そして、その一連のできごとをすべて背後から見ていた(誘った)のは真我だったのです。
139 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:20:56 ID:PyfeHbWV
>>134 竜樹の「中論」はすでに破綻している。
この現実は竜樹が想定した空・幻ではなかったからである。
関係性という概念は竜樹の創作ではない。
古くからある概念であり、下等な生き物でさえそれを利用する。
竜樹のように関係性を縁起と言い張るなら、
世尊が見出した縁起の理法を破壊することになるだろう。
140 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:25:39 ID:Y/2hL87a
>>48 >仮に成功して、「これが空だ」と見せられても、???だと思うけど。
十牛図の八番目:人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)がまさにその空の図ですね。
ただ○がかいてあるだけ。確かに空の原義はゼロということだけどね。
そういえば、湯川博士が中間子の理論を発表してπ中間子が発見されノーベル賞
をもらった。湯川博士はよく素粒子・中間子とはどんなものか聞かれて黒板におおきな
円をひとつ書いて中間子とはこんなものだ、と説明したら、聞いてた人たちはなるほど
と納得したとか。だからπ中間子と名づけられたのかしら?
141 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:35:18 ID:uig4gxa/
>>137・138
あんたの大好きな、大乗仏教の最たるもの、浄土思想じゃん。
142 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:35:45 ID:A/nq04/B
>>139 竜樹の「空」は、君のようなクリスチャンまたは原始仏教カルトの、
「開祖盲信」「教典の戯論盲信」を破壊するための、最も強力な武器。
だから必死で、その理解を拒否しようとする。
>>140 十牛図の八番目は、空ではなく、月か明星ではないですか。
空ではなく、魂(アートマン)です。
144 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:52:08 ID:Y/2hL87a
>>106 >そこの仏典の文言にあるように、ゴータマ自身が
>本当にそのような、自分の死後も、自分の遺体を、世界を支配した帝王のように
>敬えと言う趣旨の遺言を残したのなら、ゴータマ自身は、結局己のエゴを
>捨てられなかった、修行完成者ではなかった人なんだと僕は思いますよ。彼が
>本当にそのような遺言を残したのだとしたのならね。
私も大パリニッバーナ経を読んで最初に思ったことは、「これはゴータマ・ブッダに
ふさわしくないな」だった。で、その経の最後を見たら「以上のように、これはかって
起った昔のできごとなのである。」とあるからたぶん後世の加上・増広・ブッダ神格化
が多分に含まれてるのだろうと解釈している。まぁ、詳しいことは仏教学者にまかせて
おけばいいだろ。
でも親鸞の骨も加茂川に流されることは無かったのだろうから、あとに残された人たち
の人情としてはそんなもんだろね。
いくらお釈迦様でも自分が死んだ後までは面倒見れないということでしょう。
今もマイケル・ジャクソンの遺言書が問題になってるようだから、いつの世も
変わらんのだろうね。
>>142 多数説とはいえ、ゆるゆるの関係性など、まったく問題外ですね。
風と桶屋との関係性を語っても<執着>は解消しない。
146 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 14:07:39 ID:Y/2hL87a
>>109 >無記として詳細の解説を辞めたのです。あとは体験すれば分るからです。
いや、いや、ニルバーナについては釈迦は無記ではない。仏典にいくらでも
その記述がある。記述しておかなければいくらなんでも自覚できないだろ。
「あ、これがあの境地か!」てね。
147 :
つきピエ:2009/07/04(土) 14:10:26 ID:vNRxwr9V
独学で空など正しく解るはずもなし
>>114 >しかし、「これが生じるとき、かれが生じる。これが滅するとき、かれが滅する。」
>は明らかに時間を意識した因縁果の縁起だろ。龍樹はこちらについては「中論第26章
>縁起の12支の考察」としてそっくりそのまま肯定・了承している。
>相依関係の縁起だけが中論ではない
中論を順に読めば、一切皆空が説かれた後に、26章十二支の考察になる。
これは何かといえば、単純な肯定ではなく、むしろ批判的なものであり、
古い経典との整合性を計算したのではないだろうか。
中村先生も26章・27章は小乗批判と解説していたはずである。
149 :
一在家:2009/07/04(土) 14:17:14 ID:UBK6flS5
>>67 >それなのに竜樹や世親は、この現実は<幻>であると説く。
>この現実は<幻>だからどうでもいい、などと思ったら生きていけない。
本日の議論を読んでおりますと、貴兄の意見が一番まとも
だと思います。
龍樹派の一部は「空」は女子高生や賢い小学生なら分ると言います。
また龍樹が出なければ、釈尊の仏教はオカルトのままと言います。
仏教以外で現代に「この現実は<幻>である」と説く新興宗教が
出てきたら、多分彼らはカルトだと呼ばれるかも知れません。
150 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 14:17:37 ID:gQTWIliA
>>136 >創価大の年報に挙げられてる論文を読んでみろと言うことだな?
違います。その年報にブッタパーリタ註のサンスクリットとチベット訳の
対照本が載っているということです。
これは今まで唯一の中論頌の梵本とされてきた、プラサンナパダーとは
異なるテキストがあり、またブッタパーリタ註の原本ということで
重要な資料なんです。ただし、まだ完結してません。
151 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 14:22:29 ID:gQTWIliA
>>148 どちらも誤読ですね。
中論については梶山・石飛以上の文献学者は世界にいないでしょう。
カルパハナ、リントナー、ルエグ、プサン、丹治の諸先生も、
中村先生、立川先生は、など比較にならない。
152 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 14:38:22 ID:Y/2hL87a
>>148 >中村先生も26章・27章は小乗批判と解説していたはずである。
私も中村先生の「龍樹(講談社学芸文庫)」からの引用だが、
そのようには解釈できないね。
龍樹の批判の第一目標は説一切有部の「三世実有 法体恒有」という
概念だから第二十五章までで徹底的にその概念を否定しつくしたので
その上で従来の十二支縁起を理解するならなんら問題ないということだろ。
また第二十七章は外道の誤った見解を一括否定しているのだろ。
>>149 在家氏
>仏教以外で現代に「この現実は<幻>である」と説く新興宗教が
>出てきたら、多分彼らはカルトだと呼ばれるかも知れません。
これは問題のありかを的確に教えてくれる文章だと思いました。
この現実を<幻>にしたら誤りですよね。
154 :
旧7:2009/07/04(土) 15:13:58 ID:CzezXXoP
369 宝珠愚者 2008/12/15(月) 22:18:46 ID:Wr2f1jOW
>> 343
自分自身で直接、体験したものというのが確かに確実なものでしょう。それ自体は決して間違った
判断/行動ではない。しかし、科学で確証されたものだけが真実とする偏った見解にあれば、それは
ただ、まだ確証されていないだけに過ぎない真実までも、その時点で排除してしまうことになります。
それは確実的な歩みのように見えながら、実はかなり限定された狭いものです。
かといって、妄信がダメなことはいうまでもなく、なるべく自分自身の可能な範囲で確認する努力は
したほうが懸命です。
ここに一つ、大好きな格言があります。
「--仏陀は言われた--ただ言われていることだからといって、それだけで物事を信じてはならない。
昔から伝えられてきたからといってそれだけで伝統を信じてはならない。また噂がそうだからといって
それを信じてはならない。聖者が書いたからといってその著作を信じてはならない。天に霊感を与えら
れたと思い込んで(つまり霊的インスピレーションだと思い込んで)空想の類を信じてはならない。自分
が勝手につくったいいかげんな仮定から結論を引き出してもならない。また、相似の法則からみて必
然だからといってそれを信じてはならない。自分の教師や師匠の権威に基づいて物事を信じてもなら
ない。自分自身の理性と意識とによって確証されてはじめて、著作や教義や言葉を信じるべきである。」
(『シークレット・ドクトリン』H・P・ブラヴァツキー)
なかなかこうはいきませんが、これは自戒の意味を込めて理想にはしています。
「耳で多くのことを聞き、眼で多くのことを見る。思慮ある人は、見たこと、聞いたことをすべて信じて
はならない。」(ウダーナヴァルガ22-17)
155 :
旧7:2009/07/04(土) 15:15:18 ID:CzezXXoP
>>92 ほんとに、次から次へと美味しそうな餌を撒いてくれるなw
ついつい喰い付いちゃうじゃないかwww
>ただし、そう・・・。
>他人から与えられたものに自分が納得できないのであれば意味がないでしょう。
>たとえ仏教と呼ばれる教えでも、自分が納得できないのに追従するなら盲目ということ。
盲目にならないよう慎重な姿勢を採る者を、
貴方方は前シリーズから一貫して「外道」と称してきたのではありませんでしたか?
そう、貴方は御自身のこの発言(
>>154)をお忘れになっったまま・・・。w
まるで、風見鶏ですなw
157 :
旧7:2009/07/04(土) 15:39:35 ID:CzezXXoP
夜中まではスレ動かんか・・・w
>>92 >まっ、自己の信条に合わせて無理やり曲解するだけということですね!
おいおいw
それは、お前やカラスのことだろ?wwwww
>>152 同書の310ページに、「覚者の立場から見た諸事象は、凡夫の立場に
映じている諸事象のすがたの否定である。したがって自然的存在としての
覚者には何らの変化が起こらなかったとしても、十二因縁の各項が
ことごとく滅するという表現が可能であったのであろう。」
この文章からすれば、中村先生は25章までが大乗の勝義諦であり、
26章と27章が小乗の世俗諦と解しているのではないか。
26章と27章をなぜ最後に持ってきたのかについては、
竜樹意外に知る人もいないので、だれが何を語ろうが推測に過ぎない。
なんら問題がないからそうしたのか、何らかの意図があってそうしたのか。
これを詮索してもあまり得るところがなさそうだが、
何かしらの手がかりがあるとすれば、勝義諦と世俗諦の違いだろうか。
中村先生が「小乗批判と解説していたはず」というのは、
世俗諦から受けた思い違いのようなので、該当部分を削除したい。
159 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 15:46:03 ID:FozoKG64
>>153 竜樹のどこから「現実は幻」などが出てくるのか。竜樹は、「現実は万物の
関係性の集合だから、自性はない」と言っているだけ。
竜樹は、釈迦の「世界を空と観ぜよ」の一句にヒントを得て(この言葉は、
世界が実在であることを前提としている)、その世界(実在、現実)とは何か
を「原理的に」解明した、稀代の頭脳である。しかし、そのヒントを与え、
竜樹の大哲学の完成を可能にした釈迦も、偉大であったことには変わりはない。
ここにも、「ライト兄弟の飛行機」と「現代のジャンボジェット機」との相違
の比喩が当てはまる。
「万物の関係性の集合体」としての現実こそ、最も「強固な現実」である。
この関係性に全く思い至っていないイエスや、まだ「充分に」は思い至ってい
ない仏陀の原始仏教こそ、超カルト以外の何物でもない。
浅薄にもキリスト教に影響された一在家の手かざしこそ、超カルトの典型で
ある。
仏教徒を自称しながら、竜樹の「縁起・空(関係性)」さえ理解していない、
誤解している者がいるのは驚き。
世界が佛教に期待し、それから学んでいるものは、竜樹の「縁起・空(関係
性)」以外の何物でもないのである。仏教者は、佛教とは、一切の絶対性・超越
性を克服し、関係性・相対性・現実性に思い至った「唯一の宗教」であること
を、理解する必要がある。
160 :
旧7:2009/07/04(土) 15:46:46 ID:CzezXXoP
>>87>>96 おそらく推測するに、
>>86>>89の意は、
「政党等で言えば党首、会社で言えば代表役員・社長、サークルや部活で言えば部長・顧問、
ヤクザで言えば組長・姐御、学校で言えば、校長教頭、学級主任、etc.etc.」
のような立場の人物を担ぎあげてはならない、ということだろ?
指導者としての、【コーチ】としての、先輩としての「師」は、勿論、」否定されていないと思うよ。
161 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 15:55:18 ID:gQTWIliA
>>158 自註と言われる無畏註、青目註、般若灯論、明句論などがあるし、
ほぼ一致した意見なんだけど。中村先生なんか根拠にそんなに断定的に語られても。(^^)
162 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 15:57:12 ID:FozoKG64
>>158 >中村先生が「小乗批判と解説していたはず」
すでに小乗に嵌りこんでしまった中村先生が、小乗を批判できる訳がないだろう。
その中村先生の「竜樹」など、読む価値があるのかな。先生が「本当に」理解
できるなどとは、とても思えない。
163 :
旧7:2009/07/04(土) 16:05:53 ID:CzezXXoP
あ、それから、
>>96 「サンガの在り方の理想は共産主義である」ということを、
頭の隅に入れておいた方がいいと思うよ。
勿論、『サンガの中でのみ通用する形として』だけど。
164 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 16:30:26 ID:gQTWIliA
>>163 サンガについては水野『要語』旧版107、特に112が感動的名文ですね。
165 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 16:35:56 ID:geTvu9kU
166 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 16:42:00 ID:QZ3pzE0g
167 :
旧7:2009/07/04(土) 16:44:04 ID:CzezXXoP
>>165 そう来ますか。
なら、言い直しましょう。
『サンガの在り方は、その理想として、共産主義・社会主義に近似している』と。
共産主義や民主主義なる言葉や概念が誕生する以前に、「既に在った」在り方なのだから・・・w
その上で、形式としては「共産主義・社会主義」に近い、ということだ。
これでも不服か?
>>159 >竜樹のどこから「現実は幻」などが出てくるのか。竜樹は、「現実は万物の
>関係性の集合だから、自性はない」と言っているだけ。
そう言われても探すのに手間取る。いくつか見つけたのだけど、
7章34句・・・幻、夢、蜃気楼
17章32、33句・・・変化人、蜃気楼、陽炎、夢
23章7、8句・・・蜃気楼、陽炎、夢、幻人、影像
>>162 >すでに小乗に嵌りこんでしまった中村先生が、小乗を批判できる訳がないだろう。
中村先生が小乗を批判したのではなく、竜樹が小乗を批判しているのではないかと
受け取れるような解説をしていたという話です。
>その中村先生の「竜樹」など、読む価値があるのかな。先生が「本当に」理解
>できるなどとは、とても思えない。
それよりも竜樹を詳しく学ぼうという気持ちがあまりない。
抽象的で、ぬかるみを歩んでいるようで疲れる。
>>161 >自註と言われる無畏註、青目註、般若灯論、明句論などがあるし、
>ほぼ一致した意見なんだけど。中村先生なんか根拠にそんなに断定的に語られても。(^^)
ほぼ一致した意見とは何?
171 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 17:16:55 ID:QZ3pzE0g
「空」とは何もないこと、「現実は幻」みたいな解釈してる人がいるが、そうなのか?
少なくとも昨夜、読んだ佐倉哲氏の解説では、そうでなかったが。
彼は、自性(単独でその存在を担保する属性)の欠如を「空」として、
縁起をあくまでも相依性として捉えていたが。
この視点は分かりやすかったがな。
決して現実を幻と規定してわけではないと思うが
この解釈は特異な説で一般的な解釈からはかけ離れたものなのか?
172 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 17:22:23 ID:4pbvD1lh
>>169 >それよりも竜樹を詳しく学ぼうという気持ちがあまりない。
>抽象的で、ぬかるみを歩んでいるようで疲れる。
すでにあなたが、他の抽象性とぬかるみに嵌りこんで抜けられないだけ。
前出の佐倉さんを解説を読めば、竜樹は明解、論理的、現実的そのもの。
それこそ、頭の良い子なら、中学生でも充分に理解できる。
173 :
旧7:2009/07/04(土) 17:24:13 ID:CzezXXoP
>>171 だから、私は「一枚の紙の表裏」を喩えとして使用したんですけどね・・・。
あまり評判は良くないようだwww
『どちらを「表」として規定するか』の違いしかないんですけどね・・・。
この辺は、真言氏にも理解して頂けてないようだ・・・w
174 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 17:24:54 ID:gQTWIliA
>>170 1-25 大乗説 26-27 小乗説
1-25 勝義 26-27 世俗 (般若灯論)
175 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 17:33:15 ID:gQTWIliA
>>171 >「空」とは何もないこと、「現実は幻」みたいな解釈してる人がいるが、そうなのか?
虚無と幻は違います。虚無は兎の角のような、なんら対象として働かないもの。
幻は対象として働くけど実体・自性はないものの譬喩。
>少なくとも昨夜、読んだ佐倉哲氏の解説では、そうでなかったが。
>彼は、自性(単独でその存在を担保する属性)の欠如を「空」として、
無自性と捉えることは間違いないです。
>縁起をあくまでも相依性として捉えていたが。
相依性という縁起は月称菩薩以降の考え方です。
>決して現実を幻と規定してわけではないと思うが
中観と釈尊は現実を幻と説きます。幻というのは虚無ではありません。
諸縁によって縁起して現れるが、それはそれぞれの縁起によって見え方、感じ方が異なり、
自立的、実体的に成立している実在ではないということ。
佐倉さんがどのような説を説いていたか憶えていませんが、
実在論的に捉えているなら、それは誤り。
>>174 ありがとう。中論の流れからして、26章の十二因縁は変調ですよね。
177 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 17:36:02 ID:4pbvD1lh
>>171 すでに「絶対性」で洗脳されているクリスチャンや原始仏教徒が、
相互依存性を「認めたくない」のですよ。認めれば、彼らの生き
甲斐である絶対性が相対化され、吹っ飛んでしまうからです。
岩波佛教辞典や最近の佛教哲学でも、内容的には、佐倉さんの通
りの理解です。
佐倉さんのホームページのサイトは、宗教全般にわたるものであり、
宗教の「非現実性」「カルト性」を分析し、破壊するための、現在
における最も強力な武器です。
178 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 17:42:38 ID:QZ3pzE0g
例えば「縁起」における相依性を俺は「変化と時間」に置き換えて理解してみたのだが。
俺達が「単独で存在しうるもの」として錯覚するものの一つに「時間」があるよな。
何も存在していない空間でも時間(絶対時間)が、刻々と流れているみたいな認識をしてしまう。
しかし、これは間違いで「時間」と言うのは単にある変化と別の変化を比較対照するときの
一つの指標にすぎない。つまり、「変化」に付随している属性のひとつだ。
「変化があれば時間がある。」
逆に言うと
「変化のないところには時間はない。」
よく、宇宙の始まりの前はどうなっていたの?
と聞く奴がいるが、これは質問自体意味をなさない。
宇宙の始まりという起点を設定するなら、それ以前に変化はなく、従って時間も存在せず、「その前」というのがあり得ないからだ。
縁起の相依性ってのは、この「変化と時間の関係性」みたいな理解で違うか?
>>131 > 意識の焦点が低級我から真我に移行するということは、
> 低級性質の制御(煩悩の滅尽)ができて初めてなされるのです。
それって自分自身の体験に基づいてるのか?
それとも身の回りの人間を見てそう思うのか、
それとも仏典に基づいて言っているのか明らかにしてもらいたい。
> 全然、解からないのですね・・。
断片的な知識を適当に思いこみでつなげてるだけで、
何の証(さとり)も得ずにしゃべってるようにしか見えないのだが、
本当に自身の体験として解って言っているのか?
それとも解った気分になって言っているのか?
>>171>>177 講談社学術文庫の「中論」の後にあるのだが、
「大乗についての二十詩句篇」という短い話が参考になる。
ここに幻とか虚空とか妄想とか夢の中とか出てくる。
181 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 17:47:40 ID:wUVqM9Kb
>>167 財産を持たない集団が共産主義だったり社会主義だったりするわけないでしょうが。
共産主義や社会主義に近いのは、あんたが漬かってた僧堂だろ。
コーチや指導者のことを師と言わずなんというか。
言葉尻で遊ぶんじゃない。
僧堂で老師や古参にこつき回されて、ヒネタか。
182 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 17:50:46 ID:QZ3pzE0g
>>175 なんかややこしいな
どうも「幻」という語の意味に各自、ずれがあるのかな?
俺は「現実は幻」と表現してた人は お宅の言う「虚無」の意味で使用してたと思ってたのだが
183 :
旧7:2009/07/04(土) 17:52:18 ID:CzezXXoP
>>178 「縁起」の「相依性」と言った場合(特に大乗ですが)、
「時間性」は捨象されていることが多いように感じられます。
それも、「抜け落ちる」というよりも「意図的に捨て去られる」形で・・・。
私の妄想勘繰りならそれで良いのですが・・・。
184 :
旧7:2009/07/04(土) 17:57:23 ID:CzezXXoP
>>181 ハァ? (゚д゚)?
律蔵読んだことないのか? 釈尊在世当時から、精舎での生活が主となっていった流れは無視か?
(「財産」に関するサンガのスタンスの取り方も、或る意味分裂の一因と見れるぞ。)
お前も(このスレの)おめでたい人種の一人だったかw
185 :
旧7:2009/07/04(土) 18:00:04 ID:CzezXXoP
>>181 もう一つ加えておこうか。
>コーチや指導者のことを師と言わずなんというか。
馬鹿だろ?
だから、原語に遡ることは必要だと言うんだ。
「師」は日本語訳でしかないことくらいは把握しとけ。 ボケナスが!
186 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:02:04 ID:QZ3pzE0g
>>183 あっ〜と旧7さん、俺が言いたかったのは縁起に時間概念を持ち込むことではなくて
あくまて、時間と変化の相補性についての話なんだ。つまり、時間と変化はどちらも単独では成り立たないということを言いたかったわけ。
文が稚拙ですまない
187 :
旧7:2009/07/04(土) 18:07:11 ID:CzezXXoP
>>186 いや、それは解ってる。私も同じ考えだ。
(寧ろ、「時間性を抜いた縁起はあり得ない」というのが、私の根本のスタンスではある。)
>>178で問われているような≪「縁起の相依性」は時間性が捨象されてい≫ますよ。
ということが言いたかっただけで、私こそ言葉が足りませんでしたね。
188 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:08:44 ID:cRh5YJHb
>>185 ゲスが。
僧堂で老師や古参にこつき回されて、ヒネタか。
いまのお前の姿がそれで精一杯か?w
ちょっとまえに、真言氏とあんたで、お釈迦さんの人物像について語っていたな。
真言氏は釈尊を貴族的で穏やかと感じていた。
対するあんたはどうだ?あんたの釈尊像はあんたとあんたの師匠の投影じゃないか。
バカで短気で理屈やなのは師匠譲りか?
受け継いだのは、間抜けなところだけか?
くだらん。
189 :
旧7:2009/07/04(土) 18:12:42 ID:CzezXXoP
>>188 www
私の24時間のどれだけを、
私の人物関係のどれだけを、
貴方は知っていると言うのか・・・。
お前、まさかカラスじゃねーだろうな。 そんなことはないことを祈ってるぜ・・w
てか、人格・背景攻撃に入ったってことは、敗北宣言も同様だぞw
190 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:13:30 ID:Y/2hL87a
「現実は幻である。」と「現実は幻みたいなものである。」はまったく違うだろ。
「がん」と「がんもどき」のようなものだ。
191 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:14:18 ID:QZ3pzE0g
>>187 そうなんだ!
そういう見解もあるのか。縁起は実に様々な見方があるんだな。
佐倉哲氏の見解では、時系列を意識した縁起、すなわち因果関係もその中に内包する というように縁起を広い概念で捉えていたが
なるほど、奥が深そうだ
物質が動くから時間の概念が生まれるが
物質が動いていると認識するには、記憶力がいる。
自己の同一性の確認もまた記憶力による
過去と現在を、比較類推し、両者の同一を信じるのである。
記憶力のない生物の行動が本能によるのも
記憶がなければそこに原因と結果を見ることができず
因果をつなぐ律を思い至ることができないためである。
人間が記憶力が占める意識部分をなるたけカットすることができたとき
禅体験がおきるのではないだろうか
193 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:31:36 ID:Y/2hL87a
>>160 >指導者としての、【コーチ】としての、先輩としての「師」は、勿論、」否定されていないと思うよ。
せっかく引用して長文レスつくったのに送信エラーで消えちゃったから、大パリニッバーナ経の「第六章
23臨終のことば」の最初の部分を参照してください。できれば原文での用語もアップして
いただけると幸甚です。
194 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:32:49 ID:4pbvD1lh
>>178 時間とは、物の変化であることは、全く正しい。
仏教者は、縁起を経時的な変化と考えるから、誤解が生じている。
それでは、縁起ではなく、単なる因果関係である。
変化とは、極小の時間においては、変化しない状態があることを前提
としている。従って、無常を変化と捉えるのは誤り。
竜樹の相互依存性とは、この極小時間の1点における相互依存性をいう
のではないか。それは、空間的な依存性であり、変化、即ち時間的な
要素はない。不動の実在、即ち、現実そのもののことである。しかし、
空間的な相互依存性であるが故に、自性はない、即ち空なのである。
変化を認めれば、因果関係だから、「固定の」因があって、果があるこ
とになり、従って、もはや空ではありえない。
195 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:35:02 ID:yQhAc09k
>>183 可逆的相依はそうだと思います。
しかし、『縁起心論』『宝行論』が説くような、十二支縁起の略説としての、
惑業苦の不可逆的相依は問題ないと思います。
>>190 現実は幻みたいなものであると、ぼかして言えば、
自分の都合で何とでも言い分けできる。
そういったズルサがこめられているというか、
何となく変なことを言っている、という後ろめたさというか。
現実を幻にするのは、やはり無理があるのだろう。
197 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:47:38 ID:Y/2hL87a
>>173 >私は「一枚の紙の表裏」を喩えとして使用したんですけどね・・・。
これで、昔、私がつくったおもちゃを思い出した。
表も裏もない平面といえば、メービウスの帯だよね。
だから、メービウスの帯のうえに、「輪廻」から12支縁起の各項を矢印と共に
示し、最後は「涅槃」がちょうど「輪廻」の裏(表?)に有るように位置合わせする。
そこからまた12支縁起の各項をたどって「輪廻」に戻る。
これで縁起の順観と逆観の説明をした。小学生にも結構面白がられたよ。
198 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:48:52 ID:QZ3pzE0g
>>194 どうも「変化と時間」を例にとったのはまずかったかな?
誤解を与えるみたいだな。
俺が言いたかったのは、あくまでも、時間と変化の相補性のこと。つまり、どちらも単独では成り立たない。変化があれば必ず時間があり。
変化がなければ時間はない。
縁起に時系列を持ち込む意図ではないんだ。
時間概念を排除した、いわゆる線形な方向性を有するもの以外の空間的な広がりを
もつ縁起観があるのも佐倉哲氏の解説を読んで知っている。
どうも誤解を与える書き込みですまないな
199 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:52:06 ID:yQhAc09k
200 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:52:13 ID:4pbvD1lh
>>197 それでは、輪廻とは、空の対極であることを、小学生に教えた(誤解さ
せた)ことになるw。
201 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:57:24 ID:BMJN5ksz
>>189 >私の24時間のどれだけを、
>私の人物関係のどれだけを、
>貴方は知っていると言うのか・・・。
多かれ少なかれ、弟子は師に似るもの。
宝珠を二枚舌と罵る口で、自分自身と自身の発言は別で棚上げだとホザク。
あんたと宝珠は相似なんだよ。
202 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 19:01:08 ID:4pbvD1lh
>カラスさん
「万物は、相互に依存し合っているから(一)である」。
このくらいのことを、言ってみないかねw。
きちがいに刃物 = 宝珠にカラス
まめ知識な
204 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 19:07:12 ID:4pbvD1lh
>>198 「相補性」というより、「時間=変化」だろう。
205 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 19:10:35 ID:QZ3pzE0g
>>201 おいおい、間違えるなよ。
宝珠を二枚舌野郎って言ってたのは俺だぜ。
お前、カラスだろ?
コテつけてこいや
むしろ時間=空間
207 :
旧7:2009/07/04(土) 19:15:04 ID:CzezXXoP
>>201 >あんたと宝珠は相似なんだよ。
ほうw
私のレスを拾い上げ、具体的に「これがそれである」と示していただけますか?
前も言ったように、自分では、自分に都合の良いことしか記憶していないので、
指摘していただけると、すごくすごく助かります。
今後の発言に活かしてゆきたいと思います。
208 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 19:23:41 ID:BMJN5ksz
>>205 吉外が虚空に向かってテンデ的外れな独り言ですか。
おかしな人だと思われるから、独り言は人のいない所でしなさい。
>>207 おりこうさんだ、今後よくよく気をつけなさい。
今後のために一つ指導しておきましょう。
>自分に都合の良いことしか記憶していないので、
指摘していただけると、すごくすごく助かります。
↑こ・こ・が・そっくり♪
209 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 19:25:21 ID:4pbvD1lh
人間がいくら議論し、仏典を語ろうとも、それはその者の生物的生命の
存在を前提とする。あの世から語っている「積り」の者もいるようだがw。
従って、生命を基盤としない、生命に関連付けない議論は、一切無意味
で、時間の無駄である。
210 :
旧7:2009/07/04(土) 19:28:05 ID:CzezXXoP
>>190には返す言葉が無い。
言い訳として言えるのは、言語に於ける(→会話に於ける)フレーズとして、
駅伝やマラソンで、「心臓破りの坂」という言葉があるが、
コース下見の際等、この先には「心臓破りの坂がある」と助言した時、
≪その坂が「心臓破りの坂」という名称ではないし、「実際に心臓が破れる場所」でもない。けど、誰もが、そこを「心臓破りの坂」と称する。
【実際には】「心臓破りの坂」ではないのに、「心臓破りの坂」という呼称がどんぴしゃりと当てはまる。人々の頷きを誘う。
厳密に言えば、【心臓が破れそうに感じるほど、心肺機能に負担のかかるタイミングであり場所である】というだけなのだが、
助言したコーチも、助言を受けた選手も、【そこを、「心臓破りの坂」として認識する】。≫
こういう構図だと考えてみてはどうか?
211 :
旧7:2009/07/04(土) 19:34:40 ID:CzezXXoP
>>208 ほうw
謙遜して控え目に言ったんだが・・。
じゃ、はっきり言うわ。
俺は、彼のような「浮ついた」「浮遊した」「どっちつかず」な発言はしていない。
(少なくとも、今回のカラスの発言を巡っての、
(まるで政治家の答弁のようなwのらりくらりした)【ぬるい】発言をしたことはない。)
していると言うなら、過去ログ漁って提示してくれ。
212 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 19:52:19 ID:y3xGbsZx
>>211 それが人に教えを請う態度か。
もっかい巣(僧堂)に帰れ。
師とはどんなものかまだ思い出さんか?
213 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 20:06:42 ID:QZ3pzE0g
>>208 あら? 違ったかい?
カラスのようなアホは
そう多くはないという先入観が
あったので間違えたか。
まだ、いたわけだ。
霊界も縁起であり、空である。そこに仮の自己がいるわけです。
ようは縁起が自己の本質であり、世界の本質であるということでしょう。
霊界実体説もまちがいであり、この世の実体説も間違いであり、
中道が真理であると。つまり竜樹は霊界とこの世の関係を科学的に
空としてあらわした、つまり直観で知っていたということなのです。
215 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 20:35:55 ID:QZ3pzE0g
>>214 そうなのか?リュウジュは霊会についても語っていたのか?
216 :
旧7:2009/07/04(土) 20:36:55 ID:CzezXXoP
輪廻だけじゃない。
業報だけじゃない。
アートマンだけじゃない。
縁起や中道ですら、幾らでも利用できるんだよな・・・。
それら術語に、もっともらしい解説を付加すれば、あっという間に新興宗教の教義の出来上がりだ。
そして、使用される術語自体は伝統宗教と同じなので、その違いは明確になりにくい。
さて・・・。
真言氏は、このような現実の、現代の社会の状況を、どう改善する方向性があると見ますか?
宝珠氏やカラス(の言辞)は、
『一般の、仏教に明るくない人達を間に挟んだ時』、手強いですよ・・・w
217 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 20:54:10 ID:gQTWIliA
>>178 なかなかいい線いってると思います。
>>180 『大乗二十頌論』ですね。真作ではないと言う説もあります。
しかし、龍樹菩薩について梶山・石飛以外の学者の説は混沌としてます。
>>195 >惑業苦の不可逆的相依は問題ないと思います。
不可逆的相依って形容矛盾じゃないですか?
218 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 21:07:12 ID:gQTWIliA
>>216 社会とかシステム、体制を変えれば自分が良くなるとか生活が向上するというのは、あまり仏教的な発想ではないように思います。
『入菩提行論』5.13の
この地上を覆い尽くす皮は、どこで得られよう?
靴底を被うほどの皮は、地上を覆うに等しい。
を捩って
完全な世の中は、どこで得られよう?
完全な心は、完全な世の中に等しい。
を目指すのが仏教的だと思います。
つまり、まず自分の心を変えようということ、これも難しいんですが\(__ )
バン バン
/⌒ヽ
バン∩ ^ω^)だお〜だお〜
/_ミつ / ̄ ̄ ̄/__
\/___/
220 :
旧7:2009/07/04(土) 21:20:03 ID:CzezXXoP
>>218 いやw
そうではなくて・・・w
仏教という名前や、仏教内の概念や術語は「誰にでも利用できる」ということです。
そう。 カラスや宝珠にもね。 ((オウムにしろ大川にしろ)事例には事欠かないでしょう?w)
今、このスレで交わされているやりとりは、「所詮2ch」と笑い飛ばせない意味を持っています。
(貴方にとっては、私もまた異端なのかもしれませんがw)、
私が彼らに付き合い続けるのは、ココに於ける言葉を、自分はどのように紡げるのか、
彼らのような言辞が飛び交う中、どのような仏教を第三者に提示し得るのか?
という点に関わっているからです。
他人のこと(≒社会のこと)はどうでもいい、釈尊のように、人の噂も七十五日と言うならそれでも構いませんが・・・。
「(仏教という看板に)塗られた泥は、雨に流され、いつかは流れ落ちる」というスタンスであるなら、それでも構いませんが・・・。
221 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 21:22:12 ID:IaYj2UOA
>>218 >完全な世の中は、どこで得られよう?
>完全な心は、完全な世の中に等しい。
>を目指すのが仏教的だと思います。
>つまり、まず自分の心を変えようということ、これも難しいんですが\(__ )
その「仏教的」とは、一体何処の佛教?
そんなことを仏陀が言ったとしたら、単なる「愚か者」に過ぎませんよ。
自分の心を変えて、一体どうするのですか。あなたの心など、他人の
知ったことではない。人前で「オナニー」するのは、醜悪なだけですよ。
222 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 21:28:56 ID:IaYj2UOA
>>218 あなたは、真言さんとかいう、修行中のお坊さんですか。
あなたは、キリスト教と関係あるのではありませんか。キリスト教を
どう批判しますか。
「完全」という言葉を使われたが、「完全」「不完全」を決める、具体
的な基準は何?「完全」などという言葉を、軽々しく使うものではない。
>>220 おれらは伝統背負うほどまともな仏教徒じゃないんだが。
比叡の少年坊主こそ日本で唯一の仏教の良心な気がする
224 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 21:38:50 ID:gQTWIliA
>>220 いや、同じことです。人のすることはなかなか変えられません。
とりあえず自分から始めようということです。
それなら、まず自分が成る可く仏教の伝統に添った使い方をしようということ。
これはできるでしょう。
>>222 >あなたは、キリスト教と関係あるのではありませんか。キリスト教を
>どう批判しますか。
関係ありませんね。別に批判しませんよ。他人を害さないのが仏教ですから。
ただし、ここは真偽を論ずる場なので仏教についてテキストに基づいて、
妥当性の真偽はやります。目的は害することではありません。
完全、そこに引っかかりますか。あれは読めば分かると思ったのですが、
理想社会とか、そういった意味です。別に全称命題とかそういったものを目指しているのではないのですが。
225 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 21:40:33 ID:IaYj2UOA
>>223 日本仏教の歴史的本拠とも言える比叡山では、人生経験も判断力も
ない少年たちに、宗教を植え付けているのですか。それでは、精神的
虐待以外の何物でもないのではありませんか。
226 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 21:44:27 ID:FUCcDM49
>>220 外道が、ぜんぜん解ってない。
わかっちゃいねえのはお前だよ!
他人の屁の数、数えたり、口の曲がり方の分類ばっかし気にするこの分類外道が!
227 :
旧7:2009/07/04(土) 21:48:45 ID:CzezXXoP
>>223 けど、
たとえば、(最近なら三沢の訃報なんかもあったが)、
全日のリング(=興業)があったとする。
その時、たとえ馬場イズムの正当継承者でなかったとしても、
明らかに「異端」であるならば、指摘し、非難すべきだろう。
少なくとも、宝珠の前シリーズ及び今シリーでの動機&主張は、『それ』だった筈だ。
その意味では、私と宝珠のスタンスの基本構図はそっくりだと思うよwww
(宝珠のスタンスが許されるなら、同じように)、行き過ぎの指摘くらいは許されてもいいんじゃないか?
(だから、宝珠には、「批判してるけど、お前も同じだろ?」と何度も何度も言ってるし、
彼も、自身のそのポジション取りを認め、自覚しできてる筈だけどね・・・。
>>29)
>>224 なるほど、了解w
やはり貴方は「行」の成果が出ているようだ。
その意味では、貴方の方が100km先を歩いてる感じかもしれん・・・w
228 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 21:48:49 ID:IaYj2UOA
>>224 >仏教の伝統
佛教でもいろいろありますが、何処の国の、どんな佛教ですか。
仏教とキリスト教との思想的相違は、一言で言えば何ですか。相違がわかりますか。
>理想社会とか
理想も完全も、同じでしょう。その理想の内容と根拠は何ですか。
229 :
旧7:2009/07/04(土) 21:49:56 ID:CzezXXoP
>>226 罵倒だけなら猿でもできる。
屁の数や口の曲がり方が重要な場面もあるってこったw
230 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 22:00:57 ID:bucw9JOQ
>>157 >夜中まではスレ動かんか・・・w
ん?これって、私からの投稿のこと??_| ̄|○
すっかり、娯楽のターゲットですねぇ ハハハッ
>>155 >盲目にならないよう慎重な姿勢を採る者を、
>貴方方は前シリーズから一貫して「外道」と称してきたのではありませんでしたか?
>
モノはいいようですねぇ!
では、外道でなければ・・仏教入門前の段階って感じですか?
つまり、確かに仏教には専門課程で学んでいろいろと詳しいけれど
「別に信奉したわけではない」(まだ信用できない)ということで。
それは現在のジャーナリズム精神ってところと似てるんでしょうかね? www
231 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:02:47 ID:gQTWIliA
>>228 どの国の仏教も尊重すべきだと思います。
仏教は、縁起なので、教えも縁起してその国の習慣に適合します。
だからといって縁起とか四法印のような核心部分は変わりません。
ですが、私はビルマとチベットに仏教の伝統が生き生きと息づいていて、
いまでも解脱者や成就者をたくさん生み出していると思います。
仏教は道、キリスト教は命令。あるいは仏教は縁起、キリスト教は神。
といったところでしょうか? キリスト教はそんなに知らないので自信ありません。
文脈を考えてください。「完全」と言ったのは社会を変えて生活を向上させようという思想に対する皮肉です。
「完全」な社会などありえないという。一方、心の完全性は解脱・涅槃です。
232 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 22:03:05 ID:bucw9JOQ
>>144 これに関しては、あなたやカラスさんは意識が高いからそういうのですよ。そんなもの
は不要であるとか、偶像崇拝にあたるとか、若しくは、ゴータマが自分の埋葬を帝王と
同じようにするよう指示するのはどうだろうか?などと疑問を抱くのです。
しかし、ごく普通の大衆感覚からすれば、仏陀の聖地を巡礼でき、埋葬/ストゥーパに
参拝できることは有難いことであり、大きな感激を呼び、生きる元気が沸き、そして実に
心が洗われるものであるのです。つまり、一般大衆に対する心の浄化にはとてつもない
効果をもたらすものであって、大衆の(信仰の)心の拠り所になる場所なんです。
現実に、そのようにして2500年間もの永き間、膨大な数の人々の心へと働き役立って
きた。ゴータマは最後に自分にできる世の中への貢献の一つとして、巡礼のできる大聖
地として後世にそれを残そうとした。こうして聖者に対する敬意の必要についても教えよう
として、世の役に立とうしたのだろうと思います。
これらの聖地や聖者の遺骨や遺品からは、高い霊的な波動が放射されているのです。
>>146 わたしがいいたいのはそうではなく、如来の死後の質問に無記であったなどのことをいっ
ています。それは何故か?如来の死後の存在というのは、世俗の感覚でいうところの、或
いは現象世界でいうところの「有」でも「無」でもないということ。ニルヴァーナの状態はそれ
らの存在定義を超越しているからであり、まさに示しようがないことから混乱を避けるべく
無記の姿勢を摂ったのだということ。
確かに、ニルヴァーナについての言及は随所にありますが、しかし、いずれも具体性の
ない抽象的な表現に留められています。それで、誰一人もニルヴァーナについてまともな
説明が未だにできないのが仏教界です。
233 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:03:12 ID:IaYj2UOA
>>224 すべての執着を去る、のが佛教のはずだが、あなたは「何かの絶対」に物凄く
執着しているように思いますね。あなたのその執着の対象は何ですか。
234 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:09:51 ID:Qfdll6p4
>>229 逝っとくけど、伝統的外道分類ならば、あんたは宝珠より↓だよ。
235 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:10:35 ID:IaYj2UOA
>>231 >ですが、私はビルマとチベットに仏教の伝統が生き生きと息づいてい
>て、いまでも解脱者や成就者をたくさん生み出していると思います。
日本は、大乗仏教の国だが、あなたは何処の国の方?
「解脱者」「成就者」とは何ですか。現実に立脚して、具体的に定義
してください。日本大乗仏教の「解脱者」「成就者」と、それら外国
佛教の「解脱者」「成就者」とは、具体的にどう違うのですか。
236 :
偽本尊:2009/07/04(土) 22:11:40 ID:mVVo8+WJ
>106 >144
その話しは、前の部分が省略されています。
まずアーナンダが、「葬儀はどうしたら良いか」と釈尊に問います。
釈尊は「葬儀のことは気にするな」「在俗のものに任せておけ」「出家は葬儀にかかわるな」と答えます。
アーナンダはその回答に満足せず、再度おなじ質問をします。
釈尊もおなじ答えを繰り返します。
アーナンダはまたも同じ質問をします。
結局、3回目の質問に釈尊は「帝王を扱う如くせよ」と回答して、アーナンダも納得します。
この話しは有名で3回目の回答だけがよく注目されますが、本当は最初の回答の方が重要です。2回目も同じ回答をしたのがその証拠です。
237 :
旧7:2009/07/04(土) 22:11:43 ID:CzezXXoP
238 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:16:37 ID:IaYj2UOA
どこの宗派の佛教であれ、日本の仏教の「高僧」の講話や文章では、
必ず「人間社会」や「現実生活」との関連で話をするね。
ここの「仏教徒」からは、それらが全く出てこないのは、一体何故
か。
現在、小乗をやってる日本佛教の宗派は、オウムだけだが、彼らは皆オ
ウムなのか。そうとしか思えないね。
239 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:21:41 ID:Qfdll6p4
>238 :神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:16:37 ID:IaYj2UOA
>どこの宗派の佛教であれ、日本の仏教の「高僧」の講話や文章では、
>必ず「人間社会」や「現実生活」との関連で話をするね。
講話を聴きにくる俗人の関心は、社会や生活だからね。
仏教の最大関心事は、社会や生活さらには、己からもおさらばすることだから、講話は子供向けの飴玉さね。
240 :
偽本尊:2009/07/04(土) 22:23:54 ID:mVVo8+WJ
>232
執着の無い釈尊にすれば、自分の葬儀がどうなろうがどうでもよい話しです。
だからアーナンダに在俗にまかせておけと言ったのです。
しかし執着の残っているアーナンダは、在俗に任せることができず、葬儀の指示を3回も聞いたのです。
釈尊は、最良の回答を2回したが、アーナンダが理解できなかったため次善の策を3回目に指示したのです。
241 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:26:27 ID:Qfdll6p4
>>240 3回の回答全部ひっくるめて、釈尊が最良の縁起を残されたとは考えられないかい?
242 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:28:34 ID:gQTWIliA
>>235 >日本は、大乗仏教の国だが、あなたは何処の国の方?
日本人ですよ。
>「解脱者」「成就者」とは何ですか。現実に立脚して、具体的に定義
>してください。日本大乗仏教の「解脱者」「成就者」と、それら外国
>佛教の「解脱者」「成就者」とは、具体的にどう違うのですか。
現代の状況を反映した私の所見です。
定義というのはソクラテスを起因とする西洋本質主義の誤った考えです。
言葉の意味はきっちり規定できるものではありません。
慣用によるある程度の妥当性しかありません。芭蕉の芯や辣韮の実と同じです。
解脱者というのはテーラワーダで使われます。
成就者というのは大乗で使われます。
なぜなら、一切衆生が解脱するまで解脱しない普賢行を続け、無住処涅槃に留まるからです。
これぐらいでいいでしょう。質問攻めは(^^)
243 :
偽本尊:2009/07/04(土) 22:29:25 ID:mVVo8+WJ
>232
中村元氏のブッダの言葉にニルヴァーナについて、解りやすく書いてありますよ。
すなわち、八正道によってニルヴァーナに至ると。
ニルヴァーナを知りたいなら言葉でいくらあれこれ言っても分かるわけがなく、八正道を実行しなさいと。
244 :
く〜 ◆kNoRfDfMkg :2009/07/04(土) 22:35:07 ID:bJRFHpmA
<文鮮明がまだ世間知らずの彼女を穴倉に引っ張って行き、性暴力をしひどい出血をしたと泣きながら話をするのを聞いたんです。>
「堕落論と復帰摂理」=「天使長ルーシェルに”善”がレイプされ全世界が悪くなったたんだから、神に成り代わって文鮮明が”悪”にレイプをやり返し全世界を善くする。」
これをレイプ魔と言わずしてなんと言うのであろう。
ー文鮮明と復帰のセックスをした女性として顔を出してインタビューに答えてくださった人は、
ユンシンヒさんが初めてだと思いますが、今の心情は?
:今まで沈黙してきたのは子供たちに復帰の事実を知られるのが恥ずかしく,怖かった為です。
私はもう年も年ですので我慢できますが、子供たちや孫たちにまで及ぶ影響を考えると本当に恥ずかしい限りですが、
自分のようにだまされる人が少しでもいたらだめだと、死ぬよりも難しいこの事実を明らかにしようと決心した次第です。
245 :
く〜 ◆kNoRfDfMkg :2009/07/04(土) 22:36:01 ID:bJRFHpmA
ー文鮮明との復帰について詳しく話してくれますか?
:ある女性信者一人にだまされて、夜遅く真っ暗な文鮮明の部屋に行きました。
そしてそこで復帰を受けたのです。私の場合、ごく短い時間で瞬きするほどの早さで終わりました。
サタンの血をきれいにするためには、まだ後2回復帰を受けなければならなかったわけですが私は1回だけで終わりました。
ーそれはなぜですか?
:文鮮明は複数の女性との関係が多くて、次はいつ私の番が回ってくるかはわからなかったし、
また、よくない話を聞いたためでした。同じく避難民時代に、
それはほかでもないボンネッコル(今は聖地として指定され統一教会信者たちが世界各地から崇拝しに来る)
当時、ある彼女ははその近くに住んでいたため
彼女の父と文鮮明は毎日、一緒に登山したり散歩したりする仲でしたが、
ある日彼女も一緒に手をつないで朝、登山していた途中で、
文鮮明がまだ世間知らずの彼女を穴倉に引っ張って行き、性暴力をしひどい出血をしたと泣きながら話をするのを聞いたんです。
どんなに復帰と言う名分とはいえ、堕落だとか、復帰だとかまだ全然聞いたこともない世間知らずの幼い彼女に、
そんなひどいことをするなんてできますか? その話を聞いて私は残り2回の復帰を断念しました。
http://plaza.rakuten.co.jp/yurinonamida/diary/200712180000/
246 :
旧7:2009/07/04(土) 22:38:37 ID:CzezXXoP
>>241 どっちだったか、貴方は確定できるのですか?
他心智通で如来の心を知ったのですか?
その3度のやりとりに於ける如来の考えを、他心智通によって知ったのですか?
ところで霊(神仏)はあるのかないのか、どっちなんだい?
248 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 22:42:18 ID:Qfdll6p4
>>246 万徳円満釈迦如来
人間釈迦とかほざいてる輩には無理。
>>236 ほほう? 彼(仏陀)がそんなことを?
疲れていたか、いいかげん、面倒だったか、かねえ?
マジに仏陀が、そんなことを言ったとは、
とても、信じられん。
何せ、彼(仏陀)は、自分(仏陀)の絵を、描くのさえ、絶対に、禁じ、
この点、よほど、厳格だったらしく、ヘレニズムが入るまでは、
何百年も、仏陀の絵も彫刻もつくられず、
仕方なく、弟子達は、足跡とか、彼の背景の「木」を描いて、
彼を偲び、信仰していたという。
このほうが、はるかに、彼の何たるかを伝えるものがあり、
とても信じ難い。
250 :
旧7:2009/07/04(土) 22:52:49 ID:CzezXXoP
>>249 >何せ、彼(仏陀)は、自分(仏陀)の絵を、描くのさえ、絶対に、禁じ
また馬鹿が湧いてきたwww
このスレも終わりだな・・・。(初めから終わってたという意見もあるかもしれんが・・・w)
ったく・・どいつもこいつもどいつもこいつも・・・ orz
251 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:01:28 ID:IaYj2UOA
>>239 >仏教の最大関心事は、社会や生活さらには、己からもおさらばすることだか
>ら、
それなら何故さっさと日本から去らないのか?毎日の食料費だけでも助かる。
>講話は子供向けの飴玉さね。
修行も、趣味・娯楽でやりたがる宗教者に対する飴玉だろう。
修行するなら、何故日常生活という大修行をやらないのか。苦しいから嫌なの
だろうw。
252 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:05:23 ID:IaYj2UOA
>>242 >定義というのはソクラテスを起因とする西洋本質主義の誤った考えで
>す。言葉の意味はきっちり規定できるものではありません
自分でもきっちりと定義できない言葉を、人前で使ってはならない。
言葉とは、「他者」との意思疎通の手段としての、人類に共有財産です。
あなた一人のものではありませんよ。あなたの独り言は、言葉ではあり
ません。
253 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:07:46 ID:gQTWIliA
>>252 >自分でもきっちりと定義できない言葉を、人前で使ってはならない。
>言葉とは、「他者」との意思疎通の手段としての、人類に共有財産です。
>あなた一人のものではありませんよ。あなたの独り言は、言葉ではあり
>ません。
その通り、だから勝手に定義などできないのです。
慣用される意味を妥当性を持って用いるだけしか。
254 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:10:07 ID:IaYj2UOA
>>245 文鮮明の狂気も、イエスの影響。彼は、若い頃、イエスの啓示を受けて
いる。
255 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 23:14:12 ID:bucw9JOQ
>>236>>240 このマハー・パリニッバーナスッタンタに関する説明によれば、ニュアンスはかなり異なる
と思います。つまり、遺体の埋葬に関しては、「王族やバラモン資産家などの中」の賢者た
ちを中心とした“在家信徒たちのためのもの”ですね。それに対して、出家者らには(それら
は在家に任せて)自分たちは修行に専念しなさいということでした。
これは自分が手厚く埋葬されたいからではないと思います。あくまでも在家信徒たちの信
仰を続ける上での心の拠り所として、心の浄化に役立つような巡礼地を残したいと考えたの
でしょう。
私は自分が偉そうに奉られたいからではないと思いますよ。ゴータマはそんな慢心などと
っくに消滅し尽くしています。出家するほどの者には不必要であるかもしれませんが、在家
や大衆にとっては大いに役立ち益するものと考えられたのです。
これは自分のことではなく、在家と大衆のことを思ったからです。
『さらにアーナンダは、修行完成者の遺体の対して質問をしますと、釈尊は出家者には「遺
骨の供養(崇拝)にかかずらうな」と修行に専念すようさとし、如来に対して特に深い崇敬の念
を懐いている賢者たちが王族やバラモン資産家などの中にいるので、彼らにまかすように指
示します。またアーナンダが遺体の取り扱いについて質問すると、「世界を支配する帝王(転
輪聖王)の葬法にならって扱うがよい」とし、具体的には、―― 』
http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan01.html
256 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:14:17 ID:/Rz1JVr9
ID:IaYj2UOA
なんだ、生命おじさんか。
シッシ
257 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/04(土) 23:16:05 ID:WYcQGFhA
>247
(^。^)お応えしよう♪
霊は現実として在るし、神仏もまた然り。
神道と仏教では在るって概念が違うから、タマに訳の判らん事を言うバカ(253みたいなの♪)もいるが、バカなりの理屈も有るから面白いぞ♪(笑)
てか、ホントに真性って怖いな♪(笑)
258 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:20:15 ID:/Rz1JVr9
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ は何か辛いことでもあったのか?
だれか、かまってやれや。
旧7とかお友達だろ?
日ごろ自分が言っているように、偶には慈悲心だしてお友達や社会の役に立てや。
259 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:21:18 ID:IaYj2UOA
>>256 文鮮明も、イエスと同じ神様オジサン。シッシ
260 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:22:26 ID:gQTWIliA
もう、このスレでは発言しないつもりなので、まとめの意味で感じたことを言っておきましょう。
『梵網経』に釈尊がまとめた三つの類型、凡夫、外道、仏教徒の三つは実は私自身の思想遍歴でもあるように思います。
まず、凡夫。これは小学生ぐらいまで信じていた。科学万能主義。
知識を付けてものを分析していけば、全てのメカニズムは解明できて病や貧困などがなくなる未来社会が訪れる。
なんて、文部省とか高度成長期の進歩の影響を受けて純朴に信じていた。
ところが中学生ぐらいになると違ってくる。科学では苦とかは解決できないという当たり前のことに気がつく。
なぜか、科学は観察と実験により現象を記述して妥当な説明体系の構築を目ざすものだからだ。
つまり、もし、完全で最終的な説明体系が完成したとしても、現象がどうなってるかは説明できるが、
自分がどうすべきかはについては何も提示できないからだ。
ちょっと前に流行った言葉で言えばクオリアを説明できないということも出来る。
261 :
旧7:2009/07/04(土) 23:27:13 ID:CzezXXoP
>>258 自分で歩ける元気な人間が救急車を使うことに批判が出てるだろ?w
彼は、自覚した上で踊ってるんだよ。
(その点では、カラスと行動パターンに共通性はある。
いっちょかみしたがりな所とか、寂しがり屋な所とか・・・w)
262 :
一在家:2009/07/04(土) 23:30:03 ID:rxJkSXx7
キリスト教で「イエス=神自身=神の独り子」という強烈な洗脳を
かけた人は手をあげて下さい。
はい、そこの自称イエスの愛した弟子さん(超ナルシスト?)、
エイレナイオスさん、そしてアタナシウスさんですか?
次に仏教で「非我=無我」という強烈な洗脳をかけた人は
手をあげて下さい。
はい、そこの人、龍樹さんですか?
イエスが説いた「愛」をあなたの「関係性」で説明してみて下さい。
やはり「愛」も空・幻ですか?
さて、龍樹さんは世界中のクリスチャンの反感を買わない回答を
されるでしょうか。
龍樹さんの回答を想像できる方はアップをどうぞ。
263 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/04(土) 23:30:37 ID:WYcQGFhA
>261
カラスがか?(笑)
(^。^)気は確かか?(笑)
264 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:31:49 ID:MHg/o6DT
>>261 ぜんぜん違うわ。
アル中と一緒だよ。
「俺はまだ酔ってない。セルフコントロール出来ているぜ」
なんて思っている時点で自分に飲まれている。
ターニングポイントはあんたが思っている遙か手前だよ。
265 :
一在家:2009/07/04(土) 23:34:31 ID:rxJkSXx7
釈尊が説いた「慈悲」をあなたの「関係性」で説明してみて下さい。
やはり「慈悲」も空・幻ですか?
人の「尊厳性」も実在しない幻ですかね? あまり価値が無いと。
266 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:36:50 ID:IaYj2UOA
>>260 生老病死という「肉体の苦」は、すべて科学が解決しているではないかw。
虫歯で歯が激しく痛むとき、いくら祈っても、全世界の宗教者が祈っても
絶対に治らないが、科学の成果であるバッファリン1錠のめば、ケロリと
治る。お釈迦さんでも、解脱者でも、同じこと。
科学がそんなに嫌なのなら、科学の精髄といえるPCを使わないで書き込んで
ね。朝から晩まで科学の恩恵を蒙っていながら、それを可能にした無数の
科学者の労苦に感謝も出来ない人間を「忘恩のやから」「人でなし」と
呼ぶ。他者に対する感謝の念を忘れた人間は、人間としての資格はない。
科学は観察と実験による検証を積み重ねた結果、いかなる宗教の奇跡も
及ばない驚異的な発展をとげ、人類の生に巨大な便宜をもたらした。
宗教は、この数千年間、何の発見も気付きもなく、紛争の原因になって
いるだけ。「自分がどうすべきか」について何を提示できたかね。皆無で
ある。
267 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 23:41:22 ID:bucw9JOQ
>>260 >もう、このスレでは発言しないつもりなので、
>まとめの意味で感じたことを言っておきましょう。
うーむ、真言さんマジですか!!!!!????
これまでとても勉強になりましたし、お陰で素晴らしい良著も入手できました。
すみませんが、まだあなたからご指摘頂いた文献や資料の数々を把握しきれていません。
真言さんの過去ログもまた読み直したりもします。
他の参加者の多くの役立っていたと思うのですが・・。
また法要が落ち着いたらどうぞ m(__)m
268 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:41:36 ID:KOfJZfJj
>>266 バファリンのついでに、バカにつける薬があったら、一緒に飲んどけよ。
269 :
一在家:2009/07/04(土) 23:43:24 ID:rxJkSXx7
>>130 >ほとんど、時間とか、関係なくレスしてるよね。
>一在家じゃなくて、自宅警備員? キモイ・・・
あなたが一在家に興味を持ったのは縁起ですね。
Q.一在家はどんな人?
A1.時間にリッチは定年者
A2.個室でPCを持つマネージャー
A3.仕事の合間にネット見る普通のリーマン
A4.信心深い専業主婦
一応、正解はありますけど。
270 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:43:38 ID:KOfJZfJj
>>267 あんたの、バカさ加減に飽きれたのさね。
271 :
宝珠愚者:2009/07/04(土) 23:50:26 ID:bucw9JOQ
>>270 わかってます、ってばぁ!
つД`)・゜・。・゜゜・*:.。
272 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:50:27 ID:IaYj2UOA
>>265 既にイエスで狂わされた君に、何を言っても、もはや手遅れ。
竜樹は「現実とは何か」を解明したのだよ。人間は、現実に100%
依存しない限り生命の維持は出来ず、生命が無ければ宗教もへちまも
ないのだから、現実を解明した竜樹は、洗脳とはいえない。
イエスを熱心に信じる者たちは、史上そして現在も、最も多くの人間
を、最も残虐な方法でころした。しかし、佛教にはそれがない。この
原因は何かね。
関連性の自覚があって、はじめて「慈悲」が生じる。「自」と「他」とが
依存しあっていることを悟るからである。イエスには、「縁起・空(関連性)」
など、念頭にさえ浮かばなかった。常に俺が俺がの、「思い上がった、我のみ
良しの独善性」の塊。彼の「教え」は、常に、「自分の気に入らない者に
対するあくなき憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、見破られ
たし。
273 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:50:42 ID:KOfJZfJj
旧7が承狂を出汁にチョロチョロしている様は、宝珠とカラスの模造品。
274 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:54:07 ID:gQTWIliA
となると感受に逃げだ。つまり、快楽、五感で楽と思うものは貪欲に求めた。
しかし、それらが楽であるのは始めの頃だけで、楽はすぐ苦になる。
そこで仏教に入った。しかし、仏教を修行したいと思ったのに、
私が行った先に有ったのは、失望した近代科学に基づく仏教学だったのには苦笑した。
それでも、それは納得するまでやろうとした。
学んで半年後に津田真一先生の『反密教学』と出会った。
この本は、現象と実在で仏教を説明してあるもので、
津田先生は、実在をアートマンとかプルシャと呼んでいた。
それから、文献学を続けている間は、ずっとこの現象と実在で解釈していた。
唯識などはよく適合した。真言宗の現代教学もそうであった。
ところが、あたりまえだが、全然、楽にもならないし悟りもない。
インド・ネパールに行ってみた。そこで師と出会う縁が生まれた。
以来、師に学んだ。そのお陰で、現象と実在解釈がただの誤解だったことが分かった。
これが、分かるのに五年ほどかかった。師は直接、指摘するような教え方をされないからだ。
気づくようにサインをなんとなく送るというやり方で、
こっちが気をつけてないと気づかないでやり過ごすというようなものだった。
この遍歴が、凡夫、外道、仏教徒の三つにきれいに対応しているように思える。
ということで〜
275 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 23:54:12 ID:IaYj2UOA
>>260 >もう、このスレでは発言しないつもりなので、まとめの意味で感じたことを
>言っておきましょう。
まだ答えていない肝心の質問が幾つかあるだろ。逃げるな。
276 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 00:02:16 ID:PjFduFs3
>>275 なぜ人に尋ねる?
自分の説く生命教じゃ救われないのか?
無理w
277 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 00:08:21 ID:PjFduFs3
スレの流れが散漫になっているような気がするので
空(関係性)についての出題
会社という社会的存在は空(関係性)であるのか否か?
空(関係性)であるなら、会社には実体がなく無自性なのか?
279 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 00:19:44 ID:Qsi9kIoP
>>274 結局、世の中にはどんな貢献をしたのかね。オナニーで終わりか。オナニーで
は、貢献できないのだよ。
在家氏の疑問は当然でしょう。
大乗は空・幻を説くので、慈悲や尊厳や愛情などの価値を失っている。
空・幻から、こういった価値は決して出てこない。
大乗は初期仏教にもどり、どこで誤ったのかを検証するべきでしょう。
>>274 人生の真理を探そうとしてきたことはわかる。
そして今はそれなりに納得しているらしいこともわかる。
しかしいまだに悟っていないはず。
繰り返し言ってきたけど、大乗で悟るのはたぶん不可能だろう。
実践行である八正道は悟りに決定的な役割を持っている。
この意義についてはあまり知られていない。
空の悟りは人殺しにとってきわめて好都合である。
しかし被害者の身内にとっては決して同意できるものではない。
この非対称性が空の悟りの限界である。
この非対称性を矯正するために八正道がある。
空のなかに、絶対的な正義を打ち込まなければならない。
これがとんでもなく難しい。人生は奥深い。
282 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 01:37:45 ID:2XRqRMRg
>>281 大乗仏教の国と「絶対」を求める小乗国や一神教国とでは、どちらが殺しと
争いが多いかを考えてみただけで、答えは自明だろう。
大乗では、関係性により、すべての他者も自分と連なっているのだから、他者
を殺せる訳がないだろう。
>>278 会社こそ、関係性の塊ではないか。どんな関係性が存在するのか、自分で考えて
ご覧。
283 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 01:49:19 ID:2XRqRMRg
>>274 やっぱり外国の佛教だったのだね。思ったとおり。日本の大乗仏教徒であれば、
間違っても君のような発言はしないだろう。
外国小乗仏教の「修行」による「変性意識」によって得た「快感」が忘れられず、
病み付きになったのだろう。しかし、社会にはくその役にも立たないオナニー
であったことは確かである。
>>272 > イエスを熱心に信じる者たちは、史上そして現在も、最も多くの人間
> を、最も残虐な方法でころした。しかし、佛教にはそれがない。この
> 原因は何かね。
ここの部分の過ちについて、以前指摘されたことを
思い出せるなら書いてみるといいよ。
まー、何も記憶できないヤバイ状態じゃないかと思ってはいるがw
285 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 02:04:03 ID:2XRqRMRg
>>276 >自分の説く生命教じゃ救われないのか?無理w
「すべての人間の共通する唯一の普遍の事実」としての生物的生存本能
(生命)とその生命を支える大自然とに、最大の価値を認めることによ
り、既に救われているので、その他のものから救われる必要は全くない。
この「万物の根源」を悟ることにより、精神の永続的で充実した安定と
平安が初めて得られるのである。
286 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 02:08:15 ID:2XRqRMRg
>>284 まだどうしてもイエスを捨てきれないのだねw。イエスに対しては絶対に
批判できず、すべての責任を専ら「他の人間」に押し付けるクリスチャン
の心理が、キリスト教による大虐殺の原因であることを、そろそろ悟ったら
どうかね。
288 :
一在家:2009/07/05(日) 06:16:07 ID:Vfy8jMto
>>272 >関連性の自覚があって、はじめて「慈悲」が生じる。「自」と「他」とが
>依存しあっていることを悟るからである。イエスには、「縁起・空(関連性)」
>など、念頭にさえ浮かばなかった。
最初の回答は了解しました。周囲の人々、動植物、所謂万物万生との
関連性の自覚があれば、全てに対する「慈悲」が生じることは理に適って
おります。
イエスは「自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」と説かれて
おりますので、縁起はよくご存じだったと存じます。
289 :
一在家:2009/07/05(日) 06:18:46 ID:Vfy8jMto
>>280 >大乗は空・幻を説くので、慈悲や尊厳や愛情などの価値を失っている。
>空・幻から、こういった価値は決して出てこない。
>大乗は初期仏教にもどり、どこで誤ったのかを検証するべきでしょう。
貴兄は私のことを正見されておられますね。釈尊が説かれた「関係性」や
「因果応報」の法は正しいです。でも、それを「幻」まで拡張した方を
最大の洗脳者候補と読んでおります。
>>281 >実践行である八正道は悟りに決定的な役割を持っている。
長部経典にブラフマン界へ往き共生するには、ブラフマンと同じような
想いと行いをしなさいという説法があります。
つまり、仏や菩薩に近づくには、同じような想いと行い(八正道)を
することが寛容かと存じます。
290 :
偽本尊:2009/07/05(日) 07:21:54 ID:0YCk4Dbl
>262
貴方の想像しているイエスは、存在しなかった。
だからあなたの言う「イエスの説いた愛」は<幻>です。
それはともかく
<幻>の定義で、まだ共通の認識に至っていないのでは?
291 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 07:58:13 ID:IiW3AaqR
>>232 >これらの聖地や聖者の遺骨や遺品からは、高い霊的な波動が放射されているのです。
仏シャリが本当に残ってるなら、DNA鑑定したら面白いね。
どこかの馬の骨かも知れない。科学で正しい知識が得られるのを嫌って
そういうところは調査させないんだろね。
いつまでも神秘という夢を見ていたいんだろうね、神秘家は。
292 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 08:03:17 ID:IiW3AaqR
>>232 >誰一人もニルヴァーナについてまともな説明が未だにできないのが仏教界です。
ニルヴァーナは自覚する境地だから別に言葉で他人に説明する必要はない。
たとえば、うまいものを食ったときそのうまさを他人に説明できないようなものだ。
ただ、人の心はその人の体の表情としておのずから表現される。
見れる人が見れば解ることだ。
293 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 08:10:53 ID:IiW3AaqR
>>236 >この話しは有名で3回目の回答だけがよく注目されますが、本当は最初の回答の方が重要です。2回目も同じ回答をしたのがその証拠です。
たしかに、本当にそういうことを知りたいか確認する意味で反省する機会を持たせるため
3回目に答える、というお約束はあるようだね。
でも、「3度目の正直」というから3回目の答えが本当の本音だろ。
また「大事なことだから3度いいましたよ!」というのもある。
まぁ「ホトケの顔も3度まで」だろうけど。www
294 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 08:32:26 ID:IiW3AaqR
>>247 >ところで霊(神仏)はあるのかないのか、どっちなんだい?
あると思う人にはある、ないと思う人にはない、これがFA。
295 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 08:54:05 ID:IiW3AaqR
>>289 >長部経典にブラフマン界へ往き共生するには、ブラフマンと同じような
>想いと行いをしなさいという説法があります。
本当にそんな経典の説法があるの?
あるとすればそれはヒンドゥー教であって、もはや仏教ではない。
ブラフマンをとくのはヒンドゥーだと思えば間違いない。
ブラフマン・アートマンの否定が仏教だから。
仏教は無我にて候。
296 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 08:59:11 ID:IiW3AaqR
>>290 ><幻>の定義で、まだ共通の認識に至っていないのでは?
いや、<幻>の定義の問題ではない。
<幻>という言葉で思い浮かべる対象はだれも大して変わってない。
ただ、「現実は幻である」と「現実は幻のようなものである」の区別
ができない人たちがいるだけ。
「がん」と「がんもどき」は似て非なるものだろうに。
>>227 だから、おれら哲学から入ったものは宝珠といえど対等に応じなければいけないだろ。
もし、伝統に連なるものという意識から宝珠と対するなら
その伝統に現に連なっている僧伽の者を奉って、その者に教えを乞うかたちで
反論しないと、これが伝統的に正しいんだと言っても誰も信用しないよ。
漠然と法脈に連なっているという意識と学問こそ理性的な解釈だという依頼から
哲学仏教にその正統な解釈とは何かの答えを求めてきたのが我々だけれども
そろそろ、文献解釈のみだと宝珠のような異分子を排除できないということに気づくべき
なのではないかね。
おれらはリングに立っているのではなくて、リング外で全日に夢を託している観客だよ。
野次は飛ばせても、絶対的な援護者になることも敵対者の声を止めることもできない。
ただ、大きな声を出し続けるしかない。
298 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 09:35:50 ID:X7bmjbBf
>>297 >宝珠のような異分子を排除できない
宝珠は確かに外道だが、あんたらは外道以下の凡夫だ、という指摘を忘れるな。
299 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 09:49:30 ID:oCnVXmlH
>>270 この世界(現実界)は、人間の目に映じたに過ぎないもの。それが「本当に」
実在するかどうかは、誰にも判らない。即ち、現実界はすでに幻です。
しかし、人間は、そして恐らく他のすべての動物も、その五感で知覚したに
過ぎない「幻の世界」に100%依存しない限り、一瞬たりともも生存できな
い。従って、その幻の世界、仮説の世界を「現実界」と呼ぶのです。
このように、最初からすでに幻であるこの現実界を、再度「幻」と呼ぶのは、
「同義反復」に過ぎない。ナンセンスです。
「色即是空・空即是色」は、まさにこのことを示したものです。
300 :
偽本尊:2009/07/05(日) 09:57:19 ID:0YCk4Dbl
>296
ああ、失礼。
「<幻>の定義」では誤解されたようです。
「<幻>の定義」というより、「一切は<幻>という表現で何をいいたかったか?」でどうでしょうか?
「幻とは何か」ではなく、「幻と表現することで何をいいたかったか」が重要です。
それが分かれば、「慈悲は幻か」などと的外れな質問はでてこないはずです。
301 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 10:10:37 ID:IiW3AaqR
>>300 >「<幻>の定義」というより、「一切は<幻>という表現で何をいいたかったか?」でどうでしょうか?
そうです。中論に幻、蜃気楼、変化人などという単語があるからといって、
それがどういう文脈で使われているかを示さなければ誤解を生じるだけ
だろうということです。
ブッダは「我(アートマン)がある」と仮説した、からアートマンが存在するには
結びつかないだろうということです。
一切法空が何で「現実は幻である」と成るのか、それはあなたのかってな誤解でしょ、
というのが私の「現実は幻である」に反対する人たちへのメッセージです。
もちろん私も「現実は幻ではない」に賛成です。
仏教論理学では五識による感覚・知覚・知識を現量として認識判断の
主要手段としています。
302 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 10:37:50 ID:IiW3AaqR
>>299 >この世界(現実界)は、人間の目に映じたに過ぎないもの。
そうですね。仏教は西洋哲学で言えば独我論だと思える。
>それが「本当に」実在するかどうかは、誰にも判らない。
どういう条件を満たせば「実在」といえるのかということでしょう。
仏教は経験論に基ずく認識論であって現在の自然科学の実在論とおなじ
立場と思える。認識できないものは「実在」しない。
そしてその認識手段として認められるのは仏教論理学では五感による
五識、すなわち現量と、脳による論理的推測すなわち比量ですね。
だから、
>即ち、現実界はすでに幻です。
・・・は間違いです。五識は現実の反映でしょう。すなわち現量です。
>このように、最初からすでに幻であるこの現実界を、再度「幻」と呼ぶのは、
>「同義反復」に過ぎない。ナンセンスです。
最初から幻であるのではなく、幻のようなものと認識しなさい、ということだから
五識では最初から実際にある、実在であると認識してしまう、ということでしょう。
>「色即是空・空即是色」は、まさにこのことを示したものです。
空と幻はちがう。言葉が違えば意味はすべて違う。それが言葉の働きです。
色即是空は「色には実体がない」ということでしょう。
もちろんここでの「実体」は哲学用語としての「実体」であって実態や
本体・正体・物体のことではない。
現実は<幻>である・・・これが竜樹の立場である
(理由)は、時間や変化が否定されているから。
時間を否定したらこの現実が成立しない。→ 縁起も成立しない。
それゆえ<幻のごとくである>という実質的意味は<幻>そのものになる。
そう主張する目的は、心にある執着を解消するためである。
「大乗についての二十詩句篇」を読めばいま少しはっきりしてくる。
これについては竜樹の作品かどうかに疑いがあるらしいが、
それなりの値打ちがあるものとして残されてきたのだろう。
19句「・・・外界の対象(事物)は存在しない。」
唯識の立場になれば鮮明である。実在するのは<識>のみである。
この現実は実在しないのだから<幻>である。
304 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 10:42:22 ID:oCnVXmlH
>>288 >イエスは「自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」と説かれて
>おりますので、縁起はよくご存じだったと存じます。
イエスが言ったのは、単なる因果関係・業報関係。馬鹿でも判ること。「因」
と「果」という実在は残る。佛教の「縁起・空(関係性)」とは、似て非なる
もの。
「縁起」を経時的な因果関係と誤解している間は、「縁起」は絶対に理解でき
ない。竜樹の説く「縁起・空」とは、極小時間の一点における事物の空間的相
互依存関係。時間や変化という概念は、すでに排除している。従って、この現
実そのもの。
「無常」「変化」というのは、この空間的固定的相互依存関係(実在)が、そ
の関係性の構成の変動ゆえに、「新たな」空間的固定的相互依存関係として、
次々に現われること。即ち、映画は映像が変化しているように見えるが、フイ
ルムの1コマは固定している。そして、そのフイルムの1コマに現われる画像
は、関係性で成立している。固定的な実在そのものである。しかしそれも、事
物の関係的集合だから、「無自性」「空」と呼ぶのである。
「空」とは、極小時間の1点における相互依存関係としての「実在」をいう。
従って「何も無いこと」ではない。
昨日のデジャビューのような気がするので再掲する。
196 :神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 18:45:10 ID:PyfeHbWV
>>190 現実は幻みたいなものであると、ぼかして言えば、
自分の都合で何とでも言い分けできる。
そういったズルサがこめられているというか、
何となく変なことを言っている、という後ろめたさというか。
現実を幻にするのは、やはり無理があるのだろう。
>>304 >竜樹の説く「縁起・空」とは、極小時間の一点における事物の空間的相
>互依存関係。時間や変化という概念は、すでに排除している。
この文章にある<極小時間>が<ぼかし>なのです。
残念だけど、幻のごとくである、という<ぼかし>と同じです。
307 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 10:53:14 ID:oCnVXmlH
>>302 >色即是空は「色には実体がない」ということでしょう。
しかし、同時に、空即是色(実体はないが色(現実)である)と言っている。
この両句を並列に並べたところが、佛教の極意である。両句のいずれも、他方
に優先させていない。まさに、色(物質)についての、究極の存在論である。
308 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 11:02:26 ID:IiW3AaqR
>>303 >19句「・・・外界の対象(事物)は存在しない。
どういう条件があれば「存在」するといえるかだろうね。
龍樹の立場なら「実体」でなければ存在しない、ということだろ。
すべての事物は無常なのだから存在しない。
それだけのことだろ。
>唯識の立場になれば鮮明である。実在するのは<識>のみである。
そうだね。それが独我論・唯心論としての仏教の論理だろ。
>この現実は実在しないのだから<幻>である。
だから、なぜ「現実は存在しない」から「現実は実在しない」に変わるのだ?
現実は存在するかは不可知であるが現実は実在するが中論の立場ではないか?
309 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 11:02:40 ID:oCnVXmlH
>>305 >この文章にある<極小時間>が<ぼかし>なのです。
論理実験的な要素はあるが、<ぼかし>ではない。極小時間は、物理学
的に測定できる。
「流れる水」という言葉は、「流れていない一瞬の状態がある」ことを
前提とする。
>残念だけど、幻のごとくである、という<ぼかし>と同じです。
既に幻である現象界を、幻のごとき、というのは、頭の悪い同義反復で
ある。
310 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 11:10:07 ID:IiW3AaqR
>>307 >同時に、空即是色(実体はないが色(現実)である)と言っている。
そうだね。
「実体が無いから色になる。」のほうが解りやすいかな。
「色は匂えど散りぬるを・・・」の色だね。
すぐ色々と移り行くのが色だね。空でなく実体があったらこうはならない。
無色ではつまらない。適当に色がなければ寂しい世界だ。
中論冒頭の帰敬序が中論全体の要旨だとされる。
八不・・・不生・不滅・不断・不常・不一義・不異義・不去・不出
これは何かといえば、自性の世界そのものである。
無自性を縁起の理法で観察すれば自性の世界になる、という話である。
竜樹によれば、縁起によって、変化する無自性の現実が消失する。
ところで、現実が消失するのだから、縁起の理法も消滅する。
それゆえ竜樹は、縁起を完成させたのではなく、縁起を破壊したのである。
312 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 11:15:53 ID:oCnVXmlH
>>308 >龍樹の立場なら「実体」でなければ存在しない、ということだろ。
>すべての事物は無常なのだから存在しない
竜樹は、「無自性だから実体ではない」と言っている。相互依存関係の
実在は、前提としている。無常を「変化」などと解すれば、それは誤り。
極小時間の1点における相互依存関係(実体)は、変化しないからである。
>>308 ここは学術的な場ではない。素人なのでアバウトに発言している。
存在と実在の使い分けが気になるなら、好きなほうに統一してくれていい。
意味の広さは、存在>実在だろうけどね。
314 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 11:24:05 ID:oCnVXmlH
>>311 「これがあるから、あれがある」では、「あれ」「これ」という「実体」
を前提としているから、それはもはや空ではなく、単なる実体の因果関係
に過ぎない。
竜樹は、「これ」「それ」自体が、相互依存性により自性がない、と
いう新たな発見により、縁起の本質を解明し、それを完成したのである。
>>314 竜樹の帰敬序に、竜樹の詭弁がそのままそっくり表現されている。
この現実を無自性であると論証し、その到達したところは自性の世界である。
竜樹は読者の目の前に矛盾をさらけ出しているのに・・・
それがわからないで2000年が過ぎた。
316 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 11:48:32 ID:P4p8sy75
<色即是空 空即是色>は、E=MC^2によって次のように変更される。
<色即是E E即是色>
317 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 11:52:03 ID:oCnVXmlH
>>315 詭弁ではない。「相互依存性により無自性」という彼の一貫した論理は、経験
則的にも証明出来る、「万物」に適用可能な「永遠・普遍の真理」である。
>>317 中論は、相互依存を中心に論証するのではなく、
三時問破(時間の否定)や四句分別(論証領域に漏れがないこと)を利用し、
法(この現実)が無自性であることを論証している。
その最終的な到達点が、帰敬序の八不(無自性の性質)である。
>>318 への追加
八不は、無自性の性質であるばかりでなく、自性の性質でもある。
320 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 12:12:17 ID:IiW3AaqR
>>315 >それがわからないで2000年が過ぎた。
2000年過ぎようが58億過ぎようが認識できないのが
実体だろう。
321 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 12:16:16 ID:IiW3AaqR
>>312 >極小時間の1点における相互依存関係(実体)は、変化しないからである。
これは仏教の刹那滅論を知らないだけ。仏教では因中無果でもあるし・・・。
竜樹は<無自性>を論証して<自性>に到達してしまった。
竜樹は混乱していたのか?
そうではなくて透徹した論理だから逆になったのである。
これは物質の二重性を示している。
物質が自性と無自性のふたつの性質を持っていることの結果である。
実体がなく同時に実体がある、という矛盾した性質である。
323 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 12:26:39 ID:IiW3AaqR
>>322 >実体がなく同時に実体がある、という矛盾した性質である。
龍樹も「論理的に矛盾する物事は存在しない」という論理は
肯定してる。だから、そのようなものは存在しない。
324 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 12:33:25 ID:P4p8sy75
仏教に、この現実が刹那に滅し、刹那に生じるという考え方があるらしい。
そんな考え方だとすれば、あまりにも荒唐無稽であり馬鹿げている。
これだけでも仏教の混乱ぶり・妄想ぶりがわかってしまう。
これも大乗なのか。
>>323 竜樹の誤りを指摘しているのに、竜樹を根拠に出されても困るww
326 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 12:43:48 ID:IiW3AaqR
>>324 >この現実が刹那に滅し、刹那に生じるという考え方があるらしい。
この現実を知覚に意識される世界だと考えればそれほどおかしな考え方ではない。
たとえば、今見てる外の世界も眼を閉じれば「消える」。眼を開けば
また「生じる」。何の不思議でもない。
327 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 12:47:18 ID:IiW3AaqR
>>325 >竜樹を根拠に出されても困るww
竜樹は矛盾律は認めている、ということでいいですね。
何が竜樹の間違いなの?
>>327 >竜樹は矛盾律は認めている、ということでいいですね。
>何が竜樹の間違いなの?
あなたは
>>323 で、竜樹は「論理的に矛盾する物事は存在しない」
という論理は肯定していると書いてるけどw
それとも彼は、矛盾律を認めているの?
329 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 13:08:11 ID:IiW3AaqR
>>328 >「論理的に矛盾する物事は存在しない」
これが矛盾律ですけど。
記号で書けば、¬(A&¬A)です。
カラス惨敗じゃん
>>329 それだったら矛盾律の誤解だね。
直接のテーマに関する言葉は別にして、こういう場所は知識にバラツキがあり、
そのへんの会話にでてくる程度の言葉にしてくれると助かる。
誤解されそうなら簡単に説明する方法もある。
言葉の行き違いでやりあっているのはおたがいにロスだよね。
>.326
そう思っていたいなら好きにすればいい。別に反対はしないよ。
333 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 15:29:41 ID:5BCYwzSE
>>324 >仏教に、この現実が刹那に滅し、刹那に生じるという考え方があるらしい。
別におかしいことではない。現実界とは、人間が知覚するから、実在すると
いえる。それ以外には、実在の証明はない。永続的に存在していると思えるのは、
「過去の知覚の記憶」からの推測に過ぎない。
バークリは、「実在とは、知覚されることである」と言ったし、バートランド・
ラッセルは、「この世界が5分前に作られたものではないことを『証明』する
ことは出来ない」、と言っている。
334 :
1/2 旧7:2009/07/05(日) 15:32:19 ID:ZilW0G3b
>>297 > 対等に応じなければ
・・・ですね・・。 前の発言は些か乱暴すぎですな。(形の上では取り消しておきますか・・・。)
また仰る通り、自己の正当性を、その正統性から導くのは無理がある、と。
ですね。言い方に気をつけ少し反省すべきか・・・。
> もし、伝統に連なるものという・・・・・・誰も信用しないよ
> 文献解釈のみだと・・・異分子を排除できない
確かに、正統継承者であれば、その説得力は絶大だ。
が、彼らのようなスタンスの者にとっては、あまり効果が出ない。(宝珠やカラスの態度を見れば明らかだ。)
なんとなれば、
《彼らにとっては「正統な伝承も“異説”に過ぎない」》からだ。
《また、その伝統の系譜が「現代の現状に於いて“被批判要素”を大きく有す場合」、
それは説得力どころか非難・攻撃対象となる。自説の正当化の後押しとされる》。
(彼らの日本仏教批判、大乗仏教批判を見れば、
少なくとも日本の坊さん・日本仏教(学)の系譜からの言葉は、彼らには届かない。)
不説氏や真言氏が、「伝統的にはこうです」と言った時、彼らは何と言ったか?
「それは、誤解されて伝承されてきた」のだ、と・・・。
判るでしょ。処置無しだってことが・・・。「正統な伝承である」ことも(という印籠も)、無力化されるのです。
だから逆に、最後の砦として残るのは「文献的、歴史的考察」かもしれない、ということです。
※ここで、「追体験」を最後のカードとしても良いが、それでもやはり、
伝えるために言葉が紡がれ、そこに解説が必要となれば、
他の言葉(文献的・歴史的考察)との照らし合わせ、チェック、は為されることになろう・・。
片山さんはよく言っていた。「こういう風にも考えられますよね」とか学生から訊かれると、
『経典をよく読んでください。』と・・・。『そのような時は、まず註釈を見なければなりません。』と・・・。
335 :
2/2 旧7:2009/07/05(日) 15:33:29 ID:ZilW0G3b
>>297 > おれらはリングに・・・・・・できない。
仰る通りだ。
自身に、伝統的行による体験が無い限り、その説得力・正当性は100%にはならない。
だから、
> ただ、大きな声を出し続けるしかない。
この台詞にはちょっとジーンと来た・・・w
336 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 15:53:01 ID:5BCYwzSE
>>316 ><色即是空 空即是色>は、E=MC^2によって次のように変更される。
<色即是E E即是色>
E(エネルギー)は現実界の万物に存在し、測定可能である。従って「色」その
もの。「色=E」に「E=色」を代入すると、「色=色」「E=E]となり、まさに
現実界を表わす。「色=空」に「空=色」を代入すると、「色=色」となり、これも
現実界を表わす。また「空=空」ともなる。即ち「色即是空・空即是色」は、
「仮設としての色」(色即是空)が、実は「現実である」(空即是色)である
ことを示している。従って、佛教のこの併置2句は、実は「大いなる現実肯定」
であると解する。
337 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 15:56:54 ID:eYtPLhCg
338 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 16:04:52 ID:Tk0JAVF5
>>297 「口やかましい老師や僧堂修行にウンザリだし、今更かったるくて坐禅してらんねぇし、ほんねを言えば仏教なんてどうでもいいんだけど、部外者に偉そうな顔されたくねぇし、面が割れねえところで野次飛ばしてたらなんか一生懸命やってるかんじがしていい気分。」
というふうに読めた。
>>336 ご隠居とは現実を肯定する点で一致している。
そしてEを認め、空を認めるところも一致している。
Eと空を認めることは、物質の二重性を認めることでもある。
しかし竜樹は、物質を無自性とし、実体がないものとする。
この現実を空、<幻>にする。← これが誤り。
かりに神がいると仮定するなら、
この現実は神が創造した<幻>という認識も成立するかもしれない。
そういう仮定も成立するけど、この現実を生きざるを得ないのだから、
この現実を<幻>だと思うことはまったくの無意味である。
<現実>を<幻>という言葉に置き換えただけだ。
341 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 16:23:28 ID:5BCYwzSE
>>339 竜樹のいう空とは、「相互依存関係による結合」という、最も強固な
現実である。このことは、前レスで述べた。しかし、それはあくまで
諸物の関係的結合だから、「無自性」だといっているのである。
現実が、人間の目に映じた対象に過ぎず、あくまで仮設であることは
当たり前の前提。しかし、人間は、その仮設の中でしか生存できないの
だから、この「仮設」を、「人間にとっての現実」と看做すのである。
従って、本来的に仮設(幻)である現実界を、いくら「幻」と読んでみても、
それは無意味な「同義反復」である。「人間」にとっては、その「幻」が
「現実」なのだから。
342 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 16:32:45 ID:5BCYwzSE
>>340 >この現実は神が創造した<幻>という認識も成立するかもしれない。
神自体は、人間の目に映じないものだから、「幻」とさえなり得ない。
仮設としての幻、即ち「人間にとっての現実」となり得るものは、五感
で知覚された対象のみに限定される。なぜなら、知覚されない対象は、
唯一の観測者、思考者である人間の生物的生存に何らの作用も及ぼし得ない
からである。
>>341 340を読み返すと何が言いたいのかすっきりしていない。
言いたかったのは、この自然を見ればわかるように、
<自然は常住と無常の二重性を持っている>のではないかということ。
日々変化するのだけど、変化しないで維持されている領域もある。
わたしのは存在論であり、この現実を問題にしている。
中論はこの現実の存在論である。相互依存の関係論ではないと思う。
ご隠居は存在も認識論に吸収されるという意味での認識論だろうか。
実際の現実は、五感を通過した現実とはちがう←これがポイントですね。
おたがいが理解しあうのはけっこう難しいですね。
344 :
一在家:2009/07/05(日) 17:01:02 ID:Tntb9V5u
>>295 >>長部経典にブラフマン界へ往き共生するには、ブラフマンと同じような
>>想いと行いをしなさいという説法があります。
>本当にそんな経典の説法があるの?
長部経典の「三明経」に説かれております。
説法の対象者:バラモンの二人の青年
梵天との共生に導かれる道として、戒と第一段階の禅定と四無量の修習を
説かれます。
心に恨みがなく、心に悪意がなく、心が汚れていず、自制心がある比丘は
身体が亡びた後、死んだ後、梵天と共生するするであろうというが、
この事に根拠はある。
345 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 17:09:25 ID:5BCYwzSE
>>343 >実際の現実は、五感を通過した現実とはちがう
五感を通過しないものは、初めから現実とは言えない。観測者、主張者
である人間の生存に、何らの作用も及ぼさないからである。
釈迦は、2500年前に、「眼耳鼻舌身」という、現実を成立せしめる
人間の身体の器官を明確に見出している。なお、最後に「意」を加えた
のは、五感からの入力を統合する脳の意味であると解する。五感の最後
に加えられているからである。これらは、現代の解剖生理学とも完全に
一致する。
>>342 >なぜなら、知覚されない対象は、
>唯一の観測者、思考者である人間の生物的生存に何らの作用も及ぼし得ない
>からである。
知覚されない対象は、文明の発達によって次第に少なくなってきたわけだが、
その間、知覚されないからといって作用を及ぼさなかったわけではない。
放射線の影響は、知覚されないからといって、影響がないわけではない。
いま現在も同じように、はっきりと知覚されない、何らかの影響力というものが
存在するだろう。・・・ひそかに行われる洗脳もその一種かもしれない。
347 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 17:27:20 ID:5BCYwzSE
>>346 >放射線の影響
放射線は、観測装置を使えば容易に五感で知覚でき、しかも人間の生存に大きな
影響を与える、確固たる現実(実在)ですよ。生存に影響を与えないどころか、
生命を救うことも、また奪うことも自由にできる、強力な「現実」「実在物」
です。
「神」や「霊」とは、全く違いますねw。
>>347 知覚されない対象という例として放射線・洗脳をあげたのです。
それも放射線が発見される以前を想定したのですが言葉不足だった。
逆にまだ発見されてない未知のエネルギーもある。
この未知のエネルギーが神や霊かもしれない。
349 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 17:46:47 ID:5BCYwzSE
>>348 神や霊が、現実(実在)であるかを見出すためには、宗教ではなく、自然科学
によらなければダメだよ。現実(実在)を取り扱うのは、専ら自然科学だから。
「神や霊」の観測装置を研究開発している会社があるのかねw。研究開発費の
無駄であることが最初から分っているから、どこの会社でもやらないはず。
観測者は観測者を観測できない・・・というご隠居の持論
これが「中論」でも論じられている。もちろんご隠居と同じことを言っている。
おおよそつぎのような推論の仕方である。
目には見るという働きがある。目は見るという働きを離れて存在しない。
見るという働きは目から独立して存在しない。
それでは、目それ自体を、いったい何が見るというのだろうか?
>>335 >この台詞にはちょっとジーンと来た・・・w
知った風なこと言っちゃってるが実はそれほどプロレス詳しくないんだ(´・ω・`)
プロレスに熱くなってる人の語りにうらやましさを感じて覚えてるだけ
Uはプロレスを証明したのかな
>>334 別に乱暴ではないと思いますけど
だって、オウム真理教のような宗派がぼこぼこと出てきたら
仏教全体に対する信用問題に発展しますし
現状で何が仏教で何が仏教でないか、判断する権威を学問が担っているとすれば
学問の去就は当然重いと言え、しきいが低いからフェアであるとは必ずしも言えないと思います。
私は、宗教的には、新たな教団を作る際、現状の仏教教団の連盟などによって
厳しく審査が行われる必要があると思います。
学問的には宝珠のような奇抜な学説があってもよいと思います。
「中論」にはこういった推論がけっこうある。
しかしこれらは、相互依存とか縁起とかの話ではないのではないかと思う。
目と、目の働きは相互依存だろうか? 違うのではないか。
それから有と無。これも抽象のレベルが高すぎて意味不明。
目の前にリンゴがある → リンゴがあるかどうかといえば → 有る
リンゴがない → リンゴがあるかどうかといえば → 無い
リンゴがあるかどうかに関連づけられた、有と無である。
しかし関連づけをはずしたら、有も無も意識しない。
リンゴがそこにあり、あるいは目はその場所を無視して通過する。
抽象された有と無とは、相互依存ではないような気がする。
有と無とは相互依存しないのではないか?
有は、全面的に、無制限に有であり、無はまったく存在しない。
逆に無は、全面的に、無制限に無であり、有はまったく存在しない。
そうだとすれば、この点においても竜樹は誤っている。
355 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 18:19:35 ID:IiW3AaqR
>>344 >説法の対象者:バラモンの二人の青年
>梵天との共生に導かれる道として、戒と第一段階の禅定と四無量の修習を
>説かれます。
>心に恨みがなく、心に悪意がなく、心が汚れていず、自制心がある比丘は
>身体が亡びた後、死んだ後、梵天と共生するするであろうというが、
>この事に根拠はある。
説法相手がバラモンということはゴータマはバラモン教の知識で相手に理解しやすいよう
説明してるのだね。バラモン教から仏教への改宗を勧めてるのかな?
ゴータマはバラモン教で育ってるからバラモン教の知識はよく知ってるだろ。
356 :
一在家:2009/07/05(日) 19:22:28 ID:Tntb9V5u
>>355 >バラモン教から仏教への改宗を勧めてるのかな?
改宗は勧めていないのですが、二人とも歓喜して仏陀の弟子入りを志願しましたよ。
357 :
一在家:2009/07/05(日) 19:25:20 ID:Tntb9V5u
しかし「無」我をうまく説かないと、「無」気力、「無」感動、「無」関心
の現代青年達はますます「無」になりますかね。
358 :
旧7:2009/07/05(日) 19:46:30 ID:ZilW0G3b
>>338 アンカー先が違ってないか?w
>>351 > 知った風なこと言っちゃってるが実はそれほどプロレス詳しくないんだ
自分も詳しくはない。夢枕獏絡みで知ってるくらいのもんだw
けど、喩えとして用い、理解できるくらいには互いに知ってるってことだ。気にするなw
> Uはプロレスを証明したのかな
前田日明か・・・。私も、それを判断できるほど詳しくはない。
けど、彼はまだ、「(プロレス的に)魅せる」ということと「本気」ということとを並立させようとしてたんじゃないかな・・。
(いや、門外漢が喋り過ぎだな・・・。シッタカはよくない。聞き流してくれ・・orz)
「ブッダの方舟」という夢枕獏の対談集があるけれども、この中で彼は、
プロレス界の変遷を仏教の部派分裂に比している。なかなかに面白い。
仏教とプロレスの両方を多少なりとも知っていると、ニヤニヤしながら読めるw
>>352 > 別に乱暴ではないと思いますけど
いや、非人道的台詞も吐いてしまったからな・・・w ちょっと後悔(^^;
> だって、オウム・・・・・・言えないと思います。
同意します。兵法としてなら、側面攻撃を担当するようなものか・・・?w
> 私は、宗教的には、・・・・・・必要があると思います。
面白いね・・・。けど、分野的にそれは、『(既存の宗教界の)権力による侵害』と紙一重だよ・・。
検閲が許される分野なのか? と・・・。
> 学問的には宝珠のような奇抜な学説があってもよいと思います。
かもしれませんね。そして、その正当性を積み上げていけばいいのかも・・・。
もっと寛大であるべきか・・・。
359 :
旧7:2009/07/05(日) 19:49:41 ID:ZilW0G3b
>>358 > > 私は、宗教的には、・・・・・・必要があると思います。
> 面白いね・・・。けど、分野的にそれは、『(既存の宗教界の)権力による侵害』と紙一重だよ・・。
> 検閲が許される分野なのか? と・・・。
ああ、けど、「自治」という意味では、行政や第3者機関がそれを行うことに比べたら、
寧ろ、早急に要請されるべきことなのかな・・・。
360 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 19:50:17 ID:IiW3AaqR
>>356 >改宗は勧めていないのですが、二人とも歓喜して仏陀の弟子入りを志願しましたよ。
なるほど。やはり、ゴータマはセールストークの教師ですね。
人を説得する極意をわきまえてる。
361 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 20:04:04 ID:3x7sL2oX
>>357 三無主義ですか・・・この場合は<好きか嫌いか>で決まりそう
教育やマスコミの洗脳で、楽しみが人生のように思い込まされていることで、
楽しみが見えない対象には興味が持てないのではないですか。
362 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 21:48:25 ID:Xgf0KyZ+
>>353 妄想患者で無い限り、目に見えるリンゴがない、目に見えないリンゴがある、
などとは言わない。
「ある」か「ない」かは、空腹時に食べてみて、空腹を満たせる(即ち、生存
に関係する)かどうかによって判断する。これが、物の実在・非実在を決定する
テストである。
「ある」「ない」の問題ではなく、「相互依存の関係だから、リンゴに自性は
ない」とだけ言ってるのである。最も単純に考えても、リンゴは原子の関係的
集合体に過ぎないから、リンゴそのものの自性はない。「甘い」「酸っぱい」
などの味や、「赤い」「青い」などの色合いは、原子の集合の態様によって
決まるだろう。従って、リンゴのこのような性質も、自性ではない。さらには、
天候や土地などの自然の恵み、肥料や防虫などの栽培者の丹精などの、もろも
ろの要素が関係し合って、そこにそのリンゴが実在している、と考えればよい。
前レスで述べたとおり、「相互依存性の結合」としてのリンゴの存在は、最も
強固な実在なのである。
> 最も強固な実在
また記憶喪失かw
364 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 22:02:41 ID:Xgf0KyZ+
>>363 一本の矢より、三本の矢を合わせたほうが強固だろ。万物が結合すれば、
「最も強固な実在」となる。
365 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 22:49:24 ID:vutdni9p
>>362 リンゴを食べてから判断する? 目が見えないのですか?
食べて有る無しを判断する人は少数派だと思う。
有無に対する疑問は、たとえば今目の前に桜の木は無いけど、
その桜の木をまったく気にしていない自分がいる。
桜の木が無いということも意識から落ちている。
この状態を言っている。無それ自体が存在しない気がするのだ。
逆にビールが入ったグラスが有る。これは全面的に有なのだ。
桜の木の<無>に依存しないで、ビールの<有>が成立している。
こういった具体的な現実を抽象してしまったので、
有と無とが依存関係にあるのではないか、という錯覚にはまったのではないかと。
依存関係によってリンゴが誕生するという話だけど、
原子レベル、エネルギーレベルまでさかのぼれば<自性>が見えてくる。
やはり(生物を含めた)物質には、
無常と常住、無自性と自性という二重性を認めるべきでしょう。
そうすれば万事がうまく説明できる。
367 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 23:03:23 ID:Xgf0KyZ+
>>365 >リンゴを食べてから判断する? 目が見えないのですか?
「物の実在の有無は、五感の知覚で判断する。そのテスト(即ち確認
根拠)は、それが人間の生存に作用するか否かである」、という単純な
文章も理解できないのかね。
桜の木を、意識的に見た場合のことを言っている。ぼんやりしてて、
見なかった場合のことを言ってるのではない。
無と有の相互依存関係などではなく、あくまで、有とは何か、の話を
している。無にどうやって依存する?無には、依存は成立しない。
あくまで、有同士の「相互依存」の話をしている。
(生物を含めた)物質に無常と常住の二重性を認めたら、
この現実が刹那に滅して刹那に生じるなどという妄想をしないですむ。
目を閉じていたら現実は存在しない、などと思って目を閉じていたら、
車にはねられて死んでしまうかもしれない。
妄想に耽らないでしっかりしましょう。
369 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 23:12:50 ID:Xgf0KyZ+
>>368 >目を閉じていたら現実は存在しない、などと思って目を閉じていたら、
>車にはねられて死んでしまうかもしれない。
>妄想に耽らないでしっかりしましょう。
宗教者の、「見える物が無い」「見えない物がある」などという妄想の
ほうが、はるかに危険だろう。
宗教者は、常に目を閉じている、盲目の状態にあるといえる。
いろいろな物が関係してリンゴになるという場合、
いろいろな物は無自性・空だから、リンゴも無自性・空である。
空が集まってリンゴという空なる果物を作る。
こんなことは果たして可能なのか否か。百歩譲って可能だとしよう。
しかし何のために自性だとか無自性だとか論じるのか。
それこそ役に立たない空理空論。虚しい。
371 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 23:19:08 ID:Xgf0KyZ+
「物の実在・非実在」は、(必要に応じて観測装置を使用した)五感の
知覚によって「一義的に」決定される。物が「実在か非実在かわからない」
のでは、この社会に大混乱が生じるのは必至。
動物の子は、生まれた瞬間から、教えられもしないのに、物の実在・非実在
を区別して、生きようとする。
>>365 >>その桜の木をまったく気にしていない自分がいる。
この状態は「無」じゃなくて、有無を越えた状態ということでしょ。
「ここに桜の木が無い」と意識した時が「無」を意識した状態。
「ここに桜の木が有る」という場合が「有」を意識した状態。
どちらも桜の木を意識していることに変わりはない。
竜樹はこの相対的な依存関係のことを縁起と言っているのではないか?
373 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 23:25:33 ID:Xgf0KyZ+
>>366 >原子レベル、エネルギーレベルまでさかのぼれば<自性>が見えてくる。
原子も、素粒子の関係的集合であり、従って原子としては無自性と言える
のでは。 さらに新しい素粒子が発見されているようですね。
>宗教者の、「見える物が無い」「見えない物がある」などという妄想の
>ほうが、はるかに危険だろう。
宗教あるいは信仰の程度によって危険性がちがう。
大乗の場合はこの現実を<幻>と見なすようなので特に危険である。
>宗教者は、常に目を閉じている、盲目の状態にあるといえる。
見ないで信じるのが信仰である。信仰には盲目の危なさが常時ある。
盲人が盲人を手引きして二人とも穴に落ちると言われている。
375 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 23:39:46 ID:Xgf0KyZ+
>>370 「佛教の、縁起・空とは何か」を、本質的に追求しているのです。
「縁起・空」を語る仏教者は、すべてなすべき追求です。
リンゴの「無自性」は、「原子・素粒子の関係的集合」という例で、理
解できると思います。
>それこそ役に立たない空理空論。虚しい。
それをいうなら、すべての宗教は、「役に立たない空理空論。虚しい」
ことになります。「物の実在・非実在」の追求は、人間は実在に100%依存
しない限り一瞬も生存できないのですから、人間にとって最も重要な
ことです。
>>372 ビールを飲みながらPCを見ている時に、無の例として「桜の木」を選んだ。
無の例にすぎないから、有無を超えたというわけではない。
ご隠居の、無には依存できない、という指摘が正解に思われる。
377 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 23:53:29 ID:Xgf0KyZ+
>>374 >大乗の場合はこの現実を<幻>と見なすようなので特に危険である。
「幻」どころか、「相互依存性の結合による強固な実在」と何度も言っています。
さかんに「幻」と言ったのは、東南アジアの小乗仏教に嵌った真言氏です。
自称大乗が根本乗を小乗と罵るのは
いかがなものでしょうか。
>>375 大乗の場合、原子とか素粒子を認めるとそれが実体になるので、
自らの立場が危うくなるだろうと思う。
実体があれば、それは自性であり、無自性にはならない。
竜樹の教えがそうだから、原子も素粒子も<幻>でなくてはならない。
そして<幻>から誕生したリンゴは<幻>にしかならない。
なんか変ですね。大乗には距離を置いたほうがいい。
>>377 真言氏は生粋の大乗、八宗の祖・竜樹の信奉者ですね。
381 :
旧7:2009/07/06(月) 00:14:34 ID:MhbWSzfL
真言氏は顔を顰めるだろうが、
私がなぜ、「(原始)仏教は素朴実在論的だよ」と言いたがるかと言えば、
「存在」「実在」という語、概念の、現実・日常に於ける使われ方を踏まえる形をとるからだ。
彼は、「仮設存在(論)」という言い方なら、渋々許容できると言った。
が、一般的・日常的、いや、人口に膾炙し、真っ先にイメージされる「実在」の語義は、
そのように《(仮設されていても)「ある」場合に》こそ使用されるものだからだ。
学界での(哲学的)専門的、本来的語義の重要性は、この時雲散霧消する。
(これは、「空」や「縁起」という仏教の術語についても同じことが生じうるわけだが、
「実在」という語のもたらす一般的イメージよりは訂正し易いと思われる。)
さて、赤子に乳をやる母親にとって、
今まさに乳首から乳を吸い出している、この小さな生き物は実在するのかしないのか?
こういう問いになるわけさw
「実在」には、大きく二義がある。
真言氏が採用する「専門的・本来的語義」と、御隠居が採用する「一般的・拡大解釈語義」と・・・。
(そして、後者の方がより広く流布し、強固な形で受け止められている・・。)
どっちが「実在」の語義としてふさわしいんでしょうね・・・。
382 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 00:23:23 ID:MYzOK8gw
>>379 量子力学をはじめ、現在の世界の科学と思想の方向は、竜樹の「空(関係性)」
の方向へ、ピッタリと向けられています。原始仏教の「輪廻転生」など、どこ
でも相手にされてはいませんw。また、その業報論は、どんな凡夫でもわかる、
単純なで論理的に破綻した「因果関係論」、俗っぽい「勧善懲悪論」、そして
「脅迫」という最大の悪事。
「幻」と言う言葉は、専ら、外国小乗仏教カルトの真言氏が使った言葉なので、
止めてください。大乗や佛教哲学では、「縁起・空(関係性)」です。そして、
現実は、人間の目に映じただけだから、最初から「幻」で、それを、再度「幻」
と呼ぶのは「無知から生じた同義反復」であり、また竜樹の「相互依存性による
結合」は、「幻」どころか「最も強固な現実(実在)」であることは、すでに
述べたとおりです。
ご隠居は五位法に興味を感じているようですが、
認識論に存在論を吸収させることは誤りだろうと思っています。
前に示した簡単法でいえば、判断のない識(直接知覚)は重要で、
動物は本能だけでなく、この識に大きく依存しているのではないでしょうか。
人間にもこの識があるわけであり、すべてが色のついた、ゆがんだ認識になる
わけでもないでしょう。現実の正確な描写である認識も多いと思います。
観測装置に頼らなくても、五感のほとんどを信じてかまわないでしょう。
問題なのは価値観に関係することだろうと思います。
384 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 00:35:10 ID:MYzOK8gw
>>380 >真言氏は生粋の大乗、八宗の祖・竜樹の信奉者ですね。
違います。真言氏は、彼自身の書き込みによれば、東南アジアの小乗仏教
(テーラワーダではないかと思う)に嵌り、現地で数年間修行した方です。
竜樹とは、もはや、対極にある方だと思う。
旧7の話はとんちんかんでわかりにくいのだが、
真言氏がしぶしぶ仮説存在論を許容したことは理解できた。
かれはこの現実を<幻>だと思っているね。
>>384 そこまで竜樹・大乗を擁護するご隠居には何か裏がありますね。
しかしまあこの話はこれくらいにしましょう。
竜樹以外に、まだ生命やアートマンの話が残っています。
チャンスがあれば先に進みましょう。今日はオチ。
387 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 00:58:02 ID:MYzOK8gw
>>383 >観測装置に頼らなくても、五感のほとんどを信じてかまわないでしょう。
錯視のことを言っておられるのだと思うが、現実生活には関係ないと
思う。人類は、その発生以来、専ら「素朴実在論」で生存を続けて
いますw。
例えば、目に見えない微小な物は、観測装置を使用して「目で見る(五
感で知覚する)」の意味です。宗教者は、往々にして、「目に見えない
物が実在する」と信じ込まされていますから。「実在とは、五感で知覚
できること」という、私の、「現実(実在)」の定義を補完するためです。
>問題なのは価値観に関係することだろうと思います。
物の「ある」「ない」には、「価値感」は関係ありません。価値感で
物のある・なしを勝手に判断したら、社会は瞬時に崩壊しますよ。
五感の知覚には、思考の介入を要しません。
なお、物の実在のテストとして、生存への作用を持ち出したのは、私の
オリジナルです。世界のどの本にも書いてないと思いますよw。
388 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 02:21:08 ID:MYzOK8gw
>>386 >そこまで竜樹・大乗を擁護するご隠居には何か裏がありますね。
裏も表もありません。世界の人々が、佛教を高く評価しているのは、その
「縁起・空(関係性・相対性)」の思想のみであり、「輪廻転生」や「アート
マンがあるかないか」などの「荒唐無稽」ではないからです。
現代の文明国人が輪廻転生など信じるわけがないし、アートマンが生命なら、
あるに決まっているからです。釈迦も自己のアートマンを以って説いたの
ですから、否定できる訳がありません。
釈迦を「カルト教祖」「妄想患者」「無能者」扱いして侮辱しているのは、
あなた方なのです。
釈迦は古代の人ですから、時代が大きく変わった現代人の理性と知識に照らして、
彼が明らかに誤ったところはすべて訂正してあげるのが、仏教徒の義務ではあ
りませんか。
結論的には、あなた方は、自分が信じる「唯一絶対神」を守るため、故意に
佛教を利用しているだけです。あなた方が、自分の宗教のために、釈迦を冒涜・
侮辱することは、絶対に許されることではありません。
389 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 02:52:40 ID:5ACBfsuH
>>378 ゴータマや原始仏教、根本仏教を「小乗」扱いしたら仏教は成立しない、
ということを何度いっても理解できないのです。
>>379 >大乗の場合、原子とか素粒子を認めるとそれが実体になるので、
>自らの立場が危うくなるだろうと思う。
大乗だって別に、“原子とか素粒子を否定する”なんていう話はしてないでしょう。水野著
『要語』によれば、「空」の理解とはこういうことです。
『無我が空ということは、--(略)--論的には実体本体を認めず、またものの固定性を認
めないことであり、--(略)--理論的に存在が無我性のものであるとするのも、その存在は
実体的なものではなく、たえず生滅変化するものであるから、これを固定不変なものとして
は執着してはならないという実践面の基礎をなすものであるからである。』(p113)
ということ。つまり私が
>>101で説明した通りです。理解のポイントは“固定性を認めない
こと”、そして“たえず生滅変化するもの”であることを示すということ。であるから、固定性
であると誤認してはならないこと、及び一時期の姿に執着するなということを説いた。それ
だけのことです。
これを「幻」などという言い方をすると誤解を招くことになるのでしょう・・。固定性ではなく
一過性に過ぎない物質界の性質を「幻」という表現にすると誤解される。「固定性(無常)で
はないからそこに執着するな!」ですね。
まっ、真言氏の「幻」といういい方に、この私も一応、同意していましが、正確には上記の
ことなのであり、「幻」といういいかたは逆に真言氏の否定するヴェーダーンタ哲学のマー
ヤーに通じるものです。
390 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 03:02:24 ID:5ACBfsuH
ヴェーダーンタでは如何にしてこのマーヤーが現じているかについても説明します。仏教
の「空」との違いは、当然、ヴェーダーンタは至高神を立てて説明するという部分であって、
それぞれ示そうとしている中心部分の意図には違いはない。仏教は一過性の姿に対する
無執着を説き、バラモン側は永久不滅のものだけが「実在」であると説いたのです(それ以
外はすべて「幻」に過ぎない)。これが分っていれば済む問題。
私がこのスレで問題にしているのは、殆どの自称仏教徒らは、ニルヴァーナも「空」などと
誤解していることです。
「空」とはこの現象界の性質(固定的ではなく一過性の消滅変化する状態)のことであるの
に、その無常なる苦の世界から解脱することを説く仏教のゴールまでの「空」にしてしまった。
無為まで「空」にするということは、すべて空ッポで無意味/無価値ということに過ぎないこと
すら理解ではない。有為のならず無為まで「空」ならば、“教え”そのものも空に過ぎない。中
論(の説く教え)も空に過ぎない。これを本当に空論という(笑)。
であるから、私は一貫して主張し続けてきたのです。「空」は現象界の性質に限られるのだ
と。仏典がいうところの「一切」「一切法」とは、「有為」(現象世界)に限定されるのです。
『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教
では一切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。』(p127)
『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関
する限り、それは生滅変化する現象の法に限られていた。一切法を五蘊・十二処・十八界
などとした場合、それらはすべて時間と空間の中にあって、われわれに認識され得る現象
界だけを意味した。』(p112)
391 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 03:05:26 ID:5ACBfsuH
>>389 >ゴータマや原始仏教、根本仏教を「小乗」扱いしたら仏教は成立しない、
>ということを何度いっても理解できないのです。
が、しかし、
>>377の「東南アジアの小乗仏教」という言い方は間違いともいえない・・。
たしかに、東南アジアの仏教は小乗仏教(自分らが自認することはない)
と呼ばれたグループの末裔とはいえるでしょう。
下記の解説文から分る重要なポイントは、ゴータマは「アートマンは無い」などと教えたわけ
ではなくて、単に「これを問題とすることを禁じた」という無記の姿勢であったということ。そ
して、バラモンの説くアートマン(の概念/及び説明)とは同一ではないが、「仏教が理想とす
る完成された自己としての我」について説かれた、という点にあります。
もちろん、その完成された理想の自己の姿を体現してみせているのがゴータマ「仏陀」と
いうことであり、その境地(意識の状態)を「ニルヴァーナ」という。
『仏教で説く我・自我---なお我(a^tman,attan)について、仏教では外教が説くような実体
本体としての形而上学的な我は、これを問題とすることを禁じ、これを説かなかったが、常
識的な我とか仏教が理想とする完成された自己としての我は原始仏典の中にもしばしば
説かれている。これは外教の我と同じ語あるが区別せられるべきである。たとえば「如是我
聞」の我は常識的な我である。』(p163)
392 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 03:07:37 ID:5ACBfsuH
このニルヴァーナというのは、仏教では「不死不滅」の境地であると説かれており、中に
は不生不滅という意味に捉える人もいます。輪廻が止んだのであるから、当然、二度と再
生することがなく、「生れない」ということは「死」の体験もないのであるから、それは不生で
あり、不死であると・・。
ここで問題なのは、この状態についての理解です。何か「消滅」と同義のものだと勘違い
し、まるで内容が「断滅論」化している人がいるように思われることです。
ゴータマは、ニルヴァーナはバラモンの説くアートマン説と同義ではない、という意識であっ
たようには思われますが、決してニルヴァーナは断滅(これは外道思想と明言した)してし
まうものではなく、真実の自己意識に目覚めるというものです。それは肉体が滅んでも不死
不滅であると説いた。
そして、アートマン存在とは一体、何か??私はこの水野氏の解説にほぼ異論なしです。
“輪廻の主体である業を保持して三世を跨ぐ有為の存在”です。
これは、まさしくこれは神智学の説く、解脱する(ニルヴァーナに到る)までの輪廻の媒体で
あり、輪廻が止んだ最終段階においてはモナドに吸収されて消滅するものを指すでしょう。
ゴータマは単に詳細な解説をしなかっただけでしょう。それは、客観的に示すことができない
事柄に注意を奪われるよりも、実践主義の教えだったのだということ。
『人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めて
いる。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続す
る有為法である。唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。』(p164)
393 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 03:20:53 ID:5ACBfsuH
---以上で、
私が現時点で述べたいことがらについては、
これまででほぼ全て投稿できたように思っています。
あとは、真言氏からご指摘があった『梵網経』の内容の課題が残っています。
一応、チラ見はしてますが・・なかなか読み難くて思考が回らず・・
足踏み中です(笑)。
旧7氏は、
未だ入信することなく外野席にいる凡夫のようですがw
しかし、ある意味では最も冷静に客観的に見れる位置にいるということはいえそうです。
まさに分類/分析外道の名に相応しい方であり、その知識と姿勢は殆ど文献学者に近いでしょう。
私のこれまでの投稿もよ〜〜く汲みとって頂き、更に検討願いたいものです。
因みに神智学においては、
学者という存在(職業)も重要な役目であり、必要不可欠な存在です。
394 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 04:01:17 ID:5ACBfsuH
>>389 訂正です
×「無我が空ということは、--(略)--論的には実体本体を認めず」
○「無我が空ということは、--(略)--理論的には実体本体を認めず」
>>391 ×「これは外教の我と同じ語あるが区別せられるべきである」
○「これは外教の我と同じ語であるが区別せられるべきである」
私の個人的な神智学的理解における、
ゴータマがバラモンのアートマン論にそのまま同意しない理由についての推測です。
1.アートマンはあくまでも輪廻の主体であり、それ自体が永久不滅ではなく、輪廻の終了
と共にモナド(真我)に吸収、消滅する。しかし、バラモン聖典はそこまで明確にしなかった。
2.一般大衆においては、聖典の深遠な教えはそのまま理解されず、自覚する低級我であ
るパーソナリティーがアートマンそのものであると見なしており、またパーソナリティーそのも
のの永続を願っていた。これはアートマンでないばかりか、肉体に続いて崩壊する無常の
性質に過ぎない。
心霊主義者らはこれを永続する存在だと見なす間違いを犯している。神智学徒は、これ
は肉体の死後、アストラル界において一定期間、存続した後に分解/消滅するものに過ぎ
ず、このアストラル界の現象に注意を奪われることは霊性の進歩向上には寄与しないと見る。
3.違いを明確に示したりするのはなかなか困難であり、これらは本来からして客観的に示
せるものではなく、必要以上の注意を喚起することなく実践に集中すべきである、という考え
方から無記の姿勢を示した。
395 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 04:18:55 ID:5ACBfsuH
訂正です
×「仏教のゴールまでの「空」にしてしまった」
○「仏教のゴールまでも「空」にしてしまった」
>>277 私は、
真言氏のそれは貴重な得がたい経験であったろうと感心しています。
“道の先達”として敬意を表しますm(__)m
396 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 05:39:38 ID:5ACBfsuH
>>260>>274 やはり、人の実際の体験に裏打ちされた実話はいろいろな意味で価値があると思う。
それを自分に置き換えてみたり、
自分の場合と比較してみることで共通部分と異なる部分とがより明確になって、
有益であるように思います。
真言氏の場合には、津田真一先生の『反密教学』なる本は外道であった、
ということを東南アジア系仏教の師に付くことで理解できたという。
これが、もしも順序が全く逆で、実際に師に付いたのが
“実在をアートマンとかプルシャと呼ぶ”ような方であったならばどうだったのか?
逆も同じような経過に到るとは限らないから、これは分らないでしょうが・・。
397 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 05:40:49 ID:5ACBfsuH
この私の場合は、師に直接付いたという体験はなく、殆ど全てが独学の状態に近いものです。
私には、幼少の頃から意識の不死性についての強い確信があった。小学入学以前から、現象
界の一切は自己の意識によって初めて存在として認識されるのであるから、自己意識がすべ
ての中心であるという考え方をしていました。これは誰から教えられたものでもなければ、何か
の影響を受けたというものでは全くありません。もちろん家族や環境にも特別な宗教的なもの
は何もありませんでした。
また、誰にいわれるでもなく小学低学年時から独りで瞑想に耽る趣向があった。最初の関心
事は超常現象であり、これを解明するという心霊科学の分野に惹かれました。また漠然と超絶
した至高神を信じていましたが、特にどれといった宗教思想には殆ど無関心であり、本当に何
も知りませんでした。宗教世界は迷信的に見えて、どちらかというと好きではありませんでした。
私の場合は20歳前、人類社会の苦悩と未来の絶望的な不安という観点から仏教に入った。
その原因が人々の自己の貪りの心であり、修行して解脱する必要があること知った。私は自己
の解脱というアプローチ(小乗的)でそれを理解し、それだけに没頭しました。
解脱に通じるといわれるものは何でも目を向けました。朝から晩まで密教的やヒンドゥーヨー
ガの行法に没頭し続け、水行・断食・菜食(肉断ち)・苦行(灯明の炎を瞬きせず1時間、凝視続
けるなど行法w)などもやってみました。
いつも想いは解脱に到る行法のことだけにすべてが置かれ、当然、自分の仕事など力は入ら
ず、社会のことや家族のこともすでに頭にはありませんでした。
そんな中で神智学を知るに至り、自己の解脱主義と出家主義から抜け出すことができた。現
在は神智学の流れを汲む一派の教えを中心に学んでいます(非入会)。
神智学においても本家、伝統の神智学協会には属さず“異端派”を選択しています(笑)。唯一
の正式所属はパラマハンサ・ヨガナンダのクリヤヨガ教団だけです。
>>392 > ゴータマは、ニルヴァーナはバラモンの説くアートマン説と同義ではない、という意識であっ
> たようには思われますが、決してニルヴァーナは断滅(これは外道思想と明言した)してし
> まうものではなく、真実の自己意識に目覚めるというものです。それは肉体が滅んでも不死
> 不滅であると説いた。
だから「(単なる清浄心ではなく)「涅槃」によって真実の自己に目覚める」ソースを出せと何度いったら。
> そして、アートマン存在とは一体、何か??私はこの水野氏の解説にほぼ異論なしです。
> “輪廻の主体である業を保持して三世を跨ぐ有為の存在”です。
では輪廻が終る時には、保持されるべき業がなくなり、
業を保持する存在もなくなるということにならないのかと。
> これは、まさしくこれは神智学の説く、解脱する(ニルヴァーナに到る)までの輪廻の媒体で
> あり、輪廻が止んだ最終段階においてはモナドに吸収されて消滅するものを指すでしょう。
神智学に仏教を当てはめるのは「神智学にとっての仏教」であって、
仏教自体を素直に考える姿勢とは違います。
> ゴータマは単に詳細な解説をしなかっただけでしょう。それは、客観的に示すことができない
> 事柄に注意を奪われるよりも、実践主義の教えだったのだということ。
つまり仏典にソースはないんでしょう?
神智学がソースなんでしょう?
> 『人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めて
> いる。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続す
> る有為法である。唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。』(p164)
つまりこれってアーラーヤは有為法であり、常住ではなく、生滅のある無常のものだという話なんじゃないのかと。
いつか君が正しい道に出会うことを
切に祈る。
↑宝さんへ
>>364 完全に記憶がないことと、イメージで物事を考えているということがよくわかったw
402 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 07:14:14 ID:5ACBfsuH
>>179 遅レスになりすみません。
>
>>131 >> 意識の焦点が低級我から真我に移行するということは、
>> 低級性質の制御(煩悩の滅尽)ができて初めてなされるのです。
>
>それって自分自身の体験に基づいてるのか?
>それとも身の回りの人間を見てそう思うのか、
>それとも仏典に基づいて言っているのか明らかにしてもらいたい。
教えの理解からです。ヒンドゥー及び神智学では完全に共通しています。
もちろん、仏教も近い表現をしていると思います。
ただゴータマはニルヴァーナの状態を明らかにしませんでした・・。
>> 全然、解からないのですね・・。
>それとも解った気分になって言っているのか?
ごめんなさい!解ったような気分ということで結構です。
理論的であり、そして納得のいくものだと思います。
403 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 07:43:15 ID:5ACBfsuH
>>399-400 お祈りに感謝 m(__)m
>>398 >だから「(単なる清浄心ではなく)「涅槃」によって真実の自己に目覚める」
>ソースを出せと何度いったら。
『常識的な我とか仏教が理想とする完成された自己としての我は原始仏典の中
にもしばしば説かれている。これは外教の我と同じ語あるが区別せられるべきである。
たとえば「如是我聞」の我は常識的な我である。』(p163)
>>391 と、引用した通りですよ。「自己の主」「自己の本体」「汝の自己」など・・随所に使われ
ています。けれどもどの経文でも無駄ですよ!何故ならば、それはあなた方が涅槃後も
我は無いをただ繰り返すだけだけからです?私は何度も経文の提示をしてきましたね。
しかし、あなた方が「アートマンはない」から、当然、涅槃後もない。涅槃でも“自己と呼べ
るものは何一つない”と示す経文を出せないではありませんか!
そして、ここでいう仏教理想の自己とは生存中だけに留まりませんよ。仏典の何処を読
んですか?不死不滅の境地です。肉体の死後でも不滅。断滅などではありませんよ。肉
体無き後の「自己」とは何かを理解しないのは、すべてあなた方の勝手によるものです。
404 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 07:45:05 ID:5ACBfsuH
>では輪廻が終る時には、保持されるべき業がなくなり、
>業を保持する存在もなくなるということにならないのかと。
輪廻の終了はコーザル体が崩壊し、アートマン(魂)は役目を終えてモナッドに吸収され
ます。業力の保持する場所は移行したのです。もちろん、仏典にはそこまでは説かれてい
ません。
>神智学に仏教を当てはめるのは「神智学にとっての仏教」であって、
>仏教自体を素直に考える姿勢とは違います。
ご自由にどうぞ!こちらは特に仏典の教えを否定などしていません。その更に延長にあるだけです。
>つまり仏典にソースはないんでしょう?
>神智学がソースなんでしょう?
もちろん、神智学では明確です。が、仏典の記述部分と比較しても矛盾はないと思います。
>つまりこれってアーラーヤは有為法であり、常住ではなく、
>生滅のある無常のものだという話なんじゃないのかと。
それが神智学の説くアートマン(魂)と同義に当たります。
405 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 07:56:29 ID:KupLbyt1
>>379 これでは、龍樹を悪用した詭弁にしかならない。
>実体があれば、それは自性であり、無自性にはならない。
これは、そのとおりだね。それが、実体の定義であり、自性の定義だから。
>竜樹の教えがそうだから、原子も素粒子も<幻>でなくてはならない。
これが詭弁だね。なんで突然定義もされてない<幻>などという記号を
持ち込むのかね?
原子も素粒子も実体が無い、といえばよい。
>そして<幻>から誕生したリンゴは<幻>にしかならない。
これもきちんと書けばこうなる。
そして、実体がないものから誕生したリンゴは実体がないものにしかならない。
>なんか変ですね。大乗には距離を置いたほうがいい。
きちんと書けば何のおかしなところも無い。
かってに自分にしかわからない恣意的記号<幻>を持ち込んでおかしいといってる
オナニー論法の詭弁だね。
406 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 07:57:08 ID:VAguyXyc
華厳スレより
355 :神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 12:26:46 ID:HXmBR13O
仏が説いたお経を、そのまま読んだら間違いで、
あとから仏の弟子であるお坊さんに
あれこれ理由つけて解釈してもらわないといけないとしたら、
もとのお経は不完全なのでは?
教祖様が「あいつをポアしてこい」と言って、
そのまま素直にポアしたら間違いで、
弟子達があとから
「いや、あれは一種のたとえ話でありまして、本当の意味は…」
と言い繕う必要があるのだったら、
その教祖は、弟子にフォローしてもらわないと
満足に言いたいことも表現できないような能力なのか、
あるいは、弟子が教祖の教えを本心では信じられないから
一般的に信じやすい無難な教えにゆがめてるのか、
そのどっちかでしょう。
407 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 07:57:31 ID:5ACBfsuH
あなた方は、
たとえこの私から、キメテとなるような経文を提示しても、
単にその中の単語(部分)だけを抜き出して、
単語としては同じアートマンの語に過ぎないからなどといい、
ただの普通の(自己)のことに過ぎないなどと結論して、決して全体の文脈からは判断しない。
というよりは、最初から決め付けているので断じて認めないのです。
私は外道呼ばわり結構なのですよw
これは、外道であるこの私と自称仏教者や仏典に精通する伝統仏教者たちの、
一体、どちらが本物のゴータマの真意に近いかを問うものです。
つまり、
タイガーマスクVSタイガー・ザ・グレートの図式なのですw
本物の虎はどっちなのか??
408 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 08:07:35 ID:KupLbyt1
>>381 >「実在」には、大きく二義がある。
そうですね。
「実」を「真実」の略と解釈するか「現実」の略と解釈するか、でしょう。
「真実存在」すなわち「諸法実相」とすれば「空」になる。
「現実存在」とすれば五感による現量となる。
見えるとおりに有ったり無かったりする。
ただ、大乗の中観では諸法実相がそのまま現実存在とするけどね。
「輪廻」は「涅槃」と異ならず、が中観だから。
♪花はくれない、柳は緑
道元はもっとしゃれたこといってたと記憶するが今は思い出せない。
409 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 08:37:28 ID:5ACBfsuH
では、
こちらから皆さんに逆に質問します。基本的な問いです。
(伝統)仏教では、涅槃は「不死」などともいいます。
これは肉体のことではないことは明らかです。
では一体、何がどう不死だというのか?それを説明して下さい。
できる方については、それを説明した経文を引用提示されることを希望します。
『バラモン教では古くから不死(amrta甘露)の語があり、
仏教でも不死は涅槃の同義語とされた。』(『要語』p171)
410 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 08:44:10 ID:KupLbyt1
>>394 >バラモン聖典はそこまで明確にしなかった。
ウパニシャッドの二道説や梵我一如説として説かれてるでしょう。
インド文化では輪廻からの解脱は宗教だけでなく学問でも必ず
言及されるのが常識でしょう。ローカヤタ(唯物論派)を除いて。
411 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 08:50:19 ID:KupLbyt1
>>409 不死とは「死ぬことは当たり前だ」と自己の死を受容できる境地だね。
最後に「ありがとう」といって死ねる人になりたい。
もうひとつは「自己の死は自分では認識できないだろう」という不可知論
の不死だね。
「死は人生の出来事ではない」というウィトゲンシュタインの独我論の立場だ。
>>402 > 教えの理解からです。ヒンドゥー及び神智学では完全に共通しています。
> もちろん、仏教も近い表現をしていると思います。
> ただゴータマはニルヴァーナの状態を明らかにしませんでした・・。
「もちろん、仏教も近い表現をしている」のか、それともしていると思っているだけなのか。どっちですか。
ニルヴァーナの状態を明らかにしなかったと自分でいっているのに何の教えを理解したというのか。
> ごめんなさい!解ったような気分ということで結構です。
> 理論的であり、そして納得のいくものだと思います。
理論的というのは神智学の話でしょう?仏教とは関係ないのではありませんか?
> 輪廻の終了はコーザル体が崩壊し、アートマン(魂)は役目を終えてモナッドに吸収され
> ます。業力の保持する場所は移行したのです。
つまり、アートマンは常住ではない、ということでいいんですね?
> >つまり仏典にソースはないんでしょう?
> >神智学がソースなんでしょう?
> もちろん、神智学では明確です。が、仏典の記述部分と比較しても矛盾はないと思います。
「大川氏を仏陀であり、なおかつ唯一神としても矛盾はないと思います」という論法ですね。
話になりません。ここは仏教のスレです。
以前、仏典に書いてあるのかどうかと力説していたのはあなたではありませんでしたか?
> >つまりこれってアーラーヤは有為法であり、常住ではなく、
> >生滅のある無常のものだという話なんじゃないのかと。
> それが神智学の説くアートマン(魂)と同義に当たります。
以前はアートマンは常住だと言ってませんでしたか?
そして涅槃に至らなければ真我に目覚めないという話についてはどうなったのですか?
413 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 09:00:15 ID:5ACBfsuH
>>410 それはバラモン/ヒンドゥーの輪廻と解脱に関する説明であって、
ゴータマがバラモンの説くアートマンをそのままで同意していない理由とはなりません。
>>411 >不死とは「死ぬことは当たり前だ」と自己の死を受容できる境地だね。
それは「無常」(観)の理解というものであって、
ニルヴァーナが“不死”と同義という説明ではありません。
>もうひとつは「自己の死は自分では認識できないだろう」という不可知論の不死だね。
>
>「死は人生の出来事ではない」というウィトゲンシュタインの独我論の立場だ。
そんな不可知論はゴータマは説かなかった。
>>403 > 『常識的な我とか仏教が理想とする完成された自己としての我は原始仏典の中
> にもしばしば説かれている。これは外教の我と同じ語あるが区別せられるべきである。
> たとえば「如是我聞」の我は常識的な我である。』(p163)
>>391 > と、引用した通りですよ。「自己の主」「自己の本体」「汝の自己」など・・随所に使われ
> ています。けれどもどの経文でも無駄ですよ!何故ならば、それはあなた方が涅槃後も
> 我は無いをただ繰り返すだけだけからです?私は何度も経文の提示をしてきましたね。
かつてあなたは「如是我聞」は大乗による経典捏造を示すものだとして、
ゴータマとは切り離すキーポイントとして指摘したのではありませんか?
如是我聞は仏教ではない、と言ったのではありませんか?
その如是我聞をソースにしてもってくるという手前勝手さについてまずはどう思うのですか?
その破廉恥さについてどう思うのですか?
> しかし、あなた方が「アートマンはない」から、当然、涅槃後もない。涅槃でも“自己と呼べ
> るものは何一つない”と示す経文を出せないではありませんか!
論を立てているのはそっちなんですから、立証義務があるのはそちらであってこちらではありませんよ。
同じステージでモノを考えないでいただきたい。そもそも神智学をソースにしている時点でソースを疑われるのは
当然のことです。自分のやってることをまずは理解した方がいいと思います。
> そして、ここでいう仏教理想の自己とは生存中だけに留まりませんよ。仏典の何処を読
> んですか?不死不滅の境地です。肉体の死後でも不滅。断滅などではありませんよ。肉
> 体無き後の「自己」とは何かを理解しないのは、すべてあなた方の勝手によるものです。
肉体亡き後かどうかはどうでもいいのです。輪廻中に我ありという思いがあるのはむしろ当然です。
涅槃に至り、輪廻が終焉を迎えた後の話をしているのです。
>>413 > そんな不可知論はゴータマは説かなかった。
説かなかったら間違いとでも言いたげな書き方ですが、
あなたはゴータマが説いていなくても矛盾がなければOKというスタンスだったんじゃないんですか?
416 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 09:09:39 ID:KupLbyt1
>>413 >ゴータマがバラモンの説くアートマンをそのままで同意していない理由とはなりません。
それが言葉でする議論(言葉をつかわない議論はありえないだろうけど)は
戯論だという中論の主張ですね。
「アートマン」という言葉を恣意的に解釈してるなら議論にさえならない。
無常の「アートマン」んなんかありえないちゅうの。
417 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 09:13:27 ID:KupLbyt1
>>413 >そんな不可知論はゴータマは説かなかった
形而上学的問題については釈迦は無記を貫いた。
十難無記とか十四難無記という言葉聞いたこと無いか?
ナーガルジュナは中論で此のほとんどに回答してる。
中論は哲学論でもあるから当然だろうけどね。
419 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 09:27:03 ID:5ACBfsuH
>>412 >「もちろん、仏教も近い表現をしている」のか、それともしていると思っているだけなのか。どっちですか。
>ニルヴァーナの状態を明らかにしなかったと自分でいっているのに何の教えを理解したというのか。
低級性質の消滅によってニルヴァーナに到ることについては、仏典中の随所に
詳しく述べられていることはあなたもご存知の通りですよ。“近い表現”という意味は、
神智学ではカタツムリの殻は渦巻きであり、色と柄の具合まで説かれていますが、
仏典においては殻は丸いものとして説かれているようなものだということです。異な
るものということにはならない。
殻は丸いものであるという説明は、殻は渦巻きであり、色と橙で茶の筋模様が入っ
ている、という説明とは別のものということにはならず、似たものであるとと見なすこ
とができ、そして恐らくは同じものを示しているのではないか?という推測は可能です。
>理論的というのは神智学の話でしょう?仏教とは関係ないのではありませんか?
上記-同。
420 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 09:28:14 ID:5ACBfsuH
>「大川氏を仏陀であり、なおかつ唯一神としても矛盾はないと思います」という論法ですね。
>話になりません。ここは仏教のスレです。
>以前、仏典に書いてあるのかどうかと力説していたのはあなたではありませんでしたか?
大川氏については仏典から否定できると私は解説済みです。私の説明する我、
涅槃、常住、不死・・・の説明は仏典とも矛盾しません。矛盾箇所があるならば仏
典から引用提示して下さい!
>以前はアートマンは常住だと言ってませんでしたか?
いいましたっけ??すみませんが、その投稿を示して貰えれば助かります。
私が主張しているのは、ゴータマは「アートマンはないとはいったことがない」とい
うこと。
>そして涅槃に至らなければ真我に目覚めないという話についてはどうなったのですか?
死後にも存続する輪廻の主体(アートマン)がある。ニルヴァーナ語の真実の自己
とはモナッドであり、輪廻を終えたアートマンはモナッドに吸収されて消滅すると。た
だし、仏典では「不死であり不滅の境地」という程度しか述べられていないようだと
いうこと。
421 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 09:47:17 ID:5ACBfsuH
>>414 >かつてあなたは「如是我聞」は大乗による経典捏造を示すものだとして、
>ゴータマとは切り離すキーポイントとして指摘したのではありませんか?
>如是我聞は仏教ではない、と言ったのではありませんか?
>その如是我聞をソースにしてもってくるという手前勝手さについてまずはどう思うのですか?
>その破廉恥さについてどう思うのですか?
文意を理解しないことにはどうしょうもない。「如是我聞」は、“私はこのように(ゴー
タマから)聞いた”ということであり、この場合に使われる自己とは、ウパニシャッドが
主張するアートマンとは違い、普通の使われ方としての私、自己であるという意味です。
原始経典の場合は直接、見聞きしてきた直弟子たちが結集して口誦されたアーガマ
が伝承され続け、それが最初に文章化されたものです。
しかし、大乗経典の場合は違う。大乗の徒たちは後に原始経典とは異なるものを自分
らで勝手に制作し始めた。明らかに内容も異なる自分たちの都合的な主張を盛り込んだ
創作物なのです。従ってこれらは、「如是我聞」を名乗る資格がないのに、権威(信用)付
けのために真似て付したものなのでした。こうして一見、原始仏典との違いをなくし、これ
もゴータマが説いた教えを記したものということにしたのです。しかし、これが創作であった
ことが近代仏教学が明らかにしたのです。以降〜原始経典と大乗諸経典とは区別されて
います。
---他の返答はまた後日に m(__)m
422 :
宝珠愚者:2009/07/06(月) 09:57:26 ID:5ACBfsuH
418
>そもそも君は生まれたことがあるの?
当たり前ですよ。母胎から生れたのです。過去世の業を背負い縁起して生れてきた。
肉体を纏っているだけで、これら五蘊は私の本質ではありません。
がしかし、まだそれを自覚することはできない。
修行のためには、人生において肉体、及び五蘊はよく整備しながら生きるべきです。
423 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 11:27:03 ID:KupLbyt1
秋月龍a著「誤解された仏教」(講談社学術文庫1778)を読んだ。
・仏教は「無霊魂論」である。
・仏教は「無我論」である。
・仏教は「無神論」である。
・死者を「仏」と呼んではならない。
・「梵我一如」説は仏教ではない。
・「輪廻」など信じなくても仏教は成り立つ。
解りやすい説明で簡単に読めるよ。お勧めだね。
>>419 > 低級性質の消滅によってニルヴァーナに到ることについては、仏典中の随所に
> 詳しく述べられていることはあなたもご存知の通りですよ。“近い表現”という意味は、
違いますよ。アンカーたどってもらえれば分りますが、質問は
>> 意識の焦点が低級我から真我に移行するということは、
>> 低級性質の制御(煩悩の滅尽)ができて初めてなされるのです。
の部分に関してです。
1「煩悩が尽きることによって涅槃に至る」とは書かれていますが、
2「涅槃によって真我に目覚める」と書かれているのかと言っているのです。
この二つは「まったく別」です。
質問は「2」に対してのものですから、2に対しての「近い表現」を出してください。
>>419 > 神智学ではカタツムリの殻は渦巻きであり、色と柄の具合まで説かれていますが、
> 仏典においては殻は丸いものとして説かれているようなものだということです。異な
> るものということにはならない。
ここの部分はソースは神智学だと言ってるだけですね。
> 殻は丸いものであるという説明は、殻は渦巻きであり、色と橙で茶の筋模様が入っ
> ている、という説明とは別のものということにはならず、似たものであるとと見なすこ
>
> とができ、そして恐らくは同じものを示しているのではないか?という推測は可能です。
「似ている」「推測は可能」。つまり、あなたは
神智学が正しいという前提に基づき、仏典の内容はそれに「似ている」から、
神智学の主張は仏教においても正しいはずだと推測している、というにすぎないわけです。
そんなものを根拠に、人に対して分っていないだのなんだのと見下した目線を向け続けているわけです。
>>420 > 大川氏については仏典から否定できると私は解説済みです。私の説明する我、
> 涅槃、常住、不死・・・の説明は仏典とも矛盾しません。矛盾箇所があるならば仏
> 典から引用提示して下さい!
「矛盾しなければ正しい」ということ自体が論法として間違っています。
矛盾が立証されていないことは、矛盾がないことの十分条件ではありません。
>以前はアートマンは常住だと言ってませんでしたか?
> いいましたっけ??すみませんが、その投稿を示して貰えれば助かります。
過去スレみればいくらでも出てくる。
他の人が常住を求めるのはおかしいとかいろいろ書いているのに
ひたすら常住について書きつづけているだろうに。ご隠居並の記憶喪失ですか?
> 私が主張しているのは、ゴータマは「アートマンはないとはいったことがない」とい
> うこと。
そんなことを主張しても「アートマンがある」と言ったということの証明にはならないわけです。
> >そして涅槃に至らなければ真我に目覚めないという話についてはどうなったのですか?
> 死後にも存続する輪廻の主体(アートマン)がある。ニルヴァーナ語の真実の自己
> とはモナッドであり、輪廻を終えたアートマンはモナッドに吸収されて消滅すると。た
> だし、仏典では「不死であり不滅の境地」という程度しか述べられていないようだと
> いうこと。
なんだかなぁ。
あなたはずっと死後の魂が存続することを挙げて、アートマンの存在を主張してきました。
そしてそれが真実の自己であると言ってきたのではないのですか?
何故、ここにきてモナドが真実の自己になっちゃってるんですか。
自分の意見が、その場その場で切り替わっていることに気づかないのですか?
427 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 12:14:12 ID:KupLbyt1
>>387 >物の「ある」「ない」には、「価値感」は関係ありません。
本来はそうあるべきでしょうね。
>価値感で物のある・なしを勝手に判断したら、社会は瞬時に崩壊しますよ。
資本主義社会では「商品価値」のないものは「意味ないもの」としてどんどん
捨てられますね。コンビになどでまだ食べられる食物が賞味期限が切れたとして
どんどん捨てられ生ゴミになる。こんな社会は瞬時とは言わないがいずれ崩壊する
でしょうね。
>>421 まったく返答になっていませんが。
今更大乗や非大乗についての違いなど説明されても仕方がないように思えますが、
その説明がこの度の質問に一体どうつながってくるのか、わかるように書いてください。
話が見ずらくなっているので再掲しますね
<存在の大別> ・・・ 簡単な存在論
生物 ・・・ 物質 + 生命 → 生命活動 > 精神活動 > 識
無生物 ・・・ 物質 → 実体がある OR 実体がない ・・・ 審議中
<精神活動> ・・・ 簡単な認識論
現実 ← 認識 ・・・ 判断のない識 ・・・ 直接知覚
生物・無生物
判断 ・・・ 判断された識
判断基準 ・・・ 苦楽・善悪・愛憎など ← 縁起
簡単法の認識論を見れば、
あるがままも、梵我一如も、禅者の悟りも、一目瞭然である。
それは判断が消えた状態、判断のない識であり、現実の直接知覚を意味する。
<空>は永遠に体験できないが、判断された識が消失することで現れる、
直接知覚を体験することで<間接的に>体験できる。
この直接知覚は竜樹・世親の<幻>ではない。
431 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 12:51:51 ID:zgnFFtuQ
>>427 >資本主義社会では「商品価値」のないものは「意味ないもの」としてどんどん
>捨てられますね。コンビになどでまだ食べられる食物が賞味期限が切れたとして
>どんどん捨てられ生ゴミになる。こんな社会は瞬時とは言わないがいずれ崩壊する
>でしょうね。
それは、物の「ある」「なし」の判断とは関係ありません。店員は、商
品の「ある」「なし」は、五感の知覚で100%判断しています。賞味
期限が来た商品を自動的に捨ててしまうのは、教典・仏典の「言葉」だ
けを盲信して、「人体」に関連してその「意味」を自分の頭で考えよう
としない宗教者たちの姿と全く同じです。商品の「ある」「なし」だけ
で、それが無数の要素の関連によって成り立っていることに思い至らな
いから、商品に対する感謝が生まれないのです。さらには、商品(食物)
が、人間の生命を維持するために不可欠な物、即ち「人は、パンが無け
れば生きられない」という、最も普遍の真理に思い至っていないからで
す。
赤福の社長の、「まだ食べられるのに、もったいなかった」という言葉には、
には、神道の精神をそのまま表わすものとして、感心した次第です。
官僚主義の問題も、官僚が法律の「文言」だけに依存し、その生存に対
する意味を「実質的に」考えないという、宗教の教祖・教典盲信主義と
いう同じ欠陥から発生しています。
>>430 の続き
これで禅宗の悟りが、どのくらいのレベルであるかがわかる。
これが大乗の悟りであり、まだ理解レベルにすぎない。
逆に、これが理解レベルであるから、
目を開いてやる公案禅もそれなりの根拠があるということになる。
そして理解レベルでも、悟りの初歩に達したことは評価してもいいだろう。
しかしまだ先があるし、このレベルにも達していない教えがある。
いまは竜樹・世親に関しても疑っている。
>>431 賞味期限の切れた食品の廃棄については、食べ物に困っている人たちに、
それらを無料で配布するシステムがあってほしい。
こんなところで役所が動き、役人が汗をかいて街中を動き回るなら、
税金が有効に使われていることを実感するだろう。
434 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 13:11:45 ID:zgnFFtuQ
>>430 五感による直接知覚は、圧倒的多数の生活者(仏教で言う凡夫)が、
専らそれに依存して毎日の生活を営み、生存を維持しているもの。
即ち、凡夫こそが悟っているのです。
さまざまな人為的観念や理屈や修行による変性意識で、直接知覚を変容・
破壊している者、即ち、最も悟っていない者が、まさに宗教者なのです。
>>434 そんな傾向がありますね。かれらのは非常識・妄想教でしょう。
ところで、観測者は観測者を観測できるのか、というテーマで、
これに反論し、可能性を探って見ますね。
まず常識的には不可能でしょう。しかし可能です。
436 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 13:23:25 ID:zgnFFtuQ
>>434の追加
なお、竜樹は、物の「ある」「なし」について論じているのではない。
そんなことは、凡夫の直接知覚から自明のこと。
竜樹は、佛教の「縁起・空」とは何かを、その卓越した頭脳で、専ら物
の「実在状態」から分析・解明し、飛躍的に発展させたのです。彼が、
「幻」「蜃気楼」といったのは、「この世が、人間の目に映じただけの
対象に過ぎない」という、当然の前提を述べたに過ぎません。従って、「幻」
「幻」「蜃気楼」とは、「実在(現実)そのもの」のことなのです。
人間は<心>のことをあまり知らないと思う。
唯識では、八識に区別し、五感・意識・マナ識・アラヤ識とする。
このことから唯識は、八識に<心>を見ている。
言い換えれば、<心>は八識であるとも言えるわけだ。
ここから<心>は重層的に識を持っているのであり、
たとえば眼識(目)が持つ見る働きは、意識・マナ識・アラヤ識がそれぞれ
持っているのではないかという推測もできる。
つまり人間には、複数の眼識(目)があり、複数の見る働きがある。
かりにそうであれば、意識レベルで働いている眼識(目)を、
マナ識レベルの眼識(目)で見る可能性がある。これが夢か?
マナ識レベルを、アラヤ識レベルで見る。これが魔境か?
このように識ごとの眼識(目)を想定すれば、
観測者は観測者を観測できることになる。反省もそうですね。
観測者が観測者を観測できるなら、
これだけで竜樹の論証は誤りでありマユツバである。
それでは複数の識を想定することで、根本識・アートマン(魂)を観測できるのか?
これも可能になるのだ。アートマンに識があれば、
外からは見えないけど、自分がアートマンであることはわかる。
そのアートマンを観測できるかどうかだが、マナ識・アラヤ識の識がある。
マナ識・アラヤ識の識で、アートマンを観測するのである。
しかし自分が二つに分裂するのは矛盾である。
だからアートマンそれ自体ではなく、残像を見るのではないかと推測する。
439 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 13:59:01 ID:jpSq8yJ6
最後の「識」を識るのは?
440 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 13:59:41 ID:CK2EI2gk
>>437 それらのすべての識も、観測者の心です。結局は、観測者の「主観」に過ぎ
ません。なお、「無意識」を「意識」すれば、それはもはや「無意識」では
ありません。
なお、フロイトの精神分析も、唯識からのヒントかも知れませんね。
442 :
一在家:2009/07/06(月) 16:54:20 ID:olMaT9Wm
>>404 宝珠氏
> 輪廻の終了はコーザル体が崩壊し、アートマン(魂)は役目を終えてモナッドに吸収され
>ます。業力の保持する場所は移行したのです。もちろん、仏典にはそこまでは説かれてい
>ません。
私の師は私が入信する1ヶ月前に肉体(現界)をさられ、その直弟子達を師と
して学んだのが19歳の頃でした。
師は「万教の元一つ」といつも言っておられました。
輪廻を終えた魂は神霊界に入ります。神、如来、菩薩と呼ばれますが、モナッドに吸収されて
宇宙の原質に戻るとは伺っておりません。
輪廻する必要がないのと、輪廻しないのとは意味が違います。
輪廻する必要の聖者達もミッションを持って再生する場合があります。
ミッションは衆生済度、人類強化、最近は地球温暖化による共滅からの人類と万生の救済の
ようです。
世界中で多数の肉体を持った聖霊達(応身の菩薩)が誕生して活動を開始しておられるようですが
抵抗する勢力(邪神、悪魔)も強大で、結局は神の子(仏性を宿す人)達の加勢、お供が必要だと
伺っております。
443 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 16:54:38 ID:sHwcgayi
>>436 ご隠居は、一方でこの現実を肯定し、他方で関係性によって空であると言う。
この考えは、この現実を常住と無常の二重性とする立場と同じですね。
ご隠居とは似たような位置にいるかもしれない。
444 :
一在家:2009/07/06(月) 17:04:02 ID:olMaT9Wm
>輪廻する必要の聖者達もミッションを持って再生する場合があります。
輪廻する必要のない聖者達もミッションを持って再生する場合があります。
446 :
一在家:2009/07/06(月) 17:16:47 ID:olMaT9Wm
>輪廻を終えた魂は神霊界に入ります。神、如来、菩薩と呼ばれますが、モナッドに吸収されて
>宇宙の原質に戻るとは伺っておりません。
ただし、輪廻しても魂の成長のない魂、霊界の掟を説いても改心(魂)する見込みのない魂、
これらが強制的に神霊の力にて宇宙の原質に還されることがあると伺っております。
>>439 >最後の「識」を識るのは?
これがポイントですね。残像かとも思えるけどそうでもなさそうだ。
空海の瞑想体験「谷響きを惜します 明星来影す」からすれば、
意識かマナ識かアラヤ識のどれかになる。
たぶんアラヤ識。
普通は、意識 ← マナ識 ← アラヤ識 ← 根本識だけど、
根本識(魂・アートマン)の場合は矢印が逆になる。
これが不可能に近い・・・悟りは不可能に近い。
>>445 へりくだれば、聞こえてくるものがあるかもしれない。
お互い、どこかしらで重なり、どこかしらで異なる。
そんな感じがする。あとは忍耐かな。
>>440 >それらのすべての識も、観測者の心です。結局は、観測者の「主観」に過ぎ
>ません。
★ 心が心を対象化しているから、主観ではなく客観でしょう。
>なお、「無意識」を「意識」すれば、それはもはや「無意識」では
>ありません。
★ その通りであり、暗闇の谷に光が差したということでしょう。
>なお、フロイトの精神分析も、唯識からのヒントかも知れませんね。
★ おっしゃる通りかもしれません。
しかしフロイトは心の領域に唯物主義的に挑んでいたと思います。
>>447 の訂正
アラヤ識だけでなく、意識 → マナ識 → (根本識) だろうか。
根本識を除いた、全員参加かもしれない。
>>450 の訂正
マナ識 → アラヤ識 → 根本識(魂・アートマン)
452 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 18:13:25 ID:uBQDW6HQ
>>449 >★ 心が心を対象化しているから、主観ではなく客観でしょう。
その「一番目の心」も「二番目の心」も、いずれも「自分の心」です。「客観」
など、何処からも出てきません。その一番目の心を、三番目の心で対象化する
ことができ、その三番目の心を四番目の心で対象化できます。何処まで行っても
「自分の心」「自分の主観」に過ぎません。
「自分の心」を「自分で判断する」、即ち「自分探し」は、ナンセンスで不可能
ということになります。
453 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 18:20:53 ID:uBQDW6HQ
>>452の続き
ひたむきに生きている人間は、「自分の心」など考えることはありません。
生存本能(生命)の指示のみによって、ひたすら生に努めます。
自分の心が気になるようになったら、それは心が病んでいることです。
鬱病患者の、自責感、内省感、罪悪感などが、その実例です。
454 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 18:26:38 ID:aY035Ub1
>>447 根本識は、識る対象となり得ない究極の主体でしょうか。
識る対象は無常だが、その無常を悟る究極の主体は無常を超えているのでしょう。
>>452 意識 → マナ識 → アラヤ識 → 根本識(魂・アートマン)
この流れに意味がないなら、だれも悟りなど求めないでしょう。
しかし根本識は様子が違う。清浄そのものの世界がそこにあるのであり、
そこが究極であることを直感する。そこは行き止まりである。
>>454 いい質問ですね。常住である根本識を知ることが悟りですね。
常住(根本識)を無常(アラヤ識・マナ識・意識)が知ること、これが悟りですね。
人間は無常と常住の二重性を生きている。
457 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:01:47 ID:uBQDW6HQ
>>456 それも、自分の主観以外の何物でもないでしょう。悟りとは、自分で自分が
「分った積り」の自己満足のことですか。
>>457 無常の・・・根無し草が・・・常住を知る・・・これが悟りです。
自己満足ではなくて・・・常住とは神のことです。
459 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:26:26 ID:uBQDW6HQ
>>455 >意識 → マナ識 → アラヤ識 → 根本識(魂・アートマン)
そのように、識を分類した、あなたの識は、どの識に該当しますか。そのあなた
の識は、対象化されますか。それは、どの識が、対象化するのですか。
460 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:27:13 ID:KupLbyt1
>>458 >常住とは神のことです。
だから、こういう本が必要になるんだね。
秋月龍a著「誤解された仏教」(講談社学術文庫1778)を読んだ。
・仏教は「無霊魂論」である。
・仏教は「無我論」である。
・仏教は「無神論」である。
・死者を「仏」と呼んではならない。
・「梵我一如」説は仏教ではない。
・「輪廻」など信じなくても仏教は成り立つ。
461 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:28:30 ID:/Ci74SMm
なんだ?結局は「神の存在を認識しろ」 かい?
落ちが、あまりにも陳腐。
462 :
旧7:2009/07/06(月) 19:29:06 ID:MhbWSzfL
ていうか、初歩の初歩の質問なんだが、
「破壊と生成を繰り返す」という世界観に於いて、そもそも「常住」ということはありうるんだろうか・・。
破壊と生成を繰り返すという世界観は、インドに於いて超マイナーなものだったんだろうか・・。
それとも、(或る種独我論的に)一サイクルの生成と破壊の中で継続すれば、それが「常住」と言えるだろうか・・。
ていうか、ブラフマンだろうがアートマンだろうが真我だろうが神様だろうがヤハウェだろうがアッラーだろうが、
何にしろ、この一サイクルの中でのみの「こと」だろうか・・。(今の宇宙論と相似形か?)
教えてエロい人。
エロい旧7はひっこんでろ
464 :
旧7:2009/07/06(月) 19:51:25 ID:MhbWSzfL
>>463 |_, ,_
|ω・ ) ・・・・・・
|⊂ノ
465 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:55:14 ID:/Ci74SMm
>>463 は旧7 が嫌いなのか?(笑)
どうしたんだ?
昔、イジメられたりしたのかな?
>>462 破壊と生成を繰り返すというのは相の話ですから、
相自体はどうやっても無常でしかないと思います。
破壊と生成の中にある限り無常。
> 破壊と生成を繰り返すという世界観は、インドに於いて超マイナーなものだったんだろうか・・。
ヒンドゥーだとシヴァ神が破壊と再生を司っているわけですが、シヴァ神のルーツであるリンガ崇拝自体は
ドラヴィダ系の相当古い信仰に基づいているのは確かですね。ヴェーダよりはずっと古い。
> それとも、(或る種独我論的に)一サイクルの生成と破壊の中で継続すれば、それが「常住」と言えるだろうか・・。
> ていうか、ブラフマンだろうがアートマンだろうが真我だろうが神様だろうがヤハウェだろうがアッラーだろうが、
> 何にしろ、この一サイクルの中でのみの「こと」だろうか・・。(今の宇宙論と相似形か?)
継続したとしても、それが「無限とも思えるほど長い」だけであれば無常ですよね。
無限と思えるほど長くても、完全に無限でなければ常住とはいえない。
常住とは他からの影響によってその存在が揺らがないということを意味していますから、
常住なるものは、あらゆる「他」から隔絶しており全く無縁でなくてはならないはずです。
逆にいえば、あらゆる存在、あらゆる影響を与え合う存在を全て遍く包含したものの「全体」しか
常住ではありえない、ということになるのではないかと思います。
つまり、エネルギーとしての宇宙全体、というようなものですね。常住たりうるとすれば。
ただこの場合の宇宙というのも、もし宇宙に外部があった場合は、その外部さえも含めての全体性を
「宇宙2」とでも言い直さないと、常住を規定することは難しいでしょうね。
ブラフマンであれアートマンであれ、なんらかの性質を表わしているものは
その性質に限定されている時点で常住たりえないんじゃないかと思います。
性質が規定されているということは、その性質を持たないもの(他)があるということですから。
467 :
一在家:2009/07/06(月) 20:07:12 ID:gxfZK7uq
>>462 >破壊と生成を繰り返すという世界観は、インドに於いて超マイナーなもの
>だったんだろうか・・。
現象界だけ見れば、破壊と生成を繰り返しております。
コーランでは、破壊と生成を繰り返す世界を常住のアッラーは見ております。
仏も常住で宇宙劫の頃から見守ってきたそうです(経典に記載の意)。
2500年前では五感で感受できる世界を「色」として、それ以外を「空」
と見なしたのだと考えます。
仏の眼には五感で感受できない世界を見えていても、説いて理解させる
ことができないので菩薩級高弟以外には無記を通されたのでしょう。
現代科学が発見しております、原子や電子、素粒子、電磁波、引力、
そしてDNAさへも、2500年前には「空」の領域の存在でしょう。
これらは現代では「色」として認識しても宜しいでしょうが、
現代科学では感知できない存在「空」が無数に存在することは科学者は
認識しており、日々研究を行なっておりますのが実相かと存じます。
468 :
旧7:2009/07/06(月) 20:25:38 ID:MhbWSzfL
469 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 20:26:43 ID:sHwcgayi
>>461 >なんだ?結局は「神の存在を認識しろ」 かい?
>落ちが、あまりにも陳腐。
いつの時代でも神は新鮮だろう。
あなたの親に向かって、「あなたはあまりにも陳腐だ」と言うのか。
哲板に行け。
470 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 20:40:35 ID:/Ci74SMm
>>469 哲板飽きたから、ここで遊んでんだよ。(笑)
って、言うか仏教スレで
落ちに「神様」もってくんじゃねぇよ。
お前のレス読んでて、何か深いこと書いてあるのか?と期待したら
最後が神様でズッコけちまったじゃねぇか。
>>470 ただで楽しんでるのだから文句言うな。
期待はずれなら、あなたがみんなを楽しませてくれ。
万教は一、という美名のもと行われるのは、相互の違いを無視すること
違っている部分を誤りや単なる形式として処理することである。
はじめにメイン(本体)となる教義があって、他宗教の気に入った部分を
切り取ってぺたぺた貼っている。
473 :
一在家:2009/07/06(月) 21:17:05 ID:gxfZK7uq
「万教は元一つ」は同じ真理を時代や国によって色々な聖者が
説いているという意味です。
釈尊一人であっても、同じ真理を相手の機根に応じて方便で
説いていたそうです。(法華経の方便品第二に記載)
もう30年以上前ですが、「釈尊の教えを知るには原始仏教に、
イエスの教えを知るには原始キリスト教に元還るべし。」と
教わり、5年ほど前から少しずつ原始経典を読み始めております。
474 :
一在家:2009/07/06(月) 21:25:20 ID:gxfZK7uq
ゴルフに譬えてみましょう。
ゴルフコース(世界)にはいくつかのホール(真理)があり、
名プレイヤー(聖者、預言者)は確実にグリーンに乗せていきますが
アプローチ(説法)の方法は色々とあります。
各プレイヤーにはファンのギャラリー(信者)がいて、
「うちの先生が一番」と言い合っているのに似ております。
475 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 21:29:35 ID:/Ci74SMm
おいおい、キリスト教の最後の審判などを仏教に持ち込んだら、どうなる?
輪廻もくそも吹っ飛ぶぞ。
>>386 裏、とは言っても単に対抗馬を求めているだけでしょう。
キリスト教叩きに仏教を使ってみたが、仏教もキリスト教と
同じく都合よくいじることを許さない「不寛容」な面があると知ってしまったため、
今やキリスト教と同類になってしまった仏教を攻撃するものを求めました。
そこで竜樹に白羽の矢が立ったのです。
wikiでもまとめられてましたが、竜樹は輪廻を別に否定してませんでしたね。
「仏教を発展させた」という一点でしか持ち上げられないんじゃないでしょうか。
次に乗り換えるとしたら相手は誰でしょうね。
ところで、竜樹は自由にいじっていいよー、というスタンスでしたでしょうか。
仮にそうした記述があれば教えてください。
>>473 >違っている部分を誤りや単なる形式として処理することである。
>時代や国によって色々な聖者が説いているという意味です。
まさにそのまんまでした、の巻。
抑えておくべき事実(スポーツにたとえるなら「ルール」が適当でしょう)が
異なっているのに、同じスポーツ内のたとえにするあたり、不可思議でありますね。
これも、各信徒にとっては重要なことを、些細なことと軽視してなければ成り立たないものではないか。
というよりも、ある霊的ステージに上がるためのいち手段と割り切っている、とでも言えようか。
478 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 21:58:13 ID:qGPZq3pu
>>469 >いつの時代でも神は新鮮だろう。
それでは、哲学というより宗教。しかし、キリスト教とは異なり、「人間」の
意識内部に神を認めるのは、確かに新鮮。
識の分類に関して、とりあえず、
>>465の質問に答えていただけませんか。
これなら、哲学的。
479 :
偽本尊:2009/07/06(月) 22:02:16 ID:yCK5vFhk
>404
「アートマンが吸収される」なら、それは竜樹のいう自性ではありません。
竜樹のいう自性は、吸収されたり消滅したりしません。
神知学でいうアートマンが、あなたの言うとおりならば、仏教でいうアートマンと異なるものです。
480 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 22:03:10 ID:qGPZq3pu
481 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 22:05:14 ID:mfqOf2b7
>>456 >常住(根本識)を無常(アラヤ識・マナ識・意識)が知ること、これが悟りですね。
私は全く逆をイメージしてました。
意識 ← マナ識 ← アラヤ識 ← 根本識(魂・アートマン)
この矢印(←)の左側(識る対象)から右側(主体)へ後退していくイメージ。。
後退して、究極の主体へ落ちていくイメージ。。
無常とか空という概念は、一切の「識る対象」を示すための道具かも知れない。
この概念を使うことによって、偽の主体(識る対象)に同一化してしまう危険を
避けることができる。
「イエスは十字架にかかった(キリスト教)」と「イエスは十字架にかかっていない(イスラム)」
「仏陀は真理を説いた(仏教)」と「じつはヴェーダから悪人・悪魔を遠ざけるためにヴィシュヌが
仏陀に化身してペテンにかけました(ヒンズー)」は両立しない。
部分否定や裏話設定を駆使してすり合わせてみる?まさに誰得ですね。
483 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 23:09:08 ID:sHwcgayi
>>481 話が混乱し、丁寧さを欠いて誤解を与えたかもしれない。
瞑想を始め、深めていく過程はその通りであり、
意識→マナ識→アラヤ識→根本識へと落ちていくイメージでいいと思う。
しかし根本識まで入り込むと心が分裂し、
そのまま死んでしまう可能性がある。かなり危険な状態だろう。
運がよければ根本識が戻ってくる(明星来影す)のだが、
根本識を見ている識は、アラヤ識←マナ識←意識ではないかと思う。
484 :
旧7:2009/07/06(月) 23:18:17 ID:MhbWSzfL
>>482 しかし、
『宗教的大統一理論』の樹立は、「物理や宇宙論の分野での統一理論の希求」を遙かに凌ぐ、
魅力的で、甘美な誘惑に満ちたベクトルなのかもしれません・・・。
或いは、
慈愛の視線を持ち得た者が希ってしまう理想なのかもしれません・・。
それは、人々が出会う(或いは目にする耳にする)様々な悲しい出来事の解決を、(絶滅を)、期待させるものだからです・・・。
公園で子供を遊ばせながら、昨夜見たニュースに胸を痛める母親の優しさ(≒慈悲)と直結しているからです。
なぜ、認め合い、手を取り合うことができないのか? と・・・。
純粋に(政治的経済的)利害の問題であるならまだしも、
命を大切にするベクトルは同じであるべき宗教的問題に於いて、いがみ合わねばならないのはなぜなのか? と・・・。
そこには、たった一つの、最も重要な真理が、見つけられていないのではないか? と・・・。
それを蔑ろにしているのではないか? と・・・。
(この志向性を、問答無用に切って捨てることは、出来れば避けたいと思ってはいる・・。)
>>480 自分で瞑想して体験するのが一番いいのだけど、
誤解を恐れずに言えば、自分自身はそれぞれの識を移動して行き、
根本識に到って完全に対象化される。
>>483 も参考に。
瞑想はかなり危険なので順を追ってやるべきだろう。
1 理解レベル ・・・ 世尊の縁起を知る(竜樹の縁起は×)
2 体験レベル ・・・ 絶対的な「善」「正義」を知る←聖霊体験
3 瞑想レベル ・・・ 1と2が終了した後で行う←明星の悟り
唯識、瞑想の話をした目的は、
心には複数の識(意識・マナ識・アラヤ識・根本識)があり、
識のそれぞれに、色・声・香・味・触という感覚があり、
自分自身がそれらの識を移動し、
自分が自分を見る可能性があることを示すためである。
だから瞑想をすすめているわけではない。
未熟なうちに瞑想をやっても効果がないし、危険だと思う。
487 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 04:16:27 ID:LufymhUV
>>485 哲学者どころか、典型的な原始仏教カルトだったのですね。その悟りとは、
変性意識による快感という、あなたの精神的オナニーに過ぎない。
「自分を見出す」どころか、精神障害により「自分を見失った」姿ですよ。
「聖霊体験」とは、明らかにキリスト教の言葉だね。原始仏教カルトだから、
竜樹を嫌う。
やはり、宗教とは、取締りと治療の対象以外の何物でもない。人間の営みの
中で、唯一、人間の精神に極めて有害な営み。人為的な狂気の発生の営みです。
単なる、開祖の精神病の感染(感応精神病)です。
>>459に対する回答を考えて、あなたの論理矛盾と自己喪失を悟ってください。
488 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 07:26:56 ID:YQf/TrfH
>>466 >破壊と生成を繰り返すというのは相の話ですから、
>相自体はどうやっても無常でしかないと思います。
>破壊と生成の中にある限り無常。
そうだろうか?(オヤジギャグ 笑い)
その「相」をどう捉えるかに「悟り」があるのではないか?
「諸行は無常である」というのがひとつの観方だろ。
「諸法は無我である」というのがもうひとつの観方だろう。
相自体という実体はない、諸法実相は空という観方からは
破壊も生成もまったく異ならない。
物事の実相はは不生不滅である。これが中道の縁起だね。
おれが変性意識という言葉を使ってから
やたらとこの言葉が出てくるのだが、
変性意識なんて映画や2ちゃんのカキコに夢中に
なったって入る意識だから、別に珍しいものではない。
あと君は竜樹カルトに見えるよ。
490 :
偽本尊:2009/07/07(火) 08:06:48 ID:aGjwrL+Z
>481
>483
<識>というのは、何か(体)に附属する働きでしょう?
あなたがたは<根本識>が実体(魂、アートマン)だと思っているのですか?
刹那に生まれ刹那に滅するのは<識>のことですね。
働きだからです。
実体ではありません。
491 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 08:10:07 ID:YQf/TrfH
>>467 >2500年前では五感で感受できる世界を「色」として、それ以外を「空」
>と見なしたのだと考えます。
ぜんぜん、仏教から学んでないね。
色も空も何のことか理解もしてない。
2500年前の世界も現在の世界も宇宙年齢137億年から見ればたいした違いは無い。
仏教では人は五蘊の世界、すなわち「色、受、想、行、識」だという。
色だけが見える世界ではない。五感による世界はむしろ「受」の世界だろ。
そのほかにも思考による「想、行、識」の世界が考慮されている。
これらは意(こころ)による意識の世界だろ。
仏教でも五識による現実の世界だけが世界だなどとは思っていない。
「空」想の世界もまた世界では有る。
492 :
暁:2009/07/07(火) 08:12:59 ID:s9rqk7p+
変性意識下でのホメオスタシスフィードバックか
苫米地か(笑)
493 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 08:16:03 ID:qHvZ/rky
>>489 「変性意識状態(へんせいいしきじょうたい、英: Altered state of consciousness)
とは日常的な意識状態、睡眠状態以外の意識状態を指す、チャールズ・タート
の造語である。
変性意識状態は「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い、こ
の体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる。
その体験は精神や肉体が極限まで追い込まれた状態、瞑想や薬物の使用などに
よってもたらされるとされる。 また催眠等による、非常にリラックスした状態
を心理学上こう呼ぶこともある。」(Wikipediaより)
変性意識という言葉は、オウム事件の時に、精神医学者などによってよく使用された
ことを覚えている。
手元の精神医学の教科書や心理学辞典には、「変性意識」という言葉は見当た
らないが、要するに、精神医学でいう「意識障害」のことである。「意識障害」
とは、現実から隔絶した意識である。
映画を見ている時は、あくまでフィクションであることを自覚しているかる、
映画館を一歩出ると直ちに現実に戻れる。従って、一時的な現実遊離であり、
容易に可逆的である。
宗教の場合は、現実にあらざるものを現実であると確信するのであるから、その
変性意識は、不可逆的、または少なくとも半不可逆的である。
私は無宗教者、無神論者だから、竜樹は、あくまで現実界の万物に存在する
「相互依存性・関係性」の記述の一例としてあげただけ。現実と社会常識から
の離脱が無い限り、カルトとは呼ばない。
494 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 08:23:17 ID:YQf/TrfH
>>476 >「仏教を発展させた」という一点でしか持ち上げられないんじゃないでしょうか。
・・・というよりアビダルマの仏教理論を批判して仏教原理を確立したということが
中観の役割でしょ。もちろん中観はアビダルマの理論がベースとなっている。
そして、中観で批判されたアビダルマを発展させたのが唯識でしょう。
アビダルマの五位七十五法と唯識の五位百法はほとんど違いが無い。
中観も唯識も理論だけで「行」が無いから唯識はヨーガを取り入れた。
ところがこのヨーガなるものはヒンドゥー文化そのものだから結局
仏教を密教化しヒンドゥー教との習合を進めたのがインド大乗仏教派だろ。
結局インドにおいては仏教はヒンドゥー教に併合されて消滅した。
495 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 08:32:16 ID:qHvZ/rky
>>491 >「空」想の世界もまた世界では有る。
健常者は、現実の世界と空想の世界とを、その「五感の知覚」により区別
できるが、宗教者にはそれが出来ない。
人間が、いかに変化する自然(現実界)に対応して生存の努力を続けて
来たかについては、古生物学や古代史を学ばれたし。NHK高校講座の
「世界史」や「日本史」その他の科目は、そのままネットで何時でも見
られます。
496 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 08:40:51 ID:YQf/TrfH
>>487 >哲学者どころか、典型的な原始仏教カルトだったのですね。
なにを「原始仏教」というかにもよるが釈迦の生きていた時代
の仏教を原始ぶっきょうや根本仏教というなら、彼の仏教は
如来蔵を説く大乗の密教と思われる。根本識は如来蔵そのものだね。
大乗仏教でも如来蔵は仏教ではないと強く批判する人たちがいる。
とにかく釈迦の仏教は精神的には健康な仏教だと思う。
釈迦は瞑想を捨てて禅定(精神集中統一)により悟りを得たのだから。
瞑想による「悲想非非想処」も悟りではないと。
>>910 >そのような「コギト」が、西洋哲学の誤謬の根源。しかし、彼が「我あり」
>と言ったとき、我の身体も含めているのではないかね。
含めているわけがないだろうが。
場蚊ではないか。
何のための二元論なんだよ。
くっくっく。
変性意識か。
古いな。
ウィルバーやグロフの戯言だろう。
側頭葉てんかんでも起こしてもらえ。
涅槃に至るぞ。
くっくっく。
499 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 08:58:42 ID:qHvZ/rky
>>497 デカルトは、松果体のことも考えているぞw。現代では、笑い話だけどね。
500 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 08:59:49 ID:YQf/TrfH
>>484 >『宗教的大統一理論』の樹立は、「物理や宇宙論の分野での統一理論の希求」を遙かに凌ぐ、
>魅力的で、甘美な誘惑に満ちたベクトルなのかもしれません・・・。
そうかなぁ?
何で、そんなに何でもかんでもひとつに還元・統一したがるのかな?
宗教なら八百万の神、みんなで分業しあう和の神でいいじゃないか?
唯一神なんていうから争いが耐えない。
説法なら対機説法が最強だろ。相手に合わせて説明するのが説得の
為の基本話法だろ。
♪みんなちがって みんないい > みすず
501 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 09:11:39 ID:YQf/TrfH
デカルトの言い方にならうなら仏教は無元論だね。
デカルトは「物」と「心」を別の実体とする二元論だね。
だから結局心が身体をどうして制御できるのか?という
エリザベトの質問に答えることができなかった。
ある実体がべつの実体を制御できるならそれらは実体ではないからね。
中論に言うとおりだ。
一元論は「唯心論」と「唯物論」だね。
だからこれらの二論は平行関係で交わることが無い。
どちらが間違いということでもない。
無元論はもちろん実体は空=0という空論だね。
唯識も唯心ではなく識は実体ではないという空論だ。
現在の神経科学も意識の主体・実体はないという空論に
近づいている。
502 :
一在家:2009/07/07(火) 09:49:57 ID:4pNBCgNR
>>475 >おいおい、キリスト教の最後の審判などを仏教に持ち込んだら、どうなる?
>>482 >「イエスは十字架にかかった(キリスト教)」と「イエスは十字架にかかっていない(イスラム)」
イエスの語録とアッラーの神示とを比較すれば宜しいかと存じます。
イエス語録(Q資料)以外は後世の弟子が追加した可能性が高いからです。
特に「ヨハネ」の記載は注意を要します。
「自称イエスに愛された弟子」が洗脳3人組のボスの可能性があるからです。
「イエスは十字架にかかっていない」はアッラーの神示です。
「蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」と因果応報の法を説いたイエスが
「私の十字架で皆さんの罪・カルマは消えます」と説かれたと思いますか?
503 :
一在家:2009/07/07(火) 09:52:00 ID:4pNBCgNR
>>484 >『宗教的大統一理論』の樹立は、「物理や宇宙論の分野での統一理論の希求」を遙かに凌ぐ、
>魅力的で、甘美な誘惑に満ちたベクトルなのかもしれません・・・。(中略)
>を大切にするベクトルは同じであるべき宗教的問題に於いて、いがみ合わねばならないの>はなぜなのか? と・・・。
本物の旧7氏でしょうか? 一瞬、応身の菩薩かと思いましたよ。
504 :
宝珠愚者:2009/07/07(火) 09:53:18 ID:yo3deg6V
>>416 >無常の「アートマン」んなんかありえないちゅうの。
恒常/常住のアートマンというバラモンの主張は間違いであり、
アートマン自体は無常の縁起質に過ぎないと見なした可能性について、私はいっています。
『人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めて
いる。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続す
る有為法である。唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。』(p164)
アートマンは恒常ではなく、ニルヴァーナに到るまでの輪廻の主体であり、業を保持する媒体
であると。であるから、バラモンの説くアートマン観に同意しなかったのではないか?ということ
をいっているのです。
505 :
宝珠愚者:2009/07/07(火) 09:54:44 ID:yo3deg6V
>>417 「十難無記」「十四難無記」は知ってます。
それは基本姿勢であって、場合によっては例外的にいろいろ説いています。
ニルヴァーナの説明がない筈はなく(抽象的で不満ですが・・)、
涅槃は「不死」であると説いたのはゴータマです。
それがなんで、「自己の死は自分では認識できないだろう」という不可知論の話になるのです?
>>424 >2「涅槃によって真我に目覚める」と書かれているのかと言っているのです。
>この二つは「まったく別」です。
>質問は「2」に対してのものですから、2に対しての「近い表現」を出してください。
>
『そしてすべての煩悩の火が吹き消された状態が涅槃であり、そこでは理想的な智慧のはた
らきが顕在的にも潜在的にもなされるから菩提(悟り)といわれる』(p253)
涅槃とは“理想的な智慧(菩提)が働く自己”ということです。
他に、何か良い経文が見つかったらそのつど提示します。
506 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 09:56:45 ID:YQf/TrfH
「色相の文字はこれ応身なり」だね。www
507 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 09:59:42 ID:YQf/TrfH
>>504 >アートマン自体は無常の縁起質に過ぎないと見なした可能性について、私はいっています。
だから「アートマン」という言葉の定義を恣意的にかえてるなら議論
にならないちゅうの。べつの意味をつけたいなた「プータマン」でも
なんでも別の造語をすればよい。哲学とはそういう風にするもんだ。
508 :
宝珠愚者:2009/07/07(火) 10:00:53 ID:yo3deg6V
>>479 アートマンはバラモンの説くものとは本当は違う、
という意味でゴータマはバラモンの説くアートマンに同意しなかったのではないか?
という意味です。
>>442 >輪廻を終えた魂は神霊界に入ります。神、如来、菩薩と呼ばれますが、モナッドに吸収されて
>宇宙の原質に戻るとは伺っておりません。
モナッドは「個」(個の究極存在)です。
その状態に達した人を仏教では如来と呼んでいるのです。
>輪廻する必要がないのと、輪廻しないのとは意味が違います。
>輪廻する必要のない聖者達もミッションを持って再生する場合があります。
これについては何度も述べてきた通りです。
解脱者はカルマ(悪しき)による転生を止みますが、望めば再び母胎に宿ることも、
肉体の創造ですらも意のままであると最近も述べたばかりです。
聖なる目的で再び肉体を持つことを神智学ではアヴァター、
ヒンドゥーではアヴァターラ(神の化身)と呼称しています。
>>446 >ただし、輪廻しても魂の成長のない魂、霊界の掟を説いても改心(魂)する見込みのない魂、
>これらが強制的に神霊の力にて宇宙の原質に還されることがあると伺っております。
>
はぃ、知っています!
ただすみませんが、一在家さん。
あなたがいろいろと霊的な知識にとても詳しいことは私にも分りますが、
ここではなるべくスレの目的と“スレ題に沿って”、内容を絞ってお願いしますw
509 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 10:04:17 ID:YQf/TrfH
>>505 > それがなんで、「自己の死は自分では認識できないだろう」という不可知論の話になるのです?
「不死」の解釈に二つある、と断ってるだろ。
不可知論の不死はウィトゲンシュタインの立場でも有る、といってる。
これ以上何を説明すればいいのだ?
510 :
宝珠愚者:2009/07/07(火) 10:08:54 ID:yo3deg6V
>>414 >論を立てているのはそっちなんですから、
>立証義務があるのはそちらであってこちらではありませんよ。
>同じステージでモノを考えないでいただきたい。
「無我」とは“アートマンなどない”ということであり、ニルヴァーナ後においても我/自己
と呼べるものは何一つ存在しない、という意味であるとして主張しているのはあなた方で
はないですか!ですから、その根拠はどこにあるのか?と私は聞いているのです。
真言氏は一切は縁起であるから、アートマンのようなものはないのだと説明しました。
これには一様に皆さんも同意のようですが・・しかし、水野氏も『要語』の中でこれらは現
象界に限定する法であると明言しています。私と同一見解です。即ち、現象界を超越した
ところのニルヴァーナに、どうして縁起を理由にアートマン否定が通用するのか?その説
明にはなっていないでしょう。そもそも、このような矛盾の上に伝統を築いてきた伝統仏
教の側にまず立証/説明責任があります。求められれば、答える義務があります。
>そもそも神智学をソースにしている時点でソースを疑われるのは
>当然のことです。自分のやってることをまずは理解した方がいいと思います。
無我とはそんな意味ではないと水野氏も中村氏も主張しています。水野氏は無我は現
象界に限定する話だとしており、一切、及び一切法の適応意は原始仏教時代からは変え
られたのだといいます。中村氏も後代になって無我の意味は変わっていったといってるの
です。何れも一級の仏教学者の解説です。神智学ソースの話なんかではありません。
511 :
宝珠愚者:2009/07/07(火) 10:13:00 ID:yo3deg6V
>肉体亡き後かどうかはどうでもいいのです。
>輪廻中に我ありという思いがあるのはむしろ当然です。
>涅槃に至り、輪廻が終焉を迎えた後の話をしているのです。
私は何故、ニルヴァーナは「不死」の境地と呼ばれるのか?と聞いているのです。ゴー
タマは亡くなり舎利になりました。では、これはどういう意味だったのかの説明を願います。
>>415 「死ぬことは当たり前だ」というのは「無常」という現象界の性質についての理解のことで
あり、これは仏教の基本思想ということであって、これを知り理解さえすれば「ニルヴァーナ
/不死」であるというわけではありません。
ゴータマは、そんな「自己の死は自分では認識できないだろう」などという不可知論など
説かなかった。そうではなく逆なのであって、意識は死後をも継続するものであるから、肉
体死についての自覚は当然ある筈です。自覚できないという考え方は肉体死で全てが崩
壊すると見なす断滅論ということになってしまうでしょう。つまり、それは死とは断滅である
から死を認識する主体がないことになるからというものでしょう。
私がいつもいっていることは、「直接的にそのものを説いていなくても、それとして知れる
だけの内容があり、全体の教えから判断しても矛盾がない場合においては可能性として肯
定的にみなす」という意味合いです。ここであなたが主張したようなことは、ゴータマの全体
の教えからみても否でしょう。
>>425 >ここの部分はソースは神智学だと言ってるだけですね。
仏典の説明は曖昧で不明確な部分が多いからです。しかし、「コレのことだな、アレのこ
とだな」という程度には分るということをいっています。大人は子供の未熟な会話でもある
程度、「コレのことだな、アレのことだな」と察することができます。しかし、逆はそうであうる
とは限らない・・。
512 :
宝珠愚者:2009/07/07(火) 10:15:53 ID:yo3deg6V
>そんなものを根拠に、
>人に対して分っていないだのなんだのと見下した目線を向け続けているわけです。
それはどうもすみません・・。しかし、最終的な判断は結局、皆さん各自で自分で下すもの
なのですから、別に問題はないでしょう。何処へ行ってもいつも同じ意見と情報ばかりより
は意義があると思いますが・・。
>>426 >「矛盾しなければ正しい」ということ自体が論法として間違っています。
>矛盾が立証されていないことは、矛盾がないことの十分条件ではありません。
たしかにそうですね!ただし矛盾がない場合には、それイコールで正しいことの証明では
なくても、その大きな可能性としては重視され考慮されるべきです。
>他の人が常住を求めるのはおかしいとかいろいろ書いているのに
>ひたすら常住について書きつづけているだろうに。ご隠居並の記憶喪失ですか?
私が述べてきたことは、「アートマン(常住の存在)がない」とはゴータマは述べていないと
いうことであり、「それら(五蘊)はアートマンではない」と主張したと。常住が在り得ないのは
無常であるこの現象界に限っての話です。ニルヴァーナとは永久不滅、不死の境地であり、
恒常/常住の境地であるといっているのです。ただ、それがアートマンそのものであるなどと
は述べたことがない。寧ろ、アートマンは縁起で存在する輪廻の主体であるとゴータマは見
なして、バラモン思想に同意しなかったという可能性を上げているのです。恒常の自己が真
我(モナッド)であるが、ゴータマはそこまでは解説しなかったのだと・・。
513 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 10:17:35 ID:YQf/TrfH
>>505 >ニルヴァーナの説明がない筈はなく(抽象的で不満ですが・・)、
>涅槃は「不死」であると説いたのはゴータマです。
ニルヴァーナは認識できないことではなくむしろ自覚すること
だろ。ニルヴァーナについて釈迦が無記であったなど私は言ったことが無い。
むしろ仏典を見ればいくらでもニルヴァーナの説明がある、と仏典からの
引用までして説明した。
しかし、そのニルヴァーナの説明を釈迦はどのように表現してるかに
注意することは大事だね。
ニルヴァーナは中論に言われるとおり言葉を絶した自覚の境地だろう。
しかし、言葉で言わなくてはそのニルヴァーナの境地は示せない。
中論は言葉を否定してるのではない。
釈迦が無記だというのは「アートマン」「ブラフマン」「実体」というような
形而上学的概念についてだよ。
514 :
一在家:2009/07/07(火) 10:31:37 ID:ckLxEcMA
>>467 >2500年前では五感で感受できる世界を「色」として、それ以外を「空」
>と見なしたのだと考えます。
先のかきこを誤解している方がおられますので補足します。
釈尊自身が五感で感受できる世界を「色」と見なしたという意味ではありません。
2500年前に釈尊が法を説いた対象(凡夫、修行者、バラモン、他)にとっての
「色」とは五感で感受できる世界だったのであろうと推定したわけです。
「色即是空 空即是色」とは、皆さん(凡夫)が感受している世界は感受できない
世界の要素から構成されておりますよ、と分り易く釈尊は方便で説かれたのでしょう。
後の誰かさんが哲学的に定義した「空」とは同字異議だと読みます。
あくまで仮説にて、釈尊が「関係性」の方の「空」を説かれたのかも知れませんが、
普通のお爺さんとお婆さんに二つの仮説を聞かせて、何れが分り易いか尋ねてみて
宜しいかと存じます。
515 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 10:31:39 ID:YQf/TrfH
>>510 >水野氏も『要語』の中でこれらは現象界に限定する法であると明言しています。
>私と同一見解です。即ち、現象界を超越したところのニルヴァーナに、どうして
>縁起を理由にアートマン否定が通用するのか?
なるほど、そこであなたはひっかかってたのか。仏教は唯識であるということが
理解できていないようだね。
ここで「現象」といってるのが人の外部にある自然現象と思ってるでしょう。
仏教の「現象」は五識+意識の世界だね。だから現象も意識が捉える「法」です。
それを有為と捉えるか無為と捉えるかは修行次第でしょう。
516 :
宝珠愚者:2009/07/07(火) 10:49:37 ID:yo3deg6V
>そんなことを主張しても「アートマンがある」と言ったということの証明にはならないわけです。
もちろんそうです。私はゴータマが「アートマンがある」と説いたなどとは1度の主張していま
せん。今のところ唯一、長部経典の『自歓喜経』(和訳)が常住の存在を説いているように読
める、という話はしました。それだけです。
逆に、「アートマンはない」と述べた経文がないのに、無我とはアートマンはないことだと解釈
するほうが問題なのでは?これは後世の意味の改変であると中村氏は述べていますが・・。
>何故、ここにきてモナドが真実の自己になっちゃってるんですか。
>自分の意見が、その場その場で切り替わっていることに気づかないのですか?
私は明確さを記すためにモナッドが究極の自己であると述べています。これは突然ではなく、
前スレの最初期にもすでに述べていますよ。恐らく話が理解し難いだろうから、こちらとしては
遠慮して大雑把に話していたのです。ごめんなさいね!
517 :
宝珠愚者:2009/07/07(火) 10:51:15 ID:yo3deg6V
>>428 同じアートマンという語でも、ただの普通の言い方としての自己を意味するものでしかないと
いうことを、典型的な分りやすい事例として水野氏が上げたのが「如是我聞」なのです。これ
は、それだけのこと。
あなたが勝手に、大乗非仏説で私が大乗経典中の「如是我聞」は偽造であると以前に述べ
たことを引き合いに出してきたので、私は今はそういう話ではないといってるのです。まだ分り
ませんか?
>>466 >ブラフマンであれアートマンであれ、なんらかの性質を表わしているものは
>その性質に限定されている時点で常住たりえないんじゃないかと思います。
>性質が規定されているということは、その性質を持たないもの(他)があるということですから。
破壊と生成を繰り返すのは現象界であり、現象界を超越している概念がバラモン思想のブ
ラフマンやアートマンです。つまり、そこで説かれている性質は現象界を超越したものである
ので、その性質ではない他のものとは現象界のことになります。
>>505 > 『そしてすべての煩悩の火が吹き消された状態が涅槃であり、そこでは理想的な智慧のはた
> らきが顕在的にも潜在的にもなされるから菩提(悟り)といわれる』(p253)
> 涅槃とは“理想的な智慧(菩提)が働く自己”ということです。
「自己」なんてどこにも書いてないし、引用元は仏典でもないし。
妄想はいいから。
519 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 11:08:29 ID:YQf/TrfH
>>514 >2500年前に釈尊が法を説いた対象(凡夫、修行者、バラモン、他)にとっての
>「色」とは五感で感受できる世界だったのであろうと推定したわけです。
どうして、そんなに身分差別をしたがるのかな?
一切衆生を分け隔てなく平等に扱うのが仏法だろうに。
誰の世界も五蘊であり五蘊以外は無いのではないか。
誰にとっても(色・受・想・行・識)が世界の一切であり、それ以外に
世界は無い。これはサンユッタ・ニカーヤの経典として以前引用されてただろ。
ただそれを見る想いはいろいろだね。
だけど色つきではなく空とみなせ、というのが「色即是空」を説く非仏説といわれた
大乗の般若経典群だろ。
>>510 > >そもそも神智学をソースにしている時点でソースを疑われるのは
> >当然のことです。自分のやってることをまずは理解した方がいいと思います。
> 無我とはそんな意味ではないと水野氏も中村氏も主張しています。水野氏は無我は現
> 象界に限定する話だとしており、一切、及び一切法の適応意は原始仏教時代からは変え
> られたのだといいます。中村氏も後代になって無我の意味は変わっていったといってるの
> です。何れも一級の仏教学者の解説です。神智学ソースの話なんかではありません。
またこうやってトンチンカンな返答を返してくるわけですが、
神智学をソースにしているというのは前のレスまでの話で何度となく出てきている話でしょう。
結局あなたは仏典からのソースは持ってくることができず、
「神智学で言われていることと矛盾がないから仏教においても正しいと推測されうる」と思った上で、
自分が解った気分に浸り、人に対して「解ってないな〜」とか言い放ってる傲慢な人間なわけです。
あなたは水野氏や中村氏を持ち出してきますが、
彼らがコーザル体だのモナドだのを認めるとでもいうのかと。
恣意的な引用は慎んだ方がいいと思いますよ。
矛盾がないから正しいかもしれない、といってる時点でソースは神智学でしょうが。
「五里霧中でも、神智学的には信号は青だと思える。実際信号は青かもしれないし、
青であるとしても矛盾がないから、全速力で交差点を通過しよう」
というのがあなたのやってることなわけです。
こういう異常さをもった論理を振り回す人間にソースを求めるのは至極全うなことであって、
自分がソースを出せないからといって、伝統的な仏教の無我論とかにいちいち難癖つけてくるのはどうかと思いますね。
>>511 > 私は何故、ニルヴァーナは「不死」の境地と呼ばれるのか?と聞いているのです。ゴー
> タマは亡くなり舎利になりました。では、これはどういう意味だったのかの説明を願います。
輪廻することもなければ、もう生まれない。もう死ぬこともない。その意味で不生。不死。
生死を離れる、という言い方もする。
涅槃という言葉が、いわゆる「不死=永遠の生」の意味で使われた例を私はしらない。
> >ここの部分はソースは神智学だと言ってるだけですね。
> 仏典の説明は曖昧で不明確な部分が多いからです。しかし、「コレのことだな、アレのこ
> とだな」という程度には分るということをいっています。大人は子供の未熟な会話でもある
> 程度、「コレのことだな、アレのことだな」と察することができます。しかし、逆はそうであうる
> とは限らない・・。
あなたのいう「という程度には分る」というのは、という程度に分っていると思いこんでいる、としか
外部からは見えませんね。
不明確なものに勝手に色を塗りたくって、これが本来の仏教だというのは新興宗教の手口ですよ。
しかも典型的な、ね。
こういうやり口で、仏教とキリスト教を融合したり、チベット密教を融合したりして、
得体のしれないものを作っていくわけです。自分では何も悟っていやしないのにね。
522 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 11:50:41 ID:p6kLt4OH
どこまで続くぬかるみぞ、読むだけで疲れるw(‐‐)
妄想のぬかるみを楽しんでいる? それはヒマ人の変態ごっこだな。
アートマンが常住であるか、無常であるかと言う問いは「無記」だろうが。
無意味なんだよ。
くっくっく。
>>522 >どこまで続くぬかるみぞ、読むだけで疲れるw(‐‐)
釈尊は、そう言うこととが無駄だと言ったわけだ。
アートマンなどあってもなくても、関係ないんだよ。
くっくっく。
525 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 12:47:25 ID:1YMLZvoS
ttp://d.hatena.ne.jp/ajita/20090202 >現代人の価値観がへばりついた「自分」を横に置いて客観的に考える能力(如理作意)は、
>努力もせずに身に付くものではない。我々は自分自身の「考える」プロセスに潜むバイアスに警戒しながら、
>資料に即してものを調べる訓練をしなければならない。
>断章取義を勝手な思い込みでループさせて居丈高にくだを巻くくらい、酩酊したバカにもできる。
「現代人の価値観」を生命教や神智学ベースの宗教観に置き換えても成り立つ。
自分も肝に銘じておきたい。
526 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 14:11:15 ID:h1aJ1BSf
>>525 >資料に即してものを調べる訓練をしなければならない。
その「資料」なるものも、「当時の『現代人』の価値観」に基づくものに過ぎない
のだよ。宗教者は、何か勘違いしているのではないか。
527 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 14:22:04 ID:h1aJ1BSf
>>525 釈迦が、「当時の社会状態における、当時の人々」に教えたことを、
時代も社会も全く異なる現代に当て嵌めるのは、全くの誤りだね。
あくまで、「釈迦が現代に生きていたら、何を教えるか」を追求すべき
だろう。彼は、当時の最先端の「改革者」だったのである。その彼が、
「2500年前の教えの一字一句を、ありがたがって信じよ」などという
訳がない。
528 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 14:57:59 ID:1YMLZvoS
時代も社会も全く異なる現代(のそのまた一部)の価値観を
2000年以上も昔の人物に当て嵌めるのは、全くの誤りだね。
「釈迦が現代に生きていたら、何を教えるか」なんて論者の希望を投影しただけの
創作キャラを作ることにしかなら無い以上、無意味と言えるだろう。
それは事実がどうであったか推量する作業ではなく、
アレクサンドロス・ロマンスならぬゴータマ・ロマンス制作である。
>「2500年前の教えの一字一句を、ありがたがって信じよ」などという訳がない。
ttp://houjugusya.web.fc2.com/loop1.htm 便利だなこれ
529 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 15:06:40 ID:1YMLZvoS
改革者は自分の論が正しいと信じ込んでるから、既存の説に叩きつけるわけだ。
それはそれとして。
「現代に生まれた釈迦」という文からは遺伝上の親も人間関係も人生も違う人間が同一人物と呼べるのか、という問題が生じる。
それでも同一人物としたいなら、過去の仏陀と同一な部分を設定してやる方法がある。たとえば「魂」だな。
530 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 15:28:16 ID:1YMLZvoS
「魂」は体が死ぬと別の体で生まれるだけでなく、
ある体での人生を記録している場合がある、とされる、
またはその魂の転生をたどって過去世を見ることが出来る、という。
でもこれは識別票でしかないのではないか。死んでも他のものになるのは肉体の構成物も同じだ。
同じ腋毛の分子を持つ者と、同じ「魂」を持つ者に大きな違いはあるんだろうか。
我ながら「ミリンダ王の問い」っぽい話になってきた。
ttp://kusakai.jugem.jp/?eid=362
531 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 15:38:42 ID:1YMLZvoS
532 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 16:39:57 ID:h1aJ1BSf
思うに、佛教の「空(emptiness)」と言う言葉は、あまり適当でない。「空っぽ」
「虚ろ」「何も無い」「幻」などと誤解される。外国人は、「自分が無くなって
しまうのか」と恐れたらしい。
この世(現実界)は、人間の目に映じたものに過ぎないから、初めから「幻」
である。「本当に実在する」かなど、誰にも判らない。ゴキブリの目に映じたs
この世界は、人間が見ているこの世界とは似ても似付かぬもので、人間は単に
醜悪な動物にしか過ぎないかも知れない。しかし、人間は、その「幻」の現実界
以外では絶対に生存できないから、それを現実と「仮設する」「看做す」ので
ある。
従って、幻、空のこの世界こそが、「人間にとっては」、唯一の確固たる現実
なのである。
竜樹は、現実界のこのような実在を前提として、その実在の本質を突き詰めて
思考し、それが「相互依存・関係性」によって成立しているため、無自性である
ことを発見したのである。従って、縁起・空の訳語としては、「interdependence」
「relativity」などと訳語を当てるべきであろう。
533 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 17:06:35 ID:h1aJ1BSf
「縁起(causation)」という言葉も、また不適当である。「あれがあるから、これ
がある」を、一方向への時間的関係と解すると、それは、凡夫にも自明な、単なる
「因果関係」となってしまう。「あれ」も「これ」も実体だから、空などどこにも
でてこない。「縁起が悪い」などという俗的な解釈が生じてしまう。
ちなみにヒュームは、この因果関係さえ否定する。たしか、「反復する現象からの
推測」と言っていたように思う。こちらのほうが、仏教的である。
縁起の訳語としては、実在の成立のための極小時間の1点における空間的相互依存・
関係として,「spacial interdependence (relativity) of things at a fixed
point of minimal time」とでもすべきか。
>>532 竜樹・中論に関しては、このスレでだれかが言っていた、
テープをねじって両端をつなぎ、ある点から出発するとグルッと回転して
逆の面に出てしまい・・・という喩えがいい感じである。
この世の無自性を追求した挙句に、この世を自性の世界にしてしまった。
ご隠居も竜樹の幻術を見破ったようですね。
人間にとっては、の前提を外すのが目的だとは思わないのかと。
先入観で見続ける世界にいつまでいるのかと。
536 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 17:28:32 ID:h1aJ1BSf
>>534 確かに「無自性」では、誤解が生じる。諸物には、明らかに、それぞれの固有
の性質があるのだから。しかし、ある事物が「関係性の集合体」であれば、
その「固有の性質」も、「関係性の産物」に過ぎず、従って「自性はない」
と言っているのだと思う。
竜樹に洗脳された連中を空論者とみなしていたが、
空論者ではまだ不適切であり、幻論者の方がぴったりだと思いだしている。
言葉の使い方は難しいですね。
538 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 17:33:02 ID:h1aJ1BSf
>>535 >人間にとっては、の前提を外すのが目的だとは思わないのかと。
>先入観で見続ける世界にいつまでいるのかと。
「人間」が考えていることだから、いくらあがいても「人間」という前
提を外すことは出来ないよ。ゴキブリの世界のことは、ゴキブリに聞い
てみるしかないw。
539 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 17:42:11 ID:h1aJ1BSf
>>537 「関係性」の思想は、洗脳を解く最も強力な武器だと思うよ。何故なら、
「現実界とは何か」を分析・解明したのだから。このため、カルトは、
竜樹を必死で避けているのです。
自性があってもなくても、「関係性の原理」だけで充分だね。「関係性」
に思い至った宗教も思想も、古今東西、他には「皆無」なのだから。
>.536
中論第一章第一句
「もろもろの事物はどこにあっても、いかなるものでも・・・あることなし。」
これが幻術師・竜樹の立場である。この世の事物はないのですね。
しかし実は、この宇宙は自性そのもの、有であるとも言う。
無自性がきわまるところに自性があると。
541 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 17:50:23 ID:h1aJ1BSf
>>540 >この世の事物はないのですね。
全体的な思想としては、そんなことは言っていないのだと思う。厳然たる
実在であるからこそ、彼の思考の対象になりえたのですよ。「この世の
事物がない」のなら、あらためて空を論じる必要もないし、そもそも、
縁起・空を論じることは不可能なはず。思考の対象が無いのだから。
542 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:01:41 ID:h1aJ1BSf
どこの宗教でも、「自分の幸せ」「自分の救い」「自分の悟り」「自分の
解脱」を説くだけで、「他者へのまなざし」は、皆無か、希薄である。
人間も、他のすべての動物も、「本質的に共同体的存在」ということに
思い至っていない。ニーチェでさえも、その自覚が殆どない(僅かに触れ
てはいるが)。
大乗仏教は、小乗仏教のその点についての批判から発生したものである。
大乗が、「利他」という他者の概念を導入したことは、巨大な進歩だと
思う。「他者へのまなざし」があるかないかで、全体の思想は一変する
のである。「他者」や「生命」に思い至らない宗教や思想は、すべて
欠陥品だと思ってもよい。
543 :
偽本尊:2009/07/07(火) 18:02:10 ID:aGjwrL+Z
>504
>508
輪廻の主体を認める仏教学派もかつて存在しましたね。
犢子部および正量部といいます。
彼等は、輪廻の主体をアートマンではなくプトガラと呼んでいました。
>>539 この現実は立体的(三次元)なものであり、
これを言葉という平面的(二次元)なもので語りきることは不可能である。
ある観点、たとえば唯物論で現実を割り切ることはできないだろうし、
反対に観念論で割り切ることもできない。
現実は二義的、あるいは多義的である
言葉よりも、映像(夢・魔境など)のほうが真実に近く、
抽象的な議論よりも、たとえ話のほうがより真実に近いだろうと思う。
言葉よりも映像のほうに値打ちがある。
545 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:03:13 ID:0sS8S/4d
関係性の構成要素と構成過程からして異なる仏陀aと仏陀bは果たして同一人物と言えるのでしょうか?
546 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:15:35 ID:YQf/TrfH
>>545 >同一人物と言えるのでしょうか?
なにをもって同一人物と認めるのでしょうか?
DNAのゲノムが一致することでしょうか?
それなら同一人物などありえないのではないでしょうか?
>>543 偽本尊氏は、アンカーのつけ方を変えたほうがいい。
そうしないと自己中なやつだと、あなたの人柄を誤解されると思うよ。
あなたは楽だろうが、見る側は >xxxだと不便だ。
見る側にしてみれば、>>xxxにしてほしい。
548 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:22:23 ID:YQf/TrfH
>>547 >見る側にしてみれば、>>xxxにしてほしい。
そうだね。おなじサンガのなかでは従う律=規則は
同じにして欲しいね。
単に>と>>の区別を知らないだけかも知れない。
でも石頭コンピュータにとっては>と>>はまったく
みず知らぬの他人なんだよね。
コンピュータのプログラム書いた経験のある人は
すぐわかるけどね。
549 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:25:46 ID:YQf/TrfH
>>543 >犢子部
・・・ってちゃんと漢字変換できるんだ。
どやってやるんだろ?牛偏でひくのかな?
>>542 >大乗が、「利他」という他者の概念を導入したことは、巨大な進歩だと
>思う。「他者へのまなざし」があるかないかで、全体の思想は一変する
>のである。「他者」や「生命」に思い至らない宗教や思想は、すべて
>欠陥品だと思ってもよい。
大乗の「利他」は檀家をたぶらかして布施を巻き上げる口実ですよ。
僧侶たちは自利であり、毎日僧坊で妄想にふけっている。
関係性・空からは、他者へのまなざしや思いやりは出てこない。
関係性からは関係性、空からは空が出てくるだけ。
これが太古からの心の真実でしょう。
551 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:48:18 ID:YQf/TrfH
>>542 >どこの宗教でも、「自分の幸せ」「自分の救い」「自分の悟り」「自分の
>解脱」を説くだけで、「他者へのまなざし」は、皆無か、希薄である。
バカか?修行のひとつとして戒律を守るという「持戒」がある。
たとえば、一切の衆生の命を絶ってはいけない、という不殺生戒は自分だけの
命を対象にしてるのか?そうではあるまい。
また盗んではいけないという不盗戒は自分のものなら盗むとはいえないだろ。
うそを言ってもいけないも同様だ。すべて他者へのまなざしが戒めとなっている。
持戒はそのまま他者の利益となるのだ。
不殺生戒が徹底されるだけで世の中から殺人や戦争が無くなる。
こんな利他があるだろうか。
552 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:54:48 ID:YQf/TrfH
>>534 >この世の無自性を追求した挙句に、この世を自性の世界にしてしまった。
メービウスの帯を提案したのは俺だ。
しかし、ぐるっと回っても表だけしかない面であるのがメービウスの帯だ。
つまり、表だけで裏が無いということは自性が無いということだ。
自は他があって成り立つ。これが相依の縁起だ。わかった?
自だけでは自性はうまれない。それは空性だ。
553 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:58:25 ID:SJpA5G1a
>>541 >>この世の事物はないのですね。
>>540 >「この世の事物がない」のなら、あらためて空を論じる必要もないし、そもそも、
>縁起・空を論じることは不可能なはず。思考の対象が無いのだから。
この文章には100%同意しますね。
この現実を言葉で消してしまうのが、幻術師・竜樹なのだと思う。
554 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 18:59:50 ID:YQf/TrfH
>>530 >「魂」は体が死ぬと別の体で生まれるだけでなく、
だから、その「魂」とやらはどういう手段や媒体を使って別の体に
生まれるのだ?それが説明できないだろ。プドガラか?www
555 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 19:00:01 ID:h1aJ1BSf
>>545 釈迦aも釈迦bのいずれも、関係性の集合体だから、自性はない。従って空で
ある。
関係性の構成が異なれば、その人物の性質も異なってくるから、同一人物など
ありえない。
たとえクロー人間であっても、脳を初めとする諸器官は別々に発生するのだから、
同一人間ではない。外見が似ているだけである。同一性は、経験の記憶によって
定まる。クローン人間では、脳は新たに発生するものであり、親の記憶は消去
されているから、外見がそっくりでも、同一人間ではない。
556 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 19:05:18 ID:YQf/TrfH
>>53 >自性があってもなくても、「関係性の原理」だけで充分だね。
その「関係性の原理」ってなんなの?
「関係性」にも「無関係性」がなければ縁起しないと思うけどね。
>>552 違うな。立体を平面、つまり言葉で論理的に追いかけていくと、
表が裏になってしまうということだ。
これが竜樹の誤り。
558 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 19:08:40 ID:YQf/TrfH
>>540 >しかし実は、この宇宙は自性そのもの、有であるとも言う。
>無自性がきわまるところに自性があると。
中論のどこでそんなこといってたの?
559 :
偽本尊:2009/07/07(火) 19:15:28 ID:aGjwrL+Z
>>547 これは、ご指摘ありがとう。
上のアンカーは大丈夫でしょうか?
>547
このアンカーが文字化けするなら、おそらく、SHー04Aのブラウザの問題なのだと思う。
わたしのブラウザ上では、間違いなく半角を入力していて、再表示上もただしくアンカーが有効になっています。
560 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 19:15:45 ID:YQf/TrfH
>>544 >この現実は立体的(三次元)なものであり、
相対性理論ではこの現実を時空連続体の4次元世界とするね。
三次元では空間しか表現できない。
>これを言葉という平面的(二次元)なもので語りきることは不可能である。
言葉は多次元を表現できる。マトリックス表現を知らないか?
言葉よりも、映像(夢・魔境など)のほうが真実に近く、
抽象的な議論よりも、たとえ話のほうがより真実に近いだろうと思う。
言葉よりも映像のほうに値打ちがある。
釈尊にしろ龍樹にしろ、自性という、有の立場を否定したのではないでしょうか。
つまり有というアートマン(自我)をはなから拡大解釈として、悪しきものと、
つまりバラモン教の自我による輪廻解釈(カースト・四姓)を悪しきものとして
いたということでしょう。だから釈尊の思想はそうした両極端の悪しきものから
去って中道に入れということではないでしょうか。
無常(無我・空・縁起)であるならば、バラモンもクシャトリアもヴァイシヤ、シュ
ードラも、そうした悪しきバラモンの輪廻観から断ち切れるのであって、そこか
ら、正しい仏道に入れるわけであり、そして梵我一如に到れるというのが悟りな
のであります。
563 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 19:21:13 ID:YQf/TrfH
>>559 >上のアンカーは大丈夫でしょうか?
大丈夫です。ただしく元のレスに飛びます、飛びます。www
564 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 19:23:31 ID:YQf/TrfH
>>561 >帰敬序の八不だけど?
八不のなかに自性、無自性などないのだが・・・。
空不空すらない。
>>564 無自性が消滅したから、自性なのではないだろうか?
自性が縁起していたら自性ではない。
566 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 19:35:25 ID:SJpA5G1a
>>560 >言葉は多次元を表現できる。マトリックス表現を知らないか?
それなら枝豆を多次元で表現してみてください。
567 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 19:41:45 ID:YQf/TrfH
>>565 >無自性が消滅したから、自性なのではないだろうか?
無自性は自性の否定だから無自性の否定は自性ですね。
真偽の二値論理によるかぎり。無自性の消滅と無自性
の否定は同じ論理操作ですか?
いずれにしろ帰敬序の八不にはないですね。
>>555 つまり「現代に生まれた(生きる)仏陀」はゴータマ・シッダールタではあり得ない。
生まれてくる時代・場所が異なる時点で(ゴータマ・シッダールタと)同じ関係性など出来ようがないので
「釈迦が現代に生きていたら、何を教えるか」という仮定は意味をなさない。
569 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 20:00:40 ID:SJpA5G1a
>>567 無自性の否定でも消滅でもかまわないけど、要するに「この宇宙がある」わけだよね。
それとも竜樹は、「この宇宙がない」とでも言っているのだろうか?
竜樹が「この宇宙がない」と言っているなら考え直してもいい。
この世はあるかないかのどっちかだよね。
570 :
偽本尊:2009/07/07(火) 20:14:48 ID:aGjwrL+Z
>>569 有と無の二辺を離れて、中道を説きました。
一切(宇宙)は空である。
571 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 20:15:44 ID:YQf/TrfH
>>569 >この世はあるかないかのどっちかだよね。
あるかないかの問題ではなくどのようにあるか、という
問題ではないでしょうか?
572 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 20:21:32 ID:YQf/TrfH
>>570 >有と無の二辺を離れて、中道を説きました。
ですよね。
そろそろ「偽」をはずして本尊を名乗ってはいかがかな。
うちの本尊はたんなる掛け軸だけどね。
「色相の文字はこれ応身なり」とかいうのだそうだ。
仏教は奥が深い。
>>570 不生不滅とはいったい何が不生不滅なのか?
生まれないなら変化することもなく、滅しないなら変化することもない。
まさに常住の自性そのものではないか。
574 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 20:36:48 ID:SJpA5G1a
>>572 あなたにはぜひ、これに答えてほしいですね
>>560 >言葉は多次元を表現できる。マトリックス表現を知らないか?
それなら枝豆を多次元で表現してみてください。
575 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 20:39:27 ID:YQf/TrfH
>>553 >この現実を言葉で消してしまうのが、幻術師・竜樹なのだと思う。
言葉で存在を消すことも、言葉で存在を生み出すこともできない。
これが不生不滅の縁起だろう。
576 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 20:42:03 ID:YQf/TrfH
>>574 >あなたにはぜひ、これに答えてほしいですね
「次元」という言葉を理解すれば自分で答えられるだろ。
明日までの宿題にしておく。
577 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 20:44:57 ID:SJpA5G1a
>>571 >>この世はあるかないかのどっちかだよね。
>>569 >あるかないかの問題ではなくどのようにあるか、という
>問題ではないでしょうか?
この世があるから、どのようにあるか、も語ることができる。
この世がないなどというバカ者はいないと思うけど、
万が一のために確認しているのだ。
578 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 21:00:00 ID:YQf/TrfH
>>577 >この世がないなどというバカ者はいないと思うけど、
そのように解っているならどのようにあるかだけ語ればよかろう。
579 :
一在家:2009/07/07(火) 21:43:15 ID:4pNBCgNR
言葉で多次元を説明してみましょう。
100階建てのビルがあり、各フロアーで人々が働いております。
各階の床は半透過の鏡で上の階からは下の階の様子が見えますが
下の界からは上の界の様子は見えません。
二次元的には人と人が交差するように見えますが、フロアー違い
なのでぶつかることもありません。
以上は私が教わった神霊界を自分なりに考えてみた譬えです。
580 :
旧7:2009/07/07(火) 21:58:53 ID:oEgt3csW
581 :
旧7:2009/07/07(火) 21:59:39 ID:oEgt3csW
>>407 簡潔に言おう。状況はこうだ。
・「“アートマン”は無い」と明確に言われているわけではない。
・「“アートマン”でない」と言われるものの属する領域が、我々の知覚認識できる領域である。
・その領域の外が無記と言われる。(・・・カラス氏は、ここに大きく異を唱えるんでしょうが・・・。)
・上記3つから、「アートマンと呼べるもの(アートマンであるもの)は無い」こととなり、
「(諸法)無我」という言い方が許容される。(ちなみに、上での“領域”は「空間的・場所的」なものではない。念の為w)
・・・(これは
>>516 >逆に、「アートマンはない」と述べた経文がないのに、
無我とはアートマンはないことだと解釈するほうが問題なのでは? への返答。)
・“涅槃”はasaNkhataと言われる。 「saNkhAra」ではない。 生じるものでなく、また、滅するものでもない(≒縁起しない)。
・“涅槃”は、「全てが止滅された」「寂静」だと言われる。 境地(≒ThAna)とも言われる。
・ウダーナや如是語では、涅槃とはこれこれこういうものです、と述べられる。
・“涅槃”は、その多くが「否定の形(≒消去法)」で説明される。(つまり、「saNkhAraでないもの」ということ。)
・“涅槃”は、(行じ、完遂すれば)直ちに見られるものである。
・四諦にまとめられるように、そのような(苦の滅という)“境地”がある。
・《よく統御され、調えられ、日々の拠り所とされる「自己」》と《古来より伝統的に言われる「アートマン」》との同異は
明確にされていない。 寧ろ、文脈的には異質であるように見受けられる。
・その《日々の拠り所とされる、洲(島)とされるべき「自己」》は、大切にされねばならない。全ての行(修行)の基本となる。
・“涅槃”に関して解説される際、所謂「アートマン」との関連には触れられていない。
さて、≪ 「涅槃」=「アートマン」 ≫や≪「アートマン」の存在を知ること≫や≪自身が「アートマン」であることに気付くこと≫
が仏教である、などと、どのようにしたら見えてくるんでしょうね・・・w
582 :
神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 22:15:30 ID:h1aJ1BSf
>>568 >「釈迦が現代に生きていたら、何を教えるか」という仮定は意味をなさない。
ならば、「現代人」が仏陀を信じることもできないわけだ。当時とは社会が
全く異なっているのだから、釈迦の教えは、すべて妥当性を失っていることに
なる。
>>582 「ならば」って何?
単に現代(仏陀当時より過去でも良い)には、ゴータマ・シッダールタ本人は
存在し得ないということでしかないわけだが。時代遅れ、とかそんな話じゃねー。
同じ地域・文化でも同じにはならない。数年の違いでも、住む場所がほんの10キロくらい
ズレてるだけだとしても同じにはならない。親が違えばなおさらだ。
出会う人間が違い、起こる出来事が違い、そうして人格形成も異なってくるからね。
>>542 「他者」の発言や気持ちを無視し、自分の意見をゴリ押しする者には
他者へのまなざしがあるとは言えない。
「他者」と交わした会話を忘れ、毎度同じことを繰り言のように発言する
者は、他者との関係性を重視しているとは言えない。
こういう人間が、他者へのまなざし、他者との関わりなどと言っても
まったく空虚であって内実が伴っていない。
585 :
旧7:2009/07/08(水) 00:44:20 ID:EUxY0AlK
586 :
旧7:2009/07/08(水) 00:45:08 ID:EUxY0AlK
>>511 >ゴータマは亡くなり舎利になりました。では、これはどういう意味だったのかの説明を願います。
だから、入滅は般涅槃と言われ、
「不死」と形容される(評される)“涅槃”とはどういうものなのか(ことなのか)が重要となるのです。
(※「般涅槃」という語を別に用意せざるを得なかった理由もね・・・。)
なぜ、サンカーラでなく、アサンカタであり、縁起して生じるものでない、と言われねばならないのか・・・。
そして、形容の仕方(表現の為の語のバリエーション)の多様性を気にするべきです。
おそらくここに、最も重要なポイントがあるだろうと思う。(→それは、「自ら行じ、見るしかないもの」であるだろうが・・・。)
≪「不死」なのに「死んだ」≫。
このことの重要性(→《「不死」とは、『「一般的生死に於けるような“死”」が無い』ということでない》)
に思いを馳せることは必要だとは思います。
また別な観点として、
【既存の古典的言い回し】が【表現の美しさ】として援用されている可能性を、誰が否定できるのでしょう・・・。
それにな・・・
『 >これはどういう意味だったのかの説明を 』 と、
“ここで”《意味》を求める時点でオワットルわw
おやすみ ノシ
利他って「小乗」にもあるじゃなーい。
記憶がぽろぽろこぼれ過ぎだろう。
「大乗」の利他なんて、仏教叩きの目的が無かったら
「観念の肥大」とか「偽善」として処理してたもんだろ?
深く勘ぐりすぎているのかもしれないが、永遠の生命は
あるということだ。
さまざまな真理がいろいろなかたちで説かれているわけだが、
結局は永遠の生命を持っていることに気づくことであり、
さすれば八正道などは不要となるのだ。
そして人間は仏の子であるのだ。
「大乗は小乗が行っていた利他に気づけなかった」
「小乗で救われないと嘆く人々の悩みに付け込み、
その欲求を満たしてやる形で大乗は新たなドグマを刷り込んだ」
「耳に良い甘言を吹き込まれた結果、実際に救われているのか、
悟られているのかが有耶無耶にされてしまった」
「大乗は他者に眼差しを向けている、広く門戸を開けている、という優越感に浸ってしまった」
いくらでも言い様はあるな。
590 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 05:53:52 ID:YbiWiEwy
>>583 「利他」は、小乗の「絶対性」や「利己主義」からは出てこない。自己の絶対
性から外れる者に対しては、利他はありえないからだ。キリスト教の「隣人愛」
が、キリスト教徒に限定されているのと同様である。
普遍的「利他」は、「相互依存性」「関係性」「相対性」の自覚からのみ生じ
うる。
それに、日本は大乗仏教の国だが、君たちは、どこの国の人?
>>590 絶対性が大乗に無いとでも?いくらでもいじっていい、という記述が
大乗仏典にあるなら出してみろ。「小乗」仏典に手を出すことを
魔事と呼んで牽制するモノに「利己主義」が無い?
「小乗」対してやってる下種の勘繰りを「大乗」に対しては都合よく麻痺させてるだけだろうが。
あんたも目的さえ違えば、大乗を「自意識過剰」で「傲慢」と呼んでいた事だろうよ。
>それに、日本は大乗仏教の国だが、君たちは、どこの国の人?
日本人だがそれがどうした?タイ人だったらスリランカ人だったら中国人だったら
韓国人だったらミャンマー人だったら何と返すつもりだ?
まさか、国に帰れ、などと低脳発言するつもりじゃないだろうな。
主張の内容が問われる場所で、ここまで低劣な嫌味イチャモンを
何度にも渡って吐ける精神を疑うわ。
民族を理由に批判を揶揄し封じようとする発言……
全くもって「相対性」の欠如以外の何物でもないな。
まあ、単に手口が姑息、とも言えるが。
>それに、日本は大乗仏教の国だが、君たちは、どこの国の人?
このくっだらないレスをした人間の実年齢が知りたい。
593 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 08:34:32 ID:M2eEse7o
で、結局「仏陀はアートマンを説いたか?」
これの結論は?
肯定派が論証失敗でケリか?
594 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 08:42:21 ID:mbxv6pN+
昔から「仏法は無我にて候」といわれている。
595 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 08:50:06 ID:mbxv6pN+
>>581 >・“涅槃”はasaNkhataと言われる。 「saNkhAra」ではない。
>生じるものでなく、また、滅するものでもない(≒縁起しない)。
まず、「saNkhAra」ではない、は「asaNkhAra」ではない、の間違いではないですか?
それから、(≒縁起しない)は中論の縁起を肯定しない、ということですか。
中論ではその帰敬序にあるとおり「不生不滅・・・」の八不の縁起であり、それは
涅槃と同じだ。だから涅槃と輪廻はなんら異ならない、という論理だと思うが・・・。
596 :
宝珠愚者:2009/07/08(水) 08:55:49 ID:quxTktNY
>>518 >「自己」なんてどこにも書いてないし、引用元は仏典でもないし。
>妄想はいいから。
否定されるのはご自由です・・。しかし、常識的に判断して文意を当たり前に理解でき
ないのはあまりにも不自然なことです。“智慧が働くのは誰なのですか?”そんなことは
書かれてなくても他人の筈がないであって、自分自身である自己に決まってるでしょう!
当然、涅槃に到達した自己に働く智慧のことですよ。それが理想的な完成された仏教が
求めている究極の自己のことです。
これは涅槃で初めて顕現する自己(の状態)なのですから、それを真我(真実の自己/
本体/本性)というのだと、私はいってるのです。
まっ、いいです・・。“あなたの信仰”はあなたのご自由です。何も私はそれを破壊する
意図など全くありませんから。
>>520 >あなたは水野氏や中村氏を持ち出してきますが、
>彼らがコーザル体だのモナドだのを認めるとでもいうのかと。
>恣意的な引用は慎んだ方がいいと思いますよ。
彼ら仏教学者たちが神智学を肯定しているかどうかなどは全く関係がありません。これ
は彼ら自身による研究の成果から“無我の教えは変えられたのだ”と主張している、とい
う話をこの私は提示しているのです。
それをたまたま神智学徒であったこの私が指摘しているだけのことですよ。まるで何か神
智学の話のせいにしたがっているようですが・・誤魔化しは辞めたほう宜しいかと思います。
597 :
宝珠愚者:2009/07/08(水) 08:57:23 ID:quxTktNY
>伝統的な仏教の無我論とかにいちいち難癖つけてくるのはどうかと思いますね。
このスレが進行するほど、「無我」の伝統解釈についての怪しさが浮き彫りになってきて
いるように思いますが・・。それとも何か、伝統解釈を補強するような材料は出てきましたか?
>>521 >輪廻することもなければ、もう生まれない。もう死ぬこともない。その意味で不生。不死。
>生死を離れる、という言い方もする。
>涅槃という言葉が、いわゆる「不死=永遠の生」の意味で使われた例を私はしらない。
>
あなたはまさか断滅論の信奉者ではないでしょうね??この説明からはそのように映っ
てしまいますが・・いいのですか?「永遠の生」などといういい方は肉体の永続という誤解
を招くものです。舎利と化しても「不死」と呼ぶのはどういうわけであるかをあなたは理解
していますか?と、私は聞いたのですよ。
もう、繰り返しループ状態になってきたようなので、取り合えずこの辺で一端、落ち着きた
いと思います。そして、あなたからも指摘されているように、更に補強材料を得たいと思う!
598 :
宝珠愚者:2009/07/08(水) 08:59:13 ID:quxTktNY
>>581 さすが〜旧7さんらしい投稿になってきましたね!
>さて、≪ 「涅槃」=「アートマン」 ≫や≪「アートマン」の存在を知ること≫や
>
>≪自身が「アートマン」であることに気付くこと≫ が仏教である、
>などと、どのようにしたら見えてくるんでしょうね・・・w
私は、≪「涅槃」=「アートマン」≫とは主張していません。その可能性もあるかもしれ
ませんが・・アートマンとて縁起存在であり、涅槃の段階で消滅するものであるとしてバ
ラモン思想のアートマンに同意していないのではないか、という仮説をあげているところ
なのです。
「それら(五蘊)はアートマンではない。アートマンではないものを自己と同一認しては
ならない」とゴータマが繰り返しているということは、逆にいうと「アートマンであるものを
アートマンであるとして正しく見なさい」という意味に解釈することも可能となります。そう
いうことを中村氏は述べており、そういう意味では≪「アートマン」の存在を知ること≫は
正しいゴータマの教えであるのかもしれません。≪自身が「アートマン」であることに気
付くこと≫という見解さえも、その延長としては可能でしょう。ただし、本当にそうである
かは、現時点では確認が困難な状況です。
ややスレ題とはニュアンスは異なりますが、ニルヴァーナが“永久不滅の境地”である
ということを示すことができさえすれば、私としてはアートマンの有無、及び自己がアート
マンなのかどうかは仏典的には二の次でもいいのです。ていうか、それはまた次の段
階ということで構いません。
599 :
宝珠愚者:2009/07/08(水) 09:03:26 ID:quxTktNY
>>585 >(まさに、貴方自身が、
>
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1244362051/533に於いて、
もちろんその通りですよ。しかし、ただの世俗における普通の使われ方の意味
でも通じてしまうような呼称、「微妙」「安穏」「清浄」などという同義語に注目したと
ころで、それは世俗の観点とは決定的に異なる涅槃の特徴を明確に示す呼称と
はいえないでしょう。
ここで「不死」とも呼ばれるという点に注文すべきなのは当然のことです。それが
肉体的な不死を示すのか、そうでないならば肉体死の果てにある「不死」とは何の
不死か?ということです。これが決定的に世俗的な観点を超えた涅槃を示そうとし
ている意図の呼称であることは明らかです。以上の理由により、他の同義語とは
同列扱いしないのです。
>>568 >“ここで”《意味》を求める時点でオワットルわw
これは重要な点なのでこの部分をボカさないよう
>>409で皆さんに問うているのです。
私が解らないからではなくて、仏教者らの理解を明らかにしてもらいたいからです。
>【既存の古典的言い回し】が【表現の美しさ】として援用されている可能性を、
>誰が否定できるのでしょう・・・。
そういうのが誤魔化し・・なのですよ。
ゴータマはハッキリと「肉体はあなたの自己ではない」といった。
要するに肉体生命が自己ではないことを自分で自覚できる境地のことですよ。
そうなった時に初めて人は肉体死を超越したことになるのです。
それが「不死」の境地です。
600 :
一在家:2009/07/08(水) 09:12:22 ID:QFmS/gRY
「常住」か「無常」かで連日議論が行なわれております。
ここに私は「限りなく常住に近い」存在を仮説します。
つまり「関係性の法を受けにくい」存在となります。
仏、神は「常住」または「限りなく常住に近い」存在となりますが、
何れかは人知では分るはずもなく、無記でも宜しいかと存じます。
同じく「無常」の中でも、関係性の法を受け易い存在、変化し易い
存在と、そうでない存在とがあります。
引力の法を受ける量子と、受けない波が、アナロジーとして理解し易いと
存じます。
「魂」や「アートマン」は「脳」や「体」に比べて寿命が長く、
「常住に近い」存在だと設定しても認識上での自由でしょう。
同じ「体」であってもDNAは再生を繰り返す細胞と比べて「常住に近い」
存在ですから、アナロジーとして理解し易いと存じます。
「限りなく常住に近い」存在も「常住」と見なして、人格の完成を目指して
日々の精進を行なううちに、菩薩心も人類愛も醸成されていくと思います。
そして「常住に近い」アートマンが正しく人生を導いてくれるかと信じて
おります。
601 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 09:21:35 ID:M2eEse7o
なんだ、結局は「私はあると信じたい」という信仰告白か?
ここは、論証を行うスレだろ?
602 :
宝珠愚者:2009/07/08(水) 09:43:52 ID:quxTktNY
>>515 唯識論は大乗の教理なのでこのスレでは扱いません。
また、「法」とは原始仏教では元々、現象界の性質を限定して示すものでありましたが、
それを無為も含めるようにしだしたのは部派仏教であった、
と水野氏は『要語』の中で述べています。
従って、
私はいわゆる「諸法無我」とは、この現象界に限っていると主張します。
これは五蘊は我ではない、五蘊には我は無いということです。
つまり、ニルヴァーナはその適応外なのです。
>>412 アートマンとは、俗に言われる輪廻の主体である魂とは違いますよ。
むしろ魂の解消の先にアートマンはあるのですよ。ゴータマは君らのように
ヴェーダに説かれているアートマンとは、魂のことだと誤謬した当時の
バラモンの教えを正したのであって、アートマンそのものは否定していませんよと、
これまであれだけわかりやすく、簡単な言葉で教えてあげているのに
いつまでたってもこういう池沼が現れるんだな。こういう智慧遅れには、アートマン
の話は難しすぎて、理解不能らしい。こういう智慧遅れは、アートマン、真我とくれば
永遠不滅の魂とイコールで、それは違うんですよといくら教えてあげても
理解不能らしい。そんでもっていつまでたっても、アートマン、真我といえば
それは永遠不滅の魂のことだと能書き垂れるから、困ったものだ。
いくら教えてあげても、同じ間違いを堂々巡りするとこなんざ、きっと、馬鹿につける薬は
無いということなんだろう。
>>413 そもそも不可知論者は、外道だとゴータマは言っていますよね。
つまり仏典に書かれているゴータマの不可知論くさい説法も、ゴータマの
真意は不可知論を説いていないと言うことで、不可知論的解釈をしてはいけない
ということです。智慧のある人はそうみてそう解釈する。ところが言葉遊びの
集大成、中論にかぶれた末法仏教徒達の中道解釈は、どれも不可知論ばかりです。
彼らは自分達が外道だということも理解できないで、伝統仏教を守るとか
ほざいてる、池沼達なのです。
六師外道
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/99_03_14a.html 旧7よ。おまえさ、俺達が外道だといってるようだが、俺達のどこがどう
外道なのか説明してみな。俺達も縁起=空。一切行無常。一切法無我。そして一切皆苦を
説いている。アートマン(真我)でさえ、見方によると、空(縁起=空)であり、無常であり、
無我だと説いている。俺達のどこがどう外道なの説明してみなよ。
反対に俺達は、自分達は伝統仏教の継承者だと大きな勘違いをしている、お前達末法仏教は
明確に外道だと説明できるぜ。まずお前達の中道は本質的には全く意味の無い
不可知論でしかない詭弁論であり、ゴータマはお前達のような本質的には全く意味の無い
不可知論者は外道だと言っている。お前達、特に禅宗!!。てめぇらは、道徳否定論者だ。
おまえらにかかると、道徳や、ゴータマの教え、四正勤、八正道さえ、迷いとなる。
おまえらさ、いつからゴータマより偉くなった?邪見の王様のような禅宗が、どの口で仏教語ってるんだ?
道徳、四正勤、八正道を否定すると、それはもはや仏教じゃねぇんだよ。外道が。
それにお前達はなんだかんだと、中論を盾に、不可知論でごまかしてはいるが、結局は
死ねば終わりの断滅論者であり、今生だけではなく、来世における、善業善果、悪業悪果を認めない。
現代のアジタ共よ、このような断滅論者をゴータマははっきりと仏教の教えではない
外道だと言ったんだよ。なにが我々は伝統仏教を守るために声を大にして叫び続けなきゃいけないだ。
それはこっちの台詞なんだよ。こっちこそ、おまえら末法仏教は、ゴータマの仏教の教えとは
違う、外道の教えだ。皆、迷わされてはいけないと、大きな声で、訴え続けないといけないわけだ。
ゴータマの残した真理の教えを、捻じ曲げて違うものにしないで、正しく後世の者に伝える為にな。
このように論証されたように、お前達は外道なのは明らかだ。今度はお前の番だ。
俺達のどこがどう、外道なのか、論理的に説明してもらおうじゃないか。ただ、違う、違う、外道だと
レッテル貼るだけなら、小学生でもできるぜ。
大体、旧7の考え方はおかしい。
おれはこいつらが仏典を読むとき、あらかじめ、自分達のフィルター
を通してしか読まず、理解せず、はじめに自分達の信じる末法仏教ありき、
唯物論ありきで、読み、その価値観に合わない文言があれば、
無理やり自分達の価値観に合うように曲解して解釈する。たとえば来世とは
今生における未来だとか、不死の境地とは、それは自分はいつかは死ぬであろうと言う
現実を受け入れるという、単に一切行無常に無理やり置き換えて解釈する
なんてところをみればよくわかる。普通に見て、こいつらの解釈は無理があるし
自分達のエゴによる曲解なのは、少し利口な人ならすぐに見抜く。
旧7よ。俺はお前達の仏典の読み方のおかしさを指摘した。そしたら俺達の読み方も
同じだと反論してきた。全然違うだろ、ボケェ!!。仏典全体を通して読めば
業法による輪廻転生をゴータマは説いているのは明らかだ!!。
それは、ゴータマが神霊と話しただの、空を飛んだのだの明らかに作り話とは違う、
どう読んでも、ゴータマの説いた仏教の教義の部分の根幹をなすものだということは
少しでも読解力のある少しでも利口な人ならすぐにわかるようなことだ。俺達はその大事な部分を
自分達は受け入れられないからと無理やり曲解することなく、ゴータマの教えの
真意を探る読み方をしている。はじめにお前達の信じる末法仏教の教義ありきの
お前達の読み方とは違うんだよ、タコ。本当、末法仏教徒達の考え方っておかしいよな。
607 :
sage:2009/07/08(水) 11:14:36 ID:xFIYz7qE
西田 とか 鈴木 とか 秋月 とかか。
608 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 11:24:59 ID:M2eEse7o
なるほどね。
「ゴータマは解脱して涅槃には達してはいない。食中毒による死は因果応報だ。
そして、対機説法と言う不適切なやり方で後世の者達をまどわした。
また、在家から食い扶持をたかる卑しい生き方をした。
イエスの生き方のほうが、優れている。
ゴータマの説いた教義はオウムの殺人事件の原因となった。」
こう言いきってるカラスが外道ではない?
大体ゴータマは真理に至るには、八正道しかないと言い切ったんだよ。
その中でも一番大切なのは、四諦の真理を知る、八正道の一番頭におく、
正見だといっている。四諦の真理とは、この世の生存とは苦である事を知ることであり
その苦はなぜ生起するのかを知ることであり、苦の滅とはどうすかを知ることである。
少し利口な人なら、すぐに気づくだろう。苦とは、輪廻転生を繰り返し、迷いの生存である
この世に繰り返し生まれ、苦しみでしかないこの世の生存を繰り返すことである。
では苦の滅とはなにか?それは輪廻の鎖を断ち切り、再びこの世の生まれ、
苦しみでしかない、迷いの生存を繰り返さないことである。このように論証されたように、
八正道のうち、最も重要な四諦の真理を知るということは、業法による輪廻転生を
知るということと密接に関係しているんだよ。それを、輪廻転生を必死で否定する末法仏教徒
達の智慧の無さは、真に笑える。
いいか旧7よ。俺達は何のフィルターも無しに、素直に仏典を読み、ゴータマの教えとは
なんだったのかを探る読み方をしている。そのうえで解釈して、それが自分の信じれるものではないと
思えば、きれいさっぱり、仏教の教えなど捨てればいいだけのこと。
お前達のように、はじめに自分達の信じる末法仏の教義ありき、唯物論ありきで、
自分達の信じられない仏典の文言は、無理やり曲解して、自分達の価値観に合うように解釈するような
読み方はしていない。お前等と、俺達を一緒にするな。
610 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 11:32:58 ID:M2eEse7o
>>608 こりゃ、カラス!
「ゴータマが神霊と話しただの、空を飛んだのだの明らかに『作り話』とは違う・・・・」
このスレのアートマン肯定者は必死になって
「ゴータマが空を飛んだのは事実だ」
と力説してたんだがね。
>>608 こいつにかかれば、ゴータマを貶す奴は、外道だってよ。
こいつの智慧の無さを見ろよ。外道の意味さえ、こいつのおつむじゃ、
理解不能らしい(苦笑)
頭の悪い奴は、悟れないし、涅槃にも達しないよ。ご愁傷様。
>>610 空を飛んだのだとか、超能力的な話は、無記とするべきなんだ。
君らのような人と話すときはね。
613 :
一在家:2009/07/08(水) 11:36:52 ID:QFmS/gRY
>>606 入滅から1千年まで、まだ正法仏教徒がいた。
2千年まで、像法レベルの仏教徒がいた。
2千年以降(現代)末法仏教徒ばかり。
因果応報の法より、悪果(末法)の悪因(洗脳、改竄)が正法時代の
誰かさんによって蒔かれたと推測しております。
心当たりのある方は手をあげて下さい! はい、また貴方ですか。
>>611 >頭の悪い奴は、悟れないし、涅槃にも達しないよ。ご愁傷様。
自己紹介 乙!
>>614 竜樹の中論にかぶれて、本質的には全く意味の無い
言葉遊びにふけるのが、頭いいと思ってるの、君?
馬鹿につける薬は無いとはよく言ったもので、言葉遊びが仏教だと
思っている君らに、つける薬は無いよ。
616 :
一在家:2009/07/08(水) 11:42:43 ID:QFmS/gRY
>>612 >空を飛んだのだとか、超能力的な話は、無記とするべきなんだ。
>君らのような人と話すときはね。
まあ、水の上を歩いたという奇跡や、天皇の午前で全身から光を放った
という奇跡も、目撃者が多ければ聖典や歴史に残しても良いと思います。
617 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 11:44:33 ID:M2eEse7o
どうした?カラス!
また、いつもの逃げか?(笑)
不味いこと指摘されると途端にニュアンス変えてごまかしにかかる。
「無記にすべき」だ?
お前は
>>606 で、はっきりと「空を飛んだなんてのは『明らかな作り話』と言ってるな。
誤魔化す必要はないぜ。
俺も全く同意見だ。
初めて意見があった。
あんな与太話は作り話に決まってるよな?
さすがカラスだ。
よくわかっている。
頭良いヤツより、性格良いヤツの方が先に悟れるの。
そんなことも知らないの?
お・ば・か・さ・ん(笑)
>>616 余談だが、新約の水の上を歩いただの、体を小さくしただの大きくしただのとユダの福音書
をみても、イエスは、ヨーガを極めていたのは、ほぼ間違いないよね。
でもね、こういう場で、こういう人達相手に議論するなら、こういう超能力的な話は
しないほうが利口なんだ。わかりますか?一在家さん。あなたはゴータマの待機説法の
意味を理解する必要がある。
>>618 善良で、性格のいい人は、智慧も備わっているものだ。
なぜなら彼は、そこから生まれ、そこに属する者だからだ。
だがそこに属していない人は、いくらお勉強はできても、残念ながら
智慧は備わっていない。掲示板上の口の悪さと、その人の人格は別物。
おまえ、俺の書き込みに、”悪意” を感じるか?
>>618 まぁそれはそうなんだよね。
無慚、無愧とかいう言葉もあるけど、自分の性格の悪さを反省する事が、
アートマンがどうとかいうことよりも遙かに重要であることは疑いないよ。
結局何も反省しないで持論の補強ばかりに熱を上げるのは本末転倒もいいところだし
それこそ外道といっていい。
カラスはちょっと特殊なタイプの人間で、まさしく愚者である宝珠愚者とは違うけれども、
自分が分ってることが人には見えていないという前提があるのはどうにかならないものかと
思ったりはする。
622 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 11:55:26 ID:M2eEse7o
今までカラスの書き込み見てて、初めてこいつが、まともなこと言ったと思ったね。
>>606 「ゴータマが神霊と話したのも空を飛んだのも 『明らかな』 『作り話』 」
全くもってその通りだな。
みんな、カラスは今までろくな書き込みしてないとは思うが
この発言だけは評価すべきと思うが どうだろうか?
いや、君は良いヤツだとおもうよ。
ただ、過去に出会った禅者及び、大乗仏教徒の質が悪かっただけ。
彼らを通さず、真実の大乗仏教というのを自信で体験してもらいたいのよ。
難しいけどね。ホンモノを見つけるのは。
なぜ、大乗が「唯心」をいうか。
それは心ひとつだからだよ。
複雑な技巧を凝らすのじゃなくて、
心で体を制御する。
修行者は心が間違うと体が間違う事を知ってるからね。
じゃあね。
625 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 12:06:29 ID:mbxv6pN+
インドで仏教が亡んだのは13世紀だから、入滅から1500年くらいで
インドでは滅法となったんだね。
中国で仏教が亡んだのは清朝の17世紀かね。入滅から約2000年だね。
日本では一応いまも仏教は生きてるのだろうね、葬式仏教とさげすまれ
ながらも。
>>623 善良で、己の心にある良心に正直であり、
肉の思いに負け、良心に反する行為をしたら、それを悔いる心の
ある人は、たとえ今の時代、今生で悟り、真理に至れなくとも、必ず今の時が
終わるまでに、悟り、真理に至ることができるだろう。
そこには、キリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒などの、数々の異教徒や、
無神論者など関係ない。問われるのは、根が善良な人であるかどうかである。
根っこが正直者で、善良な人は、今の時代、今生で悟りから離れた生活をし、悟れず
真理に至れなくとも、必ず、今の時が終わるまでに、悟り、真理を手にし、
かけがえの無い、永遠の宝を手にするだろう。そこに異教徒や、無神論者などの
区別は無い。
627 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 12:23:01 ID:mbxv6pN+
>>579 それは「次元」じゃなくまさしく「階層」だね。
インタフェースの階層と同じ概念だね。
「次元」は空間を上下・左右・前後の三方向軸で
あらわすような考え方だね。
観点・視点の方向性といってもいい。
リンゴがあればそのリンゴの色・形というのがひとつの観方だろ。
そのリンゴの重さというのがもうひとつ観方だろ。
また、そのリンゴの味というのが第三の観方だね。
さらにそのリンゴが売り物なら定価という観方もある。
このようにリンゴを属性のカテゴリーによって仕分けしてみる
のが次元という考え方だね。
628 :
一在家:2009/07/08(水) 12:29:59 ID:O3V8a+6U
>>619 >でもね、こういう場で、こういう人達相手に議論するなら、こういう超能力的な話は
>しないほうが利口なんだ。わかりますか?一在家さん。あなたはゴータマの待機説法の
>意味を理解する必要がある。
はい、カラス先生、よく分っております。
だから私の話している対象者は、常連の中論さんや哲学者さん達ではないです。
書き込みはせず、縁があってこのスレを訪れて、本当の仏陀の教えを探して
ROMされておられる、常連の100倍はいる方々です。>ALL−常連
629 :
一在家:2009/07/08(水) 12:37:22 ID:O3V8a+6U
私が繰り返し読みました長部経典の「大本経」では、悟りを得た仏が
真理を説いても誰も分らないだろうと諦めております。
その時、人類愛の大梵天が何回も仏を説得され、仏も世界中を天眼で
見渡して少しの対象者を見出して立ち上がりました。
Q.仏が見出した説法対象者の特徴は?
A.答えは以下の三択にあります。
1)頭の良い人、賢人
2)仏との縁があって生まれてきた人
3)心に垢が少ない人
皆さんは、どれだと思いますか?
630 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 12:39:56 ID:mbxv6pN+
>>602 >これは五蘊は我ではない、五蘊には我は無いということです。
五蘊が無我であると共に、五蘊が一切(法=事物)であると
いっていたサンユッタ・ニカーヤの経典があったね。
一切とは五蘊でありこれ以外の物事があるなんていいだすと
頭が痛くなり寝込んでしまうとか言ってなかったか。
諸行無常とはいうけど諸法無常とした経文は見たことない。
諸法無我とはいうけど諸行無我とした経文は見たことない。
ことほどさように「諸行」と「諸法」はヒンドゥー文化に
とっては間違えることのないまったく違った言葉ではないかい?
「諸法」のほかに「法」があるなんて法外な無理無法をいっても
論理的なインド人には通じないだろ。
631 :
一在家:2009/07/08(水) 12:43:50 ID:O3V8a+6U
>>625 >インドで仏教が亡んだのは13世紀だから、入滅から1500年くらいで
>インドでは滅法となったんだね。
>中国で仏教が亡んだのは清朝の17世紀かね。入滅から約2000年だね。
>日本では一応いまも仏教は生きてるのだろうね、葬式仏教とさげすまれ
>ながらも。
正確なフォローを有難うございます。
現代では自称仏教徒は他称末法仏教徒になってしまっているようですね。
空海や日蓮らが理想としたインド、中国の法を滅ぼした悪因が必ず存在し
その影響を除いた時に正法が再生して光を放つかと思料します。
>>630 だからそこはさ、一切以外のものは無いとは言っていないんだよ。
一切以外のものは我々の知識領域を超えていると、言ってるんだよ。
いつもおもうんだけどさ、ここに議論に参加してる人の多くは、仏典ろくに
読んだことも無いくせに、適当なこと言ってる奴ばかりだろ、さしずめ隠居がその代表格で、
彼に取り巻く連中もそうだろう。2chさ、こういう引きこもりがわけもわからす
議論に参加してくるから、こと宗教板ではつまらない流れになるんだよ。
きみらさ、ここで議論に参加したければ、もう少し宗教的な知恵を身につけてから
参加しろよ。誰でも思いつきそうな凡夫の知恵を得意げに語られても、宗教板では全く
無価値だし、退屈なだけなんだよ。
633 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 13:34:16 ID:mbxv6pN+
>>632 >一切以外のものは我々の知識領域を超えていると、言ってるんだよ。
そうだね。それは言葉だけの名前ばかりで中身がピーマンだと
言ってるね。アートマンがいい例だね。言葉だけで中身がない。
だれもアートマンを見たことがない。
634 :
あーとまん!:2009/07/08(水) 13:36:59 ID:5CD+QAIT
↑おいら 馬鹿には見えないんだよ
635 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 15:00:01 ID:mbxv6pN+
↑やっぱ、名ばかりじゃん!
姿見せてよ!
636 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 16:47:59 ID:+/uHMk12
竜樹が現代に生きていたとするなら、
名高い高校の、建学以来の大秀才だったろうと思われる。
ほかの連中がよくて80点ぐらいなのに、ひとりだけ99点の奴がいる。
それが竜樹だ。人一倍の読書量があり、記憶力が並外れている。
これに対してアインシュタインは、知識をふやそうという熱意が不足し、
いつもボーと考えごとをしていたのだろう。世の中、そんなタイプもいるよね。
竜樹が現代まで生き残り、大乗が現代まで生き残ったのは、
竜樹がすごかったからでも、大乗がすごかったからでもなさそうである。
経典を和訳してこなかった日本の僧侶たちのズルサやモノグサがそこにある。
ズルサやモノグサに隠れ、自分たちの利権を追求し温存してきたのだ。
しかしいまや、学者たちの研究により、大乗の誤りが白日の下にさらされ、
逃げ隠れできない状態になっている。大乗のたそがれがやってきた。。。
638 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 17:12:01 ID:ZZb6n66Z
>>636 竜樹は、本は読んだが、その言葉に囚われず、言葉の裏にある「原理」を探った。
アインシュタインは、本から読んだ知識など問題にしなかった。落第ばかり
している。
彼らが本当の「秀才」というもの。
このスレの、仏典の「言葉」にばかり執着する連中は、秀才の対極にある「凡夫」
ばかりである。
639 :
一在家:2009/07/08(水) 17:15:38 ID:O3V8a+6U
>>636 >ほかの連中がよくて80点ぐらいなのに、ひとりだけ99点の奴がいる。
>それが竜樹だ。人一倍の読書量があり、記憶力が並外れている。
自称イエスに(最も)愛された弟子、エイレナイオス、アタナシウス、
この3人組も知能指数はかなり高かったと推定致します。
問題は野心家でなく、利他愛の強い、人格完成者であったかということでしょう。
孫子のように知能指数が高い人間が洗脳の策を打った場合は、回避するのが
極めて困難だと認識しております。
「この現実がない」などと言うバカ者はいないだろう、と思っていた。
しかしそのバカ者がいたのだ。大乗の祖師・竜樹である。
中論の冒頭、第一章第一詩
「もろもろの事物はどこにあっても、いかなるものでも・・・あることなし。」
641 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 17:28:29 ID:9Phy5e4o
だーかーら、「最も」じゃないって。
>>638 >竜樹は、本は読んだが、その言葉に囚われず、言葉の裏にある「原理」を探った。
★ 洞察力のようなものですかね。
>アインシュタインは、本から読んだ知識など問題にしなかった。落第ばかり
>している。
★ これは思考力とか想像力でしょうか。
人間の能力は、記憶力だけではないということですね。
官僚など組織人は、前例踏襲が優先されるので記憶力が優先されるのでしょう。
>>639 竜樹は空論者あるいは幻論者であるが、
まずいことに空・幻はその人を必ず野心家にしてしまう。
空・幻が人を野心家にする<理由>
自分以外の一切を空・幻とし、自分が世界の意味づけをする。
神を否定するので、自分を抑える力がなく、自分が最高者の位置につく。
自分も空・幻であると弁解しても、知らないうちに唯我独尊になる。
644 :
旧7:2009/07/08(水) 17:48:26 ID:EUxY0AlK
>>カラス
泣き言は見苦しいw
今回の私の発言は、君のレスによっては一つも反証されてないぞ?www
私に向けてレスをするなら、
>>581を逐一論駁してからにしてくれw
それから、「お前ら」で括る相手が広すぎるw
私は、中論や心経はあまり好きではないぞw (その手法や、効果のメリットを認めはしても・・・。)
相手の思想の差異を無視し、一つの思考ベクトルに無理やり押し込めて一括して「お前ら」と括り、罵倒する。
屑のやり方であることには変わらんな・・w
金剛般若経第三章
師は、このように話し出された。
「スブーティよ、菩薩の道に向かう者は、
次のような心を、起こさなければならない。」
『生きとし生けるもの、
卵から、生まれ出たもの、
母胎から、生まれ出たもの、
湿気により、生まれ出たもの、
他から生れず、自ら生れたもの、
形のあるもの、と、形のないもの、
想のあるもの、また、想のないもの、
想があるでもなく、ないでもないもの、
そのほか、ありとあらゆる生けるものを、
私は、無余涅槃に、導かなければならない。
しかし、こうして、永遠の平安に導こうとも、
実は、誰一人、永遠の平安には導かれていない。』
「それは、何故かと言えば、スブーティよ。
もし、生きものという実体に、囚われるなら、
もはや、かれは、菩薩と、言えないからである。」
「それは、何故かと言えば、スブーティよ。
もし、自我や生命という実体に、囚われたり、
もし、個体や個人という実体に、囚われるなら、
もはや、かれは、菩薩とは、言えないからである。」
金剛般若経第四章
「また、スブーティよ、菩薩たるもの、
何かに囚われて、施しをしてはならない。
形に囚われながら、施しをしてはならない。
声、香、味、触、法についても、同様である。
果報を求めるという、思いに囚われないように、
スブーティよ、菩薩は施しをしなければならない。」
「それは、何故かと言うと、スブーティよ。
もし菩薩が、囚われることなく施しをすれば、
その功徳が重なり、計り知れぬ程になるからだ。
スブーティよ、東の方の虚空の量を、計り得るか。」
「いいえ、師よ、計り知れません。」
「スブーティよ、これと同じように、
南や、東や、北や、下や、上の方角の、
あまねく十方の虚空の量を、計り得るか。」
「いいえ、師よ、計り知れません。」
「スブーティよ、これらと同じことである。
もし菩薩が、囚われることなく施しをすれば、
その功徳が重なって、計り知れないほどになる。
スブーティよ、このように、菩薩の道に向う者は、
果報を求めるという、思いに囚われずに、施すのだ。」
647 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:03:14 ID:ZZb6n66Z
>>642 >官僚など組織人は、前例踏襲が優先されるので記憶力が優先されるのでしょう。
法律学では、「具体的妥当性」と「法的安定性」の二つが語られる。しかし、
全く同じ案件は二つとないのだから、「具体的妥当性」を離れては、「法的
安定性」などありえないのです。それに思い当たらないのが、官僚制度の弊害
の根源なのです。法学教育が誤っているからです。
宗教者が、法典の意味を考えず、その言葉だけに執着するのと同じ「思考停止」
です。
648 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:04:21 ID:+/uHMk12
布施を檀家にすすめるなら、<隗より始めよ>
暗い僧坊で妄想にふけっていないで、町に出て汗を流し、
その賃金で困っている人を助けなさい。
649 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:08:29 ID:dt+oqLnN
>>648 人を裁くな。
解説:あなたの価値観で相手のことを判断してはならない。
650 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:12:25 ID:M2eEse7o
>>639 それで、お前は知能指数が高かった、
マヒカリの信者に洗脳されてしまったわけか?
哀れじゃのう。
>>647 その「思考停止」には保身がへばりついてますね。
責任を取りたくないのでしょう。
その辺を逃がさないようにしないと、社会から無明を追放できないと思う。
どうしたらいいのか? 責任逃れを許さないことです。
いまの法制度は、政治家、官僚、会社役員などに余りにも甘すぎる。
652 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:24:11 ID:+/uHMk12
在家氏の透明なエレベーターの話はおもしろかった。
このスレでおたがいの主張が衝突することの比ゆとして想像すれば、
実は主張がすれ違っているだけなのかもしれないと。
653 :
析空:2009/07/08(水) 18:29:25 ID:dt+oqLnN
>>572 偽本尊あらため析空とします。
>>573 縁起の説明のために、まず「壁に開いた穴」を思い浮かべてください。
その穴には、穴という「名称と形態」があります。
しかし実体はありません。
実体が無いから不生不滅です。
654 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:38:36 ID:ZZb6n66Z
>>653 穴は、壁があるからあり得るのですよ。「穴だけの穴」などあり得ますか。
穴と壁とは、相互依存関係、即ち「縁起・空」です。
あなたの理解は浅い。
>>649 だれも裁いてはいない。当たり前のことを言っているだけだ。
坊主も働け、と言っているだけだ。
それで妄想にふけるのは自由。だれも文句は言わない。
坊主だけではなく、だれでも悟りたいのだよ。
しかし生きるのがやっとで、本も読めないし、静かに考えることもできない。
そういった思いでいる檀家に利他(布施)を説くのではなく、
あなたがたがまず利他を実行してくださいね。
いまの時代、出家主義は時代錯誤だ。
656 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:44:46 ID:ausW7QPO
正三角形は「空」である。なぜなら・・(以下略
>>653 有と無については、このスレですでに話している。
有は全面的に有であり、無は全面的に無である。
有無を相互依存として把握した竜樹は誤り。
658 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:49:41 ID:ausW7QPO
有は全面的に有?無は全面的に無?
有=非無、無=非有じゃないの?
659 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:54:14 ID:M2eEse7o
>>658 同意。どちらも単独では成立不能な相対概念。相依関係が認められる。
>>658 たとえば無を想像すればいい。全面的に無だから、有が存在するわけがない。
逆に有なら、その有は全面的に有であり、無が介入する余地がない。
有と無とは相関関係になく縁起しない。
661 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 18:58:24 ID:M2eEse7o
>>660 全く意味不明。
無とは、全ての有の完全否定概念。
その前提には、有の概念があり、全面的な無? とかいう可笑しな概念はあり得ない。
662 :
一在家:2009/07/08(水) 19:01:39 ID:QFmS/gRY
>>639 >問題は野心家でなく、利他愛の強い、人格完成者であったかということでしょう。
>孫子のように知能指数が高い人間が洗脳の策を打った場合は、回避するのが
>極めて困難だと認識しております。
もし知能指数が高く、かつ野心家ならば(←縁)、何をする(←起)でしょうか?
釈尊の弟子ではなく、釈尊を超えようと、後世の人達から釈尊以上だと評価される
ことを考えたのではないかと思量します。
>>650 私は教えを聞く時は、相手の知能ではなく、人格やオーラの輝きを参考(鏡、明り)
とします。その教えが正しければ、先達の実践者にその果が自然とにじみ出るからです。
663 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 19:04:33 ID:ausW7QPO
「左」は全面的に「左」なのか?w
664 :
一在家:2009/07/08(水) 19:05:34 ID:QFmS/gRY
このスレでの住人各位との対話を通して分ったことは、この現代の末法という果を
もたらした因の一つは(洗脳)「非我=無我」だったように存じます。
「非我=無我」を強烈に説いた方が野心家でなかったことを祈りましょう。
665 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 19:06:41 ID:M2eEse7o
オーラとかが、見えるの
?
それは、人によって輝いたり、色が異なったりするわけか?
そういうの見て判断するのか?
666 :
旧7:2009/07/08(水) 19:07:37 ID:EUxY0AlK
>>661 抽象的に考えないで、具体的に考えたらいい。
まったくの無、全面的な無は、頭の中から欠落していて存在しない。
想像することさえできない。素通りするだけ。
これに対して有(3次元)は、無(0次元)とは異なる次元であり、
無との相互依存、相関関係で生じたのではない。
それゆえ有と無とを始源とする哲学は誤りである。
話が混乱しているので再掲しますね
<存在の大別> ・・・ 簡単な存在論
生物 ・・・ 物質 + 生命 → 生命活動 > 精神活動 > 識
無生物 ・・・ 物質 → 実体がある OR 実体がない ・・・ 審議中
<精神活動> ・・・ 簡単な認識論
現実 ← 認識 ・・・ 判断のない識 ・・・ 直接知覚
生物・無生物
判断 ・・・ 判断された識
判断基準 ・・・ 苦楽・善悪・愛憎など ← 縁起
669 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 19:25:46 ID:ausW7QPO
例えば、皿の上に大福が「有る」状態と、誰かに食われて皿の上に大福が「無い」状態を想像するでしょう、普通は。
670 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 19:35:34 ID:ZZb6n66Z
>>556 それも混乱している。
「実在(有)」:(必要な場合には観測装置を使って)「五感で知覚でき対象」。
そのテストは、人間の生命の維持に作用を及ぼす。(例)人間
の身体及びその他の自然界一斉
{非実在(空想)」:実在」以外のもの一切。(例)神、霊、魂、天国・地獄
など。
宗教者は、まず、生まれたての赤ん坊に習って、「実在(現実)」と「非実在
(空想)」との区別をつける訓練から始めること。
671 :
旧7:2009/07/08(水) 19:38:03 ID:EUxY0AlK
>>652 「すれ違わない」ということは、「ベクトルが違う」ということだ。
それは、議論や思考の土台、視点・基点・基盤が最初から違う可能性がある、ということだ。
並行宇宙やパラレルワールドとまでは言わないがw、
それに近いくらいの「根本的ズレ」がある可能性がある、ってこったw
672 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 19:38:21 ID:ZZb6n66Z
>>670の訂正
×「知覚でき対象」
○「知覚できる対象」
673 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 19:39:55 ID:ausW7QPO
「有」「無」は主語を付けないと想像不可。(「○が有る」「○が無い」)
よって「有る」「無い」と言えるのは、主語となり得るもの、知覚認識し得るもの。
問題は、涅槃やアートマンが知覚認識できるものを述べているのか、ということ。
>>669 たしかここに大福があったはずだがな、というレベルではなくて、
もっと根源的な存在の有無が問題になっている。
有るといえば100%有るのであり、無いといえば底抜けに永遠に無い。
無を理解するには、無の認識自体が存在しないことを想像したらいい。
無の認識自体がすっぽり抜け落ちている。
>>668 の、現実 ← 認識 が存在しないのです。
676 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:01:39 ID:ausW7QPO
>>674 「根源的」とか「100%」とか「底抜け」とか「永遠」とか、なんとなく気分は分かるんだけど。
ところで「100%有る」と「底抜けに無い」は区別できるのかな? 区別できるなら相依関係になるのだが。
>>675 認識せずに理解はできない、普通は。
「無を理解するには、無の認識自体が存在しないことを想像したらいい。」←想像できない。
678 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:14:11 ID:M2eEse7o
>>667 どこが具体的なんだ? さっぱりなんだがね。
>>674 >>675 なんですか? その100%有る とかいう表現は。
それでは何の説明にもなってない。
無の認識がない?
と言ってる時点で「無の認識」というものが前提として相起されてることに気がつかないわけか?
679 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:18:45 ID:ausW7QPO
>>670 その分類法で「正三角形」は実在と非実在のどっちになるんだろうね。
>>676 この現実(三次元)は言葉(二次元)では十分に伝えられない。
無(0次元)も空と同じだ。他人に甘えるのではなく、
あなたが努力して自分で体験すべきことだと思う。
681 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:35:11 ID:M2eEse7o
「無と言うのは、全ての有の完全否定概念。すなわち、その前提には有という概念があり相補的関係性をもつ。」
いわゆる「絶対的な〜」
という観念に捕らわれてるのはキリスト教などの一神教の信者なんかに多いのでは?
「絶対的な善」「絶対的な悪」 というような観念を刷り込まれているのだろう。
龍樹のことは、よくしらんがこのような「絶対性の否定」を言いたかったのでは?
682 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:38:20 ID:ausW7QPO
>>680 つまり、「100%有る」と「底抜けに無い」の奥義は、
言葉では伝えられない体験によって得たものである。
己が体験に基づいて、竜樹は間違っていると。
なるほど分かりました。
>>680 有と無は同時に存在しない。→ だからまったく無関係
無に依存できるものは何もない。
684 :
旧7:2009/07/08(水) 20:41:10 ID:EUxY0AlK
>>484補足。 &
>>681 たとえば、
「【オウム】【真理】教」「【統一】教会」「【真】光」などは、このベクトルが大きく作用していると思われる。
たとえ当人達に自覚が無かったとしても・・・。
(「幸福の科学」の【幸福】も、同様に究極の理想が夢想されているかもしれぬ・・。)
尤も、上記の如き団体に於いては、真にそのベクトルが求められたのではなく、
その求心力・集金力に有効な方向性として採用されたに過ぎないだろうが・・・。
或いは「仏性」「仏心」「菩提心」「キリスト教の“愛”」なども同様に受け取られ易い。
いや、これらは「性善説の極として、(我々人間の中に)本来存在してほしい絶対善の希求」という方向かもしれない・・。
また、時代を上っていけば「【大本】」「【天理】」「【パーフェクトリバティ】」なども、
その命名に際して、上のベクトルが作用したことだろう。
そして、もっと遡れば、
「大乗」「一乗」という思想、「法界(海)」や「曼荼羅」、或いは「仏性」「仏種」「如来蔵」等も、
同様な≪『統一的』『根源的』『基盤的』位置付けの、或る「おしえ」「真理」「真の姿」≫として打ち出されてはいないか?
神智学やグノーシス等、キリスト教系の新興諸派及びカルト群も、同様だと思う。
(もしかしたら、特に昭和後期から平成にかけて発生している新新宗教群は、
往々にして、統一的・集約的・根源的・最重要な最終真理として立ち上げられている様相ではなかろうか・・。)
しかしまぁ、このような心の(思いの・願望の)ベクトルもまた、(「絶対的な○○」を求めてしまう傾向もまた)、
『「ヒト」という生物の性(さが)』かもしれない・・・。
685 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:46:35 ID:ausW7QPO
>>683 水と、その水を沸騰させた蒸気は同時に存在しない。→だからまったく無関係?!
物質(たとえば石)の心は<無>である。
石は長い間、そこにただ存在する。よく飽きないなと感心する。
しかしそうではなくて、<無>には時間がないから、
永遠も一瞬なのである。
無我の境地はこれと違って時間の中にある。
比ゆみたいなものだろう。
687 :
旧7:2009/07/08(水) 20:53:03 ID:EUxY0AlK
外道として、個人的感慨を再度宣言しておこう。
時間性を無視した縁起なぞ、子供のおもちゃにしかならん。
688 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:53:16 ID:mbxv6pN+
>>685 氷と水と水蒸気は共存してるよ。自然に。
689 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:54:26 ID:mbxv6pN+
時間も空間も共存してるよ。自然に。
690 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 20:57:28 ID:M2eEse7o
>>683 なんかもう言ってることがグダグダなんだが。
「同時に存在しないから、無関係?」
例えば「強いと弱い」も相対概念だな。
AはBより強く、BはAより弱いとしようか。
このとき、この二つの概念も同時存在しない。
AはBより、強くて弱いなどと言うことは意味をなさない。
しかし、「Aが強い」と言うのは「弱いB」の存在が前提となっている。
絶対的な強さなどはない。
同時に存在しないからと言って、その関係性を否定することはできない。
691 :
析空:2009/07/08(水) 21:00:08 ID:dt+oqLnN
>>654 縁起の説明のため「壁の穴」をもちだしたのですから、壁の穴は壁によって縁起していることは、説明の必要もないことですので省略しましたが?
何をどのように勘違いしているのですか?
692 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 21:01:35 ID:U6hnpdnS
>>687 :旧7:2009/07/08(水) 20:53:03 ID:EUxY0AlK
>外道として、個人的感慨を再度宣言しておこう。
外道まで行かん。
しがない凡夫。
693 :
旧7:2009/07/08(水) 21:04:33 ID:EUxY0AlK
>>692 別に凡夫でもいいよw
外道と呼ぶ人の方が多かったから、それに倣ったまで。
次回からは「凡夫としての発言」にするよwwwww
694 :
析空:2009/07/08(水) 21:06:23 ID:dt+oqLnN
>>655 「坊主も働け」とはつまり、「坊主は働いていない」というように裁いています。
また「働く」ことが尊いと思い込んでいるのは、あなたの価値観です。
釈迦は、修行者は、世間の仕事に従事するなと戒めています。
695 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 21:13:54 ID:M2eEse7o
>>686 石に心がないのは言うまでもない。よって、飽きるはずもない。
何が言いたいわけ?
永遠が一瞬?
単に二つの時系列の異なる系の比較にすぎない。
696 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 21:19:11 ID:ausW7QPO
例えば「左があるから右がある、左がなければ右もない」みたいな(時間性のない)相依関係は
人間が言葉によって物事を理解する仕方の根っこを掴んでいるように思う。
言語理解の根っこを摘示することで、言語理解を超える(あきらめる)道が示されているのでは。
697 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 21:23:24 ID:ausW7QPO
どちらかというと「一瞬が永遠なのである」のほうが味わい部会。
君たちはナーガルジュナではなく
ヴィトゲンシュタインを読むべきだと思う。
699 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 21:33:40 ID:mbxv6pN+
お茶道部会だね。一期一会。
700 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 21:34:45 ID:2/p1lqFD
大川はほら吹きだ!仏陀は死ぬ時に自分の心を燈明にしてゆきなさいと
説いた。
大川は自分{馬鹿な大川の事}を心のしようにして生きてゆく事を説く。
大川は大変のウソつきで、ほら吹きだ。良く文字との師匠になると言う
馬鹿な事を言っているのか。馬鹿が付いてゆくからか?
701 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 21:38:36 ID:M2eEse7o
>>700 真にもって、その通りであり、反論する気は全くないが、唐突なので少し戸惑う。
有と無は依存関係にあるのか、ないのか?
けっこうおもしろいテーマですね。この世は有(神)から始まるのか、
有と無から始まるのか、といった内容を持ってますね。
氷・水・水蒸気は、依存関係ではなく、物質(H2O)の変化です。
強弱に関しては、相手によって決まる依存関係です。
これに対して、有と無は、変化でもなく、依存関係でもない。
有るならば無く、無いならば有る、という二者択一です。
703 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 21:48:20 ID:M2eEse7o
>>702 だからね、有と無は相依関係にないと
断定しちゃってるけど、その論証が全くできてないでしょ?
「自分はそのように信じている」と言ってるにすぎない。
704 :
析空:2009/07/08(水) 21:48:36 ID:dt+oqLnN
>>674 気持ちはわかりますが、有とか無はそんな単純ではありません。
仏教用語でいえば
100%有る⇒実有
底抜けに無い⇒虚無
実有⇒自性のあるもの⇒アートマンなど、
仮有⇒無自性のもの⇒人間など。
また虚無と虚無界は区別します。
虚無は、「何も無い」という概念であり、虚無界は、実際の宇宙そのもので物質などの<もの>を除いた空間そのものを指します。
体験云々という以前にコミニュケーションの能力に問題があるようですね。
>>694 >「坊主も働け」とはつまり、「坊主は働いていない」というように裁いています。
★ 事実認識であって価値判断ではない。夏は暑い、と言うようなもの。
>また「働く」ことが尊いと思い込んでいるのは、あなたの価値観です。
★ 働く能力のある者が生活のために働くのは当然です。
>釈迦は、修行者は、世間の仕事に従事するなと戒めています。
★ 釈迦の言葉であっても、生活に関することは時代に合わせるべきです。
戒を変更しながらサンガを運営し、日本の大乗は肉食妻帯まで堕落したのです。
706 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:00:12 ID:/FXNxCnZ
経文解釈から実体験の行へ進めてくれない?行や、現象、現代社会の虚無など。例えば…少子化と言いながら堕胎、子殺しについてなどatc。
707 :
析空:2009/07/08(水) 22:01:14 ID:dt+oqLnN
>>705 「夏は暑い」は、事実ではありません。
あなたの主観です。
>堕落した。
それも事実ではなく、結局あなたの価値観で裁いています。
あなたは事実とは何かを理解できていません。
708 :
旧7:2009/07/08(水) 22:04:05 ID:EUxY0AlK
そうだ。 前、誰か気にしてたが、Dhp277-279の片山訳。
やっぱり下巻にあったw
277:
あらゆる行は無常なり、と
智慧をもって観るときに
かれは苦を厭い離れる
これ清浄に至る道なり
278:
あらゆる行は苦なり、と
智慧をもって観るときに
かれは苦を厭い離れる
これ清浄に至る道なり
279:
あらゆる法は無我なり、と
智慧をもって観るときに
かれは苦を厭い離れる
これ清浄に至る道なり
片山さんの特徴として、従来の漢訳語をそのまま使うことも多いという点はあると思う。
これは、下手に意訳し、意味を拡散させるよりも
従来の訳語とその語義・概念を踏襲し、それをより鮮明に或いは微調整する形の方が弊害が少ない、
という配慮だろうか・・・? (中村訳という崩し過ぎへの反省も?)
或いは、「術語として成立しているものは、そのまま使うべき」というものかもしれない。
>>681 >「無と言うのは、全ての有の完全否定概念。
>すなわち、その前提には有という概念があり相補的関係性をもつ。」
これでは無を説明するのに有を持ち出し、有を説明するのに無を持ち出している。
説明したことになってない。有や無を単独で説明しなくてはいけない。
710 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:12:34 ID:ZZb6n66Z
>>691 >何をどのように勘違いしているのですか?
勘違いしているのはあなたのほうではないですか。そもそも、縁起の説明に
なっていない。穴は、壁との関係では、完全な実体ではありませんか。
>>704 >気持ちはわかりますが、有とか無はそんな単純ではありません。
★ 単純にしても話が混乱しているのです。
言葉を細分化して、これ以上混乱させないでください。
>体験云々という以前にコミニュケーションの能力に問題があるようですね。
★ お互い様ですね。わかりやすく話し合いましょう。
712 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:15:45 ID:M2eEse7o
>>709 は? お前、まず人の書き込みを理解する読解力を身につける必要があるな。
なんですか? この「単独で説明しなくてはならない。」とか言うの。
俺は初めから有と無とは、相依関係にあると言ってるだろ。相依関係にあるものを単独で説明しろとは、全くわかってないわけね。
有と無が相補性を有するなら、それぞれの定義に他方を必要とするの。
それすらも理解できてなかったの?
713 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:25:48 ID:ZZb6n66Z
>>674 >たしかここに大福があったはずだがな、というレベルではなくて、
>もっと根源的な存在の有無が問題になっている。
大福があるかないかが、「根源的な存在の有無」なのですよ。どんな偉い宗教者
でも、大福があれば食って空腹を満たすことが出来るが、無ければ、それが出来
ない。これが「根源的な存在」の意味です。
物が有るか、無いかを、どのようにして判断しているかは、日常生活での経験か
から帰納すれば自明なこと。現実から帰納できることのみを「真理」というのです。
それ以外には、客観的な「真理」の判断基準は 皆無だからです。
714 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:27:07 ID:M2eEse7o
いいか?もう一度書いておくが
「無とは全ての有の完全否定概念。あらゆる有を否定しきったところに、無と言う概念が相起される。
即ち、有を前提としなければ無もあり得ない。言い換えれば、有と言う概念がなければ無もないの。」
なんでこんな自明のことがわからないのかね?
715 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:35:44 ID:ZZb6n66Z
>>687 >時間性を無視した縁起なぞ、子供のおもちゃにしかならん。
具体的に説明してください。あなたのいう縁起とは「時間的因果関係」のこと
ですか。それなら、「因」と「果」という「実体」を前提とするから、「空」
など、どこからも出てこないと思うが。
716 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:45:26 ID:ausW7QPO
「有る」「無い」は、‘何が(すなわち主語)’を付けないと理解できない。
まず言葉があり、その言葉で示されるもの(主語)が「有る」とか「無い」とか言われる。
また、言葉で示されなくても、それをそれとして指示できる場合(空想や抽象概念でも)、
その指示されたものが「有る」とか「無い」とか言われる。
だが、「有る」とか「無い」とか言われると同時に、それは言葉上で存在するものになる。
一般に、言葉上で存在するものが物理的に(五感的に)も存在する場合に「有る」と言われ、
そうでない場合が「無い」と言われる。
よって、「有る」「無い」の起点には、まず、言葉が(あるいは指示が)<有る>。
717 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:47:04 ID:ZZb6n66Z
近所の超大型書店に行って、「縁起」についての説明を片っ端から立ち読
みしてきたが(お金が勿体無いから、佛教の本など買わない)、すべて
「関係性」として説明されている。水野さんの本でさえ、初めから終わ
りまで「関係性」である。
関係性を否定する者は、自分が信じ込まされた「架空の唯一絶対神」が
一瞬にして吹っ飛ぶから、恐怖に怯えているのだろう。もともと架空な
神がいなくなってもちっとも心配する必要はないと思うが。
しかし、仏教者を自称しながら、「縁起・空」さえ理解していないとは、
如何なことか。それとも、みな、キリスト教徒またはイエスによって洗脳
された者たちばかりなのか。
>>713 目の前の皿に大福がある。これが大福の有である。
時間を置いて見たら、皿の上には<あるはずの>大福が無い。
この場合、記憶に残っている大福の映像と比較して無いことを知る。
これは有に依存した無なのだろうか?
時間の経過があるだけで、因果関係でもないし、相関関係でもない。
盗み食いをした人を因縁として生じた無ですかね?
>>714 >言い換えれば、有と言う概念がなければ無もないの。
無に先行する、有の概念はいったい何? 神?
720 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:55:53 ID:ZZb6n66Z
>>718 大福の周囲の「目に見える物」との関係において目に見えないから、
「ない」というだけこと。
物の「ある」「なし」は、「誰かが盗み食いした」などの勘ぐりとは、
一切関係ないw。
722 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 22:57:57 ID:ausW7QPO
>>718 「大福」という菓子、「皿」という食器を知っていることが前提。
これらを知らなかったら、
「大福+皿」なるもの有る瞬間に突然消えて「皿」なる別のものが突然現れたと認識するかもしれないw
723 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:02:31 ID:ZZb6n66Z
>>716 言語が存在しなかった原始人でも、「ある」「ない」は五感の知覚できっちりと
判断していた」はず。言語とは、既に「ある」ものを指示または区別するために
発生したものですよ。その逆ではない。従って、聖書の「初めに言葉があった」
は、とんでもない誤り。
724 :
旧7:2009/07/08(水) 23:03:58 ID:EUxY0AlK
>>719 単独の「無」なんて考えるのは人間だけだと思うよ。
まず「○○が無い」という(具体的)事象が発見・把握され、
その後、その発展系として「全てが無い事象」が【想像・想定】されたのでは?
「○○が無い」ということでない、『単独の純粋無』なぞ、
それこそ、そんなものは無いw(=【意識認識されない、されていない】もの・事態)だろ?
それでは、その大福の有無は依存関係なのだろうか。
大福の有が、大福の無に依存するとはどういう関係なのだろうか。
無関係ではないのか。
726 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:12:51 ID:ZZb6n66Z
>>725 >大福の有が、大福の無に依存するとはどういう関係なのだろうか。
今まで目に見えなかった物が見えたから「有」、目に見えた物が見えなく
なったから「無」という点で、有無は相互に依存している。
なお、言葉がなかった時代でも、大福(その他、どんな「物質」でもよい)
は「目に見えた」、即ち「実在した」。
727 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:12:57 ID:/FXNxCnZ
無意識の中に実在する。超越すべき意識だろ。行じろよ〜
純粋の無が時間の消滅によって実際にありうる。
全身麻酔をされると時間が消える。
竜樹は時間を否定するが、その実際のありようは純粋の無である。
逆に言えば、心が存在するのは時間の中、変化の中である。
729 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:17:07 ID:ausW7QPO
ある時点t1の大福A(t1)と、別の時点t2の大福A(t2)とが同じであると、どうしてみなすことができるのか。
それは明らかに、A(t1)とA(t2)を関係づけているから。
だから、丸い大福A(t1)と半分食われた大福A(t2)を「同じ大福の変化(半分食われた)」とみなすし、
丸い大福A(t1)と全部食われた大福A(t3)を「同じ大福の変化(全部食われて無くなった)」とみなす。
730 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:20:10 ID:ZZb6n66Z
>>728 患者が全身麻酔で心を失っても、傍らの医師や看護婦はちゃんと存在している。
存在しなかったら大変だよw。
731 :
旧7:2009/07/08(水) 23:24:45 ID:EUxY0AlK
>>715 論理的に見るだけならば、無時間的でも構わない。
が、(認識論的に? 実存的に?)、自身の心の在り様を観る場合、
そこに、時間的先後を見なければ、
≪「果としてある苦」の「因・縁としての○○(或いは、無明なり、触なり、受なり、行なり)」を断じ(或いは制御し)て「苦の滅を図る」≫
ということにならない。
その時の苦は「果」として見られねばならない。「苦」が因・縁となって「○○」があるのではない、ということ。
少なくとも、観察の方向性は《「苦」が「○○によって生じている」》というものであるべきだろう。
「○○」が「苦によってある(生じている)」ということではない。
と、凡夫は思うのだが?www
732 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:25:20 ID:ZZb6n66Z
>>729 「五感の知覚は、記憶される」ということ。関係性と共に、これも大切
だね。
733 :
旧7:2009/07/08(水) 23:28:10 ID:EUxY0AlK
>>732 だとしたら余計に時間性は重要じゃんwww
前のほうで石の話をしたが、石に心がないと仮定すれば、
石は永遠を一瞬にして存在している・・・これが純粋の無である。
そういった純粋の無がありそうなのですね。
無があるとは言葉の矛盾だけど。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:47:33 ID:ZZb6n66Z
>>733 「最初の知覚の記憶」は変化しない。昔の恋人の姿の記憶は、昔のままである。
従って、時間は生じない。次の知覚にも、時間は要しない(神経伝達の極小時間
はあるだろうが、それは「有意な」時間ではない)。
従って、縁起には、時間性を要しない。縁起を、「因果関係」と誤解するから、
そのような誤りが生じる。
736 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:50:24 ID:e3VqqdS4
苦が滅すると時間も滅するとかね
737 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 23:54:10 ID:ZZb6n66Z
皆、物の「ある」「ない」がそんなに気になるのなら、原始人になった自分を
想像してみることだなw。それとも、生まれて間もない赤ん坊から教わるかw。
738 :
旧7:2009/07/08(水) 23:58:52 ID:EUxY0AlK
・・・・・・
もういいや・・・
寝る ノシ
>>726 >今まで目に見えなかった物が見えたから「有」、目に見えた物が見えなく
>なったから「無」という点で、有無は相互に依存している。
これでは相互依存ではなく、見えたか、見えなかったかという
単なる事実確認のような感じがするのだが?
>なお、言葉がなかった時代でも、大福(その他、どんな「物質」でもよい)
>は「目に見えた」、即ち「実在した」。
幻覚や錯覚、夢や蜃気楼は実在ではない。
740 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 00:16:19 ID:sPiixTDw
>>736 >苦が滅すると時間も滅するとかね
生きている限り、苦が滅することは無い。苦(煩悩)は、生きていることの
「証」だからである。解脱者でも、虫歯で歯が激しく痛めば、バッファリン
飲まなければ治らないw。
苦は、死によって初めて滅し、時間も滅する。
741 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 00:33:46 ID:sPiixTDw
>>739 その、「見えたか」「見えなかった」が、「実在」「非実在」ということ
なのですよ。
人間界は共同体だから、その不特定多数の成員に見えない物が見えると
いうのは、「幻覚」や「知覚異常」として、治療の対象になります。
夢は、睡眠時における脳細胞の混乱であり、五感は通過しません。
不特定多数人に蜃気楼が見えたら、蜃気楼は「実在する」と言っても
良いのでは。
基本的には、この世界は、人間の目に映じた世界であり、本当に存在する
か否かはだれにも判らないので、幻に過ぎないかも知れないが、人間は
その幻の中においてのみ生存が可能だから、人間にとってはその幻の世界
が「現実界」であると、仮設し、看做すのです。これが、「色即是空・空
即是色」の意味なのです。
742 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 00:41:32 ID:kQ9glXfh
>>719 俺は
>>714 だがな
誰が「無に先行する有」などと言ったか?
俺は「相依性、相補性」と言ってるの。
つまり、どちらが欠けても他方の概念は成立しない。
両方そろって初めて意味をもつ。
どちらが先行とかじゃないの。「有があれば必ず無があり、無があれば必ず有がある。」
「有がなければ無はなく、無がなければ有はない。」
まだ、理解できないの?
743 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 01:00:36 ID:sPiixTDw
まあ、これだけ「存在論」がやれるのは、佛教スレならではだね。佛教が、
「物が存在するとは何か」即ち「現実とは何か」に関わった、高度の「現実
主義」の宗教であることが判る。まさに「唯物論」の基盤を築いたのである。
イエスの統合失調症とは異なり、仏陀は、鬱病という「感情障害」だけだった
から、「人格の崩壊」や「妄想」はなかった。
キリスト教スレでは、存在論など「皆無」である。イエスには、実在とは何か
などの疑問は、念頭にさえ浮かばなかった。常時、「神様、イエス様」の妄想
の世界。反論できなくなれば、「アーメン」と一言いうだけでよいw。
744 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 01:17:01 ID:kQ9glXfh
それでは、仏教ど素人の凡夫の俺がまとめると
「縁起」ってのは、結局、「全ては関係性においてのみ存在しうる」
こういうことだろ?
その根拠は全ては「無自性」であるから。「無自性」とは「自性」の欠如のこと。
それでは「自性」とは何か?
「自性」とは、それのみで単独で存在しうる属性のこと。
すなわち、あらゆるものは単独で存在しうることは不可能であり、必ず「他」との相関関係においてのみ存在しうる。つまり、絶対性の否定だな。
簡単に言えばこういうことだろ?
違うのかい?
745 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 01:26:49 ID:kQ9glXfh
で、この「無自性」を別の言葉で表現したのが「空」であり、
その視点に立って自己を観たときが「無我」となる。
こういう理解でいいんだろ?
ここには、仏教の専門家が多いみたいなので
間違いがあったら、指摘してくれ。
>>735 最初の知覚の記憶は、時間と共に変容していくと認識するのが普通だろう。
色あせた記憶。実際に見てみたら、思っていたのと違っていたというのはよくあること。
後の印象がよくなれば、最初から好印象だったかのように記憶は書き換わる。
その逆もしかり。
747 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 04:18:16 ID:73cnQk85
>>746 恋人の顔を忘れるとは、けしからん。恋人を換えたのなら別だがw。
748 :
析空:2009/07/09(木) 06:40:47 ID:+Z9q30P7
>>710 説明になっていないといいますが、壁の穴の縁起説明として、
1.穴には穴という名称と形態がある。
2.穴は実体ではない。
と「説明」したのは目にはいりませんでしたか?
ところであなたは「壁は実体である」といっていますが、それは違います。
壁は実体(実有)ではなく、仮有です。
壁自体も縁起して名称と形態を持っています。
単に<有>という言葉を使うと、実有と仮有を混同していることに気がつかないのではありませんか?
749 :
宝珠愚者:2009/07/09(木) 07:13:10 ID:/Gd6hXx9
依然〜「ある」「ない」の話が続いてるようですが・・。
まず、しつこい唯物論者の人へ。
第一に、物質現象界ではないものがある
>>94、
とゴータマは教えているのですよ。“肉体はあなたではない”とも何度もいっています。
それが気に入らないなら信奉する必要はないということ。
都合のいい狭き部分だけを勝手にしがみ付いてどうするのですか?
その現象界ではないものが如何に知覚され得るのか?
それは我々、凡夫のレベルでは知覚されないが修行完成者には知覚されるということ。
修行完成者でない者がそれについて嘘のレッテルを貼ることなどできやしない。
何故、凡夫には知覚されず、修行完成者には知覚されるのか?
そのことについて自分で学ぶことです。
それなしでアレコレと論じてもお話になりません。
>>633 >>632 >>一切以外のものは我々の知識領域を超えていると、言ってるんだよ。
>そうだね。それは言葉だけの名前ばかりで中身がピーマンだと
>言ってるね。アートマンがいい例だね。言葉だけで中身がない。
>だれもアートマンを見たことがない。
しかし、疲れるよなぁ・・ピーマンではなくてw
その一切以外の我々の知識領域を超えているものがニルヴァーナです。
現象界(有為)ではないものがある、それが涅槃だとゴータマいっているのです。
であるから、現象界から解脱したとして覚知されるのだと。
>>94の経文を、繰り返し繰り返し“素直に”読むことですよ。
場蚊どもが理屈で「涅槃」を騙っても無駄だということだ。
佛法は理屈ではない。実践なんだよ。
くっくっく。
751 :
一在家:2009/07/09(木) 08:28:12 ID:uorK0Ezr
>>749 >それは我々、凡夫のレベルでは知覚されないが修行完成者には知覚されるということ。
>修行完成者でない者がそれについて嘘のレッテルを貼ることなどできやしない。
まず仏教は「宗教」か「哲学」かの認識をしましょう。
前者であれば「信仰」になり「信じて仰ぐ」教えもあるということです。
釈尊の説法の何割かは常識や理性で理解できるが、残りは理解できなくても、
信じてついていく人々が「信者=仏教徒」だと定義しても宜しいかと。
〜スッタニパータ
1071 ウバシーヴァさんがいった、
「あらゆる欲望に対する貪りを離れね無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることがなく
そこに安住するでありましょうか?」
1072 師は答えた、「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、
その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、
そこに安住するであろう。」
1073 「あまねく見る方よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年
そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか?
またそのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」
1074 師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって
(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、
(生存するものとしては)数えられないのである。」
1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、
そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。
あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」
1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、
ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やさ
れたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
753 :
析空:2009/07/09(木) 08:36:16 ID:+Z9q30P7
>>744 >>745 私は専門家では有りませんが、あなたの説明に全面的に賛成です。
必要十分だと思います。
754 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 08:48:27 ID:9PfsX9a6
>>708 片山訳ダンマパダの引用、ありがとう。
片山訳 ダンマパダ279
279:
あらゆる法は無我なり、と
智慧をもって観るときに
かれは苦を厭い離れる
これ清浄に至る道なり
中村訳ダンマパダ279
279
「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と
明らかな智慧をもって観るときに、
ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。
たしかに、文語調の片山訳と口語調の中村訳はそれなりに感じ方が
違うね。どちらがいいかはそのひとの趣味でいいだろ。
誰か上のほうで言ってた漢字の仏典を日本語に翻訳する手間もかけず
そのまま棒読みしてありがたがってる日本の坊主たちというのも極端
だが口語訳して、またちがった解釈や意味を生み出すのも考え物かもね。
そうかといって誰でも簡単に原語で読めるわけでもないし、原語学ぶひま
があるなら、その分たくさんの口語訳仏典を通読したほうが仏教全体の
理解には早いだろ。
無我(我は無い)と非我(我で無い)の違いは中国語への翻訳時の問題
かと思ってたら、原語の「アンアートマン」自体にすでにどちらにも解釈
できるあいまいさがあるようですね。
で、結局「諸法非我」はこの条文からだけでは解釈しようがないというのが
とりあえずの私の結論です。いずれにしろここの「我」が一人称代名詞
としての「私」の異称でないことは確かだね。
「我」は形而上学的実体としての「アートマン」と解釈するしかない。
755 :
一在家:2009/07/09(木) 08:52:39 ID:Srm9JaNp
神示から立教の教団の場合は、教祖の知能指数(または学歴)も
参考になります。
天理教の中山みきは主婦でしたが、おふでさき(自動書記)により
説法を開始しておられます。
なんらかの現象界以外の力、存在が働いたと読めます。
他にも無学の聖者が多数存在します。
モーゼとゴータマは元々王子でしたから、当時としては最高の教育を
受けていたとは思いますが、現代とは比較できないでしょう。
逆に知能指数が高い開祖(現代ならば東大卒)の場合は、野心が強ければ
自身の理性の範囲で矛盾なく教義を再構築する可能性が高いということです。
哲学であればそれで宜しいでしょうが、宗教の場合は再構築=改竄、洗脳は
困ります。
>>752 続き
相も変わらず、肝心なことははっきり語らず、わざと混乱を招くような不可知論的
糞説法だが、旧7よ、要はこうだ。涅槃に達した人は、あらゆる想いから解脱した人は、
そこに安住するといっている。またメクラがよく誤謬する部分は、滅びたという部分だが、
よく読めばわかるとおり、これは解脱者は完全に滅んで「無」になるとはいっていない。
解脱者は、名称と身体から滅びてしまって、生存する者としては数えられないと言っているのだ。
なにせ完全に消滅してしまったのなら、安住も糞も無いからな。ところがお前達メクラに掛かれば
ここは完全に滅んだ無の境地だと誤謬する。だがよくよく考察すると、ゴータマは、
涅槃に達した者は決して消滅、完全な無になるなんてことは言っていない。名称(識別作用)と、
身体からは解脱して、滅びてしまい生存するものとしては数えられないと言っているのだ。
そしてあくまで名称(識別作用)と形態、身体による生存から解脱した者は、図るよすがが無い
と言っている。このあとスッタニパータの終盤には、いよいよ涅槃について語られ、
そこは、名称から離れた、識別作用の無いいいか、旧7よ。識別作用(名称)から離れた存在と言うのは、
一相であり、それは、無相であり、そういう存在のことを、自性と呼び、それをアートマンだと呼ぶんだよ。
それがおまえの
>>581の問いへの答えだ。ゴータマは涅槃とは、名称とそれに付随する
識別作用の滅した境地だと言ってるんだよ。識別作用も無く存在するもの。それを
一相=無相=自性=アートマンと、言うんだよ。わかったか馬鹿者。しかしおまえらさ、仏典に
自性という単語が出てこないから、ゴータマは自性を説いていないだの、ゴータマを批判したら、外道だのと
いってるレベルが低すぎて、話にならないんじゃないのか?
>>581の愚問をみてもわかるように、
おまえらは、お勉強はできたかもしらんが、智慧が無いんだよ。
757 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 08:59:43 ID:9PfsX9a6
>>719 >無に先行する、有の概念はいったい何? 神?
無も有も概念も言葉ですね。
初めに言葉があった。
言葉は分別とともにあった。
これが仏教であり情報学であり分析哲学です。
何を分別するかといえば五感による五識を分別するのです。
分別が必要なのはゴミだけではない。
五感の五味も吾味をつけないで分別しないとね。
758 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 09:06:36 ID:kQ9glXfh
>>753 レス 乙
さて、カラスがスッタニを挙げてるが、ポイントは
1076 だな。いわゆる「無記」と言うやつだが、
なぜゴータマはここで、はっきりと常住論をとかなかったのか?
はっきりと「解脱して涅槃にいる聖者は永久不滅である」
なぜ、こう説かなかったのか?
759 :
一在家:2009/07/09(木) 09:06:41 ID:Srm9JaNp
さて、龍樹は天才的な知能指数だったと伺いました。
龍樹は「師を超えよう」という野心があったことを推測できる
ような文献は残っておりませんか。
もし、そうであれば動機(因)としては十分です。
世親?も同様です。
760 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 09:09:46 ID:9PfsX9a6
>>731 >そこに、時間的先後を見なければ、
そうですね。生滅法が縁起であると言うのが仏教の「いろは」ですよね。
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
>>717 だから縁起を肯定すれば、根源に行き着き、唯一絶対の存在が吹っ飛ぶどころか、
ますますその存在を肯定する結論になると言ってるんだよ。おまえ何度言わせるんだよ。
何度も何度も論破されているおまえの幼稚な能書きを、いつまでもいつまでも壊れた
スピーカーのように繰り返しやがって。我執(エゴ)が強すぎるのも立派な人格障害だ。
人の話は全く聞けないくせに、論破されている自説をひたすら押し付けるおまえのエゴは
どうしようもなく腐っているよな。こいつの能書きは、どれもこれも自分勝手な解釈ばかりで
しかも、レベル的にも、どこまでいっても、凡夫の知恵でしかないものばかりだ。
まんま仏典に出てくる悪魔ナムチそのものなのが非常に笑える。ただの凡夫の能書きに
すぎないこいつの能書きは、求道者にとっては全く価値の無い、退屈なものだ。
なのにこいつがここで大量にゴミレスを書き込むものだから、肝心なレスを読み飛ばしてしまう。
おかげで、旧7の愚問にも気づかなかった。まだ隠居とかいう腐ったエゴの塊の引きこもりだけなら
まだしも、こいつと同じレベルの者が凡夫の知恵に賛同して大量に投稿するものだから
困ったもんだ。ま、引き篭もり連中の井戸端会議の場になるのは2chの宿命か。
ま、隠居の自演も多数含まれているんだろうが、せめてこいつハンドルつけてくれれば、
アボーンできて、ゴミレス飛ばせて肝心なレスを読み飛ばすことも無いだろうに、この我執の塊である
こいつが、人の指図など聞くはずも無く。隠居よ、おまえのような、俺が、俺がの我の強い奴は
リアル社会だけではなく、こういうネット社会でも、いい加減うざいんだよ。
>>758 な、あれだけわかりやすい睡眠の例え話で、それは常住だととけば常見となり、
滅すると見れば断見になりますよと教えてあげても、いまだにこういう頓珍漢なことをいう
奴が後を絶たないわけだ。
馬鹿につける薬はねぇんだよ。
763 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 09:17:23 ID:9PfsX9a6
>>735 >「最初の知覚の記憶」は変化しない。昔の恋人の姿の記憶は、昔のままである。
記憶が変化しないなんてことはありえない。
昔の恋人の写真も今はセピア色だね。それと同じで脳内記憶も自分の都合よいよう
どんどん改ざんされていく。どんなにつらかった昔の出来事も時がたつと懐かしく
思い出されたりする。これ裳セピア色の思い出だね。
兄弟がいる人ならおなじ子供の頃の出来事の思ひ出がまったく違って記憶されて
いたりすることを確認することが多いだろ。
思ひ出はひとそれぞれだとつくづく思う。
764 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 09:29:31 ID:kQ9glXfh
おい、カラス。俺は
>>717 ではないが、突っ込むぞ。
「縁起を肯定すれば、唯一絶対の存在を肯定することになる?」
なんだ?これ。
765 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 09:33:57 ID:kQ9glXfh
あと
>>762 のレスは意味不明。
ゴータマは中道を説いたのは言うまでもないが、
ただ、其れが言いたかっただけか? お前のレスは
もともと縁起とは、あれあれば、これあり。あれなければ、これも無し。という
因果の法を説いたものだった。それがいつのまにか縁起=無自性=空となった。
まぁどっちでもいい。結局後者であろうと、縁起があること自体、根源があるということだし、
元々の縁起の法、あれあればこれあり。あれなければこれもなしも、逆順で考察すると
根源にぶち当たる。これは現代科学にも矛盾しない。例の無と、無限大が同居している状態。
特異点だ。おまえらメクラでも、ビックバン理論くらい知ってんだろ。
>>765 だからよ、一元を認めないでいくら中道をといたところで、
本質的には全く意味の無い、ただの言葉遊び、偽論にしかならないんだと
何度言わせたら気がすむんだよ!!
智慧の無い者は、口を挟むな。邪魔だから。
768 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 09:45:03 ID:9PfsX9a6
>>749 >第一に、物質現象界ではないものがある
>>94、とゴータマは教えているのですよ。
物質現象界は仏教で言う「色法」だからね。それ以外の「心の世界」があるのは当然でしょ。
>“肉体はあなたではない”とも何度もいっています。
それなのにここでは色法のみ問題にして心法を引き合いに出さないのね。
釈迦は心法(五識と意識)の一つひとつについて「それは我で無い」「それは我がものではない」
と否定してるよね。なんでここでそれは無視するの?
>都合のいい狭き部分だけを勝手にしがみ付いてどうするのですか?
>それは我々、凡夫のレベルでは知覚されないが修行完成者には知覚されるということ。
心と心の作用も五蘊、一切法のうちですね。知覚も心の作用でしょ。
>その一切以外の我々の知識領域を超えているものがニルヴァーナです。
一切以外の法なんかありません。ニルヴァーナは自覚される心の作用のうちです。
>それが涅槃だとゴータマいっているのです。
>であるから、現象界から解脱したとして覚知されるのだと。
そうですね。覚知する手段は意(心)ですね。覚知も心の作用のうちです。
仏教において知識領域というのは言葉で表されるものなんて制限はありません。
仏教は五感による五識を現量(直覚知)として重視します。
769 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 09:50:55 ID:9PfsX9a6
>>750 >佛法は理屈ではない。
仏法は智慧で学ぶこと。
>実践なんだよ。
実践は仏道だね。戒・定・慧の三学が仏教だろ。
>くっくっく。
ほっほっほ。
>>765 馬鹿に何度も同じ説明するのはつかれんだよ。
ちゅうかおまえ、人にものを尋ねる態度じゃねぇしな。
2chではこういう智慧の欠片も無い愚者ほど、態度がでかい。
困った連中だ。
771 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 09:52:03 ID:kQ9glXfh
は? 「縁起」ってのは、唯一絶対の根源を肯定するものだ?
そうか?初めて聞いたぞ、そんな説。
お前以外に誰がそのような説を主張してるんだ?
ちょっと、あげてみてくれ。そいつの、解説読んでみたいから。
>>771 しらねぇよ。ちゅうかちょっと智慧があるものなら、
本来の縁起の法。あれあればこれあり。あれなければこれもなし。という
縁起を逆順で探っていくと、根源である自性にぶちあたるんだよ。
おまえ、脳が足らんのだな。くだらないことを聞いてくる。
ちゅうか、他の誰かも言っていないといけないわけ?ちゅうか他の
権威のある学者の先生が言っていないと。お前にとっては価値が無いわけ?
もしそうなら、ここに智慧の無い人間のいいサンプルがいる。
あらためて竜樹の中論を読んでみたが、本当にくだらないな。
全編を通して、本質的には全く意味の無い言葉遊びだけで考察している
のが真に笑える。こういうのを、偽論、詭弁論というんだろう。
中論にかぶれてる連中は真に頭が悪い。
何度も言うけど、竜樹は、お前達末法仏教の、始祖だよ。
774 :
一在家:2009/07/09(木) 10:07:52 ID:uorK0Ezr
今朝のNHKニュースで、将棋の羽生名人の脳を先端脳科学にて
分析するシーンが数分ありました。
機械は多分NMRのようで、詰め将棋を1秒で解く時の活動部位
をグラフィカル(3D)表示しておりました。
・五感からの入力信号は脳で処理して、その結果を魂に送る。
・魂からの動作指示信号を脳で処理して、その結果を体に送る。
・脳は対(ミラー)の無線LANのように魂とは非接触
上記は私の体と脳と魂のモデルですが、今回のニュースでより
明確になってきました。
その根拠の一つは、(魂を否定した場合)羽生名人の高度の
情報処理を脳のほんの一部でやっていることになるからです。
その根拠の二つ目は、画像処理部位と比べて、桁違いに小さい
脳領域でスーパーコンピュータ以上の処理を実行しているからです。
775 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 10:08:03 ID:9PfsX9a6
>>768 >釈迦は心法(五識と意識)の一つひとつについて「それは我で無い」「それは我がものではない」
>と否定してるよね。なんでここでそれは無視するの?
訂正します。
釈迦は五蘊(色、受、想、行、識)の一つひとつについて「それは我で無い」「それは我がものではない」
と否定してるよね。なんでここでそれは無視するの?
776 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 10:10:43 ID:kQ9glXfh
アホ。誰が「権威ある学者の説しか信じない」と言ったか?
勝手に妄想するな。
俺はお前のようなことを主張する奴を見たことが
なかったんでな、お前のようにただ断定するのみで
一切解説を拒否するようなバカではなく、まともな解説があるなら読んでみようと思っただけ。
しかし、どうやら、その「とんでも縁起説」を主張してるのはお前だけみたいだから、もういいわ。
「縁起ってのは、唯一絶対の根源を肯定することね」
777 :
一在家:2009/07/09(木) 10:13:40 ID:uorK0Ezr
>>775 >釈迦は五蘊(色、受、想、行、識)の一つひとつについて「それは我で無い」
>「それは我がものではない」
>と否定してるよね。なんでここでそれは無視するの?
五感ばかりでなく「識」も「我でない」でしたか。
「非我」を「無我」だと洗脳をかけた知能指数の高い人、手をあげて下さい。
あっ、やっぱり、またあなたですか。
>>776 なんでトンデモ縁起説になるんだよ(苦笑)
俺は当たり前の理法をいってるだけだ。おまえ本当に智慧がないんだな。
そういや、真言とかいう、ここでは名無しでしかぎろんできないチキンもいっていたな。
俺の話は今まで聞いたことが無い。そんな聞いたことも無い話を聞かされてもわらっちゃう
だとかいう趣旨の発言をな。おまえらさ、ここで俺の話を聞けることに感謝しろ。
おまえらはここでルシファーの知恵を聞けてるんだよ。ルシファーとは明けの明星。
お前達を救うのは、お前達の末法仏教でもなければ、バッタもんのキリスト教でもない。
既存の宗教で、お前達を救うのは何一つ無い。宇宙の創造の初めよりあるルシファーの知恵。
普遍の真理だけがお前達を救うのだ。いままで俺のような話をする宗教家や、
学者先生方などいなかったろう。そりゃそうだ。彼らはルシファーとは何かも知らない。
彼は地に落ちた。地に落ちた彼はサタンと呼ばれる。つまり我々のことだ。ここで俺の話を聞けるのは、
お前達、ある意味幸運なんだぜ(苦笑)
779 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 10:27:33 ID:kQ9glXfh
そうか、カラスのは仏教とは無関係の「ルシファー教」の教義だったわけか。
そらぁ、聞いたことなかったはずだ。
それで、お前は、そのルシファー教を広めに来てるのか?
>>779 ゴータマも明けの明星をみて悟ったんだよ。
悟る者は皆、七日の法悦の後、最初の座から数えて
第八の日に座を崩し、明けの明星を見る。そのときに全てを悟るのだ。
それは第一の日の始まりである。
あのよゴータマが真理を悟り、真理を語っていたのなら、彼はルシファーの知恵を
語っていたことになるんだよ。ま、おまえら末法仏教徒には早すぎる話だし、今のお前達の
レベルでは、理解不能だろう。せいぜい悟りの入り口でしかない、縁起の段階でとどまり
迷っておれ。
私は始めであり終わりである者。輝く明けの明星。アルファであり、オメガである。
君らの縁起仏教は、まだまだ悟りの入り口でしかない、幼稚なものだ。
781 :
一在家:2009/07/09(木) 10:52:40 ID:uorK0Ezr
>>629 自己レス
>その時、人類愛の大梵天が何回も仏を説得され、仏も世界中を天眼で
>見渡して少しの対象者を見出して立ち上がりました。
>Q.仏が見出した説法対象者の特徴は?
>A.答えは以下の三択にあります。
>1)頭の良い人、賢人
>2)仏との縁があって生まれてきた人
>3)心に垢が少ない人
>皆さんは、どれだと思いますか?
答えは3)です。1)であれば仏教は哲学でしょう。
善良な人でないと仏の法を受けることができないかと存じます。
だから、苦行や学問よりも八正道を実践するのが悟りへの王道
だと思量します。
782 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 10:53:52 ID:9PfsX9a6
>>777 >「非我」を「無我」だと洗脳をかけた知能指数の高い人、手をあげて下さい。
それは釈迦の法にあきらかだね。諸法無我が仏法だから。
783 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 10:55:31 ID:kQ9glXfh
それからカラスよ。
>>752 に挙げてあるスッタニパータ
あれはゴータマが弟子に問われて、「解脱および解脱者」について説いてるものだな?
お前は「ゴータマは解脱して涅槃に達してはいない」
と主張してたのに、何故あんなものをあげる?
解脱者でないゴータマが解脱について説いたところで意味がなかろう?
それとも、お前は「ゴータマって奴は自分が解脱してないくせに、いかにもわかったようなふりして語るエセ野郎だ」
こういうことを言いたくて挙げたのか?
それならわかるが。
784 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 10:57:55 ID:9PfsX9a6
>>781 「縁なき衆生は度しがたし」とは釈迦も言ってるから
2)が正解だろ。心の垢ってなんだ?吾味のことか?www
785 :
一在家:2009/07/09(木) 11:18:02 ID:uorK0Ezr
>>784 心の塵だったかも。また週末に出典を確認しておきます。
宝珠氏と真言氏は「大本経」をお持ちだと思いますが。。。
786 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:20:15 ID:U/zfaiYt
>>741 >壁は実体(実有)ではなく、仮有です。
壁だけでなく、人間の目に映じるものはすべて幻(仮有)だが、人間はその幻
の中でしか絶対に生存できないのだから、「人間にとっては」、その幻(仮有)
を実体(実有)と仮設する、看做す、と前レスで述べています。あなたは、
「本当の」実体(実有)などどこかにあると思っているのですか。人間である
あなたが、その実体(実有)をどうやって証明できるのですか。
壁(人間にとっての実在)の中に空所があるから、「壁との関係において」そ
れを「穴」と呼ぶのです。「穴」に中には、「穴」は出来ません。
>>749 > とゴータマは教えているのですよ。“肉体はあなたではない”とも何度もいっています。
これもあなたではない、あれもあなたではない。
結局、あなたといいえるものは提示しなかった。
> それが気に入らないなら信奉する必要はないということ。
そうですね。無我とか気に入らないなら仏教やめたらいいかもしれませんね。
> 都合のいい狭き部分だけを勝手にしがみ付いてどうするのですか?
まったくですね。神智学と矛盾のない、というところだけにしがみついてどうするんでしょうね。
> その現象界ではないものが如何に知覚され得るのか?
> それは我々、凡夫のレベルでは知覚されないが修行完成者には知覚されるということ。
> 修行完成者でない者がそれについて嘘のレッテルを貼ることなどできやしない。
同様に肯定のレッテルを貼ることもできないのに、
否定のレッテルのみに対してできやしないといい、
肯定の方にもレッテルを貼れないという事実を無視するのは異常ですね。
> 何故、凡夫には知覚されず、修行完成者には知覚されるのか?
> そのことについて自分で学ぶことです。
つまり神智学を学べと?
> それなしでアレコレと論じてもお話になりません。
いくら学んだところで
自分自身で何らかの超能力を使えるようになってから
話すのでなければお話にならないでしょうね。
788 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:25:54 ID:kQ9glXfh
789 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:30:59 ID:9PfsX9a6
「バカの壁」が実体だったら処置なしだろうね。
バカの壁は仮有だろうけどなかなか取り去ることが
難しいね。
790 :
宝珠愚者:2009/07/09(木) 11:35:50 ID:/Gd6hXx9
疲れる・・
>>775 当たり前のことだから省いただけ。
私は、これまで経文から引用紹介を何度もしていましたね。
>>768 五蘊を含めて一切法です。
これではないもの(無為)があるといったのですよ。それが涅槃。
『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部
派仏教では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存
在の中に加えるようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や
無為法が摂せられ、原始仏教とは違った性格のものとなった。』(水野著『要語』p143)
791 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:36:31 ID:U/zfaiYt
>>744 >>745 そのとおりなのだが、すでに「唯一絶対神」の実在を信じ込まされたこのスレ
の人々は、それを絶対に認めることができません。それを認めると、「唯一
絶対神」が吹っ飛んでしまう、という恐怖に怯えているからです。
792 :
宝珠愚者:2009/07/09(木) 11:45:45 ID:/Gd6hXx9
>>787 >これもあなたではない、あれもあなたではない。
>結局、あなたといいえるものは提示しなかった。
そう・・。それで勝手に「アートマンはない」ということにした--後世の仏教者たち。
>そうですね。無我とか気に入らないなら仏教やめたらいいかもしれませんね。
はい。伝統仏教にも満足しないから、私は仏教徒ではありません。
>つまり神智学を学べと?
だれもそんなことはいってません。仏典の説く教えについての正しい理解の問題です。
>自分自身で何らかの超能力を使えるようになってから
>話すのでなければお話にならないでしょうね。
ハッ??理解力の問題でしょう。
793 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:46:35 ID:U/zfaiYt
>>755 >天理教の中山みきは主婦でしたが、おふでさき(自動書記)により
>説法を開始しておられます。
>なんらかの現象界以外の力、存在が働いたと読めます。
天理教の中山みきも大本の出口なおも、単なる「基地外ばーさん」。信者は、
その狂気が感染しただけ。彼女たちの「お筆先」に出てくる単語や文法は、
すべて小学校時代に教わったものばかり。「現象界以外の力」など、どこにも
見当たりません。
794 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:49:06 ID:9PfsX9a6
>>772 >根源である自性にぶちあたるんだよ。
どうして根源を「自性」に置き換えるんだ。
根源は「無明」または「無知」で決まりだ。
お前の自性は無明であり無知なのか?
795 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:54:03 ID:kQ9glXfh
お〜い、カラス!逃げたか?
ちゃんと
>>783 に答えろよ
796 :
宝珠愚者:2009/07/09(木) 11:57:49 ID:/Gd6hXx9
>>768>>775 勝手に五蘊中の「受、想、行、識」を一切(法)から外すでない。
これら心の作用も「自己ではなく」、現象界(一切法)の性質に過ぎない。
涅槃とはそれを超越したものです。
あなたの話では、
心の作用が無為で涅槃に通じるものであるということになり、
それではまるで現代/心理カウンセラーレベルの“気の持ちよう”というお話ですよ。
797 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:59:28 ID:U/zfaiYt
>>78 「涅槃」も、「修行によって作られたもの」の典型ではないかね。
「人知の及ばぬもの」を「人知」で語る矛盾と滑稽さを自覚すべきだろう。
798 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:59:46 ID:9PfsX9a6
>>790 >阿毘達磨においては法処の中に有為法や
>無為法が摂せられ、原始仏教とは違った性格のものとなった。
そうだね。その法が合理的だからね。アビダルマも唯識もその点
ではかわらない。原始仏教なんてものは後世の仏教学者が
作り出したものでそんなものは無いと思うけど。
アーガマと言われる「経・律」から「法」の体系化をしたのが
アビダルマだと思うよ。それらのビクなどの「経・戒律」に対する
知識の深さは日本の仏教学者の比ではないことぐらいわかるだろ。
799 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 12:05:19 ID:9PfsX9a6
>>796 >心の作用が無為で涅槃に通じるものであるということになり、
心の作用には有為法も無為法もあるといってるだけですよ。
有為法の心の作用を滅すれば択滅の涅槃でしょ。
誰かスッタニパータを引用してたじゃん。
800 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 12:11:18 ID:U/zfaiYt
>>760 >諸行無常
>是生滅法
>生滅滅已
>寂滅為楽
それらの言葉には、すべて「有」が前提となっていますね。それでは、「空」
など、どこからも出てきません。その前提の「有」そのものを否定しない限り、
「空」は永遠にありません。それをはじめてやったのが、竜樹の空観です。
801 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 12:41:39 ID:9PfsX9a6
>>800 >その前提の「有」そのものを否定しない限り、
それが「生滅滅已」だろ。
でその後の無為法がこれだろ「寂滅為楽」
有無の縁起であり空だろうが。
ようはあの世では人間は永遠の生命を持ち、死ぬこともなく生まれること
もないということなのです。この世的存在は、一切が「空」である。あたりま
えのことが智慧であることのゆえんは真理を含んでいるからである。ゆえ
にこの世のものはすべて無常、はかないのである、というものは真理とな
るのである。
ただし、釈尊が常住にとらわれる人たちに対して、この無常を説くあまり、
肝心の真理は形骸化していってしまったのであろう。
803 :
析空:2009/07/09(木) 13:17:40 ID:+Z9q30P7
>>725 「大福が無い」というのは、大前提として、過去に「大福が有る」という状態に依存している。
そうでなければ、つまり大福が思いうかばなければ、「大福が無い」という状態を想像できない。
だから「無い」というのは「有る」に依存する。
>>718 それはおまえ、家族にちゃんと文句いったほうがいいぞ
805 :
一在家:2009/07/09(木) 14:32:02 ID:uorK0Ezr
>>802 >ようはあの世では人間は永遠の生命を持ち、死ぬこともなく生まれること
>もないということなのです。この世的存在は、一切が「空」である。
「輪廻」の視点で見ますと、この世に生まれること(再生)は、あの世を
去ること(ご臨終)になるかと思います。
またあの世でも、魂の誕生があり、業深すぎる魂の消滅もあると伺っております。
魂も不滅ではないようですが、肉体と比べて桁違いに寿命が長いようです。
まあ、スレ違いなのでペンディングします。
806 :
一在家:2009/07/09(木) 14:40:05 ID:uorK0Ezr
輪廻、魂と体との関係を譬えると、DNAと細胞との関係に似ております。
私達の体の細胞は、蛇が皮を脱ぐごとく、毎日更新されております。
3年も経過すると全細胞が入れ替わって、細胞的には別人でしょうか。
(唯物論的には3年前の自分とは別人でしょうか?)
でもDNAは一致しており、同じ人(本人)と認識されております。
人がカルマを積むと悪果を招きますが、細胞も放射線や添加物を受けすぎると
DNAの正確なコピーに失敗してガン細胞に変化することもあります。
807 :
一在家:2009/07/09(木) 15:41:32 ID:Srm9JaNp
細胞分裂(輪廻)では、常住のDNAと、無常の細胞でしょうか?
>>783 おまえさ、本当に馬鹿なんだよ。ちゅうか智慧があまりにも無さ過ぎる。
その境地を知るのと、実際に輪廻の鎖を断ち切りそこに安住するのとはまた違う
話なんだといってrんだよ。おまえのおるむじゃ、難しすぎる話か?
ちゅうかおまえじゃ役不足だ。相手にする価値なし。言ってることがアホ過ぎる。
809 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 16:27:20 ID:Vlopdjp+
>>801 「生滅滅已」は「生」と「己」の存在を前提とし、「寂滅為楽」は「楽」の
存在を前提としている。「ない」という否定や「無常(変化)」では、どこま
で行っても「空」には到達できない。「在る」ことは認め、その「在る物」が
「相互依存性・関係性故に自性はない」という論理的構成によらない限り、
「空」の概念に達することは絶対に不可能である。
>808
おまえさ、本当に馬鹿なんだよ。ちゅうか智慧があまりにも無さ過ぎる。
その境地を知るのと、実際に輪廻の鎖を断ち切りそこに安住するのとはまた違う
話なんだといってrんだよ。おまえのおるむじゃ、難しすぎる話か?
ちゅうかおまえじゃ役不足だ。相手にする価値なし。言ってることがアホ過ぎる。
811 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 16:46:24 ID:kQ9glXfh
>>810 なんだ? また、答えにつまると相手のことを
バカだ、アホだと罵倒して逃げる、いつものパターンかい。
情けねえな。ホントいつまでたっても進歩しないね、お前は。
それがルシファーのやり方なのか?
「解脱してもいないし、涅槃にも達していないゴータマ」 が 「解脱者や涅槃について説くこと」
が、なんで信じられるのか?
実際に体験したこともないことを語ることが信じられるのか?
解脱について語ることが、できるのは解脱者のみ。
それ以外のものは、解脱者の教えを聴いて歩むのみ。
違うか?
実際にパリに行ったことがない者がパリの美しさを語っても所詮、知識にしかすぎん。
>>792 > はい。伝統仏教にも満足しないから、私は仏教徒ではありません。
では神智学のスレにでも移動してください。
KK会員の人だってこのスレで唯一神について語ることを控えるようになったというのに
いつまで居座る気ですか?
> だれもそんなことはいってません。仏典の説く教えについての正しい理解の問題です。
正しい、ではなく恣意的な理解の間違いです。
仏教を信奉もしていないのに「これこそが真のブッキョウだ」というわけですか?
新興宗教はお断りです。
> >自分自身で何らかの超能力を使えるようになってから
> >話すのでなければお話にならないでしょうね。
> ハッ??理解力の問題でしょう。
理解した気分になってるだけ、というのはあなた自身が認めたことですよ。
気分で話されても迷惑なんで、実証できるようになってからお話くださいな。
それまではROMっててください。迷惑ですから。
814 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/07/09(木) 17:55:25 ID:6z1eAKL1
>>811 誰かこの馬鹿引き取ってくれよ。
こいつのおつむじゃ、瞑想などにより、その境地を知り、真理を悟るのと、
今生において、善の修行を完成し、業を滅ぼし、輪廻の鎖を断ち切るのとは、
また違う話だという理屈が、難しすぎて理解不能らしい。
おまえのおつむは、ここで議論に参加できるレベルじゃないんだよ。
815 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 18:23:56 ID:VkYdzaTy
>>759 在家氏
>龍樹は「師を超えよう」という野心があったことを推測できる
>ような文献は残っておりませんか。
竜樹の「中論」がそれだろう。「中論」冒頭の「帰敬序」は、
自分の考えを世尊の考えとし、その考えに「敬礼する」という
手の込んだレトリックを駆使している。その目的は、
自分を世尊と同じか、世尊の上に置くことではないだろうか。
>世親?も同様です。
世親は天親とも言うらしい。かれは竜樹ほどではないだろう。
>>803 析空氏
>「大福が無い」というのは、大前提として、過去に「大福が有る」という状態に依存している。
>そうでなければ、つまり大福が思いうかばなければ、「大福が無い」という状態を想像できない。
>だから「無い」というのは「有る」に依存する。
たぶん縁起の理解がちがうのだと思う。
析空氏のように理解しても、大福が無いという怒りはおさまらない。
無いのは有るに依存すると言われても、何の役にも立たない。
今度はゲスの勘ぐり大会か?
くっくっく。
818 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 18:33:27 ID:kQ9glXfh
>>814 なんじゃ、そりゃ?
すると、ゴータマは業も滅せず、輪廻も断ち切れてないわけだから、当然、その後、何者かに生まれ変わったことになるな。
しかし、ゴータマの生まれ変わりなど聞いたことないが。
お前、もしかして、幸福のなんたらの信者か?(笑)
大川が、ゴータマの生まれ変わりと言いたいのか?
たしか、ゴータマは二度と生まれ変わることはないと言ってた気がするが?
819 :
析空:2009/07/09(木) 18:37:04 ID:+Z9q30P7
>>786 壁が仮有であると知りながら、壁を実在と見做して、壁は実体だと言うのは、混乱するだけなので、できればご遠慮ねがいます。
宝珠愚者氏
何度も同じ話が繰り返されるのはネットの宿命かもしれない。
このところ暑くてぐったり。ダブルパンチですね。
竜樹の「中論」そして有と無の話は、
アートマンを否定している人たちの根拠を吟味しているのです。
否定しているけど、その根拠は? という文脈ですね。
急がば回れ、根拠を崩してしまう方法もある。
821 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 19:11:01 ID:W3nuIjee
「我が有る」と思うとき、<我>は、己を我だと勘違いしている。
「我が無い」と思うとき、<我>は、己を我だと勘違いしていないが、己を無だと勘違いしている。
822 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 19:11:05 ID:VkYdzaTy
昨日の続き、有は無と同時に存在しない。
このふたつはまったく異なる概念であり、相関関係でも因果関係でもない。
このふたつは縁起していない。
「これあればこれあり、これなければこれなし」が縁起である。
「有あれば無あり、有なければ無なし」が言えるのかどうかだろう。
有と無が同時に存在したら矛盾、別々に存在するのが真実である。
つまり有と無の関係は縁起の理法にまったく反している。
822の訂正
有と無とは、縁起の理法にまったく反しているのではなく、無関係のほうが適切か?
言葉の使い方は難しいですね。
「中論」は、自性を主張する有部の矛盾を指摘することで、無自性を主張する。
ここにスキマ風が吹いているよね。
竜樹は、自性を批判するばかりで、無自性の証明を何もしていない。
ただ、<空>と言うばかりである。
824 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 19:37:20 ID:9PfsX9a6
自性が成立しないことが無自性の証明だね。
存在し無いことを証明するには背理法しかないだろ。
存在しないものことを示せといわれてもできないのだから。
825 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 19:44:33 ID:VkYdzaTy
>>824 自性を否定するために、運動を否定し、変化を否定し、時間を否定する。
たしかに自性は否定できたかもしれないが、
そうやって到達した世界は<自性そのもの>という誤りがある。
帰敬序の八不はまさしく自性そのものである。
826 :
一在家:2009/07/09(木) 19:52:14 ID:uorK0Ezr
>>815 >竜樹の「中論」がそれだろう。「中論」冒頭の「帰敬序」は、
>自分の考えを世尊の考えとし、その考えに「敬礼する」という
>手の込んだレトリックを駆使している。
やはり、彼の野心が表れた文献がありましたか。 深謝。
キリスト教でも、「自称イエスに愛された弟子」というナルシスト?な
野心家が想定されます。
>>823 >竜樹は、自性を批判するばかりで、無自性の証明を何もしていない。
>ただ、<空>と言うばかりである。
私がこのスレに初めて来た時は、誰も龍樹のことは気付かなかったように
思いましたし、私自身も中国の坊さん達が主因だと思っておりました。
827 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 20:04:31 ID:VkYdzaTy
たとえば、帰敬序の<八不>をもとに映像を作ったらどうなるか?
不滅・不生、不断・不常、不一義・不異議、不去・不来
たぶん真っ暗な闇になる。暗闇である。これが竜樹の主張である。
828 :
一在家:2009/07/09(木) 20:10:31 ID:uorK0Ezr
>>827 >不滅・不生、不断・不常、不一義・不異議、不去・不来
>たぶん真っ暗な闇になる。暗闇である。これが竜樹の主張である。
中論の読み方では童くらいの私のインプレでは初期状態次第
のように認識しました。
最初が闇ならば闇のまま、最初が光ならば光のまま、
最初が悪ならば悪のまま、最初が善ならば善のまま。
829 :
旧7:2009/07/09(木) 20:10:54 ID:cZwnyS8M
雑記ながら
>>581を記したことで、
このスレに於ける私の意見(≒このスレでのポイント)はまとまったことになる。
これで、このスレとの関係も一区切りだ・・・。
もう少しポイントを鮮明にすれば、
『「非我」という読みが「無我」と解釈されることは、なぜ可能なのか』
『「我」なくして「涅槃」はないのか(→「無我」と「涅槃」は両立しない?)』
『「涅槃」が「不死」と形容される時、何に注目されることによりそう言われるのか』
『「涅槃」の「不退転」であることは、「永遠・常住」ということか、いや、
もっとはっきり言えば、「涅槃」とは「永遠不滅という要素を持つ《存在の仕方》」なのか』
ということにもなろう。
あとは、一般的な問い『「我」は不変か?不滅か?どのようにあるのか?』等、
「アートマン」の「アートマンらしさ」はどこにあるのか、ということだろうw
(条件次第では、それはもはや「アートマン」とは呼べないものになるかもしれない・・・w)
前シリーズでは、
『三世に跨る業報の不完全性』
『因果の取捨選択は枠組み次第(≒恣意的)』
『「転生」という概念の曖昧さ』
『過去生の想起は果たして可能なのか』
という疑問を投下しておいた。
併せて、議論のおかずもしくはツマミになれば幸いである。
830 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 20:21:34 ID:9PfsX9a6
>>825 >帰敬序の八不はまさしく自性そのものである。
否定はいくら積み重ねても定義にはならない。
肯定的定義の自性はありえない。
831 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 23:53:55 ID:DOzjDJ/Z
縁起の空は何色か?
当に色即是空と言うことだろ。
空は青、白、赤、暗闇、虹の七色、何色にも染まる。
白鳥とは違う。
832 :
暁:2009/07/09(木) 23:57:27 ID:HFEYINaz
久々覗いたらキキョウジョが自性なんてレスがあって噴いたw
オーラやなんかで人を騙す輩には無自性が都合よくないのは
わかるけど酷いなw
833 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 01:06:17 ID:WAefAtBY
>>823 >竜樹は、自性を批判するばかりで、無自性の証明を何もしていない。
>ただ、<空>と言うばかりである。
「相互依存性」「関係性」を「無自性」とすれば、無自性は「万物」について
容易に証明できるではないか。例外は「皆無」であるこれほど普遍的な原理は
ない。
834 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 01:11:09 ID:b0WKBUXj
さて、それではアホカラスの主張をまとめてみようかね。
1> 瞑想などにより、その境地を知り、真理を悟る
2> 修行を完成し業を滅ぼし、輪廻の鎖を断ち切り、涅槃に達する(即ち解脱する)
この1と2の違いがイマイチはっきりとしないところがあるが
>>3 の文も合わせて
読むと1は2の前段階ということなんだろう。
そして、カラスの言うところではゴータマは1には至っているが、2には至ってなかった。 と、まぁ、こう主張するわけだな。
すると、色々疑問が生じる。
「輪廻を断ち切ってなければ当然、生まれ変わっている。ゴータマの生まれ変わりって誰?」
「自分で体験したこともない、『解脱』や『涅槃』について、語っていたのか?ゴータマは」
俺も色々な仏説見てきたが、ゴータマは解脱していないと言うのは初めて聞いた。
ところで、宝珠よ。
お前は以前のレスで
「カラスは仏教の教えを正しく理解している」と書いていた。
ならば、当然このカラスの「ゴータマは解脱などしてはいなくて涅槃にめ達していない。」
これを支持するな?
835 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 01:33:57 ID:WAefAtBY
>>826 >やはり、彼の野心が表れた文献がありましたか。 深謝。
>キリスト教でも、「自称イエスに愛された弟子」というナルシスト?な
>野心家が想定されます。
「野心家」などという言葉を使うのなら、「私は神の子。神の座の右に
座る。アブラハムより前からいた」などという妄言をはいたイエスこそ、
最大の野心家ではないか。野心家を通り越して、完全な「妄想患者」で
ある。
竜樹の「縁起・空(関係性)」の思想の展開がなければ、佛教は単なる
カルト宗教に過ぎない。釈迦の「これがあるから、あれがある」では、
「世界を空と観しる」ことは極めて難しい。「これ」と「あれ」という
完全な「実体」が残存するからだ。
836 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 01:52:00 ID:7EWlj6Xw
>>834 君は馬鹿だね。馬鹿は黙ってたほうがいいと思うよ。
頭が悪すぎる。
837 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 02:17:19 ID:b0WKBUXj
>>836 どうした?カラス(笑) コテ忘れてるぞ
838 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 02:43:20 ID:b0WKBUXj
さて、宝珠は
>>834 にどのように答えるかな?
「カラスは教えを正しく理解している」と言いきっている手前、まさか「カラスの見解は誤りである」
とは言えないだろう?
カラスは何度も自己の主張を繰り返しているから、酒のせいや失言とするわけにもいかない。
すると、「ゴータマは解脱などしていなくて涅槃にも達していない。」
これに同意するか?
まさか、以前のように、のらりくらりと、わかったようなわからんようなレスを繰り返し、ほとぼりが覚めるのを待つか?
さて、どうすると思うか?カラス。お前も楽しみだろ?
839 :
一在家:2009/07/10(金) 08:06:48 ID:mBpM1g5H
>>835 >「野心家」などという言葉を使うのなら、「私は神の子。神の座の右に
>座る。アブラハムより前からいた」などという妄言をはいたイエスこそ、
>最大の野心家ではないか。
イエスは「私は神の独り子です」とは言っておりません。
またイエスは「私は神の座に座る」とは言っておりません。
3福音書を読む限り、「私は人の子です」を繰り返して表明されてます。
自称イエスに愛された弟子が洗脳「イエス=神自身=神の独り子」をかけ、
それを知りながらエイレナイオス、アタナシウスが担いで、正当化した
ということを認識しております。
同様に釈尊を超える野心を持った天才が洗脳「非我=無我」をかけた
というのが私の仮説です。
本スレのかきを読みますと、中論さんと唯物さんのコアの方々以外は洗脳が
説けて、冷静に龍樹を分析し出しているのが実相かと存じます。
何を所以とし、他者を批判し、討論に心を汚すか?
それは、自らの信念であり、信仰である。
故に仏教では、「我と我のものはない」と、正しく(正確にという意味ではない)考えることにより、
自らの煩悩の根元を断ったのである。動機がなくなれば、もはや行動を起こす意味が無い。
苦を捨て去る手段としての無我が説かれてあるのであり、
苦が消えれば、手段も捨て去る。これが仏教のやり方である。
必要とならば、仏教も捨て去るべきである。
自分がそれを所以として他者を傷付けているという自覚があるなら。
841 :
一在家:2009/07/10(金) 08:15:13 ID:mBpM1g5H
>3福音書を読む限り、「私は人の子です」を繰り返して表明されてます。
イエスは神の預言者というスタンスを維持しているかと存じます。
カラス氏や宝珠氏と似て、私も旧約聖書や日本神話に登場する最高神の奥の
神の存在を伺い、信じております。
ただ、北風と太陽と運動と、服を脱がせるアプローチが違うようです。
842 :
一在家:2009/07/10(金) 08:22:24 ID:mBpM1g5H
>3福音書を読む限り、「私は人の子です」を繰り返して表明されてます。
イエスは神の預言者というスタンスを維持しているかと存じます。
カラス氏や宝珠氏と似て、私も旧約聖書や日本神話に登場する最高神の奥の
神の存在を伺い、信じております。
ただ、北風と太陽と運動と、服を脱がせるアプローチが違うようです。
>>840 >何を所以とし、他者を批判し、討論に心を汚すか?
>それは、自らの信念であり、信仰である。
自らの信念に従い討論するのですから、できるだけ「正語」を使いましょう。
相手の見解に腹が立っても、「馬鹿」だとか「智慧が無い」という言葉は
避けましょう。 2chらしくないですけど。
智慧があるのは天与で感謝しましょう。
お金持ちが、お金の無い人に「金の無い貧乏人」と言えば、そのお金持ちは
人格完成からは最も遠く、「天国の門」や「涅槃」には到達できないでしょう。
>>828 >最初が闇ならば闇のまま、最初が光ならば光のまま、
>最初が悪ならば悪のまま、最初が善ならば善のまま。
最初がなければどうなるんだ?
くっくっく。
>>829 >否定はいくら積み重ねても定義にはならない。
そんな欧米的論理で佛法が理解できるわけがあるまいが。
場蚊ではないか。
くっくっく。
844 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 08:29:21 ID:XDkKhNSN
だからきみたちは、ヴェーダーンタ哲学及び、ウパニシャッドをよくよく熟考学習すべきだ。
845 :
一在家:2009/07/10(金) 08:45:26 ID:mBpM1g5H
>>843 >最初がなければどうなるんだ?
この現象界では「ビッグバーン=最初」しても問題ないでしょう。
現象界以外を仏の眼で見れば、ビッグバーンを引き起こした宇宙意思が
あるかも知れませんが。
846 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 08:47:57 ID:mBpM1g5H
>場蚊ではないか。くっくっく。
お宅には蚊が多くて、苦しそうですね。
アースジェットもありますから、お宅の蚊を追い出されては如何
でしょうか。
847 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 08:52:51 ID:XDkKhNSN
ビックバン以前にも宇宙は存在したし、想像を絶する回数、宇宙は収縮と膨張を繰り返してきた。しつこいようだが、「結果」としての宇宙・世界が現に存在する以上、「原因」が無ければならない。また、この人間世界だけが真実であると考えてはならない。
848 :
一在家:2009/07/10(金) 08:57:51 ID:mBpM1g5H
時間軸も加えた4次元で見れば「因果の法」。
これを3次元で見れば「縁起の法」。
私の100階建てビルの譬え話での、「階」違いでしょう。
言い争う必要もないかと存じます。
849 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 08:59:15 ID:PLLLAxJ/
>>834>>838 私の主張は常に一貫したものです。
ゴータマこそが仏陀なのです。解脱成仏を果たした実体験者であり、
その自己の体験に裏打ちされた話をしているのだと。
従って、その説かれた仏法(解脱理論/方法)は信頼できるものであり、
大乗のような空想と想像の産物ではないのだと。
もしこれを受け入れなければ、仏教理論は成り立ちません。
ゴータマが仏陀ではなく、架空の推定理論を述べたに過ぎないのであれば、
仏教としての価値は大きく失ってしまうでしょう。
確かに、
我々は涅槃から程遠い状態に生きる凡夫であるために、
自分の体験から照らしてゴータマが仏陀であるという確証を得ることはできませんが、
少なくとも、ゴータマが説いてきた様々な説法を総合的にみて、
或いは細部をもみることによって、
非常に信頼に足り得る高次の覚者存在であるとして、
恐らくは、この方こそ「仏陀(buddha)」であるとして
信頼することができるのではないかと思います。
850 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:00:15 ID:7pJWmaEt
真言不在になって以後、凡夫と外道と吉外しか居なくなってしまった。
851 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:03:12 ID:7pJWmaEt
>>849 >確かに、 我々は涅槃から程遠い状態に生きる凡夫であるために、
>自分の体験から照らしてゴータマが仏陀であるという確証を得ることはできませんが、
あなたは、外道。
凡夫じゃないよ。
852 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 09:08:18 ID:PLLLAxJ/
>>797 〜何を今更??
凡夫(人知)の及ばぬものを知覚し、それについて教えた存在が仏陀と呼ばれるのですよ。
他のただの人間(凡人)たちと一緒にしないで下さいな。
>>820 >竜樹の「中論」そして有と無の話は、
>アートマンを否定している人たちの根拠を吟味しているのです。
>否定しているけど、その根拠は? という文脈ですね。
>急がば回れ、根拠を崩してしまう方法もある。
なるほど〜了解しました。
では、あなたがたがその分野の専門でしょうからお任せします。
853 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 09:09:55 ID:PLLLAxJ/
>>812 >仏教を信奉もしていないのに「これこそが真のブッキョウだ」というわけですか?
>新興宗教はお断りです。
心配は要りませんよ。何もあなたを神智学徒にしよう、などという意図はこの私には更々
ありませんから。
いいでしょうか?私が通常、「仏教徒」と呼ぶ場合には、正確には“ゴータマの教えを正
しく学んでいる人々”という意味ではありません(本人はそのつもりかもしれませんが・・)。
世の中にある<仏教イコール/ゴータマの教え>などというものではない。
従って、私は現存する如何なる仏教諸派(最も伝統的や主流であれ)とも見解が異なる
から、それらのどこには同意しないのです(従って、自ら望んで所属しない)。そのような意
味においては、現存する仏教諸派の人間がその外部の者よりゴータマのお教えに近いと
ころにいる、などとは必ずしもいえない(この私から見れば)。
>実証できるようになってからお話くださいな。
>それまではROMっててください。迷惑ですから。
「実証」などと簡単に言うものではありませんよ!そのための議論の場としてここを設け
たのです。人間、間違いを指摘されても長いこと信じてきた事柄は簡単には素直になれな
いものです・・時間がかかる。
肝心なことは問題点や疑問点を浮き彫りにすることです。“伝統”などの上に胡坐をかか
れていては困ります。
854 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 09:12:24 ID:PLLLAxJ/
>>798 >原始仏教なんてものは後世の仏教学者が
>作り出したものでそんなものは無いと思うけど。
>
>知識の深さは日本の仏教学者の比ではないことぐらいわかるだろ。
要するに、
伝えられてきたという伝統をただそのまま信奉するだけなのですね!
とにかく、「原始仏教なんてない」には・・この私は絶句しました。
学者の研究成果なんかは無視すると・・・。客観性による真義を問う(学問)は無意味だと?
あなたの姿勢は分りました。残念です・・。
>>799 >心の作用には有為法も無為法もあるといってるだけですよ。
>有為法の心の作用を滅すれば択滅の涅槃でしょ。
そんな〜デタラメでは困ります!(良い子が真似をしますよ)。
ゴータマは、五蘊の全ては自己(あなた)ではないから“厭い離れなさい”といってるの
ですよ。どうして、心の作用を含めた五蘊の全てから厭い離れろと教えているというのに、
如何にして、その心の作用(受想行識)が無為で涅槃に通じるものなのだ、などという主
張が通用するのですか?
『大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我という
のでありましょうか。
ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。
行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、
受を厭い離れ、想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、
貪りを離れる。貪りを離れることによって、解脱するのである。』
(相応部経典23-17/無我)
855 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 09:13:51 ID:PLLLAxJ/
ゴータマはこれと同じ話を、それこと同じことばかりを手を変え品を変え話し続けている・・。
それは何故なのか?要するに人間というものは、自己ではないもの(五蘊)を自己である
と見なして止まないからです。肉体、及び心の作用がわたし(自己)であるという感覚から
どうしても逃れられないからですよ。
しかし、ゴータマはその感覚が無明ということであり、五蘊を自己であると見なしていると
ころから人の苦脳が生じるのだといっているのです。五蘊を自己と見なして、それにしがみ
付いている内は決してニルヴァーナに到ることはない、と教えているのです。その厭い離れ
るべき五蘊(肉体と心の作用)はアートマンではない、といっているのです。アートマンでな
いものから厭い離れなさいといっている。
そんなことも分らず・・・ただ二千年以上も伝統とやらに固執してるのですか?(どこから誤
ったか不明ですが・・) そこでは一体、何を教えているのです?この私の何倍、何十倍も経
典を読んで仏教の教理に詳しい筈のあなた方の理解とはこんなものですか?
ただ自慢げに漢訳仏教用語ばかり連ねていても、何の意味もない・・。
「末法仏教徒」という話が出ていますが、あなた方はこれは自分らは違うと思っている。これ
は分派/諸派のことであり、異端派のことであると。しかし、実際には、この末法仏教徒という
警告から免れた学派など一つもないということを思い知るべきです。
856 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:14:36 ID:b0WKBUXj
>>849 あれ? ゴータマは解脱成仏してる?
おかしいな?カラスの主張と全く食い違ってるぞ。
お前が言ってた「カラスは教えを正しく理解してる」
あれはウソだったわけ?
ゴータマが解脱してるか否か?
これは仏教の根本に関わる重大な部分だよな?
「そこのところだけ、カラスはたまたま誤解した」
なんて、言い訳もあり得んし。
さて宝珠よ。
「カラスは教えを正しく理解している」
あれは何?
ウソだったの?
857 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:18:29 ID:fA3+5HHB
>>843 >そんな欧米的論理で佛法が理解できるわけがあるまいが。
欧米論理ではなくウパニシャッドのヒンドゥー論理だね。
しかし、論理は普遍でいつどこの誰の論理なんていうことは無い。
法と同じだね。仏法だけが法ではない。
858 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:20:09 ID:XDkKhNSN
じゃああなた、その原始メソッドで悟ってごらんなさいな。それと「ニルヴァーナ」とは何か説明出来ますか?まさか「永遠の平安」なんて言うなら、もう相手しないよ。大乗を否定する者は利己主義であることに変わりなく、エゴイズムの権化
859 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:27:24 ID:XDkKhNSN
ウパニシャッドやヴェーダーンタ派の見解を学び瞑想実践していないような者が、ブッダダルマを語るもおこがましい。大乗を否定するような人々がインドをこれ程までに堕落させたのだよ。その責任は我々にもある。
860 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:34:07 ID:XDkKhNSN
宝珠ってアートマン肯定論者のくせに大乗を否定する。日本の大乗の歴史にトラウマがあるんじゃない?マジで修行していた高僧はたくさん居たのにね…真面目に大乗経典を学ぶべきだ。
861 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:47:05 ID:fA3+5HHB
>>860 >宝珠ってアートマン肯定論者のくせに大乗を否定する。
いや、アートマン肯定論者だからこそ大乗の一切法空、
諸法実相は空を否定したいんだろ。
空こそアートマンという実体の否定そのものだから。
しかし仏教はすべて「無我」を説くことに変わりは無い。
「無我」の発見がゴータマ・ブッダの悟りだったんだろうね。
インドで「無我」を主張したのはゴータマ・ブッダの仏教だけ
だからね。仏教を外道と批判するジャイナ教の「無我」の否定
論争は面白いね。
結局「諸法無我」の仏教はインドではヒンドゥー教に併合されて
13世紀にあえなく仏滅となってしまった。
862 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 09:52:56 ID:PLLLAxJ/
>>858 >大乗を否定する者は利己主義であることに変わりなく、エゴイズムの権化
何か誤解が起こっているようです。「ゴータマ/原始仏教」、そして「小乗仏教」「大乗
仏教」の三つが存在しました。何も大乗の利他を否定しているのではなく、それは元々
のゴータマの仏教にはあったものです。そしてゴータマは在家の育成にも大変、熱心
でありました(遊行はそのためのものです)。
しかし、ゴータマ亡き後に伝統教団が自己の解脱のみに固執して山林に篭る小乗グ
ループと化したために、それに反旗をひるがえして登場したのが大乗なのでした。とこ
ろが大乗には、本来のゴータマの教えを纏めたアーガマがなく、そこで独自の勝手な
理論を展開した経典を製造するに至ったのです。
>>859 ハテな??逆でしょう?
自称/仏教徒らがウパニシャッドやヴェーダーンタ派を外道として否認しているのです。
正しいヒンドゥーの覚者の側はゴータマを批難/否定することはありません(ゴータマは
マヤカシを説くために出現したヴィシュヌの化身であったという俗信ではなく)。
この私は外道でありw 一応、ウパニシャッドやヴェーダーンタを真理として受けて入れ
る人間の一人です。実践している一つの瞑想はクリやヨーガの系統です。
>>860 もちろん、個々の僧侶には基本的には敬意を表します。個人的には空海を尊敬します。
日本の大乗は中国の影響を受けており、残念ながらゴータマの教えを纏めた阿含経の抹
殺を図りましたからね。阿含経の不遇の歴史について、どうぞ調べて下さい。
ダメなものはダメということ!(大乗の理念な理論の全てがダメというものではなく、優れ
た部分はある。)
我(われ)でない存在が人々に語ることはできないのだから滅びて当然だわな
864 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 09:57:50 ID:PLLLAxJ/
>>861 >いや、アートマン肯定論者だからこそ大乗の一切法空、
>諸法実相は空を否定したいんだろ。
>空こそアートマンという実体の否定そのものだから。
そうではなく、「空」とは現象界の性質についての理解のことだといっているのです。
従って、現象界を超越した概念については適応されない。
私は、ニルヴァーナも「空」などいう愚論に気付けといっているのです。
>>853 > 従って、私は現存する如何なる仏教諸派(最も伝統的や主流であれ)とも見解が異なる
> から、それらのどこには同意しないのです(従って、自ら望んで所属しない)。
実に明快な外道宣言ありがとうございます。そしてさようなら。
自分のスレに行かれることを強くお勧めします。
ここは独自宗教を語るスレではありません。
> >実証できるようになってからお話くださいな。
> >それまではROMっててください。迷惑ですから。
> 「実証」などと簡単に言うものではありませんよ!
実証もせずに「簡単に」超能力はあるとか断定してきているのは
あなた自身の責任です。以後慎むように。
866 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 09:59:38 ID:b0WKBUXj
>>855 > そんなことも分らず・・・ただ二千年以上も伝統とやらに固執してるのですか?(どこから誤
> ったか不明ですが・・) そこでは一体、何を教えているのです?この私の何倍、何十倍も経
> 典を読んで仏教の教理に詳しい筈のあなた方の理解とはこんなものですか?
まず自分自身がなにも悟っていないにも関わらず
人に対して「そんなことも分らず」と見下してしまうような愚かさ、傲りを砕くことです。
もう少し謙虚になる必要がありますね。仏教はそこからです。
頭で理解した気分になっても実践から遠のくのであれば「なにひとつ」変りません。
あなたはその状態です。
> ただ自慢げに漢訳仏教用語ばかり連ねていても、何の意味もない・・。
同様にただ自慢げに神智学用語を連ねて、解説書を引用したりしても、何の意味もない。
> 「末法仏教徒」という話が出ていますが、あなた方はこれは自分らは違うと思っている。これ
> は分派/諸派のことであり、異端派のことであると。しかし、実際には、この末法仏教徒という
> 警告から免れた学派など一つもないということを思い知るべきです。
外道にそんなことを言う資格があると思ってる時点で、少々常軌を逸しています。
少し頭を冷やしてみてはどうでしょうか。
868 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 10:07:27 ID:fA3+5HHB
>>854 >伝えられてきたという伝統をただそのまま信奉するだけなのですね!
どこを読めばそんな解釈になるのかな?
俺は宗教としての仏教に興味は無い。
思想・哲学としての仏教に興味がある。
仏教の歴史も興味があるね。
いまは、インド・中国でなぜ仏教が亡んでしまったかを
調べている。
原始仏教が無いことくらいいま仏教を信じてる仏教徒に
聞けばすぐわかるよ。だれも私の仏教は原始仏教です、
などとは言わない。
もともと仏教に教義なんてないのだから仏教が教義によって
部派や宗派に分かれることがおかしい。
インドの僧院では大乗も部派(小乗)もおなじ僧院で一緒に修行
していたようだね。イスラムに攻撃されたビクラマシー寺院も
大乗もいれば小乗もいた僧院だったんだろ。
寺院が宗派に分かれたのは中国や日本に来てからだろ。
869 :
一在家:2009/07/10(金) 10:08:26 ID:mBpM1g5H
私は原始仏典と法華経(大乗)しか一読しておりませんが、高3までは
毎日般若心経を唱えておりました。それが「縁」でこのスレに居ます。
法華経の全部とは申しませんが、「方便品」や「如来寿量品」などは、
スッタニパータやディーガニカーヤとの違和感も感じられませんし、
互いを鏡にして見ても互いの輝きが増すように感じる次第です。
大乗の開祖の多くは、前世で悟りを開き輪廻する必要の無くなった
修行完成者達であり、多分「衆生済度」の発願にて再生してきたと
認識しております。
原始仏典に登場する人達も含まれているでしょう、多分。
870 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 10:09:59 ID:PLLLAxJ/
訂正
>>862 ×「クリやヨーガの系統です」
○「クリヤヨーガの系統です」
×「大乗の理念な理論」
○「大乗の理念や理論」
>>866 私であれ、一在家さんであれ、カラスさんであれ、
当然、学んできた経緯も内容も異なるわけですから、
細かい部分ではそれぞれ異なって当たり前です。
871 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 10:19:54 ID:b0WKBUXj
>>870 なんだ? また、のらりくらりと誤魔化して逃げる気か?
「細かい」部分は異なって当たり前?
「細かい部分」??????
アホかね。
「ゴータマが解脱しているか否か?」
これは全ての仏説に信をおけるか否かに関わる根本だろうが。それを「細かい部分」だ?
誤魔化すにしても、もう少しは工夫をしろ。
さぁ、はっきりと逃げずに答えてもらおうか。
お前が言っていた「カラスは教えを正しく理解している」
あれはウソだったのか?
872 :
一在家:2009/07/10(金) 10:20:58 ID:mBpM1g5H
>>869 自己レス
>大乗の開祖の多くは、前世で悟りを開き輪廻する必要の無くなった
>修行完成者達であり、多分「衆生済度」の発願にて再生してきたと
>認識しております。
固執すれば苦につながるというのは方便でしょう。
自己実現欲(芸術、科学、スポーツ、他)、人類愛、利他心、衆生済度などに
固執するのは歓喜につながることも多いかと存じますので。
873 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 10:23:22 ID:PLLLAxJ/
>>867 >外道にそんなことを言う資格があると思ってる時点で
ゴータマの教えから逸脱した
伝統信奉主義者から「外道」呼ばれても、別に何のこともありません。
これは「外道」による理解と自称「仏弟子」による見解の
どっちがゴータマ思想の本質により近いかです。
たぶん、外野席の人間のほうが冷静に判別つきやすいでしょう。
すでに気付いてきた人が僅かに出てきたように見えますが・・。
>>873 > ゴータマの教えから逸脱した
> 伝統信奉主義者から「外道」呼ばれても、別に何のこともありません。
> これは「外道」による理解と自称「仏弟子」による見解の
> どっちがゴータマ思想の本質により近いかです。
自分こそが「真の仏教」を理解している、というスタンスですね。
でも、それこそが「カルト」なんですよ。
新興宗教なのです。
>>853における外道宣言は、伝統信奉主義者から言われたことではなく、
あなた自身が自ら表明している外道としての特性です。
あなたが外道宣言したから、それを受けてあなたを外道と呼んでいるのです。
それを人から外道と言われたかのようにして「また誤魔化していく」
こういう浅ましさを恥じろといっているのです。
宗教以前に人としてダメだと思います。
私があなたに対して嫌悪感を隠さないのは、教義的な問題からではありません。
(それ故に、私はカラスに対してはあまり反論しない)
あなたのロジックの組み方とそのイヤラシイ浅ましさが気に入らないからです。
875 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 10:41:15 ID:b0WKBUXj
お前は
>>849 で自分自身で言ってるな?
「ゴータマが解脱者であることを受け入れなければ、
『仏教理論は成り立たない』」
こう言っていて、すぐに
「ゴータマが解脱してるか否かは細かい部分」だと?
お前 その場その場でコロコロと言うことを変えるその癖、 なんとかならないの?
876 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 10:41:32 ID:fA3+5HHB
>>864 >私は、ニルヴァーナも「空」などいう愚論に気付けといっているのです。
仏教である限り「無我」だね。説一切有部のような部派でさえ「我」は
認めていない。
ただ説一切有部は「三世実有 法体恒有」の実体を認めてるから
それでは「諸行無常」も「諸法無我」を成り立たないといって仏教内で
それを批判したのが中論だろ。
宝珠愚者よ、あなたは薄気味悪い世界の住人です。
自分の意見に反論が出て、言い返せない時は
既に語られた意味のない言葉を繰り返して「さも反論したかのように見せる」
いつの間にか自分の意見を切り替えて「最初からその意見だったかのように見せる」
反論に窮してくると「では逆に質問です」と相手に話を振って、自分から目をそらさせる。
輪廻の時には「仏典に準拠せよ」といっておきながら自分がそう言われると人を伝統信奉者呼ばわりする。
こんな薄暗いことばかりやっているのがあなたです。
あなたのここの精神の層の波動は異常に低い。ヘドロ並です。
878 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 10:59:58 ID:fA3+5HHB
>>855 >自己ではないもの(五蘊)を自己である
>と見なして止まないからです。
釈迦は「自己」と「我」は厳密に使い分けている。
五蘊の「自己」が実在しなければ「自己」は「我では無い」
のに「我である」と思うことが間違いだなんて説法はできない。
「自己こそ自分の主である」とも言っている。
この「自己」も「我」でないことは明らかだろう。
879 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 11:13:57 ID:b0WKBUXj
また逃げ出したか? 二枚舌、宝珠は!
ホントにカスだね、こいつは。
誤魔化しきれないと見るや、直ぐ様、逃げ出して、ほとぼりの覚めるのを待つ。
或いは、論点をずらした短いレス(長く語ると分かってしまうから)
をして、いかにも自分は答えてますよとポーズをとり時間稼ぎをする。
時間がたてば、反論者の矛先も鈍ると期待してのことだろうがな。
全く姑息なやつだね、コイツは。
880 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 11:23:45 ID:fA3+5HHB
>>845 >この現象界では「ビッグバーン=最初」しても問題ないでしょう。
現在のビッグバン宇宙論では時間の起源、宇宙時刻ゼロには到達できない。
物理学で絶対温度ゼロに到達できないのと同じだね。
論理的には最初の時刻の「前」に言及すれば「原因の無限遡及」という
過誤に陥る。
宇宙以外の存在についても同様だね。宇宙の外は無い。
881 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 11:26:47 ID:PLLLAxJ/
>>876 ]ゴータマは五蘊が無我と述べただけです。
>>854参照
「諸行無常」「諸法無我」は現象界に限定される話です。
>>390>>790参照
『原始仏教で「もの」というのは「無我性のもの」にかぎられるから、この諸法は諸行
と同じく、現象としての一切法ということになる。』(水野著『要語』p160)
『諸行とは生滅変化する一切の現象法を指し、有為と同義である。すべての現象は
一瞬の停止もなく、無常にして生滅変化するというのが諸行無常である。』(p158)
ニルヴァーナは現象界を超越した世界です。
>>94参照
>>877 “教え”についての内容でまともな反論ができないと、ついに人格攻撃と中傷が始まります。
私からの指摘が核心に迫ってきたこの最近において急激に増えてきたように思います。
私のヴェブには「ウィルス」がおり、私は「二枚舌」で「ヘドロ並」で「吐き気が出て」・・・。
“くだらない”ことではなく内容でお願いします。>ALL
882 :
一在家:2009/07/10(金) 11:31:15 ID:mBpM1g5H
>宇宙以外の存在についても同様だね。宇宙の外は無い。
3次元で見れば、おっしゃる通りですね。
光子や素粒子になると時間の概念が異なるでしょうが、スレ違いでしょう。
>>881 > “教え”についての内容でまともな反論ができないと、ついに人格攻撃と中傷が始まります。
というより、そっちからまともなソースが出てこないわけです。
それなのにいつまでもネチネチと持論をごり押ししてくるのはアナタです。
分った気分で書いているというのもそっちが言ったこと。外道も愚者が自分で言ったこと。
ソース出して補強できればするのに、というのもそっちが言ったこと。
無矛盾だから正しいというロジックはダメだよと指摘してあげたのに無視してるし、
如是我聞についてもそう。まともな反論ができてないのはそっちなんだけど、
やっぱりこうやって「すぐに相手のせいにする」
> “くだらない”ことではなく内容でお願いします。>ALL
人格問題はくだらないことじゃないですよ。
むしろ人格問題以上に大切なことなんてない。
ただ「非難された。文句言われた。攻撃された」としか受け取ることができないのは
あなた自身の器の小ささです。
もっと謙虚になって、少しは自分のやってることを直視しませんか?
そもそもあなたの性格では真我に目覚めるなんて遠い話です。
あなたの心には愛もないし、客観性への信頼もない。(そういえば案外旧7にあるな〜と思う)
万能感への執着心しかない状態で、一体なにに目覚められるというのです。
あなたは自説を人に説く段階にあるのではない。カラスであれ旧7であれ、
どこかの部分は真理に向かっているけど、
あなたは本格的に「気分だけ」です。これが危険だといっているのです。
884 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 11:47:30 ID:b0WKBUXj
>>871 >>875 への回答はどうした?
都合の悪い書き込みには、答えずにスルーして誤魔化す
お前のそういう態度が非難されてるのも理解できないくらいバカなんですか?
ほら、逃げずに答えてみろ。
みんな、見てるぞ。
885 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 11:48:33 ID:PLLLAxJ/
>>883 個人攻撃、人格中傷することなく、
この私と清々堂々、“教え”の内容そのもので議論し尽くしたのは真言氏だけです。
修行の成果が垣間見えましたね。
886 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 11:54:46 ID:b0WKBUXj
どうした?宝珠
反論できないの?
だから、スルー?
お前がそういう態度だから、二枚舌と言われるんだよ。
>>885 また自分が返答してこないことを棚に上げてますね。
議論が進まないのはあなたのせいなんですよ?
888 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 12:08:15 ID:b0WKBUXj
また、逃げ出したか?
どうしようもないね、この宝珠ってやつは。
都合の悪いことは、とにかく逃げ回る。
これが、仏法を語る者の態度かね?
889 :
一在家:2009/07/10(金) 12:09:19 ID:mBpM1g5H
>個人攻撃、人格中傷することなく、
>この私と清々堂々、“教え”の内容そのもので議論し尽くしたのは真言氏だけです。
釈尊、イエス、マホメッドも個人攻撃、人格中傷どころか命も狙われましたよ。
人に法を説くというのはそういうものだと思えば、腹も立たないでしょう。
私のようにレスがほとんど付かないよりは宜しいかとも存じます。
890 :
一在家:2009/07/10(金) 12:21:22 ID:mBpM1g5H
本スレでは仏教は哲学だという意見が散見されますが、そうでしょうか。
苦しみ悩む現代人を哲学で救えますか? 疑問です。
2500年前の人々を哲学で救えますか? 更に疑問です。
釈尊もイエスも奇跡(神通力)にて人々を救った後に、法を説かれた
のだろうと思量致します。
イエスと弟子達は手当てにて癒されました。
釈尊は読心通と対話にて心を救ったのだろうと推測します。
疑われる方は、あなたの家族の悩みを哲学で救えるかトライすれば
すぐに分ります。
891 :
宝珠愚者:2009/07/10(金) 12:22:24 ID:PLLLAxJ/
>>888 カラスさんの投稿でいいたいことがあるならば、カラスさんにお願いします。
いつまでもくだらないことをいってないでヨロシクです。
>>889 はぃ、承知しています!
私は全然、立腹してません^^←ニコちゃんマーク
静観して見ている人が、
誰が人格攻撃ばかりに精を出しているのかが分ります。
投稿の全ては記録で残されていますよ。
また、あなた方が理解せずとも、他の閲覧者の中に理解者がいることを私は期待しています。
いつの世も、常に真実を知るものは僅かなのです。
ソースが出せないということと
自分が正しいという「前提」を持っていることが明らかになりましたね。
893 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 12:31:43 ID:XDkKhNSN
しかし、宝珠氏は嘘をつくね。あたかも大乗経典に釈尊のアーガマ的要素、つまり四聖諦や無明から苦老病死にいたる縁起のプロセスが無いかのごとく語る。これは嘘ね。試しに法華経を開いてみな
894 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 12:34:25 ID:XDkKhNSN
あと、ナーガルジュナの「空」について根本的誤解をしている方がいらっしゃるみたいです。宝珠さん、自画自賛はいけません。殉教者は黙ってイエスのごとくあれ、です。
895 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 12:35:12 ID:XDkKhNSN
駄目なものはだめって、土井たか子さんか?
>>831 >縁起の空は何色か?
1 生滅するもの、変化するものが有為であり、無自性とされる。
これはこの世のことであり、オールカラーの天然色である。三次元?
2 七不・・・不生・不滅、不一義・不異議、不去・不来 + <不断>
これは自性であり常住である。色は透明な白だろうか。四次元?
3 八不・・・七不 + <不常>
<不常>が加わることで、常住から虚無になり、真っ暗な闇になる。
時間が存在しないブラックホールのようなものである。0次元?
4 言葉 ・・・ 白と黒か。二次元?
897 :
一在家:2009/07/10(金) 12:52:55 ID:rmwW8W9h
>>890 >イエスと弟子達は手当てにて癒されました。
>釈尊は読心通と対話にて心を救ったのだろうと推測します。
釈尊の伝記にも毒蛇・毒虫を避ける術とか、釈尊の神通力に関する
記述は多数見受けられます。
それらの中でも読心通や三明智(通)はスッタニパータや長部経典にも
記載があります。
500人の比丘達と一緒にいる時に度々読心通は発動されております
ので、後世の仏典結集の際にも正しく記録されたことと存じます。
バラモンの師匠も弟子達に「道の人には心の中で質問せよ。」と厳命
しております。
まあ、舎利弗や目蓮らには聞こえていたでしょうが。
このスッタニパータの一節を信じる人は信仰者で、ある筈がないと
否定する人が哲学者でしょうか。
バラモンの弟子が念じて、釈尊が答えるのも、縁起の一つでしょう。
898 :
あーとまん!:2009/07/10(金) 12:55:01 ID:nCXb/IY6
なんだっていいんだよ! 理屈野郎ども!
ゼロ次元(黒)→二次元・言葉(黒・白)→三次元・空間(天然色)→四次元・時間(透明)
こうやって並べれば、言葉の役割や限界が見えてくるし、相関関係と因果関係の位置づけも
できるかもしれない。意外にも、相関関係のほうが因果関係よりも格下になっている。
* これらの話は参考程度の仮説にすぎないのでこれ以上の説明はしない。
900 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 13:06:50 ID:fA3+5HHB
>>872 >自己実現欲(芸術、科学、スポーツ、他)、人類愛、利他心、衆生済度などに
>固執するのは歓喜につながることも多いかと存じますので。
自己実現など論理矛盾だろ。自己はすでに実存するからああしようこうしよう
と思えるのだろ。いまさら「自己」をどのように「実現」するのだ?
あなたは身体の無い「幽霊」ですか?
あなたは心の無い「非人」ですか?
自己実現ではなく、自己の心身をよく整えることこそ望まれことではありませんか?
>>899 の続き
竜樹は「中論」で、言葉によって時間や変化を否定し、
四次元 → 三次元 → 二次元 と世界をレベルダウンさせ、
最後に、言葉の滅するゼロ次元、暗闇の世界を妄想したのではないだろうか。
902 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 13:11:59 ID:XDkKhNSN
やはり釈尊の教えの実践的要素の中枢はヨーガだと考える。ヨーガには哲学の道、信仰の道など様々です。お釈迦さまはおそらく法話されただけで悟りを与える能力があったのでしょう…
903 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 13:13:02 ID:fA3+5HHB
>>382 >3次元で見れば、おっしゃる通りですね。
3次元の宇宙など聞いたことないね。
4次元時空間の宇宙がこの宇宙だろ。
904 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 13:15:54 ID:XDkKhNSN
「空」について言えば、これは論証するのは不可能です。なぜなら思考領域を超えたところに存在する事柄であり、心で認識把握できない…しかし「無い」わけではない。「有る」とも言えない。「ネティ、ネティ…」(にあらず、にあらず)としか表現出来ない
905 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 13:18:33 ID:XDkKhNSN
少し乱暴ですが、仏教の「空」は「ブラフマン」と同義ではないかと?
乱暴すぎるが言いたいことは分らないでもない。
>>905 「ブラフマン」と言うより「ブラックホール」のような気がしてきた。
908 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 13:52:35 ID:fA3+5HHB
仏教はアートマンとブラフマンの両方をすてたんだね。
「梵我一如」は仏教ではない。
仏教は無神論だね。
909 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 15:14:06 ID:b0WKBUXj
>>891 バカ野郎が、そうやって論点ずらして、いかにも答えてるように見せかけて、逃げるから
姑息な二枚舌野郎って言われるんだよ。
「カラスのことはカラスに言えだ?」
お前がいつこのセリフを吐くか楽しみにしてたんだがな。
カラスのことじゃないの。お前の「カラスは教えを正しく理解している」と言う発言がもんだいなの。
論点すり替えてるんじゃねぇよ。
いいか?宝珠
カラスは「ゴータマは解脱などしていない」と言った。
そこで、俺は宝珠にこの見解を正しいと思うのかと聞いたら
「ゴータマは解脱している」とお前は答えたな、宝珠よ。
よって、俺が「以前、カラスは教えを正しく理解していると発言したのはウソだったのか?」と尋ねたら
お前はなんと、「細かい部分は異なることもある」と誤魔化しにきた。
自分で、「ゴータマが解脱していることを受け入れなければ仏教理論は成り立たない」と
言ってたくせに、痛いところを突かれるとすぐに、反対のことを言って逃げにかかる。
そして、また「カラスに聞け」などと論点をすり替えて逃げる。
910 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 15:23:55 ID:b0WKBUXj
お前が、そういう態度を続けるのならば、とことんやるぜ。
さぁ、答えてみろ。
「ゴータマが解脱しているか否かが、何故『細かい部分』なんだ?」
「お前が」以前に発言した「カラスは教えを正しく理解している」は
大ウソだったのか?
現在も同様に「カラスは教えを正しく理解している」
という見解であるならば「ゴータマは解脱していない」と繰り返し主張するカラスを
なぜ正しいとみなすのか?
さぁ、きっちりと答えてもらおうか。
いつまでも逃げ回ってんじゃねぇぞ!
911 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 15:33:00 ID:b0WKBUXj
それからな「人格攻撃はいけません」と言うなら、まず、お前のその態度を改めることだ。
「都合の悪い指摘は全てスルー」
「不味いとみるや、すぐに反対のことを言い逃げ回る」
これをまず、どうにかしろ!
ここに常住してるキチガイって幸福の科学っぽいな
おつむのできがよく似てる
>>910 しつけぇんだよ、おまえ。
この粘着力は、2chによくいる人格障害者、引き篭もりに多いんだよ。
おまえのしつこさは、異常だ。健常ではない。おまえ、自分の狂気に気づいていないだろう。
大体こういうストーカー体質の人間は、恐ろしく自己愛が強く、恐ろしく自己愛の強い
人間は、外に出て、他人から指図されるのが我慢できず、その恐ろしく強い我、ゆえに、他人と
うまくコミニュケーションも取れないので、社会に出ることもできずに引き篭もっている。
こういう引き篭もりは、他人と接しても、その恐ろしく強い我により、他人に不快感しか与えないので、
引き篭もって、自ら社会から隔離してくれるのは真におめでたいのだが、困ったことに在宅してても
こういうネット社会があるので、こういう引き篭もり我唯一の社会の接点として参加
してくるので、不愉快な、こういう人格障害者の我を押し付けられ、不愉快な思いを強いられる。
よぉ引き篭もり。実社会では、何の生産性も無いゴミのくせに、ネットで少しでも目立つ
人を見つけたら、必死で叩いて、てめぇの腐ったエゴを満足させてんじゃねぇぞ。おまえらがいくら
ネットで目立つ人を叩いたところで、おまえらは実社会では、ゴミのままなんだからよ。
ちゅうかネット社会でも単に不愉快なだけのおまえらは、ネット社会でもゴミなんだよ。
ちゅうかおまえよ、ゴータマが悟りを開き、真理を語ったのと、実際に真理に即した生き方を
実践し、この現象世界から解脱して涅槃に至ったかは、別の問題の話だ。おまえはこんな簡単な
道理もりかいできないほどの、頭の悪さだ。おれは、あの布施に対するアプローチ(教義自体は間違っていない)
から、ゴータマは真理を悟った人だろうが、おそらく涅槃には至っていないといった。
宝珠氏は、いやいや、そうではなく、ゴータマは修行完成者で、涅槃成仏したというスタンスだ。
この違いなどどうでもいいんだよ。ゴータマが実際に涅槃に達したかどうかなどどうでもいい話で、
重要なのは、彼が残した教えだ。お前はそんなことも理解しないで、必死でどうでもいいことに粘着して
宝珠氏に絡んでいる。ま、馬鹿につける薬は無いから、いくらいっても仕方ないんだろうけどな。
914 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 16:10:01 ID:VLMsGxeQ
大体2chなどのプレミアカードのスレや、高級時計、高級車などに常駐して、
異常な粘着力で、妬み根性丸出しで、スレをネチネチ荒らしてるのは、この引き篭もり
連中な。大体引き篭もりの心の99%は、妬みと悪意で出来ている。人間として
一番大事な良心は、わずか1%程度しか持ち合わせていないだろう。かれらはとにかく
まともな社会生活が送れないほど、恐ろしく我が強い。事実、他人とまともなコミニュケーション
が取れないので、引き篭もっている。どうせ引き篭もるなら、徹底して社会からの接点
を無くしてほしいのだが、困ったことに、2chなどのネット社会に常駐しては、己の腐った
エゴを撒き散らしては、他人を不愉快にさせている。ここで宝珠氏に対して
俺が、卑しい布施に対するアプローチから、ゴータマは悟りは開いたが、涅槃には行っていない
だろうという発言に対して異常な粘着力で絡んでる奴。どうみてもこの粘着力は、異常だろ。
ストーカー体質の(ストーカーなども、所詮は他人のことは考えず、己のエゴだけが満足できれば
いいという、恐ろしく自己愛の強い人が起こす、犯罪だ)人格障害者のサンプルだと観察するも
いいが、基本的にスルー、無視するのがいい。宝珠さん。異常な粘着力のこいつは、どうせ
まともじゃないし、無視するのがいいと思いますよ。どうせ論理的に説明してやっても
理解できるおつむじゃないようだしね。
916 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 16:21:06 ID:VLMsGxeQ
これを方便として仮のもの、とすると隠居の「自灯明」観に近いものとなります。
ゴータマの時代も、当時のバラモンといわれた、ヴェーダを思いっきり誤謬していた連中は、
自分達の古い教えを正したゴータマを、今の宝珠氏を攻撃している、ゴータマの教えを思いきり
誤謬している自称仏教徒達と同じく、激しくゴータマを誹謗中傷したものです。歴史は繰り返す。
いま、宝珠さんを人格攻撃している、自称仏教徒である、末法仏教徒達は、現代のバラモンなのです。
今のキリスト教徒が、現代のファリサイ派であるようにね。教義的な部分で反論するのではなく、
宝珠さんへの、人格攻撃にシフトしているのは、もはや論では、宝珠さんには勝てないという
いい証拠でしょう。ゴータマも当時のバラモン達から、激しい人格攻撃にさらされていたのです。
智慧のある人なら、どうやら自分達の信じる伝統仏教の教義は、誤謬じゃないのか?と気づき、
本当のゴータマの教えとはなんだったのかを、改めて探るんでしょうが、このような我執の強い人たちは、
決して自分達の間違いを認めないのです。ある意味、可哀想な人たちなのです。
918 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 16:28:19 ID:b0WKBUXj
お〜また出たかカラス(笑)
しかし、お前の
>>913 >>915 の書き込み
マジ笑ってしまったわ。
宝珠がちょっと前のレスで書いてた
「内容で反論できないとなると人格攻撃を始める」
そのまんまじゃん。しかも、全く的外れの妄想を長々と書いて。
そんなことしてると宝珠に叱られるぞ(笑)
「ゴータマが涅槃に達したかどうかはどうでも、いい話?」
まぁ、お前にとってはそうなんだろうね。
しかし、宝珠は全く正反対のことを言ってるぜ。
「ゴータマが解脱したことを受け入れなければ全ての仏教理論は成り立たない。」
この見解の相違はとても「細かい部分」とは言えないな
まさに、仏教の根幹に関わる部分だな。
ところで、カラス!
ゴータマは誰に生まれ変わったの? (笑)
>>918 あほかおまえ、お前、論理的話しても理解できる頭じゃねぇじゃねぇかよ。
いままでのやりとりでもそれはあきらかだ。
>ところで、カラス!
>ゴータマは誰に生まれ変わったの? (笑)
な、こいつ頭悪いだろ。おまえは論じるに値しないんだよ。
猿にいくら物理を教えても理解しないようにな。ちゅうか、おまえの粘着力は異常だ。
それすら気づかないだろ、おまえ。おまえ、吉外だからな。
はじめから論理的な話は通じず、また理解も出来ないほどの
頭の悪い相手で、異常な粘着力で悪意をぶつけてくる相手には、もはや
罵倒で返すしかないだろう。毒は、毒をもって制するだ。
いやもうひとつ手があったな。こういうやからは無視するに限る。どうせ論理的な
話し合いの出来る相手でもないし、論理的な話を理解できる頭も持っていないようだから。
気の毒にな。
921 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 16:47:59 ID:b0WKBUXj
>>919 >>920 おいカラス、何の反論にもなってないぞ。(笑)
反論できないと、馬鹿だの、頭が悪いだの罵倒だけして逃げるいつものパターンね。
ホント進歩ないね。
お前には、そのパターンしかないの?
お前はこんなところで、恥さらしていないでルシファー教でも布教してたら?
あ!消える前にゴータマの生まれ変わり教えてくれ。
知ってるんだろ?ケチケチするなよ(笑)
参考になりそうなので他スレからコピペ。
608 :神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 12:35:25 ID:kJqs8anQ
釈尊は、生きることは苦であり、苦の原因は欲望であると悟った。
苦から逃避する方法も数々提案した。
1、欲望を掻き立てる世俗から離れ、無為に暮らすやり方
2、すべては実体のない幻だからどうでもいいわ、と納得するやり方
3、何かをひたすら唱えラリってしまうやり方
4、この世の苦を我慢しておけば来世でシアワセになれるという妄想に浸るやり方
5、わざと余計な苦痛を自分に与え、もともとの苦を忘れるやり方
6、現在のことをひたすら実況中継して苦を考えないようにするやり方
今2と6が流行している。
>>921 反論は今までしてきたぢろ。
なのにおまえは一向に理解できないで、頓珍漢なことばかり言って絡んでくる。
あのよ、俺もゴータマは悟りを開き真理を語った人だと認めているんだよ。だが、俺がゴータマの教えを理解するのと、
彼が実際に解脱して涅槃に達したかは別の問題の話だ。
こういうと、もうこいつのおつむは混乱して、理解不能だぜ。
まわりの傍観者達から、頭の悪い奴だと嘲笑されているのも知らないで。
おまえは話しにならないんだよ。
ルシファーとは明けの明星。賢い人ならここでなにかあると気付く。
だが、おまえのような程度の低い者にルシファーという単語を聞かせたら、
とたんにこの反応だ。おまえのような程度の低い奴をみるにつけ、
つくづく、豚に真珠の聖句の正しさを認識できるよ。
もう飽きたかもしれないが、<悟り>の基本なので再掲しておく
<存在の大別> ・・・ 簡単な存在論
生物 ・・・ 物質 + 生命 → 生命活動 > 精神活動 > 識
無生物 ・・・ 物質 → 実体がある OR 実体がない ・・・ 審議中
<精神活動> ・・・ 簡単な認識論
現実 ← 認識 ・・・ 判断のない識 ・・・ 直接知覚
生物・無生物
判断 ・・・ 判断された識
判断基準 ・・・ 苦楽・善悪・愛憎など ← 縁起
925 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 17:45:17 ID:95693F8d
ロムっていれば経過はわかる。カラス氏も宝珠氏もあまり気にするな。
わたしもそうだが、名無しは基本的に無責任である。言い逃げする。
コテハンに粘着して楽しんでいるのかも。
それにコテをつけていても、下のようなことを平気で書くヤツもいる。
832 :暁:2009/07/09(木) 23:57:27 ID:HFEYINaz
久々覗いたらキキョウジョが自性なんてレスがあって噴いたw
オーラやなんかで人を騙す輩には無自性が都合よくないのは
わかるけど酷いなw
926 :
地球が天国になる話:2009/07/10(金) 17:47:59 ID:ZDJ2Tt+U
ついてる神社には もう行った?
928 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 18:04:42 ID:b0WKBUXj
カラスよ、お前なんか勘違いしてない?
俺は別にお前が「ゴータマは解脱していなくて、涅槃に達してはいない」と主張していることを非難してる
わけではない。
それは、お前のルシファー教の教義なんだろうから、全くかまわない。まさに「信仰」の範疇の話だ。
俺が一貫して、指摘してきたのは、宝珠の二枚舌を使い分ける態度についてだ。
こいつは、その場その場で自分の都合の良いように、コロコロとその主張を変える。
つまり、自分の味方であると認識した相手には、例え自己の見解と異なるどんなことを述べても
それを批判しない。
こいつにとって大切なのは正しいと信じる見解などではなく、自分を支持してくれる見方なの。
そうでなければ、お前が
>>3の発言をしたとき、直ぐ様「それは、間違っているカラスさん」と指摘していたはずだ。
しかし、今までのレスをみればわかるように、宝珠は一切そんなことはぜず、
のらりくらりと逃げ回るだけ。
俺の言ってることのどこが間違ってるか?
929 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 18:16:33 ID:b0WKBUXj
それから、カラスよ。
お前の言う「しつこい」という批判も的外れ。
宝珠が明快な回答をせずに逃げ回ってるから、こちらも繰り返し聞くことになる。
はっきりと答えるように宝珠に言うのが筋だ。
930 :
カラスの唄:2009/07/10(金) 18:27:00 ID:7EWlj6Xw
>>928 ゴータマが解脱して涅槃に達していないというのは
ルシファー教の教義だってよ。この頭の悪さを見ろよ。
俺も宝珠氏も、ゴータマは悟りを開き真理を説いたという見解は一致している。
それとは別に、ゴータマが実際に解脱をして、涅槃に達したかどうかなどの見解の相違など、
どうでもいい話した。
931 :
カラスの唄:2009/07/10(金) 18:36:46 ID:7EWlj6Xw
>>929 おまえは病的にしつこいんだよ。
自分のストーカー体質に気付かない時点で、おまえは病気だといってんだよ。
932 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 18:44:05 ID:b0WKBUXj
どうも、お前は通常の語法と違った言い回しをしているが
「悟りを開く」これは普通「解脱する」と同義語で使用されると思うが
お前にとっては違うみたいだな?
前者は単に、真理を体得するみたいな意味あいで使い、解脱して涅槃に達する前段階と位置付けてるな。
まぁ、お前の解釈はいいの。お前が「解脱して涅槃に達しているかどうかは、どうでもいいこと」
このように信じていても、全くかまわない。それはお前の信仰の問題だから。
しかし、宝珠は違うの。
あいつは、はっきりと「ゴータマの解脱を受け入れなければ全ての仏教理論は成り立たない」
こう言いきってるわけ。
そのスタンスをとりながら、ゴータマは解脱していないと主張するお前を
「正しく教えを理解している」と言うその矛盾が問題なの。
論点わかった?
933 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 18:48:31 ID:b0WKBUXj
>>931 だから、そういう反論にもなっていない
人格攻撃はダメだよって宝珠が言ってたろ?
叱られるぞ(笑)
934 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 19:14:02 ID:b0WKBUXj
いいか?カラス、論点をはっきりさせておくが、
お前が
>>3 の文で述べているように、お前がいくらゴータマを誹謗し、解脱などしていないし、涅槃にも達していない。輪廻の鎖を断ち切っていないと主張しても、
それはいいの。お前の信仰なんだから。
俺が一貫して問題としてきたのは、宝珠の態度の二重性についてなの。
宝珠は自分と異なる意見を主張するものが、少しでもゴータマを批判する
ような書き込みをすると、すかさず「ゴータマを誹謗するものは許せない。出ていけ!」
と これだな?
但し、自分の支持者のカラスなら問題なし。
さらに、「ゴータマの解脱を受け入れなければ全ての仏教理論は成り立たない。」
こう言っておきながら、カラスが「ゴータマは解脱していなくて、輪廻の鎖も断ち切れてない。」
このように主張しても「細かい違い」と言い逃れる。
俺が指摘してきたのは、このような宝珠の二枚舌を使い分ける態度なの。さらには、自己の主張を押しとうそうとして、論点をずらしたり、のらりくらりとはぐらかす、その態度。
わかった?
935 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 19:52:31 ID:y02+xRAH
宗教には、このような争いが必然的に生じる。現実上の根拠皆無な、百人百様
の「観念の遊戯」過ぎないからだ。その「正誤・正邪」を判断する、現実という
確固たる基準がないからである。
>>935 そうじゃなくて、たぶん ID:b0WKBUXj は、お寺の息子かなんかじゃない。
今日の午後だけでも4時間ぐらい粘着している。
937 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 20:21:34 ID:b0WKBUXj
>>936 おお外れ〜
まぁ、かなり時間が自由になる、職ではあるがね。
俺は初めから「凡夫」と言ってる。
職は宗教とは関連なし。
世の中には、ずるがしこくて、責任を取ろうとしない連中が蔓延している。
匿名で書き込みができるネットは、こういった連中のいい遊び場なのだろう。
しかし匿名は諸刃の剣であって、悪い方に傾けば便所の落書きになる。
結局は自分の首を絞めることになるのだが、それがわからないのだろうね。
939 :
旧7:2009/07/10(金) 20:34:12 ID:TI6SW2lC
>>925 ほうw
カラスや宝珠の姿勢を擁護する(御咎めなしにする)わけか・・・。
同類(屑)と見做しても構わんか?
エロ坊主か。いい加減にしろっ、と言ってるのがわからないのか。
相変わらず読解力のないヤツだな。
941 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 20:46:37 ID:b0WKBUXj
ほ〜 旧7さんは、本職の坊さんだったのか?
しかし、「エロ」と言う形容がつくのは何故かな?
その手の発言を繰り返してたわけか?
君らが無我ではなく我執の者であることはよくわかる
943 :
析空:2009/07/10(金) 21:17:55 ID:q+iDLyuE
竜樹の中論の第二章に、「去りつつあるものは去らない」というのがありますが、皆さん、納得できているのでしょうか?
わたしは、納得いきません。
944 :
暁:
>>925 どうあろうとカルトの素地となる思想は最低なクズだと認識している