1 :
神も仏も名無しさん:
について語り合いましょう。
老子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90 老子(ろうし、紀元前5世紀頃)は、中国の春秋時代の思想家。
姓は李。名は耳とされ、唐の皇帝から宗室の祖と仰がれた。
『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されることもある。
『史記』「老子韓非列伝」によると、老子は楚の国の苦県(現在の鹿邑県)生まれで、姓は李、名は耳、字(あざな)は聃(タン、伯陽とする説もある)といった。
孔子が礼について教えを乞うたことがあったが、老子は戒めて「古代の賢人は空言のみ残って、骨は朽ちている。君子など時流に乗れなければ、あちこち転々とするだけだ。
そなたの驕気と多欲、もったいぶった様子とかたよった思考を取り去りなさい」と教えたという。
孔子はその感想を「鳥や獣や魚など、様々な動物はそれぞれ捕らえる方法がある。
しかし竜だけは、風雲に乗じて天に昇ってしまうため、捕らえようがない。老子もまた竜のような人物だといえようか。」と弟子に語った。
老子は周の王室の書庫の記録官だったが、後年周の衰えを見て立ち去った。
このとき老子が通過した関所で、関守の尹喜の頼みを受けて書き残したのが『老子』上下巻5000余字であるという。
上下巻の最初の一字「道」と「徳」を取って『道徳経』または『老子道徳経』とも呼ばれる。
老子56章
知者不言、言者不知。
知る者は言わず、言うものは知らず。
終了?
4 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 01:33:12 ID:R3Q9fzMH
老子はいいねぇ
また、『史記』では老莱子、太史儋という二人の人物も老子ではないかと記されている。
老子の思想は神秘主義から処世訓まで多岐にわたるが、その原理は万物の根本である道によって表される。
道とは、全ての存在を規定する原理であると同時に、それら全てを生み出した母なる存在でもある。
道はあまりに広大で漠然としているので定義や解釈を超えているが、人為を廃し自然であることが道に通ずるとされる。
このような態度を無為自然といい、老子はこれを処世から統治まで全てに適用すべきだと考えた。
(但し、『老子』の本文には無為はあっても無為自然なる語は登場しない。)
『老子』は逆説を多用し、非体系的で随所に矛盾や飛躍が見られるため難解な部分も少なくないが、その深遠な思想は現代に至るまで影響を保ち続けている。
老子が西方(インド)の地で釈迦となり、仏教を興したという説(化胡説)は、道教が他説に対する優位を主張するための創作と考えられる。
しかし仏教の「空」と道家思想の「道」には類似点があるため、仏典が漢訳される時道家思想の用語が訳語にあてられたり、
道教の教団化にあたって仏教の教団組織が参考されたりするなど、仏教と道家思想は互いに影響しあっている。
老子の思想が道教に発展すると、老子は道教の祖として崇められるようになり、神格化されて唐のころに道教の最高神である三清の一柱、太上老君となった。
『史記』に伝えられた老子の姓が李であることから、唐朝帝室の李氏は祖先を老子に求めたので、老子は聖祖大道玄元皇帝とおくり名され、ますます尊崇を受けた。
大自然との闘い・治水が古代(神話上は禹の時代から始まるとされる)から政治課題だった黄河文明に対して、
自然の法則(道)と一体化することにより、いわば風向きをうけとめ大きな作用を生もうとする精神は、長江文明の風土を感じさせる。
近年『老子』のテキストが発見された馬王堆漢墓・荊門郭店楚墓はいずれも長江流域である。
「自然を観察すると、生命は循環しており、何か不足すれば、余っているところから補われて全体のバランスをとっている。
ところが人間社会の制度は正反対をやっている。欠乏している百姓から高い税を取り上げ、すでにあり余っている君主に差し上げる。
どこかの君主がその財力で、天下万民のために貢献してくれたら、有道の君主といえるだろう
(天之道、損有餘而益不足、人之道則不然、損不足以奉有餘、孰能有餘以取奉於天者、唯有道者乎)」(馬王堆前漢墓帛書『老子』)
過去の文献を基礎とする儒学に対し、目の前に働いている大自然の摂理を見極め、これに逆行する不自然な発想をとりのぞき、
政治も軍事も福祉をも抜本的に改善しようとする遠大な理想、聖人の治世が『老子』の主張であった。
また馬王堆漢墓から発見された帛書『黄帝四経』も同じ立場の思想が語られ、『史記』に記された「黄帝・老子(黄老)の学」の内容が改めて明らかになった。
老子道徳経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90%E9%81%93%E5%BE%B3%E7%B5%8C 老子道徳経(ろうしどうとくきょう)は、中国の春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。
本来の名称は老子道コ經(漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)で現表記)。
単に『老子』とも『道徳経』とも表記される。『荘子』と並ぶ道家の代表的書物。道教では『道徳真経』ともいう。
老子は楚の人。隠君子として周の図書館の司書をつとめていた。孔子は洛陽に出向いて彼の教えを受けている。
あるとき周の国勢が衰えるのを感じ、牛の背に乗って西方に向かった。
函谷関を過ぎるとき、関守の尹喜(いんき)の求めに応じて上下二巻の書を書き上げた。それが現在に伝わる『道徳経』である。
その後老子は関を出で、その終わりを知るものはいない。
しかし、現在の文献学では、伝説的な老子像と『道徳経』の成立過程は、少なくとも疑問視されている。
まず、老子が孔子の先輩だったという証拠はない。伝説では老子の年は数百歳だったというが、あくまで伝説である。
前述の、孔子が老子に教えを受けたという話は『荘子』に記されている。
しかし『荘子』の記述は寓話が多く、これもそのうちの一つである可能性が非常に高い。
『荘子』にたびたび登場している点から見て、老子の名は、当時(紀元前300年前後)すでに伝説的な賢者として知られていたと推測される。
ただし、荘子以前に書物としての『老子道徳経』が存在したかは疑わしい。『道徳経』の文体や用語は比較的新しいとの指摘がある。
たとえば有名な「大道廃れて仁義あり」の一文があるが、「仁義」の語が使われるのは孟子以降である。
一方で『韓非子』(紀元前250年前後)には、『道徳経』からの引用がある(ただしその部分については偽作説もある)。
現在有力な説では、『荘子』で言及されている伝説的な賢者の老子は『老子道徳経』の作者ではなく、
『道徳経』はのちの道家学派によって執筆・編纂されたものであろうということである。
「飢饉というものは年のめぐり合わせによる異常気象で発生する自然の現象である。
しかし民衆の生活を破壊する飢饉は、君主が自分の消費のために税収の目減りを我慢できず、
飢饉でみんなが困っている時に、税をさらに重くして、なお余計に奪い取ろうとする《食税》から発生するのである。
これが民の飢饉の惨害の本当の原因なのだ(人之饑也、以其取食税之多、是以饑)」(帛書『老子・乙本』第七十七章)
「強大な覇権国家の君主は自分の言いなりに搾取できる家畜のような人間の数を増やしたいから、他国を侵略するのだ。
弱小国家の君主は、せめて我が身、我が国を尊重してくれるならばと、超大国に屈従して、身売りの算段をしているだけだ。
結局、戦争とか平和というものは君主たちの意地の張り合いだけで、民衆のことなんか何も思ってやしないんだから、まあ勝手にしたらよかろう
(大國者不過欲并畜人、小國者不過欲人事人、夫皆得其欲)」(第六十一章)
「道義によって君主を補佐するならば、軍事力の強大さによって、天下の人々を従わせようとはしないことだ。
そうすれば天下の人々はきっと道義をもって応じてくれよう。
軍事的な圧力をかけると周囲に茨が生えたように反抗する勢力も起きてくるようになり、
戦争は結局、進めば進むほど自分も傷ついていく、茨の道だということがわかるようになる
(以道佐人主、不以兵強於天下、其事好還、師之所處、荊棘生之)」(第三十章)
「戦争がうまい将軍は感情に左右されない。兵法がうまくて、いつも最善の勝利を確実にできる将軍は、戦争そのものをしない。
人を使うことに巧みな人は、何ごとも謙遜してへりくだった姿勢をとる。これが何事も争わない《不争之徳》というものであり、
人々の力を用いるコツであり、天道に配慮した方策で、聖人君子の政治理念である
(善戰者不怒、善勝敵者弗與、善用人者爲之下、是謂不爭之徳、是謂用人、是謂配天、古之極也)」(第七十章)
「聖人はいつも私心を持つことがなく、国民全体の心を心として、衆知を集めて政治の決断を下す(聖人恒無心、以百姓之心為心)」(第四十九章)
「災禍の原因は、仮想敵国となるライバルがなくなって、油断しきってしまうことが最も大きい。
強力なライバルがいなくなったら、本来活用すべき人材、提案、発明、万物を生かす知恵など、
君主が宝とすべきものが時代にそぐわない無用の長物として排斥されて、回復できなくなってしまう
(禍莫大於無敵、無敵斤亡吾寳矣)」(第七十一章)
「知らないことを知ることは進歩であり、その積み重ねは立派なことだ。
反対に、何も知らないくせに知ったかぶりしているというのは虚栄であり、精神の病理に由来する
(知不知、尚矣、不知知、病矣)」(第七十三章)
「魚介類をたくさん水揚げしたからといって、集めておいても長く保存できるものではない。すぐ腐ってしまう。
宮殿の部屋いっぱいに金器・玉器の宝物が並んでいても、それが代々にわたって受け継がれたという例はない。
他の諸侯や盗賊が宝物を目当てに奪い取りに来るからだ。すでに地位も高く、十分に財産もできたというのに、
驕りたかぶって、さらに欲望のかたまりになる、そんなことでは自分から墓穴を掘って、晩節を汚すことになろう。
世の中で十分にやりたい仕事をしたと思ったら、その後は引退して世の人々の邪魔にならないように、
恩返しのために生きるのが、天の定めた人生の道というものだ。
(湍而群之、不可長保也、金玉盈室、莫能守也、貴富而驕、自遺咎也、功遂身退、天之道也)」(荊門郭店楚簡『老子・甲書』)
12 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 01:59:29 ID:R3Q9fzMH
いいねぇ
おお、人類は2500年間進歩していなかったわけだ。
14 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 15:29:22 ID:+3agvRoz
老子以上に深い本よんだことがない
16 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 17:29:26 ID:Xq0BOBZ/
このスレ、
1章から皆で考えるスレにするか、
老子を生活に当てはめていくスレにすれば長生きしそう。
17 :
神も仏も名無しさん:2009/04/14(火) 13:54:12 ID:CbPQkqCG
タオコードって電波ゆんゆんの本読んだ?
保守
タオの物差しから見て、陰陽道はどんな位置づけとなるのだろう?
20 :
神も仏も名無しさん:2009/04/19(日) 14:58:42 ID:CH487c6p
道教と老荘って関係あるの?
老子の教え。オタ。
陰陽道
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E9%81%93 陰陽道(おんみょうどう)は、古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた自然科学と呪術の体系。
「いんようどう」とも読む。陰陽道に携わる者を陰陽師といい、陰陽師集団のことも陰陽道と呼ぶ。
かつては専門の研究者によっても、陰陽家の思想が日本に伝わったものが陰陽道である、と説明されてきた。
しかし、中国では陰陽家の思想は儒教や道教などに吸収されて、日本の「陰陽道」に相当する独自の体系は発達しなかったとされている。
そのため近年では、陰陽五行説が、自然界の万物は陰と陽の二気から生ずるとする陰陽思想と、
万物は木・火・土・金・水の五行からなるとする五行思想を組み合わせ、
自然界の陰陽と五行の変化を観察して瑞祥・災厄を判断し、人間界の吉凶を占う実用的技術として日本で受容され、
中国の占術・天文学の知識を消化しつつ神道、道教、仏教などからも様々な影響を受け取って日本特異の発展を遂げた結果誕生したものと考えられている。
道教
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99 道教 (どうきょう、Dàojiào、英語 Taoism)は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。
現在でも台湾や東南アジアの華僑・華人の間ではかなり根強く信仰されている宗教である。
中華人民共和国では文化大革命によって道教は壊滅的な打撃を受けたが、民衆の間では未だにその慣習が息づいている。
また現在では宗教帰依が許され、その宗教観の修復がなされている。
なお、老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はない、とするのが、従来、日本の研究者の立場であった。
しかし、道教が創唱宗教の形態を取る過程で道家の思想を取り入れたことは事実で、
そのため西欧では、19世紀後半に両方を指す語としてタオイズム(Tao-ism)の語が造られ、
アンリ・マスペロを筆頭とするフランス学派の学者たちを中心に両者の間に因果関係を認める傾向がある。
それを承けて、日本の専門家の間でも同様な見解を示す向きが近年は多くなってきている。
道(タオ)という宇宙と人生の根源的な真理の世界の不滅と自然と一体となり修行し煉丹術の習得に励み、
不老不死の霊薬、丹を煉り服用し、分け与え、仙人となることを究極の理想とする観念を会得して常日頃、普段身近にし清く保つこと、漢民族の土着的・伝統的な宗教。
道の字は⻌(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を含んでいる。
日本においての道教の世界とは真理を教わることでなく、教えをもってその人なりに理解をした各人が意欲をもって各人なりの道を学び得て身につけてゆくことであり、
気づきをもって各人の生活の場面でその身に付いたものをそれぞれに生かし、変わらない中で変えてゆき、生活の配合に取り入れ多種多様に変化させながらも大切に思うことを清く保ちつづけて生きてゆくこと。
正しく道義を貫きその事をずっとやって行こうと清く強い意志を持ち、繰り返すうち、幾度も通るたびに徐々に歩いた跡のそこに道が出来ることに由来している、その中へ美しい所作が加わり、子孫が繁栄され継承されるようになると流派となる。
日本の宗教以外の実用面では、柔道、剣道、茶道、煎茶道、華道、香道、として用いられ、道の分野の順番として、道のあとに流派であり茶道羽澤流のように茶の和心の道としての茶道、そののなかで極みとして特徴をもつ種別として流派が云われる。
神仙となって長生きをすることは道をえる機会が増えることであり奨励される。真理としての宇宙観には多様性があるとしており、道教における宣教師的存在である道士らの宗派は、宇宙の多様性を示しているとして大いに歓迎される。
また中国で三教が共存するのは多様性をよしとするからであり、各々が補完しあっている。また、食生活においても何かを食することを禁ずる律はなく、さまざまな食物をえることで均衡がとれ長生きするとされる。
どのようにして現在のような宗教的思想体系になったのか、ほとんど不明である。道教の発生は、中国古来の巫術もしくは鬼道の教、不老長生を求める神仙思想を基盤としている。
その上に、墨家の上帝鬼神の思想信仰、儒教の神道と祭礼の哲学、老荘(道家)の「玄」と「真」の形而上学、
さらに中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れてできあがった物であろう。
教団組織の面では、同時期に整って行った仏教教団の影響も受けて、隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった。
日本の道教研究をリードし、道教学会を組織した中心は、吉岡義豊・福井康順・窪徳忠・福永光司・宮川尚志・澤田瑞穂等である。
道教とは、「道の教え」である。広義には、「従うべき聖人の教え」という意味で、この語(道教)は使われる。
この場合儒教や仏教を指すこともある。実際、「道学」と言えば、それは儒学を指す。
狭義には、「『老子』や『荘子』の中で述べられているような道の教え」「老荘」と言う意味で使われる場合もある。
そして、この「老荘」と関連して、「5世紀に歴史的に形成された道教」(茅山派)という意味でも、使われる。
「老荘」と、「5世紀に歴史的に形成された道教」は伝統的な中国では《道家》、欧米では“Taoism”と呼ばれ、道教と道家は同じものを指すと言われている。
道(タオ)は、自然とか無為と同義とされ、また陰陽の思想で説明される。道は真理であり、無極(むごく)と呼ばれ、また太極とか太素と呼ばれる。
これらの思想は、太極図で示される。朱子学として大成される宋学の形成に重要な役割を担ったのは、この太極図である。
仏教や儒教と同じ頃に道教も日本に渡来した。律令制にも道教に関する役所が採用されたが、民衆運動や政争に利用され、仙人になるために水銀などの危険薬物を使うため、やがて廃止された。
それにかわって、陰陽師が道術を取り入れ、日本独自の陰陽道が生まれた。陰陽師としては、平安時代の安倍晴明などが有名である。
「天皇」という称号も道教に由来するという説がある(天皇大帝参照 すなわち北極星という意味であるという説)。
また、道教が日本の文化に受け入れられなかった理由の一つとして、仙人思想が日本文化に確立された天皇制を覆す思想に繋がるという理由で日本人には受け入れることができなかったためである、という説もある。
日本での道教寺院は、埼玉県坂戸市の聖天宮などがある。
陰陽道の思想は日本の都の建設や神社の創建にも影響を与えている。龍穴である。
風水は道教の陰陽五行説を応用したものである。現在でも開運を願って取り入れようとする人がおり、韓国や日本などで盛んである。
ただ、これは同じく地理的要素を占う陰陽道とは少し異なる。風水では天円地方の思想のうち地方の部分が形骸化しており、地方を天円と同じく重くみる陰陽道とは異なる。
この地方という考えは儀式としての相撲における土俵(古来四角であった)に現れていたが、現在ではその特性を失われ円になっている。
>>27 当時の日本には「北極紫微宮」に謙る必要性までもあったのでは?
神集岳神界にあるとされる「大永宮」を中心軸に据える工夫をしてみたりとか。
30 :
神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 17:01:09 ID:pYFl1Z7i
老子って今では処世術みたいに読まれてるけど、本来は為政者が読む読み物
なんじゃないかな
今日は5月9日。つまり、悟空の日。
孫 悟空(そん ごくう、Sūn Wùkōng)は、道教の神。小説西遊記の主要登場キャラクターとして有名。
香港をはじめ、台湾や東南アジアでは一般に齊天大聖(せいてんたいせい)と呼ばれ、信仰されている。別名は孫行者。
元代の西遊記(最古とされる)のあらすじを収録した朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)には孫吾空として登場する。
また、齊天大聖の登場する主な雑劇(説話)は以下のとおり。
これら先行する各種作品をうけて明代に100回本としてまとめられ集大成したもの[1]が分量が多すぎたため、
清代には整理簡略された簡本のうち康熙33年(1694年)刊行の『西遊真詮』が比較的よくみられる西遊記である。
名の「悟空」については、唐代に実在し、インドまで赴いた僧侶・悟空(731年 - ?)の名をとったものではないかとする説がある。
32 :
神も仏も名無しさん:2009/06/14(日) 08:52:25 ID:cojL9WJb
一皮剥けたな、老子
33 :
神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 22:47:30 ID:7IAsGthg
老子は偉い人なの?
荘子も偉いの?
>>33 何を偉いというかによる
一般社会で出世することを偉いというなら、
老子も荘子もあまり偉くないな
35 :
神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 23:08:09 ID:7IAsGthg
>>34さん
有難う御座います。
神のように仰がれてるみたいなので、
偉い人かと思いました。
36 :
必読書:2009/07/27(月) 21:17:06 ID:hZW77L6+
『老子講義』(五井昌久)
>>35 宗教的に偉い人は、世俗的には底辺だよ
むしろ底辺で我慢できるかどうかが、
本物かどうかの基準の第一だろうと思う
イエスは家業に背を向けとる盆暗だし、
釈迦は、つぶれそうな国を立て直そうともしないで放浪するし
世俗的な価値観からいえば、何やっているんだいということになるだろう
38 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 22:08:10 ID:RA22AT4m
特に現代は余計な事する馬鹿が多すぎるんだよ
目先の欲に釣られて余計な事すんな馬鹿たれども
老荘の徒
昔の人のほうが偉いような感じがする。
2500年前、老子・孔子・釈迦。
42 :
神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 05:40:44 ID:y1eDNCOm
孔子も易経読んでたみたいだし、弟子の顔回の死には「天」という言葉を
珍しく用いている。
よって、けっして人為だけにすがっていたのではないと思う。
43 :
神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 20:08:43 ID:y1eDNCOm
毒舌が道にかなう時ってあると思う?
悪行が道にかなう時ってあると思う?
正しいと規定されてしまった行為を破壊するのが正しい時ってあると思う?
間違っているとされている行為を敢えて行うのが正しい時ってあると思う?
僕は在ると思うが、老子には載ってますか?
あと、
とりあえず「これは正義だ」などと言いうるものは何一つ無いというのは
老子も孔子も釈迦も語っていると思うのですがどうでしょう。
>>43 > 毒舌が道にかなう時ってあると思う?
> 悪行が道にかなう時ってあると思う?
> 正しいと規定されてしまった行為を破壊するのが正しい時ってあると思う?
> 間違っているとされている行為を敢えて行うのが正しい時ってあると思う?
具体的には?
嘘をつかないのが正義だとするとむしろ嘘がはびこる。
もっと簡単になら白い服を着る人が正義だとしたら聖人は去りそう。
善意とはこういうものだと口にしたときから偽善が発生する。
例えば募金とか、赤い羽根、赤十字、協会。
偽善をなくすためには形ある善意を賞賛しなければいいと思う。
教育、道徳、善行、看護、良い部下、良い上司、良いぺット、
24時間テレビ、チャリティーコンサート。
スマイル、おしゃれ、祈り、寄付。みんな無価値にすれば良いと思う。
寄付なんてしない。葬式なんて挙げない。善意を誉めない、むしろ貶す。
祈りなんてしない。人が殺される前に殺す。盗む、奪う、強姦する。
友人に「早く死ね」と言う、貶す、いびる、いじめる。
具体例は抽象に劣ると思います。
>>44
今、実践中ですがなかなかに難しいです。
「とっととくたばりやがれ」と目上の人に思い切って
言ったのですが、笑って誉めてくれました。喜んでました。
けど、そんな風な人ばかりでない。勘がたよりです。
丁寧語が珍重されはじめる
↓
善良な人が使用する。しかしそうでない人もそれを模倣する。
↓
結局丁寧語は、ただの儀礼的なものになりさがる。
↓
ここで聖人登場。丁寧語を貶す。そこには丁寧語本来の効果が発生する。
↓
模倣していただけの人間は混乱する。まあ善良な人もしばらくは混乱する
かもしれないが。
↓
再び、丁寧語が・・・・、の繰り返し、とか。
>>47 他人と上手く関係が持てない自己を甘やかしているだけだな。
していることは、偽善の破壊ではなく、幼稚な自己を保護しているだけ。
誰からみても馬鹿な自分を保護するために、
世の中にある正しいとされる教義を使う、
おまえのことを、偽善者と言う。
>>47-48です。
誰から見ても幼稚で馬鹿な自己、誉め言葉ですね、どうも。
いつもそう思ってます。そしたら見えるものも在ります。
偽善をwikiペディアで読みました。
偽善、なんか難しいですね。僕が偽善者ですか、なるほど。
世の中にある正しいとされる教義を使うって老子のことですか?
偽善するなら論語や仏教・キリスト経のほうが楽だと思います。
あまり関係ないですが、第十八章大好きです。
濁った水が早く澄みます様に。
>>49さんのいう他人と上手く関係が持てる自己ってどんなですか?
>>50 > 偽善するなら論語や仏教・キリスト経のほうが楽だと思います。
老子の思想なんか、現在の日本において正しいとされているなんて思えないしな
一部の人を除いて、笑い飛ばして終わりじゃないだろうか
偽善者というなら、むしろ誰もが逆らえないようなスローガンをかかげて、
その内実をたくみに入れ替えて、己を利するような手合いだろうな
いろいろあるな、自由・平等・友愛・社会公共の利益とか、最近の流行は愛国だろうか
信言は美ならず、美言は信ならず
>>47 > 「とっととくたばりやがれ」と目上の人に思い切って
> 言ったのですが、
カタギの職に就けよw
そろそろ第五章みたいです。
ミスった。
>>53さんのおっしゃっていることの意味が
わかりません。もう少し長文でお願いします。
やはり、カタギの意味が色々ありすぎて読解できません
>>53 どのような意味で用いてらっしゃいますか?
>>53 ちょっと反発してみよう。
wは嘲笑の意味で用いてますか?
カタギ=安定したまじめな仕事orヤクザ、としたなら
僕はカタギでもヤクザでもないところにいます。
もしカタギ>ヤクザとか考えているとしたら全く老子
を理解していない、スレ違いの人だと思います。
訂正
カタギ=安定したまじめな仕事orヤクザ・暴力団等以外の仕事、としたなら
僕はカタギでもヤクザでもないところに位置したいです。
もしカタギ>ヤクザとか考えているとしたら全く老子
を理解していない、スレ違いの人だと思います。
第二章と第十八章を引用しとけば、くどくどかくことはなかっ
た・・・。昼寝します。にしても第一章がよくわからん。
言いたいことが溜まってるんですが・・・
まだ書いていいかなぁ。止められるけど。
61 :
実験中:2009/08/22(土) 21:03:14 ID:SpVRyIyx
例えば
>>3さんの言う
老子第56章
知者不言、言者不知。
知る者は言わず、言うものは知らず。
これは例外も多いと思われます。老子自身も書物に記しているわけですし。
100%悪ではないと思われます。第二十三章にも、希言は自然なり、とあり
ます。本当は言いたかった言葉の多くを捨てていたのだと思います。
今の僕が徳や道を得ているとは思えませんが、書いてみます。
第二十四章を規範にして書き進めてみます。
老子の道(と知名度)が広まると嬉しいのですが。
>>61 老子は無理やり書かされたんだよ、牢屋に入れられてまで。
>>62 それは初耳です。どの書籍に載ってましたか。
教えてください。
というか嘘?
>>63 >
>>62 > それは初耳です。どの書籍に載ってましたか。
> 教えてください。
(゚Д゚)ハァ? これ有名なエピソードだぞ、老子が従者を従えて牛に乗り国境を越えて中国から消え去ろうとしたとき、
国教を警備していた官僚が老子がやってくる方向を指差して「見ろ、あの方角から紫雲が来る、なんかトンでもない
人が国教を超えに来るぞ!」と予感した。で、老子がやって来た、その官僚は老子のことを良く知っていたので、
老子に対し「貴方はこの世から消える前にその教えを書き残すべきです!」と頼んだが、老子は頑なに拒否した。
何度懇願しても老子は首を縦に振ってくれない、そんじゃ仕方ないと老子を監禁してしまった、その教えを書き残すまで
絶対に牢屋から出さないと言う取引だった。そして渋々書いたのが現在に伝わる道経だった。
へエー。
・紫雲
・予感
官僚も含め、随分と人知を超えた力を持ってたんですね。
(さすがに天候の変化までは無理かと思うのですが・・・。)
それと紫雲に気づかずに関を越えようとした老子は馬鹿ですか?
渋々書くはめにならないようにはできなかったのですか。
あと、ここのスレタイトルは老子の教えであって道教ではないはず。
あ、道経か。徳経のほうはどうなのですか。
>>65 道徳経を世に残すために一芝居打って、エピソードを作ったのさ。
老子が先のことを解らないわけないじゃん。
返事がない、ただの屍のようだ。
何かを書いてくれる→匿名で批判できる
何かを書く→匿名で批判される。
何を書くにしても難しいですね。
あ、第十七章。
今の日本やかの国の為政者はどのようなのでしょう。
というか
道は書けないのさ、書いた途端に観念に成っちまう。
なぜかというと、
タオは経験出来ず、経験する者がいるときには、すでにタオではないから。
だから、経にした時点で、まったく違うものになる。
(ちょっと観念の意味が掴みにくいのですが・・・。)
僕も道は書けないのが基本・当然だと思ってます。
しかし間接的に表現したり、例えたり、道を実感する為には余計な観念
や概念を否定したりすることは意味のないことだとは思いません。
伝えることは可能だと思います。(ただし限られた人だけかと)
何かの宗教本で「経なんてガラクタだ」と書いてたのを読んだ記憶があ
りますがそれもまた正しいことだと思っています。
あらゆるカタチあるものは風化してしまいますから。
>だから、経にした時点で、まったく違うものになる。
何度も老子は水や谷や牝などの抽象的な言葉で形容しています。
さまざまな角度から水のような形のないもの・実体のないもの
を表現しようとしていると思います。
具体例・固有名詞・(表層的な)善は意図的に書かれていません。
だから、
>>73さんのおっしゃる経として、道徳経は成立していな
いと思います。だからこそその価値が褪せないのだと思います。
>道は書けないのさ、書いた途端に観念に成っちまう。
第一章
道可道非常道。
名可名非常名。
これですか?
>>75 道可道、非常道。
老子は先ず初めにこのことを書いた、これから私は道について様々なことを書くが、
それは道ではないことを心に留めておきなさい、書かれていることが道ではないことを
理解して読みなさい。と宣言している。
お、手堅い。
第八章希望
第八章
上善は水の若し。
水善利萬物而不爲。処衆人之所悪。
故幾於道。
上善(最上の善)はまるで水のようであり
・・・略・・・人の蔑むところにいる。
だから道に良く似ている、とある。
この辺はキリスト教と似ている感じがします。
居善地。心善淵。与善仁。
言善信。正善治。事善能。動善時。
夫唯不争。故無尤。
良い処世術というものを語ってるのでしょうか。
皮肉ったりも否定もしてないし、儒教にも出て
きそうな文面が続いてます。
>>76 少し解釈が間違っている気がします。
それでは老子は道について何も記していないことになりませんか。
道徳経は全くの無価値ではありませんか。
道について直接的に書かれている部分も有ります。
否定する形で道を表現している部分も多いですが。
違う人間だが
タオは書けないよ。
結果のあるものでもないから、ひたすら受け取るだけ。
道可道、非常道。
本当の常道とは言葉に表すこと、記すこと、規定することのできないものだ。
そういう意味で書いているのだと思います。
>>81 道を実感できているのなら書かないで結構です。勿体無い。
わざわざ遠ざかることもないでしょう。
僕のほうは十分満足しながら文章を書いてます。
結果のあるものでもないから、はわかりませんが
ひたすら受け取るだけ、は理解できます。
結果とはいわゆる証しのことでしょうか。
確かに無いでしょうね。
出すぎた発言と思われるが
第三十七章
道常無為。而無不爲。
侯王若能守之。萬物將自化。
化而欲作。吾將鎮之以無名之樸。
無名之樸。夫亦將無欲。不欲以靜。天下將自定。
何もしないということであらゆることを成し遂げてしまう、
興味深いことです。
上の立場にたつひとがこれをよく守れば万物・あらゆる
生命が感化される、と。それと
全ての人が善人ではないとも暗に書かれていると思います。
善・中立・悪以上に分かれると思われます。無名のあらきで
それらが顕に知れることとなると思います。
第八十一章
信言不美、美言不信、善者不辯、辯者不善、
知者不博、博者不知。聖人不積、既以爲人。
己愈有。既以與人。己愈多。天之道。
利而不害。聖人之道。爲而不爭。
156 名前:理解者 ◆ONE1.QJD6Y [sage] 投稿日:2009/08/27(木) 21:39:17 0
確かに「道」と「原則」は同一のものですが、
私は「原則」における全く新しい利用法を発見したのです。
これはおそらく全世界で初めての快挙であり、「老子の書」にも「7つの習慣」にも書かれていませんね。
おそらく私が全世界で初めての発見者の可能性が高いですね。
つまり、「原則」という点でみて、私は老子を超えたということです。
老子の説く内容は、現代人には不必要であったりしますが(人によってはもちろん有効ですが)、
私の説く内容は、多くの人間にとって重要な考え方になるのです。
>あと、原則と「道」が同じものなら、「道」を説いて聞かせている人も原則の代弁者じゃないのか?
確かに、現時点で「道」を説いている人間というのは「原則」の代弁者とも言えなくはないのですが、
「原則」という点でみると、師範級の人間ではなく、せいぜい老子について研究している弟子のような存在でしかないんですね。
もともと私は老子の「道」の存在自体、このスレを運営し始めてから知ることになったのです。
『ああ、老子の説く「道」とは「原則」のことなんだな!』って、すぐに分かりましたけどね。
もっとも、私は老子には発見できなかった「画期的な原理」を発見したのです。
現代人だからこそ為せた技なのかもしれませんね。
おそらく私が発見した秘訣というのは、現時点では、これまで伝授したできた一部の人にしか知られていないでしょうね。
要するに、「原則」が本格的に普及していくのは、これからのことになるんですね。
ここにきて、ようやく「原則」の重要性が改めて発見されたということです。
人生最大の発見★18
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1250963784/
すいません、リンク貼っといて言うのもなんですが
本気で老子の教えをマジメに勉強したいと思っている人は関わらないほうが身のためです
大丈夫だよ、この人は自分の固定観念に縛られているだけで、
道とは全く関係ない。規則性や概念に縛られるものは道ではなく、虚妄な思考。
89 :
神も仏も名無しさん: