1 :
神も仏も名無しさん :
2009/04/10(金) 20:48:08 ID:MqPj3I49 スーフィの秘教、ワークグループ、エニアグラム いろいろな面を持つグルジェフについて語ろう。 最近はグルジェフワークの実際が出版されました。
2 :
神も仏も名無しさん :2009/04/10(金) 21:05:44 ID:D8bo8e0R
2
3取り―!!!
4 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 19:21:40 ID:IRZvPGiI
ニサルガダッタ・マハラジって何?
ニサルガダッタ・マハラジについてはググッたら分かったけど グルジェフとなんか関係あるんですか?
7 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 19:32:00 ID:/oKi8ybI
自己探求ってことだろ アイアムがなんだとか、そんな教えだろ
Wikipedia読んだけどイマイチグルジェフとやらがわからんかった 詳しい人解説してみて
9 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 07:07:44 ID:+cHVxtAJ
白山道師の3冊目「森羅万象1」の予約が始まった。 楽しみだな
10 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 22:47:59 ID:172v65A3
主人が賞罰を決め奴隷が主人に従い機械が奴隷を模倣する。 それが俺の理解したグルジェフ。
ハゲおやじ
>>8 人間は出来事や状況によって一喜一憂したりする
ただ外に反応するだけの一種の機械であり、そのことに気づかないマヌケ
だからなんとかしようと色々やった人
グルジェフが何なのかなんて誰にもいえないよ(笑) 誰も、誰かの事は正確には解説できない。転がる石ひとつ無理。 まして、思考という複雑でいて直線的なプログラム、 無意識に連なる連想や印象群との戯れの上を自動的に歩いている ごく普通の我々には。 ただ、「自己想起」と「ベルゼバブ」についてならば。 自己想起には二つの目的がある。 一般的には、普段の自分と、インドやエジプトの頃から伝わる 「観る者と観られるものが一つになった」自分、つまり潜在意識の 遙か奥にある、「通常の死までは、ただただ全てを観続けている意識」 との間に、もう一段階、ポイントを作ること。 キリスト教ではダブルインテンション?東洋でもユダヤ教でもイスラムでも そういう修行の伝統は残っているようです。彼らが気づかなくとも 形の上で。 もう一つは、誰でも経験があると思うけれど、虫の知らせ。 あれを頻発させる事。それには、ある時点での全細胞的な衝動が 不可欠。まぁ、預言には程遠い予言・・・予知でしょうか。 ベルゼバブは一つはSF小説。次に固定観念を覆しつつの歴史と伝統 の「来るべきよきもの」への伝達書。 最後に、ある特定のタイプには、≪まるで体内で地鳴りがするように≫ 自らの魂がいつの時代に由来するものなのかを教える書物。 あとね、SFを選んだのは、、、なんでだろ?観たのかもしれないですね。 星空に煌く、光を放つ物体が、朝日とともに茶色い飛行石になるという 伝説の・・・UFOを(笑)
>>13 結局何が言いたいのかわからない頭の悪い文章だな
ついでに中身がない
なにも書かなきゃよかったな
ここには馬鹿しか集まらないのか
このスレッドの不快な書き込みから 諸君らは不快を感じつつも、その不快が全身に及ばぬように努めなければならない。 そのためには力を節約することが重要である まず、握りこぶしを作ってほしい そして、それを極力固く握るように努めてみなさい そこで諸君らは、握りこぶしを固める一方で、同時に足を固めたり、背中を固めている これが余計な負担なのだ、 そしてこれこそ、不快が、必要以上に諸君らを振り回している原因なのである このように感覚的に力を節約することから実践しなさい それこそ諸君らが、この大型掲示板とわたり合う中で理性における、 一層の発展となるだろう。
ただでさえ過疎ってんだから、数少ないグルジェフ信奉者同志仲良くしろよ
19 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 22:26:03 ID:pIjjzRtj
今日の更新見てると、白山道もグルジェフワークがんばっているよ。 仲良くしようね
>>19 君を歓迎しよう
では、とことんその白山道とやらについて語りたまえ
21 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 20:53:50 ID:Xs+/5nst
新刊「森羅万象」にグルジェフワークがまとめられている これがグルジェフが伝えたこと ベルゼバブも師の尽力で増刷されてグルジェフワークは日本に根付いた
>>21 ほう
私はそのグルジェフワークというものについて
グルジェフの著書を読んではいるが、今一つ把握し切れていない部分がある
よかったらあなたのグルジェフわあー九についての見解をきかせていただきたい
アマゾンで調べたら、伊勢 白山道とやらがグルジェフ著作のタイトルパクって本当に本出してるじゃねーかw 内容はグルジェフ思想の電波解釈か?
25 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 07:01:12 ID:d8C7cQ9/
>22 グルジェフ読んでもわからないの?まずワークを本気で行いなさいよ 話はそれから
>>25 あなたのおっしゃるワークとは何のことなのでしょうか?
28 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 20:38:13 ID:d8C7cQ9/
グルジェフワークだよ まじでそんなこともわからんの?
>>28 ですから
あなたがおっしゃられてるのは、どのグルジェフワークなのですか?
>>28 「停止」の訓練はしたことありますか?
よろしければ感想を聞かせていただけませんでしょうか?
白山道、大歓迎です。 グルジェフの出世の本懐がここにあるのです ベルゼバブでも予告されていてその成就です グルジェフワークがなにかわからず迷える人もいますが これではっきりしました
>>28 よろしければあなたのグルジェフワークに対する解釈を
教えていただけませんでしょうか?
>>32 非常に興味深いです
ベルゼバブのどの部分でその予告はあるのでしょうか?
興味深いよね〜
>>34-35 この方は伊勢白山道師がブログで
グルジェフについて触れたときにしかいらっしゃりません。
だから待っていても無駄であります。
グルジェフの正体については諸説あるけど ロシアの諜報員って説が以外にも有力らしいね 只者じゃないよ本当
白山道の人もっと書きこんで〜 いろいろとあなたの話を聞かせてください
グルジェフと神道の関係、興味深いです。
ベルゼバブは人間の生について非常に深く描いているね。 生かして頂いて ありがとう御座位ます。
ここの住人面白いよwユーモア あるよな。 さすがあと一歩で悟りにいけなかった グルジェフ信奉者だけのことはあるw 皮肉じゃなくみんな頭いいから お笑いのばか芸人よりおもしろい。
>>40 どういった部分にご感銘をお受けになられたのですか?
よろしければ教えていただけないでしょうか?
>>41 「私、グルジェフを信じてはならない」とおっしゃられてるので
真の信奉者ほど突き放した態度を取っておられると思いますので
こちらでグルジェフを絶賛されてる方は
ただでさえレベルの低い信奉者の中でも底辺の方だと思われます
あと悟りにたどり着けなかったというのは、どういったことが根拠で語られているのでしょうか
非常に興味深いです、よろしければ教えていただけませんでしょうか?
大変恐縮です
_,. -―――- 、 /: : ‐: : : : : : :‐- 、: :\ /: : /: : : : : : :\: : : : \: :\ /: :/: :.|: : : : : ! : : : \: : : :.ヽ: : ヽ /: /: : 八: :!: : :|\: : : : ヽ: : : :',: : :.', ,': /ニ7⌒!:.!: : :| ⌒ : : : : : : : : |: : : :! /: :.|: :./ V\: ! ヽ: :!: :.|\|: : : :.\__, /: : :ハ: :| ヾ ∨!∨: : : : : : : : :ヽ /: : : : :.V:! x=ミ x=ミ. !: : : : ハ: : : : : :.ハ /:/: : : : /: :! 、、 、 、、 !: : !: : :!: : : : : : :.} // |: : : /| :八 - 、 ,ィ: :/: : /: :ハ: : :|V {! 从: i'´ ̄::::>、 `ー ' イ!V /: : /: / |: :/ _人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: /‐く V ウン タン ♪ ウン タン♪ `Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ * ウン タン ♪ ウン タン♪ /::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉 ウン タン ♪ ウン タン♪ . /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ ウン タン ♪ ウン タン♪ //:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´ ウン タン ♪ ウン タン♪ /:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉 ウン タン ♪ ウン タン♪ !:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::ヾ厶イ:::::::::::::/:::/:::::::ヽノ:/ ウン タン ♪ ウン タン♪ |::::::::::::::/ヽ:::::::::::::::<>:::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::::/ * ウン タン ♪ ウン タン♪ `ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/ ウン タン ♪ ウン タン♪ //:::::::::::::::::::::::<>::::::::::/::::/ ヽ:::::::::::/ ウン タン ♪ ウン タン♪
Gは悟りにたどり着けなかったというのはラジニーシが言っていたような あとEOも
マダムザルツマンも次を探して、核となる人々を準備していたしね
ジャンヌドザルツマンは死ぬまでグルジェフファウンデーションのボスだったから、グルジェフを放棄したことはないんじゃないかな グルジェフは存在の科学を持っているがクリシュナムルティは持っていない、と言ってる
>>47 それは「グルジェフ・ワークの実際」の紹介で引用されている文章だな。
「セリム・エセルとは、ヒンドゥー的な情緒を除いたオーロビンドであり、
神智学的ながらくたを除いたシュタイナーであり、また、覚醒という真実
の道を行くための方法論を備えたクリシュナムルティである。これはクリ
シュナムルティには欠けていたもので、グルジェフが備えていた。」
――スティーヴン・スチュアート
Ⓒ
50 :
神も仏も名無しさん :2009/06/19(金) 17:08:03 ID:MaPMgREu
プログレシッブ・ロックのミュージンシャンには、グルジェフの影響受けた人多いみたいね 一番有名なところでは、キング・クリムゾンのロバート・フィリップ。 彼はグルジェフの弟子ベネットがイギリスで作った教室に入門。そこで「第4の道」を学び、 その後の音楽活動でそれを表現している。 ブライアン・イーノとかも影響受けてるらしい。ちょっと畑は違うけど、ジャズ界の鬼才ピアニストの キース・ジャレットはグルジェフの曲を演奏してCD出してるし、ベルゼバブが愛読書らしいし(笑)、 あと、ケイト・ブッシュも影響受けた?とか何とか。 詳しくは、 Gurdjieff John Bennett Robert Fripp Brian Eno とかで検索していると分かるよ。
51 :
神も仏も名無しさん :2009/06/19(金) 17:22:00 ID:MaPMgREu
ロバート・フィリップの親友のダリル・ホール(元ホール&オーツ)が、ロバート・フィリップがグルジェフ・
ワークを学ぶために学校に入ったことを
「彼はグルジェフ・キャンプに行ったんだ。そこは、言ってみれば、マインドのブート・キャンプ
ってところだね」
と語ってます。マインドの「ブート・キャンプ」っていう表現は言いえて妙ですね。
http://pitchfork.com/features/interviews/6673-daryl-hall/ DH(ダリル・ホール): Yeah, he decided he was going to follow the teachings of [G. I.] Gurdjieff,
which is basically like the boot camp of the mind. And so I was sort of his touch with some
form of reality. And after he came through that period, he wanted to reenter the music world,
because he had stepped away.
52 :
神も仏も名無しさん :2009/06/20(土) 15:01:46 ID:m2sJcEKV
ケイト・ブッシュは、グルジェフのことを歌ってたりします。
彼女のThem Heavy people(重い、あの人たち)という曲の歌詞では、
「私は、自分のマインドの中の部屋に隠れこんでいたの」
「私は自分の人生から、他のみんなを追い出さなきゃいけない」
「私は、マインドにおける"ワーク”をしなきゃいけない。そして今、私は気付いたの」
「私達はみんな、自分自信の中に天国(ヘブン)を有していることを」
(略)
「グルジェフとジーザスを読み聞かせてくれたあの人たち」
「私の体を作り、私の感情を壊してしまった」
「私は死にそうになったけど、ああ、なんていい気持ちなの!」
kate Bush - Them Heavy people
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja I was hiding in a room in my mind.
They made me look at myself. I saw it well.
I'd shut the people out of my life.
So now I take the opportunities:
Wonderful teachers ready to teach me.
I must work on my mind. For now I realise:
Everyone of us has a heaven inside.
(略)
They read me Gurdjieff and Jesu.
They build up my body, break me emotionally.
It's nearly killing me, but what a lovely feeling!
グルジェフに感謝 生かして頂いて ありがとう御座位ます。
>>53 よろしければ、どういったところにご感名をお受けになられたのか教えていただけませんでしょうか?
>>54 グルジェフについては本が出ているから、自分で読んで判断するのがよいぞ
57 :
神も仏も名無しさん :2009/06/22(月) 13:56:45 ID:y3IOJ9O8
>>56 とりあえず、ネットで「グルジェフ」で検索してみたら?
グルジェフの思想やワークをまとめてくれてたり、名言みたいなのを抜粋してくれてる人が多数いるよ
まずそこで研究してみては?
>>56 グルジェフの主著『ベルゼバブが孫に語った物語』が読むのにいいぞ。ネットで購入できる。
>>57-58 ご丁寧にありがとうございます。
ただ、どちらも読んだり触れてみたりしたことあります。
>>53 の方が個人的にどのような部分に
ご感銘をお受けになられたかったのかを知りたかっただけです。
60 :
神も仏も名無しさん :2009/06/23(火) 06:59:58 ID:xXKGR2u1
>>59 さんは、グルジェフのどの本からどのような印象を受け、そしてその後自分の行動・思考・発言にど
のような変化がありました?
私などはグルジェフは「体育会系だ」と感じました。もちろん、ものすごく奥深い思想を持っていらっしゃる方
なのですが。
「思考だけで分かった気になるのでなく、人生の苦難の中で実践し、体感せよ」という教えは、宗教家・神秘
思想家のものというよりは、むしろ武道・格闘技の実践的な道徳論、教えに近い部分があります。
世の中の多くの方は、思想をコレクションすることは大好きであっても、それを実生活にける多くの人との
交流の中で実際に試してみて、その中で実際にその思想を自分で実現するところまで行く方は少数なの
だろうなぁと、自分もそのような傾向があるので反省した次第です。
>>60 >世の中の多くの方は、思想をコレクションすることは大好きであっても、それを実生活にける多くの人との
>交流の中で実際に試してみて、その中で実際にその思想を自分で実現するところまで行く方は少数なの
>だろうなぁと、自分もそのような傾向があるので反省した次第です。
身につまされますね。こういう傾向もハスナムス個人ということなのでしょうか
ただ、私は「そういう傾向からは絶対に抜け出せるものではない」と認めてしまうようになりましたね。
まずこういう風に取り上げられた人間の欠点的な部分を見て、
「自分はそうならないように」とか 「自分には関係ない」
あるいは 「自分にもそういう部分があるが、反省しつつ、そういう傾向にならないように注意しよう」
ということを考える方が、ほとんどだと思います。
しかし、そういう自覚を持っていたところで、結局、個人の思い込みの域を出ずに
また、例え自分自身を以前の自分とは違うものに変えられたとしても、特定の個人、まして世の中を変えられるようなことは絶対にないと思います
あと、とにかく人間生きている限りいつでも苦しみが入ってくる余地があるというか
その苦しみの中で何らかの期待をして、苦労を意図的にするわけじゃなく、
とにかく苦しみに対して 「それを乗り越える」 とか 「それを糧とする」 とかそういうのじゃなくて
ただ、その存在に対し、平時から意識を向ける必要性がある
ただその自覚が以前よりできただけですね、苦労に報いがあればそれは苦労でもないわけですし
なんというか「うまくいかなくて当たり前」
その実感を自分の中に強く刷り込ませようと思いましたね。
例えある人がニヒリストを気取っていても、そうあることで、
心のどこかで自分がうまくいくことを期待してしまっているところもあるのではないでしょうか
どうせ世の中は悪い方にしか変わらないし、自分も寿命は来るのだから、結局駄目にしかならないと
だったら世の中や人生の出来事に、何らかの期待をすることからやめてみようとしているところだと思いますね自分ね
とにかく人は「苦しむこと」と「未熟でいること」 これらからは絶対に逃れられない
認めたくはありませんが、少し認めてしまう方向に行ってる所存ですかね。
私見で申し訳ない
人は何らかの行動を起こそうと思うとき、何らかの期待をしているわけですよね。 ただ、どれだけいいと思えることを為せたとしても、後にそれが裏目に出たり、 あるいはその功績は潰され忘れ去られてしまうわけです、必ずね、時間がたてば。 結局、少し長いスパンで見たら悪い方にしかならない 今度は違う、今度は違うと思いながら、人間は何度も繰り返しているわけですが 今度も違ったためしがありませんよね。 ただ、人はそういう事実や側面を見たがらない。もちろん見たところで結果は変わらないわけですが 何らかの期待感を持って行動している場合、これらの自覚も持っておいた方がいいんじゃないかって思います 後にひどく幻滅することを避けることにもなりますからね。 もちろん幻滅も必要な感情だと思いますが、 期待感を持ってる段階では、一時の感情だけで、まだまだ有益なものになるとは思えません。
63 :
神も仏も名無しさん :2009/06/24(水) 00:53:51 ID:FkJj33D0
自分自身でさえ、自分の思い通りにコントロールできないのだから、 他人や世の中が思い通りにいかない、期待通りに動いてくれないのは、 至極当たり前のことだ、と。 そう思うようになってからは、私もずいぶんラクになりました。 できないことを嘆くより、少しでも「できた」ことを喜ぶほうが、一歩一歩前に進む原動力になります。 現代は非常に知識偏重文化であり、知らず知らずの内に本で読んだだけで分かったと勘違いしがちです。 グルジェフは弟子が自分に依存するのを決して許さず、揺さぶり続け、自立を促したとされますが、 私も、知識偏重しがちでありますので、もっと人との共同作業(職場や趣味のサークルなど)において、 知識として学んだことをどこまで実践し、体得できるか、挑戦し続けたいと思っています。 まあ、挫折の連続なんですけどね(笑)
自分もグルジェフは体育会系だと思う そこがグルジェフの好きなところ 部屋の中にいるだけでは「主人」を開発することは出来ないみたいな発言は、他の神秘家はあまり言わないよね
66 :
神も仏も名無しさん :2009/06/25(木) 09:59:13 ID:r+ht5oAr
思想だけで終わってる神秘思想家と、グルジェフみたいな実践派との違いはそこにあるのでしょうね 大体思想だけで救われるのなら、古今東西これだけ宗教や哲学や心理学が研究されてるのだから、 世界中に救世主だらけでもう困っちゃう状態になってるはず。
頑張って主人を開発してください。 できるものならやってみてください。
>頑張って主人を開発してください。 私には出来ません。 私に出来ることは、思想をコレクションすることだけです。
>>68 生かされてることへの感謝だよ。
これならできるだろ。
>>69 それができれば主人が開発されるのですか?
あなたは主人を開発してるのですか?
主人そのものが感謝するのさ!
その主人とはどのようなものなのでしょうか? かいつまんでお願いします。
今それを感じない人に説明するなんてむだむだ。 とにかく感謝だ。 これならできるだろ。
>69は多分Gとは遠く離れているから スルーな。
>>73 すでに感じているかもしれないじゃないですか
その対象を挙げていただきたいのです
あなたの言う主人とは あなたの主観で構いませんので
>>74 このような方のお話を聞くことも必要ですよ
どうぞよろしくお願いします。
では反応の方をお待ちしております。
反応がありませんね。 「今それを感じない人に説明するなんてむだむだ。」ということですか? 仮にもあなたは不特定多数の人間が目にする場で 書きこみを行っているのですよ。 少なくとも、あなたは何かを尋ねにいらっしゃっられたわけではないですよね? 何か話したいことがあるのでしょう? それをどうぞお話になってくださればいいのですよ。 あなたの考えに非常に興味がありますので、楽しみにしております。
白山道に興味持つ人増えたねえ
80 :
神も仏も名無しさん :2009/06/29(月) 21:11:24 ID:2HWAVWVT
白山道はシンプルな感謝想起論と自助論。 その白山道も絶賛のグルジェフワークなんかは、白山道の現在の教えでは 満足できない人が興味をもって本とか読んでるかもね でもさ、グルジェフも基本はシンプルな気がする。まあ、頭だけ、知識だけ 先行してもバランス崩れてうまくいかない。 だから、知性・感性(心)・パワー(悟性など)の三者をバランス良く同時に鍛え、 学んだ思想を日々の生活で行動によって実践しなさい、ってことじゃないかと思う。
伊勢白山道さんが伊勢神宮や伊雑宮に訪れた際に、 作法がしっかりした若い人たちを見て、 「もしかして伊勢白山道の読者かな?」と思ったそうですが、 それは、ちょっと恥ずかしい勘違いだと思います。 とにかく、「感謝」する気持ちは素晴らしいですが、 ややもすると、信者が熱狂的に宗教にのめり込むような ブログの妙な雰囲気はいかがなものかと思います。 そして、 伊勢白山道さんの、たまに垣間見える威圧的で自尊心がお強そうな人柄は 私には残念ながら、頭でも心でも受付けませんでした。
伊勢白山道は体の感覚で受け入れるべきもの 頭や感情ではわからないぞ
伊勢白山道という人を宣伝している人を2ちゃんねるでよく拝見します。 空気の読めない不自然なレス、文章からして気味の悪さが 非常によく伝わってきます。 関わりたくないです。 グルジェフは自由に面白いことを考えていた人なんだなぁと思います。 興味あります。
ニセモノにどっぷりとつかった精神世界の中 真実を言うことばに不自然なものを感じる人もあるでしょう グルジェフが言うように今の世は「さかさま」になっているんだな
>>84 なぜそうなってしまっているのでしょうか
あなたはどう思われますか?
ウスペンスキーに感謝
87 :
神も仏も名無しさん :2009/07/02(木) 08:07:16 ID:xFO4+hQ5
グルジェフの言う、「さかさま」とは、、、 人間にとって、精神の向上が本来の目的で、物質的なものや肉体的なものはそのための道具・手段でしかないハズなのに、 今の世の中は物質的・肉体的な欲望追及が目的と化し、精神の向上など忘れられてしまっている、、、 「完全に本末転倒の状態だ」ってことなんですかね?
>>87 そういたことはスピ屋の人々でもいえること
クンダリニに酔ってまったく逆のことをいいはじめるんだぞ
グルジェフと何の関係もないことをグルジェフの教えとしたりとか
いくらでも例があるだろ
グルジェフって人間の心に自己犠牲の気持が沸き起こるのは誤りであり 完全な個人としての自分を確立し真理を目指すべきみたいな事言ってるっぽい? 多くの人がそれを肯定したら社会は崩壊しそうだけど
90 :
神も仏も名無しさん :2009/07/06(月) 11:49:24 ID:9lbS6SxJ
オカルト、オタク関連はあまり知らない素人ですが、やはり体育会系らしき雰囲気でグルジェフは共感できました。 修羅場の行動哲学といいますか... 初期?のウスペンスキーの本のようなグルジェフ講和みたいのはピンとこなかったですが、女性関係とか金銭感覚もふくめてパワフルさに脱帽(笑) 仕事などでの命がけの危険作業や、格闘技、喧嘩での冷静さ、追い詰められた精神状態での冷静な判断の難しさ、精神的強さを感じたり考えてる人は、グルジェフに共感できるのではないでしょうか... でも、同時にそこに触れられたくない人にはグルジェフは危険だと思います(汗)
Gでは悟れないという意味で危険。
>>84 あなたはその「さかさま」を克服しているのですね?
94 :
神も仏も名無しさん :2009/07/07(火) 00:23:06 ID:YsPZ+L8/
Gは一般的に言う悟りには興味無い
グルジェフワークを理解する人は少ない ワークがグルジェフワークであることがまずわからない 本を読んだこともない、本もっていて、読んだつもりでも、何一つ理解できない 恐るべき現状だ
97 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 16:38:50 ID:ztiOgcL0
>>12 >人間は出来事や状況によって一喜一憂したりする
>ただ外に反応するだけの一種の機械であり、そのことに気づかないマヌケ
>だからなんとかしようと色々やった人
人間ってのは、自分の内なるものではなく、外にあるものに振り回され、一喜一憂し、
いつまで経っても自分の内なる本質を見ようとしない存在なんでしょうね。
極端に言えば、他人の評価を気にし、他人よりも優れていたいと思い、
最悪、他人を否定し、蹴落としてでも、他人より優越したいという気持ち
を満足させ、他人を屈服させ服従させたい、と。「オレ、すごいんだぜ」と。
もしくはその逆で、自分はダメだ、ああダメだ、他人より劣ってる、
他人に否定された、ああダメだ、鬱だ死のう、と。
そうではなく、自分に秘められた内なる尊い存在に気付き、
他人でなく、自分自身の価値観で動き、
他人でなく、自分自身の人生を生きて行く、
もちろん、他人と助け合って生きて行くのは大切だし、
他人を愛するのは重要だけど、
それは、依存すべきものではないし、自分を忘れていいというわけではない。
それがグルジェフの言うマシーンではなく、人間としての第一歩なのかなぁ。
98 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 16:41:32 ID:ztiOgcL0
結局は、自分探しの旅ってことになるのかも知れないですが、 それは単に世界中をうろちょろ回ればいいってのではなくて、 自分というものを深く見つめ、自分に深く負荷をかけ、 それに流されるのではなく、自分を見つめる「ワーク」として捉えて日々精進する。 それが、真の自分を発見する旅であり、ワークなのかなぁ。
>>97 尊い存在が自分の中にいるのですね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
何が 生かして頂いて アリガトウゴザイマスw だ 今お前が生きてるのは お前とお前が生きようとする行為を 助ける人々の努力の賜物だ それだって その努力以上の悪意やエゴがお前に襲い掛かって 来たらお前は負けて死ぬしかない それこそ小学1年の女の子が強姦された挙句殺されたようにな 北の将軍様 アリガトウゴザイマス と 何も違いが見えんぞw 感謝する対象を誤るなよ
101 :
神も仏も名無しさん :2009/07/11(土) 22:04:51 ID:24ydt0Op
自分の中に尊い存在がいる、自分の中に底知れぬ可能性が秘められている それを信じ、それを磨くために日々努力する、感謝する、万物を愛する こういったことは、とても素晴らしいことだと思います ただ、自分の中にすごいものがあると信じるだけでいい 努力しなくても幸運が舞い込んでくる などと考えるのは、これまた進歩を生まないと思うのでス 自分が尊い存在、そう思うだけで何も努力しないで人生ハッピーなら、 世の中に努力も何も必要ないわけです 本当に感謝し、愛し、そして人間の可能性を垣間見たのであれば、 自然と行動へと駆り立てられるものだと、そう思うのですよ グルジェフ的思想では、そういった状態をどう表現するのか??? ちょっとグルジェフについてそこまで勉強してないので分かりません。すみません
おまえKGBって知ってるか?
困難な時こそ頑張れ Kon nan GanBare ってことですよね 分かります
日本ではワークはどこで行われているのですか? グルジェフのワークに限って情報よろしくお願いします。
活動の中心はグルジェフ、中興の祖、リーマン氏に移っています。
ワークに興味があるので、 amazonで「グルジェフ」検索してでる本をチェックしましたが、 あまり情報がなさそうですね。 実践方法を知りたいのですが、参考文書やURL教えていただけましたら嬉しいです。
人は、意図的にロボットになろうとしたときに 自然と、その主人は誰なのかを考えなければならない。
あなた方は自発的に機械にならなければならない。 しかし、機械としてのあなたを操るのは誰だろう。 誰のために、あるいは何のために、あなたは機械として存在しているのか。 何に支配されている機械なのか、それすらもわからないまま、気づけずに機械でいるのが現状である。
>>107 「グルジェフから40年」ジョン・フックス著
112 :
神も仏も名無しさん :2009/08/13(木) 21:38:02 ID:FzhlgOlj
ウスペンスキーの偉大なる著作を翻訳した高橋氏に礼をいう。 (この場ではなんだが、氏のHPには掲示板もメール先もないので。) あの2册(正確には3册)に人生で出会えた意義は大きい。 ありがとう。本当にありがとう。
test
彼はドコまで進んだのかな 往路の途中までっぽいけど
116 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 16:13:17 ID:B3xPKYxB
人は鏡なのですね。 生かして頂いて ありがとう御座位ます。
117 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 23:30:09 ID:S1BTb1aD
>>115 人間のうちは観想までゆければ良いという術者もいる。
グルジェフとシュタイナー、フォーチュン、バドラーの著作を読んだ限りでは大体そのあたりまでの指南までなされているように思えた。
118 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 02:24:41 ID:qGGkribj
>>113 もうちょっと詳しい情報をサイトに掲載してほしいなー
それだけの情報で、値段も書いてなければ参加するには勇気いると思う。。。
身ぐるみはがされることはけっしてないよ。安心して。
ビジネス的にどうなんでしょうか。 白山道的にベルセバブ売れてるみたいだが。
日本にワーク指導できる人いると思えないんだが、どうなんだろ?
122 :
神も仏も名無しさん :2009/10/12(月) 19:59:51 ID:0qo/YzBe
だったら、海外のサイトとか見て参考にすればいいんじゃないかな? 英語圏では結構グルジェフワークやってるところあるんでしょ?
1人でワークすることは出来ない、と言う人がいるが、これはつまりグルジェフの本を読むだけではなにも得られないということ? だとしたら何故グルジェフは本を書いたのだろうか 何故奇蹟を求めての出版を許可したのだろうか 読者の一部がワークグループに参加してくるのを狙ったのか? そこら辺はどうなんでしょ 指導者は必要不可欠ですか?
>>123 だが、本だけを頼りにグルジェフワークをし、確固たる成果を得た人はこのスレにいるのだろうか
いるなら体験談を聞いてみたいね
指導者つきワークの体験談も聞いてみたいけど
大体君等、グルジェフは悟れなかったんだから。
悟りなんていう大きなことじゃなくてもいい もっと小さな成果でもいいからワーク経験者の話を聞いてみたい
フェルデンクライスでいいんじゃない?
フェルデンクライスで決まりです。
>>128 知ってるということは
結構齢とってる?
130 :
神も仏も名無しさん :2009/11/02(月) 22:55:30 ID:b5w9XMXk
グルジェフのグループ浜田あるのかな
131 :
神も仏も名無しさん :2009/11/03(火) 02:07:30 ID:a2vm19pJ
test
132 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 11:32:53 ID:t0D8FhDp
グルジェフワークは自己啓発セミナーの走り 草創期だったんだね グルジェフは迷える子羊からたくさん金を集めたw 特に暇もて余してる金持ち婦人が嫌いだったようで 詐欺に近い行為で大金をせしめている
133 :
明智大五郎 :2009/12/13(日) 22:32:07 ID:uMS9pwOk
グルジェフはあまりに矮小で惨めな存在だった たとえば印度〜日本の禅の流れと比較した時には 仮に神のような存在でも、実質が何も継承されず、 詐欺的な商売に利用されるだけなら、無かった方が良かったのだ グルジェフは神秘家としては、全くの初心者で 後生に詐欺的マーケットしか残さなかった それはグルジェフの矮小さ、弱さ、愚かさ、罪だ
グルジェフは達しなかった。 しかしそのことを蔑む君には 災いがあるだろう。 懺悔すべきだ。
135 :
神も仏も名無しさん :2009/12/15(火) 18:03:30 ID:AuSmzHK5
いえ、そうではなくて、 実状は、グルジェフは達していた、 しかし、それを社会にフィードバックする際の 資源が全く不足していた、ということです たとえば、物理学者が、@何か価値ある直感を得た、後に、 それを人に伝えるためには、A直感を方程式を書き下ろすこと、 B方程式を実験で検証すること、が必要になる これは、科学の進め方だが、神秘主義も自分一人のものから、 社会に広げる場合、A→Bに相当する作業が必要だ グルジェフは@で止まってしまい、東洋のA→Bの伝統を よく知るものから見ると、風変わりで罪作りなトリックスターという評価して出来ない
達しなかったのだ。
137 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 19:05:33 ID:FAYYwsM7
グループリーダーの巨大な存在、それ自体がエソテリックスクールの伝達の証だ。 いい加減な推論は無益。
138 :
神も仏も名無しさん :2009/12/26(土) 20:01:35 ID:V+OKIoYW
グルジェフのドキュメンタリーがいろんな国で作られてるみたいだね YOUTUBEやVEOHにいくつかアップされてる
グルジェフが達していたかいなかったか知らないが 社会の常識のずっと先を行っていたのは確かなようだ。
達したとか達しなかったとかバカばっかだなw 明らかにGenuine Messengers from Aboveの1人だろ そんぐらい察しろよ
142 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 08:15:57 ID:psyG2Gze
気のながれがムーブメントを動かす。 体の中の気、これを動かすのがワーク
143 :
神も仏も名無しさん :2010/01/13(水) 07:20:46 ID:Z6wnkJWc
ってことは、 気功とか、 武術の中でも気の流れを重視しているものとかも 「ワーク」ってことになるのですか?
144 :
神も仏も名無しさん :2010/01/29(金) 19:36:40 ID:WG5ohHFZ
ワークに参加したひといる?
145 :
神も仏も名無しさん :2010/02/14(日) 08:06:08 ID:II7DFj1P
内在神、良心を大切にすること、これがワーク。 森羅万象にワークの指針が書かれている。 ありがとうございます。
白山の馬鹿信者がこのスレを保守してるわけか ご苦労
第三者だが、リーマンは間違いではないだろ。 コメント欄は異常だがw
148 :
神も仏も名無しさん :2010/03/06(土) 00:22:10 ID:j2I/7qfV
毎朝のワーク、すがすがしいです。 生かして頂いて ありがとう御座位ます。
>生かして頂いて この世のあらゆるものは単に環境維持のために生み出されているにすぎない。 あと見せかけだけ、雰囲気だけのワークに意味はない。 本当に道に通じた指導者など我々の周りには存在しない。 分かりもしないのにあれこれいじるぐらいなら、何もしない方がマシというものだ。
グルジェフによると、人間は人間自身のためではなく、太陽系の運行を助けるために存在しているらしい 空を飛びたいけど飛べない、生きていくためには他の生き物を殺して食べなくてはいけない、不快感情を感じない精神構造ならよかった・・・・ これら人間の現在の構造は、神が勝手に設計したものだ 人間の意向は反映されていない そしてその構造は、人間の都合ではなく、神や宇宙や太陽系の都合に合わせて設計されたのだ 人間は神の家畜だ 人間に出来るのはせいぜい微調整だけだ 例えば腕の筋肉を増やしたり減らしたり出来るが、腕を三本にすることは出来ない おおまかな枠組はすでに神が決定済みだ、枠組から出ることは出来ない 無理に出ようとすれば、不幸、発狂、死が待っている それでいてグルジェフは「われらが共通なる父の悲しみを出来るだけ軽減することに、進んで手を貸せるようになる努力」などと言う
別の言い方をすると 宇宙には物理現象と心理現象があるが、はたして心理現象なんてものが本当に必要なのだろうか ベルゼバブでは、宇宙を維持するために人間が創造されたと説明されているが、物理現象だけでは維持できないのだろうか 心を持つ人間ではなく、心を持たないロボットではいけなかったのだろうか ロボットが宇宙の維持に必要な物質を放射することは不可能なのだろうか 宇宙を維持するのは神の自由だが、人間の心を巻き込むな、と思う
この世に不要なものなどない。全て周囲の環境に利用されている。 心理現象も実際には物理現象であり、周囲の環境にとって必要なものだ。 機械的なロボットでは役に立たないからもっとはるかに精巧な人間が生み出された。 >宇宙を維持するのは神の自由だが、人間の心を巻き込むな、と思う この全体性、つまり「神」が創り出さなければ「思う心」、つまり意識も存在しない。 我々の側に選択肢はないしありえない。 人間は「神」が直接創り出したのではなく、恐らくは機械的に生み出されたのだろう。 「神」が直接行ったのは最初の放射だけで、後は自動的に進行したのだ。 より細かい物質の変換と惑星間の送受信のために、個々の惑星自身によって 直接生み出されたのだろうと思うな。
詳しい説明、有り難うございます。
154 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 20:55:55 ID:JGvBWfyb
グルジェフワークが4月に都内で行われる。 グルジェフ直系の正統なワークである。非常に貴重な機会といえよう。 参加する人は人生の意義を見出し、人生の転換になることは間違いない。
155 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 23:07:24 ID:3XRP+4Jr
直系とはグルジェフのどの弟子からどう繋がっているのですか?
156 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:01:43 ID:dlkNl2qg
グループリーダーは参加者の性質、エゴイズム、弱さを浮き彫りにする状況を作り出す。 グループリーダーがもつその存在感は圧倒的だ。参加者によっては畏怖を感じるものである。 類まれな機会を逃さないようにされたい。
人間第三番のグループリーダーか・・・・・
グルジェフについていくつか読んでみたんだが、正直「?」だった。 基本的にはヴィパサナ的な観を重んじているのだなというのは理解できたのだが、3で構成されるとか、そういう話は意味不明だと感じた
159 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 22:54:59 ID:ChTE4eBR
グルジェフ、和尚の現行ワークはあるところまでは助けになる。 目覚めの一瞥を得るまでの避難所といえる。 が、もし目覚めの一瞥と遭遇し、体験の儚さを理解したなら、 現行のマスター不在のワークとは相いれない、というか一緒にいる理由がなくなる。 今マスターはいないし、どこの組織も腐敗というか集団で夢を見るという1−4番の現実 から逃れることはできない。 和尚、グルジェフは現代人向けのメソッドとして間違っているわけではないから、 その組織もあるところまでは役に立つ。 全てを賭けて組織にコミットして、そして去るべき時に去るのだ。 何も知らないのなら最初は組織に頼るしかない。 実際マスター不在の組織は最上のものではないのは確かだが、ないものねだりをしても仕方がない。 批判するより、利用しよう。
和尚は「グルーピーになるな」って言ってるな。 それから大事なのは自分と弟子との関係で弟子同士のコミュニティーについては それほど多くの関心を払っていなかったようだ。
161 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 23:19:09 ID:ChTE4eBR
「全てを賭けた超努力が、一転してくつろぎによる覚醒をもたらす」 これは事実だが、マスターが健在なら何が起こるか弟子に教えずに努力をさせることができる。 マスター不在の時は、これを自分で知っていないと努力しないのだけれど、知っているということが 全面的な努力とくつろぎに至ることを妨げる。結果を求めているうちは全面性はそこにない。 私はある時点から何をしている時も自己想起を優先した。家庭、仕事ともにむちゃくちゃになった。 仕事中に自己想起でなく、自己想起中に仕事という感じである。 発狂寸前になった、というより、慰めなくあらかじめ存在した己の狂気と対面し続けたのだ。そして、、。 が、これは本当に一例である。一つのタイプにしか過ぎない。(知性感情タイプの私) ノット氏のような例(回想のグルジェフ)の方が一般的かもしれない。 穴掘りを何度も繰り返させられたノットだが、こういったことにはマスターの存在か、少なくとも 組織の存在は必須である。 このノット氏の体験を一番安価にやってのけられるのが和尚のダイナミック瞑想である。 あれは便利なワークです。 ずるい第4の道の人は実に便利なダイナミック瞑想を絞りつくすべきです。 って私もずいぶんダイナミック瞑想にお世話になりました。 マスター、組織の無茶な努力欲求やダイナミック瞑想は必須ではないですが、 明らかにことの成就を早めます。 ご参考までに。 あなたに内なる意識の光のあらんことを。 幸福とも不幸との無縁な内なる中心に目覚めてもらえたなら それ以上の喜びはありません。
162 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 23:22:14 ID:ChTE4eBR
≫160 その通りであります。 が、マスターが不在の今は状況が違うのではないでしょうか。 今指導者である弟子を無視してマスターと交感するって一般的でしょうか。
163 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 23:26:58 ID:ChTE4eBR
ああ、だめだ。 自分も最初はみんなに頼り切ってた。 何の批判精神もなく、本当にかわいがってもらってた。 正直自分が書いたことは、 「既存のメソッドをやりぬいて失望している」という準備ができた人向け 今初めて組織にかかわろうという人にとっては、悪影響ばかりのカンニングにすぎない。 うーん。 こういった難解なパズルゲームにいくらでも自分の時間を使えるのが、マスターなんだね。
すげー人がいるもんだ
最後まで連れて行ってくれるのがマスターなんだから そりゃ必然的にゴールに近い人に投げかける言葉が増えるってもんだ
>マスター、組織の無茶な努力欲求やダイナミック瞑想は必須ではないですが、 これはつまり、必要不可欠なのは自己想起だけ、ということでしょうか?
>「全てを賭けた超努力が、一転してくつろぎによる覚醒をもたらす」 曲解もいいとこw Gはそんなこと言ってないし。 >3で構成される あらゆる古代の教えの基本だろ。 >今はマスターが不在 この板で宣伝されるような基地外集団には不在なだけ。 我々のような盲者には見えないのさw 地球上で知識が途絶えたことは恐らくない。 つくづく思うが、この板って本当に基地外の巣窟だな。 AUM予備軍がウジャウジャwww
169 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 12:00:09 ID:ryhu2PTl
わたしをほめる人間も、否定する人間も 自己の目覚めには興味がなく、自己の葛藤から逃げようとしている。 だからわたしに賛成する人も反対する人も、等しくわたしを喜ばせない。 自己に関心がある人しか相手にしようがない。 ≫166さん それは確かにその通りです。 が、親、指導者への依存、怒り、それから来る不自然な食欲、性欲 生死への恐れ。お金への恐れ。(表面的な欲望にどれだけの隠された欲があることか) 自分の場合食欲は、親との不和から来ていましたが、その当時の自分にその洞察は不可能でした。 こういったものでまさにばらばらになっている我々が、自己想起に一日中 努めて己の精神の全容をはっきりさせようとしても気が狂うというか、 前記の客のどれかが主人になって自己想起を忘れてしまうでしょう。 「自己想起だけ」ができるところまで、自分の表面的な欲望、本質ではない客を片づけ、 いくらか結晶化しておく必要があります。 まず、組織、方法、方便によって自分の知らなかった客に気付き、そして客を減らすことです。 そうすれば自己想起だけが重要なものになりつつある時期がきます。 そして、覚醒は無条件無努力のものなので、メソッドどころか自己想起すら 重荷になる時が来ます。 これに早く気付くのが知性タイプで、感情タイプなんかは光明の直前まで方便には 疑問を感じません。(神の幻影だけに結晶化して最後にそれを捨て去る)
170 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 12:03:16 ID:ryhu2PTl
グルジェフは超努力の意味については語りませんでした。 知らないほうが弟子にとってはいいのです。 和尚は自分が生きてる30年では大したことが出来ぬとわかっていました。 (神秘の次元) ですので、自力でワークしなければならぬ未来の人々のため超努力の意味をばらしてしまっています。
171 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 12:04:51 ID:ryhu2PTl
組織、方法、方便によって「結晶化し」です。
和尚はかなり胡散臭いのでパスしてる。 多分どこかの教団で少し学んだだけで大悟したと勘違いして 独立したクチだろう。 だから全てが間違っているわけではないが、矛盾が多い。
和尚は自分の言葉は必ず誤解されるし、矛盾を生まないように諸々の事柄を説明する 余裕はないとも言っていた。同時に自分の言葉が教義化されることで新しい宗教が 生まれてしまうのを防ぐために布石を打ってあるとも言っていたらしい。 しかしそれとは別に探求者がどのようなタイプの導師を選ぶかは全く別の話で 「ソリの合わないタイプ」の導師の言葉だけ拾ってみたところで大して助けには ならんと思う。自分の助けになると思った導師を探せばいいんじゃないか。
「自分の言葉が教義化されることで新しい宗教が生まれてしまう」などと 言っている時点で和尚のレベルが分かる。 本物と似非の違い、と言うか宗教そのものについてまるで分かっていない人 だったのだろう。
>>169 自己想起だけで十分である、ただし初心者は先に準備的なワークをしないと正しく自己想起出来ない、ということですね
なるほど
それは一日中努力し続けなくてはいけないということでしょうか?
もしそうだとしたら険しい道と言うしかない・・・・
関心を奪われるような出来事が起きても自己想起を維持出来るようになるのでしょうか?
176 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 20:54:16 ID:r/+VrGjL
175さん 自己想起は気づきとちがって気付いている自分にも気付こうとするので 御者と客同士が監視しあうといえ,これは覚醒に近いです。 が,私は主に気づきについて述べてます。 一日中努力しなければいけないと言うより,自己想起の心地が身についてくると, それが失われるのがいやになるので,自然それが最優先になってきます。 しなければいけないと言うより,あるタイプの人間なら自ら踏み込むと言えます。 関心を奪われるようなことが起きたら,関心を奪われますwもう奪われてるから。 関心を奪われるという条件付けそのものが消滅します。 ここで「克服した」実感があるならそれは多かれ少なかれ抑圧です。 問題を自分でつくっておいてからそれを克服しているのでむしろややこしくなっています。 「ああ,昔はこだわってたな,忘れたよ」 という感じの無事無難が正道です。 そして,世間と自己想起の関係については 善人度がかかわってきます。 善人はワークに時間と精神力を費やせるゆとりを持てます, が,善人過ぎるとその幸せな人間関係の中に逃げ込み葛藤の自覚がなくなって,, 以下休題
177 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 20:57:28 ID:r/+VrGjL
宗教も,芸術も 言葉にならぬスペースを何とか言語に イメージをこえた無形のものをなんとかイメージに 落とし込んだ先達の遊びである。 軽んじているわけではない。深刻になる価値がないと言うだけである。
実践者が来るとスレの内容が一気に濃くなるなあ
>自己想起の心地が身についてくると,それが失われるのがいやになる 自分を楽しませるためのストーリーやおしゃべりが頭の中でエンドレスループという段階の私には、そう言ってもらえると心強い ありがとうございました
180 :
神も仏も名無しさん :2010/03/31(水) 07:35:41 ID:27Gqbsn6
>実践者が来るとスレの内容が一気に濃くなるなあ 4月のグループリーダーの臨在を予感して、活気づいているわけだ。 真実のおのれの姿にむかいあうワークがおこなわれる。
>>176 >自己想起は気づきとちがって気付いている自分にも気付こうとするので
と言う事は、その気づこうとしている自分にもさらに気づこうとするってこと?
例えば音がする。それに気づく、これがヴィパサナ。
で、自己想起って言う場合は、その気づいてる自分に気づく、ってこと?
それだと音に気付く時点で気づいてる自分に気づいてる気がする。
てことはグルジェフのいうの自己想起っていわゆるヴィパサナ系の瞑想と同じものってことになるけどそれでいいのかな?
182 :
神も仏も名無しさん :2010/04/01(木) 23:54:53 ID:xCa1KAus
>>181 主人はいるのだけれど、主人の席にいません。
いま主人の椅子に座っている自己想起の実践者は御者なんです。
御者によって御者に気づこうとすることはともすれば自己分裂になりがちです。
ですが、奇跡の探求でウスペンスキーが述べるような自己想起が起こると
自分が気づいてるのに加えて「自分が見られている」
感覚が起こります。
この自分を見ている、「私性無き観察者」が主人です。
これは覚醒に近いもので、努力半分、偶然半分のちょっと珍しい現象です。
ですので、普通自己想起はただ行いと思考に気づく(気づき)のことであり、
それが基本になります。
183 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 00:05:00 ID:gvmgeyZG
>>179 今我々にとって、まず必要であり、誰もが同意できるのは、
本質によって生きることではないでしょうか。
自分の本質に合った職業、ふるまいを見出すことができれば幸福に包まれ、
ワークもはかどります。
自分の本質に合致していない成功者は、ハスナムス的であり、緩衝器だけで生きており、
一見幸福だけど中身は地獄という生き方をあなたに教えてくれるでしょう。
自己の本質を実現しつつ、かつ世の中の狂気との対応ができる人は、その人が宗教的で
あるか如何に問わず、その人が王かこじきかグループリーダーかサラリーマンかニートか
その外形とは関係なく、内側が世界の流れと調和しており、あなたの幸福なあるべき姿
の発掘を願っており、協力してくれるでしょう。
本質の実現ではなく、野心によって成功した9割の人は、己の夢、パターンを己に暴力的に押し付け
他人にも押し付けます。これは一般人からグルまで同じ比率です。
慈悲深いわれらが共通の父は、今あなたに何をしてもらいたがっているでしょうか。
たったそれだけのことなんですよ。
>>182 それは他にもあらゆる人が似たような事言ってると思うのだが、何か違いがあるのだろうか・・・・
エックハルトやヴィパサナ系も同じように言っているし。
アジズ、フーマンもそうです。
アジズ、フーマンなどは、その状態をstates of presense とか呼んでた。
禅や、天台止観でもほとんど同じ話があるし。
だとすればグルジェフのオリジナルな話ってのがない気がします。
自己想起って何も特別な事じゃないというか
珍しい現象どころか、「常にその状態にある」事を義務付けている人たちが多い感じします。
>>184 Gはそれを日常生活でやれ、と言ったんだよね。
これは難しいよ。ほとんど不可能。
186 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 07:06:33 ID:eQ/NIgyP
グループリーダーの完成された高次存在体はワークのなかにいる人の ビーイングを鼓舞する。そして覚醒への道へと導く。
>>185 日常生活でやれっていうのは他の人もみんな言ってる。
禅もそうだし、ヴィパサナもそうだし、アジズもそう。
グルジェフについて全然詳しくないんだけど、結局他の人が言ってる事とおなじっぽいですね
みんな同じだよ ただ異なる視点から語るから解釈がいろいろ違う また自我が残ってるぶんそこでの他の人との見解のズレがある 要はどの程度ありのままになりありのままに語れてるかということで、そういう意味では一般 人の言うですらなんでも程度の差であり同じ 全てが悟りとか全てが真我というように表れ方の違いだけでみな同じ オリジナルとかオリジナルでないものがあるわけじゃない
189 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 11:48:31 ID:gvmgeyZG
ありのままに近いのが金剛般若経だったりクリシュナムルティーだったり。 しかし、ありのままであるがゆえに役立てられるような人は相当成長した人だけ。 グルジェフは第一歩から始める。 そして高次思考センターについてはあえて語らず、それを垣間見た弟子は追い出された。 しかも高次思考センターですら終点ではなく、覚醒、第3の意識。 グループリーダーは実力でなるのではなく、グループの人々の希望にそった振る舞いを する人が認められてその任につく。 さて、本当に高次存在体を持っているような人はその人自身がぎりぎりのところでワークしている。 それに巻き込まれないで人々の期待に答え、かつ自分のワークをするなどというゆとりがあるだろうか。 「マスター」 であれば、その通りだ。 言うことは似通っていますが、それそのものを伝達することが、自己のうちに見出すことがすべてです。 言葉は宝物のように見える。
190 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 11:55:17 ID:gvmgeyZG
グルジェフの特別なのは 本質と人格 (和尚で言うならハートとマインド) 3センターの方便 宇宙原理 不思議な食物連鎖 など、現代人向けの科学的な世界観です。 ま、世界は膨大な、複雑な現象ですので、無心でなら捕らえられても 知性では捕らえきれないところがあります。 グルジェフは強引に知性で世界を捕らえて弟子に説明しようとしたものの やはり無理だったか少々破綻があります。 ま、別に破綻なんて会ってもいいんだけどね。
191 :
神も仏も名無しさん :2010/04/05(月) 23:01:46 ID:/bMjhw7z
グループリーダーの偉大な感化力がワークの礎である。
ケスジャン体の形成のために具体的に何をすればいいのか
193 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 20:49:23 ID:ArsMOlZ6
ケスジャン体はみんな持ってます。 ちょっとした気づき、呼吸の意識や、ヨガなどの宗教の修行 意識を伴った運動であればケスジャン体を感じることはできると思います。 これがとっても楽しくてどんどんのめりこんでいきます。
仮に持ってるとしても、自分の意志で制御できなければ何の意味もない。 恐らくは、持ってるなどとのたまう輩は偽者。 自ら知らずして天に導こうとする者に神が死を与えんことを、って言う言葉を思い出すな。
tesu
体に縛られているひとが、ケスジャン体を感じるということは実にありふれて いることですが、 体との同化を棄てて、自分がケスジャン体であり、体ではないという認識 に至るということでしたら これは時限の違うこt。
グルジェフは、人間は本来ケスジャン体を持ってないと言ってるみたい 従来の、オカルティズムの考え方とは違う 人間が元々ケスジャン体を、持っていると考える宗派は ケスジャン体を形成した特別な人が、自己観察をした結果得られた知識を そうでない一般人にもあるものだと勘違いしたんだと思う
勘違いではなくスタンスの違いだろう。 目指すゴールは同じでも取る方法は様々だから。 例えばGは輪廻転生を基本的に否定していたが、ウスペンスキーとの会話の中で それが存在することを示唆したことがある。 つまり実際に循環が存在してもそれを意識せず奮闘もしないのであれば その人にとって循環は存在しないのと同じことだからだ。 第2の体についても同じことだろう。
200さんに同意します。 「あるけど気づいてない」 「獲得するまで持ってない」 はスタンスの違いで内容は同じです。 輪廻についてのGの表現は好きです。 宇宙にとっては宇宙法則に合致した高次の人間のみ有用 なので通常の人間の、記憶、習慣、エゴは宇宙にとって不要なので 跡形も無く消し去るだろう、と。 輪廻を意識するというのもありますが、 人格は輪廻せず、本質、魂だけが輪廻するので 通常の人間には輪廻は無く事実上宇宙に寿命と共に抹殺されます。 人格=宇宙法則への反逆
>宇宙にとっては宇宙法則に合致した高次の人間のみ有用 この点に関しては、奇蹟を求めてとベルゼバブで言ってることが違う そういう人が増えると月が困る、と奇蹟を求めてでは言っている
月96法則 地球24法則 宇宙6、3、1法則 月は困っていいのです。地球以下なので。
>宇宙にとっては宇宙法則に合致した高次の人間のみ有用 何も分かってないな・・・ グルジェフはそんなこと言ってない。 宇宙、というかこの世界全体にとって庭の石ころから葉っぱについた毛虫、 道を横切る猫、殺戮兵器を開発する人間に至るまで全て有用だろ。 月はイレギュラーに発生したから別途考慮する必要がある。 太陽の放射から発生する通常の惑星ではないんだよ。 どちらにしても俺たちは環境の奴隷だから関係ない。 どんぐりの実の例えを思い出せ。俺たちは養分として仕えるしかないのさ。
動物も神も宇宙の流れと合致している。 主観的な習慣を持つ人間だけが自然な生の流れに逆らいうる。
ベルゼバブでは、 「進化した人間となり、神や宇宙に仕えることは無条件で良いことである」、 と言っているように見える 奇蹟を求めてでは、 「第四の道は自然にそむき神にそむく道である」、 「彼の進化は周囲に利益をもたらすわけではない、彼個人にとってのみ必要なのだ」、 「大多数が人間機械として存在している現在の状態が、地球や宇宙の要求を満たす上で最適の状態」、 と言っているように見える この違いはどう理解すればいいのか?
自然、神が普通の信仰、普通の人間生活を意味しているか 自然、神が、高位の宇宙法則を意味しているか。 その文脈の差じゃないかな。
つまり一人の人間が進化することは、宇宙にとってプラスなのかマイナスなのか? そこがよく分からん 人間第七番になっちゃってもいいですか?
>>206 我々の惑星の場合は特別なんだよ。
通常は3つの脳を持った生物は進化するのが自然だ。
でも地球の場合、月を維持しなくちゃならない。
だからもし地球人の大多数が急に進化したりしたら、
月にとって致命的な事態が起こる。
ひいては我々の太陽系にとっても大惨事になるだろう。
まあそんなことは起こらないから心配要らないけどね。
そういう訳でベルゼバブも奇蹟を求めてもどちらも正しいのだ。
グルジェフは「ベルゼバブの〜」でオナニーはするなって言ってた気がするけど 具体的にどういう害があるんだっけ
211 :
神も仏も名無しさん :2010/05/06(木) 18:57:55 ID:oFpK4mep
グループリーダーは害あるとは言ってないよ
212 :
神も仏も名無しさん :2010/05/13(木) 23:02:53 ID:M0gyQOgr
グルジェフ・ワークの書「森羅万象」第3巻でるな。 グルジェフ・ワークが確実に根付いた。 あとはベルゼバブの改訳版の出版に期待だ。
life is real only・・・・の新訳ってこと?
例の宣伝のとこのだから無視無視!
っきこ
リアルの恋愛は互いの夢の幻滅による成長か、夢を捨てての愛の調和の一瞥かどちらかが 得られる。どっちも有用だ。 が、オナニーは正に自分の夢の強化という結果が来る。 けど、光明を得てない人にとってオナニーは避難場所なので、自然消滅するまで待つのみ。 批判してなくそうとしたら現在ある混乱を余計強める。 >>209 本当のところはわからない。だが 私はこれを、世界が他人が変わることを期待せず、己の変容にのみ努めるのだという寓話として受け取る。 他人を救うという自己逃避の病が正当化されているこの世にあっては必要な寓話である。
生の反復に関するGとウスペンスキーの会話は深すぎるな。 あの後のウスペンスキーの性癖についての質問、それに対するGの返答。 深い、深すぎる。
グルジェフの教えは高度なので、それに見合った人が理解しないと危険なことになる。 「理解できなければべつにいい、」 だが、自分の実存より2、3段階先の知識を知性的に理解なんかしてしまったら、 現在の自分を見失い、現在の自分に必要なワークをしなくなる。 これについてグルジェフは、3部作の最後の本ではっきり敗北宣言している。 「精神病院行候補生」についてのくだり。 グルジェフは、それまでの彼の教えである古代宗教の技法を理解しうるところまで現代人を育てるために、 別個に準備的な教えを作らなければならなかった。 でも、それは今までだれもやったことがないし、グルジェフにはできなかった。 晩年彼がおとなしかったのは、かつてない混乱を抱える現代人のなかにあって 彼は自分には何もできない、何もしないほうがましということを認識したからである。 その失敗を受けてそれを「やってみた」のが和尚である。 和尚の弟子は決して和尚の高度な言説に関心を支払わず、自分の好きな言葉にしがみつく。 彼らの言説は俗っぽく幼稚かもしれない。 が、それは分不相応なものではないので彼らに必要な修行、人生経験に飛び込んでゆく際の妨げにはならない。 まず和尚から入ることを強く勧める。 もしグルジェフにかぶれて分不相応な知識にかぶれたら、諸君らは現実の自分を見失う。 そうなったら一度死んでその余分な知識を捨てないことには適切な修行及び成長の可能性はなくなる。
宗教的正論をしゃべる人との会話に憧れていたのだが、いざ会ってみると 精神病院行候補生だったのだ。 修行を終えた人にとって意味のある知識に酔って、実際に必要な修行を全くしない。 もう死しか彼を救えない。 本質と知識のバランスが大事と実感。
和尚は糞の中の糞 これは確かだ
同感だな。 偉そうに何言い出すかと思えば和尚とかw もう少しマシなのはおらんのか?
和尚から私は離れた。 現行の和尚組織に欠点は山ほどある。 しかし、批判はしない。 あらゆるナンセンスが和尚にはあり、それを理解し乗り越えるのが成熟。 批判するということは全く理解していないということだ。 批判も肯定もなく和尚の全体を認識できないだろうか。 和尚はすべてについて語っており、さまざまな顔を持つ。 一つの顔を非難すると残りの顔が見えない。 そして和尚自身は何の顔もない。楽しく遊んでいるだけだ。 弟子たちとのナンセンスな答弁も相手が、身近な女性たちがそれを必要としており それに答えているだけなのだ。 客観的な認識ができないのであれば、諸君らはその非難した和尚のサニヤシンたちと同レベルだということだ。 同レベルのイスラム教徒とキリスト教徒は互いを正反対の存在と思い相争う、 が周知の通りまったく同じ存在である。 残念だが君らが活用できるのは和尚だけだ。 マスター無しで現代人が道に迷わない可能性のあるのは和尚だけ。 それ以外のものは全て現代人がマスターなしで成長しうるようにもともと作られていない。 君らは意見で自分を守っている。 動揺から身を守り、 そして君らのあらゆる悲惨さが消えてしまうことからも 身を守っている。 もっと柔らかくなってごらん。 確かに非難するのは表面上は心地よい。が地獄も内包している。
和尚は絶対にあなたが同意できないようなことを言っているだろう。 でも ほぼ確実にあなたと同じ意見も言っている。 肯定的な方を探したらどうだろう。 サニヤシンは今自分に合った言葉を和尚から探す。 そしてしがみついてしまい結局悲惨なことになるのだけれど、それによって その考え方と手を切って次の段階の言葉にしがみつける。 彼らは自分の段階にあった思想を現実的に強く実感することで、 毎日のワーク、技法をこなし続けることができる。 グルジェフの高度な思想を愛好すると、日々のワークがなおざりになりがち。 これでは成長の根を失ってしまう。 死ぬ気で全力で毎日ワークするにたる理由が今あなたにありますか? 和尚はすべての言葉を、言葉というシステム自体を馬鹿げていると言っている。 我々は言葉とはなにか、心とは何か知っているだろうか。
和尚スレでも立ててそちらでどうぞ。 我々は紛い物に用はないから。
グルジェフ派の和尚に対する拒否反応は 和尚が言っていたらしい「グルジェフは達していなかった」の一言から来るのかな? かな? ちなみに和尚はグルジェフについて多くを言及していたらしいので ここで和尚の名前が出てくるのはある程度必然だと言えるのかもしれない。
和尚が糞だからでしょ、拒否されるのは
ラジニーシとグルジェフでは格が違いすぎる。 グルジェフの凄いところは理論的な側面と着眼点。(実践も凄かったが) 一体過去の誰が7という数字を振動に関する法則に結び付けて説明できた? エニアグラムは誰のおかげで一般に知られるようになった? 「仏陀の首飾り」やイエス、ラマ教における死者との交信についての明確な説明を グルジェフ以外の誰が可能だった? 実践面においても、遠く離れたヤクを殺したり象を眠らせたりすることができたらしいし、 何よりもそうした能力が第2の体の「血液」と関連していることを説明できた。 「半分だけ学んだ」インドのヨーギには無理であろう。
賛同は無理解だし非難も無理解。 和尚だけでなくあらゆるものはGは何故否定されるのか。 思考センター、感情センターには否定と肯定の2面性がある。 和尚を否定する人は無意識で同じだけ和尚を肯定している。 肯定する人は同じだけ無意識で否定してる。 和尚の言うことがあなたにとって価値があり、また手痛い正論でありあなたの傷に触れたのだ。 そのときあなたのうちに両方ある肯定否定のうち肯定が出るかもしれないし否定が出るかもしれない。 これは「生はーー真実となる」の最後に書かれていたテーマだ。 グルジェフの敵はいつでも彼に魂を売る準備がある。愛しているものだけを人は否定する。byスーフィーのラビア 「狂った機械の行先は予測不可能byG」「生は宇宙のジョークだ何の連続性もないbyOSHO] 7つの身体論なら和尚の奇跡の探究、秘境の心理学をよんでみよう。 瞑想祝祭のアートもかな。 グルジェフとはまた違った側面で7の法則を語っていて普通に読み物として面白いです。 私も分不相応な身体論から入りましたが幸いのめり込まず日々技法に打ち込みました。 奇跡を求めて において、高次思考センターについての記述が全くないことに気付いているだろうか。 思考センターの断片同士が言語を作るのであって、全面的思考活動には言葉、思考は存在しない。 高次思考センター、そして高次思考センターが機能してこそ可能な5から6番へのワークは、言葉では表せないのだ。 和尚もグルジェフも、いやあらゆる宗教は人をそこまで連れて行くことにある。
「だれが説明できただろうか。」 Gは「あなたの知的好奇心とエゴを満足させるように」説明できたかもしれない。 それははあなたの、本当に大事なあなたの実存の成長に役立つだろうか。 役に立っただろうか。あなたは語った物の中でそれそのものを知っているものがありますか? あらゆる言葉はヒントであって事実そのものではない。 役に立つ言葉が真実だ、方便と仏陀は言う。 ブッダであれば大体の神秘は説明できる。 しかし露骨な表現は害になるのでしないだけだ。言葉で知るのと事実を認識することは違う。 時々ブッダのような婉曲な嘘で人々を導きうるマスターが現れる。 グルジェフ自身も言っている。理解して害のない人間だけが理解しうるように 宗教の知識は半ば暗号化していると。
(内面において) 一日6時間宗教的に生き、10時間非宗教的に生きる人がいるとする。 十分すごい人だが、この人の精神の内何パーセントが宗教的で何パーセントが非宗教的だろうか。 テレビを見ている時の主人、酒を飲んでいる時の主人はまず反グルジェフであろう。 我々は分裂しているのだ。正反対の部分に引き裂かれている。
すいません。ようやく論点を把握出来ました。 「私を決して信じたりしないようお願いする。」byグルジェフ というように グルジェフを肯定することとグルジェフを否定することは同じことである。 ともに理論の指し示す現実を認識することなく持前の想像力の奴隷のままである。 唯一価値があるのは理解です。 私はグルジェフを「理解」するなら和尚を「理解」するのが近道ですとお勧めした。 が、ある人はグルジェフを「肯定」し、和尚を「否定」したのだ。 別に和尚からでなくてもどの教えからでもいいので不毛な思考センターの肯定、否定ではなく 感情センター、3センター、高次センターで、感じ、実践し、「理解」してゆきましょう。
>ID:Ki/AlRwO 君はラジニーシに影響されすぎている。 いずれにせよ我々の関心は大きく隔たっているからここで議論しても無意味だろう。 個人的にはラジニーシを読むぐらいなら彼がボロクソに貶していたウスペンスキー を読む方が退屈しない。 ラジニーシは抽象的、詩的すぎるし、ウスペンスキーは理屈っぽすぎるけどね。
233 :
神も仏も名無しさん :2010/05/23(日) 18:29:01 ID:jJcELe/3
オショーも自称後継者も結局、白山道につなぐためのコマだったのさ。 今ならわかるだろ。 森羅万象新刊を心読せよ。
そうだろうか。 「理解」は何から理解しようと同じことではないだろうか。 理解してそれを生きることと、頭でまだ見ぬものを納得することは違う。 そもそも私の書き込みは和尚の部分を無視してグルジェフからの引用だけで十分意味は通る。 更に言えば和尚という単語を使わずグルジェフからの引用だけでまったく同じ内容を書き込める。 和尚という言葉で何かを刺激してしまい、議論を無意味な方向に誘導してしまったようだ。
235 :
吹黄(ふき) :2010/06/01(火) 21:20:42 ID:yzUhrqZU
はじめまして。まだ、この掲示板を見ている人がいるのかどうかわかりませんが…。
『ベルゼバブの孫への話』の、前書きのような第一章の文章が、
グルジェフの尋常ではない描写に納得いかず、英文から第一章の全文を自力で訳し直してみました。
すると、今までわからなかった部分がよくわかるようになりました。(不明な部分も残っていますが)
興味のある方には、是非読んでいただきたいと思い、ホームページに掲載しました。
(グルジェフに関しては、他のことも記載してあります。)
HP sasara paccela (ささら ぱせら)の方にも、是非おこしください。
http://www.k5.dion.ne.jp/~sasara-p/
読むのめんどいんでここにまとめてくれ。 どうせ過疎ってるし、白山云々とか和尚云々とかスレ違いの話題を書かれるより 数段マシだと思う。
237 :
吹黄(ふき) :2010/06/03(木) 22:19:43 ID:ZZPB0KT4
ここにまとめる…ですか!なんという無茶な。 一つのワークだと思って、読んでみませんか? (グルジェフは、第一章を何度も読んでからと言っていたと思いますが。) 話の要旨を考えて、9のブロックに分けて、要点を絞り込んで書いています。 まず、1では、「manifestation」がキーワードになっています。 今日本では、マニフェストといえば、「 (政治的)示威行動・公約」にばかり使われていますが、 もともとは、「手で握られた」「はっきりわかる」〔ラ〕⇒「明示、表明」「現われ、しるし、兆候」 「(霊魂の)出現」などの意味があり、表層の「appearance」とは違う、 「個人の発現・顕現の仕方」を問題にしています。 責任を全うすべき年齢に達する前に、その準備期間があるわけですが、その間に、 グルジェフは、(後述する)三つのデータ(天与の素材)により培われたわけですが、 普通の人はそうではありません。それによって、責任ある大人になった時の「顕れ方」が、 「個の顕現」となるか「病的な『ふきでもののようなもの』」になるか、違ってくるわけです。 特に、ものを書く時には、要注意ということです。
>グルジェフは、第一章を何度も読んでからと言っていた そうだっけ?そうだったような気もするな。 Arousing of Thoughtだったっけ?ほとんど印象に残ってない・・・
なにはともあれ、翻訳してくれるのは嬉しい ベルゼバブに限らずじゃんじゃんやっちゃって下さい
240 :
吹黄(ふき) :2010/06/06(日) 17:20:14 ID:nec/tfKv
>ほとんど印象に残ってない それもそのはずで、内容もしかるべきかもしれないけれども、 あの翻訳では、何をいわんとしているかが、 読みきれないのが原因の一つにあると思われます。 だから、翻訳し直してみたのですよ。 (そのため、他の本を…という必然性は今のところないわけで) 2では、「言語」のことを問題にしています。 「the pot is not yet full! 」…どの言語(の中)で書くのかが決定していない。・・・ この英文を「容器はまだいっぱいにはなっていません」と訳されています。 これが誤訳で、「器がまだみたされていない」と、「言語」を「器」といっているわけです。 そうして、いろいろな語を「器」と「中身」という比喩で説明しているのです。 多国間で、同じ「中身」をいれられる「器」があるとはかぎりません。 グルジェフは、「微妙なニュアンス」のいれられる「器」の選択に、アルメニア語を、 自動的に慣れ親しんでいる「感覚の中身」の入れられる「器」に、ロシア語を使ったわけです。 また、文化、民族、風習など、環境が違うところでは、同じ「器」を使ったとしても、 それぞれのもつ、「連想力」の違いによって、「中身」が違っているわけです。
241 :
吹黄(ふき) :2010/06/06(日) 17:22:25 ID:nec/tfKv
普通、我々は無意識に言葉を使いがちですが、「in Japanese」という「in」の感覚は薄いでしょう。 私は考えるに、同じ「日本語」という「器」を使っていたとしても、 「中身」が違うことが往々にしてあると思うわけで、 それには要注意しなければと考えています。 それと、ここで重要なのが、「 mentation 」という造語です。 翻訳では「認識」というだけになっています。 「ment(名詞を作る)+ation(名詞形)」で、「名詞化作業」というような意味になります。 しかし、それでは意味がわかりにくく、私はあえて「認識可能化固定処理」としました。 過去においての地球上では、いつの時代でもどこにでもふつうにいがちな大胆にも自分自身のことを 「意識的な思考者」と思い、他人からもそう思われる権利を得たいという気持ちが生じている人には 皆、彼の責任を果たすべく存在する初期年齢までの間中に、人は概して二種類の認識可能化固定処理 を持っているものだということが教えられるべきだとされていた。 それが「thought」と「form」の二種類だといっています。 この「思考」の方はともかく、「form」を「形」と翻訳されていますが、ここは難しいところです。 「器」の話のこともあり、私はとりあえず「容型」という喚起をうながす造語をあてがいました。 「mentation by form」にだけたよっている場合は、きわめて主観的になりがちだということです。 言語を「皿」と「内容物(料理)」としても譬えていますが、グルジェフの警告の後では、 食欲も、その他の欲もなくなってしまうかもしれないと言っています。
mentationは「ment(名詞を作る)+ation(名詞形)」ではないし 「名詞化作業」というような意味でもないと思うが・・・・・ ふつうにmental絡みの造語と読めるし、辞書でも「精神活動(のプロセスもしくはその結果)」 となっている。 「認識可能化固定処理」ではちょっと・・・・・
243 :
吹黄(ふき) :2010/06/06(日) 21:16:40 ID:nec/tfKv
確かに、ここが「器」が違うと…という問題でもあるわけですよね。 私自身、ここを「認識」ではなく、どう訳するか、苦慮したところです。 確かに少々(大いに?)違和感があってしかりだと思いますが、 ただ、話の前後の関係から、mental絡みではないと思われます。 「意識的な思考」のために必要な要素なわけで、 訳者のいう「認識」に至るためのプロセスを、 自分の感覚に置き換えて作り出した造語ですからね。 何とかもっといい言葉が見つかればいいのですが。
245 :
吹黄(ふき) :2010/06/06(日) 22:47:28 ID:nec/tfKv
どれも、訳はでてこないけど、単語としては存在しているみたいですね。 私が数年前に検索した時は、グルジェフのページと、あと一件しかなかったんですよ。 古い辞書にはないけど、新しい意味が定着して、使われているんですかね。 グルジェフの時代にあったかどうか…。 で、実際どう訳するか問題ですね。 とりあえず、情報としてはありがとう。
・・・・・ 吹黄さん、大丈夫か? www.thefreedictionary.com Mental activity; thinking, the process or result of mental activity www.merriam-webster.com mental activity www.yourdictionary.com mental functioning; activity of the mind, Mental activity; thinking 正直なところ、ベルゼバブの翻訳は無理では?
247 :
吹黄(ふき) :2010/06/07(月) 00:15:57 ID:yZbA8s+8
わざわざ調べてくれたのですね。ありがとう。 これは、古くからあった意味なんでしょうかね? 訳者も「認識」としていたので、少しニュアンスが違うようですね。 百歩譲って、昔からあった意味だとして、訳を考え直してもみます。 単語の不明の箇所はここだけなので、全体としての影響はないものと思っています。 (といっても、意味が不明な箇所は何箇所も残っている) あの翻訳からは読み取れない部分を何とか読み取ろうとするたたき台のようなものですから、 こうして、こだわってくれたのはありがたいことです。 だからこそ、読んで意見なりを言ってもらえるとうれしいのですがね。 それほど、時間はかかりませんよ。
248 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 12:05:58 ID:nfudN/xH
以下、ネット上で見かけた文章ですが… J・G・ベネットは、その著書『グルジェフ〜新世界の創造』の中で、 グルジェフが草稿を弟子に朗読させたときに、それを聴いてあまりにも容易に意味が 伝わる場合、それを書き直させたという。なぜなら、グルジェフは読むことも、 ワークといわれる修行の一環と考えていたからで、読むものに負荷を与えようとしたからだ。 この書き直しの際に、グルジェフは「より深く犬>を埋めるために」と言ったそうだが、 これを弟子が「より深く骨を埋めるために」の間違いではないかといったところ、 間違いを否定し、く犬>であることに注意を促したという。
249 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 12:13:22 ID:nfudN/xH
3において、「魂」のことを問題にしています。 そのほとんどの人は本を書くことによって、 「そうでなくても、ほとんど極端なまでに小さくなった人々の魂(精神)を、 年々確実に、さらになおいっそう小さくするようにとし続けている」という。 この「魂」をグルジェフは「psyche」と呼んでいます。 それなのに、誓いを立てるときにはカッコ付きの 「本物(生来、真正)のsoul(魂)」をもって言うという。 その理由は、「郷に入れば郷に従え(めったやたらに目的もなしに誓う)」という言葉と、 「聖なる名をみだりに唱えることなかれ」という戒律に従って行動するためだという。 さて、グルジェフは、「soul(魂)>」と、「sole(足の裏)」が、 発音、また綴りでさえも、ほとんどよく似ているということに、 激しい怒りを感じることを避けることはできないという。 はてさて、いったい何が言いたいのだろうか。
250 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 12:45:02 ID:nfudN/xH
ちなみに、mentation は、「精神(知能)活動」ということにしました。 訳の一つに thinking というのがありましたが、それに一番近いでしょうか。 「郷に入れば、郷に従え」ではありませんが、辞書で意味が確定しているいじょう、 そこから逸脱しないようにはするべきだと考えてですが…。 こんな意味ならば、特殊ではなく、昔から辞書にあってもいいわけですよね。 それがない…ということは、やはり、グルジェフの時代にはなかったと思ってます。 グルジェフは英語のことを 現代の当世風に「新たに焼かれた」言語の模範的なもの…ともいっています。 また、「微妙なニュアンス」を伝えるには向かないロシア語ともよく似ている …とも言っています。
単体のセンターには現実の感知能力はなく、 単体のセンターによる感知と思考はそれ特有の白昼夢を作り出します。 宗教的主題は感情、動作センターと調和した思考センターで理解した時のみ 理解したといえます。 ですので容易に思考センター単体で理解できるような宗教的聖典は 読み手の白昼夢を強化するだけです。 ですので思考センター単体でなにかを知的に理解してしまった弟子に対して、 師は、たとえ言葉の上で正しくても、叩き伏せその知識を奪ってしまわなければなりません。 微妙な師弟の駆け引きがそこにあります。
252 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 14:05:10 ID:nfudN/xH
3で、キーポイントになっているのは、もうひとつあります。 「見かけ」と「実体」とが、違っていることがあるが、 クルド人が、「おしいそうな果物」と思って買ったものが、「赤唐辛子」だった。 体が燃えんばかりになっても、それを食べ続けているところに、仲間の村人が通りかかる。 そして、「何にやっているのだ、Jericho jackass? 」と言う。 本では、Jericho jackass を名前としていますが、 Jericho は 、『聖書』に登場するパレスチナの古都「エリコ」 (火によってその城壁を完全に焼かれ滅ぼされた町)といったのではないかと思われます。 村人の続く言葉にも「おまえは生きながらにして焼かれてしまうぞ!やめるんだ。」と。 jackass は、「ばか者」ですが、「雄ロバ」という意味も含んでいるところがミソです。 この本は、いわば「赤唐辛子」のようなものだからやめた方がいいと警告する。 それでも逆らって読むというなら、「本物(生来、真正)の魂soul」のすべてをもって、 とてつもない食欲(激しく求めること)増進となることを、 あなたに願うこと以外に私には何も残されていない。 また、あなたが読んだ分すべてが、「消化吸収する」するように、 あなた固有の健康のみならず、あなたの周辺のものすべての健康のために、願うばかりだ …と言う。
253 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 17:00:18 ID:nfudN/xH
>ですので思考センター単体でなにかを知的に理解してしまった弟子に対して、 >師は、たとえ言葉の上で正しくても、叩き伏せその知識を奪ってしまわなければなりません。 >微妙な師弟の駆け引きがそこにあります。 ウスペンスキーにおいてでさえ、それはあったことなのでしょうね。
これこそ誤った発達のケース、ということです。 人は多かれ少なかれ完全な第4番である前に 第5番に入ります。 本能知性タイプのとっても器用なGにとっては第4が先ですが、 知性感情の私にとっては第4は最低限で第5に先に行かないとどう しようもないところがありました。 ですので師は弟子をどのタイミングで第5に行かせるべきか、 第5に行ったあと傲慢さや、また「至福」に堕落しないかを注意深く見守り調整します。 知性タイプは思考優勢ゆえに止めること、覚醒も容易で、また先に覚醒しないと第4、つまり 各センターの均衡の為のワークも困難なのですが、それゆえに 知性、本能タイプのウスペンスキーのように誤って結晶化してしまう危険性があります。 師のない旅は危うい。
おっと私という無知な単語をつかってしまった。 「私」を「あなた」に置き換えてください。 知性感情類型ではないかもしれませんが近いとは思いますので。
思考センターは「御者」 と言われるだけあって基本的に強いんです。 ですので思考タイプは覚醒によって思考の檻の中から一瞬でもいいから抜け出さないと 感情、身体のワークは準備程度でとどまり、本格的には入ってゆけない。
もうちょっと面白い話を頼むわ。 例えば鳥に感情脳はあるのか、とか。
259 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 21:44:25 ID:nfudN/xH
>>256 私は、こういったところにこそ、グルジェフの「宗教心から培った微妙な感情のニュアンス」が隠れていると思うのですが。
>鳥に感情脳はあるのか
かつて、近所で飼っていたセキセイインコが、気が荒くて雄を殺したといって、外に鳥かごを外に出して、
雌一匹だけを飼っていました。実際、人が近づくだけでも大騒ぎだったのですが、
青菜がないことに気付き、それを餌に、なんとか仲良くしようと何日も挑戦してました。
一ヶ月ほどしたころ、すっかり慣れてきて、網ごしに、頭やお尻の上など、なでると悦ぶようになりました。
その結果、卵を産んだのです。
これは、「物」を介入させていますが、鳥にも「感情脳」はあるのではないでしょうか。
グルジェフの脳の数による生物の分類システムは大変興味深いものだ。 ベルゼバブでも基本的な考え方となっていて、恐らく宇宙全体で共通しているのだろう。 もうひとつの第1、第2の食物と居住環境を水素によって分類する方法も面白い。 ブレイン・システムと食物との相関は人間において分かりやすいが、 one-brained、two-brainedな生物において矛盾が出てくる。 1階しかない虫は呼吸しないのか?そんなことはないように思える。 鳥に感情脳があるかにつては性急な結論を出さない方がよいだろう。
×鳥に感情脳があるかにつては ○鳥に感情脳があるかについては 脱字すまん
262 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 22:16:28 ID:nfudN/xH
前の文、ヘンテコな文章ですね。すみません。 「御者」といえば、「馬車」の話になるわけですが、 それについても、いろいろな本から、そのことについて書いている 部分を抜粋して、まとめたものも、HPに書いてあります。 (…といっても、読まないでしょうけど)
いえいえ目を通させていただきました。 見事に集めて整理されましたね。 ただこういう指標は、 自己を観察して、自己のなにかを「実際に」つかんだ。 だがそれが何か知的に全く分からず困っている。 そういう時に役に立ちます。 知識はぜいたく品です。 多くのことを感じていて知性的に理解できないときにだけ知識は役に立ちます。 まずは自己観察の実効性のある方策を知っている人から学ぶ必要があります。 しかも、現代の日本、現在のあなたに合う今ならではあなたのタイプならではのものをです。
264 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 22:49:20 ID:nfudN/xH
私は、「印象」が食べ物の重要な一つと言っていたことに、喚起されられました。
265 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 23:04:12 ID:nfudN/xH
「自己観察」の必要性は、大いに感じるところであり、 何十年か前には、びっしりとノートをつけていました。 HPの「先達の知恵」「自己想起・観察」というコンテンツにも その重要性を書いたりしています。
266 :
吹黄(ふき) :2010/06/13(日) 23:43:37 ID:nfudN/xH
グルジェフは、「馬」が「本質」である…と言ってましたよね。 「馬」を教育してこなかったがために、意志疎通がままならないと。 そのため、自己観察の中に、感情にまつわる用語をできるだけならべて、 「馬」の調教の前に、その実態の「観察」をする必要があるわけです。 実態を「知る」ことによって、自ずと自在なコントロールもできるようになりますからね。
覚者はどうして弟子をもったり、教団やグループをこさえるのだろう。 それをもたない覚者もいるかもしれないけど。 生きとし生ける者の図表の階梯を、一つ二つ上がった者にとって、下は食物ということになるから弟子は食物なのかしら。
宇宙が個人を作り、その先にある覚者をも作るのには何か理由がある。 同じような法則で覚者も覚者が生まれるのを助けるのかもしれない。 どちらにせよ彼らはなぜ生きるのではなく、ただ生きる範疇の人々なので。 「わからん。ただこうなんだ。」 というようです。 教える人も教えない人も。 教えない人は誰も知らないので少ないように思いますがおそらく 教える人より多いです。 覚者の次元と人々の次元両方を使いこなすことができる人はごく少数です。 なまじ修行中の方が感覚が合うので人々を導くのが楽かもしれない。
朝のワークすがすがしいです。 生かしていただいて、ありがとうございます。
グルジェフの水素論を理解しなおしているんだが、昔わかったような気になってたのに改めてよむと謎ばかりだわー。 決して組み上がることのない壊れたパズルみたいにも見えてくる。 実効性のある理論なら、後世でもっと学問的に研究されてもよさそうなのに哲学者も科学者もスルーしてきたし。 それに水素論をいくら理解してもしょうがなくて、結局は超努力と自己想起がすべてという持って行き方だし。 水素論は思考偏重型人間をいなすための目くらましなのかな。
んなこたぁない。 >水素論は思考偏重型人間をいなすための目くらまし 別の形態の科学も存在するという示唆・ヒントだろ。 存在のレベルが上がれば水素論に関する知識や理解も高まることだろう。 水素論は3、7の法則との絡みもあるからそちらの理解も必要になってくる。 あと「結局は超努力と自己想起がすべて」もおかしい。 自己想起と組み合わせるなら否定的感情との闘いだろうな。
3,7,水素論の法則の根拠が書かれていないし、実証も反証もできないことを扱ってる。 だから客観科学ではありえないと思うんだよね。 根拠は「古代の科学では知られていた」という表現をGは使うけど、古代といってもいつの時代かも不明だし。 典拠がまったくない。 一部の水素が元素周期表の一部とほぼ一致してるとかも、他の元素とも比べてみれば、 この対比になんの意味があるのかも疑問。 否定感情をスルーするのは自己想起によってはじめてできることだろうな。
いざワークに参加すると、過酷な土方労働と搾取と絶対服従。でもグルといっしょなら幸せ。 こういうのばかり繰り返されてるね。どんだけの弟子が到達したのかな。
キ○ガイの世界に到達かな?w
グルジェフからみれば世間の大半の人々は壊れた機械=キ○チガイにみえる。 彼が人間何番だったかはともかく、番号が増えるほど周囲は壊れ方のひどい機械にみえるはず。 だがキ○ガイかどうかは多数決できまる。うふふ。
必死ですなw うふふ。 まあ頑張れや。
同一化するなよ
まあまあ、みなさん、もちついて。 ハートマンのピアノコンサートでこころを癒してくださいよ。
最後の晩餐がアームツノゥ シーヌーとして説明されたのには驚いた。 仏陀の首飾りの骨の生成物についてもベルゼバブで取り上げて欲しかったな。
>>260 あれは錬金術同様、寓意システムだから、パラノイド思考で接近すると脱線するんじゃないか。
Time is breath.
283 :
神も仏も名無しさん :2010/07/17(土) 08:56:24 ID:+DXQnDtX
リーマン体操、ムーブメント。ワークには多くの面がありますね。
リーマンは関係ねえだろボケw
kundalina reflect
預言者ムハンマドは本当に犬を嫌ってた? 本当は猫も犬も馬も愛していたのでは?
288 :
神も仏も名無しさん :2010/08/01(日) 07:01:15 ID:8KNWgNFR
ありがとうございます。 毎朝のワークすがすがしいです。
289 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 00:13:33 ID:Ovis4uTF
そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや!
290 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 00:19:05 ID:Ovis4uTF
>>200 第2の体がエーテル体とか本質とかを示すのであれば、生得的にある。
しかし第3の体は後天的ですよ。
ちなみに、第2の体と第3の体を分けるのは、肉体から2メートル、水素12です。
291 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 00:22:18 ID:Ovis4uTF
そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや!
292 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 00:27:29 ID:Ovis4uTF
自己想起=本当の意味での求問持法だろ? 求め、問い、把持する法 アンタルトラータカの成功はセルフリメンバリングの成否にかかってるんだろ? 本質の見え方を人格が気を失わず(クリックアウトせず)持続させることだろ? 瞬間を捉え続ける、つまり引き伸ばすことだろ? 意識が完全に連続するんだろ? 山下清の絵みたいにすべてが鮮明に平等な精密さで見えるんだろ? 速読の成否もここにかかってるんだろ? そんなことは全部わかってんだよ!!! そんなことより、お前らの考える〈自己想起のコツ〉を教えろや!
293 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 00:37:17 ID:Ovis4uTF
道はあの世で始まるんだろ? 階段は現世で始まるんだろ? んなこたぁ知ってんだよ!! 自己想起のやり方だよ、おまいら!!!
294 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 00:40:44 ID:Ovis4uTF
本質は微細な印象を受け続けているんだろ? 問題は人格の<意識する機能>、これがくそったれてるぐらい荒っぽいんだよ! ありのまま、ゆがめず、そういうことはやってきた おそらく結晶化は起こっているらしく、その証拠の現象も起こってる しかし不完全なんだよ!わかるか? 自己想起にすべてかかってるんだよ!!
295 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 00:47:00 ID:Ovis4uTF
このスレでグルジェフ否定論者がいるようでおめでたいそういう連中に言っておくと アストラル体と言いうるレベルか、ただのアストラル質とでも言うべきレベルかをしっかりと分けている点 肉体とアストラル質の間をつなぐものの重要性を述べている点 時間の流れが人格によって起こっており、本来時間というものには流れはない、オレ流用語だが<全瞬間>とでもいうべきものであるという点 を読み取れる。これはグルジェフしかおらず、あとはチンカスwww ちなみにオレは幽体離脱もできるし超能力もそこそこ使えるんだがな
296 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 00:53:33 ID:Ovis4uTF
われわれは瞬間を捉えることができない 瞬間さえ捉えることができれば、ボールはとまって見えるだろう なぜなら時間の流れは本来はなく、全瞬間のある一方向への展開にすぎないからだ 脳Aが脳Bの瞬間を捉える能力の邪魔をせずに脳Bをある方向に導く意志が働いているときにこれが起こりうるのだ とグルジェフ風に言っておく で、どうするの?
297 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 01:01:08 ID:Ovis4uTF
秘教神道の話を読んだことがある その時自己想起できていなかったらしくはっきりとは覚えていないがこんな話だw ある行者が天狗か何かに会った 天狗はいつも逃げ隠れもせずにいるんだがお前ら人間が気づいていないだけだと言った そこで行者がなぜかと聞いた すると「よく見える目があればな」と答えたそうだ 目の錯覚のようなやつ、飛蚊症のようなやつ、目の錯覚だとか眼病だとか言われてますます見えなくなるんだな 誰か、自己想起のやり方決定版を知ってる奴はいねーのか?? このスレは学研ムーの愛読者レベルか???
>ちなみにオレは幽体離脱もできるし超能力もそこそこ使えるんだがな kwsk
>>ID:Ovis4uTF いや、お前が学研ムーの愛読者レベルだろw
300 :
神も仏も名無しさん :2010/09/01(水) 00:22:18 ID:rWtZw0Ol
素人の質問で恐縮ですが「自己想起」にコツなんてあるのでしょうか。 自分を思い出すことは誰にでも出来ることだと思います。 ただ自分を思い出していることはめんどくさいのでやめてしまうだけ。 自分を思い出すことが一番大事で好きなことなら出来る人もいそうな気がします。 ただ嫌いなだけというわけではないですか。
自己想起は一見簡単そうにみえる。でもそれは多くの場合、ただのマインドの 働きになってしまう。やり方を間違えれば思考の分裂、精神的緊張を生むだけ。 例えばアジズの「ステートオブプレゼンス(SP)」やニサルガダッタマハラジの 「私は在る」を参考にするとわかりやすい。ほとんど同じことを言っているが、 表現が違う。目指すべきはマインドの裏にある「気づき」の確立だ。 気づきに寄らずマインドによって2者を同時に見ようとするのは間違い。 無理やりやろうとすれば精神分裂気味になる。 気づきは2者に同時に気づいていられる。思考にも気づいていられる。
自己想起にしろ瞑想にしろ真我探求にしろ、 自分が世界に完全に興味を失っていなければ、覚醒には至らないだろうな。 これはニサルガダッタが言っているが本当にそうだと思う。 まあ心を平穏に保つくらいは訓練すれば出来るようになるけど・・・ そして意図的に興味を失うことは不可能であり、あらゆる興味にしたがって 行動することで、その結果を見てこなければならない。 しかし全ての人が最後にはそこに至る。
>>301 訂正
×ほとんど同じことを言っているが、表現が違う。
○同じ状態になること(気づき確立すること)を目的としているが、
アプローチが若干違う。
304 :
神も仏も名無しさん :2010/09/01(水) 01:48:56 ID:rWtZw0Ol
ニサルガダッタの「私は在る」やアジズの「ステートオブプレゼンス」 の言う思考の裏にある気づきというのは「私」ではないと思ってしまいます。 思考の裏に気づきがなければ私を認識はできないのでしょうけれど。 自己想起、私を思い出すというのは思考の裏にある気づきを知るということ と=なのでしょうか。 気づきは常に働いているけれど自分自身を思い起こすことに使われていない。 ということではないでしょうか。 私を思い起こすということは思考の裏の気づきを必要としますが、その働きを 知らずとも出来るということはありませんか? ただ自分自身を想起するだけです。 でも気づきをそこに持ってくることがめんどうであると思うのです。 なので、そういったことが好きな人は出来るのではないかとも思います。 自分はここにいるのだから誰にでも出来ることのはずです。 私はめんどうに思ってできないですが……
グルジェフの教えなら ID:Ovis4uTF に訊け
>>304 おっしゃるとおり、気づき=私 ではないね。
でもマインドの始まりの一点に「私」という想念(感覚)がある。
その「私」に焦点を合わせ続けることでマインドは静まり、
その裏にある気付きに気づくようになるってのが、ニサルガダッタとか
ラマナマハルシのアプローチだと思う。
アジズはSPの他にMeとうい言葉をつかっていて、まずMeを感じることで
SPの感覚をつかむと言ってるから、SPは気づきのセンターそのものと
解釈できる。
>気づきは常に働いているけれど自分自身を思い起こすことに使われていない。
ということではないでしょうか。
ある意味ではそうだね。でも自分自身を思い出そうと意識したら、
それは気づきでなくマインドの働きになってしまいがち。
気づきは常に働いてるけど、気づき自身に気付いてないと言えるだろうね。
つまり「気づき」が自覚を持てるようになることが「気づきの確立」かと。
グルジェフのやり方は正しいのだが、誤解されやすいってこと。
最初から見る者と見られるものを同時に見ようとしたら、普通の人はマインド
を使うしかない。まず見る者に焦点を合わす瞑想や、他の方法で静かな心が
当たり前になり、そのあとで試みるとうまくいくと思われる。
307 :
神も仏も名無しさん :2010/09/02(木) 22:17:33 ID:dV8GI8bD
>最初から見る者と見られるものを同時に見ようとしたら、普通の人はマインド を使うしかない。 その通りです。そしてマインドには両側を同時に見ることは不可能です。 この不可能な努力に全てをかけて生活していく中、その努力と絶望の絶頂において、マインドが努力が一瞬でもやみます。 そして この >気づきは常に働いているけれど自分自身を思い起こすことに使われていない。 マインドではない気付き。グルジェフの言う「努力と無関係なもう一つの自己想起がある。」 を自覚するに至ります。
308 :
神も仏も名無し :2010/09/11(土) 06:32:19 ID:M3O/H2Z3
要するに手放すということが重要なのですね。 今ここに集中するには困難(超努力)が必要でそれらの挑戦的な行為の中、 自我のやむ瞬間がやってくるという事がグルジェフ氏の目指したことの一部 かもしれません。 しかし、このグルジェフへの信仰は不要だと本人が要ったにもかかわらず 「奇蹟を求めて」等の影響によりワークがとても特別なものだという偏見 が生まれていることは憂うべきことです。
309 :
神も仏も名無し :2010/09/11(土) 06:49:36 ID:M3O/H2Z3
私たちは遠巻きに眺めるのではなく直にワークすることが簡単にできる はずなのではないでしょうか? 私自身を覚えていることは本当に難しいことですが、それらはコツがいる ようなことではないはずです。 私はここにいて宇宙のあらゆる現象を目前に見ている。 いや感じている。 私がある。故に生がある。 グルジェフの教えが世界に広まることを留めているのは何か? ワークに対する偏見に違いありません。 オカルト的な扱いを受けているような気すらします。 第四の道はヨーギを追い越すと書かれていましたが知の道とされた ヨーギ(ニサルガダッタ、アジズ等?)をどうして追い抜くのか。 結局、私は在る、自己想起等はマインドの外にあるであるから、 私が私自身を知り橋をかけて繋がるという行為は本来は誰にでもできる ことなのだと思います。 私を感じる。 体→思考→心。 すべて存在しているにもかかわらず気づかれていない。 私を思い起こせば心(私)と愛し合えるかもしれない。
グルジェフは自己想起についてわざと具体的な説明を避けた、ということはないのかな? つまり自己想起の意味をつかむことが一つ目の課題、自己想起の実践が二つ目の課題 どうもそんな気がするんだが
馬鹿だな、お前ら。 自己想起は、自己想起出来る人間の指導のもとでなければ 可能になるはずないだろw 聞きかじりの知識で可能になるなら誰も苦労はせんよ。 「気付き」(笑)とか知ったふうなたわ言をホザく基地外には用心な。
312 :
神も仏も名無しさん :2010/09/12(日) 09:04:00 ID:/GcagYJ5
確かにそのとおりですね。 指導を受けた人々がたくさんいるようですし その方たちがまた新しい人々を指導しているので多くの人が出来るように なっているはずです。
313 :
神も仏も名無しさん :2010/09/13(月) 00:58:33 ID:hO342hBL
>309 目覚めれば目覚めるほど自分が夢の中にいるとわかる。 夢と同化している人間が自分が夢に生きていると気付くわけもない。 第1第2第3の道は主観的な道です。 ある種現実の人間社会を無視して強固な自分の夢を宗教の夢を作り上げます。 第3の道、ブッダの道を志すなら、数年の隠遁は当たり前のこと、数生を単位としての進歩を考えないといけません。 第4の道は思考行動感情の入り混じった人間社会と真っ向から向き合います。 その向き合う中で我々は我々の夢を見続けることができなくなってゆくのです。 現実は我々の夢を破壊する。 覚めていることを忘れずただ生きてゆけばいい。 とてつもない幸福と、価値ある苦悩がもたらされる。 >追記 覚醒していない人間に相手が覚醒した人間かどうか確かめることはできない。 できうることは、自分の全てを誰かにゆだねることだけです。 そしてゆだねた後で偽物と分かったりもう不要だと解ったら、感謝して、去りなさい。 何度もすべてを委ね失望し、理解し離れ、また全てを委ねる。 それ以外どうしようがあるだろう。非難することは時間の浪費だ。 思えば私もそう歩んできた。
314 :
神も仏も名無しさん :2010/09/13(月) 08:31:34 ID:brV8dnpx
ぶっちゃけ俺はグルジェフは疑わしいと思ってる だって結局一人も本物の弟子をのこせなかったんだろ それに気の毒な話だが奥さんの癌もなおせなかったわけだしな
確かにそのとおり。 ただ弟子の育成の件については、我々が持っているのは書物を通じて得た知識のみで、 実際には知られざる本物がいるのかも知れない。 また恒久的な形態を取らない第4の道という点も考慮する必要がある。 妻の癌については、人類全体への活動を優先させたことと、彼女のカルマとの関係が あるように思う。グルジェフは妻が癌で苦しんだことによって不要な転生を免れたことを 示唆している。
316 :
神も仏も名無しさん :2010/09/13(月) 13:05:02 ID:RB1axxnH
>本物の弟子 次なるマスターを生み出すことはできな方みたいですが、本物の弟子なら何人かいます。 結局本物の弟子にしろ次なるマスターにしろ、グルジェフの技量より、そもそもその時代に資質のある弟子が何人いるかに関わります。 あと500年の弟子に対して出来うることと、あと50年の弟子に対して出来うることは全く違う。 >癌 なるほどと思います。癌はヨギが自分のカルマを焼きつくすために使う病気と聞いたことがあります。 苦しみ。 第2の体を持つ人は第一の体の苦しみを耐えられますが、より苦しい第2の苦しみがあります。 第3の体を持つ人は、自分の存在理由を自覚しつつもその通りの自分でいられない、第3の体の苦しみを持ちます。 これはとてつもなく苦しいので体の苦しみなど物の数ではありません。
イエスの弟子だってマスターどころか誰一人覚醒していなかったりするのであった。
イエスの弟子って一人も覚醒してないのかね? 近現代の覚者でも弟子が覚醒してるのってマハルシぐらいだよね ラーマ・クリシュナもかな 他もいるかもしれないけど弟子が有名でなかったり疑わしかったり
319 :
神も仏も名無しさん :2010/09/13(月) 22:54:58 ID:jbvyNLYH
昔、本買って読んだ。9千円ぐらいだった?もう忘れた。 だけど、幽体って500年生きるとかあったようなところが あったような? それで怖くなって気功も幽体離脱も辞めた。 そんなに長く生きるなんて冗談じゃないとおもったから、、、 離脱できるって言ってる人いるけど大丈夫? 怖くない?
グルジェフワークをやっても誰一人としてグルジェフレベルに達しなかった件について ウスペンスキーはグルジェフに出会って早々に 「彼は一種の天才なので、我々がどれほど努力しても彼のような人間にはなれないだろう 滞在したスクールについていろいろ話すが、実際にはほとんど学習する必要はなかったのではないだろうか」 と結論している これは奇蹟を求めて用に書かれたが結局ボツになった文章
そういやあ和尚はウスペンスキーのことボロクソに貶してたよなw イギリスのウスペンスキーのスクールの生徒も師に呼応した(ry 要は落ちこぼれ
322 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 00:35:07 ID:UoHLHS+m
グルジェフは何でもできるがゆえに、 逆に自分の連想や感情に対して支配力が無かった。 それゆえに深い絶望を味わい、監視者を求める旅に出た。 そんなことがかれの著作第3弾にあったね。 こういう絶望は、思考、感情タイプにはありえない。 彼らは連想への支配力は持つが、決して何でもできる行動力は身に付かない。
323 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 07:44:44 ID:jr+0h6LE
グルプリーダのもとワークがおこなわれます。 貴重な機会です。
第3弾(Life is real)の衝撃は象を眠らせたりヤクを殺せたり
325 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 19:51:20 ID:jr+0h6LE
グループリーダの存在。これが人の根本的な変容を引き起こす。
326 :
ばんこ :2010/09/18(土) 20:03:54 ID:vzmix+nf
グルジェフは行き過ぎた教育者です。 なぜ教育をせねばならないかなんて殆ど考えたことがないんです。
覚醒のワーク素晴らしいです。 高次のスクールの導きに感謝。
328 :
神も仏も名無しさん :2010/09/20(月) 21:45:54 ID:TZCMDVCd
329 :
神も仏も名無しさん :2010/09/21(火) 02:09:16 ID:1jZhCqMC
サウ”ァン症候群のような能力身に付いた時期があって だけど 居酒屋で知り合いがバック無くした時しか役に立たなかった。 他の人はなんか役にたった?
330 :
神も仏も名無しさん :2010/09/22(水) 01:56:20 ID:M5QbL1fJ
この酔っ払い共め!!
331 :
神も仏も名無しさん :2010/09/22(水) 19:09:04 ID:DoY5Zz/c
覚醒のワークで目覚めがさらに強まってきましたね。
332 :
神も仏も名無しさん :2010/09/22(水) 19:42:28 ID:DoY5Zz/c
ワークは引き続き行われます。
333 :
神も仏も名無しさん :2010/09/22(水) 21:08:48 ID:DBJZOdAu
結局中途半端に終わったのでは?
334 :
神も仏も名無しさん :2010/09/22(水) 23:12:00 ID:kzTuD6o8
一体君たちは何に不満を持っているんだい? 本当は何が欲しいんだね?
335 :
神も仏も名無しさん :2010/09/23(木) 13:32:25 ID:6cTJ565Z
この覚醒のワークを伝えたい。
336 :
神も仏も名無しさん :2010/09/25(土) 17:13:33 ID:C6sHp5vk
グループリーダーの存在が覚醒のための必要条件です。
殷の時代に中国人の一部が太平洋を渡ってアメリカ大陸に渡ったらしい。
338 :
神も仏も名無しさん :2010/10/03(日) 15:19:54 ID:mMlTVFaQ
ありがとうございます。 毎朝のワークすがすがしいです。
339 :
神も仏も名無しさん :2010/10/10(日) 07:32:02 ID:O3vKLXwA
ワークを導くことは究めて重い責任がかかります。 日本のワークをさらに進んだものにするために それを背負うのです。 それは師の望みでもあります。
340 :
神も仏も名無しさん :2010/10/11(月) 21:51:26 ID:TZ3nyQch
ワークって普通の身体の運動と何か違いがあるんですか? ラジオ体操とかストレッチとか ウォーキングとかジョギングとかでも 体と精神って僕にとっては充分すがすがしくなるんですけど。
>ワークって普通の身体の運動と何か違いがあるんですか? ありません
342 :
神も仏も名無しさん :2010/10/12(火) 21:50:08 ID:kyNDVEfU
ワークによって高次存在体、ケスジャン体がはっきりと形成されたことがわかります。 そこにはまったく別のリアリティがあります。
age
344 :
神も仏も名無しさん :2010/11/07(日) 21:24:29 ID:M070sI1r
ワークを指導するということは、グループに対して責任を持つということだ。 メンバー個々、そしてそれの集合であるグループのワークの成果に責任を持つということだ。
ジョージさん、亡くなったんだよネ…* 樋口さんの ご冥福を祈ります☆ 人はいつか死ぬ。必ず死ぬ* モコたちは 必死になって モコスレ壊滅を止めようとしていた* しかし 重要なことは モコスレ壊滅を止めることではなく その日を 生き延びることにあったんだ!☆ そのことをモコは 教えてくれた* だから、重要なことは 最後の審判の日を止めることではなく 最後の審判の日を 生き延びることにあったんだ!* そのことをモコは 教えてくれていたんだ。 つまり、重要なことは ドームズ デイを止めることではなく ドームズ デイを 生き延びることにあったんだ! そのことをモコは 教えてくれていたんだ* モコ派の未来は すでに確定しているのかもしれない… それは モコたちには分からない! しかし まだ 希望は 残っている! モコ派は 戦い続ける!!* 戦いは たった今、始まったばかりだ!!* ☆モ〜コ! ポンパイエ* 生チンポ*モコ☆ モコ! おめでとう〜☆ 今日は 肛虐記念日* モコは コニャックを飲んで 祝います☆ 刑事 コジャックの頭の中は コンニャクだよネ* それは 婚約記念日や!! ☆モ〜コ! ポンパイエ* チロとチカチロとチカ(永島千佳世)の仇をとれ! モコ☆ 地下組織に負けるな! モコ* 新しいルールが必要だ☆ モコが 作る*
346 :
神も仏も名無しさん :2010/11/21(日) 07:42:46 ID:BT2ZfR8e
日本のワークを担うためには、その責任を負うことができる核となる人々が必要だ。 そのためにはしっかりとしたビーイングがリーダのなかになければならない。
なんという面白い本! わかる部分は多くないし真偽も確かめようもないがとにかく面白いw
349 :
神も仏も名無しさん :2010/12/19(日) 15:40:13 ID:FeRPI2mI
白山道氏の視点でベルゼバブ読むと、するする入ってきますね〜 グルジェフが言いたかったことがここにあるんだなって感じ。 今までのピントずれた解説はなんだったんだろ?
351 :
神も仏も名無しさん :2010/12/23(木) 14:12:58 ID:3WXOoH2p
白山道氏のブログ読んでベルゼバブは良く わかるようになった。 鍵はここだな。
似非宗教の宣伝ウザイ 他所でやれ
353 :
神も仏も名無しさん :2011/01/01(土) 12:14:38 ID:j1JeLSaL
ベルゼバブがわかるようになってきた
私はついに覚醒した
355 :
神も仏も名無しさん :2011/01/28(金) 11:29:02 ID:0BueRKvt
>>292 > 自己想起=本当の意味での求問持法だろ?
> 求め、問い、把持する法
全くその通りですね。
356 :
神も仏も名無しさん :2011/01/31(月) 23:30:50 ID:sOxhMobS
ワークが行われます。日程など詳細はお問い合わせください。
皆さま☆ いつも ありがとうございます* モコは 心のそこから感謝します☆ 昨日の夜、モコのお家は 雪の重みで つぶされて こわれて 倒壊しました* モコは かろうじて 命からがら救出されましたが 裸一貫 真冬の雪の中に放り出されて 寒くて 凍死しそうです☆ と、次の瞬間! モコは左に左折してきた車に 当たりそうになりました!* あまりにもつらいので モコは腹を切って切腹しようかなぁ〜☆ モコの胸には、懐かしき友の顔が、次から次に浮かぶ* 原点の沖縄。王者の東京。ロマンの神奈川。凱歌の京都☆ 不屈の奈良。師弟の山口。繁栄の大阪* 正義の宮城。模範の福井。共戦の広島☆ 旭日の青森。躍進の香川。和楽の岐阜* 日本の同志は、勇気、勇気、勇気で勝ち進む☆ そして世界の憧れ・アメリカの友も、決然と立った* 本陣・ニューヨーク。常勝のワシントン☆ 長者のニューオーリンズ。希望のボストン☆ 風薫るテキサス。緑のロスアンゼルス。使命のカリフォルニア* 団結のシアトル。勇猛のシカゴ☆ 前進のデトロイド。福徳のアトランタ。光輝満つミネソタ* 夜明けのニューメキシコ――☆ わが愛するアメリカの友よ!* モコは祈り、待っている☆ 皆様との再会を! * 晴れやかな勝利を! ☆ 永遠の誉れの完勝の歴史を! * ジャイアント馬場の異形性は 均質化しつつあるプロレス界において ひとつのアクセントになっていた☆ プロレスラーの均質化を防ぐためには 異形のジャイアント馬場の存在は 必要であったと言えるだろう*
>>356 URLもしくは検索ワードを教えて下さい。
↑自演乙
360 :
神も仏も名無しさん :2011/02/05(土) 16:48:18 ID:tLiT9o0r
グルジェフソサエティ 、グルジェフファンデーション でググれ
>>360 問い合わせ先がわかりました。ありがとうございました。
ベルゼバブの朗々とした詠唱、素晴らしかったです。
>>362 意味深ですね・・。
グルジェフのワークを実践している組織が、
実際にどういう活動をしているのか、
調べてもあまり情報が出てきません。
ワークとしては厳しいのでしょうかね?
身ぐるみ剥がされてしまうとか。。
グルジェフと同等以上の才能を持った人が
その後出てきていないことは
注意すべき点だと感じています。
モコは 自分で言うのもなんだけど けっこう美人なのです☆ モコは友人にプールに行こうと誘われ 迷った末に 行こうと決心しました* モコは 本当はあまり外出したくなかっただけどネ…☆ モコがプールに入った瞬間!* なんと!☆ 他の客が 「あいつが入った水に入りたくない!!」 と ドドドドドバアアァァァ〜〜〜ッ!* と 全員プールから出ていき、 さらに、モコを誘った友人までもが 他人のふりをして そそくさと帰ってしまったのです☆ くやしいヨ!!* 日本相撲協会は 今までは文部科学省の管轄だったが これからは SWSの管理下に置かれればイイんだヨ!☆ SWSには「部屋制」がある* 「部屋制」に馴染みのある日本相撲協会はSWSの管轄が一番イイだろう☆ そういえば メガネスーパーの創業者でSWSの田中八郎氏が亡くなりました* 田中八郎さんは 最初 プロレスが八百長だとは知らなかったそうです☆ カブキさんたちに教えてもらって 「知らなかった。プロレスは真剣勝負じゃなかったのかァ…」 と 言ったそうです* 八百長… 田中八郎… 忠犬ハチ… マルハチ… 蜂… みなしごハッチ☆ 今、時代は「はち」なのか!?* そういえば 1月31日のモコ一派の集まりでモコは突然 「派閥をつくってはならない」なんて言い出したようだ(笑い)* バカめが! ☆ とっくの昔にモコ一派の「四分五裂」の動きは始まっているよ(爆笑)* 仕事をしても給料がもらえない「無給構成員」も今や百数十人もいる☆ 一派のおかしらであるモコが「嫉妬」「金」「遊び」「強欲」「冷酷」で 一派を食い潰しちゃうんだからな* モコがつまらないのは常識だ! ☆ 何をいまさらそんな当たり前のことを言ってるんだ?*
366 :
神も仏も名無しさん :2011/03/01(火) 23:16:30.09 ID:7TwBWRbk
ありがとうおじさんっていますよね。グルジェフ的にはこれってどうなんでしょうか。
367 :
神も仏も名無しさん :2011/03/13(日) 13:22:17.36 ID:cx0eXgfR
森羅万象4が待ちどおしいね。
地震というといつもヒマラヤの異常な高さに関するベルゼバブの説明が 思い浮かんでしまう。(出っ張った大気をひっかける) まあ日本の場合は地球内部の不調和が原因なんだろうけど。
369 :
神も仏も名無しさん :2011/03/15(火) 20:11:44.27 ID:6LBFfdkY
生かしていただいて、ありがとうございます。
正統なグループリーダーの指導のもとにワークが定期的におこなわれています。 覚醒のために構成された体系です。
371 :
神も仏も名無しさん :2011/03/27(日) 16:12:26.43 ID:6O6O6/tW
あの やさしくて 思いやりがあって 心づかいのできるモコが 行方不明になりました! いまだにモコと連絡が取れていません! モコのことが すごく心配です!
372 :
神も仏も名無しさん :2011/03/31(木) 10:27:44.80 ID:KDWKbjTK
今回の被災者の為に何かしたいという気持ちを喚起されるが、何か為す前に、まず「為す」事ができねばならない。
373 :
神も仏も名無しさん :2011/03/31(木) 10:55:15.64 ID:KDWKbjTK
しかし、すぐbeingになれるものでもない。 せめて、生かされている者が、できるだけ振動密度の高い波動を放射し続けねばならない。
374 :
神も仏も名無しさん :2011/03/31(木) 18:30:34.23 ID:0q2CfrgR
くだらんこと書き込んでる暇があったら動け、偽善者!
くだらんこととは思わないが、残りはそうかも。 確かに軽率な書き込みだった。申し訳ない。
為すことが出来ない人も寄付しましょう
377 :
神も仏も名無しさん :2011/04/06(水) 21:21:39.71 ID:1Mep3N46
復興ワークを行ないます。 詳しくは連絡を。
ここで教えてくれ 復興ワークって何?
379 :
神も仏も名無しさん :2011/04/15(金) 06:47:07.43 ID:WarIFU2U
グルジェフに感謝
380 :
神も仏も名無しさん :2011/04/15(金) 06:49:21.33 ID:v8HqhKz2
381 :
神も仏も名無しさん :2011/04/25(月) 20:15:30.88 ID:VrGNWPoK
ワークは自分のレジスタンスを観察すること
復興ワークありがとうございました!
生き神様降臨
ヨッシャー!
★★★エホバ=ヤハウェ=アラー=高橋信次=エル・ランティ★★★ (釈迦、イエス・キリスト、モーセはエル・ランティの意識の一部) ★★★大天使ミカエル=アポロ=エリヤ=マルティン・ルター=如意輪観音=高橋佳子★★★
386 :
神も仏も名無しさん :2011/06/18(土) 09:23:25.95 ID:szxS7s91
九月にグループリーダーを迎えて正統なワークがおこなわれます。 特別な機会、得難い機会です。
「ユキチカの時給がビミョー」といってるようなものだ
再び生き神様
389 :
神も仏も名無しさん :2011/06/24(金) 20:46:02.63 ID:tq2IQobd
ワークは都内で定期的におこなわれています。
390 :
神も仏も名無しさん :2011/06/28(火) 19:38:17.35 ID:RN8lyNTX
ワークでは、いままでの疑似的な水素論ではなく、本当の水素論を公開し、実践します。
常に客観的な視点で見てると人の嘘やはったりが分かるようになるし 物事の行く末がどうなるか分かってくるよね
392 :
神も仏も名無しさん :2011/07/02(土) 06:39:52.76 ID:RhFZg/97
ワークでは意図的に知覚された印象が特定の部位に集められる。
にちゃねらーに多い「犯罪者は死刑に汁!」って吠える奴は 感情センターに過剰にエネルギーが流れてる例だよな
394 :
神も仏も名無しさん :2011/07/08(金) 22:55:48.82 ID:7Pj2E5pr
ワークは正統なグループリーダーが指導し、正しい形式でおこなわれています。
395 :
神も仏も名無しさん :2011/07/08(金) 23:21:27.38 ID:UsJUheEI
坐禅と見性77章 延長国会会期は、8月31日迄か
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1309158184/ 坐禅と見性スレ避難所第1章
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11155/1296476490/ __ i`:. __
(__.`ー-::... ,rt': : :\ ,::-'",...)
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(,.::'",::' / ,....: : : : r'" ・・' く/i!: : : : :!、,:::::,<` `ニつエイギョウデスー
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【仏教】悟りを開いた人のスレ96【天空寺】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/ 悟りを開いた人のスレ の避難所 15
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1305886065/ 【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】12
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1304164677/ [人生相談板] 悟りを開いた人に聞いてみるスレ の避難所
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1257178145/ 【秘密の】 馬鹿者の集い 【しゃべり場】その3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1279184518/ 精神世界で癒される第41章
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/healing/1306157468/ 【正定】坐禅・立禅・歩行禅(経行)実践スレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1303014547/ 仏教 議論スレッド 18
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1309739298/
396 :
神も仏も名無しさん :2011/07/09(土) 13:59:30.96 ID:pR0Zzdeo
正統なグループリーダーが指導することは不可欠である。
白山道師からみてもベルぜバブは秘められた歴史書なんだって
398 :
神も仏も名無しさん :2011/08/15(月) 10:26:29.04 ID:K1IbLfD5
森羅万象5まちどおしいな。ワーカー待望の書。記念のワークも行われる。
胡散臭いインチキ指導者の宣伝スレになってるな。
むかしおれに天狗が憑いていた時期があるんだがグルジェフのサイト読むとなるほどそうだったのか とわかったよ。
401 :
神も仏も名無しさん :2011/08/21(日) 10:26:55.40 ID:3TOE1+jS
興味深いな
403 :
神も仏も名無しさん :2011/08/23(火) 23:41:36.87 ID:m49waJjm
幽仙界とつながりがある魂だったんだよね〜。
404 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 17:30:20.13 ID:Gs3IHZxt
本格的なワークがスタートします。 ワークウイークにて自己想起が体得されます。 第二集で予告された内容がつたえられます。
405 :
神も仏も名無しさん :2011/09/03(土) 10:41:00.79 ID:0l1uTOrL
今月のワークのお題だ。 「私は、自分のレジスタンス(抵抗する力)を経験します。それはプリパレーションをす ることに対するレジスタンスかもしれませんし、一日のうちで自分自身に戻る瞬間のため の戦略に対するレジスタンスかもしれません。わたしは、そのレジスタンスの瞬間にもっ と気づくことができるでしょうか。そして私のアファーメーション(肯定)を妨害してい る声たちを経験できるでしょうか。この瞬間、私のアテンションに働きかけている私の周 りの諸々の影響の力の印象を受け取れるでしょうか。」
407 :
神も仏も名無しさん :2011/09/07(水) 21:38:07.62 ID:LBzJ5BKq
「生かしていただいて ありがとうございます 」が、「短冊立て」付ででるね。 ワーカー待望の本だね。
408 :
神も仏も名無しさん :2011/09/14(水) 22:41:17.97 ID:FXsm1sTX
ワークのお題、深いねえ。 生かして頂いて ありがとう御座位ます。
ほshu
410 :
神も仏も名無しさん :2011/09/22(木) 12:28:48.10 ID:ZCBDkn+z
ワークは進んでるかな?
こんな状況じゃ誰1人覚醒には至らない。
412 :
神も仏も名無しさん :2011/10/01(土) 17:03:17.47 ID:h4s7+0CI
覚醒したグループリーダーの影響がワークには必要不可欠です。
413 :
神も仏も名無しさん :2011/10/04(火) 13:11:35.18 ID:jN+dwrff
今『注目すべき人々の出会い』を読んでるけど、まるで冒険小説を読んでるように面白い。
414 :
神も仏も名無しさん :2011/10/06(木) 04:49:35.43 ID:km2LF73P
415 :
神も仏も名無しさん :2011/10/07(金) 10:47:15.86 ID:I0Gj5dTA
スレの進行が早過ぎる 喋り過ぎは覚醒の最大の障害だな
416 :
神も仏も名無しさん :2011/10/08(土) 12:05:24.49 ID:0K/xOyJq
2ちゃんの住人が「ベルゼバブ」を読んで理解できると思えない。
モコは「正義の言論」を貫いてきたからこそ、未曾有の大発展を遂げた* 愚劣な矢野の中傷も、一つ残らず打ち砕いてきた。 反対に、モコの前進を妬み、妨害しようとデマに狂った週刊新潮!☆ みなが みな、大失敗に終わった。 モコ中傷のデマが、いかに荒唐無稽な「作り話」だったか。 全部、明瞭、明確じゃないか* あのウンコブーブー♂]々のデマも、そうだ。 モコがウンコブーブーをパンクさせたという話も 当然、真っ赤な大ウソだ* 鋭く追及されると、週刊新潮は「完全な誤り」と認めた。 「訂正とお詫び」を掲載して「勉強になりました」とハッキリと非を認めたんだ☆ だいたい、ちょっとでも自分の眼で確かめたら、 すぐに「作り話」だと分かるはずだ* 週刊新潮の作り話で具体的な事実が出てきたためしなんか、 ただの一度もないじゃないか(大笑い)☆ モコは もう 53才☆中年処女*羊水は 腐っていまァ〜す(*)((Ο)) 長い髪をなびかせる長州のプロレスは(*)((●)) 30年間 変わってなくて 女の子みたいで(*)((Φ)) 基本的に中身も無いから 見る気を無くすよネ(*)((ξ)) 昼間にプロレスを熱く語るなんて なにごとかヨ!?☆ いったい、どうなってんの? けしからんヨ!(*)((●)) けしからん っていうか…(*)((◎)) 情けないよ(*)怒りを通り超えて くやしいヨ(*)((Θ)) う〜ん…(*)中年処女のモコとしては(*)((Φ)) 今!(*)カトゥーンのウンコ! 食べたいよネ!(*)((●)) もしもネ…カトゥーンのウンコが満載されてる車両が あったとしてネ…☆ その車両から モワーンって ウンコの湯気が立ってたとしたら …* モコは 迷わず その車両に向かって(*)((●)) 全力ダッシュで かけ出して 飛び乗っちゃうヨ☆(*)((Φ)) そんでもって カトゥーンのウンコを 奪取するヨ(*)((◎))
418 :
神も仏も名無しさん :2011/11/25(金) 08:16:56.37 ID:UrsYqHuK
ワーク
ワークは毎週開かれてるぞ。
このスレ生きてるのか
421 :
神も仏も名無しさん :2012/01/14(土) 07:25:04.20 ID:RaB9vRW1
AGE
ベルゼバブで章として取り上げられた国は アジアで中国とインドとチベットのみ。 今の状況と重ね合わせると感慨深いものがある。
423 :
神も仏も名無しさん :2012/01/14(土) 20:12:19.84 ID:IlDH8+yu
自己想起を実践してきた者です。なにか質問あれば答えます^^
424 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/14(土) 22:45:14.08 ID:IlDH8+yu
人いないみたいなので自分の体験書いてみますね。長文なので読みたい人だけ読んでちょ^^ 自己想起とは知られるもの(対象)と知る者(自分の心)両方を意識していること。 自分の経験ではテレビや映画を見ている時に自己想起してみるのが一番いい。 通常テレビ(知られるもの)を見ている時、意識は画面に集中して自分の心(知る者)は意識していない。 テレビに集中しながら自分自身を意識するにはどうしたらいいか? 「私は在る」と常に想起する方法がある。想起というのは言葉で繰り返すのではなく全面的に感じること。 自分自身が在ると全身全霊で染みわたるように感じる。言葉で繰り返すのは最悪の罠。感じること。 最初のうちは難しい。テレビに集中すれば想起を忘れるし、想起したらテレビのいい場面を見逃したりする。 でもできるようになる。これは訓練であり努力。全力で取り組めば一週間もあればできるようになるんじゃないかと。 自分の場合は9年かかったけどw 今ならどこが間違っていたのか全て分かる。このことは人とは話さず手探りでやってきたから。 できるようになれば車を運転している時でも人と話している時でも自分を想起していられる。 なにをしてても起きてる間中、手の動き、足の動き、心の動きとかに気づいていられる。 最初から車の運転の時やるのは注意散漫になって危険。だからテレビや映画やパソコンやってる時からはじめる。
425 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/14(土) 22:45:44.53 ID:IlDH8+yu
自己想起できるようになれば自分の心が不随意にいろんな思考をしていることに気づくはず。 グルジェフが「人は統一的な私を持っていない」と言っていたことが体感できる。 自己想起により意識的になることによってこうしたことに気づけばもう人間第4番。 ただの機械ではありえない。なぜなら自分が機械だったことを知るから。機械は自分が機械であることを知らない。 今度は知られるものを自分の心にしてみる。自分の心が対象になる時知る者はなんなのか? その答えを体験することでみつけることができれば人間第5番。結晶化の意味がわかる。それが感じられる←自分は今ココ その答えは自己想起の努力を続ければいつかきっとみつかる。今すぐかもしれないし10年、20年後かもしれない。 それは現在読んでる人が今いる位置とどれだけ全力で取り組むことができるかにかかってるんだと思う。 第5番の結晶化の体験はもう自己想起の努力をしなくても意識していられる、寝ている時も気づいていられる、 意識が全身を貫くっていう感じ。自分の中ではこれが第4番の時との一番の違いかな。 あとは不随意に湧き上がってきていた思考が嘘みたいになくなって静けさが感じられる。ホントに嘘みたいにw なってみたら笑うよきっとwあと人に教えることの難しさも分かる。グルジェフはありえねー天才だって思う。 自分が書いてきたことは概念にすぎず、もし読んでいる人の知識にしかならないなら忘れて欲しい。 でも共感する部分があるなら何かの助けになれたかも。 長文読んでくれてアリガト^^
427 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/15(日) 00:23:21.49 ID:V8JuMh+u
>>426 瞑想そのものではなく瞑想技法であり手段です。
興味深いですな このスレはどうせ過疎ってるから、ワーク経験者の日記帳にしちゃえばいい 第一段階では、テレビと心を同時に意識し、 第二段階では、それを行っている主体にも注意を向ける、ということですね 第一段階からやってみよう
429 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/15(日) 02:19:26.45 ID:V8JuMh+u
>>428 実際に体験することでしか分かりませんからね。
失敗しても時間を浪費したとは感じるかもしれないけど師匠についてもらわなくても危険のない技法です。
第二段階のことは考えなくていいです。第一段階を必死でマスターしてください。
できたらそれだけでもすごい衝撃です。それはウスペンスキーやベネットが体験したのと同じものです。
様々なことが理解でようになるはずです。自分も毎日ここくるんで何かの役に立てればいいです^^
たくさんの人が取り組めばここは途方もない価値をもつかもしれませんね
>>427 日常生活のなかにいながら行う瞑想、
ということですね。
431 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/15(日) 10:48:38.94 ID:V8JuMh+u
>>430 そうですね^^最初は難しいのでテレビや映画をみてる2時間か3時間ぐらいだけやればいいと思います。
ウスペンスキーは「意識して自己想起しようと努めても、2分以上持続することはほとんど不可能である。」
と言っています。確かに最初はそうですができるようになれば起きてる間中できます。
一度それが起これば周辺にあることは何も変わってないのに決して以前と同じ人間ではないはず。
さらに深めればそれは呼吸のようになり努力はいらなくなります。
これは可能なことです。自分みたいに普通な者でもできたんだから。
自分が長いことかかったのはいろいろ理由があるんですがそうならないようにエッセンスを書いたつもりです。
本気で取り組んで理解してくれる人が一人でもいればグルジェフへの恩返しになりますw
>>431 > 自分みたいに普通な者でもできたんだから。
本当に普通でしょうか?
相当な努力、若しくは素質がなければ
不可能なように思えます。
凡人はすぐ眠りこけて、
自己同一化してしまうと思うのですが・・。
サポートシステムは利用してないのでしょうか?
433 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/16(月) 02:11:03.34 ID:sBYiLcsu
>>432 本当に普通です。だから自己想起の意図するものを理解できず間違ったことを続けていたんです。
努力は必要です。素質は関係ないと思います。それより熱意。どれだけ本気で懸命に取り組めるかでしょう。
自分も全身全霊で取り組めるようになるまで長い時間がかかりました。まさに普通です。
それでも存在の根底から求めている人であれば、今すぐ全てを懸けれる人であれば
ウスペンスキーが3ヶ月かかった一瞥を一週間でやり遂げてしまうこともあると思っています。
>凡人はすぐ眠りこけて自己同一化してしまう
だからこそ常に「私は在る」と想起し続けるんです。言葉ではなく全身を貫くぐらい自分が存在することを感じてください。
サポートシステムについてはなにを示してらっしゃるのかわかりません。例をあげてくだされば^^;
横レスだが、サポートシステムとは既存のグルジェフグループのことかと
>>433 希望の持てるレスをありがとうございます。
サポートシステムとは、そうですね、
>>434 さんの仰る通り、まま、
グルジェフワークソサエティの様な、
自己想起の努力をサポートしてくれるシステム、という意味です。
ヴィパッサナを指導してくれるところや、ヨガの教室、
家族や友人の協力など・・。
そういうものを利用されていたのかな?
と気になりました。
周囲の助けがないと絶望的だと考えていたので…。
現に今、こうやってレスしてる間にも、
既にいつのまにか自己同一化していることに気づき、
暗澹たる思いになりますが、
もっと求めてみようと思います。
436 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/16(月) 15:34:44.43 ID:45HLXEc+
>>434 >>435 自分はそういうグループに参加したことはないです。グルジェフの事を知ってる人に会ったことさえないです^^;
グルジェフは普通知らない知る人ぞ知る人物みたいですね。ムーブメンツをやるならグループは必須なのかな。
自分の経験では全力出すのが怖かったですね。やる前から「全力出して何も起こらなかったらどうするんだ、
こんなに惨めなことはない」って思ってた。だから自己想起しても深く入っていかない。
そんな時グループなら全力で取り組まなくてはいけない状況を作り出してくれるのかも。だとしたら有意義ですね。
でもどちらにしろ自分でやらなきゃいけないし、自分には何かができる、したいという渇望があるなら今やった方がいいです。
もし失敗しても危険もないしちょっと時間を無駄にするだけです。次につながるなら無駄にもならないかも。
ところで現在のダライラマ14世っていらっしゃいますけど明らかに人間第3番で無意識で機械的な部分が
ありありとみえるんですが、、、学識あって柔和で優しい人なんでしょうけど←一応フォローw
>>436 何の助けも得ずにそこへ辿り着けるなんて、
やっぱりあなたは特殊な方のように感じます。
自分には無理!と思っている限り辿り着けないので、
固定観念は取り払ってワークに努めます。
> そんな時グループなら全力で取り組まなくてはいけない状況を作り出してくれるのかも。
グルジェフのグルとしての厳しさも、
それを意図してのことだったのかもしれませんね。
弟子たちはまさに命がけだったのでしょう。
才能なければ、そうやって追い込んでもらわないと
らちがあかないのかな。
> 明らかに人間第3番で無意識で機械的な部分が
> ありありとみえるんですが、、、
他人の眠りまで丸見えになってしまうとは、
さすがですね。
>>436 > でもどちらにしろ自分でやらなきゃいけないし
そうですね。依存していては先に進めませんね。
“学院はただその環境を作ることができるだけだ。
あなた自身がワークをしなければならない”
書物だけを頼りにワークすると書いてあることとは全く違うことをしてしまう人が出てくる、という危険はないのでしょうか? 自己想起という言葉は読者次第でいろんな意味になる、という事態は容易に推測出来るわけで 指導者がいれば誤解している人を正しい方向に導いて正しいワークをさせることが出来るのでは? それとも自己想起という言葉の正しい意味は誰でもすぐにつかめるのでしょうか?
440 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/17(火) 03:09:47.20 ID:pYnxI3x+
>>437 グルジェフが進化は無意識的にはじまりだんだん意識的になっていくというように最初はおぼろげな
分裂したものではじまらざるをえません。自分には無理といいながら、やはり希望はそこにあり、
はじめればまたどうせ無理だと思う。それは無意識と意識の戦い、まさに光と闇の戦いです。
苦しいことですが皆それぞれの道でワークしています。僕が見る限りイチローや武豊といった人達は
5番にちかいところにいる人間第4番です。バッターボックスの中で、レース中、短い時間でも彼らが
やっていることは強烈な自己想起。自分自身と周りの状況を強烈に意識的になっているに違いない。
アスリート達がやっている練習は超努力そのものです。そんな人達は一般にもいっぱいいます。
アルコールで暗闇を迂回することもできますがそれでは1〜3番にとどまるでしょう。
必須ではないワークという重荷を自ら望んで引き受けた者、向き合うか迂回するかは自由ですが
そこに渇望あり機械を脱したいという思いがあるなら全力で取り組む方がいいです。
441 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/17(火) 03:25:57.68 ID:pYnxI3x+
>>439 >書物だけを頼りにワークすると書いてあることとは全く違うことをしてしまう人が出てくる
まさに自分です。9年間間違い続けました。自分にとって自己想起がマントラになってただ言葉で唱え続けていた時期もあった。
「私は在る」という入り口に固執した時期もあった。それはそれは鍵であって中に入ったら想起できるようになれば放り投げればいい。
意識が知る者と知られるもの両方に向かわなければいかないことを知るまで長い時間がかかりました。
よき指導者に出会えるならそれにこしたことはないです。
>それとも自己想起という言葉の正しい意味は誰でもすぐにつかめるのでしょうか?
そのために罠に陥りやすいところを所を書いたつもりです。実践上で質問があれば答えれる範囲でお答えします^^
442 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/17(火) 03:30:10.95 ID:pYnxI3x+
あと超努力やストップエクササイズは失敗すればかなり危険なことになりますが 自己想起という方法は失敗しても危険がないです。基本的に肉体を使うものは指導者必須でしょうね。
>>442 自己想起を達成出来るまでの間、
社会生活に支障をきたすことはありませんでしたか?
身体をメインにした行動であれば、
自己想起していた方がパフォーマンスはあがりそうですが、
左脳優勢な作業、言語や論理を主とした行動の場合、
自己想起に膨大なエネルギーを必要とする段階であれば、
その効率は極端に落ちてしまいます。
それでも耐えて、自己想起し続けようとしたら、
代償も大きくなるような気がします。
444 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/17(火) 23:14:36.40 ID:FxDkyUX0
>>443 そうですね^^最初はプライベートでテレビや映画やパソコンをみてる2時間か3時間ぐらいだけやればいいと思います。
いったんコツをつかめば想起している、気づいている状態に入ることはたやすくなります。
あとは何があっても常に想起している状態を忘れないよう努力です。
> ◆z/7s9aC7ek ウスペンスキーが歩きながら自己想起した後、馬車の中で突然目を覚ます話が奇蹟を求めてにありますね あなたにもああいうことが起きましたか?
446 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/18(水) 09:00:17.66 ID:TczaFMOp
>>445 そうしたことは起こります。これが人間第4番の入り口なのです。
一週間でも成し遂げられるというのは、実は自分がこの一瞥から5日間で第5番に至ったからです。
そこにグルジェフから学んだ一番の宝物があるのです。そのへんのことは今晩にでも書いてみますね^^
この目覚めの過程を経ずに5番に進むと酷いことになります。
無意識の狂気の思考の群れが我こそが自分自身だと言い張って結晶化していくのです。
例としてはアドルフヒトラーが挙げられます。彼には素養があり「あいつ」と呼んだ高次の存在もいたの
ですが第4番で無意識と対峙せず誤った結晶化をしてしまったために世界にも本人にも酷い結果になった。
この人間第4番時代こそ天国と地獄であり魔境でありありとあらゆる欺瞞もあらわれてくるのです。
ウスペンスキーは真の追求者で死ぬ直前まで求め続けた。その姿勢は賞賛されるべきものですが
まだ求めているということ自体が彼が第5に至れなかったことを証明しています。
なぜなら第5に至ると人は答えを知りもう求めず安らぎを得るからです。
あれだけの情熱なら死の瞬間に第5に至ったかもしれませんがそれは自分にはわかりません(´・ω・`)
447 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/18(水) 11:49:29.64 ID:TczaFMOp
グルジェフは魔術師、催眠術師、超能力として知られていました。実は第4番の時迷いこんでいたのです。 彼がそこから抜け出すには銃で撃たれなければなかった。彼は自分に問いました。 「この行きかう思考の群れ、狂気の連想ゲームはなんだ?私は全力で自己想起に取り組んだか? 私は超能力を得たがそれらは私を傲慢にした。この能力はもう使わない。 そのエネルギーを神の似姿たる恒久不変の私を探求するために使おう!」 これは自分の解釈ですが、パワーより真実を求める真摯な探求者であり謙虚な姿勢です。 どの解説者も書いてないけどグルジェフこそ真に謙虚な人間です。 彼が超能力を捨てなければせいぜいラスプーチンで終わっていたでしょう。この姿勢こそグルジェフから贈られた宝物です。 自己想起自体はグルジェフが開発したものではなく仏陀が正念といっていたものでself-remenberingとして復活したものです。
448 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/18(水) 11:50:13.63 ID:TczaFMOp
そのこともあって一瞥が起こった時「自分はどんな霊能力も超能力もいらない」自分とは何者なのかを探すと決意できました。 それからは必死でした。おそらく試行錯誤の9年間は無駄ではなかったのです。もう焦りやなんやかやで沸点に達していた。 これを逃したくないと全力で取り組み5日後にそれは起こりました。後に禅の十牛図というのを見てうぉーと思いましたよ^^ 四番目の得牛の絵が自分の姿そのものだったからです。まさに力づくですwそれで今六番目の騎牛帰家まできたわけです。 先人のこういう階梯を教えてくれるものは1人で取り組む者にはありがたいです。 まだ全然終わりじゃない、やっとスタートラインに立ったとこなんですね。 グルジェフの7段階に照応させると人間第6番が忘牛存人、第7番が人牛倶忘となります。まだ見ぬ境地です。 9番、10番はその後はこうなるよってことみたいです。 それが起こって以来古いものは断ち切られました。何をやっていても質が違う。それはエロ動画を見ている時でさえそうですw 以前と今、同じものを見てももう振り回されることはありません。それは性欲がなくなるとか女性に興味がなくなるというのとは違う感覚です。 もう自分自身の主人になった。全ては自分で決められるという感覚です
449 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/18(水) 11:51:41.11 ID:TczaFMOp
いま第4番の人達がちょっとした一瞥でそれらしい事を書いている本がいっぱいありますが それは心霊(精神、メンタル)的なことであって真に霊(スピリチュアル)的なものではないです。江原啓之も同じです。 彼の能力が本物かどうかなど問題ではありません。本物であったとしてもそれは心霊的なことであり、彼は心霊カウンセラーと名乗るべきです。 メンタリストDaiGoの態度は真正です。これも能力が本物かどうかは問題ではありません。確かにスプーンが曲がったり、 人の心を読んだりというのはメンタルな事柄です。彼は今第4番の中をさまよっていますが彼はバリバリの科学気質であり もし彼が第5番に至れば(まさしくDaiGoですね^^今気づいたw)日本のパタンジャリになる可能性を秘めていると思っています。 彼にどのぐらい宗教的な素養があるかは知りませんがラージャヨガ並みの体系を構築するかもしれない。第4番で迷わなければ・・・(`乂ω・´*)ウィッシュ(←そっちじゃないと)
450 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/18(水) 11:52:57.56 ID:TczaFMOp
真に霊的なこととは自分自身に向き合い苦しみながら暗いトンネルを進み続けることです。それしかありません。 その時、前世がどうとか、背後霊がどうとかは関係ありません。そういう閃きはあるかもしれませんがあまり関わらないことです。 グルジェフは「多数の人々の進化を妨げる力は、個人の進化を妨げるのだ。だからその力の裏をかかなくてはならない。1人の人間ならそれはできるが人類にはできない」 といいます。つまり1人の人間なら妨げる力の裏をかけるということです。誰にも止められません。 その探求の姿勢は「奇跡を求めて」ではなく「真実を求めて」であるべきです。そうしないと第4番で魔境に入ってしまう危険が高いから。 長々とすいません。読んでくれた方アリガト
451 :
神も仏も名無しさん :2012/01/18(水) 19:45:40.23 ID:7soRmIqh
自己想起は自分を思い出そうとする努力を続けることで実現できるのでしょうか。 なにか他に必要なことはありますか?
452 :
神も仏も名無しさん :2012/01/18(水) 19:53:34.71 ID:7soRmIqh
外側の対象は自分の心に映った影だから、自分の存在をトータルに感じることが自己想起かと思うけど、どうだろう?
>>444 > 最初はプライベートでテレビや映画やパソコンをみてる2時間か3時間ぐらいだけやればいいと思います。
映画やドラマを見る時に自己想起していると、
主人公に感情移入出来なくなったり、
楽しめなくなりませんか?
ストーリーに集中出来なくなりそうです。
◆z/7s9aC7ekさんも、そういう時期を経て辿り着いたのでしょうか?
> いったんコツをつかめば想起している、気づいている状態に入ることはたやすくなります。
自転車に乗れるようになるのと同様でしょうか?
454 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/19(木) 00:38:41.68 ID:0RRtCXpI
>>453 最初は楽しめなくなるかもしれません^^;
でもだからこそいい訓練になります。対象が魅力的であればあるほど現実を奪われますから。
いわばテレビが現実になり自分自身はまぼろし〜、うつろ〜になっているのです。どんだけ〜
対象の中に自分自身を忘れているのです。それを想い出す、取り戻すのが自己想起です。
>自転車に乗れるようになるのと同様でしょうか?
細かい路地でも大丈夫になります。
テレビと心の両方に注意を向けるのは難しい そもそも私にはテレビに注意を向け続けることすら難しい 気がつくとテレビの内容とは全く関係ない考え事が頭の中で始まっていたりする 絶え間なく自分を監視する必要がありそうだ
>>454 ご回答ありがとうございます。
> 最初は楽しめなくなるかもしれません^^;
当面は楽しめなくても良いのですね。
対象への注意がおろそかになったとしても、
自己想起が断続的にでもなされていれば、
とりあえずは良いのですね。
> >自転車に乗れるようになるのと同様でしょうか?
> 細かい路地でも大丈夫になります。
超人ですね。
今の時点では自分がそこに至れるとは思えませんが、
自己想起を積算していけば達せられるのでしょうかね?
今日自己想起出来ていた時間は、
24時間中、30分弱というところでしょうか。
早く人間になりたい…。
457 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/20(金) 01:13:36.43 ID:T/IEKBew
>>455 正直な方ですね^^無意識で不随意な思考のプロセスに気づくのは素晴らしいことです。
まさに気づくことで距離が生まれ自分はそれとは別のなにかだということが分かります。
思考の機械的なプロセスと自己同化して振り回され無駄に疲弊している人はとても多いです。
>>456 これまでの人生で意識は対象という一方向にしか向いていなかったのです。
いきなり自分と対象、二方向にというのは難しいかもしれません。
しかしこれは努力で可能です。要は慣れです。コツさえつかめば簡単です^^
458 :
453 :2012/01/20(金) 11:02:56.29 ID:xjDZbC0b
>>457 ご回答ありがとうございます。
コツをつかむべくワークを続けてみます。
質問ですが、
◆z/7s9aC7ekさんはあえて自己同化する、
ということもされるのでしょうか?
映画や音楽をより楽しんだり、
小説等を読む際、より感情移入する為に、
あえて自己想起をやめる、
ということはあるのでしょうか?
459 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/20(金) 12:06:05.01 ID:T/IEKBew
>>458 ひとたび知ってしまえば無意識な自己同化はなくなります。また自己想起をする必要もなくなります。
努力なしで常に自己想起をしている状態にあるといってもいいでしょう。
もう自分は自己想起をしてません。ですからあえて自己想起をやめるかどうかといったことは問題になりません。
460 :
神も仏も名無しさん :2012/01/20(金) 16:33:14.09 ID:UAmmwoWG
>>◆z/7s9aC7ekさん、ありがとう。非常にはげみになります。
ともすれば、徒労なのではないか、報われぬ努力なのではないか、
という思いがよぎってしまうこともあります。たぶん、自分の取り組みが甘いのでしょう。
本当にあっというまに対象に心奪われる。それが心地よい対象でなくてもw。
>>457 に、
>しかしこれは努力で可能です。要は慣れです。コツさえつかめば簡単です^^
とありますが、「慣れ」がコツということでしょうか?
自分は2年くらい前に初めて一瞥?のようなもの経験し、
質の違うものも含め、それから数回ありましたが、
真の自己想起がなんであるか経験できたというか、
経験する者、主体はいないということがわかりました。
ですが、一瞥は一瞥にすぎず、その印象も薄れてきます。
今の自分には「自分」という感覚は曖昧な感じで、
自分という感覚はあってもなにか空虚な感じがします。
自分にフォーカスしようとすると、
焦点を絞れないまま、自分を捜して注意力がさまよってしまうこともあります。
観念的にそう感じてるだけなのか、
それとも、なにかやりかたがまちがってるんだろうか・・。
461 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/20(金) 17:18:40.58 ID:T/IEKBew
>>460 これまで意識は対象にのみ向かっていました。
これは簡単でわざわざ「テレビは在る」なんて想起しなくてもできますよね?
そうではなく、対象と自分の二方向に意識を向かわせることに慣れるということです。
その補助として「私は在る」を使います。最初は難しいけどやがて両方を意識している瞬間が訪れるはずです。
そうなったらコツを掴んだということです。いつでもどこでもできます。「私は在る」は捨てちゃってかまいせん。
一瞥の経験についてはちょっと理解しかねます。ごめんなさい^^;
462 :
453 :2012/01/20(金) 22:55:43.53 ID:xjDZbC0b
>>459 回答ありがとうございます。
> ひとたび知ってしまえば無意識な自己同化はなくなります。
これは逆に言えば、全ての言動を意識的に行える、
ということですよね。
刺激に対する無意識的な反射という地獄の様な世界から、
一度でも出られたら、もうそこに舞い戻ることはないのでしょうか?
いわゆる悟りというものについては
どのようにお考えでしょうか?
463 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/20(金) 23:38:36.24 ID:T/IEKBew
>>462 人間第4番の時の一瞥でもそれを感じることはできますから一度でも出られたらというのは
そうはいえないと思います。第5番で結晶化してしまえば舞い戻らないといわれています。
本当に舞い戻らないのかは自分にはわかりません。
とにかく今そういう状態で舞い戻ってないとしかいえません。
というか失われるかもしれないという不安がなくなります。
悟りという言葉は正直よく分かりません。
覚醒、自己知といったものは理解できるしそれが起きうるということを断言できます。
なんかヴィパッサナー瞑想と同じような話ですね 段階とかも ヴィパッサナーと自己想起では違いは何かあるのですかね
465 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/21(土) 00:02:21.07 ID:EJwUO6IP
>>464 最終的には同じです。ヴィパッサナーはまさに精髄です。
心身を見守る、息を見守る、対象がなんであれそれは、ただ意識していること、観照していることです。
自己想起も同じで知る者と知られるもの両方を意識することです。
でもただ意識していなさいといわれてもどうやって意識するんですか?という人は必ずいます。
そこでグルジェフは私は在るという想起からはじめなさいと方便を与えます。
最後には私は在るという想起は落ち意識だけが残ります。
なんの方便もなく最初からヴィパッサナーができるならそれがその人の道だろうと思います。
>>465 ヴィパッサナーの最終段階では涅槃のみを意識してそれ以外は知覚しない状態になると
いいますがどう思いますか?
その状態を私はまだ知りません
対象と対象を知覚している私と知覚を同時にそれぞれ別個に捉えるのはわかりますが、
涅槃以外知覚しないというならもっと別のことなのだろうな思いました
その状態を知ってますか?
467 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/21(土) 00:12:56.12 ID:EJwUO6IP
そうですか ありがとうございました
白昼夢の邪魔をして申し訳ないが、グルジェフはいわゆる預言者 の1人であり、通常の人間とは違うと思うが・・・ ベルゼバブをよく読めば分か(ry
>>461 ありがとうございます。
なるほど。補助、方便、としての「私は在る」ですね。
テレビとは別の、もうひとつの「対象」として据えるということですね。
471 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/21(土) 10:57:17.92 ID:EJwUO6IP
>>425 の、寝ている時も気づいていられるとはどういうことなのでしょうか?
寝ているときも意識があり自分に気づいているということですか?
473 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/25(水) 00:16:51.69 ID:4oVHxkm0
>>472 寝返りうってもそれに気づいてます。幽体離脱して自分を見てるっていうのとは全然違うと思います。
>>446 人間第四番だった期間は五日間だけってことですか?
475 :
◆z/7s9aC7ek :2012/01/25(水) 20:47:16.87 ID:4oVHxkm0
>>474 おぼろげには長い間機械と4番の間をいったりきたりしていたのかもしれませんが
それまでとの違いをはっきりと感じたのは5日間です。
476 :
ixtlan :2012/02/01(水) 19:43:52.67 ID:QiwTR9fx
>>465 > 自己想起も同じで知る者と知られるもの両方を意識することです。
禅の見性者は「主観と客観の区別がない」といいますが、こういう
言い方はしないのですか。
477 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/01(水) 20:43:20.58 ID:xNXbM0u0
478 :
ixtlan :2012/02/01(水) 20:54:11.94 ID:QiwTR9fx
>>477 主観と客観の区別がなくなる、という体験とみなしてもいいのでしょうか。
479 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/01(水) 21:12:16.77 ID:xNXbM0u0
>>478 観照の体験をそう表現しているのでしょうけど自分的には区別がなくなる
というのはなんともいいがたい表現です。
いわんとしていることは分かるのでそういう体験とみなしてもいいのではないでしょうか。
480 :
ixtlan :2012/02/01(水) 21:23:57.08 ID:QiwTR9fx
>>479 禅では仏教の「無我」をこの主観と客観の区別のなさと等値しているみたいです。
ということは、もしも禅とグルジェフが体験的に同じならば、グルジェフは無我の探求になって
しまいますが、そういう見方もありですか?
最後には私は在るという想起は落ち意識だけが残ります。とありますが、 観照者もいなくなるのでしょうか ただありのままを観照している状態を知っている人はそれなりにいると思いますが、 その後があるのか知りたいです 観照しているということは、主体(観照者)と客体(対象)があるわけですよね 意識上、自分が主体という意識は持ってないにしても 意識だけの状態をもう少しくわしくおしえていただきたいです
482 :
神も仏も名無しさん :2012/02/01(水) 21:31:03.83 ID:TdCrqfTG
グルメシェフに見えたw
483 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/01(水) 21:31:59.57 ID:xNXbM0u0
>>480 グルジェフは人間の意識状態を4つに区分していました。
それは
眠り、目覚め、自己意識、客観意識
の4つで、客観意識=無我と考えるならそういう見方はありかもしれません。
ただ単純に客観意識=無我といえるかは問題ですね。。。
自分には禅の無我がどういうものなのか不勉強なのですんません。
484 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/01(水) 21:48:18.52 ID:xNXbM0u0
>>481 観照だけが残ります。観照者がいなくなるというのはもちろん物理的にいなくなるわけではありません。
>観照しているということは主体(観照者)と客体(対象)があるわけですよね
最初はそうですがさきほどの書き込みの表現を使えば最後には主体と客体の区別がなくなりただ意識している状態になります。
言葉で表現するのはとても難しいですね^^;とりあえずここまで書き込みます
485 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/01(水) 22:18:54.62 ID:xNXbM0u0
>>481 >意識だけの状態をくわしくおしえていただきたいです
デカルトの有名な言葉に「我思う、ゆえに我在り」ってありますが思わなくても我在りになりますw
思考しなくても肉体が動かなくても自分が在ると分かります。
>意識上、自分が主体という意識は持ってないにしても
これは重要で自己同化がなくなることにより自分が体でも心でもないことを知ります。心身は道具になります。。
>>485 それは自分の価値観だとか自分といえる感覚が消えて、ただそのままを観照してる状態とは
また違うのですよね?
観照者から意識だけに移行したきっかけはあるのですか?
それはワークや修練などで徐々にそのようになっていくのですか?
それとも全く別物のようにいきなり現れる状態なのですか?
487 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/01(水) 22:52:15.47 ID:xNXbM0u0
>>486 違います。基本的に記憶やなにもかもそのままです。もちろん価値観などは変わっていくでしょうけど。
>観照者から意識だけに移行したきっかけはあるのですか?
きっかけはあります。
>それはワークや修練などで徐々にそのようになっていくのですか?
それとも全く別物のようにいきなり現れる状態なのですか?
自己想起している、つまり努力している中で突然起こりました。
その詳細を公にするのはためらわれます。体験を理解してくれるであろう人にだけ伝えたいです。
全く別物のようにいきなり現れる人もいるのかもしれません。
>>487 記憶がそのままなのはわかります
ただ記憶に関しても、物理的な記憶であって、自分の記憶という実感はないですよね
いい記憶嫌な記憶のような価値や概念を伴っていないので
そういう価値や観念や概念の消えている状態なら知っています
もう少し踏み込んだ状態では、例えば文字がただの線や模様としか知覚できなかったり
生物も物質も動物も静物も同じでしかない状態もわかります
努力でそうなるのではなく、向こうからそういう状態が訪れるように、
自分のコントロールではなく、そうでしかなくなっている状態もわかります
ちなみにただ意識である状態はいつでも自由になれるのですか?
普段はどういう状態なのですか?
489 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/01(水) 23:15:54.37 ID:xNXbM0u0
>>488 いつでも自由にというのはある意味その通りですが、ただ意識であるのはいわゆる瞑想の状態ですから
思考したり活動している時には無理です。それらをしなくていい状態が必要です。
普段やってることはいたって普通です。ただ何をやるにしても意識的です。無意識には何一つしません。
>>489 その、意識だけになっている瞑想状態のとき、五感はどうなっているのですか?
たとえば、自分が何もしてなくても音がしたりすると思うのですが、
姿勢が動いたりなどもすると思うのですが、
そういう体感や音などはどうなるのですか?
ちなみに詳細を公にするのをためらう理由は何かあるのですか?
他の探求してる方の理解を深めるためにもいいような気もするのですが
491 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/02(木) 00:00:46.21 ID:xNXbM0u0
>>490 五感は研ぎ澄まされる感じです。音ははっきりと聞こえます。
ためらうのはそこで何が起こるかどんな先入観もない方がいいと思うからです。
人間の想像力はすごいからそれを作り出してしまうかもしれないし。
>>480 vision questのixtlanさんでしょうか?
グルジェフと禅の類似、あるいはグルジェフとクリシュナムルティの類似について語る人がよくいますが
私は全く別物だと思っています
グルジェフによると、高次思考センターの燃料は、通常の思考センターの燃料より9億倍も早く活動するそうです
そんなことは禅やクリシュナムルティは言いませんからねぇ
むしろ麻薬体験者の文章の方が近い気がします
>>491 たしかに先入観になってしまう面はあるかもしれないですね
ところで、上に禅やクリシュナムルティの名前が出てますが、
意識だけになることで、自他が完全に同一化する状態はどう思われますか?
クリシュナムルティが悟ったときの描写にもありますが、
自分が完全に対象になってしまった自他同一というより他になってしまったような状態
植物を観ていると自分がその植物自身になってしまっていたというような状態
そういう状態に関して知っていることがあればおしえていただきたいです
494 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/02(木) 00:41:58.33 ID:xyhEJ0ya
>>493 クリシュナムルティは偉大ですね^^youtubeでみても全く隙がない意識が服着て歩いてるような人w
ただどうやってその境地に到るのかとなると方法なんてないの一点ばりですよねヽ( ・∀・)ノ● ウンコー
自分は自己想起という技法を与えてくれたグルジェフに感謝してます。クリシュナムルティも尊敬はしてるけどw
自他が完全に同一化する状態ってグルジェフのいう人間第6番か7番の境地なんじゃないかなって思ってます。
自分にはまだそんな経験はありません。
グルジェフは5番の結晶化に到るための方法として自己想起をはじめとしたワークを提唱しましたが
6番に到る方法を教えてないように思えます。。。ただ第5番で結晶化した本質を再び溶かし5番としての存在を
恐るべき苦痛を通して意識的に失わなければならない、というだけで。
>>494 なるほど、最終的に全てに溶けさるというような表現は覚者の話によくありますね
ありがとうございました
496 :
ixtlan :2012/02/02(木) 22:32:32.53 ID:Yhcn8Dgz
>>492 >vision questのixtlanさんでしょうか?
そうです。
>グルジェフによると、高次思考センターの燃料は、通常の思考センターの燃料より9億倍も早く活動するそうです
そんなことは禅やクリシュナムルティは言いませんからねぇ
むしろ麻薬体験者の文章の方が近い気がします
ふぅむ。グルジェフの言ってることはなんかさっぱり分かりませんが、こうして
実際に自己想起の訓練を意味づけられる人が出てくると、興味がまた湧いてきます。
禅やクリシュナムルティは、確かに言ってることはグルジェフのようではないですね。
「すでに悟っているのだが、それに気づいてない」というのが彼らの主張ですから。
グルジェフはそんなあまいことを言うだろうか。
訂正します、
>>492 は9億倍ではなくて27兆倍でした
グルジェフと他の思想家の共通点について語る人は多いですが、そのほとんどは誤解だと私は思いますね
クリシュナムルティに限らず「誰でも今すぐ経験出来る」系の思想は、グルジェフの主張とは明らかに対立しています
グルジェフは長期間の努力を強調し、然るべき存在レベルに達しなければ重要な経験は出来ない、と言っていますから
言ってることは同じでしょう 少なくとも途中までは一緒でしょう 自分が体験していけば同じってことはわかります たとえば、やる気さえあれば今すぐ禁酒禁煙菜食できるという言い方と、 努力を続ければ困難な禁酒禁煙菜食も到達できるの、 言い方の違いみたいなものでしょう 酒好き愛煙家美食家の人に禁酒禁煙菜食は大変なことですが、簡単といえば簡単ですから
>>498 クリシュナムルティは、最良の体験は今すぐ誰にでも起こり得る、と言っているように思えます
グルジェフは、最良の体験は長期間努力して存在を変化させた人にしか起こらない、と言っているように思えます
グルジェフによると、高次感情センターが安定的に活動するためにはアストラル体が必要なんだそうです
高次思考センターが安定的に活動するためにはメンタル体が必要なんだそうです
アストラル体やメンタル体の結晶化には長い時間が必要でしょう
良心についてグルジェフは、感じうるすべてのことの全体を同時に感じる状態、と説明していますが、
一般人にその状態が起きないのは緩衝器という装置のせいだそうです
人は何千という矛盾した感情を持っているので、それらを同時に感じるのは耐え難いことですが、
「小さな子供の時分から緩衝器は彼の内部で育ち始め、強力になり、彼から自己内部の矛盾を見る能力を
奪い去ってきているので、彼には突然の覚醒などという危険は全くない」とのことです
「覚醒は、それを捜し求めている者、それを得るために長期間うまずたゆまず自己と闘い、
自己修練をする準備のできている者にのみ可能なのだ。そのためには緩衝器を破壊すること、
つまり矛盾の感覚と結びついているあらゆる内的苦痛と直面すべく進んで歩みでる必要がある。
さらに緩衝器の破壊自体が非常に長期間の努力を必要とする・・・・・」
良心の覚醒は最初は苦痛ですが、それを恐れずに保持し継続させようとすれば、
非常に微妙な喜びの要素も徐々に含まれてきて、未来の明晰な意識を前もって味わうことができる、
とも言っています
より高い世界からの使者は状況に応じた教えを与える。 仏陀、モーゼ、イエス、ムハンマド、ラマを思い起こせ。 同じレベルに引き上げるために5人の聖者は全く別の手法を取ったのだ。
>>500 ゴールは同じだがゴールに到るまでのルートが違う、ということでしょうか?
確かに同じことを言う人はよくいますし、一見もっともらしく思えるんですが、
よくよく考えてみるとちょっと信じ難いですねぇ私には
グルジェフによる高次思考センターの描写
「・・・・・思考、感情、イメージ、観念等の洪水・・・・・洪水が押し寄せてきた最初の瞬間と、
洪水が退いて意識が戻ってくる最後の瞬間だけが記憶に残る。しかし、そういった瞬間でさえ
異常な陰影と色合いに満ちていて、生の普通の感覚には比較できるものは何もない・・・・」
一方、悟りのスレなんかでは、空、とか、思考がない状態、という言葉がよく出てくるんですが、
それらは本当にグルジェフが言っていることと同じなんでしょうか?
>ゴールは同じだがゴールに到るまでのルートが違う そのとおり。 人間が持ちうる高い次元の意識状態について、それを持ったことのない 者があれこれ言ったり妄想したりすることは無意味だよ。 よく考えてみなさい。掲示板に「俺は経験した。」「俺は到達した。」などと のたまう輩がたくさんいるが、もし本当なら世の中は現状とは大きく 異なっていることだろう。全ては嘘か単にそう信じ込んでいるだけのことだ。
>>502 いや、私はゴールすら違うんじゃないかと言いたかったんだけどw
2chのスレだけでなく、禅やクリシュナムルティも
思考、感情、イメージ、観念等の洪水、なんてことは言わないので、やはりグルジェフとはゴールが違うのではないかと
501と503は同一人物の書き込みです ID変わった
同じかどうかなんて、自分が本人たちと同じ境地にならないとわからないんだから、 あまり考えても意味ないよね 自分が何らかの体験をしていくなり理解が深まって、同じようだとか、やはり違うとか、 判断していくしかないよね 逆に言えば、自分の理解が深まっていけばわかっていくことなんだから、 理解が訪れるように実践していくのがいいだろうね
>>◆z/7s9aC7ek 一般的な瞑想、座って行う瞑想はされていますか?
507 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/07(火) 23:52:57.57 ID:AQUB4zNg
>>507 してません。ヨーガのアーサナ習ったことないですし体硬いっすw
できれば最強なんでしょうけど結跏趺坐とか足が短いからしんどいです(爆)
楽な姿勢でやってま〜す♪
>>507 早速ありがとうございます。
一般的に推奨されている結跏趺坐での瞑想や
座禅のようなスタイルではやられてないのですね。
意外でした。
それでもそこへ達するのですね。
> 楽な姿勢でやってま〜す♪
差し支えなければ、どんな感じでやられているのか
教えてもらえると嬉しいです。
自己想起を出来るようになるまで、
もの凄いエネルギーが必要だろうと思うのですが、
どこからそれを得たのか、
どうやってそれを得たのか参考にしたいです。
509 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/08(水) 00:09:51.12 ID:DRKBX1kM
>>508 瞑想技法って肉体だけを使うもの、肉体と心を使うもの、心だけを使うもの
があって自己想起は心だけを使うものです。
どんな体勢でも常に想起という感じなので座禅とはスタイルが違いますね。
あと肉体を使うものは指導者についた方がいいと思います。
>どんな感じでやられているのか教えてもらえると嬉しいです。
自分は普通に寝る時みたいな仰向けとか普通に楽な姿勢で座ってとかです^^
510 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/08(水) 00:35:18.36 ID:DRKBX1kM
>どこからそれを得たのか、どうやってそれを得たのか参考にしたいです。 そんなに大げさなものじゃないですがやっぱり生きてたら苦しいこともあるし 何の為に生まれてきたんだろうとかそんな疑問からです。長い間全力で取り組めませんでしたが。。。 今は静けさのなかですごい安らぎを得ている感じです。 自己想起によって自己同化がなくなり無意識がなくなり前も書いたけど不随意な思考がなくなりました。 今も苦しいことはあるけど同化がないのが以前と違います。まあでも普通の人間ですよ^^;
>>510 > そんなに大げさなものじゃないですがやっぱり生きてたら苦しいこともあるし
> 何の為に生まれてきたんだろうとかそんな疑問からです。長い間全力で取り組めませんでしたが。。。
願い続けるだけでも達せるのでしょうか。
そうであるなら今の自分は熱意が足りないということになるのでしょう…。
よろしければ全力で取り組めるようになったきっかけを教えて下さい。
> 今も苦しいことはあるけど同化がないのが以前と違います。まあでも普通の人間ですよ^^;
自己同化がなくなった時点で、普通の人間とは思えません。
かなりの進歩ですよね。
自己想起以外のこともやりましたか? 不快感情を表に出さない、とか、筋肉をリラックスさせる、とか
513 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/09(木) 05:34:47.79 ID:MvDIDF2E
>>511 >願い続けるだけでも達せるのでしょうか。
いつの日か自然に達するとはいえるんじゃないでしょうか。ワークは必須でもない自然にそむく道らしいので。
>そうであるなら今の自分は熱意が足りないということになるのでしょう…。
こういうスレを見てる人っていうのはいわゆるマグネチックセンター(磁力センター)がある人ですよね?
日常の幸福以上のものへの渇望がある。だからこそグルジェフの思想に興味を持った。普通の人知らないですもんグルジェフ^^;
だから熱意はあるし正しい道筋の上にいるのだと思いますよ。ちょっとしたきっかけがあればすぐ全力だせるんじゃないかな。
自分が全力で取り組めたのは半眠半覚で機械だといわれてもしょうがないとおぼろげにではあっても
分っているのに9年間取り組んでも何も起こっていないといういらだちや焦りがありそこに一瞥が起こったからです。
>自己同化がなくなった時点で、普通の人間とは思えません。かなりの進歩ですよね。
グルジェフは自己想起self-remenberingと名づけましたがセンスあるなって思います。
自己想起の結果、偽りだった自己同化が消え、無意識が消え、しょうもない連想や妄想が消え、
まさにずっとそうであったものをただ想いだす。新たに獲得されるものはなにもない。寝てた部分が起きただけです。
でも一つ獲得されたといえるかもしれないのは教典がすごく理解できることです。
特にヨーガスートラ、わけわかんなかったのがパタンジャリすごすぎじゃね?( ;・`д・´)に変わりましたw
514 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/09(木) 05:50:27.90 ID:MvDIDF2E
>>512 自己観察はやりました。ワークでいえば緩衝器を取り除く作業。
要するに正直に自分自身と向き合うことです。
誰かを批判めいた目で見る時なぜそうみるのか?
ホントはうらやましいだけなんじゃないのか?とかそんなのです。
515 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/09(木) 05:57:24.23 ID:MvDIDF2E
例えば自分よりもててる人をみてなぜ ( -д-) 、ペッとなるのか そこには自分ももてたいという欲望があるんじゃないか?って感じです。 これをやっていくと人は人、自分は自分になっていきます。 だんだん存在することの喜びを感じ理解したことには引っ張られなくなります。 たぶんこれがウスペンスキーがいう永久引力センターを獲得することです。
516 :
473♯mayoibito :2012/02/10(金) 22:49:18.06 ID:0IpUxJ3P
oshoがいうにはウスペンスキーは早い段階で第5番であったようですよ。 自分の理解では第5番であるということは来ては去る思考と同化している以外の時間が全くない、 1−4番と違い ある程度自己の意識によってその同化から外れることができるというものです。 また、覚醒が起こることによって入れ代わり立ち代わり主人である思考が入れ替わるのではなく、 その思考の群れが統合されて不変の自我がかたどられます。 人間第5番の中心は自我なので(自我を持っているのが第5番からですが) その結晶化された自我の傾向によって、覚醒に伴って各々主観的体験をします。 ある種単純な自我の構造の場合はそのあまりもの喜びに浸りきってしまい、それ以上の進歩が無くなります。 複数の記憶の結晶である自我の自己矛盾も執着ゆえの苦しみも、その喜びを体験することで見えなくなってしまいます。 これをoshoは危険性といいましたが、第6第7に進む際の危険性であり、歓喜に満ちた生です。 非常に複雑な多面的な精神構造が結晶化した場合は、そのとてつもない自己矛盾と対面せざるを得なくなります。 そういった人は悟った後で非常にうまくものを語る人になるようです。 そして悟りが近いほど無条件の苦しみと直面します。魂の闇夜といわれます。 ブッダがそうであったように。
>>513 ありがとうございます。
一文一文、噛み締めて読ませて頂きました。
2ちゃんでこんなに感激したのは初めてです。
自分はグルジェフを知り、
断続的に実践して、そして挫折をくり返し、
もう十数年経ちます。
正師につかなくてはいけない(でも見つけられない)
方法論がまずい(でも正しい方法がわからない)
生活環境が悪い(でも変えられない)
とHow Toにこだわり、
徒労を重ねてきただけのように思います。
傷をなめあうためじゃなくて、
どうにもあきらめきれないので、
このスレを見に来ているのも事実ですので、
励ましを有り難く受け止めて、
ワークを継続してみようと思います。
よろしければ引き続き、
後進の者にヒントをお与え下さい。
518 :
473♯mayoibito :2012/02/10(金) 23:03:10.32 ID:0IpUxJ3P
≫今は静けさのなかですごい安らぎを得ている感じです。 それを体験なされているのであれば、それを体験している自我そのものが騒音であり不安なのです。 騒音と不安なくしてどうやって静けさと安らぎを感じるのでしょうか。 そうして人間第5番は主観的な夢を見続けてゆきます。 それはユニークで美しく気高い夢を。 覚醒の一瞥があれば、人間第5番でしたらその体験者と体験の相対性を認識しようと努力する自己想起ではなく、 ただ純粋に認識することが、たまに可能になるかと思います。 それが10牛図の第6番であり、目的なく自分を見ることだと思います。 どんな理想も実際の自分を理解する手助けにはならず自己矛盾を強化するだけですから。 また牛に乗って家に帰らなければならないのは結晶化された自我を牛が通り抜けるのを待たなければならないからであり、 自己の矛盾を認識できる覚醒(むしろ良心といえましょうか)が必要です。 それが無ければまだ5枚目かもしれません。 客観意識とはその相対性なくただ認知することなのかもしれません。
519 :
473♯mayoibito :2012/02/10(金) 23:08:50.05 ID:0IpUxJ3P
>>517 私はOshoのダイナミック瞑想を超努力と瞑想の補助のために使いました。
あとは日々の意識です。
ダイナミック瞑想そのものがグルジェフから多くを借りています。
OSHOの組織は生きたスクールとは言えませんが、OSHOがデザインした基礎の技法はそれが基礎であるがゆえに
真正です。
◆z/7s9aC7ek さんはオレージ氏を思い出しますね。
エニアグラム5の私と違って7番は知的かつウィットで本当に面白い。
しかしよく嘘をつく。
>>519 ありがとうございます。
> 私はOshoのダイナミック瞑想を超努力と瞑想の補助のために使いました。
確かオレンジブックに載っていましたね。
自分にあいそうなら取り入れてみようと思います。
サニヤシンの皆さんは、
ノーマインドで人生楽しそうですね。
> あとは日々の意識です。
そこが凡人には困難極まりないところです。
521 :
473♯mayoibito :2012/02/10(金) 23:33:37.24 ID:0IpUxJ3P
ダイナミック瞑想は個人でやるより出来ればOSHOJAPANの瞑想会に行かれるのが良いかと思います。 何より生を楽みつつあなたのペースで進んでください。 急いでワークに固執すると、分不相応な困難に出会い逆に歩みが遅くなってしまうかもしれません。 518の追補 外向的な本能寄りの人は素直に投影された快楽と同化してしまう傾向があり、 内向的な本能センターの活動が弱い人は、苦しみを克服するという形で間接的に真理という快楽を追い求める傾向があります。 和尚は快楽との同化に警句を出しましたが、苦悩に埋没するというある種ひねくれた欲望を何より戒めました。 TAKEITEASY。とはいうもののそれとは程遠い私です。
522 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/11(土) 00:23:13.93 ID:U54/OD6U
>>516 自分はウスペンスキーは4番どまりだったと思います。
oshoがどの著書でウスペンスキーが5番だといっていたのか教えていただけたら幸いです<(_ _)>
>来ては去る思考と同化している以外の時間が全くない、1−4番と違い
とありますが全くないのは1-3番です。4番で人は自分が思考ではないことを理解しはじめます。
思考を観照しはじめます。しかし思考がはじめればまた同化してしまいます。これをいったりきたりします。
このときこそ全力で自己想起すべきです。この思考を観照しているのは、気づいているのは何者なのかを
全力で追求すべき時です。
>思考の群れが統合されて不変の自我がかたどられます。
これも4番です。4番は統一された心(マインド)をもつ人間です。5番というのは心を超えていくことです。
5番では中心が定まりいわば全存在が結晶化され統一されます。
523 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/11(土) 00:33:57.94 ID:U54/OD6U
>>517 十数年も取り組んでこられたのですね。自分は普通の人間ですし6番や7番については未知です。
ホントは7番の人が語られるのが一番よいのでしょうけどなにかお役に立てれば幸いです<(_ _)>
524 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/11(土) 00:41:17.71 ID:U54/OD6U
>>518 自己矛盾っていうのがよくわからないです。なにが矛盾してるんでしょう?
525 :
473♯mayoibito :2012/02/11(土) 07:45:43.26 ID:/COIWAOT
種々の記憶、種々の判断基準は矛盾します。 3つのセンターの都合は矛盾します。 その矛盾の苦しみから逃れるため、人は表面上の人格に依存します。 すると内に騒音をたたえたまま静寂の夢を見たり。 自分が無意識にとらわれている時間というものを無視して、自分は絶えず目覚めているなどという夢を吹聴します。 内に動揺があればこそ人は自信を持って何かを言い切りたいものです。 しかし人は不安定の内にくつろぐすべを学ばなければならないのであり、何かを言い切るような言葉は 自他の精神による概念への依存を強めるだけではないでしょうか。このあたりの微妙な話です。 人間第4番は3つを必要に応じて使うということができるだけで、思考以外の何でもありません。 それがなぜかというと、観察される対象が思考なだけではなく、観察する側が思考であり、 観察する側が思考であるという状態を一瞬でも抜け出ればもう5番です。 そこから一度でも抜け出ると、努力なしに、というか努力なしの時にしか訪れないのですが、 全く違うゆるいの目覚めが絶えず影のように付き添うようになります。 しかし、いまだ中心は自我です。何かがあればその目覚めは失われ、1−4番のように無意識になり自己同化してしまいます。 違いは自己同化しているということがどういうことなのか理解しつつ自己同化しており、その気になれば目覚められるということぐらいです。 対象としての思考ではなく、観察者が思考である状態に少々の耐性が付いたとはいえ、 結晶化した自我である無意識と記憶の集大成という束縛そのものを理解するにはまたしばし その束縛そのものを知るため人生で苦しむ必要がある場合が多いでしょう。
526 :
473♯mayoibito :2012/02/11(土) 08:45:15.81 ID:/COIWAOT
和尚の文献は少々お待ちください。 ですが信頼していただけるなら525は自分の認識でありかつ和尚が語ったことです。 彼も脈絡なく語るので、ウスペンスキーが5番という話は23度は出ているのですがどの本だかすぐに出てきません。 人間第五番は時々目覚めていられて自分が無意識だとわかっていると。 主観が思考であり、各々の主観が異なるということを理解する入口に立っているかと思います。 1−4番においてある思考が他の思考を理解しているという認識は、一つの思考(主観)が織りなす夢を肥大化させることであり、 眠りが深まるだけだと思われます。 5番は心を一瞬は超えるかも知れませんが、超えたからこそようやく認識でき、 心に心でもってでなく働きかけられる(こともある)というスタート地点の状態です。 本当にたどり着いていれば明知と共に自らの無知も見え、十牛図の5枚目の意味も見えてくるでしょう。 本当に心を超え自我の束縛を超えていれば5番という便宜的な中間地点ではなく本当の変革が起きているのではないかと思います。 人間第4番は瞑想の中で、外界に影響されないで一つの思考を強く持ち、現実そのものであるかのような夢を見ることは多くなるでしょう。 しかしそれそのものに大した意味はありません。強烈な体験は生に新たな基準を作ることになりむしろ世界や他者との調和が損なわれかねません。 むしろその超努力における強い欲望、思考が一時自分を完全に自分を支配したとき、 その時こそ思考から本当に目覚める唯一の好機なのです。
527 :
473♯mayoibito :2012/02/11(土) 08:47:10.64 ID:/COIWAOT
そしてその目覚めが維持されるには3センターの均衡が必要であり、その均衡がとれていなければ その目覚めすら人格のエサになり再度眠りに傾きます。(その割合は人それぞれ) 目覚めていられるように自己内部の3センターの均衡をとってゆくことになります。 (ベルゼバブでも3つのセンターの完全な調和の元高次思考センターが働くとありますね) 私は知や真理を語らず、様々な欺瞞、様々な落とし穴、様々な形の無知があり私はそれを語っています。 それは例外なくだれもが落ちかけ、落ちてしまうところでありそれに落ち込まないように語らなければなりません。 知におぼれるのでなく理解があれば自然と自分の無知矛盾欺瞞にも気付くことになるのではないでしょうか。 また和尚が言うにはグルジェフは人間第5番までしか役に立たないそういう体系です。 統一された自我を持ったならその自我の理解に進むべき時であり、方法や概念の使用者が自我なので もはや方法論や概念は役に立ちません。 ここからは禅の領域です。(秘境の心理学) Gはめったにそれについて語らなかったと思います。奇跡の探求にはほとんどそれはありません。 ベルゼバブに暗喩の形であるかとは思います。
528 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/11(土) 09:26:03.41 ID:U54/OD6U
>>525 >何かがあればその目覚めは失われ、1−4番のように無意識になり自己同化してしまいます。
違いは自己同化しているということがどういうことなのか理解しつつ自己同化しており、
その気になれば目覚められるということぐらいです。。
もしかしたら473♯mayoibitoさんはこの経験をなさったのかもしれないですね。
この状態はあります。自分はこの一度でも抜け出ることを一瞥と呼んでいます。
これは4番で起きることです。この4番と5番の認識にズレがあるようですが・・・
あと結晶化の認識に大きなズレがあるようです。結晶化というのは無意識と記憶の集大成ではないです。
自分がいわんとするのは5番は意識の集大成であり、それこそ結晶化だということです。
ですのでおっしゃられてることはすべて4番の話です。
529 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/11(土) 09:41:06.82 ID:U54/OD6U
>>527 3センターの均衡は絶対必要です。
>グルジェフは人間第5番までしか役に立たないそういう体系です。
やっぱりそうなんですね^^グルジェフは6番に到る方法を教えてないなぁと思ってたんです。
>方法論や概念は役に立ちません。
方法がないってことでしょうか?禅の領域ということは禅が方法ってことでしょうか?
自分は禅に関しては十牛図に関しては調べたことがあるのですが体系や実践は知りません。。。
530 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/11(土) 10:32:56.67 ID:/COIWAOT
それが何番かは本当はどうでもいいのですよ。 ただ、はっきりみてとれるのは 自身の言葉の定義にこだわっているだけで、 主観、自己欺瞞、思考、本質、人格、矛盾、無知についての話題に全くついてこれていないということだけです。 それがその人の意識の程度を雄弁に物語ります。 大切なのは何が何番なのかではなく、私とあなたの構造の実態をなるべく客観的な言語で説明するということです。 そのためには自己の主観からある程度自由になっている必要があります。 自己の主観という無知に気づいている必要があります。 意識の集大成などという恥ずかしいたわごとをいうより、客観的な自己と他者の認識による 相手の主観に配慮した客観的な言語による外的考慮を見せるほうがわかりやすいですし、 本当にそうである存在ならまずそうするでしょう。 物事には本質として意味はありません。意味を付けるのは我々の主観です。 物事に意味を付けることは、自分にもたらされることを体験として概念化してしまうことは、 必然的に快と不快を生み、世界と自己の間に軋轢を生んでしまいます。 それゆえに聖典は人の主観を強化するような知識という餌を与えるのではなく、人にその無知を気付かせるような 働きをします。奇跡の探求とベルゼバブの差はそこにあります。 それらについて未だ理解していないで主観的な概念知性だけで語るとこんな風になる。
>>527 禅の話が出てますが、禅でいうところの忘我について何かおしえていただけますか?
忘我の状態にあると、その間意識はなく、忘我から戻ってきて今まで忘我だったとわかる
ようなことを話す方もいらっしゃいますが、そのようなものですか?
そのとき、どのような状態であるのでしょうか
言葉で語れることではないのでしょうが、何かおしえていただけることがあるなら
お聞きしたいです
532 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/11(土) 12:02:46.97 ID:/COIWAOT
ウスペンスキーと7つの人間 TAO永遠の大河2巻 本能タイプの第5番への注意 永遠の大河4巻 知性タイプの第五番への注意 秘教の心理学
533 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/11(土) 12:16:46.10 ID:/COIWAOT
>>516 対象である言語的思考のことを思考と言うのはグルジェフの第4番までの方便です。
主体が思考であるというサーンキヤ、クリシュナムルティの方便は多くの人にとって全く役に立たないからです。
534 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/11(土) 12:31:45.08 ID:/COIWAOT
クリシュナムルティや禅は観察者が、意識が思考だといいます。 それが覚醒だと意識だと体験されるものは無意識の思考が織りなす夢なのです。 それまで意識と覚醒と名付けていた構造を思考と看過し、あらゆる目的を捨て去るところが禅の出発点です。 覚醒は語られなくなります。体験そのものを束縛とみなします。
535 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/11(土) 12:35:10.65 ID:/COIWAOT
初期の瞑想の対象になる表層意識の言語思考、体験を作り出す無意識の主観と夢を織りなす思考。 和尚もブッダもグルジェフもその両方の意味を使い語るので教典は矛盾します。 しかし対象者によって別の方便を使い分けていることを読み取れる人は己の力量に従い読み取ります。
536 :
473♯mayoibito :2012/02/11(土) 13:06:07.54 ID:/COIWAOT
>>531 自分の望むものだけを得続けることは不可能ではないでしょうか。
可能性はえり好みする自分の消滅だけかもしれません。
どんな体験も去らせるままにするしか、、ないのか。
どんなではなく、あらゆる体験とあらゆる状態が束縛です。
真理と触れた時、それを体験にしないことができればとOSHOは言います。
(そして花は降り注ぐ)
537 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/11(土) 16:56:05.85 ID:U54/OD6U
>>530 473さんにはおそらく指導者がいて、どれが何番かはどうでもいいことかもしれないけど
一人で取り組む者にとっては自分が今どの地点にいるかの確認は大切なんです。
恐怖も全力で取り組めなかった理由の一つです。混乱はない方がいいんです。ご了承を。
>私とあなたの構造の実態をなるべく客観的な言語で説明するということです。
構造よりももともと自分が取り組んできた自己想起の方法を公開するためにこのスレに書きました。
グルジェフの思想に造詣がある方々にならなにがしかの益になるかもしれないと思って。
どのみち証明できないことだし自分のことはなんと思われようと仕方ありません。
こいつなに言ってんだって思えば読み飛ばせばいいし、こいつの言うことは聞かない方がいいって書かれてもいいですw
自分は体験に立脚して誠実にここに書いています。ただ表現不足があればご勘弁を。
確かに主観的かもしれないし理解できない場合は忘れちゃってください。
もう自己想起の方法も公開してるし自分から何か書くことはないです。レスするだけなので。
>>◆z/7s9aC7ek
とかつけてくれたら分かりやすいし他の話題の流れを妨げることもないと思います。
>>532 義理堅いですね^^ありがとう
538 :
473♯mayoibito :2012/02/11(土) 17:05:00.61 ID:/COIWAOT
≫眠っていても目覚めている 起きているとき自分は目覚めているという白昼夢を見ていれば夢の中でも「目覚めている」 という夢を見ることは可能です。 眠っているときも目覚めているとは、眠る必要がないということ。自我から逃れる必要がないということで、 一兆年でも何もしないで自分一人でいられるというような永遠の時空を意味します。 自我と自負を強めているなら、それは真正なものではなく単なるエゴトリップであることが殆どであり、 外側からはそれ以外に判定のすべがありません。(究極の錬金術)
539 :
473♯mayoibito :2012/02/11(土) 17:16:01.49 ID:/COIWAOT
>>529 ≫3センターの均衡は絶対必要です。
あっさり引っかかるものだなと思います。
3センターの機能が均衡した時にこそ高次思考センターは働き出すというのは(高次感情は5番、高次思考は6番)
それが普通の意味では不可能なことでありやろうとしてできることではないということを意味します。
6番の前にいる5番ならそれがいかに不可能なことか解ってしかるべきです。
540 :
473♯mayoibito :2012/02/11(土) 17:24:16.34 ID:/COIWAOT
>>529 2つのセンターをなんとか調和させてやりくりすることはまだしも、3つの異なる基準が
もたらす葛藤は想像を絶するもので、それを認知することすら難しいししないことによって己を守っています。
まず一つのセンターの欲求不満を見つめるのが1−4番で、複数のセンターの相互の対立という非言語の世界を
みることはその時点では不可能です。
あなたを見ても感情のセンターが働いておらず、形骸的な感情の反応を緩衝器で行っているだけに見えます。
感情のセンターが知性と本能に抑圧されているので、物事の微妙な差異を把握することができません。
結果私の述べていることの実体をつかめない。
良心の働きも弱く自分の好ましい部分を過度に主張し、自分の実体に正直でない。
別に2センターしか働いていないことはおかしなことではなく、私とて同時に2センターがやっとです。
問題はええかっこしいのほら吹きであるという生来の特質が変容していないということじゃないかな兄弟。
お前らもうちょっと面白いこと書けよ。 こんなとこに書き込んでる時点で1〜3番のどれかなんだからさー。 オクターブのこととかオルメカと殷の関係とかエニアグラムとか 色々あんだろ。
> mayoibito さん では第五番になるためには具体的に何をすればいいのでしょう? ◆z/7s9aC7ek さんは自らのワークについて教えてくれましたが、あなたはどんなワークをしてきたんですか?
>>542 に同意。
◆z/7s9aC7ekさんには誠実さを感じる。
が、mayoibitoさんは、なんか頭でっかちなような・・・。なにかと引用が多いし。
このスレを見てる人たちは、
自己想起の具体的な手法やワークの仕方を知りたいのではないかと思います。
かくいう自分もそうです。◆z/7s9aC7ek さんは、自分の失敗談も交えて質問に親切に答えてくれてる。
mayoibitoさんにも、具体的なご自身のことを書いていただきたいです。
あなたの言ってることはつまらない。
なにやらごたいそうなことを言ってそうで、その実、読後なにも印象に残らない。
544 :
神も仏も名無しさん :2012/02/11(土) 22:45:34.31 ID:3dElVY/2
>543に同意。 ◆z/7s9aC7ekさんには誠実さを感じる。 ただしmayoibito氏のような文章の人の体験談に興味はわきません。 別に書いてもらわなくても結構。
545 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/11(土) 23:05:28.45 ID:/COIWAOT
>>531 レス代行にお願いしましたので順番が前後してしまいますが、
あなたのその質問がきっかけになって草はひとりでに生えるという言葉の指し示すものが、、。
ありがとうございます。実はあなたこそ覚者であったとしても驚かないでしょう。
546 :
542 :2012/02/11(土) 23:12:29.99 ID:WSDVHkzz
>>543 いや、自分は別に mayoibito さんを批判するつもりはありません
単純にどんなワークをしてきたのか知りたかっただけで
個人的には mayoibito さんの矛盾という言葉に興味をひかれました
例えば先ほど私はコンビニに行ったんですが、
私が買いたかった商品の棚の前でカップルがどれを買おうか悩んで夢中で話し合っており、
その二人が邪魔でほしい商品がなかなか手に出来ない私はいらだっていました
「他の人への迷惑も考えろ、さっさとどけ」と
ところが私は立場が変わるとこれとは全く矛盾した考えを抱きます
私がいくつかの商品を手にとって比較し、どれを買おうか悩んでいる時に次の客が同じ棚に来ると
「図々しい奴だ、前の人が選び終わるまで待ってろ」と
以前は自分の都合に合わせてふたつの信念を使い分けていることに気づいてさえいなかった
mayoibito さんが言う矛盾には、こういうことも含まれるのでしょうか
547 :
473♯mayoibito :2012/02/12(日) 00:17:30.00 ID:vsTr+sIq
>>546 私が言っていた矛盾は、普通の意味での調整は不可能な次元の異なる3つの基準を
内部にもつ3脳生物の不可避の苦悩のことです。
それについては実際にそれを理解し始めるまで何の意見も持たないでいることだけが正解です。
質問ありがとうございます。
自分自身に関心がある人間は自分を助けられますし、そういった方に協力する過程で私は私自身の成長にもつながります。
良心というものがあります。
自分の複数の感情を意識する機能です。
またそれができれば他者の感情を類推することも可能になってくるでしょう。
自分が商品を選んでいるときは、自分はささやかに商品を選んでいるだけで何の悪気もありません。
でも逆の立場になると、並ぶ側の都合しか見えなくなってしまいます。
他の人ももささやかに商品を選んでいるだけでその時はあなたの迷惑には鈍感で、
かつ、自分が並んでいる側になるとあなたのささやかな幸せには目もくれず怒りが爆発します。
こういった些細な例ではしつけが感情を制御しえますが、社会の利害構造全体に目を向ければ、誰もがそうなのです。
良心が働かない限り誰もがそうであり必然としての相互の対立があります。
自分だけでもこの機械的な反応から抜け出せば、習慣的にはともかく感情的に自己中心的であるをざえない人間達の中で、
うまく立ち回れるようになる可能性もあります。
これは自己保存のセンターが知性センターのもつルールをのっとることから起きますし、
苦しみたくないゆえに絶えず自分が正しいと感じたいゆえの緩衝器の働きからも起きます。
548 :
473 :2012/02/12(日) 09:25:29.59 ID:I80arDaA
>>530 >473さんにはおそらく指導者がいて、どれが何番かはどうでもいいことかもしれないけど
一人で取り組む者にとっては自分が今どの地点にいるかの確認は大切なんです。
恐怖も全力で取り組めなかった理由の一つです。混乱はない方がいいんです。ご了承を。
なるほど。あなたは自分について多くのことを語ってくれました。
まず私に指導者はいません。各センターの成長のための人生の師としてすべての年長の人たちがいますが、
ワークにおいての指導者がいたことはありません。
なぜあなたが、おそらく指導者がいるだろうと思うかというと、
何か依存できる理論、もしくは組織や師がいないということが想像もできないような依存性があるからです。
わたしやあなたについての事実ではなく、理論的な整合性にばかり関心を持つのは理論によって事実から逃避しようとしているからでしょう。
結晶化した自我を持つ人は油断すれば欲望に囚われもしますが、アイデンティティの問題はなく、
師や教えを探し求めるという切羽詰まった欲求はもうありません。
彼らは事実を自分の言葉で表現し始めます。信条ではなく事実を問題にするがゆえになにが何番かにはこだわりません。
549 :
473 :2012/02/12(日) 09:26:09.33 ID:I80arDaA
>>530 混乱はない方がいい?
いやいや私は誰もが混乱できるように手助けしているのですよ。
私たちの事実である自身の混乱と直面しなければ成長はあり得ません。
混乱と直面せず理論に安心を求めた結果、あなたは強く求めたとおりの夢を見るように
自分を条件づけることができました。
そういう人の話はOSHOの講和によく出てきますね。
ずっとクリシュナのビジョンを見続ける人の話など。
ベルゼバブ
「人は苦しみたくないという奇妙な欲求ゆえに自分の教えの犠牲者を必ず一人必要とする」
この苦しみ、はそのまま混乱と入れ替えても同じことを示していませんか。
しかし、あなたの意志の強さは貴重なものです。
(事実と見まがうほどの夢を見るのは強い意志が必要であり自分もよく見ました)
ひとは持っているものだけを捨てることができるのですから、もっているのは貴重なことであり、それを見る時です。今。
550 :
473 :2012/02/12(日) 09:39:29.38 ID:I80arDaA
「真理は嘘の形をとってしか伝えられない」グルジェフ 露骨な真実や事実についての描写は人の知性を刺激し夢を助長するだけで理解をもたらすことはできません。 誠実であろうとすることは、正直であろうとすることは、ほとんど不可能なことであるとグルジェフは言います。 それは誠実であろうとする虚偽の人格の努力ではなく、運よく死んでいないもしくは再発見された良心の働きによるものです。 「奇跡の探求は私の話をそのまま記録してあるが、ベルゼバブを読み込んだ後でなら読んでいい」グルジェフ ベルゼバブはメタファーでしか伝えず、人格を混乱させるという目的に終始しているのでこれをもとに夢を助長するのは困難です。 これとともにワークし、奇跡の探求にある内容を本質が知性に先んじて理解してから、ようやく奇跡の探求を読めばよろしいということかもしれません。
551 :
473 :2012/02/12(日) 09:40:02.34 ID:I80arDaA
しかし、難解なベルゼバブを個人で利用することはほとんど不可能かと思いますので、 グルジェフの失敗を受けて引き継いだOSHOの講和があるのみです。 注意深く読んでゆけば、OSHOは今うまくあなたを「騙して」くれ、そしてしかるべき時にそれは嘘だったのだと教えてくれるでしょう。 あらゆるタイプに必要な方便があり、またそのあらゆる方便を別の講和で否定します。 それも他の道があるという意味ではなくそれは実は虚偽だったという、乗り終えた船を捨てなさいというニュアンスで。 また、知性に直接訴えず、「読んでいる人が気づかないところで」肝心の本質に働きかけるようなお話も多く、 その功徳はまさに計り知れません。(それはあらゆる教典がそうなのですが知的な誤解を防ぐ工夫が現代人向けにしてあるのはOSHOだけです。) だから私が深い眠りにあればもちろんのこと、たとえ目覚めとともに事実を語っていても全く役に立たないどころか有害です。 私の話した内容を理解している人にとっては何らかの有効な活用法があり問題提起になっているかもしれませんが、 それに知的に賛成などしたら夢の世界に赴いてしまいます。 事実かもしれないが全く役に立たないことばかり書いてきましたのでそれを警告しておきます。 超努力についてはダイナミック瞑想はそれを引き継いだ技法です。 自己想起についてもそれは試みるにはあまりに複雑でほとんどの場合エゴによる想起にしかなりません。 グルジェフの弟子で第6番7番は確認されていないという事実に気を付けたほうがいいといわれます。 まず一次元的な気づきをゆっくりと生に浸透させてゆけば、しかるべき頃合いに自然と自己想起に向かうでしょう。 では夢を犠牲にしたい人の前途を祝って。
552 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/12(日) 10:31:22.06 ID:vsTr+sIq
奇跡の探求ではなく奇跡を求めてでした。 奇跡の探求というOSHOの本も露骨な本という意味で非常に似てるので不思議と文意は変わらないのですが。
553 :
543 :2012/02/12(日) 13:38:32.04 ID:2WMcayeW
926 :473♯mayoibito:2012/02/10(金) 23:12:57.74 ID:0IpUxJ3P
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1239364088/ ここの161が私です。
そうだったんですか・・・。
ということは、
>>169 もそうですよね?
>親、指導者への依存、怒り、それから来る不自然な食欲、性欲
>生死への恐れ。お金への恐れ。(表面的な欲望にどれだけの隠された欲があることか)
>自分の場合食欲は、親との不和から来ていましたが、その当時の自分にその洞察は不可能でした。
>こういったものでまさにばらばらになっている我々が、自己想起に一日中
>努めて己の精神の全容をはっきりさせようとしても気が狂うというか、
>前記の客のどれかが主人になって自己想起を忘れてしまうでしょう。
>「自己想起だけ」ができるところまで、自分の表面的な欲望、本質ではない客を片づけ、
>いくらか結晶化しておく必要があります。
>まず、組織、方法、方便によって自分の知らなかった客に気付き、そして客を減らすことです。
自分の場合は、家族である親(既に他界)兄弟を愛せなかったので、
それが「罪悪感」という客となって居座っています。他にも大物が何人か居ますが。w
どんな客が居るのか把握して、そこそこベッタリじゃなくても、
なかなかおひきとり願うことができない。まだシオドキじゃないってことなんだろうか。
お客さんを減らす具体的な方法があれば知りたいです。
554 :
473 :2012/02/12(日) 14:48:40.31 ID:I80arDaA
161の内容は今見ても特に問題ないのでお勧めしましたが、169の内容はおかしい所が散見されます。 結晶化以前に客を減らすことは基本的にできません。 通常のワークや生活でできることはなんとか客同士のバランスを取って、破滅的でない緩衝器に移行することだけです。 (外的考慮というワーク)客はいなくなりませんがエネルギーの配分を変えることはできます。 それによって表面上は落ち着いたオビバチェリになり、ワークに必要な平静さと時間が確保できます。 余り平静だとやる動機がないし、混乱が過ぎると集中できないので難しいですが、 ワークにおいて超努力によってエネルギーが一点に集中すれば、それが消えた時トータルなな精神の空白が生まれ真理を受け入れるギャップができます。 それを一瞬でも経験すれば(経験すらしなければすべてが終わるのですが)自我の結晶化が起きます。 そしてその経験を忘れることができれば、認識を超えたところで客は一人ひとり減ってゆくでしょう。 私は知性感情タイプ特有の非常に特殊な例ですね。 基本的に子供のまま自己にうんざりし、またマスターの直弟子達も見抜いた資質のもとに(見抜かれてたと今ではわかりますが彼ら自身には指導能力はなかった) 無理やりに一点突破でワークを押し進めました。というより先にワークをやり終えなければ世間を受け付けたくなかったのでしょう。 その後23年かけて家族への反発が家族への愛情に変わってゆきました。 人それぞれですが、私は特殊すぎであり、上記のものは比較的一般的に通じるテンプレートです。
555 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/12(日) 14:59:36.79 ID:vsTr+sIq
基本的に緩衝器は必要です。 自己保存をもくろむのが仕事のセンターと与え分かち死すら甘美に受け入れる良心との間に、どのような調整がありうるだろうか。 良心を眠らせ、緩衝器によって自分は道徳的な人間だと思いつつちゃっかり自己保存のために状況をコントロールするという選択を取らざるをえない。
ラジニーシは胡散臭い
557 :
553 :2012/02/12(日) 16:36:04.89 ID:2WMcayeW
>>554 ありがとうございます。
>結晶化以前に客を減らすことは基本的にできません。
やはりそうでしたか・・・
苦痛であれ喜びであれ、それらとの同化があるのであれば、
お客さんはいなくならないのでしょうね。
というか、同化がなくなればお客さんの相手をする必要もなくなるということか。
自分はアジズなんかも読んでみたが、
アジズは「気づき」や「注意力」そのものを「自己」と言ってるように思う。
気づきが気づき自身に気づいてる状態、注意が注意自身に気づいている状態、
これを維持せよと言う。
けど、気づきや注意力そのものを認識するなんてできない(自分には)。
対象を追う気づきや注意力をさらに追う。
なにか不毛な追いかけっこをしているようだ。
558 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/12(日) 17:21:24.32 ID:vsTr+sIq
いくらかの補足はできますし、自分の中途半端な言葉の訂正もできますが、言葉にしない方がよいかと思います。 その方向性であれば文意を受け取ってもらえたことと思います。 自己想起の試みは危険が伴います。 マスターの元で行うことが前提の技法でしょう。 気づきだけで危険性なく我々を全的に整えてくれるでしょう。
559 :
ixtlan :2012/02/12(日) 18:41:18.08 ID:7AAZ6xKV
>>556 >ラジニーシは胡散臭い
ラジニーシは基本的に怠惰なんじゃないかな。彼はハイデガーをまともに読んだとは思えないが、ハイデガーがどうのという。
カスタネダもその中心概念の問題を処理できずに、天才とか持ち上げてしまう。
しかし、『反逆のスピリット』 のラジニーシは好きですよ。スピリチュアリズムはなんだかんだいっても、政治的には保守的になってしまうが、彼の反逆の精神だけは評価したい。
560 :
ixtlan :2012/02/12(日) 18:51:15.23 ID:7AAZ6xKV
>>540 >>537 > 構造よりももともと自分が取り組んできた自己想起の方法を公開するためにこのスレに書きました。グルジェフの思想に造詣がある方々にならなにがしかの益になるかもしれないと思って。
貴方がお書きになったことはとても面白いと思います。このような形と平行して、どこかに、まとまったものを書いておくのがいいのではないかと思います。
私はヤフー掲示板で禅の見性者とずっと話してますが、その人物と対談してほしいとも思います。
グルジェフ・ワークがヴィパッサナに等しい、ということは可能性として禅とも等しいということがありえましょう。
多くの人は、原始仏教および部派仏教および現在のテーラワーダはアドヴァイタではないと言い張るでしょうけど、実際にブッダの修行をやってる連中がどういうわけか、アドヴァイタを体験してしまうというのが面白いところです。
561 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/12(日) 19:56:19.21 ID:jVIjxCa5
>>560 VISION QUEST拝見しました〜♪カスタネダに造詣がお深いんですね。
カスタネダという名前は聞いたことあるんですが全く知らないです^^;
仏教や禅も何も知らないに等しいですし、仏教用語でてきたらなんか難しいこといってる〜
ってなりますし対談とかおこがましいです。グルジェフ思想を理解してる風にいうのもおこがましいです。
自分の経験からの解釈は読んでる人が判断すればいいことだからガンガン言いますけどw
473さんは博識で義理堅くこちらの質問に答えてくださったし
ご自分でそういう判断を下されたんだから何を言われても全く問題ありません。
自分は聞きたいことをスルーしてワークに支障がでるかもしれないところだけ答えました。
それは473さんが望んでいた答えではないし、こいつ何も分ってねぇと思うのは当然のことでしょうし。
その点は申し訳なく思いますが学んできて自分なりの体系がある人と言い争っても
しょうがないしお互い時間の無駄です。ハナから嘘つき扱いされてましたし。
それは匿名掲示板の限界でクリシュナムルティの誰も知らないような言葉をコピペして自分の悟境
だといえばその人はある意味でクリシュナムルティです。確かめるすべはない。
だから自分が書いてきた中で意義があるのは自己想起に関する部分だけです。
もし実践した人がみれば、おっ、と思う部分があるはずです。取り組んだ者にしか分からない示唆が隠されています。
質問してくださった方には嘘偽りなく答えてますが確かめるすべがないんだから5番がどうとかも信じる必要は全くないです。
重要なのは自己想起だけです。取り組んだ者にしかでてこない問いがありそれに答えられれば最高です。
それ以外は雑談です。でも2chって雑談するとこだしそれが面白かったりするんだけど^^
562 :
ixtlan :2012/02/12(日) 20:25:45.47 ID:7AAZ6xKV
>>561 私はグルジェフ系の話をすっかり忘れてまして、お聞きしたいのですが、貴方がおっしゃる客観と主観への同時的注意というのは、もしかしてダブルアテンションと呼ばれているものでしょうか。
もしそうだとすると、それはどこに指摘されてますか?
563 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/12(日) 20:34:48.52 ID:jVIjxCa5
>>562 『グルジェフ・弟子たちに語る』っていう著作に書かれていて
同時じゃないといけないんだってハッとしました。ページ数はすぐにはちょっと^^;
ダブルアテンションとは書いてなかったと思うんですが。。。
564 :
ixtlan :2012/02/12(日) 20:43:35.47 ID:7AAZ6xKV
565 :
ixtlan :2012/02/12(日) 21:03:41.44 ID:7AAZ6xKV
>>563 もう一個質問なんですが、我々は日常生活では対象を意識するということをほとんどしないと思います。たとえば、目の前のディスプレイを単にみて、これを客観として意識することはほとんどないのではないですか。
それに対して、思い出とか、推測とか、想像の中で、いろいろ後悔したり、不安になったり、恐れたりすることが多いと思うのですよ。
こういう事態にたいして、主観と客観の双方に気を配るというのはどういうことなんでしょう。その不安がってる事態を客観として、それに対して主観としの自己意識をいわば分離するということでしょうか。
566 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/12(日) 21:36:43.88 ID:jVIjxCa5
>>565 自分は知られるものと知る者という表現を使いました。
知られるもの(ディスプレイ)、知る者(自分の心)です。
心は推測とか想像とか妄想とかしながらディスプレイをみています。
この心の動きとディスプレイ両方に気づいていることです。
この心とディスプレイ両方同時に気づいているのは何者なのか。
自己想起はこれを見出すものなんです。
それは決して対象として知ることはできないから体験として知るしかないし
言葉で伝えることができないんです。
この自己想起を強烈にやっていくとピキーンっていう瞬間がきます。
ただ意識している状態が現れるんです。その時がこの気づいているものを知る時です。
だから自己想起の方法は公開するけど哲学的な議論はしたくないんです。
ちょっと質問の答えとしてはズレちゃってますかね^^;
473 ◆xIpfQokPjM 473♯mayoibito 473 名前欄にこの三種類の名前があるんだけど、同一人物? 統一してくれないとわけ分からない
568 :
ixtlan :2012/02/13(月) 22:07:21.83 ID:aMYTcOYZ
>>566 >知られるもの(ディスプレイ)、知る者(自分の心)です。
>心は推測とか想像とか妄想とかしながらディスプレイをみています。
>この心の動きとディスプレイ両方に気づいていることです。
>この心とディスプレイ両方同時に気づいているのは何者なのか。
>自己想起はこれを見出すものなんです。
ということは、主観側のものは、主観そのものというよりは、主観の心的作用というかな、恐れとか不安とか、期待とか、欲望とか。
でも、ふつうは、そのような心的な内容によって心は一杯になるのであって、目の前のディスプレイなど見てないのでは?
つまり未来についておそれているようなときの、「知られるもの」って何?
569 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/14(火) 00:01:09.21 ID:8TGZebdh
>>568 この場合対象として意識されてないのであればディスプレイは関係なくなります。
意識はテレビを見てるようにおそれている自分にだけ一方向に向かいます。
もし意識がなかったら何も記憶に残らず知ることができませんよね?つまり、意識する=知る事です。
この場合
ディスプレイ←意識→自分の心 (→の部分には知る事が入ります)
となるべきなのが
意識→おそれている自分
になっています。
ので知られるものはおそれている自分です。知る者が知られるものになっててややこしいですが。
知る者が知られるものになるには知る者を「知る者」が必要でそれが意識なんです。
自己想起はこの「知る者」を知るための技法です。なんかややこしいぞ^^;
知る事については触れてなかったです。鋭い質問ですね。
意識は気づきと言い換えても可です。
◆z/7s9aC7ekさん テレビを見る例が出てますが、自己想起すると、テレビを見るというか、映像がこちらに 向かってくるような受動的な感じになりますよね 自分は止まっていて、映像がこちらに入ってくるような 見てるけれども、目に勝手に映って見てるような、そういう感じですか? 例えば読書をする場合などはどうなのですか? テレビは見ようと意識しなくても映像は流れるしこちらに向かって来やすいですが、 読書などはもう少し能動的に意識して読まないといけない気がするのですが 読書なども、テレビと同じように、本と読んでる自分に同じように気づいてられますか? その場合どういう感じで読んでいるのでしょうか? 普通の人が読むように読んでいて、それプラス自分に気づいてる感じですか? それとも、速読の人たちが言うように、本の内容が向こうから来る感じでしょうか 速読の人の話を聞くと、部分的に自己想起の状態と似てるなと思ってたもので また、例えば内容が難しい本などは、理解しようと能動的になり、 本の内容側に向かってしまいがちですが、 そのとき自己想起の状態ではどういうふうに読んでいるのでしょうか? 内容に関わらず、全く同じように、本と自己に気づいてられるようになるのでしょうか?
571 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/14(火) 01:43:39.53 ID:5q2CZGcT
>>570 今まではテレビに意識が向かっていくばっかりだったので最初は受動的に感じるかもしれませんね^^
でも続けていくとバランスがとれてきます。そのバランスがど真ん中にきた時にはすごいことが起こりますよ
読書の時もパソコンの画面見てるのと同じ感じです。
最初のうちは思考がはじまれば同化しちゃいますから読書は難しいかもしれません。
まず自分を想起する、読む、いつの間にか無意識に読んでると気づいたらまた想起
を繰り返すしかありません。想起しなくても気づいていられるようになるまでは努力あるのみです。
速読は自分はできないです。普通に読んでますよ。
>>571 なるほどありがとうございます
ちなみに、読書してるときは思考がありますよね
内容を理解する思考が
思考が止まって本の内容が入ってくるということではなく、
本を理解する思考を、その思考と同化せずに、思考できるようになるということでいいのでしょうか?
573 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/14(火) 02:00:31.97 ID:5q2CZGcT
>>570 最初から複雑なことはせずにもうやりなれていまや無意識にやっているようなことに
意識を持ち込む方が慣れが早いと思いまっす。
574 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/14(火) 02:08:31.44 ID:5q2CZGcT
>>572 思考があるときには同化、ないときには観照という感じになります。
最終的に思考と同化せずに思考できるようになりますがそのためには一度
完全に思考が停止した状態を経験しなければいけません。
自己想起の努力はその状態に至る為のものです。
それが起こればもう努力はいりません。
同化がなくなり常に意識している状態になります。
>>574 >それが起こればもう努力はいりません。
それが結晶化ということでしょうか?
そうなるともう元の以前の状態には戻らないのでしょうか?
元に戻るということはそこまで至ってないということですよね
>同化がなくなり常に意識している状態になります。
自己想起していると、体である自分が勝手に動いていて、
意識の自分はそれを見ているだけのような感じになります
自分だけれど他人を見ているような
それが徹底されていくことで、
「同化がなくなり常に意識している状態」になるということでよろしいのでしょうか?
576 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/14(火) 02:34:06.16 ID:5q2CZGcT
>>575 それが結晶化です。元に戻らないといわれていますし自分は戻ってませんよ。
>元に戻るということはそこまで至ってないということですよね
自己想起って想起というたえまない炎で意識という水を沸点まで
達せさせるようにする努力です。あんまりいい例えじゃないかもしれませんが^^;
たとえ99度までいっても元に戻ることはありえます。そして冷める時ははやいですよ〜
ちょっと想起をやめたらどんどん同化や無意識が復活してくる。だから全力で取り組むことを強調します。
ここは有能な人々がいる。 すばらしい・・・・・・・・・・。
578 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/14(火) 02:40:03.77 ID:5q2CZGcT
>>575 >自己想起していると、体である自分が勝手に動いていて、
意識の自分はそれを見ているだけのような感じになります(以下略
それでよろしいです。同化というのは無意識の産物です。
意識的になることでなくなっていきます。自分はそれとは別だと気づいていきます。
彼はイセリア・クイーンよりも強いのかな!?♪。
>>576 >>578 なるほど、疑問になっていたことがわかった気がします
より真面目に取り組めそうですがんばります
詳しくお答えいただきありがとうございました
581 :
557 :2012/02/14(火) 10:30:35.75 ID:fc7gjq6r
582 :
473 :2012/02/14(火) 14:51:15.40 ID:14+GMlV4
クリシュナムルティーは過去が全面的に死ぬことによって新生があると説き、 グルジェフも一度死ななければ目覚めることはできないと説きます。 グルジェフの体系や技法は、その全面的な死の必要性と受容の準備をするものです。 彼が提唱した体系やワークは強烈な意志を使うものが多いので、緩衝器を強め自己を破壊し苦痛を感じなくなるようにする ような落とし穴にはまる可能性が高いのです。 何かを得ようとする努力は幻想に帰結します。それを指摘できるマスターがいればいいがそうでないならくつろぎの技法の方が危険性が少ない。 もしくは、完全に自分に幻滅しており、誰かに自分を完全にゆだねる勇気がありそれを実際に発揮した後でなければ、 超努力は黒魔術的結果に終わるといういい方もできます。 スタートが間違っていれば、ゴールも間違いにきまっているのです。
583 :
473 :2012/02/14(火) 14:55:15.43 ID:14+GMlV4
無努力でもたらされるものも偽りである危険は大きいです。 自分が一個の生き物であるという認識の大前提はいちいち思考とは認知されない。 不随意の深い無意識が作る夢である。 努力によって都合のいい無意識の不随意の夢に無意識を支配させることはできる。 それは満足と安楽をもたらすが、人間の可能性からの転落を意味する。 シッダールダという本を和尚は紹介していました。 そこには瞑想の極致が出発であり、その後あるがままの自分の無意識、あるがままの欲望を生き抜いて自己を余すところなく知る生があります。 意識、覚醒の頂点と自己認識による自己の死はまた別のものです。 抑圧せず自分の実際に向かう勇気は、、。 私も道の途上であり、鈍感さにあこがれ自己を破壊する欲望もまたあります。 だが、彼らへの愛が正しい道筋を指し示してくれます。(それに従う勇気にかけているのが悲しいですが。) 愛がなければ形しか見えず肝心なものを取り逃がすでしょう。
584 :
473 :2012/02/14(火) 18:01:25.31 ID:14+GMlV4
グルジェフはキリスト教の条件づけがある土台の上にその反対物として意思を強調する必要があったのかもしれません。 あの時代人間の意志は認められていませんでした。 oshoが明け渡し、受容性、女性性をより強調したのは、現代人の自我がのキリスト教的束縛が薄まっており、 より発達していることを受けてなのかもしれません。 彼はスクールもマスターも無くても道からそれないように気を使っています。 グルジェフの失敗を受けて。 つぎは誰かがOSHOの失敗を受けてまた役に立つ嘘が紡ぐのか楽しみではあります。
585 :
神も仏も名無しさん :2012/02/14(火) 19:48:33.44 ID:WhuJ0QZ4
精神世界でグルジェフの後継って誰なの? ベルゼバブなど著作を読んだけど、次に何を読めばいいのか? あと、自己想起って仏教的なような気がする。
586 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/14(火) 21:08:48.39 ID:14+GMlV4
人が誰かを責めている場合、自分も同じような人間であることが殆どのようです。 私はつまるところ人間の欲望を刺激する印象を与える一連の書き込みで普段抑圧している欲望が刺激されかき乱されました。 しかし、そのかき乱した当人を暴いたところで畢竟問題は自分のその欲望。 人は良く似ている。前面に出る欲望に際はあれど、欲望の総計にそうそう違いはない。
587 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/14(火) 23:34:21.44 ID:5q2CZGcT
>>581 知る者知る者ややこしいですよね^^;
区別したら 心=記憶や知識として知る者 意識=ただ知る者 って感じですかね。
ダグラス・ハーディングさん知りませんでした。いろんな方法があるんですね。
>それ とは、まさに 「知るコト」「見るコト」そのもの。
分かってるぅ〜(ゝω・)
>>584 一般人のあなたに「グルジェフの失敗」とか「OSHOの失敗」と言う資格は
ないのでは?
OSHOはともかくグルジェフは5人の開祖と同格の預言者だろうから、人間第1番
〜3番がとやかく言うのは汚聖を働いたことになり、あなたのカルマに悪影響を
及ぼすことになるだろう。
金剛般若経を思い出して欲しい。
比較してばかり 物理的な比較ではなく、自分というフィルターを通した観念上の比較 どっちがどっちに対してどうだこうだ 自分はどうだ、誰々はこうだ
590 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/15(水) 17:11:19.63 ID:IpxHEesi
ふとウスペンスキーのことを思い出しました。 人間に可能な心理の進化学で第5番による第5番への道筋を美しく説いていました。 彼は奇跡を求めての後半でグルジェフに僧院の道を勧められて当惑しているという記述をしています。 グルジェフがもたらそうとしていたのは人間の調和的発展であり、それはウスペンスキーが望んだものより ずっと複雑なものでした。 オルガドハートマンがワークの知識も自己修練もなしに指導者を任命されてとまどったと伝記にありましたが、 御者の修練がなくとも、決して将来邪道に落ちないであろう良心のきらめきがあればそれこそが貴重なものだったのです。 オルガであり、かつウスペンスキーであることが、つまり帰依と強烈な意志が同居することが求められています。 それは不可能なことなのではないでしょうか。
591 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/15(水) 17:18:49.98 ID:IpxHEesi
グルジェフは、自分の教えの一部分だけを取ったさまざまな種類の奇形児が 世界中に発生していると言っていました。 それがグルジェフの失敗です。 別に自己想起だけが大切なのではなく、また人間第5番に何が何でもなることが大切なのではありません。 次につながる調和のとれた5番なのか、もはや修正不能な偏った5番なのか、そこが大切なのです。 3センターで教えを理解することは、ウスペンスキーの部分とオルガドハートマンの部分両方で教えを理解するのは 非常に困難です。 それこそ師がいるか、過去生の蓄積?があるか、それとも偏らず3センター全てでベルゼバブから印象を受け取っているかないと、 この困難かつ不可能な道を志す人はいません。 それにしてもOSHOの方が道を外さない可能性は高い。
592 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/15(水) 17:42:19.10 ID:IpxHEesi
自分は機械だったことを理解したと得意がっているのは、より複雑で深いところにある機械です。 機械を理解していると言い出す超機械が生まれるのではなく、本当に自分の全体が機械であることの理解があったときは 深い悔恨からくる自然な謙虚さが生まれていることでしょう。 人間1−3番は機械性の全容は理解できませんが、自分の中の個々の機械性は認識できます。 人間第4番に特に意識のレベルの差はグルジェフは示唆してなかったと思います。 より夢見を現実と勘違いする可能性が増えるという小さな違いはありますが、。 5番はCSノットやウスペンスキーの進化の心理学で彼らの姿を見ることができます。 5番は平凡な人から非凡な人まであらゆる形があり得ます。 あらゆる形の致命的な形の不調和と堕落があり得ます。 7番までの道のりという文脈では、自己を失うことの必要性と可能性を3センターで学んでゆく過程にあるのが5番です。
473さんはOSHOのことを高く評価しているようですが、サニヤシンなんでしょうか?
594 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/16(木) 11:03:43.17 ID:B98I2rT6
サニヤシンではないのですが、OSHOグループには非常に深くコミットしていました。 一通りの瞑想法やグループは体験しています。そうでないのに勧めるというのは不誠実です。 そこでやったことそこで得たことは得ることというのは今となっては意味のないものですが、 それは流れゆくものです。 過去の自分と必要だった技法とグループ。懐かしさと感謝があります。 あらゆる聖典には読み方というものがあり、その読み方を独学で学ぶことは不可能です。 不可能というのは誰もがアンバランスな3センターを持っているので、努力が裏目に出るからです。 つかみどころのないoshoでバランスを取ってゆき、「私の愛した本168」の中で自分の中から不思議な響きを 呼び覚ますようなものに導かれてゆくのが良いかと思います。(もちろんその中にグルジェフウスペンスキーもあります) )
595 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/16(木) 11:18:33.23 ID:B98I2rT6
oshoは今その人のバランスを取るのに必要なものを渡してくれる仲介者のように感じています。 私は特に特定の覚者を愛しているということはありません。 ただ、覚者たちの言葉の感じにその生き方に胸が高鳴ります。 全ての覚者と我々のハートをつなぐ偉大な仲介者としてOSHOはあります。 奇跡を求めてはグルジェフのメッセージの一部であり、一部というは全体の文脈を欠いて危険です。 もしワークをするならベルゼバブです。(無理でしょう?) 段階的な方便と全体的な文脈あってこそのマスターの本であり、その構成が偏っていてはその印象も偏らざるを得ないでしょう。 oshoは現代人のすべてのタイプの、すべての段階の人のために話しているのでその量が膨大になります。 グルジェフの講和はバリエーションはそこまで多様ではありません。(単に日本語訳の物が少ないだけかもしれません)
596 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/16(木) 11:23:04.94 ID:B98I2rT6
マスターは弟子のバランスを取ろうとします、反して我々はその極端さを増大する傾向にあります。 oshoを高く評価というより、我々の我々自身によっては決して知りようのない極端さゆえに、osho以外はより危険だということです。 グルジェフはスクールマスターなしで進めるようにそもそもできていない感があります。(そもそもそう明言しています) 後発のOSHOのほうがそれを修正できるというのは自明ですし、OSHOしか戦後の現代人を知りません。 言葉というのは相対的なものです。相手あってのものです。 わたしそっくりあなたそっくりの人のために語られている言葉を探すなら、 現代であらゆるタイプと段階の人に向けて語られたところから探すのがよいでしょう。 知っている人から習うしかないと明言されている体系をもとに進むのはどうにも危ないように思いませんか。 もう私たちの弱点をついて、徹底的にからかってくれるあの人はいないのですから。
私たちが現在用いている様々な有用な概念は誰によってもたらされたんだろう? 7分類、自己想起、複数の体、三つ組の原理、三種類の食物、月の特殊性、等々。
598 :
ixtlan :2012/02/19(日) 01:23:57.45 ID:fUP6gEoT
>>596 なんかラジニーシをカリスマにしているのではないかな。
ラジニーシについては三つの疑問があります。
1.「和尚」という敬称は、禅の認可システムで使われるので、誰から法灯を嗣いだという証明がいると聞きました。
ラジニーシは勝手に和尚と名乗っているだけでしょう。だから当てにならならい。
2.禅の見性者にいわせるとラジニーシは悟ってない。
この話は、アドヴァイタの認識に関わってくる。彼はアドヴァイタ体験が果たしてあるのだろうか。
禅の見性がアドヴァイタであるという派閥から見ると、ラジニーシは中途半端ということになる。
3.これは私の疑問ですが、ラジニーシはまともに思想にとりついた気配がない。
思想は簡単にとりつける代物ではなく、ハイデガーを読むなど普通ではできませんが、そのあたり、適当読みをやってる感じなのがラジニーシ。
しかし、ムクタナンダやサイババのこきおろしなど、痛快なものもありますが。
599 :
ixtlan :2012/02/19(日) 01:28:47.44 ID:fUP6gEoT
>>595 グルジェフもカリスマにしているのではないかな。
あの『注目すべき人々の出会い』というものは、彼の労働環境がどういうものであったかを語ってますね。
つまり、農工、放牧、そしてマニファクチュアの世界です。
とてもではないけど、現代日本人が感性を共有できる世界ではない。
そういう世界でグルジェフは、自分はうまくやってきたと自負し、また観念的宗教に逃避している人間よりも、そういう経済社会で成功する人間の方を高く評価します。
しかし、現代は、もうそんな対立など無意味な世界でしょう。下層では文字通り、命をすり減らして、しかもその日の生活がやっとという暮らしです。そういう人間にとってはグルジェフはほとんど意味がない。
万人向けの秘密の記号システムだとか、画像思考だとか、そんな秘技伝授はもうアナクロじゃないかな。
600 :
ixtlan :2012/02/19(日) 01:38:47.49 ID:fUP6gEoT
>>596 >グルジェフはスクールマスターなしで進めるようにそもそもできていない感があります。(そもそもそう明言しています)
そこらは曖昧です。
というのは、『森羅万象』シリーズは、何も知らない人間に、「言葉で悟らせる」という一大難事を目指していたわけで、グルジェフははりきっていた。
死ぬ危険が3度もあったのに。普通なら療養しなければならないのに、彼はがんばって、聖書を書こうとした。もしもスクールマスターなしなら不可能というならば、そんなものを書いてもしょうがない。
>>600 グルジェフは自身の著作によって何も知らない人間に「言葉で悟らせる」という
一大難事を目指していたわけではないよ。
彼はそもそも書物というものをそんなに重視していなかったし、晩年を費やしたのは
時間切れによる妥協の産物だろうと思う。
著作の目的は西洋文明によってあまりにも混乱してしまった価値観や知識体系を
もう一度多少なりともまともなものに戻そうという試みだろう。
とは言え、あれは万人に向けたものではなく、ごく一部の読み取れる人に対しての
ものだけれども。そのごく一部が他の大勢に影響を与えることを期待したのだろう。
> ixtlan さん 和尚については私も同意です オビヴァチェリに関する説明でグルジェフが伝えたかったことはいくつかありそうですね ■インテリや芸術家はカス ■自分を社会に適応させる能力は第四の道でも必要、よって弟子入りしても社会生活が免除されるわけではない 社会から隠遁するファキール修道僧ヨーギとはその点が異なる 20人の面倒をみることが出来る人でなければワークでも見込みはないと言っていますね ワークで成功することの困難さがうかがえます これは時代や職種を問わないでしょう ■スクールに入らなくてもワークは可能 金儲けをしながら僧院に入ることを夢見ている主人の例があげられていますね スクールに入らなければ夢も希望もない、と言っていた頃からは大きく軌道修正したと言えます ■奇蹟を求めてを通して読むと、 それ以前のグルジェフはスクールの価値や一般人の救いようのなさを実際以上に強調したため、 そのことに関して後に弟子の間でいろんな疑問が生まれ、質問攻めにあって疲れたグルジェフは修正したくなった、 という流れのような気がします いずれにせよこの話をそれほど重視する必要はないでしょう グルジェフの評価に根本的にかかわることではないと思います ベルゼバブを書いた目的は私もよく分かりませんねぇ あれ一冊だけの出版ならすぐ絶版になって忘れ去られただけでしょう 奇蹟を求めて等が時代を越えてグルジェフ信者を生み出し続けているおかげでベルゼバブも生きながらえてるだけです 「大勢に影響を与えるであろう少数の人に向けて書いた」説の方が説得力があります、個人的には
603 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 10:41:10.56 ID:AnrhhGiY
≫しかし、現代は、もうそんな対立など無意味な世界でしょう。下層では文字通り、命をすり減らして、しかもその日の生活がやっとという暮らしです。 そうです。oshoの時代すら、保護貿易の単純労働のバブル経済の時代です。 労働過剰で過剰競争のこの時代に適したビジョンは未だかつて提示されたことはなく、 過去を参考にせず自分自身で編み出してゆかないと逆に混乱します。 ただ、理想を持たず現実を見て、得ようとする欲でなく幸せにあふれ出るエネルギーを出して働いてゆけばいいというOSHOの ビジョンは、細部はあいまいなものの、思考、本能、感情すべてをポジティブに方向づけられている。 ≫ベルゼバブ ? 私はベルゼバブなら一人でできます。大丈夫です。 しかし独学でベルゼブブとワークできる力量のある人は普通いませんよねという意味で書きました。
604 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 10:42:43.57 ID:AnrhhGiY
≫禅 禅の見性者が悟っている保証がありません。 私たちの理解や認識に保証がないのでそれは当たり前のことですが、、。 また認可する側が悟っていないのならもうそれは死んだ伝統であり、目覚めた人が新規に立ち上げる方が道理にかなっているでしょう。 ただそれはoshoが正しく現在の禅が間違っているということではなく、どちらもありうるというだけのことです。 私たちが悟れば、どちらが正しいか、両方とも間違っているか 意見や予想ではなく理解し認識することができます。 その日まで意見は取っておきましょう。
605 :
ixtlan :2012/02/19(日) 13:00:54.95 ID:fUP6gEoT
>>604 ここからまた話が広がるのですが、
問題は悟っているかどうかでは終わらないということです。
見性というようなものは、どこでも体験され、表現されています。
しかしアドヴァイタがなんらインドの差別の悲惨な状況を改善できなかったどころか、そのポジティブさによって、社会批判は陰をひそめ、体制に従順な精神しか再生産してこなかった。
ここにもう一つの問題が、つまり禅と倫理という問題が現れます。そして、禅者と呼ばれるひとたちは、ほぼ例外なくこの倫理というものを超越した顔をします。
例を挙げればきりがないですが、超有名な鈴木大拙は、ゴリゴリの反左翼でした。そのため、共産主義を敵視するアメリカに万歳してました。
どういうわけか、この世代より前の禅の有名人は、朝比奈宗源にしても、さらに前の原田祖岳、飯田トウインなど、みな天皇制主義者たちでした。
もし悟りに絶対級の信頼がおかれると、これらの反左翼や天皇制主義も絶対の真理となるでしょう。
>>605 悟りと思想は関係ないよ。。
悟っているかどうかと、正しい思想が持てるかどうかは別。。
あるいは、思想の有る無しとは別と言えばいいか。。
607 :
ろん :2012/02/19(日) 16:09:01.04 ID:4LZ8mHwr
コテ忘れた。。 とにかく自分自身が曽於に言ってみずに、あーだこーだ評論家やってても正しいことがわからない。。 正しいことがわからない評論って何だってこともある。。 僕にはむしろアドヴィタの覚者が社会を改善しようなどとしないことはあたりまえに思える。。 常識的に考えるとわからないところかもだな。。 むしろガンジーみたいな俗人じゃないと、社会を変えられないのかもしれない。。
608 :
ろん :2012/02/19(日) 16:09:40.33 ID:4LZ8mHwr
×曽於に言ってみずに、 ○そこに行ってみずに、
609 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 18:14:23.03 ID:AnrhhGiY
社会の影響をあまり受けず自力でまっとうな相互補助の社会思想を編み出せる人はいる。 貴重な存在であり、そういう人が多ければ多いほど民主化とwinwinゲームは増える。 しかし、それは宗教のタームではない。 あなたに、自分自身に問いかけたいのは、 その見識や発想が私あなたの個人的な私あなたしか知らないもので、 普通の人々は発想もできないし、想像もできないし、パターンに従うことで心理的安心を得ているので 聞きたくもないのだということを直視したことがあるだろうか。 ということです。自分の政治的な見識や、相互扶助の理想的社会に囚われればそれは自我の檻です。 自由な発想をしつつもその発想にとらわれず、気楽に世の人々と同化して生きる。 と老子はおっしゃいました。
610 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 19:19:42.95 ID:AnrhhGiY
禅の有名人は、朝比奈宗源にしても、さらに前の原田祖岳、飯田トウイン 多分これらは知識人であり、ブッダや達磨と並べるような存在ではありません。 日本人が生きた禅の空気を間接的にでも体験したいなら、 六祖檀経や臨在禄の日本語訳ぐらいしかないかもしれません。 日本だと一休道歌がありますが、つかみづらくお勧めはできません。 これらの人は知識人と違い我々からは測りがたい存在です。 つまり今自分に満足していれば自分に近い知識人を求め、 自分に不足を感じていれば理解不可能なところに打開を求めるでしょう。
611 :
ろん :2012/02/19(日) 19:30:19.29 ID:4LZ8mHwr
>>610 知識人がいて理解不能な人々がいて、さらには祖録を読めば、なにかわかると思っている。。
いや、本読んで考えて、判断して・・どこまでいっても、どこにもたどり着かない。。
まー好きでやってるなら、止めろはいわんけど、どこまでいっても考えしかない。
まともに坐れば、早い人で2,3週間、遅くとも2,3年で成果は出る。
稚戯に均しい、評論家ごっこ卒業できんうちは、何言ってもたわごとに過ぎんですよ。。
612 :
ろん :2012/02/19(日) 19:33:27.85 ID:4LZ8mHwr
なにやらもっともらしいこと言って、自分ひけらかしてるだけ。 みっともないと気付かんのでしょうか? 恥ずかしいと思い至らんうちは、つける薬も無いかもしらんなー。。 薬飲んだことも無く、能書きばっかりで、わかった気になってしまっている。。 なんかおかしくないですか?
まともに坐って出る成果とやらも児戯に等しい可能性はある。 どっちもどっちかと。
614 :
ろん :2012/02/19(日) 20:19:55.60 ID:4LZ8mHwr
肌で感じる如く、全身、全体でわかるのだから、紛いようがない。。 とにかく自分で確かめなければわかるわけない。。
自分の想像を持ってもしょうがないね 仏陀に会ったことなんてないんだし、会ったって仏陀の境地なんてわからない 自分自身が仏陀にならないとね 何かと何かを比較してもしょうがない
616 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 21:19:01.08 ID:AnrhhGiY
>>611-612 多分あなたは散々知ったかぶっても苦しみは消えずそれを指摘されることも多かったので、
611−612のようなロジックで自他を抑圧することを選んだのでしょう。
610の内容は禅の祖師に触れたことがない人へのガイダンスであって私の意見見識ではありませんよ。国語的に。
まずは得ないことには捨て去ることもできません。
あなたにはあなたの正当性を証明するような攻撃対象がどうしても必要なのですよ。だから、私の文から微妙なニュアンスを取るのではなく、
攻撃対象になるようにその部分やそういう読解にのみ関心を持って読み飛ばすことになる。
それが文章の感じにでているでしょう。
617 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 21:31:48.54 ID:AnrhhGiY
610はまた。何かがわかるということではなく、何か導かれるきっかけであり、 自分が何もわかっていないことを知るためのきっかけとしてのお話です。 知識の蓄積を進めるニュアンスにならないように気を付けています。 各トピックスには段階や前提や仮定があります。 それを無視して書き込むのではどんな内容でもそれはただのオウムになってしまいます。 小乗から最上乗までどの次元について話しているか読解してそれに対応しないことには会話になりません。 ≫肌で感じる如く、全身、全体でわかるのだから、紛いようがない。。 ということは相当に座禅や行に打ち込んだとお見受けします。 ただ、結局そういったものも自我の投影する経験なのです。 実際その経験によってより直接的、間接的な自我の主張が強まっているでしょう。 昔からのあなたが弱まるどころかその体験で強化されてしまっています。 誰もが通る道です。
618 :
ろん :2012/02/19(日) 21:37:05.72 ID:4LZ8mHwr
〉〉616 >あなたにはあなたの正当性を証明するような攻撃対象がどうしても必要なのですよ どっからこんな妄想が出てくるのでしょう? それを参究してみたらいかがですか? 普通に読んで、おかしいと思うからおかしいと言う。 普通の行為でしょ。。 どうして〉〉616のような判断になるのか? よくよく省みてください。。 自分の見識見解がないのに、あなたはどうしてガイダンスなどを行うのでしょうか? 見識がない人にガイダンスが可能でしょうか? 言ってることが支離滅裂ではありませんか? よく思い直してみてください。
619 :
ろん :2012/02/19(日) 21:37:57.26 ID:4LZ8mHwr
IMEを更新したら安価がつけられん。。 ≫616 これでいいかな?
620 :
ろん :2012/02/19(日) 21:38:58.15 ID:4LZ8mHwr
美味しい果実には虫がつくものだな。 やれやれ…
622 :
ろん :2012/02/19(日) 21:50:17.66 ID:4LZ8mHwr
>>617 >ということは相当に座禅や行に打ち込んだとお見受けします。
いやー大したことありません。。
>ただ、結局そういったものも自我の投影する経験なのです。
いきなり根拠の全くない断定が下されましたが、
何を根拠にそういう断定ができるのでしょうか?
>実際その経験によってより直接的、間接的な自我の主張が強まっているでしょう。
昔からのあなたが弱まるどころかその体験で強化されてしまっています。
誰もが通る道です。
どこかで僕も聞いたことがあるようなセリフですが、
あなた自身はどのような道を通ってこられたのでしょう?
実際にあなた自身が通られた道でないならば、単なる知識の披瀝に過ぎないですね。。
ご自分の知識を当てはめているだけであるなら、こちらを理解したつもりになって自分を防御する、防衛反応の一種かと思われますがいかがですか?
623 :
ろん :2012/02/19(日) 21:53:12.51 ID:4LZ8mHwr
>>610 >これらの人は知識人と違い我々からは測りがたい存在です。
これがまず勘違いです。。
このように思えるならば、まだ道の端緒にもついていないということ。。
よくよく参究なさってください。
624 :
ixtlan :2012/02/19(日) 21:58:44.26 ID:fUP6gEoT
>>622 ちょっとお聞きしたいのだが。
禅と思想は関係ない、という意見と、
ごちゃごちゃ言わずに坐れ、という意見は同じなのかな?
625 :
ろん :2012/02/19(日) 22:01:21.99 ID:4LZ8mHwr
迷いが晴れたら、明々白々。。 二二んが四というよりも単純なものなんですよ、禅は。。 まーだけど、言葉で説明はできても、それ自体を伝えることはできない。。 だから、最初は誤解されて当たり前。。 お釈迦様はよくまー、辛抱強く説明したなーって思う。。
626 :
ろん :2012/02/19(日) 22:04:21.93 ID:4LZ8mHwr
>>624 同じじゃないですねー、別のものです。。
でも、ごちゃごちゃ言わずに坐れなんて言ってないでしょう、ぼくは。。
ごちゃごちゃ言いながら坐ってもいいわけですよw
現に僕は、2ちゃんねらーやりながら坐ってますから。。
やらないほうがいいのかもって思うときもありますがww
627 :
ixtlan :2012/02/19(日) 22:04:35.76 ID:fUP6gEoT
>>624 ということがどうして疑問かというと、
禅の有名人たち、原田祖岳(曹洞宗の事相派というか)や飯田トウイン、鈴木大拙や
山本玄峰、朝比奈源たちは、みな禅と思想が無関係なんて言ってない。
これらの人たちは実践派だけど、禅が無思想なりとは思ってない。
628 :
ixtlan :2012/02/19(日) 22:07:02.11 ID:fUP6gEoT
>>625 >お釈迦様はよくまー、辛抱強く説明したなーって思う。。
それも疑問だ。釈迦が禅的悟りを得たかどうか。
それならそれらしきことを言うはずだが、禅派が出してくるのは
華厳経しかなかったりする。草木国土悉皆成仏とか。
一体、どこに禅の悟りと同じことを悟ったという証拠があるのだろうか。
629 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 22:08:15.41 ID:AnrhhGiY
祖禄を知らない人に祖禄を勧めて、見比べてみてくださいと言っただけですね。 光明を得てないならそれすらするべきでないという意見もあり得ますが、それだと、 それを言う人がここにいることができないというジレンマがあります。 >どっから あなたに限らないけど、ニュアンスが通じず、ひどい時は文章ではなく特定の単語に反応するから >あなたは よほど自分に興味がなく、自分の実体に触れたくもないんですねえ。そんなに私のことばかり気にされても。 それに私と同等以上の人は私の各種の書き込みから私について実に多くのことが理解可能です。 あえて今更説明する必要が感じられません。 >これがまず勘違いです。。 すごいね。測れるなら君も悟っている。 仏は内側にいるという禅のメッセージもありますが、それは異なる方向性からの表現であり、 別に矛盾はしない。 これがわかってないならこの人は間違っている。 と言えば自分の思い込みを確実に守れる。そういえばそうだった。
630 :
ろん :2012/02/19(日) 22:09:14.22 ID:4LZ8mHwr
>>627 僕はそこに挙がっている人のうち、飯田とう陰師と鈴木大拙しか知りません。
ただ僕の考えでは、悟りと思想は別だと思う。
思想とは、日本とか世界をどう考えるかということでしょう。
色即是空で言ったら、色の世界ですね。。
悟りとは、自己を解決することです。。
ですから、世の中についてどう思うかという話とは別です。
>一体、どこに禅の悟りと同じことを悟ったという証拠があるのだろうか。 僕たちのうえにはようやく遅咲きの桜が咲いていた これか? どうしてくれるんだ?私の親
632 :
ろん :2012/02/19(日) 22:11:55.98 ID:4LZ8mHwr
>>628 自分で悟って確かめてください。。
少なくとも仏法の悟りは一つしかないことがわかると思います。
633 :
ろん :2012/02/19(日) 22:15:52.31 ID:4LZ8mHwr
>>629 「私と同等以上の人は」とかよく言えるなー。。
もう、どんだけー?wwって感じです。。
どんだけ○○なんだろうか?
635 :
ろん :2012/02/19(日) 22:19:05.11 ID:4LZ8mHwr
自分と同等か、それ以上の人は私を理解してくれるけど、同等以下の人間にはそれが不可能で、 否定、批判する人はみんな同等以下なのか。。 わかりやすいね・・どっかのスレの何とか和尚とそっくりだw
636 :
ろん :2012/02/19(日) 22:19:43.25 ID:4LZ8mHwr
637 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 22:20:13.00 ID:AnrhhGiY
どこかで聞いたことのある忠告だというのでしたら、私のことは忘れてそちらの方をお使いください。 体験の固執と自我の肥大についても私などよりうまく語っている方は多いことでしょう。 では私も自分の知識の傲慢と人格の偽善を見つめる機会をいただきましたのでそれを御礼させていただきます。
638 :
ろん :2012/02/19(日) 22:23:14.69 ID:4LZ8mHwr
473を批判する人はみんな自我肥大症で、体験に固執する人にされちまうぞーww みんな473にレスするときは、プライドを傷つけないように気を付けるんだ。。ww
639 :
ixtlan :2012/02/19(日) 22:24:29.39 ID:fUP6gEoT
>>630 >僕はそこに挙がっている人のうち、飯田とう陰師と鈴木大拙しか知りません。
>ただ僕の考えでは、悟りと思想は別だと思う。
じゃあつまり、悟った人間たちの間ですら、
悟りと思想は関係があるのかどうかについて定見はないということですね。
それとも悟りと思想は無関係ということすら、悟りによって真理である
となるのでしょうか?
640 :
ixtlan :2012/02/19(日) 22:30:46.56 ID:fUP6gEoT
>>632 >少なくとも仏法の悟りは一つしかないことがわかると思います。
貴方自身は仏陀言説を全部調べてそう言ってるのでしょうか。
悟ったという人たちの体験談を見てみると、そういうことを仏陀は
どこでも言ってはいません。いや言っているのかも知れないが、
これまでのところ出会ってない。少なくとも相応部や長部にはないと
思う。
で、テーラヴァーダの比丘ボディは、「最近仏教の悟りをアドヴァイタと
同一視する人が増えたが、仏教はアドヴァイタではない」と断言する。
だから、悟ったと思っている人たちは、仏陀の悟りと同じだと
ただ思い込んでるだけではないかな。
641 :
ろん :2012/02/19(日) 22:32:35.53 ID:4LZ8mHwr
>>939 定見があるかどうかはわからないですね。
近現代の祖師方の本を僕はあまり読んでいませんので。
まー思想というものは、近代以降のものですから、近代以前はそういう問題はなかったことでしょう。。
僕の考えでは別だと思う、ということにしておいてください。。
642 :
ろん :2012/02/19(日) 22:38:44.42 ID:4LZ8mHwr
>>640 アドヴィタ自体をよくわかってませんから、アドヴィタとの比較はわかりません。
ただ仏教の悟りは、主観、迷いを滅した時に、全てわかるということで同じだと思います。
自己の問題というものも実はこの主観の問題なので、自己がぴったりと自己に重なれば、自己はなく問題もなくなるわけです。
それ以外仏教の悟りというものはないと思います。
だから、そこを禅の思想と上座部の経典で言われていることが違うという風に比較すると混乱するのではないでしょうか?
仏法は思想ではなく、やっぱりそこに辿り着くまでの道案内、ガイダンスだと思いますので。。
643 :
ろん :2012/02/19(日) 22:42:26.46 ID:4LZ8mHwr
僕が学んだ、原田雪渓師や町野久義さんは、まったく思想については語っていないですね。。 本を読んでも、仏法の話がほとんどです。。 町野さんは、子供を育てた経験から、教育問題について語っていましたが。。 せったん師は、思想的には保守、で天皇制というか、天皇に対する思慕みたいなものはあったと思います。 あくまでもそういうことはちらっとしか言わない、そんなに言及が多いわけではないんですが。。
644 :
ろん :2012/02/19(日) 22:45:31.64 ID:4LZ8mHwr
雪渓師から印可証明をもらっている、飯高転石師は、若いときはエコロジー運動とか色々活動的なこともやったようです。 今もやっているのかもしれませんが、詳しくは知りません。。
想像して観念を話すのもいいけど、 想像して観念を話してるとわかってるのかしら 知らないことやここにないことを想像しなくても、ただ知らないでいいとも思うけど
646 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/19(日) 23:11:24.46 ID:AnrhhGiY
>>ろんさん ちょっとわからないことがあるのでお聞きしたいのですが 「まー好きでやってるなら、止めろはいわんけど、どこまでいっても考えしかない。 まともに坐れば、早い人で2,3週間、遅くとも2,3年で成果は出る。 稚戯に均しい、評論家ごっこ卒業できんうちは、何言ってもたわごとに過ぎんですよ。。 なにやらもっともらしいこと言って、自分ひけらかしてるだけ。 みっともないと気付かんのでしょうか? 恥ずかしいと思い至らんうちは、つける薬も無いかもしらんなー。。 薬飲んだことも無く、能書きばっかりで、わかった気になってしまっている。。 なんかおかしくないですか? 」 「自分の見識見解がないのに、あなたはどうしてガイダンスなどを行うのでしょうか? 見識がない人にガイダンスが可能でしょうか? 」 これは@決めつけA見下しに ろんさんの基準では該当しないのでしょうか。 B見識がない というのも唐突です。見識がある人がどういう人かの説明がないのでわけがわからなくなります。 これは他人に向けられたレスとして客観的に見てもやはり唐突に感じます。 ろんさんにはあるということですよね。ろんさんにもなかったらろんさんも説明できませんから。
647 :
ろん :2012/02/20(月) 04:26:00.31 ID:zF9wbKQd
>>646 当然一瞥はあるということです。
でなければ言えません。。
648 :
ろん :2012/02/20(月) 04:34:42.03 ID:zF9wbKQd
見識がないというのは、
>>610 の書き込みがご自分の見識からではないと
>>616 で否定しているからです。。
>>610 ではだいぶわかったようなことを言ってますが、それをひはんされると、
単なるガイダンスで自分の見識見解ではないと
>>616 で言ったわけです。。
で、やはり自分の見識見解無しになぜ
>>610 のようなことが言えるのか疑問ですね。。
649 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/02/20(月) 09:16:26.39 ID:pBWAfdeb
文脈ではなく単語に反応すると、独りごとの世界になってしまう。 しかしそれは緩衝器の機能であり、必要性あってのこと。 緩衝器の機能は自己の実体の苦しみと直面しないことにある。 それゆえに、その意識は自己イメージと、他者イメージにしか向かない。 自己の実体と他者の実体は共に縁のないものである。 自己の実体とのつながりが非常に希薄になっており、他者イメージだけを見続ける。 客観性は緩衝器にとって毒だ。他者をありのままに見ようとすると自分の矛盾も見る羽目になる。 それを避けるべく緩衝器を使うと、他者についても非常に主観性の強い判断になる。 単語に反応し文脈を無視して、あいてを過度に称賛し、批判する。 単語に反応すれば相手を容易に自分の思い通りに作り替えることができる。 世界平和を期待するのは楽観過ぎるということなのだろうが、、、。
650 :
ろん :2012/02/20(月) 10:17:44.61 ID:zF9wbKQd
オレは知ってるんだぜーの独り言マッシーンがいる。。 頭の中はガラクタがいっぱい。。
>>611 >まともに坐れば、早い人で2,3週間、遅くとも2,3年で成果は出る。
これの具体的なやり方を教えてもらえませんか?
ろんさんと同じ道を進んでいることを途中で確認出来る成果や目印ってありますか?
652 :
ろん :2012/02/20(月) 13:00:14.46 ID:zF9wbKQd
>>651 僕は師家でもなく、修行中の身なので、僕から教わろうなんて止めた方がいいでしょう。。
禅は理と実践の両輪が必要だと思います。
坐り方は普勧坐禅儀が基本でしょうが、ネットでも調べられるでしょう。。
法理に関しては、原田雪渓師や町野久義さんの本、川上雪担師のHPなどをご覧になってください。
町野さんは「禅友に贈る書」というブログやHPもやっています。
本当は、一度は接心会に参加した方がいいと思います。
また、本を読んでわからないようなら、師家に参じて直接質問した方がいいでしょう。
町野さんブログのコメント欄等でも質問に答えてもらうことが可能だと思います。
653 :
ろん :2012/02/20(月) 13:02:52.27 ID:zF9wbKQd
654 :
473♯mayoibito :2012/02/20(月) 13:19:08.58 ID:pBWAfdeb
だれもがその人自身の主観的な経験の蓄積によって判断し、話す。 その主観は経験のすべての蓄積によるものなので非常に重く、その変化は基本的に期待できない。 私たちは経験の蓄積から、そして葛藤の回避のため非常に強く他者の振る舞いに期待している。 その束縛を理解してゆけば、誰もが束縛されていることを理解し他者の振る舞いへの疑問は消えてゆく。 みな自分が持っているに違いないと思い込んでいる自由意思を他者や社会に投影する。 というようなことをグルジェフは述べていたかもしれない。
655 :
ろん :2012/02/20(月) 15:04:05.74 ID:zF9wbKQd
主観なんて15分も坐れば失せる。。
656 :
ixtlan :2012/02/20(月) 21:37:07.77 ID:MMHc0Igl
>>652 >法理に関しては、原田雪渓師や町野久義さんの本、川上雪担師のHPなどをご覧になってください。
町野さんは「禅友に贈る書」というブログやHPもやっています。
町野さんは愚さんから無事禅と言われちゃった人ですね。
つまり、アドヴァイタ的悟り体験を持ってない。
ま、それが禅で悟ってないと同義かどうかは別として。
657 :
ixtlan :2012/02/20(月) 21:42:59.61 ID:MMHc0Igl
見性体験談集めてるみたいだけど、 その手の体験は同一視がなくなる程度によっていろいろじゃないかな 元々自分が持ってしまってるもの(自分と同一視してるもの)も、個人個人違うしね それらを共通というのは大雑把な気がするけど なんにせよ、それらは言葉になったものだし、共通かどうかはわからないよね 個人的には、自己の外れ具合で深さというか種類というか様々だと思うよ 自分がそういう体験していくことでわかるしかないよね
糞コテの中で働いてるのはixtlanだけかよ
660 :
ixtlan :2012/02/20(月) 22:44:11.48 ID:MMHc0Igl
>>658 >なんにせよ、それらは言葉になったものだし、共通かどうかはわからないよね
しかし、認可システムで根拠となるのは言葉だけですよ。その言葉が共通の体験を指示するから、悟りが認可されるのでしょう。
己の体験を師に話す。師はそれを聞いて、悟りかどうか判断する。不立文字、教外別伝を強調する臨済宗が、いちばん言葉に弱い。
つまり、公案を透過すればいいので、思考禅になりやすいという。皮肉的だが。
で、これら見性体験に共通する事項とは、
1.まわりのものと自己との間に境がなくなって。 よって、この体験が「無我」の根拠とされることがある。
我がなくなったというのは、我と非我との境がなくなったということ。
2.悟ったときに、実はそれまで悟っていたということが分かる。つまり、人は誰でも、無我の状態の中にいた。
ろん氏は川上せったん氏に言及していたが、かの氏も悟り体験を「茶碗の中にころりと自分がはいっている」 と表現した。
これも、主観と客観の間に区別がない、ということだろう。
661 :
ixtlan :2012/02/20(月) 22:53:47.94 ID:MMHc0Igl
グルジェフは仏教については「自尊心の修行」として評価してるぐらいですか。 彼はアドヴァイタなんかどうでもよかったのだろうかな。
>>660 もちろん言葉も使うけど、ニュアンスやいろいろあるよね
こういう事例みたいに単なる言葉でその人がどうであるかという判断はできないと思うけど
境がなくなるのも、なくなる境によって様々だと思うよ
完全に境がなくなるのが本当なんだろうけど、大抵は部分的に境が取れていくしね
自分とか生死とか世界とか有無とか大きな境がとれればそれだけの体験になるだけで、
ふだん悩みが解決して気持ちが晴れるのだって小さな境が取れてるからだしね
ものすごく小さな境を作ったり取ったりしてる日常だってものすごく小さな見性をしてると
いえるだろうし、
見性といってもそれらの根源の無限ほど巨大な境がどれだけ完全に取れるかどうかだよね
悟りを外側から考察するのもいいけど、
自分が体験していくことでしか納得はできないと思うけどね
663 :
ixtlan :2012/02/20(月) 23:19:29.43 ID:MMHc0Igl
>>662 貴方は悟りというものを↓のように見てましたか?
1.まわりのものと自己との間に境がなくなった。 よって、この体験が「無我」の根拠とされることがある。
我がなくなったというのは、我と非我との境がなくなったということ。
2.悟ったときに、実はそれまで悟っていたということが分かる。つまり、人は誰でも、無我の状態の中にいた。
>>663 言ってる意味がよくわからないけど、
言葉でわかりやすいように悟りと呼ばれるものの定義を書いたらそういうふうにもなるかもね
その表現では違うと言う人や、もっと違う表現をする人もいるかもしれないしなんとも言えないかな
ただ、厳密には悟りはどこからどこまでとか切り取って言えるものではないと思うよ
どこからどこまでを自分とか他人とか言えないようにね
言葉はあくまで他人に内容を伝えるときの便宜的なものだしね
その言葉が何を指すかはそれぞれだし
言葉はあくまで言葉だから、
言葉が何かを示してるはずという執着なく、ただの道具として言葉を使わないとね
665 :
ろん :2012/02/21(火) 04:35:22.96 ID:ZQeqde3I
>>657 今は時間がないので後で見ます。。
アドヴィタって、自己の同一視が落ちるということですかね?
それは禅にもあるけど、それを持って見性とすることはないと思う。。
666 :
ろん :2012/02/21(火) 04:37:02.54 ID:ZQeqde3I
>>660 主客がなくなるというのは、坐ることによっておこる現象の初歩だし、あくまで現象でしかありません。。
せったん師も基本技って言っていると思います。
それを持って見性とはみなされないでしょう。。
667 :
ろん :2012/02/21(火) 04:38:39.27 ID:ZQeqde3I
見性体験と言えるのは、以下のようなもの。。 「今、仏道はどこにあるのかね、雪渓さん?」 堂長老師(原田雪渓老師)のお話から 私と同じく井上義衍老師に参じられた青野敬宗老師が遷化をせられて、いろいろ当時のことを考えさせられます。 たまたま蒼龍窟という所で、私共は、六、七人で集まって修行をさせていただいておりました。 ある日、敬宗師といっしょにお茶を飲んでおった。その時に敬宗師が 「今、仏道はどこにあるのかね、雪渓さん」 と、こう尋ねられた。 そこで、「仏道はどこにあるのか」と尋ねられた私は、彼の言葉をもう一度自分で、「仏道はどこにあるのか」と、反芻をしてみた。 その反芻が、自己の全体になった―今まで求めていたもの、探しておったものがきれいに、確かになくなった。 即ち、「仏道という幻影がなくなった」ということです。 (つづく)
668 :
ろん :2012/02/21(火) 04:38:55.18 ID:ZQeqde3I
(つづき) そういう事実があります。それが私の今の様子です。本当に一言半句の下に換骨脱体をするということは必ずあるということです。 かなり以前から、「今のほかに求むべきものは何もないんだ」ということは、きちっと信決定をしておった。 今のほかに絶対にない。もし今のほかに自分の求めるものがあったならぱ、どんなに努力をしても、師匠の言うことをそのまま受け取ってみたとしても、今の外を求めることになると、それは誤りである。 しかし、このもの以外にない。薪を運ぶ、水を運ぶ、草を取る、読経をする、これ以外にないっていうことは、理として理解できる。 ところが、「ない、ない」という「ないもの」が残るんですね。 「ない」ものというのは、「ある」ということと同じことなんです。 自分の考えの中ですから、「ある」と言おうと「ない」と言おうと同じことなんです。言葉というのはそれほど微妙に人の考えを左右するものなんです。 畢竟、なんだかんだと理屈を言い、いろんなことを聞いても、結局これ以外ないじゃないか、っていうようなことで、自分自身を自分で納得をさせておるから、不自由じゃないですか。 そういう日が続いておったように思います。本当に困り切っておったという様子でしようか。とにかく「仏道はどこにあるか」ということを尋ねられて、自分でそれを探しておる、探しているその事実が仏道そのものであるから、求めることがなくなった。 本当にそういう事実がある。ですから、あの時に尋ねられなかったならぱ、どうだったろうかなと、今、思い出して話している訳です。
669 :
ろん :2012/02/21(火) 04:39:45.85 ID:ZQeqde3I
670 :
ろん :2012/02/21(火) 04:42:42.68 ID:ZQeqde3I
>>667 あれ、、何かわかりにくい。。
「今、仏道はどこにあるのかね、雪渓さん?」
堂長老師(原田雪渓老師)のお話から
この上の二行はタイトルで、いかが雪渓師の体験談ね。。
671 :
ろん :2012/02/21(火) 04:52:02.59 ID:ZQeqde3I
>>663 確かに、禅の本を読んで、それを理としてまとめれば、そんな感じになるかもしれないけど、
経験上にも実際にも、そんなんでは何にも解決しないですね。。
何かがわかったからってそれがなんなんですか?
世界をどう見るか、すべて悟っているとみるとか、すべて空とみるとかわかるとか、それらはすべて意識の上のこと、頭の中のことに過ぎない。。
そんなのは、悟りでもなんでもないですよ。。
672 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/21(火) 10:55:52.76 ID:xHTmIDca
t
673 :
ixtlan :2012/02/21(火) 19:10:38.29 ID:usfOyn9c
>>664 >言葉でわかりやすいように悟りと呼ばれるものの定義を書いたらそういうふうにもなるかもね
その表現では違うと言う人や、もっと違う表現をする人もいるかもしれないしなんとも言えないかな
貴方自身は悟ったのですか?
まあその書きぶりから見て、悟ったというふうに思っておられるのでしょうが。
で、その悟ったときの体験というのは、言語化不能なんですか?
674 :
ixtlan :2012/02/21(火) 19:19:10.64 ID:usfOyn9c
>>671 >確かに、禅の本を読んで、それを理としてまとめれば、そんな感じになるかもしれないけど、
>経験上にも実際にも、そんなんでは何にも解決しないですね。。
>何かがわかったからってそれがなんなんですか?
彼らが「すべてが解決した」とするその原体験がこれでしょう。つまり、不二一元、アドヴァイタ。
その強烈な体験あるがゆえに、彼らは平安だろうと、力だろうと、現実的解決能力を持った。
ところで、貴方は青野氏の文をこれが悟りだといって引用したけれども、
それは理屈的に納得できたからですか、それtも自分の悟り体験と似たようなこと、
同一のことが書かれていたからでしょうか?
>何かがわかったからってそれがなんなんですか?
もちろん、そう考えるのもおかしくはないですが、禅というのが一種の錯覚かもしれない
という可能性があります。その可能性を見ようとするとき、禅の見性体験談が持つ共通性に
目を留めることは有意義なことです。これは一つの可能性としてです。
>>673 いや、悟ってないけど書かれているような体験ならそれなりにしたよ
だから読んでて、自分からみて、この人の話は確かだとかこの人は浅いなとか思うけど、
実際その人じゃないからわからないよね
自分もそういうのいっぱい読んだし参考にはしたけど
ろんさんもいろいろ言ってるけど、ろんさんの状態は自他同一化(自他不二)の手前だと
思うけど
自分が消えた迷いが消えた、元々自分も迷いもなかったってって境地なんじゃない
自他同一化はその自分(境地)も消えないとならないと思うけど
空とわかったけど、空すらも空ってのかな
でも自分はろんさんじゃないからわからないけどね
悟りに限らず言語化はなんでもできるんじゃない? それが言葉なんだから
ただあくまで言葉だよね
悟りに限らず何ひとつ言語化できないとも言えるし
別に言語化するのもいいと思うし、それを考察するのもいいと思うけど、
もしそれらが何であるのか知りたいなら、
言語化しようとする自分や、言語化されてるものを考察しようとする自分の方を調べてみるの
がいいんじゃないかなってだけです
676 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/21(火) 20:23:21.26 ID:BX9Gg78G
>>675 横レス失礼します(o_ _)o
自他同一化っていうのはグルジェフでいう客観意識と同一とみていいんでしょうか?
またどうすれば、どんな時に起こるんでしょう?
自分は自己意識は分かるんですが客観意識が分からないです。
自分(境地)も消えないとならないっていうのはグルジェフも似たようなことを
言っていてこれが5番→6番みたいなんですが。
677 :
ixtlan :2012/02/21(火) 20:34:25.98 ID:usfOyn9c
>>676 答えではないですが、普通は自他同一化とは言わないです。
同一化というのは否定的なニュアンスがあるから、なおさら言わないと思います。
アドヴァイタとは不二一元、主観と客観の境が消えて、目の前の人物やものが私のように
思えてくるという体験です。
ただし、これが見性とすると、そのあとに、本格的に自分が落ちる<大悟>がある
という人がいます。そういう伝承もあります。
しかし、見性にしろ大悟にしろ、それらは達成すべきことではない、というのが
アドヴァイタの主張なんです。なぜならその状態はすでに達成されているから。
そこで、悟ったとき、自分がすでに悟っていたことが分かる、という奇妙な
命題が出てきます。
では修行がなくてもいいのか。という問いが出てきますが、一説では、
この問いが道元をして、入宋せしめた。
678 :
ixtlan :2012/02/21(火) 20:51:50.37 ID:usfOyn9c
>>675 >いや、悟ってないけど書かれているような体験ならそれなりにしたよ
ここに書かれているような体験をほんとにしたのですか?
つまり、目の前の世界が私の中に入ってしまったと思えるとか。
目の前の人物が私に思えてくるとか。
光景が切れ目なしに、過去も未来もなく、永久の現在になったとか。
しかも自分は、ずっと前からこの悟りの中にあったとか。
>だから読んでて、自分からみて、この人の話は確かだとかこの人は浅いなとか思うけど、
実際その人じゃないからわからないよ
禅の認可システムでは、その人じゃないからわからない、とはならないでしょう。
悟っているいないに関わらず、貴方の考えでは、誰も他人の悟りは
保証できない、となるのかな。つまり認可システムはあてにならないと。
>>676 同じかどうかはわからないけど、同じか近い状態のような気はしますね
自他同一といっても自分は完全に他になったことはないんで
自他が同じだって体験はありますが、それが進むと自他が同じって状態より、
もう一歩踏み込んで、本当に他になってしまうみたいですね
自分は椅子になってるというより、椅子そのもの、椅子側だけになってしまってるような
完全に他になった知り合いに言わせると集中力だって言ってましたけど
自分が集中するんじゃなくて、集中のみが残るとなるんじゃないでしょうか
誰でも集中してると思うんですよね、日常とか自分であることとかに
みんなふつうに生きてるけどすごい集中力を使ってると思うんですよ
ただそれは無意識にいろいろなものに使ってしまってるんですよね
それらに向けている集中力がそれらに向かわず、無にピントが合うことでなるんじゃないですかね
あるいは集中してる自分が完全になくなるとそうなるのかも
結局、自分を自分だと思ってる執着が完全になくなることなんじゃないでしょうか
自分の体験時を後から思い返すと、自分もひっくるめてこの宇宙全てが
はじめから存在してないと思えたときでした
逆説的にあらゆるものが宇宙そのものであらゆるものが悟りそのもの
そう思えるとかではなく、そういう状態
自分は偶発的になったので、自由になることはできません
まだ悟ってないですしね
>>678 >ここに書かれているような体験をほんとにしたのですか?
それはそこに書かれてる人たちに対してもそうだよね
ほんとにしたのかどうかなんてわからない
嘘かもしれないし頭がおかしいだけかもしれないしね
上のほうで錯覚かどうかって言ってたけど、
錯覚と錯覚でないものを分けてわかるものではないと思うよ
錯覚も含めてあらゆる全てがほんと、
あるいは本当も含めてあらゆる全てが錯覚だと思えてわかることじゃないかな
ほんととかほんとでないとか気にする自分がいるとわからないことじゃないかな
>禅の認可システムでは、その人じゃないからわからない、とはならないでしょう。
本とかで読む限りは、本当に悟ったかどうか相手をかなりしつこく試すみたいだけどね
そうやって認めていくんじゃない?
でも言葉を超えた何かを感じて認めるとかもあると思うよ
でも認可を受けた坊さんでもあれは悟ってないと他の坊さんから言われたりもあるし、
まあどうなんでしょうね
どっちにしろ他人の悟りはあくまで参考でいいと思うけど
悟りの定義が人によって違うみたいだな。 グルジェフの言った人間7番の意識状態とは違うだろ。 そんなに簡単に得られるようなものなら誰も苦労せんし、 世の中も今のような状態ではないことに気付くべきだな。
682 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/21(火) 21:25:58.68 ID:BX9Gg78G
>>677 同一化とはいわないんですね。
このあたりの翻訳というか用語は統一しておいた方が無意味な混乱がなくなりますね。
このスレではアドヴァイタ=不二一元でいいんじゃないかな。
自分は禅や仏教詳しくないんでこの話題はみてるだけですが。
すでに達成されているから達成すべきことではない 。。。うーん(-_-;
>>679 椅子そのものになってしまうとは神秘的な体験ですね。
長文でのご回答ありがとうございましたm(_ _)m
>>681 同感だな
グルジェフによる客観意識の説明と、ここや他のところで行われてる悟りの説明は全然違う
684 :
ろん :2012/02/22(水) 05:11:01.69 ID:yJBHfV2F
>>674 強烈な体験ではないですね。。
例えば、冬になれば、落葉樹の葉はすべて落ちてなくなりますが、最後の一葉が落ちるような、微細、精妙なものです。。
>ところで、貴方は青野氏の文をこれが悟りだといって引用したけれども、
青野氏の文ではありません。ちゃんとリンク先を読めば分かるように、雪渓師の体験談です。
>それは理屈的に納得できたからですか、それtも自分の悟り体験と似たようなこと、
同一のことが書かれていたからでしょうか?
僕自身もそれに近い体験はありましたが、雪渓師のように、完全に何もなくなるというものではありませんでした。。
雪渓師もそこに至るまでに、即今と言うものに気づいて、信決定していた、とあるように、
ほとんど何もないくらいのところまで至っていたわけです。
限りなく無心に近い有心とでもいえるかもしれません。。
そこに近づけば、ixtlanさんもお判りになると思いますが。。
685 :
ろん :2012/02/22(水) 05:19:29.81 ID:yJBHfV2F
>>674 >もちろん、そう考えるのもおかしくはないですが、禅というのが一種の錯覚かもしれない
という可能性があります。
当然でしょう。。ただの文字を見て、本当かどうかはわかりません。
自分で坐って、法を学んで、近づいて行かなければ見えてきません。
>その可能性を見ようとするとき、禅の見性体験談が持つ共通性に
目を留めることは有意義なことです。これは一つの可能性としてです。
自分で無心に近づいて、仏法に馴染んで、生活全体が禅となっていく、その中ではじめてわかることです。
体験談を読んで比べて、共通性や違いが見えたとしても、それだけで真偽の判断は不可能でしょう。。
686 :
ろん :2012/02/22(水) 05:33:17.38 ID:yJBHfV2F
>>677 >しかし、見性にしろ大悟にしろ、それらは達成すべきことではない、
これは正しい。。
>なぜならその状態はすでに達成されているから。
これも正しいけど、結局悟らなければわからないのだから、
悟れるまでカンバルしかないw
>そこで、悟ったとき、自分がすでに悟っていたことが分かる、という奇妙な命題
これはなんかおかしい。。
本当は悟りと言う観念そのものが、迷いみたいなものです。
ですから、迷いを脱したら、悟りもありません。。
「自分が〜」という規定、判断を必要としなくなるのです。
悟りは迷いと一対の相対概念ですから、迷いを脱するという意味での悟りにしか意味はありません。。
迷いを脱したら、悟りは不要だし、消えてなくなります。。
迷っている人に説明するときに、そういう概念を使う、と言うくらいです。。
687 :
ろん :2012/02/22(水) 05:45:32.16 ID:yJBHfV2F
主客を無くすというのは、原理だけ言ったら簡単ですね。。 何もわからなければいい、判断しなければいい。。 鏡がものを映して、何も思わないように映すだけ。。 これが主客なしと言うことです。。 わかるというのは、言語による概念作用、人間の共通理解に依存してるわけで、それを取っ払ったら、何にもわからない。。 だから、このわからないがホントで、わかるは嘘です。。あるいは仮に人間界での意味が分かったということに過ぎない。。 で、このわかるがあるから、私はこうで、あなたはこうで、彼は〜で、彼女は〜。。 あるいは、これがパソコンで、あれがコップで、あそこにはテレビがあってと、主客が分裂してしまうわけです。。 何にもわからない、「・・・」の状態が主客身分であり、無心なんです。。 そこに留まることが、いいというわけでもないですが、こっちがほんとうと言うこと、わかるがウソでわからないがホントってことには気付く必要があるかもしれない。。
688 :
ろん :2012/02/22(水) 05:55:07.54 ID:yJBHfV2F
あなたもほかの人もみんなそのままで悟ってます、というのは、一種の方便だな。。 もっと正確に言うと、そのままで迷悟などなく、変えるべきこともなく、いいも悪いもなく、感性も未完成もなく、ただ法のままに、全体とともに、その一齣としてあるから、何の問題もないのです、と言う感じか。。 やっぱうまく言葉にできないな。。 そのままで解決しています、と言ってその通りだけど、当人がそう思えない、当人にとっては解決していないことになる。。 人間の視点、善悪を超えた法から見れば、解決・・なんだけど。。。
689 :
ixtlan :2012/02/22(水) 18:22:13.68 ID:o3rDUjhC
>>680 >>ここに書かれているような体験をほんとにしたのですか?
>それはそこに書かれてる人たちに対してもそうだよね
>ほんとにしたのかどうかなんてわからない
>嘘かもしれないし頭がおかしいだけかもしれないしね
質問の意味は、貴方が体験した悟りというのは、彼らと同様のものだったのですか、
ということなんですが。
いわく、
まわりの物や人物が自分と同じになってしまった。
世界が私の中に入ってしまった。
光景が切れ目なしに、どこという中心もなく、現在も過去も無意味で、
不生不滅の感じがする。
しかも自分はずっと前からこの状態の中にいた。
こういう体験だったのですか?ということです。
690 :
ixtlan :2012/02/22(水) 18:45:50.48 ID:o3rDUjhC
>>687 >主客を無くすというのは、原理だけ言ったら簡単ですね。。
>何もわからなければいい、判断しなければいい。。
>がものを映して、何も思わないように映すだけ。。
>これが主客なしと言うことです。
それはアドヴァイタ禅(便宜上こう呼んどきます)がいう、
主客未分ではないですね。判断、言葉、思考が停止するのはそれとして、
それだけではアドヴァイタにならない。
それだけだと救いにならない。アドヴァイタの連中が言うのは、
この体験による強烈な幸福感、意味の生成、生きる意思の生成です。
こんど、ここにヤフーの居士を呼んでこようと思ってますが、
彼が何度も繰り返すのは、生きることが楽になった、ということです。
>>689 自分の経験上言えばそこに書いてある4つは深さや違いがあって同じ状態ではないと思います
また、そういう体験者と何人か話しましたが、単にそういう状態になってる気がしてるだけの人もいると思います
自分はまわりのものが自分と「完全に」同じになったことはありません
まだ自分の肉体感覚があってそういう状態になってましたから
完全に同じになった人の話だと自分の肉体感覚は消えるらしいですから
あのスレにある体験談でも肉体感覚を残してそうなってる方と残さずそうなってる方がいると思います
その他のことは程度の差はあるかもしれませんが、体験したように思います
でもそれがその方たちと同じかどうかはわからないし、自分にとって意味はないです
あなたにも誰にも意味はないと思います
また、それらは執着がなくなる過程であらわれるものであって、
それらの体験そのものに価値はないと思います
ただの目安や参考にすぎないと思います
そういう体験なく執着が消えていく方もいるかもしれませんし
それに、今自分が呼吸ができて、対象に反応ができて、自分や世界があると思えているのも
同じような体験だと思いますよ
それらを当たり前だと思っていませんか?
慣れて鈍感になってしまっていることを当たり前(日常)と思い、それ以外の体験を慣れた体験と比較して、
特別な体験と意味づけしているだけだと思います
全ての体験はどこからどこを切り取って特別なのではなく、
自分が切り取ったり特別なものと感じたりしているだけだと思います
もちろん、いわゆる日常の体験とそういった体験の違いを言葉では言えます
ただ、実は特殊な体験も含めて全てが日常の体験であり、
日常も含めて全てがそういった体験だということです
あなたや誰かががそういう体験をしてないと思っているとしたら、
あなたや誰かは、いまその体験をしているのに、自分から目を閉ざしているから感じられないだけだと思います
そういった特別な状態が、いまの状態と別にあるのだと思い、そうなろうと意識を外側に向け、
自分自身を知ろうとしてないからだと思います
692 :
ろん :2012/02/23(木) 02:29:55.84 ID:dsdtMaOf
>>690 >それだけだと救いにならない。アドヴァイタの連中が言うのは、
この体験による強烈な幸福感、意味の生成、生きる意思の生成です。
こういうのはあまり意味がないです。。
そういうのもありますが、卒業しなきゃあどうしようもない。。
結局本質は、自己の問題、自己を解放する、解決するということです。。
主客未分になって、幸福だー、生きる喜びがするーって喜んでればいいのか。。
それだけじゃあ解決になりません。。
大切なのは、体験とか理解じゃありません。。
畢竟自分はどうなのかということ・・何を体験したかとかわかったかとかはどうでもいいんです。。
693 :
ろん :2012/02/23(木) 02:33:18.20 ID:dsdtMaOf
体験でも理解でもお釣りがくる。。 ただになれないからです。。 悟りだとか究極の理解だとか、それを人に伝えようとか、なんかいいことが残るでしょう。。 それがあるうちは未解決なんです。。 もちろん、解決してから、自分を使うことはできる。。 でも、その前にわかったとかわからんとかいいこと悪いことも、きれいさっぱり無くならなけりゃいけないんです。。
694 :
ろん :2012/02/23(木) 02:56:46.17 ID:dsdtMaOf
自分と言うものはないのに、どっかで悟った自分、素晴らしい自分になれるんじゃないかと追い求める。。 素晴らしい歓喜と幸福と解放があってとか・・それはあることはあっても、すべて過ぎ去っていくものです。 諸行無常なんだから、喜怒哀楽、不安、怒り、平静、混乱、陶酔、憂鬱・・留まることなく移り変わっていきます。。 そのように一瞬も立ち止まることなく、固まることなく移り変わっていく自己、実体のない自己。。 実体のないものを捉えて、いいものに変えようとか、完全な安らぎが欲しいとか。。 不可能なこと目指してるんですよ、ないものを取り扱う取り越し苦労です。。 取り扱うことがなくなったら、どうしようというのがなくなったら、やっとこさ解決の手前。。 そこへ落ち着くまでには、やっぱり誤解無理解を除かないとね。。 いつまでもガンダーラ目指してても、ないものには辿りつかないんです。。
695 :
ろん :2012/02/23(木) 02:57:58.85 ID:dsdtMaOf
理想郷を夢見るよりは、たった今の事実がどうか、今の自己はどうか、何をしているかということです。。 夢を見ているか、夢から醒めているか、どっちですか?
696 :
ろん :2012/02/23(木) 03:03:01.70 ID:dsdtMaOf
悟りがよくって、迷いが悪いって、それはその通りですが、その対立もまた仮のものでしかないんです。。 だから不二一元でしょ。。 いいものも悪いものもないから、どうしようこうしようもないんです。。 人を救おうとか、じぶんをこうしようとか、こうせねばもない。。 だから、まったくの役立たずで、取り柄無し。。 しかし、そうなったときに、真に自分が活きる、活かせる、それ以外ないんですよ。。
697 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/23(木) 13:45:53.07 ID:KnhFiJnA
ここはグルジェフスレッドなのでその方式でコメントしてみましょう。 思考センターが知ることによってその人の本質である感情や言語化されない欲望を抑圧している場合と、 正に実際に自分の中にある3センターの種々の欲望に気づいている気付こうとしている場合ではその人の状況そのものに差はあるはもちろん 読み方がわかっていれば外部から判別できる。 感情的に、物質本能的に抑圧があるかどうか。 また思考の側面において2元対立が強い文章ほど抑圧的であるといえる。 思考センターによる言語化に傾倒するとそれは容易に抑圧になる。 我々の中にある無数の欲望を名付けて抑圧したりすることなく、ただ過ぎ去ることを許すことができれば、 その時自分が思いもしなかったことにとらわれていたと気付く。 その場合解決した、克服したという自我はない。 だからクリシュナムルティーは命名の危険性を説いた。(実は理解してなかった) それはグルジェフにおいては御者による馬と馬車の抑圧であり、緩衝器に相当する。
698 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/23(木) 15:17:01.32 ID:KnhFiJnA
実は理解してなかった≫読んでた私が それに今でも理解してないことに気づいている程度。
699 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/23(木) 19:42:27.09 ID:KnhFiJnA
解っちゃいるけど、思考と感情が本能を抑圧する傾向があるので、 客観性を発揮しきれない。 正しい間違いではなく根本的に何かが欠けている。 3センターが活性化していて、私のセンターの過不足を認識できて、 抑圧されているものを呼び覚ますのを助けてくれる方がいればそれこそ助けだが、 無いならないなりにやってゆく。 第4の道は3センターそれぞれでワークしてゆくので、1センターだけでも優れている方がいれば その人から学び取ることができます。 また人への助言が自己逃避であることもありますが、人への助言が正に自分への最良の助言であることも多く、 グルジェフはそれを第4の道の進歩の法則として提示していました。
700 :
ixtlan :2012/02/23(木) 21:08:14.98 ID:qDb26jl+
>>692 >主客未分になって、幸福だー、生きる喜びがするーって喜んでればいいのか。。
>それだけじゃあ解決になりません。。
>大切なのは、体験とか理解じゃありません。。
>畢竟自分はどうなのかということ・・何を体験したかとかわかったかとかはどうでもいいんです。
自分はどうなのかというと、自分はいなくなるってことでしょう、アドヴァイタでは。
それが幸福に至る道だというが。あるいはすでにして幸福である状態に至るという。
701 :
ixtlan :2012/02/23(木) 21:15:09.73 ID:qDb26jl+
>>699 貴方の問題点は自分で言ってることに体験的裏付けがあるのかどうか
ということだと思う。思考センターと言うけれども、そんなセンターがあるのか。
普通に考えると、人間は思考しているのは頭だと言う。
まあ、腕の一本がなくなっても思考しているから、思考するセンターは
脳味噌には違いない。
これは、当たり前のことですが、日々体験していることにつながってる
命題ですよね。
ところが貴方がグルジェフから引用して思考センターと言うとき、
いったいそこで言われているのは何なのか、体験のない我々には
まったく分からないのです。
で、一つ提案なんですが、ここで『森羅万象』の読書会をやりませんか?
そうしてグルジェフが伝えたかったことを読み取る作業を共同でやったら
どうでしょう。
森羅万象って
すまん、誤送信した。 森羅万象ってベルゼバブのことか? それなら面白いが、内容が莫大なので別スレ立てた方がいいような… ここが過疎スレだからここ使うってのも反対はせんけど。 やるなら「悟り」に限定せず、「何もかも」でやて欲しいな。
704 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/23(木) 22:07:08.03 ID:KnhFiJnA
≫ところが貴方がグルジェフから引用して思考センターと言うとき、 いったいそこで言われているのは何なのか、体験のない我々には まったく分からないのです。 その姿勢は素晴らしい姿勢です。 あなたが自分自身を理解し始めれば3センターについてもわかってきますし、 また私についてもわかってくるかと思います。 賛成反対、好き嫌いではなく、私の真実と私の虚偽を客観的に把握できるようになってゆくでしょう。 ただ、思考センターについては表層的な思念、マインドといわれているものだと理解すればそう外れてはおりません。 感情の蓄積や、無意識の反応、身体の制御、自己保身など人間には表層的な思考以外の広大な地平が人間にはあり、それらについて無知なので 3脳生物の概念+αをグルジェフは提示します。 森羅万象についてはおすすめは致しません。 グルジェフを利用できたのも、おそらく誤用せずに済んでいるのもoshoのお蔭です。 自分を知るためにはマスターか、生きた伝統が必要です。 oshoは技法だけはまだ十分生きている。 自分自身の無知と不自由さを痛感すれば宗教の門は開かれます。 真理を求めるのではなく自分自身はどうなっているのかということに関心を持てば、 質問する相手と質問の内容を間違えないでしょう。 対人関係や仕事や人生観の苦悩をさらけ出す人が多ければ、 私としても3センターの力を借りて客観意識のきらめきの元、 神が与えてくれる自分ではまだ実行不可能なあなたのための答えを提示することができたかもしれません。 牢獄の隙間から客観性の力を借りることより牢獄そのものを理解しなければならない私です。 読書会など大掛かりなことはできませんが、相互扶助の機会はまだあるかもしれません。
705 :
ixtlan :2012/02/23(木) 22:26:47.70 ID:qDb26jl+
>>703 『ベルゼバブ』
『注目すべき人々との出会い』
『生は、私が存在しているときにのみリアルになる』
この中にグルジェフは真理を埋めたと言われている。
それは言葉の中にではなく、言葉の背後にだという。
しかしそれは言葉によって描かれた像の中にあるという。
誰がそういうのかというと、ジョン・ヘンダーソンという人が
そう言っているのだが。
まあそれはそれとして、ベルゼバブなんか率直な感想を
言い合うというのは面白いと思う。
>>705 先駆けを除いた三部作ってことだな。了解。
言い出しっぺのお前が音頭を取ってやれ。
俺も時々参加させてもらう。
707 :
神も仏も名無しさん :2012/02/23(木) 22:43:14.29 ID:87Z13GKo
◆z/7s9aC7ekさん 常に自己想起している状態になりましたが、 思考はダダ漏れで全然減りません。 これは徐々に無くなっていくものなのでしょうか?
708 :
神も仏も名無しさん :2012/02/23(木) 23:42:00.63 ID:mH0HxzFQ
>>707 570の質問をくださった方でしょうか?
>>思考はダダ漏れで全然減りません。
これはいい兆候です。それは707さんが思考の全プロセスに気づくようになったということです。
いままでだってダダ漏れだったのですが自己想起によって気づくようになったんです。
矛盾して混乱した思考の群れ、それに対して必要なのはいい思考、悪い思考の選別をしないことです。
選んだら同化してしまいますからただ意識して気づいていること。
いいものにも悪いものにも無選択の気づきであることが重要です。
これは第4番の極限で起こることです。
この時には妄想や連想が次々と現れてきやすいので注意してください。
それを打ち砕くことはできないし追っかけたらまた同化です。
妄想と戯れるのが結構楽しかったりするのが最大の罠です。
しつこいようですがただ気づいていることです。
709 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/23(木) 23:42:34.22 ID:mH0HxzFQ
第5番の結晶化へのステップは自分が誰なのか知ろうとする努力です。 この思考に気づいている者は誰なのか?それを知るには自己想起からの瞑想です。 瞑想とは思考ではなく無思考の意識であること。心を整えることではなく心を超えていくことです。 無思考の意識として在り、心を見つめる。そうすれば思考は消えていきます。 思考は何度も捉えてやろうと戻ってくるはずです。思考はまさに痛いところをついてくる。 でも思考が何を言っても耳を貸してはいけないです。たとえ呼吸が止まって「もうやめろ」とか「死んでしまうぞ」 と心が叫んでも相手にせずただ観照にとどまってください。心がなにをいっても同化しないよう想起です。 とにかく自己想起を全力で頑張ってください。本当の自分、意識としての自分を知ってください。 707さんはやれる。それが起こると確信しています(`・ω・´)
710 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/23(木) 23:46:25.12 ID:mH0HxzFQ
追記:もし目を閉じているなら額の真ん中あたりに焦点を合わせて観照してください。
711 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/24(金) 00:31:54.58 ID:fTNgsMWh
妄想乙。 第4番についてそんなこと誰も言ってない。 言語としての表層思考を見ると思考の全プロセスの理解には天と地の差がある。 大体707の質問が精神病院行きだ。 「常に」とか無茶な嘘を、、。 互いに常に自己想起しているのだという幻想を温めあうというわけだ。 誰もかも、自分の無知と機械性を認めることなく、思考と白昼夢でそれを理解した夢を見る。 夢が2乗になっている。 グルジェフはこれにうんざりしていた。 言葉に言葉を重ねて、存在のかけらもない。
やけに473は◆z/7s9aC7ekに絡むなあw 常に自己想起なんてあり得ないというのは俺も賛成だが
713 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 08:24:55.93 ID:WbnldspU
「常に」というのはちょっと言い過ぎでした。 でもあまり意識しなくても自己想起が自然に出来るようになるんですよ。 意識してないのに自己想起といえるのか?と言われたらその通りなんですが。 自己想起をしている時のホームポジション?のようなものがあり、それが 固定されるっていうか…。これは実践しないと分からないと思います。
714 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/24(金) 09:32:20.25 ID:fTNgsMWh
あなたは自分について自分の主観でしか語っていない。 自己想起、瞑想に進展があれば、自分の無知自分の主観自分の機械性に気づいてゆき、 また他者が理解できていないことに気づいてゆく。 他者が理解できていないことに気づいていれば、正に自己の主観を意識する自己想起によって、 対話が可能になる。 ここにいるコテは他者を客観的につかもうとするという概念そのものがないからね。 あなたもせっかく実践しないと、と私について語るなら、私のどの部分から実践をしないで語っていると看過できるか、 感情センターと本能センタ―と知性センターを使って指摘しなければいけません。 それがないので単なる主観的な反応として見えるのです。そう見えるように語ったらそう見られます。 そういう客観的な外的考慮と自己観察の有無でその人の進度は書き込みによってさらけ出されています。 問題はそれを読解するには主観性から瞬間でも脱していなければ、他者に対して自分の主観的な思い込みを投げつけることになるということです。 ちなみに緩衝器が強い相手程、客観的な評価は無視され、反発を食います。 3センターで生きることは大変なことです。自信満々で安定している人は1つか2つのセンターだけで生きて 他は抑圧してるとかそんなものです。
715 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/24(金) 09:41:09.73 ID:fTNgsMWh
過度の解説は、知性、白昼夢による感情本能の抑圧にしかなりません。 自己想起を試みるということそのものが一つの思考になっていると、他の思考は静まらないでしょう。 まず、生にくつろいで受動的に気付いていたらいかがでしょうか。 自己想起という主観への意識の試み(これは広範なレベルを指すので一定のことを示唆できないですが) は、その受動的な気づきを経て起こりうるものです。 気付いていろ気付いていろ。 気付き自身には努力はいりませんが、気づいては失われ気付いては失われ、また想念や欲望の拘束は強く(実は自分が欲望なのですが) その欲望に取り込まれ白昼夢に陥らないような決死の努力が必要になってきます。 つまり戦いは闘いなのですが、受動的な気づきに戻るための、主体なき戦い、 戦う本人の目的のない戦いなのですね。 ものすごい体験も待っていますが、それもやはり自我の罠で、つまるところ表層思考との戦いをやめることができれば 自己の主観、自己の檻を認識できるようになり、いささかの事実認識が可能になってゆきます。(自己想起のつれてゆくところ) 大きな幸福不幸、くつろぎ苦悩というものへの評価がなんか減ってゆきます。 自我、白昼夢の主張ではなく、否定的な表現が増えてゆくでしょう。 御者が一歩下がり、よりハートとハラが主導権を握ってゆくということかもしれません。 ああ、この一行が自分自身に突き刺さる。
716 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/24(金) 09:42:49.74 ID:fTNgsMWh
ちょっと訂正 あなたは自分の主観でしか語っていない。 主観的な言語で自己と他者を表現している。
>つまるところ表層思考との戦いをやめることができれば >自己の主観、自己の檻を認識できるようになり、 >いささかの事実認識が可能になってゆきます。(自己想起のつれてゆくところ) これって、◆z/7s9aC7ek が言ってることと矛盾しないように思うんだが、、、。
718 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/24(金) 10:59:09.29 ID:fTNgsMWh
>>712 典型的なナルシスト。
彼にとって他者は存在しない。
自己イメージを保つための道具としか思ってない。
他者の実体への無関心にお気づきでしょうか。
私はすぐには気付かなかった。(笑)
客観性客観意識の道のりは、自他関わりなく存在の神秘へと連れ出してゆく働きにあるのではないでしょうか。
助けることが助けられることであり、助けられることが助けることでもあるのです。
そんなときいいインスピレーションがわいてきて共有できます。
719 :
473 ◆qNmv0bV1B6 :2012/02/24(金) 11:05:19.84 ID:fTNgsMWh
言ってることに興味があるなら、抑圧、人格、緩衝器、白昼夢の世界に一名ご招待。 本質で感じるのです。 本物と偽物は言葉の上だとほんの少ししか違いません。 そのほんの少しのことばのさが、実体が正反対であることを示します。 本質で感じ、たくさんのワークをして、人生を楽しみ、苦しみ、 その上で私こそ本質が死んでいると看過されましたらその時私にそう指摘ください。
720 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 12:36:15.29 ID:TCx9pChX
>> 703 森羅万象は伊勢白山道の著作です。
721 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 14:47:42.08 ID:APfNUPT/
◆z/7s9aC7ekさん 707です。ご回答ありがとうございました。 とりあえずこのまま自己想起を続けろってことですねw 自己想起からの瞑想というのは、自己想起を続けていって 無意識の思考が減っていったら仕事をしながらでもできるようになりますか? 私はグルジェフの本を読んでいないので、詳しいことがよく分からないんです。
722 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 15:10:16.63 ID:APfNUPT/
◆z/7s9aC7ekさん それともう一つ質問なのですが、知るものと知られるものの両方を意識するのが 大切だということですが、知るものだけだとどうしてダメなんでしょうか。 ニサルガダッタ・マハラジやアジズ・クリストフは知られるものを意識する ことはおそらく言ってなかったと思うのですが、何か理由があるのでしょうか。
723 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/24(金) 20:00:35.94 ID:qckH1spc
>>721 今707さんに起こっているのはランニングハイみたいなもので、かなり中心が定まってきて
その周辺をいったりきたりして努力しなくても自己想起が起こっている状態です。
実感としては常にって感じですが、それはちょっとした緊張状態でまだ失われるものです。
ランニングハイっていうのも経験のない人には説明しにくいですよね。
限界近くになると走るのが楽になるなんて逆説的ですからおかしいんちゃう?っていわれるw
一回でも中心が定まり完全な無思考状態を体験すれば仕事をしながらでもできるようになりますよ。
かなりちかいところまできてるみたいなので自分がどうこういわなくてもそのうち中心が定まると
思いますが全力で取り組んで我がものとしちゃうことをおススメします。
724 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/24(金) 20:15:44.37 ID:qckH1spc
>>722 グルジェフは知るものと知られるもの両方への意識を第三の意識=自己意識と呼んでいて
第一の意識=対象への意識
第二の意識=自分への意識
第三の意識=両者への意識=自己意識
ってことだと思うんですが3の法則というのもあって、自己想起もそこからきてるんじゃないかと。
知るもの、知られるもの、両方に気づく意識の3つで安定みたいな。
知るものだけの想起っていうのは自分もかなりやりました。でもそれでは何も起こりません。
今思えば、意識としての自分じゃなくて心としての自分を想起していた
自己想起じゃなくて自我想起していたってわかりますけどw
知るものと知られるもの両方を意識することからはじめれば自我想起に陥る危険はなくなります。
自分も両方意識してはじめて第三の意識を認識できました。
最初から正しい自己想起ができるなら知るものだけでもいいんじゃないかな。
対象への意識っていうのは社会生活していれば避けられないものだから勝手に起こるし。
グルジェフも実践上は最初は片方だけやらしてたみたいですよ。
3ヶ月家に軟禁して「私は在る」という想起だけやらせる。
そりゃほとんどの人が逃げ出すっちゅうねんw
725 :
ixtlan :2012/02/24(金) 20:20:56.18 ID:MGikej/H
>3ヶ月家に軟禁して「私は在る」という想起だけやらせる。 これは確かアホOSHOの作り話だったような気がする
727 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/24(金) 20:56:28.62 ID:qckH1spc
>>726 えー作り話なんすかw自分もOSHOの本で知ったんですが。
728 :
ixtlan :2012/02/24(金) 21:11:29.16 ID:MGikej/H
>>724 >グルジェフは知るものと知られるもの両方への意識を第三の意識=自己意識と呼んでいて
>第一の意識=対象への意識
>第二の意識=自分への意識
>第三の意識=両者への意識=自己意識
これは出典はどこでしょうか?
729 :
ixtlan :2012/02/24(金) 21:26:07.35 ID:MGikej/H
十年前にも同じようなことをやってました。
http://www.eleutheria.com/visionquest/data/2340.html#NUMBER2340 相変わらず疑問なのは、どうしてこうも戦争に拘るのかということです。『グルジェフ伝』では戦争の体験がいろいろ書いてありますが。
この本でまず印象が強烈なところは第二十一章のブッダ言説解釈で、それによれば意図的苦悩の最大のものは自分に向けられた不快な表現を堪え忍ぶということになります。
なにが強烈って、第四の道というと、自己を想起するとか、否定的感情を表さないとかいうふうにもっぱらそう思いこんでいたのですが、
ここでは「否定的な感情を表さない」というよりもその表されたものに対して堪え忍ぶということ、という意味で強烈な印象があるということです。
「おまえたちの本性の中に存在する、器官クンダバファーの特性の諸結果が結晶化する傾向を効力のないものにする最良の手段の一つは、<意図的苦悩>である。
そしておまえたちの身体が体験しうる最大の<意図的苦悩>とは、自分自身に向けられた不快な表現行為を堪え忍ぶよう自分を強いる時に生じる。」(訳、163)
これが<ブッダの本当の説教>である、とベルゼバブは言う。確かにブッダはこんなことを言っていたと考えてみてもよさそうです。
どういうわけかシュタイナーも自尊心をなくす修行を語り、カスタネダもまた自尊心なくしにやっきになっている言説を語ってました。
730 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/24(金) 21:26:26.52 ID:qckH1spc
>>728 第三の意識=両者への意識=自己意識というのは
『グルジェフ弟子たちに語る』とか『人間に可能な進化の心理学』などいたるところに述べられていて
第一の意識=対象への意識
第二の意識=自分への意識
っていうのは自分の解釈で、
通常は眠り、目覚め、自己意識、客観意識の眠りと目覚めを第一、第二とするのが普通です。
言葉足らずですいませんm(_ _)m
731 :
ixtlan :2012/02/24(金) 21:30:45.67 ID:MGikej/H
>>729 上の引用にあるように、自尊心を傷つけられたときに、それが、精神の問題というより身体の問題でもある、ともっていくあたりが意味深です。
「彼らの内部でこの聖なる行為をたびたび実行するならば、彼らの体内に<トレントローディアノス>と呼ばれるもの、あるいは彼ら流にいえば<精神的・化学的・結果>が呼び覚まされ、
それが三センター生物の体内にある聖なるデータを形成し、さらにそれが彼らの体内に聖トリアマジカムノの三つの聖なる力のうちの一つを生み出すのだ。
そしてこの聖なる力は、生物の体内では常に、すでに彼らの中にある否定的な特性に対抗する肯定的な力となるのだ。」(164)
***********************************************************************************************
まあ、有名な「意図的苦悩」の具体例がここにあるということで。すなわち、他人の侮辱に耐えること、これが肯定的な力の源泉となる。
なぜかは分からない。なぜというのは説明されているのか?
哲学者ixtlanよ、結局ここでお茶を濁すのか? 別スレ立てた方がよいと思うが? グルジェフは戦争について研究したことを何度も述べているし、 その原因についてはっきりと説明すらしているぞ。
733 :
ixtlan :2012/02/24(金) 21:59:15.00 ID:MGikej/H
>>732 >哲学者ixtlanよ、結局ここでお茶を濁すのか?
それはどういう意味?
>別スレ立てた方がよいと思うが?
なんで?
>>731 > なぜかは分からない。なぜというのは説明されているのか?
とにかく人間は、不快感情を表さないように心掛ければ体内に高次の物質を生産出来る構造になっている、ということでしょう
奇蹟を求めての287ページから、高次の物質を生産する方法について説明してありますね
自分への第一の働きかけが自己想起で、第二の働きかけが自己同一化しないことや不快感情を表さないこと、であると
修道僧、ファキール、錬金術師は第一の働きかけを無視して第二の働きかけだけ行うが、実際にはそれは物理的に不可能であると
(確かにファキールほど徹底して第二の働きかけを行うのはマズいかもしれませんが、我々が実践する上ではこの順番はあまり気にしなくていいと個人的には思います)
なぜ神は人間をそのような構造に創造したのか、という質問であれば、私には分かりません
736 :
ixtlan :2012/02/26(日) 23:38:00.98 ID:WioRFK0y
相談 以下のような相談を受けました。何かアドヴァイスありましたらください。 「老人向けマンションの受付の仕事をしているが、他の人間がどうしようもなくて 困っています。ここの夜勤を一日やってくれと頼まれたのですが、その日に仕事が 入っていた人が、それからというもの、仕事を取られたことで、恨んでいるようなのです。 呪いといったようなものすら感じます。毎日毎日、呪われているのも気持ち悪いものです。 このような場合、一体どうしたらよいでしょうか。 その恨んでいる人物は、実は夜勤と言ってもほとんどの時間は電気すら消して 寝ているのです。楽してお金がかせげるというので、この職場を離れることは なさそうです。」
>>736 相談者は罪悪感によって自分を苦しめていると思うので、自分を赦すことをすすめます。
738 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/27(月) 00:56:40.71 ID:OUpVRuU0
>>736 直接話し合ってみるのがいいと思います。
737さんが仰る通り罪悪感から呪われてると思い込んでるだけかもしれませんし。
739 :
神も仏も名無しさん :2012/02/27(月) 12:24:59.68 ID://sXi9X6
>>723 ◆z/7s9aC7ekさん
困ったことにランニングハイ状態が無くなってしまいましたw
中心からはずれまくってますw
やる気もすっかりしぼんでしまいましたが、またマイペースに
頑張ります。
740 :
◆z/7s9aC7ek :2012/02/27(月) 21:20:15.43 ID:OUpVRuU0
>>739 もうコツを掴んでらっしゃるんだからまた起こりますよwマイペースでぜひ
ニサルガダッタ・マハラジ、アジズ・クリストフを知らなかったのでググッてもwikiがない^^;
アマゾンの書き込みによるとマハラジがアジズの師匠さんらしく
私は在るの自己想起を教えてるんですね。マハラジ眼力がすごいw
マハラジは抽象的というか、あまり具体的に語らないけど、 アジズはけっこう具体的に語るので、参考にするにはいいと思う アジズのエンライトメントって本とかね
742 :
473 :2012/02/28(火) 10:37:18.61 ID:ibnUcqB0
グルジェフの表現は芸術的です。 ベルゼバブ158ページより。 ハセイン 「ハスナムス」。この言葉がさすのは「客観的侮辱」に値する他の人間から区別されるべき人間だと理解していますが、それについてお話しください。 ベルゼバブ 3脳生物。つまり単一の惑星対だけからなる者たちばかりか、体内に既に高次存在体が形成されているのに、どういうわけか 「客観的良心」という「聖なる衝動」を生み出すデータがいまだに結晶化していない者たちを含む3脳生物の、すでに 「凝り固まってしまった」身体を意味しておる。 この観点からするとワークの一環として私はそれを客観的に侮辱していたということなのでしょうか。 主観的な嫌悪を持たず、客観的に違和感を指摘しようと試みていました。
743 :
473 :2012/02/28(火) 10:37:55.84 ID:ibnUcqB0
p502 しかし、この問題に関心を持った者たちから4代目になると早くも、 自らの本質における確信からではなく、既にこの時までに地球の三脳生物固有の ものとなっていた「模倣」と呼ばれる特性によってこの道に従った者たちが、 同様の共同生活を初めて似たようなことをすることになった。 「体内のすべての部分が」、聖なるバートクドルク義務、すなわち 「意識的努力」と「意図的苦悩」を遂行することに前もって意識して 慣れ親しんでいて初めて可能なのだ、ということにまったく思い至らないからだ。 (それがないことによる帰結である) 「ポイゾニオーノスキリアン振動」の働きは、 すなわち彼らの精神ははっきり2元的となり、自己を引き裂いて正反対の方向に自らを表現するようになる。 外部からは「頑固な迷信家」のようにみえるが、しかし他のものには見せない隠された内的表現という見地からすれば、 彼らはお前たちのお気に入りたちが「老練な令笑家」と呼んでいるようなものに見えるのだ。 ハスナムスについてと合わせてこれら2つのグルジェフの講和からこのスレ一連の流れを読み解けば、 ここで起きていたやり取りから多くのことが理解されえるかと思います。
744 :
神も仏も名無しさん :2012/03/01(木) 13:15:13.59 ID:R8vjNO2I
◆z/7s9aC7ekさん 見るものと見られるものの両方に意識を持っていこうとするのですが、 自分ではできていると思っても、よく観ると 見るもの→見られるもの→見るものと意識が交互にいってしまい、 両方同時に意識することができません。 集中して両方意識しようとすると、眉間の辺りが意識の中心になりますが、 どうしても両方同時は意識できず、両方とも意識していないようなボーッ とした状態になります。 両方同時に意識するのは本当にトレーニングでできるようになるのでしょうか。 できない場合は両方意識しようと努力していればいいのでしょうか。 また、両方意識しているときの意識の中心は眉間になっていますか? 質問ばかりですみませんが、よろしくお願いします。
745 :
◆z/7s9aC7ek :2012/03/01(木) 14:13:35.89 ID:3QAR/1IU
>>744 自分の場合、見るもの→見られるもの→見るものと切り替えを繰り返しながら
ピキーンって両方意識している瞬間が訪れたのでぜひ続けてください。
両方同時は無思考の時しかできないのでできるだけ思考と思考の隙間の無思考の瞬間
に意識を向けてみてください。できるだけ無思考状態で観る努力です。
眉間の辺りがじわんじわんとなって引き付けられるのは正しいことだと思います。
両方とも意識していないようなボーッとした状態というのは睡眠にちかい状態でしょうか?
自分で読み返しても小学生みたいな文章でなさけないっす。。。
こういう質問に答えたくてここに書き込んだのにうまく説明できなくて申し訳ないです;;
746 :
神も仏も名無しさん :2012/03/02(金) 14:56:51.80 ID:mVZVRVX7
>>745 感覚的なことなので、説明が難しいですよねw
なんだか質問攻めですみません。
でも、よく分かりました。ありがとうございます。
ボーッとした状態というのは、自分の内側も外側も意識しておらず、
視界全体を眺めているような感じです。
無思考状態で観る努力というのは、日常生活で実践するのは難しいですか?
自分は日常生活でトレーニングしているもので…。
◆z/7s9aC7ekさんご自身はどうされていたんですか?最初はテレビを観ながらですか?
>なんだか質問攻めですみません。 あなたの質問は他の人の役にも立ってるから気にするな
748 :
◆z/7s9aC7ek :2012/03/02(金) 20:28:47.24 ID:rvAEipVj
>>746 内側も外側もないような特定の対象がない状態で、はっきりと意識している状態が
ピキーンにちかいです。社会生活を捨てることなく実践することこそグルジェフが
提示した第4の道ですから日常生活での努力というのは素晴らしいです。
職種によっては難しいかもしれませんが気づいているということが重要だと思います。
自分は最初、知るものだけの想起を何年もやって数々の失敗をやらかしまして、
自分と対象の両者を意識することに気づいてからはテレビを観ながらとか受動的な状態で訓練しました。
世間にいながら世間に属さずっていうのがグルジェフ思想なので日常生活の中でも続けました。
ランニングハイ状態が起こった5日間だけは他のことはどうでもいいやって感じでしたけどw
ハスナムースって発音するんだぜ。
750 :
473♯mayoibito :2012/03/03(土) 21:31:23.95 ID:CcKj4FHW
奇跡を求めてp62 イエスとノートの間の葛藤は結晶化を生み出す。不死なる何かを生み出す。 しかし、結晶化は正邪を問わずどんな誤った土台の上にも成り立つ。 その場合自己を溶解させなければその先に進めない。 修道僧、8時間立ちっぱなしの山賊、これらの人は純粋で不変な何かを内に生み出すことができる。 しかしそんなものが何になるだろう。 この種の人々は時にはある程度の意識を保持しているけども、結局は 「不死なる物」になるのだ。 p43 何をするかだって?私たちは何もできない。 何もできないということを理解しないと、誤った土台のもとにワークは進み事態は悪化する。 p46 人は自覚して嘘をつくことはまれである。人は無自覚的に嘘をつく。 自分について真実を語るには長期間の多大なワークが必要になる。 その困難さを理解していない人間は自分が嘘をついていることに気づいてすらいない。 (もちろん473も無自覚に嘘をついているのでそれを客観的に暴いてくれる人がいればありがたい。 それはめったに起こらないことなので人とのかかわりの中自分自身で見出してゆく。) 私たちの選択しうることは全て私たちの中の機械、群衆が関わっている。 考えうるあらゆる選択がすでに制限されたものなのだ。 全てから完全に解放されない限り「為す」ことはできない。 それを全身全霊で感じる準備として自己想起の試みは少しは役に立つかもしれません。
全ての混乱の原因は月なんだよな。 俺たちは客観的に不幸な三脳生物ってことだ。
月が惑星として安定するのには途方もない時間がかかり、 地球がその生命を終えるのはさらに気の遠くなるような時間がかかる。 それでも俺たちのほとんど全ては養分としてのどんぐりで終わり、 消えていく。
397 :473♯mayoibito:2012/03/04(日) 19:33:51.60 ID:W96yI0eX >自分の行動を変えようとして少しの間うまくいっても結局戻るところに戻ってしまうのですよね。 >自分の日々の行動に違和感があっても変えようとせずに、日々自分がしてしまうことを見つめていれば、 >自然体で自分の不自然に見える行動を不自然だと見ないでただ見つめることは、行動ではなくむしろ観察者である >判断する主体そのものを見つめることなのかもしれません。 >行動の方ではなく、すべての行動の元である私自身、観察者自身が、、、、 >ということかもしれません。 アジズも、 「行為に気づくな、むしろ行為者に気づけ」「思考に気づくな、むしろ思考者に気づけ」って言う。 けど、我々に刻印された習慣は根強い。 行為や思考の背後の私。私なのに遠いのはなぜだろう? 私なのにいつも、いることすら忘れているのはなぜだろう?
754 :
473♯mayoibito :2012/03/05(月) 14:52:59.86 ID:Y1rYm3Ga
自分の思考や行為を評価することは新たな思考者であり、 思考者と自分自身が分割され溝ができてしまう。 本来の自分自身が遠くへ行ってしまう。 生はあふれ出て死という休息に回帰している。 我々に足りないものは何もない。 あふれ出る生を滞りなく回転させればそれでいいのだ。 が、エネルギーのバイパスであることでなく自分自身で生を組み立てようとしたのが我であり、 それを私が評価することで私と我の距離すら遠くなってしまった。 そういうスタート地点。
新たな思考者とか、思考者と自分自身が分割され溝ができるとか、 本来の自分自身が遠くへ行ってしまうとか、 それら自体が新たな思考、新たな思考者だから 新たとか新たでないとか、誰の何なのよ
756 :
神も仏も名無しさん :2012/03/12(月) 04:33:36.57 ID:i4NXDfou
自己観察って良い想念、悪い想念浮かんでも修正しちゃダメで、ただ観察するって 云うのはわかるけど、実際にその場で修正しちゃいけないって気づいた時点で意識 しちゃって多少影響与えてる気がする(自己観察してない場合のその後の行動と 観察して修正しちゃいけないって意識場合の行動に多少の変化があるように感じる 全く思考や行動に影響を与えない全くの客観視って難しい気がする。 例えば霊という立場になって自分に取り憑いてる感覚で傍観すればいいんだろうか?
757 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/12(月) 09:14:25.09 ID:oq0M34oP
仰る通りです。 修正以前に、それをそれとして認識する時点ですでに取捨選択が入っていると感じます。 結局この試みは私たちそのものが主観であり、また主観の克服もまた主観であるということを理解すること。 そんな風にグルジェフは示唆しているような。
思考しても行動しても修正しても、それにこだわらなければいいのではないでしょうか そこにこだわり(執着)があるかないかではないでしょうか こだわり(数着)はそれが自分であるという同一視から生じているので、 思考しても行動しても修正しても、それは身体と心に生じてるものであって、 自分(意識)とは関係ないと、こだわりを持たないまま、自由に思考行動修正すればいいのではないでしょうか 心は心のありようのままに、身体は身体のありようのままに、それらの勝手に働くのであって、 自分(意識)はただそれらを観ていればいいのではないでしょうか
759 :
神も仏も名無しさん :2012/03/12(月) 17:39:09.15 ID:i4NXDfou
主観の克服もまた主観であることを理解する。 と云うことは、それはそれで 気にする必要がないって事なんですかね。 結局は実践が重要なような気がします。 体で理解するというか、体験でわかる事の方が重要な気がします
760 :
473 :2012/03/14(水) 23:51:47.36 ID:0oGj7Fxg
>>758 759
それらの考え方は非常に素晴らしいです。
しかし、過去幾人もの人がそれに勝るとも劣らぬ、もしくはより賢明な考えを持って
それを追及しています。
私の場合は何回も自分の考え方をマイナーチェンジし、何万回と試みその度に失敗しました。
そして、失敗から人格と本質について自分のこととして学ぶことができました。
あなたも失敗すればより具体的な話ができますし、成功したなら是非こんどは推論ではなく、
あなたの事実としてそれを語り、我々を導いてください。
あなたがそれを試み、その試みから学ぶことが大切です。
その試みから失敗なり成功なりすればそれはあなたがした事実についてのお話になりますが、
それを試みる段階では誰もが考えることのできる事実性固有性のない言葉になってしまいます。
他人の事実はもしそれが事実であったとしても、自分にとっては推論と変わりないので、 自分で自分の事実を見出すしかないでしょう 他人がどうであるかとか、事実か事実でないかとかは、どうでもいいことでしょう もしそれらが気になるなら、自と他を分けて、他によって自を形作ろうとする、他への依存なのでしょう
762 :
473 :2012/03/15(木) 02:25:10.81 ID:t/302PGy
あなたの事実はもしそれが事実であったとしても、他人にとっては推論と変わりないのなら なにをしに来られたのですか。 自分で自分の事実を見出すしかないでしょう ブーメランになる発言に注意してください。あなたの良心はそれに警告を発しているはずです。 ≫他人がどうであるかとか、事実か事実でないかとかは、どうでもいいことでしょう もしそれらが気になるなら、自と他を分けて、他によって自を形作ろうとする、他への依存なのでしょう 我々はともに事実に向かうこともできます、ともに目覚めることもできます。 また共に事実から乖離し眠りこける危険性もあります。 自分の事実と空想を判別することと他者の事実と空想を判別することの重要性に差はありません。 あなたが空想に生きていたとして私がそれを見抜けなかったら私はあなたの空想に巻き込まれてしまいますし、 あなたが事実に生きているならともに目覚められているような影響を与え合うことができます。
763 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 03:39:32.83 ID:Gi8kAo0X
まだ途中までしか読んでないんだけど、 ◆z/7s9aC7ekさんが降臨してせっかくむちゃくちゃ面白くなってきたのに、 473がすごい頭悪いしすごい邪魔。 >>◆z/7s9aC7ekさん ありがとうございます。ものすごい興味深かったし参考にさせてもらいます! 473うざいし邪魔なだけだから消えてくれないかな・・・。
>>763 いや、2CHってものは複数のテーマがひとつのスレで平行して進行するのが普通だから
面白いテーマもつまらないテーマもそれぞれ干渉せずに勝手にやればいい
つまらないと思うテーマは読み飛ばせばいい
ただでさえグルジェフの話が出来る人なんて少ないんだから
いや、既にみんな勝手にやってるだろ。 つうか板が悪いな。この板は基地外が多すぎる。 このスレを最初から読んでみても、まともな書き込みなんて ほとんどないし…
>>762 いえ、わたしは事実か事実でないか、気にせず反応すべきだと言っているのです
自分の事実と空想ですら判別しなくていいと思います
自分の事実や空想というものがあるのですか?どこに?
そもそもあなたは、自分を事実と空想を判断できる主体だと思っているからそう述べているんでしょう?
それは事実ですか?空想ですか?
事実という言葉を使うなら、わたしは事実と空想を分別しないという事実と空想を超えた「事実」の話をしたのです
ブーメランではないと思いますよ
767 :
473 :2012/03/15(木) 11:16:32.95 ID:IyVkEzXA
少し前にグルジェフの言説を引用しております。
そのグルジェフの言説に乗っ取って、ここでの書き込みや自分自身を検証されるとよろしいかと思います。
私がグルジェフの言葉にのっとっていないと感じることがありましたらご指摘ください。
>>763 邪魔ですか。
邪魔ということは彼のことが気に入ってるのと同じく、私の書き込みも気にかかるということですね。
まったく無意味なら気にも留めないはずですから。
グルジェフは摩擦手法を用いました。
あなたの(彼の)見解が真実なのか、それともあなたの見解こそ偽りで私のほうがあなたの真実を刺激しているのか、
それは決してあなたには判別できません。
葛藤しているとき、どちらが正しいのか自分で判別できると思っているとしたら、グルジェフを全く理解できていません。
葛藤にとどまり、「意図的に苦悩」し、両方の意見が両方ともあなたの中から消えて葛藤が収まったとき、
他者の正しそうな意見も間違ってそうな意見も消え、誰の意見でもないあなたの真実が花咲きます。
768 :
473 :2012/03/15(木) 11:17:58.23 ID:IyVkEzXA
≫事実と空想を超えた「事実」 あなたはそれを知っているのですか。 知っているとしたら、私たちの白昼夢と、3センター全体にまつわる私たちの事実を判別できるでしょう。 超えている存在は超えたものを把握できないことはないでしょう。 それにもし目覚められているのでしたらそれを解説するのではなく、私たちの無知のベールを引きはがすように語り、 実際にそこへ導いてください。 ≫事実と空想を超えた「事実」 これがもしあなたに予想された、観念で組み立てられた概念であるなら、 それを空想といい、私たちをより深く夢に導きます。 それは私たちが本質に、無意識に抱えている膨大な想念を理解することを妨げ抑圧するからです。 どうか推論なさらないでください。
769 :
473 :2012/03/15(木) 11:19:10.15 ID:IyVkEzXA
私はたくさんの思い込みをして、それで最初は楽しかったですが徐々に苦しみはつのり、 その原因が思い込みであるということに幸運にも気づきそれを手放しました。(まだまだ残っているようです) 本質との調和が取れないのです。 自分がはまってなんとか脱出できたことについては見えてくるものもあります。 いわゆる主観である「私」は他人の思い込みを見抜くことはできません。 むしろ「死んだ私」の部分なら、同じ部分である「生きている私」に対して、私が生きていて働いているよと言うことはできます。 生きている私は他の同じ部分である生きている私を理解できず、 互いに夢を深め合ったり互い争ったりするようです。
>>768 何度も言いますが、あなたにとって私が知っているかどうかはどうでもいいのではないですか?
事実であろうと推論であろうとどうでもいいのではないですか?
あなたにおいてはあなた自身で見出すだけであり、
わたしにおいてはわたし自身が見出すだけではないかと、
そう言っているだけです
自分でない他人が知っているとか知らないとかはどうでもいいことです
自分が自分で見出すためにそれらを活用するだけであり、
それらが事実か事実でないかはそもそもわかりようもないでしょう
あなたは他人の何かを事実か事実でないかわかったことが一度でもあるのですか?
自分の何かを事実か事実でないかわかったことが一度でもあるのですか?
あるならば、あなた事実と事実でないことがわかるのだから問題は生じなはずですし、
ないならば、あなたは事実と事実でないことをわかりえないということがわかると思います
771 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/15(木) 12:34:14.66 ID:IyVkEzXA
区別しないというのは聞こえがいことではあります。 しかし、グルジェフが提示したのは区別しないことではなく、我々がたくさんの物事を区別する概念にとらわれており、 その区別同士対立もしていて統一を欠いているという実態です。 グルジェフはその実態を理解することを求めました。 それは区別しないようにすることではなく、区別している自分自身の自覚です。 それ故に区別というものを対象に語らざるをえないところがあります。 区別しないことは私たちから離れた不可能なことであり、また区別しないことはただそうなのであって、語れば語るほどそれから遠ざかるからです。 自分自身が複数の空想にとらわれており、物事を区別して見ざる負えない。 既に区別してみているのだから何を試みても無駄である。 それを全身で感じ、それを悔い、区別しないことを願い祈ることならできます。 しかし区別しないことを自他に主張するのは、区別すること―しないこと という形での新しい区別の基準を加えることでありより、混乱は深まります。 もし自分がさまざまな物事を区別しないでいられない、すでに区別しており牢獄の中にいる という恐るべき実態を受け入れられないのならグルジェフに関わる理由がわからないのです。 まず自分の信じるところで全力を尽くして試してみてください。 グルジェフは失望と後悔があるところからしか何も始まらないといいます。
772 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/15(木) 12:34:53.43 ID:IyVkEzXA
>>770 770から感じるのはあなたにとってあなた自身がどうでもよく、他人の事ばかり気にしているということです。
770の内容は他人に求めるのではなく、単純にあなたが実践しなければなりません。
あなたが実践する。
つまりこのやり取りにおいてあなたがわたしではなく、あなたがあなた自身を検証するということにおいて、
770の主張は実地として示されるのです。
人に要求して自分は決してしない。
他の人に「あなたは自分自身を見なさい」と言い続けて、それを言う人はそれによって自分自身にかかわることを回避しています。
おっしゃることを実行してください。
それが何よりも人に勧めることになります。
>>772 あなたがそう受け取るならそれでいいですよ
あなたに「他人の事実うんぬんはなくあなた自身で見出しすのがいいのでは」と言いましたが、
それで実際にあなたがどうするかはわたしにとってはどうでもいいのです
わたしが他者に何かを言うことと、それで他者がどうするかは全く別のことです
わたしは他者に結果を求めて、結果のために話しているのではありませんから
当たり前ですがあなたはあなたの好きにすればいいでしょう
774 :
473 ◆xIpfQokPjM :2012/03/15(木) 13:26:52.51 ID:IyVkEzXA
>>770 も773も光栄なことにみな私のことばかりです。
あなたにとってあなたがどうするかはどうでもいいのですか。
どうでもいいことをわざわざお書きにならず、大切なことをお書きください。
第4の道には、誰かを自分の場所まで連れてこないと次の段階に進めないという特徴がある。
そのようにわれらが師グルジェフはおっしゃいます。
眠りつつある人は自分が眠るだけではなくその言葉、所作から自他問わず眠りを広げますし、
目覚めつつある人は誰のものという区別なく空想を手放してゆきます。
誰のという区別は不要なのではありませんか
自分に入れ込みすぎていたら周りの人(師も)はちょっと他の人も見てごらんとバランスをとる手助けをしますし、(自分を責めすぎる人もまた居るのです)
他人の事ばかり見ていたら自分のこともみてごらんと周りの人は示唆するでしょう。
私もあなたも関係ないのです。
私たちはたがいに繋がっており影響を与え合っています。
迷いを打ち破るのに「誰の」という区別はありません。
あなたがあなたの発現をしてそれをわたしが認知した時点からあなたとわたしは元々一つなのです。
それを自他に分割せず一なるものとして愛おしみ、去らせるだけです。
775 :
473 :2012/03/15(木) 13:27:24.01 ID:IyVkEzXA
>>770 も773も光栄なことにみな私のことばかりです。
あなたにとってあなたがどうするかはどうでもいいのですか。
どうでもいいことをわざわざお書きにならず、大切なことをお書きください。
第4の道には、誰かを自分の場所まで連れてこないと次の段階に進めないという特徴がある。
そのようにわれらが師グルジェフはおっしゃいます。
眠りつつある人は自分が眠るだけではなくその言葉、所作から自他問わず眠りを広げますし、
目覚めつつある人は誰のものという区別なく空想を手放してゆきます。
誰のという区別は不要なのではありませんか
自分に入れ込みすぎていたら周りの人(師も)はちょっと他の人も見てごらんとバランスをとる手助けをしますし、(自分を責めすぎる人もまた居るのです)
他人の事ばかり見ていたら自分のこともみてごらんと周りの人は示唆するでしょう。
私もあなたも関係ないのです。
私たちはたがいに繋がっており影響を与え合っています。
迷いを打ち破るのに「誰の」という区別はありません。
あなたがあなたの発現をしてそれをわたしが認知した時点からあなたとわたしは元々一つなのです。
それを自他に分割せず一なるものとして愛おしみ、去らせるだけです。
一つだと本当に知って体験出来ているなら、一つであることにこだわらないでしょう 一つでないこともまた一つだからです あなたはあなたの好きにしなさいよ、他人は他人の好きにさせなさいよ それもこれもどれも一つなんですから
777 :
神も仏も名無しさん :2012/03/15(木) 16:17:44.41 ID:4/MTudgu
777
778 :
473 :2012/03/17(土) 00:03:30.98 ID:crHYXKe6
わたし以外にわたしを束縛するものはなく、あなた以外にあなたを束縛するものはありません。 わたしの好きにさせてしまうことが束縛をより強めると理解した人たちがグルジェフの元に集まり、 解放に向けて旅立ちました。
779 :
神も仏も名無しさん :2012/03/17(土) 13:40:36.94 ID:HWhts1eq
◆z/7s9aC7ekさんに質問です。 自己想起において意識することを試みる「自己」とは どういうレベルの「自己」なのでしょうか? 思考とか体のレベルの「自分」でしょうか? それともそういった「自分」や世界を認識している主体としての「自己」なのでしょうか? 真剣に取り組みたいと思ってます。 アドバイスいただければ幸いです。よろしくお願い致します!
780 :
◆z/7s9aC7ek :2012/03/17(土) 14:53:41.78 ID:BeJC757p
>>779 自己想起(self-remembering)の自己(self)は世界を認識している主体の方にちかいですが
どこかのレベルの部分というより体、感情、思考ひっくるめた全体といった方がいいと思います。
考えるのではなく、言葉で繰り返すのでもなく、自分の存在を感じてみてください。
対象に意識を向けて何かをしている時でも、同時に自分にも意識を向け続けて私は在ると
感じ続けることが自己想起です。
781 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 05:34:20.59 ID:yJvoGIt8
◆z/7s9aC7ekさんご回答ありがとうございました! 自分はつい「そもそも自分とは何なのだろう?何を指すのだろう?」とか考えてしまうのですが、 そうではなくて何をしているときもそのしている自分を感じてみようとしてみるということですね。 まだまだ手探りでわからないことだらけですがとにもかくにも体当たりでぶつかってみます! ありがとうございました!
782 :
神も仏も名無しさん :2012/03/18(日) 22:22:33.84 ID:z0ZZ8RJO
グループリーダをむかえて集中的なワークが行われる。興味がある人はコンタクトを。 自己想起の重要なカギがこのワークにある。
>>780 z/7s9aC7ekさん
日常に変化を感じたことなどあれば書いてください
784 :
◆z/7s9aC7ek :2012/03/22(木) 00:10:52.41 ID:NVh/y4yB
>>783 自己想起を始める前と後とでは行動が意識的になるのが感じられると思います。
日常ではそれが一番大きいんじゃないかな。
自分の行動を思い出す時にも記憶がはっきりしているはずです。
思考が自分の意志とは関係なく勝手に起こりつづけていることに気づくのも大きいかな。
自分が思考しているんじゃなくて勝手に思考が起こって自分に影響を及ぼしている
思考に駆使され翻弄されている感じに気づくっていうのは大きな変化だと思いますよ。
>>784 > 自分が思考しているんじゃなくて勝手に思考が起こって自分に影響を及ぼしている
これは面白いね。なるほど。
固定ハンドルでありながら名前欄の入力すら固定できず(orせず?)、 トリップまでだだ漏れ。指摘があっても直らない。 何か欠陥か意図があるのだろうか?
単にバカなんだろw
でも和尚信者のお前も(ry
790 :
神も仏も名無しさん :2012/04/21(土) 15:04:37.80 ID:jf2OmkWk
グループリーダーからの自己想起の伝授は 極めて稀な、得難い至宝です。
◆z/7s9aC7ekさん 自己想起によって人間第5番に至ったということですが、グルジェフの他の側面についてはどうお考えでしょうか? グルジェフは、「奇跡を求めて」に書かれている知的な体系(?)やエニアグラム、ベルゼバブ、それにムーヴメンツを伝え残しています。 自己想起はグルジェフが伝え残していったものの内の一つだと思うのですが、自己想起だけでも十分ということなのでしょうか?
だとすると、グルジェフはなぜあれほど沢山のものを凄まじい努力をかけて残したのでしょうか。 人間第5番という観点から見て、自己想起以外にグルジェフが伝え残していったものたちはどう見えて、どういった位置付けになりますか? お答えいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
793 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/26(木) 02:30:37.68 ID:cghF9IKb
>>791 >>自己想起だけでも十分ということなのでしょうか?
最終的には自己想起という努力も邪魔になって消えていくのですが自己想起だけで十分です。
水素論と食物論のとこをちょっと書いてみると
第一オクターブ(食物)ド768→レ384→ミ192→(呼吸によるショック)→ファ96→ソ48→ラ24→シ12
第二オクターブ(呼吸)ド192→レ96→ミ48→(自己想起によるショック)→ファ24→ソ12→ラ6
第三オクターブ(印象)ド48→レ24→ミ12
人間有機体への第一の働きかけ=呼吸
人間有機体への第二の働きかけ=第一の意志的(付加的)ショック=自己想起
人間有機体への第三の働きかけ=第二の意志的(付加的)ショック=瞑想
印象により思考が生まれる瞬間に意識的になることが第一の付加的ショック。
これによりミ48はラ6に、ド48はミ12になる。ミ12、シ12を変性させることが4番から5番へ移行。
第二の付加的ショックについてははっきりと述べられてないけど瞑想のことで
不快感を表現しない訓練や自己同一化しない訓練は瞑想のための準備。
つまりまず肉体、感情、思考に意識的になり、次に無思考に対しても意識的になる。
794 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/26(木) 02:31:20.85 ID:cghF9IKb
瞑想というのは
>>709 に書いたように無思考の意識なのですが、ストップムーヴメンツは
この第一と第二の意志的ショックを一気にやりますよね。
意識的に動き、ストップの指示ともに全面的にストップする。もちろん思考も全面的に
ストップしなければいけないのでストップしていなければという思考ですら失敗です。
もし全面的に停止できて、かつ意識的であれば意識としての自分、知るものを知る。
でもこれは指示出す人を信頼してないとできないでしょうし、自分で自分にストップかけるにしても
どうしても加減しちゃうでしょうから難しい方法かなと。
自己想起の場合全力でやればストップの地点が勝手に起こるので一人で取り組むならそっちの方。
向き不向きあるでしょうけど。
ここまで書いていてなんですがオクターブがどうとか事前に知的に理解する必要はないです^^;
『奇蹟を求めて』が手元にあるなら水素論のとこを読み返してみれば得るものがあるかもですが。
要するに無思考の地点まで至ることが目的なので方法は一つあればいいと思いますよ。
795 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/26(木) 03:20:52.36 ID:cghF9IKb
>>792 >>グルジェフはなぜあれほど沢山のものを凄まじい努力をかけて残したのでしょうか。
グルジェフが意図的に残そうとしたのは森羅万象シリーズの3著作ぐらいで
後世に知識を伝えることについてはあまり関心を示してなかったんじゃないかと。
『奇蹟を求めて』はウスペンスキー婦人がグルジェフのもとに持ち込んでお墨付きをもらった上で
出版されてるようですが当初の意図ではなかったみたいですし、グルジェフ自身は目の前にいる
人間に関わって変容させることが主眼であって、あえて残したというより弟子達に働きかけた結果が
記録された断片によって知られているのだと思います。
お答えいただきありがとうございます。 そうするとどちらかというとノーメソッドに近いのでしょうか。 やはり腑に落ちないのです。 「創造と進化の図絵」というサイトにグルジェフの生涯がよくまとめられていますが、 自己想起で十分にしては何もかも大袈裟過ぎるように見えてしまいます。
ベルゼバブだけ見てもあまりに膨大な仕事です。 これは自己想起だけ教えておけばよかったわけではないことを表しているのではないのだろうか、 というのが疑問なのです。 これはようするに、眠りこけた人間には事実が単純過ぎて受け取られにくいなどの理由から、 あの手この手で物語をでっち上げてくれた、というものなのでしょうか。
「奇跡を求めて」に書かれているような知的な内容に偏った教えて方は途中からやめていたようですね。 ここに単独で自己想起のみで第5番に到達した方がいるのに、 グルジェフほどの人物の間近にいた高弟と言われている人たちさえ失敗しているとうのが分からない。 しかしグルジェフは、自分が見出だしたのは雨が降ったら地面が濡れるというようなことだとも言っていたようです。
◆z/7s9aC7ekさんの現在の観点から見て、 何らかの要素が足りないということはやはりないのでしょうか。 疑問は尽きないのですが、またお答えいただけると幸いです。
800 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/27(金) 01:17:55.90 ID:YtdyOXvC
>>797 自己想起だけで十分っていうのは「汝自身を知れ」っていうことに対して
つまり自分自身を知り結晶化することに対してであってそれ以上のことについては
自己想起だけでは十分ではないです。
第6番に進むには第5番で結晶化した本質を再び溶かし5番としての存在を
恐るべき苦痛を通して意識的に失わなければならないといってますが
そのことに対する方法論っていうのがよくわからないんです。
アドヴァイタなんかで言う、心と身体を自分とみなさないってことなんじゃないかな 自分は意識であって、心でも身体でもない 自己想起や結晶化は心で行われていると思うんだけど 知ること、認識、知覚、観照はあくまで心がしていることであって、 自分がしているわけではない 自分が誰なのかわかったというのは、まだ心が心をわかっただけで、 わかったのは自分だとか、その心が自分だとか、まだ自分を誤解してると思うんですよね 自分ってのは、それらですらないっていう といってもまだよくわかりませんが
>>798 自分自身を第5番に到達したなどとのたまう輩には関わらないが吉。
高弟が第何番なのか論じるのは無意味だよ。
もう一つ言っておくと、グルジェフは第8番だ。
1 名前:井宿φ ★[] 投稿日:2012/04/21(土) 19:35:43.34 0 最近では、カルトや霊能者の“専売特許”のようになった洗脳、マインドコントロール。 いずれも特定の主義や思想を持つように仕向ける方法であるが、より歴史の古い 洗脳は物理的暴力や精神的圧迫を伴う。これらの危険な技術は、元をたどれば、 中国で開発されたものであり、圧政の歴史とともに広まっていった。 ジャーナリストの山村明義氏が解説する。 * * * 中国では支那事変(日中戦争)の最中から、日本人捕虜に対する洗脳工作を 行なっていたが、戦後も強制的な洗脳工作が継続されていた。周辺国への侵略とともに、 新たに支配下に置いたチベットやウイグルなどの土地で、中国政府に反抗的な チベット人やウイグル人などの洗脳が行なわれるようになったのだ。 彼らを逮捕監禁し、中国当局が拷問や自殺の強要を行なうなどした。電気棒(棒状の スタンガン)を口や肛門、膣などに突っ込み、拷問を行なったことは有名だ。 チベットから日本へ帰化したペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学教授は、チベット人への 洗脳工作の実態をこう語る。 「中国のチベット侵略の始まった1949年から1979年までに、チベット人120万人が死亡し、 刑務所や強制労働所での死亡が17万人以上、拷問や自殺による死亡が約3万人に 及ぶとされています。改宗など非仏教化も行なわれ、中国共産党はチベット僧侶への 洗脳を行なっています。チベット仏教の最高権威であるダライ・ラマ法王への批判も やらせているのです」 ペマ氏によれば、位の高いチベット僧侶を洗脳するために拷問し、「本当に神や仏が いるのなら、崖から飛んでみろ」と命令し、飛ばずに改宗する僧には、自由を与える ということも行なった。さらに、ウソも100回言えば真実になる、の喩え通り、 「チベット侵略はなかった」とか、「これは他民族支配ではなく、中国国内の人権問題だ」 と欺瞞を国内外に向けて繰り返し、先進国やチベット人に刷り込むことも行なっている。 チベット侵略では他にも、密告制度や人民裁判に似た「タムズィン」という制度での 洗脳工作が行なわれた。
ダライ・ラマなんて「まだ眠ってる」なんて言う超人がこのスレには光臨してるんですよね。俺が彼の身なら夜も眠れなくなりそうだけど、へー
1 名前:帰社倶楽部φ ★[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 16:35:26.10 ID:???0
7日付のインド紙タイムズ・オブ・インディアによると、中国チベット自治区からのスパイが、インドに亡命中の
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)の暗殺を企てているとの情報があり、警察当局は警備強化に乗り出した。
西部ムンバイの警察は、中国国籍の「タシ・プンツォク」と名乗る中国の情報機関所属とみられる人物が、
インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府に関する情報収集とダライ・ラマ殺害のため、インドへ侵入するとの情報を入手した。
ムンバイ警察は国内の亡命チベット人の関連組織に情報を伝えた。スパイは計6人いるとされる。
2012/01/07 16:22 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012010701001093.html
805 :
791 :2012/04/28(土) 01:24:57.72 ID:IQkBKIhG
第5番まで自己想起だけでもいけるということですね。ありがとうございます。 せっかくそこまでたどり着いたのですから、そこからは誰かに師事してでも突破して欲しいです。 一度溶かさないといけないのは、よろしくない結晶化の場合だけではなかったでしたか?
806 :
791 :2012/04/28(土) 01:28:27.86 ID:IQkBKIhG
先々の疑問はひとまず、自己想起の実践上の相談をさせていただきたいのです。 私はまだまだ初歩なのですが、だから自分がやっているのが自己想起なのかどうかわかりません。 ペントランド卿という方も言っているように、最初は自己想起というアイデアを想い起こすだけですよね。 ダブルアテンションという表現もあるように、対象と自分に注意を払います。
807 :
791 :2012/04/28(土) 01:32:41.71 ID:IQkBKIhG
そうしている間、何か安定感があるのです。 中断すると気持ちが悪いと感じるほどに、妙な安定感があります。 この安定感という表現で伝わるかどうか分からないのですが、 ◆z/7s9aC7ekさんから見てこれはとりあえず自己想起になっていますでしょうか?
808 :
791 :2012/04/28(土) 01:36:13.48 ID:IQkBKIhG
また、注意力の強さについてなのですが、普段から対象に向けても大した強さで注意していないので、 まずは同じだけの緩い注意力を自己にも向けることにしています。そうしないと大変に疲れるからです。 これについてはどう思われますか? 初心者の変な疑問に付き合わせてしまうのは申し訳ないのですが、気が向いたらまたお願いします。
809 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/28(土) 02:39:52.53 ID:EyMQ14YN
>>805 確かにここからは師に導いてもらわないと進めないのかもしれませんね。
『奇蹟を求めて』のp.123の5行目から第六番になるには
の文章があるんですが載ってるのはここぐらいかな。
>>807 自己想起になっています。
>>808 対象と自分両方への注意は緊張をともないますから
大変に疲れるというのは正直な実感だと思います。
ですが最終的には全力で対象と自分に注意を向けてください。
2点の中心にピントがズバリとあったらすごいことが起こりますよ^^
810 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/28(土) 03:01:37.16 ID:EyMQ14YN
>>801 アンカーついてないけど800に答えてくださったのかな?
自分は意識であって、心でも身体でもないっていうのは心と身体は対象として
みることができるからみられるものは自分ではないってことですよね。
自己想起はまさにそのみている意識を見出すもので、心が自分っていうの違いますよね。
意識は決して対象にはならずみるものにとどまる。このみるものを知るには体験するしかない。
だから知る方法の一つである自己想起のやり方を書いたんです。
>>581 さんが紹介してくれた方法とかムーブメンツとかヴィパッサナーとか方法はいっぱいあるみたいです。
>>810 見ること、見てる意識も心(個を基とした意識)であって、
そもそも自分はいない、あるいは自分は全てなので、
自分は見ることもできないということです
見られるものは自分ではない
そして見ているのも自分ではない
見る見られるという2元性にあるものはどちらも自分ではない
結晶化した本質を再び溶かすということについて書きました
しかし自分も探求中ですので、まだよくわかっていません
心と身体を観ることができたら、観る者、観ることができることを自分と思ってしまうけど、 それも違うということかな 自分と思ってしまうということが問題で、 観られているものも、観ているものも、自分ではないということです 観ているものが、観られるものを、観ているだけ それらは全て心であって、自分ではない
813 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/28(土) 11:26:06.74 ID:EyMQ14YN
>>811 なるほど。心=(個を基とした意識)とみるわけですね。
自分は心=(思考作用とか想像力、いわゆるmind)という意味で使っていたので。
ということは
>>800 の自分は意識であって、心でも身体でもない、というのは
自分は意識(宇宙意識とか呼ばれているもの?)であって、心(個を基とした意識)でも身体でもない
ということでOK?
814 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/28(土) 11:27:41.43 ID:EyMQ14YN
すません。
>>801 の自分は意識であって、心でも身体でもない、です^^;
>自分は意識(宇宙意識とか呼ばれているもの?)であって、心(個を基とした意識)でも身体でもない ということでOK? そうです 言い換えると、無我という言葉がありますが、自分はいなかったという意識体験がありますが、 その時同時に、その意識体験をした自分がいると思ってしまうと思うのです 自分というものがあると思っていて、実は自分はいなかったとわかるのですが、 自分はいないとわかってしまった自分を持ってしまう 自分がいないとわかった自分も自分でないということです それが無我なんだとようやくわかったので、 結晶化した本質を再び溶かすということもそういうことではないかと思ったのです わかるということや、観るということは2元性に基づくもので、個と個の関係性で成り立つ ものだと思うのです それは対象が抽象的なものであれ、カタチのないものであれ、個(自)と個(他)だと思います わかったり、観えたりするのですが、それらは自分ではない、それらを自分として持たない、 自分はないということですらない、という体験にならないと、 依然2元性の中での体験だと思うのです
816 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/28(土) 12:57:28.06 ID:EyMQ14YN
>>815 なるほど。
その自分はないということですらない、という体験はどうやったらできるのか
知ってたら教えていただきたいです。
個を基とした意識を自分とみなさないでいればいつか起こるのかな?
自分も探求中と明言されてるのに聞いちゃって申し訳ないですが^^;
817 :
神も仏も名無しさん :2012/04/28(土) 16:35:33.33 ID:gA+lavXh
>>811 達成をあせらぬことです。また安易に言葉を信じないほうがよいかと思います。
◆z/7s9aC7ekさんはクリシュナムルティのまねをする人がいたら判別できないという究極の失言をしています。
それは、人間第5番が独自の言葉を使え始めるという事実に反しています。
まねをしているという時点でそのレスの主の存在は無いことが明らかなのに判別できない。
また対話は相手を客観的につかんで外的考慮をした客観的言語で語ることで、またここにもその人の存在のレベルが露になりますが、
その要素も無視です。
その次元が抜け落ちてしまっています。彼にとっては言葉が全てなのです。
感情的に死んでしまっています。
また彼は人間についての客観的知識が殆ど無く、自分中心の自己想起にまつわる理論(どうみても白昼夢なのですが)
を主観的に繰り返すだけです。
あらゆる修行は何らかの結果を生みます。
誤った結果を生み出さないためには自分の機械性、自分が全く無であるということを痛感して行くしかありません。
はい、あなたの仰るとおり自己想起は正しい土台にあってのみ花咲きます。
そして4−5と進めば進むほど機械性から開放もされますが、むしろ覚醒が深まるにつれ自分のより深い機械性が見通せるようになり、
謙虚になってゆくのです。
>>816 最近思うのは内面の機が熟すことで、それに応じた体験が訪れるということです
アドヴァイタにあるように「わたしは誰か」と問い続けるなど自分なりにやりました
「わたしは誰か」と問うことは、本来問うことができないことなので、
それをやり続けることで、2元性を作り出している個人性を氷解するという説明に、なるほどなと思いました
想念、意識の生じる出所の一点に向かう、わたしがないという心が生じたら、その出所に向かう
それを疑う、問う、
もちろん疑ったり問うのも想念、心なので、出所に向かいながら、出所に向かうという出所にも向かう
その出所に向かうという想念の出所に、という矛盾したことを延々やりました
あと単純に、常日頃から、自分に生じるもの、心や反応を自分だと思わない
生じるものは対象と自分の関係性から生じたものなので、それらはただ生じたものとして、
自分だと思わない
自分でないという心も生じたものなので自分だと思わない
そうやっていくことで、だんだん、わたしがあるとかないとかいうことに対するこだわり(心、視点)が消えたのか
自分があるとかないとかいう意味がわからなくなっていきました
それから以前をふり返って、自分があるとかないとかいう心、視点、
自分があるという自分を持っていたのと同じように、自分がないという自分、視点を作り、持っていたことがわかりました
生じる一切を自分とみなさないこと、みなしてないという自分も自分とみなさないこと、
そしてそれらの生じる一点に向かうことで、機が熟していくように思っています
ただ、自分はこのスレは参考のために見ているだけで、仏教やアドヴァイタ中心で、
グルジェフはあまり知らない身ですので、そう思ってください
まだ実践中の身ですし
819 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/28(土) 18:54:47.91 ID:EyMQ14YN
>>818 こういう体験や経験は他じゃなかなか聞けないから興味深いです。
>>679 さんの話も興味深かったけどもしかして同じ方ですか?違ったらごめんなさい。
どうもありでしたm(_ _)m
820 :
7791 :2012/04/29(日) 08:33:06.70 ID:Up8v46JG
「奇跡を求めて」のP123、まさにその箇所です。 再度確認してみていただきたいのですが、第6番なるために結晶した本質を溶かす必要があるのは、 第4を経ずして第5になってしまった場合だけではないですか?私にはそのようにしか読めないのです。 ◆z/7s9aC7ekさんが御自身でおっしゃるには第4番を通過したのですから、もう一回溶かす必要はないのでは
821 :
791 :2012/04/29(日) 08:46:03.15 ID:Up8v46JG
>>809 ありがとうございます。
まずは形だけでもあっても続けていこうと思っています。
いつか感情センターが想起に加わってくれたらと思います。
822 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/29(日) 10:01:48.72 ID:bSbRlbnN
>>820 確かに仰るとおりの読み方が自然ですよね。
この部分は誤った結晶化をした場合それ以上進めないから再び結晶化を溶かして
正しい結晶化をしなければいけないって読むのが正しいのかな。
だとしたら通常の発展のケースは少なくとも『奇蹟を求めて』には載ってないってことですね。
823 :
神も仏も名無しさん :2012/04/29(日) 14:17:31.61 ID:fvwOrDrJ
自分が人間第五番かどうかを判別するにはどうすればいいですか? ◆z/7s9aC7ekさんが自らを人間第五番と見なすのは、ワークする前には持っていなかった何を獲得したからですか?
824 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/29(日) 16:38:16.89 ID:bSbRlbnN
>>823 指標になるのかどうか分かりませんが以前との違いとしては
無思考になれるようになったのが一番大きいです。
それまでは思考とか妄想が不随意に起こっていて止めることができなかったんです。
何かをしている時にはそっちに集中してるから脇によけられるんですが
終わればまた思考がはじまっちゃってそれに振り回される感じが嫌で
その機械的なプロセスから抜け出したかったんです。
今は不随意な思考や妄想はなくなって自分の意志で考えたい時だけ思考してます。
思考との同化がなくなるのは、黒板が意識でそこに書かれる文字が思考だとしたら
それまでは文字が書かれるとその文字ばっかりみてたんですけど
今は文字が書かれている時も背後に常に黒板があることを知ったというかそんな感じです。
相変わらず例えベタですが。。。
5番というのはこういう掲示板でなにかまとまったものを書くときには自分が何に取り組んで
どの観点からものを言ってるのか立場をはっきりさせといた方がいいと思ったから
書いたので証明できないし信じる必要はないです。大切なのは実践してみることなので。
825 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 00:00:08.35 ID:XN4RSrjT
(OSHO) [受動的に見守るという瞑想の技法よりも自己想起のほうが簡単だと言う質問者に対しての応答] それは簡単に見える。それが簡単に見えるのは、あなたが自己想起を試すとき、それは真の自己想起ではないからだ。 それはエゴ想起になってしまう。それだから簡単に見える。あなたは真の自己と偽りの自己の区別を知らない。 偽りの自己とは、エゴであり、それはとても微妙で狡猾だから、あらゆる方法で、真の自己のふりをする。[……] 何人かの人は、自己想起を通じて到達した。ゲオルギー・グルジェフは、自己想起のメソッドを使った。だが、彼の弟子のひとりとして光明を得ていないことに注意しなさい。 グルジェフは完璧なマスターだった。だが、真の自己とエゴとは、あまりにも混同されやすいというのが問題だ。あなたが真の自己だと思い込んでいるのは、 九十九パーセントの確率で、エゴにすぎない。このメソッドを試みるなら、自分のエゴを破壊してくれる師が絶対に必要だ。容赦ない師が必要だ。師があなたのエゴを破壊しないかぎり、 自己想起の試みは、あなたを光明に導くのではなく、存在のより暗い境地へと、あなたを導いていく。 (グルジェフ) 私は、次のことに気づき、人々と会う機会を重ねるにつれ、さらにこれを確信するようになった。 それは、私の思想について何らかの知識を得て、関心を持つに至ったあらゆる男女、なかでも特に、 私の思想に基づくものとされる何らかの試みの実践をすでに始めている人々の精神には、何か「まずい」 ことが起きているということ、人を観察する方法を多少なりとも知っていれば、どんなふつうの人でも気づくような、 確実に「完全にまずいこと」が起きているということである。 ……いわゆる「自己観察」の問題、これに関する知識の概要を教わることは、真実をこれから学ぼうとして努力する、どんな人にとっても欠かせないことではあるが、 これが人間の精神の重心となってしまうと、それは、私が遠い昔に確認および立証したとおり、いまここにいるあなたがたのなかに私が見ているような、 大いに気の毒な結果をもたらさずにはいない。
826 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 06:12:40.22 ID:LIj+HSHE
少なくともクリシュナムルティクラスと対等なら人間第五番 クリシュナムルティと対等だと本人が思っているだけなら人間第三番以内
827 :
◆z/7s9aC7ek :2012/04/30(月) 08:57:13.73 ID:wBtkppHC
>>826 >>493 とかこのスレでも話題になってたけどクリシュナムルティの描写にある
自他が完全に同一化する状態というか自他の区別がなくなる意識状態、
818さんが仰ってた自分はいない、あるいは自分は全てという不二一元もそうでしょうけど
要するに個体性から全体性へっていうのが5→6ってことだと思ってるんですがそこで疑問。
自他の区別がない意識状態、宇宙意識などそういう名称で呼ばれているものは
個人の意識が宇宙規模に拡大したものなのか?それとも全く別のものなのか?
どう思われます?818さんにも聞いてみたいです。
828 :
神も仏も名無しさん :2012/04/30(月) 18:42:19.54 ID:hIljlgEy
829 :
神も仏も名無しさん :2012/05/01(火) 20:38:15.57 ID:j1UlbanS
>>827 あなたは、自分について何も疑問が無くなると言っておいて、個人でワークするので自分がどの段階にいるのは大事かという。
だが、自分の存在への疑問や不安があってこそ、自分の段階や方法論で自分を安心させようとするのではないでしょうか。
ひとは自分がそういうふりをする正に逆の存在だとベルゼバブはいいます。
自己の確固たる存在に不安を感じているからこそ、不安がないという夢を求め、それを見ることは可能です。
そうやってアイデンティティの欠如と対峙せず、さもそれが無いという一時の体験をし、理論武装します。
人間第5番は統一した個であり、内部分裂していません。(分裂しないでいられることがあり、その記憶があるだけともいえますが)
そして個であるが故に、個であることが全体性という事実、真実に逆らっているということに気づき始めることができます。
(これはそもそも感情センターが受け持つ部分なのですが3センター全体でこの事実の可能性を認知するには統一された個で無いと起き得ません。
また自己中心的な動作センターと全体志向の感情センターの意見が決して合わないが故に人間は苦しみます。その意図的苦悩こそが人間の本質だと
アシアタシーマッシュは述べます。この場合感情センターは純粋な良心の影響下にある状態のそれなので、普通の人はこの葛藤はありません。)
一体なんてことをそのあたりの人に聞いているのでしょうか。そんなこと第6番以降の方に聞かなければ仕方ないし、
大体どんな答えも自我が理解するのだから自我を強めるだけです。
ベルゼバブがいうように、高次思考センターが働く3センターが調和し同じ速度で動くという状態に持ってゆくために、
各センターにおける自らの無知をたわいの無いやり取りで見出してゆくという消極的な取り組みだけが
可能であるかと思います。
◆z/7s9aC7ekさんは、映画やテレビを見ているときに自己想起をと仰いました。 自分も映画やテレビを見ることが、見たいということがあります。 しかし、そもそも映画を見たいのは、自分自身があらゆる方向性に進みたがっており混乱しているからではないでしょうか。 混乱しているから、「混乱せずひとつの方向に進んでいる物語」に自己同化して自身の混乱から逃れたい。 という欲求があって自分自身と全く関係の無い映画を見て、それに同化して空想するわけではないでしょうか。 (どうすればいいか永遠に悩んで全く話が進まない映画を見たいだろうか?) そもそも、映画を見たいということ自体が現実として生存する3脳生物にとって異常な事態です。 もし空想でない自己想起が起きたなら、最初にすることは「映画を見ることをやめること」であり、それ以外無いかと思います。 映画を見るのをやめて、もとの自己の中にある相矛盾する欲求と向き合うでしょう。 映画という空想にさらに空想である自己想起を重ねる。それは空想がより強く、より恒常的になることを意味します。 そして日常でもピキーンとくる何か違った感覚を持つに至り、現実との接触がよりあいまいになり深い夢に落ちる。 グルジェフは意識について、覚醒について語りましたが、体験については語っていません。 体験とは現実と接触せず夢を通して接触しているという証に思います。
832 :
神も仏も名無しさん :2012/05/04(金) 06:56:13.16 ID:ILvQooQe
動画にもあるように内的なエネルギー交流、心、体、感覚が 一緒になるその感覚なしに自己想起を語っても眠りが深くなるだけ ではないのかな
>>820 バカ女さんへ
≫潜在意識が表層意識を作っているのでなければ、支配することはできないということです。
このあたり自分もあいまいで分かっていなかったようです。
生の各場面、各人間に対応するための価値基準の群れ、社会的なそれと個人的な価値基準の群れ、
それらで私は構成されていますが、それらは相矛盾するので混乱します。
その混乱ゆえに、その混乱を統括して全体の方向性を定めるための表層意識が作られ、その表層意識は
それらの価値基準とそれに伴う感情や欲望を抑圧します。
この時点で表層意識―潜在意識という「意識の構造」がはじめて出来上がります。潜在と表層は2つで1つの構造です。
また、平常時はこの表層意識は私の全ての価値基準と、勘定的記憶と欲望をコントロールすべく思索し人生の指針を研究しますが、
外部から何か刺激があった際は押さえつけている価値基準や感情にあっさりのっとられます。
表層意識での怒らないとか何々はもうしないという決断は、より深い現実であり広大である潜在意識にあっさり覆されてしまうのです。
また平常時においても表層意識は考えることは自由ですが、肉体的エネルギー、感情のエネルギーは潜在意識が大きな部分を握っています。
表層意識はそれらを自由に動かすことはできません。表層意識が何を考えようとそのとおり行動することは困難です。
表層意識で無理に行動した場合確実にその反動があります。
敬虔な聖職者が教会の外では実にずるがしこかったり、疑い深い科学者は研究室の外では実に純朴だったり。
834 :
絶対神 :2012/05/04(金) 07:05:06.48 ID:nw90oF37
>>825 『99パーセントエゴなんだ』
「じゃあ殆ど到達は無理だね」w
「無視して普通に生きた方がよさそうだ」w
この手のやつって「宗教でない」とか「万人救済」とかいってるくせに
『結局、あり得ない境地を言うものだから、最後には宗教より偏狭になるんだよな』
「99パーセントエゴなら、結局、殆どの人間の到達できず、救われないじゃんか」ww
835 :
絶対神 :2012/05/04(金) 07:07:31.57 ID:nw90oF37
「結局、神様に頼って」 『信じて祈って救って貰うと言うのが』 「一番、「現実的」だと思うけど」w 『判るかね? 宗教哲学は結局、高尚であればある程』 「「宗教」そのものには『勝てない』んだよ」
>>831 《OSHO》
花を見ながら、花を見ている自分自身にも留意しなさい。これはむずかしい。これを試み、
認識の主体である自分自身を意識しようとすると、今度はあなたは、バラを忘れる。
あまりに一方通行に慣れてきたので、これができるようになるまでには時間がかかる。
主体を意識すると客体を忘れる。客体を意識すると主体を忘れる。
だが、ちょっとした努力をすれば、だんだんに、両方を同時に意識できるようになる。
そして両方が意識できたとき、これをグルジェフは、自己想起と呼ぶ。
◆z/7s9aC7ek さんが言う、TVや映画を見ながら云々というのは、
このことを言わんとしてのではないのでしょうか。
自己想起の練習法としてのことなんじゃないかな。
むしろ、物語との同化からの脱却を目指してる。
>>833 某スレへの誤爆?
837 :
◆z/7s9aC7ek :2012/05/04(金) 10:16:44.99 ID:FpxLkUyS
>>830 たぶん473さんですよね?第6番以降の方に聞かなければ仕方ないっていうはまさに
その通りだと思います。ただ818さんには重要な示唆を与えてもらったような気がするんです。
自分自身にしがみつかないというか自分自身に縛られないというか、そのような姿勢。
だから聞いてみたかったんです。
>>831 映画を見たいということ自体が異常な事態とは思わないなぁ。
本を読みたいのと一緒じゃないかと思うんですがこれも異常なのかな。
あとやっぱりこういう掲示板のやりとりは限界あると思いますよ。
830、831が同一人物の書き込みであるのはIDで判別できるけど、833も同一人物のようにみえるけど
ID変わってるし別の方かもしれないし、もし同一人物だったとしても本人も証明できないですよね。
トリップは結構信頼おけるけど100%ではないみたいだし。
自分には画面の向こうの人がすけて見えちゃうような超能力はないですw
だから830、831さんが473さんじゃなかったらホントに失礼なことしてるんで申し出てくださったら謝りますので。
838 :
◆z/7s9aC7ek :2012/05/04(金) 10:29:10.56 ID:FpxLkUyS
>>836 そうです。何かをしたり見ている時自分自身も意識していること。
花をとても美しく感じる人は花でいいと思うし自分の経験では動くものの方が
やりやすかったです。自分が興味を引かれてその中で自分を見失ってしまいそうな
時に努力するほど効果が高いと思います。
>>836 837
どういう状態にある3脳生物が、何を求めて、どのような効果のある「映画」を見るのかとうことについて
詳細に述べましたが、その全体の文脈を受け取っていないようです。
表層の思考が静まるという体験と、3センターの潜在意識の分裂は別のことであり、本当の意味での厄介な思考の群れというのは後者のことです。
花には同化できる一本通行のストーリー(人や音楽や物語)があるのではなく、ただ自らを映し出す鏡であり心を落ち着ける何かであるだけではないでしょうか。
本もその内容と頻度によりけりでしょう。
緩衝器が薄ければハート、良心と肉体、動物性との葛藤があります。それゆえに人間の本質は苦しみであるべきとアシアタは述べます。
さらに個体性を持っていれば全体性とは直面せざるを得ないことであり、それが入り口です。
それを実感しているのでなければ一部のセンターにおける衝動や白昼夢の域を超えないかと思います。
相変わらず本質的な話は全てスルーされたような気がします。
第6番であるように3センターが同時に調和して働くようにするというのは、自分の欠点を見出してゆく旅です。
それは1番から5番まで変わるものではありません。先に進むほどに深く、包括的に働きかけられるとはいえ、
自らの全てに覚め続けているという在り方でなければ何かしらごく当たり前の人間的な弱さを持っているものです。
自分自身の事実を受け止め、それに対して何もしなければ自分は死んでゆきます。
その前提として目覚めが必要です。何かに対して、ではない動機の無い目覚めが。
人はワークにおいて事実に対して目覚めようとしてしまう。その体験は抑圧と夢でありより存在の深い境地へと誘う。
事実を受け入れて自らが死に行くことに目覚めているには途方も無い知性が必要になります。
大事なのは誰かの受け売りではなく自分の実践 実践によって体得できたこと 他人の実践は参考にこそすれどうでもいい
>>836 837
どういう状態にある3脳生物が、何を求めて、どのような効果のある「映画」を見るのかとうことについて
詳細に述べましたが、その全体の文脈を受け取っていないようです。
表層の思考が静まるという体験と、3センターの潜在意識の分裂は別のことであり、本当の意味での厄介な思考の群れというのは後者のことです。
花には同化できる一本通行のストーリー(人や音楽や物語)があるのではなく、ただ自らを映し出す鏡であり心を落ち着ける何かであるだけではないでしょうか。
本もその内容と頻度によりけりでしょう。
緩衝器が薄ければハート、良心と肉体、動物性との葛藤があります。それゆえに人間の本質は苦しみであるべきとアシアタは述べます。
さらに個体性を持っていれば全体性とは直面せざるを得ないことであり、それが入り口です。
それを実感しているのでなければ一部のセンターにおける衝動や白昼夢の域を超えないかと思います。
相変わらず本質的な話は全てスルーされたような気がします。
第6番であるように3センターが同時に調和して働くようにするというのは、自分の欠点を見出してゆく旅です。
それは1番から5番まで変わるものではありません。先に進むほどに深く、包括的に働きかけられるとはいえ、
自らの全てに覚め続けているという在り方でなければ何かしらごく当たり前の人間的な弱さを持っているものです。
自分自身の事実を受け止め、それに対して何もしなければ自分は死んでゆきます。
その前提として目覚めが必要です。何かに対して、ではない動機の無い目覚めが。
人はワークにおいて事実に対して目覚めようとしてしまう。その体験は抑圧と夢でありより存在の深い境地へと誘う。
事実を受け入れて自らが死に行くことに目覚めているには途方も無い知性が必要になります。
真の人間になろうとする者にとっては映画もテレビも不要だろう。 彼にとっては目覚めに導くものだけが価値を持つだろうから。
>>842 問題提起によって自分自身が囚われていたことに気づく契機になったり、
また他者の気になる部分は自分の深く隠された欠点であったりすることが多いので、
そういった契機であったり自己認識につながるようなやり取りは有意義かと思いますので、
なにか思うことや気づかされたことがあると私は書き込みます。
グルジェフの教えの中核は外的考慮なのですよね。神秘的なことではなく淡々と現実に対応することこそ正に難しいと。
翻って私は、ユートピアを夢見がちだし、ブッダを夢見がちです。
あくまで世間的な感覚で、表面だけブッダ中身は世間のようなブッダを思うのならともかく、
実存の成長からかその空想が、世間的な空想とあまりに乖離すると、世間も他人もほぼ全面的にあきれ返るほど愚かで憎憎しいものになってしまう。
こうなると仏陀の言う「愛してはいけない」を思い起こします。こうなるとであり、こうなるまでにいろいろ目覚めさせねばなりませんが。
ブッダを思うこと、ブッダたちを愛することを忘れ、他者無く、自分自身がそうであるよう働きかける時かもしれません。
空想を入り口とする宗教は多いように思うのです。翻ってグルジェフは初めから主体、外的考慮であり、客体としての空想が無かった。
彼自身が本能思考の類型だったということもあるのでしょう。 ともかく夢、人事ではない。
844 :
神も仏も名無しさん :2012/05/05(土) 18:04:29.61 ID:z0UkH8WA
と、そうそう単純なものでもありませんでした。 本能的思考が作り出す夢と束縛は、世間的な価値や体を絶対視してしまいそれ以外が見えなくなります。 感情的思考が作り出す夢と束縛は、体との調和の無い一方的な献身や全体性の夢想、またユートピアを夢見て現実の社会に憤慨してしまいます。 そして両者はたいていどちらかが主人になり入れ替わります。 そして重心のある方がその人のタイプになります。 また覚醒があればその両者の葛藤に気づきます。 しかし、これは共に倒錯なのでしょう。第4のものに目覚めれば、3つのセンター全ては第4のものの召使として落ち着くでしょう。 (ひとつのセンターが召使である状態を体験することは比較的容易です) 結局そこに至らぬ限り、本能センターが主人であったり感情センターが主人であったりするだけのようです。 3つのセンター全てが召し使いという状況は想像しても無意味な全く未知の状態であり、 自分自身が分裂した夢に支配されており探求すべき余地が残っているということを示しているだけでしょう。 ただ、3つのセンター各々が自らが主人であると主張しているという地獄に直面するほどの覚醒があれば、第4はほかならぬ自らにある。 どこに行く必要があろうか。
845 :
神も仏も名無しさん :2012/05/06(日) 04:02:29.21 ID:abBImaHx
70 71 77ときて続き。 ≫バカ女さん 話が伝わっていない感がありますので、707177を先にするか、最後までお読みになって全体の文脈をとってからレス したいただかないと、お返事できません。 ≫それでは外に出られない。 うーん。文脈をとらず文字を文字のまま解釈するのはどうかと。 これは皆様で考えてゆきたいのですが、基本的に我々人間は公正ではいられません。 自分の欠点を他者に投影して攻撃します。 もし他者に欠点が合ってもそれは他者の欠点そのものの指摘ではなく、やはり自分のものの投影です。 それに気づいていれば投影は何とか避けられますが全く投影しないでいられるというのはブッダの境地であり、 普通の人間のありようではありません。 投影がきつい人間ほど、表層意識で自分は理解した克服したと思い、愛にあふれた自己イメージを持つのでより鉄壁です。 そんな人間社会で他者の気分を害せず生きるには、基本的に気を使わなければなりません。 こちらが投影するのでは論外で、単にこちらが公正なだけでも不足でしょう。 他人が投影してくるその人自身の病気を真に受けず、反論もせずというのは「私」がある以上不可能です。 前者は条件付けの罠、後者は対立の罠、どちらにも安息はありません。 不可能だと分かっていれば分かっているなりにやりますとも。この窮地に対面すれば私にしがみつくにも限りがあるかな。
846 :
神も仏も名無しさん :2012/05/06(日) 04:05:01.23 ID:abBImaHx
>>バカ女さん 誰もが、そしてあなたの身の回りにいる誰もが、 「私は愛にもとづいて喧嘩していますが、バカ女さんは思想にもとづいて他者を否定します。 私にはだれかを憎むことができませんが、バカ女さんにはそれが容易にできてしまいます。 」 と思っていて、周りの人はバカ女さんを憎みつつもそれを愛情だと言い聞かせており、 そしてバカ女さんがその思想で自分を否定する様はあたかも憎しみの権化ようだと思っているでしょう。 正に人間関係、そして社会が各派に分裂する理由であることの、人間一人ひとりの縮図。ダブルスタンダードです。 というのも、自己愛性症候群、サイコパスほどひどいというだけで誰もがそうだからです。 私たちは、そうやって憎しみを自己正当化し私たちの憎しみにおびえている他者に対して、 表面的にも内面的にも気を使わない限り他者が本当に私たちに気を許すことは無いでしょう。 (私は思想面に決して同意しないので表面的な部分がこのスレではどうしようもないけれど。 個人の仕事など社会的なことについては応援あるのみなんだな。) 誰もが引用分のような自己認識、他者認識をしている世の中で、自分までそのような自己、他者認識を してしまったら泥沼ではないでしょうか。
847 :
神も仏も名無しさん :2012/05/06(日) 04:51:44.87 ID:abBImaHx
>>バカ女さん ≫意識は思考ではありません それはそう認識されるのも無理はありません。説明不足で申し訳ないです。 矛盾する価値基準(各国、各状況、各立場のルールや、さまざまなことについての好き嫌い) を統括しようとすることで表層意識が生まれると述べました。 この「意識」は無数の記憶、感情である潜在意識全てを統括しようとするものですからそれは複雑です。 まず、思考とは言語思考が一番はっきりした形です。 が、言語思考の元になるイメージも思考です。この文脈ですと感情も価値基準も思考です。 意識とは、言語思考ではなく、イメージ思考でもなく、ただなんとなく潜在意識の全体を取りまとめている状態ではないでしょうか。 その意識とは潜在意識を構成するものと同質のものではないでしょうか。同質ゆえに表層、潜在という対立軸が生まれるのではないでしょうか。 そしてそのような意識に潜在意識からの自由があるでしょうか。 できるのはどれか一つを選んだり組み合わせられるぐらいではないでしょうか。 意識は何でも考えられますし、何でもイメージできます。しかしその土台は潜在意識の群れではないでしょうか。 そして生における実効性は土台が握ります。 意識が潜在意識を構成する思考の後に生まれたい上、意識に私を操作する権限はありません。 潜在意識が全部でも一時でも消えてしまわないことには古い私の繰り返しになります。 一番最初にできたものが一番強い支配力を持ちます。 表層意識はそれを認めないで自分の意思で行っているとごまかします。
848 :
神も仏も名無しさん :2012/05/06(日) 04:58:22.56 ID:abBImaHx
>>バカ女さん 基本的なことを補足し忘れていました。 潜在意識を構成する思考、感情、価値基準は全て これとあれ、好き嫌い、良い悪いであり、 必然的に半分は好きで半分は嫌いという認知になります。 社会を愛せば社会的価値観にそぐわないものが嫌いですし、逆なら社会が嫌いになります。 その社会のルールも無限にあり、おのおの対立します。 潜在意識がある=外界の半分は好きで半分は嫌い を意味しています。生が好きで死が嫌い。男女や各種嗜好などいろいろです。 何かを好ましいと思うことはそうでないものを嫌うことであり、それは永遠に表層意識にとどまらせるわけに行かず 潜在意識に押し込まなければいけません。あらゆる状況に通用するルールは存在しないのですから。 例えば音楽が好きで音楽を楽しんだとして、その価値基準が居間や職場にいるときに生きていたらどうなるでしょう。 音楽が無いことが不満に感じてしまい、居間や職場が嫌いになってしまいます。 その不快感を表面的に持ちたくないので表層意識を作るか居間や職場が好きな価値観に乗っ取られて音楽好きの方は潜在意識にもぐらせます。 あとはこういったことを数十万回繰り返して潜在意識、好き嫌いの集合体の潜在意識が完成します。 意識、表層意識、思想はこの数十万の経験の後に来る一番の「新参者」です。彼にどんな力があるでしょう。 夢は見れますが、行動力はついてこない。
元気やな〜 その元気がどっから出てくるかわかったら、なんかわかるかもな〜
www
851 :
473 :2012/05/13(日) 01:07:04.98 ID:/hXtAdxZ
誤爆で書き込み代行依頼してしまったのですが、なんか正にこのスレッドにふさわしい部分を 誤爆依頼してしまったのは何故?
852 :
神も仏も名無しさん :2012/05/13(日) 09:13:39.88 ID:NVuj1ofo
854 :
神も仏も名無しさん :2012/07/13(金) 16:01:24.19 ID:Hk7Vmz4F
test
855 :
神も仏も名無しさん :2012/07/15(日) 00:00:28.51 ID:ootNJk+y
へー(,,・ω・,,)
856 :
神も仏も名無しさん :2012/07/18(水) 21:46:36.78 ID:7cPUkrWQ
最近グルジェフに興味を持ったんだけど、まずはどの辺りの著作から入って行けば良いか御教示下さい。
857 :
神も仏も名無しさん :2012/07/19(木) 23:57:59.31 ID:YdtbEw/g
伊勢白山道の「森羅万象」をまず読むこと
859 :
神も仏も名無しさん :2012/07/22(日) 18:56:33.75 ID:zBsXDL2e
グルジェフの本なら「エニアグラム進化論」から読むのがいいぞ。
860 :
856 :2012/07/22(日) 21:41:09.52 ID:+MhtdfBB
>>859 エニアグラム進化論ですか。
さっそく古書を探してみます。
有難うございます。
861 :
神も仏も名無しさん :2012/08/05(日) 07:38:22.63 ID:hTQtBnLS
「エニアグラム進化論」にはグルジェフの思想が手際よくまとまっているぞ。 興味深い逸話も書いてある。マストアイテムだな。
マストアイテムなら奇蹟を求めて
本人の著作を外してどうすんだよ? マストアイテムは バルゼバブ、注目すべき人々との出会い、生は私が存在して初めて真実となる の3つだろ。 あとは奇蹟を求めて、グルジェフ・弟子たちに語る、魁偉の残像あたりだな。
864 :
神も仏も名無しさん :2012/08/05(日) 18:43:15.80 ID:hTQtBnLS
「エニアグラム進化論」がそういった本のエッセンスを伝えているのさ だからマストアイテム
創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね
866 :
神も仏も名無しさん :2012/10/12(金) 01:15:53.34 ID:3stHe97x
想起というがグルジエフは何者なのか。 ロシア人だったらいっぱいいそうだ・・・。
預言者だろ、ふつうに
868 :
神も仏も名無しさん :2012/11/09(金) 22:06:40.57 ID:ygZikjIx
グルジェフに詳しいここの方は ラマナマハルシについてはどう思われますか?
869 :
神も仏も名無しさん :2012/11/11(日) 08:23:42.72 ID:mh/nwLpc
ラマナは本物の覚醒者 ラマナの前では、グルジェフもクリシュナムルティも霞んでしまう
870 :
神も仏も名無しさん :2012/11/11(日) 17:29:42.05 ID:9cyrEm8x
個人的にはラマナもグルジェフもクリシュナムルティもその言葉の意味の 本質は同じだと思っています。ただ、その個人の特質により言葉や表現 が違うだけなんじゃないでしょうか。ラマナの言葉はとても簡単で簡潔 ですが、グルジェフやクリッシュナムルティの言葉はある程度の理解力が がないと難解なように思います。どちらが優れているとかではなく 学ぼうとする物の自信の精神の段階にをいて適切の物を選べばよいと 思います。 個人的にはラマナの言葉が自分には合いますが、、、
871 :
神も仏も名無しさん :2012/11/11(日) 23:15:23.89 ID:9cyrEm8x
◆z/7s9aC7ek さんまだみてるのかな、、 質問です。 就寝中の自己想起はも毎日常になんでしょうか、、 体調の変化等外的刺激の強度による同一化はまったくないのでしょうか? 自己想起している時の視覚の変化について気づきがあれば教えてください。
カスタネダについて語れ
873 :
神も仏も名無しさん :2012/11/16(金) 20:00:04.52 ID:bU3uiZfv
グルジェフソサエティのグループリーダーが来日し、ワークを行います。 興味がある人は連絡を。
グルジェフは、全く夢を見ない状態こそ正しい睡眠と言ってるね レム睡眠も必要だと主張してる現代科学とは対立するのかな
876 :
神も仏も名無しさん :2012/11/17(土) 17:53:37.89 ID:znRsJpuM
ヴィパッサナーをやっている人のなかには、瞑想の効果として眠りが深くなって夢を見なくなるって言ってる人がいるね
877 :
473 :2012/11/18(日) 15:32:36.33 ID:ekbC2dm1
エゴ想起の危険性 [受動的に見守るという瞑想の技法よりも自己想起のほうが簡単だと言う質問者に対しての応答] それは簡単に見える。それが簡単に見えるのは、あなたが自己想起を試すとき、それは真の自己想起ではないからだ。 それはエゴ想起になってしまう。それだから簡単に見える。あなたは真の自己と偽りの自己の区別を知らない。 偽りの自己とは、エゴであり、それはとても微妙で狡猾だから、あらゆる方法で、真の自己のふりをする。[……] 何人かの人は、自己想起を通じて到達した。ゲオルギー・グルジェフは、自己想起のメソッドを使った。 だが、彼の弟子のひとりとして光明を得ていないことに注意しなさい。 グルジェフは完璧なマスターだった。だが、真の自己とエゴとは、あまりにも混同されやすいというのが問題だ。 あなたが真の自己だと思い込んでいるのは、九十九パーセントの確率で、エゴにすぎない。 このメソッドを試みるなら、自分のエゴを破壊してくれる師が絶対に必要だ。容赦ない師が必要だ。 師があなたのエゴを破壊しないかぎり、自己想起の試みは、あなたを光明に導くのではなく、存在のより暗い境地へと、あなたを導いていく。 (Osho "The Sword and the Lotus" #10)
878 :
473 :2012/11/18(日) 15:33:51.98 ID:ekbC2dm1
参考――グルジェフの著作より 私は、次のことに気づき、人々と会う機会を重ねるにつれ、さらにこれを確信するようになった。 それは、私の思想について何らかの知識を得て、関心を持つに至ったあらゆる男女、 なかでも特に、私の思想に基づくものとされる何らかの試みの実践をすでに始めている人々の精神には、 何か「まずい」ことが起きているということ、人を観察する方法を多少なりとも知っていれば、 どんなふつうの人でも気づくような、確実に「完全にまずいこと」が起きているということである。 (『生は「私が存在する」ときにのみリアルである』 アメリカでの講話のイントロダクション) …… いわゆる「自己観察」の問題、これに関する知識の概要を教わることは、真実をこれから学ぼうとして努力する、 どんな人にとっても欠かせないことではあるが、これが人間の精神の重心となってしまうと、 それは、私が遠い昔に確認および立証したとおり、いまここにいるあなたがたのなかに私が見ているような、 大いに気の毒な結果をもたらさずにはいない。 (『生は「私が存在する」ときにのみリアルである』 アメリカでの第二の講話)
オショーとかいらねえから
880 :
473 :2012/11/19(月) 23:32:56.56 ID:7I+n4jFX
878は、自分自身を意識するのではなく、 自分が「自分」という夢をつくりそしてその夢に対応する「覚醒」という夢を作ってしまう。 それについて警告している。 自己想起を「する」ことはそれを生み出していまう。 そしてその2元性の夢を見ている人にとっては正にそれは現実であり、3脳生物であることの苦しみから逃れることが出来る。 夢を見つつ、それを支持してくれる人がまわりにいれば夢を見たまま安楽に生きることができる。
881 :
473 :2012/11/20(火) 18:18:51.10 ID:xVttk4Lo
マインドを深く理解する必要がある。嘘を必要とするマインド、幻を必要とするマインド、リアルなものには直面できないマインド、 夢を欲しがるマインドを。 人は夜にだけ夢を見るのではない。目をあけているときでさえ、あなたは夢を見ている。[……] 現在というのは、多くの場合、地獄を意味する。この地獄を我慢できるのは、未来に希望を投げかけているからだ。 明日を夢見ているから、今日を生きられる。明日には何かいいことが起こる、楽園の扉が開くかもしれないと、あなたは思っている。 それが今日起こることはない。だが、その明日がやってきて、明日が今日になったとき、あなたのマインドは、そのまた先のことを考えている。 あなたはいつも、自分がいるところの先を見ている。夢を見ているというのは、まさにそういうことだ。あなたは、現実と結ばれていない。 いまここに、身近にあるものに触れていない。あなたはよそにいる。自分の先回りをしている。[……] このようなマインドは、ヨガの道に入れない。ヨガとは、真実を知るためのメソッド、夢を見ない精神に到達するためのメソッドだ。 ヨガは、いまここに在るための科学だ。ヨガは、未来に想いをはせるのをやめる覚悟ができたということ、希望を捨てる用意がある、 自分の存在の先回りをすることをやめる準備ができたという意味だ。ヨガとは、ありのままの現実に直面することだ。 だから、自分のマインドに飽き飽きした人だけが、ヨガの道に入れる。自分のマインドを使って何かが得られると、まだ期待しているならば、 ヨガは、あなたに向いていない。全面的な不満が必要だ。未来に想いをめぐらせるこのマインドは無益なこと、希望しつづけるこのマインドは馬鹿げていること、 それによって人はどこにも行き着けないことを、はっきりと悟ることが必要だ。それはあなたの目を閉ざしてきた、あなたに麻酔をかけてきた。 それのおかげで、あなたは現実を見ないでいられた。それはあなたを現実から護ってきた。[……]
882 :
473 :2012/11/20(火) 18:20:22.08 ID:xVttk4Lo
マインドは麻薬だ。マインドは真の世界に敵対する。 だから、自分のマインド、自分の存在の有様、自分のこれまでの生き方に完全に幻滅し、 それらを無条件に落とさないかぎり、道には入れない。 多くの人々が興味は持つが、道に入る者はわずかだ。 あなたの興味というのは、マインドの興味かもしれない。今度はヨガを試してみたら、何かが手に入るかもしれないと期待している。 そこには、達成に向けての欲望があるかもしれない。ヨガを通じて完璧な人間になる、完璧な存在となって至福を体験するといった。 [……]そんな理由でヨガに興味を持っているならば、あなたと、ヨガの道の間には接点はない。 あなたは、完全に逆の方向に動きたがっている。 ヨガとは、「もはや希望はない、もはや未来は無意味だ、もはや欲しいものはない。 だが、私には、ありのままの現実を知る覚悟がある。物事がどうなりうるかとか、どうあるべきかとかには興味がない。 私は、ありのままの現実に興味がある」という宣言だ。リアルなもの、真の世界の体験だけが、人を解放するのだから。[……] 完全に絶望しなさい。未来と希望を捨てなさい。これは難しい。リアルなものと向かい合うには勇気がいる。だが、どんな人間にも、たまにはそうした絶望が訪れる。 完全な絶望、完全な無意味さを感じるときがある。 自分がしているすべてのことは無益であり、どんなに奮闘してもどこにもたどり着かないことを知ったとき、突然、希望は失せる。 未来は消える。そのときはじめて、あなたは真の世界に対面する。 (Osho "Yoga - The Alpha and the Omega" Vol. 1 #1) [参考] Ravi Ravindra 著 "Heart without Measure - Work with Madame Salzmann"(Shaila Press) によれば、 マダム・ド・サルツマンは、この講話録を読み、感銘の意を表明した。 ザルツマンは少なくとも表面上でグルジェフワークを引き継いだ代表者です。
883 :
神も仏も名無しさん :2012/12/08(土) 05:58:19.99 ID:hR5EfTWi
884 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 04:34:32.71 ID:vL2B2jyr
>>875 夢と現実の境がなくなると言うこと じゃないかな。夢も現実だし。
夢の中でも自己想起が出来ればそれは 夢を見ていると言うより現実になる。
だいたい夢は人格、クンダバファの フィルターが弱まった状態でかなり
本 質が剥き出しになっている。 安全に真理が見やすい状態です。
起き ている状態で真理を見るのはかなりの 準備が必要で、夢はH12
のエネルギーが 安全に取れるんです。
ここで取ったエネルギーは日常で自己 想起がしやすくなる。
自己想起にはH12 のエネルギーが必要だからです。
885 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 19:10:51.57 ID:uXkccPVL
グルジェフ思想を学ぶためにまずはじめに重要なこと。 共通言語 三センターの観察 注意の切り替わりの観察 複数の私の観察 意識の観察(その日、家から会社までで覚えている景色や音はどれだけか。なぜ全てを覚えていられないのか。そこには意識の欠如がある。) 現在の自分を知らなければ先には進めないってことでこれだけあげてみました。
886 :
473 :2013/01/17(木) 17:01:06.13 ID:BDq9N7iv
私的な妄想に閉じこもり現実との接触を失い、現実と戦ってしまうのが愚か者である。 所で、この妄想、この連想、純粋に思考センターのものであったり、感情センターのものであることはない。 (グルジェフ弟子たちに語るで、感情は珍しく、思考センターによる連想はほぼありえないという) これらの妄想は肉体への執着からできている。 肉体への執着からできている連想が、現実との接触を失わせ肉体の保持を危うくする。 純粋に自殺的であり倒錯だ。
887 :
473 :2013/01/27(日) 11:08:02.99 ID:6vTW9y2Z
感覚や肉体と無縁な妄想や連想は普通存在しない。 しかし、感覚や肉体に始まる執着、恐怖の妄想こそがまさに肉体を危険にする。
888 :
473 :2013/01/27(日) 11:37:33.55 ID:6vTW9y2Z
人が夢を見て偽善者になるのは良心があり、それをごまかすため 良心が無ければ偽善もないが かといって良心が無かったら大変だ シンプルに戦場になってしまう。 人は偽善とごまかしをする。 それは 良心と肉体を持つ生き物の特質だ。
889 :
神も仏も名無しさん :2013/01/27(日) 15:50:23.44 ID:02XNe9OH
グルジェフソサエティでは集中的にワークを行います。 水素論を実践しています。 自己想起へ最短で導くことが長年の指導の結果可能に なりました。 関心があるひとはコンタクトを。
ぶらすてごくろーにあん
891 :
神も仏も名無しさん :2013/03/10(日) 15:38:27.01 ID:PU/kL3Wx
グルジェフ ソサエティの集中ワークでは自己想起のワークが伝えられます。 参加したひとは人間関係、家庭環境を一変させています。 大変貴重な機会ですね。 自己想起に関心があるひとはコンタクトを。
蓮菜無宇巣w
893 :
神も仏も名無しさん :2013/03/12(火) 18:42:29.81 ID:BFhniN1l
集中ワークを体験することでビジネスパフォーマンスを上げた実例もあります。 効果は多方面にあります。 まずは体験することです。
蓮菜無宇巣殷出美儒阿留w
895 :
神も仏も名無しさん :2013/03/17(日) 16:19:37.26 ID:pQ8tK/uA
ワークで得られるエネルギーすげ〜 毎週楽しみ〜
896 :
神も仏も名無しさん :2013/04/02(火) 19:30:50.51 ID:vs/XZY5Z
注目すべき人々との出会いは責任をもって 正式なものを用意します。
グルジェフがんばって
テスト 123
太陽<月<地球 ↑ この記号を色んな人が例えて言う光として、、 内なるそれ<私と言う自我1<思考、想念と呼ばれる自我2 内なるそれ<見る物<見られる者 自己想起=見る物と見られる物を照らす(光)に気づく手段。 それに気づくには反面に光を帯て半分常に同じ面を向け地を照らしている私(月) を想起しなければ見る物の機能(叡智)は意味を持たない。 見る物が想起されて始めて見られる物(思考)は叡智に変わり機能する。 半分光を帯びている(私)を意識しないで見る世界は夢みたいな物 私(月)を存在(認識)して初めて思考(地)が現実としての力となり。私を照らす太陽を知る。 地(身体、想念1)がなくなろうが、私(月、想念2)がなくなろうが それ(太陽)に影響はない。それに溶ければ世界は私の内に存在する。 (日途)とは逆に、この世界が朝太陽の光で月が空に溶ける時、世界が目に映るように。 上記は昔の方便の形を真似しています。
訂正。 地(身体、想念1)がなくなろうが、私(月、想念2)がなくなろうが ↑ ↑ 想念2 想念1
想念と呼ばれる者は 想像と妄想とがある 想像とは今現実の出来事や過去の出来事の記憶を願望や欲望なしに機械的に 淡々と脳を計算機の道具として使う方法である。その五感的には非存在なるその物を 身体を通して、具現化させるのが行為であり、それが声体で音に変換され言語となれば意思の疎通に なり会話、今この時の私のように指を使い具現化すればタイプ(文字)となる。 その意味では音楽は言語ではなく音だけの高度な意思の伝え方と言えると思う。 この一連の具現化の流れに、今の願望や過去の記憶の願望が混ざりこんでいるのが妄想と呼ばれている。 そこには、かならず願望や欲望がまざっていて、想像と妄想の違いが区別できない それはなぜか?見る物(私)を無知から見失い、思考や願望を見る物と同一視しているからである。 願望とは思考とは極論現実を否定したから発生する幻想にすぎない。故にその妄想は現実との差異が大きく そこに更に現実を否定する怒りや憎しみ嫉妬などの連鎖へとつながる危険性を孕んでいる。 憎しみ、恐怖、嫉妬、などの現実を否定することで心の内に蒔いたその種は日が当たると花を咲かす 日が当たり花が咲くと 人は自分が蒔いた種の産物を受け入れず更に否定し他の方法で注意をそらし 刺激や快楽に頼り花が枯れるのを待つのだが、それでは花は新たな種を心に落とし、日が当たると再び はなを咲かす。故に自然にかれるのを待っても種が残るので何度でも咲く。これが(私)を想起すること の障害となる。私(見る物)を意識することは種に日をあてることでもあるからそれは花を咲かすことに なるからである、人はそれを習慣的に避ける。直視は難しいのである。もし直視し意図的に種まで焼き尽くせば二度と花はさかないのに、、、、 人は自ら問題を作り自らその問題を解決しようとして苦しむのである。その問題を作ったのは自我であり 解決しようとするのも自我である。自我とは私を演じている。そしてその本質は自作自演である。 その舞台の劇場が心である。 全ての葛藤や争いも自我による現実の否定からはじまる。 そして自作自演である。だから、自我は自我自身を殺すことはできない。が見る物を想起することにより、種に火をつけることやその気づきへとつながる てなことを、自我を使って書いてみるーーwwww
左の心臓は電気的刺激で心筋が収縮膨張して動いているがその発生源はどこか? 呼吸は血液の鉄分を酸素と結合して酸化させて血液に取り込み(赤血球)それを還元させてエネルギーにしているが そのエネルギーとはなにか? 想念の発生速度と呼吸の回数が比例するのはなぜか? 想念=そのエネルギーならばそのエネルギーの発生源はなにか? 俗に言うその場の空気とはたんなる思い込みか? 山や自然の多いところで心が落ち着くのはなぜか? 酸素を吸い込み二酸化炭素をはいているだけか?それともそれ以外も変換している可能性はないのか? ため息に混じる想念はだれに影響するのか? 人はそのエネルギーを変換させるコンバーターではないか? コンバーターの役目を自覚して果たしている者は何人いるのか、、、 この地球の憎しみと虚構にまみれた大気を変換することもなく、ただ直流的にその怒りを人から人へ伝達しているだけではないのか? 又はトランジズター的に増幅してないか?そんな人類だからその場しのぎで無知を知識としてすり替えて幸福であると思い込ませる 工作をしているのではないか? 人の義務を放棄し無知となりて、その責任を現代の生贄として昔とは別の形と方法で捧げているのではないか? はっきり言えば地球は自然は意識があり生きている。地球が自我に目覚めることを昔の人は恐れていた。 地球が目覚め活動的になるのはなぜか? それは人間が悪夢で目が覚めるのと同じ様なもの。 その悪夢と苦痛を増幅しているのが今の人間と世界。その時人は地球の抗体に癌と認識され攻撃をうける。 だから回避の為に人は人を生贄として破壊するし想念は戦争も起こす。人口も減らす傾向にある。地球の自我の目覚めは 人間にとっての逆の目覚へ誘導する。だから一人には出来ても多数にはできなし、教える義務もない。 自然を否定した人類の自我は、 地球の自我に否定される。 て夢の中の自我がいってた。www
H2Oを酸化還元反応で電気分解するとHになる。大気に含まれる水から生態電気(磁気)でもし Hにすることが出来るのならば、それらを蓄えることが出来るならば 彼の水素単位も理解できる。(もっと微細なものだと個人的には思うが) 逆に電気化学的な酸化還元反応によって物質を合成する方法は電解合成と呼ばれ、 特に生成物が高分子となる場合は電解重合という。(ウィキより) 日本では水場では幽霊(笑)をよく目撃すると言う。 昔の風習で入り口に邪気の進入を防ぐため塩を盛る。(湿度調整) 人間は殆ど水である。初期仏教では心を水と例えた。想念とは水に不純物が混じった状態だと、、 問題は心臓に電気信号を与える電気はどこからくるのか、、、それが太陽業 H発生は多分第三脳空 それが自己想起時にあの独特の額の奥の感覚を生み出す。 本来それは不毛な想念や思考に費やされていて、機能していない 故に想起して鑑賞して見て燃やす必要がある。見れば見るほど燃えるし見る物の光も強くなる。 そして最終的に見るものも燃える。 て、、夢で私が言ってたwwwww だから空気の悪い部屋では植物は枯れる、それは人間の放つそれの為。 二酸化炭素に付随するそれの為。 もっと落ちると他人にそれを発散する。生贄としてそれを殺し奪う。 他人の怒りに火をつけて。だがの火を想起に変換できてこそ利他主義、
904 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 21:10:36.80 ID:G8Ab/6b5
グルジェフとは?
預言者
906 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 00:48:36.88 ID:HFlEWWCH
預言者とは?
ggrks
908 :
神も仏も名無しさん :2013/07/15(月) 16:05:55.41 ID:FXl/GuFC
ggrks とは?
ここで外部からの助けが必要w
外部からの助けとは?
911 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) 21:00:55.93 ID:Ey0sWdFi
シャーリプトラよ、 物質的現象には実体がないのであり、 実体がないからこそ、物質的現象なのだ。 受想行識もまたまたかくのごとし。
Think of 'Diagram of Everything Living'. Where am I in this whole world? What am I in this world? What do we eat and by what are we eaten? Think of 'Diagram of Everything Living'.
これを見ると人間は無脊椎動物を食べ太陽に食べられていることになる。 どういうことなのだろう?
結局、やさしい自己想起への方法はレス中にでてこないのな。 以前、2004、5年頃だったかグルジェフ本がどばっと出たとき 「私が存在して初めて**」みたいな本があって、確かそれだと思うが、 そこに、右足感じて、左足、両足、右太もも、左、右足全体 左足全体、 足全部、胴体、足と胴体全部、見たいに部分と全体、それプラス 見ること、聞くこと、触覚というか身体感覚を全部同時に感じろってのがあって、 人間の90%は視覚に持っていかれるので、そこはまあなんとかして みたいなのがあったと思う。 つづく
つづき その頃には、マインドフルネスをかじっていたので、すぐに「在る」って こういうことかというのは体感できた。 上記の内容うる覚えだけど、どの本の何ページあたりかわかる方いませんか? それが一番具体的でよかったけど、そこまではネット上に転がっていないようだし。 ちなみにヘルメス jの本を読み、何年かぶりの変化がきた。 それで、ひさしぶりに自己想起思い出した。
連投ごめん メモが出てきた。著者名は書いてないw ※朝のエクササイズ 「感じること」「見ること」「聞くこと」って書いてる。 ※略 ※訓練 両脚、両腕を同時に感じながら、能動的に聞きながら、能動的に辺りを見回す そのとき、見ること聞くことに多くの神経を注ぎ、 両手足へは、5-10%でよい と鉛筆でw 詳細求む。
917 :
神も仏も名無しさん :2013/07/30(火) 23:57:41.45 ID:M6iPoN/O
あげたべぇ
918 :
神も仏も名無しさん :2013/08/05(月) 13:14:49.30 ID:9xO910PJ
集中ワークがカウントダウンに入ったな 自己想起の成就者が何人出るか楽しみだ。
919 :
神も仏も名無しさん :2013/08/15(木) 14:26:05.38 ID:GT9xmxXj
自己想起ってようするに、自分の行為や感情などに気づいていること、意識的になること、という 理解でOKだよね? ヴィパッサナーやマインドフルネスと同じものと捉えていいのかな。
自分自身を忘れない 自分自身を常に覚えている 自分自身を常に感じている etc...
921 :
はひふ :2013/08/19(月) 18:06:26.26 ID:cfHM2cX1
グルジェフのワークはしたことないし、本も読み解けないまま 何となく、月日が経ちました。 OSHOサイドからグルジェフを知ったのですが、 たしかグルジェフは意志を基点にしていましたよね 太陽がどうとか興味津々です わかりやすいお話や、おすすめありましたら教えてほしいです。
922 :
神も仏も名無しさん :2013/09/08(日) 15:39:43.91 ID:fc8qA3ob
グルジェフワーク行ないます。 集中ワークです。 参加した人は、その効果を実感します。 人間関係を改善したり、家庭円満、事業拡大 実例があります。 参加したい人は連絡を。
人間関係改善、家庭円満、事業拡大・・・・・ 現世利益を唱えるところにろくなところはない。 グルジェフの曲解もここまで来たかw 汚聖の因果応報は容赦ないぞ。
925 :
神も仏も名無しさん :2013/09/28(土) 19:51:06.06 ID:7sQQrY6k
グルジェフワークの連絡先はググってくれ。
926 :
神も仏も名無しさん :2013/10/02(水) 06:29:23.26 ID:tKEsASFz
928 :
神も仏も名無しさん :2013/10/20(日) 21:17:07.38 ID:14FhvWS9
【署名のお願い】 カリフォルニアで韓国人が慰安婦を教科書に載せようと運動をしており、疑問に思った現地の方々が署名運動をして下さっています。皆さまもご協力をお願いします。 慰安婦の多くは個人的な契約でした。頻繁に変わる女性の証言はプロパガンダの為に作られたものです。文書から国や軍が強制したと示すものはなく、米軍のレポートからも 判る通り性奴隷は事実無根です。米国の歴史教科書に嘘の情報を載せるべきではありません。 【氏名・メアドを記入、国名を選択して"Sign the petition!"をクリックすれば完了】 //petitions.moveon.org/sign/comfort-women-fabrication.fb28?source=s.icn.fb&r_by=8546588 (↑リンク先が切れている場合は"MoveOn Petitions - Comfort Women Fabrication"でググって下さい。すぐに見つかります) 現在17000人突破!
929 :
神も仏も名無しさん :2013/10/26(土) 09:13:09.47 ID:UT3D0V1H
集中的にグルジェフワークを実践することで金銭問題を解決したり、夫婦和合、会社での人間関係 を改善することができる。
930 :
神も仏も名無しさん :2013/11/08(金) 18:16:25.53 ID:AzXj6wl0
グルジェフワークは、実行することで、すぐに効果が 生活に現れる。参加者は正しい指導者につきさえ すれば、その果実を味わうことになる。
931 :
神も仏も名無しさん :2013/11/18(月) 21:59:09.31 ID:V1FYNme9
「TOKYO グルジェフ」と「グルジェフ・ソサエティ・ジャパン」は別ものなの?
932 :
神も仏も名無しさん :2013/11/18(月) 22:00:36.67 ID:qBFZPAr+
寧ろ逆に最高潮だろ 他に別に最高級だろ 当然正反対に最高峰だろ
>>931 明らかに別でしょうな
直系のグルジェフソサエティーは、ムーブメンツの切り売りはしないはず
934 :
神も仏も名無しさん :2013/11/19(火) 17:41:55.57 ID:Gh00f926
>>933 レスありがとう。そっか〜。
話は変わるけど、ワークってやっぱ一人じゃできないのかな。グルジェフはグループじゃないと駄目って言ってるけど。
しかしグルジェフは自分が死んだ後はどうするつもりだったんだろ。体系的な本も出さなかったし。ウスペンスキーが書かなかったら自己想起が大事ってことも分からない。
グルジェフの団体もちゃんとしたのが残らない可能性もあっただろうし。いやそもそもグルジェフぬきでグループは意味をなすのか。
ってことで一人用のワークをグルジェフには残して欲しかったが。やはりそれじゃ駄目なのだろうか。
師が、既に達成した人がいなければ到達できない。 導きが必要。
936 :
神も仏も名無しさん :2013/11/20(水) 13:49:21.04 ID:wESWlT6F
>>935 確かにその通りだがそれが必ずしも肉体を持った人間である必要はないしインスピレーションという
形で導かれ外面的には一人で達成したようにみえる人もいるんじゃないか?
937 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 16:54:04.22 ID:Vin88AXy
グルジェフが西洋の?秘教的なもので評価してるのって錬金術くらいかね? でも錬金術は象徴だから高次思考センターでないと理解できないけど
グルジェフは基本的に西洋文明をコキおろしたからね。 覚えている限りでの僅かな評価例は、アトス山の修道院とメスメール、 レオナルド・ダ・ヴィンチぐらいかな?アメリカ人もそれなりに評価してた。
939 :
神も仏も名無しさん :2013/11/23(土) 19:37:41.77 ID:JOUzqAM6
グルジェフに限らず、あの時代って東洋のものを西洋にもっていって使う人多いよね。ブラヴァッキー夫人にクロウリーに。 グルジェフにはぜひ日本にも来て日本についてコメントして欲しかったw グルジェフならどういう意見したかな。あと中国の意見も。グルジェフは日本の柔術だっけ?習得してたみたいだけど(注目すべきに書いてあった)
グルジェフが日本について述べたのは、公式にはごく僅かだね。 日本の柔術よりフィズ・レス・ルーが優れているってのとアメリカが日本に原爆落とした ことに対する非難と仏教が印度の後中国・日本に伝えられたってこと。 グルジェフは大陸を重視し、島国は軽視していたね。 中国については主に七法則の章で大きく触れているよ。
942 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 11:44:58.96 ID:z/azpMl/
ああ確かピアノかなんかの話で中国の人でてきたね。
>>941 そんなサイトあったんだ
ところで、グルジェフ思想の実践は体系化されてないよね。呼吸法も一人でやるのは危険そうだし。ストップエクササイズも1人ではできない。
あとは穴掘りやらせてたよね。これは何か別ので代替できないだろうか?
どうすればワークになるんだろ。超努力の話で歩くことが出てきたけど、修験道みたいに過酷な山登りとかはワークになるんかね?日本仏教では禅や密教あたりが実践的だと思うけど、出家してこれをやったら第四の道から離れるかな。
943 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 14:11:24.74 ID:uNhr9qCf
グルジェフに感謝 、日本の霊性が再興されます。 生かして頂いて ありがとう御座位ます。
944 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 13:08:38.78 ID:HtQrUNK9
グルジェフは瞑想や座禅的なものに触れていない。ということはグルジェフの観点からみて瞑想や座禅は使えないということなのだろうか
945 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 15:40:52.74 ID:KYxZSj6H
グルジェフはリバイバルミッションにおいて卓越なる成果をあげたので、 オシメカンダハルとロシアに帰った。
946 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 15:46:33.00 ID:tR/sv7hV
>>944 座禅的なものは5番から6番にかけてのワークだからだろう
どうも5番に達した弟子とは決別していったふしがあるから記録が残ってないのでは?
947 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 16:43:44.58 ID:KYxZSj6H
グルジェフはリバイバルミッションにおいて卓越なる成果をあげたので、 オシメカンダハルとロシアに帰った
948 :
944 :2013/11/25(月) 19:30:52.30 ID:HtQrUNK9
>>946 そうなのか。
グルジェフは何番だったんだろ。自分は自己想起ができないみたいなこと書いてたけど。
949 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 20:02:45.47 ID:tR/sv7hV
グルジェフは8番だろ。 和尚なんかと一緒にして欲しくないわ。 ベールゼバブ読み直してくれ。何回も。
951 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 21:12:18.99 ID:tR/sv7hV
7番が最高ちゃうの?
分からなければいいよ。 無理すんな。
OSHOとか普通にゴミだろ
954 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 10:07:48.28 ID:KyBDileM
グルジェフの弟子や、現代でグルジェフの自己想起などをしている人の中に、自分は4番、5番、6番…に至ったという人が出ないのは何でだろ? このスレには5番に至った◆z/7s9aC7ekという方がいるけど(また戻ってきてくれないかな)、そういう人に本を書いて欲しいよ。 高次感情センター、高次思考センターの働きを得られるレベルに達した、という人がなにか書いてくれればな
955 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 16:27:55.62 ID:e6YN3B7L
グルジェフはリバイバルミッションにおいて卓越なる成果をあげたので、 オシメカンダハルとロシアに帰った
956 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 19:07:24.65 ID:e6YN3B7L
グルジェフはリバイバルミッションにおいて卓越なる成果をあげたので、 オシメカンダハルとロシアに帰った おいどうしたどうした〜〜!
957 :
神も仏も名無しさん :2013/12/01(日) 00:01:58.10 ID:TqY9NnO1
スレタイも内容も糞だな。 誰かこっちの続き頼む。
グルジェフだけで2スレ立てるわけにはいかないから、我慢して
>>957 使うしかない
960 :
神も仏も名無しさん :2013/12/05(木) 19:57:21.83 ID:JnwcY0Xq
新スレいい感じ
961 :
神も仏も名無しさん :2013/12/06(金) 18:50:54.38 ID:2xJXLuZD
グルジェフを見つめていたら、人生初の痛みが消えていく。不思議。楽しい。笑いたくなる。楽しいよ。嬉しい。くすぐったい。
962 :
神も仏も名無しさん :2013/12/07(土) 18:09:52.65 ID:J6mzD2x/
グルジェフは師を求める必要があるみたいなこと言ってたと思うんだけど、師はどうやって見つけるんだろ?時期が来れば自然と出会えるんかね? チベット、インド、西アジアあたりなんて行けないしなぁ
963 :
神も仏も名無しさん :2013/12/07(土) 21:07:03.53 ID:gBUyUV6g
日本に伊勢白山道師がいるじゃないか。 森羅万象シリーズ読めよ。
白山とやらに目をつけられたことは、グルジェフ一派にとって不幸としか言いようがない
965 :
神も仏も名無しさん :2013/12/09(月) 08:35:52.40 ID:4R/IKDVi
グルジェフはクンダリーニは良くないと書いていたが、仙道の大周天・小周天も同じように駄目なんだろうか?
966 :
神も仏も名無しさん :2013/12/09(月) 21:09:48.41 ID:tErcvUho
967 :
神も仏も名無しさん :2013/12/10(火) 10:09:56.92 ID:TiBoqJwC
ジェイムズ・ムアの『グルジェフ伝―神話の解剖』ってどうかな?「どこでなにをしたか」の記述ばかりであまり価値は内容に思えるが、読んで起きた方がいいのだろうか。
968 :
神も仏も名無しさん :2013/12/10(火) 10:14:33.66 ID:TiBoqJwC
伊勢白山道が好きな人は悪いことは言わないから「伊勢白山道さまにツッコミ!」ってサイトを見るといいよ。 全部読むのは大変だから「「リーマン様、傘付き電球を『未来人のUFO』と霊視しちゃう」の巻」と、「荒深道斉が作ったのはカゴメ歌の一部だけだった(その1)(その2)」 だけでも読むといい。
もう20年ぐらい前の話になるが、イギリスのファウンデーション からやってきたJ.I.さんが、 「我々にとってザルツマン婦人は雲の上の人のような存在、 最も天国に近い人と呼ばれている。」 と語った。 それからしばらくしてJ.Iさんがイギリスへ帰り、 電話でザルツマン婦人が亡くなったと知らせが入った。 ああ、これがイギリスのブラックユーモアってやつだなと俺は思った。
970 :
神も仏も名無しさん :2013/12/18(水) 13:19:55.54 ID:ItlTSeDm
イギリスのGurdjieff SocietyとアメリカのGurdjieff Foundationがグルジェフ直系とのことで。 霊的なグループや書籍って、基本的にどれもイギリス、アメリカにある感じだよね。 しかしグルジェフなしでワークなんてできるんだろうか。 グルジェフのいう自己想起って基本的な宗教でもそうなる(自己想起状態になる)可能性ってありそうだけど。
「教師(ティーチャー)」レベルの人がいればワークはかなり意義のあるものになると思う。 J.Iさんは「自分は教師ではなく、先輩に過ぎない...」って言っていたけど1時間ほどの ワークの後、1日は調子が良かった。(当時はムーブメントはやっていなかった。) その後ニューヨークから来たS.Gさんはいわゆる「教師」で、会ったあと2、3日は子供に帰ったように 調子が良かった。いちどS.Gの隣に座ったことがあるがとても爽やかな雰囲気(オーラ?)が はっきりと感じられた。 「自己想起」、単に四六時中意識的であるのなら一人でも可能と思うけど、覚醒するには 「教師」のそばにいたほうが絶対に良いと思う。 当時のメンバーの一人がイギリスに渡りサマーズさんのレッスンを受けたのがきっかけで 現在のGurdjieff Society Japanが発足したんだと思う。 (S.Jがアメリカに帰国後、自分はグループを離れたのでその後は良く知らない....)
972 :
神も仏も名無しさん :2013/12/26(木) 06:21:28.35 ID:Y3ZvmkwQ
幸せになるグルジェフワーク毎週開催しております。 ムーブメンツに興味のある方問い合わせしてくださいね。
>「自己想起」、単に四六時中意識的であるのなら一人でも可能と思うけど、覚醒するには >「教師」のそばにいたほうが絶対に良いと思う。 つまり、意識的であることと覚醒は別物ってことですか?
誰か次スレ頼む
>>973 マインドのレベルで意識的であることは覚醒ではないと思う。
「私は在る」という強い意識的な「それ」が在って、マインドは「それ」によって目撃されており、
肉体でもなく、感情でもない強い自覚、分離(非同一化、識別)がある。
喜ばしいことに「それ」は最初からそこにあり、ひと時たりとも自分から離れたことがない。
「それ」はこの世界に一度も生まれたことがない、したがって死ぬこともない、輪廻もない。
しかし、自分が肉体と同一化して「生きている」という自覚が生じれば必ず死がやってくる、
輪廻もある。
自分が体験したのはこんな感じ。絶対への覚醒っていうことらしい。
でも今はすっかりお眠りで自分は肉体だと感じてる。きっともっと深い覚醒があるのだろう。
輪廻は興味深い現象だ。 輪廻は一つの生の中で完全にバランスが取られないために生じるのでは なかろうか?もし過去生にまで遡って全ての負債を解消できれば 再び生まれることはないのかも知れない。しかしいつかやってくる地球の死の時、 解消されずに残った負債はどうなるのだろう?
977 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 19:36:21.61 ID:T1mTgxF+
幸せになるグルジェフ ワーク行います。 ワーク、ムーブメンツに興味のある方問い合わせしてくださいね。
主体(認識の主体、思考や感情の持ち主)は肉体とは独立して存在しているのか? それとも肉体の誕生によって主体も誕生したのか? そこをはっきりさせたい 別の言い方をすれば、肉体の死によって主体は消えるのか消えないのか? 科学者は消えると言い、オカルティストは消えないと言う どちらが正しいのか? 第一に、私には物理現象の結果として主体が発生する、という意見が信じられない となると、主体は肉体の誕生以前から存在していたし、肉体の死後も存在し続ける、ということになる 逆に、クローン羊の映像なんかを見ると、科学者の言い分にも一理あるように思えてしまう 物理現象によって主体を生み出すことも可能かもしれないと思えてしまう これは単なる理論的な話ではない 来世の有無が確定すれば、今後の私の人生も変わる もし来世が存在し、グルジェフが言うように来世に持っていくものを現世の努力で獲得出来るのだとしたら、 私もグルジェフの教えに従って生きようと思う
我々の個々の人生に何か意味はあるのだろうか? 客観的には環境に仕えること以外に意味はない。 低い振動数の物質をより高いものに変換する装置として、また他の惑星との 通信媒介として、そして月が通常の惑星と同様に成長する助けとして 地球によって生み出されたのだ。
980 :
神も仏も名無しさん :2013/12/30(月) 14:47:28.76 ID:/Jta0jn8
人生を創っているあなたが主体です。
981 :
神も仏も名無しさん :2014/01/01(水) 10:54:00.59 ID:vJiSpDeN
それに気づかせない為にクンダバッファを植え付けたのは大天使サカキだっけ。でも今では比較的安定してるから自己を完成させた人間が天使になっているらしいよ。
天使とは惑星のこと
983 :
神も仏も名無しさん :2014/01/03(金) 10:38:11.43 ID:7/BopQqA
天使は天の使い、つまり天の流れに従える人のことだと思っていました。
984 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 17:27:15.48 ID:uth8DpBJ
幸せになるグルジェフワーク毎週開催しております。 お問い合わせくださいね。
985 :
神も仏も名無しさん :2014/01/15(水) 21:02:32.00 ID:Dpr6rAIS
アレイスター・クロウリーの言う「ホルスのアイオン」や、日本の『日月神示』でいう「ミロクの世」みたいな、新しい霊的時代についてグルジェフはどう思ってたんだろう? クロウリーが『法の書』を、ニーチェが『ツァラトゥストラ』を、日本では岡本天明が『日月神示』を書いている(書かされている)わけだけど、 これだけ離れた地域で新しい霊的時代についての話が出てくるということはなんかあると思うけど。 グルジェフとクロウリーは会ってるけど、グルジェフはクロウリーについて特に何も言ってない(情報がない)んだよね。
986 :
神も仏も名無しさん :2014/01/15(水) 22:23:42.87 ID:zQQxmT3F
グルジェフはリバイバルミッションにおいて卓越なる成果をあげたので、 オシメカンダハルとロシアに帰った
グルジェフとクロウリーでは格が違いすぎる。 ベルゼバブや奇蹟を多少なりとも理解した人間なら分かるはず。
988 :
神も仏も名無しさん :2014/01/17(金) 10:08:42.84 ID:+PLcbiV7
クロウリーということで、西洋魔術についてなんだけど、西洋魔術ってアストラル界の存在ありきなんだよね。 でもウスペンスキーは『新しい宇宙像』で魔術をやって、アストラル界にあたるものはないって書いてる。 他の弟子も魔術で意識をいじくるのはよくないみたいなこと書いてる。 西洋魔術って「より進んだ瞑想」って感じだけど(象徴を分析し、儀式もやる点で)、実際どうなんだろ。 グルジェフは西洋オカルティズムを否定してたけど、西洋魔術もふくまれるんかね
989 :
神も仏も名無しさん :2014/01/17(金) 16:30:50.18 ID:T9pzdloC
グルジェフはリバイバルミッションにおいて卓越なる成果をあげたので、 オシメカンダハルとロシアに帰った
西洋魔術は単なる児戯だ。 幼稚で曖昧で愚昧。真実が皆無とは言わないが、それに近い。 本気で魔術に興味があるならチベット仏教を研究すべきだろう。
991 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 00:02:54.19 ID:hjnwrFjb
なぞの人物だね
992 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 01:51:38.65 ID:S8WOGF+I
グルジェフはリバイバルミッションにおいて卓越なる成果をあげたので、 オシメカンダハルとロシアに帰った
993 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 13:30:50.09 ID:6JkUpn+6
グルジェフが最初にロシアで教え、ロシア人のウスペンスキーがグルジェフの体系的教えの本を出してるわけだけど、 ロシアってなんかあるのかな?重要なスポットなのかね。 まあ結局グルジェフ直系のグループは今はイギリスとアメリカにあるんだけど。
994 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 15:25:50.50 ID:vfpN4zjo
グルジェフはリバイバルミッションにおいて卓越なる成果をあげたので、 オシメカンダハルとロシアに帰った
ロシアを取り上げたのは単にその当時地球上で大国だったからだろう。 大国は他に及ぼす影響が大きいから。 他にも中国、印度、アメリカ、フランスについて取り上げている。 グルジェフは大陸主義者であったから最大の大陸であるアジアを特に 重視した。島国はほぼ無視だな。 日本もそのことを熟知していたから前回の大戦は大陸に打って出ようと したのだ。残念ながら失敗したが。
どなたか次スレ立ててください
乙です
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