●●● 悟り 禅とアドヴァイタ ●●●

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1ixtlan:2012/02/19(日) 13:38:42.80 ID:fUP6gEoT
 
 悟り一般のパターン
 禅はアドヴァイタか
 仏教はアドヴァイタか
 
 基本知識の整理
 
 
        
2ixtlan:2012/02/19(日) 13:51:05.76 ID:fUP6gEoT
クリシュナムルティ(以下はインターネット和尚のサイトから)

「やがて8月17日になると、私は首筋に激しい痛みを感じ、瞑想を 15分に短縮しなければならなくなった。私の容態はどんどん悪化し、 ついに19日にそのクライマックスに達した。
私は考えることも、何 をすることもできずにベッドに横になった。やがて私はほとんど無意 識状態になったが、まわりで起こってることはよくわかった。
私は毎 日正午頃には正気に返った。最初の日、自分がそんな状態で、いつも より周囲のものがはっきり意識に入ってるときに、私は最初の最も不思議な体験をした。

道を補修している人がいた。その人は私自身であった。彼の持っているつるはしも私自身であった。彼が砕いている石までもが私の一部であった。
青い草の葉も私そのものであった。私のそばの木も私自身であった。私はほとんどその道路補修工 のように感じたり考えたりできた。
私は木々の間を通り抜ける風を感じ、草の上にとまった小さな蟻を感じることができた。鳥や、ほこり、さらには騒音までもが私の一部であった。
ちょうどそのとき、少し離れたところを車が通っていった。

私はドライバーであり、エンジンであり、そしてタイヤであった。自 動車が私から遠ざかるにつれて、私は自分自身から離れ出た。
私はす べてのなかにあり、というよりはすべてが――無生物も生物も、山も 虫も、生きとし生けるものすべてが――私のなかにあった。」
3ixtlan:2012/02/19(日) 13:55:52.52 ID:fUP6gEoT
 
 見性体験事例:放牛窟


 http://www.myoshin-zen-c.jp/c_record/my/my_3.htm


 「粥座を終えて禅堂へ帰ろうとして本堂の縁から足をふみはずして持鉢(じはつ)を捧げ持ったまま、胡坐(あぐら)を組んだような恰好でドスンと土間に落ちて尻もちをついた。
 一瞬ムーッと叫んで立ち上がろうとしても立つことが出来ない。自分が自分でなくなって大きな石のように動かなくなった。
 前を歩いていた先輩の演さんが吃驚して駆け寄って「オイ!大丈夫か!」と抱き起こして呉れて漸く立つことが出来た。
 外は未だ暗闇であったが、先輩が自分となり、庭の松が自分となり、庭石が自分となり、今まで見ていた先輩も、松も石も平生と異なって見えた。佛のように輝いて見えた。

 釈尊が菩提樹下で禅定に入られ、暁の明星を一見して忽然と大悟された時、「奇なるかな、奇なるかな、草木国土悉皆成佛(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」と発せられた端的はこのことかと悟った。」
 
4ixtlan:2012/02/19(日) 13:57:59.32 ID:fUP6gEoT
 
 見性体験事例:宮崎慈空


 http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/gendaijinnozen/fl-zensou/za19-miyazaki.htm


 「坐禅を始めて約二ケ月、高野山の宿坊に一泊した翌朝、お勤めに参拝して本堂を出た直後、豁然として釈尊の生まれる以前からの本地の風光が現前した。
 物がただそれ自体の作用の連鎖のままであり、どこにも中心や基準がない。それも今始めてここに踊り出た風光ではなく、過去現在未来の切れ目なしにぶっ通しなのだ。
 いわゆる「不生不滅」の様子。

 およそ人為の及ぶ消息ではなく、認識の主体が落ちているから「無眼耳鼻舌身意」そのものである。
 「事事無礙法界」という言葉があるが、たとえようもない静謐、故国にあるが如き安らぎの世界なのだ。
 これによって私は、病死された過去の女性を含め、一切万物の成佛を見届けたのである。」
5ixtlan:2012/02/19(日) 14:01:25.96 ID:fUP6gEoT
 
 見性体験事例: Melvyn Wartella


 http://friendsofreality.org/ESSAYS/ENLIGHTENMENT/enlightenment.html

 1970年代の後半、スピリチュアルなものへの我々の関係を理解しようと何年かすごしたが、実際にはそれほど理解してはいなかったし、またスピリチュアルな意味での悟りについても聞いたことはなかった。
 しかし、私は覚醒体験を持った。そのときは私の人生では大きな変化の時であり、とてもカウンターカルチャー的な生活をしていたのだった。
 北カリフォルニアの浜辺にある美しい州立公園で、私は家族と一緒にスクールバスを改修したモーターホームに住んでいた。

 今から考えてみると、心がある種の突破のために熟していたことはハッキリしている。ある晩、私は妻を伴って洗面所に歩いていった。外で待っている間、私は魔法のような美しい森の中で酒を飲んでいた。
 この一つの木が何か私にこっちに来いと言っているような気がした。それはとても力強い感覚だった。そこで、その木の方へ歩いていった。
 その前に立つと、同じような直観的なエネルギ−が、匂いを嗅ぐようにと言ってきた。私は前かがみになって、その木の樹皮やコケのすばらしい香りを胸一杯に吸い込んだ。

 吸い込んでいる途中で、心の内側と外側がひっくり返り、私は宇宙と一つであることを、いかなる疑いもなく知ったのだった。
 そして、これまで私は生のこの完全性以外の何ものでもなかった、ということも知ったのだった。
 それは単なる洞察とか感情ではなかった。現実に関して考え、感じていたことすべてが変容したのだ。それはまた、完全な喜びと愛の状態でもあった。
6神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 20:21:48.61 ID:DMBlXY2X
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課

二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
7ixtlan:2012/02/20(月) 22:01:33.55 ID:MMHc0Igl
 
 見性体験の事例:青野敬宗


http://www.e-temple.info/index.php?%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%9F%E6%82%9F%E3%82%8A%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%84%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%80%85#q342532a

 これも似たようなことを言ってる。臨済宗の師家、青野敬宗が井上義衍老師のとこで見性した、という話。「ものと私とがはじめから一つであった」と。


 「それから一カ月くらいやったね。八月十五日の晩に、下に大学の農学部の先生がおって、そこへ行って点心をよばれた。
そして玄関を出た途端に、お月さんが、「ハアッ」。
もう何にも見えない。もうそれだけ。
「思い詰めたんかもわからん。ちょっとなんかなるんとちがうんかいな」と思うた。それからつめってみたけど間違いない。
「ほほお。応に住する処無うして−すぐそういう言葉が出るのね、臨済におったから−応に住する処無うして而もその心を生ず。
ははあっ、なるほど、ものと私というものが一つになるんじゃない。初めから一つであったんだ」と。で、飛んで行った。知っとる者がおるかな、と思って。
ほいから、その晩から、坐ったら、もう薮がずずずっとこうなるのね。もう笹がずずっとこうなるの。
それから一週間、飯食わずにやったね。ホオッ、いまだ曾て経験のない世界ね。もうこの肉体というものが全然離れちゃって。
食べたいとかどうありたいとかいうことは一つも浮かんで来ない。」
8神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 03:47:29.93 ID:3ZHN3JYn
禅=アドヴァイタ
全て同じです。
9神も仏も名無しさん
いいスレだね。
俺はポイントの関係で長文転載できないけど、ここに
悟り体験事例集がある。みんな知ってるかもしれないけど。
ttp://www.geocities.co.jp/noboish/case/index-c.html
ttp://blog.goo.ne.jp/n-ishii/c/a569b51f59bc8304ad484750c5527457
スポーツ選手、病者の体験もあり、一読の価値はあるね。