1 :
柱 ◆xSK1SiC5MI :
屋敷を売らずにたーすけてぇーやる
天理王のみィーこと
こころは、病み悩み、もやもやで、なんとか20年たちました。
おち”ばにもいかず。
無責任信者と陰口をたたかれると思い込んで早20年。こんな男に誰がした。
まだらんの?
3 :
心音の2008命知元年。:2008/11/29(土) 23:44:22 ID:pwWhzoNH
月次祭には分相応のお供え。
夢や有り難いやお助けと感じた時にはお供えや寄付します。
4 :
銀杏 ◆xSK1SiC5MI :2008/11/30(日) 00:15:52 ID:xEe1v+wQ
月次祭にいきます。
笛吹きます。
踊り踊ってあの世まで。
5 :
真・スレッドストッパー:2008/11/30(日) 07:59:51 ID:QuYpTtI9
 ̄ ̄ ̄ ̄ー ̄ ̄ ̄ ̄にやり
6 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 09:07:25 ID:zRIsgq0d
「こんな天理に誰がした」
協賛:理の親利権協会
7 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 09:30:59 ID:zRIsgq0d
『
たすけのないたすけ道場
17000?円〜
売り物のない商店
0円〜
飛んでいったお供え金
プライスレス〜
あなたの心に親心を
』
協賛:理の親利権協会
8 :
南無大師遍照金剛:2008/11/30(日) 10:50:15 ID:S1bFhBVS
ヽ(´∇`)ノ
天理狂の拝み屋の祖母から生霊送られてます♪
9 :
柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/11/30(日) 14:06:57 ID:tefBbAZJ
昨今、一層厳しい宗教統制のもとで、応法の道を余儀なくされる中にも、
教えを守り抜き、早20年、ご苦労された方が多いのも
親神さまの不徳のいたす事だと感じます。
目に見えないものに心をたくし、経済的に窮地の中でのお供え、時間を費やす事に、
疲れ、何事も上手くいかず、拠所無い怒りをぶつけるのは何処か?
かまいません天理教にぶちまけて下さい。
真の声は、必ず届くと思います。決して身近の人や他人、物にブツケナイデ下さい。
必ず今まで見えなかった事や物が見えてくると思います。
10 :
心音の2008命知元年。:2008/11/30(日) 14:57:29 ID:y3RVGBYz
音程が解らない人でも
うでがない人でも
心の音程は大切にしましょう。
だから身をつぶすと
思いませんか。
十三仏と十三王の差ですが
天理教はどちらかと言うとトランプにちかい。
弘法太子は先走りしてたんでしょう。
十三王と十三仏は
アニメのフュギュアに近い。
11 :
銀杏ききき:2008/12/01(月) 19:09:20 ID:Zs8oqKfU
撲滅とか消すとか
宗教弾圧が激しいおまんなぁー
12 :
銀杏ききき:2008/12/01(月) 19:14:05 ID:Zs8oqKfU
肩の力をぐっぐっとぬきなはれ
13 :
銀杏 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/01(月) 19:15:40 ID:Zs8oqKfU
身情 事情 は道の花
14 :
柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/01(月) 19:21:31 ID:Zs8oqKfU
身上 事上 は道の花
16 :
心音の2008命知元年。:2008/12/01(月) 19:51:17 ID:swQ/TJHV
六理全書
アイドル
17 :
柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/01(月) 20:04:59 ID:Zs8oqKfU
>>15 着払いだぞ 多分
天理教じゃないな 偉大なる親神様は、そんなセコクナイ
18 :
神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 23:20:08 ID:C66OLUEf
>>15 生ものだから腐らないように、クール宅急便?
>>1 >おち”ばにもいかず
おぢばは行くところにあらず。「帰る」ところwww
20 :
真柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/02(火) 22:40:31 ID:lWJn3T4A
ごめん
21 :
真柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/02(火) 22:41:59 ID:lWJn3T4A
22 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/02(火) 22:51:08 ID:lWJn3T4A
苦情があり改名しました。
バチアタリデシタ
23 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2008/12/02(火) 23:07:56 ID:miULelmu
どうせなら貝柱にして欲しかった…(遠い目
24 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 12:33:49 ID:BqUrvDfZ
↑ 珍柱もいいかも知れない。
【警察】宮崎希美(のぞみ・希美も使用。現 ◆pLAYdeBByU)は男だった!【聴取】
【衝撃発言!希美「確かに刑事が訪ねてきました。」】
==========================================================================
261 :とぼとぼテレジア ◆y4hrBfjK1o :2007/09/18(火) 14:45:53 ID:Fg9KjXWH
不審者”希美 ◆55nynIr58w” の告訴に関する報告 (宮崎希美・のぞみ等のコテハンも使用)
◆55nynIr58w”(現 ◆pLAYdeBByU ) の 度重なる無修正性器写真の貼り付け、
無修正写真メール配布について
6月11日付、警察署に”わいせつ物陳列”に関して専門家が作成した告訴状と添付資料を提出いたしました。
先日警察署から連絡があり
警察からの2ちゃんねるログ開示要請、NTTdocomo情報提供等によって
希美 ◆55nynIr58wこと、東京都内の独身男性を割り出し、警察官が直接訪問、 取り調べを行い以下の供述を得た。
□猥褻画像はネット上に存在した写真にリンクを張ったもの
□ちやほやされるので面白半分でやった、、という供述を得た
本人(希美 ◆55nynIr58w(現 ◆pLAYdeBByU )こと東京都内の独身男性)に以後はこのようなのとはしないという誓約書、及び厳重注意を与える処分となりました。
___________________________________________________________________________________________
304 名前:マドモアゼル希美 ◆pLAYdeBByU [] 投稿日:2008/10/15(水) 10:33:46 ID:PqdNWX7Y
>>303 神奈川県警葉山署から、確かに希美のところに、エッチ画像はやむてほしいと、刑事が訪ねてきました。
26 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 14:48:28 ID:nzF4Xhqx
ネットオカマ希美
天理教信者にはろくなのがいない。
「つ」を止めるから「つとめ」
「つ」は「たいしょくてん命」のことである。
これは、このあいだの月次祭の祭典講話で、本部員が話していたことである。
だからと言って「当たり」という証拠になるとは限らないが、そこそこの信頼は寄せられるだろう、さ○みさん。
28 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/03(水) 18:19:15 ID:+3d9LDyd
勉強になりまんなぁー
物知り宝箱やぁー
29 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 16:15:41 ID:qLzLC4zj
心柱・心音2大電波天理教信者 わけの分からないことを書き散らす。リソースの無駄遣い。
30 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 17:44:30 ID:zMzShNDc
批判ばかりして虚しくないですか?
天理に直接ぶつけて次に向かったらどうですか?
天理はそれを望みます。
天理は聞く耳を持ち合せていない人が多いですよ。
だから創価学会にすらも負けてしまっているわけでして。
32 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 06:17:25 ID:H6xzFUoS
教祖の妄想だけしか聞く耳もってないんじゃなぁw
33 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 07:20:33 ID:uCxmYZUP
理路整然と反論することが出来ない理性を失い汚い言葉で罵る天理教信者。
教会長なら不足を言うなの文句で片付ける。
中にはいるまともな信者さんがかわいそう。
34 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 07:30:34 ID:H6xzFUoS
まともな信者がいればな(笑)
35 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 15:20:28 ID:uCxmYZUP
>>36 いないの((笑))
おてんば私立学院総長や野良天はまともな人だと思う。
希美は犯罪者。
S2027や基本。はいかにも新興宗教にはまっている感じ。
心音はわけのわからないことをかきちらす精神分裂病患者。
36 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 16:02:39 ID:HmPbhQdh
俺は2027さんは今のところ何も行動しない口だけだと思うが。
アドレスを通して会話をし思ったが。
あんたもアドレスで俺と腹をわって話をしてから人の分析をしたらどうですか?
37 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 00:29:51 ID:e/9hydfB
世間知らずの厨房三つの方法w。
素性の分からない人にメールアドレスは教えないのが常識。
天理教信者というのはこういう奴が多いのか?
38 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 00:39:09 ID:VpFbFj/N
俺のアドレスを晒した理由は挑発するのみと本気で考えてる人を見極める為。
天理に反感を買う人 天理ようぼく どちらも本気で考えてる人はアドレスを通して俺のバカ行為を指摘した。
その中で数人と電話した。
その中で掲示板は特にIDのみの中に挑発 中傷が目的の奴もいると同じ意見の人もいた。
口だけじゃなくて行動してみたら。
39 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 13:41:57 ID:e/9hydfB
釣られてみます(苦笑)。
他人任せで行動に起こせないのは三つの方法ちゃん。
信頼を得たいなら改善して成果を得なければならない。
まだ君は成果がない。
生温かく見守っています。
40 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/06(土) 21:35:52 ID:JWV7Oepk
この世知辛い世の中で
麻生さんが、ご乱心としか、思われぬ、訳の分からぬ、バラマキ政策のなか、
現実に起こっていることは、確かな拠り所を、無くした日本国民が
大勢居ると言うことです。
人と人の関わりを強くし、生きている意味を世に伝え広める役割が
諸宗教にカカッテいます。
その中で、天理教もお助けしなくては、なりません。
それが、人間世界での役目と確信してます。
頑張ろう
41 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 03:45:10 ID:NDPIXW/J
その自民党を組織的に支持 しているのは天理教。
42 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 05:42:00 ID:xFKV28cm
アチャー(ノ∀`)
43 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/07(日) 21:39:33 ID:C4CVndCo
創価学会の池ちゃんとこと
一緒にせんでほしいわ
民主一本でっせ
総選挙で大勝したら
公明党も仲間にしてやるわ
はよ 解散してほしいわぁー
44 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/08(月) 22:32:31 ID:B08RgU21
来年早々解散選挙実施らしい
皆さん、民主たのんます
45 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/08(月) 22:33:09 ID:B08RgU21
来年早々解散選挙実施らしい
皆さん、民主たのんます
46 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/09(火) 19:25:08 ID:i3FoWEgs
はやばやと 神がしらしてやるほどに
いかな事でも しかとききわけ
見せられることは、すべて親神様のお知らせだ
日々自分に言い聞かせ今日も陽気にくらせて
感謝 感謝
47 :
神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 22:30:00 ID:YOhEHWwv
そして天理教には幾つかの分派が出来た。彼等も「天理教」と名乗ったため、「天理教」は宗教法人天理教の商標であるとして、名称使用差し止めの裁判を行った。判決では天理教の教えを信仰するものはどの団体も「天理教」と名乗ることが認められた
48 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/10(水) 14:04:15 ID:DrIGoS9b
そのトウリ、裁判闘争は知りませんが。心は一つです
49 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/10(水) 22:23:26 ID:HA3jshF5
他のスレで きちがい といわれました。
カチン と、来ましたが その反面嬉しさもありました
天理教は、馬鹿じゃなれず 利口でもなれず 中途半端じゃナオなれず
ある意味一心不乱で助ける姿は客観的にコノご時世 きちがい に見えるのも
分かると思います。しかし、それこそ本来の助け一筋を築いた先人の姿だと思います。
「感謝」「慎み」「助け合い」なんてのは、わざわざ天理教に教えてもらうまでもなく、世間が既に「理想」として描くもの。
公共広告機構が「人を助け、人に助けられる社会でありたい」とテレビで流すような時代なのだ。
まさに「十分道と言えば、世界から付けに来る。世界からろくぢという道を付き来る。濁った/\道でどうもならん。」だ。
明治二十一年三月九日(陰暦正月二十七日)
天理教会設立の伺
さあ/\どんな事も俺がするのやで。善もある、悪もある。善悪分かるのやで。悪は扈からす/\。善より思案して見よ。五十年前よりある。・・・
51 :
神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 08:07:40 ID:pXjcfEiU
>>50 タチが悪いのは、スローガンと逆のことをやっていることだ。
助け合いなんかやっていなくて、潰れそうな教会があるのに、本部は援助すらしない。
お供えを持っていってもそこの会長から感謝されることなく、当たり前のように受け取られる。
・・・
「高慢」「憎しみ」「足の引っ張り合い」のほうが正しいのでは?
ああ 隣のボロい教会みているが、入信しようとは思わんな ‥ もう少しでゴミ屋敷になりそうだわ
53 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/11(木) 19:00:15 ID:ocuavuhd
月に3000円お供えさせていただいてます。
後は、ひのきしん お助けでがんばってます。
でも、皆さんへんな教会いってまんなぁー
そのボロイ家、本当に天理教?
気のせいじゃないの
54 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2008/12/11(木) 21:08:54 ID:Xg4tOaK9
俺の実家、教会だけどオンボロだぜぇ?
心柱よ、お前は何にも知らないんだな…
今からあちこち見てこい。
ついでに肉まん四個買ってこい。
55 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/11(木) 22:29:56 ID:dSc1TLWI
オンボロ教会は
中々勉強になりますよ。
おやさまを
近くに感じれます。
そこには
大教会長などが
来られるはずですから
味わい深いものがあります。
世界にはもっと困っていられる方はおられますから
おぢばに近いとなります。
どちらにも
出入り(飲み食い出入り)
出来る人は
大教会長に近いんでしょう。
56 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/12(金) 14:12:58 ID:lWRMwUHV
心音ちゃん 身にしみます。
やっときたか野良ちゃん
ボロは着てても心は錦だ
やっぱり相当苦労したみたいだね
へんに綺麗な建物は、宗教全般、近寄りがたく見えるのは俺だけかなぁー
高級レストランのチーフの話より屋台の親父の話の方が
身近に感じる。
かえって見た目が悪いほうが一筋って感じで好感持てると思うよ
古の言葉で 美人は三日で飽きるって言うよねぇー 見た目にコダワラナイのが天理教だよ
肉まんの件了解 何時かお供えさせてもらいます。
57 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2008/12/12(金) 17:31:02 ID:IkwIgTBq
肉まんご馳走さま。
でも見た目は大切だと思うぞ。
見た目がマズいと信者以外からの印象が悪い。
よく考えてほしい。
58 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/13(土) 14:45:06 ID:BjNrG6dO
言いたいことはあるけど、 無責任な立場の俺が 教会の批判はだめ出しか
教会背負ってる野良チャンの気も知れず
土足で入り込もうとした事
反省します。
59 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/13(土) 19:08:07 ID:oq0GRkg8
綺麗で美しいも
恋におちる事もあるけど
ラグビーや野球みたいに
頑張る姿の泥臭いのも
恋におちるでしょう。
どちらも知れば
感謝、慎み、助け合い
がしみると思います。
60 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2008/12/13(土) 22:10:35 ID:JP1xxLKh
>>58 あ、俺は教会なんて背負ってないから・・・
此処のメンバーが大分入れ替わっているから、俺は教会の元後継者で今はそれを
辞めているってこと書いとくね。
今は不動産関係の営業・・・といっても管理職。
仕事は大変だが、教会内にいて不貞腐れていたころよりずっと生きている実感を
味わえるし、懐も充実している。
天理時代の生活を振り返ると、実に巧くだまされていたことだなと思わずには
いられない・・・(笑)
ついでに晒しとくか・・・
専修科を出ていて、本部でも3年勤めていて大教会青年も4年弱やっていた。
ま、天理教団のやり方の裏の裏まで知っているってことだよ。
ここでは丸4年以上このハンドルでいろいろ書いてきたが、初めて告白・・・
俺の生まれ育った教会はド貧乏だったが、結婚相手は大教会長夫妻を叔父叔母、
伯父伯母(つまり複数)にもつビッグネーム(ビッグネームってのは、大笑いするとこ)
続きは追々と。
61 :
神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 22:53:24 ID:KzpOivv5
懐が充実してるって…
肥の授けでも貰ったの?
62 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2008/12/13(土) 23:12:12 ID:JP1xxLKh
稼ぎが割と多いってことさ。
63 :
神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 23:15:41 ID:KzpOivv5
稼ぎが多いのと粗利が充実してるのとは違うよ。
64 :
神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 23:16:42 ID:DXzZlKk7
天理教は 教会ごとに 会計報告しているのですか?
65 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/13(土) 23:16:56 ID:oq0GRkg8
野良天は甘えてただけ?
内からするでは
ないほどに
だだ言う事を聞いてるだけでは天理教の真実は解らないよ。
あらきとうりょうに
ならなくては。
天理教については
普通の教会長より
心音のほうがよく知ってるし。
天理教に何代も何十年つとめても解らないよ人は解らない。
おやさまに認められるか
どうかだからね。
66 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2008/12/13(土) 23:30:27 ID:JP1xxLKh
心音の思い上がりと勘違いは、訳分からないし、見ている側が恥ずかしくなるよ。
まあ頭がかなり悪いのはよく分かるけどな。
67 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/14(日) 00:06:04 ID:0Ynf/5La
人それぞれこの世界、今存在していると言うことは、ガンバッツテ生きてる
あかしだ
それを否定することは、誰もできないと思うし、俺も含めて言ってしまった事は正に思い上がりも甚だしいかぎりで
そこには、何の生産性も存在しなくなる
だから、俺は、これからもっつと、人との関わりを大事に生きて行こうと思う
現時点、積極性がないからか、未だ上から無理難題、金品の要求ない
もし、その様なことが起きたら、断固拒否すると思う
陽気くらしに、必要以上の金と、無理強いは必要ないし 助けて 恩賞貰った時点で
それは、商売になってしまい無償の愛が存在しなくなるからだ
奇麗事と思われがちだが No1 で書いたとうり おぢば にも帰らず
教えに反しているのも事実だし 集まりなんてまっぴらゴメンだ
しかし、やることは、やっているつもりだ
これが俺の精一杯だ
それでも未だに天理を辞めろとは、言って来ないから
これからも 貫くつもりです。
68 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/14(日) 00:14:24 ID:0Ynf/5La
心音ちゃん
手踊りうまそうだね
あらきとうりょう なんて 久々だな
69 :
神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 06:06:35 ID:8L6GiPb8
>>60 信者は自分たちが天理教に騙されていることに気が付かないからね。
洗脳が上手くいっていると言えるのだろう。
>>64 報告の義務はないと、他のスレで書かれていました。
法人格を持っているところは、報告されているらしいです。
あと本部の宗教法人天理教は報告しています。
・・・お供えで集めた金や、教会長が自分の私腹を肥やすために横領した金は記載されていませんがね。
70 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2008/12/14(日) 08:45:03 ID:SAL26y08
元旦オフ会でもやるか…と自分は行く気無いのに言ってみるテスト。
71 :
神も仏も名無しさん:2008/12/14(日) 12:30:02 ID:bKFr4R6K
>>70 野良天は好きだが、合いたいとは思わないな。
72 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/14(日) 18:23:49 ID:2zkacvVO
濡れ手に粟のお金は
自分の首を絞める。
天理教で言うなら
実を持って価を買わなくてはならない。
今の世間の不景気は
その付けがまわってきたのだろう。
73 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/14(日) 21:53:25 ID:ZLczy8W1
心音ちゃん 一理ある
俺の無知な疑問
大きい会社は、なぜ派遣を使う?
そもそも派遣なんて必要ないし
あってはならない組織でしょ
リスクを背負わない大会社がおおくねェ?
パチンコ屋おおくねェ?20兆産業潰せば 景気よくならねェ?
世の中に金が出回らないのは、一部の所に大量に行っているからじゃねェ?
土日パチンコ屋親父やおばちゃん満員御礼だぜ そいつらの家族金がねェーねェー
言ってるぞ
経験者語る あー懲りた 足どころか すべて洗った
腹いせで言っているのも一理ある
濡れ手で粟の 連中の首しめてくれ 親様 たのむ
74 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/14(日) 22:10:10 ID:ZLczy8W1
オフ会 成功したことないからな
そのうち 大いに話したいな
顔がみえると 話も気持ちよく 入ってくるからな
言いたいことも 気を使わず 顔色うかがわず 話せるし
しかし、3人までが限界だ今の俺には
野良ちゃん 心音ちゃん 俺だ
75 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/14(日) 22:31:02 ID:2zkacvVO
こころを修養しないと
派遣は濡れ手に粟だね。
切られて文句をいいたくなるにきまっている。
元からお金が簡単に儲かると考え感謝がないからです。
格差なんて世界的に考えておかしいんだよね。
100円ショップでも
いらないものはいらない
ゴミになるからね。
100円の鍋でも直して最後まで使う事。
100円ショップのような派遣も使い捨てばかりだね。
会うには
もっと脇をかためれたら
いいね。
76 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/14(日) 22:39:03 ID:ZLczy8W1
色々了解
それと、そもそも ギロッポン ヒルズ 見て
勝ち組だなんてぇーのも なにに勝ったのか
理解しがたい
77 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/15(月) 19:28:57 ID:dEv46Ggv
別の板は、人種差別やら障害者批判がすげェーのなんのって
今こそ天理教のお助けが必要だと
ひしひし感じる今日この頃でした。
>>41 「かなめ会」が自民支持らしいね。 (やめとけよ、クソがw)
79 :
神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 20:49:28 ID:D01XktPj
>>77 天理なんか信じてること自体が脳障害の証拠だろ。
80 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/15(月) 21:11:19 ID:EX4jrs3R
六本木ヒルズや
お台場が
かんろだいに似てるなんて言われたら
かんろだいの方がいいよと言おう。
81 :
神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 22:42:12 ID:2YLh5x3U
天理教は障害者を差別する宗教。
おさづけは手のない人にはやらせない。身体障害者差別。
82 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/16(火) 02:15:49 ID:jOuFxLZO
天理教では
福祉フェスティバルなどがあり
障害者は楽しんでますが?
講演では
島田陽七さん
水谷修さん
アグネスチャンさんなど
が来ています。
アグネスチャンさんは
福祉では有名です。
ただ、精神障害者に対する差別は文句なしにひどい。
差別するどころか敵視してさえいるではないか!
84 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/16(火) 18:26:01 ID:jOuFxLZO
心音は世界すべての人が
統合失調症状にみえるが?
天理教は四方正面鏡屋敷だぞ?
統合失調症には優しくは
天理教にとって当たり前
仲良く陽気ぐらししているよ。
85 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/16(火) 19:59:28 ID:AfZrZkSY
おてんばさん
本当の話ですか
俺は、差別無しだが
>>85 非常に残念なことですが、
>>83は真実情報です。
お道の人、特に本部員や教会の偉い手さんになればなるほどそういった傾向性が見られます。
精神科の身上者 = 親不孝者
このような図式を露骨に掲げている会長のいる教会も少なくはありません(もちろん例外だってあるにしても)。
で、その精神病・頭の病気になる根本原因は「怠け者」であるがためとの見立てての敵視であるようです。
(たとえば「鰍゚いらく」の創始者のように)
それゆえ、修養科などでは精神異常者と見なされるや、徹底した「しごき」が待ち構えておりましたし、
「しごき」に徹する教養掛の先生らのことを絶賛する本部員や会長さんも相当数いるのが実情です。
彼ら曰く
・なかなか出来んことをやりよる!
・そこまで熱心に仕込んでくださる教養掛の先生方はじつに素晴らしい!
これ、完璧な人権無視にあたることを見落としてしまっている証拠。
それに、逆効果を招いてしまっても責任だけは取らないうえに、主観丸出しだから始末におえない。
当人の意思を無視して「仕込み」だのといった戯れなことを行う権利はない。
余計なことはしてはいけない。
ま、人間は怠け者であって悪い道理などはないはずだと思いますよ。
まして怠け者と精神疾患を同一視して、なお且つ敵視する行為って、実におぞましい。
>>84 まあ、統合失調症かどうかはさておき、
誰しもが心の異常を抱えているのが真相でしょうね。
心に異常がない人・精神病の要素がない人なんて、
日本中探しても1人としていないでしょう。
ただ、心に異常があったればこそ、人は「成人」していけるに違いありません。
癖性分があることにしても、これまた成人する大きなチャンスだと心得ております。
※「癖性分をテコにして活用しながら大きく成人させることが出来る」という意味。
89 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/17(水) 13:45:36 ID:roari7oS
大所帯になると
そこには、間違いを犯すヤカラも相当いるという現実から
目をそらしては、いけない。
俺も含めて気お付けなくてはいけないと思う
90 :
神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 21:42:26 ID:+Ssl2MVx
>>86 天理きょうさんは、精神障害者についてずいぶんと遅れた考えをお持ちのようですね。これでは逆効果です。
今の天理教では人の心を救うことが出来ない。ただの信者の自己満足に終わっている。そう思います。
それにしても、一般的な「成人」と、天理教のいう「成人」はずいぶん違う意味のようですね。
わがまま、自己中心的、高慢なひとがおおい。世間知らずで、子供みたいな人が多いです。
91 :
心音の月太陽が図星。:2008/12/17(水) 23:06:36 ID:BDYg74Tb
身上、事情は道の花。
天理教の神殿は花で飾りませんが
障害者や病人は
天理教の花ですから
おやがみさまのていりは
やまいではない月日ていり愛されているみたいなものですから。
天理であるいていたら
先生に連れられダウン症の子供達が30人ぐらい歩いていました。
天理時報に乗ってましたがハンセン病の施設も多くあります。
心音の会長さんは
福祉の免許を持ってやさしい方です。
将来は作業所を建てるのが夢だそうです。
92 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/17(水) 23:24:49 ID:coO/eTbL
心音ちゃん 俺が一番好きな くだりです
道の花
93 :
age仙人:2008/12/19(金) 06:28:19 ID:Hgw8hNjQ
久々にお邪魔します。
現実考えて、
今の天理教には、「おやさまが説かれた教理」(おふでさき、みかぐらうた、おさしず)
以外に、
あたかも教理のようで教理ではない。時と供に人々に語り継がれてきてしまった
「風潮教理」(仮名)が存在していて、それが人々はおろか、教団全体を惑わしてる。
主に856に書かれているような 「理の親」の定義よういられていますね。
94 :
age仙人:2008/12/19(金) 06:38:03 ID:Hgw8hNjQ
確かに、おやさまも、「親をに呼ばれたら、ハイと返事をして…」おさしづには、子供に親孝行を説く一説も有ります。
この辺の拡大解釈が、風潮教理の「理の親」に発展しているのだと思います。
仮にこれが正しいとしても、
逆に「屋敷のもは、屋敷のものやと言うて…」
と、屋敷現在で言えば本部の人に、高慢の心を戒める一説もあります。
どの教団も組織構築の一途の中で、教理の改ざんはあるでしょうが上下をつけた方が構築し易かったんでしょうが、
教理の十分な把握が出来ず、おたすけで、「回復の御守護」を頂けない人が増え、
少数とは言え、傍若無人な責任者を作りだしてしまった今日から考えたら
親の解釈には危機的状況を生み出してしまいましたね。
仏教会でも、
「説法説けない坊主」も増えているみたいですが、「寺の馬鹿むすこ」と言葉でもあるように
非常識な者は、実の息子ですら破門はよくあると聞きます。
こうして寺と檀家さんとの秩序を保っているから、長い年月保つことが出来ているのでしょう。
かたや
天理教には戒律は無い、と言って、わがままを正当化する人は多いですが、
これは無知な信仰者の意見
おやさまのお言葉には、「…したあかん」戒める言葉は沢山ありますから、
これらを現教団が説き、信仰者の秩序を守らねばいけないと思いますね。
95 :
age仙人:2008/12/19(金) 06:39:56 ID:Hgw8hNjQ
風潮教理には、絶対封建、絶対世襲、絶対長兄、と組織の力学が含まれていますからね。
経過は、おやさまの教理でも、結果は上級が絶対正しい教え。
おやさまも「異端はゆるさん」と仰ってましたが
各系統を見ていると、今やカルトの性質を持ってしまっていますからね。
困りますね。
96 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/19(金) 15:04:12 ID:0ZEUZ/FM
現時点 俺は、上も見ず 言うことも無視し ただ困っている日と見たら
力をつかわして もらうだけ
人間ひとりでは 限界がある
とりあえず じぶんの回りをみて 生きてるだけだ
月に3000円お供えして 天理の良いとだけ見てる
相手が居ることだから、当然、(なにを奇麗事を)と陰口が入るが、
奇麗事からお助けが始まるんですよ
そして、地道に根気良く重ねると 真実なると思う。
くそコテだけになってるw
98 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/20(土) 14:56:37 ID:qwKgywdA
他人を不愉快にする行いをミットモナイと思う
感受性や、公のものを大切にしようという公徳心が
>>97にはかけている
修養科に行って来い
13万 稼いで
なんかさ、「おさづけ」の御守護を履き違えたコメントが目立つんだけど?
「効く」って捉え方自体がおかしいし、金がないから「おさづけ」って?
先ずどなたを呼び出し、取り次いで頂いてるのか、ってところからじゃないのか?
必ず働いてることには違いないんだよね?
そう言う意味では効いてるんだよね?
100 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 17:03:56 ID:4YFWzXR3
>>99 効かなかったときの言い訳として、「必ず守護は働いている」「身体は助からなかったが、心は助かった」と言い訳をする。
101 :
心音の月太陽を愛して。:2008/12/20(土) 20:17:21 ID:daYpd64D
天理教の教理を修養科で学ぼう。
どこの宗教にもない
世界の原点、日本の原点がわかるでしょう。
102 :
S 2027 ◆xLXYm5I0mA :2008/12/20(土) 22:28:09 ID:0rsXT7Ih
>>99 >なんかさ、「おさづけ」の御守護を履き違えたコメントが目立つんだけど?
>「効く」って捉え方自体がおかしいし、金がないから「おさづけ」って?
金がないからおさづけ・・・これは事実ですよ。
天理教が伸びたのは貧しい人が多かった・・・満たされていなかったからだと思いますね。
最近満たされないのは、身上ではなく、事情に変わってきているように思いますけどね。
今は体調崩せばすぐ、医者に行けるだろう?
おさづけにすがる機会は昔と比べ、ずーと減ったと思いますよ。
それとねえ、笑い話ににもなりませんが、体調崩しても天理教関係に内緒にしてる人かなりいますよ?
なぜか分かりますか?
御供を要求されるわ、お仕込み受けるわって感じに受け止めてる人、かなり俺知ってますよ。
効く、効かない、というより「祈る」「願う」 後は神様任せで良いと、俺は思いますけどね。
103 :
S 2027 ◆xLXYm5I0mA :2008/12/20(土) 22:32:17 ID:0rsXT7Ih
>>102の訂正
×それとねえ、笑い話ににもなりませんが、体調崩しても天理教関係に内緒にしてる人かなりいますよ?
ここは?マーク使うととこではないなwww
104 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/20(土) 23:21:56 ID:6W9eGSdN
そうだな
色んな人間がいるんだな
俺の回りには、見当たらないが
お医者様でも 草津の湯でも
治らないのが 心の病だ
少しでも和らげるばと思い
お助けしてる
そうだよね 心音ちゃん
105 :
心音の月太陽を愛して。:2008/12/20(土) 23:49:15 ID:daYpd64D
苦労は楽しみの種。
節から芽がでる。
苦労を過ぎれば
苦しみの種。
苦労すれば楽しさも
笑いも産まれる。
すべてはこころの音程
感動させれば一ころ簡単に落ちる。
スポーツでも鍛えるには苦労と楽しみを覚えなくては勝ちも出来ない。
なんでも右左片寄った考えは身を潰す。
106 :
心柱 ◆xSK1SiC5MI :2008/12/21(日) 02:03:54 ID:5S2IrIoN
了解
107 :
心音の月と陽のヘキサゴンフラワー:2008/12/26(金) 00:07:55 ID:3pehMGg9
温泉と言えば
天理市の
奈良健康ランドは
健康ランドの元祖です。
天理に言って健康ランドでくつろげばなかなかいいんではないでしょうか?
108 :
心音の月と陽のヘキサゴンフラワー:2008/12/28(日) 21:14:48 ID:kub+Fzr1
天理市には
天理観光があります。
天理教の観光の率は
999分の1ぐらい
あるんではないかなと思います。
109 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 21:44:28 ID:jE/3dtLv
天理観光といえば、天理教本部見学でしょう。
地元の方に「お参りするような感覚で見に行ってもいいですか?」と
尋ねたら「一般の方も24時間見学OKですよ」と言われました。
仏教のような神道のような独特の建物ですね。
110 :
心音の月と陽のヘキサゴンフラワー:2008/12/29(月) 22:42:24 ID:z5UH1Rp4
日本が混ざり合い
もう一度原点に立ち返った所が天理ですからね。
何階にも横につながりあった形はバチカンから来ているようです。
東京大学のどなたかと考えたそうです。
名前は帝観様式といいます。
111 :
心音の図星の北極性。:2009/01/10(土) 19:33:31 ID:b8f2wULU
(日本のふるさと天理)
地図を調べてたら
やはり天理あたりは
日本のふるさとですね。
112 :
神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 00:25:27 ID:hQgO8FSe
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(;´Д`)< うちの天理教信者がご迷惑おかけしました!
-=≡ / ヽ \_____________
. /| | |. |
-=≡ /. \ヽ/\\.. |
/ ヽ⌒)==ヽ_)
-= / /⌒\.\ || ||
/ / > ) || || ('A`) ドウセ オレナンテ・・・ ←
>>111 / / / /_||_ || /(ヘ)ヘ
し' (_つ ̄(_)) ̄ (.)) ̄ ̄ (_)) ̄(.))
113 :
心音の掬う素元波。:2009/01/12(月) 21:26:10 ID:2gWvqDFA
偽天理教が何か言ってる。
偽札がいなくなったと思ったらまた出てきたか。
114 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 21:56:48 ID:Y6AXdETu
また、天理よろず病院精神科閉鎖病棟を抜け出しやがって!!
> 三三三三
> 三三 ,----、 -、 三三三三三三
> /;;;'''- . 三三三 {;;;;;;____} __}
> 三三 {;;;::::::__} _,.- '' ̄"''ー-;;. ゝ_ン
> / ̄~ Yヽ:: _ 〉 ,.- ''::::::::::/::::::::: ::.. ヾ.} 三三三
> /:::: .::ノ .: }'^〈" ヽ/:::::::::::::i :::::::::::::::::..:}l
> {::::: ;;;:::: .:: ヽ_,--、,.,.,/:::::::;;,,,:::::::::::::::;;;;__,イ \__
> >、:::.ヽ ノヽ、_{_,,,,,}.../::::::::::i ::::::::::::/=l:::: l======、ー、,.,._,.-'''"⌒ ー、 ←
>>113 > /:::::: ヽ、\'、____ll________/:::::::、:::,ヽ::::::::{ー--`ー',,,,.,.,.,.,,.,. )) "'''- .._ 彡 l ヽ、
> /:::::,,,,,,,/ヽ,,__)======={:::::::::::..ミ 、 ::)'::::.:::.:::::.:.::_,.-'''"===ii;;;,,,;;;,,;,;;,;,;,ヽ,___/
> {::::ミ/;;;;;;l ;;;;;;;;;;;;;;;||;;;;;;;;;;::l::::::::::::::::::: イ::;;;:;:;_,,..-‐'' ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;||;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
> .l;;;;;;;};;;;;;;;ヾ ̄ ̄:|| ̄ ̄ l:::::::::::::::::.ヽ \, -'": :: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
115 :
心音の掬う素元波。:2009/01/19(月) 22:25:58 ID:cEXAxbi8
あなたは
太陽系から抜け出した
ボイジャーです。
一生地球には戻って来れないかも?
116 :
神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 08:25:22 ID:MbSk02nC
┌───────────────────
│あ、どうもスイマセン、
>>115がお騒がせしました・・・
└───v───────────────
/⌒\ っ /\
/'⌒'ヽ \ っ/\ |
(●.●) )/ |: |
>冊/ ./ |: /
/⌒ ミミ \ 〆
/ / |::|λ| |
|√7ミ |::| ト、 |
|:/ V_ハ |
/| i | ∧|∧ ←もう出直してますんで・・・
и .i N /⌒ ヽ)
>>115 λヘ、| i .NV | | |
V\W ( 、 ∪
|| |
∪∪
117 :
心音の掬う素元波。:2009/01/20(火) 19:59:40 ID:knS9k/yP
同じを繰り返すなら
他の宗教や
天理教をしっかりしなさい。
なにがそんなに気にくわないのか?
あしきをはらいましょう。
118 :
心音の掬う素元波。:2009/01/21(水) 22:09:17 ID:32fks6dW
素元波を学びましょう。
119 :
神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 01:10:58 ID:lkYgCEn8
いやここで君のあしきこころをはらっていくべき!
120 :
神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 10:02:38 ID:oU7wvwE9
>>118は天理教症候群末期状態(T5)を発症!よろず病院精神科閉鎖病棟へ急げ!!
三三三三
三三 ,----、 -、 三三三三三三
/;;;'''- . 三三三 {;;;;;;____} __}
三三 {;;;::::::__} _,.- '' ̄"''ー-;;. ゝ_ン
/ ̄~ Yヽ:: _ 〉 ,.- ''::::::::::/::::::::: ::.. ヾ.} 三三三
/:::: .::ノ .: }'^〈" ヽ/:::::::::::::i :::::::::::::::::..:}l
{::::: ;;;:::: .:: ヽ_,--、,.,.,/:::::::;;,,,:::::::::::::::;;;;__,イ \__
>、:::.ヽ ノヽ、_{_,,,,,}.../::::::::::i ::::::::::::/=l:::: l======、ー、,.,._,.-'''"⌒ ー、 ←
>>118 /:::::: ヽ、\'、____ll________/:::::::、:::,ヽ::::::::{ー--`ー',,,,.,.,.,.,,.,. )) "'''- .._ 彡 l ヽ、
/:::::,,,,,,,/ヽ,,__)======={:::::::::::..ミ 、 ::)'::::.:::.:::::.:.::_,.-'''"===ii;;;,,,;;;,,;,;;,;,;,ヽ,___/
{::::ミ/;;;;;;l ;;;;;;;;;;;;;;;||;;;;;;;;;;::l::::::::::::::::::: イ::;;;:;:;_,,..-‐'' ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;||;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
.l;;;;;;;};;;;;;;;ヾ ̄ ̄:|| ̄ ̄ l:::::::::::::::::.ヽ \, -'": :: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
121 :
心音の日本の大統領。:2009/01/24(土) 00:16:27 ID:4QSSitHq
↑狂った。
122 :
心音の日本の大統領。:2009/01/24(土) 00:25:51 ID:4QSSitHq
素元波、電波の衝撃波!
すべては応法の理、応用をすればたすかります。
能動、受動、山、谷、ある、なし、凪、波など数知れず。
123 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 00:46:09 ID:SXBvOwiT
今年の選抜高校野球の
PL学園
金光大阪
天理
という並びを見て、つくづく関西地区はオカシイwと思いました。
野球で活躍するには新興宗教系の高校に入学するのが近道!なんて
地域は他にない。関東地区は慶應や早実が代表だ。
未成年を宗教で染め上げるのは良くないと思う。
124 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 09:33:28 ID:54ouutrg
| よろず病院精神科閉鎖病棟から逃げ出した、
| 天理狂症候群末期症状(T5)発症者
>>122を確保!黄色い救急車で搬送中!!
| _____________________
| / ⊆ニ(二(ニニ⊇――――' (●ヽ
| / ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ
/| /______________________ヽ
,/ ̄V ̄ ┏━, / ̄ ̄ ̄|| ||. ̄ ̄ ̄ ̄ |||  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄...| |
,/ ∧ ∧. i┸i //. ∧ ∧ || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_.,/. (゜Д゜ ) | :::|//( ´_ゝ`) < コワー
|/,,,,,へ⊂ ヽ .// ,/ ノ/ ||\______________
,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄ =。|┃ |━━━━━...............|
|______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,よろず病院精神科,,,,,[|
._|]0::∴:::0::[二二il:] ,-―-、 ,,| | . [|
|====== ;...........| /,  ̄ヽ |~~|. | /,  ̄ヽ | {|
ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.'''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
125 :
心音の心神の大統領。:2009/01/26(月) 01:05:57 ID:U1yqVC54
心音の
実の箱の祈りのプリズムにもう完全に包囲されてます。
126 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 11:00:01 ID:rLXpXdZa
天理教信者は125みたいな電波なんだな
127 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 20:12:55 ID:u0q4laa8
>>125さん こんばんわ
124は 悲しいかな当分殻を破れないよ
時間かかりますが 根気よく おたすけ してください
128 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 20:26:02 ID:Vo1f2FI3
心音ちゃん
おひさです
通報の巻き添えで
出直し中です
生き返ったら
又ヨロシク
129 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 20:35:17 ID:Vo1f2FI3
124どこで、その絵コピーできる
130 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 21:39:00 ID:Mne2k3NJ
131 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:03:55 ID:Vo1f2FI3
そのとおり俺はキチガイ
お前は そのキチガイを
ストーカーする
可哀想で哀れな
天理教好き人間
心音ちゃんに
たすけてとお願い申し上げろ
132 :
心音の祈りの万華鏡。:2009/01/27(火) 22:11:23 ID:TiINbw2Y
高校野球について
天理は慶應にも早稲田にもいます。
天理教のかたへ
2ちゃんねるに出演するのも無理はしないで下さいね。
レインボーの救急車が
大阪や東京には走っているように思います。
黄色の救急車は総理や知事が乗るんでしょうか?
残念ながら見た事がありません。
133 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:16:57 ID:Vo1f2FI3
了解@−F♪
134 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:19:20 ID:Mne2k3NJ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(;´Д`)< なぜ
>>132が閉鎖病棟行きか分かる?
-=≡ / ヽ \_____________
. /| | |. |
-=≡ /. \ヽ/\\.. |
/ ヽ⌒)==ヽ_)
-= / /⌒\.\ || ||
/ / > ) || || ('A`) ドウセ オレナンテ・・・ ←
>>132 / / / /_||_ || /(ヘ)ヘ
し' (_つ ̄(_)) ̄ (.)) ̄ ̄ (_)) ̄(.))
135 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:24:09 ID:Vo1f2FI3
もっとちゃんと
お願い申し上げろ
136 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:30:37 ID:Vo1f2FI3
終わりか!?
眠スルゾ〜
137 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 18:21:59 ID:FA2FEgCs
黄色い救急車にはきちがいの心音ちゃんが乗ります。
お前みたいな精神病患者を輸送する。
138 :
心音の祈りの万華鏡。:2009/01/28(水) 19:23:16 ID:bCzVLZA5
天理教の修養科には
一ヶ月目は赤
二ヶ月目は黄
三ヶ月目は青です。
これは交通信号を表します。
お道を通っている方は思案しましょう。
車をもってますね。
139 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 20:28:46 ID:BzUspu9h
まるちゃんはお絵かき上手ですね。
140 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 00:53:07 ID:z6SskJte
黄色黄色って
お前はFANUC従業員か?
あそこのれんちゅう
皆きちがいか
建物から車までみな
黄色だ
お前はみたいな馬鹿でも働けるんか!?
141 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 00:57:47 ID:z6SskJte
137はセクハラしてFANUCをクビになったじいちゃんだな
国語力ボケて、とんちんかんだ
142 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:40:58 ID:roO0PxVe
>>137 もう一度小学生からやり直してこい。
天理高校のレベルって小学生以下なんだな。
143 :
心音の祈りの万華鏡。:2009/01/29(木) 17:49:08 ID:s2Nt6T7q
東大も京大も小学生以下ですか?
天理教
天理教の学校
小学生
中学生
高校生
大学生
京大生、東大生
の順位だと感じます。
144 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 21:53:30 ID:roO0PxVe
|
|
>>143心音を黄色い救急車に収容
| _____________________
| / ⊆ニ(二(ニニ⊇――――' (●ヽ
| / ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ
/| /______________________ヽ
,/ ̄V ̄ ┏━, / ̄ ̄ ̄|| ||. ̄ ̄ ̄ ̄ |||  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄...| |
,/ ∧ ∧. i┸i //. ∧ ∧ || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_.,/. (゜Д゜ ) | :::|//( ´_ゝ`) < 何回逃げ出せば気が済むんだ?このキチガイ。
|/,,,,,へ⊂ ヽ .// ,/ ノ/ ||\______________
,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄ =。|┃ |━━━━━...............|
|______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,よろず病院精神科,,,,,[|
._|]0::∴:::0::[二二il:] ,-―-、 ,,| | . [|
|====== ;...........| /,  ̄ヽ |~~|. | /,  ̄ヽ | {|
ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.'''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
145 :
心音の祈りの万華鏡。:2009/01/30(金) 03:54:33 ID:IIeMHsjr
櫟本は一位の本
わかるかな?
辞書をひいてるかな?
146 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 10:29:43 ID:SgIqLKci
質問が難しいと返す言葉がみつからづ
コピーした絵で
逃げる〜(・・;)))
小学生以下
幼稚園の挨拶からやり直してこい!!
147 :
心音様の祈りの万華鏡。:2009/01/30(金) 23:18:18 ID:IIeMHsjr
心音は様付けをされた事がありますが
みんなされた事がありますか?
私は真柱様とかおやさまはよくいいます。
様つながりですねp(^^)q
148 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:30:04 ID:SgIqLKci
こんばんわ
心音様
149 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 08:30:10 ID:5dqSrlKp
何でこんなになるまで放置しておいたんだ!!
三三三三
三三 ,----、 -、 三三三三三三
/;;;'''- . 三三三 {;;;;;;____} __}
三三 {;;;::::::__} _,.- '' ̄"''ー-;;. ゝ_ン
/ ̄~ Yヽ:: _ 〉 ,.- ''::::::::::/::::::::: ::.. ヾ.} 三三三
/:::: .::ノ .: }'^〈" ヽ/:::::::::::::i :::::::::::::::::..:}l
{::::: ;;;:::: .:: ヽ_,--、,.,.,/:::::::;;,,,:::::::::::::::;;;;__,イ \__
>、:::.ヽ ノヽ、_{_,,,,,}.../::::::::::i ::::::::::::/=l:::: l======、ー、,.,._,.-'''"⌒ ー、 ←
>>148 /:::::: ヽ、\'、____ll________/:::::::、:::,ヽ::::::::{ー--`ー',,,,.,.,.,.,,.,. )) "'''- .._ 彡 l ヽ、
/:::::,,,,,,,/ヽ,,__)======={:::::::::::..ミ 、 ::)'::::.:::.:::::.:.::_,.-'''"===ii;;;,,,;;;,,;,;;,;,;,ヽ,___/
{::::ミ/;;;;;;l ;;;;;;;;;;;;;;;||;;;;;;;;;;::l::::::::::::::::::: イ::;;;:;:;_,,..-‐'' ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;||;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
.l;;;;;;;};;;;;;;;ヾ ̄ ̄:|| ̄ ̄ l:::::::::::::::::.ヽ \, -'": :: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
150 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:10:25 ID:pt5tGreG
心音の順位をみると下の天理教が一番レベル低いんだ!
151 :
心音のおやさまのプリズム:2009/01/31(土) 22:17:00 ID:+T4Fo6Z2
心音様なんて
うれしいな(^O^)/
言われたことは少ししかないけどよろしくね。
これで明日も陽気ぐらしができますね。
様が付くぐらい成人出来たらいいですね。
おやさまは名前に様が
中に入っているようなものですからね。
死ね
153 :
心音のおやさまのプリズム:2009/01/31(土) 22:47:44 ID:+T4Fo6Z2
ZV5さん
そんな事はできません。
みかぐらうたで言うと
むりなねがいはしてくれな
ですよ。
ご出演ありがとう。
154 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:50:00 ID:LLROg4Mo
心音様
こちらこそ
ヨロシク
世のため人のため
頑張ります
心柱より
155 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:56:29 ID:/bZ2xxzA
>>149あいてしてやるから
たまには ちがう え を コピーしてこい
みんな ひらがなにしてやったから
いみ りかいできんだろ
156 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:59:03 ID:LLROg4Mo
そうだ そうだ
しかも どよう び
の あさから ひまなやつ だな
157 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 23:03:45 ID:LLROg4Mo
149 どうした
あさはやいから
もう ねたか?
オコチャマね〜(・・;)))
158 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 23:06:50 ID:/bZ2xxzA
>>150おまえらのレベルまでsageて あわせているのが
わからん〜か?
159 :
心音のおやさまのプリズム:2009/01/31(土) 23:11:53 ID:+T4Fo6Z2
ひらがなは
おくがふかいんだよ。
まだ心音でもしっかりと出来ていないんだ。
5DQはそれより難しい
理解が出来ないね?
160 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 02:22:26 ID:7p80HRiM
心音さま
おやすみ
161 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 09:27:12 ID:dm5pq1i5
------------- 、____
/  ̄ ̄ ̄.// ̄ ̄|| |___/\
フーーーン!.∧// ∧ ∧.|| | \\ ドサッ
[/_________.(゚//[ ](゚Д゚ ) .|| | \\ \ \ \ \
.||_ ___|_| ̄ ̄ ∪ .|| |___\\\ \ \ \ \
.lO|--- |O゜.|__天理市衛生局.||_|ニニニニニニl.| \ \ \ \
|_∈口∋ ̄_l______l⌒ l.|_____| l⌒l_|| ____
──`--'───`ー'─── `--' `ー' ┐ / ,/ /|
│ | ̄ ̄ ̄ ̄|. |
│ |
>>159 |/
162 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 15:02:03 ID:TQqcScIu
日曜日もハヨから
そんな悔しいか!?絵が物語ってマンなぁ
アホへ
今日は忙しいから
相手してやれわ〜
ほな!!さいなら
163 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 18:59:00 ID:gdSIhkat
まるちゃんはお絵描き趣味なのね。
164 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 21:45:03 ID:/MZ9YBWo
5dq
ほとに え かえてきたな
が
もっとセンスいいものにしれ
いうこと きいたことは ほめてつかわす
165 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/02(月) 00:31:46 ID:FoIDzR8k
5DQとDM5は
一緒なのね。
リストプリズ( )にいれました。
一緒のプリズ( )に入れておきます。
同一人物か二人かプリズ の中で喧嘩しないでね。
166 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 17:42:03 ID:5eTnAXf0
165ウザイ。
嫌われていることに早く気がつけ!
精神病院にいったほうがいい。
167 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 20:45:08 ID:08UkMGaD
心音様 こんばんわ
俺は好きだよ
168 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/02(月) 20:58:42 ID:FoIDzR8k
ちょいと一言。
心音様でござる(^O^)/
みざる、いわざる、きかざるにおわざる、ふれざる、いれざる、ださざる、うごかざるなど
五感以上
徳川家康。征夷大将軍ではないよ(*_*)
169 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 21:01:27 ID:08UkMGaD
了解でぇーす
170 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 22:44:54 ID:f1vtRG3E
天理最強集団
171 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 22:50:08 ID:kwvmyf+C
172 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 16:19:01 ID:FVBMlCn3
天理教を信仰すると心 音みたいに精神疾患になる。
心 音は天理教症候群末期症状(T5)に認定されている。
173 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 18:35:51 ID:Jckb2CeO
ここは宗教スレというより、頭の悪い奴らと根性の悪いアンチとの下らんバトルスレだな。
174 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 21:05:10 ID:TUPe1n4l
じゃァー 黙って消えろ
覗くんじゃねぇー
かきこむな
175 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/03(火) 21:56:18 ID:IIiYP57J
まあ。まあ。
正式に公式認定[FVBMI]
登録
結構大変なんだね。
おめでとうございます。
FBI、CIA
に韻が似てますね
FVBMってあるのかな?
車の名前かな?
176 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 22:36:33 ID:xXCIkmyg
心音様 こんばんわ
言い過ぎました
177 :
神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:16:39 ID:VT9pMtni
こんばんわ
178 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/09(月) 22:26:19 ID:g5CqQP/q
神々しい御胸。
179 :
神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 12:04:06 ID:DP5DfmNE
心音は産業廃棄物
------------- 、____
/  ̄ ̄ ̄.// ̄ ̄|| |___/\
フーーーン!.∧// ∧ ∧.|| | \\ ドサッ
[/_________.(゚//[ ](゚Д゚ ) .|| | \\ \ \ \ \
.||_ ___|_| ̄ ̄ ∪ .|| |___\\\ \ \ \ \
.lO|--- |O゜.|__天理市衛生局.||_|ニニニニニニl.| \ \ \ \
|_∈口∋ ̄_l______l⌒ l.|_____| l⌒l_|| ____
──`--'───`ー'─── `--' `ー' ┐ / ,/ /|
│ | ̄ ̄ ̄ ̄|. |
│ | |/ ←
>>178
180 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 07:26:01 ID:6/KfWIuJ
おぢばに お帰り!
~~~~ー(・∀・)ー ブーン
181 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 07:37:25 ID:6/KfWIuJ
5df
早くおぢばにお帰り!!オコチャマね!!おぢばには…いい病院あるから♪早く病弱な頭治して 憧れの心音様に謝りたいんでしょ!!おぢばに早く帰っておいで
182 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/11(水) 21:00:54 ID:64+o6SnW
神々しいみむねだよ
誰がいいかかな
だれでもふうふになれば
神々しいでしょ?
榮倉奈々なんて執事をつれてるから御胸かもね(@_@)
183 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:29:11 ID:6/KfWIuJ
心音様こんばんわ
184 :
神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 18:42:11 ID:ZYXsaU8k
お困りの方
おやさま に
あしきを はらって
たすけて いただきましょう
185 :
神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 18:47:09 ID:ASp2PnMX
心音の頭の悪さを祓って下さい。
186 :
神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 19:00:23 ID:ZYXsaU8k
心音様は頭がいい
187 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/12(木) 21:25:48 ID:4BLpq863
心音(心臓)は
すでに身体の中入り込んでいますので(>_<)
熱い鼓動を感じませんか?
月次祭のおつとめは
鼓は手首の脈拍。
太鼓は心臓を現すものかも知れません。
188 :
神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:16:58 ID:J+fV6RUk
189 :
神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 01:50:08 ID:2dJ+ilpn
ミンダナオ!?
ヾ(≧∇≦)〃ヤダヤダ
190 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/13(金) 22:59:09 ID:EpHbDsqs
ローソンと郵便は一緒になっている。
銀行のATMもあればらく。
191 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 06:58:02 ID:nolQ5bcq
同感
192 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 19:42:24 ID:XW2xCysH
曰
| |
ノ__丶 ゚。゚ ._
||天|| ∧_∧ .|--¢、 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ ||理||γ(〃´Д`) ̄ 丶.) < 天理教、アホぢゃなきゃやってられるか! なっ
>>190!
\ ||酒||L二⊃  ̄ ̄\ ̄ \____________
||\`~~´ (<二:彡) \
193 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 22:02:21 ID:hJKlJdUZ
天理教は馬鹿じゃなれず
利口でもなれず
中途半端じゃなおなれず
よく覚えておけ
>>192 奥が深いんだよ 心音様のストーカー わかったか!!!アホ
194 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/14(土) 22:20:12 ID:gJNzFHxj
心音はアスキーアートは
-で十分です。
195 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:04:32 ID:kEiOsmT3
三 三三
/;:"ゝ 三三 f;:二iュ どうしてこんなになるまで放置したんだ!
三 _ゞ::.ニ! ,..'´ ̄`ヽノン
/.;: .:}^( <;:::::i:::::::.::: :}:} 三三
〈::::.´ .:;.へに)二/.::i :::::::,.イ ト ヽ__ ↓
>>194 ,へ;:ヾ-、ll__/.:::::、:::::f=ー'==、`ー-="⌒ヽ
. 〈::ミ/;;;iー゙ii====|:::::::.` Y ̄ ̄ ̄,.シ'=llー一'";;;ド'
};;;};;;;;! ̄ll ̄ ̄|:::::::::.ヽ\-‐'"´ ̄ ̄ll
oノ oノ<こりゃ手遅れだわ
| | 三
_,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ ミ
゙~,,,....-'-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ |`----| ←
>>194 T | l,_,,/\ ,,/l |
,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
_V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/
救急隊員もさじを投げる心音の病気。天理教にはいると自分でかんがえることをやめさせられ心音のようになってしまうぞ。
196 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/15(日) 15:36:46 ID:bm3LPYSj
゛
197 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 16:46:04 ID:kEiOsmT3
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(;´Д`)< うちの心音がご迷惑おかけしました!
-=≡ / ヽ \_____________
. /| | |. |
-=≡ /. \ヽ/\\.. | ←心音の父
/ ヽ⌒)==ヽ_)
-= / /⌒\.\ || ||
/ / > ) || || ('A`) ドウセ オレナンテ・・・
/ / / /_||_ || /(ヘ)ヘ ←
>>196 し' (_つ ̄(_)) ̄ (.)) ̄ ̄ (_)) ̄(.))
198 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 17:03:54 ID:Y0sKKjck
心音さんは、精神科に通院して、ちゃんと薬を飲んでいるのかな?
掲示板に書き込むのは自由だけど、心ない人達からいじられて、症状が
もっと悪くならないかと心配です。
199 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 17:15:21 ID:ro+szAZU
心音てココネて読むのかな
200 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 17:28:39 ID:ro+szAZU
心音は初音みくが好きなのかな?
201 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 19:01:01 ID:kEiOsmT3
心音、二ちゃんねるのみんなが心配しているぞ。病棟に戻って精神分裂病を治せ。
202 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 22:45:12 ID:ULWm62Gb
kei もちつけ もう秋田 そんなに悔しけりゃ
おぢばに 帰っておいで
203 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 22:48:40 ID:ULWm62Gb
kei このスレ見れば
一目瞭然 おめー 完全にいっちゃ照るよ
おぢばに 早く帰っておいで
204 :
心音のTPBのプリズム:2009/02/16(月) 19:48:01 ID:TJUtWaEp
TPB(天理プライベートブランド)
の略です。
205 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/17(火) 20:13:50 ID:TBPI94pL
天の神苑
206 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/17(火) 20:51:06 ID:TBPI94pL
天理、ブランド、プリズム
TBPですか?
207 :
神も仏も名無しさん:2009/02/18(水) 19:48:10 ID:fxCnB+fI
心音様こんばんわ
やっと ヒステリーストーカー
消えて やれやれです
208 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/19(木) 21:18:40 ID:XNwG1Hae
天上がり
209 :
神も仏も名無しさん:2009/02/20(金) 18:08:34 ID:f9m0+5uZ
┌───────────────────
│あ、どうもスイマセン、天理教信者がお騒がせしました・・・
└───v───────────────
/⌒\ っ /\
/'⌒'ヽ \ っ/\ |
(●.●) )/ |: |
>冊/ ./ |: /
/⌒ ミミ \ 〆
/ / |::|λ| |
|√7ミ |::| ト、 |
|:/ V_ハ |
/| i | ∧|∧ ←もう出直してますんで・・・
и .i N /⌒ ヽ) 心 音
λヘ、| i .NV | | |
V\W ( 、 ∪
|| |
∪∪
↑おやがみ
210 :
神も仏も名無しさん:2009/02/21(土) 06:25:20 ID:n2ue8acG
↑至急ご確認ください脳波を
211 :
心音のおやさまのプリズム:2009/02/21(土) 07:25:03 ID:vO3p9dn2
心音の言う事を聞かない人は
ジャコのはらわたを取ってそれをご飯と調味とでアレンジしながら
一年間ぐらい続けなさい。
毎日正月おせちを感じられますら
ジャコの頭もしんじんから
212 :
神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 18:49:13 ID:bIY/1mOV
213 :
神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 15:36:09 ID:rerMl6hK
↑ 自分で自分のデタラメサイトを紹介するわけか?
必死だな。
214 :
神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 18:03:12 ID:DcNk1j0c
>>213の天理教信者は、
よほど天理教の実態をばらされるのが怖いらしいw。
215 :
神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 19:44:57 ID:rp3nhj/N
○ちゃんが痛すぎるわけだが。
216 :
神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 00:10:27 ID:TKH+msG8
>>214 お前ホントにアホだろ。
誰でも事実は事実として認めるぜ。
お前は事実じゃないことを、さも知ってるかのように語ってるから言ってるんだ。
教団本部が三島神社を追い出した跡地にできたとか
後継者のない教会は本部が後釜をよこすとか。
九州のO大教会などは、後継者がいなかったが、部下の分教会の子弟を後継者にしたぞ。
役員が後継会長に治まることも時々有るしな。
全てが世襲と言う訳ではない。最高幹部の表統領、内統領も世襲じゃないだろうが。
もうちょっと勉強して、違いが解ったら謝罪はせんでいいから自分で訂正しとけ。
217 :
神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 17:28:31 ID:VtyS6nBb
天理教信者というのはどうしてこんなに上から目線なのだろう。
マイナー新興宗教のことなんて知る人はいない。
だから信者の犯罪がそのまま宗教の評価になる。
218 :
神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 20:27:26 ID:yDzAOC4D
↑カス 消えろ 目線気にする時点でカスの負けだ
人生に負けてんだよ カス
219 :
神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 22:14:59 ID:dBCpuXsj
>>218 こういう上から目線の奴が天理教信者の特徴ですww。
220 :
神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 22:17:02 ID:dBCpuXsj
> だから信者の犯罪がそのまま宗教の評価になる。
宗教に限らず、マイノリティの評価は得てしてそうなる。
創価学会員だって、在日韓国人だって、被差別部落の住人だって多数は善良な人なんだよ。
天理教も世間ではそういう評価だから仕方がない。
評価を上げるためには、悪い人をちゃんと処分できるようにならないといけないね。
221 :
神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 03:22:58 ID:wEMLOk6Z
>>220 ネットでの評価はボロクソだな。
だが、ネットの恐い所は、評判の悪い所は実態も酷い可能性が高い事だ。
何かしら大きな問題が潜んでいる可能性が高い。
222 :
神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 10:09:23 ID:I48HxU3Y
>>221 ネットだからこそひどい実態が明らかになることもあるしね。
223 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/04(水) 10:43:36 ID:QPh4Odsb
天理教の人へ
仏教さんでは
おだぶつは人が亡くなった時
おしゃかはテレビや車が壊れて使えなく成った時
に発言します。
224 :
神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 11:51:35 ID:M3YySXHF
○ちゃん工作活動ガンガレ〜o(^▽^)o
225 :
S 2027携帯 ◆oD.zxla8R2 :2009/03/04(水) 12:02:13 ID:bkNdLG7m
>>223 心音のへんじょうこんごうさんへ
〉仏教さんでは
おだぶつは人が亡くなった時
おしゃかはテレビや車が壊れて使えなく成った時 に発言します。
それは違うんでない?
元々は仏教用語だったのを、俺たちのご先祖様が比喩的に用いて定着していったんでない?
例えば俺んちの母方の田舎では、ダラダラ文句ばかり言うヤツを指して、「へんじょうこんごういうな!」とか言います。
俺は長いことその意味が解らなかったんだけど、仏教葬式で「南無大師編照金剛?(字は曖昧)」ってのを見て、あッ!これやなあ(笑)って思ったんです。
解りましたか?
どうせなら…。
人のふり見てオテフリ直せ!とか、
階段になっている席を見たら、サアサア段々の席…。
とかを定着させたいもんですなあ(^_^)v
226 :
神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 17:41:28 ID:I48HxU3Y
227 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/05(木) 00:40:20 ID:pnITnI1Y
仏教は元々は修行僧だから結婚しなくてもいいでしょ?
仏教自体閉鎖、牢屋になるのだが?
仏は死んだ人と感じます。
死んだ教え=仏教?
警察はこの仏さんはといいます。
おだぶつは怖い
天理教は
神も仏もあるとおもえよです。
228 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/05(木) 06:51:26 ID:pnITnI1Y
暴力団の事件より
警察の事件が多いのはなぜか?
なぜ警察の事件が表にでるのか?
なぜ暴力団の事件は明るみにでないのか?
229 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/06(金) 17:59:39 ID:Hi+qETN/
アニメのへんじょんこんごうこうぼうたいし。
230 :
神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 19:33:48 ID:Yc5UKjOn
特に中四国地方で、「遍照金剛言うな」を使ってたみたい。(勿論、お年寄り)
ぶつぶつ言うな、と同義。
遍照金剛とは、「あまねく照らす太陽」と言う意味。
空海は悟りを開く時、体内に「日輪=金剛=太陽(全て同義)」が入ったという伝説があり、
また、中国・唐の修行寺での、自分の守護神を見定める儀式において
曼荼羅(=宇宙図)の中心に位置する大日如来(太陽の本仏)に行き当たったと言う故事から
太陽の申し子という信仰が根付くようになった。
本人も死に際して、嘆き悲しむ弟子達に、天空に遍く照らす太陽が自分だと思え、
さすれば何も悲しむことはない、というようなことを言い残したと言う。
四国八十八箇所巡りも「同行二人」と言って、常に空海と同行しているという意識がもたれる。
その際に、天上の太陽が想起されている。それが「遍照金剛」。
「ぶつぶつ言う」という非難めいた言葉が使われたりするのも、
主に天台宗や禅宗において、「釈迦牟尼仏、阿弥陀仏、・・仏、・・仏」と
滔々と仏の名が呼び出される祈りの形態があって、
そのように、一心不乱に仏の名を唱え、他者の声が聞こえない、あるいは
相手にして貰えない状況の中で、皮肉・揶揄・苛立ちを込めて使われた様。
「遍照金剛」も一緒。
片方では修行に熱心な態度なのだが、神道家や不信心な者にとってはただの「独り言」
231 :
神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 20:07:10 ID:Yc5UKjOn
ついでだけど
「お陀仏」は別に蔑称ではない。
死んだら仏になるという信仰から、逆に「お陀仏」が死の意味になっただけ。
ちょっと似ているが、フィリピンでは「サンタマリア(聖マリア)」という言葉を
死と同義に使う場合がある。死して聖マリアの元に行くという信仰に由来。
因みに英語圏では、「こん畜生」という意味で、「ジーザス・クライスト」と叫ぶ。
言わずもがな、「イエス・キリスト」の意。
ま、どの国、どの地域でも不信心なものはいる訳でして・・・
232 :
神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 22:24:26 ID:wIl5wtk5
あっそー
233 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/08(日) 11:10:28 ID:BVeGpq+o
あーおだぶつだ
あーおしゃかだ
気味が悪くない?
有り難き幸せなんだろうか?
234 :
神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 22:41:41 ID:xPKT74Cy
天理教教祖は、今日まで(つまり天理教立教の元一日まで)10のうち9まで教えてきたという。
その9の中には、仏教とキリスト教が大きな割合を占めていると想像できる。
仏教をよく知らずに、そんな風に軽んじた物言いをすべきでない。
天理教徒はもっと謙虚に仏教を学ぶべき。
235 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/09(月) 17:52:41 ID:dBWyLXLx
偶像崇拝をしている
仏学には一生わからんな〜
236 :
神も仏も名無しさん:2009/03/16(月) 14:57:59 ID:ojTpze8P
アンチ天理教の書き込みをまるという一人によるものだと思わせたいらしい。
だから必死に書き込みをしている。
天理教の悪いところをちからづくで隠蔽したいらしい。
でももう手遅れです。
それよりも天理教をよくするように努力されてはどうですか?
そにかく信者は減っている。
事情協会は増える一方。
理由はなんだ?
238 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/16(月) 21:01:36 ID:dDbxVvHz
事情は道の花です。
事情教会の会長さんは
いろんな事知っていて天理教の中でも重要な人物が多いよ。
分相応の財産はあるんでいいんでは?
亀の甲と年の功、大学の教授より上だね。
239 :
神も仏も名無しさん:2009/03/17(火) 08:57:32 ID:Nhs9WQsr
>>236 お前、正真正銘のアホだろ
お前がまるだってこと、みんなにバレてるっていうのに
240 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/17(火) 19:22:04 ID:Z2qzeec5
○がいなきゃ(栄養)食べ物が無くなります。
天理教にとって○は
(きゅうせい酒)救世主
なんです。
241 :
神も仏も名無しさん:2009/03/18(水) 09:57:06 ID:/l5A58JW
242 :
のんびりがエエな ◆oD.zxla8R2 :2009/03/18(水) 10:25:17 ID:RUUcnUS0
>>241:神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 09:57:06 ID:/l5A58JW
>>237 天理教がカルトだからです。
それはチョッと違う。
「たすからん!」
と感じてる人が少ないからです。
なんぼカルトと言われようと、邪教と罵られようと、実際に「たすかった!」と思う人がいて、家族、または周辺の人がその思いを感じれたらそれで善いのです。
価値観の問題ですからね。
少なくとも天理教はそうして伝播されてきたのです。
関係者のエネルギーの低下。
もしくはエネルギーが他に向かっているからでしょうね。
あ、俺もその一人だと思いますね
m(_ _)m
243 :
のんびりがエエな ◆oD.zxla8R2 :2009/03/18(水) 10:31:40 ID:RUUcnUS0
※間違い
それはチョッと違う。
「たすからん!」
と感じてる人が少ないからです。
※訂正
それはチョッと違う。
「たすかる!」
と感じてる人が少ないからです。
相変わらず、すみません。
勤務明けですので寝ます。
(ρ.-)ネムイ
244 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/18(水) 22:11:13 ID:ZTZ4bIw0
すでに助かってます。
これがわかれば
人生楽しみばかりp(^^)q
245 :
神も仏も名無しさん:2009/03/18(水) 23:50:19 ID:YAYyd2nt
>>237 天理教団という人間が作った組織集団の形にとらわれ
本来追求すべき誠真実の心が疎かになっているからだと思われます。
246 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 04:07:55 ID:M2AorgT8
>>242 助かったと思う人が少ないから天理教は信者を失った。
247 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 04:50:47 ID:A+TT31kU
248 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 08:52:32 ID:CQ3elbI5
だまされる信者もバカ。
249 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 13:25:31 ID:VBISti7A
またID変えて連投ですか?
237だが
>>244 書いてる意味がよく分からん。
何が言いたいのだ?
251 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 15:10:33 ID:M2AorgT8
252 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 15:13:30 ID:M2AorgT8
>>249 何でも批判意見はIDを変えた同一人物といいたいらしいな。お前。
液クロサイエンスのことが2ちゃんねるで暴露されて、関係者は必死に隠蔽工作をしているらしい。
仕事をほったらかして、社員にやらせているみたいだな(笑)。
お前の会社は、本業ほったらかしにして、月次祭をやっている天理教信者経営の会社と同じぐらい馬鹿だ。
253 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 15:59:14 ID:VBISti7A
254 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 16:08:52 ID:M2AorgT8
>>253 はあ?どう変えたのか理解できない。
お前が同一人物だという理由を示してみろ。
お前の妄想で同一人物だといわれたら、迷惑だ。
お前は、批判する者は一人にしたいんだな(笑)?
255 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/19(木) 20:19:04 ID:qSnRPO9/
月次祭(祭典)とは
名前の由来は天皇関係だが天皇家での月次祭は
月に一度続ける出来る事出来ないでいた。
だけど天理教では
月様を大切にするから毎月祭典が出来る訳です。
だから全ての名称は大切にしなきゃならない。
256 :
神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 21:44:09 ID:2Ca8YiRp
257 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/19(木) 22:31:34 ID:qSnRPO9/
まるまる太る?
258 :
神も仏も名無しさん:2009/03/20(金) 17:10:36 ID:vllqIl3h
批判をしている人はたくさんいるのに、天理教信者は一人が自作自演しているとしたいらしい。
くやしかったら証拠を見せてください。
どうせ天理教信者の被害妄想だろう。
259 :
心音の天下りNOプリズム:2009/03/20(金) 17:59:26 ID:ibRWjnDc
つまらん勘繰りだ〜
260 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 00:03:37 ID:KXGXGQdv
>>258 批判者がたくさんいるのは承知してるし、ある意味、俺も批判者の一人。
だけどお前はひどすぎる。
アンチのためのアンチ、それ以外の何者でもない。
それに加えてのダブルID、
まあ、とにかく姑息すぎる。
他の批判者が居て、たまに協調してサポートレスをすることがあったとしても知れてる。
お前みたいに執拗でない。
261 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 20:19:56 ID:79FVvkrp
ダブルIDってなに(笑)。
天理教を批判されて悔しいだけだろう?
図星をつかれているから反論することができない。
だから逆恨みして誹謗中傷に走ってしまう。
残念ながら今の天理教は誉められた状態ではない。
批判を謙虚に受け止めることが必要です。
天理教にはいい人もいるのです。
それは理解していますよ。
262 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 21:52:03 ID:Fahy/L/G
110 :管理人:2009/03/21(土) 11:20:16
調べてみると多くのサイトでマルチポストしている変な人がいる。
信用をなくす行為だからやめてほしいところです。
いろいろバレ出してるんだからね。
逆恨みして誹謗中傷はダメですよ。
批判を謙虚に受け止めましょうね。
263 :
のんびりがエエな ◆oD.zxla8R2 :2009/03/21(土) 23:57:31 ID:JbL69vOP
264 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 06:14:34 ID:0iQr+Xi9
天理教信者が卑怯な勧誘活動の実態をばらされたくないから必死になっているのだろう。
解雇すると脅して修養かに社員を行かせているとは。
その行為を天理教信者が肯定していることは書き込みを見れば明らか。
いかに天理教が悪質な宗教であるかがわかる。
せいぜい隠蔽工作に明け暮れてください。
天理教被害者はたくさんいるのですから、徒労に終わることでしょう。
265 :
心音の親韻のプラズマ:2009/03/22(日) 13:07:47 ID:NK4JNC/a
ソウカは
いけだ大作の工作に明け暮れて下さい。
心音は小学生や中学生や大学生のこうさくにしょっちゅう明け暮れます。
266 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 21:44:09 ID:Ag9yGNzP
天理教の場合「勧誘」というより「布教」だよね。
で、布教信者の言うことと、おやさまの教えは別物。
布教は教団維持のために極めて利己的に行われているに過ぎない。
おやさまの教えは、他人を困らせたり悲しませたりしない。
267 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 21:59:09 ID:Hft/5qPr
>>264 葛城市では、口癖のように「必死」というのが流行っているんか?
「隠蔽」したいんは、お前自身の自演の方じゃないんか?
268 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 22:11:41 ID:XRY8kFaR
269 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 23:50:42 ID:LJqiUAxj
>>268 203からの流れが露骨ですよ
特に211前後
ID:M2AorgT8と ID:CQ3elbI5
270 :
心音の親韻のプラズマ:2009/03/22(日) 23:51:12 ID:NK4JNC/a
おまえはアニメだな?
紙「糸の氏神」に穴を明ければ穴二つだろ
あなを自然にあけてどこが悪い?
きみにもあなが何個あるか考えろよ。
人集めといて「あなたたちのなかに奇形が生まれるかもしれない。」
と言っていた自称天理教関係者が居たんだけど、
こういう発言を起こすのは天理教信者からするとどうなの?
特に前置きもなく突然真顔で話始める上に、
別段の説明も何もなかったから、
何を考えてるのかわからずじまいで不思議なんだけど。
天理教を信仰してる人間としてはどうゆう解釈になるのこれ?
他にもいくつか非常識だなと個人的には思う言動が多かったんだけどさ、
こう言う言動を度々取るのが一般的な天理教の人間の特徴でポピュラーなことなのか、
それともその人が単純に変わってる人なのか知りたいんだよね。
特別な解釈の仕方があって快く良く捉えようがあるんなら良いんだけどさ。
何をする訳でもないけれど、無いならやっぱりちょっと許せなくてね。
>>270 関係ないが。
似たようなことをきいたことがある上に一考したことがあるので代わりに答える。
故意に開ける穴と自然に開いている穴とは違うのでは?
何が悪いとよそに問うのであれば、
それは勝手なことだと返すけど、
勘違いを引き起こすような認識の甘さは宜しくないのでは?
273 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 23:01:49 ID:VoFKwTui
>>272 アイツは思いつきで言ってるだけで論理性など全くないんで相手にするな。
具体的な論理展開した時だけコメントしてやればいい。
>>271 話の全体が見えないのでコメントしづらい。
別に「あなた達の中と」但し書きしなくとも、確率の問題として奇形は生じる。
人類は、奇形を甘んじて受けなければならないように運命付けられている。
それを選ばれた者への神からの贈り物として、大事に預からせて貰うという捉え方を
すべきではないか。
この道の信仰者は、何事も喜んで通らせてもらうというのが基本だと思われるが・・。
が、あなた方にしたり顔で語ろうとした人は、多分、「因縁」とか前生の通り方がどうとか
そんな変な方向に論理を誘導しようとしてたんじゃないか。
だから皆が引いてしまうっていうのに。
274 :
神も仏も名無しさん:2009/03/24(火) 13:23:29 ID:FxprKDx3
今の天理教(正確に言うと天理教団教)は、教祖・中山みきの教えとは随分離れたことをやっていて、たまたま教祖が「前世のいんねん」という言葉を使ったのをいいことに「あなたの前世は…」と霊能者気取りのことを言い出す人がいます。
もちろん天理教では前世占いなんてやってません。
275 :
日野の事情:2009/03/24(火) 16:25:50 ID:+s2mPnHv
山添 哲
山添 まり子
山添 歌子 様方のご親戚の方々へ
御三方をいつまで日野大教会内に留まらせておくおつもりですか?
すでに教会本部より大教会長辞職が決定されて半年近く経つはずです。
最近は、部内教会相手に裁判を起こしたようですね。
過去に部内教会より集めたお金で、裁判を起こしています。
親戚としてどう思われるのですか?
山添哲
部内教会の娘さんを何人も、権力を使い強引にはらませ、おろさせて、それをもう時効だと言って責任から逃れるあなたは、人間として最低だ
それを家族に隠し、嘘に嘘を塗り重ねている
どうかと思いますが?
しかも、それを知られたやくざから脅され、3千万ものお供え金を勝手に持ち出し、和解として渡した。
よくやりますよね。
276 :
神も仏も名無しさん:2009/03/24(火) 16:54:42 ID:I7NdyR2P
>権力を使い強引にはらませ
詳しくo(^-^)o
277 :
心音の親韻の有機ELテレビ:2009/03/25(水) 01:57:03 ID:fl9sMtug
どうせ神の眼からみたら
はらませるのも同意だよねp(^^)q
海外に出て少女を買いあさる日本人有名だよね。
日本人のほとんどの雄が風俗にいくから気にしなくてもいいよ。
雌も平気に何人も車以上に乗り換える人が沢山います。
だけど
心音は風俗行かなしあい車は乗り換えないけどね。
278 :
心音の親韻のプラズマテレビ:2009/03/25(水) 04:28:48 ID:fl9sMtug
嘘かもと思い口ぐるまに乗っただけなのではらませるを信じているわけでは有りません。
人を殺すような事だとは
感じています。
279 :
神も仏も名無しさん:2009/03/25(水) 15:05:38 ID:jhUgorNk
「おふでさき講義」という本を少しずつ読んでいます。
天理教って、大学の講義みたいに1日90分×30回くらいに分けて
勉強しないといけないね。
人前で踊るタイプではないので「てをどり」は後回し。
教祖伝は、普通の人が読んでも面白いらしいので、そちらを優先したいと思います。
>>273 団体の所信としてはレスして貰ったとおりである事は知っている。
話の全体も何も、
話として意味を成さない話を何度も聞かせるというのは何なんだ?
と聞いている。
そして、それは天理一般的なことなのか?
その人間曰く「いてきかす」らしいが、
何か間違って用いているようにしか思えん。
「因縁」がどうたら。
というのは、自分の都合が悪くなると度々使っていた。
見ていて痛々しかった。
281 :
神も仏も名無しさん:2009/03/26(木) 00:52:48 ID:S1V5PAJ4
この手のスレにこの手の書き込みをすればまぁアンチ乙だのなんだの返ってのはわかってたことだけど、無思慮すぎ。
何も天理が悪いだとかそうゆうことが言いたいんじゃないんだよ。
問題としては別に天理に限らず、何か特定の集団に限らずともありえることだから。
天理が悪いとか言っても意味が無いしね。
必ずしも意味が無い事を話すのが悪いと言っている訳でもないし。
行動にどう意味を見出すかは個人の問題だから勝手にすればいいと思うから。
問題があるって言っているのは、価値観を押し付けたり、または罵倒されたと過敏に感じて、
全く話が通らず一方通行になりがちになってる自称信者が多かったってこと。
慈善活動の一環で人を集めてきて人生相談の様な事をしている様子だったから、
集まってきている人に問題がある分にはそれ程不思議にも思わないんだけれど、
集めてる方の人間にすら問題があったからどうしようもなくなってる様に見えたって事。
だから、真面目に信仰している人間で心当たりがある人がいるんなら、
対策練ってもいいんじゃねーの?ってことを言ってんだよ。
ここでなんぼ変な奴がいるって主張しても、それ自体には意味が無いだろうからね。
お前ら一人一人心当たりねぇのか?って事だよ。
ないならそれでいいんだよ。
284 :
神も仏も名無しさん:2009/03/26(木) 18:59:48 ID:l9wZ9jnM
>>283 言いたいことは一応わかったけれど、
もっとわかりやすく書いてくれないかな?
285 :
神も仏も名無しさん:2009/03/26(木) 22:18:28 ID:N+wWw6y0
>>283 >だから、真面目に信仰している人間で心当たりがある人がいるんなら
>対策練ってもいいんじゃねーの?・・・
>お前ら一人一人心当たりねぇのか?
真面目に信仰してる者は2CH見ないと思われ。
286 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 17:43:57 ID:7kRFM2Sx
どのようにマルチポストしているとわかるのか、具体的な説明が出来ていないと思います。
状況証拠だけでは、本当に本人なのか確認することが出来ません。(状況証拠にもなっていませんが)
287 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 18:02:18 ID:7kRFM2Sx
>>275 日野大教会で一体どのような事件が起こったのでしょうか?詳しくお聞かせ願えないでしょうか?
前大教会長が罷免されたわけは何なのでしょうか?
> 山添哲
> 部内教会の娘さんを何人も、権力を使い強引にはらませ、おろさせて、それをもう時効だと言って責任から逃れるあなたは、人間として最低だ
天理教信者の中にそんな人がいたのですか?このことを知りとても驚いています。
http://6631.teacup.com/higaisha/bbs > おまえら、天理教に悪口かくな。
> わが、曾祖父が始めた教会を汚すようなことかくな。わたしは、おまえらみたいにネットで、悪口書くやつらが一番きらいだ。おまえら、全員死ね
> マリオのアホ、クソ おまえら、ええ加減にしとけ。
> マリオ、おまえは、ニートか
> 暇なら、働けバカやろう
天理教信者が一般の人に対して、こんな汚い言葉をはいているのをみてとても悲しくなりました。
288 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 18:07:01 ID:7kRFM2Sx
http://9122.teacup.com/ekiqlo/bbs --------------------------------------------------------------------------------
(無題) 投稿者:パリ 投稿日:2009年 3月25日(水)17時37分14秒
ここの管理人こと○ちゃんは、逮捕されるとの噂が!
批判、中傷も度が過ぎると名誉毀損だしね。根拠(証拠)がないとね…
○ちゃんにはそれ以外の理由もあるらしいけどね…
真実はどうなることやら…
--------------------------------------------------------------------------------
(無題) 投稿者:あああ 投稿日:2009年 3月26日(木)22時41分48秒
警察も動くでしょうね これだけあちこちで会社の実名出し誹謗中傷してるんだから プロバイダーに連絡して
はやく削除してもらったほうがいいんじゃないですか管理人さん
ああ、みっともない。天理教信者は頭の悪い人達だと勘違いされてしまうでしょう。
おやさまがこれを見たら嘆き悲しまれることでしょう。
相手を辱めるのではなく、心得違いをした天理教信者がいてごめんなさい。
とあやまることがスジではないでしょうか?とても悲しいです。
289 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 18:20:35 ID:7kRFM2Sx
バリという方は、以前、天理教被害者の会掲示板、天理教被害掲示板を荒らした人物ですね。
必死に○氏を2ちゃんねるで攻撃しているのもこの人でしょう。
荒らしとか、2重IDと罵っていた人物が、実は荒らしだったというオチです。
こんな人間が天理教の中にいると思うととても悲しくなります。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/3132/1198845097/l50 によれば、天理教を一般の社員にまで強要している企業は、
挙がっている「液クロサイエンス」だけではないという話ではないですか!
「堀川化成」と呼ばれる企業でも行われているとのことではないですか?
一般人に強要してまで天理教を布教する意味がありません。
被害者に対して攻撃する前に、このような間違ったことをしている天理教信者を恥じるべきだと思いました。
もし、これらの企業の関係者の方がいましたら、今後止めるように言ってもらいたいです。
このようなことをしていたら、創価学会と同じだと、社会の人から見られてしまいます。
290 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 18:27:21 ID:XWHO/XMJ
マルちゃん久しぶり〜(^O^)/
291 :
心音の親韻のほんの一言:2009/03/28(土) 19:32:15 ID:AjSljuXe
魔流君元気かな?
見抜き見透しで
見抜くなり
しりてはなしてはなしするなり
の別バージョンだよ。
292 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 21:13:01 ID:g5SOUbfi
>>288-289 どこに書いてあるの?
都合の悪い内容は削除かな?
○管理のBBSなんて自演し放題じゃん
○氏なんて言って他人を装うなよw
W IDは事実じゃん!
>>286は
管理人さんに対する答えなのか?
293 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 08:57:43 ID:ZpJd7j8C
>>287>>290 天理教被害者の会でアク禁を食らったバリだな。管理人に逆恨みをしているのだろう。
こんな奴が天理教信者だと思うと。他の信者が可哀想だ。
294 :
心音の親韻ほんの一言:2009/03/29(日) 10:20:16 ID:JCK2Dzp4
《天理教被害妄想の会》
《天理教損害妄想の会》
《天理教事故妄想の会》
全て妄想秘貝ですね。
295 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 12:46:01 ID:qED7Gjya
心音ちゃん
ウマイ!!
座布団5枚!!
283だが。わかりやすくいうと、
愚痴の一つも聞いて欲しい気持ちだったが、いつのまにか愚痴を聞かされていた。
悩みを聞いてもらうつもりでいったが、いつのまにか悩みを聞いていた。
人生相談するつもりでいったが、いつのまにか人生相談を受けていた。
もやは自分でもネタとしか思えん。
酷かったのは、
聞いてて明らかに自明過ぎる愚痴や、言い返しにくくする事を目的とする様な遠回しな悪口、陰口などを平然と言う人間が多かった事。
結局、行く前よりストレス溜め込んで帰ってきた。
あと、代表の頭がおかしかった事。
恐らくこれが原因で全員悪化してたんだと思われる。
内容はまぁ、老害によくあるパターン。
297 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 10:39:50 ID:lmCRYPSd
>293
バリちゃん気がすんだかい?
君みたいなのを粘着という。
天理教被害者掲示板からアクセス禁止されたのか゛よっぽど悔しかったのですね(笑)。
逆恨みはよくないよ。
頑張ってね。
299 :
心音の親韻の天の局:2009/03/31(火) 18:21:58 ID:ttgBAgOV
水道は六角《ヘキサゴン》
電気は四角《スクウェア》
ガスは八角《オクタゴン》
気をつけないと《ボム》=《BOMB》様が爆発するよ。
全てはナットとボルト
《ねじ》《SCREW BOLT》《くぎかくし》
BLTとBOMBは
グラビアテレビ雑誌と
グラビア雑誌
なぜかこんなところで繋がりがあります。
天理教で四と八と六はわかりますね。
たちまち天の理のおもうままですね。
おやさまはとても神々しいからしかたがありません。
300 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 20:21:35 ID:o2MoGPtK
どんどん症状が悪化しとるな。
301 :
心音の親韻《天の局》:2009/03/31(火) 20:33:20 ID:ttgBAgOV
水道やガスや電線
のボルト見た事がないんだね。
まだまだ家業を知らない
子供なんだね。
302 :
心音の親韻《天の局》:2009/04/01(水) 20:42:43 ID:KenHfdFR
日は自分自身を月だと
感じましょう。
あまてらすは日ですがそれだけでは灼熱地獄
月がナイト《地球》、《恥丘》の体温は上がる一方ではありませんか?
《ちきゅう》《小嘉舞》様は《わかい神》将来と言うものがあります。
《みなみ》
303 :
心音の親韻《天の局》:2009/04/01(水) 22:37:05 ID:KenHfdFR
《小嘉舞様》とは
《こかん様》といいます。
304 :
心音の親韻《天の局》:2009/04/01(水) 22:42:52 ID:KenHfdFR
嘉は《よみ》と読み。
黄泉、読み、詠みなどとつながるでしょう。
昔は《七七七》と書いた時代がありますが人生はよいばかりではありません。
305 :
神も仏も名無しさん:2009/04/05(日) 19:04:41 ID:XaBF2212
股間様
306 :
心音の親韻《心の局。》:2009/04/05(日) 21:01:50 ID:e4OYNn6A
おめこう様
こかん様
へのこ様
明奈様、結衣様、曜子様、梓様、のんのんちゃん
みんな似た者同士だよ。
女子大生のおめこう様
女子高生のおめこう様
以下同文
かめのこうなのです。
《こう》は甲、皇、校、交、公、光ぐらいでしょうか?
307 :
心音の親韻《心の局》:2009/04/05(日) 23:05:17 ID:e4OYNn6A
結衣ちゃんなら
糸+たったちんぽ+口+衣なんです。
全て同じ感じですよ。
308 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 23:42:43 ID:bNlMf2VA
心音様 おひさです
変わるは一つの案じ
変わらんは一つの誠
この頃は変わらないことに
励んでます
309 :
心音の親韻《心の局》:2009/04/11(土) 23:49:00 ID:Hx3qPPjs
天理時報のおやのことば
いつも心の中で噛み締めてます。
310 :
神も仏も名無しさん:2009/04/12(日) 02:00:10 ID:3SStx5v6
>>306-307 自分の部屋で一人でやるんならいいが、
公道で、はっぴ着たまま、ちんこ振り回すようなマネは止めてくれ。
311 :
心音の親韻《心の局》:2009/04/12(日) 07:21:03 ID:akkf9JeT
あなたは
広辞苑や漢字辞典をよく熟知し咀嚼していないようですね。
《吉》を漢字辞典で引いて見たら真実が書いてあるでしょう。
土は士でも意味の通り道は似ています。
曜子の曜は小鳥たちが輝くだったような感じでしょう。
結衣は《皮つなぎ》《むすび》《絆》関係になります。
おやさまは
人間が《出直す》〈死ぬ〉のは古着〈皮〉を脱ぐようなものと言われます。
312 :
心音の親韻《心の局》:2009/04/12(日) 07:30:09 ID:akkf9JeT
もし
チンポを振り回すところが見てみたいなんて言われたらどうします?
女性をチンポだと感じているわけですね。
\(┬┬_┬┬)/
世の中には
女天狗がいるようです。
娘天狗や息子天狗もいるに違いありません。
しっかりと基本の《手本雛型》の人生観を持ちましょう。
人間だから少しは外れた人はいるはずですよ。
313 :
心音の親韻《心の局》:2009/04/12(日) 07:56:44 ID:akkf9JeT
モーニング娘。は
腰もお尻も振り回していました。
ここは公道なのかな?
サーキットぐらいにしか
思えないんだか?
水着がいるね。
公道で懐石料理を食べれる訳がないでしょ。
公道で家電製品をつくれるわけないし。
東京などはスーツを来て高速道路や公道でチンポを振り回しているからそんな発想が出来る訳だな。
314 :
310:2009/04/13(月) 23:54:11 ID:TRLGnefF
>>311 誰も聞いちゃいないのに、何でシモネタまがいのことを言うのかってこと。
全く必然性がない。
中学生が道を歩いてる外人見つけて、いきなり
This is a pen. と叫びだすようなもの。
pen ならいいが、アンタは、 This is a pennis. と叫んでる。
言葉の中身が正しいとかどうとか(実はそれも、やや怪しいのであるが)というより
シモネタ誘導の方法が、KYで独りよがりと言ってるだけだよ。
315 :
こころねの親韻《心の局》:2009/04/14(火) 00:12:25 ID:8WEccHUi
解らない人は沢山いるよ。
辞書《舌が辛い》に書いてあるからしょうがないのです。
山本梓ちゃんは木が辛い。
木が甘いは某になります。
言葉の本質キリスト教では神の本質です。
天理教も同じ事なのです。
316 :
こころねの親韻《心の局》:2009/04/14(火) 00:29:10 ID:8WEccHUi
こんな事を
みちばたでいきなりしゃべる人なんて想像出来るあなたは危ないでしょう。
おっぱいバレーでした。
女子中学生ならこころねの前なら喋るかも知れませんね。
女子高生なら〈ペンニス〉を持って爆笑しているでしょう。
ペンニスに《十字》でも切りなさい。
317 :
こころねの親韻《心の局》:2009/04/14(火) 00:48:33 ID:8WEccHUi
ペン
ペンタゴン☆〈五角形〉
ペンシル
ペンダント
ペンニス〈ペニスPENIS〉
この原型はやはり
ペンタゴンでしょうね。
ペンダントは胸にするものですし。
アメリカのPENTAGONは国防省。
ペン一つで国まで動かす事ができます。
おふでさきは
ペンの先〈TOP、POINT〉です。
318 :
こころねの親韻《心の局》:2009/04/14(火) 01:26:48 ID:8WEccHUi
《定規》と《コンパス》だけで《ペンタゴン》まで到達できますか?
《分度器》=《半菊》を使うと意味がありませんので悪しからず。
☆は頭と両手足に見えるでしょ?
319 :
こころねの親韻《心の局》:2009/04/14(火) 02:55:57 ID:8WEccHUi
☆ペン+イエス
〈ペニス〉が有力です。
PENYES→PENIS
ぺんはイエスです。
クリスマスとキリストとクリトリス
PENはYESでペニス
イエス、キリストは
イエスがペニス♂で
キリストがクリトリス♀で
キリスト教ではお決まりの風習でしょうね。
天理教にもそれに関した風習はあります。
320 :
神も仏も名無しさん:2009/04/14(火) 08:44:31 ID:uhIXk5w3
早く病院へ連れて行け。
321 :
310:2009/04/14(火) 12:43:17 ID:ULV0vjPO
何を言っても無駄なようだ。
宗教を語ろうとする者としての品位に欠けていることが解ってない。
322 :
神も仏も名無しさん:2009/04/14(火) 13:16:24 ID:hTKSiemR
心音様こんにちわ
時報読んてるんですね
感激です
今週のおやのことばは 究極です
誠は絶対変わらない!!
323 :
こころねの親韻《心の局》:2009/04/14(火) 18:35:51 ID:8WEccHUi
誠は言葉が成るになりますね。
おやさまは
真言宗は真の言葉を教えるといいました。
キリスト教は言葉は神だといいますね。
真実、誠の心は言葉の真実を伝えたらわかりやすいと感じます。
キリスト教の親、仏教の親
天理教の親
キリスト教は親は主と言うでしょう。
《世界中のをやが言うのや》
天理教の在り方ですね。
324 :
神も仏も名無しさん:2009/04/14(火) 21:39:52 ID:ZbeD5c8w
今週のおやのことばを読んでギョッとした。
普通の夫婦でも「妻とあまり顔を合わせたくない」と思う日が度々
あるんですね。
やっぱり結婚なんてしたくない・・・・・・
325 :
こころねの親韻《心の局》:2009/04/14(火) 21:57:02 ID:8WEccHUi
言葉をかけない
すべてのものに
そういう感覚はあります。
だから雰囲気、波長がわからないと。
それも勉強の一つでしょう。
326 :
神も仏も名無しさん:2009/04/16(木) 07:10:22 ID:wiiAelHr
山添 哲
山添 まり子
山添 ひろみ
山添 歌子 様方のご親戚の方々へ
御三方をいつまで日野大教会及び詰所内に留まらせておくおつもりですか?
すでに教会本部より大教会長辞職が決定されて半年近く経ちます。
最近は、部内教会相手に裁判を起こしたようですね。
過去に部内教会より集めたお金で、裁判を起こしています。
それを貰って裁判を起こす人達の事は全く考えないのですね
親戚の方々はどう思われてるのですか?
山添哲
部内教会の娘さんを何人も、権力を使い強引にはらませ、おろさせて、それをもう時効だと言って責任から逃れるあなたは、人間として最低だ
それを家族に隠し、嘘に嘘を塗り重ねている
どうかと思いますが?
しかも、それを知られたやくざから脅され、3千万ものお供え金を勝手に持ち出し、和解として渡した。
よくやりますよね。
327 :
神も仏も名無しさん:2009/04/16(木) 10:22:41 ID:W1YN54Zh
マルチポストよくやりますよね。
328 :
神も仏も名無しさん:2009/04/16(木) 12:45:10 ID:WvbvqiNw
天理市へ参詣に行ったとき「修養科に行って本当に良かった」という初老の男性に会った。
なんでも、全国各地に友達ができた、とか、奥様と知り合ったのも天理教がきっかけとか……要するに「出会い系サイト」の役割を天理教団が引き受けてくれただけじゃんw と思った。
天理教の女性は真面目な美人さんが多いから、かぶりついてしまう男の気持ちはわからないでもないけどね
329 :
こころねの親韻《心の局》:2009/04/16(木) 18:37:25 ID:pp5gU7MP
天理教と言うだけで
魔よけになります。
330 :
神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 07:03:25 ID:iSZgNtm0
/⌒\
( )
| | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| |< ぼくはモコーリしたいだけだよ
( ・∀・) \_____________
) (
(__Y_) ←絶倫!前日野大教会長
331 :
こころねの親韻《心の局》:2009/05/01(金) 00:15:42 ID:mpITR+vv
まるで日野自動車みたい?
332 :
神も仏も名無しさん:2009/05/09(土) 19:28:39 ID:qJoLBewt
修養かで3月かけて洗脳。
333 :
神も仏も名無しさん:2009/05/09(土) 19:54:29 ID:IcFyopOz
天理臨
>>332 同じ3ヶ月ならば、「3ヶ月にわたる長期お見合いパーティーに出席する心構え」で臨めばいい。
「心ひとつが我がの理」とは、こういった意味で、まさに至言!
…もっともこの発想、独身者に限る。
335 :
こころねの親韻《心の局》:2009/05/10(日) 19:56:20 ID:roXBw3Nh
来月は何人が修養科に?
> 326 名前: 神も仏も名無しさん 投稿日: 2009/04/16(木) 07:10:22 ID:wiiAelHr
> 山添 哲
> 山添 まり子
> 山添 ひろみ
> 山添 歌子 様方のご親戚の方々へ
> 御三方をいつまで日野大教会及び詰所内に留まらせておくおつもりですか?
> すでに教会本部より大教会長辞職が決定されて半年近く経ちます。
> 最近は、部内教会相手に裁判を起こしたようですね。
> 過去に部内教会より集めたお金で、裁判を起こしています。
> それを貰って裁判を起こす人達の事は全く考えないのですね
> 親戚の方々はどう思われてるのですか?
> 山添哲
> 部内教会の娘さんを何人も、権力を使い強引にはらませ、おろさせて、それをもう時効だと言って責任から逃れるあなたは、人間として最低だ
> それを家族に隠し、嘘に嘘を塗り重ねている
> どうかと思いますが?
> しかも、それを知られたやくざから脅され、3千万ものお供え金を勝手に持ち出し、和解として渡した。
> よくやりますよね。
> ココまで読んだ
> 327 名前: 神も仏も名無しさん 投稿日: 2009/04/16(木) 10:22:41 ID:W1YN54Zh
> マルチポストよくやりますよね。
大切なことなので、2回言いました。
337 :
神も仏も名無しさん:2009/05/17(日) 06:45:07 ID:o5f5h9Sz
天理はとことん腐っとるな。
> /⌒\
> ( )
> | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
> | |< 赤ちゃん出来たら堕ろせばいいじゃないか。
> ( ・∀・) \_____________
> ) (
> (__Y_) ←前日野大教会長 部内の娘を何人も孕ませる。
>
さらに天理教では『泥海古記(どろうみこうき)』なる神話に、「どじょうが人間のたねであった」などと、荒唐無稽(こうとうむけい)な珍説があるという。進化論のダーウィンもびっくりだね。
340 :
神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 09:46:15 ID:5tp450wb
新興宗教によくみられるトンデモ科学だな(笑)。
白装束で電波を防ぐパナウェーブと同じレベル。
341 :
神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 23:36:54 ID:GDhns6K7
ここもマルちゃんスレになってるw
343 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 16:45:18 ID:6yYrGMca
>>339 泥海古記で語られる「どじょう」という人間のタネの例えを
本物の泥鰌と考えてる人の、オツムの単純さと幼稚さの方が心配。
>>343 そんな幼稚な宗教の天理教。負け惜しみですか?
unn
ある意味においては今日の世界だって「泥海」の状態のまんま。
「沢山のドジョウ」って、もしかすると「万人の万人に対する戦い」の状況を喩えたものではないのか?
無秩序の状況から、少しでも秩序立てた社会にしていくのが親神様の願いであり、
今だってその途上にあるに過ぎないからこそ、「きりなしふしん」という言葉だって重要性を帯びていると解釈したほうが
教祖の本懐に近づくことが出来るように思えてならないのだが。
まあ、沢山のドジョウの中には「ひとすぢ心」を持ち合せた者もいるだろうから、
それを食べて(受け取って)、秩序立てていくための手本にしようと思い、
神様が苦労に苦労を重ねてきたお話なのではないかと。
348 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 22:45:26 ID:Kl3aFMNS
>>345 バッカじゃない。
アレ、日蓮正宗の顕正会がつくったサイトだろ。
他宗の事、まともに書くわけないじゃない。
たとえ話が理解できない奴は、聖書を読んでも何も得るものはないだろう。
>>348 知っているよ。
天理教については結構図星突いていると思うけどね。(笑)
図星なんだよな、あのサイト。
でも数の数え方や泥鰌は単なる例え話だから、批判する方が笑われるかもね。
同時、原始脊椎動物なんて言っても、人々にはチンプンカンプンだし、
大数の話は、現在は千万進数だけど地方によっては万万進数を使っていたりして…
(仏教界では億万土などという言葉が在ったりするから、大数に関しては
統一されたのは明治に入ってからかな?)
また中には今の十万を億として数えた地方も在ったかも知れないし…
(実際中国ではこういう使いかたしているところがあったらしい)
とにかく、億は遥かかなたの時間の象徴だと思う。
といっても天理教団の悪行の擁護にはならないけどね(笑)
351 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 13:55:14 ID:Esg9Qx56
>>350 天理教の悪行を指摘するサイトが増えると良いと思います。
そうすれば、高いお供えに苦しんでいる末端信者も助かるでしょう。
352 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 14:36:18 ID:9vas5nrw
もっと、天理教を指摘するサイトが増えればいい。
また内部からも声を上げる必要があるだろう。
353 :
神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 15:54:29 ID:JgJxK01f
野良ちゃん こんばんわ
儲かってまっか?
>>350 愛も変わらず 手厳しいィー
細く長い眼で 宜しく
ソレデハ又zzzz
356 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 00:52:24 ID:cHu2OnyL
> (無題) 投稿者:信者 投稿日:2008年 9月 4日(木)22時59分17秒
> 私は住み込みの子供として教会に生まれ育ちました。
> 子供のころから死ぬ事だけを考えて生きてきました。
> 十歳まで生きてみよう、何かいいことがあるかもしれない
> 十五歳まで、二十歳までと、でも障害がある母をのこしては死ねませんでした。
> 今考えると二人で死ぬことも出来たんですよね
> 今悲しいのは、子供のころの記憶がほとんどないことです、何して遊んだとか・・・・・
> 写真や人から教えてもらうことしかわかりません
> 天理教のいいところをまったくわかりません(講習までいきましたが)
> 何かありますか?
> 天理教に素晴らしい人を見た事がありません
> そんな人いますか?
>
630 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2009/06/27(土) 13:59:49 ID:wzCCZ8ka
>>626 必死に人の投稿をコピペしているお前のほうが恥ずかしい。
お前は嫌がらせのつもりでやっているようだが、お前の行為は何らダメージになっていないし。
逆に液クロサイエンスの実態を2ちゃんねるで広めているだけ。
>必死に人の投稿をコピペしているお前のほうが恥ずかしい。
>必死に人の投稿をコピペしているお前のほうが恥ずかしい。
>必死に人の投稿をコピペしているお前のほうが恥ずかしい。
俺が来たとたん
終わり貝?
心音ちゃん 何処行った?
野良ちゃん 鹿とかい?
360 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 06:08:42 ID:VPr1Cr9o
そうだよ 終わりです
ここじゃ 協調性がないのが売り
人によって 操作されるのが悔しがる奴ばかり
自己顕示欲が強く 自分が一番と勘違いで痛い奴ばかり
よって 天理によって助けて頂いても 気づいていても
気づかないふりをする奴ばかり
創価に行ったり真如にいったり方々の宗教にいっては悪態ついている
奴ばかりだ
心と財布が軽いくせに 今は やめていい生活と嘯いて逃げてる奴や
知識と勘違いして長々と書き込む奴
>>359 解ったか? アホ
361 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 11:30:22 ID:C+i9ORBE
液クロサイエンス被害者の投稿にあれだけひどい中傷レスがかえってくるのは、関係者が必死に隠蔽したいのだろう。
362 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 14:48:43 ID:kSiVKT+X
361さん
それは違うと思うよ。液クロ被害者のマルちゃんのしている事は度が過ぎるでしょう?もう被害者から加害者じゃん。そこんとこどう思うよ?
マルちゃんを擁護する君こそマル本人じゃないの?と思うわけよ。
363 :
こころねの親韻《心の局》:2009/07/04(土) 00:30:13 ID:dodSuoZ6
天理=宗教
他は布教やにおいがけをしてても手応えがなし。
机上だけでは駄目だし
天理のやり方の布教では日本では最高峰だよ。
心音さん こんばんわ
同感
365 :
アルテミス:2009/07/08(水) 22:05:48 ID:s9/mavnZ
引っ越しました。
2代真柱様の言葉。
「天理王命という名は、いわば親神様のお住居の表札であると、変な言い方でありますが、申しても差し支えなかろう。
即ち月日のやしろの表札が、天理王命であったんであります。同時に、その表札は、かんろだいのすわるぢばにおつけになったんである。」
「我々の、最初の生命の根本の場所である、という意味から言うならば、教祖の魂の理もぢばの理も一つになるのが、
片方は人間だ、片方は土だ。そう言えば言えるでありましょうが、理の上から言って、母なる理の位置であったということには、はっきり一致するのであります。
その点に、親神の名をお授けになっておるということも、これも我々の論理から判断致しましても、理の当然と考えられるのであります。」
火水風p236-p237より
月日のやしろの表札=天理王命=かんろだいのすわるぢばの表札ということだろうと思案します。
「教会長は、大教会長であろうと、分教会長であろうと、或いは場合に依ったならば、
布教所を担当している単独布教者であろうと、全て同じ理であります。」
教祖七十年祭準備委員へのお話
366 :
神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:51:19 ID:KlZe2+Kn
なんで、
神棚二つなの?
367 :
神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 21:00:27 ID:orH8CQbT
アルテミス答えてやれ。なぜ神棚は二つなんだ?将来は一つになるのか?それとも二つ必要なのか?
天理郵便局の横、屋台がラーメン旨い!
369 :
アルテミス:2009/07/21(火) 14:32:43 ID:GX9oDTwu
まず最初に、おやさまの魂があってはじめて人間世界の存在があるという事と、
おやさまによってはじめて親神様を拝すことのできる我々であるという、その順序をご確認願いたいですね。
そして、それぞれの教会・布教所は「ぢばの理」を受けて成り立つ存在ですよね。
言葉を変えれば、おやさまによってはじめて成り立つ存在ともいえると思います。
その神名はおなじ「天理王命」なのに、なぜ親神様の社と教祖の社があるのかというご質問だと思いますが、道理上としてだと思います。
道の理の上に印しが二つあり、実はどちらも「天理王命」という名前であった・・・そんな感じでしょうか。
連れ帰ってくださるのはおやさまですが、
おぢばは帰るべき親里としての「めどう」
おやさまは辿るべき道の心としての「めどう」
元のぢばと元のおや。
人間世界を「はじめだした」という理においてどちらも一致していると思います。
いずれにしても、教会・布教所等において親神様を拝す時は「ぢば・かんろだい」を胸に浮かべて南無天理王命でもよいし、
教祖を拝す時はおやさまを胸に浮かべて南無天理王命でもいいと思ってますね、個人的には。
いずれ一つになるかどうかは分かりませんが、二つのめどうで良かったと思うことは、
昔々の「元はじまり」の月日様のお心と、世界一列たすけたいという「今がこのよのはじまり」のおやさまのお心、この二つをどちらも忘れずに道を通れるということではないかと感じます。
御霊様の社について思案すれば、親神様おやさまという二つのめどうの中において、事情身上によって手引きされ、
講社なり教会なりの設立を願いでた「元一日」のその心を、後を紡いでいく人々が忘れないようにとの深い配慮があるのかも知れません。
370 :
アルテミス:2009/07/21(火) 14:41:55 ID:GX9oDTwu
スタミナラーメンおいしいですね。
たまに食べます。彩華も天スタもどちらも好きですね。
371 :
神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 22:30:07 ID:7IAsGthg
>>369さん
有難う御座います。
神棚と祖霊舎じゃないんですね。
372 :
アルテミス:2009/07/21(火) 23:58:48 ID:GX9oDTwu
>>371 あなたがご覧になった場所は教会でしょうか?
373 :
神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 21:23:16 ID:hU/mhBmZ
374 :
神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 21:34:30 ID:hU/mhBmZ
>>372さん
箱宮風のお宮の中に、
互い違いに、
左が小さく、
右が大きいお社が有ったと思います。
375 :
アルテミス:2009/07/22(水) 22:28:26 ID:kQcDV5KW
>>474 そうですか。信者さんの家ですか。
そうしますと、多分、右の大きい社が親神様で、左の小さい社が御霊様になると思います。
基本的に元のぢば以外で親神様おやさま御霊様を祭ってある所は、教会・布教所・講社だと思います。
布教所や講社などでは一つの神棚に親神様の社とおやさま(社は無く)、そして御霊様の社というようにまとめて祭ってある所もあったように思います。
教会などではだいたい、親神様とおやさまは別々の神棚に社を祭ってあるようです。
御霊様も神棚と同じような作りになっている所が多いと思います。
社を2つに分けて祭られている御霊様も見たことがあります。
376 :
アルテミス:2009/07/22(水) 23:36:33 ID:kQcDV5KW
>>375 474ではなくて
>>374ですね、すみません。
そうなりますと、あなたにとって
>>369のレスは、なんのことやらという部分があるかも知れません。
機会がありましたら一度「元のぢば」に帰られ、かんろだい、教祖殿、祖霊殿に参られることをお勧めいたします。
377 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/07/23(木) 00:08:13 ID:K5zRM+Ck
>>369 >まず最初に、おやさまの魂があってはじめて人間世界の存在があるという事…。
それは《うお》と《み》のことのことを言われているんでしょうかね?
どうも片手落ちじゃないかと思うのです?
善兵衛さんはどうして選ばれなかったのか?
どうして夫婦で選ばれなかったのか?
もし、みきの素行が悪かったら、みきも選ばれなかったのか?
善兵衛さんだけ選ばれるということでも良かったのではないか?
等々疑問に思いながら現在に至っています。
教えて下さいませ。
378 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 00:22:40 ID:JExZCcfB
善兵衛様の魂も来世、選ばれるんじゃないの?
379 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/07/23(木) 00:31:23 ID:K5zRM+Ck
ついでにもうちょっと…。
「承知をさせて貰い受け…。」と言う場面が出て来ます。
それは承知をしなければ他を捜すのか?
それとも承知をするまで、粘るのか?
立教の辺りを見て見ますと後者のように思います。
しかし、ここでまた疑問。
天保9年10月26日は神が出て来た日ではなく、承知をした日であると言うこと。
それでは、最初からその日に現れ、その日に承知をさせれば良いのではないか?
どうも芝居じみて無理があると思いますが?
380 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/07/23(木) 00:39:42 ID:K5zRM+Ck
>>378 >善兵衛様の魂も来世、選ばれるんじゃないの?
一応聞いておきますわ(笑)
その根拠と、来世の立場は?
381 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 00:50:37 ID:JExZCcfB
承知ができるまで育った魂が他になかったんじゃないの。
そんな簡単に承知が出来るほうが不自然じゃないか?
382 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/07/23(木) 07:34:47 ID:K5zRM+Ck
>>381 >承知ができるまで育った魂が他になかったんじゃないの。
比喩、喩え話として考えてみた時、《結合》する物を《承知をした》と言う説明で、俺は無理矢理、納得しているな(笑)
立教の際の《承知》はそのままの理解。
子数の年限は《年》であり、秒単位ではないかも知れん。
始まった、そこから3年3月。
治まった、1月26日になると言えばなる。
しかし…無理っぽいな(笑)
383 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 11:52:53 ID:09VaKJDI
何で中山みきだけは生まれ変わらず今でも生きているの?
他の人は死んだら生まれ変わるってどうしてわかるの?
384 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 16:26:53 ID:ZuTmXXPY
>>375 >>376 さん
有難う御座います。
神棚の構成が良く解りました。
天理市は、遠いので行けるかどうか解りませんが、見てみたいです。
信者でなくても、見る事は出来ますか?
385 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 19:02:10 ID:Scxda+Pf
御教祖様、善兵衛さん、しゅうじさん、こかんさん→月日様からすれば、すべて道具ですよね。
御教祖様は月日の社になられた。で、月日様はこかんさんにも月日の社になってほしかった。
仮定の質問で申し訳ないけど、こかん様が月日の社になられていたら、やはり神名は天理王命様だったのでしょうか?
386 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/07/23(木) 19:58:26 ID:K5zRM+Ck
>>385 エエ質問やなあ(笑)
その後、ご存命のこかん様になったんなかあ?
387 :
こころねの親韻《心の局》:2009/07/23(木) 20:11:38 ID:f78Dc6wD
日食の日に
何をしてかも問題
こころねは
ごえんだまやごじゅうえんだまや五百円だまなど重ね合わせ
日食の
上弦下弦を感じていたよ。
テレビでは
水溜まりに映る月日様をみていた人もいるよ。
潮の突き引きもこかんさまがやっているかも?
388 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 20:16:14 ID:Scxda+Pf
何が言いたいんや?
こかん様がおびやの三神の一て言いたいのか?
ちと黙っとってや!
389 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:30:36 ID:09VaKJDI
股間様
390 :
アルテミス:2009/07/23(木) 23:55:27 ID:iossl/mQ
>>384 もちろんです。
あなたが何を信じていようが信じていまいが、神殿は24時間開いております。※夜は南礼拝場のみ
機会がありましたらどうぞ。
391 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 01:12:03 ID:OgjE9pRY
神様の社になられても、生れ変る人とそうでない人がいるのか?
という疑問は残る。
392 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 02:05:23 ID:HxuTNPRT
>>390さん
有難う御座います。
機会があれば行って見たいと思います。
393 :
アルテミス:2009/07/27(月) 14:35:58 ID:sTJIydqd
基本さんが以前詳しく話をされていましたが・・
元はじまりの時にイザナミ様お一人の中に、他の9柱が入り込む瞬間があると。
卵子が精子を引き寄せるのか精子が卵子を目指すのか・・・
「ぢ」に引き寄せられるのか「てん」に引き寄せられるのか・・・
受精の瞬間、卵子の中に精子のDNA情報が伝わり・・・
めざる一匹が残る・・・
そしてそれがまるで、一粒万倍といえるかのような細胞分裂を繰り返していく・・・
いずれ五尺のにんげんになります。
おふでさきには「やしろ」という言葉は4回出てきます。
「しんぢつに月日の心をもうにわ めへ/\のやしろもろた事なら」第6号57
このめへ/\とは、人間はじめだしの流れの下りなので、多分、道具になられた方々を対象にしているのではないかと。
「いまゝでも月日のやしろしいかりと もろてあれどもいづみいたなり」第6号59
これはおやさまのことでしょう。
「月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝをいてもろたら」第9号5
この時既におやさまは、「あかいきもの」を召されており、この二人とは小寒様と・・・
「月日よりやしろとなるのむなさきの つかゑてあるをなんとをもうぞ」第11号41
これは小寒様のことでしょう。
善兵衛さんが「やしろ」になられなかったのはなぜかということですが、おふでさきに書いてないので分かりません。
推測になりますが、小寒様が「月日のやしろ」になられていたら天理王命という神名だったのではないでしょうか。
私も十全の守護として十の命を「天理王命」とまとめて呼んでたりします。
394 :
アルテミス:2009/07/27(月) 14:44:50 ID:sTJIydqd
神名をつけて頂くという事は、「命」がつきます。
つまり「存命」です。
名前とは大切なものだと思います。
千と千尋の神隠しではハクは本当の名前を思い出して・・・
395 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 15:54:38 ID:vdCF2M5A
アルテミス=心音=希美→よろず病院精神科閉鎖病棟患者 でOK?
396 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 23:39:45 ID:df43eyJk
まるは誰でも同一人物に見えるらしい。
アルテミス氏はかなり古くから、天理スレで活躍してたんだぜ。
野良天さんに聞いてみろ。
まじめな人で、しっかりした考えもってるから、野良氏も一目置いてたはずや。
信仰するしないは別としてな。
これが心音のプータと同じか?
チト考えりゃ解るだろうが。
それともう一つ。
概して天理教のもんは遠慮して本当のこと言わんから、俺が言っておく。
お前が一度精神科で見てもらえ。手遅れになる前にな。
悪いことは言わん。
397 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/07/28(火) 10:44:54 ID:cUag4U8P
興味深いレスありがとうございます。
またまた愚問です。
>>394 >神名をつけて頂くという事は、「命」がつきます。
>つまり「存命」です。
「命」と言う文字の一番最初はどこから始まったのでしょうか?
とりあえずは、おふでさきを開いて見ました。
「くにさづちい」と「月よみ」 6-37
「くもよみ」と「かしかねへ」と「をふとのべ」「たいしょく天」 6-38
「いざなぎ」と「いざなみい」
6-52
「くにとこたち」に「をもたりさま」 16-12
他に12号69〜145あたりにも出てきますが、何れも「命」はついておりません。
暴言ですが、これは後から《側なる者》がつけたのではないか?
明治教典を作成する際に神道色を出す為に媚びた(言い過ぎか?)のではないか?
と思えてきたりしますが、資料があればお教え下さい。
続きます。
398 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/07/28(火) 10:55:28 ID:cUag4U8P
ただ、一般的には「尊」であるのに対し、天理教では「命」であることにつきましては、
あなたの言われた「存命」と言う言葉に深く興味を覚えました。
元初りの道具の魂は教祖を始めとして元の屋敷、ぢばに留まり、生まれ変わりはないと言うことなんでしょうか?
…と、しますと…。
教祖伝で秀司さん出直しの描写で、こんな下りが…。
「元初まりの道具衆の魂は、いついつ迄も《元のやしきに留まり》《生まれ更り、出直して》一列たすけの上に働いておられる。」
とあります。
《生まれ更り、出直して》は《存命》とは言わないでしょ?
あなたの意見がそのまま正しいとするなら…。
つまりは、中山家を中心とした《魂》は違うんだよ!
元の道具衆の《魂》なんだよって、教祖伝で暗黙的に言ってるようにも思えて来ました。
道具衆の魂は生まれ変わりはあるのでしょうか?
それとも、元のやしきに留まり、教祖同様ご存命なのでしょうか?
またまた、それとも旬に応じてかんろだいの模様替えの如く、
生まれ変わりがあるのでしょうか?
愚問ですみません。
399 :
神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 23:12:52 ID:Bin3EIVw
>>396 まるは若年性懐疑妄想型認知症だから。
一般人と便衣を着た敵兵の区別がつかず、無差別に撃ち殺した南京事件の
日本の兵隊さんが思い浮かぶ。
400 :
神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 19:03:32 ID:dakp6+oL
ボチボチは教会長なのに所属する信者0なの?
こいつ自分が会長だと妄想しているだけだろう。
エア教会ボチボチ会長かわいそうに(笑)。
401 :
アルテミス:2009/08/01(土) 23:17:55 ID:57YULYjh
おやさまの生まれ変わりの話については、逸話篇48「待ってた、待ってた」が関連あるかなあと思います。
「みこと」については元の理の14年本16年本にでてきます。
まあ、おやさまが「それでよい」と言われたことはなかったそうですが。
神道色を出そうとしたという疑いは間違いだと思います。
中山家が「お稲荷さん」を祭っていたという話もあります。
『天理王「命」』について言えば正文遺韻抄に、内蔵にこもられたことについて次のような記述があります。
「神様の仰せにしたがって、黒のおめしものばかり召して、世帯のことには、更におかまいあそばさず、せんこう一本たてゝ、なむてんりわうの命と、唱えてござった」P37
>「元初まりの道具衆の魂は、いついつ迄も《元のやしきに留まり》《生まれ更り、出直して》一列たすけの上に働いておられる。」とあります。
この文章の前後が分かりませんが、あえてツッコミを入れるなら、「おやさま」も道具衆の魂です。
そして、「月日のやしろ」となられ神名を頂いて「存命のをや」です。
「神名」を頂かれた後は、生まれ変わり出直しはされてないと思います。
教祖伝の文章に付け加えるとすれば、「上に働いておられる方もいる。」でしょうか。
「やしろ」となることなく、また、神名を頂いていない道具衆の方は、生まれ変わりされている人もいるかも知れませんから。
「にち/\に心つくしたそのゑハ あとのしはいをよろづまかせる」第1号67
誰に生まれ変わったと言われているでしょうか?この方は。
。
402 :
アルテミス:2009/08/01(土) 23:18:56 ID:57YULYjh
立教に於いて、神様と中山家との約束、それがだいいちだと思います。
神名については「今がこのよのはじまり」の中での「月日よりつけた名前」でしょうから、「天理王命」ということになると思います。
403 :
アルテミス:2009/08/01(土) 23:22:50 ID:57YULYjh
本席様には誰が入り込むのか・・・・・
教祖が入り込むとおさしづにはあります。
以前、「月日の社」とは常態の表現であるとレスしたことがあります。
社を体の事だと思われている方がいるかもしれませんが、それは少し違うと思います。
おふでさきの「しんぢつに月日の心をもうにわ めへ/\のやしろもろた事なら」第6号57のお歌を心に浮かべます。
仮に社が体であったら、既に体は貸していただいている・・・
「身の内神のかしもの・かりもの、心一つ我が理(明治22・6・1)
「みきを神の社にもらいうけたい」とは、中山みきさんの体は元々神様のものであるという前提のもの。。。
では何をもらいうけるのか?
それは、「心一つ我が理(明治22・6・1)」という中山みきの部分。
ですから、我がの理が月日の社で在らせられ、心は月日で在らせられる・と表現しました次第です。
本席様を「むなさきに神様の坐られる席を作って頂いた方」と表現することが許されるなら、おやさまは、
「むなさきに神様のおわす社のあるいんねんの御方」・・・
そのように思案いたします。
404 :
神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 09:39:53 ID:9t4MQJI9
本席の飯降伊蔵?さんだっけ?この人って教祖が出直した直後に教祖が身体に乗り本席という超幹部ポジションを勝手に作り出し自分が本席だと言いだして、その他、これからの天理教の方向を教祖に代わって伝えた人でしょ?
ホントに乗り移ったのかが怪しいし天理教が狂い出したしたのはこの人せいじゃないの?
405 :
神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 13:54:13 ID:lWgTSib6
>>404 乗り移ったというのは狂言だろう。
教祖の死後、天理教という宗教を作るために、勝手に本席というものを作ったのだろう。
その後出来た天理教は、教祖の教えと矛盾しているところがたくさんある。
406 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/08/02(日) 14:24:08 ID:GEHG1oyv
アルテミスさんいつも貴重なご意見感謝しています。
>>404-405 突っ込み方が雑過ぎる。
教祖→飯降伊蔵→上田ナライトまでは、予定のコース。
少なくとも血筋ではなく、信仰的重要人物路線であったのを、血筋(とくがある!)路線に変更があったのは本席の死以降。これは天理教批判の定番やで。
歴史から批判するならもうちょっと勉強しような。
徳川家康と織田信長は同一人物だと言っているに等しい。
407 :
神も仏も名無しさん:2009/08/13(木) 23:18:45 ID:yoF3TXjS
>>406 教祖におやがみが乗り移ったのが事実かどうかすら証明できないわけだから、議論しても意味がないな。
一般的には中山みきが統合失調症になって、神が乗り移ったと妄想したというもの。
しかし、このことについては、信じる人だけが信じればいい話だし、批判をするつもりはない。
それよりおかしいのは、中山みきの教えに背いて、勝手に宗教を作っちゃったり、巨大な社を造ったり、
してしまった、取り巻き連中。
一般的に見れば、もはや中山みきを教祖にする宗教のやることではない。
408 :
神も仏も名無しさん:2009/08/14(金) 00:42:20 ID:iy3j9kI7
中山家周辺に道具衆の魂が生れ変る仕組みが本当なら、
本席現象や月日の社現象が今後、中山家周辺で起こる可能性もあるのか?
そうすれば、様々な問題が一挙に解決するとかって?楽天的過ぎるかな?
409 :
こころねの親韻《心の局》:2009/08/17(月) 21:19:43 ID:/wflfTVj
すでにSEXをしている自体
統合しっちょうしょうだよね?
やっぱり天理教は創価学会に比べても格段に質が低いようだね。
そればかりか、この両者の格差が年々拡大してきていることを
天理教は恥じるべきだね。
ま、徳分というものは、血筋などでは継承されるはずもないのさ。
真柱を見ても、徳がないことが丸分かりではないか。
それに、高安なんかも代々、会長の質が劣化してきているわけで、
この大教会なんかは近い将来、改易の憂き目を見ることとなるだろう。
411 :
こころねの親韻《心の局》:2009/08/18(火) 18:56:51 ID:5qJLald9
質は最上級だが
教人の質がかなりあがって教人様になっているよ。
教人は横歩きが出来やすいからね。
412 :
こころねの親韻《心の局》:2009/08/18(火) 19:15:56 ID:5qJLald9
校長はようぼくで
教頭は教人の可能性が
おーいにあるね?
天理教には教師とはいわないし
教師は師で手本ひな型になるところだね?
だから布教している人は教師に近いんだよ。
413 :
こころねの親韻《心の局》:2009/08/18(火) 19:19:27 ID:5qJLald9
ようぼく=本尊だよ
414 :
こころねの親韻《心の局》:2009/08/18(火) 19:23:09 ID:5qJLald9
だから
校長はひろい意味で《だいく》や《とうりょう》にはさからえないんだよ。
415 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 20:36:52 ID:+fUWsSAg
天理教は、2ちゃんねるでおてんば・野良天・まるの3大コテにフルボッコ。涙目www。
416 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/08/18(火) 22:14:54 ID:chlsXwpb
>>415 >おてんば・野良天・まる
そりゃ、天理教の三減点やな。
417 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 22:15:42 ID:/plmrPr/
希美とかいうのもいなかったっけ?
419 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 23:30:52 ID:C1h+a7e6
ボチボチも入れれば四減点か。
いや、一人で三減点分あったりしてなW
なんせチンピラから教会長へ、なんだろ?
若いときの素行の悪さは姫路一ってか?
420 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/08/19(水) 02:48:18 ID:SShuXJD1
>>419 >若いときの素行の悪さは姫路一ってか?
俺は普通の節度あるチンピラやったな。
>>415 >天理教は、2ちゃんねるでおてんば・野良天・まるの3大コテにフルボッコ。涙目www。
言い忘れとったわ。
○ちゃんはいっつも返り討ちされて涙目やな。
修行が足らんな(笑)
421 :
神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 21:13:10 ID:No8RkSg9
業務上過失致死の前科者だから。ボチボチは(笑)。
現実逃避したくて新興宗教に走ったのだろう。
422 :
神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 00:06:54 ID:OW8elQls
ボチボチさんは、あんまりマルに構わん方がいいんじゃない?
これ以上安っぽく見られん為にね、
それにノータリンがうつってもいかんし・・
アンタの代わりに、当面、俺がお相手してあげることにしとくから。
423 :
神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 02:38:05 ID:oK/Xuh24
天理教信者は、議論に負けると逆ギレを起こし相手の人格攻撃を始めるワンパターン。
教会長が、信者の疑問に答えられなくなると「不足!」といって信者を罵り、逆ギレして逃げていくのも同じ。
天理教信者独特の性格の特徴がよく分かる。
424 :
神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 02:41:19 ID:oK/Xuh24
>>422 相手もボチボチにはあまりかまうつもりが無い。
ボチボチは彼に先ほどフルボッコに議論で負けたので、怖くて相手が出来なくなったのだろう。
ボチボチは相手を追い詰めたつもりでいただろうが、単に揚げ足取りをしているに過ぎなかった。
彼に勝ったと思っていたようだが、結局やったことは揚げ足取りだけ。
天理教の会長さんってそんなレベルか・・。おてんばさんのいうとおりのレベルだな(笑)。
まるちゃん大丈夫?
日本語が崩壊してるよw
426 :
神も仏も名無しさん:2009/08/22(土) 17:07:58 ID:OgKTbv9t
天理高校卒のお前に言われたくないと思っているだろう。
427 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 18:10:13 ID:yGwVvxFz
おいw
無職の馬鹿息子w
謝罪はまだかw
428 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 23:20:55 ID:mUMOkvDh
無職の馬鹿息子! は、チト言い過ぎじゃないか?
せめてこの程度にしてやってくれ。
『橿原ニートのスーパーノータリン』 ぐらいに。
429 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 23:28:11 ID:6z1PkCmf
ID割り出し君mUMOkvDhの真似をしてみた。
428 名前: 神も仏も名無しさん 投稿日: 2009/08/23(日) 23:20:55 ID:mUMOkvDh
無職の馬鹿息子! は、チト言い過ぎじゃないか?
せめてこの程度にしてやってくれ。
『橿原ニートのスーパーノータリン』 ぐらいに。
37 名前: 神も仏も名無しさん 投稿日: 2009/08/23(日) 23:14:25 ID:mUMOkvDh
>>31 ドジョウの話は例え話ってこと、教えられなかったのか?
アンタを導いた先生さん、お粗末。
853 名前: 神も仏も名無しさん 投稿日: 2009/08/23(日) 23:10:05 ID:mUMOkvDh
Good night! Good dream!
430 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 23:29:05 ID:6z1PkCmf
>>428 天理教の会長のように働かずに信者の金で遊び暮らしているバカ共です。
431 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 00:02:45 ID:4tbGKHlU
46 名前: 神も仏も名無しさん 投稿日: 2009/08/23(日) 23:38:22 ID:mUMOkvDh
>30の答えのヒント。
当たり牌は二万と三万(七万と八万でも良い)
一人の聴牌は、二万と三万のシャンポン待ち。
さて残りの三人の聴牌の形は?
明日が締め切りね。
432 :
神も仏も名無しさん:2009/08/26(水) 17:10:06 ID:mPVoY0cH
信者も天理教に騙されていることに気がつかないと。
教祖の教えはよくても、今の天理教は全く違うものです。
433 :
神も仏も名無しさん:2009/08/26(水) 17:46:59 ID:E1hrxDgd
終わった宗教団体が天理教だと思います。コレだけWEB上で情報が公開されると
中山みき事態が疑われる存在になった、しんばしら、シンバシラ、解りません
テンリ商店街に行ったが、シャッターが軒並み閉まったトコロを抜けたらデカイ
神殿が見えた、中は涼しいので、ぼんやり眺めていると黒い着物を着た人が鋭い
視線で睨んだ、助からない宗教の1つが増えた、ダメだ天理教も
集金システムの崩壊で、維持管理だけでも年間数億円要るだろうこの神殿
竹中工務店が請け負う、
434 :
神も仏も名無しさん:2009/08/26(水) 20:54:19 ID:iiW4p0pw
竹中工務店って天理教信者経営だったんだ。
やはり社員は修養科に行って天理教信者にならないといけない?
435 :
神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 10:05:02 ID:ZVUVCOaA
天理教関係はブラックとみて間違いない。
天理教信者自体おかしいひとばかり。
まともな人は脱会したし、または脱会したいと思っている。
436 :
神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 10:58:19 ID:R9l1c84I
どのスレに書き込めばいいのか迷ったのですが、
昨日、中学生の娘が友人に誘われ出かけたイベントが天理教のものだったようです。
お話を聞いたり、ケーキを作ったり、野外でオリエンテーリングなどをしたようです。
場所は大きな一軒家のようだったと言っています。
また、参加費(?)は1500円でした。
このような活動について何かご存知の方いらっしゃらないでしょうか?
437 :
神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 18:28:27 ID:qL4AlgD6
>>436 最初は楽しいパーティでも、徐々に天理教勧誘するようになってくるから、行かないほうがいい。
他の新興宗教でもやっている勧誘の手口。
438 :
神も仏も名無しさん:2009/08/28(金) 21:47:53 ID:l7XsV2Wd
得体の知れない集会には最初から参加しないこと。
天理教の名前が出たらすぐ(((・・;)逃げること。
それが天理教被害を防ぐ唯一の手段。
天理教の手口は子育てサークル。
回り囲まれたら逃げられなくなる。
439 :
神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 13:41:38 ID:J1cZQO8q
天理教の「親心」というのは、子供(相手)に自分の考えを押しつけることである。
何が何でも言うことを聞かせることである。
440 :
神も仏も名無しさん:2009/09/12(土) 14:24:57 ID:T/UIhKfz
とにかく警察も踏み込めない建物が無数にある。
犯罪者が紛れてても分からないと思うくらい。
実際にそんな噂もあるし。。。
戒律的に性には大らか(もっと言えば積極的)
信者同士の浮気、不倫なんて日常茶飯事。
あ?電話なので・・・ww
>>437-439 行った事無い人がとやかく言うもんでもないとおもうんだがw←違う?
>>436 俺ならどんなのだか自分も行って確かめてくるけどね
親として
442 :
神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 21:05:28 ID:j0hIZWbM
>>440 だって修養科へ行ったら、若い20代くらいの男女がセックスやっているんだもの。
部屋が女の臭いで眠れない。
>>440 >戒律的に性には大らか(もっと言えば積極的)
但し「精神科身上者」に対してだけは打って変わって恐ろしく厳格!
精神科にかかっている修養科生なんかになれば異性と口を聞くことも一切許されていない。
教養掛の先生曰く「異性との交流やコミュニケーションなんかは一人前になってからやれ!」
444 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 15:26:21 ID:x7fNux5m
前真柱の大祭神殿講話における「理の親はおやさま親神様」「困った時には働けばいい」という発言。
当然のごとくといいましょうか、活字にはなっておりません。
引用します。
・・そして、わが身思案にとらわれて、「人間勝手の理、神の道に無き理を引き出す」(さ31・5・17)ということにもなる。
例えば、「道の親、理の親」(教祖、親神)という言葉(さ32・8・28ホ)を勝手に「おたすけ」や「教会」の用語にもちいる。
これではいけない。
天理教事典P948
445 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 19:11:26 ID:eU+gP5HZ
精神病の人はひとりの人間として天理教では認められていないのですね。
障害者差別宗教天理教!
>>444 >理の親はおやさま親神様
…これ、二通りの意味に受け取れる。
一つは「理の親・道の親などという立場の人間を介しておやさま親神様と繋がっているのではなく、
一人一人がダイレクトにおやさま親神様に繋がっているというのが真実なんだ」という意味。
もう一つは「理の親・道の親にあたる立場の方というのはこれ、おやさま親神様と同等に尊いお立場であるわけなので、
神を崇める如くに親を立てていかなくてはならない」という意味。
このうち後者の場合になれば、
旧帝国陸軍方式で「上官の命令は、恐れ多くも天皇陛下の命令なるぞ!」なんていうのと
全く同一の恐ろしい思想体系を成そうとしているも同じ。
>>445 精神病にかかることそのものを親不孝→神への不忠・反逆行為と同一視する向きが
一部の教会には実際にあるし、本部員らの多くもこの考えに同調。
>>446 広い視点の思案の返答をありがとうございます。
そうですね、自他称理の親の言葉は神の言葉と同じ・・・
そういうように受け取る人もいるかと思います。
また、自他称理の親に尽くす事が、最大の恩返しであると、そのように説く方もおられます。
前真柱の「親と言う名で呼び表せられるのはおやさまお一人」という言葉とあわせて考えますと、「理の親はおやさま親神様」とは、後者の意味は全く含まれないように思います。
また、「よふぼくには月日が入り込む」ということを考えますと、人の言ったことであろうとも、親神が子供である人間の口を通してその意志を伝えるということもあるのでしょうが、限定されることでもないと思われます。
人として生きる、その「瞬間の立場」として、「たすける者」「たすけられる者」という立場に分かれるだけのものであって、それは親神の世界一列たすけたいという心の発露の二つ一つです。
449 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 12:35:42 ID:lYmFctLa
つまりうつ病の人は絶対に天理教にいってはいけないということだ。
精神病患者は虐待されます。
気をつけて!
450 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 18:06:15 ID:VAMK83WT
>>446 そういう天理教的思想を、一般社会に持ち込むのが天理教信者の悪いところ。
会社の上下関係でもそれが通用すると思っている。
俺のいうことには絶対服従、文句を言うなという上司。バカかと思った。
バカな上司には、部下は従いません。だって会社にとって不利益が出ますから。
上司のさらに上司に忠告して、こういうバカな上司を排除してもらいました。
天理教信者が社会になじめないのが理解できました。
>>446-448のような方が、真の天理教信者(というか、おやがみ様のこども)であり、
今の天理教の幹部達は、紛い物であると思います。
>>449 鬱病を克服したいといって修養科に行く修養科生も少なからずいるはず。
彼等はどんな虐待を受けるのでしょうか?
451 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:54:33 ID:HccEbhZf
天理教の常識は世間の非常識
天理教信者に関わるとろくなことがない。
>>450 >鬱病を克服したいといって修養科に行く修養科生も少なからずいるはず。
>彼等はどんな虐待を受けるのでしょうか?
一例を挙げてみれば「特別修練」。 別名「特別下番(とくべつかばん)」。
…一般の修養科生の場合は、詰所単位でやり方が異なるにしても、
おおむね夜の修練は8時頃に終わるとしても、鬱病をはじめとする「精神科身上者」とされている人だけは
さらに修練室に残されてビッシリと仕込み・叩きこみを課せられたりする(夜の10時半も11時頃まで毎日毎日)。
現場の教養掛の先生曰く「小人(ここでは鬱病患者)閑居して不善を為す」。
苦情受付の係の人曰く「その教養掛の先生、なかなか出来んことをやりよる(感心しながらそういった感想を述べる)」
修養科担当者曰く「そこまで熱心に仕込みをして下さっている詰所の教養掛の先生にもっと感謝しなさい!」
>>452訂正
夜の10時半も11時頃まで毎日毎日
↓
夜の10時半も11時もまで毎日毎日
454 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 09:13:05 ID:ipxBRsre
>>449 虐待とかされませんよ。
私は鬱病ですが、修養科出た後位から薬も減りましたし。
何よりも病院の先生が明るくなりましたねって言ってくれました。
前は絶対に1週間ずつ病院に行かなくては行けなかったのが今は3週間ずつになりました。
所属によって違うんだろうけど、それもその人の徳分だと思います。
変な会長さんに当たる人はやっぱり変な人なんだと思います。
うちの会長様は優しくてとっても尊敬出来る方ですから。
本部の御用させていただいてもあまり変な方に遭遇しないのですが何処にいるんですか?
具体的に言ってもらえないとわかりません。
455 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 17:25:06 ID:sIjudqSV
つらい事、する事要らんのやで。親は、何んにも小さい子供を苦しめたいことはないねんで。この神様は、可愛い子供の苦しむのを見てお喜びになるのやないねんで。もう、そんな事をする事要らんのやで。子供の楽しむのを見てこそ、神は喜ぶのや。
456 :
神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:15:48 ID:Z3bUYrzf
>>454 本部員様、イメージダウン回避ご苦労様。
>>452 こえー!精神病患者を虐待しておいて、自分たちは良いことをしていると思い込んでいるところが怖い。
流石はカルト宗教。
精神病、鬱病の人は絶対に天理教の修養科に参加してはいけません。
>>454 >所属によって違うんだろうけど、それもその人の徳分だと思います。
…本島なんか現大教会長からして徳が不足していることだけは確実だし。
>変な会長さんに当たる人はやっぱり変な人なんだと思います。
…ま、やはりそれはおかしい。
そんな道理はあり得ないし、明らかに迷信。
変な会長さんの言うことを聞くことまではないし、
信者に「変な会長」と思われるような会長であってはならないこと。
>うちの会長様は優しくてとっても尊敬出来る方ですから。
…それはラッキーなことですね。
>本部の御用させていただいてもあまり変な方に遭遇しないのですが何処にいるんですか?
…特に「よろづ憩いの家」における事情部および世話部。
458 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/10/24(土) 07:29:55 ID:DRrQ7b8q
>>259 >愚痴いうのはやめにしませんか?
>ぼくはこの人たちを助けたいです。
愚痴(悩み)の理由を知らないでたすける方法があるなら教えて欲しい。
まず、悩みを知ること。
吐き出させること。
悩みを共有すること。
それは一般的カウンセラーにおいても基本やと思うのですが…。
おさづけを取り次がせていただく前に病名を聞きますやろ?
それは単純に神さんに祈りの中身を伝える為だけやないと思うで。
お互いがじっくりお話をさせていただき、勇み心にならせていただいたら、もうほとんど御守護いただいたみたいなもんやで。
その為には聞くこと。
つまりは愚痴ることから始まるんやで。
459 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/10/24(土) 07:39:26 ID:DRrQ7b8q
460 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 13:52:37 ID:tsb08Glx
>うちの会長様は優しくてとっても尊敬出来る方ですから。
既にあなたは洗脳された後です。かわいそうに・・・。
461 :
神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 09:46:08 ID:iUnWHpFG
典型的な新興宗教にだまされたひとだ!
今の状態は「縦」が大事だ、いやいや「横」だとかで「上げ下し」が激しいんだろうね。
「人間の身体にたとえて言えば、あげ下しと同じようなもの、あげ下しも念入ったら肉が下るように成る程に。神が心配。」
とは教祖の言葉だが、今更ながら「なるほど」だな。
教団の肉も・・・
縦縦GO!GO!
↓
教勢右肩下がり
↓
横横GO!GO!
まあ大変だな。
組織の盛大のための方法論は埃でしかない、という事に気づいている人はどれほどいるのだろうか。
教祖は、我が身どうなっても助け一条にという心を寄せるために、天理家業の旨みを、今、どんどん減らしているのだと思う。
坊ちゃん坊ちゃん!若っ!若っ!
↓
何だ若じゃなくてバカか!
あげくだしにご用心てか。
464 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 00:54:32 ID:pz8opfXk
>>460 お前の脳内は腐ってるな。
とか書くとまたごちゃごちゃ書くんだろwぷげら
脳内腐ってるより洗脳された方がマシーw
て言うか、嫌ならこんなスレ来なきゃ良いのに。
あ、脳内腐ってるから仕方ないかwぷげら
465 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 12:19:05 ID:ACHByV6I
>>464 貴方は天理教徒ですか。
”脳が腐ってる”とは天理教で云う因縁;身の上と云うことですか。
466 :
神も仏も名無しさん:2009/11/13(金) 13:15:48 ID:SkhROAAp
467 :
神も仏も名無しさん:2009/11/26(木) 14:30:13 ID:wHrZdTa/
いんねんが悪かったから事故にあったのだね。
468 :
神も仏も名無しさん:2009/11/26(木) 18:45:43 ID:E1yNc9Gu
469 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 20:02:13 ID:yGzmCjNR
>>440(長文です)
別府市在住の友人(先輩)からのメールで、先月26日の朝、自社ビルで経営している化粧品販売店に定員が施錠を外し僅かな時間の間に
窃盗犯が入り店員のサイフやカード、保険証を盗まれたそうだ。
その友人は例の安東分教会事件で用地拡幅補償交渉代理を安東分教会と契約し、成功させたら
安東分教会が報酬の支払いを踏み倒す為に除名処分にされ、安東の内部告発から全面的に大分県警察に協力して贈収賄事件を解決に導いた先輩である。
1級建築士で、不動産業も携わっている。
又、マンションやアパート、一戸建て賃貸住宅も経営していて、安東分教会から狙われた事実もある。
(別府に行き先輩の会社を訪問した際に狙われた事実を業務日報で確認した)。
実は、その窃盗犯は何と隣接する天理教会に創価学会の紹介により居住中の刑務所を出たばかりの男であったとの事。
なぜすぐに判明したかといえば、先輩の会社ビルは内外に防犯カメラと分からない様な○型の防犯カメラを設置していて、すぐに判明したらしい。勿論、夜間無人の為、窓やドアーを開けたらけたたましい防犯ベルもある。
(27日未明に逮捕された)
その天理教会の名称はメールに書いてなかったが、少年院出身者を以前から預かり先輩は賃貸者専用の共同温泉も持っていて、教会を抜け出した少年が女風呂の覗きをしたりして付近では、自動車窃盗、住居侵入未遂等を
犯し、鼻つまみ教会であるとのこと。
しかし、さすがにこのたびの容疑者は会長によると「前科5犯(正式には11犯とのこと)で40才で人生の半分以上を少年院や刑務所で過ごした男であるらしいが神の力で何とか助けたいと思って預かっていた」と言い、
先輩も唖然としたらしい。
この事件は、こちらでは掲載されてないが、地元紙に掲載されていてネットでは「大分合同新聞を検索し、2009年11月28日のミニ事件簿」で検索するようにメールにあったので、検索したら
その通りであった。
でも、なぜ天理教が創価学会からそのような男を預かるのか、首をかしげている。
もし、防犯カメラが無かったら恐らく逮捕できていないであろうし、教会を抜出し何をしでかしたか、恐怖に近隣住人はおびえているらしい。
先輩も、盗難現場で店員と鉢合わせにならなくて、ほっとしている。と結んでいた。
470 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 08:41:20 ID:7CRPCbNc
石の塊である「お地蔵さん」を自分以上の存在であると敬える、その心が「神」であり「仏」であるのではないかと思う。
「ひとつのものにはひとつの理」
まずは、その理を感じることから始まるのだろう。
471 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 15:27:25 ID:bVkJopxq
>>469 そのム所帰りの男がいた教会名は、別のネットにより町名が発覚して、教会名も判明しました。
でも、創価学会と繋がりがある教会もあるのですね。
しかし、その教会長は前科11犯の男が天理教の力で立ち直ると思っているとしたら、何と浮世離れした
おめでたい会長だな。
しかし、付近に迷惑をかけた今回逮捕された男や、少年院出身を住まわせ万一付近住人に人身危害を
与えたらどう責任を持つのであろうか。
殺害された場合、「あなたには、家族を殺される因縁があるのです。それは、あなたの前世の行いを
見せられたのです」とでも言いたいが、言えないであろう。
472 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 19:58:01 ID:GSpsm2qc
>>471 > 殺害された場合、「あなたには、家族を殺される因縁があるのです。それは、あなたの前世の行いを
> 見せられたのです」とでも言いたいが、言えないであろう。
言いそうで怖い。
473 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 18:52:45 ID:ghpwZe7k
俺はつくづく“打たれ弱い”人間だなと思う。
ちょっとしたことも、ジメジメ考えたり、それが結構継続するんだよね。
自分でもこんなんじゃダメだと思うのだけど・・・
あっさり考えるってことが余りない。強い口調で注意を受けたときは、その
人を恨んで、『何か悪いことがおきればいい』と真剣に考えてる。妄想だな。
こんな自分がつくづく嫌いだよ。常にマイナス思考でさ。ちょっとしたことも
深く深く考えてしまい、先案じっていうのかな、『こんなことが起こってきた
らどうしよう』『あんなことが起こったら自分はどう対処する?逃げ出したい』
等起こってもないことを妄想しその妄想に振り回されている自分がいるんだ。
病気かな?
みんなは先案じってする?俺はこんな自分を変えたいよ。クソ〜
474 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 22:56:35 ID:wdBjK7WW
>>472 おそらく人身危害があれば天理教は、間違いなく言い訳に言うでしょう。
別府の天理教が、刑務所人生の為に生まれて来たような危ない男を住まわせ、
近隣住人への万一の危害も思考できない程、天理教の厚顔無恥と低レベルは病根が酷いのです。
でも、その窃盗犯、まさか窃盗に入った隣のビルの会社経営者が元安東分教会の信者で、高部から裏切られた以上、
安東高部逮捕に向け、
大分県警察本部に大貢献した人物で、しかも監視カメラが設置してある等、考えたこともなかったし
住んでいた教会長も話題にもしたことはないでしょうね。
475 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 23:00:52 ID:wdBjK7WW
472
追加
>話題とは、安東分教会の卑劣さの話題で、
監視カメラは隣の教会長も知らなかったでしょう。
476 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 23:03:13 ID:wdBjK7WW
475
間違い
474の追加です。
477 :
神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 18:11:08 ID:t7IOJ1c6
>>474 刑務所上がりの者を住まわせること自体理解できない。
他の信者には内緒にしていたのだろうか?
おまけに創価学会からの流れ者とは、そして再犯。
そこまでして、教会の人数を増やしたいのか!
刑務所帰りでも、作家の安倍氏のようになったり、会社社長になったり、政治家になったり、
弁護士になったりしている人物もいるが、40才の人生の半分以上を刑務所暮らしをすると
「職業は刑務所住まいです」と言われても仕方がない。
478 :
神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 11:45:49 ID:IT1MIlDr
それだけノルマ達成しないとひどい目にあうのだろうな。
借金してでも上級への「お供え」をしなくてはならないしきたりがあるぐらいだから。
本島のように、全く徳のない大教会長が仕切っている上級にお供えなんかしてみても
それこそムダ金。
480 :
中山ミキティ:2009/12/27(日) 10:42:45 ID:bwaHtg2l
宗教より自分を信じようぜ
481 :
神も仏も名無しさん:2009/12/28(月) 21:39:50 ID:SyTMgwMq
ボチボチに質問。
もし「心定め」を達成しないと会長はどんなおしこみを喰らうのですか?
本当に天理教の会長なら知っていますよね?教えてください。
もしかして会長というのは嘘と言うことはないですよね?答えられるはずですよね(笑)?
482 :
神も仏も名無しさん:2010/01/05(火) 05:04:03 ID:jaUmwSd6
>>481 :
>ボチボチに質問。
>もし「心定め」を達成しないと会長はどんなおしこみを喰らうのですか?
>本当に天理教の会長なら知っていますよね?教えてください。
天理教に御供達成の心定めといのは有っても、いわゆるノルマは有りません。
心定めは元々人の面と御供に分かれていました
御供の心定めを特に「精神定め」と称していました
勿論精神定め達成の為に、田地田畑を手放した人が居たという事実は有ると思います
しかし
それは、明治から大正の頃、丁度百年位前の話です
それは「道専務」と言って一般の信者から天理教の教会を直接運営する側に移行する課程において
行われた事だと思います
これはお寺さんでも同じ事では無いでしょうか?
仏門に帰依してお坊さんに成る時そのレベルの中で行われたと思います
唯その時期が1000年前とか1200年前では記録や記憶の語り継がれが薄れているのではないか
と、思われます
又、一般に仏門では家族の中で一人で入門するのが多いように思いますが
初期の頃の天理教の教会では家族を挙げて改式する場合が多かったように思います
>>472 詰所で、まあ精神科の身上者とされている男性に髪の毛を引っ張られた女子修養科生がいたが、
そういった場合は決して「あなたは女でありながら髪の毛を引っ張られる因縁があるのです」なんてことは一言も
教養掛の先生らは言わなかったが?
「災難やねえ」としか。
この女子修養科生、とある上級の会長の次女。
一方的に、女性の髪の毛を引っ張った男性を非難することに終始するだけ。
まあ、この女性、殺されたり目玉を繰り抜かれたりしなかったことを感謝しなきゃ。
だって、精神科身上者の男性が天理商店街で缶ビールを飲んでいたのを目撃して、
それを詰所にチクる真似をしたのだから。
上級教会の娘であることを鼻に掛けていた態度が、この自分をしても気に食わなかったぐらいなので、
一応は婦女暴行を行なうのを止めに入ったが、内心のところは、
「こんな女、半殺しにしてやれ (・∀・)ニヤニヤ 」って思えたぐらいなんだもん。
ま、因縁の理法を用いての説教をするぐらいならば、被害者の女性のほうをこそ反省させるべきだね。
>>471 天理教は宗教的に創価学会に劣っているばかりか、
創価学会と裏取引までしているとは随分といい根性をしているんだね?
485 :
神も仏も名無しさん:2010/01/05(火) 07:16:43 ID:EfI73gCb
だからおてんばはまずスレ乱立させれる程のキチガイって自覚を持ち、そっちをきっちりしてから他宗教を叩け。
自分の処理やけじめが出来ない奴に人を説く資格無し。
テメーごときを相手にしてムキになるなんて本当にみっともないねw
487 :
神も仏も名無しさん:2010/01/05(火) 13:57:04 ID:99EphdPG
>>482 > 天理教に御供達成の心定めといのは有っても、いわゆるノルマは有りません。
嘘つけ!本部に各大教会のお供え金のノルマの一覧が張り出されています。
達成できなかったとしても、会長を罷免させられたり、罰を与えられたりすることはありません
しかし立場が悪くなったり、おしこみ(罵倒や嫌みを言われる)を受けたりします。
だから、各大教会はノルマを達成するために必死になってお供えの金を集めます。
会長は必死になって部内の教会から金を出させます。
お供えをたくさんすることが、いいことをしたという間違った考え方になっているのです。
お供えで集めたお金は、幹部の直会費用(宴会の酒代)や天理の巨大建築物の維持建設に当てられています。
決して、ひとだすけのために使われていません。
これは中山みきの教えに反することです。
ノルマは実在します。
それは、お供えの金だけでなく、修養科生の数(つまり新規信者の獲得人数)もあります。
だから、強引な勧誘が行われています。
天理教による子育てサークルや、占いを騙った勧誘は有名です。
前者は「育成会」と名乗って若い子育て世代を狙って勧誘します。
「いい話が聞ける」といって講演会の会場に誘います。
このとき、「天理教」の名前は出しません。
しかし、そのうち天理教の勧誘が始まるのです。
488 :
神も仏も名無しさん:2010/01/05(火) 14:03:28 ID:99EphdPG
>>482 後者は、赤峰分教会の手口です。
占い師に化けて、各地で活動をしているそうです。
運勢が悪いから先生のところに行かないといけないと言って、天理教の施設に連れて行かれます。
そこでしつこい勧誘が行われています。
これについてはおてんば総長さんが詳しいですね。
> 勿論精神定め達成の為に、田地田畑を手放した人が居たという事実は有ると思います
まさに「家をはろうて、田を売りたまえ」ですな。一般の信者が信仰のために不動産を売る必要などないですからね。
そこまでして天理教はお金が欲しいのですね。
> これはお寺さんでも同じ事では無いでしょうか?
同じことではありません。
出家する際に’’’寺へ’’’全財産を寄附させる宗派は具体的に何処ですか?
そんな宗派をきいたことがありません。
少なくとも、真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、創価学会などではありませんが?何か?
天理教では、道専務やすみこみ(教会に住み込んで雑用をする人)になるとき信者に全財産を寄附させます。
こうすることで、天理教から脱会するのを防ぐことが出来ます。
489 :
神も仏も名無しさん:2010/01/05(火) 18:42:40 ID:99EphdPG
>>482 > 又、一般に仏門では家族の中で一人で入門するのが多いように思いますが
> 初期の頃の天理教の教会では家族を挙げて改式する場合が多かったように思います
と書かれているように、仏教と天理教では、出家の仕方が全然違います。
また、仏教は出家するにあたって多額の寄附を伴いません。
結局のところ、天理教は信者の財産目当ての新興宗教と言うことです。
>>485 おっと、しずちゃんでおてんば総長に粘着しているキチガイがキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !
490 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 03:28:00 ID:coyGJ46T
「ご守護」があるという表現を天理教はします。「神のご加護」と言う表現ではありません。
そのご守護を頂く道として、「全財産をお供えしなさい」と言う教理は、現在でも、真顔で説かれていると、それが、天理教の現実です。
真顔で説くと言うのは、本当にそれで「ご守護がある」と、信じている。
ま、脳波がおかしくなっているのでしょうが、長い間の洗脳で説いている人もそうおもいこんでいるのです。
だから、それで救済できるという妄想の持ち主が大教会長クラスにいるので、おたすけの上がらない天理教という、因果関係で、衰退していて、良いことです。
491 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 03:34:57 ID:coyGJ46T
天理教祖は、「貧乏せよ」と説いた。
そして、「難儀しなければ難儀なるものの心分からない」と説いた。
>>1 > 屋敷を売らずにたーすけてぇーやる
屋敷を払えというのが天理の教えではなく、現実に中山家は屋敷を払っていません。
「落ちぶれろ」というのが、救済の上での天理なわけです。
良く、全財産をお供えして天理教になったと、みんな書いていますが、ほとんどが嘘です。
何かの財産は、手元に置いてあったり、親戚や兄弟の管理下に託してあったりです。
或いは、名義変更だけはしないで置くとか、財産出す代わりに死ぬまで面倒見てくれとか、駆け引きと言うか、打算と打算というか。
「打算・ださん・出さん」なのに、「全財産出した」と、そういう自己矛盾が横行しています。
492 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 03:51:08 ID:coyGJ46T
試しに、全財産出したらたすかるかというと、そんな甘いものではありませんが、「出して助かった」という体験者がいて、「出させてたすけた」と言う錯誤者がいるので、現在も、真顔で、「全財産お供えしたらたすかる」と、説く実態があるのです。
全財産のお供えは、「天理」ではなく「無理・理が無い」です。
しなし、金出すと貧乏になると、大変な難儀に陥ります。
ま、難儀に陥るような出し方までしないと、出したことにはならないので、お金出して助かりたい場合には、かなりの出費になります。
お金を出した信者さんは、最初は助けていただいてあり難かったと言うわけですが、それで終わりになりません。
心一つがもの種ですから、心を変えたわけではなくお金出しただけですから、お金出して貧乏になって、それまでより不自由して、いくらか慾は減ったとしてもしれたものです。
次には、お金を出した見返りというものが要求されて、信者としての立場の仲でも、上に上るようになる。
ま、金で買うわけです。
これは、どんな宗教でも当然のことです。
だから、結局は、元の木阿弥。
ご守護でもなんでもない、ただ、ちょっと、匂いをかいで見ただけという天理教です。
つまり、とことん難儀しないと、おやさまの天理には合致しない。
難儀といいますが、好きでやっている人には、アスリートにはそれだけのトレーニングは必要なものです。
研究家にも、世も寝ずに書籍を漁る時間が苦しみではなく、楽しみとしてある。
おやさまが好きでないと、そんな、難儀なんてやってられないと、そういうことです。
たすかりたくて天理教している人は、お金は出しちゃ行けない。
没落してもいけません。
おやさまに縁が無いのです。
おやさまが好きなら、おやさまのように苦労してみたいと思うのが、恋い慕う気持ちというものであり、「好きが因縁」という天理。
山の難儀が好きだから山登りする、そのように、天理が好きな人でないと、因縁が無いのですから、全財産などはもちろん、小銭さえも、出さないで、たすけだけ求めることです。
そういう人には、おやさまは、お金なしでたすけてくださいます。
493 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 04:01:50 ID:coyGJ46T
おやさまを慕うなら、先ず、世間と隔絶することです。
どうしてか、それはおやさまがそうだったからです。
世間から悪く言われることです。
そうそう、親戚縁者からも交際を絶たれることです。
友人知人からも、嫌われることです。
どうしてか。
恋人はおやさまだけ。
だとしたら、世間や友人知人に受け入れられる程度の、お宅ぶりでは、おやさまを隙という事にならない。
「世界の人はおかしがる、なんぼ笑うても、これが第一」
「人の笑いを、神が楽しむ」
人間にとって、没落する怖さは、貧乏よりも、孤独にあります。
その孤独のどん底こそ、おやさまを最も身近に感じられる至福である。
ファンならば誰でも分かることです。
おやさまさえお側にいてくださるのなら、それは、とても最高に幸福なことです。
「難儀の底に、手を打つて待つ」。
恋い慕うなら、手の鳴る方に、どん底に落ちていく事。
天理の醍醐味です。
絶叫マシーンにお金出して乗るよりも、真からの、生存の恐怖、孤独の恐怖を体験できます。
その、楽しみもです。
494 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 04:16:22 ID:coyGJ46T
「覚悟」と書いて、意味は悟りに目覚めると読みます。
おやさまの待つ「難儀の底」。「手を打って待つおやさまの笑顔」。見えますか。
見えない人は、びた一文、財産は出してはいけない。「無理・理が無い」のですから。
非常識という常識の根拠は、「天理」のもに置く。
おやさまは、混ぜごとがお嫌いです。
一筋心がお好きです。
「天理」と言う基準のみに一筋になるという、スリル。楽しいと体感したら、もう病み付きになります。
病気したら、医者に行かないというのも、それも「難儀の底」と言うのと同じで、そんな「無理」はしないことです。
だが、難儀の底に落ちるということには、「もうどうもならん処まで行って見よ、神が働く」という天理を、信じきると言う意味があります。
薬を川に流してしまう。
これは、覚悟としては大切なことです。
それすら出来ない。
してもご守護の無い人は、「無理」を自覚して、真似事のみで、天理教に深入りしないことです。
でも、おやさまは、それでもたすけてくださいますから、無理なんてしてはいけません。
オカルトやカルトは、簡単に踏み込んではいけない道です。
そんなにおやさまが好きですか。
全員から嫌われても、つまはじきされても、難儀しかなくても、おやさまの手の打つほうに行きたいですか。
嘘は、つかないことです。
そこまでする気がないのから、それこそ、しっかり世上で頑張ることです。
おやさまは、しっかりご守護くださいますから。
嘘のある信心。喜びという中身の無い信仰。人に認められたい天理教。それらは、全部天理に反しています。
しないことです。
495 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 05:00:46 ID:coyGJ46T
「全財産」という表現が登場したのは、天理教の先駆的指導者と評価されている「増野鼓雪」先生の著作物にある。
天理教教祖中山みきの口伝等紹介には、
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kunitokoomotari2tu1tugatennori/view/200905 「天保九年十月廿六日、御教祖に神懸があって、中山家の全財産を貰い受けられる約束が、夫善兵衛殿と神様の間に成立した。
神の社である御教祖は、神意の儘に全財産を、世界助けの為に施し給うた。
一家は日に日に衰退し家運は時と共に傾いた。
小寒殿の幼時はこうした間に、一人の兄、二人の姉と共に過された。
物心附かれる頃になって、楽しい遊びから帰った時など、寂れ行く我が家を見て、如何に幼心を痛められた事であろう。
(略)
・・・・・・・・・・・・
史実として、中山家は全財産をなくしてはいない。
増野鼓雪先生の著作は、理の本としては、危うい、文学書として読んだ方が良いのかもしれない。
戦前の天理教の倍化運動の時の教理思想の中心人物が、「全財産を」と表現したことで、その「全財産」と言う言葉が天理教の信仰に、全財産をお供えすると言う異説を撒き散らしてしまったのかもしれない。
一種のアジ、煽りの効果のある言葉が「全財産」だが、これは危険な表現だと、冷静に読み取るべきだ。
496 :
神も仏も名無しさん:2010/01/08(金) 07:03:55 ID:IZ1F3qpL
>基本 ◆XE./kJ00CA
あ、基本さんだ。
天理スレに戻ってくるなんて、政治関係の書き込みには飽きたの?
小沢一郎には愛想をつかせたの?
>現実に中山家は屋敷を払っていません。
確かに…
497 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 12:37:44 ID:coyGJ46T
>>496 > 政治関係の書き込みには飽きたの?
おやさまは、国会では治まらないと、おさしづにあります。
自民党の世論誘導に対して、そのやりすぎに、対応していたと言うこと。
> 小沢一郎には愛想をつかせたの?
愛想つかせたと言うよりも、権力を手に入れて、それで、善になるのか悪なのか、そういう問題です。
国民は国民主権の可能性を知った。
けれど、利権というものは、腐敗を生む。
国会では治まらないと、それはそういう意味だと理解していて、小沢一郎が善なのか悪なのか。
それは、誰でも分かることでしょう。
私は、小沢一郎が、禅譲する相手になるであろう人物について、天理に先ず参拝に行ったと言う一点で、後押ししてあげたという、個人的な事情といえば、そんなものです。
おやさまに、報告にいけると言うことは、良いことだと思うから、それだけのことです。
498 :
神も仏も名無しさん:2010/01/09(土) 10:26:53 ID:Zc0igLCb
>>491 > 良く、全財産をお供えして天理教になったと、みんな書いていますが、ほとんどが嘘です。
そんなことはありません。全財産をお供えさせる教会はたくさんあります。
天理教のイメージ回復のために必死ですね。(゚∀゚)。アヒャ。
> ま、金で買うわけです。
> これは、どんな宗教でも当然のことです。
当然のことではありません。そういうことは天理教をはじめとする悪質な新興宗教にのみ見られます。
一般の宗教では、金で地位を買うことは出来ません。プライスレスなのです。
天理教も地位は金で買うのですね。おーこわいこわい。
499 :
神も仏も名無しさん:2010/01/09(土) 10:50:52 ID:zGjsZX6i
望んで全財産を寄付するって話は聞いた事があるが、天理からは全然聞かないのはなぜ?
信者激小でバイトしてる会長もいるのに。
>>495 >史実として、中山家は全財産をなくしてはいない
ということは、天理教団の論理には何がしかのトリックがあったことになりますね?
しかも稀に見る巧妙で奸智に長けたトリックが。
「泥棒にも三分の理」と申しますが、
これでは「詐欺師には一分の理」といった表現が妥当なものと思われます。
501 :
神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 08:24:45 ID:GrHoRUEk
創価みたいに強制強奪よりマシ。
502 :
神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 11:02:05 ID:o+OD8qut
いずれにせよ、金が目的の草加と天理。
503 :
神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 17:33:15 ID:KMOVsI27
504 :
神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 18:18:45 ID:NVZEgKCX
505 :
神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 23:50:07 ID:zZLZYKTF
ま〜た湧いてきたか屁タレのカラオケ屋
店が暇なら首くくって死ねや老いぼれじじい!!
506 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 05:01:15 ID:IdzG5vc3
おやおや、温かいお言葉で、歓迎ありがとうございます。
店が暇なら、自分がマイク持って歌う時間が確保できるのですが、なかなか私の時間の確保が大変で、カラオケボックスにでも行こうかと、そんな処です。
507 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 05:06:27 ID:IdzG5vc3
498 名前:神も仏も名無しさん :2010/01/09(土) 10:26:53 ID:Zc0igLCb
>>491 >> 良く、全財産をお供えして天理教になったと、みんな書いていますが、ほとんどが嘘です。
> そんなことはありません。全財産をお供えさせる教会はたくさんあります。
そうです。
全財産をお供えさせようと、それでたすけようと、諭す、大教会長さんや分教会長さんは、大勢います。
だから、「全財産」をお供えさせようという、そういう教会は数多くあると思います。
が、それじゃ、信者さんが全財産を出しているかと言うと、類は類を呼ぶと言いますか、「全財産」ですと言いながら、本当に丸ごとの全財産ではなく、色々手元に残してあったりと、
それでいて、全財産出してもたすからんとか、全財産お尽くししたから助かったとか、話がオーバーになって粉飾されているわけです。
508 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 05:16:34 ID:IdzG5vc3
【流れる水も同じこと】逸話篇5戻る
教祖が、梅谷四郎兵衞にお聞かせ下されたお言葉に、
「私は、夢中になっていましたら、『流れる水も同じこと、低い所へ落ち込め、落ち込め。表門構え玄関造りでは救けられん。貧乏せ、貧乏せ。』と、仰っしゃりました。」
と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、諭されましたこの梅谷さんは、低いところに落ち込んだでしょうか。
梅谷さんは、「家業を捨てて」(弟子に仕事を譲ってしまって)、道一条になりました。
全財産を捨てて道一条とでも言いたいところでしょうか。
ところが、生活の為に、家族に「洋家具商」を営ませましたが、失敗して、それで、自分の失敗で、「筆一本が買えず、泣いた」と言うような貧乏をしています。
何の事はない、すべて捨てては、全てではなかった。
こういう先輩が多いので、その後も、似たようなものです。(笑)
509 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 05:29:01 ID:IdzG5vc3
「流れる水」は、低い所に落ち込む。それは天理ですが、
落ち込め落ち込め、「表門構え玄関造りでは人はたすけられん」
「貧乏せ、貧乏せ」
こんな事本気にして、水のように落ち込んでいこうと、梅谷さんは、それをしなかった。
借家に住んでいるのが嫌で、何とか自宅を立てようとした。
その金策には、無尽という、金融の仕組みを作って利用した。
・・・
それが人間なのです。
おやさまはどうして、こんな大変なことを梅谷さんに、諭されたのでしょうか。
梅谷さんの入信の動機は、弟さんの眼病です。
「目」とは、水の神様のご守護の理ですから、水のような心になることが、梅谷さんには必要だったのでしょう。
「目は国常立命さまのご守護の理。国常立命さまのお嫌いな埃は「欲しい」という埃の心。
神様の道において、人を助けたいというのなら、表構えではたすからない。
その意味で、実に厳しい、お諭しに見えます。
でも、そんな厳しいことを要求されるほど、神様からのご期待も大きかったのでしょうね。
人助けたいとしたら、貧乏せよ。
これが天理と言うことです。
510 :
神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 05:41:17 ID:XOJoCALU
「表門構え玄関造りでは人はたすけられん」
表門構え玄関造りではない天理教会を紹介してください。
511 :
黒の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 11:50:18 ID:IdzG5vc3
>>510 だからおやさまは、「家業第一」と教えていて、「里の仙人」になれと言われているのですよね。
どこの教会も、表門構えではなく玄関作りでは無い状態の、初代さんたちで、おたすけして、講となったのが、元です。
それを成果として、「表門構え」を先ず実行したのは「郡山大教会・初代」。
雪崩を打って、初代たちは、山名も、兵神も御殿を立てていきます。
そして、昼から夜へと暗転。
最近では「愛町」も、初代お助け、表門構えなし→ 表門構えあり。
信仰の上での転落の道です。
が、立派な建物見て、或いはお庭を見て、感心したり感動する人の数の方が多いのは、現実です。
そういう人は「賑わい」ではあっても、元を知らない人です。
512 :
黒の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 12:01:01 ID:IdzG5vc3
「表門構え玄関作り」というのは、全く無意味な「箱物」。
教祖は「門屋」に住まいしておたすけされ、大工の伊蔵さまも「門屋」に住まいされた。
門構えを造るのなら、門に住む事だ。
玄関作りにするのなら、玄関に寝起きして、信者さんとともにあることだ。
出入りの場を避けて、信者さんの来ない敷居の高い奥の院にすんで、「ご休息ばかり」するような教会では、人は助からないのが自然だ。
513 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 12:03:42 ID:IdzG5vc3
そうなんですね。
私も、それで失敗しているから、実感として分かります。
玄関口や門屋に寝起きしていないと、人との間に敷居が出来る。
ひながたとは、厳しいものですね。
514 :
神も仏も名無しさん:2010/01/16(土) 03:24:49 ID:gLrnmJMe
そういうのってひながたっていうのかな〜
でも
真柱宅行った事有る?
すげーボロボロやで
あの日本中がバブルの頃
前の真柱の時にお側の人がいくら建て替えを進言しても
頑として首を縦に振らなかった
515 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/16(土) 11:07:42 ID:dSYtDUCZ
>>514 > そういうのってひながたっていうのかな〜
教理研究として、それは、多くの先人・初代においての場面でも、見受けられた光景である事も、心得ていました。
人と人を隔てるものは、「区域」です。
それは、「ここまでは入って良い、悪い」が、人毎に、立場ごとに、階級ごとに分けられる世界です。
門をくぐって、奥まで入らないと会えないとすると、おやさまはとんでもなく高貴かもしれませんが、人とともにはない。
ぢば甘露台が、誰でも直ぐ会える場所にあるように、教会長さんも、そういう隔ての無い場所にいなくてはならない。
その意味では、真柱様も、早く、門の近くに居られる姿に、本部も改善すべきでしょう。
> 真柱宅行った事有る?
> すげーボロボロやで
真柱宅に行くには、本部の内内の人でない立場のものには、「区域」があって、厄介なのですから。(笑)
516 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/16(土) 11:14:40 ID:dSYtDUCZ
門の近くに居られると言うことは、「さらし者状態」に、似ています。
おやさまは、お屋敷にいたら「門屋」で、参詣に来る人に身を晒していた。
奈良監獄署でも、「さらし者」。
普段と変わる事無く、さらし者。
まさに、恐るべしは、中山みき。
517 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/19(火) 22:53:30 ID:bwTar/ab
神に捧げて全財産をなくすという事の意味は、行為としては、中山家はしていない。
又、おやさまのひながたというものにおいて、貧乏せいとはあっても、すべてを捧げなさいではない。
それは、「因縁の納消」と言われる意味に、理解しますが、「因縁切り」であります。
納付して消すというようなものではなく、因果関係を断ち切るという行為に理解すべきものです。
518 :
神も仏も名無しさん:2010/01/20(水) 12:16:00 ID:v3Utt/G+
でも、実際は、高額なお供えを信者に要求している教会長が多い。
教会長とて、本部からノルマが課せられているから仕方なしに、信者から金を必死に集めている。
やはり本部が間違っているのだと思う。
519 :
神も仏も名無しさん:2010/01/22(金) 15:06:39 ID:MtErffm6
基本さんにお聞きしたいのですが、
3625の意味を教えてください。
520 :
神も仏も名無しさん:2010/01/22(金) 16:06:14 ID:tirrJn9m
22の2の5
の意味も教えて下さい。
521 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:05:19 ID:Tq2YhNda
>>519 異端の数理として、以前にどこかに述べてあります。
「ザ掲示板」に要点が述べてありますので紹介、引用します。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1163859118/165- [184]基本。 06/11/30 02:56 YzZH4vz9fw
八島秀雄さんの、自白をご紹介します。
その前に、天地真理さんのようにまだ、「3625」という、異端についての教理の基本を知らない方もいると思いますので、簡単に、説明しておきます。
地場本部で、ひとつの出来事があった時を、1と数え始めて、28年目に、異端・別派の行動が発言すると言う数理を「3625」と基本は、解説しています。
立教(1838年10月){数えて28年目}→(1865年) 助造事件 針が別所本地説。
このように数えますと、不思議なことに、異端は、その数理にて、発現している事が数々あります。
八島秀雄さんが、八島教理の「教典」ともいうべき文書「私の教理勉強」を出版したのは、昭和51年3月26日でした。
天理教教典・昭和24年10月26日公刊。それから、3625の、数理で、28年目は、
{数えて28年目}→昭和51年3月26日、「私の教理勉強」出版でした。
・・・・・・・・・・・・・
もう少し引用します。
522 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:09:35 ID:Tq2YhNda
異端には、偽教祖、偽地場(偽本部)、偽本席、偽真柱、などあります。
偽教祖については、これが異端の悪のひながたですので、お筆先に原型が記録されてあります。
> 「ザ掲示板」に要点が述べてありますので紹介、引用します。
>
http://religion.bbs.thebbs.jp/1163859118/165- [187]基本。 06/11/30 12:48 K./EJ0iSsj
>> 185-186
・・おやさまは、「通らぬ道は道とはいわぬ」と理をお示しになっておられます。
先人は、けしてたくさんの事を覚えようとせず、知ろうとせず、一つ一つを自分で確かめて、一つづつ理を探求されています。
・・3625の数理については、おふでさき注釈では、立教36年目のある月の25日に、お屋敷に、掃除に来たと言う女性二人の記述があります。
戦前においては、「これがひのきしんのはじまり」とまで語られても居ました。
しかし、天地真理さん。
理の一貫性と言うものがあります。
例えば、大工の伊蔵さんがなされたことは、ちゃんと神様は受け取って、受け取ったと言う結果を一貫した理の姿に、示しておられます。
他の、逸話編も皆そうです。
ところが、3625の史実と言うのは、「お屋敷のそうじ」した事を神様が受け取ってはいなかった。
つまり、このとき「異端」が混じりこんだと言う事。
乾ふささんは、伊蔵様とおんなじように、言上の伺いを頂いていたと史実に残されていますが、一人の女性は異端に、乾ふささんも、道を離れてしまわれます。
半身不随のような状態になったとそんな風に、高野先生が書かれています。
この時、後の偽教祖が「お屋敷での奉仕」をしていた事実は、本部は、(山名系)は、隠してしまっています。
なにせ、神殿にて掃除をすれば、たすかると言う教理に使ったのです。
3625のくれ合いに胸の掃除を神がする。
ともかく、偽教祖は大勢登場しました。
逸話編の中にある「種市さん」の奥さんも、偽教祖となり、みなが離れたと記録されています。
その典型的人物ふたりが、この時の二人の女性だったわけですから、3625は、異端を示す数理です。
523 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:19:32 ID:Tq2YhNda
>>521-522 > 「ザ掲示板」に要点が述べてありますので紹介、引用します。
>
http://religion.bbs.thebbs.jp/1163859118/165- [187]基本。 06/11/30 12:48 K./EJ0iSsj なぜそのように、数理されたかと言うと、本物と偽者は区別しずらいので、誰でも見える数の理で、ぽんと、証明できるようなされたのです。
針が別所、水屋敷、茨木基敬、天理本道、二代目教祖井出くに、道徳科学、天命庵(伊藤青年)、八島英雄、本道からの別れの宗派、全てが、3625にて、ぴたりと一致しています事は、以前に詳述しました。
又、金光教、大本教、その他明治時代の新興宗教は、すべて、3625の数理にて、発現しています。
例えば、創価学会は、天理教のお指図にて、国会はいらん、又、政治活動をいましめられた御神言の、あったときから、3628の28年目の数理にて、現在の学会活動の「政治と信仰・王佛みょうごう」を展開しています。
これらは、単に歴史の事実です。
少なくとも、身上お手入れから、教会の掃除したらたすかるというのは、あり得ません。教理として、間違いです。
「ひとたすけたら」「わがみたすかる」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
524 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:24:02 ID:Tq2YhNda
なぜそのように、数理されたかと言うと、本物と偽者は区別しずらいので、誰でも見える数の理で、ぽんと、証明できるようなされたのです。
針が別所、水屋敷、茨木基敬、天理本道、二代目教祖井出くに、道徳科学、天命庵(伊藤青年)、八島英雄、本道からの別れの宗派、全てが、3625にて、ぴたりと一致しています事は、以前に詳述しました。
又、金光教、大本教、その他明治時代の新興宗教は、すべて、3625の数理にて、発現しています。
例えば、創価学会は、天理教のお指図にて、国会はいらん、又、政治活動をいましめられた御神言の、あったときから、3628の28年目の数理にて、現在の学会活動の「政治と信仰・王佛みょうごう」を展開しています。
これらは、単に歴史の事実です。
少なくとも、身上お手入れから、教会の掃除したらたすかるというのは、あり得ません。教理として、間違いです。
「ひとたすけたら」「わがみたすかる」です。
525 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:31:58 ID:Tq2YhNda
>>521-524 引用続いています。
[199]基本。 06/12/01 05:59 YzZH4vz9fw
神様は、「完全無欠」であると言う議論があって、完璧な神様が、弟子たちに背かれていると言う事事態、神様は完璧ではなかったという、証明なのだと言う事に、用いる議論です。
例えば、生神様の教祖が、文久年間に「飯田岩次郎」と言う少年に、「水のさづ」と言う霊力を与えたという、史実があり、その家を、「水屋敷」と名付けた訳ですが、
それなのに、その少年が大人になって、何万にも人を集める水屋敷で、元の屋敷に謀反した。別宗教を作ったわけです。
そしたら、生神様の教祖は、存命の教祖でもありますから、裏切りに気づきもしなかったとなれば、「無能」そのもの。
こういう議論に対して、数理の3625は、それひとつで、「簡易証明書」になってくれています。
批判者は、批判しても、何の罰も当たらないし身に手入れもないから、自分は正しいと、過信してしまう。或いは神は本当は無能なのだと、錯誤するわけです。
でも、実際には、3625の数理の手のひらの上で、さらし者になっているような存在が、異端という事です。
・・簡単な目じるしがあれば、誰でも、客観的に分かるというものです。
・・・・・・・・・・・・・・・
> 1942 真柱訓話集第一巻 1969 八島 「ほんあづま」編集代表に
この、3625について、思案します。
櫟本分署跡保存会によれば、次のように記されています。
『昭和44年2月10日「とうほん」の機関紙として発行される。
No.1 陽気ぐらしのひながた(3)
No.2 陽気ぐらしのひながた(1)
No.3 陽気ぐらしのひながた(2)
No.4 「ほんあづま」として昭和44年5月10日発行』
・・1942 真柱訓話集第一巻 公刊の3625は、1から数えて28年の時に、誕生していると言うことは、
「二代真柱」への、「むほん」と言う、表示になっています。
・・・・・・・・・・・・・・
[200]基本。 06/12/01 06:26 YzZH4vz9fw
・・・理の親信仰を説いた、諸井表統領の事も、3625で、簡単に親神様は、印を打たれています。
・・・・・・・・・
1925 管長就職。教庁職制規定制定。 1952 諸井、「理の親子」教義講習
・・・・
具体的に年表にて史実を確認されれば分かることです。
526 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:39:42 ID:Tq2YhNda
>>519 お屋敷<
神殿を掃除すると言うこと、それは宗教で言う「奉仕」です。
それは「ひのきしん」の教理として、偽装されていて、教会施設などでは住み込み人さんが、掃除したりしています。
その、掃除のことが「ひのきしん」だという、まことしやかな「奉仕の教理」の原型が、
女性としてただ一人「言上の伺い」を頂いていた女性によって、病気の平癒を願う女性によって、階級が生まれていく。
それは、偽教祖の誕生の真の原因です。
ひのきしんとは、神への奉仕として、肉体労働をささげることだと言うような、詭弁が説かれるとき、
上の立場となって、奉仕を受けたいと言う、宗教欲が発生する。
それが、「胸のそうじ」。
異端とは、目的、人を下に敷くためのシステムなのだと、示している数理です。
527 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:47:42 ID:Tq2YhNda
>>519 > 22の2の5
222は、2三が6で、ろくぢと言う数理です。
5は、五分五分と成人したという、数理で、人間は五分五分であると言う数理でもあります。
天保九年陰暦十月二十六日に立教されてから、親神様は、中山家の者に、神一条の開始を命じたことは、信者ならどなたもご承知と思います。
ところが、現実には、史実として、何も具体的な開始はなされていない。
その、神意に、従わなかったのは、「夫善兵衛さま」です。
ここに、222の5の、数理の基本があります。
528 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:53:29 ID:Tq2YhNda
>>518-519 > 3625 > 22の2の5
天理教の目的は、「大社高山取り払い」にあります。
3625 とは、大社因縁の。
22の2の5 とは、高山因縁の。 と、簡単に理解されます。
529 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/23(土) 00:06:28 ID:6B/vH+D7
>>519 お筆先には、三号の147にあります。
「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」
これですね。
先ず、お筆先の前後を参照、考察しておきましょう。
「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」 三号147
「高山の説教聞いて 真実の神の話を聞いて思案せ」 三号148
つまり、「元の親神様のお話」と「高山の説教」との、対決宣言のような内容ですね。
もう一つ、こういう見方も出来ます。
「今の道 埃だらけであるからに ほふけを持ちて掃除ふしたて」 第三号145
「後なるハ 道ハ広くでごもくなし 幾たりなどと連れて通れよ」 第三号146
「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」 三号147
「高山の説教聞いて 真実の神の話を聞いて思案せ」 三号148
このように、セットにしてみますと、
「掃除する→大勢を連れて通れる」→→「教えの説き始め→高山の説教との対決」
と、このように見ますと意味が良く理解できると思います。
530 :
普通の天理教徒:2010/01/23(土) 02:04:23 ID:6B/vH+D7
基本さん。
3625というのは、原典ではお筆先三号にあり、立教36年目の25日の出来事であって、
それは、「神殿奉仕」というような史実に基づいての、「異端の生じる原因」の事だと、
そういう説明で、
「3625」と言うのは、さぶろく18と、にご10と、足して28というのが、異端判定の数理だと、そういう説明が以前にありました。
それは、ひながたの時代には、助造事件、おさしづ時代では又水屋敷事件、茨木事件に見えるとの事でしたね。
立教 天保九年 10月26日 西暦 1838年 12月12日 1年目
助造事件 慶応元年 10月20日 西暦 1865年 12月 7日 27年目中
助造兄弟で、離脱 西暦 1865年 28年目
教会本部地場に 明治21年 7月23日 西暦 1888年 1年目
岩次郎・橋本謀議 明治28年 8月 西暦 1865年 28年目中
伊蔵様、門屋に 明治16年 10月26日後 西暦 1883年 1年目
茨木基敬天啓事件 明治44年 28年目
こんな風なご説明だったと思います。
そして、それが、色々な異端に数理としてはまると言うことでしたが、それでは、22k
2の5というものも、そういう数字として、きちんとはまると言うことでしょうか。
531 :
基本。:2010/01/23(土) 02:20:58 ID:6B/vH+D7
普通の天理教徒さん。そうですね。
「22の2の五つ」と言う数字ですが、先ずひな型においては、夫善兵衛様の問題と言うように、理解するのが基本です。
それは、嘉永六年に、二月二十二日に出直しになっています。66歳です。
この数字の並び、「22の2」の数理として、ろくぢという、二が三つで6という意味に解しています。
ろくぢと言う教えに反していて、掃除されたと言うのが、基本的な見方です。
22年に出直しているという意味では、真柱に欲しいと望まれていて、親が承知しなかったので「迎えとられた」梶本亀造さんの例があります。
立教 天保九年 10月26日 西暦 1838年 12月12日 1年目
梶本亀造の出直し 西暦 1860年 2月20日 22年目 (1859年12月12日〜1860年12月11日 の間)
いずれの場合も、「谷底」に落ちると言うおやさまの方針に対して、各々地方の「高山」として、そむいたと言うことです。
532 :
基本。:2010/01/23(土) 02:41:44 ID:6B/vH+D7
「22の2の五つ」と表記しましたが、これは、「22の2とはろくぢの理が」であり、「五つとはりいふく」です。
「りいふく」と言うのは、神の理が吹くという意味と、神の立腹と言う意味と、いずれにしてもまいた種は生えると言う、「理い吹く」です。
そこで、夫善衛門の場合には、どうであったか、五つの理で見ますと、
立教 天保九年 10月26日 西暦 1838年 12月12日 1年目
「やかた取り払え」の神命 西暦 1843年
「おやさま宮池に身を投げようと・・」 同
つまり、五年目には、おやさまの命に従わないで、おやさまを追い詰めた。
そして、「屋形は取り払われずに、あと十年を要してしまった。」という「立腹事情」があります。
五つ理を吹くの次の位が上がって、十分理を吹く十五日年目に、善兵衛さまは死にまして、それで、母屋はやっと、取り払われます。
「小さな地方の名門・戸長・村役」その高慢心は、
「心得違いは出直しや」でした。
梶本家の長男亀蔵さんの場合には、22年目の2月20日に向かえとられています。
「長男のため親の思いがかかって、・・」
一列兄弟ではない、「高山」、内なる高山を是正していくことが、先ず先行すると言う事です。
533 :
基本。:2010/01/23(土) 02:54:34 ID:6B/vH+D7
立教からの22年の2の理いふく(五つ)事情では、良い方の五つ理を吹くとして、
清水ゆきさんへの帯や許しがあります。
立教22年に、一度帯や許ししますが、疑いの心があって、難産となり、そして二度目には、理が吹いて、きちんとしたご守護があったというひな型です。
22年の事情が二度目には五つ理が吹いたと言う事情です。
教会本部からの22年の2の理いふく(五つ)事情では、天理教の独立があります。
教会本部地場に 明治21年 7月23日 西暦 1888年 1年目
天理教独立奉告祭 明治42年 5月22日 西暦 1909年 22年目
本部22年目の22日に、独立奉告祭が行われたのは「神道本局」での事です。
このように、22と2と5で、数理は思案するのが基本です。
534 :
基本。:2010/01/23(土) 03:00:49 ID:6B/vH+D7
そこで、もっと端的に、22の2の五つについて数理の示しているものを見ますと、
22×2 +5 =49 です。
立教 天保九年 10月26日 西暦 1838年 12月12日 1年目
49年目
教会本部地場に 明治21年 7月23日 西暦 1888年
つまり、3625は、異端の予言。222の5は、本部の予言。でした。
535 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/23(土) 03:51:28 ID:6B/vH+D7
>>534 >49年目 > 教会本部地場に 明治21年 7月23日 西暦 1888年
> つまり、3625は、異端の予言。222の5は、本部の予言。でした。
それでは、本部設立からの 22の2の5の年数はどうでしょうか。
教会本部地場に 明治21年 7月23日 西暦 1888年 1年目1888年7月23日〜1889年7月22日
49年目
天理教会設立50年記念祭 4月25日(1937年) 1936年7月23日〜1937年7月22日
このように、この数理の見立てでは何事も無く「理が吹いている」ように見えます。
しかし、それは、
教会本部地場に 明治21年 7月23日
の史実を、数える元と下からのことです。
教会本部については「教会本部をお屋敷に移転 7月23日」をお屋敷としての数理の元としています。
「神道直轄天理教会設置4月10日」「神道直轄天理教会本部開えん式11月29日」、これらも、意味のあるものです。
基本は、あくまでも、おやさま、地場ですから、「教会本部をお屋敷に移転」と言う「慶事」を用いています。
「五つ、りいふく」。22の2の五つは。「ろくぢ」と「りいふく」。
そして、「高山因縁」。こういう思案が、原典に示された数理で分かると言うことです。
536 :
黒の基本。:2010/01/23(土) 04:00:22 ID:6B/vH+D7
異端だから間違いで、本部だから正しいと、そういう単純なものではない事、見つめておかねばなりません。
>「五つ、りいふく」。22の2の五つは。「ろくぢ」と「りいふく」。
>そして、「高山因縁」。こういう思案が、原典に示された数理で分かると言うことです。
神道天理教会開えん式 明治21年 11月29日 西暦 1888年
49年目
天理教時局委員会発足 昭和12年 8月26日 西暦 1937年
軍事体制に協力する天理教団。こんな悪理が吹いてしまった。
その五つ理を吹く、もともとにあるのは、本部内部の「高山」因縁の悪事。
おやさまは、認可を許さなかったが、
公認さえ得たら、おやさまの教えに従いますと言いながら、それを裏切り続けた50年。
その理が吹いたとき、天理教団は、「元の理」を禁じてしまう。
まさに、大親不孝者の組織と、化して、とふぢん集団になってしまったと、言う事です。
537 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/23(土) 05:47:38 ID:rnpPHUwD
数理では、五十という数理は「いつつ理を吹く」であり、確かに、天理教会公認運動は、「応法の道」の中で、おやさまの神名が「天理王命」様であることすら見失った、まさに、根性なしでした。
神道部属として認可が得られると、もっぱら「宗教家業に精を出して」、自分たちが高山になっているということすら、自覚できなくて、人を導く指導者であろうとして、また、「全財産」を失わせるような天理教を、指導してきてしまった。
これを、散華することは、さんげすることは、よろづ委細を説き聞かすおやさまのために、絶対に必要なことです。
3625の「くれあい」ですから、数をくれあって、掛け算と足し算でした。
22の2の五つにはじめかけ、ですから、「開始」の数理でした。
22の2の五つに、夫善兵衛が「掃除」されて、「屋敷の取り払い」が開始されました。
それは、実は、立教から四十九年で、堂々と「神の話が出来る」開始の予言でした。
22の2の五つに、小寒子さまは、2おいがけでした。
ばくちで負けた秀司。
家業を立て直していく開始となりました。
世界ろくちは、「りいふく」「理を吹く」、放念の世界において、成り立つもの。
家業第一とにおいがけとの、開始されたのは、まさに、十五日、善悪ともにみな現れる時。
理の世界は、こうして、現実の歴史の中に、ひながたとして、お筆先に知らされてあるのです。
鍛冶惣分教会w
539 :
普通の天理教徒:2010/01/24(日) 01:59:53 ID:j3IXDKUl
>>529 > お筆先には、三号の147にあります。
>「二二の二の五つに話しかけ 万づ因縁みな説き聞かす」
これにつきまして、基本さんの説明では、222の5の数理は、本部事情においての始めかけだという数理と言うことですね。
この場合の本部事情と言うのは、「万について皆説き聞かす」と言う意味での、本部事情と言う事で、教会本部の公認や、悪い意味での開始としては「革新時代」にもあてはまると言うことですが、
「万因縁を皆説き聞かす」開始としては、ひな型の時代には、当てはまるものは無いのですか。
22×2+五=49 ですから、ひな型の年数の中では、先にあげた22年というもの以外は無いということでしょうか。
疑問があります。
540 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/24(日) 02:02:14 ID:j3IXDKUl
>>539 普通の天理教徒さん、極めて自然な疑問ですね。
疑問を持たれて当然です。
ひながたの時代にも、同じ数理が無いとすれば、天理の基本としては、おかしいわけですからね。
(2+2+2)×五=30 という数理も自然に出てきます。
立教 天保九年 10月26日 西暦 1838年 12月12日 1年目
すると、222の五つの数理に該当する、30年目というのは、
西暦 1867年 12月12日〜1868年12月11日の期間です。
この時に、本部においての開始としての何があったかということです。
慶応三年7月23日付けで、吉田神祇官領から、認可を受けています。公認されたと言う事で、おつとめの稽古も、堂々と行えるようになった。
公認と言うことの、ひながた時代の出来事でした。
先に述べました22の2の五つ、49では↓、地場に公認天理教会が出来ていた。
ひながた五十年の時代を「実の箱の時代」と基本的には呼びますが、理はまさに一つというこ事ですね。
>>534 立教 天保九年 10月26日 西暦 1838年 12月12日 1年目
49年目
教会本部地場に 明治21年 7月23日 西暦 1888年
541 :
普通の天理教徒:2010/01/24(日) 02:27:03 ID:j3IXDKUl
>>540 基本さんは、そういう風に、数字を組み合わせて、思案するのですか。
すると、222の五と言いますと、普通に思いますのは、単純に2+2+2+五というのも、自然ですが・・。合計で11年と言う数ですね。
これは、どうでしょうか。
542 :
普通の天理教徒:2010/01/24(日) 03:15:20 ID:j3IXDKUl
>>541 > 2+2+2+五というのも、自然ですが・・・
そうですね、普通の天理教徒さん。11年とは、十分始まりの数理です。
立教 天保九年 10月26日 西暦 1838年 12月12日 1年目
これから、11年と言う数は、西暦 1848年12月12日からの12カ月です。
陰暦では、嘉永元年の 11月 17日からの一年が該当するわけです。
年号は、嘉永元年、二年にまたがります。
天理教の年表では、嘉永元年頃の出来事として、「この頃神命により、お針子をとり裁縫を教えられる。」「秀司は読み書きを教える」と、あります。
天理教辞典の年表は、嘉永元年から二年頃のように、またがる形で表記されていますから、11年という数理とみなして間違いないでしょう。
これは、布教の最初と言われるものです。この時のお針子さんから、道はついていきました。
つまり、人を寄せて、教えを伝えると言う原型と言うものです。
11の二倍が22で、222の五は、11という数理でもあると言うことでしょう。
543 :
黒の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/24(日) 12:14:09 ID:j3IXDKUl
22の2の五つ、と言うのは、夫善兵衛さまが神に掃除された、その旬の数字そのものであると言うことを、改めて確認しておきます。
五つとは、五つ理を吹くであり、西暦1853年2月22日に、66歳で出直しになっていますが、
西暦1853年というのは、立教の西暦1838年から数えて十五日、15年という、「十分理を吹く」、つまり、「十分立腹」と言う旬であること、
きちんと確認しておきます。
「おちこめおちこめ貧乏せい」に従わなかった「夫善兵衛]様は、最初の理を吹く旬には、五年目頃、
白羽を抜いて、みきを殺そうとまでした。みきも、自殺を考えた。
そして、それから十年、やはり、「夫善兵衛]様は、心が、「高慢」のために、
落ち込むことが出来なかった。
「貧乏せい」が出来なくて、神から掃除された、それが、「五つ」とは年数の数理、「22の2」は「2月22日」の数理となっていると、
それが、基本と言うことになります。
善兵衛を掃除した、十年前の、1843年頃、立教5年ですが、天理教年表にはこうあります。
「この前後、家族、親族、善兵衛の役友達が、教祖の行為を、気の間違いか、つき物と考えて、元に戻るようにと手を尽くす」
実は、この手を尽くすと言う行為の中には、「宗教」として中山家に祠を造ろうと言うような行動があった。
それは、夫善兵衛が主となって、霊脳のみきを霊媒にしてという、
あたかも、大本教の出口王仁三郎のような立場で、みきを利用して、体裁を整えようとした善兵衛がいたと言うことです。
史実の示す、夫と親族と夫の役友達の、なした事。
黒の本部事情です。
544 :
黒の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/24(日) 12:28:12 ID:j3IXDKUl
>>543 >「おちこめおちこめ貧乏せい」に従わなかった「夫善兵衛]様は、最初の理を吹く旬には、五年目頃、
> 白羽を抜いて、みきを殺そうとまでした。みきも、自殺を考えた。
> 史実の示す、夫と親族と夫の役友達の、なした事。
> 「宗教」として中山家に祠を造ろうと言うような行動があった。
> 黒の本部事情です。
そこで、「貧乏せい」との神意は、厳しき具体的になり、「この屋形取り払え」と、善兵衛に命じたのが、親神様です。
「貧乏せい」は実行せずに、「みき」の霊力、を利用しての宗教家業を試み、その中心に戸主として君臨する構図。
まさに、「高山因縁」。
村役たちも加担していた。親族も・・が、言う事を聞かぬ中山みき。
煙でいぶし、指を棒に挟んで痛めつけて、その指が曲がらなくなると言う拷問をした。
それは、官憲が奈良監獄所で真冬に水をぶっ掛けたと言うものと、まるで同質の、「高山因縁」。
十年後にも、母屋の取り払いに反対し続けて、それで、神の掃除で「出直し」したと言うのが、最も大切な、黒の基本です。
>>528 528 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/22(金) 22:53:29 ID:Tq2YhNda
> 3625 > 22の2の5
天理教の目的は、「大社高山取り払い」にあります。
3625 とは、大社因縁の。
22の2の5 とは、高山因縁の。 と、簡単に理解されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この、高山因縁こそ、天理教団にとって、内なるとふじんの掃除において、必ず、切るべき悪因縁と言うこと。
ひながたです。
おつとめで、222と立って踊る、真のろくぢが、教団の中にきちんとなくば、神は掃除するしかない。
黒の基本です。
545 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/24(日) 12:34:39 ID:j3IXDKUl
>>543-544 そうでしたね、黒の基本さん。ありがとう。
つい、手心を加えて、普通の天理教徒さんのような甘い表現をしてしまって、・・
数理の深刻さをきちんと語らなかったこと、反省します。
542 名前:普通の天理教徒 :2010/01/24(日) 03:15:20 ID:j3IXDKUl
>>542 > この時のお針子さんから、道はついていきました。
・・・・・・・・・・・・・
このな、高野友治先生のような、良いお話につい走るようでは、222の五つの数理の基本として、不適切と言うこと。
反省し、
「基本」のして、さんげします。
546 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/24(日) 12:57:59 ID:j3IXDKUl
>>534 > 22×2 +5 =49 です。
> 立教 天保九年 10月26日 西暦 1838年 12月12日 1年目
> 49年目
> 教会本部地場に 明治21年 7月23日 西暦 1888年
このように、計算して出る数の49の数理が、「はじめかけ」であると言うことは前に述べてありますが、
善兵衛様の出直しのように、直接的に22の2と言う日時の数理と言うものがあります。
原典・おさしづを参照します。 先ず222の5の基本的実例です。
明治二十年二月二十四日(陰暦二月二日)午後七時
御諭
さあ/\分からん/\、何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。二十五年不足、どうであろう。これも分からん。
どうしても、こうしても、すうきり分からん。故に二十五年を縮め、たすけを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均らしに出た。
神でのうてこの自由自在は出けようまい。止めるに止められまい。神は一寸も違うた事は言わん。
よう聞き分けてくれ。これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、皆楽しみばかり。楽しみや。よう聞き分け。追々刻限話をする。
・・・・・・・・・・・・
「実の箱時代の出来事」ですので、陰暦で数を見ます。
立教50年、五つという旬の、陰暦明治20年2月2日。です。
547 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/24(日) 13:02:56 ID:j3IXDKUl
>>546 > 原典・おさしづを参照します。 先ず222の5の基本的実例です。
> 明治二十年二月二十四日(陰暦二月二日)午後七時
> 立教50年、五つという旬の、陰暦明治20年2月2日。です
22の2の五つの数理の実例をおさしづに参照、引用します。
明治二十年二月二十五日(陰暦二月三日)午後七時
御諭
第一をびやたすけ、さあ三日目三粒を三つ、三三九つを百層倍。
これをかんろうだいへ供え、本づとめをして、元のぢばなる事を伝え、をびや許しを出す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
22の2の五つの数理は、「おびや」から「元のぢばなる事を伝え」、と指図されています。
基本的な、理の実例として大切なものです。
548 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/24(日) 13:09:03 ID:j3IXDKUl
基本。さんの優しい数理の基本も、再掲しておきます。
533 :基本。:2010/01/23(土) 02:54:34 ID:6B/vH+D7
立教からの22年の2の理いふく(五つ)事情では、良い方の五つ理を吹くとして、
清水ゆきさんへの帯や許しがあります。
立教22年に、一度帯や許ししますが、疑いの心があって、難産となり、そして二度目には、理が吹いて、きちんとしたご守護があったというひな型です。
22年の事情が二度目には五つ理が吹いたと言う事情です。
・・・・・・・・・・・・・・・・
おびや許しの始めは、安政一年です。それから五つ理を吹くの五年目の「清水ゆきさん」への「帯屋の許し」。
222の五つの理とは、人間の始まりという、生命の誕生と言う「世界ろくぢ」の因縁事情です。
五分五分と生まれ、222と、人間は始まりの元の理。
甘露台は「六角」です。
549 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/24(日) 13:18:57 ID:j3IXDKUl
>>546-548 明治二十二年二月二十五日(陰暦正月二十六日)
中山たまへ身上御障りに付伺
さあ/\一寸障りどういう事と思う、余の儀外の儀でない。何かの処、そば一つの理、どちらから眺めても成程と、成程の理に育てにゃならん。
一日の日の処、一日の日先々何から事情を諭する処、一年一日どういう事、
一つ/\の理を、そば/\何かの順序も育てにゃならん。
一日の日よりいかなる理を吹く。
一年二年三年後々一つ事情思案は、これまでの理である。
世界が第一、一つの事情、内々第一、一つの事情眺めるから事情ある。
育て一つの事情、成程の事情分かり来る。
聞くも一つの理、育てるが第一、年々の処の理を見よ。
さっぱりどうなるぞと、成程の理も鮮やかであろう。
子供たりといえども一つの理、日々の処の理を以て育て。
言葉一つの理によって、何か一つの理を聞いて一つの理が治まるで。
育てる一つの理が第一、聞くに一つの事情あれば、皆これ映り来る。
大きい一つ、大きい育てば一つの心、成程の理が治まる。
一つの理は一つの心、一つの諭し皆一つの心という。
曇らば曇れ、晴れば晴れ、成程の思案を定め。
一日一つ/\の理を治め。一つ/\の事を定めという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陰暦では正月二十六日。陽暦では明治二十二年二月二十五日
育てる。子供を育てる。これもまた、世界一列のへだてなき因縁事情です。
おやさまは、このように、原典において、きちんと数理にて厳密な教えとしての天理を示しておられます。
550 :
黒の基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/24(日) 13:27:58 ID:j3IXDKUl
ご母堂様と言われる「中山たまえ様」は、お屋敷においては、「本部青年・女子青年・婦人」に対して、
「男は男衆、女は女衆であれ」との意を仕込んだと、語り伝えられています。
女性の場合「おなごし」という表記が適当でしょうか。
つまり、身分制度を持ち込んでわが子中山正善真柱を、守る形を作られたと言う事です。
>>549 おやさまは、「陰暦の正月二十六日」という、「陰暦」にて知らせています。
これは、つまり、「夜」の理であり、
たまえ様が、「夜」の始まりなのだと、数理で示しています。
本来は「昼」のはずなのに、「夜昼の理」の間違いがお屋敷にあるという、
「たまえ様」を育てる中でも、身分としての「ご母堂様」、「奥様」。
そういう育て方をされてしまった。
それが、本部内に「高山因縁」を持ち込んでいることは、この明治22年時点で、親神様は見抜いておられたと言うことが、
黒の基本です。
551 :
基本。:2010/01/24(日) 13:42:21 ID:j3IXDKUl
黒の基本さん。
それは、本部青年をしていたり本部婦人をしていた人たちの言うならば、「不足話」の世界に似ていますよ。
黒の基本さんの説を否定はしませんが、たまえさんの真意を勝手に誤解して、
「俺たちは下僕だ」「私たちは下男下女」だと勝手にでっち上げた人たちが、
各直属教会長となって、つまり大教会長となって、「住み込みさん」「青年さん」を、奴隷のように、下男下女のように扱ったと、
そういう、「理の親信仰の人たち」の言い訳に、「ご本部もそうだから」と、「たまえ様の悪例として、語られて、
現在に伝わっていると言う事なのではないですか。
552 :
黒の基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/24(日) 13:47:41 ID:j3IXDKUl
基本。さん、行き過ぎたら、ごめんなさい。
けれど、お言葉では、
>>549 > 言葉一つの理によって、何か一つの理を聞いて一つの理が治まるで。
> 育てる一つの理が第一、聞くに一つの事情あれば、皆これ映り来る
と、あります。
ご母堂様が出した言葉で、「理の親信仰・身分制度」を聞いてしまって、
大教会、分教会の狭い道を作ったとしたら、それは、理が映ったすがた。
やはり、このお屋敷事情は、さんげすべて、と、黒の基本は指摘するのが、黒の基本です。
553 :
神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 16:27:53 ID:3YESqZqs
初代、二代の真柱も含めて、たまえさんの周辺も、同胞を下男下女扱いした、
とんでもない大社高山因縁を積んでしまったという事になるんでしょうね。
真柱周辺に権力が薄れた昨今、三代と現真柱周辺の方がまだマシになりつつある
という事なんでしょうか?
554 :
基本。:2010/01/24(日) 23:09:28 ID:j3IXDKUl
内容:
>>553 たましいの因縁というものを重視し、それで権威付けをした取り巻きの幹部達がいた。
お筆先に言う「そば」「そばな者」です。
魂の因縁については、別スレで述べてありますが、『深谷忠政著「教理研究」元の理 その批判」引用します。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/ 27 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/18(月) 02:06:03 ID:ZArFydKn
・・
(1) 教祖様 当時八十四歳 いざなみ
(2) 前川菊太郎様 当時十六歳 いざなぎ
(3) たまひめ様 当年より三十年後に誕生 くにさつち
(4) 秀司様 当年六十一歳 つきよみ
(5) たまへ様 当年五歳 くもよみ
(6) 飯降政甚様 当時八歳 かしこね
(7) マツエ様 当時三十二歳 たいしょくてん
(8) 真之亮様 当時十六歳 をふとのべ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おやさまは、「たすけ一条の道をすすめられた」。
これは、間違っていない。
しかし、「前川菊太郎」は「前橋事件」を起こした、当事者で、成人しては後、謀反に加担している。
「たまひめ様」は、「小寒様」の生まれ変わりであるので、「たすけ一条をすすめられた」。
「秀司先生」は、おやさまのいいつけに従わないと言う面が「応法」としての道であり、「たすけ一条」をすすめられたと、簡単に言い切るには、説明がなさすぎる。
「たまへ様」は、お屋敷の女主人として、上下の身分関係をお屋敷内部に厳しく強いた人であり、たすけ一条
進めたと言えるのか、これも判断が難しい。
「飯降政甚様」は、まじめに仕事せず、道楽と散財の人で、たすけ一条を進めたという判定は、無理だと思う。
「マツエ様」は、おやさまから、「こじまつにするとこじまつになる」と叱られた方で、信者の邪魔を多くしたことで知られているし、応法の道を秀司と共に実践した意味でも、たすけ一条を進められたとは、言いがたい。
・・・・・・・・・・・・・・
教団教理そのものがおやさまの教えに外れていたと言うのは、そばな者の高山因縁、心の空虚が原因だと思います。
555 :
基本。:2010/01/24(日) 23:21:05 ID:j3IXDKUl
>>553 > 真柱周辺に権力が薄れた昨今、
> 三代と現真柱周辺の方がまだマシになりつつある という事なんでしょうか?
神輿の上の人物ではなく、神輿を担いでいる人物である「そばな者」が問題です。
まだましになっていると言うのは、幻想です。
「本部の内にいて、私たちには何も出来ない。」
神輿に担がれている側の、立場ある人の語られた言葉です。
しばらく以前には、真柱様の講話でもも天理教のマスコミは、一部を必ず削除していました。
「理の親信仰否定の内容部分」とか、「おやさまは天理王命の名である」とか、
山名系の教理思想と相容れない部分は、検閲があるかのごとく、一般公開用には削除されていました。
それが、今では改善されるほど、天理について彼らは学んでいるでしょうか。
疑問です。
元の親神様なんて、怖くもなんとも無い、そういう輩の掃除は神がするのですが、
そのためには、天理の何たるかが、周知されないと、神は働けない。
「何にても知らぬ間は、そのままや」の状態であり、理について、もっと知らされていかねばならないと思います。
556 :
普通の天理教徒。:2010/01/24(日) 23:26:57 ID:j3IXDKUl
基本さん。
ちょっとした疑問ですが、
>>549 明治二十二年二月二十五日(陰暦正月二十六日)
中山たまへ身上御障りに付伺
これは、222の五よりも、もう一つ2が多くて、2222の五の数理となっていますが、
それには、何か意味があるのでしょうか。
557 :
黒の基本:2010/01/24(日) 23:39:24 ID:j3IXDKUl
それは、222というのは、六台。
2222と言うのは、
>>554 勤めの人衆の理で八人。
後は、ご自分で悟られたら良いと思います。
それよりも普通の天理教徒さん、問題のおさしづ本文の意味を読むべきです。
一日の日の処、一日の日先々何から事情を諭する処、一年一日どういう事、
一つ/\の理を、そば/\何かの順序も育てにゃならん。
ここに、「そばそば」と、ご指名で、おさしづがあります。
そして「何かの順序も育てにゃならん」とあります。
そして、「順序」というものが、『本部→上級→部下』という階級の順番だと、
「そばそば」は、おさしづとは、全く逆転した「理の間違い」をしたと言うこと。
この方が、深刻な問題です。
558 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/24(日) 23:55:32 ID:j3IXDKUl
>>556-557 そうですね。基本をきちんと申し上げておかねばなりません。
『 明治二十二年二月二十五日(陰暦正月二十六日)
中山たまへ身上御障りに付伺 』
身上さわりと言うのは、心得違いがあるので「障り」がでると理解するのが、基本です。
『さあ/\一寸障りどういう事と思う、余の儀外の儀でない。』
この病気は、「余儀ない事情ではない」といういみを示しています。
「余儀ない事情」と言えば、絶対にそうするしかないと言う事ですから、そうではなく、心一つで解決する事情だと言う意味です。
つまり、「たまえ様の神の道具としての使命」だとすると「余儀ない事情」と言う事になりますが、そうではないということです。
『なにかの処、そばひとつの理』
この障りは、どんなところが間違ってると言う知らせかと言うと「そばひとつの理」についての「障り」である。
(続きます)
559 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/25(月) 01:52:13 ID:T0UlEqys
『どちらから眺めても成程と、成程の理に育てにゃならん。 』
上から見ても下から見ても、中から見ても外から見ても成る程天理だと、眺めて分かるように、育てなくてはいけない。
『一日の日の処、一日の日先々何から事情を諭する処、一年一日どういう事、
一つ/\の理を、そば/\何かの順序も育てにゃならん。 』
一日の日の処とは、元一日をはじめた所、つまり、地場・お屋敷の事。
一日の日先々何から事情を諭する処とは、このよろづ因縁を説き明かし、どんなことから事情がおきるかという因縁を、予め諭す地場・お屋敷と言うところです。
一年一日どういう事とは、三日通っても三年、三年通っても三日と言う天理が、どういうことかといえば、心の理と言う事です。
一つ/\の理を、そば/\何かの順序も育てにゃならん。とは、一つ一つの成人に応じての理を、側そばの者が、それが何かと、成人の順序に応じて、育てなければならないと、言う事です。
(続きます)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、この身上はそれぞれに関係のない話題ではなく、お屋敷にいる、おやさまの側そばの者たちの心得違いのための病気である。と、言う事。
自分達から見て、立派な育て方と言うのではなく、上から見ても下から見ても、遠く世界から眺めても、成る程天理だというように、すべきであること。
そして、このお屋敷にて、一年通っても一日通った事にしかならないような事にならないように、
側側の者たちへの「指図である」と、ここまで、そういう内容です。
一日の日よりいかなる理を吹く。
560 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/25(月) 01:58:37 ID:T0UlEqys
『一日の日よりいかなる理を吹く。』
いかなるとは、「いかなる難」という意味と「いかなるじゆうよう」と言う意味の二つがあります。
理を吹くというのは、「五つ理を吹く」、つまり、「利い吹く」か「立腹」かという、
良き理があれば、「自由(じゅうよう)の守護の理が吹く」。
悪しき理があれば、「神の残念のりいふく」。
それは、今教える「一日の日」からの道にあると言うことです。
(続きます)
561 :
黒の基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/25(月) 02:31:01 ID:T0UlEqys
>>560 >『一日の日よりいかなる理を吹く。』
これは数理で言いますと、この日、明治二十二年2月22日より、五年後にどうなってるのかと、
そういう意味です。
「この話を聞いた一日より、五年後の五つ理を吹くではどうなっているか。」と翻訳してしまいます。
五年後の、明治二十七年には、こんなおさしづがあります。
濁りと掃除と言う理のおさしづです。
明治二十七年二月十日(陰暦正月五日)
本席御身上の願
さあ/\届かん日を待ってる/\/\。待って居るから身上も届かん。届かん日を待って身上も届かん。
頼りではあろうまい。変わりた話、さあ/\言うまでやない。
これまで言葉一つの理でした事は皆出来てある。こうと言うたら皆ちゃんと出来て来る。なれど、どうもならん。
ほっと濁り掛けたらどうもならん。どうでもこうでも澄まさにゃならん。濁り掛けたら加減が変わる。
日々言うた事は出来んやない。
なれど、濁りたらすっきりした事は出来ん。どっさり濁りたらどうも通れん。
濁りたらいずれ/\洗わにゃならん、澄まさにゃならん。
どんと捨て置いたる事情、どうでも掛からにゃならん。
濁りた。洗濯々々十分乾かし、皺の寄りたる処も伸ばし、すっきり掃除せにゃならん。・・・・・
「そばそばの者」は、濁ったと言う五年間でした。
黒の基本です。
562 :
黒の基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/25(月) 02:44:15 ID:T0UlEqys
>>561 > 「この話を聞いた一日より、五年後の五つ理を吹くではどうなっているか。」
> 濁りたらいずれ/\洗わにゃならん、澄まさにゃならん。
つまり、2222の五つにはじめかけられた「そばそばの者」の悪因縁事情は、五つ理を吹く旬の五日の理・五年後には、お屋敷に濁りを、濁りかけた姿をもたらす結果となっていました。
具体的には、神道本局から天下り人事があって、これを受け入れた。
そばそばの者が神の道を外した結果として、お屋敷に支配人が入り込んだわけです。
明治二十七年一月二十一日
篠森乗人の事に付願
さあ/\尋ねる処/\、だん/\事情といえど、
そらこうもせにゃなろうまいか/\そら思う。
よう聞き分け。これさしづという理、どういう理に思うて居る。
尋ねたらそこえ/\さしづしてある。
どんな事もさしづ以て善運ぶなら、いかなる日も楽しみ。
なれど人間同志運んでやった事情は先々分からん。
めん/\苦しみ、傍傍も苦します理にならせんか。
これから先は尚々事情よう聞き分け。
草生いの中から今日の日なら、神の道、神一条分からにゃならん。
先々よく/\聞き分け善き善き理治めにゃなろまい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、神の立腹と言う、2222の五つ。の五年後は、惨状を呈しています。
563 :
黒の基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/25(月) 02:48:40 ID:T0UlEqys
>>561-562 明治二十七年一月二十二日 午後一時二十分
本席御身上願
さあ/\これ一寸朝起きる。くれ/\と身の処事情出来る。
どういう事、少々事情ぐらいなら何でもあろまい。よう事情聞いて置け。
些かなるものがどうなる、大きものがどうなる。この二つの理が難しい。
難しい取ればどのくらい難しいと思う。どんな事も談じてくれにゃならん。
談示という、抜け目の無いよう、もう何時や何時や、夜が更けるというような事では何ぼ寄っても何もならん。
皆一つの心寄せたら、直きにこの場で治まるものや。
霧の中、雨の中、風の中に置いたるようなものや。
晴天という、晴天も一夜の間にどんな事に変わるとも分からん。
あちらから一寸持って付け、こちらから引っ付ける。
これは雨が降れば一寸、風が吹けば一寸むくれる。
これ/\めん/\の事という理を思えば、引き付けるような事してはならん。
性根という性根の無きもの、何ぼ聞かしても何にもならん。
答の無き所へ持って行た処が何にもならん。
そこからくれっとむくれる。
心に一つ事情思わずして逼い続けるも同じ事、思てする事情は大変とも言う。
事情諭し掛けたら、出掛けには後も向う向けるやろ。
なれど、戦場へ出たなら、後向く事も出けん。
今日はどうと一つの心定めるより仕様が無い。
朝という夜が明けたら事情と言う。
人々つかえてある。言わず語らず、御膳はもむないながらにも、常に変わらんように喰べて居る。
これがほんまに喰べられんようになりたら、どうするぞ。
今日の晴天明日の雨風分かろまい。
何程心に尽そと思ても、身が動かれねばどうもならん。
今の鮮やか知れようまい。これ一つよく聞き取ってくれるがよい
564 :
黒の基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/25(月) 03:20:47 ID:T0UlEqys
>>561 2222の五。この時のたまえ様を台としての、おさしづは、その五年後の、「濁り」を予言するものでした。そして、五十年後の「りいふく」をも予言されていたと言う事、心得ておきましょう。
>>564 > なれど、戦場へ出たなら、後向く事も出けん。
このおさしづは、軍事態勢に協力していく、天理教団そのものを予言していました。
神道本局の高官を招きいれて、うまいことやろうという、その悪事、濁り。
それこそが、「側そばの因縁」、「お側用人の因縁」「そばなるハ仕事ばかりを思うている」とお筆先にてご指摘の、今で言う官僚的本部員。
平時には、教団の利益になると、癒着する幹部たち、だが、平時なら、うまく逃げも打てますが、
それなら、「戦争に出たら」と、予言をされたのは、おやさま。私たちの、おや。見抜き見通しの親神様でした。
2222の五つ。それは西暦1889年。五つ理を吹くの数理の50年後には、どんな事態となっていたか。
予言的中。悲しい現実。それは、1939年。
1月1日 元旦祭 かぐらつとめのお面を用いず。
4月1日 よろづよ八首・三下り目・五下り目は、禁止。
8月26日 天理教興亜局を創設。戦争協力体制強化。
12月1日 おふでさき引用の自粛を指示。
ああ、この2222の五の理の、五つ理を吹く結果は、五つの数理の五十年後に判然と見えてしまいます。
この年、1938年。教会本部は、おふでさきとおさしづを回収しています。戦場に出たら、後ろは向けない。哀れな教団の姿。
> なれど、戦場へ出たなら、後向く事も出けん。
見抜き見通しの親神様の、おさしづは、これを、予言されていたと言うこと。2222の数理の、黒の基本です。
565 :
基本。:2010/01/25(月) 03:50:19 ID:T0UlEqys
そうなのです。
『一日の日よりいかなる理を吹く。』
このおさしづは、
五つ理を吹くである五年後には神道本局員の天下り受け入れを予言していて、
その時には、これを受け入れたら、「戦争」になったら、後戻りできないぞと、本席さまの身上にて警告を受けていて、
それでも、五つ理を吹くの、一位上の五〇年後には、本当に戦争協力で、おつとめのお面も、おつとめそのものも禁止禁止、原典も没収。
神の理とは、本当に、見事としかいえない、天の配慮が、親心に満ちています。
おさしづのお言葉には、無意味に語られているお言葉は一つも無い。
明『一日の日よりいかなる理を吹く。』 治政府の宗教政策に擦り寄って、癒着し、甘い汁を吸おうと言うような、些細な埃が、
それが、「戦時」となったら、もう甘い汁どころではない。
この現実は、おやさま以外に、何一つ頼るものは無いという、安心立命を教えてくださっています。
親神様が、見抜き見通しであると言うことを、お互い覚悟して、天理を語りましょう。
(続きです)
『一年二年三年後々一つ事情思案は、これまでの理である。』
一年二年三年後々とは、一年後二年後三年後四年後五年後と、五つの理を示していて、それは、位が上がる事もありえますから、123後後となっています。
又、一年二年三年後々とは、最初の三年のあとあとの事情と言う意味も含めています。
一つ事情思案はとは、「一つ始まり」ですから、始まりの事情として、と言う意味。
これまでの理とは、おやさまのひな型の道の事です。
・・・・・・・・・・・・・・・・
1885年5月23日、神道直轄六等教会設置許可。
これから、1年後、1856年、神道本局部長代の古川ら、視察。調査。
これから、2年後、1857年、扉を開く。
これから、3年後、1858年、神道直轄天理教会設置。
です。
566 :
基本。:2010/01/25(月) 04:08:36 ID:T0UlEqys
>>565 (続きです)
> 1885年5月23日、神道直轄六等教会設置許可。
> これから、1年後、1856年、神道本局部長代の古川ら、視察。調査。
> これから、2年後、1857年、扉を開く。
> これから、3年後、1858年、神道直轄天理教会設置。
この三年の後々の事情として、神道本局との癒着、そして独立、そして戦争協力へという流れを呼び込んだのは、ろくぢの地場として、育てると言うことに、誠真実がなかったと、そういう姿が、明治22年にはもう発生していたと言うことです。
「そばな者」の悪しきこそ、掃除すべき高山因縁そのものだと思います。
『世界が第一、一つの事情、内々第一、一つの事情眺めるから事情ある。
育て一つの事情、成程の事情分かり来る。 』
世界が第一、とは、「よろづよの世界一列みはらせど」とお筆先にありますように、
世界が第一なのです。
それで、世界が第一、一つの事情とは、「よろづよの世界一列をたすけたい」という第一番の事情から、「一つはじまり」で、はじめたと言う事情です。
それは、1884年梅谷四郎兵衛先生が、天りん王社を設立し、公認運動した時を1として、五年後には、
明治22年五月には、神道本局三等教会に昇格していますが、その事情を指し示しています。
567 :
基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/25(月) 12:38:32 ID:oAIRROPu
(続きです)
『世界が第一、一つの事情、内内第一、一つの事情眺めるから事情ある』
『成程の事情、眺めるから事情ある。』
育て一つの事情。成る程の事情分かり来る。』
この箇所、分かりやすく再掲しました。
眺めるから事情ある。とは、眺めておられるのは、私たちのおやさま、中山みき様。天理王命さまです。
「世界一列みはらせど」と、「見晴らす」をしておられるのは、ただお一人。
お優しいおやさま。
おやさまは、世界一列をたすけたいと見はらしておられる。眺めておられる。
そこで、心どうりに事情を見せてくださいます。
「育て一つの事情」
これは、人間の親里として、育てると言う事情の事だよという事です。
「成る程の事情」
これは、育て方一つで、どのようになるのか、「成る程そうであったのか」という、おやが子供に得心させる事情のことです。
「分かり来る」
分かる日が来る。分かるようになると。言うことです。
568 :
白の基本。:2010/01/27(水) 01:41:34 ID:zOBr4Vk1
基本さん。「見晴らしておられるおやさまがおられる」。
その事で、絶対に忘れてはならない、222の五つの数理と言うものがありますよね。
それは、「扉」を開かれたのは、222の5は、22×2+5は、49の数理について、おやさま直々の、数理のお言葉があります。
道の者なら、絶対に、分かれることの無いあのお言葉です。
明治二十年二月十七日(陰暦正月二十五日)夜
教祖の身上御障りに付、いかゞと飯降伊蔵により願
さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで。
さあ/\扉を開いて/\、一列ろくぢ。さあろくぢに踏み出す。
さあ/\扉を開いて地を均らそうか、扉を閉まりて地を均らそうか/\。
一同より「扉を開いてろくぢに均らし下されたい」と答う。
(伺いの扇この時開く。)
成る立てやい、どういう立てやい。
いずれ/\/\引き寄せ、どういう事も引き寄せ、何でも彼でも引き寄せる中、
一列に扉を開く/\/\/\。
ころりと変わるで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治20年陰暦、12月25日。222の5、数理の刻限。おやさまは、扉を開いてくださいました。
569 :
白の基本。:2010/01/27(水) 02:51:20 ID:zOBr4Vk1
>>568 >明治20年陰暦、12月25日。222の5、数理の刻限。おやさまは、扉を開いてくださいました。
陰暦と言うのは、基本的にはおやさまの「実の箱」時代の暦と言うことです。
そして、 陰暦・陽暦のつなぎめ、「実の箱時代」と「扉開いて時代」のつなぎめの、両方の222の五つ、このお言葉です。
明治二十年二月二十四日(陰暦二月二日)午後七時 御諭
さあ/\分からん/\、何にも分からん。
百十五才、九十才、これも分からん。
二十五年不足、どうであろう。これも分からん。
どうしても、こうしても、すうきり分からん。
故に二十五年を縮め、たすけを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均らしに出た。
神でのうてこの自由自在は出けようまい。止めるに止められまい。
神は一寸も違うた事は言わん。 よう聞き分けてくれ。
これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、皆楽しみばかり。
楽しみや。よう聞き分け。 追々刻限話をする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
旧暦では、五つ時とは午後七時から午後九時までです。 暦については↓、参照下さい。
http://www.viva-edo.com/toki.html この扉開く事情の時に、これまでの道、四十九年と神様は仰せになっています。
おやさまが、扉開かれるまでの数理は、222の5の数理、22×2+5 49とは神のお示し。
夫善兵衛様は、立教から、15年、2月5日の、222の5。に姿を隠された。
基本さん。見えた姿は夫の無理解ですが、でも、ご夫婦そろうての、222の5、でした。
合掌。
570 :
白の基本。:2010/01/27(水) 03:00:28 ID:zOBr4Vk1
>>568-569 おやさまが、扉を開かれたのは、222の五つの刻限において、その理が明かされています。
そして、その扉を開く直前のお言葉の中に、「四十九年」という実数が、神様の口から直接に語られています。
基本さん。
『六ヶ敷き事』と、あなたが解説された、あのお言葉の中で、おやさまが『実数』を数えて、お諭し下されていて、理と理と理の詰まりきった、お言葉となっています。
571 :
基本。:2010/01/27(水) 03:35:41 ID:zOBr4Vk1
そうでした。
おやさま自らが、道の年数をきちんと数えて諭されている。それはなぜかと、精一杯に、同様に数を数えさせて頂いて、
数理の、厳然に、慄然と身の震える思いがしますね。
ザ掲示板おやさまに、述べました内容ですが、ここに、引用します。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1164116611/51 [51]基本。 06/12/08 20:22 EmmsPu6M8P
おやさまの弟子たちは、上に従い、王政の「祭政一致」に媚びへつらい、こともあろうに、おやさまの思想の対極にある明治政府に、公認の道を模索していました。
それは、当時の信者の民意であり、総意であり、それは「真柱」にゆだねられた、信者の要求でした。
弟子の中でも「仲田義三郎」は、「山本利三郎」とともに、公認運動に教団をリードした指導者でした。
彼らの模索したものは、稲荷講の発展に見られるような、
>>42 http://inari.jp/g_koumu/g02.html 明治政府の政策に迎合しての、教団の「繁栄」でした。
しかしそれは、お稲荷さん信仰の歴史の示すように、もともとの信心とはかけ離れた、「天皇中心の神道からの天下りによる思想支配」でした。
「大教の詔」を宣布し、国家を一つの宗教で統一しようとする高山に、迎合しようとする弟子たちは、真柱を代表として、おやさまに問答しました。
1887年一月十三日(明治20年陰暦12月20日)、真柱の立場にある中山真之亮と控え柱の立場にある前川菊太郎は、明治政府に迎合したいという趣旨で、おやさまに、おうかがいをします。
その時に言われたのが、
『ぜんもって つたえてある。むっつヶしきことをいいかける。ひとつのことにとって しあんせよ』
との、お言葉でした。
弟子たちは、
「前以って伝えてある。難しい事を言い掛ける。一つの事にとって思案せよ」
と、理解し解釈しました。
しかし、実は、
「「前以って伝えてある。六つが敷き事を言い掛ける。一つの事にとって思案せよ」
と、言う意味でした。
これが、おふでさき六号の事を示していた。わけです。
「お前たちの希望は、おふでさき六号の「元の理」の数理のままに実現するのだ。どんな事も、「元の理」の「一つ始まりに基づいて思案せよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
572 :
基本。:2010/01/27(水) 03:39:40 ID:zOBr4Vk1
>>571 > ザ掲示板おやさまに、述べました内容ですが、ここに、引用します。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1164116611/51 1861年 南北戦争 ←→ 元の理の数理に基づく「つとめ」の開始。
その開始は、【一寸身上に】逸話篇というもので始まりました。
『 文久元年、西田コトは、・・庄屋敷へ詣ったら、どんな病気でも皆、救けて下さる。」という事を聞き、早速お詣りした。すると、夕方であったが、教祖は、
「よう帰って来たな。待っていたで。」
と、仰せられ、更に、
「一寸身上に知らせた。」
とて、神様のお話をお聞かせ下され、ハッタイ粉の御供を下された。お話を承って家へかえる頃には、歯痛はもう全く治っていた。が、そのまま四、五日詣らずにいると、今度は、目が悪くなって来た。激しく疼いて来たのである。それで、早速お詣りして伺うと、
「身上に知らせたのやで。」
とて、有難いお話を、だんだんと聞かせて頂き、拝んで頂くと、かえる頃には、治っていた。
それから、三日間程、弁当持ちでお屋敷の掃除に通わせて頂いた。こうして信心させて頂くようになった。この年コトは三十二才であった。』
おやさまの思想は、「命のやりとりは、おやさまが支配がする」という思想。身体そのものにおやさまが知らせるという思想。
大社高山の人間業では、絶対不可能な命題をつきつけて、命のやり取りの「理の世界」にて、人間のこころを掃除するという、思想であり、それだからこそ、元の理を伝え、つとめの理にて、世界を普請するという、真実真心が、おやさまの思想には、満ち溢れています。
元の理の数理を歴史に残した「六つが敷き事」。
それは、西田ことさんからはじまつた。
ろくぢはまず女からという、おやさまの思想。
とふじんの干渉し、とふじんの支配する「日本」。
おやさまだけは、せかいろくぢに向けて、元の理を教え、つとめの理の完成を、身をもってお説きになっていたのでした。
すべては理の世界にあると歴史に示して、のことでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
573 :
基本。:2010/01/27(水) 03:42:51 ID:zOBr4Vk1
>>571-572 > ザ掲示板おやさまに、述べました内容ですが、ここに、引用します。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1164116611/52- 嘉永7年(1854年3月31日) - 江戸幕府と米国使節ペリーが横浜で日米和親条約(神奈川条約)に調印。鎖国が解除されました。
1854年ペリーが横浜で日米和親条約(神奈川条約)に調印。 ←→ この年、おびや許しの初め。
このことに関連しますが、おやさまの思想として、「元の理」が根本思想として示されています。
それは、おふでさき六号には、元の理の時間的数理を示す、次の三種のお歌があり、具体的なものです。
この人を三か三よさにやどしこみ 三ねん三月ととまりていた 六号64
それよりもむまれたしたハ五分からや 五分五分としてせへぢんをした 六号48
このものに一どをしえたこのしゆごふ をなぢたいない三どやどりた 六号49
ここに知らされた数理とは、具体的には、次のような数の事です。
「三日三夜」「三年三月」「むまれだし=約280日」「五分=五年、五分=五年」「三度宿りた=×3→3年3月×3=9年9月」
おやさまは、谷底をせり上げ、世界ろくぢにと、普請をしていく上で、「つとめと授け」を与えることを宣言していますが、「とふじん」のペリーに従い、開国した日本。
それは、隷従への道でした。
そのとき、「おびや許し」を開始して、たすけの道を示したのですが、それもきちんと、元の理の数理のままに、たすけの道を開けています。
「三日三夜」 1854 年末 帯や許しの初め
→「三年三月」 1858 清水惣助妻ゆきに帯や許し。
→「むまれだし=約280日」 1859 清水惣助妻ゆきに再度の帯や許し。
→「五分=五年」 1864 扇の「授け」わたす。
→「五分=五年」 1869 「はったい粉」御供、渡す。
→「三度・・。=9年9月」1878 「金平糖」御供、渡す。
お授けの御供、それは、「おびやたすけ」から開始され、元の理の数理で、「たすけ」のために渡す。
おやさまの、元の理の生きた活用という思想が、貫かれています。
・・・・・・・・・・・・・・
574 :
基本。:2010/01/27(水) 10:02:23 ID:zOBr4Vk1
>>571-573 > ザ掲示板おやさまに、述べました内容ですが、ここに、引用します。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1164116611/52- [55]基本。 06/12/09 08:49 EmmsPu6M8P
明治七年の1月、おやさまは、おふでさき三号を記されています。
そこには、その当時の高山に対する、厳しい理の責めがあります。
このたびハうちをふさめるしんばしら
はやくいれたい水をすまして 三号56
高山のしんのはしらハとふじんや
これが大一神のりいふく 三号57
上たるハだんだんせかいままにする
神のざんねんなんとをもうぞ 三号58
しんのはしらを早く入れたいという、おやさまの思想は、三号の8に知らされていました。
しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい 三 8
現実として、しんばしらの真之亮が、「しん」であると信者の幹部に受け入れられたのは、明治18年3月7日の事でした。
おやさまは、
『さあさあ、今なるしんばしらはほそいものやで、なれど、肉の巻きよで、どんな偉い者になるかわからんで。』
と、言われて、信者幹部は、一同、納得しました。
そこまでの、道筋も、元の理の数理の世界でした。
「三日三夜」 1861 5 西田伊三郎入信。
>>51 よふぼく
→「三年三月」 1864 8 おつとめ後、勤め場所普請の資材手配。
→「むまれだし=約280日」 1865 懐妊中に、真柱の真之亮、とおやさま命名。
→「五分=五年」 1870 おつとめ、てをどりの一通り教え終わる。
→「五分=五年」 1875 おつとめ、かぐらの十二種類教え終わる。
→「三度・・。=9年9月」1885 3 『さあさあ、今なるしんばしらはほそいものやで、・・』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現実の史実の中に、きちんと「数理」にて歴史を刻んでいると言うのは、おやさまの思想の「この世は理で責めたる世界なり」を、具体的に体現しています。
575 :
基本。:2010/01/27(水) 10:11:31 ID:zOBr4Vk1
引用も、長くなりましたが、ここまでで、一区切りです。
参考に、天理教会においても、「六ヶ敷き事」の元の理の数理のままである事も紹介しておきます。
「三日三夜」 M18.4.29 天理教会結収願い提出。天理の呼称初使用。
→「三年三月」 M21.7.23 天理教会本部、ぢばに。
→「むまれだし=約280日」 M22.5 神道三等教会に昇格。
→「五分=五年」 M27.6.29 神道本局の普請にて、初代真柱責任者に。
→「五分=五年」 M32.5.21 神道本局管長より一派独立のすすめり。
→「三度・・。=9年9月」M42.2.19 天理教独立報告祭。
・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、天理教会と言うのは、元の理に基づいて、一つ一つをきちんと詰め上げて、政治権力の泥海の中に、準備されていた神一条の道。
それは、おやさまの222の五つという、数理の49年。
「尋ねる道ではない」と、それまでの道の理の、厳然さをお示しになったと言う「元の理」の現実でした。
576 :
基本。:2010/01/27(水) 10:29:34 ID:zOBr4Vk1
>>566 > それは、1884年梅谷四郎兵衛先生が、天りん王社を設立し、公認運動した時を1として、
> 五年後には、 明治22年五月には、神道本局三等教会に昇格していますが、その事情
ひながた「実の箱」の時代に、それが政治権力の泥海との係わり合いであると言うことを、「高山」に対してのお筆先で知らされていながら、実は何も深い意味を分かっていなかった、当時の高弟たちの「公認運動」が実行されています。
そこには、厳然とした、真意が示されていた。
この基本についても、述べておきます。
「苗代道」という、お言葉についてです。
577 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/02/03(水) 22:17:43 ID:HRIdvMc5
>>576 明治7年 五月
7+5=12 1874年5月〜 1年目
1885年5月〜 12年目
1885年5月 神道直轄六等教会設置許可 12年目
7+5=12の数理の予言、12年目の出来事でした。
7×5=35 1874年5月〜 1年目
1908年5月 35年目
1885年11月天理教一派独立 35年目
7×5=35の数理の予言、12年目の出来事でした。
578 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/02/03(水) 23:00:29 ID:HRIdvMc5
5+7+5+の数理の予言、17年目の出来事も確かめておきましょう。
17年目は、 明治23年、1890年5月〜 です。
天理教神道一等教会に昇格は、1891年4月6日。 17年目の出来事です。
予言は的中しています。
5+7×5=40の数理の予言、四十年目の出来事も確かめておきましょう。
40年目は 1913年5月〜 です。
1913年12月 神殿新築落成 1914年4月 教祖殿落成 大正普請竣工
予言は的中しています。
75という数理の場合はどうでしょうか。
1874年5月〜 1年目
1948年5月〜 75年目 です。
おふでさき下付。
教典講習会が実施されました。
・・・・・・・・・・・・・・・・
細道の到来は、7 7 5 の数理に基づいていました。
579 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/02/03(水) 23:19:47 ID:HRIdvMc5
>>576-578 いままでハ なによの事もしれなんだ 一寸みへかけた ほそいみちすじ 五号81
・・・・・・・・・・・・・・・
これまでにとふりてきたるみちすじハ からもにほんも わかりないので 五号82
・・・・・・・・・・・・・・・・
このよふのもとはじまりの ねをほらそ ちからあるなら ほりきりてみよ 五号84
・・・・・・・・・・・・・・・・
一派独立も、北礼拝場の完成も、戦後の復元も・・ 筆先に知らされた、細道でしかなかった。
だが、人々は、その都度、もうまるで往還道にでも出たかのように、思い上がって、舞い上がっていた。
5+7+5+の数理の予言の17年目、「細道」についての刻限おさしづが、あります。
明治二十三年五月十四日(陰暦三月二十六日)午前一時
刻限御話
さあ/\やれ/\まあ/\、大変々々えらい大変な事/\、さあ/\大変という事はよう聞き分け。
大変というは元々ある/\事情という。
木の元に種がある/\。一時花が咲く/\というは一つどんな理もある。
さあ/\何が事情、一つ/\元にだん/\一つの理、木の元あって花が咲く。
何よの事も一度植えた木は生涯の木、年々に咲く花もある。
世界の理同じ事。又花咲かん花もある。
長く楽しむ木もある。花も咲かす理もある。どんな花もある。
それ/\談示、さあ/\これをよう聞き分け。
一二の理元々談示一つの事情、何かの理を諭し元の理、さあ/\何かの事も一つの理を聞き分け。
長く話は要らんもの。
元々一つの理上という、それ/\談示一つの理、年々の理、歳々の理、いかなる花も咲く。
それ/\の理、世上という、世界という。元々理、枝の先という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理を甘く見てはいけない。
しみじみと、その深さに、原典に立ち向かうしかないと感じ入ります。
580 :
神も仏も名無しさん:2010/02/04(木) 16:38:26 ID:DdDnxXpJ
基本って頭がおかしいんじゃないか?
581 :
神も仏も名無しさん:2010/02/04(木) 21:01:19 ID:OB/eXLtw
<天理教界に悪風を撒き散らす「基本 ◆B3GGdKkeNk」の基本知識>
■これまでの書き込みで判明していること■
・長野県飯田市内在住
・「飯田の演歌王」で検索すると出てくる人物。テレビ出演経験あり。
・朝鮮半島に兄弟が住んでいる。
・「天理教上層部は異端であり排除すべき。そのためには教団の民主化が必要」、と言うが、
本当の目的は、現在の創価学会のように教団上層部の日本人を排除して朝鮮民族が占有
すること。
・韓国にぢばがあるとするウリナラ起源説韓国天理教への過ちはなぜか一切批判しない一方で、
すべての日本人初代大教会長を「人間のクズ」と称し、関根豊松、現在の天理教団上層部に
至っては異端であると放言。
・自称天理教学生会7代委員長
・自称甲賀大教会部内。「甲賀さんには、大学時代にアパートの火事で焼け出された時には、
こちらに住みなさいとたすけて頂きました。」
・天理教における過去の歴史人物の過ちを指摘することを日々の業とし、天理教信者へ教団
への現状不満を煽る。
・台湾、朝鮮、中国への侵略戦争の謝罪を執拗に求める。日本国へ求めるのみならず、天理教
団幹部にも執拗に求める。
・南北朝鮮半島分断の責任は日本にある。日本が朝鮮に謝罪賠償しなければならない、と主張。
その歪んだ歴史認識から在日朝鮮人(または帰化人)であると推測される。
・天理教義における「高山」を日本国と解釈、「谷底」を南北朝鮮と解釈し、南北朝鮮が発展途上
なのは日本という高山が搾取をしているせいだ、と主張。
・天理教活動に名を借りた反日活動家。日本を憎んでいる思想を持っているのが特徴。
・長野県飯田市内でカラオケ喫茶を経営するも資金繰りは火の車。
582 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/02/05(金) 13:20:31 ID:oSvnZ+Q/
さて、これまで述べてましたが、おふでさきにて、おやさまは、細道と言うお言葉を予言されています。
それは、「夜」から「昼」への転換点であり、その刻限は、お筆先第五号の扉に予言されていた数理と、お筆先四号の扉に予言されていた数理と、その二つ一つに、歴史において実現していることは、
静岡2チャンネル「基本ってどんな人」にて、第四号の戦争の予言の数理、そして第五号にて細道の予言の数理と、
おやさまの仕掛けた謎と言うものを、見える形にて、申し上げました。
つまり、日露戦争の時におやさまがお指図にて、「お筆先」の理について述べていて、それが、天理教教典にも書いてあるのですか、
お筆先とは「予言の書」であるという、宣言も、そのおさしづにてなされていた。
この事は、ご理解頂けたと、思います。
即ち、
明治三十七年八月二十三日
・・これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。
ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持ってはいけん。話の台であろう。取り違いありてはならん。
この台、世界の事情、もうどう成ろうかこう成ろうか、一つの台。
敵は大きもの、全国に於ても大層と言う。
古き/\事に、年限から諭してある。
この一つの心得は今日の事や。
・・・来ん先から前に諭してある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
予言の書と言うものだから、尊いと言うような、そんな思案をしていては、天理と言うものは、分かることは出来ないと、ここで自戒をせねばならない。
おさしづに言われているのは、「もうどうにもむならぬ処まで言ってみよ」という、口伝のおやさまのおしえそのものなのです。
原文を、ご一読下さい。
583 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/02/05(金) 13:23:23 ID:oSvnZ+Q/
>>582 明治三十七年八月二十三日
日露戦争に付、天理教会に於て出征軍人戦死者の子弟学資補助会組織致し度く願
さあ/\尋ねる事情/\、いかな事も尋ねにゃ分からん。さあ/\今この一時一つ世界という中に、一つという理は、世界にある。
そこで、これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。
ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持ってはいけん。話の台であろう。取り違いありてはならん。
この台、世界の事情、もうどう成ろうかこう成ろうか、一つの台。
敵は大きもの、全国に於ても大層と言う。
古き/\事に、年限から諭してある。
この一つの心得は今日の事や。
有る事言うた事はない。紋型無い処から順序追うて来たる道。難しい事望んで、難儀苦労さす道を付けたのやない。
ほのかに諭して居るやろう。
理は一つに纏まりてくれにゃならん。
皆々よう聞き分けてくれにゃならん。道という、道は楽の道は通りよい、難しい道は通り難くい。
難しい道の中に味わいある。よう聞き分け。
敵と言うて、睨み合い/\という。
一時の処、旨いように思う。旨い事やない。何でも彼でもという。これまで諭し置いたる理は、仮名な柔らかい中に、要要の言葉諭してある。
一時の処言葉だけでは忘れ易い。書きた事は忘れんもの。
一時この際、もうこれなあという、何か治め方、皆手も付けてある。
皆一時一つに纏まる事がさて置いて、あちらからちょい、こちらからちょい、纏まりた処が知れて居る。年限数えば、幾年経つ。
もうどうもならんかいなあ、という処から、世界の道余儀無く一寸付けたる眼目の中に、一つ仮名な理に付けてある。
一時どうもならんという。余儀無く理ある。
来ん先から前に諭してある。
584 :
基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/02/05(金) 13:25:52 ID:oSvnZ+Q/
>>582-583 > 来ん先から前に諭してある。
思やんしてみよ。道という道は、どんな中も運んでやらにゃならん。
又一つ所々、又一つ志や/\、理が思うから、志早いやない、遅れてある。
そこで、よく聞き分け。もう一時尋ねる事情、それは何時にても許し置こう。
大き事すっきり、これではどうもならんという処まで行ってみよ。
これではならんという処まで行かにゃ、分からせんで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
火の車に乗ることも、淵の中に沈むことも、まだまだどうにかなる道。
甘ったれていては、いけませんよ。基本さん。
理の分からないことが、それが、なによりの残念なのですから。
585 :
白の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/02/05(金) 22:44:27 ID:oSvnZ+Q/
>>569 :白の基本。:2010/01/27(水) 02:51:20 ID:zOBr4Vk1
>>568 >明治20年陰暦、12月25日。222の5、数理の刻限。おやさまは、扉を開いてくださいました。
陰暦と言うのは、基本的にはおやさまの「実の箱」時代の暦と言うことです。
そして、 陰暦・陽暦のつなぎめ、「実の箱時代」と「扉開いて時代」のつなぎめの、両方の222の五つ、このお言葉です。
おやさまは、陰暦での誕生日は、4月18日です。
おやさまは、陽暦での誕生日は、6月2日です。
おやさまは、朝、お生まれになっています。
江戸時代-数による言い表し方- を参照します。
http://ww6.enjoy.ne.jp/~kisk/LocalStudy_Dat/Time.htm 江戸時代-数による言い表し方-
“不定時法”による時刻の言い表し方については、干支の他に数字も使われた。
文字表示からの必要性でなく、耳で聞いて時刻を数えるために必要であったものであり、
日の出前に星が見えなくなる時刻を「明け六ツ(あけむつ)」と言い、日が暮れて星が見える時刻を「暮れ六ツ(くれむつ)」と言った。
そして、昼夜とも順に、六ツ、五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツ、六ツと数えた。
明け六ツ⇒朝五ツ⇒昼四ツ⇒真昼九ツ⇒昼八ツ⇒夕七ツ⇒暮れ六ツ
⇒暮れ六ツ⇒宵五ツ⇒夜四ツ⇒真夜九ツ⇒夜八ツ⇒暁七ツ⇒明け六ツ
・・・・・・・・・・・・・・・・
おやさまは、6月2日の朝五つ刻にお生まれになりました。
2+2+2 2 五つ刻。
それがおやさま誕生の数理です。
有り難いことです。
586 :
普通の天理教徒。:2010/02/06(土) 14:50:30 ID:cq5OtHYU
基本さんは、お筆先に記載された数字から、或いは誕生日とか、出なおされた日とか、それで、予言が的中していたと、証明されていますが、
それは、おやさまや、真柱様や、教会本部とか本席さまとか、ご立派な方々と言いますか、
まあ、神様や、神様みたいな人たちの、出来事だから、と言うことではないのでしょうか。
こんなに天理教はすばらしいと、そういう風に賛美しても、現実は、ご自分の問題も含めて、人間は人間。
出来ない事は出来ないし、お筆先が予言の書としても、それがいったい我々には、何の意味があるのかというと、
信者としての自己満足、教会としての自己礼賛、そういうものになってしまうのではないですか。
587 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/06(土) 15:01:58 ID:bhTryeDg
588 :
基本。:2010/02/06(土) 15:16:14 ID:cq5OtHYU
>>579 > このよふのもとはじまりの ねをほらそ ちからあるなら ほりきりてみよ 五号84
普通の天理教徒さん。お筆先には、↑このように記されています。
いかほどに神の心わ せえたとて
みなの心ハ またううかりと 五号63
はやはやとしあんしてみてせきこめよ
ねへほるもよふ なんでしてでん 五号64
戦争を無くしたい、貧困をなくしたい、普通の天理教徒さんは常々から、そのように思われているでしょう。
それには、世界中の心を澄ましていかなくてはならないと、「一列澄まして甘露台」を口に唱えて、お勤めしておられるわけです。
そして、おさづけをお取次ぎし、胸から胸に、おやさまの思いをお伝えしておられる。
それが、普通の天理教徒さんだと思います。
けれど、その世界一列を清ましてくださるには、神様の教えをお取次ぎするには、
根を掘る模様をして出る。これが、教えられているところです。
このよふのもとはじまりのねをほらそ
ちからあるならほりきりてみよ 五号89
このねへをほりきりさいかしたるなら
どのよなものもかなうものなし 五号90
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教えの根を掘るということは、天理を知ると言うことであり、天理を知ると言うことは、「掘る」と言う作業なのです。
そして、高山に対しても、権威権力に対しても、何も負けない、かなうものの無い力とは、その根を掘ることで得られるものだと、親神様は示されています。
しかときけくちでゆうてもをもふても
どこでゆうてもをもふたるとて 五号87
そのままにかやしとゆうハこの事や
神がしりぞくみなしょうちせよ 五号88
命のやり取りにて、決して負けないと言う、このお筆先のご宣言をきちんと理解した時、
私たちの行かねばならない、もうどうにもならないところとは、貧のドン底もそうかもしませんが、
おやさまのお示し下されたおひながたは、より厳しいものであると、理解されなくてはなりません。
589 :
神も仏も名無しさん:2010/02/07(日) 02:38:39 ID:N2uy5ssW
222の五つ
ニニンガ4、シニが8、ハチゴ40と、このように簡単に計算しますと、40とか、4とか数字になります。
四というのは、普請の数理です。
静岡2チャンネルにて、触れた内容ですが、天理のスレにて、述べます。
それは、大工という理について、数理という問題で、イエスキリスト様と、伊蔵さまと、お二人においての「4」という数理で、確かめておきたい天理の話題です。
893 名前: 基本◆SrmDuOF. 投稿日:2010/02/07(日) 01:50 ID:fNSlaWwk0
883名前: 名無しID:.DVxnVj20さん。
普請の数理と言うのは、四です。
おやさまは、四の数理について、こう教えられています。
http://homepage3.nifty.com/nagano_karasugawa/bunko/itsuwahen.html [ソースチェック]
逸話篇173 教祖は、高井直吉に、
「不足に思う日はない。皆、吉い日やで。世界では、縁談や棟上げなどには日を選ぶが、皆の心の勇む日が、一番吉い日やで。」
と、教えられた。
一日 はじまる 二日 たっぷり 三日 身につく 四日 仕合わせようなる
893 名前: 基本◆SrmDuOF. 投稿日:2010/02/07(日) 01:50 ID:fNSlaWwk0
883名前: 名無しID:.DVxnVj20さん。
普請の数理と言うのは、四です。
おやさまは、四の数理について、こう教えられています。
http://homepage3.nifty.com/nagano_karasugawa/bunko/itsuwahen.html [ソースチェック]
逸話篇173 教祖は、高井直吉に、
「不足に思う日はない。皆、吉い日やで。世界では、縁談や棟上げなどには日を選ぶが、皆の心の勇む日が、一番吉い日やで。」
と、教えられた。
一日 はじまる 二日 たっぷり 三日 身につく 四日 仕合わせようなる ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イエスキリスト様においての、四の数理はどのように示されてありますでしょうか。
聖書の記述を年表に整理した、内容から、確かめておきましょう。
590 :
基本。:2010/02/07(日) 03:06:43 ID:N2uy5ssW
イエスは三日目には死者の中から復活、
四十日間にわたり、弟子たちの前に現われ、教えを説いた後に天に昇っていきました。
先ず、キリスト教の信者さんには最も重大な、イエスの復活という、そこにおいての数理に注目します。
三日→四十日
三日間は、「洞窟・埋葬された穴、にいて、それから、四十日間教えを説いた。
これが、大工のイエス様のなされた事です。
それでは、大工の伊蔵さまはどうだったでしょうか。
元治元年に、入信して、三年間はお屋敷に住まいされます。
そして、その後、四十年間教えをといて、死んでいます。
こういう、一致は、「しあわせなるよう」と言う、天のはからいと言うよりありません。
591 :
基本。:2010/02/07(日) 03:16:15 ID:N2uy5ssW
イエスキリスト様は、やまい助けの名人であった。
イエス様の入信は29才頃といわれていて、大工をしていた。
そして、やまい助けを開始されて、三年千日で、「神の子イエス」とあがめられるようになります。
31才から34才までが、イエスキリスト様の、世界の普請の第一幕で、十字架にかけられて、死にます。
けれど、三日で復活し、四十日で、キリスト教会の基礎をきづいて、死にました。
三年千日という数理は、大教会初代の三年千日の数理と同様に、「ほんの三日や千日や」で、なるほどの効能を示しています。
592 :
基本。:2010/02/07(日) 03:40:45 ID:N2uy5ssW
念のために、復活のことに触れておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E7%A3%94%E5%88%91 キリストの磔刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリストの磔刑(-たくけい、-たっけい)は、キリスト教の聖典である新約聖書の四福音書に書かれているエピソードの一つ。
ナザレのイエスがエルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、死刑の権限のないユダヤ人の指導者たちによって、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者として渡され、公開処刑の死刑である十字架ないしは杭に磔になって処刑されたというものである。
十字架刑 [編集]
この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。
刑を受ける者は両手首と足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った。
そのため、長引く場合は48時間程度も苦しみ続けて死んだと言われる。
ただしイエスと共に十字架につけられた二人の男[1]は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。
兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、埋葬されたが、その洞窟には遺体がなかったと、復活の証拠になっています。
これは、実に合理的なキリストの復活劇だとみなすのが基本です。
593 :
基本。:2010/02/07(日) 03:51:35 ID:N2uy5ssW
>>592 > イエスと共に十字架につけられた二人の男[1]は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。
> 兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そのとき、イエスと他に二名の男が貼り付けになっていた。
他の二名は、生きていて、足を折られて死期を早めた。
ところが、イエスはもう死んでいた。
それで、死体として埋葬されるのですが、まさに、普通に考えても、イエスは瞑想の名人であり、ヨーガの達人のレベル以上。
強盗犯二名よりも簡単に死ぬということはありえないのです。
呼吸法の大名人なのですから。 と、基本は、考えます。
復活というよりも、仮死の瞑想術と、みなします。
イエス・キリスト――四十日間の断水断食 これもキリスト教での大切な教え。「悪魔よされ」です。
キリスト教の開祖であるイエス・キリストも、40日間のサマディを行なった。
とみなす新宗教はたくさんあります。
釈迦が三昧、サマディと言う瞑想に到達し、悟りを開いたごとく、
イエスキリストが、この四十日の断食で、サマディに到達したとみなすわけですが、
いずれにしても、常人を超えた瞑想(ヨーガ)の達人であることは、普通に理解されることで、
それが、呼吸法も知らない他の二人より先に、窒息で死ぬということは、ありえない。
だが、一見すると仮死の状態が、三昧(サマディ)ですから、
きわめて合理的に、イエスは死んでいなかったとなります。
「四十日」の断食。
ここにも、イエス先においての、「4」の数理があります。
これが、四十日→四十年の布教→キリスト教会。
キリスト教教義の根幹をなすものとして、実は「四つよなおり」の数理があると言うことです。
594 :
基本。:2010/02/08(月) 03:17:47 ID:glLKv8FQ
大工のイエス様がなされた事で、おやさまなら、絶対にそうしなかっただろうと言うことがあります。
それは「宮清め」という行為です。
とても難しい事なのですが、四柱目の神様のお嫌いな心の埃は「腹立ち」です。
その時代、ユダヤ教の神官たちは真理を語ることは出来なくなっていて、それでイエス様が、教えを説かれたと、ローマ教会風に言えば、そうなりますが、
イエスさまのなさった「宮清め」は、そういう真理論争ではなく、ユダヤ人の神殿での商売を直接的に排除した。
普通に言いますと、「営業妨害行為」です。
イエスは、正式なローマの法律によって裁かれたのではなく、ユダヤ人たちによって、強引に、法外の方法で、超法規的に処刑されました。
それは、神殿で商売していた人々を、直接に排除したからでした。
「汝の隣り人を愛せ」「右のほほを打たれたら左のほほを差し出せ」と、愛を説いたイエス様の、ここだけは、おやさまとは違うと言う、基本的な一点は、「短気」であったと、理解するのが、基本です。
595 :
基本。:2010/02/08(月) 03:20:56 ID:glLKv8FQ
>>594 キリスト教で、そこを教えとして語られている部分を引用します。 「説教でつづるイエスの物語」にはこうあります。
http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christ_srm18.htm 「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上って行かれた。
そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちをご覧になった。
イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。
『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない』」
柔和で心優しいイエス様が、縄の鞭をつくり、それを振り回したり、商人たちの台を蹴散らしたりして、商人たちを追い出されたというのですから、聖書を読む人にはたいへんな驚きです。
弟子たちもはじめてイエス様の激しく怒る様子を見て、さぞかし恐れおののいたことでありましょう。
けれども、さすがにお弟子さんたちはただ驚いているばかりではありませんでした。こんなに恐いお顔をして怒られるイエス様の怒りというものをしっかりと受け止めて、
「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という御言葉を思い起こし、イエス様の激しい怒りの中に神殿に対する熱い思いがあるのを見たというのです。
人を生まれ変わらせる怒り
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三十一歳のイエスの行為です。
「宮清め」は・・・
基本的には「陽気ふしんに小言はいらぬ」という天理に反しているのか、いないのか、もう少し研究します。
たぶん、神意に反しているものと、基本は、そう思っています。
最も反省し、さんげしなければならないものは、「こじまつ」ではないか、
「腹立ち」ではないかというのが、夜昼の理の思案の第一にあります。
596 :
基本。:2010/02/08(月) 03:34:04 ID:glLKv8FQ
>>594-595 > 大工のイエス様がなされた事で、おやさまなら、絶対にそうしなかっただろうと言うことがあります。
> それは「宮清め」という行為です。
> キリスト教で、そこを教えとして語られている部分を引用します。
{毎日聖書・本日も聖典なり
年間第8週の金曜、いちじくと宮清めのイエス、マコ11・11-26 }
http://elemiya.asablo.jp/blog/2007/06/01/1547914 イエスは、いよいよ死を覚悟してエルサレムに上京します。
イエスが第一番にやったことは、神殿から商人を追放することでした。
神殿の搾取機構に身をもって抗議します。
なお、エルサレムへの往復の途中見かけた、実の無いいちじくを呪ったら、そのいちじくが枯れてしまったという、不可解な奇蹟物語が、この神殿事件を挟んで前後にあります。
◆いちじくの木を呪う
11:11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。
11:12 翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。
11:13 そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。
11:14 イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。
◆神殿から商人を追い出す
11:15 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。
11:16 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。
11:17 そして、人々に教えて言われた。
「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おやさまは、こういうなされ方は、なさらない。
イエス様が、三年という年月で、死亡し、そして復活して教えを説いた事情の背景には、もっと直接的な「営業妨害行為」への報復が背景にあったと、みなすのが、基本です。
597 :
基本。:2010/02/08(月) 03:48:55 ID:glLKv8FQ
>>596 > キリスト教で、そこを教えとして語られている部分を引用します。
http://koelnbonn.fc2web.com/predigt_0904.html 上京されたイエス様は、民衆の熱狂的な歓迎を受けてエルサレムに入城されました。
しかしその直後に、神殿に入って行かれ、驚くべき行動に出られたのでした。
境内で売り買いをしていた人達を追い出したのです。
そして言われました。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。
ところがあなたたちはそれを強盗の巣にしている」と。
いったいイエス様は神殿で何を見られたのでしょうか。
まず、そこには犠牲の動物の売り場がありました。
巡礼者が捧げ物にする動物を携えて旅をするのは大変なことですし、
神殿に捧げるために定められていた「傷の無い動物」を調達することも容易ではなかったからです。
ところがそこで売られていた動物は非常に高価でした。商売人達は暴利をむさぼっていたのです。
またそこには両替商も店を出していました。当時一般にはローマ貨幣が使われていましたが、
エルサレム神殿で奉納出来るのはユダヤ貨幣でしたので、両替の必要があったからです。
でも彼らも手数料を上乗せして儲けていました。
かくして神殿の境内は、一部の人々の私利私欲を満たすための場所になってしまっていたのでした。
神様への畏れもなく商売が行われていたということは、神様が忘れられていたということです。
そうなると、そこは祈りの家ではなくなり、神殿でさえなくなります。
神殿で必ず忘れられてはならないのは、神様が中心であるということなのです。
故にイエス様は、宮清めをされたのでした。その後、商売人のいなくなった神殿の庭でイエス様は毎日人々に教えられ、
そこには真の礼拝者達が戻ってきました。
従って宮清めは確かに必要であったし、イエス様はそれを成し遂げられたのでした。
尤もイエス様は、この時はそのようにして神殿を清めて用いられましたが、最終的には神殿礼拝自体を終わりとされました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
598 :
基本。:2010/02/08(月) 03:55:24 ID:glLKv8FQ
さて、境内地で商売すると言うことは、イエスの「腹立ち」を呼び起こしたと言うことは、間違いなさそうです。
いや、「神の立腹」であると、擁護しているのが、↑キリスト教の、教義の態度です。
汝の隣人を愛する心。 それは、「神の正義」の前では「愛の鞭」になり、厳しい追放となる。
この「理の間違い」は、現代社会においても、キリスト教宗教圏の「正義」において、しばしば発動されます。
599 :
基本。:2010/02/08(月) 04:08:59 ID:glLKv8FQ
特にきちんと理解しておかねばならないのは、イエスキリストは、動物を自分の身代わりとして殺すと言う、当時の信仰そのものであり、
「真理」によって救済しようとするイエスは、宮清めの後は、その場所に教えを聞くものを集めて、真理を説いています。
その眼目で引用続けます。
http://koelnbonn.fc2web.com/predigt_0904.html 尤もイエス様は、この時はそのようにして神殿を清めて用いられましたが、最終的には神殿礼拝自体を終わりとされました。
それはこういうことです。
当時の神殿では、祭司の前で犠牲の動物を祭壇に置き、自分とその動物を同一視した上でその動物を殺すという儀式が行われており、そうすることによってその人の罪は動物に代わりに負ってもらって清められたのでした。
それが神殿礼拝の中心行為でした。
でもイエス様は、宮清めの後、ご自身で十字架に向かわれました。
その十字架は、犠牲の子羊にイエス様ご自身がなられることを意味するものでした。
イエス様は十字架に掛かられることによって、全人類の罪を贖う犠牲の子羊となられたのです。
故にそれ以来、神殿で犠牲を捧げる必要はなくなり、罪の赦しはイエス様が私達の罪を贖う犠牲の子羊となって下さったということを信じることによって与えられるようになりました。
神殿礼拝は終わったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大工のイエスは真理を説くことでたすけの道をお付けになられている。
現在も教会は、そのイエスの犠牲によって、救われると説く。
それじゃ動物を殺して救われると説いていた時代と、本質には何も変化していない。
イエスの犠牲があるから、動物は救われたと言うことだけで、救済の方法そのものには、変化が無いからだ。
こういうすり替えを生んでしまったのも、「腹を立てて」神前を掃除した態度の、短気に原因があるとみなすよりない。
簡単に助かるには「犠牲」を利用するのは、「短気」な方法だからだ。
600 :
神も仏も名無しさん:2010/02/08(月) 04:30:33 ID:BO5uzddl
黒疱瘡の子供をお助けください。
私の子供二人を差し出しますのでどうか助けてください。
それでも無理ならば私の命を・・・
某年某日 三島神社にて
601 :
神も仏も名無しさん:2010/02/08(月) 15:20:38 ID:Alt9Yg95
天理教の修養科を研修として使っている企業
めいらくグループ、エムネット、液クロサイエンス、正直屋、堀川化成
602 :
基本。:2010/02/09(火) 01:36:04 ID:imk+buce
さて、キリスト教のカトリック教会で、合唱される歌詞<栄光の賛歌>には、注目すべき記述があります。
天のいと高きところには神の栄光。
地には善意の人に平和あれ。
われら主をほめ、主をたたえ、主をおがみ 主をあがめ、
主の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる。
神なる主。天の王。全能の父なる神よ。
主なる御ひとり子。イエズス・キリストよ。
神なる主、神の子羊、父のみ子よ
世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ
世の罪を除きたもう主よ、我らの願いを聞き入れたまえ
父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ
主のみ聖なり、主のみ王なり、
主のみいと高し、イエズス・キリストよ。
聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに、アーメン。
・・・・・・・・・・
そこに、注目すべき言葉があります。
『父の右に座したもう主』と、いう文言です。
大工のイエスは、自分は、神とは言っていません。「人の子」と、自称しています。
そして「神の子」、「父なる神の子」と、自分の事を語っていて、その上で、自分は「父なる神の右」に位置すると、語っています。
この「父なる神の右」とは、何を示す、大工イエスの、言葉なのでしょうか。
603 :
基本。:2010/02/09(火) 03:48:38 ID:imk+buce
天にては、「父なる神」の右側に位置する、「人の子イエス」
その事については、ルカ伝には、このように記載されています。
http://www.wordplanet.org/jp/42/22.htm 66 夜が明けたとき、人民の長老、祭司長たち、律法学者たちが集まり、イエスを議会に引き出して言った、
67 「あなたがキリストなら、そう言ってもらいたい」。イエスは言われた、「わたしが言っても、あなたがたは信じないだろう。
68 また、わたしがたずねても、答えないだろう。
69 しかし、人の子は今からのち、全能の神の右に座するであろう」。
70 彼らは言った、「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」。
71 すると彼らは言った、「これ以上、なんの証拠がいるか。われわれは直接彼の口から聞いたのだから」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間の解釈部分を混ぜないで、聖書そのものを読めば、イエスは人間で、そして、神の子だと、イエス様ご自身で語られています。
『人の子は今からのち、全能の神の右に座するであろう』。
これは、イエス様の予言です。
天国にとか、装飾しているのは宗教家たちのいつもの事ですが、
この予言によれば、
全能の神・この時には父の神ですから、「国常立」さま。
その右に立つのは、四柱目の、月読命さま。
大工のイエス様が、四の数理に深い因縁があるのは、当然の天理です。
604 :
神も仏も名無しさん:2010/02/09(火) 15:45:08 ID:RVhaBJl1
「屋敷を払いたまえ、田を売りたまえ。」
天理教は、こういって、信者から財産を奪うのです。
そして、財産のなくなった信者は天理教で働くしかないのです(すみこみ)。
幹部信者に安い報酬(月1万円の小遣い)でこき使われるといいます。
もはや、天理教無しでは生きていくことが出来なくなるのです。
605 :
基本。:2010/02/09(火) 20:54:25 ID:imk+buce
大工のイエス様が、家業第一を実行されていなかったことも、おやさまの教えに照らして、
そこは、「宗教家」としての人生に余りに重きを置いていた点で、やはり、反省すべきところがあります。
>>604 > 財産のなくなった信者は天理教で働くしかないのです(すみこみ)。
こういう場合、天理教で働くと言うのは、いわゆる宗教家の一員としての生活であり、それは、おやさまの教えられた「家業第一」とは、反しています。
宗教組織は、天理教もそうした実例になりますが、宗教を専門にすることを「聖職」とみなして、「清貧」であることを「建て前」、求めます。
それは、大きな理の間違いです。
イエスは、宮清めをして、商売を汚らわしいと、追い払ったわけですが、
>>594-596 しかし、ユダヤ教の神官たちとは、「改革者」の立場でありつづけた。
聖職者こそ、清められなければならないと言うことは、心得ていた大工のイエス様ですが、
聖職者の、寄付寄進で生活する体質に切り込めないで、昇天されたのは、残念なことでした。
イエスの教えは、教会信仰を新たに生み出した時に、教会の高山に、それは、金銭、経済、お金に対して「軽蔑」する思想を、宗教の世界に持ち込むと言う、最悪の事態を招いている事になります。
聖職者は、貧乏でなければいけないと言う意味では、すみこみさんは、一万円もの小遣いがあると言うのは、よろしくないことであり、
運転手や掃除婦やに使っているのなら、最低賃金は保障すべきであり、
つまり、共同生活という形態そのものが、神の教えの道には、無いほうが良いものだと思います。
へえー
607 :
基本。:2010/02/10(水) 14:50:11 ID:Qat6aKv3
>>605 > 全能の神・この時には父の神ですから、「国常立」さま。
> その右に立つのは、四柱目の、月読命さま。
これは、天理天体図と天理市で売られている、天にては、の配置図の通りです。
イエス様は、ご自分が天にては、子の方位の国常立さまの右手側に位置する事を、
自ら告げていた。
北のくにとこたち様、父なる神様、その右には、月読命さま、四の理の神様、つまり、イエス様です。
608 :
基本。:2010/02/13(土) 11:25:26 ID:iHh9wYYR
「宮清め」と言う行為は、「宗教改革」の意図の表れである。
それが、「律法学者」や「大衆」との対立点を生む。
「救世主」と予言されていたイエスは、歓喜して受け入れようとした旧来の宗教組織に対して、毅然とその違いを行為で示したものとして、「宮清め」は、評価されているが、
それは、短気にすぎていたと言う見方は、基本としてある。
おやさまは、「ほんの三日や千日や」と、教えられている。
大工のイエス様の言われたお言葉に、私なら「三年」で神の家の普請をしてみせる。という意味のお言葉がある。
キリスト教の教理としては「三日」というものを、イエスの身におきる処刑と「復活」までの日数と、その予言として理解していて、神殿を三日で建てるといわれたのではなく、
イエスの肉体を三日で復活させるとの予言と、弟子たちは理解し、理解させている。
だが、それは、こじつけに等しい。
イエスは三日の理で、自分が神の王国を打ち立てることができると、示されたのであり、
現実にイエスは、三年のおたすけ、布教活動にて、キリスト教社会の土台を構築してしまっている。
2:14 そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、
2:15 細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、
2:18 そこで、ユダヤ人たちが答えて言った。「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか。」
2:19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
2:21 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。
『たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。
たった三日の間や。』
609 :
基本。:2010/02/13(土) 11:32:27 ID:iHh9wYYR
>>608 > 大工のイエス様の言われたお言葉に、私なら「三年」で神の家の普請をしてみせる。という意味のお言葉がある。
イエスキリスト様は、神殿とは本来「神の家」であると教えている。
また、神殿とは宗教の権威そのものでもある。
「三年の理」で、父なる神の家が建つという、イエス様の諭しは、まさに、おさしづの「三年千日」の理そのものだということが、理解される。
大教会初代たちの「三年千日」が、大教会の名称の理をつくったのは、数理としても歴史上の事実である。
イエス様の「公生涯」とよばれる、メシアとしての三年千日の理は、世界一列救済の「どぢょ」、土台を構築した。
ほんの三日や、千日やとは、「真理」そのものである。
610 :
基本。:2010/02/13(土) 11:38:43 ID:iHh9wYYR
>>609 三年千日の理を諭された「刻限」おさしづを、全文、確かめてみよう。
明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。
もう/\急がしい/\。日々が急がしい/\。
何でも彼でも、一つ見れば一つの理がある。聞けば一つの理がある。
二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。
難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。
皆一つ/\のひながたの道がある。
ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。
あちらへ廻り、日々の処、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。
これ分からんような事ではどうもならん。ひながたの道通れんような事ではどうもならん。
長い事を通れと言えば、出けんが一つの理。
世界道というは、どんな道あるやら分からん。
世界の道は千筋、神の道は一条。世界の道は千筋、神の道には先の分からんような事をせいとは言わん。
ひながたの道が通れんような事ではどうもならん。どんな者もこんな者も、案ぜる道が見え掛けてはどうもなろまい。
一日二日経ったらと言うたら、どんな事やと思て居たやろ。
ちゃんとしてやる道は見るも同じ事。
ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。
これをよう聞き分けて、何処から見ても成程やというようにしたならば、それでよいのや。
611 :
基本。:2010/02/13(土) 11:41:41 ID:iHh9wYYR
>>609-610 > 三年千日の理を諭された「刻限」おさしづを、全文、確かめてみよう。
> 明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
十年あとの道は、どんな事を説いても、いか程説いても、そんな事は無い、何を言うやらと言うて居たのや。
国々の者やない。そこからそこの者でも分からなんだ。
なれど十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて来た。
なれど千年も二千年も通りたのやない。
僅か五十年。
五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。
二十年も十年も通れと言うのやない。
まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。
僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。
ひながたの道より道が無いで。何程急いたとて急いだとていかせんで。ひながたの道より道無いで。
ひながたの道がどんな日もある。
ひながたの道にはいろ/\ある。誠の道も蒔いた事がある。
なれども、何年経てばこうという理が、外れてはあろうまい。
世界には何を言うやら大工がと。日本一の大工や。何言うて居るやらと皆笑うて居た。
十のものなら八つという。後二分の処放って了うは八分という。難しい。
後二分というたら僅かや。まあ何年居てくれたら、内も結構や。なれどもどうも半端である。
十年の間、八年の間の苦労は容易やない。
なれども、まあ後二年は何でもない。八方明けたら明らかや。
もう僅か、まあ三日の辛抱さえ仕遂げたら、誰に遠慮は無い。
皆貴方々々と言う。ひながたの道が出してある。
ひながたそばにある。
めん/\もたった三日の辛抱すればひながたの道が。
612 :
基本。:2010/02/13(土) 11:43:20 ID:iHh9wYYR
>>609-611 > 三年千日の理を諭された「刻限」おさしづを、全文、確かめてみよう。
> 明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
以前々々は、我が/\のようにして通りて来たのや。三日の日は越せんという理はあるまい。
どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。まあたった三日や。
三日は分かろうまい。今と言うたら、今の事のように思う。
ひながたの道を通れば、僅か年限の間に、何と分からなんだなあ。
前々は我が俺がと言うて居たなれども、どうもあんな者とも知らなんだと、世界から言うのは、まあたった三日の間や。
三日の辛抱さえしたら、どんな道があるやら分からん。
あちらも狭ばい、こちらも狭ばい。あちらも広め、こちらも広めに運ぶ。
三日の辛抱したら、今の三つが、三日経てば何ぼに成るやら分かりゃせんで。
一日々々の日が近寄る、何処から見ても出るも、ほんに見るも、ほんになあと言う日は、まあ三年の間や。
三年経てば、偉い事に成るのやで。三年の道は直きや。
そこで、難しい事せいとは言わん。古い型のひながた、見えてある事分からん。
一年後というものは、大方成るかと思えばどんと行き、これではならんという処から、一寸道を開き掛けた。
まあ/\世界から見れば往還。
細道は通りよい、往還通り難くい。
何を言うと思う。往還通り難くいという理聞き分けたら、三日の間や。
なれども、これまで細い道を通り来た故、大き道に成るのやで。
三年やそこらの事は、三日の日の事思えば直きや。三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。
たったそれだけの事が分からん。
そこで皆んな一つ/\の理を寄せてくれるよう。僅か三年の間の事を、長う取るからどんな理も出る。
たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。
たった三日の間や。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
613 :
基本。:2010/02/13(土) 15:30:11 ID:iHh9wYYR
>>609-612 おさしづ全文は、なかなかの長文です。
内容は、五十年の道・おやさまのひながたを通れと言われている。
けれど、厳密に読んでいくと、ただ、おやさま五十年の話題というものではなく、
「大工の伊蔵さま」「大教会初代たち」の話題も、同時に触れている。
単に、おやさま五十年の道のみを、台として諭されたものではないと読み取れます。
そういう、広い視点で、見つめなおしますと、
> たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。
> たった三日の間や。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2:19 イエスは彼らに答えて言われた。
「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イエス様のかっこよさ。
まさに、手本です。
614 :
基本。:2010/02/14(日) 02:41:37 ID:vojfpKNr
それは、中西牛郎という宗教学者が、書き残してくれています。
ある人が、おやさまに、十字架を見せて、これはなんでしょうかと、お尋ねになったそうです。
おやさまは、「それは完成の意義や」と、お答えになりました。
「十字の柱」・十字架とは、完成の意義である。
「寛政十年」、222 2の朝五つ時に誕生されたおやさまのお答えでした。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
おやさまは「赤衣」を召されていました。
そして、イエス様は、復活のイエス様は必ず「赤衣」で書かれる約束になっているとの事です。
http://tabi-taro.com/8kaiga/kaiga5.htm イエスの復活・・・
復活のキリストは赤い衣の姿で描かれるのが約束事
・・・
イエス・キリストは復活後、
40日の間、地上に留まり、しばしば弟子たちの前に姿を現し、神の国について語ったという。
そして、40日目、かつてイエスが孤独な祈りを捧げたオリーブ山の頂から、雲に乗って昇天する。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
大工のイエス様の「手本」に、学ぶべきものとは「理のつっぱり」。
強引とも、短気とも言える「宮清め」、そして断固として「理」を説く、三年千日の強い意志と実行力です。
「四の理」は、四つよんなか、豊年満作への道の理として「つっぱる」理の大切さを、教えておられます。
615 :
基本。:2010/02/14(日) 02:47:04 ID:vojfpKNr
明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。
・・・・・・・・・・・・・・・
「一寸話」「仕掛ける」と読むのが基本です。
「一寸」「話しかける」とは読みません。
「一寸話」とは「ちょとはなし・髪の言うこと聞いてくれ」で、「天地創造」に相当する意味に理解します。
元始まりの理の話を、「話しかける」ではなく、「仕掛ける」。
仕掛けをするという事です。
>>614 >ある人が、おやさまに、十字架を見せて、これはなんでしょうかと、お尋ねになったそうです。
>おやさまは、「それは完成の意義や」と、お答えになりました。
ソースは確かなのかね?
617 :
基本。:2010/02/14(日) 03:24:41 ID:vojfpKNr
>>615 > 明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
> さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。
・・・・・・・・・・・・・・・
「まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て」
「取り混ぜ取り混ぜて、」という事ですから、二回の反復ですから、「取り混ぜが二つある」事を示しています。
その前に、「あちらも」「こちらも」が、
この、「あちらもこちらも」も、「一寸話」と同様に、「お筆先(御神楽歌を含む)」が、元の根です。
このはなしどふゆう事であろふなら
からてんぢくもこころすまして 十号3
この心どふしてすますことならば
月日飛び出てあっちこっちと 十号4
つまり、「から」「てんぢく」をあっちこちと示す場合があるということです。
日本以外の口記(こふき)には、聖書と経文があります。
まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て
東洋、西洋、にほんと、その教えの起源(一寸話)についてにほんの教えと「釈迦」の教えを取り混ぜて、
にほんの教えと「イエス」の教えを取り混ぜて、
二つの取り混ぜにて、仕掛けをすると言う意味に理解するのが基本です。
618 :
基本。:2010/02/14(日) 03:43:45 ID:vojfpKNr
>>616 確かです。
天理図書館で、中西牛朗の著作物を、閲覧して下されば、確認できます。
宗教学者として、知られています。
http://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E7%89%9B%E9%83%8E 中西牛郎 なかにし‐うしお
1859‐1930
明治-昭和時代前期の宗教思想家。
安政6年1月18日生まれ。同志社にまなび、明治14年神水(くわみず)義塾をひらく。
米国に留学後、本願寺文学寮教頭となる。
「新仏教論」で仏教改革を説き、雑誌「経世博義」を刊行し国粋主義を主張。
天理教と神道扶桑教の教典をまとめた。
昭和5年10月18日死去。72歳。
肥後(熊本県)出身。号は蘇山。著作はほかに「宗教革命論」など。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教の教典をまとめたとありますが、教祖伝を書くように依頼されて松村吉太郎に招かれた学者です。
本人は、後に、死線をさまよった体験から、天理教に開眼し、中山みきこそ、イエス、仏陀を超えた真の宗教家だと、書いていたと記憶します。
なお、十字架の件は高野友治先生の著作の中でも読んだ記憶があります。
ネットに古書として「平凡社刊」で、たぶん私が読んだと思われる署名がありました。
紹介しておきます。
伊勢丹新宿店 第62回大古本市総合目録2003年12月
http://www.rsbooks.jp/isetan/is200312/200312isetan.htm 5977 神の實現としての天理教 中西牛郎 箱 平凡社 8000 吉岡書店
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中西牛朗は、教会本部にて、教典編集に従事しおやさまの伝記を書くという事をされていた。
ソースとしては、確かだと思います。
619 :
基本。:2010/02/14(日) 05:00:41 ID:vojfpKNr
「口記」の場合には、人間の悟りが記述された部分は、軽視して、「語られた言葉」そのものを理解することに重きを置くようにしています。
例えば、世界三大聖人の一人、孔子様の場合には、その出自について、「
「父の名も明らかでない「巫女の庶生子」として生まれ」とみなす見方がありますが、
孔子本人が述べているのは「貧しい」と「卑しい」という内容ですから、
つまり、孔子の「口記」としては、「巫女の」家系と言うことが意味としても、理としても正しいこととなります。
孔子の教えは儒教と呼ばれます。
儒教の基本テキスト五経の筆頭に上げられるのが「易経」です。
孔子は、政治哲学として論語で有名ですが、実は「易」という「オカルト」の権威であり、「巫女の家系」というものが、深い意味を持ちます。
孔子の誕生を「龍」が祝したと伝説がある。
それは、オカルトとしての孔子の位置づけです。
その孔子は「五十にして天命を知る」と、語っています。
孔子においての「数理」は、「論語」の中にあるあまりにも有名な孔子の言葉です。
『子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。三十にして立つ。 四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず。』(為政編)
その時孔子は、「霊感」として、天よりの声として「天命」を知っています。
五十歳です。
620 :
基本。:2010/02/14(日) 05:25:55 ID:vojfpKNr
イエスキリスト様が、この世の普請を「理」によって行う行為は、具体的には「宮清め」をなして、宗教改革というもので、世を立て替えようとされました。
大工のイエスキリスト様は、「神殿」を破壊して、「理」によって神の家むを普請されようとなされました。
その手段そのものも「オカルト」であり、「奇跡」と「福音(真理の言葉)」が、いうなら大工道具でした。
数理は、三年千日、三日、四十日。
孔子様は、天の声を聞く巫女系統の・オカルトの大家でありながら、奇跡を道具として持ち出さないで、「徳」を説くこと、政治においての哲学として「政治高山」そのものに、あるべき姿を示すことで、戦争の無い世を構築しようとなさいました。
本人が「天命」を聞いたのは五十歳。実行は五十五歳とみなしてよいでしょう。
お釈迦様は、イエスが宗教高山の理の間違いを正したと言うようなものではなく、
お釈迦様は、孔子が、政治権力高山の理のあるべき姿を正したというようなものではなく、
お釈迦様は、高山の人間の悩み・煩悩から解脱する「悟り」の道を開きました。
三人の立場は、貧者、中流、高山。
「口記」の方々は、それぞれに、この世界に、陽気暮らしの「どぢょ」を土台を構築されました。
その「理の世界」の数理は、おやさま、本席様に見せられた数理と、一致している。
617 名前:基本。 :2010/02/14(日) 03:24:41 ID:vojfpKNr
>>615 > 明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
> さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。
数理の一致というものが、神様の「一寸話」の、元の理の元の理たる証明です。
621 :
基本。:2010/02/14(日) 06:20:23 ID:vojfpKNr
具体的な数理の箇所から、この刻限の仕掛けを、悟りましょう。
>611
十のものなら八つという。後二分の処放って了うは八分という。難しい。
後二分というたら僅かや。まあ何年居てくれたら、内も結構や。なれどもどうも半端である。
十年の間、八年の間の苦労は容易やない。
なれども、まあ後二年は何でもない。八方明けたら明らかや。
もう僅か、まあ三日の辛抱さえ仕遂げたら、誰に遠慮は無い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、八年間を過ぎたという意味ですから、史実としては、明治14年の出来事です。
わかり易いので、この仕掛けを、確かめておきましょう。
622 :
基本。:2010/02/14(日) 06:29:41 ID:vojfpKNr
れんだいこ「ゲーム王」さんの年表から引用します。
http://www.gameou.com/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_59.htm 「こふき」をつくれ】
1881年(明治14年)、教祖は、4月よりお筆先第16号を執筆された。この頃から頻りに高弟達に、「元始まりの話し」をまとめるようおせきこみされた。
「今までも神学こふきあるけれど、元を知りたるものは無いぞや」(3.69)
「高山の説教聞いて真実の、神の話を聞いて思案せ」(3.148)
「日々に神の話しを段々と、聞いて楽しめこふきなるぞや」(3.149)
これを受けて秀司の死亡前後の時期に、秀司の協力者として働く山沢良次郎が和歌体の「この世始まりのお話控え」(山沢本こうき)をまとめた。
しかし、それは日暮れゆう貞の影響があるもので、教祖に見せられるようなものではなかった。
明治16年になって、桝井伊三郎も散文体の「桝井本こうき」をまとめたが、山沢の影響を残したもので、教祖は良としなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「こふき」という仕掛けが、数理によって見えてきました。
イエス様の聖書、お釈迦様の経文、孔子様の論語。
にほんには無いもの、「こふき」。
「こふき」をつくれとは、イエス様のごとく、お釈迦様のごとく、孔子様のごとく、理を伝えよという、意味そのものなのです。
が、当時のそばの者は、誰一人「国際感覚」が無かった。
つまり、世界一列という感覚が無かった。
月日が飛び出るという、から、天竺。
そこにある「口記」と、されに負けないだけのにほんの「口記」。
それを、きちんと示した刻限の仕掛け。
まさに、気ちがい婆さんの仕掛け、いや、優しいおやさまの仕掛け、です。
623 :
基本。:2010/02/14(日) 06:56:41 ID:vojfpKNr
>>622 > イエス様の聖書、お釈迦様の経文、孔子様の論語。
> にほんには無いもの、「こふき」。
さて、「口記」の作り手とは、聖書の場合には「イエス」ですが、イエスではない。
イエスは語り手です。
経文、仏典の場合も「口記」の作り手とは、お釈迦様作なのですが、お釈迦様は語り手です。
孔子の場合も、論語という「口記」の製作者は孔子様なのですが、孔子は語り手です。
> れんだいこ「ゲーム王」さんの年表から引用します。
> 山沢良次郎が和歌体の「この世始まりのお話控え」(山沢本こうき)をまとめた。
> しかし、それは日暮れゆう貞の影響があるもので、教祖に見せられるようなものではなかった。
> 明治16年になって、桝井伊三郎も散文体の「桝井本こうき」をまとめたが、山沢の影響を残したもので、教祖は良としなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで肝心なのは、孔子様は政治の現場にいた。そして教えを説いた。
イエス様は宗教の現場にいた。そして教えを説いた。
お釈迦様は人間の悩みの現場にいた。そし教えを説いた。
伊蔵様も助けを求める人に大工の仕事場で、悩みの現場にいて、教えを説いた。
伝道者であった。
記録の人ではなかったと、言うこと。
「口記」を作れとは、自分が伝道し、その記録を、ワトソン君に書かせるホームズになれということだった。
これに錯誤していたわけです。
イエス様は「取次ぎ人」。天なる父の声をお取次ぎされた。
戦いの現場に出向いて、死をも覚悟して、
この偉大な「口記」のつくり人。
おやさまの「子」イエスさまのように、身を戦場に置くことが、こふきを作れという神意だった。
「命のいらぬ者だけつとめに出よ」という日日の伝道の人になる。
それを意味している、刻限おさしづという、仕掛けです。
よっしゃ
625 :
基本。:2010/02/15(月) 18:43:48 ID:Ezbc6pmp
三年千日の理を諭された「刻限」おさしづ。
明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。
もう/\急がしい/\。日々が急がしい/\。 何でも彼でも、一つ見れば一つの理がある。聞けば一つの理がある。
二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。
難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。
皆一つ/\のひながたの道がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「紋型無き事」というのは、「無い人間を始めかけたのは、紋型なき事」ですから、
「無い人間をはじめかけたような事をしろ」と言うわけではない、と言う事です。
つまり、人間の影も形も無い中からの「元始まり」をしろということではなく、「人」としての道。
「人」としての「一寸話」なのだよと、示しておられるわけです。
「見れば」と「聞けば」が一対のように語られていますが、「見れば」と言うことは「現場に居合わせた場合」に用いるもの。
「聞けば」ということは、「伝聞情報」と言う事です。
3年千日はおやさまの場合には、もっと長いので、「見れば」は大工の伊蔵様の事。
「聞けば」は、伝え聞いた話ですので、「お釈迦様・イエス様・孔子様」と、
「にほん」と「から・天竺」という、距離の問題として理解します。
本席様の実際を見れば、或いは初代の実際を見れば、「一寸話」の一つ(始まり)の理。
イエス様やお釈迦様、孔子様の話を聞けば、「一寸話」の一つ始まりの理。
それぞれにあるわけです。 が、それは、一つの理と言う事で、
「二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。」
この箇所ですが、
「ふたつのりのどうりのりをおさめてくれねばならん」の音。
「二つの理の同理を治めてくれねばならん」と、文字を当てるべきだったと言う事です。
「どうり」とは、同じ理。
つまり、「あちらも、こちらも」同理。おんなじ理という思案で、宜しいと思います。
626 :
基本。:2010/02/15(月) 19:11:43 ID:Ezbc6pmp
> 何でも彼でも、一つ見れば一つの理がある。聞けば一つの理がある。
> 二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>626 「二つの理の道理」の事ですが、大工の関連では、思い当たることは「普請」です。
大工のイエスキリスト様は「宮清め」をなされました。
大工の伊蔵様と言えば、元治元年つとめ場所の普請が、第一の基点です。
あの時、「神前を通るときには拝をして通れ」と諭されましたのは、おやさまです。
「行かなんだら良かったのに」と言われたのは小寒子様でした。
新宗教を起こそうと言う、地主富裕層階級の意気込みは、大和神社にて、拝礼をするどころか、
「何かまわん、入れ入れ」と、神前で、「おつとめ」をどんちゃんしてしまったと言います。
それは、ある意味で、大工のイエスさまの「宮清め」と似ています。
「二つの理の同理を治めてくれねばならん」
これは、例えば、天理教の本席や初期の高弟たちが体験した大和神社事件と、イエスキリストとその使徒達の宮きよめ事件と、その同じ理について、
一寸の理として、きちんと治めておくべきであると、示されています。
「難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。
皆一つ/\のひながたの道がある。 」
軍事大国をめざした明治政府。そしてそれを思想的にバックアップした神道系宗教組織。
戦艦大和をまつる、大和(おやまと)神社。
どのようにして、「宮きよめ」はなされるべきであったかと言う「同理」を、深く知らなくては、この世の立替は出来ないと言うことです。
中山家に信者が来なくなって、年末年が越せない状態を大工の伊蔵が、お金を工面した。とか、
普請金が払えなくなって、そのことわりに大工の伊蔵が頭を下げて歩いた。とか、
そういうことで、「後の本席」の理が出来たと言うような、幼稚な話。
それに、私も随分騙されてきましたが、高弟たちは数ヶ月もせずにお屋敷で、扇の伺いしたりしていて、助造事件にも対応している。
つまり、そんな、お正月のお餅のご守護話で、「世界の聖人の同理」を見落としてきた、私たちが、愚かだったと言う事です。
627 :
基本。:2010/02/16(火) 00:47:44 ID:SQ3kFeG5
「一つ見れば一つの理がある。聞けば一つの理がある。」
一音一語で確かめますと、
「一つ」⇔「おやさま・ぢば・天理王の事」
「一つ見れば」→「お地場でのひながた を見れば」。
「聞けば」・・には、「一つ聞けばとなっていません」。
つまり、「から・てんぢく」での出来事を聞けば。。と言う意味です。
628 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 01:33:38 ID:4IPpaRCG
>>625 このおさしづは、既に「ひながたの道」を示された後ですから、「無い人間を始めかけた」後。
「無い人間を始めかけた」ということが、既に、「紋」になっている。
秀司さんは「紋付」を着て「青野菜」を売りにでられました。
629 :
基本。:2010/02/16(火) 03:52:57 ID:ROs8miMD
>>628 ひながたというお言葉が、何時出されているのか、確認されていますか?
「ひながたの道」と言うのは、二台真柱さまの造語ではないですか。
厳密にご検証を願います。
山名系の教義を、語るにしても、原典にあることと無いこと、又、史実の何時の時点のことなのかということ、明示されないと、情報の少ない人々に誤解を生じます。
> このおさしづは、既に「ひながたの道」を示された後ですから
これは、全くの、順序の後先が反対です。
このおさしづから、二代真柱様が「ひながたの道」と示されたのです。
おやさまは、「私の道は、ひながたの道」という教え方を、なさっていません。
おさしづ原文のように、理が知らされて、
それを信仰者の態度として「ひながたの道」をたどると、そう示されています。
おさしづは、政府に対して「秘」とされていました。
公刊されて、それで堂々と、読むことができるようになっています。
630 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 04:00:33 ID:4IPpaRCG
>>629 >ひながたというお言葉が、何時出されているのか、確認されていますか?
「ひながたの道」と言うのは、二台真柱さまの造語ではないですか。
>>625 > 三年千日の理を諭された「刻限」おさしづ。
> 明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
> さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。
> もう/\急がしい/\。日々が急がしい/\。 何でも彼でも、一つ見れば一つの理がある。聞けば一つの理がある。
> 二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。
>
> 難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。
> 皆一つ/\のひながたの道がある。
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「 皆一つ/\のひながたの道がある。 」
おさしづにあるのに、二台真柱の造語とはこれいかに?
「無い人間を始めかけた」その後のおさしづだから、「無い人間を始めかけた」ということは既に「紋」
631 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 04:03:12 ID:4IPpaRCG
基本。は「親神」という言葉も二台の造語だと言っていたが、初代真柱の歌われた歌に「おやがみ」とあるのを知らないのか。
632 :
基本。:2010/02/16(火) 04:05:51 ID:ROs8miMD
物事には、根があって、枝先があります。
「理」においては、なおさらに、「根」と「枝先」「葉」とを、厳密に分けて思案しなければなりません。
山名系神学は、天理教学は根を軽視して「枝先」を重視します。
>>628 > 秀司さんは「紋付」を着て「青野菜」を売りにでられました。
これが、「紋」なのでしょうか。「ひながたの道」なのでしょうか。
一笑にふされます。
天理教のはっぴ着て歩いたから、紋付のひながただとか、
お勤め着を着て、上段でお勤めしたから、ひながたの道だとか、言い出しそうで、「葉」すら相当しない、とんでもないことを言い出すのが、
天理教団擁護の、教義教理のようです。
おやさまが、この刻限で教えられているのは、そんなばくちで散財した秀司が「紋付着て青物売りした」というような、「枝葉」の理のはなしではない。
世界の三大聖人が、その中のイエス様が命がけで「宮清め」をした。
お釈迦様が命がけで「真理」を説いた。そういう「こふき」の問題なのです。
教会生活していて、部下教会に行って、高座で紋付着て、講話した。
そんなものは、大工のイエス様の足元にも及ばない。
そういう自覚をなさることです。
633 :
基本。:2010/02/16(火) 04:14:41 ID:ROs8miMD
>>631 > 基本。は「親神」という言葉も二台の造語だと言っていたが、初代真柱の歌われた歌に「おやがみ」とあるのを知らないのか。
懐かしい、山名系の教義のプロパガンダの方ですか。
そろそろ、「理の親信仰」賛美、やめませんか。
さて、あなた書いているでしょ。自分で。
初代真柱「おやがみ」・・うた。
二代真柱「親神」・・講話、教典。
おやさまと呼ぶのは、政府は禁じていたわけではない。
だから、「おやがみ」というのは、「おやの身」と言うことで「おやがみ」
ここで言う「が」とは「格助詞のが」です。
三代真柱様が学生会で言われているのは「理のおやごさん」。
「理の親」そんといったのではなく、「理のおやご」さん。
それを根拠にして、「理の親」と三代真柱は言っているという、とうとう、山名系もそこまで化かしてるわけですよ。
天理教オーソドックスという名で、かっての「こせつ」さんはね。
そりゃ、無理です。
初代真柱の公開の書き物の「おやがみ」が「親神」でないことは、あなた十分承知のはずです。
634 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 04:17:03 ID:4IPpaRCG
>命がけで「宮清め」をした。
それは短気であった。
八棟八商売とあった。
紋付着て青物売りした。
「青」はなんだろうね。
「 皆一つ/\のひながたの道がある。 」
おさしづにあるのに、二台真柱の造語とはこれいかに?
635 :
基本。:2010/02/16(火) 04:24:47 ID:ROs8miMD
異端に惹かれて、伊藤青年・今は天命庵の、こわいろ教祖のものまねのプロパガンダも通用しなくなって、
胸には「空虚」、語る言葉は山名系教義、知識の人のむなしさです。
肝心なのは、おやさまの教えそのもの。
人が人を導くという、思い上がりはやめませんか。
基本は、誰一人導いてもいないし、真理を解き明かしてもいない。
そんなことは、おやさまと各人の事。
教団擁護する価値なんて、どこにも無い。自分を擁護しているだけなのですよ。
人が無知なうちは、もっともらしい事言ってれば、みんな付いてくると思うかもしれない。
だが、人それぞれに、おやさまをきちんと感じている人もいる。
知識人であるということは、阿呆になれない。残念がある。
私以上に知識があるのだから、「疑いを」捨てませんか。
おやさまは、親神様だと、信じないと、それでは心は「空虚」そのものですよ。
636 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 04:28:41 ID:4IPpaRCG
何か誤解をされているようですが、
おやさまは、親神天理王命様だと信じていますし、その上で、基本。は「とふじん」だと主張しているのです。
637 :
基本。:2010/02/16(火) 04:30:14 ID:ROs8miMD
だから、説明をしてあげたでしょう。
おさしづに「みなひながたの道」とあって、
それから「おやさま・ひながたの道」というものを説かれたのでしょ。
あなた知ってて、絡んでいるだけで、まあ、私には心地よく、ちょうどいいタイミングと思いますよ。
いいですか、「みなひながたの道がある」という言葉の「ひながたの道」というのは、特定の「教祖ひながた五十年」をしめしていない。
それに、定義を与えて「造語」になるのです。
お分かりですよね。
山名系の「理の親信仰擁護派・知識人」さんなら。
638 :
基本。:2010/02/16(火) 04:38:10 ID:ROs8miMD
>>636 > 基本。は「とふじん」だと主張しているのです。
だったらちゃんと、堂々と最初からそう告げてください。あとだししないでね。
「とふじん」、大和地方の言葉では「わけのわからないことを言うやつ」、でしたね。
そういう意味ですか、筆先に言う「とふじん」ですか。
どちらの意味ですか。
639 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 04:41:04 ID:4IPpaRCG
筆先に言う「とふじん」です。
640 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 04:43:57 ID:4IPpaRCG
641 :
基本。:2010/02/16(火) 04:55:10 ID:ROs8miMD
おやさまのご態度は「問うことあれば問え」です。
つまり、ひながたの道とは、とふじんには、「問うことあれば問え」ですね。
じゃ、私に、あなたに問うこと、あるかと言えば無いです。
神様に対しても、問うことは、これと言ってなにもないです。
根は掘りますが、私は、問わない。
「理」の思案はしますが、問うことなんてひとつも無い。
解答書・つまりお筆先・おさしづがある。 そして、身の内の教理があるのです。
解答書があってもわからないとしたら、それはまだ掘れていないから。
通っていないから、つまり、根を掘るだけです。
仮に、私を「とふじん」と言うのなら。あなたはひながたのみちのように、私に問わせて問答しますか。
私のほうで、その必要は、まるでありませんが、
おさしづにて別の内容を掘られたとするなら、それをきちんと公開してくださいね。
無意味でしょ。
山名系教義は、天大宗教学科系教義は、もう陳腐化してきていて、私に説くだけの中身内でしょう。
642 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 05:02:43 ID:4IPpaRCG
> 「とふじん」、大和地方の言葉では「わけのわからないことを言うやつ」、でしたね。
> そういう意味ですか、筆先に言う「とふじん」ですか。
> どちらの意味ですか。
これは問いですか?妄想ですか?独り言ですか?
643 :
基本。:2010/02/16(火) 05:07:38 ID:ROs8miMD
最近、「基本」を語る別人をみかけましたが、困るので生ねえ。
いま、教団幹部が説いているいんちき教理ではない、「原典」の教理を、日本中にばらまかれると。
「大」教会は、ぐるりと「とふじん」だなんて、本当の事書くから、
基本こそ「とふじん」だとか、言いたくなりますよね。
正直にそれを言う人は、心地よいです。
>>640 国籍問題にわざと、触れてくる。
侵略戦争に協力して、便乗して布教師を派遣した、山名系と教庁の指導者たち。
その因縁があるから、「朝鮮」とかそういうものを持ち出したくなる。
イエス様が「宮きよめ」した相手方の、これも「理の親信仰」の神学者たち。
そういう姿を、鏡に映して、確かめるには、2ちゃんにて、書き込むことです。
644 :
基本。:2010/02/16(火) 05:16:40 ID:ROs8miMD
ああそうか、と、思ってしまった人は、おさしづ原文で意味がすっと通じてしまう。
私は「天理」スレで、
1 名前:柱 ◆xSK1SiC5MI 2008/11/29(土) 23:21:23 ID:zu5lGDb4
屋敷を売らずにたーすけてぇーやる
天理王のみィーこと
こころは、病み悩み、もやもやで、なんとか20年たちました。
おち”ばにもいかず。
無責任信者と陰口をたたかれると思い込んで早20年。こんな男に誰がした。
この事について、語っているのですよ。
大教会がした。と。
それをきちんと教理的に教義的に書いている。
スレの趣旨、踏まえもしないで書いているのではない。
「理の親信仰」と「いんちき教義」、「大教会長というとふじん」
これを、示さなければ、信者は全員不幸です。
口当たりのよい、勧誘言葉。
家族的な雰囲気とやさしさ。
理の親という信仰権威。
詐欺そのものであり、神は掃除するのですよ。
日本中に、基本教理が浸透したら、理の親信仰なんて、「ころり」です。
645 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 05:26:24 ID:4IPpaRCG
646 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 05:32:41 ID:4IPpaRCG
「とふじん」とは西洋人ですと発言したことのある基本。がなぁ。
>国籍問題にわざと、触れてくる。
とか言うんだからねぇ。
647 :
基本。:2010/02/16(火) 06:45:19 ID:ROs8miMD
>>645 適切なコメントありがとうございます。
「教会制度」そのものも問題であるとして、その上になぜ「大教会」があるのか。
これは、全く、復元しようとしない最悪の現象です。
「大教会」の問題を見詰める上で、刻限おさしづは、「みな雛型がある」と示されてある。
つまりそれは、にほんのこふき以前のこふき、「聖書」に記された、信仰悪の問題に、ひながたがあるということです。
ペテロは、イエスのことを「キリスト・救世主」と認めた第一号の人物だが、権力にまけて、
そして「教会」をつくりあげてしまう。
「天国と地獄」の鍵の持ち主で、それは、大教会長のごとくに、「権威」はあっても、末端にまでの責任は追わない存在。
こういうものを、掃除しないと、宮きよめにならない。
>>645 > ただ、「とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく 2-32」とある。
このご指摘のように、国々にいたはずの「国のしんばしら」のはずの大教会長が、本部要職にと流れ込んで、
にほんで、はばを利かせている。
まさに、理の責めの対象として、きちんと示さねばならないことです。
648 :
神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 08:30:58 ID:2IpI/mg+
基本さん。
お元気そうでなによりです。
私は基本さんのお陰で、お道を辞めずに通らしてもらってます。
家庭の中で色々な節を見せられておりますが、なんとか頑張っております。
基本さんもお元気で頑張ってください。
649 :
基本。:2010/02/18(木) 04:03:12 ID:4uCyldVO
お道が通らせて頂けるのは、誰のおかげでもない。おやさまお一人のおかげです。
必ず、お役に立てるような道具であるためにも、教えの根を、しっかりと掘り切りたいと思いますので、よろしくお付き合いください。
650 :
ふー。:2010/02/24(水) 12:02:51 ID:52cEewII
ひのきしんと称して、人の善意をタダで使ってはいけない。
高山信仰を、理の親信仰を辞めるのは信者ひとりひとりが根を掘り、行動に移していかねばなりません。
教会の中の高山意識を変えていくのは、物言わぬ信者なのか、お願いされても吟味して行動する信者なのか
間違っていることを指摘していく信者なのか、今問われています。
教会では無責任信者、世の中では道具となる。
やらないことの方がエネルギーがいります。
主旨からずれたらすみません。
大社への信仰。高山へのへつらい?
そのまえに、中山みき教祖が筆に記したり、口にしたりした言葉は、よく天啓と
言われていますが、それは本当なのですか?
すみません。何も知らないので…。
たれでもいいのですが、教えてくださいませ。
652 :
基本。:2010/02/25(木) 05:54:14 ID:0vEK5z6q
>>651 さん。
「よく天啓と言われていますが」との、ご質問ですが、「天啓」と使われていた実例をご存知で、質問されているのでしょうか。
現在の天理教では、「天啓」という言葉は、使用されていません。天啓という言葉そのものが、教義からは除外されています。
それは、意味として、正しくないという事からです。 通常は、天啓とは。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%95%93 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天啓(てんけい)とは、 原義
神などの超自然物から与えられたお告げのこと。
様々な宗教の開祖は、天啓を受けてその宗教を始めたといわれている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこで、こうした一般概念から、「月日」・・大自然の摂理や宇宙を司る存在が、「教祖・中山みき」にいりこんだという解説が、理解を得られやすいという事で、教祖にいりこんで「天啓」による宗教だと、解説されました。
「おまわりさん?」「泥棒を捕まえる人」といったたぐいの、幼稚な解説で、ごまかしていた時代もあって、それで、天啓という言葉が用いられました。
「天啓は本当か」と言う質問ですが、モーゼの場合でも、イエスキリストの場合でも、中山みきの場合でも、お釈迦様でも、「天の啓示だ」と、教唆本人が「天啓だ」と示していないように、
「天啓」というのは、誰にもあるもので、つまり、その人間が脳内にて、閃いたものであり、「天」と言っても、「脳天」の啓示と、みなす方が以前です。
653 :
基本。:2010/02/25(木) 06:12:12 ID:0vEK5z6q
例えば、イエスを、あなたこそ「キリスト」(救世主)だと、呼んだのは、ペテロですが、
それは、「父なる神があなたに語られたのだ」と、イエスは言われています。
おやさまは、「我は元の神実の神である」と、一人称にて宣言しています。
それを、「つきものが原因」だと、判断したり、何かが乗り移ったりと考えて、「どなた様がお下がりになったか」と、質問した修験者に対しても、
一人称で、「我は天の将軍なり」と答えたと記録されています。
それは、人間の脳の働き以外でないことは、「身のうち離れて神はなし」と、中山みきは、語っています。
654 :
基本。:2010/02/25(木) 10:22:28 ID:0vEK5z6q
>>651 > 大社への信仰。高山へのへつらい?
大社高山取払いと、言う啓示は、中山みきの思想として、脳内にて、形成された思想です。
ありがとうございます。
ではみき教祖さんが口にしたり筆でかかれた「神」とはなんですか?
どなたでもいいのて、教えてくださいませ。
656 :
基本。:2010/02/26(金) 03:27:45 ID:sLeD8Ncf
「神は理である。理は神である」と、おやさまは言われています。
お釈迦様は「法」を説かれました。「法」とは、人間生活を重視したもので、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
仏教において「法」が教えの中心となったのは、釈迦のさとりが「法」の自覚であったことと、その伝道が「法」の伝達であったことに明らかである。
「法」をよりどころとし、「法」を規範としての生活こそ仏教者の生活であるという教法は、しばしば経典に見いだされる。
・・・・・・・・・・・・・
おやさまは、自分が人間の元の親であると言う思想の持ち主でした。
このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり
つまり、この世を初めた神と、言うのが「最初の母親・中山みき」の思想です。
お釈迦様は、それに対して、「縁起」という真理を「法」として語られた方です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
釈迦のさとった法は、釈迦のドグマではない。「仏がこの世に出ても、出てこなくとも変わりのない法」と経典にあるように、
「世間の実相」「世界の真理」であるというのが釈迦がみずからの所信であり、仏教の主張である。この「法」(=真理) とは、縁起の理である。
・・・・・・・・・
仏教で言う「縁起の理」とは、普通に言う「因縁」の事です。
中山みきは、「元のいんねん」を説くために現れた「親神」です。
その、元の因縁の中でも、大切なものは、「神の子」という思想です。
このよふのにんけんハみな神のこや
神のゆう事しかときゝわけ 第3号 97
たん/\となに事にてもこのよふわ
神のからだやしやんしてみよ 第3号 40
この世界は「神のからだ」。この世に、生まれ生きるという事は、親の身体にて、生まれ生きる事であり、自然が生命を生む。
人間は、神の子であるということは、人間の縁起そのものです。
神とは、「おや」であり、神の体は「この世界」。
それは、「存命のおやさま」が親神として、お筆先に書き記した事です。
656さん。
みき教祖の脳内で形成された思想とのこと。
思想が形成されるには動機があったのですか?
もしご存じならば教えてくださいませ。
658 :
基本。:2010/02/27(土) 03:46:40 ID:GFfVZOXs
生物の情報は、遺伝子によって、伝承されます。「つまり身の内離れて神はなし」です。
中山みきの出生は、前川家です。
前川家と言うのは、「大和神社(おやまさ神社)」の代々の信徒総代の家系です。
「大和神社」と言うのは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE 日本書紀によれば、元々倭(日本)大国魂神は天照大神とともに大殿に祀られていたが、世の中が乱れ謀反を起こすなどするのは、両神の勢い畏れ、
崇神天皇6年(紀元前92年)、倭大国魂神を皇女渟名城入姫を斎主として祀らせた。
しかし、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。
崇神天皇7年(紀元前91年)、倭迹迹日百襲媛命が夢で「市磯長尾市をもって、巫女、または神子(みこ、ふじょ)とは、主として日本(大和)の神に仕える女性のこと。
古来、神の言葉(神託)を得て他の者に伝えることが役割とされていたを祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑こうした、事実が示すように、日本人の神の家系、「アマテラスを天神とし、ヤマトノオホクニタマを地祇」とした、「倭大国魂神」に由来した神社です。
前川家では、いとこ同士の結婚が「意図的に行われていた」と、見るしかない、遺伝子の保存行為があります。
中山みき自身もいとこ同士の結婚です。
つまり、「倭大国魂神」の遺伝子を、伝承していた一族と、基本は、そう見ています。
信徒総代とは氏子の総代という事ですが、氏子の娘を巫女とするのが、伝統的な古神道です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3 巫女、または神子(みこ、ふじょ)とは、主として日本(大和)の神に仕える女性のこと。
古来、神の言葉(神託)を得て他の者に伝えることが役割とされていた
・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきの遺伝子の中に、倭大国魂神(当然人間です)の遺伝子が、交配によって伝承されていて、それが脳内に思想形成の動機付けをしたと、言う事だと思います。
659 :
基本。:2010/02/27(土) 04:15:55 ID:GFfVZOXs
神様は「因縁なきところに道はつかん」と仰せられています。
「天孫降臨のアマテラスと、地祇のヤマトオホクニタマ」と、その関係はヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。
そこで 「世の中が乱れ謀反を起こすなどするのは、両神の勢い畏れ、 」と言うのは、朝廷内にて「天津系と国津系」の宗教対立があり、国津系を「大和(おやまと)神社」に祭らせたと、理解されます。
この前後に、朝廷内で抗争があった事は明白です。
中山みきは、宮中にて抗争の渦中にいたと推理される内容を、中山みきの前世として語っています。
ヤマトノオホクニタマについては、市磯長尾市【いちしのながおち】と言う人物に関連しているという事です。
http://kotobank.jp/word/%E5%B8%82%E7%A3%AF%E9%95%B7%E5%B0%BE%E5%B8%82 大倭直を称する氏族の始祖。
『日本書紀』によれば崇神天皇の代に,疫病がはやり人心が乱れたとき,神のお告げにより,天下太平を回復すべく倭大国魂神を祭るように指名される。
次代の垂仁天皇のときにもしばしば名がみえ,新羅の王子の天日槍の来日に際し,審問のための使いを命じられている。
ただし神の祭りについて,同書では同じ垂仁天皇の代のこととして,初め渟名城稚姫命が祭主と定められたが,
それがうまくいかずに姫が極度の衰弱に見舞われる事態となり,代わって長尾市が祭るように変更されたとする伝承も載せている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なお、近親相姦による奇形等の排除については、サラブレッドの交配に用いられる理論があり、人為的に遺伝子を保存する技術は、確立されているという。
こじつけ妄想乙
あのー656さん。
「脳内で形成された思想」だというからには、その思想を形成する背景、動機というものが
中山みきさんにあったのではないのですか?
それを訊ねているのですが‥。
どなたでもいいですから、ご存じの方がいらっしゃるなら教えてください。
662 :
基本。:2010/02/27(土) 11:01:53 ID:GFfVZOXs
>>660 近親婚というものは、神々の時代には、常套手段として用いられていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A6%AA%E5%A9%9A 世界各国の神話の天地創造では、神々や創造直後の人間が近親婚を行い、神や人口を増やす描写があることが多い。
古代エジプトなどにおいては、近親婚が容認されたり、むしろ奨励されたりしていたケースもある。
権力者が長い世代にわたって同族による主権を維持すると、血統の純潔性を保とうとする意味から近親婚が多くなる。
日本においても、奈良時代以前、すなわち古事記・日本書紀には王族・皇族において異母兄弟姉妹間の結婚が数多く記載されている。
しかし、これらの関係は、系譜の造作の結果(無理やり父系的な系譜に作り変えられた)とも考えられ、慎重な検討が必要である。
ただし、オジ・メイ婚やオバ・オイ婚(兄弟姉妹のレベルが異母あるいは異父の場合に限る)は、
従兄弟姉妹婚と同様、血の純潔さを尊重する立場から好んで行われたことは確かなものと考えられる。
古代の大王家と蘇我氏、及び平安時代以降に続けられた皇室と藤原氏との婚姻も、同姓間ならぬ近親婚の累積である。
かつて、農業後継者の確保等の要請から親族間の結婚が少なからず行われていたことは公知の事実であり、地域的特性から親族間の結婚が比較的多く行われるとともに、
おじと姪との間の内縁も散見されたというのであって、そのような関係が地域社会や親族内において抵抗感なく受け容れられている例も存在した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天皇家が近親相姦の状況下で、あった事は昭和の時代の現実である。
>>660 こじつけと言うご指摘があったが、歴史的事実として、「宮」「祭司」においての近親婚は、事実であり、その意図するところは「血の保存」にあった。
中山みきの有していた遺伝情報は、人間の親神としての情報として、日本人のルーツの神の遺伝子だという事は、出生の家柄と照らして、合理的な、推察である。
人間は神の子であるから、神の情報は遺伝子として有している。
その中でも、元の親神としての遺伝子情報が、きちんと保護されて来ていることの方が、自然である。
663 :
基本。:2010/02/27(土) 11:39:59 ID:GFfVZOXs
>>661 > その思想を形成する背景、動機というものが 中山みきさんにあったのではないのですか?
前川家においての情操教育という問題に、帰結します。
中山みきは、「前川半七」と言う、人物を尊敬していました。
みきは、前川半七正信(当時34才)を父とし、8才年下のおきぬ(当時26才)を母に、その長女として誕生した。
のですが、尊敬していたのは、父親の「前川半七」よりも、その先代の前川半七だと思われます。
農民の為に献身的に庄屋としての義務を果たした人物と伝わっています。
前川家が「血筋」を重んじていて、いとこ同士の結婚を「みき」に進めているわけですが、
前川家は、浄土宗の檀家でもありました。
思想的な教育としては、浄土宗の教えを受けていたという事です。
前川家は浄土宗の檀家であったので、その感化を幼時より受ける。
浄土宗の僧侶になることを希望し、19歳の時に五重相伝を受ける。
つまり、遺伝子的には「古神道の巫女」、社会思想的には「義民的農民運動」、宗教思想的には、「浄土宗の念仏しそう」。
この、要素が、中山みきの脳内にて、「神の教えを告げる」「世の立替」「浄土思想」を、培っていた事になります。
しかし、十代の中山みきは「遺伝子」に覚醒しておらず、情操教育の中で、尼さんになりたいと言う「前川みき」であり、13才にて、結婚します。
「血の保存」を重視する「親の決めた結婚」でした。
「それは、孫同士の結婚」。
けれど、元始まりの「しょやしき」に、連れ帰られたということで、結果として、遺伝子情報の覚醒の時を迎える事となります。
664 :
基本。:2010/02/27(土) 12:05:51 ID:GFfVZOXs
年齢的にも昔で言う13才です。今で言う12歳で、「血族結婚」された。
寺子屋で読み書きを学ばれたのは、今で言う8才から10才。
「浄土宗の和賛」の暗誦は、その中9才の頃です。
>>661 > その思想を形成する背景、動機というものが 中山みきさんにあったのではないのですか?
大和の国の片田舎、社会経験や体験の機会すらあり得ない、12歳までの「前川みき」に、動機付けしていたものは、
つまり、情操教育そのもの、前川家の家系そのもの、周辺においての情報以外には考えられません。
遺伝子としての「大和の国」の本家たる「地祇」の遺伝子。
そして、庄屋としての前川家の社会活動。
母親の教えた、「浄土信仰」の思想。
13才という年齢での「血の保存」という「特殊な結婚」。
そうした環境の中で、前川みきから中山みきに、妻になった。
6年後の19才には、「五十相伝」を受けたとあります。
仏教信仰を、積み上げていたという事です。
前川家の情操教育がみき教祖の背景だったのですね?
ところで664さん。
「神」「元の神・実の神」とか「元の屋敷」とか「元のぢば」とか‥
みき教祖の脳内に思想として閃いたそうですが、浄土宗の教育を受けたからと
いって飛躍があると、うちには思えます。
その飛躍の鍵はなんだと考えられますか。遺伝子が覚醒?なんか月刊「ムー」の
記事なら面白そうですが‥。
それと今一度みき教祖の脳内に思想として形成された「神」や「元の神・実の神」
の説明をしてくださいませ。
すみません、とんちんかんな質問で‥。
666 :
基本。:2010/02/27(土) 13:01:25 ID:GFfVZOXs
「特殊な結婚」の話題は、以前にも整理してあります。そちらの方が、きちんと書けていますので、ご紹介、引用しておきます。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1202484117/153- [160]基本。 08/04/06 17:21 WLHJZl.W3V
・・中山家では、孫同士の結婚というものが、反復されています。
つまり、魂の因縁というのはオカルトですが、交配による遺伝子操作というのは、メンデルの法則を代表とした科学的実験です。
・・競馬でのサラブレッドは、近親交配の結果として知られています。
{サラブレッドとは]を引用します。
http://homepage3.nifty.com/hr-univ/class/thoroughbred/what_about.htm { 家畜育種学の祖というべきロバート・ベイクウェル氏の近親交配による品種改良という技術によってイギリスはさまざまな種において優れた品種を生み出すことに成功したのでした。
そういうことも影響して、馬産の世界でも1793年に「ゼネラル・スタッド・ブック」という血統書が発行され、この本に記載された馬と血統的なつながりを証明できる馬のことを今日「サラブレッド」と定義しています。
これ以後各国でも血統表が作成され、血統の系譜が証明できない馬はサラブレッドでないとまで言われるようになりました。サラブレッドが最も系譜の整った動物であるといわれるのは、サラブレッド1頭1頭の血統をたどっていくと必ず祖先までさかのぼれるからなのです。}
・・・・・・・・・・・・・・
[161]基本。 08/04/06 18:07 W
・・ {崇神天皇とは、3世紀から4世紀初めにかけて実在した大王と捉える見方が少なくない。}
{後述の諡号から、崇神天皇を以って初代天皇とする説や崇神天皇と神武天皇を同一人物と見る説がある。}
由緒としては、まさに大和のルーツであり、しかし設立の、その頃には、まだ氏姓制度が整っていなかった頃であり、紋型も無い頃というべきなのでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その「古大和」の血筋を思慮すれば、
中山みきが、ただの百姓女であり、子供の頃に特別な宗教体験もしていない以上は、「思想形成の動機」とは、
大和のルーツの遺伝子を有する家系として「血の保存」をしてきた前川家に生まれたという事が、やはり、最も重要な動機でしょう。
667 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/27(土) 13:16:17 ID:YGp+DhVK
天理教が日本で神道の派閥としてあまり根付かないのは宣伝が足りないからなのかな。
直接の勧誘ではなく雑誌や広告を出して間接的にやった方がいいのに。
668 :
基本。:2010/02/27(土) 13:26:46 ID:GFfVZOXs
> みき教祖の脳内に思想として閃いたそうですが、浄土宗の教育を受けたからと
いって飛躍があると、うちには思えます。
>
浄土宗とものは、「仏教」なのですが、「浄土教」とも呼ばれているように、「仏教」とは異質なものと、見られています。
浄土についての定義が異なるからです。開祖は「法然」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E6%95%99 学問的に仏教思想を扱う場合に、浄土信仰を仏教とは別の宗教とみなして「浄土教」という語を使う場合もある。
浄土について
「浄土」という語は中国での認識であるが、思想的にはインドの初期大乗仏教の「仏国土」がその原義であり、多くの仏についてそれぞれの浄土が説かれている。
しかし中国・日本においては、浄土教の流行にともない、浄土といえば一般に阿弥陀仏の「西方極楽浄土」をさす。
・・法然 法然(法然房源空、1133年-1212年)は、浄土宗の開祖とされる。・・・
「専修念仏」の教えを広める。
(1175年が、宗旨としての浄土宗の立教開宗の年とされる。)
法然の提唱した「専修念仏」とは、浄土往生のための手段のひとつとして考えられていた「観相念仏」を否定し、
「称名念仏」のみを認めたものである。
「南無阿弥陀仏」と称えることで、貴賎や男女の区別なく西方極楽浄土へ往生することができると説き、往生は臨終の際に決定するとした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
『仏教』は悟りの哲学であるとされます。
それに対して、『浄土教』は「唱える」行為が、仏を念じるものという、新たな思想を提起したわけです。
「哲学としての念仏」ではなく「祈りの行為としての念仏」を唱えたと言う事です。
そして、「南無天理王命」と「唱えて、神を呼び出す」という、中山みきの思想は、「浄土教」そのものです。
「和賛」というものも、「歌う」と言う行為です。
それを「立って踊り、歌う」という「神楽念仏」のように、「称える」に加えて「踊る」を「勤行」に発展させたのが、後の中山みきです。
浄土信仰は、確実に、中山みきの思想形成の動機となっています。
669 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/27(土) 13:29:02 ID:YGp+DhVK
天理教の理念、精神論をビジネスに活かす手段の一つとして、
インターネットがある。
ふーん‥。
なんか今ひとつよく理解できないです。すみません。うち、あんまし賢くないから‥。
あのー、思想というからには、みき教祖が内面で思索した変遷とか、あるいは
葛藤とか、とにかく「南無天理王命」と唱導するにいたった経緯なんかがあると思います。
彼女自身が深刻に綴り語ったものが残されているならば、それを紹介してほしいのですが‥。
でないと、無知なうちにはあなたの書き込みすら理解できひんもん。
浄土宗で「元の神」とか「実の神」あるいは「元の地場」とかいう思想概念があるのですか?
すみません。とんちんかんな質問ばかりで‥。
でも、うち、とても感謝しています。こんなにレスをくださり、感謝以外のなにものでもないです。
ありがとうございます。
これから基本さんと呼びかけていいですか?
それと中山みき教祖のことを「彼女」とか言ってすみません。反省しています。
672 :
基本。:2010/02/27(土) 18:39:28 ID:zlYMTkR1
>>670 > みき教祖が内面で思索した変遷
先ずこの問題ですね。
誕生から19才の妻、中山みき、現在の18才ですが、みきが内面の問題で表面化したのは、
13才、結婚の時のみきの態度と言葉です。稿本教祖伝に記載されています。
『 叔母きぬが、姪の人並優れた天分を見込んで、是非、伜善兵衞の嫁にほしいと懇望した。
両親からこの話を当人の耳に入れた処、生来身体が余り丈夫でない処から、浄土に憧れ、かねて尼になりたいと思われて居た頃の事とて、
返事を渋って居られたが、両親から、
嫁して夫に仕えるこそ清浄な婦道である、と、懇ろに諭される言葉に納得して、
「そちらへ参りましても、夜業終えて後は、念仏唱える事をお許し下さる様に。」
との希望を添えて、承知された。 』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「尼になりたいと思っていた」「病弱であった」 12才の頃には、「宗教で生涯を終えたい」と願っていた事が分かります。
清らかに生きるという願望を持っていて、独身ですごそうとしていた。
「しかし、親から、「嫁して夫につかえることが、婦道だと諭されて納得した」
ただし、嫁いでも、みき本人は、毎晩「念仏」を唱えたいと願望して、その許可を得たと言うことです。
「念仏を唱える」という行為は、「極楽浄土に行きたい」と言う意思を、「声に出して言う」という行為そのものです。
現代風に言うと「ガンバルゾ、がんばるぞ、ガンバルゾ、オオッ」という、パフォーマンスを仏に唱えると言うことです。
その目的は、「極楽浄土」に生まれかわりたいという、願いを仏に通じるという事にあります。
みきは、健康不安と極楽への憧れから、死んで「往生」したいと、念仏信仰をきちんと自分の人生の柱と決めていたと言う事です。
基本さん。健康不安のある方が、そんなに声を出さずとも、もっと静かに口にされていたのではないですか?
でも、声の大小はともかく、毎晩念仏を唱えてはったんですね。はい。
674 :
基本。:2010/02/27(土) 19:20:59 ID:zlYMTkR1
感謝、そして感謝さん。あらためまして、よろしくお願いします。
中山みきの生家の宗教は「大和神社の氏子総代」でしたが、「浄土宗」を信心していた。
浄土宗の基本的な考え方は、「あの世」での幸福。「極楽に生まれかわる」というものです。
彼女の母親は、和賛を唱えていて、10才の彼女は、それを暗証するようになりました。
彼女が、少女の頃に暗証した「和賛」とは、どんなものなのでしょうか。
http://jtrad.columbia.jp/jpn/s_wasan.html 『声明の一種。一般には諸仏、菩薩、高僧の徳や行跡を和文の詩形式で讃えた歌謡を指し。
多くは七・五の十二音節を一句として、それを重ねる形式で作られる。
のちの今様の成立や現代に伝わる童歌(わらべうた)などに大きな影響を与えた。
鎌倉時代に入ると和讃は仏教儀式のなかでことのほか重要視されるようになった。
これは親鸞の『三帖和讃』、一遍の『別願讃』などが今日までそれぞれ真宗・時宗の法要で声明として唱えられている事からも分かる。』
・・・・・・・・・・・・・・・・
童謡の旋律の中に、和賛の影響がある。 日本人の「歌」の形態の一つが「和賛」。
その歌詞を、全部暗記していた、彼女。
彼女の暗記した「和賛」とは、どんな歌詞だったのか、「一曲」を「浄土和賛」の実例から、推理してみます。
675 :
基本。:2010/02/27(土) 19:26:42 ID:zlYMTkR1
>>673 > そんなに声を出さずとも、もっと静かに口にされていたのではないですか
この事ですが、念仏は、一心不乱に唱えるべきものですから、ひっそりと静かにやっていては、
仏様に、申し訳が立たないと、そういうものです。
のちに彼女は、御神楽歌を「作詞作曲」します。
奇麗な響きの声の少女の「和賛」。
彼女が説き流す教えは、歌声として流れていたと、・・・
「和賛」とは、日本の「賛美歌」と、理解して良いと思います。
676 :
基本。:2010/02/27(土) 19:29:17 ID:zlYMTkR1
彼女が暗記した、暗誦したと伝承の「和賛」の歌詞の、一例です。一番の大ヒット曲は「親鸞作詞」との事です。
(1) 弥陀の名号 となへつつ 信心まことに うるひとは
憶念の心 つねにして 仏恩報ずる おもひあり
(2) 誓願不思を うたがひて 御名を称する 往生は
宮殿のうちに 五百歳 むなしくすぐとぞ ときたまふ
(3) 弥陀成仏の このかたは いまに十劫を へたまへり
法身の光輪 きはもなく 世の盲冥を てらすなり
(4) 智慧の光明 はかりなし 有量の諸相 ことごとく
光暁かぶらぬ ものはなし 真実明に 帰命せよ
(5) 解脱の光輪 きはもなし 光触かぶる ものはみな
有無をはなると のべたまふ 平等覚に 帰命せよ
(6) 光雲無碍 如虚空 一切の有碍に さはりなし
光沢かぶらぬ ものぞなき 難思議を 帰命せよ
(7) 清浄光明 ならびなし 遇斯光の ゆゑなれば
一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を 帰命せよ
(8) 仏光照曜 最第一 光炎王仏と なづけたり
三塗の黒闇 ひらくなり 大応供を 帰命せよ
以下、(118)まで、あります。
これは、代表的な「浄土和賛」ですが、10才の少女が、彼女が、「暗証」した。
歌詞間違えずに一曲歌えたら、百万円なんてものではない、とてつもない難易度。
それを、暗証した。
お筆先一号は、と全部すらすらと言うような、十才の少女だつたと、理解したら、
彼女の悩みの深さが分かると思います。
それほどに「極楽浄土」に憧れていたと言うことです。
677 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/27(土) 19:30:02 ID:YGp+DhVK
すごい、すごい。みき教祖は、幼少時から早熟かつ秀才やったんですね。
うち、これから母の手伝いしなければならないです。
明日、またレスします。基本さん、ありがとうございました。
またこのスレの住人さんたちへ。
門外漢がいきなりの質問でした。さぞ見苦しくもあったことだと思います。
重ねてお詫び申し上げます。
679 :
基本。:2010/02/27(土) 23:31:17 ID:zlYMTkR1
浄土思想は、「元」という一点が、それに付与されて理解したら、天理教教祖、おやさまの思想そのものです。
もう少し、確かめておきましょう。
先ず、阿弥陀仏とは、法蔵菩薩→阿弥陀仏と、言う存在で、法蔵菩薩=阿弥陀仏の、只一人の存在です。
法蔵菩薩が「全ての人を救いとりその最後に自分も仏になる。」という誓願をたててなった如来です。
その思想が浄土信仰そのものになっています。
「他力本願生かされている私」から引用、参照しますと、
http://www.nsknet.or.jp/~yamabuki/tariki.html 『四十八願
阿弥陀如来も、かつて法蔵菩薩であったときに立てた誓願「四十八願」をカンぺキに実行したからこそ、如来となることができたのです。
そこで、如来という結果になるための原因である菩薩のとき(因位)に立てた誓願は、
「以前の誓願」「もとの誓願」という意味をこめて、「本願」と訳されることとなりました。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、阿弥陀如来様は、全ての人が救われない限り法蔵菩薩様であるわけですが、
理解を深めるために、別な解説を参照しましょう。
http://takaryuu.exblog.jp/13609750/ 『全ての人を浄土に行かせる船が弥陀の第十八誓願です。この船は全員が南無阿弥陀仏と阿弥陀にまかせて乗り込まなければ出帆しないのです。
ということになります。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
阿弥陀様は、現実には、まだ全員を極楽行きの船には乗せていません。
つまり、「法蔵菩薩」のままです。
でも教えにすがる人間は、「阿弥陀如来様」の名を、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで、救われようとしました。
少女時代の彼女も、本当は「法蔵菩薩」のままであるはずの、「阿弥陀仏」を唱えていたと、言う事になります。
680 :
神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 23:45:40 ID:dqUZV6dx
論理の飛躍
681 :
基本。:2010/02/28(日) 02:15:59 ID:PLp9qD3T
浄土信仰は、鎌倉時代に法然の浄土宗、その弟子の親鸞の浄土真宗として広まりました。
中山みきの生家の母親は浄土宗の念仏を唱えていました。そして、和讃(正しい文字は
みきが少女期に暗誦した「和讃」。代表曲は親鸞作詞のその名も「浄土和賛」です。
>>676 彼女が暗記した、暗誦したと伝承の「和賛」の歌詞の、一例です。一番の大ヒット曲は「親鸞作詞」との事です。
>>(1) 弥陀の名号 となへつつ 信心まことに うるひとは 憶念の心 つねにして 仏恩報ずる おもひあり
続きに、このような「歌詞」があります。
(113)十二の如来あひつぎて 十二劫をへたまへり
最後の如来をなづけてぞ 超日月光とまうしける
(114)超日月光この身には 念仏三昧をしへしむ
十方の如来は衆生を 一子のごとく憐念す
(115)子の母をおもふがごとくにて 衆生仏を憶すれば
現前当来とほからず 如来を拝見うたがはず
・・・・・・・・・・・・・
この(114)(115)の歌詞は、仏は衆生を「一子のごとく」思っている。
衆生は「子の、母を思うがごとく」思いなさい。と、歌っています。
「超日月光」とは、「母」なのです。
少女みきの脳内に、反復され暗記暗誦されたとすれば、
「わが子をたすけたい」という親神の思想の、原型です。
そして、「月日」「親神」という思想の源流は、「和賛」暗誦の十歳のときであったと、推理されます。
682 :
基本。:2010/02/28(日) 03:24:18 ID:PLp9qD3T
>>680 浄土宗と中山みきの思想の一致と言うことについては、中山みき本人の記された、「半牧のおふでさき」を読んでくださると、一致しているということは、おやさまご自身のお考えであると理解されると思います。
「参考書」としましては、天理やまと文化会議刊行の石崎正雄先生執筆の「こうきと裏守護」があります。(頁47)
私は、松村吉太郎著「道の八十年」で初めて拝見しています。
おやさまは、「十七号おふでさきの止め」といわれていたと記録されています。
『このよふは、
もんじゅ、ふげんをはじめとし、みよな、りゅうじんも、てんじんも、なんがく、てんだい、ようめいも、
これぢょどと、 ごしたもう、
いわんや、われらおろかなる、いかにねがわにありぬべし、
さんぜんせかいを、おほいでぞ、
たしかにしょぢょ、みさだめて、こころちがいの、ないように』
(半牧のおふでさき)
石崎先生の解釈では、紹介しますと、こういう意味だと言うことです。
「この世は文殊・普賢という仏様をはじめ、龍神も天神も、また南岳や天台あるいは陽明も、
すべてどのようにすれば浄土に、我々人間が参ることができるか、と言う事を目的としてあるのだ。
まして我々のような愚か者はそのままでは浄土に行けはしない。」
浄土宗は、文字通り浄土に参るための教えです。
おやさまは、文殊・普賢らのような「賢い聖人」「菩薩」ではない我々に、浄土にまいることの出来る道を示した。
その事実は、「十七号おふでさきの止め」と言われる「半牧のおふでさき」の文言に、そのまま、表現されています。
683 :
基本。:2010/02/28(日) 03:30:03 ID:PLp9qD3T
>>679-680-681
> 浄土思想は、「元」という一点が、それに付与されて理解したら、天理教教祖、おやさまの思想そのものです。
> 論理の飛躍。
> これぢょどと、 ごしたもう、
> いわんや、われらおろかなる、いかにねがわにありぬべし、
論理の飛躍と、言うご指摘は、おそらく半牧のおふでさきについて、示すものを心得ておられなかったからだと思います。
「南無阿弥陀仏」と唱えて、「ぢょど」を「ごしたもう」、これが、
「南無天理王命」と唱えて、「ぢょど」を「ごしたもう」、と、
目指すものは、まさに何も変っていない。
まして私たちは、愚かなのです。
中山みき様の神名を唱えることで、助けて頂ける(元の神の浄土信仰)は、それが無ければ、どうして愚者は救われることが出来ましょう。
なお石崎先生のご研究には、基本的には批判の余地は多々ありますが、学術的に、資料の確かさと丁寧さでは確かなものとして、いつも傍らにおいてあります。
いずれ、どこかで、研究の対象となるかもしれません。
684 :
基本。:2010/02/28(日) 03:52:26 ID:PLp9qD3T
主婦としてのみきについては、「子供の出来ない悩み」というものを語る説もある。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mikiryakuden_5gyukaico.htm この当時嫁は、「3年にして子なきは去る」という時代である。みきは、どうしたわけか4年たっても5年たっても子種を宿さなかった。
初孫を見て早く安心したいというのが、他に何ら不足のないみきに対する舅夫婦の心配であった。
ところで、みき18才のとき、漸くにして見ごもることになった模様であるが、この喜びも束の間で、子供は名も付けぬうちに亡くなったと云われている。
失意のみきは、居辛くもあったであろうこうした折も折、
みき19才の1816(文化13).3.15日の春、中山家の菩提寺である勾田村の浄土宗善福寺で催される「五重相伝の授戒会」に廻りあうことになった。
欝っした気分を払うように、中山家の同意を得て、みきは遠近の村村より参集した19人の老人たち(勾田村、守目堂村、三島村、庄屋敷村、田井庄村の5カ村から男7名、女12名の合わせて19人であったと伝えられる)に混じって五重相伝を受けることになった。
19才のうら若いみきの姿は人目をひいたことは想像に難くない
みきはこれまでも説法聴問に耳を傾けに出かけることはあったものの、この度の「五重相伝の授戒」というのは、浄土宗の宗義の秘奥骨目を伝えるために、次第順序をたてて行われる厳粛なもので、
これにより宗祖法然以来の列祖の神髄に触れ、宝灯を受け継ぐという本格的な儀式であった。
この授戒会がみきにとって初めての本格的な宗教体験となった。
・・儀式としてではあるが、みきは、これによって、弥陀の弟子として生まれ変わられたことになった。
みきは、この「五重相伝」で説教僧が語る法話にひたむきに耳を傾けたようで、
その様は、授戒会を終えて後、報誉上人が、「中山さんの御新造、ようおつとめなされました」、「今度の五重相伝を真心から受けた者は、中山さんのご新造だけであった」と、問わず語りに漏らしたと伝えられているほどであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
10才にして「和讃」を暗誦し、13歳で尼さんになりたいと願っていたみきには、浄土宗の奥義は、真綿に水のように、吸収されたものと、思慮されます。
685 :
神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 04:00:49 ID:2VYaJMHX
●在日韓国人の「外国人参政権」を欲しがる理由について
以下の理由らしい。
2012年在日韓国人に徴兵義務強制、拒否すれば財産没収(正式決定済み事項)の法律が韓国で決定。
↓
2012年以降、在日韓国人は兵役をこなすか、手数料を支払うかしかなくなる。
↓
ただし、兵役に行くor国籍を認めて代金を支払うと特別永住資格を喪失するらしい(帰化するしか日本に居住する方法がなくなる)
ということは頑張って2012年まで在日の参政権等の法律を阻止できればあの忌まわしい在日は駆逐できるってことなのか!
みんな頑張ろうぜ!日本の地を日本人の手に!!
できればこの文章を、いろんなページに貼り付けてほしい。たのむ。子供たちに明日を!
在日韓国人が参政権をほしがる理由
http://d.hatena.ne.jp/hidekopon/20091123/1258974145
686 :
基本。:2010/02/28(日) 04:23:37 ID:PLp9qD3T
>>684 中山みきさまの、五十相伝受戒の動機を、「子供が出来ない」と言う原因に見ると言うのは、どうも、と、思います。
それよりも、10才にして『和讃』を暗誦した彼女が、十九才まで、主婦をしつつ念仏を唱え続けていて、そして五重相伝で何を、脳内に思想として動機付けしたかということです。
http://www.jodo.or.jp/naruhodo/event/index11.html 五重相伝(ごじゅうそうでん)
浄土宗のお念仏の教えを、檀信徒に五つの順序にしたがって伝える法会。
現在は五日間にわたって行われることが多い。
この法会は、教えの真髄や奥義を伝えるため、詳しく説明することはできませんが、初重(しょじゅう)から第五重 (だいごじゅう)まで、お念仏の信仰を深めるためのお話が順序にしたがってなされます。結縁五重、化他五重とも言います。
•初重 (しょじゅう) 宗祖法然上人作と伝えられる『往生記』1巻によって「機」について相伝します。
•二重 (にじゅう) 浄土宗第二祖 聖光 (しょうこう) 上人末代念仏授手印』1巻によって「法」(行)について相伝します。
•三重 (さんじゅう) 浄土宗第三祖 良忠 (りょうちゅう) 上人の『領解末代念仏授手印鈔』1巻によって「解」について相伝します。
•四重 (しじゅう) 同じく良忠上人の『決答授手印疑問鈔』2巻によって「証」について相伝します
•第五重 (だいごじゅう) 中国北魏時代の 曇鸞 (どんらん) の『往生論註』に説くお十念について相伝します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
曇鸞 (どんらん)の説いたもの、それが、浄土宗の奥義である。
それを、きちんと学んだと、それが、十九才の主婦の体験だったと言うことです。
687 :
基本:2010/02/28(日) 23:15:02 ID:PLp9qD3T
>> 686
>10才にして『和讃』を暗誦した彼女が、十九才まで、主婦をしつつ念仏を唱え続けていて、そして五重相伝で何を、脳内に思想として動機付けしたかということです。
> 曇鸞 (どんらん)の説いたもの、それが、浄土宗の奥義である。
> それを、きちんと学んだと、それが、十九才の主婦の体験だったと言うことです。
辞書には、「難行・・ 浄土教で、易行(いぎよう)である念仏に対し、自力で行う修行。 」とあります。
易行(いぎよう)である念仏、「南無阿弥陀仏」とさえ唱えていれば、「水路で楽に浄土に行ける」という教えです。
彼女が10才にして暗誦していた和讃には、これを歌ったものがあるということで、
「おやすい?お経のはなし 正信渇」を引用しましょう。
http://www.d7.dion.ne.jp/~gyoun/ayasui2.htm 『宣説大乗無上法=大乗無上の法を宣説し
証歓喜地生安楽=歓喜地を証して、安楽に生ぜんと
顕示難行陸路苦=難行の陸路、苦しきことを顕示して
信楽易行水道楽=易行の水道、楽しきことを信楽せしむ』
本文の意味(今回) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(すべての人々を救いとる)この上ない法を説き(無上法)、心身ともに歓びに満ちて(証歓喜地)悟りの国に生まれるように(安楽)導いてくれます。
険しい陸路を自力で一人歩く(陸路苦)苦しい難行よりも、
仏にまかせて水路を多くの人と供に船で楽しく渡る(水道楽)、念仏の道(易行=他力)を(龍樹菩薩は)あきらかにされました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仏にまかせて水路を多くの人と供に船で楽しく渡る(水道楽)の思想こそ、 曇鸞さんのお説きになられたものです。
中山みき様は「神にもたれる」と「危なげは無い」、「何でもこれから一筋に神にもたれて行きまする」と、信仰の姿を歌い上げています。
子の様に、浄土宗の「易行(いぎょう)にて浄土に渡る」という、曇鸞 さんのその思想は、十九才の主婦、中山みきの脳内に刺激を与え、
後の「なにごとも神にもたれる」という、「かなの教え」の思想形成に寄与している事は明白です。
ありがとう、基本さん。
ただみき教祖さんが後年立ち上げる「思想」の動機として基本さんが跡付けていること、
基本さんが見つめたみき教祖の「信仰」とは、実はスゴイところを見つめている
と、うちには思えます。
「思想」と「信仰」‥。これを基本さんは、さりげなく結び付けているけれど、
ここがすごいですね。
うち、物知らずやけれど、みき教祖を思想「家」という方々は大ぜいいも、みき教祖
の信仰を指摘している方は、辻忠作さんの「文書」に記された文言をおいてほかにないと、
天理教のおじさんから教えられていたから、びつくりしました。
もちろん、みき教祖自身の「思想」とみき教祖自身の「信仰」という意味です。
それを指摘している基本さんやから、あらためて基本さんが見つめるみき教祖の
「神」とか「元の地場」とか「甘露台」とか「甘露」、それに「神楽勤め」とか
いろいろあるけれども、基本さんの脳内に解釈された意見を訊きたいです。
もっと分かりやすく質問を整理してからおたずねしたらいいのやけれど、すみません。
690 :
基本:2010/03/01(月) 00:35:31 ID:zKF3OLnC
>>688 > 仏にまかせて水路を多くの人と供に船で楽しく渡る(水道楽)、念仏の道(易行=他力)を(龍樹菩薩は)あきらかにされました。
おやさまの、おふでさき、半牧のおふでさきを、読み直して見ましょう。
おやさまは、「十七号おふでさきの止め」といわれていたと記録されています。
『このよふは、 もんじゅ、ふげんをはじめとし、みよな、りゅうじんも、てんじんも、なんがく、てんだい、ようめいも、
これぢょどと、 ごしたもう、
いわんや、われらおろかなる、いかにねがわにありぬべし、 さんぜんせかいを、おほいでぞ、
たしかにしょぢょ、みさだめて、こころちがいの、ないように』 (半牧のおふでさき)
浄土思想が、中山みきの脳内にて、刺激を与えていたことは、確かなことです。
691 :
基本:2010/03/01(月) 01:22:35 ID:zKF3OLnC
>>688-698 感謝、そして感謝さん。
最初のご質問は「元」について、「元」と浄土教の問題でしたね。
その、回答を、語り続けていますので、いま少し、回答に至るまで、申し上げます。
「元」、浄土教、阿弥陀仏の「もと」とは、「本」と書きますが、「もと」とは、
一体なんであったか。
この事の確認のために 仏教の説いている内容の一例を、引用紹介しましょう。
「本願」の本質は、語れていませんが、おやさまが、自ら、神が表に現れたその意味を、示してくれています。
『阿弥陀仏の本願(あみだぶつのほんがん)』
http://midanoseigan.hp.infoseek.co.jp/guzei7.index.html 「人生の目的」を「達成」するためには、どうすればよいのか。
「後生の一大事」を「解決」するためには、どうすればよいのか。
それに対して、お釈迦さまは、「それは阿弥陀仏という仏にしかできない。」と、おっしゃっています。
では、「阿弥陀仏」と「お釈迦さま」とは、どういう関係にあるのか。
地球上で、ただ、おひとり「仏」となられたお釈迦さまといえども、阿弥陀仏の弟子なのです。
大宇宙には、数え切れないくらいのたくさんの仏さまがおられるのです。
それらの数え切れないくらいの仏さま方の先生、すべての仏さまの先生、これが、「阿弥陀仏」という仏さまなのです。
「阿弥陀如来」ともいわれます。
お釈迦さまと同じような仏は、宇宙には、たくさんおられますが、「阿弥陀仏」しか、私たちの「後生の一大事」の「解決」をする力を持っておられないのです。
ですから、「阿弥陀仏ひとつに向かえ。阿弥陀仏だけを信じよ。」と、お釈迦さまは、教えておられます。 (引用続きます)
692 :
基本:2010/03/01(月) 01:36:46 ID:zKF3OLnC
>>691,
>>688-689 > 最初のご質問は「元」について、「元」と浄土教の問題でしたね。
> その、回答を、語り続けていますので、いま少し、回答に至るまで、申し上げます。
(引用続きです)
阿弥陀仏は、「本願」を建てておられます。
これを「阿弥陀仏の本願」といいます。
「本願」というのは、「約束」、「誓い」ということです。
阿弥陀仏が約束しておられることは、
「すべての人が持っている後生の一大事(死後、地獄に堕ちるという一大事)を一念で解決してみせる。そして、この世から未来永遠に変わらない大安心・大満足の最高無上の幸福の身にしてみせる。
できなければ、私は命を捨てる。」
という、お約束です。
本当の仏教(=阿弥陀仏の本願)を真剣に聞き求めていきますと、
このお約束の通り、「後生の一大事をハッキリと解決していただく」体験、すなわち、「阿弥陀仏にハッキリと救いとられる」体験をさせていただくことができます。
そして、その体験は、「一念」で体験させていただくことができます。
「一念」とは、あっと言う間もない極めて短い時間をいいます。
1秒の何億分の一よりも、もっともっと短い時間です。
親鸞聖人は、真剣に阿弥陀仏の本願を聞き求められ、29才の時に、阿弥陀仏に一念でハッキリと救いとられておられます。
そして、90才でお亡くなりになるまでの61年間、全人類の救われるただ一本の道、「阿弥陀仏の本願」が真実であることを叫び続けていかれたのです。
阿弥陀仏の本願を真剣に聞き求め、阿弥陀仏に一念で救いとられ、後生の一大事を解決したいただく。
そして、生きてよし死んでよし、死が来ても微動だにもしない、絶対に崩れない、壊れない、この世から未来永遠に変わらない本当の幸福、大安心・大満足の絶対の幸福になること、これが、万人共通唯一の人生の目的です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(引用終わります)
693 :
基本:2010/03/01(月) 01:47:29 ID:zKF3OLnC
>>691-692,
>>688-689 長く引用しましたが、 阿弥陀仏の本願について、的確な解説ではありません。布教向け解説です。
ただ、「阿弥陀仏」の到来をお釈迦様が予言されていた、それは浄土思想の重大事です。
仏教では、「薬師」過去世 → 「釈迦」現世 → 「阿弥陀」 未来世 という順序ですから、
阿弥陀仏が現れないと、仏教の教えは、成就しないと、お経が示しているわけです。
天理教徒なら、
お釈迦様の師であるという、この世にただ一人のお方、「阿弥陀仏」とは、それは実は「元の神」である。
すっと分かる事です。
阿弥陀仏とはみき自身である。
この思想に至る過程の十九歳。彼女はいまだ、自分の「元の因縁」に、開眼していなかったのでした。
おやさまは、お筆先執筆後に、浄土思想と「元の神」の自分とについて、その因果をきちんと見つめるように、
半牧のおふでさきを、「止め」とおおせられて、お書きになりました。
そのなかに、「たしかにしょぢょ、みさだめて、こころちがいの、ないように」
「確かに初序、初所、初女、見定めて、」「心違いの無い様に」との、文言にて、心違いを戒めています。
阿弥陀仏とは、元の親神しかいない。
これが、天理教の立教です。
そして、阿弥陀仏の「本願」を理解しなければ、それは「心違い」そのものなのです。
694 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/01(月) 02:05:18 ID:zzPjJIZn
天理ラーメンを関東でも気軽に食べられるなら、
それが俺にとっての「陽気ぐらし」かなw
695 :
基本:2010/03/01(月) 02:40:26 ID:zKF3OLnC
>>693阿弥陀仏とはみき自身である。
> この思想に至る過程の十九歳。
> 彼女はいまだ、自分の「元の因縁」に、開眼していなかったのでした。
おやさまは、十七号お筆先をお書きになってから、「こふき話」をかたり、弟子達に思うままに記録させました。
その記録の中には「南無阿弥陀仏」についての、「称名」の由来が記録されています。
こうき話十六年本を引用します。桝井本です。
http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/koukibon_/koukibon_m16_.html 「人間身の内は、六柱の神が入り込みて守護を下さる故に、自由に叶う事故、これ全く、此の神のかりものなり。
此の六柱の神様は南無阿弥陀仏なり。
南無と云うは、目、温み。
阿弥とは、皮繋ぎに、芯の骨なり。
陀仏とは、飲み食い出入りに、息の事なり。
南無阿弥陀仏と云うは、人間の身の内の事なり。
これで身の内六台と云うなり。」
さて、こふき本のどこに、「阿弥陀仏」の「もと」、「本願」が記録されているでしょうか。
弟子達が記録したと言う「こふき本」には、「浄土思想」そのものが、無いと言った方が良いものです。
『このよふは、 もんじゅ、ふげんをはじめとし、みよな、りゅうじんも、てんじんも、なんがく、てんだい、ようめいも、
これぢょどと、 ごしたもう、
いわんや、われらおろかなる、
いかにねがわにありぬべし、 さんぜんせかいを、おほいでぞ、
たしかにしょぢょ、みさだめて、こころちがいの、ないように』 (半牧のおふでさき)
とても、自分達は愚かだと言う自覚が、無い。
仏教や、諸宗教の先人、聖人に比して、「愚か」という、自覚よりも、
彼らを超えたと言う、優越心が、そこにはあります。
696 :
基本:2010/03/01(月) 02:47:27 ID:zKF3OLnC
>>695 >>693 > 阿弥陀仏とはみき自身である。
元の神とは、おやさまお一人であり、それは、「浄土」を「乞し給う」衆生の救い手、唯一のお方であるのに、
おやさまの「名」すら、「天理王命」すら、取り払った姿でした。
「根を掘れ」との仰せは、思い上がった当時の高弟には、まるで心に響いていなかったと、理解できます。
> 天理教徒なら、
> お釈迦様の師であるという、この世にただ一人のお方、「阿弥陀仏」とは、それは実は「元の神」である。
> すっと分かる事です。
それが、すっと分からない。
お釈迦様のご苦労も、有難さも思わず、うぬぼれた天理教の「知識人」には、
「我らは愚かなる」との、自覚がなかった。
さんげです。
南無阿弥陀仏とは、元の親神の理を、「称名」「証明」、そのものなのだという理は、その個々の神名には重い意味があるのではなく、
南無阿弥陀仏が、表に現れて、本願を、「元の願い」を実現させると言う、
おやさまの思想そのものに、重い意味があったと言うことです。
19才で、
> 彼女はいまだ、自分の「元の因縁」に、開眼していなかったのでした。
しかし、平凡な百姓の女として「愚かに」、生き続けます。
それは、阿弥陀仏の本願のための道筋でした。
697 :
神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 02:54:38 ID:F5JsUTKn
なんだ、キチガイの隔離スレか(笑)
698 :
基本:2010/03/01(月) 11:14:49 ID:zKF3OLnC
「正信偈の教え−みんなの偈(うた)− 如来大悲の恩徳」より引用します。
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/shoshinge/shoshinge39.html ・・厳しい自力の修行は、一見、真面目そうで、誠実そうに見えるでしょうが、それは、誰にもできる修行ではありません。
できそうもないことをやり抜こうとするとき、そこには自己過信の心がはたらきます。
つまり思い上がりです。自分を見失ったすがたです。
自分を正直に見つめるならば、そこには、よこしまで愚かな自分のすがた、間違いを犯してばかりいる自分自身が見出されるわけです。
よこしまで愚かな者には、自分の力で悟りに近づくことはできません。
間違いを犯す者には、自分の力で浄土に往生するための原因を作ることはできないのです。
しかし、実は、そのような者をこそ、何とか安楽浄土に迎え入れなければならないと願われた願いが、阿弥陀仏の本願なのです。
自分なりに、険しい陸路を進もうとしたとしても、邪念を払いのけられない自分は、結局は、船に乗せてもらって水路を行くしかないからです。
そのような阿弥陀仏の本願について、「憶念〈おくねん〉弥陀〈みだ〉仏本願〈ぶつほんがん〉、自〈じ〉然即〈ねんそく〉時〈じ〉入必定〈にゅうひつじょう〉」(弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時、必定に入る)と、龍樹大士は教えておられます。
「本願」は「もとからあった願い」ということで、
私たちには思いも及ばない遠い昔からはたらき続けている「願い」です。
「憶念」というのは、いつも心にとどめて忘れないことです。
本願のことを理解するというのではなくて、そのような願いがはたらいている事実に心を保ち続けていることです。
・・この私を助けてやりたいと願っておられる阿弥陀仏の本願のことを、
いつも心にとどめているならば、それがそのまま、私の浄土往生を決定することになると、龍樹大士は教えておられるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここに、「元」が説かれています。
699 :
基本:2010/03/01(月) 11:22:04 ID:zKF3OLnC
>>670 > 浄土宗で「元の神」とか「実の神」あるいは「元の地場」とかいう思想概念があるのですか?
> すみません。とんちんかんな質問ばかりで‥。
ようやく直接に回答できるところまで、進んできました。
浄土教、浄土思想には「本願」という思想があります。
つまり、「元の願い」「本当の願い」と言う思想です。
>>698 元の神の存在については、お釈迦様の当時、誰も教えていませんが、お釈迦様が教えた「阿弥陀仏の」「元の願い」という思想は、浄土教の根幹の思想です。
浄土の教えでは、「元の願いではなく、本願」と説かれていて、
引用の中の、 『「本願」は「もとからあった願い」ということで、
私たちには思いも及ばない遠い昔からはたらき続けている「願い」です。』
これが、拠りどころとなって、阿弥陀仏におすがりすると言う思想です。
つまり、全ての人を極楽にという「本願」、元の願いと言う思想が、「浄土」の思想。
それは、ただ、その願いを持ち続けている「阿弥陀仏」の名を唱えることで、「本願成就」となると言う教え。
「元の願い」を持ち続けている、女の仏様「阿弥陀仏」。 これが「元の親神・おやさま」。
「人間の陽気ゆさんが見たい」という「元の願い」。 それを実現するという思想が、おやさまの思想です。
こうしてみれば。浄土思想とは、おやさまの思想そのものです。
700 :
神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 11:28:01 ID:uLmYbbp+
701 :
基本:2010/03/01(月) 11:30:08 ID:zKF3OLnC
西方浄土に阿弥陀様は居られると、浄土教では説きました。
おやさまは、「妊娠」とは「西」を「しん=目」が向いたとき、「にんしん」すると、理を「こふき」の中で明かしています。
つまり、「幸せを求めて」、陽気ぐらしをしたいと、二人の心が、「西方を見た」時、妊娠すると言う理です。
西方に生まれかわる。とは、妊娠した母胎の中に生まれかわると言うことを、理として、示されたものです。
お釈迦様は、「この私を助けてやりたいと願っておられる阿弥陀仏の本願のことを、
いつも心にとどめているならば、それがそのまま、私の浄土往生を決定することになる」
「私には説明はできないけれども、私は間違いなく阿弥陀仏の浄土に往生させてもらえることになっている」と、教えておられるのです。
おやさまは、「神にもたれてついて来い」と教えられました。
浄土の本願とは、おやさまの、元の願いと、きちんと一致しています。
ただ、「南無天理王命」と唱えるだけで、たすけてやろう。
それがおやさまの思想です。
「このような結構なるの道筋を、知らずにいたが後の後悔」と、さんげして、
今からでも、「浄土を乞う」素直な気持ちで、「南無阿弥陀仏」、元の神名は「南無天理王命」と、
仏壇に手を合わせるのも、仏壇のある方には、大切なことだと思います。
妊娠し出産した、そこが、ここが、「ここがこの世の極楽や」と、生まれかわれるようにと、
記念するのは、信心の基本と言うことです。
やっと規制解除だ。
基本のお兄ちゃん。
ありがとうございました。
うちがびつくりしたのは、基本のお兄ちゃんが、みき教祖の「思想」と
「信仰」をさりげなく結び付けたところでした。
お兄ちゃんは、いろいろ書き込みしてくれているけれども、なんていうか‥
お兄ちゃん自身が、みき教祖の「思想」と「信仰」について、そのスゴイところ
について、もっと直截に語ればいいのに、と思う感謝なのです。
それは、基本のお兄ちゃんが、たどり着いたところなのか?とも思う感謝なのです。
704 :
kojima:2010/03/06(土) 10:50:58 ID:Wz12GRj5
>702
どういう意味ですか?
705 :
基本さんに昔世話になった廃れ者:2010/03/06(土) 11:01:02 ID:e9XWBB/e
基本さんが語ってくれるから、天理教が嫌でも「おやさま」と繋がっちゃう。
これって不思議。
706 :
基本。:2010/03/07(日) 06:16:28 ID:I8QOdRK2
おやさまの「言わん、言えんの理」は、「自白の教理」に対を
なす、たすけの思想の根源をなすものと思われます。
「神は言わない、言えない」⇔「人は自白する」
そのどちらもが、人の尊厳を保障していると言うところが、おやさまらしいところです。
神は命令もしないし、指示もしない。
だが本人の、自白と自供が、悪しき因果を切るばかりではなく、その人の成人そのものに、通じている。
この世を、陽気に変えて見せるという、親神の信念と自信とわが子、人間への深い信頼がそこには3ります。
病というのも、それは、人間の側からの肉体的な「自供」のようなものです。
「心どうりにあらわす」。それは「理」のなす事。
それを、悟りとるようにと、おやさまは、「言わん、言えん」なのです。
707 :
基本。:2010/03/07(日) 06:49:17 ID:I8QOdRK2
例えば、「心因性の病」として、「ストレス」という「自供」が、あります。
ストレスがたまると、病になる。と、「人間」は言います。
神様は「何も言いません」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は、こう語ります。
『ストレス
ストレスとは、生物学的には何らかの刺激によって生体に生じた歪みの状態を意味している。
元々は材料力学上の言葉で例えばスプリングを引き伸ばしたり、ゴム球を押し縮めたりした時に
その物質の内部に生じた応力の事を言う。』
さて、おやさまは、「心とは、ころころするから心」と示されています・
そしておやさまは、「心一つがわがもの」とも示されています。
先ず{ストレスとは、生物学的には何らかの刺激によって生体に生じた歪みの状態を意味している。}ですが、これは、心因性の病ではなく、肉体的な原因です。
次に、{元々は材料力学上の言葉で例えばスプリングを引き伸ばしたり、ゴム球を押し縮めたりした時に
その物質の内部に生じた応力の事を言う。』}これです。
つまり、「人ではなく物になって、スプリングになると、引き伸ばされて、ストレスになる」という自供です。
「心はころころ」なのに、「衝撃に強いスプリング」になると、引き伸ばされて、ストレスになる、心どうりを、自白しています・
ストレスがたまるというのは、「物になると応力が生じる」。「人ならば助け一条しかない」。
「ゴム球のよいになんでも弾力をもって対応する物」になったら、
その物質の内部に生じた応力のストレスで『苦しむ』。
言語的なストレスの意味においても、「何に強勢」をおいているかという、その間違いだよという自白です。
基本的に、そう悟ったとき、「人であろう」「心はころころ」「言葉の強めるところを間違えないように」と、
ひとは、心因性のストレスから、解放されるわけです。
> 「神は言わない、言えない」⇔「人は自白する」
それは、自主・自立を重んじる、おやさまらしい、この世の仕掛けです。
708 :
基本。:2010/03/08(月) 22:29:47 ID:WBoBSgDp
第5号 13
これからハいかなむつかしやまいでも
心したいになをらんでなし
お筆先とは、違いあるなら歌の理で知らせると、おやさまが、お書きになりました。
やまいというものは、「心しだい」になおらんでなし。と、お筆先にお書き下されたという事は、
現代人には、そこに「違いがある。」からです。
現代社会においての難病というものは、原因が細菌であるとか、判明しているものではない、「○○症候群」というようなもの、あるいは「代謝異常」「脳波の異常」というような、原因を物質や細菌だと特定できないものが、
それが難病だということになります。
症状を緩和するとか、進行を遅れさせるとか、医療は努力しますが、
「心しだい」に、治らんでなしと、治る道が心しだいであるからこそ、医療でも「心因性」と、命名しています。
「心因性」という自白は、「みな何でも口で言わせる」という神様ならではの配慮です。
「心因」だというのなら、心の道としての「宗教思想」と言うものも、この世においての、機能を果たす、心の道とは、仏教、神道、キリスト教、それぞれに、「心因」を取り去るすべを、教えてくださっています。
709 :
基本。:2010/03/08(月) 23:02:45 ID:WBoBSgDp
第5号 13
これからハいかなむつかしやまいでも
心したいになをらんでなし
基本的にお筆先を理解しますと、「澄むと濁る」というものが、理解には大切です。
「むつかしい」と文字では書きますが、「澄む文字の用法」で書かれています。
「むつかしい」との文字を「難しい」と「濁る発音」で、人間は読みますが、それは、人間心には、病気に対して「濁った気持ち」があるからです。
神様からみたら、「やまい」だけれど、「難しい」ではなく「むつかしい」なのです。
「むつかしい」という事は、「むっつ」という理を知らしています。
つまり、「むつごと」という言葉がありますが、「むつの理・六の理」、世界ろくぢの理が、なされることのための、病ということです。
夫婦、親子、家族、「むつましい」。「仲むつましい」という理をお知らせくださっての病気だから、
そこには、孤独とか断絶とか、不仲とか、ろくぢでない、そういうものを「心一つ」にて、立て替えという、意味があります。
「心因性」の病気の「むつかしい」やまいというものは、夫婦仲良くしたり親子がむつましくなるだけで、
たすかることになる。
そういう意味が、「むつかしい」と言う、「澄んだかな文字」にはきちんと示されています。
「むずかしい」と濁らせて、「これなおらん」というような事の無いように、
お釈迦様のように、慈悲の心で、周囲とむつまじく、イエス様のように「隣人への愛」にて、すべての罪をわが身に引き受けて、
「澄み切った心」「無我の境地」、それを我自身に、そして神の館のような幸せをこの世にし、
「やまいのすっきり根はぬける」とは、「濁りで病を見ない」事から始まります。
710 :
基本。:2010/03/08(月) 23:08:51 ID:WBoBSgDp
>>709 > 第5号 13
このおうたは、「心したい」と書いて、「心しだい」と読みます。
それは、人間の心の濁りの入った、読み方です。
「心が良くなれば病気も良くなる」と、そういう「濁点」の交じりでは、「成績しだい」とか「金次第」と一緒です。
それは、お筆先の、誤読(にごり読)です。
「心したい」ですから、
その人の「心のしたい」、「したいやりたい事」を、素直にしたら、実行したらという意味です。
病の根は、切れてしまう。
つまり、心因性の病というのは、むつましい世界ではない世界にいて、自分に対して絶望したり、
心からしたい事をしないから、
神様は、あなたのしたいこと、とたらよろしい、と、「真実」に生きる事で、やまいが、「心したい」に、たすかるのです。
自分で自分の心を縛り付けたり、したいこともしない、させない。「心へのにごり」。
おやさまは、現代医学の限界を、きちんと見据えて、予言にて、
やまいから、真に助かる道を、それは、「こころしだい」ではなく「心したい」だと、
明示されています・
「神様は、言わん、言えん」 ⇔ 「人間は自白する」
「難しい」と濁りを自白する、そして、一転して、おやさまの教えにあるように、「むつかしい」と、わが心を清ませてみる。
助けの道は、御仏の道。神の子の御教え。孔子様、老子様の教えと、千すじあります。
心したいにて、治らんでは無い。その理をしめされたおうたです。
これからハいかなむつかしやまいでも 心したいになをらんでなし
「むつ」の理と、「心したい」という、平等と自由とでやまいを直すという、病においての展開は、おやさまの、世界たすけの思想です。
ありがとうございます。
質問ばかりで申し訳ありませんが、浄土宗からご自身の思想を形成されて、
ついに「われ神なり」と自覚されたみき教祖さまが、ご自身を表明されたお名前は
「てんりんをう」だったと聞きました。
それが「天理王」となった経緯をご存じならば教えてくださいませ。
みき教祖さまが、表記を変更されたのですか?
712 :
基本:2010/03/09(火) 04:05:21 ID:wES1QDUD
>>711 神名の問題は、明確です。
先ず、お筆先は、中山みきの直筆です。
これまでに言うた事、忘れるから、筆先に知らしたと言う文言が「お指図」にあり、みき自身の「発言録」です。
そのお筆先には、「月日よりつけた名前を取り払い この残念をなんと思うぞ」とあります。
「みきの神名・天理王命」は、
@、お筆先執筆以前。A、お筆先執筆中。B、お筆先執筆以後。の三段階で取り払われています。
当然ですが、
1「実の箱時代(ひながた50年)」。2「お指図時代(縮めた25年加算)。3「我々の時代」。にも、取り払われています。
先ず、神名の問題の、神名は「天理王命」だという神名の根拠は、
ひな型五十年の記憶の証言としては、Aのお指図時代に「証人・飯降伊蔵」が語って、初代真柱が書き取った記録を本部では第一の資料としています。
明治32年の時に記録された「翁の話」と言うもので、天理では青年会関係の出版物に原文が乗せられたものがあります。
Aのおさしづ時代には、「松村吉太郎へのおさしづ」に神名が「天理王命」として語られています。
明治二十一年一月八日(陰暦十一月二十五日)
松村吉太郎おぢばへ参詣おさしづ
さあ/\尋ねる一条々々、十分一つ聞き分けば十分よし。
神一条の道一寸難しいようなものや。一寸も難しい事はないで。
神一条の道こういう処、一寸も聞かしてない。
天理王命というは、五十年前より誠の理である。
こゝに一つの処、天理王命という原因は、元無い人間を拵えた神一条である。
元五十年前より始まった。元聞き分けて貰いたい。
・・・・・・・
つまり、本席おさしづ、又大工の飯降伊蔵と初代真柱を疑わない限り、神名は「天理王命」そのものです。
713 :
基本:2010/03/09(火) 04:10:07 ID:wES1QDUD
>>712 > 神名の問題は、明確です。
> Aのおさしづ時代には、「松村吉太郎へのおさしづ」に神名が「天理王命」として語られています。では何故、
>>711 > みき教祖さまが、ご自身を表明されたお名前は 「てんりんをう」だったと聞きました。
> それが「天理王」となった経緯をご存じならば教えてくださいませ。
> みき教祖さまが、表記を変更されたのですか?
と、言う疑問が生じるような事態になったかと言うと、
それは、「月日よりつけた名前を取り払い」された。事実が、何度も何度もあったと言う事で、
「天理王」以外の神名は、「夫善兵衛」「長男秀司」らによって、次々と公開されたという歴史的事実があるわけです。
教会本部公刊の、「稿本天理教教祖伝」でも、そうした事実のあったことを示しています。
頁100、注1、「・・・亡父善兵衛存命中、私方屋敷内に、天輪王神鎮守仕信心仕・・」とあります。
夫善兵衛は、中山みきのとりついた神を「天輪王神鎮守(ちんじゅ)」鎮守様として社を建てて、祭っていたと言う事実が記録されています。
つまり、「月日よりつけた名前を取り払い」したのは、夫善兵衛そのものであったということは、教祖伝という公式文書にても、確認できる事実であり、
夫善兵衛は、{神名取り払い」の当事者、謀反人ということです。
714 :
基本:2010/03/09(火) 04:59:18 ID:wES1QDUD
@と1などの誤記は、笑ってお許し下さい。本論続けます。
>>713 特に大切な点は、夫善兵衛が「天輪王神鎮守(ちんじゅ)」」という宗教活動を開始していたと言うことにあります。
その協力加担者は、みきの実家の兄だと思慮されます。
村役をしていた夫善兵は、地方の有力者として、江戸時代末期の新宗教お越し活動を、実はしていたので、みきと鋭く対立してと言う見方が妥当でしょう。
問題は、2のおさしづ時代には、「天理王命」と表記されたとして「中山みき」は「存命の理」としての存在であり、本当は「真柱と本席」の合作の神名ではないかと言う疑いにある。
そこで、1のひながた50年の実の箱時代、特に、@のおふでさき執筆以前には、本当はどうであったのかと、その疑問を持つのは、
「天理教中山みき派」の基本以外の人なら、誰でも自然に持つ疑問と言うものである。
715 :
基本:2010/03/09(火) 05:03:03 ID:wES1QDUD
改訂版天理教辞典では、216頁に、こう書かれている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
文献上の上では、様々な表記が散見される。
「てんりんをふのみこと」「天輪王命」「天龍王命」「天輪王明神」「転輪王命」「天倫王命」「天理大神」「天理王命」などである。
それによると、明治18年(1885)以降の教会公認運動とともに、「天理王命」の神名が現れてくるが、それ以前は、発音の上から見ると「天龍王命」の例外を除けば、
すべて「テンリンオウ」であって、これと「テンリオウ」の、かって二種類の称名が存在したことになる。
・・・ 現存する文献等に限定した場合、古くは「天輪王命」の神名が、主流をしめていると見られる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「天理王命」の神名は古くは少数派、それは当然で、取り払いの当事者、夫善兵衛、長男秀司を代表的人物として、「天理王命」という神名を用いない人物ばかりであり、
「天理王命」の神名は、極めて限定的な人物、代表の「飯降伊蔵」には、「めどう札」として「天理王命」の札が渡されたと、飯降伊蔵自身の記録として残されてある。
渡したのは、「小寒」との事。元冶元年である。
つまり、見えてから説いてかかるは、世界並み、「見えん先から説いておくぞや」との、おやさまの思想は、実に一貫していて、
謀反人や、心得違いをするものには、簡単には「天理王命」の神名が称えられないような、心どうりの道筋を用意していたという事に理解したら、すっきりとする。
716 :
基本:2010/03/09(火) 05:28:08 ID:wES1QDUD
>>715 > 改訂版天理教辞典では、216頁に、こう書かれている
続きです。217頁です。
天理大学の学者の矛盾を、まさに自白していて、山名系教義学の現実と限界が見えてしまう、最高傑作に上げられます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
表明文書によると、複数神名を上げて、その総称として天輪王命、転輪王命、天理大神などの記述を説明している記述が多い。
それは親神天理王命の十全の守護に対して、十柱の神名(・・・)をもって説かれた教えがあり、その十柱の神に基づいて整えられている。
しかも、その多くは記紀神話の神々に代置して意味づけており、許可を得るための表明上の神名であることは言うまてもない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>715 > 明治18年(1885)以降の教会公認運動とともに、「天理王命」の神名が現れてくるが
この文章と、『許可を得るための表明上の神名であることは言うまてもない。』という文の、不整合性は明らかである。
教会公認運動、つまり新宗教起こし活動では、「天理王命」の神名は、必ず取り払われてきた。
「テンリンオウ」「天龍王」が、用いられたのである。
公認運動には、邪魔なもの。
それは、おやさま・中山みきは神であると言う事実。そして、その神名、「天理王命」。
これを取り払いして、世間一般に通じやすい名を「テンリンオウ」の音に当てたりした。
だから、教団御用学者は、異端の山名系と、命名するしかないのだ。
神名取り払いを、反省し、さんげするような、研究態度が無い。
717 :
基本:2010/03/09(火) 05:59:09 ID:wES1QDUD
さて、1「実の箱時代」の@「おふでさき執筆以前」には、元冶元年の大工の伊蔵さまへの「天理王命」称名があった。
この頃には、大工の伊蔵の先輩、山中忠七家には「天輪王命」のめどう札が渡されています。
そして、大工の伊蔵は、後に本席となり、山中忠七は後には「扇の伺い」を取り上げられます。
「天理王」の称名と、「てんりんおう」の称名の違いが原因とは断定できませんが、意味として、基本は理解しています。
めどう札というものが、神名の研究の基礎資料となっていて、学者の研究もそれを基礎としている。
改訂版天理教辞典には、めどう札の実例が、こんな風に書かれています。p884です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「天倫王命」(中山秀司筆 桝井家保存のもの)
「天輪王命守護」(明治7年頃山中彦七筆)
「奉修天理王命守護」(明治14年以降 木刷版)
と、書かれたものがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治14年と言うのは、梅谷四郎兵衛さんが公認運動した年です。
明治14年九月には山澤良治郎が警察に「手続書」と言う文書を提出しています。
「天理王命」の神名は、取り払われている文書です。「テンリンオウ」です。
イエスキリストは、ペテロに言いました。
「お前は、私のことを、知らないと、三度言うであろう」と。
神名を取り払うとは、「高弟の」「宗教高山」の悪因縁です。
718 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/09(火) 06:10:06 ID:iPIKdtGI
>>707 「帯に短し襷に長し」って実際の長さは存在しないんだよね。
719 :
基本:2010/03/09(火) 06:18:02 ID:wES1QDUD
お筆先執筆の、真っ只中でした。
Aお筆先執筆中でした。
「奉修天理王命守護」のめどう札を、木版すりして渡していた時代に、
高弟「山澤良治郎」は、
おやさまの恩名、「天理王命」を取り払いして、天倫王の名を用いました。
「三年間は実家にて実家の兄に、つかえて勤めて来い」と命ぜられて、三年間、お屋敷には来られなくなりました。
天理王命の神名は信仰の現場では用いられていて、そして幹部達は「取り払い」した。
この現実を、しっかりと見つめることです。
おやさまは、最初から一貫していて「天理王命」であった。
聞いたものが、その音から「てんりゅうおう」とか、「てんりんおう」とか音に聞いたものを、
教えとして語られた「こふき」話にからませて、「公認用」「布教用」の神名をつけてしまった。
この残念を、なんとおもうぞ。
です。
そこで、最初の質問ですが、おやさまが、「天輪王」と名乗っていたか「天理王」と名乗っていたかと言う、
基礎的な質問について、回答をしようと思います。
720 :
基本:2010/03/09(火) 06:57:50 ID:wES1QDUD
答えは、なんだそうか、と言うほど分かりやすいものです。
でも、きちんとした「常識」が無いと、簡単なものほど、間違えやすいので、整理します。
常識にかえる事は、大切なことです。
先ず、寄せ加持をしたという事実から確認しましょう。
「寄せ加持」とは、「加持」の一種類です。多くの人を寄せて「加持」をするという事で、
九度の寄せ加持をする都度に、寄せた人々への接待に経費がかかったと、それは、天理教教祖伝に書かれています。
「加持」とは、「密教系の呪術」に属します。
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/hayatine/kaisetu.htm ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
加持祈祷
崇拝対象に向ってその印契を結び、その真言をとなえて崇拝対象の境地に入った上で、願事の達成を祈る儀礼。
一般には加持祈祷と続けて用いられるが、専門的にいえば加持と祈祷は多少概念が異なる。・・・
加持祈祷(とくに加持)はもともと密教の修法をさす言葉であったが、
密教と密接な関係を持つ修験道でも広く行なわれた。
修験道の祈祷は、基本的には修法者が印契や真言によって崇拝対象と同化した上で守護や除魔をはかるというものである。・・・
大別して帯加持・武具加持など加持の対象物に超自然力を付与する加持と、
土砂加持・病者加持など除魔を目的とするニ種類の加持があると考えられている。
このように修験道の加持祈祷は、超自然の世界とこの世の現象が密接に相応し、かかわりあっているという前提の上に、
宗教者がそれに超自然的な力を付与したり、それによって除魔をはかることができるという世界観にのっとった儀礼であるということができる。
(福島)宮家 準編,昭和61年『修験道辞典』東京堂出版。
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「加持」とは、修験道の祈祷方法である。この常識で、おやさまと問答した修験者の常識を確認します。
すると、修験者とは、「天輪聖王」の専門家だと言う事が確認できます。
721 :
基本:2010/03/09(火) 07:06:56 ID:wES1QDUD
「寄せ加持」とは、巫女を用いて「神を寄せて」加持する。
そういう術の専門化が、長滝村の修験者「市兵衛」さんでした。
巫女さんがいなくて、中山みきが、「加持台」になった。
そして、みきの思想が、発露するのですが、そこには、市兵衛さんではなくてならない事情がありました。
「神寄せのプロ」「神おろしのプロ」。行者の市兵衛さんは、実は、「天輪聖王」に精通していた。
これが、修験道の常識です。
苗字と家紋、「輪宝紋」を参照、引用します。
http://www.harimaya.com/kamon/column/rinpo.html 古代の仏教では、法(真理)をもってこの世を治める王を転輪聖王といった。
輪宝は、この転輪聖王の感得する七宝のひとつで、聖王は巨大な車輪を武器とし、人間の迷いや悪の根を断ち、世の中に平和と幸いをもたらすことを願いとした。
輪宝は法輪ともいわれるが、仏の教えは一つところに止まることなく、あらゆる方向に転回してゆくことをあらわしたものであった。
それが、輪宝は「真理を回らすもの」であることに意味が抽象化され、仏教のシンボルとなり広まっていった。
インドの国旗の中央に描かれているのも輪宝である。
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(引用続きます)
722 :
基本:2010/03/09(火) 07:12:09 ID:wES1QDUD
(引用続きです)
http://www.harimaya.com/kamon/column/rinpo.html 輪宝は、仏教伝来とともに日本にも伝来した。
日本で最も古いものは、薬師寺の仏足石に刻まれた輪宝といわれている。
平安時代に描かれた国宝の『信貴山縁起絵巻』「延喜加持ノ巻」には、たくさんの剣を鎧にした童子が輪宝を廻しつつ天を懸ける情景が描かれている。
すでに輪宝が文様として、寺院などに広まっていたことが知られる。
やがて、仏具として重んじられるとともに、護身用の武器として用いられて修験者の間に広まった。
修験道は役の行者が開祖という山岳信仰に発した古神道の一つで、
その実践者は修験者または山伏とよばれた。
かれらは仏教に帰依するとともに武力集団としての側面も有し、のちには山から里におりて神官になった例も多い。
このようなことから、輪宝は寺院の印となり、とくに天台系の聖護院ではこの紋を大切にした。
やがて神仏混淆の時代になると、神部神社や六所神社などでも神紋に輪宝が用いられるようになった。
いまも、修験道系の寺院や神社で輪宝の紋を見ることが多い。
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つまり、「天輪聖王」とは修験者にとっては加護の本体そのものであり、加持のプロには、絶対に忘れることの出来ない、尊いお方なのだと、それが、「ご質問」に回答するための常識なのです。
723 :
基本:2010/03/09(火) 07:54:14 ID:wES1QDUD
人間の親神としての、思想の持ち主、中山みきは、夫と、秀司と本人との「身上」を通して、親神として生まれる旬をきちんと迎えました。
病になって、その日次の日、次の日の三度の祈祷で、病が治る。
それを、繰り返して、一年間の間に、九度の寄せ加持をしました。
「一、二、三、三段一つ」というみきの思想は、自らの一身においても体現されて、
今度は、自分が加持台に立つと言う、旬を、天保九年、陰暦10月23日に迎えました。
その相手は、「修験道」の達人、長滝村・市兵衛さん。
神仏の教えのどちらにも精通した、神おろしのプロでした。
修験者の通力によって下ろされた神ではない証拠に、市兵衛では、どうにも出来ない神として、
中山みきは、「わたしが人間の親神」なのだと、 その思想を、語りました。
「三日三夜の問答」と言われます。
その問答では、「てんりんおう」では無い神を語ったに相違ないのです。
724 :
基本:2010/03/09(火) 08:16:31 ID:wES1QDUD
「改訂版天理教辞典」から引用しましょう。p577です。
『「天の将軍」 ・・修験者中野市兵衛の加持に際して、おやさまが加持台そよの代わりにつとめられた時に、おやさまの口から出た神名である。』
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引用してて、つい一言。「天の将軍」とは、おやさまのご説明です。神名ではないです。
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『聞いた事の無い神名に、市兵衛が重ねて「天のお星様でありますか」と問いただした。』
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おやさまの告げた神名に、市兵衛は、困った。聞いたことが無い。 どうしてか、初めての神名だった。
「テンリンオウ」という名だったら、市兵衛さんには、おなじみもおなじみなのです。
『天のお星様ですか」などという、問いなどするはずもない。
「天輪聖王」に詳しい、修験者が、確認の為に、聞きなおさなければならないとは、つまり、「てんりんおう」の音ではなかったと言う事ですね。
そして、神についておやさまの語る内容的にも、これまでの知識には無い神で、問答で、修験道のプロが太刀打ちできないのだから、
寄せられた人々はまさに、全く知らぬ神の出現をその日その場で知らされた。
おやさま、においがけのプロ。
紋型も無いところからの元の神。 それを、きちんと寄せ集めて近隣の有力者達に匂いがけした、示した。
深い配慮の立教でした。
では、回答です。
「それは天のお星様ですか」と聞きました。市兵衛の言動が示しています。
みきは、「インド」の神として星の名をあげないで、「日本」の「将軍」だと、本地を明かした。
それが、「元の神」「実の神」という解説となり、三日三夜の問答となった。 のでした。
なーんだ。立教の原始記録そのものが「天理王」を証明していたのです。(微笑)
これまでに無い神、初めての神だときちんと示すため、神名取り払いの結果として、ごたつく日を見通しされて、
あらかじめ、インド系の神にも古神道にも詳しい、プロの密教系修験道を、証人にした。
なんと言う、きちがい婆さんかと、楽しくなりますよね。
それほどに、「付けた名前を取り払い、この残念をなんとおもうぞ」厳しいお言葉です。
725 :
基本。:2010/03/10(水) 05:45:11 ID:TQsbCthW
>>600 >600 :神も仏も名無しさん:2010/02/08(月) 04:30:33 ID:BO5uzddl
黒疱瘡の子供をお助けください。
私の子供二人を差し出しますのでどうか助けてください。
それでも無理ならば私の命を・・・
↑、この事にも関連しますが、感謝感謝さんのご質問の中心、中山みきの思想形成の問題です。
ともかく、十歳の頃には、和讃という、親鸞聖人作の、お経に匹敵するような実際に経文扱いをされていたものをそらんじていた、天才です。
そして、十九歳では五重相伝という、浄土教の奥義を学んでいた、「古神道・大和神社」の巫女の血をDNAに持っている「中山みき」。
この時、預かり子の黒疱瘡の時には「氏神様」に、この子の病をおたすけくださいと祈願した。
たすけを求めるときの中山みきの、信仰の思想の本筋は、「にほん・ゆまと・古神道」にあった。
それは、みき自身の「にほん思想」の証明です。
浄土教の思想である、極楽への死という発想に立たずに、現世においての守護を祈願したわけです。
前川家においての「血の保存」の血縁結婚のもたらした「元の神因縁」の発露がそこに伺えます。
726 :
基本。:2010/03/10(水) 05:54:02 ID:TQsbCthW
727 :
基本。:2010/03/10(水) 10:42:44 ID:TQsbCthW
中山みきが、晩年、背中で手を合唱して、見せたという事は、記録に残っています。
「背中で合掌」する中山みきを見て、なんと体が柔らかいのかと、感心したという、そんな伝承ですが、
「ヨーガ」のポーズであり、中山みきの思想は「古代インド」の宗教にも及んでいた事実の証明です。
背面合掌をして見せたという事で、中山みきの浄土思想の深さが分かり、ヨガの瞑想法の、日常の実践者という姿が見えます。
「この道は生きた禅やで」
サマディ(瞑想術)の語源の生家「三昧田」に生まれた、その意味も、体得していたと思います。
728 :
基本。:2010/03/10(水) 12:46:04 ID:zSLZE9wd
>>721-722 > 行者の市兵衛さんは、実は、「天輪聖王」に精通していた。 ・・・・
> これが、修験道の常識です。
http://www.harimaya.com/kamon/column/rinpo.html > 古代の仏教では、法(真理)をもってこの世を治める王を転輪聖王といった。
> 輪宝は、この転輪聖王の感得する七宝のひとつで、聖王は巨大な車輪を武器とし、人間の迷いや悪の根を断ち、世の中に平和と幸いをもたらすことを願いとした。
> 輪宝は法輪ともいわれるが、仏の教えは一つところに止まることなく、あらゆる方向に転回してゆくことをあらわしたものであった。
> それが、輪宝は「真理を回らすもの」であることに意味が抽象化され、仏教のシンボルとなり広まっていった。
> インドの国旗の中央に描かれているのも輪宝である。
> 輪宝は、仏教伝来とともに日本にも伝来した。
> 日本で最も古いものは、薬師寺の仏足石に刻まれた輪宝といわれる。
薬師寺は「東方浄瑠璃」の薬師如来に祈願の、お寺です。
長滝村行者市兵衛に対し「天理王命」との神名を告げた。
「てんりん」ではなく、「てんりん」。「じょうおう」ではなく「おうのみこと」。
「なになにのみこと」とは、神仏名としては「仏教系」ではなく「神道系」です。
市兵衛は、初めて聞く神名に、困惑したのも無理の無い事です。
この時、何より注目すべきは修験者市兵衛の問いです。
「天のお星様でございますか?」
このなんでもない問いには、市兵衛さんの行者としての深いキャリアが裏づけされていました。
見つめてみましょう。
729 :
基本。:2010/03/10(水) 12:49:53 ID:zSLZE9wd
>>728 > 「天のお星様でございますか?」
大峰山を修行の場としていた市兵衛は、大峰山十二先達の一人。
当時数え年四十七歳。
「世界遺産・大峰山」。 そう申し上げてよいと思います。修験道の聖地の先達とは、恐るべき精神力の持ち主を意味しています。
修験道の総本山 大峯山 (山上ヶ岳)より、引用します。
http://www.oomine.com/omine.html 役の行者によって始まった修験道の歴史も1300年以上の時を刻んできました。
その根本道場である大峯山は役の行者が登拝を重ね、33度目にして悟りの境に達したといわれる
修験道の聖地です。
・・・■ 西の覗き (にしののぞき) 日本三大荒行(他のふたつ=羽黒山の強飯行、熊野の那智大滝の寒行)のひとつであり、命綱を
他人に託して眼もくらむ高さの絶壁からの捨身行。昔は六文銭(つまり三途の川の渡り賃)を口
に加えて行をしたともいわれます。
自らの悪行を懺悔して身を捨てる(死ぬ)ことにこの行場の意味はあります。
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まさに荒行の聖地、そこの十二先達のひとり、行者市兵衛は、みきの語る神名から、
「お星様」を連想した。
730 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 19:41:41 ID:82pZvOtg
>>710 >その人の「心のしたい」、「したいやりたい事」を、素直にしたら、実行したらという意味です。
病の根は、切れてしまう。
その人のやりたいことが犯罪だったらどうすんの?
731 :
神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 23:09:33 ID:Iqu+Vb3f
>>727 背面合掌→ヨーガ→インド古典→事実の証明ww
732 :
基本:2010/03/11(木) 01:45:58 ID:Y6dspAXm
>>730 > その人のやりたいことが犯罪だったらどうすんの?
厳密に思案しましょう。
「心したい」は、心がしたい。
「その人がしたいは」、その人の意識が「したい」。
意識と言うのは、心の着物のようなものですから、「犯罪をしたい」と欲することも、ファッションとしてありえますが、
人間の心は、「自覚や意識」を脱ぎ捨てれば、「赤子の心」。
「陽気に遊びたい」、無邪気そのものです。
その心が、抑圧されたり、非人間化させらりたりして、本当に「心したい」が、出来ない悲惨な状態があって、時に犯罪をしたいという気持ちもある。
「心したい」とは、その人の本心の問題です。
733 :
基本:2010/03/11(木) 01:57:29 ID:Y6dspAXm
>>731-732 支配層は、罪と罰において、高山に都合の良い法形態を整えてきています。
例えば、天理教質問回答スレで紹介しましたが、混浴を禁じた。
それは、唐人思想でした。江戸文化は、野蛮として否定され、違法行為となりました。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1266183787/1-100 54 :基本。:2010/02/19(金) 21:04:39 ID:3thrcWp6
私の子供の頃の甲賀系には「混浴」は常識であった。
おさしづてお世話になっている「近愛」さんも確か混浴の時間帯があったと記憶している。
「混浴」、そんなくらいのことで色情因縁を起こすような者は道にはいないとか、解説を受けた記憶がある。
それは、とてもおおらかなものであった。と、子供心に記憶している。
甲賀の詰所で、風呂で大騒ぎしていたら、女湯から湯船の奥をくぐって、婦人が、ぬっと現れて、こんこんと叱られた。
混浴と言う意識そのものに、おおらかな時代が甲賀にはあった。
平然と凛として入浴している女性の高貴な姿は、まさに、色情因縁を超越して感じさせた。
さて、唐人の布教師はどうであったか。 西洋人の見た日本の浴場
http://www.news.janjan.jp/culture/0903/0903229958/1.php (1)西洋人の見た日本の浴場
幕末に日本を訪れた西洋人は、日本人の入浴文化について以下のように記録している。
「裸でも気にせずに男女混浴をしている公衆浴場を目のあたりにすると、アメリカ人には住民の道徳性について、さほど良い印象は持てないだろう。」(『ペリー艦隊日本遠征記』)
・・・・・・・・・・・・・・・
気にするどころか、堂々と、凛として慎ましやかな裸体が、そこにはあった。
と、記憶する。
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すると、堂々と混浴していたときには、「のぞき」どころではないのですが、「犯罪」ではない。
こういう事情も考慮しなくてはならないのです。
734 :
基本:2010/03/11(木) 02:10:03 ID:Y6dspAXm
例えば、高金利も、法律が金融業者に認めてきた。
そこで、借金疑獄に苦しんで犯罪したくなったというような場合、
「犯罪したい」は、意識として、苦しみから逃れたい、なのです。
そういう世の中を「夜の中」といいます。
明るく暮らしたいが、「心したい」。
それには、「元のおやのたましい」の、私が、ぢきぢきに「表にあらわれて」、「理を教え」、
全ての人を「極楽浄土に」住まいさせたい。
「ここはこの世の極楽や」という、中山みきの思想は、浄土信仰そのものなのですが、
「大社・高山の横暴」な統治のストレスから、人ならざるものに変化しようとして陥った「ストレス原因」の病は、
「南無天理王命」と、一言唱えるなら、陽気な心がおのずと復元する。
おやさまの思想です。
病に苦しむひ
735 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 04:58:01 ID:Xp+gIHHD
>>733 あの、東洋思想では、混浴がOKだったのですか?
日本以外でも混浴はOKでしたか?
それと、>「犯罪したい」は、意識として、苦しみから逃れたい、なのです。
レイプしたいという気持ちは、どんな苦しみから逃れたい気持ちなのでしょうか?
736 :
基本。:2010/03/11(木) 05:43:18 ID:Y6dspAXm
基本的に、「無理やり性的行為をする事」とレイプを定義づけますと、
男女の性行為というものは、合意であろうと、不合意であろうと、「初期」には、みなレイプ状態という事になります。
「苦痛・痛み』が伴うと、例えば、男性の性器は、包皮しています。その皮を剥くという好意は、レイプ状態です。つまり、痛いけれど、剥くなのです。
聖書世界では、そういうレイプは禁じられていて、自然に反して、幼児に割礼をしてしまう。刃物で皮を剥く。
これは、幼児に対する「レイプ」的行為ですが、生まれたばかりの赤ちゃんは、思春期のある時期を喪失させられてしますわけです。
日本で、「割礼」を赤ちゃんにしたら「犯罪」です。
割礼を男性性器は、思春期に皮を剥くために「快楽」と「痛み」を同時に経験しなければならない。
あるいは「専門の女性」に皮を剥いてもらう。それは「淫行」だと、未成年には、罰則があります。
そこで、ある時期、専門の風俗は許可し、「男が男になる」ためのシステムを用意した「大社・高山」もいた。
当然「
↑ この話題、ザ掲示板のおやさま、にきちんと説明をしてあります。
引用、紹介は後にしまして、
「快楽をともなう皮むき作業」を、「メスによる包茎手術」で、快楽におぼれさせないとした、聖書世界の「大社高山」。
彼らの、幼児への「割礼という聖なるレイプ」は、「聖なる儀式」。救済の道。
この現実をまず、冷静に見詰める事です。
レイプしたいというのは、意識がしたいわけですが、「心したい」わけではないのです。
737 :
基本。:2010/03/11(木) 05:59:47 ID:Y6dspAXm
男性の場合に「皮を剥く事」は、苦痛と快楽の行為だとして、「レイプしたい」というのは、その苦痛と快楽を
異性、または同性と共有したいという意識そのものです。
ご質問は、
>>735 > それと、>「犯罪したい」は、意識として、苦しみから逃れたい、なのです。
> レイプしたいという気持ちは、どんな苦しみから逃れたい気持ちなのでしょうか?
とのご質問でした。
中山みきは、肉体において「九つの胴」という思想を、こふき話として示されています。
「両目(2個)、両耳(2個)、両手(2個)、両足(2個)、男女1の道具(1個)}
この九つの道具で、陽気遊山をするのだという、思想です。
ところが「九つ」とは「九」。「く」。
一つを足さないと十にならない。
さこで、男女1の道具が、交わりあうと、おのおのが「九+一」で「じゅう」「自由」になる。
こういう思想です。
交わる相手がいないという事は、「九」。
その苦痛「九の痛み」から逃れるには、「一」を足したらよいのですが、
心は、心からの自由を求めていますが、意識としては「無理やりでも」、刃物で皮を剥いてでも・・・
大社高山の因縁という、自覚が大切です。
738 :
基本。:2010/03/11(木) 06:23:00 ID:Y6dspAXm
↑ この話題、ザ掲示板のおやさま、にきちんと説明をしてあります。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1164116611/110- [111]基本。 06/12/22 12:01 GoRGEoUS
>>110 割礼について、パウロが用いた論理、それは宗教の方便ですが、ローマ人への手紙の中で、こう語っていた論理です。
>>106 > 0328> 人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
神の教えを信仰するのなら、→ 割礼は当然の義務です。
しかし、その前に、「信仰するかしないかがもっと重大だ」と説く事で、肉体的に「割礼」しなくても、信仰者として神に捧げきる事で、「霊的な割礼になる」と、肉体と精神の二重構造を論理として持ち込んでいるのでした。
マリアの処女受胎の場合の論理も同様で、「神と交わる」という事は、肉による行為」の問題ではなく『神と交わったマリア』は、信仰として、「霊的に処女」なのです。
この、「肉」と「霊」の使い分けがパウロのキリスト教論理の特徴です。
そこで、パウロ・聖書は、実際にあったとされる「死後の奇跡」、そして、「墓から失われた遺体」という事実。多くの信者がその死後に見たと言う「イエス」との遭遇体験。
これらの事実から、「霊的に復活した」と、パウロは説きました。
「霊」と「肉」の二元論。
「洗礼」と「割礼」の二大信仰教義。
旧約聖書の世界観は、古代エジプトの魔法使いの「実学」と「マジック」を、思想的に由一一神教として整えたものでした。
イエスキリストは、ユダヤ教の改革者として、神の愛を説き、律法者の堕落を批判した存在と言う事で、数々の奇跡を起こしましたが、それは、具体的には病たすけであった。
パウロは、『目の病』をイエスの弟子にすくわれて、「目からうろこが落ちた」。
イエスキリストの教えの伝道者になりましたが、その時、古代エジプト以来の、ヘブライ伝統の「肉と霊」の「実学と神秘」の思想を持ち込んだと言う事です。
それが、肉の穢れの救済は、キリストにおいては、「やまいたすけ」であり、
それが、元ユダヤの宗教家で、使徒のパウロにより、「やまいたすけ」はかなたに置き去りにされて、見えざる死後の、「霊界」においての救済、
「最後の審判」という「幽冥」の究極教義へと連なっているのです。
739 :
基本。:2010/03/11(木) 06:36:32 ID:Y6dspAXm
つまり、中山みきは、「肉体と肉体」の性行為こそ「十・じゆう」と説いている。
ところが、「九から十」になるという事は、まさに浄土そのものですか、そこに「苦痛と快楽」が同時にあるという、通過点がある。
その時に、苦痛の部分を避けてしまうと「包茎手術」が・・
「霊と肉」という、「霊肉二元論」は、唐人パウロの思想です。
霊的結婚・処女受胎を「聖」なるものとし、
肉的結婚・性の快楽を「肉」なるものとし、
「肉」に罪ありとする、「原罪」を説いて、日本社会にも持ち込みました。
「手と手をつないだだけで、スピリチュアルな「性行為」になるという、詭弁」。
唐人思想。
おやさまは、「肉と肉」の、九+一の十を説いた。
つまり、九+一したいというのは、自然な本能で、それを「レイプ」などと呼ぶのは、
「霊の交わり」の幻想に支配された、とふじん的「高山因縁」と言うことです。
「清らかな愛」の対象と、「肉欲の対象」を使い分けるという、そういう、「ごまかし」を捨てて、
本当に、九+一が、双方において、九+一でありたいという、その気が大切です。
740 :
基本。:2010/03/11(木) 06:58:56 ID:Y6dspAXm
>>735 東洋でも、西洋でも、温浴・水浴問わず、「男性専用の川」「女性専用の温泉」などというものは、なかった。
西洋画の水浴をみても、自然なものです。
江戸時代の浮世絵の、水浴の絵も、自然なものです。
それに対して、「肉的な罪」を思想としてもちこんだ。
「唐人思想」は、混浴はみだらで罪深いときめつけて、日本政府は混浴を禁止して行った。
混浴をしていたら、日常に異性がみられるのだから、見る目というものが肥える。
それを禁止した事で、「性欲は罪」という、原罪思想は、自然に浸透してしまう。
混浴の浴場というものはおおらかです。
女湯などでは前をわざわざ隠している女性はいない。
割礼している神父たちには、まさに「欲情」の対象だったでしょう。
「罪の対象」としてしか、肉体を見られないという、
そんな、お気の毒な感性に、お付き合いして、日本人も混浴やめた。
無理やり見たいと、いうのも犯罪。・・・
だから、その矛盾として、ネットには、性器もろみえの画像や動画があふれていて、
精神風土に原罪意識があるゆがみを、生んでいます。
普通の女性の裸は、自然な混浴は、禁止されて、風俗や犯罪現場的な女性の裸しかみられない現代。
レイプしたいというのは、その、唐人思想に汚染された苦痛から、逃れたいという、
「胸の空虚」「女性不信」「性の罪意識」。
その「苦の世界」から逃れたいという、意識の欲求だと思います。
741 :
神も仏も名無しさん:2010/03/11(木) 07:04:32 ID:Xp+gIHHD
「清らかな愛」の対象と、「肉欲の対象」を使い分けるという、そういう、「ごまかし」を捨てて、
本当に、九+一が、双方において、九+一でありたいという、その気が大切です。
強姦犯は捕まえなくてもいいという主張ですか???
742 :
基本。:2010/03/11(木) 12:08:05 ID:Y6dspAXm
>>741 ここでは、天理の思想の話題をしています。
> 強姦犯は捕まえなくてもいいという主張ですか???
それは、その国の法律の範囲において決まる事です。
割礼をしたら、日本では捕まります。
法律というものは、その社会の人間のきめたルールです。
本当はお分かりなのでしょうが、
「ごまかしを捨てて」ということは、「レイプ願望」は捨ててという意味です。
レイプしたいという事は、意識であって、心ではない。
それは、九つの世界観に位置しているという立ち派を示しています。
「強姦」と言う言葉は、「強欲」であるという事を自白しています。
強欲というのは、心のほこり、つまり、廃棄物です。
レイプというものがなぜ犯罪なのかというと、「肉体」に対する直接の行為。
「身の内」への危害だからです。
強引に手をつかんだとして、肉体に損傷を与えたら、犯罪です。
それを罰するかどうかは、人間社会の意思がきめる事です。
「神様は言わん、言えん」
法律とは、人間がきめて執行しています。
743 :
基本:2010/03/13(土) 00:58:22 ID:WuVLzcze
中山みきの、思想は、幼時の念仏信心の母から、浄土思想を基盤として形成されました。
もう一つの社会活動においての救済実践の思想は、義人の庄屋であった祖父の生き方の影響によるものだと、みき自身の晩年の言葉で、理解されます。
そこで、みき自身が「血の保存」の縁組をした事を改めて確認しておかねばなりません。
「祖父・前川半七正信」の遺伝子は、半七の孫、「中山善兵衛とみき」の結婚で、保存された。
そこから生まれた「娘」の長男に、「前川半七正信」の魂を宿しこんだ。
つまり、遺伝情報の所有者と言うことですが、その孫(外孫)と、
同じく、半七の孫、「中山善兵衛とみき」の孫(内孫)を、婚約させ、結婚させています。
大和の、古大和の遺伝情報を、代々継承する手法とは、このように、「外に出した娘の子」を再び内に戻すと言う手法で行われていたと、
言う事です。
三昧田の前川家では、みきの祖父「半七、正信」の孫同士「善兵衛とみき」以外にも、
「遺伝子の保存」の結婚があります。
以前に別の所で紹介しましたが、みきの父にとっての孫娘、「しづ」さんと、みきの父にとっての「孫」、「光造」さんが結婚しています。
生まれたのは、「前川菊太郎」です。
「血の保存」と言うのは、日本でも皇室関係にありますが、ユダヤ教が、有名です。
ユダヤ教の神官の血筋と言うものは、「血の保存」によって遺伝子情報を温存し、預言者の誕生を、待ったと言う歴史があります。
744 :
基本。:2010/03/13(土) 02:00:24 ID:WuVLzcze
明治十年ごろの話。
山本利三郎が大阪へ出て、神様のお話を伝えていたとき、キリスト教の信仰者が出て来て、問答を言いかけて来たそうです。
先方の質問に対し、こちらを不思議と、すらすらと答弁が出来て、先方はむしろ感心して引きさがって行ったということです。
その後、山本は、おぢばへかえって来て、信者仲間にその問答のやりとりなどを話しました。
そのとき、教祖は、その話をおき(註・お聞き?)になって、
『山本さん、それ、あんたが言うたと思いますか』
とお尋ねになりました。
山本は、しばし、その意味がわかりかねて、返事にとまどっていますと、教祖は、
『それなァ、神が言わしたのやで』
と仰せられたということです
・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kunitokoomotari2tu1tugatennori/view/20080402 リラックマンさん紹介の資料からの引用です。
この話ですが、基本的にはおやさまが、あらかじめ教えておいたと、みなしています。
一種の自慢話ですから、おひれがついて、「神様がいわしてくれた」と、そんな風になっていますが、
おやさまは、キリスト教に精通していた証拠が残されているわけです。
本日は、昨日までの多忙な日々の疲れもあって
おぢばに帰り損なっちまったいorz
746 :
神の存在、:2010/03/14(日) 22:20:44 ID:+EhnTgrA
イカサマの巣窟が天理教。
747 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 07:07:18 ID:WunF7dP8
>>746 oh・・・
散々政治についてほざいておいて、おやさまは「国会ではおさまらん」といってますから
とかいっちゃうオッサンのことをIKASAMAだと
itteruno?
748 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 19:36:58 ID:5QamU7/O
学者金持ちあとまわし
あ!だから俺は何事も後回しなのか!!!
749 :
基本:2010/03/17(水) 02:06:36 ID:V0SdGzZm
学者、金持ち後回しということは、おやさまの思想として、何時ごろ芽生えていたかと言う問題は、なかなか重大です。
私達は、学べ、金持ちになれと、そういう教育をしています。
「学者・金持ち後回し」の思想は、何時からかと言う問題を思案してみます。
江戸幕府の滅亡は、封建制の閉鎖経済の崩壊に深い関係があります。
自由経済が発展発達し、都市部の豪商と、地方の冨農層が政治体制の一新を期待した。
それが、明治維新革命軍の経済的支援者となった。
冨農家は、農業以外の問屋制手工業経営によって、富の蓄積に成功した、
そして、政治権力に関与し、期待していたわけです。
十人のなかに三人かたうでわ 火水風ともしりそくとしれ
第6号 21
この三人は、資産家であったと思慮されます。
「学者」については、批判は「唐人」排除と同様に明確なので、「金持ち」排除という思想は、
明治7年執筆の、このお筆先にあると、基本を確かめます。
750 :
基本:2010/03/17(水) 02:17:14 ID:V0SdGzZm
十人のなかに三人かたうでわ 火水風ともしりそくとしれ
第6号 21
おやさまは、隔てなく機会均等であるという常識と、それは「徳」によって、破れ風呂敷にもなると示されています。
つまり、最初においては、機会均等であり、しかし、「金持ちは後回し」という、思想的な発現になっているということです。
破れ風呂敷の例は「徳」の問題として、理解されがちですが、
「徳があるとは=金持ち、学者」と、そのような一般常識と比較した場合に、中山みきは、「火水風とも退くと知れ」と、神のご守護の停止まで継げているのは、まさに、発想の逆転がそこにあると、見て取れます。
751 :
基本:2010/03/17(水) 03:01:21 ID:V0SdGzZm
「火水風とも退くと知れ」とは、神道本局から視察に来た方にも、発言されていますから、「学者金持ち後回し」と言う伝承の言葉の意味は、そんな後回しと言う甘いものではなく、
「神が退く」という厳しいものだと言うことは、忘れてはならない基本です。
・・・・・
(お筆先 注釈)
かたうでは、片腕の意。東若井の松尾市兵衛、竜田の乾勘兵衛、大西の北野乾兵衛の出直し見て、当時の人々は、このお歌に思いあたったという。
・・・・
竜田の乾勘兵衛は、3625の暮れあいに神殿掃除をした女性、乾ふさが、「言上の伺い」をたてて人助けをする事を、「家が貧乏になる」と止めた人物。
つまり、資産家であって、お屋敷では「片腕」と言われるような、お尽くし頭だったということ。
東若井の松尾市兵衛も資産家。
後には瀕死の病、「高慢が強い」と、お助けを拒否されている。
45才で死んだ。長男は十九歳だったという。
後の、その長男は「平安初代:飯田岩次郎」の謀反のとき、平安の後始末の為に、
「7町歩(6.9ha)の田畑、30町歩(29.5ha)の山林、及び家屋敷」を、全て、手はなしている。
「教会では明日の事より、今日食べる米さえも無い日々もあった」
「夜中になっても、お腹が空いたと言って泣き叫ぶその声、一声が俺の身体をさいなむような響きを持っている」
「一層のこと、みんなを殺して俺も死のうかと何度思ったかしれない」
つまり、中山みきの思想は、明らかな、「金持ち排除」を意図していると見て取れます。
何ゆえに、後回しなのか、その思想の意味を理解しなくては、なりません。
「片腕」とは、宗教権力。そう理解するのが基本です。
752 :
基本:2010/03/17(水) 03:19:38 ID:V0SdGzZm
そこで、「学者金持ち、後回し」というのは、天理教の一般には正しく理解されていない状態があります。
実は、匂いがけの順序として、中山みきは、「金持ち・優先」です。
もう説明した事ですが、確認しましょう。
720 :基本:2010/03/09(火) 06:57:50 ID:wES1QDUD
答えは、なんだそうか、と言うほど分かりやすいものです。
でも、きちんとした「常識」が無いと、簡単なものほど、間違えやすいので、整理します。
常識にかえる事は、大切なことです。
先ず、寄せ加持をしたという事実から確認しましょう。
「寄せ加持」とは、「加持」の一種類です。多くの人を寄せて「加持」をするという事で、
九度の寄せ加持をする都度に、寄せた人々への接待に経費がかかったと、それは、天理教教祖伝に書かれています。
「加持」とは、「密教系の呪術」に属します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
行者市兵衛は、世界遺産の修行場の「十二先達」。「学者」。
寄せ加持に、集まった人は、古大和の「資産家」。
天理王命は、「学者金持ち」最優先に、「立教の宣言」。
この、匂いがけのプロ、天才不況師{中山みき}。
わたしたちの「おやさま」です。
753 :
基本:2010/03/17(水) 04:19:03 ID:V0SdGzZm
A「お筆先執筆」の時代にあったことは、実は@「お筆先執筆以前」にあったことです。
感謝感謝さんが、質問された「神名」の問題には、「学者・金持ち」の理の間違いそのものが潜んでいて、中山みきは、
その理の間違いを前提にして、立教という、はじまりを開始したということです。
平たく言えば、「分かっていない」姿を証明し、自白させるということで、宗教高山を排除する仕掛けという意味です。彼らは、誰も、みきの思想を受け入れていません。
利用しようとはしました。
「天龍王」の神名、「テンリンオウ」の称名、全て、「分かっていない」証明でした。いや、悪事の自白。
{神名の称名}で、異端を{証明}する。
それは、宗教起こし活動にみきの「霊能力」を利用した、地方豪農とインテリたち。
そして、Bの今では、八島系テンリンオウ、そして教団内部の「貧に落ちきらない」高山たち。
「片腕」は、実は異端なのです。
献金額で、「片腕の地位は買う」。しかし、根本的な、世界の普請はしたくない。「貧乏は嫌だ」。
同様に、天理教団内で「大」でいつづける「片腕」たちは、ここにおいて「後回し」の真の意味に気が付くしかない。
こんなところで、みきの思想の本質が、八島系や諸井系の学者も含めた一般の人にも、知らされたのである。
天理教は、教団は、実は「学者・金持ち」を信者の「片腕」として優先して来た。
そして、いままでは、中山みきの思想の真の意味を知らなかった。「そのままや」だった。
「匂いばかりをかけておく」 つまり、中身は、食せない。 ブラックな意味。
学者・金持ちは後回しとは、「貧に落ちてから、出直し」、つまり、「火水風」とも退く。
つまり、心得違いは出直しやという、思想そのものを告げることで、理を知らせた以上、神は働く。なのだ。
理を説いて反対させて、「本性を自白」させる。それから、神は理を返す。
大社高山取り払い、その、宣戦布告と理解したら、中山みきの思想は、まさに、立教の宣言。
私たちの「おやさま」は、最初から「高山」に「匂いをかけ」ておられたのだ。
754 :
基本:2010/03/17(水) 05:14:14 ID:V0SdGzZm
イエスは、律法学者とパリサイ人にこう語りました。 解説を含めて引用します。
http://elbaal.hp.infoseek.co.jp/matai23.24.25.htm マタイによる福音書 第23〜25章研究解読
第23章14節
14節 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをする。
だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。
イエスの時代に見られたユダヤの聖職者の貧欲は、公然の醜聞であったと言われています。
宗教上の義務という美名に隠れて、ユダヤの聖職者の地位にある支配者たちは、強要や不法な取り立ての手段によって、巨大な金銀財宝を蓄積していましたが、
これらの大部分は貧しい人々の寄付や、人に頼らなければ生きていけないやもめの家さえ含む、財産の没収によって築きあげたものです。
そしてこのような凶悪な常習的行為は、外見上神聖に見せかけることと、口数の多い祈りという神の認めない、または神を汚す行いによってますます邪悪になっていきました
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は、大社や高山にすがって生きるという姿が、「片腕」たち。
宗教高山の因縁を、自覚し、さんげ。
それは、月日より付けた名前を取り払うであろう者たちに、「火水風退く」と、月日の支配思想を明かした中山みきの、親神としての思想。
「大社、高山」に、全く依存しようとしない、「本地主義」。{ぢば主義}.
この、中山みきの思想。
さすがに元の神です。
755 :
基本:2010/03/17(水) 05:38:51 ID:V0SdGzZm
預言者・イエスキリストの、予言です。
マルコの福音書10:17−27
17イエスが道に出ようとすると、一人の男が彼のもとへ走りよって跪き、尋ねてこう言った。
「善なる教師よ。永遠のいのちを相続するためには何をすればよいのでしょうか。」
18そこでイエスは彼にこう言った。
「なぜわたしを善なるというのですか。神お一人の他に善なるお方はいません。
19この戒めを知っているでしょう。『殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽証してはならない、だまし取ってはならない、あなたの父と母を敬え。』」
20そこで、この男はこう言った。
「先生。これらのことは全て若いころから守っていました。」
21だが、イエスは彼を見つめた。その瞳には愛が満ちていた。そして、こう言った。「あなたには一つ足りないことがあります。あなたの持ち物を全て売りに行きなさい。貧しい人々に与えなさい。そうすれば天に宝を積むでしょう。そして、戻って来てわたしについて来なさい。」
22だが、男はその言葉に悲しみ、心を痛めてそこから立ち去った。彼は多くの財産を持っていたからだった。
756 :
基本:2010/03/17(水) 05:53:59 ID:V0SdGzZm
>>755 > 預言者・イエスキリストの、予言です。
> 「あなたには一つ足りないことがあります。あなたの持ち物を全て売りに行きなさい。貧しい人々に与えなさい。
> そうすれば天に宝を積むでしょう。そして、戻って来てわたしについて来なさい。」
23イエスは周囲を見回し弟子たちにこう言った。
「豊かな者が神の国に入ることはどんなに難しいことでしょうか。」
24弟子たちはイエスの言葉に驚いた。
そこで、イエスはそれに答えてもう一度言った。
「子どもたちよ。神の国に入ることはなんと難しいことでしょうか。
25らくだが針の穴を通る方が、豊かな者たちが神の国に入るより簡単です。」
26弟子たちはさらにびっくり仰天し口々にこう言っていた。
「では一体誰が救われるんだ。」
///////////////////////////////////////////////////////
イエス様は言われました。「なぜわたしを善なるというのですか。神お一人の他に善なるお方はいません。
イエス様は、天にお昇りになっては天なる父の右側に位置するお立場と、予言されています。自分は神ではなく神の子だと、語られてもいます。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////
27イエスは弟子たちを見つめこう言った。
「人間には無理です。しかし、神は違うのです。神はなんでもできるからです。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神は違うのです。神はなんでもできるからです。」
それは、元の神が「世界一列を救う」という予言、そのもの。
おやさまは、十字架を見て、「完成の意義や」と言われたと伝わります。
神の子、イエス。あなたほど、親孝行な神の子は、この世にいません。ありがとうございました。
「貧乏せい」 元の神のお言葉です。
757 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 06:11:01 ID:VYt+qnLU
____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\
/ ⌒(__人__)⌒ \ イエスも仏陀も親神様です
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
ノ \
/´ ヽ
基本。
基本のおにいちゃん、誰とレスを交わしてるの?
759 :
基本:2010/03/21(日) 02:43:58 ID:17LHYu8S
甘露台のさずけというのは、十人の中の三人片腕として、「高慢が強い」故に父が出直しとなった、松尾市兵衛の子息に、さづけられました。
>>751 > 後の、その長男は「平安初代:飯田岩次郎」の謀反のとき、平安の後始末の為に、
>「7町歩(6.9ha)の田畑、30町歩(29.5ha)の山林、及び家屋敷」を、全て、手はなしている。
>「教会では明日の事より、今日食べる米さえも無い日々もあった」
>「夜中になっても、お腹が空いたと言って泣き叫ぶその声、一声が俺の身体をさいなむような響きを持っている」
>「一層のこと、みんなを殺して俺も死のうかと何度思ったかしれない」
金持ちの財産を、貧しい人に施したわけではなく、積善講(平安大教会)の副担任として、全財産で、「高弟の立場」を継承し「神殿」を普請した。
しかし、信者は「水屋敷」に流れてしまう。
なぜなら、おたすけが上がらないから、・・・ いや、金で買ったということにすら、その埃にすら気が付いていない、情けない信心だったからだ。
心の高慢は、片腕信仰の因縁は、容易には切れなかったという事だ。
760 :
基本:2010/03/21(日) 03:14:32 ID:17LHYu8S
[積善講] 飯田岩次郎初代講元。 積善という言葉は、
積善(せきぜん)の家(いえ)には必(かなら)ず余慶(よけい)あり
〔出典〕 『易経』坤、文言伝
〔解釈〕 善行を積み重ねた家は、その報いとして子孫に必ず幸福がおとずれる。(Yahoo!辞書 大辞泉 【積善の家には必ず余慶あり】)
おつとめの人衆十人の、中に三人片腕は、と、「宗教・善行」をしていた父親は、
果たして、善を積んでいたでしょうか。
「積善講」という講名は、孔子様の教えから、由来しています。
飯田岩次郎が謀反に走った、水屋敷で信者を集めた。
これも「積善」ではない。
だが、それに対抗して、「神殿」を普請して、教団側に貢献し、金で地位と立場を買う松尾與蔵。
十年前の、明治二十二年、「甘露台のさづけ」を頂いて、十年。
何をしていたというのでしょう。
松尾市兵衛さんの、長男の姿は、さんげの見本です。
761 :
基本:2010/03/21(日) 03:29:23 ID:17LHYu8S
「片腕信仰」の悪因縁の本質。その教材ともいうべき「積善講」事情。
理解の為に、古典の名言名句集 から、解説を引用します。
http://sentetu.blogspot.com/2008/06/blog-post.html 「積善の家には必ず余慶(よけい)有り。積不善の家には必ず余殃(よおう)有り。」という言葉は、『易経』の「坤為地(こんいち)」という卦を解説する「文言伝」に書かれているものです。
「坤為地(こんいち)」というのは全陰・純陰の卦で、
全陽・純陽を表す「乾為天(けんいてん)」と対をなす卦です。
・・(坤為地)(乾為天)。
「坤為地」というのは天地の地を意味し、天を意味する「乾為天」に従うものであり、従順で貞正な卦であると『易経』では書かれています。
地(坤)の動きや働きは、天(乾)に感応するものであり、
天(乾)の動きや働きに対して抗うことなく従順であることによって、地(坤)の動きや働きという作用が全(まっと)うされるということでしょう。
・・
(引用続きます)
762 :
基本:2010/03/21(日) 03:38:44 ID:17LHYu8S
>>761 > 「片腕信仰」の悪因縁の本質。その教材ともいうべき「積善講」事情。
> (引用続きます)
「文言伝」には、坤について次のように書かれています。
「すべての卦(六十四卦)の中において坤は最も柔なる存在であるが、乾に感応する動きには力強さと確かさ(剛)が備わっていながら静かなものであり、
その作用は四方の隅々にまで及ぶものである。
(乾の)後ろに位置しすることによって、乾の動きに応じた動きができ、地上のすべての物を含有して生育することができる。
坤の道は其れ順なるか。
天の動きを受けるところに(坤としての)行い(作用)がある。」
上記を平たく表現すると、坤の作用というのは天の理にかなったものであって、それが淡々と行われるところに坤の柔剛さがあらわれているということでしょう。
そして、この後に続くのが、冒頭に掲げた
「積善の家には必ず余慶(よけい)有り。積不善の家には必ず余殃(よおう)有り。」という言葉なのです。
さらに、この言葉には、次のような文章が続きます。
「臣が其の主君を殺(あや)め、子が其の父を殺めるというようなことは、一時的なことが原因で起こるのではなく、その要因となるものが次第に重なっていることに由来するのである」と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
[むほん]
その因縁事情を切るには、「積善」。
孔子様の教えられた、天理。
甘露台の授け。松尾與蔵も、水の授け。飯田岩次郎も、積善の講元、副講元でなかった。
それでも、お授けはくだされた。
しっかりと、片腕信仰は「異端」だと知ることです。
そのむほんの根を切るには、「積善」だと、孔子様の教えです。
763 :
基本:2010/03/21(日) 03:55:27 ID:17LHYu8S
おやさまは、「みんな何でも口で言わす」との思想の持ち主でした。
「積善」の講だと口で言い、それは、じつは、
占いでは、
「坤為地(こんいち)」という、卦が出た時の解説であった。
「坤為地(こんいち)」というのは全陰・純陰の卦で、つまり、天理で言えば「夜・真夜中」。
それを解説して、こんな闇夜のような運命を変えるには「積善」だと、解説された。
孔子様の教えを、岩次郎さん、與蔵さん。学ぶべきであった。
「易」も、月日の教えきたものであり、口で言わされているを自覚して、心にある「むほん」の根を、「積善」にて、切ることです。
「徳つみ信仰礼賛」も、謀反の心ありの、「自白」にすぎません。
全て、天に従うこと、と、孔子様は解説されています。
764 :
基本:2010/03/21(日) 06:39:06 ID:17LHYu8S
>>763 > 「徳つみ信仰礼賛」も、謀反の心ありの、「自白」にすぎません。
この事を、丁寧に申し上げますと、「積善」とは本来、天の道を通るという基本だが、その場合「陰徳」がよろしいわけです。
八卦にても、「全陰、純陰」の卦なのですから、「陰で徳積む」が、大切な基本です。
ところが、神様に尽くしている尽くし頭だとか、言われているというのは、「陰・かげ」ではないわけです。
そうした徳積み信仰というのは、実は、自分さえ幸福になれたら良いという意識そのものであり、結果として、天に対して、従わない。
教団思想の中での権力の亡者、ということです。
Aお筆先執筆中、に片腕三名として指摘あるということ。
@お筆先執筆以前には、大和神社の事件の節で、勤め場所の普請に「お尽くし」したのに、ひどいことになった方々、
Bお筆先執筆以後には、例えば松村吉太郎の父。梶本家の当主など、
つまりは、「お尽くしはしている」が、「範囲と限界と目的」を心得ているというような、賢い方々です。
「学者金持ちあと回し」という思想は、実は「積善」が先だよという意味であり、
おやさまの、立教以前の、慈悲深い行動は「積善」の思想行動そのものだったと、思慮されます。
765 :
基本:2010/03/21(日) 07:12:59 ID:17LHYu8S
>>758 > 名前:感謝、そして感謝 :2010/03/21(日) 02:26:39 ID:s7bkwsNr
> 基本のおにいちゃん、誰とレスを交わしてるの?
感謝感謝さんに、おやさまの思想の形成と発露について、語り続けていますよ。
おやさまの積善の行為の、預かり子「安達照之丞」さんの黒疱瘡のときの、神仏への祈願は、
「かげ」であるべきが、「信者の口」に上る事情となりましたが、
おやさまは「かげ」であるべき事を、きちんと示しています。
おやさま・中山みきの、「陰徳思想」を示すお筆先です。
これからハせかいの人ハをかしがるなんぼハろてもこれが大一 一号71
せかいにハなに事するとゆうであろ人のハらいを神がたのしむ 一号72
めへ〃のをもふ心ハいかんでな神の心ハみなちがうでな 一号73
>>755 > 21だが、イエスは彼を見つめた。その瞳には愛が満ちていた。そして、こう言った。
>「あなたには一つ足りないことがあります。あなたの持ち物を全て売りに行きなさい。貧しい人々に与えなさい。そうすれば天に宝を積むでしょう。そして、戻って来てわたしについて来なさい。」
> 22だが、男はその言葉に悲しみ、心を痛めてそこから立ち去った。彼は多くの財産を持っていたからだった。
>>756 > 25らくだが針の穴を通る方が、豊かな者たちが神の国に入るより簡単です。」
> 26弟子たちはさらにびっくり仰天し口々にこう言っていた。
> 「では一体誰が救われるんだ。」
> 27イエスは弟子たちを見つめこう言った。
> 「人間には無理です。しかし、神は違うのです。神はなんでもできるからです。」
十字架のイエスの教えを、完成する「十柱の神」。
人は神の子です。イエス様は、あの頃、神の一人子でした。
真に助かりたいのなら、「いつも笑われそしられて:、「よい事してののしられる」。それは、兄、イエスさまのお姿そのもの。
中山みき・人間の親神という思想にて、子供に、「あほうになれ」と諭されました。
それは、イエスのようにブッダのように、孔子のように、なりなさいという意味として、思案するのが基本です。
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/ ⌒(__人__)⌒ \ 新聞の折り合わせチラシは「親紙様」です
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朝日新聞
767 :
感謝、そして感謝:2010/03/22(月) 17:27:40 ID:ZNwQdj+u
ありがとうございます。
それにしても、基本のおにいちゃまは、すっごい教育者ですね。
うち、この労力や情熱にほんまに頭が下がります。
あんまし頭よくないけど、一生懸命に読ませていただきますね。
768 :
神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 00:14:26 ID:IJ35AHjJ
基本の自演
769 :
感謝、そして感謝:2010/03/23(火) 01:33:51 ID:f0fEyssa
768さん。
これは、うちが書き込んだレスやもん。
感謝、そして感謝が書き込んだの。
しかして、うちのレスに何かご意見があるの?
うちは、基本的に、天理のみき様とは、そもなんぞやと知りたいから、誰でもいいから訊ねたの。
その中で、基本。というコテの方が返してくれてはるよ。
770 :
神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:32:44 ID:mGY7+AZd
> レイプは意識で心ではない ?
言葉のあやだよ。
敢えて言うなら「願望」だよ。
それも元はセックス願望なのさ。
ほんでもって、セックス願望の根っ子は、本能だろ。
しかし人間ってのは、自己の本能でさえ対象化する。
意識する。
肉体的快楽に意味付けをする。
精神的には征服欲の様相を帯びる。
その際、相手の苦痛の様を見ると、征服のグレードがアップしたように
錯覚して喜ぶ手合いもいる。
手合いというか、誰しもその要素も含み持ってる。
が、一方で、苦痛を与えるのをためらう良心もある。
出来れば相手も歓喜し、共に快楽に耽れる方がベター。
その理想的パターンを、「ほのぼのレイプ」と言う。
771 :
神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 00:58:28 ID:A3ZS9djp
教祖伝逸話篇
【食べ残しの甘酒】89
教祖にお食事を差し上げる前に、誰かがコッソリと摘まみ喰いでもして置こうものなら、いくら教祖がお召し上がろうとなされても、
どうしても、箸をお持ちになってお手が上がらないのであった。
明治十四年のこと。ある日、お屋敷の前へ甘酒屋がやって来た。この甘酒屋は、丹波市から、いつも昼寝起き時分にやって来るのであったが、
その日、当時未だ五才のたまへが、それを見て、付添いの村田イヱに、「あの甘酒を買うて、お祖母さんに上げよう。」と、言ったので、
イヱは、早速、それを買い求めて、教祖におすすめした。
教祖は、孫娘のやさしい心をお喜びになって、甘酒の茶碗をお取り上げになった
ところが、教祖が、茶碗を口の方へ持って行かれると、教祖のお手は、そのまま茶碗を上の方へ差し上げられて、どうしても、お飲みなることは出来なかった。
イヱは、それを見て、「いと、これは、教祖にお上げしてはいけません。」と言って、茶碗をお返し願った。
考えてみると、その甘酒は、あちこちで商売して、お屋敷の前へ来た時は、食べ残し同然であったのである。
お手付けのお供え
教祖にお供えを差し上げる前に、教会長がコッソリと抜いて置こうものなら、いくら教祖がお受け取りしようとなされても、
どうしても、お手が上がらないのであった。
↑今の状況はこんなんだったりして。
772 :
神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 16:14:33 ID:A3ZS9djp
770
にせtracer
天理のみき教祖さま。
「天理王命」と「てんりんをうのみこと」。
飯降先生の「翁よりききし噺」?にある「天理王命」
泥海古記にある「てんりんをうのみこと」
実は、「みかぐら歌」の、おそらくはあるかも知れない、みき教祖さまの直筆本が
発見されれば、いいのかも。
ちがうのかなー?
774 :
神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 06:43:39 ID:8KRZOoi4
59 名前:基本。 投稿日:2007/11/07(水) 19:37:42
まず最初に、「読売と自民党の密室があった」。
これを、頭に入れておこう。
次に、読売と日テレの、情報操作があった。
それは、連立を仕掛けた「小沢」と、プロパガンダした。
オザワは、政治生命をかけて、それと闘って、
なおかつ、「恥を承知で」と、
国民の為に復帰した。
しかも、「若手から」政界再編の、誘惑を封じた。
これが大きい。
小泉新党の芽はつぶれた。
大したもんだ。
オザワの頭脳は、すばらしい。
>国民の為に復帰した。
>国民の為に復帰した。
>国民の為に復帰した。
>>727 >サマディ(瞑想術)の語源の生家「三昧田」に生まれた、その意味も、体得していたと思います。
そりゃ元々、「三昧」という言葉自体がサマディというサンスクリット語(?)の漢訳から発した仏教用語だったのだから。
よく禅宗の系統なんかでは言うじゃないか、「三昧に入る(入定する)」とか、
この言葉からさらに転じた言葉で「・・・三昧(ざんまい)」とか。
776 :
神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 00:34:14 ID:K/pT1i07
>>772 にせtracer って、どんな意味だい?
777 :
神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 01:00:04 ID:tGSXAon2
全くスレ違いだけど、70年代頃の歌謡曲で
「これでお別れなの貴女とは、とっても辛いけど
涙こらえてきた港町、もうすぐ朝になる・・」
という歌詞の歌があったんだけど、
誰か曲名か歌手の名前知らない?
当時の若手演歌歌手で、一発屋さんだったんだろうけど。
778 :
基本。:2010/03/30(火) 17:54:10 ID:+PW9fSoK
> みき教祖さまの直筆本が 発見されれば、いいのかも。
ひながた(実の箱時代)において、おやさまは、「説き流し」のおうたを、朗々と吟じられていました。
「みかぐら歌」は、制作されたのは、
一、実の箱時代、その中の、@AB、の内、「@お筆先執筆以前」にも、すでに「みかぐらうた」は、存在していたと言う事です。
誰も、書き取ってもいないし、でも歌は存在していたと言う事です。
それが書き取られていると、どういう事になるのかです。
例えば、事実として御神楽歌には「甘露台三下がり」というものがあります。
「天理ほんみち系の異端」である、「神一条教」では、その「甘露台三下がり」を教理の軸に説いています。
明治8年の作と言われますが、こうしたものの存在の意味するところは、「人がそれを御神楽歌」と聞き取ったという事です。
聖書には冒頭に、「先ずはじめに言葉ありき」とありますが、その伝承を聞き取って語り伝えて、そして、旧約聖書は出来た。 日本の古事記もそうです。
「記憶の中の伝承」。それは、神の世界の伝承の一形態ですが、記録化されると何がおきるか。
例えば神一条教では、こんな風に語り伝えています。
『あなたは、だまされていませんか?それとも、だましていませんか?』
『これらの事を知らずにあなたは親神様 御教祖様と言えますか ?』
http://www.kamiichijyou.org/omowaku.htm 「 証拠を上げますと甘露台三下りの二下り目
九ツ このうちにいつまでも おいてもらふとおもへども (天理管長(真柱)の事 天理教のところに何時までもおいてもらふ)
十ド このたびぜひがない やかたもらうてたちかへる (と思へども人間甘露台が出現したので退かねばならん)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神一条教では、甘露台三下がりを報恩感謝祭につとめているとの事で、神一条教は「天理ほんみち・大西愛次郎」系の分派で、天理教から神一条教に、「人間甘露台」様にと、勧誘の布教をしています。
おやさまが、歌っていた。それが「御神楽歌」なのだと、「かぐら」で歌われていないのに、そういう論法がまかりとおるわけです。
(この関連、続けます)
779 :
基本。:2010/03/30(火) 18:05:37 ID:+PW9fSoK
おやさまは思想として、人類の文化史そのものを再体現するという思想を持っています。
人類に文字が無かった時代の伝承は、説き流しです。
それは、全く書き取られなかったかといえば、やがて書き取られるようになります。
それが、夫善兵衛様や、長男秀司さんが、新宗教おこしにと提出した文書の内容に、散見されるわけです。
「みかぐら歌」というものも、つとめの地歌であるから、御神楽歌であり、つとめに勤められないで、ただ歌われていたら、それは、「説き流しのおうた」になるわけです。
お筆先執筆の時代に、おやさまが「歌を歌っていた」。
それは、「つとめに用いる」と言う意思も行動も示されていない、「説き流し」状態であった。
そうであって、初めて、いつの@ABにも、必ずひな型があると言う、天理はまっとうされないわけです。
そこで、甘露台三下がりは、天理教団内部では「極秘扱い」で、あれは「小寒様」の制作だが、おつとめには不採用だったとか、語られていた。
そういうものの存在こそ、「みかぐら歌には原本が無い」という、事の、価値であり、意味であるわけです。
780 :
基本。:2010/03/30(火) 18:13:24 ID:+PW9fSoK
説き流しの伝承に価値を認めないとすれば、それは「証拠主義」なのですが、古事記も旧約聖書も、何の史料価値がないと言うことになります。
これは、歴史的価値観に対する、むほんのようなものです。
文字の無い時代の伝承は、まさに、「神事」そのものであり、書記官が記録したから正しいと言う時代の価値観では判断できません。
伝承者は「預言者」であり「巫女」であり「神官」であるという、世界観がそこにあります。
余談はさておいて、聞き取られたものとして、「甘露台三下がり」は、「聞き取られた聞き取り本」が存在しています。
ご紹介しましょう。
所謂 「戦前のおふでさき」 と称されるものへの一考察より、引用します。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/senzen/senzen.html 〈甘露台三下がり〉
「これは、甘露台地場定め(明治8年)以降の、教祖の作である」として、同書の末尾に紹介されている。
この三下りは、他の高弟の書物の中に、たびたび、散見するものである。こかんさんの作とも言われており、今後の研究が待たれる。
(中略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
781 :
基本。:2010/03/30(火) 18:22:21 ID:+PW9fSoK
>>780 > 甘露台三下がり 一、
一ッ、ひのもとやまとにてやまべごほりのしよやしきに 二ッ、ふしぎこのたびうまれこにあたえあるのがめづらしい
三ッ、みつかめへよりかんろふがてんよりをりたとゆふわいな 四ッ、よにくだりたるかんろふがじみよふぐすりであるわいな
五ッ、いつもくすりはあるかいなこれはさきなるためしやで 六ッ、むねのわかりをせふこふにてんのあたへがあるのやで
七ッ、なにかてんりがかのふたらめづらしたすけるものや 八ッ、やしきのうちへはいるならいかなものでもこいしなる
九ッ、このたびまではしらなんだもとなるぢばやおやさとや 十ド、このたびいちれつにむねにたづねてくるわいな
二
一ッ、ひろくもんよりさしかけてほんやのもよふしよふかいな 二ッ、ふしんするならぢどりからみさだめつけにやいかんでな
三ッ、みればよふばがじやまになるどこへなほしてよかろうぞ 四ッ、よふばひとつでいかんでなみいつゆうつはせにやならん
五ッ、いつまでしやんしてみてもいづれよおばがじやまになる 六ッ、むりにとれゑとゆはんでなこころさだめてとるがよい
七ッ、なんでもたちものとりはらいあとへたてるがよいほどに 八ッ、やしきないとはおもふなよもとのやしきがあるほどに
九ッ、このうらにいつまでもおいてもらふとおもへども 十ド、このたびぜひがないやかたもらふてたちかへる
三
一ッ、ひろくのにたきばしよふをはやくぢどりをするがよい 二ッ、ふしぎふしんであるからにうちのまゝにはならんでな
三ッ、みないちれつはかみがしはいをするはどに 四ッ、よりくるひとのあれこれとはながけするであらふから
五ッ、いつもだん/\くるとてたいぎするのやないほどに 六ッ、むりにどなたにもたのみかけるやないほどに
七ッ、なんでもしんじつかみさまのまじわりさしてもらいたい 八ッ、やがてふしんにかゝれどもたのみもかけずとめのせず
九ッ、ここまでだん/\ひはたてどじつにわかりたものはない 十ド、このたびしんじつにたしかりやくがみえました
昭和九年 十月 一日 印刷 昭和九年 十月 五日 発行
782 :
基本。:2010/03/30(火) 18:39:58 ID:+PW9fSoK
>>778-781 さて、甘露台三下がりの内容であるが、「甘露台三下がり」と言うのは、人間の口で言わされていると言う事で、中山みきの命名ではない。
一下り目と言われているものの内容です。
↓
山辺郡の庄屋敷に生まれた子に「与えがある」(珍しい)>
生まれて三日目に甘露が天より降りた。(寿命薬)>
いつも薬があるかいな。 (これは先のためし)>
胸の分かりた証拠に天の与えがある。
天理に適えば、珍しいたすけをする。
屋敷内に入ると、恋しい気持ちになる。(元の地場親里だから)>
今度は、一列に「胸に尋ねて」来るだろう。
おやさまの思想には「むね」に尋ねると言う思想があります。
哲学すると言う意味です。
「我がこころより真実を見よ」とか、「むねの分かりた者は無い」とか、全て「むね」と言う思想で一貫しています。
それは「むね」とは、「六・根」であると、こふき話にて伝承された、人間は「ろくぢ」であると言う思想そのものです。
甘露も降る、不思議なたすけもある。
それば胸を尋ねてみよ。
尋ねると言うと、おやさまにご質問という事と理解しがちですが、尋ねるとは、我で我が胸を尋ねるという事であると、
甘露台三下がりの一下り目では、きちんと示されてありました。
「九ッ、このたびまではしらなんだもとなるぢばやおやさとや 」
「十ド、このたびいちれつにむねにたづねてくるわいな 」
甘露が降るには、「胸にたずねよ」、「哲学せよ」。
中山みきの思想です。
うちの家にちょくちょく来はる天理教のおじさんは、教祖の「みかぐらうた」の直筆を探しています。
それは、教祖の唱えた、あるいは書いた物にある「神名」を特定するためだ、と
いうてはります。
また「てんりん」とは、「日輪月輪」らしくて、それは「月日」を表しているそうです。
みき教祖は長滝村の中野師に師事していた史実もあるらしくて。
そやから立教の場面に中野師が修法をほどこされたのは、中山家の御新造さんが
お弟子さんやったから普通にうなずけるのや、というてはりました。
784 :
基本:2010/03/31(水) 02:39:03 ID:7bCp+2P8
>>783 長滝村の中野師に師事していた史実というものは、そもそも秀司の足痛において、治癒の為の祈祷をその都度していますから、戸主の夫善兵衛が師事していたわけです。
中山家は地方名家であり、修験者としての市兵衛さんを重用していたことは、立教前の事情が示しています。
でも、預かり子の黒疱瘡の治癒を、修験道に祈祷してもらっていませんから、みきが預かった子の病気には、市兵衛さんは関与していません。
ということは、中山家の家としての付き合いで、みきが個人的な善意として、他家の子、長男を預かったという、嫁の立場逸脱の善意の巻き起こした不祥事では、公には頼めなかったと、そういう思案も出来ます。
> 中山家の御新造さんが お弟子さんやったから
これは、みきが修験道の弟子をしていたという直接的な意味で、語られている訳ですが、寄せ加持によって生じた神がかりの時と、それ以後に行者さんは、結果交流を絶っています。
弟子というような濃密なものではなく、主婦ではあったが巫女としての資質ありと判断できるていどの交流があったと、そう見るのは、間違いではないでしょう。
> 教祖の唱えた、あるいは書いた物にある「神名」を特定するため
それは、神名の特定をしたいという衝動は、「称名信仰」においての重大性に起因する場合と、「本席・真柱」の正当性に原因する場合の二つがあります。
「月日より付けた名前」。それが「テンリンオウ」だとすれば、「本席・真柱」は、称名詐称ということです。
そういう疑念が、生まれることに、「価値」があります。
「本席・真柱」が、正当かどうかを、確かめているつもりで、本人の信心が「天理王」なのか「テンリンオウ」なのか、自白させられてしまうという効果です。
785 :
基本:2010/03/31(水) 03:05:04 ID:7bCp+2P8
>>784 > 「本席・真柱」が、正当かどうかを、確かめているつもりで、本人の信心が「天理王」なのか「テンリンオウ」なのか、自白させられてしまうという効果です。
つまり、みかぐら歌原本が無いという効果は、人の胸を掃除します。
同様に、甘露台三下がりは、その存在自体に意味があります。
神一条教では、現在の天理教会本部が、偽の本部として取り払われると言う説の証拠として、甘露台三下がりをつとめています。
神名の問題とは、異端にとれば、それほどに重大なもの。
中山みき様が「月日よりつけた名前」と言われているものは、それを正しく称えていることが、正当性の証明そのものだからです。
> また「てんりん」とは、「日輪月輪」らしくて、それは「月日」を表しているそうです。
月日より付けた名前が、「月日を表現しているてんりん」ということは、「月日より付けた名前」の意味として、少し、器が狭いと基本は感じます。
「天」とは、東洋思想、特に天孫降臨の神宮思想、つまりにほんの思想の中心的言葉です。
「理」とは、仏教や儒教の思想の中心的言葉です。
「王」とは、アーリア系宗教の「神の王国」と言う思想の中心的言葉です。
世界の宗教思想は、この「天」と「理」と「王」の関係を、それぞれに説き分けています。
それも、すべて、元のおやのおしえ来たる教えであった。
つまり、おやさまの、私一人で親神だと言う思想を示す名としては、その全てを含む「天理王」の神名が、まさに、親神の称名として、器の大きさが違います。
神楽勤めの制作においても、地歌の節回しは、村田幸衛門さんだと言われています。
甘露台三下がりが子寒様の作だとしても、それは、おやさまのお望みです。
子供が自由に、かぐらを勤めるということの方が、おやさまの思想としては、「理にかなって」いるからです。
それよりも、異端さんが重宝にしてくれたことで、「甘露台三下がり」と言う神の、歌の教えが伝承されたということに、深い意味があります。
786 :
基本:2010/03/31(水) 03:36:36 ID:7bCp+2P8
おやさまの思想として「違いあるならうたで知らせる」という、思想があります。
>>778-782 >>785 > それよりも、異端さんが重宝にしてくれたことで、「甘露台三下がり」と言う神の、歌の教えが伝承されたということに、深い意味があります。 二
一ッ、ひろくもんよりさしかけてほんやのもよふしよふかいな 二ッ、ふしんするならぢどりからみさだめつけにやいかんでな
三ッ、みればよふばがじやまになるどこへなほしてよかろうぞ 四ッ、よふばひとつでいかんでなみいつゆうつはせにやならん
五ッ、いつまでしやんしてみてもいづれよおばがじやまになる 六ッ、むりにとれゑとゆはんでなこころさだめてとるがよい
七ッ、なんでもたちものとりはらいあとへたてるがよいほどに 八ッ、やしきないとはおもふなよもとのやしきがあるほどに
九ッ、このうらにいつまでもおいてもらふとおもへども 十ド、このたびぜひがないやかたもらふてたちかへる
この、二下り目には、「よふば」という、現在では教団教理の中では聞きなれない言葉が出てきます。
に下り目の意味を整理しますと、
広く門より差しかけて、本屋の模様をしようかい。 (本屋ふしんの準備とりかかり)>
普請の準備は、地取りから。
見れば用場が邪魔になる。どこに移築しようか。 (その為の用場の移築)>
用場は、一箇所ではなく、三四箇所必要だ。 (用場は数が必要)>
いつまで思案しても、未来には用場は邪魔になる。 (用場の将来・邪魔)>
無理に取れとは言わないが、(屋敷内の)用場は、心を定めて取り払え。
たちものを取り払いして、後に本屋を立てるのが良い。 (用場→取り払い→本屋)>
(用場は)屋敷内とは、思うな。元の屋敷がある。 (用場と本屋の関係)>
(用場)の裏に、神としておいてもらうと思っているが (神を裏に置く思案)>
このたびは是非が無いので、神は本屋普請をして立ち返る。 (本屋普請の意味) >
つまり、「用場」というものが、必要施設、言うなら必要悪として存在していて、それを取り払わないと、「本屋」を普請できないという、「理」の責めが、歌われているということです。
おはよー。
中野さんとみき教祖さんは、個人的な師弟関係があったような話やったよ。
うちは、あんましよく分からないんやけれど。
「三十日間のお籠りまでした」んやて。
情報ソースがよく分からないので、飛ばしてください。
祖母との会話をききかじった程度やしね。
聞きかじりついでに。
教祖さんの創作された手踊りの背景は、「南無手踊り」というものらしいのやけど‥。
基本のおにいさん、ちゃんと読んでいるしね。
788 :
基本。:2010/03/31(水) 14:31:27 ID:7bCp+2P8
そして、小寒様製作とも言われていると、この二つの点から考慮します。
資料は、「天理教フリーフォーラム」。私、基本の作詞作曲の4曲が、SONGコーナーに登録されている、基本の三六二五初投稿の場所であった、サイトです。
その資料を利用させてもらいます。
窓なしの十畳の建物に小寒様が関与していたという資料があります。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/madonasi/madonasikura.htm この場所には教祖が、「末では、つとめの人衆のいきすがたを納める場所やで」と仰った。(飯降正甚)との話が伝わっています
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/nakamon-r/nakamon.htm 〈 窓なし倉といきすがた 〉について
窓のない倉に、普通の人間は息苦しくて入りづらい。この門屋は、櫟本に嫁いでいた“こかん”さんが、3年の期限がきたので、早く帰って来て、教祖と共に神の御用に着くために計画された関連の建物といわれている。
月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝ(別間隔てて)をいてもろたら 筆9-5
しかし、思惑通りのものが出来ずに、この程度の建築になったといわれている。
“いきすがた”という言葉を、教祖は次のようにも語っておられる。
明治18年6月29日(旧5/17) 神様の仰せ
此手入トゆふハ、百姓の一にたすけたさの咄し。
・・・是ヲ誠トヲモエハ、150歳が、180歳が、200歳も、いきたとて、やまずしなずによわりなきよふの道ヲおしゑたい。
そふしてわかき年寄、男女にかぎらず。
此道ヲつけて、此 いきすがた ヲこしらい、唐天竺迄の人ヲ参詣ヲつけて、是ヲみせて、よふきゆさんのくらしをさせたいとの神のせき込。
「山田伊八郎文書」御教祖様御言葉 敷島大教会編 s48
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「生き仏様」として、窓なし蔵に、生き通しの姿で祭っていただけると、河原町初代たちはそれを目標にしていたのではないかと、伝わっています。
これは、「十畳の建物」ですから、甘露台三下がりの「ほんや・本屋」の普請には直接関係ありません。
しかし、ここに示された図には、「よふば」を示していると思われる部屋が、数々出ています。
参考になります。
789 :
基本。:2010/03/31(水) 15:50:21 ID:7bCp+2P8
>>788 > これは、「十畳の建物」ですから、甘露台三下がりの「ほんや・本屋」の普請には直接関係ありません。
> しかし、ここに示された図には、「よふば」を示していると思われる部屋が、数々出ています。
> 参考になります。
↑「十畳の窓なし蔵」の図に、「空風呂」とあるのは、人を集める口実として「空風呂営業」をした、その為の施設でしょう。
表門をくぐると、空風呂がある。その裏側に、(奥に)八畳二間と六畳三間の部屋があって、おそらくは神様のお座りになる上段の間があって、八畳がある。
その裏に、六畳二間のおやさまのお住まいがある。
この頃には秀司はお札を出していた。その場所がどこかと推理すれば、信者の通路として、空風呂に行く、それから「よふば」に行くと、こうなりますから、「よふば」があって、その裏に神様の上段の間があって、そのまた裏に、おやさまの住まいがあった。
実際の神の住まいというものが、「よふば」の奥、その又裏と、見てとれます。
甘露台三下がりの二下り目。
一ッ、ひろくもんよりさしかけてほんやのもよふしよふかいな
二ッ、ふしんするならぢどりからみさだめつけにやいかんでな
三ッ、みればよふばがじやまになるどこへなほしてよかろうぞ
四ッ、よふばひとつでいかんでなみいつゆうつはせにやならん
五ッ、いつまでしやんしてみてもいづれよおばがじやまになる
「見れば用場が邪魔になる」。
まさに、小寒様の死の直前のお屋敷は、「よふば」が邪魔していたと、言う事は、屋敷図面を見れば、明らかです。
「神様が裏に裏に」と位置づけられていて、これを掃除したいという神意のわけが見てとれます。
790 :
基本。:2010/03/31(水) 16:02:48 ID:7bCp+2P8
昭和普請の時に、建物内に「御用場」と命名されたのは、二代真柱様と推察します。
「よふば」と言う言葉を、死後にしない配慮と思慮されます。
参詣の信者さんに、お札を渡したり献物を受け取ったり、そういう「よふば」は、普請の邪魔になる。
この事の意味を、甘露台三下がりにて、きちんと知らされてある、親神様の深い思惑。
それは、「原本」という「権威本」にて統制されていたら、おそらくは伝承されなかった。
大西愛次郎・天理本道開祖という、古い信者の功績は、埋没してしまうおやさまの真意を、保存して伝承したということにあります。
「よふば」に夢中になる、教壇内高山の横暴は、純朴な信仰者を異端として排除排斥し、そして、排斥された異端もまた、宗教高山因縁の道にはまり込んで、
そこには、戦争協力・教団指導者も、戦争批判の異端も、「とふぢん」であり、「大社・高山」因縁だったという、さんげの道しか、残されていません。
因縁か
792 :
基本。:2010/03/31(水) 17:33:35 ID:rQooaajH
そこで、普請についてのおさしづですが、「本部神殿祀る処の伺い」と言う伺いおさしづがあります。
「普請」という事について、おさしづされた、最初のおさしづです。
基本的には、そのお言葉の「初出」にて基本を示されると言う中山みきのお言葉の思想があります。
「最初に言った言葉」が一番大切な神意だという思想です。
言葉を言い換えていく「宗教高山」の悪いんねんのテクニックの真裏・逆です。
月日より一度言うた事は、いつになっても変わらないと言う、思想です。
それは、イエスさまでもお釈迦様でも、同じ思想をもたれていて、だから、普遍の真理として、教えは説かれているのです。
「普請」とのお言葉の「初出」は、当然といえば当然ですが、「甘露台」をきちんと示すものとなっています。
明治二十一年七月二十四日(陰暦六月十六日)
[本部神殿祀る所の伺(上段の間より本席の台所を境とし、渡り家取払い建家新築の願)]
さあ/\始まり/\、かんろだい一条の始まり。
日々の処理を以てすれば皆治まるで。
四方建物、一間四方にして、多く高くして危ない処、じっと踏ん張りて居る処、西へ抜ける、北東南四方抜ける理もある。
高うして成程というようにして、今の処ほんのざっとして、どれからどれへ/\、一つ/\印を打ちて、今の処何時取り払うても惜いないというようにして、
一間四方天窓にして、まあざっとして、
二つめどうとして印々、
皆の処にして印々、皆の者入来るの印々、
北の所今の処あちらからこちらへと思うなれども、よく/\思やんせよ/\。
思やん治めそれ/\尋ねる処理である。
それ/\日々の処、運ぶがよい。まあ思やん一時々々まあ一寸思やん、追々のさしづ。
今の処普請ぢば一つの処、普請大層は要らんで。
一寸して置け。仮家の普請々々、仮家の囲い。
これを尋ねた一つのものや、皆々思うやないで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神殿普請は本普請ではない」と、示されています。
甘露台三下がりと、きちんと理は一つに示されているのは、当然といえば当然です。
793 :
基本:2010/03/31(水) 22:29:22 ID:7bCp+2P8
神殿普請は、仮屋普請である。
明治二十一年七月二十四日(陰暦六月十六日)
[本部神殿祀る所の伺(上段の間より本席の台所を境とし、渡り家取払い建家新築の願)]
このおさしづの意味するところは明白です。
神殿は仮屋である。という事です。
当時の高弟達は、「神殿普請としての仮屋」と勝手な解釈をして、「神殿普請としての本普請」を、必ずするのだという妙な信念を抱いたようです。
お筆先三号には、冒頭に「建物取り払い」がうたわれています。
このたびハもんのうちよりたちものを はやくいそいでとりはらいせよ 1
すきやかにそふぢしたてた事ならば なハむねいそぎたのみいるそや 2
しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ 神一ぢよで心いさむる 3
だん/\とせかいの心いさむなら これがにほんのをさまりとなる 4
このお筆先と、甘露台三下がりは、どちらが先にかかれたものかというと、通常は、甘露台石普請の時から見て、
甘露台三下がりは、Bお筆先執筆後の時代であろうと、思案されやすいのですが、
小寒様の生存期間は、@お筆先執筆以前、Aお筆先執筆中の、いずれかである。から、Bでない事は、確かです。
この問題は、基本的には@お筆先執筆以前の制作ではないかと、思案します。
甘露台の普請については、説き流しとして、歌われていたと思案するわけです。
御神楽歌の制作というような「おつとめ」直結ではなく、
お筆先三号の冒頭を、それ以前に「これまで言うた事」として、語られていたのだと、「甘露台三下がり」を受け止めるのが基本です。
つまり、「甘露台」思想はお筆先執筆以前にも語られていて、それが、製作者不肖の御神楽歌として伝承されていたと、理解するわけです。
794 :
基本:2010/04/02(金) 01:43:26 ID:PbbDtvS/
>>789 例えば、窓の無い十畳の蔵は、何の為に普請されようとされたかという、問題があります。
そこには、密教系の「暗闇修行」というものが想起されます。
「いきどおし」と言う言葉で、当時の高弟達は「永遠の寿命」という聞き取り方をしたわけです。
甘露という寿命薬頂いて、「生きとうし」になって、「窓なし蔵に祀られる」という解釈がされていたようですが、
それは、冷静に思案しますと、「永遠に生きたまま蔵に閉じ込められている姿」ですから、不気味ではあっても、そうなりたいというものではない。
又、甘露を授ける趣旨としても、「陽気ゆさん」をすべき人生が、窓なし蔵にいて、何が陽気ゆさんかと、そういう事で、理の誤解ということに帰結します。
「いきどおし」とは、「息通し」と、そのままに文字を当てますと、つまり、呼吸法という事になります。
或いは、その意味は「息」を「通す」となります。
甘露台三下がりの、三下り目、
「七ッ、なんでもしんじつかみさまのまじわりさしてもらいたい 」
こまり、神様との交流という事、「息」を通すという事に主たる眼目があるということです。
甘露台三下がりの一下り目では「尋ねる」とは「むねを尋ねる」であると、「哲学」が示されていた。
そして、三下り目では、「神とのまじわり」が示されている。
ここに、甘露台三下がりの価値があります。
当時の高弟、そして、現在の山名系教団教理が見落としているものは、「胸の思案」と「神との交わり」。
それでは「甘露」は降ってはこない。
理は厳然としています。
795 :
基本:2010/04/02(金) 01:48:39 ID:PbbDtvS/
>>794 瞑想術には、無呼吸という瞑想方法があり、イエス様の洗礼は溺れ死ぬほどに川に頭を沈めてという方法であった、そしてお釈迦様の無呼吸の瞑想術が真理を悟られるものであったと、そういう「命がけ」の瞑想術があるわけです。
ところが「息を通すという」瞑想方法は、密教系の瞑想方法にある。
おしゃかさまは、「難行苦行」を否定された。イエス様も「難行苦行」をせよとは言われていない。
中山みきの思想においても、この道は身を苦しめる道ではないと、示されていて、身を苦しめるような「瞑想術」とはある意味では、用いるべきものではない。
そこに、暗闇においての、「息とおし」と言う瞑想方法を、中山みきは示されたのだと、思われます。
チベット密教系にも「暗闇修行」はありますが、日本では、修験道に深く関わりある「真言宗・開祖・空海」の修行方法として、有名です。
おやさまは、立教後の三年間を「内蔵」に籠もられて、「おうた」を歌い続けていた。
「蔵」というのは、たいていの場合に窓はないか、あっても小さく、閉じられています。
その内蔵で、口写しに、「理のうた」を歌い続けて、三年間で、理を学ばれたとされています。
そのひながたは、「神との交わり」のひな型。
弘法大師の修行法、「真言」の修行は、暗闇修行であって、「息」を「通す」修行であった。
若き日のそれは、洞窟で行われたと伝わります。
神との交流の修行の場として、中山みきと小寒様は、お屋敷内に窓なしの十畳の蔵を用意しようとなされたと、理解するのが基本です。
おやさまが、行者の道に精通していたことは、間違いないでしょう。
「真なる言をはっするによって真言という」と、中山みきは、諭されています。
796 :
基本。:2010/04/10(土) 15:26:46 ID:xmhcjiqc
空海の洞窟での修行は百日の間に真言を一万回称えると言うものであったと言います。
引用にて、空海師の生涯について確かめますと、「虚空蔵教」と「明星」という言葉に意味があると分かります。
修験者である、大先達熊五郎さんの「 真言宗の開祖、弘法大師空海1」から引用します。
http://k-kumagoro.com/modules/tinyd4/index.php?id=11 『空海は、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(現在香川県善通寺市)に佐伯直田公の三男として生まれる、幼名を真魚という、父はこの地の豪族で、かっては国造の位を与えられた名門である。
真魚は幼いころから仏縁が深かった、同年代の子供たちと遊ばず、泥で仏像を造って小さなお堂を建て拝んでいたという、有名な「請願捨身」の逸話も、そんな真魚の仏縁の深さを物語っている。
「仏はいったい、いずこにおわすのでしょう。願わくば、麗しい釈迦如来に合わしめたまへ」ある日真魚は、捨身岳に登り、天空に向かって叫び谷底へ身を投げた。
すると、天人が現れてその体を受け止めたという。6,7歳の頃の話だ。
国学でも群を抜く成績を収める神童だったのだ。
母の兄である阿刀大足は、伊予親王の侍講を務めるほどの大学者だった、彼は早くから、真魚の才能に目をつけ、それにふさわしい高い教養を身に付けさせたいと切望していた。
そこで大足は(788年)当時の新都。長岡京に真魚を呼び寄せる、15歳である。伯父の下で3年間、漢籍を学んだ真魚は、18歳のときに都の大学に入学した、
その勉強ぶりは、「蛍雪の猶怠れるにとりひしぎ、縄錐の勤めざるに怒る」とのちに自ら述べるほど、すさまじかったという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用続けます。
797 :
基本。:2010/04/10(土) 15:35:13 ID:xmhcjiqc
>>796 >引用にて、空海師の生涯について確かめますと、「虚空蔵教」と「明星」という言葉に意味があると分かります。
>引用続けます。
『何が真魚をここまで駆り立てたか、それは、幼きころから抱いていた、焼き付けるような、真理の希求にあった。
この世界、宇宙の本質とは何か、人間とは、自分とは何か・・・・
そうした根元的な疑問の答えを得る為に。かれは、先人たちの集積した知識の体系に執心したのである。
真魚のずば抜けた才能に、教授で達は舌をまいた。
成績は、常に上位でこのまま行けば、将来、佐伯一族では最高の官吏になれることは間違いない。
しかし真魚は、大学に疑問を抱くようになっていく。知識をいくら蓄えても、自分の求める真理に到達できるのか、学問とは、断片的な知識の蓄積ではなく、それを総合したもっと大きなものでないのか。?
そう感じはじめた真魚にとってすでに大学の学問は古人の「糟粕(のこりかす)」にすぎなくなっていた。
ここに一人の沙門現る、「沙門とは」僧侶を自称しているだけの、官の資格を得ていない私度僧をいう、たいていはボロをまとい、諸国を放浪しながら修行し、物乞いや呪術などで生計を立てていた、おそらく真魚の出合った人物もそおいった僧のひとりだったのだろう。
だがこの人物は、若き日の真魚にとって強烈な魅力をもつ存在だった。
このまま大学に残るより、彼と同じ「沙門」になろうと思わせる何かをもっていた。私度僧でありながら、あるいは私度僧である
ゆえに、腐敗堕落した官僧にない求道心があったのだ、もしかしたら真魚は、彼の姿に、真理を希求する自らの姿を見たのかもしれない。
この「沙門」から行法を授かった「虚空蔵求聞持法」である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用を続けます。
798 :
基本。:2010/04/10(土) 15:44:14 ID:xmhcjiqc
>>796-797 >引用続けます
『 他者との交わりを絶ち、一人大自然の中で、ひたすら虚空蔵菩薩の真言を唱え続けること、実に100万回途中で行をやめると発狂するとまで言われる荒行である、命を落す危険も十分ある。
だが真魚は、すでに自らの進む道はこれしかないと決意していた。
この行の果てに何かが見つかるかもしれない、かくして彼は、大学から突如として出奔する、吉野・大峰・熊野へ修験道のみちを行く。
竜神、高野、金剛、葛城、犬滝、海を渡り彼は、室戸岬の崖上に座し、一心に求聞持法を修めていた。
今まで夏には穀物を断って懺悔の毎日を過ごし、冬には、下着1枚で外に出て行に臨んだ、真理を求める修行の歳月はまたたく間に過ぎ去り、
かれは、「虚空を蔵する」というこの菩薩の名の通り、真言を唱えるほどに心は一点の曇りもなく、澄み渡り、万象を包含するかのように思えた。
体は大自然と一体になり、どこからどこまでが自分なのかも判然としなくなる。
真魚は、その拡大した全身をもって、大自然の響きを聞いた。
おりしも明けの明星、金星が水平線の彼方に輝いている。
だがふと気がつくと、それは「彼方」ではなくなっていた。
今の真魚には、爛々と燃え上がる金星が、ほんの自分の目と鼻の先にあるように思えた。
とそのとき、金星は突如として輝きを増し、すさまじいスピードで真魚めがけて飛来した、と思うといきなり彼の口の中に飛び込んできたのである、
「うおぉーー」体のなかで何かが開花し、意識が大宇宙に溶け込んでいく・・・どれくらいの時間が経ったのか、一気に星を吐き出すと、光が海を金色に染めていった。
明星来影すのちに空海はそう簡潔に記している、金星は、虚空蔵菩薩の化身といわれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきがこふき話として説いた内容には、「弘法大師」は、十全の守護の理の「八柱目の神・おふとのべ命」様と説かれています。
「天にては明星として、御現われになる」と諭されています。
空海師は、明星を口から体内に入れて、明星になった。
地にてハ、弘法太師さまになったのが、「洞窟修行」の結果であったと言う事です。
799 :
基本。:2010/04/10(土) 15:58:55 ID:xmhcjiqc
言葉といえば、「かしこね命」の守護の理と想起しますが、「真言」は「大戸辺命」様であったという事、その意味については、読経百万回を洞窟にて行うと言う、密教の修行方法そのものの意味に求める事が出来ます。
中山みき本人は、浄土教の経文や讃歌を毎日称えると言う少女であり主婦でした。
「お経」を唱えると、仏と一体になれると言う、この「称名の利益」の意味として、空海の修行法は、脳を活性化させるといわれています。
つまり「引き出し引き伸ばし」の守護の理。
能力を引き出し引き伸ばすのが「真言・マントラ」を無心に唱える効果だと理解するのが基本です。
そして、真言には「文字を唱える」と言う意味だけではなく、「響き・倍音効果」として、「発声する」という意味がある。
「言葉」と言うよりも「振動。波動」としての「真言」だという事に、「洞窟」や「蔵」に籠もり唱え続けると言う事の価値があるわけです。
中山みきは、立教から三年間「内蔵」にこもって、「おうた」を「お言葉」をうたい続けた。
内蔵の中からの声が、外に、響いていた。
この「倍音効果」を持つ意味において、甘露台三下がりのおうた。そして「窓無し蔵を建てて、つとめの人衆十人の息を通す」という意味が、その「マントラ」効果に意味を有していたと言う事です。
800 :
基本:2010/04/10(土) 21:18:53 ID:xej+cSEY
七十年祭から今日まで、天理教団の教理教義の思想リーダーであった人物たち、基本的には山名系と一括りに呼んでいますが、
戦前は天皇制の擁護に教えを歪め、そして戦後は米英の思想母胎である一神教のキリスト教に似せて「一神教・神学」「一神教・教学」という歪みを、教団にミスリードしました。
だから、本来のおやさまの思想とは、まるで異なる、陳腐な教義を、有難がって、天理教校・天理大学・おやさと研究所の偽物の教えで、信者統治をした。
そういうカラクリも、今日では、しっかりと見えてきたということです。
例えば、水垢離という行があります。
泉田藤吉、鴻田忠三郎には、そうした行の実行が記録されています。
東本初代の中川よしの伝記には、頻繁に水ごりが登場します。
修験者が、もっぱらにするのが、水垢離。
それは、お助けの現場では初代たちの信仰の常態にあったのに、現在の天理教教義では、何の位置づけもない。
天理教団・大教会が、大社高山化し、「理の親信仰」を構築したのは、まさに、「聖書信仰者の悪因縁」であった。
イエス様の師ヨハネ、そしてイエス様ご自身が実行された、瞑想術、洗礼という荒行、それらを無視して、
大教会長様たちは、「おつとめ」さえしていたら「神と交わる」事が出来ると、とんでもなく都合の良い教義の嘘を説いて、人を惑わしたということです。
身を苦しめる意味での「行」ではなく、「真言」と「共鳴」による神との交流をきちんと書き示している「甘露台三下がり」は、
山名系には不都合であって、「よふば」にたむろする事が、「神の御用」をする事が、親神様に受け取っていただけると騙し続けた嘘は、「真言」ならざるもの。
それでは、神様との交流は出来ないと、言う事です。
天理教のおじさんに訊ねたけど、二代真柱さんの意向を無視して、一部の人たちが独走して
現行の「天理教典」をこしらえた史実は考えられない、と言うてはったけど。
基本のお兄さんが、そう主張しはるところがあったら教えてくださいませ。
うち、おじさんに教えてあげるし。
802 :
基本:2010/04/12(月) 07:49:15 ID:iX/azkAJ
>>801 > 二代真柱さんの意向を無視して、一部の人たちが独走して
> 現行の「天理教典」をこしらえた史実
二代真柱様には、東大のご学友というスタッフがいて、当然に本部員の立場ですが、その人たちが、教義関係の担当であり、その人たちは二代真柱様を神様と扱っていましたから、独走も暴走も許される環境ではなかったと思います。
二代真柱様が死んで、精神的な束縛が一気に解け、教団内に自由な風が吹いた時、二代真柱様の著作物(天理教教典も稿本教祖伝も、です)の解説のような形で、山名系教義の学者達が発言の自由を得たということです。
故人ですが、永尾公海先生という真柱のご学友本部員は、天理大学で教えてもいて、私も数回だけ(笑い)、授業を受けました。
「わしはずっと二代真柱さまのかばん持ちをしていた」と言う人でしたが、おつとめの地方をされた人。
「真柱様が出直されて、何かさせて頂こうと、それまで私が研究した「みかぐら歌」について、色々と面白いことがあるので、研究をまとめて発表するつもりだ。」
こんな風なことを言われました。
あ、余分なこと、するなと、正直思いました。
近々に発表されるはずの、その研究は、基本にはとても興味深いものでした。
「神名」の問題・・「てんりんおう」・・
おつとめの、構成の問題・・
でも、それは公開されなかったのですが。。
現在の、八島系の「てんりんおう」神名説を下から支えたのが山名系という、つまり永尾先生の研究は、一番大事な問題は、まだ全然姿を見せていなくて、
「神名を取り払う」仲間たちの手助けをしたと言う事です。
つまり、「側・そば」は、本当の二代真柱様の意図を理解できていたとは、言えない。
こういう、善意の側近達の、実は暴走は、大社高山の証明です。
803 :
基本:2010/04/12(月) 08:37:49 ID:iX/azkAJ
感謝、そして感謝さん。
基本は、別名がいくつかあります。
普通の天理教徒とか黒の基本とか白の基本とか・・
「天理教・真柱派」というのも、基本の異名です。
基本は、二代真柱様の講話と著作から理の構造というものを学びました。
まさに、大天才。基本とは、象と蟻ほどの開きがあります。
その真意をきちんと理解されていたら、本当になすべきことは何かは、明らかであったのですが、真柱様の死は、百花繚乱の、教理経論を咲かせました。
「復元けよりも、「応法」に。
「教理の現代展開」の旗手として、東京教区の若きリーダー「八島秀雄」さんが脚光を浴び、共産主義革命思想活動家と通じていて、神様の御用の日に、そうした集会をしていたとして、教会本部から、除名を宣告したのが、清水国男表統領。
その、追放した清水表統領もまた、教理の現代的展開のために、学者を集めて「元の理」の研究をさせ、・・。
八島先生は、二代真柱様の意をうけていると今も主張されています。
清水表棟梁も、二代真柱様の意を受けていると、確固とした信念でした。
天理教は貧乏たらしく会議するからダメだと、ねむの里のホテルで、豪華食事つきで、「YHC」「少年ひのきしん隊」などの構想の会議・・。
それが、「復元」なのか。
美味しいものを食する。
それは、確かに「陽気ゆさん」であるけれど、本来の天理教の教えとは・・
八島秀雄さんも清水国男先生も、口にしていたのは「教団体質批判」と改革でした。
二代真柱様の、厳格な原典主義、その恐ろしいまでの深い洞察力と、「言わん言えん」の実行力。
心奉者や、側近者は、「言われた事」と「語られた事」ばかり見ていて、根は掘ろうとしていない。
>>803 >美味しいものを食する
時には、それもいいではないか。
>心奉者や、側近者は、「言われた事」と「語られた事」ばかり見ていて、根は掘ろうとしていない
これこそが、大問題!!
その点、仏教者などは深く根を掘ろうと努める労を惜しまない。
・・・もっとも浄土真宗なんかのように、
そういった動きに対しては”異安心(いあんじん)”というレッテルの言葉を貼り付けて
異端視・分派活動と見なされて牽制されるしきたりが定着してしまっている宗派のところも実際にはあるのだが。
805 :
神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 06:09:16 ID:BStInEm8
キチガイ明久みっけ
天理の組織
問題は山積み 解決の兆しなし。
何故なら組織の体型に無理があるからと思うんです。
葡萄を見てください。どのように実がなっていますか?
ひとつひとつ、しっかりと1つの茎に繋がっています。
実から茎が延びて、次の実が出来る、なんてことはありません。
今の天理の組織はまさにこれではないでしょうか?
実の粒が、先になれば先になるほど
小さく、小さく、なってしまっている…
自分は、自然の中には、天然自然天理天則にそったものが多いと思います。
そして教祖も、それを例え話で
「世界は、この葡萄のようになぁ、皆、丸い心で、繋がりおうて行くのやで。この道は、先なごう楽しんで通る道やほどに。」
と、お優しくお説き下さいました。
自分は、それにはその意味も、含まれていると思いました。
愛町さんは
1つの教会を除いて、皆、布教所です。
自分が聞いたのは、上級の麹町大教会へ親不孝をしない為、との事でした。
教会になると、その下にも教会が出来、それぞれに教会長や責任者も必要で
ずっと先の先、何十年後かになるとそれを思案しなければならなくなり 大きな親不孝になってしまうから。
きっと初代さんも、葡萄のお考えを自然と感じられて
愛町の部内は部内を作れない布教所のみが良い
みな一列に、同じように御守護を頂いてほしい
その思いがあられたのではないかと、自分は推察するのです。
きっとそれは、教祖もお変わりありません。
なぜかこの思いを伝えたかったので、書かせていただきました。ありがとうございます(_ _)
皆様はどう思われていますか?
807 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2010/04/18(日) 20:30:47 ID:F7gZk1su
教祖誕生日おめ。
西暦で言えばまだだけど、ま、いっか。
808 :
基本:2010/04/20(火) 05:28:02 ID:POsA9kQ3
宗教という世界で「お助けのご守護」というお考えそのものが、おやさまの思想には、根本的には無い。
そういう意味で、「教会になるとその下にも教会が出来る」。
「その下」という発想が、おやさまの思想には無い。
例えば教会になると、その上に教会が出来ると言うような「子供の出世待ちかねる」と言う、おやさまです。
上級の麹町の、「親」への孝行と言う閉鎖社会の、思案も、おやさまの思想には無いものです。
「上級=親」という、思案は、大きな理の間違いであり、「宗教」という権威はそうした「理の親孝行」という閉ざされた社会をつくりがちです。
809 :
基本:2010/04/20(火) 06:25:04 ID:POsA9kQ3
>>906 > 「世界は、この葡萄のようになぁ、皆、丸い心で、繋がりおうて行くのやで。
> この道は、先なごう楽しんで通る道やほどに。」 と、お優しくお説き下さいました。
丸い心でつながっていくには、教会も「仮屋敷」としての、一定の役割があるという見方もありますが、それは、基本的には理の間違いです。
教会は、講であるべきで、どうでも信心するという人たちの集いの場所ではあっても、「組織」であったり、「親」がいたりするのは、親は、存命のおやさま以外にどこにもいない無いという、天理に反する思案です。
おやさまが、そのようにご守護されていて、
> 天理の組織
> 問題は山積み 解決の兆しなし。
と、見えるかもしれませんが、それは、「この道は、先なごう楽しんで通る道やほどに。」 。
と、おやさまが、仰せになられた、そのものです。
不思議に思うのは、>[問題は山積み 解決の兆しなし。]と、まるで他人事。
なにが問題で、なにをどう解決する兆しが無いと、具体的に思案されているとは、思われません。
そして、「一人」でよろしいわけですから、組織を「教会にならない布教所」と「教会になる布教所」に仕分けしても、意味が無いことです。
おやさまは「講をつくれ」といわれた。
「講をむすぼやないかいな」と、示された。
そしたら、御本部から{めどう}を頂くという意味では、講は教会が、自然。
ならないと否定する意味もないし、なるなら、天理教会になるのが、自然だと思います。
この4月18日は日曜日だったわけだけど、
この日の帰参者の総計はどれぐらいだったのかな?
(いつもの年よりかは幾分は多めだったことだろう)
811 :
ROM:2010/04/20(火) 22:26:10 ID:/8tXEKeo
最近にないぐらい多かったよ。
神殿内部は勿論、中庭のパイプ椅子も満杯状態だった。
事前の各教会からの参拝者予定では、15万人ということだったようだけど
それほどはいなかった気がする。
ブラジルの旗が目立ったなあ。
商店街も混雑してたけど、100年祭の時程の事はなかった。
ただ、翌日が婦人会総会だったため、夕方になってますます増えて前夜祭は滅茶苦茶多かったらしい。
私は月曜日が仕事だったもんで、明るいうちに帰ったから、その混雑ぶりは知らない。
それはそうと、総長にCD送りたいんだけど
武庫川女子大職員室宛、Mr.Socho 殿
ROM より
で届くかなあ。
あかんで元々で、チャレンジしてみることにする。
>>811 ついでにローリングストーンズの『ベガーズ バンケット』のCDも…
というのは冗談だけど、大○原理事長から、またドヤされるorz
813 :
ROM:2010/04/23(金) 21:44:05 ID:n/+iDLMw
お望みのCD(違法コピー?)も同封させて貰った。
月曜日には届くと思われるが、
さて、うまくキャッチされますやら・・・
814 :
神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 00:31:39 ID:9f8FJCht
815 :
ぼちぼち:2010/04/24(土) 09:37:18 ID:Ba2vURAd
>>814 >>813←ボチボチ発見
なんでも俺にせんといてちょうだい(?_?)
18日は家族と共に、社内の女性二人が基礎講座を聞いていただき、俺も一緒に傍聴しました。
今回の基礎講座は女性達の悩み事とはテーマが違い、今一の感はありましたが、印象に残ってるお話もあります。
猫は産まれたらニャオ〜!となきます。
犬はワン〜!となきます。
人間はオギャ〜!となきます。
じゃあ死んでいく時はどうでしょうか?
犬や猫は変わることなくワン〜!であり、ニャオ〜!のままです。
ところが、人間はオギャ〜!ではない…的なことを言われていました。
もう少し突っ込んで考えてみますと…。
人は死んでいく時にはどんな言葉を発するのでしょうか?
勿論、人それぞれに違ってくるでしょうが、俺は身近な人達に、(まあ家族なんやろけど)出来たら、お礼を言いたいと思います。
「長い間一緒にいてくれてありがとうな。楽しかったでぇ(^_^)v」
そう言いながら、死んでいけたらええなと思いますね。
神様に感謝を捧げるのか?
お礼を申し上げるのか?
う〜ん…。
それはその時になってみないと解らないかも…。
816 :
神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 10:18:24 ID:HsUnsxQQ
>815 俺は身近な人達に、(まあ家族なんやろけど)出来たら、お礼を言いたいと思います。
「長い間一緒にいてくれてありがとうな。楽しかったでぇ(^_^)v」
そう言いながら、死んでいけたらええなと思いますね。
だから?
お前のコメントなんか要らない。ROMに徹底しろ!!
できればもう二度と出てくんな。お前はもう嫌われた過去の人だからだ。
817 :
ぼちぼち:2010/04/24(土) 11:15:16 ID:Ba2vURAd
>>816 ほうかぁ?
ほな、さいならぁ
(^o^)/
またくるけどな(^_^)v
818 :
神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 13:38:42 ID:9f8FJCht
もういい
819 :
ROM:2010/04/24(土) 15:06:43 ID:nan1dqfa
>>814 ボチボチ氏じゃあないんだが・・・(苦笑)
820 :
神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 22:07:42 ID:8ma5zoRe
>817 またくるけどな(^_^)v
空気読めんのか!!みいんなお前のことが嫌いなんだよ。
もう二度と出てくんじゃねぇ
821 :
神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 22:53:02 ID:rwVuQW4B
俺は結構、好感もってるけど。
ん?
822 :
神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 23:15:47 ID:8ma5zoRe
じゃあ、なんかの話題で話を展開させてみろよ。あいつ流の流儀で丸め込まれるだけだから。
ボチの話は反吐が出る。うすっぺらーな真実がまったくねーすぐそこが見える話しかしない。
きっと、四季等部内教会では浮いてるだろ。おい、ぼちよ、お前部内教会同士連携取れてないだろ。
俺よりも年上だがずっと、年下な精神を感じる。お前のような薄らボケの教会長がいるからおかしくなるんだよ。
さっさと辞任しろ!!!きもいんじゃ!!!
823 :
神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 09:37:57 ID:9lxZhyAD
824 :
ぼちぼち:2010/04/25(日) 22:09:59 ID:f173HYNP
私しゃ浮いてまんがな(苦笑)
ほんでも無理して合わすこともないやん。
825 :
野良天 ◆3gxC3xwhfc :2010/04/25(日) 22:17:20 ID:Hk8y7+/e
よう、ぼちぼち!
随行なんか従えて貫禄でてきたな〜
でももっと増やさないとダメだよ(笑)
826 :
ROM:2010/04/29(木) 18:59:13 ID:11qVs7U4
総長殿、例のものゲットしてくれただろうか?
失礼を承知で、テストしてみたんだが・・・
一体どの分?
828 :
ROM:2010/04/30(金) 07:33:33 ID:KZKN9mwX
>>811 で、書いた通りCD送ったんだが
やっぱり無謀だったようだね。
今晩にでもムコジョ職員室に侘びを入れて
廃棄処分してもらおう。
少し残念。
??
830 :
ROM:2010/05/05(水) 17:10:11 ID:HjotulQC
貴殿の今までの書き込み読んでて
ムコジョの事務職員と信じ込んでいただけ。
だから、非礼を承知で、
職員室に送り届けたら、受け取って貰えるかと・・
失敬、失敬。
あ、そうそう、決して釣りではない積りだから。
831 :
基本:2010/05/06(木) 04:12:59 ID:b4OtiKlZ
おやさまのにちにちは、助けるもようばかり思うている。
しかし、人間は、その「模様」「紋様」に、思いが至らない。
そして、自分が何とかしようと、人間の思案というものを、悟りのように、教えを求めるように、煮詰めてしまう。
おやさまの、ご思案を悟りとるのが、天理の信心。
そこには、親子としての、信頼というものがあってこそ、親の思案に身を任せるという安心がある、
「真なる言」を唱えていれば、なぜ悟りが付くのか。
それは「真なる言」だから。
「南無天理王命」と、唱えたら、なぜその助けを受けられるのか。
それは、「天理王」だから。
ただそれだけの事を知るには、読経百万回あるのみ。
それが、大戸辺命さまの「明星」の入り込まれた「空海」師が、お示し下された修行法でした。
蔵にこもって、「理の歌」をとき流している。
それを、素直にひな型として、我も行うというのが信心であり、そんな事していて道が付くのかでは、
そこにあるのは「懐疑」です。
「懐疑」とは「疑問」、「問う」事。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
遺伝学では、生物の努力行為も、「量」が「質的変化を生む」と、遺伝されると認めています。
それは、「百万回の読経」は、「量」であり、それが「遺伝情報」となるという「理」そのものとして、
「因縁は切れる」。と言う事です。
「量とは二つたっぷり」。時間の密度。それが、運命をかえる。
だから、先ず神の教えの、「真理」を、親の思案として、素直に受け止めることです。
>>830 いやぁ、スミマセン。
本当にどの分なのか確認できませんでした <(_ _)>
833 :
基本。:2010/05/06(木) 08:36:13 ID:b4OtiKlZ
ナザレの大工の子、イエス・キリスト様は、ユダヤ教の当時の宗教高山の腐敗に対して、宮清めという、荒っぽい方法での浄化を試みました。
その事は、神殿での商売で生計を立てる商売人たちと、神官の恨みをかい、リンチ的な処刑として、十字架に掛けられると言う、対立の構図を残しました。
「なんじの隣人を愛しなさい」と教える神の子イエスが、愛ではなく「鞭」をふるって宮清めした行為そのものは、「一に勢い」の姿でした。
その「宮清め」に対比して、大工の伊蔵さまは、「神前にては拝をして通れ」という、おやさまの教えを守っていたと、・・「大和神社の事件」では思案されます。
元治元年のつとめ場所の普請とは何であったのかという事、それは、山中忠七を代表として、中山みきを利用しての「新宗教起こし」という性格を持っていたという事を、冷静に見詰めておかねばなりません。
「講をむすべ」とおやさまが仰せられたのは、つとめ場所の普請の、前年、文久三年の事です。
「講」と言うのは、信仰組織の一形態であり、新宗教を起す場合の、初期の組織は、江戸時代末期から明治の初期には、常道であった。
飯田岩次郎の父が、新宗教活動として、中山みきを自宅に逗留させて、「講」の活動を開始していて、それは、中山みきぱ積極的に先頭に立っていたから、飯田家に出向いていき、現場でおたすけをされていの。
その、飯田家の方法とは別に、例えば山中家では、神の内訳場所として信仰組織を構築しつつあり、それで、元治元年のつとめ場所の普請の時には、お屋敷から信者仲間を引き連れて、山中家で「おつとめ」をする予定でいて、
それで、向かう途中の「大和神社」で、「何かまわん」と、対決姿勢をあらわにして、牢にぶち込まれたのである。
この、山中家の「天りん王」講社開始の試みは、それで出鼻をくじかれた。
「講をむすべ」と言う言葉そのものには、「新宗教組織化」の意味があると、理解して実行しようとして、出鼻をくじかれた格好になっている。
834 :
基本。:2010/05/06(木) 09:00:27 ID:b4OtiKlZ
天理教辞典では、講について、
「皇太神宮の信仰や、富士山、御嶽山、観音信仰などの講」が、天理教信者の大和参拝に大きく影響を与えた、と、そんな程度の触れ方であるが、「ええじゃないか」のおかげ参りも「講」活動であり、
江戸時代末期に「講」というものは、信仰運動の母体そのものであったということをきちんと知るべきであろう。
例えば富士講について見るならば、
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%AC%9B 『享保期以降、村上光清や食行身禄(寛文11年(1671)-享保18年(1733))によって発展した。
身禄は角行から五代目(立場によっては六代目とする)の弟子で、富士山中において入定したことを機に、
遺された弟子たちが江戸を中心に富士講を広めた。
江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほどの流行となった。』
『明治以後、富士講の一派不二道による実行教、苦行者だった伊藤六郎兵衛による丸山教、
更に平田門下にして富士信仰の諸勢力を結集して国家神道に動員しようとした宍野半による扶桑教など、
その一部が教派神道と化した。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、新宗教活動そのものが「講」だと認識していたのが、当時の高弟たちの認識だったわけである。
835 :
基本:2010/05/07(金) 08:28:26 ID:UaLiJRUb
組織としての信仰を行うについては「認可」を得なければならないという「社会常識」があって、大和の土嚢知識人たちは「公許」を求めることになったが、
その契機は、大和神社事件の節であって、「生き神様」中山みきがいれば、宗教活動は簡単に出来ると考えた庄屋地主層が、大和神社で「何か舞わん」とどんちゃんやった事は、「宗教」とは政治によって統治されているという現実を、彼らに思い知らせた。
「元の神・実の神」とは言うけれど、「天の将軍」とは言うけれど、実際には「お上」には勝てないという、挫折感が、そこにあった。
そこで、「講」を作るとは、「公許」が無ければならないことという悪い意味での大人の知恵を自白することになる。
それでは、我は天の将軍だと宣言した「中山みき」の思想は、大和神社事件によって挫折したということになるのであろうか。
いや、それは、まるで違う。
小寒子さまの発言が記録されている。
「いかなんだら良かったのに」と。
それは、「大和神社の神前で大騒ぎしなければ良かったのに」ではない。
「行かなんだらよかったのに」なのである。
神の出張り場所、打ち分け場所にて「講」活動をするという意味において、「神前」で拝を出来るかどうかは、まさに、一つの関門であって、「行けば」必ず通るべき関所であったと、理解すべきである。
836 :
基本:2010/05/07(金) 08:32:36 ID:UaLiJRUb
神前での拝の問題を思案するには、大切な先例がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イエスキリスト様は、宗教行為においての不定部分を浄化するために、意図して「宮清め」を実行された。
その時、大勢の信者は、イエスについてきて、宮清めに賛同し、煽り立てた。
大和神社事件では、大工の伊蔵さまは、神官側に逆らわず、獄についているわけで、「宮清め」という意思も意図も明確ではない。
ただ、「神前では拝をして通れ」と言われたのに、「神前で元の神のつとめ」をしたのが、高弟達の所業であり、それは、決して、元の神の意思とは、一致していなかった。
大工の子であり大工であったイエスキリストは、十字架にかかり、「なぜ神様はこのように私を見捨てたのか」と問うたと伝わるが、宮清めに賛同して暴れた大衆たちは、イエスの処刑を、大騒ぎで賛同し、見物し、煽っている。
宗教高山の改革には、こういう、乱暴なことではならないという、教訓は、当時ただ一人の「神の子」であったイエス兄には、まだ、理解の外だったのだろう。
イエスキリストは、処刑され、三日間洞窟にいて、それから復活し、布教をしている。
千人程度の信者を四十日間の間に、育てられたという。
それは、信者を引き連れて一気に「宮清め」すると言う方向ではなされずに、神との交流と世界一列という問題を提示してのものであったと伝わる。
イエスキリスト様が、改革のために直線的であり、一気に突っ張ったということの反動は、伝わるべき理ではないものを、人々にイメージさせて、イエスキリストの犠牲によって救われようという、ローマ教会信仰高山を結果として生み育てている。
天理教初期の高弟達の、大和神社での無礼は、一貫した「高慢」な天理教信者の態度そのものであり、「これも月日が教えきたるで」と言う、古神道信仰をまさに侮辱している。
イエスの弟子達が、イエスの権威を利用して、異民族の商売人を侮辱したり排斥したりした行為。
「何かまわん」と言う態度であるけれど、
イエスキリストそのものが、ユダヤ教に予言されていたお方である、その元を、いっきにぶち壊すという大衆の理の間違いというものは、天理教もまた、自戒すべき、天理の誤解である。
837 :
基本:2010/05/07(金) 08:41:24 ID:UaLiJRUb
たすける模様というものは、天理教の立教から開始されたものではない。
イエスキリスト様も、お釈迦様も、孔子様も、「たすける模様」そのものとして、この世に、美しい紋様を描かれている。
親の思案は助ける模様ばかりであるとして、そこでどうすれば助かると言うのか。
おやさまは、「称名信仰」を助けの道筋として、きちんと明けられている。
山名系教義学が、意図的に歪めたものを是正してみたら、すっと理解されるであろう。
辻忠作は、線香を立てて、一本燃え尽きるまで、神名を唱えるという「おつとめ」で、ご守護を頂いている。
「つとめ短い」とは、その線香を半分に折って日本同時に火をつけて、効率化したから、叱られたときの、中山みきのお言葉である。
称名とは、真言を唱えることそのものである。
真言とは「呪文」である。
呪文を「天理王命」と唱える事は、それだけで、助かる道なのだが、「つとめ短い」、つまり、線香を立てて祈るという、素朴な時間すらそれが出来ないとしたら、それは助ける模様も何も無い、親の思案が分かりたくない姿そのものである。
838 :
基本:2010/05/07(金) 09:17:37 ID:UaLiJRUb
つとめ場所の普請の時には、おやさまは、何の酒も肴も用意されていない。
中山家の家のこぼちの時には、中山みきは酒魚を振舞っている。
イエスキリストは、自分が処刑される直前に、「晩餐会」にて、弟子達と会食している。
これを踏まえて、深刻な意味で言うと、勤め場所の普請の時に、酒さかなを用意するということは、してはならないこと。と分かる。
異端の中には、この時に機転で酒さかなを用意してきた、伊蔵様の奥さんを美化して説く異端がいるが、
まさに、甘露台三下がりを踊っているとしても、理は何も分からないという自白そのものとなっている。
だから、おやさまが扉開かれたときには、もう中山家には居られないと人間思案していたのが伊蔵の妻である。
つとめ場所の普請のとき、元の地場のお屋敷で、真剣に「神名をとなえる」べき高弟達は、鳴り物をもって、山中家にむかった。
つとめは、ちゃんとされたとは言いがたい。
中山みき様の名など心得て「天理王命」と、唱え続けること。それが、山中忠七さんのなさるべきことだったが、忠七さんには「神名」、つまり中山みきの名が天理王命とすら、認識できていなかった。
ここに、根本の間違いがある。
それは、現在も続いている。
「天理王命」と唱えるとき、中山みきの名として、「神名を呼ぶ」。
そんな信者は、何人いるだろうか。
称名信仰を、基礎の基礎として、なしている人は何人いるだろうか。
「天りんさん」や「てんりゅう」さんを呼んだとしても、神様は、ご守護くださるのだが、信者として、おやさまの子として、
「月日より付けた名前を取り払い」「この残念をなんとおもうぞ」
称名がきちんと出来ていない信心。それは、たすけの模様の、根本に反している。
親の思案を悟るには、空海師にならうべきは、読経百万回。人がめどうではない。天理を悟るというなら「神名」を「神名」として唱える一万回に到達することである。
839 :
基本。:2010/05/07(金) 12:31:48 ID:UaLiJRUb
中山みき様を「人間の親神」と認められないとしたら、何の功徳があるというのだ。
おやさまの思想。私が人間の親神だよ。
それは元の神としての、親神として理を解き明かしたという、そんなものではない。
空海の真言呪文は、現実の守護を伴っていた。
イエスキリストの福音も又、現実の守護を伴っていた。
現実の御利益なくしては、それは、「空念仏」、無意味なものである。
この世を立て替えるには、実としての利益がなくばならない。
それが、おやさまの思想。「実の神」と言う思想である。
たすけの模様というが、それが「宗教という名のアヘン」であってはならない。
大社高山は、「宗教という名のアヘン」を利用する。
そして、高山と谷底と差別された社会では、谷底の者は、高山にしたがってその意向に沿う以外には出世の道は無い。
「債務奴隷制度」という、人類の悪因縁は、一列兄弟の間に深い亀裂を生じているからこそ、谷底をせり上げるという「模様」が見えてこなければ、「実の神」の実の神たる意味が分かる事は無いであろう。
神のじゅうようと言う守護の世界が「現実的に結実する」。それをなすのが実の神であり、山名系教義が、やまい助けを重視するのは、社会のたすけ、国家のたすけを、模様として示す中山みきの思想の、矮小化でしかなかった。
「何にても知らぬ間はそのままや、神のじゆうよう知らしたるなら」。
まさに、自分の親神・おやさまの名さえも知らずに、百年以上、「知らぬ間はそのままや」を過ごした天理教団は、おやさまが親神様だと、知ったのだから、もはや「そのままや」では、無い。
神との交わりという、教団が秘してきた「おやの教え」が、神のじゆうようとして、知らされて、人は「真言」として、「南無天理王命」と、称える事で、天理の世界の入り口に立つ。
840 :
基本。:2010/05/07(金) 13:09:51 ID:UaLiJRUb
元冶元年のつとめ場所の普請の時、高弟の筆頭格であった山中忠七さんは、「神の内訳場所」として自立するはずであったが、大和神社の節で、いずんでしまった。
その問題の本質は、この普請の本質そのもの。
それは、「称名の問題」、つまり何を「めどう」として信仰するかという本質の問題であった。
事実の確認のために稿本教祖伝を引用しよう。
・・・
やがて大和神社の前へ差かゝると、誰言うともなく、教祖が、神社の前を通る時は拝をして通れ、と仰せになった。拝をしよう。と、言い出した。
そこで携さえて居た太鼓を、社前にあった四尺ばかりの石の上に置いて、拍子木、太鼓などの鳴物を力一杯打ち鳴らしながら、
「なむ天理王命、なむ天理王命。」
と、繰り返し/\声高らかに唱えつゞけた。
これを耳にした神職達が、急いで社前へ出て見るとこの有様なので、早速、中止を命じると共に、太鼓を没収した。
この日は、大和一国の神職取締り、守屋筑前守が、京都から戻って一週間の祈祷をして居る最中であった。
(註一)由緒深い大和神社の社前で、卑俗な鳴物を用い、聞いた事もない神名を高唱するとは怪しからん。お前達は一人も戻る事は相成らん。取調べの済む迄留めて置く。と、言い渡した。
段々と取調べの上、祈祷の妨げをした。とて、三日の間、留め置かれたので、中には内心恐れをなす者も出て来た。
ふと、こかんが、行かなんだら宜かったのに。と、呟やいた処、忽ち教祖の様子改まり、
「不足言うのではない。後々の話の台である程に。」
と、お言葉があった。
大和神社の一件に拘らず、つとめ場所の内造りは進んだ。
「この普請は、三十年の見込み。」
との、仰せのまゝに、屋根には土を置かず空葺にした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この普請三十年の見込み」。
三十年後に、「各教会にめどう札が配布」されている。
「南無天理王命」の「目標札」。
これが、めどうとして、確立していない、泥海状態の信仰組織が、元冶元年の「講』だったのだが、めどうとは「称名信仰」には不可欠である。
841 :
基本。:2010/05/07(金) 13:29:05 ID:UaLiJRUb
称名信仰というのは、経文を唱えるから、神仏の名を直接称えるという信仰。
つまり、神を呼び出すという信仰であると、理解する。
それには、ちゃんとした「めどう」が無ければ、呼び出せるものではない。
明治二十一年四月二十九日(陰暦三月十九日)夜
東京に於て御供を出す願
さあ/\先ず/\尋ね一条というは、さあ/\所々で、さあ/\未だ/\。一度二度の刻限話でさしづある。先ず/\今までの事に、先ず/\暫くの処、先ず/\の処はぢばより送るよう。
前の願に付、一寸おさしづ
さあ/\どうでも/\、急がしい成るで、急がしい成るで。世界は一寸治まる。さあ/\/\神一条の道を働くで/\/\/\。急がしい/\/\。さあ/\/\見て居よ/\/\/\。
めどう札を出す事じっとする願
さあ/\一時尋ねる/\。さあ尋ねる事情、よう聞き分けてくれ。
めどう札暫くの処出せんという。
めどう、神の名がめどうか。何と言うて呼び出すか。
さあ/\分からんから尋ねる/\。めどう無くば呼び出すまい。
・・・・・・・・・・・
おやさまを、天理王命として、「南無天理王命」と呼び出す。
それが当然の信じんなのだが、めどう札を出すという事は「天理王命」の名であるから、
出さないですませたいと人間は願ったが、親神は、許可しなかった。
それにしても、おやさまは厳しい。
めどう、神の名がめどうか。何と言うて呼び出すか。
さあ/\分からんから尋ねる/\。
めどう無くば呼び出すまい。
めどうに天理王命と書いて渡しておかなければおやさまを、天理王命様として、呼び出すまいと断言されてある。
、
842 :
基本。:2010/05/09(日) 08:56:55 ID:uMMvTlFY
浄土教であれ、真言宗であれ、キリスト教であれ、「聖句」を「真言」を経文を唱えるということが、神仏との交流となっている。
おやさまの思想が、「これも月日が教え来たものだ」という思想であることは、「元の神」思想として、明かされている。
それは、「讃歌」であり、「賛美歌」思想でもある。
天理教では「お勤め」だと、山名系教義は「勤行」と言う言葉を信仰行為とみなしているが、
おやさまは、「神楽」という古神道の祭事を、「かぐらつとめ」として、神との交流の「神人和楽」として、打ち出している。
それは、「立って踊る」という、「理をふる」という、いわば勤行の手段を示してもいるが、何以上に「かぐら」であると言うことに、重大な意味がある。
843 :
基本。:2010/05/09(日) 09:19:29 ID:uMMvTlFY
「かぐら」と言えば、庶民には、皿回しの芸として有名である、「太神楽」がある。
海老一染之助・染太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海老一染之助・染太郎(えびいちそめのすけ・そめたろう)は、実の兄弟による伝統演芸「太神楽(だいかぐら)」の曲芸師コンビ。父親は落語家の三遊亭圓駒。
「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名で、正月のテレビ番組には欠かせない出演者だったが、兄の染太郎が2002年に亡くなり、その後は弟の染之助がピンで活動している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神の前で、歌い踊りする。
天岩戸の、岩戸を空けるために、暗闇の中で、天照大神を誘い出そうと酒宴を催し、ストリップショーをして大騒ぎしたのが、かぐらの源流だという説もある。
太神楽とは、曲芸そのものであり、おやさまの「かぐら」も又、その「猥雑さ」を決して否定していないと、みなされる。
844 :
基本。:2010/05/09(日) 09:20:28 ID:uMMvTlFY
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%A5%BD 『 神楽(かぐら)は、神道の神事において神に奉納するために奏される歌舞。神社の祭礼などで見ることができ、まれに寺院で行うところもある。』
『「かぐら」の語源は、「神座」(かむくら・かみくら)が転じたものとする説が一般的である。神座とは「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、
神座に神々を降ろし、巫・巫女が集まった人々の穢れを祓ったり、神懸かりとなって神の意志を伝えたり、また人の側からは願望が伝えられるなど、
神人一体の宴を催す場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったと考えられている。
古事記および日本書紀においては、岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞ったという神話が神楽の起源であるとされる。
アメノウズメの子孫とされる猿女君は宮中において鎮魂の儀に携わっており、このことから神楽の元々の形は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びであったとも考えられる。』
『神楽は、宮中で行われる御神楽(みかぐら)と、民間で行われる里神楽(さとかぐら)に分けられる。
里神楽は民俗芸能研究の第一人者である本田安次(1906-2001)がさらに大きく巫女神楽・出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽に分類した。
これらの流れを汲んだ神楽が各地に存在する。
しかし、この分類では不都合なことも生じてきており、近年里神楽の分類方法の見直しも考えられている。
近代に作られた神楽もあり、その中には多くの神社で行われているものもある。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「かぐら」とは、「歌舞音曲」、立って歌い踊るという、日本古来の、神との交流そのものであって、「称名信仰」の次には、「歌舞音曲・かぐら信仰」にと進むという思想が、中山みきの思想の本質そのものという事になる。
845 :
基本。:
そこで、七十年祭の前後から今日まで天理教団を思想的に指導誘導してきた「山名系教義」や、教団批判の「八島系」、あるいは本部批判の「天理本道系異端」の、「称名信仰」、「かぐら信仰」は、中山みきの思想の本質を大きく外れていた。
先ず、称名信仰そのものに対しての、「神名」すら「てんりんおう」だとみなす、大間抜けは、おやさまの、親しく微笑される、大絶賛者の「理の間違い」であった。
「恥をかかすようなものや」として、間違いを直接には指摘なさらないおやさまは、
「てんりんおう」の旗を立てて、来ると、まさに、三つ子の童のいたずらに、目をほそめられたと言うべき姿であった。
{「ああ、だるいだるい。遠方から子供が来るで。ああ、見える、見える。フラフを立てて来るで。」
と、仰せになっていたので、お側の人々は、何んの事かと思っていたが、この旗を見るに及んで、成る程、教祖には、ごらんになる前から、この旗が見えていたのであるなあ、と感じ入った、という。}
おやさまは、「だるいだるい」と言われた。
山名の一行は、・・そんなだるくなるような道中だったのか・・?。
ゆっくりとした旅であり、何が何でも「神の命日におつとめする」というようなものではなかった。
そうみるべきだろう。