◎天理教∞質問回答専用スレ◎PART7

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1(^^)ノシ 天理教東京教区のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
天理教に関する質問をどうぞ。
おたすけ回答者さんは質問を見かけたら、2ちゃんならではの物凄い勢いで書きにいきましょう。
天理教教義から天理教組織、おやさとのお天気情報まで、さあどうぞ。
質問と回答が目につくように、常時age進行でお願いします。

天理教HP
http://www.tenrikyo.or.jp/ja/top.html

天理教東京教区HP
http://www.tenrikyo-tokyo.com/index.html

前スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234252986/
2のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/15(月) 06:50:29 ID:WrIzBRce
下記スレも天理教スレ同様、よろしくです♪

【暇な人が】初心者のキリスト教質問箱4【答える】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1264647605/
3神も仏も名無しさん:2010/02/15(月) 23:15:53 ID:MD1rsqV1
基本的には「とふじん」とは「問う人」「盗人」、懐疑的に親神に対し深く疑問を持っている人、他から盗んで自分の都合に利用する人。
そして、思想的には、神の思想を盗んで、あたかも自分の物かのように悪用している人。
それが基本です。 
4神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 20:25:30 ID:ivQCSRRH
>>3
勉強なるわ〜。

>>2やっぱり何だかんだで戻ってきてるし・・W
5のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/16(火) 20:34:19 ID:MN1+/vju
>>4
かんろだいを東京遷都するまで頑張るっwww
天理市って何もないじゃん。
天理教衰退は、おぢばが天理市だからよ。
創価みたいに、天理教東京にすれば発展するの。
こどもおぢばかえりだって、東京ならディズニーランドやディズニーシーを使えば、天理教人気あがるよ。
6神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 21:52:38 ID:awgeYr8D
>>5
東京都民が猛反対するから無理だよ。
でもよい提案だね。おぢばはそのままで教会本部だけ東京ってのは。
天理出現で東京がさびれたりしてw
7神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 21:53:35 ID:ivQCSRRH
>>5 のぞみは層化嫌いで有名なのに・・・あんたホントにのぞみか?

>かんろだいを東京遷都する

怪しいな。
8春日大社:2010/02/17(水) 09:15:26 ID:i3TaPr1T
修養科行こうと思うんだが分割払いでいいって言ってくれた
9神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 16:57:21 ID:4LX1IvCZ
<天理教界に悪風を撒き散らす「基本。の基本知識>

■これまでの書き込みで判明していること■

・長野県飯田市内在住
・「飯田の演歌王」で検索すると出てくる人物。テレビ出演経験あり。
・朝鮮半島に兄弟が住んでいる。
・「天理教上層部は異端であり排除すべき。そのためには教団の民主化が必要」、と言うが、
 本当の目的は、現在の創価学会のように教団上層部の日本人を排除して朝鮮民族が占有
 すること。
・韓国にぢばがあるとするウリナラ起源説韓国天理教への過ちはなぜか一切批判しない一方で、
 すべての日本人初代大教会長を「人間のクズ」と称し、関根豊松、現在の天理教団上層部に
 至っては異端であると放言。
・自称天理教学生会7代委員長
・自称甲賀大教会部内。「甲賀さんには、大学時代にアパートの火事で焼け出された時には、
 こちらに住みなさいとたすけて頂きました。」
・天理教における過去の歴史人物の過ちを指摘することを日々の業とし、天理教信者へ教団
 への現状不満を煽る。
・台湾、朝鮮、中国への侵略戦争の謝罪を執拗に求める。日本国へ求めるのみならず、天理教
 団幹部にも執拗に求める。
・南北朝鮮半島分断の責任は日本にある。日本が朝鮮に謝罪賠償しなければならない、と主張。
 その歪んだ歴史認識から在日朝鮮人(または帰化人)であると推測される。
・天理教義における「高山」を日本国と解釈、「谷底」を南北朝鮮と解釈し、南北朝鮮が発展途上
 なのは日本という高山が搾取をしているせいだ、と主張。
・天理教活動に名を借りた反日活動家。日本を憎んでいる思想を持っているのが特徴。
・長野県飯田市内でカラオケ喫茶を経営するも資金繰りは火の車。
10神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 20:33:35 ID:1Jy31OPb
>>9
こういうのを訴えるっていってなかったっけ。

はやりの訴える訴える詐欺か。
11神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 21:23:40 ID:1Jy31OPb
>>9
こういう風なレスを書くより、これからは基本。を「とふじん」さんと呼んであげたらいいと思うよ


12のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/18(木) 00:21:57 ID:aEYeFbKw
>>6
天理教本部は東京教務支庁に移転。
かんろだいは錦江大教会に置けばいいよ。
錦江は皇居のすぐそばだから。
13のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/18(木) 00:27:49 ID:aEYeFbKw
対話スレも今のスレが終了次第、テンプレを元に戻すよ。
今のテンプレじゃ、ネタスレにしか見えないからね。
14神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 02:58:53 ID:V8OpWQjD
>日時: 2004/12/21 21:53
>名前: 基本。
>・・・・教団改革教理は、元々、それに用いるものとして、研究しまし
>た。それが、基本です。その間に、一億円を軽く越す個人の負債
>を持ち、現在も、高金利の負債が増え続けていて、さまざまな事情
>を見ましたので、これから、博打で、稼ぎます。そこから、きちんと、
>吹き上がらないと、基本の研究は、経済においては失敗と言う事に
>なります。まあ、昔の先人とおんなじで、つぼに入った物だねで、何
>不自由なくなると信じて、突き進んでいる基本ですから、きっと、博
>打は勝ちます。博打に負けたときは、再度、研究のやり直しでしょう。
>でも、勝つと思います。・・・・・


この書き込みから5年経ったわけだが借金減ったのか?ばくちに勝ったのか?基本。
巨額の借金して、深夜に長文2chに垂れ流して、天理教団を改革したいとか、もうアフォかと。
お前は赤い靴を履いた踊り子だよ。
15神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 03:45:57 ID:V8OpWQjD
とうじん=西洋人

基本のこの解釈は2chの政治関連のニュース板にはびこる朝鮮人工作員、いわゆるネトアサ、ネットキムチ
の典型的洗脳手法。
世論を反米に煽ることで日本人の嫌韓、嫌中、嫌朝鮮をそらす目的。
リチャードコシミズなんかこの手法で電波垂れ流してるよね。
リチャードコシミズ知らない人はググれ。こいつの正体がわかる。こいつも在日だ。
日本に入りこんで日本人を奴隷にして高山として搾取しているのは在日朝鮮人なんだよ。
西洋人ではないね。とうじん=シナチョン

そして基本も朝鮮人。国籍は日本人かもしれんが、思想、血は朝鮮だこいつは。ニュー速+や東亜に沸く
ホロン部と同じ。もうお前には騙されん。誰も洗脳できんよ。さっさと自己破産して路上生活者にでもなれよ。
お前は犬のように死ぬべき。もうすぐ60才になるんだろ基本?億単位の借金を残りの人生で返済できるのかな?
こんな掲示板で遊んでないで働けよ。
16神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 03:57:23 ID:KshDz8GH
確かに基本。はリチャードコシミズとかぶるところがあるな。
17神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 04:01:11 ID:V8OpWQjD
お前ら、坂井明久でググったら絶対ダメだからな!絶対ダメだぞ!
18基本。:2010/02/18(木) 04:17:30 ID:4uCyldVO
質問には、回答します。
>>14
> 借金減ったのか?ばくちに勝ったのか?基本。
天理教の教えでは、「借りたものは返済すべし」ですが、「貸した金でもとってしもうたらおしまい」という教えもあります。

借金ならば、返す・
蒔いた種なら、埋めておく。
そういう意味にて、「取ってしもうたらお仕舞い」にならぬように、用心しています。

> お前は赤い靴を履いた踊り子だよ
脱ぐ事も、履くことも、新しい靴に履き替える事もできる場合には、「赤い靴」を履いた踊り子とは、定義されません。
「天体戦士サンレッド」のように、
> 巨額の借金して、深夜に長文2chに垂れ流して、天理教団を改革したいとか
おのれの使命を、果たして行くのです。

あの、一億ぐらいの借金を巨額といってたら、それじゃ、器小さい、ですよ。
一億の種を蒔いてあると、気持ちは優雅になりますよ。(笑)
19神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 04:30:14 ID:V8OpWQjD
1億の種を撒いてるワラタwwwwwwwwwwwwwwww

マジキチwwwwwwwwwwww
20基本。:2010/02/18(木) 04:32:00 ID:4uCyldVO
>>15
まったく、(笑)。
私は、国籍は日本人。私の曽祖父は、平田神道の門人だった。
三代続いた教育者の家で生まれた。
天理教に入信したのは、父母の代で、私の父親は、校長していた教育者であったから、徹底的に、それなりの英才教育を受けた。
宗教や哲学について、絶えず対等の立場で、議論してくれた。
布教先には、私の手を引いて連れて行き、出向いた先の因縁、事情、悟り、それを教えて、おやさまの教えを語り続けてくれた。
キリスト教についても、禅宗についても、学ぶ事をすすめてくれた。

私は、日本人である。
21神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 04:38:44 ID:V8OpWQjD
基本は質問には回答するといつも言ってるが、都合の悪いことはスルーがこいつの常套手段。
なぜ反日なのか?なぜ日本を憎んでいるのか?なぜ朝鮮半島が南北に分断した責任が日本にあるという思想を持っているのか?
なぜウリナラ起源韓国天理教を異端と認めないのか?
これらは全て基本の書き込みだ。しかしこの点には一切スルーだからな。
都合が悪いんだろ。
ペテン師、詐欺師もいいところ。
で、反論できなくなって都合悪くなると教理の大量コピペ爆撃連投でスレを流す。
で、一方的に勝利宣言。もうアフォかと。

お前もうすぐ還暦だろ?もうちょっと大人になれよな?
それとお前の家に住んでる子供もDQNだろうな。お前の姿見て育ってるわけだから。かわいそうに。とうじんの子供もとうじんですか。
もうすぐとうじんころりですね。1億の借金抱えてとうじんころり。楽しみです。子供と一緒に早くシンで下さい。
22神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 04:40:33 ID:V8OpWQjD
>>20
朝鮮人は嘘が得意だな。
お前兄弟が北朝鮮にいるって自分で言ってただろ。息を吐くように嘘をつく。それが基本。です。
23基本。:2010/02/18(木) 04:48:14 ID:4uCyldVO
>>19
だいたい、自分のことなんて、考えている暇が無い。
蒔いた種なら生える。
それを云々するのは、人間思案というものだ。
基本には、おやさまの教えがある。
どんな中からでも、道は付くし、通ってもいけるし、
仮に、おやさまが、通さないといえば、それも楽しい。

今までの道を思ったら、最近は、笑い話に過ぎない。
やくざも、警察も、事件も、穏やかなものばかりだ。

天理教の質問回答として語るなら、教団には自浄能力が無いから、私、基本に語らせているのだ。

その時に、基本が、社会的にちゃんとした人物で、財産資産があったら、人は、それを頼りにして、見込んで、言う事聞くだろう。

基本は。参拝はしない。布教はしない。求められれば理は教えてあげるという形でも、普通に言う「徳つみ」はしない。
もし、そんな事していたら、「基本さんは立派な行いしていたから理がわかった」とか、
例によっての、取り込みにあってしまう。
そりゃ、趣旨に反するから、一切、教団的信仰行為はしない。

つまり、「くず」でも、一億の種蒔いたらどうなるかという、それも、教会にまいたわけではないし、勝手に理の研究としてやってるだけなのだから、
本当に、「貧乏したらけ「一粒万倍」なのか、試す事ができる。

そんな借金の中にいて、「水は吹き上がるのか」も、わかる。
そういうことだ。
24神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 04:51:47 ID:KshDz8GH
キーボードをローマ字入力してないしな
25基本。:2010/02/18(木) 04:56:00 ID:4uCyldVO
>>21
> 基本は質問には回答するといつも言ってるが、都合の悪いことはスルーがこいつの常套手段。
> なぜ反日なのか?
反日ではない。おやさまは、にほんの者がほしいのだ。
> なぜ日本を憎んでいるのか?
にほんは憎んでいない。「憎む」という事は埃。にほん大好き。
> なぜ朝鮮半島が南北に分断した責任が日本にあるという思想を持っているのか?
そんな思想は持っていない。責任は「米国」のカルトにあるという思想だ。
>なぜウリナラ起源韓国天理教を異端と認めないのか?
異端だと思っている。山名系も異端。八島系も異端。

> これらは全て基本の書き込みだ。
偽者が大勢いて、書いていた時代があったからな。

そんな偽者の書いたものでだまされてる事に、気がついてほしかったね。


> しかしこの点には一切スルーだからな。
と、言うわけで、今日はまとめてお答えした。
26基本。:2010/02/18(木) 04:58:03 ID:4uCyldVO
>>22
> お前兄弟が北朝鮮にいるって自分で言ってただろ。息を吐くように嘘をつく。それが基本。です。
事実無根。

どこかで誰かが、書いたのを読んで、気が付かなかったか。
内容が違う事に。
27のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/18(木) 04:58:57 ID:aEYeFbKw
>>25
このスレは天理教についての質問回答スレであり、基本さんについての質問回答スレとは違いますよ。
28基本。:2010/02/18(木) 05:16:58 ID:wPOqP9DV
>>27
のぞみさん。スレ主さんとして、こうした投稿を庇うのですか。
>>21
21 :神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 04:38:44 ID:V8OpWQjD
基本は質問には回答するといつも言ってるが、都合の悪いことはスルーがこいつの常套手段。
なぜ反日なのか?なぜ日本を憎んでいるのか?なぜ朝鮮半島が南北に分断した責任が日本にあるという思想を持っているのか?
なぜウリナラ起源韓国天理教を異端と認めないのか?
これらは全て基本の書き込みだ。しかしこの点には一切スルーだからな。
都合が悪いんだろ。
ペテン師、詐欺師もいいところ。
で、反論できなくなって都合悪くなると教理の大量コピペ爆撃連投でスレを流す。
で、一方的に勝利宣言。もうアフォかと。

お前もうすぐ還暦だろ?もうちょっと大人になれよな?
それとお前の家に住んでる子供もDQNだろうな。お前の姿見て育ってるわけだから。かわいそうに。とうじんの子供もとうじんですか。
もうすぐとうじんころりですね。1億の借金抱えてとうじんころり。楽しみです。子供と一緒に早くシンで下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・

子供と一緒に早くシンで下さい。

↑ 悪質ですよ。
29神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 05:18:04 ID:KshDz8GH
「とふじん」と「にほんのもの」とは
DNA(人種)ではなく、心や思想で判断されるもの
だと思うがねぇ。

ところで「にほんのぢい」とはどこかね
30基本。:2010/02/18(木) 05:21:39 ID:wPOqP9DV
>>27
>>21
21 名前:神も仏も名無しさん :2010/02/18(木) 04:38:44 ID:V8OpWQjD
彼は、誹謗中傷を私への質問としてなしている。
それに正しく応じなければ、私についての、誤った情報は一方的に書き込まれたままになる。

そこで私は、回答した。

それをのぞみさんは、スレ主でありながら、
デマと誹謗中傷した側には、何の警告もせず、私に注意した。

これは、おかしい。
あなたは、内容が読めない人じゃないのだから、
きちんと是正してください。
31のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/18(木) 05:40:53 ID:aEYeFbKw
>>28
庇うわけでなく、スルーが望ましい。
下記リンクは、特定コテハンを主回答者としたキリスト教質問スレです。
このようなスレ、基本さんを主回答者、あるいは主筆にしたスレが必要かと思います。
6年近く前には、基本さん教理スレがありましたよね。

【暇な人が】初心者のキリスト教質問箱4【答える】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1264647605/

【暇な人が】初心者のキリスト教質問箱5【答える】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1266196519/
32基本。:2010/02/18(木) 05:46:02 ID:wPOqP9DV
>>29
> ところで「にほんのぢい」とはどこかね
おやさまご自身の定義では、(こふき話では)、一番最初に人間をはぢめたところが「にほん」となります。
又、生みおろしという事では、七十五日かかって、にほんに、うみおろされたとありますが、それは、「日本」そのものと言うことで、教えられてきています。

そこで「日本の地」、「地場本部の地」に、「とふぢん」が入り込んでいるという理解が、成立します。
そこまでは、戦前の教理と言う事でしょう。

本当の意味は、
> 心や思想で判断されるもの
ですが、「にほんの思想」、つまりおやさまの教えそのものの「地場」は、天理教そのものですから、
お屋敷の内部や、日本国内の信者の中に「とふぢん」が入り込んでいると、素直に受け止めます。
33神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 05:48:47 ID:KshDz8GH
確かに>>21は言い過ぎだと思う

とふじんの子供がとふじんとは限らない。
なぜなら、おやさまは「親子でも夫婦の仲も兄弟もみなめいめいに心違うで」
といっているから。

心が違えば「にほんのもの」という可能性もある。

>子供と一緒に早くシンで下さい。
これはひどくね?
34のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/18(木) 06:08:03 ID:aEYeFbKw
基本さん、下記のようなスレは、いかがですか?


(スレタイ案)
【天理教】教義、要理の基本から学びましょう

(本文案)
私、コテハン基本が天理教の基本をお伝えします。
質問などお寄せ下さい。
出来るだけ親身に回答します。
35のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/18(木) 06:13:39 ID:aEYeFbKw
ちょっとCMも入れさせてねw

下記スレのスレ主もしている、のぞみちゃんです。
みんな、よろしくぅ〜♪

◇◆スレ立て代行依頼スレッド◆◇in心と宗教板
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260455303/
36神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 08:40:44 ID:trUWNEO3
小沢一郎氏側に現金1億円 複数人が認める
ttp://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/11/19/01.html

>当時、小沢事務所でゼネコンの窓口だったのが大久保被告。
>献金の事務処理については、05年まで秘書を務めた石川知裕衆院議員(36)が主に担当していた。

石川知裕議員
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/11/19/images/KFullNormal20091119149_l.jpg
37神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 12:32:03 ID:V8OpWQjD
>>25
嘘ついたよこいつ。大嘘。コテハンにトリップ付けて書き込んでるくせに「偽者が書き込んだ」だと。
笑止千万。基本は大嘘つき。ペテン師。詐欺師。クズ。カス。高利の1億の借金抱えたデブのさえないオッサン。

じゃあ、もうひとつ基本。おかえに質問しよう。
なぜ天理教が侵略戦争に加担したという点にこだわるんだ?
お前の主張は「天理教は侵略戦争に加担したから反省しろ」
これは朝鮮人そのものなわけだが。
38神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 15:53:05 ID:Vk/gVV/S
初めての修養科なんですけど、必ず別席運ばなきゃ修了できないのですか?
39基本。:2010/02/19(金) 02:47:14 ID:IJ3ohOia
「侵略戦争に加担したから反省しろ」と、言ったら、どうして朝鮮人なんですか。
と、考えていて、分かりました。
侵略戦争だったと言う事そのものを否定したいわけですね。
日本人なら、あの戦争は「侵略」だったと思うなと、そういう主張ですか。

私の基本的な立場は、天理教の戦争協力そのものに対し批判するものです。
あなたは、戦争協力のさんげ、しなくてよいという立場ですか?
40基本。:2010/02/19(金) 03:01:18 ID:IJ3ohOia
>>37
天理教の教えでは、心が、肝心です。
戦争協力したという行為そのものは、国上げての戦争ですから、国民の義務として参加、協力は当然の事です。
その事を、「狭い範囲」にして、批判しているのではない。
おやさまの教えを曲げてまげて、「大教会」制度を構築し、封建制度さながらの、擬似家族制度「理の親政治」を、構築した事を批判しているのです。

それは、積極的に、「兄が弟」を教化するという、建前で、朝鮮や中国を、指導しようとした。
天理教団の大きな間違いです。

朝鮮人を、蔑視する態度が、あなたの投稿にはありますが、
それは、戦前の天理教指導者層の、「日本は兄の国」という、態度と、良く似ています。
人種国籍で、差別するということは、よろしくない事です。
是正をお願いします・
41神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 04:44:55 ID:h+b4SruD
基本は日本人差別に傾いてる。




42基本。:2010/02/19(金) 10:19:49 ID:IJ3ohOia
本席おさしづは、明治二十年に開始され、明治四十年にて終わっています。
本席の死の、三日前に、「だめの諭と言うたる道は、先になりても立つ。」と、おさしづにて告げられています。

明治四十年四月八日(陰暦二月二十六日)午前六時
『手遅れ/\。だめの諭と言うたる道は、先になりても立つ。』
『内々や。』
『何時どういう事出来るとも分からん。』
・・・・・
これは、教団幹部への痛烈な神からの批判でした。

一段二段の、二月二十六日に「本席と真柱」の神一条が開始されましたが、その時すでに、親神様は、幹部の心得違いを予言されていました。

二月二十六日には、「五十年目に目で見て改心」という、予言が、告げられていた。
明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)夜十時
刻限御話
それ/\聞いて一寸問い、組替え楽し道なるや。
こうなる願の道、言う事ももうとっと楽しむ内々、刻限成る成らん、道何をして居るやら、こういうような事も言い。
聞き分け、よう聞き分け。
刻限延ばし、さあ/\思案。
五十年目に、目で見て改心。日送りして言い、話して置く。
・・・・・・・・・・・・
教会制度の発足の、五十年目に、天理教は、「戦争協力」と言う、悪事をなす事になる。
「五つ理を吹く」。出来事です。「神の立腹」と理解します。



43基本。:2010/02/19(金) 10:23:27 ID:IJ3ohOia
明治21年 1888年 天理教教会本部の開始
      1937年 応法の道 五十年目。

http://www.gameou.com/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_81.htm
 1937(昭和12).7.7日、日中戦争(支那事変)勃発。
 「みかぐらうた」は、よろづよ、三下り目、五下り目が削除された。
おふでさき、おさしずも各教会から回収され、天理教教典のみを教義として時勢に協力した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これを目で見て改心しなければならない。

>>41
> 基本は日本人差別に傾いてる
基本は、「にほんぢいい」にて、「理の親制度」「理の親政治」している、大教会理の親とふぢん、を「ころり」と、
「改心」、願うのみです。
44基本。:2010/02/19(金) 10:37:03 ID:IJ3ohOia
おふでさきの、数理の予言は、厳密に性格に、「戦争」を予言しています。
「うた」として「戦争反対の情緒」を告げているのではなく、
「理」として、「戦争」と言う、「火と水」の神の「りいふく」を、お筆先にて示しています。

親神様は、そこまでしても、「戦争する高山」を、そふじなさりたい。
きれいな心に「改心」させたい。
それには、先ず、天理教の「理の親信仰」、キリスト教の「理の親信仰」、宗教高山そのものを、「改心」させなくてはならない。
それが、天理教という教えの、最も本質。
「世界をろくぢ」にするという、本質です。

だから、「戦争協力」した大教会すべて、特に河原町系と山名系は、全面協力の当事者ですから、先ずさんげです。
「改心」です。
45基本。:2010/02/19(金) 10:44:52 ID:IJ3ohOia
ところが、天理教では、戦争協力の事実の記録である、「みちのとも」と言う機関誌を、閲覧禁止状態にしてある。
まるで身内の恥だからと、隠しこんでいる。

みちのともの復刻版を、戦争協力時代までも含めて、公刊し、情報公開してこそ、さんげ。
「改心」。
道友社という御用マスコミは、理の親族を擁護して、いまだ情報を公開しない。
まだ、続いているのです。
天理教の暗黒時代は。
それなのに、天理教団はみせかけの陽気くらしを、説く。
この、残念を、早く晴らしてあげましょう。

おやさまの為に、先ず「理の親信仰」そのものを、根こそぎ排除しましょう。
46キボン:2010/02/19(金) 12:39:41 ID:DabHcjOF
基本アンに質問。

基本アントコのコウ賀サンにては、元はじまりのお話を大声で読んデミ、不思議な御守護アリマンデと説く御仁アリヤ。
キボンの周辺もコレにはまって、シロウト衆が元の理や、たすけの理話やと騒ぎおります。
キボン的には今更ナニヲと思フのですが、この動きイカに思われますかナ?
47神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 12:56:01 ID:t23ou73z
12:NHKうさぎ ◆dl8/XeIN7. :2008-06-11 14:58:09
正直、 加藤神はよくやってくれた。

つぅか、 ムトウマイ死んでザマァミロと思うね。


心底思うよ、武藤マイ死んでザマァみろと。

意見あるなら俺の携帯に電話よろ

712:Aigis@天理教 ◆NHK43OO21w 2009/11/08(日) 18:30:05 [真・激みかん]
ちなみにだけど加藤はもう俺の中では雑魚としか認識してないよ。
遺族宛てに謝罪文書いてるみたいじゃん、終わってる。

やっぱり宅間様が最強。

ニートの実態
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6993577
【北海道】岩見沢スレッド【田舎町】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1255231957/
ぺるしゃうを生暖かい目で見守るスレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/dame/1253356951/
http://uproda.2ch-library.com/211919uT8/lib211919.gif

実際に信者さんかどうか定かではありませんが、
2ちゃんねるにおいてこのような発言をする信者さんがいるとしたら
どのような対応をとられますか?
48神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 18:36:35 ID:anlIznDi
韓国はなぜ反日か?
本家サイト http://peachy.a-auc.net/korea/

↑本家の調子が悪い場合はこちら
ミラーサイト1 http://kumakichi2008.web.fc2.com/korea.html
ミラーサイト2 http://www.koreanantijapan.comze.com/index.html



日韓併合前後 朝鮮半島写真館
 http://f17.aaa.livedoor.jp/~kasiwa/korea/photo/
・併合関連の写真。本当は三等国だった韓国。情報量多し。有名サイト。



基本は侵略戦争だと言ってるが真実は違う。侵略戦争ではない。基本は朝鮮人。騙されるな。
49基本。:2010/02/19(金) 19:26:38 ID:3thrcWp6
>>48
>・併合関連の写真。本当は三等国だった韓国。情報量多し。
三等国と言う決め方そのものが、「唐人」{聖書系カルト}の、侵略方便です。
教育や文化というもの、「礼節」や「生活水準」が、それを決めると言う、カルト的決め付けで、国家や民族を「格付け」する。
それこそが、高山そのものの証拠です。
自分達は選ばれた民である。とか、わが神を信じる者のみが「天国」「地上天国」に暮らす事を許されると言う、選民思想そのものです。

聖書世界では、最高の預言者とみなされる、「洗礼者ヨハネ」は、どんな人物だったのか。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マタイによる福音書』3章によれば
ヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」とする人物であった。
・・・・
つまり、野蛮人のように暮らしていた「里の仙人」でした。

言うなら、三等国のと、呼ばれてしまうような人物こそ、大工のイエス様に洗礼を施した方です。

本来は、自然人として生きていた「聖人」なのに、「神殿で厳かに・文化的に・高尚に」と、高等な人間のごとく振舞う宗教家を、崇める対象にすりかえた。
「唐人社会の高山」の、「一等国」は、他者を、「債務奴隷」として、「植民地支配」して、搾取で暮らすという、悪事。

暮らしぶりで、人を差罰する。
それは、やめるべきです。

聖書の聖人「洗礼者ヨハネ」をないがしろにして、
明治期に唐人が持ち込んだ、文化人が野蛮人を教え導くと言う態度こそ、カルトとして、排除すべき「唐人思想」です。
50基本。:2010/02/19(金) 19:43:12 ID:3thrcWp6
>>48
意味が無いと、思います。
>元はじまりのお話を大声で読んデミ、不思議な御守護アリマンデと説く御仁アリヤ。
甲賀初代は、大愚と言われたと、本人が覚えたこふきを、つまり元の理、十柱の神と八つの埃を、いつでもどんな場面でも、馬鹿の一つ覚えのように語ったと、そういう人物です。
それなら、「馬鹿な人だったか」というと、入信は後発だったけれど、信者組織の組織作りは巧みで、直接に助けたとか、そういう因果関係に無い、周辺の信者組織を束ねて甲賀△人衆なる講元集団を形成し、
京都で、心学道話を利用して大木となっていた、河原町の組し、・・
結果として、八番目に大教会になってしまったという、オルガナイザーとして有能な人だと、評価出来ます。
だから、理の親信仰ではなく、競争社会の勝利者ですが、部下の分離問題では、「お礼奉公」という、「独立条件」を部下に命じ、
以後天理教団には、独立しようと思ったら、お礼の奉公が、多額の献金が必要だと言う悪風をのこしています。

大愚どころか、大甲賀の理の親としては、注目すべき人物です。
51基本。:2010/02/19(金) 20:07:27 ID:3thrcWp6
>>48 >>50
> 元はじまりのお話を大声で読んデミ
> 意味が無いと思います。

さて、おやさまは、元始まりのお話をされたのは、誰に対してであったのかと言いますと、
高弟たちです。
助けを求めて来た人に、こふき話をしていないという「ひながた」があります。
しかし、現実には、甲賀とは限定しませんが、こふき話を取り次いでおたすけすると言う、手法がとられています。
それは、無意味だと、基本的に理解しています。

「こふき」は「うすき」と、対比して理解すべき内容を含んでいます。
「原液がこふき」「希釈液がうすき」。
「うすきが天の理」です。

大工の伊蔵さまの、仕事場でのお諭しは「うすき」でした。
基本的に意味が無いというのは、濃い話をしてみても、何も分からないと、そういう無意味です。

甲賀初代の場合には、ご守護があったではないか、と反論も予想されます。
それは、当時は元の理は、説いてはだめという、隠れて説けと言う時代だったのに、そればっかりを説いた。
大愚と言うのは、馬鹿の一つ覚えと言う事です。
「元の理」を説いてダメな時代に、堂々説いた。
おやさま孝行と言う一点では、理にかなっていた。と、理解しています。

船場の初代も、元の理説いてお助けしたりしてますが、それは、教団幹部には効能あったようですが、普通の人には、無かったとみなしてよいでしょう。

もちろん、甲賀初代が説いたのは、内容不正確とみなして良いでしょう。
あの時代には、泥海こふき説くだけでも、評価されると言う、時代だったから、希少価値の大愚だったと言うことです。

現代は、ネットですら皆が読めてしまうのですから、大声で唱えるなどと言う「自己満足」は、無意味です。
それよりも、「根」を掘り下げて、「大甲賀」を解体して、各々の自由な信仰組織に復元したら、「大愚」、おやさまの言う「あほう」に、甲賀はなれるでしょう。
52基本。:2010/02/19(金) 20:23:43 ID:3thrcWp6
>>38 :神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 15:53:05 ID:Vk/gVV/S
初めての修養科なんですけど、必ず別席運ばなきゃ修了できないのですか?

天理教の修養をするという事は、誰が決めたのでしょうか。
三ヶ月の費用を払ってしまったと言うだけのことで、天理に行くわけですか。
そんな疑問もありますが、回答します。
払った経費の返還は、かなり難しいでしょうが、おさづけはいらないとお思いならば、別席の印鑑を押してもらわなければ、
皆と一緒に生活して、「結果、おさづけ頂かず」にて、すごせます。
又、自分の意思と無関係に押されてしまったら、一度は自分の手元に頂いてから、自主的に紛失しましょう。

三ヶ月の生活の場として利用するためですから、あわせながら、上手に、共同生活をしたら良いと思います。
53基本。:2010/02/19(金) 20:35:37 ID:3thrcWp6
>>38 >>52
さて、修養科の目的は「信者」としての修養にあります。
その為の施設であり、システムである。
ご自分の意思ではなく修養科に入ると言う方は、当然別席など運びたくない。
ではなんで、ここにいるのかと、そこで、改めて思案をなさるべきです。

親のひも付きというのは、へその緒が切れていないようなもので、先ず自立する事が大切です。
人に言われて信心しても、神は受け取らないし、第一自分がむなしいでしょう。

経済的な理由が無いのなら、一般社会に急いで復帰すべきです。
別席も何も、信者にならないことです。

私が回答したことも含めて、ですが、
人の言いなりになるような、状態を、打破してください。
54基本。:2010/02/19(金) 21:04:39 ID:3thrcWp6
私の子供の頃の甲賀系には「混浴」は常識であった。
おさしづてお世話になっている「近愛」さんも確か混浴の時間帯があったと記憶している。
「混浴」、そんなくらいのことで色情因縁を起こすような者は道にはいないとか、解説を受けた記憶がある。
それは、とてもおおらかなものであった。と、子供心に記憶している。
甲賀の詰所で、風呂で大騒ぎしていたら、女湯から湯船の奥をくぐって、婦人が、ぬっと現れて、こんこんと叱られた。
混浴と言う意識そのものに、おおらかな時代が甲賀にはあった。
平然と凛として入浴している女性の高貴な姿は、まさに、色情因縁を超越して感じさせた。

さて、唐人の布教師はどうであったか。 西洋人の見た日本の浴場
http://www.news.janjan.jp/culture/0903/0903229958/1.php

(1)西洋人の見た日本の浴場 
 幕末に日本を訪れた西洋人は、日本人の入浴文化について以下のように記録している。 
 「裸でも気にせずに男女混浴をしている公衆浴場を目のあたりにすると、アメリカ人には住民の道徳性について、さほど良い印象は持てないだろう。」(『ペリー艦隊日本遠征記』)
・・・・・・・・・・・・・・・
気にするどころか、堂々と、凛として慎ましやかな裸体が、そこにはあった。
と、記憶する。
55基本。:2010/02/19(金) 21:13:32 ID:3thrcWp6
>>54
混浴していても、おおらかであり、陰湿ではない『日本の文化』を、唐人の神父たちはどのように見ていたのか。
> さて、唐人の布教師はどうであったか。 西洋人の見た日本の浴場
> http://www.news.janjan.jp/culture/0903/0903229958/1.php
『ペリー艦隊日本遠征記』より「下田の公衆浴場」 
「私が見聞した異教徒諸国の中では、この国が一番淫らかと思われた。
体験したところから判断すると、慎みを知らないといっても過言ではない。
婦人達は胸を隠そうとしないし、歩くたびに太股まで覗かせる。男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き、その着装具合を気にもとめていない。
裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体などはおかまいなしに、等しく混浴の銭湯に通っている。」 (サミュエル・ウィリアムズ著『ペリー日本遠征随行記』)
 
「湯治場は街路からあけすけに見えるところにあり、入浴者を日光からさえぎるための小屋の屋根があるだけだった。
われわれが近づいたときに、中年過ぎのひとりの婦人が温泉のふちへ上がってきた。
あとには、まだ五、六人の婦人が湯につかっていた。
この婦人は、一切の自意識や当惑といったものをまったくもち合わせていなかったので、
カンフスの『おお、神聖なる無知よ』という叫びを想い起こさないわけにはゆかなかった。」
(ラザフォード・オールコック著『大君の都』) 

「真冬にも関わらず素っ裸で、体を茹で蟹のように真っ赤にさせた銭湯帰りの子供が私たちの前を走っていった。
見れば銭湯の二階には茶を飲む部屋があり、二階の欄干からふんどし姿の裸の男達が私たちを見ているのには驚いた」 
(フリードリヒ=アルブレヒト・オイレンブルク著『日本遠征記』)
・・・・・・・・・・・・・・・

生まれると、「割礼」して、言うならば包茎手術をしてしまう宗教の、「唐人の神父」は、
ある者は、「淫ら」と評し、ある者は『おお、神聖なる無知よ』と叫んだと言う。

キリスト教美術には「裸婦」が多い。
現実には「混浴」と言うおおらかな、習俗すら、「淫ら」と感じてしまうほどの、悪因縁があると言うことを、
唐人さんにも気が付いて欲しいものだ。
56基本。:2010/02/19(金) 21:17:32 ID:3thrcWp6
>>48
さて、キボンさん。
どろうみこふきとは、人間の始まりの話。
それを大声で読み上げると言うのは、それは、「混浴オッケー」と言うようなものですから、
その意味では、すばらしいことではないですか。

不思議なことがあるも何も、元始まりのお話を、甲賀初代は猥談の名手だったと言いますから、
ちょっと、はばかるような内容まで含めて、「大声」で、説法すると言うのは、
なかなかの大愚だと思います。
57キボン:2010/02/19(金) 21:19:27 ID:DabHcjOF
>>50
>>51

丁寧なご回答アリガトゴザイマス。
初代サマのこともよくわかりました。

大コウガに、今、盛んに元の理を説いてるオヤジがいるんです。
元はじまりのお話を拝読して、ガンが治った、コケかけていた商売が立ち直ったなどなどの御守護話がモリだくさんなので、その元の理センセイの勉強会は大盛況とのこと。

それこふきとイフ、話の理でたすかるということは、これはアリだと思う。
しかし、元の理センセイの勉強会で聞きかじったことを中途ハンパに振り回すシロウト衆が目に余るので、そのうちケガするゾイと、キボンは注視してオリマス。
58キボン:2010/02/19(金) 21:47:22 ID:DabHcjOF
>>56
「混浴オッケー」は確かにスバラシイ。
混浴バンザーイ
59神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 22:00:19 ID:4iLKN5Hz
基本様
>>38です

つまり“必ず”受けなければならないと言うことですね。
wikiらしいものには受けない者もいるとあったので、受けないと希望すれば受けなくてよいと思ってました。
何回か運んだ人は途中参加でよいと言うのは以前から理解してます。
ありがとうございました

あ、行かないと思います。
60基本。:2010/02/19(金) 22:27:05 ID:3thrcWp6
聖書の福音を唱える「宗教改革派」。
> カンフスの『おお、神聖なる無知よ』
カンフスとは、チェコの宗教改革派の「英雄」のフスの事のようです。
フスの著作、教え
チェコにおいて、フスは生前は預言者または使徒として尊敬され、死後は聖者あるいは殉教者として崇拝された。 一方で、プラハの大学や教会の敵対者と争う中で、さまざまな中傷や非難を受けることもあった。

フスはジョン・ウィクリフの著作(Trialogus)を翻訳し、神の聖体、教会、教皇に関するウィクリフの理論や、とりわけ説教に関する理論には精通していた。フスの教義の根幹は次のような考えだが、これはウィクリフが書いた教会と教皇の力に関する本に含まれている。
フス葉は、教会制度を批判して、火あぶりされました。

『本来の教会は、一般に教会が主張する階層制度ではない。
教会は、時をこえて救世を運命づけられた人の聖体であり、
その長は教皇ではなくキリストである。
教皇に従えば救済を受けられるなど、神の教義の条文には書いてない。
さらに、形式的に教会に所属することや、教会の職務や職位は、その人が真実の教会の一員であることを保証はしない。 』
という、主張を最後まで貫いた人です。

免罪符を金で売買する教会の腐敗を批判し、「聖書」を第一とする福音を説いたマルチンルターという宗教改革者は、
このチェコの影響を受けて、腐敗した教会を批判した。
そして、現代のアメリカにも、日本の混浴を猥褻と論じた「唐人神父」にも、まさに絶大な影響を与えた、プロテスタントの福音信仰の教祖のような人です。

でもそのルターは、貧乏な農民の、行儀の悪さに激怒した。
>>48
三等国民や、程度の低い農民には、「唐人神父」の教え親である「唐人・教祖・改革派ルター」は、どうであったか。

朝鮮人に対しての、48さんの、態度よりも、無残でひどいものでした。

「狂犬同様に絞め殺し、打ち殺してしまえ」と過激な鎮圧を勧告した

それが、「聖書の福音」を伝道しているはずの、宗教改革者の現実だと言うこと。
これこそで唐人とは「から」である証拠です。
61基本。:2010/02/19(金) 22:36:21 ID:3thrcWp6
>>60 >>48

http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/11-kaikaku1.html
1 ルターの宗教改革
・・・ルターは、初め農民を支持したが、
ミュンツァーに率いられた農民達が財産の共有や神の前での平等を主張して教会を襲撃するなど過激な行動をとるようになると、
彼らを「殺人強盗団」とののしり、諸侯に
「狂犬同様に絞め殺し、打ち殺してしまえ」と過激な鎮圧を勧告した。
これに対してミュンツァーはルターを「嘘つき博士」と呼んで激しく非難した。
ルターがこのような行動をとったのは、彼が問題としたのは内面的な信仰のあり方であって、社会の現状を変革することまでは考えていなかったためである。

 装備に勝る諸侯軍は、ルターの支持に力を得て結束して反撃に転じ、反乱側の分裂・不統一に乗じて農民軍を徹底的に鎮圧した。
農民の犠牲者数は10万人にも達したといわれている。

 ドイツ農民戦争後、南ドイツの貧しい農民達はルター派から離れ、以後ルター派の支持者は、おもに北ドイツの諸侯や豊かな市民・農民に移っていった。
ルター派の諸侯は、領内の教会の首長として、領内の教会の支配権を握り(領邦教会制)、修道院の解散などの改革を進めていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「高山」の戦いの当事者、宗教高山。
その高山の唐人から見たら、混浴の日本は「野蛮な国」。
全く、どちらがおおらかで、豊かで、幸福なのか。

戒律と道徳と言う武器で、アジアを我が物顔に、植民地化し、思想支配しつづける「高山の唐人」こそ、実は空虚そのものだと、そろそろ気が付いて良いのではないでしょうか。

朝鮮の人も高山の唐人も、みんな兄弟だと言う教えです。
62神も仏も名無しさん:2010/02/19(金) 23:31:39 ID:KvMbH+6t
・韓国にぢばがあるとするウリナラ起源説韓国天理教への過ちはなぜか一切批判しない一方で、
 すべての日本人初代大教会長を「人間のクズ」と称し、関根豊松、現在の天理教団上層部に
 至っては異端であると放言。


すみません これって異端てことは天理教から見てってことですかね
金銭授受のやりとりとか信者に求めないところがあるけども
そういうところだったらいいんだろうか
63基本。:2010/02/20(土) 01:33:06 ID:gTexmHtG
おやさまは、先々の子供のすることには、何事に付け、寛大というお立場であり、韓国の教会にしても、別宗教にしても、「にほんぢい」とは遠いところのことは、別段何の事は無いという姿勢でよいと思います。
それは、子供のすることですから、・・。
>>62
> 韓国にぢばがあるとするウリナラ起源説韓国天理教への過ちはなぜか一切批判しない
それは、語ってほしいから「なぜ批判しないのか」と言う意味のようですが、
「ウリナラ起源説」そのものは、天理教のみならず、すべてが韓国を起源としているという説であり、
「天理教」として、理の世界の出来事として論じる問題ではないからです。

うちの父ちゃんは世界で一番偉い。とか、そういうレベルの風潮上の問題です。

「そうか、すっげーな」でも、「ほんとうかなー」でも、かかわらない事が一番に自然で素直です。
64基本。:2010/02/20(土) 01:49:30 ID:gTexmHtG
本来、天理教は大組織である必要もないし、世界中を信者にしなくてもよいわけです。
「世界中を信者にしないと→陽気くらしにならない」というような教えではないのです。

人間を始めた親がいて、世界一列は兄弟だ。
それでよい訳です。

「元の地場」という意味は、「だから権威がある」でもないし、「だからひれ伏すがよい」でもないのです。
その逆のものです。

「元の地場」にて、初代大教会長と言うのは、「願い出て、お許しを頂いた」人たち。
そして、おやさまの教えを、少しづつ曲げてしまった。
関根豊松さんは、自分が神様であるかのように誤解させ、関根豊松さんも、天理教団の上層部の人も「理の親」だと自称した。
「理の親信仰」と言うのは、人の上に人をおくものですから、「異端」です。

韓国にぢばがありと説こうが、地場の理がないものならば、それは自然に分かる事であり、「ほっておいても構わない」ものです。
しかし、天理教会の指導者として、「理の親」と称して、「元の地場」にて、又その理の「天理教会」にて、異説を説くのは、
「理」があるから、結果として人を惑わす。
放置していてはいけないものです。

私直接に、お話した幹部の方々でも、本当に自分も異端のようなものだと、認める方ばかりですよ。
だって、おやさまが親神様で、存命でいるという事を、信じて口にしている指導者さんなんて、何人いますか。
「教会のため」「本部のため」「理の親のため」。
これは、おやさまの教えに無い事です。

65基本。:2010/02/20(土) 02:52:29 ID:gTexmHtG
親神様は自由自在なのだから、親神さまについて、心配も悩む事もいらない。
親神様には礼は、不要です。
「礼を言われないように」おやさまは、施しをなされた。
「礼を言われないように」本席さまは、道普請や橋直しをされた。

「礼をいわれる」それだけでも、おやさまの教えに反しているのに、「礼」として、金品を受け取るというのは、それは、気持ちなのかもしれませんが、
もはや、天理教ではない。
それを、組織として「集金」しているのですから、「理の親信仰」は、異端そのものです。

自由自在のおやさまが存命なら、早く戦争やめさせろ。
そう言いたい気持ちもあるでしょうが、現実には、夫婦、親子、兄弟と言うのは、いさかいがありがちで、
ろくぢに仲良くは、それは、とても現実の実現が難しく見えます。
それは、「理」を知らぬからです。
「理」を知れば、理は、働きます。
 そこで、神意が直接に、その人に知らせを出し、直接に理解できると言う状態になります。
そこで、「戦争」と言う謀反そのものは、抑止される事になります。

「理」とは神様です。
「理」を知るためには、「天理教」は、きちんと理を説いて教えなくては、人には理は、伝わらない。
その役割が、取次ぎの人、と言われる人々です。
ところが、取次ぎの人というのは、「理」を取り次ぎますから、
 未開の土人に、日食の日に、「今から太陽を消してみせるぞ」と言うような、「神」になり代わることも、できてしまう事があります。
「取次ぎ人」が、「神の代理」になるとき、「理の親」と言う異端に、変貌してしまうおそれが生じます。
  神の教えを取り次ぐ人とは、イエス様や仏陀のように、何物の背景も無く、説く場合とは違って、「神殿」や「教会」を背景にして、その「権威」を利用して説く事が多くなる。
対等な人間ではなく、「理」のある先生、「理のあるお役目」の先生として、
おやさまの教えを利用して、時には生き神様にすら、思われてしまう。
これでは、礼を言われずにという態度はもう、かけらも無いということで、「理」を伝えるどころか、「悪理」を吹聴する事そのものです。
「自由自在」に、神はとても働けない。悪人を利するばかりになってしまうからです。
66基本。:2010/02/20(土) 03:02:11 ID:gTexmHtG
おやさまには、礼はいわなくて良いのです。
でも、イエスキリスト様やお釈迦様や、孔子様や、神社の神様や地蔵様には、礼を言わなくてはいけない。
「神」として、拝礼をしなければならないのは、天理教の場合には、おやさまに対してではなく、イエス様やお釈迦様という、ご苦労下された神仏に対してです。

「理の親信仰」は「ご恩報じ」とか「神恩報謝」とか、説きますが、それなら、キリスト様やお釈迦様や、伊勢神宮に「礼」をしたら良いのです。
みな、「裏守護」と言う時代に、苦労された。
礼は、いらん。
このおやさまの一貫した態度こそ、天理教は行うべき態度です。

その態度で無いものは、「異端」であり、理を説く「お取次ぎ」は、とても無理です。
67基本。:2010/02/20(土) 03:20:26 ID:gTexmHtG
たとえは、直接的に過ぎますが、最初の仕事させておいて、後から出てきて、こっちが大本だから感謝しろ。
こういう、やりくちが、理の親信仰のやり口なのです。
それが、下請けに仕事させて、うわまえはねる手法。
支配被支配を固定化させる。
最低最悪な、理の親信仰です。

今までは、それが異端だとは知らなかったから、何も起こらなかった。
しかし、「礼を信者から集金するのは異端だ」、正しく言いますと「むほん」だと分かってしまえば、
「理」を知ったわけですから、神は働く。「非水風とも退くと知れ」に、なりますから、とふぢんころり、です。

戦争をなくそうという事と、理の親信仰をなくそうというのは、全くおんなじ意味です。
「むほん」の根を切ろう。という教えそのものです。

それには、みなが「理」を知る事です。
「この元を詳しく聞いた事ならば、いかな者でもみな恋しなる」。
その状態は、「恋しくて、おやについてくる」。
それは、「理を知った」という状態です。

むほんの根は、簡単に切れる。

何ににても知らぬ間はそのまま。
ここに、「礼を言われては異端だよ」と、きちんと理を知らせる事の対背差があります。

信者にして「礼」を集金して・・
これをしている限り、世界に戦争は続くのです。
68基本。:2010/02/20(土) 03:44:14 ID:gTexmHtG
朝鮮の方たちが、うらなりで、こちらが本家だというとしても、それは、解決は「理」が、神がつければよいことです。

それならば、理の親信仰してたって、親神が決着つけるから良いではないかと、思うかもしれませんが、
「理」を知らないと、「理の親」が一人いなくなっても、「理の子」信仰の人たちは、別な「理の親」を捜し求めて、動くだけです。

「理の子」信仰とは、「理」ではなく、「理」の語り手や「理」のシンボルを信奉する態度で、次々と渡り歩いたりもします。
そうではなくて、直接に、おやさまと自分で向かい合うようになれば、
そうならなければ、「理の親信仰」は、次々と新たな「理の親」を、生み出します。

「理」が知らされないと、「理」は働けない。
「理の子」が、おやさまには理にかなわない礼はしないと、決めないと本当の改革にはならない。

「理の親信仰」が世界史の中での「戦争」の原因なのだという、明らかな「理」を心得たなら、
先ず、天理教団の理の子と称する、信仰形態を、悪と認める事です。
69神も仏も名無しさん:2010/02/20(土) 07:28:50 ID:Ft6mzs0/
実際に信者さんかどうか定かではありませんが、
2ちゃんねるにおいてこのような発言をする信者さんがいるとしたら
どのような対応をとられますか?

712:Aigis@天理教 ◆NHK43OO21w 2009/11/08(日) 18:30:05 [真・激みかん]
ちなみにだけど加藤はもう俺の中では雑魚としか認識してないよ。
遺族宛てに謝罪文書いてるみたいじゃん、終わってる。

やっぱり宅間様が最強。
12:NHKうさぎ ◆dl8/XeIN7. :2008-06-11 14:58:09
正直、 加藤神はよくやってくれた。

つぅか、 ムトウマイ死んでザマァミロと思うね。


心底思うよ、武藤マイ死んでザマァみろと。

意見あるなら俺の携帯に電話よろ

【北海道】岩見沢スレッド【田舎町】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1255231957/
ぺるしゃうを生暖かい目で見守るスレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/dame/1253356951/
ニートの実態
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6993577
70基本。:2010/02/21(日) 01:38:17 ID:tQi/Hw6e
>>69
> 2ちゃんねるにおいてこのような発言をする信者さんがいる
この問題は、 @天理教 と示されているように、投稿者さんの位置を示しているわけですから、
この事から、判断して、いる位置においての発言を、その都度変えておられる事は、容易に推測されます。
話題づくりとして、なさっているという事です。
 それは、大勢の読者がいることを意識して、本人とすれば重大な話題として書かれているのだと思います。

@天理教、とは、天理教の人ならどうおもうの?
> このような発言をする信者さんがいるとしたら
> どのような対応をとられますか?
と、本人にとりましての、話題提供への、反応が見たいという事でしょう。
あるいは、ニコニコ動画への誘導を天理教にて、行いますという、宣伝のようなものと、そう見てもとりますが、
結果として、「宅間」とか「加藤」とかを話題とした、2ちゃんのスレへの誘導をしているという意味であり、
社会の関心がもう薄れている事への、いらだちも、感じます。

2ちゃんに目立つ事で、指摘しようとしている内容は、
「神戸事件もアメリカの銃乱射事件も、小さい時から偏見に合い社会に理解されずに孤独に陥っていく「軽度発達障害者」の割合が高いと言われています。」
と、言う考え方を、ベースとしています。」

単なる犯罪者として、片付けさせてはいけないという、立場であり、
あえて、嫌がられている話題、嫌がられている自分の「露出」を、公表しているという、
そのように見えます。

又、ネット社会では、↓ 以下のような考え方が共感を集めています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317065588
ADHDとか、自閉症という言葉は広まってきていても、
日本にはまだ、軽度発達障害、情緒障害という概念はそれほど知られていません。
殺人とまではいかなくても、対人関係に悩みを抱えて心を病んでいる障害者は多くいます。
同じような犯罪を起こさせないようにするためにも、軽度発達障害に対する社会支援が必要だと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう、ネット社会上での共感は、果たして天理教として、どう理解するのかという、問題提起にもなっています。
71基本。:2010/02/21(日) 01:52:05 ID:tQi/Hw6e
マスコミは、その時に、権力の高山が誘導したい方向で「ニュース」を発言します。
「加藤」「宅間」という事件は、マスコミ報道とは違う角度で、ネット社会では語られているということです。

例えば「加藤の正当性」を引用しますと、
http://blog.goo.ne.jp/bblue/e/30011323909fe4e581fc87f511bd57ff
・・支配層と外道マジョリティが、現在、下層の
人々に向けているのは、もはや敵対的態度に他ならない。
輩どもが、その態度を改善しようともしないのでは、
また、実効的、有力なセーフティネットが欠如している現状では、
組織的テロ集団を形成するのが難しい現状においては、

個人による暴発、テロリズムに至るのは極めて自然、当然なことなのである。
・・・・・・・・・・・・・
このように、弱者に対する高圧的な「高山」に抵抗する手段としての「テロ」として、評価する意見もあるわけです。

ここには、どのような「理」があるのかという、問いかけと理解して、思案してみます。
72基本。:2010/02/21(日) 02:01:13 ID:tQi/Hw6e
それは、社会の階層化が、より巧妙に、より格差拡大の方向に向いているのではないかという、「不安」、「不信」に満ちた現象です。

親神様は「人間思案」ではどうもならんと教えられています。
一方、「高山」の巧妙な「人間思案」は、「策謀」は、ますます「谷底」を追い詰めているではないかという考え方があって、
高山の人間思案を、「ああ、どうもならなくなるのだな」なんて、素直には思えないものだから、
「格差拡大術」を駆使する高山には、「テロ」しかないという、短気な考え方に、つい、無理ないなとか、共鳴する人もいるかもしれません。

それは、すでに「高山」に支配されている、奴隷的な、敗北主義と言うべきでしょう。

天理教では「いんねん」の問題として、「高山」「谷底」も思案します。
それについて、回答してみます。
73基本。:2010/02/21(日) 02:08:14 ID:tQi/Hw6e
刻限御話
明治二十三年十二月十八日
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情はどういう事でなるのであろう。
どれだけ話聞かそ。理を分かりて後一つの心聞き分け。
内々事情、親々一ついかなる理、一つには道を伝え道を運び、事情いんねんの理が分からん。
いんねんも遁れるもいんねん、遁れんもいんねん。
遁れるや一ついんねんの事情話すれど、いんねんというは成らんはいんねんという。
その事情を聞き分けたなら、又一ついんねんの事情を諭すれど、めん/\の事情分からん、分かる事情がある。
さあ/\どれだけどうと思うても、思う通りに成らんが事情という。
いんねんの事情分からねばいんねんの事情寄せる。
前生のいんねんならと言うて捨てる事情ある。
聞くも見るもいんねんの事情がある。又候のいんねんがある。
これより諭すれどめん/\いんねんが分からん。
これだけ運ぶ。これだけ尽す中に、いんねん遁れそうなものや。
速やか言えばどうであろう。
尋ねば尋ねる事情聞き分けにゃならん。
日々不足事情持たず、十分という心定めてみよ。第一はこんな事では世上に済まん、神の道にも済まん。
いんねんの事情分からんにゃ、繰り返やさにゃならん。
いんねんというはどういうものであろう。
成らん事情治まらんにゃならん。
よう聞き取って、日々に勿体ないという理を持たす神の事情十分の理を運んで居る。

家業という事情定めて楽しみ一つの事情、何かの事情定めてくれるよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このような、刻限おさしづに、回答が示されてあります。
74のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 02:08:52 ID:O9DJDhEJ
>>66
キリスト教イエス、その位置に天理教では、おやさまと思いますよ。
親神にあたるのは、キリスト教では父なる神、祖霊にあたるのが、キリスト教では聖霊と思います。

イエスに礼をとのことも、違うでしょうね。
聖書で癒しの場面、「あなたの信仰が救った」とイエスは言われています。
イエスを信じて頼るからでなく、イエスを信じて倣うことに意味があります。
75基本。:2010/02/21(日) 02:20:53 ID:tQi/Hw6e
>>74
イエス様は、ご自身のお言葉では、天の世界では、父なる神の右側に位置すると、宣言されています。
天理教の天理では、天にては、父なる神は月様・国常立命さまで、天理天体図では、その父なる神の右手には、「月読命さま」が、位置しています。

>>66
イエス様は、当然ながら、ご自身への礼は求めておられませんが、
天理教の教祖は、神前にては、「拝をするように」と命じておられます。
また、イエス様に対して、感謝という気持ちを持つのは、極めて自然なものであり、
イエス様への礼とは、イエス様を神の子として、讃える事です。
76基本。:2010/02/21(日) 02:27:53 ID:tQi/Hw6e
>>69
> 2ちゃんねるにおいてこのような発言をする信者さんがいるとしたら
> どのような対応をとられますか?
おやさまは、いんねん切りの問題について、明確に、諭されています。
それは、「高山」であり「谷底」であるといういんねんの関係についても、全くおんなじことです。

刻限おさしづ>>73、には、回答があると申しましたのは、この部分です。

> 成らん事情治まらんにゃならん。
> よう聞き取って、
> 日々に勿体ないという理を持たす神の事情十分の理を運んで居る。
> 家業という事情定めて楽しみ一つの事情、何かの事情定めてくれるよう。

高山谷底というのは「経済格差」が最大のものです。
高山は「大教会」がそうであるように「大企業」として、「大」を武器にして、統治し、圧迫します。

おやさまが、
> 家業という事情定めて楽しみ一つの事情
と、言われているのは、経済構造そのものの「理の親」体質を、改める事が、因縁切りだからです。
77基本。:2010/02/21(日) 02:55:00 ID:tQi/Hw6e
日本で言いますと、氏姓制度が出来た。階層社会の開始ともみなされますが、この頃には、氏の神が地位は社会の中心に居た。
そして、職能は「家業」という形態を自ずととっていた。

その、家業という形態への、復元を、「因縁切り」として、おやさまは命じておられます。
現代社会の問題は、もともとの人間と人間の経済行為が、「大企業」の経済力に支配されて、行われるという事の、ゆがみから、おきていると、
おさしづは、示しておられます。

「加藤」さんや「宅間」さんのみならず、現代社会の個人は「メジャー」「大」を信奉しています。
メジャーに認められ、支配される事が最高だと思い込んでいる場合も見受けられます。

「大企業」に就職するという事、学歴・偏差値・・。

家業をするという事とはまるで別の、「高山」支配に飼い慣らされようと言う、人間の家畜化が、根本の問題にあると、思案されます。
少なくとも、人の場合には、大企業の家畜になることは、あらゆる悪因縁の反復を招く事になります。
競争社会に勝ち残り、エリートとならなければ人間になれない。
そういう家畜から人間へと、そういうコースの入り口で起きる精神のアンバランスは、
純粋であればあるほど、深刻なものだと思います。

人として「家業」しています。
そういうことが、人らしいこと。
そこには、氏神様が居て・・・・。

家業を捨てて、漁師ではなく布教師となったべテロ。
それが回帰すべきは、「家業第一」。

刻限に知らされた、因縁切りの基本です・
78紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/21(日) 02:59:29 ID:pp9CisRM
今の天理教はおやさまの理想に近い?遠い?
パソコンや携帯電話の普及した今こそ天理教はチャンスじゃないのか?
バブル期の栄光が戻ってくるな。

・快適な「陽気ぐらし」
・気前のいい「揚期ぐらし」
・カタに嵌った「容器ぐらし」
・経済も政治も滅茶苦茶な「妖気ぐらし」
79基本。:2010/02/21(日) 03:24:47 ID:tQi/Hw6e
その人が、もって生まれた才能というものを世のため、人の為に生かすという事は、「家業」そのものの、一番の大切なところです。
その個人の才能を大企業の為にささげる事は、それも、ご自身の自由ですが、不本意なら、家畜のようにつながれるだけですから、してはならない事です。

成らん事情治まらんにゃならん。
よう聞き取って、日々に勿体ないという理を持たす神の事情十分の理を運んで居る。
家業という事情定めて楽しみ一つの事情、何かの事情定めてくれるよう。
「勿体無いという理を持たず」とは、神様は尊いとか、勿体無いとか、そういう理は持つなという事ですが、
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84
もったいない(勿体無い)とは、仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している。
日本の民族信仰である古神道を源流とする神道においては、「散る桜の花びら」や、「吐息の一つ一つ」にまで命が宿るとされ、森羅万象に対して、慈しみや感謝の念をもって接してきた。その心根が「もったいない」という価値観の根底に流れている。
もともと「不都合である」、「かたじけない」などの意味で使用されていたが、現在では一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を戒める意味で使用される日本語の単語である。
・・・・・・・・・・・・・・・・

もったいぶるとか、勿体をつけるという事の否定が、諭されていて、「天理教」だの「宗教」だのと勿体を持たずに、
親神様は、(本当の人間の姿生活に)、十分な神の道として、運びをつけておられる。

大企業やメジャーという、恐竜型、巨大神変化型、の経済ではなく、小さいが人間を第一として「家業」の復元するよう、お働き下されていると、いうことです。

この刻限を信じるのなら、「大きい小さい」をいうのをやめて、「大」教会も、本からの家業に復帰したら、良いと思います。

おかきさげには、「家業第一」。お助け人の基本中の基本です。
80基本。:2010/02/21(日) 03:34:55 ID:tQi/Hw6e
>>78
> パソコンや携帯電話の普及した今こそ天理教はチャンスじゃないのか?
> バブル期の栄光が戻ってくるな。
的確なコメントありがとうございます。

親神様は、
「日々に勿体ないという理を持たす神の事情十分の理を運んで居る。」
もったいぶっている様な、赤衣のばあさんではないと、自ら宣言されて、
「世界をろくぢ」にと、十分の事情を、運んでいて下さります。

谷底の者が、家業によって、「吹き上がる」。
「谷底」にはバブルが、十分の道として、運ばれてきます。
陽気に、遊山、する。
そのための、家業第一です。
81基本。:2010/02/21(日) 03:40:25 ID:tQi/Hw6e
人が人らしく暮らせない所に、悪因縁の反復が生じる。
それは、その人が、本来の持ち味を生かせるような社会ではない「格差社会」だからだと思うなら、
「心沈めてしんをたずねましょう」
82のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 03:42:30 ID:O9DJDhEJ
>>78
あんた、なんでここにいるの?
前から希美が書いてることだけど、天理教は行動力、キリスト教は精神論が特徴。
逆に言えば、天理教には精神論が欠けていて、キリスト教には行動力が欠けている。
だから天理教の時代とかでなく、天理教が得意なマーケット、不得意なマーケットがある。
例えば障害者に対して、身体障害者に対しては天理教は強い、でも精神障害者に対しては弱い。
これは身体障害者には精神論より行動力、精神障害者に対しては行動力より精神論が必要だからね。

天理教は不完全、キリスト教も不完全、それを念頭におくこと大切。
83紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/21(日) 03:47:44 ID:pp9CisRM
この格差社会を作っているのは創価学会。
武道で正々堂々、白黒はっきりつけてやれ。

おすすめドラマは「秘書のカガミ」「特上カバチ」
おすすめPCゲームは「東方紅魔郷」

何故IMEが「都苦情」と変換されるのだろうか?
これも俺の無意識がこうさせているのだろうか?
84紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/21(日) 03:51:24 ID:pp9CisRM
>>82
俺は無宗教だから、色々な宗教から哲学を学ばなければいけない。
宗教は不完全だと朝日や赤旗も唱えているから、
革マルの先生からマルクス経済学を習っておいて良かった。

俺自身、読売新聞を読んでいる中道右派だよ。
人間、誰しも下心はある。ただ、儲けた金をどうするかを宗教に問う。
85のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 03:51:38 ID:O9DJDhEJ
>>78
天理教は、助ける行動力は、世界的宗教カトリックを凌ぐ、日本国内においてね。
ある資料によれば、天理教の災害救助隊は、防衛省に次いで国内No.2らしい。

ただ、精神支援は天理教は非常に弱い。
これはなぜか、天理教信者は教理を学ばないからなのよね。
また、天理教本部が信者に教義を学ばせないようにしてる。
啓示宗教でありながら、カトリックと天理教、違い過ぎる。
86のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 03:59:07 ID:O9DJDhEJ
>>84
ふぅ〜ん、そうなんだ。
希美は赤旗日曜版は、購読してる。
志位委員長の話、参考になるし、日比谷の共産党講演も出かける。
日本共産党、弱者に視点置く良い政党と思うし、投票も共産党にしてる。

ただし日本共産党は政治団体、ここが長所であり短所なの。
つまり共産党は、他の党に対して戦うのも仕事。
ここが宗教団体とは異なるよ。
87のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 04:03:50 ID:O9DJDhEJ
朝日と赤旗、良い選択と思う。
希美の場合は、それに日経を加える。
日経と赤旗で、上流から下流まで、朝日は社会面に強い。
88紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/21(日) 04:08:12 ID:pp9CisRM
勘違いしないでもらいたい。
俺が言っているのは「革マルの先生」からもらった「授業プリント」のことだ。

検索を始めよう。キーワードは「東方永夜抄」「上白沢慧音」「スペルカード」だ

上白沢慧音 - 東方元ネタWiki
http://www.toho-motoneta.net/index.php?%BE%E5%C7%F2%C2%F4%B7%C5%B2%BB
89のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 04:10:47 ID:O9DJDhEJ
>>83
宗教は、カトリック、天理教、立正校成会を調べたらいいよ。
立正校成会は法華経だけど、法華経の創価学会とは全く違う。
同じ聖書でありながら、カトリックとプロテスタントが違うように。

90のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 04:23:21 ID:O9DJDhEJ
創価学会は、全部が悪いわけでなく、自分を向上させたいなら、創価は良いこと言ってます。
ただ、他者との関わりでは、創価は疑問です。
他者との関わり、それは立正校成会ですね。

キリスト教もそんな感じ。
自分を向上させたいなら、プロテスタント。
他者との関わりなら、カトリック。

そして天理教は、どういう位置かというと、それらの実践なんです。
天理教は思想なき実践だけに魅力あります。
91基本。:2010/02/21(日) 04:30:12 ID:tQi/Hw6e
のぞみさんは、「原典を読む」を実行すべきです。
基本は、解答の必要があると判断したら、必ず「原典毛に照らして、回答します。
92のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 04:31:36 ID:O9DJDhEJ
>>84
いろいろな哲学というなら、ヨーガスートラを勧めます。
ヨーガスートラを越える宗教書、無いと思います。
93のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 04:39:57 ID:O9DJDhEJ
>>91
それは天理教においては間違いです。
原典を読む、キリスト教ですね。
天理教は行動ですよ、その証拠に、おつとめは、おてふりですね。
月次祭は十二下りです。
原典読む、それは天理教とは違います。

疑問あるなら、カトリックのミサ、プロテスタントの礼拝に数回通い、天理教と比較してみてください。
94のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 04:42:27 ID:O9DJDhEJ
>>91
それから天理教本部は、現代人に原典を読めないようにしています。
天理教本部が、原典を読みずらいままにしてる、つまり天理教は原典読むより行動力ですよ。
95基本。:2010/02/21(日) 04:45:20 ID:tQi/Hw6e
おかしな論理です。
読むという意思があるかないかが問題です。
のぞみさん。
96基本。:2010/02/21(日) 04:49:14 ID:tQi/Hw6e
天理教は、教祖の五十年、そしてお筆先、本席のおさしづ、原典と教祖伝の分量が、違います。
読む気が無ければ、読めるものではありません。

天理教の原典を読まないという、態度のままで、何を語っても、根拠が天理の原典に無い、それだけの事です。
97のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 04:51:56 ID:O9DJDhEJ
>基本さん
実際に希美がお世話になりました天理教教会、協会長、2ちゃんの天理教スレでも良い評価されてます。
具体的に教会名を書き込みされて。

希美自身も良い教会長さんと思います。
でもその教会長さん、教理は駄目ですね。
おさしずは読み通してないようです。
でも教理を知らなくても、2ちゃんで良い評価される、また実際にお会いしても良い方と感じる。
原典を知らない教会長が、良い評価されるのは、なぜでしょうか。
教会名は出せませんけどね。
98のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 04:55:33 ID:O9DJDhEJ
>>95
宗教は行動力です。
そこに天理教の魅力あります。

教理に詳しい基本さん、天理教の実行は何をしていますか?
飯田の演歌王という事態、天理教から離れてます。
飯田の福祉王になってほしいですね。
99のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 05:05:31 ID:O9DJDhEJ
>>95
聖書は様々な訳があり、旧仮名使いの日本聖書協会文語訳は今は廃れ、新共同訳という現代の日本語に沿う聖書が用いられてます。

しかし天理教の原典は違いますよね。
現代の日本語と、かけ離れています。
天理教本部は、わざと今の正規な日本語を避けてる。
天理教は信者に原典を、読ませないようにしています。
100のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 05:14:06 ID:O9DJDhEJ
また実際に希美が行った分教会、大教会の系統が違う二つの分教会、どちらも原典は重視しません。
また月次祭には大教会の教会長さんもいらっしゃいましたけど、原典を広げることはありませんでした。

101のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/21(日) 05:17:59 ID:O9DJDhEJ
もちろん、みかぐらうたは別ですよ。
おつとめや月次祭、当然みかぐらうたですよね。
しかし、おさしずは自分で読む以外、教会の指導を受けたことありません。
102基本。:2010/02/21(日) 06:16:40 ID:tQi/Hw6e
たぶん、のぞみちゃんには、理解できない事だろうけれど、のぞみちゃんの発想は、天理教の原典の教えとは根本的に違っている。
原典読んでいないから、理解を求めても無理であろうし、ご自分の信念としては、「福祉王」を目指す事も、のぞみちゃんがしたら、してみた後に分かる事だ。

天理教の原典の教えと「福祉王」はなじまない。
103基本。:2010/02/21(日) 06:21:31 ID:tQi/Hw6e
キリスト教の聖書は読まれているでしょうから、お分かりでしょうが、
イエス様は「福祉」はしていない。「宮きよめ」はなさっている。
イエス様は「奇跡」をなしている。そし自らが十字架に掛けられている。

つまり、のぞみちゃんが自分で書いたと思うが、イエス様を倣うとしたら、「奇跡」をなす事だ。
それは、福祉ではなく、直接に病人を救済する。
104基本。:2010/02/21(日) 06:32:54 ID:tQi/Hw6e
福祉の本当の起源について語られた記事を引用しよう。
http://www.tamagoya.ne.jp/cms/senior5/archives/2007/09/01.php
福祉の歴史の原点とされているのはイギリスの救貧法。
この法律が最初成立したのは16世紀だった。
当時のイギリスは今の日本よりも「格差社会」が進んでいた。
貧民たちがロンドンの街に溢れ窃盗などを働き、社会不安が増大していた。
時の王、ヘンリー8世は72000人の犯罪者貧民を処刑するなど厳罰で対処していたが、それも限界だと悟っていた
。未来がなく、失うものなどない貧民に処刑するぞと脅しをかけても、窃盗をやめるわけがない。
そこで今までの強攻策を改めて税金で貧民を救う方向に政策を転換することにしたのだ。それが救貧法だった。

つまり金持ちからある程度の税金を負担してもらい、貧民にも富を分けることにより中流階級化を狙い社会不安を解消しようとした。
搾取しているだけでは貧富の差は拡大し、社会不安を招く。ある程度の格差を是正して特権階級の支配の安定化を図ろうとしたのだ。近代税金の概念には富の再配分があることを考えると、イギリスのこの政策はまさしく見事だった。

さすが太陽の沈まない国家を作るだけはあった。
貧民を救うためと見られながら本心は自分たちの権力の安定のためだったのだ。
この救貧法は度々修正が加えられ、紆余曲折を経て現在の日本の生活保護の元になった
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「富の再配分」、「弱者への施し」。
福祉とは「高山」の自己防衛術だという事であり、病気を治すわけでもない。
最高の医療を与えるのではなく、最低の医療をなんとかしようというものが福祉なのだから、
天理教の教えとは、根本的に違う。
105神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 07:38:38 ID:bt9xhRQ0
>>66
あれれ、あなたの主張では、
イエスキリスト様やお釈迦様も『親神様』
だったのでは?
106神も仏も名無しさん:2010/02/21(日) 09:36:53 ID:UcxfvwTP
12:NHKうさぎ ◆dl8/XeIN7. :2008-06-11 14:58:09
正直、 加藤神はよくやってくれた。

つぅか、 ムトウマイ死んでザマァミロと思うね。


心底思うよ、武藤マイ死んでザマァみろと。

意見あるなら俺の携帯に電話よろ

712:Aigis@天理教 ◆NHK43OO21w 2009/11/08(日) 18:30:05 [真・激みかん]
ちなみにだけど加藤はもう俺の中では雑魚としか認識してないよ。
遺族宛てに謝罪文書いてるみたいじゃん、終わってる。

やっぱり宅間様が最強。

ニートの実態
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6993577
【北海道】岩見沢スレッド【田舎町】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1255231957/
ぺるしゃうを生暖かい目で見守るスレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/dame/1253356951/
http://uproda.2ch-library.com/211919uT8/lib211919.gif

実際に信者さんかどうか定かではありませんが、このような信者さんがいたらどうされますか?
107紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/21(日) 12:53:58 ID:T140ukoa
変な奴が多い板なのは昔からか。
108基本。:2010/02/22(月) 02:31:57 ID:GT2GTw/T
>>99-100
例えばお筆先は、変体かなで書かれています。
お筆先は、音と文字との二つの意味で理解しなければ、きちんとは読み取れない仕組みになっています。
お指図の場合にも、音と文字の問題が付きまといます。

それは、理を音と記号で表しているからです。

原典を現代語の日本語にて解説できるための、研究は遅れていて、
> 天理教本部は、わざと今の正規な日本語を避けてる。
> 天理教は信者に原典を、読ませないようにしています。
> 大教会の教会長さんもいらっしゃいましたけど、原典を広げることはありませんでした。
ご指摘の通りです。

親神様は「聖書」を高く評価しています。
「日本にもこふきが出来た事ならば」と、お筆先には述べられています。
「聖書」は神様の、教えを、イエス様が語られた、記録として、ちゃんとしています。

ところが、天理教の高弟たちは、きちんと記録するよりも、自分達が悟ったり、感じたりした内容を重視して、
神の教えの記録は、弟子においては、単なる伝承です。

おやさまは、お筆先に、記すことで、教えた教理を、記号として伝えた。
物理や、化学が、記号で理を伝えるように、文字の「韻」と「表記」を、記号として活用しました。

又、陰暦と陽暦の「年月日」なども、陰陽歴を、二つ一つに用いて、理を予言すると言う、方法です。
天体運行で言えば、陰暦と言うのは「お月様」です。陽暦と言うのは「お日様」です。
この世は「理で責めたる世界」と言う事を、分かりやすく現実の「史実・年月日」にて示すと言う、オカルトを用いています。

こういう事は、知らべないと分からない。
根を掘るという、探求は、まだ天理教では、基本的な事に、ようよう気が付いたばかりです。
109基本。:2010/02/22(月) 03:13:28 ID:GT2GTw/T
>>105
天理教では、教典に、「天理王命」とは、「十全の守護の理の神」と教えられています。
それは、方位北では、「国常立」つまり、裏守護で言うお釈迦様です。
時間では「子の刻」、つまり「根の刻」、お釈迦様は、根という音、子という子(こ)という表記の刻に、
意味が、理として示されています。

十全の守護と言う理でくくれば、お釈迦様は親神様の「子」という時の、ご守護でありますから、
お釈迦様も親神様という、表現は、意味を成します。

ただし、私は、親神様はおやさまだという、事実に立脚しています。

イエス様は神様です。
聖書では「神の子」と語るイエス様ばかり書かれていますが、イエス様は神様です。
父なる神の右手の位置は、天理の十全の守護の図では、「月読命」さまの位置です。
ここで、「父}と「子」という言葉の、世俗的概念を持ち込んでは、間違います。

天理では、父神(月様)は、入り込んでしまう。つまり、イエス様は神様です。

おやさまにも、月日様が入り込まれまして{神}です。
110基本。:2010/02/22(月) 03:15:59 ID:GT2GTw/T
そして、いかなる神様も、親神様です。
「理」として、八方に、散在しているのは、ご守護のためです。
111基本。:2010/02/22(月) 03:57:58 ID:GT2GTw/T
>>105
> >>66
> あれれ、あなたの主張では、
> イエスキリスト様やお釈迦様も『親神様』
> だったのでは?
「理」は自在である。
「理は神」である。
ですから、イエスキリスト様やお釈迦様は、実は「おやさま」であると、そう語ってもよいかと言うと、
「理」には、「守護」という理がありますから、何でもまとめれば「理」ではなく、
「分ける事が」→「分かる」 なのです。

アーリア人が南下して、インドに階級社会を構築しました。
アーリアの神の祭日が、クリスマス。イエス様は、何かの因縁あって、アーリア人の「神」の祭日に生まれたと、されています。

アーリアとユダヤの対立と言う、現代史上の、大問題もあります。
ナチスの行動理念には、それが色こかったと、指摘されてもいます。
112基本。:2010/02/22(月) 04:06:03 ID:GT2GTw/T
>>111
> アーリア人が南下して、インドに階級社会を構築しました。
> アーリアの神の祭日が、クリスマス。
アーリア人のミトラ教。 4大宗教の源流とも言われます。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%A9%E6%95%99#.E3.82.A2.E3.83.BC.E3.83.AA.E3.82.A2.E4.BA.BA.E3.81.AE.E7.A5.9E.E3.83.9F.E3.82.B9.E3.83.A9
この神の名は、ラテン語では一般にミトラス Mithras と表記されるが、 ギリシア語資料にはミスラ Μιθρα (Mithra)という表記もある。

 アーリア人の神ミスラ
元々、ミトラス神は、アーリア人の古い神話に登場する光明の神であり、イランの『アヴェスター』においても、
インドの『リグ・ヴェーダ』においても登場する有力な神であった。ゾロアスター教でも、
ミトラは中世ペルシア語でミフルヤズドと呼ばれ、重要な役割を持ち、多数の神々のなかでも特殊な位置付けであった。
 仏教の弥勒信仰
仏教には、弥勒菩薩が存在し、「弥勒信仰」がある。
この弥勒は、サンスクリット語ではマイトレーヤというが、マイトレーヤとは、ミスラの別名である。
またはミスラから転用された神名であり、仏教では菩薩として受け入れられ、
マイトレーヤを軸とした独特の終末論的な「弥勒信仰」というものがある。
・・・・・・・・・・・・・・・
アーリア人の神は「光明神」だとの事。
>>110
> そして、いかなる神様も、親神様です。
> 「理」として、八方に、散在しているのは、ご守護のためです。
アーリア文明は、結果「高山」を生みました。
その改革者として、お釈迦様も、イエス様も、「慈悲」と「愛」と「平等」を、
そして何よりも、「この世に根元のあること」を、知らしめました。
それは「真理」であり、「天なる神」であり、「内なる真理」でした。

おやさまは、それを、詳しく教えようとして、ご存命です。
113基本。:2010/02/22(月) 05:15:10 ID:GT2GTw/T
>>111
> アーリアの神の祭日が、クリスマス。イエス様は、何かの因縁あって、アーリア人の「神」の祭日に生まれたと、されています。
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/225414/%83~%83g%83%89%8B%B3/8/
ミトラスと12月25日
12月25日には、ナタリス・インウィクティと呼ばれる祭典があった。
この祭典は、ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)の誕生を祭るものである。
このソル・インウィクトゥスとミトラスの関係をミトラス教徒がどう考えていたかは、当時の碑文から明白である。
碑文には「ソル・インウィクトゥス・ミトラス」と記されており、ミトラス教徒にとってはミトラスがソル・インウィクトゥスであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フロイトによれば、エジプトでは、「太陽神」を唯一の一神としての、宗教改革が、なされた。
それが、「モーゼ」の一神教・ユダヤ教に、直結しているという。
だから、イエスキリストは、太陽神の一神教の申し子として、ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)の誕生を称える祭りの日に、誕生したとされている。

ローマキリスト教は、ミトス教なのだと、みなす説もある。

太陽神と言えば、普通は女神を描く。
日本では天照大神、女神である。

キリストは、「天なる父」の神の子だと説いた。
思想的に言えば、アーリア人の太陽神宗教思想の、もたらした格差の、改革の為に、お釈迦様もイエス様も、ご苦労された。
アーリア人は「とふぢん」の、ルーツ。
始めは「太陽の神」を奉じて、侵略し、支配し、谷底に暗闇をという、元祖という事だ。
114神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 07:26:28 ID:07ectsTs
>>32
あなたは、ペリーが「とふじん」だという主張をしていたが、
それは戦前の教理を根拠にしたのか?
115神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 10:42:34 ID:9AKdxAmC
まあ、まあ、まあ。

基本氏を援護するわけじゃないが
教祖も同じ言葉を別の意味で使ってる事実があるしね。

例えば、「阿呆」と言う言葉。
「阿呆は神の望み」と言われた時は、肯定的な意味で。
神の存在証明を問うた弟子に対して、
「そんなことを言うのは阿呆やで」と返した時は、否定的な意味で。

幕末、『唐人お吉』と呼ばれた女性のお相手は、西洋人。
決して中国人でも朝鮮人でもない。
そのように、当時の一般の日本人にとっての「とふじん」は
西洋を強く意識した上での「外つ国の人」

当時の門弟に合わせて、教祖も同様の使い方をしていると見られる部分はある。
一方で、後半からは、心の問題というか内面的な意味で、より深化した本質的な使い方に
次第に変わってきているような気がする。
116神も仏も名無しさん:2010/02/22(月) 11:02:03 ID:07ectsTs
>>115
何か勘違いをしているようですが、私が質問しているのは、「とふじん」が
西洋人とか中国人とか朝鮮人とかいう問題ではありません。

ペリーという人物を「とふじん」だと判断したときに用いたのは「戦前の教理」ですか?
と聞いているのです。

いわゆる「黒船」は室町時代末期から江戸時代末期にかけて、日本に訪れた欧米の艦船の通称ですが、その時期に「天理教」という存在はまだありません。

ただ「立教」ということを考えれば、「信心する者」はいた。

「日本の地」に入り込んだということで、ペリーを「とふぢん」だと判断されたのでしょうか?ということです。
117基本。:2010/02/23(火) 07:32:46 ID:jC6j1sR0
>>116
ペリーをとふぢんと判断した根拠について、お尋ねですので、整理してお答えします。
基本は、お筆先に知らされた「理」にあります。
又、おやさまひながたに知らされた「理」です。

ペリーは、「西洋のこふき」に基づいての、政治・軍事行動の実行者でした。
だから、ペリーは、「とふぢん」なのです。
118基本。:2010/02/23(火) 07:45:13 ID:jC6j1sR0
東洋、西洋の「こふき」の中でも、聖書は、「モーゼ」「キリスト」の言葉の記録です。
西洋の「植民地政策」は、宗教に基づいたものであり、「モーゼ」の教えを根拠としています。
それは、「一神教」と定義された、「唯一の神以外は否定する」思想の流布です。
「八百万の神」を存在として認めるおやさまのお立場とは、明らかに違います。

当然ですが、「モーゼ」と「キリスト」本人、ご自身の教えそのものとも違います。

四大宗教のルーツといわれる「ミとス教」、アーリア人の神・太陽神。
イエスキリストの誕生日12月二十五日は、その「不敗の太陽神」の誕生日であるわけですが、その神、「一神」のみの正当性しか認めない「カルト』的な教義の、実行者として、ぺりーは、とふぢんだと定義しています。
119基本。:2010/02/23(火) 07:51:19 ID:jC6j1sR0
軍事・諜報活動の当事者として「薩摩・長州」の政治軍事行動者も、「とふぢん」です。
その事は。ザ掲示板にて、述べてあります。
明治政府は「薩長政府」であり、西洋の「こふき」に基づいた「一神教的侵略主義」を、日本版に焼きなおして、「天皇一神しか認めない」政治軍事態勢を構築しました。
これがとふぢんである事は、おやさまの教えそのものが、示している事です。
120基本。:2010/02/23(火) 07:58:38 ID:jC6j1sR0
>>119
> その事は。ザ掲示板にて、述べてあります。
ザ掲示板では、特に預言者モーゼそのものが「とふぢん」だと示してあります。
[105]基本。 06/12/21 14:53 N9yRgb7b.r
基本的に、「とふじん」とは、「問う人」と文字が当てられる。

預言者モーゼは、まさに「問う人」であったと言える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB
『旧約聖書の『出エジプト記』によれば、モーセはイスラエル人のレビ族の父アムラムと母ヨケベドの間に生まれ、兄アロンと姉ミリアムがいた(6:19)。
当時、イスラエル人たちはエジプトで奴隷として使役されていたが、モーセは数々の妨害を打破して、彼らをエジプトから連れ出すことに成功した。(出エジプト=エグゾダス)』
『シナイ山(あるいはホレブ山)で神ヤーウェから十戒を授かってイスラエル人たちに与えたので、立法者と呼ばれている。
モーセとイスラエルの民は、四十年もの間シナイ半島の荒野をさまよい、約束の地カナンにたどり着くが、モーセ自身はカナンを目前にして120歳で没したという。』
『モーセが生まれた当時、イスラエル人が増えすぎることを懸念したファラオはイスラエル人の男子を殺すよう命令した。
出産後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、葦舟に乗せてナイル川に流された。
そこへファラオの王女が通りかかって彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ひきあげる)からモーセと名づけた。』
『成長したモーセは同胞であるイスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見てエジプト人を殺害。ファラオの手を逃れてミディアンの地(現在のアラビア半島)に住んだ。
ミディアンでツィポラという女性と結婚し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日燃える柴のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(プロミスト・ランド)へ導く使命を受ける。
こうして彼の預言者としての活動が始まる。』

このモーゼの思想のルーツは、「アートン教」と言われています。
・・・・・・・・・・・・・
121基本。:2010/02/23(火) 08:05:52 ID:jC6j1sR0
イエス様も、「問う人」でした。

わが神よ!どうして私をお見捨てになったのですか。
イエス・キリスト

親神様は、モーゼとキリストは「問う人」だったと、彼らの「聖書」の中に、きちんと自白させてあります。
みな心どうり表に現すという、親神様の理、それが、「聖書」世界が「から」である事を、明白に、自供にて証明しているのです。
122基本。:2010/02/23(火) 08:26:03 ID:jC6j1sR0
12月25日は、イエスキリスト様の誕生日ではないのに、アーリア人の神と、キリストを取り込んでしまって、
アーリアの神=キリストと、誕生日をあわせる事で、歴史事実として、キリストは「太陽神」だと、取り込んでしまった。
「聖書世界」では、太陽神とは「父神」。として、説かれています。

日本では「天照大神」、大神宮にお祭りしていますが、「太陽神は女神」です。
おやさまは、男の理は「月」と、女の理は「日」と、明確に、理の違いをしめしています。

暦は、太陰暦は月です、太陽暦は日です。
いずれにしても。12月は、年の終わりです。
十二月の次は、1月、正月です。

25日の次は、二十六日です。
アーリア人の「太陽神」は、12月25日の誕生日です。
彼らは、インドに侵略して、「差別社会」を作るという「夜」をもたらしました。
エジプトの太陽神信仰も、大量の奴隷と身分格差をつくりました。
釈迦も、モーゼも、イエスも、それを改革しようとした当事者でした。

12月→1月
25日→26日

月において、一段二段、日において一段二段。
22の旬が、1月26日。
神は「扉を」開かれました。
123基本。:2010/02/23(火) 08:39:05 ID:jC6j1sR0
キリストの誕生日は、BC4年の12月25日だと、「言わされて」います。
12という数理は、2という数理と同じ理です。

22 (1)2 25。

お筆先に示されました、22の2の五つ。の刻限として、世界中の人は、クリスマスの日「25日」を心得ています。

「正月26日」は、人類に約束された、刻限でした。
124基本。:2010/02/23(火) 09:34:29 ID:jC6j1sR0

gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234252986/972
天理教∞質問回答専用スレPART6
にて触れましたが、
> おやさまの誕生日の6月2日の朝五つ時というのは、そうした世の中に立て替えるために、おやさまが、お生まれになったと ...
> 三昧田とは「サマディー」、そこに、おやさまはお生まれになったのです。
> 6月2日の朝五つ時、222の五つにおやさまは、お生まれになりました。

おやさまの誕生日は、和暦 寛政10年4月18日 
西暦は、グレゴリオ暦 西暦1798年6月2日 ユリウス暦 西暦1798年5月22日
西暦では、22 2五の数理に、お生まれになっています。
ちなみに、1798年は、イエス生誕から1802年です。 2 6 2 の五つ。
つまり、2222の五つです。

大工の伊蔵様のお生まれは、和暦 天保4年12月28日
西暦は、グレゴリオ暦 西暦1834年2月6日 ユリウス暦 西暦1834年1月25日
現行西暦のグレゴリオ暦では、2 222のお生まれです。
ちなみに、1834年は、イエス生誕から、1838年です。

おやさまが、西暦の数理にて、お筆先の予言を理として歴史に残しておくのは、国際社会において、お筆先の予言が「理」として、きちんと証明される事を予定してのものと思われます。
125基本。:2010/02/23(火) 09:36:29 ID:jC6j1sR0
そこで、以上のような「席史的事実」と「聖書においての自白」をすべて考察し、
ペリーは「とふぢん」と、判断しています。
126基本。:2010/02/23(火) 13:31:03 ID:jC6j1sR0
2:19 イエスは彼らに答えて言われた。
「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った。
「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
2:21 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。
  「神殿をこわしてみなさい」と、言われています。
  「私は三日でそれを建てよう」と言われています。
おさしづには、こう言われています。
 『僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。ひながたの道より道が無いで。何程急いたとて急いだとていかせんで。ひながたの道より道無いで。』
 『ひながたの道がどんな日もある。ひながたの道にはいろ/\ある。』
 『誠の道も蒔いた事がある。なれども、何年経てばこうという理が、外れてはあろうまい。』
 『世界には何を言うやら大工がと。』
 『日本一の大工や。何言うて居るやらと皆笑うて居た。』
↑このお指図、よく見ると、分かります。
  当局がとっていた伊蔵様に対する態度、「危険思想人物」としての要注意人物とみなしてのものでなかった事は確かです。
「ちょんまげ」を切らないというレジスタンスも見逃されていました。
「何を言うやら大工が」と、ののしりあざけりの言葉を「世界」で受けた方は、近い時代の伊蔵様ではなく、古い時代の同じく大工のイエスキリスト様です。

イエス様は、この世界の普請の為に、
「神殿をこわしてみなさい」わたしは、三日でそれを建てよう」と、告げました。
そんなイエス様の教えを、ローマの政治高山は取り込んで歪曲し、「キリスト教にて世界を支配する」という、唐人思想をもって、軍事政治行動を実行し続けた。
それに対して、おやさまは、「とふぢん」と呼び、「にほんの者」に対しては、
「三日のひながた、千日の道」を、手本として示されました。
イエスキリスト様こそ、宗教高山を、掃除する誠のお方でした。
お指図に知らされている、古いひながたを、世界史の事実として、きちんと心得なくてはならないと思います。
127基本。:2010/02/23(火) 14:12:37 ID:jC6j1sR0
天理教では、立教以前の、お釈迦様やイエス様の教えの事も「修理肥」として、天理教以前の教えとして扱っています。
が、現在の教団教理のその態度には思い上がりの態度があります。「とふぢんカルト一神教」にかぶれています。
 おやさまのお言葉には、次のようなお言葉があります。
『新しき道もある、古き道もある。修理々々道も修理一寸分かる。修理して了うたらそれで仕舞。
どちらの道もよい。』
『又初めての道、あちらへ治まる道もある。』
『世界一つ頼り、世界の道修理肥頼り、分かる分からん何故分かり難ない。
人間道を見て分からん道が頼り。よう聞いてくれ。』
・・・・
 大切な事は『どちらの道もよい。』にあります。

新しき道とは、世界史の上では、生まれたばかりの天理教です。
『新しき道もある、古き道もある。修理々々道も修理一寸分かる。修理して了うたらそれで仕舞。
どちらの道もよい。』

イエス様の教えもお釈迦様の教えも、修理の道ですが、「一寸」の理。「元の理」にて修理をしてしまったら、「どちらの道も良い」。
と、このように示されています。
差がないのですから、頼りにして悪いわけが無い。つまり、
『世界一つ頼り、世界の道修理肥頼り、分かる分からん何故分かり難ない。
人間道を見て分からん道が頼り。
よう聞いてくれ。』
 人間から見て、理解しがたい、教えの核心部分を、信じることが大切です。
 世界の道では、お釈迦様やイエス様。孔子様の道が頼りになる。
立教前に、あらかじめに誠を蒔いておかれてあるから、そうした「修理肥」の教えを、元の理に添って修復し、同じ理として、人間道としてではなく、神の道として通るようにという、お指図でした。
128基本。:2010/02/23(火) 14:16:02 ID:jC6j1sR0
さあ、この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」

イエス様の、教えを、実行しましょう。

神殿なんかに頼っていたら、「三日」のひながたは、絶対に通れないのです。
129のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/23(火) 14:19:07 ID:F1njx+tH
>>128
基本さん、スレ荒らしはやめてください。
130神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 14:50:16 ID:J3THQeSs
基本は単にスレ荒らしてるだけ
131基本。:2010/02/23(火) 19:30:37 ID:jC6j1sR0
>>1
> 2ちゃんならではの物凄い勢いで書きにいきましょう。
> 天理教教義から・・・
質問出なければ、来ません。
出たら、物凄い勢いで書きに来ます。

では、その時まで、しばし、静かです。
132のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/23(火) 19:34:28 ID:F1njx+tH
>>131
基本さんは、キリスト教については間違いが多い。
天理教についても、きっと間違いだらけなのでしょう。
クリスチャン希美には、キリスト教の間違いはわかりますけど、天理教の間違いまではわかりませんが。
基本さんの書き込み
133神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 23:25:39 ID:iuYqG7ji
天理教ついて調べて知ったこと

「おさしづ」を全て読んで全て理解する前に

 *自分の人生が終わる*

以上
134信仰は自由と言うが:2010/02/24(水) 00:46:57 ID:j4YhSJYu
オサズケとは、
135のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/24(水) 01:11:44 ID:TEZ9tmAZ
>>133
おさしづ=人を指図して自分は何もしない

>>134
おさづけ=お供えを沢山、教会に授ける

以上、天理教用語ワンポイントレッスンでした。
136基本。:2010/02/24(水) 03:26:49 ID:Ugz6m0B7
さて、のぞみちゃんは、私を誘導していますが、
>>135
スレ主として、スレタイに反した、「デマ」は、語るべきではないです。
まじめに、「質問回答スレ」として、筋を通してくださいね。
137キボン:2010/02/25(木) 00:50:43 ID:KavfCTNm
>>132
基本ポンがいうところのヤソ様は、そら間違ウ。
ヲヤサマの理解からヤソ様を見てますからネ。

いうように、基本ポンの天理教も間違イだらけ。
厳密にいえば間違ウというより「違ウ」とイフ。
つまり、イワユル定説とはすうきり違ウんです。
すうきり違ウがオモシロやと思わせるトコが魅力なんですナ。

エリエリレマサバクタニとイフ。
ヤソ様はどう考えてもアリャ神様だと思フ。
138のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 00:58:34 ID:scuwYIcA
>>137
いや、天理教からみても、キリスト教の三位一体は理解できるはずなんだけど。
教祖は神の社なんだから。
結局、基本さんが間違ったのは天理教組織に対する批判意識が強いからと思う。
139野良天 ◆3gxC3xwhfc :2010/02/25(木) 01:05:49 ID:nkj5holQ
>>133
正解
>>134
病を元(病の元は心からと言って、心に問題があるらしい)から直すためのお祈り・儀式。
世間一般では病は気から、と言っているね・・・
天理教では心遣いが病の根本と考え、世間一般では思い込みなども病気になると
考えられているところが面白い。
天理教では心に問題あると断言し、一般では心配するほうが思い込みによって病に
なる、もしくは病が悪化すると言っているんだよね。
正直言って天理教は不安を煽っているようで胡散臭いね。
140キボン:2010/02/25(木) 01:13:26 ID:KavfCTNm
>>137
三位一体、当たり前のように言うケレド、
それを信仰として、オーソドクスとして、ドグマとして、
治まる理になるまでは、会議するやらケンカするやらエラク時間かかりましたなあ。
141のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 01:18:33 ID:scuwYIcA
>>140
三位一体は、教義の決めごと以前に、神様を理解するための考えと思うよ。
142キボン:2010/02/25(木) 01:24:36 ID:KavfCTNm
>>140
ヤソ様は神。
教義上の決め事やら、理解のためのツールといった軽き理ではナイ。
コレ信仰の要諦である。
143のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 01:30:07 ID:scuwYIcA
>>142
信仰無いから、そう軽く言える、また理解してないからと言える。
三位一体は理解のためのツール。
144キボン:2010/02/25(木) 01:34:30 ID:KavfCTNm
>>143
ヤソ様は神。
コノの理がわからんから、亜流、異端を許した。
145のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 01:36:15 ID:scuwYIcA
>>144
だいたいね、ヤソ様って何なのさっ!
黙れよっ!
消えなっ!!!
146のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 01:36:50 ID:scuwYIcA
>>144
あんた、あたしたちクリスチャンをバカにしてるわけ?
147キボン:2010/02/25(木) 01:46:38 ID:KavfCTNm
日本人は昔からヤソと発音表記してきた。

> 黙れよっ!
> 消えなっ!!!

ヤソ様もそう罵られて死んでいった。
キボンは罵られるとハアハア興奮してしまうガ、
ヤソ様にならい、もぞみチャンの為に祈るとしよう。
148キボン:2010/02/25(木) 02:05:14 ID:KavfCTNm
>>146
キボンはキシシタンを尊敬しオリます。
149のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 02:33:07 ID:scuwYIcA
>>148
そこからして考えに誤りを感じる。
のぞみちゃんが天理教をまだまだわからないように、君はクリスチャンをわかってないわけ。
150のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 02:34:09 ID:scuwYIcA
>>148
尊敬とか書いてあっても、バカにされてるイメージしかないもの。
151のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 02:35:14 ID:scuwYIcA
まぁ所詮、キリスト教を知らない天理教信者の戯言だからいいけどさ。
152神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 05:53:15 ID:F/QrZxor
>明治維新の人物にも、坂本竜馬さんのように「にほんのもの」もいて、・・・

理由は?
153基本。:2010/02/25(木) 05:58:12 ID:0vEK5z6q
回答、長くなりますと、のぞみさんに迷惑ですので、簡明に、述べます。
長い文章は、ザ掲示板で確認してください。

「とふぢん思想」とは、特徴として「幽冥」の思想を持ち込みました。
合理的な人物であった坂本竜馬は「幽冥思想」には、全く影響されていなかったと判断されるからです。
154神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 06:47:12 ID:F/QrZxor
>>153
坂本竜馬、ジョン万次郎、勝海舟等について、この人はこのように講演しています。
http://www.youtube.com/watch?v=tU-rauvHm0c
155キボン:2010/02/25(木) 10:52:49 ID:KavfCTNm
>>149
信ずる者を信者とイフ、理解する者は理解者とイフ。
キボンはキリシタンを理解などせぬが、ヤソ様は神と信ずる一点において尊敬しオリます。
156神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 13:42:04 ID:IH7Zpl25
ビョンホン韓国報道写真 「日の丸」消され、ネット騒然
http://www.j-cast.com/2007/07/18009436.html

>この写真は、中央日報など大手韓国メディアの複数社の配信ニュースで掲載されている。

※一番効果があるのは、放送局にクレームの電話を入れるよりも、イ・ビョンホンに関連した企業への「抗議」ではなく「問い合わせ」です。
157神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 18:44:38 ID:PU8RnnJD
天理教って韓国発祥じゃないけど韓国に寛容・友好的ですよね。

天理大学では韓国語学習・研究が盛んだし。
私も内心「東京外大と大阪外大がダメなら天理大で韓国語を勉強しようかな」
と受験生の頃、思ってました。

韓国・釜山市に旅行に行ったとき、見つけましたよ「韓国の天理教教会」を。
ノポドンという高速バスターミナルの北側に紫地に白抜きのハングルで
천리교 と書かれた看板がありました。日本の分教会と同じく人の気配が
全然なかったけどw
158神も仏も名無しさん:2010/02/26(金) 20:29:20 ID:9332Yv8H
本部や上級へのお供え金は一切辞退で、各教会は民営化にして
本部から独立すれば、金銭的負担は大分軽くなると思うが。
どうだろう?
159神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 10:43:03 ID:ZjRhaz2p
日本国内の天理教教会の数は1万6〜7千と言われているけれど、
ここに約30万人の信者が所属していると仮定すると・・・

一教会あたり18人前後の信者しかいないことになる。
さすがに18人で教会運営はできないので、活動を全面休止している分教会が
全国各地にあるのでしょう。

事業仕分けみたいに、堂々と「不採算教会の廃止」を行うべきです。
信者数30万人で中学・高校・大学・大学院・病院も経営しているんですから、
立派なものです。
信者数がもっと少ない Kの科学 は、学校も病院もないけど、あんな態度
ですよ?もっと自信を持ちましょう。
160紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/27(土) 13:51:31 ID:YGp+DhVK
少子化や高度情報化の影響により宗教離れが進んでいるらしい。
テレビ番組では縁起を良くして経済を活性化させるべきだという声もあった。

天理大もそろそろ入試制度の改革を始めたら?
信者でない無宗教の人を囲い込みしないと。

ちなみにテレビ離れの本当の理由は地デジへの利権問題。B-CAS社の不透明な実態。
不要になったアナログテレビを処理する家電リサイクル法自体にアナがあるため
この法律自体に従う必要が無いのではないかという声もある。

B-CAS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/B-CAS

不用品はオークションサイトで売買する人も多い。

俺としては適切に分解、修理された後、
途上国へ輸出して「庶民の娯楽」として大切に使って欲しい。
161神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 16:35:28 ID:4Tw1pKA6
?。
162神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 18:10:11 ID:G+ssZdIv
>>159
> 信者数がもっと少ない Kの科学 は、学校も病院もないけど、あんな態度
> ですよ?もっと自信を持ちましょう。

天理教が、Kのかがくと同じ分類の宗教だと認めているんですね。わかります。
163神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 19:27:49 ID:dqUZV6dx
>>162
マルは、リコーマイクロエレクトロニクス粘着の米村さんと同じ分類。

つーか仲良しだよね。
164紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/27(土) 19:49:06 ID:YGp+DhVK
>>163
任天堂のファミコンはリコーの特殊な6502が頭脳。

ファミリーコンピュータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF

そして6502やZ80は多くの組み込みシステムで現役。
165のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/27(土) 20:05:52 ID:YuvsGM5z
>>164
天理教スレにもキリスト教スレにもいる。
前のコテハン、心音でしょ?
166神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 20:52:58 ID:JuRCvbJb
心音は、精神病・身上の信者だから、もう少しおかしな文章を書くと思いますけど
167紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/27(土) 20:57:34 ID:YGp+DhVK
>>165
俺は面白いスレがあれば何処へでも行くさ。
その心音とか言うコテはどんな奴だった?
168神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 17:45:01 ID:gDvGYX+x
あのー。今月の月次祭のかぐらづとめ。第一節が23回じゃなかった?
169神も仏も名無しさん:2010/02/28(日) 17:52:02 ID:WkUOmxRQ
第一節は回数を数えず、みんな終わったようだな、と思ったら、
第二節へ移ってるのは俺だけじゃないと思う
170神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 09:11:17 ID:6+l/YlVo
天理とキリスト教のスレッドあります。
のぞみちゃんがつくったのに…。
◎天理教とキリスト教の対話♪八下り目◎
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1226527814/
171神も仏も名無しさん:2010/03/01(月) 11:29:03 ID:uLmYbbp+
>>1
Category:天理教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天理教に関するカテゴリ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99
172のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/03/01(月) 11:52:46 ID:dE5CMr3C
>>170
それ、あたしが作ったのじゃないよ。
今のはネタスレだから。
テンプレ改変してるから、意味ないスレになってる。
歴史ある対話をテンプレにしなきゃ。
173神も仏も名無しさん:2010/03/03(水) 18:44:50 ID:mU+i2Etd
韓国のサイバーテロおさまったみたいだな。
復帰おめ!
174おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/03/03(水) 20:01:29 ID:6flqWvQG
>>135
そういった出鱈目なことは言っちゃダメ!!
175神も仏も名無しさん:2010/03/03(水) 21:21:30 ID:EpMZw/Ma
【ネット】 2ちゃんねる攻撃で、米政府機関のサーバーまで被害に。米企業、FBIと法的措置検討…損害2億2千万円★39
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267617252/
176基本:2010/03/04(木) 06:15:54 ID:IAJW/alE
141 :のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/02/25(木) 01:18:33 ID:scuwYIcA
>>140
三位一体は、教義の決めごと以前に、神様を理解するための考えと思うよ。

「理解するため」、「理解させるため」、「自分を納得させるため」、「相手を納得させるため」。
そういう、思案は、「信じるための作業」。
でも、どこか、前提に間違いがあると、思います。
177神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 18:54:13 ID:x6wZw3ll
書き方はとっても嬉しいけれど何故来ないのだろ?言えない理由なのかなぁ
178神も仏も名無しさん:2010/03/06(土) 15:09:02 ID:t39V3M6y
パチンコほど幼児を殺した遊戯は他に無いよな?
どうして規制しないのかな。アグネスとか野田聖子とかなんで黙ってるの?
179神も仏も名無しさん:2010/03/07(日) 03:30:11 ID:FYphovuk
<不審者”希美 ◆55nynIr58w” の告訴に関する報告 (宮崎希美・のぞみ等のコテハンも使用)>
◆55nynIr58w”(現 ◆pLAYdeBByU→◆1XjRibJyX. ) の 度重なる無修正性器写真の貼り付け、 無修正写真メール配布について
 6月11日付、警察署に”わいせつ物陳列”に関して専門家が作成した告訴状と添付資料を提出いたしました。
先日警察署から連絡があり 警察からの2ちゃんねるログ開示要請、NTTdocomo情報提供等によって
希美 ◆55nynIr58wこと、東京都内の独身男性を割り出し、警察官が直接訪問、 取り調べを行い以下の供述を得た。
□猥褻画像はネット上に存在した写真にリンクを張ったもの □ちやほやされるので面白半分でやった、、という供述を得た
 本人(希美 ◆55nynIr58w(現 ◆pLAYdeBByU→◆1XjRibJyX. )こと東京都内の独身男性)に以後はこのようなのとはしないという誓約書、及び厳重注意を与える処分となりました。

304 名前:マドモアゼル希美 ◆pLAYdeBByU [] 投稿日:/10/15(水) 10:33:46 IDqdNWX7Y
神奈川県警葉山署から、確かに希美のところに、エッチ画像はやむてほしいと、刑事が訪ねてきました。
180神も仏も名無しさん:2010/03/10(水) 18:24:34 ID:Az/wZm6q
自分のとこは人が増えたらいずれは行くつもりだけど・・もうしばらくレスしあってないね
181神も仏も名無しさん:2010/03/12(金) 11:46:56 ID:7GOUx51y
希美は男性?
182神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 18:22:55 ID:WyzH5b1P
質問です。

今年の教祖誕生日は日曜日なので、土日の休暇を利用しておぢばに帰りたいと
思っているのですが、残念ながら私はまだ何処の教会にも属していないので、
黒法被を持っていません。

平服で本部のこういった行事に参席すると浮きますか?
183神も仏も名無しさん:2010/03/13(土) 19:19:44 ID:3WwtCGax
伽ス

平気で嘘をつく人の特徴
●どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。
●話のつじつまが合わなくても平気である。
●自分には欠点がないと思い込んでいる。
●他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。
●自分への批判にたいして過剰な拒否反応を示す。
●立派な体面や自己像に強い関心を抱く。
●知的な偏屈性(他者の意見を聞く耳をもたない)。
●自分は選ばれた優秀な人間だと思っている。
●他者に善人だと思われることを強く望む。
184勾玉:2010/03/13(土) 21:10:25 ID:KMkEUnb0
婦人会100年
185勾玉:2010/03/13(土) 21:36:52 ID:KMkEUnb0
>基本さん
あなたがおっしゃる天理教的権威主義や宗教家業のこと、
「理の親」なる造語に対する嫌悪等、すこしは理解できる者ですが、
では、高山名的天理教が教祖が生きておられた原始的思想に
奇跡的に回帰したとして、
そのあとはどう変化していけばいいのでしょう。
「信心は、実は、「欲」や「酷い心」につながることになりやすい」んですよね。
(↑は基本さんが掲示板に書かれていたコピーです)
信心はやがて権威主義におちいっていくんではないんでしょうか?
186勾玉:2010/03/13(土) 21:43:39 ID:KMkEUnb0
連ですみません。

先日、伊勢神宮に参拝してきました。
雨の中、大勢の老若男女で参道はいっぱいでした。
天理教本部とは大違いで、すこし残念でした。

天照大神も天理王命もいっしょのはずなのに
187おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/03/14(日) 16:21:26 ID:Jah3ZaJO
>>186
3年後に控えた「ご遷宮」まではさらに参拝者の数は増える一方だろうね
(ご遷宮の直後なんかだって)
188神も仏も名無しさん:2010/03/16(火) 19:31:49 ID:cDIMej3A
自分も答えてくれないのでつらいけれど神さまもお困りになっているのだと思います
189勾玉:2010/03/17(水) 22:14:02 ID:DtLrukUn
↑神様を困らせてはいけないよな。

幸之助さまかドラッカーさまにきいてみよう。
190神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 04:17:00 ID:K5j54QkX
かなり前の事なんですけど
自分が病気になった時、
天理教の友達が
米の入った小さな和紙の袋をたくさんくれたんですけど
今現在まだ沢山残ってます。
自分は天理教とは無関係ですが
このまま部屋にずっと置いておくべきですか?
191神も仏も名無しさん:2010/03/18(木) 18:14:49 ID:gQ0H0bqU
「おさがりもの」(天理教の方が本部・教会などから持ち帰った物品)は、
その気持ちに感謝しつつ、全て食べますよ。

私は、みかんとお餅を「おさがりもの」としていただきましたが、
1週間くらいで完食いたしました。
192勾玉:2010/03/18(木) 21:31:17 ID:hOJ5HJg5
>190さん
わたしも幼い頃に、風邪引きのときなどに親からもらって食べました。
たしか「ごくさん」って呼ばれていて、神様にお供えした米粒でした。
万能薬の扱いだったように記憶してます。
>このまま部屋にずっと置いておくべきですか?
ごめんなさい、わかりません。
193神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 21:50:54 ID:Dj2HkntM
平和だの人権だの言ってる新聞の拡張員がヤクザまがいな件
194神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 23:53:39 ID:Xrg35DOH
>>190 ただの生米ですから、処分したいのであれば処分していいと思うし、
なんらかのご利益があると信じてみるなら、病気の時に食べてしまわれたら?

効果があるかどうかは、めいめいの心次第かな?

教祖は「神はいると思えばいるし、いないと思えばいない」と言ってるぐらいだから
どちらが良いかは、「考える」ことではなく、「感じる」ことなのかも知れませんね

ま、どっちを選んでもOKってことで・・

195神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 04:33:22 ID:Yhlbn2qN
>>194
かす
196神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 04:59:23 ID:Yhlbn2qN
途中でenterしてしまった。
書こうとしていた内容も忘れた・・・
197神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 05:56:31 ID:sz6h68yZ
「病気が早く治りますように」と願ってくれる友人がいるのは
とても貴重で大切なこと(勧誘目的を除く)。

何教とか関係なく、良い友人を持ちたいものですね。
198神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 08:34:39 ID:Yhlbn2qN
確かに。かびた米より友の願いだね。
199神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:02:32 ID:mGY7+AZd
>>198 おめえがカスだろ。
200神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:51:34 ID:Yhlbn2qN
おや、どうかされたんですか>
201神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 00:16:24 ID:A3ZS9djp
202神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 00:17:04 ID:A3ZS9djp
203神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 00:18:26 ID:A3ZS9djp
間違えた。
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1269222680/
前田さんて信者?
204おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/03/25(木) 02:36:25 ID:rvZScRVW
>>193
拡張のノルマが相当にきついんだって。 宗教も新聞も。
205神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:08:34 ID:YGZpaodO
平和だの人権だの言ってる新聞の拡張員がヤクザまがいな件
206神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 18:40:26 ID:CHSsdljt
宗教は、葬式や結婚式、初詣や宮参り、彼岸や盆などの
年中行事化したセレモニーでしか過ぎないと思っている人が大多数ですね

逆にオウムとかのような
一般常識と相容れない特殊な価値観や世界感を説く
特殊な人々の集団と見てる人も多いはず

そのどちらでもなく
生きる勇気を沸き立たせ
積極的に生き抜いていく活力をつけ
自分自身を”強く”するのが創価学会です
207神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 13:48:15 ID:rqPvaKRJ
>>206
創価学会? 
どうでもいいって、そんなもん!
208神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 14:59:16 ID:nRyEeC55
笠岡で天理教役員住宅の1室焼く

煙を上げて燃える役員住宅=29日午前7時25分、笠岡市用之江
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/images/2010/03/29/2010032912321353-1.jpg

29日午前6時35分ごろ、笠岡市用之江、天理教笠岡大教会役員住宅(鉄骨3階)から出火、
3階の空き部屋1室52平方メートルを全焼した。

笠岡署によると、役員住宅には16室あり9世帯が入居。住民にけがは無かった。

http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010032912321353/
209神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 16:52:23 ID:ZE/WV5UM
今村組の今村克彦って天理教?
210神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 14:35:35 ID:cbNht3mz
>>208
天理教は何でこんなに火事が多いんだ?
211神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 20:23:26 ID:wbwGUXM+
平気で嘘をつく「基本(ハンドル名)」の特徴

●どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。
●話のつじつまが合わなくても平気である。
●自分には欠点がないと思い込んでいる。
●他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。
●自分への批判にたいして過剰な拒否反応を示す。
●立派な体面や自己像に強い関心を抱く。
●知的な偏屈性(他者の意見を聞く耳をもたない)。
●自分は選ばれた優秀な人間だと思っている。
●他者に善人だと思われることを強く望む。

こいつの無駄に糞長い書き込みは一文も読まずとも「じゃあまずお前がやれ」
で済むから困る(笑)
一度、懇意にしてくれてる本部の先生にインターネットにこういう人がいますが
って話してみたことがあるけど一笑に付してたわw
人を導きたくばまず己の口をつつしめ!
って伝えてくださいって言われたわw
212神も仏も名無しさん:2010/04/02(金) 00:15:46 ID:oD7dax5B
死んだ身内とはいつ会えるんでしょうか?
仏教では輪廻はあるが、死んだ人とはあの世では会えないといっています。
そんなの納得ができません。
人間の本体が魂なら
愛する者どうし死んだら霊界で会えるはずです。
213神も仏も名無しさん:2010/04/02(金) 14:06:26 ID:DzcZwTer
空観  神というはあると思えばある、ないと思えばない。
中観  あると信じて願う心の誠に、見える利益が神の姿や。
仮観  神は幽冥と思うなよ。

こんな感じ?
214神も仏も名無しさん:2010/04/02(金) 19:09:02 ID:qWgKJ9kH
天理教って良いと思うんですけどねぇ・・・。

創価も天理もPLもみんな一緒!みたいなことを言う人を見かけると悲しくなります。

おふだ・お守りを販売して神社並みの金集めをしてもいいと思う。
中山みきのイニシャルをモチーフにした「NM」ペンダントを売るとか・・・。
(外部の人は中島みゆきのファンなのかと思って気にしないだろう)

中山みきは精神病患者だったとか、精神障害で突然奇行が始まったとか、
言う人がいますが、教祖とはそういうものです。それに共感できた人が
大勢いたんだから「宗教」なのです。
215神も仏も名無しさん:2010/04/02(金) 20:35:33 ID:oD7dax5B
死んだ身内とはいつ会えるんでしょうか?
216神も仏も名無しさん:2010/04/04(日) 17:18:56 ID:QFwpOuvj
>>215
同じ質問があったので、談話室スレの方に答えておきました。

150:神も仏も名無しさん 04/04(日) 17:08 QFwpOuvj [sage]
身体は死んでも魂は永遠に生き通しで、生まれ変わりがあるのですから、
また互いが同時期に現世に生まれ変わった時に出会えますよ。

もちろん現世だけでなく、魂だけの状態で親神様の懐に戻った時にも出会えるのかもしれませんが。

217神も仏も名無しさん:2010/04/06(火) 03:37:12 ID:Tv+NXxjC
メンヘラの知り合いが
男に騙されて売春させられたりヤリ捨てられているのを見ると心が痛む。
金目あて、体目当てで弱っている女を食い物にしてゴミのように捨てれるっ男って
どういう神経しているんだろう。
世の中乱れすぎ。
218神も仏も名無しさん:2010/04/06(火) 09:47:42 ID:xCp3pUOC
そういうカスな男は来世、すごく悲惨な因縁果たしに遭うだろうね
219神も仏も名無しさん:2010/04/06(火) 19:01:10 ID:Jv9LXok+
街宣右翼って民主党の日の丸切り裂き事件もそうだけど、なぜか竹島、ウトロ、パチンコみたいなチョン絡みに甘いよね
220神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 09:36:03 ID:OKhkorcs
誰か答えてくれ。

天理教のどこがいいんだ?
221神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 12:41:21 ID:L5aoSHcD
>>220
うちは天理教だけど俺にもわからん
本来信仰は胸がときめいたり、希望にあふれているのだと思うが、
今の天理教は魅力がないし、信仰する意義が感じられない。
人間思案で押し通した結果、神不在の組織になってしまったのが
最大の要因だろう。
222神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 09:04:07 ID:XqdmHN/t
規制解除やっときたー。
最近やたらと多いのはなぜ?
223おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/04/10(土) 14:25:13 ID:vYVI9HW6
>>222
管理人の気まぐれ。
224のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/04/11(日) 07:06:03 ID:mXT2liQc BE:1695213656-2BP(0)
>>220
生活に困った人が、助けを求めて住めるって天理教教会ぐらいでしょ。
カトリックにも出来ないことを、天理教はやってる。

あと宗教の社会貢献に関する書籍に書いてあったけど。
災害救助隊は、自衛隊に次いで、No.2は天理教だって。
自衛隊は国がやってる組織だからNo.1は当たり前。
だから民間の災害救助隊では、天理教がNo.1。

天理教は、とにかく、おたすけは素晴らしいし魅力的と思う。
225のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/04/11(日) 07:08:15 ID:mXT2liQc BE:904113582-2BP(0)
>>220
まぁでも、素晴らしいことをするためには、経費がかかる。
そのためのお金、お供えの求め方では歪みある教会があるのは、天理教信者の方のほうが、わかってることでしょうけど。
226のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/04/11(日) 07:11:51 ID:mXT2liQc BE:1808227384-2BP(0)
希美個人的には、やはりカトリック、次に天理教かな。
宗教はね。
精神を支えるカトリック、現実を支える天理教、こんな感じと思う。
だから天理教は2回に渡り、カトリックとの対話ということをしたのじゃないかしら?
天理教信者にはカトリックを知ってほしいし、カトリック信者には天理教を知ってほしいと思う。
227神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 20:30:41 ID:tGrIAkqR
>>220
仏教の教えをよーく聞いてください。

人間の人生=苦

だと断言してるんですよ。その苦難を乗り越えるために様々な修行があるのだ、そんな感じ。

天理教では、人間が陽気ぐらしをしている様子を見て、親神様は喜びたがっているのですよ、と教わります。

勿論、人生には辛いこともあります。その際には「人生の節は道の花」と言われているように幸せの指針が用意されています。
228神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 13:15:36 ID:bwgPIYzR
基本氏へ
おっしゃることは天理教の教義にかなっています。
ですが、それを目指す力が誰にもないからこそそれは廃れました。
あなたのおっしゃることは人のエゴを傷つけるだけで、今その人が
できる、理解できるアドバイスになっていません。

あなたはとりあえず、思想だけでもまともにしてから実行のための
努力をするべきだと思うでしょう。私も私自身にはそう思います。
ですが、知識、思想はその人の実存に対応したものしか受け付けないのです。
なのであなたは自分の思想は自分だけのために使い、そしてそれが思想ではなく
実存になるまで努力されるべきではないでしょうか。
あなたこそより成長する責務があります、知性ではなく実存上どうやっても理解できない
人相手に正論を言って時間を潰してはなりません。

いわゆる協会長は全く普通の人です。普通の人達の中でリーダーをやってる
普通の人です。だから、みんなの期待に応えるのが仕事で、誰も導けません。

ですが少々の力量と正論があれば人を導けるかというとそれも違います。
人を導くための条件は、正論の実存、正論の知識に加え
さらに俗な協会長のふりが苦も無くでき、社会に溶け込み、人の心が分かるということです。

ですので世には
99,9パーセントの都合のいいことを言って慰めあう人々
0.099パーセントの自分ひとりなら成長させられる人がいるといえます。
この生を無駄にしてはなりません。

あなたは俗世の教義の防御の為に正論を使うが、それは争いを生むだけです。
真実を認識すれば、現行の教義にも正論にも全く影響を受けず、それと遊ぶこともできるでしょう。
229神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 13:21:30 ID:bwgPIYzR
あなたのおっしゃること、目指すものは
人の法則ではなく、神の法則です。
人に理解されることはないでしょう。

神が見ている気を静め。

人はただ独り、神と共に生きるというのが実際です。
他人にどう思われるかということを棄ててこそ、神とひとつになり、
陽気に暮らせますし、他人に全く影響を受けぬからこそ、愛することもできます。
230神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 14:41:30 ID:bwgPIYzR
ホストFLH1Abx243.kng.mesh.ad.jp

名前: 神も仏も名無しさん
E-mail: sage
内容:
うまくまとまったので連投します。

世の中には
賢い意見を持った人

愚かな意見を持った人
がいます。

賢い人は、賢いがゆえに、愚かな人を憎み、哀れみ、変わることを要求します。
そして賢い人は、賢い意見に取り付かれた人は「愚かな人に憎まれることを避けられません」。
どうして憎む相手を変えられるでしょうか。

ですが、
光明の頂にある、凡宇宙法則と合致し、真理と共にある人間は中山みきのような存在は
意見を持っていません。意見を使っても取り付かれることはない。

こういう存在は、賢いふり、愚かなふりができます。
賢い人ではないので、愚かな人を憎みませんし、また憎まれません。
そして賢さに頼りませんし、賢さを憎みもしません。
ですから、
愚かな人を賢い人へ、賢い人を真理を体得して考えを棄ててしまった人へ
導くこともできます。
231神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 14:43:56 ID:bwgPIYzR
賢い考え、は愚かな考えの反対物でしかありません。
賢い考えの人は自分の内の、他人の愚かさと戦い続けるでしょう。
「愚かなふり」が現世で生きる知恵ですが、
愚かな人は本当に愚かに生き悲惨な目にあい、
それに懲りて賢くなっても
賢さが邪魔をして愚かなふりができない。どうしようもない。

要は思案、考えというものが無力であるというのが実情。

また、天理教には正当な教義を知らなくても
実行、行動から先に入ってたどり付いてしまうような人が向いてます。
一人友人にいます。
教義から入る、行動より知性優先の人は仏教、和尚、グルジェフの方が向いているでしょう。
232神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 20:58:37 ID:J7VF5w8t
>また、天理教には正当な教義を知らなくても
実行、行動から先に入ってたどり付いてしまうような人が向いてます。


そして理の親の収入源へ・・・
胸が熱くなるな
233神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 05:48:56 ID:VnWmKrhh
>>227
お釈迦様はこう言われました。
「ああ、この世はなんと美しいところであろうか、人生はなんと甘美なものであろうか」と。
234神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 09:06:03 ID:iGrDtDXW
>>232の文末面白すぎる
胸が熱くなるの意味が違う(w

>>220-221
一行にまとめると実際に助かるから、または助けてもらえる見込みがあるから。

そうじゃなきゃこんな胡散臭いうざご迷惑な神様&その取り巻きに誰が与するっつーの
235神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 05:54:38 ID:BStInEm8
坂井明久は在日朝鮮人だからな

寄生虫のゴキブリ野郎が

チョンの分際で生意気だ
236神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 09:55:33 ID:VO9FkOMw
天理の組織
問題は山積み 解決の兆しなし。
何故なら組織の体型に無理があるからと思うんです。
葡萄を見てください。どのように実がなっていますか?
ひとつひとつ、しっかりと1つの茎に繋がっています。
実から茎が延びて、次の実が出来る、なんてことはありません。

今の天理の組織はまさにこれではないでしょうか?

実の粒が、先になれば先になるほど
小さく、小さく、なってしまっている…
自分は、自然の中には、天然自然天理天則にそったものが多いと思います。
そして教祖も、それを例え話で
「世界は、この葡萄のようになぁ、皆、丸い心で、繋がりおうて行くのやで。この道は、先なごう楽しんで通る道やほどに。」
と、お優しくお説き下さいました。
自分は、それにはその意味も、含まれていると思いました。

愛町さんは
1つの教会を除いて、皆、布教所です。
自分が聞いたのは、上級の麹町大教会へ親不孝をしない為、との事でした。
教会になると、その下にも教会が出来、それぞれに教会長や責任者も必要で
ずっと先の先、何十年後かになるとそれを思案しなければならなくなり 大きな親不孝になってしまうから。
きっと初代さんも、葡萄のお考えを自然と感じられて
愛町の部内は部内を作れない布教所のみが良い
みな一列に、同じように御守護を頂いてほしい
その思いがあられたのではないかと、自分は推察するのです。

きっとそれは、教祖もお変わりありません。

なぜかこの思いを伝えたかったので、書かせていただきました。ありがとうございます(_ _)
皆様はどう思われていますか?
237神も仏も名無しさん:2010/04/21(水) 21:32:49 ID:Tn+x2IG+
千原ジュニアに限らず、吉本芸人の語る「俺、キレたったねん」話が酷い。
大概の場合、芸人側に非があるケースが多い。
そんな芸能人をCMに起用する会社は反社会的企業と思われても仕方がない。
238神も仏も名無しさん:2010/04/22(木) 09:59:28 ID:wD4WB44n
>>236
愛町は、布教所でよかったのに、
教会にしたのが失敗だったと言っていたのを聞いたことがある。
239神も仏も名無しさん:2010/04/22(木) 12:28:30 ID:XRxu1zTU
実家は愛町系在家だけれど、愛町は実際には集団、統制、人集めで有名な団体です。
名誉、地位を欲しがるのが異常なら、ほっといても転がってくる自然な地位すら
否定するのも結局権力に対して自意識過剰であることを意味する。
本音が権力意識でいっぱいだから、親の教会に並び、追い越すことに後ろめたさを感じる。
名はとらずに、実の権力を求めている。

が、あなたは純粋で美しい。
みんなに同意は求めぬこと。多くの人は権力を追い求めるしかない、それにうんざりして
理解するまであなたとは分かり合えないでしょう。
同意を求めず、ただ独り美しくあれば自然と他の人々を照らすでしょう。
ですが、同意を求めるならば災いが降りかかるでしょう。
240神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 00:51:05 ID:dhtHhofW
もう天理教の教勢が強まるのは無理だと思う。

中山みき教祖は、女性の排卵を「不浄のもの」と呼ぶことに強く反対した、と言われるが、
今時、生理日を不浄なんて言ったら常識を疑われる。

ひのきしんも「そういうのは絶対に嫌!」なんて言ったら友人を失うだろう。

災害地に救助のために駆け付ける人々は皆天理教信者だろうか?

江戸時代だと珍しい考えも、100年以上経てば変わるんだ。

…というわけで私は天理教に敬意を払いながら日本人として常識ある行動を取りたいと思っている。
241神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 11:48:03 ID:mpFwRmUF
知ってる人が、その時代の常識にこりかたまった人に合わせて、
真理への道を与えたのが宗教だから、すべてに賞味期限がある。
道そのものは廃れないけど、
242神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 02:11:05 ID:+0jMUiZu
懺悔したいことが山ほどあるんですが
気恥ずかしくて教会へ出向くことが出来ません・・
どうしたらいいでしょうか
243神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 04:33:38 ID:u7NAXOWp
>>242
天理教は、強く叱り飛ばしたり、非難して悔いる心を強める宗教ではありません。

全ては、陽気ぐらしにつながっています。懺悔ではなく、楽しみながら道を通ることを考えてみてはいかがですか?
244神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 07:55:24 ID:QewOXThX
>>242
本来なら自分が繋がるべき教会に繋がるようにすべきなんだろうが
所属変更した人はたすからないのかつったらんな事ないし
事情教会復興で一度は寂れた教会が別の人達による別の形で賑わうってのもあるし
無理なら行きやすい別系統に行ってみるのも一つの手ではあるかと

懺悔(さんげと言わずキリスト教用語使ってるあたりに味わいがあるな)
したくなるような事をしでかしてしまうのも因縁だわな
他の事でも罵倒される場面がおこるだろうけど
淡々と受け入れつつ乗り越えてったらいんでないかい
245神も仏も名無しさん:2010/04/26(月) 22:09:28 ID:Hm8KIV0d
助けてください
246神も仏も名無しさん:2010/04/26(月) 23:26:09 ID:8MtqS3kx
聞いた話だと、今回の婦人会創立100周年は以外に盛り上がったそうだな。
もっとも、最初から期待してなかったことを考慮した場合の反動も加味してだが。
247神も仏も名無しさん:2010/04/27(火) 07:03:19 ID:ytEtZ7+3
基本さんに対する嫉妬が渦巻いてるスレッドw
248神も仏も名無しさん:2010/04/27(火) 08:17:48 ID:UoPDA6G7
>>245
だからお近くの教会へどうぞって。
どこの町にだって教会の一つ位はあるぞ? 都市ならごろっごろある
大教会なら事務所詰めとか神殿当番してる先生らが誰か彼かいる
そういうのは結構まともな筈だから相談したらいい
各地にある「天理教 布教の家」の連中ならもっと親身かもしれない
電話して呼びつけるなり乗り込むなりしたら良い
249神も仏も名無しさん:2010/04/27(火) 09:35:59 ID:Q2faz2FS
>>247 へー、そんなスレッドなんてあるの?

第一、基本に嫉妬を抱くという発想そのものが理解できん。
そんな奴がいれば、何が悲しゅうて、と言いたくなる。

彼は彼の自説を、とうとうとひけらかしているだけ。
納得する輩もいるだろうし、顰蹙を買う場合もあるだろう。
それだけのこと。

こちとらなんかは、いつもスルー。
250神も仏も名無しさん:2010/04/29(木) 00:22:43 ID:QPXGbZsS
天理教って電話で相談できないんですか?
251神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 12:53:28 ID:FELvCzC8
「おたすけ」とか「おかえりなさいませ」「おやその」、みかぐらうたの真似をしたご霊呪、お筆先の真似をした苑歌(そのうた)など
天理教のコピーである真如苑が抜群に信徒数を増やし流行っているのに、なぜオリジナルの天理教は信者を減らすのですか?
252神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 19:31:13 ID:dwThtKPA

仏教では今の家族とはまた家族として生まれ変わるとありますが
たとえば親が最悪で、
来世は今の親と縁を切りたい場合はどうすればいいですか?

徳を積むことですか?

今の親とは縁が繋がらなくなる位 徳を積むことですか?
253神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 20:44:12 ID:FELvCzC8
え?そんな話仏教では無いんじゃない?
人はこの世で死すれば再び六道のうちのどこかに生まれ変わる。
上手く解脱できればそこから外れる事が出来るけど、
どっちにしてもそれは家族ユニットで動く事じゃなく
個々人それぞれのこの世の行いによることになってるんじゃない?
254神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 21:37:29 ID:dwThtKPA
http://www2.wbs.ne.jp/~help/p022.htm
ここに書いてあります
255神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 23:47:55 ID:FELvCzC8
家族ユニットというか、血縁を尊ばすのは中国式の儒教だよな。
でも、三代どころか、もっと先の先まで尊び大事にする。
で、なんで神なんだ?日本の神は自然そのもので、沢山いてるんだよ
こんな一神教の神みたいなもんは日本にいない。キリスト教のパクリだなその部分は。

こうなると作ったもんに有利な脅し話だねぇ そこらのもん取ってきてごちゃ混ぜにしたムチャクチャ話やなぁ
こんな思いつきの口から出任せ誰が信じるのぉ?まあ、真如苑でも仏教と言ってこれとよく似た与太話をしてるけどね。
256おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/01(土) 10:01:07 ID:EGPmTxZ1
>>250
出来ますよ。

とりあえず天理教本部の代表番号に電話をして、関連部署に内線で繋いでもらうように問い合わせてみてください。
257神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 14:30:11 ID:v7geGbJ1
似た感じの書き方だけれど昨日は来れなかったし違う人です
258神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 20:13:43 ID:1xdfgO9X
>>255
中山みきは「おやさま」であって神様ではありません。
また中山みきの孫・真之亮以降の子孫も真柱であって神様でも神様の子孫でもありません。

天理教では親神様を信仰し、天の理を理解することに重点が置かれています。
259神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 21:48:05 ID:UbWfeDy+
初めて知った。
おや様=神様=中山みきさん だと思ってた・・
こんがらがってきた・・
260神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 22:45:06 ID:Pha6YzH4
いやあ、あれはね、2代真柱が
親神天理王命=教祖中山みき 説を唱え
正式に教義と定めたから、そうなっていた訳。
それまでは、天理王命という神がみきの体内に入りこんで
つまり、社として体を借りたと言う形だったため
生き神様とは思われ、畏れられてはいたけど
親神と中山みきが完全にイクオールと言う関係では
受け取られていなかったと思う。

基本氏なんかは、オーソドックスにイクオール説を固く信じておられるようだけど、
おれ自身は、イクオールはちょっと無理があるんじゃないかと思ってんだな。

天声人語じゃあないが
「神に口なし、よって人をして言わしむ」と言う感じで、
神の声なり、神意なりを伝える媒体、依代的な存在だったと思う。
ただ本来別人格であったものが、神意を聞き続けるうちに同化していった、
つまり、神的人格が形成されていったという言い回しは可能と思われるが。

中山みきは、元々イザナミの命の魂の持ち主という教団の説明もあるが、
純粋な魂・歴史的な(因縁の)魂と理由付けしたいんだろうが、
それはそれで、どうでもいいことにも思われる。
大体、イクオール親神なら、別にイザナミに限定しなくとも
十柱の神全てを内包してなきゃならないはずじゃないか?
261神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 23:22:38 ID:QdtG04xR
桜井から山の辺の道を通り、日本の古代の息吹や原風景を満喫し、石上神宮を最後に
心が洗われ満喫した気分で、天理駅に向かった。

しかし途中の、天理教の巨大施設や教会本部の異様な光景、はっぴを着た大勢の信者
を見て、衝撃を受けてしまった。

山の辺の道で得た充実した気分や、素晴らしい田園風景が、天理教のあまりの
インパクトの強さに吹っ飛んでしまったよ。

オレのすばらしい気分を台無しにした、ここに居る天理教信者は、一言ゴメンナサイしろw
262神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 23:30:22 ID:J6vFosTR
東京の井の頭線でこちらの信者とおぼしき
同じ学校だった人の名前を
囁いたり仄めかす人たちがいますが
どうにかなりませんか。
宗教戦争とマスコミの狭間で非常に不愉快です。

私は天理の信者でも創価の信者でもその他の新興宗教関係者でもありません。
マスコミ含め何年も前から付き纏われて
迷惑しています。

創価とマスコミと並んで日常の生存権も人権も著しく
侵害された状況です。
カルト指定されないのが不思議です。
263神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 23:54:02 ID:kychxOfa
親神と道具・雛型の神々との関係について、
これを十柱と数えることが問題にされているようです。

ここでも雛型には男女の一対があり、道具として引き寄せられた神々も、
それぞれが相反する働きをもつ「対」として存在しています。
もちろん道具と雛型の神々を親神と同じ次元の存在と考えることはできませんが、
道具・雛型である以上、明らかに個々に特有の働きをもつ存在であることは間違いありません。
中山善兵衞=男性の雛形の魂(いざなぎのみこと)中山みき=女性の雛形の魂(いざなみのみこと)

くにとこたちのみこと(月)、をもたりのみこと(日)という二つの根元神格、
いざなぎのみこと、いざなみのみことという二つの雛型神格、
その他、六つの道具神格に分かれ、
同じく神名といっても同列ではなく、順序があることに注目の要がある。天理王命様は
一即多、多即一ではなく、一の順序的拡多、多の順序的帰一というべきであろう。

<天理教教義学序説より抜粋>
ttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:H8xw5aLIIaIJ:www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/kyogaku-k14-4.htm+%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%E3%81%AF%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E6%95%99&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
264のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/05(水) 00:15:22 ID:C0N6QQBX
>>260
キリスト教では、三位一体として表してるよ。
父なる神、子なる神、聖霊なる神。
天理教の場合、親神、教祖、祖霊、これで三位一体と思う。
天理教では、三位一体という言葉は無いみたいだけど。
265のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/05(水) 00:16:56 ID:C0N6QQBX
>>260
だから、親神と教祖は、イコールであり、またイコールでない、と思ってる。
266神も仏も名無しさん:2010/05/05(水) 10:08:02 ID:7qACy6Pv
>>264
>>265
のぞみちゃん

ひとつお聞きしたいのですが、天理教ではキリスト教やイスラム教の神は
どういう立場になるのですか?
267のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/05(水) 11:27:21 ID:C0N6QQBX
>>266
天理教信者ではないので、父なる神を信じるクリスチャンの立場から、天理教の親神について。
キリスト教でも、天理教でも、この世を創られた神様は一つ。
神が一つなら、キリスト教の神も天理教の神も、同一になる。

邦訳コーランも持ってるけど、あまり読んでないのでイスラム教は知らない。
ただイスラム教ではイエスは神でなく預言者の1人とされている。
イスラム教的に天理教を見るなら、中山みきも預言者の1人になるのでは。
268神も仏も名無しさん:2010/05/06(木) 11:10:50 ID:oh60/lsZ
ユダヤ教の神とキリスト教の神と、イスラーム教の神は同一の神
>>267 が感じるように 日本において天理教も同じようなことを言っているというのなら、
「神」がなにと言うことではなく、キリスト教システムスタイルを模倣し権力を集約できる形が美味しいと考えた人間が構築していったんだろう。
初代の おミキばーさんが、その当時どう考えていたかは別としてね。

そして、その(゚Д゚)ウマー なシステムをコピーし味付けだけを仏教風に変えたのが、幼少時期実家が天理だった伊東真乗 真如苑教主
こいつは家が元々占い屋だったから、筮竹占いを霊界の言葉を伝えるシステムなどとデタラメ言ってこれをもう一つのMCの柱にした。
それと、教会は少なく、分教会機能は信者の自宅で家庭集会。これは信徒の持ち出し。でも、権威だけは振りかざせる。こんなところは金がかからんように考えてあるのよね。

改良と言えば改良だけど、ナンダカナーであるよな。金儲けにも時代の波に敏感でないと。天理市よろしく立川市は地面を色々と真如が買っていってるみたいだしね。
269神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 01:11:19 ID:2PBWW0FX
自分の家は天理教です
みなさんにお聞きしたいことがあります

キリスト教や仏教など結構触れる機会の多い宗教があるのになぜ天理教なのですか?
最初に触れた宗教が天理教と出会ったから?その他の宗教は駄目だから?
もしたまたま最初の宗教だったからというのであればほかの宗教を見てから、天理教に納得した上で信者になるべきだと思うのです。
そう思う理由は、例えば自分の家がある宗教に入っていて、その宗教の教えとして、お供えをできない人は自分の身をお供えをすべきだ。という教えがあったとするなら
日本では環境的にありえないことだと思いますが、外国の宗教心の強い国の人であれば教えの通りに身を滅ぼすことになることはありえないことではないと思います
つまり外から見なければわからない、当たり前だと思っていたことが実はおかしかった、なんてことが起こりうるのではないでしょうか
宗教というものは何となく信じるべきものではないと思うのです。
理由なき宗教心は作られた信仰、洗脳です。

そもそも宗教が絶対必要というわけではないと思います
宗教は心の弱い人の支えです、弱い心が神様を創ります

もう1つ
天理教は人助けをしたりしていないのですか?神様に守られているだけなんですか?
あれだけ沢山の人間がおぢばに行くお金があれば沢山の人が救われると思うんです。
天理教を知らない人は救ってくれないんですかね
270神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 18:16:56 ID:ukrlXHtx
色々なパターンがありますよ。
家が天理教でも、疑問を感じて離れていく人。
学会やエホバ、更には統一教会に宗旨変えした人もおります。
そこから又、天理教に舞い戻った人も知っています。

家の信仰に何の疑いもなく、ノー天気に従う人、
疑問を感じながらも、しぶしぶついていく人、
そのうち、事情・身上ができ、深く信仰するようになった人、
あるいは、全く他宗の方で、この信仰は素晴らしいといって
あらたに信仰を始めた人・・
まあ、これはまれなケースではありますが、
特異な教義にひかれたか、よっぽど魅力的な信仰者に導かれたのか
どちらかでしょう。

教義的に、例えば比較教義学などを勉強すれば
まんざら捨てたものではないことがわかるでしょう。
ただ、ここでもよく指摘されるように、教団組織については
非難されても仕方がない部分が、多々あると思いますよ。

あと、2点。
「宗教は心の弱い人の支え・・」とは限りません。
それは、拝み信仰・ご利益信仰のみ求めている方に過ぎません。

「天理教は人助けをしてないのですか?」
災害救助活動などもしております。いわゆる、ひのきしん隊。
とりわけ、阪神大震災の時の取組みは、マスコミでも高く評価されました。
271おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/08(土) 06:14:18 ID:sg2n+Nsj
>>269
>キリスト教や仏教など結構触れる機会の多い宗教があるのになぜ天理教なのですか?

☆「やまとことば」を多用しての妙なる言い回しには面白さや痛快さを感じるところがありましたね。

>最初に触れた宗教が天理教と出会ったから?

☆そうではなかったのですが。 
但しどこからともなく「人間の体とて神様からの借り物であり、魂だけが自分のもの」という思想が
この自分が実際に天理教の教えに触れるより15年ほども以前の、まだ小学校時代には入って来ており、
そういった人生観を小学校のときから持ってはおりました。

>その他の宗教は駄目だから?

☆そんなことはありません。

>宗教は心の弱い人の支えです、弱い心が神様を創ります

☆このお考えも決して正しくはありません。
 なぜならば、長い人生においては必ず、ピンチを迎えることがあるもので、
 そういったときには100人中100人ともが神か何かの”見えない絶対者”に縋りたくなるはずなのです。
 それに第一、心が弱くない人などは実際には誰一人として存在してなどはおりません。
 人生が割合順調な時期には自らの心は強いんだと慢心しがちなものですが、
 いざ人生の節目を迎えた際には改めて、自らの弱さに気付いたりすることが
 往々にしてあるものです。
 よって、寧ろ自分の心が弱いんだと悟りきっている人のほうが、いざとなれば強いものだったりするのです。
272野良天 ◆3gxC3xwhfc :2010/05/08(土) 06:38:11 ID:ODtSwmGg
>>270
残念ながら、教義は教団内部の思想統一のためにあるようなもので、教団以外の
人間からしてみれば、どうでもいいと感じている。
宗教は、何を教えているか、より、何をしているか、で判断される。

阪神大震災には私も個人的に3週間(本部勤務を終えてすぐ)と、ひのきしん隊
での選抜メンバーで参加したけど、ひのきしん隊のときは被害にあった教会の
解体の手伝いとか、補修程度の仕事しかなかったぜ・・・
震災直後は必要とされたかとは思うがね。
個人的に参加した方は、早稲田を中心とした学生のグループとと温水プールを
改造した公衆浴場の運営を手伝っていた。
*早稲田の学生の多さには驚いた。

ああ、ひのきしん隊の時に食べた冷めた鶏飯の缶詰が懐かしい。
273266:2010/05/08(土) 07:27:46 ID:hLPtr9xG
>>267
のぞみちゃん、レスありがとう。

のぞみちゃんは、キリスト教信者だったのですね。

>>267の内容から、キリスト教の神と天理教の神の
いずれを信じていても同じということなのですね。
そして、どちらの教団に所属していても同じということですね?
良く解りました。
274基本。:2010/05/08(土) 07:42:48 ID:KHB4vyFp
>>269
ご質問の趣旨の前提が、そもそもの問題だと思います。
親神様がいるという事。
その親神は天理王命と言う名であり、ぢばで人間をはじめかけたという事。
これを信じているということであれば、貴兄の家は、天理教の信者という事になります。

人間が神を創作したと思えば、天理教の信者というよりも、そういう創作活動の一員という事になります。

どちらでしょうか。
275基本。:2010/05/08(土) 07:56:20 ID:KHB4vyFp
>>269
親神がいて、奈良県天理市に人間の故郷があって、そこに存命の中山みきがいる。
その中山みきが、世界一列を助けたいと、にちにちに、親として、思案している。
その、たすけの模様に、神の道具として、手助けしたいというのが、天理教の信者。
「用木」というものは、そういう精神の定まった人の事で、それが信者というものの、素直な姿とします。
仮に、本当は、天理市の一角で人間にこしらえたなんて事は無いと、思っていたら、信心はやめるべきです。

天理教の場合には、たすけたいと言う、親神がいて、たすけてほしいと願う子がいて、その子が、確かに元の親神だと、たすけられて確信して、それから信心するものです。
レストランでメニューだけ見て、食べてみないで、旨い不味いとは言えない様に、たすけてほしいと願って、たすかってから、信じたら良いのであり、
それ以外の入信というものを、天理教の親神は、「否定的」であり、認めていないという事です。

「この道は、みんな身上から付き来る道、身上なしに付いたものは、一寸咲いた花のようなもの」とは、天理教祖の、その件についてのお言葉です。

病気になって、あるいは生まれながらの病気があって、たすけてほしいと神に願って、たすかって、それで入信するという順番が、信仰者の根の部分には、不可欠ということです。
276基本。:2010/05/08(土) 08:29:54 ID:KHB4vyFp
私の場合で言えば、生まれたときに「肉腫」があった。
血管も神経も通っていて、頭の瘤のようになっていた。
両親は、神様に助けてもらうしかないと、天理王命様にお願いをした。
成長とともに、肉腫は小さくなっていって、中学校入学前頃には、くぼみになっていて、そこだけ、頭髪が極端に無かった。
けれど肉腫は、何の手術もせずに、消えた。
それから、少しづつ頭髪も生じてきた。
私は、それだから入信したというわけではない。
私の小学校の同級生が、白血病になった。
医者は見離して、そういう状態で、偶然に私の父親がおたすけに出向いた。
奇跡的に病状が回復すると、その彼を、こどもおぢば帰りに、参加させると、父親は、「お前たのむぞ」と、何時倒れてもおかしくない、病人を、おぢばにつれていくと、きめてきた。

私は、その時、入信した。
生涯、天理教をすると心定めした。
子供おぢば帰りを、一生の思い出に楽しんで、頂いた事となって、彼とは、数年をすごし、彼は出直した。
「俺の家は、どうしたら良いのだ」と、何度も何度も問われた。
「本当のことを教えてくれ」と・・
けれど、何度も口にでかかった言葉を、あの時には言えなかった。
その深い残念があって、私の天理教は始まった。

自分の病であれ、人の病であれ、病なくして、天理教信仰するというのは、本筋では無いと思います。
277神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 20:59:01 ID:hVjonhwj
中島みゆきが好きだから、天理教の教義を理解するようになり、おぢばにも
帰るようになった、というのではダメですか?

小学校高学年の頃以来、辛い事があったとき、泣きたくなったとき、勉強を頑張るとき
・・・など、いつも中島みゆきの歌を聞いて過ごしました。

時は流れて、30代のオジサンになったとき、不治の病に罹って、これから
どう生きていこうか?と悩んでいたとき中島みゆきの歌を聞いて「結論を出す
前に天理へ行ってみよう」と思い立ち、生まれて初めて「朝のおつとめ」という
ものをして、道友社の本を数冊読みました。

・・・私がずーっと昔から感じていた事、考えていた事と同じことが数多く
書かれていて、私の宗教は天理教なんだ、と思いました。

病気のほうは半年ほどで軽快し、今は普通に働いています。
不思議だとしかいいようがありませんが、おぢばに帰ったときにたすけられた
ように思います。たすけたのは親神様かもしれませんし、初めてのおぢばで
親切にしてくださったようぼくの方かもしれませんが。
278神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 23:04:19 ID:p0VX7oBR
我執の強い、業の深い悪人ほど、
救い、仏法となかなか縁がもてない・・。そんな気がします。

頑固すぎる私のことだけど。
279神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 00:03:57 ID:rQIZBCch
天理な情報源と天理的な人たちと層化に絡まれているわけだが
その情報源が良いか悪いか
天理教関係で助かったわ。

絡まれている状況は非常に理不尽ですが。

田舎モンの子供たちや人たちをどうにかしてね@世田谷区
280神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 00:40:12 ID:2zU812M3
あれ?久々に来たら基本も希望も復活してるなんて数年ぶりだW
せっかくだから基本に聞きたい。

かたや十数億超えの世界宗教。かたや十数万の天理教。
陽気ぐらしさせたいなら、この布教という無駄なプロセスを何とかできんのか。

前世の記憶とかある人いるじゃん。だったら何で本当の神様の名前や存在を
生まれたときに記憶させとかないんだろうね。これは別に洗脳でも何でもない。
本当の神様を知ってても悪いことする奴はやるよ。煙草吸う奴は吸う。のと同じ原理。

戦争の大半が宗教戦争ってことは周知の事実。死人もでるが飢餓や難民も出る。
このリスクを元の神を知らせるだけでも十分回避できると思う。
281のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/09(日) 01:03:02 ID:/XCnHqc9
>>277
♪あぁ〜くじょお〜になぁ〜るなら♪
♪つきよはおよしよ♪
♪すなおになりすぎぃ〜るぅ〜♪

中島みゆきから天理教、オッケーなんじゃないですか?

また逆の場合もありますよね。
宗教に関心あるから、その信者の芸能人に関心抱くとか。
希美の場合、カトリックのテレサテンが好きです。
亡くなられた後、テレビでテレサテンの生涯の放送。
それを見て、テレサテンのひたむきな何かを求める生き方、またカトリックの洗礼名テレサを芸名にしたことなど、とても関心を持ちました。
テレサテンの生前の時は、無関心だったんですけどね。
テレサテンのテレサは、マザーテレサからの説もありますけど、テレサテン自身の洗礼名からの説が正しいようです。
282のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/09(日) 04:01:21 ID:/XCnHqc9
>>273
宗教で大切なのは、『親切』、『向上』の2つかなと思います。
極端な話、それを学び実行できれば、どの宗教でも良いのでは、と思いますよ。

また、それが学べれば宗教じゃなくてもいいのではないかと。
世界三大聖人と言われるのは、釈迦、イエス、孔子ですけど。
釈迦やイエスは宗教になっても、孔子は宗教になっていないですよね。
でも孔子の教えは、高校の時に漢文の授業で扱うほど、メジャーな教えです。
何でもいいんです、天理教でもキリスト教でも、親切と向上が学べれば。

自分が学びやすいものを選べばいいのではないかと思います。

283のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/09(日) 04:11:30 ID:/XCnHqc9
ただ出来ることなら、2つ以上の宗教と、宗教でないものを知ったらいいのではないでしょうか。

クリスチャン希美、最初は天理教をまったく知らず、ザ掲示板で、さよみ先生に天理教本部HPを教えていただきました。
そのあと2ちゃんで基本さんに教えてもらったり、天理教教会に行くことを勧められたり。

そして実際に天理教教会を訪ね、おぢばにも参拝し、天理教から学んだこと大きいですね。

キリスト教だけでは学べないものを、天理教から吸収しました。
284神も仏も名無しさん:2010/05/10(月) 08:43:40 ID:Dvb7d9aY
>>272 マスコミで評価されていたのは後半部分ではなく
最初に、天理小・中生らの手による大量のおにぎりを
毎日新聞社を通じて配ったことと、一般向けの給水活動です。

たかじんの「そこまで言って委員会」で
例の毒舌の勝谷氏もそんなことを示唆していましたよ。

それから噴火後の北海道有珠町での植林活動
越前海岸でのタンカー事故による漂着重油撤去作業なども

それから、刑務所に教悔師を送り、社会更正に協力してきたこと。
(実際、どれほど更正に寄与できたかは定かではないものの、キリスト教・
仏教諸派の方々とともに、社会的には一定の評価があってる訳で、それで
今でもお呼びがかかってることのようだが・・)

最近では、里親活動に力を入れており、全国の里親の約一割は
天理教の関係者になっている。
(かつて、教祖が「人様のこどもを育てさせてもらうこと以上に
神様に喜ばれることはない・・」だったかな? そんなことを言われたとかで
主に教会宅ではあるが、熱心にされている模様。
これは、実際は大変な作業。特に奥方のご苦労は・・)

まあ、教団も全く社旗貢献してないことはない、と言う一例を揚げてみただけで
(マイナス面ばかりしか書かないのは、ややバランスに欠けると言う気もあり・・)
だからといって、もちろん教団活動を全肯定してるわけでもないし、それより
その前に、内部的に改めるべきことが、多々あるだろうと言うのが私の本意。
285神も仏も名無しさん:2010/05/13(木) 11:06:44 ID:bIf0vOWZ
はぁ・・・
286神も仏も名無しさん:2010/05/13(木) 21:20:52 ID:qZxLYTqI
>>285
?中島みゆきさんの「ファイト」をどうぞ。
自分も久しぶりに元気があるのだけれど
287のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/17(月) 05:38:23 ID:sSpP6uZf
>>284
おにぎりは、保健所と関わると禁止になったりするよ。
衛生面でね。
宗教団体は、保健所と関わりないから、うるさく言われないけど。
288のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/17(月) 05:43:37 ID:sSpP6uZf
>>284
知ってるカトリック司祭、天理教教会長、どちらも教誨師やってる。
でも里親できるのは、天理教よね。
キリスト教には、なかなか難しいことを、天理教はよくやってると思う。
里親と、こどもおぢばかえり、その2つがあるから、クリスチャン希美は天理教に惹かれるよ。
まぁカトリックも、天理教に出来ないことやってるけどね。
289神も仏も名無しさん:2010/05/18(火) 13:07:28 ID:+EJ0h2mr
うちのアパートに広告や勧誘お断りと書いているのにも関わらず、
どかどか何人も男が来て広告入れてピンポンしまくって、あげく
オレの家にまで来て何度もチャイムを押しまくり。一度押せばわかるっつーのに。


うぜえんだよクソ宗教。全員首吊って死ね。
290神も仏も名無しさん:2010/05/19(水) 19:31:15 ID:ZYHCX9dk
こちらは5つを見てるよね?
あの後のが解らせる為のカキコかぁ
291基本。:2010/05/20(木) 08:18:19 ID:qN16BirB
>>280
> せっかくだから基本に聞きたい。
> かたや十数億超えの世界宗教。かたや十数万の天理教。
> 陽気ぐらしさせたいなら、この布教という無駄なプロセスを何とかできんのか。
・・
> このリスクを元の神を知らせるだけでも十分回避できると思う。

基本です。
自分で問われて、自分で回答するというスタイルになっていて、基本的な答えはお分かりと思います。

つまり、「布教=回心という名の信者獲得」によって、全人類を信者にすれば陽気暮らしになるという、「人類更正・四十年祭運動」の、虚構を、嘘だと認める時期にあるというご指摘です。

そのとおりであると、理解しているのが基本です。
292基本。:2010/05/20(木) 08:40:28 ID:qN16BirB
>>280
中山みきの思想は、2ちゃんでは天理、天理2、教理研究・甘露スレなどにて現在、詳述中ですが、
山名系教義学、八島系てんりんおう、そして、古くは山中忠七、中山秀司、近くは諸井国三郎という「天輪王・うそつき神名派」の説いているものが、
布教で世界を変えるという、「カルト的」「攻撃的」な、「宗教高山対立」の異端の思想ということです。

なぜ異端かといえば、「神名」が違うという事は、異端なのです。
例えば八島系は、「てんりんおう」が教祖の説いた正しい神名だと説いていますが、裁判では「天理教会」を名乗る権利で、勝訴していて、
おふでさき、3625の数理を持ち出さずとも、その異端ぶりは滑稽です。

つまり、「究極の教え・天理教」は、世界を救うと、いうけれど、実は信者獲得の宗教商売。
この「てんりんおう一派」が、なんで大和神社で「何か舞わん」と太鼓たたいて、どんちゃんやったのか。
つまり、宗教においての「維新思想」。
普通に言うと、「革命思想」。
取って代わるという、思想があって、「てんりんおう」と言う、十王信仰の中でも、最高の実力神。
最強の神を称えたはずの中山みきだと、勝手に神名を作り上げてしまった。

この「天輪王派」が、毛唐の神の国思想・唐人思想にかぶれ、
八島系では、毛唐の共産革命思想・唐人思想にかぶれて、
他宗教から回心させろ、とか、「天皇教と戦え」とか、対立の思想を、混ぜ込んだという事です。

おのおののスレにて、それは詳しく述べ続けている途中です。

そういう態度は、世界の戦争の原因は「宗教戦争」とご指摘のとおりの、
「大社高山因縁」そのものです。

「天輪王派」には、その因縁の自覚を促しています。


293基本。:2010/05/20(木) 08:50:46 ID:qN16BirB
「ほんなんでもない百姓のおんな」。
中山みきの開いた教えは、「維新思想」も「十王信仰」もといておらず、「権威行動・権力行動の否定」と言うものが、その思想の根底にはあるということです。

それは、みかぐら歌に書かれているように、「においばかり」をかけておく。

中身まで試食させてしまうのではなく、「匂い限定」のものを提唱していて、
それは、「ひとこと話はひのきしん」と、「ひとこと」限定に、なっているという、
布教ではなく、「たすけ」と「その匂い」。
これは、おやさまの、御神楽歌・お筆先に知らされた、「親のたのみ」なのです。
294基本。:2010/05/20(木) 09:01:38 ID:qN16BirB
「ひとこと」限定という、「ひとこと」の基本は、お筆先にあります。
最近は、お筆先は、盾縫分教会さんの、ユーティリティを利用しています。
http://tatenui.from.tv/utility/search.php?type=ofudesaki_go&go=12

第12号 129
このよふのにんけんもとをせかいちう
しらしてをいた事であるなら
Kono yo no ningen moto o sekaiju
Shirashite oita koto de aru nara
If I should make the origin of human beings known to the whole world,
,130 この世の成り立ち、人間創造の元の理を、世界中へ教えてさえ置いたならば、それから後は、どのような身上事情も一言で救ける。



それからハどんなたすけもするほとに
一事までゝみなたすけるで
第12号 130

>>280
> このリスクを元の神を知らせるだけでも十分回避できると思う。
まさに、>>280さんのご指摘のままのお筆先が、ここにありました。

ご質問と、回答を用意されていて、思わず楽しくなりました・
295基本。:2010/05/20(木) 09:17:33 ID:qN16BirB
そこで、回答者としては、ご質問のもう一つ奥という物を掘り下げますと、
「一言」と注釈にあり、「一事」とお筆先本文にある。
この意味です。

「一言」とは言葉。「一事」とは物事です。
例えば青年会などでは「神名流し」をしたりしますが、あれは「一言」。
それならば、「一言」とは何か、と言いますと、ひながたの「実例」では、「水のさずけ」。
これは、まさに、「一言」でたすけるという、基本形になっています。

そして、おやさまは、なぜか「うそつき神名天輪王」系の面々に、「小児水の授け」などを与えているという事実があります。

何せ彼らは、基本的に多弁なのです。
基本と一緒で「一言」て゜は終われない。
そこで、「一事」の方の「ひとこと」をさずけられた。

普通に言う「論より証拠」。
「匂いばかり限定」とは、一事でたすけて、多事にするなという意味に知るべきでしょう。

友人が、おたすけされていて、最初の「ひと言」で、ご守護が見えた。ところが教会活動やなにやらで多事になった。
・・再発したような話であったので、「ひとこと」限定に戻される事をお伝えして、再度のご守護を見せていただいた。
数月前の事ですが、お筆先は、「違いあるなら」と知らされたものです。
「一事」までで、たすけるという、それは、子供に、回心のなんのと負担をかけてはならないというおやさまの親心ゆえの、厳しい天理です。
296基本。:2010/05/20(木) 09:37:09 ID:qN16BirB
>>295
> そこで、回答者としては、ご質問のもう一つ奥という物を掘り下げますと、
お筆先12号というものが、「ひとこと」信仰の示された土台です。
「うそつき神名派・転倫明神」のかたり、秀司に対して、当時秀司は、蒸し風呂屋を開業していた。
信者が帰参すると、その蒸し風呂屋の客として商売していますというスタイルで、認可を、子供の名義で受けていた。
つまり、「うそをついて」神の道を広める手段だと、「てんりんおう派」が、おやさまへの感謝として持ち出す、「布教」の手段に工作していた。

そこで、おやさまは、きちんと、「死」を予言した。
三年後には、ちゃんと死んで、商売も終わりますが、蒸し風呂商売では、金かき集めの埃の病気を、お屋敷ではみんなしていた。
まあ、そんなものです。

その時に、もう一方での、珍しいたすけとして、知らされたのが、「一事」のたすけでした。

つまり天理教は、「元の神」を知らせて、後は「一事」までで、助ける。
たすけ一条であれという、
世界助けの解決策は、「うそつき神名派」・毛唐かぶれの「維新・革命思想」家にまっさきに示されていたという事です。

「嘘つくのをやめて」「毛唐かぶれはやめて」「一事までで」と、
おやさまは、小児水の授け。

そうそう、深谷忠政先生も、「一事」までの、おさづけ。すばらしいご守護でしたねえ。

天理教の本質は、「維新改革にあらずして」「元の神をしらせ」「一事のたすけ」にある。
という事です。

基本的には「一事」でたすけるという、実の神信仰こそ、世界助けの大道です。
297基本。:2010/05/20(木) 09:58:49 ID:qN16BirB
人が助かるのがうれしくてお助けするのと、信者増加がうれしくておたすけするのでは、まるで意味が違います。
人が助かるのがうれしいというのは「一事まで」ですが、信者増加がうれしいとなると、それは、「二事」です。

「助かった人が、人たすけを出来るようになるまで育ててこそ、真のお助けだ」
こんな、説話を真に受けますと、「万事」の事情になる。

ありとあらゆることを事を、修理・丹精する事になって、それは、無理がある。
そんな万事の事は、おやさまにお任せして、「ひとこと」に専念していたら、水の授けの東大教会、小児水の授けの山名代教会。
形ではない、中身の神一条が充実できたでしょうが、「万事」とは地場の事情。

本部になりたい。本部と同じことしたい。
いや、それをしないと、「一事以上」を求める信者獲得には不都合となる。
それで、ごちゃごちゃと、異端化する。

集客も集金も、元の神には無用のものです。
本当の「一事」の一筋のみが、天理教の一人一人であることで、世界はたすかります。
と、おやさまは、示されています。
298神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 15:59:24 ID:2+wvEvum
徳島県教祖 四国初中に支援金伝達

徳島県教職員組合から四国朝鮮初中級学校に150万円の支援金が送られた。
5日、徳島県教育会館で県教組・富田真由美書記長が四国初中・呂東珍校長に手渡した(写真)。
総連徳島県本部ではこれまで学校訪問や朝・日交流の場で、
四国初中が60余年の歴史と伝統を誇る四国で唯一の民族学校であり
同胞学父母の熱意と協力によって運営されてきた経緯と現状について訴え、民族教育に対する支援を呼びかけてきた。
これを受け徳島県教組は、日教組が全国的に行っている街頭での「子ども救援カンパ」の一部を四国初中へ充てるよう申請し、積極的に働きかけた。
こうした試みは全国初だという。
富田書記長は、「行政の民族差別もあり、
学校運営の厳しさを知っていただけに何か出来ることはないかと日頃思っていた。
支援金を渡せて、大変うれしく思ってる」と述べ、学校関係者にエールを送った。
呂東珍校長は、「厳しい状況の中でこのような貴重なカンパ金をいただき深く感謝している。
これからも、朝・日交流のさらなる発展のため、力を注いでいきたい」と語った。
毎年恒例となっている学校訪問についての話し合いも行われた。
12月5日に教職員、児童生徒、父母らとの交流、意見交換会を開くことが決まった。

[朝鮮新報 2009.8.21]

ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/03/20090821j002.jpg
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/03/0903j0821-00001.htm
299神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 10:10:43 ID:56x9PcJT
天理教って犬を飼っちゃいけないんですか?
300基本:2010/05/25(火) 11:05:38 ID:o2LoLO7T
演歌歌手さんが、大成功すると、貧しい国に学校建てたり、井戸掘ったり、福祉していますよね。
あれ、変なんですよね。
自分達を支えてくれた水商売の(かっての)おねえさんとか、そういう人に、還元しないで,
福祉活動・・なんてね。
なじみませんねえ。
301神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 11:15:19 ID:FqmTs9Sn
>>300
あんたとは考えてる次元が違うんだよ
302神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 18:31:53 ID:uDLCnTqv
>>299
かつて、「野良天」という犬を飼ってて、その飼い犬に手を咬まれたとかで
それ以降、犬を飼わなくなったそうです。

と言うのはジョークで、
別に犬猫他、ペットを飼ってはいけないということはありません。

ただ、人間様さえままならぬのに、ペットにやるエサなどない
と言って、飼うのを快しとしなかった教会長はいたようです。
303おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/25(火) 19:03:26 ID:Qi5WvCna
>>299
犬を飼っている教会ならば近所に幾つかありますよ。
304神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 21:40:12 ID:jPxu/erx
>300
自分達を支えてくれた水商売の(かっての)おねえさん

ってのは直接自分に返してもらおうなんて
小さいレベルで応援してないと思うよ。
305のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/26(水) 03:54:21 ID:P0xYXa0W
>>300
水商売の人向けに、何の学校を建てたらいいの?
カラオケ大学でも建てて、飯田の帝王が教授に就任?
306おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/26(水) 05:51:19 ID:/mt6Dr5q
>>302
>人間様さえままならぬのに、ペットにやるエサなどない
>と言って、飼うのを快しとしなかった教会長はいたようです

三代目の真柱なんか、ご自分の飼っているワンちゃんを連れてお散歩していたぐらいなのにね。
真柱の立場なら、自分の飼い犬のエサに不自由するようなことは、まずないだろう。

…これ一つ取ってみても、世の中は実に不公平だと思うんだよねw
307神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 14:46:19 ID:s1ywxA4r
>>302
>>303
レスありがとうございます。
家族として長年一緒に暮らしてきた犬を処分するか手放すよう言われています。
身を切られる想いです。

自分が知る限りでも犬を飼っている教会、本部施設がある事は知っていますが…
動物の命ひとつ大切にできない事が、信仰と言えるのでしょうか?
真柱様は犬を飼ってもいいけど、普通の教会は駄目なんですか?
308神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 15:36:14 ID:P+/9RcY9
>>307
理由があるだろ。
急に処分なんて言わない。
309神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 15:53:23 ID:14RemZlb
>>307
手放さなければならない理由はなんでしょうか?
犬にも魂はあると言いますから、手放さない方が良いと思いますよ。
310神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 17:42:10 ID:s1ywxA4r
>>308 
>>309
手放さなければいけなくなった理由は「教会だから」です。
場所を移転する事になっており、移転先は飼えない環境ではないですが
教会だから連れていっては駄目だと言われました。上級教会には逆らえません。

小型犬です。犬ですからもちろん吠える事はありますが、噛みつきはしません。
信者さんに犬嫌いな人がいれば問題だと思いますが、そういった事があるわけでもありません。

全国の天理教の教会全てで、動物の飼育を禁止しているのなら納得もしますが
要は決める人間が動物に対して寛容か寛容でないかだけでの判断ということですよね?

数年間、日々家族の心の支えになってきてくれた子です。やりきれません。
311神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 17:48:32 ID:P+/9RcY9
>>310
あなたの立場は。
移転前はよくて移転後はダメな理由は。
312神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 19:08:06 ID:14RemZlb
>>310
上級教会には逆らえません?
何言ってるんですか、あなたはあなたの人生なんだからあなたの思うように
生きたら良いのですよ。・・・・現実はそうもいかないのでしょうか?
しかし、そういう人生で楽しいのですか?
上級から言われて全てハイでは奴隷ですよ?
あなたの教会が移転するのであって、上級教会が移転するのでは無いんでしょう?
ハイハイ言うのが信仰ではないですよ。上級の言うことを聞く必要はありません。
なんでお前の言うこと聞かなきゃなんねえんだよ!ぐらいでもいいと思います。
313神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 20:23:12 ID:uN3NxyX5
ネットでしか相談できないのは終わっているな
周りに親しい人いないのか

314神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 20:25:37 ID:uN3NxyX5
>>312
あんたも一辺倒すぎるな
話し合いも大切だが暴力的に言葉を吐いて関係が悪化するのが見えているだろ。

>>310
真柱が犬を飼っていたなんて初耳。種類知っている?
315神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 20:31:17 ID:14RemZlb
>>314
説明不足でした。そういう言葉を吐いたらいけないに決まっていますよね。
上っ面ではハイハイ言っても、それぐらいの腹でいいってことですよ。
316神も仏も名無しさん:2010/05/28(金) 01:11:51 ID:locxdWp8
ぐへ>>310さんは俺がまだ挨拶してない某隣町の会長さんの奥さんな気がする
ご主人には度々お世話になってますいつもありがとうございます

上級さんにたてつくとほんとにろくな事にならないんですが
ろくな事にならなかろうがその時その時に納得行くまで直談判で話し合う、
って路線もありかとは思いますよ
一時的にどこかで預かってもらって移転奉告祭などが済んでから再び迎え入れる、という方法もあるかもです

事の是非で言うなら「犬ぐらい飼ったっていいでしょ」でFAなんですが
そういう事を指図される所にいんねんを悟るべきかと思います
素直に従っても従わなくても結局は同じ結果になる公算強いです
317おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/28(金) 02:37:55 ID:2xHUmxWr
>>307
>>310
>家族として長年一緒に暮らしてきた犬を処分するか手放すよう言われています。
>身を切られる想いです。

断じて上級会長さんの、こういった言いつけには従うべきではない!!
手放すことも辛かろうが、「処分」なんて、もってのほか。

>数年間、日々家族の心の支えになってきてくれた子です。やりきれません

家族の一員であることと、全く同じということなんですよね?
しからば、尚のこと上級の不条理な横車は押させてはなりません!
今、ここで上級の言うとおりにして「処分」なんかしようものならば、
あなたは一生涯に亘って後悔と呵責の念によって悩まされることになるんですよ?

どなたかに預けてもらうとか、上級の会長さんを死に物狂いで説得して承知させるとか、
さもなくば、そこの教会と絶縁するとかをしない限り、禍根を残すこと請け合いです。

”万物の霊長”である人間様だからといって「犬畜生」として、
ままにしようとするような教会とは縁を切ることは出来ないもんなんでしょうか?
318おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/28(金) 02:39:00 ID:2xHUmxWr
>>309
>犬にも魂はあると言いますから

当たり前じゃww
319神も仏も名無しさん:2010/05/28(金) 09:59:04 ID:idjfujuo
皆さんありがとうございます

>>311
立場は…申し訳ないのですが察してください。
移転前から同じ理由で同様の事を言われていましたが
移転が決まり本格的に…という所です。
320神も仏も名無しさん:2010/05/28(金) 10:41:21 ID:idjfujuo
>>312
(理の)親の言うことが聞けないのか?
これが末端教会の現実です。

普通の一般信者であれば離れていくことも出来るのでしょうが
教会であれば、それ相応のしがらみがある場合が多いと思います。
教会を辞する場合、職も家も失うのです。それが現実です。
私達の信仰は一体どこの誰に向かっているものなのか?苦しいです
321神も仏も名無しさん:2010/05/28(金) 10:42:06 ID:idjfujuo
>>316
やりあった結果、家族を路頭に迷わす事はできません。
犬か教会か選べと言われたら、皆さんならどうしたでしょうか…?

私は天理教を貶めたいわけではないのです。
天理の教えも大好きですし、これからも親神様を信仰し続けると思います。

ただ、世上にも色々な人がいるように、天理教職者にも色々な人がいます。
同じような境遇になった場合、親の言うことを素直に聞けない自分は間違っているのか?
天理教の教会では、犬を飼ってはいけないのか?
天理教を信仰している人達がどう思うのか知りたかったのです。
322神も仏も名無しさん:2010/05/28(金) 10:58:48 ID:idjfujuo
>>317
正直に言えば、犬一匹の命すら、守り、大切に考える事ができなくて
何が宗教だ、信仰だ、と思ってしまう気持ちはあります。
そんな風に思ってしまうのは、私の不徳の致す所でしょうか。

天理教団と言う大きな組織の中では、教会と言えど何の権力もない私達です。
我が家の犬には、私達のせいで、ただひたすら申し訳なく、胸が張り裂ける思いです。
何とかして処分だけにはならないよう奔走していますが、現実は厳しいです。

もし里親さんを見つけることができても、あと数年の寿命なんです。
これは私達家族のエゴかもしれませんが、寿命を全うしたら、最後は私達が見送ってあげたかった…

手放すにしても、一生この想いを忘れることはないでしょう。
323神も仏も名無しさん:2010/05/28(金) 11:11:03 ID:idjfujuo
少なからず同じような問題に苦しみ悲しむ人と犬がいなくなれば、と思い書き込みました。
他にどこへこの想いを伝えればいいのか、私にはわかりませんでした。すみません。

犬は私達人間と同じで、この世を生きています。
人間の言葉を話すことはできないけれど、感情だってあります。
教会は犬を飼っては駄目か、もしくは隠さなければいけないような場所なのでしょうか。

天理教関係者の皆様、もしも私達と同じような境遇で苦しむ家族がいたら
どうか、どうか、救ってあげてください。お願いします。
324おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/29(土) 02:24:27 ID:+mU4diDI
>>321
>犬か教会か選べと言われたら、皆さんならどうしたでしょうか…?

教会を捨てろ!
…それとも>>321さんの場合は住み込みその他のご事情から、
教会と縁を切ることが出来ない境遇にでもあるのでしょうか?

>ただ、世上にも色々な人がいるように、天理教職者にも色々な人がいます。
○それゆえに、天理で機能しているのが「理の親制度」なわけです。悪しき方向に機能しているのが実状ではあるのですが。

>同じような境遇になった場合、親の言うことを素直に聞けない自分は間違っているのか?
○間違ってなどはいません。 但し天理教の教えのほうに関して、間違いがないわけではありません。
 それに親の言うことが正しい道理は全くないんですよ? そんな唯物道徳の呪縛からは離れてください。
 今の天理教こそが間違った教えが多すぎるのです。


>>322
>天理教団と言う大きな組織の中では、教会と言えど何の権力もない私達です

所詮は天理の教団論理に如かずではないかw
創価よりも劣った宗教でしかない天理。
三笠宮の奴に徹底して人格攻撃を加えたら(大上段に構えて)激怒し始めるような情けない天理。
325基本。:2010/05/29(土) 22:47:41 ID:J6XOjya2
>>320
> 教会を辞する場合、職も家も失うのです。それが現実です。
> 私達の信仰は一体どこの誰に向かっているものなのか?苦しいです
天理教会にいたら、家も職も保障されている。
その幸せは、実は、犬すらも大切にしてやれない不幸せ。

「生活と犬では生活をとる」あなたと、「教会の秩序と犬」では、教会の都合を押し付ける理の親。

いずれにしても、教会は辞するしかない。
そう思います。
326幸福の科学広報局 ◆Qwpuh33RxU :2010/05/30(日) 06:08:44 ID:dj2e3cW5
>>320
>(理の)親の言うことが聞けないのか?
>これが末端教会の現実です。

なるほど。
おてんばムコジョンイル総長の言う通り、天理教には「ちょんまげ精神」が横溢しているわけか。

だが、そんなものは「地球的仏法真理」に照らし合わせてみても実におかしなことだ。
個人単位での自己責任の原則こそが仏法真理に合致した物事の考え方の基準なはずだ。
七次元菩薩界におられる中山みきさんが泣いておられるぞ。

>>324
>創価よりも劣った宗教でしかない天理

貴様も図に乗るな。
327神も仏も名無しさん:2010/05/30(日) 11:27:58 ID:R5KSsxJq
基本さん
亀なんですけど
>>275の「この道は、みんな身上から付き来る道、身上なしに付いたものは、
一寸咲いた花のようなもの」とは、天理教祖の、その件についてのお言葉です。

これについてもう少し教えていただきたいのですが、口伝にある言葉 でしょうか?
328神も仏も名無しさん:2010/05/30(日) 20:20:36 ID:DyrYkdND
天理教やってるとさ、葬式だすのが大変だよな。
結構天理教に熱心だったはずの故人がさ、生前からなぜか仏式でやってくれっていうから、出前坊主に頼んだわけよ。
教会からは圧力かかるは、おまけに仏壇仏具一式揃いで買わされて、墓も新たに霊園に購入したの。
先代のとき天理教式にに完全に改式ばかりだったのに、家の中が神仏混交状態よ。
結構精神的肉体的金銭的に堪えたよ。
こういう経験した人って、いますか?

329神も仏も名無しさん:2010/05/30(日) 21:10:31 ID:EW37cpss
>>328
読解力がないのでもう一度詳しく書いて下さい。お願いします。
330のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/05/30(日) 21:36:14 ID:J7ZcbMpS

犬を真柱さまにお供えという手もある。
おやさと行ったら、犬に会いに行くとか。

331おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/31(月) 02:21:07 ID:OqBWyA60
>>326
>個人単位での自己責任の原則こそが仏法真理に合致した物事の考え方の基準なはずだ。

そりゃそうだ。
宗教による救済は、日本ではあくまで「個人」だ。 国によっては部族単位の地域もあるが。
ただ、天理教にも何かと古臭いしがらみがあるもんなんだよ。

>七次元菩薩界におられる中山みきさんが

このスレで幸福の科学における尺度は通用しないぞ。

>>330
面白い 面白いw
332神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 11:06:35 ID:/Jqynua2
>>331
>七次元菩薩界におられる中山みきさんが

このスレで幸福の科学における尺度は通用しないぞ。


確かに。そういう話は幸福の科学スレでやってくれ。正直何言ってんだ?としか思わない。
誰も信用しないし、攻撃目標になるだけだからな。
333神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 17:54:54 ID:4dz0hKaO
>>324
現状、天理教教会は世襲制の所がほとんどだと思います。もちろんそうでない場合もありますが…
教会を継いだ後に離れるというのは、実際の所難しいのではと思います。
他にも色々と事情はありますが…「生活」を取ったことを、私は責められません。すみません。
334神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 17:55:38 ID:4dz0hKaO
>>325
教会職だけで生活していけるわけではないのですが、
家という点ではまさにそうですね。それに甘んじてきた事自体が間違っていたと思います。

以前発行された天理時報に、教会に犬を置くと信者が離れると言う話が載っていたと聞きました。
信者さん方が離れていったのは、おそらく犬のせいではなかろうと思いますが
今の天理教の現実をそんな風に捉えている人がいるのも事実です。悲しいことですね。
335神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 17:58:36 ID:4dz0hKaO

>>330
それができたらいいですね
実際受け皿は無いでしょうが…
336神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 19:10:57 ID:/Jqynua2
>>334
どっから出たデマ情報でしょう?会に犬を置くと信者が離れる?
天理時報も記事のレベルが低いとしか言いようが無いですね。
私の教会は犬を飼っていますが、初代が嫌がる人でした。もう出直しましたけど。
関係ないですよ。むしろ、犬がいた方が信者さんも寄りやすいと私は考えます。
もちろん、猛犬を参拝に来た信者さんに届く範囲で神殿前に繋いで置いたり、
例えば月次祭の直会のとき、キッチンに犬を置いたりと、バカな事さえしなければ、
かえって、信者さんは犬をかわいがって、来てくれますよ。
337神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 19:12:13 ID:/Jqynua2
教会に犬を置くと信者が離れる?

教が抜けてました
338おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/31(月) 19:43:53 ID:OqBWyA60


     ,.  ´  ̄ ̄ ̄ `丶、
   /             \
  / ./         /_!  ヽ
  !/  , / ァ‐'''フ/  |  l  ',
  /  .///ー' 〃ー'  ヽ、| , i
 , /| '´  -    -    | |_|
 !/i  l  ̄ ̄`   ´ ̄ ̄ ||}
. 〈| !            | .!イ __ , -―- 、     教会に犬を置くと信者が離れる?
 l`|  | ∪              | .l.l/.:.!     __,r‐、
 || |    r――┐   , !  !{.:.:.!     /.:ノ.:.:〈
. ヽ| |\  ` ̄ ̄´ ,.イ |  ||:.:.:.\  ,.-ノ:/.:.:.:/   そんなわけ ないない!
.  |  .!>{::`:ーr:┬:r‐:´::: }<! .| >、:.:.:.Υノ :.:.:.:.:/
  ,| |:::::\::::|:: |:::|::::_:/::::::|  !{__:.!.:.:.:.!;.-'.:.:.:./
/.| |::::::::::/::∧::\:::::::::::::!  |ノl:.\:.:|:.:.:.:.;.イ、
.  | i \::/::/  \::\::/   | ヽ:_:ヽ.:.:/丿i
.  ヽ ト、 } ̄|      | ̄{ ,イ 丿    ̄ ̄   |
   jノ. ∨   ト、__,.イ  ∨ l,ハ          ノ
 /!      |:::i:::::i::::|     i  〉、__    ,.イ
/ ,! |     |:::l::::::!:::|     |∨    ̄ ̄ /
339神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 21:02:33 ID:IITUsmR5
↑本当に時報に載っていたのか?どうなんだ。
340野良天 ◆3gxC3xwhfc :2010/05/31(月) 22:05:51 ID:86aAwnZ6
犬好きの俺は、こういった話が実在しそうで怖い。

飼えば飼ったで上級やら周りの年配の教会長あたりに嫌味を言われそうだしね。

結局言われるがままにするしか選択しないのが、今の天理教に残っている人間の
対応かもね。

話は違うが結婚指輪をして上級の月次祭に臨んだら兄弟教会の奥様(笑)に外せ
と注意されたよ。
今思えばなんで外さなきゃならないのか、理解に苦しむし、それに従った自分の
行動にも驚く。

教団内には物事を自分で考えられない状況を生み出す要素が多々ありすぎる。
*不足と素直がキーワードね(ハート
まあ疑問に思って、なんで?と聞いたら(昔の偉い)誰某がいていたからと
しか答えが帰ってこないような気がする(笑
341神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 23:04:34 ID:/QWtjB5M
>教団内には物事を自分で考えられない状況を生み出す要素が多々ありすぎる。

それが「洗脳」ってことよ。
342基本:2010/06/01(火) 00:53:13 ID:yX4yCf86
>>327
関連して、刻限お指図に同じ趣旨が知らされてある事を紹介します。
刻限御話
明治二十二年三月二十一日(陰暦二月二十日)午後十一時
さあ/\/\/\、まあ/\一寸には難しい事も言い掛ける/\。
内々ぢばや/\と言うが、ぢばに一つの理、さあ/\皆々寄り来る道や。
治まる処理を聞く。皆々身上から付き来る道や/\。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

> これについてもう少し教えていただきたいのですが、口伝にある言葉 でしょうか?
私の記憶では、口伝として、伝えられています。出典が今記憶に浮かびません。

おさしづでは、明治33年11月26日にこのようにあります。

『身上でなくして随いた者は、ほんの一花のようなもの。
前々からいかな処も聞き分けて諭してくれ。
皆教祖存命の間の言葉一つ万刧末代の理、この言葉長くこの順序諭し置こう』

つまり、教祖存命の間の言葉一つと、神様お認めです。

これは、宗教観の相違という問題を含んでいます。
 {皆々身上から付き来る道}
身上から付いたのでは無い人は、信者にしたら、無理、理が無いという基本が示されています。
343基本:2010/06/01(火) 01:05:31 ID:yX4yCf86
教会に住んでいたとしても、家族でも、身上から付いていない人を信者扱いしてはならない。
で、ないと、教えに言う、一寸咲いた花の、花ばたけになってしまいます。
「用木」には、ならないと言う事です。
344基本:2010/06/01(火) 01:21:07 ID:yX4yCf86
さて、身上から付いた人と、そうでない人の問題です。
犬の問題とか、身上から付いていない人に、押し付けるのは、理の間違いです。
当然、身上から付いていない人を「神殿」でお勤めさせるのも間違いです。
奇麗な花だと、誉めそやして、眺めるならまだしも、指導的な態度は、絶対にとってはならない。

身上から付いた人は、信者ですから、正しい指導なら、あいて言う事聞かないと身上に出ます。
間違った指導なら、指導した側に痛みなどきます。
そういう関係だなかったら、仲良く、花をめでるように、信仰指導も批判も双方持ち込まないことです。
345基本:2010/06/01(火) 02:13:35 ID:yX4yCf86
>>341
身上からの人と言っても、「付いていない人」もいます。「付いた人」もいます。
付いた人は、徹底的に逆らうと良いと思います。
逆らっても「身上」に出なければ、いう事聞かなくて良しという、神意です。
逆らったら、チャンと病気になったら、その箇所は従いましょう。
天理教の師弟というものは、真剣勝負で、ガチンコにやりあうものです。
346基本:2010/06/01(火) 02:20:59 ID:yX4yCf86
自分の言う事聞かなくて、相手が病気にならないようなら、それは、師の資格なしです。

そうなるためには、自分の間違いには、お手入れくださいと願うことです。
おやさまに願って、自分の間違いをちゃんと身上で出してもらえないということは、弟子としての信頼が、おやさまに無いということです。

だんだんとようぼくにては手入りする。
ようぼくなのに、手入れを、おやさまに手抜きさせたら、ダメだということです。
347基本:2010/06/01(火) 02:25:27 ID:yX4yCf86
犬を飼うなといった人が、神様から手入れ入ったら、飼えばよいのです。
ただし相手が、どんな肩書きでも、身情無くして付いている人なら、
ただ、一寸咲いた花ですから、「力比べ」は避けましょう。
「花」は、普請の用材にはならないからです。
348神も仏も名無しさん:2010/06/01(火) 12:27:38 ID:Ov3oEB6l
ん?何言ってんだ?わけ解らんことを言うんじゃない
教会運営に差し障り無ければ飼っても良い、それだけのこと。実に簡単なことです。
あなたのような輩が云々かんぬん言うから天理教徒は精神病むのです。
349神も仏も名無しさん:2010/06/01(火) 12:51:53 ID:T1DYtuGm
作業から戻ったら撲滅スレに基本さんのど長文ついててびびった
あそこはアンチが文句言うスレだからこっちで書かせてもらうけど
>>327,>>342の件は文脈読み違えだったりしませんか?

だって身上関係無しに入信して道一条やったうちの初代とか
(俺で5代目なんすけど)説明つかないじゃないっすか
信仰してる道中には助ける場面も助けられる場面も多々あるんだし
俺自身も嫁のおさづけの強力さにはびびらされるシーンが多々あります

でも「ほんの一花のようなもの。」なんすか?
えー
350神も仏も名無しさん:2010/06/01(火) 18:58:49 ID:dGLmLf7Q
あげ
351基本:2010/06/01(火) 23:02:46 ID:yX4yCf86
>>349
> だって身上関係無しに入信して道一条やったうちの初代とか
身上から付き来るというのは、ひな型50年。大別すると、次の二つに分類されると思います。

@「本人の病気が治って入信する」
A「家族の病気が治って入信する」

家族の病気の場合には、血のつながった親子・兄弟の場合と、血はつながっていない夫婦の場合とかに分かれます。
辻忠作さんの場合には、妹さん。
山本利八さんの場合には、息子さん。山本利三郎さんの場合には、本人。
お母さんの病気を助けて欲しいのでというような例もあります。
つまり、自分が何の病気をしていなくても、兄弟や或いは他人(神の目には兄弟)の身上で、教えを納得して入信という場合もあると言う事です。
352基本:2010/06/01(火) 23:11:35 ID:yX4yCf86
又、病気のみが、「身上」ではありません。
身の知らせ、手引きというものは、「夢」というような直接的な脳への働きかけもあるということは、お筆先に知らされています。

>>349
> 教会運営に差し障り無ければ飼っても良い、それだけのこと。実に簡単なことです。
これは、珍しいご発言です。
教会運営優先という事ではなく、それを求めている人と、犬の問題が優先だと思いますよ。
普通には、自由であるのですから。
飼うなというには、神意の有無だけが、問題だと思います。
353基本:2010/06/01(火) 23:17:48 ID:yX4yCf86
問題は、意識の中に「神・或いは神意」があるかないかと言う事です。
社会常識や教会経営の都合や、トップの趣味<好き嫌いが、あるだけの人というのが、
「身に覚えの無い人」。
つまり、身のうちの神に覚えが無い人。

> でも「ほんの一花のようなもの。」なんすか?
ほんの一花、そのものです。
354基本:2010/06/01(火) 23:31:44 ID:yX4yCf86
哲学したり、思索したり、教えを説いたりする時にも、「肉体」で思索するのが天理教のようぼくです。
身に現れて来る委細について、成って来る理として思案するのは、「肉体」で思案する。
「犬を飼いたい」という言葉を、神様がお聞かせ下さったものと認識して、その理を思案するのが、普通のようぼくの、思案の仕方です。

耳で聞き分けるというのは、大食天命様の守護の理。
そして、「聞き分けより見分け第一」と、教えられていますから、その言葉を語る信者さんの、「身」を見る。
ご本人の意思だけのご発言か、神様がお働きになって、神様が言わせている発言か。
それら全てを、肉体で思案するのです。

そういう思案の仕方は、身上から付いた人にしか、出来ません。
「身上」が「身上の守護の理」が、手引きした、手引きされた。
だから、犬を飼うという話ひとつでも、「身上」の理の思案とともに、
聞き分け、見分けするのが、ようぼくです。
355なまえないよぉ〜:2010/06/01(火) 23:40:46 ID:JznrUn9W
のぞみ。基本。野良天。総長。コテハンオールスター。
揃い踏みは7年ぶりだろうか。のぞみタンと煽っていた頃が懐かしいW
オバサンとオッサンになってしまった今。年齢を考えると何だか切ない。
356基本:2010/06/01(火) 23:43:03 ID:yX4yCf86
「肉体での思案」と言うものの、具体的実例として、おやさまの逸話に、「いつも住み良いところで」というお言葉があります。
【いつも住みよい所へ】逸話篇145

 明治十七年二月のこと。増野正兵衞の妻いとは、親しい間柄の神戸三宮の小山弥左衞門の娘お蝶を訪ねたところ、お蝶から、「天理王命様は、まことに霊験のあらたかな神様である。」と聞いた。
 当時いとは、三年越しのソコヒを患うており、何人もの名医にかかったが、如何とも為すすべはなく、今は、ただ失明を待つばかり、という状態であった。
又、正兵衞自身も、ここ十数年来脚気などの病に悩まされ、医薬の手を尽しながら、尚全快せず、曇天のような日々を送っていた。
 それで、それなら一つ、話を聞いてみよう。ということになった。
そこで、早速使いを走らせ、二月十五日、初めて、小山弥左衞門から、お話を聞かせてもらうこととなった。
 急いで神床を設け神様をお祀りして、夫婦揃うてお話を聞かせて頂いた。
その時の話に、「身上の患いは、八つのほこりのあらわれである。これをさんげすれば、身上は必ずお救け下さるに違いない。真実誠の心になって、神様にもたれなさい。」
又、「食物は皆、親神様のお与えであるから、毒になるものは一つもない。」と。そこで、病気のためここ数年来やめていた好きな酒であるが、その日のお神酒を頂いて試してみた。
ところが、翌朝は、頗る爽快である。一方、いとの目も、一夜のうちに白黒が分かるようになった。
357基本:2010/06/01(火) 23:53:02 ID:yX4yCf86
>>356
> 「肉体での思案」と言うものの、具体的実例として、おやさまの逸話に、
>「いつも住み良いところで」というお言葉があります。

 それで、夫婦揃うて、神様にお礼申し上げ、小山宅へも行ってこの喜びを告げ、帰宅してみると、こは如何に、日暮も待たず、又、盲目同様になった。
 その時、夫婦が相談したのに、「一夜の間に、神様の自由をお見せ頂いたのであるから、生涯道の上に夫婦が心を揃えて働かせて頂く、と心を定めたなら、必ずお救け頂けるに違いない。」と語り合い、
夫婦心を合わせて、熱心に朝夕神前にお勤めして、心をこめてお願いした。
すると、正兵衞は十五日間、いとは三十日間で、すっきり御守護頂いた。
ソコヒの目は、元通りよく見えるようになったのである。
 その喜びに、四月六日(陰暦三月十一日)、初めておぢばへお詣りした。
しかも、その日は、教祖が奈良監獄署からお帰りの日であったので、奈良までお迎えしてお伴して帰り、九日まで滞在させて頂いた。

教祖は、「正兵衞さん、よう訪ねてくれた。いずれはこの屋敷へ来んならんで。」
と、やさしくお言葉を下された。
このお言葉に強く感激した正兵衞は、商売も放って置かんばかりにして、
おぢばと神戸の間を往復して、にをいがけ・おたすけに奔走した。が、おぢばを離れると、どういうものか、身体の調子が良くない。そこで伺うと、教祖は、「いつも住みよい所へ住むが宜かろう。」
と、お言葉を下された。
この時、正兵衞は、どうでもお屋敷へ寄せて頂こうと、堅く決心したのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
肉体での思案というものは、「身体の調子が良くない」という事でも思案できることです。
どんな身上も、理として思案すること。
どんな事情も、理として思案すること。

身上なしに付いたら、付けたら、お花畑。それでは、花の賑わいというしかない。
358基本:2010/06/02(水) 00:02:13 ID:yX4yCf86
>>356
> ここ数年来やめていた好きな酒であるが、その日のお神酒を頂いて試してみた。
> ところが、翌朝は、頗る爽快である。一方、いとの目も、一夜のうちに白黒が分かるようになった。
理の思案を肉体でなした、実例です。
酒は病に悪いとやめていた、それを、酒を神のお与えとして頂いた。
身上は、肉体は、すこぶる爽快と、
肉体で思案し、身上から付かないと、親神の教えは絶対に、理解できない。
その、境界線を越えた人しか、ようぼくにはならないということに、ご理解下さい。
359神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 00:32:31 ID:mNIHWmos
基本がんばれ
360神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 05:42:45 ID:wK2kp+si
ちょいちょい基本さん
>>348さんは>>349(俺)とは別人でっせ
ID見てーなー
361基本。:2010/06/02(水) 12:01:51 ID:2jjzpkAD
すみません、お許しください。
362神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 18:59:23 ID:wK2kp+si
ま、まー、うちの場合は
初代が自覚のない精神病・発達障碍であった線はあるかもです
俺に至るまで一族殆どそうなんですから

それはさておき基本さん
理の親振興は捏造だ、とのことですが
俺らの定説ではご守護いただきたいなら
直の上級(自分らのすぐ上の教会なり布教所)に伏せこむことが大事だ、と言われます
俺もそうだと思うんですがその辺はどうなんすか?

ひょっとしてご守護とか期待してなかったりしませんか?
363神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 21:32:59 ID:5QbqFAQR
>>328
30年前の話をさも今の話のように…w
364神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 22:10:52 ID:B6fV2CT5
ボッタクリのクソ坊主が近所にいる。
まず、封筒の中身を見てから神事に取り掛かるそうだ。(坊主は神事とは言わないかな?)
金の入り具合によって仏事の加減を決める。例えば、低額だとやる気出ませんみたいな。
金持ちには高額請求をする。地元では有名
365のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/02(水) 22:14:20 ID:fiHh8O4r
>>355
天台宗教率がいないよ。
多摩地域の教会長の人。
366神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 23:13:29 ID:QNWT5lw8
>>348
その通りだよ。天理教の理屈っぽさは異常。
信仰って、もっと簡単な問題だと思うけどな。その簡単なことが実行できない代わりに、
あれやこれと理論を弄ぶ。
弄ぶうちに、解釈があやふやになって来て、ワケの解らないことを言い出す。
そのままでは精神に異常を来すからと、「ひのきしん」なんかに出かける。
でも所詮は、行為のための行為。善行のための偽善。心は満たされない。
長年、こんな生活をしていれば、誰だっておかしくなるよ。
おかしいから、大金を要求したりさせたりする。金を払うことが唯一の現実的努力に思える。

これは、すべての新興宗教に共通の体質と思われる。
「宗教は発明され得ない」
………すでに最初の一歩から、この大前提が破られている。行き詰まりから出発し、
行き詰まりへと向かう思想。現在の新興宗教の姿が何よりの証拠。
367基本:2010/06/02(水) 23:45:21 ID:2jjzpkAD
それは、簡単な問題でないことは、明らかです。
一人一人に個性がある、自由がある。
信仰は、人の数だけ道があって当たり前のことです。
でしょ?
368基本:2010/06/02(水) 23:50:44 ID:2jjzpkAD
>>366
> 行為のための行為。善行のための偽善。心は満たされない。
満たされないということは、満ちていないだけの事。
善行のための偽善だとしたら、それは、満ちていないだけのことで、偽善でも、他人が幸福になったら、良いと、
そういう思案が、信仰です。
369基本:2010/06/02(水) 23:59:10 ID:2jjzpkAD
人助けたらわが身助かるという、天理教祖の思想は、それが「偽善」でも「偶然」でも、「不本意でも」、
人助けたらわが身助かるという思想です。
助けるつもりが無いのに偶然人を助けてしまった。
偽善なのに、たまたま他人に奉仕していた。
それは、すばらしいことです。

真心であって、でも相手を満たせなかった事よりも、はるかにすばらしい。
その、違い。
それは、神が受け取っていたかどうかで、
本人は偽善でも、人助けたら、わが身助かると、天理は教えられています。
370神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 00:05:37 ID:qObnXJeE
いいえ、そもそもは簡単なことです。
簡単なことを回りくどく、面倒臭くする必要はありません。
神様には心が通じればそれでよいのですから。
もちろん、あなたはあなたの理論があって、それで神様が真実だとして
受け取って下さればそれで結構と思います。
一名一人の信仰、十人十色なのは当たり前です。
ただ、それはあなたの理論であって、万人に通用するものではないと思います。
全ての人があなたの理論を受け入れるはずはありません。
悟り方も千筋なら受け取る神様の方も千筋であると思います。ですから、
こうであるべきだという、型にはまった理論を押し付けるのは間違っています。
あなたと私の悟り方は違うのです。それと同じように、みんな悟り方は違うのです。
それだけのこと。実に簡単なことです。
もちろん、博学な?あなたのことでしたら、その程度のことはわかっていると思いますが。
371基本:2010/06/03(木) 00:09:43 ID:q17/f8TR
天理教の初代の誰が、本当に偽善で無く誠真実一本で、お助けしていたものですか。
ありえません。
事実誤認です。

問題は、助かったかどうか。
助けたのは、神であり、助かって盛大になった、偉いものになった人は
実は「濁った人」。
人助けても細道は、澄んだ人。

これが、天理教の教えです。
372神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 00:16:34 ID:KjACx+Gm
勘違いして盛大になった東中央は今は没落の茨道。
373神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 00:17:11 ID:Me8Ocb/z
>>367
いや、簡単な問題だ。簡単なことを実践するのが難しいだけ。
簡単なことを難しく考え、難しいことを簡単だと軽蔑してるのが、天理教の幹部だろ?
行動を軽んじ、思索を行動まで昇華させようとする。
頭を下にして歩き、手足を上にして考えている。
あべこべなんだよ。
だから、陽気ぐらしのつもりが陰気ぐらしになるんだよ。

貧乏人から金銭を巻き上げ、「埃を払ってやったぞ。喜べ」
これは、行動を軽視する思想だ。金を奪うことは、手足を奪うことだろ?世間では。
世間的な活動より、神への奉仕を重視してる。
違う。人間社会への奉仕こそ、神への最大の奉仕だ。
反対に、天理教は信者に金を配るべきだ。「これを元手に夢を叶えろ。社会のお役に立て」てね。
それどころか、「世間の俗事など心配するな。神にすべてお供えしろ」と言う。

その金で贅沢してんだろ?……あまりにも殺生な話じゃないか。
374基本:2010/06/03(木) 00:24:05 ID:q17/f8TR
>>370
> 神様には心が通じればそれでよいのですから
これが、貴兄の個性です。自白です。

貴兄がご存知のように、宗教は、「神様には心が通じればそれでよい」と説きます。
天理教祖は、もう一つ、違っています。

「人が助かればよい」という、
神との心の交流は、それほどではないという、信心のあり様を示しています。
この、中山みきの、結果主義というものは「助け一条思想」そのものです。
↑ これは、私の悟り方ではなく、
刻限お指図に示された、具体的お言葉に示されています。

ご紹介しますが、
私は、心の濁りの者には高い評価、心の澄んでいる者には低い評価と、
いかにもおやさまらしい、あり様を、示されていると思います。
貴兄が、どう読まれても自由ですが、書かれている内容は、基本的に、大切なものだと思います。

神と心の通じない濁った人が、人助けるなんて、最高だと、偉い!」と、おやさまのそんなお気持ちと受け止める基本です。

375基本:2010/06/03(木) 00:25:15 ID:q17/f8TR
明治二十一年十二月二十五日(陰暦十一月二十三日)午前二時
・・・
濁った者はえらい道、澄んだ者は細い/\道。
たゞ引く息一つで鮮やかという。
日々の処/\、綺麗な心心は、細い道/\/\、
濁った者はえらい/\道。
さあ/\/\月日席より一つの理をさしづする/\/\/\。
376神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 00:31:46 ID:fHl1glh/
天理市にすむ外国人信者の方に迷惑をかけられて困っています。
本人にお願いしても聞く耳もたず状態でしてできれば上の方から言ってもらいたいと考えています。
どちらの詰所(連絡所)に相談させていただいたらいいでしょうか?
海外と書かれた詰所でもいいでしょうか?
377基本:2010/06/03(木) 00:33:29 ID:q17/f8TR
さて、金銭の問題ですが、信者の金で楽しているという問題ですが、
これは、実に濁っている。
ただし、人助けているなら、「偉い!」。
助けたら、お礼やらで潤って盛大。
これは、「サービス」に対する対価です。
サービスの良いホテルが、料金高いのは当然、人間へのサービス。
これが、天理教の世界的次元での、つとめ、です。

だから、心済ませて神との交流をやっていると、「細道」。
これが、天理教の本質です。
378基本:2010/06/03(木) 00:39:38 ID:q17/f8TR
>>376
天理教教会本部に電話します。
受付嬢が(交換手)が、でます。
事情を述べて、処理できる方につないでくださいと、言います。
すると、それなりの係りにつないでくれます。
そこで、きちんと事情を説明しますが、電話に出た人は、たいてい処理能力が無いので、
解決権限のある人の、役職と名前を聞いて、
面談のアポをとること、それから、です。
379基本:2010/06/03(木) 00:55:01 ID:q17/f8TR
天理教組織は上意下達ですから、権限の無い人に何を言っても通じません。
本部の要職は直属教会長、本部関係者ですから、他の用事で留守がちです。
そこで、厄介ですが、教会本部の受付から入ることです。
次に、「未信者で一般市民」と、明示することです。
「布教部」につなげると思いますが、ごちゃごちゃしていたら、「苦情処理担当はどの部署ですか」と、質問してください。
過剰防衛の交換手だったら、「上司」に交代してもらうことです。

経験から申しますが、あきれ果てた要領の悪さが予想されますが、かっかしないで、先ず窓口を、ご紹介してもらうことです。
380神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 01:20:26 ID:qObnXJeE
>>374
>神との心の交流は、それほどではないという、信心のあり様を示しています。

なんか言ってる意味がよくわからんが、
神との心の交流は、それほどではないというんだったら、そもそも信仰の値打ちすらないんじゃね?
だいたい、

>これは、私の悟り方ではなく、
刻限お指図に示された、具体的お言葉に示されています。

ってのも、あんたの勝手な悟りである可能性だってあるんだ。
あなたは理論を展開するのには長けているようだけど相手の気持ちまで考える能力があまり無いようだね。
神言ってのは具体的に示されていようが、悟り方は人それぞれ。相手を言い包めてしまおうってのが
気に入らない。あなたにその気がなくても、そういうふうに取られる可能性は大です。
もう少し謙虚な言い方をした方がいいよ。
381神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 01:40:09 ID:Me8Ocb/z
>>377
あなたは立派な見識の持ち主だと思う。
でもね。
人間万事塞翁が馬、水清ければ魚住まず、と笑って済ます態度には?が付く。
それは、まかり間違えばとても冷酷な人間観だよ。

結果オーライなら、すべての努力も意味を失う。すべての善意も虚しい。
正しい心からの正しい行為。これが全てでしょ?
1+1=2。例外がないから、信じられる。

偽善でも人が助かればいい。これは詭弁だ。助からないから、偽善なんだ。
これが科学だよ。一神教は、この科学性を煙りに巻いて信用を落として来たんでしょ?
ガリレオを牢屋に入れ、一般人を魔女に仕立てて火あぶりにして来たんでしょ?
天理教は違う?いや、多くの人を精神的に拷問に掛けているよ。

幹部連中の体たらくを、高級ホテルのサービスに例えて澄ましてるのは、あなただ。
細道を歩いてるのはあなた。
現に天理教の衰退を止められないのも、あなたのその理屈に何の正義もないからだよ。
382神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 02:51:43 ID:GOVAHDnV
天理のスレなのに他宗教が来ている。もうすこし考えてレスして。
383基本。:2010/06/03(木) 04:10:27 ID:q17/f8TR
>>381
> 偽善でも人が助かればいい。これは詭弁だ。助からないから、偽善なんだ。
だからーね
助かったら、良いのです。本人が偽者でも、悪人でも、・・でしょ
384基本。:2010/06/03(木) 04:16:09 ID:q17/f8TR
やまい助けというのはシンプルだから、病気が治れば、助けた。
治らなければ、助からなかった、。
先日も、お話を伝えただけで、ガンが、全部綺麗になりましたと、報告があった。
私、基本的ではあっても、善ではない。
最低最悪の人間性なのです。
でも、そうやって、病気直った人は、単に、「中山みき」に助けられただけ。

ようするに、あなたの見ているものは「宗教」ではあっても、「神」そのものではないから、
「人間」の問題しか、見えていないと言う子とです。
385基本。:2010/06/03(木) 04:20:10 ID:q17/f8TR
> 幹部連中の体たらくを、高級ホテルのサービスに例えて
そうなんです。
高級ホテルなのに、最低のサービスしかできないのが、今の天理教団のやんでいる姿だと言いました。
現に、どんどん病気治してあげたら良いのです。

そういう意味のお話でした。
386神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 10:35:47 ID:qObnXJeE
基本さん、あなた胃が悪そうだね
387山名:2010/06/03(木) 10:54:37 ID:ZL1fkwdb
>>380
>ってのも、あんたの勝手な悟りである可能性だってあるんだ。
>あなたは理論を展開するのには長けているようだけど相手の気持ちまで考える能力があまり無いようだね。

「あなたは理論を展開するのには長けている」ではなく、ブラフの基本ちゃんは作文は得意中の得意なのです。
388基本。:2010/06/03(木) 11:14:55 ID:q17/f8TR
>>386
胃腸は、すこぶる健康です。ご心配ありがとう。
>>387
山名さん、お久しぶりです。
「ブラフの基本」。
オランダ語の方か、英語の方が、どちらにしても、私には「澄んだ心の細道」は、あまり似合っていないと言う
山名さんの言われる事も、理解できます。
そろそろ「フラフ」、「天理王命」の大漁旗を立てるべき時が来ていると、
山名さんとの議論の中で考えてた所です。

それと、基本教理のきちんとしたご紹介もしなきゃならないとも、・・
それは、「口記」というべき物を作らなきゃならないと言う事。
天理教の人は、あまりに原典読んでいないから、分かりやすく基本教理のご紹介を、まとめなきればいけないかんって、思い始めています。

「フラフの基本」「ブラフの基本」。
いい言葉です。
「天理王命」り旗指物で、世間を驚かせて見たいと、ふふふ。
ようやく血が騒ぎ始めています。
389フラフの基本。:2010/06/03(木) 11:38:54 ID:q17/f8TR
それでは、ブラフの基本的に回答します。

現在の山名系教義集団も、381 名前:神も仏も名無しさんも、神を見ていないで「宗教」を見ておられる。
イエスキリストは宗教を始めているが、それは、「宗教のための宗教」ではなく、神と人の関係を示して、救済するためのもの。
宗教組織とは、「神」が中心であり、「神」と「人間」の問題であり、
「宗教」と人間の問題ではない。

先ずここに、その大前提があり、「神・仏」が「人」を救済するという、大義・正義が、お釈迦様にもイエス様にもあったと言う事。
これが、認識されていない宗教論は、そこに「光」がない。
これをお断りします。

いい作文でしたか? 山名さん。
390フラフの基本。:2010/06/03(木) 11:48:16 ID:q17/f8TR
「人」と「神」の関係ではなく、「教団」「教会組織」が、神と人の中に介在すると言う事は、イエス様も、お釈迦様も、中山みきも、認めてはいない事です。
教えを求めてくる人々に、弟子が教えを取り次いでいく。
それだけのための組織であるべきもの。それが「教会」であり、組織としてではなく、「個」の集合が教会にすぎない。
神殿とは全ての人に、等しく開放されていなければならないわけです。

宗祖の教えが、宗教であり、宗祖に導かれて「神仏」の救済に浴するというものが、神と人の関係に仲立ちする宗教の本来の役割です。

いい作文でしたか? 山名さん。
391フラフの基本。:2010/06/03(木) 11:56:49 ID:q17/f8TR
そこで、「身の内離れて神はなし」から中山みきは説いた。
「人の心の中に仏の心がある」と釈迦は説いた。
つまり、「人間」と言う固体と、一人と、それをたすけたいと言う「神・仏」。
これが、神と人との関係そのもの。

神に供物を捧げて、人が感謝すると言うのも、「たすけ」「ご守護」「ご加護」があるからで、
先行すべきは、神の側の義務の履行。
すなわち救済が先行すべきであり、神と人との関係においては、人は、神が神として人をたすけた場合にのみ、人としての義務が生じる。

人の祈りや、神への感謝などというものは、その人の身の内で、助かったときも助けられたとき、初めて生ずるものであり、
それは、イエスキリストの名を称えるだけで良い。
真言を称えるだけでよい。
そういうシンプルな関係です。
392フラフの基本。:2010/06/03(木) 12:02:58 ID:q17/f8TR
ところが教団組織は、教団組織への奉仕や、教団指導者への奉仕を、神への奉仕だとすりかえて、説いている。
神の代理と称して、あるいは神への入り口と称して、人に切符を買えと言う。

ひのきしんしなさいと言うのは、つまり、毎日寄付しなさいとか、奉仕しなさいとか言うのと同じ意味ですが、
それは、「神」と「人」の関係であり、「宗教」と「人」の問題ではない。
ここに、きちんと眼目する。
自分と言う一身上を離れて、神はない。のです。
393フラフの基本。:2010/06/03(木) 13:28:31 ID:q17/f8TR
そこで、一神教の場合には、神に祈ると言う事を宗教は説きます。
 神に祈りなさい→Pray to the god.
天理教は、「つとめをしなさい」と中山みきは説いています。
 http://www.excite.co.jp/world/english/
 つとめをしなさい。→Work. →(再訳)働いてください。 
中山みきは、「人間は働くためにこの世に生まれてきた」と説いています。
完全一致です。
中山みきは、「はたらくとは、はたはたを楽さすことや」と説いています。ひのきしんの教えです。
「ひのきしん」とは、人に対する奉仕です。
 奉仕→Service→(再訳)サービス
 キリスト教の祈り→Prayer of Christianity→(再訳)キリスト教の祈り
 天理教のつとめ→Work of tenriism→(再訳)天理教の仕事
中山みきは、つとめを説いた。
それは、サービスを説いたのです。お筆先をご紹介します。

第1号 11みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる
Mina sorote hayaku Tsutome o suru naraba
Soba ga isameba Kami mo isamuru
When all are assembled and quickly do the Service, as those close to Me become spirited, God, also, will be spirited.
人衆そろうて一日も早くかぐらづとめをするならば、親神は人間の実の親であるから、子供が喜び勇む有様を見ると親心として親神の心も勇んでく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教のつとめとは、「働く」であり、サービス。「奉仕」なのです。

先ず、神がサービスして、次に人間が、はたはたに奉仕する。
そこには当然愛があるわけで、汝の隣人を愛せと言うイエス様、
はたを楽にと言う、サービスをワークしなさいという、中山みき。
すべて、その人と神との、一身上の問題であり、教団組織は、宗教組織は、そこには介在の余地はありません。

山名さん。いい作文でしたか。花丸ですか。だったら、嬉しいです。
394神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 13:39:45 ID:Me8Ocb/z
物質の最小単位は?宇宙はどこまで大きい?
生命って何だろう?この世の多様性はどうして生まれたんだろう?

・・・・・・この疑問に答えられる人はいない。それは神が創ったとしか言えない。
ここまでは誰もが考える。問題はその先。じゃあ、その「神」へどうアプローチするか?
一神教は、完全なる人格としての神を立てた。
仏教は、生命それ自体の存在を神と見る。
科学は、直感を排斥した帰納法によって神に近づく。

宗教も学問も「方法論」なんだよ。目的は同じ。人間の幸福だ。
一神教的アプローチは頓挫している。もはやそれは、方法論でなくて神話だ。
世界的要望から地域的それへ、客観から主観の問題になった。

あなたは現代人が「神を見ない」と嘆くが、特に存在を否定してるわけじゃないよ。
夜空の星のように、それを眺めても仕様がないと考えてる。日常生活に何ら支障はないのだから。
そんなものより、ハッブル望遠鏡の方がずっとロマンティックだ、とね。

天理教徒としてのあなたの目には、すべてにありありと神が宿っていても、社会人たるあなたは、
科学文明の恩恵に浴している。だから、「貧に落ちき」るべきなんだろう。
これを首肯し得ないなら、天理教って一体何?脳内変換と言ったのは、これだよ。
少なくとも教会制度を維持する名分は崩れる。

いくら何でも高級ホテルはないだろう(笑)一般信徒なら解るが、専属なんだから。
ネオン街から遠くの星が見えるかい。天文学者さん?
見えないもを想像で語っているんじゃないのかい?偽善と詭弁の論文で、世間を欺けると?
395フラフの基本。:2010/06/03(木) 14:20:13 ID:q17/f8TR
私の場合には、をお尋ねですが、保険証を打ち切られて、或いは時限制限付きのものを配布されて、年金もゼロ配布の資格しかないと言う、楽しい生活を、つまり細道を長く続けていますよ。
ですが、泊まるなら高級ホテルのサービスが良いですねえ。
予算が許さないわけで、この間も、百グラム百円台のカナダ産牛ステーキを食しましたが、それはそれで美味しいですが、
賓のどん底は、現代社会ライフライン打ち切られますから、かろうじて、電気ガス水道、それに、マイワークのネット投稿。
ま、生きると言う事は普通以上に贅沢して生きていますよ。
貧乏ですけど、実質は豊かですねえ。確かに。
396フラフの基本。:2010/06/03(木) 14:25:08 ID:q17/f8TR
神のたすけというものを体験していない貴兄には、「方法論」としての宗教でしょうが、
それは、宗教に幸福への方法論を求めるのは、危ない事と思います。

神があるかないかという、根本的な問題を、本人の一身上の問題として、「ある」と確信したら、その神様を信心することです。
それでも、幸福への方法論は、危ないと思います。

宗祖の教えそのものには、個人の幸福は、教えに入ってしまったら、無いと一緒ですからねえ。
397フラフの基本。:2010/06/03(木) 14:29:25 ID:q17/f8TR
宗教が、個人の幸福をサービスとして奉仕する対象とするのは、宗祖の教えに適っていますが、
個人そのものが幸福になるかどうかは、本人の問題。

神がいて、サービスが受けられるとしたら受けても良いが、宗教には加入しない。
これが正しいあり方です。
398フラフの基本。:2010/06/03(木) 14:36:18 ID:q17/f8TR
例えば、金持ちになりたいとします。
イエス様に病気を助けられた。
では入信したら、金持ちをやめるしかない。
つまり、金持ちには貧乏は、転落であり不幸なのですから、幸福になりたかったら、病気は治してもらって、バイバイ。
そうしないと、宗教は不幸の原因です。

サービスに対価を払うとしたら、その受けたサービス分にとどめる事です。

あなたは、宗教家業の人たちのこちを批判されていて、私も批判の立場ですが、
彼らが、超一流のシェフになって、高額所得挙げるにら良いでしょ。
でも、三流以下のサービスで、奉仕の精神も無いから、批判しなきゃならないというのが、私の立場です。
399理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/03(木) 14:44:56 ID:rYtptkSx
>>398
イエスは、お金を増やした人を良しとされた。
そこは中山みきとは違う点。
400フラフの基本。:2010/06/03(木) 14:47:18 ID:q17/f8TR
ネオンの町にいれば、かわいい男の子が見える、綺麗なお姉さんもいる。
お星様見て幸福な人も居れば、いい男、いい女といるから楽しい人もいる。
お星様だけ見ていて、ネオンの無かった古代人は幸福だったのか・・。

幸福と言うのは多様化していて、一人一人全部違う。

昔は、父親の命たすかるなら、お金はいくらかかっても良いとか・・
現代では、父親が楽に息を引き取ってくれたら、保険金が、どうか楽に死なせてやってくださいと・・

ほしいサービスだって変化する。
その願い聞き届けたと言う神を信心しないと別方向に、
良い女がほしいと願っていたはずが、山奥で一人星を眺める幸福をと、変化してしまう。
それでは、神に願う価値も無い。
無神論の方が安全と言う子とになります。
自力で、良い女見つけるから、口説くから・・ものにするから、です。
401フラフの基本。:2010/06/03(木) 14:49:19 ID:q17/f8TR
>>399
根拠、示してね、のぞみちゃん。
おやさまは「いつも豊年教えたい」「宝の山、金銀財宝つかみどり」。の教えですよ。
402理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/03(木) 14:53:24 ID:rYtptkSx
>>401
中山みきについては、取り消ししとくよ。
天理教、みんなみたいによく知らないから。

でもイエスについては、聖書に書かれてる。
403フラフの基本。:2010/06/03(木) 14:55:56 ID:q17/f8TR
豊かになると言うのは、イエス様も旧約聖書の神もお望みですからね、
キリスト様が、「その願い聞き届けた」と、それを体感したら、信じることですね。
404理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/03(木) 15:08:12 ID:rYtptkSx
>>403
お金について、お望みでなく、命令と同じ。

聖書でこういう箇所がある。
マタイの福音書25章14節から。
三人にお金を預けた。
2人は、預かったお金を元にそれを増やした。
1人は預かったお金を地面に隠し保存した、当然隠しただけだから減りはしないけど増えもしない。
聖書では増やした人を、良いしもべとし、保存しただけの人を非難してる。

ただ、この箇所は字句通りお金についてと、あと神から受けた愛についての喩えと思う。
405神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 16:12:40 ID:Me8Ocb/z
「フラフの基本」さんへ
>幸福と言うのは多様化していて、一人一人全部違う

ぼくはそうは思わない。反対に不幸の姿が多様なんだろう。
そこそこ豊かな財産。健康な体。仲のよい家庭。信頼ある交友関係。社会的に立派な仕事。
こんな暮らしに幸福を感じない人はいない。幸福論などは詰まらない。

しかし現実は、この内の一つか二つ、あるいは全部が満たされずに苦しむ。
その理由も形も百人百様。宗教は「不幸論」だと言えるよ。
その原因を、仏教は三世の生命の因果に求める。
キリスト教は原罪や悪魔を説く。
現代人は、遺伝子的欠陥だと説く。
「さあどれ?」「じゃあどうしたらいい?」・・・・・・方法論になってくる。

しかしながら、並みの方法じゃない。言わば形而上の実践論だから難しい。
もはや手段なしとなって、「病によりて道心は起こり候か」となる。
無神論者は普段は安全だが、いざ鎌倉という時にはあっけない。臆病風に吹かれる。

つまり今の天理教こそは無神論者。それは60年前にはっきりしてる。
そんな団体に片足をつっ込んでいるあなたが不憫だ。あなたは根性がある。
あなたは考える力がある。
でも、あなたにとって、こんな言葉は残酷だろう。あなたと僕の縁は、とても悲しい。
406山名:2010/06/03(木) 20:49:47 ID:ZL1fkwdb
基本ちゃんの嘘吐き教理解説にブラフられては道を間違えてしまいますので、教祖の道の為に指摘しておきます。これです。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1227174993/718
718 :基本:2010/06/03(木) 02:44:34 ID:q17/f8TR
>>717
> キリスト教や仏教、儒教などの教え、それに対する「究極」ではなく、
> 境界線上のダメを詰めていく。
> そういう意味では、事後処理のようなものです
おやさまは{これまでの教えの言い残しや」と言われています。

関連ですが、現在の教団。山名系教義が触れたがらないものの一つに、教祖お筆先の止め、があります。
お筆先の止めとは、別名半牧のお筆先と言われています。
 紹介します。言い残しに過ぎないのです。と、分かります。

このよふは、
もんじゅ、ふげん をはじめとし、
みよな、 りゅうじんも、てんじんも、  
なんがく、てんだい、ようめいも、
これぢょどと、ごしたもう、 
いわんや、われらおろかなる、いかにねがわにありぬべし、
さんぜんせかいを、おほいでぞ、たしかにしょぢょ、みさだめて、
こころちがいの、ないように』
・・・・・・・・・・・・・・
いわんや、われらおろかなる、天理教は「愚か者の」為の教え。基本です。
基本としては、ダメな奴の為の教えです。(笑)

基本ちゃんは、作文は得意です。「山名系教義が触れたがらないものの一つに、教祖お筆先の止め、があります。」という作文。批判の為の作文です。
教祖が十七号止めと言ったと言う半牧の御筆先ですが「触れたがらない」のではなく、触れるに値しない異端文書です。
因縁寄せて守護するのが天理。心が引き寄せられるのだからしょうがないです。
407基本:2010/06/03(木) 20:52:13 ID:q17/f8TR
随分と、せっかちに結論を出されていますが、仰る内容には矛盾があります。
> キリスト教は原罪や悪魔を説く。
説くという内容そのものにも、あなたの発言には問題がありますが、
それは、「教団組織」の教義でしょ。説くというけれど、
イエス様本人は「悪魔よされ!」。「あなたの罪は救われた」。
これを説いている。
神からのサービスを説いている。

> 仏教は三世の生命の因果に求める
それで、「前世・薬師」「今生・浄瑠璃」「来世・阿弥陀」の如来の救済を説いている。

何か、マグロ一匹あると、うろことか、血合いとか、骨とか、食べられない箇所を取り上げてマグロだといっているようなものです。
大トロとか、赤みとか、それを「マグロ」とすし屋では言う。
高級ホテルでマグロといったら、「うろこや骨や、血合い」であるはずないでしょう。

キリストそのものの教えとしたら、それは高級ホテルなんだから、「血合いはいらない」「骨はされ」。
「悪魔よされ」「原罪は消えた」。
それが、宗教屋の教会・組織の教義では、「あなたは罪深いぅぅぅ」。
救われるには、この神にすがりなさい。

あなたが、神を見ないで宗教を見ているから、自分にサービスを無条件で与えてくれる本物の神に出会えないのだと思いますよ。
408フラフの基本:2010/06/03(木) 21:08:51 ID:q17/f8TR
406 :山名
> 触れるに値しない異端文書です。

おやおや、半牧のおふでさきは、ちゃんと公式記録にて、認定されているものですよ。
「天理大和文化会議」の教養ブックスK 石崎正雄著
「こうきと裏守護46頁から詳しく説明があります。
二代真柱の研究された、「こふき小松本」の付録の中、半牧のお筆先のこれの解説があること。
山田文書の74頁と258頁にもある事が、きちんと書かれています。

ここは、大勢の人が見に来る場所ですから、山名さん。
嘘は、よろしくないですよ。

著者は、東京帝大国史学科卒、天理教教会本部総務部調査課勤務。
天理大学の教授も経歴にはあり、誠実な研究発表として、書かれています。
先ず、きちんと読まれてみることですね。
409フラフの基本:2010/06/03(木) 22:30:46 ID:q17/f8TR
具体的に、話題を進めましょう。
> その原因
> 現代人は、遺伝子的欠陥だと説く。
> 「さあどれ?」「じゃあどうしたらいい?」・・・・・・方法論になってくる。
中山みきは、確かに「病の元は心から」と説いているが、それは入信した人間に諭しているのであって、
病人そのものには、「私を信じたらたすける」としか、言っていない。

つまり、「その願い聞き取った」と、したら、たすかると言う事になるのだが、
その方法は、願うだけであり、他には、別段何をしてくれとは言っていない。
神のサービスでたすかったら、他人にもサービスしてやって欲しいという、そういう意味はあるかもしれない。
410フラフの基本:2010/06/03(木) 22:37:45 ID:q17/f8TR
私の関係して少なくとも病気の治癒したという例は、脳波の異常(てんかん)、脳波の異常(精神分裂症)、甲状腺異常、膠原病の進行の停滞、重度のリウマチの痛みからの開放。など、難病関係では、末期の癌などもあるが、
「医者の手余り、たすける」という宣言は、なした中山みきに責任があるのだから、
人間の方に、方法を要求するのは、間違いなので、「入信しない」「礼をしない」と、そういう条件にて、神に願うことを本人にお願いする事を基本としている。
ただ、病理というものについては、これは、話をする場合もあり、しない場合もあり、病人さんや依頼人さんの都合と事情に合わせている。
 「遺伝的欠陥」を、直して欲しいのか、「遺伝的欠陥があっても普通に暮らせる」が望みなのか。
 「遺伝的欠陥」を、受け入れる強い精神力が欲しいのか。
精神力が欲しい場合は、天理教は不向きである。
病を治すか、症状を緩和するという、「身のうち離れて、神はなし」なのである。
 例えばどんな神社であれ、助けて欲しいと、手を合わせることから神のご加護の道は開く。
信じていなくたって、手を合わせて願うと、それで、神は「その願い聞き取った」になることが出来るわけだ。
 では、病人がうる場合、たった今どうしたらよいかというと、昔の方法をお教えしよう。
高いところにコップ一杯の水を、上げる。たんすの上でも良い。
そして、「南無天理王命様」として願いを語る。
 間違っても、助かったら入信するとか言ってはダメだ。
「3日の間に、印をお見せ下さい」と、「助ける気があるなら、あると証拠をお見せ下さい」と、願うのだ。
そして、朝晩に、3日間お願いして、「その願い聞き取った」とのリアクションが、見えたら、真剣に、助けを願って、神の教えを聞くこと。でも、入信なんてしちゃ駄目。
稿本教祖伝の逸話編だけ読んで、あとは、読まないで、おやさまの教えそのものだけにふれて、お願いをすることだ。
411フラフの基本:2010/06/03(木) 22:40:12 ID:q17/f8TR
 はるか昔に、そんな方法で助かった人がいて、その夫婦はもともとの信者だったので、天理教の会長になって、
息子さんの精神病で苦しんでいるお母さんに、私が教えた昔の方法を、そのままさせて、子供は治って、それで、熱心な信者になった。
 ?????????? 入信はおかしいでしょう。・・サービスに紐付けちゃ、おかしい。
なんでそんな事知ったかというと、その病の本人が再発して、偶然の縁で私のところに来たからだ。
 現在、その教会長さんご夫婦は、ご長男の精神病で、医者に治癒不能と宣告されていると伝え聞いた。
「方法」を用いてたすかると説いた本人。自分の子には、実は、どうにも出来ない。そこには、人間の「方法」を入れたから、神との信頼関係が崩れたわけだ。

 ま、助ける責任は、中山みき、願うも願わないも、それは自由の世界と言う事です。
「方法」と言うものが万能ではなく、神のサービスを素直に受けてみようと、そういう柔軟性が、大切です。
方法だけなら、山のようにありますが、主人公は「たすけたい」と言う神。
そういう事です。
412神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 22:50:53 ID:qObnXJeE
長文乙
413フラフの基本:2010/06/03(木) 22:51:32 ID:q17/f8TR
そうそう、コップの水は、病人さんに飲ませるのです。

肉体が神の存在証明。であるとしたら、病を治してこそ神です。
414神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 22:53:12 ID:qObnXJeE
連投乙
不可解乙
屁理屈乙
反論乙
415神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 05:55:58 ID:loUasLhp
>>「フラフの基本」さん

「行学の二道を励み候べし、行学絶えなば仏法はあるべからず」
「仏法は信を以って源とす」
「わが弟子並にわが檀那、諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界へ至るべし」
「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせ給え」
「詮ずるところ天も捨て給え、諸難にもあえ、・・・智者にわが義破られずば用いじとなり」

これが我々の信仰観。所詮この世は、「第六天の魔王の所領」なのだから、ジタバタしても
仕様がない。仏法においては、生きる苦痛と無縁ではいられないとの「諦念」が横たわっている。
ここから親鸞や法然は、他力本願を説き、爾前権経へと逆戻りしてしまった。

ニヒリズムからの再出発。これにはご指摘の「精神力」が必要。それも生半可でなくて。
だったら、普通に生きた方が楽じゃん。誰もが思う。しかし、現代人は見事にニヒリストだ。
何一つ信じず、ただ己の本能の言葉に従っている。結局、人間はどっかでニヒリズムにぶち当たる。
「戦争も貧困も無くならない」「人生は結局お金」「死んだらすべてお終い」
世界中の人々が、この虚無の病を患っている。

あなたがこれらの不幸の前に、どんな「精神力」を示し得るのかと期待してもいた。
ところが、「病気平癒」に特化した天理教観を語られた。なるほど、じゃあ組織は要らないね。
神対個人の信仰で足りる。教義を改ざんした所で、さほど良心が痛まないワケも納得できた。

中山みきさんの教えは、やはり浄土真宗の「他力願望」を脱皮していない。
彼女にもニヒリズムの壁が立ち塞がったに違いない。彼女はそれを越えたのか?
確かに現実の身は壁に打ちつけられた。一方、観念はそれをはるかに飛び越えた。
416神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 05:57:24 ID:loUasLhp
この時すでに、観念論たる天理教のその命運は決定づけられた。
現実よりも理論を重んじる体質が生まれた。これが天理のDNA。その子孫があなただ。
そして、今やその死期は近い。天理教はこの世から亡くなってしまうでしょう。
でもその骨は残る。あなたのような人がそれを骨壷に入れて保管するでしょう。

組織を嫌うあなたが、これをどう思うのだろう?嘆きはするが、喜びもするのでしょうか?
その骨から、クローンを造り出す日を夢見て・・・・・・
しかしそれは同じ遺伝子を持ち、同じ命運を辿るでしょう。賢明なあなたがその轍を踏むとは
思えない。
それは各人の胸の中に生き、ごく少人数の民間信仰の形態を取るでしょうか?
中には復興を唱える人も出るでしょうが、もはや時代は天保ではない。不可能でしょう。

この先人類が危機に直面し、俄かに救済を望むその日が来るかも知れません。
その時、甘露台は無事ですかね?誰が維持しているんでしょう?
この2chでも、天理教の信徒たちは、自分たちの組織の行く末に冷淡ですが、本当にそれでいいの?
と思いますね。外の世界からも、ニヒリズムに侵略されているようです。

ゆえに、ニヒリズムの病を治癒し得ない宗教は宗教ではない。これが、ぼくの確信なんです。
417おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/06/04(金) 06:24:30 ID:qzpdPkiD
>>416
>現実よりも理論を重んじる体質が生まれた。これが天理のDNA

それがために理の哲学ならぬ「事の哲学」を重んじる、創価学会など日蓮系統の団体の前に
天理は敗北を喫したんだ。
418神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 06:30:15 ID:loUasLhp
だから、何?あなたはどうしたいの?それ教えてよ。
419神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 06:55:12 ID:TPtGdFUb
>>416
>この2chでも、天理教の信徒たちは、自分たちの組織の行く末に冷淡ですが、本当にそれでいいの?
なるようにしかならないし壊滅的状況に陥るのも毎度の話、
世間一般から見て笑いものなのが天理教のデフォルトなのでさほど気にもしてませんな

>>417
敗北を喫した、って 変なの(w
競争して勝たないといけない相手じゃないんだし
「そこでためしが偉い事やで」ってだけの話なんじゃないの
420山名:2010/06/04(金) 08:18:03 ID:k6d0zBdk
基本ちゃんは知識が豊富で作文は得意なんだけど、ゴメンネ、日本語の読解力がありません。
中山正善著 成人譜その3「こふきの研究」から抜粋。
P150
***********
このお歌(半牧のお筆先)は、人々の口によく伝えられるもので、“十七号の止め”と言われるものですが、事実はありません。
口伝えでありまして、どうも本当に伝わったものでなく、何処かで伝え違いされたものと考えられるのであります。
***********

更に、P151
***********
私は、小松さんが、特に、『教祖御帰幽後に「古記」された貫書』と断り書をつけていられる点に、強く関心を持つものであります。
即ち、かかる話しぶりなり、話題なりは、教祖にお尋ねした人にお話になりそうな筋ではありますが、その口調や語尾には万全が期し難く、
その上、教祖の教えの本筋から逸脱していると思われる点が、多いのであります。
***********

山名が、異端文書と断定したのは、この2代真柱の公式見解に基づいてのものです。
@ 十七号止めと言われたという事実はない。
A 教祖の教えの本筋から逸脱している点が多い。
つまり、2代真柱は教祖の「こふき(口記)」とは認定されていない。そして教祖の教えの本筋から逸脱している点が多いと指摘されている。
そういう意味で触れるに値しない異端文書と言いました。
421フラフの基本。:2010/06/04(金) 11:06:37 ID:+MBY+k1u
まあ、大抵の事は知識としてお持ちの「山名さん」。
あなたの文章で分かるように、異端文書ではないわけです。
そうですよね。

「小松本」についての二代真柱の見解は、小松本が記している「断り書」に対して、
「口調や語尾には万全が期しがたい」と言われたと言う事であって、
例えば、小松本ではなく、「山田文書」にも記録されていると言う事実は、山名さん、ご存知でしょう。

松村吉太郎の著作の中にもあります事もご存知でしょう。

つまり、複数の当時の教祖の言葉の記録には残されている。
山名さんは、ご自分で知っている事を意図的に、曲げて語っているわけで、小松本と言うものは、自分が直接聞いたものとしてではなく、人の聞いたものを集めていて、それで、「口調や語尾に万全が期しがたい」と、判断された。

では山田文書は、どうでしょう。
この方は、おやさまのお話を要点だけ記録していたら、神様のお言葉が、語ってもらえなくなった。
それで、一切をきちんと丸ごと記録するときめたら、再びお言葉が再開された。
そして山田文書という書物が、残されている。

つまり、「小松本」は又聞きまで集めてあるが、「山田文書」は自分が聞いた記録で、そうした経過から、山田文書に書かれてある内容には、語尾・語感含めて信憑性があるわけです。
松村吉太郎はどうでしょう。
軍部から、よろずよ八首を禁止されたときに、ただ一人それを掲げてお勤めしていた人。
その人が、ちゃんと書き残している。

そういうものを「異端文書」と呼ぶ。

教会本部の調査課の役職の人物が、学問的にきちんと説明しているものを、
「二代真柱の公式見解」から、異端文書だと認定しました。
これでは、山名系教義は本当に、捏造がすきなのだと、満天下に示したようなものです。
422フラフの基本。:2010/06/04(金) 11:23:46 ID:+MBY+k1u
二代真柱様は、こふきの研究をなされています。著作もあります。
研究の過程では、あの時はこう思っていたが誤解であったと、訂正される事もなかにはあります。
人間だからです。

おやさまは神様ですから、そういう意味での訂正はありません。
「こふき」として皆が提出したものは、これで良いとはおやさまは言われていません。
それで、二代真柱様の公式見解では、「こふき」として当時の信者が作成したものは、ちゃんとした「こふき」として認めないと言う立場です。
しかし、資料としては、それは、重大なものだから、みな研究もするわけです。
「異端文書」で、あるはずもない。

「半牧のお筆先」の、「半牧」とは、二代真柱の付け加えたもので、「半牧のお筆先」とは、命名二代真柱様です。
その事は、ちゃんと心得て語るべきです。

“十七号の止め”と言われるものですが、事実はありません。
これは、「止めという事実はない」。という意味で、
「半牧のお筆先という事実はない」。という意味ではない。
あなたの国語力なら理解できるはずです。
が、意図的に、強弁されている。山名系ですね。
423フラフの基本。:2010/06/04(金) 11:31:58 ID:+MBY+k1u
精神力が欲しいなら、天理教の教えは不向きであると申し上げまして、反論もあると思います。

私の文章は、「肉体上」のたすけを願う事を、天理教の神への願いの本筋だと申し上げたわけです。
例えば、「脳波の異常」という肉体上の問題が原因の「精神病」をたすけて欲しいと言うのは、願いの本筋です。
でも、「肉体的な脳波の異常」でもなんでもないのに、心が弱いとか、なぜか気持ちが落ち着かないとか、そういう精神的なものは、
神に願うのではなく、
自力で直すものです。

医者の手余りたすけるが道の台。
つまり、人為の及ばないところを「神に願う」という道の台があります。

精神力の鍛錬ならば、「方法」は科学・医学・修行法いくつもありますが、それは本人で選んでなされば良いわけです。
それでどうにもならなくなったら、親神に願う。
それが道の台です。
424フラフの基本。:2010/06/04(金) 11:41:44 ID:+MBY+k1u
私の天理教のDNAは、天理教会本部を懲戒免職された布教師経由のもので、山名系教義からのものではない。

それは、以前の投稿でお断りしたと思います。

あなたは、宗教を見ていて「天理教」は終わりだとか、宗教の話に摩り替える。
だが、中山みきと言う親神・天理王命は、
宗教の次元とはまるでちがって、この世の親神として、存命でおられる。
宗教の問題と言うのは、お坊さんの衣の色のようなものです。
「紫」なら尊いとか、そういう発想の次元が宗教。
神そのものは「身の内離れて神はなし」。

精神や観念と言うものも、身の内にある間は、ノーマルですが、「心ここにあらず」と
仮に身の内を離れますと、世界の果てまでも飛んでいけると思いますが、地の底にも沈む。

そういう、精神を鍛えると言うのは、天理の神の役割ではない。
「身の内離れて神はなし」です。
425フラフの基本。:2010/06/04(金) 11:57:43 ID:+MBY+k1u
日本の経済を本当に苦しめているものは、実は福祉であり特に医療費である。
この現実、見もしないで、やまい助けに特化したと、
現実の社会が、何も見えないのは、「身の内」を離れた神を語り続けているからですね。

なぜ年金の資金が底をついて、上げなきゃならないか、
それは、医療費の補助のために膨大なコストがかかっている。
例えば「透析」を必要とする人を生かし続けるには、一人当たり数百万円と言う治療費が、使われる。
それが、「無料であったり」する。
その負担は、全部年金の資金。
人一人生かし続けると言う事に必要な資金は、増加し続けていて、国家財政を破綻に追い込んでいる。

「やまい助け」は個人助け。

頭がおかしいわけではない、ただ、社会の病根が見えていないと言う事だと思いますが、
死にたくない。医療費は国が持つ。だからあらゆる治療を欲しい。
そういう国民全員の願望が、国家そのものに暗雲を掛けているのだから、
「コップの水」で病治るなら、国家的な貢献なんですよ。

426神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 11:58:49 ID:HaCTxiRj
親は違う宗教だったといっても結局土地がらみで
名前と存在を使われる天理
427フラフの基本。:2010/06/04(金) 12:08:23 ID:+MBY+k1u
行政の医療福祉担当者さんたちは、この現実、治りもしない病の延命治療のために、一人当たり数百万円が使われる。
でも、それは口に出来ない。
「人の命は地球の重さ」とか、もう攻撃をくらうからです。
「難病認定」されれば、医療費はただ。
それなら治るのかと言うと、治療法が確立していないから、「実験的治療」を続けて、高い新薬や・・・新しい超高額の器具、装置や。

でも、それは、人類全体への貢献だからと、治療法の確立まで、延命治療。

あなたは、臓器再生とか問題提起を語ったくらいですから、こういう実際を知っていて、「方法の問題」と語っているが、
死ぬときゃ死ぬ。
管いっぱいつけて、体に穴いっぱいあけて、それでも生きたいのか、
したい事の出来ない人生したいのか。

つまり、「神に願う」というのは、本人の人間らしく生きたいという、当然の自己主張なんです。
428フラフの基本。:2010/06/04(金) 12:11:06 ID:+MBY+k1u
>>426
ほらほら、又神を見ないで、宗教を見てる。

中山みき親神は、
「名前と存在を使われる天理 」
これが嬉しいのです。
429フラフの基本。:2010/06/04(金) 12:14:21 ID:+MBY+k1u
山名系さんは、宗教。
> 親は違う宗教だったといっても結局土地がらみで
> 名前と存在を使われる天理
これが嬉しくない。
「異端だ」、嬉しいな。
ではなく、異端だ、許せない。そうなりがちで、山名さん・・ね。
でも「神」は、嬉しいのです。
430フラフの基本。:2010/06/04(金) 12:21:31 ID:+MBY+k1u
宗教組織としたら、同じブランドで偽者が出たとか、
地場でもないのに、本部を作ったとか、宗教組織間で対立をしたくなる。
でも、神は、「神に願い」「人が助かる」。嬉しい限りです。

他宗教だ、絶対神だと名乗っている。絶対神はこちらの方だ。
これは宗教。
中山みきは、「私の教えは駄目の教え」。
神は、それまでの教えを、価値あるものと認め、自分は「駄目の教え」。

神を見たら、心地よいのですよ。
天理とは。
431神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 13:19:52 ID:loUasLhp
>>「フラフの基本」さん

いつも勉強になるご意見ありがとうございます。
ぼくは、あなたが天理教の教会の人で、組織論を離れては語れない立場だと思ったから、
心配してるんですよ。それとも違うんですか?
甘露台や、大神殿や、様々な祈りの様式も、それは宗教であって神とは関係ないんですか?
そこが不思議なんです。だったら天理教を止めればいいでしょう?と。

ぼくは、「組織はなれて神はなし」だとも思ってます。人間の体を見て下さい。
様々な組織の結合体です。それぞれが、それぞれの質量と機能を持つことで、生命は維持される。
社会全体を一個の有機体に例えると、天理教はどんな組織たるべきなんです?心臓ですか?肺ですか?
脳髄ですか?それとも髪の毛一本ですか?

精神論だけなら身軽でいいでしょう。しかし座としての肉体論がなければ、精神すらあり得ない。
あなたが、組織改革や布教にまるで無関心に見えるのは、どうしても言い訳に思えてしまう。
本当にコップの水で病気が治るなら、なぜもっと熱心に布教しないんです?それを広めないのは罪ですよ。

布教といって語弊があれば、天理教は医療法人にでもなって、どんどん病を治すべきです。
やはり「神への信心」が必要ですか?どうすれば信じられるでしょう?
いくらあなたでも、中山みきさんのようにカリスマも知恵もないわけでしょう?
どうやって神の存在を伝えるんですか?そのための組織、宗教だと思いますが。
432フラフの基本。:2010/06/04(金) 14:38:18 ID:+MBY+k1u
天理教の基本、私はただ一人の「天理教中山みき派」です。
と、言いましても、私は、天理教甲賀大教会の一布教所長ですが、それは、布教せず参拝せずの布教所長と言うことで系統信仰そのものとは縁がないけれど、
好きで、甲賀大教会・近愛分教会・伊那里分教会・位京分教会・東野布教所してます。
近愛分教会というのは、過去にごたごたがあって、甲賀に拾ってもらって、ま、所属を許してもらって、甲賀に入った。
伊那里分教会というのは、(当時懲戒免職された布教師の関係だったので)教会になるのに、所属がなくて、近愛さんに拾ってもらって、甲賀所属となった。
そういう、事情で、普通に言う系統系列とは少し違うわけです。

私が何言っててもやってても、文句も言わないし無視されていると言うか、放置してくれていると言うか、・・
完全に、山名系教理とは異なる次元の、教理で育った私は、私の役割として、「教理の復元」と、きめて生きてきて、
おやさま本来の教えに復元すると言う事を人生の目的に、生きてきていて、
> 中山みきさんのようにカリスマも知恵もないわけでしょう?
そのとおりですが、「神がいる」「天理王命の神」が、いつもいてくださる。
だから、私は、「愚か」なんですが、私に力を貸してくださるのも下さらぬのも、優しいおやさま。

天理の基本を語り終えたら、その証明に入りますので、私も楽しみです。
433フラフの基本。:2010/06/04(金) 15:04:57 ID:+MBY+k1u
>>431
> あなたが、組織改革や布教にまるで無関心に見える
そのように見えるのも、無理からぬ事です。あなたの、
> ぼくは、「組織はなれて神はなし」だとも思ってます。
> 人間の体を見て下さい。
まさに、正論です。
 天理教会は、神の予言の書・原典「お筆先」に予言された数理で、この世に出現していて、、それはまさに、「組織離れて神は無し」です。
 しかし、中山みきは、組織とは呼ばず「こう」と呼んで、「こうを結べ」と指示された。
「こう」と言う言葉は、「講」と天理教では文字を当てています。その意味は、「効能の元で講元や」と、中山みきは示されています。
 つまり、「病がたすかる・効能」、それがある組織、「講」を結べと言う中山みきの指示がある。
それで、病が助かると言う「効能」で天理教は組織化されたわけですが、そこで問題が、「集金強要・金額による差別」
効能の代償に金が要るという、「宗教組織の悪因縁」にはまって、しまったと言うわけです。
 それは、明治二十一年には、もうその萌芽があった。原典はお指図にて明示しています。
 ここに、「効能」による金儲けと言う、新興宗教の悪の典型が「天理教・大教会」なのだという、事情があります。
仮に、現状の天理教組織が「効能」が復元しますと、また金儲け、豪華神殿に贅沢三昧になる。
 そこで、やまい助けでは一円ももらわないとして、どうやって組織の維持費を出すかと言う、問題が生じます。
それを、教理として研究するために、一般から見たら「大貧乏」にいて、基本教理を語りながら、
「ためし」、実験を繰り返していて、まだ成果がないと言うのが、現在までの基本なのです。

ところが、山名さんが「フラフの基本」と、命名してくれた。
こういう場合、山名さんがしたのだけれど、神が「フラフを立ててくれ」と、そう頼まれたと理解するのが基本です。
旗指物を立てよと言う事は、「天理王命の旗」立てて、「ブラフ」に出る時期だと云う事です。
そう悟りましたので、「フラフの基本」として語る現在、明日からはどうなるのか、それも、おやさまのお心に委ねています。
434神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 16:45:20 ID:loUasLhp
>そこで問題が、「集金強要・金額による差別」

これはすべての宗教団体が抱える問題だと思っています。
人は普段は吝嗇家ですが、どこかで寛大でありたいとも願っています。
自分の愛する者や信じる対象には、命さへも惜しまない性格を人間は備えています。
それが金で済む話なら、これほど安いものはない。
第三者から見れば、愚かなほどの大金を払うのも、本人には快楽ですらあるのでしょう。

しかし、その金が誰かを救ったためしはありません。むしろ害を成しています。
飢えた人に食を与えるのは善ですが、肥たる者への施しは悪となります。
政治と金の問題は注目されても、宗教と金の問題はタブーのままなのです。

これをいいことに、「教祖」たちは贅沢三昧です。坊主丸儲けの実態です。
金が集まれば事業を拡大できます。事業を拡大すればさらに金が必要です。
こうして果てしない成長を続ける組織・・・それは人体で言えばガン細胞です。
今や、あらゆる宗教組織がガン化しています。現代人の宗教嫌いは、健全性への発露でしょう。

組織には自ずから適正なサイズがあります。
といって、誰も専属の宗教家にはなりたがらないでしょう。世間の暮らしの方が楽しいからです。
誰もができない仕事をするのだから、相応の対価を得るべきだ、というのも頷けます。
世俗の幸福に未練のない自分が、大金を手にしても罪は浅い。こう考えるでしょう。
退屈な毎日の中で、いつしか世俗のママゴトも始める。経営や政治の真似事を始めます。
そして、世間一般の人々から恐れられ、毛嫌いされる結果になります。こうして布教自体が頓挫します。
少なくとも創価学会はそうでしょう。これについて、どう思われますか?
435神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 21:07:16 ID:DazH8mSa
>>この2chでも、天理教の信徒たちは、自分たちの組織の行く末に冷淡ですが、本当にそれでいいの?
>なるようにしかならないし壊滅的状況に陥るのも毎度の話、
>世間一般から見て笑いものなのが天理教のデフォルトなのでさほど気にもしてませんな
“いつもわらはれそしられて”ですしねえ……
組織の行く末なんて考えても、そんなのいつでも神様がひっくりかえせるのだから、
俺らが心配したってしょうがない。
436神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 21:34:21 ID:loUasLhp
だからそれが他力本願・・・・・・
437神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 21:48:43 ID:OdgJ+kdp
>>433
うんこの基本って言ったら、明日から「うんこの基本」
で語るのか?悟り乙
438神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 21:49:06 ID:DazH8mSa
>だからそれが他力本願・・・・・・
いや、だって神信心って他力本願でしょ?
439フラフの基本:2010/06/04(金) 22:15:02 ID:+MBY+k1u
他宗教の問題は論じるのは、やめましょう。
天理教の問題に絞りますと、「金銭が集まる」それは良いことです。
しかし、その集金の仕方が宜しくない。
これが、問題という事。
贅沢しようと、良いではないですか。サービスの対価であるなら、優雅に暮らすということは実は、大切です。
スーパーの特価品と見切り品で生活するよりも、贅沢は、宜しいことです。

>>405
> そこそこ豊かな財産。健康な体。仲のよい家庭。信頼ある交友関係。社会的に立派な仕事。
> こんな暮らしに幸福を感じない人はいない。幸福論などは詰まらない。
さて、そこそこ豊かという財産、現代日本では借金の持ち主の方が多いわけです。
百グラム千円を超えるステ−キと、百グラム四百円台のステーキを比較して、「千円」は贅沢なのでしょうか。
高級ホテルに行って、百グラム四百円台の肉で出されたら、詐欺だと、怒りたくなる。
財産がそこそこ出来たら、多少の贅沢、あって当たり前でしょう。
宗教家なら、ダメだというのは、実は、逆差別なのです。

問題は集金のしかたにある。
人がうれしくて出す金なら、それはサービスの対価であるなら、お茶いっぱいでも、千両箱でも、同じ。
しかし、いやいや出すなら、お茶いっぱいでも、それは埃であり、のんじゃダメです。


440フラフの基本:2010/06/04(金) 22:29:30 ID:+MBY+k1u
お返事、遅れまして、失礼しました。
362 :神も仏も名無しさん:2010/06/02(水) 18:59:23 ID:wK2kp+si
ま、まー、うちの場合は
初代が自覚のない精神病・発達障碍であった線はあるかもです
俺に至るまで一族殆どそうなんですから

それはさておき基本さん
理の親振興は捏造だ、とのことですが
俺らの定説ではご守護いただきたいなら
直の上級(自分らのすぐ上の教会なり布教所)に伏せこむことが大事だ、と言われます
俺もそうだと思うんですがその辺はどうなんすか?

全くの、でたらめです。
伏せこむ。
それは、住み込む事とは違う、これはご存知と思います。
ご守護を頂きたいなら、簡単なことです。天理を聞き分けることです。

ただ、しかし
> 俺もそうだと思うんです
この一行が問題です。
あなたの心の中に、「道専務」したいという、因縁上の、わきあがるもの。
これが問題です。
「道専務」に徹底して生きることで、自分が救われたいという、「出家思想」があること。
これを、どう解決するかです。
441フラフの基本:2010/06/04(金) 22:55:31 ID:+MBY+k1u
399 :理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/03(木) 14:44:56 ID:rYtptkSx
>>398
イエスは、お金を増やした人を良しとされた。
そこは中山みきとは違う点。

401 :フラフの基本。:2010/06/03(木) 14:49:19 ID:q17/f8TR
>>399
根拠、示してね、のぞみちゃん。
おやさまは「いつも豊年教えたい」「宝の山、金銀財宝つかみどり」。の教えですよ。

371 :基本:2010/06/03(木) 00:09:43 ID:q17/f8TR
天理教の初代の誰が、本当に偽善で無く誠真実一本で、お助けしていたものですか。
ありえません。
事実誤認です。

問題は、助かったかどうか。
助けたのは、神であり、助かって盛大になった、偉いものになった人は
実は「濁った人」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
金儲けが目的でも、人助けていたら、医者なら名医。贅沢ぐらいしないと、やってられない。

同じ人間なんです。
人助けして、貧乏して、贅沢も許されない。
そんな、中山みき本人みたいになれなくても、「人たすけたらわが身助かる」。
望んでいた、財産や健康や、幸福。
いいじゃないですか。
人助けたら、偽善でも、人が助かれば、神はうれしいのですから。
442神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 22:55:48 ID:YiR1eJlo
>>406
>いわんや、われらおろかなる、天理教は「愚か者の」為の教え。基本です。
>基本としては、ダメな奴の為の教えです。(笑)

じゃあ民衆を「凡夫」を称した
法然を開祖とする浄土宗も
同じようなものですか?
443神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 23:07:59 ID:loUasLhp
>>438
あなたたちは、部屋が散らかってる様子一つ見ても、「神様、どうか目を開けたら綺麗になってますように!」
ってお願いするんじゃないの?
病気や家内安全、世界平和以外で神に祈ることなんてあるだろうか?

>>440
それはあなた方が否定する、「惜しい、欲しい、」の埃をかぶった姿では?
宗教家と一般人は、明らかに違いますよ?仮に同じだと言うのなら、袈裟を脱ぐべきですよ。

中山みきさんが、ステーキを食いちぎりながら、「神に尽くせ」と言ったらどうします?
それでなくとも、天理教は「世情」を憎んできた団体のはずです。詭弁にしか聞こえません。
2chでの声が証拠です。喜んで出そうとイヤイヤ出そうと、彼らはそんな事を問題にはしていません。
彼らが求めているのは、もっと厳格で、切実な理想です。
444フラフラの基本:2010/06/04(金) 23:13:29 ID:OdgJ+kdp
長文乙
自己満乙
445山名:2010/06/05(土) 00:05:25 ID:Jlafdukw
基本ちゃんに質問です。
>>422
>「半牧のお筆先」の、「半牧」とは、二代真柱の付け加えたもので、「半牧のお筆先」とは、>命名二代真柱様です。
>その事は、ちゃんと心得て語るべきです。

山名は、「半牧の御筆先」については二代真柱の「こふきの研究」でしか読んでいません。
基本ちゃんは、石崎何某の本とか色々知識が豊富で、「半牧の御筆先」とは二代真柱の命名だと解説されているのですが、
その「二代真柱が半牧の御筆先と命名した」と言う根拠を示していただけますでしょうか。

教祖の教えの本筋から逸脱している点が多いと指摘しているにも関わらず、「筆先」と命名する。
そんな、愚行を中山正善が本当にやったのか。基本ちゃんに確認です。
446神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 00:19:34 ID:FplrB8RD
ここまで基本の教理を伺ってきましたが、あなた方の言う「神」と我々の言う「生命」と、同じ対象を見ている気がします。
この最大の謎を、どのように表現しても間違いなどなく、正解もないのでしょう。

しかし仏教では、神通力や霊魂の類をきっぱりと否定します。天理教の話にはそれらがしばしば登場します。
昨日まで凡夫の生活をしていた人物が、ある日を境に金色の仏になった。
このような道理を仏教が説くことはあり得ません。

また、科学的に検証の余地のある「奇跡」を起こしたのは、数多の宗教家の内、日蓮ただ一人だと思います。
キリストは十字架の上で無残に殺害されました。マホメットも、天使の啓示を受けたという主観の域を出ません。
その他の新興宗教の教祖は道化に過ぎない。
カルト的なのは何より嫌いですが、あらゆる宗教は又、カルトを排除できません。
この「竜ノ口の法難」は、仏法のあらゆる論理と整合性の根底に置かれるべき「奇跡」なのです。
どんな合理的な教義も、最後はこの非合理を避けて通れない。ここに現代と宗教の難しい関係があると思います。

あなたの思考は私とはずいぶん違う、と感じます。あなたのように内省的な視点や言葉を、私は持ちません。
そのような時期もありましたが、頭がついて行きませんでした(笑)
447基本ちゃん:2010/06/05(土) 00:34:38 ID:x4b4ojXP
>>445
> その「二代真柱が半牧の御筆先と命名した」と言う根拠を示していただけますでしょうか。
紹介のすんでいますテキストのp67。
{半牧のお筆先については、東神田大教会の嶋田進治郎さんのコメントでは、二代真柱が茶目っ気をだして、そうお書きになった、とおっしゃってますが、私は、二代真柱様がそう書かれたのならその文字で表現するのがあたり前だと思います。}

二代真柱様は、小松本の付録の、聞き書き寄せ集めを{そのまま表現}したと信用できないと、 言われている。
だが、「半牧」との文字を自ら当てたと、そういうことに、基本は理解します。
448基本ちゃん:2010/06/05(土) 00:38:07 ID:x4b4ojXP
>>447
> 嶋田進治郎
http://www.mio-kk.co.jp/kujin/c-board.cgi?cmd=one;no=1499;id=
明治14年の教祖の『お筆先』の執筆が終了されてから、口述記として、
『こうき』話が当時の側なるものたちに筆記された。教祖が現身を隠される
明治40年まで残されている。中山正善著『こふきの研究』(昭和32年)によれば、
明治14年から20年にかけて、和歌体と説話体の2種があることが考証されている。
そして明治14年本だけが欠如していることを研究上の謎とされている。
しかし、嶋田進治郎さんが研究された『神の古記(泥海古記)校合資料』によれば、
山田伊八郎文書の中にある『聞問記』の年号は明治15年であり、15年にも実在した
ことが分かる。これをご霊前の二代真柱様にまずはご報告したい。

いずれにしろ、諸家に伝承される『こうき』話で、月日様や、道具神が、仏教見立て、神道見立て、星、魚類の見立てで象徴される意味合いはいずれ研究されねばならないだろう。どじょうや亀や鰈などのが魚類学からの研究されるなどした廃刊された『G-TEN』は
時期尚早であったかもしれないが、その学的遺産はいずれ継承されるだろう。
449基本ちゃん:2010/06/05(土) 00:45:59 ID:x4b4ojXP
>>440
それはあなた方が否定する、「惜しい、欲しい、」の埃をかぶった姿では?
宗教家と一般人は、明らかに違いますよ?仮に同じだと言うのなら、袈裟を脱ぐべきですよ。

またまた、賑やかなご口上です。
そんな事、言ってちゃ、天理は分かりませんよ。

人間は、悪人は、人助けして結果贅沢しても、悪人が人助けた。
すばらしい。

おやさまは、そんなことはしない。慾はないから。

欲を否定して宗教家なんて、真っ赤なうそ。
宗祖や開祖は、宗教家ではない、開祖ですからね。

その教えを利用した宗教家は、欲の塊。可愛いでしょ。
可愛いと思いませんか。
幸福になりたいと、人助けする。
可愛いものです。
450基本ちゃん:2010/06/05(土) 00:56:30 ID:x4b4ojXP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6#.E6.80.9D.E6.83.B3.E3.81.A8.E6.95.99.E3.81.88

法然の称名念仏の考えにおいて、よくみられるのが「三心」である。
これは『仏説観無量寿経』に説かれていて、『選択集』・『黒谷上人語灯録』にも見られる語である。
「三心」とは「至誠心」(誠実な心)・「深心」(深く信ずる心)・「廻向発願心」(願往生心)のことである。

至誠心
疑う事なくこころから阿弥陀仏を想い浄土往生を願うこと。
信心
疑いなく深く信じること。次の二つがあげられ、
一つに自身が罪悪不善の身でいつから輪廻を繰り返してる救われ難い身であること、
二つには、そのような罪深き身である自分を阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」と深く信じてとなえれば、必ず救ってくれること。
この二つを「二種深心」といって信心の要とした。
廻向発願心
一切の善行の功徳を浄土往生にふりむけ、極楽浄土に生まれたいと願う心。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、円光大師、法然の教えです。
人間は「自身が罪悪不善の身」。 宗教家なら、なお更でしょう。
普通に社会生活できないのですよ。

それを天理教祖は<愚かなる、と、ダメを教えた。

宗教家に求めるべきは、「人たすけ」。
無欲な、奇麗な心ではない。そんなもの、阿弥陀にすがらないと、とても出来ない、「愚か者」。
それが、宗教家です。
451山名:2010/06/05(土) 01:02:44 ID:Jlafdukw
さすが、ブラフの基本ちゃん。二代真柱が命名しましたという作文。
{半牧のお筆先については、東神田大教会の嶋田進治郎さんのコメントでは、二代真柱が茶目っ気をだして、そうお書きになった、
とおっしゃってますが、私は、二代真柱様がそう書かれたのならその文字で表現するのがあたり前だと思います。}

これが、命名したと言う根拠ですか。さすが、ブラフの基本ちゃん。
半牧という文字を自ら当てた・・・これも作文。ですよね。
知っているのに作文してしまう。怖い怖いブラフの基本ちゃんでした。
452基本ちゃん:2010/06/05(土) 01:07:07 ID:x4b4ojXP
そのような罪深き身である自分を阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」と深く信じてとなえれば、必ず救ってくれること

それには善行が何よりである。
そのためには、神が力かそう。
「さずけを渡す」・・・・・・これが、ダメをきちんと説いたという事。
念仏すら、ちゃんと称えられなくても、病人が治って礼を言われてご覧なさい。
自分が、どんなに因業かなんて、忘れられる。
人助けるとは、わが身たすかる、そして幸福になれる。

かわいいでしょ。一生懸命人たすけする悪人。贅沢ぐらい、良いじゃないですか。
453基本ちゃん:2010/06/05(土) 01:26:57 ID:x4b4ojXP
>>442
442 :神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 22:55:48 ID:YiR1eJlo
>>406
>いわんや、われらおろかなる、天理教は「愚か者の」為の教え。基本です。
>基本としては、ダメな奴の為の教えです。(笑)

じゃあ民衆を「凡夫」を称した
法然を開祖とする浄土宗も
同じようなものですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
法然(円光大師)は、(かしこねのみこと)様の裏守護。
「かしこねのみこと」様は、裏守護、大日如来でもあります。
大日如来は、最高の如来様で、「仏の世界の天輪聖王」です。
(テキスト参照)
風が神は、本地水(テキスト参照)であり、「水=理」ですから、理を吹きまわす「風が神」。
「聖書」には、先ず初めに言葉ありき、「言葉」の神です。

そこで、大日如来は、奈良では修験道の神でおあり、神通力の神。
法然は、このように理解されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6#.E6.80.9D.E6.83.B3.E3.81.A8.E6.95.99.E3.81.88
法然の思想の根底には、『選択本願念仏集』や『黒谷上人語灯録』などには、「罪悪深重の衆生」「妄想顛倒の凡夫」などという表記が数多く見られるように、
まず自分を含めた衆生の愚かさや罪といったものへの深い絶望があり、
そこから凡夫である衆生の救済への道を探り始めている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教では「いんねんの自覚」といい、人間は神の子である、陽気暮らしできる、人を助けて欲しいと、
をやの心として、それらを、「愚かなる」と語られた。

意味内容は、同じと理解するのが天理教の基本である。
454基本ちゃん:2010/06/05(土) 01:28:30 ID:x4b4ojXP
山名さん。
半牧のお筆先、大切ですよ。
455山名:2010/06/05(土) 01:33:18 ID:Jlafdukw
中山家に伝わる御筆先の原本が本当に教祖自ら筆を取られてお書きになったものかと、一文字一文字を写真に写し、
筆跡鑑定までしたと言う徹底した研究の二代真柱が、教祖の教えの本筋から逸脱している点が多々有ると指摘しているのだから、
山名が触れたがらないではなく、触れるに値しない『半牧御筆先』でした。
456基本ちゃん:2010/06/05(土) 01:34:43 ID:x4b4ojXP
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/mon/mon.html
いわゆる「半牧之御筆先之歌」
  中山正善二代真柱は、著書『こふきの研究』S32道友社 の中で、小松本十八
 年本の“半牧之御筆先之解”について次のように解釈している。
  此お歌は、人々の口によく伝えられるもので、“十七号の止メ”と云われるも
 のですが、事実はありません。口伝えでありまして、どうも本当に伝わったも
 のではなく、何処かで伝え違いされたものと考えられるのであります。・・・
  此小松本は段々と年が下るにつれて、教祖のお話との陰にかくれて、種々な余
 雑部が混入し、却って御主旨を乱して了う憾みのあるよい例で、“明治二十年
 以後ノ古記ヲ貫書ス”との註書が、その点での実に貴重な役割を果たしていら
 れると存じます。 と述べている。この小松というのは、小松駒吉(慶1〜昭9、
 御津大初代)のことで、高弟の一人である。
  しかし、この歌のルーツを色々と詮索すると、沢山の資料に記録されていて、
 そんなに簡単に判断してはならない事がわかる。その資料の主なものを次に挙
 げるとー
 1 改訂『正文遺韻』編集 諸井慶徳 S28,2,26 道友社 P46 御筆始
 2 『天輪王明誠教会と奥六兵衛先生』小山勝三 S58,7,22 私家版    
 3 『おふでさき講習会録』みちのともS3,11,20 天理教教義及び史料集成部
    編纂 道友社 P112   同内容ー『復元』第37号 S37,4 P100
 4 『増野鼓雪全集』第五 増野道興 S4、3 鼓雪会 p195 おふでさき 
 5 『天理教小史』高野友治 s55、9,1 道友社 p76 
 6 『山田伊八郎文書』敷島大教会編 s49,4,8 p74、p258 道友社 『御教
    祖様御言葉』
457神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 01:34:51 ID:FplrB8RD
>>基本さん

昔から、出家と在家の概念しかなったかと。いつからでしょう、宗教家などという職業ができたのは。
そんなものは、ただのご都合主義の産物だと思ってます。
現に、宗教家にはロクな人間がいない。
幸せになるのは本人の問題だと言われましたが、その他のサービスとは病気治しですか?
治らなければ、金は返してくれるんでしょうか?医者なら、下手すれば訴えられますよ?

結局無理なシステムなんです、宗教家なんて。教義の研鑽と信仰の鍛錬と布教をするのが出家です。
いわば宗祖や開祖の模倣をすることが出家だと思いますが。少なくとも仏教では。

あなたの言い分を支持する人は、天理教の信徒さんの中にさえいますかね?
散々、腐敗した姿を目の当たりにしてきた人に、面と向かって言えるんですかね。
天理教がサービスを供給しないから不満が出るのなら、すればいいのに。
私は、できるとは思いませんが。
卵が先かニワトリが先か。宗教家が先か腐敗が先か。私の言いたいこと解りますか?
458基本ちゃん:2010/06/05(土) 01:39:26 ID:x4b4ojXP
>>>455-456
> http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/mon/mon.html
> いわゆる「半牧之御筆先之歌」
この中から6の最も確実とも思える教祖の自話を紹介すると、
 明治18年4月3日(旧2.18) 山田伊八郎せきにて金玉いたみ、神様参り、神様御噺し
  このよふハ、もんじゅふとハ、たべもん きもの。
ふげんをとハ、風 人間いき。はしめとしみよふなりうじんもとハ、りゆけの事。
なんがくとわ、火なん
 水なん風なん病なん。
てんたいとわ天がだい。よふめいもみなこれ。
しよどごしたもとわ、世界中 百姓一れつに 火なん水なん風なん病なん、なしにして、年々に豊作ヲとらせ。
亦人間も出生してから、ほふそ、はしかせんよ、病なしにして、百十五歳迄、極楽じょどいつれてとふりたい。
其上ハ、けゑこふとおもうなら、百十五が二百三百までも、ふんばりきる。
ゆハんやわれらわをろかなる。いかにねがわにありぬべし。
三千世界をとわ、人間のおもう事ハ、口でゆふ。
口でゆふ事ハ手でする。是が三千世界とゆふ。
おいでぞ、たしかに しょじふ みさだめて、心ちがいのないょ に。
459基本ちゃん:2010/06/05(土) 01:45:50 ID:x4b4ojXP
>>457
仰ることは、よく分かります。
が、そのたちの良くない宗教家も、神の子供なのです。
たちの良くないかもしれない宗教家という存在が、人助けしなかったら、最悪です。
でも、神の授けで人助けしてくれたら、どんなに世のためになるでしょう。
思いやりを持って、見つめるのが、神仏の御心というものです。
寛大に、慈悲の心で、彼らが世間にいないことの有難さを、神仏に感謝するのは、神の道、仏の道と、思います。
460基本ちゃん:2010/06/05(土) 01:51:25 ID:x4b4ojXP
天理教祖は、「世の中の廃れ者、厄介者から助けるが道の台」と言われています。
「廃れ者」。
他宗教はともかくとして、天理教では、「廃れ者」「厄介者」の集団だと、
教祖ご認定なのです。

そこで、暖かい気持ちで、その「廃れ者・厄介者」が、人助けするを、叱咤激励が、お願い出来ないでしょうか。
461基本ちゃん:2010/06/05(土) 01:57:39 ID:x4b4ojXP
>>458
この話から、解説の部分を除くと、
「この世の文珠普賢をはじめとし、妙な龍神、天神も、南学、天台、陽明も、これみな浄土を期(ご)し給う。
ゆわんや我らは愚かなる、如何に願わにありぬべし、三千世界を仰いてぞ、たしかに清浄見定めて、心得違いのなきように」と、通常に伝えられているものとなる。 
  この歌は、小松本にもあるように「十七号の止め」ともいわれ、教祖が自から書いたものは、現在のところ目に触れられていない。
恐らくは、教祖が話したところを側近の者が筆録したものと思う
(教祖は「おふでさき」以外は、親神によって筆取り禁止されていた模様)。
 さて、この歌が、原典といわれる「おふでさき」に何故出てこないのであろうか?
すなわち、この理由を解明することが、親神と教祖の微妙な関係を知ることになるのではないだろうか? 
いまゝでもどのよなみちもあるけれど
  月日をしへん事わないぞや
  月日よりたいてへなにもだんだんと
  をしゑてきたる事であれども            ふ10-42、43
  この世が創造されて、お道が始められる以前に、聖人・賢者といわれる人を生
 まれさせて、その人たちに入り込んで、いろんなことを人間に教えさせたとい
 われている。ところが、聖人・賢者の教えというものは、庶民が直接聞き、用
 いて生活に役立てたかというと、必ずしもそうではなくて、一般にはなかなか
 難しいところがあるので、上という上に立って庶民を導いている人たちがまず
 学んで、それによって世界の人々を導いてこられたようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
462基本ちゃん:2010/06/05(土) 02:09:49 ID:x4b4ojXP
>>457
>昔から、出家と在家の概念しかなったかと。
>いつからでしょう、宗教家などという職業ができたのは。
>そんなものは、ただのご都合主義の産物だと思ってます。
それは、ちょっと歴史認識が違っています。
今、山名さんに書いています中に、その問題に関係した内容があります。
>>461
> 聖人・賢者といわれる人を生まれさせて、その人たちに入り込んで、いろんなことを人間に教えさせたといわれている。
ところが、聖人・賢者の教えというものは、庶民が直接聞き、用いて生活に役立てたかというと、必ずしもそうではなくて、
一般にはなかなか難しいところがあるので、
上という上に立って庶民を導いている人たちがまず学んで、それによって世界の人々を導いてこられたようだ。
・・
この箇所です。
つまり、宗祖の教えは<「上」、権力者が先ず学んで、庶民に伝える手助けをした。
あるいは祭政一致という事態もあった。
彼らは、贅沢三昧しながら、庶民に教えを広める手助けをして、それで救われようとした。
似てるでしょう。
宗教家の、いんねんといいます。
463神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 02:30:13 ID:FplrB8RD
一般信徒には人助けはできないんですか?
宗教家にしかできないことを、具体的に挙げてみて下さい。
また、それに対する世間的な対価を想像してみて下さい。

私が一神教を警戒する大きな理由は、人間蔑視や軽視の思考パターンなのです。
神という絶対者の下で、人間の矮小さを強調します。
人間を罪深いものとして笑います。どうせ神には敵わないと笑います。
そういう人間の末路がどうなるか?私が説明するまでもないでしょう。

その実害はもはや無視できないレベルにあります。あなたは寛容すぎます。
殺人やレイプ、破産、ネグレクト・・・もう十分でしょう。
天理教を否定する理由は、これだけで十分でしょう。
裁判になれば、負けるのはあなたです。
あなたが出せる現実の証拠は何でしょう?病気を治す奇跡ですか?
464神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 04:00:08 ID:FplrB8RD
私は死刑反対論者ですが、許されない罪というものもあると信じます。
天理教(新興宗教の代表としての)はすでに、その罪を犯したのだと思います。
神の子の罪は、神の責任ではないですか?

それがこの世の道理です。神といえども、この道理には逆らえない。
それに抗おうとする宗教家の態度に、私は怒り心頭なのです。

「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」

・・・この言葉が常に胸にありました。現実論から浮き足立たないように心がけていました。
あなたのステージに連れて行かれそうになる度、2chの天理教被害者たちの声を私は思い返しました。
それが人間的態度だと自負するからです。それが信仰者の務めだと思うからです。

だから私は、組織を放置していいんですか?と尋ねた。
あなたは、「廃れ者・厄介者の集団」が世間にいないことを神に感謝しようと言われた。
神を信じる恐さを垣間見た気がしました。
終末思想につながる現実感の希薄さを、肌に感じました。

もう一度言います。天理教は、もうデッドラインを越えた団体です。致命傷を負った獣です。
氷山にぶつかった船です。助かる道はない。
その機会はあったのかも知れないが、あなた方は悉くそれを反故にして来た。
天理教のニワトリが破滅の卵を産んだのか、あるいは、その卵から生まれた天理教だからか。
これがDNAです。血は争えない。これが宿業でしょう。 これまでのご厚情心より感謝いたします。
465基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 04:11:18 ID:x4b4ojXP
一般信徒にも、人助けはできます。

宗教家というのは、天理教では「道専務」と言うのですが、他に仕事は持っていません。
つまり、時間はたくさんにある。
その気があったら、一日十時間以上は、人助けは可能なのが、宗教家です。

おまけに、経費が信者持ちです。
金を稼ぐのは信者さんに任せて、人助けが毎日でも、生きていけます。

これは、例えば空海さんが洞窟で読経一万回出来たのも、食べさせてくれる人がいるからです。
日蓮さんでも、宗祖ですから当然ですが、労働で食べてはいない。
皇室がスポンサーの場合もあります。

一般信者には、自分が労働しないと餓死さえしますから、全てを捨てての人助けは、不可能です。
だから、日々の人たすけ。他人へのサービスを、少しづつ行うことが出来れば、十分です。
466基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 04:24:50 ID:x4b4ojXP
>>464
> 「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」
良いお言葉ですね。
現証(げんしょう)
仏教一般 - その教説が真理であることを現実の上から証明されること。
日蓮系 - たとえ文証、理証があってもそれが現実に証明されなければ意味がないとする。

では、お尋ねしましょう。
> 天理教(新興宗教の代表としての)はすでに、その罪を犯したのだと思います。
それは、文証、理証の出来事ですよね。
あなたは、ネット上の書き物や、あなたの思索の理上で、判断している。
でも、あなたは、天理教の罪というものを、「現証」出来ていない。

そうですよね。
467山名:2010/06/05(土) 04:31:30 ID:Jlafdukw
山名は、別スレでお別れしましたが基本ちゃんが嘘偽りの無い本当の天理教の基本さんになれるようにと再度語っています。
別スレ天理2でバトルとなった山名初代諸井国三郎のフラフの件で、基本ちゃんは、天輪王命と書いたフラフを踏み絵だと言いました。
教祖が神一条に徹しきれない秀司さんをどうしたか。それは確かに黒の基本なんです。
でもね、基本ちゃん、踏み絵を踏んでも仏教徒の隠れ蓑で地下に潜って信仰を守った隠れキリシタン。それを、非難するのはね、高山の発想なのです。
今、リラックマさんと言う人が、二代真柱の第十六回講義講習をアップされていますが、まさに、応法と神一条の狭間で道の台となっていがんでしまった秀司さんの雛型について語っておられます。
でも、それは、我々が非難して語る事ではない。非難する立場でない。二代真柱はひとことはなし『親神の称名』の中で、『神』、『月日』、『をや』『天理王命』と並べて『天輪王』を天理王命と称名前の用語として使われてきたと述べられています。
山名は真柱って凄いと思いましたよ。それは、天理教真柱としての「さんげ」なのだと思いました。
468基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 04:39:22 ID:x4b4ojXP
日蓮は、理非曲直をきちんと正した、すばらしい方です。
その証明は<貴殿が唯一の宗教上の奇跡といわれている、龍の口での奇跡をあげて、実証と、そこまでは、日蓮の教えとして、正しい。
では、あなたは、キリスト教には病助けが無いといわれた。

これは、聖書に書かれてある「証文」に相当するものと、異なりすぎている。
主、神の子イエス・キリストは、「病を助けた。」
こんな明らかに聖書に書かれていること。

「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず」
キりスト教では、それを言えば、「神の言葉」「聖書」にすぎず。

他者に対しても正しき理法で望まなければ、あなたは日蓮の道に反しているのです。
奇跡がある。それが、神の証明です。
奇跡がある。それが、「現証」そのもの。

実は、他者からの情報で天理教を知ったつもりのあなたは、神の実証を体験も体感も出来ていなくて、
それで、天理教は死刑に値すると、裁定した。
奇妙なことに、その自己矛盾に気づいていないあなたです。

469基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 04:47:21 ID:x4b4ojXP
山名さん。
「天輪王と呼んできた」。
二代真柱は「応法」と「復元」その二つの時代を生きた。
真柱としてさんげは当然です。

では、山名さん、山名系指導者は、さんげしてますか。
教えてください。そういう文書、記録ありますか。
470基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 05:01:17 ID:x4b4ojXP
ナザレの大工の子、イエスキリスト、若者のイエスに病を助けられて、皆がつき慕った。
それは、あなたは十字架にかかっても何も出来なかったと、そういう見解態度。
イエスは、3日で復活した。
その聖書に救われる人がいると言う事は、立派な神の証明です。

お釈迦様は臨死体験の中で悟りを開かれた。
ご自分が病になられたとき、喜ばれたでしょう。
ご存知ですよね。
奇跡と、もう一方の平凡、普通。
これが、真理と生きるということです。
私の投稿には、谷底の人間への慈悲をお願いしてあります。
それが、宗教の恐ろしさと感じるのは、あなたの感性が、谷底の衆生に優しいものでない。
そこが、ご自分の中の、自分は真理を知っていて、宗教なんてみんな同じだという、錯覚ではないかと、
それを、危惧します。

471山名:2010/06/05(土) 05:24:07 ID:Jlafdukw
>>469
>では、山名さん、山名系指導者は、さんげしてますか。
>教えてください。そういう文書、記録ありますか。
といわれても、そもそも山名系指導者という人々を知りませんというか、山名系というものを知りません。
もし、諸井慶五郎、慶徳さんを指しておられるのであれば、復元の両氏ですから、さんげ、それは記録や文書に残すものではなく、さんげされていると信じています。

例えば神楽面の件も、諸井さんも平野さんも神楽面を許しを願う前から製作させていた。
あるいは使用していたかもしれない。(真柱の見解としてなかったであろうと言ってますが。)
でも、地場本部でさえ、小寒様の年祭に祖霊殿でのおつとめに甘露台を移動させることを神様にお指図を願ったりしていた。
今考えたら笑ってしまうような話です。地場本部でさえ、教祖の教えに対してその程度の理解だったのです。
ましてや、地場から遥か離れた静岡の諸井さん、2度や3度の地場への帰参で、判ろうはずが無い。
二代真柱の復元の中にいる我々と、雛型当時の地場内内、あるいわ高弟と呼ばれている人々とは教祖の教えの理解と言う意味では雲泥の差。
さんげし、復元するのは我々しかいない。そうでしょう、基本ちゃん。
472神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 06:07:49 ID:FplrB8RD
基本さんへ
確かに、私は部外者としてあなたの人格に甘えていました。
事実を確認する努力を怠って、手持ちの情報だけで断罪した過失を認めます。
私が天理の内情を知るのは、ネットしかありません。
これからよく調べて見ますが、それはすべて根拠のないデマなのですか?
殺人やレイプは「間違いではない」というあなたの言葉もありました。
この現証だけで、十分だと申し上げた次第です。

住み込みの人が教会長を刺殺した事件は、本当ですか?
もし事実であれば、天理教はもう宗教として終わりだと言ったのです。
これは当事者の人格に帰する問題ではなく、制度的災害と捉えるべきと思うからです。
また、2ch上での様々な金銭トラブルや性犯罪の告発、修養科での色情沙汰なども嘘ですか?
キリスト教牧師の性犯罪は有名ですから、天理もさぞやと思うわけです。
これがもし事実なら、天理教というシステムの失敗は、誰の目にも明らかだと述べたのです。

私こそ谷底の衆生だと自覚しています。
谷底から這い上がるには、僥倖を期待していてはままならない。肉体と精神の強さが必要だと、
それを与えるのが慈悲と思うから、私は神よりも仏法を信頼するのです。
現実は地獄です。悪は強大です。これが唯一の事実です。
日蓮が念仏を「自害の心出来せり」と、烈火のごとく攻めたのは、慈悲です。
それゆえに龍ノ口へ連行された。そこで現証が現れた。

宗教が皆同じだとは思いません。だから、あなたを批判しているんです。
天理教こそ、もっと他宗教に挑戦すべきと思います。それが、究極の教えを自負する者の務めでしょう。
「いい人」には誰もつき慕いません。魅力ある人が慕われます。
それは強い人です。その力だけが、優しさを掴めます。
宗教家にはこの力がありません。あってもそれを示す場所がありません。なぜなら金があるからです。
こんな飼い殺しを続ける天理教に、恐ろしさを感じました。
私は、この自らの感性を疑うことはできません。
473基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 06:42:14 ID:x4b4ojXP
では、お尋ねします。
法華教には法華七喩(ほっけしちゆ)というものがあると言います。
日蓮は七柱の神「たいしょくてんのみこと」の裏守護と、中山みきは教えています。

「遊びに夢中で火事に気が付かぬ子供がいました」
これは、法華七喩の中の「三車火宅」のお話の内容です。
天理教団が火の車になっていて、いわば火事だとします。
火事だと説得しても出ません。
そこで仏は、どうしましたか。

改革しろ!と叫びましたか。
どうでしょう。
474基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 06:59:23 ID:x4b4ojXP
さて、>>473に、回答いただく間に、私の方でも説明をしておきましょう。
>>472
殺人やレイプは「間違いではない」というあなたの言葉もありました。
この現証だけで、十分だと申し上げた次第です。

住み込みの人が教会長を刺殺した事件は、本当ですか?
もし事実であれば、天理教はもう宗教として終わりだと言ったのです。
////
本当ですが、・・
それは、終わりでもない。
あなたは、あなたのようには「神」も「仏」も、思案しないという事。
神仏の教えそのものにきちんと向かうべきです。

あなたの感性では、そんなひどいことは「制度上から」生まれたに違いないと、そう思い込んでいる。
でもそれは、神の守護。
鬼子母神という、尊い仏様。
常に他人の子を捕えて食べてしまう、女性は、仏の守護者に生まれかわった。
それが、仏の慈悲でしょう。
常に他人の子を食べてしまう女性に、こんな非道は無い、地獄に堕ちろですか。
常に人の子を食ってしまう、その女性に「母性」を認めて、
子授け、安産、子育ての神となった。

宗教を見ずに、神仏そのものを、見つめられることです。
475基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 07:18:12 ID:x4b4ojXP
鬼子母神は、法華経を保持する神様。
天理教では、日蓮と同じく、七柱目の「たいしょくてんのみこと」様の裏守護です。
悪いんねんをきるのは、この神様です。

現証を見る。
人殺しどころか、その肉まで食ってしまう、鬼女。
仏は、実子を隠してしまいました。
罰ですか。
いいえ、心の母性を、みぬかれてのことです。
そして、鬼女は、わが子の姿を失って、初めて気が付くのです。
被害者の、子と、母の苦しみを知る。
その心の地獄を見た人にしか、法華経のような、大切な教えは任せられない。
仏は、鬼子母神・羅刹女として、彼女に「法華経」保持を任せたんです。

むき出しの欲の持ち主こそ、やがては法華経の保持者になる。
仏の、お示しになった、尊い因縁きりの実例です。
476基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 07:36:18 ID:x4b4ojXP
少し寝ます。
477寝不足の基本:2010/06/05(土) 10:27:33 ID:WruHTSHJ
徹夜乙
478神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 11:24:39 ID:Z8irpQQ2
辛うじて天理教徒の私。
曾祖父からの信仰です。
セオリー通り修養科も出ました。
教会長夫妻の媒酌でようぼくで後期講習まで終えた女性今の家内と結婚しました。
男の子にも恵まれました。
神様もお祀りしました。
朝な夕なのおつとめも欠かしません。

教会もあまりうるさいこと言いません。
会長夫妻も尊敬できます。

本当に恵まれた教会につながってます。

でも、あの地場甘露台が人類創造の場所だって夫婦揃って信じられないのです。

基本さんは、信心する資格なしと仰るでしょうね。

でも、あの地場甘露台に神を感じるんです。

そんな信心もあって良いと思います。
479基本。:2010/06/05(土) 12:44:37 ID:x4b4ojXP
>> 478
> 地場甘露台が人類創造の場所だって夫婦揃って信じられないのです。
> 基本さんは、信心する資格なしと仰るでしょうね。
いえいえ。
意識としては、信じられないと正直なお気持ちだと思います。でも朝夕のお勤めをちゃんとされている。
それは、称名信仰と言いまして、神名を称えんと言う「勤行」をされているわけですから、
ちゃんとした、信心です。

ところで、
> でも、あの地場甘露台が人類創造の場所だって夫婦揃って信じられないのです。
と、ありましたが、奥さんが「信じられないわよねー」と、語る時、笑顔ですよね。
笑顔でそれを語ると言う事は、信じているすがた。
にっこりと出来ると言う事は、言葉ではなく、体は、信じていると言う姿と、そう言う事かもしれませんね。

「みんな身上から付き来る道」です。
神様から、知らせがあったら、あった時に、なければ今の信心を普通に、そういう素直な信心は、おやさまもお喜びと思います。
480正午起床キボン:2010/06/05(土) 12:49:34 ID:WruHTSHJ
おほよう
481フラフの基本:2010/06/05(土) 14:09:23 ID:x4b4ojXP
>>471
> 二代真柱の復元の中にいる我々と、雛型当時の地場内内、あるいわ高弟と呼ばれている人々とは教祖の教えの理解と言う意味では雲泥の差。
> さんげし、復元するのは我々しかいない。そうでしょう、基本ちゃん。
基本ちゃんなら、うんうんと、言うところですね。山名ちゃん。

でも、フラフの基本には元もとの使命があるのです。
それは、現実の現場では、秀司であり諸井国三郎でなければ、出来ない事があると言う、それがフラフです。
ましてや、地場から遥か離れた静岡の諸井さん、2度や3度の地場への帰参で、判ろうはずが無い。
こう言われていますね。
> 二代真柱の復元の中にいる我々と、雛型当時の地場内内、あるいわ高弟と呼ばれている人々とは
> 教祖の教えの理解と言う意味では雲泥の差。
そのとおりです。
だが、おやさまが、「行った所が袋井や」と、「あんたの行った所が袋井だ」と、
応援したくなるような人物が、現代の天理教、どこにいるのですか。
旗立てているのは、天理高校野球部、天理柔道・・
私は、教理などでたらめでも、おやさまから、思わず応援したいと、そういう諸井国三郎。
大好きなんです。

天輪王は実は大日如来。仏法の最高の神。それは、風の神の裏守護。
知ってかしらずか、諸井国三郎、初代真柱に向かい、「はなし一条の道」なんだから、山名で公認受けたら、ばんばんと布教しましょうと、語っている。

それ、明治の「幕臣崩れ」、昭和で言う「特攻隊の生き残り」。
男気に満ちた、教理なき命知らず。
かっこいいでしょ。
その看板と、旗に、恥ずかしいのは「山名系」であって、諸井国三郎、偉い!
フラフの基本になるぞ。
さんげ、そんなもの、来世で、今度してあげる。

それがフラフの基本なんです。
482フラフの基本:2010/06/05(土) 15:04:09 ID:x4b4ojXP
たてぬい分教会さんの「おふでさき・おさしづ検索」を都合よく利用させて頂いていますが、
いくつかのお言葉が、検索では出てきていない例がありまして、掲示板に、ご配慮をお願いしてまいりました。
http://tatenui.from.tv/bbs/
「良い道具悪しき道具合わせて出来る」
と、言うお言葉があるのです。

「悪しきを払うて」の天理教なのに、神は、「良い道具ばかりでもできん」(原文未確認)。
これが、お指図にはちゃんとあるはずなのに、教義を勉強しているはずのプロの中のプロの、山名さんたちは、
注目していない。分かりやすく言うと、見えてない。無視している。

「良い道具悪しき道具合わせて出来る」「良い道具ばかりでもできん」(原文未確認)。
そしたら、大事なのは、悪しき道具の方。ですよね、山名さん。

それでフラフを立てて、ひながた時代の諸井は、そのままに貫いていたら、・・
途中で、良い道具に転身、転ぶからいけなかったのです。

483神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 15:05:51 ID:FplrB8RD
>>473基本さん

毎度のことながら、ご見識の豊さには感服いたします。
型どおりに答えるなら、三車を示して外に誘い出しました。
その三つの車は、声聞、縁覚、菩薩の三乗の教えであり、最後に大白牛車の一仏乗、すなわち仏法の真髄を説きました。

なるほど、確かに改革は不可能の感すらあります。もはや消すことが出来ない大火からは、逃れるより術がありません。
では、なぜ火事は起きたのですか?
私には、多額の集金システムこそが子供の火遊びだったと思えてなりません。
宗教家などにマトモな金の使い方ができると思いますか?彼らのした事は何だったでしょう?
大きな建物を立て、立派な衣装を仕立て、病院や学校を作り、残った金で美酒美食を食らう。
こんな物はすべて、宗教の負の側面です。
世界中の宗教という宗教が、禁欲を説くのは偶然の一致でしょうか。

日蓮の愛弟子が、鎌倉から京へ赴き、貴族の前で法を説きました。
その時の様子を彼が、鎌倉の師匠に手紙で報告します。得意げな文面に京言葉さえ交えながら。
しかし、日蓮はこれを冷たくあしらうのです。
「世間に面目を施して浮かれるのは、この日蓮を卑しんでのことか」と。
こんな事を言われるとは夢にも見なかったでしょう。こんな事を言う日蓮は凄まじい人物です。

世間に面目を施すための信仰ではない。そんなことに命を賭けるべきではない。
しかしながら、ほぼすべての宗教家が、この弟子と同じ罠に落ちています。

天理教は特にその傾向が強いと思います。大教会や分教会のいかめしい建物。宣教師のような衣装。
意味ありげに飾った祭壇。数々の造語。煩雑な礼儀作法。様々な慈善活動。・・・・・・
これらは皆、その秘めたる権威主義のなせる業でしょう。又は金の力によって作り上げた成果です。
今や、この目に見える成果を維持するための犠牲の方が大きくなっています。
天理教だけでなく、すべての宗教集団における反省点です。
宗教とはもっと身近な存在であったはずです。
宗教を見ずに神仏そのものを見れないのも、宗教が遠くにあるからこそではないですか?
484神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 16:06:20 ID:SAPMsyag
元後藤組組長がつづった、創価学会とヤクザ
http://dailycult.blogspot.com/2010/05/blog-post_5884.html
485神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 17:03:38 ID:yPPprBL5
人がめどうか神がめどうか? 神さんめどやで
この言葉を自分にも言い聞かせていますが、どうにも他人の悪いところが
気になって、他人を責めたくてしかたがありません
この世界は鏡屋敷、鏡に映るものが自分なのだと
鏡を直そうと思っても鏡の中は直らん、自分を直すのやと
そら他人のせいにして他人を責めれば自分が楽です、自分を責めるのは
そら辛い
天理教は楽とは反対側にある教えです
楽な道の中には神さんはおらんのです
486478:2010/06/05(土) 17:09:23 ID:Z8irpQQ2
そうそう基本さん、もうひとつだけ。

先祖代々の仏壇もあるんです。
ご本尊は大日さま、向かって右に弘法大師、向かって左に覚鑁上人。真言宗なんです。

会長さんは「改式しなさい」なんて一言も言いません。
むしろ大切にお祀りし続けなさい。お寺さんとのご縁を切らないようにしなさい。

そんな天理教会も、あります。
487神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 20:05:11 ID:eBL8iKQ4
困ったときは「グーグル先生」に聞こう!

  良い道具悪しき道具合わせて出ける。

で検索すると・・・
488基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 20:55:52 ID:x4b4ojXP
> この世界は鏡屋敷、鏡に映るものが自分なのだと
> 鏡を直そうと思っても鏡の中は直らん、自分を直すのやと
鏡が凄く小さいと顔くらいしか映らなくて、姿見程度だと、体全体が映って、
お屋敷サイズだと、他人も兄弟もそのシーンに入ってくるわけです。
>そら他人のせいにして他人を責めれば自分が楽です、
> 自分を責めるのは
自分を責めるのは、おやさまがお好きでない。
> そら辛い
これも、どうでしょうか。
他人の悪いところを、「たすけたい」。
同じ苦労するのなら、「たすけたい」。
鏡にお見せ頂いたものは、「人のため。」
そういう思案で、見せられたものと、受け止めれば、見える思案とします。

489基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 21:20:09 ID:x4b4ojXP
>>487
> 良い道具悪しき道具合わせて出ける。 で検索すると・・・
検索しました。
http://otasuke-tai.net/tenri_oya9.html
教祖を身近に  No.34 もっと結構
・・・ほこりの掃除はたすけ一条の道であります、
つとめとさづけによってしか払いきることはできませんが、親神は私たちを掃除の道具として使われ、世界一列の心の掃除にかかられています。「
さあ掃除や。箒が要るで。沢山要るで。
使うてみて使い良いは、いつまでも使うで。
使うてみて、使い勝手の悪いのは、一度切りやで。
隅から隅まですっきり掃除や。」(M20.3.15)「

残らず道具、良い道具ばかりでも働き出来ん。良い道具、悪しき道具合わせて出ける。日々の働きから分りて来る。よう聞き分け。」(M34.6.14)

「使い良い」「良い道具」とは、教祖の道具衆としてたすけ一条にいそしむ用木で、「悪しき道具」とは相手のほこりは払うが、そのほこりを自らつんでしまう、相手を苦しめ、困らせる人間のことと悟りますと、
私たちが「良い道具」になることをめざすだけではなく、親神にとって「悪しき道具」を自分にとっては、ほこりを払ってくれる「良き道具」としてうけとることを「もっと結構」の逸話は教えているのではないでしょうか
//////////////////////////////////////////////////////
なにかとんでもないインチキな教話に遭遇しました。

いわく、良い道具を磨いてくれる道具。それが悪い道具で、・・↑ お読み下さい。
490神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 21:37:12 ID:eBL8iKQ4
やっぱりそこに食いつきましたか・・・

まぁ「悟ります」と書いてあるし個人の悟りの範疇じゃないですかね。
491基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 22:01:34 ID:x4b4ojXP
ご案内には、素直な基本です。
ちょうど、>>485さんが、「鏡で自分を磨く」と、理を誤解されておられて、「助け一条の道に、わが身我が内の事言うやない」といわれていて、
助け一条のお屋敷の鏡、自分の化粧直ししてどうするのですか。
助けたいからお見せ下さるのは、全て人助け。助けのため。
それをみて、腹が立つほど人の間違いに気が付いたら、神様だって、立腹するんだから、それを、助けたいとのエネルギーに変換したらよい。
歯を食いしばっても、「助ける心に」。
それが、天理教の基本ですからね。
492基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 22:25:46 ID:x4b4ojXP
医者が自分の体の具合ばかり直している、大工が自分の住まいばかり修理している。学校の先生が自分の勉強ばかりしている。
まさに、自分しかない。
それでは、たすけ一条ではない。
>>490
そこで問題は、http://otasuke-tai.net/tenri_oya9.html 教祖を身近に  No.34 もっと結構
この本文の、内容そのもののインチキです。
紹介しつつ、誤解を解きましょう。では本文です。
「 教祖を身近に  No.34 もっと結構
「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」(『逸話篇』三九)
「さあ〜〜、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで。」(『逸話篇』二十一)
 前のお言葉は自宅に入った泥棒を偶然見つけ、盗難を免れた西浦弥平さんが御礼を申し上げたときに、教祖が仰せられたものです。
この意味については常識を超えていますので理解がむつかしく、様々な解釈がこれまでになされています。

「難儀にあわずにすんだことだけを喜んでいるようでは、まだ信仰の入り口にも達していないので、たんのうはまだできていない」という見方や
「これは本当の御守護とは何かという、常識的判断をこえた次元のものの捉え方、悟り方で、個人のたすかりではなく、人間全体のたすかりを視野にいれた考え方であり、人類全体のたすかりとは、全体意識である宇宙意識に根ざしたものである」という極論もあります。
 前者については難儀にあうことがなぜ結構なのか、説明できていませんし、
後者では盗難も正当化され、救済が宇宙意識とどのように結びつくのかわからず、論理の飛躍があるように思われます。
(以下続きます)
・・・・・・・・・・・・・・・・・

「欲しい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」
その通りでしょ。どうしてもガンダムが欲しいと、そしたら、欲しい人に持ってもらったほうが、ガンダムもうれしい。
子供なら、誰でも分かる事です。
理屈、いらない、普通の話です。
493基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 22:44:28 ID:x4b4ojXP
西浦さん、泥棒さん。たんすの中身。
欲しいと望んでいた泥棒さん。
欲しくも無いのにたんすの肥やしにしていた西浦さんだったと、ものの価値。
だから、西浦さんは、そりゃそうだ。

「えっ、私あれ必要だったのに」とは、反論しなくて、「確かに」。

いりもしないものを、それほど必要でないものを、必要な人に融通してあげたら、
もっと良かった。

子供の重いジフテリアを、仲田先生に助けられて、「身上から付いた・西浦さん」。
ジフテリアの身上諭しの、基本は、「伝染病」「飛まつ感染」。
「流行や、人の評判にて、感染されやすい」。
つまり、たんすの中にも、そういうものがたくさんあったはずで、ま、あたらしものがりや

だから、そういう「ホコリ」の持ち物でも。必要な人に貰ってもらえたら、もっとうれしい。
当たり前の、常識です。

でしょ。
流行や宣伝で新製品やらを買い込む人なら、誰でも分かる事です。
494基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/05(土) 23:21:16 ID:x4b4ojXP
>>483
貴兄のその博識は、私の及ぶところではありませんが、「より価値のあるものを示し与える」と、
その仏の行為は、「火事の起きた原因さえ・仏の教えが届かない」と、一切を引き受けられたものです。
それゆえに、教えを聞こうとしないものに対してほど、神仏は、お優しいのです。

イエス様で言うなら、一匹のさ迷える子羊こそ、救済の対象。

中山みきは、「子が悪いのやない、親の教え、届かないのや」と言われています。

貴兄が、天理教団のていたらくを、見て、放置できないとここに書き込む事は、
結果として、親の教えを届かすかもしれませんよ。
人とは、はるかに、崇高な存在ですから。
495神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 00:34:34 ID:cOQ92iL1
基本さん、右手にできた湿疹の身上はどう悟らせてもらえばいいですか?
496基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/06/06(日) 00:37:15 ID:PEYG9h0u
貴兄が、多分理解できていないのは、仏と衆生の因縁はもともと深く仏は衆生をたすけると言う強い意志をお持ちという事、
その、出発点ではないでしょうか。
目に見えた現象の奥には、その「衆生」を必ず救うという仏がおられる。

それを、見つめ続け、仏の心に近づくこと、仏の心を深く知るのが、先ず第一の方法です。

例えば、どのような宗祖であれ、それを第一とされている。
念仏を一心に称えるという信心は、人と仏の関係において、成立している。
組織を悪と断じ、それに対して、批判するのは、確かに日蓮上人がなさっている事です。

日蓮が「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」(四箇格言)と他宗を攻撃した事は、良く知られています。
それは、「正しい教え」を伝えるという意味に、各法華信仰宗派は、説いています。
仏が衆生を救済する上では、当時の宗教組織は、仏の道に反している。
それを、批判した。
それに、貴兄は、手本を見ておられるのかもしれません。

では、日蓮上人の本意は、仏敵として、他宗を攻撃する事にはなく、正しき仏の教えを伝える事にあった。
法華七喩
そこには、仏が「さまざまな宝」を与えて、それは衆生を導くための工夫があって、
その工夫の七つが示されているわけです。
同様に、折伏するのもまた、衆生を導くための方便と理解されます。

方便は、或いは先ず与える宝とは、決して、仏の本意ではない。

貴兄は、方便を用いるべきではないし、それでは、悪因縁は切れない。
497基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 00:39:47 ID:PEYG9h0u
右手の、どの辺りでしょうか。
手のひら、手の甲、手首、手、二の腕、・・など、情報を。
498神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 00:45:15 ID:cOQ92iL1
人差し指と中指の間から少しづつ広がって腫れたりしています。
今日皮膚科でかぶれと診断されて、ステロイドの塗り薬を処方されました。
499基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 01:06:07 ID:PEYG9h0u
>>498
第9号 10
にんけんにやまいとゆうてないけれど このよはじまりしりたものなし
Ningen ni yamai to yute nai keredo Kono yo hajimari shirita mono nashi
Though there should be nothing called illness in human beings, no one knows the beginning of this world.
人間には病気というものは無いのであるが、親神の世界人類創造の真実を知らぬから、その無知ゆえに、つい心にほこりをつけて身上障りとなるのである。

第9号 11
この事をしらしたいからたん/\と しゆりやこゑにいしやくすりを
Kono koto o shirashitai kara dandan to Shuri ya koe ni isha kusuri o
Because of My desire to have you know this, I began doctors and medicine for weeding and fertilizing.
陽気遊山を理想として人間を創造した親神の真実を、一列人間に知らせたさに、その緒口として先ずぼつぼつと修理や肥として医薬の道を教えて来たのである。
註 しゆりやこゑは、修理、肥の意で農事に託しての比ゆであって、親神様の慈悲をお知らせ下さるための心の仕込みの意。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ま、解釈、解説は読まないで、お筆先は本文のみ読みましょう。

第9号 10
にんけんにやまいとゆうてないけれど このよはじまりしりたものなし
第9号 11
この事をしらしたいからたん/\と しゆりやこゑにいしやくすりを

この世元始まりを知らしたいから、医者様がおられます。
>>498
> 皮膚科でかぶれと診断されて、ステロイドの塗り薬を処方されました。
これが、「元の理」を教えていただく、ものとなります。
500神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 01:12:24 ID:cOQ92iL1
右なので親神様からの警告なのかと思っていました。
小さい頃左はお知らせで右は警告。
15歳からの病気・けがは自分の行いや心遣いによるものと聞いていたので。
501基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 01:14:55 ID:PEYG9h0u
>>498
> ステロイドの塗り薬
> これが、「元の理」を教えていただく、ものとなります。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「 ステロイドホルモン
ホルモン作用を持つステロイドはステロイドホルモンと呼ばれる。
ステロイドホルモンは大部分が副腎皮質から分泌されるが、一部の性ホルモンは、精巣や卵巣から分泌される。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで、「元の理」として示されている内容、ご理解できましたでしょうか。
502神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 01:25:23 ID:cOQ92iL1
あの・・・『元の理』をしっかり勉強しなさいということでしょうか?
503基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 01:29:33 ID:PEYG9h0u
次に、「病名」と症状で、病理を思案します。
これは、昔の天理教のお助け人の方法です。
「かぶれ」・・
何にかぶれたか。
あなたは、湿疹と言われていました。「湿」とは湿り気、つまり水気です。
「湿疹」皮膚炎(ひふえん)とは、皮膚に起こる炎症のこと。湿疹ともいう。

そこで、もう一度、お医者さんの知識に学びます。
湿疹の経過は多様であるので、必ずしもそうとは言い切れないが典型的な経過を纏めてみる。
まず炎症がおこり毛細血管が拡張する、この状態を紅斑という。
細静脈から滲出が進み皮膚が膨らんでくる、この状態を滲出性丘疹という。
さらに滲出が進むと小水泡となる。
炎症細胞の量が増えてくれば膿疱となる。
膿疱は細菌性皮膚炎でも特徴的だが、細菌がいなくても炎症細胞が増えれば起こしえる。
やがて大きくなった水泡や膿疱は破れて湿潤(またはびらん)となる。
滲出した滲出液が固まれば瘡蓋のようになる、これを結痂という。
そして炎症がおこり形態変化を起こした皮膚もいずれ新陳代謝で消えてなくなろうとする、これが落屑である。
落屑までいけば大抵は治癒になる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「皮膚はつなぎの神様埃はうらみ」そこで、「炎症が起きるのは火は母親の理、埃は惜しみ」

何にかぶれて、何を恨んで、誰と摩擦して(熱は擦れ合い)、と、このように思案するわけです。
504基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 01:44:48 ID:PEYG9h0u
さて、一通り必要な基礎知識を申し上げました。
それから、疑問質問はしていただいて構いませんが、ここはネットです。
個人情報的な事は一切語らないで下さいね。
私の方で、ベラベラと語りますから。

>>500
> 右なので親神様からの警告なのかと思っていました。
> 小さい頃左はお知らせで右は警告。
> 15歳からの病気・けがは自分の行いや心遣いによるものと聞いていたので。
すばらしい知識をお持ちですね。
「左は善」「右は悪」と、これが基本です。
その病が、知らせなのか、手入れなのか、道教えなのか、手引きなのかは、
「ぽんぽんと肩たたくように」来る感じの病は、これは知らせ。突然痛くなったりは知らせと、そう悟ります。
その知らせの内容が、しなさい、なら左。やめておきなさいなら右。です。

今回のものは、手入れか、手引きか、いずれかです。
手入れというのは、神が手を入れて直す。修理や修繕したいところがあると、手入れです。
手引きとは、手を引いて、こちらにと、神の思いは手引きです。

治るのに時間がかかるのは、「手入れ」の可能性が大ですが、傷跡が残るようなら、或いは手入れかと、なります。

ここでは、手引きとして、基本を申し上げます。
505神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 01:46:59 ID:cOQ92iL1
心当たりがあります。
ある方の言動・行動に憤っています。
あまり詳しくは書けないですが、どうしてもその人に不足を積んでしまうのです。
周りの人に相談すると、内容的に自分が憤るのはよく理解できるが、天理教を信仰しているのだから
腹を立ててはいけないと言われます。
頭ではわかってるつもりでも、成人が足りないので腹の中でブチ切れてしまうのです。
506基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 01:48:54 ID:PEYG9h0u
502 :神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 01:25:23 ID:cOQ92iL1
あの・・・『元の理』をしっかり勉強しなさいということでしょうか?

そうではなくて、病は元の理に基づいて、神が知らせをだし、手引きする。
だから、医者の知識で、病の元の理を確かめて、病の理を思案しましょうという事です。
507基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 01:53:39 ID:PEYG9h0u
>>506
おねがいですから、書かないでね。
細かくはね。
ここはネットです。
相手の人や、誰が読んでるか分からないのです。
理だけお教えしますからね、あとは、おやさまに、しっかりと手引きされてください。
508基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 02:11:46 ID:PEYG9h0u
まず、病の場所で思案します。
お筆先に知らされた、基本です。
人差し指と中指の間
くにさつち様とくもよみ様の指です。
> 皮膚科でかぶれと診断されて、ステロイドの塗り薬を処方されました。
> 「ホルモン作用を持つステロイドはステロイドホルモンと呼ばれる。
> ステロイドホルモンは大部分が副腎皮質から分泌されるが、一部の性ホルモンは、精巣や卵巣から分泌される。
「副腎」は腎臓(くもよみ様)の側にある。「性ホルモン」は(くにさつち様)の関係。
つまり、あなたの事情は、「可愛い」という「つなぎ」という場所で、かぶれていると、そういうことです。
509基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 02:21:12 ID:PEYG9h0u
>>508
そこで、神様は何を手引きしたいか。
皆面々口で言わすと、ありますが、「腹を立てて」いるから、悪いのなら、
左の人差し指です。
そこではないという事は、「かわいい」と「つなぎ」の間という事は、
基本的には、次のように理解します。

誰かのうらみねたみを受けていた。
それは、あなたと仲良くしている仲を裂こうとしてのもので、
そうした情報にかぶれたあなたは、それに気が付いていないから、神が手引きした。
そんな風に、基本的には理解します。

疑問あったら、事実関係も余り書かないようにお尋ね下さい。
510神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 02:38:25 ID:cOQ92iL1
いろいろとありがとうございます。
詳しくお話できないのがもどかしいですが
基本さんはかなりすごいと思います。

お道を勉強したくても周囲によい先生があまりいない人もいるので
ブログやHPで的確な知識を発信してほしいです。
既にされていたなら失礼します。
511基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 03:07:07 ID:PEYG9h0u
おやさまは、あなたに、身でお知らせ下されたのです。
小さい頃から、病の理について、学んでおられたから、貸し物借り物の理をここできちんと体得されて、
ちゃんと道に付いて欲しい。
この道は、みんな身上から付き来る道です。
おなたでなければ分からない真相というものがある。
それを、きちんと、病理で確かめられる事です。
「元の理」が、いつも人間を導いてくださっている事を、おやさまに、直接学ばれてください。

あなたに、手引き下されたおやさしいおやさま。
名は、中山みき。神名は、天理王命様。私達の親神です。
512基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 03:57:53 ID:PEYG9h0u
>>492-493
インチキな教話の話題に戻します。
教祖を身近に  No.34 もっと結構
「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」(『逸話篇』三九)
・・ 山本利雄氏は『いのち』の中でつぎのような解釈をしています。長くなりますが引用しておきます。
「この考え方は、在来の道徳的な善悪の評価を言っているのでは断じてない。
泥棒に取られなかったと喜んではいけない。それは悪である。
ほしい人にもっていってもらうことこそ善である、などと言っているのでは決してない。
泥棒に取られずに済めば、誠に結構である。
素直に喜ばしていただく。
泥棒にもっていってもらえば、もっと結構である。これも素直に喜ばしてもらう。
一切が結構づくめである。いかなる中でも陽気ぐらしができるように創られている。
ここに、創造の意志、陽気ぐらしの原点がある。
ここに、先に述べた、たんのうの世界がある。」(五二〇頁)
これでは「もっと結構」の意味が全くわからず、何の説明もしていないことになります。

 問題は盗難にあうことがなぜ結構なのか、ということですが、これは盗人を喜ばせたからでは決してありません。
盗みは欲のほこりを積む行為で、許されるものでは断じてありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・
おやさまは、欲しいと思う埃より、欲しいと思わせる方が大きな埃だと言われています。
513基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 04:02:45 ID:PEYG9h0u
教祖を身近にと題しての教話。
何の議論かと思えば、「泥棒の埃」前提の教理議論。

西浦さんが人に「あれ欲しいな」と思わせていた埃の大きさは、泥棒さんとは桁が違う。

この自覚が、西浦さんは出来て、村上先生も山本先生も、それが見えていない。
おやさまは「泥棒に貰ってもらったら、もっと結構」と言われていない。
「ほしい人」と言われている。
それを、「泥棒」と呼ぶのは、心の高ぶりに見えます。

欲しいと思わせたら埃なのです。
基本なんか、ことによると、皆さんに、欲しいと思われているから、一寸でも出し惜しんだら大埃。(笑)
あの作文の上手さが欲しいと、思わせた埃は、こちらにある。
それが天理です。

当然ですが、天理教が、あんな神殿欲しいとか、思わせた埃は、自覚すべきです。
514基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 04:19:48 ID:PEYG9h0u
> 盗みは欲のほこりを積む行為で、許されるものでは断じてありません。
それならば、そういう欲を、見知らぬ相手に積ませた埃は、 断罪に値します。

「ほしい人に貰ってもらう」。それこそが、こちらの埃の掃除です。

天理教、なめていませんか。
神は、隔てはないのです。
「盗難にあった」「泥棒だ」「欲の塊だ」「こちらはたんのうだ」。
冗談は、天理教として人に語るな。

欲しい人に貰っていただいただけなのだ。
貰っていただいたら、感謝だ。

泉田藤吉、山賊に会った。同じ逸話編にあるではないか。
泉田籐吉は、ある時、十三峠で、三人の追剥に出会うた。
その時、頭にひらめいたのは、かねてからお仕込み頂いているかしもの・かりものの理であった。
それで、言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、大地に正座して、
「どうぞ、お持ちかえり下さい。」と言って、頭を上げると、三人の追剥は、影も形もない

村上先生、山本先生、おやさまはなんと言われた。知らないのだろう。
「よう苦労して来た。内々折り合うたから、あしきはらひのさづけを渡す。受け取れ。」

内内、皆、内内。
これこそが、おやさま、教祖様の本意なのだ。
「ほしい人」と折り合いがつけられぬことの無いように、基本こそ、重大である。
515基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 04:48:23 ID:PEYG9h0u
487 :神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 20:05:11 ID:eBL8iKQ4
困ったときは「グーグル先生」に聞こう!
良い道具悪しき道具合わせて出ける。 で検索すると・・・

とんでもない教話に出くわした。「内内」を折り合えとの、おやさまの教えに背いた恐ろしい教えを説いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教祖のこのお諭しの中に三つのポイントが示されています。
まず盗まれるのは、物があるからで、それを喜ぶこと、次に盗難にあうことは前生の因縁から考えると、前生での借りを返すことになり、
これによって前生において積み重ねてきた天借の返済ができること、
第三点は前生の借りがないときには、盗人に貸したことになり、将来返してもらえる、このように盗難の節をうけとるとき、初めて教祖のお言葉の意味がよくわかるのではないでしょうか。
教祖は盗人に慈悲の心を抱かれるとともに、
節を見せられる当人にたいして自らへのさんげ、前生因縁をさとり、反省することによって、たすけ一条の心になり、
本当の意味でのたんのう、陽気ぐらしができるようになることを「もっと結構」と仰せられたと思われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「まず盗まれるのは、物があるからで、それを喜ぶこと、」
おいおい、人のねたみを受けたものは、埃。ひとに欲しいの埃を使わせた物は、
無くさないと、祟りが来る(笑)。 いや、神の返しがくる。
恩で返されたら「恩返し」 仕打ちで、返されると「仕返し」 理の間違いというのは恐ろしいものです。

いいですか、人のねたみをかったら「散財」。助かる元です。
516基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 05:00:58 ID:PEYG9h0u
> 前生の借りがないときには、盗人に貸したことになり、将来返してもらえる
こういう、インチキ、信じちゃだめですよ。
人にほしがらせて積んだ埃は、内内折り合えないために積んだ埃は、大埃。
将来返してもらえるなんて、嘘の上塗り。

教祖のお話で、理を説くには、先ず「仏の慈悲」。それから知るべきでしょう。
半牧のお筆先、拝読から、学びなおしましょう。
お勧めします。
517基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/06(日) 05:09:19 ID:PEYG9h0u
> 「残らず道具、良い道具ばかりでも働き出来ん。良い道具、悪しき道具合わせて出ける。
> 日々の働きから分りて来る。よう聞き分け。
でも、「残らず道具」。
その意味を、改めて問いただす良い機会にご案内頂きまして、有難うございました。
518神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 06:49:44 ID:SlzQWSKu
知ってるテンリの信者は女装趣味
519神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 08:32:00 ID:uFnNVmoH
毎朝カンカンうるせーよ
死ね
520山名:2010/06/06(日) 11:22:32 ID:n2Gy1LIK
>半牧のお筆先、拝読から、学びなおしましょう。
教えの本筋から逸脱しているって、真柱が言っているから読むのなら用心して読んだほうがいいよ。

半牧の御筆先は真柱の命名だって、ブラフの基本ちゃんは何でこんな嘘をついちゃったんだろう。
真柱の解説によると、みんなが知っているお歌形式の御筆先以外御筆先は現存もしていないし書かれもしていないってのが
常識との事。嘘つき教理解説。もう止めましょうね。基本ちゃん。
521神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 12:02:07 ID:ahN3dHlp
>>基本さん

いつもいつも慈愛に満ちたお言葉、感激しています。2chも捨てたものじゃないと思ってしまいます。

518さんのレスを見て、ある天理教の信徒の方を思い出しました。
もう七八年前になりますが、その方とは職場で知り合いました。自宅に招いたところ、ふと天理教の話をされたのです。
彼の持参したビデオを観ました。確か、泉谷しげる主演の某活動家の半生みたいなものでした。
私と天理教の出会いは、この彼によってもたらされたと思います。

この人の生態(笑)は、驚くことばかりでした。会社での昼食時、彼はビニールパックに詰めた白ご飯を口からぱくついていたのです。
目が点になった私に、「お金の節約でね」と言いました。おかずは食堂に置いてある漬物だけでした。
彼の寮にお邪魔した時、さらにびっくりしました。女ものの下着が部屋にたくさん干してあったのです。もちろん恋人なんていません。
「実は・・・君だけに言うけど、女装が趣味なんだ。落ち着くんだよね」 私は気圧されっぱなしでした。

数日後、きれいな女性の写真を見せられました。「この子可愛いだろ?ぼくの好きな人なんだ。風俗嬢だけどね」
彼が極端に金欠なのは、この彼女に貢いでるせいでした。
(こ、これが天理教なのか?)と思わないでもなかったです。奈良の「お地場」にも連れて行かれました。
あの絢爛豪華な本殿の威容は、今も忘れられません。そこには三々五々、信徒の人たちが参拝しては、「あしきを払い〜」とやってました。

長い回廊を巡りながら、多くの人が雑巾で床磨きをしている姿を見ました。とりわけ印象的だったのは、うす暗い祭壇の前に人形のように端座する
本部員?の姿です。あたかもお化け屋敷の中で、子供が感じると同じ胸苦しさを感じたのを思い出します。
彼の顔には喜色が浮かんでいました。きっと私が、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたからでしょう。
522神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 12:03:00 ID:ahN3dHlp
つづきです

彼は、月々5000円のお供えをしていると教えてくれました。
私は、それは愚かだと反発しました。また、自分の好きな女性に客として会うのも間違っていると伝えました。
一応折伏らしい事もしてみましたが、「お経って不気味だから嫌い」と、ニベも無い返事でした。
彼は横浜から、借金取りに追われて関西に来ていましたが、ある日、病気になって仕事も辞めてしまいました。
最後は、大阪の梅田で野宿をしていました。私が横浜の実家に帰る名目で数万円を貸した後、音信不通となりました。

ところで彼は、深夜の大阪駅で暴漢を説得したそうです。女性が乱暴されかかっていたその悲鳴を聞きつけて駆け付けたそうです。
「大した勇気ですね」と私が言うと、「いいことをすれば、神様は必ず応えてくれるんだ」と答えたその言葉が、耳に残っています。

今も時折、彼のことを思い出します。実家の年老いた母親も、パート勤めと献金の日々だと語っていました。
この話と天理教とは関係ないと思われるでしょう。しかし、私にはそうは思えないのです・・・・・・
523基本。:2010/06/06(日) 12:29:06 ID:PEYG9h0u
おやさまが、女装を命じられた、そういうひな型が残されています。
男尊女卑の江戸・明治の、その中でも、家父長制の男として、女性に対して、高圧的で聞く耳持たぬと言うような方だったのだろうと、想定される方でした。

人間始まるときには「めざる一匹」になった。

神様のお言葉には、「皆そうけい女の道ある」とあったと思います。
男も女もみんな女だったという、女であった時代が、男性の因縁の中にあって、
その自覚がないと、女性を差別したり、支配したり、したくなる。

女をお金で買うと言いますが、それは「金による支配」なのです。
お金払ったんだからちゃんとサービスしろよな!

そういう心の道は、男性の誰にでもあって、その女の道を地でやってしまうと、色々な生態になると言う事です。

歴史上風俗と言うのは、実は巫女であったりした。
義経の母親の白拍子というのもその例ですね。
なぜか権力者は「風俗」が好きで、吉原のおいらんが大名の城を傾かせたというのも、そうした因果にあると言う事です。

いんねんの自覚。
支配被支配ではない男女関係に、到達するには、女装も、必要な道かもしれません。
524基本。:2010/06/06(日) 13:02:21 ID:PEYG9h0u
天理教に貢ぎ続けていた。
私の父母もそうでしたからね。私の場合はとても感謝しています。
天理教の仲間たちが「あんな真似はできない」「あなたのお父さんお母さんほど綺麗な人は居ない」。
親戚は「あんな全部お供えして、馬鹿だ!」「お前たちは出す事知らないから助からない!」

出す事知ってた母は、出して病がたすかり、少しでも蓄えると病になる。
「金、持ってるよね」。
「出しな」。「分かった。私が悪かった。お前これを教会に運んでおくれ」
それを運ぶと、すぐ治る。繰り返されました。
小学生の頃から私がそれしていましたから、百は超える回数でしょう。

実証として医者が手放した病状も、ことごとく治癒した。
だから私はお金出す人は、神に出しているのだから助かっていると、確信していますが、
出させる人は、受け取る人は、助からない事しているなと、気の毒なのです。

あなたも、天理教の人間に出す事して下さって、ありがとうございます。
525神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 13:06:31 ID:ahN3dHlp
>>基本さん

こんな個人的な話を長々と失礼しました。
この記憶は、私の中にずっと異物のように沈殿していて、基本さんにぶちまけることで、
清めてもらいたかった気持ちもあったのです。女装の話、一理あると思いました。

なるほど、天理教は女性崇拝的な趣があるかも知れません。
日蓮系は男性的といえるでしょうか。
確か日蓮の言葉にも、念仏は母性に溺れ父性を欠く、というものがあったと記憶します。
稲荷を拝む人に、キツネが憑依した話も聞いたことがあります。
「鰯の頭も信心から」といいますが、何を信じるかということは本当に大切だと痛感します。
狼に育てられた少女は、狼になったのですから。
526基本。:2010/06/06(日) 13:19:56 ID:PEYG9h0u
釈迦に説法ですが、法華七喩にありましたよね、

長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品)
ある長者の子供が幼い時に家出した。
彼は50年の間、他国を流浪して困窮したあげく、父の邸宅とは知らず門前にたどりついた。
父親は偶然見たその窮子が息子だと確信し、召使いに連れてくるよう命じたが、何も知らない息子は捕まえられるのが嫌で逃げてしまう。
長者は一計を案じ、召使いにみすぼらしい格好をさせて「いい仕事があるから一緒にやらないか」と誘うよう命じ、
ついに邸宅に連れ戻した。そしてその窮子を掃除夫として雇い、最初に一番汚い仕事を任せた。
長者自身も立派な着物を脱いで身なりを低くして窮子と共に汗を流した。
窮子である息子も熱心に仕事をこなした。
やがて20年経ち臨終を前にした長者は、窮子に財産の管理を任せ、実の子であることを明かした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

尽くす一方の境遇に、仏がその人を置かれた。
それは、かわいい息子だった。

私はいつも、そんなにも神様に可愛がっていただけて、両親はありがたいかぎりだったと思います。

母親は死の三日前、お前の天理教に私が邪魔なようなら、私は死んでも良いよと、
冗談で言いました。
「理の親への孝心・親孝行」「金出すだけの天理教」
そして、正月26日甲賀の詰所で、母は、突然に病で死にました。
「あんたのお母さんはしあわせだったねえ」と、世間の人は言いました。
「ご教祖様の命日に死ねるなんて、そんな幸せな事はない。」
「私も、あんたのお母さんのように、苦しまずにすっと、死にたい」
何人かに言われました。

人間は生まれ変わってくるのです。
何の結構も見ずに死ねたら、それは天理教の本望です。

徹底した理の親信仰批判を出来るのは、母が死んでお金の運び屋、卒業できたからです。
527神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 14:15:13 ID:ahN3dHlp
>>基本
釈迦に説法だなんて(汗)
私は六道輪廻の鼻垂れ小僧です。あなたの境涯には比すべくもない。
これは偽らざる気持ちです。

感動的なお話です。あなたは人間の美しさを理解していると思います。
ご両親を信仰の手本にされているのは、本当に素晴らしいことです。
尊敬と犠牲を捧げる人がいないというのは、何と寂しい毎日だろう。
・・・・・・最近、つくづくこう思います。
御書を読むだけでは、詰まらないのです。
この小生意気な自分をとことん叱ってくれる人がいる。
それはどんなに幸せなことか。今になって、痛烈に胸を突きます。
528神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 16:40:31 ID:y6ZHEv+Y
基本さんへ
今日教会へ参拝に行きました。
教会の神前でお供えのことで女房とつかみ合いの大喧嘩。
僕は「運びや」なんて、もうまっぴらだ、おまえとは離婚だ。
家内は「命のお礼よ!出すだけ出せば助かるのに!出し惜しみするから義父ががんになるのよ」
「義父さんの兄弟みんな修養科出てるのに義父さんだけお道がおくれてるからがんになるのよ」
こんなんで陽気ぐらしは程遠いです。
ふざけんな!!
529神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 16:52:16 ID:4teQAHTq
早く離婚しろよ
530山名:2010/06/06(日) 17:34:33 ID:n2Gy1LIK
例えば、基本ちゃんはお言葉を曲げて説くのは得意です。
>中山みきは、「はたらくとは、はたはたを楽さすことや」と説いています。ひのきしんの教えです。
>「ひのきしん」とは、人に対する奉仕です。
> 奉仕→Service→(再訳)サービス
> キリスト教の祈り→Prayer of Christianity→(再訳)キリスト教の祈り
> 天理教のつとめ→Work of tenriism→(再訳)天理教の仕事
>中山みきは、つとめを説いた。
>それは、サービスを説いたのです。お筆先をご紹介します。

>第1号 11みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる
>Mina sorote hayaku Tsutome o suru naraba
>Soba ga isameba Kami mo isamuru
>When all are assembled and quickly do the Service, as those close to Me become spirited, God, also, will be spirited.
>人衆そろうて一日も早くかぐらづとめをするならば、親神は人間の実の親であるから、子供が喜び勇む有様を見ると親心として親神の心も勇んでく
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>天理教のつとめとは、「働く」であり、サービス。「奉仕」なのです。

英訳おふでさきに“Service”の文字があてられているから、「奉仕」あるいわ「サービス」と訳語を当てはめていますが、とんでもない曲解です。
此の場合のServiceとは、教祖が完成を急き込まれた「かぐらづとめ」そのものです。

英和辞書にて、Serviceの意を確認されたほうが宜しいと思います。
531528:2010/06/06(日) 19:25:35 ID:y6ZHEv+Y
修養科出てないからがんになるのか?
道が付いたのが遅れてるからがんになったのか?

息子の俺が言うのも変だが本来の天理教で言ったら、それこそ「本人の業」「本人の元のいんねん」だろ。
「いんねんが悪い」とか「前世のいんねん」じゃねえよ。

「出せば助かる」で育った嫁だから、頭くるんだよ。
532神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 20:46:02 ID:vbxHqnSJ
>>528>>531
基本以外には用事ない?

俺は逆だと思う
本来癌が出るはずの家系のうち因縁噴出すのを神様に抑えて貰えてる人達がいる、って言う事
お道に遅れてる人の方に皺寄せが行くかのように見えるのは多々ありますけどね
でも、修養科に入ったから癌にならないですむ、とも限らない

信仰の道に入ったからそれで因縁全部帳消し、なんて例はないっすね
奇跡は最初の方だけ、後々には自分で因縁きりの苦労をしないといけないのは同じ
でも神様に手伝って貰いつつ、の人と完全に目隠しの状態で、って言う人では違う

同じ不治の病でも八方塞対処無しどうしたら良いか阿鼻叫喚、の無間地獄と
やっぱり今世でも俺は助からんか、でもこのままやっていけばゆくゆくは我が家の因縁も切れそうだ、命尽きるまで頑張るぞ、
では幸不幸に大きく分かれてるよね
533神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 20:51:29 ID:ahN3dHlp
「因縁」って、もともと仏教の言葉なんだけど・・・・。
パクらないでくれますか?
534神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 23:57:36 ID:cOQ92iL1
基本さん、495です。
おやさまは本当におやさしい方だと思います。
親神様もまたおやさしいと思います。
心遣いを間違えると身上や事情でのお知らせがとても早くて
それをちゃんと反省するとすぐに元通りにしてくださいます。
個人的に厳しいなと思う時はありますが、心を入れ替えると御守護のレスポンスも早い。

話は変わりますが、本部月次祭の本部員講話について基本さんはどう思いますか?

自分は感話っぽく感じます。
せっかくたくさんの方々がおぢばへ帰ってきているんだし、おやさまのひながたや教えを説いてほしい
と思います。それでこその本部員なのではないでしょうか?
535基本。:2010/06/07(月) 00:31:56 ID:XAtLZB35
身の知らせを頂ける方は、みんな親神様おやさまの優しさをお分かりと思います。
>>534
> 本部月次祭の本部員講話について基本さんはどう思いますか?
私は、現在まで布教せず参拝せずの一布教所長ですから、耳にしていないものにコメントは出来ない。

> おやさまのひながたや教え
この道は胸から胸、一人から一人が基本です。
研究は何人もが集まってしてもよいのですが、講話と言うのは、おやさま、なさっていませんよね。
おやさまは、一人一人に身に知らせて道を、胸から胸にお伝えくださいます。
講話は、参拝をされてはいても、聞く人は信者とも限らない。そういう人にも伝えるわけですから、基本的に、雛型にはない、宗教の手法ですから、
良かったとは、なかなか言えるものにはなりません。
536基本。:2010/06/07(月) 00:33:42 ID:XAtLZB35
>>530
山名さん。
基本のために、いつも努力頂いてありがたい限りです。
537おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/06/07(月) 00:46:10 ID:bAPJBXu8
>>528
>「命のお礼よ!出すだけ出せば助かるのに!出し惜しみするから義父ががんになるのよ」
>「義父さんの兄弟みんな修養科出てるのに義父さんだけお道がおくれてるからがんになるのよ」

                      ___
                    / ,,-、、  ゙^ー-、
                   ,/ ,,-i i!;;├...,,__  ゙^-、
                   i /l=_゙三_ =_  `-、:::::/  _______
                    `/-――-- 、..゙ー- ::|'  /
                    ` ,―、_,.―..、 ゙-- ,::ノ<HEY! 天理信徒の知的能力は わがアメリカの
                      L;;/ 、ヽ::::ノ―b, i   \ クエーカー教徒の12歳児童程度のものねー!
               __     | `` ヽ   _/     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                |i.|____|、ノ___|   l .|
                      i ‐  ` /  ト、
                      `--―"  //
                      /ヽ   へ /
538基本。:2010/06/07(月) 00:47:19 ID:XAtLZB35
528 名前:神も仏も名無しさん :2010/06/06(日) 16:40:31 ID:y6ZHEv+Y
基本さんへ
今日教会へ参拝に行きました。
教会の神前でお供えのことで女房とつかみ合いの大喧嘩。
僕は「運びや」なんて、もうまっぴらだ、おまえとは離婚だ。
家内は「命のお礼よ!出すだけ出せば助かるのに!出し惜しみするから義父ががんになるのよ」
「義父さんの兄弟みんな修養科出てるのに義父さんだけお道がおくれてるからがんになるのよ」
こんなんで陽気ぐらしは程遠いです。
ふざけんな!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういうお嫁さんに、論破をされたらどうでしょうか。
@ 先ず、では、幾らお供えしたら助かるのか、金額を示して欲しい。
こう質問します。
A それでは、その金額1000万円としましょうか、その金をどうやって作ったら、神様は、受け取ってくださるのか、と、尋ねましょう。
B 汚いお金では、神様お受け取りにならないから、お互いに一番好きなもの、大切なもの、全部なくしてみよう。
  リサイクルに売って、幾ら出来るだろうか。
  と、具体的に、予算を、ちゃんと、立てて見せてもらいます。
C 1000万円が用意できる手段が見つかったら、そこで質問します。
  もし助からなかったら、追加は幾ら必要なのか、それも、きめて置こう。

と、きちんとつめていきます。

そのうちに、ぼろが出るようなら、お嫁さんは、実は何も出す気がない。
本気で出すために全力で、理想形をかたれるようなら、本気。真剣。
その判別から、するわけです。

539理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/07(月) 00:56:36 ID:qVWDdU1y
>>533
天理教は『因縁』じゃなく『いんねん』でしょ。
540基本。:2010/06/07(月) 00:59:59 ID:XAtLZB35
>>538
>命のお礼
そんなものは、おやさまは、いらん。
そういう教理からの論破は、傷が残ります。
嫁さんに、リサイクルに処分するものを相談し、手放す資産を相談し、
土地を売るとなったら、「では関係者に承諾がいる」と、相続予定の子供にも話をしておくぞ。
「お前に渡すはずの土地は、無くしてもいいな」。

ま、3000万円は出す覚悟で、明日から、化粧品も最低に、着物洋服も、落とせるだけ落とそうと、
ちゃんと、詰めていけば、先ず、金出して助かるという事の現実が、やっと分かるはずです。

それから、金出さなくて助かるには、どうしたらよいか、そういう天理教もあるよと、ご案内ください。
おやさまは、お金の憂いではない、互い助け合いが、欲しいだけですと、教えるのは、
論破の後にしましょう。
541神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 01:03:51 ID:mhN1GOvC
そうなんですね。
おぢばで一定期間勉強させていただいてほんの少しわかったような気になって
湧き上がる疑問の答えをいただいた時
何にもわかっていない自分に呆然とすることがよくあります。

三原典を勉強したいのですが、おすすめの書などはありますか?
542基本。:2010/06/07(月) 01:17:17 ID:XAtLZB35
「やっぱり考えてみたら、お義父さんたすかってほしい。それでな、お前、幾らで助かるのか、
助かるまで、幾ら出すか、ちょっと、本気で相談しようか」
「あのな、1000万円は、最低必要と、思うだろ。命の値段だから、それでも安いくらいだ。
それで、本気になって、1000万円出すという前提で、これ考えないと、いけないかと、相談したいと思う」
「神様に出すお金だから、綺麗なお金でないと駄目だから、先ず、な、好きなものや贅沢なものを、リサイクルに売ろう。」
「それもな、おやさまは高く売るなとそういう教えがあるからな、安く売ろう。」
「ま。リサイクルは良くて定価の一割、そうすると、あれ売ってこれ売って、他に売るものあるか。
 自分の一番大切なものから手放さないと、神様は受け取ってくださらないから、
先ず、五万円、あれとあれとこれを売って、着物でも一番大切なやつから売ろうな。
先ず五万円、お前のもので二万五千円、俺は、俺のもので、合計五万円。
これを、明日リサイクルで売って、今日から三日後には、教会に、二人でお届けしよう」

「そして、お願いしよう。印をお見せくださいって」な。
543基本。:2010/06/07(月) 01:21:32 ID:XAtLZB35
>>541
ともかく、声を出して読むことです。
544神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 01:26:53 ID:mhN1GOvC
わかりました。
ありがとうございます。
545基本。:2010/06/07(月) 01:37:09 ID:XAtLZB35
先日、ある方から、姉妹仲が悪くて、仲良くできずに私が姉なのだけれど、この年になってまだ妹にやさしくなれないと、ご相談がありました。
「私なんか話し始めるとつい妹にひどい事言うので、つくづく嫌になりました」
「このまま、連絡しないでいた方がよいのでしょうか」と、思いがけないご相談でした。
その後に連絡がありました。
妹さんに連絡したら、ガンと宣告されて、大変に悩んでいた。
そこで、神様にお願いしたところ、妹さんのガンは、すべて綺麗に消えていました。と。

ほんの少し前の事でした。
私は、何を話したか忘れました。
姉妹の仲良くを心定めして、それで意を決して、連絡された。
それだけは事実です。
「姉妹仲良く」。「たった一事」で、助けていただけるのが、本線の神のお働きです。

きっと、貴兄のために、用意しておいてくださったのでしょう。
金より大切なのは「兄弟仲良く」、「内内折り合う」。という、神へのお礼だと、
リサイクルに、身を切るつらさで大切なもの処分して、「こんな事、1000万円だすまでやるのかと、嫌だーると分かったら、
教えてあげてください。
546基本。:2010/06/07(月) 01:59:35 ID:XAtLZB35
神様のお言葉は、それそのものが「理」です。
解説というのは、声を出して、読んで読んで読んで、・・・
分かろうとしないで、理にひたるのです。
そして、読ませていただくと、その事に関連した事情が、身上が、身近にあると気が付く事があります。
そしたら、お言葉の「言葉一つの理」を実証し、実行するのです。

第10号 65
しんぢつの心がほしい月日にわ
どんな事でもしこみたいから
Shinjitsu no kokoro ga hoshii Tsukihi niwa
Donna koto demo shikomitai kara
Tsukihi desires you to have a sincere mind because I wish to train you in all matters.
親神は、どんな事でも仕込んで置きたいと思っているから、皆、真実の心になって親神の話を聞いてもらいたい。

神に対して理に対して、真実真剣である事。
そのお言葉を、誠真実として、読み上げる事。
それで、神は、仕込んでくださいます。
神とは、中山みき様。御名は「天理王命」様。人間の親神様です。
547基本。:2010/06/07(月) 02:17:01 ID:XAtLZB35
>>539
> 天理教は『因縁』じゃなく『いんねん』でしょ。
すばらしい。
さすがに、理系ののぞみさんです。

因縁は、仏教用語。いんねんは、天理教用語。
そのとおりです。

天理教の「いんねん」とは、

このよふハあくしまじりであるからに いんねんつける事ハいかんで 第1号 62

いんねんもをふくの人であるからに とこにへだてハあるとをもうな 第4号 61

この世が悪事混じりである事を、身につけてしまう悪いんねん。
そして、人間は皆神の道具であり、神の子であるという白いんねん。

二つのいんねんがあるのですが、全ての人間に共通してていて、違いはないという、
それが「いんねん」です。
548基本。:2010/06/07(月) 04:18:34 ID:XAtLZB35
>>527
> ・・・・・・最近、つくづくこう思います。
> 御書を読むだけでは、詰まらないのです。
これを読ませて頂いて、思案させて頂きました。
私は、いつも一つの事を申し上げていて、それは「宗教」を見つめずに「神仏」そのものを見つめて頂きたいという「一事」でした。
それは、あなたの語られた言葉から、切実なものを感じたからです。
日蓮の教えは、天理教にとっても七柱目の神の「裏守護」として、大切な事をこの世に知らしめてきた教えである。
その、いわば聖典である御書ですから、それを見つめておられるのなら、心は開かれるはずです。

そこで、ネット上を探索し、御書に関連して探索し、ようやく一つの結論。
つまり、「神仏を見つめる」とは、御書を読むことではなく、「実証」を見るべきだという、一点に到達しました。
それは、まさに、生涯かけて完成したもの。
http://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/page7.html

 10月13日の午前8時、聖人は自筆の大曼荼羅(だいまんだら)を掛け、随身仏の釈尊立像を安置させ、
読経のうちに寂然として遷化(せんげ)されました

 ここに実証されたもの、それを見つめるべし。
 それがあなたへの、御仏の神意ではないかと、思案に到達しました。

 日蓮の曼荼羅。 これが言うならば、神仏。
 天理教で言うなら「寒露台」「存命の教祖」。

生涯かけて「実証」されたものは、書物の「御書」ではなく、曼荼羅そのものなのだと言う事にやっと気が付いた私です。
549基本。:2010/06/07(月) 04:31:56 ID:XAtLZB35
日蓮上人の曼荼羅は、日蓮宗及び法華宗、霊友会系法華経団体系の本尊としているものです。
創価学会でも、上人の曼荼羅を本尊としている。

又又釈迦に説法ですが、お許し頂いて、申し上げますと、日蓮曼荼羅というのは、文字曼荼羅であると言う革命的特徴があります。
文字曼荼羅(法華曼荼羅)は、絵画ではなく題目や諸尊を文字(漢字)で書き表しているものです。

なぜそのような事を上人はなさったのでしょう。
550神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 04:39:17 ID:mg7JKqZL
そりゃ、真言宗の影響じゃね?
文字と言えば真言宗
なお、日蓮上人の曼荼羅には、天台宗よりも真言宗要素がある、
左右に大きなb、dと言う文字があるが、
不動明王、愛染明王を現し、
この配置は、高野山空海御廟の仏像の配置である、
南無妙法蓮華経は釈迦の法華経ではあるが、真言宗では弘法大師の位置になり、
天照、八幡信仰も真言宗にある、日蓮上人の曼荼羅に天照、八幡がある、
天台ならば、山王神道になるのだが、
当人の宗教批判している真言宗の配置の影響を受けている。
551基本。:2010/06/07(月) 05:03:45 ID:XAtLZB35
天理教の人は、裏守護というものをあまり無関心な方が多いので、俗に言いますと、表の顔役・裏の顔役どっちがすごいか。
裏の事も時にはご思案頂きたいので、日蓮曼荼羅の「写真」など、紹介させて頂きます。
http://image.shopserve.jp/kouyu.info/pic-labo/llimg/kait-1620.jpg
文字が読みやすいものとしては↓ があります。
http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/honzon.htm

>>549
> 文字曼荼羅であると言う革命的特徴があります。
> なぜそのような事を上人はなさったのでしょう。
それは、「文字とは仏である」という、
基本がしばしば説明しますように、お筆先のお言葉そのものが「理」である。>>546
そういう意味がきちんとある。

創価王道さんのご研究から引用しますと、日蓮の文字についての諭しです。
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20091126/p4
[文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり]
[此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり]
こらように、さすがは日蓮上人、一刀両断にて、「文字」を仏として、絵画ではなく、文字そのもので、曼荼羅をお書きになったと言うことです。
552基本。:2010/06/07(月) 05:10:48 ID:XAtLZB35
>>550
ありがとうございます。
日蓮上人は、教義をご自分が実行されたお方と言う事です。

どういう意味かといいますと、本音の本音は「死」の時まで言わない。
それは、法華七喩の内容そのものです。

全てが方便であって、自分の死の瞬間の姿で実証した。
それは、批判したとされる全ての対象を、「仏」として、曼荼羅にて本尊とした。
実証した。

ここを見つめないと、御書読んでいても、他宗への批判や法華経の優位性の解説ばかりにめがくらむ。

日蓮の名文を、ご賞味ください。
次に、ご紹介します。
553基本。:2010/06/07(月) 05:22:04 ID:XAtLZB35
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20091126/p4
 此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり
 然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、
 例せば餓鬼は恒河を火と見る
 人は水と見る
 天人は甘露と見る
 水は一なれども果報に随つて別別なり、

此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、
肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、
仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり(1025頁)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同じ水であっても、それを火と見る者もいる。水と見る者もいる。甘露と見る者もいる。

日蓮は、甘露を語ったのである。
それは、亡者には火と見え、凡人には法華経の宣伝と見え、分かるものには「甘露」。

むごい言葉を出したるも早く助けを急ぐから。
良いことしても礼いわれたらそれっきりやで。

曼荼羅に書かれた文字、そしてその示すものは、彼が批判したという全ての神仏。
確かに、七柱目の神の裏守護にふさわしい、すばらしい日蓮様でした。
554神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 06:06:02 ID:UeMRv9fL
毎朝6時からカンカンカンカンうるせーんだよ
神仏云々を語る前に近所迷惑を考えろ
死ねゴミ宗教天理教
555528:2010/06/07(月) 08:29:09 ID:lF6S3YYH
>>532さん
コメント感謝です。

>本来癌が出るはずの家系のうち因縁噴出すのを神様に抑えて貰えてる人達がいる、って言う事
>お道に遅れてる人の方に皺寄せが行くかのように見えるのは多々ありますけどね

でもね、このコメントは納得できません。
そうだとしたら、うちの親父のような事情でがんになった人が可哀想じゃないですか。
教会にも確かにあなたのような進言をしてくださる役員さんがいらしゃいます。
とても病床の父とそれを支える母に、直ったら修養科へとは、私はとても言えません。

いずれにしてもコメントに感謝致します。
556神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 08:29:50 ID:jtR+sLUl
>>554
耳栓でも買えよ。100均にないか?でも気持ちは120%分かる!

>>基本さん
そこまで理解されてるとは、正直驚きました。無限の知性の源泉を感じます。
文字を本尊とすることは、現代科学の目から見ても一番理に適っているそうです。

誰もが、「一日5時間勉強」とか「目指せ10キロ減!」とか「笑顔で挨拶」の職場訓とか・・・
必ず自分の想いを文字にして掲げます。これを絵で表現する人はいません。
なぜなら、文字とは完全な概念を表す記号であり、絵画は視覚に訴えるものだからです。
感覚は言葉にはなり得ません。言葉になり得ないものは、主観に過ぎません。

密教や南伝仏教にみられる絵曼荼羅、キリスト教における聖母像なども、感覚的な満足の媒体でしょう。
キリスト教にとっては、聖書こそが本尊なのでしょう。それをヘソクリの隠し場所にしているんですから。・・・

日蓮は、「諸宗は本尊に迷えり」「本尊とは勝れたるを用うべし」と述べています。

日蓮仏法とキリスト教的宗教の最大の違いは、この本尊の有無であり優劣なのだ、と気づく人は少ないのです。
557基本。:2010/06/07(月) 11:40:30 ID:XAtLZB35
>>556
私は、「いわんや我らは愚かなる」の愚者・中山みきの弟子です。
知性のかけらもないと自覚しています。
おやさまの教えを、ただ、信じるだけです。

そこで、言われたとおりの事、
> 文字とは完全な概念を表す記号であり、絵画は視覚に訴える。
> 「諸宗は本尊に迷えり」「本尊とは勝れたるを用うべし」
一切を曼荼羅にて示す「本尊」。
その本尊の、一語一語を、御仏そのものとして学ぶ事、悟りとる事は、
日蓮様の御教えとして、最大の奥義と言う事になります。

その、・・・・
その前に、
私の場合には、私は愚かですから、なおさらそうなのでしょうが、「視覚として」、感じる事で、
日蓮曼荼羅の本尊たるゆえんが感じとれたと言う事になります。
>>552 に、述べましたが、
> 自分の死の瞬間の姿で実証した
それは、「お前たちよ、この曼荼羅が私であり私の教えなのだよ」と、言葉で語っていない。
その、「実証」そのもので、語られているという、宗教の天才、神仏そのものならではの、すざましい輝きがあります。
558基本。:2010/06/07(月) 11:41:48 ID:XAtLZB35
>>556-557
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」
これは、あなたが語られた日蓮様の教えです。
文証とは、文献上の証拠。
御書に書かれてある事は、書かれてあると言う事そのものは、「文証」です。
御書に書かれてある内容は、仏の教えに適っていて、道理に適っている。
理証とは、その宗教の教えや主張が道理に適っているかどうかを基準として正邪を判定することですから、
「文証」と「理証」の二つにおいては、御書は学ぶに値する。尊い価値ある書。
それならば、「お曼荼羅」は、「文証」なのか、「理証」なのか。

それは「現証」そのものである。
それゆえに、ご本尊に向かい「妙法蓮華教」を一心に唱えることで、御仏の加護が頂ける。

だとしたら、曼荼羅の文字の一語一語に御仏をきちんと見る事。
それが、日蓮様の、文字曼荼羅ではないかと、感じたわけです。

中山みきは、「かなの教え」と言われてかな文字で、「愚かな我々に」、「理」を和歌で示されている。
しかし、仏法という最高哲学を学ばれる方たちは、叡智のかたまりであり、梵語や漢語を駆使して真理を語られる、学ばれる、示される。
その時、その最後の教えとしての「現証」とは、死の寸前の姿にある。

「神名」「御仏の名」を、「デザイン化」した「映像化」した、「文字曼荼羅」で、
「諸神」「諸仏」の足場の上に、保持者の上に、その上に立つ。
行者が、仏身に本性をお見せになった時、それは全て、脇にいて周囲にいる諸仏・諸神そのものまでも包括した、宇宙である。

死の時の姿こそ、本性であり、それをきちんと生涯で体現する。
あなたに、日蓮様は、それをお示しになっておられて、自らの「現証」を曼荼羅に残されているのではないでしょうか。
    
559基本。:2010/06/07(月) 12:12:39 ID:XAtLZB35
法華七喩の教えの中で、髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)の教えの意味するものは、

[転輪聖王(武力でなく仏法によって世界を治める理想の王)は、兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていた。
しかし髻(まげ、もとどり)の中にある宝珠だけは、みだりに与えると諸人が驚き怪しむので容易に人に授与しなかった。]

この物語の転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により与えられた宝とは爾前経(にぜんきょう=法華経以前の様々な教え)、
髻中の明珠とは法華経であることを表している。

この意味する所は、「容易に人に授与しなかった。]です。
そしたら、日蓮上人が、それを(法華経という宝珠を)、容易に授与する道理がない。
これは、「文証」「理証」として、当然の事です。
天人の甘露を与えても、地獄の餓鬼には「業火」にしか見えない。
 例せば餓鬼は恒河を火と見る
 人は水と見る
 天人は甘露と見る
 水は一なれども果報に随つて別別なり、
さすれば、餓鬼にも慈悲をと思えば、それは法華経を教えられない、与えられないのが道理です。

化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)も又、法華経は感嘆には教えられないので、「仮の城」を見せて導くという事。

「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」
上人そのものが「こころみている」。

あなたが見せられたものは「仮の城」・宗教という城。
見なければならないのは、曼荼羅の宇宙の、神仏名そのものである事。

どうやら、その辺りではないでしょうか。
560神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 13:39:34 ID:oMwoKdog
基本さん、
仏教持ち上げすぎ気持ちわりーよ
561理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/07(月) 14:05:30 ID:qVWDdU1y
>>560
そうよね、やっぱりキリスト教よね。
562神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 14:37:48 ID:jtR+sLUl
>>561

イギリス国民の20%しか「神」を信じてないんだっけ?
キリスト教は、もはや宗教というより、京都の金閣寺みたいなポピュリズムの対象だろう。
「ドラクエ」ではお馴染みだが、現実生活では逆にバーチャルな存在だ。

キリスト教の教義が、俺の心を動かすことは絶対にできない。
東大生に、中学校の授業はつまらないんだよ。

俺は、キリスト教の過去を絶対に許さない。まずは、土下座してから布教して下さいね。
563理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/07(月) 15:08:55 ID:qVWDdU1y
>>562
じゃさぁ、日本国民の何%が天理教を信じてるわけ?w
564神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 15:18:11 ID:jtR+sLUl
何で俺に天理教の擁護を求めるわけw?
565正午起床キボン:2010/06/07(月) 20:37:00 ID:uGYXZEnC
>>562
お前、中卒のくせに東大生気取りかよ。
566基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/08(火) 02:55:30 ID:vsADb1Yh
例せば餓鬼は恒河を火と見る
 人は水と見る
 天人は甘露と見る
 水は一なれども果報に随つて別別なり、
これを、仮名の教えとして、天理教の基本として解説を試みてみましょう。


ごうが【恒河】《(梵)Gaṅgā》ガンジス川。
例えば「ごうか」と言えば、「業火」と文字を当てて、地獄の業火と読むのは、餓鬼である。
「恒河」と文字を当てて、「川、それは水である」というのは、普通の人。
「豪華」と文字を当てて、「大いなる繁栄、甘露」と読むのは、天の人である。

水は、一つの始まりの元。
ガンジスの流れは、生命の源であっても、
生きる事に欲一条の餓鬼の心では、生まれた事生きている事が、地獄であり、苦しみの元としか受け止められないであろう。
普通に生きる人は、「水」として、水の流れとしてしか見えない。
しかし、天に生きる、その心のものには、天からの甘露である。

こんな風に解釈されます。
567基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/08(火) 03:18:02 ID:vsADb1Yh
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」
人は、人としていき、死とともに仏になります。
行者として、仏法を試みた日蓮。それは、日蓮曼荼羅の真理を世に示すことで、衆生を救済するためでした。

仏法を試みると言う事は、それは、道理と証文を説き書き残す事に過ぎない行いであって、御書を書き残されました。
でも、仏法において、道理と証文は、現証にはすぎない。
人々に道理を諭し書き物によって教えを示すという事は、「現証」に導くための方便にすぎない。
日蓮の示されたものは、日蓮曼荼羅という宇宙。
インドの神と日本の神と、仏教の仏に周囲を守られ、保持された、お神輿の上の「法華経」と「日蓮」。
その一文字一文字を、仏として、現証として見ることを、「現実の曼荼羅」に示されています。

大持国天王     不動明王      大広目天王
         大日天王  提婆達多  
         第六天魔王 阿修羅王
         大梵天王  轉輪聖王 南無天台大師
南無無辺行菩薩  南無舎利弗尊者    南無龍樹菩薩・
南無上行菩薩   南無薬王菩薩      天照大神
南無多宝如来   南無文殊師利菩薩 鬼子母神
[南 無 妙 法 蓮 華 経] [日 蓮]
南無釈迦無に仏  南無普賢菩薩  十羅刹女
南無浄行菩薩   南無弥勒菩薩     八幡大菩薩・
南無安立行菩薩  南無大迦葉尊者    南無妙楽大師
         釈提恒因大王     南無傳教大師
         大月天王   阿闍世大王
         明星天子   大龍王
大毘沙門天王   愛染明王       大増長天王
568基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/08(火) 05:17:28 ID:vsADb1Yh
日蓮曼荼羅に示されているのは、「他宗」への批判ではありません。
東西南北を、四天王に守護され、真言密教の明王に保持された、宇宙があるという真理です。
そこには、否定したはずの真言・浄土の宗祖、開祖もいる。
この意味こそ、生涯かけて「方便」の法華七喩を実践し、現証した、天理教では七柱目の切る神の、裏守護の流石のお姿である。
法華経が勝ると気が付かせるための方便は、それは、御書の中にちりばめられてうても、
そこに至るまでの、諸仏・諸神あってのものであり、それもまた方便。現証にしかず。
>>565
> お前、中卒のくせに東大生気取りかよ。
中学も高校もあるから、東大もある。方便とは、方便だから人は耳傾ける。
いきなり高邁な哲学では、だれも教えは聞こうとしない。それが人間です。

その方便が、人を導いてくださる。
真理に到達した日蓮様らしい、見事な現証と思います。

見方が違えば、まるで見えなくなる。
けれど、ご本尊さえ見たら、仏敵も魔も、全ては衆生を救済するという宇宙の真理だと、知れるわけです。
日蓮は法華さえ知ればよいと、そう説いて、それを知るには仏の教え、神の教え一切を真理と受け入れる事を示したわけです。
569基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/08(火) 05:27:49 ID:vsADb1Yh
>>568
> 日蓮は法華さえ知ればよいと、そう説いて、それを知るには仏の教え、神の教え一切を真理と受け入れる事を示したわけです。
創価王道から日蓮の言葉引用します。
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20091126/p4
「 文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり
唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く故に此の経を諸仏の智慧とは云うなり
諸仏の知恵とは、日蓮曼荼羅に文字で書かれてある。
真言も天台も、魔も、仏敵も、諸仏。現証に示された。

 此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、
例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、
此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、
肉眼の者は文字と見る
二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、
仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり
即持仏身とは是なり」
570基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/08(火) 05:33:31 ID:vsADb1Yh
「此の経の文字は盲眼の者は之を見ず」
日蓮は知っておられた。
文字の読めない人、或いは盲眼の者には、文字は見る事は出来ないと。
そこでは、法華経は無力だと、ちゃんと示しているお言葉だ。

盲眼の者とかいて、「業火」と読むのか、「魔が不自由」と読むのか、「甘露」と読むのか、
果報をしれば、仏の慈悲は知れる。
571神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 06:03:45 ID:3DI7GmfN
毎朝うるせーつってるだろ
天理教死ね
死にさらせ
572基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/08(火) 06:07:29 ID:vsADb1Yh


東方を護る守護神  密教の根本尊である大日如来の化身    西方を護る守護神
         太陽(日輪)を神格化した神  提婆達多  
         第六天魔王 阿修羅王
         大梵天王  轉輪聖王 南無天台大師
南無無辺行菩薩  南無舎利弗尊者    南無龍樹菩薩・
南無上行菩薩   南無薬王菩薩      天照大神
南無多宝如来   南無文殊師利菩薩 鬼子母神
[南 無 妙 法 蓮 華 経] [日 蓮]
南無釈迦無に仏  南無普賢菩薩  十羅刹女
南無浄行菩薩   南無弥勒菩薩     八幡大菩薩・
南無安立行菩薩  南無大迦葉尊者    南無妙楽大師
         釈提恒因大王     南無傳教大師
         大月天王   阿闍世大王
         明星天子   法華経に登場の守護者。
北方を護る武神   煩悩即菩提を表す密教神     南方を護る守護神

........................................

自分達が最高の教えに付いた事で、救われたと、喜ぶ。
しかし、その文字が読めていなければ、「盲眼の者は之を見ず」
心の盲眼という事だ。
「肉眼の者は文字と見る。」
ちゃんと呼んだという事だが、心眼ではなく『肉眼』であった。
「二乗は虚空と見る」
一乗・・これにしか乗らないと法華経に乗った人ではなく、二乗の人は、
曼荼羅の神・仏の文字を、「虚空」。飾りとかのように、教えの中身ではなく、観念的としか読めない

「仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり 」
これが、宗教を見ず、神仏を見るべしという、基本です。
573神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 10:05:08 ID:5y834iYU
>>基本さん

日夜、当たり前のようにして手を合わせ、唱題をするご本尊について、
これほど深く、楽しく、心のこもった講義を聞けるとは・・・・・・

基本さんは、紛れもなく「恒河」を甘露と見ている人に思えます。
本当は、私が、この話をすべきだったでしょう。
残念ながら、私の力ではとても及ばない。自分の殺伐たる境涯に、光を当てられたようです。

この講義は、プリントして大事に残そうと思います。
ありがとうございました。
574理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/08(火) 10:23:57 ID:e9D4EuqG
>>573
基本さんのキリスト教観、イエス観については間違いが多い。

法華経についても、基本さんの書き込みは信頼できないな。
575理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/08(火) 10:27:39 ID:e9D4EuqG
なんかね、基本さんのイエス観って基本(コテハンじゃなく)というか基礎というか、元となるものがずれてるのよ。
576基本。:2010/06/08(火) 16:42:37 ID:VoodgK17
のぞみさん、日々唱和していますか。
そして、どなたに唱和していますか。
何していても、唱えていますか。
信心とは、語ることではあるが、唱える事。
祈ることでもあるが、それをプレイする事、振舞う事、行う事。
のぞみさんはどなたと、同行されていますか。
絶えず、教えのおやと、ともにいること。それが信心の基本ですよね。

あちらもこちらもでは、二股、三股状態では、イエス様も親鸞様も日蓮様も、中山みき様も、
「真理を語るべき言葉」そのものに、疑いを入れられたようなものですから、イエス様を信心するなら、十字架のイエス様に唱和をささげ、日蓮様にお導きを受けるのなら、ご本尊に唱和を捧げて、
あっちこっちと、フラフラしない事です。

それとも、のぞみさんが宗派の教えをまとめあげて、各宗派の利用の仕方を解説しますか。

天理教の質問回答スレですから、天理教祖の教えが元で、回答するのは基本的に正しいことです。

577基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/09(水) 04:15:14 ID:NmnaWsoH
その頃、(明治十三年頃)お屋敷の傘にまで「転輪王命」と書いてあったように思います。
私は後日、飯降本席様に、「あれはどうしてでしょうか」とお聞きいたしますと、
「あれは秀司先生が厳しい官憲の圧迫から少しでもそれる為になされたものである。
これは金剛院地福寺の僧が付けたのであって、仏教で転輪とは旋転する輪法の力によって、世界を治める神話の王という意味で、たいへん結構な文字というところから転輪王如来とせられた。」
(上村福太郎著・教祖のお姿を偲ぶ・改定新版)p35 清水由松さんからの伝承。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
578神も仏も名無しさん:2010/06/09(水) 11:08:07 ID:GHWVNeyN
恋人が天理教です
私は無宗教

もし結婚するなら入って欲しいようで・・・
住居も天理になるんだろうと思います
天理教についてざっくりとしたイメージしかなく
もし入るとどう生活が変わるのか全く分からず怖いです

恋人のことは好きですが
結婚したら生活の違いとかで私を苦労させるかもしれないと言われ余計不安に・・・

そんなに生活変わりますか?
やはり一般人は溶け込めない所なのですか?
579神も仏も名無しさん:2010/06/09(水) 15:24:56 ID:87g/SIEg
またいつもの自演病が始まりましたw
580神も仏も名無しさん:2010/06/09(水) 19:20:38 ID:ADwldLfo
581基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/09(水) 22:21:25 ID:NmnaWsoH
>>578
>もし結婚するなら入って欲しいようで・・・
それを、恋人本人に確かめて。
>もし入るとどう生活が変わるのか全く分からず怖いです
それも恋人本人に確かめて。

そういう確認もしないで、つまり相手の事、分かっていなくて恋人になったのですか。
と、言う事は、結婚即地獄。
恋人のままが宜しいと思います。
582おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/06/09(水) 22:25:19 ID:78ZMoOTq
>>578
>そんなに生活変わりますか?
>やはり一般人は溶け込めない所なのですか?

まあ、相手の一族が一族だけにね・・・
583神も仏も名無しさん:2010/06/10(木) 12:30:26 ID:WH7KLgpp
>>578
私、運動オンチなんですけど、サッカー部に入って大丈夫ですかね?
大丈夫とも言えないし、絶対ダメとも言えない。
マネージャーとして入部するなら、少なくともサッカーへの興味は必要だろう。
憧れの先輩のお世話をしたい、ってだけの少女趣味では、挫折は目に見えてる。

好きな男を天秤にかけてまで守りたい思想とは?
あなたの言う無宗教とは、平凡でありたいという願いだろう。
これが、政治家との結婚話なら、あなたは平凡を捨てることも厭わないだろう。

つまり、あなたは無宗教ではなく反宗教の思想を抱えてる。
その強い願望は、天理教徒生活の中で、周囲との火花を散らすよ。
平凡の価値観から見れば、天理教という団体はとても奇異に思えるだろうから。
仮定の話ばかりで悪いけど。
584神も仏も名無しさん:2010/06/11(金) 00:18:18 ID:h3JrqnyU
>>基本さん及び天理教のみなさんへ

今日の午後、真っ青な空を一条の雲を引いて飛んでゆく飛行機を見た。ぼくはそれを、いつも敬虔な気持ちで眺める。
おおぞらを自由に飛びたい。昔の人たちの夢が彷彿とするからだろうか。
彼らは「神」に、「私をひと時だけ鳥に変えてください」と祈っただろうか?
果たして・・・・・人類は空を飛んだ。
神が決して与えなかった翼を、自分たちの英知の力で獲得した。これこそ科学のドラマだ。
人間はすばらしいと感じるのは、こんな時なんだ。この夢は、神に祈るだけで可能だったろうか?

「人間は神の創った法則を発見するに過ぎない」・・・そうかも知れない。しかし、その術は聖書にもコーランにも書かれていない。
自然の意思が神の意思だと信じていた頃、人間は赤ん坊のようだった。
やがてルネサンスが起こり、宗教改革が起こった。人類の自我の目覚めた瞬間だったろうか?
人類は反抗期に入った。



585神も仏も名無しさん:2010/06/11(金) 00:49:24 ID:h3JrqnyU
(つづき)

教会が富と権力をかき集め、「免罪符」まで販売する姿に、市民の良心はわなないた。
十字軍の百年戦争、魔女狩り、宗教裁判・・・・これら悪魔の所業もあって、キリスト教の権威は失墜した。
イカロスの墜落だった。キリスト教は死んだ。神も死んだ。それは今や、物言わぬ宗教だ。

一方、イスラム教も現代において支持を得ることはできないだろう。
信者数こそ多いが、それとて「無宗教」の勢力には及ばない。
中東の文化やキリスト教文化が、かつての殿堂を築くことは絶対にない。
大人になった人が、子供時代の絵本に夢中になることが決してないように・・・人類は、そこへ戻ることはない。
586神も仏も名無しさん:2010/06/11(金) 01:34:46 ID:h3JrqnyU
(つづき)

人類は、第三の宗教を求めている。
それは、人間に翼を与えるそれだろう。太陽の熱にも溶けず、乱気流にも破壊されない翼。
それが、今日見た翼だ。人間の努力と英知の結晶でできた翼。
この第三の教えは、それを容認し、賛美する。人間の努力と英知に最高の価値を置く。
人間から始まり、人間に終わる宗教。もしそれがあれば、人類は喜んでそれを信仰するだろう。

基本さん。日蓮は七注目の神などではありません。それは、れっきとした人間です。

「日蓮今生には貧窮下賤(びんぐげせん)の者と生まれ、『せんだら(カーストの最下位)』が家より出たり」

正法時代、王家より出た釈迦。末法には極貧の家に生まれた日蓮。この数奇な対照を見逃してはならない。
鎌倉時代は、ちょうど武家社会の夜明けだった。思想と暴力の転換期だった。

・・・・そして21世紀は、キリスト教とイスラムの暴力の衝突で幕を開けた。
587神も仏も名無しさん:2010/06/11(金) 02:05:38 ID:h3JrqnyU
(つづき)

古今東西、仏教ほど平和な宗教はなかった。土着信仰でない信仰としてです。
それは誇っていい。比叡山を焼き討ちにした信長は、本能寺で悲惨な死を遂げた。
日蓮を迫害した北条家は、内乱にあえぎ、蒙古襲来の仏言を裏付けた。
そして、竜ノ口の法難で奇跡が起こる。日蓮は死ななかった。99%の死を免れた。

「・・・・・道理証文にはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」

この一点で勝負しましょう。
基本さんの生き方は、リアリストたる僕のもう一方の理想なのです。
ですが、「天理教」を信じるあなたに、ぼくは異を唱える外ありません。

「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」

中山みきの美しい箴言の数々よりも、ぼくはこの言葉を信じます。


588基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/11(金) 07:11:05 ID:MI1Nn624
よいお覚悟で、厳しき道であるほど、信念に生きていかれる事と楽しみに思います。
私は、愚かです。
中山みきという、百姓の女に導かれて、天理という理の世界にて、三千世界をたすけ上げる道にて、「不思議が神」の道具として、私でさえも出来る事を、なして生きたいと思います。
妙法の世界にて、貴兄がお通りになる道が楽しみです。

日蓮大聖人の文底・事の一念三千に対すれば、釈尊の文上・本迹二門の一念三千は、ともに理の一念三千であり、
文底の妙法こそ真の事の一念三千となる。

その、「理」を、「理は神である」と説く「天理王命」という神。
貴兄は、「真の事の一念」。これを重大事とおもい、私は、「理の事の一念」。これが基本と見る。
また、語らえる時があるでしょう。

「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裏み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」
 ↑
「理」に照らせば、法華七喩の衣裏繋珠(えりけいじゅ、五百弟子受記品)の喩と同じと、見えます。
仏が宝珠を縫い込んでおいても、「仏が外出すれば」、元の姿に戻ってしまう。
 それは、持っているものが宝珠であったとしても、元初めの仏を不在としては、その宝珠の光は無いに等しい。という、比ゆ。お諭し。

 私は、日蓮上人の死の姿に元初めの仏とともにありが、きちんと示されてあると、理解しました。
それはつまり、行者としての日蓮様は、お釈迦様をいつも友としていたと。生涯を示されたと。

 私もいつも、中山みきという元初めの神と、ともに生きています。
御健闘を期待します。
589基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/11(金) 07:53:45 ID:MI1Nn624
追記になりますが、法華七喩で、髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)お話。
天理教の教史の中にも「てんりんおう」 >>577
> その頃、(明治十三年頃)お屋敷の傘にまで「転輪王命」と書いてあったように思います。
こんな風な読み方をしてしまいました。
 法華経は天輪聖王のお姿の仏が渡すものである。
 成る程日蓮さまは「天輪聖王」のごとく、武力は用いず法論で国難に立ち向かわれた「天輪聖王」のお立場になる。

転輪聖王(武力でなく仏法によって世界を治める理想の王)は、兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていた。
しかし髻(まげ、もとどり)の中にある宝珠だけは、みだりに与えると諸人が驚き怪しむので容易に人に授与しなかった。
この物語の転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により与えられた宝とは爾前経(にぜんきょう=法華経以前の様々な教え)、
髻中の明珠とは法華経であることを表している。
590理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/11(金) 08:28:51 ID:ZObnHdq3
ザ掲示板、完全に終わったね。
ロムもできなくなった。

ザ掲示板『天理教を語る』、さよみ先生のブログなどあったら読みたいけど、ご存知の方いませんか?
591路傍の石:2010/06/11(金) 14:12:25 ID:h3JrqnyU
>>基本さん

私は、2chにほとほと嫌気がさしています。
それは、個人による社会・集団への告発の場ではあり得ても、個人による個人の説得の場にはなれない。
温もりも、手触りも、匂いも、声も姿もない。無色透明な言葉のかけらで出来た、ガラスの山でした。
体中を傷だらけにしながら、妖しくきらめくこの堆積をかき分けながら、私は一つの水晶玉を見つけました。
これはとても気に入りました。

今の私は、それをポケットにねじ込んで、満足した顔で家路を戻る少年のようです。
貴方みたいな人でも、私に与えられたのはこの水晶のビー玉一個です。私など、些細なガラス片を幾つか寄進するだけです。
それは人を喜ばせるよりも傷つけた方が多いでしょう・・・・・・

「神仏を見ずに宗教を語る」よりももっと酷い、「宗教を見ずに組織を語る」場でありました。
ここは貴方には適さない空間であると感じています。
2chが時間を侵食する速さには驚くばかりです。気がつけば白々と夜が明けていた、なんてことも一度や二度じゃない。
もはや、日常そのものまでが蝕まれる事態になってしまいました。

私は、私の日常へ帰ろうと思います。これまで浪費した時間は何よりも貴重ですが、この一個の水晶玉を慰みにしようと思います。
貴方に何も差し上げられなかったのが心残りです。
貴方が歩く「理の道」の路傍の石に注いでくれた憐れみを、どうかお忘れ下さいませんよう!

・・・・・・・さようなら。お元気で。必ず、ご期待に応えます。
592神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 01:02:36 ID:E0HZn1FF
天理教信者が神社仏閣に参拝するときはどのように参拝したらよいですか?
4拍手ですか?それともその社寺のやり方に合わせるべきですか。
あと最後に「なむてんりをうのみこと」と唱えた方がよいでしょうか。
593神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 06:42:27 ID:mjzYSyeO
基本さんが少年の頃の「白血病の友人」との、こどもおぢばがえりの
話を拝見しました。
基本家の信仰の元一日をよろしければお話していただけませんか?
594基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/13(日) 00:47:58 ID:rS6Cpb83
>>592.
作法をお尋ねですが、天理教であるという特別な作法が定められているわけではありません。
おやさまは、「神前を通るときの心得として「拝」をして通るように言われておりますので、拝をして通られたらよろしいと思います。
さて、通るのでは無く、参拝をさせて頂くと言うことは、その神社仏閣がその瞬間には信仰の対象と言う事ですから、各宗派のしきたりを学ばれたらよろしいと思います。
>>593
父親は、教師をしていて教壇で吐血しいよいよ俺もかと、肺病で死ぬ事を覚悟したといいます。
父親の兄弟姉妹、たて続いて死んでおり、自分の番かと・・
天理教の匂いは母方の祖母にかかっていて、祖父の猛反対で、密かに信心していた。
長女に当たる母が、肋膜など六つの病気を天理教にお願いして助けられていたが、
父が、倒れるまでは、本気の信心ではなかったとの事でした。
取り次いでいただいたお授けで全快した父は、信者にはなりましたが、まだ本気ではなかったとの事でした。
母は流産、そして死産の時には、巡教に来られていた肥長の大教会長さんのおさずけで、止まらぬ出血がとまり、
三度目のお産は、天理教の神様にもたれきって出産すると、決めたと聞きました。
生まれた子供は一月たっても、全く体重が変らない。
このままでは死んでしまうという状態の時に、教会の奥さんが、私に預けたらと、教会に預かって、それでようやく、体重が増え始めて、
父は、お前の事から、本気で天理教になったと、私には語ってくれていました。
595基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/13(日) 01:23:20 ID:rS6Cpb83
拍手は「二泊手」。
「一つ打てば天に響き、一つ打てば地に響く」と、教えられていると記憶します。
問題は「理」であり、基本は二拍手を「天地」に響かせる事と思案します。
596593:2010/06/13(日) 09:36:21 ID:2z4isKfb
基本さん
私の先祖の元一日も凄まじいですが、貴重なお話ありがとうございます。

拍手の話・・・・。
何故お道は四拍手なんですかね〜?
大昔修養科の先生も会長さんも「わからない」でしたから。
597神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 09:45:08 ID:LdFB1Tgi
出雲
598神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 14:55:10 ID:R/OQVq3+
あえてなら勿論嬉しいです
599神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 22:50:27 ID:klOlvtTs
天理教が天邪鬼なだけだろ・・・
600理系女子のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/06/14(月) 04:57:17 ID:MMW5PjRy
>>590の回答、誰もいないかな?

向こうは忘れてるでしょうけど、わたしが初めて接した天理教の人って、さよみ先生だったので、思い出深いんですよね。
ネット上でのことでしたけど。
601神も仏も名無しさん:2010/06/14(月) 09:38:16 ID:hQzLI2OE
個人の方のブログですが。
ttp://michael-maria.seesaa.net/article/142907470.html

教派神道(神道十三派)の影響でしょうか。>4拍手
602神も仏も名無しさん:2010/06/15(火) 18:24:12 ID:GPHKj81x
ところで、ハンドルネーム「山名」は教祖、中山みき様が「天理王命」という神名であることを信じているのかね?
603ゆた:2010/06/15(火) 20:28:13 ID:hAg9x4vf
四回合わせて幸せ
604神も仏も名無しさん:2010/06/15(火) 23:20:50 ID:sxcreGoW
pu!
ごろあわせ天理教 終了。
605神も仏も名無しさん:2010/06/15(火) 23:28:47 ID:sxcreGoW
はいといえんから肺炎になる。
がんこだから癌になる。
感じの悪いひとは、肝臓と痔が悪い。


馬鹿丸出し天理教。本部は教会の指導すれよ。
606基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/16(水) 04:54:15 ID:ZBHm1tYr
>>605
> はいといえんから肺炎になる。
> がんこだから癌になる。
> 感じの悪いひとは、肝臓と痔が悪い。
今時、珍しい、戦前の遺物のような陳列ですが、ご質問は?
あるのですか?
607基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/16(水) 05:59:27 ID:ZBHm1tYr
おやさまが語呂合わせを、判じものとして用いられていた事は、ひな型ですから、まじめな気持ちで、思案しています。
理を示すのに、言語という記号を用いるのは、普遍の事です。
その、言語そのものに「理」があるという思想は、基本が立てましたスレ、「教理研究  原典に示された「甘露」について」にて、
丁度、空海の真言思想に関連して、述べています。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/l50
 「梵字(ぼんじ)」とは、もともと古代インドの文字として発展したもので、六世紀半ば、中国を経て日本に伝わって来たと言われています。
梵語(サンスクリット)を、表記する為に用いる字体で、梵字悉曇(しったん)とも呼ばれています。
梵字悉曇には特別な意味が付せられ、一字一字に仏を象徴し、無量の功徳があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、平たく言えば「呪文」という思想です。

言葉には「真理」も「悪理」もあり、人の病を、因果として諭すのは「悪理」です。
608基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/16(水) 06:06:26 ID:ZBHm1tYr

>>606-607
経文や聖句には、神仏が宿るという思想は、全ての宗教に共通のものとみなされます。
祈り、読経、誓いの言葉、宣誓、これらは、そうした思想が、具体的に行われている例です。
仏教伝来で渡来したと思われがちですが、日本にはもともと「言霊思想」と言うものがあります。
基礎知識を確かめます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E9%9C%8A
『声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、
良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。
今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。
日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。

『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)
「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。
 これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。 』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中山みきは、この万葉の歌人の常識であった、古代においての「事」と「言」を同一の概念とみなす思想を、今も普通の事とし、
和歌・1771首にて、天理を知らしています。

因果を知るとか、説くとかは悪ですが、「理を文字と音から思案する」のは、古代からの、日本の文化です。

宗教思想においては、「言葉」は、「事」そのものであるとみなされる。と言う事は、
「天理王命」の神名を変えてしまって、「てんりんおう」と呼ぶと言う事は、
「言」の問題ではあるが、「事」の問題そのものである事を意味します。
>>602
天理王命の神名を、「言葉」で取り払う以上、それは「事・実」上、天理教を取り払った事になる。
基本的な見方です。
609基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/16(水) 06:24:52 ID:ZBHm1tYr
ウィキペディアに、拍手についての解説があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%8D%E6%89%8B_(%E7%A5%9E%E9%81%93)
[拍手にはいくつか種類がある。現代の参拝で行われる「二拝二拍手一拝」など、3回以下のものは「短拍手(みじかて)」と呼ばれる。
出雲大社、宇佐八幡、弥彦神社の4回、伊勢神宮の8回など、4回以上手を打つものは「長拍手(ながて)」と呼ばれる。]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

初代真柱は、三輪の大神神社の末端教会になることから天理教会公認への道を、開始しました。
大神神社は、地祇神、拍手四回は、その時の道筋に今あるという、証拠のようなものでしょう。

610基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/16(水) 06:49:23 ID:ZBHm1tYr
こふき話の中で、中山みきは、「天神七代」「地神五代」と教えています。
これは、語呂合わせ的に思案するのが基本です。

ウィキペディアに「天津神・国津神」の説明があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E3%83%BB%E5%9B%BD%E6%B4%A5%E7%A5%9E
『 天津神は高天原にいる、または高天原から天降った神の総称、
それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされている。
ただし、高天原から天降ったスサノオの子孫である大国主などは国津神とされている。』

『 日本神話においては、国譲りに表されるように、神勅に忠実なニニギを筆頭とする天津神に対する移管を受け入れる形でその関係性が描かれている。
ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、
皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。
特に国津神については、日本神話に取り入れられる際に変容し、元々の伝承があまり残っていないものも多い。
日本書紀ではしきりにある文として伝承等を引用している点から、その記録文書は後世で失われてしまったようである。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>609
> 大神神社は、地祇神、拍手四回は、その時の道筋に今あるという、証拠のようなものでしょう。
地祇神というのは、国津神です。
国津神の作法で、四拍手している。
「被征服」という国津神の神社だったから、自称「伊勢神宮より偉い」という神社だったから、
天皇教思想に弾圧されていた「当時の天理教」を、受け入れてくれた。
そういう意味では、「四泊手」は、最末端からせりあがるという、天理教の谷底主義には、似合って見えます。
「つ」は現代語の「の」のことで、天の神・国の神という意味である。「天つ神」「国つ神」と書くこともある。漢字二字で天津神を「天神」(てんじん)、国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇」「神祇」と言う。
611神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 16:27:37 ID:nY3/1lr0
天理教の皮をかぶった仏教系の何かうざす

>>592
神社仏閣の前を通るときは拝をして通れ、ってのは
大和神社の一件以降は言われてもいないし、書かれてもいない
(教義としてでなくその直後の後の話の台としての事情を起こすためだけの指示と理解できる)
応法の道として他宗の傘下に入る時も教祖は良い顔なんかしていない
他宗にとって不敬なんじゃないのか?と思えるような
「どのようなご守護をくれるのか聞いておいで」と言われた件や、
「天の将軍である」「おかしいなあ、ここにくれば神様皆おいでになるのに」などのお言葉、
また新しく神様を祀る家にはしばしばその仏間を(どかせるかのように)そこに神様を祀れ、と指示された事歴から
天理教としては特に参拝する指示・必要は無い、と言える

地域の付き合いや天理教式の葬儀の場所に信者さん側から指定されてしまった場合などは
対人的な意味で会釈するぐらいはした方が良いでしょうね
612神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 17:00:41 ID:FQlDqAAt
>(教義としてでなくその直後の後の話の台としての事情を起こすためだけの指示と理解できる)

へー結構策略的なことするんだな。
613神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 17:14:08 ID:FQlDqAAt
>>611
>「天の将軍である」「おかしいなあ、ここにくれば神様皆おいでになるのに」などのお言葉

↑これって↓このことじゃね?

「えらい遠廻わりをして」逸話篇10

中略
「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」
614基本。:2010/06/17(木) 02:08:15 ID:r9jw0j+H
第3号 84
いかほどのごふてきあらばだしてみよ
神のほふにもばいのちからを
Ika hodono goteki araba dashite miyo
Kami no ho nimo bai no chikara o
Have your strongest come against Me. God has twice the strength

策謀を用いるという手段の場合にも、智謀を用いるという場合にも、それらは、広義には「力」です。
>>612
> へー結構策略的なことするんだな。
人間が、よこしまな方向に力を注げば、それが策謀というものですから、当然、神の方には「倍」の策謀と、
みなさないと、神のなさることの意味が見えません。

相手がだましてくる詐欺のような場合には、「詐欺的」と、そう言う意味での倍返しは、あるというのが基本的な見方です。
>
615基本。:2010/06/17(木) 02:16:18 ID:r9jw0j+H
敵は本能寺にありといいますが、うらぎりの見本です。
中山家のお屋敷で、勤め場所の普請の上棟式の祝いに、
「おつとめ道具一式持って」→「山中家へ」→「おつとめしに行く」。

敵は本能寺ならぬ、「おつとめは山中忠七宅」とは、当時の庄屋クラスの信者の策謀そのもの。
神が、倍返し仕掛けても、「理」の必然です。
616基本。:2010/06/17(木) 02:19:10 ID:r9jw0j+H
「てんりんおう・嘘つき神名派」は、確信犯になると、「天理王」をだしにして、出し抜いて、「宗教活動」をしやすいものです。
617基本。:2010/06/17(木) 02:28:40 ID:r9jw0j+H
例えば、他の人たち(てんりんおう・嘘つき神名派の人たち)が、大和神社の節でほんの半年信心が停滞しただけなのに、「伊蔵さま」は本席に。

その瞬間に、決していた。
神の策謀とみなせば、倍の力の意味がわかります。

仕掛ければ仕掛け返す。倍返し。それが、天理の基本です。
618基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/17(木) 04:28:14 ID:D4H8kk+4
平易な例が、嘘つき神名派・天輪教会一派の策謀です。
教祖の言動と結果を、確かめると、仕掛けに対する倍返しが、きちんと見えます。

教祖は、「膝下に道を付けよ」と、大工の伺いで、仲田と山本に命じた。
しかし両名は、地場の膝下にではなく、心学道話を取り入れようとして、公認運動にエネルギーを注ぐ。
「取次ぎはいらぬ」とのことで、お屋敷には側近はいなくなって、京都・大阪・河内が、教団組織の公認運動拠点となり、
衆目は、膝下から、離れた。

三輪そうめんの本場三輪は、実に近い、そこの大神神社は、まさに地場の膝下。
そこに「公認への」道を付けていたのは、若造、初代真柱。

こういう周到さが、おやさまです。

619基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/17(木) 05:05:30 ID:D4H8kk+4
明治17年
1月、 天輪王講社の旗立て、諸井国三郎堂々の参拝。
    遠州にて神楽面使用のお許し、みきは「私が許すやない」。「かみが許す」と。
これは、まさに、中山みきの「ブラフ」です。
日付は、正月三十日。神が掃除する日の出来事。
理の分かるものなら分かるが、神を侮っているものには分からない。
人の心が、勝手に騙されてしまう、神名を取り払って、神の前に出て、みきを天理王命と認めないで、
天輪講の宗教を企てる国三郎と、高弟達の謀反。
ブラフは、神の倍返しでした。教えたとて分からないのです。
でも教えておく。・・・
2月、1日、井筒講元の案内で梅谷四郎兵衛方へ、「お面」のお許しを戴いたと話して「お面」と御神楽道具一式の調製を同依頼。
4月、 河内にて、高弟達は公認運動の会議、
5月、 大阪にて、梅谷四郎兵衛。心学道話講究所天輪王社。表札を掲げる。
    この頃 大阪にて、竹内未誉至・森田清蔵、大日本天輪教会。
6月、 24日、依頼した「お面」とお神楽道具の一式が到着。大阪眞明講より三味線一挺も。
    この時「天輪王講社」「遠江國、眞明組」と書いた旗を掲げる。

さて、この段取りのよさ。さすが、幕臣崩れの実業家。
天輪教会の「支会」を名乗り、二十六日大祭と称して天輪教会のおつとめを実行。
このブラフ、
最初から、見破られていた。
「お前は既に死んでいる」状態を、百年以上続けさせた神の、返しは、その残念の深さを示しています。
620基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/17(木) 05:11:00 ID:D4H8kk+4
豊文教会さんは、裁判までして、山名の史実そのものを公式記録として、世界に広めた。
事実を確定させたと言う事でしょう。
嘘つきには、絶対に嘘のつけないところまで、黒白きちんと知らしめる。

それも、倍返しで・・。
天理の基本です。
621神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 07:00:07 ID:XFiqK7pC
>>611
逸話篇170、天が台より引用します。

 梅谷四郎兵衞が、教祖にお聞かせ頂いた話に、

「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え。」
と。又、

「人詣るにより、威光増すのである。人詣るにより、守りしている人は、立ち行くのである。
産土神は、人間を一に生み下ろし給いし場所である。産土の神に詣るは、恩に報ずるのである。」
「社にても寺にても、詣る所、手に譬えば、指一本ずつの如きものなり。本の地は、両手両指の揃いたる如きものなり。」
「この世の台は、天が台。天のしんは、月日なり。人の身上のしんは目。身の内のしん、我が心の清水、清眼という。」
と。
622基本。:2010/06/17(木) 08:38:32 ID:D4H8kk+4
後段の部分は、いわゆるこふき話の伝承混じりとみなされます。
この方の残された梅谷文書といえば、信用しづらい資料です。

前段の核心部分は、おふでさきに示された事と一致している、「これも月日が教え来る」意味においては、正しいわけですが、
梅谷先生に対しての、人を判別してのお話とも、受け止められます。
> [本の地は、両手両指の揃いたる如きものなり。」
これは「本地」であるという説明で、この説明をおやさまがなさったとすると、「本地垂迹」をおやさまが説明されたと、なりますが、それは、きいた人の認識の発露とみなすべきでしょう。
623基本。:2010/06/17(木) 09:21:48 ID:D4H8kk+4
梅谷先生は、
>>618
> 5月、 大阪にて、梅谷四郎兵衛。心学道話講究所天輪王社。表札を掲げる。
>     この頃 大阪にて、竹内未誉至・森田清蔵、大日本天輪教会。
この事情から、地場の幹部たちともめて、お屋敷参拝していません。
おやさまから直接お聞きした教理のお話という視点で言うなら、資料としての価値は、混ぜ物をろ過して後と言う言です。


こふき話には、「参るところ」として、一宮、二墓、三原寺とあります。
http://inlt.or.kr/xe/?mid=sajun_a&sort_index=readed_count&order_type=desc&page=9&document_srl=4126
一宮・ニ墓・三原 いちみや・にはか・さんはら「こふき本」(こうき本)14年和歌体本では「いち
みやこはか三どさんはら(80)」、16年本には「一みやこはか三はら」とある。親神の人間創造の際、一度教えた守護によって「いざなみのみこと」の胎内に三度宿って(ふ6:49)、三度産みおろしがなされた。
その一度目の産みおろした場所が今は宮のある場所、二度目の場所が墓所、三度目が原(原寺の詣り所)であるという。
一度目は、宮地、宮地の地場(みやみや)、二度目は墓所、三度目は原寺の参り所(さんはら)というのが、ほとんどのこふき本の表
記であるが、特殊の写本(宇野本など)には、「三度目は今なるの神社仏閣の地場なり」として「それが故今なるの人間にも、一に宮参り、二度巨=こ死にいくと墓地へおさめる。
また参り所には皆々恩の報じどころなり」(原文かな書き)とあり、
また、山田本などでは、三度目は辻に立っている小さな参り所、また道の辻の地蔵、金毘羅、庚申さんといわれて、三者とも今ある参り所であると記されている。
なお、三度の理については諸説がある。→裏守護、詣り所、宿し込み、産みおろす
〔参考文献〕中山正善『こふきの研究』(天理教道友社、昭和32年)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おのおのの「地場」に参る事は、しなくてはならないことと、受け止めるのが基本です。
624神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 09:50:08 ID:XFiqK7pC
正文遺韻抄P248より引用

火は火や、水は水や、何でもないと、おもふてゐてはちがふ。火と水とは一の神。なくてはならんものゝ一つ。
まちがふたら、どうにも、かうにも人間の力でふせげん。こゝをようしやんせよ。
 さあ、さうなつてきたら、いかながうよくでも、悪気ものでも、そんな事どころではない。
なにもかもわすれて、まづ第一に手を合はすやろ。さあ、手を合したら、なんと云ふ。
ナムといふ言葉がさきへでるやろがな、ナムは親々やで。
いかな大水も、大風も、皆是れ親のいけんやから、知らず/\、親を呼び出して頼むといふは、
佛法と云ふものを、人間の心やはらげる為に、をしへておいたのやでと仰有いました。
625神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 19:42:16 ID:eRL9P/gT
向こうではしばらく書いてないので他の人です
626神も仏も名無しさん:2010/06/17(木) 20:35:22 ID:1UQ5GW72
ネット上での噂はいいみたいだけど愛○町は人多くても、人集め必死なところだからな
天理教を隠し講演会などと偽って毎日必死に人を集めてる
金銭的には確かにそこまで金を取らないから悪いうわさが立たないだけだろう
洗脳がはんぱないから気をつけな
627山名:2010/06/18(金) 07:50:27 ID:+qodOpG3
>>602
>ところで、ハンドルネーム「山名」は教祖、中山みき様が「天理王命」という神名であることを信じているのかね?
天理教教典に何と教えられているのでしょうか。
第四章 天理王命 P43から抜粋。
****************
  どのようなたすけするのもしんちつの
  をやがいるからみなひきうける    七 101
 実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへの
 たすけ一条の道は、この理をうけて、初めて成就される。
*****************
ちゃんと天理教教典第四章「天理王命」にて教えられていることです。それを、
>中山みき様が「天理王命」という神名であることを信じているのかね?
と改めて問われても困ってしまう山名です。
628基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/18(金) 08:08:53 ID:ornfioYs
信じる、信じないは人の心の問題ですから、内部なのですが、
それを、神は「表に現す」と、「面々の口で言わす」と。

困ってしまわずに、山名さん。正直が一番です。
629基本。:2010/06/18(金) 15:18:04 ID:ornfioYs
明治二十六年二月六日 朝 伺いのその際の刻限に、
『一つの道、一つの理、一つ心、これ三つ一つ欠けてもならん。』とあります。
現実に神名の問題は、おやさまを「天理王命」とお呼びしていなかった道があります。
天理教の学園で教育の現場で「おやさまは月日の社」、「天理王命は地場」、「だけどその理は一つ」と、教え込んでいた事実の歴史があります。
学校の天理教の教科書そのものも、そういう方向で書かれている。
この事実は、正直がよろしい。
ちゃんと、認めることです。

おやさまは、神名天理王命と、何時教えたというのですか。
天理管内、小学校・中学校・高校・大学。
山名系学学者たちは、最も大切な「神の名」を、子供にちゃんと教えなかった。

認めませんか。正直に・・。

こんな天理教に、誰がしたのでしょう。
それは「教団教理の指導者」。皆様方です。
630基本。:2010/06/18(金) 15:37:57 ID:ornfioYs
>>629
> 明治二十六年二月六日 朝 伺いのその際の刻限に、
> 『一つの道、一つの理、一つ心、これ三つ一つ欠けてもならん。』とあります。

同日、前事情に付会長はじめ役員一同本席の御機嫌伺いに出でし際の刻限
さあ/\早いと思えば早う成る、遅いと思えば遅く成る。難しいと言えば難しいようなもの、なれどよう思やんすれば難しいやない。
思うように成る事が暇がいるというは、よう聞き分け。皆心運ぶなら、成らん事は無い。
始め掛けが是非無く/\身をかくれた。なれど日々入り込んで居る。入り込んで居るは承知の事でもあろ。
入り込んで始めたる事に、間違うた事は無い。
人間の心なら二つに一つは間違う事はあろ。入り込んで居るならこそ、間違うた事は無い。

早く仕上げてくれ。思うようにならん。間違いの事情もあろ。万事立て合うてある。
立て合うた事も追々治めて、又入り込んで居る処はどうでもこうでも、どうしたとてこうしたとて、話し掛けたら、せにゃならん。

差し上げて了うと言うた初めの理を聞き分け。
一つの道、一つの理、一つ心、これ三つ一つ欠けてもならん。

どう成っても案じる事は要らん。日々盛大の道を見れば、皆頼もしやろ。

手を措いて思やん。折角の道、三里戻れば今度三里行けば十年も掛かる事、ものというは一時に成れば快いもの、無理々々の理を集めてすればいろ/\の理が出る。

勇む/\と口で勇んだ処が、日々どうよこうよこれが難しい。これをよう聞き分けてくれ。
631基本。:2010/06/18(金) 15:39:45 ID:ornfioYs
>>630

元々より始め掛けたる話、成る成らん、見る見られんもあろうまい。建家遠い所見るやない。
あちらへ行けば草だらけ、それから踏み込み、だん/\始め掛けた道/\。
怖わい/\頼りさえせにゃよいと逃げて了い、何事も真にする者無かった。
一人の主というは、神の言う事用いらず、今年も商いや、相場や、言い/\皆無くして了うた。
よう聞き分け。何も無い処よりそれ/\だん/\道を付けて来た。
道を付けて来たは神の利やくとも言う。神の働きとも言う。

それよりだん/\上り/\あちらへ入り込み、こちらへ押し合い、分からん/\、だん/\送りて来た。
もう一段という処どうもならん。余儀無くかくれた。二年三年後の話、皆前後は知ってあろ。
約まる処はさっぱりの処より始め掛け。何も知らん者寄せて、今の処は堅い道具にも成りてある。
どんな者でも仕込めば道具に成る。仕込みようが悪ければ中程からでも疵に成る。

年限々々、これまで存命の間経ち来たと言う。一里四方宿屋もせにゃならんと言う。
一里四方も未だ狭いなあ、とも言うてある。印出し、これは何処の国やなあと言うて置いた。

いつの事なあと思て居たやろ。これは先の老母さんの言われた事や。
今は席と言う。席の言う事入り込んでの話、跨りはあろまい。
皆治まる、集まる。何処へ出るにも案ぜ無く心置き無う出て行けと言うて、間違えば不足言うがよい。

危ないようなものなれど、心までに皆治めさす。
何も無い草生えの中から始まった事や。
事が大き成れば、大き心さえ持てば何ぼでも大き成る。
納してある道具もあり、使わにゃならん道具もある。
だん/\道を慕うて出て来る。又あたゑを渡す。この一人より話を聞いて理を。
世界どんな事出来て来るやら分からん。合印をして組んである如くやで。
最初裏は鍛冶屋表大工という。これは何の事やら。不思議な事やと言う。知らず/\通り来たもの。
それ/\心さえ治まればあたゑという。日々あたゑさえあれば楽しみ。
一寸には難しいようなもの。誰がするともなく、目にも見えず、言葉一つの理、仇に一つの理は無い。
よう聞き分けてくれ。
632基本。:2010/06/18(金) 15:54:45 ID:ornfioYs
明治26年2月6日の、刻限は、山名系の皆さん、良くご存知でしょう。

「一人の主というは、神の言う事用いらず、今年も商いや、相場や、言い/\皆無くして了うた。」
「嘘つき神名派の秀司先生」は、商いと相場で皆なくした、と、同じ「嘘つき神名派」どうしで、目くそ鼻くそを笑う、そういうときに「部分引用」されます。
八島系も、同じく「嘘つき神名派」。同様に部分引用します。

「人間の心なら二つに一つは間違う事はあろ。」と、神様ご了解ですが、間違いも、反省もしないとなれば、それは、「仇」。
仇なすと言う事では、十年は後退しますね。

『一つの道、一つの理、一つ心、これ三つ一つ欠けてもならん。』

先ず、三つ一つのためにも、おやさまはね「天理王命」と言うんだよと、子供に、正しい教育しませんか。
「おやの名さえ知らず、育てられた子供」。道に迷うのは、天理です。
633基本。:2010/06/18(金) 16:10:50 ID:ornfioYs
あ、語呂合わせ、忘れてましたね。語呂合わせの説明を補足します。
「手を措いて思やん。折角の道、三里戻れば今度三里行けば十年も掛かる事」
この、「三里」とは、「三つの理」と言う語呂合わせと基本的には理解します。

三里戻るというのは、一つの道を欠いてしまって一里戻り、一つの理を欠いてしまって、一里戻り、一つ心を書いてしまって、一里戻りで、合計三里戻ってしまう。
そうすると、十年かからないと、この三つを補填できないよという、語呂合わせです、

『最初裏は鍛冶屋表大工という。これは何の事やら。不思議な事やと言う。知らず/\通り来たもの。 』
これは、>>618 に、書きました。


618 :基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/17(木) 04:28:14 ID:D4H8kk+4
平易な例が、嘘つき神名派・天輪教会一派の策謀です。
教祖の言動と結果を、確かめると、仕掛けに対する倍返しが、きちんと見えます。

教祖は、「膝下に道を付けよ」と、大工の伺いで、仲田と山本に命じた。
しかし両名は、地場の膝下にではなく、心学道話を取り入れようとして、公認運動にエネルギーを注ぐ。
「取次ぎはいらぬ」とのことで、お屋敷には側近はいなくなって、京都・大阪・河内が、教団組織の公認運動拠点となり、
衆目は、膝下から、離れた。

三輪そうめんの本場三輪は、実に近い、そこの大神神社は、まさに地場の膝下。
そこに「公認への」道を付けていたのは、若造、初代真柱。

こういう周到さが、おやさまです。
634基本。:2010/06/18(金) 17:11:31 ID:ornfioYs
ここにも語呂合わせありましたね。 
補足します。
『最初裏は鍛冶屋表大工という』

最初、これは天理教会の始まりだしの道の事。天理教会の最初は、
「表大工で」、つまり、教祖に伺いできなくなった当時の取次ぎは、仲田・山本「嘘つき神名協賛者」の両先生。
おやさまにではなく、大工に伺いしました。

そこで、「裏」、語呂合わせですね、裏守護の道「地祇神・大神神社(三輪)」は鍛冶屋の若造、が、と言う事ですね。

「表大工・裏鍛冶屋」。大工の親父と鍛冶屋の若造が、天理教会を「表裏一体」に始めたという、これも、語呂で読みます。
635神も仏も名無しさん:2010/06/18(金) 22:19:10 ID:7Srzdsih
あげ
636基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/18(金) 23:00:10 ID:ornfioYs
天理教団より、再掲します。
6 名前:基本 :2004/10/25(月) 17:24
天理教教団は、天理教会本部と呼ばれる奈良県天理市の「ぢば」を聖地として、成立されました。
天理教の教祖中山みきは、1798年6月2日(陰暦4月18日)に、三昧田村に誕生しています。
人間の元の親神の魂「み」様の魂の持ち主として、この世に生まれました。
「み」様と言うのは、「いざなみ命」様と呼ばれていて、人間の元始まりの時に、最初の母親になられたお方で、この方の胎内で、やがて人間になるであろうものとして、育てられました。
その、宿しこみは、三日三夜と言われます。
それが、天理市の、聖地「ぢば」で行われたのであります。
そのぢばに、三年三月、留まられまして、子供を産みおろしされました。
人間は、五分五分と生まれました。
そして、同じ胎内にて、三回の宿りがありました。
この子数は九億九万九千九百九十九人でした。
この時に、元始まりの約束にて、子数の年限たったなら、「神として拝をさせる」と言う約束が、ありました。
天保九年十月二十六日、1938年。
それが、子数の年限のたった旬刻限でした。
中山みきを「元の神・実の神」と拝することを受け入れて、中山家の屋敷もろとも神様に差し上げたのが、天理教の立教です。
637基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/18(金) 23:04:36 ID:ornfioYs
天理教団より、再掲します。http://zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
9 名前:基本 :2004/10/25(月) 18:18
天理教団の歴史は、初代真柱が、初めて天理の呼称を用いた、1885年に始まります。
それは、明治20年1月のおさしづで、六ツケ敷き事と、教えられました。
六ツケ敷き事、とは、おふでさき6号を下敷きにとの意味でした。

 この人を三か三よさにやどしこみ
 三ねん三月とどまりていた       6号 47
 それよりもむまれたしたハ五分からや
 五分五分としてせへぢんをした     6号 48
 このものに一どをしえたこのしゅごふ
 をなじたいない三どやどりた      6号 49

ぢば定めより、
9年9月後。 立教48年4月26日 吉祥。
3日3夜   1885年4月29日 「天理教会結収願い」を大阪府知事に。
3年3月後。 1888年7月23日 お地場が天理教会本部となる。
妊娠約9月余 1889年5月    神道本局3等教会に昇格。
5年(5分) 1894年6月    真柱神道本局神殿普請の監督になる。
5年(5分) 1899年5月21日 神道本局管長一派独立をすすめる。
9年9月後  1909年2月19日 天理教独立報告祭

この様に、三か三よさの理で、「天理教会結収願い」を大阪府知事に。
      三年三月の理で、お地場が天理教会本部となる。
      生まれだしの理で、神道本局3等教会に昇格。 
      五分五分の理で、真柱神道本局神殿普請の監督になる。
      五分五分の理で、神道本局管長一派独立をすすめる
      胎内三度の理で、天理教独立報告祭
これが、歴史に記された、教祖予言の実現です。
638基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/19(土) 01:23:16 ID:9XMJBXcU
>>629 > 明治二十六年二月六日
26・26。数理の一致にとことんこだわる、中山みき様。天理王です。
天理教会の開始の、「大工の親父と鍛冶屋の子せがれ」で膝下に道はついていた。
> 「最初裏は鍛冶屋表大工という。これは何の事やら。不思議な事やと言う。
> 知らず/\通り来たもの。
知らず知らずに「天理教会誕生」は、始まっていた。その状態の中です。
 知らず知らずの人、諸井国三郎は、手紙で「静岡でも東京でも良いから(天輪王で)公認を」と、真柱を口説いていた。
天輪講での公認も視野に展開を企てるそのグループは「真明講」の流れ、「嘘つき神名派」。井筒、上原、諸井。
その行動の根拠は、諸井が天輪講でしていた「実は親神は許さずおかみが許した偽神楽おつとめ」。
これは毎月に実行されているという、現実。
「御教祖様は許さないが親神は我々に許した」という、思い上がりの面々。
お地場では、直ぐ投獄される。 御教祖ではなく親神に認めてもらった我々は投獄されないという、「飴」に誘導された、迷い人。
 この状況下、神の仕掛けの倍返しと、そう理解して、「六ツケ敷き事」の、神の宣言を、なされる瞬間。味わってみてください。

今までと、見えるものが違います。
639基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/19(土) 01:45:45 ID:9XMJBXcU
『 その人々は、前川菊太郎、梶本松治郎、桝井伊三郎、鴻田忠三郎、高井直吉、辻忠作、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、清水与之助、諸井国三郎である。
 相談の後、皆の者から、親神の道の御話の事、即ち、おつとめをしましよう。と言うて来たが、真之亮は、何れ考の上。と、答えた。
 ・・・その夜九時過ぎ、更に、次の人々が相談した。
 鴻田忠三郎、桝井伊三郎、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、清水与之助、諸井国三郎、仲野秀信である。
 そして、真之亮の返事を待ったが、依然として答はない。
そこで、前川、梶本両名の意見を問うた。
両名は、それでは、我々からしんばしらの意見を伺おう。という事になって、この旨を述べ、相談したが、
今晩、親神の仰せ通り、徹夜でおつとめしよう。という案は、官憲の態度が気懸りのため決定とならず、
この点について、真之亮から教祖に伺う、という事に決った。
 その時はもう十一日(陰暦十二月十八日)の未明になって居たので、夜が明けて一同は休息した。

 この一同の真心を親神がお受け取り下されてか、その日は、教祖の御気分宜しく、床の上で、お髪を梳られた。
 翌十二日の夜も、一同は、前々日のつゞきで、真之亮の返事を待って居たが、夜も更けて、十三日(陰暦十二月二十日)午前三時頃、いよ/\お伺いしよう。という返事があった。
そこで、真之亮に梶本、前川の両名が付き添い、教祖の御枕辺に進んでお伺い申上げた。
すると、教祖直々のお言葉に、
 
 さあ/\いかなる処、尋ねる処、分かり無くば知らそう。
しっかり/\聞き分け。これ/\よう聞き分け。もうならん/\。
前以て伝えてある。難しい事を言い掛ける。
一つの事に取って思やんせよ。一時の処どういう事情も聞き分け。
と、仰せられた。 』
640基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/19(土) 02:25:36 ID:9XMJBXcU
実は、旧仮名では、こうお指図されています。

「さあ/\いかなる処、尋ねる処、分かりなくば知らそう。しっかり/\聞き分け。これ/\よう聞き分け。もうならん/\。
前以て(まえもって)伝えてある。六ツケ敷事(しいこと)を言い掛ける。
一つの事に取って思やんせよ。一時の処どういう事情も聞き分け。 と、仰せられた。』

神の発音は、六つが敷き事であったということです。が、その直後の問答には、稿本教祖伝、
『これに対して、真之亮から、前以て伝えあると仰せあるは、つとめの事で御座りますか。つとめ致すにはむつかしい事情も御座ります。と申上げると、
 『 さあ/\今一時に運んで難しいであろう。難しいというは真に治まる。
  長う/\/\四十九年以前から何も分からん。難しい事があるものか。
 今直ぐにつとめをするという事は、一見難しいように思うであろうが、難しい中を通る真実が、親神に受け取って頂けるのである。
天保九年以来、今日迄の事を思うてみよ。決して難しい事があるものか、との仰せである。』
と、こうありまして、神のお言葉ですが、実は旧仮名ではこう記載されています。
 さあ/\今一時に運んで六ツケ敷きであろう。むつかしいというはしんに真に治をさまる。長う/\/\四十九年以前から何も分からん。難しい事があるものか。

「六ツケ敷きであろう」これは、神の予言でもあり、お筆先六号を下敷きにして、たどれという神意です。
「むつかしい」、これは「難しい」です。音と文字を丁寧に考察すべきです。

つまり、皆の者は「お勤めしよう」と言った。だが、その皆の者の中身は、「嘘つき神名派」もいます。心の中身。
清水与之助、これは国粋思想の人物で、平田神道系の人物に傾倒していて、天理教会の公認に一役果たします。
山名の神楽に協力した梅谷さん。天輪王の看板出しています。この人たちが、お勤めしようとは、どんな思惑やらです。
641基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/19(土) 03:09:15 ID:9XMJBXcU
稿本教祖伝は、伝えます。
『 これに対して、真之亮から、法律がある故、つとめ致すにもむつかしゆう御座ります。と申上げると、
  さあ/\答うる処、それ答うる処の事情、四十九年以前より誠という思案があろう、実という処があろう。事情分かりが有るのか無いのか。
 そんな返答をするが、この道創まって以来、この道はたゞ一条の誠真実の道である。心を入替え、真実の心を以て、陽気ぐらしの世に進んで行くのが我々の道であるという事が、分って居るのかどうか。
先に治めなければならない事は、法に関係のある問題よりも、喜びの心を治める問題なのである。皆の心が陽気に勇んで、そして進むならば、自ら開ける道がある。
と教えられた。
 これに対して、真之亮から、親神の仰せと国の掟と、両方の道の立つように御指図願います。と願うと、
  分からんであるまい。元々よりだん/\の道すがら。
さあ/\今一時に通る処、どうでもこうでも仕切る事情いかん。
たゞ一時ならん/\。さあ今という/\前の道を運ぶと一時々々。』

前の道。 お筆先六号に知らされた「元始まりの道」。

親神の仰せと国の掟と、両方の道の立つように。 これはまさに、嘘つき神名派の面々の実行している姿そのもの。

ご教祖は許さなくても、「かみが許す」かもしれないという、高弟達の下心が、真柱に言わしめたものでしょう。

教祖は、「私の言う事よりも、お上の言う事を聞く」「もう聞いてしまっている状態の」、このとんでもない弟子達の姿を、どれほどに残念なお気持ちであったでしょう。
「前の道を運ぶと一時々々。」。 と、お示しになった。
642基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/19(土) 03:18:23 ID:9XMJBXcU
前以て伝えあると仰せあるは、つとめの事で御座りますか
さあ/\今一時に運んで六ツケ敷きであろう

これが、問いと答えです。
前以って伝えあるとは、今すぐ運んで「六号に敷きし道」の事でした。
 第6号
このたひハめづらし事をゆいかける 心しづめてこれきいてくれ 1
なに事も神のする事ゆう事や そばにしんバいかける事なし   2
このはなしどふどしんぢつ一れつわ 心しづめてしよちしてくれ 3
このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち 4
上たるの火と水とをわけたなら ひとりをさまるよふきづくめに 5
この火水わけるとゆうハこのところ よふきづとめをするとをもゑよ 6

その<このところ<地場以外で 神楽を勤める。 これ、天理王命の信者のすることですか? いいえ。違います。
地場以外でも神楽だ。それじゃ、この世おさめる真実の道に、道そのものが、間違ってしまう。
もう間違えていた。嘘つき神名派。は、その時教祖不在を実行していた。天理教そのものさえも消滅させかねない、愚行に走っていた。
 これじゃ、この世治まるわけが無い、道が無い、理が無い、心が無い。
ついには、世界平和どころか、戦争協力に教団を導いた山名系リーダーの理の間違いは、この親神をなめきった傲慢にあります。それは、未だ、さんげされていません。
第6号 70
月日よりつけたなまいをとりはらい このさんねんをなんとをもうぞ
Tsukihi yori tsuketa namai o toriharai Kono zannen o nanto omou zo
They banned the name given by Tsukihi. What do you think of this regret of Mine?
親神がつけた神名を、ただ人間心から取り払おうとするが、この親神のもどかしさの程を皆は何と思うているか。
註 明治七年陰暦十一月十七日、奈良中教院から召喚を受け「天理王命など言う神はない。宜しく向後かような神を尊奉しないよう。」との、信仰差し止めの厳命をされた事について述べられたものである。
643基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/19(土) 04:57:06 ID:9XMJBXcU
以前に山名さんは、諸井国三郎さんを擁護しておられましたが、おふでさきは、当時の高弟達はみな筆写したりで、持っていたり、読んでいた。
当然、六号も知っていたはずのこと。

この道が、「このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち 4 」
である事は、これは、当然に知っていたはずです。

そして、「月日より付けた名前」が「天理王命」であり、その名を「お上」が禁止した事を知っていた。
知っていたから、「天輪講」と、お上ともめない講を、そういう形で貫いた。
「天輪王」の旗を立てた心のどこに、
高山の戦いを治めるという、「この世治める」気概があったというのでしょう。
あるはずもない。
この世を治める神・天理王命・実は百姓おんな。
これを、まこととして、真実として、道と理と心にある事。
『一つの道、一つの理、一つ心、これ三つ一つ欠けてもならん。』
その、「道」も「理」も「心」も、「天理王命」の神名にある。
神名を取り払って、厄介な婆さんではなく、由緒ある「天輪王」の旗を立てる。

「ああ、だるいだるい。遠方から子供が来るで。ああ、見える、見える。フラフを立てて来るで。」

この親不孝。
気が付くには、本当にこの世治める神だと、「上」に諭せるだけの、心定めが大切ではないでしょうか。
644基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/19(土) 05:07:55 ID:9XMJBXcU
上のままではなく、実は神のままであった。天理教会の誕生。

そうでなくては、この世を治める神とは言えません。
人間は「難しい事」という、神は「六が敷き事」という。

http://zulu.jog.buttobi.net/bbs/psy/1098683582.html
8 名前:基本 :2004/10/25(月) 18:02
教祖は、明治15年頃から、特に「ひっそ、ひっそ」と、命じていて、明治政府が最も危険視していた天理教の「こふき話」も、いつも密かに説いているありさまでした。
教祖のお書きになった、おふでさきは、なかったこととされて、みかぐらうたも、原本は見つかりませんと、官憲を欺いてきました。
一方信者たちは、有力な講元が、公認を得る為の方策に動いていて、教祖の、「慎みがおふかん」とは程遠い、派手で活発な活動でした。
ここに、お屋敷では、ひっそにしたい。
講元たちは堂々と表を通りたいという事情が立てあいました。
115歳の定命の教祖は、そこで、皆に尋ねました。
「扉開いてぢをならそうか、扉をしまりて地をならそうか」と。
皆は、扉を開いた方が宜しいと答えました。
「堂々」と「ひっそ」のどちらを選ぶかを尋ねた時、子供たちは、「堂々」を選びました。
教祖は、そこで、25年の命を縮めました。
政府に、地方権力に迎合した、堂々の道を求める心は、慎みを忘れた手がけの大道でした。
戦争協力の道は、この時、選ばれていました。
645神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 18:48:25 ID:QG/UPva8
貨物列車が通りすぎるまで待ってみようか。

それにしても長い貨物列車やなあ・・
646おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/06/19(土) 20:54:04 ID:wZvdhFkC
桜井線に乗り入れたフレートライナー。
647基本。:2010/06/21(月) 10:31:36 ID:ZTWNitE+
積み残しの無いように、しっかりとした貨物列車で参りましょうか。
>>613
613 :神も仏も名無しさん:2010/06/16(水) 17:14:08 ID:FQlDqAAt
>>611
>「天の将軍である」「おかしいなあ、ここにくれば神様皆おいでになるのに」などのお言葉

↑これって↓このことじゃね?
「えらい遠廻わりをして」逸話篇10

中略
「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」

えらい遠廻わりをして】逸話篇10

 文久三年、桝井キク三十九才の時のことである。夫の伊三郎が、ふとした風邪から喘息になり、それがなかなか治らない。
キクは、それまでから、神信心の好きな方であったから、近くはもとより、二里三里の所にある詣り所、願い所で、足を運ばない所は、ほとんどないくらいであった。
けれども、どうしても治らない。
 その時、隣家の矢追仙助から、「オキクさん、あんたそんなにあっちこっちと信心が好きやったら、あの庄屋敷の神さんに一遍詣って来なさったら、どうやね。」と、すすめられた。
目に見えない綱ででも、引き寄せられるような気がして、その足で、おぢばへ駆け付けた。旬が来ていたのである。
 キクは、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、
「待っていた、待っていた。」
とそれで、キクは、「今日まで、あっちこっちと、詣り信心をしておりました。」と、申し上げると、教祖は、
「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」
と、仰せられて、やさしくお笑いになった。
このお言葉を聞いて、「ほんに成る程、これこそ本当の親や。」と、何とも言えぬ慕わしさが、キクの胸の底まで沁みわたり、強い感激に打たれたのであった。
と。
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女は道の台と教えられていますが、夫を助けたいとの女の真心。「待っていた、待っていた。」
「だるいだるい」てせはなく、待っていたとのお言葉。
回り道が無駄と言う事ではない。そうした女の真心の道を、道の台としてもっとも大切に思案すべきです。
648基本。:2010/06/21(月) 11:34:26 ID:ZTWNitE+
>>612
元治元年つとめ場所普請の事情を、おさしづから、拝読します。
明治三十一年八月二十六日 夜
・・さあ/\そうじゃなあ、これだけ仕事くれたらいつかなあ。
この月、月中にやります。
棟上げとなったらどうしょうなあ。
どうなりと出来ます。それじゃ棟上げせい棟上げせい。
これが始まり。棟上げしたらどんな道が付いて来るで。
神が言い聞かし、どんな事も思わず道を通り棟上げした。
これでよい/\。
神が入り込んで居るから、按配よう成って来るで。
これは大豆越忠七、大工に道で言い付けて、人数神殿の前を通れば、拝して通れ。
これで結構や。
なむ天理王命/\唱え、太鼓叩いてつとめをし、他に居て一人の家守に事が成らず、門を閉めて了い、何構わん。
皆入れ/\。三日留め置かれ、
万々所の役人に掛け合うて知らし、どうなっと詫して、それより道の順序、廃って了うた。
その暮になって往なずと、存命の者尋ねば分かる。
混り/\、人間心を変えて曖昧とな。
もう道の知らん事はどうもならん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「棟上げしたらどんな道が付いて来るで。」
お指図では、「どんな」の初出は明治23年、「どんな道」は明治二十年五月九日。
「どういう道が付くやら分からん。急がし。どんな道が付くやら、ちゃんと分かりてあるで」とのよ意味用法が、「どんな道」の意味用法の基本となるのですが、
基本的に、大和神社事件についての、このおさしづの「どんな道」は、文として、
「鈍な道」と理解するのが基本です。
つまり、お指図には「どんな道」と書かれていますが、「鈍な道」でないと、意味が通らないという事です。

649基本。:2010/06/21(月) 11:59:55 ID:ZTWNitE+
文字を正します。
『・・さあ/\そうじゃなあ、これだけ仕事くれたらいつかなあ。
この月、月中にやります。
棟上げとなったらどうしょうなあ。
どうなりと出来ます。それじゃ棟上げせい棟上げせい。
これが始まり。棟上げしたら鈍な道が付いて来るで。
神が言い聞かし、どんな事も思わず道を通り棟上げした。
これでよい/\。
神が入り込んで居るから、按配よう成って来るで。』

稿本教祖伝には、
『 教祖は、「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ。」と、仰せられた。
 どれ程の大きさのものを、建てさして頂きましようか。と、伺うと、
「一坪四方のもの建てるのやで、一坪四方のもの建家ではない。」と、仰せられ、
さらに、「つぎ足しは心次第。」
と、お言葉があった。次いで、秀司が、どこへ建てさして頂きましようか。と、伺うと、
「米倉と綿倉とを取りのけて、そのあとへ建てるのや。」と、仰せられ、つゞいて、
「これから話しかけたら、出来るまで話するで。」と、お言葉があった。
 この時、居合わせた人々は、相談の上、三間半に六間のものを建てさして頂こうと心を定め、山中忠七、費用引き受けます。飯降伊蔵、手間引き受けます。
辻忠作、瓦。仲田佐右衞門、畳六枚。西田伊三郎、畳八枚。それ/\上げさして頂きます。と、話合いが出来た。

「一坪四方のもの建家ではない」が神意、神意を逸脱して、「宗教家業因縁の道」に逸脱する「嘘つき神名派」。
『棟上げしたら鈍な道が付いて来るで。』
借金の返済に苦労し苦心する大工の伊蔵。
それは、「鈍な道」、阿呆の道。
予言の通りとんでもない、苦労が大工の伊蔵を襲う事になる。その中を、それを承知の上で、山中忠七の下で、大和神社で命に従う大工の伊蔵。

見えぬ先に知らせおくと、中山みきの思想。「宗教家業」に人間心交じりの、「嘘つき神名派」の面々。
更に、その尻拭いを不足一つせずに、「鈍な道」。通って見たいと思いませんか。

「鈍な者・大工の伊蔵」。話の台です。
650基本。:2010/06/21(月) 13:15:00 ID:ZTWNitE+
何かまわんと、大工に命じる立場にあった、高弟筆頭。山中忠七先生の、信心については、次のお指図が示しています。

山中忠七扇の伺の事に付伺
明治二十三年六月二十一日(陰暦五月五日)
さあ/\扇の伺い/\というは、心得までのため、これは古きの道や。僅か年限は知れてある。
教会を治めて居るなら、世界からどうであろうと心掛けて居よう。
俺も見ようか。今の一時難しい処、古き処で止め置きたる処も暫くという。
用いる者が悪いのや。これ一寸々々と言う者が悪いのや。
めん/\からは出やしょうまい。それだけの心の理が分からねばどうもならん。
扇伺いは言葉では言わん。それから遂にはこふまんの理が出る。そこで皆止めた事情は古き事情。
ならん処の働き、一人の人争う処の事情、内々の事情に人間の理を働き、すっきり捨てゝは居やんなれど、修理無しの蒔流し、あちらでひょろ/\、こちらでひょろ/\。
内にはしっかりして居るなれど、道にはひょろ/\というようなものや。
日々の働き方分からんから、そういう事を言う。
教会ならば教会の理を治めるよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人から持ち込まれる相談について、扇で伺いをして、諭す。『用いる者が悪いのや。これ一寸々々と言う者が悪いのや。』
ちなみに山田伊八郎さんは、伺いを依頼していた人です。
質問する人からしたら、山中先生でも仲田先生でも、扇使いだから、「神意」として聞く。
取り次ぐ人は「高慢」になる。
 「嘘つき神名派」とは宗教高山、「何かまわん」・・・
 しかし、天理教会とは、「教会を治めて居るなら、世界からどうであろうと心掛けて居よう。」
この心がけの無さは、宗教高山の選民思想そのものと言う事です。
 おやさまは、三十年かけて何をなされたか。元冶元年のつとめ場所の普請、大和神社の節から30年。
天理教会に、「めどう」が一律に下付されます。
 三十年かけて、勤め場所を普請した。とは、「嘘つき神名てんりんおう」をやっと、「天理王命」に、一列にめどう(目標)と知らしたという事に、尽きている。史実です。
そこで、神名の問題こそ、勤め場所の普請においての真剣で深刻な問題と言う事が分かります。
651神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 16:39:27 ID:sSEGDVuO
>>基本さん

こんにちわ。相変わらずがんばっておられますね!ちょっと思うところあって来ちゃいました・・・
今日限りです、ご安心下さい。

私は田舎住まいですので、周りは自然豊かです。緑濃い中、犬の散歩がてら初夏の風景を楽しんでおります。
土手の草花が風に吹かれて揺れている様を見ながら、基本さんのことを想っておりました。

・・・・・・風の吹くたび、無数の野草の茎が踊るように揺れ動くのです。
一つとして同じ動きではない。あなたは、こんな何気ない現実の面影にも、きっと神を見ておられるだろうと。
そんな人は、きっと優れた詩人なのだと、私は思いました。

あなたがそうだとは申しません。
優れた芸術家はまた、「二乗」の魂として仏教では忌み嫌われます。
なぜなら、芸術というのは究極的にデカダンス、耽美主義の傾向へと歩むものだからです。
芸術が人間を救済する幻想は、もっともあるまじき幻想だと、私も思います。
652連投長文キボン:2010/06/21(月) 17:04:21 ID:PA97LoUU
お疲れさん
653神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 17:14:08 ID:sSEGDVuO

小説家の三島由紀夫は、日本の、否、世界的にも最も優れた芸術家の一人です。
しかし、彼の行動は、もっとも愚かなそれとして後世に残っているのです。

彼は生前、日蓮への所感や仏教への興味について述べていました。だが、それが何でしょう。
彼の生首は、口からだらりと舌を垂れ、まさに地獄に堕ちた者の様相でした。
しかし、さすがは三島、彼は自衛隊員のまえでこう言い放ったのです。

「生命至上主義に代わる価値を、今こそ君たちに示そう」

これが単なる「葉隠れ」の受け売りでないことは、彼の死とそれまでの足跡が物語っています。
「二乗」の魂の凄まじさとその限界の端的な例として、彼ほどの人はいません。
654神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 18:06:16 ID:Ct5b7h5N
かつて三島を愛読した私は、彼ほどの観察眼を有する人を今だ知りません。
彼が一度だけ、小説の中で「天理教」に触れております。「ひのきしん」という言葉の爽やかな響き、
その人物の奉仕の後姿の愛らしさが、肯定的に書かれています。

・・・しかしながら、宗教と政治と芸術ほど、皮肉な兄弟はないと思わせるくらい、それは皮相的な視点に過ぎません。
野球選手にサッカーボールを蹴らせるよりももっとお粗末です。

地獄から菩薩界まで、様々な境涯の様々な信心はあれど、一つとして正しい「信仰」はない。
一人として「この世界の旨をわかりたるものはなし」と、実感せざるを得ません。
仏の境涯とは、そこまで深く遠いのか。と、むしろワクワクします。
655神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 18:33:13 ID:8hDvHX3p

毎度、話があやふやですね・・・
要は、二乗と仏の違いを言いたかったのですが。(頭が悪いというのは悲しい)

冒頭に申しましたように、私だって神を感じる瞬間はあるんです。下手な詩を書くこともあります。
物事の道理を解ったように、苦笑いをすることも。
でも、いつもそこで終わりです。世界は何食わぬ顔をしています。

「俺は、ノーベル文学賞は捨てた」「言葉を刻むように、行為を刻め」 ある日の三島の言葉です。

その彼の「行為」が、あのように空虚な結果を生んだのはなぜか?
「声聞・縁覚」の位から、一気に地獄に落ちたのは、なぜなのか?
ここに、私は、人間の境涯というものの不思議を見るのです。あるいは宿業のそれでしょうか?
656神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 20:02:54 ID:Ct5b7h5N
今月号の「大白蓮華」の御書から、ご紹介します。

『大地はささばはづるるとも・虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも
 日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず 』

大地を指差して外れる、太陽が西から昇る、こんなことを奇跡と呼ぶなら、仏法は奇跡を軽蔑さえしています。
キリスト教やイスラム教が、奇跡ゆえに神の力を誇示しようとするなら、仏教は正反対の立場です。
奇跡よりも身近な、しかし強固な、「日常」。

その色あせた日常にこそ、生命の奇跡を見出す仏法。

風にそよぐ草木の一本々々に、私が聴いた生命の歌声。何気ない散歩と地続きの不思議。
日蓮は、ただそれを傍観したのではない。その奇跡を身をもって、行為によって示したのです。
その光のような結実は、まるで宇宙のような膨大な暗黒の中の灯火でした。
「最も苦しんだ者が、最も幸福になれる」・・・これこそ信ずべき法則だと、今や感じられるのです。

言葉や理論を道具にして真実の山を登ろうとする人には、決して登れない山。
その仏の境涯を、現実に征服した人。
これこそが、「二乗不作仏」の文字の「現証」ではなかったたですか?「基本さん」・・・・ 
657神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 21:29:14 ID:LgrcpBhE
あの「金閣寺」にも天理教の名がチラッと登場します
658おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/06/21(月) 23:23:29 ID:55NvmZK+
>>657
「天理教○○分教会」というくだりが1か所だけね。
659神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 00:07:57 ID:PRj/W7zF
へえー、金閣寺にも!何やら因縁めいたものが・・・しかしまぁ、よくご存知で。

私が例に挙げた小説は、「愛の渇き」という初期の長編です。
二十歳の時に読んだ衝撃は、今でも昨日のことのように鮮烈です。
ちょっとした後悔もありますが・・・
三島は好きですが、三島が好きな人は嫌いです(笑)

基本さんの声が聞きたいので、ageときます。
660基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/22(火) 04:08:30 ID:bGksS0KZ
>>656
『大地はささばはづるるとも・虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも
 日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず 』
流石に、日蓮様は、説法の行者。
見事に法華経の境地をお説きになっておられます。

さて、貴兄もご承知のように「日は東より昇ります。」
それは、「理」。
その理が、「逆理」になったとしても、法華経の行者の祈りは、それは「衆生を救う」という祈りなのですが、祈りは適うという事です。

さて、『大地はささばはづるるとも・虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも
 日は西より出づるとも・』
これは、本当は、そうでない事。
そうでない事を、人の心は、「逆理」を見てしまうから、「この世に救いはない」と、思ってしまう。
しかし、日蓮の説く「妙法蓮華教」を信じた瞬間には、「この世の天地が割れようとも御仏の救いはある」と、そう悟る事が出来るわけです。

二乗の問題は、はたして、「天地が割れ」「日が西からのぼる」ほどの、「逆理」でしょうか。
二乗の問題は、仏教徒の内の、問題ですが、天地が割れ、日が西から昇る時には、
それでも、御仏を信じるというのは、そうなったときには、二乗が一乗になる事もある。
つまり、仏の守護というものは、奇跡そのもの。
「理」の問題は、常に「不思議」抜きでは語れないものと思います。
661基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/22(火) 04:40:30 ID:bGksS0KZ
> その彼の「行為」が、あのように空虚な結果を生んだのはなぜか?
> 「声聞・縁覚」の位から、一気に地獄に落ちたのは、なぜなのか?
三島由紀夫兄についての、疑問ですが、それは作家の生涯であり、仏教徒の生涯と見立てる事には、少々の無理があると思います。
『「声聞・縁覚」の位』に、兄は執着されていたわけではなく、『地獄に堕ちたいとも、堕ちたくないとも』、それに執着は無く、
あったのは、きちんとした「割腹自殺する」という意思と覚悟だったと思います。

「説」を語るという意味が「小説家」にはありますが、そこには衆生を救うという意思がある場合には、貴兄が言うところの、天理で言う「高慢」。
「小説」ではなく「大層な説」になるわけですが、それを、人生全てで肉体で語るとなると、兄のような行動になることもあるでしょう。
日本という国を救うと、それが本人の作品そのものであるなら、偽らず、実行した兄は、必ずしも、地獄に堕ちたとは、思いません。

見失いがちですが、兄の割腹自殺に行動を共にした同志は、兄が語る言葉の信奉者です。
仮に兄が、「俺のは口だけの読みもの、言葉遊び」と裏切っていたら、その協賛者全ての人生を狂わせた事でしょう。

ちゃんとけじめをつけたことで、救済された人には、幻想と現実を示した意味で、兄は真の仏性を発揮したとも言えるからです。
他の賛同者、信奉者の
662基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/22(火) 04:58:56 ID:bGksS0KZ
国を憂うという精神と行為が、自衛隊員への蜂起を促したとき、
国を憂うという精神と行為が、北条時宗への『立正安国論』を、献上した時
嘲られたと言う事は事実。
三島由紀夫兄は、司法に裁かれるという事を拒否し、予め割腹を修練していた。
それは、「武士道と言うは死ぬ事とみつけたり」との太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時に、ならったものである。
日蓮は、司法に裁かれる事を「是」とし、「理」を諭して、経を唱え続けた。
その、龍の口での「奇跡」が、もし無かったら、
日蓮は、三島のように堂々の自決すらしないで、救ってもくれないお経を読んでいたと、物笑いの種だったろう。

天理教の中山みき姉は、こう語った。
「もうどうにもならん処まで行って見よ、神が働く」と。
日蓮が「奇跡」を誇らなくても、そこにあった奇跡そのものが「現証」。
天理教にて、中山みき姉がかたる、「不思議が神」の世界である。
663基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/22(火) 05:34:07 ID:bGksS0KZ
>>656
> 「最も苦しんだ者が、最も幸福になれる」
「もうどうにもならん処まで行って見よ、神が働く」
それは、仏法で言う「一乗」の者の利他の道の事であり、難行苦行という修行の事ではない。
まして、人を苦しめた結果として最も苦しんだとしても、それでは最も幸福になれるわけも無い。

日蓮においての救済は、「理」と「奇跡」の二つを示している。
先ず「理」は、水脈の考察は史実に残る。
http://m-y-star.com/shonan_story/kamakura_history/history_four.shtml
『 1271(文永8年)7月、大干ばつであった。
幕府は忍性に命じて、雨が降るようにと祈祷させた。
日蓮は忍性の祈祷を猛烈に非難した。
祈るより実行せよというのが非難の原因だったようだ。さきにのべた長勝寺の付近に、鎌倉十井のひとつ「銚子の井」がある。
 そこからほど近いところに「日蓮乞水(にちれんこいみず)」(長勝寺前下車、徒歩5分)がある。
石の棚をめぐらした井戸で、干ばつに苦しむ農民のために日蓮が掘り当てたと伝えられる。
日蓮の実践行動の一端であろう。
水脈を考察して井戸を掘ることは、後年の常識である。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、雨乞いの祈祷。「奇跡」。

『 その日蓮もこの月、行合川をさかのぼった左手の田辺ガ池で雨乞い祈祷をやった。
 この池を日蓮の雨乞い池(江ノ電七里ガ浜駅下車、徒歩7分)ともいう。』

この「理」と「奇跡」。
これを、実践する事。
日蓮の弟子ならば、なして当たり前であり、それが実践されるとき、
「最も苦しんだ者が、最も幸福になれる」
のではないでしょうか。
「理」を人助けに用いる。「奇跡」を人助けに用いる。
それが、仏法そのものだと思います。
664基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/22(火) 06:09:51 ID:bGksS0KZ
さて、硬い思案を書きましたが、私は、成仏とは最も遠い存在。どんな手段を以ってしても、私は浄土には行けない。
蓮の花の上には程遠い、愚かなのです。
だから、みき姉は、不憫と思って、何かとお心をかけてくださる。
私のような俗物は、人のためではなくても、「どうにもならん処」には、すぐ行けてしまう。
天理の理と神の奇跡を人助けに用いるのも、本当にいささかばかりで、厳しい日蓮様では、とてもお側には置いていただけないでしょう。
でも、みき姉は、「私も愚かだから」と、お側にて、お心をかけてくださる。
愚かであるという事は、幸せな事です。

大自然の中に仏を感じて通られる貴兄。お幸せな姿です。
私の中のみき姉への、感謝は、泥海の中にいて、なお守られている事への感謝です。
天理教でみき姉は、「一軒一戸から出た理は、いかような理でも受け取れん」と、示されています。
「たすけ一乗の道に、わが身我が内の事言うや無い」とも、言われています。

わが身は愚かであり、泥海に居る事は、みき姉には言わない事にしています。
そんなわが身の事より、天理の基本を語り続け、今は、みき姉の神名「天理王命」の旗を立てる。
それが、私の「助け一条」。
随分虫のいい話だと、思われるかもしれませんが、みき姉が、「わが身我が内を言うな」との慈悲。
感涙しつつ、日々楽しい。
それが、私の日常です。
665神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 15:58:12 ID:ue8WQpjM
>>基本さんへ

さすがです。とても明快で深く、かつ優しさに満ちたご洞察です。

ところで、日蓮は二つの願いを叶えたのではないでしょうか?
一つは、まだ幼い修行の身であった頃、虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給へ」との誓願。

いま一つは、弘安二年十月十二日の閻浮提第一の「ご本尊」のご図顕。

まさしく「法華経の行者の祈り」は叶いました。決して結果論ではないと思うのです。
日本一の智者とはまったく恐れ入りますが、日本第二や第三の智者に、閻浮提一の本尊建立は無理なんでしょう(笑)

法然や親鸞などは、頭が良すぎて狂った人の典型のようです。
思えば、様々な芸術家、哲学者、そして三島などのような人も、この類の狂人ではないでしょうか?
あるいは現代の「教祖」と呼ばれる人々も、「二乗」の才気ゆえの狂気へと、身を持ち崩しているかに思えます。

日本第一の智者になれない者が、まして「宗教」を創始するなど悪の極みではないですか?
「オウム真理教」や「幸福の科学」の狂いっぷり。
そしてまた、三島由紀夫の哀れな最後。その才気走った凡夫の姿・・・「二乗不成仏」の文字は痛烈な真実と受け止めます。
666神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 17:46:13 ID:ue8WQpjM
基本さんは、「二乗」について少し楽観的だという印象を持ちました。
しかし、法華経以前の一切経で、執拗に成仏を拒まれてきた二乗です。大した事でないわけがありません。

三島が地獄に落ちたとは必ずしも思わないとのことでしたが、彼の最後はどう見ても悲惨です。
命を賭けた訴えが、目の前で、信じていた人から、野次と嘲笑を浴びせられたんです。
彼の顔からすっかり血の気が引き、目は虚ろだったといいます。

何という滑稽な人生の幕切れでしょう。彼はあの時、生まれて初めて「この世」を見たかのようです。
「どうにもならん処でも、神は働かない」事もあるんでしょう。

自分の愚かな行為によって、自分の文学そのものの意味すら失いかけています。
偉大な思想に、愚かな行為が繋がると誰も信じないからです。
つまり、もともと下らない作品だったのか、あるいは途中で狂ったのか、・・・
・・・
私の中で、三島の文学はもう死んでいます。かつて、その自決の神秘性によって彼に興味をもったのに。
ただ彼のすごいところは、太陽の存在を知らずして、太陽の光の効能を語ったことです。
667神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 17:47:30 ID:ue8WQpjM

「諸宗は本尊に迷へり」です。だけど、彼は「本尊」が(ある)ことだけは知っていたでしょう。

その本尊がしかし、生身の人間のあせりと努力と諦念とにより、
「国家と天皇の下に団結し、義に生き死を恐れず、日本民族の誇りと良心を永久に発揮すること」
・・・というチープな、イミテーションの、もったいぶった、素人好みの、仏像一つを安置してよしとしました。

それに手を合わせ、命まで供養した人の最後、その末裔の苦しみ、世間の忘却、無間の闇・・・
「二乗」は誰も救わず、誰にも救われません。

仰る通り、「利他」の行動こそが「一乗」への道だと信じます。
「煩悩即菩提」。利他のための利他は幻想であると、あなたも言われた。
確かに、愚かであること、というより、愚かであってよいとは誠に幸せと思います。
668基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/22(火) 22:30:08 ID:bGksS0KZ
二乗の成仏を拒む。
二乗の成仏を祈願する。

釈迦のお姿には、その二様があると思います。
二乗というのは、天理の基本的には「とふじん」です。「高山」である場合もあります。

二乗の成仏を拒む。
これが仏教の一つの姿です。Wikipediaには、こうあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
声聞 (しょうもん、サンスクリット:श्रावक Zraavaka)は、
仏教において「教えを聴聞する者」の意で、初期経典では出家・在家ともに用いられる。
後になると出家の修行僧だけを意味した。
縁覚(えんがく、pratyekabuddha、paccekabuddha、サンスクリット:प्रत्येक बुद्ध)とは、
仏教やジャイナ教において、師なくして独自にさとりを開いた人をいう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二乗には、「帰依する」という精神も行いも無い故に、救いを求めない者は、救いようが無いという、成仏できないのは、当然の事です。
自らが悟り取るという事のために、釈迦の教えも、そのための対象でしかなく、それは、最も救いがたい存在とされています。

その二乗に、成仏のための唯一の経。それが法華経であると言う事は、天台の教えです。
天台の「一念三千」。
法華経迹門におきましては、二乗作仏を説き、一切衆生を成仏せしめる一念三千の法門が明かされ、それは、釈尊の久遠実成が明かされた事で、この世に成就する事になった。
つまり、「二乗は成仏できる」が、「本門」であると言う事ですね。

その、法華経の定義として、日蓮は、こう示されています。
「法華経は日月と蓮華」であると、示されています。

「明らかなる事、日月に過ぎんや。浄き事、蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。ゆえに妙法蓮華経と名く。
日蓮また、日月と蓮華との如くなり」(四条金吾女房御書)

二乗すら成仏させる。その妙法とは「日月の明らか」と、妙法蓮華経とは「日月の明らか」と「蓮華」にある。
この本質を、知るなら、中山みき姉の「月日の社」の教えの意味も又、ご理解されると思います。
669基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/22(火) 23:16:57 ID:bGksS0KZ
日蓮様お一人でしょう。お釈迦様のお経を語るに「日月の明らか」を諭されたお方は。
まさに、末法の釈迦とも称されて、然るべきお方です。
仏教では、特に末法の世については、このような説かれ方をしています。

http://www.kenshokai.or.jp/kangyou/c3.htm
すなわち法華経には、「上行菩薩」という威徳ある大菩薩が、根源の大法をもって末法の一切衆生を救うということが説かれている。
そしてこの上行菩薩の徳を釈尊は
 「日月(にちがつ)の光明(こうみょう)の 能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く、斯(こ)の人 世間に行じて、能く衆生の闇を滅せん」(神力品)
と讃嘆しているのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一切衆生を救うということが「日月」の光明。

そこには「二乗も」隔てなく、あまねく照らされる。
これが「月日」の本質であり、絶対的な意味において「一切衆生」は救われる。
この「日月の明らか」。
「浄き蓮華」は、あまねく一切衆生を照らす「明らかな日月」と、その明るさがあっての「妙法蓮華」です。
670神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 00:35:10 ID:3v8h8h/c
>>基本さん

その通りですね。法華経本門への帰依なき二乗は、もっとも成仏より遠い存在であり、
信心の二文字を得たそれは、一乗の前段階の位となる。実に感慨深い道理です。

私たちが普段、安心して暮らせるのも、怪我をすれば救急車が駆けつけ、火事になれば消防士が駆けつけ、
深夜には警察がパトロールしてくれ、権利を阻害されれば裁判所に提訴できるからです。
学校の先生は知識と道徳を教えてくれ、生活に窮すれば国がお金をくれ、寝たきりになっても手厚い介護を受けられます。

このような人間社会の良心の源泉は、一体どこにあるんでしょう?
もし、それが枯渇してしまったら、どんな恐ろしい世の中になるでしょう。

今や性善説は鳴りを潜め、性悪説の方がしっくり来るような世情です。
当たり前の善意すら、勿体ぶって説教されるこの頃です。
私などは単純に、宗教心の衰退とこの社会の退廃とが、軌を一にしていると思ってしまいます。

この観点をタブーとする社会の自浄能力にも、ゆえに限界を感じています。
与党の「友愛精神」なども、実に頼りないものですが、国民はそれに縋りつくように彼らを支持しました。
しかし今や、国民の顔には、早くも落胆の色が見てとれます。

私は、このような大衆感情の乱高下、それと対照をなす動かしがたい閉塞感・・・これに危惧を覚えています。
671基本。:2010/06/23(水) 00:44:39 ID:kTUBJbnV
釈尊いわく「日月(にちがつ)の光明(こうみょう)の 能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く、斯(こ)の人 世間に行じて、能く衆生の闇を滅せん」
日蓮いわく「法華経は日月と蓮華となり。」

日蓮の言葉は、釈尊の言葉よりも鮮烈に本質を示しています。
「日」と「連」ではなく「日蓮」なのだという、本質が示されている。

現実には「法華経」を語る仏教徒は、「蓮」を説いても「日」は、説いていない。

闇を一つづつ滅していったら「光」になるというような、方便ではなく、光そのものの存在を示してあるところが、真正面から説法する日蓮ならではの、ものです。
蓮華が、この世の末法に咲く花としても、それは、「日月」ありて「妙法」であるならば、その光とともにあることが、何よりの信心の要諦となります。

三島兄の割腹には「光」がなかった。
日蓮は、経を称えていただけ。
伊豆の法難においても経を唱えていただけの事で、「たすけを求め」てはいない。
「おーい、潮が満ちる前にたすけてくれー」と叫ぶ心には、日月はない。
「首を跳ねられる前に誰か助けてくれー」では、日月はない。
実は、「無明の闇」。

日月があり、それが胸におさまっていて、
助けを求めたのではなく、闇路にある「日本」をたすけ給えと、経を唱え続けていた。
尊いお経も、利他のために唱えられなければ、「嘘」になります。
日蓮は、名のごとく、日蓮であった。
その、根底が、胸におさまるなら、先ず日月の明るさを、体得される事です。

672基本。:2010/06/23(水) 01:00:02 ID:kTUBJbnV
>>670
> 私は、このような大衆感情の乱高下、それと対照をなす動かしがたい閉塞感・・・これに危惧を覚えています。
それは、「日月のあかるさ」、すなわち久遠の釈尊の大慈悲を、体得できていないという、言葉そのものになってしまいます。

貴兄の首には、「妙法蓮華経」の五文字がしっかりと巻かれていますか?
巻かれてあるならば、世間がどうであろうと、何も心配は要らない。
貴兄が、利他のために祈る事と、「理」と「奇跡」を師に学んで、行う事で、十分に間に合う事と、

そうではないでしょうか。

そこが、末法の世であるからこそ、大慈悲がある。妙法蓮華経を人のため、「二乗」の者のため、救いがたい人のために祈り続ける事、それが日連様の本願だと思います。
673神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 01:48:00 ID:3v8h8h/c
(すれ違いになってすみません。後でまた改めてご返事します)
つづき
感情の他動性と感性の硬直化という病的人間像が、目に浮かびます。

宗教をタブー視する風潮が、このような病理を最初からはらんでいた、と言えば飛躍でしょうか?
仮にこの大前提から目をそらし、問題を解決しようとしても堂々巡りなのではないか?
基本さんの仰った、「理」と「不思議」の関係性。現代はどんな「奇跡」を理の右に置くのでしょうか?
あるいは、左の理の横に右の理を並べる不自然さが、先の「閉塞感」のことでしょうか?

もしもこの国の多くの人が正法に帰依し、自己実現と利他の両道に励むならば、この閉塞状況はすぐにも打破されると思います。
それはまさしく地上の楽園であり、真の浄土でしょう。
尽きることのない良心の源泉から大河が流れ、その周辺に生活が生まれるように、人々は穏やかで平和な暮らしを満喫するでしょう。
それが真実であることは、御書に明白です。

それは天理の神の望む「陽気ぐらし」の人間の世界でしょう。
人の慈悲が慈悲を呼び、一丸となって魔とたたかい、第六天の魔王も守護神となった世界です。
674神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 02:57:51 ID:3v8h8h/c
>三島兄の割腹には「光」がなかった。
>日蓮は、経を称えていただけ。
>伊豆の法難においても経を唱えていただけの事で、「たすけを求め」てはいない。
>「おーい、潮が満ちる前にたすけてくれー」と叫ぶ心には、日月はない。
>「首を跳ねられる前に誰か助けてくれー」では、日月はない。
>実は、「無明の闇」。

なんという芳醇な感性でしょう。あなたはやはり詩人だ。
そうです。三島の思想には「日月」の光がないのです。それを窺わせる彼の告白めいた言葉があります。
「私は太陽の光が好きだ。日盛りの午後など、陽光に顔をさらして、どこまでも歩いて行きたいと思う」(非原文)

これなど、自己の闇との対比があって、初めて文学的に価値がある文章でしょう。
芸術家のカルマとは、道徳的欠陥が必ずしも悪でなく、むしろしばしば美をたたえることだと思うのです。

>貴兄の首には、「妙法蓮華経」の五文字がしっかりと巻かれていますか?

はい。と言えば、嘘になると思います。
私もまた、現代人の端くれです。理によって語ることを好み、奇跡を信奉することに尻込みするのです。
「現証」で勝負しましょうと大見得を切ったものの、あなたの確信の「あかるさ」が眩しいんです。

あなたのような人が天理教にいたことに、恥ずかしながら驚いています。
しかしながら、この清々しい気持ちは何でしょうか?
何か、異宗教の対話と理解の可能性を見た思いでしょうか?
七つの色の異なる光線が、「南無妙法蓮華経」の七字のプリズムによって、ふたたび一つの光と融合するかの幻影を
見た、そんな心地でしょうか?

あなたのあかるさ。私のあかるさ。七つの海の向こう、それぞれの地の信仰のあかるさ。
これらが融合される日が来るのでしょうか?
そんな夢想に包まれたこれまでの対話だったのでしょうか?
675基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/23(水) 03:48:50 ID:kTUBJbnV
あなたの正直で素直なお人柄にうれしい驚きを、いつも感じています。
日蓮様の教えに帰依するという事は、「行者」である師を師とすることですから、それは行の世界に身を置くという事に他なりません。
その事は、学問的な研究がなされてもいて、
http://www.gendaibukkyou.com/books/book08-5.htm
『 姉崎正治博士は本書の中で「法華経の行者」とは何かを問い『日蓮聖人の活きた人格がその説明であり、実証体現である。
仏法が仏陀の人格で生きた事実となった如く「法華経」は実に聖人の一生によって血あり涙ある人間となって活躍した」とのべている。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
即ち、「法華経そのものを人生に体現する」行者ということです。

そこで、「法華経を聞いて学ぶ」が、「聞いて学ぶだけの状態」。或いは「自分が法華経から悟りとる状態」。
これが、二乗ですから、「法華経そのものを人生に体現する」行者への道を歩まないと、
「一乗」には進まない人となるわけです。

さて、鎌倉時代の末法の状態は、どうであったかと言う事で、それは、人が死を渇望していた時代と言う事。
日蓮は、そうした人の心が、「死」を招くという仏理を、法理を諭されたという事になります。
さて、それは「因果応報」の理なのですが、同じ因果応報を説く仏教界は、人の豊かな生を説かずに、闇を説いて、
闇から救われるための仏教で人々を迷わせていた。
日蓮は、説法として、当時の仏教の教えの誤りを正すと、「行者」宣言をなされた。

それは、「日」に向かい、「南無妙法蓮華経」を十回唱えることで開始された行です。
676基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/23(水) 04:09:24 ID:kTUBJbnV
宗門間の対立、論争と受けとめられがちですが、そういう皮相な見方に立たず、見つめるべきは「因果律」です。

『当時の仏教界は、文字どおり白法隠没の様相を示し、同じ釈尊の教えを依り処としながらも、念仏、禅、 真言、律、天台などの宗派が乱立して、いったい真実の仏教が何処にあるのか、見極めのつかない状態。』
これは、宗教の様相を解説したものですが、肝心な事は、仏の教えにない事を説いていたという事。
その、ごちゃごちゃした教義の乱れの一一を論争していたら、それでは説法にならない。
「日月」の明かりと、「妙法蓮華経」の浄化にて、王道から説法されたという事です。

「信じているお経が悪いから不幸がある」と、一見、そう見えるかのように諭すという説法ですから、
その本質は、「お前たちの説く仏法はでたらめである」と説いているわけです。
だから、 外形は、どっちが偉い、どっちが本物だの論争に見えますが、中身は
「このインチキめ、お前たちが人々を不幸にしている」というこの仕掛けは、まさに、難行苦行の行者の仕掛けと言うべきでしょう。

時と場を心得るべし。説法の仕掛けを真似ても無意味です。
因果律を説かずに因果律そのものを好転させる、日蓮の説法の開始でした。
677基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/23(水) 04:16:04 ID:kTUBJbnV
>>676
> 難行苦行の行者の仕掛け
http://www.myokan-ko.net/menu/ds.htm
当時の世相は、天変地異が相続き、地震、疫病、飢饉等の災害が激烈をきわめ、民衆の苦悩は筆舌に 尽くしがたいものでした。
日蓮大聖人は、こうした様相を御覧になり、正嘉元年(一二五七年)八月の大地震などをきっかけに、立正安国論を著述あそばざれたのです。
その大意は、「一切の災難の根本原因は、時の主権者はじめ万民が、正しい仏法に背いて邪宗邪義を信仰するところにある。
もし、このまま、邪宗教を廃して正法に帰依しないならば、自界叛逆(内乱)、他国侵逼 (他国からの侵略)の二難が起きるであろう」との、国家に対する一大警告でした。
「但偏に、国の為、法の為、人の為にして、身の為に之を申さず。」(新編三六九)
まさしく、この立正安国論こそ、民衆の悲痛なまでの叫びを聞いて、決然と立ち上がられた日蓮大聖人の、 至誠の書だったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、「一切の難の根本原因は」⇔「邪宗教にある」。
これが、釈尊の教えにはない事は明白です。

そして、自らの説く言葉が「正法そのもの」だったら、「末法の釈尊・日蓮これを説く」で、良いわけです。
あえて、法華経の行者としての説法をえらび、「正法に導く」ために、あえて他を誹謗した。

天災の原因は、もっと基本的な「因果律」にあります。
天理的にいうなら、それは、人が死を渇望する精神風土がはびこっていたという事。
生きる希望を失っていたという事。
「死にたい心」が、「死を招く」という因果律。
これは明白なのに、それを諭さずに、「妙法蓮華の世界を、日月の明るさで示した」。
そういう思案となります。
つまり、因果そのものの好転のための、説法を、行者としてなされたという事です。
678基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/23(水) 04:29:37 ID:kTUBJbnV
> 天変地異が相続き、地震、疫病、飢饉等の災害が激烈をきわめ
これに対して、日蓮は「文」を用いて、「立正安国論」を諭しただけなら、それは、行者でもなんでもない。
「理」によって水脈をみつけ、井戸を掘り当てる。
「法」によって雨乞いをなし、貯水する。
これがあることが、利他であり、行者の実践です。

水飢饉に「立正安国論」は無力。「井戸」と「雨乞い」に「現証」あって、真の行者です。
因果律とは、「種をまく事」で、変えられると、その実践に衆生の救済を心がけた行者。
それを、見つめれば、弟子として、或いは「親友」としての人生が見えてくるのではないでしょうか。
679基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/23(水) 05:04:56 ID:kTUBJbnV
日蓮の雨乞いは、結果的に法難を呼び込みました。
天理教祖の雨乞いも、司法からの不当逮捕を呼び込みました。
奇跡さえあれば人は導けるというものではない。その逆があったとしても、それが利他です。
天理教祖の史実、紹介します。
私の、みき姉です。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kunitokoomotari2tu1tugatennori/comment/20080706/1215307622雨乞いづとめ
 (前略)〜明治十六年は、大和地方一帯非常な旱魃で、特に農家にとっては大きな、深刻な問題だった。
伊八郎の住む出屋鋪村も例外ではなかった。
 村の惣代をつとめる伊八郎には、如何にも村人や信者たちの困り果てた姿を見るに見かねた。
八月十四日(陰暦七月十二日)伊八郎は一人でおぢばへ帰り、教祖に「雨乞いづとめ」の勤行を願い出たのである。
 教祖は、『行ってつとめておやり』と結講にお聞き届け下さった。
そこで伊八郎は、お側の先生方と打ち合せの結果、明日十五日はおぢば三島村の雨乞いづとめがあるから、出屋鋪村へは明後日の十六日に出張してやろうという事に相談が出来た。
伊八郎は早速とんで帰って、結果を待つ村人たちに、おぢばでの様子を説明し、皆で十六日を心待ちにしたのである。
 ところで、十五日三島村での「雨乞いづとめ」は、村方の懇願があって教祖に伺うと、教祖は、
 『雨降るも神、降らぬのも神、皆神の自由用である。心次第、雨を授けるで。さあ掛れ/\』
と仰せられた。これを聞いた一同は、勇み立って午後四時頃から雨乞いづとめをつとめ、三島領を一周して帰る頃から全くにわかに三島領だけに大雨が降った。
 村人たちの喜びはいう迄もないが、つとめられた先生方の喜びも又ひとしおで、「明日は出屋鋪や」といっているところへ警察が入って来た。
 一同は、ずぶ濡れのまま拘引せられた。
 教祖もまた、水利妨害、道路妨害という名目で、その夜警察にご苦労下さったのである。
(続きます)
680基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/23(水) 05:10:45 ID:kTUBJbnV
>>679
> 天理教祖の史実、紹介します。 私の、みき姉です。
>「明日は出屋鋪や」といっているところへ警察が入って来た。
> 一同は、ずぶ濡れのまま拘引せられた。
> 教祖もまた、水利妨害、道路妨害という名目で、その夜警察にご苦労下さったのである。
> (続きます)  
こんな思わぬ事があって、約束通り出屋鋪ではつとめられなくなったので、それを報告旁々(かたがた)つとめを断る為に、十六日高井直吉先生が出屋鋪まで出張して来られたのである。
 ところが不思議にも、先生が出屋鋪村の領内へ足を踏み入れられると同時に、盆をくつがえしたような突然の大雨となり、全身ずぶ濡れになって山本与平宅へ駆け込まれたのである。
 待っていた伊八郎はじめ村人たちの驚きと喜びは想像にあまりある。
 『行ってつとめておやり』との教祖のお言葉一つで、高井先生唯一人おぢばからご出張下さるだけで、こんな不思議なご守護をお見せいただいたのである。
 この事があってから、村人たちも改めて親神様の自由用を認識し、より一層お道に心を寄せるようになった。
 伊八郎にとっても、忘れ得ぬ喜びの一つであった。この事は常々家族の者にも話していたようである。

昭和四十九年八月発行「山田伊八郎伝」(天理教敷島大教会編)61〜63ページより
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それは、当然の事です。
雨がふらなっかた地域の方々がお怒りになった。当然のことです。
利他とは、一列で無くてはならない。
その責めは、姉中山みきは「いそいそ」とお受けになりました。
ひな型と、教えられています。
681基本。:2010/06/23(水) 05:54:03 ID:kTUBJbnV
これが肝心でした。
> 自己実現と利他の両道に励む

それは、二台の車に乗るようなものです。つまり、「二乗」。

いつしか、自己実現は利他のためとなり、 利他は、自己実現のためともなって、信心の、目的の主従はやがて因果となります。

 自己実現⇔利他 これが二乗の本質です。

結局は、たすかりたい自己の完成にむかってしまう。
 結局はわが身の事に、すぎない状態に変貌します。

道は「利他」以外にはない。
それが法華経の行者の道。
それが、中山みき姉の道でもあります。
難儀の底に手を打って待つのが、私の姉、中山みき様です。
682基本。:2010/06/23(水) 14:34:27 ID:kTUBJbnV
>>679
> 三島領を一周して帰る頃から全くにわかに三島領だけに大雨が降った。
>>680
> つとめを断る為に、十六日高井直吉先生が出屋鋪まで出張して来られたのである。
> ところが不思議にも、先生が出屋鋪村の領内へ足を踏み入れられると同時に、盆をくつがえしたような突然の大雨となり、
> 全身ずぶ濡れになって山本与平宅へ駆け込まれたのである。
一つは、三島村の事、「雨乞い勤め」にて雨は授かった。
一つは、出屋鋪村の事、「つとめをお断りに出向いて」雨は授かった。
雨乞いとしては、どちらも、奇跡を見せられています。
しかし、三島村の雨乞いは、神楽つとめの神秘性と優位性を天理教団に語らしめるという、「二乗」の効果をもたらしています。
 これが
> 自己実現⇔利他 これが二乗の本質です。
に、一致します。
雨乞いは「利他」なのです。 それが、教団組織の「自己実現」に向かうと、天理教の優位性や完全性を証明した雨乞いつとめと、そういうみなされ方をする。。
或いは、天理教に雨乞いを頼んだ三島村は偉い、だから雨が降った、他所の近隣には降らなかったと、
そこでも、自己完結が開始されます。

利他とは、雨乞いで言えば、雨が降ったらよい。それだけの事です。
683基本。:2010/06/23(水) 14:53:32 ID:kTUBJbnV
日蓮の雨乞いの場合も、雨が降ったと言う事は「利他」そのものです。
しかし、それは、同様に雨乞いをしていた他の宗門には、「優劣の証名行為」と映ります。
日蓮の、立正安国論も、「利他」そのものであり、それは日蓮の優劣の証明行為ではない。
それは、日蓮自らが、そう示しています。
だが、「二乗」の思想が混入されると、「立正安国論」は、宗門の優位の証明であると、こういう論となります。

それが、二乗とは、どこまで行っても、二乗。
救いがたい存在だと、お釈迦様、ご苦心のところです。

空海は、「密教」を説いた。それは、「利他」の為であった。
「顕教」としては、「法華経」の真理を認めていた。
けれど、空海の弟子たちは「利他」のための密教である事を、すりかえて、「自己完結の為の密教」と、
「二乗」は「二乗」なりの、二台の車を用意した。

つまり、密教にいう「即身成仏」とは、空海は「利他」そのものとして説き、密教系宗教組織は「自己完結」としての、即身成仏を説いて、「他」の成仏ではなく「自己の成仏」の道と、車二代にした。
「即身成仏」とは方便であり、「他者をその身のままに成仏させる」という、「利他」が本質である。

空海の「利他」は宗門と密教系の教団にては「自分の成仏」の車と説かれた。
そのために法華経を「言葉遊び」と定義したと、空海の論を解説した。
「真言亡国」とは、その二乗の暴論を批判してのものである。
684基本。:2010/06/23(水) 15:26:59 ID:kTUBJbnV
「他者をその身のままに成仏させる」
それが、妙法蓮華教の本質。

空海はそれを「大日如来」と「密教」の「呪」にて、方便にて説いた。
釈迦の経文としては説かないという、方便というものは、それは、衆生を導く手段である。

ここできちんと理解して置かねばならない一点がある。
それは、言葉に対する態度の問題である。
空海は「言葉の人・真言の人」曼荼羅は絵曼荼羅。日蓮は「妙法蓮華教」五文字の人。曼荼羅は文字曼荼羅。
空海は「呪文」を説き、日蓮は「行」を説く。
呪文を説く空海は、曼荼羅では「絵」を、「行」を説く日蓮は、曼荼羅では「文字」を。

つまり、空海には「文字と音」が真言の全てだから、「密教は方便」。
つまり、空海には、顕教の言葉が釈迦の教えの本質であるから、それに至る道としての呪による救済が、利他の道であった。
だから、釈迦がみすぼらしいなりをして現れるように、法華経をみすぼらしいと語るのが、当然の方便であると言う事。

日蓮は、その「行」は方便を知るからこそ「行者」と名乗り、「文字と音」「妙法蓮華教」の数珠・宝珠を首に巻くという方便を、示したという事。
つまり、日蓮は空海の理解をしていて、空海の弟子たちに、範をたれたと言う事です。

心得なければならない処は、日蓮は「真言・真呪」の実践者として、山にこもらず世にあって、「行者」の道を選んだ。
それが日蓮の真価と言う事です。

685基本。:2010/06/23(水) 15:31:31 ID:kTUBJbnV
そこで、妙法蓮華教の宝珠を首に巻いて、あなたが「成仏する」。
それが、日蓮の真価の「現証」そのものと言う事です。
首にまかなければ、何のための、妙法蓮華教でしょうか。
686基本。:2010/06/23(水) 15:57:13 ID:kTUBJbnV
法華七喩に、釈迦の方便は示されてある。
釈迦は「親友」に、お前の着物には宝珠が縫い付けてあると諭したか。
そう諭してはいない。
釈迦は「焼け死ぬ寸前の子」に、尊い乗り物を用意したよと諭したか。
そう諭してはいない。

法華経はすばらしいよと諭して、相手がそれが分かるようなら、最初から何の方便もいらないのだ。
相手にそれとわからぬように、法華経の世界に誘う。
それが本来の方便というもの。

肝心なのは、みすぼらしい事であり、私が父親だと名乗らぬ事であり、すばらしい乗り物だと、教えない事にある。
良薬だといえば、毒薬と疑う。危ないといえば、そっちの方がもっと危ないと疑う。
道は遠いといえば、もう止めたという。
そんな人間には「もう見えるよ」「すばらしいよ」と、・・
なんとしても「蓮華」の世界に導くには、仏の七喩は、必需品である。

だが、それでも、なお、賢い人はそれを疑う。
日本一の知者日蓮、天台よりも千分の一の知識しかない日蓮。
いずれが方便であるのか。

日蓮の弟子であるならば、宝珠を首に巻く。
みき姉の弟子であるならば、「神名」を正しく称名する。
当たり前の事こそ、肝心だと思います。
687神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 18:17:30 ID:3v8h8h/c
>>基本さん

「立正安国論」への着眼、法華経の「行者」と「信者」への言及、見事と言うしかありません。
敵ながら、あなたは恐ろしい人です。こんなに勉強したのは久しぶりです・・・。

さて、「真言亡国」について、他愛ないものですが、私の所感を述べさせて下さい。
大聖人は「大日如来」の虚構性について触れたあと、こう述べられています。

「・・・もし無始無終の由を云て・いみじき由を立て申さば必ず大日如来に限らず我等・一切衆生・(一語略)に至るまでみな
 無始無終の色心なり、衆生に於て有始有終と思ふは外道の僻見なり・汝外道に同ず如何と云う可きなり 」(381ページ)

神秘や虚構を以って自説を荘厳する性質が、真言密教にあっては顕著です。
「飛行三鈷」の伝説や明星入体の悟り、「呪術」や「印」などは、舶来的神秘性をイメージします。

「荘厳ゆえに尊い『大日如来』ならば、一切衆生という仏は尊くないのか?それは外道の思想である」

ここには日蓮仏法のリアリズム、あるいは大衆主義の精神が溢れていると思います。
あなたが「空海」と二乗を弁別するのは、そのダイナミックな行動性のゆえでしょうか?
しかし私には、この人こそは二乗そのものに思えてなりません。
彼は宗教家というよりも、学者であり、冒険家である、という印象さえ持ちます。

「真言亡国」の論拠は、その虚構性です。
虚を重んじ、実を軽んじる風潮は、現代社会にも見られないでしょうか?

神話が芝居に、芝居が演劇に、演劇はやがて映画・テレビなどの現代メディアの魔力によって、
空前の存在として、日常世界の向こうを張っています。
さらにインターネットの登場で、もはや「虚構」と「現実」の力量の差は、いよいよ縮まった思いです。
・・・・そしてここに来て、「亡国」の兆しが見え隠れしていないでしょうか?

その一つが「少子化」の問題だと思います。(長くなるので中断しますね)              
688神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 19:33:20 ID:iDft3bgt
向こうに書いてもレスくれなかったし・・何故だろ?
689神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 23:09:15 ID:3v8h8h/c
(↑私が、基本。さんの袖を引っぱっている?独り占めしてすいません。
もうすぐまた消えますから)

(つづけます)
この問題について詳しく言及するのは避けますが、「虚構」の肥大化との関連で一つ述べるなら、
男女の恋愛観が誘導され、極端なプラトニック化、あるいは肉体化の方向へ進んでしまったと思われます。
本来の人間像は、もっと中道的なものであるはずなのに、人々はもっと偏った、研ぎ澄まされたスタイルを追求しています。

このメディアによる単一で広汎な価値観の、また瞬時による共有は、かつてない出来事でしょう。
これは、たった20世紀の後半から始まったことです。

宇宙・森羅万象の法身の仏・大日如来。その真実・秘密の教えに即身成仏の「利他」の義をみる真言宗。
同じく美男美女を荘厳に着飾らせ、光と化粧を纏わせ、この世の真実を庶民に伝えようとする演劇メディア。
虚構の「方便」を用い、利他を実践しようとする姿の相似性。

「自己実現⇔利他」という二乗の本質が、かつてなく膨大なものになった現代社会。
三島は日本を指差して、「のっぺらぼうの、ニュートラルな、極東の海に浮かぶ経済大国」と、吐き捨てた。
小説・演劇の「虚」を脱ぎ捨て、行動の果てに求めた「実」の救い。

・・・・あなたの言葉に触れながら、「真言亡国」の四文字の先見性、その因果律の不思議を思いました。
末代幼稚の首にかけられた「妙法蓮華経」の五字、決して離したくない思いです。
あなたのおかげでまた、それは重みを増したようです。・・・・・・
690神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 23:54:12 ID:DHhA4/h6
全国の大教会から毎月、本部へお供えが上がってくるけどお供え額が一番大きいのってどこの大教会?
単純に数で言ったら東本だけど数=金持ち大教会ってわけでもないし東本は財政がキツイみたいだし
やはり麹町か?麹町って愛町筆頭に愛実町とか各教会が力あるみたいだし
教会数はなくても信者多いからお供えもハンパないのかな?
691神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 03:53:16 ID:IipIaOBZ
あるサイトの携帯小説を読んだのですが、天理教はどんなに好き勝手しようと旦那をたてないとだめな教えなのですか?旦那を崇拝しないと幸せになれないのですか?
692神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 04:39:44 ID:IipIaOBZ
あと、負のDNAの関係で家庭がうまくいかなくなったり病気になったりするの?講演会にでて先生に道筋をつけてもらいその通りにしなかったりしたら、もっと悪い人生、罰があたるの?
693基本。:2010/06/24(木) 06:28:37 ID:GfP3UDDf
>>689
泥の深さは蓮の花の大きさ。お嘆きの世相は、そこに咲く陽気世界を示してもいるという事と思案します。
「幼稚」とは、幼なき稚児の如くであると理解されます。
さて、法真の釈迦は、久遠の釈迦は何時の時代にあり手も真理を諭し続けてこられました。

もっと根本的な問題。
それは、「正法」を説いていても何ゆえに「末法」を迎える事になるかという、根本の問題です。
元初めの釈迦が、法を説かれていて、釈迦が生涯でそれを説いて、それで、説きつづけているのなら、
「正法」→「正法の中の正法」→「更に高度な正法」と、教えはより高度になるはずです。
ところが、現実には、法身の釈迦ではなく生身の釈迦の説いた、「法華経」が、「末法の正法」であるという、
この事態を、得度される事です。
694基本。:2010/06/24(木) 06:46:22 ID:GfP3UDDf
それは、人間は成長しているという事、そのものです。
「元初めの釈迦」「法身の釈迦」「久遠の釈迦」が何を諭していようと、成長する人間社会では、それは精神としては「幼稚」。
まだ幼いのだから、人間には、人間であった時の釈迦の教えが、丁度良い。
だから、人間は成長しているという当たり前の現実の中では、何を教育しても、そんな「真理」では、人の心の泥海は救済できないという事になります。

幼稚園で、誰も悪事を教えているわけではない。学校で悪因縁をなせと語ってもいない。
けれど人間には、因果がある。
良い事しか習っていなくても、人は、悪事をなす。
「正法」を説いて、分かるものでも、それは幼稚だから、分かるのであり、それが成長すれば、悪事に行く事もある。

「幼稚な者」が「愚かな悪事」に走るのは、それは人間の成長の証明であり本質でもある。
そういう意味で、中山みきは、「人間は愚か」という基本を、説いていると言う事です。

泥の中に咲く蓮華。

その蓮華の上に座した時、人は、未だ幼稚。

その蓮華の上で暮らす内に、成長し「愚かな罪」も行う。
そして、より大きな蓮華の花でないと救済されない。

それは、「泥」に咲く花の教え、仏教ではなく、「泥」そのものを「陸」に変えるという、
中山みきの思想の、説かれるべき必然を意味していると言う事です。

幼稚が末代の幼稚には、連減の花は大切です。

泥を陸に変える。そういう思案が、中山みきの思案。私のおやさまです。
695基本。:2010/06/24(木) 06:58:45 ID:GfP3UDDf
「真言亡国」の事について問われたとき、日蓮は、「後鳥羽上皇」の例を引いています。
真言の呪詛により、時の政権を転覆させようとした例を引いています。
「呪詛したが死ななかった」「現証として真言は無力だった」。
幼稚な弟子たちは、日蓮の語る「現証」についての言葉で、わかったと、思いました。
何が分かったのか。
それは、「呪詛が効かなかった」→「真言亡国だ」。
幼稚な理解です。

そうじゃなく、人を呪うための「真言呪文」なのでしょうか。
日蓮は言葉を選んでいます。
高貴な魂の後鳥羽上皇でさえも、真言にて呪詛しても、かなわなかったと。
人の不幸を祈るのは、高貴な魂でもなんでもない、言うなら悪魔です。

「権力抗争の相手を祈り殺してくれ」と、もしそうした依頼を受けたら、日蓮ならどうでしょう。
きっぱりと、拒否する事でしょう。

そういう手法だったら、日蓮に背く者を全員祈り殺さないと「現証」になりません。

まるで違う話です。
696基本。:2010/06/24(木) 07:08:23 ID:GfP3UDDf
>>691
> 旦那を崇拝しないと幸せになれないのですか?
これもまるで違う話です。

尊敬出来ないような男を、自分にとっての泥に咲く花だと、それに乗っかるから、ひどい目に合う。
自分が尊敬できるような男を、旦那にしたら良いという、教訓に他なりません。
697基本。:2010/06/24(木) 07:19:13 ID:GfP3UDDf
>>692
> 負のDNAの関係で家庭がうまくいかなくなったり病気になったりするの?
あまりまともに聞いてはいけないお誘いのようですね。
> 講演会にでて先生に道筋をつけてもらいその通りにしなかったりしたら、もっと悪い人生、罰があたるの?
そんな講演会に出ない事です。
天理の教えではなく、天理教団の教えですね。

・・
人の因果をDNAに置き換えます。そういう宗教テクは信じない事です。
講演会では、道筋は示せるものではありません。
おやさまは「胸から胸」と教えられていて、対話を通して、道筋は理解されるべきものです。

> 尊敬出来ないような男を、自分にとっての泥に咲く花だと、それに乗っかる
これは、結婚というものを不幸からの脱却の手段に用いてはならないと言う事です。
環境を変えるのは、結婚ではない。
自分の足元の「泥」を整備してから、自分が尊敬できる人と結婚するという順番です。
698基本。:2010/06/24(木) 07:23:54 ID:GfP3UDDf
ようするに、男に捨てられた、悔しいから結婚しようとか、貧乏嫌だからお金ある人捕まえようとか、
友達に自慢できる男だからとか、あいつにとられるくらいなら私が結婚してやるとか、
そういう泥の中からの脱出の方法で、結婚すれば、もう一度自分の泥海と対峙することになると言う事です。
699基本。:2010/06/24(木) 07:37:04 ID:GfP3UDDf
もう少し、書きます。
自分が、利用するつもりで結婚する。
そうすると、それに引っかかった相手の事は、絶対に「心の中で馬鹿に」してしまう。
だって、引っ掛けたのであり、引っかかったのです。
すると、「崇拝なんて」・・とても出来ない。
出来ないけれど、引っ掛けた以上は、元手かかってますから、うまく操らねばならないと、ま、サービスも適当に・・。
それなのに、引っかかった男は、そんなサービスでも喜んでくれる時代もあって、
そのうちに、馬鹿馬鹿しくなる。
「もういいんじゃないの」と、思い始めると、相手の男も本性を出す。

そう言う事を、因果律といいますが、それは仏教の教えです。
重ねすぎると、その人の宿命になります。
700神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 09:32:19 ID:IipIaOBZ
そうやって説明してくれればいいけど、その小説にはそんなこと書いてなかったですよ。何回か講演会にいくと天理教だと言うことを知り、講演会いかなくなると不思議なことに悪いことが起こる。そのうち小説を書いてる人に脅迫まがいなこと言われ…
701神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 09:35:13 ID:IipIaOBZ
その不思議な力がある先生を教祖かのように…先生と作家さんは宗教じゃないとまで言ってる。なんなん?よくわからないですね、天理教って。天理教と教団はどう違うのですか?
702基本。:2010/06/24(木) 09:55:09 ID:GfP3UDDf
天理教というのは、教祖中山みきが立教した、教えです。
天理教団というのは、その教祖の教えを人に広めるという目的で設立された教会団体の組織です。
教団組織というのは、どんな団体組織でも同じ事ですが、組織の維持のために経費が必要になる。
そこで、集金の方法を用いるようになります。
それが講演会であったり、です。
一般的には会員に登録させて機関誌を購読させたり、幸福のアイテムを販売したりなどする場合が多いのですが、天理教団の場合には、ストレートに、誠を出しなさい、誠とはお金ですと、説く事が多い。
それは、天理教会そのものとしては、アイテム販売は教祖の教えにないのでできないからです。

集金に利用される教理は「二の切り」を出しなさいといいます。
二の切りというのは、「命の次に大切なもの」という意味で「二」、その「二を切り捨てる」事で不幸から救われるという教理です。
因果律の法則でいえば、天理教でなくても、金を捨てると言う事は、救われる場合が多い。
それは「金銭」は人間の欲の対象であり、執着の具体例だからです。
そこで、特に天理教だから助かったわけではなく、金(悪因縁のついた金銭)を捨てれば、たすかるのですが、それは、「天理教の神だからたすかった」などと、でたらめを言い出して、集金の道具に利用しようとするわけです。

天理教祖の教えた理を悪用しているのは、天理教団がその典型的なものですが、他宗教にも同様の手口があります。
703基本。:2010/06/24(木) 10:03:57 ID:GfP3UDDf
天理教というのは、自分は損をする教えですから、天理教を信心していたら本当は、どんどん貧乏し、人には誤解されて、「人は幸せ」、それでよいという教えです。
ところが、天理教団は、立派な建物立てて、学校作って、それで人を導いているのかと思うと、こんなにすばらしい教えだから、と形作りが教団の役割だと誤解している。
現実には「貧乏神」とか「きちがい婆さんの教え」とか言われたくないので、「天理王命」という、最も大切な神名さえも、「てんりんおう」と言う仏教系の神様借用して、形作りしていたのが天理教団です。
最近は、キリスト教の真似して「一神教」だとか名乗ったりしていますが、それは、天理教祖の教えにはないのです。

それで、信者獲得が収入源だと思っているから、人集めや人だましに夢中になる「教団高山」という、管理層がいたりします。
引っかからない事です。
704基本。:2010/06/24(木) 10:11:50 ID:GfP3UDDf
私の父親の、修養科(天理教の短期間の学校)の先生は、肺病の病人さんのところにお助けに言って、
「私は一度も肺病の人の痰というものを見た事がないから、これに見せて欲しい」と、コップに痰を吐いてもらったそうです。
そして、その痰を、飲んでしまった。・・

「お前にそれが出来るか?」「それが天理教なんだ」。

とんでもない話です。
こんな危険な宗教は、人にはお勧めできませんが、たすかることの道筋なら、幾らかでも教えて差し上げるように、努力しています。
705基本。:2010/06/24(木) 10:22:42 ID:GfP3UDDf
人を助けるという教理においては、天理教の教えは万筋に及んでいます。
何年か前、高島易団の本部に所要で出向いたら、そこの先生が、私に言うのです。
「あなたの肌の白いのはなぜか分かりますか」「それはご病気です。」
さすがに観察眼の鋭い方です。
「はい」(実はマイケルとおんなじで肌が真っ白くなる・・本当に白いんです・笑)
「その病の原因、分かりますか」。

「教えてください。」
「それは、金銭縁談・・」

おいおい、それ天理教祖の教えでしょう。  笑。

誰が諭しても人が助かるから、理。
有効なものはどんどん取り入れて宗教団体は、変貌し続ける。

それに、助けていただく場合には、深みにはまらないことです。
706基本。:2010/06/24(木) 10:45:30 ID:GfP3UDDf
例えば、水子の供養というものがあります。
天理教にはありません。そういう供養というものは教えられていないと言う子とです。
ではなんと教えられているのか。
それは、すぐに妊娠しなさい、ま、分かりやすく言うとそういう教えです。

水子というのは「流産」、「中絶というのは人工流産」。
それは、急いで妊娠して、この世に生み出してやる事が、何よりの供養です。
人間は、生まれ変わり出変わりしているのだから、おろしてしまったという事は、それを悔いるのなら、すぐに妊娠が一番なのです。

ところが、「供養」というと聞こえは良いが、自分の精神までお墓に入れてしまう事もあります。
もう一度妊娠となれば、相手とする事しなきゃ出来ないのだから、精神を生き返らせないと、「おろしました・終わりです」になる。

ここに、奇麗事の水子供養では救えない場面が生まれる。
どろどろと揉めても、もとの男と女としてやり直すと言う事。それが一番大切という場面があるわけです。

教団というのは、奇麗事言ってるからそんな力は出せない。
しかし、みき母は、そんな奇麗事は言われない。
もっと、根源から、たすけて下さる。
天理教とは、みき母の教えです。
707基本。:2010/06/24(木) 10:59:36 ID:GfP3UDDf
だが、供養させてしまえばお金になる。
「妊娠中の心遣いをさんげして、そんないい加減な男と縁が出来たのは悪因縁だから、分かれなさい」
それよりも、心を入れ替えて「神の教えを聞きなさい」と、
これが教団の嘘も方便の教団教理です。
みんなやってます。

「妊娠したというのは」=「良い縁」。これが天理です。
「流産した」と言うのは、「流産、半産」は、途中の出来事です。
良い縁そのものまでもぶち壊して、身も心も疲れた女に神の慈悲を説く。
悪徳宗教業者のやり口です。

教祖の教えの本質そのものを学ぶ事で、それで、おやさまが恋しいのなら、天理教を、ほどとほどにする事です。
ただし、自分は正しいという結論には、おやさまは導いてくれません。
自分は正しく、清らかにとと、それが望みなら、仏教、キリスト教、教祖・開祖の教えを聞くべしです。
救われるでしょう。
救われなくても、みき母様が恋しいなら、それも自由です。
708神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 11:15:36 ID:IipIaOBZ
よくわかりませんが、結局その先生はなんなんですか?講演会にでて先生についていけば命まで助けてもらったり。先生のパワーで病気がなおったり。心遣い?なに?お金はいっさいかからず無料で相談におうじたり生きている両親を思い朝夕みずやり?
709基本。:2010/06/24(木) 11:24:01 ID:GfP3UDDf
700 名前:神も仏も名無しさん :2010/06/24(木) 09:32:19 ID:IipIaOBZ
そうやって説明してくれればいいけど、その小説にはそんなこと書いてなかったですよ。何回か講演会にいくと天理教だと言うことを知り、講演会いかなくなると不思議なことに悪いことが起こる。
そのうち小説を書いてる人に脅迫まがいなこと言われ…
701 名前:神も仏も名無しさん :2010/06/24(木) 09:35:13 ID:IipIaOBZ
その不思議な力がある先生を教祖かのように…先生と作家さんは宗教じゃないとまで言ってる。なんなん?よくわからないですね、天理教って。天理教と教団はどう違うのですか?

それを暗示効果といいます。
「不思議な力のある先生」の不思議な力というものを、あなたは直接見聞していない。でも皆が受け入れている場所にいるから、受け入れてしまう。
「私を信じればたすかるよ」「この先生の言う事聞けばたすかる」
「聞かないと・・不幸になる」
と、その周囲の反応に、ご自分も共鳴してしまうと、暗示のかかりやすい状態です。

また、宗教家業かはみんな知っていますが、「悩みがあるからこの会場に来た」はずだという、商売上の常識です。
顔つきと、言葉に対するリアクションで、何が悩み出来ているかなどは直ぐ察しが着く。
それから、暗示をかけていくわけです。
それにひっかかると、いつの間にか言葉を信じているわけですから、講演会に行かなかったから不幸になったと、精神が反応してしまう。

これは、要注意です。

暗示にかかると言う事は、共鳴する、同感する自分がいるからです。
その自分の精神の内側に、正しく物事を見つめていない自分を発見しないと、自分の感情を代弁してくれるかに響く、宗教家業のプロたちに洗脳されます。

行かないのが一番です。
710神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 11:33:27 ID:IipIaOBZ
なるほど。そう言われたらその通りです!わかりました。いまだ小説の信者は増え続けていますが…
711基本。:2010/06/24(木) 11:51:41 ID:GfP3UDDf
困ったものですね。
本当に不思議な力があったら、小説を読ませているだけで良いわけです。
それで、不思議がおきなきゃいけないと言う事です。
ようするに、不思議な力と煽って、講演会に呼ぶための餌まきと云う事ですね。

天理教、教団組織としたら、放置は危険だと判断するでしょう。
昔は、お金さえ集まれば、評価していた。
それはもう、最悪の結果ばかり生んでいますから、・・・そろそろ反省できたでしょうから。

「天理王命」を名乗らないで、人を集める手法は「悪」である。
教団がその程度の良心をもつべきです。
712基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 00:25:39 ID:tbU/A/5C
自然治癒力と、言われるものがあります。
> 先生についていけば命まで助けてもらったり。 > 先生のパワーで病気がなおったり。
松下幸之助は、病気の殆どは自然に治るとして、「PHP」を開始したりしていますが、 それは、自然治癒力を高めるという思想に基づいています。
そこで、洗脳効果は、人を楽天的に変えたり、安心立命に気持ちを和ませますから、自然治癒率を高める効果は、当然の様についてきます。
例えば「早起き会」は、朝早く起きると言う事だけでも、自然治癒につながります。
又、家庭内の問題を抱えて育った人の精神的ストレスを和らげる効果で、最も効果があるのは、合理的な慰めです。
親と上手く行って無かったけど、親のいない場所で、お父さんお母さん有難うと、お水を上げてお礼を言うと、本人には、合理的慰め。
ストレスを軽減する。
 全て「方便」で、対症療法ですから、効果は一時的であり、本当は解決していない問題がしっかり残っていますから、「リバウンド」が必ず来ます。
 そこで、そうした「宗教組織」、「宗教ではない・宗教応用」組織は、「共鳴」を利用し、組織化でリバウンド防止対策とします。
「あなただけでは無いんです」「同じ悩みを皆抱えていて、」「ほら○○さんは私の言う事聞いて、ちゃんとたすかった」。
こういう手法で、依頼心と依存心を植えつけて、グループ効果で縛るわけです。
こんな遣り方、自然治癒力を高めた最初は、効果があるのですが、その後の教育・洗脳の不自然は、より大きな不調和を生む原因。

夫婦の問題で悩んでいる奥さんに、「夫の尽くしなさい、真心で」は、洗脳のイントロですが、 「同じ悩みを持つ者が、助け合いましょう。」「 それには、あなたが助かったように、他者を幸せにすることです。」
ここからが組織の、狙いの本番で、夫への真心は、会員募集の数字にて判断されるという事になります。
こういうことは、皆天理教団が関係の宣教師達が開発、実行して、新興宗教などが技を磨き発展させました。

助かりません。

天理教祖は、一度助かって二度と再発しない。これが病の助かりと説いています。
現実には、たすかっていないから何度も同じ病状が現れてしまうのは、自然治癒率向上という、宗教の詐術に騙されたに過ぎないからです。
713神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 00:57:17 ID:YKA462cm
>>基本。さん

宗教と組織のあり方について、あなたと議論した時がはや懐かしく思われます。
予定外の長逗留になりました。あなたと話してると、時間を忘れます。
本当に勉強になりました。心からお礼を言わせて下さい。
最後に、「白米一俵御書」から次の一文を、あなたに送らせて下さい。

 南無と申すは天竺の言葉にて候、漢土・日本には帰命と申す帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり、
我が身には分に随いて妻子・眷属・所領・金銀等をもてる人人もあり・又財なき人人もあり、財あるも財なきも
命と申す財にすぎて候財は候はず、されば・いにしへの聖人・賢人と申すは命を仏にまいらせて・仏にはなり候なり

御書には、
あたかも乳呑児が乳を飲むように、無学・無教養の凡夫が題目を唱えるならば、
自然と妙法の恩恵に浴する、という意味の言葉があります。
かと思いきや、「行学絶えなば仏法はあるべからず」という言葉もあります。
また、「命限りあり、惜しむべからず」という言葉もあれば、
「ただ女房と酒うち呑みて、南無妙法蓮華経とうち唱え居させ給へ」という言葉もあります。

これは柔軟性です。かつ「信」の一字の強靭なバネが組み合わさって、「因果」の肉体は、初めて滑らかに動き出すのでしょう。
「因果律を説かずに因果律そのものを好転させる」という、あなたの言葉が偲ばれます。

「人のために明かりを灯せば・我が前明らかなるがごとし」ですね?

もしこの世に、あなたと私しか善人でなくなっても、世界全体が闇に包まれても、と想像しました。
「死」が、その時、我々を明るく包むでしょうね。
死は、あたたかいものです。死は、眠りです。死は、愛しい母であり、父です。

宗教を、信仰を持たない人たちは、この「死」に対して、どうやって死のうとするのでしょう。

714基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 01:19:41 ID:tbU/A/5C
> そして、その痰を、飲んでしまった。・・
> 「お前にそれが出来るか?」「それが天理教なんだ」。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B2%BB%E7%99%92%E5%8A%9B
もともと人体は、自己治癒に必要なさまざまな物質を体内で分泌している。
医薬品として認知されている人工物質と類似の物質が、最近になって、もともと体内で自然に分泌されていることが発見されたこともある。
例えば、狭心症の薬として有名なニトログリセリンは人工物だが、
最近、人間の血管の内側からそれに似た構造の物質、体内ニトロとでも言うべき一酸化窒素が分泌されており、強力に血管を拡げる作用を担っていることがわかってきた。
また、もともと「キツネノテブクロ」というイギリスの民間療法で使われていた薬草を、ウィザーリングという人がむくみのひどい心不全患者に使ったのが、
現在、心不全の治療薬として知られる「ジギタリス」の最初の使用記録なのであり、やがてジギタリスには心臓の働きを強くする効果があることがわかったのであるが、
最近になって、このジギタリスと同じ作用をするE-DLSという物質が、人間の体内で分泌されていることが発見された。

中川美典は、治癒力を動かすコツがあり、病気を治すために本人が絶対にしなければならないことがある、と述べている。それは十分な休養をとるということである。
ただし、「休養」と言っても、ただ休息するだけでなく、病気の回復とともに、適度に肉体を動かし、血行を促進し、酸素や栄養素を全身の細胞に送ってやる必要があるという。
また、不足している栄養素は補い(例えば、3大栄養素、カルシウム、鉄分、ミネラル、ビタミンなどのうち、本人がその時不足しているものを補う)、反対に取りすぎている成分は控えるようにすると述べている。

「どのようにすぐれた新薬に対しても、すべての望みをかけてはならない。
病気の勢いを止めるのは、基本的には休養に支えられた自然治癒力だけなのだ」とは、リウマチ研究の権威、小田禎一の言葉だという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教祖は、「医者の手余りたすけるが道の台」と、諭された。
自然治癒。と神のたすけ。明快に相違する。
715基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 01:35:02 ID:tbU/A/5C
>>713
> この「死」に対して、どうやって死のうとするのでしょう。
天理教祖は、明快です。
「死とは古着を脱ぎ捨てたようなもの」です。
おニューの肉体で、生まれかわってくる。
だから、死にたくなったら、神にお願いして、脱ぎ捨てます。
そして、神がまだこの着物似合ってて、と言ったら、もう少しは生きて、その着物の人生をします。

今は、生きている最中だから、予選突破のためには今生は勝ち点いくつ必要かなんて、そんな策よりも、今を生きる。
みき姉のために、生きる。
それが毎日です。

死ぬときは、いつの間にか自然死したら、静かでいいなと、思っています。
716基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 03:31:00 ID:tbU/A/5C
>>713
> 死は、あたたかいものです。死は、眠りです。死は、愛しい母であり、父です。
> 宗教を、信仰を持たない人たちは、この「死」に対して、どうやって死のうとするのでしょう。
さて、日蓮様は、「死に付いて」、こう語られています。
http://homepage3.nifty.com/y-maki/yougo/4/451b.html

『 (六道輪廻)・・・・日蓮大聖人が『当体義抄』に、
 「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、
煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道、法身・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて、
三観(さんがん)・三諦(さんたい)即一心に顕はれ、
其の人の所住の処は常(じょう)寂(じゃっ)光(こう)土(ど)なり」(御書 694頁)
と仰せのように、末法の衆生は、寿量文底下種の御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えることにより煩悩を菩提と開き、
六道に輪廻するこなく、
九界即仏界して直ちに妙法の功徳を実証できるのです。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日蓮によって、妙法蓮華経を首に巻くことの出来た人は、「六道輪廻」から脱却した人となる。
つまり、普通の人間は「六道輪廻」から、逃れられないが、「日月の明るさと蓮華の清らかさ」によって、悪因縁が切れる。
来世は「仏」として人生を過ごせるのです。

そして、それは「利他一乗」の人生の開始。
それは、「法難につぐ法難」の開始。
つまり、師日蓮の弟子としての人生が、開始される。
ある意味では、六道輪廻よりもはるかに厳しい道です。

あたかも、正法を語ると決めたばかりの日蓮の如く、覚悟の道がまっている。
楽しみですね。
仏になるとは、祀られる事ではない。「利他一乗」に新たな人生を過ごすということです。
717基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 04:10:51 ID:tbU/A/5C
さて、誤解してはいけないので、語っておきたい事があります。
日本では仏法僧を、三宝として敬えという教えがあった。そこで、僧侶とは敬われる存在であったという事です。

自分が労働して生活しているのではないと言う事。
それから、同じような発言を時の政府に行った場合、僧でなかったら、即死刑。
つまり、日蓮は、宗教高山のお一人であって、宗教上の問答を仕掛けたので、
谷底の者では出来ない布教方法であったという事です。

それだけに抵抗も強かったという事になりますが、「仏法僧」が無条件に敬われない「真の末法」。
現代社会においての妙法蓮華経の布教は、まるで違うものであろうと見るのが、基本です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E6%B3%95
妙法(みょうほう、Skt:Saddharma)とは、仏教において第一の最勝で不可思議なる法をいう。
原語はサンスクリットで「法(dharma)」に「正しい・真の・善(sat)」を被せたもので、用語としては原始経典の『法句経』などでもすでに見られる。
多くの場合はこれを「正法」と訳し、竺法護も『法華経』の原題を『正法華経』と名づけた。
しかし鳩摩羅什はこれを『妙法蓮華経』と訳し直した。したがって『法華経』の正式名称が『妙法蓮華経』であることから、一般的に『法華経』を指して「妙法」という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「妙法」よりも「正法」を説いていた。鎌倉から昭和までの日蓮系。
優劣を説いていれば「正法」は、「蓮華経」と、文証、理証のみでもやすやす布教できた。
それには「僧侶」としての権威もサポートした。
しかし、「妙法」を説き、理証・文証・現証を示さないと、「不思議」が「妙法」の証明。

真の「仏性」が問われる、妙法の妙法であるために、今以上に研鑽あること期待します。

718基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 06:05:06 ID:tbU/A/5C
「妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すはよみがえる義なり」と法華経に書いてあります。
キリスト教的に言えば「復活」、天理教では「生きながらの生まれかわり」の意味が「蘇生」。
「妙法」を説くということは「蘇生を説く」と言う事になります。

日蓮大聖人は『草木成仏口決』に於いて、
『妙法とは有情の成仏なり。蓮華とは非情の成仏なり。
有情は生の成仏、非情は死の成仏、生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり。
其の故は我等衆生死する時、塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり』
と、示されています。
つまり、死んで仏になるというのは、「死の成仏にして草木成仏なり」です。
しかし、生きて仏になるというのは、「有情は生の成仏」で、これが妙法です。

死んで仏になるという無情の成仏だけなら、「妙法」ではない。
生きて仏になるというのが有情の成仏。「妙法」です。

そこで、六道輪廻の悪因縁を「妙法蓮華経」で切り捨てて、人生そのものを「利他一乗」に生まれかわれる。
首にしっかりと巻きつけるということは、「命をかける」という姿。
法難の中に、慈悲の心のみで利他に「不思議」を祈る。
それが、妙法の理証・文証・現証。
基本的には、そう理解されます。
719神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 15:00:52 ID:Rk4DquNH
天理教には「異端の定義」みたいなものはありますか?
720sue:2010/06/25(金) 17:18:15 ID:QXulcRFT
天理教の信者には、利他一乗は遥か彼方、家業と神様の御用の二乗、それでも神様の御用を優先して頑張られている方がほとんど、多くの信者の通り安いように考えられたやりかたが悪いとは思いませんが。
721基本。:2010/06/25(金) 18:05:45 ID:tbU/A/5C
>>719
天理教と異端の問題は、以前に3625も数理にて語った事があります。
天理教辞典がそうであるように「異説」と言う言葉が用いられています。
異端というものは、それが宗教組織化されたり思想運動化されたりした時に、「天理教系異端」と世間的、学問的にはみなされるようです。
天理教教団教理では、三つの異説を史実の中では異端として位置づけています。
「針が別所本地説」「水屋敷相克説」「茨木基敬天啓説」
これは、「地場は垂迹で、本地は針が別所にある」という説。「火の元庄屋敷よりも水屋敷がこれに克つ」と言う説、「本席以外の人にもに親神の天啓はある」と言う説です。
全て「天理王命」に対して、「中山みき・地場以外の天理王命」を唱えている場合で、
基本的には「神名に対する異説」を異端とみなします。

そこで、天理教団では現実には天理教団の大教会長・本部員という指導者は、「神名」をきちんと説いた事がないので、ほとんど全員が異端です。
722神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 18:09:00 ID:qP/v1Iaf
近所迷惑さえ省みないゴミがくだらねえ御託をいくら並べても説得力ねえんだよ
朝からうるせえんだよ
死ねよゴミ宗教
723基本。:2010/06/25(金) 18:14:36 ID:tbU/A/5C
>>720
仰せのとおりです。
> 天理教の信者には、利他一乗は遥か彼方
今さえ良ければよい、自分さえ助かればよいという、二乗どころか亡者そのものというのが、基本を含めて、中山みき信奉者のほとんどです。
それで、書いておきましたが、とうてい蓮の上には住めない基本です。

> 多くの信者の通り安いように考えられたやりかたが悪いとは思いませんが。
良いも悪いもない。
通りやすくないと、通れないから、通りやすくしてくれてある。
お優しいみき母は、苦労は自分がして、子供には「陽気遊びしててね」。
だから、みき母様最高!
それが基本です。
724基本。:2010/06/25(金) 18:25:47 ID:tbU/A/5C
> それでも神様の御用を優先して頑張られている方がほとんど
これは、誤解です。
教団組織の御用を優先して、教団組織のために教団内部での自分の地位や立場の上でがんばっているだけの事です。
がんばっているとしても、ね。

天理教の責任者は、みき母本人です。
責任者は苦労して当たり前です。
教団指導者の誤った指導とも知らずに、入信してしまったみき母の子達を、みき母以外の誰が、連れて通ってくれますか。
助かりたいだけで入信したのですよ。
それでも、「可愛い」「鈍な者ほどなお可愛い」。
「世の中の廃れ者、厄介者からたすけるが道の大」。
廃れ者の集団ですから、教団指導者層は、「理」は教祖の受け売りで、つまり倣っただけは「取次ぎ」できますが、後は「理」だけが頼り。
それで、みき母は、お忙しいわけです。
725神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 18:31:46 ID:qP/v1Iaf
なんでもいいから朝の6時から拍子木打ち鳴らすのやめろ
一般常識さえ判断できないキチガイ集団が
死ね
726基本。:2010/06/25(金) 18:45:32 ID:tbU/A/5C
> 法難の中に、慈悲の心のみで利他に「不思議」を祈る。
それは、病者に対しては、病助けと、天理教では呼ぶところの「不思議」です。

『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、
鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり、
さいはひは愛染の如く福は毘沙門の如くなるべし、
いかなる処にて遊びたはふるとも・つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし、
十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかかるべきなり、
但し御信心によるべし、
つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、
法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし、
日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、
仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし(経王殿ご返事』

つまり、やまい助け一つ見ても、「利他一乗」のお方が「南無妙法蓮華教」と唱えたら、
「いかなる病さはりをなすべきや」。やまいの障りは消し飛んでしまう。
最高哲学を究めて法力を行使するのが、法華の行者の皆様です。
一方天理教は、先ず本人にはそんな素質はない。努力も出来ない。「悪しきを払ってくれ」「助けてくれ」というのも、ほんの五分唱える程度で、祈る時間すらかけない。
それでも、みき母は、「ひとこと」で助けてくださる。
「愚かな低次元の私でも」やまい助け程度の事はできると言うのは、みき母の慈愛です。
727基本。:2010/06/25(金) 18:47:59 ID:tbU/A/5C
>>725
ご同情します。公的な騒音防止などの件で、役所に実際のホーンを調べてもらう事です。
建物外に一定以上の音量がでていたら、それは「騒音防止条例」などて止められます。
728基本。:2010/06/25(金) 18:56:13 ID:tbU/A/5C
天理教祖は、「夜昼どんちゃんちとめする」と教えています。
朝つとめというものを制度化したのは、天理教団です。
「朝おき、正直、働き」と、教祖が本席に教えたので、あやかりたくて、朝早くおきて、人の迷惑している。
ともかく、要領よくやりたいという、「朝おき」の教えと、「お勤め」を同時に済まそうという、いんちきな合理主義です。

宗教常識として、「勤行」というのは個人の行為であるべきなのに、みんな連れ立って、朝起して回っても朝勤めを集団でやる。
だからうるさいのです。
それぞれ一人づづ各部屋でしなさいと、命じたら、ま、三日たてばほとんどの人がしなくなるでしょう。
公的機関に相談して、先ず騒音の数値測定をしてもらう事です。
公害担当の部署などでは、当然無料で調査してくれます。
729神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 18:58:53 ID:qP/v1Iaf
なるほど
そういう身勝手な道理で行われているキチガイ儀式だったのか
怒鳴り込んでもやめないわけだ
730基本。:2010/06/25(金) 19:03:57 ID:tbU/A/5C
おやさまは、みなで連れ立って来ると、話もしなかったと、あります。
731基本。:2010/06/25(金) 19:14:01 ID:tbU/A/5C
>>729
ともかく、毎朝お勤めしたら助かるとか、それは教祖の教えにない事をでっち上げるのがうまい。
教会の中に住んでいる人は、それに出ないと追い出されますから、それには参加して・・。
非行少年などが保護観察で天理教会に預けられた場合には、このお勤めだけには、絶対参加という条件が付きます。
そういう事は、おやさまは大嫌い。
洗脳の手段だと思っているお馬鹿な指導者は、ついこの間まで、おやさまが「天理王命」とも知らなかったのです。

天理教会に入ると、神殿には「親神」と「教祖」別々に祀ってあるのは、「教祖は人間、親神とは別」と説いていた証拠そのものです。
そんな、誰を信仰しているかすら分からない教会長です。
誰に勤めているのかも知らない。
きちんと法的に叱りつけてあげてください。
おやさまが喜びます。
732神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 19:20:41 ID:qP/v1Iaf
怒鳴り込んでから1ヶ月くらい静かになったんだが
また最近はじめやがった
神だか仏だかしらねえけど選民意識で他人を舐めくさっとるんだな
733基本。:2010/06/25(金) 19:23:32 ID:tbU/A/5C
まさに、仰せの通りです。
734基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 21:19:08 ID:tbU/A/5C
教祖は月々つとめ違う事なしと教えられていて、「宗教組織」としての勤めは「月一日」が基本です。
天理教団を形成した大教会設立者(初代)たちは、その勤めを各大教会でもしたいと願い出て、「学び」、つまり「練習・学習」として許しを頂きます。
そうして、レッスンという触れ込みで貰ったおつとめして良いという許可を、信者獲得、信者組織維持という目的外使用を開始します。

おつとめの学びなどというものは、大教会長夫婦や役員レベルの指導者層が、地場本部でのおつとめ(本づとめ)に役割を得たときの練習用ですから、練習なんてひっそりやればいいのに、一般信者まで巻き込んで、朝からどんちゃんと、やる。
個人の勤行と宗教の神事と、ごちゃ混ぜで、それでおつとめで助けて貰えるなんて、嘘ばかりです。
朝教会で勤行するのは、個人としてのものですから、大げさは、埃です。
735基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 21:53:00 ID:tbU/A/5C
にち/\にはやくつとめをせきこめよ いかなるなんもみなのがれるで 第10号 19
とのよふなむつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよてみなたすかるで 第10号 20
つとめでもどふゆうつとめするならば かんろふだいのつとめいちゞよ 第10号 21
一寸したるつとめなるとハをもうなよ 三十六人にんがほしいで    第10号 26

これが、おやさまの直接の教えです。
どこにもレッスンで人が助かるなんてありません。
朝勤めで助かるともありません。ね。

日蓮上人の教えなら、朝晩題目を唱えれば、それは、生きながら成仏し妙法蓮華経で助ける事も出来るでしょう。
教義ですから。
中山みきの教えでは、そういう「どこから持ってきたか分からない教を持ち込む」。
それでは、中山みきは、混ぜ物お嫌いなのですから、無理、理がありません。



これさいかたしかにでけた事ならば 月〃つとめちがう事なし   第10号 33
つとめさいちがハんよふになあたなら 天のあたゑもちがう事なし 第10号 34

これは、学びで「幻想の城」見せたりする姑息な布教方法でした。
736基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/25(金) 22:20:16 ID:tbU/A/5C
第10号 19
にち/\にはやくつとめをせきこめよ いかなるなんもみなのがれるで
Nichinichi ni hayaku Tsutome o sekikome yo Ika naru nan mo mina nogareru de
Day by day, hasten to begin the Service. You will escape any danger whatever.
・・・・・・・・・・・・・・・・・
直訳しますと、
毎日毎日「the Service」の開始を「急き込め」ば、どんな難もきっと「escape」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところが、大教会長レベルの大幹部様は、これを、全然違う解説しています。

「甘露台が立って「the Service」が勤められたら、災難は無くなる」と、
こんな解説して、います。
本文と、基本的な訳と、大幹部の訳と、比較してみてください。
そのインチキ加減、もちろん天理教大幹部の訳の事ですが、読み取って頂けたと思います。

災難を逃れる勤めなんてものは、教えにないのです。
陽気に楽しくなる勤めというものは、教えです。

難は、おやさまは、言われています。
「the Service」の開始を「急き込め」ば、どんな難もきっと「escape」です。

「あしきをはろうて たすけたまえ 天理王命」
「あしきをはろうて たすけ急き込む 一列澄まして 甘露台」
難の逃れを、「あしきをはろうて たすけたまえ」を唱える。
そして甘露台を立てて勤めが出来るよう「急き込む」を唱える。

難から逃れる道は、「急き込む道」、それを「我一人」で勤行実行するのが、
もしなさるのなら、日々の勤行の基本です。
737神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 22:45:30 ID:OA2GqlKX
>>732
お隣は天理教分教会キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
738基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/26(土) 02:20:25 ID:gHOeAhrO
第10号 20
とのよふなむつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよてみなたすかるで
Dono yona mutsukashiku naru yamai demo Tsutome ichijo de mina tasukaru de
However serious your illness may be, you will all be saved by the Service done single-heartedly.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一ぢよ・・・
single-heartedly
これを見ますと、「一恕」という文字が意味にあるのではと、思案されます。
故事百選にはこうあります。
http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo07.htm
『まず、孔子は顔淵に向かって、「仁とは克己心を身につけて、秩序によく従うことだよ」(おのれに克ちて、礼に従う、これ仁となす。)と答えました。
自己をおさえて、自然にルールに従うようになれば最高の共同生活ができるのだ、と教えたのでした。
顔淵は重ねて、一生守らなくてははらないのは何かを尋ねたところ、
「それは恕か。おのれの欲せざるところ、人に施すことなかれ」と返事をしたのでした。
「恕」は許すということです。』
・・・・・・・・・・・・・・・

さて、うるさいと思われて、お叱りを受けても、やめない。
「たすけ一ぢょ」の心など無いのです。


739基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/26(土) 03:25:30 ID:gHOeAhrO
宗教家は、自らが助かりたいために人への「恕」・思いやりを持つ事すら出来なくなります。
二乗の問題を語りましたが、「出家」つまり宗教家という存在そのものが「二乗」でもあります。
>>720
> 天理教の信者には、利他一乗は遥か彼方、家業と神様の御用の二乗、
家業第一、それが天理教の教えです。
神様の御用という特殊なお話は、極めて少数の百人にも満たない「道具」のお話です。
普通に暮らすことが、利他一乗であることを、天理教では「里の仙人」であるようにと、教えられています。
740sue:2010/06/26(土) 09:10:19 ID:iV1QJWD7
厳しい(?)修行の後僧侶に成られるのとは違い、天理教の良さは、
谷底の人々が熱心な信仰のもと教会長に成られる、
そこには危うさも伴うのですが、それが時代の流れに乗ったとき
大きなエネルギーに成り天理教を押し上げたと思うのですが、
たすけ一乗で通り切られた先達があればこそと思うのです。
言われる所の、二乗の教会長も居られるでしょうが、
そこには理が吹いてくることになる、神が見ている気をしずめ、
と、仰られている、人様を助けるのやで と仰られていると思うのですが。
ここの所、基本さんを愛読させていただいております。
741基本。:2010/06/26(土) 17:43:13 ID:gHOeAhrO
補足になります。
663 :基本 ◆XE./kJ00CA :2010/06/22(火) 05:34:07 ID:bGksS0KZ
・・・日蓮においての救済は、「理」と「奇跡」の二つを示している。
先ず「理」は、水脈の考察は史実に残る。
http://m-y-star.com/shonan_story/kamakura_history/history_four.shtml
『 1271(文永8年)7月、大干ばつであった。
幕府は忍性に命じて、雨が降るようにと祈祷させた。
日蓮は忍性の祈祷を猛烈に非難した。
祈るより実行せよというのが非難の原因だったようだ。さきにのべた長勝寺の付近に、鎌倉十井のひとつ「銚子の井」がある。
 そこからほど近いところに「日蓮乞水(にちれんこいみず)」(長勝寺前下車、徒歩5分)がある。
石の棚をめぐらした井戸で、干ばつに苦しむ農民のために日蓮が掘り当てたと伝えられる。
日蓮の実践行動の一端であろう。
水脈を考察して井戸を掘ることは、後年の常識である。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、雨乞いの祈祷。「奇跡」。

『 その日蓮もこの月、行合川をさかのぼった左手の田辺ガ池で雨乞い祈祷をやった。
 この池を日蓮の雨乞い池(江ノ電七里ガ浜駅下車、徒歩7分)ともいう。』 ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ 日蓮の御書には、『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、 又道理証文よりも現証にはすぎず』は、『雨乞い』の現証にて語られていました。
http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/go5.html#1456
三三蔵祈雨事   建治元年六月    五十四歳御作   与西山入道
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
祈雨の事を「現証」として語っている。

日蓮の宗教組織は、「現証」を皆説くが、妙法蓮華教は甘雨降らせるときちんと説かれて、現証においての勝利を説いている日蓮のその部分は、まさに触れないでいる。
自信が無い事は説けないと言う意味では正直なものだ。
病気というのは気分の持ち方一つでも軽くなったりもする。
しかし雨は、説法で降るのではなく、経の力そのもので降るのだ。と、日蓮は説いているのだから、それを「現証」する努力は、大切になる。
742基本。:2010/06/26(土) 19:27:12 ID:gHOeAhrO
当スレッドで議論していた問題の一部分から議論を予定して、新たなスレが、立てられていました。
それは、山名さんがたてたものです。
【基本ちゃんの天理教教理解説を監視するスレ】と言います。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1277001717/

467 :山名:2010/06/05(土) 04:31:30 ID:Jlafdukw
山名は、別スレでお別れしましたが基本ちゃんが嘘偽りの無い本当の天理教の基本さんになれるようにと再度語っています。
別スレ天理2でバトルとなった山名初代諸井国三郎のフラフの件で、基本ちゃんは、天輪王命と書いたフラフを踏み絵だと言いました。
教祖が神一条に徹しきれない秀司さんをどうしたか。それは確かに黒の基本なんです。
でもね、基本ちゃん、踏み絵を踏んでも仏教徒の隠れ蓑で地下に潜って信仰を守った隠れキリシタン。それを、非難するのはね、高山の発想なのです。

こんな議論の延長を、したいと言う事で、基本をお招きの様子なので、日蓮の縁ある袋井ですから、投稿に出向きました。
地場の理とおつとめの理の間違いを、天理教団内に構築した「山名系教義のルーツ」語るつもりです。
紹介まで、と、しておきます。
743神も仏も名無しさん:2010/06/26(土) 21:20:33 ID:U7y0p1yG
久しぶりに本部にきた
天理高校卒業、本部勤務2年、修養科、と行き天理に6年近くいた。地元に帰ってきて就職。天理から離れ2年が経つ。仕事が忙しく完全に天理教という世界から離れていたが本部神殿に行き、おつとめをしていたら、懐かしさと不思議な気持ちで胸がいっぱいになった
詰所に帰る途中、ミニスカの若い女の子達の集団と出くわした。ハッピからして修養科生だった
凄くムラムラした
まぁそれだけなんだけど

明日帰ります
744おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/06/27(日) 01:30:11 ID:SNS48st4
>>743
今どきの女子修養科生にはミニスカも解禁になってるの?
745神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 07:04:05 ID:YcewG6Up
>>744
君に襲われるかも知れないのにミニスカートはいけないよね
746神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 08:50:51 ID:ZmrMbLp/
朝づとめ終わって千人風呂近くでタバコ吸ってたら、デカイ声で集団で復唱みたいなのが聞こえてきた。何を復唱してたかまではわからないが、とりあえず威圧された。朝7時位かな?その後、必死な声でよろづよ八首?始めた。
全力よろづよ八首
とりあえず天理教の俺でも威圧されたから一般人がみたら異質な宗教だと恐怖するレベル。9母屋辺りからだから専修科かな
こいつらは天理教の自衛隊だな。宗教戦争が始まったら真っ先に戦場にいけるよ
俺は無理。天理教好きだけど、ついてけない
747神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 11:34:01 ID:2pDXL2Jt
モバゲー小説 我が子等へ読んでください。 小説には天理とは書いてませんが講演会に何回かでた人が天理教だったといってました。それを隠し騙して人を集めてます。
748神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 15:52:24 ID:cgFcmWwY
昨日、帰る時に神殿に参拝行ったら修養科生達が全員でおつとめしてた
200?300人位かな
たぶん卒業だった感じ

女子は若い女の子や可愛い子多くてニヤケてしまった。毎回思うが天理教って他宗と比べて若い子、可愛い子が多いと思うんだが。
749おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/06/28(月) 20:08:19 ID:XECEqACl
>>745
そんな無防備なことではいけないよねw
しっかり防備をしちょきなさい。
750神も仏も名無しさん:2010/06/28(月) 20:33:03 ID:fQr6Vna2
本部や教会、一般講社の「すわりづとめ」は教祖が教えたものなのか?

誰かおしえてください。
751神も仏も名無しさん:2010/06/29(火) 20:05:34 ID:wYlXV1Ol
自分は本来、気が弱くて避けられると悪い方にしか受け取れなくて
752神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 17:43:55 ID:5aNaeaSG
全く無宗教の大学中退の友達3人なんだけど、毎日のように暇で家に遊びくるもんだから、うちの親父が修養科誘ったら、あっさりOK。
でもうすぐ卒業なんだけど色々、3人とも修養科で彼女が出来て、教会の娘らしい。3人は修養科で天理教に触れたのが初だったが友達も彼女も出来て楽しかったようで、このまま天理に住みたいと。続く
753神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 17:59:27 ID:5aNaeaSG
友達3人は彼女も出来たし天理が楽しかったから本部勤務したいらしくうちの親父にお願いしてたが、本部勤務は教会子弟となった一般人は無理だと。
754神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 18:08:45 ID:5aNaeaSG
一人の友達は彼女が大好きらしく彼女と結婚して天理教やってきたい。このまま天理で頑張りたいと。3人の親からも、本人が帰ってきたくないと言うのでお願いしますと頼みこんできた。
755神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 18:10:31 ID:5aNaeaSG
で、うちの教会は今、困ってる。一番困ってるのは友達の俺なんだが。友達が教会の娘と結婚して天理教の人間になったら微妙というか、やりにくい。親父からも、お前から説得させて帰らせろと言われてる。
756神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 18:50:47 ID:6uXVzEny
>ID:5aNaeaSG
ネタであって欲しい話だな

教会の娘と付き合っちゃってんなら結婚してもらうしかないんじゃねーの?
むしろ傷もんにしたんなら結婚しろよとか俺なら思うな
勿論そこの(あーたのとこの)信者になること前提。
「どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから」って知ってるだろ?
757神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 18:55:33 ID:6uXVzEny
>>750
そのように推測できるが根拠は無し
それが教えられる以前は線香が燃え尽きるまでの「なむてんりおうのみこと」+拍子木

>>751
それはそれでいんじゃないの?
なんにでも「おkなのかそーか」でとる性格の奴を想像してみろよ
相手はたまったもんじゃないだろ
悪い方、といっても攻撃的な意味には取らないようにすべきではあるな
相手は怒ってないけど都合が悪いだけ、とか
758神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 20:05:14 ID:5aNaeaSG
>>756
うちの親は修養科は出会いの場にするなと、遊びじゃないと怒ってます。そのうえ一人の彼女は同じ大教会の部内の娘なので、
顔があわせられないと。
うちの大教会長も厳しい人間なので聞いたら怒ると思います。なので結婚とか天理教信仰は自由でも本部勤務とか詰所住み込みは無理だと思います。
759神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 20:15:37 ID:6uXVzEny
>>758
そんなこと言っても仲良くなってしまうもんは仕方ないでしょーが
それが修養科だろうが本部勤務だろうが教区のひのきしんだろうが一緒ですよ
修養科ならダメで天理大学中ならおk、とかいわんでしょ?
どっちだって本分は別に配偶者探しの場所じゃない
けどできてしまうわけでいんねんとしか言いようが無い

本部勤務が無理なら2ヶ月ひのきしん、講習、青年会ひのきしん隊と進んでもらっては?
760神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 20:48:02 ID:5aNaeaSG
たぶん、天理という現実逃避出来る場所や修養科生活が楽だったと。彼女、友達も出来、食事、住む場所は最低限あるので。だから、こいつら考えが甘ちゃんだなと。天理教をいいように使うな、甘い事考えてないで地元に帰ってきて働けよ馬鹿って感じですね
761神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 20:55:47 ID:5aNaeaSG
>>759
修養科中だからまずいと思いますよ。本来、修養科は異性関係、酒、遊び、ギャンブルは禁止なので
それは、どこの大教会でも同じだと。自分の時は夜中、ラーメン食べ行ったり、お好み焼き食べ行ったり、学校で知り合った女の子達とUSJ行ったりと遊びまくってましたが・・人の事は言えないですが、修養科終わったら帰れって感じですね
762神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 22:46:47 ID:6uXVzEny
そんな
修養科生活は楽じゃないだろ
あんな生活が楽しめるなんてよほど天理教にゆかりのある魂な奴なんじゃねの
えんえんと修養ってか修練・教養・ひのきしんじゃん

ってか系統によっては楽なのかな?
そんな楽な場所想像付かん
763おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/06/30(水) 23:06:00 ID:1nkYRYO5
>>762
適当に遊びを取り入れることで、大体の人は楽しく過ごせるもんですよ?
「慢性的な寝不足には閉口したものだが、今となってはそれもいい思い出」という感想を持っている場合が主流です。

>系統によっては楽なのかな?

たしかに、系統というか詰所単位で厳しいところと比較的規制が緩いところの差があるのも確かです。

>>761
あーあ。

このおいらも修養科在学中には、あの「彩華ラーメン」を食べてみたいと何度も思ったよ…
(満腹状態になってしまって詰所の飯が食べられなくなるのは不都合ゆえに立ち寄らなかった)

>本来、修養科は異性関係、酒、遊び、ギャンブルは禁止

このうち飲酒だけは半ば堂々と行なえたもんだったね。
お茶所でビール三昧だったぐらいだしw
あとは女の子らと親しくなれる訓練に励むことは出来たもんだった。
764神も仏も名無しさん
うちは、ゆるいですよ。自分の詰所は詰所管理人1、教養係1、後は本勤者、天大生だけなので敵は教養係の先生だけ。学校さえ真面目に行ってれば、暗黙の了解で外出自由な詰所なので、夜中に飲み屋、カラオケは余裕。たまにパチンコも行ってました。