341 :
名なきシスター:2009/02/07(土) 16:47:46 ID:/fGjyTVU
多くの人は、仕事、家庭、家族、金銭などの面で自分が欲しかったものを全て手に入れた後でも、
こころの中が空っぽなのに気づいています。マザーテレサはこの現象を『愛の欠乏症』と呼んでいます。
世界中のいたるところで、うわべだけの成功の象徴にたよるのではなく、こころの内側を満たすことが必要だという認識が高まっています。
342 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 13:12:54 ID:hVzWHJoY
343 :
人の心の道:2009/02/21(土) 17:04:51 ID:eQH4ZCQe
人生というのは神からの大きな贈り物である。われわれは誰しも分別のつく年齢に
達した時、人生の第一の目的はいったい何なのであろうかとおのずと自問するようになる。
344 :
人の心の道:2009/02/22(日) 14:16:14 ID:h25l/lXm
人は自分自身が幸せになるように努力をしないといけない。もちろん、
自分ひとりの幸せが人生の第一目的であってはならない。人生には多くの
楽しみがあってもよいが、楽しみに振り回されることがあってはならない。
『楽しみと悲しみに思いのままに弄ばれる人間は否応なしに危険と不幸を我が身に招くことになる。』
まずは自分の心のコントロールが必要。「原因と結果の法則」ジェームズアレンは、世の自己啓発書の出発書なんだろう?
「人は心の中で考えているとおりの人間である」
旧約聖書の
345 :
人の心の道:2009/02/22(日) 14:23:35 ID:h25l/lXm
旧約聖書の第23章7節
「彼はその欲望が示すとおりの人間だ」
「人は心の中で考えてるとおりの人間だ」って…求めよ〜
347 :
人の心の道:2009/02/22(日) 22:33:33 ID:L4QnJQFB
旧約聖書の箴言の第23章。
348 :
神も仏も名無しさん:2009/02/22(日) 23:07:19 ID:WDfrPYP8
新聞、せめて週刊にして。
349 :
人の心の道:2009/02/22(日) 23:13:19 ID:L4QnJQFB
「原因結果」は読む価値はある。@でOK
350 :
神も仏も名無しさん:2009/02/22(日) 23:17:13 ID:WDfrPYP8
宗教法人法
http://www.houko.com/00/01/S26/126.HTM (財産目録等の作成、備付け、閲覧及び提出)
第25条 宗教法人は、その設立(合併に因る設立を含む。)の時に財産目録を、
毎会計年度終了後3月以内に財産目録及び収支計算書を作成しなければならな
い。
2 宗教法人の事務所には、常に次に掲げる書類及び帳簿を備えなければなら
ない。
1.規則及び認証書
2.役員名簿
3.財産目録及び収支計算書並びに貸借対照表を作成している場合には貸借
対照表
4.境内建物(財産目録に記載されているものを除く。)に関する書類
5.責任役員その他規則で定める機関の議事に関する書類及び事務処理簿
6.第6条の規定による事業を行う場合には、その事業に関する書類
3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であつて前項の規定により当該宗教
法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することにつ
いて正当な利益があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでない
と認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。
4 宗教法人は、毎会計年度終了後4月以内に、第2項の規定により当該宗教
法人の事務所に備えられた同項第2号から第4号まて及び第6号に掲げる書類
の写しを所轄庁に提出しなければならない。
5 所轄庁は、前項の規定により提出された書類を取り扱う場合においては、
宗教法人の宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないよ
うに特に留意しなければならない
351 :
神も仏も名無しさん:2009/02/22(日) 23:23:23 ID:WDfrPYP8
なりふり構わぬネット対策を止めて頂けなかったことは残念です。
S会は死んだといっていいと思います。
今はその残滓のみでしょう。
直視させてはならない現実のみがある。
誰が殺したか。アンチと呼ばれる人でも、
退会者、除名者でも、まして華光でもない。
唯一の真実を伝える団体、無二の善知識、
という大義名分を情報を統制して実態化しようとした連中だ。
会は、誰か個人の独占物であってはならないと思います。
そう思われているのなら、改めて下さい。
会員の為のS会に改めて下さい。
新聞に当然と書かれている事を、当然と行うことを、
望みます。
『信心獲得しても煩悩具足の身は、少しも変わらないし
仏教の何もかもが分かるわけではない。
煩悩は無くもならなければ減りもしないから、
過ちを犯さない無謬人間になるのではない。
最後まで常に真実のみ教えの光を浴び、誤ちを反省し、
言動の修正を怠なってはならないのは当然である。』
言動一致を心がけてこそ、仏法者だと思います。
聴聞とは、名号のいわれを聞かせていただくこと、
広義で言えば、それを勧めて下さる方のお話を聞くことです。
つづめれば、五逆十悪の罪人も必ず救うと聞かせていただくことに極まります。
繰り返し聞き、洗脳されることでも、
頭の中に概念を構築していくことではありません。
「必ず救う」、ただこの事を今聞かせていただくだけです。
聴聞を繰り返しせよ、と言うのは、信心を獲るためではありません。
もし、聴聞を繰り返したことによって、信心決定・浄土往生が定まったとするならば、
自分の聴聞の功を認めることとなり、自力信と言わねばなりません。
必ず浄土へ参らせるに疑いがないという
如来の真実心を聞かせていただくのです。
こちらの意を運んで向かっていくのではなく、如来の真実心が私に間違いなく、
疑いなく向かっている事を聞かせていただくのです。
握った信心は必ず変わっていきます。私の心が絶えず変化し続けているからです。
如来の「必ずタスケル」の心だけが変わらないのです。
故に、聞くことが即ち信心だと言うのです。聞いてわかったが、信心ではないのです。
353 :
人の心の道:2009/02/22(日) 23:36:06 ID:L4QnJQFB
親鸞仏教が仏教と思う心が、もう仏教を邪教に貶めているんだろう。今更…親鸞会は終わってる。
354 :
人の心の道:2009/02/22(日) 23:38:58 ID:L4QnJQFB
親鸞仏教知る前に知るべき知識は、数知れず…道端に咲く小花に合掌。
>仏法を聞くときは「後生の一大事をこころにかけて」と言われますが、具体的にはどのような感じなのでしょうか。
後生の一大事をこころにかける。
これは、わたしが死んだら、死後(後生)に一大事(地獄に落ちるという大変なこと)があるのだ、と、後生の一大事を自分の問題としてとらえる、ということです。
この後生の一大事を自分の問題だ、と思う人は、地獄に落ちるのが不安なので真剣な求道を開始します。
そして、後生が全然こころにかからない自分を発見していくことになります。
そういう意味で、30さんは後生をこころにかけた聴聞をなされていると思います。
そのまま、そのまま繰り返し本願を聞いていってほしいと思います。
>>後生とも一大事とも思えず、ましてや他事ばかり考える自分のこころには全然かけることが出来ません。
「後生とも一大事とも思えず、ましてや他事ばかり考える自分のこころには全然かけることが出来ない」
ような人の後生を救うよ、というのが阿弥陀仏の本願です。
>また、聞法中の心得としてその他の気をつけるべき点はあるのでしょうか。ひたすら集中力を用いればいいのでしょうか。
集中力がないとダメ、というのはありません。リラックスしててもいいです。やる気なくてもいいです。本願を聞きたくないままでもいいです。
とにかく、くりかえし阿弥陀仏の本願を聞く。くりかえし聞く。聞きたくなくても聞く。
そして、本願を聴聞すると、おのずといろんな思いが出てきます。
「分からない」「後生が救われたという実感がない」「後生がこころにかからない」
「無常をとりつめられない」etc・・・という思いが出てくるようなものの後生を救うよ、という阿弥陀仏の本願を、再び聞く。
このくりかえしです。
聞いて聞いて聞いて聞いていくと、『「上に書いたような自分の思い(分からない、など)」にたいする執着』を離れて、聞即信できるときが来ます。
その時は、くりかえし本願を聞けばかならず来ます。
しかし、獲信体験までで止まってしまう人も多いです。
なので、聞く耳をいただいたら、ぜひ信後の聴聞もやってくださいね。
>「後生の一大事をこころにかけて」聴聞しようとすればするほど、
>全くそうはならない自分との戦いになってしまって疲れるというかシンドイ感じになります。
>ただ聴くだけとは違う求道の苦しさというものは、そういう感じになってくるものなのでしょうか。
求道上の話には、わたしもテンションが上がります。ありがとうございます。
えー、このしんどさはですね、聴聞のポイントがわずかにズレている状態です。
(でも、早くもこのしんどさにたどりつかれた、というのは、とてもセンスが良い方だと思います)
「後生の一大事をこころにかけて」と言いますが、もしこれが出来る人なら、「罪悪深重の人」とは言えません。
どちらかというと、「後生の一大事がこころにかからない」という方が、「罪悪深重の人」と言えます。
なので、こころにかからない人こそ、阿弥陀仏の正客(お目当て)だということです。
だから、「後生の一大事をこころにかけるぞ!」といって不可能なことに力むよりも、
「阿弥陀仏は『あなたは後生の一大事をこころにかけられない人(罪悪深重の人)だよ』と言っているが、本当だろうか?やってみよう」
という感じで、自分が後生の一大事をこころにかけられるかどうか、挑戦してみてください。
絶対できませんから。できたら菩薩さまです。できなければ、阿弥陀仏の正客です。
後生の一大事をこころにかける・真剣に聴聞する・無常をとりつめる・罪悪をとりつめる。などなど、
いろいろアドバイスはありますが、
「後生の一大事をこころにかからない自分・真剣に聴聞できない自分・無常をとりつめられない自分・罪悪をとりつめられない自分」
がある程度発見できれば、これらのアドバイスは、捨てて捨ててOKです。
それよりも、「阿弥陀仏の本願を繰り返し聞くこと」が1000倍重要です。
147さんが後生の一大事をこころにかけられないような、どうしようもない人だからこそ、
阿弥陀仏は万善功徳がつまった南無阿弥陀仏を用意してくださったのだ、という本願を聞いていってください。
147さんの後生をかならず救うよ、という本願を聞いていってください。
ここらへんはほんとにデリケートなところなので、分からないことはなんでも聞いてください。
あるお同行と三河のおそのさんの問答。
お同行「あなたは真宗をどのように領解しておりますか?」
おその「(浄土へ)やってもらいますのー」
お同行「それではタノムが抜けている、それは南無がない四字安心と言うものだ。
もっとしっかり聴聞しないと、地獄に落ちることになりますぞ」
おその「ありがとうございます。うれしゅうございます」
お同行「あなたは地獄に落ちるのがうれしいのか?」
おその「落ちればこそ、(浄土へ)やってもらいますわいのー」
お同行「それでは、阿弥陀如来のご恩を尊めますか?
お慈悲ありがたいという日々を送れますか?」
おその「ご恩やお慈悲はなんともない、
毎日、火事の炎燃え盛る真っ最中にいるようなものだのー」 お同行「それでは、信心頂けたのか、疑い晴れたのか、
弥陀をタノミ奉ったとは言えないではないか!」 おその「私は、阿弥陀如来の必ず参らせてやるの仰せのほかには、
後にも先にも何も存じません。」
タノムは、まさに姿(相)であって、自覚意識ではないということです。
仏の「あなたを苦痛の世界、迷いの世界に留めておくことは、
何が何でも出来ないぞ、故に必ず浄土へ連れて参る。
何故なら、お前は私の一人子だから。人間の親とは違う、
仏の真実心の親心ゆえ、救わずにはおられんのだ。」
この仰せ・命令だけだったということです。
それを受けた姿(相)が信心なのであって、
私の中に確固たるものが出来上がったものは、所詮、凡夫の築いた自力信。
すなわち、ガラクタと言うわけです。
我となえ、我聞くなれど、
南無阿弥陀
つれてゆくぞの親のよび声
このスレは、親鸞会と顕正会を比較するスレではないのですか?
360 :
人の心の道:2009/02/23(月) 18:50:57 ID:NwG1Lrzr
比較できない…同じ仏教を名乗る親鸞と日蓮の違いがあるだけ、後は多々の問題です。
じゃあ何故スレタイに顕正会の名を入れたの?
362 :
人の心の道:2009/02/23(月) 21:28:57 ID:E+s7ls1D
同じ顕正新聞だから…心の道を説いている新聞と思ったからね^^:
363 :
神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 02:11:19 ID:p+Rk8rUj
白道燃ゆ(高森顕徹 著 <昭和49年 親鸞会発行>)200頁,201頁は言います。
「この願成就文には、称名念仏が出ていないから「念仏称えたら助かる」と信じているのは、真宗の信心ではないことが明白になる。
…称名正因の教えを許すならば、真宗の信心正因の教義は、根本から転覆してしまうのだ」と。
教行信証は願成就文を次のように解釈します。「いたはしく頭数を記せざれ。
またいはく、もし久行のひとの念は、おほくこれによるべし。
もし始行の人の念は、数を記するまたよし。これまた聖教によるなり」。
教行信証が言う意味は次の通りです。
「念仏を称えるとき、いちいち回数(頭数)を数えることはしなくてもいいんです。
長い間浄土真宗に触れてきた人は、数えなくていいですよ。初心者の方の場合には、最初、南無阿弥陀仏を称えながら、称えたその回数を数えていくのもいいでしょう。
回数を数えるというのは、お釈迦様の教えに沿っているんですよ」。
364 :
神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 09:17:17 ID:WvNAW3BL
頼みもしないのに生まれてきた。
生まれた場所がどうしてか苦労の連続だった。
頑張ったが派遣切りで食べるものがなくなった。
人生は産まれてきた理由はありません。
ただ死だけは確実に待っています。
その恐怖を取り除いてくれるのが宗教です。
悩むのは自由ですが、つらいだけです。
キリスト教は知恵のリンゴのせいだと教えます。結構おおらかです。
イスラム教は厳しい戒律を守れば救われると教えます。
仏教より厳しいですね。
死にかけ、職をうしなった者からのアドバイスです。
367 :
神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 21:13:01 ID:Hfuylr8p
こんな親鸞会に頼らなくも、しっかりとした自我がみなさんにはあるのです。
まず身の回りから変えましょう。部屋の模様替え、仕事のペース。
そんな中に禅を習慣づけてみましょう。
なにも禅寺にいくこともありません。本も出ていますしネットでも検索できます。
そうすると、死と生の苦なぞ忘れていきます。考えなくてもいいことかも知れません。
今を生きましょう。今日は日帰りで足湯に言ってきました。
368 :
人の心の道:2009/03/04(水) 18:35:04 ID:+GXP8fRg
>>367 あなたの様な方が居られるから、日本人はまだ安心かもしれません。
どちらも悪の枢軸
371 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 23:02:22 ID:etjoZeTL
初めまして。
親鸞の教えに興味が有る者です。
親鸞関連のスレ探してたのですが、反親鸞な感じのスレが多いみたいですね。
本願寺の方がいいのでしょうか?
無知なので誰か詳しい方教えて頂けないですか?
>371
親鸞会では純粋に親鸞聖人の教えを聞き求めることが出来ます。
残念なことに本願寺は、最近では法事仏教・葬式仏教になってしまい、親鸞聖人の教えが正しく説かれなくなってしまいました。
毎月のご法話も親鸞会では数千人が全国から集まりますが、本願寺の説教はいつも参詣者はかなり少ないのです。
374 :
神も仏も名無しさん:2009/03/30(月) 17:03:23 ID:nS4BVM7e
>371
親鸞会は純粋に親鸞聖人の教えではありません。
残念なことに親鸞会は、最近ではカルト、金集め、人集めの教えになってしまい、親鸞聖人の教えが正しく説かれなくなってしまいました。
毎月のご法話も親鸞会では千人位集まりますが、いつも同じ話で参詣者はかなり少なくなってきたのです。
>371
気をつけて下さい。
親鸞会の発展を良く思わない団体等が、374のようにデマを流して、純粋な信者を惑わそうとしています。
彼らのインチキ情報には惑わされないよう気をつけて下さい。
質問等、ありましたら私が答えますのでここでお願いします。
376 :
神も仏も名無しさん:2009/03/30(月) 18:16:01 ID:nS4BVM7e
>371
気をつけて下さい。
親鸞会の発展が思わしくないので、375のようにデマを流して、純粋な信者を惑わそうとしています。
彼らのインチキ情報には惑わされないよう気をつけて下さい。
質問等、ありましたら私が答えますのでここでお願いします。
377 :
神も仏も名無しさん:2009/03/30(月) 22:22:06 ID:yd+NT/A1
親鸞の団体が嫌いな人がけんかしてるんですね。
念仏を唱える事は、理に適う事なんですか?
救われるんでしょうか?
>377
念仏だけでは救われません。
379 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 23:55:26 ID:D7EgKdcb
新聞のサンプルないの?
基本的には心のよりどころの内容なのかな?
PHPみたいな感じ?
381 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 09:02:02 ID:v2XhpNVq
新聞って日刊?週間?月刊?
382 :
神も仏も名無しさん:2009/04/17(金) 01:41:52 ID:8CuzJ8nZ
日刊だったよ思います。
383 :
神も仏も名無しさん:2009/04/19(日) 18:42:21 ID:KTHK2sQj
発行部数どれくらいなんだろう。
日刊で月いくらくらいでしょう?
聖教新聞とにたような内容かな?
384 :
神も仏も名無しさん:2009/04/19(日) 19:39:03 ID:FrzmWeAh
俺さぁ〜仕事上の関係で聖教新聞を一時期だけ購入することにしたわ…元顕正会員だがね。^^;
385 :
◆K3PkkhVAkA :2009/04/25(土) 13:51:51 ID:Z76yd7py
顕正しんぶん読みたいナ♪(^-^)
386 :
神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 08:26:51 ID:TvWm5QOK
法の鼻糞三法行
388 :
神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 20:40:04 ID:l6BslLvZ
389 :
神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 00:12:03 ID:1oWeuwwk
俺さぁ、今…聖教新聞と顕正新聞(富士大石寺の)見比べてるけど…。
比較することと言えば、池田先生と浅井先生。
390 :
◆K3PkkhVAkA :
低森センセは?(^-^)