1 :
神も仏も名無しさん:
2ゲット
3 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/09(金) 01:02:56 ID:jRYZYam3
とられた〜(笑)
・・・前スレ消化しようっと。
阿弥陀仏に頂いた「2」なので、それが運命ですw
5 :
神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 01:14:15 ID:wxEeAm7F
┌─────────
│>>1を迎えに来たよ 前スレ>>1ID:jRYZYam3も
└───v─────
/⌒ \
/' ⌒'ヽ\ /\
( ( 从从) ) /\ |
\ |● ● l |〃 / |: |
/ .ハ~ ■ノ)./ .|: /
/⌒ ミミ \ .|/
/ / |::| |
|√7ミ |::| ト、
|./|:| V_.ハ
/ |_V |
. / N .i N
/ ヘ、| NV
V\W
V
6 :
神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 01:22:12 ID:wxEeAm7F
7 :
神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 01:43:17 ID:wxEeAm7F
ちょこちょこHN替えるのは、なしね!
8 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/09(金) 01:46:01 ID:wxEeAm7F
HN+トリ ね!
>生存欲を出さなければ死欲がわく。どちらにしろ欲がわく。
煩悩の原因をもう一回考えてみたけど、
生存欲も死欲も駄目だと考えている「思想」こそが煩悩の原因でないか?
すなわち、「あらゆる事に意味を見出している思想」が煩悩の原因と考えたら論理的に繋がる。
そう考えると、般若心経の色即是空にも論理展開できるぞ!
浄土教=ゾロアスター教
無量寿経はゾロアスター教が国教(仏教も容認)のパルティアで書かれた偽経です
お上がゾロアスター厨なので気を使いトンデモ経典が生まれたと思われる
ちなみに漢訳した安世高はパルティア人
↓
<タジキスタン>仏教とゾロアスター教融合の仏像型発見
11月1日21時37分配信 毎日新聞
7〜8世紀ごろに栄えた中央アジア・タジキスタン西端の都城跡を発掘調査していた龍谷大の蓮池利隆・客員研究員(西域仏教文化)が1日、
ゾロアスター教(拝火教)を象徴する拝火壇を描いた当時の仏像の型を発掘したと発表した。
蓮池研究員は「仏教とゾロアスター教の融合を確認でき、仏教の源流の一つを示す貴重な資料」としている。
現地の国立歴史考古民族博物館と合同で9月、首都ドゥシャンベの南西70キロにあるカレ・コファルニホン遺跡を調査。
地下約3メートルから発見された工房とみられる施設の跡から、粘土を詰めて仏像の塑像を作るための型(高さ約10センチ)が出土した。
仏の足もとにはゾロアスター教で神聖な火をたく拝火壇が描かれ、仏が手を差し伸べている。
「型の存在から大量生産されて庶民に広まっていたことがうかがえる」
「ゾロアスター教の影響を受けたと考えられている阿弥陀仏の起源を考える上でも重要な発見だ」 蓮池氏談
11 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/09(金) 20:26:06 ID:jRYZYam3
>>9 >生存欲も死欲も駄目だと考えている「思想」こそが煩悩の原因でないか?
そうだろうね。惑わされる。どちらがどうという「執着」がね。
色即是空。自分が何をして何が起きているか、
何をされて何が起こされているか、明確に分かる事が必要だね。
「比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応して
いるものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、
了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは
考えないであろう。
これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道(ゾロアスター バラモン)に
由来するものであり
弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けよ
うとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものである
と考えるであろう。
かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応してい
る諸経典は消滅してしまうであろう。」
>>10 浄土真宗では「阿弥陀仏の約束」のみを真実と信じているので、
蓮池利隆(客員研究員)の考えは別にどうでも良いのです。
たとえ阿弥陀仏の教えが仏教であろうと無かろうと、
仮にゾロアスター教であったとしても、
それが阿弥陀如来の教えには変わりないので別にどうでもいいです。
>何をされて何が起こされているか、明確に分かる事が必要だね。
そうすると、「悟り」は全ての事を「論理的に明確に分かる事」と定義することが出来る。
この時点で、神秘体験とか幸せの波動などは否定出来るでしょ。
第一、そんな体験したかったら、自己催眠でもして洗脳すれば思えるし
毒キノコでも食べて幻覚症状を起こして「まぼろし」を見ればすむ。
問題はどうやったら「論理的に明らかに出来るか」がポイントだな。
明らかにする方法ってなんだ?
______________________________
ここまで来て、
浄土真宗では「現世では悟れません」と教えているので諦めることになる。
「諦める」→「明らめる」→「明らかになる」????
やっぱり「悟れない」で納得しとくわw
考えるのメンドクサイ\(^o^)/
_______________________________
15 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/09(金) 22:33:19 ID:jRYZYam3
>>14 >考えるのメンドクサイ\(^o^)/
(笑)
>第一、そんな体験したかったら、自己催眠でもして洗脳すれば思えるし
>毒キノコでも食べて幻覚症状を起こして「まぼろし」を見ればすむ。
その通りと思う。分かりやすい例えだね。
悟りを超常現象やらと勘違いしている人多そうだからね。
もしそうだったら、釈迦は人間ではない事になってしまう。
>明らかにする方法ってなんだ?
人それぞれが理解することだろうから、「これ」というのは難しいだろうね。
だから釈迦でも人それぞれに方便をつかうのだろうね。
釈迦も「これ」と言えないくらいだから、とても難題だ。
言わば「人を悟らせる方法論」ということだろうね。
主体が自分でなく他人になるだけで、とても難解になる。
16 :
神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 22:51:43 ID:zJTxcg4A
自力から言えば、この現実は洗脳やまぼろしと変わらない自己の錯覚だと気付くのが悟り
だろう。
洗脳やまぼろし以外に確固たる現実があると思ってる自我に気付き、それも空と悟る。
それは超常現象ではないけどある意味神秘だと思うよ。
だってこの世の論理も経験も何も、一切関係ない、初めて見る世界なのだから。
17 :
神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 22:55:48 ID:KKawQPCO
>>16 自力門の悟りに至るプロセスを論理的に教えて。
>釈迦も「これ」と言えないくらいだから、とても難題だ。
うん、
釈迦は対人説法なので一人ひとりに適した説法をしたから、8万4千にもいたる説法がある。(だったっけ?)
逆にいうと、わざわざ個人個人で異なる説法したのは最初から「コレ」という誰でも共通に出来る「悟り方」なんて無いのでないか?
そうすると、悟って仏になった人から個人レッスンしてもらって直接悟らせて頂くしか方法がない。
だとすると、悟った人を見つけて悟らせて頂くしかないという考えに至ってしまった。
>>18 プロセス?
といってもむずかしいな、専門家じゃないし。
禅とかで言えばこの世の本当の姿に気付くのが悟り。ありのままに観る。ありのままに生きる。
そのためには経験や記憶や知識、感情、そういった全てを一度手放す必要がある。
そういったものから見えるものは単なる個人的見解だからね。
ただ記憶や知識、感情を手放すといってもそれが消えるわけじゃない。
それにしがみついてしまう自我、経験によってつくられた自分とそれらの依存を切るだけ。
だからものを食べればおいしいが、おいしい以上においしいわけでもなく不味くもない。
味ですら経験をともなって脳で味わっているからね。
悟ればそういうことがわかる。
個人的に言えば、なんでも初めて食べる味だからおいしいというよりおもしろい味。
では経験によってつくられた自分とそれらの依存を切るにはどうしたらいいかと言うと、それは
論理的には言えない。
なぜなら論理は人間がつくりだした説明のルールであって、悟りはそういったものが全て
去った後に来る、ただありのままだから。
しかし論理的でないけど説明するなら、自我は自我を100%観れれば不思議と勝手に消える。
自我が消えないのは自我のなんたるかに100%気付けてないから。
それを観れない他への依存や盲目さが自我をつくりだしている原因だから。
深層心理に抑圧されたトラウマも、自分で思い出せば何故か消えるのと同じ。
気付けない、思い出せないというのが自我そのものだから。
というのが仏教を通じて自分的に理解できたプロセスかな。
説明できてるとは思わないけど、説明できるもんじゃない(論理ではない)と思うのでごめん。
長文ありがとう
>えばこの世の本当の姿に気付くのが悟り。ありのままに観る。ありのままに生きる。
すなわち、「明らかにする」つーことだね。
>論理的には言えない。
>なぜなら論理は人間がつくりだした説明のルールであって、悟りはそういったものが全て
>去った後に来る、ただありのままだから。
となると、仏教では悟れないことになるな。釈尊の個人レッスンでも悟りは不可能。
>自我を100%観れれば
観かたkwsk
っていっても、「説明できない」とあるので諦めますがw
分かったことは、
もし「悟る方法は論理的に説明できない」とすると、
仏教の教え全てが最初から説明不足であって意味不明である。
そして、悟るためには自分で悟る方法を気付くしかない。
ありがとうございます。
>悟るためには自分で悟る方法を気付くしかない。
そういえば、これ自力だね。
さらにいうと、自力門の人に聞いても悟る方法は分からない。
ってことか。
まとめると
自力門の人の中には悟った人もいるが、そいつですら悟る方法を教えれないので、
ご利益は別にないし、崇拝したって時間と金の無駄、、ただ励め。
悟れなかったら他力門と一緒に救われる。
他力門は全員悟ってないwけど、全員が来世悟り候補生。
つーわけで、気付いたら勝手に自己完結してた。
24 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 00:29:42 ID:Zm/m6KOr
>>19 >8万4千にもいたる説法がある。(だったっけ?)
そんなにあるのかぁ。それは知らんかった。
説法は言わば「釈迦名言集」みたいなものだろうから、それくらいはあるんだろうね。
>最初から「コレ」という誰でも共通に出来る「悟り方」なんて無いのでないか?
うん。俺はそう思うなぁ。釈迦でさえも一言では無理だったんだろう。
>悟った人を見つけて悟らせて頂くしかないという考えに至ってしまった。
それか、自力で悟るかって感じだね。
25 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 00:34:42 ID:Zm/m6KOr
まぁ、誰も崇めることはないっつうことですな。
お釈迦様が涅槃され3ヶ月が過ぎた頃、
お釈迦様より直接教えを受けたマハーカッサパ長老、
アーナンダ長老を始めとした500人のアラカン
(完全な覚り"アラカン道果の智慧"を得た比丘)
がインド・ラージャガハに集い、"結集"を行いました。
高弟たちは正しい教えがなくなったり変えられたりすることを懸念し、
この会議においてお釈迦様ご自身が語られた教えをまとめ、
経典を確立されたのです。第一結集と呼ばれます。
アラカン達によって一言一句漏れることなく
正確に記憶されていた教えは、
500人のアラカン達によって内容を確認され誤りや漏れがないか
検討されました。正確なものであると認められたお釈迦様の説法は
その数8万4千にのぼり、←ここです。
"経(2万1千)・律(2万1千)・論(4万2千)"に分けて編集されています。
この経典をパーリ経典と呼びます。
>まぁ、誰も崇めることはないっつうことですな。
ですな。
浄土真宗でも阿弥陀如来とは何も取引関係無いので、
別に崇めなくても信じなくても救ってくれることになってるので、
結局、同じ論理展開に行きついてる。
では、ノシ
28 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 00:45:30 ID:Zm/m6KOr
>それか、自力で悟るかって感じだね。
あーそうか、釈尊は自力で悟ったからそれも論理上正しいな。
気付かなかったよ^^
寝ようとしたけど、書き込みたくて寝れなかったw
今度こそ、ノシ
30 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 00:59:28 ID:Zm/m6KOr
ノシ
31 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 09:43:08 ID:oKYmZsq4
>20 (悟りは)
>説明できてるとは思わないけど、説明できるもんじゃない(論理ではない)と思うのでごめん。
説明を求めている者は、【知りたい】という欲望に飲み込まれていて、
その者に理解できる言葉を与えようとするわけだけれど、
この時点で既に悟りから逸脱している。
知りたいという【欲望】を是認しておいて悟りについて説明しようとするのは、
ハナから失敗している。
というのも、知りたいという【欲望】が無い時、初めて悟りの状態にあるのだから。
その時に、ほら、これだよと指摘されれば、
ああ、これかとなりえるけれど、
知りたい病にうなされていて、いわゆる自我に巻き込まれていて、
何を聞こうと、自我の紡ぎだす妄想しか見出せない
だから、親切なのは、知りたいという欲望でカッカしているその頭を、
覚ますよう働きかけること
棒、喝という手法があるんだろうね
32 :
むあみ:2007/11/10(土) 11:00:49 ID:yUcw/tRj
>>29 質問させて下さい。
阿弥陀仏は、生きてる内には悟らせてくれないんですか?
死んだ後の事なんてどうでもいいので、
この世で悟らせて欲しいんですが。
33 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 14:48:03 ID:gUcFM/j4
このろくでもない自己満の世界
34 :
31:2007/11/10(土) 16:07:51 ID:oKYmZsq4
>>33 このろくでもない自己満の世界
そうだよ、このろくでも無い自己満足の生活
自己が満足することだけをひたすら求める餓鬼の道、
それが生きることだと言われている、
自己を満足させるという欲求だけが、この自分を活動させるエネルギーだ、
自己を満足させようという動機が無くなったら、ただの怠惰なぐうたら人間、
でもそれはおめでたいことだよ、
動機無く息をしている、そこにいるだけ、
動機なき観察の状態かな、
おっとこれは、クリシュナムルティの専売特許だったかな、
35 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 16:36:11 ID:gUcFM/j4
>>32=むあみさん
>阿弥陀仏は、生きてる内には悟らせてくれないんですか?
>死んだ後の事なんてどうでもいいので、
>この世で悟らせて欲しいんですが。
はい、現世では「絶対」悟らせてくれません(正確に言うと「救って」もらえません。)
なので、現世にこだわるなら浄土真宗は止めた方がいいでしょうw
ただ、
悟りとは「全てを明らかにする」ことだと一応の結論ができてますので、
結論から(初期の状態+「 ? 」=悟りの状態)と逆算して
論理的にこの「?」を貴方なりに導きだして修行して自力で悟ることは理論上可能です。
(ただ、この「?」というのは超個人的なものなので万人向けでなく、また説明できないものと推測・仮定しております。)
また、釈尊の対人説法のように悟った人から貴方に適した方法で悟らせてもらう方法もあります。
しかし、悟った人を特定する方法が判明していない以上(釈尊本人が公認したとかなら別ですが)、
自力で修行する方が騙される恐れが無いので理にかなっていると思います。
それでは、
追加
「?」=悟りの状態−初期の状態
ということです。
>>31 >>20さんは、
俺の
>>18での「自力門の悟りに至るプロセスを論理的に教えて。」
に対する答えであって、あくまでも対象は「プロセス」です
(
>>20の冒頭で「プロセス?」と反復していることからもそれが分かります。)
なので、
>>31さんの書き込み
>20 (悟りは)←この( )は読み違いです。 正確には(プロセス)です。
>説明できてるとは思わないけど、説明できるもんじゃない(論理ではない)と思うのでごめん。
39 :
むあみ:2007/11/10(土) 18:34:31 ID:yUcw/tRj
>>36 それは浄土三部経のどこかにはっきりと
書かれているのですか?
>>39 浄土三部経はメンドクサイので読んでません。
ただ、歎異抄の5番目に「阿弥陀仏の願にまかせてこの世を去るときそれで浄土に往生して、
悟りをひらけば・・・・」という一文があります。
それによく考えてみてください。
もし現世で阿弥陀仏に救われているなら、あなたはすでに救われているはずです。
しかも、全員勝手に現世で救われてるなら自力門の宗派は皆消滅してるはずです。
自力門がまだ存在しているというのは、阿弥陀仏は現世では救ってくれないからじゃないでしょうか?
もし貴方が苦しんでいるのなら、阿弥陀仏は現世で救ってくれていない証拠です。
41 :
むあみ:2007/11/10(土) 19:30:44 ID:yUcw/tRj
>>40 要するに、阿弥陀仏がこの世で悟らせて
くれるかくれないかは、わからないと
言う事ですね。
私はまだ救われてません。阿弥陀仏を信仰
している訳じゃ無いので。
ただ、他力の教えが、この世での悟りを
全く切り捨てているならば、それはもはや
大乗でも仏教でも無いんじゃないかな?
とふと思ったので、質問した次第です。
違うwww
繰り返しますが、阿弥陀仏は現世で「むあみ」さんを悟らせてくれません。
って↓↓↓でも書いてるじゃんw
>阿弥陀仏は、生きてる内には悟らせてくれないんですか?
>死んだ後の事なんてどうでもいいので、
>この世で悟らせて欲しいんですが。
はい、現世では「絶対」悟らせてくれません(正確に言うと「救って」もらえません。)
>ただ、他力の教えが、この世での悟りを
>全く切り捨てているならば、それはもはや
>大乗でも仏教でも無いんじゃないかな?
これは世間にあわせてるだけ、
俺が阿弥陀仏云々と言ってるくせにキリスト教徒を名乗ってもオカシイでしょ。
別に名前はどうでもいいです。
ただ、阿弥陀仏の約束だけが希望なのですよつーわけです。
44 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 19:39:51 ID:RgUowMNO
>>40 namuamidabutunamuamidabutuarefuhikarinowasinenamuamidabutu
45 :
むあみ:2007/11/10(土) 19:51:01 ID:yUcw/tRj
>>42 この世じゃ絶対救われ無い、
とあなたが言い切れる根拠は、歎異抄であって、
浄土三部経じゃ無いのですね。
現実に今救われてなくても、将来は
どうかわかりませんよね?
絶対この世じゃ救われ無い、
と言い切れ無いと思いますが…
はっきりとした釈尊の言葉は無いのですよね?
歎異抄は釈尊が書いたものじゃ無いですよね。
>この世じゃ絶対救われ無い、
>とあなたが言い切れる根拠は、歎異抄であって、
>浄土三部経じゃ無いのですね。
はい、浄土三部行は読んでないので。
>現実に今救われてなくても、将来は
>どうかわかりませんよね?
>絶対この世じゃ救われ無い、
>と言い切れ無いと思いますが…
俺が知っていることは阿弥陀仏は貴方を現世では救わないということです。
貴方はどうぞ勝手に誰かによって救われたら良いのではないのでしょうか?
あしからず、
>はっきりとした釈尊の言葉は無いのですよね?
>歎異抄は釈尊が書いたものじゃ無いですよね。
ウィキペディアに詳しく載ってますので参照してください。
47 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:09:31 ID:yUcw/tRj
>>46 最後にもう一つだけ質問いいですか?
あなたは、浄土真宗の教えは
この世では救われない教えだと
言う事を、浄土真宗のどこかのお寺の
僧侶の方から聞いたのですか?
それとも、独学で勉強された上での結論ですか?
どちらでしょうか。質問ばかりで申し訳ないのですが、
これで本当に最後ですからよろしくお願いします。
っていうか、そんなに俺が信じられないのであれば、
貴方が自分で浄土三部経を読んで確認すればいいでしょうに。
49 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:13:30 ID:yUcw/tRj
浄土三部経読んでみました。
長いんですよね。
最後の質問にどうかお答え下さい。
50 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 20:17:43 ID:Zm/m6KOr
書いてあったらそうなのかい。
釈尊が言ったらそうなのかい。
別にだれにってわけじゃない。独り言ひとりごと。
>最後にもう一つだけ質問いいですか?
実は俺もこういう応答をすることで、浄土真宗を試してるのです。
>浄土真宗の教えは この世では救われない教えだと・・・
まず、歎異抄は浄土真宗の開祖親鸞聖人の口述を唯円が書いたものとお考えください。
なので、
>ただ、歎異抄の5番目に「阿弥陀仏の願にまかせてこの世を去るときそれで浄土に往生して、
>悟りをひらけば・・・・」という一文があります。
って言うのも浄土真宗の開祖が言った言葉です。
その開祖が「この世を去って悟りをひらくことを言っている」ってことは
浄土真宗の開祖・親鸞も悟ってないし、生きているときは救われてないということです。
な・の・で、浄土真宗の教えでは現世では救われません!
もう一度言います。
親鸞聖人は悟ってませんし救われてませんので、
浄土真宗が救われないことを大前提にしている宗教である事が分かるでしょう????
もし分からないのであれば、本願寺に電話して聞いてください。
52 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:28:53 ID:yUcw/tRj
>>51 要するにあなた独自の結論なのですね。
わかりました。質問に答えていただいて
ありがとうございます。
>>52 もういい、
本願寺に行って確かめてこいw
54 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:31:45 ID:yUcw/tRj
いいです
メンドクサイんでw
俺も貴方に答えるのメンドクサイわww
56 :
31:2007/11/10(土) 20:36:39 ID:oKYmZsq4
>>38 お名前が長いので、浄土さんと呼ばせてもらいましょう、
悟りではなく、悟りのプロセスだという話は、その通りですね。
あの文脈でいけばおっしゃるとおりです、
がどうでもいいことです、
お経に書いてある内容が、こう解釈すべきとか、いやいやこっちの解釈のほうがいいとか、
そんな理屈合戦どうでもいいことです、
なんとしても、
この心身が救われたい、その一念の前では屁みたいなものです、
音ばかりうるさくて、臭い、そしてすぐに消えてしまって何も残らない、
放屁合戦など不要です
悟りたい、それを知りたい、それに成りたい
その欲求こそ救われたいの一念です、
そしてこの一念こそが問題の張本人でもあるということです
57 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:41:57 ID:yUcw/tRj
まー、
本業の合間の気分転換でレクレーションとして楽しみながらやってるので^^
「浄土真宗のあら探し」(俺は守備の役割)もなかなか面白いですよ。(今回は疲れたけどw)
>>57 ワロタww
同じ質問を何度もすんなww(本業が疎かになるw)
また、来いよw(ウソ)
60 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:48:48 ID:yUcw/tRj
まあ、自分でどう思おうが自由だからなw
じゃあ聞くなw
62 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:52:52 ID:yUcw/tRj
うるせー聞くのも自由だろうがwクソが
黙れwww
答える身も考えろやww
64 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 20:55:04 ID:Zm/m6KOr
むあみは荒らしか?
65 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:55:08 ID:yUcw/tRj
浄土真宗の守備?
お前いつ何を守った?
ホラ吹くのも大概にしろよW
66 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:55:41 ID:gUcFM/j4
無課金浄土真宗教徒
死ねやカス死ねや
67 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:56:26 ID:yUcw/tRj
メンドクサイならスルーすりゃいいだろがW
>>65 お前とはもう議論しないw
その手には乗らんwwww
俺もココにいると荒れてくるから、
収まるまで本業に戻る。
ゼロさん、すいませんがよろしくお願いします。
ノシ
70 :
むあみ:2007/11/10(土) 20:58:35 ID:yUcw/tRj
歎異抄読んで、浄土真宗じゃ救われないと
答えただけで浄土真宗の守備だと!
いや〜気が狂っても言えないわこんな事W
あと、荒らしてスイマセン。
ノシ
72 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 21:00:49 ID:Zm/m6KOr
>>69 了解。また話そう。ノシ
さて、みんなどうしたんだい?
73 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 21:01:33 ID:gUcFM/j4
ゼロAND無課金浄土真宗教徒は
荒らしか?
74 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 21:03:57 ID:Zm/m6KOr
>>73 いんや。そんなつもりはないよ。浄土さんも荒らすつもりはないでしょう。
荒らすためにスレ立てる必要なんてないでしょう?
75 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 21:15:01 ID:gUcFM/j4
無課金浄土真宗教徒の本業ってなんだろ?
のあ?
76 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 21:19:11 ID:gUcFM/j4
ゼロの職業は何だい?
77 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 21:19:17 ID:Zm/m6KOr
>>75 なんだろうね。俺は知らないなぁ。
75さんは浄土真宗を信仰しているのかい?
78 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 21:22:01 ID:Zm/m6KOr
>>76 俺はまだ学生だよ。
偏見が生じないことを祈る。
79 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 21:54:30 ID:QqH5IQsu
無課金浄土真宗教徒さんの話は歎異抄だけを自分勝手に解釈していて親鸞の真意を読み取っていませんね。
弟子の唯円の書いた歎異鈔の一文だけで判断するのでなく、本当に理解しようとするなら親鸞の教行信証他親鸞の言う高僧七人のことも少しは学ぶべきです。
そうでなければ親鸞を偏った見方で捉えてしまいます。
むあみさんの
他力の教えが、この世での悟りを
全く切り捨てているならば、それはもはや
大乗でも仏教でも無いんじゃないかな?
という捉え方は大切だと思います。
阿弥陀仏の脇座にいる観音菩薩は阿弥陀仏の意を受けてこの世の衆生を悟りに導こうとして娑婆に来ているのでしょうから。
親鸞を理解しようとするなら名をいただいた曇鸞の往還回向を知らなくては話になりません。
80 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 22:00:22 ID:Zm/m6KOr
>>79 そうなんだ。詳しそうだね。
俺が疑問なのは、親鸞聖人って「聖人」だから悟っているという事だよね。
そこが気になる。
81 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 22:27:36 ID:QqH5IQsu
法然にしろ、親鸞にしろ、延暦寺で20年以上にわたって一切経を幾度か読み込んだといわれて言います。
その上で、自分も他の人達も等しく救われる大乗、それが念仏だったと考えるべきです。
二人とも阿弥陀仏の極楽浄土往生を説きますがその一方で自分は地獄へ落ちてもかまわないとさえ言い切ります。
自分の今、目の前で苦しむ民衆をどうにか救いたいと心底沸き起こる心。
それこそ、まさに大乗の菩薩の精神でしょう。
82 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 22:58:17 ID:Zm/m6KOr
>>81 そうなのかぁ。
菩薩は尊重されるだけのことはあるわけだね。
親鸞やら法然やらは経を意味分かって読んでたんだろうと思う。
素人(?)の念仏の意味はあるのだろうか。と、俺なんかは思うけれど、どうなんだろう。
救われるならいいのかな。
83 :
31:2007/11/10(土) 23:05:40 ID:oKYmZsq4
>>81 自分の今、目の前で苦しむ民衆をどうにか救いたいと心底沸き起こる心。
それこそ、まさに大乗の菩薩の精神でしょう
人助けが生きがいですって人に正面切って、そんなこと止めなさいとも言いにくい
けど、その人助け、ほんとに人の為かいな、
自分の為じゃなかろうかって思う、
徳を積むって、自分のために、
所詮大乗も小乗もなかろうに、
大乗が良くて小乗が悪いっていうなら、
そうやって比較して優劣つけてる己がいて、
その己は、優れているほうにいるっていういつもの自己満足、
そう大乗も小乗も無く、ましてや親鸞だ法然だ、いやさ釈迦すらどこにもいない、
それらをこねくり回している、この自己ひとりきり
それが証拠に、眠りに落ちれば何もかも消えてなくなる
どこに仏教があるんだろ?
84 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 23:28:03 ID:bboFCnRD
>>83 クリシュナムルティを読んでる方なようなので言うのですが、民衆を救うというと我の働きの
ように聞こえますが、実際は自他同一の境地なのではないでしょうか。
それがわかりやすい話になる過程で民衆をとか、他を助けるという話になっているような気が
するのですが。
もっとも実際どうかなんてわからないですけどね。過去の高僧の話なんて。
助けるとか、何かをするということではなく、自分に対するのと同じように他者とも接するという
ことはあるかと思いますね。
85 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 23:37:23 ID:QqH5IQsu
一切を阿弥陀仏に観音菩薩に任せてしまう。
つまり自我を手放す、一切を任せるとは自分が無い状態に他なりません。
そこでは、身分の上下も、僧、在家の違いもありません。
あるのは一切を任せることだけでしょう。
ましてや、自分だけ往生をお願いしますとか、どうにか自分の家族だけはお願いしますなどというのは自我の念仏でしょう。
つまり死後は極楽往生できようが地獄に落ちようが阿弥陀仏の意のまま、とにかく任せます、一切を託すというのはそういうことでしょう。
そもそも自分の意のままにいかないのだというのがこの世であり仏法の教えですよ。
いくらやっても自分にはできないことを知って、すべてを阿弥陀仏に任せるしかない、というのが観想を否定した法然のそして親鸞の念仏だと知るべきです。
一切を任せきった、捨てきったところで感じるのが、阿弥陀仏からの回向といえます。
この世にいながら阿弥陀仏からの回向がある、これが環相回向といえます。
環相回向の象徴が理想が観音菩薩といえるでしょうか。
86 :
神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 23:56:21 ID:QqH5IQsu
親鸞は自らを愚禿といいましたが真宗教徒と名乗るなら、愚禿という言葉を感じ知るべきでしょう。
87 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 00:06:40 ID:jUzSXo0m
>>85-86 親鸞って謙遜してたんだね。
>そもそも自分の意のままにいかないのだというのがこの世であり仏法の教えですよ。
そうだったけ。俺が知っているのは、釈尊の悟りは縁起ってことだけれど。
まぁ深く考えるとそうなるか。表現は悪いかも知れんが、無常に従えってことになりそうだからね。
それを象徴したものが阿弥陀仏という考え方なのかな。
>ましてや、自分だけ往生をお願いしますとか、
>どうにか自分の家族だけはお願いしますなどというのは自我の念仏でしょう。
本当にそうだね。仏性を何も分かっていない者なんだろう。
信仰はだから怖い。釈尊の意図に反してしまう。
88 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 00:24:10 ID:tf+7UMcu
>>87 >信仰はだから怖い。釈尊の意図に反してしまう。
というより、浄土真宗は仏教の一派というより独立した宗教と考えたほうがいいと思う。
その教えはキリスト教によく似ている。と高名な宗教学者さんも言ってるね。
おれもほんとそう思う。
89 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 00:33:44 ID:oP+ZkDTS
QqH5IQsuさん
「一切を任せきった、捨てきったところで感じるのが、阿弥陀仏からの回向といえます。」
って言うけど、どうやったら阿弥陀仏に一切を任せられるのか方法を教えてください><
90 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 01:07:41 ID:jUzSXo0m
>>88 >その教えはキリスト教によく似ている。と高名な宗教学者さんも言ってるね。
そうなんだ。今度教義を対比してみたいな。
91 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 01:13:19 ID:oP+ZkDTS
QqH5IQsuさん
「一切を阿弥陀仏に観音菩薩に任せてしまう。
つまり自我を手放す、一切を任せるとは自分が無い状態に他なりません。」
って一切を任せきった時点で悟ってるじゃん!><
どうやったら任せられるのか教えてください、オネガィ (人´ω`*).☆.。.:*・゜
92 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 02:25:45 ID:4zHSrkqX
仏に手を合わせていながらも阿弥陀仏も無ければ観音菩薩も無い、釈迦も無ければ釈迦の教えさえも無い、一切無いから本来無一物。
仏法のはじめ、教えの始まりは自分というものつまりその一切が無いから始まります。
つまり自己一切を捨てきったところから始まります。
これを般若心経の菩薩は空といい、自己一切が無いことを無と示します。
誰もがありがたがるはずの釈迦の教えさえも無と言い切る。
釈迦が説いた縁起はそのとおりだけれど、縁起に拘っているうちは次から次に沸き起こる縁起つまり原因や条件に振り回されこころがやすまらないのです。
般若心経は縁起に捉われて自己を縛っている舎利仏に観音菩薩がそれに拘らない空を説き、一切の苦厄を克服できると説きます。
、
93 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 02:35:56 ID:Vr7Puxj8
>>91 自分の思考に気づく生活を始めたらどうでしょう。
そうすると思考自体が機械であるゆえに
自らその限界を知る時が来ます。
そのとき思考が自らを放棄するようになります。
自分(私)が一切を任せるようになるのとは
少し異なる状態のように思います。
>>92 誰の言葉か知らんがデタラメだぞ!(笑
> 般若心経は縁起に捉われて自己を縛っている舎利仏に観音菩薩がそれに拘らない空を説き、
アレは、仏が弟子のシャーリプトラに、観音を例に挙げて空を説いた経典だ。(笑
95 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 02:49:46 ID:4zHSrkqX
法然や親鸞の念仏は法然の一枚起請文にあるようにインドや中国の先人が言う観想することではなく、一切を思わず念仏することです。
だからところかまわず誰にもできたやすいのですが、ただ座禅でもいえますがそうたやすく自己を捨てることは困難です。
まぁ、やりきって疲れ果てたところで悟る人がほとんどです。
これは釈迦も全く同じだったでしょう。
自己に自我になれ浸っているのですから。
阿弥陀仏を信じると言葉でいえても、自己捨てたと体得、納得できるのはなかなか容易ではないのです。
96 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 04:41:56 ID:oP+ZkDTS
97 :
93:2007/11/11(日) 16:49:49 ID:fiOywKKC
>>96 私はQqH5IQsuさんではありません
>ぁたし、考えて生きてるしぃw
>これって自分の思考を気づいてるってことじゃないの?(/ω・\)
簡単に言います。そういうことを考えてるあなたを見つめると言うことです
例えばあなたの心につらいことや悲しいことが出てきたとします。
これを空を流れる雲を見るように見て下さい。悲しい心などは相手にしないで下さい。
やがて雲が見えなくなるように悲しみも消えていきます。
実はもうそれだけでかなり悟りに近いものがあります。
そしてやがて悩んでいるあなた自身が思考(思ったり考えたりすることや感情)
が作り上げた幻だと分かるはずです。
そのとき苦しんでるあなたは風船が破裂するように消えてしまいます。
難しく考えないで下さい。幸せはあなたの目の前にあります。気がつかないだけなのです。
98 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 17:05:49 ID:wPnh0soK
悟りなどこの世界には存在しません。
あなたが悟りだと思ってるものは、既に誰かが
広く公のものとし、天地に知れ渡っています。
当然ながら、あなたが悟りだと思うのは、ただの
一般常識の理解に過ぎません。
一般常識を理解したからといって、それを
知ったかぶって周囲に言い広めれば、
あなたは周囲を白けさせるだけで、世に不幸を
広めるだけです。
99 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:04:06 ID:dZK/5WT4
ヒーローマンカード
ぼくもってる
100 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:27:14 ID:WTvk6K+g
ゴミスレ
101 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:28:15 ID:F7ijhfr6
待望の糞スレ
102 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:28:16 ID:WTvk6K+g
ゴ
ミ
ス
レ
103 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:45:08 ID:WTvk6K+g
104 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:00:34 ID:F7ijhfr6
105 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 19:08:02 ID:jUzSXo0m
>>98 >悟りなどこの世界には存在しません。
では、釈尊は何故仏陀となったんだい?釈尊がこの世のものではないと?
>あなたが悟りだと思ってるものは、既に誰かが
>広く公のものとし、天地に知れ渡っています。
「あなた」とは誰を指しているのか分からないけれど、
もし悟りが公に知れ渡っているならば、カルト問題は生じないだろう。
>あなたは周囲を白けさせるだけで、世に不幸を
>広めるだけです。
ん?良く分からないな。白けと不幸が等価となっているところが。
106 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:25:17 ID:WTvk6K+g
107 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 19:27:58 ID:jUzSXo0m
>>106 えっ?
反応がなきゃ2ちゃんねる成り立たないでしょ。
108 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:30:13 ID:WTvk6K+g
109 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:30:52 ID:dZK/5WT4
天網恢恢疎にしてもらさず
105は悟ってなにがしたいのかな?
110 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:34:33 ID:dZK/5WT4
えらそうなことかいてるんだから
こたえよ!!!
こたえてみよ。
冗談に逃げたり、書物にはしったり、あなたは
さだまらないわけだが、それでいいのだな
111 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:35:47 ID:WTvk6K+g
112 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 19:38:39 ID:jUzSXo0m
>>108 そのエクスクラメーションの使い方…
もしや君は
>>5かな?
>>109 俺が悟ってなにがしたいかって?「したい」ってことはないかな。
まぁ強いて言うなら、己の苦の根源をちゃんと知りたいということかな。
それが悟りの目的(結果)らしいからね。
>天網恢恢疎にしてもらさず
読めない…
113 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 19:41:10 ID:jUzSXo0m
>>110 えらそうなこと…ねぇ…。何がそう見えるのだろうか。
114 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:42:15 ID:WTvk6K+g
115 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:44:11 ID:jUzSXo0m
>>114 (笑)だって特徴あるもん。今日もよろしくね。
ところで、酉はどうした?ころころかえるのは!なしね!
誰が悟りと継っても、迷惑かけるわけじゃないから
好きにやっていいと思うよ
カルトだけは迷惑だけどね
117 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 19:49:10 ID:WTvk6K+g
118 :
かかし:2007/11/11(日) 20:14:15 ID:Y4gUKpTd
ダライラマは悟ってる人?
119 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 20:17:11 ID:dZK/5WT4
kodomo
120 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 20:29:53 ID:WTvk6K+g
神様〜っ!
どうかゼロがもうカキコしませんように!
121 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 21:06:40 ID:jUzSXo0m
>>118 ダライラマは沢山いるからね。
悟っているか否かはどうなんだろう。
でもチベット仏教最高指導者ってくらいだからね。
どう指導しているかとても興味深いね。
>>120 何言い出すの急に。
122 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 21:13:19 ID:WTvk6K+g
神は居ないみたい!
123 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 21:23:14 ID:jUzSXo0m
原始仏教は無神論者向けだよ。
原始仏教は本当に神を否定しているのかな
125 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:05:43 ID:dZK/5WT4
わかった!
わかった!!
わかったぞーーーーーー!!
126 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 22:31:51 ID:jUzSXo0m
>>124 神や魂の存在を否定はしてないらしいよ。釈尊は沈黙したそうだ。
時代が時代だからね。
何で沈黙したかというと、人間にそれを知る術がないから。
だから、否定ではなく沈黙した。いるともいないとも言ってない。
ただ、これだけは言った。
現世の苦しみから逃れる為にそれは必要ですか?と。
127 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 22:31:59 ID:WTvk6K+g
128 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 22:34:03 ID:WTvk6K+g
ゼロは沈黙出来ない人!
129 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 22:35:00 ID:jUzSXo0m
130 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:40:02 ID:dZK/5WT4
おお、感動に打ち震えている
もう何も聞かないでくれ。
二度とゆり戻されることがないように・・・
131 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:46:47 ID:9Dhn8e7M
>>130 つーか、あんたがここ見るのやめて
独りで喜んでれば?
何なの?悟ったんですかって聞いて欲しいの?w
ただの自己顕示欲じゃんw
132 :
セロ ◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 22:50:51 ID:WTvk6K+g
133 :
かかし:2007/11/11(日) 22:53:32 ID:Y4gUKpTd
ゼロ かっこいいよ。
必要ですか?の後がしりたい。
現世の苦しみから逃れることなんかできないのに
知ってってわざわざ釈迦はそんなことを聞いたんですか?
134 :
神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:57:30 ID:dZK/5WT4
おお、なんというか。ゼロさんは、
一度ならずと、悟っているはずだ。
なぜ、放棄して菩薩業に励むのか。
不思議だ。まあいい。ありがとう
135 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 23:11:58 ID:jUzSXo0m
>>132 セロよろしく(笑)
>>133 照れるなぁ。嬉しい。
必要ですか?の後は、弟子は何も言わなかった。
弟子はきっと何で自分が釈尊についていっているのか確信したのだろうね。
釈尊は、生きながらにして、苦から逃れることが出来た。
その方法が諸行無常という考え方だそうだよ。
万物流転と、苦を結びつけたところが釈尊の特徴なのだそうだ。
生きながら悟り、涅槃に至るまでを説法に費やしたクールな人なんだ。
>>134 俺は、悟っているかどうかは分からないけれど、
欲まみれだった自分からは脱したよ。地位も名誉も金も最低限あればいい。
俺は一生菩薩業に励むだろうね。釈尊も一生修行の身だったわけだし。
134さんは何かを発見したんだね。
是非聞いてみたいな。
136 :
31:2007/11/11(日) 23:16:40 ID:VvJ7ux0R
>>84 助けるとか、何かをするということではなく、自分に対するのと同じように他者とも接するという
ことはあるかと思いますね。
なるほど、大乗の教えといっても、ことさらに自我分別に
汚されないで表現することがあるのですね。
むしろ、その言葉に過剰反応する自分が可笑しいですね、
大乗の教えと聞くと、無意識に反発を感じる私の中には、
小乗と呼ばれる自分のスタイル、自力門と呼ばれるような癖があるようです、
その自分のポジション(小乗)を、擁護したい、反対のポジション(大乗)を
否定したいという動機があるようです。
ありがとうございまず。
137 :
無:2007/11/11(日) 23:17:07 ID:ww/MEcRp
いくつか悟ることもございましたので
語らせて頂きたいと思います
悟りというのは究極絶対神と言うのがございまして
究極絶対神とぴったり一致して生きることが出来るということであります
158 名前:153[sage] 投稿日:2007/09/08(土) 09:34:34 ID:C1MystXE
>>155 テクスレでテクの話をしようとネタ振ってるんだから、
頭ごなしに小バカにするんじゃなくて、
もう少し生産的なレスをお願い。
アバターテクに関しての俺の体験的見解は、
1.ひとえに心を静めるメソッドである。
2.心が静まった状態とは、雑念が連鎖しない状態である。
3.雑念が連鎖しない(いわゆる雑念がない)とは、
プライマリはあるが、セカンダリがない状態。
禅語にいう「二念をつがない」状態のことである。
4.一般的な瞑想では、静座してこの状態をめざす。
経験上、比較的容易に達成する。これがいわゆる座禅。
5.アバターテクは、座禅ではなく動禅のテクと思われる。
つまり日常的活動をしながら、心が静まった状態にある。
6.即物的な願望達成のテクではない。
161 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2007/09/26(水) 20:45:04 ID:AofUkM6y
>>159 >アバを習得しても、暫く放っておくと元の木阿弥状態になるというのも事実。
それ、すごく同意。
私もそうでした。
あの感動、あの静謐さはどこへ・・・って感じで。大苦笑。
139 :
セロ ◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 23:31:49 ID:WTvk6K+g
140 :
無:2007/11/11(日) 23:31:57 ID:ww/MEcRp
諸行無常についてお答えします
諸行無常の認識は釈尊出家の要因でございまして
諸行無常を知ることで苦を滅したのではなく
その逆で、おしゃか様は死ぬほど苦しんだのでございます
仏陀の悟りがどういうものかしらんけど、
俺が経験したのは
>>138みたいなやつだね。
「今ここ」にいて、喜怒哀楽を引きずらないって感じ。
時間が過ぎるのが速かったね。「あれ、もう夜?」てな感じで。
>>125 おめでとう
>>137 唯一神、創造主、究極絶対神、amida,呼び名が違うだけで、一緒かな?
悟りや、有形の神ではない、もっとも最上の次元と合一できたの?
143 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 23:38:54 ID:jUzSXo0m
>>140 そうなの?それは初耳だなぁ。
まぁ全て苦であると言っているからあれだけれど、
それが絶望だったら死んでるんでない?
無常を知って俺なんかは楽になったけれど。
何でみんなに説いて支持されたのだろう。
自分の苦しみを説法で説いたってこと?
>>141 そうなのかぁ。悟り経験があるんだね。
144 :
無:2007/11/11(日) 23:38:55 ID:ww/MEcRp
矛盾するような言い方でございますが
究極絶対神とは諸行無常の事でございます
145 :
無:2007/11/11(日) 23:41:01 ID:ww/MEcRp
セロさまは万物流転と諸行無常を区別されて語られている事に気がつきました
釈迦に説法だったかもしれません
146 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 23:42:32 ID:jUzSXo0m
俺はゼロね。セロさんは別人よ。
147 :
セロ ◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 23:45:16 ID:WTvk6K+g
あのね
ここの連中はコピペばっかりなんだよね!
拾って来たモノばかり!
セロやめようか?ややこしいもんな
148 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 23:46:59 ID:jUzSXo0m
>>147 なんか別なHNでも構わないなら、そのほうがいいかもね。
俺はコピペしとらんよ〜
149 :
31:2007/11/11(日) 23:48:12 ID:VvJ7ux0R
>>92 般若心経は縁起に捉われて自己を縛っている舎利仏に観音菩薩がそれに拘らない空を説き、一切の苦厄を克服できると説きます
自己を失うことで、自分を忘れることで、無のなかで一切の苦厄は克服できる
と説くお経、救いです
何度も何度も元の木阿弥に戻る、
何も進歩しておらず、少しも深まってもいない、
凹んでぐうの音も出なくなる、
そんな時、心経をみる、
一切の苦厄を克服できると書いてある、
うれしくなる
涙が落ちる
150 :
ロゼ ◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 23:48:41 ID:WTvk6K+g
ロゼはどうだ?
これもまたややこしいな
151 :
無:2007/11/11(日) 23:49:23 ID:ww/MEcRp
苦行に勤しむ釈尊はある時、仏の慈悲深い掌の上で七転八倒していたことに気がついたのでした
そこで苦行を止めたのでございます
152 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/11(日) 23:50:05 ID:jUzSXo0m
>>150 酉だけのほうがシンプルで良かったんじゃないかな。
登場時もそれだったわけだし。
153 :
141:2007/11/11(日) 23:53:04 ID:2AYBUa70
「今ここ」にあれば、抱えている苦しみとか関係なくなるけどね。
世界を見る目も味わい方も変わっちゃうから。
そしてそれは、特別なことでもないと分かる。
普段やってることじゃん、ただ気づいてなかったんだと。
154 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/11(日) 23:53:37 ID:WTvk6K+g
155 :
無:2007/11/11(日) 23:54:18 ID:ww/MEcRp
31
まさしく
気休めでもなんでもなく
現実に苦悩者を救う救済の手が苦悩している最中にも無数に伸びているのですが
我見に囚われているのでそれに気がつかないのです
156 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 00:00:05 ID:WTvk6K+g
覚者同士がセクロスするとどうなるでしょう?
157 :
無:2007/11/12(月) 00:03:13 ID:WzCMQPEF
という悟りがあったのですが、さらにまだ上がありますでしょうか
158 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/12(月) 00:07:42 ID:zCzsehDP
159 :
無:2007/11/12(月) 00:12:20 ID:WzCMQPEF
おしゃか様も悟りを追い掛けているうちは
この宇宙の玄妙な働きには気がつかなかったはずです
自分の苦しみ、自分の迷い、自分自分自分と自分が生み出した妄想の世界に居た
しかし苦行だなんだと人の道から外れた自分もなんだかんだいって生きているわけで
生きているからには大宇宙の様々な要因に守られ生かされているわけで
はっとこの宇宙の大慈悲に気がつき大悟徹底した
160 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 00:12:23 ID:twRr7Xux
161 :
141:2007/11/12(月) 00:12:39 ID:nS8RYsW7
>>157 理屈として悟ったんじゃなくて、
自分の体験を言葉(理屈)で説明してるんなら、それでいいように思う。
上はあるんじゃないかな。
たぶん、こうやって言葉で語ることから離脱すると思う。
体験に埋没するというか。そのものになるというか。
162 :
141:2007/11/12(月) 00:15:14 ID:nS8RYsW7
>>158 >上も下もない
おお、まさにそうだね。
俺もまだまだ無自覚に価値判断してるね。
163 :
無:2007/11/12(月) 00:18:21 ID:WzCMQPEF
体験に埋没すると言っても「凡夫」の体験とは空ではない
空ではないから苦悩が生じます
164 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/12(月) 00:19:27 ID:zCzsehDP
>>162 賛同ありがd。
俺はあくまでそう思うのだけれど、
悟りというのは、どこか(忘れてしまった)では50段階に分けられているそうだよ。
釈尊の悟りが一番高くて、それ以下に段階があるという。
165 :
神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 00:23:04 ID:yhfQONBK
>>97さん〃 ̄∇)ゞアリガトォーーーーーーーーーーーーーーー♪
やっと理解できましたぁ↑
日常のなかで色々心を見つめてみることにします!!((o(^-^)o))わくわく
166 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 00:24:55 ID:twRr7Xux
>>164 間違いなくオマイラは一番低い段にも達していないわな!
167 :
無:2007/11/12(月) 00:25:17 ID:WzCMQPEF
凡夫が体験しているのは己自身の低級な意識であって空ではない
般若心経では「おまえが経験しているのは夢、幻だぞー。夢幻を実態だと思うから苦悩が生じるんだぞー」と繰り返しといてます
168 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 00:31:45 ID:twRr7Xux
ここは自慢すれだな
169 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/12(月) 00:33:00 ID:zCzsehDP
>>164 今、ネットで調べたら、五十二位(段階)だった。
どう分別されているのだろう。誰か詳しい人いないかな。
170 :
141:2007/11/12(月) 00:35:30 ID:nS8RYsW7
>>163 まあ俺も今は元の木阿弥で普通の凡人状態だから、
それらしい状態のときを解説するだけなんだけど。
体験に埋没するっていうのは、
自分が今経験してることを解釈しないというか、価値判断しないって感じ。
良いとか悪いとかジャッジしない。
たしか聖書にもあったよね。
「他人を裁くな、同じはかりで自分も裁かれる」みたいな。
それを理屈でやるんじゃなくて、ただ「そうなってる」って感じ。
だから、自分の経験をただあるがままに受け止めるから、
それは味わって一瞬で消え去る。
ジャッジしないから。ただ経験するから。
人が苦しむのは、経験をジャッジして良し悪しを判断しようとするからなんだと、
つまり経験することに抵抗して、経験を避けようとするからだと。
「判断する」という思考の働きがなくなると、
自動的に、今経験していることに埋没するというか没入する。
つまりそのものになる。
それが禅で言うところの「二念をつがない」っていうことなんだと思った。
「空」とかはよく分からんね。
俺の経験では、思考を消去すれば勝手に悟る、つーか楽になる。
思考をこねくり回して「悟りとは?」なんてぐるぐる考えているうちは、
悟りには近づけないと思う。
171 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 00:36:00 ID:twRr7Xux
172 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/12(月) 00:38:36 ID:zCzsehDP
>>168 そうかな。悟りを理解した人と思った人が情報交換するスレだと思うけれど。
173 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 00:38:50 ID:twRr7Xux
174 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 00:44:17 ID:twRr7Xux
175 :
無:2007/11/12(月) 01:04:20 ID:WzCMQPEF
経験を解釈しないというのは違うように思います。仏教とはかなり高度な世界解釈です
空とは自然状態では得られない認識です
釈尊が苦行を終え菩提樹で休んでいると一人の少女がミルクを献上しました。
釈尊はそこに空を見たのです。
「あー美味しい有難う」と言う話では無い
そこに高度な思考があったから、恐らくはその少女に手を合わせたのです
176 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 01:05:14 ID:twRr7Xux
ここの連中は生まれ変わってもなお、悟らないだろう、きっと!
177 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/12(月) 01:06:41 ID:zCzsehDP
急にどうした?◆SKMlSPfKqU。
何か悩み事があるなら聞くぞ。
178 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 01:12:34 ID:twRr7Xux
179 :
◆SKMlSPfKqU :2007/11/12(月) 01:14:08 ID:twRr7Xux
ごめん ゼル いや せろ じゃなくて ゼロ!
180 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/12(月) 01:14:59 ID:zCzsehDP
>>◆SKMlSPfKqU
ならいいんだ。良かった。
少し心配になってね。
181 :
神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 02:36:41 ID:tWjmDPtx
多くの人は阿弥陀仏にしろ観音菩薩にしろ大日如来にしろ他の如来、菩薩も拝む対象、崇拝する対象だと考えています。
だから、キリスト教や他の宗教とごっちゃに同じにしてしまいます。
たしかに阿弥陀仏や観音菩薩に救ってもらいたい願って仏法を学ぶ人がほとんどですので宗教者僧侶も含めそのように間違ってしまいます。
しかし、大乗仏教の如来、菩薩は最終的には拝む崇拝する対象ではありません。
見性、または悟りにおいては、自分の身体、心の中にもあって自分を突き動かし、自分を生かさせているのだと知るのです。
これを大乗では一切衆生悉有仏性といい、道元においては、悉有は仏性の現れであると言い切ります。
親鸞は環相回向で説明します。
観音菩薩は頭に阿弥陀仏を掲げていますが、将に阿弥陀仏と観音菩薩は一体であり、見性悟りに気づいたものは観音菩薩と同じだと示しているのです。
観音菩薩は智慧つまり悟りと慈悲の象徴ですが、それは見性の時の自他一体の体験、無分別の体験から慈悲の心が強く芽生えるのです
182 :
神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 02:55:04 ID:tWjmDPtx
私は、79、81、86、92、95も書きこみましたが、 92の
仏に手を合わせていながらも阿弥陀仏も無ければ観音菩薩も無い、釈迦も無ければ釈迦の教えさえも無い、一切無いから本来無一物。
とは、空であるということは本来無一物であり、仏性の現れであり、言葉を変えれば環相回向のあらわれだという事を言いたいのです。
183 :
神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 03:24:36 ID:tWjmDPtx
181で、観音菩薩と同じだと示していると書きましたが、気づいたといっても我々はまだまだ凡夫のままですので他のものに人にやさしくするよう努めなければならないでしょう。
仏に生かされているとは、言葉を変えれば大自然に生かされているともいえます。
自分のことだけを考えるのではなく、自分の周りを大切に思い、ともに生きていると知ることも大切でしょう。
184 :
神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 05:00:22 ID:ihy5RUs/
なんで宗教の力をかりないといけないんだ?
自分で解決しろよ。
「悟りを得てくるにつれて自力と他力の明確な区別がしにくくなる」と、当方に語った仏道の(在家)修行者がいる。
「変に自力と他力の峻別を行なわないほうが仏に近づくことができるような気がするんですよ」とも。
ただ、発願は完全な自力だと自分は思う。
発心ならば他力の作用も加わってのことだろうとも受け取れるんだけど、
いくら他人から発心を促されたところで機根に乗じることができなかったならば、発心させることは難しい。
ただ、発心して発願するのはあくまでも当人なわけだから、何が機縁であったとしても「発願は自力」となるんだと思える。
発願の念の強さに応じて、やがて他力が作用するというのが仏の法則なのでは?
・・・・こう考えると「他力本願」にしても「自力本願」にしても、とどのつまりは同一であるように錯覚してしまうことすらもよくある。
神秘体験などで、宗教なんか知らない子供のうちから
虚空蔵などに、継ってしまうのは、何なんだろう。
これは、完全に他力のような気がするが。
187 :
無:2007/11/12(月) 08:08:33 ID:WzCMQPEF
11/12(月) 05:00 ihy5RUs/
なんで宗教の力をかりないといけないんだ?
自分で解決しろよ。
あなたのような方の為に「宗教」があると考えてよい
「自分」など無い。無なのだ空なのだと説くのが宗教だからです。
悟りとは? 心の横に吾が居る。 離れてない姿。
忌まわしいとは? 心の上に己が居る。 揺動かされている姿。
悩ましいとは? 心の横に脳が居る。 アタマだけで考えてる姿。
「文字で何となく解るモノ」≒「克己心」を佛教では説いてるね。
189 :
神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 09:02:51 ID:Od3KjbVh
>>184 宗教って、人間が生きて行く、道を踏み外さない為の
一つの人生の道しるべだと思う。
教えには、人を苛めなさい、苦しめなさい、憎みなさい
呪いなさいとか、感情のまま、欲望のまま生きなさいとか
書いてないと思う。
人は尊重するもの、感謝の心、思いやりとか、欲を持ち過ぎないとか
大切な事が書かれているように思う。
日常色んな事があるから、悪い感情に振り回されて、自分を見失わないように
する為の戒めでもあると思う。
何も勉強しなくて、これらを忘れずにやれるんだったら、いう事はないと思うし
立派だと思うけど、多くの人は、人生を間違えたり失敗したりする事が多い。
皆失敗が無いのならいいけどね。
だから人生には、曲がった所を正す所が必要になって来るんだと思う。
190 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/12(月) 16:39:22 ID:YFiTvq47
>なんで宗教の力をかりないといけないんだ?
>自分で解決しろよ。
自力で進む人が知らない背後で援助があったりするものだ。
子供が2本の足で立ち始めたら、いちいち援助しない。
ただ見守るだろ?それが他力。それは確かにあるよ。
けれども自分が関われるところは自力だけだ。
だから要点は、見守られていることへの信頼だ。
ここには知っている人も知らない人もいるかもしれないが、
ここを読む人、読まない人を含めて我々は見守られている。
私にとってはそれは事実だが、他の人は違うかもしれない。
けれどもそれは全然問題じゃない。
191 :
神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 16:44:39 ID:mcLQE/WT
ミーもマモーも
盛られているの?
ふーーん
アーナンダー
192 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/12(月) 16:45:40 ID:zCzsehDP
おっ。774 ◆1KWe/Jkuxs久しぶり〜。
193 :
79:2007/11/13(火) 13:03:46 ID:o75NfiYR
他力というと、阿弥陀仏の本願のはからいとだけ理解する人がいますが、大乗仏教全体では他力を仏のはたらき、言葉を変えると大自然の働きと理解したほうが間違いが無いでしょう。
例えば、北国では冬が過ぎれば日の光が少しずつ強まるとともに春の温かい南の風が吹き雪を溶かします。
それと呼応するかのように木々も芽吹き花が咲き生き物たちも活発に活動し始めます。
これは自分でこうしよう、ああしようと考えて変わっているのではなく、環境の変化気候の変化に応じて自然に自然に自分を変化させ生かさせその環境にうまく適応させている不思議な働きがあるとも考えられます。
それを人によっては仏の働きといい、他力といい、自然法爾といい、仏性の現われといい、他多くの言葉で表されます。
このときの自己のはからいが無いことを無心というのでしょう。
俺は他力など必要ない自分の力で何でも解決できるのだと思うのは自由ですがそれですべてうまくいくとはいえません。
たしかに知識を使えばなんでも解決できそうですが案外一時的だったり自己中心的なものだったりして多くの人に迷惑を掛けたりするものです。
私たちが今生きている生かされているのは大自然や環境、他の人やものとの微妙な関係の中でうまく成り立っているということを知ることが大切です。
194 :
へぼ将棋:2007/11/14(水) 08:44:36 ID:qQrBchs5
いくら他力本願の人でも 閑な時でも良いから
仏様もなにもかも気にせずありのままの自己見つめる
これ大切と思う。駄目な私があってもこれから全てが始まる。
195 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/14(水) 09:45:21 ID:DYzv8jdS
>私たちが今生きている生かされているのは大自然や環境、他の人やものとの微妙な関係の中でうまく成り立っているということを知ることが大切です。
本質的な意味で人間である我々がそれを知ることはできない。
私たちができるのはあくまでも限定的理解。もし本質的に知っているなら、こんなにひどい世界にも
ならなかったであろうし、地球環境もましだったであろう。それは理想論。
あらゆる論は空論だ。仏教のそれであれ、物理化学のそれであれ。
私のいう自力、他力は知識ではなく、実践だ。他力の経験、すなわち即時の
知なのである。それ以外に人が目覚める手だてはない。
196 :
31:2007/11/14(水) 10:50:49 ID:fuPk51XY
>>193 他力本願に腰をすえての御意見かと拝察します。
仏の働きとしての他力があり、それに見守られる自己がある。
その代表的な例として、二人の例がある、
>>81二人(法然、親鸞)とも阿弥陀仏の極楽浄土往生を説きますがその一方で自分は地獄へ落ちてもかまわないとさえ言い切ります。
自分の今、目の前で苦しむ民衆をどうにか救いたいと心底沸き起こる心。
それこそ、まさに大乗の菩薩の精神でしょう。
つまり、地獄行きのつまらない自分がいるけれど、しかし心の内側には、
苦しむ民衆を救いたいという慈悲の心=仏の働きが同居する。
この良き例が法然であり、親鸞であると。
しかしこれは、精神分裂病患者だといえます。
本来無一物の、本来不二である自己=無
に反し、自分とそれを見守る仏の二者分裂の状態。
確かに、自分はさておいて、他者を救うという自己犠牲の精神は、
美しく、けなげに、そしてなにより、当の本人に満足感を、充実感をもたらすかもしれません。
が、それは自己満足のそしりを免れません。
仏法が本来無一物から始まるというなら、
満足する自己が消えた時、本来無一物たる自己の面目躍如たるものがあるでしょう。
例え、どんなに高邁な自己犠牲の精神だろうと、自己以外に何かあれば
それは作り物、人為、壊れ物でしょう。
ただのガラクタですから、捨て去るべきです。
そういったガラクタを後生大事にすることは、本人の自由です。
がそれを人前で吹聴することは、人を誤らせます。
本来無一物の自己に、余計なものを付け足す愚行です。
クリシュナムルティもそういった愚行を行った人です。
無選択の覚醒というガラクタをあまりにも吹聴しすぎたので、その言葉に
ひっかかって、想念で想念を観察する精神分裂を延々と繰り返す犠牲者が、
大勢います。
悲しいことです。
197 :
神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 14:34:16 ID:/GCqJnPD
>>196 >しかしこれは、精神分裂病患者だといえます。
これは、にわかに覚えた言葉を使ってみたかったために用語の意味をわからず使ってしまいましたね。
難しい言葉は意味がわかってから使うようにしましょうね。
198 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/14(水) 15:12:15 ID:DYzv8jdS
>本来無一物の、本来不二である自己=無
>に反し、自分とそれを見守る仏の二者分裂の状態。
ここいらが悲しむべきところですな。
あなたは実に甘い。仏や無を論ずるよりあなたのガラクタを捨てて
自信を知ることです。そのあとで他者を批判してください。
でなければただの笑いものですょ。
満足と自己は常に同時に存在します。自分を観察すれば即わかります。
そうでしょ?
無選択と覚醒、これも同時です。そのとき無です。
しかし、無をですとは本当にはいえません。精神を使って精神を止めさせる
ことはできないのです。「無」にはなれません。
199 :
Zeus(ゼウス):2007/11/14(水) 15:31:30 ID:dFp4OyzD
「悟りを開く」ということは、
「絶対に認識できないこと」を「認識できるようになること」である。
200 :
zztop:2007/11/14(水) 16:16:45 ID:xarMOPkL
なにもさとらなくていいんだよ。
こころの扉をおじさんが開けてあげるからね。
キィーー、、、、、、、、あーーーーやめてーーー
そんな言い方するからいけないんだよ。そうだなうんうん
云々かんぬん
云々かんぬん
座らすことが一番だ。座る、それだけでいい。
ただいっておくが、必須条件ではない。ウホッ
ってなかんじ。
201 :
zztop:2007/11/14(水) 16:37:33 ID:xarMOPkL
「甘くもなし、辛くもなし」
それが悟りにちかい表現かな。
己が介在する隙間すらないw
泣くが修行、笑うが悟り、こっちの方が
本質に近いな。
202 :
神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 17:58:34 ID:Wv+cfo0m
Mだけだっ!
ここにもいないっ?・・・鬼和尚どこだっ!
204 :
31:2007/11/14(水) 19:41:56 ID:fuPk51XY
>>197 精神分裂病といったのは、
文字通り、精神が自己と仏という二つに分裂しているようだから
そして、それは病んでいるので、そのように表現したまでです。
ただ社会通念上は、社会生活に適応できないで、医療機関に認定をもらった場合、
そのように呼ぶのでしょうが、そしてこちらの比重が極めて高くて、
そう、アラシと取られたのかもしれませんね、
いや、こちらの医療機関での認定基準を加味すれば、
お二人とも成功者で、社会不適応していたわけじゃないでしょうから、
精神分裂病じゃないことは明らかですね。
そう、でも仏法本来からすれば、分裂し、心が病んでいる
それは事実でしょう。
そしてその分裂は、心身脱落した人を除いてみなに起こっているということです。
精神分裂と言う言葉は、誰かを貶める為に使っていいるのでなく、
無心=本来から外れている事を表現する為に使っています。
205 :
zztop:2007/11/14(水) 20:00:42 ID:xarMOPkL
体操選手でも、突然飛躍するらしいね。
これだけの技でこれだけの余裕があると。
ならば、、、、(新技誕生)
閃きと飛躍は似ているようで、似ていない。
俺なんか774や31のような文章は読めても書けない。
31さんには、ぜひとも飛躍してほしいね。話題の転換とかじゃなくて。
なんか解りにくいwことかいて悪いな。コツをつかむ方法があれば
いいのにな。
206 :
zztop:2007/11/14(水) 20:05:10 ID:xarMOPkL
精神そのものを題材にして、論理の限界まで
あたってみないと、話題の転換と「飛躍」の
ちがいはわからないだろうな・・・
207 :
31:2007/11/14(水) 20:12:57 ID:fuPk51XY
>>198満足と自己は常に同時に存在します。
そうです、自己満足のとき、
それがいつもだと、自己満中毒
>精神を使って精神を止めさせる
ことはできないのです
そうですね、精神で精神を止めると考えるのは、分裂した精神です、
>無にはなれない、
そうですね、なろうとする理想と、ならんと欲する自己の分裂があるだけです
>無選択と覚醒、これも同時です。そのとき無です。
ここがどうでしょうか、
無選択というとき、選択しないでいるという自分がいるのかいないのか、
無選択と覚醒が同時にあるという表現は、
無選択の自分を覚醒して見ている自分がいるという意味でしょう。
このように、無選択でいる自分を覚醒している自分が見ているというなら、
無選択でいる自分と、それを眺めている自分という分裂があります。
立派な精神分裂状態です。
208 :
zztop:2007/11/14(水) 20:52:20 ID:xarMOPkL
209 :
zztop:2007/11/14(水) 20:54:27 ID:xarMOPkL
210 :
zztop:2007/11/14(水) 20:56:55 ID:xarMOPkL
ああ大信根か。これようわからんわ。
211 :
zztopじゃ もんくあるか!:2007/11/14(水) 22:13:49 ID:XmuM6mKN
212 :
神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 22:16:27 ID:/GCqJnPD
>>204 専門用語を使う場合、きちんとその用語の使い方にのっとって使いなさい。
おまえの解釈で用語の意味を変えてはいけません。
わかりましたね。
213 :
31:2007/11/14(水) 22:25:19 ID:fuPk51XY
>>205 ZZTOPさん、
じわーときまっせ、
いい響きですうー
てめえでひり出したウンコ、箒で掃いてビニール袋にいれてっと、
失礼しました、じゃ、またね
214 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/15(木) 20:41:02 ID:1HpnulN8
>無選択の自分を覚醒して見ている自分がいるという意味でしょう。
ううん。
自分がいないと言う意味。知覚のみがあるという感じかな。
分裂とは思考そのもの、あれ、これ、わたし、あなた、満足、恐怖、
願望、記憶、などなど、私たちは思考によって分裂している。
そうでしょ?
だから精神医学的にではなく、人間の本質として、我々は思考をつかって
自分と他人と世界を切り刻んでいる。切り刻まれた対象が分裂しているように
見えるけれど、本当は私たちが分裂しているのだ。
この全体に気づく特、切り刻むのを止める。
愛は糊のようだ。断片をくっつける。わたしは糊でありたい。
215 :
神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 21:00:22 ID:xJrPdFuO
ハンネ、ちょこちょこ変えたらあかんよ!
216 :
神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 21:18:00 ID:ustdS+sV
ぐっすり眠ってるときが悟っている時間じゃないのかなぁ?
だって何されようが罵倒されようが無言で受け入れているじゃないか。
んっ!寝言を言う事があるから違うか?
217 :
神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 21:23:35 ID:xJrPdFuO
218 :
神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 21:40:52 ID:xJrPdFuO
>>216 あんたみたいなんが来てくれると、ほっとするわ!
悟りとは、
自分が、自分も含めたこの世の全てにおいて、無力じゃと
知ることじゃ。
驕るなということじゃ。
ツマラン、邪心ばかり腹に抱えてる人間は、
何の価値も無いことが
わかれば、悟りになるのじゃや。
220 :
zztop:2007/11/15(木) 21:46:28 ID:7xYYbmzp
ついさっきまで
unnkoかかえてました。
221 :
神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 21:54:41 ID:r37n7C4X
>>219 半分あたっているじゃないか。でもそれだけじゃ悟りではない。じゃどうするか?
このどうするかを分って実践すると、悟りに通じる。
>>220 あんたがツマラン人間か、
詰まる人間かは知らんが、
勝手に生きていけや。
お前様の人生は全然しらんが、
どうとなと、しなされ。
さいなら。
223 :
神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 21:59:22 ID:xJrPdFuO
224 :
zztop:2007/11/15(木) 22:19:26 ID:7xYYbmzp
よくわからんけど、
さいなら。
まあ、勝手にな。
226 :
31:2007/11/15(木) 22:49:49 ID:vzyy8uwr
>>214自分がいないと言う意味。知覚のみがあるという感じかな。
あなたが、自分がいなくなった経験をしていないなどといっていないよ、
それを味わったからこそ、それを欲しがってる、あなたがいて、過去の甘味な経験に恋焦がれてる、
自分がいて、経験=記憶を求めている、これが分裂している状態なのさ、
そう、これを皆やる、
あの時の、自分のいない、感謝と充足といろいろのえもいわれぬ喜びを、
欲張りだから、またちょうだい、ちょうだい、もっとちょうだいって、
そんな時、インド人がいて無選択の覚醒があるとき、それが手に入っていますと説明する、
しかしそれは、バラはばらですと言っていいるだけで、間違いじゃないけれども、何の役にも立たない。
がしかし、無選択の覚醒という言葉にひっかかっかってしまう、
悟りとか、心身脱落だとかは無理だけど、これならできそうだって、
選択しないで観察していればいいんだ、
観察しているという感じさえも、感じなければいいんだ、
自分がいると感じなければいいんだ、
がしかし、これは失敗するよ、だってそうしてるのは、自分だもの、自分が自分を無くすことなんてできるはずがない、
そもそも、自分をなくそうなんて思っちゃいない、あの甘味な経験を再体験したいだけなのさ、
そうそう、むしろ、それを再体験する為には、この自分がいなきゃいけないよ、
味わう人が居なきゃ味わえないじゃないか
だからこう結論する・・・
私は甘味な経験の再体験がしたいのであって、
そのためには自分が消えちゃだめだ、だから、騙せばいい、自分はいない、感覚だけがあるんだと、
うそでも、100回言えばほんとに思える、それに人を騙すんじゃない、自分を騙すんだ、
誰にも迷惑かけるわけじゃないさ、
でもね自分を騙すのは破滅的だ、
クリシュナムルティ好きな人にそういう人多い、思考を落とすって思考フル回転にしてたり、
観察だけがあって自分は居ないんですって、敵意丸出しにしたり、
うーん、これ書いててワレながら理屈好きだな、
でもね、ほんとに自分がいなくなるって、マジ顔で言う人いるよ、
般若心経だけじゃないよ、だからガンバりましょ
227 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/16(金) 00:25:17 ID:9USS74t9
悟り関係ないけれど豆知識を一つ。
精神分裂症は今は統合失調症と呼ばれているよ。
今、精神分裂症という言葉は差別用語的っす。
川口喜三郎さんの喜念カードを差し上げます。
〜アセンションへの扉〜地球が癒される〜
以前は1万円で販売されていた!?そうですが、 現在は非売品です。
川口喜三郎さんは、 個人の病気その他の問題を解決するだけでなく、
戦争、地震、水害、干ばつ、寒波、台風、 地球温暖化、様々な人的・物的もしくは
自然災害から 『地球』を守る事を目的として全国で講演活動をされています。
http://www.eonet.ne.jp/~hk0810/kiraku/present.htm ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
<<捏造されたデマのジュセリーノ予言情報の見分け方>>
「ジュセリーノ予言」といっても全体で9万件以上あって、99%は未公開です。
一般公開されているのは1%にもみたず、 そのうちネットで流れてる
情報の大半は嘘の予言も珍しくありません。 下記は嘘のジュセリーノ予言の
見抜き方ですので、これにそって 予言を照らし合わせると本物を見極める
目を養うことができます。 お試しあれ。
●特別な?塩やお札を高額で販売し、災難が防げると安心させる。
●予言の原文が無い。 ソースが無い。 サイト管理者が匿名である。
●第三者がこういってました口調で書かれている。
●アセンション、フォトンベルトなど関係ないカルト用語が含まれている。
●人工地震という言葉をよく口にする。
●マクモなんとかってデブのインチキ予言と関連づけしたがる。
●予言をネタに関係ないセミナーへの引き込みがある。
●災害がくるから、海外へ分散投資せよと、投資先を紹介される。
●お金を預けると、毎月高利回りの配当があるといわれる。
●円天と手法が良く似ている。
229 :
31:2007/11/16(金) 08:38:32 ID:qZxCEvAW
>>228●第三者がこういってました口調で書かれている。
うーん、いいこというねえ、
残念だけど、おいらはまだ、決着付いていないよ、
だから自分がいないよって、一人称で言えない
もっとも、いなくなりゃ一人称も二人称もないのか
だったら黙ってサッポロビールでも飲んでるか、うん
そうすっか、でも不景気だから第三のビールだな、
あと、ここ見るのは、冷やかしお遊びがほとんどだね、
まともに議論する奴はおらんのかいね、
絵に描いた餅じゃなくて、本当の大安心があるってのに、
勿論おいらの中だけじゃなく、あなたの中にもね
もったいない、もったいない
二次元の女の子は美しいと悟った
あれは名画より癒される
231 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/16(金) 15:24:26 ID:7D3lMCVh
>>226 >それを味わったからこそ、それを欲しがってる、あなたがいて、過去の甘味な経験に恋焦がれてる、
>自分がいて、経験=記憶を求めている、これが分裂している状態なのさ、
それが思考、それがあなたが私に対して持っているイメージ。
私が悟りの体験に恋い焦がれているだって?あはは。
あなたは私を通して自分自身を語っている。わかりますか?
悟りに恋いこがれる必要はない。わたしと悟りはイコール。
そしてあなたも。あなたと悟りはイコールだ。悟りは概念でも
体験でもない。捕まえられない。得られない。
得ようとしているのは誰ですか?そういうものが全てやめば、
向こうからやってくる。
やってくるものを拒むのも、なかなか難しいよ。
ちょっと待ってくれと言っても聞いてくれないからね。
>がしかし、これは失敗するよ、だってそうしてるのは、自分だもの、
>自分が自分を無くすことなんてできるはずがない、
そう結論づける前に、「自分は誰か(何か)」を自らに問うてみるといい。
自分が、これは自分だと「思っている」思考でしかない。
それを直接知ってしまうと、もうショッキングだよ。
けれど、このブレークスルーは必要なのだな。
がんばってください。
232 :
zztop:2007/11/16(金) 15:46:41 ID:5a9/gcQT
人間の意識って、、、」
音楽の機材で言えば重層的に、イコライザーのように
複数のものが、上がったり、下がったり、している。
そして顕在意識のてっぺんに去来してくるものがある。
それを重要であるか重要でないかきめるのは、自我。
本来の個性ではなく、自分流にオーダーメイドしたいもの。
すなわち嗜好性。イコライザーのすきな形みたいなもの。
嗜好性というのは、本来ばらばらだけれども
、社会性というエフェクターによって、部類され、ふるいに
かけられ、試される。その失敗の経験よって、自我は、あらゆる努力をする。
本来の個性は嗜好性によってとらえられないため、そもそもが無駄な努力であるが。
そうして、その上、精神論によって強化された、嗜好性または志向性は、大きな
絶望までを生む。そうした一連の流れはただ、精神の本質であるばかりである。
233 :
31:2007/11/16(金) 19:30:59 ID:qZxCEvAW
>>231それを直接知ってしまうと、もうショッキングだよ。
残念だけど、言葉の端々に貴方が現れています、
知ってしまう・・・誰が?
そのものはいないと答えるのでしょう、これ全部本に書いてあることです。
でもね、本当に自己の脱落した人は知るなんて表現しません、
自分のない実感=無から出る言葉だもの、自我の痕跡を窺わせるものなどないのです、
>愛は糊のようだ。断片をくっつける。わたしは糊でありたい。
自己を脱した人が、糊でありたい・・・
何かでありたいなど、理想と現実の自分の分離があるから使う言葉です、
>わたしと悟りはイコール
これも、どこにでも出てくる言葉、聞きかじりで誰でも言います
そうなっているかどうかが問題です、
自分で自分を騙すのは最も簡単です、しかしそれは仏を騙すことです、
いくらでも、際限なく私は悟ったとか、自分などいないと騙し続けることが出来ます
止めましょう、貴重な時間の無駄です
心の奥底で、なんだか落ち着かない、落着しない、そうつぶやく声こそ仏の声です
その声を聞く以外に手がかりはありません、
234 :
zztop:2007/11/16(金) 22:06:34 ID:5a9/gcQT
関係ないかもしれないけど、暇なんで書かしてもらいます。
OCD(強迫性障害)の本を読んでるんだけど、集中力がないようだ。
途中で投げ出した読書だが、さわりに、よいことが書いてあったので、
定着という意味でも記しておくのにこのスペースつかわしてもらいます。
脳は信じられないほど複雑な機械で、わたしたちが世界とコミュニケーション
をとるために役立つ気分や感情をつくりだしてくれる。
脳が正しく機能していれば、容易に「そう思っているのはわたしだ」と
考えられる。だが、脳が間違ったメッセージを送りはじめ、それがまちがって
いることがすぐにわからない場合には、OCDのような苦しみが始まる。
<メッセージがまちがっていると悟る能力、つまり自覚的な警戒心が役に
たつのはこのときである>
わたしたちが、OCD患者から学んだのは、<まちがった行動を促すメッセージ
が脳から送られた時、これを行動で修正するために必要な観察力は、
だれにも備わっているということだった。>
235 :
zztop:2007/11/16(金) 22:14:37 ID:5a9/gcQT
例えば、雑音だらけのラジオを聞くようなものだ。よく耳をすませて
いないと、まちがった音や、意味をなさない音しか聞こえないかもしれない。
だが、よく耳をすませて聞いてみれば、何気なく聞いている人には聞き取れない
ことが聞こえてくる。<とくに訓練を>していれば、上手にききとること
ができる。さらに混乱したメッセージを受け取った時に、<何をすべきか
適切に指示されていれば、混沌の只中で現実をみきわめることができる。>
わたしはよく「大事なのはどう感じるかではなく、何をするかなんですよ」
と言う。正しいことをしている時は、自然と感情も改善されていく。
ところが深いな感情にこだわったまま時を過ごしていると、
改善につながる行動を取れないで終わってしまう。自分の生活を改善
してくれる精神的、身体的行為に関心を集中すること。それが、本書の
行動哲学であり、<ブレインロック>を克服する道である。
236 :
zztop:2007/11/16(金) 22:30:12 ID:5a9/gcQT
<大事なのはどう感じるかではなく、何をするかなんですよ>
ブレインロックをはずすには、四段階方式が、この本には提唱されて
いる。
@ラベルを張り替える。(自分が強迫性の障害に悩まされていると
認識する
A原因を見直す(それは脳の生物学的アンバランスが原因だと知る)
B関心の焦点を移す(強迫行為を拒否し、別の健全な行動に
焦点を移す)
C価値を見直す(強迫観念は無意味だと自分に言い聞かせる)
237 :
zztop:2007/11/16(金) 22:40:53 ID:5a9/gcQT
そもそもこういった掲示板で議論するということは、相手がいると言う
想定上のことだと思うんですが、結局、(そう)考えているのは
自分でしかないんですね。
しかしその想定が大事なんだと思いますが、想定が現実を越えることは
ないんです。こういったところで表現は少し違ったかもしれませんが、
「愛の糊で、あなたの思考の断片をくっつけたい」というような
発言は現実にはやはりありえないのであって、あくまでもあなた774さん自身が
思っていること(ほんとかな?)なんですよ。
238 :
zztop:2007/11/16(金) 23:34:53 ID:5a9/gcQT
正直言わしてもらうよ。774さんって、わかりやすい。
精神世界で、商売しているひとではない。
なんかの団体の命で、カキコしてるひとだね。
本当に修行してね。まちがった修行するとさらに
解りやすくなる。
239 :
zztop:2007/11/16(金) 23:37:25 ID:5a9/gcQT
31、もうあいてにするなって。
商売の奴はまだええんや。
指定組織はくだらん。
240 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/17(土) 02:01:20 ID:wsZsLpyo
最近浄土さん来ないな…
241 :
神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 05:53:03 ID:brbNiDr6
るっせーよ
242 :
31:2007/11/17(土) 08:23:53 ID:XWtvkxqj
>〉239
ZZちゃんおはよう、
尾関老師オモシロイひとだね、
むかし大仙院拝観したとき、くっついてきて説明してくれた、
そんであんたは、日本人で初めて合衆国大統領になりますって言った、
???
>>229 オリオンビールのほうが美味いかもです w
244 :
zztop:2007/11/17(土) 20:00:35 ID:C5sE2JSm
尾関老師といえば、昔、一冊だけ本読んだなぁ。
内容はなんにもおぼえてないけど。老師自ら説明とは、なんとも
運がいいのか悪いのか、まあいいんだろう。うらやましいから。
大徳寺は龍源院の庭園拝観したことがある。吟龍庭か。自分はああいう
庭の方もいい。苔むしてて隣の垣根が当たり前に見えて・・・
大仙院ってばりばりの石庭のイメージがあるけど。まあそういうのもすきだから、こんど
いってみるか。
245 :
神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 20:03:22 ID:brbNiDr6
雑談 乙 !
246 :
神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 21:37:34 ID:6aH5mwcq
悟りかぁ。明日の朝まで悟りの勉強に行ってきます。
だけど現世に帰ってきます。
247 :
神も仏も名無しさん:2007/11/18(日) 13:30:50 ID:oUlNzWT/
マジきんもー☆
248 :
メデア:2007/11/18(日) 17:34:20 ID:dLBZzCbZ
>>774 は詳しそうだから聞いてみよう。
思考によって自他を区別していて、ホントの自分は思考でしかない
としたら、その思考の発生源は何?
植え付けられた記憶や生きてきた環境が影響してるとしても
その中心に自己の塊みたいなものはないのかな?
同じ環境、似たような記憶でも思考は全くの同じにはならないで
個体の独自性みたいなものってないのかな・。・
249 :
神も仏も名無しさん:2007/11/19(月) 00:00:24 ID:+1JWMPE/
ノノ゛゛ヾ
ノリ|‘ o^ノ| おわりんこ
250 :
へぼ将棋:2007/11/19(月) 13:05:23 ID:F3RT5tcq
思考の発生源は脳やコンピューター?等色色あるのか?
空の空間に色入って私?
251 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/21(水) 11:04:57 ID:1AdZ0HvP
>でもね、本当に自己の脱落した人は知るなんて表現しません、
>自分のない実感=無から出る言葉だもの、自我の痕跡を窺わせるものなどないのです
知覚はあるが、自我の感覚は無い。自我ではない何かがある。
31さん。あなたは私がクリシュナムルティを引用しているだけだと言いたいよう
だが、それは違う。私は自分の体験として語っている。
そういう意味で言葉は実に不自由だ。しかしあなたの私に対する判断はあなたの
ものであるので、それには私は干渉しようと思わない。誰もが色つきのメガネを
かけて他者と世界と自分を見る。それは仕方のないことだし、誰かからその色つ
きメガネの事実を指摘されても、なかなか認識できるものでもない。
不可能ではないが。
また私は、悟りと言う言葉について仏教的な解釈の範疇から自由だ。
悟りは私にとって、自分自身と世界の認識の深まりを意味する。広義の意味での
リアライズであるし、本源的な認識である。「自分自身を知る」これが私にとって
の悟りだ。それが仏教的な意味で正しいかどうか、などどうでもいい。
教典に書いてあることと違うというなら、それは一種の教条主義である。
そもそも釈尊の悟りは何か? 悟りを知覚する「者」はあり得ないという
定義から判断するなら、釈尊が「私は悟りを開いた」ということ自体、あなたの
解釈では間違いということになる。あなたは釈尊の悟りを否定しますか?
そもそも誰が悟りを評価するんでしょうか。悟りを開いた第三者ですか?
その第三者の悟りを何が保証するんでしょうか。こういう風に評価に囚われると
悟りというものが本当にあるのかどうかという話になります。
それでも悟りはあるんですよ。そこを掴まないと、ただの仏教の信徒です。
わたしの言ってることは伝わりますかね?
252 :
神も仏も名無しさん:2007/11/21(水) 11:29:27 ID:60erA+hK
つたわりません
253 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/21(水) 12:07:08 ID:1AdZ0HvP
>思考によって自他を区別していて、ホントの自分は思考でしかない
>としたら、その思考の発生源は何?
記憶です。そうでしょ?
>植え付けられた記憶や生きてきた環境が影響してるとしても
>その中心に自己の塊みたいなものはないのかな?
あまりこういう言い方は好きではありませんが、
「大いなる自己」とでも呼べそうなものがあることは、認識しています。
しかしその全体像は私にとってまだまだ探求の対象です。
>同じ環境、似たような記憶でも思考は全くの同じにはならないで
>個体の独自性みたいなものってないのかな・。・
個体の独自性...私たちは自分は独自だと皆思っているようですが。
しかし個人のこころの動き方と働き方というもの共通しています。
思考と記憶は大いに関係しています。そのメカニズムは共通している
わけですね。だから心理学という分野が成り立つ。
また思考は伝染性を持っています。だから宗教や政治的プロパガンダ
が可能でもあります。思考も記憶も見ていくと自分自身のものと呼べる
ものはことごとく無いことに気づきます。
そうではない本来の思考の独自性はありうるか。独自性は思考には
影響を与えるかもしれませんが、思考そのものではなく、ひらめき
だと思います。ひらめきは記憶と関わりありません。それは個人の
ものではなく、どちらかと言えば未知からもたらされる恩寵のよう
なものです。それが何か。未知です。
>>248 単純に脳の造りの違いが個人の思考の差だよと言ったら夢が無いか。
人は過去の記憶、脳に記憶されている単語やイメージ、その日の状態や気分なんかが合わさって思考を作っている。
そして、本人の中でよく使われて来た・思い出されて来た記憶やイメージはより影響し易くなっている。
元々脳の体質でドパミンの出やすい・出にくいという違いもあり、気分が良くなりやすい・落ち込み易いという差もある。
本人の体温で、その日の気温に対する感想と気分に対する影響もまた違って来る。
同じDNAを持つ一卵性双生児の思考が似てくるのは、その差が比較的少ないからなのかな。
正直俺も、本当の自分という精神的存在を信じてみたい気もするが、少し酒が入っただけで支離滅裂になる人間の思考に、本当も嘘もない気がする。
恒常的に酒に近い物質が人間の脳内では出ているが、これが多い人はハイな思考だったり、少ない人は鬱な思考になったり。
どれ位の量が出てる時の思考が、本来の自分の思考と呼べるのだろう。
結局思考というものは物理的な影響の塊であるから、本人を特徴付けている純粋な精神的存在はちょっと疑問だな。
宗教板でこんな事言うと怒られるかも知れないけどな。
255 :
へぼ将棋:2007/11/21(水) 18:06:49 ID:VKhNotbO
全世界意識と全世界単位の脳(知性)?が出会って世界が出来たのかな?
私は自分が感じてるもの以上かも。
>>248 思考の発生源は自己、自我、自分という意識、実感です。
つまり自分と自分以外の存在の間に生まれるズレ、ギャップ、分別です。
記憶はあってもそれに執着しなければ思考は生じない。
クリシャナムルティは悟っても個性は残ると言ってますが、それはおそらく肉体感覚のような
ものです。
肉体が違うからその差はでる
自我はなくても身長体重は違うし、その差はでる
例えば体温が違うから同じ気温でもある人は暑いといい、ある人は涼しいという
でもそれは体感したままであり、思考ではありません
そういう差がでますし、そこから出る言葉も表現もかわりますが、でも自己、自我という中心は
ありません。
257 :
神も仏も名無しさん:2007/11/21(水) 23:40:49 ID:bP0VnNkg
253さん、
大いなる自己、どうやって探求するの?
未知からもたれされる恩寵ね
それ、恩寵のほうが、探してるんでしょう
地球限定の生得権だろうか?
258 :
神も仏も名無しさん:2007/11/21(水) 23:43:28 ID:zE73TbCb
アンドロイドは電気ヒツジの夢を見るか
259 :
神も仏も名無しさん:2007/11/22(木) 12:16:04 ID:bxYTGhPY
悟った人が2ちゃんになんかくるのか?
260 :
神も仏も名無しさん:2007/11/22(木) 13:17:49 ID:lV/SGaOc
脳内でだけ悟った人なら沢山いるよ。
理屈を理解するだけなら、わりと簡単だし。
261 :
神も仏も名無しさん:2007/11/22(木) 14:59:44 ID:yShXkin6
262 :
zztop:2007/11/22(木) 16:09:00 ID:D5jDA5Qk
未知が大事で、記憶から自由でありたいと、書くと同時に
人に聞いてるw。自分の中で整合性つかないことは、普通黙してる
ものだけど・・・それほど他人が馬鹿だと思う理由はなんなの?
253の(言う)ひらめきってなんなの?ひらめき」について述べる
と同時に、自分の体験に基づいて語ってると言っている。
なら、未知、とひらめきで文章、終了させて言いわけ?
263 :
31:2007/11/22(木) 17:52:43 ID:wPZuIqVg
>>251 私は自分の体験として語っている。
OKです、どんな体験をしようと、意識が爆発しようと、背骨が震えようと、
でもそれでおしまい、しかしおしまいにできない、それを引きずる、
そしてそのように引きずることが苦しみを産む、再体験したい、人に理解してもらいたい、自慢したい等々
捨てる作業が必要です、そしてこれが、一大事業、険しく労多くして益少なしですか、
いえいえ、何かにつけ無頓着になる、益多しです
〉悟りは私にとって、自分自身と世界の認識の深まりを意味する
〉「自分自身を知る」これが私にとっての悟りだ。
無いものを知ろうとすること=妄想です。貴方はその妄想行為を後生大事にしています。
白隠禅師は何百回も何千回も悟りを開いたというけれど、その意味するところは同じだと感じます、
認識の深まり、だとか慈悲のレベルとか、その比較判断している根っこ、
自分が残っています。根はちんけな自己満足の輩
〉釈尊が「私は悟りを開いた」ということ自体、あなたの
解釈では間違いということになる。あなたは釈尊の悟りを否定しますか?
私という言葉は、貴方にとっては自我、感覚作用を含むんでしょうが、釈迦も同じだと考えていますね、
釈迦のものと思しき般若心経には、自分=空であり、そこでは、無眼耳鼻舌身意だといっているようです、
つまり自我と感覚はないよということ、あなたとまるで認識が違いますよ。
〉それでも悟りはあるんですよ。
自我がつかむ究極のパラダイス・ゴールとしての悟りではなく、
誰もがそれであり、忘れている本来の面目があるようです、
その本来の面目に行き会うには、自分だと思っている自信、誇り、経験、信念
何でもかんでも捨てることがやり方ですか、
難しい、
264 :
zztop:2007/11/22(木) 19:20:35 ID:D5jDA5Qk
自覚的に感じることは、道理を勉強すれば(肉体技法、心理的な技法ともに)、勉強する意思が
あればできる。しかし、本当に、自覚的に行動できるようになるのは案外むづかしい。
けれども慮るに、むづかしいと思うのは、勉強が足りないから、と感じるのも違うらしい。
ならば、最初にもどって本当に、自覚的に感じているのかというのもあやしく
なってくるw。ただ、自覚という、スイッチだけは入れることが出来る。
その辺は凡だの玄だのあるかもしれないね。毎度わかりにくい文章悪いなw。
265 :
zztop:2007/11/22(木) 20:08:27 ID:D5jDA5Qk
やっぱりそんなんないかな。玄とか凡とか。(法悦)はあるかもしれないね。
しかしそりゃ多分、やっかいだ。
266 :
31:2007/11/22(木) 22:20:56 ID:wPZuIqVg
>>264自覚的に感じているのかというのもあやしく
なってくるw。ただ、自覚という、スイッチだけは入れることが出来る。
なんだ、ZZも結構クリシュナムルティ好きなようですな、
自己想起って言葉、グルジェフも好きなのかな、
関係なくばスルーね、でも彼らに加えてOSHOW、EO
精神世界の著名人、おもしろいけど、物足りない
自己の真面目を示してはいない、捨て切っていない、
一物を待った人だったね
267 :
へぼ将棋:2007/11/23(金) 10:48:05 ID:J9DqedbG
結局 お釈迦さま。キリストと言っても。私がついてきたら
私と同じレベルになってしまう。レッテルはレッテルか。
私を語っているのか?
268 :
へぼ将棋:2007/11/23(金) 12:54:10 ID:J9DqedbG
私は実力無い恥かいた。反省すいません。
269 :
聖なる者:2007/11/24(土) 14:56:25 ID:Yl2zv4ow
270 :
神も仏も名無しさん:2007/11/24(土) 15:25:04 ID:jbJ04g+p
271 :
31:2007/11/24(土) 19:41:47 ID:jGC/aapO
>>269悟りを開きたい人は是非読んでみて 凄くおもしろいよ
フィクション作品として面白くできてるね、
でも饒舌で、まわりくどいし、様々にある悟りの名言を羅列しているようにしか見えない
EOは過去の霊的体験をベースに、ラジニーシなどのアイデアを肉付けして、誇大広告打っているだけだよ、
本を売る為の商売かな。彼の文章、
〉私はたったひとつの確実な大悟者の判定方法を知っている。
それは『無制限の隔離実験』である。
いつ出られるという保証のない数年の歳月、完全な暗黒の部屋に閉じ込めて、
そこで発狂しなかった場合にしか、私はその者を大悟者とは認めない。
なぜならば無限の無との対面に耐え得るたったひとつの意識が本当の大悟だからである。
似たようなことラジニーシが言ってたね、
それにしても、なんともぐちゃぐちゃな屁理屈だこと、
彼が認めているバーナーデッド・ロバーツやオショウはこの実験にパスしたのかね、
272 :
zztop:2007/11/25(日) 01:31:06 ID:WzpJHW7r
はたまた、現代は情報に事欠かない。
なにが本物か、しいては、本物とは何かという議論まで。
精神世界の棚にありそうなのにも、隠れた名著はあるにはあると思う。
一冊あげると、「それでもあなたの道を行け」−アメリカインディアンの
ナチュラルウィズダム
「内容もいいけど、表題だけで十分」
切れが違う。さっと読めて、風のように去ってゆく。
風のようにやってくる。間違っても風をとらえるようなものではないよ。
273 :
神も仏も名無しさん:2007/11/25(日) 03:05:44 ID:ewJrYg5L
ちょこちょこハンネ変えんなボケ!(^-^)v
274 :
zztop:2007/11/25(日) 22:58:36 ID:WzpJHW7r
オキシジェンの濃度ぐらい
自分で決めてもええやん。ああはははははは
オキシジェンが先かごはんがさきか、まあきめたらええ
275 :
神も仏も名無しさん:2007/11/26(月) 18:13:07 ID:s1HXqQ9S
まぁ
能ある鷹は爪を隠す
だな!
このスレのオマイラへ!
age
276 :
zztop:2007/11/26(月) 23:06:27 ID:sOf8Ir0v
272で紹介した、「それでもあなたの道を行け」そして
加島祥造さんの著作がいいよと、、、、紹介しておくよ。
結局並大抵じゃないかもよ。きばりや〜〜〜〜
んちゃ(ばいばい)
277 :
西成リョウ:2007/11/27(火) 13:54:05 ID:rsIHm08o
悟っている人とは、いい人のことだよ。
あれこれ能書きを述べるのは、優越感に浸っているだけ。
日々出会う人々に、心から好意を持って接する事が出来る人間が悟った人間だね。
それは悟りというより優しさなんじゃないのかな。
悟ってるひとより優しい人のほうが好きだけど。
悟ったら優しくなるのではないかなぁ。
280 :
神も仏も名無しさん:2007/11/29(木) 16:39:18 ID:i0KDCKL3
三昧って何なんだい。
281 :
神も仏も名無しさん:2007/11/30(金) 00:00:20 ID:58nik+R9
すべての人間は神様の作品だからね。
軽くは扱えないよ。
>>280 没入すること。 と、日記には書いておこう(古〜 w)
283 :
神も仏も名無しさん:2007/11/30(金) 15:03:45 ID:DTtHz1NS
>>279 悟ったら、立ち位置がもう自我じゃないから、
自我である自分らにとってはあんまり優しく感じないんじゃないかな?
突き放したような、素っ気無い感じの人格ってイメージ…。
考えてみれば自我ってかわいそうだよね…、
自ら苦しんだ挙げ句、お前が犯人だって言われて、救われずに
消滅させられて…。
>>283 悟ったら自我でない、というのがよくわからないのだけど。
もしかして自分自身の意識?
そうだったら利己的でなくなってやっぱり優しくできるようになるって気がする。
285 :
神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 18:55:52 ID:3KXKnhrN
悟りを開いて20年30年すると子供の心になるよ。
いつもクラブの女の子に子供みたいと言われます。
心は大人、子供どっちももっているよ。
誰でもそうだと思います。
余り人と違うところはありません。
たった一つ違うとしたら、悩みの代わりに、
大安心があります。
絶対肯定があります。
286 :
神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 19:05:42 ID:h5EHXBrx
オマイラいい加減にしろよ!
自我が無くなったら優しくばかりは出来ないだろ
地球温暖化だってなんとか変えようと思ったら負担になるだろ
>>285 >大安心があります。
>絶対肯定があります。
いいなぁ〜
289 :
聖なる者(主イエス様):2007/12/05(水) 18:48:03 ID:19aiSAkO
290 :
聖なる者(主イエス様):2007/12/05(水) 19:06:12 ID:19aiSAkO
『私は、本当は、生の中で一体何を求めているのだろうか?』
それに対する答えがもしも出た場合は、私には次の問いが出てくる。
『なぜ、私はそれを求めるのか?。
それを求める事が、なぜ必要なのか?』
そして、ここで、私は逆の方向から考える。
『もしも、私がそれを求めなかったら、どうなるだろうか?』
その答えは、『つまらなくなり、生きてゆく気がしない』
・・・・・・・・・
では、結局のところ、私を含むすべての生き物の活動とは、
「空腹という不幸」が生まれる事をまずその根底のルールにしており、
それを回避しようとして、生き物はつき動かされてゆく。
人が幸福を追求するその動機も、たったひとつしかない。
それは「なんらかの不幸や不足を感じている」という事だ。
そうでなければ、幸福など求める理由がないからだ。
しかし、では、そもそもなぜ我々は不幸を感じるのか?。
それは、ずっとじっとしたままで動かないと、空腹による苦を感じたり、
心理的に落ち着かない状態に定期的になるように「何者かに設計された」からだ。
すなわち、宇宙の万物を動かし続けるために、生物たちが不幸と幸福を延々と繰り返し、
ぐるぐると『常に動き続けるような設計』を誰かがしたのだ。
では、なぜ、我々生物はそのような設計をされたのか?。
それは、もしも宇宙がその「動き」を止めたら、万物が消失するからである。
ならば、問うが、そもそも、この宇宙とは、なくてはいけないものなのか?
答え・・・「最初から存在などしなくても、誰も困らない」。
291 :
聖なる者(主イエス様):2007/12/05(水) 19:15:45 ID:19aiSAkO
これは、たとえば、ひとつの企業が、「本当に我が社は社会に必要なのか」という、
その根底の存在意義を問うことも全くせず、ただ単なる惰性と、倒産しないために、
必死に生き延びようとするのと全く同じ動機である。
宇宙もまた、明確な理由や目的によって存在しているのではなく、
ただ、自分が消えまいとして生き延びようとしているだけである。
そして、そのための「使い捨て燃料」が我々・・・すなわち全生物である。
宇宙は生まれた時から絶対の虚無という闇を敵視し、
自分が無に消え去る事を恐怖している。
それ故に、全生物は、常に飢えて苦しみ悶え、幸福を求めてはウロウロと動き続け、
その結果として、宇宙の存続に貢献する燃料・肥料・活動を生み出す役目を背負って、
永久に生き続ける事になっている。
すなわち、我々は「幸福になるため」に生きているのではなく、
ただ「生き続けるため」だけに、『幸福という名の自殺防止薬』を探させられているにすぎないのだ。
こんな宇宙には、私は2度と存在したくない・・・・。
http://www.mumyouan.com/e/eo-i.html ↑
悟り(絶対幸福)を手に入れてから自殺した人のホームページ
292 :
神も仏も名無しさん:2007/12/05(水) 19:35:50 ID:HraJKLMO
フィクションの人物をあたかも実在したかのように語っているページですよね。
着眼点はおもしろいところもあり、文章力があるから読ませるけど、
退屈しのぎにはいいかな。という程度ですね。
ある程度の悟りを理解(体験)した人が書いてるんだろうけど、所詮創作上の人物って気は
するかな
カスタネダと同じで大げさな分おもしろいけど、その分、真理からズレてもいるよね
作者はウケを狙わずマジメに取り組んだほうがいいとも思うんだけど
294 :
神も仏も名無しさん:2007/12/05(水) 23:22:30 ID:eE4r1U5C
魂の望んでいるものと、人としての心が望んでいるものの違いかぁ・・・?
文章、長ぇ〜〜〜〜。本より本人自身の知識を聞きたいなぁ。
295 :
神も仏も名無しさん:2007/12/05(水) 23:40:41 ID:8/2P0PkX
だか〜ら
オマイラいい加減にしろよっ!
小さな悟り(気づき)の積み重ねが大悟
反省することがいつも大切だよ
まず謙虚な精神を養うこと
297 :
神も仏も名無しさん:2007/12/06(木) 00:15:23 ID:ZLQsBm8Z
マジで
オマイラいい加減にしろよっ!
自分が馬鹿だと気付いてる人は悟ってる
299 :
聖なる者(主イエス様):2007/12/06(木) 07:40:29 ID:SK8Xwqyv
http://www.mumyouan.com/e/eo-i.html ↑
悟り(絶対幸福)を手に入れてから自殺した人のホームページ
↑
これを書いた人の人物はフィクションですか?
しかし 内容は事実ではないでしょうか?
詳しく知ってるかた 教えてください
しかし この宇宙は狂気の産物だという見解は
かなりまともな観察結果だと思いますよ
この宇宙が狂気の産物だというのは 今の霊界通信にも
たくさん書かれております
つまり 内容自体は盗作や作り物ではないと思うのですが。。。
皆様の意見を聞かせてください
また 悟りを開きたい人は神の使者や奇跡のコースで勉強すると
いいと思います 奇跡のコースは日本語訳をした人がいるので
ネットで探してみてください
>>299 鈴木ほうざんってのがEOだってのが一般的見解だよ
つまりEOってのはほうざんが創った創作上の人物ってこと
自身で体験してるかどうかわからないけど覚者の話をいろいろ読めば同じようなことはごまんと
書いてあるよ。
だからってパクリ、盗作とは言わないけど
ところで宇宙が狂気の産物だとして、狂気とそうでないものを分けてるのは誰?
そういった特定の価値観を持っている視点で真理のような普遍的、絶対的なものを見出せる
と思うかな?
EOなんかよりクリシュナムルティとか読んだようがよっぽどいいと思うけどな
人の話しが嘘か本当かなんて、書いた本をいくら読んでも一生解からない
自分で体験するのみだね。
自殺するのはたいてい思い上がりですよ
自殺して表現してみても
大切なもの総てを喪うだけで対価少ないよ
音楽も死んだら聴けない
変なものに憧れておつむ覚醒(゚∀゚)してこの世に狂気しか見えなくなったら
反対に静かに生きるようにするといいよ
死ぬのは何かを受け入れられないからだからね
受け入れられないものがあるような器で真理も悟りもあったもんじゃない
>>301 確かに。学生時代鵜呑みにした歴史すら危ういしね。
信憑性という不安定なものに頼っている実際がある。
>>302-303 ちょっと例題。
絶対なる安楽死が可能な薬があり、一瞬の苦しみも無く死ねるとして…
「今ならこの薬であなたを殺してあげます」と言われたら、どうだろうか。
1.この先、どのような死に方をするか分らないまま生き続け天寿を全うするか。
2.この誘いにのり、今すぐ安楽なる死へといざなわれるか。
ちなみに俺は、1.だけれど…
もし、「絶望」経験者ならどうなるだろう。
連投スマソ
306 :
神も仏も名無しさん:2007/12/07(金) 05:52:06 ID:ffAQk6wE
>>305 絶望とか自殺志願者だって今の状態よりよくなりたいって意味じゃ生きたいのと一緒なんだよ
今の状態よりいい状態が死しか想定できないってだけ
結局生きてるやつも死ぬやつも未来を今よりよくしたいと思ってる
本当に絶望してる(なんでもどうでもいいし望みなどない)ヤツは死んだりしないよ
望みを絶って普通に生きるだけ
死を特別視するから自殺志願者を絶望してるとか言うけどあいつらも生きてる人間と同じ
ようによりよくなりたいんだよ、欲求満載だよね
というのが答え
308 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/12/07(金) 08:23:22 ID:UOOTpfD4
>>306 おっ。◆SKMlSPfKqU久しぶり〜。酉はどうしたの?
元気してたかな。
そっかぁ。◆SKMlSPfKqUは2.かぁ。
前にも聞いたけれど、何か辛い事でもあるのかい?
この世は結構冒険心をくすぐるものがあるよ。
>>307 >今の状態よりいい状態が死しか想定できないってだけ
それこそまさに絶望じゃないかな。
生きるには欲や望みは不可欠だよ。飯食ったり寝たりさ。
色々な人の話を聞いていると、一筋縄ではいかないみたい。
2ちゃんなら、自殺関連スレとかに行って、
死にたい人たちの話に耳を傾けてみたりするといいかもしれない。
(ROMね。ピリピリしとるから。でも、優しい言葉なら喜んでくれるかも)
カルチャーショックを受けると思うよ。死の哲学者がたくさんいるから。
望みの無い人生には終止符が打たれてしまうものなのかもしれない。
それ(死)が誰にも共通する結末だから。見送るか、受け止めるか。
俺はそれを見るのが辛くて、色々悩んで考えているんだけれどさ。
仏教もそれで勉強をはじめてみたんだけれどさ。中々良い答えが見えなくてね。
今のところの結論は1.なんだ。
死も欲求ってのはこのスレで前にも話題にあがっててね。
そん時、俺は307さんと同じで「積極的な死は欲求だ」って言ってて、今もそう思っている。
だから
>>305の2択を出した。どちらが悟りを得た者の答えなのか。
自殺は肯定されるべきものなのかってね。
>>308 >生きるには欲や望みは不可欠だよ。飯食ったり寝たりさ。
植物や動物も欲や望みがあるから生きてるってんならそれでいいんじゃない?
生きることと欲、望みは別だとオレは思うけどね
飯食うのも寝るのも欲な部分とそうでない部分がある
食いたいと思わず食うこともできるし、寝たいわけでもないのに寝ることもできる
欲求なしでも行為はできるよ
呼吸だってしたいってわけでもないけど自然にするでしょ
自然に行うことと欲求は別だよ
自殺者なんて結局欲まみれだよ
望みがないなら死という望みもないはず
生きるのが嫌なら、嫌な分だけ違う何かを求めてる
何かを望んで何かを求めて、欲求のかたまりだよ
310 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/12/07(金) 09:32:56 ID:UOOTpfD4
>>309 >生きることと欲、望みは別だとオレは思うけどね
確かに。
でも、その欲の種類があるにしても、
その動物的な欲求すら満たせないことを苦に自殺する人もいるよ。餓死とかが怖くて。
日本は豊かと言っても、格差社会だし、世界に目を向ければもっと酷だよね。まさに絶望。
>自殺者なんて結局欲まみれだよ
まみれかは別として、自殺は欲求だと俺も思う。
でも、死が望みというのは、ちと俺の中では違うなぁ。
安楽死とかみたいに死を望むって言葉はあるけれど、どうも違うと思う。
というのは、みんな最初は生を望んでいて、やむなく死を選ぶと思うから。
望みってのは希望だからね。
望みのニュートラルは生だと思うんだ。
>何かを望んで何かを求めて、欲求のかたまりだよ
例えば、死を選ぼうとしている人が今実際にいたとして、
「この言葉によってその人に何が出来るか」って俺は考える。
その人は散々苦しんだあげく、欲求のかたまりと言われ、身も心も苦しんで死ぬ。
そこに「酷だな」という思いが俺にはよぎるんだよね。
自殺に至る経緯ってやつがあると思うからさ。
例えば、俺が言った例の2.を仮に307さんが選んだとして(ないだろうけれど)、
「そうか。欲求のかたまりだな。」ということは俺には出来ない。
思うのも忍びない。
〜今日は寝るのでまた来ます〜
>>310 >というのは、みんな最初は生を望んでいて、やむなく死を選ぶと思うから。
生を望んでいるのではなく、現状維持かよりよい存在の仕方を望んでると思うけどね。
つまり今よりマイナスにはなりたくない。
死を選ぶ人も同じでしょ、今よりマイナスになりたくないから死を選ぶ
今がマイナスだと思うから死を選ぶ
結局マイナスを受け入れられない、あるいはマイナスに感じてる自分を変えることができない
自分で自分を不自由にしてるんだよ
そういう意味では欲求に飲まれて不自由に生きてる人と同じだと思うけどな
>そこに「酷だな」という思いが俺にはよぎるんだよね。
そうだね、オレも自殺したい人にこんなこと言わないけどさ。
でも自殺したい人が立ち直るには自分のそういうマイナスを受け入れられない部分、自分で
不自由にしてる部分、自分の欲求に気付かないといけないと思うんだよね。
自殺したい人を、欲求のかたまりだ、なんて切り捨てることはしないけど、本人がそれに気付
かないといけないと思うかな。
自殺しないためにさ。
312 :
神も仏も名無しさん:2007/12/07(金) 13:16:06 ID:ffAQk6wE
酉、や〜めた〜
と言うより忘れたよ(思い出せない) セロ!いや ゼロ!
313 :
ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/12/08(土) 01:33:21 ID:tEUyI8vC
>>311 >自分で自分を不自由にしてるんだよ
確かに。死なんて楽になる保障のないものに頼るよりも
生きて楽を体感した方が良いと思う。
>でも自殺したい人が立ち直るには自分のそういうマイナスを受け入れられない部分、自分で
>不自由にしてる部分、自分の欲求に気付かないといけないと思うんだよね。
そうだね。不幸に直面している人たちに、いかにしてそれを分ってもらうか。
そこら辺が重要だと思うんだ。
不幸は、人の思考を180度違う方向に向けるから。
>自殺しないためにさ。
そう。俺もそう思っているんだ。307さんが良い人で良かったよ。
勉強にもなったし。ありがとうね。
ところで、悟りを啓いた人の決断はどちらなんだろう(
>>305)。
>>312 そっかぁ。酉はやめたのかぁ。
セロは君でしょ(笑)
314 :
へぼ将棋:2007/12/08(土) 08:59:22 ID:sqGapSsT
何も考えず座禅したら借金や病気や色々な事
その間だけでも忘れられる。楽しい熱心にやるになればよい。
315 :
神も仏も名無しさん:2007/12/10(月) 02:07:09 ID:nyyxI+a4
↑でも現実は?
現実の中で自由になってこそ悟りだよね
座ってするのだけが瞑想ではなく日常が瞑想だとオモ
317 :
神も仏も名無しさん:2007/12/10(月) 16:54:01 ID:y28g+B/r
318 :
神も仏も名無しさん:2007/12/10(月) 20:06:40 ID:+y3FeOgd
>>305 問う者 としての投稿者
今生の人生に於いて悟りを得ずに死するは、誰しも「絶望」経験者として死する者也。
319 :
へぼ将棋:2007/12/10(月) 21:58:44 ID:R/Xz4XOr
320 :
神も仏も名無しさん:2007/12/11(火) 05:50:04 ID:JxoVa2ku
>>319 問う者 としての投稿者
何に絶望するのか理解出来なければ、悟りも亦、能わず
右から左に受け流す〜
他人に親切にしてれば悟ってることになります。
324 :
神も仏も名無しさん:2007/12/17(月) 15:19:46 ID:aHMqQTMm
自然に生きて結果的に親切ならわかるけど、親切を意識してるのは悟ってないかな
不自然でもいいんです。今を正しく生きていればそれが悟りですから。
他人に親切に生きていること自体が悟っている人の生き方になるのです。
悟っているかいないかにこだわることもありません。
>>326 仏教的な意味の悟りならそれは悟りじゃないよ
それは単なる人格者
悟っているかいないかにこだわってないなら悟りという言葉を使うのも止めたほうがいいと
思うよ
328 :
神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:02:00 ID:WcjFDkvC
エゴイストたち!
329 :
328:2007/12/23(日) 13:06:50 ID:WcjFDkvC
誤爆ですスマソ
330 :
神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 16:12:02 ID:JZX1mL79
彼女がフェラをしたがりません・・・・・・・・・・ふと気が付くと
包茎の上ちと臭い・・・・・
はぁはぁぁぁん・・・・・ これだっ!!!!! と気が付きました
これは悟りに近い感覚でしょうか?
わからないものをわかるためには言葉ではダメ。
わかったと思っているうちはわかっていない。
わからないものをわからないと認めることが悟りの一歩じゃないの?
言葉にできないものを言葉以外で理解することなので、たとえそれがどんなものかわかったところで掲示板では絶対に伝えられないな。
一皮剥けた感覚やね
333 :
神も仏も名無しさん:2007/12/28(金) 13:44:05 ID:yObvclkk
南無真如一如大般涅槃経と心の中で祈る
335 :
神も仏も名無しさん:2008/01/27(日) 21:55:47 ID:87l3fYg7
『霊性の開発』五井昌久著 白光出版
(内容)
自由自在心について
本心の律動と業想念の波動
悟りということについて
潜在意識と本心の開発
自力行と他力行
運命の修正と守護の神霊
霊性開発について
人間の本質は霊性であって、物質体ではない。だから人間が真実に救われる
ためには、どうしても自己の霊性を開発しなければならない。
霊性が開発されていなければ、真実の道を歩いてゆくことは出来ないからである。
本書は日常生活の中で出来る霊性開発の道を説く。
お前らTVつけろwwwwwwwwwwwwwww
ニュース見てビビッたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
本物のサトリがスレに降臨中!不気味な心情を生々しく語り、殺人予告!
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/geino/1201442239/ 貼ってあったから見てみたが、マジでゾっとした。日本は平和だけど怖い奴いっぱい居るんだな
まだテレビで放送されるなら、目立つAAでも貼っておきたいがw
最近のマスコミや警察はこんなことで動くもんなのか?
このスレで犯罪教唆してるやつってここのコテハンじゃんwwwwww
337 :
神も仏も名無しさん:2008/02/03(日) 18:03:10 ID:ThaF9ar7
一生仏に仕えていき悪魔と戦い続けることだよ。たとえこの世で覚っても自分の周りから悪魔が消えるわけではない。悪魔とも共存しているんだから・・。仏は地球を、または宇宙を救うような大きな大願をもっているんだよ。
(゚Д゚)ハァ?
339 :
神も仏も名無しさん:2008/02/04(月) 22:48:00 ID:s4d7tPkM
あのーみなさん時間の無駄してるだけですけどー。
340 :
神も仏も名無しさん:2008/02/05(火) 15:02:18 ID:8bJlLWQX
ぁあっ!!そうだったのか…ついに、ついに突き抜けたっ!
なんたることか。たったこれだけ、こんなこと。
あはははは―っ!歓喜と静寂、法悦と平凡、言葉では表せられない。
とても、とても…
ぴったりきた、という感覚は確かにある。
342 :
神も仏も名無しさん:2008/02/05(火) 17:24:15 ID:/stSjegQ
悟りとは、空を知ること
食うもしること。
放屁するのか、なされるのかはしらないが、
ぶっとすりゃ、ぐっとくるのである。
それが悟りだ。「ドライヤーでケツの毛は
しっかりかわかすべし。」悟りの手法としては
座を組むより至便なり。ただこの方法はあまりにも
凡庸に悟りに至る為、封印されてきた。
悟り」がすきなのか、それとも本当に悟る必要があるのか
それがもんだいだ。
後者なら毛つげをドライヤーで乾かすことをおすすめする。
笑うかもしれないが本当のことなんだ。
びっくりしなされ
けつ毛にトリートメントは欠かせません。専用のモノを使いましょう。
344 :
神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 18:25:33 ID:w24Oh38g
なんかまじ、悟りそうな雰囲気・・・
どうした?
346 :
神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 19:10:31 ID:w24Oh38g
いや、めまいだったようだ。
おさわがせしましたね。こりゃ・・・
347 :
神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 19:51:28 ID:w24Oh38g
ああ、今日中にさとってしまう。あああああああああああ
嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ああああああああああああああああああ
どうしよう・・・・・・・・・・・・・・
皆、おさきぃ・・・・・
めまいじゃなかったのか?w
349 :
神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 20:04:08 ID:Xo6jbLBq
悟りは別に仏教だけではなく、
よーく考えて研究してみれば、聖書でも開けるけどな。
それに気付けないなら、悟っていない証拠かもね。
350 :
神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 20:05:48 ID:w24Oh38g
毛つげトリートメントしちまった。
あああ
悟ってまう。頓悟やぁ、多分
かっこわるぅ
あああああ、また連絡するよ
完全に悟りを勘違いしてるなこいつ。
このバカのははただの昂揚感みたいなもんだな。
完全に悟りを勘違いしてるなこいつ。
この馬鹿のはただの高揚感みたいなもんだな。
完全に悟りを勘違いしてるなこいつ。
このバカのはただの昂揚感みたいなもんだな。
さとりとはこういうことです。
すなわち
股顕われる
355 :
神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 21:17:57 ID:w24Oh38g
猫立ち上る夕べ
犬から詣でて
猿の木々
みなからみなまで
猿の木々
356 :
神も仏も名無しさん:2008/02/28(木) 21:18:49 ID:w24Oh38g
パシコタイム
パシコタイム
すべて
過ぎ行きつれづれなるままに
嗚呼いけいけ
パシコタイム
357 :
さぱぱ:2008/02/29(金) 14:41:30 ID:p2wHnsZO
さぱぱのおどろき。
まんで、ぶーーーーーーーーーーーー
おどろいたか。
これがとうしつの言葉のランチといわれるものだ。
気仙沼公園のお兄さんが喜んだのは
力岩からではないのだ。
だからカノジョはぐっさんと結婚した
散らし寿司つくったのは彼女の方だったのだ
そうか
サラーっと1から読んだんだが。
ぶっちゃけると。
悟る必要も無くね?
何事にも必死になれない俺には悟りなんて開けなくて良いし。
>>359 まあね。
少なくとも、自分の存在意義に関して
悲観的に悩んだりとかしてない人には、
別に必要でも何でもなかったりする。
それに、誤解してる輩が凄まじく多いんだけど、
悟った所で、別にいきなり超能力者になったり
高潔人格になったりする訳でもないしな。
361 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 17:45:16 ID:p2wHnsZO
まあね。
さぱぱの思うには悟りというのは
二語マリン だと思うんあ。
悟りに取り付かれてるんじゃなくて
地がそのものだよ、自我が悟りという言葉、
発音、そのものが自我そのものとなるんだよ
さぱぱのワンポイントレッスン
362 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 17:51:10 ID:p2wHnsZO
さぱぱはこどもたちとともに
サブマリン投法をじょじょにちかい。
わははははははっはははあっは
悟ったふりで自分を騙すのはやめな
364 :
さぱぱ:2008/02/29(金) 18:40:24 ID:p2wHnsZO
わははははは
おれは悟りとはいわないよ。
すなわち
さぱぱ
だよ。
チミィ
>>363 放っといたれ。
自我に固執して浮かれてるみたいだし、何言っても無駄そうだ。
366 :
さぱぱ:2008/02/29(金) 18:44:13 ID:p2wHnsZO
あはあっはあははははあああああ
さぱぱってすごいね。
さぱぱって
さぱぱだよ。
367 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 18:45:47 ID:8MdIrHHe
死ぬまで探求、死ぬまで向上心、死ぬまで青春。
これが悟り。
みつを
368 :
さぱぱ:2008/02/29(金) 18:45:56 ID:p2wHnsZO
ところで
さぱぱ>さとり?
さとり<さぱぱ?
さぱぱ≧さとり
さとり≦さぱぱ
ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜湯気〜〜〜〜〜〜
いい湯だな〜〜〜〜〜〜〜〜あはは〜〜〜〜〜
369 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 18:59:30 ID:2gTCQCM6
中嶋悟って悟った人?
中島さんは、横でしゃべっている人の顔を見ながら、首都高を爆走できる凄い人
当然悟ってるんだ。
遊んでる奴は電波・お花畑板へ逝けよもう。
372 :
神も仏も名無しさん:2008/03/05(水) 11:06:41 ID:MyyZOItd
781 名前:のほほん名無しさん[sage] 投稿日:2008/02/28(木) 22:07:50 ID:???
あーあ、私段々透明になって消えないかな…
と思うぐらい全くもってめんどくさい
生きてると悩みとかできちゃうし。悩むのめんどくさい
でも悩むの止めて笑えないし、自分の気持ちめんどくさい
-----------------------------------------------------------
という書き込みを見て久々に小悟しました
思考し気持ちを思い浮かべている自分に改めて気付き、そんな自分がめんどくさくなったので
自己が抜けました
ついでに自分をめんどくさく思う自分も抜け落ちました
久しぶりに脱落、からっぽになりました( ^ω^)合掌
373 :
神も仏も名無しさん:2008/03/05(水) 15:38:49 ID:vbdIPWPS
悟りに大も小もないっての。
なんだよ小悟ってw
375 :
神も仏も名無しさん:2008/03/06(木) 01:34:03 ID:l8QgPLjY
禅とかでいう小悟大悟じゃないの?
まあ大も小もないってのもわかるけど
>>19 孔子が個々人で指導内容を変えていたのと同じだな。
小 五
ロ
り
ストライクゾーン狭すぎないかね?
なんかわかったような気がしたことはあるが、
しかし悟ったからと言っても、その内容を
実践していくのはまた別な気がしてきた。
別に悟りなんて、
何かを続けなければならないという実践目標でもないから
誤解なきよう。
人は物心つく頃には分別という奴を持ち込んでしか
世界を認識・知覚できなくなってるものだけど、
分別を持ちこまないで世界を認識・知覚する経験をして、
そういう世界の見方が存在する事を知るという
「気付き」が、いわゆる「悟り」と言う奴。
言葉という物は、世界の一部分だけを切り出して、つまり分別して認識するツール。
だからこそ、悟りの視点は言葉では根本的には説明できない。
「俺は何も悟らなくていいんだよ」
381 :
神も仏も名無しさん:2008/03/17(月) 23:17:00 ID:ppGeBvc5
悟るとは、自我が「仏性」と出会うこと。仏性は無意識の中にいる、いると言うよりも、
無意識を、操縦する者といったほうがいい。悟る時は無意識から意識に戻る時。
悟ると、悩みが解消される「絶対の安心と、絶対の自由」が手に入る。それは
絶対肯定という事になるからです。
まあ悟ったら肯定も否定もないけどね
自我も無意識もないし仏性もない
仏性とか仏性でないとか分ける自分もない
>>383 他のスレで神秘体験とか書いてたひと?
悟りと神秘体験は同じだと思うよ 基本的には
鈴木大拙あたりも神秘主義的なこと言ってるし
なにより仏教は体験主義
体験したことが全てですよ、悟りがどうとかの定義はどうでもいい
神秘体験とそうでない体験も区別ないけどw
神秘体験した自分としてはそう結論するにいたった
385 :
八祖慧糸:2008/03/18(火) 09:39:10 ID:vi/IU5xy
生きてるだけで神秘体験してるというのに。
言いたいことはわかるけど生きてるという神秘体験に気付けてない状態が日常だよ
神秘体験とはこれまでの全てがリセットされて生きてるだけで神秘体験だと再び思える
ようになること
まあ、リセットされたら神秘体験も日常体験の区別もないけど
日常が神秘とか言ってる人間の大半は概念を持ち出してるだけで、ほんとの生きてる神秘
に触れてないよ
生きてる神秘に触れたら呼吸してるだけでもすごすぎて他人の書き込みとかどうでもいいし
ま、こうやって書き込んでるのはおれも神秘から遠ざかってるからなんだけどね
>>384 > 悟りと神秘体験は同じだと思うよ 基本的には
いや、それは違うと思う。
>>387 どうして違うと思うのかkwsk
ちなみに神秘体験者?
本人に取っちゃ悟った瞬間はさも神秘のように思って
SUGEEEEEEEEEEEな気分になるかも知れんけど、
結局自分は自分のまま変わってないってとこに落ち着く。
>>381 絶対の安心とか言うけど、不安のままで安心するってとこだけどなw
実生活に悩み事があるなら、悟ったからって
それが解決する訳じゃないから別に安らぎはしないけど、
どこかで納得してるというか。
>>388 神秘体験が悟りとするならば、LSDや妄想、魔境の類も
悟りと誤認されてしまう。
>>390 そりゃ神秘体験の種類によるでしょ
魔境が悟りへの通過儀礼なようにLSDや妄想も仏性と自我の関連から起きる
つまり悟りと根源は一緒だと思うよ、経験上ね
なぜ魔境や幻覚に留まるかといえば、空の世界に自我を持ち越そうと自我自体がするから
自我が消える(空)は怖いからね
空の世界には入ってる(空の世界を体験してる)のに自我が残ってしまってるのが幻覚や魔境
そこに自我がどれほど残ってるかのパーセンテージの問題で、悟りと根源は同質だと思う
悟ったら自我は0でしょっていうかもしれないけどそこが大悟と小悟の違いだと思う
悟りったって自我が少しばかり残ってる人もいるし
完全に自我が0%になったらもうこっち側に戻ってこないからね
それに神秘体験っても世界と同一化したり禅でいう主客同一のような体験も多いよ
>>391 ぱっと気がついた後、俺は悟った凄いんだとか言って
浮かれてうぬぼれたまま戻ってこないのもある意味魔境。
あと。
「空」の認識が間違ってる。空は無・消滅と同義ではない。
悟ったという認識も自我がするもの。
大悟と小悟なんて物は存在しない。
>>392 そういうことは踏まえた上で言ってるんだけどな
大悟と小悟なんて物は存在しないっていうのは簡単だけどそれすらも存在しないって言われて
どうどうめぐりでしょ
空の認識なんて言葉で表現できないんだから、言葉で矛盾がでるのは仕方ないよ
言葉にした時点でそれは違うって相対的になる
それは無限なるものを言葉で区切ってるんだから当然
そんなこと言うなら〜ないって言い方自体存在しないよ
まあ、いいけどね
394 :
神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 19:56:43 ID:mcRtAFy4
ふんふん、興味深い。
例えばマリファナだと酩酊感に対して抵抗がある内はただ気持ち悪いんだけど
酩酊感を受け入れようと覚悟した途端に豊かな世界が訪れたりする。
あれは一部の感覚が鋭利になってる訳だけども、そこから何か悟りに繋がるものもあるんかな。
>>393 表現できないからと言って、
誤解を与える可能性の著しく高い物言いは見過ごせない。
そういう意図から突っ込んだまで。
表現できないのを承知で表現するにせよ、いやむしろ逆にだからこそ、
より伝わる書き方を目指すってのが筋って事。
表現できないと言っても、それでも誰かに伝えたいからレス書いてるんだろ?
なら極論(一面の真実だからまた始末が悪い)で開き直るなよ。
396 :
神も仏も名無しさん:2008/03/18(火) 20:04:43 ID:mcRtAFy4
>>395 伝えたいなんて特に思ってないよ
自分が神秘体験をしたときにそれがなんであるかわからなかったから、同じような状況に
いる人がいたら、その人の考えるきっかけになると思っただけ
はっきり言って同じような体験した人間なら、ああ、とわかるよ
だから誤解を与えるとは思ってない
体験してない人間はどんな見解からだって誤解をまねくしね
あなたの書き込みからだって
それに誰かが誰かに何かを伝えられるような視点から言うのはやめたほうがいいんじゃないかなあ
悟りは自分自身で自己を洞察して得られるものでしょ
他人の書き込みなんてきっかけにすぎない
>>394 幻覚剤によって感覚が鋭利になるのは、鋭利になっているのではなく、本来鋭利である知覚
を統制(抑制)している脳機能(自我)がリセットされるため
つまり日常が知覚を抑え込まれてる状態で、幻覚剤によって元に戻ってるだけ
でも元に戻るのを自我が阻止しようとするからバッドトリップや幻覚を引き起こす
全てを受け入れる(自我を無くす)ことができれば悟りとおなじ状態になる
でも幻覚剤はやめたほうがいいよ
それを使う(使えば悟れる)という感覚が無意識のうちに自我になってるから
使わなくても同じ状態にできるようになるし
というのが自分の見解
399 :
神も仏も名無しさん:2008/04/11(金) 10:38:54 ID:8IylI3pr
最近あまりあーしようこーしよう、あーありたいこーあるべきだ、と考えずに
直感で、というより自然に行動するように心掛けているんだけど、
不思議とこの方が何事も上手くいくね、明らかに。
小学生の頃の自分に戻った感覚。
実は高校生のときに東大医学部名誉教授の講演を聴いたことがあって、
その人は「決まったことなど何もない」ということを大学受験の浪人中に突然悟って、
そのあと急に成績が上がって模試で全国トップ10に入ったと言っていた。
もしかしたら自分もその感覚を掴みかけてるのかも知れない。
考えないのは悟りへの道だけど良し悪しの分別してるからそれは悟りではない。
あなたの人生が快適なら悟りも必要なかろう。
401 :
神も仏も名無しさん:2008/04/12(土) 13:59:18 ID:JMeE/AJJ
>>399 良いね!詳しく知りたいな。
あまり考えずに、頭をからっぽにして行動する感じ?
こんな所に同士がwww
世界は終焉に近いですね。
俺はこの世は欲望と犠牲が永遠のテーマだと悟りました。
犠牲を否定する人間のせいで犠牲が近々暴走するでしょう。
そんな皆さんにドラマ「相棒」がオススメです。
騙されたと思って見て下さい。あのドラマの脚本家と構成作家は素晴らしい
403 :
八祖慧糸:2008/04/22(火) 17:15:13 ID:ZK0KUtSp
せっかくだからここにもかいておこう。
怒らず憎まず怨まず、考えず願わず貪らず ・・・ 不幸につながる思いや念を制して
祈らず唱えず愛さず 慈悲の念をも抱かず ・・・ 幸せを生み出さんとする欲をも制して
ただただ自分に【忍耐と節制】とがありさえすれば、そこにそのままありのままにある、幸せが失われることがない。
自分に忍耐と節制をもたらさないような余計な修行、功徳、徳業、善行を信じない、とらわれない、しない。
【自分そのものによくよく気をつける人々が増したならばこの世が良くなる】これが真理、法。
信じて行えば安らぎに至る。。。不死の境地に赴く。死の恐れがなくなる。
このことを信じるのが仏教を信じること。忍耐と節制が仏への道。 さとりにいたる。
404 :
神も仏も名無しさん:2008/04/26(土) 10:22:12 ID:v9yVtNrH
>>403 だからお前は悟りすまして説教するなと言っただろ。
L -‐ '´  ̄ `ヽ- 、 〉
/ ヽ\ /
// / / ヽヽ ヽ〈
ヽ、レ! { ム-t ハ li 、 i i }ト、
ハN | lヽ八l ヽjハVヽ、i j/ l !
/ハ. l ヽk== , r= 、ノルl lL」
ヽN、ハ l ┌‐┐ ゙l ノl l
ヽトjヽ、 ヽ_ノ ノ//レ′
r777777777tノ` ー r ´フ/′
j´ニゝ l|ヽ _/`\
〈 ‐サイフ落とすなlト、 / 〃ゝ、
〈、ネ.. .lF V=="/ イl.
ト | 固定観念 とニヽ二/ l
ヽ.|l 〈ー- ! `ヽ. l
|l 落とせ! lトニ、_ノ ヾ、!
|l__________l| \
まずは、悟ってる人間はこんなとこにごちゃごちゃ書き込んでないってことから悟れ。
>>406 悟っている人は執着のない人だと思われる。とすると、
一つのスレに執着して張り付いてずっと読み書きして
いるということはまずありえないとは思うが、かといって
来ないとも限らない。いつ吹くか分からない風のような
ものだ。来るかも知れないし来ないかも知れない。
悟りと無気力の違いを教えてくれ。
無気力はあほの人の結論 さ鳥は最高の知恵者の結論
ほう
412 :
神も仏も名無しさん:2008/05/10(土) 23:42:37 ID:kJ9BzHP2
悟りってこの世の本当のカラクリのカナメが判っちまうことなんだよね。
『なーんだ、そうだったのか! 』
で、アホらしとおもって居直るのもいいし、
カンドーしてはしゃぎまくるのもいい。
いずれにせよ、ホントーのカラクリを踏まえてやっていくのが当然だ。
たとえば、「彼女」が実はオトコだったと悟ったとき、あなたはどーするか、
それが問題だ。
413 :
神も仏も名無しさん:2008/05/10(土) 23:43:11 ID:kJ9BzHP2
悟りってこの世の本当のカラクリのカナメが判っちまうことなんだよね。
『なーんだ、そうだったのか! 』
で、アホらしとおもって居直るのもいいし、
カンドーしてはしゃぎまくるのもいい。
いずれにせよ、ホントーのカラクリを踏まえてやっていくのが当然だ。
たとえば、「彼女」が実はオトコだったと悟ったとき、あなたはどーするか、
それが問題だ。
414 :
神も仏も名無しさん:2008/05/11(日) 00:00:05 ID:kJ9BzHP2
連投すまん。
415 :
神も仏も名無しさん:2008/05/18(日) 11:24:35 ID:05EjL1Ff
悟りって、そんなに凄いことか?何のことないと思うが。
416 :
神も仏も名無しさん:2008/05/18(日) 12:51:57 ID:PaZ++WhX
最近体験してることが事実
他の奴どうでもいい、感覚的に世界が小さく感じてきている。
高2病ってやつかな?どうでもいいけど。
実際自分は悟り開いてるとかどうでもいい。今感じてることが全てでそれは自分にしか分からないし解けない。
言葉で表せないしそれが思考に追いつけない。
でも不思議だ。答えがすぐにわかる。
これはいろいろ経験したから味わえるんだろうなー
今まで間違った選択をしてこなかったって言ってもいいんだよな
417 :
神も仏も名無しさん:2008/06/05(木) 23:30:41 ID:w+Y9tNxr
「私」は分解されて無になり、もはや存在しなくなってしまったが、その代わりに、
目覚めた意識、つまり私は生まれながらにこうであり、永遠であり、
全宇宙であるというはっきりとした存在の意識だけが表れた。
これは説明するのが不可能に近いのだが、そのときの私は人間であることを
完全に超越していた。人間としての感情は全く消えうせ
地上での記憶は夢のようになくなっていた。個としての私は1つの夢だった。
意識は何処にも偏在する点のようなもので、もちろん、体のイメージも全く存在しなかった。
時間は完全にストップしたように感じられ、空間は上下左右もない無限の空間だけがあった。
この意識には始まりも終わりもなく、永遠の現在だけがあり、したがって輪廻転生も存在しなかった。
究極の自由とは正にこの状態だということが直感的にわかるのだ。
日常の意識に完全に戻るには夕方までかかったことを記憶している。
いつも高揚した神秘的な意識状態にいることだけが理想の悟りの境地ではない
ということに気づくのには大分時間がかかった。
日常とは全く違う意識があることを知り、なおかつ普通の世間並みの生き方をする。
これは芝居でもしているように難しいことである。もし弾が飛び交う戦場の真っ只中にあって、
「皆さん、これは芝居なのですよ。この世はマーヤーなんです」
といったとしたらどうなるだろうか?誰も耳をかそうとしないし、
弾は飛んできて自分も傷つくことになるだろう。
このドンキホーテは最後まで自分の信念を貫けるだろうか?
418 :
神も仏も名無しさん:2008/06/05(木) 23:32:40 ID:w+Y9tNxr
おそらく次に述べる結論が、私の人生に対する見方として、死ぬまで変わることなく
続いていくのではないかと確信している。
私の瞑想講座の生徒の中に、1人の修験道の行者がいた。彼は不動明王を信仰し、1時は
短期間に1億誓い大金が舞い込むという羽振りの良い時期もあったが、
その羽振りの良さにもかげりが見えだした。
私はその落ち込みから彼を救い出したいと想って、彼と一緒に瞑想してみることにした。
瞑想の中で私の心眼に1つのビジョンが見えて来た。ゴツゴツした岩だらけの山の中で、
山伏のような格好をした彼はただでさえ歩きにくい山道を、しかも重い荷物を背負って、
下駄をはいて歩いているというこの格好は、大変さを通り越して
、私には滑稽に見えて来た。いくてに急な岩山が見えてきて、荷物を背負いながらよじ登り始めた。
最初は滑稽に見えて、おかしさをこらえながら見ていたが、私の気持ちの中に彼に対する尊敬の念が浮かんで来た。
「行者とは、こんなにまで難行苦行をして常人にとって無意味とも言える生き方をしている
。ここまでして、無意味なことに挑戦するというこの精神は、無知を通り越して、なんと偉大だろう」
なおも見ていると、岩山を登りきったところは平らになっていて、そこが彼の目指す目的地らしかった。
見ると、その平地には彼がもっているよりも上等ななべや釜が用意されていて、
ちゃんと生活できるようになっていた。彼の背負って来た荷物は目的地に着いた時不要になるのは明らかだった。
この瞑想から、私は多くのことを教えられた。彼に限らず、ほとんどの人は必要のない重荷を背負って、
必要のない苦労をしながら、人生をあえぎあえぎ生きているのが実情である。
金持ちの中には有り余るほどのお金を蓄え、失うまいと不安な日々を過ごしている人もいる。
あの世のは一銭ももっていくことはできないのに。
419 :
神も仏も名無しさん:2008/06/05(木) 23:34:31 ID:w+Y9tNxr
宇宙の悠久の時の流れから見たら、人間の一生などは瞬きの瞬間にも相当しない。
私には人々がこのはかない夢のような人生のために、もがき苦しみいがみ合っているようにしかみえない。
行者の彼が、いずれすべてが整えられ、満たされた地点にたどり着くように、全ての人間が「悟り」といわれる満ち足りた世界、
境地にたどり着くということを知っている。今生でその境地にたどり着くかもしれない。
あるいは百回も生まれ変わったのち、やっとそこにたどり着くかもしれない。
だが目的地にたどり着けば皆同じである。そこでは時間は幻のように消え、あるのは同じ至福だけである。
速かろうが遅かろうが、悟りの境地から見たらたいして重要ではない。長い夢を見て目が覚めても
、短い夢を見て目が覚めても、覚めれば同じである。夢は必ず覚める時があるということだ。
私は人生は時間の長い夢であるという結論に達している。悟りを求めて瞑想するという努力は
人生という夢から目を覚まそうという行為にほかならない。
よく「人間は何のために生まれて来たのか」と尋ねられることがある。ソレに対して「カルマがあるから」
とか「修行のため」とかもっともらしい理由をあげることもできるが、
私の結論は「ただ夢を見ているだけである」と言う答えである。
私は人生を高い低いで評価しないことにしている。結局はそれぞれ好きな好きな人生の旅を続けているのである。
高いところから教えを垂れる神々は、それが好きだからやっているのだ。
よく「地獄あっての天国だ」といわれるが、地獄がなければ天国の神様も廃業である。
420 :
神も仏も名無しさん:2008/06/08(日) 06:26:04 ID:mDeARF1g
>>417-419 まったく同感、さらに自分の体験したことと全く同じ
自分にとってもこの世はありがたいものでもなんでもない、ただの自我の錯覚である
ありがたいというのは自分と自分以外のものとが分かれてることから起こる感情である
自分と全てに差がなくなるとそんなことはどうでもいい
感謝も判断もなにもない
ただ全てが存在しているという、スッキリとした感覚やほのかなありがたみがあるのみである
この世の全ては自分の錯覚、自分が見たいように見てるだけだから、自分しだいでどのように
でも見ることができるという意味で、ヒトは完全に自由である
それはありがたいというか、非常に心地いい、どこまでも限りなく無限にスッキリとしている
世間で悟ったと思ってる人間の多くは単なる自己の抑制だと思う
例えばハイになって、他のことがどうでもよくなるようなものだ
つまりは何かに集中することで、他のことに目を行かないようにしているだけだ
これを悟りだと思う勘違いは瞑想や修行しているヒトにも多くみられる
しかし悟りとはハイもローもない、自分がまったくない状態だ
何にも集中しない、集中する対象も、集中する自分もない状態だ
そしてその状態になると人間は逆説的に、全てに集中できるようになる
時間も空間も現象もそこに違いを見出す自分がないから、全てが同じようにただ見える
しかしその状態にはなってみないとわからない、これを体験したことのない人間に説明する
のは全く無理だ
でも、自分の中に何かがあるうちは、それは悟りではないといえるだろう
自分と自分以外のものとの間に差を、違いを感じるならそれは悟りではないだろう
悟りは自分自身を見つめる、自分の自我に気付くだけで体験できるものだ
ただ人は本当の意味で自分を見つめることができてない、自分がわかっていないのだ
ただ見つめてる、わかってる気がしてるだけである
この錯覚から抜け出すのは簡単だが難しい
でも簡単なんだよ
>まったく同感、さらに自分の体験したことと全く同じ
どうやって体験したのですか?
>この錯覚から抜け出すのは簡単だが難しい
>でも簡単なんだよ
今でも自由にそういう境地へ出入りできるのですか?
質問、悟るとどんないいことがあるんですか?
423 :
神も仏も名無しさん:2008/06/09(月) 07:38:27 ID:iEGfHbXo
>>421 >どうやって体験したのですか?
きっかけはいろいろありますが、根本的には、自分がつくってしまっている自我、価値観、
自分の気付いてないこだわりに気付く(見る)だけで体験できると思いますよ
気付く(見る)ことができればそういうのは瞬時に勝手になくなります
なくならないのは、本当には気付けて(見れて)ないからです
たとえば名声なんていらない、意味がないと言ってる人でも、深層心理では他人に認めら
れたい、ほめてもらいたいなんて思ってますよね
この場合は他人に依存している自分の正体の根源を100%完全に気付けない(見れない)と
体験できません
他人から本当にどう思われてもまるで自分とは関係ないのだと、存在することはそういうこと
なのだと気付けるまで無理です
でもそれができた瞬間、自分が、自分の見ていた世界が瞬時に勝手に変わります
>今でも自由にそういう境地へ出入りできるのですか?
自由にはいかないです
ある程度のコツはありますが
自分の気付いてないこだわり、自我に気付いた瞬間に勝手にそこに行きます
でも自分の気付けてないこだわりに気付かないといけないので、なかなかむずかしいのです
ただ自分自身を見つめることを続けていればそういうことが起きてくるのです
>>422 いいことも悪いことも全ては自分の内面にすぎないというような自由さがありますよ
でもただいいこと得ることを望む人には魅力はないでしょう
そういう願望、欲求もなくなりますし
小学校低学年、幼稚園の頃
目を閉じて 両まぶたを押さえて
真っ暗闇の中 白い光を見ようと目をこらす
見えているのかいないのかを真剣に考えた結果
自分って物の小ささが怖くなってそれ以上は考えないようにした
高校生になった今でも目を閉じて見える光は追わないようにしてる
425 :
通りすがりです:2008/06/09(月) 08:02:18 ID:IMoIcmZZ
悟ることは閉ざされていた過去世の自分の意識知識が開かれ本来の自分自身を知る事ではないのですか? 教えて下さい
>>425 スレを間違えてないか?
スピリチュアル系のスレにでも行けば満足のゆく回答が得られると思うぞ。
俺の知る限りじゃ悟りはそんなもんではなさそうだし。
427 :
通りすがり:2008/06/09(月) 09:23:28 ID:IMoIcmZZ
428 :
神も仏も名無しさん:2008/06/09(月) 09:24:22 ID:Gdj+9Dtd
悟りというのは、迷いを去って真理に通ずるもの
429 :
通りすがり:2008/06/09(月) 09:30:51 ID:IMoIcmZZ
>>428 悟りは、気付き、価値観が変化し真理に向かうと考えていいのですか。
>>429 そゆこと考える自分すら無いのが悟りらしい。
だから悟らず悟りについてあれこれ考えるのは無駄っぽい。
431 :
通りすがり:2008/06/09(月) 10:15:34 ID:IMoIcmZZ
悟りって得たいのしれない訳のわからないもので難しいですね。悟りたいと修行している人にも目標もわからず頑張っている人も多いかも知れないですね。自分も分かりません頭悪いし。
>>423 瞑想はしていますか。
瞑想している最中に気づけたりするのですか?
>>432 瞑想はいろいろ試してみました
いろいろな瞑想法がありますが、瞑想は表面的な感情や自我を静め、深層心理の自分の
正体に気付きやすくするという意味で効果はあると思います
しかし、自我が消えるには自我そのものをただ観るしかありません
瞑想は自我が消えやすくするための方法のひとつであり、自我が消える直接の方法には
なりません
瞑想の最中に気付けるとしても、それは瞑想のせいではなく、瞑想で静かになった自分が
自分の内面に気付きやすくなったからです
また、瞑想をすること自体がひとつの執着となり、逆に悟りから遠ざかる人も多いように
思います
瞑想をすれば悟れる、瞑想をすれば何かを得られる、瞑想すればそこに何かがある、と
思うのも自分のこだわり、自我でしょう
瞑想は悟りの段階で効果をあらわす場合もありますが、わざわざ瞑想なんてしなくても
悟れるときは悟れると思っていたほうがいいように思います
悟りを開いた後も社会の中で生きて行かねばならないと思うのですが、
悟りを開いていない多くの人達とのコミュニケーションはどういう風にしていますか?
例えば、芸能人やその時々のニュースの話など、所謂雑談を振られたらどう返しますか?
>>433 すべてに同意です。
そういう体験をした後身体的な変化はありますか?
436 :
神も仏も名無しさん:2008/06/10(火) 08:41:42 ID:uhp4SLz6
>>434 悟ったひとは後光が輝いて一般人には仰ぎ見る存在でしかなく
畏れ多くて話しかけたりなどしてきませんよ。
見るからに高潔ですばらしいひとに対しくだらない話題は普通は振れません。
>>435 身体的が何を指すのかむずかしいですが、行動はゆっくりとなり(五感全てがフルに知覚する
ためそうならざる得ない)、味覚視覚などもかわりますし、身体は軽く、頭はどこまでもスッキリ
しています
また、寝る時間は少なくなり、性欲もわかず、食欲もほとんど感じません
生きるのに本当に必要な分の必要欲求しかないかんじです
あと疲れたりもしないですね
>>423 でも自分の気付けてないこだわりに気付かないといけないので、なかなかむずかしいのです
そういうのに気づかせてくれる人が周りにいるとなおいいよね。
やっぱり人間関係は大事だと思う。
>>437 寝る時間は少なくなり、性欲もわかず、食欲もほとんど感じません
普段どのくらい寝てますか?
>>439 自分はまだ悟りっぱなしになったわけではないので、日常の状態だといくらでも寝てます
眠くなるだけ、まあ7〜9時間は寝てますかね
そういう状態(いわゆる悟りと呼ばれるような)でいるときは一日3、4時間くらいですかね
身体が必要な瞬間(昼とか夜とかいう区別はない)に寝て、寝覚めは完全にスッキリしています
まどろみのような、寝ている状態と起きている状態の中間の状態はありません
普段眠くなるのも身体が必要としてるからではなく、心理的要因が大きいことがわかりました
不安からの逃避や解消、身体が疲れてる、人間は寝なくてはならないという思い込み、日常
から生じる自我をリセットさせたいとか、いろいろな心理的要因ですね
食欲や性欲なども、みなそれを必要だとか本能だとか思っていますが、実はほとんど自分が
勝手につくりだした心理的要因からだと思います
>>438 働くことが必要であるならばそれもいいかもしれませんね
>>440 ちなみに普段は何をされているのですか?
失礼ですがご結婚はされていますか?歳はいくつくらいですか?
個人的なことですがよかったら教えてください。
あと、何年くらいこういう修行とか悟りとかに関心を持ってらっしゃるのでしょうか。
>>442 仕事は自由業です、宗教も神秘的なことも関係してない仕事です
歳は30代後半です、結婚はしてないです
悟りかどうかはわかりませんが、幼少のころから生と死について考えてました
今振り返ると20代後半から真理や悟りに取り組みはじめたんですかね
明らかに日常と違う世界を知るようになったのは30歳くらいからだと思います
その頃はそれがなんなのかわからず、自分の気がおかしくなったのかと思いもしました
しかし今から考えると、自分に受け止める状態が整うことによって、それらは段階的に
向こうからきてくれたように思います
これからもおそらくそうなのでしょう
悟りや真理といったものは、こちらからどうかして得るものではなく、こちらの状態によって
向こうからやって来るものだと思っています
悟りはどんな人も平等にひらくことが出来るものなのでしょうか?
知識、経験が豊富な人だけにしかひらくことは出来ないのですか?
>>444 有難うございます。
ちなみに、今まで特定の宗教などに傾倒していたことはありますか?
それとも全くの独学なのでしょうか。何かお勧めの書籍やサイトなどありますか?
>>445 知識や経験がなければ悟れないようなら悟りではないように思います
悟りが普遍的なものであるなら、どこにどのように住んでいようとも悟れるのではないでしょう
か
そうでなくては、それは悟りでもなんでもないのではないでしょうか
>>446 傾倒ってことはないですけど、知識としていろいろ勉強はしました
でも書籍を読んだりで、誰かから直接知識を得たりとかではないです、独学ですね
仏教がしっくりきますが、仏教は体験主義だと思っているので、体得できれば特に知識の類は
必要ないと思っています
悟ったといわれる人にも会いましたが、そう思える人は数えるほどで、多くの人は違うと思い
ました
でも僕自身も同じように思われてるのでしょう、そのように(あなたはわかっていないと)言わ
れたこともありますし
自分が一番しっくりくるのはクリシュナムルティですね
クリシュナムルティの本は真理を理解するいいきっかけになるように思います
http://www.geocities.jp/andreaskjp/jk/framepage4.htm 他はテーラワーダ協会などが初期仏教の教えを理解しやすくていいように思います
http://www.j-theravada.net/ その他、自分は禅関係の本などを読んだりしました
>>447 身体的な変化についての返答ありがとうございました。
私の場合身体の調子を崩してものすごくつらい状態を克服したときに
同じような身体の状態になったことが何度かあります。
身体が浮いたように重さを感じなくなり頭がものすごくスッキリし
視野が広がってものがくっきりはっきりと見え、3大欲もあまり感じなかったです。
そのつらい時はただただ身体を意識するということをしていました。
それにより一時的にいろいろな執着がなくなったのかなと考えています。
449 :
445:2008/06/12(木) 18:55:42 ID:20PPdHig
>>447 答えて下さってありがとうございました。
>>446です。
色々教えてくださり有難うございました。
参考になりました。
>447
いつ頃から「悟った」状態になったのですか?
452 :
神も仏も名無しさん:2008/06/13(金) 17:02:41 ID:DIi+bE+b
悟りを得ると本当に言われてるように安心立命といわれる心境に至るのだろうか?
人生をそのような不平不満のない心境で歩めるのだろうか?
いかな立場でも満足した気持ちで一杯なのだろうか?
悟ると全裸とかおかしな格好で外を歩くのも恥ずかしくなくなるの?
454 :
神も仏も名無しさん:2008/06/13(金) 23:37:13 ID:sMsZIVuS
欲を無くせば悟れるのでしょうか?
455 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/06/14(土) 05:20:14 ID:OP6bWY0M
悟りとは、当時の輪廻思想からの脱却であり、
分別や差別で曇る事の無い理想人格。
悟ったとか言ってるタワケは、
「ワタシは美人♪」
と言ってる心のブス共と同じ人格障害者。(笑
神秘体験とか霊感も、悟りの目安では無い。(笑
仏教の真髄は、術や異能なんてレベルとは違うのさ♪
(^。^)
>>448 自分と同じだと思います
視野は広がりますよね、あれは何かに視点を合わせるという無意識の我が無くなるせいだと
思います
人間は無意識のうちにも、自分に必要なものとそうでないものを分けて、常に何かに視点を
合わせてますからね
同じように頭の中も、なんの曇りもなくなりますよね
永遠という感じでしょうか
意識すべき対象がなくなり、逆説的に、全てに意識がいってるような、なんの区切りもない
ような状態ですよね
ちなみに
>>447で紹介したテーラワーダ協会のすすめる瞑想法は、ただ自分の身体を意識
する、という瞑想法です
体験されたことと同じかもしれませんね
精神の状態は身体に出ますし、自分の身体をきちんと意識するということは、自分の内面
を洞察するということになるのかもしれません
なにより、自分の身体を知ると、ふとなにかに気付いたり、我や執着が消えたりしますよね
逆に我や執着が多いときは、自分の身体を意識できないように思います
>>451 初めて悟りのような体験をしたのは7年前くらいですね
ただ日常との摩擦でまた我が生じてしまうので、何度かそういう体験を繰り返してるだけです
それは悟りじゃないとか神秘体験にすぎないと言われればそうかもしれません
457 :
神も仏も名無しさん:2008/06/15(日) 07:26:50 ID:+AzE88jp
>>455 悟った方ですか?
仏教の真髄を体得されたのでしょうか、それはどのようなもので、どのようにして得られたの
でしょうか?
よければもう少しお聞きしたいです。
458 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 19:47:29 ID:35cRxeSJ
自分は悟ったとかわざわざアピールしてる奴らって、
「裸の王様」と何も変わらねーよ。
空がわかるとか言ってる奴らは、その透明な服が見えてるって
ことだよ。
ほら、よく見てみろよ。王様どもは皆裸じゃないか!!
wwwwwwww
459 :
神も仏も名無しさん:2008/06/23(月) 01:49:21 ID:cPbm+AMh
私は考えます、人間、死んだ後の事や次の輪廻先の事を想うのが、人間の最高の欲望だと考えます、そこから抜け出すのが悟りと言われるものでは無いでしょうか…
460 :
神も仏も名無しさん:2008/06/23(月) 02:05:42 ID:nLZv/VAb
>>459 有身見といわれる、根本煩悩の消滅と思われます。
悟りへの第一歩です。
おめでとうございます。
さらにその先へとお進みください。
461 :
神も仏も名無しさん:2008/06/23(月) 02:28:02 ID:KweLzSh2
まだ悟る必要はないんじゃないか?
半端に悟りを持つと人生がつまらなくなるだけだと思う。
若い頃はいっぱい働いていっぱい恋した方がいい。怒ったり泣いたり笑ったりとか。
今はみんな子供を生んだり何かを残しながら楽しい未来を繋げていけば良いんじゃないかな。
下手に宇宙や生命に興味を持つ人が増えて、悟りの時代が始まれば、人類はすぐに滅亡の道を進むだろうな。
今やってる映画「神様のパズル」はかなり悟りに近い思想だと思うよ。
少しずれるけど「ぼくらの」という漫画もすごいね。二つを合わせたらもっと近いかもね。
宇宙は生みたがってる。
始まりはジュネーブから。CERNの事かな?
462 :
神も仏も名無しさん:2008/06/23(月) 02:37:37 ID:cPbm+AMh
悟った上で対価を求めない、人々への愛、人間としての行動が悟った人(仏陀)と言う事では無いでしょうか
463 :
神も仏も名無しさん:2008/06/23(月) 02:58:18 ID:cPbm+AMh
対価を求め無いから、求められない、ギブアンドテイクが成立しないから、何も生まれないから空では無いでしょうか 人類全てが対価を求め無い愛情をもち人間としての行動がとれれば、争いも無く、お金の要らない世界になるのでは無いでしょうか 連投重複すいません
悟りってオレわかるよ
人の心詠む妖怪だろ?
え?ちがうわなにをすくぁwせdrftgyふじこlp;
悟りのお化けか
筒井康隆さんの家族八景で出てきたね
467 :
神も仏も名無しさん:2008/07/02(水) 12:58:55 ID:mFI4tTOt
自演多すぎwwwwww
そもそも宗教に執着する時点で悟れねぇよwwwwww
いいか?頭が良い奴は難しい事でもわかりやすく説明出来る奴の事
三輪とかそうだな。
お前らが欲しいの名誉だけじゃんwwwwww
三輪ってっ誰?俺の知人にそんな苗字のやつがいるが
469 :
神も仏も名無しさん:2008/07/02(水) 19:22:38 ID:d7ahhaF+
三輪って三輪あきひろか?
アレは世界を全肯定する自分を肯定することで、自分以外の影響を無化する(したような気に
なる)というという手法で、悟りなんかじゃないぞ
悟りってのは空だ
三輪は世界は空だって言っっちゃってしまってる自我だ
空と空じゃないものを分けてる我だよ、こだわり
悟りってのはへんな言い方だが悟りでもなんでもないんだよ
ただの自由だ、ただの全てだ
三輪なんてどっから見てもぜんぜん自由じゃない
470 :
神も仏も名無しさん:2008/07/10(木) 22:46:09 ID:aIjnGb4c
いつ死んでも後悔がない状態。
完全自己責任ですよ。
「業」からは逃れられない。
善因善果、悪因悪果。
死ぬよりつらい目に遭って、理解するしかない。
馬鹿なんだから。
苦しまずに死ぬの、簡単だよ。
即死ってやつ。
「痛い」「苦しい」って感覚味わってる暇もないぜ。
妄想だらけで、分かりもしない先のこと考えて恐怖でいっぱい。
死ぬより苦しいこといっぱい味わってるのに、死にたくないんだよね。
こういう事実に気づくことだね。
471 :
神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 07:16:05 ID:Wiv11y+d
悟りは理屈をわかった状態ですよ
472 :
神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 08:35:27 ID:dFr+1Gcj
(´・ω・`){悟りなんて簡単じゃん。大麻やったら悟れるよ
473 :
神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 10:11:27 ID:MorFEm5s
「悟り」とは「真理の片鱗に触れること」
理屈とかではなく、言葉で伝わるものでもない。
真理の片鱗に触れたから、その部分の因果というかそういう関係、繋がりが理解できるというもの。
474 :
神も仏も名無しさん:2008/07/11(金) 22:18:07 ID:l0CJpCqf
言葉自体、概念、観念を表すものだからね。
外国語を堪能になるのが難しいのは、観念、概念の違いをシフトするのが難しいから。
観念、概念の違いは、それによって引き起こされる「感覚」の違い。
言語の例以外にも、食べ物、音楽、色、・・・。
自分の感覚を「正しい」と思い込む。
携帯電話の電波見えません、感じられません。ないのと同じ。
紫外線、赤外線見えません。
超音波聞こえません。
そんなもんですよ、人間の感覚なんて。
でも私が「おまえ馬鹿」といったら、釣られる人いっぱいいます。
反応し、感覚を引き起こし、怒るんです。
これが「無知」「無明」です。日本語分からない人は怒らないでしょうね。
全ての感覚を引き起こす原因に対する「反応」が、なぜか人によって違う。
妄想の世界ですよ、実はこれが。
感覚を引き起こす原因に対して無知であり、なされるがまま。
というか、勝手にその人がその対象に対して固定概念をつくり、固定した感覚に執着してるだけだが。
現象を実態と見誤る。
自分が感じたから、それを「正しい」と思い込む。
無知ゆえに輪廻してきて、今生の苦を味わっているのに。
私は悟っていませんが、悟った人々の間では、
「あなたは悟りましたか?」という質問自体成り立たないという。
それは、ある実態、概念、観念で生きてる世界の「感覚」。
「無常」は、そう簡単ではないようです。
無いものを有ると思って、様々な執着心を起こし、死を恐れる。
惜しいんだよ、死んだら欲を作っていた対象が無くなってしまうのが。
せっかく「自分のもの」にしておいたものとの別れが。全てにおいてですよ。
「自分」中心の「感覚」の世界に生き、執着している事実に気づくことからはじめないとね。
>>474 そこまでわかっていて悟れてないのですか?
本当にそう思えてないからですか?
悟った人々の間でも、「あなたは悟りましたか?」と言っていいと思いますよ、言わなくても
いいですが
悟ったと言っても、悟りましたか?と訊いても、何もしなくてもみな同じだからです
何をしても全て同じだからです
問題は行為に対して執着や概念を付加しているかどうかであって、行為の内容ではありま
せん
悟ったと言っても言わなくてもどうでもいい、それを判断する自分はいないから
そうではないですか?
476 :
神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 07:07:55 ID:ZVybVaLM
>>474,475
なぜか悟ってる人は悟ったと言ったり聞いたりしないって迷信があるね。
それは日本人はちょんまげと舞妓だらけと思ってる外人と同じ発想。
477 :
神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 12:06:58 ID:ZVybVaLM
悟ったら謙虚になる。
だから悟ったら、それを言うような高慢なことはしない。
って思い込んでんだろうな。
もちろん違うんだけどね。
そうですね
謙虚というのも他人を意識した行為、つまり自我ですからね
もっとも自然に謙虚な人間もいますけど
謙虚と高慢も単なる相対的なものであり、自分の視点、分別、自我ですよね
謙虚とか高慢とか単なる状態に価値を持ち込むのではなく、ただそのままを見ることができ
ればいいのですが
479 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/07/12(土) 14:01:34 ID:InzZouFk
なんだろ?
アニオタがアニメ批評してる様なこのキモい空気わ。(笑
(^。^)キモス♪
480 :
神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 18:01:57 ID:ZVybVaLM
>>479 すまんかったな、せっかくいい気分で演説ぶってたのにさましちまって。
482 :
神も仏も名無しさん:2008/07/12(土) 19:46:35 ID:7jax0Pjp
483 :
神も仏も名無しさん:2008/08/15(金) 03:09:50 ID:pyuynslv
悟りとは、気にしない心。日常の淡々とした行為に小さな感謝の気持ちを持つこと。
どうかなぁ。大きなもの(太陽や地球とか)の恩を忘れないで感謝していることが大事じゃないかな。
それを抜きにして小さなことに感謝するって偽善ていうか、人間の言葉で親不孝者みたいなイメージじゃない?
まず根底にいつも大自然(神様ともいえる)の慈しみに触れて心に大自然の愛というものに十分に溶け込んで
自分という存在を生み出した大親様の大御心に抱かれて魂になんともいえない懐かしさを覚えたりして、
そのように満ち足りた感情で生きることができて初めてその他の感謝ができるというものだから
何をもって悟ったとするかだろうね
座って瞑想中に意識が不動の境地に入るとして、その境地に座れば自在に入れるからその人は悟ったとするのか
いつも喋ってるときも食事してるときもその不動の境地に入ってないと悟ったとは言わないのかで随分変わってくるけど
前者の場合は、座ってないとき普段は普通の人間な訳だし、仮に後者なら普通の人間には出来るわけがないことが可能な超人でなければおかしいとも思うけど
大体、普通悟ったと言われる人は多分前者なのだろう
486 :
明和高校名古屋大学河合希:2008/08/28(木) 18:21:48 ID:yZbWx+uX
悟った人は
レイプ拷問を受けても 心身共に苦痛はゼロだと聞いたことがあります
本当ですか?
ゴキブリの大群に身体をはわれても 幸福感は一切崩れない境地なのですか?
全然気持ち悪くないのですか?
スズメバチの大軍とかライオンを目の前にしても 恐怖感ゼロですか?
誰か 詳しく詳しく詳しく教えてください
お願いします
487 :
神も仏も名無しさん:2008/08/28(木) 19:00:22 ID:lZdYOX/T
悟りを開いた人って
結局、神など存在しなかったという事がわかったんだろう。
結局、ありのままを受けるしかないという事がわかったんだろう。
>>486 ありのままを受けることができるからな、その程度は可能だろ。
ただ、感情という能力は生まれながらあるからね。
よほどの達人じゃないと心拍数はあがるだろう。
488 :
神も仏も名無しさん:2008/08/28(木) 19:03:16 ID:iubmv67v
悟った人の上をゴキは這わないし
悟った人にスズメバチは近寄らないしライオンも近寄りません
そんなことより 悟るとチンコがたたなくなりそうで怖い。
ちんこがたったままになるのも怖いぞ
490 :
神も仏も名無しさん:2008/08/28(木) 19:35:30 ID:lZdYOX/T
俺今、何となくわかったんだが。
神と言われる者は3次元に住んでる奴じゃねーんだよ。
つまり地球人じゃないわけ。
宇宙は、果てしなく広いわけ。
地球を物差しで計ってること自体低レベル。
俺らでは見えない時空で神と呼ばれる者は存在してるんだ。
背後霊、守護霊といった霊は実は違う世界にいった人間であって、
成仏というのは、その違う世界にいってしまった人間を
無に返す科学的方法なのだ。
神と言われるものは、その霊達がいる世界とは別の世界にいるんだ。
宇宙に限りはない。一般的に死というが、死は新たな時空に入る瞬間なんだよ。
491 :
明和高校名古屋大学河合希:2008/08/28(木) 19:55:33 ID:yZbWx+uX
悟った人の上をゴキは這わないし
悟った人にスズメバチは近寄らないしライオンも近寄りません
↑
なんでそんなことわかるんですか?
スズメバチとライオンから直接聞いた話だから確かだ
まあ、悟りってのは自他の境界が無くなることだから、他に襲われることはあまりないかもね
自分で自分を襲わないように
ってかゴキもハチもライオンも自分と一緒だから怖くないんじゃん?
赤ん坊と一緒
>>490 さすが!!
その閃きや、頭に流れ込んでくるメッセージが神からのを受け取った証拠。
人は目でみたもの、経験した物の範囲でしか思考ができないんです。
それを越えた物を理解するのは、この世界を管理する存在からのメッセージです。
この世界の物質は、どんなに細かく分析していっても、原子の中の陽子、中性子なども
分析すればするほど実体があやふやなものであり、
すべては真理というルールのみで成り立っているのがこの世界のすべて。
そのルールを決めた(司る)存在を神と呼ぶのかもしれませんね。
勉強的に悟りを得たいなら、聖書を読んでみるといいもしれません。
そこに示されている言葉の根底に継続して流れている因果の法則のようなものがあり、
それが真理に一番近い。
もちろん真理も示されてはいるが、文章の奥に隠されているので頭で考えて理解しようとすると見えなくなり、
感じようとすると見える真理があり、目に見えない物を見る能力や、耳で聞こえない声(メッセージ)と、
手で触れられない関連の繋がりを触感のように感じる能力が開きやすくなります。
たぶん、
>>490さんは、すでに感じる領域に入っていますから、その感じた事がすでに聖書に示されていることに驚くと思いますよ。
しかし、
>>490さんが、示されていると感じても、それを人に伝えても伝わらなくてはがゆい思いをすることになるかもしれません。
はっきり言います。
>>490さんは、かなり真理を感じて得ています。 聖書を読めば、それがもっと明確になってきますよ。
495 :
明和高校名古屋大学河合希:2008/08/28(木) 22:28:54 ID:yZbWx+uX
まあ、悟りってのは自他の境界が無くなることだから、他に襲われることはあまりないかもね
自分で自分を襲わないように
ってかゴキもハチもライオンも自分と一緒だから怖くないんじゃん?
↑
自分と一緒とはどういうことですか?
赤ん坊と一緒
↑
???意味がわかりません
赤ん坊は 悟りを開いてないし未熟な生き物だと思います
そもそも 悟ってれば 人間として生れないから
赤ん坊の境地は悟りより下です
>>495 マジレスしたほうがいいのかな?
自己と他が別だと認識するのは経験と知識の後付けってことだよ
物理的には別々だけど、概念の上で別かどうかは心が判断すること
正確にいえば物理的に別であることを別であるかどうか判断するのは意識でしかないという
こと
悟りが0プラスαだとするなら赤ん坊は未熟だろうね
0が0であるゆえに全的(個という特定の視点でない)というなら0は悟りじゃないのかな?
もちろん赤ん坊には悟りと悟りじゃないものを判断する認識力がないけど
ただ、状態としては悟りと同じなんじゃない?
というか悟りとは判断する認識力をもったまま赤ん坊の状態に「戻る」ってことかな
仏教で、人はそもそも悟ってるとか、悟りという境地は無い、っていうことと同じだと思うけど
497 :
神も仏も名無しさん:2008/09/08(月) 19:35:43 ID:I2xy5IiW
朝起きてすっきりしてるのも悟り
498 :
神も仏も名無しさん:2008/09/08(月) 22:04:26 ID:J4YGN1Zl
499 :
神も仏も名無しさん:2008/09/16(火) 09:00:17 ID:VIgC7pDP
分からないと悟りは超能力のようなものと思っているんだろね
500 :
神も仏も名無しさん:2008/09/26(金) 12:10:28 ID:huxyfk5e
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
501 :
神も仏も名無しさん:2008/09/26(金) 22:41:32 ID:S0S9BE0S
ここ(自分のいる生命状態)は畜生界=欲望界だったんだ!
っていうスレみたいだな
上も下も他のレベルが見当たらないって純粋さが良い
503 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 18:47:20 ID:MrGzXtKd
○クシィのカルマってコミュニティにあったのが
<悟りとは人間が作った到達点幻想>・・・らしいど
自称大悟者にこう聞けばいい
<あんたに今以上の成長はないのか?>と・・・らしいど
>>16 おれ 今この心境だ というか ただ在る だ
これなに???
オレ どーなっちゃってるの?
長患いはしてるが……悩んだが…………
だれか 説明してくれ。
宗教は勉強してないから わからないぃぃ
この世は なんも ないんだよぉぉぉ 自由 なんだよぉぉぉ
想念が造り出してるんだよぉぉぉそれだけなんだよぉ
>>20 >
>>18 > プロセス?
> といってもむずかしいな、専門家じゃないし。
> 禅とかで言えばこの世の本当の姿に気付くのが悟り。ありのままに観る。ありのままに生きる。
> そのためには経験や記憶や知識、感情、そういった全てを一度手放す必要がある。
> そういったものから見えるものは単なる個人的見解だからね。
> ただ記憶や知識、感情を手放すといってもそれが消えるわけじゃない。
> それにしがみついてしまう自我、経験によってつくられた自分とそれらの依存を切るだけ。
> だからものを食べればおいしいが、おいしい以上においしいわけでもなく不味くもない。
> 味ですら経験をともなって脳で味わっているからね。
> 悟ればそういうことがわかる。
> 個人的に言えば、なんでも初めて食べる味だからおいしいというよりおもしろい味。
そうなんだよぉぉぉ
おれに何が起きてんだよぉ!
とりあえずスレROMってる
>>56 > 悟りたい、それを知りたい、それに成りたい
> その欲求こそ救われたいの一念です、
>
> そしてこの一念こそが問題の張本人でもあるということです
ツボw
507 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 19:57:29 ID:GrEUKrSG
座ったり立ったりする修行なんていうの?2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1220015014/97 97 名前:たか[] 投稿日:2008/10/26(日) 12:45:28 ID:0HyfFK42
目覚めの第一歩、これ、見性の一音ですよ。
赤ん坊が母親から離れた時に、つまり、生まれたときに身体全体に雷鳴のごとく響いた音、これが一音です。
私は自分の体験を通して前からそう思ってるんです。
だからね、この一音を体験してほしいんですね、それだけを伝えたいんです。
何度も書いていますが、この一音体験すれば、無門関はもちろん、白隠禅師の公案などもうどうでもいいこと解決済みです。
これが解らないやつらはいつまでたってもぐだぐだやってる。
解ってもいない人の言う、自分に甘い言葉に引きつけられてかえって前に進まないでいる。
508 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 23:32:29 ID:YHzXAdNM
幸せとは
願うものではない。
願ったとき 想念は『今幸せでない』となる。
想念は今私たちに与えられた最も自由なものだ。
『幸せだ』と想念すればいい
悟ってしまいさえすれば、悟るなんて簡単なことのように思えてしまうから不思議。
簡単簡単サルでもできる
511 :
神も仏も名無しさん:2008/11/02(日) 21:12:21 ID:327CN/qf
悟りは何段階かねーか?
オレそういう感じがするんだけど
513 :
神も仏も名無しさん:2008/11/02(日) 22:26:21 ID:IpIZELXt
悟りは一つではありません。
無限の階段がある訳です。
人生一つひとつの勉強とひらめきが悟りです。
釈迦の伝説の様な悟ったから何時死んでも良いなんてのは嘘です。
釈迦は何一つとして悟り得ていませんでした。
514 :
神も仏も名無しさん:2008/11/02(日) 23:20:14 ID:327CN/qf
>>512 >>511です。
レスありがとうございます。
私は
>>504-506の者です。
それはどういうものなのでしょうか?もし宜しかったらさわりだけでも教えて頂けないでしょうか?
ヒントなどは ありますか?
自分に起きている亊が わかりません
>>513さん
レスありがとうございます。
仏教等 宗教を学んだ亊がないので 私には難し過ぎて りかい出来ないようです。
すみません
515 :
神も仏も名無しさん:2008/11/02(日) 23:29:08 ID:327CN/qf
>>513 ただ 思うのは、命を粗末にしている訳ではなくて
命さえも ただただ そこに 在るだけという 感じにはなりました。
結局は この世界で私たちは自由に生き、演じているような 感覚です。
この世は無だ。という実感があります。
生き続けたいとかという 願望はなくなり、ただ毎日を今をどう過ごすか、
たんたんと その無限に与えられた自由を楽しむ ただ それだけです。
そこには命の終わりに恐れはないです。はいる隙間がないです
516 :
神も仏も名無しさん:2008/11/03(月) 00:02:37 ID:aJHQHw9T
>>515 永遠の生命の否定ですか?
それは悟りとは言いません。
只の思い込みです、試行錯誤なだけです。
517 :
神も仏も名無しさん:2008/11/03(月) 00:43:49 ID:8MHb53uC
>>516 永遠の命とはなんですか?
本当にわかりません
わからないので否定しているか自分で判断出来ません 悪しからずお許し下さいね
ちなみに あなたの悟りをご教授願いますか?
518 :
神も仏も名無しさん:2008/11/03(月) 01:26:18 ID:aJHQHw9T
>>517 人生は修行です。
与えられた人生を歩む段階で何を学ぶかは人それぞれです。
人生の試練なくして悟りはありません。
519 :
神も仏も名無しさん:2008/11/03(月) 01:36:50 ID:8MHb53uC
>>518 ご回答 ありがとうございます。
私の
>>504-506の状態とは どんな状態なのか
何かアドバイス等ありましたら ご教授願えませんか?
今まで ほんの少しですが 苦しい毎日を送っておりました。
が 今はその苦しみさえも 有りがたく、いとおしく、そして 全て自分の想念が作り出したと
はたと気づいたのです。
気づいてしまったら なんだ そういう亊かと 全てが受け入れられました。
未体験ゾーンで多少の恐れがあります
520 :
神も仏も名無しさん:2008/11/03(月) 13:00:12 ID:aJHQHw9T
>>519 あなたは前世において、修行僧であったかもしれません。
全て自分の想念が作り出したと云う悟りのようですが、
他人に通用する悟りでもないと思われます。
西田幾多郎博士の「主客合一」に繋がる悟りのようです。
更にその悟りを深められるのが良いと思います。
521 :
神も仏も名無しさん:2008/11/03(月) 15:14:32 ID:8MHb53uC
>>520 >>519です。
しつこく回答を求め、申し訳なく思います。またご回答を頂き、本当にありがとうございます。
自分などは、何も勉強していない、毎日這いつくばって生きて来たものです。
> 西田幾多郎博士の「主客合一」に繋がる悟りのようです。
> 更にその悟りを深められるのが良いと思います。
>
早速博士の亊を学んでみたいと思います。貴重なご経験から情報本当にありがとうございます。
今私に言えるのは、この 私にとっては 有難い 幸せを 自分で逃してしまわぬよう、
と 日々を大切に生きていく所存です。
深められる時があるかは、わたしの心根いかんの 自然 天に任せます。
本当にありがとうございました。
>>511 まあ、かの白隠禅師ですらも「大悟18回」といって、彼の生涯において目からウロコが落ちるほど大悟したことが18回もあったそうだから。
523 :
神も仏も名無しさん:2008/11/03(月) 23:41:11 ID:8MHb53uC
そうなんですか。
生きてるって 楽しいですね。
わくわく 好奇心でいっぱいです
524 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 00:48:53 ID:pFAjjyNU
人間の段階(階層)には10次元まであります。
悟りの段階とも云えます。
525 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 01:43:22 ID:AgLlVnki
>>524 > 人間の段階(階層)には10次元まであります。
> 悟りの段階とも云えます。
それが どういったものなのか知りたいのですが、
何を調べたら良いか もし宜しかったら教えて頂けませんか?
526 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 02:21:05 ID:4Djzqfmq
全ての生き物は同じルールの中で生を繰り返す、魂の自然の在り方。
人間で在ると基本を忘れる罠。
生を楽しみ、ガパスを貯めよう!
528 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 10:47:38 ID:AgLlVnki
ありがとうございます
529 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 12:07:04 ID:pFAjjyNU
「見られる世界は、見る者の心の世界」であり、見る者、いわゆる主観と
見られる世界という客観は主観即客観で主客合一なわけです。
西田博士の「主客合一」の法則です。
GLA等によれば霊天上界を「精霊界(4次元)・霊界(5次元)
・神界(6次元)・菩薩界(7次元)・梵天界(中間)・如来界(8次元)
・宇宙界(9次元)」と分けていたと思います。
今回は少し訂正を入れます。
この世は5次元生命時空連続体であり、あの世は6次元以降です。
6次元世界は精霊界と霊界に対応しておりますが、この世界は普通のスピリットが居住している霊域であり、
精神的目覚めをある程度悟れている段階の魂が帰天しています。
ところがこの霊域では同一の悟りと言ってもいいわけですが神理を求めている霊と求めていない霊とが混在しております。
6次元世界は、従って神理を求めない「スピリット」と求める「シーカー(Seeker)」とに分けたいと思います。
530 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 12:10:48 ID:pFAjjyNU
その上が7次元世界ですが、この世界は学者や医者などひとつの道を専門的に極めた霊が帰天する世界です。
まだ自我を残し、いい意味での自我の向上心を持っている方々が帰天しています。
まだ現象知に捉われている段階ですが、一つの道を専門的に極めていきます。
ただそれは神理の全体を捉えるところまでいかないために、その悟りは現象を基準とした高低と良識に支配されている世界と言えます。
まだ努力と自己の向上が物質と現象に依存している心的傾向が有るということです。
現象を基準に優劣の優、苦楽の楽、勝敗の勝、上下の上を良い向上心の意味で選択している段階の霊です。
価値に対してこの霊域から敏感になってきます。
現象化された価値的優劣、価値的苦楽、価値的上下に敏感な段階です。
7次元世界は、従って「スペシャリスト(Specialist)」です。
>>522 >彼の生涯において目からウロコが落ちるほど大悟したことが18回もあったそうだから。
目から鱗というのは聖書から発生した言葉なんよ。
532 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 22:58:49 ID:pFAjjyNU
その上の8次元世界に入ってきますと、明らかに自我を標準としていた生き方から
神の心を心とする生き方ができる悟りの段階となっています。
自我の好き嫌いと快不快を放棄し、物質と現象を基準にした生き方から解脱している段階です。
地位があれば喜び、なければ悲しむ、富を持てば喜び、なくせば悲しむ、学歴があれば喜び、なければ悲しむ、
力を基準にこれがあれば優越感にふけり、なければ劣等感に陥るといった苦楽からは既にこの8次元世界の住人は抜けています。
組織が発展すれば喜び、衰退すれば悲しむといった組織・学歴・富・地位・名誉・物質・現象を基準とした生き方から
明確に抜けた悟りを有している段階の魂です。
物質や現象を心の基準にしていないとは、物質と現象を超えた神の心が、この8次元世界から具体的に理解されてくるということです。
すなわち神の心を心とすることができるのは、この8次元世界からです。
533 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 23:03:03 ID:pFAjjyNU
菩薩界の住人がこの霊域です。
物質を心の基準とした生き方を選択し、富があれば喜び、なければ悲しむといった生き方をしている限り、
万人は決して幸福にはなれない点を悟っているため、迷わず自我を十字架に釘付けにして、
ただ神の心のままに生きんとする悟りの段階が、この8次元世界です。
自我の好き嫌い、快不快、現象を心の基準とした苦楽の世界に生存している限り、真の人類全体の幸福は実現できない。
やはり神の心のままに生きていかなければならないと明確に悟っています。
8次元世界の住人は、神の心を悟れば喜び、悟れなければ悲しむ、苦楽が自我や現象ではなく、
神の心が基準となって知情意が決定しています。
ただ8次元世界では神の心を心とできる段階ではありますけれども、まだ生命と物質、神我と自我、主観と客観、善と悪を自我で切って、
後者を捨てて、前者を取ろうとする心的傾向をまだ有しています。
自我や現象、物質や地位名誉を基準とし、苦楽と優劣の相対的感情の世界とその生き方では人類の幸福はないと明確に悟っているため、
この段階から真に神の子を正しく導ける「神のリーダー」の役割を課せられることになります。
従って8次元世界とは、真の「リーダー(Leader)」の世界と言えます。
534 :
神も仏も名無しさん:2008/11/05(水) 00:43:00 ID:qslUHAPe
この上が9次元世界であり、この世界の住人は明確に大宇宙と一体化しています。
大宇宙と一体化した悟りを有しているということは、大宇宙の理法と通じ、
これを読み取ることができる段階の悟りであるということです。
すなわち9次元世界から神の心が具体的に読み取れる段階となります。
この世界から神理(神の心)を説いていくことができます。
「如来界」がこの霊域です。
大宇宙の神の心と我(われ)が一体化している感覚が非常に強い段階であり、神と我を切り離して考えることができない。
我がいるとは、神がいるということであり、神がいるということは、我がいるということである。
我がそのまま大宇宙の理法であるといった悟りで出ます。
低い霊域では、この辺りの霊神が出てきますと、これを傲慢と見る傾向がありますけれども、実は正直なだけです。
王陽明のように「わが心の発動が理である」、あるいは孔子のように「おのれの欲するところに従って矩(のり)を超えず」といった悟りで出ます。
おのれの欲するままに生きて「矩(のり)」を超えないのは、孔子と矩が一体化しているからです。
ひとつであるから超えようがないわけです。
「われは道であり、神理である。我は世の光である」とイエスも述べていたと思いますが、
この霊域以上から神との一体感を強く感じていく段階の悟りとなります。
535 :
神も仏も名無しさん:2008/11/05(水) 01:00:21 ID:qslUHAPe
大宇宙と一体化しているとは、神の理法と十分通じているということですが、
これは具体的には独創的神法として我々の前に出てきます。
世界の創造と進化を司っている霊域ですから、師の教えを継いで、
それを再興していくといった段階の魂ではありません。
師なき「無師の魂」の段階であり、それぞれが独創的神理を説きます。
聳(そび)え立つ山脈であり、図書館や書店に書かれてあるような知識を学び、
それを開示するといった知識ではありません。
自己の生命から直接、神の心と知識を出して、世界を進化させていきます。
創造による進化の特徴が、この世界の住人の特徴です。
その法は、従って独創であり、オリジナルであり、創造であり、
生命の創造を通して世界を進化させていく能力と悟りを有した段階の悟りです。
神と同体と言っても過言ではなく、神の創造活動と同様の創造ができる霊域と言えます。
9次元世界の住人が生まれた時、必ず世界は異常な進化を遂げていきます。
時代を前後裁断していく段階の魂であり、それ以前の時代とそれ以後の時代が、
その9次元人の存在によって断ち切られています。
従って9次元世界は、「クリエイション(Creation)」と言えます。
536 :
神も仏も名無しさん:2008/11/05(水) 22:14:04 ID:qslUHAPe
この上が人間として肉体を持つ最高霊域の段階であり、10次元世界です。
ここは全てを知り、全てを行える霊域であり、人間からすればゴッドと断定しても
決して嘘ではないほどの悟りを持っています。
まさしく全てを知っています。
地球というたかが一個の星にのみ捉われている霊域ではなく、大宇宙の中における地球の視点から、
この星の進化を司り、数千年後の地球のために今、何を説かなければならないのか、何を説けば地球は進化し、
他の星との兼ね合いから今、何をしなければならないのかを知り、行う至高の大権を有している霊域です。
最高司令官と言っても良く、「サプリマシー」、至高の権能を有している霊神の霊域です。
ここで決定したことのみがこの世で実現されていきます。
もちろん霊天上界は神の心が客観化している世界ですから、この10次元世界で終わっているわけではなく、
無限が表現されているため更に上方に向かって「無限のはしご」が続いています。
ただこの世の人類を導く霊神の霊域としては、この10次元世界が最高霊域と言えます。
従って10次元世界とは、「オールマイティ(Almighty)」です。
537 :
神も仏も名無しさん:2008/11/05(水) 22:16:59 ID:qslUHAPe
霊天上界は6次元世界「シーカー」、7次元世界「スベシャリスト」、8次元世界「リーダー」、
9次元世界「クリエイション」、10次元世界「オールマイティ」の各段階があります。
これは永遠の霊的進化段階であり、今後も変わりませんから永遠に生きる我々人間にとっては、
この各段階を幾転生を通して、ひとつひとつクリアしていかなければならないということです。
最後の段階をクリアした時、全人類の幸福が地球上で実現しているということです。
神に向かう道とは、人類の幸福の道です。
またこれ以外に人類の幸福の道はありません。
終
538 :
神も仏も名無しさん:2008/11/06(木) 22:01:38 ID:3dECKy/c
10次元は単に地球1個に限った創造神世界である・・という説もありますね。
18次元あたりで弥勒世界、90次元近辺で銀河1個分の英知に到達・・
という説もあり、まあ、こちらの無限階層説のほうが私にはピッタリきますわ。。
次元が増えると価値が増えるという迷信はどこから来るんだろう?
定義からいえば自在天あたりなんだが。
量子力学者がどうやって実質的な次元を減らそうとしているのか、
なぜ次元が多いままだと実効自由度が激減するのか、
その辺りを理解できるようにする所から始めた方がいいんじゃないかな?
540 :
神も仏も名無しさん:2008/11/07(金) 15:19:20 ID:hpebg/j4
>次元が増えると価値が増えるという
増えたり得たりすることではなく捨てることかもしれない。
つまりどれだけ何も無くなったか。。じゃないの?
捨てた分、無くなった分・・だけの拡がりかもしれないね。
541 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 00:17:13 ID:152NTMlR
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
542 :
神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 20:08:45 ID:0Tpkp8rr
10次元も含めた地球神界の<縮図>は、完全に北朝鮮の政治世界・・という説もあるんで
あまりこだわらないほうがいいかもしれないね。
北朝鮮人民に外国の情報が入ってこないのと同様に、10から上の情報を遮断している可能性もある。
543 :
神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 23:59:44 ID:vGHlLe6k
肉体人間が思う悟りってのはかなりチンケなものかもしれんね。
節目はあっても本当の悟りってのは無いと思うよ。
変な到達点幻想に執着するよりも「無限」を感じとる、識ろうとする
態度が進化なのかもしれん。
544 :
神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 11:22:19 ID:Wv95tGQ/
「悟った」と言い切れる人の多くがコンプレックスの裏返しだということもあるんだよね。
幼少時や思春期の思い出から脱却したくて自己宣伝してることもある。
となると、これは何の根拠もない嘘八百だったりするので、まあ人の自称「悟り」に振り回されることもないでしょ。
また小学校時代にいじめられたり勉強できなったやつが暴力団に入ってたりとか、みんな自分を癒す旅の最中なのかな?
545 :
神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 12:33:40 ID:VeDyuFKM
たんなる思い込みだろ
我のコントロールと無我とは違う
自己確立と悟りは違う
価値の転換と無分別とは違う
↑訂正
我のコントロールと無我は違う
自己確立と悟りは違う
価値の転換と無分別は違う
>>544エライ!
よくぞ、自分の事をそこまで悟ったもんだ!!
549 :
神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 21:44:38 ID:1ZDSVNHQ
>544
それはあるね。
他に自己表現の場がなかったりするとそこに逃避する。
オレも反省・・じつは霊性や悟りに何の根拠もない。
>他に自己表現の場がなかったりするとそこに逃避する。
それで2ちゃんねるに現実逃避に来たわけかw
このスレに執着している限り、悟りは無いよ
552 :
神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 20:41:54 ID:Kq3VLhLi
釈迦は悟ったと云われているようだが、
その原始仏教の内容たるや、まるで子供の屁理屈のオンパレードだよ。
何が「生きる事そのものが苦である」だよ・・
アホらしいwww
553 :
ゆみちゅん:2008/11/22(土) 20:53:06 ID:RJg/yHZs
悟る者をブッダと言う。ゴーダマ・シッダルダは釈迦族の覚者として、天上天下唯我独存と唱えたか?ボダイジュの木の下にて
悟った割りには、かなり悩んでいますよね、釈尊は世尊を越えられたでしょうか?
554 :
神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:13:02 ID:Kq3VLhLi
>>553 ボダイジュの木の下で、悪霊に憑依されたのです。
バカみたいな屁理屈を悟った等と慢心しただけです。
仏陀再誕の大川をみればどんな人物であったか想像つくでしょうww
555 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 21:19:12 ID:OPzekYae
我がわからなければ無我にはなれない
556 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 21:47:47 ID:Hy6ScoIU
無我とは無我即我、色即是空
両者は一つで真の無我である。
557 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 17:24:26 ID:cXLKHrh1
>>556 仏教徒お決まりの議論ぶっ壊しパターンその2ですか。
何でも一緒くたにしたがるのは理解してない証拠。
まずはそうやって自分の無知な偏見を解いていくのがいいのかもしれないね。
558 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:07:47 ID:QyqWvdS/
>>557 そうですか・・・
ではあんたが無知な偏見を解いてやってくださいww
559 :
神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 18:32:32 ID:dC8hGJOK
>>558 はじめからそこまでこんなバカスレに係る気はありません。
まあバカスレしかないと言えばないんですけどね。
だが最後にひとつ言わせてもらいましょう、
元に戻らないのが本当の覚醒だと。
ですから覚醒したことがあるなんていう馬鹿なことは無いとお考えください。
それが嫌なら覚醒即非覚醒と考えていてくださいw
ではさようなら。
560 :
神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 18:42:57 ID:0QcpnNAX
>>559 あんたは覚醒してるのかい?
覚醒したら戻らないなら、いま覚醒してるか覚醒したことがないかどっちかだと思うが
覚醒について知ってるなら覚醒したことがないってこともないよな
じゃあ覚醒してるってことでいいよね?
561 :
神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 03:23:22 ID:fRI2VbdL
覚醒とは霊魂の憑依現象に過ぎません。
法の華(たぬき)に化かされて、「最高ですー」の覚醒状態に陥るようなものです。
>>561 覚醒をハイの意味でとっているんだろうけど覚醒と呼ばれる状態にもハイやトランスや神秘
体験、無我、自他同一化、悟り、それぞれいろんな意味で使われてるんじゃない?
結局自分が体験した日常とは違う状態をそれぞれが覚醒と呼んでるんだろうけど、まあいろ
いろな状態があるよね
563 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 21:12:05 ID:SyQlow/S
とりあえず、俺は以下のことをみんなに一生懸命伝えたい。
このスレでOK、しかも意図的にageちゃうわ。これどうやら
最良の選択らしい。
あくまでも、言葉にして、伝えることが目的。みんなからの何らかの反応があったら、
一生懸命ご返答・・・でも俺の方から結ろ・・・らめええええ
スルーされてもOKだお
俺、悟り開い・・・と思ったんだけど、
俺を形作るものの全てが、俺を勝手に動かすんだわ。
・・・それ以上はらめぇぇぇって
【ポイント】
・この世界が、完璧な秩序と因果関係に基づいているということを
・・・それ以上はらめぇぇぇぇ!!!
・人間の想像力は無限だ・・・それ以上はらめええええ
・明確で、絶対不可能な秩序が存在していること、
それが認識できないんだけど、確かに存在していることを らめぇぇぇぇぇ。
↓は安心して書ける。
キーワード
・想像力、素晴らしいいいい ・言葉にできる、素晴らしいい
・そして相手に伝えられる ・それを共有できる
・俺が俺でよかったあああ ・ エンドルフィン?
・ドライオーガズム ・ギリギリのところ
・息苦しい?? これまさか過呼吸? 今の俺にとっては
あぁん、あぁん」て喘いでイっちゃうのが最良の選択!
・あら・・・らめええ、分野に応用可能じゃん。
以上、俺にできる精一杯。
564 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 21:27:47 ID:SyQlow/S
続きあります。 ↑の結果わかったこと。
俺の人生の目的、というか俺が後世に残す遺産は
「おしっこでちゃうよおおおっ」
のようです。これはらめえええって言われない。
悟った人ってあまり周りに言わないよね。
ブッダといわれるお釈迦様も「悟りました!私はやりました!」って言って回ってないはずだし。
だから悟った人のスレあるけど本当なのか?とか思ってしまう。・・偏見かな。
ただ自分は悟ってないから本当かどうか疑うようなことは出来ない。
その方に失礼に値するし言う資格もない。
悟りは小さな所でも起きてるはず。
「この道は危ない」そう悟って別の道を行く。
次の日のニュースで避けた道の方が自分が通る予定だった時刻に土砂崩れで埋まった、って報道してたり・・。
これも1つの悟りじゃないかな?
誰かは「それは"予知"だ」と言うだろうけど。
>>563-564 全部エロにしか見えないwwどうしようwww
ただ、私の解釈だとその悟りを人類が得たら世界が終わりそうな気がする
悟ったひとってあまり周囲にいわない
っていうところが実に矛盾ある記述
どうしてわかるの?
おれはちなみに、悟ったひとかそうでないかはみればわかる。
悟った時に文章書こうとすればわかると思う。
激しい動悸が襲ってくるから・・・これ以上は書いてはいけない
って本当に思う。
>>565 >>567 いや、マジ心霊体験じゃないんだけどさ。
マザーテレサの言葉見てたら涙とまんなくなってさ。
俺もなんかできないかなーって思ったんだ。で、考えた。それで
あるスレでね、コテハン名乗って、壮大な釣りを試みたんだ。
空気を読めない奴が、「自分の欲望」と「伝えるべき愛」の間で苦しみながら
あえて空気を読まないことで、結果としてスレッドの流れを変える・・・
俺もマザーテレサの愛を伝えるんだ・・・って頑張った。
そうしたらな、本当にスレの空気が変わってきて、
なんか俺途中から神の言葉を代弁してるような感じになって
きちゃってさ・・・で周りの人がどんどん俺の意図を把握して、
なんか絶妙なタイミングで絶妙なレスをくれるんだわ・・・
で、その流れの中で、だんだん自分が神になってきたような錯覚を
覚えるんだ(書き込みのなかで俺はただの人間、って書いてるし、
それ以上に自分で一生懸命そう思ってた)。マザーテレサから
いただいた純粋な想いを伝えることが目的だったのにさ。
確かに、空気を変えたあたりでは本当に感動してたんだけど、
どんどん気分が悪くなってきて、途中から言葉一つ選ぶのにも
超慎重になってて、最後には ごめんなさい、ごめんなさい、って連呼するしかなかった。
で、周りのみんなも途中で俺の状態に気付いたのか、こんなスレ燃やせとか言ってくれて。
マジ神様っているのかもしれねーけど、神様になっちゃいけないって思った。
だから、ホント悟り?ギリギリのところで帰ってきた・・・って感じかな。怖いねぇ。
そう それが それ以上はらめええええええってことなんだ。
570 :
神も仏も名無しさん:2008/12/11(木) 01:28:28 ID:oz8Xo2ML
そりゃただの病気だ
>>570 そう思うだろ?
でもさ、マジであれ神に動かされてた感じで、
なんか言葉のニュアンスとかから意図がビンビン
伝わってきて、どうやら相手やスレ追ってた人も
だんだん変な感じになってちゃって、明らかに
シンクロしてるんだわ。それがわかるんだわ・・・
マジ気分悪いんだよ、自分が神になろうとしてしまうって
そうしたら、本当にごめんなさい、ごめんなさい、って
自分の悪口連呼して謝るしかないんだよ。
ホント動悸苦しくて死ぬかと思ったわ。
572 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/12/11(木) 06:10:25 ID:hhdoq+il
集団ヒストリーって怖いよなぁ。(笑
574 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 00:29:59 ID:iUPF39qG
悟りなんてないことにkづけやボケ
なんで執着するかね
ま、悟りなんてないという意味での悟りはあるわけで
576 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 01:08:42 ID:iUPF39qG
ま、そういう屁理屈は幾らでも言えるし、呼称するだけならどんな境地も悟りになる。
しかしそれらはどれも悟りではない。
我々は執着を認識することができる稀な生き物ゆえに、そこに否定の記号を加えることで悟りという対義語を生み出しておるのだが、
それは認識の生み出す空虚な概念に過ぎないのだよ。
>>576 とりあえずあなたが悟ってないことはわかった
578 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 01:18:31 ID:iUPF39qG
>>577 我々にできることは悟りではないことを認識することだけなんだよ。
ある状態に興奮してこれは悟りだと説いているような子がいたら。
これはこれこれなんだよと否定してあげることしか我々にはできない。
579 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 01:26:38 ID:14XbmGTZ
悟りの定義から行こうか。
それで理解できる(悟れる)人間ならそれ以前にそうしてるだろうし、自分の心が内面に向か
わなければ誰が何と言おうとかわらない
自分以外の他の誰かが直接的に悟りに導くことはできない
間接的にただ見守ってやってればいい
どのような行為も実はただ悟りに向かっているだけなのだから変わりはない
581 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 01:52:44 ID:iUPF39qG
具体的な定義はそれぞれであろうけど、共通の構図はこうだ。
ある状態からそうでない(つまり否定の)理想の状態を悟りと呼称するのだろうが、その否定の虚構、そして絶対的な否定の不可能性を指摘する。これで終わる。
そして悟りなんてものは無いのだから、そんなものに近づくということもない。
もちろんそんな概念に執着するのは自由なのであるが、無いものに執着するほど不毛なことはないので止めとけと忠告したんだよ。
582 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 02:09:28 ID:14XbmGTZ
>>580 おのおの方がそれぞれ自由で無限定的な自分自身の心の深奥に
ふみこみ至ること。そこに安らぎを見出すこと という僕自身の悟りの理解と
同等と見てよろしいか?
ソレハ本人自身にしかできず、いかなる師も本も言もその境地には導き得ない。
ただ本人のみが心奥に至り行うことによってのみなしえるし、それ以外にない。
>>581 完全円満の理想イコール悟り という見解だとするならば、理想なんて現実には実現なしえない
とする悲観的現実主義の結論ありきからの 悟り実現の不可能性を根拠とする否定 ということでいい?
概念自体は実物的に存在はしなくても 理想という妄想は各自に存在するから悟りはあるといえるのではないのかな。
583 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 02:43:33 ID:iUPF39qG
>>582 ある状態から別の状態へ移行することに留まって、これを悟りだと呼称するだけなら幾らでも可能です。
ただしそれは普通に目標を持って自己実現的に生きるのと何の違いもありません。わざわざ悟りなどと大仰に唱える必要もないでしょう。
死ねば正真正銘の”無”になるんだし
生きている事は”有”の状態になる
悟りが”無”だとか”空”とかいうならば
生きながらに死ぬ事を目指してるんじゃないか?
生きてる状態で死ねると思ってるの?
悟りとは、無に結構近づいたけど、これ以上行くとやばいw
やっぱり無理だわwww
みたいな結論なんじゃないのか?
つまり植物人間こそが悟りの究極になる
生きてるのに自我だとか何も発生しないし
まさに最強の悟り
まさに自然や宇宙と一体になってるって事
586 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 04:09:08 ID:iUPF39qG
間違えて別スレに書いてしまったので転記
935:神も仏も名無しさん 12/16(火) 04:04 iUPF39qG
死ねば無になれるなら生きている今も無でないとね。
君が意識している自己という現象も、今、君を構成している何らかの反応形式に過ぎないとすれば、
君が死んだ後にも、また生まれる前にも、同じようにそれぞれの構成における反応形式があったろう。
それら有の世界の本質は変わることがなく、おそらくどこにも無の出口などないであろう。
ある状態からある状態に移行してるのかそうでないかなどが問題じゃなく、それに執着する
自己があるかないかが問題なんじゃね?
有無、無常は状態や現象のことじゃなく、それを認識し、執着してる自己のことでしょ
しれが完全に落ちて毎日が新鮮で初めて体験する世界という境地が悟りだと言っても全然
問題じゃない
というか、これが悟りと言うのと同じように、これは悟りじゃないと言うのは、悟りとそうでない
ものを分別してる単なる自己だよ
それを認識するに留まるならいいけどそこに執着したら単なる自己の見る夢
どうだていいじゃん、悟りかどうかなんて
どうだっていいじゃんとかさ
分別しないとかさ
執着しないとかさ
干渉しないとかさ
悟ってるのか?それは?
マリファナとか吸って
人生も何も考えてないような
阿保な無気力人間の口癖とかなり似てる
>>558 古い時代の宗教って必ずそういった
大麻とかの薬物の類と結びついてたりするらしいし
そういった歴史的な側面から見たら
悟り、いや宗教自体が怪しいものなんだよ
間違えた。訂正
>>588 古い時代の宗教って必ずそういった
大麻とかの薬物の類と結びついてたりするらしいし
そういった歴史的な側面から見たら
悟り、いや宗教自体が怪しいものなんだよ
人生は何か考えないといけないのか?
阿保はいけないのか?
無気力はいけないのか?
その答えを持っているならそれは自分の何処から出てくるのか?
答えがあるのは自らの中に元々問いがあるからだよ
問いがあるうちは現実の執着の虜
存在は存在であって問いも答えもないんじゃね?
大麻うんぬんとか以前に、自我が認識する現実なんてそれぞれの心の在り方でしかないん
だよ、現実も同じ自己の錯覚
宗教、麻薬、悟り、と日常を分けてるのは、この現実(日常)に根ざしてる自己のせい
こちら側(日常)は確固たるものだと思い、あちら側は疑わしいと思う
でもそれは単にこっち側に根ざしてるせい
全ては無常、夢、心の映す投影、そのことに本当に気付けば宗教からも麻薬からも現実から
も自己からもあらゆる全てから自由になれる
それが悟り
593 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 21:54:47 ID:FWoe6BLY
>>587 その、執着の状態から執着のない状態ってのが、ある状態からある状態への移り行きなんだよ。
そして厳密には執着は消えてはいない。
我々が有ること。それが執着の本質だからね。
たとえ意識を滅却しても、空間を占有し他者を退ける個物は可能な限り存続するだろう。
我々が往々に執着と呼んでいる顕在的な意識というものは、所詮は個物を個物として維持させている不可思議な執着の末端に過ぎないんだよ。
>>593 個が前提な認識がおかしいんじゃない?
何かと何かを個と個としていつから分けるようになったの?
生まれたときは自分と自分以外の区別なんてついてないよ
それに物理的に個であるというのと、個という認識を持つというのは別
物理的に個であろうと、それを個と捉えることも捉えないこともできる、それは心の自由
個であるとか個でないとかいうことに執着しなければいいだけだよ
何故そんなことを意識せずにいられないのか?自分が個だという意識か、他との分離感か
経験と記憶からくる視覚認識からか、思考の積み重ねからか
そんなことは単なる自我の錯覚でどうでもいい
595 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 22:44:24 ID:FWoe6BLY
>>594 路傍の石
物言わず繁殖する木々
自我発生前の赤子
これらは我々が認識する以前も有ったであろうし有り続けるでしょう。
我々が分別してやっているから認識上だけにこれらがあるのではなく、これらの実在から派生して我々の意識があるということがミソ。
>>595 派生したものをもう一度リセットするのが悟りなんじゃないの?
派生したもの(個ということへの執着)が生きるのに必要というならわかるけど、別に必要じゃ
ないでしょ
個である認識も個であるという意識も問題じゃない、それが有るということにこだわる、執着す
ることが問題
認識以前も認識以後も世界は変わらない
我々の認識はそこから勝手に発生した
でもそれにこだわる必要は無い、どうでもいい、世界はそのまま何も変わっていない
思うに、現実が有ると無意識に思ってる人が多いよなあ
それは自分が有るという思い、そして自分以外のものも有ってほしいという欲求が出所なのに
現実も自分も有っても無くてもいい、それは自分にはわからないと心の中から思えないとニュ
ートラルじゃないだろうに
その上でこの目の前に広がる自分の初めて見る世界を驚きをもって感じるのが悟りだろうに
598 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 23:14:56 ID:FWoe6BLY
>>596 どのような状態に移行するのかは自由ではあるけれど、そのどれかが特別であるということはないのです。
前述した石、木々、赤子、我々、それらに本質的な違いはないのです。
それらは皆、現象の形式を変えた個々の執着なのですから。
ですから、とある執着だけが悪しくとある状態が特別(悟り)だと理想化しているとすれば、それは虚構ですよと指摘しておきます。
599 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 23:17:35 ID:FWoe6BLY
>>597 残念ながら認識は自由ではないようなのです。
もちろん荒唐無稽な妄想は幾らでも可能ですが、現実はそれを拒みます。
目前に牙を向く野獣が出没したとして、これは存在しないと妄想しても、次の瞬間には自分を噛み千切る何物かが有るという現実が、その妄想を打ち消します。
また、我々が共通の認識を持てるのも、我々が勝手気ままな不定形の世界に有るから可能なのです。
600 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 23:19:35 ID:xCfTYQ0U
唯仏与仏
乃能究尽
>>599 認識が自由というのは、起こった現象をどうともとれるという意味ですよ
野獣が出てくるのは現象、それを怖いこととも怖くないこととも認識できる
野獣に噛み千切られるのは現象、それをわるいことともしょうがないことともいいこととも認識
できる
そういう意味で世界(世界との関わり方)をどのようにも認識できる
私は以前この宇宙が有ると無意識に思っていた
さらに言えば、宇宙が有ってほしい、有ってもらわないと困ると無意識に思っていた
この宇宙は夢かもしれないと想像する人は多い
しかし、所詮、宇宙が有るという無意識の前提の上での想像だ
この宇宙が無いと一瞬でも本気で(100%)思った人はほとんどいない
それは宇宙が無ければ自分も無いからである
自分がいないと100%思うことはむずかしい、一瞬であろうとも
しかしそのとき私はそう疑った
本気で100%疑うことができた
その瞬間この世界は自分が見たいように見ている錯覚なのだとハッキリわかった
自分が勝手にこれはっこうであると規定しているだけである
全ては無い、ただ自己が勝手な認識をしてるだけである
ある状況からある状況に移るのは現象である、そこに実体は無い
有るとか無いとかいうことも、無い
そういう連鎖の外側に出ることが悟りである
肉体は物質なので連鎖の中にあるが、それをどう捉えるかまでその連鎖の中にいる必要はない
私はあなたに何かを言い聞かしたいわけではないのでこのへんで去ります、言い尽くした気
がしますので
しばらくのお相手ありがとうございました
599 訂正
また、我々が共通の認識を持てるのも、我々が勝手気ままではない定形な世界に有るから可能なのです。
>>601 本当に自由な認識か、自由な価値判断か、
本当に鎖の外に出たのか、鎖は背中についてないか
どうか確認してみてください。
もしも本当に自由になれたなら祝福しましょう。
神さま誕生です。
ありがとうございました。
>>591 >>592 法律的に駄目だろ
その理論は
法律を破るのはいけないのか?
とか言い出したらおしまいだな
パソコン売って
法律もあまり定まってないような国にでも行っつ
こじきになって体一つで修業してこい
604 :
神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 01:13:45 ID:sgPLwrxE
悟りというのは うざい人間関係 有用でない仕事
などなど雑音を排した境地だよ
普通には得られない えられっこない
そういったゴミを片付けられる強者だけが得られる
決して弱い人間が逃げ込める境地ではない
悟りを得る前に地獄を見なければならない。。。
605 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 21:43:49 ID:mV6whMW3
>604
素晴らしい
雑音を雑音と思わないのが悟り
雑音と判断するのはどこの誰か?
この世は全て雑音か、雑音など何処にもないか、のどちらか
俺は悟りがどんなものかってのは
経験でなんとなくわかっているよ
けれどそれを言葉で説明するのは難しいし
悟りを理解したところで当人が悟りを得ているのとは全然違うんだよね
608 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 22:04:46 ID:rZC6xdvM
平気で生きること。
素で生きること
>>537 ふーんと思い読んでたけど、最後に嘘だ!と思った一文。以下→。
>最後の段階をクリアした時、全人類の幸福が地球上で実現しているということです。
全人類の幸福が地球上で実現している。などありえない。
理由は3つ。地球も宇宙に浮かぶ星で寿命がある。
もう一つは、人間には五感があり痛点があり生命があるから。
もし未来に科学の発展により全人類が不老不死になれても死はありうる。
痛点を消すと身体を守る機能が危うくなる。
苦しみや悲しみ痛みがあって全人類が幸福に思うわけがない。
というか、この身体と魂は今は融合しているが、生まれる前は、魂だけの状態で意味があって生まれてきただけなんだから終わったら帰るんだし、地球上での幸福にこだわるのは間違いだと思う。
すみません。よく考えたら間違えました。>地球上での幸福にこだわるのは間違いだと思う。の部分を訂正します。
心の幸福を実現させようとすることを否定はしません。
612 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 01:37:20 ID:okE2F//h
人間に生まれて、煩悩から離れて生きるのは凡夫にはできない。
煩悩については大きく分けて108つあると言われている。暗記ではなく自らこの内容をあげられる人がいるなら、凡夫じゃないと思う。
この世にある、あらゆる制限またはルールの中で生きることは自分と向き合うことだと思う。
心をなんらかの表現(言葉・文字・行動・表情・映像等)により伝えようとしても、100%伝わることは稀。
時の流れも止められない。移り変わる。繁栄があれば衰退もある。体力は鍛えられるが衰える。成長と衰弱。
事故・病気・天災。予想外の死があり恐怖や哀しみがある。
それらがこの世にはありルールだと思う。
その中での在り方(生き方)を見つめることが自分を見つめること。神器に出てくる鏡がこれを指すと思う。
この世は修行だと思う。
私は煩悩まみれの凡夫ですが、応援あげ。
613 :
S谷ナ夫:2009/01/03(土) 02:39:53 ID:2MJzUHWX
>>606 最近さとったせいか脳がガラリと変わって
超音波域が聴こえるのでウルサくて困る。
はやめに耳鼻科行け
この地球上では神様の領域を求めて自分を高めようとするのは間違い。
同じ地上でそれぞれが神様の領域を目指せば対立や比較があり、反発が生まれる。
この宇宙が始まった力がある。
それは「大いなる意志」。これがすべてのルールを創った。
物理的な一定の法則である原子の構造、引力、磁力、それらの他に回転(振幅)の法則がある。
回転は表と裏がまんべんなく現れる。 光の波動説や電波などは振幅の法則。
太陽に対して地球はまんべんなく回転をしているが、それにもう一つの回転がある。
月と地球は回転しながら交互に太陽に向いた面が発生する。
電波に音声信号を載せると、二つの波が合わさり、複雑な波形となるが、それらすべては振幅の組み合わせ。
雨が降り、太陽により水蒸気となり上に上がり、また降りる。
営みとはこのように振幅があるから営みなのである。これらのルールを真理と呼ぶ。
科学はこの真理の上で起こっている確認できる事項を解析し利用方法を研究しているだけであり、
別に新しいものを作っているわけではない。
科学は固定された物理的ルールしか解析できない。
この宇宙の物質を作り出した(ビックバンを引き起こした)意識の力は、物質的な手法での解析は不可能である。
唯一、その方面の研究となっているのは宗教学と気功学などだ。
人も幸せと不幸は交互に繰り返す。幸せだけ続くというのはありえない。
幸せがずっと続くとそれは平常ということになるからだ。
不幸との振幅があるから幸せがある。
この振幅も複数の波の重なりであり、頂点は一定間隔ではないが、全体として平均値を出すと
それより上が幸せであり、それより下を不幸と感じているだけでしかない。
宇宙は1つのきっかけから始まった。
それぞれがそれぞれの方向を目指したり、自分が高みに上がろうとすれば低い者が出てしまう。
高みを目指すというのは対立と分裂しか起こらない。
自分が高みに上がるのではなく、この宇宙が始まった「大いなる意志」にみんながそろい従うことが
争いを無くし、平安の世となる。
民主主義は競争でしかないのは解ることだ。
絶対公平である王が統治する国は平安である。
しかし、人間は絶対公平ができない生き物だ。
人間を王にすると、どうしても一部に偏りがでたり、同じ人間同士ということで、その王の座を狙う
者が現れ、結局は争い。
高みを目指すとは、王の座の取り合いでしか無いのだ。
実は宇宙には上下は無い。勝手な方向に一人で進んで「ここが上の方向だ」とアピールすれば
意志の弱い者達がそれを真に受けて、その方向が上だと思い込みその後を追おうとする。
権力者はこのようにして自分の地位を作り上げた(主張した)にすぎない。
この次元ではない存在。この宇宙を創った存在は在る。
その声に聞き従えばその人は高い位置として扱われる。
その宇宙を創った存在は、すべてを管理理解できる存在だ。未来までをも。
因果の法則、、、 この世の真理を唯一示せる範囲で示しているのは聖書かもしれない。
聖書にはその因果の法則までを含めた真理が隠されている。
だから、真理を求めて聖書を研究している人達はかなりの昔から存在している。
原子力などはものすごいエネルギーを発するものだと思っているのなら、それは間違いである。
ウランなどは不安定な物質なのだ。不安定だからそれを崩しエネルギーとして出せるが、
一番エネルギーがあるのは安定している物質のほうなのだ。 それだけ固いルールの上(実はその
ルールが宇宙を発生させたビックバンと同等のエネルギーにより固定されている。)で押さえ込まれているのであって、
それを崩せば原爆など比較に成らないエネルギーが放出される。
実は、物質などはその存在がかなり不確定なものなのだ。 解析すればするほど実体が無くなる。
分子、原子、原子核、陽子、中性子などになるが陽子の実体を突き止めようとしても、見ようとすればするほど
実体が無い。そこにあるのは法則(ルール)だけなのだ。つきつめると「振幅」に行き着く。
私たちの心も振幅であるし、すべてが振幅なのだ。振幅があるから生きており、時間もある。
真に平安を求めて振幅の無い方向へ行こうとすると「無」になる。それは存在をも消してしまうことになる。
幸せを求めるなら不幸を受け入れよ。喜びを得たいのであれば悲しみを受け入れよ。
平安には不幸が無い代わりに幸せも無い。平安には悲しみが無い代わりに喜びも無い。
すべては振幅により成り立っているからだ。
ただし、善と悪は違う。 人の心は善と悪が交互に来るわけではない。
善人は善人のままである。 この世の幸せは悪だけを取り除けば良い。
それについての真理は聖書に隠されている。
この地上には霊界は重なっているが、実は霊界は二つが重なっている。
その二つの霊界は別ものである。 片方は聖であり、片方は悪である。
その二つは交互に行き来はできない。まるっきり別なのだ。
その二つは悪の方は聖の方が見えない。聖の方は悪を見れる。
悪は引力圏から脱出できない。欲は引力と関係がある。
私たちは地上でこの二つの影響を受けている。
基本的に悪は地表に近いところにあり、聖はそれよりも外には満ちている。
心により聖を引き寄せることはできる。これは引力と関係がある欲を切り離せば
聖の領域を自分のまわりに引き寄せられる。この中にいると悪霊をみることが無い。
欲は性質が物質的なようだ。だから引力のような作用があり、また引力にも影響を受ける。
その世界の区別が見えないのは、小鳥のようだ。
部屋に入れた小鳥は、窓にガラスがあることを知らない。
飛び立とうとしてガラスにぶつかる。
景色が見えるのに遮蔽物があると言う認識ができていない。
それと似たようなものだ。
窓を開ければ出られる。しか、窓のガラスという存在が認識できないから
それが解らない。
そのようなものだ。
上記を読んで、何か感じた人ならば、その感覚のままで聖書を読めば見えてくる世界がある。
何も感じられ無い人は聖書を読んでも、物語としてしか読めない。
感覚で読む、感覚で読み取るということができなければ、悟りを求めても頭で理屈をこねくり回すだけで終わる。
理屈ではない。感覚で分かる世界が悟りの領域に入る一歩である。
理屈で求める者は、目で見える領域しか認識できないからだ。
ビッグバンの前は、「無」であった。
何も無いところから「在る」が始まったのだ。
すでに「在る」物の中でしか考えを張り巡らせられない者では、
無から「在る」への変化の領域を知ることはできない。
その者達にとっては「ありえない」という考えしかできないからだ。
しかし、宇宙はそんな「あり得ない」というような事象から始まっている。それが事実である。
無から「在る」。これが「あり得ない」と思う人はビックバンの理解はできない。表面的な理屈だけでしか理解できない。
考えて理解しようとするのは無駄なこと。
感覚で受けるしかない。ビックバンの時のものは感覚で受けようとすれば受けられるものだ。
その領域が見れるようになった人はハタから見ても解る部分がある。
その領域の視点になっているときは目の色が変化する。
瞳孔がすぼみ、紅彩の色が薄くなる。 この世の物質を見ているのではないから、瞳孔がその時にすぼまるのだ。
普段の生活の時と、明らかに色が違う。(写真かなにかで比較するとよくわかる)
そのためには脳に片寄った圧が掛かっていないようにする。姿勢を正し首から頭部への筋肉のコリを少なくし、
頭の緊張を解かねばならない。アルファー波の状態が頭部全体でおこるようにする感じである。
読みにくい。
ただ「人には悟れないことを、僕は悟った。教えてあげよう」と思ってると感じた。
けど、内容が他から影響を受けて考えたような気がする。それは悟りとは思わない。
では何故生まれてきた?
私なりに答えはあるが、敢えて問う。
善悪の判断基準は何?
622 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 09:09:48 ID:cIi80BvI
よいことができるのが善で
よいことができないのが悪だよ
623 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 09:12:12 ID:cIi80BvI
世の中には二種類の人間がいる
善行のできる人間とできない人間だ
できる人間のすることは善であり
できない人間のすることは悪である
できない人間ができる人間の側に来ることが大事なことだ
そしてできる人間に成ってから善行をすれば善だ
できない人間には原始的不能という理由で善はありえない。
624 :
地の蠍:2009/01/18(日) 09:13:55 ID:jqZmm2EL
悟ったんならそんな、なげー文章じゃなく、
もっと手短にまとめて説明してくれ。
人間は善行することも悪行することもある。
(あたりまえの話だが)
悪人とは、たった今悪を行う者である。
過去いくら善行を積もうが今殺人を行えばたちまち悪人になる。
よって2種類の人間などいない。
自我の強い人が多いな。
問いは、善悪の判断基準とは?善行悪行だと信じている基準は?
他人が喜ぶとか幸せだとか(他人の真意など普通の人は分からないだろ?)、そんな曖昧なことでなく、明確な基準は?
>>621 >善悪の判断基準は何?
この世界が創られたときの意思の目的に沿うことが善であり、それから外れた方向へ進むことが悪(罪)である。
628 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 14:41:30 ID:cIi80BvI
だから、善人の行いが善行で
悪人の行いが悪行だといってるだろうが。
こんな明快な世界観があるか。明確そのもの。
人間を悪人と善人に二分してる。
そして悪人を教導して善人にすべきだといってる。
善人に悪行はできないし悪人に善行は不可能なのだ。
そんな教条的説明になんの意味があるの?
630 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 18:07:14 ID:bz4hd19B
>>629 同意。こんなこと百姓が喜んで広がったとは思えない。
比叡山に逆戻ってる希ガス
631 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 20:33:15 ID:Vsg87xbD
問いを理解して答えてるのは
>>627だけれど、
>意思の目的に沿うことが善
『意思の目的』を明確に答えてくれなきゃ…肝心な答えが答えになってない。
>>628 善行の意味を聞いているんじゃない。善だと信じてることを聞いている。
偏ってるんじゃないか?
昔なら敵討ちの殺しは立派なこととされたが、現在はそれでも殺人だ。
戦争は守るために仕方なくする側もある。
罪人を、死刑執行、判決、認可、する人もいて死ぬ人もいる。
100人に悪であっても1人にとって善ということもある。
片側には善でも片側には悪もある。
人にとって善でも自然にとって悪もある。
善悪の判断基準は?
>『意思の目的』を明確に答えてくれなきゃ…肝心な答えが答えになってない。
カンタンに書けば「霊的成長に貢献すること」であり、自分だけではなく、他人の霊的成長を助ける事も含む。
633 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 21:04:43 ID:Vsg87xbD
善いとか悪いとか綺麗とか汚いとか分離させてるのが悪(個の視点)で分離させないのが善
(個でない視点)、それだけ
ただ宇宙しかないのに、どこで勝手に区切ってどこで勝手に判断してるのかって話
何かと何かの境なんてないし、自分と他人の境も自分が勝手につくってるだけ
それだけ
>>634 違和感がある。頭で思い込んでるだけじゃないか?
もうちょっと丁寧な言葉遣いなら受ける印象が異なるかもしれない。
あなたの言葉遣いは、決めつけたこと(思い込んでいること)を上から投げつけて、不遜に感じさせてしまう。
ではなぜ、個として生まれてきたの?
>>634 >善いとか悪いとか綺麗とか汚いとか分離させてるのが悪(個の視点)で分離させないのが善
すげえなぁ〜、よく見つけたね。
>>633 >>霊的成長
>とは、どのような成長?
7段階あるのだけどね。
まあ、今の奪い合う思考から、与え合う思考、そして最終的には(物を)生み出すことができる思考
>>637 いろいろ答えてくれてありがとう。
ところで終わりはないと思いますが、その先の答えははありますか?
>>638 >ところで終わりはないと思いますが、その先の答えははありますか?
その先はこの宇宙を創り出した意識体へと帰る。出てきたときよりも大きくなって帰るのだから、
それが元の意識体の成長となる。
しかし、細胞の代謝と同じで古いものからその立場というか身体(肉体とは違う)が譲られるので
今度は成長した新しい霊の集合体としてまた宇宙を創り成長させ、自身の成長とさせるかは
その時の新しく成長した霊の集合体に委ねられる。
ただし、前に創られた真理(引力などの法則などいろいろ)はほぼそのままで引き継がれると思う。
>>635 >違和感がある。頭で思い込んでるだけじゃないか?
それはあなたの判断 そう思うのがあなたなのだからそうでしかない どうでもいい
>もうちょっと丁寧な言葉遣いなら受ける印象が異なるかもしれない。
丁寧な言葉遣いとそうでない場合とで印象が変わるならそれこそあなたの反応、つまり分離
>あなたの言葉遣いは、決めつけたこと(思い込んでいること)を上から投げつけて、不遜に感じさせてしまう。
それもあなたの判断 あなたの中にある何かがそう反応しただけ
言葉遣いがよければ納得し悪ければ納得しないのなら内容でなく表現に目がいっているだけ
なぜそこに焦点がいくのだろうか
不遜なものがあるのではなく、不遜と感じる個(自我)があるだけ
>ではなぜ、個として生まれてきたの?
個として生まれたわけでなく個と認識してしまってるだけ
赤ん坊は自分と他の区別がつかない 動物や植物や微生物に個という認識がどれほどある
かも微妙
肉体が他と分かれてることで他と自分を比べ始め、意識が個という認識をした(概念をつくり
だした)だけ
でも物理的に個があるだろうと言うかもしれないが、眼も耳も鼻も触感も無く生まれたら他を
認識できず個という感覚は生まれない
他という認識が同時に個という認識を作ってる
個があるのではなく個があると意識(認識)しているというのが正解
葉っぱの一枚一枚を個々と思うか木の一本一本を個々と思うか森の単位で個々と思うか国、
惑星の単位で個々と思うか、あるいは細胞、原子の単位で個々と思うかみたいなもの
自分に都合のいい分け方をしてそうであると思うのが認識
個であるという思いが個という概念を作ってるし、個という概念が消えれば全体でしかない
個というのはつまり意識がしている錯覚
それに本当に気づければ個という概念は消え自他同一が起こるよ
641 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 07:49:03 ID:7ZNh8sCe
善人が殺すのは善行 死刑執行人が執行すること 法務大臣がはんこ押すのは善行
アホが酒に酔って下手な運転で日と撥ね殺すのが悪行
わかりきったこんなことも区別つかないのは バカ
なんなんだ 善悪の基準を人に聞いている低脳は?
そんなこともわからないなら保育園から、いや、母親の胎内からやり直せ
いや、おやじのきんたまにもどれ。
642 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 07:54:15 ID:7ZNh8sCe
物を分離しない のが悟りだと勘違いしてるのが多い
人としての良心良識を捨ててその後なにがある?
自他をはっきり区別つけてこそ
区別がなければ他人のものを横領したり平気でするクズ役人とかになるだけ
他人の妻を自分のものにするだけ
悟りというのは区別のつかないは口になることでは談じてない
むしろ区別つかないものを明確に区別することにある 真逆だな
643 :
神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 01:19:55 ID:El9YtAVS
今本気で変わりたいです
でも何をどうすればいいのかわからない
現在の仏教思想は真理から外れてきています。
広い許容を示せば偉いと勘違いされ、何でも受け入れる姿勢を示そうとします。
その結果、清濁合わせ持つ・・、つまり「善も悪もすべて受け入れれるから私は偉い」と勘違いしている方向。
これらはたとえば国と考えれば良いです。
自分がその国の管理者となり善も悪も受け入れ、自分はその全部よりも偉いのだと思うと、
その国の内部では善と悪があり、虐げがある国となります。
そしてその国の管理者は「私はそれよりも大きいのだから、そんな中の虐げなど小さい小さい」と、
虐げを見ようとしなくなります。
それで自分だけ偉く(高く)なったつもりでいる。
今の世の中が分裂方向なのはすべてに善と悪が混在しているから。
悪を排除すれば自然と一体となり一つにまとまるという真理があります。
だから仏教よりも聖書の方が真理の方向ですね。
仏教は上を目指すという方向性があり、実際は人には上下は無いのに上を目指そうとする行為から
実は他者の見下しという行為があります。
自分が相手を受け入れれば「自分が上」と思い込める。 つまりは競争しているので融合ができないのです。
仏教の善悪の分別をつけないというのはなんでも受け入れるということじゃないよ
受け入れる受け入れないという分別がないこと
自分と他人という区別、境界がないこと
それは論理上のことではなく、実感として自他の区別がつかない境界というものがあります
自他の区別がつかないので、他人に危害を加える意味も欲もありません
他人より優れようとすることも上下を感じることもありません
抑制したりコントロールするものではありません
すべて誰もみな自分自身なのですから
それを体験したことのない人間からすれば単なる病例のように言われてしまいますが
それは体験しなければ分からず、逆に言えば体験さえすればわかります
それが悟りは説明できないと言われ、仏教が体験主義といわれる所以です
仏教における悟り、真理といった状態は自分で体験しなければわかりません
何故かしばらくこのスレッドが開けられなかった。名古屋〜とか何かな?
>>639 私も似たことを想像したことがある。
ビッグバンがあり生命が誕生進化し、死後(天国・地獄・煉獄・浄土・霊界等)があり、現世で究極や奇蹟やあり得ないことを体感したなら、その情報を元に行き着く答えはそうなると思う。
でも何か欠けてるような?必ずそこへ行き着きたい信念もおこらない。
定説とされている進化も、ビッグバンも仮定で真実じゃないかもしれない。
過去の聖人らは何に、人生を命をかけたのかも実感できない。(頭で理解したつもりでも実感できなければ意味がない)
それに霊体?が大きくなれる気がしない。妄想にふけり大きいと勘違いもしたくない。
偽善的な嘘の自分も造りたくない。もっと強く解りたい。本当のことが真理が知りたい。
>>640 自身の矛盾に気づかない?
言葉遣いの印象について感じるままに書いた。素直になぜ受けとれない?自我が強い。
内容については一切否定していない。否定していないから、あなたの出した個について聞いた。
ここに書き込むからには、説明しようとしているのだろう?それなのに、一方的に言い放つだけなら、独りよがりと受け取られる印象になっても不思議はない。
内容から植物とシンクロしているわけでもない。植物がどんな感覚かシンクロしていれば解る。どこかからの受け売り思い込みと思わせる。
他を理解せず(以心伝心やシンクロもできていない)それを語るのは違和感がある。
>>641 やっぱり偏っている。コテコテの固定概念で手もつけられそうにない。
人としての良心を無視して何が善行だ。無実の可能性もある。
法律など時代や国によって変わる。それを絶対視してる時点で自分の心と対話できていない。
>>644 仏教を知らずに、勝手な解釈で批判するのはいただけない。聖書も読んだことはあるけれど、解釈のしかたは人によって違うものだなと感じるばかり。
他人に我を感じるのは自分に我があるから
他人の我は原因の結果でありそれがまた原因となり無限に連鎖し自分を構成する
自分もまた結果であり同時に他の原因となっているのに、他人の我という実体はのないもの
を感じるのは自分の我が錯覚を起こしているからです
651 :
神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 13:27:08 ID:uTNcN2Uc
>聖書も読んだことはあるけれど、解釈のしかたは人によって違うものだなと感じるばかり。
解釈というのは、自分の捉え方のことを指します。
自分で考えて理解しようとする者が、その方向へ進んでしまい、
見えなくなっています。
仏教をつきつめて「自分は何者なのか」という部分に行き着くと、
その先は聖書が示している世界であることが解ります。
実は自分で考えて理解しようとする人は、逆の方向へ進んでいます。
心を開けば、その英知がそばにあることがわかり、それらは心を開けば自分の中に入ってきます。
勉強は必要ない。知が入ってくるのです。
これは体験された方は、ほとんどが同様の事を言います。
652 :
聖書問題:2009/01/21(水) 14:04:51 ID:WBKB+QtC
651君の意見はもっともだが、
なにせ、西欧キリスト教、カトリックに始まり、人間の思考のバイアスがかかり続けた歴史がある、
問題は、神学も双だが、人間の思考のバイアスがかかる所から回避ができうるか?
と言う厳しい問題がある。
653 :
神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 16:00:35 ID:gyoDitJB
>>652 それはキリスト教として捉えていますね。
キリスト教は、今は人の管理の元にあります。
聖書の教え自体は今のキリスト教の表面とは別に、もっと深いものがあります。
聖書から直に感じるようにすれば、人を越えた英知の存在からのメッセージが
わかるようになります。
654 :
神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 18:14:43 ID:WLsfBUG4
>>648 法律が次代によって変わるのかよ へー
殺人は次の時代では無罪放免か 初めて聞いたわ
観念だけで理屈を作るとこういうバカに成る
>>654 臭いものに蓋(刑務所収容)。ダメなもの面倒なものは切り捨て(死刑)。(無実の可能性あり)
善行とはそういうものと(殺すことだと)本気で信じてるわけ?
人を殺すことを単純に悪とはいえないとはいえるね
殺すことに大義名分があれば善 公務であるとか医療であるとか
人間には大義名分、正義がなければ行動が許されない
善がなければ行動は禁止される。
善でないのを悪と言う まずは善行のできる立場に立つこと すべてそれからだな。
>>650 自我の成り立ちよりも、自我のある時と無い時の違いを解っているのかと問いたい。
その説明では話のすり替えにしかならない。
現実はどうであろうと「自分が勝手に思い込んでいるだけだ」とね。 相手の問題と誤魔化している。
>>651 「解釈」って言葉にひっかかる?
気持ちを伝えるには言葉は難しい。「求める」って言葉の方が妥当かな?
>(頭で理解したつもりでも実感できなければ意味がない)
これも私のレスだけどね。
なんだかなぁ〜ヤケに宗派にこだわり上下をつけたがるなぁ。感じ悪いから止めてくれないかな。
とても仏教の全てを網羅したとは思えない。聖書にしても、洗脳書みたいな言い回しは止めてほしい。
>>656 コテコテ君。その偏り加減は好感が持てるけどね〜。
でも、いつか自暴自棄になった時、自分を捨てることなかれと言いたい。
>聖書にしても、洗脳書みたいな言い回しは止めてほしい。
面白い表現です。 本当の意味の洗脳書(余計な基準を無くし、真実を基準に頭を洗われる)なんですけれどもね。
聖書に於ける善悪の基準は、物質の構成から引力その他の真理に調和がとれています。
善(義)=聖ではなく、また悪=罪では無い。
「聖」の対義語が「罪」であり、「善(義)」の対義語が「悪」です。
悪とは、解りやすく言えば「罪」へと導こうとする「誘惑」です。
661 :
神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 16:07:40 ID:CF4PCtCf
悟りを開くことがゴールではない。
悟り=極楽浄土などあくまで後付だと思う。
自分が人間である限り、天国など存在しない。
この空間に人間が存在する限り極楽など存在しない。
悟りとは気づきの事。
気づく為には、まずこの世の哀れな矛盾に目を向ける。
その矛盾に対して、徹底的に追及する。
追求するうちに、人間のあまりの醜さ残酷さ哀れさに
もがき苦しむ自分と出会う。
こんな醜い世に生きているのならいっそ死んでしまおうと思う。
その時、空に輝く太陽のありがたみに気づくのである。
こんな惨めな自分にも光を与えてくれている。
そして、偏見と欲望で満たされた愚かな人間の顔が次々と浮かぶ。
この人間も、今後輪廻を繰り返すうちに哀れな人生を送るのであろう。
そして自分自身も過去、この悪意に満ちた人生を歩んだ前世があったのだと。
その時、周りの人間は過去の自分、来世の自分でもある事に気づく。
そして心が無になって行くことを感じるのである。
悟りとは、人知を越えた英知に触れることである。
それを知らぬ者は自分の中で考え、納得しようとする。
自分の中に答えを見つけることが悟りと勘違いする。
人間なんかは自分の事ですら理解はできないのに、
たとえば、自分の身体である、腎臓、肝臓、どのようにして働き
動いているのか、その動きすらも感じられないのが人間である。
まずは、人間の愚かさ、つまりは自分の愚かさを知る。
無知であることがわかる。
そうすると、この世界は何の関連により動いているのか解らず、
理解できない内容を「偶然」と呼ぶ。
実は偶然はあり得ない。何事にも「因」がなければ事は起こらないからだ。
「偶然」という言葉を使うということは、「無知」であることの証明。
「英知」の存在は有る。
それに触れた時に自分の、また人間の無知さを知る。
「英知」の存在に触れたとき、すべてのものはそれにより成り立っているのを理解するが、
その英知から離れると「たしかにすべてを感じた」という感覚しか残らない。
人間の肉の身ではそれらすべてを受け入れる容量が無いからである。
663 :
神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 18:33:20 ID:9qTPj9cT
英知に触れることが悟るってことですか
でも存在しないものにどうやって触れるの?
664 :
神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 20:24:20 ID:CF4PCtCf
英知に触れた人間は、己が英知した人間だとも、英知した瞬間についても
深く語ろうとしないものである。
なぜならば、それは単なる通過点でしかないと感じているからである。
そもそも叡智を得ようとする事自体、幸福に浸りたい、特別な境地に立ちたい
という人間のエゴイズムがそこに存在する。
この世の万事の法則の神秘さ、純粋な魂の美しさ、悲しみ苦しむ人々と共有できる
慈愛に満ちた精神、見返りを求めない真実の愛。
それがすべてなのである。
叡智を得たいという欲が有る限り、真実の光は見えてこない。
叡智という言葉に遊ばれては、進展は止まってしまう。
この世と人間、そして自分のありがままを受け入れる知恵を追求する。
そこから第一歩がはじまるのである。
「英知」に触れると、人間の無力さを知り、
英知からの導きに従うのが一番いいことだと感じるようになる。
そしてそれを行うことにより、英知の一部となっている実感が伴い
安らぎと幸せを感じたりする。
愛はその英知から流れ出ているものであり、英知に触れた人は
その伝達媒体のような働きとなる。
愛は自分から発するというものでもなく、流れ込んできているものだ。
それを育てる・・・ つまり増幅して伝えることはできる。
仏教で言う「無」の境地の先にあるものだ。
自分がいろいろと考え、無意味な存在ではないか? と思った先にそれはある。
それを知ると無意味というものは存在しないことが解る。
「無の境地」では「あるがまま」という考えであるのに、その先には
「受けるがまま」という「愛」が流れ込んでいる状態を知る。
そしてその「愛」に満たされると、今度は自分がそれを流す媒体として働き出す。
その英知の存在は、光る雲のような存在。 その中ではすべては揮発するかのように溶けて光る。
自我という陰が分解され光に包まれて陰が無くなる感じだ。
>>661 異議あり。
前世は悪い者で、転生するごとに善くなっていると想像しているとか…
前世は今より煩悩深いと思っているようだけれど。
それは違うと思う。
転生してもあまり人間性は変わらない。
魂に、強い想いは記憶され、来世で繁栄されることはあるけれど。
>転生してもあまり人間性は変わらない。
変わっていないから転生を繰り返している状態となります。
欲望がこの世界に縛り付けているのです。
>>667 生まれ落ちる前、欲望で生まれて来ようとしたわけじゃなく(肉体がないから、そこに生じる欲もない)、何かの意向を持ち、別の何かに導かれて来た。
落ちる寸前、前世の繋がりのある人のことや他に諸々なことも思い、そのことはほぼ成就した。
肝心の意向がさっぱり不明。
>>665 全般的には否定も肯定も言い様がないけれど…。
>伝達媒体のような働きとなる。
これについて聞きたい。
愛以外もあるとして。媒体になってしまったら、どうすればいいと思いますか?
670 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 08:38:20 ID:NGrYQG6e
悪行を重ねる奴には輪廻転生の考えが必要だ
ただ俺は輪廻転生など信じてない。
>愛以外もあるとして。媒体になってしまったら、どうすればいいと思いますか?
愛以外のものは別の方向から来ますが、空気清浄機のような役割をすることが望まれます。
愛にはより純度を上げ、他の汚れは通さないようにして放出するのが望ましいようです。
>>676 >愛以外のものは別の方向から来ますが、
そう思います。
>空気清浄機のような役割をすることが望まれます。
清浄機になるのが人間以外にプラス(確定)、人間の未来にはプラスになるかも(仮定)、現在の人間にとってはマイナス(確定)でも?
それは罪ではない?
>愛にはより純度を上げ、他の汚れは通さないようにして放出するのが望ましいようです。
無尽蔵に湧き出るものなら、不純な意識は入りようがないと思いますが、質問が2つ。
もしそれを一人の人間だけに抑えることなく放出すれば、その人はどうなりますか?大丈夫ですか?
もし全てに放出すると、気がつく人もいるし、止めた後から追いかけてくる何かがあるとしたら恐くありませんか?
>>670 例えば
>>656の内容は戦争を起こすことも当てはまる。
戦争は死傷し生きる糧を無くし、身心に消えない傷を残すらしい。
いくら善行だと思い込んでいても、第3者からは悪行と見なされる。
善行だけで生きることができますか?
それから、転生はリベンジ思考だと思うわけですか?
>もしそれを一人の人間だけに抑えることなく放出すれば、その人はどうなりますか?大丈夫ですか?
その相手が満ち足りれば、今度はその人がまた別の方へ放出します。
>もし全てに放出すると、気がつく人もいるし、止めた後から追いかけてくる何かがあるとしたら恐くありませんか?
自分はやめても、注がれる愛はずっとあります。 注がれる愛があるかぎり放出はしますし、
放出をやめるのは、注がれる愛の受け取りを拒否したときだけです。
675 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 20:23:25 ID:8UtG2HsZ
>>673 いくら善行していても他人が悪だと思い込んでしまうのはしょうがない。
そこまで面倒見れない。
>>675 面白い。
まるで子供の言い合いみたいだ。
そういうのを独り寄がりと言うんだろうな。
>>674 それが余計な思考をしたせいで止まってしまいまして、拒否したわけじゃないんですけどね。
あるかどうか分かりませんが、次にあの状態になった時は抑えずにいようかと思います。
返答ありがとう。
>>677 >それが余計な思考をしたせいで止まってしまいまして、拒否したわけじゃないんですけどね。
それは今、
>>677さん自体が愛が欠乏してしまったので、
今は愛を受け、自分の中で満ち足りてからで無ければ再びの放出は難しいでしょう。
焦ると悪い思考に支配されますから、今は受ける方に重点を置いた方がいいと思います。
愛情に恵まれなければ愛情は育たないと思っていたけれど、
ある日、自分の中にこんな感情があると知った時。
果てしない歓喜と感謝の念が(外気功のエネルギーのように?)その感情とともに溢れ、
その頃すでに氣や念は影響があると知っていたので、それを個人に向けることに躊躇し672の2つの質問の結果になったわけです。
680 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 08:34:26 ID:C9qO/AnJ
セックスをし続けると悟ることがでるよ
681 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 12:12:52 ID:7AabgOXi
>>665 無の世界の先には愛の世界が待っているというあなたの話は素晴らしい。
あなたの話をもっと伺いたい。 よければコテをつけては頂けないだろうか。
>>681 私の話ではありません。
英知からのメッセージを書いただけです。
もし、無を目差すのが本来と言うならば、この世は誕生はしなかったのです。
無を目差すものがどうして有を作れましょう。
その英知からのメッセージは聖書に隠されています。
聖書を読み、受け取る態勢(心)さえできれば、誰でも受け取ることのできるメッセージです。
私がコテを付ければ、私の話という捉え方をしてしまう方が出てしまいます。
私も、元は欲を切り捨てるため、真冬に滝に打たれたりして肉体からの離脱を求めていましたが。
聖書はそんな人間が自分でおこなう修行が無意味な事を教えてくれます。
環境すべてを与えてくれ、自然と心の修行の環境を与えられます。
この与えられた修行は、人が考えておこなう修行の無意味さがよくわかるものでした。
私が知っているのではなく、すべては英知の中にあります。
私はただ受けるだけ。
683 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:09:26 ID:1UQpjeJO
>>682 突っ込みを入れるわけではないが、あなたは
>人間が自分でおこなう修行が無意味な事を教えてくれます
と述べる傍らで、英知からのメッセージを受けるためには
>聖書を読み、受け取る態勢(心)さえできれば
と然るべき心の状態に至る必要を前提条件として述べておられる。
であれば、「聖書を読み、受け取る体勢(心)をつくる」個人の営為
が、とりもなおさず修行ということになるのではないのか。
684 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:18:45 ID:1UQpjeJO
よくわからないのだが、
英知のメッセージを受けとろうとする者は、〔発願〕しさえすれば
信が足らぬゆえかも知れぬが、じたばたせずに英知にすべて任せていれば
時節は自ずと到り来て、
>環境すべてを与えてくれ、自然と心の修行の環境を与えられます。
ということらしいが、実際そのように皆々に事が運ぶとは思い難いのだが。
685 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:21:26 ID:1UQpjeJO
文章を校正中にうっかりクリックして、おかしな文になってしまったよ。w
>であれば、「聖書を読み、受け取る体勢(心)をつくる」個人の営為
>が、とりもなおさず修行ということになるのではないのか。
受け取る体勢(心)を作るのと修行は別ものです。
また、肉体的過酷条件に追いやる修行よりも、聖書を読み、受け取り、
そこから始まる修行は10倍以上の進度があります。
読む事が修行ではなく、読む事により感覚が開きだし、英知と繋がり出すと
周囲の環境などが英知の力で変化をきたし、精神的修行が自然と始まります。
ただの苦痛的な精神状態と違い、英知の存在を感じながら進みますので、
暗闇にいるような不安はありません。
暗闇では無いけれども、自我が崩される状態が起こり、その時はかなり苦痛となります。
しかし、そこから抜け出る道も示されているので進むより他は無いという状況で進行します。
そこで英知の存在の実感がリアルに成っていきます。
>>環境すべてを与えてくれ、自然と心の修行の環境を与えられます。
>ということらしいが、実際そのように皆々に事が運ぶとは思い難いのだが。
自分が何者なのか、何をすべきために存在しているのか、そういう答えを求めて聖書を
読まれた方はほとんどがその課程を経験しています。
そこから仏教へ戻る方はほとんどいません。
なぜなら英知の存在を確認してしまったから。
仏教でのその教えは無限に近い広さがありますが、聖書の言葉にはそれを越えて無限のような深さがあります。
そこから視ると仏教の教えはなんと薄かったのだろうと驚愕するものがあります。
聖書には仏教でいう「空」についてもすでに記載されていて、また清めに使う塩もすでに使われていました。
ちなみに「豚に真珠」、「目からウロコ」、「狭き門」、などの言葉は聖書から出ています。
687 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 01:22:04 ID:jqI4YUrK
683です。
自分でやる修行ではなくて、英知によって与えられるところの
自然に始まる精神的な修行というものがどうもよくわからない。
まぁこういうものは言葉ではどうしても限界があるものですから
ひとまず置かせてもらいます。
それはそれとして、あなたのレスで別の疑問が起こりましたので
お尋ねします。
>自分が何者なのか、何をすべきために存在しているのか、
>そういう答えを求めて聖書を読まれた方はほとんどがその課程を
>経験しています。
とありますが、
その過程とは、英知の導きによる精神的修行により自我が崩される状態が
起こり、英知の存在の実感がリアルに成っていき、ついには
>>665で述べられて
いるように、「受けるがまま」という「愛」が流れ込んでいる状態を知る。
ーということを指されているのだと思います。
688 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 01:46:16 ID:jqI4YUrK
しかしながら、ご承知のようにキリスト教と並ぶ西洋文化のもう一方の
精神的な大支柱である西洋哲学の系譜においては「人間とは何か。人は
どのように生きるべきか」の命題を他の文明以上に追求しており、
2000年もの間、西洋人は聖書を読みながらその命題を考えてきているのです。
しかし、残念ながらあなたの言われるようには「そういう答えを求めて聖書を
読まれた方(つまり大多数の西洋人)はほとんどがその課程を経験しています」
とはなっていないことは事実として明瞭なわけです。(だからこそ東洋にはより
明確にして速やかに真理を得られる道があるのではないかと考えて、禅やチベット
仏教に強い関心を彼らは持っているわけですが)
そして、なによりもあなたの言われる英知の導きによって与えられた修行
結果としての「自我の崩壊」という考え方自体がインド的あるいは仏教的な
宗教思想であってキリスト教には全くない考え方なのですが、この点は如何
なのでしょうか。
簡単に解った気分になれることを尊び、解らなかったことを軽んじる印象が抜けない。
釈迦は苦行で悟りを開かれたわけではない。知ったかぶり上下をつけたがるのは、変な精神状態なんじゃないかと…?
内容なら既にある。言葉の発祥など様々な所にある。妙なことを誇る。
止めるように何度言われても解らないんだろうか?
英知を語るけれど智慧との違いを述べられるんだろうか。
690 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 02:02:27 ID:jqI4YUrK
さらには
>聖書には仏教でいう「空」についてもすでに記載されていて
>また清めに使う塩もすでに使われていました
と言われますが、龍樹の空観と合い通じる文脈が聖書にあるのでしょうか。
清めの塩に言及されるに至っては、聖書には神道の穢れを忌む思想まである
のかと驚くしかありません。
たしかに真理には国境も時間もありませんから、聖書が真理の書である以上は
他民族・他宗教の最大公約数(あるいは最大公倍数?)が隠れたメッセージと
して随所に記述がなされていても不思議ではないですが、ここまで言われると
いささかついていけない気がします、というか私だけでなく常人の理解の範疇
を超えていると思わざるを得ないのですが。いや、皮肉ではなく。
>それはそれとして、あなたのレスで別の疑問が起こりましたので
>お尋ねします。
>その過程とは、英知の導きによる精神的修行により自我が崩される状態が
>起こり、英知の存在の実感がリアルに成っていき、ついには
>>665で述べられて
>いるように、「受けるがまま」という「愛」が流れ込んでいる状態を知る。
>ーということを指されているのだと思います。
結論から言ってしまうと、「その愛を受けるために生まれ、存在している」ということになるかなぁ。
えーとね、
>>687さんにはお子さんはいらっしゃいますか?
子供ができるまでは無かった感覚というのがありましてね、
子供が出来るとその子に対して「良いもの(物質でけではなくて、環境や経験なども含めて)を与えたい」という
見返りを考えない思考が生まれます。
怒るというのはよくありませんが、叱るということはその子の為となるなら良い事です。
そういうのもひっくるめて、子供の事を考えて親が与えるように私たちに与える存在があり、
環境なども含めてすべてを統治させている英知の存在があります。
その因果なども途中途中で見させてくれるので、すべてを管理している英知の存在がわかってくるのです。
教育論的になりますが、こちらの話をまるで聞く気が無い者を教育するのは無理なことです。
力業(ちからわざ)で従わせることしかできなくなり、それでは心を従わせることはできません。
ですから聞くことのできる者、または聞こうとする意志のあるものしか導いてくれないわけです。
聞く気があるものには真理をいろいろと見せてもらえます。
真理とは、この世界が出来たときのルールであり、物質的部分では科学で解明できているものもありますが、
結局は今の科学では物質自体が原子核の構造もまだつかみ切れていませんし、それに「心」の作用との因果を
結びつけるのは、今の科学ではできていない部分ですね。
科学はあくまで解明しようとする行為であり、解明しようともしまいとも、そこに物があるということの裏付けをとろうと
しているだけであり、「在るものは在る」と受け入れるしかないのですけれどもね。
英知の存在はそれらの部分(物質と心の因果)を見せてくれます。
>自然に始まる精神的な修行というものがどうもよくわからない。
>まぁこういうものは言葉ではどうしても限界があるものですから
>ひとまず置かせてもらいます。
そうでしょうね。 それらも物と心の因果が解らなければ理解しにくい部分かもしれません。
人は何故、真理を求めるか解りますか?
「正しい事とは何か?」を知るために真理を求めているのです。
この掲示板を見ていても解る部分がありますね。正しい事と悪の基準が人それぞれで違う。
人を基準にしてはバラバラですね。 それでは何を基準にすれば絶対的正義となるのか。
それを知るために真理を追究してしまうのです。
正義を求めない人は真理を求めません。また、もし、悪人が悪用しようとして真理を求めても
真理は利用できるようなものではなく、従うしか無いものだと言う事も悪人にはわからず、
「言葉上で真理を簡単に説明してみろ」と言ってきたりします。
富士山山頂からの景色を知るには富士山山頂へ行くしかないのです。
それを「言葉で説明してみろ」などと言うのはなんと愚かな事でしょうか。
言葉で「東の下方に東京タワーが見えた」と伝えても、それを聞き出した者は
「富士山の山頂から東を見れば下方に東京タワーが見えるぜ」と自慢して他者に言ったとしても、
本人自身が体験していない景色の言葉はなんと軽いものでしょうか。
また、そういうものを見てきた人に「あんなに距離があるのに本当に見えるのか? 見えるワケがないだろう」と
議論するのもばからしい事。
そういう方々は相対性理論の言葉は知っていても、本質は理解できないものです。
ビックバンがあり、そこから時間が始まったと宇宙論では書かれていますが、それまでは時間というものが無いと
いうのが理解できていないのですね。 もし、理解できているのなら「タイムマシンはありえない」とは言えないのです。
結局は、今、解明されている物事をすべて合わせると「ありえない」現状の中に存在していることも解ります。
「ありえない」状態の中で「在る」というこの世界の状態がある。だから人間の言葉で説明しても矛盾にしか感じられ無いものなのですね。
すべては英知の存在を知れば矛盾は無くなります。それこそが真理の存在なのです。
真理を求めていた方達が科学から聖書研究の方へ移行してきたりしています。 聖書には真理が隠されていて(実は真理は表されているのですが、
欲が出ると見えなくなり、混乱をしてしまうのですが)、科学とは信じるために裏付けを得ようとする遠回りの行為であり、
裏付けが無く受け入れた方が進歩は早いのです。 数学でも公式を信じて数字を当てはめれば早い解答が得られますね。
公式を覚えるのに、裏付けをいちいち検証していてはなかなか進めないのと同じです。
ためしに「聖書と科学」で検索してみれば解りますよ。 信じるためにわざわざ裏付けを欲している事の多さに。
歴史にしてもそうでしょう? 第二次世界大戦はあった事を受け入れるのに「その戦争を直に見なければ、戦争があったなんて信じない」などと言っていれば
先へは進めませんし、すべての歴史をもう一度見れる事ができるのならば、その人の一生ではほんの一部しか見てこれません。
今という時間でさえ、未来には過去です。 未来からすれば私たちはこの時代を確認(認識)している者ということと変わりはありません。
未来を受け入れたければ、過去を信じて受け入れるしか無いことも解ります。 過去は変えようが無いと言うのなら、真理でさえも変えようが無い事を認識しなければなりません。
聖書に真理は示されています。受け入れれば矛盾は無くなり未来(心と物質の融合した未来)へも進めます。
この内容だけでも「もっと簡単に書け」と言う人がいるでしょう。 そういう方はこれよりももっと文字の多い聖書は読み切れませんね。
そういう方々は真理を知りたいと求めるのは避けた方がいいでしょう。
>結果としての「自我の崩壊」という考え方自体がインド的あるいは仏教的な
>宗教思想であってキリスト教には全くない考え方なのですが、この点は如何
>なのでしょうか。
「砕かれる」という表記の部分が、自我が砕かれる事を指しています。
>清めの塩に言及されるに至っては、聖書には神道の穢れを忌む思想まである
>のかと驚くしかありません。
仏教は紀元前500年前。 聖書では旧約聖書の方に塩で川の水を清めたのが記載されています。
旧約聖書の内容は仏教よりも前ですね。
聖書にし「空の空、すべては空」と旧約聖書にはすでに記載されています。
>釈迦は苦行で悟りを開かれたわけではない。
旧約聖書は釈迦よりも前です。
>英知を語るけれど智慧との違いを述べられるんだろうか。
ここでは「英知の存在」と書きましたが、真理そのものの存在です。 知彗は真理なる存在から与えられる知恵でもあります。
>しかし、残念ながらあなたの言われるようには「そういう答えを求めて聖書を
>読まれた方(つまり大多数の西洋人)はほとんどがその課程を経験しています」
>とはなっていないことは事実として明瞭なわけです。
残念ですが、「西洋人は聖書を読みながらその命題を考えてきているのです。」という方々は一部です。
考えるものではないのですね。受け入れるかどうかです。
大多数はすでに聖書を受け入れているから信仰している者が多いのです。
>釈迦は苦行で悟りを開かれたわけではない。
釈迦がこの世界を創ったわけではありません。
「悟りを開いた」という言葉を使われたとおり、釈迦は真理の存在の近くへ行った人であり(真理を感じてきた人)、
真理そのものではありません。
最終的には真理と同化したかもしれませんが。
697 :
聖書問題:2009/01/27(火) 10:49:24 ID:e83w/kXV
マア、聖書を通じて、語れる範囲の狭さがあるねえ、
それは神の不可知性が故だろう、
聖書に適格性を期待するのが難しい。
理由
1、不可知性だから、
2、明確な世界観設定していないから、日常の実践性の形を構築できていない、霊的導きと言う不可知性によらねばならない。キリスト以降の神学の不確定性。
無学、無能な奴に親切な導きがあるのは聖書のみだろう、とは言えるがね。
>無学、無能な奴に親切な導きがあるのは聖書のみだろう、とは言えるがね。
感じる事から遠く離れている人は「学」で求めますね。
その方向は真逆ですよ。
699 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 19:12:22 ID:+gdhZd4L
水を語りて濡れず、火を語りても燃えず。
葉を語りても茂らず、音を語りても響かず。
いわんや悟りをや、と。
700 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 19:24:37 ID:+gdhZd4L
心、滅すれば死のごとし。
死、滅すれば無のごとし。
無、無ゆえに拠るところなし。
故に無もまた滅すべし。これを無我といふ。
無我に至りて生死執着一切は消え失せ、
眼を開くは新たに生まれるがごとくなり。
さすれば一切に仏性の在るを知り、豁然として大悟せり。
灰色の世は、光を取り戻したるがごとし。
701 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 19:36:46 ID:jqI4YUrK
>>696 687です。
多くのご指摘には、いちいちもっともだと肯きはするものの
いくつか質したいところもまたいくつかはあるのですが
枝葉に流れるのも本位ではないので、改めて別の機会に致しましょう。
ご丁寧な長文の返レス、ありがとうございます。
702 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 00:56:34 ID:xXzHbzvu
仏陀は悟りを広めようとした。
民草は悟らず、死生観をかたくなに捨てようとはしなかった。
以後の仏教も、死生観に汚染され悟りを見失っていった。
イエスは愛を広めようとした。
信者は愛の力を信じず、神の奇跡を求めることをやめなかった。
以後のキリスト教も、教会の利権に汚染され愛の教えは失われた。
悲しきかな。悲しきかな。
経典も聖書も、すべてありのままに書かれるも、
読む者の目は曇っているがゆえに。
>>696 聖書を作ったのが人間だというのを忘れてるだろ?
>>703 聖書を読んだことが無いのですね。
ちゃんと記してありますよ。
神の霊感により記されたものだとね。
それが事実であるかどうかは、辛さや苦しみを経験して聖書を読んだ者には解ることです。
絡んで否定論を出して優越感に浸るより、本当に真理を求めているのなら聖書を読んでみてはいかがでしょう?
人が書いたんだ。
>絡んで否定論を出して優越感に浸るより、
ヒステリーを感じる長文レスに同じことを思っていた。
かじる程度にしか知らない宗教を知ったかぶり比較し、悪く説明し(憎しみでもあるのか?と思う程)、人間性を疑うような尊大な言い回し。
こっちは興味を持ってる段階なのに、必死で悪印象を押しつける。
レスをピックアップし指摘しようと思ったけど、読み取るのは気持ちが汚染されそうな気分になる内容だ。読み返すのが面倒。
それに前に指摘したことを繰り返す、正面から答えず誤魔化した。
自分に優越感or劣等感があるからと、他人まで卑下しないでくれ。どの言葉に優越感がある?
それから感情が高揚したぐらいで、悟れたぐらいにしか説明ができてないな。
>>705 人の考える物理や科学の範囲を超えたものを知ると、そのようなただの感情の高揚などとは大きく違うことがわかりますよ。
感情論でしかなくなってきたな。
>>696 『かもしれませんが』て、想像でしかない。
内容も結局、レスしてる本人が真理を解ってないから想像になる。
>>694 >>英知を語るけれど智慧との違いを述べられるんだろうか。
>ここでは「英知の存在」と書きましたが、真理そのものの存在です。 知彗は真理なる存在から与えられる知恵でもあります。
他のいらない話は長々とあるのにこれでは違いを説明できていない。
>〜でもあります。
一部を語っただけじゃないか。
710 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 07:00:51 ID:3qeQalb/
>>704 読んだが、ゴミだった。
あんなものを信じられる精神薄弱者がどうして生きていけるのかわからない。
イエスとかいう捏造されたヒーローはゴミだが、
精神薄弱者が聖書にもたれかかって生きていけるということだけは、
神の奇跡かもしれんな(笑)
感情論では無く、感覚世界なのを解って無い人が多いですね。
人間の脳にはすべての真理は入りきらない。
たとえばPCにしても、それ単体では情報量に限りがある。
ネットワークに接続して大きなサーバーや、他のPC同士と繋がることで
いろいろな情報が見られるように、他の人と繋がったり真理に繋がったり
することで見られるものが悟りの世界。
繋がることで大きな一つの存在の一部になるとも言えます。
個人の頭で理解できるものと思っている方々は大きな間違い。
チャネラーなどはその接続の一つの段階と言えますね。
そうですね。
悟りは『得る』というより
『開く』という表現が使われるのはそのためですね。
悟りは得るものではなく向こうから来るものだよ
あるいはすでにここにあったと気付くもの
こちらの自我が無くなることによって
714 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 16:26:01 ID:JCRDBnHA
>読んだが、ゴミだった。
カワイソウに・・・・・・
聖書を読んでも何も感じられなかったということは、感覚が開く要素はゼロに近いのかも・・・。
聖書読んでも何も得られなかったんなら、こんな掲示板でやりとりしたって得られるものは無いだろうに・・・・。
こんな掲示板に書き込みしている人の言葉と聖書の言葉とで、どっちの方が信じられる?
まあお好きなように。
聖書を読めば・・・・・なんてのは、限った事じゃないだろ。
むしろオカシナ方向に進んで行く。
でもって、信じろって限定してくる。・・・・馬鹿だ。
それは、頭の中で聖書が1番だと思い込んでるだけなのに。
人間の脳に理解の出来る要素が無い事なんて、人間には理解出来ない。
神という概念も、真理だと言う思い込みも、人間の頭で考えられる範疇。
こうだ!と思えばそれなりよww
715のような人のことも聖書にはすでに書かれているよね〜
ヨハネの福音書3章
信じない者は既に裁かれている。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
>人間の脳に理解の出来る要素が無い事なんて、人間には理解出来ない。
そっかー。なら715は「悟り」の世界なんて無縁じゃん♪
だれでも得られるものはただの知識。悟りとは違うよ〜ん♪
716
全く、どうしようもないなww
716
お前の底の浅さで物を言われてもなぁ・・・。
お前が神を信じようが、聖書を信じようが、知った事じゃないし、
好きにすりゃぁいいんだけど、黙ってろよ。
いいか?黙ってろ。
719 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 18:52:10 ID:GeINIFsz
>精神薄弱者が聖書にもたれかかって生きていけるということだけは、
>神の奇跡かもしれんな(笑)
人の役に立つ能力が何もないヤシが
「悟り」という超越した感じがするものを求めてこのスレに粘着しているのが顕わだなw
屁理屈ばかりこねて、結局は何かを得ようと努力することもない。
自分からは何の理論も出せず、メジャーな理論をあたかも自分の意見のつもりになって吹聴するだけw
確かに人の意見を批判したり評論すれば、何か解ったような気にもなるが、結局はそこまでの人間。
自分では「何にもできない」ww
いろいろと他の人の書き込みを妄想だのなんだのと批判をしてはいるが、結局はもともと理論や証明のしようも無い「悟り」ということに粘着している矛盾がおかしいww
720 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 18:54:33 ID:GeINIFsz
>精神薄弱者が聖書にもたれかかって生きていけるということだけは、
ねぇねぇ。
では何にもたれかかって生きていくのが正解なの?ww
お金? ww
それともあなたのように親にもたれかかって生きるのが正解なの?wwww
聖書だ、光だ、を正義の盾として振り回す輩は、
黙ってるか、おとなしく消えてくれ。
>>711 片や悪意を込め決めつけ、片やくだらないことを誇り善いと決めつける。
それのどこが感情じゃないって?
宗教差別の意図のどこが感覚的だって?
自我崩壊などしてないじゃないか。個人的な欲望がある。認められたいから同意を得たがる文章がある。
感情的だから長文になる。
光だ正義だという人が、煩悩欲望がチラホラ見えると汚く感じるのは確かだな。
724 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:01:25 ID:AbeWEtvB
>>722 のなかにある「くだらないことを善と決め付け」の部分に反応した自分。
>>722 はどんなことがくだらないことだと思っているのだろう?
善と決め付けられるほどのことというのも、よほど善いことじゃないと ありえんとおもうが。
>>723 もうさ、そんな奴に何言っても駄目なんだよなww
放っておくのがベスト。
思考停止状態だから、そのうち目覚めるか、
神に祈り続けたまま死にたえるかってだけの事。
奴等にとっての選択の自由だが、
偉そうに講釈垂れられると、いい加減にして欲しく思う。
>>724 豚に真珠などの言葉の発祥を得意気に語るとか、塩で清めたのはどれが先だとか後だとからへん。
内容よりも先か後にこだわって善しとしてるのがね…。
(なぜ塩で清めたことになるのかの方が興味深いがそれはなかった)
他に、分からない奴の文句を含め自分は解った風な言い回しで聖書を良く言うとか。
(反感買うの当たり前だと…)
読めば解るって言うなら、それだけを言えばいいのに、大袈裟で下手な宣伝勧誘的な内容。他宗教よりコレを選ぶとかの嘘。
…がくだらない。
感情を抜いて、比較した物を悪く言わず、本当にどのように善かったかをありのままにあれば、くだらないとは思わなかっただろう。
修行について『苦行』のみで語るのも偏っているのではないか?と、思う。
それをするとどうなり、何が解るのかも興味がある。
半端に止めた者が、何も解らずに悪く説明するのも良くない。
己の限界に達すると、何かが解ったり起こったりすると思うのだが…。
苦行に慣れると限界が遠のくから意味がないとも思う。
そこで命を落とすのはダメだとも、死ぬぐらいならやらない方がいいと思う。
728
確かにスルーは難しいねww
俺は今日まで一連の流れを黙って眺めてたが、
さすがに限界だったww
>それをするとどうなり、何が解るのかも興味がある。
真冬に標高1000mほどの所にある落差20mほどの滝に打たれに数回行きました。
水温は4度。
こらえるのと違い身体を緩めて滝に当たると一気に体温が奪われます。
滝に無数に下がっているつららが落ちてこないかだけが心配でしたね。
滝壺を渡る間だにも足がまともに動かなくなってくる状態でした。
滝から出て5分位で身体の内から熱気が上がってくるのですが、その熱気は
澄んだ熱気という表現が合う感じで、心も身体も清められて純粋な生が躍動する感じでした。
滝から出て感じる周囲は、すごく身体全体に響きます。
今まで身体の回りに邪気ともいうべきものがまとわりついていたのだなと感じる程です。
何が解るのか興味があるというのなら、滝に打たれてきてはどうでしょう?
私はただ、「何か掴めるかもしれない」というだけで滝に行きました。
「何々が得られるから」とかいう保証を得ないと行かないようでは、もとから何も得られません。
>半端に止めた者が、何も解らずに悪く説明するのも良くない。
半端と言われるのでしたら、何もしていないあなたには何も言う資格自体が無いのではありませんか?
ちなみに私は毎晩の冷水かぶりは1年以上、1日も欠かさずに行っています。
731 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 09:20:25 ID:4Y1b9bjq
>>727 >苦行に慣れると限界が遠のくから意味がないとも思う。
意味が無いことは無い。
つまりはいつも限界を求めていくことでその先が少しづつ見えてくる。
競技の高飛びにしても、その人の限界は毎回上がっていく。
限界が遠のくという考えは間違い。
その人の限界が上がっていき、普通の人が入れない領域に入ったところで得るものはある。
「苦行」というのは、他者から見た観点であり、当人からすれば追い求める途中経過でしかなく、
当人にとってはそれはただの苦しい事を耐える・こなすとは大きく意味が違う。
石の上にも三年。 他者から見ればどんなにくだらない内容だろうとも、継続して追い求める者は何かを得る。
他者の話を聞いて凄そうな事を選ぶのは、所詮は人の後追いである。
自分で欲し、もちろん物欲的な欲しではないが、そのために心と身体の同調を取る行為を自然と自分の修行として
行うことは道を歩むものはみんなやっていることだ。
心身の清めから入る者もいれば、心身の鍛練から入るものもいる。
>>731 >「苦行」というのは、他者から見た観点であり、当人からすれば追い求める途中経過でしかなく、
当人にとってはそれはただの苦しい事を耐える・こなすとは大きく意味が違う。
そう思いますが?だから、
>修行について『苦行』のみで語るのも偏っているのではないか?と、思う。
と書いた。
ばっかだねー
なんにもしてないくせして
他人の苦行を半端なら意味無しとか書いてる
ただの評論家が邪魔だと言われてるんだよ
>>730 何も知らず何もしたことがなくて、何かあるなどとは思わない。
なぜいつも、病気じゃないか?と思うほど尊大で、他人を想像で見下すなんだ?恥ずかしいとか思わないわけ?
子供がこんなことをしたーと得意気なのは成長途上だから、微笑ましいが大人になって、極めてないのに大袈裟にしたことを言うのはあまり良しとは思わない。
その自己尊大で、それを認めたがられたがる煩悩、かくときだけでも引っ込めてほしいね。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 12:58:02 ID:BXQI0eg6
>>734 >その自己尊大で、それを認めたがられたがる煩悩、かくときだけでも引っ込めてほしいね。
オマエ、こういうの、すべてオマエに当てはまってるのわかってる?
736 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 14:11:13 ID:zX+PJHzw
ID:zX+PJHzwの『自分の感情基準』よりも
まだ『聖書基準』の方がグローバルと感じた
>何も知らず何もしたことがなくて、何かあるなどとは思わない。
では、何を知っていますか?
何を得ましたか?
御自分でやった事と、得たものを示してください。
話しても信じないだろう。自分がやってなきゃ信じない。
愚弄されるのも真っ平だし、話したことで万が一得たことを無くすのも嫌だ。
実際あまり考えないで話したことで、以前より落ちた無くなったに近いこともある。
逃げだと思われても構わない。
こっちは内容は否定していない。聖書も修行も。
感情面のみ。そのへんを混乱するな。
>逃げだと思われても構わない。
逃げに思われるかもしれないが、逃げでは無いと主張したいのですか?
それはあきらかに逃げです。
自分の事を話すのが嫌で、それでいて他の人の内容は気にくわないと
いう一方的行動はおかしなことです。
>感情面のみ。そのへんを混乱するな。
感情面で感情的書き込みをされているのはあなたの方なのですが。
742 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 00:40:26 ID:EskjiiSt
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
>>731 『慣れ』は、成長というより怠惰に近いと思う。
初めて何かに取り組む時の集中力や緊張は、取り組んだ出来栄えに反し大きい。ところが慣れると、出来栄えは上がるが、集中力や緊張は最初より小さい。
それでも自己の最高や究極を目指している時は、集中力や注意力、より良い方への思考や意識は変化しながら伸びていると思う。無心?なほどに、必死に。
怒りで出すパワー以上の結果もでると思う。
改善の余地がない自己最高の状態を続ければ結果は上がると思うが、心はピークに達しているので慣れや惰性というものが出てくる。
この身心のピーク(極限)に何かがあると思う。
この心のピークは慣れると、もうピークと言えるかどうか分からない。それ以上のピークは『遠くなる』という話。
考えてみたけど、どう説明していいか分からない。
745 :
神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 10:53:25 ID:IcXTvrlD
悟り
それは限りのないものでありどこかで完結することはありません。ソコデ、ミナマチガウ
>>745 お前が間違ってるじゃんw
「空」を把握した後にしばらく日常生活を送って、
悟ったという興奮が冷めて思い上がりが消えて、
自分はやはり自分だと日常で思えるようになった時点で悟りは完了。
その後の進化のプロセスは、悟りとは別次元。
747 :
神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 14:52:42 ID:CdLrXhmF
「さとり」がどんなものか・・・五十文字で答えてみよ!
748 :
神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:48:01 ID:wGPJ+2C4
>746
空を把握? えらく簡単に言えるな
749 :
見性しました:2009/03/23(月) 11:23:58 ID:+HisxBS4
昨日の座禅中、隻手の音声で大轟音を聴き見性しました。
大爆発の歓喜でした。
嬉や〜、ああ嬉や〜。
おめでとう。
英知の目が宿った後は、導きに身を任せ自然のあるがままにです。
751 :
神も仏も名無しさん:2009/03/24(火) 15:31:04 ID:I4Rm1b7C
おならでもしたの?
752 :
神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 04:51:29 ID:HRk0T1XQ
>>749 あれってホントに音が聞こえるもんなの?
どんなかんじ?
753 :
亭白:2009/03/27(金) 11:13:39 ID:KiSiJgVo
悟りといっても段階の階梯がありますから、悟りは一様ではありません。
悟りは難行苦行によって得られることはありません。
悟りは自ら能動的に掴もうとしても悟りは得られず徒労に終わるでありましょう。
悟りは、受動的なものであり、悟りは得ようとしない心が悟りを得ることに繋がります。
悟りは心をガラスのように透明な明鏡止水の心境の持続がポイントであります。
ラスのように透明な心にするために反省があります。
心の有り様としてベースに流れているのは利自即利他の思念を持っているということであります。
悟りを得たとは悟りを開くと同義であります。
皆様の悟りの縁として参考となれば幸いであります。
754 :
亭白:2009/03/27(金) 11:17:13 ID:KiSiJgVo
>>753 訂正します。失礼しました。
x ラスのように透明な心
0 ガラスのように透明な心
隻手の音声は昔やったね。
私の場合は、聞こえもしたし、見えもしたな。
そう、聞こえる前から確かに目を閉じてたのに係わらず、廻りどころか遠地のところまでもはっきりと見えたよ。
体がまるで無くそこに居たように。
そして身体に響くような音を聞いたのはそんなときだったよ。
意識する自分も無く意識される自分も無いような感じの時だった。
756 :
神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 20:11:59 ID:Tafeu9Qj
片手の人になったつもりで屁をこけば
隻手の音声が聞こえたことになるのじゃなぁ。
ようするに屁をこけるまで我慢して坐れば合格じゃ
だから初関、はじめにあたえられるのじゃなぁ。
>>755 そのようなただの錯覚で合格するわけないのじゃ。
妄想を語る人間はダメじゃ。もっとも悟りから遠い。
現実に屁こく自分に新鮮に出会えればそのことが合格じゃ。
758 :
神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 20:20:39 ID:HRk0T1XQ
>>755 それはそのときだけですか?そのときやそれ以降そのことで何かかわったりしましたか?
その体験を自分の中でどう解釈してるかよければお聞きしたいです
けれど、見性は悟りの入口に過ぎない。
たしかに見性したら平等性智はすぐに得られた。すべてが我と同根で、無駄なものは何一つ無いものだとね。釈迦がいわれた悉皆仏性とはこのことかと思った。
このあと、無字や倶テイ竪指などの幾つかの公案は透ったよ。
しかし大円鏡智とか法界体性智といわれる智慧を得るまでにはその後の修行を続けないと大悟できないのも事実だよ。
とは云え、ともかく見性しないとなにごとも始まらないので、まず見性することが一大事。
そのためには、やはり坐り続けることが必要だと思いますよ。
760 :
755:2009/03/27(金) 20:52:20 ID:PJ0XOWBp
見性して以来からか、まずいなと思ったときでも不思議とうまく回転するようになったものです。
白隠さんの坐禅和さんで、・・・福を得る事限りなしといってるでしょ。
本当のことなんだと実感したものです。
誰でも大概うまくいくものです
錯覚です。病気です。日々の苦しみから習得するのが本物です。
ぼけっと坐ってりゃ休憩にしかなりません。
762 :
755:2009/03/27(金) 21:07:28 ID:PJ0XOWBp
人間、生まれてから否生まれる以前から業というものを背負っていて、それが肉体に染み付いてるというか反映してるというか、とにかく自身の肉体に影響していると実感しています。
生まれ付いての病気というものがありますがたぶんそれが因なのだと思いますよ。
ところが坐禅してその悪業が解けると(解けるものです)肉体まで変わってきます。
そして環境までも変わってくるようになるのだと思いますよ。
休憩にしかすぎないと思っても坐ったほうがいいですよ。
>>762 坐ることが悟りに関して最も大切なことですか?
隻手の音声は聞こえてないですが、自分も自分が消え去ってものの区別を感じなくなった
ことが何度かあります
自分は誰でもなく、全ては違うように見えるけれどみな同じだと気付きました
禅に関してそういうものは錯覚であり現実に即すことが悟りだという方も多いですが、それに
関してどう思われますか?
764 :
755:2009/03/27(金) 21:39:32 ID:PJ0XOWBp
>>763 >坐ることが悟りに関して最も大切なことですか?
私の場合はそうです。これ以外ありません。
>隻手の音声は聞こえてないですが、自分も自分が消え去ってものの区別を感じなくなったことが何度かあります
坐禅中になるのであれば禅定力がついたことになります。しかし見性にはもう一歩です。
>自分は誰でもなく、全ては違うように見えるけれどみな同じだと気付きました
気づくことと見性とははっきり違います。
理知で気づくのではなく、感覚で一体感があるものです。
多少の大円鏡智はありますが。
>禅に関してそういうものは錯覚であり現実に即すことが悟りだという方も多いですが、それに関してどう思われますか?
人間が肉体を持ったが故の悪感覚を蕩尽したあと、仏性が現前したがための見性の体験ですから、麻薬や酒などの単なる錯覚とは全く別物です。
それには体験することが必要です。
>>764 気付くことと見性とははっきり違うのですか?
理知で気づくのではなく感覚で一体感があるというのがどういう状況かわかりませんが、
自分の場合は思考が止まりただ全てを見てるだけになりました
一体感というか自分も自分以外のものも肉体的な境界があるだけで実感としての境界は
消えていました
酩酊ではなくどこまでもクリアー限りがなく生まれて初めて目が醒めたようです
それは座ったときに起こるのではなく日常において自分が消えたときに起こります
そういったものは禅の見性や悟りとは無関係なのですか?
ちなみにあなたは座ってるときと日常では同じ状態なのですか?また違うのですか?
766 :
755:2009/03/27(金) 22:12:46 ID:PJ0XOWBp
>>765 >自分も自分以外のものも肉体的な境界があるだけで実感としての境界は消えていました
>・・・日常において自分が消えたときに起こります
どのように境界は消えていましたか?
そのときの感情はどうでしたか?
自分の本性が分かりましたか。分かれば見性です。
>ちなみにあなたは座ってるときと日常では同じ状態なのですか?また違うのですか?
見性状態が社会生活には具合がわるいときがありますので普段の分別状態にもどります。
しかし分別はしていても本性が分かっていますので大きな誤りはないと思います。
767 :
755:2009/03/27(金) 22:22:44 ID:PJ0XOWBp
2chでは見性を知るには無理なところがありますので、一度、どこかの坐禅会で見てもらったほうがいいでしょう。
それと見性すれば先にあげたようないくつかの公案はすぐに分かると思いますので、試してみたら如何でしょうか。
では今夜はこれで・・・。
>>766 境界が消えるというか違いが実感できないという感じです
自分も他のものも他のもの同士も
へんな表現かもしれませんがこの世はただ宇宙であり宇宙でないものはなかったのだと
思いました
自分も他のものもよく言う宇宙の一部という意味ではなくそれ自体ただ宇宙であり、ただ宇宙が
違う形で存在してる(ように見える)だけだというかんじです
目は肉体なので境目がわかりますが、実感では境目がどこにもありませんでした
自分では勝手に、これが全てに仏性があるということかと思いましたが
なにも無かったとわかり、なにも無いという意味で全てがあると思いました
自分の本性は何も無くなったあとのこれだったのかと思いましたが言葉では表現がむずか
しいです
自分のこういう体験は禅で見性や悟りと言われてるものと関係してるのかどうなのでしょう
か
でも正直そんなことはどうでもいいのかもしれませんね
>>767 読まずにレスしてしまいました
今日は貴重なご意見ありがとうございました
おやすみなさい
770 :
亭白:2009/03/28(土) 10:43:55 ID:OVGgXLok
大円鏡智の心境を皆さんに理解が及ぶように述べてみたいと思います。
まず、心の内のチリやホコリを反省(八正道)によって取り除き、ガラスの透明観
を確認しましたらゆったりとて腹式呼吸を深く行い瞑想内なる心がガラスのように
透明になっている姿を観ながら明鏡止水の心境の維持を楽しむことが大円鏡智の境
地であります。
771 :
755:2009/03/28(土) 20:06:18 ID:xhl4mbAN
>>768 見性にも深浅それも多種ありますので、一概にこうだと言えるものはないと思います。
白隠さんでさえ数回の大悟(深い見性)をしたと言います。
ましてや、我々凡庸なものは大悟には極浅い悟りを数回どころか何遍も繰り返さなければならないかも知れませんね。
ただ見性に共通しているのは、深い三昧(定力ともいいますが)があってのことだといえます。
その点を判断にしてみたらいいと思います。
また自分の本性というものが分かったときには、何ものにも恐れない自信を感じることが出来ます。
そのへんは無門関に記してありますのでご覧なされたらよろしいでしょう。
全てが変わって全てが変わらない。
それが悟りだよ。それじゃあ。
菩提本樹無し 明鏡も亦台に非ず
本来無一物 何れの処にか塵埃を惹かん
>>771 ありがとうございます
自分がよくわからないのは禅の悟りとヒンズー教や神秘主義者などの悟りが折りあわない
あたりなんですよね
玉城康四郎なんかは無我も大我も同じだと主張してますけど
自分もいろいろ体験しましたけど、それは神秘体験の部類で悟りではないという意見を
言われることも多いですし
しかしそういう場合、どちらの側も、神秘体験と悟りの両方を知って語っているわけではなく、
あくまで自分が知っている側からの主張しかしてないように思いますし
そういう主張というか思いを持つってのはそれはそれでたんなる執着という気もして
隻手の音声なんかも実際に音が聞こえるとも、それは幻覚や魔境でそういうことではないと
言う方もいますしどうなのかなと
無門関も中途半端にしか読んでないのでまた読んでみます
775 :
亭白:2009/03/29(日) 00:34:32 ID:aTRYiA1O
>>773 :神も仏も名無しさん
菩提本樹無し 明鏡も亦台に非ず
本来無一物 何れの処にか塵埃を惹かん
@五祖弘忍氏の継承者六祖慧能氏の一切皆空の悟りの偈ですね。(阿羅漢以上の悟り)
後継ぎの有望だった上座としての神秀氏の反省修行の悟りの偈ですね。(阿羅漢の手前の悟り)
身は是れ菩提樹
心は明鏡の台の如し
時々に勤めて払拭し
塵埃をひかしむることなかれ
何れの処にか塵埃を惹かん
776 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 08:21:56 ID:UPvEsFFJ
そのあたりの話は捏造なので
777 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 08:25:41 ID:UPvEsFFJ
間違った情報に毒されてはいけないのに
引っかかる人が多いのが気の毒だ
悟りというのは難しくない
どう難しくないかというと人はそもそもが
外界に左右されない心の自由をもともと
持っているということに気づくことだからだ。
それだけなんだ。
778 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 08:28:10 ID:UPvEsFFJ
修行というのは 気がついても
大なり小なり世間にとらわれている心があるから
それを丁寧に捨て去るということだ
食いたしの念を離れる 怒りの念を離れる
色欲をはなれる 人との交わりを離れる
細やかな わずかな 己の執着にも気を払って丁寧に取り除く。
779 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 08:37:48 ID:UPvEsFFJ
丁寧に取り除くと成れば 丁寧な段階段取りが必要となろう
すると本来の趣旨を忘れた形ばかりの修行に陥ってしまう
かといってなにもしないのは論外
本来何もない が先にあって その後で鏡を丁寧に拭く作業が始まるのだから
しかしこういうことも言葉に直すと矛盾だらけになるのう。
780 :
亭白:2009/03/29(日) 11:49:41 ID:gpYXBuTa
>>776>>777>>778>>779 :神も仏も名無しさん
>>776と
>>777の上から二行目までは別にして
>>777の三行目から
>>778>>779 は
小乗の悟りのポイントをついているので、小乗の悟りの実践を間違いなく積んで
おられる方とお見受けしました。
阿羅漢までは心のチリやホコリを八正道の反省で払うことで心がガラスのように
透明になれば、心の王国をつくり、心を支配し心のコントロ―ルの維持に努め
さわやかな心を保てば阿羅漢に誰でもなる可能性があります。
阿羅漢の維持が難しくなります。
781 :
755:2009/03/29(日) 17:10:36 ID:57p11xEU
>>774 見性が霊性の神秘体験ですから、魔境というものは過程で付きものです。
魔境は深い三昧力のなせるものですからある意味歓迎すべきものともいえます。
しかしその境地が意識上に留まって居る間は、見性ではありません。
悟ったといってる多くは、不思議な体験をしたので悟ったと思ってるにしか過ぎません。意識悟りというものがこれです。
しかし見性はその先にあってその六感の意識をも滅した状態にあります。
私が755で、意識する自分も無く意識される自分も無いような感じの時だった、というのはそのことです。
私の数回の見性ではほとんど忘我というか自己が空じられたときに起こっています。
そのとき始めて宇宙我というか大我というか大きな命に一体となったのです。
>>781 そうですね
自分も神秘体験のようなものをいろいろしましたけど、同様の体験をした人の話を聞いても
どうにも残った自我がそれを解釈したり肯定したり、精神活動の残った部分のようなを感じ
ることが多いです
心身脱落というか本当に自己が抜けるのと残った自我が体験の様相を見てるのといろいろ
程度というか違いがあるように思います
というか、自我が多く残ってる人ほどいろいろ見てる(自己解釈してる)ような気がします
自分としては、何も無い、有るも無いも無い、ただ全て、に尽きますが
しかし自分も神秘体験を繰り返すうちに解釈や体験の内容自体かわりましたし、これからも
慢心せず精進したいと思います
ところで自己を空じた時、大きな命に一体になったとき、それを知覚してたのはなんですか?
全体となった(全体であるところの)自分でしょうか?
その先はあるのでしょうか?仏教では最後に知覚すら無くなるようですが
783 :
755:2009/03/30(月) 21:40:10 ID:rUuuGY+4
>>782 >ところで自己を空じた時、大きな命に一体になったとき、それを知覚してたのはなんですか?
>全体となった(全体であるところの)自分でしょうか?
それが所謂、自己の本性です。
仏性、本来の面目、無位の真人、主人公等々いろいろな呼び名でいわれていますが名前はどうであれ、生まれもせず滅することもない永遠の生命であるところの主体です。
この主体が眼耳鼻舌身の五根を知覚せしめ、意根にして個を自己たらしめているのです。
これがはっきりと識得できれば、いままで自分と思っていた自分は空なる存在で本来無我であったことが分かるのです。
>その先はあるのでしょうか?仏教では最後に知覚すら無くなるようですが
肉体は因縁による空なる存在で、その上の器官の知覚は大きな命が大樹でしたら末端の枝葉のようなものですから、枝葉が枯れれば知覚も消えます。
しかし本源である大きな命は生せず滅せずです。
これは私の見性体験を通して分かったことですから、異なった考えをする方がいるかもしれません。
是非、見性されご自身なりで識得されますことを祈念いたします。 合掌
>>783 そうですね、書かれていることは自分の体験とも合致しますし全くその通りであると思います
しかし、こういう内容を仏教外の人間から聞くことはたまにありますけど、仏教内の人間から
は意外と?聞かないように思います
それもあって細かくいろいろ聞いてしまいました
ご解説ありがとうございました
知覚に関しても自分はそこまで体験してないのでわかりませんが、なるほどそうだと思え
ました
しかしこういったことは何より自分が体験しなくてはしょうがないですよね
ご意見を自己洞察に活かし今後も精進したいと思います
この度はたいへんありがとうございました
主観のものでもなく、客観のものでもなく、
関係ない訳でなく、理に合わないものはない。
目の前のものが、在りのまま見えるだけであり、
一切のものは、現実の存在、実在する訳ではない。
この世には、四つの絶対的な要素がある。
四つとは、原因、条件、結果、実感である。
確かな法則は、この四つだけで、出来ている。
我々は、主観を実在として認識できない。
それ故に、客観を実在として認識できない。
現実は、法則そのもので、模造品ではない。
絶対的な法則で、現実に従わないものはなく、
法則に従うものだけが、現実に現れるのである。
この世界には、明らかな法則が現れている。
あらゆる現象は、様々な法則そのものである。
現れている現象は、現われている度合に応じて、
現れていない現象は、現われてない度合に応じて。
抽象的な物だろうと、具体的な物だろうと、
四つの要素が、目的に縛られている事はない。
抽象的なものが、現実に含まれる、事実はない。
具体的なものから、現実が生まれる、事実もない。
現実の宇宙は、安定であり、不安定である。
一つに融け合い、どちらかに偏ることはない。
というのも、完全に自由である筈の理性でさえ、
具体的に、固定化されてしまっているからである。
このように、不安定こそが、真理を指している。
真理は不安定である、それだけは、安定している。
この世界が、法則通りに見えていないなら、
まだ、自分の心を統御する力が足りていない。
絶え間なく移り変わる心が、統御されてないと、
たとえ、確かなものでも、不確かなものに見える。
我々は、存在として、外に見とめるものを、認識して、概念として、内に認めるのである。
我々は、存在そのものを、見とめる訳ではない。
そう考えると、世界の実在など考えられなくなる。
世界は、分かれたものが、集められている。
現実というものが、実在している訳ではない。
現実とは、過去による、現在の解釈に過ぎない。
それゆえに、現実が実在するとは、考えられない。
この世界は、現実的である具体的なものが、
確かな法則に従い、連続しているだけである。
たとえ、確かな法則と無関係な状況を作っても、
その結果が、現実に連続することは、絶対にない。
現実は、過去による現在の解釈に過ぎない。
ところが、現実を、実在と錯覚した場合には、
確かな法則に従ってないように、見えてしまう。
しかし、それすら、そう解釈しているだけである。
現実とは、明瞭な真理を覆すものではなく、
更に言えば、曖昧な真理を覆すものでもない。
もし、現実というものが、存在すると考えると、
明瞭と曖昧が融け合さった、現実が消えてしまう。
あ
保守
789 :
素人A:2009/04/24(金) 09:09:07 ID:luhaFdSX
法則とはきまり?法則が有るという事は法を作ったり守る事が出来るのは
智慧が無きゃ出来ないか。私と言うものもソフトなんでしょう。分からない
と言いながら法則は守る智慧みな有る、原子一個でも宇宙の法守る智慧あるか。
私は見性体験ないしそんな気がするだけですが。自覚が無くてもあるものは
あるし、自覚無くても法を使う智慧はあるか。
790 :
亭白:2009/04/24(金) 10:42:54 ID:YVIjjOj1
神秘体験は真理認識に相当幅のある神秘体験ですので、あの世の天国の霊天上界も八次元の如来界に到るのに
大別してあの世の四次元の幽界・精霊界があり、五次元の善人界があり、ここから本当の天国に入って参ります。
六次元の光明界があり、六、五次元の諸天善神の住む世界があり、七次元の菩薩界(天使)があり、七、五次元
の梵天界があり、そして八次元の如来界があります。ここまでが人間が悟りに到る最大目標でもあります。
その上には九次元の太陽界は大如来です。太陽界は救世主の世界です。
いわゆる神秘体験は四次元から八次元の間のどこかの心境によって起きているので、悟りに到る者にとっては、
あるいみ霊的認識力を高める道しるべであります。
故に神秘体験は大事な経験であり、悟りの探求者にとって御自分の心境を確認するうえで神秘体験は欠かさざる
ポイントであります。
瞑想で無念無想の心境は我執を離れた状態は自己存在も無いどこにも念として発するものもない、どこにも住
するものもない境地は何も映像として結ばない、暗くて無重力の宇宙の世界に放り出された感じの心境を味わう
ことになります。これは宇宙即我の悟りを得たと勘違いするのは美しき誤解であります。
無念無想の瞑想は最高レベルの瞑想ではありません。
この瞑想はお釈迦様が本当の悟りをお開きになる前の求道者として瞑想の手ほどきを受けた仙人レベルの瞑想です。
いわゆる瞑想入門のようなものです。大悟された本仏大川隆法総裁の教えを謙虚に学ぶことで悟りの認識は高まるであ
りましょう。
悟りとは森羅万象世の中の事を俯瞰で見ている状態。自我にまったく影響されていないため、
自らの身に何が起きようと動じない。
792 :
亭白:2009/04/24(金) 15:38:48 ID:r/ceCexS
>>791 :神も仏も名無しさん
幽体離脱して、肉体は地上において心をあの世の霊天上界の高級霊と談笑していると、
地上の肉体は知らない人が見たら死人と勘違いして葬式したら困るので、「入室禁止」
とか「肉体に触るな」と注意書きを書いて貼っておかないと大変なことになるとのこと
でした。
793 :
神も仏も名無しさん:2009/04/27(月) 20:41:28 ID:cKE4UBoa
悟りを開けば、苦しみから解放されるだろうけど、苦しみが無いということは幸せも感じなくなるってことじゃないの?
795 :
亭白:2009/04/28(火) 16:36:19 ID:3JMiXbqu
>>794 :神も仏も名無しさん
悟りを開けば、苦しみから解放されるだろうけど、苦しみが無いということは幸せも感じなくなるってことじゃないの?
☆苦しみが無くなれば幸せも感じなくなるってことではないですね。
より幸福感や心の開放感を味わい、この世の生き方にもよりますが、神仏の使命に
100%お役に立つことができるし、今まで60Wだったものが100Wの充実感
を味わうことができると思います。
この世の折り合いは致し方ないとして神仏の使命を果たすべく全力投球が可能となり
その充実感が至福の心の輝きとなると思います。
>>794 幸せに感じることがないってのはすごく自由でスッキリしてるんだよ
幸せがいいってのは幸せ不幸せの刺激に慣れた人間の感覚にすぎない
797 :
794:2009/04/28(火) 21:15:43 ID:FS8GfwRk
お二人とも回答ありがとうです。
私が今観てる世界を、変えてみたいです・・・
悟りとは何か
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1240925943/l50 1 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 22:39:03 ID:OhjeRnwh ?PLT(13230)
∧ ∧
( *‘ω‘*)
(⊃\)_________
 ̄ ̄ v v.\ .|
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悟り
2 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/28(火) 22:41:12 ID:OhjeRnwh ?PLT(13230)
このスレが1000になるまでに悟りをひらくお^^
解脱への道程
仏教(迷信の巣窟)→ 創価・キリスト系(全く供養しない)→無宗教・唯物論(完全解脱の境地)
800 :
キリ番ハンター:2009/05/12(火) 08:37:28 ID:+AZrGP8M
800get
801 :
亭白:2009/05/12(火) 11:07:03 ID:YMxsN6aD
人びとの仏性の輝きを観て平等智を知り自他一体の悟りを知ることになります。
仏神の光によって全ての人びとが仏の子であることがわかります。
大円鏡智の心境は明鏡止水の持続が前提となりますが、居ながらに五感を超えた
上下左右360度を知見することができます。明恵上人も居ながらにして家外の
あり様が解ってまいります。
この世とあの世の世界も観えてまいります。
居ながらにして肉の目を通さずとも背後に守護霊様が来られたり悪霊・悪魔が背
後から来るのがわかります。天使や菩薩が空(クウ)を飛んでいるのが観ること
もできます。
救済の観点から述べたいと思います。
悪霊が真近かに来られるのは気持ちは良くないが、悪霊にも仏性が宿っています
ので、悪霊に対して「汝の仏性を顕現せよ。光そのものとなれ。おまえもまた光
の子である。仏の子である。あなたの故郷は、光の世界です。暖かく懐かしい光
の故郷に還るがよい。よくよく過去を反省して仏神に詫びることです。仏神に許
しを請いなさい!」と思念で言うと悪霊は黒い霊体の頭部から胸元から光が縦横
無尽に飛び出してきました。みるみる黒い霊体が光の霊体となりました。本当に
改心して仏神に許しをこう姿はジーンとして涙が出てまいります。
多分救済されるタイミングが一致したのだと思います。
ただこれは真似はしないでください。ミイラ取りがミイラになる場合があります。
d
私はそれこそ”完全なる”悟りとは無縁だろうが、
「それはそれ」カチッ
804 :
神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 04:54:34 ID:NH5sQCah BE:1170698055-2BP(1123)
いちおこのpartでは俺スレ主だからな…
俺なりの結論を一行でまとめよかな。
仏陀の悟りについてね。
※悟りとは、「究極のがっかり予防」である※
これに尽きるであろうて。
お釈迦様は「バラモン教はインチキである」と悟ったんだよ。
806 :
神も仏も名無しさん:2009/06/21(日) 10:31:37 ID:9XxKZQcJ
人を恨むと感受性が無くなるんですね
こういうのって治るんですか?
何方か詳しい方教えて下さい
自分の大好きなミュージシャンのライブ行ったんだけど何も感じなかった・・
他の人は、「物凄く感激した」「オーラ半端なかった」「かっこよすぎ!」
興奮しまくりで皆が羨ましい。
自業自得だけど、何とか治したいです。
807 :
神も仏も名無しさん:2009/06/21(日) 12:58:05 ID:b2L6b5Vy
悟りかどうかわからないけど、日本はもちろん、
ヘタすると世界にメッセージを送ったり、地球に
エネルギーを送ったりしてしまうんですが。
こないだも創価学会と北朝鮮に喧嘩うっちゃいましたw
808 :
神も仏も名無しさん:
hahaha