原始佛教 その26 [仏教]

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1神も仏も名無しさん
下記の板や某SNSへの誘導ロビーにすればいいかと思います。
【前スレ】http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1182472272/

ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理 を中心に、様々な議論を重ねて行けた
らと願います。佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。引き続きよろしくお引き立てのほどを。

自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上 げます。原始佛教関連以外の話題は当該スレ
ッドか新たなスレッドを建ててお願いいたします。 スレ違いの妄想珍説には終始黙殺・完全無視をよろしくお願いします。
立論議論に際しては首尾一貫・理路整然を心がけて頂きたく存じます。
※尚、当スレで得られる知見の使用等はあくまで各個人の営為に委ねられることをお含み置きを。

・過去ログ保管サイト(独り言 ◆ZZW30U26joさんのご厚意による)
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html

━━注意事項━━━━━━━━━━━
追記:粘着に無知蒙昧な珍説を吐き散らす外道「机龍之介」が寄生しておりますが無視・スルーでお願いいたします。
議論があれば「オウムだ、オウムだ」などとのたまう「松」も同様であります。尚、これらにレスを与えることも荒し行為と認定いたします。
2神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 08:27:18 ID:2vZGjPoC
・参考サイト
web上で読める原始佛典の和訳
『スッタニパータ』
 http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/buuta0.htm
『ダンマパダ』
 http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/sinri-0.htm
注:しかし、誤字誤写が多いので、岩波文庫の原典を参照してください。

「ブッダのまなざし 翻訳編」(日本テーラワーダ仏教協会によるもの)
http://www.j-theravada.net/sakhi/buddha_manazashi-0.html
注:部派佛教の一派である南方分別説部の流れを汲む一団体のサイト内のものであります。

インド思想史における佛教の成立やその展開を把握するには・・
http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/bukkyou1.htm

佛教思想の特徴を明快に説明したもの・・
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

漢訳阿含經典等は以下で閲覧出来ます。語句検索も出来て非常に便利です。
http://w3.cbeta.org/
3神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 08:28:12 ID:2vZGjPoC
・参考サイト2
web上で読めるパーリ文献としては、原語なら、
http://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gretil.htm#Pali
http://www.mettanet.org/tipitaka/index.html
http://www.tipitaka.org/tipitaka/booklistframe2.html *アッタカター&ティーカー註釈つき
などがあります。フォントのダウンロードとインストールをお忘れなきよう。

パーリ文献協会版のパーリ語辞典。
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/

パーリ三藏の英訳です。
http://www.accesstoinsight.org/canon/index.html

サンスクリット語関連サイトなら、
Monier-Williamsのサンスクリット語辞典。
http://webapps.uni-koeln.de/tamil/

Apteのサンスクリット語辞典。
http://www3.aa.tufs.ac.jp/%7Etjun/sktdic/index.html

サンスクリット文法等。
http://www.manduuka.net/sanskrit/index.htm
などがあります。

http://depts.washington.edu/ebmp/index.php?PHPSESSID=f3427b60964f4e88531d5e0507ae57c1
大英博物館とシアトル・ワシントン大学の協同による
“Early Buddhist Manuscripts Project”。
近年アフガニスタンで出土したガンダーラ語の『ダルマパダ(法句經)』や『スッタニパータ』「犀角經」などの古写本、
いわゆる「最古の佛典」の写本画像と研究報告の一部が閲覧できます。

インド思想史概説 http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bukkyou1.htm
4VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/07(火) 08:29:06 ID:2vZGjPoC
「真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 」 VEGAN ◆PsPHI2rklQ著
人間が指、足、心臓と認識する。部分化する。
さらに見れば、鉄分、ビタミン、たんぱく質、骨、骨のカルシウムと部分化できる。
しかし、それは一つのワタシという有機体です。
部分として孤立し実体していると固執するとき妄執というのではありませんか?
実は相互に依存しながら、つまり縁起しながら動いているというのです。
人間がアンタ、俺と認識するとき、それが同じような妄執なのだ、と釈尊はおっしゃった。
ワタシは五蘊ではない。ワタシは見つからない。実体性が空である。
ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。
しかし、五蘊以外にない。実体性が空である。
さらに、なにかを見るとき、過去の記憶を被せて鬱積のある感情あるいは再び期待を抱く。
そうでなく無常である世を、あるがままに見よと、釈尊はおっしゃった。 無常であり、実体性が空である。

物は実在している。
しかし、実体が、つまり自性が無い。相互に依存し、縁起しているに過ぎない。
わたしが一つの有機体であるように、わたしとあなたも一つの有機体である。
実体はなく、なにか我執を存続させているような自性は突き詰めるとない。
それは妄執である。
しかし、物は実在している。
虚無論でもない、実在論でもない。マーヤでもない、アートマンでもない。禅でもない、阿頼耶識でもない。
真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。

死こそは、本当の生であり、そこには再び期待するという我執が滅されている。
それは死のように滅されたのだ。輪廻が起こるのは死してなお、再び期待するからだという。
ゆえに本当の死こそが、本当の生である。
そこには再び期待するという我執が滅されているのである。本当の死であり、滅されたのだ。
あるがままを見、過去の記憶を見ているのではない。つまり、生きているのだ。

ただ、どのようにしてそこに達するのかといわれれば、 まだ学び足りず分からない。
ただ、どのような方法だとか、どのような道であるか、どのような宗教ではないのだ。
ただ、早急に、執拗に、徹して再び起こし続けないことである。
それが瞑想である。 そこに真理がある。
5VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/07(火) 08:43:32 ID:2vZGjPoC
「本質は無常である。実体は空である。」VEGAN ◆PsPHI2rklQ著
仏道とは、ブッダの信仰だったのでしょうか、あるいは法衣を着ることでしょうか?
いえ、それは四聖諦の実践でした。

変化のある無常の世界において、再び期待する。
しかし、再び期待したものを得たとしてもそのまま再び移ろっていく。
そこで苦を味わう。
苦と切り離すことができない。

このように苦しみの本質は無常であると知った。
そして、栄華を願う心は、離れるとした。
そして、権力を願う心は、離れるとした。
そして、快楽を願う心は、離れるとした。
生老病死、その移り変わりを、ああしようこうしようと願う心は離れるとしよう。

このようにしてから、再び期待したことに気づくのである。
今度は期待の裏にある苦を照らし、この無明を暴いていく。

そして、根本原因であるワタシを仮設するという妄執を暴くのである。
物は存在している。それらが無常に変わり行く相互関係でしかない。
そこにワタシというものは見つからない。空だ。
ワタシを仮設するとき、再び期待するのである。これが苦の原因だと気づく。
さらに、何かが存在すると仮設する、この妄執を暴くのである。

仮設して得たい、害したいとするとき、
それが苦の原因となる。
しかし、本質は無常である。実体は仮設である、空である。

このようにして知識として知るだけでなく、瞑想するとき、つまり体得するとき、
再び期待することなく、あるがままを見るとき、真理を悟っているのである。
6神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 18:33:18 ID:vwpGo7qZ
スレ立て何度か試みたんだけど立てられなかった。>1さん乙
とりあえずご挨拶。
7VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/07(火) 20:35:21 ID:2vZGjPoC
なるほど。誰か立てようとしているけど立てられないんじゃないかと思って立ててみましたwよかったw
8寒山&拾得 ◆IX039xsAK6 :2007/08/07(火) 20:47:23 ID:TjM0p9Z3

 せっかくの戯論寂滅⇒涅槃寂静を破るな
9VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/07(火) 20:49:39 ID:2vZGjPoC
そのような意見もございますか。
10神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 22:08:46 ID:LWsWzl2B
原始仏典では「無常だから苦、苦だから無我」という説き方が頻出します。そして「甲があるから
乙がある。甲がなければ乙はない」という説き方で「縁起」ということが出てきます。

「空」という言葉での説明はほとんど出てこないので、少なくとも原始仏教での文脈では頻繁には
使わない方がよいと思います。
 また、そもそも大乗経の空と阿含経の空では、若干ニュアンスが異なります。前者は「無自性」と
いう意味ですが、後者では「世間(=世界)には我・我所がない」という意味で使われています。

また、「縁起」という言葉の解釈も大乗とくに中観派論書と阿含経では若干とらえ方が異なります。
前者は相互依存関係でとらえ、二つの概念は相対的に成立すると見なしますが、
後者では甲を条件・原因として乙が成り立つ、というところは近似していますが、
存在それ自体の成り立ち方に重点を置いているのではなく、そこに愛・取ということが纏わり付く
ことによって苦の生起に繋がる、という面に重点を置いています。
凡夫の執著された五取蘊と、執著を離れた如来・阿羅漢の五蘊というようなとらえ方です。

ですので、原始仏教を説明するには「無常・苦・無我、そして縁起」をキーワードにするとよいの
ではないか、と考えています。大乗仏典では苦ということをあまり打ち出さず、むしろ楽という面を
打ち出している感じもしますが、原始仏典では苦ということが頻出しますから。

五蘊が仮に和合して成ったものに仮に名づけて「人」と呼びます。その意味での「われ」の、しかも
よく整えた自分と、そして如来が世に出ると出ないとに関わりなくある理法とをよりどころにしなさい、
というのが、仏陀シャーキヤムニの教えの核心であると考えます。
11神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 22:28:08 ID:llTCOje6

 戯論
とは元来は
 ひろがり
のことを指さして言った
そこから 議論の対象が拡大して
 形而上学的議論
にまで至ることを指さすようになった
12神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 22:38:57 ID:047Q0LBz
阿呆陀羅氏の>>10に対するコメントが見物だなw
13神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 08:43:43 ID:+ueUvWOs
縁起の法を的確に表現し、イメージ出来る
図形とか絵ってありますか?
14VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/08(水) 12:39:59 ID:5tnSbPX2
確かに大乗でもある『チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ「入菩薩行論」』や
『チベットの般若心経』がモティーフです。

原始という場合、「5それは色・声・香・味・触」ないし「6それに足して法」の六処の認識に対する執着の否定として、
無常・苦・無我(『ダンマパタ』の277-279)などが定立されます。
とくに『ダンマパタ』の279 「一切の事物は我ならざるものである」という部分で、つまり原始においての無我は「どれもアートマンではない」という用法がされる。
次に、原始の縁起の構造である。

 六処の色を例にとると、

   (外-色 内-眼 識-眼)の三つの和合により → 触 → 受 → 想 → 渇愛

 経典により違いがあるが構造的にはこれに近似している。

このそれぞれが無常であるが、渇愛や執着を起こせば苦であると説く。一切を我とせずに、苦を滅せよ。
15神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 16:47:04 ID:uBe8Yphe
16神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 18:55:47 ID:AQD44OFn
言葉同士の結びつきを壊して、言亡慮絶の心境に誘導する、という手立てを用いる宗教もある。

隻手音声(片手で音を出せ)という不可能事や、南泉斬猫という戒律違反の公案を、
あえて工夫させる禅宗もこれに分類されよう。これも一つの行き方ではある。

しかし、カルトが、禅とはその目的は違うが、同様の手口を使うので注意を要する。
新規加入者を、言語の混乱状態に陥れてそれまでの思考の枠組み、人格を〈解体〉し
批判力を奪った上で、カルト教義を〈注入〉して無批判に受容させ、
その上でカルト人格として〈再び統合〉する、という3つの過程の_最初に_行なわれることだ。

これらは、原始仏教の修行方法とは異なる。似たものとして、パンタカの悟り方があるが、
《塵垢を払おう》という短い文を唱え続けることから、《煩悩の滅却》を修習し得たのである。
言語・既成概念・道徳観・思考などを混沌とさせることを手法にしたのではない。
禅定も、《涅槃に至る方法である八正道》(cf. SN.38.1)の《正見・正思惟・正語》などを保ってこそ、《正定》となるのである。

そもそも、『小部 ウダーナ 第一涅槃経』や『ウダーナ・ヴァルガ 第26章 涅槃』などに、
《真如の言亡慮絶》ということが表現されているが、これは《涅槃の境地》について述懐されたのであって、
決して_最初に_行なわれる_ことなのではない。
17VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/08(水) 21:09:43 ID:5tnSbPX2
つまり、無我というより非我である。
原始仏教では無我というより非我の用法として出てくる。
さらに最初期である『スッタニパータ』の951などでみられるのは、「わがもの」という所有の概念となっている。
18VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/08(水) 23:00:15 ID:5tnSbPX2
これが『サンユッタ・ニカーヤ』では、「無常の苦、これを「わがもの」「我」と認めるのは正しいか」「いいえ」のように「わがもの」と「我」は別のものとして並列に出てくる。
19VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/08(水) 23:32:23 ID:5tnSbPX2
しかし、根底にあるのは「無明縁起の十二縁起」より以前の縁起の形態は、「渇愛や執着によって縁起する」ということである。
そして、無常であるものを我として執着することは苦であると説いていく。
20寒山&拾得 ◆IX039xsAK6 :2007/08/09(木) 11:49:44 ID:/uxGIxR9
Don't want.
21寒山&拾得 ◆IX039xsAK6 :2007/08/09(木) 11:59:04 ID:/uxGIxR9
Don't request.
22神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 22:10:24 ID:IQ7A2xTU
クッダカ・ニカーヤ、ウダーナ、8.1(第1の涅槃経)
(上略)tAyaM velAyaM imaM udAnaM udAnesi.
(上略)その ときに この ウダーナ(無問自説)を 発語された。
atthi bhikkhave tad AyatanaM, yattha(中略)
 比丘たちよ、その(つぎの)ような 処(境地)は あります。そこでは(中略)
es' ev' anto dukkhassA ti.
 これ こそが 苦の 終極です、と。

中略のところから。
tatrApA(t?)haM bhikkhave, neva AgatiM vadAmi, na gatiM, na ThitiM, na cutiM, na upapattiM.
 そこ(その境地)では 領域を(?) 比丘たちよ、来と私(=釈尊)はまさに言わない。
 去(と言わ)ない、住(と言わ)ない、死(と言わ)ない、再生(と言わ)ない。

「と私(=釈尊)はまさに言わない」というところがポイント。否定詞 na は「何々が存在しない」
ということを表しているのでなく、「私は言わない」ということを表している。
これが言亡慮絶ということ。言葉で言い表す道が断たれ、思慮の途が絶えた境地、ということ。

ここが「ウダーナ・ヴァルガ」では次のようになっている。
26.24「・・・ところのその境地を、わたしはよく知っている。(abhijAnAmy.aham.sthAnam.yatra.)
26.27「その境地についての自己の沈黙」


次は、ウパニシャッドの同様の箇所。大乗経典にも見つけたが、これはまた後日。
カタ・ウパニシャッド5.15「そこでは太陽も月や星も輝かず、これらの稲妻も、ましてこの(地上の)
火も輝くことなく、それ〔万物の内部にあるアートマン〕が輝くときにのみすべては反映して輝き、
それの光輝によってこの全世界は耀くのである。」(服部正明訳)
シヴェーターシヴァタラ・ウパニシャッド6.14「略」
ムンダカ・ウパニシャッド2.2.10「そこには日も照らず、月も、星も、電光さえも輝かず。まして
火をや。万物はこの自ら輝くものに映じて輝き、その光耀によりて燦然たり。」(佐保田鶴治訳)
23寒山&拾得 ◆IX039xsAK6 :2007/08/09(木) 23:13:11 ID:/uxGIxR9
叩き台再掲 涅槃寂静を破るなよ
ほれっ!

<『ウダーナ』8章3節(不生不滅)>
生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
    *ありのままの世界=真実相を悟ること⇒涅槃
 
<『ウダーナ』8章1節(彼岸)>

 修行僧たちよ、このような境地がある。
そこでは、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、
空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、
この世もなく、あの世もなく、月も太陽もない。
修行僧たちよ、(そこに)来るとも、行くともいえず、(そこに)いるとも、
死ぬとも、(再)生するともいえない。
それは何かに依っているのでも、何かから生じたのでも、何かに支えられているのでもない。
それこそが苦しみの終わりである。


24寒山&拾得 ◆IX039xsAK6 :2007/08/09(木) 23:14:46 ID:/uxGIxR9
おまけでもう一発、あらよっ!

<スッタニパータ517>
 あらゆる宇宙時期と輪廻と(生あるものの)生と死とを二つながら思惟弁別して、
 塵を離れ、汚れなく、清らかで、生を滅ぼしつくすにいった人、―かれを<目ざめた人>(ブッダ)という。

<スッタニパータ1092-1094>
  カッパよ。
極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しの中にある人々、
 老衰と死とに圧倒されている人々のための州を、わたくしはそなたに説くであろう。
 いかなる所有もなく、執着してとることがないこと、これが州にほかならない。
 それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。
   
25神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 19:30:32 ID:Bb/Xylxc
小部, ウダーナ, 8.3. 第三の涅槃経

... tAyaM velAyaM imaM udAnaM udAnesi.
 (上略)そのとき、この問わず語りを語り出された。
atthi bhikkhave ajAtaM abhUtaM akataM asaGkhataM.
 比丘たちよ、生じたのでない、成ったのでない、作られたのでない、形成されたのでないこと
 (単数。いわゆる無為、涅槃を指す)はあります。(ここ、「第一の涅槃経」と同じ文型)

no ce taM bhikkhave abhavissA ajAtaM abhUtaM akataM asaGkhataM,
 もしも、比丘たちよ、その、生じたのでない、成ったのでない、作られたのでない、形成されたの
 でないことがなかったならば、
nayidha jAtassa bhUtassa katassa saGkhatassa nissaraNaM paJJAyetha.
  idha 副詞 ここに // jAtassa 目的語を表す属格 // nissaraNaM 出離 n. sg. nom.
  paJJAyetha pass. 知られる 3.sg. 願望法
 ここ(=こういう場合)には、生じた、成った、作られた、形成されたこと(いわゆる有為)からの出離
 は知られないでしょう。

yasmA ca kho bhikkhave atthi ajAtaM abhUtaM akataM asaGkhataM,
 そして実に、比丘たちよ、生じたのでない、成ったのでない、作られたのでない、形成されたので
 ないことがある故に、
tasmA jAtassa bhUtassa katassa saGkhatassa nissaraNaM paJJAyatIti.
 それ故に、生じた、成った、作られた、形成されたことからの出離は知られるのです、と。

※「生じた、成った、作られた、形成されたことからの出離」とは、渇望・執着に染め上げられた
受・想などの五蘊つまり五取蘊の生起、あるいはそのような十二処と言い替えてもいい、そういう
ことからの出離であろう。
これが達成されたのが涅槃の境地ということであり、渇望・執着の制御された静かな境地、まさに
涅槃寂静である。
26神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:29:43 ID:wwuIlze0
>>22の追記と修正。パーリ語の連声は不規則なので、tatrApAhaM の連声前の語形は
tatra api ahaM だろうと考え付いた。訳は次の通り。
「そこ(その涅槃の境地)においては、また、私は、比丘たちよ、来るということをまさに言わない。
去るということ(を言わ)ない、住(とど)まるということ(を言わ)ない、(下略)」となる。

『小部 ウダーナ 第一涅槃経』
yattha neva paThavi, na Apo, na tejo, na vAyo,(中略)
そこでは、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、(中略)
nAyaM loko, na paraloko, na ubho candimasuriyA.
この世もなく、あの世もなく、月も太陽もない。

『ウダーナ・ヴァルガ 第26章 涅槃』
Uv_26.24ab: abhijAnAmy.aham.sthAnam.yatra.bhUtam.na.vidyate /
Uv_26.24cd: na.AkAzam.na.ca.vijJAnam.na.sUryaz.candramA.na.ca //
26、24「そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている。」
Uv_26.26ab: yatra.na.Apo.na.pRthivI.tejo.vAyur.na.gAhate /
Uv_26.26cd: na.tatra.zuklA.dyotanti.tamas.tatra.na.vidyate //
26、26「水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ――、そこには白い光も輝かず、暗黒も存在しない。」
Uv_26.27ab: na.tatra.candramA.bhAti.na.Adityo.vai.prakAzyate /
Uv_26.27cd: yathA.tv.iha.AtmanA.vetti.munir.mauneyam.AtmanaH /
26、27「そこでは月も照らさず、太陽も輝かない。聖者はその境地についての自己の沈黙をみずから知るが
ままに、かたちからも、かたち無きものからも、一切の苦しみから全く解脱する。」(中村元 訳)

『無量寿経』(通称、大経)梵本 p.40 (山口益・桜部建 訳)
tasmiMz cAnanda buddhakSetre sarvazo 'gnicandrasUryagrahanakSatratArArUpAnAM
tamo'ndhakArasya ca nAmadheyaprajJaptir api nAsti.
「また、アーナンダよ、(光明があまねく満ちている)かの仏国土においては、如来が(そう)言い
あらわされるばあい以外に、火・月・太陽・遊星・星宿・星座とか、暗黒・闇とかいう名称をつけて
表現することはまったくないし、夜とか昼とか(いう名称をつけて)表現することもまったくない。」
27VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/13(月) 17:19:25 ID:1TLKn+FD
境地ではどのような認識をしているのかということでしょうか?
28神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 23:59:45 ID:m1FsyN+i
原始仏典における涅槃の表現は、明らかにウパニシャッドの表現を受け継いだものですが、
「(無為を含めた)一切法は真我でない」という立場を採るので「それ〔万物の内部にある
アートマン〕が輝くときにのみすべては反映して輝き、」という有我説は継承していません。

無為(涅槃)はある。そして涅槃が究極である(そう説く経典が相応部にある)。
「その境地を、わたしはよく知っている。」しかし、「その境地についての自己の沈黙」
「私は、…まさに言わない。」というように、涅槃の詳細は語らない、ということですが、
涅槃は三毒を滅した境地ともされるので、認識も当然、貪瞋癡を滅した上での認識ということ
にはなるでしょう。

なお、これが大乗経に至ると、「仏国土においては」というように、涅槃を実体と受け取られ
かねない表現になっていることにも留意すべきかと思います。
29VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/14(火) 01:33:22 ID:Fsdt1bYb
>>25-26や、

『スッタニパータ』の874
  「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。

などは境地を語っていないということですか?
あと、コテハンをつけていただけると発言の流れが分かり理解しやすいのですが。
30神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 00:09:28 ID:lUxzKPGq
25,26は涅槃のことですね。ただ涅槃は的確に表現することはできない、ということから言亡慮絶と
いうことも言われるのではないでしょうか。
Sn.874は873の「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか?」という問いに対する
答えなので、色が「どのようにして」滅するのか、について語ったものと思われますね。

コテハンは、まだまだ発展途上人なので、これからも新資料が提示されたり、自分で見つけたりすれ
ば見解も変更してゆこうと考えていますが、それがしづらくなるので避けています。ご理解ください。
内容それ自体の吟味をお願いします。
31神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 19:13:59 ID:G3Ck2QsU
  〜涅槃は壊れないもの〜

比丘たちよ、いま、わたしは、壊れるものと壊れないものについて語ろうと思う。…
色は…。受は…。想は…。行は…。
識は壊れるものである。もし、識が去り、滅し、没すれば、
すなわち、壊れないものである。相応部22、32

識是壞法。彼識滅涅槃。是不壞法。  雑阿含経、巻二(五一)


  〜涅槃こそは究極〜
「大徳よ、では、いったい、なんのために解脱するのでありましょうか」
「ラーダよ、それは、涅槃のために解脱するのである」
「大徳よ、では、いったい、なんのために涅槃するのでありましょうか」
「ラーダよ、それは問うことはなはだ過ぎたりというものである。
 そなたは問うに限界があるということを知らぬらしい。
 ラーダよ、この清浄の行をいとなむ所以は、ひとえに涅槃にいたらんがためであり、
 涅槃こそはその究極であり、その尽くるところなのである」 相応部23、1
32神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 22:08:36 ID:pgiT7Btu
ジャイナ教の四戒あるいは五戒
  "Jainism in Buddhist Literature" by Dr. Hiralal Jain より引用

As a matter of fact, the Caluyamasamvara followed by Parsvanatha tradition comprised:
(i) Sarvapranatipataveramana, (ii) Sarvamrsavadaveramana, (iii) Sarvadattadanaveramana, and
(iv) Sarvabahiddhadanaveramana. Here the Maithuna (sexual intercourse) and Parigraha
(worldly attachment) were included in the last vow, that is Sarvabahiddhadanaveramana.

In course of time its real meaning was forgotton and the followers of Parsvanatha tradition
or Pasavaccijja considered the Sarvabahiddhadanaveramana (Parigraha) as concerned only with
wealth, and not sexual desires. As a result, they did not consider the Strisambhoga to be a
fall, if it is done for getting a son. This is the reason why one was advised not to have contact with them.
Observing this slackened conduct, Nigantha Nataputta separated the last into two vows viz.
Brahmacarya (celibacy) and Aparigraha (non-attachment to the worldly enjoyment), and made it into five.

caluyamasamvara ←?− caLUyAma-saMvara ← catu-uyyAma-saMvara 四つの努力の防護・律儀
pArzva-nAtha パールシヴァ・ナータ。ヴァルダマーナ以前のジナ(勝者、修行完成者)
sarva-prANa-atipAta-veramaNa 一切の「殺生」から離れること
sarva-mRSA-vAda-veramaNa 一切の「妄語」から離れること
sarva-adatta-AdAna-veramaNa 一切の「与えられざるものを取ること」から離れること
sarva-bahiddhA-AdAna-veramaNa 一切の「外部への執着」から離れること
parigraha 執持、所有物 //strI-sambhoga enjoyment of women, sexual connection
nigantha nAtaputta ニガンタ・ナータプッタ。ジャイナ教中興の祖ヴァルダマーナのこと
brahma-carya 梵行 //a-parigraha 無所有

ダンマパダ246-247にある仏教の五戒とは不飲酒が異なるが、これは飲酒による悪業の生起を
戒めるために制定したものであろう。
33神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 22:30:25 ID:KtHDOUGN
>>2にある「インド思想史略説」のページの「ジャイナ教」の項目で
「パーサ(パールシヴァ・ナータのこと)の四戒」の第4に

>4.規則外のものを受けない(あるいは、「外部にあたえない」)
>  第四の戒については、解釈が分かれている。

と書かれていますが、

これは
>sarva-bahiddhAdAna-veramaNa 一切の bahiddhAdAna から離れること
の bahiddhAdAna を bahiddhA-adAna や bahiddhA-dAna と読んでの解釈ではないかと思われますが、
"Jainism in Buddhist Literature" での説明(特にヴァルダマーナが第4の誓戒を2つに割って、
梵行と無所有にしたこと)と下記の引用文(離脱して、という箇所も共通点)との対比からも、
本来、「bahiddhA-AdAna (外部への執着)」ということではないか、と思われます。

ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド 4.4.22
昔の知者たちは…息子を得たいという願望、財産を得たいという願望、(天上の)世界を得たいと
いう願望から離脱して、乞食の遊行生活をしたのです。
34神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 20:00:15 ID:LVL7wGwr
このジャイナ教の誓戒「梵行と無所有」やブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド3.5(愚者という語も
出てくる)に対応する原始仏教の立場は、法句経 62に表れている。

puttA matthi dhanam matthi 「(この)子はわたしのものだ。(この)財産はわたしのものだ。」
iti bAlo vihaJJati. このように(考えて)愚か者は悩まされるのである。
attA hi attano natthi 何となれば、自分が(そもそも)自分のものではない。
kuto puttA kuto dhanaM. どうして子が、どうして財産が(自分のものであろうか)。


ウパニシャッドでの「慎しむべき五つの素行」については、チャーンドーギヤ・ウパニシャッド 5.10節にある。
飲酒の戒めが仏教と同じである。妄語のかわりに悪友との交わりが加えられている。

 黄金を盗む者、スラー酒を飲む者、
 師の閨房を犯す者、婆羅門殺し、
 これらの四者は地獄に堕ちる。
 かれらと交わる第五の者も。
35神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 08:18:48 ID:7WabvHqi
【脳】人工的に「幽体離脱」を誘導することに成功
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1187994711/
>実験結果から「自分の身体があるという意識が、
>視覚や触覚などさまざまな感覚を通して得られるものであることがわかる」と分析した。

高度な発達段階を迎えた脳は、もはや肉体を離れて活動できる地点にまで
進化を遂げているのかもしれない。

 カルトの温床になりそうな視点だなw


36神も仏も名無しさん:2007/08/27(月) 22:14:15 ID:nGPHmxuQ
『ダンマ・パダ』277
「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観るときに、
ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

『サンユッタ・ニカーヤ』22.97
…その時、世尊は、塵をつまんで、爪の上にのせて、その比丘に言われた。
「比丘よ、たったこれほどのわずかな色でも、常住し恒存し永住して変化しないようなもの、
永遠に存するようなものは無いのである。
 比丘よ、もしも、たったこれほどの色でも、常住し恒存し永住して変化しないようなものがあった
のであれば、この清浄の行を修して、よく、まさしく苦を滅し尽くすことはできなかったであろう。
 だが、比丘よ、たったこれほどの色でも、常住し恒存し永住して変化しないようなものは無いので、
よく、清浄の行を修して、まさしく苦を滅し尽くすことができるのである。…受…想…行…識…」


これらは、「無常だからこそ、清浄の行道を修して、苦からの遠離が達成できるのだ」という点で共通しています。

この後者は、過去スレ23に出た無我相経
> 色は無我である。若し色が我であるならば、この色は病ともならず、また色について
> 「わが色はかくあれ」とか、「わが色はかくあること勿れ」とかいうことができるであろう。
> 然し色は無我である。故に色は病にもなり、また色について「わが色はかくあれ」とか、
> 「わが色はかくあること勿れ」とかいうことができないのである。
の漢・巴の間の矛盾を解く際の参考になるでしょう。
37神も仏も名無しさん:2007/09/01(土) 12:52:14 ID:uhkPppNB
それにしても、原始仏教と大乗仏教では人間観が正反対だな。
「仏教」という同じ語彙では括りようがないほどだ。

無常=無我=縁起を前提として

原始仏教=根本無明(いわば性愚説)VS大乗仏教=根本仏性(いわば性浄説)

大乗仏教は釈尊無視路線が正解じゃねーのかな?
「仏教」を名乗るのをやめようね。それぞれの宗祖教でいいじゃん。
38神も仏も名無しさん:2007/09/01(土) 14:05:50 ID:P4Z/19lC
どっちも最終的には善とか悪という分け方はしないんじゃね?
39神も仏も名無しさん:2007/09/01(土) 16:43:27 ID:jVcesviD
雑阿含経 第34巻(961)
場所:王舎城の迦蘭陀(からんだ)竹園
カランダカりす飼育園は『ブッダ最後の旅』3-43及び同注によれば、王舎城の北門の外の竹林精舎の
場所にあった。また一説に、カランダカとは竹林精舎内の東側にあった池の名。

質問者:ヴァッチャ姓の遊行者
王舎城の富裕な商人の子。外道の遊行者となり形而上学の議論を好んだが、のち仏弟子になり阿羅漢となった。

【云何瞿曇爲有我耶】云何(いかん)が、瞿曇(くどん)よ、我(が)有りと爲(な)すや。
「どうですか、ゴータマよ、アートマンは存在すると考えますか」
【爾時世尊默然不答】その時、世尊、默然として答へず。その時、世尊は黙っていてお答えにならなかった。

アーナンダ「世尊よ、あのヴァッチャ遊行者が三度も質問したのに、世尊はどうして、お答えに
ならなかったのですか。あのヴァッチャの悪邪見を大きくさせて、『修行者ゴータマは、
私の質問に答えられなかった』と言い触らさないでしょうか」

【我若答言有我則増彼先來邪見若答言無我彼先癡惑豈不更増癡惑】
われ若し答へて「我有り」と言はば、則ちかの「先より來たりて(我有り)」なる邪見を増さん。
若し答へて「我無し」と言はば、かの「先より(來たりて我有り)」なる癡惑(無知による混迷)
の、豈に(どうして)更に癡惑を増さざらんや。

【言先有我從今斷滅若先來有我則是常見於今斷滅則是斷見】
「先より我有り」「今より斷滅す」と言ふは、「先より來たりて我有り」のごときは則ち是れ常見、
「今に於いて斷滅す」とは則ち是れ斷見なり。
40神も仏も名無しさん:2007/09/01(土) 18:59:11 ID:p9JxIvqb
あいもかわらずここは、常用の日本語ではなく、
今は使われない古典の日本語や、文章としては出来損ないの
漢文などをわざわざ使って悦に入っているアホばかりだな。
人にものを伝えたかったら、普通の日本語で話せ、普通の日本語で。
ここの連中はお勉強はできtのか知らんが、レベルが低すぎる。
41VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/09/02(日) 03:00:18 ID:hRAymBhP
葬式儀式だけでは衆生は深く救われない。
知識だけでは心は深く鎮まらない。

戒律と実践がないと意味が無い。
そうではないと、意味が無い。
42神も仏も名無しさん:2007/09/02(日) 10:26:05 ID:TZHqP/8i
原始仏教の世界に最大限欠けているもの、

それは「美」だ。

執着心を嫌い、世を厭うその姿勢からは当然だが、

美に感動する自然な感性を執着として否定(または無視)することは

多くの普通の人々からの支持は得られないであろう。
43神も仏も名無しさん:2007/09/02(日) 10:29:52 ID:K3ElKzJ8
>>42
大般涅槃経読めw
44神も仏も名無しさん:2007/09/02(日) 11:33:26 ID:TZHqP/8i
>>43
具体的に説示施与。

『アーナンダよ、ヴェーサリー、ウデーナ霊樹の地、ゴータマカ霊樹の地、
         七つのマンゴーの霊樹の地、バフプッタの霊樹の地、
         サーランダダ霊樹の地、チューバーラ霊樹の地
         (のそれぞれの地)は“楽しい”』・・“美しい”ではない。
        (『ブッダ最後の旅』中村元訳を編集
          第3章 三(66頁)、四七(92頁)、同旨四三)
4544:2007/09/02(日) 11:39:47 ID:TZHqP/8i
『ブッダ最後の旅』中村元訳 岩波文庫
 同旨四三(89頁〜90頁)
46机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/02(日) 12:20:46 ID:AErFHqqN
絢爛豪華な安土・桃山文化の影響で、秀吉は「金の茶室」を作ったが、
これに究極な美を見出すか?そこの感性は人それぞれだろう。
むしろその対極なるワビ・サビに美を見出したのが利休であった。

つまり利休は、当時の文化へのアンチテーゼなのである。
(これをどうも秀吉はよく分かっておらんかったらしい)
そして利休の自刃により、それはリアルな主張となってしまった。
これにより時の大名は反秀吉へと決起するのである。

<西暦1600年(慶長5年)  関が原の戦い>
47神も仏も名無しさん:2007/09/02(日) 16:41:17 ID:xnc4b7qG
231 【自身を実在とみなす見解】は捨てられる

894 一切の断定を捨てる

784 汚れた見解をあらかじめ設ける人は、【ゆらぐものにたよる平安】に執著しているのである。

895〜896 「これのみが真理である」と宣説する人々は平安を得ることはできない。

(要約につき、全文は『ブッダのことば』で確認されたい)



「常見の方が断見よりマシだ。だから、断見の批判は結構だが、
常見を許容しないのはよろしくない」というのは、
明らかに仏説から逸脱している。常見は正見ではなく、
捨て去るべき邪見なのである。原始仏典ではそう見なされている。
常見を許容してしまったら、それはもはや原始仏教ではない。

釈尊は「常見と断見の二つを離れよ」と言明されたのである。
48神も仏も名無しさん:2007/09/02(日) 23:51:14 ID:TZHqP/8i
>>47
だから、なんやねん! 何が言いたいねん。
 『中道』について大論文を発表するんかいな。

 おまいの意見を3S主義(シャープ・ショート・ショック)で家。
*3S=鋭く、短く、革新的内容をもって。
49神も仏も名無しさん:2007/09/03(月) 22:55:29 ID:KBkiGpKo
>>44
『ブッダ最後の旅』の(どこどこは)「楽しい」の原語は ramaNIya ラマニーヤ で、
本来の意味は「愛すべき」ですが、「喜ばしい・美しい」という意味合いも
含んでいます。このことばから派生した rAmaNeyyaka ラーマネイヤカ には
「美しい景色」という意味もあります。
また、法句経の171番でも「世間は麗しい」と言っています。

ただ、美しいものは貪り溺れやすく、また、いつかは滅びるものである(151番)
ため、苦しみを生じさせるから、執着するな、と。

むしろ煩悩の汚れのなくなった人を、
美しく晴れた朝にたとえています。(スッタニパータ178番)
50神も仏も名無しさん:2007/09/05(水) 12:06:53 ID:KiO0KC4V
>>44
>ただ、美しいものは貪り溺れやすく、また、いつかは滅びるものである(151番)
>ため、苦しみを生じさせるから、執着するな、と。

美を“「我」が「もの」”と執着すると苦しみを生むから我執を排斥せよと
 教えているのだ。
  美そのものの問題ではない。誤解してはならない。
 だから、原始仏教には美的感覚が決定的に欠落しているのだ。
 特に日本人は「滅びの美学」を持っている。放てば満てり。どこに執着があろうや。
 悟りの絶対的境地から還滅すれば存在のどこに差別(しゃべつ)があろうか。
>>46
 金の茶室を美しいと感じるか、侘び寂びを美しいと感じるかは趣味の問題にしかすぎない。
秀吉も利休も自分の美意識に固執している以上、同じ穴のむじなだともいえるのだ。
現に千家三派は家元制度というご都合主義俗物制度に固執しているではないか。
51神も仏も名無しさん:2007/09/08(土) 01:22:45 ID:0p2WdVnA
釈尊は、断見を説いている、と外教の修行者たちから非難されていました。

我聞沙門瞿曇作斷滅破壞。有教授耶。今問尊者富隣尼。竟爲爾不。〔雑〕
我等皆聞。沙門瞿曇説衆生斷更不受生。此事云何。〔別〕

大勢の外教の遍歴行者が、ある比丘に聞いた。
「修行者ゴータマは『人は断滅する』と教えているのですか。」

我不如是知。世尊教語。衆生斷滅壞。有令無所有者。無有是處。
我作如是解。世尊所説。有諸衆生。計言有我。我慢邪慢。世尊爲説令其斷滅。〔雑〕

如我解佛所説義者。佛終不説衆生死已更不復有死此生彼。
佛實不見衆生之相。所以者何。凡夫妄想。以有慢故。言有衆生。
如來斷慢。讃歎斷慢故。無衆生想。〔別〕

「世尊がそういうことを教えるという道理はありません」と比丘が答え、「人々の、『アートマンが
ある』と考えて起こす慢心を、断滅させるようにと、お教えになっておられるのだと思います。」と答えても、

時諸外道出家聞富隣尼所説。心不喜悦。呵責而去。〔雑〕
時諸外道聞尊者説。不生歡喜。亦不嫌毀。即便還歸。〔別〕
彼らは、“こころ喜ばず、叱って”立ち去った。
   〔雑〕:雑阿含経(966)   〔別〕:別訳雑阿含経(200)

彼らは多分「アートマン(自我・霊魂)は永遠不滅だ」と信じていたのでしょう。
そういう彼らには、“断見も常見も共に離れる”中道という玄妙なる教えは、愉快なものでなく、
「アートマンの実在を説かない教えは、要するに断見に過ぎない」と決めつけ、非難したものでしょう。
52:2007/09/10(月) 14:13:32 ID:PsgebWZm
5348:2007/09/11(火) 10:58:09 ID:z1PxhObt
>>51
だから、なんやねん! 何が言いたいねん。
 『中道』について大論文を発表するんかいな。

 おまいの意見を3S主義(シャープ・ショート・ショック)で家。
*3S=鋭く、短く、革新的内容をもって。
54仏道誓願:2007/09/12(水) 13:57:27 ID:fWy1CDlm
衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成
55神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 22:00:19 ID:yVX+BG22
『雑阿含経』巻13(335)第一義空經
  有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續。除俗數法。
『佛説勝義空經』
  以要而言。有業有報作者不可得。此蘊既終復他蘊攝。別法合集因縁所生。

阿呆陀羅經さん、ここに相当する箇所の梵文が分かったのですが、要りますか?
もう入手済みかな?
56阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/09/21(金) 15:58:00 ID:mY6KBtc8
>>55
ご親切にありがとうございます。

当該箇所は、某雑誌論文から入手済みです。

ちなみに当方只今、仕事で「田舎わたらひ」の途中でして、あと半月ばかりは帰宅の叶わぬ俊寛僧都状態です(笑)。
57神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 18:19:45 ID:yHmXHNnd
縁起でもない例えをするなぁw
俊寛は生きて帰れませんぜ。
原始仏教スレで「縁起」を軽んじる、あほだらさん流のシャレかな?w
58阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/09/21(金) 18:26:54 ID:mY6KBtc8
帰らじと思へど呼ばふ火宅より 金棒引きの声ばかりして
59神も仏も名無しさん:2007/09/23(日) 23:30:20 ID:/1MqR51X
日本の腐敗しきった葬式サービス坊主どもに
ミャンマー上座部仏教徒のツメの垢でも飲ませてやりたい。

http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1190551997/
60VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/09/23(日) 23:51:23 ID:MEyi7bhO
堕落した葬式儀式仏教にということだね。
61神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 09:29:18 ID:p3FVz+n+

この様な方は日本の坊さんがデモ行進したらしたで
坊主のくせに政治に口出すんじゃねぇと批判するんでしょうね。
大事なのは、批判反省は他者ではなく、自身に向けることです。
それこそ観です。
62神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 10:06:32 ID:HedLaccs
大乗仏教にいう「菩薩」なんて建前=張り子のトラのウソ看板か?
日本仏教は民衆救済どころか、常に権力に媚びてきた。
大乗坊主どもは戦前は戦争協力でお国のために死ねと煽ってきたではないか。
圧制軍事政権と戦う小乗=上座部仏教のミャンマー仏徒のほうが
よっぽどの菩薩行だろう。

 ベンツに乗ってふんぞり返って、なにが菩薩だ。ちゃんちゃら笑える。
63神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 10:54:45 ID:7og6olRT
>>62
どう見てもスレ違いですが。
ま、とりあえずレスっておくと

>日本仏教は民衆救済どころか、常に権力に媚びてきた。
この事実は否定できませんね。
戦国時代で信長に虚勢され、トドメに明治時代には絶対王政にも等しい
「国家神道」の前に全面的に伏さざるを得なかったので。

ですが、単に権力に媚びただけではなく、その時代その時代に合わせて
民衆と共生していく道も模索してきたと考えますよ。そうでなければこんな
に長期間寺が存続できたわけがない。


現代の坊さんについてはノーコメントです。
64VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/09/25(火) 18:10:36 ID:RJPncdyz
つまり、それこそ原始仏教に起こったことなのです。
ヴェーダ哲学のバラモン僧が、儀式に堕落してしまった。
そして、ブッダがそのインド哲学を再生した。
65VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/09/25(火) 19:08:24 ID:RJPncdyz
違います。国家神道は、明治天皇を頂点とした国体を整えた方法であり、
そのために妻帯肉食を解禁することをはじめ仏教の権威をいい感じに脱落させた。
完全破壊とはなっていない。中国の共産主義のように寺院を片っ端から破壊したなんてことはない。
したがって、日本は次々に植民地化されたアジア、インドや中国をはじめとしたアジアと違い、
大東亜戦争を戦いヨーロッパをびびらせた。
そして、植民地化することなく、現在があるのです。
世界戦争が終結し、現在求められるものは平和であり、今、仏教の利他的精神が必要とされるのです。
この事態をふまえ、妻帯肉食を再び禁じ、大乗教徒として利他的に生きることを社会に説くとします。
そのとき、既に日本には仏教的な素地が確固として存在していますし、教育とメディアの経路がありますから、
砂が水を吸うごとくとしてそれは普及するのです。日本にとってはこれしかない、とまで言いえるのです。
66神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 21:17:14 ID:QThLWe65
>>64
>ヴェーダ哲学のバラモン僧が、儀式に堕落してしまった。

もともとバラモンの中では、ウパニシャッドをやってた方がごくごく少数派でしょ?ヴェ
ーダ・アンタだし、そういう扱い、付け足しwその他大多数は村落に根を下ろして儀式を
司ってた。哲学なんてやらない。哲学派は、儀式派の確固たる基盤の上に存在できた、っ
てこと。

>>65
>妻帯肉食を解禁することをはじめ仏教の権威をいい感じに脱落させた。

まあそういうことでしょう。明治政府は僧侶に被選挙権を与えなかったとか。与えたら
国会が、法事で選挙運動やる僧侶だらけになる可能性が非常に大だったから無理もない。

>妻帯肉食を再び禁じ、大乗教徒として利他的に生きる

これは韓国仏教がそうしたみたいだけど、どうかな。西洋諸国を見ても、イタリア・
スペイン・ポーランドなど僧侶の独身主義のカトリック諸国より(フランスは除く)、
英独などのプロテスタント諸国の方が、牧師の家庭教育により人材が育成されて発展で
きた、という面もあるから、一概に悪いとも言えない。
67VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/09/26(水) 16:05:15 ID:wGED4weU
妻帯肉食で葬式屋で仏教を冒涜していることはもう丸分かりなのです。
葬式仏教屋さんになってしまったのです。そこで利他精神は狭小なものになり、言い訳で塗り固めらました。
そして、この国の僧は穢れているから、学ぶところなしだと分かってしまうのです。
民衆に舐められます。学ぶべきものがは冒涜しており、実践すべきものがただの文字の羅列となっており、
儀式にふけり、職業で僧なだけだと分かってしまうのです。そこで利他精神は狭小なものになり、言い訳で塗り固めらているだけである、と、
よく学ぶ者ほど分かってしまうのです。「職業僧に慈悲を!」となってしまう。
それらの僧は、寺に住み、仏陀に礼拝し、経を読み、そうまでしながら永遠とブッダの教えの実践を回避し続けています。
言い訳で塗り固めらているだけである、と、よく学ぶ者ほど分かってしまうのです。
68神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 17:56:23 ID:C55MFhJe
ゴミオウムの残りカスが何抜かしてやがるwww
69神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 23:05:57 ID:CemK6E61
 自称「大乗」の日本仏教がミャンマー仏教徒の民衆救済行動に対して
どういう行動をとるかがみものだ。
 連帯声明の一本でも出せるのか!!!!

 本当の敵はミャンマー軍事独裁政権を裏で支える中国共産党であり、
こういった国際政治の複雑な「縁起」など一発で読みきれるだろう?
「縁起」は空念仏じゃねーんだろ?

原始仏教を論ずる者にとっても、「踏み絵」だと位置ずけろ。
>>63
>どう見てもスレ違いです
 おまえにとっては空念仏が「原始仏教」らしいwww
 現実大乗批判をバネとして、原始仏教の思想と行動を考える視点が無いのか?
70神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 23:17:44 ID:b/z0o4ah
釈迦が至ったと言われてる境地と宗教者の政治的活動は何か関係があるんだろうか
71VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/09/27(木) 06:13:42 ID:RS0PM7+p
利他精神
72神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 10:50:18 ID:9/n7I5uY
チベットに中国共産党が進入し
多くのチベット人、チベット僧が虐殺された時
いずれの国の仏教教団も非難の声明は出しませんでした。
73神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 11:31:25 ID:tQQfkmd9
ベンツに乗ってふんぞり返っているエゴ「菩薩」様は

危ない橋はお渡りにならないらしいw
74承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/09/27(木) 11:43:55 ID:l+kf2QF/
んー。
仏教は、元から政治とは関わらないんだよ。
あくまで個対個だから、昔も国王とは対話したが、教団としての声明は出さなかった。
まぁ、仏教教団は既に無くなってて、現在は他の宗教との合習したのしか無いから声明じたい出せないのだが。(笑
75神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 11:52:22 ID:tQQfkmd9
http://www.afpbb.com/article/politics/2289313/2183699
これでもクズ大乗はなにもしないのか?

>仏教は、元から政治とは関わらないんだよ。
これはまったくのウソ。
常に権力に擦り寄ってきた。
例えば、第二次大戦中の行動はどうだったか?

76承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/09/27(木) 12:04:43 ID:l+kf2QF/
>>75
そう。
仏教は千五百年前で滅びたから。(笑
大東亜の頃のは宗教的行動ではなく、各教団の生き残りを計っただけ。(笑
チベットで虐殺や暴行がまかり通り、今もデモで虐殺されてるが、日本の「仏教」教団はそんな事に関わる暇は無いぞ?(笑
いまや存亡の危機だからな。(笑
ノシ
77神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 13:54:37 ID:EHtzobsV
仏教とヒンドゥー教どこが違うの
78机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/27(木) 15:15:40 ID:IBslw1kB
>>75
1964年にトンキン湾事件というのがありまして、これは最初に北ベトナムが米国に挑発した事件です。
その後、米国は北ベトナムに報復をしますけど、
これに抗議したのがベトナムの僧侶でした。

街頭で僧侶は焼身自殺を図りますが、その一枚の写真が世界に配信されたのです。
日本においてもこの写真は週刊誌に掲載されました。
学校の先生はその週刊誌を、学校の生徒達に見せました。
果敢な少年達は、その一枚の写真に触発されて反戦運動へと向かうのです。

つまり、一枚の写真がどんだけぇ〜人に与える影響が強いか。ということです。
プロパガンダというのは、こういった微妙なところにあるのです。

僧侶の焼身に次いでレジスタンスの、軍部による公開銃殺の写真も全世界に配信されました。
レジスタンスの若者は、目隠しされ手を後ろで縛られグッタリしている。
足元には大量の血痕。
この写真もインパクトはありました。
僧侶と違う一般人(民間人)とういうのが全世界の若者に衝撃を与えました。

マスコミによって、どうにでも世論は動かせるわけで、
今の時代は冷静な判断も必要かと思う。
79机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/27(木) 15:25:39 ID:IBslw1kB
(つづき)
>これは最初に北ベトナムが米国に挑発した事件です。

そうそう、これは当時の情報でありまして、
後にトンキン湾事件は米国が仕組んだものと判明する。
80神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 17:08:32 ID:9/n7I5uY
>仏教は千五百年前で滅びたから。(笑
すでに滅んでいるなら、あなたの仏教の知識は妄想の塊?
それとも正しい仏教とやらを誰かが1500年間守り続けてきたのか?
もしかして、あなたか?
81神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 17:56:16 ID:tQQfkmd9
>>79
>今の時代は冷静な判断も必要かと思う。

そう、空念仏徒は何もしない。
羹に懲りて膾を拭く  で、後出しジャンケン講釈をたれる
82机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/28(金) 07:00:33 ID:WYgIA3Yq
>>81
あのね、必ずしもレジスタンスが紛争の抑止力になるとは限らなくて、
逆にこの勢力(反動勢力)を紛争に利用したりするのが国家の軍事戦略だったりする。
日本においても張作霖事件というのがある。
どこの国でも考えることは同じ。

ハルノートもいわゆる国家を扇動しているわけで、その挑発に乗るかどうかは国家に委ねられる。
まあ日本はその挑発に乗ってしまったわけだが、
日本が右傾化すると乗りやすくなる。
福田総理はリベラル派だから、これからの日本は再度土下座外交になってくるだろう?
土下座の方が、国民の利益を考えたらこちらの方がいい。

プロパガンダは一部の利権に利用されるだけ。
83神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 22:02:27 ID:VK1gy6iP
釈迦が言ってたのは、人の世で生きながらも社会的なことと一線を画していたのではないしょうか
社会的なものに積極的に関わりたい人なら宗教は特に必要ないでしょう
たまに昔から伝わっている真理のかけらを含んだ本を読んで、そういった世界もあると認識したら事足ります
しかし宗教を自らに社会的な通常の価値観での正当性を持たせる道具とするのは如何なものでしょうか
現代仏教がそんな有様だから原始仏教という概念ができたのだと思います
利他と言っても心の奥を探れば自分のためにやっています
権威や社会的な力を振るう目的で宗教に携わるのは良くない事だと思います
趣味や学問でやるならともかく、悟りを目指さない仏教には何の価値もないと思います
偉そうな事をいってすみません
84神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 23:05:04 ID:Zzqt4/6R
 社会衆生のために行動を起こし、現在捕らえられ、今まさに惨殺される立場にいる
ビルマの僧侶たちにその言葉を投げつけて来い。

 大乗菩薩のウソ看板をどぶに投げ捨てろ!
85机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/29(土) 09:03:49 ID:uMy3tIYl
>>84
>社会衆生のために行動を起こし

226事件も、社会衆生のために青年将校が決起した。
状況は同じ。
こういった歴史の教訓において、わが国はシビリアンコントロール確立したのであるが、
実際はdでもなくて、防衛官僚がコントロールしていた。
ってのが、かの小池百合子の事務人事問題で明るみになった。
官僚の如何において、いつでもクーデターが起こせるような、
そんな日本になっちまったわけです。

日本の若者に血気が走ると、それを口実に官僚が指揮権発動する。
石破防衛大臣は、ただ椅子に座ってるだけで全ての事が進む。
こういうことだって有り得るわけです。
>>83
同意
86VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/09/29(土) 10:25:57 ID:FFoTRWjm
そして、「葬式仏教屋さん」は以上のように言い訳を重ねます。
人々の平和で幸福なであってほしいという精神を破棄し、
狭小な利他心で葬式儀式にふけります。
現実に慈悲は実行しない。

もちろん、仏教の実践もしていません。
妻帯肉食です。
「葬式仏教屋さん」が、現実に慈悲は実行しない。

葬式をやって金を取っていくだけ。「葬式仏教屋さん」。
現実に慈悲は実行しない。
困っている人を助けない。「葬式仏教屋さん」。

もちろん、仏教の実践もしていません。
妻帯肉食です。
そして、「葬式仏教屋さん」は以下のように言い訳を重ねます。
87VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/09/29(土) 10:39:37 ID:FFoTRWjm
仏教破壊者で、お金が目的の葬式をし、利他行は欠損しています。
それなので、世の中の人々は舐めています。簡単な道理です。
88神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 12:56:18 ID:+wnXJpIT
>>85
何も態度を表明しないことは、強圧軍事独裁および資源帝国主義を容認する態度表明だ。
これを不真性不作為という。
 もはやビルマ僧侶たちへの連帯声明一本さえ出せない日本仏教界は仏教の名に値しない。
事実上の軍事弾圧容認の政治的態度を表明しているに等しいからだ。
もはや世界のバスに乗り遅れた。軽蔑に値する。
http://www.afpbb.com/article/politics/2290244/2187882
89阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/09/29(土) 13:28:58 ID:T+3GzT39
そもそもブッダの教法は、センチメンタルなヒューマニズムや厨房ポピュリズムなどとは無縁なんだが(苦笑)。
90承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/09/29(土) 18:05:14 ID:zaWax2ML
>>89
みんなヤソなんだから仕方ねぇよ。(笑
91机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/09/29(土) 18:45:08 ID:uMy3tIYl
>>88
1990年にアウンサンスーチーが総選挙に大勝しても、以前として軍事政権は居残り続けていたわけなんだが、
それでも一応は沈静化していた。
あれからもう17年も経っているんだね。
何でいまさら急に民主化運動が盛り上がってきたんだろう?
と、普通は疑問に思う。

国際世論が盛り上がると、中国は仲裁役としてイイ気になるだろうね。
私は、中国がミャンマー小劇場のプロデュースしてるんじゃないかと推測している。
国家は国益のためにはいろんな画策を企む。
(北朝鮮などはそのてん外交の手腕は優れている)
中国は今、太平洋安全保障二分割案を出しているが、
この問題にあまり首を突っ込むと、結果的には中国の片棒を担ぐことになる。
それでも君はいいのかね?
92神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 18:53:44 ID:W4ogf7vt

比叡山の谷とか山中の禅堂とか、
ほんとに真剣に修行してるけどね。

在家信者が僧侶を批判するのって、
おしゃかさまは禁止してなかったっけ?

僧侶批判は 草加せんべい学会とか輪ゴム臭とか
在家主義「信仰宗教」団体の セールストークだけどw

それこそ明治政府の思うツボw
「坊主丸儲け」はおk でも「神主丸儲け」とは言わせぬってね。

政府に洗脳されてきた っていいカゲン気づけw
ミャンマー見ればわかるだろ? 権力に反抗すれば坊主もイチコロス



9388:2007/09/29(土) 19:55:50 ID:+wnXJpIT
>>91
諸悪の根源はむき出しの『資源帝国主義』の中共だ。アメリカも同様。
今回のビルマ問題は、中国の資源帝国主義による謀略だということは識者なら気がついている。マッチポンプだ。
 いったん裏謀略で火をつけておいて、『調停役』として堂々と“管理”する立場におさまり、事実上植民地化する。
 中共のいつものパターンだ。北朝鮮、ベトナムなどなど周辺諸国紛争でいつも使っている古めかしいが有効な手法だ。
http://jp.epochtimes.com/jp/2007/09/html/d32241.html
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1190977878/

>中国は今、太平洋安全保障二分割案を出しているが、
>この問題にあまり首を突っ込むと、結果的には中国の片棒を担ぐことになる。
>それでも君はいいのかね?
ここまで話題を広げればあまりにスレちがい過ぎるが、仏教徒としてどう受け止めるかが限度だと思うが・・ 
地政学的に考えれば、中国・朝鮮・ロシアなどの大陸国家郡に対し、
日本は海洋国家戦略をとる以外に生きる道はないと確信している。
中国はそのことに気がついているから、太平洋安全保障二分割案の網で揺さぶりをかけているのだ。
当面のポイントは台湾問題だろう。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070928/chn070928000.htm
それより、中共は生産力の発展と上部構造の矛盾で、北京五輪後まもなく内戦状態状態に
突入する可能性のほうが高い。

9488:2007/09/29(土) 21:03:25 ID:+wnXJpIT
以下は閑話休題だが、
逆に言えば日本がやるべきことは
(1)海洋国家郡との連携を密にすること
(2)中国の紛争火種地域の反強権主義民主化勢力を助勢すること
   数ヶ所で火種が上れば、中共政権は対応不能の事態に陥る。
   諸葛孔明が言ったように、中国は3分割しておくのがいいのだ。
95神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 18:09:28 ID:Jt0BxB0Z
√kR+des.+caus.+opt.(P.2.sg.)
96神も仏も名無しさん:2007/10/04(木) 23:37:42 ID:ik+6X0Cv
他スレで質問させてもらったんですが、回答が得られないので
マルチで、質問させてください。

布袋さんにまつわる逸話が載っている書籍があれば教えてください。
ネットで探してもさっぱりみつからんです。
97神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 15:08:51 ID:nOZnH5uH
サティやイトーヨーカドーで幼児をトイレに連れ込みいたずらする事件が相次いでいるようです。
男の子はお尻にボールペンを入れられ、
女の子はもっとひどくて三歳で子宮を全摘出しなくてはならないほど。
口には粘着テープをされたらしい。
ママと買い物していて子供だけ男子トイレに入ったときや
ママと別の個室に入って一人で出たところを狙われたらしい。
もしお子さんを一人でトイレに行かせているのなら気をつけてあげてください!
98 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/06(土) 18:53:10 ID:DIPdTa4G
僧侶が無明縁起しておる
99承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/10/06(土) 20:02:36 ID:XYgntOq+
>>96
契此
でググってみてね?
100(^ω^):2007/10/06(土) 22:27:01 ID:dX7jDN4X
(^ω^)100だを〜ん♪
101神も仏も名無しさん:2007/10/08(月) 21:50:16 ID:9WIzqwMF
>>99 thx
102神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 13:34:59 ID:E/Etivxw
市販されてるダンマパダで一番いいのを教えてください。
岩波文庫の中村元訳でいいのでしょうか?
103神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 16:19:52 ID:hogCUiuF
いんじゃね?
104神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 19:25:50 ID:YGudy3/w
中村元先生の方が一番良いと思いますよ。
友松先生の法句経は、解説が無いから理解出来ないと思いますよ。
105102:2007/10/11(木) 20:56:39 ID:E/Etivxw
ありがとうございます。
明日新品の中村元訳を買おうと思います。
106神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 09:11:30 ID:Vy+QOerp
スッタニパータに 以下の言葉があります。

927 わが徒は、
「アタルヴァーダの呪法と夢占いと相の占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりしてはならない」
とありますが
この言葉の真意を教えてください。
107神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 09:12:53 ID:jm6JjcYU
そういう怪しげでなんら合理的な裏付けのない代物には近付くな、って事でそ
108神も仏も名無しさん:2007/10/12(金) 23:31:23 ID:q6LcfK9f

そんでね、座禅瞑想中には耳栓とアイアスクが必須DRとか

あのね、悟りは要領なのよ。レバレッジ。受験勉強と同じ。要領一番。

とにかく速いとこ、問答無用でポ〜ンとあっちへ飛んじゃえばイイの

そうでないと、手間がかかってしょうがないし、手間をかけてもしょうがない。

世間的なアホほど速い。

だいたい、この板で小難しい議論をする奴は駄目だね。

戯論満載に解脱なし
109神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 00:30:36 ID:G3ut5srx
そうは言っても人の脳は向こうに行かないように出来てます
それでも、それが正しいような気がするから苦しみ、そこへ行く手段を探すのではないでしょうか
それが自滅的な事であっても
110神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 16:12:38 ID:MTPiThoQ
仏教やるより脳科学を勉強したほうが合理的だぞ
111神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 21:01:59 ID:1YfmzKtR
人生は全て苦しみだというが、これを簡単に逆転する方法がある。

一日最低100回、自分個人の気持ちをこめて相手に、
「〜してくれてありがとう」という感謝の言葉を常に出し続けることだよ。
仕事や営業ではだめだよ。

W・ジェイムスは「人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」と言った。
行動は精神を規制する。
 これが悟りへの要領だよ。まず行動の型だ。
悟ったように行動すれば、悟りに至る。
だから、茶碗をキチンと洗っておきなさいと教えられただけで、
いっぺんに悟ってしまった修行僧も出る。
112神も仏も名無しさん:2007/10/13(土) 21:07:37 ID:LZ0NKfld
>>47
> 231 【自身を実在とみなす見解】は捨てられる
> 894 一切の断定を捨てる
> 784 汚れた見解をあらかじめ設ける人は、【ゆらぐものにたよる平安】に執著しているのである。
> 895〜896 「これのみが真理である」と宣説する人々は平安を得ることはできない。
> (要約につき、全文は『ブッダのことば』で確認されたい)
> 「常見の方が断見よりマシだ。だから、断見の批判は結構だが、
> 常見を許容しないのはよろしくない」というのは、
> 明らかに仏説から逸脱している。常見は正見ではなく、
> 捨て去るべき邪見なのである。原始仏典ではそう見なされている。
> 常見を許容してしまったら、それはもはや原始仏教ではない。
> 釈尊は「常見と断見の二つを離れよ」と言明されたのである。
113神も仏も名無しさん:2007/10/15(月) 23:06:50 ID:+q3PILLl
>>2  スッタニパータの和訳などがほとんどリンク切れなんですが
114神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 21:06:40 ID:Xvh2FyvQ
まあ、どーでもいいんだがね、
ダライ・ラマって輪廻転生してるんだってね。
で、後継者は輪廻転生した奴を探すんだって。

ってことは、一番の親分は輪廻から解脱してねーんだよな。
悟って、解脱してねーの。
これって、めちゃカッコワル〜〜じゃないの?
チベット仏教と原始仏教は相容れるわけがないだろ?

だいたい輪廻なんて悟れば迷いの産物で妄想にしかすぎないと解るのに、
チベット仏教はそういう意味で二重に誤っている。
だいたい、後継者はチベット近辺だというのも面白い。
ブロンドでブルーの瞳ではマズイのか?肉体を解脱しているのに。
なにか、輪廻はDNAも引きずるのか?
115神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 23:08:44 ID:R5LEtGUI
大乗仏教の菩薩には、衆生のために敢えて解脱せずに再びこの
世に生まれ変わってくるタイプの菩薩があります。
参照:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9#.E7.8F.BE.E4.B8.96.E3.81.A7.E6.B4.BB.E5.8B.95.E3.81.99.E3.82.8B.E3.81.9F.E3.82.81.E3.81.AE.E8.8F.A9.E8.96.A9
ダライラマなどはそういう菩薩の化身とされています。
そういう解釈なので、解脱したら生まれ変わらない阿羅漢を目指
す原始仏教や上座部仏教と異なるのは当然です。
また現代チベット仏教では、チベット人の高僧がスペイン人に
転生した例があります。映画『リトル・ブッダ』の元ネタになった
実話です。
それについて書かれた本がこれ:
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88-%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%BB%A2%E7%94%9F-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AD-%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC/dp/4163508309
116神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 23:15:53 ID:R5LEtGUI
悟っている人から見れば輪廻は非実在ですが、
悟ってない人には輪廻は実在であるかのように
見えます。
チベット仏教は人間の認識のそのような二つの
異なるレベルを区別して考えます。
117神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 23:30:19 ID:CInx7Sgw
>大乗仏教の菩薩には、衆生のために敢えて解脱せずに再びこの
>世に生まれ変わってくるタイプの菩薩があります

ま 大乗なのでそれも在りですね。
118神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 00:45:31 ID:A55COq3t
原始仏教でも思い切り輪廻は説いているわけだが。

119承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/10/22(月) 01:06:26 ID:2qIT+kO9
論理的には中観派以外ダメって事だろう。(笑
120神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 09:11:03 ID:1BhufMIj
チベット仏教ゲルク派の立場からするとそういう見方になるという
だけの話。
自分が知る限り、ゲルク派の考え方を誤解されないよう正確に伝え
たいと思うだけの話。
ただし僕はゲルク派に親しみと尊敬はありますが、そもそも純粋に
チベット仏教徒というわけでもないしゲルク派を絶対視する立場でも
ないです。ただ知識として言っているだけです。
121神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 11:46:04 ID:UiyWzTMz
>>115
>衆生のために敢えて解脱せずに

そーゆーコントロールは、誰が、いつ、どーゆー基準で、どーゆー手法で、やるのDRか?
誰か証明できるのか?
 輪廻に自在に乗ったり乗らなかったりできるなんて、SF小説=フィクションにしても
出来が悪すぎる。
 在家ご都合主義の大乗のでっちあげフィクションにしても噴飯ものだ。
 それに、これだけ世界で苦しんでいる人々がいるのに、『菩薩』とやらは職務怠慢ではないか!
小一時間説教してやるから、どこのいるか教えろよ。
道場破りでインチキ『菩薩』看板を割ってやる。
122神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 15:04:25 ID:sQzVVFS+
大悲闡提の菩薩は涅槃との整合性のための理屈。
法華経などになると仏も実際は涅槃しないと言う。
123神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 20:19:07 ID:9ulTlT/N
>>121
大乗仏教ではそういうことになっていると申し上げたまでで、
あとのことは知りません。お好きにどうぞ。
124 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/23(火) 15:18:02 ID:BZd8UDm1
大乗仏教は慈悲だけで輪廻してくるわけで、悟ってないというのは違うよね。
小乗的に阿羅漢などの境地には通達するんだし。
125神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 15:49:38 ID:lpMkiaK5
通達?
到達?
126神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 16:27:33 ID:OfSc0Q6B
>>124
そーゆーお馬鹿な教説を撒き散らすわけ?
 そもそもブッダの本懐は、その当時流布されていたバラモン的輪廻転生の『生死』の苦からの解脱にあった。
ブッダは菩提=悟りによって、生死の迷い=輪廻から解脱した。→“後有を受けず”宣言

 だから、悟れば輪廻は非解脱者の迷いと洞察できるのだから、輪廻は仏説ではない。
仏説に超克されたバラモン=ヒンドゥ教説にしかすぎない。こんなん、トーゼンだろ?

>大乗仏教は慈悲だけで輪廻してくるわけで、悟ってないというのは違うよね。

こーゆーのが矛盾まみれの支離滅裂であることは明らか。
輪廻説にたてば、原動力は「業報」なーんでやんしょ?←業報自体が迷いの産物
悟っているが慈悲が輪廻の原動力とは珍説ですなあw
遊園地の観覧車じゃあるまいし、輪廻の乗車券は慈悲とは???????

仏教は、無常=無我=縁起を核心とする「悟り」で御座候。
誰かのお情け狙いの「救い」ではござらん。
127 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/23(火) 16:38:21 ID:BZd8UDm1
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html
小乗的(正確には上座部)に悟りを見ても4段階あるじゃない。
128神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 23:04:45 ID:OfSc0Q6B
寺和田みたいな雑魚一派を出すなよw
129神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 10:42:29 ID:t/WrIb+l
その雑魚を持ち出して来るのがオウムの残党と来たもんだw
130神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 12:06:15 ID:7/musKjF
輪廻はゴータマ・ブッダの教えという意味での「仏教」ではない。

バラモン→ヒンドゥの教義だ。
 この思想がカースト制度を合理化し、インド権力支配階級にとって
好都合な妄想として組み立てられたのは明らか。

 現実の下層階級を支配する道具として機能させるために編み出した
幼稚な理論だよ。イソップ物語もそう。
あの手この手で奴隷たちを手なずける悪知恵が働く奴がいたわけだ。

 それを信じるなんて、低脳丸出しだわなw
131神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 12:25:37 ID:7/musKjF
 インチキ「信仰」宗教の連中は大抵、「輪廻」だとか「天国・地獄」とその段階などという
教説でお馬鹿信者から金を巻き上げる。
 なかには酷いことに選挙で票を獲得したら、
あの世の地位・階段が上るとまで釣りまくるところもある。
それが創価学会かオウムどうかは知らんw
132神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 11:57:37 ID:7K3aRObh
輪廻なんか非科学的だし、ぜんぜん信じてないよ。
もしかして俺って悟ってる?
133神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 15:08:09 ID:5m5KM+h0
わたしは宗教は今や大半が無意味なものと知っています。宗教に関係を持たずともわたしは悟りをひらくことができました。
134神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 02:16:17 ID:3SoIWuGA
何を悟ったのかが問題だ。たとえば「人生オワタ」とか悟ってどうする。
135神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 02:17:04 ID:0PkceNzE
>>134
「働いたら負け」とか?www
136神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 11:09:58 ID:V2trrs6M
>>126
どういう解釈なんだ。

ヒンドゥーも、輪廻は苦、その輪廻からの解脱を目指して行をすることは同じ。

> ブッダは菩提=悟りによって、生死の迷い=輪廻から解脱した。→“後有を受けず”宣言

これは合ってるが、

>  だから、悟れば輪廻は非解脱者の迷いと洞察できるのだから、輪廻は仏説ではない。
> 仏説に超克されたバラモン=ヒンドゥ教説にしかすぎない。こんなん、トーゼンだろ?

なんでこうなるんだ。有情・凡夫が輪廻にあることは、当然前提となっている。
輪廻の一切皆苦にいる有情が、仏教を聞思修することで、始めて悟り涅槃寂静するから“後有を受けず”
なんで、有情・凡夫は“後有を受け”て苦から逃れられない。どんな有も一切皆苦であるという意味。

たしかに輪廻の原動力は業報ともいえるが、根本は無明。

それとみなさん勘違いしてるが、大乗仏教の無住処涅槃や普賢行は、輪廻するんじゃなくて、
悟った者が慈悲と誓願の力で化身することですよ。
137神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 13:38:40 ID:eVYWX8tS
>>136さんの理解で正しいと思う。

ひとつだけ質問。

>大乗仏教の無住処涅槃や普賢行は、輪廻するんじゃなくて、
>悟った者が慈悲と誓願の力で化身することですよ。

ダライラマは観音菩薩の化身と言われているが、観音菩薩も
化身なら、ダライラマはその化身の化身なわけで、化身の化身
は輪廻転生するものと理解してよろしいでしょうか?
138神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 18:55:07 ID:E84VKj0g
>>136
>有情・凡夫が輪廻にあることは、当然前提となっている。
 「当然の前提」とやらをトートロジーに陥らずに論証していただきましょうか。
 ブッダはその当然の前提に大疑団を持ち、般若智で破られた。縁起の法だ。

再び、仏教(仏説)は無我=縁起=空にて候。輪廻など潜入させる余地などない。
「生まれによって卑しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。
 行為によって卑しい人ともなり、行為によってバラモンともなるのである 。」
                                 (スッタニパータ 136)
 彼岸=勝義から此岸=人倫世俗を捉えかえせば、業法輪廻などは破綻した部分的共同幻想=妄想であって
“存在しない”ことが解ると言っているんだよ。陽炎のごとき空論さ。あくまで凡夫の妄想と言ったんだよ。

 ボタンを掛け間違うと人生を棒に振るぞ。
 無我なのに何が輪廻するのか、などというお馬鹿なトンチンカンをやらかすw

139神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 19:00:51 ID:E84VKj0g
>悟った者が慈悲と誓願の力で化身することですよ。

 おお、お化けがでるんですか?w
 
 「悟り」はどーなりました? 

 法華経と同じくSFファンタジーにしても、出来が悪すぎw
140神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 19:06:36 ID:4iF/vnrx
>“存在しない”ことが解る

それは断見という独断的な極論にならない?
その手の問題は、あるともないとも断定せず捨置いたのが釈迦なのでは?
141神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 19:09:13 ID:0PkceNzE
ここは時々、こういう極論の応酬になるんだよねぇ・・・w


ま、頑張ってくれたまえw

(´ー`)y━~~
142神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 21:03:26 ID:E84VKj0g
>>140
凡夫の 妄想、陽炎のごときであって、“誤謬だ”と言う意味で“存在しない”と言ったんだよ。
常見、断見問題とは別だよ。

 世俗世界、人倫世界ではこの手の妄想は、吐いて捨てるほどある。
 
 ちなみに、B・R・アンベードカルが『ブッダとそのダンマ』で、
主宰神・霊魂・輪廻転生・業の相続の否定こそがブッダの思想の核心だと主張し、
インドで仏教復興運動を展開したとき、批判・非難はヒンドゥ側からではなく、
テーラワーダ「仏教」連中からだったということは記憶に留めておく必要がある。
そんな背後からの輪廻転生否定に対する非難など鎧袖一触して、
日本の人口を超える信者を擁するにいたっているのだ。

寺和田と日本大乗は何をしたのか(しなかったのか)をインド仏教徒に応えなければならない。
143神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 00:17:24 ID:eLLpb8iZ
>>137
化身は、無限に色身を現せるといわれます。輪廻しているのではありません。

>>138
仏教(仏説)は無我=縁起=空にて候は、間違いない。
無我なのに我々が無明によって業をなし縁起して今、相続しているように、
無明を根絶しない限り、来世も縁起して相続する。このことは以下中村訳『スッタニパータ』で、

  「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することがでまるのか?』と、
  もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 
  『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。
  『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。
  このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
  二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、
  あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存にもどらないことである。」──

   師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。
  729 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。
  730 この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。
  しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。

>>139
まあ、信じないなら、それまで。ただし、ファンタジーなのは、この世が実体をもってリアルに存在している
と考えることなのですが、まあ無理でしょ。

>>142
断見仏教は、日本だけでなくインドにもあったのか。もはや仏教ではない。
テーラワーダの批判は、あまりにも当然。
144神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 00:23:42 ID:1ySg9AeX
>>142
>凡夫の 妄想、陽炎のごときであって、“誤謬だ”と言う意味で“存在しない”と言ったんだよ。
>常見、断見問題とは別だよ。

論証することも実証することのできない問題をあれこれ考えても答えは出ない
そういう形而上的な問題について断定することは誤謬であるとしたのであって、
「我と我の輪廻転生は事実である」と断定することも、「妄想であり存在しない」と断定するのも誤謬でしょう


それと現在のインドで仏教が広まっていますが
1 アウトカーストがカースト制への反発から入信している
2 仏教というが、アンベドカルの著作が経典扱いされているなど、その内実はけっこうあやしいらしい
と聞きますね
本当に仏教の無我説への共感から入信者が増えているんですか?

外務省 インド
(2)人口
 インドの総人口は約10億2,700万人(2001年国勢調査)
(3)多様性に富んだ国
宗教:ヒンドゥー教徒(80.5%)、イスラム教徒(13.4%)、キリスト教徒(2.3%)、
シーク教徒(1.9%)、仏教徒(0.71%)、ジャイナ教徒(0.4%)、ゾロアスター教徒など。

10億2700万の0.71パーセントは729万人
145神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 01:34:50 ID:5sPz+XPz
E84VKj0gは何か勘違いしているようだな。
感情論的だし。
もっとよく勉強した方がいいんじゃないですか?
146神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 15:03:16 ID:0ObSNDUR
世界中で輪廻を信じてない人はごまんといる。
輪廻を信じなければ後有はないのか?
輪廻を信じないものにも苦はあるw
なんでかくも本質的でない話しかしないのかねw
147142(1):2007/10/28(日) 15:41:29 ID:9rWDS7BD
(1)>>145で勉強不足との謗りを受けましたので、とりあえず以下目につく所を指摘しておきます。
『仏説』輪廻否定論を挙げだせばキリがない。特に輪廻の定義につき佐倉哲氏の指摘に注意。

*佐倉哲http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism47.html
「輪廻」はサンスクリット語で「流れること」を意味する「サムサーラ」の訳であって、
古い時代から、「世の中」あるいは「世界」という意味に使用されており、
サムサーラをすべて「生まれ変わる」と解するのは間違っていると言われています(中村元、『仏教語大辞典』「輪廻」1431頁)。
とくに仏教では、サムサーラとは「迷いの世界」を意味し、まだ解脱せず、いまだに苦の世界に生きている人間存在の世界を指して使われています。
サムサーラとは、「彼岸」(涅槃)にたいする「此岸」のことであり、「不死の境地」(涅槃)に対する「死の領域」のことであり、煩悩の支配の状態のことを意味しています。
だから、煩悩そのものに執着したり、より良い「あの世」に生まれ変わりたいと願うのは、サムサーラ(輪廻)の世界に生きている(煩悩の支配下にある)人びとであり、
解脱した聖者は「この世もかの世も望まない」(スッタニパータ 779)ということになります。ブッダが目指すべきものとして教えたのは、
天界への生まれ変わりではなく、解脱・涅槃(煩悩からの自由)でした。(サンユッタニカーヤ 5:7)
→だから俺は世俗世界における妄想と指摘した。>>138

*梶山雄一「空入門」196頁
 輪廻は夢のようなものです。夢はない、とはいえません。悪夢に苦しんでいる人にとっては、これほど深刻な事実はないでしょう。
しかし夢から覚めたときに、人はそれが現実でなかったことをはじめて知るのです。
それと同じように、私たちが迷いの生存を生きているかぎり、輪廻は事実です。
しかし、さとったときにはじめて、私たちは輪廻が“存在しなかった”ことを知るのです。(“ ”は俺)
148142(2):2007/10/28(日) 15:43:40 ID:9rWDS7BD
(2)
*梶山雄一 浄土真宗教学研究所紀要第五号業問題特集、「業報論の超越」より
「業報・輪廻の理論は説一切有部を中心とする小乗アビダルマ仏教独自の思想であって、
釈迦牟尼自身の仏教や大乗仏教には決して見られないものである。」
*奈良康明博士
仏教は無我説を説くから霊魂は認めない。霊魂は輪廻する主体である。
だから仏教では輪廻は認められない。
*和辻哲郎「原始仏教の実践哲学」272頁〜
http://fallibilism.web.fc2.com/070.html

149142(3):2007/10/28(日) 15:46:13 ID:9rWDS7BD
*並川考儀「ゴータマ・ブッダ考」(後からの勝手な潜入増広は証拠にならない)
 宮崎哲弥の論評『『ブッダは輪廻をどう捉えていたのか。
古層の経典では、確かに輪廻は業報と結びつけられ、積極的に説かれる。
だが文献を精査すると、最古層の経典には輪廻(サムサーラ)という語は見出せず、
「来世」や「再生」などの表現はみえるものの、いずれも否定的な文脈に限られている事実が突き止められる。
つまり、ブッダ自身の輪廻観は飽くまで否定的であったと推すことができる。
 「無我なのにどうして輪廻という生死を超えた我の存続を認めるのか」との疑問が氷解するとともに、
当時から流布していた輪廻という観念の因襲を、無我の思想を立てて解体しようとブッダはしていたのだ。』

その他 
*釈尊は輪廻転生説を否定した(小川一乗)
http://fallibilism.web.fc2.com/077.html
*波と海のたとえ─たとえ話の危険性(小川一乗)
http://fallibilism.web.fc2.com/073.html
*五蘊無我説─有身見の否定(小川一乗)
http://fallibilism.web.fc2.com/074.html
*「自性」の否定─『根本中論偈』の「自性の考察」(小川一乗)
http://fallibilism.web.fc2.com/086.html
*輪廻思想は仏教本来の思想か(舟橋尚哉)
http://fallibilism.web.fc2.com/078.html
*三時業説批判(角田泰隆)
http://fallibilism.web.fc2.com/079.html  など

150神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 15:46:37 ID:N4MxZN8G
>>147
引用1は輪廻は輪廻転生を意味するのではなく、煩悩の世界に執着することである
引用2は悟りを得れば輪廻は幻であると気づく

引用2で問題とされる輪廻は、煩悩の世界に執着することを指しているのか、
輪廻転生を意味するのか、どっち?
151142:2007/10/28(日) 16:00:55 ID:9rWDS7BD
>>143
>無我なのに我々が無明によって業をなし縁起して今、相続しているように、

 ホントにそうなのか?を問うているのに、>>138でお願いしておいたように
 これでは
 >「当然の前提」とやらをトートロジーに陥らずに論証していただきましょうか。
  に対する回答になってませんよ。
152神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 16:04:38 ID:c6Ud74/e
>>151
そんなに仏教が気に入らないなら(貴方に合わないなら)、
別の考え方を採用すればいいじゃないですかw

なぜ、仏教にこだわるのですか?
貴方の望む形の仏教は、歴史上出現していませんよ。
貴方に、「新しい21世紀の仏教を構築する!」という気概があるならそうすれば宜しい。
誰も止めませんよwww
153142:2007/10/28(日) 16:09:54 ID:9rWDS7BD
>>150
それこそ故梶山先生に聞いていただかねばなりませんが、
>>138の通り、
 >彼岸=勝義から此岸=人倫世俗を捉えかえせば、業法輪廻などは破綻した部分的共同幻想=妄想であって
“存在しない”ことが解ると言っているんだよ。陽炎のごとき空論さ。あくまで凡夫の妄想と言ったんだよ。

154142:2007/10/28(日) 16:21:42 ID:9rWDS7BD
>>152
>>130参照
155神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 18:02:21 ID:BJWbAi+E
輪廻は、凡夫にとってはあるかのように見えるが、
解脱したものにとっては幻であると理解できる。

それには別に異論はない。というか、最初からそう
考えていたわけだが。

だから、解脱してない者は無我を悟ってないから
輪廻して、解脱した者は無我を悟ったから輪廻し
ないんじゃないのか。
156神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 18:09:28 ID:eHp3e+Pk
無明により、執着がある。
無明により、我見がある。
無明により、輪廻転生すると言う考え方に執着する。
無明により、業報輪廻を実体視する。

無明を滅することはそんなに難しいことだとは思わない。
釈尊の境地に立つことは難しいかもしれないが。

そうすると、業報輪廻という間違った考え方から解放されて、有るがままを見ることが出来る。
釈尊がといたのは、そんな簡単で分りやすく、有益なことだと思う。
輪廻があるとかないとかではなく、その考え自体が無用だということ。
157142:2007/10/28(日) 19:33:40 ID:9rWDS7BD
>>156
同意
158神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 19:54:32 ID:N4MxZN8G
>>157
>輪廻があるとか無いとかでなく、その考え自体が無用

これと「輪廻が存在しない」は違うでしょ
輪廻がない、と言っているんだから
159神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 20:02:43 ID:BJWbAi+E
チベット仏教や上座部仏教の僧侶の話を聞いてると、本当に
輪廻転生を信じているようだけど。
160神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 20:25:33 ID:SQAfOsZx
日本には輪廻や霊魂を否定するのが生き甲斐の坊主って結構多いよ。
客観的にみれば、やっぱりインテリ気取りなんだなっていう感じ、毒にも薬にもならない存在なんだよな。
161神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 20:29:15 ID:eHp3e+Pk
日本には輪廻や霊魂を肯定するのが生き甲斐の坊主って結構多いよ。
客観的にみれば、やっぱり脅かして金品を巻き上げようとするカルトっていう感じ、百害あって一利なしな存在なんだよな。

このような反証を予測しないでご発言されたのでしょうか?
162神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 20:44:26 ID:N4MxZN8G
>>159
チベット仏教や上座部の末裔が間違っていない保証もないでしょ

結局
1)輪廻は幻
2)我はないが業が輪廻する
3)輪廻の有無という考え自体を捨置

という三つの見解を引き出せる経文が残っている
どれが釈尊の金言であるかは、結論は出せない
出ていない以上、断定的な結論は信仰でしかないのでは?
163神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 20:51:30 ID:rrTdtoqp
んむー
文献学でここまで絞込みはできました
あとは、自分がどの見解を選択するか?だけやねー

個人的には2を選択したいな
164神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:33:41 ID:eLLpb8iZ
>>156
その無明と輪廻解釈は、典型的な和辻珍説ですね。
無明や輪廻がそんなものなら、誰でもすぐ分かるので行も出家も必要なくなるでしょう。
また、四諦や八正道などの教理体系も必要ないし、縁起も無常も空もなにも必要なくなるでしょう。

>>162
3)輪廻の有無という考え自体を捨置
この典拠は、十無記あるいは十四無記でしょうか? それとも『中論』などでしょうか?

いえいえ、輪廻はあらゆる仏教の前提ですよ。ギリシャ人にもシナ人にもチベット人にも日本人にも
仏教以前には輪廻説はなかったけど、必ず輪廻という苦海にいるという自覚がない解脱はもちろん、
仏教体系が崩壊しますよ。単純な話、一切皆苦なら自殺すれば終わりですから。
だけど、輪廻するから、自殺しても苦は終わらない。教えに従って行じ解脱する以外ないんです。
165神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:34:31 ID:eLLpb8iZ
>>147-151
そのぐらいのことは、知ってますよ。あなたは始めから仏教に輪廻があっては困る、あるはずがないという
立場で、輪廻を否定する学者いるから、輪廻はないということですね。もっと原典を素直に読んだらどうですか。
ちなみに和辻、並川は、仏教に輪廻が説かれることは認めてます。
和辻は、詭弁で方便と解釈し珍説無我輪廻不能説を立てました。
並川は、文献史によって初期には輪廻が否定的に説かれていたとの珍説を述べた。
これは、ただの詭弁で仏教はもとよりサーンキャもヴェーターンタも輪廻に否定的なことは当然で、
輪廻否定だから解脱を目指すことであり、それを輪廻存在否定と勝手に読み替えた実にいい加減な詭弁です。
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20060207

*梶山雄一「空入門」196頁
 輪廻は夢のようなものです。夢はない、とはいえません。悪夢に苦しんでいる人にとっては、
 これほど深刻な事実はないでしょう。
 しかし夢から覚めたときに、人はそれが現実でなかったことをはじめて知るのです。
 それと同じように、私たちが迷いの生存を生きているかぎり、輪廻は事実です。
 しかし、さとったときにはじめて、私たちは輪廻が“存在しなかった”ことを知るのです。(“ ”は俺)

上の梶山説は、正にその通り。輪廻というのは現世も含まれることも理解してください。
現在、我々が知覚認識している輪廻は夢のようなものだということです。
自分があり、対象があると思っているそれ全てが夢で無我だと悟れ業が尽きれば輪廻も尽きると。
トートロジーというから、経証を出したのですが、それ以上どうしろというのでしょうか?
では、諸行無常、諸法無我なら、現在の私という存在も、無常で無我である。
無我でありながら私という存在は、縁起して連続して同一な実体のように知覚する。
それと同じで、無常で無我な識や自相続と仮設されるものが、死後も縁起して連続して同一な実体のように知覚される。
166神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:37:03 ID:eLLpb8iZ
和辻哲郎、奈良康明の「無我説だから輪廻する主体がないので輪廻できない」
は、仏教の本質を何も理解していない無慚な説としか言えません。
既に述べたように現在無我なのに我が縁起相続しているように、死後も無我だが無明による業から輪廻し、
相続して行く。それが十二縁起的に既に『スッタニパータ』の前掲箇所で説かれているのでご確認ください。
及び、ほとんど同じことがモークシャカラグプタの輪廻論証で、
   心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、たとえば現在の心のように。
   死ぬときの心も、心にかわりはない。
   (だから、死ぬときの心は、次の瞬間、すなわち、次生のはじめの心と結びつく。)梶山訳
オマケ、ダルマキールティの輪廻論証の一部:
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/2707/1/03878929_56_10.pdf
 ダルマキールティ以降の大乗仏教徒は、盛んに輪廻の論証を行ったことはあまりにも有名。
 
以上の二つは明らかに以下の梶山説の反証でしょう。梶山先生は晩年どうしちゃったのか、輪廻否定されましたね。
梶山雄一「業報・輪廻の理論は説一切有部を中心とする小乗アビダルマ仏教独自の思想であって、
釈迦牟尼自身の仏教や大乗仏教には決して見られないものである。」

その他学者や評論家の説は、論ずるまでもないでしょう。
167神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:41:26 ID:eHp3e+Pk
>>164
和辻?関係ないですよ。
色々書いておられるが、無理やり強引に自説へとつないでいますね。

和辻説が珍説?あなたがそんなに偉い人だとは思えません。
168神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:41:49 ID:N4MxZN8G
>>164
3)の立場は、十四無記などが経証としてだされますね
十四無記の如来は人間を指していると解釈するようです

>輪廻はあらゆる仏教の前提ですよ。
では、輪廻を論証、実証できますか?
169神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:44:00 ID:eHp3e+Pk
奈良さんまで珍説だと言ってのける。

輪廻絶対と言う前提で話す狂人なのですか?
170神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:50:14 ID:Tkpb6RQB
>>164
>>典型的な和辻珍説ですね。
それなら正解は何?珍説というのはまだまだ確定した評価じゃないですよ。

>>いえいえ、輪廻はあらゆる仏教の前提ですよ。
前提とはどういう意味でしょうか?事実かどうかは保留し、当然の考察の対象とされていた、
という意味ならわかりますが、事実として前提されていた、というのなら、証明が必要です。
あたかもコペルニクスが天動説を前提として地動説を主張したという意味での前提でしょうか?

ちなみに有部の三世両重の因果ですら、来世を前提としていないのですが。

171神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:50:26 ID:N4MxZN8G
結論の出せないことを断定し、信仰するタイプの人でしょ
172神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:52:06 ID:Tkpb6RQB
>>166
>>仏教の本質を何も理解していない無慚な説としか言えません。
あなたのいう「仏教の本質」とは何?ののしるだけでで根拠はないのですか?
173神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:52:34 ID:eLLpb8iZ
>>168
如来人間解釈は、間違いです。水野弘元先生を始めかずかずの方が論証されてますが、
輪廻を否定したい人が、そう読んでいます。
http://www2.toyo.ac.jp/~morimori/cgi-bin/resbbs1/resbbs.cgi

輪廻の論証というのは、科学的実証主義による論証ということでしょうか?
それは私の対象ではありません。私は仏教という教えは、輪廻を前提にしていると言っているだけです。

>>167
無理やりではなく、ほとんど反証ですよ。142さんが挙げた諸学説が成り立たないというだけです。
和辻は重要ですよ。この日本仏教の輪廻否定説の根源はほとんど和辻です。
和辻の文献学は、厳密ですが、輪廻や無明解釈が珍説なのは、これまた有名なことですよ。
もちろん、私が偉いわけでもなんでもなく、和辻は才能ある人ですが、それとこれとは別の問題です。
174神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:53:38 ID:eHp3e+Pk
>>171
阿含宗とかオウム真理教とかのカルト教団に多いタイプですね。
輪廻転生で脅して金品を巻き上げるシステムですね。
創価学会も同じかな。
175神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:54:22 ID:eLLpb8iZ
>>170
ちょっと、この輪廻の論証を読んでくださいよ
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/2707/1/03878929_56_10.pdf
176神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:56:52 ID:eHp3e+Pk
>>173
では釈尊は人間ではなく、神だと言うのでしょうか?あるいは宇宙人ですか?

仏教が前提としているもの、輪廻転生を前提としてそれを批判しているのならその通りだと思います。
あなたは罵倒することしか知らず、和辻、奈良、並河諸説を珍説として退ける。

信用できない人であることは間違いない。
177神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:01:28 ID:eLLpb8iZ
>>176
私は根拠を示したのですが、罵倒しているのは貴方でしょう。
読んだ上で、問題があるなら、根拠を示して問題点を指摘してください。
そうでないばあいは、以後、捨置します。
178神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:02:16 ID:Tkpb6RQB
>>175
プラサンナパダーや入中論を無視して、プラマーナヴァールッティカの和訳のごく一部の
和訳を読めというの?
そりゃ、黒でも白といえるわな。

和辻のツメの垢、いやいや、チンカスでもくっておけ。
179神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:04:35 ID:eLLpb8iZ
>>172
根拠は示したのですが。

既に述べたように現在無我なのに我が縁起相続しているように、死後も無我だが無明による業から輪廻し、
相続して行く。それが十二縁起的に既に『スッタニパータ』の前掲箇所で説かれているのでご確認ください。
及び、ほとんど同じことがモークシャカラグプタの輪廻論証で、
   心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、たとえば現在の心のように。
   死ぬときの心も、心にかわりはない。
   (だから、死ぬときの心は、次の瞬間、すなわち、次生のはじめの心と結びつく。)梶山訳
オマケ、ダルマキールティの輪廻論証の一部:
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/2707/1/03878929_56_10.pdf

既に述べたようというのは>>143
180神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:06:03 ID:eHp3e+Pk
>>177
私の罵倒部分ってどこですか?
181神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:07:11 ID:Tkpb6RQB
>>179
>>現在無我なのに我が縁起相続しているように、
この表現、おかしいって自分で気がつかない?
縁起しているから我ではないですよ。我に類似して縁起して相続している、です。
182神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:08:24 ID:eLLpb8iZ
>>178
なぜ、プラサンナパダーや入中論が比較になるのか理解できませんね。
チャンドラキールティは、ディグナーガ批判でも有名だし、ダルマキールティには全然触れてません。
また、入中論も中論26章は、輪廻を説いてるでしょう。明らかに。
183神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:10:48 ID:eLLpb8iZ
>>181
そこはアートマン、本質の意味の我ではなく、仮設された私という意味のワレと読んでください。
他の箇所から善意で解釈すればそう読めるはずです。
184神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:14:44 ID:N4MxZN8G
>>173
森 章司という人が2)の立場を取っているだけでしょう
下の方に如来=人の論者が書き込んでいるが、その議論は結論が出ていないですね

>輪廻の論証というのは、科学的実証主義による論証ということでしょうか?

四諦や十二支因縁のような論証で結構です。
185神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:17:11 ID:eHp3e+Pk
>>183
私が罵倒したという箇所をしめしていただけないでしょうか?
186神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:20:56 ID:Tkpb6RQB
昨年度の日本仏教学会の会報は読んでみる価値があると思います。
なんてったって、有か、無か、という二辺のいずれかを(暗黙の)前提にした議論が多いですから。
輪廻説の取り扱いがどれだけ迷いを惹起こすかのサンプルだと私には思えます。
187神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:21:48 ID:eHp3e+Pk
>>179
>    心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、たとえば現在の心のように。
>    死ぬときの心も、心にかわりはない。

別にモークシャカラグプタを引用しないでも初期の有部でも言ってる。
特に輪廻そのものの論証だとは思えないよ。
188神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:26:43 ID:eHp3e+Pk
>>179
私がした罵倒を示してください。
罵倒するあなたには言われたくないので、是非示してください。
189神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:33:18 ID:eLLpb8iZ
>>184
1)2)の立場はなんら矛盾しません。問題は、十無記の如来解釈で、それを人間とする解釈があり、
それを根拠に来世を無記とする解釈があったんですが、

水野弘元先生が速くも「tathAgata(如来)の意義用法」(『印度学仏教学研究』5-1 昭和32年1月)で
徹底的に分析して十無記のtathAgataは人格完成者ということで解決されてます。
人間とする解釈は、ジャイナでもtathAgataという言葉を使用し、それを人格完成者と呼べなかったので、
注釈者は、人間といった意味で注釈したと言った論旨だったと記憶します。(細部は自信なし)

石上善応先生の「無記説とパリバージャカ」(『佐藤博士古稀記念 仏教思想論叢』山喜房仏書林 昭和47年
や森 章司先生は、それでも人間と解釈する人がいるので再説されたのではないかと思います。

四諦や十二支因縁のような論証、つまり上では納得できないってことですね(;_;)
では、ちょっとまってください。
190神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:39:08 ID:N4MxZN8G
>>189
つまり、釈尊は苦の滅について、四諦八聖道や十二支因縁に繋がる論証
(たとえば>>156のような形の)はパーリ語原典に残っているわけですよね?

では、悟りの前提となる輪廻については論証されなかったんでしょうか?
191神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 22:56:02 ID:eHp3e+Pk
>>189
罵倒の件についてお答えください。
モークシャカラグプタに特化してしまった意味を教えてください。「輪廻の論証」と有るからですか?
192神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:04:55 ID:zweaGP5Z
もういい加減にしろよ。
193神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:10:31 ID:eLLpb8iZ
えー、論証というとちょっと違いますが、田中教照先生が『象跡喩小経』によって修行を13段階に纏めています。以下、
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/kaijoue-06.htm
その<第1>段階が「法を聞き、信を得て、出家する」なのですが、これが生天と言われる。
いいことをすれば天に生まれ悪いことをすれば地獄に堕ちるという業因果を信じるかどうかということです。
これは八正道の正見に相当し『大四十経』でこのようにいわれます。

 比丘たちよ、それでは邪見とは何であろうか。布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
 此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
 証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。

 比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見とは、
 布施あり、祭祀あり、供犠あり、善悪業の報いあり、此世、彼世、母、父あり、
 化生の有情あり、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
 証して説く者の世に在り、と主張する、これが、比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、
 煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見 である。(田中教照訳、リンク先に指示されたものと同論文)

これで明らかだと思いますが、『象跡喩小経』の <第10>宿住随念智=自分の過去世の生涯を知る智慧。
<第11>死生智=他の生ける者の死と再生を知る智慧。他の者が、劣、優、美、醜、不幸になることを認知する智慧。
が戒定慧の慧という結果の部分にあたることからも、輪廻が教えの体系のなかで重要な前提となっていることが
理解できると思います。
194神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:12:01 ID:eHp3e+Pk
>>189
基本的なことを聞きたい。
釈尊は人間ではないというのですか?

ここは原始仏教スレですよ。
195神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:20:24 ID:eHp3e+Pk
>>193

> これで明らかだと思いますが、『象跡喩小経』の <第10>宿住随念智=自分の過去世の生涯を知る智慧。
> <第11>死生智=他の生ける者の死と再生を知る智慧。他の者が、劣、優、美、醜、不幸になることを認知する智慧。
> が戒定慧の慧という結果の部分にあたることからも、輪廻が教えの体系のなかで重要な前提となっていることが
> 理解できると思います。

輪廻転生が前提となっていると即断するのは早いような気がします。
また、前提とされるものが主な主張になると判断するのも、仏教だけではなく、宗教では危険ではないでしょうか?
取り扱っている資料の吟味もないようですしね。

モークシャカラグプタと罵倒の件はどうなりました?
196神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:22:43 ID:Tkpb6RQB
>>193
>これで明らかだと思いますが、『象跡喩小経』の <第10>宿住随念智=自分の過去世の生涯を知る智慧。
><第11>死生智=他の生ける者の死と再生を知る智慧。他の者が、劣、優、美、醜、不幸になることを認知する智慧。
>が戒定慧の慧という結果の部分にあたることからも、輪廻が教えの体系のなかで重要な前提となっていることが
>理解できると思います。
田中の訳にもとずいたあなたの解釈に過ぎないし、ぜんぜん明らかでもないし、理解もできません。
再生ってどこに書いてあるんですか?宿命智などが戒定慧の慧学に相当するというのはどこに根拠があるのですか?

197神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:24:57 ID:9rWDS7BD
形式教条主義寺和田が生き残りを賭けて、必死の形相だな。
哀れ
寺和田ってのは結局小乗アビダルマであって、それ以上でも以下でもない。

198神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:27:22 ID:eHp3e+Pk
原始仏教における六神通の形成過程さえも注意を払っていないのかも知れませんね。
199神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:34:04 ID:N4MxZN8G
>>198
すみません
それはどのようなものなのでしょうか?
200神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:40:22 ID:eHp3e+Pk
>>199
また詳しく調べておきますね。
201神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:45:44 ID:eLLpb8iZ
>>197
>寺和田ってのは結局小乗アビダルマであって、それ以上でも以下でもない。

つまり部派の一派ってことね。同意。
ですが、原始仏教を求めるなら、ほぼテーラワーダでしょ。
それが例え、ブッダゴーサ至上主義であっても、多少の変化があったとしても、
輪廻のような根本教義は、『アッタカヴァッガ』から部派、大乗、
地域もどこであれ、変わりはありません。

例外が、近代日本仏教とアーベントカール仏教ぐらいでしょう。
202神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:48:27 ID:eHp3e+Pk
>ですが、原始仏教を求めるなら、ほぼテーラワーダでしょ。
これが理解できない。

なにを指してるのかも曖昧。

モークシャカラグプタと罵倒については?
203神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 23:51:22 ID:eLLpb8iZ
>>199
それは文献学者がよくやる研究方法で、十二縁起の形成とか、アビダルマ思想の形成とかで、
要するにテキストを解体して成立過程を歴史付け、六つの数に纏められるまでに
これだけかかったとかいった研究のことと思われます。

それは解釈も無常ですから、多少の揺れはあるでしょうが、輪廻が前提となるのは、
ウパニシャッドから、江戸時代の日本仏教までかわりませんよ。
204神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 00:16:57 ID:jXa3AeBE
>>203
質問されているようですが、お答えにならないのでしょうか?
私のも含めて。
205神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 10:07:03 ID:T+PqWuMD

 そこで結論

 仏教(仏説)は無我=縁起=空にて候。
 業報輪廻など潜入させる余地はない。

            以上
206神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 11:07:30 ID:D9dBee6S
日本語は難しいね「否定」と「肯定」。
混同してる人多すぎだね。
輪廻存在否定派は、輪廻を過去と未来に限定して捉える性癖がある。
口では無我を説きながら誰よりも我を張る。
まさに輪廻の真っ只中ですな。
207神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 11:16:18 ID:D9dBee6S
業報もない
輪廻もない
悪いことしても捕まらない
輪廻はいいけど倫理はどうする?
208神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 11:30:03 ID:Sx/l/xJ6
なぜ業報輪廻という言葉があるのですか?
そういう観念があるからじゃないですか?
209ほっとれもん:2007/10/29(月) 11:54:08 ID:KFFPeKlR
>207
いい来世のために、いい行いをする。それでは、取引にすぎない。倫理ではない。
210神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 13:48:38 ID:T+PqWuMD
>>209
そこがひとつのポイントだよ。
 業報輪廻妄想は、機能的には我執=無明を刺激増大させる方向に働く。
功利主義的で現世肯定的な中国人が金色の仏像に狂喜し、また来世で金儲けできると
輪廻を歓迎した事実がそれを裏付ける。インド人とは正反対の反応だ。

 ブッダの八正道=自己浄化と悟りへの道とは、機能的に明白に矛盾する俗物イデオロギーだ。

 善悪倫理は世俗における相対的=共同幻想規範だ。だから時と場所によって差異がある。

 さらに社会的には身分差別=カースト制度を合理化するための巧妙なイデオロギーだということも注意する必要がある。
211ほっとれもん:2007/10/29(月) 13:59:07 ID:KFFPeKlR
業報でも倫理でもなくて、慈悲だと思います。
212神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 17:42:23 ID:N+Ez0zz2
そういった現代常識で解釈してもしかたないよ
213神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 21:28:38 ID:Ei6R2y08
仏教語るのに共同幻想とかいう変な言葉使うな
214神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 22:22:29 ID:4l0xbdKV
・業報輪廻の考えは、我執と身分差別を助長する。
・釈尊の教えを語るのに(ここまではマガダ語)仏教(これは日本語)とかいう変な言葉使うな(再びマガダ語)
 仏教語るのに言葉狩りをする奴は、マガダ語で語れ。
215神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 22:55:26 ID:V5RGGvmM
216神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 00:41:21 ID:o5kMXJlH
>>205
 「仏教(仏説)は無我=縁起=空にて候」はその通り。
 「業報輪廻など潜入させる余地はない」 は違います。根拠は以下『大四十経』で十分でしょう。

   布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
   此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
   証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。
 
 また 縁起も業によって縁起するのですから、業がなくては縁起しません。
 釈尊ご自身もカルマヴァーダ(業論者)を自称されてますよ。

>>206
違いますよ、よく読んでから批判してください。
  >>165
  >  輪廻というのは現世も含まれることも理解してください。
  >  現在、我々が知覚認識している輪廻は夢のようなものだということです。
刹那的に意識が相続することを輪廻と呼ぶという説もあり、
その意識が解脱するまで断たれることがないという説明もインド仏教にあります。
それかダルマキールティ以降の輪廻論証の基本だったと記憶してます。

>>210
歴史的に輪廻説は、インドからシナにもたらされ、
シナでは受容するときに抵抗があった事実をご確認ください。

>> 214
「業報輪廻の考えは、我執と身分差別を助長する」これは、現代思想であって仏教ではありません。
 別に「共同幻想」が正しい根拠のある言葉、たとえば仮設(ウパチャーラ、プラジュニャプティ)
といった概念で用いられているなら問題ないのですが、
「複数の人間で共有される幻想」という意味を逆に仮設や無明に持ち込んでは全く何も理解できず、
ただ現代常識という「共同幻想」で、仏教を適当に変形しただけでしょう。
217神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 08:13:40 ID:a+ldPMaA
>>216
あなたは「和辻珍説」を唱えた方ですか?
もしそうなら電波男Ψ(´д`)Ψ氏を犯罪者集団の一人だと無根拠にずっといい続けた罪からは逃れられませんよ。
貴方が向うでなした悪業について、ここで晒さなければなりませんね。

そして貴方が残したキーワードを集めてきますので、その上でご発言ください。
電波男Ψ(´д`)Ψ氏も仰るように、この世界狭いですから、直ぐたどり着けましたよ。
どうせまた6年間電波男Ψ(´д`)Ψ氏を粘着して集めた資料の揚げ足取りをしてログの大量掲載テロするしか脳wが無いのでしょうけどね。

あんまりですから少しだけ言及しますね。

「輪廻の論証」を持ち出すような間抜け差が、今回はダルマキールティにもありますよ。
有部の初期から見られるものなのに変な人ですね。
218神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 09:49:52 ID:Ba7TnkfQ
>>217
>貴方が向うでなした悪業について、ここで晒さなければなりませんね。

>そして貴方が残したキーワードを集めてきますので、その上でご発言ください。

 乱闘をやるのは勝手だし、犬の喧嘩なんかに興味はない。
 ただここではやるな、場外でやれ、迷惑だ。

 乱入禁止 !!

219神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 10:57:03 ID:a+ldPMaA
>>218
犯罪者=カルト=輪廻転生をといて人を脅す=金品を巻き上げる

この構造を叩き潰す必要があると言うことでご理解ください。
220阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/10/30(火) 15:40:24 ID:Jk8p3qlS
>>217

破落戸ジョーユーがまた性懲りもなく出て来ましたな(苦笑)。

その恫喝脅迫強請り集りドグマ擁護のまとめサイトでも作ってやれば如何でしょうかね(笑)。

ま、例の犯罪カルトの残党セクト主宰者と学生時代あたりからのポンダチなんじゃないですかね、このタルチュフは(嗤)。
221神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 16:09:25 ID:NDDGJLfH
>214 >216
業報による輪廻転生説は、(我執と身分差別を助長することによって、)苦を増す。
釈尊の教えは、苦を滅するものであって、苦を増すものではない。
「仏教」の伝統概念で語られていても、苦を増すものは、釈尊の教えではない。
従って、業報による輪廻転生は、釈尊の教えではない。
222神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 16:18:22 ID:a+ldPMaA
>>221
そうですね。

基本的には業報輪廻だと思いますが、それは

「いま、悪い行いをすれば、明日か近い将来、その報いを得て苦しむでしょう。それを輪廻といい、悪循環になるのでやめましょう」

だと思います。業報が死を越えた向うにあるなんて、誰も証明できない。経典の方便説をみて根拠にするなんてカルトですね。

「最初に輪廻転生と言う生まれ変わりありき」と思うから迷うんですね。
223神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 17:46:22 ID:Ba7TnkfQ

 しまいに、オウムみたいに『カルマ落とし』なんて言い出すんじゃないか?

 欝だ
224神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 18:31:35 ID:cQT27p9u
>>222
質問

あなたは
輪廻転生は方便説、釈迦は輪廻転生の有無という考え自体を捨置いた
という考えだと思うのですが、それは反論の余地のない断定できる結論なのでしょうか?
225神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 19:02:48 ID:a+ldPMaA
>>224
> 輪廻転生は方便説、釈迦は輪廻転生の有無という考え自体を捨置いた
> という考えだと思うのですが、それは反論の余地のない断定できる結論なのでしょうか?

断定は出来ない。
あたかも、
輪廻転生が死後に渡ってあると言うことが反論の余地の無い断定できる結論であることは不合理だというように。
あたかも、
生存が死後に断滅すると言うことが反論の余地の無い断定できる結論であることは不合理だというように。

この両方が断定できないのであれば、どちらか一方に執着することは不合理である。
ならば、そのようなあらゆる有無両辺への執着を捨てて、目の当りにするものを観察するように努力すべきではないのか?


と思います。
226神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 19:24:00 ID:cQT27p9u
>>225
ありがとうございます

矢羽根の色など考えず、苦の原因を見つめその解決を目指すべきである。
たしかに経文にあります。

では、たとえば
業の輪廻転生はあるという経文を前提として、身を律し煩悩に惑わされない生活を目指すべきである
というあり方(あなたが方便説といったところの)は、捨てるべき考えでしょうか?
227 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/30(火) 20:08:15 ID:le06wAxc
まず輪廻はカルト宗教の独自の教義なんかではない。
>201のいう輪廻のような根本教義は、部派、大乗、どこの地域であれ、変わりはなく、例外が、近代日本仏教とアーベントカール仏教ぐらいというわけです。

そして、煩悩が止まる状態などは禅などの修行で遂げる。実際に体験する。
輪廻は断見しない、つまり中庸で見る。
これは上座部でも大乗でも仏教を通して教えの中核の一つで、実際に体験するものです。
もちろん上座部でも大乗でも輪廻する主体=魂なんかないってのは常識です。
>>179>>193は、「原始仏教」から輪廻の説の根拠を言っています。

あらゆる思考が断滅した状態、捉われない状態などがあることを観察して、煩悩の輪廻から離れることが、
ウパニシャッドや、仏教(初期仏教も大乗)の全体にある。つまり、これが教義と修行の中核にあるわけですよ。
輪廻は煩悩の存続という意味が基礎です。
>>164の言うように仏教体系自体を担っている重要部分です。
もちろん悟った時は、輪廻ということに対する概念も、執着も存在できない。
ここまでは断定できますでしょう。それ以上の輪廻の論争に関してはそこまではわたしは勉強不足です。

仏教では魂は仮定しないから、輪廻があるとするのはおかしいといのは、根本的に仏教を理解していないことによる幼稚な詭弁です。
勉強して整合すれば、>>165-166の言うことで妥当だと分かります。
>>147梶山で言えば、煩悩の激流にさらされているわけで、輪廻が存在していないとは言っていない。抜けたときにその存在が空虚であったと分かる。
    抜けたときに輪廻という概念に対する執着自体が輪廻を起こしていたことが分かる。このような解釈で妥当です。
>>148もおかしい。輪廻する主体はないけれど縁起しているというのが大乗のナーガールジュナの一派です。この常識的な基礎知識を無視しています。(>>182>>216)
228 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/30(火) 20:27:13 ID:le06wAxc
仏教以前のウパニシャッド。

  ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド
  http://jp.encarta.msn.com/sidebar_1161549363/content.html

つまり、輪廻は仏教以前からの思想です。


  『プラマーナ・ヴァールティカ』 プラマーナシッディ章の研究(11)
  http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/2707/1/03878929_56_10.pdf


のように大乗仏教の経典ですが、転生に関する論議のある経典もあります。
229神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 21:45:45 ID:fUclS6U6
>>227
> 抜けたときに輪廻という概念に対する執着自体が輪廻を起こしていたことが分かる。

つまり、中途半端に輪廻という概念を知っていて、それに執着している者だけが輪廻転生して、覚った人と輪廻のことなど聞いたこともない異教徒は輪廻しないということでしょうか。
230神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 21:58:49 ID:fUclS6U6
>>227
> 抜けたときに輪廻という概念に対する執着自体が輪廻を起こしていたことが分かる。

もひとつ言えば、「輪廻なんて仏教じゃないよ、馬鹿じゃないの」と思っている仏教徒も輪廻しないことになりませんか。
231神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 22:29:32 ID:Pcuoghu5
揚げ足取り
232神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 22:33:15 ID:fUclS6U6
>>231
取られるような揚げ足のない説明を求めます。
233神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 23:19:16 ID:o5kMXJlH
>>221
論証形式は妥当な推論ですが、前提1と前提3が偽だから、健全な推論ではありません。
いわゆる「藁人形論法」ですね。要するにあなたは、仏教が分かってないんです。
まず、苦というのは、経験すること全てが苦ですよ。一切皆苦、一切行苦が仏教の認識ですから。
業報輪廻説が我執を助長するというのは、何が根拠なんでしょうか?
前提3は、伝統説でもあなたが苦を増すと思う思想は、釈尊の教えでないということと同じですね。

あなたの推論は、銀行は犯罪に利用されるので悪を助長する。企業は社会を益するもので、悪を助長するものではない。
悪を助長するものは企業ではない。従って、銀行は企業ではない。といってるようなものです。明らかに詭弁です。

>>222
それはただの断見です。輪廻が方便であると言ったのは和辻が最初だったと思いますが、
和辻は輪廻を否定したくてしょうがなかったけど、経典は輪廻を前提にしてるので、
詭弁で方便と言って否定しただけです。>>225 のような韜晦説も経典の典拠はないでしょう。
十無記は、明らかに解脱者としての如来であって、有情とか人間ではありませんから。

>>227
ほとんど同意いただきありがというございます。ですが細かい点で異論があります。

>>229-230
仏教やヒンドゥーでは、そう考えません。輪廻は、思想ではなく行者の直観による苦の現状と考えます。
ですから、仏教やヒンドゥーではダルマを信じない人とされます。
次にダルマに信を起こして輪廻にいると自覚し、行を行う修行中の人にとって輪廻は現実です。
最後に悟ったものは、輪廻から解脱したので、輪廻が妄想で、幻だと分かるということです。

因みに諸宗教で輪廻を脅しに使わなくても商売にすることは、大きな罪だと諸経典に説かれてます。

234 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/30(火) 23:29:49 ID:le06wAxc
信仰じゃなくて煩悩の輪廻が基礎って言ってるじゃない。
煩悩の生起しない状態、あるいは煩悩に捉われない状態は仏教の中核で、
それは修行によって確認できることなんだよ。
戒定慧の定慧。
235 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/30(火) 23:33:28 ID:le06wAxc
>>147の梶山の文章の最後の一文だけ妄信するのは、文脈を切断していてマトモな解釈じゃない。
曲解であり、誤りであり、その部分だけ「””」で括って、これでどうだとかいうこと自体がおかしい。
236神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 23:47:41 ID:Ba7TnkfQ
 幽霊がいるかも?とビクビクしてる奴には、柳も幽霊にみえる それだけのことだろ?
もっとも、寺和田みたいに輪廻転生論が否定されたら、教理が崩壊してしまう連中にとっては
死活問題で必死に抵抗するわなw こじ付けでもなんでも、形式教条主義にのっとってなんでもあり!
なんのためのアビダルマなんであーるか?

しかし、ブッダもその当時の六師外道を代表とする自由思想家たち(アンチ・バラモン主義)とおなじ息吹きを呼吸されていたわけで、
その四姓平等主義イデオロギーからは、アーリア支配の身分差別政治イデオロギーであった輪廻転生論など認めようがない。
むしろバラモン的梵我一如論・輪廻転生論のアンチ・テーゼが無常=無我=縁起=空だと言えるのだ。

もちろんバラモン→ヒンドゥが目障りな仏教崩壊のための謀略を駆使し、教義の潜入を図ったのはいうまでもない。
その教義の代表が梵我一如的思考であり、輪廻転生論なのだ。現代でもその影響は色濃く残っている。
ヒンドゥのなかでのブッダの哀れな位置付けをみれば解る。
結局ヒンドゥの仏教殲滅作戦は成功したのだ。

このスレの輪廻転生擁護論はそのお馬鹿な末裔どもというわけだ。








237神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 23:48:55 ID:mxIPbB6t
>>235
確かにw

奈良さんのスタンスにしても、
馬鹿正直に現代へシフトさせ換骨奪胎しているわけじゃない。
様々な文献、各種研究成果等を踏まえた上で、
「私は、今生きている一人の人間として仏教を(≒お釈迦さんの言葉を)受け止め、
咀嚼し、自分の生へと援用する」という立場をはっきり宣言している。

勿論、必要な場面(→伝統的解釈の提示や、資料に対する中立的評価、現時点での主流の解釈などが為される時)では、
自身の主観や解釈は控えられている。


これが引用の怖いとこだよね。
前後の文脈に重大な関連があったりするかもしれないw
238 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/30(火) 23:50:36 ID:le06wAxc
煩悩が輪廻していることは事実だし、
戒定慧の修行によってそこから離れるという、仏教学的な基礎から分かってないわけでしょ?
239神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 23:54:14 ID:eAStZsNK
>>238
>煩悩が輪廻していることは事実
何を証拠に?
240 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/30(火) 23:54:21 ID:le06wAxc
・煩悩が生起しているという「輪廻」
・輪廻転生論
・カルマ
の三つがゴチャゴチャになっているということかな?
241 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/30(火) 23:57:11 ID:le06wAxc
>>239
根拠というかその程度はの基礎知識は勉強してくださいよ。


テーラワーダ仏教の場合、輪廻の解釈について
http://www.j-theravada.net/qa/qahp22.html

チベット仏教
http://www.tibethouse.jp/event/2006/060520_houwa.html
242神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:03:03 ID:eAStZsNK
つまりあなたは輪廻という言葉をどういう意味で使っておられるの?
243神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:03:16 ID:o5kMXJlH
>>238-239
意味的には同じですが、本来、無明などの煩悩によって業をなし苦を受ける。
この煩悩>業>苦のループが絶え間なく続くことを輪廻と呼んでいると言われます。
煩悩>業>苦のループを細分化したものが十二縁起であるとも言われます。
244阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/10/31(水) 00:05:16 ID:0349w8lU
なるほど、オウムのシンパと残党の標本の採取ができるという事ね(嗤笑)。
245 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 00:09:01 ID:qz/VoGY4
>>242
それは>>227-228に書いてあるとおり、複合的に答えていますよ。
246 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 00:16:35 ID:qz/VoGY4
>>239
「煩悩って?」というレベルなら、「わたしはこう解釈していますが、あなたの意見とは違うようです、だから何が根拠ですか?」ということではなく、
それ以前の、「私は煩悩とは何かがわからないし、仏教さえよくわからない、素人です、だからあなたが言っていることが私に伝わりません」ということでしょ。
このような状況では、皆さんの意見が正しいのか、自分の意見が正しいのかさえも、まったくわからないわけですから、
>>147の梶山のような4行目の部分だけを「””」で括って、3行目までを完全に無視するような変なことをするわけですよ。
こんな訳のわからないことをする前に、あなたが基礎知識をもう少し身につけないと対話になりません。
247神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:18:41 ID:SuswW8kG
>>235
ここで全文を引用しろというのか?
 引用先をわざわざ開示してあるのだから、
 きっちり読んでから、寝言を言え。
248神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:19:46 ID:U7wll/a6
>>245
わざわざ輪廻なんて言葉を使わなくてもよさそうなもんだね
まあ、きっと頭の中ではお分かりなんだろうがね

>>246
人違いしてないかい?
249 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 00:20:34 ID:qz/VoGY4
いや前文を引用しなくても、
>>147梶山は3行目で「輪廻は事実です」とはっきりと述べていることさえ無視していることは全員に分かります。
250神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:24:47 ID:SuswW8kG
>>245
梶山雄一 浄土真宗教学研究所紀要第五号業問題特集、「業報論の超越」より
「業報・輪廻の理論は説一切有部を中心とする小乗アビダルマ仏教独自の思想であって、
釈迦牟尼自身の仏教や大乗仏教には決して見られないものである。」>>148

この論文を読んでから顔を洗って出直して来い。

251神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:29:16 ID:ex6Ntj1d
>>247
あなたは、不勉強なのではなくて、自分の先入観に添ってしか了解できないのです。
引用にしても、経典ではなく自説に合致した学説を説く方々だけをあげて、
輪廻を当然とする学説も無視しています。
経典を読めば、輪廻が前提となっていることは明らかでしょう。
252神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:30:37 ID:SuswW8kG
>>249
小学生以下の読解力だなw
 事実のように思えるだろうがるが、それは妄想だよ、という趣旨なのは当然だろう。
 なにをご都合主義的に意図的に曲解してんの?お話にならんわw
253 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 00:31:11 ID:qz/VoGY4
>>250
ですから、それを読まなくても、また全文を引用しなくても、
>>147梶山は3行目で「輪廻は事実です」とはっきりと述べていることを無視し、
文脈を切断し4行目だけカッコを括って曲解していることが大勢が確認できます。
254神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:33:46 ID:SuswW8kG
>>251
その経典が(ヒンドゥ的謀略)増広でないとう根拠があるのかね?
255神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:36:26 ID:ex6Ntj1d
>>250
『スッタニパータ』にも『象跡喩小経』『大四十経』でも輪廻が前提になっていることは指摘しました。
入中論も中論26章、モークシャーカラグプタ、ダルマキールティの輪廻論証も出しました。
釈尊の仏教も、大乗仏教も輪廻が前提です。それは全く成り立ちませんよ。
まあ、釈尊の仏教が、何かというのは難しいですが、『スッタニパータ』にも『象跡喩小経』『大四十経』
あたりが違うというなら、何が釈尊の仏教なのでしょうか?
256神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:37:01 ID:SuswW8kG
>>253
>>252>>236を読め
257神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:38:57 ID:ex6Ntj1d
>>254
現存している経典で、輪廻が前提とならないような古代・中世のインド仏典などありますか?
258神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:39:45 ID:U7wll/a6
そうかここは原始仏教スレだから釈迦が何を言ったかが問題であって内容は関係ないってことか
何かを事実と断定されておられるのを見て、勘違いした突込みを入れてしまったようだ
259 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 00:45:39 ID:qz/VoGY4
>>255
>>148には
輪廻思想と無我思想の調和は不可能(和辻哲郎)
http://fallibilism.web.fc2.com/070.html
なるホームページがありますが、無我思想で輪廻思想を説いているのが、
大乗仏教のナーガールジュナ『中論』であるというのが基礎知識なのですよ。

上座部でもそうです。以下のページの「仏教独自思想:」「生まれ変わる思想は形而上学的?」を読めば、
魂というものがなくても煩悩を原因として輪廻しているという解説がされています。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp22.html


輪廻思想と無我思想の調和は不可能であり、なぜなら仏教は魂を仮定していないのだから輪廻できない。
これは仏教を学習しておらず幼稚なのです。
仏教では魂を仮定せずになおかつ輪廻するわけです。
260神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:48:36 ID:SuswW8kG
>>257
>>149  並川考儀「ゴータマ・ブッダ考」(後からの勝手な潜入増広は証拠にならない)
   を読んで考えてください。

 とにかく、 ◆VEGAN.Izk2 の読解力に問題があるにせよ、梶山先生の>>148>>250を正確に!読むことだ。

 明日は早いから寝るぞ。 おやすみ
261神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:49:51 ID:ex6Ntj1d
>>236
のような説を立てる人は、経典を解体して一部だけが釈尊の仏教で、それ以外は後世の付加としますが、
それは妥当な説とは思えない。ただただ自分の常識に当て嵌めただけの勝手な解釈でしょう。
それに無常・無我・縁起・空と輪廻はなんら矛盾しませんよ。それははっきりしてます。
262神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 00:55:57 ID:ex6Ntj1d
並川考儀「ゴータマ・ブッダ考」は、まったくあてになりません。
初期仏教においては輪廻は否定的に捉えられていたとするのは、
通仏教、通インド的な見方で、初期に特別なものではないからです。
輪廻は厭離・解脱すべきものです。そんなことはあたりまえ。
その見方をもって初期仏教においては輪廻は否定的に捉えられていたとし、
釈尊の仏教では、輪廻は否定されていたとするのは、誤読も誤読、はなしになりません。
263 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 00:58:31 ID:qz/VoGY4
仏教では魂を仮定せずになおかつ輪廻するわけです。

無我思想で輪廻思想を説いているのが、
大乗仏教のナーガールジュナ『中論』であるというのが基礎知識なのですよ。

上座部でもそうです。以下のページの「仏教独自思想:」「生まれ変わる思想は形而上学的?」を読めば、
魂というものがなくても煩悩を原因として輪廻しているという解説がされています。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp22.html

一番古い経典であるスッタニパータにも慈悲経にも「慈悲を完成したものが再び子宮に戻らない」と書いてあると書いてありますし、
またスッタニパータに「あなたは再びこの地上に戻り来ることはない」ともあるわけです。
http://www.geocities.jp/erkendelse/Lecture/NHKlecture.html

ですから、>>148-149はカルト宗教?ってな解釈になるわけですね。
264神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 02:59:03 ID:K2u3Mk10
「輪廻」と「輪廻転生生れ変り」を同一視する。
お話になりません。
265神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 03:45:21 ID:cUHic9vN
>>250は仏教徒でなく梶山教徒
266神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 04:04:23 ID:cUHic9vN
お疲れ様です。
ID:SuswW8kGのお相手をするのはもう止めたら?
彼の文章は感情論的だし、仏典そのものを読まずに学者の論文ばかり読んでいる。
そういう人には何を言っても無駄でしょう。
267神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 12:31:11 ID:GGXvRjjs
私は「仏教は輪廻思想を前提とする」派です。
むしろ仏教が輪廻思想を広めたとさえ考えております。

ここで「輪廻は存在しない」派の方々に質問します。
「輪廻は存在しない。来世も過去世もない。故に死によって苦は断滅する。」
これをどう思います?これはいまや年間3万人の自殺者を出す、日本人の共通認識
だと思いますが・・・

257さんも述べられていますが、「輪廻の存在」または「輪廻という前提」を「明確に否定」した
経典・論書があったら紹介してください。出来ればインド撰述で。
268神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 12:50:49 ID:K2u3Mk10
>>267
その前提の意味は?
輪廻と輪廻転生の区別は付いている?

輪廻自体は誰も否定していない。

1・ 輪廻転生は絶対にある
2・ 輪廻転生は無い
3・ 1も2も確認できないのだから断定できない。1と2の両辺に執着することなく有りのままを見よう

と言う3つに分かれています。
269神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 12:52:05 ID:6rzvKeKI
お前ら下らなすぎ。
270神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 12:52:32 ID:GGXvRjjs
もし「輪廻すなわち三世の否定」が仏教の常識、仏説であるなら、輪廻という言葉すらとっくの昔に
経典からなくなっていたことでしょう。
それとも、この2500年間仏弟子はアホばっかりでブッタの真意を知るものは一人もおらず、
20世紀になってやっと和辻さんみたいな人が現れたというのでしょうか?

仏教は宗教であり文化です。近代科学に合致しない教義があって当然です。
私は「仏教を完璧な宗教あるいは哲学」などと、ぜんぜん思っておりません。
むしろ矛盾だらけで雑多ですが、それはそれで良いと思います。

「輪廻思想をカルトが悪用する」それは分かります。
しかし宗教の不合理性を意図的に排除することに何の意味があるのでしょう?
それは正しい宗教理解とはいえませんね
そもそも宗教から神話や不合理を除いたら、どこにでもある道徳倫理しか残りません。
べつに仏教など特定の宗教を学ぶ必要はありません。
共産主義者みたいに宗教を否定すれば済むことです。
271神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 12:57:24 ID:GGXvRjjs
>268
>輪廻と輪廻転生の区別は付いている?
それを区別したい気持ちは分かりますが
テキストでは明確に区別されていないと思いますが?
輪廻は「苦の連鎖」と「三世」の二つの意味を同時に持っていると
思いますが?

272神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 13:01:28 ID:K2u3Mk10
>>271
三世を生理学的な死に置いて説明し始めたのが有部の「三世実有法体恒有」です。
三世を現在・過去・未来と単純に置き換えて説明する場合が数多くありますよ。

また、死んで生まれたわけでもないのに「結生」と説明することもあります。
273神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 13:02:57 ID:GGXvRjjs
>1・ 輪廻転生は絶対にある
>2・ 輪廻転生は無い
>3・ 1も2も確認できないのだから断定できない。
>1と2の両辺に執着することなく有りのままを見よう

これは明らかに「アートマン」と「輪廻転生」を取り違えていますよね?
わざとですか?
仏教が「アートマンの存在を認めることなく、有情が輪廻すること」を
繰り返し論証しようとした事実はご存知ですよね?
274神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 13:10:38 ID:K2u3Mk10
>>273
> これは明らかに「アートマン」と「輪廻転生」を取り違えていますよね?
> わざとですか?
輪廻転生をリアルであるとし、その人間の連続としてとらえるのなら、アートマンであるという批判に対して説明すべきですね。
また輪廻転生が無く、それで終わりだというのなら、仏教の説く自業自得、業報思想に対して説明しないといけませんね。

> 仏教が「アートマンの存在を認めることなく、有情が輪廻すること」を
> 繰り返し論証しようとした事実はご存知ですよね?
仏教の枠を限定すべきでしょうね。そして輪廻という言葉の意味とそれが使われる範囲も。
275一休宗純:2007/10/31(水) 13:11:40 ID:SuswW8kG
釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
276 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 13:37:23 ID:qz/VoGY4
>>270
輪廻思想と無我思想の調和は不可能(和辻哲郎)
http://fallibilism.web.fc2.com/070.html
なるホームページがありますが、仏教では魂を仮定せずになおかつ輪廻するわけです。
仏教は魂を仮定していないのだから輪廻できないというこの珍説は仏典をマトモに読んでいないだけです。

無我思想で輪廻思想を説いているのが、
大乗仏教のナーガールジュナ『中論』であるというのが基礎知識なのですよ。

上座部でもそうです。以下のページの「仏教独自思想:」「生まれ変わる思想は形而上学的?」を読めば、
魂というものがなくても煩悩を原因として輪廻しているという解説がされています。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp22.html

一番古い経典であるスッタニパータにも慈悲経にも「慈悲を完成したものが再び子宮に戻らない」と書いてあると書いてありますし、
またスッタニパータに「あなたは再びこの地上に戻り来ることはない」ともあるわけです。
http://www.geocities.jp/erkendelse/Lecture/NHKlecture.html

ですから、>>148-149はカルト宗教?ってな解釈になるわけですね。
277神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 13:43:21 ID:GGXvRjjs
あっ、私は「ブッタ本人が輪廻転生を説いた」と主張しているのではありません。
「仏教思想はその最初期から輪廻を前提としていた」と主張しています。
南伝北伝のジャータカ、アヴァダーナ文献からも、悟る前のブッタも輪廻する存在だと
見られていたくらいですから、仏教が輪廻思想を容認していたのは動かしがたい事実です。
また「輪廻転生が非科学的かどうか」も関係ありません。



278神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 13:45:41 ID:K2u3Mk10
>>277
では前提とはどういう意味ですか?

ジャータカなどは御伽噺ですね。
猿蟹合戦を読んで、かにがお話しすると思い込んでいるのと同じ。
279 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 13:45:50 ID:qz/VoGY4
>>270
キミは以下に提示する程度の知識をざーっと読んでから、
仏教というのは信仰するというよりは、煩悩という心の問題を征服するための実学だったんすね、
くらい言えるようにならないと、マトモに話しにならないよ。

大乗 チベット仏教
http://www.tibethouse.jp/culture/karma1.html
http://www.tibethouse.jp/culture/37.html
http://www.tibethouse.jp/culture/shine.html

上座部 日本テーラワーダ仏教協会 公式サイト
http://www.j-theravada.net/

仏教 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
280神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 13:48:38 ID:K2u3Mk10
>>279
ここは原始仏教スレであって、仏教全般ではない。
大乗やチベット密教そのものからは原始仏教を見ることは出来ない。
テーラワーダ仏教協会の矛盾や間違いはこの歴代スレッドにも議論済み。
原始仏教ではなく部派仏教。
281神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 13:57:12 ID:GGXvRjjs
>輪廻転生をリアルであるとし、その人間の連続としてとらえるのなら、
>アートマンであるという批判に対して説明すべきですね。

あなたの言う「リアル」とはどういうレベルのはなしでしょうか?
近代科学、中観、唯識で意味は異なってまいりますが。
「その人間の連続」とは三世にわたる自己同一性のことでしょうか?
仏教では「業の相続」と解釈しています。もちろんアートマンではありません。

ところで、あなたの「輪廻」と「輪廻転生」の区別とはどのようなものでしょうか?
お手数ですが教えてください。
282神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:03:21 ID:K2u3Mk10
>>281
それは輪廻転生肯定派の言葉ですよ。
リアルに輪廻転生する。死んでまた生まれ変わるということです。

業相続が三世に渡って輪廻する?有部説ですね。
原始仏教に典拠がありますか?

輪廻とは業報輪廻、今日行ったわるいことは、明日かそれ以降に報いがある。
人間存在とはそのように業の積み重ねによって苦しむ性質のものである。

輪廻転生は業報を死後の生まれ変わりに求める。
283神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:04:04 ID:GGXvRjjs
>ジャータカなどは御伽噺ですね。
>猿蟹合戦を読んで、かにがお話しすると思い込んでいるのと同じ。
あなたのいう「リアル」のレベルが分かりました。
私は信仰レベルの話をしているのではないのですが、皆さんどうして信仰の
話をするんでしょうねw
おのおの後ろに宗教団体でもしょってるんでしょうか?

さて御伽噺でも宗教現象の一部ですから研究する価値はおおいにありますが?
もしかしてあなたは「仏教は科学」だと信じているのですか?
実学だと思っている人もいますがw
284神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:06:03 ID:K2u3Mk10
有部のその考え方にアートマンであるという批判が仏教内部からも集中しました。
無常無我ではなくなと。それで思いついたのが刹那滅です。刹那滅だから無常無我である。やった!!とね。

詳しくは桜部さんの『存在と分析』参照。
285神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:08:17 ID:K2u3Mk10
原始仏教には信仰は必要ないというスタンスがありますよ。
もともと、釈尊自体について、信仰を用いなかった。

過去仏の歩んだ道を私が行く、というのも信仰ではありません。
信仰など言うから眼が曇るのです。
286神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:12:04 ID:GGXvRjjs
>輪廻とは業報輪廻、今日行ったわるいことは、明日かそれ以降に報いがある。
>人間存在とはそのように業の積み重ねによって苦しむ性質のものである。
>輪廻転生は業報を死後の生まれ変わりに求める。

言葉足らずお許し下さい
ご教示有難うございます。
そうすると死の直前の行為の結果はいったい誰が引き受けるのでしょうか?

287 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 14:14:48 ID:qz/VoGY4
原始仏教、一番古い経典であるスッタニパータにある輪廻に関連する記述

「慈悲を完成したものが再び子宮に戻らない」
http://www.j-theravada.net/qa/qahp22.html

「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存をうけることはない」
「これは私の最後の生存であり、もはや再び生を享けることはないということを、この世で如実に知っている人々がいる」
http://www.geocities.jp/erkendelse/Lecture/NHKlecture.html

中村訳(>>143)
  「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することがでまるのか?』と、
  もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 
  『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。
  『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。
  このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
  二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、
  あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存にもどらないことである。」──

   師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。
  729 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。
  730 この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。
  しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。


解脱した聖者は「この世もかの世も望まない」 スッタニパータ 779  (>>147
288神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:15:45 ID:K2u3Mk10
>>286
経験したことが無いから解りません。
しかし、臨終時に全ての報いが出尽くすという考え方もあり、一概に否定できませんね。
交通事故や殺害による死であっても関係ない。要は臨終時のあり方に全ての結論がでつくすという考え方です。
釈尊が事実上の野垂れ死にであっても、安らかに逝ったというところから侮れない考えですね。
289神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:19:20 ID:GGXvRjjs
刹那滅も無我とあいまって自己同一性を脅かし、
倫理と抵触しかねません。
「私ではないところのものが、ある行為を為してもその責任は私にはない」という結果になります。
原始仏典では一人称が少なく三人称がおおいような気がします。
それでもアハンカーラは認めざるを得なかった。
もちろん、アハンカーラのよりどころは外道のようにアートマンではありませんが。

290神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:21:06 ID:K2u3Mk10
>>287
それに、リアルに輪廻転生があるという証拠はありますか?
業報の結果が六道の生存状態の苦しみであって、人間存在はその輪から抜け出すことが出来ない。
昨日のよいおこないは、今ひと時の喜びになって現れ、以前の生存状態とは違ったものであるという解釈もできますよ。

生き返った。生まれ変わった。という表現は現代日本語でも使いますからね。
291神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 14:29:17 ID:GGXvRjjs
>臨終時に全ての報いが出尽くす
苦の連続が死によって断滅するならそれはそれですばらしいこと。
でもあとに残されたものはたまったもんではない。
292 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 14:29:32 ID:qz/VoGY4
修行によって確認できるという仏教の側面も無視して完全なる信仰に過ぎないとするのは、それは誤謬じゃないでしょうか。

『象跡喩小経』修行13段階の纏め
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/kaijoue-06.htm

上座部
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html

初歩的な疑問はWikipediaを読めばいいと思いますね。

仏教 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
293神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 15:16:48 ID:K2u3Mk10
>>291

> でもあとに残されたものはたまったもんではない。

どういうことでしょうか?
294神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 19:14:45 ID:SuswW8kG
梶山雄一 浄土真宗教学研究所紀要第五号業問題特集、「業報論の超越」より

「業報・輪廻の理論は説一切有部を中心とする小乗アビダルマ仏教独自の思想であって、
釈迦牟尼自身の仏教や大乗仏教には決して見られないものである。」
295 ◆VEGAN.Izk2 :2007/10/31(水) 21:31:51 ID:qz/VoGY4
>>287>>276
を読めば分かるが、輪廻の概念は仏教全体にあるんだよ。
296神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 21:34:13 ID:K2u3Mk10
>>295
それは皆了解してると何回言えば・・・・・。
297神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 23:13:27 ID:ex6Ntj1d
>>264
   「輪廻」が「輪廻転生生れ変り」ではないなら、「輪廻」は方便ではないわけですね。
つまり、貴方の言う「輪廻」は>>222「いま、悪い行いをすれば、明日か近い将来、
その報いを得て苦しむでしょう。それを輪廻といい、悪循環になるのでやめましょう」ということですね。
そして以下『大四十経』や『象跡喩小経』の宿住随念智・死生智は「方便説」だと。

   布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
   此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
   証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。

百歩譲って『大四十経』の上の説は道諦・修行法が方便だと考えれば、広い意味では方便でしょう。
しかし、その場合、 >>222の意味の輪廻も方便に他ならないでしょう。
さらに、『象跡喩小経』でも殆ど最後の段階に説かれ、十八不共法の一部である宿住随念智・死生智を
方便ということはできないでしょう。

つまり、>>222の意味の輪廻などありえず、 「輪廻」は「輪廻転生生れ変り」にほかならないのです。
>>222の意味の輪廻を説く経典などあるのでしょうか? GGXvRjjs さんも仰るように、
貴方が >>264を主張するなら、テクストを示せばいいだけのことです。
298神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 23:13:47 ID:SuswW8kG
輪廻の『概念』⇒色・・世俗諦妄想→世俗方便

もういい加減に迷妄から、月を指す指のみに拘る形式教条主義から脱皮したら?

ブッダの真意を深く直感すべきだ。

まあ、勝手に輪廻戯論で迷っていてくださいw

⇒看よ、看よ 臘月尽く 

被差別部落民、京都ウトロなどの在日朝鮮人、光市母子強姦殺人事件被害者、
原爆被害者などなど・・の方々にも、正面きって輪廻業報相続を説けよ。
 あんたたちは、前世で悪行を積んだ報いだとね!
テーラワーダは当然そう説くんだろ? オウムが寄り付くはずさw

 2500年前のヒンドゥの亡霊が彷徨っているようだな。 
299神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 23:14:36 ID:ex6Ntj1d
>>266
ありがとうございます。そういたします。
300神も仏も名無しさん:2007/10/31(水) 23:33:52 ID:SuswW8kG
しかし、寺和田のこのスレ担当は何人かかりなの?

カルト・アーレフのやり方と同じだね、 お里が知れるよw
301神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 00:35:23 ID:qjB8fytN
>>282
>      業相続が三世に渡って輪廻する?有部説ですね。
>      原始仏教に典拠がありますか?

『雜阿含經』
T02n0099_p0092c18(00) 有業報而無作者。此陰滅已。
T02n0099_p0092c19(01) 異陰相續。

業報は有るけど、主体は無い。この五蘊が無くなって、別の五蘊が相続する。

『雜阿含經』は、有部の経典だというなら『ヴィスッディマッガ』PTS602に引用される次が同義。
Kammassa kaarako natthi vipaakassa ca vedako,  Suddhammaa pavattanti eveta.m sammadassana.m.
Eva.m kamma vipaake ca vattamaane sahetuke,  Biijarukkhaadikaana.m va pubbaa ko.ti na ~naayati.
Anaagatepi sa.msaare appavatta.m na dissati.  Etamatthamana~n~naaya titthiyaa asaya.mvasii.

『別譯雜阿含經』の以下にも
T02n0100_p0392b21(04) 佛即説偈言
T02n0100_p0392b22(00)  一切生皆死  壽命必歸終
T02n0100_p0392b23(00)  隨業受縁報  善惡各獲果
T02n0100_p0392b24(00)  修福上昇天  爲惡入地獄
T02n0100_p0392b25(00)  修道斷生死  永入於涅槃
T02n0100_p0392b26(00)  非空非海中  非入山石間
T02n0100_p0392b27(00)  無有地方所  脱之不受死
T02n0100_p0392b28(00)  諸佛與縁覺  菩薩及聲聞
T02n0100_p0392b29(00)  猶捨無常身  何況諸凡夫

ついでながら、スマナサーラさんは嫌いです。
302神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 01:46:46 ID:qjB8fytN
>>284
>      有部のその考え方にアートマンであるという批判が仏教内部からも集中しました。
>      無常無我ではなくなと。それで思いついたのが刹那滅です。刹那滅だから無常無我である。

「有部のその考え方」というのは「業相続が三世に渡って輪廻する?有部説」でしょうか、
それとも「三世実有法体恒有」でしょうか。貴方は、同じだと考えてるようですが、
「アートマンであるという批判が仏教内部からも集中し」たのは、「三世実有法体恒有」であって、
「業相続が三世に渡って輪廻する説」ではありません。こちらは>>301 に示したように原始仏教以来、
通仏教説です。

「三世実有法体恒有」つまり過去・現在・未来に常に実在する基体は、恒常なアートマンそのものだと、
非難された実にあたりまえの非難であって、「業相続が三世に渡って輪廻する説」は非難されてませんよ。
面白いのは『倶舎論』で「三世実有法体恒有」を世親さんが批判する時に、
>>301 で引いた『雜阿含經』 の直前の部分が引用されていることです。
T02n0099_p0092c15(03) 所謂第一義空經。諦聽。善思。
T02n0099_p0092c16(03) 當爲汝説。云何爲第一義空經。諸比丘。
T02n0099_p0092c17(04) 眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
T02n0099_p0092c18(00) 生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。
T02n0099_p0092c19(01) 異陰相續。

paramaartha-zuunyataayaam ukta.m bhagavataa cuk.sur utpadyamaana.m
na kutazcid aagacchati nirudhyamaana.m na kvacit sa.mnicaya.m gacchati /
                  シャーストリ本513
この後があるとよかったんですが。こちらに国訳がアップされてました。ほとんど『中論』ですね。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173836805/44
303神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 01:49:25 ID:qjB8fytN
>>291
一切皆苦を承認して、且つ本気で死ねば終わりと思うなら自殺すれば終わりですよ。
304神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 02:29:38 ID:PGZOfs8M
十二無記を読めば、
生まれ変わりを前提にした話などあるはずないと思う
何をながながやってんの?
305イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 03:47:24 ID:4DF1c7fu
>>303
それでは煩悩が断滅していないから終わりにならないじゃない。


- 輪廻  煩悩障の存続
- 輪廻転生 正しいかはわからないが、いつの仏教でも言及されている。 >>287>>276
ここまでは皆さんは同意し、

- 業報輪廻転生 これが梶山の珍説経典を引用し有部説にしかないと言っているわけですよね?
306イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 03:59:32 ID:4DF1c7fu
そして、それを有部説にしかなく、原始仏教や大乗仏教にはないものであるのに、
カルト宗教が利用しているという論法になっている。
しかし、>>301-302に例があるけれど、業報輪廻転生は、原始仏教や大乗仏教でも説くわけです。
307イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 04:27:27 ID:4DF1c7fu
『ダンマパタ』より
17
  悪いことをなす者は、この世で悔い悩み、来世でも悔い悩み、ふたつのところで悔い悩む。
  「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦難のところにおもむいてさらに悩む。

18はこの反対に善いことについて書いてある。
119
  まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。
  しかし、悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遭う。

120では同様に反対にこと。
126
  或る人々は胎に宿り、悪をなした者どもは地獄に堕ち、
  行いの良い人々は天におもむき、汚れの無い人々は全き安らぎに入る。

117-122あたりも。
308日示 ◆0oCL3p9QkA :2007/11/01(木) 04:58:53 ID:WsLYCMVB
仏の一生で見ると、
阿含経は若いころの教えで、仏教として完成していない。

仏教を語るとすると
法華経を抜かすと
仏教ではない。
309日示 ◆0oCL3p9QkA :2007/11/01(木) 05:05:05 ID:WsLYCMVB
輪廻があることは仏教を信じる人は信じる。
善因を積めば善果があるということも仏教を信じる人は信じる。

では、何をすることが最も善因となるのか?と思われる。

仏は、仏の教えの集大成の、法華経を保つことが善行になると言われる。

南無妙法蓮華経
310日示 ◆0oCL3p9QkA :2007/11/01(木) 05:11:17 ID:WsLYCMVB
仮に、若いころの阿含のほうが、老人のころの法華より
原始仏教であると言う意見があれば
より若いころの、赤子のころのブッダの説を探して論じるほうが
原点ということになる。
311神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 05:34:48 ID:HgLE4i4g
>>308-310
お莫迦様降臨
いまだにこの程度の認識しか持っていない人がいるとは、驚きです。
312神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 06:39:24 ID:PGZOfs8M
自分は空とは±ゼロのことだと思っている
楽が増えれば苦も増える
苦が増えれば楽が増える
この繰り返しが輪廻


自分で苦しみ、生じる楽を他人に与える
これが菩薩行であり、輪廻からの脱却する方法はこれ意外にない

313神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 06:58:15 ID:PGZOfs8M
バイオリズムで一番やばいのは、底辺の時ではなく、
プラスがマイナスに転じる時だと聞いたことがある
バイオリズムなんて信じないが、このことだけは当たっていると思う


本当の苦とは苦そのものではなく、
苦と楽が入れ替わる瞬間だと思う

314イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 07:21:05 ID:4DF1c7fu
0点 Wikipediaを読みましょう。

仏教 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
315神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 07:26:05 ID:PGZOfs8M
±0点で結構
それより、べが、菜食スレに戻ってこいw
316神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 08:40:09 ID:PGZOfs8M
ゼロに何を掛けてもゼロ
ゼロは割ることができなく、ゼロで割ることもできない
だが、ゼロに1を足せば1だし、ゼロから1を引けば-1だ

無限大をいくら割ってもそれは無限大だ
無限大にいくら足しても引いてもそれは無限大だ
だが、それにゼロを掛ければゼロになる


完全なる不変の数がある
無限ゼロ
またの名を涅槃という
317神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 09:17:10 ID:1GhV8rhP
 被差別部落民、京都ウトロなどの在日朝鮮人、光市母子強姦殺人事件被害者、
原爆被害者などなど・・の方々にも、正面きって輪廻業報相続を説けよ。
2500年前にシュードラ階級の連中がマインドコントロールされたようにな。 

 あんたたちは、前世で悪行を積んだ報いだとね!
テーラワーダは当然そう説くんだろ? オウムが寄り付くはずさw
カルマ落としとかいって信者をマインド・コントロールして
金をまきあげる、サリンをばら撒く。
カルトの温床そのものだなw
細木数子の先祖霊の霊感商法と本質は同じだ

 2500年前の侵略民族アーリア→バラモンの亡霊が彷徨っているようだな。
 


318神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 09:37:11 ID:1GhV8rhP
 だいたい、ブッダのサンガにいた出家連中のレベルもあやしいものだ。
ほとんどが落第点しか取れない連中だったようだ。
 たとえばブッダがこういうきわめて初歩的な試験をした。
 『比丘たちよ、なにがあるによりて、なにを執着するによりて、
  なにを貪ることによりて、我見は起こるのであろうか』

 そこにいた比丘全員がわからないから教えてくれといっている。
 答えは書かない、自分で考えてくれ。
 こんなのに答えられなかったら恥だぞ。

 こういう10を聞いて3ぐらいしか解っていない落第レベルの連中も「経典」を纏めている。
 誤解のまま、バラモン的偏見のままの連中もいただろう。
 ヒンドゥからの謀略もある。

 形式教条主義者は経典批判さえやらんのかね?
 
319神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 10:23:35 ID:1GhV8rhP
ブッダは嘆かれる。
『わが弟子の中には、あるものは涅槃に至ることを得、あるものは至ることを得ないが、
 それを、バラモンよ、私がどうするということができようか。

 バラモンよ、如来はただ道を教えるのである。』(中部経典 107、中阿含経 144)

輪廻転生論は、バラモン・ヒンドゥ的梵我一如×輪廻転生論の階級的体系言説であり、

『彼らのために甘露の門は開かれた 
 耳ある者は聞け、ふるき信を去れ・・』(相応部経典 6 1、増一阿含経 19)

の去るべき「ふるき信」がバラモン・ヒンドゥ的梵我一如×輪廻転生論であることはいうまでもない。

ブッダの根本的な教えとは異質であり、部派的アビダルマのレトリックは破産しているとしかいいようがない。
320神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 10:53:03 ID:68C2nd4W
さて、仏教では原始仏典からも輪廻転生が説かれ(私の言葉では前提)
ていることは明らかなのですが、ブッタを神と崇める一部の人々はそれを認めません。
これはもはやブッタが嫌悪した信仰のレベルです。
無論、ブッタを常識的な合理主義者に仕立てたい方々の認めたくない
気持ちは理解できます。
しかし学問であれば客観的でなければならないのではないでしょうか?

また、輪廻説をカースト制などの階級差別の根源と誤解されている方もいますw
開放同盟、人権活動家の方でしょうか、プルシャの神話をご存知でしょうか?
日本において業報輪廻説が差別を是認した事実はありますが、根源ではありません。
それに仏教教団自体、差別意識を持っていたのは律などを見れば明らかですが?
321神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 11:12:26 ID:68C2nd4W
何度も言いますが
輪廻転生説が科学的に真かどうかは文献学の範疇ではありません。
輪廻転生説が仏教で受容された事実を問題としています。
文献上に現れた事実を取捨選択し、判教するのは信仰上の話では
ないでしょうか?
ですからsraddhaを「ふるき信」と訳すなどは解釈の一つでは
ありますが、それを輪廻転生とするのは恣意的かと思います。
322神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 11:14:04 ID:1GhV8rhP
>>320
>>318の小学校1年生レベルの問いを解いてみろよ。
出所はわざと出さなかったが、すぐに回答できるだろ?
323神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 11:24:09 ID:68C2nd4W
仏教は断見と常見の二辺を離れると言います(もしかするとこれ自体が
間違った前提かもしれませんが)。
輪廻転生を認めない方はどうやって断見から離れるのでしょうか?
以前にも質問しましたが
死の直前の行為の果報は誰が受けるのでしょうか?
消えてしまうのでしょうか?
もし死によって消えてしまえば、「苦である死」によって「一切の苦が断滅する」という
矛盾が生じますが。原始仏教ではこれをどのように解決するのでしょうか?
324神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 11:30:45 ID:1GhV8rhP
>>320
>ブッタを神と崇める と >常識的な合理主義者 とは

 めちゃめちゃ矛盾してんだけど、解る?

>>321
>恣意的
 そう判断する根拠をだせよ。

 
325神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 11:33:56 ID:1GhV8rhP
>>323
無常=無我=縁起=空にて調っておりますが、なにか?
326神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 11:45:49 ID:1GhV8rhP
>>323
>>323>>324に答えろよ。
 そうでないと>>325が何なのか、なんてぜんぜん解かんねーだろ?
327神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 11:47:44 ID:1GhV8rhP
おっと、来客。
昼飯食ってくるから、寺和田のお仲間に聞いといてねw

じゃ、また。
328326:2007/11/01(木) 11:49:29 ID:1GhV8rhP
× >>323
〇 >>322
329326:2007/11/01(木) 13:31:29 ID:1GhV8rhP
なんだ?
ボタンを掛け間違えた寺和田は逃亡を決め込んだかw

『比丘たちよ、なにがあるによりて、なにを執着するによりて、
  なにを貪ることによりて、我見は起こるのであろうか』



330326:2007/11/01(木) 13:51:44 ID:1GhV8rhP
Vayadhamma sankhara, appamadena sampadetha
(Mahaparinibbana-sutta)
331神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 16:00:23 ID:MXBlZnpW
鏡をみてみな
332神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 16:33:05 ID:68C2nd4W
handadani bhikkhave amantayami vo appamadena sampadetha vayadhamma sankhara
ayam Tathagatassa pacchima vaca (S.N. I.VI. 2.5)

きっとパーリでもコピーすれば偉くなった気がするんでしょうね。
無明とはげにも恐ろしき哉・・・
よく一般向けの仏教書には無我=縁起=空とありますが
あまつさえ無常まで=でつなげるとは・・・何をか謂わんや
一切のdharmaとsamskaraを一緒にしたら困るでしょうに。
担板漢はこれだから困る。空と叫んでもあくまで知識でしかありません。
それともabhisamaya出来たというのか?
所詮その程度、怖くて鏡が見れないのでしょう

無常迅速です。
閑人の心情の吐露を聞いてるのではないので悪しからず。
333ゆぅ:2007/11/01(木) 16:33:21 ID:gEgoDSIc

334326:2007/11/01(木) 18:27:59 ID:1GhV8rhP
>>332
唯識哲学さんでさえこーゆー説明をしておられるんですがねえ
http://www.plinst.jp/musouan/yuishiki06.html
その他、いっぱいw

それより簡単な>>326に答えてくださいよ。

もっといえば、あなたは経典にでているからと言う理由で
生天思想(神、悪魔、天国、地獄など)も根本仏説だと主張するわけ?
寺和田式形式教条主義の立場からどーですか?
335神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 19:36:03 ID:U006oDKZ
輪廻転生肯定派には論理的一貫性が見出せません。
原始仏教を語っているのに有部説を根拠としたり、テーラワーダ仏教協会のカルト説をそのまま原始仏教として取り扱う。
経典そのものを読み解く能力がないのに、根拠は誤読のアーガマだけ。
336イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 20:55:14 ID:4DF1c7fu
『スッタニパータ』や『ダンマパタ』は、
最古の仏典で原始仏教に属するという基本事実も知らないのか?
梶山カルト珍説だけを経典としておかしなことを連呼する。
『スッタニパータ』や『ダンマパタ』が原始仏教ではないなら、
一体、何が原始仏教なんですか?
カルト梶山狂信者にとって『スッタニパータ』や『ダンマパタ』が説一切有部あるいは、
アーガマは説一切有部しか読まないとかいう珍説を主張しているのかい?

「前世で悪行を積んだ報いだ! 」などという「害意」は「煩悩」なので、
そんなことは自戒される。仏教は差別どころか、究極的には自他の区別さえ認めない。
カルト梶山狂信者は、こんなカルトとの区別も分からない。

輪廻転生を認めない、転生しないと主張するカルト梶山狂信者は、死んだ後の意識状態に確信を持っているという悲惨な状況だ。

反対に、原始仏教経典における説明では、
修行のある段階で「宿住随念智=自分の過去世の生涯を知る智慧」が芽生え、
過去生が確認されるわけだ。
 http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/kaijoue-06.htm
大乗仏教のダルマキールティの『プラマーナ・ヴァールティカ』 経典で、転生に関する論議が行われている。
 http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/2707/1/03878929_56_10.pdf

「輪廻転生論」(>>287>>276)、「業報輪廻」(>>301-302>>307)、
両方、原始仏教でも、大乗仏教でも説くわけだ。
バラモン教から仏教における展開のなかで否定されたのはアートマン説だけだ。
このスレッドでなされた文献的な議論で根拠がでている。

それらは修行によって達する確認に基づくわけだよ、仏教は完全なる信仰ではない。(>>292)
ブッタを神と崇めるのではなく、顕微鏡を覗き原子が見えるというように、
禅定をすることで思考が断滅するなどという事実を言っているわけで、
その事実の指針をブッダダルマ(仏法)として「実践」するわけで、完全なる信仰ではない。
カルト梶山狂信者は、へんな哲学書だけを読み、仏典を読まずおかしなことばかり述べる。
337イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 21:00:40 ID:4DF1c7fu
カルト梶山狂信者は、神、天国、悪魔、地獄などキリスト教的意味の否定を仏教にぶつける、わけだ。
338イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 21:16:33 ID:4DF1c7fu
そして、テーラワーダだ、オウムだと騒ぎ立てる悲惨な統合失調症の症状がでている。
339神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 21:18:28 ID:U006oDKZ
>>338
頭を冷やして、カルト脳を鎮めなさい。
340326:2007/11/01(木) 21:20:00 ID:1GhV8rhP
>>336>>337

おお!選手交代かwww

いよいよ、オウムの生みの親寺和田がカルト性をむき出しにしてきたな。

梶山雄一先生がカルトの親玉などとは恐れ入るw
生きておられたら、先生もびっくりされるだろう。

生天思想も輪廻転生論と同じく、経典のなかに待機説法としてとかれていますがねえw
341326:2007/11/01(木) 21:22:49 ID:1GhV8rhP
寺和田が追い詰められているのが解るが、ひどいねえw

ところで、輪廻転生論って形而上的言説=戯論だよね、クッ、クッ・・w
342イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 21:26:26 ID:4DF1c7fu
カルト梶山狂信者は、
「犯罪者=カルト=輪廻転生をといて人を脅す=金品を巻き上げる 」という構造を
叩き潰すために梶山経典を妄信して、
原始仏典である『スッタニパータ』や『ダンマパタ』を出せば、
そして、テーラワーダだ、オウムだと騒ぎ立てる悲惨な統合失調症の症状がでている。
輪廻転生否定論も同様に形而上的言説=戯論なのに、「輪廻転生論って形而上的言説=戯論だよね、クッ、クッ・・w」とのたまう悲惨な知能だ。
343イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 21:29:23 ID:4DF1c7fu
このスレッドは『スッタニパータ』や『ダンマパタ』などの経典を中心とする
原始仏教であって、テーラワーダではない。
神だのの単語の意味はキリスト教化なんかからひっぱてきて、そんなのは違うと仏教にぶつける。
悲惨な知能だ。
344イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 21:35:44 ID:4DF1c7fu
『スッタニパータ』や『ダンマパタ』を出せば、
グル梶山が「業報輪廻を唯一説いているのは説一切有部」という珍説を妄信、曲解して、
『スッタニパータ』や『ダンマパタ』は説一切有部とでも言うわけか?
お前、それなら、テーラワーダじゃないだろ。
しかもお前は脳内で、原始仏教、説一切有部、テーラワーダ、オウムが全部が一緒くただ。
しかし、全部が業報輪廻説を持っているというのが正しいと、すでにこのスレッドでいくつも根拠が出ている。

グル梶山が「業報輪廻を唯一説いているのは説一切有部」という珍説を妄信し、
しかもお前は脳内で、原始仏教、説一切有部、テーラワーダ、オウムが全部が一緒くただ。
全部、説一切有部か?悲惨な知能だ。
345神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 21:51:01 ID:U006oDKZ
>>344
> 『スッタニパータ』や『ダンマパタ』

では、その中に生理学的な死を越える輪廻転生説が説かれていることを証明してくれ。
346イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 21:56:58 ID:4DF1c7fu
>>345
ログ読め
347神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 21:58:42 ID:U006oDKZ
>>346
ログを読んでも有効な発言が無いばかりか、質問にも答えられていない。
もう一度チャンスをやるから、筋道を立てて説明すべき。
348イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 22:04:52 ID:4DF1c7fu
>>307などが何の筋道がないのかを先に説明すべきだ。
349神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:25:09 ID:qjB8fytN
イズコさん、テクストも反証もできない感情論の相手をする必要はありませんよ。輪廻否定論は大体、こんなとこでしょう。

1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
 反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
    死後、輪廻しないというのは、断見である。

2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
 反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
    必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。

3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
 反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
    タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
    つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。

4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
 反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
    それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。

5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
 反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
    原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
    それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。

6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:このスレ住人など。
 反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
    始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。

輪廻否定派は、テクストに根拠をもてず、提出した理論も以上のように全て反証されました。他に根拠はありますか?

350神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:26:34 ID:U006oDKZ
>>348
それが何か?
死を基点とした輪廻転生を説いていませんが?
351神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:28:28 ID:U006oDKZ
>>349
それだけの大学者に対して批判するには何の論点も貴方には存在していないように見受けられます。
352神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:40:56 ID:G1SxjNsx
本スレで、原始仏教において”輪廻転生”が事実として説かれていると主張する人の主張について
とっても疑問なことがあるんですが、例えば >>203
>それは解釈も無常ですから、多少の揺れはあるでしょうが、輪廻が前提となるのは、
>ウパニシャッドから、江戸時代の日本仏教までかわりませんよ。
とのこと。仏教とウパニシャドが同じ主張をしたとでも?

それとね、輪廻転生という語句は部派所伝の経論に見られる言葉ですか?私の調査結果では
パーリの五部、漢訳四阿含には見られない言葉です。
353神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:41:37 ID:qjB8fytN
>>349-350
つらいですね。確かにこの二つは、現世の刹那滅的縁起と無理に解釈することもできますね。

    http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173836805/44
    paramaartha-zuunyataayaam ukta.m bhagavataa cuk.sur utpadyamaana.m
    na kutazcid aagacchati nirudhyamaana.m na kvacit sa.mnicaya.m gacchati /
                      シャーストリ本513

ですが、ほとんど同義である以下の『ヴィスッディマッガ』PTS602や、
Kammassa kaarako natthi vipaakassa ca vedako,  Suddhammaa pavattanti eveta.m sammadassana.m.
Eva.m kamma vipaake ca vattamaane sahetuke,  Biijarukkhaadikaana.m va pubbaa ko.ti na ~naayati.
Anaagatepi sa.msaare appavatta.m na dissati.  Etamatthamana~n~naaya titthiyaa asaya.mvasii.

『別譯雜阿含經』の以下は、明らかに「死を基点とした輪廻転生」でしょう。
T02n0100_p0392b21(04) 佛即説偈言
T02n0100_p0392b22(00)  一切生皆死  壽命必歸終
T02n0100_p0392b23(00)  隨業受縁報  善惡各獲果
T02n0100_p0392b24(00)  修福上昇天  爲惡入地獄
T02n0100_p0392b25(00)  修道斷生死  永入於涅槃
T02n0100_p0392b26(00)  非空非海中  非入山石間
T02n0100_p0392b27(00)  無有地方所  脱之不受死
T02n0100_p0392b28(00)  諸佛與縁覺  菩薩及聲聞
T02n0100_p0392b29(00)  猶捨無常身  何況諸凡夫

この二つが「死を基点とした輪廻転生」でないというなら、あなたの読みを提示する必要がありますね。
354神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:44:00 ID:U006oDKZ
>>353
訳をつけましょう。
355神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:47:55 ID:U006oDKZ
>>353
文献を吟味しましょう。

『スッタニパータ』や『ダンマパタ』
でお願いします。
356神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:57:38 ID:U006oDKZ
357神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:58:06 ID:qjB8fytN
>>352
輪廻と輪廻からの解脱が目的であることに関しては、ウパニシャットから明治以前の日本仏教まで同じという意味です。

「輪廻転生」という言葉は、私たちが使っているのではなく多分、U006oDKZ さんと同じであろう
a+ldPMaA, K2u3Mk10 さんが使ったので私たちは否定するために使っているだけです。

聞くならU006oDKZ さんにどうぞ。

私見では「輪廻転生」という言葉は、輪廻という言葉がテクストに存在することは否定できないので、
輪廻の意味を現世に限定し、勝手に「輪廻転生」という言葉を造語して、
自説に合うように読み替えてるだけだと思います。
358神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:58:11 ID:G1SxjNsx
輪廻転生肯定派の人の立場は、
阿含に輪廻転生を前提とした記述が見られるから、釈尊は輪廻転生を「事実である」との前提で説いていた
というもののようですが、問題は「事実である」との前提で説いていたかどうか、ではないでしょうか。

上で引用されていた梶山先生の文でもそうですが、輪廻は妄想としてある、しかし真実の立場からすればない、
というものでしたね。

世界の構造の説明としての須弥山説は事実ではありません。しかし、須弥山説は阿含以来、延々と経論に説かれ
つづけています。これと同じようなことだと思いますが。
輪廻転生が事実であると主張するような経句が阿含にありますか?輪廻を述べていても、生まれ変わりについて
言及していても、価値的にはそれを否定するのが阿含以来の教説であろうかと思います。
359イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 23:03:55 ID:4DF1c7fu
そんなことより、否定派こそ経典による根拠が一切出てないじゃない。
カルト梶山説のみだ。
360神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:04:50 ID:qjB8fytN
>>356
ギリシャというのは言うまでもなく『ミリンダパンハー』ですが。
そのなかでミリンダ王は輪廻に対して疑義を呈していたと記憶しますが。
それに対してナーガセーナが答えて納得させていたと思います。
問題となるのは、輪廻がどの国の起源かではなく、
輪廻説を盲信しているインド人のために釈尊が方便で説いたとするなら、
輪廻を信じない外国人に方便で説く必要などないということです。

それなのに輪廻を外国人に説く必要があるということは、
仏教にとって必要な説であるからということです。
361イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 23:06:55 ID:4DF1c7fu
いや、違うよ。
だからさ、
・バラモンから仏教に展開したときに否定されたのはアートマンだけ、輪廻や輪廻転生は否定されていない。
・輪廻は存在し、輪廻が終わるのが悟り。
カルト梶山経典をちょっと脇においておいて、仏教そのものをもう少しかじってくれよw
362神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:13:08 ID:qjB8fytN
>>354
私は、いままでさんざん典拠を示し訳もつけてきました。
反論するなら、あなたがしてください。
その二つが「死を基点とした輪廻転生」でないという訳を提示できないなら、
もうあなたは負けを認めなければなりません。
363神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:13:25 ID:U006oDKZ
>>301
> 『雜阿含經』
> T02n0099_p0092c18(00) 有業報而無作者。此陰滅已。
> T02n0099_p0092c19(01) 異陰相續。

その引用の仕方には恣意的なものを感じますね。全部引用しましょう。
すると、あらららら。生まれ変り死に変わりではなく、認識論のお話ですね。縁起説も入った。
刹那滅を前提とした。

0099_,02,0092c12(10):<com>(三三五)</com>如是我聞。
0099_,02,0092c13(07):一時佛住拘留搜調牛聚落。爾時世尊告諸比丘。
0099_,02,0092c14(03):我今當爲汝等説法。初中後善。善義善味。純一滿淨。
0099_,02,0092c15(03):梵行清白。所謂第一義空經。諦聽善思。
0099_,02,0092c16(04):當爲汝説。云何爲第一義空經。諸比丘。
0099_,02,0092c17(00):眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
0099_,02,0092c18(01):生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。
0099_,02,0092c19(03):異陰相續。除俗數法。耳鼻舌身意。
0099_,02,0092c20(01):亦如是説。除俗數法。俗數法者。謂此有故彼有。
0099_,02,0092c21(04):此起故彼起。如無明縁行。行縁識。
0099_,02,0092c22(04):廣説乃至純大苦聚集起。又復此無故彼無。
0099_,02,0092c23(00):此滅故彼滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣説。
0099_,02,0092c24(07):乃至純大苦聚滅。比丘。
0099_,02,0092c25(03):是名第一義空法經。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。
0099_,02,0092c26(00):歡喜奉行
364神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:15:40 ID:U006oDKZ
>>360
みりんだぱんほーですか?はぁ。

お話になりませんね。ギリシア思想を見るのなら、ギリシアを見ましょう。
365神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:21:00 ID:qjB8fytN
>>363
それは、既に全体の国訳を提示してますよ。
    http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173836805/44

そして、その箇所はたしかに無理に読めば貴方の言うように読めますので、
反論するなら以下二つでお願いしますと言っているんですが。

『ヴィスッディマッガ』PTS602、
Kammassa kaarako natthi vipaakassa ca vedako,  Suddhammaa pavattanti eveta.m sammadassana.m.
Eva.m kamma vipaake ca vattamaane sahetuke,  Biijarukkhaadikaana.m va pubbaa ko.ti na ~naayati.
Anaagatepi sa.msaare appavatta.m na dissati.  Etamatthamana~n~naaya titthiyaa asaya.mvasii.

『別譯雜阿含經』
T02n0100_p0392b21(04) 佛即説偈言
T02n0100_p0392b22(00)  一切生皆死  壽命必歸終
T02n0100_p0392b23(00)  隨業受縁報  善惡各獲果
T02n0100_p0392b24(00)  修福上昇天  爲惡入地獄
T02n0100_p0392b25(00)  修道斷生死  永入於涅槃
T02n0100_p0392b26(00)  非空非海中  非入山石間
T02n0100_p0392b27(00)  無有地方所  脱之不受死
T02n0100_p0392b28(00)  諸佛與縁覺  菩薩及聲聞
T02n0100_p0392b29(00)  猶捨無常身  何況諸凡夫

366神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:23:38 ID:qjB8fytN
>>364
まあ、ギリシャというのは私の言い方に問題があったのかもしれませんが、
あの問題で、ギリシャ思想が問題になってないのは明らかだと思いますが。
367イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 23:23:53 ID:4DF1c7fu
>>360
禅定などにおいて煩悩が存続しているという事実を観察し、
これが輪廻の根拠であると解釈するわけですよ。
それは方便ではないですよね。


最古の経典の部類は『スッタニパータ』や『ダンマパタ』であり、
そのあたりやアーガマも含めて指して原始仏教研究といっているわけ。
そして、それは説一切有部ともテーラワーダとも違う。
さらに説一切有部とテーラワーダも一緒のものではない。
同じく最古の部類の経典である『ジャータカ』経典は釈尊の過去生のエピソードが書いてある。
大乗仏教は時期としては後期の仏教であり、
しかし、チベットの大乗仏教では転生を非常に肯定しているのは事実ですよ。
・活仏の転生、当局の許可制に
http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070803_reincarnation.html


だから、仏教そのものをまったく勉強せず、梶山経典だけを信奉するカルト梶山狂信者と呼ばねばならない。
368神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:26:25 ID:U006oDKZ
>>365
> そして、その箇所はたしかに無理に読めば貴方の言うように読めますので、
無理に読まずとも、素直に読めばそうなりますよ。

> 『ヴィスッディマッガ』PTS602、
『清浄道論』?へ?

> 『別譯雜阿含經』
> T02n0100_p0392b21(04) 佛即説偈言
> T02n0100_p0392b22(00)  一切生皆死  壽命必歸終
> T02n0100_p0392b23(00)  隨業受縁報  善惡各獲果
> T02n0100_p0392b24(00)  修福上昇天  爲惡入地獄
> T02n0100_p0392b25(00)  修道斷生死  永入於涅槃
> T02n0100_p0392b26(00)  非空非海中  非入山石間
> T02n0100_p0392b27(00)  無有地方所  脱之不受死
> T02n0100_p0392b28(00)  諸佛與縁覺  菩薩及聲聞
> T02n0100_p0392b29(00)  猶捨無常身  何況諸凡夫

どこに輪廻転生がありますか?
369神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:26:36 ID:G1SxjNsx
>>367
指がすべりましたな。
>同じく最古の部類の経典である『ジャータカ』経典
最古の部類というのはウソだろ?
370神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:30:21 ID:qjB8fytN
>>368
訳してください。できないなら、終わりですね。
371神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:33:34 ID:U006oDKZ
>>367
> 禅定などにおいて煩悩が存続しているという事実を観察し、
> これが輪廻の根拠であると解釈するわけですよ。
> それは方便ではないですよね。
典拠は?部派のものじゃ駄目ですよ。

> 同じく最古の部類の経典である『ジャータカ』経典は釈尊の過去生のエピソードが書いてある。
子供向けのお話ですが?ヒトーパデーシャなどとのパラレル、親和性、関係性の研究もあります。
それはオリエンタルを越えてヨーロッパとも関係がありますね。子供向けのものとして。

> 大乗仏教は時期としては後期の仏教であり、
大雑把ですね。最初期の原始仏典は別として、逆に大乗から影響された阿含部経典もありますよ。
唯識での教証のほとんどは阿含経典ですよ。

> しかし、チベットの大乗仏教では転生を非常に肯定しているのは事実ですよ。
密教のお話をしているわけではありません。

> だから、仏教そのものをまったく勉強せず、梶山経典だけを信奉するカルト梶山狂信者と呼ばねばならない。
そう思いたいのですか?
372神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:34:39 ID:U006oDKZ
>>370
ん?あんたが国訳一切経を示したじゃん。
373326:2007/11/01(木) 23:43:05 ID:1GhV8rhP
>>349
寺和田生き残りに必死だなw 

 根本教説としての輪廻肯定論が敗れたら、アビダルマ部派として崩壊するもんな。
それにしても、寺和田はよっぽど人材不足なんだw レベル低杉君、ガンバレーw

輪廻転生論も生天思想も在家向けに方便=説話として説かれた教説であり、

それ自体としては形而上的言説であって、十四無記の趣旨からみても、経験的に確認で

きない形而上的言説=戯論は、根本的な教えとしては否定も肯定もしない→相手にしな

い(無視)ということだよ。

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism33.html

輪廻否定派だってさw  なんにも解ってないじゃん。


374神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:44:00 ID:qjB8fytN
>>372
難度も言うように訳は、これらの二つのですよ。できなければ、以後、捨置いたします。

『ヴィスッディマッガ』PTS602、
Kammassa kaarako natthi vipaakassa ca vedako,  Suddhammaa pavattanti eveta.m sammadassana.m.
Eva.m kamma vipaake ca vattamaane sahetuke,  Biijarukkhaadikaana.m va pubbaa ko.ti na ~naayati.
Anaagatepi sa.msaare appavatta.m na dissati.  Etamatthamana~n~naaya titthiyaa asaya.mvasii.

『別譯雜阿含經』
T02n0100_p0392b21(04) 佛即説偈言
T02n0100_p0392b22(00)  一切生皆死  壽命必歸終
T02n0100_p0392b23(00)  隨業受縁報  善惡各獲果
T02n0100_p0392b24(00)  修福上昇天  爲惡入地獄
T02n0100_p0392b25(00)  修道斷生死  永入於涅槃
T02n0100_p0392b26(00)  非空非海中  非入山石間
T02n0100_p0392b27(00)  無有地方所  脱之不受死
T02n0100_p0392b28(00)  諸佛與縁覺  菩薩及聲聞
T02n0100_p0392b29(00)  猶捨無常身  何況諸凡夫
375神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 23:50:35 ID:U006oDKZ
>>374
あの、、、それを出してきたのはあんたの方でしょ?
訳を提示する責任所在はあんたにあると思いますよ。

それと、清浄道論をだしてくる理由を述べてください。

訳が出来なければ、貴方は子のスレに置いて何ら言及する資格が無いとみなされますよ。
376イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/01(木) 23:50:50 ID:4DF1c7fu
阿含の大部分はアショーカ王以前、
つまりブッダの入滅から200年くらいの経典で、
オリジナルに近い。
中でも『スッタニパータ』や『ダンマパタ』、『サンユッタ・ニカーヤ(雑阿含経)』が古い。
これらを原始仏教研究というが、
もっと後期に起こった説一切有部でもテーラワーダ仏教でもない。
カルト梶山狂信者はすべて混同している。

さらに、バラモン教からの展開では、アートマン否定やカースト制度の撤廃を訴えている。
転生や輪廻転生はあらゆる『スッタニパータ』や阿含経や、仏教後期の大乗仏教でも説かれている。

チベットの大乗仏教では転生の問題は非常に政治問題になってきて困っている。
・活仏の転生、当局の許可制に
http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070803_reincarnation.html

反対に、原始仏教経典における説明では、
修行のある段階で「宿住随念智=自分の過去世の生涯を知る智慧」が芽生え、
過去生が確認されるわけだ。
 http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/kaijoue-06.htm
大乗仏教のダルマキールティの『プラマーナ・ヴァールティカ』 経典で、転生に関する論議が行われている。
 http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/2707/1/03878929_56_10.pdf

「輪廻転生論」(>>287>>276)、「業報輪廻」(>>301-302>>307) と、これほどに根拠がでている。
日本大乗仏教において最大勢力である浄土経典の宗派では西方極楽浄土に転生することを信奉している。

だから、仏教そのものをまったく勉強せず、「業報輪廻転生は説一切部説にだけある」と書いてある珍説梶山経典
だけを妄信し、まったく経典を無視したカルト梶山狂信者と呼ばねばならない。
まったく仏教を勉強せずに、それだけをカルト妄信して、根拠は?根拠は?と延べ、自らの根拠は珍説梶山経典だけである。
377神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 00:01:22 ID:lv4LCeXN
当然のことながら輪廻前提派の圧勝で終了ですね。
378イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 00:02:32 ID:Ec+TQItf
カルト梶山狂信者は、「輪廻が存在し、悟りによって輪廻が終わる」という仏教教義を曲解し、
「仏教には説一切有部にしか輪廻という概念そのものが無い」と発狂してしまった。

そもそも、大乗仏教における菩薩は、輪廻をやめてしまわないように請願することが、
小乗仏教との差異という基本事実さえ知らないから、こんなカルト梶山説を妄信することになるのだ。

だから、仏教そのものをまったく勉強せず、「業報輪廻転生は説一切部説にだけある」と書いてある珍説梶山経典
だけを妄信し、まったく経典を無視したカルト梶山狂信者と呼ばねばならない。
まったく仏教を勉強せずに、それだけをいくら根拠を出してもカルト梶山妄信して、根拠は?根拠は?と延べるが、
 自 ら の 根 拠 は 珍 説 梶 山 経 典 だ け である。
こんなのに、いちいちつきあってられない。

何か脳の重要な機能を損傷している、カルト・コントロールによってやられてしまった言わねばならない。
大乗系のチベット仏教徒、小乗系のテーラーワーダ仏教と本当の小乗仏教の説一切有部がごっちゃごっちゃになるという、
カルト・コントロールされているようだ。
379神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 00:15:30 ID:y2ZHn5Ze
諸法無我
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E6%B3%95%E7%84%A1%E6%88%91

諸法無我の我と、梵我一如の我を、ともにアートマンと思うから誤解が生ずるのじゃないかな。

きっと、諸法無我の我とは、縁起によって生じた仮の我、実体のない我、と解釈すれば、輪廻転生説と矛盾が生じない。

他の賢者の意見や如何に。
380326:2007/11/02(金) 00:31:44 ID:1qc9Q+K4
寺和田生き残りに必死だなw 

 根本教説としての輪廻肯定論が敗れたら、アビダルマ部派として崩壊するもんな。
それにしても、寺和田はよっぽど人材不足なんだw レベル低杉君、ガンバレーw
381326:2007/11/02(金) 00:50:03 ID:1qc9Q+K4
>>379
輪廻転生論も生天思想も在家向けに方便=説話として説かれた教説であり、

それ自体としては形而上的言説であって、十四無記の趣旨からみても、経験的に確認で

きない形而上的言説=戯論は、根本的な教えとしては否定も肯定もしない→相手にしな

い(無視)ということだよ。

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism33.html

輪廻否定派だってさw  なんにも解ってないじゃん。
積極的肯定論は戯論であって批判はするが、同じく否定論も同じこと。

アートマンというのは経験的に確認のできない形而上的概念であって、
十四無記の趣旨からしても論及しない、ということだよ。

無常=無我=縁起=空の真実でブッダの本懐である実存苦からの解脱が出来るわけで、
戯論である輪廻肯定論など根本教説に入らない余計な異質物さ。
チラシの裏にでも書いて棄ててもなんてことはないものさ。
382326:2007/11/02(金) 00:52:28 ID:1qc9Q+K4
もちろん寺和田はそのチラシの裏がなくなると崩壊するから必死なのさw
383326:2007/11/02(金) 01:01:43 ID:1qc9Q+K4
念のために敷衍すると一切法無我=形而下の経験的に確認できるところでは、
アートマンはどこにも認められないということ(無我)。
384326:2007/11/02(金) 01:11:26 ID:1qc9Q+K4
スマナサーラ爺さんを出せよ。

オウムの残党は元気か?
385神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 01:15:23 ID:JLihNC6D
>>383
し、質問

では唯識の言う阿頼耶識とかも戯論ですか?
386イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 01:16:50 ID:Ec+TQItf
「ただ識のみがある」というのは、無常に反する。
387326:2007/11/02(金) 01:20:33 ID:1qc9Q+K4
>>363
第一義空經はきわめて大切だから参考のために訳を記しておく。
それこそ、よく読んで徹底考究して欲しい。

是の如く我れ聞きぬ。
一時、佛、拘留搜の調牛聚落に住まりたまへり。
爾の時世尊、諸の比丘に告げたまはく、
「我れ今汝等が爲に法を説くべし。初・中・後・善く、善義善味、純一滿淨にして梵行清白なり。
 所謂第一義空經なり。
 諦に聽き善く思へ。當に汝が爲に説くべし。云何が第一義空經と爲す。

 諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
 是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。
 業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。
 俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も亦是の如く説き俗數法をば除く。
 俗數法とは謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。
 無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く、
 又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す。
 無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す。
 是の如く廣説し乃至純大苦聚滅す。比丘、是を第一義空法經と名づく」と。

 佛此の經を説き已りたまひしに諸の比丘、佛の説かせたまふ所を聞きて、
 歡喜し奉行しき。
388神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 01:23:20 ID:JLihNC6D
有相唯識と無相唯識の違いは?
389神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 01:24:57 ID:JLihNC6D
>>387
どうも、どうも

読んでみます
390神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 01:35:56 ID:1CLXVy3i
>>387
アビダルマを勉強すれば、これは認識論だとするわかるよ。
391すまなさーら:2007/11/02(金) 01:39:55 ID:m1iGve1e
呼んだか、小僧!
392イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 01:41:49 ID:Ec+TQItf
やつは、仏教はバラモン教に対してカースト制度に反対する大きな勢力であったことを学ばず、
>>210で輪廻思想は「カースト制度を合理化するための巧妙なイデオロギーだ」と狂言する。

『スッタニパータ』や『ダンマパタ』、『サンユッタ・ニカーヤ(雑阿含経)』なら、
原始仏教だということもよくわかっていないらしい。

やつは、「犯罪者=カルト=輪廻転生をといて人を脅す=金品を巻き上げる 」という構造を
叩き潰すために梶山雄一先生(>>340)の梶山経典を妄信するなどとのたまう。

  カルト梶山狂信者の珍説経典 (>>148)
    *梶山雄一 浄土真宗教学研究所紀要第五号業問題特集、「業報論の超越」より
    「業報・輪廻の理論は説一切有部を中心とする小乗アビダルマ仏教独自の思想であって、
     釈迦牟尼自身の仏教や大乗仏教には決して見られないものである。」
  
しかし、それらは>>376のように、説一切有部以外にも見られると何度でも述べられている。
そもそも大乗と小乗の差異は、大乗は転生をやめないと請願することにあるという基本事項さえわからないから、
このような珍説を妄信することになるわけだ。

しかし、チベットの大乗仏教では転生を肯定し政治問題になっている事実も無視する。
・活仏の転生、当局の許可制に
http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070803_reincarnation.html

>>319のように、「輪廻転生論はアートマン説なので仏教にあるまじき」だという和辻珍説をカルト信仰する。
  輪廻思想と無我思想の調和は不可能(和辻哲郎)
  http://fallibilism.web.fc2.com/070.html

しかし、アートマン否定したまま輪廻するという教義は、
こちらも>>336のように、主要な全時代の仏教に見られるものだ。

そして、参加者をテーラワーダと思い込んでいるところを見ると、何かカルト・コントロールされているのではないかと疑問が起こる。
393神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 06:21:10 ID:XL0E0gc3
輪廻を信じる人は地獄も信じるの?
394326:2007/11/02(金) 09:23:13 ID:1qc9Q+K4
>>349
>1.・・反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
    死後、輪廻しないというのは、断見である。

これって、まったくわかってないじゃんw →>>381

395神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 10:17:24 ID:1CLXVy3i
輪廻転生肯定派の出してくる根拠は全て無効であると結論付けました。
典拠も確実な証拠にはなっていません。逆に輪廻転生とは違う文脈のものもあった。

生死輪廻が生理学的な死を基点とした輪廻転生であることはどこにも書いていない。
生存状態が六道輪廻を繰り返すものであるというのには異論は無い。
私は昨日人を罵倒した(リアルで)ので本日は悔やんで苦しんでいる。つまり地獄の状態だ。
数ヶ月前は困っている妊婦さんをろいろ助けた。大型店舗でご夫婦が私を見つけてお礼してくれた。
これから家族ぐるみの付き合いが始まるだろう。昇天の思いだ。

このように日常というのはあらゆる行いが重層して原因と結果を織り成していく。
今の瞬間は地獄に居るが、数分後はわからない。言ったり来たりで心が安定することは無い。

それを可決するために釈尊の示した道が有益である。
生まれ変りなどと言う迷信をもとに何ができるのだ?
396承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/11/02(金) 10:37:34 ID:hydh4Iju
>>395
肯定派は、自分達の正当性を裏付けるのが目的で仏教を出してるだけだろう。(笑
仏教を理解したいとは夢にも思わないんじゃないかな?(笑
397神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 11:50:24 ID:XL0E0gc3
「悪魔パーピマン」はいるの?いないの?

「いるわけねだろ?」って言ったら駄目なの?
398神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 11:52:35 ID:1CLXVy3i
畜生と人は確認できるけど、それ以外はどこにあるんだろう。
見たこともないな。

そんなものを信じろというのかな。
迷信だ。
399210=326=381:2007/11/02(金) 11:55:17 ID:1qc9Q+K4
ちなみに、俺と同趣旨の柄谷行人の論述を引用しておく

仏教はけっして「寛容な」宗教ではない。
それはカースト社会とそれに対応する思想に対して、ラディカルに対決する実践的な思想であった。
仏教は、あらゆる実体を諸関係の束にすぎないものとしてみる。
しかし、それ(仏教)が何よりも標的としたのは、輪廻、あるいは輪廻する魂の同一性という観念である。
仏教以前に、カーストによる現実的な悲惨は輪廻の結果であると見なされ、そこから解脱する修行がなされてきた。
ブッダがもたらしたとされるもののほとんどは、すでに彼以前からある。
ブッダがもたらしたのは、このような個人主義的な解脱への志向を、現実的な他者との実践的な「関係」に転換することである。
そのために、彼は輪廻すべき同一の魂という観念をディコンストラクトしたのである。
ディコンストラクトと私がいうのは、ブッダは、同一の魂あるいは死後の生について「あるのでもなく、ないのでもない」といういい方で批判したからである。
「魂はない」といってしまえば、それはまた別の実体を前提することになってしまう。
彼は、実体としての魂があるかどうかというような形而上学的問題にこだわることそのものを斥けたのであり、
人間の関心を他者に対する実践的な倫理に向け変えようとしたのである。
したがって、彼は輪廻からの解脱をはかる修行一般を斥けた。
初期の仏教が主にそれまでさげすまれていた商人階級や女性によって支持されたのは、当然である。
(柄谷行人「仏教とファシズム」『批評空間U−18』太田出版)
400210=326=381:2007/11/02(金) 12:12:49 ID:1qc9Q+K4
 どう言葉をとりつくろうと、
業報輪廻論の奥底にある思考動機は我執=エゴイズムなんだよ。腐臭がするんだよ。

ブッダの苦集滅道(世俗諦)⇔無苦集滅同(第一義空諦)の八正道=清浄道の対極というより異質と言っていい。

批判はするが、否定せず。
401210=326=381:2007/11/02(金) 12:13:53 ID:1qc9Q+K4
× 無苦集滅同
〇 無苦集滅道
402神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 12:32:42 ID:yKik6rHz

きみパーリ、サンスクリット読めてる?
それと、いくら空を説いても煩悩にまみれて我見を張る君が言っても
ぜんぜん説得力無いんだけど。
きみはエゴイズムを克服したか?
きみもしかして悟ってんの?
ブッタゴーサやナーガールジュナやアサンガ、
ヴァスバンドゥより自分が偉いと思ってる?

文献学上の裏づけがないものは単なる私論だから。
柄谷行人?そんなのただの評論。

もちろん、きみが仏教をどう解釈するかは自由だ
きみの人格、ならびに存在は批判はするが否定していないよw
403神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 13:09:19 ID:1CLXVy3i
>>402
君は読めている?

我が無いとか読んでいないだろうね?
404神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 15:00:34 ID:yKik6rHz
anatman、anattaの解釈?
色は我ではない・・・・

無我だとしてもインド哲学じゃatmanといっても各派解釈が違うからね
どのatmanを否定したんだろうねw
prusaか?jivatmanか?『大乗荘厳経論』ではparamatmanと言ってるしねw

梵網経を見ればブッタは62見を肯定も否定もしていない。
でも肯定か否定のどちらかしたいのが人情、vasanaだ。
中論で有部の実在論は小乗ともども終焉を迎えるが・・・
肯定と否定の繰り返しはこんな糞板で今も続くwww

405神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 15:06:23 ID:yKik6rHz
真実を知りたければこんなとこで暇つぶしせず、修行すべきことは
だれでもわかっていることだw
ここは文献学より信仰に励む人が多そうだ
なんせ宗教版だもんな

須弥山説と輪廻説をならべて否定してたが
近代科学で否定しても文献学的には意味がない。
近代科学を持ち出したら無明も一切皆苦も非科学的非人道的だぞw
出家主義も律も人権蹂躙だw
自己矛盾に気づけよ。
まっどうせ暇つぶしだろうからどうでも良いが。



406神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 16:10:07 ID:XL0E0gc3
ダライ・ラマの生まれ変わりを信じてる人って多いの?
その人にとって、文献学も糞もないと思うけど
407神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 16:12:12 ID:yKik6rHz
インド学仏教学に関わる人間で原始仏典に輪廻(samsara)が説かれていない
なんて馬鹿言うものはいない。
解釈はさまざまだがなw
輪廻を刹那刹那の輪廻と生死輪転に分けてるようだが、
それなら『ユガ師地論』にも出ているな。輪廻に5義ありだ。

既出だろうが定型句
Anamataggayam bhikkhave samsaro pubbkoti na pannayati
avijjanivarananam sattanam
tanhasamyojananam sandhavatam samsaratam(S.Upp178,180,186-187)
衆生無始生死長夜輪転 不知苦之本際(大正2.p241)
anamataggaと言ってんだから、無明が生まれて生じ死んで滅したら困るだろ。
408神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 16:25:18 ID:yKik6rHz
>406
当たり前だろ。
信じる信じないは信仰上の問題
文献学はあくまで学問上の問題だ。
土俵が違うといってるだろうがw
ここは宗教を否定する板か?
科学で否定される神の存在を信じるクリスチャンはごまんと居るぞw

解釈は自由だ
信仰も自由だ
心ある人はどうぞsassataditthiと ucchedaditthiを離れるよう
修行に精進してください。
409神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 17:11:24 ID:1qc9Q+K4
>>408
ありがとう&ごきげんよう
410神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 17:58:31 ID:XL0E0gc3
スッタニパータのコーカーリアの記述を真に受けてる人はいるの?
何なんだよ、文献学てのは?
「最古の仏典に地獄の記述がある。ゆえに地獄はある」
てことになるの?
全てが方便なんだから、裏を読めよ
輪廻だって同じこと
411神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 18:23:45 ID:1CLXVy3i
>>404
????
> 無我だとしてもインド哲学じゃatmanといっても各派解釈が違うからね
> どのatmanを否定したんだろうねw
インド哲学とは仏教外も含みますか?

> prusaか?jivatmanか?『大乗荘厳経論』ではparamatmanと言ってるしねw
その3つが無我の文脈で出てきますか?無我の我ですか?
その論法なら、『大乗荘厳経論』は仏教ではなくなりますね。

で、サンスクリット表記はもっと学術的にお願いしますよ。せめて”Atman”と表記して下さい

”pruySa” ”jivAtman” とかね。

> 梵網経を見ればブッタは62見を肯定も否定もしていない。
> でも肯定か否定のどちらかしたいのが人情、vasanaだ。
> 中論で有部の実在論は小乗ともども終焉を迎えるが・・・
> 肯定と否定の繰り返しはこんな糞板で今も続くwww
意味不明

>>405
> 真実を知りたければこんなとこで暇つぶしせず、修行すべきことは
原始仏教が修行の宗教?もう一度勉強しなおそうね。

> 須弥山説と輪廻説をならべて否定してたが
> 近代科学で否定しても文献学的には意味がない。
近代科学の話ではなく、客観性あるいは確認できる性質のものというだけの話し。
近代科学批判とは別筋だよ。どうどう、落ち着いて。

> 出家主義も律も人権蹂躙だw
> 自己矛盾に気づけよ。
原始仏教から言えば、別解脱律儀など、非本来的なんだけどね。
412神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 18:25:48 ID:1CLXVy3i
>>407
その輪廻は誰も否定してないよ。
何回言えば解るのかな?

>>408
ここはある意味宗教を否定しているともいえるな。
413神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 19:42:53 ID:EnFrMMgA
>>399
> したがって、彼は輪廻からの解脱をはかる修行一般を斥けた。

柄谷行人まちがってるじゃん。
414神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 19:49:32 ID:1qc9Q+K4
>>408
文献上、業報輪廻や生天思想が語られているから、
肯定論が正しいというわけかな?
            

















  教えのための冗談、たとえ話、空想説話ひとつできやしねえや やりにくいねえ
  アホばっか!
  裏と真意と空気嫁(ゴータマ・シッダールタ)
415神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 19:51:52 ID:EnFrMMgA
輪廻というのは確かにあるけれども、それは
肯定されるべきものとしてではなく、否定される
べきものとしてある。これで納得じゃん。
あんたら、何を延々と同じこと繰り返し論じ合っ
てるの?
416神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 20:09:43 ID:1qc9Q+K4
>>413
  >仏教以前に、カーストによる現実的な悲惨は輪廻の結果であると見なされ、
  >そこから解脱する修行がなされてきた。(>>399

 この語意を受けての論述であることは当然。だから論旨は一貫している。
 具体的には苦行をさす。
 目的は無常=無我=縁起=空を体得して彼岸に達し、還滅して世間の真っ只中で慶安に生きること。

 輪廻妄想にとらわれていること自体が迷いの生存の一形態に他ならない。
417神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 20:11:26 ID:3E7aJ6zf
>>415
>>輪廻というのは確かにあるけれども、
根拠は?確かにあるというならば、客観的に証明できなければなりません。
ですから、経典にこのように述べられているというのは根拠にはなりませんよ。
418神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 20:40:40 ID:/Bw1oK6q
>>301 横合いからすみませんが、たしかにその清浄道論の偈頌の1行目で「業の作者も
異熟の受者もない」という文が、雑阿含経のその第一義空経の「作者は得られない」という文と
共通していますが、
清浄道論のその引用された偈頌の3〜5行目は、はたして業相続の根拠と言えますか?
むしろ全く逆のことを述べているように思いますが。
つまり、業と異熟について、「前際も知られず未来も見られず」という文意と読んだのですが。

第一義空経の「業があり異熟がある」という文と、「これらの蘊を捨てて他の蘊が相続する」という
文を、ただちに結び付けて、それでもって「業が相続する」と読むのは難しくありませんか?

そもそも、第一義空経には対応するパーリ経典がないので、根拠とするのは弱くないですか?
その清浄道論の引用の直前にも、”tenAhu porANA:”(それ故に古人たちは言った)となっています
から、ブッダゴーサは「仏説ではない」という伝承のもとに、そのように記述したのではないでしょうか。
419 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 22:12:59 ID:Ec+TQItf
>>407
カルト梶山狂信者は異常カルトですよ。

『スッタニパータ』
729
  この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、
  その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。
740
  妄執を友としている人は、この状態からの状態へと永い間流転して、
  輪廻を超えることができない。

  『およそ苦しみが生ずるのは、すべて執著に縁って起るのである。』というのが、
  一つの観察[法]である。
  『しかしながら諸々の執著が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』
  というのが第二の観察[法]である。
743
  それ故に諸々の賢者は、執著が消滅するが故に、
  正しく知って、生まれの消滅したことを熟知して、再び迷いの生存にもどることがない。
746
  生存に対する妄執を断ち、心の静まった修行僧は、生をくり返す輪廻を超える。
  かれはもはや生存を受けることがない。
420神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:18:30 ID:1CLXVy3i
>>419
そのどこに生理学的な死を基点とする輪廻転生があるのですか?

>  というのが第二の観察[法]である。
この訳は誰の訳ですか?観察法の「法」を補った根拠は何ですか?
421 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 22:25:05 ID:Ec+TQItf
カルト梶山狂信者は、仏教はバラモン教に対してカースト制度に反対する大きな勢力であったことを学ばず、
>>210で輪廻思想は「カースト制度を合理化するための巧妙なイデオロギーだ」と狂言する。

『スッタニパータ』や『ダンマパタ』、『サンユッタ・ニカーヤ(雑阿含経)』なら、
原始仏教だということもよくわかっていないらしい。
>>419『スッタニパータ』でも輪廻も、輪廻は観察に基づくことも説かれているので、
これが禅定や般若などの修行の根拠にもなるという仏教教義を全く理解していない。

カルト梶山狂信者は、「犯罪者=カルト=輪廻転生をといて人を脅す=金品を巻き上げる 」という構造を
叩き潰すために梶山雄一先生(先生と呼ぶw>>340)の梶山経典を妄信するなどとのたまう。
そして、それ以外の経典による根拠は一切出さない。

  カルト梶山狂信者の唯一の根拠である珍説経典 (>>148)
    *梶山雄一 浄土真宗教学研究所紀要第五号業問題特集、「業報論の超越」より
    「業報・輪廻の理論は説一切有部を中心とする小乗アビダルマ仏教独自の思想であって、
     釈迦牟尼自身の仏教や大乗仏教には決して見られないものである。」

しかし、輪廻などは>>376のように、説一切有部以外にも見られると何度でも述べられている。
そもそも大乗と小乗の差異は、大乗は転生をやめないと請願することにあるという基本事項さえわからないから、
このような珍説を妄信することになるわけだ。
つまり、日本の大乗仏教の最大勢力、浄土教信仰が、極楽浄土への転生の信仰であることも知らないようだ。
チベットの大乗仏教では転生を肯定し政治問題になっている事実も無視する。
・活仏の転生、当局の許可制に
http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070803_reincarnation.html

>>319のように、「輪廻転生論はアートマン説なので仏教にあるまじき」だという和辻珍説をカルト信仰する。
  輪廻思想と無我思想の調和は不可能(和辻哲郎)
  http://fallibilism.web.fc2.com/070.html

しかし、アートマン否定したまま輪廻するという教義は、
こちらも>>336のように、主要な全時代の仏教に見られるものだ。
422神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:30:14 ID:1CLXVy3i
>>421
同じことばっかり言わないで、質問に答えていただこう。
都合が悪いのかな?
423 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 22:31:11 ID:Ec+TQItf
カルト梶山狂信者は、『ダンマパタ』も読まず、仏教修行の戒定慧さえも分からないからこんなカルト教義を妄信するのだ。
424神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:31:34 ID:5QQcvR7Q
まったく・・・w

このスレの人間は、解釈の落とし所を探そうという気はないのかね・・・。

また「おしえ」が、当時の、文化の波の中に生まれた人間釈尊から始まり、
長い年月を経て、増補改訂、拡散、変容の末に成立していることを忘れてるんじゃない?
425 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 22:32:19 ID:Ec+TQItf
>>422
そんなことを訳者でないわたしが知るヨシもなく、
そして、法がついていてもついていなくても、まったく何の反証にもならない。
426神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:33:08 ID:1CLXVy3i
>>423
恐らく貴方よりも原典を沢山読んでいると思いますよ。
早く私の質問にお答えください。
427 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 22:34:31 ID:Ec+TQItf
>>420
お前こそ
・生理学的な死を基点とする輪廻転生というその根拠
・そこから何を言いたいのか、梶山説である「大乗には輪廻転生がない」が正しいとでも主張するのか?
はっきり書いてみろ。
428神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:35:15 ID:1CLXVy3i
>>425
じゃ、経典読んで無いじゃん。貴方の言い分の全てがこれで崩れましたよ。

その訳は間違っていますね。
観察〔法〕だとし、無理やりヴィパッサナーにもって行きたいのでしょうけど、そのように読めませんね。
429神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:36:46 ID:1CLXVy3i
>>427
あなたにお前呼ばわりされる覚えはありませんよ。
それに、質問が滅茶苦茶ですよ。

・生理学的な死を基点とする輪廻転生というその根拠
これは貴方に問うているのです。

・そこから何を言いたいのか、梶山説である「大乗には輪廻転生がない」が正しいとでも主張するのか?
知りませんよ。そんなこと。
430神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:49:19 ID:u5wJbo4h
阿呆陀羅經さんあきれてお出ましにならんねミクCも静かで何してんのよ?
431神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 22:52:44 ID:5QQcvR7Q
阿呆陀羅さんの登場を待つまでもなく、
≪「仏教という枠組み」の中で≫『輪廻』と『転生』を合体させた言葉を使うことは
仏教的なのか?
432 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 22:54:40 ID:Ec+TQItf
>>428
何が言いたいの?テーラワーダでのヴィパッサナーでしか観察は無いとでも言うの?

>>429
>>419にも生死輪廻って書いてあるじゃない。
433 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 23:05:47 ID:Ec+TQItf
>>429
お前の場合は、”何が違う”と言っているのか分からない。
”違う”としか言わないから、”何が違う”のかよくわからず、スムーズに疎通できない。
”違うから何”とも言わないから、いろいろな話が出てくるが、また”違う”としか言わないから、
またいろいろな話が出てきて、スムーズに進まない。
そもそも、名前を名乗っていないのに、お前が勝手に一貫させている主張が特定できるわけがないじゃない。
という様々な問題がある。
434 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 23:08:08 ID:Ec+TQItf
>>420
訳は中村元。

お前は、”何だから違う”などと「根拠と意見」のセットではなく、”○○ですね”などと一方的な意見だけなので、
なにを言っているのかよくわからない。
435 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 23:09:53 ID:Ec+TQItf
お前は発言の方法に知的問題がある。
436神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:15:36 ID:1CLXVy3i
>>432
> >>428
> 何が言いたいの?テーラワーダでのヴィパッサナーでしか観察は無いとでも言うの?
はぁ?テーラワーダ仏教妖怪?
あのカルトがどうかしましたか?

> >>419にも生死輪廻って書いてあるじゃない。
生死輪廻は輪廻転生ではありませんよ。

貴方にお前呼ばわりされる覚えは無いのですが。
死を基点とした輪廻転生を主張しているんでしょう?
だったら、その証拠をお見せなさいな。
437 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 23:15:59 ID:Ec+TQItf
このようにお前にはコミュニケーションにおける重大な知的な問題があり、
これが、意思疎通の困難さ、相手に情報を伝えずに否定するという一方的なコミュニケーションなどの、
問題を引き起こし、コミュニケーションにおける重大な知的問題になっていることを自覚したほうが良い。
経典をたくさん読む前にだ。
438神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:17:03 ID:1CLXVy3i
>>435
私には貴方が低IQだと見えますが。
439神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:18:04 ID:1CLXVy3i
>>437
貴方には決定的に議論の手順が掛けているように思えますよ。
それは単にキチガイだとも言いますが。
440 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 23:19:17 ID:Ec+TQItf
自分の意図を言わなくても他人が分かってくれるなんていうのは、
幼児期における幼児の母親の関係であり、このコミュニケーション・パターンを
永続的に続けるのは自己中心的で問題がある。
このように知的考察を加え、改善すべきだ。
441神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:20:44 ID:1CLXVy3i
>>440
先ず貴方は読解力を養いなさい。
そして、ご自身の主張の論点を明確につかみなさい。

その後は自分で考えることですね。
442 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/02(金) 23:23:09 ID:Ec+TQItf
そもそもお前の発言には、

・情報量が少なすぎるという問題

があり、他者は推測に頼って反応するが、その他者の応答に対して、

・怒り
かつ
・情報量が少なすぎるという問題

を繰り返し、しかも

・名前が無い

ので、コミュニケーションが幼児期における母親に対するように、幼稚で、
知的問題があるというわけだ。
443神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:25:49 ID:1CLXVy3i
>>442
私には怒りはありませんよ。
貴方の心の中の怒りを他人に映し出しているのではないですか?

そんなことでは禅定は死ぬまで無理ですよ。
ずっと数息観をしていなさい。
そして気を静めなさい。
こころの動きを見つめなさい。

背筋を伸ばして。

そして生まれ変りなどの無知蒙昧から早く脱しなさい。
444神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 23:34:02 ID:1CLXVy3i
テーラワーダ仏教妖怪の一員がまた発狂しましたか。
まさにカルトですな。
445神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 00:04:36 ID:Sg3PYBty
>>430
阿呆陀羅經はね、業報輪廻論者なのよ、実を言うとw

菩提心なき仏教漢字教条趣味者の矜持にかけて、
またまた、ボコボコにやられたらカッコつかんからでてこないだけw

446神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 00:10:31 ID:Js0Y+wtm
1CLXVy3i が電波男だと思わないの?
447神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 01:39:54 ID:hwQ6zA6/
このスレそのものが輪廻
448神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 06:31:33 ID:XEUgiJS4
浄土真宗信者(梶山その他)なんて普通に馬鹿だけど
ムキになるほどじゃないよ
数息観(アーナパーナ)は元々テラワダの修行です
断言するけど1CLXVy3iはもう来るなや バカ
449神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 08:52:17 ID:cARVPy1a
> >>419にも生死輪廻って書いてあるじゃない。
生死輪廻は輪廻転生ではありませんよ。

あなた少しでも学問齧ってたら。
生死輪廻と輪廻転生の言語を提示してくれ。
それとその意味に違いがあるという根拠を提出してくれ。
根拠はテキストの指摘で御願いします。
アッタカター、ティーカーでも可です。


450神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 08:55:10 ID:cARVPy1a
ふと思ったけど輪廻がなければ当然極楽浄土なんてないよね?
民衆を騙すために作られた幻だよね?
451神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 09:11:43 ID:cARVPy1a
>死を基点とした輪廻転生を主張しているんでしょう?
代わりに答えよう
Anamataggayam bhikkhave samsaro pubbakoti na pannayati
avijjanivarananam sattanam
tanhasamyojananam sandhavatam samsaratam(S.Upp178,180,186-187)
衆生無始生死長夜輪転 不知苦之本際(大正2.p241)

anamataggaの意味が分かっていないね。
なんでtanhasamyojananamと言っているのかもな。

452神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 09:15:52 ID:cARVPy1a
死を基点とした輪廻転生って何?
だれもそんなこと発言してない。
きみだけだよ。

みなさん何度も言ってるが俺は文献上のことを言ってんだからね。
理解できます?信じる信じないの話でも、客観的事実の話ではない。
453神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 09:28:17 ID:cARVPy1a
×生死輪廻と輪廻転生の言語を提示してくれ。
○生死輪廻と輪廻転生を原語で提示してくれ。
早くしてね

仏典の中から都合の悪い部分を切り取り、都合の良い部分を取り出し
これこそ仏説であるとするのは結構。
でもそれは仏教を基にした「新たな宗教の創設」だな
こうして部派が生まれる。

「本来の仏教は輪廻を説かない。解脱のための修行もない」
それも結構
でも、それは学問とは関係ない作業だ。

困ったことに「学問をかじって且つ悟った」と称する人が多々いる。
俺は未熟ながら学問は少しはやったが、修行はしてない
まして悟ったなんておくびにもいえない。
悟ったフリすらできない。
454神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 11:37:27 ID:cARVPy1a
俺が批判するのは「輪廻を否定する」という行為そのものではない。
素朴に輪廻を信じ生天を願うヒンドゥー教徒や
輪廻からの解脱を願うチベット仏教徒をあざ笑う態度
褒められたことか?それって単なる差別意識の現われだろ?
そして何より
輪廻思想を差別やカルト宗教の根源と断定し、輪廻否定はカルト宗教の根絶のためと言いながら
新たな「自身の宗教」を植えつけようとする偽善だ
「文献上そうは解釈できない」とか指摘するだけなら学問的だが
「これがブッタの真意である」といえばそれはもはや宗教だ。
まあ、高名な学者の中にも勘違いして宗教を語るバカはいるがなw

宗教を否定しつつ新たな宗教を提示する態度が偽善でなくて何であろう?
「学問も修め修行も完成させた」と自称するものを信用してはならない。

まあ、どうせ暇つぶしだろうけどね。

455神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 11:44:36 ID:0HmqLIY9
>>454
スレタイ読んだほうがいい。
456神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 11:47:38 ID:cARVPy1a
>私には怒りはありませんよ。
>貴方の心の中の怒りを他人に映し出しているのではないですか?
>そして生まれ変りなどの無知蒙昧から早く脱しなさい。

本気でそういってんじゃないとは思うが・・・
「俺はオマエより勝れているぞ」という態度では信者はついてこないぞw
きっとブッタも高飛車で傲慢な人間だったんだろうなw
457神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 11:51:47 ID:cARVPy1a
スレタイって何?
教えてください。
458神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 11:57:39 ID:cARVPy1a
輪廻は存在しない。
無明が作り出した幻である。
しかしこの世界そのものが浄土であり、われわれはすでに往生している。
浄土から来て浄土に帰る。
どこにも輪廻なんてない。
無明も煩悩も苦もない。
修行の必要もない。
459神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 12:07:07 ID:Sg3PYBty
>>458
極悪本覚屋 ご苦労!

 『浄土』は戦争と犯罪と苦しみが満ちてますなあw
460神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 13:06:09 ID:Sg3PYBty
被差別部落民の人たちの意見も聞きましょう。
http://suzin.com/index/sabetu/sabetu1.html
461神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 14:45:52 ID:cARVPy1a
>458
よくぞこの欺瞞を見破りましたなw
こうして目の前の現実を絶対肯定させ、あらゆる努力を放棄させて支配する・・・
これこそ輪廻以上の民衆コントロール術
462神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 14:50:38 ID:cARVPy1a
「釈尊は無我をといた、アートマンを否定した。しからば輪廻の主体をみとめないのだから輪廻を認め得るはずがない、
という論法は、和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』以来、しばしば打ち出される。しかし、この考え方は果たして理に合するというべきであろうか。
経典は、終始、我が無いと説く。それと共に経典は、迷える者に再有があることを、繰り返し説く。このことは果たして論理的に矛盾なのか。
それを矛盾と捉え、その点を衝くのは、あるいは、その点から仏教は本来輪廻を認めないと結論づけるのは、むしろ、
我の存在を主張する仏教以外の諸派から仏教を批判する立場そのものではなかろうか。
輪廻の主体としての『我』はないとするのだからして、再有すなわち輪廻転生があるとなし得る筈はない、と考えることは、
裏を返して言えば『我』があって始めて『有』が有り得ると考えることでないか。
それは、迷いの有(輪廻的存在)は、『我』なくして縁起的に展開する、『無明によって行あり−−生・老あり』と展開する、
と見る仏教のユニークな立場を少しも理解しないところから発する議論というべきではなかろうか。」
櫻部建『阿含の仏教』
463神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 17:55:43 ID:Js0Y+wtm
>>455
スレタイ<原始仏教>と矛盾してるのは、解釈に文献以外の現代思想・常識を持ち込む方じゃね。
ところで電波男は、バレたので出れなくなったのか? 
輪廻と輪廻転生を分けて考えたり、輪廻業報が現世で完結するなんてこと言うのは、
電波男とその仲間たちぐらいだからね。バレないとおもっちゃいかんよw
464神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 18:15:58 ID:S5B9RWuA
>>463
私は、(原始仏教(初期仏教)という枠組みを重視するなら)、
「輪廻」と「転生」、或いは更に「輪廻転生」とは、
分けて考えるべきかと思いますが・・・。
465神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 18:55:06 ID:Js0Y+wtm
>>464
その文献学的根拠は?
466神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 19:04:19 ID:D2sNn6uO
素人だが、チベット仏教おかしくない?
輪廻を繰り返すダライ・ラマは永久に解脱できない凡夫か?
467神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 19:06:52 ID:S5B9RWuA
>>465
ああ、そうか・・
ここは文献学スレでしたね・・。
忘れてました。

無視してください。464は撤回しますので・・・w
468神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 23:28:24 ID:Sg3PYBty
>>462
なんだ、櫻部建って基本的なことが何にもわかってないじゃんw

一切法無我→>>383
業報輪廻論は空想説話の戯論転化なり→十四無記趣旨、戯論に関わらず
批判すれども、否定せず→>>400(戯論立場に立たず)

こんな体たらくでは、『もしもわたしが法を説いたとしても、人々は私の言うことを了解せず、
           私はただ疲労困憊するのみであろう。』(相応部経典 6 1、増一阿含経 19)

ブッダが説法を躊躇された気持ちは痛いほど解る。

 ブッダの大部分の弟子もアホが多い →>>318>>319

 形式教条主義は見境がつかないw

批判すれども、否定せず→>>400(戯論立場に立たず)
 

469第7追加:2007/11/04(日) 00:32:50 ID:XEKQFTGg
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
 反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
    死後、輪廻しないというのは、断見である。

2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
 反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
    必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。

3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
 反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
    タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
    つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。

4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
 反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
    それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。

5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
 反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
    原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
    それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。

6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:このスレ住人など。
 反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
    始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。

7.輪廻や神々、地獄、餓鬼などは譬喩または、象徴表現としてとかれた。主要論者:望月海慧
 反証:方便説のヴァリエーション。仏典では譬喩は、かならず譬喩と説かれる。
    古今東西の文献・口伝の両伝承に譬喩であるという解釈はみつけられない。
470神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 00:36:09 ID:8rROdUlJ
>>466
スレ読め
471神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 00:42:10 ID:XEKQFTGg
>>418
まってました。始めてちゃんとした質問を受けました。
「仏説ではない」という伝承は、仰るとおりです。
ただこれは、有部だけの説ではないということを証明する引用なので古伝で問題ないと思います。

その他は、そうは思いません。その根拠は1CLXVy3i さんが訳を示さないうちに答えるのはお許しください。
無根拠にこんな断定されてるのですから。>>394-395

     『別譯雜阿含經』
    T02n0100_p0392b21(04) 佛即説偈言
    T02n0100_p0392b22(00)  一切生皆死  壽命必歸終
    T02n0100_p0392b23(00)  隨業受縁報  善惡各獲果
    T02n0100_p0392b24(00)  修福上昇天  爲惡入地獄
    T02n0100_p0392b25(00)  修道斷生死  永入於涅槃
    T02n0100_p0392b26(00)  非空非海中  非入山石間
    T02n0100_p0392b27(00)  無有地方所  脱之不受死
    T02n0100_p0392b28(00)  諸佛與縁覺  菩薩及聲聞
    T02n0100_p0392b29(00)  猶捨無常身  何況諸凡夫

上のようにはっきりと死後、業を受け、善業のものは昇天し、悪業のものは地獄に行くと書いてあるから、
現世の象徴表現と取るのは無理なのにですよ。上をどう読めば>>395の以下のように解釈できるのか分かりかねます。

私は昨日人を罵倒した(リアルで)ので本日は悔やんで苦しんでいる。つまり地獄の状態だ。
数ヶ月前は困っている妊婦さんをろいろ助けた。大型店舗でご夫婦が私を見つけてお礼してくれた。
これから家族ぐるみの付き合いが始まるだろう。昇天の思いだ。

それを>>451の読みとともに1CLXVy3i さんは説明しないといけません。
一週間の間に読みと説明がなければ Sg3PYBty さんと同じでとにかく輪廻は信じられないから、
釈尊も説くはずがないというただの予断による感情論であるとみなしますので、それ以降に>>418 にお答えします。
その場合、1CLXVy3i さんと思われる方は、捨置します。
472 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/04(日) 00:51:59 ID:QDNUG4JH
・情報量が少なすぎるという問題

があり、他者は推測に頼って反応するが、その他者の応答に対して、

・カンシャクを起こし
かつ
・情報量が少なすぎるという問題

を繰り返し、しかも

・名前が無い

自分の意図を言わなくても他人が分かってくれるなんていうのは、
幼児期における母親に対するようなコミュニケーションで問題がある。
幼稚で、自己中心的で問題がある。

”違う”としか言わないから、”何がどうして違う”のかよくわからず、スムーズに疎通できない。
この”何が”、”どうして”が欠けていれば、突然に「馬鹿」と呼ばれたときのように、
何もそこには同意すべき根拠が見出せず、本当に馬鹿なことをしたのか、していないのか同意できかねるということだ。
その評価基準を客観的に提示したときに、違うのか、合っているのか、どちらが誤解なのかというような判断が可能になる。

このように知的考察を加え、コミュニケーション方法を、幼児が母親に対する態度ではないものに、改善すべきだ。
473神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 06:57:00 ID:xJptMmxH
一切法無我なのに(相応部経典 22 55 89 118 155、雑阿含経 3 64 76 103)
一切法外なら有我というのも珍妙な理論だ。輪廻には断絶があるらしいw
有部の刹那滅論も、結局苦し紛れのレトリック倒れに終わっている。

業報輪廻論は戯論なり、この一言で論破は終わる。
474神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 07:08:02 ID:xJptMmxH
生天思想は待機空想説話の戯論転化なり→十四無記趣旨、戯論に関わらず
                    (中部経典 72、雑阿含経 34 24)
 ブッダを体系的に理解しろよ、最終的には月を指す指=言語論理は放棄することになるが。
475474:2007/11/04(日) 07:10:10 ID:xJptMmxH
474は>>471へのレス
476神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 07:39:02 ID:VrRmf+nU
>>1には論拠や根拠と書いてあるけど、どっかに書いてあることじゃなきゃ駄目なんていつ決まったの?
477神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 09:49:41 ID:cFK619A2
>474
あなたはもう来なくて良いよw
悟ってんだろ?仏弟子、歴代祖師より偉いんだろ?
カラスの大騒ぎは聞き飽きた。




478神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 09:54:23 ID:cFK619A2
>生死輪廻は輪廻転生ではありませんよ。
それなら
@知生死輪廻と輪廻転生の原語を示して下さい。
Aその意味に違いがあるという根拠を提出して下さい。
根拠はテキストの指摘で御願いします。
アッタカター、ティーカーでも可です。

まだ、根拠が示されていませんが?どうしました?
典拠が示せなければ文献学ではなく、
まして仏説でもなく「あなたの私論」ということでいいですね?
私論なら別に否定しませんから。

私論、感想なら根拠はなくてもいいんですけどね・・・・
人には文献学的根拠をすぐ求めるのに、我がこととなると・・・   
479神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 10:52:39 ID:cFK619A2
ユガ論に三種の流転が説かれる。
@刹那展転流転・・・刹那刹那に有為法は生滅を繰り返す
A生身展転流転・・・・有情の一生において身体が変化し相続する
B染汚清浄展転流転・・・・善悪の業により生死を繰り返す

原始仏教ではどう?
でも苦が「一生に限って」相続するなんて説は大乗の異説にもない。
480神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 17:10:02 ID:wpWYHSWU
>>478
貴方なら、>>466さんの質問に答えられそうですね。
私も疑問に思いますのでお答えいただければ幸いに存じます。
481神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 19:02:21 ID:iTtjuuUZ
生まれ変わりを信じている人は解脱したあと死んだらどうなると考えてんの?
1.消えてなくなる
2.天国(涅槃)に行く

みんな2だと思うけど、それならキリスト教でいいじゃん
天国は退屈じゃないか?

「苦」は思い通りにならないことだろ?
苦がないんだから、全部思い通りになるんだろ?「消えてなくなりたい」と思ったらどうなんの?
結局は1になっちまうな

じゃあ、最初から「生まれ変わりはない」でいいじゃんよ
それともなんだ?天国には一つだけ禁止事項があんの?
それは苦しいことだなあ
482神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 19:08:38 ID:xJptMmxH
>>480
そもそも今のこのスレの業報輪廻転生論をめぐる混乱は>>114>>466同様の疑問から始まった。
これに寺和田親衛隊が根本教義だから危機に感じてヒステリックに絡んできた経緯があった。

ではどうぞ。
483神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 19:24:33 ID:xJptMmxH
>>481
そもそも生死(しょうじ←一体)や時系列的過去・未来なる時間的流れがあるのかが問題となる。

 『修行僧たちよ、このような境地がある。そこでは、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、
 空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、この世もなく、あの世もなく、
 月も太陽もない。修行僧たちよ、[そこに]来るとも、行くともいえず、[そこに]いるとも、死ぬとも、
 [再]生するともいえない。それは何かに依っているのでも、何かから生じたのでも、何かに支えられているのでもない。
それこそが苦しみの終わりである。

『ウダーナ』8章1節 <彼岸>

 このようなブッダの勝義諦表現に 生天思想(神や悪魔 天国地獄)、業報輪廻転生といった妄想、
 ブラフマン=大日如来などというヒンドゥー的トンデモ観念が入る余地はないのではないか。

484神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 19:31:59 ID:xJptMmxH
さらに

『ウダーナ』8章3節<不生不滅>

生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、[そのような状況から]脱し、離れることはないであろう。
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、[そのような状況から]脱し、離れることがあるのである。
485神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 20:09:36 ID:wpWYHSWU
>>482
「どうぞ」って、何がどうぞなんだよw

>>482が、どうして>>466への回答になるんだ?
ひょっとして日本語の不自由な方ですか?w
486神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 23:06:14 ID:ei4RuKjC
>>482
お前は鎌倉時代にタイムスリップして農家の肥溜めに肩まで
浸かってるのが似合うと思うぞ
487神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 23:33:10 ID:RKBAcFb8
>>486
そんなお前は古代ローマの公衆便所に頭突っ込んでガリア人にケツ掘られれば良いと思うよ
488神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 00:32:38 ID:k2K/PGDC
お釈迦様は自分の言ったことでも頭から信じるなと言ったんでしょ?
形而上のことは語らなかったんでしょ?

輪廻をあると決め付けるのはおかしいっていうのももっともだと思うけど
489神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 00:46:16 ID:MN+IKOoB
>>471の和訳を代行しましょう。

仏が偈を説いて言われた。
一切の生じたものは皆死に 寿命は必ず終わりに帰す  −−「生れたものはみな死ぬ」ということ
業に随って果報を受ける 善悪はそれぞれ果報を得る  −−業報
福を修すれば天に昇り 悪をなせば地獄に入る  −−上天と堕地獄
道を修して生死を断じ 永久に涅槃に入る  −−(それらを越えた)涅槃
空にも海中に入っても 山に入っても岩の間に隠れても  −−以下、再度「人はみな死ぬ」
死を逃れ死を受けない場所はない
諸仏・縁覚・菩薩・声聞でさえも無常のこの身を捨てる 凡夫はなおさらである

>死後、業を受け、
ここはやや微妙ですね。「死」については「生れたものはみな死ぬ」ということを
再三、述べていますが、これが死「後」を説いている、と言い切れるものか。
「死」が「業報」や「天界・地獄」、また「涅槃」とどう関連するのか、これだけで
推し量るのは、やや困難を感じます。
490イズコ2.0 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/05(月) 04:03:43 ID:d7/toVaS
だからさ、大乗仏教は他者に悟りを教るまで完全な涅槃に入らないわけだよ。
だから、ダライ・ラマは化身(輪廻ともちょっと違うらしい)するわけだ。
それが小乗仏教との重大な違いだろ。これは仏教学の基礎知識ですよ。

そして、上座部仏教的に悟りを見ても4段階あるじゃない。
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html
大乗もそこまでは達する、しかし、涅槃に入りきってしまうことまではしないということだよ。
491神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 07:31:08 ID:plLdKan+
多くの国で世継ぎは長男
それが最も争いが少ないということで、そうなったのだと思う

ダライ・ラマという「制度」はなかなかいいんじゃない?
492神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 09:24:49 ID:MyBwc+Yi
>>490
>>127以下  蒸し返すな。

ヴィマラキールティ(維摩)居士に聞いて恋よ。
あの気取り屋の爺さんでさえ、そーゆーお馬鹿は言わへんでえw
493承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/11/05(月) 09:56:33 ID:Se0O4QYm
>>492
> あの気取り屋の爺さん

?(笑
気取り屋はお前だろ。(笑
(^。^)
アシュク如来を否定する愚か者めが。(笑
ちゃんと維摩経読め。(笑
494神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 10:52:45 ID:plLdKan+
話がずれて恐縮だけど、
ダライ・ラマは童貞?
だとしたら悟るのは相当難しいのでは?
女で失敗して大人になってくのが男だと思うが
495神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 11:03:58 ID:plLdKan+
代理はむなしいぞ
彼女の代理が風俗だろ?
風俗の代理がカリビアンコムだろ?

一回自分でやってみろ
でなきゃいつまでたっても餓鬼だ
煩悩の奴隷だ
496神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 11:29:36 ID:plLdKan+
大誤爆かたじけない
497あぼーん:あぼーん
あぼーん
498あぼーん:あぼーん
あぼーん
499神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 15:30:56 ID:PSrt8ZmF
>480
密教は専門外なので良く分かりませんが・・・

チベット仏教のトゥルク(転生ラマ)の伝統はゲルク派のダライ・ラマ以前に
カルマ派トゥースン・ケンパが始まりのようです。
その思想的背景ですが、簡単に言うと化身(アヴァターラ)思想のようです。
ダライ・ラマは観音菩薩の化身、慈悲の顕れとされています。
化身ですから観音菩薩の「生まれ変わり」というのは間違になります。
宿業で輪廻しているのではなく、衆生済度のために自らの意思で
肉体を得て姿形を変えているということです。

直接には『金剛頂経』の五相成身観や三身思想が影響しているのではないでしょうか。
最終的に密教では法身である本初仏から受用身であるビルシャナ仏が立ち顕れ、娑婆世界では異熟身
(肉体)を得てゴータマ・シッダールタ(変化身)になったと解釈するようです。

また、このアヴァターラ思想はビシュヌ神が有名です。釈迦はビシュヌの9番目の化身とされています。
この神話が説かれる『ヴィシュヌ・プラーナ』は4世紀には書かれたと考えられています。
一方、仏の三身思想も4,5世紀の唯識派が説いたものです。(二身説は竜樹も説いています
からさらに起源は古くなります)
これらの思想が源流ではないでしょうか。
500神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 16:17:28 ID:PSrt8ZmF
やっと静かになりましたね。
まあ、良かれ悪しかれ仏教がかなり早い段階から「輪廻思想」を受容した
歴史的事実は動かしようがありません。
輪廻をいくら読み変えようが、「生死流転」以外の何ものでもない。
ブッタは苦の根源である無明は「始まりが無い」と言っている。

輪廻思想は非科学的という「常識」と差別を助長したという「事実」から
非難を受けるが、それと「仏教の輪廻思想受容の歴史」とは別次元の話。
501神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 17:41:19 ID:ln6oNaoa
いや、そうじゃなくて、そもそもの釈尊のはじめから仏教は輪廻転生、業報による生まれ変わりを説いていた、とここの方々は主張しているんじゃないのか。
502神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 20:19:07 ID:MyBwc+Yi


業報輪廻論は戯論なり、この一言で論破は終わる。


503神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 20:35:08 ID:plLdKan+
毒矢のたとえと輪廻思考は相反するんじゃ?
504神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 04:43:03 ID:0nTYvw5i
そもそも輪廻の話しに着いて回る死後について
釈迦は形而上の話しは証拠が見せられない故に無解答だったんだよな
否定はしないが肯定も出来ないと。

黙して語らずって有名なんだけど…
505神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 05:21:00 ID:0nTYvw5i
>>488
カーラーマ経の一節だね。

目有る者は見よ。

釈迦のスタンスは常に現実の実体像に即した指導方針だったようだね。
506神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 09:25:58 ID:aWiann3h

 戯論(形而上的論議)の消滅というめでたい縁起中道のことわりを説きたもうた仏を、

 もろもろの説法者のうちで最も勝れた人として敬礼する
507神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 12:24:12 ID:8SOUbq4C
>釈迦は形而上の話しは証拠が見せられない故に無解答だったんだよな
>否定はしないが肯定も出来ないと。

たしかに無記の説明は一般向けにはそう書かれてますね。
でもその説明は間違い。
そもそもインド哲学に形而上、形而下という概念はないと思いますが。
(もしあるというなら、原語をお示し下さい。)
また、 14無記の内、最初の2種は世界が常住か否か、有限か否かです。
これは形而下の話です。
「形而上の話だから・・・」という説明は正確ではなく、「これらは無益であり、法に適わず、根本梵行に関係なく・・・
涅槃に導かれない」から無記なんです。「毒矢の喩え」の通りです。
異問異答を無記と勘違いしていませんか?

>戯論(形而上的論議)
これも間違いですね。
形而上も形而下もプラパンチャです。
戯論(プラパンチャ)の意味は「拡張」「展開」です。
つまり「現象世界」のことです。
中観では重要な概念です。

みな「形而上」という言葉に引きずられてますねw
508神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 12:32:28 ID:8SOUbq4C
>501
「歴史上の人物であるシャカが説いた」
また堂々巡りですか?
これって興味深い話だけど、「分からない」というのが学問的には正直です。
繰り返しますが「説いた違いない」「説いていないに違いない」は信仰の話でして・・・
みな「仏説である」と信じて信仰しているわけで・・・
確認しようのないものを、推論で「説いていないと思われる」
ならまだしも「説いていない」と断定すれば信仰のレベルです。
509神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 12:35:20 ID:im3wCmk4
>>508
原始仏教における信仰とはどういった事柄を指すのですか?
510神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 13:42:22 ID:0nTYvw5i
>>507
>14無記の内、最初の2種は世界が常住か否か、有限か否かです。これは形而下の話です。

言いたい事は解る気がするけど、それも厳密には形而上の話しになるよ。
君は君の目で世界の終わりや端っこを見てきた訳じゃ無いでしょ?

良く勉強してるとは思うけど、結局君には核心が見えて無いんじゃないかな。
先ず、その虚栄心から離れる事から始めてみたら?

それと、釈迦牟尼の教えに信仰は要らないと俺は思うし、
信仰って言葉は所謂似非宗教屋に任せとけば良いんだよ。
511承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/11/06(火) 13:47:26 ID:fyrkNWEO
>>510
法我執と信仰は異なる。
リスペクトすら出来ぬなら、単なる本箱さ。(笑
512501:2007/11/06(火) 13:56:13 ID:r61P8+Qh
>508
尊答に謝し奉る。
確かに言われるとおり納得致します。

釈尊がなにを説かれたか文献学では「分からない」。
だけども輪廻転生、業報による生まれ変わりを説かれたと「信仰」している。
513神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 14:05:22 ID:gFs4+W+8
>>511
独り言なら電波・お花畑板でどうぞ?
514神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 14:12:11 ID:0nTYvw5i
>>511
うん、確かに違うよね。
ついでに言えば現代に於いての信者と信仰者も違うと思うんだ。

俺にはそのどちらも今は関係無いけどさ。
今の自分にとって釈迦牟尼は偉大な先生で尊敬はしてるさ。
でも、先生先生って盲信するのは創価だけで沢山でしょ?w
515承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/11/06(火) 14:28:42 ID:fyrkNWEO
>>514
読めなかったのかい?(笑
法我執と信仰は異なるって言ってんだけど?(笑
(^。^)ノシ
516神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 14:36:44 ID:0nTYvw5i
>>515
君の主張に異論はない訳だけど、それが何か?
517神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 17:01:46 ID:8SOUbq4C
>510
>君は君の目で世界の終わりや端っこを見てきた訳じゃ無いでしょ?
あの・・・私の「見た・見ない」という体験と形而上がどう関係するのでしょう?
無記と形而上、形而下は関係ないというのが私の主張なんですが・・・
ですから、無記は認識論とも関係ありません

>良く勉強してるとは思うけど、結局君には核心が見えて無いんじゃないかな。
>先ず、その虚栄心から離れる事から始めてみたら?
否、私は浅学非才です。ただ言葉の誤りを正しただけです。
修行とてしたことありませんから本質だの核心だの分からなければ
説いたこともありません。
ずっと分際を弁えているつもりですが・・・
もし、それが虚栄心に見えたなら、申し訳ないことです。
ですから、何度も言いますが、私は信仰を語っているのではないのです・・・

あなたが何を信じようが信じまいが、非我事です。
それと、私が言っている信仰はブッタが捨てよといったシュラッダーではなく
一般的な意味でのです。
518神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 17:05:01 ID:gFs4+W+8
お前等!
バーミヤンで何か見付かったそうですよ
ttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20071106STXKC004406112007.html
519神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 17:06:52 ID:8SOUbq4C
>512
因果の道理歴然として私無し
520神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 17:47:16 ID:0nTYvw5i
>>517
そんな回りくどい考え方だから理解が遠退くんだと思うよ。

それと君は門外漢を騙ってるつもりだろうが、俺には何か君から禅門、特に白隠系の匂いがプンプンしてくるのは気のせいかな。
521素人:2007/11/06(火) 20:46:48 ID:+k7bdHzS
私も、
仏教に於いて斥けられるものは、>>507
>「これらは無益であり、法に適わず、根本梵行に関係なく・・・・・・涅槃に導かれない」   もの
だろうと考えます。

仏教に於いて(釈尊に於いて)最初にして最後にして最大の基準は、
 「涅槃に資するかどうか」 なのだろう、と・・・。
522神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 00:10:55 ID:nnYIiBOy
輪廻否定派は、テキストの読みに「見えるものがそのまま有る」という素朴実在論や、
「輪廻は差別を助長する」といった現代常識を釈尊が前提としているという視点を持ち込むから誤読するんだけどね。

しかも戯論が形而上学とか、言葉の意味も分からずに勝手な思い込みで、なんでそんなに自信持って断言するんだろう。
523神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 05:51:00 ID:Eqq1pvP+
>>522
テラワダ以下の下らない空論が随分お好きな様でw

形而上と言う単なる言葉上の表現を無理して学種に読み替えるのは
ある種の心象操作的作戦かね?

君の自尊心や虚栄心を充たすためにダルマは説かれてる訳じゃない。
釈迦も、その説く所のダルマも是非君にと頭を下げてる訳じゃないので、
君が理解し用いるつもりが無い以上、いつまでたっても答は得られないよ。
答だけ知って偉ぶりたい気持ちも分からない訳じゃないけど、
それじゃ入口すら見つけ難いし、見つかっても入ることは永久に出来ないだろうね。

君みたいな人を見てると本当、気の毒に思うよ。
524承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/11/07(水) 06:46:09 ID:O6CwV1Qp
>>523
あんまり言うなよ。
可哀想だろwww
525神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 09:40:04 ID:h7bThxeI
>520
>俺には何か君から禅門、特に白隠系の匂いがプンプンしてくるのは気のせいかな。

仰るとおり「気のせい」です。
どうぞ、私が何ものかピタリと分かるよう禅定を深めてください。

あと、正しい仏教の理解には、まず正しい言葉の理解が必要だ・・・と私は思いますが。
誤った言葉での理解は、たとえプロセスは正しくとも正しい理解とはいえない・・・
と私は思います。
もちろん、これはあくまで私見であり、あなたに強制するものではありません。

526神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 09:47:27 ID:h7bThxeI
>521
「毒矢の喩え」が全てだと思います。
涅槃に役立たないものは無視し、役に立つものは何でも(それがヴェーダであっても)
取り入れる。。そういうスタンスだったのではないでしょうか?
「常識の範疇」で理解できる、理解できないの問題ではないと思います。
527神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 09:59:11 ID:Eqq1pvP+
>>525
うるさいよキチガイベガンの癖に
528神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 10:20:31 ID:h7bThxeI
>509
>原始仏教における信仰とはどういった事柄を指すのですか?
これは重要な問題だと思います。
最近の日本人にとって「信仰」はどちらかといえばネガティブな
イメージを持っています。学会やオウム事件に見られるよう
「信仰」は「頑迷な妄信」「カルト」という意味合いを纏ってしまいました。
しかし仏教において信仰(シュラッダー、サッダー)は重要なタームです。
サッダーは第一信用、信頼の意味であり否定されるべきものではありません。

よく引き合いに出されるのが、サンユッタ・ニカーヤTなどに見られる
Aparuta tesam amasatta dvara, ye sotavanto panmuccantu saddham
「彼らに不死の門は開かれた。聞く耳を持つ者は信仰を解き放て(捨てよ)。
ですが、
ある先生はこれを「信仰を捨てよ」と訳し、「信仰」とはヴェーダなど否定されるべき信仰である
と解釈しました。
しかし、サンユッタ・ニカーヤ・アッタカター(注釈)によればpamuccantu
は、自己の内部にあるものを外部に「解き放つ」「発する」という意味があり
「信仰を起こせ」と注釈しています。
どうも伝統的にはそのように理解されていたようです。

また、これ以外の部分では信仰は決して否定的に扱われていません。むしろ
重要なものとされていました。
当たり前ですが、ブッタに対する信用、信頼がなければ帰依も必要なく
またブッタの言葉を聴く必要もありません。
先ず、信頼して教えを聞いた上で(聞)、それを玩味(思)し、その後修業する、
というプロセスだと思われます。




529神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 10:26:50 ID:h7bThxeI
>うるさいよキチガイベガンの癖に

誰のことです?
誰かと勘違いしていますねw
瞋恚に駆られた人はかくも盲目とは・・・・
文体をや内容をみれば別人と見当つきそうなものですが

悟っているならもっと慧眼を働かせたらどうです?
私は文献上の話をしているわけだから、あなたの信仰は否定しませんよ。
どうぞご自由に。
530神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 17:56:17 ID:Eqq1pvP+
>>529
ああ、単なる読書ヲタだったのねw
531神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 18:22:09 ID:nnYIiBOy
>>530
君は、本すら読んでないだろ。
水野弘元『仏教要語の基礎知識』ぐらいよみなよ。
しょうもない評論家の本とか読んでないで。
532神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 20:08:13 ID:JYOwJ+nD
>>528
ブッダは成道と伝道決意後、『ふるき信仰を去れ』(相応部教典 6 1、増一阿含 19)と宣言し
且つ邪命外道のウパカに「一切智者」宣言をしている(中部経典 26、中阿含 204)。
また後日ヴァッチャにも「わたしは一切の幻想をすて、一切の迷妄を断ち、一切の我見を離れて、
執着もなく、解脱したと言うのである。」と説いている(中部経典 72、雑阿含経 34 24)。

したがって、ここで『一切』とは何かが問題となる。

みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。
「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、
1. 眼と眼に見えるもの、
2. 耳と耳に聞こえるもの、
3. 鼻と鼻ににおうもの、
4. 舌と舌に味わわれるもの、
5. 身体と身体に接触されるもの、
6. 心と心の作用、
のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。
さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。
何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。(サンユッタニカーヤ 33.1.3)
533532:2007/11/07(水) 20:10:14 ID:JYOwJ+nD
532続
まさに一切とは、経験的に検証しうる諸現象のことであって、形而下現象と言える。
人間が経験的に知りうる最深部の真実を見抜かれたのだ。
『この教えは、はなはだ深く知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧ある者のみが知りうるところのものである。』
(相応部教典 6 1、増一阿含経 19<梵天勧請>&中部教典 72、増阿含経 34 24<ヴァッチャ>)

従って、⇒一切外=戯論であり 且つ仏教は「信仰」などではありえない。
智慧(断じて知識ではない)がなくとも信ずるものは救われる、というものではないからだ。

ゆえに、⇒一切行無常 一切法無我 一切皆苦 涅槃寂静 

534神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 20:12:53 ID:t7BwOKPj
>>532
ナイスです。
535神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 23:03:56 ID:Eqq1pvP+
>>532
確かにナイスタイミングだね。
でも、コピペなら誰でも出来るとか何とか言ってきそうな悪寒。

中々自分の言葉で書くのって難しいね。
536神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 00:55:43 ID:dQAENVf3
>>489
 1   一切の生じたものは皆死に 寿命は必ず終わりに帰す  −−「生れたものはみな死ぬ」ということ
 2   業に随って果報を受ける 善悪はそれぞれ果報を得る  −−業報
 3   福を修すれば天に昇り 悪をなせば地獄に入る  −−上天と堕地獄
 4   道を修して生死を断じ 永久に涅槃に入る  −−(それらを越えた)涅槃
 
>    >死後、業を受け、
>     ここはやや微妙ですね。「死」については「生れたものはみな死ぬ」ということを
>      再三、述べていますが、これが死「後」を説いている、と言い切れるものか。
>      「死」が「業報」や「天界・地獄」、また「涅槃」とどう関連するのか、これだけで
>      推し量るのは、やや困難を感じます。

そうでしょうか、2は、1を受けていると考えるのが自然でしょう。
接続詞がなくても、これは断章ではなく連結した文と考えないといったいどういう意味になるんでしょうか?
生まれれば死ぬ。死ねば業に従って果を得る。善なら天、悪なら地獄。それは輪廻。
道諦を修行して輪廻を断ち、涅槃に入る、それが「後有を受けず」と言われる定型句。
537神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 00:58:37 ID:dQAENVf3
>>532-533 の論理をまとめると次のようになるでしょう。

  前提1:釈尊の説く一切とは、経験的諸現象であって、形而下現象と言える。(サンユッタ 33.1.3より)
   中間帰結1:釈尊は人間が経験的に知りうる最深部の真実を見抜かれたのだ。
 
  前提2:『この教えは、はなはだ深く知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧ある者のみが知りうるところのものである。』
  前提3:釈尊は成道と伝道決意後、『ふるき信仰を去れ』と宣言した。(相応部教典 6 1、増一阿含 19)
   中間帰結2:従って、一切外は戯論であり、且つ仏教は「信仰」などではありえない。
   中間帰結3:智慧(断じて知識ではない)がなくとも信ずるものは救われる、というものではないからだ。

  結論:ゆえに、一切行無常 一切法無我 一切皆苦 涅槃寂静 

前提1から中間帰結1を導くのは、論理的にはそんなに可笑しくないですね。
前提2-3から 中間帰結2-3を導くのは無理ですね。ほとんど術語を誤解しているからです。

一番、可笑しいのは結論。なぜ以上の根拠から四法印が導かれるのかさっぱり理解できません。
四法印に説かれる意味の根拠を出したのは「一切」だけで、涅槃寂静については何が言いたいのかもさっぱり分からない。

これは非論理の典型です。こんなんでなんで納得できるのかというと、輪廻否定派は感情的だからなのでしょう。
538神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 01:01:41 ID:dQAENVf3
次に三つの前提が偽であることを証明しましょう。
まず、前提3ですがこれは何より>>528 を反証してからじゃないと何もいえないでしょう。
ですから >>528さんにこの点はおまかせします。

前提1は、先ず訳に問題がありますね。重要な部分です。
「心と心の作用」と訳している部分の原語は mano ca dhammaa ca です。
これは「意と諸法」と訳すべきです。つまり「心の作用」心所ではなく「意識の対象」なのです。
これは意識に現れる対象全てを含むわけです。そこには諸禅定体験、諸神通も含まれるわけで、
当然、宿住随念智=自分の過去世の生涯を知る智慧、死生智=他の生ける者の死と再生を知る智慧も入るわけです。
これは凡夫から見れば形而上かもしれませんが、聖者からみれば経験なのです。ですから、以下のように書き換えるべきでしょう。

  前提1:釈尊の説く一切とは、経験的諸現象である。(サンユッタ 33.1.3より)
   中間帰結1:釈尊は聖者が経験的に知りうる真実を見抜かれたのだ。

539神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 01:03:25 ID:dQAENVf3
前提2は、断章取義の典型ですね。
『この教えは、はなはだ深く知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧ある者のみが知りうるところのものである。』
これに続いて、

 この世間の人々は、執着を好み、執着することに愛着を感じ、執着することを歓ぶだけである。
 執着を好み、執着することに愛着を感じ、執着することを歓ぶ人びとには、この道理は見がたい。
 すなわちそれは、縁によってあるという性質の、縁起というこの道理である。

と説かれウダーナが続きます。

 この法は、世間一般の在り方に逆らい 微妙で甚深、見難くかつ精細であるから、
 欲をむさぼり、暗闇におおわれている人びとには、とうてい見ることができない。

当然、智者というのは、定慧あるいは止観を修めて縁起を悟り、無常・無我を体得した人です。
けっして世間一般の在り方である常識ではなく、
見えるものが無常・無我であると悟ったものを言うわけで全く逆の意味ですね。
「信ずるものは救われる」とは仏教者は言わないでしょう。ただし信は必要です。七財に信財が含まれていることで十分でしょう。
「一切外は戯論であり」貴方は、戯論を誤解してるでしょう。一切が戯論なんです。
戯論は、妄想ですが、その妄想というのは貴方が現実と思ってる一切にほからない。
だから、一切が静まった状態、無戯論無分別が寂静なんですよ。
540神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 01:17:20 ID:dQAENVf3
>466
 >>114 に対して既に>>136で答えているんですが、誰も読んでないようですね。>>490さんが正しいです。

「ダライラマの輪廻転生」というのはありません。全くの誤解です。
これは大乗仏教の根本思想である『華厳経』に表される普賢行の実践です。
つまり化身あるいは誓願力で人となって利他行を行うという考えです。
ですからダライラマは化身してるのであって、輪廻してるのではありません。
次のように説かれます。

      乃至虚空得究竟 衆生無餘究竟然 及業煩惱乃至盡 乃至我願亦皆盡  『普賢行願讃』
       
      虚空が尽きず衆生がいるかぎり、私もありつづけ衆生の苦を除こう。   『入菩提行論』
       
      虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん。   弘法大師『性霊集』
       
      要するに虚空が尽きず衆生の苦があるかぎり、私もあり続け直接間接、
      利楽をもたらすものとなりますように。  ダライラマ『ris med smon lam』
     
化身して世間に「ありつづけ」利他を行うという意味です。
『普賢行願讃』は『般若心経』と並ぶ大乗の根本経典です。
『般若心経』は『般若経』の核心なら『普賢行願讃』は『華厳経』の核心、
明治ぐらいまでは日本でも普賢行なんて常識だったのに。
日本にも聖徳太子、弘法大師、源実朝などが化身・後身とされています。

アティシャがチベットに来たとき弟子がロンソン・パンディタというニンマの学者を
論破してくれと言った時、あの方は自分の師であるクリシュナ・アーチャーリャの
化身だから、そんなことはできないと言ったということから、インドでも
当然のことながら、化身が認められていたことが分かります。(デプテル・グンポ)
541神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 02:36:45 ID:+c6PocEz
いわゆる原始仏教の話をしてんのに、チベット仏教の活仏制(土着信仰と政治的動機をインドの後期の大乘・密教に
もとずいて合理化してものがそのまま信仰されてしまったもの)を根拠としてみたり、めちゃくちゃだな。
そもそも日本語をつかってくれ、日本語を。
輪廻転生ということばは阿含にはでてこないだろ?輪廻転生という言葉をつかうのならそれが出てくる典拠を示してくれ。
そうじゃないと何が前提となった議論なのかまったくわからん。

なんちゃら協会とかいう新興宗教を上座部の代表のように取り扱うひとがいるのはどうしてなの?
仮に現在のセイロン上座部の流れを汲んでいるからといって、大乗興起後数百年の後に一度は断絶した流れ、それが
現在まで変遷して伝えられたものだから、けっして部派分裂後の上座部系部派をそのままつたえたものではなく、
むしろまったく別物といってもよい教団じゃないの?例えばミャンマーの僧侶がデモをやったわけだが、律蔵の規定から
いえばどうなの?そういう行為が許される教団であるということは多分に現代化してしまったものであって過去の部派教団
を代表するものではないでしょが。
542神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 04:51:23 ID:cVy7nfoo
>>ID:+c6PocEz
聖者なら過去世の自分が解ると豪語してるが、
どうやってそれを証明するんだ?
教典にそう言った記述が有るからって、他の証明の為の比喩は別にして、直接説明してる語かの様な未来の自分が見える・過去の自分が見えるみたいな表現は科学的に証明出来るの?

ある人の記録的に不明になってしまってる前世を科学的に証明出来るの?

出来るなら何故正確な釈迦やキリストやマホメットの生前の記憶や言動などが証明されないの?

門外不出だから秘密にされている、ってのは無しね。
それじゃ不可知論丸出しのオカルト話しになっちゃうから。
543神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 09:33:07 ID:SIeUg+jD
>>542
アンカーのうちまちがえじゃない?
544神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 09:43:20 ID:E5+6+fiP
原始佛教スレよりコピペ

「ダライラマの輪廻転生」というのはありません。全くの誤解です。
これは大乗仏教の根本思想である『華厳経』に表される普賢行の実践です。
つまり化身あるいは誓願力で人となって利他行を行うという考えです。
ですからダライラマは化身してるのであって、輪廻してるのではありません。
次のように説かれます。

乃至虚空得究竟 衆生無餘究竟然 及業煩惱乃至盡 乃至我願亦皆盡 『普賢行願讃』

虚空が尽きず衆生がいるかぎり、私もありつづけ衆生の苦を除こう。 『入菩提行論』

虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん。 弘法大師『性霊集』

要するに虚空が尽きず衆生の苦があるかぎり、私もあり続け直接間接、
利楽をもたらすものとなりますように。 ダライラマ『ris med smon lam』

化身して世間に「ありつづけ」利他を行うという意味です。
『普賢行願讃』は『般若心経』と並ぶ大乗の根本経典です。
『般若心経』は『般若経』の核心なら『普賢行願讃』は『華厳経』の核心、
明治ぐらいまでは日本でも普賢行なんて常識だったのに。
日本にも聖徳太子、弘法大師、源実朝などが化身・後身とされています。

アティシャがチベットに来たとき弟子がロンソン・パンディタというニンマの学者を
論破してくれと言った時、あの方は自分の師であるクリシュナ・アーチャーリャの
化身だから、そんなことはできないと言ったということから、インドでも
当然のことながら、化身が認められていたことが分かります。(デプテル・グンポ)
545神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 09:56:10 ID:cVy7nfoo
>>543
こりゃ失敬
>>542>>536-540に対してへのレスです。
訂正します。
546神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 10:27:36 ID:cVy7nfoo
輪廻と化身って誰がどの様にして見分けるんだ?
で、その言い分の根拠や証明はちゃんと裏付けされてるのかな?

誰誰様が言ってるんだから間違いない、ってのは権威に依存した物言いや考察は排する仏教の禁則に触れてるだろ。

それ以前に、現在のラマ教は純粋な仏教とは呼べない。
生まれ変わりを説いた時点で、仏教としての法印はとっくに消え去ってしまっている。
今のラマ教の存在意義は貴重な文献・資料庫として位しか仏教的には価値が見出だせ無い。
547神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 12:02:34 ID:tr6ftmNu
>542
オマエはもう来なくて良いって何べん言わせるの?
ハイハイ輪廻転生なんて日本語はどこにも書いてありません
これで良いだろw
>546
オマエも、チベット仏教シンパを煽ってんだろうが、荒らしだから止めとけ。
あと、文章くらい理論的に書いてくれw

>その言い分の根拠や証明はちゃんと裏付けされてるのかな?
>誰誰様が言ってるんだから間違いない、ってのは
>権威に依存した物言いや考察は排する仏教の禁則に触れてるだろ。

この矛盾に気づかない?
548神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 12:07:34 ID:tr6ftmNu
>532
カラスの寝言は聞き飽きた
グノーシスはどうした?
似非クリスチャンだろ?
549神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 12:20:20 ID:cVy7nfoo
>>547
釈迦が言ってるんだから間違いない。
そう主張して曲げない人なら矛盾してるだろうね。
ただ、どれが釈迦の正しい教えなのかが重要でしょ。
釈迦は道理に適わない教えは説いてないし、試せない教えは説いていない。
これは原始仏教考察のイロハでしょ。
カーラーマ経の通りだと思うし、それを何食わぬ顔でサイトに載せてる寺和田もまた、矛盾の教団だと俺は思うねw
550神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 12:24:34 ID:cVy7nfoo
>>547
おっと書き忘れ。
最終的には釈迦すら月を指す指である事も付け加えて置くよ。
551神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 14:31:59 ID:tr6ftmNu
ハイハイ分かったから・・・悟ってるんでしょ?
認めてやるから黙ってて。
カラスの馬鹿騒ぎは聞き飽きたって言ってるのにw
指月も聞き飽いたわw

>釈迦が言ってるんだから間違いない。

>誰誰様が言ってるんだから間違いない、ってのは
>権威に依存した物言いや考察は排する仏教の禁則に触れてるだろ。

これを矛盾と言うんですw
出直してきなさい。
552神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 14:35:24 ID:CsEotGW8
釈迦が言った事「にされている事」も間違いない、でいいのか?
なら
「釈迦はおまんこで悟りを開きました」
もOKなんだな?
553神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 14:39:29 ID:tr6ftmNu
>釈迦は道理に適わない教えは説いてないし、
>試せない教えは説いていない。

誰がそう言ったの?
シャカがか?
もしかして直接聞いたのかw
それともアンタの直観か?
これを矛盾と言うw
出直してきなさい。
554神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 14:46:20 ID:tr6ftmNu
「すべてのクレタ人は嘘つきである。」
クレタ人であるエピメニデスという人が言った。
これをパラドックスと言う。

「私の言うことを鵜呑みにしてはいけない」とシャカが言った。
なんでこの矛盾に気づかないんだw
555神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 14:55:09 ID:iywqcIz4
大乗仏教だと釈迦のまえにもあとにも無数のブッダが存在するということだが、、、。
それでいいんじゃないか?
イエスもプラトンも無名のリンポチェ達も親鸞もブッダ。
応身仏。
556神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 15:57:36 ID:cVy7nfoo
>>551
良く読め文盲。

>>553
仏教かじってる癖に知らないのか?マヂ??w
釈迦の教説の根幹がなにかも知らないで能書き垂れてる訳?w

本物のフシアナだな。
研究者でもないただの読書ヲタだよ、君は。

>>554
カーラーマ経、知らないの?
趣旨はその君の引用と変わらない訳だが?

ちゃんと読めないのか?
557神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 18:50:20 ID:tr6ftmNu
>556
プッ
つまりカーラーマ経とやらを仏説と妄信してるわけだねw
カーラーマ経は生天や死後の果報についても説かれてるんだけどね・・・
当然、信じてるよなw
558 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/08(木) 19:41:16 ID:WiLTgHze
無記に相当することは、過去生など修行の途中で経験するものもある。
形而下で体験されることがある。

原始仏教の三学
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/kaijoue-06.htm

>>507が近いでしょ。
559 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/08(木) 19:56:48 ID:WiLTgHze
>>546
だから、涅槃に入ろうと思えば入れる段階まで修行してるわけだよ。
だけど、涅槃に入らずに転生するか、化身とでも言うんじゃね?
560 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/08(木) 20:09:43 ID:WiLTgHze
無記の答えが何であろうが、無常だからね。
561神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 20:43:46 ID:/KWttxWq
558 非表示:名前
559 非表示:名前
560 非表示:名前
562神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 00:44:29 ID:q0kAcnYj
cVy7nfoo さんは、捨置しましょうよ。無駄です。

>>558
私の理解では十無記/十四無記で扱われたことは、禅定の結果で経験するものではありません。
宿命通などの過去の記憶は、無記でもなんでもなく、釈尊がなんども語っていることです。

何度も言っているように十無記/十四無記のターターガタが有情と注釈されることから、
死後は問うべきでないと解釈した学者がいたのですが、それが誤解であることは水野弘元先生が
論証したとおりです。

死後は問うべきでない解釈を敷衍して釈尊は形而上を問わなかったとなるわけですが、
それは成り立たないのは明白です。なぜなら釈尊は一切に意とその対象である諸法を含めたのですから。
つまり、精神や観念、思惟、直観を扱っているのが明らかです。

というより、釈尊は五官を抑制し、もっぱら禅定や観法という精神を主に扱ったのですから、
形而上を重視したと言えるでしょう。戒定慧でいえば、戒だけが形而下と関わっている。
その戒にしても仏教の戒律は、動機を重視するので形而上・精神を重視しているのです。

だから、仏教が形而上を扱わないというのは、全く問題にならない妄説なのです。


563神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 01:14:18 ID:q0kAcnYj
科学で証明できるのかとか仰ってますが、
先ずこのスレでは文献、テキストに何が述べられているかを正確に読むことが問題だと思うんですが。
テキストに説かれている釈尊の体系は何かが問題なのであって、そこに現代人の常識を持ち込むことこそ、
文献学的意味で非科学的態度以外のなにものでもないでしょう。

科学で証明できるのかとか仰ってますが、それを検証するためには科学に一生身を捧げても無理でしょうね。
才能のある科学者が取り組んでも無理なのに、今からそんなこと私ができるわけありません。
学問は、なんでも学術論文が読めるレヴェルになるまででもかなりの訓練が必要になります。
ましてや、誰もなしとげていない成果を出すのは、単純に考えて無理でしょう。

それから類推できるように科学の学説の正否を自分で確認するのはとても大変なことです。
私は相対性理論も量子論も、その正否など全くわかりません。
多くの科学者も自分の専門分野以外の理論の正否などは分からないものと言われます。
それでも現代の多くの人は専門の科学者が認めたものは正しいと信じてます。
これは科学信仰でなくてなんでしょうか?

仏教も同じです。悟りがあるかないか、それは悟るまでは分からない。
でも、多くの聖者が悟ったようだから、彼らの思想・行動から推測して信じられるなら受け入れればいいし、
信じられないなら、受け入れなければいいだけの話でしょう。

それとも科学は自分で検証しなくても信じるが、
仏教は科学と呼ばれる現代の常識から分析してからでなくては受容できないというなら、
それは仏教ではなくて、ただの現代の常識を仏教で権威づけてるだけでしょう。
ほら、釈尊も同じことを言ってる、だから常識は正しいと言いたいだけ。
なぜなら、仏教を常識のフィルターにかけて、別なものに作り変えているのですから。

564素人:2007/11/09(金) 01:19:22 ID:nuUK4Hsr
>>563
ほぼ同意しておきます。

特に、
>仏教も同じです。悟りがあるかないか、それは悟るまでは分からない。
>でも、多くの聖者が悟ったようだから、彼らの思想・行動から推測して信じられるなら受け入れればいいし、
>信じられないなら、受け入れなければいいだけの話でしょう。
は、良い文章だと思います。
565神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 01:42:48 ID:jAUmNj/4
素晴らしい論客がいるもんだ。

566神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 08:50:11 ID:+Fm7jAlR
仏教における「科学」とは、
修行(経験)なんじゃないですか?

だから、人の教えを真にうけるなと
567神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 09:45:47 ID:jgYB86DP
>>566
自分で答え書いてるじゃんw
だから言ったでしょ?
釈迦は経験出来ない事は言ってないんだって。
568阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/09(金) 13:54:25 ID:y+MFfgqh
「捨置」されるのは破落戸ジョーユーだろうが(嗤笑)。
お里も身元もとっくに割り出されてることだし、早晩社会から駆除&放逐を喰らうだろうよ(冷笑)。
569承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/11/09(金) 14:02:16 ID:8kc7uPPl
チャカポコチャカポコ♪
今日も飽きずにオウム叩くよ♪
叩く私も瞋恚の鬼だよ♪
チャカポコチャカポコ♪
570神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 14:26:14 ID:jgYB86DP
アホダラ… 懐かしい名だw
元気だったんだ。

て言うかオウムがうろついてるとは気がつかなかったな。
571神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 14:31:52 ID:N/XmK6hO
ん?長広舌垂れてるのはアーレフなん?
572阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/09(金) 14:41:33 ID:y+MFfgqh
>>571
アーレフかどうかは不明だが、メンタリティがオウムそのもの(笑)。
573 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/09(金) 17:34:55 ID:SNp/jN9/
無記に関しては、ウパニシャッドのような論争はいいから修行しようってことでしょう。

『マッジマ・ニカーヤ』の無記の記述のほんの少し後に、
それを説かない理由として、悟り・涅槃のために役立たないからと述べている。
574神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 18:25:17 ID:K4tMCbOr
だから、死後を論じる業報輪廻転生論は無記対象ではないかが問題となっている。
                    (中部経典 72、雑阿含経 34 24)
  現象した燃える火が消えるのみ。

ただ、解脱せる寂静(慶安)な火であったか、
   解脱せぬ乱れた火(苦しみ)であったか、の違いがあるにすぎない。

それ以上の問いは建てないのが賢人というものだ。
575神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 10:25:19 ID:2FX7/IEA
>574
輪廻(サンサーラ)は無記の対象ではありません。学会で「サンサーラは無記」と発表すれば
「仏教は輪廻を否定した」と主張する学者からも失笑を食らうでしょう。

ですから、「輪廻がある、ない」なんて論争は仏教の歴史において
現代日本くらいなんですって。
「輪廻」が問題になるなら、とっくの昔に問題になってます。
輪廻が涅槃に役立たないものであれば、
とっくの昔に明確に否定されてます
(明確に否定した文献の提示を求めてもナシのつぶて)

今のところ輪廻否定の方は
@常識から考えて輪廻はありえない
Aブッタは輪廻の存在を否定しているに違いない
この二点から批判しますが
上記の通り、この2つとも文献学には基づかない推測にしか過ぎません。
このように、仏教が輪廻思想を受容した歴史は紛れもない事実です。
眼を塞ぎ耳を塞ぎ「無い無い」と叫んでも事実です。

もちろん、おのおの信じるもよし信じないもよし・・・
それは文献学の与り知らぬことです。

576神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 11:14:20 ID:GdsUxO5h
>>575
ではその輪廻を具体的に立証する方法はあるのかね?
凡そ五薀に依って識別が出来なければ縁起に反する只の空想と言わざるを得ないのではないかね?

但し、魂の転生とか生まれ変わりとかは除くって言うならまだ譲歩の余地は残されてる気はするがね。
577 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/10(土) 11:32:48 ID:2wggE2zD
「輪廻はある」「輪廻はない」と具体的に立証する方法が現在あるんですか?
578神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 11:46:52 ID:GdsUxO5h
>>577
輪廻は有るとも無いとも現在でも立証不能でしょ。
輪廻思想などは古ウパニシャッドでも普通に説かれてた当時の一般論で、仏教も方便として用いただけだろ。
輪廻や転生が有ろうが無かろうが本来悟達の過程には関係ない。
579神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 11:58:13 ID:GdsUxO5h
書き忘れ。

三国伝来系の各教団関係の人達や新興勢力の人達の中には、
輪廻や業が仏教に色濃く刻まれてないと教義が崩壊して困る人達も多いんだよな。

そう言った輩は、ドグマを徹底廃除する仏教の側面をひた隠しにしたがるから笑えるw
580 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/10(土) 12:01:22 ID:2wggE2zD
一度、仏教の原始的経典を読むと大きく疑問が晴れるかもしれません。
推薦図書としては、偉大な日本仏教研究家の中村元氏の日本語訳がいいでしょう。

・中村元『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫 276ページ
 最も古い聖典
・中村元『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波文庫 394ページ
 真理のことば = ダンマパダ = 法句経
 感興のことば = ウダーナヴァルガ ブッダがふと口にした言葉集
・中村元『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤI』岩波文庫 351ページ
・中村元『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤII』岩波文庫 425ページ
 サンユッタ・ニカーヤ = 雑阿含経
581神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 12:01:56 ID:vdAz006g
『ウソついたら、地獄で閻魔大王に舌を抜かれるでえ』
・・・という方便説教話を科学的に実証的に否定できないがゆえに、あると「信じる」奴がいるんだw
582 ◆VEGAN.Izk2 :2007/11/10(土) 12:02:59 ID:2wggE2zD
で、あなたは科学的に実証的に肯定できないまま無いと「信じる」の
583神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 12:04:09 ID:vdAz006g
もちろん『ウソついたら、地獄で閻魔大王に舌を抜かれるでえ』を否定する文献学的根拠もない。
584神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 12:06:19 ID:vdAz006g
>>582
⇒ >>574 それ以上の問いは建てないのが賢人というものだ。
585神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 12:13:08 ID:vdAz006g
>>574 それ以上の問いは建てないのが賢人というものだ。

ここがカルト化するかどうかの分かれ道



586神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 12:15:53 ID:GdsUxO5h
>>580
それらの書籍、既に読んでるし可能な限り用いてる。
が、基本的にこれらの内容は出家向きだよ。
読んだだけでは理解が難しいことが幾つも出てくる。
理解出来てないのに悟ったて言う奴はみたことあるがね。
587神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 12:41:35 ID:2FX7/IEA
>576
あの、何度も言ってるんですけど・・・?
輪廻は認識論とは関わりません。
識別できないものが全て空想なら涅槃も解脱も空想になりますが?

「ブッタは輪廻を認めていない」と文献学的に主張したければ
SPはじめウダーナ、ニカーヤ類を分類し、最古層に輪廻思想が混入していないことを
証明してみてください。
いまのところ誰もうまくいってもせんけどw
588神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 12:49:47 ID:2FX7/IEA
それにしてもまあ、輪廻を前提とする仏教各派並びに仏教系新興宗教
はたくさんありますが、
かくも、しつこく輪廻の存在を否定する宗教ってどこなんでしょうね?
研究者でないことは明らかですが・・・
やはり浄土真宗系でしょうか?
もし、そうであれば、欺瞞の極み厚顔無恥としか言いようがありませんねw
少なくとも宗祖は輪廻を信じていたでしょうけどね。
589神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 12:55:56 ID:2FX7/IEA
曹洞宗も三時業を否定しているそうですね・・

まあ、私は信仰の話をしているわけではないので
輪廻を信じようが信じまいが関係ありません。

でも、文献学的批判にすら耐えられない宗教なんて
「存在する意味はない」と個人的には思います。
590神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:02:01 ID:GdsUxO5h
>>587
私はどちらとも断言した事は無いが?
輪廻の具体的な定義も曖昧なのにおいそれと断言出来る筈もない。
君の解釈では仏教とは全ての事象事物に白黒を付け終わっていると言う認識?
ひょっとして、無記と言う事実も許せないんじゃ無いのかな?

今世で存命中にあの世と呼ばれる世界の存在の有無を確認し証明出来た人は居るのかい?

居たとしたらライフスペースの元代表は冤罪でエライ事じゃないかw
591神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:05:25 ID:ZahNiJys
どこまで行っても、輪廻と輪廻転生を分けて考えないのが輪廻転生を前提とする人。
薪の火がどんどんと進行していくさまを輪廻と言い、燃え尽きた後はそこに連続するものを認知できない。
火がどこかに乗り移るのかもしれないが、薪自体はもう存在しない。

燃え尽きた後を幾ら詮索しても実生活(苦から解放されること)には関係の無いこと。
肝心は、薪が燃え盛るその火の状態を鎮めること。

(毒矢の喩)
592神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:14:31 ID:7zFE/ybV
輪廻と輪廻転生を分けて考えるのは、どうも現在、あなただけのようですが。

そもそも輪廻と輪廻転生を分ける根拠はなんでしょう?
593阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 13:22:11 ID:feYOwXxs
>>590
そりゃオマンマの喰い上げに追い込まれるような所説なんか、セクト奴婢には絶対に許せんでしょうよ(笑)。

生憎当方は、あらゆるセクトがそのドグマもろとも地を払って消失しても何の痛痒も感じませんけどね(笑)。
594神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:25:13 ID:ZahNiJys
>>592
私だけと言う根拠を示してください。
分けて考えるのは
辻、中村、水野、桜部、増谷、宇井、岩本、平川、木村、雲井、、、、数限りありません。
で、その嘘の責任をどう取っていただけますでしょうか?

仏典には生死輪廻はあっても、輪廻転生はありません。
595神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:26:08 ID:ZahNiJys
上記辻は和辻の間違いでした。
596神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:32:02 ID:ZahNiJys
「生死」のことを転生だと読み込んでいた人がいたようですが、それは愚劣なことです。
数息観がテーラワーダの専売だと発言した人と同じレベルの愚考です。
597神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:36:32 ID:Or/R5GUb
輪廻を肯定も否定もしないという立場ならまだわかるが、否定していると考える方々はどうかしている。
・無常
・成住壊空
・因縁果報
これだけあれば、輪廻(転生)は十分導き出せるんだからな。
598阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 13:41:21 ID:feYOwXxs
言及されてもいないことを藁人形にでっち上げ、当たりもせぬ紙礫を間抜けに投げ付け続ける破落戸ジョーユーは、「永代晒し物」としてその穢らわしい醜態をログに留めることになりましょう(冷笑)。
599神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:43:07 ID:ZahNiJys
生死とは生老病死の四苦をまとめていったことであって、生まれ変わり死に変わりではありません。
仏教の方便説については古今様々な分類があります。

最近で面白いなと感じたのは図書館でしか見れなかった本庄良文氏翻訳の共同研究ですが、
アーガマやアビダルマの分類を多角的にとらえたものであり、氏の脚注には尊敬の念以外沸いてきません。

上記は経典における方便説を切り取る一つの手段として利用価値がありますね。
その方法論を現代的に洗練して使う方法もあります。
近代欧州でのインド学摂取時代を持ち出す愚劣者も居ますが、同じように見ないでいただきたい。
渡辺照宏氏の批判的態度を踏襲した上での考察なのですから。
600神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:43:58 ID:GdsUxO5h
>>594
言葉尻が気に入らないならお気に召すよう訂正しましょう。

私が使った転生と言う意味は正しく生死流転と言う意味で、
生死輪廻でも意味は同じと認識しています。
それとしても、生まれる事と死ぬ事が繰り返してる様に現象として見える事は理解出来るが、
実際に同一の魂の様なものが不滅の存在の如く転々としてると確認出来た報告も証拠も学説も見た事ないです。

私的には人間の存在も、宇宙から見れば所詮雨風等の現象の一つに過ぎない、
と言う見解です。
601神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 13:45:00 ID:ZahNiJys
>>597
輪廻否定派は今のところ見当たりませんよ。
輪廻肯定する考えを否定しているだけです。

基本的立場は、肯定も否定も無意味だからしない。問題外である。
ということです。

しかし、輪廻肯定派を批判するには肯定論拠を反しなければなりません。
602神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 14:10:32 ID:GdsUxO5h
>>596
数息観は止観行の一種で確か天台系でしたね。
テラワダはヴィパッサナじゃなかったです?

ま、中華仏教も紅茶仏教も詳しく無いですが。
603神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 15:00:27 ID:7zFE/ybV
>>594
このスレでという意味です。また、水野弘元、平川彰、木村泰賢は、分けてないでしょう。和辻は根源ですが。
このスレで輪廻と輪廻転生という言葉を次のように分けて使っているのは、あなただけではないでしょうか?

>  282 神も仏も名無しさん [sage] Date:2007/10/31(水) 14:03:21  ID:K2u3Mk10
>      輪廻とは業報輪廻、今日行ったわるいことは、明日かそれ以降に報いがある。
>      人間存在とはそのように業の積み重ねによって苦しむ性質のものである。
>  
>      輪廻転生は業報を死後の生まれ変わりに求める。

この典拠は何かと聞いているのです。ずっとあなたは詭弁だけで、なんの証拠も出してませんね。
やっと出した証拠が>>532-533 でしょうか? 
それがあなたかどうかは別として釈尊が形而上を扱ってないという間違いは認めますか?
釈尊は、形而上もあつかってますよね。意も諸法も形而上ですから。

また 輪廻と輪廻転生という言葉を分けて使っているから 1CLXVy3i さんだと思うのですが、
>>451 >>374 が輪廻ではないということを説明する訳を示さなければならないでしょう。

>  282 神も仏も名無しさん [sage] Date:2007/10/31(水) 14:03:21  ID:K2u3Mk10
>      業相続が三世に渡って輪廻する?有部説ですね。
>      原始仏教に典拠がありますか?
>  
>  284 神も仏も名無しさん [sage] Date:2007/10/31(水) 14:06:03  ID:K2u3Mk10
>      有部のその考え方にアートマンであるという批判が仏教内部からも集中しました。
>      無常無我ではなくなと。それで思いついたのが刹那滅です。刹那滅だから無常無我である。やった!
>  !とね。

という「業相続が三世に渡って輪廻する有部説」「のその考え方にアートマンであるという批判が仏教内部からも集中しました」
>>302 で述べられたように間違いですよね。批難されたのは三世実有であって「業相続が三世に渡って輪廻する」ことではない。
604神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 15:11:07 ID:GdsUxO5h
>>603
この板的にちゃんと法輪回せる人は何人もいないから名無しじゃ無くても良いと思った。

けど、粘着も凄いから仕方ないかw
605神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 15:19:14 ID:ZahNiJys
>>603
あなたは、勝手に名無しをだれそれであると決め付けていますが、それこそ蒙昧ですね。
では、経典に輪廻転生と言う言葉がありますか?

>>451>>374(清浄道論は保留)は輪廻の説明ですね。それがなにか?

それと有部の業感縁起を出して来ておられるのでしょうか?
コンテクストが理解できませんね。三世実有法体恒有はなんの話でしょうか?

では、業相続が実際の死を基点として輪廻しているという根拠をお示しください。
「生死」を出すのであれば、それは認められません。生死とは四苦であり、一切苦を示すのだから。
606神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 15:55:45 ID:7zFE/ybV
>>605
輪廻転生という言葉など漢訳経典にありませんよ。それは輪廻という言葉の意味を変えるために用いた和辻の詭弁ですから。
輪廻はウパニシャッド以来、生まれ変わりの意味で用いられてきています。根拠は>>451>>374
私は輪廻転生などという言葉は用いていません。輪廻転生と輪廻を分けて考えるあなたが、その根拠を示さなければならないでしょう。

釈尊が形而上学を扱わなかったというのは、誤りですね。

「業相続が三世に渡って輪廻する有部説」「のその考え方にアートマンであるという批判が仏教内部からも集中しました」
という誤った説を得々と騙る方がいて、それを根拠に 三世輪廻は有部説であり、他はから批判されたので、他派は三世輪廻を説いてないと
いうような論旨を訂正して批難されたのは三世実有であって「業相続が三世に渡って輪廻する」ことではないということです。

我々はさんざん典拠を出してきました。>>451>>374 が業相続が実際の死を基点として輪廻しないというなら、
なぜ、そうなのか、訳を付けて説明しないのは、詭弁と言われてもしかたがないでしょう。
607神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 15:59:31 ID:vdAz006g

そもそも、こーゆー無駄論争は無駄どころか、悟りに妨げになるから

関わりになるなというのがブッダの趣旨だろう?

 くたばったら解ることだから、こーゆー面白いネタはくたばった後の楽しみに

置いておこう。ワクワクするねえw

 こんなことより、おめーら、トイレ掃除!って誰かさんなら言いそうだな。
608神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 16:02:49 ID:SI3Ka6HL
133 名無しさん@3周年 sage 2007/01/26(金) 17:46:19 ID:bAMpQJQD
*輪廻:

転生:
輪廻転生:
生まれ変わり:

*再生:

*生存:
*迷いの生存:

*後有:

*(宿命通に於ける)過去生:
*生天:


皆さん、一度これらをきちんと(一括して)定義していただけませんか?
一人一人が、何をどう語っているのか、ズレまくりだと思います。
*印は、「(内面としての)一個人の中の変化」として捉えることが可能かどうかも併せて吟味していただけると、
それぞれの立場がはっきりするのではないでしょうか。

過去スレに若干あったとしても、あちこちに飛び飛びで書かれていたら
書かれていないも同じかと思われます。
どうぞ宜しく・・。
609神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 16:06:05 ID:vdAz006g
文献学たらゆー指先文字ガクモンより、

今までの垢を全部リセットして、ポ〜ンと飛んで月を直接に体験したほーが速いし、

生きるスタイルとしてカッコえーで。
610阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 16:18:39 ID:feYOwXxs
ウパニシャッド以来の所謂形示上学の虚構・欺瞞&虚偽性を看破し、これを根底から破棄・否定し去ったのがブッダの「無記・捨置」と云えます。
その意味では「形示上学を扱って」いますね(笑)。
611神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 16:30:55 ID:h7IuLDpb
冷笑癖(笑)。
612神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 16:42:41 ID:ZahNiJys
>>606
あなたの詭弁は明白ですが、まずこれから行きましょう。

提示したほうから訳を付けてくださいね。
613神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 16:49:16 ID:GdsUxO5h
斥ける、用いない、答えないと言う形で「扱った」と言いたいのかな…

おかしいな、すり替えの臭いがプンプンする。
614阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 17:10:17 ID:5kCTorqS
破落戸は相も変わらず何言っても破落戸でありますな(冷笑)。
615神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:21:01 ID:2FX7/IEA
>590
あの世の話とか、信仰の話は信者同士でしてください。
「文献学と信仰は別もの」この日本語の意味が分かるでしょうか?
立証も検証も関係ないんですけどね・・・理解でき無いようですね。
恐らく、あなたは信仰と学問上の事実を混同しているようですねw
分けて考えることは不可能ですか・・・・
それなら
神話学を専攻したら神話が事実かどうか検証しなければならないですねw
そりゃ大変だw
616神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:22:14 ID:zbOxEmHd
>>609
ほんとうにそうだね
パユットー師(タイ国テラワダNO.3の高僧 ユネスコ平和賞受賞 農村開発僧の思想的リーダー)
の「仏法」を読んで思うことだが
このスレの連中はこの著に比べて論理的にも陳腐だし
その上になによりも自分の生活にどう影響させるのかとか
実践面に何も言及することができなくてホント情けないね
元々は1000ページ以上の大著らしいので増補改訂版の翻訳完成が待たれる
法施なので著作権料はいただかないという清廉さも申し分なし

617神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:24:59 ID:7zFE/ybV
>>532-533 で釈尊の説く一切とは、経験的諸現象であって、形而下現象と言える。
の根拠として出した(サンユッタ 33.1.3)が正に形而上を扱っているということ。
なぜなら「心と心の作用」と訳している部分の原語は mano ca dhammaa ca です。
これは「意と諸法」と訳すべきです。つまり「心の作用」心所ではなく「意識の対象」なのです。
これは意識に現れる対象全てを含むわけです。

(サンユッタ 33.1.3)で釈尊は一切に意とその対象である諸法を含めたのですから。
精神や観念、思惟、直観を扱っているのが明らかです。

というより、釈尊は五官を抑制し、もっぱら禅定や観法という精神を主に扱ったのですから、
形而上を重視したと言えるでしょう。戒定慧でいえば、戒だけが形而下と関わっている。
その戒にしても仏教の戒律は、動機を重視するので形而上・精神を重視しているのです。

だから、仏教が形而上を扱わないというのは、全く問題にならない妄説なのです。
まず、この点を認めるべきでしょう。

>>612
あなたは、それらを死を起点としないと読んで否定した。
ならば、それをどう読んだか示すべきでしょう。
我々は、テクストを出した。それで十分でしょう。他の部分では訳もたくさん出してきた。
あなたは読みもテクストも出さずに違うといい、
輪廻と輪廻転生は違うといったことだけを無根拠に主張するだけです。
618神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:28:55 ID:ZahNiJys
>>606
ちょっと面倒なので、一気に行きます。

> 輪廻転生と輪廻を分けて考えるあなたが、その根拠を示さなければならないでしょう。
根拠は必要ありませんね。

輪廻は経典や論書に現れる言葉、輪廻転生は表れない
だから、この両者は違うものとして取り扱わなければならない。
もし同じである、あるいは違うのもであるというのなら、その根拠を示さなければならない。
「生死輪廻」では根拠や理由にならない。なぜならば、生死は転生と違う概念だから。

> 釈尊が形而上学を扱わなかったというのは、誤りですね。
意味不明。西洋哲学で言うところの形而上学にも様々な意味があり、比較的ヘーゲルに近いかもしれないが、
この言葉を原始仏教考察に用いるのは反対。

つまり、経験や確認、確実な推論、そして再生産が不可能なものは問題視しないという釈尊の態度を尊重する。

> 「業相続が三世に渡って輪廻する有部説」「のその考え方にアートマンであるという批判が仏教内部からも集中しました」
> という誤った説を得々と騙る方がいて、それを根拠に 三世輪廻は有部説であり、他はから批判されたので、他派は三世輪廻を説いてないと
> いうような論旨を訂正して批難されたのは三世実有であって「業相続が三世に渡って輪廻する」ことではないということです。
それが何か?人の文章をちゃと読んでくださいまし。

では、業相続が実際の死を基点として輪廻しているという根拠をお示しください。
「生死」を出すのであれば、それは認められません。生死とは四苦であり、一切苦を示すのだから。

> なぜ、そうなのか、訳を付けて説明しないのは、詭弁と言われてもしかたがないでしょう。
提示したものが訳をつけず、詭弁と言う論難を与えるのなら、議論における敗北を意味します。
つまり、貴方は何一つ論証できていない。
619神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:32:30 ID:ZahNiJys
>>617
私には解ります。
テキストを提示して、断定するだけの貴方には、パーリや漢文、サンスクリットを読み解くことなど何もできないと。
敗北を認めなさい。

清浄道論に関しては、他の方が論破されてましたよね?
620神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:34:25 ID:2FX7/IEA
ココには、文献学だって何べんも言ってるのに
オウムなど「宗教団体」と決め付けたがる人がいますが
逆に私は「そういう人」こそ何らかの宗教団体に属し、
ここで布教しようとしているように見えますねw

ずっと昔、荒牧先生より「ブッタの真意は「ヴェーダの否定」そのものではなく
「論争したい」「俺はえらいんだ」という欲をいかに捨てるかという
点である」と教わりましたが・・
文献学ならそれが仕事ですが、自称「仏教が分かっている」と言っている割に
欲にまみれていますねw
どうせなら、謙虚に「私は悟っていないが・・・こう思う」と言うべきでしょう。
621神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:35:27 ID:GdsUxO5h
>>614
ごめん、それは誰の事で何て読むの?
622神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:37:39 ID:7zFE/ybV
>>616
そんな聖者と比べられてもw
623神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:39:19 ID:ZahNiJys
>>620
あんたの文献学も大したこと無いようですね。

業報輪廻思想は原始仏典において確実に前提とされていますよ。
だれもそれを否定していない。

しかし、業報輪廻思想に執着することを否定していますね。
なんど言えば解るのかな。
624阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 17:41:04 ID:5kCTorqS
>>621
字引を当たって、過去ログ読むことw
625神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:44:11 ID:GdsUxO5h
>>623
否定されてないから肯定したとすり替えたいのですか?
626神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:48:45 ID:2FX7/IEA
>根拠は必要ありませんね。

>輪廻は経典や論書に現れる言葉、輪廻転生は表れない
>だから、この両者は「違うものとして取り扱わなければならない」。
>もし同じである、「あるいは違うのもである」というのなら、その根拠を示さなければならない。
意味不明
で、根拠を示すの?示さないの?

>再生産が不可能
??????

627神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:49:20 ID:GdsUxO5h
破落戸=ごろつき か。

これは読めなかったw
628神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:50:50 ID:SI3Ka6HL
「斥ける」と言った時、そこには二つの意味が含まれる。
一つは、「採用しない・近づかない」ということ。
一つは、「否定する」ということ。

「否定する」と言った時、そこには三つの意味が含まれる。
一つは、「ある枠組みの中では捨て置かれる」ということ。
一つは、「ある枠組みの中では成立しない」ということ。
一つは、「あり得ない」ということ。

「捨て置く」と言った時、そこには二つの意味が含まれる。
一つは、「(単に)関知しない」ということ。
一つは、「役立たないので関知しない」ということ。

さて、「輪廻」は、釈尊に於いてどのように位置付けられていたのでしょう・・・?
出家者に於いての位置付けと在家者に於いての位置付けは
同じであったのか、違っていたのか・・・?
仏教外での位置付け(≒定義)と仏教に於ける位置付け(≒定義)は
同じであったのか、違っていたのか・・・?
629阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 17:52:59 ID:5kCTorqS
誤謬設問を一蹴されて逆ギレするところなど破落戸の破落戸たる所以だな(失笑)。
630神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:53:02 ID:ZahNiJys
>>625
違いますよ。私の言う前提とは「執着を否定するために採用された輪廻思想」と言う意味です。
つまり、当時の宿命論的な業報輪廻について否定するために前提として採用され、否定されたということです。

>>626
論破され、反論できない負け犬の遠吠えにしけ聞こえませんが?
反論したいのなら、読解力を養いなさい。
631神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:57:12 ID:2FX7/IEA
>623
その通り、私はちょっと齧った程度ですが・・・
それがどうかしました?
でも、あなたは私の質問に文献の指摘では答えてくれませんねw

>業報輪廻思想は原始仏典において確実に前提とされていますよ。
>だれもそれを否定していない。

でもあなたにとっての「輪廻」という言葉は「今生」に限っての
「業報輪廻」でしょう?
それと断見とは矛盾しないのですか?
あなたは学問が勝れているようですから、テキストの指摘で
御願いします。

632神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:00:36 ID:2FX7/IEA
>630
あれ?論旨が変っていますねw
あなたの言う仏教で説かれる「輪廻」は今生における苦の連続じゃ
なかった?
633神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:00:41 ID:GdsUxO5h
>>630
あなたは方便は一切考慮に入れないの?
在世の教導の基本姿勢は対機説法だったんでしょ?
出自は失念したけど。
634神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:07:59 ID:ZahNiJys
>>631
> でも、あなたは私の質問に文献の指摘では答えてくれませんねw
貴方が提示した文献について、議論しようとしてるのですよ。
まず、提示物から片付けていきましょう。

> それと断見とは矛盾しないのですか?
断見ではありませんよ。輪廻転生を主張する人を批判すれば断見ですか?

> あなたは学問が勝れているようですから、テキストの指摘で
> 御願いします。
それは上記。

>>632
> あれ?論旨が変っていますねw
> あなたの言う仏教で説かれる「輪廻」は今生における苦の連続じゃ
> なかった?
なにも変っていませんよ。批判的文脈での前提ですから。

>>633
> >>630
> あなたは方便は一切考慮に入れないの?
勿論考慮しますよ。その前提で本庄先生のお話をしました。
635神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:11:24 ID:2FX7/IEA
>当時の宿命論的な業報輪廻について否定するために
>前提として採用され、否定されたということです。
これも変ですね・・・
宿命論と業報は矛盾しますが?
「執着を否定するために採用された輪廻思想」って執着って何の執着です?
輪廻ですか?
そうすると否定のための採用?「前提」の意味が違うような・・・
否定するために生天などを説いたわけですか?

まあ、あなたの説はそうなんでしょうね・・・・
私のバカな脳みそでは理解できません。
あなたはよっぽど優秀なんですねw


636神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:16:50 ID:2FX7/IEA
> それと断見とは矛盾しないのですか?

>断見ではありませんよ。輪廻転生を主張する人を
>批判すれば断見ですか?
いえいえ、問題をすり替えてはいけません。
バカな私にもそれは分かります。
あなたは「輪廻転生を主張する人」を批判するのみならず
輪廻転生そのものを否定しているでしょう?だから、どう断見に
ならないのですか?といっているわけで・・・
死の直前の行為の果報は、誰が享受するのですか?
637神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:20:43 ID:2FX7/IEA
「死の直前の行為の果報は、誰が享受するのですか?」

これは凡夫の場合であり如来の場合ではありません。

638阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 18:23:06 ID:feYOwXxs
今日もまた格好の嗤い物が釣れることで…(失笑)。
639神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:23:31 ID:GdsUxO5h
>>637
如来は実在するんですか?
640神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:24:24 ID:ZahNiJys
>>635
なんかものすごく気持ち悪いのですが、、、

> 宿命論と業報は矛盾しますが?
業報輪廻に基いて、現世のあり方を結論付けてしまえば、宿命論と差異はありませんよ。
つまり、宿業論ですね。

> 「執着を否定するために採用された輪廻思想」って執着って何の執着です?
> 輪廻ですか?
上記の宿業論などをさして輪廻思想に執着していると言っています。

> そうすると否定のための採用?「前提」の意味が違うような・・・
批判的前提など、議論の基礎ですよ。

>>636
> いえいえ、問題をすり替えてはいけません。
これがまた気持ち悪い。なにがどう摩り替わっているかを割出すときに、作為的な読み違いをする。
このような議論の仕方を詭弁術といいます。

> あなたは「輪廻転生を主張する人」を批判するのみならず
> 輪廻転生そのものを否定しているでしょう?だから、どう断見に
> ならないのですか?といっているわけで・・・
輪廻転生を主張することに対する批判ですよ。
同じく、輪廻転生は無いと主張するひとも批判しますがね。

> 死の直前の行為の果報は、誰が享受するのですか?
関知せず。(毒矢の喩え)
641阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 18:42:23 ID:feYOwXxs
意気がって戯論屋根に登った破落戸が、梯子を自ら蹴倒して降りられなくなり立往生とは、何とも滑稽千万の眺め(冷笑)。
642神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 18:48:14 ID:GdsUxO5h
>>641
最近さ、電波男って見かける?
643神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 19:24:44 ID:2nkE0PhJ
本日の収穫
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/490167952X.html
初学者向けに
644阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 19:36:58 ID:feYOwXxs
何や思うたら、セクト出版部門発行の資源の無駄遣い本かいな(笑)。
645神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 19:47:03 ID:2nkE0PhJ
まぁまぁ
中身を見る前から否定しちゃあいけませんぜ
それは先入観に塗れたレッテル貼り論法って奴です

中身を見た上で「これこれこういう理由で意味がない」って批判なら
そこから更に議論が展開できる
あほだらさんのそのレスは、対話可能性ゼロですよん
646神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 19:55:54 ID:ZahNiJys
石飛さんは様相論理学をすっ飛ばしてそんな本を出版されたのですか?
その著書では言及されてるんでしょうか?

またもや分析哲学からの批判が出そうですね。
647渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 20:02:03 ID:dPlOSCo5
 釈迦を起点にそれが親鸞仏教にどうつながっていくか、試論的に議論しています。
 興味を持って下さる方がご覧下さると幸いです。
 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1179146870/269-
648阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 20:14:31 ID:feYOwXxs
「両俊彦」氏の一蹴に加え、一般の出版社からも原稿をボツにされた挙句の恥の上塗り本ですな。立ち読み一瞥の上、速攻棚へ返しました(笑)。
649神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:23:23 ID:2FX7/IEA
>640
気持ち悪い????子供の反応ですか・・・・40を超えて・・
>宿命論と差異はありませんよ。
「行為によってバラモンになる」とSP142にもあるんですけど・・・
これは業の果報である。おたく人権屋さん?

>上記の宿業論などをさして輪廻思想に執着していると言っています。
それがあなたの解釈なんですね。
それなら理解できます。
否定されるべきものは対象ではなく執着で宜しいでしょうか?

しかし、「執着を否定するため」に仏教は輪廻を採用したとは
私は解釈しませんね。
私は仏教が輪廻を受容した訳は「倫理」の面と
業と果報の上で輪廻を想定せざるを得ないからと考えますがね

>輪廻転生を主張することに対する批判ですよ。
>同じく、輪廻転生は無いと主張するひとも批判しますがね。
やっと出ましたね・・その言葉www
でも、オタク輪廻転生を主張する人しか批判してないよなw


650神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:24:45 ID:GdsUxO5h
>>647
やっぱ出て来たかw

久しぶりだけど楽しみにしてるよ?

「お坊さんですね?」
「親鸞会ですね?」

相変わらず妙好人叩きに余念は無いですか?

念仏自体が外道なんだけど。
651神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:26:43 ID:2FX7/IEA
まあ、部落差別の激しい地域に住んでいれば
差別に敏感になるのは当然。
また、日本において仏教が差別を助長したことも事実ですしね。
652神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:29:01 ID:2FX7/IEA
>642
さっきからそこにいますよw
653神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:33:03 ID:GdsUxO5h
>>652
うん、知ってたw
654阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 20:39:44 ID:feYOwXxs
卑賤下劣の破落戸が、一つ憶えの藁人形紙礫投げ醜態を晒しまくってますな(冷笑)。
655神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:42:05 ID:b7gPTXnE
ケン・ウィルバー2【トランスパーソナル心理学】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1189516759/
こんなスレあります。もしよかったら覗いてください。
656神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:47:19 ID:b7gPTXnE
ケン・ウィルバー
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1178719673/
こっちもあります。
657神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 20:47:23 ID:7zFE/ybV
>>618
詭弁だけですね。私は輪廻転生などという変な言葉は使ってません。
使っているのは、あなただけでしょう。説明するのはあなたでなければならない。

生死輪廻という言葉も私は根拠にしてません。言ってないことを根拠に否定するのは詭弁ですね。

形而上学を扱わなかったを言い出したのも、あなたでしょう。
それとも別の人だとでもいうのでしょうか? あきらかなのに。

それが何かって間違いは認めないのですか?

根拠は既に出してます。あれらが根拠にならないというなら、
あなたがその理由を説明しなければならない。

何も知らないし、非論理な人ですね。
なぜ、かくも輪廻否定派は非論理で感情的なのか。

私の言う輪廻否定とは、生まれ変わりの意味の輪廻を仏教の前提としないという意味です。

この方には何をだしても無意味だ。
どれだけ、論破しても認めないのだから。
658阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 21:01:27 ID:feYOwXxs
そりゃでっち上げの藁人形へ、不見転紙礫をいくら投げ付けても無駄ですがな(冷笑)。
破落戸ぶりを晒し続けるはかり(失笑)。
659神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 21:03:20 ID:SI3Ka6HL
やれやれ・・・・(^^;

「否定する」(「肯定する」)ということが、どのようなことを指しているのか噛み合ってないのに
理解し合える筈もなかろうに・・・w
更には、
「輪廻」を「否定(肯定)」しているのか、「転生」を「否定(肯定)」しているのか、「輪廻転生」を「否定(肯定)」しているのか、
すら曖昧なままレスの応酬。
更には、「輪廻」の内容にも幾つか種類がありそうだが、そこの所もズレたままレスは続く・・。

いいかげん互いに冷静になって、論点を整理したらどうだい?
660神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 21:46:19 ID:MoNX9h8v
もし釈迦がここ見ていたら
輪廻という単なる言葉に執着しているオマエラ全員に説教するだろうよ。
有無の不明なモノに執着するなっての
輪廻転生を信じるなら身近で死人の出た家や友等に「転生て信じる?」て聞いてまわれ。
それ以外の解釈は人生で経験出来るから語るな、感じろ。
661阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/10(土) 21:55:59 ID:5kCTorqS
>>647
>>655
>>656
不要&無用につきお引き取りを。
以上
662神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 00:26:49 ID:8FgmTUec
>>536
この別訳雑阿含経(54)は、プラセーナジット王が母の弔いの後、
亡母を慕う気持ち、悲しみに耐え切れず、仏のもとを訪ねて聞いた説法です。
王者・臣民・婆羅門衆・転輪聖王・五通神仙・三十三天・阿羅漢・辟支仏・諸仏であろうとも、
すべて生あるものは死ぬ、ということが述べられています。

よくある、説法を韻文で再説する形式ですが、散文のところには業報ということは述べられて
いません。つまり、偈の中心テーマも「すべて生あるものは死ぬ」ということと言えるでしょう。

ちなみに、この偈と同じ内容のものがダンマパダにあります。
126 ある人々は胎に宿り、悪をなした者どもは地獄に堕ち、行いのよい人々は天におもむき、
   汚れのない人々は全き安らぎに入る。
127 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、
   およそ世界のどこにいても、悪業からのがれることのできる場所はない。
128 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の洞窟に入っても、
   およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所はない。

なお、この経典が在家信者に対する教えということも忘れてはならないでしょう。
在家に対する説法においては一般に、施・戒・生天が説かれます。

また、「後有を受けず(不受後有)」と漢訳される nAparaM itthattAya は、本来、「再び
このようなttaにはならない」という意味ですが、このttaを中村元訳『ブッダのことば』では
「生存」と訳し、後の『ブッダ 悪魔との対話』では「状態」と訳しています。

もともと、ttaは抽象的な概念を作る接尾辞ですので、いかようにも解釈できる余地が生れます。
中村訳の2種類でも、最初の「生存」はかなり漢訳「後有」に近い意味で訳していますが、
「状態」では「後有」より広く意味をとった訳語になっています。
663神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 00:42:21 ID:RFdMxsYq
>>418
お約束通り、一週間たっても訳の提示がなかったので、訳を出して理由を述べます。
テキストは、こちらにより訂正しました。http://www.tipitaka.org/romn/ ですが、問題の箇所の訂正はありません。
Kammassa kaarako natthi vipaakassa ca vedako,  Suddhadhammaa pavattanti eveta.m sammadassana.m.
Eva.m kamme vipaake ca vattamaane sahetuke,  Biijarukkhaadikaana.m va pubbaa ko.ti na ~naayati.
Anaagatepi sa.msaare appavatta.m na dissati.  Etamatthamana~n~naaya titthiyaa asaya.mvasii.
業の作者はなく、果報を受けるものはいない。諸法のみが生成する。これが正見である。
このように業と果報とが原因を持って生成するのは、種と木などのように始まりはない。
未来の輪廻も停止するのは見られない。この意味を知らなくては外道から独立できない。

つまり「前際も知られず未来も見られず」ではなく「前際も知られず未来も停止することが見られず」という意味で、
輪廻には始まりも終わりもないということです。主体、つまり我はないが、業によって諸法が生成し続けるということです。
これはつまり、生前も死後も解脱するまで絶えることがないということに他ならないでしょう。
そして、『大四十経』の

   布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
   此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
   証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。

 つまり、現在経験できない「善悪業の報い」「此世、彼世」がないと説くのが邪見、断見にほかなりません。
664神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 00:49:36 ID:RFdMxsYq
>>662
生天は方便。後有は、現世での未来という意味というわけでしょうか? 

確かに無常がテーマになっているのでしょうが、無常と業因果、輪廻を切り離して考えないのが仏教でしょう。
私は上と『別譯雜阿含經』も同じで次のように読みます、

    1 一切生皆死  壽命必歸終  生まれたものは全て死に。寿命は必ず尽きる。
    2 隨業受縁報  善惡各獲果  業に従って果を受ける。
    3 修福上昇天  爲惡入地獄  (だから死ねば)善を行ったものは天に昇り、悪をなしたものは地獄に堕ちる。
    4 修道斷生死  永入於涅槃  (以上が輪廻)道を修行して生死、つまり輪廻を断ち、永遠に涅槃に入る。

1.は無常。2.は業因果。この前提から、3.の輪廻の倫理が語られる。4.は、以上の苦である輪廻から逃れるべきことが説かれます。
もし、輪廻がなく、死んで終わりなら、修行などする必要はなく、一切皆苦から逃れるのは自殺すればすむことになるでしょう。
665阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 01:08:00 ID:gN0WvYAM
>悪をなしたものは地獄に堕ちる
なるほど、破落戸の有様を見よということね。こりゃ解り易い(嗤笑)。
666阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 01:11:37 ID:gN0WvYAM
一切行苦、つまり不当&虚偽誤謬前提に基づく形而上的独断が齎す苦痛懊悩のことね。
667神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 01:38:13 ID:NqEWrOl4
>>663
>布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
>此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
>証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。

雜阿含經卷第七で諸外道の見解を述べる中に、同じものがあります。無因無果説や断見でしょう。
(一五四)
>無施無會無説。無善趣惡趣業報。無此世他世。無母無父。無衆生無世間阿羅漢正到正趣。

しかし同時にこれも外道説とされているのではありませんか。いわゆる常見として。
(一五二)
>有我有此世有他世。常恒不變易法。如爾安住。

>>664
>もし、輪廻がなく、死んで終わりなら、修行などする必要はなく、一切皆苦から逃れるのは
>自殺すればすむことになるでしょう。
それはむしろ解脱者に対しての問いかけですよ。釈尊が自殺しましたか。大迦葉が。
もはや後有を受けなくても、そんなことはしないでしょう。
668神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 02:15:08 ID:RFdMxsYq
>>667
>      雜阿含經卷第七で諸外道の見解を述べる中に、同じものがあります。無因無果説や断見でしょう。
>      (一五四)
>      >無施無會無説。無善趣惡趣業報。無此世他世。無母無父。無衆生無世間阿羅漢正到正趣。

どうもありがとうございます。これで断見が確定しました。

>      しかし同時にこれも外道説とされているのではありませんか。いわゆる常見として。
>      (一五二)
>      >有我有此世有他世。常恒不變易法。如爾安住。

はい。これは常見ですね。そして和辻が主体がなければ輪廻できないから仏教に輪廻はないとした考えですね。
恒常な輪廻の主体を仏説としたサーティが釈尊から叱咤され邪見とされたように、
仏教では恒常な主体や、恒常なこの世、あの世は認めません。既に引用した>>663の引用ように
また『勝義空性経』のように無常・無我な因果が縁起して輪廻していくだけです。火の輪のように。

>      それはむしろ解脱者に対しての問いかけですよ。釈尊が自殺しましたか。大迦葉が。
>      もはや後有を受けなくても、そんなことはしないでしょう。

釈尊や大迦葉などは利他のために涅槃されなかったのでしょう。梵天勧請がなければ涅槃されていた可能性が高いのではないでしょうか?
逆に、一旦解脱したものの退転するので自殺した聖者が二人います。ヴァッカリとゴーティカです。
また、サーリプッタとチュンダも自ら涅槃されたと思います。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html
しかし、解脱していない凡夫に対して自殺も他殺も禁じられたことは、律の殺生戒に詳しく私の見解に一致します。
つまり、解脱者は、輪廻しないから自殺してもいいが、凡夫は自殺しても輪廻するだけだから苦から逃れられないので禁じられた。
669阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 07:58:40 ID:gN0WvYAM
破落戸は遥か昔に一蹴された誤謬まで担ぎ出し、「死骸に点滴、義足に膏薬」と必死なことで(失笑)。

パンチドランカー、「オウムの一つ憶え」かね(冷笑)。
670神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 09:16:08 ID:UAHHImwr
>669
あなたにとって口汚く罵ることが全てなんでしょうね・・・・
>パンチドランカー
あなた差別意識丸出しですね・・・職業差別ですか?
そんなに無職が偉い?
「オウムの一つ憶え」かね(冷笑)。
671神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 09:36:58 ID:UAHHImwr
オウムでも元オウムでも人間なんだから・・・
自分が彼らよりも勝れていると思ってんなら
彼らを教導してあげるような言葉の一つでも掛けたら?
無慈悲だね・・・
672阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 10:23:56 ID:1iL9+I4a
明らかな事実の提示が「サベツ」なんだとさ(嗤)。
あと、沙婆世間から嗤い物にされ駆除・放逐され続けるべきなのは、団体としてのオウムのみならず
むしろオウム的メンタリティそのものなんだが。

「教導」だぁ?
自分のケツも拭けぬバカは人前に出てくるな!
疾く疾く失せよ。
673神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 10:58:02 ID:ewZNFCB5
>>670-671
教団創立者が人殺しな団体に今だ属して、
八正道は保てないよね。
辞めて尚道を閉ざさないで居たとしても、釈迦に顔向け出来ないと思うのが普通じゃないかな?
だとするなら隠棲するべきでしょ。

貴方に残された仏道修業は、インドの聖地へ五体倒置で向かい一生を賭して片襌右肩して右遶三唱で巡礼して終わるしかない。

と言ってみるテストw
674神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 11:48:32 ID:DGoEC/zP
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ ←こいつが出てくると、このスレがとても素敵に下品になるw
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

それにしても、文献学問屋や仏教趣味者及びカルトのゴタクは仏道とは違うわな。

パチンコの玉を打つ(業・行為)→当たり!(報・果)とは限らない。
諸条件の集積(相依性)によるから、未来が決定されているわけではない。
       ⇒縁起=空

業報輪廻論は、仏道の核心である縁起の範疇に入るものではない。

梵我一如・業報輪廻という根深く巣食うバラモン文化意識から抜け出せていない連中も、
ブッダを誤解したまま落第「教典」を纏め上げている可能性が高いのだ。

現に、ブッダ入滅後直ちにブッダの教えと異なる行動をとり始めているではないか。





675阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 12:44:41 ID:1iL9+I4a
ドグマ奴婢の破落戸どもを眺むれば…。

生物学的には一応人間に分類されるのだろうが、所謂「人道」の衆生ではないな(笑)。

そう、あれだ。地獄草紙で石臼や鋸に挽かれてたり、餓鬼草紙で飢え渇えている奴輩そのものだ。
676机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/11(日) 13:07:07 ID:bmQxy78H
>>647渡海氏
ひさしぶりですね、件のスレッドに私が質問をしとりますから、
どうか御教示願いまふ。



                 <敬具>
677神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 13:10:59 ID:UAHHImwr
>675
言葉はそのものの人格、品格を表すというが・・・・
そのままの人格なんだろうねw
しかも、それを自ら楽しんでいるw
でも、あんた「平等主義」じゃなくて「差別主義者」ってのは
あたってるだろ?
まあ、仏教ではあなたの心は癒せないから止めとけ止めとけw
地獄の鬼になるのが関の山だw
678神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 13:17:56 ID:UAHHImwr
>明らかな事実の提示が「サベツ」なんだとさ(嗤)。

これがぬぐいがたい差別意識の根源なんだけどね・・・
気づかないんだよね、根っからの差別主義者はw
「めくらにめくらと言ってどこが悪い!」だろ?

679神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 13:24:24 ID:UAHHImwr
オウムはあなたにとって「絶対的な悪」なんだねw
まるで二元論だね
憎しみに憎しみを持ってすれば・・・

俺もオウムの諸行は許せないし、オウムを仏教とも思っていない。
しかし、あなたほどの憎悪は無いねw
あなた本当は自分が許せないんじゃない?
680机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/11(日) 13:27:56 ID:bmQxy78H
>でも、あんた「平等主義」じゃなくて「差別主義者」ってのは
>あたってるだろ?

アホダラ氏のテーゼというのは、自分なりに出来上がってしまっているので、
それはもう不動のもんになっている。

アホダラ氏の考えというのは、
仏教徒というのは三角形を成していて、その頂点と下層では格差がある。
という考えです。
(前にそういう書込みがありました)

もともと原始佛教というのは、インテリゲンチャにこよなく愛されてましたから、
この脈絡からのテーゼかと思われます。

仏教が大衆的になるのは大乗以降ですから、
ある意味、アホダラ氏は原始佛教原理主義と逝ってもいいかもしれませんですね。
ただし、
これはインテリゲンチャにならんといけませんですが・・・

681阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 13:40:07 ID:1iL9+I4a
「行為によって破落戸」になり続けている奴輩に何をか云わんや。
まあ、世の業報装置はまともに機能するよう常に整備しておかないとならないがね(笑)。
ちなみに当方、所謂「人権屋」やそのシンパでも何でもない。
悪しからず(笑)。
682阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 14:40:59 ID:1iL9+I4a
加えて当方、生憎如何なるセクトにもドグマにも何ら情念的な思い入れを持ち合わせていない。
オウムだろうと何だろうと誤謬は誤謬、虚偽は虚偽と指摘裁断して駆逐するという、機械的処理を行なっているに過ぎない(笑)。

683神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 15:50:18 ID:UAHHImwr
あなた本当に面白いねw

>何ら情念的な思い入れを持ち合わせていない
プッ
十分思い入れがあるけどな・・・この板に
>機械的処理を行なっているに過ぎない(笑)。
へー機械的なんだ・・・本能というか習気なんだねw
それにしてもポンコツだな・・・このしゃべる機械はw
684神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 15:53:19 ID:UAHHImwr
無意識のうちにPCの前に座り・・・
気がつくと書き込んでいる・・・・
今日は書くまいと思っても・・・本能の前にその情動は御しがたい・・・
これを彼は機械的と言います。
それなら俺も機械的だw
685VEGAN ◆VEGAN.MvV. :2007/11/11(日) 16:05:18 ID:ewZNFCB5
釈迦は出家してから定住をしなかったらしけど
オウムは定住してるね
寺和田も定住してるね

何よりたく鉢行自体やらない

僧団として如何なものか
686阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 17:01:50 ID:gN0WvYAM
ちなみにこの板はほんの車寄せか玄関先。

誤謬・虚偽、欺瞞等々の汚穢・塵芥の類は、目に入り次第次第排除駆逐することを習気づけているのでね。

情動など全く意に介さず関知しない(冷笑)。
687神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 17:13:01 ID:E81ZjkYA
>>686
では、母屋はどこ?
688阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 17:42:43 ID:gN0WvYAM
>>687
過去ログのテンプレでも読むべし。
689神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 17:49:21 ID:E81ZjkYA
メールのあれはあまり頻繁に更新していないようだし
あそこは書き込みが止まったままだし
mixiは行けない
690阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 17:53:37 ID:gN0WvYAM
>>689
当スレの古参コテハン諸氏は既にあちら(某SNSのコミュ)へエントリ済み。
691神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:13:39 ID:RFdMxsYq
>677
本物の仏教は、どんな人にも開かれてます。
仏教への門を閉じるのは、その人自身。
かの方も、いつの日か本物の仏教に目覚めることを願っております。

ちなみにオウムの仏教的問題は、
 1.師に就かなかったこと。
 2.観、ヴィパシャナーを行わなかったこと。
 3.サマヤを汚したこと。

以上の三点に集約されると思います。
師に就かないから、止・シャマタを中心に行い、それを悟りと勘違いした。
観、ヴィパシャナーを行わなかったので、縁起・無我・空を理解できず、恒常なシヴァが本質だと誤解した。
師に就かずに密教を行ったから、サマヤを汚し狂ったと思われます。

つまり、結局は師に就かないことに集約されるでしょう。
師がいなければ、間違いに気づけないものです。
692神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:28:53 ID:UAHHImwr
>659
いままでの議論を私なりにまとめてみます。
まずもって
「(業報)輪廻思想は原始仏典において確実に前提とされていますよ。
だれもそれを否定していない」
だそうです。()をつけたのは解釈が異なるためで、これはデンパさんと思われる人の説。
さすがに原始仏典に「輪廻」の語は無いという人はいない。

次に仏教において「輪廻」は苦であり、厭うべきもの解脱すべきものとされ
その意味では「否定的」に見られても「肯定的」に見られることは無い。
これも共通認識。
まして、「輪廻」が「真理」であり「事実」であると主張する人もいない。
しかし、なにを勘違いしてか「検証」「実証」と叫ぶ輩も後を絶たない。
問題は「輪廻」という語の解釈です。
693阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/11(日) 18:29:08 ID:1iL9+I4a
また破落戸が性懲りもなく街宣かいな(嗤笑)。
694神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:30:07 ID:UAHHImwr
次に「輪廻」の解釈をめぐって
@業報輪廻・・・今日行ったわるいことは、明日かそれ以降に報いがある。
        人間存在とはそのように業の積み重ねによって苦しむ性質のものである。
*ここで順後次受が説かれていない点がミソ  
A輪廻転生・・・・ 業報を死後の生まれ変わりに求める。
(282 神も仏も名無しさん [sage] Date:2007/10/31(水) 14:03:21 ID:K2u3Mk10)
この二つに分ける説(デンパさんたち)と、分けない説(私もそう)があります。
前者において
@業報輪廻は「生死」とも読みかえておられます。
「生死とは生老病死の四苦をまとめていったことであって、
生まれ変わり死に変わりではありません」デンパ説?
 しかし、そのように「生死」を限定する典拠は未だ提示されていません。
更にAを「生死輪廻」「生死流転」と読み変える人もいます。デンパさんのお友達?
この場合の「生死」は上記の「生死」とは異なるようです。
695神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:35:26 ID:UAHHImwr
そして、この二つを分ける典拠、原典の提示を求めると
日本の学者がそのように区別していることをあげ、終には
「根拠は必要ありませんね。
輪廻は経典や論書に現れる言葉、輪廻転生は表れない
だから、この両者は違うものとして取り扱わなければならない。
よく理解できませんが・・・、結局「根拠」はないようです。

その一方でデンパさん?は(A)「仏典には生死輪廻はあっても、輪廻転生はありません」と断言しています。生死輪廻がいわゆる輪廻転生なんですが・・・
どうやら、仏典で説かれる「輪廻」は@のみでAでは無いという主張のようです。
またAを否定する理由として、
ブッタは「形而上」を取り扱わなかったことをあげていますが、扱ったか否かで論争中です。
696神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:36:06 ID:UAHHImwr
その一方で(B)「輪廻転生を主張することに対する批判ですよ。
      同じく、輪廻転生は無いと主張するひとも批判しますがね。」
との主張もあり同一人物なのかどうか?
あきらかに矛盾してます。
また
「私の言う前提とは「執着を否定するために採用された輪廻思想」と言う意味です。
つまり、当時の宿命論的な業報輪廻について(の執着を)否定するために前提として採用され、
否定されたということです」
ともデンパさんは述べます。
「宿命論的な業報輪廻」とは「前世においてこういうことをしたから、今の状態がある」ということでしょう。
するとそれは「彼らの意味するところのA輪廻転生」ということになり(A)と矛盾します。
697神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:40:07 ID:UAHHImwr
結局「輪廻への執着を否定する」とは「解脱」「厭離」と意味するところは
同じであり「輪廻」がどのようなものであれ「関知しない」彼らの用語で
「捨て置く」ということのようです。
つまり「毒矢の喩え」あるいは「如来の後有」を
「衆生一般の後有」と解し、「無記」であるという主張です
(後者の理由が正しくないことはすでに述べられています)。
否定されるべきものは「執着」ということでしょうか。

結論としていわゆる輪廻否定派「輪廻」の定義にぶれが見られるうえ、
@とAに分けAを否定したり否定しなかったりと、
各者に違いが見られますが、
「毒矢の喩え」の態度は私も大いに肯うところです。
698神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 18:46:31 ID:UAHHImwr
ただ
「毒矢の喩え」を「輪廻」に適応すれば
「輪廻の有無」ではなく「輪廻のプロセス」が捨て置かれるべき
ものとも解釈できますが・・・
虚空は存在する
しかしその辺際は問わない・・・のように。
699神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 19:16:53 ID:2dner51j
>>663-664 異読の部分もあるので拙訳を提示しておきましょう。
tenAhu porANA:
kammassa kArako natthi vipAkassa ca vedako, suddhadhammA pavattanti ev' etaM sammadassanaM.
evaM kamma vipAke ca vattamAne sahetuke, bIjarukkhAdikAnaM va pubbA koTi na JAyati.
anAgate 'pi saMsAre appavattaM na dissati. etam attham anaJJAya titthiyA asayaMvasI.

それ故に古人たちが言った。
業を行う者や果報を受ける者が実在しているわけではない。
単に諸法が生起(廻転、開始)するだけである。これが正見である。
このように、業の果報に於いてや、原因あって生起しつつあるものに於いては、
種と樹などの〔始点〕のように、始点(前際)は知られない。
未来の流転に於いても又、まだ生起していないものは見られない。〔見(聞覚)知せず、ということ〕
この意味を知らなくて、外道たちは自在とならないのである。

過去に業を行った者や、未来に果報を受けるだろう者が、同一のまま永遠不滅に存続しつつある、
という常見をいだく外道説に対して、原因によって諸法が生起するだけだ、という仏教の縁起説が
述べられているものであろうと思われます。

「方便」という言葉を釈尊が使っていたのかどうか分かりませんが、『六方礼経』を見ても、
俗人の慣習を尊重しつつ、その意味づけを仏教風に変えています。また、「現世での」とか
「来世での」という限定は、本来、付けられていないのではないでしょうか。

相応部3.3.2 ayyakA、大正蔵No.99雑阿含(1227)、No.100別訳雑阿含(54)、No.122仏説波斯匿王太后
崩塵土[分/土]身経、No.125増壹阿含巻18(7)の諸本を読みましたが、この経典は在家信者に対して
人の命は無常であるからと福業を勧め、いわゆる「施・戒・生天」の戒・生天を説いたものでしょう。
これを以って「業相続」が仏説である根拠とするには、いささか弱いという感があります。
700神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 20:04:42 ID:nJXDAYHz
えーと、日本人が英語が苦手な理由
文法にこだわりすぎるから

文法という法はね、日常の積み重ねで知るもので、
本を読んで調べるもんじゃないよ


小学一年生は日本語ぺらぺらしゃべるけど、さ行変格活用、知ってますか?

輪廻転生まれ?
しらねえな
701神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 20:25:10 ID:cTFi604X
>>668
>和辻が主体がなければ輪廻できないから仏教に輪廻はないとした考え

これ、よく書かれてますけど、具体的に引用していただけませんか?
ホントにはっきりと「輪廻はない」と言ってるんですか?

>解脱者は、輪廻しないから自殺してもいい

そうでしょうか?
ジャイナ教では解脱して自分の意志で餓死するというのがありますけど、
仏教は基本的に、自殺は自らに対する不殺生戒を破るものとなり、
解脱しようがしまいが、認められるものではないと思いますが。

ヴァッカリなどの際も、「認めた」という文言は確か無かったはずです。
「黙って」そして「やりすごした」ということではないでしょうか。

またサーリプッタの死については研究論文がありますけど、
その終焉は諸経典の記述が錯綜していて、簡単にこうだったと結論づけられないものです。
また自殺の可能性もその論文からはまったく伺えませんでしたね。
702神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 21:58:22 ID:RFdMxsYq
>>695
日本の学者の一部ですよ。そんな変な説を唱えるのは。
釈尊は「形而上」を取り扱ったでしょう。意と諸法、つまり意識の対象を扱ったのですから。
禅定の状態も、智慧も「形而上」でしょう。
それとも「形而上」の意味に精神や想、行、識も入る解釈・用例があるんでしょうか?

>>699
どうもありがとうございます。
「まだ生起していないものは見られない」としか読めないでしょうか?
とするとその意味がわかりません。私は業輪廻は無始無終という意味に取りました。
もちろん「現世での」とか「来世での」という限定はありませんが、
少なくとも業輪廻は無始であるということは問題ないく、
つまり限りない前の前世があったということは言えると思います。

お経は「施・戒・生天」を説いたものでしょうが、この部分は勝義であり、
後に『勝義空性経』ともほとんど同義で、『因縁心論』とも同じ内容だと思います。
つまり、空なる因から空なる果が縁起すると仮設され諸法が顕現すると言った内容だと思ってます。
703神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:04:48 ID:RFdMxsYq
>>701
記述が正確ではありませんでした。
和辻の言葉で言えば輪廻が「原始仏教特有の実践哲学に属せざる」です。
要するに本質ではない。方便説ですね。
仏教の諸伝統及びテクストは逆に輪廻が「原始仏教特有の実践哲学」の前提になっているです。
「原始仏教特有の実践哲学」は、輪廻から解脱するための道であって、それ以外の何ものでもないでしょう。

>  輪廻思想と無我思想との調和が困難であるのは、輪廻思想が本来転生の道途において
>  自己同一を保持せる「我」あるいは「霊魂」の信仰に基づくに対し、
>  無我思想がかかる「我」あるいは「霊魂」の徹底的排除を主張するからである。
>  しかしかく明瞭に異なれる二つの思想を調和させるということは、
>  もともと不可能なことであって、問題となり得べきものでない。
>                     『原始仏教の実践哲学』岩波書店1927年429頁

>  ここに輪廻の主体としての同一の「我」を認めないことは不可能である。
>  輪廻思想が 輪廻思想である限りこの点は動かせない。    同上436頁

>  業による輪廻転生は、輪廻の主体たる我が現実的であるごとく現実的であり、
>  我が無であるごとく無である。従って無我の立場においては輪廻はない。
>  無我の真理が体現されれば輪廻は消失する。     同上439-40頁
704神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:05:55 ID:RFdMxsYq
>  無我の立場においては、あるいは明の立場においては、業による輪廻は成立しない
>                           同上441頁

>  かく考えれば輪廻思想と縁起説とを同じ高さの立場において結合することの
>  不合理は明らかであると思う。           同上444頁

>  我々は業による輪廻の思想が「仏教」に属するものでないという云うのではない。
>  それは阿含の経典の示すごとく明らかに原始仏教の中に取り入れられている。
>  我々の主張するのはこの思想が原始仏教に特有のものでないこと、
>  及びそれが原始仏教特有の実践哲学に属せざることである。
>                           同上461頁
こちらに1970年版からの重なる部分が沢山引用されてます。
http://fallibilism.web.fc2.com/070.html

ヴァッカリやゴーティカの問題は最善ではないけれど、退転してから死ぬより
解脱している内に死んだ方がいいということです。
サーリプッタについても、事実がどうかよりも自ら涅槃を選択することが、
釈尊によって認められたという伝承が残っているということは、
解脱者は何時死んでも問題ないと仏教徒が考えていたと思われます、それで十分ではないでしょうか。
705神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:15:20 ID:RFdMxsYq
>>701
一切皆苦であり、生まれ変わらないなら、自殺すれば済む問題だと思いますが、
そう思いませんか?

706神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 23:18:09 ID:ewZNFCB5
>>705
それは何宗的考え?
少なくとも、
「いきとし生けるもの全てに幸あれ」
と考えたであろう釈迦の教えにはそぐわないし、
苦からの解脱の意味の本質にもそぐわない。

そも、釈迦の出家の本義が消失してしまう。
707神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 23:28:27 ID:RFdMxsYq
>>706
私が言っているのは、もし生まれ変わらないならという仮定です。
釈尊は、一切皆苦とした。経験する全ては苦である。苦諦
そして死んでも生まれ変わるから、苦は解決されない。輪廻
その原因が無明であると見つけた。集諦
その原因である無明が滅した時は、楽であり涅槃とした。滅諦
涅槃に至る道を説いた。道諦

生まれ変わりの輪廻がなければ、苦諦を認めるなら、
自殺すれば終わりでしょう。
しかし、仏教は輪廻を認めるから、もちろん自殺は解決と見なされない。

だけど、輪廻を認めない人で、苦諦を認めるなら自殺が当然の論理的帰結で、
それが苦からの解脱になるでしょう。一切皆苦ですよ。

708神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 23:46:06 ID:d/svIZfM
超久々に覗いてみたが、数年前と全く同じ議論をやってるw
さすがに仏教徒だね。仏教自体2500年前と同じ議論してるんだからw
釈迦も罪深い奴だ、わかってるくせにわざとまぎらわしい事言ってな。
ま、その釈迦のおかげで延々同じテーマを議論できるんだから、
暇人には仏教は最上のライフワークwだよな。
709神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 23:56:16 ID:E81ZjkYA
>>708
・・・これぞ輪廻か!(笑)
710阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/12(月) 00:16:33 ID:j/grNT7e
セクトドグマ奴婢・迷信土人、破落戸ジョーユーの相も変らぬメルクマール
 
 言及もされないことをでっち上げ、藁人形を捏造して必死に的外れに紙礫を投げて悦に入る。

最早ブードゥー信者の出来損ないですな(失笑)。
711神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 00:19:33 ID:JwgB4ZG5
釈迦の言いたい事は簡単だ。八正道を歩めば現生で明らかに現益があるって事。
それ以外の過去世や来世なんてそれをわからせるための前提であり次第方便。
縁起の理法を明らかに見、一生涯八正道を歩み続けれめば苦は消滅する、それだけ。
まさに釈迦がそのように歩んだ、だから釈迦にとって輪廻転生なんてあり得ない。
八正道を歩んでいればだれでもいつでもどこでも仏弟子だ。歩んでいないヤツは
どんなに議論して論破しようが、仏典を精読してようが、仏弟子ではない。
712神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 02:35:38 ID:5jyCDOeb
>>707
苦集滅道に輪廻を巧妙に混ぜるあたり、かなり狡猾ですなw
あなたのその考えと梵我一如とどう違うんでしょうね。
梵我一如みたいな考えは釈迦以前から有ったと言われてる訳で、それに染まった人を無下に排斥せず誘引する意味の方便で認めただけでしょ。
あなた見たいな人の為に。
認めてても採用はされてません。

あなたの魂(の様なもの(仮定))があなたの死亡後どうなるのか確認して記録して存命者に報告する術が有るんですか?

聡明な仏弟子なら一瞬で不可能と察する事が可能な筈です。

死後の転生を断定し、生前の業を転生後にも継承すると断定するあなたは、
最早外道を歩んでるとしか言いようが無いと思われます。

似たような事って創価の人も言ってますよ?
713ぶっだ:2007/11/12(月) 02:38:46 ID:gjGiCvlv

論争厳禁
714神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 07:03:46 ID:f4ZgzrYU
バラモン的梵我一如×業報輪廻思想のアンチテーゼが
ブッダの無常=無我=縁起であったことが解っていない人が多いね。

ブッダも、あの当時のアンチバラモンの自由思想家の一人だったんだよ。

ブッダ成道時の釈迦原理主義の誤解・変容・崩壊過程が仏教の歴史とも言える。
ヒンドゥ的、道教的、土俗アミニズムなどの異物混入変容だ。
異物混入、接合自体が悪いといっているわけではない。
実存苦の克服という本懐が果たされるならば(だから解脱者の自殺OKとはならない)。

ただ、異物混入・接合を「仏教」だと主張するなといっているだけだ。
715阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/12(月) 08:44:29 ID:j/grNT7e
>実存苦の克服
人権イデオロギーと同類の近代の寝言(嗤)。
716神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 08:47:36 ID:5tm4aqz5
因果を離れて、(一つの)有情/無情はありえない。
そして、因果は切れることが絶対にない。(切れるようなら因果ではない)
これだけ判れば、輪廻はあるといわざるを得ない。
また、輪廻を離れることは不可能であることも判る。
(詳しく論じるまでもない事。)

自殺がどうのこうのという話も、ばかばかしい限り。
もし釈尊が自殺を認めるようなら、真っ先に釈尊が自殺しているはず。
これは、釈尊が人々に悟った法を説く決心をしたのと、真逆の考え。
(ただし、阿難の例※を見ても判る通り、後世の人間が何を考えてどう行動したかは、また別な話。)

文献にこだわるのも結構だが、上っ面にとらわれすぎて釈尊の思想の本質から離れている気がする。

※法顕の記録より。
ただし、玄奘のころには阿難が分身して空を飛んだという伝説になっている。
この時間の経過による変化を見ると、現実は自殺ではなかったかもしれない。)
717阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/12(月) 08:56:22 ID:j/grNT7e
ブッダが法を説く決意に至ったのは、畢竟見出された法のいわば普遍妥当性を追試確認し続ける
ために他ならなかったであろう。この決心を「慈悲」と捉えたのはその法のユーザーたる佛弟子たち
であったと考える。
718神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 09:32:15 ID:C/bybbkl

なるほど、幼児期親の愛情を受けることなく育ったポンコツロボットが
考えそうなことだ(嘲)
719神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 09:37:54 ID:C/bybbkl
ポンコツロボットには仏教が些かの役にも立っていないことが実証された。
君は仏説コレクターになるよりも、何かボランティア活動でもしたらいいんだけどね。
そこから、自分で歩いて出られればの話だけどね・・・
720神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 09:43:28 ID:C/bybbkl
それにしても、小心者のほら吹き男か?
男勝りの女のにおいがプンプンするのはなぜだろうね・・・・
721机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/12(月) 09:49:05 ID:cMH0NawS
>>717
>この決心を「慈悲」と捉えたのは

作為があるのは慈悲とは違いますね。
慈悲というのは決心するもんでもない。
自然無為にある仏心(非心非仏)こそが慈悲になる。

決心するのは偽善でしかない。
722阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/12(月) 10:02:07 ID:2gJsix2c
ふ〜んw、情動馬鹿のいつもの条件反射ね(笑)。
723神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 10:08:12 ID:5jyCDOeb
>>721
俺が俺がのでしゃばりも良いけどさ、
良く読んでから書き込んだ方が恥かき難いんじゃない?

件では決心した行為・内容・当人と、
その状態を観て慈悲と捉えた人達は別の人間と読めるんだが?
724机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/12(月) 10:24:53 ID:cMH0NawS
>>723
>良く読んでから書き込んだ方が恥かき難いんじゃない?

そうでしたか。
全く読んでませんでした><
あの世があるのか?ないのか?などが書かれてましたね。
そこをスルーしてましたから。

で、結局はあの世があったんですか?それともなかった?とか?
まあ、それはどうでもイイですが。

>件では決心した行為・内容・当人と、
>その状態を観て慈悲と捉えた人達は別の人間と読めるんだが?

そうでしたか、それは慈悲ではないですね。
決心(判断)した時点で俗諦になりますから。
真諦が慈悲で、俗諦が善悪を判断(決心)する。
これを
空即是色。
725阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/12(月) 10:28:10 ID:2gJsix2c
>>723
不可触サイコパスはスルーで。
726机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/12(月) 10:41:32 ID:cMH0NawS
>>725
サイコパスとは違いますね。
私は善悪を判断できない。というのではありませんよ。
そこを誤解せんようにして頂きたいですね。

空即是色ですから、
勿論、俗世間的には善悪を判断しますよ。
仏教ではこれを「仮に判断する」ということでして、
個別的に判断する以外にない訳です。→普遍性(法)ではない。

簡単に説明しますと、
野良猫に餌をやるべきか?やらざるべきか?
この判断は個人に委ねる以外にない。
双方善であるし・・・双方が悪でもある。

インド洋で給油すべきか?給油せざるべきか?
これも判断は難しい。
10の正解があれば、10の政党が出来上がる。
727神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 11:09:32 ID:C/bybbkl
>725
不可触だってw
差別主義ポンコツロボットの本領発揮ですな(失笑)

まあ、ブッタは四種姓自体を否定してないし、積極的な差別撤廃論者
でも無かったが・・・・
輪廻を否定しても、かように差別の心が尽きぬようでは・・・・
728阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/12(月) 11:14:21 ID:2gJsix2c
不可触サイコパスと文盲馬鹿が連れだって這い出たか(冷笑)。
729神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 11:21:21 ID:C/bybbkl
>699
na-atthiを原始仏典において「実在しない」と訳すのはどうでしょう?
当然、無我を受けていると思いますが。
730神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 11:50:21 ID:C/bybbkl
輪廻というと死後の存在のように思われますが
仏典には「死の恐怖」のみならず「生の恐怖(jaatibhaya)」も説かれます。
生(jaati)が輪廻=苦そのものという考えです。
「我生已尽」はその生が滅した状態ですが、当然それは死を意味していません。
すでに生まれているのに、もう生まれないと宣言するのは
生死流転を前提としていると思われます。

「無始」とか「無辺際」は後付との意見もありますが
sa ve munii jaatikhayantadassi(Sn)
それこそ牟尼、生と滅の辺際を見るものである。
ともあります。
凡夫には生死の辺際は知られないが、
ブッタはそれを知ると解釈できないでしょうか?

731神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 12:21:50 ID:Kt696cA7
平和だねぇ
732神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 12:28:07 ID:5jyCDOeb
>凡夫には生死の辺際は知られないが、ブッタはそれを知ると解釈できないでしょうか?

別に仏陀でなくても、今生まれ来る人と今死に行く人を見て知る事は出来るでしょ。
タイミングさえ合えば。

但し、生まれる前と死んだ後のあの世の様なものの事は仏陀でも不明でしょ。

仮に見に行けたとします。
どうやって肝心な記憶を保持したまま帰って来れたんでしょう?


どうしてもどーしても仏陀の立場を超人に祭り上げたい人が居る様ですがw
733阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/12(月) 12:50:03 ID:2gJsix2c
近代の迷信を土人の盲信に交換したい馬鹿が後を絶たぬようですな(苦笑)。

その何れをも根底から破棄却下し去るツールこそがブッダの教説であるのに…。
勿体無い話です。

734机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/12(月) 13:19:35 ID:cMH0NawS
>>703
>すでに生まれているのに、もう生まれないと宣言するのは

行くものは、もう行かない。と同義かと思いますね。
(つまり2度行くことはない)
三時不成。
735神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 17:27:05 ID:C/bybbkl
阿呆陀羅経・・・
いわゆる賎民の芸能ですか。
差別される立場のものが差別に走ることはよくあります。
差別はいけませんよ。

カラスは来なくて良いのに
また湧いて出るw
736神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 17:37:15 ID:C/bybbkl
>733
なんとまあ所有欲の強いこと
古参だか古株だか知らないが
いつまでも「自分のもの」にはならないんだからね・・・

無師独悟なんだろ?それなら、ここに来ちゃダメだろ・・・
山奥でも母屋でも行って、おなかまと仏教談義に花咲かせてなよ?

あんた地獄の獄卒か?
737阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/12(月) 17:52:30 ID:2gJsix2c
外道サイコパス・破落戸セクト奴婢など卑賤愚昧の奴輩には、「賤民芸」こそが相応しい。分際を弁え有り難く拝聴致せ(嗤笑)。
738神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 18:22:35 ID:5jyCDOeb
>>736
大事な事忘れてね?
釈迦も結局は無師独悟だし。

菩提樹が師とか思ってた?
739神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 22:41:32 ID:2iIyArve
>>703-704 お手数おかけしました。ありがとうございます。

>輪廻思想が本来転生の道途において自己同一を保持せる「我」あるいは「霊魂」の信仰に基づく

>輪廻思想と無我思想との調和が困難である

なるほど、和辻説における「輪廻」とは、ジャイナ教やアージーヴィカ教などの、「アートマン」の
「生れ替り死に替り」と規定してのもののようですね。この2つの条件がそろわないと、ジャイナ教
などで言われていた「輪廻」は確かに成立しがたいでしょう。

後代の仏教では「アートマン」を「輪廻の主体」に据えられないので、色々苦労した訳ですが、
和辻説では、それらは原始仏教の時代にはまだなかった議論だから、ということでオミットして、
仏教成立当時すでに存在した外道らの説いたであろう「輪廻」に対して、一方の条件「アートマン」
に関する釈尊の教説が、彼らの説く「輪廻」そのものへも影響を与えずにはおかなかったはずだ、
というような感じでしょうか。

仏教と自殺の件は、そもそも不殺生戒制定のキッカケが、未熟な比丘たちの自殺・嘱託自殺だった、
というような説明が律ではなされていますので、それが事実かどうかはともかく、自殺はやはり
原則、ご法度でしょうね。ジャイナ教などで解脱者の餓死を賞揚するようなことも、仏教には
ありませんし、これは「輪廻」云々を持ち出すまでもない話だと考えます。
740神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 00:07:46 ID:t5zEwGrv
>>739
どういたしまして。

和辻は、もっと巧妙で正確に読んでます。結局、いろいろ輪廻を仏教から排除しようとして色々調べ、
色々考えたけどだめだったから非本質的要素ということで排除したのでしょう。
たぶん分かってて、輪廻を排除したんだと思います。

仏教では輪廻は始めから問題なく教えの中にきっちり組み込まれてますよ。
先に引用した『勝義空性経』や『ヴィスッディマッガ』の引用がそうです。
    >>663  >>699  http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173836805/44
後に『因縁心論』で詳細に説かれるように、空なる因から空なる業が縁起して我として仮設され相続していく、
それは本来無我であり、空であるけれど。これは現在の私たちの身体や意識が相続しているのと同じです。
私たちは本来無我なのに、生まれてから実体を持って実在していると思っているが、それは仮設であるのと同じ。

いや、その律の不殺生戒の因縁こそが、輪廻という前提を明らかにしていると思います。
一切皆苦、つまり経験するすべてが苦なのですよ。
しかし、その苦の原因は無明だから、死んでも消滅せず再生してしまう。
唯一の解決が、涅槃でもう再生することがないこと。
そのためには道を行じなければならないと。>>143

>>711
事実上の敗北宣言でしょうね。>>469 以外に論拠があるならどうぞ。
741神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 00:44:46 ID:MZCVexlx
>>740
貴方は余程その和辻さんがお気に入りなんですねw
しかも勝ち負けにも執着があるとは。

輪廻思想も相当お気に入りのご様子ですが、
仮に或る老人が寿命で死に、その後近くで子供が生まれたとします。
お得意の輪廻思想でこの相関性を説明するとどうなりますか?
また、死から生の間の脈略とか業の継承とかは証明出来るのですか?

涅槃寂静の境地に至り輪廻の和から抜けた体験は誰がしたんでしょうか?
輪廻の和から既に外れた人が、今だ和から抜けれない人達の中に交えて居たとしたら、
それは縁起に照らせば今だ解脱出来てないと言えませんか?

今だ質問を受ける自体、苦からの開放なんか出来てない証拠なんじゃないでしょうか?

そんなの、仏にしか解らないと逃げたら不可知論だと思います。
教典の信憑性など微塵も残らない事になりますねw
742神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 01:20:48 ID:MZCVexlx
>>740
追加です。
貴方はとかく輪廻を連呼し、恰も仏教の教えの根幹の一つにでもしたい様ですが、
その意味するところはまさに、
「輪の様に廻る」
から輪廻なんですよね?
だとすれば、生から死へ廻り、死から生に廻らないと輪になりませんよね?
仮にそう廻ってるとして、業の継承に於ける頭数の増加への対応はどう理解出来るんですか?
ある人の業が死後に二分三分し、複数の個体へ継承されるんでしょうか?
また、頭数減少時はどうですか?
業があたかも濃縮されるかの様に濃くなって継承されるんでしょうか?

って言うか、これじゃやはり梵我一如と大差ないと私は思いますねw
743神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 01:31:09 ID:t5zEwGrv
>>741
輪廻が前提となるか、どうかは仏教にとって重要な問題なのです。
輪廻を前提とせずに、仏教は成り立たちません。ちょっと読めば分かることなんですが。

>      仮に或る老人が寿命で死に、その後近くで子供が生まれたとします。
>      お得意の輪廻思想でこの相関性を説明するとどうなりますか?
>      また、死から生の間の脈略とか業の継承とかは証明出来るのですか?

わかりませんよ。私に死生智はありませんからw まあ、高い確率で無関係でしょう。
テキストの読みにそういったことを持ち込むのは無意味でしょう。
たとえば、多くの生前の記憶がある人の報告がありますが、それを持ち込んでも仕方ないでしょう。
空や無我を証明するのに、量子論を持ち出すようなものでしょう。
というわけで証明というのは物理的証明なら、意味がないことです。
それに現在の心さえ優秀な多くの科学者が証明できないのに、私がどうしてできるのでしょうw
まあ、証明できないから、ないでしょうと言いたいだけの詭弁だということはよく分かります。

>      涅槃寂静の境地に至り輪廻の和から抜けた体験は誰がしたんでしょうか?

釈尊および、諸仏、アルハットですね。
744神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 01:34:34 ID:t5zEwGrv
>      輪廻の和から既に外れた人が、今だ和から抜けれない人達の中に交えて居たとしたら、
>      それは縁起に照らせば今だ解脱出来てないと言えませんか?

それは化身の問題でしょうか? 化身は化身ですから解脱していると解釈されます。

>      今だ質問を受ける自体、苦からの開放なんか出来てない証拠なんじゃないでしょうか?

これは私がということですか? 私が解脱できてないということなら、そんなのあたりまえですよ。

>      そんなの、仏にしか解らないと逃げたら不可知論だと思います。
>      教典の信憑性など微塵も残らない事になりますねw

悟り、涅槃、解脱などは仏にしか分からないでしょう。貴方は分かるのですか?
だからといって経典の信憑性がないとは言えないでしょう。
なぜなら、経典には一貫した論理的整合性があり、かつ多くの聖者が経典に従って結果を出しているからです。
もちろん、それは信じるか信じないかの問題です。
私には、逆に仏教に科学や物理学を持ち込む方が、理解できません。
実在論を前提とした物理還元主義も仏教が否定するアートマンなんです。
以後、実在論を前提とした物理還元主義的質問にはお答えしませんので悪しからずご了承下さい。
745神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 01:40:17 ID:t5zEwGrv
>>742
それが正に実在論的アートマンです。普遍の実体を想定してるでしょう。
仏教の輪廻は、無常なる諸業が、縁起して無我・空なる諸法として顕現するだけなので、
なんとでもなる、あるいはなるようになる、としかいえません。

それ以上、説明しようとすると何か実体を想定して失敗する。
たとえば、プトガラ、アーラヤなどです。
746横レス:2007/11/13(火) 05:41:57 ID:KHOSGqU0
>>742
> 仮にそう廻ってるとして、業の継承に於ける頭数の増加への対応はどう理解出来るんですか?
> ある人の業が死後に二分三分し、複数の個体へ継承されるんでしょうか?
> また、頭数減少時はどうですか?
???
一つの生命体が持つ業(因果)は、どこまでいってもその生命体のみについて回るもの。
頭数の増加/減少とはなんぞや?
747神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 07:54:39 ID:MZCVexlx
>>743-745
語るに落ちてますよ?
真を知る上で貴方には信仰とドグマが足枷になり眼が曇って見えてるのでしょう。
教典に書かれたことを鵜呑みに採用するのは盲信と言わざるを得ません。
仏教史上に於いて、誰が説いたかハッキリしない様な教典が必ず正しい筈だと思い込んでるんじゃないでしょうか?
それと、宗派に因るシガラミも貴方には有るのでしょう。

宗教系の板では大概皆さん、ご自分の論説に不都合が生じて来ると、「この様な質問には以後答えません」と予防体制を敷いて逃げの準備に入られたりします。
貴方も例には洩れませんでしたね。

何を信仰しようが貴方の勝手です。
しかし、仏教は信仰では理解出来ませんよ。
748神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 08:12:58 ID:MZCVexlx
>>746
ならば、人口の増減に貴方の説では対応出来ない事になりますね。
特に人口が減っていく時、業が余る事にならないんですか?
不採用された業はどこへ行っちゃうんでしょうねw

良く考えて出直して下さいw
749神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 08:47:53 ID:KHOSGqU0
>>748
あのな・・・人口が増えるということは、無情が縁に触れて有情になることだ。
反対に、例えば今地球が爆発でもすれば、地上の有情はすべて無情になる。
それだけ・・・・の話。

まさか、死んだら無になるとか考えているわけじゃないだろうなw
750神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 09:59:08 ID:MZCVexlx
>>749
ああなるほど、正法眼蔵にも似た様な事が載ってた様な気がします。

でも、縁に依って有情が無情になり無情が有情に変わるって体験確認した人はいるんですか?
確か植物も無情扱いなんですよね?

何故皆さん、死後の事をあたかも見て来たかの様に断定出来るんでしょうか。

実に不思議でなりませんw
751神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 11:01:42 ID:Ukv2s6Cr
>750
何故皆さん、死後の事をあたかも見て来たかの様に断定出来るんでしょうか。
実に不思議でなりませんw

君の理屈じゃ、死後どころか「死」そのものを体験した人もいないよね?
死んだら意識はないのなら、自らの死は確認できないよね?
もし確認できても、知らせるすべが無ければ「死」がどんなものかは
分からないよね?

また自分の顔を直接見た人もいないよな?
眼は眼を見れないよな?
そんなら、「死」は幻想か?あんたの顔も「妄想」なんだねw

ブッタは「死は苦しみである」といってるよね。
生、老、病が苦であることは誰でも体験できるよな?
そんならブッタはどうやって「死は苦」であると体験したんだろうね?
妄想か?それとも一度死んだことがあるのかなw

君の脳みそでは理解できないだろ?
752神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 11:35:54 ID:MZCVexlx
>>751
貴方は実に程度の低い御信心を用い御納得されとる様で大変微笑ましく思いますw

生老病死の事はこちら側の話し。
どれも見れない訳では有ません。
死苦に付いては、実際はワンウェイチケットだから知る事が出来ない?
失う不安、終わってしまう苦悩、痛みを伴う(かも)と抱く恐怖等。
全てこちら側の話しですから伝えられますし記録も可能でしょう。

それらと死後の話しは別な事だと思いますよ?

良いですか?
死後の事は誰にも解らないのです。
故に、輪廻で繋がっているともいないとも確認の術が無いのです、こちら側からでは。
事象をあるがままに捉え、考察するのが仏教の基本姿勢なんじゃないですか?
私は、解らない事は解らないと識るのも仏教の良さだと認識しています。
その部分に極端な断見や常見を無理に捩込む様な行為が有ったとしたら、
それは外道の作法だと認識します。
753神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 12:19:43 ID:Ukv2s6Cr
思ったとおり、やはり理解できないようですね。
私は「死後」ではなく「死」そのものと言ってるのに・・・

>失う不安、終わってしまう苦悩、痛みを伴う(かも)と抱く恐怖等。
>全てこちら側の話しですから伝えられますし記録も可能でしょう。
それは、「生きている」時の話でしょ?
まだ「命があるとき」に抱く死への不安を、「生きているもの」が体験
しているにすぎない。
いずれも「死」そのものがどんなものか語っていない。
それとも自らの死を実況中継でもしたヤツがいる?

他者の「死」を通して自身の「死」への憶測、推測にしか過ぎない。

私は誰が「死」そのものを体験したんですか?と聞いている。
誰が「死は苦」であると体験、確認したんですか?
あなたにとって体験できないものは存在しない妄想なんでしょ?
「死」が体験できなければ「死は苦か楽か分からない」というべきでしょうw

憶測、推測が君にとっての「事象をあるがままに捉え」なんですねw
それは信念というか妄想の域ですね。
確かに信仰でもない。

754神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 12:24:17 ID:Ukv2s6Cr
それと俺は、君みたいに「輪廻が無い」とも、あるいは有るとも言っていない。
また、信じるとも信じないとも言っていない。

君の素朴な体験至上主義を批判しているだけ。
なぜなら、それはブッタが否定した外道の考えだから。
その否定された外道の考えを仏教と信じるのが、
いわゆる君の「信念」だ
 
755神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 12:34:49 ID:MZCVexlx
さて、生老病死を誰か何かに限定せず、
生としいけるもの全てに当て嵌めた総体的視点に適用する事は、或いは釈迦もされたかも知れないと私は思います。
その視点なら死後の話しは無視出来、

生老病死生老病死生老病死…

と、生類のサイクルを説明し易いからです。

そう言う観点での輪廻の話しなら異論はありません。
あぁ、確かに繰り返して観えますね、で終了です。

ここ、笑い所ですw
756神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 12:45:25 ID:MZCVexlx
貴方にとって死は何とも感じないのですか?
何も感じない人に死苦は無いんじゃないですか?
ある意味、涅槃寂静じゃないですかw

解脱おめでとうございますw
757神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 12:48:23 ID:MZCVexlx
>>756>>753へのレス。
758神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 12:48:40 ID:nR5JZICx
アナルファック おめでとうございますw
759阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/13(火) 13:19:41 ID:ksDw0EDi
誰も指摘しないが…(笑)。

「Buddha→佛陀」なんだから、「ブッタ」でなく「ブッダ」だろ(笑)。
760神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 13:33:43 ID:nR5JZICx
アナルファック おめでとうございますw
761神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 14:08:41 ID:nY1Gv9eP
>>754
>それと俺は、君みたいに「輪廻が無い」とも、あるいは有るとも言っていない。
>また、信じるとも信じないとも言っていない。

なんで素直に「解らない」と言えないんだ?
762阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/13(火) 14:11:26 ID:ksDw0EDi
「ブッタ」か。
そやねえ…、タイあたりで社会問題になっている、某カルトの臭いが漂いますな(笑)。
763神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 15:24:47 ID:MZCVexlx
>>762
シッタカブッタなら可愛いから赦すw
764神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:15:00 ID:Ukv2s6Cr
>756
なんだ、ぜんぜん質問に答えてませんね?
どうしました?あなたの経験至上主義はそんなもんですかw

もう一度質問します。
誰が自らの「死」を体験し、認識できるのですか?
「死の恐怖」を死者が認識するんですか?

どうせ答えられないだろうけどw
そこのポンコツロボットにでも聞いてみたら?
仏教詳しいそうだからw
765神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:17:22 ID:j7uTDNMf
仏教を、近代合理主義の枠組みにはめ込むのは無理だぞ。
そんなの、もはや仏教じゃないしな。
766神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:19:38 ID:Ukv2s6Cr
>762
また、鬼の首取ったみたいにやけにうれしそうですねw
情動なかったんじゃないの?
(笑)(笑)(笑)・・・
ブッタでもブッダでも所詮日本語表記だからねw
俺は日本語表記はいつもブッタだよw
それで、アンタにも意味通じただろ?
767神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:22:47 ID:HiINeFw1
>>753
自分の死を見た者はいないが
他人の死を見た者は多い
その他人の死によって自己の死に不安を抱く

四門出遊の故事で、釈迦が見たのは他人の生老病死
768神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:35:50 ID:Ukv2s6Cr
Buddha<浮屠・仏・仏陀だろ?

それと
折角「地獄の獄卒」って言ってるのに洒落の意味が分からなかった?
もう少し仏教の知識あると思ったけど。。。
案外、狭いね・・・
「習気」

>そやねえ…、タイあたりで社会問題になっている、
>某カルトの臭いが漂いますな(笑)。
さすが。ポンコツロボットの山勘はすばらしいwみごとですw
神通力があるんですねw

幻臭ですか?


769神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:38:46 ID:HiINeFw1
他者の死を見て、死後の世界を想像する
あーでもない、こーでもないと

バラモン教はその答えとして輪廻転生と業報思想を説いた。
このスレの一方の説は、そのバラモン教に対して、
死後の世界を考えることは無駄で有害だ、
と釈迦は言った、というもの。
770神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:42:44 ID:Ukv2s6Cr
>767
その通りです。
「他者の経験」を体験したわけで・・・
それが体験至上主義者には理解できないし、答えることが出来ない。
基本中の基本なのに

それならこれはどうでしょう?

私は自らの顔や姿を鏡など道具を使うことなく目の当たりに見れます。
もちろん、幽体離脱なんてオカルトではありません。
771神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:47:14 ID:Ukv2s6Cr
ブッタは生老病死を如実に見ました。
「死」も推論ではなく直接知覚した。
と、
経典には述べられています。
772神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:48:59 ID:HiINeFw1
>>770
他人の死を見て考えるのは、本人の体験でしょう
そしてそこから抱く不安と苦悩は、紛れもなく本人の体験です

目の当たりに見ることができないからこそ、不安を体験するのです。
773神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:49:23 ID:MZCVexlx
>>768
先に書かれちゃったけどさ、
>>767は無視なの? 都合良いねw

つーか、そんなに必死に何の権威を護りたいの?
774神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:54:09 ID:HiINeFw1
>>771
私には知覚できないので、なんとも言いようがないですね

>>773
失敬
これにて失礼
775神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:55:51 ID:MZCVexlx
>>771
その方法は?
てか、出自は?
776神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:55:55 ID:Ukv2s6Cr
>貴方にとって死は何とも感じないのですか?
>何も感じない人に死苦は無いんじゃないですか?
>ある意味、涅槃寂静じゃないですかw

これが仏教なら植物状態、昏睡状態の人は涅槃寂静ということになりますw

777神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 17:57:22 ID:Ukv2s6Cr
>つーか、そんなに必死に何の権威を護りたいの?

妄想が動き始めましたねw
778神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:02:49 ID:Ukv2s6Cr
>775
>その方法は?
あなたに理解できるわけ無いじゃないですかw
教えるだけ無駄というものw
あほだらきょうさんなら知ってると思うぞw

>てか、出自は?
出自?出典の間違いでは?
仏教詳しいんでしょ?
分からなかったら詳しい人に聞いてみなさい。
その上で、でたらめと罵るなり、あるいは私には理解できませんと
屈服するなりして下さいw
779神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:04:47 ID:MZCVexlx
>>776
不謹慎な言い方すればそうも取れるんじゃないですか?
少なくとも古代インドの頃には無かった状態ですし。

私は、真の涅槃は死の状態しか無いと考えます。
780神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:08:38 ID:MZCVexlx
>>778
で、逃げるんですね?
実にカルトらしい振る舞いが微笑ましいですねw
781神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:12:10 ID:Ukv2s6Cr
>他人の死を見て考えるのは、本人の体験でしょう
>そしてそこから抱く不安と苦悩は、紛れもなく本人の体験です
>目の当たりに見ることができないからこそ、不安を体験するのです。

その通りなんですが、それはあくまで「生きていること」の体験です。
わたしが言ってるのは自らの「死」そのものの直接の体験の話でして。

鏡も用いず自らを見ることの出来るものは、
また自らの死も見ることが出来きる。
そうです。


782神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:14:22 ID:Ukv2s6Cr
>780
相手に「逃げるな」と言いながら、自らが逃げてるパターンですねw
783神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:17:13 ID:MZCVexlx
>>781
仏教は空中浮遊とか幽体離脱とかのオカルトは用いませんよ?w

例え経典に書かれてたとしてもね。
貴方には全く理由が解らないでしょうがねw
784神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:18:39 ID:Ukv2s6Cr
>779
実年齢はともかくあなたはお若いようですね

病院にいって植物状態の患者さんのご家族に
「涅槃寂静、解脱おめでとうございます」と言ってみてください。

>私は、真の涅槃は死の状態しか無いと考えます
それなら「死」は苦ではなく喜ぶべきものですね。
785阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/13(火) 18:20:56 ID:ksDw0EDi
「通じた」のは件の破落戸の馬鹿ぶりと、土人カルト工作員ぶり(嗤笑)。
786神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:23:26 ID:Ukv2s6Cr
>783
「私」は自らの顔や姿を鏡など道具を使うことなく目の当たりに見れます。

もちろん、幽体離脱なんてオカルトではありません。
神通力でもありません。
「私」は無我です。
ここが迷悟の分かれ道だそうです。

それでは失敬
787阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/11/13(火) 18:25:54 ID:ksDw0EDi
ほうw、お里がバレて頓走ね(蔑笑)。
788神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 18:34:04 ID:MZCVexlx
図星だったんだwww
あそこの古式の則り方で唯一正しかったのは…

教団の分裂だけ m9(^Д^)プゲラ!!
789神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 19:53:22 ID:iAgkDrS0
>>702
>「まだ生起していないものは見られない」...とするとその意味がわかりません。
「まだ生起していないもの」とは、共通するvattaを含む「諸法が生起する」「業の果報、原因あっ
て生じつつあるもの」から、未来に「果報・異熟として生起するだろう法」ということではないで
しょうか。「今」を起点に図示すると、下のような感じになりますか。  <>内は非仏説

前際〔業、<業の作者>〕←←今〔業の果報、原因あって生じつつあるもの、<果報の受者>〕
今〔業、<業の作者>〕→→未来の流転〔業の果報、まだ生じていないもの、<果報の受者>〕

釈尊が在家信者の後日の食事への招待を沈黙をもって承諾した、とよく言われますが、これは実は
如来は「真実を語る者」であり、もし当日行けなくなれば真実語に反することになるので、不確か
なことを「行きます」と約束はしなかった、ということなのでしょう。
「知られない、見られない」も、これと同じような発想の言葉ではないでしょうか。

>限りない前の前世があったということは言えると思います。
これも未来の場合と同様、果報を受けているとき、その果報に関して「種と樹などの〔始点〕の
ように、始点は知られない」、と見ているのではないでしょうか。

このことに関連して、>>407に出てきた「比丘たちよ、この流転はanamataggaである」のanamataggaは
一般に「無始」と訳されますが、anavarAgra(最後と最初が無い?)を俗語形にしたaNavadaggaから、
仏教では「始めが量りがたい」という意味でanamataggaと変えたものかどうか、『批判的パーリ語
辞典』にアクセスできる方がいらっしゃったら、一度お調べいただけませんでしょうか。

>>729
(外道が説くような)業を行う者(としてのアートマン)が実在している(、という)わけではない、という意味です。
790神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 20:21:58 ID:Faw7AGCa
中道
791神も仏も名無しさん:2007/11/13(火) 23:30:06 ID:t5zEwGrv
>>789
ご丁寧な解説ありがとうございます。

非常に興味深い内容で、感謝いたします。

つまり、未来は知覚できないということでしょうか?
すると「種と樹などの〔始点〕のように、始点は知られない」とは、
原因が特定できないという意味でしょうか?
それとも、過去は際限がないという意味でしょうか?


792神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 11:47:38 ID:UW/WXv8L
>私は、真の涅槃は死の状態しか無いと考えます。

武士道とは死ぬことを見つけたり
793神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 15:31:47 ID:OBDT2IOz
>私は、真の涅槃は死の状態しか無いと考えます。

“いわゆる”生といわれる状態で涅槃に達し、[色即是空]

そのうえでいかによく生きるかがブッダの本懐。[空即是色]

生死分別の分際では悟りにはほど遠い。
794神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 16:36:01 ID:b7OVAtRq
>>793
悟る事と涅槃に至る事はまた別。
輪廻の輪を絶ち、あらゆる依存関係を解消するには死以外ない。
一切皆苦 涅槃寂静とは平たく読めばそう言う事。
故に念仏がしゃしゃり出て来れる隙があったと。

但し、ポジティブシンキングの観点での>>793の見方には異論は無い。
795机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/14(水) 16:39:52 ID:sBZCzYNL
思想や芸術、その他のジャンルにおいて名を残した人間に共通しているのは
破壊的人間である。
ってことだよ。
究極的破壊というのは「死」であるわけだけど、
太宰治とか三島由紀夫とか利休は、それを実践しちまったが、
実践までは逝かなくても、それに近いとこまで達観したしたとこに芸術なり思想が形成される。

仏教もこれと同じ。
「死」という具体的に捉えられる概念は、
ようするに破壊という抽象的人間の希求を、具体化した象徴です。
根底には自己破壊願望を露呈したもんです。

これが中途半端だから、首吊りしてもしっかり紐を手で押さえてる状態。
つまり、死に切れんでモガイテル状態だね。
だから苦しい。
あの世があるのか?あの世がないのか?
輪廻転生概念で己の首をジワジワ締め付ける。
これが地獄と言われる。
地獄は今にあり、また極楽も今にある。

釈尊は、娑婆即寂光浄土を悟った。


796神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 17:01:27 ID:5yuhMT5Z
>>795
それはおまえの概念にすぎないだろ。
輪廻転生や仏教はそこまで浅くない。
797神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 17:03:04 ID:ldELQD5R
転生って言えば、このニュースは知ってる?
ttp://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2263352/2001212
たまらんわな、転生にいちいち許可を出せとかって
798神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 17:11:03 ID:UW/WXv8L
Sam.kicca長老は言う

私は死を喜ばず、生を喜ばない。
正しく知り、正しく憶念して
(死ぬ)時が来るのを待つ・・・(Th.607)

死だけが解脱涅槃なら、片手落ちでしょうね。
799机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/14(水) 18:09:27 ID:sBZCzYNL
>>796
>それはおまえの概念にすぎないだろ。

いやいや概念ではない。
私はそれなりの経験はしている。
つまり仮死状態という、意識が全くない状態。
そういう経験を踏まえて書き込みしております。
(参考になればありがたい)

笑気ガスを吸い込むと、途端に意識がなくなる。これは麻酔というもんです。
麻酔を掛けられれば、自分の身体をどんなに切り刻まれようとも・・・
“自分という自覚”がなければ、これは意識的には“自分ではない”

意識なんて儚いものです。
この意識が流転しようなどない。
とにかく意識がないのだから流転している自覚など有り様がない。
非常に単純な論理です。

意識が覚醒するのは、麻酔が解けた段階です。
これは自覚があるから「自分が生きている」という現状を認識できるだけです。

仏教における三法印(四法印の「一切」というのは、
これは人が認識できる範囲のことであります。
つまり、
認識ができるか?認識ができないか?が俗世間的な生死の意味であり。
植物人間などは、仏教的には俗世間的な生死の概念にはそぐわない。
だから、
このベクトルで仏教を語ちても、釈尊本懐義には到底辿りつけん。
そこを離れた・・・一切にて調ふべし。
800神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 18:53:08 ID:5yuhMT5Z
>>799
それだけの経験しかしてないから浅いんだよ・・・。がっかりした。
801机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/14(水) 19:25:01 ID:sBZCzYNL
>>800
切っ掛けというのは、非常にシンプルなもんだよ。
竹に当たった小石の音とか、
裏山のセセラギの音とか、
アホダラ氏に招待されて、奥の院に入る一歩手前でスッコろんで気づくとか、
人の脳は割りと順応性はある。

ただし、
ここでいう順応性ほど難しいものはない。
それは人が思推するからだ。

             <平常心是道>
802神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 20:16:16 ID:OBDT2IOz
そんなことより、今NHKで生中継で地球と月の裏側が見られる。
ぜったいに地球からは見ることができない映像だ。
感動する、地球は美しい。

なぜ、見えるのだ?唯識論で説明してみろ。
803神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 20:21:18 ID:OBDT2IOz
月の裏側は阿頼耶識が生み出すものかあ?
804神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 20:51:25 ID:b7OVAtRq
>>802
唯識論で観えないものが科学の力で見える、
それにしてもハイビジョン凄い綺麗だねぇw

余談だが、仏は道理の上にしか法を説いてないんだよな。
だとすれば、科学のメスに耐えられない事は無いんだろうと思う。

勿論、幽体離脱とか空中浮遊とかはメッタ斬りw
805神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 23:57:36 ID:gIiWcoyX
>>802-804
素朴実在論が好きですね。それこそ仏教が否定する迷いの元、アートマン、我、実体なのに。

さて、月が見えて苦は減ったろうか? たぶんその消費により苦は増えただけじゃないだろうか?

唯識は、好きじゃないが。唯識によれば、ただそのような共通の顕現を見る種子があったというだけで説明がつきますよ。

外界はないのだから、何が現れても ok
806神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 00:06:18 ID:b7OVAtRq
>>805
あんた、実体の使い方間違えてるよw
浅いねぇ〜ww
807神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 00:08:52 ID:O7fbz/Js
>>730
>それこそ牟尼、生と滅の辺際を見るものである。
『ブッダのことば』209「かれは、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり、」

jAti(生れること)khaya(滅)anta(終極)dassI(見る者)なので、「生れることの滅」と「生れること
と滅」に解釈できますが、あとは、antaを「(生れることと滅という)時間的な2つの端」ととる
か、又は「(生じることが)終わること」ととるか、ですね。
 antaを辺際(border)と見るか、終極(end, destruction)とするかに関しては、いわゆる十難無記の
「世界は有辺か無辺か」という問いで、辺(anta)とは「空間的な果て」ということですので、anta
とは、まずは空間的な概念ではないかと思われます。
 また、文脈的にも、なにか生命の「生と滅」というより、煩悩・愛執・妄想などの生長するのを
終わらせた平安の境地、というように捉えた方が自然に読める気がします。

>>791
>未来は知覚できないということでしょうか?

このことは、如来が真実語を語る人であることから、数日後の食事への招待を「黙許」した、という
ことがヒントになると思います。施主による「招待します」という発言があり、如来の黙許があり、
当日当家で食事の用意が行われ、如来がその家に出向いたとしても、途中で行きつけなくなる事態が
出来するかも知れません。ある時点から見て、未来の出来事が実際に生起するまでには、様々な
不確実な要素も絡んでくるので、如来と言えども「確約」をしなかった、ということでしょう。
808神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 01:08:54 ID:8/B/PLEv
>>807
分かりました。諸法は刹那刹那転起し、相続するだけだということでしょう。
『ヴィスッディマッガ』のそれ以降は、全く『因縁心論』と同じで、
譬喩まで同じですね。

いや、おもしろい。ちょっと今、時間ないので詳細には検討できないのですが、
12月に入ったらやってみたいと思います。
809神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 01:49:41 ID:n3Fz8UuH
>>805
 俺は素朴実在論者ではないが、それでは聞こう。
我々はハイビジョン・デジタルカメラシステムを通じて月の裏側と地球を見ている。
録画もできている。生中継を見なかった人も再放送を見られる。
だったら、外界が実在しないというなら、カメラという無機物にも「共通の顕現を見る種子」なるものが
なければならないはずだよな?
 阿頼耶識なるものがない無機物のカメラ、録音機は一体なにを撮影・録画保存しているのかね?
810809:2007/11/15(木) 02:07:52 ID:n3Fz8UuH
× 録音機
〇 録画機 
811神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 02:29:32 ID:8/B/PLEv
>>809
勘違いしてませんか? 唯識にとって現れは全て心の現れ。
あるいは知覚のみ。だから、現れ、知覚はなんでもあり。
宇宙を見ようが、地獄を見ようが、それは知覚だから。
知覚の中で、整合性があればいいだけの話。

唯識の難点は、他者の識の存在や、独我論ですよ。
これについて他者相続の論証というものがあるのですが、
私は読んだことがない。

唯識には、他にも識と形相の真偽とか、いろいろ問題が多い。
縁起に基体を置くと破綻すると思われる。
812机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/15(木) 07:22:09 ID:to37yYYn
>>809
>我々はハイビジョン・デジタルカメラシステムを通じて月の裏側と地球を見ている。

月の裏側とか、地球の裏側とか、そのように人が識別しているに過ぎない。
カメラに映ってるのが真っ暗闇でもいいし、コントラストがあるのでもいい。
現象を捉えるのは黒でも白でも同じ。
別に驚くことはない。

現象は色作用という。
驚くのを心作用という。
色心不二で、これを般若心経では「色」という。
その理(ことわり)が「空」。

  <色即是空>
813神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 08:26:45 ID:SzgVzaCJ
>>811
唯識最大の欠点は釈迦の立場の扱い方でしょ。
唯識では成仏までに三大阿僧祇劫かかると言うよね。

ま、何にしても今更三国伝来もので頑張ろうとしてる人が居るのは良く判った。
華厳命とかね。
814神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 09:18:05 ID:eDrqMK++
>唯識最大の欠点は釈迦の立場の扱い方でしょ。
>唯識では成仏までに三大阿僧祇劫かかると言うよね。

どういうことでしょう?
因みに成仏に三阿僧祇劫かかると言い出したのは
増一阿含経(16巻)あたりからです。

815神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 09:25:31 ID:eDrqMK++
>807
antaを「生と死の間の苦」という風に解釈するのですね。
それも一理あるかも知れませんね。
しかし、「間」とするなら
yaava...taavaを用いてもよさそうですし、私はantaを
極端の意味で解釈したいと思います。

816神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 10:19:43 ID:SzgVzaCJ
>>814
アグッタラ ニカーヤに書いてあるから鵜呑みにするんですか?
その辺のご自分の論理解釈に矛盾を感じないとは…w

実におめでたい。
817神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 10:47:11 ID:eDrqMK++
>816
あなたが三阿僧祇劫成仏はあたかも唯識説みたいに書かれていたから
「それは違うんじゃないか」と質問してみただけです。
三阿僧祇劫成仏はかなり早い段階から出てきたた思想だと私は習いましたが。
私の勘違いなら典拠を示して、反論して下さい。
818神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 11:19:11 ID:SzgVzaCJ
>>817
思弁哲学のディベートには興味ないねw
819素人:2007/11/15(木) 13:31:58 ID:FOhPnO+6
>>818
>>814に対する>>816のレスは意味不明ですよ。
820神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 18:39:43 ID:GXup4B/x
108 名前:キャップが出せなくなった名無しさん[sage] 投稿日:2007/11/13(火) 21:54:19 ID:???
ああ、a+ldPMaAこれは間違いなくバスタだw
自分で「電波男Ψ(´д`)Ψ氏も仰るように」とか言っちゃってるよ。
アイタタタタタw
821神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 19:29:01 ID:eDrqMK++
>思弁哲学のディベートには興味ないねw

そんな別に逃げなくてもいいですよ。
「知ったかぶりしてました。ごめんなさい。」と言えば済むことです。
『仏教の基礎知識』くらい読めと、
何度も書かれているのはあなたですよね?
2ちゃんで耳学問してるから・・・進歩ないですねw
ついでに『仏教・インド思想辞典』春秋社くらい読みなさい。
822神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 20:54:32 ID:8TSYF7qN
>>808
>諸法は刹那刹那転起し、相続するだけだということでしょう。

実は、この頃、「相続」という概念に問題があるのではないか、という思いがあります。仏教では
アートマンの永続ということが援用できないので、その欠を補おうとして、業や心の相続という教義
が発達していったのではないか、と。

縁起説には「相続」という概念が本当に必要なのか。
原始仏典に明確に「相続」を支持するくだりはあるのか。

「相続」という語は『大毘婆沙論』に頻出しますが、「相続」と無常を適合させるために「刹那滅」
という概念も発達したのではないか、と。識の刹那滅は首肯できますが、色の場合は生住滅という
三相をとっているとするのが自然に思われます。原始経典にも識と色を対比して、そのように述べた
箇所があります。

なお、『タルカ・バーシャー』3.2には「有為は、すべて刹那滅である、と世尊が言われた」と
ありますが、一体そういう経文があるのでしょうか。「刹那滅」という語が釈尊在世当時すでに
あったのでしょうか。あるいはその典拠は大乗仏典かな。
雑阿含(296)、相応部12.20には、縁起の法と縁生法の2つを分け、
縁起の法を常住とし、縁生法を無常としていますが、無常と刹那滅とは内容が異なります。

>>815
「間」や「苦」ということとは少し違います。むしろ中村訳では、antaは安楽な境地を示唆して
いるとも取れるのではないでしょうか。つまり、「苦の生じることの滅」という終極の境地を見る
のが聖者である、といったような意味になるかと思います。
823神も仏も名無しさん:2007/11/15(木) 23:04:27 ID:nUh/gKTb
>識の刹那滅は首肯できますが、
>色の場合は生住滅という三相をとっているとするのが自然に思われます。
どの立場での発言でしょうか。識も有為法である以上、有為の四相と相応しているはずですが。
824神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 11:30:01 ID:DKyXkVpV
耳学問のシッタカブッタは
>お里がバレて頓走ね(蔑笑)。
825神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 11:31:18 ID:DKyXkVpV
頓走?こりゃアホバカな間違いだなw
遁走だなw
826神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 12:05:47 ID:ozB+dJU7
くだらん人間性の輩が多いスレだなw

ブッキョーやっててこのレベルなんだから、
悟りと、知ること考えることはまったく別のカテゴリーだということがよく解る。
むしろ、邪魔になる。

さあ、生体実験・実証を続行、続行w
827神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 12:28:52 ID:89lYThcp
>>824
自己愛性人格障害 でググってご覧。
君の事が緻密に分析されてるから。
お大事にw
828神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 13:23:15 ID:bTnKH9Yj
>>827
そりゃ君だろw 知識、論理、性格まるでだめだね。
829机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/16(金) 13:36:47 ID:UyVc390l
>悟りと、知ること考えることはまったく別のカテゴリーだということがよく解る。

まあ、そういうことなんだね。

例えば、故・山下清(画家)などは言語機能が未発達だったゆえに、絵画の才能を維持できた。
もしも山下が流暢に会話ができるようになった時点で、
彼の才能は見事に崩壊したであろう。

自閉児は、絵画の才能は非常に優れているが、
これは言語機能が発展する段階と反比例して、その才能は凡化される。

天才も同じで、成人になるに従いその才能も凡化される。

悟りとは知ることではない。
これを平常心是道といふ。


830神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 14:35:44 ID:89lYThcp
>>828
ちゃんと読めよ。
目が自然に逸れちゃう気持ちは分かるけどな。
君の今後の為になると思うよ。

お大事にw
831神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 15:11:34 ID:bTnKH9Yj
>  813 神も仏も名無しさん [] Date:2007/11/15(木) 08:26:45  ID:SzgVzaCJ
>      >>811
>      唯識最大の欠点は釈迦の立場の扱い方でしょ。
>      唯識では成仏までに三大阿僧祇劫かかると言うよね。
>  
>      ま、何にしても今更三国伝来もので頑張ろうとしてる人が居るのは良く判った。
>      華厳命とかね。

>  816 神も仏も名無しさん [] Date:2007/11/15(木) 10:19:43  ID:SzgVzaCJ
>      >>814
>      アグッタラ ニカーヤに書いてあるから鵜呑みにするんですか?
>      その辺のご自分の論理解釈に矛盾を感じないとは…w
>  
>      実におめでたい。

>  818 神も仏も名無しさん [] Date:2007/11/15(木) 11:19:11  ID:SzgVzaCJ
>      >>817
>      思弁哲学のディベートには興味ないねw

>>827 が上を書いたなら、>>828 は何も訂正することがないんですが。
もし、>>827 が SzgVzaCJ でないなら、>>827 を書いた意図が分からない。

まず、大乗は基本的に三劫成仏なんだけど。そんな基本的知識がない。
その誤った知識が誤りだと指摘されても。816で詭弁。
「論理解釈に矛盾を感じないと」言ったその側から「思弁哲学のディベート」と、全く非論理。
そして誤りを認めない性格の悪さ。その上で>>827 だから話にならない。
この方は、ただ科学ではなく科学的常識に基づく世界観と釈尊の世界観が一致すると盲信して、
適当な断片的知識でグダグダ言ってるだけだから。「実におめでたい」「自己愛性人格障害」だろうねw
832神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 15:23:03 ID:89lYThcp
>>831
ヲヤヲヤ、その反応は論文を読んだ為の拒絶の顕れかな?

お大事にw
833神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 15:38:16 ID:bTnKH9Yj
>>832
論文? 大丈夫?
834神も仏も名無しさん:2007/11/16(金) 17:03:48 ID:DKyXkVpV
>832
オマエも忙しいなw

カラスの何とかは止めたのか?
835神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 00:56:21 ID:+9TmnipL
>>823
三相というのは相応部5.10ヴァジラー経の「実に苦だけが生じる。苦がとどまり、そして消え
去る」(dukkham eva hi sambhoti, dukkhaM tiTThati veti ca.)の「生・住・滅」によります。
また識に関しては雜阿含經(二八九)心意識日夜時尅。須臾轉變。異生異滅。を想定しています。

お聞きしたいのは、「四相」には阿含経の典拠があるのか、また、「識の四相」と言ったとき、
たとえば稲光を見たときの眼識の住相・異相とは、どんな説明になるのか、ということです。
836神も仏も名無しさん:2007/11/18(日) 15:31:07 ID:sXHA1dNF
>834
カラスの唄は、輪廻是認で彼とは逆。
彼は、たぶん仏教系大学の学部生で、
柄谷とか宮崎とかに共感する常識人でしょ。
837神も仏も名無しさん:2007/11/22(木) 01:53:40 ID:w4saqagu
>>835
じゃ、無常な識が縁起相続して輪廻してくってことですね。
もちろん識も仮設されるだけですが。
838神も仏も名無しさん:2007/11/22(木) 06:59:25 ID:TUbzQYs3
おいこら、机さん

山下清さんは、犯人だと思いますか?
被害者だと思いますか?
839神も仏も名無しさん:2007/11/27(火) 23:56:11 ID:UxzQnqqp
山下清さんは犯人ではなかったようです
840神も仏も名無しさん:2007/11/28(水) 00:37:31 ID:/6k5PUZL
他の親族が容疑者だったようだ。
人は人相だけで判断したらいけない、ということですね。
841神も仏も名無しさん:2007/11/28(水) 16:39:06 ID:hygfmro/
ちゅかTBSの朝ズバでみのもんたが示唆するような発言をしただけだろw
あんなもんに引っ掛かるなよ
842神も仏も名無しさん:2007/11/29(木) 10:17:49 ID:Vr0FEpZZ
843神も仏も名無しさん:2007/11/30(金) 07:50:44 ID:596hzfZY
このスレの仏教カジリは、
事件のコメントすらできないの?

仏教研究のための研究か?
末法の世だな
844神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 17:46:14 ID:z1lkMhyg
すれちがい。マスコミは山下さんに謝るべきですね。
事件に関わった人が無明の闇から覚めることを祈ってます。
845神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 21:49:08 ID:oH7G2BxU
殺された三人は、生まれ変わったのですか?
846神も仏も名無しさん:2007/12/03(月) 21:46:47 ID:vQF5TBq/
常識仏教派、素朴実在論者は完全敗北ってことね。
847神も仏も名無しさん:2007/12/03(月) 23:06:45 ID:a8KOwYLG
でた、勝手に勝利宣言
848神も仏も名無しさん:2007/12/04(火) 08:03:45 ID:h/VAYU/w
勝手に勝利宣言は電波男とアホダラの18番、負けても勝利宣言
常識仏教派、素朴実在論者はなんの根拠も出せずに遁走でしょ。
特に電波男はいつものように訳もつけられず、一回だけ出した根拠はボロボロだった。
アホダラは、いつものように罵倒に終始、もう一人の人は、仏教についてほとんど知らない感情論。
849神も仏も名無しさん:2007/12/04(火) 09:33:11 ID:OWpQb7Tj
>>848
でた。根拠なしの罵倒。
850神も仏も名無しさん:2007/12/06(木) 21:18:00 ID:ubk27X6C
輪廻転生は、人間の魂が死後も存続して、
生死を繰り返している、という考え方だが、もっとも古いのは、
紀元前7〜8世紀ごろのインドのウパニシャッド哲学とされている。
これによると、修行によりそこから解脱できると考えられていた。
これが、ヒンドゥ教や仏教に継承されている。

紀元前5〜6世紀ごろになると、古代ギリシャでも、
オルフェウス教、ピタゴラス、プラトンなどが、
魂の存続と、生死の繰り返し、つまり輪廻転生と同じことを考えた。
他には、道教、中世キリスト教のカタリ派、
ユダヤ教神秘主義のカバラなども、同じことを考えた。

これらは、細部には相違があるが、魂が存続することと、
生死を繰り返しているという、基本的な考え方は共通している。
851神も仏も名無しさん:2007/12/07(金) 21:38:16 ID:74y60qoJ
仏教との違いは、魂などと呼ばれるものが実体か無常・無我・空かという問題が根本的ですね。

852神も仏も名無しさん:2007/12/17(月) 18:04:15 ID:pIUVWL+m
http://hpcgi1.nifty.com/manikana/bbsnew/wforum.cgi?no=3129&reno=no&oya=3129&mode=msgview&page=0

これでも十二縁起は論理的関係とか後代のものとかいうのだろうか
明らかに釈尊も輪廻を説いている。
もちろん生まれ変わりの意味の輪廻。
853阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/18(火) 16:18:06 ID:FJ1gJdJy
足切り厨房の世迷言も破落戸には助け船になるらしい(嗤笑)。
854神も仏も名無しさん:2007/12/18(火) 17:02:48 ID:f5wGsQfo
仏教は見下すことを勧めてるのでしょうか?
855神も仏も名無しさん:2007/12/18(火) 17:23:39 ID:0y17argD
>>854
阿呆陀羅は別に見下してる訳じゃないだろうし
仏教に見下す教えは基本無いだろ。
ただ、出家の身でありながら出家の本義を逸脱し
ただの破落戸に成り果て、それのみでしか生きられない
喰法餓鬼の輩に苦言を呈しているだけかと。

斯様に見受けられる。
856阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/18(火) 17:37:41 ID:FJ1gJdJy
「喰法餓鬼」は何も出家に限らない。自称行者の破落戸も粘着してるし(嗤)。
857神も仏も名無しさん:2007/12/19(水) 06:11:14 ID:QgKpUkg2
>>856
自分のことを言っているのか(藁
858神も仏も名無しさん:2007/12/19(水) 09:38:04 ID:4HUaDioI
>>855
電波? それ無理でしょ。
859阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/19(水) 11:19:35 ID:HcHhUICE
生憎だが・・・

佛教探究に散財蕩尽(尤も破落戸どもには鐚一文はおろか舌すら出さぬw)してはいる
が、佛教で鐚一文の収入も得ていない(笑)。
860神も仏も名無しさん:2007/12/19(水) 22:50:28 ID:1Sm1N0+B
阿呆陀羅經うざい
861神も仏も名無しさん:2007/12/20(木) 16:44:55 ID:SiZ9LNnk
阿呆陀羅經は、悪口しか言わないから無視すればいいだけ。
862阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/20(木) 17:14:53 ID:v/9iqYt+
紛うことなき事実を暴露されて黙っておれず手を挙げるのが、破落戸の破落戸たる所以(嗤笑)。
863神も仏も名無しさん:2007/12/20(木) 17:34:37 ID:dbT5T6KM
仏教漢字趣味者の面目躍如だなw
知的興味はあっても、菩提心はトンと持ち合わせぬ。
こうゆーと、菩提心は破落戸の隠れ蓑、などとトンチンカンな応答をする。

阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ に寒山詩ひとつをプレゼントしておこう。

曰く

世有一等流 悠悠似木頭
出語無知解 云我百不憂
問道道不会 問佛佛不求
子細推尋著 茫然一場愁
864阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/20(木) 18:41:55 ID:9+vUHInS
今日は破落戸釣の豊漁日なことで(冷笑)。
865神も仏も名無しさん:2007/12/20(木) 20:04:13 ID:dbT5T6KM
>>864
阿呆には>>863の寒山居士の趣旨など全く理解できんだろうな。

 豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏であったかw

 悔しかったら、解説してみな。

 できなかったら阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ は木偶の坊そのものということだ。
866阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/20(木) 21:01:37 ID:9+vUHInS
破落戸輩の組合には自然外道も入っているようだが、無論足切り論外(嗤笑)。
867神も仏も名無しさん:2007/12/20(木) 21:23:51 ID:SiZ9LNnk
無視すればいいのに。ただの衒学者なんだから。
しかもインド語ができないのに原始仏教を偉そうに語る。
868阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/20(木) 21:32:27 ID:9+vUHInS
そもそも人語を解せぬ破落戸土人が騒いでおるの(失笑)。
869阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/21(金) 00:21:23 ID:UR+TUqZ/
これまた生憎なことに・・・w

なるほど当方、原始佛教を「語り」はするが、

佛教を「騙り・強請り・集り」の道具に用いた果ての喰法餓鬼、自称行者の破落戸壁蝨輩とは一切無縁(嗤笑)。
870阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/21(金) 03:54:45 ID:UR+TUqZ/
面白かろう・・・。
http://yureisoul.blog49.fc2.com/blog-category-3.html
人は物理的対象をあるがままに見ている。この説を素朴実在論と呼ぶ。多くの哲学者はこれは間違っていると考えた。その理由は、第一に、科学の論法を素朴
実在論に対してとると、素朴実在論は物理学的な記述となり、素朴実在論そのものを否定してしまうからだ。第二に、私たちは感覚所件(sense data)を知覚して
いるのであって、物理的対象そのものを知覚しているのではない。どういうことかというと、ある物理的対象を見ることと、その物理的対象の幻覚を見るのとでは違
いがないのだから、私たちはその物理的対象の見かけを知覚しているといってもよい。その見かけを感覚所件と名付けるというのである。この考えを推し進めたの
が現象主義と呼ばれているもので、心的な現象以外(物理的対象)は存在しないという立場である。しかし、サールはこの感覚所件論は間違っていると言っている。
サールによれば、素朴実在論は科学の論法をとっても矛盾を導かないし、感覚所件説は公的な対象というものを無視した独我論的な話だからだ。前者については、
視覚経験を得てそれは科学的に記述できる。それだけのことで矛盾はない。後者については、私たちは物理的に同一の対象を知覚していると考える以外に、どうや
って公的な言語で同じ対象について語ることができるというのか。素朴実在論が正しいと証明することはできないが、否定することに意味はない。
871阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/21(金) 10:56:04 ID:UR+TUqZ/
以下に特に付け加えることなしw

13 名前:阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/19(月) 23:12:42 ID:n+JDSpcK
原始佛教については、形而上的思弁を伴わない素朴実在論を前提に説かれていると把握して差し支えは無いものと考えます。
872神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 11:03:17 ID:+Aq3olUc
>>870
阿呆陀羅の目的は何?
自分の理念の背景に教団等の繁栄の一端が敷かれていたら
それは既に原始仏教とは言えないんだけど、そこんとこは理解できる?
873阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/21(金) 11:11:02 ID:UR+TUqZ/
>>872
オルタナティヴ(これを要求することが既に論点先取だがw)なき誤謬・虚偽の排除。

ちなみに当方、いかなるセクトとも一切無縁(笑)。
874神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 13:07:55 ID:nyqYDx6o
     電波男、学歴詐称で叩かれまくったな〜w
    http://2chplus.2ch.net/test/read.cgi/supportdesk/1197524089/

875神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 13:31:05 ID:tbJkAl/3
>>874
叩いた奴の馬鹿さ加減だけ目だったな。
876神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 13:34:02 ID:tbJkAl/3
>>874
学歴詐称?
ある私立大学の大学院研究紀要に紀行しているから、そこの大学を卒業してるっていうあれか?
大笑いさせてもらったよ。大卒以上でない者の方が少数。大卒なら知っている仕組みだよw
877阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/21(金) 13:55:45 ID:UR+TUqZ/
藁人形を作り損ねて、却って氏素性・正体を攫まれた破落戸輩が慌てふためいているようだが・・・(冷笑)。

いずれにせよ早晩世間から「波羅夷」を喰らうだろうがね(嗤)。
878神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 15:12:01 ID:nyqYDx6o
>>876
これが藁人形論法なんだが。

誰もそんなこといってないよ、電波。

大学院研究紀要に記載されてるから、その私大の院生だ言ってるだけだろ。

勝手に読み替えるなよw

みんな大笑いして叩きまくってな
879神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 15:37:53 ID:tbJkAl/3
>>878
そんなこと言っていないw
大学院研究紀要に記載されているから、そこの大学を卒業した学部生だと言っている。
勝手に読み違えるな。
叩いている奴らがバカにされまくりだったよ。
お前だよw 電波認定しやがってw
880神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 15:56:24 ID:nyqYDx6o
笑い
881阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/21(金) 15:59:39 ID:UR+TUqZ/
いずれにせよ、破落戸壁蝨輩は巣穴スレなり嗤いモノにされているお白州なりへ疾く疾く逝けよかし(冷笑)。
882神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 16:36:57 ID:tbJkAl/3
>>880
それしか言えないんだよねw
[sage]ちゃってさw
883神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 17:52:55 ID:1Z3t+Ss7
ここはくだらん雑談コーナーか?
884神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 21:25:50 ID:+Aq3olUc
ボクちゃんさぁ、相変わらず大風呂敷だけは立派に広げてるんだなぁw
密教ではどうなのか具には知らんが、少なくとも仏教では綺語や盲語は良くないんじゃないのか?w
嘗ては正宗の僧籍も有ったんだろ?w 嘘臭いとは思うがw
885神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 21:38:56 ID:tbJkAl/3
>>884
お前のような粘着が騒いでいるだけらしいですよ。
886神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 00:08:45 ID:ue1rl99s
>>885
俺が粘着なんじゃなくて「彼」が粘着してたんだよ、散々ねw
俺は単に仏教の話をしたかっただけなのに、ボクちゃんが勝手に
雲行き怪しくさせてっちゃったんだなw

博識なのは認めるが根性が非常に残念な御仁だw
887神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 09:04:35 ID:VaW4iAe7
>>870
が何か意味あるの?

>>871
の根拠は?
素朴実在論なら、無常・無我・空はどう解釈するわけ?
888神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 09:53:59 ID:C49sANh8
>>886
どこが?現在、ただ今粘着してるくせにw
だいじょうぶか?
889神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 10:26:05 ID:mhHq2tyG
雑談は場外でやれ
890阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 12:33:18 ID:RVC9KNSM
形而上的実在論の如き戯論を、破落戸ドグマもろとも根底から棄却・お払い箱にせぬ限り、
「無常・無我・空」など画餅もいいところw。
891神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 13:10:05 ID:VaW4iAe7
虚勢のみで根拠なしか。電波男と同じただの詭弁家罵倒屋ですね。
892阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 13:16:19 ID:RVC9KNSM
不当前提(一連の文脈では形而上的実在論の如き戯論をと破落戸ドグマ)の排除棄却は、いかなる論究においても不可欠。
893神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 16:40:05 ID:mhHq2tyG
 (あるとすれば)阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ の所論もふくめて「不当前提」などと言わず、

「仮説」と言えよ。
 
 仮説だから、誤謬の可能性を含んでいる。

 仮説でない絶対真理などというものは、空虚な観念論=夢想にしかすぎない。

 仏説も当然ながら仮説だ。
894神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 16:49:16 ID:C49sANh8
仮説と不当前提とでは意味が違うのでは?
不当前提には可能性は含まれないんだよな?
895神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 16:54:19 ID:QZj3NRFf
まだ勘違いしている人がいるようですねw

このスレは、知識のある人とそうでない人を篩にかける場所なので
解る人だけ解ればいいんじゃないの?

仏教及び論理学の専門用語を理解していることが、このスレの参加資格です。
つーか最低条件ですよw  >>ALL
896神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 17:07:29 ID:C49sANh8
>>895
誰がそんなことを決めた?

知識なんか、後で吸収すればいいだけの話。
知らんものは知らん。知ってるものは知っている。
897神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 17:11:58 ID:C49sANh8
>>887
篩にかけられるのは、たとえばお前。
根拠も示さずに罵倒する。

素朴実在論などを認識対象を取り扱う議論テーブルと、
対象そのもの実在解釈(あり方)のテーブルとを混同させて知的障害を起こしている。
898神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 17:17:00 ID:VaW4iAe7
>>897
罵倒したかな?

原始仏典でどんな部分が
「素朴実在論などを認識対象を取り扱う議論テーブル」に乗るのかな?


899神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 17:17:17 ID:QZj3NRFf
>>896
原始佛教 その25http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1182472272/
698 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ 2007/07/28(土) 14:09:28 ID:+2d6LZTS
6 名前: 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ 投稿日: 2007/06/22(金) 11:38:09 ID:+yhdRhEI
ここは今やロビー、いや玄関先か車寄せくらいのつもり(笑)。
の通り。尤も「不可触壁蝨外道」の類は端から足切り&篩い落とし処理済み(冷笑)
原始佛教 その19http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1160400642/
4 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ 2006/10/09(月) 22:46:56 ID:78GDgZnr
>> 1-3  スレ建て&フォローありがとうございます。
それではテンプレを。
こちらで篩にかけて↓への誘導スレにすればいいかと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/study/6782/(以下略)
910 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ 2006/12/06(水) 12:48:29 ID:l04t/bAK
篩に引っ掛かりもしない足切りどもはさっさと消え失せるように(嗤笑)。
原始佛教その17http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1132482980/
137 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 2005/11/22(火) 22:20:45 ID:Vb77wHNa
化け物屋敷化してきてますね。
あちらにシフトしていくことも考えましょうか。。
独り言さん、いつもありがとうね。
今度は特別功労者認定書を授与いたしましょう。
151 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 2005/11/22(火) 23:11:34 ID:t1kTSohb
>> 137
ま、こちらはロビー代わりに使えるでしょう。汚穢・ボウフラの発生が絶えない
不衛生なロビーですが、それなりの機能は果たすでしょうし、事実果たしてき
たのではないでしょうか。スキル・リテラシー皆無の基地外どもはあぼ〜んも
しくは無視すればいいのですから。
155 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 2005/11/22(火) 23:30:38 ID:t1kTSohb
>> 151補遺
こちらをロビー代わりに使う利点は、無知蒙昧の能無しを篩にかけて
淘汰できることでしょうね。ここで吠えるしか能のないスキル・リテラシ
ー皆無の基地外どもはあちらで発言する度胸も皆無でしょう。
無視・瞬殺されるのが目に見えてますからね(笑)。
900神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 17:43:31 ID:mhHq2tyG
ここでは阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQが篩にかけられ振るい落とされている。
まさにミイラとりがミイラになっているなw
901阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 17:50:30 ID:RVC9KNSM
師走空 虚に吠ゆ莫迦の声淋しw
902神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 19:03:11 ID:C49sANh8
>>898
蘊と処
903神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 19:13:29 ID:C49sANh8
蘊と処のあり方を無常、苦、無我であると見る。

(A)蘊、処    →  (B) 無常、苦、無我
  ↑             ↑
(C)素朴実在論 → (D) 実在解釈

よって、
【素朴実在論なら、無常・無我・空はどう解釈するわけ?】
という質問は ”C→B” の解決済み問題を新しい素材を用いていない。
よって、典型的な詭弁であるとみなされる。

ここで問題提起するとすれば、素朴実在論としてとらえられた蘊、処とはどういうものであって、
素朴実在論以外でも取り扱うことができないかという範囲であろう。
904神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 20:18:36 ID:VaW4iAe7
蘊と処のあり方を無常、無我であると見るなら、
素朴実在論にはならないだろう。

無常であるなら、変化しているのだから、〜であるという本体・実体・本質がない、つまり無我であることになるからだ。

なんで素朴実在論なんだ。
素朴実在論こそ、我見であり常見に他ならないから、釈尊以来、
仏教が常に批判してきた邪見そのものだろう。
905神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 20:40:52 ID:QZj3NRFf
>>904
目の前にコップが(五感により)知覚されれば、
そこに「コップは『ある』」でいいんじゃね?
その在り方が「常住ではない」ということでいいんじゃね?
 (泡沫のごとき在り様(→その意味での妄想顛倒)ということでいいんじゃね?)

そんなにおかしいことか?
906神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 20:45:58 ID:C49sANh8
>>904
なぜ邪見なんだ?
素朴実在論は実在論であって、実態論ではない。
認識主観があれば、認識対象もあるという素朴な実在論だ。

人間とは五蘊である。これはまぎれもない実在論。
心(認識など)などは内所と外処を根拠とする。これも実在論。

その実在の解釈で無常・苦・無我が出てくる。
もう一度903を読んで論理的に考えるべし。
ステップが違う。

認識があるのに、認識対象を認めないというのは原始仏教においていは邪見。
907神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 20:46:46 ID:C49sANh8
>>906
訂正
実態論→実体論
908神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:02:35 ID:VaW4iAe7
>人間とは五蘊である。これはまぎれもない実在論。
>心(認識など)などは内所と外処を根拠とする。これも実在論。

こんな説は初めて聞いた。五蘊が実在すると
原始仏教のどこにそんなことが書かれているのでしょうか?
909神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:09:50 ID:QZj3NRFf
>>908
「実在」という言葉の定義次第かもしれんが、

五蘊の無い所に涅槃はあるのかい?


釈尊は言った。
「来たれ比丘よ」「来て、見よ」と・・・。
何が釈尊の許へ(教えとしての法の許へ)行き、何が何を見るのか?
涅槃は、どこで、誰が見るんだい?
910阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 21:17:39 ID:RVC9KNSM
実在論≠実体・本体論
実在論≠形而上的実在論

以上
911神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:19:42 ID:C49sANh8
>>908
はじめて聞いたとなると、仏教を知らなさすぎですよ。
仏教は虚無論ではありません。

実在
(じつざい、英:reality)とは、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。
夢や妄想のように認識主体 により生み出されたものは区別される。

実体論や普遍論を前提に実在論を考えていないか?
篩にかけられたね。おめでとう。
912神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:38:21 ID:VaW4iAe7
五蘊がなぜ説かれたのか考えれば簡単でしょう。
五蘊無我とはよく説かれることですね。
なぜ、そう説かれたか。それは自分が実在すると思っているからでしょう。

自分の我・本質はどこにあるのか? それを五つの集合にわけて分析する。
それは自分が実在しないこと、無我を悟るために他ならないでしょう。

ヴィナヤ『大品』で初転法輪において五比丘に四諦を説かれた後
五蘊を無我と説かれてから、

色は無常。無常は苦。無常・苦の変壊法を観じて。
「これ我所なり、これ我なり、これ我の我なり」と出来ないことを
確認することにハッキリと現れているでしょう。
 このことは水野弘元先生の『仏教要語の基礎知識』124にも説かれています。
 しかも水野先生は般若心経の五蘊皆空と同趣旨とまで仰っています。

それなのに五蘊を実在と見ては無常も無我も空も縁起も成り立たないでしょう。

 見えるものが実在するというのは、仏教と全く逆の立場。
 
913神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:46:04 ID:C49sANh8
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96

普通の人間の立場

ちなみに普通の人間の取っている立場は、厳密な意味では上記の分類のどこにも位置づけられない。
普通の人間は、目の前に机が見えれば、「あ、机があるな」と素朴に考えるが、いちいち、「本当に机は存在しているのだろうか?」
「実際に目に映るこのような形で、机は実在していると考えていいのか?」といったややこしい事は考えない。
こうした普通の人間が日常生活を送る上で前提にしている存在に関する態度は、科学哲学の世界では素朴実在論と呼ばれており、
上の表の中で、素朴実在論の立場に一番近いものをあえて選ぶなら、科学的実在論が最も近い。

ちなみに、どんな突飛な存在論的主張をしている哲学者であっても、日常生活を送る上では、素朴実在論に基づいた行動を取っており、
例えば車にひかれそうになったなら、「本当に車は私に向かってきているのか?」などと問うこともなく、急いで逃げだす、などがその例である。
914阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 21:46:39 ID:RVC9KNSM
藁人形一つ作れない破落戸壁蝨の「永代晒し場」になっておることで・・・(嗤笑)。
915神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:54:31 ID:C49sANh8
>>912
お疲れ様。
五蘊は無我である。そこに不変なる実体や本質は見当たらない。
実在は無我である。そこに不変なる実体や本質は見当たらない。

五蘊は無ではない。
実在は無ではない。

実在は実態ではない。認識がある以上、その対象もある。ただそれだけ。
認識があるのに、認識対象が実在しないと主張するのであれば、虚無論に陥り、仏教ではなくなる。
認識対象があり、それを心をよりどころとして「外処がある(実在する)」と素朴にいう。
素朴とは、まだ対象を認識した認識そのものや、対象について、考察を加えない段階。
あるからあるのだという意味合い。

仏教は素朴実在論でああるというのは、究極主張ではなく、「蘊処がある」とする第一テーゼを言う。
無常・苦・無我はその次。「蘊処がない」と主張してしまったら、無常・苦・無我そのものがなくなってしまう。
916神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:55:51 ID:VaW4iAe7
>>913
そんな凡夫の立場は、ただの仮設でしょう。
原始仏教の根拠にはならない。

それでは現代の常識に従っているだけです。

仏教とはなんの関係もない。
917神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:58:50 ID:VaW4iAe7
五蘊は無ではない。 しかし実在ではない。
五蘊が無といったら無辺におちる。
五蘊が実在 といったら有辺におちる。

あなたは有辺におちているだけです。
その証拠に仏典の根拠がなにも示せないではないですか。
918阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 22:05:41 ID:RVC9KNSM
はいはい、破落戸壁蝨は目でも噛み切るか、饂飩で首を括るかしなさい(失笑)。
919阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 22:10:21 ID:RVC9KNSM
尤も既に画餅を喉に詰まらせて七転八倒の有様だけどね(冷笑)。
920神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:13:04 ID:C49sANh8
>>916
何をおっしゃるのでしょうか?
実在という言葉の定義をしてみなさいな。

実体論や本体論者ないのですよ。
五蘊を認めることが実在論なのですよ。
五蘊が実体として存在するとはいっていないのです。

対象を認識しているのだから、対象があると言っているだけです。
では、その対象に対して執着すべき何かがあるのか?
執着すべき実体、本体、性質などなにもない。
無常であり、執着すべきものがない無我であり、執着すれば苦が生じる。
原始仏教ではこんなにわかりやすく言ってるのにね。

まだわからないのかな?
921神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:17:04 ID:QZj3NRFf
「仏教は素朴実在論だ」と言い切ってしまうから
こういうのが湧いてくるw

素朴実在論『的』とでも言えば良かったのに・・・。
誰が言いだしっぺか知らんが・・w

(´ー`)y━~~
922神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:24:19 ID:VaW4iAe7
>>920
それは「原始仏教ではこんなにわかりやすく言ってるの」ではなく、
ただのあなたの現代の常識に阿った理解を述べてるに過ぎない。
だから、経典の根拠を示せないのです。

対象があると見るのを仏教では執着と取るでしょう。
そしてあなたの説では、無常も無我もただの言葉だけで何の意味もないでしょう。
そんな説を説かれても、我見も執着も全く減らないでしょう。

行・止・観の必要性も行・止・観の意味もなくなる。

経典の根拠を示せないなら、これ以上無駄ですね。
あなたはただ無根拠な妄説を語っているだけですよ。
923神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:25:10 ID:C49sANh8
>>921
「的」を付けても理解できないと思う。
「認識論においては素朴実在論」位の断言性を示さないと、カルトに対する牽制にはなりえない。
オウムの残党や、日本テーラワーダ仏教協会などのカルトが住み着いていますからね。
924神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:27:43 ID:C49sANh8
>>922
>行・止・観の必要性も行・止・観の意味もなくなる。
これは文脈外。

経典の根拠?蘊処は数えきれないですよ。明白なものに根拠を出せとは詭弁ですよw
925神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:32:17 ID:C49sANh8
ほぼ定型句です。当たり前すぎますが。

復有十二處。謂眼處色處。耳處聲處。
鼻處香處。舌處味處。身處觸處。
意處法處。 眼等五處及色聲香味處。如前已釋。言觸處者。
926神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:35:01 ID:QZj3NRFf
>>923
けど、両刃の剣だよ、それは・・・w
927神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:35:57 ID:VaW4iAe7
>>925
その有というのは。種類・カテゴリーがあるという意味であって、
実在するという意味ではないでしょ。
誤読ですよ。
928神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:40:17 ID:VaW4iAe7
いやもう結構です。話した私が馬鹿だった。
929阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 22:42:13 ID:RVC9KNSM
もう池沼全開なことで・・・w
どのみち早晩リアルでも制裁を受けるだろうがね、この破落戸壁蝨(冷笑)。
930神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:42:37 ID:C49sANh8
>>927
それが実在ですよw

実体論や本体論ではないと何度言わせるのでしょうか?
「そこに〜がある」というだけですよ。

では「内処や外処がそこにある」ということを否定して見せてください。
それらのあり方として、無常・苦・無我であると私は主張していますので、それ以外の方法でお願いいたします。

もう一度言いますが、原始仏教での認識論は素朴実在論です。
認識がある以上、認識対象があるということです。
認識があるのに、認識対象がないなどの邪見は許されません。
931神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:44:51 ID:QZj3NRFf
>>922
私は唯識には明るくありませんが、貴方は唯識系統ですか?
唯識=原始佛教(釈尊の気付き)だと考えているとしたら、
貴方も、釈尊のものでない理解を述べているに過ぎなくなりますよ。
 → >ただのあなたの現代の常識に阿った理解を述べてるに過ぎない。


>>927
もう一度尋ねます。

貴方は、「五蘊の無い所に涅槃がある」という立場ですか?
932神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:46:19 ID:C49sANh8
>>926
釈尊の思想が画期的だったのは、当時の迷信を否定したところにあると考えます。
迷信を破るには、素朴で普通の誰にでも理解できるものの提示から始めるべきであって、
その点では釈尊は大天才であったと思います。

せっかくその様な指針を残してくださっているのに、死後輪廻を含む邪見が闊歩するのは嘆かわしいことです。
933阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 22:56:02 ID:RVC9KNSM
他人様の死後を質種に取り、騙り・強請り・集りで生計を立てている破落戸壁蝨どもにとっては、
「死後輪廻を含む邪見」への批判は死活問題ですな。そりゃ必死になるわけだ(蔑笑)。

934神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 22:58:58 ID:QZj3NRFf
>>932
輪廻に関しては何とも言えないでしょw
「無い」と言い切ってる(そういう伝承がなされている)わけではないのだからwww
あくまでも、「おそらくこのような位置付けで各種おしえは語られているのだろう」
としか言えないでしょ。(´∀`)b

輪廻が誤謬で、入口の方便としてしか説かれなかった。
「過去世を見る」という各種経典の記述は後代の脚色であるという経証はありますか?
輪廻が、個人の一回きりの人生の内の心的成長・変容であるという経証はありますか?
(アングリマーラへの教誨は興味深いと思いますが・・・。)
935神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:04:45 ID:C49sANh8
>>934
輪廻に関しては、「あるなし」は詮無きことというのが結論です。
どちらを主張して断定執着しても誤謬になる。そういうことです。
936阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 23:05:52 ID:RVC9KNSM
またも藁人形を作り損ねた輩が・・・w
937神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:06:18 ID:QZj3NRFf
>>933
なんで、そういうどうでもいい部分へレスするわけ?
俺らが間違った論点を中心にしてると思うなら、
「貴方が中心と考える論点」を提示したら如何?w
938神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:08:53 ID:QZj3NRFf
>>935
「後有を受けず」とはどういう意味ですか?
939神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:14:00 ID:C49sANh8
>>938
様々な解釈があります。
輪廻転生が尽きたと読む人もいるでしょうし、
再び異塾されることはないと読む人もいます。

私は後者で読みたいですね。
940神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:18:07 ID:QZj3NRFf
>>939
多謝。
阿呆陀羅氏も、こういう返答をすればいいのに・・・。

昔の阿呆さんは939さんみたいだったのにな・・・。
941神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:23:54 ID:VaW4iAe7
>>931
私は唯識系統ではありませんよ。

あなたは仮設として用いられる言説が、そのまま実在だと考えるのですか?

言説、つまり日常言語・習慣としては、「私」を用いるように、
世間で用いられる言葉通り使う。
しかし法を説くとき「私がない、私のものなどない」と説きます。
もちろん無ではありません。

仏教は簡単ではないのです。
942神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:41:39 ID:QZj3NRFf
>>941
では尋ねます。
1.釈尊の遺体は「あったのか」「なかったのか」。
2.涅槃は「ある」のか「ない」のか。
3.比丘達が身に付けていた袈裟は「あったのか」「なかったのか」。
4.遺跡として見つかっている仏塔等は「ある」のか「ない」のか。
5.貴方が今2chを閲覧しているディスプレイは「ある」のか「ない」のか。
6.貴方が書き込むために使用しているキーボードは「ある」のか「ない」のか。
7.貴方は、公共交通機関を利用しないのですか?実在しない電車に、よく安心して乗っていられますねw
 実在しない他者の製造したものをそのまま使用するのはなぜですか?
 実在しない他者の製造した食品を店で買い口にする・・。よくそんな大胆なことができますねw
8.律蔵大品によると、初期の弟子達は地方へ散ったらしい。
 「二人で行くな」と釈尊は言った。実在しない他者に、一人も二人もないだろうに・・・www

他にも挙げましょうか?
943阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/22(土) 23:43:29 ID:RVC9KNSM
疾病昂進か・・・・w
944神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:47:54 ID:QZj3NRFf
>>943
貴方よりマシですよw
945神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 23:57:08 ID:QZj3NRFf
>>943
そうそう、
貴方にも尋ねておきましょう。

「五蘊の無い所に涅槃はありますか?」
それとも、
「五蘊が無ければ涅槃も無いのでしょうか?」
 (心経からすると、無色無受想行識と言うくらいですから五蘊無しに涅槃もありそうですが・・・w)

哲学的に、存在論の話になっていくのかな?




実は、真面目に素朴な疑問だったりするんだぜ。上記はw
946阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/23(日) 00:08:06 ID:zGdcb0c8
>>945
有漏・無漏あたりがキーワードでは?
947神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 00:15:34 ID:v/90cEzv
私は時々夢想する。
もし、初転法輪に於ける五比丘とのやりとりが残っていたなら・・・と。
経典にはあっさりした結果しか述べられていないが、
おそらく、丁々発止、喧々諤々の議論がなされたことだろう。
そして、そうしたやりとりにこそ、仏教の根幹があったであろう・・と。




>>946
なるほど。
有余無余ではなく、有漏無漏ですね?

「漏」は、広義の「煩悩」ということで宜しいですか?
それとも、もっと狭い煩悩の種類で考えるべきですか?

いずれにしろ、「五蘊」と「漏」の関係を掘り下げなきゃならんようですね。
ちょっと考えてみるわw


おやすみ ノシ
948阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/23(日) 00:25:11 ID:zGdcb0c8
>>947
有漏の五蘊=五取蘊では?
949神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 01:52:23 ID:SdR/4Z1o
>>942
無いのは「実在」ではなく「実体」ではないか?
全ての物質は「実在」出来てもそれは仮の存在でしかなく、
万物に「永遠不滅」なる実体は存在しない、ってのが大方の仏教的見地じゃないの?
実体が無いから失くす事も作り出す事も縁が有れば出来る訳で。

>>945
涅槃を目指す本来の意味は何だったか?
五蘊も苦の起こる末節的根源の一つだから
涅槃に五蘊は無いと考えるのが常套かと思うがね。
二度と生まれ出でないのが阿羅漢の最終目標(入涅槃)なんだから
それは早い話「無」になる事と同義かと。
本当に「無」と言うものが有るのか無いのかと問うのは愚問の最骨頂だろうし。
950神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 09:37:49 ID:k6wPTE0U
>>911
>  (じつざい、英:reality)とは、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。
>  夢や妄想のように認識主体 により生み出されたものは区別される。

ウィキかw なんで出典を明記しないのw

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%9C%A8

>>949
>  全ての物質は「実在」出来てもそれは仮の存在でしかなく、

なんだこりゃ。仮の存在でしかない「実在」って?
上の ウィキの定義と矛盾するだろ。
何かが実在するなら何か実体があることになるだろう。
「実在」でなく以下の意味の「存在」ならまだ分かるが正に「仮の存在」の意味で

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8
存在(そんざい、existence)とは、この世界の多様な現象を把握するために、一定の条件を満たした現象群を統合した呼称。一般的にはその現象群が物理的因果関係を持つ時、その現象群は存在する、と認識される。

951神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 10:08:48 ID:FVCnIVoH
>>950
> 何かが実在するなら何か実体があることになるだろう。

それはなぜ?実在しているのなら実体があるというのは早計。
実在という意味も様々で、捉えられ方も様々。
ここでは、「認識がある以上、認識対象もある」と言う素朴実在論であって、
まだ実在そのものへの考究を始める以前の話をしている。
それを理解しておれば以下のような頓珍漢はしないはず。

> 「実在」でなく以下の意味の「存在」ならまだ分かるが正に「仮の存在」の意味で
952神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 10:19:23 ID:k6wPTE0U
「独立して客観的に存在する」って、これどう考えても自立して存在するという意味で、縁起と相反する実体の意味だろ。

>>951
詭弁に詭弁を重ねてどうすんの
953神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 10:33:10 ID:FVCnIVoH
>>952
詭弁ではないね。
あんたが何一つ理解できないでいるから、正論に対して「詭弁」というレッテルを貼り続けていることに気付け。
認識から独立して存在しているものが認識対象なんだよ。
そして素朴実在論では実在のとらえ方を少し反省して変更している。
つまり「認識がある以上、認識対象が実在する」ととらえる。そして認識されないものへの言及は避けるんだ。
「実在」という言葉の定義の最上位カテゴリーに対してお前なりの種差を加えて反論するのは詭弁中の詭弁。
この手の詭弁はもう飽きたよ。

さて
「認識がある以上、認識対象が実在する」がなぜ実体の意味であるのか説明してくれ。
詭弁に詭弁を重ねてどうするのw
954阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/23(日) 11:36:33 ID:zGdcb0c8
なるほど、昨日より件の自称行者・破落戸壁蝨が毎度毎度遣う手口のサンプルが採集されてる訳ですな(嗤)。

ロム者諸氏はご注目の上、各自向後の防犯・戸締り用心の参考にご利用下さい。
955阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/23(日) 12:19:43 ID:zGdcb0c8
(認知された)事実としての存在≠実体としての存在
であるのに、
意図的に読み違えて出来損ない藁人形をでっち上げて攻撃w
いつもの手口だねえ・・・(失笑)。
956神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 12:49:01 ID:k6wPTE0U
「独立して存在しているものが認識対象」なら実体だろ。
私の言う実体は、自性(スヴァバーヴァ)のことだよ。
そういえば、十分でしょ。
957神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:11:57 ID:FVCnIVoH
>>956
詭弁の次は居直りかい?そしてまた詭弁。

めちゃくちゃだw
説明していることを全く理解せず、今度は"svabhAva"ときたか。
いろんな意味があるんだけどね。自性には。
958阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/23(日) 13:25:49 ID:zGdcb0c8
いや、もう・・・w
笑うしかあらしまへんな(失笑)。

喚くほど 標本増やす強請り壁蝨
959神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:31:08 ID:j+0wIjMf
>>956
「自性」の意味を取り違えてるねw
だから解釈を誤ってしまうんだよ。
960神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:33:37 ID:k6wPTE0U
あなたの言うことはわかってるつもりだが、矛盾だらけだ。
「独立して存在しているもの」なら縁起せずにあることになる。
縁起しているなら「独立して存在」することはできない。
「独立して存在しているもの」なら、なんらかの実体・自性があることになる。
単純なことだ。


実在と何故、訳されたか考えてみれば分かるだろう。
仮に存在するものではなく実に存在するからだ。
特に「素朴実在論」というのは見える通りにすべてが
「認識とは独立して存在」ということで、
これはすなわち実体・自性を持っている以外のなんなのだ。

あなたは、仏教も西洋哲学も基本から分かってないよ。
961神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:36:26 ID:FVCnIVoH
>>956
「独立して存在していても、実体としては認めることができない」

このような考え方ができない点に、あんたの思考的限界があるんだよ。
もっとも、素朴実在論は「独立して存在している」とは言い切らないけどね。
認識から離れた認識対象など無限定な作業は不可能だから。

「実在論と唯名論」の論争があるが、その実在論ではないので注意すること。

素朴実在論とは、感覚所与なる対象を認めることであり、認識成立の最低条件である。
感覚与件を認めないのなら、原始仏教で説く五蘊、処などの存在を完全否定することになる。
そののちに、対象や主観についてあり方や解釈が与えられるのである。
カントやフッセルのように。
962神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:40:13 ID:k6wPTE0U
>>959

( (1)svabhåva means svo bhåva,the essence
(2)svabhåva is also the svalak.saˆa ,the individual character.In this form it is found in the doctrine of the Vaibhå∑ikas
(3)svabhåva is the åzraya (basis)orprakrti (nature),i.e.the unchanging substratum of each thing (bhåva)
(4)svabhåva is the svato bhåva, the absolute being,which is completly indepent.

ドゥ・ヨングの分類の(4)の意味だが、間違ってんの?
963神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:41:04 ID:FVCnIVoH
>>960
あれ?また分かっていないようですね。
詭弁に詭弁を重ねるから完全に壊れ切ってしまったじゃないですか。

存在の自性は無常・苦・無我ですよ。
実体と自性の区別はついていますか?

独立存在が実体でなければならないというのなら、その根拠を示してください。

独立した存在であっても、そこには永遠不変な実体が認められず、その存在解釈として、無常・苦・無我が自性としてあるのです。
964神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:45:56 ID:FVCnIVoH
>>962
なぜわざわざ4番目を取り出す?
仏教の文脈で4番はないでしょwww

それで、ちゃんと訳せるの?
965神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:48:07 ID:k6wPTE0U
>>961
平凡社『哲学事典』の素朴実在論の説明では
「物質的対象から成る世界は主観に対して独立にあると考える常識的信念をそのまま肯定する考え方である」

としているんだがね? 平凡社『哲学事典』まちがってんのかなw

そしてこんな素朴実在論なら、仏教は凡夫の見方を正しいとすることになり、
一体、何が無明で何から目覚めるのか?

このような素朴実在論が無明であり、邪見であるから、
そこから目覚めるために教えを聞き、それを考え理解し、
行じて素朴実在論などの邪見から解放されて目覚めるんだろ。

966神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:52:15 ID:k6wPTE0U
>>964
実体は、認めないものだからですよ。
それを認めたら縁起できない。
上に説いたように。>>949もそれは認めてるよう。
しかし、それを認めて素朴実在論とはw


まあ、そおいうことで、失礼。外出するんで。

967神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:52:59 ID:FVCnIVoH
(4)svabhåva is the svato bhåva, the absolute being,which is completly indepent.

最後の二句は completly independent の間違いだよ。
the absolute being これは神のことだよ。

訳は「神(完全に独立した)」
わかった?
968神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 13:54:19 ID:FVCnIVoH
>>965
相手のレス読んでないでしょ?
今頃平凡社の事典にもどってもねぇ・・・・・wwww
969阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/23(日) 13:57:47 ID:zGdcb0c8
( ´_ゝ`)、いきって梵語を出すくせにそもそも人語が解らへんのやねw。

ま、その辺が人外悪趣に迷う破落戸壁蝨の所以やけどね(冷笑)。
970神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 15:13:21 ID:j+0wIjMf
法印の道理たるべき処を認めてしまうと教団やその擁するドグマが崩壊してしまうから
自説や戯論に固執してしまうんだろうな。
それが仏教の論理破壊に繋がって居るという事も知らずに・・・
971阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/23(日) 15:16:31 ID:EkyXmdpR
【新スレ】 原始佛教 その27
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1198390269/

三々五々お移りを。
972神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 16:18:28 ID:FVCnIVoH
>>967
訂正です

completly → completely

「神」の訳は意訳で「絶対者」と直訳した方がいいのかもな。
973神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 16:48:14 ID:v/90cEzv
>>960
最初に出てきたときは、
「【認識(主観)から】独立して」という条件だったと思うが?
なぜ「独立して存在」という部分だけを抽出するんだ?
974神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 17:56:43 ID:FVCnIVoH
>>966
あのね、せめてね
『仏教要語の基礎知識』水野

第三章を熟読してくれないかな?
下の部分だけでもいいよ。

1 三科総説

2 三科各説 の 存在について
975神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 01:12:56 ID:KrPoHZrA
>>967
訂正ありがとうw
神、絶対者というより「自立するもの」「自然に存在するもの」でしょ。
だから、創造主絶対者という意味での神も含まれるし、原子なども含まれる。

>>973
だから「独立して存在」するという意味と同じなんですよ。
これを仏教は認めない。まあ有部のような例外もあるけど、それは異端ですから。
976神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 01:13:34 ID:KrPoHZrA
>>974
逆にこちらが言いたいよ。一体、どう読んだら『仏教要語の基礎知識』が実在を説いているというのか?

既に指摘した>>912を読み、『仏教要語の基礎知識』124-125で
般若心経の五蘊皆空と同趣旨とまで仰っているでしょう。
これは五蘊ですら空であるのだから、他の諸法も空であるということに他なりません。

『仏教要語の基礎知識』134ではパーリ仏教では実法と仮法を説くと説かれています。
そこでは説明は略されていますが、水野著作選集2の『施設について』や『摂阿毘達磨義論』を
見ると実法というのは『倶舎』6-4の勝義とほとんど同じ概念で、素朴実在論で言う
見えるものがその通り実在することではありません。

見えるものは既に述べたように仮法つまり施設・言説であり、それは分析すればなくなる
仮法とされます。つまり、最も素朴実在論に近い部派仏教の教義でさえ、素朴実在論ではあり得ない。
水野先生は、さらに五蘊皆空と同趣旨とまで仰っているのですよ。

ただのあなたの誤読ですよ。
『摂阿毘達磨義論』74-76を見ればよりはっきりするでしょう。
977阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/12/24(月) 01:43:06 ID:WMWnXRhb
街宣から帰った来たか・・・w

性懲りもなく出来もしない藁人形捏造に汲々としてるのね(失笑)。
978神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 11:23:03 ID:mATCm25G
>>975
>だから「独立して存在」するという意味と同じなんですよ。
単に≪独立して存在する≫と言った場合と≪【認識(主観)から】独立して存在する≫と言った場合では、
それなりに重要な違いがあるのではありませんか?
(以前、電波氏が「唯識の外界」についてチラッと語っていたような気もしますが・・・)

まず、極論としてこのような見方がある。
『およそ「世界」と言われるものは、「(一個人、もっと言えば自身に於いて)認識されたもの(主観に映じたもの)」しかない』
『客観はあり得ない』
『認識(主観)の外はない』
外界は、主観に映じた世界から「おそらくそのようであろう」と類推・想像・信用するしかない、と。
人が知り得るものは何一つない、と。確かなのは、自身の主観に何かが映じている、そのことだけである、と。
自分が水槽に浮かんでいる脳である可能性を否定することは不可能である、と。

仏教は、こうした立場なのでしょうか・・?(唯識はこれに近いかもしれませんが・・w)
映画マトリックスのネオのように、マトリックス世界をマトリックスであると知ることが悟りなのでしょうか・・・w

上記は当然極論です。それを、段階的に緩くして幾つもの階層(視線の種類)を設けることも可能です。
その時、『自身の認識(主観)と関連のないものは存在するのか』
『地球の裏側は存在するのか?』『隣の田中さんが食べた夕食の水炊きは存在するのか?』
『こちらが鈴木さんです。と、紹介された時、紹介の言葉を聞いた時・鈴木さんの姿が目に入った時、
 その時初めて鈴木さんは出現したのか?それまで鈴木さんは存在しなかったのか?』
これらへの回答はどうなるのか。
(上記の極論でいけば正にその通り。紹介されて初めて鈴木さんは「世界」に出現したのだ!)
979神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 13:18:01 ID:KrPoHZrA
>>978
釈尊と中観は、縁起するとしか言わないでしょう。
なにかに還元したら縁起ではなくなるでしょう。

なにか還元できる基体を想定したら縁起とは別になると思います。

「全ての物質は「実在」出来てもそれは仮の存在でしかなく」も傑作ですが、
外界を認める唯識というのも傑作ですね。
980神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 13:38:27 ID:7hgEj8mp
>>979
外界を認める唯識?何それ?どこをどう読んでるんだ?

認識の根拠を外界に求めないのが唯識の立場であって、
外界の存在を否定していない。言及しない。肯定もしない。
認識しているものは外界にはなく、さもその認識対象は外界にあるように思ってしまう。

この流れだったんだけどな。
981神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 13:40:58 ID:7hgEj8mp
外界の存在を否定している根拠を出せた人はいなかったな。
982神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 13:43:44 ID:KrPoHZrA
>>980
今は「全ての物質は「実在」出来てもそれは仮の存在でしかなく」だから、

>>976
を読んで誤読を認めるなら、その話もしましょう。

983神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 13:49:53 ID:mATCm25G
>>979
>釈尊と中観は、縁起するとしか言わないでしょう。


だからぁwww

(一個人の)【認識(主観)】の中でしか縁起しないのであれば、
(一個人の)【認識(主観)】に於いてのみ縁起は見られるものならば、
 (――勿論、『自身が縁起している』という視線は仏教の大原則であり、何より出発点だと思いますが――)
アッサジが出会ったサーリプッタはいつ出現したのですか?
アッサジから紹介された時に「因縁が繋がって」「釈尊に於いて」出現したのですか?
釈尊と出会う前のサーリプッタは、釈尊にとっては存在しなかったけどアッサジにとっては存在していた。
釈尊が認識する前のサーリプッタはどこにいたのか?
「アッサジの認識(主観)」と「釈尊の認識(主観)」とは、併存しているのか?
それともどちらかしかなくて、片方は片方の主観に映じたもので、実際は存在していないのか?


貴方は、何を以てして「存在している」というのですか?
大般涅槃経に於いて、釈尊はアーナンダに「疲れた。布を敷いてくれ」と言った。
そこに布はあるのか?ないのか?
釈尊の主観に於いて縁起し顕れている布だから、
もしその場で釈尊が般涅槃したら、布は消失してしまうのか?


なんか禅問答みたいになってきたな・・・w
984神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 13:54:44 ID:7hgEj8mp
>>982
いや、あんたは何一つ理解できていないから、議論する価値はないと考えています。
これまで多くの教育的レスがあるのに学習できていないからです。

水野先生の日本語が理解できないのなら、それでお終いですね。
985神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 14:10:53 ID:KrPoHZrA
>>983
単純にいうなら日常言語では存在する。
ですが実在するとは言わないでしょう。
釈尊の時代は、施設といっていましたが、後に世俗諦という言い方では、私ともいうし、存在するとも常識通り用いるだけです。
その常識と悟りの立場、後に勝義諦とされるものは違います。

素朴実在論みたいに見えるものがそのまま存在すると、日常言語ではいいますが、
ほんとうにそのまま存在する、つまり実在するとするのが
後代法我といわれる対象が本質を持って実在するとする見方に他ならないからです。

多くの人が共通の物を一致して認識するからといってそれを実在するとも見ません。
ただそのように縁起しているだけです。
もちろん、唯識のように知覚だけ、認識だけというわけでなく、
対象も知覚も縁起しているだけとするのが仏教本来の立場と考えます。

あなたは>>976をどう思いますか? もう7hgEj8mpさんとは話ても無駄なので




986神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 14:34:06 ID:mATCm25G
>>985
>対象も知覚も縁起しているだけとするのが仏教本来の立場と考えます。
全面的に同意ですよw
ただし、私は、“「境」もある”と考えていますがね。
それを「実在」と言うのかどうかはわかりませんw
けれども、(「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、気の持ちようとしてアリだとは思いますがw)、
衣服があるから寒さを凌げるのだと素直に考えます。(※言語(日常言語)の問題ではありません)
衣服が《ほんとうにそのまま存在し》、「《ほんとうにそのまま存在》する私の「色」」を保護するから、
凍死せずに済んでいるのだと素直に考えます。
貴方の一連の言い方が、
≪「根」と「識」のみがある。「境」は無い。≫
という意図に見えたので少し粘着しました。



「空」であるということ、「無常」であるということ、
「縁起(している)」ということ、
これらは、決して「無」ではない。(だから私は心経があまり好きではないのですが・・・w)
「無我」も「無常」も「縁起」も、自身が「無我」であり「無常」であると見なければいけない。
自身が「縁起」していると見なければならない。
「五蘊」は、自身の五蘊である(≒自身が五蘊である)という原則を忘れてはいけないと思う。
滅すべき「苦」は、どこか知らない「他人の苦」ではない。
滅すべきは「自身の苦」であり、「涅槃」も自身が見なければならない。
他人に見てもらっても意味がない。「自身が見た時に初めて、そこに涅槃がある」だろう。

その意味では、貴方の謂いは間違ってはいないと思いますよ。
987神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 15:23:07 ID:KrPoHZrA
>>986
後半は全く仰る通りだと思います。

前半は「境がある」と日常言語ではいいますが、
正しくは「境として縁起している」だと思います。

衣服の例えも、すべてそのように縁起していると思います。
だから、神通も神変も聖者には可能なのであって、
もし、実在なら神通も神変も不可能でしょう。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、聖者なら当然と考えております。

お付き合い、ありがとうございました。
988神も仏も名無しさん:2007/12/25(火) 13:10:06 ID:/nm9KuzX
聖者であって心頭滅却しても、火はやっぱり熱い

実験してみようw

自称聖者を火あぶりにしろ
989阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ
「やいと」だけで宜しいのやおへんか(笑)。