原始佛教 その24

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1阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ
何だかんだといってる内に早24スレ目です。
ここで篩に掛け、下記の板や某SNSへの誘導ロビーにすればいいかと思います。
【前スレ】http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/

ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理 を中心に、様々な議論を重ねて行けた
らと願います。佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。引き続きよろしくお引き立てのほどを。

自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上 げます。原始佛教関連以外の話題は当該スレ
ッドか新たなスレッドを建ててお願いいたします。 スレ違いの妄想デムパ発言には終始黙殺・完全無視が吉と思われます。かかる輩は
http://etc3.2ch.net/denpa/あたりへ誘導すれば宜しいかと存じます。立論議 論に際しては首尾一貫・理路整然を心がけて頂きたく存じます。
※尚、当スレで得られる知見の使用等はあくまで各個人の営為に委ねられることをお含み置きを。
【前スレ】http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1171778595/
【参照資料】
独り言 ◆ZZW30U26joさんのご厚意による過去ログ保管サイト(多謝深謝です)。
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html
【注意事項】
追記:スレに粘着寄生しては無意味有害有毒な病的無知蒙昧言説を排泄し続けるサイコパス外道「机龍之介」、 同じく病的粘着を続ける「栗花 馨」
ならびに「カラスの唄」という、スレ穢し外道壁蝨は一切 出入厳禁。カキコがあっても無視・スルーでお願いいたします。尚、これらにレスを与える こ
とも荒し行為と認定いたします。

外 道 壁 蝨 ど も へ の 撒 き 餌 行 為 厳 禁 ! !

加えて、「ドグマタルチュフ・紐付き神学屋、宗義ゴロ・セクト奴婢」というべき輩(=破落戸ジョーユー)が粘着占拠していますが、視線を合わ
さず門前払い、且つ敷居を決して跨がせないようにしながら生温かく観察しましょう。長大空疎なカキコも、その意図に全く反する廃物利用の可能性があるようですので(笑)。
2阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/01(火) 13:24:20 ID:LS/cUO25
参考サイト その1
web上で読める原始佛典の和訳として、
『スッタニパータ』では
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/buuta0.htm
『ダンマパダ』ならば
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/sinri-0.htm
がありますが、誤字誤写が多いので、原本の岩波文庫のものを註釈共々参照検討する必要があります。

他に、「ブッダのまなざし 翻訳編」というページもありますが、
http://www.j-theravada.net/sakhi/buddha_manazashi-0.html
「日本テーラワーダ仏教協会」という、部派佛教の一派である南方分別説部の流れを汲む一団体のサイ
ト内のものであることに留意し、念頭に置く必要があります。

インド思想史における佛教の成立やその展開を把握するには
http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/bukkyou1.htm
が非常に有益で参考になります。

佛教思想の特徴を明快に説明したものとしては
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html
が参考になると思います。

漢訳阿含經典等は以下で閲覧出来ます。語句検索も出来て非常に便利です。
http://w3.cbeta.org/
3阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/01(火) 13:26:52 ID:LS/cUO25
参考サイト その2
web上で読めるパーリ文献としては、原語なら、
http://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gretil.htm#Pali
http://www.metta.lk/tipitaka/
http://www.tipitaka.org/tipitaka/booklistframe2.html *アッタカター&ティーカー註釈つき
などがあります。フォントのダウンロードとインストールをお忘れなきよう。

パーリ文献協会版のパーリ語辞典。
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/

パーリ三藏の英訳です。
http://www.accesstoinsight.org/canon/index.html

サンスクリット語関連サイトなら、
Monier-Williamsのサンスクリット語辞典。
http://webapps.uni-koeln.de/tamil/

Apteのサンスクリット語辞典。
http://www3.aa.tufs.ac.jp/%7Etjun/sktdic/index.html

サンスクリット文法等。
http://www.manduuka.net/sanskrit/index.htm
などがあります。

http://depts.washington.edu/ebmp/index.php?PHPSESSID=f3427b60964f4e88531d5e0507ae57c1
大英博物館とシアトル・ワシントン大学の協同による
“Early Buddhist Manuscripts Project”。
近年アフガニスタンで出土したガンダーラ語の『ダルマパダ(法句經)』や『スッタニパータ』「犀角經」などの古写本、
いわゆる「最古の佛典」の写本画像と研究報告の一部が閲覧できます。
4阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/01(火) 13:28:05 ID:LS/cUO25
5神も仏も名無しさん:2007/05/01(火) 14:05:11 ID:0IJFV9+u
脱会の手伝いは病気でやめたの?
6神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 15:40:16 ID:T39TumOX
>1乙

 ∬∬ ∬∬
∬∬ 城 ∬∬∬∬
∬∬∬ ∬∬∬∬∬

マガダ国の都である王舎城(ラージャグリハ)は、周りを四つの丘に囲まれた要害の地にある。

西はヴァイバーラ丘、この北面に七葉窟がある。南がソーナ丘、東南にウダヤ丘。
そして、北から東の方向に伸びるのがラトナ丘(多宝山)。
この丘は北部をヴィプラ丘といい、ラトナ丘、チャッタ丘、シャイラ丘、と東に伸びてゆく。
チャッタ丘の南側中腹に有名な霊鷲山がある。王宮からは東方に当たることになる。

王舎城の外側、四つの丘の麓は内壁で、丘の頂上を連ねて外壁で、と二重に囲われていた。

竹林精舎はヴァイバーラ丘とヴィプラ丘の間の狭間にある北門の北側にあった。
そして、その北側に、後に新しい王舎城が建設された。さらに北へ行くとナーランダー村だ。

南側の丘の狭間の南門からは成道の地ガヤーへと抜ける。
7神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 16:00:42 ID:WX1TUpWL
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/992
詳しい人マタキタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !

なるほど。解り易いです。 感謝。

やっぱり、sam の読み方が重要そう・・。
「共に(→相互に?)」と読むか、「正しく・正当に(→妥当な繋がりとして?)」と読むか、
で、変わりそうですね。

>重い意味を緩和し、また、因・果という2者の関係、結び付きであることを 〜
(単純な構造・視点に於いての)「一因多果」を避けるというような意図でしょうか・・・?
(勿論、視点・視野の採り方で「一因多果」はありえないことではないわけですが・・・。)


漢語についても、「(因果)応報」と使用され始めた初期の頃は、
現在一般的に受け止められているような強い意味合いはなかったのかもしれませんね・・。

ってか、単純に、キャッチフレーズというかスローガンというか・・・、
そんな感じの言葉なのかもしれない。帰依三宝とか、拈華微笑とか、安心立命とか・・・w

重ねて感謝。 m(_ _)m
8神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 20:15:37 ID:ZaOjLeXM
> 991
> 縁起は、時間的生起の関係(因果関係)としてではなく、
> 論理的相互関係(相互依存関係)として理解するのが当然。

龍樹は相互観待(相互依存関係)という意味で縁起を捉えていますが、前出のツルティム氏のPDFによると、
チベット仏教では縁起公式を因果関係と相互依存関係と両方の意味で解釈しているようです。

現状での自説は、『廻諍論』での父子関係のような言語上の関係ではない相互依存関係、そして因果関係の両様に考えています。

以下、>>2にある佐倉氏のサイトから引用

> 宇井伯寿(『印度哲学研究』)や和辻哲郎(『原始仏教の実践哲学』)らは、...
> もともと縁起は「相依性」を意味していたのだ、と主張しました。

> 藤田宏達(「原始仏教における因果思想」『仏教思想3:因果』)や三枝充悳(『初期仏教の思想』)らによって、...
> 初期の仏教における縁起思想を「相依性」と解釈できるのはきわめて限られた場合に限っており、その主張は一般に間違っている、と指摘されています。

> 中村元(『原始仏教の思想 下』)も、初期の縁起の概念における項目の関係は「一方的」であり、
> ナーガールジュナの縁起の概念のように「可逆的」ではないことを指摘して、ナーガールジュナの
> 縁起説は初期の縁起説とは「まったく異なった意味」を持つものである、と主張されます。

> 縁起を因果関係と解釈するカルパハナなどは、ナーガールジュナは初期の縁起思想を否定した、とさえ主張しています。
9神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 22:22:35 ID:sLuJ/DtD
ツォンカパの『辨了不了義善説藏論』

タイトル 大乗仏典 : 中国・日本篇. 第15巻
各巻タイトル ツォンカパ / 御牧克己〔ほか〕訳
内容細目 了義未了義善説心髄
10神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 22:57:14 ID:/YvO1DcO
>>8
縁起の基本は「これあるときかれあり...」の此縁性です。
これは因果関係で、結果から原因を探求する方法でもあります。
苦の原因は、生、などと原因を探求して、無明に至ったりします。
が縁起は、重層的な解釈が可能だと考えます。
そして縁起は、因果関係といっても無我・空なる因から 無我・空なる果が縁起するもので、
因も果も唯の仮設です。だから、縁起、無常、無我、空は本質は同じで、観点、強調点が違うだけだと思います。
これらについて私は、水野弘元先生、平川彰先生、石飛道子 先生の説が優れていると思います。

次に、龍樹菩薩は、二つの縁起を説いています。八不縁起= 相依観待と此縁性=因果関係です。
八不縁起は『中論』1-25章『六十頌如理論』『空七十論』などに説かれ、
此縁性は『中論』26章『宝行王正論』I.46-51『勧戒王頌』109-12『因縁心論』などに説かれます。

特に『因縁心論』に説かれる内容は、仏音長老の『清浄道論』17章に説かれる内容とほとんど同じです。
ですから 龍樹菩薩が「初期の縁起思想を否定」とは言えないでしょう。
というより縁起の 無我・空なる因から 無我・空なる果が縁起することを強調して説き、
より実体視、つまり我見を壊す、強力な見解を鮮明したと言えるでしょう。

そしてこの本質的ですが 我見に馴染んだ者には理解しがたい八不縁起が理解できない者のために、
此縁性の縁起も説かれた。決して、二つの縁起は矛盾するものではなく、見解の深さや機根による方便が
異なるだけでしょう。だから、小乗大乗の縁起と言われたり、勝義世俗の縁起とも言われたと思われます。

尚、蛇足ながらジェ・ツォンカパよりジャングン・ミパムの方が龍樹菩薩の縁起に近く深い理解をしているように
思われます。ジャングン・ミパムの『因縁心論註』や『ゲシェドンメ』と ジェ・ツォンカパの『カネーギェー』など
を読んだ印象ですが。
11神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 00:11:35 ID:HDhRjnVk
>>10
いろいろ参考になりました。ありがとうございます。

まあ『中論』の教証として阿含経を引用しているくらいですから、
阿含経の縁起説を否定するべくもないのは至極当然でしょうね。

ところで『中論』末尾の十二縁起は此縁性という語となじむんでしょうかね。少し違和感があります。
いま手元にないのではっきりしませんが、たしか中村元『ナーガールジュナ』で、
これは三世両重の縁起、と書かれていたような記憶が残ってるんですが。
読んだ感じでは、そうでもないと思ったんですが、気になっていました。

しかし、いずれにせよ印象としては、それまでの記述と随分違いがあって、また鋭さも感じられなくて、
ひょっとすると、後人による増広の可能性もあるのかなあ、などと思ったりもしました。
12机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/03(木) 12:30:04 ID:EVhjvIqR
両者が関係し合うことがありますね。
こういうのは友情関係とか恋愛関係とか言います。
相互においての関係であることは間違いないです。

また、関係において、何が関係し合っておるのか?
などといふ場合は、これは上記関係とはいささか違ってまいりまふ。
有部は前者でありますし、中観は後者であります。

縁起においても、いろん扱われかたをします。
13神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 14:50:47 ID:oPmyeY06
>>11
確認取れました。
中村元『ナーガールジュナ 人類の知的遺産』p.161
「竜樹が十二因縁を三世両重因果で説明」

なお、『龍樹論集』所収「因縁心論」(瓜生津訳)だと、
「十二種類の支分は依存関係によって生じたもの(縁生)である、と牟尼によって説かれた」(1)
とあって、これも相互観待にとらえているようです。
14神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 16:12:26 ID:rIbRrQNz
無我とは「アートマンは無い」と言っているのではない、と前スレ末で言及したのは、
説法のスタイルは、「《色は》無我である。《受は》…。…。《識は》無我である。」というように、
人間を構成する(認識できる限りでの)5要素(五蘊)の一つ一つを分析してゆくものであって、
五蘊を離れて、総体として「アートマンは無い」と言っているのではないだろう、ということです。つまり、

「見ることの背後にある見る主体を、あなたは見ることはできない。
聞くことの…。思考の…。認識の…。
このあなたのアートマンが、万物に内在しているのである。」
(ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド 3-4)〔世界の名著1〕

このような見聞覚知できない、「一切」の範囲外であるアートマンについて
「実在する」と断定したりせず、また反対に「そういうものは無い」と断言したりもしない、
というのが釈尊の無我説の本意であろう、ということです。

そこまでは、ある意味、サンジャヤと共通しています。そして肝腎なのは、
五蘊を縁起説で説明してゆく、という点が当時の他の宗教と仏教との相違点だろう、と。
15神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 17:22:17 ID:91TLFjq3
>sayaMkata 自作, paraMkata 他作
>「この苦難は、自分以外のもののせいだ。海に入るとき、神を祭らなかったからだ。」→他作
つまり、苦は他作であり、この苦難は神が造った、という考え方。
上の2つを組み合せると、para(他)とは神を指していることになる。

この用例を、過去ログで論議されたpara-loka (他世)に適用してみた。
lokaとは下記のように、時間的区分でなく、空間的区分なので、
本来は来世でなく他の世界、上記用例によれば、神の世界、ということになる。

もしそうならば、二世を望まず、という場合、この(人間)世界(での福)と
他の(つまり神の)世界(への上天と福)を願わない、ということになる。

空間を表す梵語
loka 世間(世界)を空なりと観ぜよ(スッタニパータ1119), dhAtu 三界, bhava 三有
(例) deva-loka 神の世界(天界), yama-loka (最初の死者である)閻魔の世界(地獄), loka-dhAtu 世界

時間を表す梵語
samaya, adhvan, kAla
16神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 21:48:41 ID:ghA0dQbf
>>13
以下のように相互観待を意味するのではなく、pratiityasambhuutaa.hをそう訳しただけで、
意味としては因果関係で問題ないと思います。
  dvaada^sa ye'^ngavi^se.saa muninoddi.s.taa.h pratiityasambhuutaa.h|
  yan lag bye brag bcu gnyis gang / /thub pas rten 'byung gsungs de dag / /
  差別十二支  能仁説縁生

>>11
なぜ、此縁性が十二縁起かは、水野弘元先生『仏教要語の基礎知識』の第五章「縁起説」
特に縁起説の表を見ながら、石飛道子先生『ブッダ論理学』56-62頁を読んだ後で、
平川彰先生『インド仏教史』上、68-72頁を読んでから、できればこの『大本経』を読んでください。
http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/dn/dn.15.0.than.html

それが分かりにくい場合は、『ブッダのことば』(中村訳スッタニパータ)158-170を読んでください。
そうすれば十二縁起は此縁性を用いた原因の探求だということが分かると思います。
17神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 23:03:56 ID:mmMZPpK4
宝行王正論1/48
これがあるとき、かれがある。たとえば、長があるとき、短があるように。
これが生じるとき、かれが生じる。たとえば、灯火(ともしび)が生じるとき、光が生じるように。

その前の46節は、本来、「縁によって生ずるのを見て無見を離れ、縁によって滅するのを見て有見を離れる」
という阿含経からの引用だと思うが、いま正確な該当箇所を思い出せない。
18神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 23:26:48 ID:ArIEnLJK
 いわゆるアートマンを承認するなら、俺は仏教徒を辞めるわ。

無常=無我=縁起だからこそ、生きることに意味はなく、

逆説的に慶安に、フリー(「自」我に「由」るの意味では“ない”)でいられるし、ついでに遊べる。

この立場からすると、時にアートマンを口吻にするスッタニパータもゲテモノの迷いの書かも知れんな。

経典なんて、適正・中道(丁度いい加減)にマユツバで読めばいいんだよ。


19カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/04(金) 04:56:22 ID:zX3T3oI5
>>18
おまえは仏教を捨てた方がいいよ。

真理より、自分の我に執着しているあんたは、釈迦の仏教を、なーーーんも理解しとらん。
我執のないものなら、自分の見解が間違いだとしたら、あっさり今まで信じていた自分の見解など
捨て去り、正しい見解を取るものだ。自分の見解と違えば、スッタニパータも
ゲテモノ、単なる方便と曲解して、無理やり自分達の見解に合わせる君らは、我執の鬼だ。
ここはそんな奴ばっか。

スッタニパータより、自分達の見解に執着している、我執の鬼である君らは、
釈迦の仏教は、なーーーーーーんも理解しとらん。

我の強い君らには、どだい、釈迦の仏教を理解しようなど、無理な話なんだよ。

>逆説的に慶安に、フリー(「自」我に「由」るの意味では“ない”)でいられるし、ついでに遊べる。
>この立場からすると、時にアートマンを口吻にするスッタニパータもゲテモノの迷いの書かも知れんな。

あきれてものがいえん。無理して仏教などする必要ないだろう、おまえは。
おっと、おまえ、仏教徒ならず、禅宗だろ? ならわかる。禅宗を釈迦の仏教と誤謬するなよ。
全く違うものだ。おまえ達は釈迦の仏教を無理して名乗るな。私達は、仏教ならず、禅宗です。と名乗れ。
無知なものがおまえ達禅宗が釈迦の仏教だと迷う。穴に落ちるのは、おまえ達で十分だ。皆を道連れにしてはいけない。

20神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 07:39:02 ID:eCxAjP/7
>>19
アートマン=真我を絶対的前提とするオウム真理教からは、当然の反応でしょう。
また、検証不能の一切外=形而上的自称「真理」の絶対神(キリストの神やブラフマンもその一形態)の立場もそうでしょう。
どうぞ、ご自由に迷いの束縛を楽しんでください。

しかし、『思い煩うことはない。人生は無意味なのだ!』(S・モーム「人間の絆(束縛)」)。
だからこそ、既成の目的論や価値論を離れて慶安且つ自由(少なくとも擬制)でいられます。
世間的価値観からみれば、まさしく「不良」ですね。世間を超越することを薦めるブッダは
不良である事を薦めたのでしょう。

色は聚沫の如くなり 受は水泡の如くなり
想は陽炎の如くなり 行は芭蕉の如くなり
識は幻事の如しとは 日種の〔尊〕の所説なり。
                  (相応部 22・95)
そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。
患いであるという念いが現れた。世を厭う気持ちが定まった。
次いで、私の心が解脱した。
    ナーガサマーラ長老『仏弟子の告白─テーラガータ─』(76頁)中村元訳、岩波文庫

だったら、『 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
         遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ』(梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑)

人を類型的に判断して、類型的に批判するのは止めましょうね。
2120:2007/05/04(金) 07:42:47 ID:eCxAjP/7
念のため
× 自由
〇 フリー
22カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/04(金) 09:04:55 ID:zX3T3oI5
>>20
さぁ、迷っているのはどっちの方かな?

釈迦が形而上のことを語っていなかったと思っているのかい?
君らは己のエゴと言うフィルターを通してしか仏典を読まないから、
ありのままを、ありのまま、読めず、書かれていることを曲解している。
君らはメクラだよ。

しかしおまえら、イエスより自分達の方が上だと思っているんだってね。
すごいな、おまえら(苦笑)

鬼のような我執の持ち主が、得意げに釈迦の仏教を語っているなんざ、ギャグにも
ならねぇんだよ。
23神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 09:42:13 ID:WSl6MYuH
エントロピーは必ず増大します
熱力学第2法則です
生きるとは、自己のエントロピーが増大するのを阻止すること
つまり、他者のエントロピーを増大させることで、自己のエントロピーを縮減する
それが生きることです
でも、悲しいかな、縮減することはできても、それは増大のスピードを弱めているだけなのです
それが、熱力学第2法則です
それが、「諸行無常」なのかもしれません


なぜ、その法則があるかはわかりません
法則があるということはわかっています

従属栄養生物が生きるということは、殺すことです
殺すということは、従属栄養生物が生きるということです
なぜなら、独立栄養生物は、殺さないからです

独立栄養生物といっても、独立しているわけではありません
彼らも、太陽熱に従属しているからです
それが熱力学です

そして、なぜそれがあるかは、わかりません
誰にもわかりません

「僕は何のためにうまれてきたの?」
そんなこと、わかるはずがありません
わかってしまったら、あなたは生きる勇気を失うからです
この世は存在しなくなってしまうのです

それが「色即是空」なのかもしれません
24机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 13:46:38 ID:kAx3P4oE
カースト制というのは、その死生観がバックボーンとしてある訳だが、
かくてインドで釈尊が成道したのは、この思想あってばの成就であり、
また且つ、このカーストがまた仏教を難解にするといふ、
つまり二律背反であるのが仏教の史観である。
25神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 15:39:12 ID:0ms02/w9
>>17 >阿含経からの引用

SN.12.15 Kaccayanagotta Sutta
> when one sees the origination of the world as it actually is with right discernment,
> 'non-existence' with reference to the world does not occur to one.
> When one sees the cessation of the world as it actually is with right discernment,
> 'existence' with reference to the world does not occur to one.
 相応部12.15 迦旃延姓
 世界の生起を〈ありのままに、正しい洞察によって〉見るとき、
 世界に関する「非存在」〔という見方〕はその人に起こらない。
 世界の消滅を〈ありのままに、正しい洞察によって〉見るとき、
 世界に関する「存在」〔という見方〕はその人に起こらない。

雑阿含経10(262)
如実正観 世間集者、則不生 世間無見。如実正観 世間滅、則不生 世間有見。
 如実に世間の集を正観するときんば、すなはち世間無の見を生ぜず。
 如実に世間の滅を正観するときんば、すなはち世間有の見を生ぜず。


縁起説に関係する点では、集を集起ととらえて、つまり諸因縁が集まることで生起する、と見れば、
世間(世界)は縁起によって生滅するものなのだから、
有無という、固定したものという見方に執着すべきではない、ということでしょう。
26机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 16:22:14 ID:kAx3P4oE
映画フィルムの一コマを縁起とするならば、
銀幕に映し出される映像は残像でしかない。
因果は縁起と無関係に生起する。
不去不来。
27神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 16:54:14 ID:WSl6MYuH
「因果は縁起と無関係に生起する。」
って、なんか変じゃないですか?

縁起は関係性でしょ?
関係性と無関係っておかしくない?

インドの詩人がアインシュタインに、
「月はなぜあるかというと、人間が存在するからです」
というようなことを言ったことは、
因果は縁起なしでは生起しない、
というようなことだと思うのですが・・・
28神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 17:10:31 ID:mFyFpBvo
>>26
>映画フィルムの一コマを縁起とするならば、
この設定がそもそもの誤り。

>銀幕に映し出される映像は残像でしかない。
フィルムの一コマもまた残像に過ぎない。

>因果は縁起と無関係に生起する。
因果の果が新たな因となって更なる果を生じていく。
この繰り返しが縁起でしょう。
29机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 17:33:22 ID:kAx3P4oE
>>27>>28
例えば、木を燃やして灰になる場合、
「木が灰になる」。は因果ですが、
木は木であり灰は灰。時系列に依存しないのが縁起ですね。
(これが映画フィルムの例えです)

つまり、一切依存として(本性)として因果がある。という訳じゃない。
というのが中観の三時不成でして(不去不来)
過去も未来も現在も有り得ない。→本性としてある訳ではない。
しかしながら依存としてある縁起。
というのが縁起の現観です。
30机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 17:44:47 ID:kAx3P4oE
>>28
>因果の果が新たな因となって更なる果を生じていく。
>この繰り返しが縁起でしょう。

因果と縁起は違いますね。

連鎖において因果でしたら、では最初の因は何で生じたか?
これは、ニワトリが先か玉子が先かの相対矛盾であります。
31神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 17:49:59 ID:mFyFpBvo
>>29
木は最初から木であったわけではない。
灰は最初から灰であったわけではない。
映画の一こまのように時系列から取り出せば、
ゼノンと同じパラドックスに陥るだけです。
今現在、あなたの意識は縁起している。
それゆえ空だと釈尊は言う。
あなたの意識を映画の一こまのように取り出してごらんなさい。
そんなことは不可能でしょう。
取り出した端から消えていく、ちゃんと時系列に依存しているはずです。
32神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 17:52:16 ID:mFyFpBvo
>>30
>連鎖において因果でしたら、では最初の因は何で生じたか?
仏教では無明という答えを用意しているはずです。
33机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 17:57:57 ID:kAx3P4oE
>>31
>取り出した端から消えていく、ちゃんと時系列に依存しているはずです。

といふ「思い込み」があるから無明なんじゃないですか?
眼識においても意識においても、眼識(残像)意識(記憶)がありますから、
人は思い違いで認識することを錯覚などと言いますけど、
成道というのは、この錯覚の霧が晴れた明智のことです。
34机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 18:01:15 ID:kAx3P4oE
>>32
>仏教では無明という答えを用意しているはずです。

無明が因でしたら、果も無明となりまして、
この無限ループから解脱できんじゃないですか?

といふことは、因果は勝義諦にはならん。
ということです。
35神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 18:04:38 ID:mFyFpBvo
>>33
釈尊は、錯視や錯覚といった特殊な状態を前提にしていたわけではないですよ。
あなたの意識が時系列に沿っていないと思うなら、
ここにいるより医者に行かれることを勧めます。
36神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 18:06:55 ID:mFyFpBvo
>>34
>無明が因でしたら、果も無明となりまして、
>この無限ループから解脱できんじゃないですか?
あなたの場合で言えばそのとおりだと思います。
37机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 18:13:55 ID:kAx3P4oE
>>35
>あなたの意識が時系列に沿っていないと思うなら、

時系列に沿う。というのは、いわゆる日常性のことです。
人は社会規範とか慣習・習慣において生活するが普通ですから。
いわゆる明智というのは、この日常性の寸断された刹那を垣間見た瞬間なのであります。
頓悟とか言いますネ。

>ここにいるより医者に行かれることを勧めます。

一度開かれた眼は、もう元には戻らんのです。
38神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 18:21:37 ID:WQklBRmp
>>35
机氏に「お前は病気だ。医者へ行け。」と慈悲の心でさとした人は、
過去に他にも何人かいた。

しかし、彼は認めない。認めないどころか、病気すらも無自覚だ。
彼は、「我見」の人だ。いや、人間ではない。

他者の言葉は「自分の心の空虚さ」を満たすおもちゃでしかない。
暇つぶしのネタでしかない。
気の毒よのう・・・・・・・。
39神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 18:23:24 ID:mFyFpBvo
>>37
たとえば木が燃えて灰になる。
それを見て、あなたは木は木、灰は灰であって、
木と灰の間には何の因果関係もないと言う。
それで日常生活が送れているのなら、別に言う言葉もないですね。

>一度開かれた眼は、もう元には戻らんのです。
そうですか。眼の不自由な人に色を説明しても無駄でしたね。
40机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 18:29:02 ID:kAx3P4oE
>>38
意味連関において時系列になるんだろうし、
自己の意識が時系列を作り出しているに過ぎんじゃないか。

>彼は、「我見」の人だ。いや、人間ではない。

一般論としても納得の逝く話かと思うけどね。
41机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 18:35:15 ID:kAx3P4oE
>>39
未だ分らんのかね。

木が必ず灰になるとは限らんのです。
条件において灰にならない場合もある。
確定的なことはなにもない。→縁起
「燃え尽きる⇔燃え尽きない」という未来のことは真諦には成り得ない。
ということだよ。
42神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 18:38:25 ID:WSl6MYuH
>つまり、人が死ねば(五蘊の消失)、経験(縁起)そのものも無くなりますから、
>一切(認識)なくば実在とか存在(つまり依りてあるもの)そのものは全てが無くなるのは当然です。

>もっと簡単に説明しますと、
>貴殿が生まれる前は、この世界がありましか?
>無かったでしょ?
>まあ、こういうことです。


この書き込みと>>26は矛盾しませんか?
43机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 18:56:18 ID:kAx3P4oE
>>42
因果という概念は、貴殿はどこかで学習したのでしょ?
その概念に基づいてリアルでその形態なりを概念に当て嵌める。
因果というのが法としてあるのではなく、
その名称と形態は、いつの間にかあなたの概念として世界観を構築ならしめる。
というのは、それはそれでイイのですが、
この名称と形態が法としてあるのではなく、
あくまでも、あなたの概念としてある。
これを世俗諦というのです。

>この書き込みと>>26は矛盾しませんか?

いや、矛盾してないですね。
瞬間・瞬間に我が生起しているだけ。→縁起
その時系列的連続性はない。
ただし、人の認識は連続性において認識できる。
(記憶という特殊性による)
44神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 19:10:46 ID:WSl6MYuH
記憶が特殊だとか言い始めたら、ぜんぶ特殊になってしまって、
話にならなくないですか?
45机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 19:27:51 ID:kAx3P4oE
>>44
>話にならなくないですか?

そういった矛盾において開眼の道が拓くわけなんですが、
自我とは何ぞや?
となれば、自我と意識することにおいて自我とか無我が生起する。
という、あえて自我を概念化することにおいて自我が自我でありえる。
という、
ある矛盾性において、その論理構築をせざるを得ない。
という、
関を先ず越さねばならんでしょうね。

46神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 19:32:01 ID:mFyFpBvo
>>41
>木が必ず灰になるとは限らんのです。
>条件において灰にならない場合もある。

そんな詭弁を弄しているわけではない。
>たとえば木が燃えて灰になる。
条件は示したつもりだが、あなたはわざと無視している。
つまり、木が燃えて灰にならないような特殊な場合にしか、
あなたの仏教が適用されないというだけの話でしょう。
47神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 19:36:48 ID:mFyFpBvo
>>45
>自我とは何ぞや?
>となれば、自我と意識することにおいて自我とか無我が生起する。
自我と意識する(因)
自我とか無我が生起する(果)
ちゃんと時系列になってますよ。笑
48机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 19:47:01 ID:kAx3P4oE
>>46
>条件は示したつもりだが

条件というのが縁起になる。

そして相互依存性という本性としてある。
から、木が灰になる。
という考えが因果関係になる。

相依性が本性としてはなく、縁において相依性となる。
が正しい。

これは非常に重要なこと。
49机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/04(金) 19:51:42 ID:kAx3P4oE
>>47
>自我と意識する(因)
>自我とか無我が生起する(果)

脳内変換のことで、これは観念論という。
50神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 20:44:42 ID:WSl6MYuH
今、紳介のTVで面白いのがやってました
『矛盾脱衣』といって、雪山で極限の寒さにさらされると、
逆に、暑くてしかたなくなって、服を脱いでしまうそうです
多くの雪山登山者はこれで凍死してしまうそうです

机さんも矛盾脱衣なのかなあ?
51神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 21:51:39 ID:LoLe0QKQ
>>16
因縁心論の縁起についてですが、第一頌への註(龍樹論集 p.359)に、
> 十二種類の支分は、…煩悩と業と苦のなかで相互に関連して生じたものであって、たとえば
> 三本の杖のように、三者のなかにことごとく収まるのである。
> 訳注:チベット本および漢訳には、「三つの葦の束」とある。

と、「相互に関連して生じたもの」とされていますが、これは sambhUta を「共に生じた」と解釈し、
互いが相手を待って一緒に成り立つ、という因果同時で見ているのではないか、と思いました。

この相互依存関係での「生じたもの」という表現は、相互依存関係の中でのことであり、
八不中道の「不生不滅」ということと何ら矛盾するものではない、と考えます。したがって、

「此縁性」という語自体は如理論・空七十論(同書 pp.9, 74, 132. 但, 梵本欠)に出てきますが、
これと「十二支縁起」ということも含め、縁起を2種類に分類しなくてもよいのではないか、と思います。
つまり、龍樹には、因果異時をも内包しつつ、一貫して相互依存関係として縁起をとらえる
眼差しがあったのではないか、というのが所感です。

最も座右に置くべき「要語」と「経集」は目下、屋内各所に分散配置した蔵書を探索中でして、
かわりに八千頌般若が現れ…(苦笑)という状況でして、参照できませんでした。
ご紹介いただいた「大本経」英訳は一読し、現在再読中です。
相応部の単経をコラージュにしたような印象もありますが、
七識住や八解脱(?)にも説き及ぶ、たいへんに読みごたえのある経典だと感じました。
これからの縁起説考察に反映させてゆきたいと思います。
52神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 22:54:05 ID:WSl6MYuH
【十四無記】異教徒の提出した形而上学的な問題に対して、釈尊がイエスともノーとも答えなかった十四の問題点。
     「世界は(1)常であるか、(2)無常であるか、(3)常かつ無常であるか、(4)常でも無常でもないか、
         (5)有辺であるか、(6)無辺であるか、(7)有辺かつ無辺であるか、(8)有辺でも無辺でもないか、
     (9)如来は死後存するか、(10)存しないか、(11)存しかつ存しないか、(12)存しも存しなくもないか、
     (13)個我と身体は同であるか、(14)異なるか」
     
     (中村元 『佛教語大辞典』 東京書籍)



私は初心者です
十四無記に、世界は常か無常か答えはない、と書いてあるのに、
なぜ、「諸行無常」なのですか?
ウパニシャドは、ブラフマー(宇宙)は無始無終だとするようですが、仏教ではどうなのですか?
「縁起」とは、無始無終を別の言い方で表したような気もするのですが・・・

53神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 23:10:14 ID:mFyFpBvo
>>52
単純に言えば、世界は諸行ではないからです。
54神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 23:24:50 ID:WSl6MYuH
>>53
「諸行」は何ですか?
55神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 23:25:52 ID:eCxAjP/7

satipannna
56神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 23:27:07 ID:eCxAjP/7
〇 satipanna
57神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 23:33:53 ID:WSl6MYuH
私は初心者です
〇 satipanna は何ですか?
58神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 23:50:43 ID:mFyFpBvo
>>54
これも単純に言えば、心と体のことです。
世界について無記とは、これまた単純に言えば、
あなたの目の前にあるパソコンのメンテは仏教の対象外ですよ、ということです。
難しい答えを期待されるなら、のんびりとコテさんたちの降臨を待ちましょう。
59神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 23:58:57 ID:UseCMZMh
>>51
二つの縁起は、前に述べたように矛盾するものではありませんが、
方便としての教説という意味で、深さが異なると思います。
龍樹菩薩はハッキリ意識して分けていたのは明瞭でしょう。
なぜなら『中論』で八不縁起と十二縁起を分けて説いているからです。
そして諸註も、二つを別のものとして扱っています。

十二縁起は、分析修習(dharma-vicaara)による我の破壊のような漸悟とすれば、
八不縁起は、空観による我の破壊で頓悟だと思われます。

「経集」はこちらで読めます。
http://space.geocities.jp/takobosatu/butanokotoba.html

こちらの『アビダンマッタサンガハ』も同じないようですが、八不縁起はありません。
http://www.palikanon.com/english/sangaha/chapter_8.htm

及び『倶舎』世間品の有名な十二縁起(因縁)解釈もほとんど同じでしょう。
私の好みでは弘法大師の『十住心論』の以下の内容が『因縁心論』の内容を要約していますし、
『縁起法頌』(法身偈)と此縁性を引用して小乗の因果関係を説く縁起を美しく表現しています。


正觀察を得て、世間・出世間の法は皆悉く有因有縁、世間は集を以って因と爲し、苦を以って果と爲す。
出世間は道を以って因と爲し、滅を以って果と爲すを覺す。『毘尼』中に要を擧て之を言う。
所謂「諸法は縁從り起る。如來是の因を説く。彼の法の因縁を盡す。是れ大沙門説也」と。
因縁生滅を知を以っての故に、有無の見を滅し、斷常の二邊を遠離す。眞諦の智の生を得るが故に極觀察智と名づく。
能く極て観察するを以っての故に、不倒不謬。故に名づけて諦と爲す也。
無明從り老死に至るまで「此れ有るが故に彼れ有り。此れ生ずるが故に彼れ生ず」
乃ち輪迴無際に至るまで、若し此れに隨って輪轉する之を名づけて順と爲す。
既に四眞諦を見已って、生死の流れに背きて聖道に隨行す。
乃至、能く自ら記説我が生、已に盡せり。梵行、已に立せり。所作、已に辨ぜり。
後有を受けじと記説す。是を不隨順と名づく。
60神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 23:59:04 ID:nX4GMfvz
>>52

私はこう考えます。
釈尊本来の教え方では「諸行無常」というキャッチフレーズは用いられなかったのではないか。
「色は無常である。色は無我である。色は苦である。」「受は・・・」「想は・・・」という風に
個別具体的に取り上げて無常・無我・苦と説いていったのであり、法則のような表現はとらなかったのではないか。
このことを理解した上でキャッチフレーズを使う分には結構だと思います。

ちなみに御質問の「世界は・・・」は「無常」つまり「常住でない」、変化する、という趣旨ではなくて、
世界が時間的に無限か有限か、空間的に無限か有限か、ではなかったかと記憶しておったのですが、違いましたか。
61神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 00:27:26 ID:ZaVQTBPs
中村博士の無我について
インドの一般の諸哲学においては、人間の自我の中に、中心となるものを認め、これが常住であり、
一なるものであり、主宰するものであると考えて、これを「我(アートマン)」と呼ぶ。
仏教以前のウパニシャッド哲学では、この我の意義が力説され、宇宙我であるブラフマンとの相即が説かれた。
また仏教興起時代の異端の諸哲学においては、我、すなわち霊魂が実体として存在すると想定していた。
ブッダはこれに反対して、「我という実体は認められない」といって、これについては、ありともなしとも断定を控えるという無我の立場を強調し、
存在は、縁起によって起こるものであると説いた。(中村元、『仏教語大辞典』「我」158頁)
つまり、ブッダの言わんとするところは、まず、自己にあらざるものを自己の所有とみなすこと、
二つには、自己には常住不変の実体があるとみなすこと、三つには自己の本質というものがあるとみること、
これらを否定することが非我の内容であると説きます。(中 村元、中村元・田辺祥二著『ブッダの人と思想』、NHKブックス、95頁)
62神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 00:46:28 ID:ZaVQTBPs
五蘊
色・・・世の中すべての認識対象
受・・・認識対象の感知
想・・・認識対象の認知と過去の記憶との照合
行・・・認識対象の照合に基づく好悪などの判断
識・・・認識対象の判断に基づく認識の完結

五蘊とは、色受想行識の5段階によって構成される一連の認識作用のメカニズムのこと。
五蘊皆空とは、一連の認識作用のメカニズムとその認識結果には実体がないものであること。
63神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 00:53:08 ID:ZaVQTBPs
受(感受器官)・・・眼耳鼻舌身
想(認知結果)・・・色声香味触
64神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 01:35:32 ID:L4YlmWBu
プロまで叩いちゃっていいのかよ〜オカルト大生
ttp://music8.2ch.net/test/read.cgi/classical/1174652956/716-
65神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 07:17:17 ID:EuKAXhgt
私は初心者です
ウィキペディアにはこう書いてあります


諸行無常
(しょぎょうむじょう、sabbe-saMkhaaraa-aniccaa, सब्बे संखारा अफिच्चा)

現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、
一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。
この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。





「有為法」を調べてみたら、「変化する存在、無常の存在」と書いてありました


「諸行無常」に代入してみると、「変化するものは変化する」「無常のものは無常だ」になります



これって「適者生存」と同じトートロジーじゃないですか?
66机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/05(土) 07:40:41 ID:Nnc99BZq
>>50
>『矛盾脱衣』といって、雪山で極限の寒さにさらされると、
>逆に、暑くてしかたなくなって、服を脱いでしまうそうです

これは脳がパニクッテ、自己保存本能が麻痺した状態です。
>机さんも矛盾脱衣なのかなあ?
これとは違うけど、似たとこはあります。
参考までに>>59にイイ例示がありますから、これで説明します。

>十二縁起は、分析修習(dharma-vicaara)による我の破壊のような漸悟とすれば、
>八不縁起は、空観による我の破壊で頓悟だと思われます。

漸修漸悟というのは、始祖・達磨から五祖・弘忍あたりまでは脈絡はあったのですが、
この間に関しては覚者はあまり輩出されてません。
六祖・慧能(頓修頓悟)以降になりまして、雨後の竹の子の如しに覚者が誕生する。
この前者と後者の違いは何か?といいましたら、
簡単にいったら、作為(前者)があるか、無為(後者)かの違いです。

漸修は、現代では自然淘汰されてます。
淘汰されたもんを今に引きずり出して論考しても意味がないものです。
漸修と頓修の違いにこそ目を向けるべきです。

頓修のキーワードとは、矛盾に気が付くことです。
そのベクトルこそ「疑」であるのです。

67神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 12:01:10 ID:lvqBopKs
慧能:あんた、どこから来たの?
懐譲:崇山から来ました。
慧能:なにものがこうしてやって来たの?
懐譲:・・・・・・・・・・・(悶絶)

   一超直入如来地
   説似一物即不中

だったら、最初から返答するなや ゴルア〜〜〜!

慧能は世間話で問うたのに、いちいち禅悶絶されては日常が成立たん。
68机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/05(土) 14:04:13 ID:Nnc99BZq
日常とは、漠然とした目的意識を持ちますから、この自覚こそが自己同一性しての認識にもなりえる。
しかしながら人生は突然のアクシデントというのもある訳です。
つまり失敗とか・・・予期せぬ出来事とかですね。
この失敗なりを社会規範とかに鑑みまして、人は自己弁護の論理構築をなすのが普通です。
常に社会性への帰属意識がその行動および思推を決定つける。

懐譲の(悶絶)とは、上記論理構築の最中なわけです。
つまり日常性です。
これがあるうちは、まだまだ目が開かんですね。
覚者は、こういうことは既に透過しておりますから。

69神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 18:07:55 ID:Cz6U7pWd
>>68
>これがあるうちは、まだまだ目が開かんですね。
>覚者は、こういうことは既に透過しておりますから。

ふ〜ん。ところで、あんたは「覚者」なの?




70机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/05(土) 18:39:07 ID:Nnc99BZq
>>69
覚者とは、目覚めた人のことです。
目覚めますと、覚者とか、覚者にあらずとか、二辺から離れるゆえ覚者である訳です。
「覚者である」と自己表明することにおいて、
つまりは”覚者”に拘りがあることになります。

覚者とは、そのような執着からも離れておりますので、
かような自己表明はせんと思いますね。
71神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 18:40:35 ID:SGQx/jv3
金剛経かよw
72神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 19:06:43 ID:lvqBopKs
非常に素朴な疑問で申し訳ないのですが、

唯識思想によれば、単なる物質の集合であるカメラ(当然こころなるものはない)に
何故、人間が視たのと同じ画像が写るのか、哲学的に説明できるのでしょうか。
録音についても同じです。
73神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 19:21:52 ID:Cz6U7pWd
>>70
>覚者とは、そのような執着からも離れておりますので、
>かような自己表明はせんと思いますね。

おっ、たまにはましなこと言うやんか??
ふ〜ん、少しは見直したぜ。w



74神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 19:25:11 ID:b7TpoYrh
>>59
dvAdaza ye 'GgavizeSA muninoddiSTAH pratItyasambhUtAH /
チベット訳を参照して関係代名詞 ye が pratItyasambhUtAH にかかっていると見て訳すと、
 縁已生法である十二支の vizeSa が牟尼によって説かれた。

ふつう十二支縁起に対応する梵語は dvAdazAGga-samutpAda だと思いますが、ここでは十二支の
「支」aGga の後に vizeSa を付け加えています。vizeSa (瓜生津訳、種類)はヴァイシェーシカの
元になった言葉でもありますが、漢訳で「十二支に差別(しゃべつ)して」の「差別」、チベット訳で
bye brag (違い、区分)に対応しますが、この vizeSa を加えたのには特別な意図があると思います。
自註の説明では明確ではないと思うので、以下に考えたことを書いてゆき、最後にこの意図を推察してまとめとします。

まず、「縁已生(法)」のふつうの語形である pratItya-samutpanna を pratItya-sambhUta と書いた理由から。
これは単に韻律上の都合でそう書いたのではないと思います。それなら全体の中でどうにか都合をつけられたでしょう。
そこで bhUta と utpanna に着目して縁起公式から考えます。(梵語形不明のためパーリ版を使用)

(1) imasmiM sati, idaM hoti. 直訳、存在しているこれに於いて、これがなる。
   意訳、これがあるので、これがある。〔hoti は bhU / hU からの派生〕
(3) imass' uppAdA, idaM uppajjati. これの現れから、これが現れる。(「現れ」はふつう「生起」と訳す)〔ud-pad から〕

これをラトナヴァリー(48-49)では次のようにと説明しています。
(1)を、「長があるとき、短がある。/短がなければ長は存在しない。」長⇔短(双方向)、つまり因果同時
(3)を「灯火が生じるとき、光が生じる。/灯火が生じなければ、光も生じない。」灯火⇒光(一方通行)、つまり因果異時

(1)が sambhUta (bhU から)、(3)が samutpanna (ud-pad から)に対応しているので、
因縁心論頌では長短の相待縁起(因果同時)で書かれた、と考えられます。
八不中道で本来は不生不滅だが、あえて「十二支に差別して」如来は縁生せる法(もの)を説いた、ということなのでしょう。
75神も仏も名無しさん:2007/05/05(土) 20:00:24 ID:KYnyusTd
>>62
名色ということを心身ととらえると、
いわゆる胎生学的解釈というものに繋がるのではないか、と考えます。
意識が母胎に入って心身ができあがり、というふうに。

仮・施設・仮名などということを言いますが、
むしろ名色の名をこのような名称・概念というふうにとらえると、
葦束の比喩の、識と名色の行ったり来たりも、よく理解できるのではないでしょうか。
識別から物・概念の組み合せが生れ、また物・概念の組み合せから識別が生れる、というふうに。
76神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 07:17:58 ID:WrI4tBrg
覚者は好きな女の子の歯ブラシをこそーりなめたりしないと思います
変態行為に目覚めた人という意味ですか?
77神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 08:40:14 ID:QFgWKuCu
>>76
どこが変態なの?変態なんてあるの?
 そもそも善悪、正常・変態などという分別は、あんたのような俗世間凡人の井戸蛙の論理。
 あんたにとっては一休の風狂『変態』はなんなのさ。

 自分の意見は言わず、人の揚げ足ばかり取るクズ根性は捨て置いて、
>>72の問いに答えてみてやれよ。
78机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/06(日) 09:49:12 ID:XzrTznmx
>>72
>非常に素朴な疑問で申し訳ないのですが、

「素朴な疑問」などと言うとりますが、じつはその”疑”こそが登竜門なんです。

カメラは人の眼の構造を忠実に再現したのが原点ですね。
(あらゆる商品は、自然界のカラクリを参考に製品が作られるのが多い)
録音も空気振動をテープに記録する訳なんですが、
このテープにあたるのが人の鼓膜です。

仏教もこの流れで説明しますと、
人の脳のカラクリを究明・洞察することにその本義があります。
(禅では直指人心などと言うたりします)
つまり、根本的解明なくば全体(一切)の解明もありません。

池田晶子とか正岡子規など、ある特殊な境遇に自らが置かれたとき、
同時に改めて自己と真っ向から対峙できる機縁となる。
そのキーワードとは何か?
私が前述したとおりの非日常においてである。
静中禅も道中禅も、かくなる非日常の再現なのです。
79神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 09:50:27 ID:QQuEWu7r
原始仏教では、性欲の処理はどうなっているの?
冷やかしではないのだが。
人間が動物・生物であるのだから、性欲は有る。
これの処理、、、これはどうなっているのだろう?
キリスト教では悪の諸元という扱いになっているらしいが、
原始仏教ではどうなっているのでしょう?
教えてください。
80神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 09:54:57 ID:QhTNwz4z
>>72
カメラも、録音機も、
カメラで写す対象も、録音機で録音する対象も
同じく心の産物であり、カメラで写し出されたものを観察するのも
録音機に録音された音を聞くのも心であり、それ以前に一切は
心の産物であるからである。
81神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 10:54:45 ID:QFgWKuCu
外界が存在しないなら、心がないカメラ・録音機に
たとえば木星の裏側が写っているのは何故かを問うている。
本人が熟睡中の07/05/06(日)03:00:00に監視カメラに
泥棒の映像が写っているのは何故か、泥棒は私が確認した同10:54:00に
発生したものなのかを問うている。

外界が存在しないなら、こころ-阿頼耶識がないカメラに映像が写るわけがないではないか。
82カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 11:11:41 ID:QhTNwz4z
>>81
結局、その写し出されたもの、見るのも、録音する音を聞くのは、
心であるからである。

外側があるから、内側があり、内側があるから外側がある。
これらは二つで一つであり、切っても切れないものである。
これら一つを切り離して、あるだのないだのと論じれば、それは断見であり、
常見となり、中道のものの見方から外れる事になる。

いかなる造りものも、いかなる被造物も、存在しているのは個々の互いの内に、
共に組み合わされてのものである。

てかおまえ、人に問うているが、結局自分の考えに合う答えでないものは
認めないだけの話だろ。

ここはそんな奴ばっかり。ハイハイ、たした仏教徒さんだことで。
83神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 11:19:21 ID:QFgWKuCu
>>82
オマエモナー
84神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 11:21:53 ID:QFgWKuCu
答えになっていない。
85カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 11:33:08 ID:QhTNwz4z
>>84
おまえは馬鹿だな。
86神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 11:36:26 ID:QFgWKuCu
>>85
おまえと同じだな
87カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 11:45:24 ID:QhTNwz4z
量子力学というものがある。
それによると、原子の周りを回っている電子は、
人が観測していない時には、雲のような状態で、
今、どこそこに在るといえるものではないそうだ。
そこで人が観測する。そこで、はじめて電子の位置は確定される。
つまり人が観測して初めて、そのもののありようは
決定されるというものである。

もちろん観測すると言う意志も、観測しているものを認識しているのも、
人の心である。これでも答えになっていないかい?お馬鹿さん。

ま、おめは頭が悪そうだから、おまえにとっては、これでも答えになっていないのだろう(爆笑)
88カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 11:52:07 ID:QhTNwz4z
ま、あれだ。
馬鹿に付ける薬は無いってことだ。

案外唯物論者の根拠の元になっている(と思っている)
現在の自然科学こそが、将来、観念論の正しさを証明するかもしれないね〜
神と呼ばれる存在の証明もね。

科学で証明されていないものは、断じて認めるわけにはいかない!
とか偉そうに能書き垂れてる人は、頭が悪すぎる。
彼らのいっていることは、自然科学が、地球が丸いと証明するまでは、
それを認めないと言う事になる。アホ過ぎる。

彼らの思考回路は、理論的には思考できず、なんでも超自然的なことを盲信する
彼らが否定する者達と、なんら変わらない。同じ穴の狢。

レベルから言えば、どちらも同じようなものだ。

チーン。唯物仏教者の皆さん。ご愁傷様。
89カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 11:52:27 ID:QhTNwz4z
君らは、アホだよ。
90カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 11:54:19 ID:QhTNwz4z
はぁ〜。しかし世の中には馬鹿が多い。

なんでこんなに馬鹿ばっかりなんだろう・・・・・

馬鹿に救いようはないんだよな、実際の話。
91神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 12:08:03 ID:QFgWKuCu
量子論の「不確定性」は意識→唯識とは何の関係もない「単なる観測問題」にしか過ぎない。

>はぁ〜。しかし世の中には馬鹿が多い。

外界が存在しないなら、こころ-阿頼耶識がないカメラそのものに映像が写る理由を説明せよ。

92神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 12:13:11 ID:TkGCYBmb
仏陀が光臨しましたよ〜
93カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 12:14:05 ID:QhTNwz4z
>>91
おまえは馬鹿だな。

存在しないとは言っていない。

おまえは人の話を何一つ理解できない。

馬鹿と話をしても心が腐る。
94カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 12:22:27 ID:QhTNwz4z
>>91
君に、,>>87で書いた言葉を、もう一度送るよ。

>ま、おまえは頭が悪そうだから、おまえにとっては、これでも答えになっていないのだろう(爆笑)

わはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

本当、馬鹿ばっか。
95神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 12:27:04 ID:QFgWKuCu
なんだ、カラスは反論できなかったら

イタチの最後屁をくらわすのか、

マイコン カラスの屁はめっちゃ臭いわwwww
96カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 12:29:43 ID:QhTNwz4z
>>95
何でちんぷんかんぷんのことを言っているアホ相手に
貴重な時間を使わなきゃいけない?

てめぇ何様だ?あぁ?馬鹿のくせによ。

おまえは馬鹿だよ。
97神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 12:31:38 ID:QFgWKuCu
おかーちゃんに教わりました。

人に馬鹿っていう人が馬鹿なんだよって。
98神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 12:35:15 ID:nZQn/oE+
>>95
なんか負け犬の遠吠えにしか聞こえないのだが。
99莫迦牟尼佛 ◆6.4oHoukEI :2007/05/06(日) 12:35:32 ID:AJVf63Ku
カラスよ、病んでるのか?お前が少し心配になってきたぞ。
100神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 12:38:22 ID:QFgWKuCu
もうすぐお昼をいただいてから
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 のためにも、慈悲の瞑想をいたしましょう。
101神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 12:54:12 ID:79OLPM7G
馬鹿カラス。
お前を絶賛してくれる暇人のいる談話室へ戻れよ。
102カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 12:56:11 ID:QhTNwz4z
>>101
嫌だ。ここは馬鹿をからかって遊べる、俺の遊び場。

ところで最近暇人さん見ないが、どこにいる?元気でやっているのか?
103神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 12:57:37 ID:79OLPM7G
>>102
> ところで最近暇人さん見ないが、どこにいる?元気でやっているのか?
知らんよ。あんな低水準。
104カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 12:58:37 ID:QhTNwz4z
>>103
おまえは高水準なのか?すごいな。
105神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 13:08:47 ID:79OLPM7G
>>104
俺も低水準だ。
でもな、「自性の多義性」と電波が言って、暇人が「三性説」だと決め付けて攻撃したね。
あそこまで低水準ではない。
最後の方では釈迦が常住論者だったとか狂っちゃっていたしね。あんたを絶賛するわけだ。
106カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 13:18:26 ID:QhTNwz4z
退屈だから、もう一眠りするわ。

お休み。
107机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/06(日) 13:21:45 ID:XzrTznmx
>>91
>外界が存在しないなら、こころ-阿頼耶識がないカメラそのものに映像が写る理由を説明せよ

相互依存性というのは、単純な「主体⇔客体」の関係性ではなく、
複合的な関係性(葦束の譬)です。

>相依性が本性としてはなく、縁において相依性となる。
>が正しい。>>48参照

つまり縁起というのは「依存として成らしめるもの」ですから、
カメラとその対象においての関係性ではなく、相互が関係し合う「光」が相当する。
光ありて、カメラとその対象あり。ということになる。
(カメラとその対象が関係し合うのではない)→相依性が本性としてはない。

つまり縁起とは、存在とかの実存的な意味あいはなく、
関係性・条件のことであり、
存在とかの実存的な概念は、主客相対でしか成立しない。
108阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/06(日) 14:08:41 ID:x1xP25m+
はいはい、休みは今日でお終い(笑)。
蟲螻GW厨房どもは
出禁壁蝨虱外道ども諸共消えろ消えろ(嗤笑)。
109神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 14:28:40 ID:ZXzh9Zcy
御釈迦さんや唯識興起の時代に
カメラも録音機もなかった、ということを忘れてはならないと思います。

当時なかったものについて考える時は、
全て、『仏教(○○)としてはこのように見るのが妥当であろう』
とならざるを得ないことを忘れてはならないと思います。
110神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 15:58:17 ID:uXNCaH8W
釈尊当時、最大の思想的影響力を持っていた沙門勢力はアージーヴィカだったのではないだろうか。

成道後、最初に出会ったウパカがそうであった。仏滅後、大迦葉が会った沙門もそう。
舎衛城が本拠地だったようだ。国王プラセーナジットも熱心な信者だった。
アショーカ王石柱には「婆羅門とアージーヴィカ」と記す。
六師外道のうち三人もが、これであるという。マッカリ、プーラナ、パクダ。(世界の名著1 註、ajivika2003.pdf)

仏陀「マッカリは多くの人を破滅させる。網ですべての魚をとらえる漁師のようだ」(新釈尊伝)
仏教が「邪見」として最も警戒した説は、因果撥無の無因無果、つまり「苦悩は原因なく自然に生じた。
善悪の業は結果に結びつくことはない」と主張するものである。

本来これは、狩猟者・戦士などの、殺害に伴う良心の痛みを緩和させる目的だったかも知れないが、
〔マハーバーラタの苦行者ダルマヴィヤーサは猟師で肉屋なので、彼らに近かったか〕
「殺害しても刀が元素の間隙を通っただけであり、業の報いは無い」などという、犯罪を
容認するような比喩も用いたので、犯罪誘発の危険性を釈尊も危惧したのだろう。
あるいは、犯罪の敷居を低める危険性も実際にあったのかも知れない。

その後、これは衰微したが、仏教などからの論難よりも、婆羅門教側の現実的圧迫で弱体化したのではなかろうか。
111机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/06(日) 16:41:13 ID:XzrTznmx
(つづき)
カメラを観察する人もまた関係性だし、それをまた観察する人がいるかも知れない。
という、関係性という普遍性は連関して逝く。
しかしながら主客というのは、その都度の立脚点においての概念に過ぎない。
というのを釈尊は既に悟っておったのです。
(後世においてこの法則を発見するのが、アルベルト・アインシュタインである)

因果律というのは、この主客概念の延長線にあります。
何故ならば、その立脚点は主体においてなされる訳ですから。
もう賢者でおられり皆様はお解かりになりましたであろうか?
慈悲の思想とは、いささかの乖離がある訳です。
この題につきましては、
また、詳細な書き込みをしとう存じまふ。
112机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/06(日) 17:03:54 ID:XzrTznmx
>>87
>人が観測していない時には、雲のような状態で、

原子配列は、原子顕微鏡で見られます。
(立体配列も見られる程に科学技術は高度に発展しました)
貴殿のいうように、電子は雲状です。

>そこで人が観測する。そこで、はじめて電子の位置は確定される。

電子の位置というのはどうですかね?
電子がどんなもんか?確認した人はおらんですよ。
あれは計算上において導きだされたもんですから。
つまり理論的なもんです。理論物理学って言うじゃないですか。
理論なんです。
故に、電子を可視できることはないかと思います。
計算において、電子がどのくらいの速度で原子核を廻ると思いますか?
まあ、人の可視というのは当然ながら限界はあるのです。
113神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 17:20:03 ID:QFgWKuCu
量子論なんて、存在論の論証根拠なんかにはならない。
なるんだったらハイデガーはあんなに苦しまない。

それこそシュレジンガーの猫の箱に、無機物の超高性能デジタル24時間監視カメラで録画しておくがいい。
唯識によれば猫は外界だから、全くなにも写ってはいないはずだ。
箱のなかの変化が克明に記録されていたら、唯識を放棄しますか?

まるで天動説を信じるキリスト教徒だな。
114ヴァスヴァンドゥ:2007/05/06(日) 17:57:59 ID:QFgWKuCu
お知らせ

僕はニコンD200の高性能を確認して、唯識を放棄しました。

                以上
115カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 18:12:58 ID:QhTNwz4z
「矛盾」があったときはどうするか?

そんなときは、「矛盾」を素直に受け入れ、
実験結果を素直にそのまま受け入れてやればいい。
そうしてできた新しい理論こそが、量子力学である。

いつまでも自分達の考えに鬼のように執着し、自分の間違いを決して
認めず、ありのままをありのまま受け入れられない、自称仏教徒のおまえ達とは偉い違いだ。

>>112
おまえは本当に馬鹿だな。
俺は不確定性原理と、コペンハーゲン解釈の話をしているんだよ。
論点を摩り替えて口ごたえしてるんじゃない。
おまえはあいもかわらず子供の口ごたえだ。
ほれ、お勉強の時間だ。

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukakutei.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit2.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit3.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit4.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit5.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit6.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit7.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/neko1.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/neko2.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/neko3.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/neko4.html

そういや不確定性原理は、ミクロの世界では当てはまるが、マクロの世界では
当てはまらない。なんて得意げに語っていた、ドアホウも、ここにはいたっけな〜〜
ここはほんまにアホばっか。
116カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/06(日) 18:14:27 ID:QhTNwz4z
>>113
おまえは、馬鹿だよ。

ちゃんと学校出てんの?(苦笑)
117机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/06(日) 18:50:03 ID:XzrTznmx
>>115
もっと貴殿はアタマがイイかと思ったけど、残念だw
あのね、観測するのは限界があるのは、とっくの昔から分っていることだよ。

天文学にしろ、空間の歪みがあるから正確な星の位置は特定するのは難しい。
だから殆どがデーターを元にした計算において位置を決める。
ある星の温度とか重量とかは理論的に導きだされ、
マクロに限ったことではなく、
これはミクロにしても同じことです。

ちなみに鉄(Fe)は原子自体が運動します。
しかしこれを観察するのは至難です。
何故か?
それは原子を高温の状態にせにゃならんからです。
どのくらいの温度で、1秒間にどのくらいの運動をするか?
というのは、理論的な数式で導き出した方が正確です。
118神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 18:50:38 ID:QFgWKuCu
カラスが今までかかった付け焼刃のにわかネット勉強を披露しますwwwww

シュレジンガーの猫の箱に、無機物の超高性能小型デジタル24時間監視カメラで録画したのを、
後で確認すればいいだけ。
 猫の影が薄くなってますか?wwww、まったく写ってませんか?www
殺生は止めましょうwww

119神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 18:52:46 ID:QFgWKuCu
単なる観察問題と存在論をごちゃごちゃにするなよwwww
面白い人だな。
120神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 20:13:02 ID:WrI4tBrg
色即是空.空即是色

地球における「空」とは太陽エネルギーですよ


フィルムが感光するのは太陽エネルギーですよ
録音テープが傷つくのは振動=太陽エネルギーですよ

「空」とはエネルギーですね
心の中がどうの、縁起がどうのこうのこうのは俗諦です
真諦=空=エネルギー=太陽=56億7千年後に消滅=弥勒菩薩降臨 です

(終わり)
121神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 21:56:35 ID:wn8+e31l
>>103
>>105
少なくとも電波より暇人の方がまともだな。
なぜなら、暇人は自分のレヴェルを自覚している。典拠を出して論証する。間違いは認められる。

電波には、以上の三つがない。

知識は、ほぼ同等だろうが、若干、暇人の方が上に思える。
なぜなら、ちゃんと典拠を出して論証しているからだ。
電波は、自信がないから、典拠を出して論証できず詭弁一辺倒。


122神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 22:04:54 ID:XavMrPJ3
九支縁起の連鎖で、名色から識へ行き止まり、ふたたび識から名色へ戻ってゆく、というのは
唯識という発想の原典になったのかも知れない。
名だ色だといくら言っていても、さらに遡及してゆけば、結局、識ということに逢着する。
識、ということを通してしか、わたしたちは六境を認識できないのだ、という限界がある。

そして識を通して名色が捉えられるというのは、煩悩のままに名色を変容してしまう可能性が
あるということであり(これが相分としての'識'の側面ということだろう)、
如実に見るということを妨げる結果となる。

これが『十地経』などで三界を厭うべきものとする理由なのだろう。
>無明昏暗稠林。覆障三界牢獄。我當令彼永離三界。
> 了達三界唯是心  十二有支依心有

この執着を離れれば三界も、その様相を一変するということに。
>而於諸法無少執著。已得遠離一切三界。而能引發三界莊嚴。已得畢竟寂靜寂滅。
123阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/06(日) 22:08:09 ID:x1xP25m+
卑賎極まるストリップ&公然猥褻行為によって素性が顕わになるという点で、破落戸ジョーユーと暇人は同類と判明する。
一連の剽窃泥棒どもも同じ穴の狢の如き連中だが(嗤笑)。
124神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 22:12:35 ID:wn8+e31l
>>81
もう、>>82 で十分なんだけど、整合性、因果律のある夢のようなものと唯識も中観も考える。

それで何か問題あるの?

というか、整合性、因果律のある夢のようなものだと気づくために仏教があるわけなんだが。

なんで分かんないのか、それが我見、有身見に長い間馴染んできたから、何か我、実体、本質がないといられないんだろうな?

カラスが言うように、我、実体、本質に還元する記述体系を構築することに腐心してきた西洋哲学、科学は、
20世紀に入ってやっとそれが根本的に間違っていたことに気が付く。

それにも気づかず、いまだニュートン的見方、あるいは素朴実在論で、仏教を読み解こうというのは、倒錯以外のなんだというのか?
125神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 01:21:46 ID:A7vKCpct

地球は太陽とともに誕生しました

私たち生きとし生けるものはみな、太陽のエネルギーで動き、生かされています

そして地球は太陽とともになくなります

太陽の寿命は、あと約56億7千万年です



私たちの煩悩の根源は太陽にあるのです

その、煩悩の根源が、56億7千万年後に、消滅するのです

それが、弥勒菩薩の降臨なのです



色即是空・空即是色

太陽とともに誕生し.太陽とともに消滅する


これこそが釈尊の悟りなのです

126カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/07(月) 04:15:35 ID:hbst/nN0
机と、そこのアホ。
もう一度>>115に紹介したHPをよく読んでごらん。

おまえ達は馬鹿だよ。救いようの無い馬鹿、どうしようもない馬鹿だよ。
頭悪すぎる。

チーン。ご愁傷様。
127カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/07(月) 04:16:04 ID:hbst/nN0
>>121
同意。
128カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/07(月) 04:18:11 ID:hbst/nN0
>>123
君は一度病院に行かれる事を、強くお勧めする。

なんか君を観察していると、気の毒に思えてくるよ。イヤホントニ。。
129机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/07(月) 05:32:47 ID:QP5OLypR
>>126
【量子力学と中観論考】

龍樹は、主体と客体について、双方を明確に分別する境界線はそもそも有り得ない。
ということを言うてますね。
(唯識派との決定的相違点です)
つまりこれは、縁起を説明するのに上手い論法かと思います。

「対象を観察する主体」という立脚点はそもそもないのです。
あくまでも空諦第一義ですから、
おのずと縁起において主体の感受が変化するのは当然ですね。
(リアルでも、これは経験則で納得いくかと思います)

つまり、縁起で我(認識))が生起している訳ですから、
その条件(縁起)で認識が変化するのは当然なんです。

中観のキーワードというのは、
立脚点そのものがない。ということなんです。→論法として
ここが西洋哲学と全く違うとこですね。
130机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/07(月) 05:45:40 ID:QP5OLypR
>>128
>君は一度病院に行かれる事を、強くお勧めする。

そうやってアホダラ氏を心配するのは善行か?
そうじゃないだろう。
それは自然無為にある慈悲の顕現というもんだよ。

なにも「善行」などと意識はしなくとも、人は優しくなれる。
それが慈悲というもんだよ。

自然無為にあるものを「仏性」とか名づけただけ。
仏性というのがある訳ではない。
そう名づけたに過ぎん。
131阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/07(月) 06:25:03 ID:pVp4a3ke
>All
>>1参照のこと。
132神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 07:00:08 ID:A7vKCpct
カラスさんは、なぜいつもそんなに必死なのですか?
体に悪いよ
133神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 07:20:58 ID:A7vKCpct

太陽が燃え始めたこと、

それは、

善でもなく、

悪でもなく、


太陽が燃え尽きること、

それは、

悟りでもなく、

涅槃でもなく、




それは、

ただの、



134神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 07:21:34 ID:oi+pwCyw
ニュートンは根本的に間違ってなどいませんよ。
今でも人工衛星の打ち上げ程度のことならニュートン力学で十分です。
ただ、カーナビなどに使われるGPSの運用には、
衛星内の時間の遅れが問題になるため、
アインの相対性理論による補正が必要だということなんです。
アインによれば、わずかだけれども電車内の時間が遅れる。
けれど、それを気に病む人はいないでしょ。
ニュートン的見方で仏教を読み解くのが倒錯なら、
アイン的見方で仏教を読み解こうとするのも倒錯です。
135神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 07:36:46 ID:oi+pwCyw
>>134>>124へのレスです。
136神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 07:52:28 ID:teeNJPc0
原始仏教の外界についての考察、それは素朴実在論であると電波が提示した。
それに対する有効な反論がいまだに出ていない。
無効な反論では「仏教は素朴実在論と言うのは間違い」という発言がある。
アインシュタインが素朴実在論であるなどという、科学史の常識を逸脱しているものは論外。
137机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/07(月) 08:51:10 ID:QP5OLypR
>>136
>原始仏教の外界についての考察、それは素朴実在論であると電波が提示した。
>それに対する有効な反論がいまだに出ていない。

例え実在であるにせよ、その実在とする観察者(主体)が実在ならば、
実在と実在は対象化できない。
よって、その名称と形態は意を失うのであります。

禅宗においても、この脈絡で大きな転換を向かえる。
その切っ掛けというのが、なんと、金剛般若経における一節から端を発するのです。
これは阿含経における第一義空経における脈絡に繋げる重要ポイントです。

ヒント:俗諦よりのアプローチと勝義諦からのアプローチは、おのずとベクトルが違います。
138神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 09:23:32 ID:WcTfJ5zk
>>136
有効な反論は沢山あったようだが...

そもそも、電波の主張は、いつものように無根拠で、それが無効な主張だろう。
139神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 09:45:40 ID:26rDkL5c
横スレでご免なさいよ。俗世間の話ですが・・・
現在5401新日鐵が激しく動いております。大幅GUで始っております。
地響きをたてて噴火寸前。
今夜のNHKスペシャル(PM10:00〜)を御覧ください。

お邪魔しました。脱日常のお話をお続けくださいまし。
140139:2007/05/07(月) 10:11:06 ID:26rDkL5c
× スレ
〇 レス
141139:2007/05/07(月) 12:29:16 ID:26rDkL5c
お邪魔しましたのでサービスでお布施させてもらいます。

曰く
第一義空経
国訳一切経阿含部一

是の如く我れ聞きぬ。一時、佛、拘留搜の調牛聚落に住まりたまへり。
爾の時世尊、諸の比丘に告げたまはく、
「我れ今汝等が爲に法を説くべし。初・中・後・善く、
善義善味、純一滿淨にして梵行清白なり。所謂第一義空經なり。
諦に聽き善く思へ。當に汝が爲に説くべし。云何が第一義空經と爲す。
諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。
俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も亦是の如く説き俗數法をば除く。
俗數法とは謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く、
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す。
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す。
是の如く廣説し乃至純大苦聚滅す。比丘、是を第一義空法經と名づく」と。
佛此の經を説き已りたまひしに諸の比丘、佛の説かせたまふ所を聞きて、
歡喜し奉行しき。

142机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/07(月) 14:45:28 ID:QP5OLypR
始祖・達磨あたりから五祖あたりまでの脈絡は殆ど資料としては残ってない。
その中でも「観心論」がありますが、そこでは漸修についてのことが書かれている。
(観心論は達磨の書とされていましたが、後に神秀の書と判明)

神秀:菩薩摩訶薩は三衆淨戒を持し、
   六波等蜜を行じることによってはじめて仏道を完成することができますのに、
   今、我々修行者には唯だ観心のみをさせて戒行の修行をさせられません。
   どうして仏となることができましょうか。

つまり「観心」ですから、心の観察なわけです。
無我なる者が、なして観察など出来ましょうや?
とかの一派も出てくる訳です。神会(じんね)などの一派です。
これを契機としまして中国東禅院は一大変革の時期を迎えるんですが・・・

ようするに、漸修というのは十二支縁起の逆観のようなものです。
精神鍛錬とか道徳律とかで、ほとんど宗教的色合いは無かったかと思いますね。
現在において漸修(北宗禅)が継承されているのは少林寺拳法とかの、
精神修行的なものです。

やはり、歴史に学ぶことも肝要やに思います。
143神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 16:07:41 ID:26rDkL5c

'Sabba dhamma nalam abhinivesaya.'
144机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/07(月) 16:29:34 ID:QP5OLypR
It is a Jesus correct answer
145阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/07(月) 18:33:51 ID:pVp4a3ke
>>143
たとえそれがニルヴァーナであろうとも・・・。
146机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/07(月) 19:20:44 ID:QP5OLypR
>>141
【第一義空経・解説】

>俗數法とは謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。

俗數法とは、つまり俗諦のことでして、以下・・・

>無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く、

縁起の連関です。

>又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す。
>無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す。

これもまた滅諦の連関です。

つまり、俗諦である十二支縁起の逆観は俗諦でしかない。

>業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。
>俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も亦是の如く説き俗數法をば除く。

真諦に至るには俗數法じゃあ駄目ですよ。
と、そういうふうに丁寧に且つ親切に書いてある訳なんですが、
やはり、これを解釈するスキルこそが肝心なのかと思いますね。


147神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 21:14:04 ID:S499yiN9
>>59
「経集」サイト等の紹介ありがとうございました。電子テキストでは精読は難しいですが、
何と言っても検索のスピードが手作業とは比較にならないくらい速い、という利点があります。
大変ありがたい時代になったものです。

>>122で引用された十地経の
> 了達三界唯是心  十二有支依心有
が、因縁心論第一頌での vizeSa 付加の教証かも知れないのでお知らせしておきます。
『大乗仏典 8 十地経』p.176によれば、和訳がこうなっています。

三種のまよいの存在(三界所有)はすべて、ただただ心のみである(唯是一心)。上述のごとく、
十二種のまよいの存在の構成要素(十二有支)を、【如来は、それぞれ別のものとして説法されたの
であるが】、それらはすべて、ただ一つの心の内に存在しているのである。

他の経典にも似た表現があるのかも知れませんが、いちおう両方の原文を対照してみる価値はありそうです。

前頁には「真実の意味では空であって」と、勝義諦を思わせることばも出てきますね。
148神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 21:54:59 ID:luoAjfJM
《識》とは、〈認識主体〉というより、六種類の《識別作用》である。
《眼》も、〈眼玉〉というより《視覚作用》である。
つまり、〈もの〉というより《こと》である。

なぜか。
〈もの〉ととらえると、ずっとそのままで変わらない、という印象を与えがちだが、実際には変化してゆくので、
〈これこれだ〉という名も、〈仮りの名〉だということとなる。→無常・無我、無作者

因縁が仮に和合して、ある作用をしている、ととらえると、実際のありさまに近い表現になろう。→縁生

ちなみに、六根の根(indriya)にも organ of sense の他に sense という意味もある。
したがって、次の「眼」は視覚作用のことだろうと思われる。

>如是眼不實而生。生已盡滅。
>是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。


ところで、「實には而かも生ぜず(実には生ぜず)」は「不生不滅」という解釈からの訓読でしょうが、
次の「生じ已らば」に続きにくい読下しですね。

この「不実」ということは、前段の「眼生時無有來處。滅時無有去處。」ということから、
「実体としてあるのではないが」ということを言っているのでしょう。
ですから、「実ならずしてしかも生ず」と訓読すべきだと思います。
異訳でも「其眼無實 離於實法。」となっていますから。
149神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 22:16:42 ID:nLh0Tss8
漢訳は読み下し方も大きなポイントだからなぁ・・・ orz
150神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 23:23:13 ID:3ZVuHRkv
阿呆陀羅經ってさ、
リアルで嫌われ者だろうなぁ。
151阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/07(月) 23:27:42 ID:pVp4a3ke
幸い、>>150の如き卑賎の奴輩は周囲にいない(嗤)。
152神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 23:54:31 ID:oi+pwCyw
>>151
卑賎の奴輩さえいないんじゃ、周囲には誰もいないってことか。
153阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/08(火) 00:01:14 ID:k+KakMuk
>>150>>152の如き、人語を解さない卑賎の奴輩“は”周囲に居ない(嗤)。
154机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/08(火) 07:06:19 ID:vcrgZ1f7
>>148
>「実ならずしてしかも生ず」と訓読すべきだと思います。

そうですね。
これは「応無所住而生其心」と同義です。
「まさに住する所無くして而(しか)も其の心を生ずべし」→(金剛般若経より抜粋)

つまり、唯識派のように主客というものを対立として捉えない。
おのずと外境とかの概念すらなく、
主客それ自体が既に二義的なものであり、
このベクトルそのものが迷いなんじゃよ。
と、かようなことを言うておるんかと思いますね。

まあ、つまりは第一義空へ辿りつく訳なんですが。

本日は日和が宜しいようで・・・日々是好日。

               <机龍之介・花押>     
155神も仏も名無しさん:2007/05/08(火) 14:20:25 ID:0/0a8cKF
なに茶飲み話で御座いますが
梵学の方の原典ではいささか意味も異なるやうですが
物事に祝着することなく何かにジットとどまることなく心が生じゆくという
その「大麦小麦二升五ン合」の理解では中らずと癒えども遠からずと存じますが
湯意識の理解はチョトまずいんじゃ御座いませんかね。
かれらも二校対立で六強をとらえておる訳でも御座いませんでしょう。
六境の根本に識がある。四季に行き着く。そこに湯意という言葉が加えられたのではと存じ居ります。
まあねえ上座部から云ふたら中観もと五十歩百一歩なんで御座いましょうがねえ。
156机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/08(火) 18:02:47 ID:vcrgZ1f7
>>155
>かれらも二校対立で六強をとらえておる訳でも御座いませんでしょう。

それはそうです。
唯識の皆様方も、誰も対立などと思う者はおらんでしょうね。
しかしながら、人の思考システムは元々そういう方向性が内在してる。
ってことかと思いますね。

例示します。
外境があるか?ないか?の結論よりも、
その問題提起こそが問題かと思いますね。→これ自体が対立ですから。

知のベクトルは法から離れる。のフレーズは、言い得て妙です。
いずれにせよ、
茶飲み話のベクトルでしたら、これもまた日々是好日なんでしょうけど。
157神も仏も名無しさん:2007/05/08(火) 20:54:38 ID:SFsY3+Uw
金剛経といえば禅の方で徳山が疏抄を焼いた話があったな。(龍潭との出会いで)
さすがに金剛経そのものを焼いたということではないが。
その話はともかく、この経はインドで唯識派に多く注釈され、中国では禅宗に重視された。
それぞれで着目した点に相違はあるかもしれないが。

不応住色生心。不応住声香味触法生心。応無所住而生其心。
梵文では、六境に執らわれた心を起こすな、ということだが、これを禅では
「応無所住、而生其心」と、「而」を逆接として、切り放して読んだ。
  住するところなくして→空
  しかも其の心を生ず→色等
般若心経の空即是色を、空諦が現実に顕現している、と見るのと同じ発想。
六境は空である。だがあえて、作用、はたらき、活々発地としての心を生じるべし、というように。

第一義空経の「不実而」とは逆。こちらは本来、「不実、而」と切れる形。
158神も仏も名無しさん:2007/05/08(火) 21:55:37 ID:Dw/nmFqZ
>>145 一切のものは執著に値しない。
159神も仏も名無しさん:2007/05/08(火) 22:35:07 ID:aZQPmHY0
>>143 'Sabba dhamma nalam abhinivesaya.'
はて、どこに出てくるのですか?
sabbe dhammaa naala.m abhinivesaayaati
なら、AN 4, MN 1, SN 4 にでてくるけど?

>> 145 阿呆陀羅經
> >>143
> たとえそれがニルヴァーナであろうとも・・・。

あらら、どう読んだの? しかも>>151 >>153と自分に執着しまくりですね。
160神も仏も名無しさん:2007/05/08(火) 23:10:07 ID:aZQPmHY0
>>147
いえ、どういたしまして。これでしょうか? 
te cittamaatra ti traidhaatukamotaranti api caa bhavaa^nga iti dvaada^sa ekacitte /
sa.mraagu jaatu api cittu prabhaavitastu eva.m ca sa.mbhavak.saya.m puna cittabhaagam // 16 //

失礼ながら、何か本質を外して、どうでもいいことに拘泥しているような気がします。

これより既に言ったように『清浄道論』を見てください。そっくりですよ。

>>134
> ニュートン的見方で仏教を読み解くのが倒錯なら、
> アイン的見方で仏教を読み解こうとするのも倒錯です。

その通りです。実体論、実在論、還元主義に基づくもの、何か実体を想定する説明体系で、
仏教を読み解くのは倒錯です。素朴実在論のような自然な認識が倒錯であり、
何か実在している、実体があると捉える有身見という無明を壊すのが仏教だからです。

その無明を壊すための観察(ヴィパシャナー)に縁起は強力な見解となるから重要なのです。
その他、三十七菩提分法などを始めとする様々な手法が用いられますが、
正しく観察するためには心が散乱せず集中して静まってなければなりません。
そのために定などを用いて止(シャマタ)を修行する、でないと観察しても戯論の力で妄想するだけですから。
止を修行しやすくするため、かつ善業を積み悪業をなさないために戒を守る。
以上が戒定慧の三学であり、定慧は、止観と言い換えてもいいでしょう。
七仏通戒偈を敷衍したものと考えてもいいでしょう。

いずれにしろ素朴実在論のような有身見、我見を壊すために、
悪業をなず善業を積み、心を静めて縁起の見解で我を壊すのが仏教でしょう。
161神も仏も名無しさん:2007/05/08(火) 23:34:55 ID:3yqTYRDW
横レス。
『素朴実在論』【ではない】かもしれないが、
「素朴実在論」【的】ではあると思う。
名色(na^marupa)という表現があること、なぜ感官を制御せよと言われるか。
なぜ五蘊に色が加えられているか。
なぜ、水漉しが八資具に入っているのか。なぜ、雨季の遊行が(外部からの指摘とは言え)避けられたのか。
なぜ、女性を「見ないこと」と阿難にアドバイスしたのか。
感受される外界が「ない」とするのは極論だと思う。
唯識じゃないんだから、そこまでは言っていないと思う。(って、唯識には詳しくないけどw)
同朋の存在は幻か?倒錯か?
教えを語る仏陀は幻か?倒錯か?
この肉体のない所に、洲(灯明)となる自己はない。
この肉体のない所に涅槃はない。 この意味が解るか?

釈尊時代、『素朴実在論』なる概念・枠組みなぞなかったということを忘れてはならない。

もし、「素朴実在論」という言い方(実在という言い方)が気に食わないなら
「素朴存在論」とでも言ったら納得するのかな?

参:http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1146643240/551-552
162神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 00:30:55 ID:MOLVP2UC
原始仏教の無我と、般若経や中観の空とは、関心の方向が違うと思う。

前者は外界が有であるとか無であるとか、という点の追究が主題ではなく、
あくまで、苦をめぐる自己のありようとして、五蘊は不変のアートマンなるものではない、という見解。
有身見というのも、不変のアートマンやわがものではない、という立場での言い方。
だから、説一切有部などで外界実在論を繰り広げる余地も残したのだと思う。
原始仏教で明確にそれを否定的に論じていなかったから。

それに対して、後者は、その説一切有部などの実在論を前提としていて、それを批判するため法空の方にかなりの力点が置かれている。

中観の法空から原始仏教の外境の見方を考えるのは誤解を生むと思う。
163神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 04:03:24 ID:M/olokXT
なんかここの連中は、自分達は原始仏教を語っているつもりが
竜樹や中観派、唯識、あげくに般若心経、あげくにあげくに禅宗、しまいにゃ
学者の唯物断見仏教と、中身は大乗仏教と、単なる宗教学、それどころか
文献学、最後に古典漢字と、全然原始仏教じゃねぇじゃん。
原始仏教をテーマにしたスレにしては、メンバーが悪すぎ。今後もこのメンバーでやるなら、
スレタイ変えろよ。おまえら頭おかしい。自分達で、自分達の論じる内容は、
このスレタイにはふさわしくねぇと、おもわねぇ?

おもわねぇんだろうな、頭悪いから(合掌)
164神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 04:10:13 ID:M/olokXT
君らの共通項。それは、みーんな、我が強い。
自分達の考え以外は一切認めない。みーんな、鬼のような我執の持ち主。

君らは釈迦の仏教を語るのはふさわしくない。そんなこともわからねぇ?
きみらは、原始仏教のつもりなんだろ?ここは集まりが悪すぎる。

君らのような頭でっかちが、釈迦の仏教を駄目にしたんだよ、今は、まさに末法の時代だな。

君らは頭悪すぎ。悪すぎる。
165机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/09(水) 09:09:01 ID:Imo93a1C
>>163>>164
私は仏教史観といふスケールの観点から語ちているんです。

例えばですね、
禅でいうたら始祖から五祖の脈絡は、この流れでは殆ど読めないんですよ。
六祖以降の流れにおいて、その過去の脈絡とは何だったのか?
というのが明確になる。

神秀にしても、いろんな評価ができる。
評価ができる。つうのは、つまり神秀以降の流れがあるからで、
それをテーゼに評価ができる。ってことです。
166机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/09(水) 09:10:07 ID:Imo93a1C
(つづき)
神秀というのは、五祖の筆頭弟子(長老)でして、学匠と謳われた僧です。
この神秀を蹴って慧能に法衣(法脈継承)を渡すんですが、
この流れからすると、神秀は目が薄らくらいにしか開かんかったんじゃないか?
というのが後世における評価なんですが、
しかしながら、これも時代の流れにおいて評価も変わってくる。


原始仏教といふジャンルも同じことです。
(禅でいうたら始祖から五祖までを論考してるのと同じ)

歴史の流れで、観心論とか五祖の修心要論とかが分析される。
それはとりもなおさず、現代における”テーゼ”があるからに他ならない。
167神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 11:51:40 ID:An9bCT6O
個人的興味なんだけど、机氏は教育委員会でしごとしてんだよね?
仏教、役立ってる?
相談者にも、そんなに理屈っぽくなにかを諭してるの?
まさか、ブッダはこういっとる。禅の教えはこうですなんて大講和広げてるのか?
168机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/09(水) 14:12:48 ID:wOVKi73L
>>167
>個人的興味なんだけど、机氏は教育委員会でしごとしてんだよね?

私から明確な回答をすると、諸団体に差し障りがありますので、証拠となる書き込みはできんですね。
あしからず。

>仏教、役立ってる?

役立ってますね。例示しますと・・・
学卒者で今春内定貰えないでアボーンしちゃう学生が随分いるんですよ。
おそらくは既存の価値観において就職試験に挑むんでしょうけど、
派遣法を成立させた頃と、今の企業は考えかたが全く逆転しちゃってるんですよ。
そういう経済の流れというのは、つまりは人間の問題に関わることなんです。
とどのつまりは人間なんです。→ここが大事

そこを読み込めないから、せっかくの大卒というスキルを生かせきれない。
刻一刻と変化する世の中の動き。また、人の心。
それを敏感に感じとるのも智慧ですね。
169机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/09(水) 14:13:32 ID:wOVKi73L
(つづき)
「精神障害で自殺したいのだが地獄に落ちますか?」とかいうスレが宗教板に立ったことがありますが、
   そういう人間でも、どうにか就職できる道はある。

>相談者にも、そんなに理屈っぽくなにかを諭してるの?

相談者には、ズバリそういうことを指摘する訳です。

>まさか、ブッダはこういっとる。禅の教えはこうですなんて大講和広げてるのか?

そんなことは言わんですね。
ただただ相談者の望むことを実現する方法のもみに限定されます。
毒矢は抜くことだけ考えれば宜しいのですから。
170神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 15:29:28 ID:TLIg3GxS
>>163-164 信を捨てよ   主ス神への
171神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 18:29:06 ID:ac2dwNIL
>>161
全く違うでしょう。仏教はそんな常識的な唯の倫理みたいなものじゃありませんよ。
五蘊も、十二処も、十八界も法友も、ブッダも全て幻でしょう。
「ない」とは言わない、諸行が縁起し諸法として顕現し働きかける、分かり易く言えば対象としての働き(アルタクリヤー)はある、
しかし、幻で、 縁起して世間の習慣に従って〜と仮設されるだけです。

> この肉体のない所に、洲(灯明)となる自己はない。
> この肉体のない所に涅槃はない。 この意味が解るか?

たしかに輪廻という暴流から涅槃という彼岸に渡るための修行可能な洲としての人身が
なければ涅槃はない。しかし、それも幻のように縁起するだけ。
暴流の中での洲であることは、以下の『スッタニパータ』で十分でしょう。
1092 カッパさんがたずねた、
「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(避難所、よりどころ)を説いてください。あなたは、この(苦しみ)がまたと起こらないような洲(避難所)をわたしに示してください。親しい方よ。」
1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のたの洲(避難所)を、わたしは、そなたに説くであろう。
1094 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、──これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。
172神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 18:33:14 ID:ac2dwNIL
> 釈尊時代、『素朴実在論』なる概念・枠組みなぞなかったということを忘れてはならない。

そうでしょうか?「素朴実在論」という言葉が意味するのは、見えるもの感じるものがそのまま実在するという非常に一般的な見方で、何も考えなければそう観るのではないでしょうか? 別に術語の問題ではありません。
そしてそれが我見、有身見と言われ、仏教的に根本的な誤りでしょう。

『ウダーナヴァルガ』26.16-30 を見てください。『スッタニパータ』以下も
871 「世の中で感覚による接触は何にもとづいて起るのですか? また所有欲は何から起るのですか? 何ものが存在しないときに、<わがもの>という我執が存在しないのですか?
872 「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときには、<わかもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。」
873 「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか? 楽と苦とはいかにして消滅するのですか? どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。わたくしはそれを知りたいものです。──わたくしはこのように考えました。」
874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。
173神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 18:35:14 ID:ac2dwNIL
909 見る人は名称と形態とを見る。また見てはそれらを(常住または安楽であると)認めるであろう。見たい人は、多かれ少かれ、それらを(そのように)見たらよいだろう。真理に達した人々は、それ(を見ること)によって清浄になるとは説かないからである。

919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内面的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。

801 かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執(nivesana)の住居は、かれには何も存在しない。

857 諸々の欲望を顧慮することのない人、──かれこそ<平安なる者>である、とわたしは説く。かれには締めの結び目は存在しない。かれはすでに執著を渡り了えた。

858 かれには、子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。すでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには認められない。

861 かれは世間において<わがもの>という所有がない。また無所有を嘆くこともない。かれは[欲望に促されて]、諸々の事物に赴くこともない。かれは実に<平安なる者>と呼ばれる。」

一応、『パラマッタジョーティカー』を見て確認しましたが、私の見解に反するものはなかったと思います。『ニッデーサ』は見てません。
174神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 18:44:19 ID:ac2dwNIL
>>162
中観も「外界が有であるとか無であるとか、という点の追究が主題ではな」いでしょう。

無常、無我、縁起、空は一貫してます。どれも同じことを別の言葉でいっているだけ。五蘊はアートマンではないというのは、五蘊は実体、本質ではないという意味でしょう。つまり、五蘊は 無常、無我、縁起、空でしょう。

私は逆に部派仏教のヴァイシェーシカ的な傾向が原子論的存在論を構築させ、
仏教を倒錯させたと見ます。部派仏教は教義体系構築に夢中で、変な理論を沢山導入した。
175神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 18:55:01 ID:ac2dwNIL
>>163-164 
カラスさんですよね?
アナタの見解を理解できない人は、多分ここに殆どいないと思いますよ。
諸法は幻、アートマンが真実ですよね。
それだと、止観の止でしかないでしょう。禅定や三昧によって心を静めて光明や諸法が静まる体験をする。

しかし、仏教はそれだけではだめだと一貫して主張しています。
その止を体験した上で観によって無常、無我、縁起、空を悟らなければならないと、
これも輪廻と同じで原始仏教から大乗仏教まで一貫した基本的教義ですよ。
そして唯の教義ではなく、最も重要な部分でしょう。

アナタは断見よりはマシですが、まだ仏教の基本が分かってませんよ。

そして仏教者なら他者を非難してはいけません。なぜなら、自分を害することになるからです。心に瞋恚を抱くことが自分を害することに他なりません。
176161:2007/05/09(水) 19:44:46 ID:zbSGEwqb
>>171
>>161の内容は、171他と相反するものではないと思いますが?w

そう見えるとしたら、あなたの見方が偏っているのではありませんか?w

161は、「存在するものは無常で無我で縁起するものである」という言明に
全く抵触しませんが?w

もう一度、よくお読みになることをお薦めします。
177神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 20:30:46 ID:ac2dwNIL
>>176
アナタが諸法を幻とは捉えてないようなのでそう書きました。
幻と捉えているなら異論はありません。
178161:2007/05/09(水) 21:02:11 ID:zbSGEwqb
>>177
幻だとは捉えていませんよw
『「幻である」という見方』はしています。(→(「幻である」と)そういう言い方が可能であると見ています。)
この違いがお解りになるでしょうか・・・・。


ノシ
179神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 21:09:29 ID:ac2dwNIL
分かりません
180カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 21:57:05 ID:M/olokXT
>>175
理解できてねぇからmてめぇみたいにいつまでも陳腐な
それは梵我一如思想だの、釈迦の仏教は、無我ですよと、
壊れたスピカーよろしく、いつまでも同じことを言ってくるんだよ。
あれだけ、やさしく猿にもわかるように、書いてあげてんのに、
お前達はいつまでも同じところを堂々巡りだ。
あのな、釈迦が言ったs、無我とは、頭に、一切とつくんだよ。
お前ら馬鹿は、何度言っても理解しない。
者我が説いた無常にもな、頭に一切とつくんだよ。
お前らは何度言っても理解しない。馬鹿すぎるんだよ。
何が仏教の基本だ。
お前達が執着している仏教の基本はとやらは、釈迦の教えとは遠く離れてしまった、
末法仏教。つまり、似非仏教の基本と言うのだよ。
お前ら馬鹿は、中道の意味も悟らないしよ。なぁ、アホ共。釈迦がいつヴェーダを否定した?
おまえら、馬鹿すぎる。後世のメクラ共が、自分達の誤謬を、仏教の基本とし、
その教えに執着しているお前らは、同じく盲人だ。偏見でこり固まってしか、仏典を読まず、
同じく偏見で固まった解釈しかしない。
仏教の行き着く先は、無か?無からは何も生まれんぞ、
お前達の大好きな、無我も、無常も、幻も、無からはなにもかも生まれんのだ。
もちろん縁起もだ。おまえらは自然科学からやり直しだ。
真理は、自然科学から反するものではない。宇宙の始まりは、形あるものは何も無い、
無のような状態から始まったのだが、その状態のとき、エネルギーは無限大。
これの意味がわかるか?おまえら馬鹿だからわからんだろう。
181カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 21:58:49 ID:M/olokXT
もう一度だけおまえらに、俺の話を、猿でもわかるように、簡単に、誰でも理解できる話で、話してあげよう。
仏典にある釈迦の説教は二枚舌だ。一方では、形而上のことを語り、
一方では否定的なことを語り、あげくには無期ときたもんだ。
こんな男の説教は、はっきり言って二流だ。なぜなら皆が迷うように、わざと簡単なことをを、難しく話している。
言っとくが、涅槃とは、不死の境地であると「はっきり言っている。
釈迦のいう一切とは、
>みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。
>「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、
>鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、
>心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
>誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それは結局、
>言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、
>病に倒れてしまうかも知れません。何故でしょうか。何故なら、
>彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。(サンユッタニカーヤ 33.1.3)

それは言葉だけで終わると言う文言に注目。これは真理を悟るものには注目に値する。
名称は言によって成り、言によらずに成る名称は一つも無い。名前は識別するもの。この世界は二元世界である。
言葉で一切は説明できるが、言葉では、一切以外は説明できないものである。
釈迦は、決して、一切以外は無いとは言っていない。この文言のどこをどう取れば、お前達の結論になるのだ?
釈迦は、一切とは、我々の知識領域を超えていると、言っているんだよ。お前らは馬鹿すぎる。

また、涅槃に達した者についても釈迦は、決して無になったとはいっていない。
名称と形態がなくなったものであるといい、図るよすががなくなったと,、いっているんだよ。
182カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 22:00:20 ID:M/olokXT
涅槃について、釈迦(釈迦と言うより、後世の、簡単なことを難しく語る、机のような頭でっかちの馬鹿弟子なんだろうが)
の紛らわしい中道についても説明してやるよ。

お前ら熟睡くらいしたことあるだろう。このとき、お前の心、お前の意識はどうだ?
無か?そう熟睡状態のとき、我々の意識は、無いともいえるが、無いのなら、再び目覚めることもあり得ない。
なぜなら、無いと断見すると、再び目覚めると言う矛盾をはらむからだ。
つまり見方を変えると、熟睡状態のときでも、意識はあるとも言える。あるでもなし、ないでもなし、あるでもないでもなし。
これすなわち、中道の見方としるべし。涅槃とはこの状態のことだ。おっと、そんな熟睡状態など、
幸せもへったくれも無いってか?おまえら疲れたとき、眠ると、至上の幸せを感じるだろう。涅槃とはそういうものだ。
これはキリスト教でいう、安息日にあたるものだ。
「疲れたのなら私の元に来なさい。私が掛け値無しに、あなた方を休ませてあげよう。」
「私を求める者は、自分の中に、私を見出すだろう。」
だがそれは決して無ではない。無を求める者は愚かだ。メクラは、涅槃を、永遠の滅びとまるで正反対の誤謬で、
みずから滅んで行けばいいさ。それが望みだろ。まるで正反対の誤謬を、得意げに語る、
末法仏教の馬鹿共どもを観察していると、まことに笑える。
183カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 22:04:44 ID:M/olokXT
たとえば、手術で、全身麻酔を施されたとする。
もちろん意識は飛ぶ。無の状態だ。だがそれは決して無ではない。
なぜなら、それが無であるのなら、再び目覚めることはないからである。
だが見方を変えると、それは意識の無い状態であるともいえる。
それは、あるでもなし、ないでもなし。中道とは、そういうことだ。
184カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 22:07:00 ID:M/olokXT
梵我一如について。
これも、仏典では、一方では否定的に、一方では、肯定的に書いてある。
これもこうだ。釈迦は別に、ヴェーダを否定していない。いいかよく聞け。釈迦はヴェーダを否定するどころか、
むしろ積極的に肯定している。ヴェーダは、知ってのとおり、その思想の根底に、真我思想がある。
いいかメクラ共、ヴェーダ思想=真我だ。この真我について、それは、この世の自我ではありませんよ
と釈迦は説いたに過ぎないんだよ。だからわざわざ、無我には、頭に一切をつけ、一切法無我と言うんだよ。
真我とは、今の自分(自我)と、真我が一体になるのではなく、自我を捨て、
真我そのものになるということだ。。真我と一体になると言うのではない。
もっと正確に言うと、自我を捨て、本来の自分自身に戻るということなんだよ。言っている意味がわかるか?
だから梵我一如と言う表現は間違いですよと、言っているだけだ。
それともう一つ。仏典を見ると、ブラフマンを肯定的に読める部分と、掌を返したように、否定的に書いている
部分があるだろ。これもな、グノーシスの思想では、彼のことを、サマエール(デミウルゴス)と言ってな。
その名を無知と言うんだよ。これは我々自身のことだ。我々はその無知ゆえ、
再び、この世の生存を生み出し、迷いの生存を繰り返す。この世の生を受けるとは、つまり、この世の
創造主だと言うことだ。だがこの世の創造主である馬鹿者の我々は、この世の生存、この世の命である、自我を
捨て去れば、本来は真我であり、ブラフマンは、彼と切っても切れない、同一のものであるともいえる。
だから彼は、否定的にも取れるし、肯定的にも取れる。なぜなら彼は、根本は真我であるからである。
釈迦が正道を得たとき、ブラフマンが、彼の元に訪れ、彼の悟った真理を、皆に説くよう、説得したろう。
あれは、ブラフマンと言うものが来たのではなく、釈迦の心の中の話だ。ブラフマンも、真我も、彼の中にいて、
それらは皆一つなんだよ。
185阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/09(水) 22:11:24 ID:DOOuYhYN
虚妄見惑の密森の奥深くから、呻吟悶絶の絶叫が谺しているようで・・・(嗤)。
186カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 22:24:14 ID:M/olokXT
さて、輪廻について。
仏典で釈迦は輪廻をはっきり説いている。これを否定する馬鹿者は、単に自分の価値観の元、無理やり
自分の価値観にあうよう解釈しているだけで、彼らの能書きは、聞くに値しない。
じゃぁなにが回っているか?釈迦ははっきりと、それは業だといっている。今の自我、自我とは切っても切れない
魂とはいっていない。行いと、それによる結果である、業が回っていると言っているのだ。
つまり君らの好きな言葉で表現すると、縁起
のことだ。ここで馬鹿者共は、やれ、輪廻を認めると、主体が
どうたらこうたらと、鼻糞理論を堂々巡りで語る。いいか回っているのは、行いと結果である、縁起だ。
行いあれば、結果あり。それあればこれあり。どれもそれ一本では成り立たない。主体性のない
無時性な、空である。この主体性のない、縁起が回っているんだよ。どこに矛盾がある?メクラ共よ。
では輪廻はあると言えるのか?行いと結果である業が回っていると言った。あなたは死ぬ。
死んで、肉体が滅ぶと同時に、あなたの自我も、肉と共にある魂も滅びる。
馬鹿は、魂と言うキーワードに反応する。魂が輪廻しているのではない。業が回っているのだ。
肉の滅びと共に、魂も滅び、新たな生の元、肉の再生と共に新たな、魂も形成される。
肉と、魂は切っても切れないものだ。魂とは、字のごとく、鬼を伝えると書く。魂は、あなたの業を伝えているに過ぎない。
あなたは、あなたの生前なした業により、縁起により、再びこの世の生存に帰る。
前に成した業により、その新たな環境はそれぞれ違うだろう、なぜなら、縁起とはそういうものだからだ。

全てはこれありてこれあり、これなくしてこれなし。行いによる、結果なのだ。だがあなたの前の自我と魂は滅んでいるので、
新たな生は、もはや、前のあなたではなく、違う人なのだ。だがあなたを認識している意識は、そこにある。
これは、見方を変えれば、あなたでもあり、あなたでもない、見方を変えれば、輪廻はある。ともいえ、ないともいえる。
あるでもなし、ないでもなし尾。あるでもないでもなし。これ、中道の見方と知るべし。
だがこんなのは言葉遊びだ。
187カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 22:25:55 ID:M/olokXT
仏典ははっきり言って下らない。三蔵など必要ない。あんなのは、
机のような頭でっかちが、簡単なことを、わざわざ難解に言い回し、せっかくの釈迦の教えを、ぐちゃぐちゃにしてしまったものだ。
相当に性質が悪い言い回しで、皆に誤謬を与えている。仏教知るなら、スッタニパータや、ダンマパタなどの
中村さんの、仏陀の言葉シリーズで、十分だ。ほかの仏典は、机のようなアホな弟子のおかげで、元々智慧のないものが
読んでも、誤謬しか読まない、。読んで誤謬するくらいなら、読まないほうがましだ。それくらい、メクラでもわかるだろ?
それともそれすらわかんねぇんじゃねぇの?お前ら馬鹿だから。
スッタニパータでも読んでみろ。釈迦はいつ、ヴェーダを否定したんだよ?あぁ?お前ら本当に馬鹿だよな。
おまえらヴェーダも知らねぇのか?ヴェーダは、れっきとした、真我思想であり、仏教のベースは、この
ヴェーダであり、釈迦の悟りを開いたとする、瞑想とは、このヴェーダからきた、ヨーガであり、
ヨーガとは、そもそも、合一と言う意味なんだよ。わかったかい?馬鹿共。
ま、お前らには、高級すぎて、これらは理解できん道理だろう。
人が親切に教えてやっても、帰ってくるのは、いつも仇でし返ってこない。
キリスト教には、教師にはなってはいけないという教えがある。なぜなら、教師となるものは、
多くの裁きを受けるからだ。それだけ、自分の心を自制するのは難しい。豚共は、多くの教師の心を汚す。
せいぜい、メクラ共の誤謬を、仏教の基本だと、これまた誤謬して、迷ってればいいさ。
蛇よ、蝮の子達よ、それがお前達にはふさわしい。
恩を、仇で返すような者は、そこにふさわしくはない。俺が涅槃をみる方法を知っていたとしても、
決して、お前達には教えまい。
188カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 22:30:17 ID:M/olokXT
>>185
で、釈迦はいつ、ヴェーダを否定したんだい?

お前達の語っているのは、仏教??

まつたく違うもんだろ。

お前達は、仏教の名のもとに、自分達の思想を語っているに過ぎない。

お前達の能書きは、仏典に照らし合わせたら、矛盾だらけだ。

そんな事もきづかねぇ?

もう一度聞こう。釈迦はいつヴェーダを否定したんだい?答えてみろ。

我の強いのも度が過ぎると、ある種の病気だ。彼らは、どんなに自分達が間違っていようと、

決して改めず、自分達の考え以外は、決して認めない。

おまえは病気だよ。
189カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 22:31:59 ID:M/olokXT
君ら、原始仏教を唄うスレにいながら、スッタニパータも読んだことないの?

ねぇスッタニパータにはなんて書いてんの?

いつ釈迦は、ヴェーダを否定したんだい?
190エルカンターレだとも呼ばれた賢者:2007/05/09(水) 22:41:56 ID:3s1gFUf5
>>175
他人に指図する前に、自分が指図したその行いを改めてからがスジってもんだよ(冷笑)

最終段落の「なぜなら〜」以下なんか、何もわかっていないでしょうに。

なぜそれが、「自分を害することになる」のかな?

それこそ理由付けが、理由になってないじゃんかよ、群盲さんw

191カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 22:51:23 ID:M/olokXT
真我を省けば、それはもはやヴェーダではない。

で、釈迦はいつ、ヴェーダを否定したんだい?

なぁスッタニパータくらい読もうよ。

え?それは方便だってか?ハイ、お得意の、詭弁の始まり始まり〜〜〜
なんせ彼らにかかれば、仏典に書かれている来世とは、今の自分の未来だもんな〜〜
そういうのをな、ただの詭弁。邪見というんだよ。
君らは単に、自分の価値観、自分達の考えに会うように、無理くり、解釈しているだけ。
釈迦は邪見とはどういう人たちが起こし、何が原因で起こるか、どこの仏典でいってるだろ(苦笑)
え?ヴェーダは間違い?だったら紛らわしい言い回ししないで、釈迦は、はっきりと
ヴェーダは間違いだと言えば良かったんだよ。輪廻がないのなら、釈迦ははっきりとそんなものはないと
言えばよかったんだよ。なにか?釈迦の趣味は、皆を煙に巻いたような説法で、皆を迷わすことか?
だから最後は食あたりでおだぶつだ。罰が当たったんだよ(爆笑)

もちろん俺はそうは考えない。仏典を書き残した弟子の中で、机のような頭でっかちの馬鹿がいたんだろ。
仏典で価値あるものは、スッタニパータか、ダンマパタくらいなものだ。
他の仏典は紛らわしい言い回しのおかげで、智慧のないものが読んでも、誤謬を生むだけだ。
192神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 22:55:13 ID:WcN4pEWE
ブラフマンもアートマンもヴェーダ経典もキリストの神も虚妄なり!

外道は無用! 

指先至上主義と言う意味ではアホもカラスも同舟異夢。

おいらは一人仏教だwwww
193神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 23:00:05 ID:WcN4pEWE
伝道=戦争戦略がわからない馬鹿カラスがいる。これを御都合指先至上主義という。
194神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 23:04:01 ID:WcN4pEWE
キリストが殺され、ブッダが安らかな自然死を迎えられた理由が解らない奴がいる。
ブッダが約45年、キリストはせいぜい2〜3年の伝道期間。この差は何だ?
195エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/05/09(水) 23:04:35 ID:3s1gFUf5

>>185>>192-193

お前らって、本当に馬鹿なカルトなんだな(冷笑)

>>190

196神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 23:06:03 ID:WcN4pEWE
現状分析のうえでの戦略の差なのさwwww
所詮、カラスのごとき井戸カエルには無理かww
197神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 23:12:52 ID:WcN4pEWE
カルト不幸の科学だのが来るところではない、去れ!

>>197
馬鹿の指図には従わない。
群盲のお前が消えろ!

>>190


  ∧_,,∧ ウェーハッハッハ
  < `∀´ >
  (    )
  し―-J

199神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 23:28:52 ID:v3EBmFcz
釈迦は真我を説かなかった。
200カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 23:34:43 ID:M/olokXT
形而上について。
涅槃の境地については、熟睡のたとえでわかりやすく話したつもりだ。

さて、形而上について、もちろん今のキリスト教徒の考える、
この世以外の、天国地獄などというものはない。聖書などに記されている、地獄とはこの世のことだ。
彼らはそのことを知らずに、死の世界であるこの世界に執着している。まったく無知とは恐ろしいものだ。

あるのは、外側と内側だけなのだ。内側のものが、外側を作り、外側があるから、内側がある。
そして涅槃の境地、永遠の命とは、内側にある。全ては一切の内にあり、一切と言えるものはない。
外側も、内側も、そして天の御国も、愚者は、それぞれ別個として捉えている。
だが賢者は、それぞれ、別個に見えるそれらのものを、一つと捉える。これが正しい見方だ。
形而上のものはあるともいえるし、ないともいえる。それは、あるでもなし、ないでもなし、あるでもないでもなし。

熟睡のたとえを理解する人なら、言っている意味もわかるだろう。
201神も仏も名無しさん:2007/05/09(水) 23:40:15 ID:WcN4pEWE
ブッダの本懐=実存苦の超克は、無常=無我=縁起の覚りと自得で尽きている。

あとはいわばどーでもよいタワゴト。

タワゴトの一切外で観念の裸踊りをやる必要はゼロ。

結論は、生きることは無意味なんだからこそ、執着なく慶安に自由に楽しめばよいだけ。
202カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/09(水) 23:42:37 ID:M/olokXT
>>199
それは君らの迷信。

釈迦は、自己をよく整えた賢者は、得がたい主を得る。と言っている。

釈迦は、この世も、彼の世も、主人公は、我一人。だと言っている。

ま、馬鹿の相手してると脳みそが腐る。

せいぜい、釈迦の教えならず、己の見解に鬼のように執着し、

わけのわからん、断見仏教を得意げに語っていろ。馬鹿につける薬は無しだ。
>>201
支離滅裂じゃんかよ、この馬鹿キチガイわ!wwwwww


  ∧_,,∧ ウェーハッハッハ
  < `∀´ >
  (    )
  し―-J

204神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 00:15:43 ID:lpgGo7V7
>>202
その自己とは自灯明の自、つまり此岸にいて分別されて調えるべき自己であって、
アートマンではありません。残存するサンスカーラ→我執によって仮構された自己です。
これがアートマン=真我といいたいのですか?違うよね。
ドンドン調えていってはじめて我執も逓減し「法」も自得でき、あるとき彼岸に至れる。
そうなれば、我執に仮構された自己も当然分解され無限定なありのままの状態となる。
この世界は限定なき存在のありようなんだから、真我もヘチマもありません。
当然出生もないから老死もなく=実存苦が問題になる余地なく⇒不生不滅であることは当然です。涅槃=彼岸です。
この涅槃=彼岸体験で生命の変革を成し遂げた存在として、再び此岸で慈悲的存在として生きるのです。


        以上がゴータマ・ブッダの不死の法則です。
205神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 00:30:10 ID:lpgGo7V7
存在の真理は分別なき無限定なありようなのですから、
存在に対するいくつしみ=慈悲は存在として当然の原理です。

ここにはキリストの神もブラフマンもアートマン(真我)もその観念を立てること=>>201
観念の裸踊りそのものがナンセンスなのです。

苦しみの終わりです。 以上がブッダの教えです。
206神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 00:36:53 ID:lpgGo7V7
存在の真理は無限定な慈悲なのです。
207神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 00:52:59 ID:lpgGo7V7
このようなブッダの真意の前には、業報輪廻、絶対神・相対神・悪魔、天国・地獄、
アートマン(真我)などと言う観念郡はたとえ言語として出ていても、その当時の具体的な状況に対応した
戦略→戦術的方便にすぎないということを見究めなければ、ブッダからアキメクラ
不肖の弟子とお叱りを受けるでしょう。

ブッダの真意からすれば本来無用かつ不肖な人に誤解される観念です。
208207:2007/05/10(木) 01:02:11 ID:lpgGo7V7
ごめんなさい、アキメクラの語は撤回します。
209カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 07:22:04 ID:yp3NFXoY
駄目だこりゃ。

あれだけわかりやすいたとえでその境地を話してあげているのに、
いまだ俺の話は、自我=アートマンだと言っていると話しているアキメクラがいる。
その境地は、アートマンそのものである。なぜなら存在するのはそれだけだからである。
だが見方を変えるとその境地には、アートマンは無いともいえる。

その境地を、「無い」と断見するのは間違いであり、
「在る」と常見するのもふさわしくない。

あえて”それ” を表現するなら、
あるでもなし、ないでもなし、在るでも、無いでも、なし。そういうことだ。

ま、所詮言葉遊びだがな。

ここの連中には、何ぼ言うてもわからん道理のようだ(苦笑)

多くの釈迦の馬鹿弟子が残した仏典は、このようなあまり意味の無い言葉遊びばかりで
表現されている。そして多くの者が混乱し、多くの邪見を生んだ。
末法の時代は、来るべくして、成ったものだ。仏典は、スッタニパータと、ダンマパタがあれば、
十分だろう。しかしくだらない言葉遊びで、簡単なことを得意げに語り、
多くの邪見を生み出した、後の仏典を書き残した、馬鹿弟子共の顔を、一度見てみたいものだ。

きっと、机や、電波のような顔をしているよ。
210カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 07:30:01 ID:yp3NFXoY
簡単なことを、難解に、小難しく語る人は、本人は頭がいいつもりでいるんだろうが、
救いようの無い馬鹿だよ。
211机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/10(木) 07:36:04 ID:vVdEz9Kn
>>180
>仏教の行き着く先は、無か?無からは何も生まれんぞ、

仏教における「無」の解釈は、通常は真諦の「無」と解釈するのが暗黙の了承になるかと思いますね。
勿論のこと、俗諦の「無」と、真諦の「無」は全く意味は違います。

仏教の基本を把握なされていない方は、そもそもこれで誤解しちょるんですよ。
無我とか無常とかの「無」も、やはり真諦の「無」の意味です。
で、どうも紛らわしいので「非我」とかの表記に変えた方がいいんじゃないか?
とか、そんな意見も単発的にありますが、
これは解っていればどうでもいいことなんです。
ただ、あまりにも解らん人が多いもんですから、
あえて基本のとこまで説明せにゃ〜ならんのが、つまりは仏教の難儀な所以なんですね。

貴殿の「善悪迷い」の件に関しては、私が論破した訳なんですが、
このベクトルの延長線にあるのが、いわゆる真諦の「無」に帰結する訳です。
どうかここを鑑みなされて、一刻も早く迷いから解脱されんことを希望しまふ。
212神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 07:47:09 ID:lpgGo7V7
>>210

>>204->>208は小学生にも解るように話したつもりでしたが、
カラスさんには人語は通じませんか?
213阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/10(木) 09:37:14 ID:dOQ9Xi34
再掲
818 名前:阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/04/28(土) 09:46:54 ID:8sppO09X
支離滅裂な邪説妄言を撒布し続ける虱・壁蝨外道の居場所など娑婆世間にないのだが・・・。
全く保健所は何を怠けてるんだか。

以下、某SNSの書き込みから。
 
他方、アレーフと、そこから分裂した上祐派の団体も、実質オウム真理教であり、全国30か所の拠点
に信者1650人を抱え活発に活動している。かつてテロ事件を起こしたオウム真理教が、なぜ現在で
も活発に活動を続けているのか、全く理解に苦しむところである。

214神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 09:39:50 ID:58rzraDW
ベクトル、ベクトル言うな
馬鹿みたいだから
215机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/10(木) 12:23:19 ID:vVdEz9Kn
>>213
>かつてテロ事件を起こしたオウム真理教が、なぜ現在で
>も活発に活動を続けているのか、全く理解に苦しむところである。

理由はいろいろありますね。
人数からして、有事の場合のゲリラにも使えますし、
この場合はハッキリ逝って脅威です。

ただ公案当局にすれば、情報が入手しやすい。
ということもありますから、そこはどうにか泳がすのも手です。
つまりそこは、軍事的な駆け引きもあるかもしれません。
いずれにせよ、兵隊はただ利用されるだけですね。

鳥インフルエンザにしても、テロですと怖いですね。

東京都の水道局は、テロ防止策は完了してますが、
これがゲリラ的に攻撃されますと、打つ手はないのが現状です。

216神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 13:15:21 ID:Q7VN8zvl
「相応部 22.47 観察」によれば、
>色がアートマンだ、アートマンが色を所有している、
>色はアートマンの中にある、色の中にアートマンがある、
こういう見解を否定したのが仏説となっていますが、

要するに、ここで否定されていることは、
「不変の」アートマンがある、という形而上学的な断定、
見たことも聞いたこともないのに、有るとか無いとか「断定されて」いる不変のアートマン、
そういうことを踏まえてのものでしょう。
 色は変化する。ならば、
 色は、いわゆる(不変のものであるべき)アートマンとは呼べないだろう、と。


同じアートマンという言葉が使われる、
 アートマ・ドヴィーパ(大洪水の激流の中で、アートマンを島、避難場所とすること)
これは、いわゆる苦行者文学の表現を採用したもののようですが、
仏教での意味付けは異なっています。不変不滅のアートマンということではなく、
上記の無我説を踏まえた上で、法に基づきよく整えた自己、という意味に変えています。
法と自己自身をよりどころとしなさい、ということです。
217神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 18:13:25 ID:Y8vGGlkc
>>211
机さん。私には善悪について論破されたのは
あなたのほうにしかみえなかったのですが。
あなたはいつもカラスの唄さんに論破されていますね。
議論では勝てないので、あなたはいつもカラスの唄さんを、
オウムだとレッテルを貼って議論から逃げますね。いつものパターンです。
この世は二項によらず、などというトンデモさんのあなたは、
脳内で空の世界をさまよっているのですね。気の毒に・・・
まるでメルヘンの世界に精神が蝕まれている池沼のようだ。
いや、ほんとうの池沼なのかもしれない。
私も仏教を嗜む者だ。法友としてあなたがここで壊れていく様をみるのは忍びない。
悪いことはいわない。早く病院に行きなされ。
218阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/10(木) 18:59:25 ID:dOQ9Xi34
>>1に駆除対象の外道どもは明記されているので参照のこと。

以下もどうぞ。

「ひかりの輪」について公安調査庁は9日、記者会見し、「専従会員(出家信徒)のほとんどが地下鉄サリン事件の前からの信徒だ」などとして、
オウム真理教からの継続性を強調。「団体規制法に基づく観察処分の対象団体に該当する」との認識を改めて示した。
 観察処分の対象とする理由としては、従来の施設で集団居住を続けていること、新団体の共同目的が松本死刑囚が提唱した「衆生救済」を
受け継いだものであることなども挙げた。
 同庁は10日、「ひかりの輪」の全6施設などに対し、一斉に立ち入り検査を行う方針だ。

いずれにせよ、かかる杜撰卑賤の輩は永劫に指弾・排除され続けるであろう。
219カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 19:08:41 ID:yp3NFXoY
ち。なにげにいらいらする夜だぜ。

>>218
アホウよ。おまえことあるごとにオウムネタ書いてるようだが、
の連中にこてんぱんに論破されたのが、よっぽど悔しかったんだな・・・・・・

アホウにも、心の傷か(大爆笑)

可哀想にな。
220机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/10(木) 19:14:13 ID:vVdEz9Kn
>>217
>脳内で空の世界をさまよっているのですね。気の毒に・・・

「空の世界」というのは論理矛盾です。
よく「空の世界」とか書き込みする人がいますね。
これはどんな意味でしょ?

「空の世界」などは何処にもないですよ。
「世界」というなら、これは色になる。
「あの世」があるなら、これも色です。

>私も仏教を嗜む者だ。法友としてあなたがここで壊れていく様をみるのは忍びない。

丁寧な書き込み、有難う御座います。
貴殿は心優しき人なんですね(^o^)丿

>悪いことはいわない。早く病院に行きなされ。

重ね重ね有難う御座いますm(__)m


221カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 19:16:02 ID:yp3NFXoY
>>218
アホウよ、オウムに文句があるんだったら、ここでこそこそ
陰口叩いてないで、直接本人達に文句言いに行けばどうだ。
ほれ、オウムスレ。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1178424740/l50
オウムに文句があるんだったら、直接言いに行け。ほれどうした?
どうして言いにいけない(嘲笑)

影口しか叩けない、腰抜け野郎が。

ほれ、また観察してやっから、返り討ちにあって、俺を再び笑わせてくれよ〜〜
222机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/10(木) 19:32:52 ID:vVdEz9Kn
>>218
>いずれにせよ、かかる杜撰卑賤の輩は永劫に指弾・排除され続けるであろう。

そんなに簡単ではないんですよ。
功罪というもんがありますから、全てが国家権力においてマイナスか?
というのは微妙です。

逮捕するのは簡単。
「転び公執」でググッて下さい。
223神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 20:00:34 ID:Y8vGGlkc
>>207
>アートマン(真我)などと言う観念郡はたとえ言語として出ていても、その当時の具体的な状況に対応した
>戦略→戦術的方便にすぎないということを見究めなければ、ブッダからアキメクラ
>不肖の弟子とお叱りを受けるでしょう
ひとつお尋ねしますが、あなたはそれを、釈迦から直接そうだと聞いたんですか?
そんなことはありえませんよね。
それともそう仏典に書いてるんですか?そならその仏典はなにで、
文章はどういう内容か、書いてください。
それらも無ければ、あなたの話は何の根拠も無い、
単なる自分の願望を語っているに過ぎない、大変レベルの低いものです。
それでいて論理的に話す他人に意見するあなたも、同じく相当にレベルの低い人で、
まさに釈迦に説法です。
はっきり言って、初期仏典には、形而上のことも、輪廻のことも、はっきり書かれています。
事実はこれだけです。これを確たる根拠も無いのに、ただの自分達の願望で、それは方便だの、
待機説法だのと言う人は、メクラだといわれても仕方ないですな。
224207:2007/05/10(木) 20:27:11 ID:lpgGo7V7
『不生亦不滅 不常亦不断 不一亦不異 不来亦不去

   能説是因縁 善滅諸戯論 我稽首礼仏 諸説中第一』(一・一、二)

『〔存在の真相は〕何ものも消滅することなく(不滅)、何ものも

 あらたに生ずることなく(不生)、何ものも終末あることなく(不断)、

 何ものも恒常であることなく(不常)、何ものもそれ自身と同一であ

 ることなく(不一)、何ものもそれ自身において分かれた別のもの

 であることなく(不異)、何ものも〔我々に向かって〕来ることもなく

 (不来)、〔我々から〕去ることもない(不去)戯論(形而上学的議論)

 の消滅という、めでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、諸々の

 説法者のうちで最も勝れた人として敬礼する』

戯論(形而上学的議論)の消滅という、めでたい縁起のことわりに基ずく
>>207->>207の趣旨をアキメクラというなら、徹底したナーガージュナ批判を
聴かせてもらおうか。
225207:2007/05/10(木) 20:29:05 ID:lpgGo7V7
>>224>>223への反論レスです。
226神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 20:30:02 ID:Y8vGGlkc
別に当時の多くの人たちの思想はバラモン教だからと、
釈迦の悟りがヴェーダとまったく違うのなら、無理してそれに合わして話す必要なんて無いのですよ。
あなたがたも仏教をかじっているのなら、六師外道の話くらい知っているでしょう?
当時は、わりと思想家は自由に、自分達の哲学を語っていますね。
別に当時、バラモン教が多数だからと、それ以外の思想を真理だと語るのは、タブーでもなんでもなく、
自分の考えは、それらと違うなら、違うと、当時の思想家は、堂々と、大衆に語り、
それを信じた人々は、それぞれの思想家の、信者などになっていたわけです。
釈迦もその中の一人でしょう。彼の悟りは、ヴェーダとはまったく違うのなら、他の思想家達と同じく、
あれは間違いで、真理とはこうですと、語ればすむ話なんです。
227207:2007/05/10(木) 20:32:12 ID:lpgGo7V7
× >>207->>207
〇 >>203->>207
228神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 20:38:15 ID:Y8vGGlkc
六師外道の例をあげれば、アジタ・ケーサカンバラって人は唯物論者だったわけだし、
プーラナ・カッサパって人は、道徳否定論者だったわけです。
まるであなた達のようですね。彼らは当時のインドはバラモンだからと、
無理してそれに合わせて話すどころか、堂々と、違う見解を話しているわけです。
釈迦も彼らと同じ結論なら、無理してヴェーダを語らず、
はっきりと、ヴェーダは間違いだといえばいいし、私は唯物論者で、道徳否定論者ですよと、
言えばいいだけの話です。当時の世相では、別にそう公言しても、なんら問題なかったことでしょう
あなた方の論理は、矛盾していることに気付きませんか?
外道とは、あなた方のことではないんですか?そんなことも気がつかないほど、あなた方はメクラなのですか?
229神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 20:45:21 ID:Y8vGGlkc
>>224
は?ナーガジュナ??
おかしいですね、ここは釈迦の原始佛教を語るスレだったんじゃないのですか?
ナーガールジュナの仏教を語りたいのなら、スレタイを変えるべきですな。

四の五のごたくはいいから、私の質問に答えなさい。
230207:2007/05/10(木) 20:52:25 ID:lpgGo7V7
>>226
>あれは間違いで、真理とはこうですと、語ればすむ話なんです。

 現実社会=世間を知らない温室育ちのボンボンですか?
 伝道とは思想闘争であると同時に、戦争であり
公布には戦略-戦術がぜったい必要。
ブッダが成道後、伝道を躊躇された心情はよくわかる。
めちゃくちゃ煩わしい。

現に、インド仏教はイスラム→ヒンドゥ→仏教と物理的に弾圧されて壊滅されましたが?
死者多数。憲法で保障された思想・信条・表現・結社の自由など全く保障されない時代ですよ。
物理的な殺戮の危険と常に隣り合わせの時代状況なんだよ。
231カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 20:55:28 ID:yp3NFXoY
>>229
そいつは馬鹿だから、まともな返答は期待できないよ。
頭悪いくせに、我執の強さだけは一人前。

形而上についても、外側と内側。熟睡のたとえで、涅槃を説明してやっても、
いまだにやれ、それは形而上だの、鼻糞だのと、ちんぷんかんぷんな言いがかりをつけてくる。
こいつは、頭が悪すぎる。
232カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 20:58:24 ID:yp3NFXoY
な、言った尻から >>230←のようなアホなレスが帰ってきただろう。

こういう輩は、決して自分の過ちを認めないし、
人に謝ることも出来ない。そういう輩が得意げに、釈迦の仏教を語るわけさ。
とんだお笑い種だ。

馬鹿につける薬は無いんだよ。
233207:2007/05/10(木) 21:01:02 ID:lpgGo7V7
>>229
ナーガージュナの典拠仏典は原始仏典ですが、何か?
現代の我々が、原始仏教を語るのと同じ立場だったのですが、何か?
ナーガージュナの立場を参考にして、原始仏教を考えることに問題があるなら
その理由を聞かせて貰いましょう。
アビダルマや唯識についても語られていますが、何か?
234207:2007/05/10(木) 21:04:03 ID:lpgGo7V7
>>232
キリストはなぜ殺されたのだ?ブッダはなぜ安らかな自然死を迎えられたのだ?
説明せよ。
235カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 21:18:48 ID:yp3NFXoY
末法仏教者たちの迷信。

彼らは信仰を捨てろと言いますが、スッタニパータではこういっています。

>183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか? いかにして海を渡るのであるか? 
>いかにして苦しみを越えるのであろうか? いかにして全く清らかとなるのであるか?」
>184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、
>知慧によって全く清らかとなる。」

と言っていますね。釈迦が信仰を捨てなさいと言ったのは、当時のただの礼拝宗教に成り下がった
バラモン教のことです。真の信仰を捨てなさいとはいっていません。
これが正しいものの見方、正見というものです。これを否定したら、釈迦はただの二枚舌の信用ならん
男になります。
236カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 21:20:45 ID:yp3NFXoY
末法仏教者たちの迷信シリーズ、その2。

梵(ブラフマン)について。スッタニパータではこういう記述があります。

>508 (マーガがいった)、「誰が清らかとなり、解脱するのですか? 誰が縛せられるのですか? 
>何によってひとはみずから梵天界に至るのですか? 聖者よ、お尋ねしますが、
>わたくしは知らないのですから、説いてください。尊き師は、わたくしの<あかし>です。
>わたくしは今梵天をまのあたり見たのです。真にあなたはわれわれにとっては梵天に等しいかただからです。
>光輝ある方よ。どうしたならば、梵天界に生まれるのでしょうか?」

>509 尊き師は答えた、「マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、
>施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、
>梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。」

とこのように言っていますね。
これはヴェーダの思想からも相通じるものです。
でも、一方では、梵について、否定的に書いてる記述も確かにあります。
それは、キリスト教的に言うと、創造神は、見方を変えると、デミウルゴス(彼の名は無知)であり、
サマエール(つまり愚か者)でもあるからです。なんといっても彼は妬む神なんですから。
ここで智慧のある人は気付くでしょう。なぜ彼が、自ら妬む神であるといったのか。
ま、少し脱線しました。仏教の話に戻りましょう。
さっきも言いましたが、スッタニパータには、梵について否定的に書かれている
部分もありますが、一方では、上のスッタニパータのように、非常に肯定的に書かれている記述があります。
これはどういうことか?善と悪を超えた全ての根源である至高の存在も、はたまた無知ゆえ
何度もこの世界を作り出す(つまり輪廻)この世界の創造神も、どちらも我々自身だからです。
これが正しい見方です。これを正見といいます。そうでなければ釈迦は単なる二枚舌の信用ならん
男になります。



237カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 21:23:09 ID:yp3NFXoY
>>234
犬や猫に、物理をいくら教えても理解できん。

これくらいの道理くらいわかるだろう?

つまり馬鹿に話したって、理解できん。理解できん者にいくら話しても、時間の無駄だって言うことだよ。
238カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 21:26:07 ID:yp3NFXoY
>>233
おまえは馬鹿だよ。
239カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 21:54:24 ID:yp3NFXoY
なんだ、馬鹿は逃亡か。

馬鹿をからかうのはいい暇つぶしになるな。

あのよ、末法仏教者の君らが、無我無我と、知った風な口聞いてるけどさ。
一切合財本当の意味で無我であるなら、得がたい主も、よく整えた自己も、
自灯明も糞も、それこそ何も、無いだろうがよ。君らの無我説は、論理破綻です。
いいか、釈迦の無我説には、頭に、”一切” と付くんだよ。
なんぼいうても、こいつらは理解不能(嘲笑)

メクラ共が。

天上天下唯我独尊。

これは原始経典には無いそうだが、俺はこの言葉の意味をよく知っている。

釈迦は、自己をよく整えなさいと言ったんだよ。そして自己をよりどころとしなさいと言ったんだよ。
240阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/10(木) 22:02:34 ID:dOQ9Xi34
聖典としての「ヴェーダ」を捨置し、ヴェーダの語義をその教法によって闡明したのがゴータマ・ブッダ。
241カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 22:15:16 ID:yp3NFXoY
>>240
それは仏陀から、そうだと直接聞いたのですか?

それとも経典にそう書いてるのですか?
書いてるのなら、その経典名と、文言をそのまま載せて下さい。

どちらもそうでないのなら、根拠の無い単なるあなたの願望です。
原始経典では、釈迦ははっきりと、ヴェーダの達人といっています。
それを方便とするなら、その根拠を示してください。
なければそれは、ただのあなたの願望です。
もう一度、邪見とは何が原因で起こるのか?、どういう人が起こすのか?
釈迦はどう言っているのか、確認しましょう。

ところで、馬の耳に念仏。ということわざ、知ってます〜?アホウさん。
242カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 22:19:39 ID:yp3NFXoY
>>240
お前の仏教は、上祐にも負けるだろうな〜〜。

一回法談で、戦ってこいよ。チキン野郎が。

てか、末端の信者にも、コテンパンに論破されたもんな〜、おまえ。

相手を卑下するなら、おまえは相手より上じゃないといけないな。

でないと、単なる負け犬の遠吠えだ(嘲笑)

おれはあいつらに負けないぜ。お前と違ってな。
243阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/10(木) 22:26:44 ID:dOQ9Xi34
あぼ〜ん蟲喰い外道が何やら喚き立てているようだが、一矢たりとも報い能わぬ弄られオウム外道と同じこと−おっと同類か−(冷笑)。
244カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 22:34:04 ID:yp3NFXoY
>>243←こういうのを負け犬の遠吠えと言うのです。
245阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/10(木) 22:42:35 ID:dOQ9Xi34
>>229
ナーガールジュナの教証引用関係をちょっとでも調べたのか?

過去ログ一つ読めぬ蒙昧馬鹿は外道のカネ蔓として一生食い物にされて終わるだけ。
246神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 23:03:56 ID:Y8vGGlkc
>>245
私はカルトに騙されるほど愚かでもありません。
また、あなた方のように、経典の文章を、あるがままに見ることも出来ずに、
自分の執着に沿った見解しか出来ないほど愚かでもありません。
ナーガールジュナを、原始仏教だと誤謬する馬鹿でもありません。
私は自灯明をよく理解しています。
あなた、オウムのようなカルトを叩くのが目的で、原始仏教をやるのなら、
別の方法でおやりなさい。あなたの力量では、仏教を元に、彼らの間違いを正すのは無理です。
別の方法をとりなさい。現にあなたは、彼らに、法を盾に議論しても彼らに法論で負けてしまっているじゃありませんか。そこのカラスの唄さんにもね。
土台馬鹿の壁を越えられないあなた方には、仏教自体無理な話です。
無理なものを無理して取り入れる必要はないのです。
あなたは世間一般の常識を盾に、カルトを叩けばいいのです。あなた方には仏教は無理です。
247阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/10(木) 23:12:26 ID:dOQ9Xi34
>>246
なるほど独房カルトの基地害ということね(失笑)。>>1の出禁外道どもや、弄り古しのオウム外道並みの
扱いで十分(嗤笑)。
248神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 23:19:09 ID:Y8vGGlkc
>>247
可哀想な人ですね。

生きとし生ける者は皆、幸せでありますように。

あやすみアホダラさん。
249阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/10(木) 23:25:29 ID:dOQ9Xi34
発語顛倒支離滅裂にして人語の体を為さぬのは出禁外道どもに共通の病弊・症状(冷笑)。
250カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/10(木) 23:34:34 ID:yp3NFXoY
>>249
お前は終わっとる。

お前らが叩く利欲に走った麻原も、
自分達の考えとは違う者の考えは一切認めない我執の鬼であるお前らも、
自分達の価値観を最優先で、歯向かう者は、平気で殺した、麻原の弟子達も、
皆同じ穴の狢。蛇よ、蝮の子達よ。だ。

お前達は、皆、同根なのだよ。
251神も仏も名無しさん:2007/05/10(木) 23:52:38 ID:cIzK4xxP
>>228
>アジタ・ケーサカンバラって人は唯物論者だった
そうかな?このことは前から気になってたので書きましょう。

彼は四大だけ、ということは言ったけど、
「母も父もない」(沙門果経)っていうところからすると、
世間に従う(この定義が正しいのか不明だが)順世派と
いうイメージとは違うのではないかな。

それに出家者だったんでしょう?
弟子もいた、教団の指導者だったのでは?
祭祀も行う教団でなければ、六「師」とは言わないのでは?

ついでに言うと、水野「釈尊の生涯」に出てくる
女修行者チンチャーなどを使った姦計や目連殺害事件とか読むと、
アブナイ宗教事情であったことは、ある程度いえるのでは?
252神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 01:24:40 ID:RO9WiumH
質問箱に興味深い質疑が進行中です。
こちらへもご紹介させていただきますね。

 343  Name: 神も仏も名無しさん  [] Date: 2007/05/10(木) 07:50:15  ID: 3cm7jkwO  Be:
    >>342
    >>禅波羅蜜多はサンスクリット音写であって静慮波羅蜜多と同義です。
    >>同様に、般若波羅蜜多を智慧波羅蜜多と言う場合もあります。
    >>問題は、この「智慧」の意味をヴィパッサナーと解釈しうる経典が存在
    >>するか否かです。

    確かに禅と静慮とは同義語ですが、大般若経での静慮は阿含経の禅とは
    意味が違うのです。大般若は菩薩の教えであって阿含経の『修行』を行
    ってはならないことになっています。阿含経の修行を行う菩薩を『犯戒
    菩薩』と言います。

    また、盤若の知恵は『空』の教え一つだと考えてもよいでしょう。智恵
    というのは『空の智恵』をいいます。したがって、空の理解であること
    からヴィパッサナーとは意味が違うのです。
253神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 07:30:15 ID:qmJWxfPx
>>233
>ナーガージュナの典拠仏典は原始仏典ですが、何か?
>現代の我々が、原始仏教を語るのと同じ立場だったのですが、何か?
>ナーガージュナの立場を参考にして、原始仏教を考えることに問題があるなら
>その理由を聞かせて貰いましょう。
この理屈から言うと、オウムの教科書も典拠仏典は原始仏典なのだから、
麻原の教義も原始仏教であり、彼の立場を参考に原始仏教を語るのはなんら問題ないということに
なりますね。あんたの言っていることはそういうこと。屁の理屈だね、あんた。
>>251
また変なのが来た。
心配しないでも唯物断見仏教の君らは、釈迦に言わせると、外道だよ。
しかし、黒いものでも白いものだと強引に自分達の自説に合うようなんでも都合よく解釈する
この人達の脳内はどうなっているんだろ?この人達の自分達の見解に対する
執着は、並大抵なものではないですね。恐ろしいくらいに執着している。基地外ですな。
254207:2007/05/11(金) 07:41:06 ID:yAtP8+Xu
>>253
まったくトンチンカンな非難(批判の名に値しない)で論外。
 全面却下。
今は忙しいので、また時間があれば書きます。
255神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 07:43:59 ID:LdMwou+D
>>253
一応判る範囲でレス。
オウムの教科書は中沢の著した「虹の階梯」ですよ。
中沢の持ってきた物は、流れとしてはチベット密教ゾクチェン派に属します。
どう頑張っても原始仏典ではありません。

256机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/11(金) 07:44:09 ID:VRbHHHTd
>>252
>また、盤若の知恵は『空』の教え一つだと考えてもよいでしょう。

「般若の知恵」ってのも可笑しな言い方ですね。
「空の世界」と言うのと同じで論理矛盾がありまし
(般若とは知恵のことです)
また、知恵とは違います。智慧です。

>智恵 というのは『空の智恵』をいいます。

智慧には「仏智」と「世俗智」の二相の智があり、二相あいまって智慧です。
『空の智恵』とは「仏智」にあたります。

                (つづく)
257阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/11(金) 09:51:55 ID:OMvgtudV
>釈迦に言わせると
ふ〜ん、この板で「釈迦」などと種族名を連呼するのは正宗→創価系以外ならオウムくらいか。外道共通の言い回しだことで(冷笑)。

「フツ(族)に言わせると」とか「ツチ(族)に言わせると」とかいう語法と同じと知るべし(嗤笑)
258神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 11:32:43 ID:LdMwou+D
別段、スレで統一呼称を定めているわけではないが、学問畑の人達の
呼称は大抵「釈尊」で統一されてますね。
259神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 12:13:56 ID:qmJWxfPx
>>255
屁理屈が帰ってきた。この人は、人の話の論旨を全く理解せず、
見当外れな反論をしている。こんな簡単な話の論旨も理解できん人が
仏典を読んでも釈迦の教えは理解できんだろうて。
こんな馬鹿とは議論にもならん。議論以前の問題だ。

アキメクラとはうまく言ったもんです。
260神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 12:35:15 ID:qmJWxfPx
>>257
で、この人は揚げ足取りですか、┓( ̄∇ ̄;)┏
別に約2千500年前に佛教をとき、佛教の開祖となった人物のことを、
釈迦と呼んでも意味が通ります。
ゴータマさんと呼ぶより、お釈迦様と呼んだ方が、日本の文化ではしっくりくるでしょう。
揚げ足取り、レッテル貼りで議論に勝ったつもりでいる人の頭の中味は、小学生と同レベルと知るべし。

アキメクラとはよく言ったものです。
261阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/11(金) 12:39:52 ID:OMvgtudV
身の程知らずにも「議論」をしていると思い込むところなど、出禁外道や負け犬オウムどもの底辺DQNたる所以(嗤笑)。
262神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 12:46:28 ID:hPBD2G+T
中村元は「釈尊」という単語は使わないと思ったけど
263阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/11(金) 12:59:26 ID:OMvgtudV
>>262
「ブッダ」、「ゴータマ・ブッダ」等と併用し、文脈や局面によって使い分けています。
『釈尊の生涯』(平凡社ライブラリー)等を参照しましょう。
264神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 13:20:59 ID:yAtP8+Xu
>>259
>>233は『ナーガージュナの立場を参考にして、原始仏教を考えることに問題があるなら
    その理由を聞かせて貰いましょう。』と聞いているのだから、
    それに直対応してあげろよ。オウムなんか関係ないだろう。無関係な視点からトンチンカン、ピンボケ非難している。
    おっさん、此岸での言語・論理にさえまともに対応できんようでは、到彼岸は無理だ。智慧がなさすぎる。
 
    直回答してあげろよ。逃げるなよ。
         
  
265神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 13:23:12 ID:yAtP8+Xu
ちなみにアキメクラとは差別用語だ。ブッダの教えに反する。
  謝罪せよ。
266265:2007/05/11(金) 13:38:17 ID:yAtP8+Xu
もっとも、>>259が曹洞宗関係者なら納得できる。
    曹洞宗は伝統的に、醜い内ゲバの激しさと人間差別の巣窟だからだ。
   
    道元も娑婆(葬式仏教)では内ゲバと人間差別者と成り果てり
267神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 16:43:13 ID:feY/KGfK
>>266
あいつは間光の「一在家」だろw
常見外道丸出しだもん。仏教・キ
リスト教も学ばねばならん万教帰
一とは、こりゃまた難儀なことで
268阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/11(金) 17:23:22 ID:OMvgtudV
オウムが「原始仏典」を参照したなどと世迷い言を抜かす輩が居るが、松本癡頭夫死刑囚なる小菅の不浄排泄器がやったことといえば、
パーリ聖典に外道ドグマとトンデモ術語を押しつけ、剽窃(し損なっているがw)&恣意的つまみ食いを重ねたでっち上げ行為に他ならない。
269神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 18:02:54 ID:qmJWxfPx
>>261
そう、君らとは議論にもならん。
我執の強い人とは議論にならない。エゴを押し付けられるのが落ち。
原始佛教と書かれているのできたが、なんのことはない。
ここは大乗か、宗教学や文献学、それどころか、常用では使われない、
中国の古典漢字を語るスレのようだ。まさに本末転倒。
君らのどこにちえがあるのだ?馬鹿丸出しではないか。
いっそのことスレドのタイトル変えたらどうかね。紛らわしい。
270阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/11(金) 18:45:25 ID:OMvgtudV
ここは無知蒙昧文盲の足切り学習不能者の如き底辺DQNの来るスレではない。
271神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 19:33:30 ID:qmJWxfPx
>>264
なんかよくみるとまだ池沼が粘着してからんできていますね。
人の書き込みの論旨もまったく理解せず、ちんぷんかんぷんな言いがかりをつけ
て来たのは、あんたのほうだよ。なぜ他人の人の論旨をまったく理解もせず、
無視した質問に、私が答えてあげなきゃいかんだ?貴様何様だ?池沼の癖に。
おいそこの池沼。此岸での言語・論理にさえまともに対応できんようでは、到彼岸は無理だ。智慧がなさすぎる。
とはあんたのことだよ。此岸で他人の書いた文章、意見の論旨も理解できないようじゃ
到底彼岸は無理だ。智慧がなさすぎる。池沼だからしょうがないんだね。御愁傷。
272神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 19:50:40 ID:qmJWxfPx
池沼のお前の論点ずれの質問など答えてやる義理など一つもないが、ここは池沼を哀れんで、
一つ慈悲の心で答えてあげよう。
竜樹なども所詮は釈迦の死後に登場した人物で、釈迦から直接教えを授かったわけでもない。
竜樹などとは違い、釈迦から直接教えを聞いた釈迦の直弟子達が書き残した
最古の経典であるスッタニパータなどを読むと、釈迦はヴェーダを肯定的に話している記述が多数ある。
それが客観的な事実である。一方竜樹の思想は、ヴェーダの思想を真っ向から否定するものである。
つまりどういうことかというと、所詮竜樹の思想、中論などというのは、竜樹のドグマに過ぎないもので、
それを原始仏教と結論付けるのは無理がある。君はいくら屁理屈をこねて原始仏教を語っているつもりでも、
君は、竜樹のドグマを妄信し、竜樹のトグマを話しているに過ぎないわけだ。わかりましたか?池沼君。
池沼が、まともな思考回路をしている人に議論などと、身の程知らずもはだはだしい。
273神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 20:40:37 ID:WsTOrkLz
すみません。
池沼ってどういう意味ですか?
274233 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/11(金) 20:43:33 ID:yAtP8+Xu
>>272
こういう指摘がある。
『この「縁起を見る」こと、および縁起の逆観はすでに最初期の仏教において説かれている。
 ナーガールジュナはこれを受けて、その可能である事を非常な努力をもって論証したのえあるから、
 この点においてもナーガールジュナの仏教は、意外なことには、或る意味では最初期の仏教の
 正当な発展であると解してもさしつかえないであろう。』(中村元 『龍樹』310頁 講談社学術文庫)

龍樹の思想を丸呑みするわけではない。また、>原始仏教と結論付け ているわけでもない。
>>233『ナーガージュナの立場を参考にして、原始仏教を考える』だけだ。

おっさん、なにトンチンカンな裸踊りをやってんの?カッコワル過ぎwwww
俺はもちろんヴェーダは観念遊びとしては面白いが、ナンセンスであり真っ向から否認する。

戯論(形而上学的議論)の消滅という、めでたい縁起のことわりを支持する。

275阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/11(金) 20:44:21 ID:OMvgtudV
底無しの池沼が泡立って、ID:qmJWxfPxなる雑音が響いてくる(嗤笑)。
276274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/11(金) 20:51:43 ID:yAtP8+Xu
× 論証したのえあるから
〇 論証したのであるから
277神も仏も名無しさん:2007/05/11(金) 21:00:50 ID:enIuTACh
>>160
本質を外していると言われても弱りましたね、これは龍樹が宝行王正論で縁起公式のbhUとutpadを区
して解釈していることに基づく推論なので、苦情の類は本来龍樹の側で受け付けることなんですが。

それは脇に置いておいて、本題の中論26章の十二支縁起の見方、私はこれら各支も相互観待で生起し
たものと見ないと中論全体の整合性がとれないのではないか、という意見なのですが、
あなたはどうも、第一義諦と世俗諦を分けて説いている、と見ているようですね。つまり、25章まで
は第一義諦としての本来不生不滅、相互観待としての縁起を説き、26章では世俗諦として十二縁起の
展転を説く、相互観待ではない、と。後者も本不生ということは根底にある、ということでしょうが。

対応しているのは、その第16偈の直前の散文の所ですね。過去ログでアップされていた部分に含まれ
ていました。prabhedazo (G. BSkt.)の箇所をチベット訳で rab tu (pra-の訳語) phye と「(十二有
支は如来によって)よく分割された」と訳していますが、prabheda (区別)と vizeSa、これだけでは
明確ではないですね。ちなみに、中論頌 25-19に、類語のvizeSaNa (区別)という語が出てきます。
na saMsArasya nirvANAt kiMcid asti vizeSaNam / 涅槃与世間 無有少分別

清浄道論は龍樹より後の時代のものですので、時代的に先行して接近している大毘婆沙論の巻24など
も参照すべきなんでしょうね。なお、『清浄道論』中国語訳(繁体字)がこちらにありました。
http://myweb.ncku.edu.tw/~lausinan/Tipitaka/Post-Canon/Visuddhimagga/chap17.htm

中論26章の十二支縁起は、いわゆる小乗の十二因縁説とされますが、むしろ、「さまざまに説かれた
縁起説が部派時代に十二支縁起に一本化されていった。大乗はそれを受け継いだ。」中論はそれを採
り入れた、ということのように考えます。なぜ十二になったのか。それは一年間に満月が起こる回数
に由来する聖なる数という見方によると推測します。

中論26章の十二支は、有部の分位縁起(三世に二重の因果を見、各支に五蘊を具すもの)とは違いま
すが、「因縁心論」の惑業苦の三道には共通点があります。
278神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 07:14:18 ID:dbUveQ2E
>>272  ブッダ悟りの境地 言語・論理の破壊

プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー

       プギャー!プギャー!プギャー!
    プギャー!プギャー!プギャー!プギャー!
  プギャー! m9   m9 ノ)   プギャー!
 プギャー!  川 m9 川彡'三m9  プギャー!
プギャー! m9ミm9、m9ミm9彡m9    プギャー!
プギャー!m9三ミm9(^Д^)彡三彡三m9 プギャー!   >>272はおいらの真意を解せない単純馬鹿 !
プギャー! m9彡川m9彡川ミm9     プギャー!   
プギャー!m9彡川m9m9 m9川彡m9  プギャー!
 プギャー! (ノ m9  川 m9ミ)  プギャー!
  プギャー!     m9     プギャー!
    プギャー!プギャー!プギャー!
       プギャー!プギャー!

279阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/12(土) 07:51:42 ID:pFyBJAhj
言説破綻者・禁治産者どもの近親憎悪は噴飯物以外の何者でもない(冷笑)。
280神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 09:04:16 ID:yhXfFCJQ
>>274
ヴェーダを否定しつつ縁起大好き人間のあなたにお尋ねします。
縁起はどこから始まったのでしょう?
あれあればこれり。これはあれが原因でここにあり。縁起を逆観していくと最終的にはなにに
行き着くのでしょう。答えてください。

まさか縁起だけは元から在るなんて言わないでしょうね?
あなたなら言いそうだけど。
281神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 10:22:51 ID:TbqojB/P
カラスも机もアホダラも一緒だよ。
みんな、自分の説を力説しているには変わりないんだから。

自分が自分の解釈で生きてけばいいんちゃう。w

282神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 11:14:01 ID:TbqojB/P
いずれも、自己顕示欲の塊であることには違いない。
283274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 13:11:53 ID:dbUveQ2E
>>280
>縁起はどこから始まったのでしょう?
 
戯論寂滅(ニヴリッティ)と言っている私に、なんでそんなナンセンスを聞くのですか?
回答は、当然「無記」です。

あなたの問いは、問いとして矛盾を内包しており、成立しないことは解りますよね。
縁起に始まりが「ある」ことが前提になっている問いですが、証明できますか?
兎の角、亀の毛、鯨の足を問うのと同じナンセンスです。
ブッダは透徹した実存的経験主義者だと思います。
この種の問いには沈黙せざるを得ません。

趣味で戯論遊びをやるのは勝手ですが⇒看よ 看よ 蝋月尽く!
自灯明の煩悩自己を調える事の方が先決ではありませんか?


284神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 13:26:46 ID:C/736Z9Z
>>281-282

アホダラになんか自説が有ったのか?
他人のこき降ろししか目につかないがw


> いずれも、自己顕示欲の塊であることには違いない。

自己顕示欲は机が人一倍強いな、不快なくらいに。
こいつの他人の眼を気にしたポーズはマジで唾棄物。
285神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 14:52:58 ID:H8XG+mJz
…おまえに見えないこの微小なもの、
…この世にあるすべてのものはそれを本質としている。
それは真にあるもの、それはアートマンである。
シヴェータケートゥよ、おまえはそれである(tat tvam asi)。
   チャーンドーギヤ・ウパニシャッド6-12、『世界の名著 1』参照

これがウパニシャッドの根幹となる思想(mahA-vAkya)の一つですが、
次に引用する仏典の二番目の文が、実はこれを否定するものとなっているのです。
つまり、仏教はウパニシャッド思想を真向から否定している、と言えるのです。

yad aniccaM taM dukkhaM, yaM dukkhaM tad anattA,
yad anattA taM netam mama neso 'ham asmi na meso attA ti. (SN.22.15, etc.)
無常なるものは(いまは楽でも、いつかは壊れるので、畢竟)苦なるものであり、
苦なるものは(楽であるべき)アートマンでないものであり、アートマンでないものは
(いつかは変化し壊れてしまうので)「‘これ’はわがものではない。われは‘これ’ではない。
‘これ’はわがアートマンではない。」というものだ。

netam 以下のリエゾンをはずすと na etam mama, na eso aham asmi, na me eso attA. となります。
この二番目の文と最初に出てきたマハーヴァーキヤの文を一語ずつ比較すると、
仏典の方がウパニシャッド思想を否定したものであることが分かります。
naない esoこれ ahamわれは asmiである‖仏典
tatそれ tvamおまえは asiである‖ウパニシャッド
286神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 15:46:07 ID:yhXfFCJQ
>>283
無記?

あなたは池沼ですか?
こんな簡単なことも答えられないのですか?
こんな簡単なことも答えないなどというのは、単な思考停止でしょう。
あなたはちゃんと現代の教育を受けたのですか?
それとも中卒ですか?

あれあればこれあり。つまり、縁起には時間の流れがあるわけです。
では時間の流れをさかのぼればいいわけです。
さぁ答えなさい。それとも学校もろくに出てないから答えられませんか?
何が無記です。自然科学の発達した現代は、2千500年前とは違うのですよ。
仏教の無記、方便とはあなたたのような、自説に都合の悪いことは
答えない、詭弁家達のどうぐではありませんよ。戯論派殲滅とかいってるあなたが、
戯論を述べるのですか?(嘲笑)

答えなさい。あなたの知力を測ってあげましょう。
287神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 15:53:04 ID:SAY/63SM
割り込み、失礼します
ネットで知ったのですが、釈迦の教えを実践されている皆さんは五葷を食べないのですか?


・・・・・
仏教徒は五葷を食べることが禁じられています。
五葷が精力(性欲)を強めてしまうためといわれます。
また『根本説一切有部毘奈耶雑事(こんぽんせついっさいうぶびなやざつじ)』には、
ニンニクを食べた弟子の口臭が皆の修行の邪魔になったため釈迦が禁じたという逸話があります。
・・・・・


私は菜食の駆け出しなのですが、先日ニンニクの芽を久しぶりに食べました
深刻な腹痛と下痢にみまわれました
精力が強くなりすぎるというよりも、五葷の殺菌作用が腸内細菌を殺して体調不良になるから、
お釈迦様は禁止されたのではないかと思った今日この頃です
288神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 16:35:35 ID:wMpcrviV
中卒がどうたら、学歴がどうたら、それは関係ないと思うけどね。

289神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 16:37:43 ID:SAY/63SM
カラスさんが、中卒がどうたら言うのは、
自分にコンプレックスがある証拠だと思うよ
290神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 16:43:31 ID:wMpcrviV
>>289
同意。同意。
291神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 18:07:07 ID:wMpcrviV
知力と人間性は関係ないね。
まっ、他人を自分のおもちゃにして遊んで喜ぶ?
その神経が理解できない。w

292274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 19:31:52 ID:dbUveQ2E
>>286
(1)あなたの問いには矛盾があり、問いとして成立しておらず、答えようがないと言っています。
  あなたは縁起には始まりがあることを証明する必要があります。
  兎の角が何本か、亀の毛は固いのか、鯨の後ろ足はどんな形か、には答えようがありません。
(2)>縁起には時間の流れがあるわけです。
   ・そうですか、あなたの縁起は時系列で流れているのですか。
   ・過去・未来、生死・・そのようなものが存在するのですか。
   ・現在瞬間はどういう意味があるのですか。

当然の前提として、人に聞くなら自分の問いの前提を明らかにする必要があります。
ブッダなら当然無視されたでしょう。私は親切すぎますね。
   
   
293274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 19:48:37 ID:dbUveQ2E
しかし呆れる。ブッダが無記とされたのはブッダが>自説に都合の悪いことは
答えない、詭弁家達だったとまで侮辱するとは!
 ブッダ当時の、バラモン達も、キリストに対するパリサイ人も
あなたと同じ態度だったんでしょうね。あなたを哀れに思います。
人の価値を出身や学歴で計るとは・・・、もう論外ですね。ブッダがどう言っておられるか判っての発言だと確認しておきます。
さすが、戯論派(ケロンパ)ヴェーダ=実質的バラモン=ヒンドゥに犯された
本性を現しましたね。wwww
 
294神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 19:50:33 ID:ACb5qreN
いい線いってたのに、あなたまで「wwww」とは残念。
295274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 19:58:08 ID:dbUveQ2E
ちなみに、中学は卒業しております。
そして、私の言説のどこが戯論なのかご教示願います。
296274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 20:00:07 ID:dbUveQ2E
>>294 すんません。このスレを覗いていると感染していたようです。
         反省!
297神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 20:06:52 ID:yhXfFCJQ
>>292
答えようがないというのは詭弁ですな。

>縁起には始まりがあることを証明する必要があります

こういうのを愚問という。
縁起に始まりがないというのなら、縁起は元からあったということになり、
釈迦の教えの根幹の一つである、一切行無常の教えからはずれ、あなたの説も
論理破綻してしまいます。

>現在瞬間はどういう意味があるのですか。

過去の結果。つまり縁起ですね。現在はすぐに過去になり、消えて行き、
今の状態の結果が縁となり未来が生起し。生起した未来は現在となり、現在はすぐに過去となり消え去る。
君は仏教を語るくせに、刹那滅もしらないのか。子供の屁理屈だな。
君にかかれば子供の屁理屈が仏教なんでちゅね(爆笑)

さて皆さん、ここに池沼がいる。池沼とはまともに会話が成り立たない。
そのことをまのあたりに我々に見せてくれるいいサンプルがここにいる。
この池沼の反論は誰が見たって、子供の屁理屈だろ(嘲笑)
298カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/12(土) 20:14:52 ID:STUzdWIz
まぁあれだ。
うまくできたもので、我執の強い者は、決して真理は悟れないようになっている。

逆立ちしたってな。

ここにいいサンプルがいるだろ。俺もこの池沼を、
後学の為にも、よく観察させてもらうとしよう。

晒しage
299274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 20:22:19 ID:dbUveQ2E
>>297
わたしはあなたに何も答えていない。
あなたは、自分の問いに自分で答える義務がある。
自問自縛は見苦しすぎる。

答えてください。
300神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 20:23:10 ID:U2x45BV0
誠成公倫うぜ〜。
301神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 20:27:37 ID:yhXfFCJQ
>>299
わたしはあなたに何も答えていない。

そりゃそうだ。答えたら自分の間違いを認めることになるからな。
我執の強いお前には答えるのは土台無理な話だ。

>あなたは、自分の問いに自分で答える義務がある。

そんな義務はない
俺はお前に聞いてるんだよ僕ちゃん。論旨どころか、日本語も理解できないのか?
答えろよ池沼。俺の問いはそんなに難しいのか?(嘲笑)

池沼だから答えられないのか?

晒しage
302274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 20:31:33 ID:dbUveQ2E
>>297
>縁起に始まりがないというのなら
 >あなたの説も論理破綻してしまいます。

私は縁起に始まりがあるとも、ないとも全く言っていない。
でっち上げ(うそ)は泥棒のはじまり。

答えてください。
303274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 20:34:31 ID:dbUveQ2E
まともに答えられるまで、待っています。
そうでなければ論破済みとして無視します。
304274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 20:37:47 ID:dbUveQ2E
もういちど>>283を熟読のうえ回答してください。
305274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 20:41:53 ID:dbUveQ2E
看よ 看よ 蝋月 尽く!
306274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/12(土) 20:59:33 ID:dbUveQ2E
では寝ます。徹夜で得意の戯論を考えてください。
307神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 21:18:09 ID:kmYo/cH2
>うまくできたもので、我執の強い者は、決して真理は悟れないようになっている。

自分で自分のこといってりゃ、世話ないな。
一人二役、脳内主客分離 、二重人格、妄想癖の強いやつだな。
308神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 21:18:39 ID:XtEDzTcZ
>>274
>龍樹の思想を丸呑みするわけではない。また、>原始仏教と結論付け ているわけでもない。
>『ナーガージュナの立場を参考にして、原始仏教を考える』だけだ。

まったく同意見。
309神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 23:28:03 ID:VRPTBcJa
池沼ってなんですか〜〜〜?

くすん。おしえてよぉ。
310神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 02:25:44 ID:wvMbeXYc
池沼とは知的障害者のことです。
知的障害者を略して知障。
「ちしょう」と入力して変換すると最初に出てくるのが「池沼」なので
使われるようになったと何処かの板で見た記憶があります。
本当に知的障害者だと思っているのではなく、話の通じない相手に
対して侮蔑的な意味合いで使われる場合が多いようです。

自分も原始仏教のスレッドタイトルに惹かれてここを覘きに来てい
ましたが、まともな話も出来ない人や、自らの考えもろくに示さずに
他者を貶めることしかしないしかしない人が多くてがっかりしました。

人間社会の中でのみ価値のある仏教、社会における一スキル
としての仏教なら現代の仏教で充分だと思います。
仏教をおかしな捉え方をしてきたので、本来仏教とは何を伝えようと
したのか見つめ直す意味での原始仏教であり、現代仏教と対比
させてこその原始仏教という呼び名ではないでしょうか。

訪れる人のためにスレッドタイトルを変えた方がわかりやすいとは
思いますが、ちゃんとした話をする人も数名いますし、自分はそういう
人の話がもう少し聞きたいのでこのままでいいかと思います。
311神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 02:30:04 ID:R77cFdKk
特定の症状を有する障害者を意味する婉曲表現。
リアルで連呼すれば逆に人格障害を疑われてしまう諸刃の剣。
312カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 05:50:34 ID:Isk6Tq42
な、池沼とはまともな会話はなりたたないだろ。
ここにそのいいサンプルがいる。ここまでくると池沼を通り越して、
基地外ノレベルだな。

我執が強い奴ってのは、どんなに論破されても、自分の間違いを決して
認めない人のことを言うんだよ。ここにもいるだろ。そういう基地外が。
他人様を戯論だと言ってる御仁が、現代の自然科学をまったく理解せず、
まったく無視して、ひたすら縁起、縁起、縁起、
竜樹、竜樹、竜樹とか抜かしているのには非常に笑える。

竜樹のアホが、現代物理学の、ビックバン理論、特異点
など知ったら、腰抜かすんじゃねぇの(苦笑)

別に俺の話は、現代物理学と照らし合わせても矛盾のないものだ。
ところが他人様を戯論だと抜かす縁起仏教、末法仏教者は、ビックバン理論を持ち出すだけで、
思考停止に陥る(大爆笑)

さて、戯論を言っているのはどっちのことやらね〜。
313カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 05:56:52 ID:Isk6Tq42
我執の強い奴ってのは、先にも言ったが、
どんなに論破されても、決して自分の間違いを認めない人のことを言う。

くやしかったら詭弁と屁理屈で逃げてばかりいないで、俺を論破してみな。

我執の強い奴は、決して真理は悟れない。これも真理だ。
なぜなら、我執の強い者と、真理は相反するものであるからである。

どの道我執の強い者は助からない。彼らは決して悟れない。よくできている道理だ。

314カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 06:19:06 ID:Isk6Tq42
アホウ陀羅經など、決して自分の意見を言わないくせに、
自分と違う意見の者をただ蔑むだけだろ。
こいつも自分の見解に恐ろしく執着している。こいつが決して自分の意見を言わないのは、
俺のような者に、コテンパンに論破されてしまうからだよ。
こいつの師匠などは、議論に負けそうになると、専門家にしか知らない、
他の分野を引き合いに出して、相手を煙に巻いて、議論の直接対決避け、相手がこいつの
難解な言い回しを理解しなければ、議論に勝ったつもりでいる、本末転倒なものだ。
こいつらは自分のプライドを守るのに必死。

あそうそう一度だけここのアホウ陀羅經が、自分の意見を言って論戦を仕掛けた
ことがあるのを見たことがある。相手はオウムの信者達だ。
こいつは、あいつらに自説で説教を始めたのはいいが、見事に返り討ちにあっていたのには
非常に笑えた。こいつは自分の師匠ほど、巧妙な論点ずらしや難解な言い回しで
議論をごまかすというテクニックが研ぎ澄まされていないので、あっというまに轟沈さ、ケラケラ。、
逆に言うと、こいつらの仏教理論は、難解な言い回しでごまかさないと、
オウムのような連中にも、たちどころに論破されてしまうほど、お粗末なものさ。
土台、なんでも唯物的に釈迦の仏教(原始佛教)理解しようというアプローチそのものに無理があるのさ。
それをこの我執の強い凡夫達は、自分の見解に恐ろしく執着するものだから、
一向に気付かず、結論は単なる心理カウンセラーレベルのものでしかない彼らの末法仏教を
得意げに語り、自分達と違う意見の者は、どんなに論破され続けても排除し続け、
ひたすら、論破された自説をこれぞ真の仏教だと、強弁し続けているのさ。

馬鹿に付ける薬は無しとは、よく言ったものだな。
315神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 06:36:38 ID:TlWrWdiD
カラス、正体丸出しだな。笑える。
316神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 06:53:05 ID:r8WDNf/Y
>>303
悩内勝利宣言乙。
低悩児丸出しだなおまえ。
317机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 07:44:36 ID:eMxQ/bYK
>>313
>くやしかったら詭弁と屁理屈で逃げてばかりいないで、俺を論破してみな。

私が論破しましたけど。
善行はしなくていい。ってことを。
善行というのは「民衆救済」の延長戦上にあるんでしょうけど、
そもそも「民衆救済」という思想そのものがアンチ仏教だし、
これを教義に掲げる時点で法から離れる。

318honoo:2007/05/13(日) 08:07:33 ID:mvbxvthA

なんだか へんだなあ。

いや 理屈はあるんだろ。
319274 戯論寂滅 戯論派殲滅:2007/05/13(日) 08:45:34 ID:ZAi5YG13
>>313
ケロンパ・カラスは昨日で完全論破済み。
 自問自縛の姿は哀れな破れカラスだった。

 ナーガールジュナは否定の論法だが、
 私は無記-無答の論法。

  では、アッジェのように、都市の風景のなかに外界のリアルな美醜哀を
  写しにいってまいります。
  カラーよりも深いモノクロ・セピアのほうが美しいと感じます。
320カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 08:50:51 ID:Isk6Tq42
>>317
おれがいつお前に論破された?
論破されているのはいつもお前のほうだろうがよ。
お前は俺のいう善悪の意味をまったく理解せず、
歴史の先生と同レベルの、世俗の善悪の ”価値観” を引き合いに、
何度も論破された話題を持ち出しては、永遠と同じ反論をしてくる、
基地外ではないか。論破された話題をいつまでもオウム返しでしてくるのは
この善悪に限らず、他のことでも同じだ。お前は一回病院で見てもらえ。

悪をなさず、善を成しなさい。というのが釈迦の教えだ。
別に万民救済んことを言っていない。人が言ってもいないことを勝手に捏造して
言うな。ま、いつものパターンだがな。見ててみ、こいつ、次は、俺はオウムだとか、
例によって、議論で勝てないとなると、根拠のない、レッテル貼りで逃げ出すから。
それでまた同じ事を言い出す。この人も我執の鬼。自分の見解に恐ろしく執着し、
どんなに論破されても、決して自分の考えを改めず、決して自分の過ちを認めない。

しかしお前らよ、お前らの脳内では、どんなに論破されても、>>303のアホみたいに、
自分は論破されているのではなく、論破したと勝手に脳内変換して、強弁すれば
議論に勝ったとことにしてしまうんだから、ある意味無敵だな。それがお前らの仏教、
涅槃なんだろう(嘲笑)

単なる基地外だよ。
321神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 09:16:07 ID:uxrZQJsJ
>>320
>別に万民救済んことを言っていない。

万民(他人)を救う前に、まずは自分自身を救えということだと思うが、
相手を論破している人が「自分は既に救われている。」と思っている場合、
逆に他人が論破しても平行線のままだと思うが、いかがなものか。

カラス氏、他者(机氏他)、両者に問う。
322草レーサー:2007/05/13(日) 09:50:18 ID:cQPL0fbL
公正な土俵のないところで勝敗を決しようとするのは土台無理。
「論破した」と決める根拠が、各自の見解なんだからね。

モーターレーシングですと誰が早いか遅いかを決定する誰にも
わかる基準がある。
それでも負けて、まわりにあたり散らすこともあるけどね。
323阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/13(日) 09:51:13 ID:JEnNxxO1
論破も何も、>>1で排除済の足切底辺外道どもは、端から圏外論外問題外の汚穢に過ぎない(冷笑)。
324神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 09:56:04 ID:OGI3Se/m
>>323
オマエはそればっか。だからカラスにバカにされるんだよ。
理屈で負かしてみろよ。
325阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/13(日) 10:05:18 ID:JEnNxxO1
「理屈」などと全く無縁の足切底辺外道は、無知蒙昧の穴倉で無意味な絶叫を繰り返すのが身の程相応(冷笑)。
娑婆世間に意見しようなど百千万劫以上早いのだ(失笑)。
326机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 10:45:20 ID:d5cSNcJ4
>>321
善というのは個別的価値観です。
共産主義者とすれば、政府を倒すのが善であるし、
また、皇国史観を是とする者は国体護持こそが善である。
その天皇を折伏して、国立戒壇をせよ。
ってのが日蓮の三大秘法だし、
この三者の善を求めたら、それは闘争しかありえんですね。

この闘争に依って社会は発展する。
というのがマルクスの唯物弁証法です。

仏教においては善悪というのは俗諦です。
真諦においては慈悲ですから、ここにおいての「善行する者」と
「善行を受ける者」という差別は全くない平等一枚な訳です。



327机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 11:09:24 ID:eMxQ/bYK
>>320
>悪をなさず、善を成しなさい。というのが釈迦の教えだ

釈尊の教え。というよりも、これは一般的な社会規範のことで、
この「一般的な社会規範」のことを俗諦という。

これは、人が社会生活を営む段階において培われる最大公約数的な価値観です。
これを仏性という訳ですが、
無明ですと、この仏性も霧に包まれまして見えてこんのです。
328神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 11:24:38 ID:UnOnwzn4
>>319
>私は無記-無答の論法

もまいの無記、無答は単なる思考停止。

晒しage
329カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 11:31:29 ID:Isk6Tq42
>>326
>善というのは個別的価値観です。
>共産主義者とすれば、政府を倒すのが善であるし、
>また、皇国史観を是とする者は国体護持こそが善である。

まだそんなこと言っているのか。
何ぼ言うてもわからんやっちゃ。お前の理解力は絶望的だな。

ま、理解力ゼロの人間に、お前の好きな言葉である、真諦の話をしても無駄だ。
俺も何度も同じことを言うのは疲れる。

一つお前に聞こう。
オウムの起こした事件は、善か悪か?答えてみろ。

しかしこいつらにかかると、真諦、俗諦という言葉も、方便、待機説法という言葉と同じく、
自分達の詭弁のいい道具になるな。こいつらは終わっとる。
330カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 11:32:55 ID:Isk6Tq42
>>327
>釈尊の教え。というよりも、これは一般的な社会規範のことで、
>この「一般的な社会規範」のことを俗諦という。

それは釈迦から聞いたのか?
331カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 11:42:24 ID:Isk6Tq42
>>327
もう一つお前に聞こう。
山口母子殺人事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yamaguti-hanketu.htm
このを起こした少年の行動は、善か悪か?
俗諦の話はいいから、お前の大好きな”、お前の真諦の見解” で、答えてみろ。
332机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 12:04:01 ID:eMxQ/bYK
>>329
>一つお前に聞こう。 オウムの起こした事件は、善か悪か?答えてみろ。

私からの視点ですと悪ですね。
>>330
>それは釈迦から聞いたのか?

義務教育就学以前において、
「よい子vsわるい子」の例えでもって教育を受けた覚えがあります。
以後、小学校の道徳の時間でも、このことは先生から教育を受けましたですね。
はい。
>>331
>俗諦の話はいいから、お前の大好きな”、お前の真諦の見解” で、答えてみろ。

真諦の見解ちゃ〜なんですか?
真諦というのは見解はないですね。空即是色ですから。
「見解」というのは俗諦になります。
俗諦で「私からの視点ですと悪ですね」。→前記のとおりです。

333カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:09:46 ID:Isk6Tq42
もちろんスッタニパータにも善悪を捨てろと言う記述もある。
その一方で。善を成し、悪を成すなとも書いてある。
この善悪を捨てろとは、世俗的な、ここの詭弁家達の好きな言葉で言うと、俗諦である価値観の、
善悪を捨てろと言っているのだ。そして、どちらか一方のものの味方でころころ変わる
善悪ではなく、自他を識別して存在している我々我存在する限り存在する、真諦における、
普遍の善悪の、悪を滅ぼし、善を成しなさいといっているのだ。

スッタニパータの善悪は、机の言うように、俗諦での説明どころか、
真諦(真諦、俗諦という表現は気に食わないが)での説明の他ならない。机はここでもおおきな
誤謬をしている。俺は、真諦における、善悪の話しをしているのだ。
世俗的な善悪の話をしているわけではない。みてな、こいつの回答は、俗諦どころか、見事、邪見に満ちた、
善悪の判断を示してくれるから、在る意味見ものだよ。
334カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:13:56 ID:Isk6Tq42
>>332
お前の真諦の話は、あくまでお前の解釈だから、お前の見解だと言っているんだよ。
おまえ、本当に理解力ないんだな。

>私からの視点ですと悪ですね。

だからさ、お前の言う真諦のものの見方だと、彼らの起こした事件は、善か悪かと聞いてるんだよ。
相も変わらず、論点ずらし、詭弁でごまかすな、おまえ。論点すらし、ごまかしで、
議論に勝ったつもりでいるお前は、智慧の欠片もない、立派なアキメクラだよ。
335机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 12:20:19 ID:d5cSNcJ4
>普遍の善悪の、悪を滅ぼし、善を成しなさいといっているのだ。

「普遍の善悪」など、そもそも人の妄想でしかないんだよ。>>326参照

>真諦における、善悪の話しをしているのだ。

真諦とは、善悪未分のことですから、
そもそも文章が論理矛盾してます。

で、貴殿は「善」について関心があるようだけど、陽明学など勉強したらどうですか?
さすれば至上善まで到達できる。
三島由紀夫は、この行動哲学において自刃した。
336カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:21:31 ID:Isk6Tq42
>>325
おまえはよっぽどおまえが足切底辺外道と蔑むオウムの連中に、
法論を戦わせたはいいが、コテンパンに論破されたことが、よっぽどトラウマになっているんだね(嘲笑)

そうやって、議論から逃げてれば、少なくとも負けることはないもんな〜〜〜〜(嘲笑)

チキン野郎が、ククク。
337机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 12:27:03 ID:eMxQ/bYK
>>334
>だからさ、お前の言う真諦のものの見方だと、彼らの起こした事件は、善か悪かと聞いてるんだよ

貴殿は「真諦」の意味をまだ解ってないようだね。
「真諦のものの見方」というのは論理矛盾です。
判断というのは、俗諦のことだよ。
338カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:27:34 ID:Isk6Tq42
>>335
>真諦とは、善悪未分のことですから、

だからさ、この世界は真諦なのか?この世界は二項によらずなどと言うおまえは、
トンデモさんなんだよ。だからおまえは脳内で空の世界をさ迷っていると、揶揄されるんだよ。
あのな、この世に、善悪はない。ではなく、善悪があるからこの世なんだよ。
せいぜい脳内空の世界をさ迷っていろ。

ちゅうか俺の質問に答えられないのか?答えられないのならおまえは思考停止に陥ったことになり、
俺に論破されたわけだ。このくらいのことはわかるよな?
339カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:30:34 ID:Isk6Tq42
>>337
詭弁でごまかすなよ。言葉の定義など誰も聞いていない。
言葉の定義はいいから、聞かれたことに答えろ。それとも、よう答えられないの?

いつものパターンだな。(嘲笑)
340カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:36:17 ID:Isk6Tq42
>>337
ものの見方と言う ”表現” が気に食わないのなら、
真諦で彼らの起こした事件は善か悪か、”説明” してみろよ。

おまえいつも、真諦とはどうたらこうたらと、真諦について、”言葉で説明(表現)しているだろう”
都合の悪い事だけは、それは言葉で説明(表現)できないなどと、お特異の屁理屈でごまかすなよ。
341机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 12:37:12 ID:eMxQ/bYK
>>338
真諦というのは思考以前のことだよ。
思考というのは、そもそも二項に依って思考ができる訳だから、
その範疇でしたら、どんなに頑張っても俗諦でしかなりえない。

世界が二項に依る。という考えは二元論という。
仏教は不二元論なんです。
342机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 12:42:17 ID:d5cSNcJ4
>>340
>真諦で彼らの起こした事件は善か悪か、”説明” してみろよ。

まだ解らんようだね(涙
真諦から環滅するのを空即是色という。
343カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:44:35 ID:Isk6Tq42
>>341
だからこの世は二項に寄らずなんですね?わははははは。

釈迦の言葉。
この世を泡沫の如し、陽炎の如しと観よ。そのように観ずれば、死魔の王も彼をみない。

おまえはトンデモさんだよ。

都合のいいときは真諦をおまえの思考の産物である言葉で説明するくせに、
都合の悪いことは、それは思考では説明できないなどという詭弁でごまかさず、聞かれたことに答えろ。
344カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:48:16 ID:Isk6Tq42
>>342
おまえの言っていることは理解しているんだよ。

おまえは根本的なところで、誤謬している。

ちゅうか、聞かれたことに答えろ。答えないで逃げると言うことは、俺の勝ちだな。
345机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 12:51:38 ID:eMxQ/bYK
>>343
>だからこの世は二項に寄らずなんですね?わははははは

そんですね。
仏教は陰陽思想とも違いますね。

貴殿は何か勘違いでもなさってるんじゃないですか?

陰陽だから善悪に拘ってしまうのですよ。
仏教は、この思想と違いますね。
346カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:52:42 ID:Isk6Tq42
>>341
真諦というのは思考以前のことだよ。というなら、はなから真諦について、
言葉でここで書き込み、能書き垂れるなよ。一方で、言葉でそれを説明し、一方で、
都合の悪いことはそれは思考の及ばないことなので答えられないなどと言うのは、
詭弁と言うんだよ。おまえの仏教は、ただの詭弁だよ。
347カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 12:57:22 ID:Isk6Tq42
>>345
な、こいつは脳内空をさ迷っている、トンデモさんだろ。(嘲笑)

釈迦はこの世を捨てろと言ったんだよ。

屁理屈はいいから、聞かれたことに答えろ。

俺はおまえらと違って、聞かれたことは誠実に答えてるぜ。
348机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 13:02:18 ID:d5cSNcJ4
>>346
>一方で、言葉でそれを説明し、一方で、
>都合の悪いことはそれは思考の及ばないことなので答えられないなどと言うのは

真諦は、俗諦において説明することはできる。
私は何度も「例示」として書き込みはしてきました。
善悪についても、俗諦の例示でもって説明しましたし。

すべて私は貴殿の問いには答えておりますよ。
まあ、簡単に言えば、仏教は唯物論と観念論の中間あたりの思想です。
客体(唯物)とか主体(観念)とか、その一方を論じても結論は出ない。

349机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 13:05:35 ID:eMxQ/bYK
>釈迦はこの世を捨てろと言ったんだよ。

既存の価値観を捨てろ。という意味を、
衆生に解り易い言い方をしたまでのこと。
リアルに捨てられるわけはない。
350神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 13:07:50 ID:O8jXDJ7j
日曜日の朝からカラスの唄さんを一人占め。いいなぁ。
351神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 13:19:31 ID:cLo8jj3u
二人とも負けず嫌いだ、というとこまでは、わかった
352カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 13:25:46 ID:Isk6Tq42
>>348
答えてないじゃないか。真諦は俗諦において説明することはできるんならそれで結構なので、
私の問いに答えてください。
353神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 13:33:03 ID:UnOnwzn4
机さん。あなたが明言を避け、
カラスさんの問いに答えないで逃げるのなら、あなたは負けです。
少なくともカラスさんがあなたに答えろというのは理屈が通っている。
それに引き替えあなたが聞かれたことに
あーでもないこーでもないと明言をさける理由は理屈が通っていない。
あなたの理屈はただの屁理屈、詭弁です。
354カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 13:48:43 ID:Isk6Tq42
>>349
イエスは見事に捨てたぜ。
355机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 13:50:49 ID:eMxQ/bYK
>>352
真諦というのは、そもそも善悪とかの二項そのものがない。
ないもんで答えられる訳はない。

だから答え(二項分別)るなら俗諦ということになる。

もっと詳しく書いてあげよう。
真諦というのは、分別のない無分別相のことを言う。
これではコミュニケーションとしては成り立たない。
成り立つためには俗諦(分別相)においてのみである。

この真諦から俗諦へのことを空即是色という。
356カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 13:59:09 ID:Isk6Tq42
>>355
だからこの世界は二項によらずでちゅね?
なら縁起説も、因果応報も、全て無効でちゅ。
論理破綻でちゅね。脳内空の世界にさ迷うのは楽しいでちゅか?

ごまかしはいいから聞かれたことに、単刀直入に簡単な言葉で述べろよ、池沼。
357カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 14:00:57 ID:Isk6Tq42
>>355
>真諦というのは、分別のない無分別相のことを言う。
>これではコミュニケーションとしては成り立たない。
>成り立つためには俗諦(分別相)においてのみである。

>この真諦から俗諦へのことを空即是色という。

この世界には縁起はないのですね。あなたの説ではそういうことになります。
答えなさい。
358カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 14:21:02 ID:Isk6Tq42
末法仏教者達の迷信シリーズ、その3

空の意味について。
彼ら末法仏教者達の典拠のよりどころになる経典は、スッタニパータなどの原始経典ではなく、
竜樹などの書き残した、中論、般若心経などの、大乗経典です。
それら妄信する者達が、自分達は原始佛教などというところが、彼らの思考回路のレベルを
物語っています。さて、空ですが、彼らの教祖である竜樹による中論によれば、
縁起であり、二項によらないと成り立たないそれらは自性のない無自性なものであり、それは言葉で
あらわすと空のようなものであるであります。詳しくは、佐倉さんのHPで確認してください。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku00.html
つまり縁起=無自性=空。ということです。それをこの「空」という単語に囚われた愚かな現代の
末法仏教者達にかかれば、一相=無相=空。という解釈にもなります。
ここで智慧のある人ならすぐに気付くと思うのですが、かたや無自性であり、方や自性であります。
彼らは論理破綻していることも気がつかない、メクラです。

色即是空=空即是色の空とは、竜樹の説を採るなら、無自性と取るべきです。
そう解釈すれば、なんら矛盾しません。それを、空とは、一相=無相だとするから、彼らの説は、矛盾だらけになるのです。
空を、一相=無相と捉えると、竜樹の縁起説などは全て崩壊します。智慧のある人なら理解するでしょう。
縁起で成り立つこの世界は、無自性なものであり、実体がないということは、カラ(空)のようなものである。
この世界に、一相=無相=自性を求める者は全て誤謬である。これが正しい見方。正見というのです。
359机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 14:24:14 ID:d5cSNcJ4
>だからこの世界は二項によらずでちゅね?
>なら縁起説も、因果応報も、全て無効でちゅ。

縁起というのは二項に依るもんじゃないですよ。
縁において二項が成り立つ。
つまり二項というのは「縁起(一義)による二項(二義)です。
縁起を空。二項を色。などと言いますね。
空即是色のことです。

>この世界には縁起はないのですね。あなたの説ではそういうことになります。
答えなさい。

縁起というのは、生起してそのまま生滅しますから、
実体有とか実体無というような概念においては定義つけられませんね。
ですから、実体有にあらず。実体無にあらず。
の中道にて調ふたら宜しいかと思います。

           <花押>
360カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 14:31:00 ID:Isk6Tq42
>>359
>縁起というのは二項に依るもんじゃないですよ。
>縁において二項が成り立つ。
>つまり二項というのは「縁起(一義)による二項(二義)です。

ブー。間違いです。
縁起が一義によるなら、縁起は自性になります。
それ以前に縁起とは一項では成り立たず、ペアになるものがあってはじて成り立ちます。
つまり、単独では成り立たない、無自性なものであるということになります。

縁起が二項によらずなどというのはトンデモさんです。

池沼さんよ、相対するものがなければ、どうやって縁起が成り立つんだい?

ちゅうかおまえは聞かれたことに答えろよ。論点ずらしてにげんてんじゃねぇよ、池沼。
361カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 14:39:59 ID:Isk6Tq42
あのな、俺が机を叩くのは、こいつの能書きは、
善悪などない。そんなものに囚われるから人には苦がある。
そんなものはないのだから他人の迷惑は顧みず、自由奔放に生きよ。
それすなわち涅槃静寂などというのはとんでもない教えでな。
釈迦の仏教からは、真っ向から対立するものだ。

釈迦の教えとは、

七仏通戒偈
もろもろの悪をなすことなく(諸悪莫作)
もろもろの善をなし(衆善奉行)
みずからの心を清澄にすること。(自浄其意)
これが諸仏の教えである。(是諸仏教)

四正勤
すでに生じた悪を除こうと勉めること
悪を生じないよ七仏通戒偈 うに勉めること
善を生じるように勉めること
すでに生じた善を増すように勉めること

である。もちろんこれは、世俗的な善悪を言っているのではなく、真諦における、
善悪のことを言っている。

机の思想こそが、麻原のオウムを生み、あの事件を生んだんだよ。机のような邪見の王様に
騙されてはいけない。
362机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 14:44:03 ID:d5cSNcJ4
>>360
>池沼さんよ、相対するものがなければ、どうやって縁起が成り立つんだい?

誰でもそう思うかもしれません。
しかしながら縁起の解釈はそうじゃないんですね。
簡単に説明します。

ご飯を食うたら「美味い」と思った。
縁起というのはこの「美味い」です。
「美味い」においてそれを生起する「ご飯と貴殿」という関係性が成り立つ。

前者と後者は、どちらが一義か?どちらが二義か?
私が説明することもなかろう。
かように調へば宜しいかと思いますね。

363机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 14:50:02 ID:eMxQ/bYK
>>361
>である。もちろんこれは、世俗的な善悪を言っているのではなく、真諦における、
善悪のことを言っている。

真諦には、そもそも善悪というのはなく、
これに近い概念が仏性ということになる。
仏性というのは「本来備わっている」という意味で、
これにあえて注釈いれることもなく、
自然無為のことです。
364机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 15:03:24 ID:eMxQ/bYK
>池沼さんよ、相対するものがなければ、どうやって縁起が成り立つんだ

貴殿のすぐ横に美人が座ったとする。
相対する者があったとしても、それで直ぐに関係性が成り立つか?
というのは、貴殿は経験則において学習しているかと思うが、
たいがいは「関係性が成り立たない方が多い」。
つうことは、
相対が揃ったところで、関係性まで発展するのは難しい。
ってことだよ。

365カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 15:08:53 ID:Isk6Tq42
>>364
あほか、おまえは。

縁起とはこれありてあれありだろう。
おまえのたとえは、おかしいんだよ。その女は、それ単独で存在したのか?
ときいてるんだよ。論点のすり替え。おまえの問いはおかしい。

机のような詭弁家とはまともな会話は成り立たない。

二項によらないものが、どうやって縁起が成立するんだよ。
366カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 15:11:00 ID:Isk6Tq42
で、俺の問いには結局答えずか。
俺の問いに、答えられないのなら、おまえの負けだな。

方や言葉で語りながら、都合の悪いことは、それは言葉では語れないなどと言うのは
単なる二枚舌。詭弁でしかない。
367カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 15:13:44 ID:Isk6Tq42
ま、俺がいるから女は俺の横に座ったということになるな。

女が俺の横に座ったということは、縁起によるものです。
368神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 15:14:04 ID:R9V6dAHR
机はず〜っと前から詭弁家で、もう相手するのも馬鹿らしいから止めています。
今生の世では救いようがない。
来世でもどうかなぁ。まあ無理だろうな。
369机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 15:21:52 ID:eMxQ/bYK
>縁起とはこれありてあれありだろう。

「これ」とか「あれ」は仮設のももんで、
それが和合したのが縁起。
縁起において「これ」とか「あれ」が分別できる。

そもそも「これ」とか「あれ」が自性としてはないから、
「これありてあれあり」。という相互依存においての「これ」と「あれ」
になる。

貴殿の論法では「これ」と「あれ」が”先ずありき”なんだよ。
そこが誤謬です。
370カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 15:28:46 ID:Isk6Tq42
識別作用をなくすのが涅槃なら、善悪に分けて他者を識別する心、行動のことを悪であり、
他社を善悪に識別することなく、等しく観ることを善である。
万物は一つであると知ると、あれとこれと区別、差別することなく全て等しく見るものの見方が善であり、
あれこれ区別して、自分の好き嫌いで区別差別することなく等しく愛するのが善であり、自分の好き嫌いで
愛するのは悪である。アキメクラにはいくら言っても理解できん言葉で説明する、
真諦における善悪の判断の説明を理解できんわけだ。

言っとくが、この世界は縁起で成り立つ、二項によるものだ。これを否定するものは、
原始佛教以前に、単なるトンデモさんである。

で、机よ、俺の質問にはいつ答えてくれるんだい?回答できないと言うことは、おまえは俺に
論破されたわけだ。俺はおまえと違って、詭弁でごまかすことなく、簡単明瞭に俺の問いに答えることが出来るぜ。
371カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 15:32:20 ID:Isk6Tq42
>>369
>それが和合したのが縁起。

縁起は「一」ですか?
もうめちゃくちゃですな。
”和合”とは単独でなりたつのでちゅか?
子供でも言わん屁理屈ですな。
言ってることがもうめちゃくちゃ。論理破綻どころか、理論的でもない。

おまえ詭弁ばかりで口答えしないで、まともな論法で反論してみろよ、池沼。
372神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 15:37:40 ID:UnOnwzn4
縁起にしろ、和合にしろ、あれとこれがあってはじめて成り立つものです。

机さんの話は論理的に成り立ちません。机さんの負けですね。
373机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 15:38:27 ID:d5cSNcJ4
>>370
>で、机よ、俺の質問にはいつ答えてくれるんだい?

すべて私は答えておるじゃないですか。
>>367にしても、縁起において自他という識別作用も成り立つ訳でして、

>女が俺の横に座ったということは、縁起によるものです。

貴殿自身が既にこういうふうに書いておるじゃないですか?
色作用と心作用の違いであって、そのベクトルは>>362と同じです。

>>362が色作用
>>367が心作用

374カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 15:46:57 ID:Isk6Tq42
>>373
うまいと感じた野は結果である。
結果があるということは、原因がある者である。
つまりうまいと感じるには、それ単独では生起しえないものである、
女が俺の隣に座ったというのもしかりである。

この世界は識別があるからこの世界である。だからうまいと感じる結果もあり、
女が俺の隣に座ると言う結果もある。この世界に識別作用がないというものは、
脳内空をさ迷っている、基地外である。

心も色も、識別作用から生まれるものである。

しかしこの詭弁家、相当性質が悪いな。
375カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 15:51:49 ID:Isk6Tq42
>>373
で、オウムの事件の当事者がやったことは、言葉で真諦的に表現するなら
善か、悪か。母子殺人を犯した少年はしたことは、善か悪か、答えてください。

普段、言葉でやれ真諦とは何たら間たらと説明する御仁が、都合の悪いことは
それは言葉では説明できないと言うのは、単なる詭弁です。
あんたが本当にそう思うのなら、はなから真諦について語らないことです。
この理屈がメクラのあなたにわかりますか?
あなたの能書きは単なる二枚舌、きべんでしかありません。
あなたがこの問いに明言を避けている限り、善悪について、あなたは論破されています。
376カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 15:55:21 ID:Isk6Tq42
真諦は言葉では説明できないと言うのは、単なる詭弁です。
あんたが本当にそう思うのなら、はなから真諦について語らないことです。
なぜなら言葉では語れないんでしょう? でもあなたは語っている。
論理破綻しています。
377カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 16:02:41 ID:Isk6Tq42
少しでも智慧のある人ならお気付きだと思うが、
机の能書きは仏教の根幹である、一切行無常。一切法無我の教えから
相反するものである。彼の話はmはや仏教ではなく、
机教である。これ、外道の教えと知るべし。
378神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 16:13:10 ID:R9V6dAHR
机は、2chでは知る人ぞ知る有名な詭弁家で、心得る人はまったく相手にしません。

過去にケチョンケチョンに論破されて、また性懲りも無く低脳ブリを晒している愚か者です。

どうぞ、相手にしませんように。
379神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 16:38:30 ID:ZAi5YG13
真諦では善でも悪でもない、そのような「評価」から離れている。

世俗諦=共同幻想での規範的評価基準では一般的に現在は悪と評価される。

キリスト教徒が宗教戦争でキリストの名において多数の異教徒を惨殺した、これは悪か善かを答えてもらおう。

5億光年離れた惑星で生命の大量強制消滅があったーわが地球の世俗諦で評価すること自体がナンセンスだろう。

鯨がオキアミという生命をエサにして数十万の命を奪った。
これは世俗諦でも善悪評価から離れている。
真諦においては存在に差別はないからだ。

道徳の善悪評価基準は世俗諦=共同幻想の運営をスムースに行うことに資する。
だから世俗諦の評価基準は時代によって変化するあくまで相対的な性質がある。
絶対的な善悪などというものは存在しない。
380379:2007/05/13(日) 16:47:54 ID:ZAi5YG13
>>375への勝手な横レスです。すみません。
381机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 17:43:27 ID:eMxQ/bYK
>>374
>結果があるということは、原因がある者である。

美味いという結果があるからこそ、自覚とご飯の関係が明白になる。→これが原因
これは女が寄って来る話でも同じことです。
女と自分という位置関係が明白になる。→原因

縁起(空)において識別(色)が成り立つことを私は説明しちょるんですよ。
識別(色)において縁起(空)が成り立つなんて、論法としても矛盾です。
どうか、既に私に論破されておるんですから、
よく私の書き込みを精査してください。
382机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 17:55:11 ID:d5cSNcJ4
>>378
>机は、2chでは知る人ぞ知る有名な詭弁家で、心得る人はまったく相手にしません。

私は過去に、2ちゃんねるガイドに紹介されましたけど、
「詭弁家」などというのは書いてありませんでしたね。
どこぞで「詭弁家」が有名になっとるんですか(笑
383カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 19:14:42 ID:Isk6Tq42
>>381
>美味いという結果があるからこそ、自覚とご飯の関係が明白になる。→これが原因

それは原因ではなく、結果。
狂っている。詭弁もここに極わまれる。
自分で言っていることがおかしいと思わないか?
これは因果律を無視した大変お粗末な屁理屈だ。

基地外共は自分が論破されていても、いや違う。私が論破したと強弁すれば、議論に勝ったと、
脳内変換できるらしい。狂っている。

ちゅうかおまえ、早く聞かれたことに答えろよ。
384カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/13(日) 19:18:22 ID:Isk6Tq42
>>379
こいつは馬鹿すぎる。

真諦、真諦、真諦と抜かしている人が、いつまでも世俗諦の話をしている。

頭が悪すぎる。
385机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/13(日) 20:12:08 ID:d5cSNcJ4
>>383
>>美味いという結果があるからこそ、自覚とご飯の関係が明白になる。→これが原因

>それは原因ではなく、結果。

そうじゃないよ。
例えば、ご飯と認識するには目識と味覚による。
盲目の人だったら「味覚」においてご飯であることが認識できる。
「味覚」が先で、認識というのはその後だろ?
この理論はわかる?
それが、
>美味いという結果があるからこそ、自覚とご飯の関係が明白になる。→これが原因
これに繋がる。
私は誰にでもわかるように縁起を説明しとるんだがね。
それでもわからんですか?

まあ、今日はこれで寝る。



386神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 20:27:56 ID:ZAi5YG13
話がかみあうわけがない。
カラスをみているとグノーシス→マニ教的二元論の世界であり、
中道なんぞクスリにもしたくはないだろう。
いずれにせよ、滅び去った博物館の亡霊だ。
すねた亡霊精神は月を看ようとはしない。
387神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 20:32:55 ID:2jVzbxyf
唐突だが、
カラスは、律蔵(或いはパーティモッカ)、及び梵網経をどう位置づける?
スッタニパータばかりでなく、それらについての見解も聞きたいなw

机には聞かない。聞いても無駄だと思うからw
388神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 21:56:56 ID:UnOnwzn4
>>385
もまいの言っていることは
時系列を全く無視した滅茶苦茶なものです。

脳内空の世界は楽しいですか?
389神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 02:25:29 ID:w3XYmc6a
仏典は観察日記だ
観察日記を必死になって観察するよりも、自分で観察したほうがいい

猿図鑑を観察するより、生の猿を観察したほうが、猿を知ったことになる
動物園の猿を観察するより、野生の猿を観察したほうが、猿を知ったことになる
野生の猿を観察するさい、猿に人間の存在を知られた場合、猿は本来の動きをしない場合が多い
そして、その場合、猿を観察しているのではなく、人間を観察している猿を観察している
ミイラ取りがミイラになってしまっているのだ

390カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 03:10:51 ID:iPJ/TJFN
>>362
>しかしながら縁起の解釈はそうじゃないんですね。
>簡単に説明します。
>ご飯を食うたら「美味い」と思った。
>縁起というのはこの「美味い」です。

しかし読めば読むほどおかしな説明だ。美味いは、元からあるのかよ?
なら自性だな。釈迦は一切法無我と言っているんだから、この表現はおかしい。
美味い=縁起などというのは詭弁を通り越してトンデモさんだ。
美味いと言うのも、舌と食物からなる二項によるものであり、美味いというものが先にありき
というのは、因果律の法則からして、ありえない、戯論です。

おまえの誤謬はな、相対で成り立つこの世界と、一相=無相という意味の空と、
ごっちゃになっているんだよ。二項により成り立つこの世界は一相=無相を捜してもどこにもない。
だから釈迦は、頭に”一切” を付けて、法無我と、行無常を説いたんだよ。
つまり二項により成り立つこの世界には、自性はありませんよ。ということだ。
もう一つ言うと、おまえら末法仏教者に聞くけどさ、おまえ達の教祖の竜樹は、
縁起=無自性=空と言う意味での、空と言う言葉を使っていたってこと知っているか?
おまえらは、縁起=無自性=空と、この一相=無相=空と、ごっちゃになっている。

おまえら本当に馬鹿だよな。
391カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 03:14:30 ID:iPJ/TJFN
机は、俺の質問に対して、解答を避け、逃げている。

つまり善悪については、俺に論破されているわけだ。

なにせおまえは、戦いを放棄しているものな〜〜。

こいつが、それは言葉では説明できないというのはただの詭弁による逃げでしかない
ということは、ここで何度も論証している。
392カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 03:22:16 ID:iPJ/TJFN
>>386
知ったかグノーシス乙。

無知なおまえに教えてあげるよ。
グノーシスの思想の行き着く先は、究極の一元論なんだよ。
もちろん縁起の思想も出てくれば、中道の思想も出てくる。
おまえ馬鹿だから、なぜ父なる神は、右のものと、左の者の中央に座していると表現されるか
理解不能だろう。ここは馬鹿ばっかり。集まりが悪すぎる。
ちなみにここのスレたてたアホンダラアァは、机にも言い負かされるほど、貧弱な人である。
393カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 03:43:43 ID:iPJ/TJFN
結局味覚と言うのも五蘊が作り出す、無自性な空である。
五蘊そのものも縁起で成り立つ無自性な、空である。

縁起とは、Wikipediaの言葉を借りると、関係の中での生起であり、
小部経典『自説経』(1,1−3菩提品)では、これは
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す
と説かれる。これは「此」と「彼」とがお互いに相依相成しているのであり、それぞれ個別に存在するものでないことをいう。
すなわち有・無によって示される空間的にも、生・滅によって示される時間的にも、すべての存在現象は、
孤立してでなく相互の関係性、つまり二項によってのみ現象していることが説かれている。
釈迦がさとったように、いっさいのものは、独一存在でなく、
無我である。しかし、すべてが無我でありながら、価値を持ち、存在性を持ちうるのは、
すべてが縁起であるからである。この関係においてのみ存在者は存在性を獲得することができる。

そいういうことだ、味覚というのも、縁起による産物であり、味覚そのものが縁起と言う机の説明は、おかしい。
机は、国語からやり直したほうがいいと思う(苦笑)

394カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 03:46:18 ID:iPJ/TJFN
机をこの機会にコテンパンに叩きのめしたいのだが、
夜まで書き込みが出来ないのが残念だ。今日は疲れているのでもう寝るとしよう。

おやすみ、アホ共。
395p:2007/05/14(月) 04:32:43 ID:tmoXzWid
カラス殿おひさ
先日ルンビニー・ブッダガヤと廻ってきた。
ブッダガヤの前正覚山が非常に印象的。
最後の苦行をしたところでね、その洞穴に入って瞑想が出来る。
2500年前の釈迦牟尼と同じようにね。
観光・巡礼者もあまり来ないので、まさに穴場だったなぁ

菩提寺の金剛宝座は、麻原が来て其処で私が神だとのたまったので
現地の人々が怒ってしまい、厳重な囲いがされ、
以降誰も勝手に座れなくなってしまったらしい。
その後の日本での事件も、まあかなりの裏があるとは言え、
その罰が当ったのかもねぇ。
インド人は事あるごとに罰を口にするので、妙に納得してしまった。
396机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/14(月) 06:46:26 ID:0wwHg9Hx
>>388
>もまいの言っていることは
>時系列を全く無視した滅茶苦茶なものです。

結果→原因の論法を帰納法といふ。
原因→結果の論法を演繹法といふ。

時系列の問題ではなく、哲学・思想を語ちるための基本論法ですね。

397隠居が一番:2007/05/14(月) 07:07:18 ID:5moD9yNp
 ブッダの教えを咀嚼すれば、執着に捕らわれた世俗的価値観を超越して生きることだから、
日本ではできるだけ早く無常=無我=縁起を悟って、(若)隠居しろということになる。
欧米風にいえば(ヤング)リタイヤか。
生活に追われて執着心満載で必死に働くなんて願い下げだ。
人生をなんだと思っているんだ。馬鹿にするな。

おいらは事実上実現した。
世間の最小限の義務(納税と輪番町内会役員)以外は気ままにゆったりできると思ったら大間違い!
ふりかえってみると、やりたいことが山積みあって、かえって忙しくなった。困ったもんだ。
このままいけば、笑って死ねると思う。
 
398カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 07:16:50 ID:iPJ/TJFN
>>395
おはよう。

正直うらやましす。。

おいらは今日もお仕事っす(涙)

時間なんで行ってきま。

今日もよい一日を。
399机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/14(月) 07:22:50 ID:MHQ9tWOu
>>390
>美味いと言うのも、舌と食物からなる二項によるものであり、美味いというものが先にありき
>というのは、因果律の法則からして、ありえない、戯論です。

貴殿は向学心があるから、それに答えてあげるよ。

味覚で感受する。→これを縁起という。
感受されたものを「美味い」とか「不味い」とか識別するのが五蘊。
縁起があるから識別できる。

>美味いと言うのも、舌と食物からなる二項によるものであり

舌とか食べ物は、それ自体では成り立たない。
関係性において「味」が生起する。
この関係性を縁起という。
舌とか食べ物は縁起とはいわない。
何故ならば、それ自体は自己との関係性ではないから。
(目識で食べ物を確認できない場合)

>しかし読めば読むほどおかしな説明だ。美味いは、元からあるのかよ?

元からはない。関係性において生起するだけ。
実体有ということもない。実体無ということもない。
何故ならば、生起してそのまま生滅するからです。

400隠居が一番:2007/05/14(月) 07:31:02 ID:5moD9yNp
ブッダの教えも、重要ポイントを咀嚼して自得できれば、それでいい。
別に職業僧侶や宗祖になるわけじゃないんだから・・
ギンギンに考え詰めることはない。
宗教論争で勝ち負けにこだわるなんてナンセンスの極み。
それこそ、入廛垂手になった心境でニタニタしていたらいいのではないか。
存在自体が慈悲となるだろう。
401神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 07:47:24 ID:w3XYmc6a
野生の猿を観察するさい、猿に人間の存在を知られてしまうと、猿は本来の動きをしなくなる場合が多い
その場合、猿を観察しているのではなく、人間を観察している猿を観察している
さらにいうなら、それは、猿を観察しているのではなく、猿に観察されている自分を観察している
猿という鏡を使って、自分を観察しているのだ

量子は波だと思って観察すると、それは波となり、
粒子だと思って観察すると、それは粒子となる
これは、量子を観察しているのではなく、人間を観察している量子を観察している
さらにいうなら、それは、量子を観察しているのではなく、量子に観察されている自分を観察している
量子という鏡を使って、自分を観察しているのだ

心優しい人が、ボロボロの野良猫を不憫に思い、餌を与えたとしよう
その行為は「善行」だろうか?
猫嫌いの人からすれば、それは「悪行」にあたる

猫に餌を与えるのではなく、避妊手術をほどこしたとしよう
猫嫌いの人も、それを「悪行」とは言わないであろう

生殖能力を失ってしまった猫は、すでに「猫」ではなく、
それは、ただ餌を食い、飼い主に甘え、飼い主の言いなりとなる、生きる屍でしかない
一見、心優しく見えるその飼い主は、猫の臓器を無慈悲に摘出した「鬼」でもあるわけだ



402神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 08:08:35 ID:w3XYmc6a
「量子は波である」とするのが「縁起」であり、
「量子は粒子である」とするのがウパニシャドである
ウパニシャドは量子を「アートマン」と呼ぶ
「量子は波でもなく、粒子でもない」とするのが「空」である

・・・
かどうかは、わかりませんが・・・
403神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 09:36:04 ID:KLdFqqu4
カラスも暇人だな。なにがこれから仕事だよ。w
ハンドル変えようが、七誌にしようが尾っぽがみえとるぞい!w
404神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 09:46:34 ID:w3XYmc6a
「アートマン」が「ブラフマン」と合一した時、
粒子はすでに量子ではなく、量子は粒子でもなくなっているのだ
もちろん、波でもないわけだね
405隠居が一番:2007/05/14(月) 09:52:49 ID:5moD9yNp
 相国寺の末寺の檀家だから宣伝するわけではないが、
5月13日〜6月3日まで京都市上京区の相国寺承天閣美術館で「若冲展」が開かれている。

この伊藤若冲という人物、良寛さんとともに「隠居が一番」コンセプトのお手本のような人生だ。
絵をやりたいのに、イヤイヤ大店の青果家業を継がされて世間のしがらみに付き合わされる。
家業は手抜きで絵に夢中。不惑で解放されたが、ストレスからか禅への関心から相国寺で得度した。

ところが、当時の最大流派の狩野派の様式性と徒弟制の雰囲気を蹴飛ばすなんざ、隠居精神のかがみ!かっこいい!

まあ、そのポップなこと!「動植さい(変換できず)絵」や「釈迦三尊像」などそのワンダーランドぶりに
心奪われる。 俺もなりたや若冲のように。

入梅まえの京都はいちばん若葉が清々しい美しいときです。おこしやす。

あ、そーだ、京都行こ。

406阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/14(月) 09:57:30 ID:zD4bOmAl
「詭弁」が何たらとか言われているようだが、蟲ケラ以下の足切底辺外道どもにはそんな気の利いた言語能力は皆無(冷笑)。
基地外収容所に響く絶叫程度の世迷言。
407隠居が一番:2007/05/14(月) 10:41:30 ID:5moD9yNp
>>406
 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ よ、おまいも四条室町あたりをウロウロしてんだったら、

祇園のキャバクラより「若冲展」に行って恋よ。

おまいの汚らしい愚痴はもうやめな。 

相国寺で座禅を組んで、警策でシバキあげてもらって根性を叩き直してもらいませう。


 
408机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/14(月) 10:48:05 ID:0wwHg9Hx
>>393
Wikipediaは最後まで読んだ方がいいよ。

>すべてが縁起であるからである。
>この関係においてのみ存在者は存在性を獲得することができる。

ここに結論が書いてある。

つまり逆な言い方なら、
「関係性がなくば、存在者はその存在性すらないのである」。
自己が自己である自覚&認識すらできない。
自己同一性は関係性(縁起)においてのみ獲得できる。
ということになる。

リアルで想像するなら、ヘレンケラーを考えたらいい。
ヘレンは触覚において世間との接点を見出す。

409阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/14(月) 11:49:44 ID:zD4bOmAl
>>407
四条室町あたり=鉾の辻には今の時期用なし。
祇園=甲部しか知らん。
「若冲展」=ゑづくろしいので行かん。為恭あたりなら行くかも知れんが。
> 愚痴=紛うことなき事実の客観的記述。
> 相国寺=宗派違いにつき用事無し。

以上。
410神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 15:02:11 ID:w3XYmc6a
『経験』(広辞苑より)
>人間と外界との相互作用の過程を人間の側から見ていう語。

『経験』(Wikiより)
>経験を通じて得た知を、人は言葉ですぐに表すことはできない。
>経験によって知っている知識のことを、経験知または暗黙知という。
>このことを慣用句では、「肌で知っている」などという。
>更に経験の積み重ねによって、一定の範疇で物事の判断がつくことを「経験則(けいけんそく)」という。
>経験則が形成されるためには、成功・失敗を問わず膨大な経験をつむ必要があるだろう。
411机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/14(月) 16:43:06 ID:0wwHg9Hx
>>410
人類の歴史は約500万年として、その間に高度な頭脳を手に入れましたけど、
それに依って失われたものも当然あった訳で、
四諦とは、その負の部分にスポット充てたもんですね。

行者なら必ず突き当たる壁ってのはあるもんでして、
そしてそこを突き抜けてこそがモノホンなんじゃないかと思いますね。
大疑は大悟の基。
などと先達はイイ言葉を残しております。
412神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 18:50:57 ID:Yc9EaHti
宇宙の誕生はいつから?宇宙に終わりはあるの?
413机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/14(月) 19:17:26 ID:MHQ9tWOu
>宇宙の誕生はいつから?

理論物理学では、陽因子と陰因子が均等にあれば、相互に干渉しあい相殺される。
と考えられております。
つまり宇宙は陽因子と陰因子が均等にあるのがノーマルな状態とされ、
(この状態ですと宇宙という存在はない)
このアンバランスにおいてビッグバンが起こったと推測されています。
今の宇宙は陽因子が若干多い。とされているのが一般的な見方です。
(陰因子が宇宙から消えてしまったのは、また違う仮説があります)
このアンバランスな状態をユラギとも言いますね。

現宇宙は膨張を続け、やがて収縮に転じ宇宙は消滅されると考えられています。
消滅からビッグバンへ・・・膨張→収縮→消滅→ビッグバンと、無限に続くというのが
今の理論物理学の見方です。

414机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/14(月) 19:21:55 ID:0wwHg9Hx
>このアンバランスにおいてビッグバンが起こったと推測されています。

アンバランスというのは、突如として陰因子が消えてしまったのです。
(なんらかのアクシデントですね)
これが今の物理学の最大の謎ではありますが、
これは仮説はあります。
まあ、これは詳しく書くのは遠慮しますけど。
415阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/14(月) 19:32:23 ID:zD4bOmAl
>>412
はいスレ違い。底辺外道(生存そのものが罪業)どもがリソースを浪費するので余所でやるように。
416隠居が一番:2007/05/14(月) 19:52:42 ID:5moD9yNp
そんなテーマは、実存苦の克服という仏教の本来目的に直接関係がない。

隠居+ブッダ本来の教え=居士がよーござんすYO!
417神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 20:34:57 ID:Yc9EaHti
宇宙誕生以前に因子は存在してたわけですか?
418阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/14(月) 21:12:45 ID:zD4bOmAl
>>417
世迷い言は底辺外道落書きスレで喚くように。
419神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 21:26:47 ID:MRr//PoN
不死矯乱宗(サンジャヤ・ヴェーラッティプッタの所説)
amarA-vikkhepa-vAda ウナギ-混乱-説(パーリ梵網経)
amarA(ウナギ)をamara(不死)と誤読しての訳か。
420カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 21:48:18 ID:iPJ/TJFN
>>399
おや、言説が変わりましたね。
あなたは、>>362で、味覚そのものが、縁起だと言っていたではありませんか。
それが今度は味覚とは縁起により生起した、ものだといっていますね。
そう、そのとおりです。味覚そのものが縁起と言うものではなく、味覚とは、
縁起による結果にしかすぎませんその結果である味覚も、今度は原因となり、あらたな
結果を生むかもしれません。はじめからそういえばいいのです。
私は初めからそういっていますね。なにが教えてやるですか。
あなたは私から教えてもらった方じゃないですか。サイコパスの頭の中身はどうなっているのでしょう?
自分が間違っていても、決して間違ってるとは思わ(思え)ない。
人に教えてもらっているのに、自分が教えている方だと、脳内変換してしまう。

狂っていますね。
421カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 21:49:28 ID:iPJ/TJFN
>>408
自分の間違った考えを改めたと思ったら、ちょっと自説に合いそうな文言を見つけたら
すぐに元の木阿弥ですか(苦笑)まったく舌の根も乾かないうちにいけしゃぁしゃぁとよく言うよ。
恥を知れよ。それともおまえさん、厚顔無恥なドキュンかい?ちゅうか完全にドキュンだけどな、おまえさんは。

おまえの言いたいことははわかってんだよ。
それを踏まえた上で、それは間違いですよと言っているんだよ。
感覚=縁起と言うのは誤謬だ。
おまえの能書きでは、感覚があればこそ、識別作用が起こる。縁起とは、関係性であり、
この関係性は、感覚により生起する。何も簡単なことを、難しく言うことも無い。簡単に言うと、
つまりそういうことだ。これはもっともらしい能書きにみえるが、はっきり胃って、ただの誤謬である。

私が今、机の誤謬を証明してあげよう。
机は、感覚こそが、識別作用を起こしているという、この考えを逆に考えると、
感覚なければ、識別作用はないということになる。識別作用がなければ、縁起もないということになる。
つまりこいつに言わせると、感覚なければ、縁起もないということだ。
だからヘレンケラーの話など持ち出してくる。
アホめが、感覚などなくても、縁起は起こるんだよ。
一つおまえに聞こう。ビックバンから宇宙が誕生し、それから生命誕生まで、何億年かかったとされる?
随分永い期間を要したそうじゃないか。
生命誕生以前に感覚などあろうはずもない。感覚も、生物(五蘊)と縁あって、生起するものだ。
つまり、宇宙誕生から、生命誕生までの間は、縁起はなかったのかと聞いてるんだよ。

自分がいかにアホな説を得意げに語っていたのかを知り、恥を知れ。
おまえは本当に誤謬の王様。邪見の王様だよ。
422カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 21:54:26 ID:iPJ/TJFN
>>415
おや、君らの仏教は、ビッグバンを認めないわけで?

現代物理学を全く無視する君らの仏教こそ、戯論ですよ、ククク。
423カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 22:01:13 ID:iPJ/TJFN
>>409
> 相国寺=宗派違いにつき用事無し。

君の宗派は、層化でつか?なら納得。
わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
424カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/14(月) 22:02:17 ID:iPJ/TJFN
アホウよ。アホアホ陀羅經よ。現代物理学を全く無視した、
戯論でしかないのが、君らの仏教だ。

次スレのタイトルは『末法佛教』にしとけよ。
戯論でしかない君らが、『原始佛教』を語るのは、身の程知らずも、はなはだしい。
425阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/14(月) 22:06:50 ID:zD4bOmAl
足切り底辺池沼外道(生存そのものが罪業)どもは、リソースを食い荒らす蟲喰いを作ってはその基地外恥辱ぶりを
千載万劫まで晒すわけだ(嗤笑)。

426神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 22:56:21 ID:czok5v3J
因果とは、因縁果の略で、別には因縁と称されることもある。
机は、この因縁果の縁だけを取り出して縁起と呼んでいる。
だから、因果と縁起とは別物だという珍妙な理論になる。
カラスがつつきたくなる気持ちも分かるが、
机が撒いた無明の種が尽きる日が来るとは思えない。
427隠居が一番:2007/05/14(月) 23:22:49 ID:5moD9yNp
>>419
>amarA(ウナギ)をamara(不死)と誤読しての訳か。

激しく笑った。ほとんど仏教落語。たまりません!
蒟蒻問答か、うなぎ問答か。

仔細に考えてみると、ブッダは六師外道を徹底的に研究して、
いいとこ取りしているところがある。これも中道精神か。
無記ノウハウはサンジャヤから(サリープッタ、モッガラーナを通じ)学んだに違いない。

サンジャヤ教団から多数がブッダ側に簡単に寝返ったように記述されているが、
実はかなり激しいオルグ闘争(宗教思想闘争)が行われたのではないか?パーリ『大品』に記述は
キレイごと過ぎてマユツバだとおもう。
サリープッタらの転向を仏典通りに受けとめられる感性は、教条主義的でかなりヤバイ。

おやすみ。 隠居は朝が早い。

428隠居が一番:2007/05/14(月) 23:25:21 ID:5moD9yNp
× パーリ『大品』に
〇 パーリ『大品』の 
429隠居が一番:2007/05/14(月) 23:31:33 ID:5moD9yNp
『二律背反(アンチノミー)』には判断中止とするのが賢者の態度だ。

では
430阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/14(月) 23:46:55 ID:zD4bOmAl
>ID:5moD9yNp

学習障害の負け犬耄碌サヨク押し込め隠居には座敷牢での永蟄居を申しつける。
431隠居が一番:2007/05/14(月) 23:57:20 ID:5moD9yNp
>>430
 ありがと。
おいらをカワイイ舞妓と芸者つきで、一力の座敷に蟄居させてくれ!
432阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 00:12:15 ID:aZ96g5+1
>>431
座敷牢とは低能厨房隔離スレのこと。勘違い無きよう。
433:2007/05/15(火) 00:12:30 ID:UNLa+GdJ
インドでも仏教遺跡だけは何故か清々しい。
カラス殿も機会があれば是非訪ねてくだされ。
後付け講釈盲信者の事など忘れて、
原始の素朴さに浸りきれますよーw

ブッダガヤに有る日本人相手のゲストハウス、
ここの連中は物凄く面白かった。
みな、仏教徒なのだけど草大好き(当り前かw)
他人の裏側が見えると言う(当り前かw)
実際結構言い当てる。
奴らに言わせると釈迦は草吸っていたらしい(当り前かw)
実際彼方此方に草生えてる。

佐々井さんのことを話したら、皆よく知っていた、
やはり偉大だなぁ佐々井さんは。
毎年5月2日にブッダガヤを訪れるらしい
インドでは、この日が釈迦の誕生日とされている。
タッチの差で会うことができなかったが、
一度お話ししてみたいものだなぁ
434隠居が一番:2007/05/15(火) 07:04:57 ID:posKyAg3
>実はかなり激しいオルグ闘争(宗教思想闘争)が行われたのではないか?

 仏典(大品)ではサンジャヤは「三たび」引きとめ、その場で熱い吐血をしている。
これは、少なくともサンジャヤとサーリプッタ、モッガラーナ間でかなり激しい
論争が行われたことを示唆しており、そのうえでの吐血だろう。
激しい論争に敗れた者が熱い吐血をするという象徴的表現はウパニシャッド以来の常套的な語りだ。

さらに、ブッダは遠方から250人ものサーリプッタをはじめとする遊行者たちがやってくるのを見て、
サーリプッタとモッガラーナが「最上の賢者の双柱となるだろう」と予言している。
これは、事前のオルグ活動で両者の資質を十分知りえたうえで、転向行動の打ち合わせができていたことを
示唆しており、そのうえでの予言だろう。

やっぱり、座敷牢ではなく一力茶屋でのかわいい舞妓、イロっぽい芸妓あげての
ドンチャン宴会にしよう。
435隠居が一番:2007/05/15(火) 07:09:49 ID:posKyAg3
サーリプッタとモッガラーナの加入はブッダにとって、
戦略的にきわめて重要な課題だったに違いない。
436阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 07:22:50 ID:aZ96g5+1
>>434
学習拒否という業を同じくする者の吹き溜まりたる厨房隔離スレが、負け犬耄碌サヨクの押し込め隠居には
相応の座敷牢。身の程を知れ。
437素人:2007/05/15(火) 07:32:59 ID:wc3wHcM+
>>436
真偽はともかく、
>>434-435(或いは>>427)は、原始仏教にとって等閑視できないエピソードかと思われるが?
少なくとも、釈尊や原始仏教に触れていて興味を抱かない者は居ないであろう。
438隠居が一番:2007/05/15(火) 07:40:14 ID:posKyAg3
>>436
だったら、自分の見解を堂々と披瀝してみろよ。
おまい、自分の意見は言わず、人に難癖ばかりつけているな。

中学なら完全にイジメられるぞ。
439神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 07:52:14 ID:2X5eBKCM
カラスが怖くて車の下に隠れて喚く猫
440阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 08:11:14 ID:aZ96g5+1
>>438
過去ログ一つ読めぬ、学習障害の負け犬耄碌サヨク厨房に「見解」など恵んでくれる要は更に無い。その朦朧言説の
駆逐放擲だけが必要にして十分な処置。
441神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 08:26:18 ID:bxzffJtr
>>440
お前もうニ度と来るな!いない方が良い。
皆さんアホダラはもういません。
442阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 08:49:02 ID:aZ96g5+1
>>277

>>285
程のレスが欲しいところ。
足切り底辺外道や敗残耄碌サヨクの蟲喰いゴミばかりで退屈で仕方がない。
443隠居が一番:2007/05/15(火) 14:15:47 ID:posKyAg3
>>442
アホか、いや、アホだ。
その程度のレスごとき、おまいがやれ!
阿呆陀羅教条主義は豊かな発想力・イメージ力が完全欠如している。
444阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 14:34:48 ID:aZ96g5+1
一知半解も能わぬ癡物が如何に騒いでも無駄。
かかる妄念・妄想の類は全て駆除放逐対象(嗤笑)。
445神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 15:03:23 ID:X/MM6CxL
あああ、隠居はしたくねーな。
頭が凝り固まってる。
「俺は正しい、おまえらはバカ。」一辺倒。
スルーが一番だ。
446神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 15:27:27 ID:2X5eBKCM
なぜ光速が秒速約30万キロなのかという事も説明する。
即ち、すでに出来上がっている過去、現在、未来(時空連続体)の中を、
私達が光速度 秒速約30万キロで走っているのである。

私達が光の速度を秒速約30万キロと観測するのもこの為である。
もし、私たちが時空連続体内を秒速10万キロで走っていると、
光速度は秒速10万キロとなる。

アインシュタインは記者から「その様な事が本当にあるのか?」と聞かれ、
「信じては貰えないと思うが、過去、現在、未来がすでに同時に私の数学方程式上には存在しているのです」
と答えている。

(Wikiより)



これってナーガルジュナと同じ?
447机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/15(火) 16:41:45 ID:mSUy8YM7
>>417
>宇宙誕生以前に因子は存在してたわけですか?

面白い質問ですね。
陽因子と陰因子は同等にあったのです。
同等にあった。というのは、陽と陰で相殺されますから・・・
つまり結果的には因子がない。ってことと同義ですよ。
だから宇宙の存在そのものもない。
ってことです。

まあ、つまりは、今の宇宙は偶発的に誕生した。
つうのが一般的な理論物理学の解釈ですね。

理論的には、陰因子は反宇宙という仮説があります。
現宇宙で考えれば、ブラックホールの彼方。
というのが定説になっちょりますね。


448机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/15(火) 16:51:10 ID:Xe46fCy3
(つづき)
この理論は、電子を数値的に導き出せれたものと同じでして
「おそらくは電子?みたいなものがないと理論として成立しない」。
ってんで電子が発見されたのと同じです。

理論物理学は。まず仮説を立てます。
それを数値的に立証していく学問です。
立証された段階において、仮説は定説となりますね。
電子の存在は、今や定説になってます。

ユラギは、物理学においては長年の謎とされてきましたけど、
近年の著しい理論物理学の発展により、その謎も解き明かされようとしてますね。

449隠居が一番:2007/05/15(火) 16:52:47 ID:posKyAg3
>>445
あんた、あたしゃ隠居だよ。自由人さ。
ご都合主義、これ命。
たかが仏教教説ごときに執着したり、捉われたりはせんさ。

現在を楽しめて、笑って死ねたら、何でもいいですYO!
450隠居が一番:2007/05/15(火) 16:56:42 ID:posKyAg3
はて、おいらは死ぬんだったけ。
死んだ事がないので、わからんわ〜〜
451机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/15(火) 17:07:17 ID:mSUy8YM7
>>421
>つまり、宇宙誕生から、生命誕生までの間は、縁起はなかったのかと聞いてるんだよ。

じつに面白い質問ですね。
縁起があるわきゃないですね。
何故か?生命も誕生しておらんのに縁起などあろぅはずがない。
というか、
そもそも貴殿は縁起とはどういう意味なのか?
さえ把握しておらんようですね。

江戸時代とかに縁起がありましょうや?
ましてや太古の昔に、どうやって縁起するのか伺いたいもんですね。
考案。つうなら、それなりに回答しますがねw
452阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 17:44:56 ID:aZ96g5+1
廃棄投棄され済みの敗残癡物を「隠居」などと呼ばない。ゴミ塵芥とこそ言はめ(冷笑)。
453机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/15(火) 17:45:27 ID:mSUy8YM7
>>446
>アインシュタインは記者から「その様な事が本当にあるのか?」と聞かれ、
>「信じては貰えないと思うが、過去、現在、未来がすでに同時に私の数学方程式上には存在しているのです」
>と答えている。

例えば、アインシュタインは、
@ロケットに登場している人
A電車に乗ってる人
B定置で観測する人
とかの、時空における三者の関係性を解き明かした人物だけど、
普通はこういう発想はあまり凡人にはできない。

最初にこれを悟ったのが釈尊。
釈尊は複数の人の発言を同時に聞くことができる。
とかの逸話が残ってるがその象徴的なものかと思うね。

つまり、多角的な見方をすると、個別的二者間は法則は成り立つが、
その法則は必ずしもその第三者には該当できるものではなく、
あくまでも相互において適用されるものである。
これは縁起(相互依存)として体系して逝った龍樹に通じる。



454机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/15(火) 17:47:23 ID:mSUy8YM7
×  ロケットに登場している人
○  ロケットに搭乗している人
455阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 17:50:15 ID:aZ96g5+1
>>446
スレ違いにつき足切りサイコパス底辺外道の立て逃げスレででもやるように。

書き込む前に過去ログ半年読み込むように。
456Kent−kuro:2007/05/15(火) 17:55:26 ID:U80cucpY
現代社会から宗教が取り残されていますよ。

形式的なものは残ってますが。

根本に立ち帰って、そこからどうするかだと思います。
457神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 20:07:44 ID:w2EcbkMV
>>451
>縁起があるわきゃないですね。
>何故か?生命も誕生しておらんのに縁起などあろぅはずがない。
基地外ですね。ここまで池沼だとは思わなかった。
縁起とななんぞや?縁起を理解していないのはあなたのほうだ。
あなたはみたところ、まともな会話の出来ない人だとお見受けする。
あなたは仏教以前に、病院に行かれよ。それある種の病気だから。
458神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 20:10:50 ID:NHLbuy7c
>>451
>縁起があるわきゃないですね。
>何故か?生命も誕生しておらんのに縁起などあろぅはずがない。

これも断見ですね。生命も環境も無始以来連続して縁起してるでしょう。
459阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 20:30:17 ID:aZ96g5+1
「縁起が、」「世界・宇宙」やら「生命・環境」等成立の説明原理ではあり得ないしなり得ないと
遙か昔に指摘論及され済み。何も読めず学習一つ出来ぬ池沼は足切り。疾く退き去れ。
460神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 20:36:28 ID:NHLbuy7c
おまえさんもたまには自分で説明したらどうなの?
口汚く罵るだけの方!
461神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 20:56:49 ID:QAA0VEcv
何日か前に読んだゼノンの背理法が頭に残っているところへ、
水野「要語」164頁を見ていて思い浮かんだこと。キーワードは独存と相互依存。

1 実体ならば独存である。
2 ところが乙は(相手を得て初めて成るので)独存でない。
3 だから乙は実体でない。

長・短の例で分かるように、自性の持つ諸性質も、独立しては存在しない。これは、自性の
持つべき独存性に矛盾する。ゆえに、諸法は自性に関して見ると空である、ということになる。

龍樹が「中論」で縁起(他に縁って生起すること)=無自性=空を中心テーマに据えた動機は、
実体論(法体の実有)を摧破して諸法無我を宣揚するためと思われる。

以上、龍樹を読み解くキーワードとして相互依存の対語である
独存ということに注目すべきではないか、ということでした。
462隠居が一番:2007/05/15(火) 21:10:36 ID:posKyAg3
ブッダが存在論及び認識論(当然“人間が”認識するわけだが)として悟られた十二縁起の根本の
「無明」→「行」のなんたるかが判っていれば問題ないだろう。

阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ に罵倒されたから、賢者がヒント口出しするのはここまでにしておこう。
463机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/15(火) 21:12:11 ID:mSUy8YM7
>>457>>458
なんか、面白い書き込みがありますね。

>これも断見ですね。生命も環境も無始以来連続して縁起してるでしょう。

どうやって縁起するのか解説して頂けませんか?
明日読みますから。

なんか、明日が楽しみだな。
464カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 21:26:26 ID:xtaStypM
>>451
また机の詭弁が始まったよ。
俺がいつ、カンブリヤ記だの江戸時代だの、”時代” というものに縁起があるか
どうかと言ったんだよ、基地外が。俺が問うたのは、生命誕生以前の宇宙には縁起がなかったのか?
と聞いてるんだよ、なに他人様の言説を捻じ曲げて、議論に勝ったつもりでいるんだい?基地外。
質問を変えてやってもいいよ。感覚を持つ、生命体が誕生する前は、
宇宙はあったのか?なかったのか?答えてみろ。

しかしおまえ、まともな会話の出来ない人なんだね。

人格障害者は、こんなとこでくすぶっていないで、早く病院に行けよ。
465カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 21:33:04 ID:xtaStypM
>>459
>「縁起が、」「世界・宇宙」やら「生命・環境」等成立の説明原理ではあり得ないしなり得ないと
>遙か昔に指摘論及され済み。何も読めず学習一つ出来ぬ池沼は足切り。疾く退き去れ。

その過去レスを示してみろ。時間がねぇんだよ。
おまえが正しいと言うのなら、おまえ達の主張の論点を述べてみろ。
俺が論破してやる。

絵?過去スレも読まないものに、話すこともないって?
そういうのを逃げというんだよ。自分達の話に自信があるんなら、堂々と述べてみろ。
自信がないから小難しい言い方で煙に巻くか、議論を避け、逃げるわけだ。

ほら、ほらほら、言ってみろよ。自分達は間違ってないんだろ?ほらほら言ってみろ。
みてろよこいつ。罵倒、汚いj言葉で罵るだけで、また逃げるから。
466阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 21:48:55 ID:aZ96g5+1
このスレでは一知半解すら能わず、無知蒙昧の砦に立て籠もって絶叫を繰り返すだけの学習障害者、癡物外道は
予め門前払いされている。

以上。
467カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 21:52:15 ID:xtaStypM
別にアホじゃなくてもいい。
「縁起が、」「世界・宇宙」やら「生命・環境」等成立の説明原理ではあり得ないしなり得ない。
というこいつらの主張を示している過去レス知っている人いたら、ここに示してくれ。
こいつらの詭弁、言葉遊び、他の分野の専門家しか知らない専門用語を駆使してのごまかし、
果ては虚偽論しかいってないから、こいつら。

末法仏教者共が、なにが原始佛教だよ。
ヴェーダの真我は、梵我一如のことを言っているのではないということも知らない
メクラ共が。
468カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 21:55:19 ID:xtaStypM
>>466
おまえも、おまえの師匠も、机も、ここの末法仏教者共も、皆、同じ穴の狢だよ。
469検便マスター ◆IDufvYMab. :2007/05/15(火) 21:56:52 ID:+DEQTKmT
>>466
あ、そうなの。

おもしろいね。

原始仏教なんだろ。坐って悟ればいいじゃん。
470神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 22:01:38 ID:wc3wHcM+
横レスすまんが、
>>467
敷衍させ得るものかどうかはともかく、
その(縁起の)出発点は、内面・こころの動き・在り様について考察されたものなんじゃないかな?
自身の心のダイナミックな動きを観察し、受け止め、制御してゆく・・、
そうした自身(の心)についての因であり縁であり果であるところの『縁起』なんじゃないかな?
471阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 23:07:54 ID:aZ96g5+1
>>470
> 内面・こころの動き・在り様、
> そうした自身(の心)
それすらも因縁によって“施設”された、“saMskAra”すばわち有為法に他ならず、実体・本体視され得ないということを
常に念頭に置かねばなりません。
472神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 23:09:33 ID:wc3wHcM+
>>471
そう言ってるじゃんw
473カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 23:18:40 ID:xtaStypM
な。アホウ陀羅經は正真正銘の、アホだろ(苦笑)

>>471の能書きは、仏教をたしなむものなら、誰でも知っているって。
それを得意げに語っているなんて、この人は仏教の初心者なんだろうか?
イタイ。イタ過ぎる・・・・・

なんでこいつは、こんなにアホなんだろ・・・・・・・・・
474阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 23:20:36 ID:aZ96g5+1
>>472
「心→意→識」を実体視する杜撰の輩が後を絶たんのでね(笑)。
475阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 23:25:49 ID:aZ96g5+1
ついでに
「一切法(=有漏・無漏&有為・無為=涅槃)無我“sarva-dharma-anAtman”」も理解出来ない足切り外道がいるようだが、
かかる癡物は当然門前払い(嗤笑)。
476素人:2007/05/15(火) 23:31:38 ID:wc3wHcM+
>>474
また、言い方・言葉遣い・言い回しの話になるけど、
『私が指摘されたように読めたから』だよ。


普通の文章で書き込めば、私も誤読しなかったろう。
昔の貴方は、もっと柔らかく、解り易い文章を書いていたように思うが・・・。

ってか、不要なレスかもな。 独り言だ。スルーしてくれていいw
477阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/15(火) 23:38:49 ID:aZ96g5+1
>>476
外道の職業荒らしに、付け入る余地をくれてやる必要は全くありません。
478カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 23:49:02 ID:xtaStypM
>>476
ま、アホウが、簡単な言葉で自分達の説を説明すると、
簡単に論破されるからな。

だから簡単なことを、常用外の漢字間で使って、必死で小難しく語っているのさ。
479神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 06:05:46 ID:kOEpPdzf
>>477
職業は何ですか?
480机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 07:07:01 ID:DI9vmqUX
>>464
>俺が問うたのは、生命誕生以前の宇宙には縁起がなかったのか?
>と聞いてるんだよ、

縁起というのはないですね。
それ以前に、縁起なる名称&形態そのものもない訳です。
つまり縁起とは、人の概念によりてもたらされるものですから、
縁生・縁滅も人の思考手段に過ぎない。
その範疇で解釈してもらえばイイわけです。

>感覚を持つ、生命体が誕生する前は、
>宇宙はあったのか?なかったのか?答えてみろ。

生命誕生以前に宇宙があった。というのは今や定説ですね。
わたしもこれに異論はありません。

縁起については>>470氏が正解です。
481机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 07:15:54 ID:CixGLTFC
追記

あと、縁起については>>462氏も正解です。

しかしカラス氏は、dでも論をどこで学習したのですか?
アレフの教義は既に私が論破済みですが、
その教団じゃないとすると、
グノーシスを勉強なさったのですか?


482神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 08:10:09 ID:VxLg/Itw
>>480
水素が集まり恒星となり、恒星の寿命がつきたとき、超新星となり、
暴発の後、惑星などの元となる元素を宇宙に放出し、
それらが集まり惑星となる。あれありてこれあり。あれ無くばこれも無し。
この一連の流れは縁起ではないのですね?
ブッダの教えがそうだというのなら、典拠となる教典を、
般若心経などの大乗系の教典ではなく、原始教典から示してください。
483神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 08:16:24 ID:VxLg/Itw
机さん。生命さん誕生以前には、縁起は無かったと
断見するのがブッダの佛教だと言うのなら、
その典拠となる教典を、般若心経などの大乗系の教典からではなく、
原始教典から示してください。
484神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 08:36:42 ID:H4geF9oo
>>481
ヒント>>386>>392 
     グノーシス→マニ教的な反宇宙的二元論(究極は一元に収束されると言う)
     過去の遺物。

     カラスの態度をみれば判るように、知的レベルであって、
人格レベルまで自得できているわけではない。
485阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 08:53:34 ID:zdFexB0P
>>482
>>483
>>1参照の上、即刻退去のこと。

以上。
486阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 09:17:40 ID:zdFexB0P
>グノーシス→マニ教的な反宇宙的二元論(究極は一元に収束されると言う)
佛教とは縁も所縁もない単なる外道ドグマ、戯論の標本。
「知的レベル」云々どころか癡物の妄想。癲狂院に響く絶叫に他ならない(冷笑)。

因みに佛教では「一元」などに一瞥すらも与えられない。論外圏外問題外。「一元さんお断り」といったところ(嗤)。
487机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 09:58:16 ID:CixGLTFC
>>483
>その典拠となる教典を、般若心経などの大乗系の教典からではなく、
>原始教典から示してください。

第一義空経
国訳一切経阿含部一

諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。

これでどうでしょう?
非常に優れた文体ですね。

大乗経典には般若心経があります。

>諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
>是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。

これは第一義空(真諦)について書かれていますね。
私が解説するも無粋というもの、
これで如何でしょうか?


488神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 10:06:26 ID:7lv9GupA
>>484氏、いいこというね。
知力と人格がアンバランスな奴は、カルトに流れる傾向があるな。
カルトの教祖達もみんなそうだろ。
グノーシスも、ひとつの思想(内的世界)なんだよ。万人に証明できない世界観は
妄想と紙一重。

その思想で自他、人類が統合に向かうのなら価値はあるが、自己のコンプレックス穴埋めの道具に使う
のは本末転倒だな。

489机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 10:14:52 ID:CixGLTFC
>>484
なるほど、前に書き込みがありましたね。

>>392
>なぜ父なる神は、右のものと、左の者の中央に座していると表現されるか
理解不能だろう。

これは、陰陽統一が神である。というのをカラス氏は言いたかったのであろうけど、
この陰陽統一理論は統一教会でも使っているし、
よくカルトなどが民衆を洗脳しやすい理論として採用している。

ちなみに統一教会の「統一」というのは、宗教統一の意味もあるが、
陰陽統一の意味もある。
490神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 10:25:56 ID:7lv9GupA
彼にとってのプレーローマは、他者批判なんだろうね。
他者を貶めて自己を持ち上げるなんてのは、真のプレーローマとは違うんじゃね?
仏教他、文献解釈力からして頭の良さ(知力)は認めるが、それが生かされていないのは
残念やね。哀れ。
491神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 10:54:40 ID:kOEpPdzf
漢字が得意で、サンスクリット語検定準3級くらいなだけだろ
頭悪杉
492阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 11:10:08 ID:zdFexB0P
そういや、ニューアカ芸者・外道幇間・オウムのオトコメカケともいうべきトンデモ大学教員も、グノーシスとやらにはまって居ったの(冷笑)。
493神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 11:12:46 ID:H4geF9oo
>>489>>490
>>386&>>484は隠居の独り言じゃ。脱世間者。

閑話休題。
隠居して、後世に語られる黄金の釘を打った先人を年齢つきで思いつくままにあげると、

ゴータマ・ブッダ(29歳)、井原西鶴(33歳)、松尾芭蕉(36歳)、歌川広重(26歳)、
平賀源内(26歳)、伊能忠敬(49歳)など

世間で執着まみれで生きることは無意味だと悟って、早く隠居して、好き勝手に生きよう!
494493隠居が一番:2007/05/16(水) 11:17:49 ID:H4geF9oo
おっと、大事な人を失念しておった、

大愚良寛(18歳)
495隠居が一番:2007/05/16(水) 11:33:28 ID:H4geF9oo
>>486
>佛教とは縁も所縁もない

必ずしもそうではない。
マニ教のなかには仏教も道教もグノーシスもゾロアスターも
グチャグチャのカオス的に入っている。


496神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 11:41:22 ID:7lv9GupA
今度はマニ教かよ。
カラスも隠居も似た者同士だな。
おっ、同じ奴か?好きにやってろ。w
497阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 11:41:53 ID:zdFexB0P
大愚良寛(18歳)
マニ教道教グノーシス
ゾロアスター

全てスレ違い。

何処へなりと勝手に
グチャグチャのカオス的
スレでも立ててそこで騒ぐように。

以上。
498隠居が一番:2007/05/16(水) 12:09:05 ID:H4geF9oo
マニ教

オンボロ長屋の宗教総合商社

大昔に倒産しました。
499神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 12:23:45 ID:kOEpPdzf
中村元は仏教を研究するさい、さかんに他宗教・哲学を引き合いにだしている
仏教があろうがなかろうが、真理はあるわけだし、それが自灯明・法灯明なんじゃないんですか?
個人崇拝こそ、カルトを生む原因だと思いますが
500神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 12:27:40 ID:kOEpPdzf
マニ教は性をタブーとし、信者が皆それを実践したから、
子孫がとだえて消滅した、とどこかで聞いたことがあるます
501神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 12:45:30 ID:VxLg/Itw
>>487
それはあくまで個人レベル、つまり自我からみた外界への説明ですね。
あなたの説は誤謬です。証拠にあなたが死んで、あなたの感覚が死滅しようと世界は滅びません。
あなたの説では、感覚を持たない生命が誕生する以前は、
宇宙は存在しないことになります。虚論でしかありませんね。
脳内で空の世界をさ迷うのは楽しいですか?カルト思想に近いのは、
カラスさんよりむしろあなたのほうですよ。
あなたは何度もそのことを指摘されているのに、
相も変わらず他人をカルト呼ばわりしていますね。
カルト思想はあなたのほうです。
502神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 13:20:38 ID:kOEpPdzf
タゴール:この世界は人間の世界です。
     世界についての科学理論も所詮は科学者の見方にすぎません。

アインシュタイン:しかし、真理は人間とは無関係に存在するものではないでしょうか? 
         たとえば、私が見ていなくても、月は確かにあるのです。 

タゴール:それはその通りです。
     しかし、月は、あなたの意識になくても、他の人間の意識にはあるのです。
     人間の意識の中にしか月が存在しないことは同じです。

アインシュタイン:私は人間を越えた客観性が存在すると信じます。
         ピタゴラスの定理は、人間の存在とは関係なく存在する真実です。

タゴール:しかし、科学は月も無数の原子がえがく現象であることを証明したではありませんか。
     あの天体に光と闇の神秘を見るのか、それとも、無数の原子を見るのか。
     もし、人間の意識が、月だと感じなくなれば、それは月ではなくなるのです。
503阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 13:37:14 ID:zdFexB0P
世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、生命と身体が同一であろうとなかろうと、
人が死後存在しようとしまいと、人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。
504机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 14:00:02 ID:DI9vmqUX
>>501
>それはあくまで個人レベル、つまり自我からみた外界への説明ですね。

そうじゃないですね。私がコピペした
>諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
>是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。
これは、不去不来・不生不滅の主客未分がテーゼになってますね。

>あなたの説は誤謬です。証拠にあなたが死んで、あなたの感覚が死滅しようと世界は滅びません。

これもやはり主客未分で考えたら宜しいかと思います。
>>502氏がイイ例示です。

>あなたの説では、感覚を持たない生命が誕生する以前は、
>宇宙は存在しないことになります。虚論でしかありませんね。

主客未分と主客相対では、おのずと考え方が違います。
前者が真諦で、後者が俗諦です。
覚者はこの二相を同時に正見することができます。
これが本来の八正道の実践なんです。
505神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 14:04:16 ID:yQwNTOqH
>>501
カラスの思想解釈がカルトではなくて、思想を盾に他者を排斥している
その態度、精神、意識がカルト的っていってるんだよ。
506机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 14:08:06 ID:CixGLTFC
>>501
>脳内で空の世界をさ迷うのは楽しいですか?カルト思想に近いのは、
>カラスさんよりむしろあなたのほうですよ。

せっかく原始仏典に優れたものがあるんですから、
それを生かしきれなくちゃ〜意味ないじゃないですか?

その原始仏典を衆生にも解り易く書き直したのが般若経郡です。
先達の残してきれた経典を、感謝の気持ちで拝する心がありませんと
その主旨さえ見えてこんのですよ。
それが菩提心というんです。
507机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 14:26:43 ID:DI9vmqUX
【不去不来・不生不滅について】

現在というのは既に過去になります。
よって現在というのは理論的にはありえない。→不去不来

不生不滅もこの理論と同じです。
縁生しても、それは縁滅していることになり、縁生はありえない。→不生不滅


508阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 14:26:50 ID:zdFexB0P
>>505
戯論イデオロギーのゴッタ煮・ヤミ鍋は昂進性の妄想症状に過ぎず、思想などと呼べる代物ではない。
保健衛生分野の取り扱い対象であろう。
509神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 14:42:27 ID:yQwNTOqH
ブッダは死後の世界も世界の始まりも「無記」としている。
「それ」以前、「それ」以後を考えるには他宗教、他思想のほうがいいのかもしれない。
510神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 14:56:01 ID:yQwNTOqH
>>509 つづき
>他宗教、他思想のほうがいいのかもしれない。
極論すれば、独自思想でもかまわんよ。他を洗脳ぜず、他を批判せず
自己完結してれば問題なし。
511阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 15:26:13 ID:zdFexB0P
いずれにせよ、外道の職業荒らしがさっさと退き下がればいいだけの話。
512神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 15:44:01 ID:kOEpPdzf
職業は何ですか?
513阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 15:54:19 ID:zdFexB0P
> ID:kOEpPdzf
人語も解し能わずに出て来るな、この身の程知らずめ(蔑嗤)。
514検便マスター ◆IDufvYMab. :2007/05/16(水) 16:08:17 ID:1woAHfp+
>>507
>現在というのは既に過去になります。
>よって現在というのは理論的にはありえない。→不去不来

>不生不滅もこの理論と同じです。
>縁生しても、それは縁滅していることになり、縁生はありえない。→不生不滅

では、あなたはどこにいるの?
515机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 16:42:50 ID:DI9vmqUX
>>514
>では、あなたはどこにいるの?

今ここで、こうして貴殿と交信しておるのが私です。
これを縁起の現観などという。

縁において巡り合えたけど、それはまた儚く消えて逝くもの。
と、これがいわゆる諸行無常ですね。

516検便マスター ◆IDufvYMab. :2007/05/16(水) 18:12:17 ID:1woAHfp+
>>515
笑わせるね
517神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 19:25:08 ID:qFysD2w+
>>444「 一知半解も能わぬ癡物」って誰のことでしょうね?
>>145 で読めもしないパーリを読んだふりして>>159で指摘されて恥をかいたばかりなのに懲りませんね。

>>475
阿呆陀羅經さん、こんな用例はどこにでてくるんですか?
「一切法(=有漏・無漏&有為・無為=涅槃)無我“sarva-dharma-anAtman”」

私がざっと見た限りこんなかんじしかないんですが
sarvadharmA anAtmAnaH 『ウダーナヴァルガ』『八千偈般若』『大乗荘厳経論』『アヴァダーナシャタカ』
anAtmAnaH sarvadharmA『菩薩地』『明句論』

nirAtmAnaH sarvadharmA『リョウガ経』『金剛般若経』『ダルマサングラハ』

>>471
「“saMskAra”すばわち有為法」というのは、どんな経典に書いてあるんですか?
518机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/16(水) 19:25:26 ID:DI9vmqUX
>>516
人間の脳というのは、ある程度限界があるから、せめて解釈は>>507止まりだろうね。

>>447にヒントが書いてあるけど、これは現行思考システムにおいては難解すぎる。
>面白い質問ですね。
>陽因子と陰因子は同等にあったのです。
>同等にあった。というのは、陽と陰で相殺されますから・・・
>つまり結果的には因子がない。ってことと同義ですよ。

これは第一義空経の
>俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も亦是の如く説き俗數法をば除く。
>俗數法とは謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。
この部分です。
>俗數法をば除く。

しかし、こういったアカデミックな論考は無理ですか?
なら仕方がありませんが・・・
519阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 19:40:17 ID:zdFexB0P
ん、またぞろ破落戸ジョーユーがまろび出てるのか?
>143に聞くべき出典先を他人様に押しつける辺りに腐り切った性根がよく露呈されてることで(冷笑)。

最近新団体をでっち上げたペテン師とはガッコか何かのお友達?

んで、 「“saMskAra”すばわち有為法」ではないというのは、どんな経典に書いてあるんですか(蔑嗤)?
520神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 19:45:02 ID:SkDyFVPE
国語辞書との一致 (1〜1件目 / 1件) 検索辞書:大辞泉 提供:JapanKnowledge

ならず‐もの【成らず者・破落戸】
1 品行の悪い者。また、定職がなく、悪事をして歩きまわる者。無頼漢。ごろつき。2 生計が思うようにならない者。 「銀の才覚―と茶屋にはせかれ」〈浄・女腹切〉
521神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 20:05:19 ID:qFysD2w+
>>519
君は、恥ずかしくないの?
522阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 20:15:19 ID:zdFexB0P
生憎、恥ずべき破落戸稼業とは全く無縁でね(嗤)。
523隠居が一番:2007/05/16(水) 20:20:36 ID:H4geF9oo
ところで、ハッブル宇宙望遠鏡(NASA)がダークマターの輪をとらえたらしい。
http://www.nasa.gov/mission_pages/hubble/news/dark_matter_ring_feature.html
重力レンズ効果によるものらしい。
アインシュタインはたしかダークマターの存在を否定していたはずだ。

これで通常物質と暗黒物質のせめぎあい、なんてなトンデモ反宇宙二元論をつぶやき始める奴が出そうだ。

524素人:2007/05/16(水) 20:28:30 ID:SkDyFVPE
少し意地悪な質問をしてみよう。
おそらく、返答はないだろうが・・w

>>522
初転法輪の際の五比丘とのやりとりは、あっさりとしか述べられておらず、
文献で詳細を知ることは不可能だろう。
が、それを理解した上で、
問1:釈尊と彼らとの間にどのようなやりとりがなされたか、興味はある?ない?
問2:文献そのままに、五比丘は、すんなり納得したと読む?
問3:そうした、「やりとりの内実を知る必要はない」と考える?
問4:説かれた結論が重要なのだから、そこへ到る過程は無価値とする?
問5:五比丘とのやりとりを経ることによって、釈尊の思考がシャープに整理された可能性はあると思う?ないと思う?


貴方のスタンスに対する素朴な質問です。
525阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 20:37:44 ID:zdFexB0P
さっぱり上達のない児戯レヴェルの手口で「意地悪」になったつもりで悦に入ってる呑気者が居るようだ(笑)。


526素人:2007/05/16(水) 20:48:01 ID:SkDyFVPE
予想通りのレスにワロタw

ところで、
226 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ 2007/04/05(木) 17:31:51 ID:3gFpeOIG
>> 224
只今出張先でして、架蔵の当該書籍を参照出来ません。
帰宅後に調べてみます。

これはどうなったんだ?
やっぱりこういうことか?w
 ↓
475 素人 sage New! 2007/04/13(金) 11:23:18 ID:amxcdSfz
>> 464
>> 226はどうなったんだ? 調べてくれるんじゃなかったのか?

それとも、発言者が私だと判ったので、
態度を豹変させて無視ということか?
>> 223-225 >> 227 >> 229>> 231 も、罵倒・無視されるような内容ということか?
>> 234も、君からすればバカらしいレスなのか?

最初は名無しだったから反応したが、私の発言だから無視することにしたのか?
内容如何でなく、発言者が誰かによって耳を塞ぐのが君の仏教へのスタンスなのか?

文章めちゃくちゃかもしれないが、なんかムカついたのでレスする。

邪魔したな。  >>ALL



奈良康明「釈尊との対話」を、貴方は読んだことがあると言った。
この内容に対して、貴方は異を唱えると、そういう立場と受け止めて宜しいのですね?
奈良さんは児戯レヴェルの学者である、というのがあなたの見解と受け止めて宜しいのですね?
527隠居が一番:2007/05/16(水) 21:12:57 ID:H4geF9oo
>>524
横レスですまんが、鋭い質問ですが>>443で指摘したように、阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ の
視野狭窄のアホダラ教条主義=概念仏教学では無理。
 豊かな発想力、イメージ力がない。

もっとも、法華経の誇大妄想物語イメージ力は面白いが、なんらの実証性がなくまったくの論外。
単なる大衆向けプロパガンダに堕落している。

適正中道の方法論が求められる。

ちなみに、あたしゃ非常に興味がありますね。
わたしは、数週間にわたる大学でのゼミナールでの討論会のような形態を
イメージしています。
 孤独な禅定ではわからなかったことが、人と討論して問題点が整理され深みに到達できたことは、
自分の経験からしても数多いし、効率的です。独りでは野狐禅になりかねない。
だから、孤独な禅定一辺倒は問題ありでしょう。
528阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 21:14:18 ID:zdFexB0P
相手するしないは、その論法手口を勘案して判断する。

以上。
529阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 21:19:07 ID:zdFexB0P
尚、ID:SkDyFVPEの如き大昔に指摘された誤謬癖の改まらない手合いは
まともに相手に及ばず。
530神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 21:26:23 ID:qFysD2w+
阿呆陀羅經さん、

>>1 自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上 げます。

これは君が書いたんでしょ。

でも君は「論拠や根拠」は全く示さず誤りを指摘されても、ハッタリ、詭弁、強弁のみですね。

諸法無我と言いながら、自我は人一倍強い、何から何まで言ってることとやってることが逆ですね
531阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 21:38:13 ID:zdFexB0P
門付け破落戸ジョーユーが幾ら喚いても、ここでは涙銭の鐚一文すら出ないのだが(嗤)。
532阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/16(水) 22:08:03 ID:zdFexB0P
筋違へお門も違へ破落戸は けふも虚ろに行き暮れにけり
533素人:2007/05/16(水) 22:10:15 ID:SkDyFVPE
>>528-529
変わらないなぁ・・w
ま、そこが貴方らしくもあり、ある意味、いい所でもあるのだが・・。

生憎、私は学者ではない。また、布教師の資格も持ってないし、なるつもりもない。
ただ、個対個、個対多の対話の中で、自分の受け止めた仏教というものを、
機があれば語ってゆく・・、そういうスタンスなだけだよ。
それは、リアルでも2chでも、あまり変わらない。
なぜなら、私の仏教は、ネットの中や国会図書館や研究室にあるのではない。
私自身の中にあるからだ。

私は、私の受け止めた仏教を、出会った人に参考として提示する、
ささやかだけど、それが、自分に出来る釈尊への報恩だと思っている。
別に文献学的研究・原典批判的研究を無視するわけではない。
それらを踏まえた上で、自分が受け止め、納得し、頷いたことを語る以外に、
どう仏教を語れるというのか・・・。

その意味で、「貴方の仏教はどこにあるのですか?」と問うのだよ。
誤謬癖結構。私は仏教を学問としてのみ捉えているわけではないのだから・・・。

ではまた・・    ノシ
534承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/16(水) 22:10:58 ID:CfQPJmlY
>>524
ハイハイハーイ(-o-)/
横レスでーす。

問2: インド人はそんな単純じゃない。

問5:思想実践の完成と言語化は同じレベルでは無い。

って思いまーし。
535神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 22:12:44 ID:MJ4tY2zf
撹乱必死wwwww
536カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/16(水) 22:45:55 ID:4pgjlxAw
>>475
>「一切法(=有漏・無漏&有為・無為=涅槃)無我“sarva-dharma-anAtman”」

誤謬です。涅槃とは一切法も糞も、なにもかもが滅尽した境地です。
が、見方を変えると、想いはあるともいえ、無いとも言えるものなのです。
あれだけやさしく熟睡の喩えで教えてあげてるのに、アホの頭にには、難しすぎるようでつね。
名は人を表す。アホはアホなんです。
537カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/16(水) 22:59:11 ID:4pgjlxAw
>>503
>世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、生命と身体が同一であろうとなかろうと、
>人が死後存在しようとしまいと、人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。

だから?そんなことは誰でも知っていますね。
君らの仏教は単なる心理カウンセラーレベルのものでしかありません。
君らの苦の消滅など、何も仏教を持ち出さなくても、十分なものです。
あなた方の理屈だと、いずれ来る己の死を達観し、明日はどこ吹く風。ケセラセラと、
楽天的に生きれる人なら、仏教など必要なくなりますね。それほどあなた方の仏教はレベルが低いものです。
その程度の話を、なにこれが原始佛教などと、あえて常用漢字も使わず、得意げに語っているんです?

>世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、生命と身体が同一であろうとなかろうと、
>人が死後存在しようとしまいと、人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。

こういうのを凡夫の悟りだと言うんだよ。凡不のくせに、偉そうに似非仏教語ってんじゃねぇよ。
538神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 23:20:46 ID:KYRpSrip
>>1-537および>>538
おまえら全員凡夫以下
539神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 23:35:03 ID:c/ZHQh8W
雑阿含13(322) 眼是内入處、四大所造淨色、不可見有對。  *こういうのを注釈経というのか。
  眼は是れ内入処(Ayatana)にて、四大所造の浄色(pasAda)、不可見にて有対なり。

「不可見」としているので、ここでは機能つまり視覚作用などを意味しているものと思われます。
 《有対》paTigha パティガ、虚空の一角を占めて他を妨げ排除する。
 《対礙(げ)》障碍、さまたげ
 《相対》梵 pratispardhin プラティスパルディン、ライバル、優劣を比べ競う
  《相待(だい)》梵 upekSa ウペークシャ、相関関係
540カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/16(水) 23:38:15 ID:4pgjlxAw
しかしここの末法仏教者共は、現代物理学の話が出ると、見事に思考停止に陥るな(苦笑)
形態とは識別から起こるものであり、識別は、名称から成るものである。
名前は、識別するもの。名称は、言によって成り、言によって成らない名称は何一つない。
言は想の内にあり、識別は想によって成る。
一元と言うのも、方便に過ぎない。言葉で説明するとそういうことなのだ。別にそれを無とよんでもいい。
なにしろ、相が無いんだから。だがそれは何も無いという意味ではない。
それをゼロと呼んでもいいいい。だがそれは何も無いという意味でのゼロではない。全ての基点であるゼロなのだ。
何気に知ったかグノーシスがいるようだが、
君ら末法仏教者には、グノーシスは難しすぎるようだね。

>諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
>是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。

これは間違いではない。だが机のように、生命が誕生する前には縁起もなかったというのは、
もちろん間違いである。こんなのは子供でもわかる道理だ。机はただ、言葉遊びで、脳内で遊んでいるだけだ。
彼の仏教は単なる言葉遊びでしかないので、何の意味も無い、ただのメルヘンである。
内側のものが外側を造り、外側があるから内側がある。外界とは、我々の個々の内側の組み合わせであり、
それぞれが共有している。なぜなら、我々は、本来は一つであるからである。
だから彼が死んでもこの世は滅びないし、あの人が誕生したから、
この宇宙もそれと同時に生まれたとはならないわけです。机の言っていることは本当におかしい。
机の能書きは、ただの言葉遊び。実の伴わない、脳内での、ただの思考の遊び。こういうのを虚偽論というのです。
541処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/16(水) 23:38:28 ID:6YFxpzPG
>>537
まぁ、そう言うな。ちょうど俺も読み返したいと思ってたところだ。
542カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/16(水) 23:39:27 ID:4pgjlxAw
生命誕生以前にも、もちろん縁起はあった。
これは現代の自然科学でも証明されているものです。
これはどういうことかというと、簡単なことだ。
君らが生命と呼ぶ、生命誕生以前にも、観測者がいるということなんだよ。
この宇宙に生命と呼ばれるものが全て滅んでも、
その観測者が、全てを休み(安息)、観測をやめない限り、
この宇宙も滅びることは無い。生命誕生以前は、縁起もなく(宇宙も無く)、
この宇宙に生命体が全て絶滅すれば、
この宇宙も縁起も消滅するなどという机のような人は、全てトンデモさんです。
論理的ではありません。君らの能書きは、その存在をを認めないので、現代物理学を持ち出すと、
途端に、論理破綻してしまう。

アイシュタインをみるまでもなく、一流の科学者ほど、その存在を一方的に否定することは無く、
二流三流の思想家ほど、頭ごなしで、その存在を否定するものです。
543カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/16(水) 23:47:59 ID:4pgjlxAw
机よ、言葉遊びは楽しいかい?

おまえのお得意の俗諦、真諦の真諦のことだけどな。
この世界は二項によらずなどトンデモ言っているが、もしそうだったとして
それがどうした?そんなの言葉遊びで、そのような結論を出しても、
なにがどうかわるんだ?なにもかわらんな。十牛図か?まったく馬鹿に付ける薬は無いな。
そもそもおまえの真諦とか言う詭弁は、生命誕生以前には縁起はなかったなどと
現代科学とは相容れない、論理破綻している滅茶苦茶なものだし(失笑)

脳内空の世界は、楽しいかい?
544神も仏も名無しさん:2007/05/16(水) 23:50:43 ID:KYRpSrip
間違った理屈は脳内世界でのみ認識されるものですが
正しい理論も脳内世界でのみ認識されるものですから
あなたもわたしも脳内世界なんじゃないですかね
545カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/17(木) 00:05:08 ID:GRAYgg7D
勘違いするなよ、末法佛教者のアホ共。
別に俺はおまえ達を改心させようと思ってここに書き込んでいるのではない。
汚れた者は、汚れたままにしておけ。

過去、現在、未来はすでに同時に存在している。
私はアルファであり、オメガである。

滅びる者は滅びる定め。彼らは己の持つその業ゆえに、決して命の言葉を聞こうとしない。
彼らは、どんなに論破されても、自分の誤った考えを捨てられずに、自分の考えに執着している。
それは我執の強さである。我執の強い者は助からない。

ここは滅びる人のサンプルがたくさんいる。どんなに論破されても、詭弁、屁理屈、強弁で、
自分の負けを認められないこの滑稽で、可哀想な人達を、とくとごらんあれ。
この人達は、たとえばゴータマ仏陀が今の世に現れ、あなた方の言っていることは、私の教えを誤謬
していますよ。ろ、本人から指摘されても。ゴータマさんに、いーや、俺達は正しい。おまえが間違っている。
と言うよ。この人達はそういう人種。

心配しないでも、おまえ達は、「無」になるよ。この場合の無とは、文字通りの無。完全な無だ。
我執の強い者は助からない。時が終わるとき、おまえ達は完全な無になる。それが望みだろ?よかったね。
それがおまえ達の仏教だもんな。心配しないでもおまえらはお望みどおり。完全な無になるよ。

ま、滅んでいく奴とはどういう人達なのか、よく観察してるといいよ。俺も可哀想な人達を、おちょくりながら
観察してるんだけどね。

今宵も酒が美味い。ククク。
546カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/17(木) 00:12:34 ID:GRAYgg7D
>>544
そうだな。間違った理屈は脳内世界でのみ認識されるものだし、
正しい理論も脳内世界でのみ認識されるものだな。
間違った理屈に執着しているものは、真理に到達することも無いが、
正しい思考を持ち、正しい理論を構築できる人は、真理に到達できるだろうな。
間違った理屈に執着するものは、思考の産物でしかないバッタモンの涅槃を知るだろうが、
正しい思考を持ち、正しい理論を構築できる人は、現世において釈迦のみた涅槃を知るだろうな。

それがどうした?

547神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 07:35:28 ID:jRQZAImd
あれ?
誰も反論しないの?
548机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/17(木) 08:14:07 ID:HxiVW4/t
>>542
>生命誕生以前にも、もちろん縁起はあった。

生命誕生以前というのは無機的な状況であり、ここに縁起が入り込む余地はない。
縁起とは有機的な前提があってこそ成り立つ概念である。

縁起というのは、西洋哲学における唯物論と観念論の中間あたりの思想で、
もちろん西洋哲学とは全く思想の形態が違うが、
捉え方としたら、そんなふうに考えたらいい。

唯物論とか、観念論とか、どちらかに偏すれば簡単なのだが、
仏教とはこのどちらでもなく、その根底からして全く違う。
実際は有機体とか無機体とかは二義的なものになってしまう。
その象徴的なものとしての人の生死もこの範疇になる。
個別的テーマは意味をなさなくなる。

それを前提とせにゃ〜明智には至らんのです。
不可思議ですから。

549神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 08:24:13 ID:y2+m7qtK
>>548
いつもの言葉遊び乙。
550隠居が一番:2007/05/17(木) 08:37:17 ID:a/YXufkK
>>547
人格分裂者はスルーして相手にしない人が多いだけ。
カラスは存在論と認識論を混同している。しかも縁起を極端に概念化・実体化している。
ウィトゲンシュタインも裸足で逃げ出しそうだ。

かつて、ベロ ◆eOod7XM/js氏のこういう書き込みがあった。

『縁起を「空」であるとか「無相」だとかの言葉で張り紙をした瞬間に空では
なくなるのですよ。これを龍樹は戯論(プラパンチャ)と言ってますが、
縁起している真実の世界とは観るものであり、決して言語表現され得ない
ものなんですね。ですから実は縁起の世界を「空(シューニャ)」などという
言語表現になった時点で縁起の本質からは離れてしまってるんです。
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まずは言葉による仏説を信解してはじめて
深遠な「勝義諦(=言語表現できない世界が縁起している真実を観る)」に
頷く事が可能なのですね。ですから自分の達した境地が魔境かどうかは、
言葉で仮に表現された仏説を確かめることによって確認できるのです。

ただしそれはあくまで仮に表現されているものに過ぎないと言う事実を
腹に据えておかないと仮の言語表現にとらわれ、レッテル貼りをし、それを
元に論争をし、ますます真実から遠ざかってしまうのです。
ですから縁起、無自性、空を「真我」などと言葉でレッテル張りした時点で、
釈尊からも龍樹からも「あなたアフォですか?」と言われてしまいますよ。』

今は忙しい。分裂者の相手は超ヒマなときだけ。またあとで・・・



551神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 09:00:10 ID:UI6RUj4T
>>550
>ですから縁起、無自性、空を「真我」などと言葉でレッテル張りした時点で、
>釈尊からも龍樹からも「あなたアフォですか?」と言われてしまいますよ。』

ご隠居、つまりさ、釈迦の内的体験を釈迦自身が言葉にした時点で(そうしたかどうか
はわからないが)、その段階でアウトってことだよな。
後で、弟子達がそれを書き記したとなれば、さらに歪曲されたものになってしまう。
その歪曲されたものを読んだ各人が、さらに各自の解釈をする。
愚の骨頂ってことだな。
552神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 09:07:11 ID:tpWrSl74
解釈の内容は、個々の成長にあわせて変わっていきますしね。
553承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/17(木) 09:44:57 ID:TlUiWUwe
廻諍論に曰く
「空と縁起と中道を同一の意義をもったものと説きたもうた、かの無比なる仏に敬礼し奉る」と。

てぇーこたぁ、550は龍樹の論を否定した訳だな?
554阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/17(木) 10:03:10 ID:soLfuIik
厳密精確な論理と精緻な言説は教法成立の必要条件。
しかしながら充分条件たり得ないということ。

誤謬の原因はレッテル張り云々よりむしろ、実念論的前提の設定に基づく言説把握。
555承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/17(木) 10:14:38 ID:TlUiWUwe
いんや。
菩提心を勘違いしてるからでないかい?
556神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 17:53:05 ID:Qh+XGc6z
http://www.cbeta.org/result/normal/T01/0001_012.htm
佛説長阿含 第二分 自歡喜經 第十四

如來説法 復有上者。謂説常法。
常法者。諸沙門.婆羅門 種種方便。入 定意三昧。隨三昧心。憶識 世間二十成劫敗劫。
彼作是言。「世間常存。此為真實。餘者虚妄。
所以者何。由我憶識。故知 有此成劫敗劫。
其餘過去 我所不知。未來成敗 我亦不知。」
此人朝暮 以無智説言。「世間常存。唯此為實。餘者為虚。」是為初常法。
諸沙門.婆羅門 種種方便。入 定意三昧。隨三昧心。憶識 四十成劫敗劫。
彼作是言。「此世間常。此為真實。餘者虚妄。
所以者何。以我憶識故 知成劫敗劫。我復 能過是。知 過去成劫敗劫。
我不知 未來劫之成敗。此説知始。不説知終。」
此人朝暮 以無智説言。「世間常存。唯此真實。餘者虚妄。」此是二常法。
諸沙門.婆羅門 種種方便。入 定意三昧。隨三昧心。憶識 八十成劫敗劫。
彼言。「此世間常。餘者虚妄。所以者何。以我憶識故 知有成劫敗劫。
復 過是 知過去成劫敗劫。未來劫之成敗 我亦悉知。」
此人朝暮 以無智説言。「世間常存。唯此為實。餘者虚妄。」是為三常存法。
此法無上。智慧無餘。神通無餘。
諸世間 沙門.婆羅門 無有能與如來等者。況欲出其上。

これは「仏陀の常見」なるものを説いている経文ではない。
〜〜〜この人 朝暮に無智を以って説きて言はく、「世間(=世界)は常に存す。
ただ此れのみ実となす。余(=他説)は虚妄なり」と。これを三(=第三)の常存法となす。〜〜〜
「無智を以って説く」と書いてあるから仏陀の立場ではない。
「此の法は無上なり。」この法とは仏法のことである。
557阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/17(木) 18:06:20 ID:soLfuIik
>>503の漢訳パラレル
T01n0094_p0918b05(02)?世間有常。有生有老有病有死。
T01n0094_p0918b06(00)?有憂?啼哭不樂。如是此大苦陰是習。
T01n0094_p0918b07(02)?如是世間無常至無有命終。有生有老。
T01n0094_p0918b08(04)?至大苦陰是習。世間有常。此不可記。
T01n0094_p0918b09(07)?如是世間無常至無有命終。此不可記。云何不可記。此非是義。
T01n0094_p0918b10(00)?亦非法。非是梵行。不成神通。不至等道。
T01n0094_p0918b11(02)?不與涅槃相應。是故不可記。

558机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/17(木) 18:36:39 ID:HxiVW4/t
>>549
>いつもの言葉遊び乙。

そうじゃないだろ(T_T)/~~~
私は阿含経典について語ちてるんですよ。

>ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理 を中心に、様々な議論を重ねて行けた
>らと願います。佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。引き続きよろしくお引き立てのほどを。>>1参照のこと
559机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/17(木) 18:40:02 ID:HxiVW4/t
>様々な議論を重ねて行けたらと願います。

様々な議論を重ねて逝く御仁はおらんのですか?
560承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/17(木) 18:52:05 ID:TlUiWUwe
相対性理論と仏教ってスレを立て逃げした椰子が何か(ry
561神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 19:21:25 ID:y2+m7qtK
>>558
いいや、あなたのはただの言葉遊び。
そんなことも気付きませんか?なら相当に重症だ。

机さん。妄想の世界で遊んでて楽しいですか?
562阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/17(木) 19:28:45 ID:soLfuIik
>>555
以前に書いたことだが・・・。
「愛国心は破落戸ども最後の隠れ家」という格言があるが、その「愛国心」へ「菩提心」や「信心」、あるいは「信仰」を
代入しても全く不自然でないばかりか、よくその処を得た観があるように思う。
563承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/17(木) 19:36:51 ID:TlUiWUwe
なる。
だが尚、人としては愛国と言い、シャモンとして発菩提と言うしか無いってトコでンしょうか。
564机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/17(木) 19:43:33 ID:LNeU56t+
>>561
では、
>俗數法とは謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。

これの意味が解りますか?

言語化するのは。どういうことか。という呈示でありますが、
この前提において私は書き込みしちょるのです。
ならば既に答えは明白。

これなくして仏典解釈はありえんのです。
565神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 19:48:09 ID:GGvlhltd
>>562
 別に信仰など無くても生活には差し支えは無いが、
「愛国心」は人並みに在る振りをしていないと、
生活に関わることも儘在る
566阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/17(木) 20:01:14 ID:soLfuIik
>>565
「愛国心(イデオロギーに過ぎんがw)」どころか「公共心(さしずめ生活必需品)」すら皆無なのが出禁外道ども。
娑婆世間(含ネット・医療機関等)からも排除淘汰され波羅夷となるのも当然の成り行き。
567神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 20:04:55 ID:y2+m7qtK
>>564
ハイハイ。あなたの言葉遊びに過ぎない妄想は、
もう聞き飽きましたよ。

試しにあなたはどう思っているか言ってごらんなさい。
わたしがあなたの話は言葉遊びにすぎないと証明してあげるから。
568机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/17(木) 20:21:11 ID:HxiVW4/t
>>567
証明することありゃせんですね。

言葉あそびでした。
すまんですね(*^_^*)
569隠居が一番:2007/05/17(木) 20:47:26 ID:a/YXufkK
>>567 横レス悪いが、
 なんの生産性もない揶揄的態度は放逐して
自分の考える(即言語化)>俗數法とは謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。
の仏教(哲学)的意味を披瀝したらどうだ。見苦しいぞ。
570神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 21:00:26 ID:KKR0ut7/
>>557を講釈すると、

世界が永遠であろう(2)となかろう(1)と、有限であろうとなかろうと、(3,4)
生命と身体が同一であろうとなかろうと(5,6)、人が死後存在しよう(8)としまい(7)と、
/人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。

1 世間は常ある(1)/も、生あり老あり病あり死あり、憂?あり啼哭(テイコク 泣きさけぶ)して楽しまず。
   かくの如くのこの大苦陰(あつまり)、これ習(重なるさま?)たり。
2-8 かくの如く、世間は常なく(2) 乃至 命終ることあることなけれ(8)/ども、生あり老あり 乃至 大苦陰、これ習たり。

1 世間は常ありとは、これ不可記(記述できない)なり。
2-8 かくの如く、世間は常なく 乃至 命終ることあることなしとは、これ不可記なり。
   いかんが(どういうことか)不可記なる。これはこれ義にあらず、また法にあらず、これ梵行に
   あらず、神通を成ぜず、等道(完全な悟り)に至らず、涅槃と相応せず(ふさわしくない)。
   この故に不可記なり。
後半では、8つの質問の答えは「無記」だとして、その理由を説明している。


ちなみに、参考として下記の論考を挙げておきましょう。
論題になったことのある、佛音によるタターガタの語釈「サッタ」の語義に関して参考になるでしょう。
つまり、佛音は「アートマン」の意味で「サッタ」という語釈を加えた可能性がある、ということ
です。もちろん「ヒト一般」という可能性も。

初期アビダルマ仏教における「我」の同義語について    齋藤滋
   印佛研 54−2(PDFで公開されている)
>『集異門足論』にみられるように,初期のアビダルマ仏教では,「プドガラ」・「サットヴァ」・「ジーヴァ」等は
>假立された「ヒト一般」を意味し,人格の主体である「我(アートマン)」と異なったものであった.
>しかし,『発智論』になると,・・・「プドガラ」等は「我(アートマン)」と同置され,人格の主体を意味するようになる.
571カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/17(木) 21:11:58 ID:GRAYgg7D
>>550
こいつも相当に頭が悪いな。
人の言うことを全く理解も出来ないくせに、ちんぷんかんぷんな言いがかりを付けてくる。
頭が悪い奴に限って、他人様に対する対抗意識は人一倍強いものだ。
ま、こいつのつの知能レベルだと、聖書や仏典を読んでも、真理など見出せないだろう。
頭が悪すぎる。ちゅうかこいつ、ただの凡夫だし(失笑)
それも典型的な、な。おいそこの凡夫。凡夫が宗教板に何のようだ?
おまえのエゴを、信仰者に押し付けに来たか?凡夫らしいな。さすが凡夫だよ。

真理を語るものの邪魔をするくらいなら、そいつは早く死んだほうがいい。
そのほうが、皆の為でもあり、本人の為だ。

おまえ、早く死ねよ。
572承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/17(木) 21:34:07 ID:TlUiWUwe
と、凡夫が凡夫に凡夫と凡夫なレスをした。
573カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/17(木) 21:57:04 ID:GRAYgg7D
>>572
なんか言ったか?
糞の役にも立たない屁理屈、言葉遊びが仏教だと
勘違いしている末法仏教者さん

おまえらにかかればイエスも凡夫だもんな〜たいしたもんだ。
全く無知(無恥)とは恐ろしいもんですな〜(苦笑)
574隠居が一番:2007/05/17(木) 23:33:45 ID:a/YXufkK
575隠居が一番:2007/05/17(木) 23:37:17 ID:a/YXufkK
>>573
白隠の言葉を勝手に隠居が編集。

「世に勝手に智慧ありと思う人生のほど、あさましく、物苦しいことはなきことなるぞや。
来し方、行く末のことなども際限なく思い続け、他の趣の好悪などをとがめ、旧識同伴の間闊(とおどおしき)を恨み、
生前には名聞(みょうもん)の遂げざるを愁(うれ)え、死後は長夜(ちょうや)の苦患(くげん)を恐れ、
目を塞(ふさ)ぎて打臥(うちふ)し居たるは、殊勝(しゅしょう)に物静かなれども、胸中騒がしく、心上苦しく、
三合の戯論に、八石五斗の罵倒語あるべし」

 などと、いかにもその通りで、カラスのようになまじい学問をした、智慧のあると曲解する人ほど、
よけいに人生を苦にする傾きがあって、容易に達観に安住することはできないのDR。

 おやすみ。

な〜んの反論にもなっとらん。
576隠居が一番:2007/05/18(金) 00:12:20 ID:UOX3Zd3u
>>571 相当に頭が悪い隠居のお願い。

人格分裂「アフォ」カラスに宿題を提出する。
以下の問いに答えよ。
その1.全能の神、至高のアイオーンたる「父なる神」に以下の願いの祈りを捧げます。
全能の神にひれ伏してお願い申し上げます。

先ず、絶対に動かすことのできない石をお造りください。
そして、その造られた石を動かしてごらんください。
全能の神たるゆえんを、アフォな仏教徒達にお示し下さい。
                  (続きあり)


577隠居が一番:2007/05/18(金) 00:15:18 ID:UOX3Zd3u
>>571
その2.龍樹も行った言語批判⇒ロゴス・言語論理の矛盾について考えてみる。

例えばカラス言語には自己矛盾の問題があり、論理的に成り立たない本質を持っている。
『俺は正直者である!』とカラスが叫んだとする。
カラスの発言が真実の場合、「正直者」というのは真実であって何の問題もない。
また、嘘であった場合、カラスは嘘つきであって、結果として真実を言ったのであり、何ら問題はない。
共にその発言自体は真実となってしまうのだ。
つまり発言が、真実であっても、嘘であっても、共に“真実”が成立するという矛盾結果を生むことになる。

 逆の『俺は嘘つきである!』とカラスが叫んだ場合もみてみる。
正直者は嘘を言ったことになり、正直者ではなくなる。
また、不正直者は真実を言ったのであり、これもまた不正直者ではなくなってしまう。
これは共に矛盾することになってしまう。

双方の命題は、自分自身について真偽を確かめようとするときに発生してしまうパラドックスであり、
「カラスの自己言及のパラドックス」と、都立松沢病院では言われている。


      <上記二つの命題を解け>
    
578神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 00:16:21 ID:1ktbkcGq
神様ってなんですか?
いいひとですか?
優しい?
それとも極悪非道?

579隠居が一番:2007/05/18(金) 00:25:21 ID:UOX3Zd3u
>>577の問題は、>>550のベロ ◆eOod7XM/js氏の発言に共通するパラドックスである。

語り得ぬことには沈黙しなければならない.<<Wovon man nicht sprechen kann, darueber muss man schweigen>>.
<Wittgenstein>


580神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 01:04:18 ID:OXHf4VXf
なんかこの頃のこのスレ、おもしろくないな〜
電波男さん、復活してくれないかな。
581神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 06:32:24 ID:avz5mujx
>>580
自演ですか? あのハッタリ自演男の何が信じられるの?

582カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 06:47:29 ID:tF9sAKsa
>>576
>至高のアイオーンたる「父なる神」

あほかおまえ。言ってることがちんぷんかんぷんなんだよ。
言語のついて随分前から何度も言っている、
あえて言葉で表現したらと断りを入れてるだろ。
ちなみに釈迦もその境地のことを語っているし、真理についても語っている。
おまえみたいにそれは言葉では一切合財 ”表現” 出来ないというのは、
単なる知らないので答えられない奴の詭弁か、論破された奴が、
相手の主張を認めないために使う詭弁だよ。
釈迦も語ってるんだ。おまえはグノーシスは愚か、仏典すらろくに読んだことねぇだろ。
お眼の質問はどちらも愚問だ。頭悪い癖に、人様に偉そうに質問してくるんじゃねぇよ。
まぁいい。おまえの知能レベルを図ってやろう。
イエスは言われた。「天の父は、おまえ達の頭の髪を一本一本数えることが出来る」
一見荒唐無稽のようだが、これは真理を悟る者は、荒唐無稽でもなんでもなく、当たり前の話である。
さてこれはどういうことか?答えてみろ。この問いの答えは、そのままおまえの問いに対する答えでもある。
さぁ、答えてみろ。おまえの頭の出来を図ってやるからよ。
583カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 06:49:21 ID:tF9sAKsa
凡夫は何も知らないくせに、態度だけは一人前だ。

アホは観察しているととても滑稽だよ。
584神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 06:51:36 ID:nQXQVB/1
>>577
何かおかしくないか?
585神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 07:11:47 ID:nQXQVB/1
586阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/18(金) 07:18:28 ID:7y2Qr0WX
テンプレ文盲の座敷牢押し込め隠居に告ぐ

娑婆の行く先々で駆除淘汰、波羅夷済みの職業荒らし、出禁外道に不可触のこと。

汚 穢 撒 布 幇 助 厳 禁 !!
587カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 07:21:18 ID:tF9sAKsa
ご隠居さんよ。キリスト教を批判したければ、まずキリスト教を知らないといけないな。
相手の主張を知り(理解)もしていないくせに、闇雲に、否定し、相手に絡むのは艇脳児のすることだな。
それくらいは、頭の悪いおまえでもわかるよな?どれ、おまえのキリスト教に対する理解度を図ってあげよう。
質問だ、答えてみろ。おまえの理解度を図ってやる。

>弟子たちはイエスに言った。”わたしたちの終わりがどのようなものであるかをわたしたちにおっしゃってください”。
>イエスは言った。”いったいあなたがたは、終わりについて尋ねるために、初めを明らかにしたのか。
>なぜならば、初めがあるところに、終わりがあるであろうから。初めに立っている者は幸いである。
>彼は終わりを知り、死を味わうことがないであろう”。

>イエスは言った。”生まれた前に存在していた者は幸いである。もしあなたがたがわたしの弟子になり、
>わたしの言葉を聞くならば、これらの石があなたがたに仕えるであろう。なぜならばあなたがたは
>パラダイスに5本の木を持っており、それらは夏にも冬にも動かされず、その葉は落ちないからである。
>それらを知る者はだれでも死を味わうことはないであろう”。

>彼の弟子たちは彼に言った。”どの日に死者の休息が生ずるのでしょうか。そして、
>どの日に新しい世界が来るのでしょうか”。彼は彼らに言われた。
>”あなたがたが待っているこの休息はすでに来ているのだ。そして、あなたがたはそれを認識していない!”。

 <上記三つの命題を解け>

もちろんイエスの教えを理解していれば、わかるよな〜?
相手の主張を知り(理解)もしていないくせに、闇雲に、否定し、相手に絡むのは艇脳児のすることだな。
それくらいは、艇脳児のおまえでもわかるだろう?艇脳。



588神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 07:32:29 ID:ja6rEwPh
>>577 >>578
うは、まるで子供の屁理屈ですね。
さすが、いい年したニートは違いますね。
589神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 07:36:03 ID:nQXQVB/1
阿呆陀にささげる歌
http://www.youtube.com/watch?v=6MKqMuMzvN0
590神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 08:12:36 ID:Lct+qTtQ
>>576
すでにマホメットがその答えを出している。
>>577
メタ言語論を適用する。
あるいは、論理的に無矛盾な体系には論証も反証もできない命題が、
必ずひとつ以上存在することが、すでに論理的に証明されている。
591隠居が一番:2007/05/18(金) 08:28:06 ID:UOX3Zd3u
>>582>>586>>588

 そ〜〜〜〜ですか。
問いに答えず、トンチンカンな問い返しですか。
私としては世俗諦での言語批判・パラドックスを論じて欲しかったのですが・・

よーござんす。
「凡夫」であることは認めますが・・
たしかに、キリスト教のことは深くは研究しておりません。すまんですね。
ライフワークも忙しくなってまいりましたし、近頃執着心も希薄化してまいりました。

では、お望み通り、この世間スレからは執着なく、おいとますることにいたしましょう。

最後に一句

  形見とて なにかのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉
                           (大愚良寛)

592阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/18(金) 08:30:44 ID:7y2Qr0WX
>>589
引かれ者の小唄なら独りで呟くように(嗤)。
>>590
それが蟲螻サイコパス擁護かい(冷笑)。
593机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/18(金) 09:15:12 ID:UXh2pNty
>>591
>私としては世俗諦での言語批判・パラドックスを論じて欲しかったのですが・・

わかっております。
この流れで
>俗數法とは謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。
これを語ちれば
>ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理 を中心に、
>様々な議論を重ねて行けた らと願います。
>佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。
>引き続きよろしくお引き立てのほどを。
というふうになって、
佛教の原点を闡明するわけだったんですが、
闡明したい御仁はおらんよぉです。

様々な議論を重ねて逝く御仁はおらんのですか?
様々な議論を重ねて逝く御仁はおらんのですか?
594承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/18(金) 09:55:47 ID:lgw6DcDn
あー、
とりあえず、悟ったとか法を体得したとか言う、スットボケタ戯言使いは壁向いて座ってろ!
595神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 10:01:04 ID:NLfJwE34
>>594
それは、誰のこと?机?カラス?
596承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/18(金) 10:36:13 ID:lgw6DcDn
釣られて怒りだすハズだった馬鹿の事。
サンドクとか自戒なんて初歩なんだがねぇ。
シンイも抑えられない椰子が法を語るなんて、もー笑える笑える。
597神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 11:09:07 ID:NLfJwE34
>>596
ああ、ハイハイ。そういうことね。
とんだ勇み足、すまんまそ。w
598机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/18(金) 11:39:50 ID:UXh2pNty
(自己レス)
>闡明したい御仁はおらんよぉです。

記述する場合は意味連関として文法的に時系列に沿う。
が、それ以降の縁起の連鎖としての脈絡という流れになるが、
これが俗數法というのが興味深いですね。

様々な議論を重ねて逝く御仁がおったら、
佛教の原点を闡明する書き込みを継続させて逝きます。

ちなみに私はパソコン環境が良好になりました(#^.^#)
既に皆様はお気づきかと思いますが、書き込みに新たなバリエーションが加わりました。
キーボードは非常に軽い。
メモリも大きいですよ(*^。^*)
音響がダイナミック。
17インチなんです(^0_0^)
599神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 17:22:27 ID:eXP4ftuF
長部経典 28 自歓喜経
aparaM pana, bhante, etad AnuttariyaM, yathA bhagavA dhammaM deseti sassatavAdesu /
tayo 'me, bhante, sassatavAdA /
idha, bhante, ekacco samaNo vA brAhmaNo vA ...... / ayaM paThamo sassatavAdo /
puna ca paraM, bhante, idh' ekacco ...... / ayaM dutiyo sassatavAdo /
puna ca paraM, bhante, idh' ekacco ...... / ayaM tatiyo sassatavAdo /
etad AnuttariyaM, bhante, sassatavAdesu //

次にまた、尊者よ、世尊が諸々の常住論に関して法をお説きになったこれ(etad 説き方)は無上のものです。
これらが(ime←ayaM)、尊者よ、三つの常住論です。
ここに、尊者よ、或る一部の沙門やバラモンは・・・。これが(ayaM)第一の常住論です。
またまた他に、尊者よ、ここに或る一部の・・・。これが(ayaM)第二の常住論です。
またまた他に、尊者よ、ここに或る一部の・・・。これが(ayaM)第三の常住論です。
諸々の常住論に関して(世尊が法をお説きになった)これ(etad 説き方)が、尊者よ、無上のものです。

訳注
etad AnuttariyaM ... / これは無上のものです。
ayaM paThamo ... / これが第一の・・・。
etad が先のもの(仏説)を、idam (=ayaM) が後のもの(常住論)を指す。(辻文法 p.75の3 参照)
 他にも5箇条の註を書いたが、煩雑につき省略した。

解説
 この部分は、「梵網経」で説かれているように、沙門・バラモンの諸々の常住論を、
〈それらの論も結局は、六根と六境との接触(触)の縁によって感知(受)されたものである〉
として、仏教の縁起説から批判したものである。
 「世尊が諸々の常住論に関して《法を》説く」とは、仏法の縁起説を説くということであり、
文章構成上、この最初に述べたことを常住論の細説をはさんで、最後に繰り返して締めくくっている。
600神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 18:54:56 ID:OYU51VJP
石飛道子さんの龍樹論は出版社にボツにされたそうですな。楽しみにしてたんだが。
601莫迦牟尼佛 ◆6.4oHoukEI :2007/05/18(金) 19:10:29 ID:N8VLo1O2
いぃ歳こいて言い争いは醜い。
そんな暇ならトイレ掃除でもして奥さんを喜ばしてなさい!!!
602承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/18(金) 19:28:17 ID:lgw6DcDn
論を以って本義と為すは是仏道の本懐なり!
下座は行の一に過ぎぬわ!
喝!
603机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/18(金) 19:53:43 ID:UXh2pNty
>>600
>石飛道子さんの龍樹論は出版社にボツにされたそうですな。楽しみにしてたんだが。

わたしも楽しみにしてました。
ブッダ論理学を書いた女史ですから、どんな論理を展開するやら?
龍樹は非論理の論理ですから。
これを論理にしちまうと、龍樹論が台無しになる。
つうことを、出版社は分かったんでしょうね。

いや、わたしは最初からこんなことは分かっておったですがね(*^^)v

まあ石飛よりは、京都学派の方がまともなことを書いてますから、
なにも今さら本を買って学ぶこともなかろう。
604神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 20:33:55 ID:p3IhMAv2
俗数(シュ)法、異訳では仮(ケ)号法。これらの原語と思われる語を探してみると、
saMvRti (サンヴリティ) 俗,仮,仮名.
saMkhyA (サンキヤー) 算数(ジュ);名号.
などが考えられますが、「俗」と「仮」の両方の意味を持つのは前の語であり、また「数」には
「智」という意味もあるそうなので、「法」を真理(諦)とすれば、saMvRti-satya (サンヴリティ・サティヤ,
世俗諦)が原語だった可能性も考えられます。

ひとまずそうだと仮定して、これと縁起公式および十二支縁起を結びつけると、
「(第一義空という勝義諦の立場で見る一如としてでなく)世俗諦で十二支に展開して縁起を述べて
いる」という解釈が成り立つかも知れません。
まあこれは、雑阿含経の中のある経を中観派の見地で解釈する、というような感じであり、
またこの経全体の中での整合性も考えていないので、あまり自信のない推論ですが。

ところで、「第一義空経」からのツォンカパ引用部分の蔵文はどうなっているんでしょうか。
どなたかその後、お調べになりましたか。というか、「第一義空経」全体の蔵訳も残っているのかな。
605阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/18(金) 21:41:47 ID:7y2Qr0WX
>>600
「W俊彦」氏の論駁をその出版社(あるいは編集者)も無視できなかったのでしょう。
>>604
件の契經を教証に所論を展開するのは中観派ばかりでなく、有部阿毘達摩や瑜伽行派
においても同様であったと記憶します。関連論文も探してみると面白いと思います。
尤も、これはこんな百鬼夜行の只中で語る話題では思います。奥座敷(こちらのまともな
住民の方々はご承知の場)では触れ始めては居ますが。

606カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 22:17:54 ID:tF9sAKsa
未熟者めが。承狂よ。人のことより、自分のことだ。
おまえ禅宗か?道理でアホなわけだ。サマタじゃ悟れねぇんだよ。
一点集中型の瞑想では智慧はわかん。
だからおまえらは、悟りも無ければ、智慧も無く、なーんも無いんだよ〜〜ん。

わははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
607阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/18(金) 22:25:23 ID:7y2Qr0WX
>>605

> 只中で語る話題では思います。→只中で語る話題ではないと思います。
608カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 22:33:16 ID:tF9sAKsa
>>559
>様々な議論を重ねて逝く御仁はおらんのですか?

議論?詭弁家の机と議論!!??
詭弁でしか反論してこない机とどうやって議論が成り立つのでつか???
詭弁家の君とは、議論以前に、まともな会話はできないのはこのスレでもとっくに証明済みなのですが。
詭弁ばjかりで、まともな会話すら成り立たないあなたとは、議論以前の問題でつね。

そんなことも気付かないのでつか?

あなたは自分自身を知らないのでつね。
609カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 22:37:50 ID:tF9sAKsa
>>607
いちいち単なるタイプミスを訂正してんじゃねぇよ。
それもともここは、いちいちタイプミスを訂正してやらないと、文意も汲み取れない、
文盲ばかりなのか〜〜い?

わははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは

アホウよ。なんなら、現代思想とやらにお邪魔してやってもいいんだぜ。
610承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/05/18(金) 22:40:11 ID:lgw6DcDn
>>606
可愛いなぁ、烏の唄だけに。
確に禅なんざぁ、所詮ユガとの合習、
タイゴなんてなぁマキョウに過ぎぬよな。

あぁ、鳥目だから良く観察出来ねぇのか。
失敬失敬、

憐れよなぁ、烏の唄よ♪
611カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 22:43:44 ID:tF9sAKsa
しかし、原始佛教を唄いながら、ヴィパッサナーの話題もでず、
でるのはサマタでしかない、禅や、文献は竜樹の中論、あげくに般若心経だ。
原始佛教で、禅思想を永遠と垂れ流してる御仁もいるし、ここはおかしな集まりですな。
612カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 22:46:56 ID:tF9sAKsa
>>610
悟りに、小悟も、大悟も、ねぇよ、タコ。

はぁ〜本当に禅宗は駄目だな。迷いを深めるだけだ。
613神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 22:47:49 ID:SGAjbR8C
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/5233/1179495348/1
本当に出会えるサイトASOBO
ポイント稼ぎのサクラは通報機能がある為皆無!
サークルやチャットも充実!
色々とインチキサイトはあるけど、
ここは本物!
614阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/18(金) 22:55:47 ID:7y2Qr0WX
>>610
最初の篩に載せて貰うことすら能わぬ足切り底辺外道を弄らぬよう。

    汚 穢 撒 布 幇 助 厳 禁!!
615神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 23:04:24 ID:avz5mujx
>>611
へ〜、君がサマタだけかと思ったよ。じゃ、ヴィパッサナーとはどうすることか?
616カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 23:15:35 ID:tF9sAKsa
魔境とは、禅思想に精神を毒されることです。
ほら、こういうことを言うと、また禅宗から詭弁が返ってきまつよ。
詭弁でしか能書きを言えず、詭弁を仏教だと思っている。
こういうのを魔境というのでつ。
617カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 23:18:45 ID:tF9sAKsa
>>615
自分で考えろタコ。

なにからなにまで教えてもらえないと、わからない。

自分で考える頭がないんですね。

わははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
618神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 23:25:14 ID:bwpvqvk9
禅はむしろ観。
止というのは一般的イメージか?

観や知識なしに禅はない。
不立文字と裏腹な語録の豊富さがそれを示しているし、
実際、観無しに坐禅しても意味ないと思われる。

ノシ
619神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 23:33:28 ID:avz5mujx
>>617
いやいや、こういうことは考えても全く分からないんだぞ。

聞思修という順番があり、まずちゃんとした先生に聞かなくてはだめだ。
その後に思考して、どういうことか考えて理解し、修行するわけだ。

その修行も、戒定慧の順番で行う。戒は、身口意の業・行為を整え散乱を間接的に防ぐ、
その後で定を行う、禅定、三昧、サマタだ。所縁・業処などに集中して心を静める。
その静まった状態にも段階がある、そしてこの静まった状態を悟りを勘違いすることが多い。
慧を用いるのが仏教とヒンドゥーを分ける特色であると仏教は一貫して説明する。

その慧がヴィパッサナーで、三解脱門や三十七菩提分法などが用いられる、
その要は、無常、縁起、無我、空である。これはスッタニパータから、ヴィスッディマッガ、宝行王正論、入菩提行論、摩訶止観、往生要集に至るまで一貫している。

だから、君にヴィパッサナーはないと思ったわけ。この意味でなくどういう意味で使ってるわけ?
620カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 23:48:51 ID:tF9sAKsa
>>619
はいはい屁理屈乙。

こんなこといってるから禅宗は駄目駄目なんですね。

屁理屈ばっか。

迷いの世界は楽しいでつか?
621カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/18(金) 23:54:44 ID:tF9sAKsa
悟ったからといって、即、人格者になるわけではない。

だが悟らない者は、人格者にもなり得ない。

彼らは人生において、なにをすべきか、知らないままで一生を終える。
622神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 00:00:55 ID:kabWhM8E
>>620
あらら、ネットでは言語による論理と倫理のみでしか相手を見分けられないよん。

せっかく、その独断の世界から抜けられるチャンスだったのにね。

オイラは禅宗は嫌いじゃないが、禅宗じゃないぞ。何も分かってないんだから。
623カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 00:06:52 ID:tF9sAKsa
いくら座っても、禅では悟れねーんだよ。
それはおまえらも認めるだろ。なんせおまえらにかかると悟りなんか無い。だもんな(大爆笑)
ただの屁理屈を偉そうに語ってるんじゃねぇよ、ばーか。
なにが智と慧をわけるだ。こんなことを言っているからこいつらは駄目なんだ。
言葉遊びと、屁理屈ばっか。言葉遊びは楽しいですか?わははは。
君らも能書きは、悟ってから言おうね。

俺も、一切法無我を説き、一切行無常を説き、一切皆苦を説き、おまえらのようなごまかしではない、
涅槃静寂を説いてるんだよ。メクラはいくら言っても理解しない。
624阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 00:07:11 ID:SXdvgWIc
蟲喰ひを また喰らはむと企みて 寄る破落戸の様ぞ見苦し
625カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 00:12:40 ID:F8PC1UEX
簡単なことを専門用語を駆使し、小難しく語るのが仏教ではありません。

ここの人達はなにか勘違いをしているようですね。

ちゅうか、ただの馬鹿だ。
626p:2007/05/19(土) 00:20:22 ID:beNYT4fI
同意
ベクトルが違いすぎる。
アフォだの机だのは今生で悟るのは無理だろう。
素質が無い。謙虚さもない。
627神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 00:24:31 ID:kabWhM8E
>>623
机さんの理論は、禅本来とも違うよ。それじゃ禅が可哀想だ。
禅者に悟った者は、沢山いると思うよ。

つまり一切は現象で不浄・苦・無我・無常、縁起、空。
涅槃は浄・楽・我・常で、ブラフマン、神といった理解でしょ。

それは単純だから、みんな分かってますよ。
分かってて、間違ってるといってるわけ。
君の理解は、明らかに誤解だ。

確かにサマタで、心を静めて諸法・現象が消えた状態にならないと
ヴィパッサナーといって縁起・空などを観じても妄想にしかならないが、
サマタだけでは悟れない、縁起・空が重要なんだな。
それが分からないとヒンドゥー。

屁理屈じゃないよ、まあ、読むか伝統的なビルマ仏教かチベット仏教の有能な師に質問することを勧める。

本を読んでも、君だと勝手に解釈しちゃうから、だから読むではなく聞くから始まるんだな。

628p:2007/05/19(土) 00:29:32 ID:beNYT4fI
理解ではなく『観』


だろ?

まあ言っても無駄か。
629神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 00:35:15 ID:kabWhM8E
観でも見解でもいいよ。
630カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 00:37:24 ID:F8PC1UEX
>>627
>涅槃は浄・楽・我・常で、ブラフマン、神といった理解でしょ。

あほや、。こいつも人の言うことを全然理解しとらん。
涅槃が神?言っとくが、善も悪も、神も悪魔も、「人」が作ったものだ。
君らの理解するブラフマンとは、キリスト教で言う、デミウルゴスだ。彼の名を無知という。
どうして彼が、涅槃になるのだ??俺の話のどこが、涅槃とは
浄・楽・我・常になるのだ??その境地を、浄・楽・我・常ではないと言えば断見となり、
浄・楽・我・常であると言えば、常見となる。俺はそういう話をしている。
馬鹿にはいくら言ってもわからんのだな。誤謬しているのは、おまえらのほうなんだよ。

おまえらの反論はもう聞き飽きた。いつまでも人の言うことを理解せず、永遠におーーーんなじ事を
言って反論してろ。おまえら頭悪すぎなんだよ。末法佛教の迷信に頭が凝り固まっていやがる。

カワイソウニ。。

631神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 00:39:20 ID:kabWhM8E
問題なのは、禅定や三昧で現象が消えたことや光明、楽の体験は悟りじゃなく、
その後で観としての縁起・空による悟りが必要だってこと、

これは根本的な問題だからね。分かる?
632カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 00:43:23 ID:F8PC1UEX
ちなみにそこは、名前の無いところだといっている。

「ところ」と言うのも不適切だな。

何で俺の話が、そこは神だの、ブラフマンだのとなるのか理解に苦しむ。

あれだけやさしく、ごまかすことなく、君らと違い簡単な言葉で話してあげているのに、
君らはあいもかわらず、陳腐な反論をしてくる。

この程度の理解力の人達が、どうして、仏典など読んで、釈迦の教えを理解できませよう。

笑わせるね。
633神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 00:44:33 ID:kabWhM8E
>>630
同じだよ、表現を単純化しただけだ。
ヒンドゥーだと有無を超えたブラフマンとか神とかいう、
それは仏教では完全に否定される。

それは三昧体験から世俗に戻った意識で妄想して作り上げた概念。
それに留まる限り悟りはない。
634カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 00:45:26 ID:F8PC1UEX
>>631
馬鹿じゃねぇのおまえ。
縁起の理法などりかいするのに、瞑想など必要ないわ。
小学生でも理解できる。

本当に馬鹿につける薬は無いな。
635素人:2007/05/19(土) 00:46:23 ID:3A1c1NIL
>>634
理解すればそれでOKとお考えですか?
636カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 00:48:57 ID:F8PC1UEX
>>633
どこが同じか言ってみろよ。

そうそう君にも質問しておこう。

縁起はどこからきたのですか?まさか元からあったというのですか?

637神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 00:49:14 ID:kabWhM8E
>>632
>>ちなみにそこは、名前の無いところだといっている。

この表現がサマタ体験を悟りを勘違いして、
その体験から、勝手に再解釈して適当な説を立ててると分かる。

それもこれもヴィパッサナーがないから、
縁起・空が分かってないから、それに尽きる。
638カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 00:55:51 ID:F8PC1UEX
>>633
逆に君らのアプローチで
仏教に接する者には悟りはねぇんだよ。
釈迦はヴェーダを否定していないどころか、積極的に肯定し、
弟子達にヴェーダの達人と呼ばれ、そう呼ばれても、釈迦は否定していない。
わかる?アキメクラさん。君こそ、現代の末法佛教の迷信に留まる限り、悟りは無いんじゃねぇの(失笑)

ちゅうか、現代の末法仏教者共に、仏陀はおろか、阿羅漢さえいないではないか。
このことは、なにを意味するかわかるかい?アキメクラさん。ま、おまえにはわからんだろうな。
せいぜい末法佛教の、迷信の世界で迷うておれ。
639神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 00:56:53 ID:kabWhM8E
>>634
>>縁起の理法などりかいするのに、瞑想など必要ないわ。
>>小学生でも理解できる。

それじゃ、電波、アホダラ、机さんと同じだな。縁起=常識みたいな理解ね。
それがサマタなしの状態で、縁起や空でヴィパッサナーしても妄想にしかならないってこと。

サマタした状態で、縁起や空をヴィパッサナーするならちゃんと体験できるはず、

縁起は、諸仏が諸法の実相を悟るために教えられたもの、我々の時代では、
釈尊から教えられた。縁起も空も、もちろん方便だが、強力なものだ。
640カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 01:00:07 ID:F8PC1UEX
>ヒンドゥーだと有無を超えたブラフマンとか神とかいう、
>それは仏教では完全に否定される。

誤謬です。ブラフマンなどは、一方では否定的に書かれていますが、一方では
とても肯定的に書かれています。ブラフマンとはそういう性質のものだからです。
あなたはスッタニパータも読んだことがないのですか?読んでも、末法仏教の迷信に頭が凝り固まっているので、
内容が読めんのだろう。

馬鹿に付ける薬はねぇんだよ。
641素人:2007/05/19(土) 01:01:24 ID:3A1c1NIL
>>638
一ヵ月後でも、一年後でも、10年後でも、
返答を期待します。  (>>635について・・・)


おやすみ・・w   ノシ
642カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 01:02:42 ID:F8PC1UEX
>>639
こいつは末法仏教の一つ、縁起仏教に執着しているようだな。

おまえは、わざわざサマタ式の瞑想をせんと、縁起の理法すら理解できんらしい。
まことにおめでたい頭ですな。
643阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 01:02:59 ID:SXdvgWIc
斯くてポン中二匹がリソースを浪費して夜が更けるのであった(冷笑)。
644神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 01:03:16 ID:kabWhM8E
>>638
ヴェーダングのこと言ってるわけ? 
君の境地は、きっちり否定してるよ。
なぜなら、ウッダカ・ラーマプッタなどの三昧主義ではだめだとしてるからだ、
三昧のなかで縁起を観るヴィパッサナーによって悟られたと仏伝や諸経は伝えているぞ。

ビルマ・チベットにはたくさん悟った者がいるよ。
645カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 01:04:59 ID:F8PC1UEX
>>639
>サマタした状態で、縁起や空をヴィパッサナーするならちゃんと体験できるはず

この人はあほなことを言っていますね。こんな文章を書くのは、頭が悪い証拠です。
646カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 01:06:30 ID:F8PC1UEX
>>644
>ビルマ・チベットにはたくさん悟った者がいるよ。

あのダライ・ラマさんがですか?
わははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
647神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 01:07:44 ID:tn0wWDWr
レスありがとうございます。
>>603
京都学派で「この人だけは読め!」というのは誰ですかね?
>>605
W俊彦氏とはどなたなのでしょうか?
648神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 01:09:55 ID:kabWhM8E
しかし、カラスさんの心は怒りで静まってないようで、
それではサマタすら怪しい。

スッタニパータどこに書いてあるのかな?
縁起によって悟られたことは156頁以下の二種の観察に明らかですが、
この二種の観察が、縁起・此縁性であって、悟りに至る道ですよ。
649カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 01:15:59 ID:F8PC1UEX
>>648
だからその縁起はどこから来たのかと聞いているんだよ。

元からあったのかい?(苦笑)
650カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 01:20:15 ID:F8PC1UEX
>>644
>君の境地は、きっちり否定してるよ

誤謬です。経典には、その境地のことを書いていますね。
全くこの人達は、自説に合うよう、なんでも話を捏造するから困ったもんだ。

ほら、今度は、お得意の、自説にあうように、無理な解釈、強引な曲解がはじまるぜ。

この人達は救いようが無い。なにせ、馬鹿に付ける薬は無いもんでね。
651素人:2007/05/19(土) 01:23:10 ID:3A1c1NIL
無視されてるようなので・・・w
念押しで書き込んでおきます。
>>635について、返答を期待します。100年後でも弥勒降臨后でもいいですけどw
(できれば解説も添えて頂けると幸いですが・・)

それとも、返答は無理かな?w
652カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 01:25:49 ID:F8PC1UEX
釈迦の言葉。

>不死(シナナイ)の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。

>最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほうがすぐれている。

>そこは月の光りも無ければ日の光りも無い。聖者はただその安楽の境地にたたずむ。

さぁ君らの、邪見、曲解を聞かせてもらおうか。



653阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 01:25:54 ID:SXdvgWIc
>>647
朦朧言説を弄んだ挙げ句、殺戮推進イデオロギーまで生産した、京大集結の「陰気なイナカモン連中」が京都学派などと呼ばれます。
まあ、そんなもん読んだかて時間の無駄ですわ。京都人からすれば「よそさん」の典型ですな(笑)。
「W俊彦氏」については、女史の著述の評価関係を調べれば突き止められますよ。いずれ劣らぬ「いなし技」の達人です。
654カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 01:28:16 ID:F8PC1UEX
>>651
何の理解だ?縁起か?なら、そんな理法に過ぎないものは、理解するだけ十分だろう。

真理か?なら、もちろん、理解するだけでは駄目だろう。
655素人:2007/05/19(土) 01:35:01 ID:3A1c1NIL
>>654
寝れなくなるようなレスをしないで下さいよw

自身の生活に反映しない理解は意味があるのか?ということです。
理法かどうか、真理かどうかではありません。

この消息がわかりませんか?

その程度ですか・・。貴方には結構期待してたんですけどね・・w

ホントにお休みなさい   ノシ
656カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 02:15:30 ID:F8PC1UEX
いや,ここの無明に囚われた末法仏教者共をからかっていると面白くてさ。
こいつら、屁理屈ばっかりだろ、実際の話。

自分の誤りを認められるのなら、まだ見込みがあるが、屁理屈、詭弁を駆使してまで、
自分の謝った見解に執着し、捨てられないこの哀れな人達を見てると、とても滑稽でね。
あと、机を代表する、ここに巣食う、詭弁家たちを言い負かすのは、とても気分がいいものだ。
もちろんこれは、真理の道から外れたものだ。だが、わかっちゃいるけどやめられない〜
ほれ、すーすーすーだらだった、すらすらすいすいすい〜てなもんだ。
わははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
657カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 02:24:07 ID:F8PC1UEX
おや、ID: kabWhM8E は逃亡かい?
こいつも私が間違っていました。といえれば、大したもんだが、
己の見解に執着しているこのての輩は、決して自分の過ちを認められず、
論理的に負けるとしるや、今度は詭弁と屁理屈、机のような単なる言葉遊びの妄想を
語りだす。みててごらん。こいつら日頃は、それは脳内の思考出しかないとか何たらかんたら
言っているが、自分達は単なる言葉遊びに過ぎない、思考の産物でしかない、脳内妄想しか語っていないから。
論理的ではないくせに、空理空論、詭弁だけは一人前。

まさに、馬鹿に付ける薬は無しだよ。
658カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 02:36:33 ID:F8PC1UEX
論破。なんという美しい言葉の響きだ。
無知なくせに態度だけは一人前の、生意気な凡夫は恥を晒して逃亡。
ID: kabWhM8Eは現代物理学を少しでもかじっていれば、中学生でも答えられるような
簡単な問いに対しても、己の見解に鬼のように執着するあまり、思考停止で、逃亡。
彼らは何度論破されても、時間がたてばまた論破された話題を蒸し返しては、同じ反論をしてkる。
学習能力の全く無い、この哀れな池沼達に乾杯(嘲笑)

今日も酒が美味いよ。
今宵も勝利の美酒に酔いしれ、眠るとしよう。ククク。
659机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 07:25:14 ID:DdfdXRiA
>>604
>ひとまずそうだと仮定して、これと縁起公式および十二支縁起を結びつけると、
>「(第一義空という勝義諦の立場で見る一如としてでなく)世俗諦で十二支に展開して縁起を述べて
>いる」という解釈が成り立つかも知れません。

というか、経典にそういうことが書かれていますが・・。
というか
>>605
>尤も、これはこんな百鬼夜行の只中で語る話題ではないと思います。
>奥座敷(こちらのまともな 住民の方々はご承知の場)では触れ始めては居ますが。

「触れ始めて居ますが」とか、そんな大げさなもんじゃないでしょう(大笑
このスレは、佛教の原点を闡明して様々な議論を重ねて逝くんじゃないのですか?


660神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:06:01 ID:JM6mYXIw
朱に交われば赤くなる。

我執と三毒まみれのこの俗世間スレからは、できる人は離れるでしょう。

スッタニパータをじっくり考えながら読んで、ブッダの真意と直接対話して、

自己を調えるべきです。
661机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 08:11:15 ID:C37uRkYg
>>647
>京都学派で「この人だけは読め!」というのは誰ですかね?

京都学派というのは西田幾太郎を中心とした学派だから、
西田の著書を読めばいいんじゃないでせうか?

西田は禅の修行者でもあり、また哲学者であります。
よって哲学からのアプローチとしては一度は読んでみて価値はありますね。
多くの青年が西田の著書を読んで仏教に関心を向ける者も多いですから、

西田を否定するとか肯定するとか、そういうことではなく、
広い見地において思想・哲学一般について学ぶことも肝要かと思います。
そういう過程において、自分が納得することや、また批判する目も養われて逝く。
662神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:29:08 ID:JM6mYXIw
西田ー三木ー戸坂ー西谷ー梯
663神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:34:38 ID:kabWhM8E
>>649
既に答えてますが、縁起は諸仏が悟り、説いたと。>> 639
>>650
君の境地が悟りだとする経典の表現とは >>652なわけね。だから誤解だって後に詳しく説明しましょう。
>>656-658
要するに我見・エゴに基づく他者の論破が目的だと、これでは全く仏教の反対ですね。
664神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:35:27 ID:kabWhM8E
>>652の二つは、中村元訳『ダンマパダ』の以下ですね。

114 不死(シナナイ)の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。
115 最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほえがすぐれている。
http://www.tipitaka.org/roman/s0502a/s0502a-frm.html
の見れば分かるように「不死の境地」は涅槃のこと、「最上の真理」というのは「最高の法」である、注釈は「出世間の法」と言い換えています。
これは>>184「無我には、頭に一切をつけ、一切法無我と言うんだよ」という君の説とは矛盾しますね。
君の説では、一切法は真我ではないという意味だから、それなのに「最高の法」を根拠にするのは何も分からず「自説に合うよう、なんでも話を捏造するから困ったもんだ」ですね。
665阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 08:35:54 ID:SXdvgWIc
>>655
娑婆世間の行く先々で「波羅夷」を受けた挙げ句、癲狂院の牢名主の夢も潰え、最底辺を這いずり回りながら独房カルト

教祖を気取るしか仕様のない足切り癡物外道を弄るのは、リソース浪費幇助という荒らし行為の一種に他ならない。

                      汚 穢 撒 布 幇 助 厳 禁!!
666神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:36:50 ID:kabWhM8E
中村元訳『ダンマパダ』にはこうも説かれてます。

63 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。

自覚しましょうね。さらに本質的な部分では、

372 明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らかな知慧が無い。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。
http://www.tipitaka.org/roman/s0502a/s0502a-frm.html
「明らかな知慧」は般若、「精神の安定統一」は禅定、つまりサマタによる心の静まりと、
三十七菩提分や縁起・空などによる般若が、備わっているものに、涅槃は近いと。
私の説、そのまんまですね。以下も同じ、分かるかな?

277 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

278 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

279 「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
667神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 08:40:41 ID:kabWhM8E
>>652のこれはどこから引用したのでしょうか? 全く同じものを見つけられませんが、

>> そこは月の光りも無ければ日の光りも無い。聖者はただその安楽の境地にたたずむ。

たぶん『ウダーナヴァルガ』26-27の中村訳を適当にアレンジたのでしょう。
別に異論はないですよ。しかしながら、それは君の説とは全く逆で、
中村先生も中観派の説くところとそっくりであると書いてます。つまり、空の境地。
もし、『ウダーナヴァルガ』26-27なら、詳細に論じる用意があります。
もちろん、君の説は全くの誤解ですよ。
668阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 08:48:19 ID:SXdvgWIc
新たなるカモを探せる破落戸は 舌に蜜あり腹に匕首 
669机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 09:03:34 ID:C37uRkYg
佛教の原点を闡明して様々な議論を重ねて逝こうかと思います。
難しい話は奥座敷(癲狂院)を用意しております。
そちらにおいて触れ始めてください。
670カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 12:18:49 ID:F8PC1UEX
>>663
>既に答えてますが、縁起は諸仏が悟り、説いたと。>> 639

あほかおまえ。答えになっとらんわ。なに思考停止に陥り、
必死で屁理屈でごまかしてるんだい〜〜おまえも頭悪すぎ。へーりーくーつは聞き飽きた。

しかし合いもかわらずおーーーんなじ反論が返ってきて、論破してあげても、
その命題はその場では、だんまりを決め込み、忘れた頃にまた、おーーーーーーーーんなじ反論を
永遠に繰り返す。こういうのを輪廻の輪というんだろうな(苦笑)
おれも同じことを何度も言うのは疲れる。アホの相手は、暇なときに暇つぶしにおちょくってやるよ。

ひとつだけアホの見方を教えてあげよう。
中村先生などは、個人的には尊敬しているが、彼らが釈迦と同じ悟りを開いたわけではなく、
その境地を知っているわけではない。それは彼らも認めることであろう。中村先生は、もう死んでいないが。
だいたい学者は学者の見解であり、かれらのドグマをそれそのまま、正解だと盲信する事自体、
智慧のある者の、ものの見方ではない。むしろ永年仏教に接していながら、釈迦の悟りを得られない
彼らは、知識はあっても、智慧がある人達とは言えず、どこかしら見方に誤りがあると知るべきである。
そうじゃやなきゃ、彼らに仏陀や阿羅漢がいてもおかしくないのだが、彼らに、仏陀や、阿羅漢は、
ただの一人もいない。その彼らの能書きを、さも正解のごとく語る御仁は、智慧の欠片も無い、盲人である。
言ってる理屈わかる?彼らはどこかで、間違ったものの見方をしているから、永年仏教に
接していながら悟りを開くことも無ければ、仏陀にもなれず、たとえ正しい師の元で学んでも、
自分達のどこか誤った見解を、捨てずに執着している限り、阿羅漢にはなれないということだよ。
その彼らのドグマを妄信しながら、あたかも彼らの見解が全て正解だと思って話す奴は、頭が悪すぎる。
彼の智慧の無さは絶望的だ。せいぜい邪見を盲信し、迷いの生存を繰り返していろ。
それが馬鹿にはふさわしい生き方だ。
なれないということだよ。

671↑↑↑↑↑↑↑↑↑:2007/05/19(土) 12:29:40 ID:JM6mYXIw
三合の戯論に、八石五斗の罵倒語

なんらの実証性なし 推測のみ
672神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 13:21:15 ID:kabWhM8E
>>670

分かった分かった。要するに「悟った境地から語るオレ様に意見するな」ってことね。

それなら、中村先生の訳なんか使わないように。
さらに、仏教の教義も必要ないでしょ。

オイラは中村先生をそんなに評価してないよ。

しかしながら君が典拠として引用した>>652 「最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほえがすぐれている」
の原語は「最上の真理」は dhammamuttama「最高の法」だから、
君の>>184「無我には、頭に一切をつけ、一切法無我と言うんだよ」とは完全に矛盾するね。以下の自分の言葉がそのまま君に返ってくるよ。

>>657「私が間違っていました。といえれば、大したもんだが、
己の見解に執着しているこのての輩は、決して自分の過ちを認められず、
論理的に負けるとしるや、今度は詭弁と屁理屈、机のような単なる言葉遊びの妄想を
語りだす。みててごらん。こいつら日頃は、それは脳内の思考出しかないとか何たらかんたら
言っているが、自分達は単なる言葉遊びに過ぎない、思考の産物でしかない、脳内妄想しか語っていないから。
論理的ではないくせに、空理空論、詭弁だけは一人前。まさに、馬鹿に付ける薬は無しだよ」
673阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 13:39:47 ID:SXdvgWIc
癡れ物も偶にはよけれ 破落戸の垂らせる針に掛からざりしは
674神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 14:02:41 ID:Bkq8vPiK
カラスは、いまだかつて鏡を見たことがないんだな。
いや、鏡に映った己の姿を見たことがないというべきか。
いや、あいつの手持ちの鏡はみんな歪んでいたということだ。

回りは真っ黒けのけのカラスと誰もが認識しているが、あいつは己の姿を「白鳥」と思い込んでいる。
そういうことだ。wwwww
675神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 14:12:51 ID:rfOLVzmD
中村元さんが悟ってないと、どうしてわかるのですか?
何万枚という原稿を紛失されても、怒りもせず1からやり直されたそうです
676カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 15:03:17 ID:F8PC1UEX
>>672
あほやこいつ・・・・・・・
頭に一切を付ける、一切法無我は、おれの造語だと思ってやがる・・・・・・・
あほや、あほ過ぎる・・・・・・・・

相も変わらず人の言うことを全く理解せず、ちんぷんかんぷんな言いがかりを付けてきているし、
馬鹿の壁を越えられん者には理解不能なんだろう・・・・・・

しかしこいつはアホ過ぎる・・・・・・・・・・・・
677神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 15:09:04 ID:z5n5kAvK
>>672
馬鹿?
矛盾してんのはお前

>>676
同意
あまりにひどい低レベルに驚きましたよw
678神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 15:33:46 ID:Ab1ae2gF
三法印の無我、無常とは、元々頭に一切と付いて、
一切法無我、一切行無常と呼んでいたものです。
それがいつの間にか、大乗の時代になり、頭に一切が取れ、
諸法無我、諸行無常と、呼び名が変わっていったようです。
ですので、釈尊の教えである、無常、無我を正確に、いい表すには、
頭に一切を付け、一切法無我、一切行無常と、いったほうが正しいのでしょう。
679阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 15:43:43 ID:SXdvgWIc
>>674
収容された癲狂院にはあった、否癲狂院そのものが“鏡”だったのだろうが、そこからも見放され
波羅夷にされれば最早詮方もないだろう。いずれにせよ今や蟲喰い痕だけの壁蝨虱に成り果てて
いるのだが。
680阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 16:06:58 ID:SXdvgWIc
『ダンマパダ』の「三法印」の箇所。“saNkhArA”と“dhammA”の殊更な使い分けに注意。

“Sabbe saNkhArA aniccA”
“Sabbe saNkhArA dukkhA”
“Sabbe dhammA anattA”
681机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 16:28:47 ID:DdfdXRiA
三法印も、つまりは彼岸への道しるべとなるものですから、
最終的には筏ということになる。
これは、ナットハーンなどの著書は参考になるかと思いますね。

原始仏典においては阿含経に詳細は記してあります。
682神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 16:32:32 ID:kabWhM8E
>>676-7
オイラは君らと違って、和訳も参照しつつ梵パ蔵漢を読んでるので「一切」が君の添加でないことは十分承知してますよ。

問題は、君の説>>184「いいかメクラ共、ヴェーダ思想=真我だ。この真我について、それは、この世の自我ではありませんよ
と釈迦は説いたに過ぎないんだよ。だからわざわざ、無我には、頭に一切をつけ、一切法無我と言うんだよ。」

つまり、一切法は真我ではなく、一切の付かない涅槃が真我だと、君は言ったわけ、>>623でも言っている。
そして>>640でこのように真我としてブラフマンが『スッタニパータ』に肯定的に書かれているといい、

> 誤謬です。ブラフマンなどは、一方では否定的に書かれていますが、一方では
> とても肯定的に書かれています。ブラフマンとはそういう性質のものだからです。
> あなたはスッタニパータも読んだことがないのですか?

典拠として出してきたのは中村訳『ダンマパダ』のこれ>>652
「最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほえがすぐれている」

つまり、君は 真我、ブラフマンを肯定的に述べる根拠としてこれを引用したわけだが、
「最上の真理」 の原語は dhammam uttamaM「最高の法」だから、 一切法無我に含まれる、
「最高の法」であって、 真我、ブラフマンでは、ありえない訳だ。

こんなこと、なんで分かんないかな。君の解釈は、一事が万事、このようなトンデモ解釈なんだよ。
要するに始めに自分の妄想見解があって、それに合わせて中村訳を適当に読んでるだけなんだ。
まあ、それでも、断見仏教よりは上な解釈だと思うけどね。
683神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 16:37:17 ID:kabWhM8E
>>678
違いますよ。大乗でも同じ。>>517

一切ではなく諸になったのは、多分、漢訳のせい。
四音節に納めたかったんでしょ。
684神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 17:12:43 ID:nHixt2du
>>605
ツォンカパだけでなく、有部・中観派・瑜伽行派の論書で教証にされていたとは知りませんでした。
大乗でも重視されていたんですね。
第一義空経という呼称から、大乗空の影響のもとで雑阿含経に加えられたものではないか、という
印象があったので、そのあたりを探求したいと思っていました。百起夜業(ミショウ)云々のご意向は了承しました。


まったくの蛇足ですが、角川ソフィア文庫でこれを描いた絵本の復刻版が出ていますね。書店で見かけました。
推理小説「狂骨の夢」の作家が種本にしているもの。

先週、NHK教育テレビで夜10:25〜放送の「歴史に好奇心」あるいは「遺跡探検」での話によると、
江戸期、庶民の需要に応じて絵本画家(石燕?)が、それまで多様でなかった妖怪変化の数をどんどん
増やしていったようですね。売れるから次々創作して出版する、ということです。
これはテキストも発売されているので、書店で見ればその辺のことも詳しく書いてあると思います。
685神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 18:25:01 ID:e8UaMlZY
>>680
saMskAra(行) を saMskRta(有為) と同じことと取れば、
dharma(法) には saMskRta(有為法) と asaMskRta(無為法) が含まれる、ということですね。
つまり、「一切の有為法(作られたもの)は無常・苦である。諸法無我は有為法だけでなく、
無為法である涅槃にもまた適用される。」ということになります。

以下、皆さんへの提議ですが、
たしかに法句経に三法印が併記されています。しかし、以前も少し触れたと思いますが、
これはアビダルマが作られる過程で付加された文言ではないか、というように思っています。
なによりも、一切法無我というように、「法(もの)」という括り方が、よく現れる「色無我、
受無我・・・」という、個別に一々挙げてゆく説法スタイルとは異質な感じがするものですから。

そこで、(無論、三法印を標語として用いることには異議なしです)これらの法印から論を押し進め
ていくよりは、「色は無常だから苦、苦だから無我、・・・」という具体的な説法からいろいろ検討
を重ねていった方が、より実りある議論になるのではないか、と個人的には感じています。
686草レーサー:2007/05/19(土) 18:55:51 ID:OGiLrpKN
仏教思想の基幹となる三法印ですが、それは実践的には
「特別なものはなにもない」ということだとも解するこ
ともがきると思います。

「これは、我がアートマンではない。ただ、生じつつある
 苦が生ずるのであり、滅びつつある苦が滅びるのである」
と考えるならば、彼は惑わず、疑わず、他人に依存しない
ことによって、ここに知識が彼におこる。
かくのごとき限りにおいて正しい見解が起こるのである。

ここでの説明では、知覚、認識されたものはすべて受け流
してしまうことが正見だと語られているようにも思えます。
まあ、そこで知識が起こらなければ凡夫と同じですが。

687机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 19:02:20 ID:DdfdXRiA
>>685
>これらの法印から論を押し進め
>ていくよりは、「色は無常だから苦、苦だから無我、・・・」という具体的な説法からいろいろ検討
>を重ねていった方が、より実りある議論になるのではないか、と個人的には感じています。

これは面白いですね。
俗諦から何処まで辿り着けるか。
非常に関心があります。

佛教の原点を闡明して様々な議論を重ねて逝こうかと思います。
難しい話は奥座敷(癲狂院)を用意しております。
そちらにおいて触れ始めてください。


688神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 20:07:45 ID:OvqAWrX5
taigai ni siro.
689阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/19(土) 20:34:05 ID:SXdvgWIc
>>684
それではコアな論義はあちら(某SNS)で。
「百鬼夜行」は、元来古道具に寄生する憑喪神の大量通行を指したようですね。このスレも長寿のた
めか、蟲喰いを発生させる粘着ゴミが憑いているようです。尤もあちらにはそういう手合いが荒らしに
侵入する懸念はありませんが(笑)。
690神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 20:51:55 ID:JM6mYXIw
いずれにせよ
大乗菩薩主義とかキリスト教博愛主義が、空虚な偽善であることは真実だ。
691机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/19(土) 21:00:07 ID:C37uRkYg
>>686
>仏教思想の基幹となる三法印ですが、それは実践的には
>「特別なものはなにもない」ということだとも解するこ
>ともがきると思います。

そうですね。
それ以降になりますとテーマ自体がシンプルになりますね。
そういった環滅した境涯というのも語りたいですね。
692カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 22:10:25 ID:F8PC1UEX
>>682
とことんアホやこいつ。
人の言うことを、全く理解しておらんで、いつまでもちんぷんかんぷんな反論をしてくる。
おれも何度も同じ事を言うのは疲れるといっているんだよ。
一切の内に在る真我も、自我と同じく、無常のものであり、無我である。
もちろんこの真我とは、自我とは違う。なぜなら、個の肉体ではなく、
全体の外側の内側にあるものであるからである。だがこの状態の真我は、
外側があるから存在する状態にあり、厳密に言うと、二項により成るこの状態のときは、
自性と呼べる状態ではない。彼が全てを休むと、識別作用は無くなり、外側の要素は消滅する。
その状態のとき、彼は、単独で存在している自性と呼べる状態であるが、
全てを休んでいる状態の彼は、見方を変えると、無の状態ともいえる。が、見方を変えると
無ともいえないものである。なぜなら完全な無であるのなら、再び目覚めることはないからである。

また、一切のうちに語られる法というものは、これもまた無我なる性質のものである。
なぜなら言語で語られ、想の内で構築されるそれは、あくまで一切の内にあり、
一切の内にあるということは、無常であり、無我なるものであるからである。

何か矛盾点でも?ま、君の頭では、難しすぎる話しかね?(失笑)
ま、こいつらに話すには、もったいない話だ。また豚に真珠を投げてしまった。
もったいないもったいない。
693カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 22:18:34 ID:F8PC1UEX
都合の悪い質問には思考停止のままのくせに口ごたえだけは一人前。
こいつらの反論はせいぜい、人の揚げ足どまり。そして都合の悪い質問は、一切スルー。
ところが俺は、こいつらの馬鹿な質問には、ほとんど全て答えている。

なにが現代仏教の基本だよ。その今の末法仏教の基本とやらに君らが執着しているから、
今の末法仏教者に仏陀もいなければ、阿羅漢もいないんじゃねぇの(失笑)
おまえら本当に頭悪いね。このような文献を読むときは、自説に合う都合のいい部分だけピックアップして、
その部分だけの解釈だけをとりだし、これぞ釈迦の仏教などという読み方は、己のエゴに囚われた
読み方であり、智慧のある者の見方ではない。君らの解釈では、原始仏典に書かれている
釈迦の言説の整合性は取れない。おまえ達の説が正解なら、釈迦は単なる二枚舌の信用ならん
その辺のカルトの教祖と変わらない、ただの二流の教師に過ぎないといっているんだよ。

盲人のおまえらに言っといてやるよ。ヴェーダと、釈迦の仏教を完全に分けてみている間は、
君らに悟りは無いよ。今の仏教の常識がどうだかと能書き垂れるのなら、今の仏教で、仏陀や、阿羅漢
を出してみろよ。くやしかったら出してみな。ほれほれ。おまえ達から逆立ちしたって、仏陀や、阿羅漢は生まれ
ねぇよ。釈迦の時代には、その辺の凡夫も才能のある人は、釈迦の教えで、一発で悟りを開いたものもいると聞く、
ところが、現代の末法仏教者の間に、たとえ二千年たとうと、釈迦と同じ悟りを開いた者は
皆無に等しい。これは、今の仏教思想に、なにか根本的な間違いがあるという証拠でも在る。
邪見に満ちた現代の、末法仏教の常識に執着している君らには、一生かかっても、悟りは無理だ。

残念だったね。

頭の悪い君らには、個の簡単な理屈でさえ、理解しないだろう。ご愁傷様。

694神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 22:48:08 ID:kabWhM8E
>>692-693
矛盾の総合デパートって感じだよ。どこから突っ込んでいいかわからない。
それじゃ君の適当な妄想の寄せ集めだ。サーンキャとかヴェーダーンタとか、
仏教とか適当に混ぜて、妄想した感じだ。

仏教では君の言う意味で「自性」という言葉を使うことはない。
あるというなら、出典を出してみて。
それから一番、最初に問題にしたヴィパッサナーは、どういう意味で、どんな経典に基づいてるのか?

この二点を説明してみて。

オイラは君の質問に、全て答えたよ。矛盾があるなら、理由を述べて根拠を示して反論しようね。

ということで、おやすみ!
695神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 22:54:27 ID:kabWhM8E
>>693
悟ったならいうまでもなく、多少、修行したなら、慢心は減退する。
慢心が増長するのは、邪見を持って修行した証拠。

早く、直さないとね。今なら戻れるよ。
696神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 22:54:36 ID:z5n5kAvK
>>694
答えた質問の回答部分を出してみろ

697神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 22:58:04 ID:z5n5kAvK
>>695
説得力ないな
失笑されてるぞw

698神も仏も名無しさん:2007/05/19(土) 23:24:13 ID:WV+1ARyc
純粋な疑問ですが、カラスさん自身は神の国に入り
真理に辿り着けたんでしょうか
699カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/19(土) 23:53:09 ID:F8PC1UEX
>>694
でたよ、サーンキャ哲学。次は梵我一如を言い出すぜ。
こいつらと話すと、なーーーーーんども同じ話を蒸し返しては
論破済みの話題を永遠に堂々巡りさ。さすが無明に囚われて、
輪廻の輪の鎖から逃れられない哀れな末法仏教者らしいやね。

>それじゃ君の適当な妄想の寄せ集めだ。サーンキャとかヴェーダーンタとか、
>仏教とか適当に混ぜて、妄想した感じだ。

これも誤謬。釈迦の仏教の元はヴェーダであり、彼が悟りを開いたという瞑想も、
個のヴェーダからきている、ヨーガである。テーラガータなどを読んでも、
釈迦の弟子達も、自分達は修めているといっている。
ヨーガとはそもそも合一という意味である。釈迦は新たに悟りを開いたのではなく、
昔のからあった手法を、再発見したのだといっている。
それを、はなからこの二つは、全く別物だとする君らの思考回路に乾杯。
釈迦が批判したのは、真我についての理解を誤り、ヴェーダを、単なる礼拝宗教に貶めた、
当時のバラモン達であり、バラモンそのものや、ヴェーダそのものを否定したものではない。
俺こそ聞きたい。釈迦が、ヴェーダを完全に否定した箇所を、原始仏典で、示してみろよってな。

人の質問に答えないで、屁理屈でごまかす糞餓鬼の問いに、どうして
何度も答えなきゃいけない?ちゅうかこいつの質問は、ほとんど
子供の口答えだし、こんな質問を返すこと自体、こいつは俺の話全然理解していない
証拠でもある。こいつの理解力の無さは、絶望的だ。俺は何も、ここの連中のように、
簡単な話を専門用語を駆使して、わざわざ難しくして話しているわけではない。
それでも理解できないこいつはおわっとる。道理で仏典を読んでも自分では理解できなく、
今の邪見に満ちた、末法仏教者の師の教えを盲信しているわけだ。
おめでたいね。
700素人:2007/05/19(土) 23:57:56 ID:3A1c1NIL
どっちもどっちw
701カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/20(日) 00:08:44 ID:BIQThAwD
>>694
>仏教では君の言う意味で「自性」という言葉を使うことはない。

な、こいつは馬鹿だろ。
仏典に、「自性」という ”単語” がでてくるのかどうかということを問題にしている(苦笑)
こういうのを子供の口答えだというんだよ。

スッタニパータを読めば、ニルヴァーナとは、識別作用がなくなり存在しているものを、
自性と呼ぶんだよ。だがその状態のときは、在るといえば、常見となり、無いと言いきれば、断見となる。
その状態は、正確には、言葉で表現すると、在るでも無し、無いでも無し、
在るでも無いでも無し。といえるものである。それは、熟睡の喩えで、わかりやすく説明したつもりだ。

ま、いくら子供でもわかるように、わかりやすく、簡単な言葉で表現してあげても、
盲人には理解できないものだ。彼らの心は、頑固で、頑なである。
702神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 00:13:51 ID:/RJXNjoh
自分で悟ったわけではなく、知識の所有者の方でしょうか
703カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/20(日) 00:16:02 ID:BIQThAwD
>>701
×スッタニパータを読めば、ニルヴァーナとは、識別作用がなくなり存在しているものを、自性と呼ぶ

○スッタニパータを読めば、ニルヴァーナとは、識別作用の滅した境地であり、
 識別作用がなくなり、単独で存在しているものを、自性と呼ぶ

単なるタイプミスではないんで、訂正。
あのよ、識別作用が無ければ、縁起も糞もねーーーぇんだよ(大爆笑)
わかったかい?末法仏教の1ジャンル、縁起仏教を盲信する、お馬鹿さん達。
ま、縁起脳の君らには、理解できん、道理なんだろうな。カワイソウニ。。
わははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
704カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/20(日) 00:19:25 ID:BIQThAwD
>>700
おまえも性質が悪いな。
あのよ、前にも言ったが勘違いするなよ。
俺はおまえ達を改心させようとして書き込んでいるわけではない。
馬鹿をからかって、酒のあてにしているのさ。
滅び行く、この哀れな者達に、乾杯。

今宵も酒が美味い。ククク。
705神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 02:21:07 ID:0ScHkjVg
ネタでやってんのかこいつ?
見てて哀れだぞ。。。
706神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 06:07:22 ID:xx//E8uF
結局は言葉遊びのような・・
それより喧嘩はよくない

あんた八正道を肯定してたよね
言葉は汚いわ、酒を飲んで喜んでるわ・・
八悪道じゃないか
707神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 06:34:53 ID:p7va2/+R
もともと、こいつらは仏教を知識と勘違いしてる香具師らだからだ。
無だ空だ縁起だ・・・なんてな痴識をいろいろとご披露しているが、毒にもならないものばかり。
所詮は戯言。
一人として自己の仏性を自覚したものはいない。
708神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 06:41:18 ID:p7va2/+R
下らぬもので一生を無駄にするアホな連中どもよ。(大藁
709神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 08:11:46 ID:uiEOctcG
信仰(=ヴェーダ)を捨て去れ【相応部経典 6 1,増一阿含経 19 1】

真に菩提心あるものでなければ「はなはだ微妙にして、容易に人々に
理解され難いであろう。

涅槃到達に資さない戯論(一切外)において、ブッダを有我=アートマン肯定論者に
仕立て上げると最初から決め付けていれば、町のペンキ屋と同じ作業になる。
戯論=真我論者、父なる神論者などブッダ以外の宗教は戯論を前提として成立している。
ブッダをケロンパに仕立て上げて遊んでいるだけ。

キリストについてもペンキは塗れるぜ。
710机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/20(日) 08:49:28 ID:pSpG/+gd
>>703
>スッタニパータを読めば、ニルヴァーナとは、識別作用の滅した境地であり、
>識別作用がなくなり、単独で存在しているものを、自性と呼ぶ

違いますね。
識別作用については第一義空経に書いてある。
この空経の文体は、前半部分と後半部分に分けられていて、前半部分が重要です。
>俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も亦是の如く説き俗數法をば除く。
この部分ですね。
つまり識別作用のことです。

後半部分の空経は、説明だからそんなに重要じゃない。
711神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 08:57:48 ID:VQaLbTVx
おまいら、どっちもどっちだな。
たかだかブッダごときに、そこまで熱くなれる神経がわかんねーよ。
ブッダはブッダ、自分は自分でいいじゃん。
ブッタを餌に、暇つぶししてるとしか思えんね。
712机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/20(日) 09:10:02 ID:iHgpey+s
>>711
>ブッダはブッダ、自分は自分でいいじゃん。

自分は自分でいいんですから、
貴方は貴方自身のライフスタイルを楽しめばいい。

間違っても、人を救済するとか、善行するとか、カルマを落とすとか、
そんな妄想に耽らなければいいかと思いますね。
713神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 09:19:24 ID:VQaLbTVx
>間違っても、人を救済するとか、善行するとか、カルマを落とすとか、
>そんな妄想に耽らなければいいかと思いますね。

それは、おまえ自身だろーが。笑える。
714神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 09:23:23 ID:VQaLbTVx
俺は間違っていない、人を救済したい、善行したい、カルマを落としたい、
そのために己の解釈に拘って、他者を利用してるに杉ないんだよ。
715神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 09:32:03 ID:VQaLbTVx
柔軟性もたないとな、外界との乖離は広がるばかりだよ〜〜〜〜〜ん。
716神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 10:52:27 ID:38BUYwCT
647

>>653
言われた通りに調べたらわかりました。
ありがとうございます!
>>661
ありがとうございます!
試しに講談社文庫の注釈付きの善の研究を買ってみます。
717神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 11:26:33 ID:DZAT5S4K
一番、最初に問題にしたヴィパッサナーは、どういう意味で、どんな経典に基づいてるのか?  それぐらい言えるでしょ?

>>699
「ヴェーダからきている、ヨーガである」と、ヨーガがヴェーダから来ているって? そんなの聞いたことないが?
これまた何を根拠に? 

もしかして、このような表現を勘違いして誤読しているんでしょうか?

733 正しく見、正しく知った諸々の賢者・ヴェーダの達人は、悪魔の繋縛にうち勝って、もはや迷いの生存に戻ることがない。

中村訳『スッタニパータ』で「賢者・ヴェーダの達人」と訳されるから、訳語どおり聖典『ヴェーダ』の達人と
誤読しているのだろうが、vedagU とは聖典『ヴェーダ』に通じたという意味ではなく、智に通じた者の意味である。中村先生もそう注釈しているが、これはもう常識である。
釈尊は『ヴェーダ』やバラモンという言葉を、使うとき意味を変えて使っている、
『ヴェーダ』やバラモンというが真の『ヴェーダ』やバラモンは、真智、聖人とは本来、これだというように。
そのぐらい中村訳『スッタニパータ』でも読めば分かるようになっている。
718神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 11:31:09 ID:DZAT5S4K
>>701
> な、こいつは馬鹿だろ。
> 仏典に、「自性」という ”単語” がでてくるのかどうかということを問題にしている(苦笑)
> こういうのを子供の口答えだというんだよ。

要するに君は「オレ様は悟ってるから、書かれてないこともキッチリ読み込んでより自然な表現で
教えてやってんだ」と言いたいわけね。だったら仏典を用いる必要ないでしょ。
カラス教を自由に布教したらいい。別の所でね。
719神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 11:34:29 ID:uiEOctcG
西田の哲学概論(岩波)もお薦め。単行本で出ている。
場所の論理に到達した時点での京都帝国大学での
教科書だ。結構わかりやすい。
 有名教授連や他学部の学生、三校の学生まで聴講に来ていたらしい。
講義で最新地点などを補うことを前提とするから、こなれすぎているのが難点か。
720神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 11:35:02 ID:DZAT5S4K
>>703
> スッタニパータを読めば、ニルヴァーナとは、識別作用の滅した境地であり、
> 識別作用がなくなり、単独で存在しているものを、自性と呼ぶ

つまり、カラスは『スッタニパータ』を読んでニルヴァーナを勝手に「自性」と呼んだというわけね。
しかしながら、『スッタニパータ』を読むととてもそうは読めない、例えば、

734 およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用に縁って起るのである。識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということはあり得ない。

と説かれるのは、正に縁起を用いた逆観による止滅である。要するに「あれがない時、これがない」
苦の原因から始まって、無明、行、識、触、受、愛、取、生、食、動揺、従属、無色界が観じられる。
これは、当然、サマタ・禅定状態で行われるヴィパッサナーであり、これによって悟る。
だから、縁起を用いたヴィパッサナーに他ならない。自性などとは呼ばれない。

中村訳『スッタニパータ』で ニルヴァーナが説かれる箇所に以下があるが、もちろん自性などと説かれる箇所は一つもない。

86 「疑いを越え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、──そのような人を<道による勝者>であると目ざめた人々は説く。

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、──これがこよなき幸せである。

365 ことばによっても、こころによっても、行為によっても、逆らうことなく、正しく理法を知って、ニルヴァーナの境地をもとめるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

1061 ドーカンさんがたずねた、「先生! わたくしはあなたにおたずねします。このことをわたくしに説いてください。偉大な仙人さま。わたくしはあなたのおことばを頂きたいのです。あなたのお声を聞いて、自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう。」
721神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 11:41:17 ID:DZAT5S4K
1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。

1094 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、──これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

1108 「世人は何によって束縛されているのですか? 世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

ドゥ・ヨングが中観での自性の用例を調べて次のように分類している。
The Problem of the Absobute in the Madhyamaka School, Buddhist Studies (ed,by G.Schopen)pp.53-58
1. svabhAva means svo bhAva,the essence
2. svabhAva is also the svalakSaNa ,the individual character.In this form it is found in the doctrine of the VaibhASikas
3. svabhAva is the Azraya (basis)or prakrti (nature),i.e.the unchanging substratum of each thing (bhAva)
4. svabhAva is the svato bhAva, the absolute being,which is completly indepent.

通仏教で用いられる自性の意味は、1.の本質、本体という意味である。
しかしながら、仮設として用いられることは言うまでもない。
2.はアビダルマ仏教が用いるもので、同じく本質、本体だが、こちらは仮設ではなく実体、実有と捉えられ、
仏教が実体的傾向を帯びた。

3., 4.が君のいうような絶対的な意味、ブラフマンなどの意味に近いが、こちらは否定的にしか用いられない。
このような自性があったら、縁起せず、諸法も顕現しないと。
仏教は縁起・空・無我なのである。無我だから慢心も拘りもだんだん減少していく。
722阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/20(日) 12:19:04 ID:kKaIl1ib
>>716
http://www.bk1.co.jp/product/2601460 ←こちらもどうぞ。“グル”の所行と弟子やマスコミのの
組織的隠蔽工作の暴露。
723神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 13:07:47 ID:xx//E8uF
究極不可分のリアリティをヒンドゥ教ではブラフマン、
仏教ではダルマカーヤ、
道教ではタオと呼んだ。

日常我々は万物の合一性に気づかず、
世の中を個々ね事象に分けてしまう。
物を分別する知力が生み出した抽象概念である。


F.カプラは、これらのアジアの伝統的な宗教哲学は基本的に同じ思想であって、
万物は一体で宇宙全体に中の相互に関連し合った形態が見出され、
量子力学の意識論解釈が適用されるとした。
724八戒:2007/05/20(日) 13:38:22 ID:+aC+Jyqk
725神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 14:31:58 ID:6UFYYvlQ
>>717
中村元さんは悟りを開いた仏蛇だったのでしょうか?
違いますね。違うのなら、なぜ彼は長年釈尊の言葉に接していながら、
釈尊と同じ悟りを開けなかったのでしょう?
それは中村元さんの理解はどこか、間違っていたと考えるのが自然でしょう。
726神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 14:44:30 ID:VQaLbTVx
中村元の理解が間違っていたのではなく、たとえブッダの悟りの骨格を理解しても、
ブッダの悟りそのものにはなれないってこと。
なぜなら、ブッダと中村元は別々の人間だから。
727神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 14:52:20 ID:xx//E8uF
悟ったか悟ってないかなんて、悪魔の証明だろ?
仏陀が悟ったことを誰か証明できるのかい?
728机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/20(日) 14:56:39 ID:pSpG/+gd
>>726
なかなかイイこと言いますね。そのとおりです。
普遍性→無差別相
個別性→差別相
_空即是色_
729p:2007/05/20(日) 15:00:08 ID:Ua85A3wA
>>727
仏陀が得た境地を悟りというんだよw
730神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 15:00:27 ID:G5URsGCr
>>689
SNSとはミキシのことですね。残念ながらネット環境が非力なので、今暫くこの場で、調べたこと
考えたことなどを述べてゆこうかと思っています。ここに書き込むようになって約半年、過去ログも
やっと最近読み終わって、諸事情が飲み込めてきました。九十九髪さんたちの往来も気にならなくなりました(ミクショウ)。
731机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/20(日) 15:02:02 ID:iHgpey+s
煩悩即菩提
732p:2007/05/20(日) 15:03:55 ID:Ua85A3wA
>>726

> ブッダの悟りそのものにはなれないってこと。
> なぜなら、ブッダと中村元は別々の人間だから。

んなぁこたーない。
同じ境地を共有した人は沢山いる。
そこは、そういう性質の場だからだ。
733神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 15:05:43 ID:xx//E8uF
>>729
その境地には迷いがない
「ない」ことを証明することはできない
734p:2007/05/20(日) 15:08:24 ID:Ua85A3wA
>>733
論点ずらすなよw

そもそも、何で凡夫に証明しなきゃならないんだよw
735机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/20(日) 15:09:33 ID:pSpG/+gd
>>733
なかなかイイこと言いますね。そのとおりです。
736机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/20(日) 15:12:40 ID:pSpG/+gd
大愚の良寛と、狂気の一休は似通ったとこはありますね。
737神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 15:19:41 ID:VQaLbTVx
>>732
>んなぁこたーない。
>同じ境地を共有した人は沢山いる。
>そこは、そういう性質の場だからだ。

同じ境地?ば〜か、それを言うなら「似た境地」だろ。
オマエには、この違いはわからんだろうが。

それから、「共有」なんて絶対に出来ない。
十把一絡げでまとめんなよ。
738p:2007/05/20(日) 15:24:25 ID:Ua85A3wA
>>737
まあ、君にはこれ以上何を言っても無駄だと言う事は判ったよw
739神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 15:26:20 ID:VQaLbTVx
ふ〜ん、これ以上ね〜。
これ以上の「これ」ってなんだよ?
おまい、説明してないじゃんか。
740電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :2007/05/20(日) 15:39:53 ID:GHpf3XkZ
皆さん、お久しぶり。
お話が本題からずいぶん拡散しているようですね。

カラスさん。
あんたも変な人ですが、もっと変な人に絡まれているようですね(笑)
もしよろしければ、主張の骨子をお話下さい。
741神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 16:13:20 ID:MzkD5Vd4
一を知る者は一切を知る。一切を知る者は一を知る。(ジャイナ教典「アーヤーランガ」)
一切法は縁起する。(中論24-19趣意)
一切を知る者は一(縁起)を知る。一(縁起)を知る者は一切を知る。(闕名氏)
742電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :2007/05/20(日) 16:40:35 ID:GHpf3XkZ
ボクがここで発言していると、どうしても別所に引張って行きたい人がいるようです。。
ボクが例の裁判から手を引いてここで議論しているときに、20回も裁判に言及してきて引きずり込んだ人物です。

【最低】似非・自演者が叩かれる24【最卑】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1176381340/141
これのタイムスタンプを見ていただいたら解るように、前回と同じパターンです。

で、またわざわざ原始仏教スレから裁判関連スレに出張してきた馬鹿もいましたが、、、。
====
ボクが裁判から手を引いて、これ以上何もしないと宣言したのに、、またあのサルは変なことをしている。。
修羅であるはずのボクが慈悲心を見せたからいけなかったのですね。
反省した上で行動いたします
====

さて、皆さんのご発言を読んでいると、立場や論点、方法論がかみ合わないまま進んでいるので合意点が見出せないままのように思えます。
ボクの文献学に関する初期手法としては和辻哲郎を批判した戸坂潤に求められます。いわゆる京都学派と呼ばれた最初の人ですね。
しかし、戸坂潤の手法をそのまま現在も使っているわけでは在りません。

私が総じて批判しているカラスの言っていることも解らない訳じゃありません。
文献学とはいえない文理偏重への批判がいつもあるからです。
そのような基本的にな作業確認から始めたいものですね。
743神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 19:03:15 ID:xx//E8uF
アートマン(我)と宇宙の最高原理であるブラフマン(梵)とが一体であることを直感すれば、
輪廻から解放され、不死を獲得できる

一体化すれば(我)は消滅する、それすなわち「無我の境地」に他ならないのではないですか?
無我の境地を獲得すれば、苦から開放され、涅槃に入れる

いったいどこが違うのですか?
導き方が違うだけで、言ってることは同じだと思うのですが
744神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 20:12:55 ID:mcfe2dee
>>743
>一体化すれば(我)は消滅する
その言い方ではそうとも限りませんよ。
ブラフマン(梵)が消滅するだけかもしれないw

一体化すれば(梵)は消滅する、それすなわち「有我の境地」に他ならないのではないですか?
有我の境地を獲得すれば、苦から開放され、涅槃に入れる

いったいどこが違うのですか?
導き方が違うだけで、言ってることは同じだと思うのですが


と、言葉遊びをしてみるテスツ

( ̄ー ̄)ニヤリ
745神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 20:17:26 ID:uiEOctcG
>>744
746神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 20:22:27 ID:uiEOctcG
>>744
>有我の境地を獲得すれば、苦から開放され

なんでやねん!とからかってみるw
無常=無我のシャープさを丸めて面白いか?
もっとも、よってたかって題目だけ維持して、
実質丸めてきて、形骸化してきたのが歴史だが・・・
747神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 20:23:40 ID:xx//E8uF
ブラフマン(梵)が消滅するだけかもしれないw

一体化すれば(梵)は消滅する、それすなわち「空の境地」に他ならないのではないですか?
空の境地を獲得すれば、苦から開放され、涅槃に入れる

いったいどこが違うのですか?
導き方が違うだけで、言ってることは同じだと思うのですが


と、言葉遊びをしてみるテスツ

( ̄ー ̄)ニヤリ
748神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 20:35:53 ID:uiEOctcG
だったら、回りくどい事をやらず、
ブラフマンなんてハナから蹴飛ばして、消しとけばいいんだよw
輪廻もブラフマンもなんらの実証性もない煩悩ゆえの妄想さ。

ブラフマンと業報輪廻を経験的に実証できるお方は実証してみてくださいw
詐欺師にネタをやるなよ。

749草レーサー:2007/05/20(日) 20:46:36 ID:X9+3GiwI
ただ、生じつつある言葉が生じ、滅びつつある言葉が滅びる。

と、考えるなら彼は惑わず、疑わず、他人に依存しないこと
によってここに知識が彼に起こる…

                     かも知れない。
750神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 20:46:41 ID:xx//E8uF
ふんなこと言ったら対機説法なんて回りくどいじゃないかい
方便なんてハナから蹴飛ばして、消しとけばいいんだよw
涅槃も悟りもなんらの実証性もない煩悩ゆえの妄想さ。

涅槃と悟りを経験的に実証できるお方は実証してみてくださいw
文献馬鹿にネタをやるなよ。

わはははははははっはははははははははははっはははは
はははははははっはははははははははははっはははは
はははははははっはははははははははははっはははは

美酒
751神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 21:05:47 ID:p7va2/+R
>>750

こういうのを、井の中の蛙というのだろうか。
経験の無いものを認めようとしない、愚かさ暴露しているにしか過ぎない。

実証性云々?

経験すれば自分で納得するよ。
それができないやっかみか? 哀れ哀れ。
752カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/20(日) 21:19:30 ID:BIQThAwD
真我は誰も認識できないでいるが、真我は全てを認識している。
心の働きを静止したとき、見る者は、本来の姿に安住するだろう。

少し悪ふざけが過ぎたようだ。まるで某ムスリムの悪霊が俺に乗り移ったようだった・・・・・・・・

と、冗談はさておき、
>>740
電波男さん。あんたからそんなレスが返ってくるとは思わなかった。
俺の話の骨子を述べてほしいということだが、大体は述べているはずだ。
理解力の無い、能力の無い人は、
相も変わらずちんぷんかんぷんな言いがかりを付けてきているようだがね(苦笑)
せっかくの君の願いだが、ここで改めて言うのはよしておこう。
心の宝を泥の中に投げてはいけないのだ。ここは集まりが悪すぎる。
あんたも若いときに、どこぞのプロテスタントだか、今のキリスト教会に接し、
その教えに失望した口かい?あんたAoiさんとやらとも親交があったようだし、
ところであの爺さんは、元気でやっているのか?
不思議なもので、数年前までは、俺も君らと同じく馬鹿にしていたキリスト教なんだが、
またキリスト教に帰り、堅信を受けることになった。数年前までは考えられなかったことだ。
もちろん今の教会の教えるキリスト教は、間違いだ。俺が皆を教え導くくらい人格も完成し、
教師になりえるくらい全てを知ったのなら、彼らに言うよ。
「信仰を捨てよ」。とね。だが勘違いしてはいけない、イエスの教えは間違いではない。
間違っているのは、今の教会の教えなのだ。だから誤った信仰は捨てなければいけないが、
真の信仰は捨ててはいけない。釈迦の言った信仰を捨てよとはそういう意味なのだ。
753カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/20(日) 21:30:03 ID:BIQThAwD
今の上座部にはサティを教えるが、ではなぜそれが必要なのか
彼らはちゃんと説明できるのだろうか?あれは、自分の心の働きを客観的に観察する訓練であり、
五感からの感受に対する、喜怒哀楽をさけ、あくまで客観的に見る、心の訓練なのだ。
なぜそれが必要なのか、、俺はよく知っている。サマタに執着している者がいるが、禅などのサマタでは
悟れない。なぜなら単純に一点集中型の瞑想で、心の止滅は、成し得ないからである。
禅で、心の止滅を成し得たとしたら、いいとこ、居眠りをこいてしまったときだけだろう。
私は心のプロセスを感じながら、息を吸おう。私は心のプロセスを観じながら、息を吐こう。
我々の心とはどうして生起するのかをありのまま観ずれば、どうすれば心を止滅させるかと言う智慧を得るだろう。
この智慧を得ない限り、心の止滅は成し得ない。心の止滅を成し得たとき、それが真のサマタであり、滅尽定なのだ。
もちろん瞑想における観察力を養うには、集中力も必要だ。そのため、アーナバーナを修めるのは非常に重要である。
なぜなら、これは、精神統一の訓練をすると共に、呼吸を観察する訓練にも繋がるからだ。
漢字と言うのはよく出来たもので、息とは、”自” の ”心” と書く。大念処経の八正道の最後にある正定の第四禅である
滅尽定の境地は、決して「無」ではなく、「念」が静まった境地だと書いてある。念とは、今の心と書く。
悟りを得る瞑想に、呼吸の観察はとても重要な要素である。
754カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/20(日) 21:33:39 ID:BIQThAwD
真理を求める者に一つだけアドバイス。本当に真理を求めるのなら、今の仏教思想に毒されてはならない。
間違った信仰は捨てなさい。ここの人たちを見てもわかるように、彼らは間違った教えに執着しているので、真理から
遠く離れてしまっている。特に禅思想などに染まってはならない。彼らを見てもわかるように、詭弁と屁理屈が
仏教だと思っている。彼らとは、もはやまとまな会話も、成り立たない。
彼らは善も悪もないという。たしかに神に対して、善と悪などは無い。そんなものは無いのだ。
どうして自分自身にしたことに対して、善も悪もありえようか。だが、肉を持つ我らが、肉を捨て去るには、
父なる神の、右の座に座るもので無ければならない。左の者は、時が終わるときには滅びる定めなのだ。
真理を求めるなら、どうせはいるのなら、ヴェーダから入るのを勧める。修行法も、ヨーガスートラから入るといい。
ヨーガスートラは、釈迦の入滅後に成立したものだと聞くが、それには、釈迦の直弟子であった阿羅漢達もかかわって
いたと言う学説もあると聞く。俺もそう思っている。それから仏教に入るといい。間違っても、仏教学者の能書きや、
今の邪見に満ちた現代仏教の坊主達や、その解説書からはいってはいけない。その思想に毒され、その思想に執着
する者に、悟りは無い。彼らは間違っているのだ、証拠に、今の仏教会に、指導者も含め、仏陀もいなければ、
阿羅漢もいない。彼らの仏教の行き着く先の結論、彼らの涅槃とは、現代ではあまり価値の無い、
あってもなくてもどうでもいいような代物だということは、少しでも智慧のある人なら一発で気付くはずだ。
それすら気付かず、現代仏教思想を得意げに語る彼らは知恵がなさすぎる。彼らに智慧の沸くことは無いだろう。
聞く耳の在る兄弟達よ、いつかどこかで、お互い共に真理をつかめればいいな。その時を共有できることを
説に願う。
755カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/20(日) 21:35:01 ID:BIQThAwD
電波男さん。あんたも仏教に携わっているのなら、
糞の役にも立たない菩薩心など糞食らえなどと悲しいことを言うな。
それがあろうと無かろうと、人間一番大事なものを失えば終わりだ。

ここはしばらくおおいとましよう。後は君らのアプローチで存分に仏教を語ってくれ。邪魔したね。
756神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 22:46:29 ID:DZAT5S4K
>>753
この君の説明は、よく分かります。だけど、誤解もあり、予想どおり、サマタだけ、つまり禅定による心の統合、心の静まりに過ぎないことがよく分かるのです。以下、説明しましょう。
田中教照先生は『岩波講座東洋思想インド仏教3』で『象跡喩小経』を次のように纏めています。

        1. 如来の説法と資産家たちの出家
         2. 戒の修得
             ?身行清浄(不殺生など)
             ?語行清浄(不妄語など)
             ?生活清浄(種子を傷つけないなど)
         3. 感官(眼〜意)の制御
         4. 正念正知
         5. 独住遠離、五蓋(貪欲・瞋恚・棔眠・掉悔・疑)の捨断
         6. 初禅
         7. 第二禅
         8. 第三禅
         9. 第四禅
        10. 宿住随念智
        11. 死生智
        12. 漏尽智(四聖諦の観察)
        13. 解脱
757神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 22:47:56 ID:DZAT5S4K
これは、戒定慧を敷衍したものです。2.が戒で、諸行為を整える。
3-9.が 定で、これは心の散乱を止め、集中して静めることです。
その3-5.が君が説明するサティに相当します。
6-9.がサマタ、禅定です。サマタの手法は、一点集中に他ならない。
集中先は、なんでもあり、アーナーパーナ、つまり数息観も息への一点集中に他ならない。
しかしならが、禅定が深まるほど、有相から無相に集中先が移っていくのですが。
その結果、10-11の過去の記憶などが出る。
そして重要なのが、その禅定状態での12.四聖諦の観察が、ヴィパッサナーに他ならず、
これがなければ、解脱・涅槃できず、ウッダカ・ラーマプッタのように禅定状態を解脱・涅槃と勘違いしてしまうのです。君もそのようです。

そしてこの経では 四聖諦の観察になってますが、それは縁起・無我・空など、
三十七菩提分であったり、大乗では般若ハラミツであったりするわけです。
定慧、サマタ・ヴィパッサナー、止観は、どんな仏教でも一貫してあるもので、
この観がなければ悟れない、また止のない観は、無味乾燥な頭だけの理解しかなく、
こちらも当然、悟れない。だから文献学者は、悟れない。
758検便マスター ◆IDufvYMab. :2007/05/20(日) 22:51:51 ID:QwvrjKQN
いや
>>752->>754は無意味なんだが・・・・・・
759神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 07:10:50 ID:6yPoL0ej
709 :神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 08:11:46 ID:uiEOctcG
信仰(=ヴェーダ)を捨て去れ【相応部経典 6 1,増一阿含経 19 1】

真に菩提心あるものでなければ「はなはだ微妙にして、容易に人々に
理解され難いであろう。

涅槃到達に資さない戯論(一切外)において、ブッダを有我=アートマン肯定論者に
仕立て上げると最初から決め付けていれば、町のペンキ屋と同じ作業になる。
戯論=真我論者、父なる神論者などブッダ以外の宗教は戯論を前提として成立している。
760神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 08:24:42 ID:Q7HwOEAD
町のコピペ屋?
761机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/21(月) 11:33:47 ID:vbgbpu4f
>>752
>心の宝を泥の中に投げてはいけないのだ。ここは集まりが悪すぎる。

いやいや、泥の中から蓮華を見出すのが仏教というもんだ。
無駄なことは何ひとつない。一期一会。

私はずいぶん書きたい事を書かせて貰った。
じつはもっと書きたいことがあるが、これで遠慮しておこう。
これで充分だ。
ってか、これ以上は無理だろう?

自分の考えを言語化する。というのは大事なことだ。
そういう意味でスレッドを利用させて頂いたけど、
皆それぞれ自分なりに、使い勝手にスレを楽しんでる。
それでいいじゃ〜ないか。
というのが、つまり和敬清寂なんだね。
一期一会なんだけど。

いや〜〜〜、パソコンをオニューにしたら、書けること書けること。
やはりキーボードは新しいもんじゃないと駄目だね(*^。^*)
762阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/21(月) 11:56:15 ID:acxecACE
>>730
了解いたしました。有益な情報、新たな視点のご呈示を楽しみにいたしております。
763神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 13:24:27 ID:BqlpVkNS
>>761
>いやいや、泥の中から蓮華を見出すのが仏教というもんだ。
>無駄なことは何ひとつない。一期一会。

いや〜、お主、いいこというな〜。

764机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/21(月) 14:34:34 ID:MEwY1Ulg
>>716
>ありがとうございます!
>試しに講談社文庫の注釈付きの善の研究を買ってみます。

いやいや、どういたしまして。
ついでだから私の略歴でも紹介しましょう。
パソコンが調子いいから、試し打ちのつもりですので気楽に読んでくらさい。

私が最初に哲学書を読んだのが「ものの見方・考え方」という唯物論の初歩の本です。
これは直ぐに理解できて、私は唯物論に関心を向けました。
その後、高校になってから統一の原理講論を学びました。
(女子大生の勧誘があったのです(~o~)
原理は約二ヶ月くらい学んで、その後は左翼運動に傾倒しました。

まあ、なんですなぁ〜〜
若いうちはいろんな思想に首を突っ込むのもイイかもしれません。
(ミイラ取りがミイラになっては駄目だけど)
というのは、いつも自分自身がオブザーバーの立場でいられる。
何事も客観的かつ冷静な判断ができる。
というスキルを磨くことができる。

その後数年(数十年?)経ちまして、このオブザーバーというキーワードが
仏教に非常に通じることを悟りましたね。
これはどういう意味か?というと、自己の客観性のことです。
あらゆるものにオブザーバーの立場でいられたならば、その時点において自己を知ることができる。




765神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 16:42:30 ID:KkWHF5mM
>>764
>これはどういう意味か?というと、自己の客観性のことです。
>あらゆるものにオブザーバーの立場でいられたならば、その時点において自己を知ることができる。

・・・・ どうしようもないね。
そんなことで自己が知れるというのは、はなはだ幼稚すぎやしないかい。
766神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 17:01:32 ID:6yPoL0ej
>>764
>『おのれ自身を知れ。』
>この金言は有害であるとともに醜悪でもある。
>自分自身をよく知ろうと苦心する毛虫は、
>いつになっても蝶にはならないはずだ。
             (アンドレ・ジイド)
自分の人生に局外者的オブザーバー無責任主義態度で臨む者は、
当事者として全責任を引き受ける者に比べ、深化発展のモメントがない。
767766:2007/05/21(月) 17:12:55 ID:6yPoL0ej
766のサナギ哲学は、無知や謙遜を“てらう”という裏返しの傲慢さであり、
巧妙な欺瞞だ。ソクラテスのことを言っている。

最近エピクロスを知って、ゴータマ・ブッダと共通の発想・情緒を持つ哲人だと感じた。
ミイラになるかも知れない。
768神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 18:22:34 ID:pC5aMKVy
>>766-767
おのれ自身を知れ、というのは、デルポイ神殿の壁に描いてあった骸骨の絵の台詞ではなかったかな。
要するに、おのれが死ぬものであることを自覚せよ、ということで。メメント・モリも同じことだけど。

岩波文庫のエピクロスは以前読んだことあります。
原子論に基づく自然哲学的な考察、快楽主義(と言っても、主に精神的な安らかさを維持すること。
後世、いろいろ揶揄された姿でも描かれたようだけど)、
原子論をもとにした教説で共同体を形成したというのも興味深いところですが、
ヘレニズム期のさまよう個人のさがす帰属意識の中での一つの帰着点ではあるのでしょう。

ただ、彼の自然現象の説明に、推測に基づく独断的なものがあるのが、気にはなりました。
仮説にとどめていたのか断定していたのか詳細は覚えていませんが。

初期仏教における四大など原子論の影響を考える視点もありかなと思います。
実在論との関連で言えば、イギリスの日常言語学派の見解なども参考になるでしょうか。
769机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/21(月) 19:44:48 ID:vbgbpu4f
>>767
>最近エピクロスを知って、ゴータマ・ブッダと共通の発想・情緒を持つ哲人だと感じた。

エピロスというのは、素朴な原点回帰のような思想ですね。
これは洋の東西に関係なく、経験的に人は原点に目覚めたりする。

例えば江戸期の商家などは、金が儲かると金に執着するようになって、
気がついたら金の亡者になる。
とか、そんなことを経験的に学ぶため、
それを回避する商家独特の精神文化が発展することになる。

家業がどんなに儲かっても衣食は質素を旨とし、
質素なるがゆえの精神的豊かさを追求しましたし、
これが代々と受け継がれた理由は、やはり経験して初めて目覚めるわけです。
高度な精神文化があったのですね。

トルストイなども晩年は質素な生活において、この江戸期の商家と共通の文化を享受したようです。
これは単発的に世界で目覚める人がおるようですね。
まあ、茶道の侘びとか寂びも、つまりは桃山の絢爛豪華の対極なるものに美を見出したわけなんですが、
これもやはり、その世界でしか感得できない思議を超えた
人の原点とは何か?
を思いはせる良きモチーフにはなりますね。

770草レーサー:2007/05/21(月) 21:11:12 ID:/ePoBA/O
当事者として全責任を負いながらも、傍観者的でクリアーな
状態でもいられますよ。
それは、ドライヴィングの理想でもあります。
判断や操作の正確さは、やはりそこから生じてくる。


771神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 21:14:26 ID:5vVadRbv
スピードは遅いけど、
でも確実に進みつつあり、後退がなく、一旦停止すらない
人生というレースのドライバーか・・・

意外に深いなw      >>770
772神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 23:39:19 ID:QOR64hrg
無常偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」や
縁起公式の「此生故彼生、此滅故彼滅」に出てくる「生・滅」について

生 utpAda ← ud√pad-
滅 nirodha ← ni√rudh-
ud-(上方、外部) と ni-(下方、内部) が正反対の意味で対応している。

ud(上・外に) pad(行く) → 現れる、生
ni(下・内に) rudh(阻む) → 制する、滅
煩悩との繋がりを想起させる。また、非択滅無為(生ずべくして生じなかった)という発想を導き出したか。
773神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 23:44:03 ID:gOy5pG0S
単なる現実逃避か、多重人格障害のはしりだろ。
774机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/22(火) 06:45:54 ID:hSdnrnWO
>>770
う〜ん、なるほど。

これは西田がいう純粋経験みたいなもんですね。
例えばピアニストがピアノを弾く場合には、ピアノを弾くとかの意識も殆どなくなっって、
無意識のうちに指だけ動いてる。
ピアノと自分が一体になったような状況なんでしょうね。

日常における非日常とでも言いますか。
このあたりまで逝きますと殆ど達観した状態ですね。
つまり作為が殆どなくなる状態。

良寛の大愚とか、一休の狂気とか、あれは無為の自分なんですね。
なかなかここまで達観するのは凡夫には至難ですが、
まあ、達観しようとすれば・・・それは作為ですから、
これは無限ループに陥るわけです(~o~)

つまりはここから離れるしか手だてはない。
煩悩即菩提ですね。



775机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/22(火) 07:11:14 ID:hSdnrnWO
>>772
>煩悩との繋がりを想起させる。また、非択滅無為(生ずべくして生じなかった)という発想を導き出したか。

煩悩というのは意味連関ですね。
縁起というのは縁生・縁滅ですから連関というベクトルはない。
因果律というのは意味連関ですね。

縁起と因果の違いがキーワードかと思います。

無常偈においては、かような解釈をしております。
776神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 07:44:50 ID:hJL41vQ9
>>769 朝からつまらんことを書いてみる。
>トルストイなども晩年は質素な生活において

推測だが、晩年「自然に従う」などとカッコつけて田舎でヒッキーになったのは、
ヒステリックな嫁(ソフィア)が怖かっただけではないか。ソクラテスも言動とは裏腹に美少年愛好の
ホモで嫁(クサンティッペ)のヒステリー暴力からヤケになっていたという(どちらが卵か鶏かは当事者でないとわからん)。
 その他、悪妻・鬼嫁・恐妻ではコンスタンツェ(モーツアルト)、ジョゼフィーヌ(ナポレオン)、
メアリー(リンカーン)が「百年の不作」の五大悪妻と言われている(らしい)。
しかし、いずれも悪妻の桎梏をバネに?偉大な業績を残した。

 さて、わがヤソーダラー(ゴータマ・シッタールダ)の場合は悪妻であったか。ゴータマは出家か家出か。
宮廷の美女があられもない姿で眠りこけるのを見て、おぞましさを感じたということは、
ゴータマ自身もハチャメチャ生活をやっていたことの裏返しだろう。
かなりヤソーダラーと揉めていたのではないか・・などと下司の勘ぐりをしてみる。

 歴史資料(文献)は何らかの思惑含みのポジション・トークだから、真に受けていると
騙されまっせ。

 
777阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/22(火) 08:41:11 ID:Q5ZaBM3L
>>772
>ni(下・内に) rudh(阻む) → 制する、滅
この「制する」が、佛教の真面目でありましょう。
778神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 09:38:06 ID:b830lSPg
机は新しいパソコンを買って有頂天だなあ
物欲のかたまり
まさに煩悩即菩薩状態
779阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/22(火) 09:42:10 ID:Q5ZaBM3L
波羅夷され流れ着きたるネットカフェ 我が物になくにしたり顔とは
780神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 13:08:37 ID:IA4BCQBU
>>773
多重人格とは医原病、というか、それこそ仮構のヤマイである、ということでよろしく。
781神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 13:26:54 ID:HOrqaky4
>>777
>> >>ni(下・内に) rudh(阻む) → 制する、滅
>>この「制する」が、佛教の真面目でありましょう。

というなら>>779のような悪口は「制」しましょう。
782阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/22(火) 14:52:39 ID:a0RgKBUL
ありさまをつぶさに述べし言の葉を悪口などと烏滸のきはみぞ
783神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 15:05:24 ID:HOrqaky4
『スッタニパータ』
930 また修行者は高慢であってはならない。
   また(自分の利益を得るために)遠廻しに策したことばを語ってはならない。
   傲慢であってはならない。不和をもたらす言葉を語ってはならない。
931 虚言をなすことなかれ、知りながら詐りをしないようにせよ。
   また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、
   自分が他人よりもすぐれていると思ってはならない。
932 諸々の出家修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱しめられ、
   その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。
   立派な人々は敵対的な返答をしないからである。
933 修行者はこの道理を知って、よく弁えて、つねに気をつけて学べ。
   諸々の煩悩の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、
ゴータマ(ブッタ)の教えにおいて怠ってはならない。
934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。
   他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。
   それ故に、かの師(ブッタ)の教えに従って、怠ることなく、
   つねに礼拝して、従い学べ。」

『ダンマパダ』
157 もしもひとが自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。
   賢い人は、夜の三つの区分のうちの一つだけでも、つつしんで目ざめておれ。
158 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。
   そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むひとが無いであろう。
159 他人に教えるとおりに、自分で行なえ──。
   自分をよくととのえた人こそ、他人をととのええるであろう。自己は実に制し難い。
784神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 16:47:47 ID:2sYTIlQa
>>783
GJ!
785机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/22(火) 17:25:04 ID:26mhkA4j
>>776
>宮廷の美女があられもない姿で眠りこけるのを見て、おぞましさを感じたということは、

推測だが、釈尊は生来の理想主義者だったんだろう?。→四諦より推測
理想主義者というのは、いつかは女に幻滅を感じる時がくる。
それが早いか遅いか。の違い。

幻滅を感じる。というのは、あるていど女を知ってから。
(女を知らん者は・・・理想は理想のまんまなのだが)

俗世間的には、幻滅を感じながらも馴れ合って生きていかねばならん。
まあ、ソクラテスとかモーツアルトもそうやって生きてきたんだし。
悪妻と一生を遂げるには、それなりのノウハウというのがある。
まあ、ここまで逝けば人生の達人と言われるわけだが。

釈尊の本懐である中道も、贅の限りを尽くして・・・その後の挫折。
これあってこその本懐やに思いますね。
786神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 21:33:40 ID:9YY4/dj+
経典のことばは己のみちしるべ。
人のためにあるのではなく、人に押し付けるものでもなく
アナタ自身のためにある。
787神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 22:14:39 ID:bpRSCBNn
変に仏教かたろうとするから、とんちんかんな意味で専門用語つかってみたりして
かえって初心者をまどわしてるんだよなあ、机のおっちゃんは。。。
お笑いに徹すればいいものを(爆)

>>710
> >俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も亦是の如く説き俗數法をば除く。
> この部分ですね。
> つまり識別作用のことです。

ったい、どこが識別作用なんやねん(笑)
無理に言ったら何だな、眼識以下の六識と関係あると言ってもいいが、
まあそういうことは、おくびにも出しとらんし。一事が万事これ式だからなあ。
初心者まよわす積みは深いと思うよ、ホンマに。


788神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 23:22:56 ID:4soaAU9O
男は西洋的、ロゴス、個、秩序、正義、現状否定、ロマンチスト。
女は東洋的、エロス、和、混沌、友愛、現状肯定、リアリスト。

ある意味究極のロゴスである釈迦が女を遠ざけるのは道理。
789阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/23(水) 00:15:09 ID:LYmFnHVl
徒に佛の言葉並べ立て 己の烏滸を晒す愚かさ
790机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/23(水) 07:02:21 ID:NeE8dR21
>>787
>>スッタニパータを読めば、ニルヴァーナとは、識別作用の滅した境地であり、
>>識別作用がなくなり、単独で存在しているものを、自性と呼ぶ>>703

この流れから、私が
>違いますね。
>識別作用については第一義空経に書いてある。>>710
と、レスポンしておるんですから、
先ず第一義空経の前半部分をよく精査してから書き込みして頂きたいもんですね(~o~)
「俗數法をば除く」と書いてある訳です。

つまりスッタニパータは俗法である。と、そういうふうにチャンと説明しておるじゃないですか。
俗法が間違い。という訳じゃない。
間違いという訳じゃ〜〜ないが、俗法を真諦と勘違いするのが問題ですね。
やはり経典解釈には、それなりのスキルが大切かと思いまふ(*^。^*)




791机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/23(水) 10:28:36 ID:vjnJBJLl
>>788
>男は西洋的、ロゴス、個、秩序、正義、現状否定、ロマンチスト。
>女は東洋的、エロス、和、混沌、友愛、現状肯定、リアリスト。

( ..)φメモメモ
実際わたしは、男がロマンチストで、女がリアリストであることを
悟るのに数十年の歳月を費やしましたから・・・
ということは、
やはりロマンチストなんですね。男は。

男は脳でセクスをして、女は身体でセクスをする。
なのかもしれません。
ここまでくると、もう、ロマンどころではなくなり・・・
やがて諦観となる。

まあ、これがオーソドックスなスタイルかと思いますね。
たまに例外はありますが(@_@。


792神も仏も名無しさん:2007/05/23(水) 12:18:31 ID:B8DXsqol
なんだ、この東洋・西洋、ロマンチスト・リアリスト二元論は
机、メモしてる場合じゃないだろ
このエロオヤジめが
次の口説き文句に使うのかい?
793阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/23(水) 12:24:59 ID:mUUHNNZy
>>792
> 東洋・西洋、ロマンチスト・リアリスト二元論

今時トンデモ本のマクラにすらならんウスノロ二分法(嗤)。
794神も仏も名無しさん:2007/05/23(水) 14:47:46 ID:TClKbC6E
>>793
博覧強記のアホダラさんに質問。
スッタニパータ『蛇の章』の、ともに捨て去る「この世とかの世」(中村元訳 岩波文庫)
とは何ですか?
1) 現世と来世
2) 此岸と彼岸(正田大観訳)

もし1)なら未解脱者には輪廻の来世があり、解脱者は現世でも来世でもない涅槃におもむくとも解せられます。
しかし、これは常見で死後生命の無記答に反しませんか。
また、来世の否定によって死後の救済を認めないことの宣言でしょうか?
だとすると、日本仏教の大部分は反仏教として否定されることになります。

2)なら解脱者は解脱の境地=彼岸も捨て去ると解せられます。これはどういう意味でしょう?
解脱=悟りにさえ執着するなという意味でしょうか?
795机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/23(水) 15:16:10 ID:vjnJBJLl
>>794
おお!
これは気の利いた公案ですね。
796794:2007/05/23(水) 19:04:55 ID:TClKbC6E
中村博士(岩波文庫247-248頁)をみると、種々の解釈があって
定まっていないようですね。中村博士は2)のような口吻ですね。
 しかしそれでは、同21で「彼岸に到着している」師(ブッダ)が
「筏の必要はない」と言われても、彼岸も捨てよとまで言っておられるとは
解せません。
また同32で牛飼いダニヤが訴求する「生死の彼岸に達して、苦しみを滅ぼしましょう。」
という文言に矛盾するように思います。
797阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/23(水) 19:51:08 ID:mUUHNNZy
>>794
手許に架蔵の宮坂宥勝氏による新訳では、
「劣った此の岸を捨てる」となっています。こちらの訳註も面白いですよ。

此岸も彼岸も実体視せず執着しないという意味に取っております。
「不(無)住処涅槃」の原型がここに見られるのではと考えます。

管見するところでは、「マッジマニカーヤ」冒頭の『根本法門經』の以下の件りなど参考になるかと思います。

阿羅漢-如来も同文-は、ニルヴァーナよりニルヴァーナを知り、ニルヴァーナを思惟せず、「このニルヴァーナは自分のもの」
とは思惟せず、ニルヴァーナについて喜ばない。それは何が原因かといえば、かれには熟知されたからである、とわたくしは説く。
                              

798神も仏も名無しさん:2007/05/23(水) 21:45:28 ID:zdC0GN9u
暇人がアゴンスレッドにきて 批判側に絡むものだから
得意の佛教知識も論点外しまくりで
ボコボコに論破されとる。
799阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/23(水) 22:05:20 ID:mUUHNNZy
>>798
このスレの一切関知するところではありませんので放置願います。
悪しからず。
800神も仏も名無しさん:2007/05/23(水) 22:44:16 ID:5qiQrxbr
>>794
>ともに捨て去る「この世とかの世」
>現世と来世
>しかし、これは常見で

1だと解しても、常見・断見とかいう話にはならないと思います。
此世、他世ということに比重のかかった話ではなく、
つまり、それらを実在と見てそれを捨てる、ということではなく、
此世でのケラク、他世での善き生れ・ケラクを追い求める、という考え方
そのものへの批判でしょう。そういう執着・煩悩に心乱されない、という、、。

>1086 この世において 見たり聞いたり考えたり識別した 【快美な事物に対する
>欲望や貪りを除き去る】ことが、不滅のニルヴァーナの境地である。
>801 ・・・この世についても、来世についても、【願うことがない】。
801机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/24(木) 08:23:03 ID:oAum3vUy
>>796
>中村博士(岩波文庫247-248頁)をみると、種々の解釈があって
>定まっていないようですね。中村博士は2)のような口吻ですね

中村先生は学者だから、学者としての何らかのアプローチをしたに過ぎない。
かと思いますね。つまり意味付与が学者の仕事ですから。

私は古代インドの世相を背景として考えたらいいかと思います。
アーリア人のインド侵攻とともに、当時の土着宗教をバラモン教に吸収合併させてきた。
この流れからすると、輪廻思想は一般的に信じられていたかと思います。
こういった既存の概念を、一応は捨てる。→アンチの立場を明確にした。
という意味で
>1) 現世と来世
に当てはまる。

>2) 此岸と彼岸(正田大観訳)

此岸とか彼岸とかは、一般大衆には抽象的な概念であり、
これをそのまま説法において意味付与するのは無理ですよ。
つまり便宜上の概念ですから、
>1) 現世と来世
という具体的な意味の方が衆生には分かりやすい。
802机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/24(木) 08:39:43 ID:oAum3vUy
>>797
>此岸も彼岸も実体視せず執着しないという意味に取っております

中道ですから「実体視せず」というのは偏見になりますね(~o~)
まあ、おいおい、このことも暇ができましたら書いて逝きます。

じゃあ、無実体か?というなら・・・これも偏見です(^_-)-☆

803神も仏も名無しさん:2007/05/24(木) 19:14:21 ID:ADrfukkM
     川|川川  川
    ‖川 | | | ー ー||        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    川川 | |ー□--□l      <   ( ..)φ (@_@ (~o~)  (^_-)-☆
    川川| | \ J/||        \_______________
    川川‖  | ロ|/| カタカタカタ
    川川|‖\|__|l|l  _____
   /川川川__/川川  |  | ̄ ̄\ \
   |  川川|  |/川l__,|  |    | ̄ ̄|
   |  \_|__|_|、__|  |    |__|
   |  \____|つ   |__|__/ /
   |      |  | | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
  |       | ̄
804神も仏も名無しさん:2007/05/24(木) 22:17:20 ID:t90VpGYH
「雑阿含経」巻13第一義空経での十二縁起説の取り上げ方について、「雑阿毘曇心論」巻11に
よれば、世尊説と俗数説を分けているようなので、二諦説を採っていると言えそうです。
> 世尊亦説作者不可得。此亦俗数説耶。
> 神口所説第一義空修多羅。而汝妄想説此有故彼有。

しかし、『仏教学辞典』「二諦」の項目によれば、二諦ということにも大小乗含め諸説あるようで、

「眼生ずる時/滅する時」というように、生滅する、としている点は般若心経の「無眼耳鼻舌身意」
や「無眼界乃至無意識界」と立場が異なること、
また、「生じ已って尽く滅す」と刹那生滅を思わせるような記述があること、(但、施護訳になし)
「有業報」と、「中論」17品の「無業無作者 何有業生果〔業なく作者なし。何ぞ業の果を
生ずることあらん〕」というように、業も業果も無い、とする立場とは異なること、
などから、第一義空経は大乗経や中観派とは違うものだと思われます。

なお、関連する「増一阿含経30(7)」では「仮号因縁」と呼ばれていますが、
これは後の「世俗縁起」というものと直接繋がっているのかも知れません。
805794:2007/05/25(金) 00:06:53 ID:I8jNdO9M
>>797>>800>>801
ありがとうございます。
深く考える契機を与えていただいて感謝します。
やはり二諦説(龍樹 中論第24章8〜10)で理解せざるを得ないのでしょうね。

 実は、昨日あるとんでもない視点のアイデアが現出しまして、
まだ混沌として纏め上げられる状態ではありません。
牛飼いダニヤの発菩提心(スッタニパータ32)だけはしっかり持って、考え抜きたいと思います。
ありがとうございます。
806神も仏も名無しさん:2007/05/25(金) 06:29:44 ID:lSM6Emb8
まあ全部俺の自作自演ってやつなんだけどな。        ∧_∧
           ∧_∧                   (´<_` ;) ・・さ、流石だな、兄者
           ( ´_ゝ`)                  /   ⌒i
          /   \                 / ィ   | |
     / ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄/
__ _/  Prius  //  FMV  //  VAIO // Mebius // LaVie  /____
   \/_/ ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄/
   _ /ThinkPad //WinBook//DynaBook//Libretto // Presario/
   \/_/ ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄// ̄ ̄ ̄ ̄/
   _ / Inspiron //Endeavor//InterLink //  Evo  //Let'sNote/
   \/____//____//____//____//____/
         │        │        │        │        │          ┌─┐
         └────┴────┴────┴────┴───────コ.│
807机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/25(金) 09:06:52 ID:2hcf6IvT
>>804
>また、「生じ已って尽く滅す」と刹那生滅を思わせるような記述があること

そうですかね?(~_~メ)
>眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
例えばこれ↑などは、刹那生滅というよりは、
「眼生じる」を「來處有ること無く」という文脈で
「生じる」を否定する意と解しておりますが、どうでしょうか?

>「有業報」と、「中論」17品の「無業無作者 何有業生果〔業なく作者なし。何ぞ業の果を
>生ずることあらん〕」というように、業も業果も無い、とする立場とは異なること、

そうですかね?(^_^;)
わたしは立場は違わんと思ひますが(*^_^*)

>第一義空経は大乗経や中観派とは違うものだと思われます。

そうですかね?(~_~)

>なお、関連する「増一阿含経30(7)」では「仮号因縁」と呼ばれていますが、
>これは後の「世俗縁起」というものと直接繋がっているのかも知れません。

いろいろとご教示くだされましm(__)m
808危喪龍机劇団会:2007/05/25(金) 09:20:48 ID:QnBRzXKF

                ドッカーン!
                (⌒⌒⌒)
  ファビョ ━━━━━━━|||━━━━━━━━━ ン !!
             /ヽ      /ヽ
            /  ヽ      /  ヽ
  ______ /     ヽ__/     ヽ
  | ____ /           :::::::::::::::\
  | |       / / ⌒'八'⌒ \   :::::::::::::::|
  | | 終日粘着 |   \     /    ::::::::::::::|
  | |ゴキブリの | ⌒U (_人_) U⌒ ;  :::::::::::::|
  | |雑魚文キョ! | llllll|||||||||||||||||lllll |.....:::::::::::/
  | |____ ヽ   ε    /∴....:::::::::::<
  └___/ ̄ ̄       :::::::::::::::::::::::::::|
  |\    |   荒らし山 親方 ::::::::::::::::::::::|
  \ \  \___       ::::::::::::::::::::::::|

809神も仏も名無しさん:2007/05/25(金) 13:02:13 ID:XvAS/k5n
『雑阿毘曇心論』や『順正理論』が教証に採用した、ということは、人無我、かつ
「法体恒有」ということで捉えている、ということなのでしょう。

>「眼生じる」を「來處有ること無く」という文脈で「生じる」を否定する

俗数法を除く、ということなので、それ以前の教説は俗数法でないことになります。
(つまり、中観派的に言うと、勝義諦の教説)
しかし、中観派の勝義諦の「不生不滅」と「眼生ずる時・滅する時」とは、明らかに矛盾しますので
この部分で「不生不滅」そのものを説いている、とするのは難しいでしょう。
ただ、「来る処・去る処あること無し」という点で「空」ということにも通じる内容になっている、
とは思われます。「実ならず」ともありますし。

つまり、中観派の勝義諦の「不生不滅」と、「生ずる時、来る処なし」とは、全く同じことを述べて
いるのではないが、とても接近した説き方ではある、と言えるでしょう。違いは、直接「生じる」
ことを否定するか、間接的に「来る処」を否定するか、ということ。
これを、一貫して空を説いている、とするかどうかは、それぞれの立場の違いにかかわるでしょう。
810机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/25(金) 14:00:05 ID:2hcf6IvT
>俗数法を除く、ということなので、それ以前の教説は俗数法でないことになります。

そのように解するのが一般的な解釈やに思いますね(^_^)

>つまり、中観派の勝義諦の「不生不滅」と、「生ずる時、来る処なし」とは、全く同じことを述べて
>いるのではないが、とても接近した説き方ではある、と言えるでしょう。違いは、直接「生じる」
>ことを否定するか、間接的に「来る処」を否定するか、ということ。
>これを、一貫して空を説いている、とするかどうかは、それぞれの立場の違いにかかわるでしょう。

中観派は「生じる」自体が論理矛盾になる訳ですから、
あえて俗法として論理をたて、それの否定という論法が通常かと思います(^_^)
鈴木大拙などはこれを「即非の論理」などと上手い言い方をしているようですよ(~o~)
なるほど「即非の論理」かぁ〜(^^♪
肯定なる否定。とでも言いましょうか?
もっと大げさに言うたら、「絶対肯定」とかも言い出す者もおるくらいです。
まあ、そこまで言わんでも、
中道ですから、そこそこの言い方で宜しいかと思いますね(^0_0^)




811阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/25(金) 14:31:46 ID:9uTg7/iI
>>804
>>805
>>809
件の契經の解釈を巡る部派内部あるいは部派間での議論の延長線上に、『中論』などの“大乘”論書が成立して行く
プロセスを考察するのも面白いのではないかと考えます。
812神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 07:30:17 ID:i6qlMXH9
中論、中観、中道、それぞれ何が違うのですか?
813机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/26(土) 08:10:20 ID:PrhfcI2M
>>812
釈尊入滅後に発展して逝ったのが部派仏教ですね。
その代表的なものが説一切有部です。
有部の実有論に異義を唱えたのが龍樹です。
何故異議を唱えたかつうと、
それは、釈尊が悟ったのは中道ですから、
有部が言うておる実有なるもんは中道じゃ〜ないじゃないか!!
とか、そんな事をいいまして、
ここは中道一徹、釈尊本義に回帰しようじゃ〜ないか。→これが中観
という主旨において、龍樹は中論を執筆した訳です(^_^)

中観は、釈尊成道への回帰です。
原始仏教というなら、先ずは原点回帰を旨とすべきかと、
かように思ひますね(*^_^*)


814神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 08:27:17 ID:ftau0MBD
中論は論書名。
中観は思想。
中道は中観思想の根幹部。
815神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 16:59:05 ID:PTglKqCJ
横レスですが、京都の伊藤若冲展が、前代未聞のとんでもない大フィーバーぶりです。
連日、ラッシュ時の満員電車なみの混雑ぶり!
これでは、おちおち釈迦三尊像も鑑賞できません。

こんなに伊藤若冲人気が爆発するとは想定外でした。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1179047855/


816神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 20:43:16 ID:CjjAO1my
>>800
> この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物

「現世を望まず、来世をも望まず、欲求がなくて、とらわれの無い人、
  ――かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。」(ダンマパダ 410)

の、〈真のバラモン〉が「望まないこと」の具体的な内容として、次のような経文がありました。

「現世の利と来世の利……生命(長寿)と健康と美貌と、天界に生まれることと、高貴の家に生ま
れることと、ますます広大なる喜びを追及…」(相応部 3‐2‐7)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
また、仏教で言う「一切」に関連して、「世間(=世界)」についての経文がありました。

「わたしは、世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない。
そうではなくて、意識もそなえ心もあるこの一尋(ひろ)の身体に即して、世界そのものと、世界の
生起と、世界の止滅と、世界の止滅にみちびく道とを説示するのである。」(相応部 2‐3‐6)

註:世界(ローカ、漢訳「世間」)…自然世界や自然環境のようなもの(「器世間」)を考えて
いたのではなくて、人間の個人存在(「衆生世間」)を意味していた。

「何等をか『世間』となす。いはく五受陰なり。何等をか五となす。色受陰・受受陰・想受陰・行
受陰・識受陰なり。これを『世間』と名づく。」(雑阿含経)
     ――以上すべての引用は、中村元氏の訳注(岩波文庫)から。
817神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 22:05:02 ID:ShV2DCpU
「無常の哲学―ダルマキルティと刹那滅」読んだ香具師いる?
818神も仏も名無しさん:2007/05/26(土) 22:48:14 ID:B7xYjSrb
読む必要ないよ。
819阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/05/26(土) 23:20:00 ID:qzs+FVF3
>>817
架蔵すれども精読せずだが何か?
820神も仏も名無しさん:2007/05/27(日) 00:31:43 ID:4OkYIXJ/
「印佛研」船橋論文の順序に従い、識・名色系統の縁起経を読んでいます。
第2段階まで、漢訳と、パーリ文で英訳あるものは読了しました。

その最初の経典、雑阿含48.1(〜3、別譯雜阿含9.20、SN.1.1)で、
船橋論文の anAlambe と漢訳の「不攀、不繋、攀縁」などからすると、
原文では Alambana という語があったのではないかと思われるのですが、

中村訳では「努力する、争う」系の別の原語から「あがく」と意味を取っているようで、「あがく」ことで
激流(暴流)に余計、巻き込まれる、というように文脈自体はよく合っていると思いますが、
パーリ原文を未検討の段階で言うのはなんですが、この両者の不一致がとても気になりました。

なお、英訳で女神としていることに関しては、過去スレで紹介されたデーヴァターについての宮元氏
の所論が参考になりました。まあ、「容色絶妙」という漢訳から女神でよいのかも知れませんが。
821817:2007/05/27(日) 16:59:54 ID:KV25Q2JM
>>818-819
いや、ちょっと読んだらえらい独特の文体(「無常自身が無常する」とか)で面白そうだったから詳しい人いないかと思ってね。
822神も仏も名無しさん:2007/05/27(日) 17:51:15 ID:CZVURwlb
雜阿含經卷第四十八(一二六七)「無所攀縁、亦無所住、而度駛流。」
〔攀縁(ハンエン、すがりつく)するところなく、また住するところなくして、駛流(シリュウ、急流)を度(わた)る。〕

この「不住」(止住しない、とどまらない)ということと、
「アートマン島、ダルマ島。自帰依、法帰依」や、
縁起の「法住性(法として住立・確立されていること)」ということ、

これらは一見矛盾に感じられますが、そうではなく、これらの両立は当然可能であり、
また、そうあるべきだ、ということが要請されているのでしょう。
823神も仏も名無しさん:2007/05/27(日) 18:56:02 ID:NA51eP8F
ttp://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gretil/2_pali/1_tipit/2_sut/3_samyu/samyut3c.txt (392KB) をダウンロードして確認してみた。

appatiTThaM khvAhaM Avuso anAyUhaM oghamatarinti.
「友よ。わたしは、立ち止(とど)まることなく、あがくことなしに、激流を渡りました。」

註:あがくことなしに −− anAyUhaM(佛音、リズ・デーヴィズ夫人、ガイガー、いずれも「努力せず」という意味に解している。)

上記のように、中村訳の通りであった。
こうなると、舟橋論文の「anAlambe ←(名動詞?)← an-Alamba」はトゥルファン出土経からのもの
なのか、それとも漢訳からの還元なのか、いよいよもって不審。
824神も仏も名無しさん:2007/05/28(月) 02:48:30 ID:xzna76GZ
>>803
www
825机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/28(月) 11:53:15 ID:Yynb8Y/c
>>823
>「友よ。わたしは、立ち止(とど)まることなく、あがくことなしに、激流を渡りました。」

龍樹菩薩などは即時入必定と言われておるのですね。
生死大海を往来する者あれど、いまだかつて彼岸に至れる者あらず。

龍樹は学問に優れ、もう学ぶべきものはない。
これを無学という。
(この無学は慧能の無学とは多少意味が違うが、本質的には同義)
ということで、
すでに学は終了したので、あとは遊ぶ以外にはない。
ということになり、
友達と一緒になって、王宮に侵入し女官などと遊び戯れる。

この時に、友達だけ捕まって斬首。
龍樹はこの時は逃げおおせたが、このショックがやがて運命を変える。
龍樹は初期のころは釈尊を師とは思わんかったらしい。
その経緯が面白い。

やがて龍樹は釈尊に敬意をもってくるが、その経緯が面白い。
以後、龍樹は第二の釈尊とか八宗の祖師とか尊称されて逝く。




826電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :2007/05/28(月) 15:42:56 ID:+C41eQCO
ボクに粘着しておりました昔の55氏。最近では輪廻転生肯定君、唯識無境デタラメ君として登場していると見なされる人物が
ボクを誹謗中傷するために立てたオカルト板でのスレッドで、害悪のある発言を繰り返しております。

同じパターンですが、論破されると論点を拡張してすり替え反撃してきます。その人が今度は三浦さんの掲示板で恥をさらしています。
変態友人というHNです。全てが非論理的です。
827神も仏も名無しさん:2007/05/28(月) 17:37:29 ID:a7uLuBoK
>>826
828神も仏も名無しさん:2007/05/28(月) 19:55:23 ID:jDNDuMfB
『マハーバーラタ』(やプラーナ文献)と仏教やジャイナ教に、
同じ伝説や格言が見られるときのルーツの可能性について、
ヴィンテルニッツは『インド文学の諸問題』(1925)第2章の末尾で、二つ述べています。

(1) オリジナルは仏教またはジャイナ教
(2) パラレルな箇所は同じソースに基づく。より古い苦行者文献に。
  おそらく、それはヨーガまたはサーンキヤ・ヨーガの教えとの関連で生じた。

そして、各文献の広範な研究がどちらがより確かか決めるだろう、としています。


ttp://www.ibiblio.org/jainism/database/BOOK/jainbudh.doc
これは、博士論文から練り上げた本の(たぶん、スキャナで取り込んだ)Docファイルですが、
六師外道などについてかなり詳しく書かれています。
著者はジャイナ教徒ですが、ざっと読んだ印象では(まだ第3章を読み始めたところ)
どうも、パラレルは仏教起源としているようです。
829神も仏も名無しさん:2007/05/29(火) 00:09:22 ID:cpGYTjdm
>>828
これはどうも、こんなのもありますよ。
タイトル 仏教及びサーンキヤ・ヨーガに共通の源流に関する研究
責任表示 荒牧,典俊,大阪大学
出版年 1983-1984
注記 文部省科学研究費補助金研究成果報告書
830神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 12:57:35 ID:eWyEKrKZ
中部経典 72 火‐ヴァッチャ姓

「ヴァッチャよ、如実知者(*1)は立脚地というものから離れます。
如実知者はこのように見ます。これが五蘊、これがその原因、これがその制御、と。
このことによって、如実知者は解脱します。」

遍歴行者ヴァッチャ「それでは、心解脱した行乞者(*2)は、再び姿を現すことはない、ということですね。」
「再び姿を現さない、というのはふさわしくありません。」(*3)

「消えた火は、どの方向に去ったのでしょうか。東、西、北、それとも南ですか。」(*4)
ヴァッチャ「そういうのは、ふさわしくありません。」

〜〜〜〜〜〜〜
思うに、《「火が、再び姿を現すことはない」というのは、ふさわしくない。余分な推測》ということなのだろう。
ありのままをありのままに見る如実知者にとって。

不要不急である。というより、余分な見地を付け加えることで、それにわずらわされるので、
苦の制御にとっては、むしろ邪魔な推測と言える。

ありのままの姿を見れば、「火が消えた」とだけ言うのがふさわしい。
「火がどこかへ去った」と探し回るのも「火は再び現れない」と推測するのもそぐわない。
「見がたい。わかりにくい」と語っているとおり、きわめて微妙なことだ。

注記
1 「如来」の別訳の私案。(「一切」を)如実に知ったひと。
2 如実知者のことを言い替えている。
3 これがこの文章を書くきっかけになった。一般的な「解脱者は再び生まれない」という言い方に
   対して注意を促す点で、非常に重要だと思う。
4 『第一義空経』の「(眼識や耳識などが)滅する時、去る処あること無し」に通ずるだろう。
831机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/30(水) 14:44:30 ID:ZoJxAvJJ
>「ヴァッチャよ、如実知者(*1)は立脚地というものから離れます。

これがインド哲学の核心というべきか、というよりも、
これがいわゆる基本になる部分かと思いますね(^_^)
西洋とインドは、水と油のようなものでけして混じり合うことはない。
私が日頃から提唱しているところです(*^^)v

>4 『第一義空経』の「(眼識や耳識などが)滅する時、去る処あること無し」に通ずるだろう。

通じますね(^_-)-☆
832神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 22:26:54 ID:6qs4hSId
> 「消えた火は、どの方向に去ったのでしょうか。東、西、北、それとも南ですか。」
> ヴァッチャ「そういうのは、ふさわしくありません。」

悪魔が、亡くなったヴァッカリの識を捜し回った、という話にも通じる。

833机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/31(木) 06:55:53 ID:RwnFSxgH
ヴァッチャゴッタ:「(ゴータマ尊のように)心が解脱している比丘はどこに生まれ変わるのか?」
       世尊:「『生まれかわる』ということは相応しくない」
          「『生まれかわらない』ということは相応しくない」
          「『生まれかわり、また生まれかわらない』ということは相応しくない」
          「『生まれかわらないし、また生まれかわらないのでもない』ということは相応しくない」
 ヴァッチャゴッタ:「混乱した、浄信も消えた」
       世尊:「あなたの前で火が燃えたなら、何によって燃えているのか」
 ヴァッチャゴッタ:「草や薪を取ることによって燃えている」
       世尊:「その火が消えたなら、どこに行っているのか」
 ヴァッチャゴッタ:「それは相応しくない。草や薪が尽き、他の補給がなければ、消えている、と呼ばれる」
       世尊:「ちょうどそのように、如来について述べようとする場合、色によって述べることはできますが、
          如来にはその色が、断たれ、根絶され、根幹を失ったターラ樹のようにされ、空無なものにされ、
          未来に生起しない性質のものとなっています。ヴァッチャよ、如来は、色という呼称から解脱しており、
          深遠、無量にして、深入し難く、あたかも大海のようなものです。『生まれかわる』ということは相応しくありません。
          『生まれかわらない』ということは相応しくありません。『生まれかわり、また生まれかわらない』ということは相応しくありません。
          『生まれかわらないし、また生まれかわらないのでもない』ということは相応しくありません。」
            <「色」を「受」・「想」・「行」・「識」に置き換えて、同文繰り返し。>
         ヴァッチャゴッタ遍歴行者は、賞賛し、帰依した。

<「パーリ仏典中分五十経篇T」ー「第72 火ヴァッチャ経」より>
834机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/31(木) 07:06:26 ID:RwnFSxgH
>>1
>ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理 を中心に、様々な議論を重ねて行けた
>らと願います。佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。引き続きよろしくお引き立てのほどを。

佛教の原点を闡明し、なお且つ良スレになるよう期待するのであれば、
先ずもってインド哲学の基礎を充分に学習すること肝要かと思いますね\(^o^)/

835神も仏も名無しさん:2007/05/31(木) 08:56:36 ID:Yu5ifuQQ
>空無なものにされ、未来に生起しない性質のものとなっています。

十分すぎるほどの形而上的見解だ。
ゴータマさんよ、経験的に検証してみろや。
空無だったら時間も問えないから過去や未来、存在そのものが問えるワケがないだろうが。
如来でなくとも、アホでもゴキブリでも同じだ。
836神も仏も名無しさん:2007/05/31(木) 11:42:35 ID:s5vGLQWH
科学で「経験的に検証」するために科学者は、長年学習して一部のものが、
最先端の科学を「経験的に検証」できるのであって、全ての人が「経験的に検証」できないように、

仏教は、教えどうり実践すれば「経験的に検証」できるのだが、
だからといって凡人が即時的に「経験的に検証」できるのではない。
教えどうり実践すれば誰でも良い人に変わることは短時間に「経験的に検証」できるだろうが、
高度な内容は長年修行しても「経験的に検証」できないものもいるのである。

だから君が今「経験的に検証」できないからといって、空性を否定するのは、
自分の日常的知覚で経験できないからといって、相対性理論や量子力学を否定するようなもの。
837机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/05/31(木) 13:07:10 ID:RwnFSxgH
>>835
>空無だったら時間も問えないから過去や未来、存在そのものが問えるワケがないだろうが。

「問う」という西洋哲学的論理ではなくて、
その論理構築以前を問題にするのがインド哲学ですね。
(わたしはあえて哲学という視点で書き込みしますが(^^♪)
過去とか未来は「不去不来」でいいかと思います。
(語意成立以前、主客未分です)
838神も仏も名無しさん:2007/05/31(木) 21:37:56 ID:nva3hklN
そもそもヴァッチャに示した消えた火の比喩は、無記の文脈で出てきたものであり、
また根絶やしになったターラ樹の比喩からしても、
この「未来に生起せず」とは認知の及ぶ範囲内のことでしょう。

ちなみに、このターラ樹の比喩は、
チャーンドーギヤ・ウパニシャッド5.12でウッダーラカが息子シヴェータケートゥに教えた、
榕樹の実にも内在する見えない微小なもの、この世にあるすべてのものが本質としているアートマン、
ということを暗に批判しているのかも知れません。
839ヴァッチャ :2007/06/01(金) 06:53:58 ID:oV45L7Qp
 世尊よ、消えかけた浄信が復活した。

まことこの教法は、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、
智慧ある者のみが知りうるところのものである。
他の見解にしたがっている者や、他の行を修している者には、
とうてい知られ難いものであろう。

 龍樹「中論」第十章「火と薪との考察」第十九章「時の考察」を検討することとする。

 戯論の消滅と言うめでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、
もろもろの説法者のうちでの最も勝れた人として敬礼する。
840机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/01(金) 07:01:31 ID:t/YpMj0V
>この「未来に生起せず」とは認知の及ぶ範囲内のことでしょう。

未来とは何か?
未来とは現時点を立脚として捉えた概念である。
現時点とは何か?
現時点とは去るものであり、現時点そのものは既に消滅するものである。
去るものとは何か?
去るものとは、現時点を立脚として捉えた概念である。
故に、
去るものと現時点は相反する概念であり、語義とその形態は消滅してしまうのであります。
(来るもの《未来》についても同じことです)

>「ヴァッチャよ、如実知者(*1)は立脚地というものから離れます。

これにしても俗諦においては論理的ではありますが、真諦からすると論理矛盾はあります。
それは、立脚地という主体を前提とする概念でありますから。
では主体とは何か?が問題になってまいります。
これは不去不来と論理的には同じです。

こういった基本的なインド哲学をカバーしたうえで、
原始仏教を語ちたならば、
良スレになる悪寒はしますね(*^_^*)


841神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 13:02:39 ID:NeJ38w25
"Jainism in Buddhist Literature"に次の記述がありました。
華厳宗の法界縁起や中観派の説にも通じるという一即多、多即一のジャイナ哲学からの理由づけです。

According to Jaina philosophy, each and every entity is somehow related to all other entities in the universe.
Such relations are called modes or paryayas of the entity.
If one knows an entity completely, these modes will also be known completely.
That is why it is said that one who knows one, knows all, and one who knows all, knows one.
842机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/01(金) 15:24:36 ID:t/YpMj0V
> paryayas

これはインド哲学の原点。というか、全てを網羅しちゃう訳です。
ここまで逝きますとスレ自体が無に帰す訳ですが、
その方法論としての「彼岸へ逝く」が比喩として用いられたのかと思いますね。
もちろん彼岸は比喩であります。
比喩なれど、生死大海に身を投げいる菩提心あればこその比喩でして、
なかなか、
どうして、
凡人なれば、このことさえ迷うのであります。
843阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/06/01(金) 16:09:41 ID:Jttt51aL
>>841
かかる形而上的実体論を佛教はその前提から否定否認しますね。
844机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/01(金) 17:25:11 ID:t/YpMj0V
http://hhh.s4.dxbeat.com/tmp/img/73.jpg
かかる形而上的実体論を却下否定しまつ!
845神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 18:01:04 ID:k0fIHHg1
>>841
"paryaya" なのか"paryAya" なのか、どちらにしても意味は、様態、様相といった意味でしょう。
華厳でも中観でも、実体、本質とは見ないですね。

"paryaya"
Apte
m.{a-stem} 1.revolution; 2.waste or loss (of time); 3.change; 4.inversion;
5.deviation from customary observances; 6.opposition; 7.loss

梵和
(男) 回転, (周期の)満了; 変化, 変更.

Monier
m. revolution , lapse , expiration , waste or loss (of time) Mn. MBh. &c. ;
the time of revolution (of a planet) Gan2it. ; change , alteration ib. ;
inversion , irregularity , confusion with (comp.) MBh. Sus3r. ;
contrariety , opposition W. ; deviation from enjoined or customary observances , neglect of duty ib.

Macdonell
[ pari½aya ] m. revolution, expiration (of a period); change, alteration.

Sanskrit Heritage Dictionary
[par?-aya] m. re´volution, parcours; laps, pe´riode | changement;
alte´ration; inversion | de´viation; manquement a` ses devoirs.

846神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 18:02:18 ID:k0fIHHg1
"paryAya"

Apte
m.{a-stem} 1.going or winding round; 2.lapse (of time); 3.regular recurrence or repetition;
4.turn; 5.method; 6.manner; 7.a synonym; 8.an opportunity; 9.creation; 10.comprehensiveness;
11.a strophe of a hymn; 12.property; 13.a means; 14.end; 15.contrariety; 16.(in rhet.) a figure of speech

梵和
(男) 廻転, (周期の)満了; 季節の変化; 周期的な復帰; 反復; 規則的な連続; 変転; .....一巡
総合文, 文章; 詩節; 言い換えのできる語, 同義語; .......

Monier
m. going or turning or winding round , revolving , revolution Ka1tyS3r. ;
course , lapse , expiration of time MBh. Hariv. Vet. ; regular recurrence , repetition ,
succession , turn (ibc. or %{eNa} ind. in turn , successively , alternately ;
%{caturthe@paryAye} , at the fourth time) Ka1tyS3r. La1t2y. Mn. &c. ;
a regularly recurring series or formula (esp. in the Ati-ra1tra ceremony) Br. S3rS. (%{-tva} n.) ;
= %{-sU7kta} Sa1y. ; a convertible term , synonym (%{-tA} f. %{-tva} n.) Pan5c. Sa1h. Pa1n2. Sch. ;
way , manner , method of proceeding (%{anena@pary-AyeNa} , in this manner) SaddhP. ;
probability MBh. ; (in rhet.) a partic. figure of speech Kpr. Sa1h. ;
(with Jainas) the regular development of a thing and the end of this d?evelopment Sarvad. ;
opportunity , occasion L. ; formation , creation L. ; point of contact L. ;
847神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 18:03:20 ID:k0fIHHg1
%{-krama} m. order of succession , regular rotation or turn MW. ;
%{-cyuta} mfn. one who has lost his turn , superseded , supplanted ib. ;
%{-pada-maJjarI} f. %{-muktA7valI} f. %{-ratna-mAlA} f. N. of wks. ;
%{-vacana} n. a convertible term , synonym Va1rtt. on Pa1n2. 1-1 , 68 ;
%{-vAkya} n. similar words Hariv. ; %{-vAcaka} mfn. expressing a corresponding notion ;
(with %{zabda}) m. a synonym MBh. ; %{-vRtti} f. alternate course or action MW. ;
%{-zabda} m. a synonym Tattvas. ; %{-zayana} n. alternate sleeping and watching W. ;
%{-zas} ind. by phrases or sentences A1s3vS3r. ; periodically Ka1t2h. Sus3r. ;
in succession , by turns MBh. ; %{-zastra} (!) n. pl. N. of wk. ;
%{-sU7kta} n. a hymn with regularly recurring phrases or sentences AV. Anukr. ;
%{-sevA} f. service by rotation Kum.: %{-yA7tman} m. the finite nature , finiteness Sarvad. [605,3] ;
%{-ya4nna} n. food intended for another Ya1jn5. ; %{-yA7rNava} m. `" ocean of synonyms "'N. of a lexicon ;
%{-yo7kta} n. (in rhet.) a partic. figure of speech (in which the fact to be intimated
is expressed by a turn of speech or periphrasis) Sa1h. ; %{-yo7kti} f. id. Va1m.

Macdonell
[ pari½a^ya ] m. revolution; expiration of a period; change of seasons;
periodic re turn; repetition; regular succession; turn; ritual turn with the Soma cups in the Atira^ tra feast;
period, sentence; stanza; alterna tive word, synonym: °ree;-or in. in order; alter nately,
-m, abs. going about; -krama, m. order of succession, regular rotation;
-tva, n. condition of being a ritual turn; -½anna, n. food meant for another.

Sanskrit Heritage Dictionary
pary?ya [par?-?ya] m. tour, re´volution, parcours; re´pe´tition, succession;
manie`re de proce´der | synonyme | jn. de´veloppement normal d'un phe´nome`ne du de´but a` sa fin.
848机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/01(金) 19:32:19 ID:t/YpMj0V
論理性とは、何らかの立脚地を想定せねば構築そのものの成立は不可であります。
逆に言うたら、論理性とは立脚地においてしか論理の整合性はない。
此岸と彼岸はこの立脚地であります。
あくまでも論理として成り立つものですから、
これを龍樹は仮設などと言うておるんですね。

しかしながらここには疑問がある。
覚者とは、この疑にいち早く気づく故に覚者である訳です。

>(男) 廻転, (周期の)満了; 季節の変化; 周期的な復帰; 反復; 規則的な連続; 変転; .....一巡
>総合文, 文章; 詩節; 言い換えのできる語, 同義語; .......

そうしますと、感性とかの範疇になりますね。
アンチ論理ですから。
哲学用語においては「直覚」などと言うたりします。
やはりそれなりの言語というもんは、あるのですね(*^。^*)
849神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 20:12:53 ID:k0fIHHg1
机さんのいうインド哲学って何?

いつもながら、妄想全開ですね。

あってるのは勝義は、言葉・論理にならない、それだけ。
850神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 21:17:14 ID:YjB46a4D
>846の(with Jainas)と付記してあるのがそれっぽいですね。
pary-Aya (with Jainas) the regular development of a thing and the end of this development

まあ、entity と見なすかどうか、仏教とは根本的に分かれるところでしょう。

ジャイナ教の論理を、法称ら仏教側から批判する文脈の中で、次のような興味深いことも記されています。
上の方で出てきた樹のたとえに関連して、それを思念のあるものと見なすかどうかについて
夜に葉を閉じる樹があることから、眠る樹もあると考えたようです。

Dharmakirti examines the Jain propositions with the following example :
(i) trees are sentient beings--cetanas tAravaH (pratijJA).
(ii) because they sleep (hetu).
He then refutes this theory stating that this instance is fallacious, since
sleep which is manifested by closing of the leaves at night is found only in some trees,
not in their totality. The same thing is explained in the Dharmottara-pradipa by Dharmottara.
851神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 00:47:22 ID:3dqCNxtV
>modes or paryayas of the entity

entityという用語はかなり微妙だな。正確な翻訳用語なの?
ブッダと思想的双生児といわれたマハーヴィラが、存在を実体視しているかは疑問だな。
実体視して分別思考で相互連関性を説くなら、まさしく弁証法の元祖だ。

誤解じゃねーのか?
852神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 07:17:36 ID:LBcLEqx1
ジャイナ教のいう「虚空」と、仏教のいう「空」は何か共通するものはあるのかなあ?
853机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/02(土) 11:57:56 ID:OBAllD8m
>>849
>机さんのいうインド哲学って何?

文章というのは、基本的に主語と述語また目的語などで構成されますが、
インド哲学というのは、それ以前の主語とはそもそも何なのか?
を先ず究明せんといかんのですよ。
だから、ギリシャ哲学的な感覚じゃ〜先ずもって論題提示さえできんのですね。
ですからあえてわたしは、インド哲学などと言うて、
その問題提起を促した訳なんですよ(*^。^*)

>いつもながら、妄想全開ですね。

一般的社会通念を妄想と捉えてしまうのが、むしろ覚者かと思いますね。
>しかしながらここには疑問がある。
>覚者とは、この疑にいち早く気づく故に覚者である訳です。>>848
というふうに、わたしは既に書き込みしておるんですから。
「疑」は当然あるわけです。
疑あるならば、むしろ妄想とは程遠くなるかと思います。
簡単にいうたら「アンチ妄想」じゃないでしょうか?

それよりも、>>848の「疑問」とは何でしょう?
禅では、この疑をもって見性に至るわけですが、
ここは禅に限らず「疑があって当然」ですね。

この疑こそが西洋哲学とインド哲学の違いです。
それなくば、いくら説明しようが解せるわけはない。

854神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 12:22:37 ID:LBcLEqx1
机さんのいうインド哲学ってこれだろ?
http://hhh.s4.dxbeat.com/tmp/img/73.jpg
855神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 14:00:07 ID:A0Gt4O4f
>>850
SDS ですね。中村先生も「様態」と訳してました。

やっぱジャイナには本質を追究してしまう所が残ってるんでしょうね。

植物に意志、心があるかは、もしかすると釈尊の方便説なのかもと思ってます。
というのは律に草木も踏みつぶしたり、汚してはいけないみたいなことがあるから、
草木も準生命的に見ていたのではないかと。
その上で、生き物と言ってしまうと生活できなくなるから、緩くしたのではないかと。

ところでその論文の著者は仏教についてはあまり知らないのではないでしょうか、
Dharmottara-pradipa は、Dharmottara ではなく Durvekamisra 著ですよね。

>>851
ジャイナは五つの実体をたてます。その一つが次の「虚空」です。

>>852
ジャイナ教のいう「虚空」と、仏教のいう「虚空」はほぼ同じです。
ソラを意味します。違いはジャイナ教の「虚空」は実体で、
仏教の「虚空」は基本的か仮設です。(部派仏教では実体と見る見解もあります)
なので空とは全く違う概念です。

>>853
哲学というなら、少なくとも言葉で指示できないといけませんね。
そういう意味で机さんの哲学は、哲学ではない。
言葉で表せないからといって、とにかく適当なことを思わせぶりに言ってるだけです。
そしてインド哲学というなら、少なくともインド起源の思想体系に基づかなければいけませんよね。
机さんは、それもしない適当に聞きかじった言葉を自分の思い込みに任せて
ムチャクチャにしゃべっているだけ、で、可笑しいと言われると、
それは言葉では表せないから、と言ってるだけ、これでは何にもならないでしょう。
856机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/02(土) 14:30:41 ID:OBAllD8m
>>855
わたしは>>848で論題を提示しておるわけですから、それに何らかしかの絡みがありませんと、
ただ独り言を板に書き込むわけにはいかんのです(*^。^*)



書いても意味は分からんだろぅし(^0_0^)
857神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 14:58:27 ID:A0Gt4O4f
>>856
だからインド思想の言葉に基づかない机さんの発言は、独り言でしょう。
それとも悟りに基づいてるというんですか?
だとしても、それは少なくともインド哲学ではありえない。

最低、原先生他の『インド思想史』ぐらい読んで、せめて半分ぐらい理解してから、
話してくださいよ。インド哲学って言うなら。

858机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/02(土) 16:07:31 ID:OBAllD8m
>>857
いかんですね(~o~)
わたしの論法が間違っていたなら、そこを指摘せんといかんですよ(~o~)
さすれは多少は手ごたえがある。ってもんですが^m^
なんせ、これでは絡みにもなりませんがな(笑
859神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 16:22:58 ID:A0Gt4O4f
つまり、インド哲学という言葉を餌にする釣り師だというわけですか?
釣れば、問答で悟りに導いてやろうという慈悲深いお方だと。
860机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/02(土) 16:33:10 ID:OBAllD8m
インド思想史を多少なりとも勉学なさった御仁なら既に分かるかと思いますが、
当該インドにおいては、宗教と哲学というのは殆ど同義であるわけです、
改めて「哲学」なる字句に拘ることもないですね。
日本的な思考形態において、あえて哲学の字句が相応しいかと、
かように思うた次第です(*^^)v

                  かしこ
861神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 16:53:27 ID:A0Gt4O4f
そうですか、いずれにしても机さん、ちょっとは読んでコンセンサスを得て話してください。
拘るな、表現できない、論理以前とか、そういう問題は、ここで扱えないので話すべきではありません。
862阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/06/02(土) 17:00:21 ID:qC9r5qeh
>All
>>1を参照のこと。

以上。
863机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/02(土) 17:47:26 ID:OBAllD8m
>>861
>論理以前とか、そういう問題は、ここで扱えないので話すべきではありません。

貴殿の目の前のpcが、存在しているか?していないか?の追求が
インド思想史であった訳です。
(というか、この命題は論理矛盾がある)
これが>>841
>一即多、多即一
ですね。

864神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 18:02:04 ID:A0Gt4O4f
>貴殿の目の前のpcが、存在しているか?していないか?の追求が
>インド思想史であった訳です。

これは何に基づいているのでしょう?
865机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/02(土) 18:31:09 ID:OBAllD8m
>>864
>これは何に基づいているのでしょう?

これは貴殿が前提とする論理の構築じゃないですか?^m^
>>861
>論理以前とか、そういう問題は、ここで扱えないので話すべきではありません。

というふうに書いておる訳ですから。

つまり、
>貴殿の目の前のpcが、存在しているか?していないか?の追求が
>インド思想史であった訳です。
これは世界観構築の思想史だったわけです。
アーリア人侵攻→バラモン教合併→釈尊→部派仏教→
という流れですね。

866草レーサー:2007/06/02(土) 18:41:52 ID:j7+FUWzZ
仏教側からすれば、正統インド哲学も外道であり、正統インド哲学
からすれば、順世派、仏教、ジャイナ教は異端説。
共に、外道はどこまでいっても外道であって、そこに真理としての
価値など一辺も認め合うことはないみたいですね。

しかし仏教思想などを理解しようとして、いろいろと調べ出して見
ると仏教以外のインド思想と複雑に絡み合っているし、それぞれが
使えそうな考え方をパクり合って展開してきた実態がある。
867神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 20:12:00 ID:A0Gt4O4f
>>865
私が言いたいのは、どんな資料に基づいて机さんが

>貴殿の目の前のpcが、存在しているか?していないか?の追求が
>インド思想史であった訳です。

と断定できるのかということです。
868神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 20:32:10 ID:+QI5WObI
>>852
基本的な語のイメージの違いは以下のようなものです。
空(シューニヤ)は「膨らんだもの。中空のもの」というような意味で、好ましくないもの、という語感がある。
虚空(アーカーシャ)は「見えるものの埒外。見えないもの」という意味かな。

>>855に書かれているように、「空」と「虚空」とは違う言葉ですね。

なお、スッタニパータ1119の「世界は空である、と見よ(suJJato lokam avekkhassu)」の解釈としては、
相応部の空世間経で「アーナンダよ、実に、アートマンがなくアートマンのものがないから、世界は空である、
と言われる(yasmA ca kho Ananda, suJJaM attena vA attaniyena vA tasmA suJJo lokoti vuccati.
)」
(属格に結び付く -zUnya に関しては、辻文法〜格の用法〜属格の項目を参照)
と説かれるように、世界にはアートマンやアートマンのものがない、つまり無我・無我所、という点で
世界は空である、と見ていることに留意しておいた方がよいと思います。
869神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 20:37:34 ID:Tt9sTZIV
具格
870机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/02(土) 21:15:00 ID:OBAllD8m
>>867
>貴殿の目の前のpcが、存在しているか?していないか?の追求が
>インド思想史であった訳です。

世界観は宗教・哲学の基本になります。
存在論・認識論はその方法です。
この世界観構築に関して、西洋哲学とインド哲学の違いについて考察なされてはいかがでしょうか?
あくまでも過程の問題です。

結果的には、一即多・多即一 な世界観がインドの特徴です。
ではお休み。

871神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 23:53:44 ID:A0Gt4O4f
>>870
いつもながら話になりませんね。
872机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/03(日) 06:51:32 ID:1U4q+nC4
>>866
>共に、外道はどこまでいっても外道であって、そこに真理としての
>価値など一辺も認め合うことはないみたいですね。

前に誰かが書き込みしていたように、釈尊在世当時は弁証法的な宗教闘争はあったかと思いますね。
それが外道に繋がっておるようです。

>しかし仏教思想などを理解しようとして、いろいろと調べ出して見
>ると仏教以外のインド思想と複雑に絡み合っているし、それぞれが
>使えそうな考え方をパクり合って展開してきた実態がある。

思想というのは、本来そういうものかと思いますね。
マルクスにしても、古代ギリシャ哲学のパクリですから。

茶道も、もともとは陰陽思想がその発端なんです(~o~)
利休において上手く禅思想と絡めまして一躍発展させました。
ジャイナ教の相対主義と類似点がありまして、
ただ単に捉え方の違いやにおもいます。
色即是空の「色」は相対ですから。
相対にして空なり。→色即是空



873神も仏も名無しさん:2007/06/03(日) 12:00:38 ID:m95KRYK0
日本人なら、次の言葉が、ピッタリとフィットして、もうこれで尽きているんじゃないの?

「諸仏如来ともに妙法を単伝(たんでん)して阿耨菩提(あのくぼだい)を証するに、
 最上無為(むい)の妙術あり。
 これただほとけ、ほとけにさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧その標準なり。
 この三昧に遊化するに、端坐参禅(たんざさんぜん)を正門(しょうもん)とせり。」(道元禅師『正法眼蔵弁道話』)

 あとは観念世界で遊んで、哲学とやらを無意味に勝手に楽しんでくらはい。

874神も仏も名無しさん:2007/06/03(日) 12:09:40 ID:m95KRYK0
菩提心もなく、端坐参禅もせず、あーだのこーだのけなしあって、

実践的な自受用三昧の境地からはほど遠い。これがテツガク、ガクモン、観念アソビ。
875机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/03(日) 13:09:44 ID:1U4q+nC4
>端坐参禅(たんざさんぜん)を正門(しょうもん)とせり。

道元の中興の祖というのは慧能になるわけですが、
この慧能(六祖壇経)によると「参禅」も違ったニュアンスになる。→頓修
この特徴が端的に表れたのが場祖でして、
ここを頂点としまして、時代とともに頓修も形骸化して逝ったことと思いますね。
これにはいろんな理由がある。
サンガが多数になれば戒律が必要になるが如し、
修道場がマンモス化すれば、それなりのマニュアルを導入せざるを得ない。
とかの、これは組織論にまでテーマは拡大しますが(^^ゞ
その弊害というのは避けては通れない。

今の一流企業といわれる、戦後に急激に発展した誰でも知っている某メーカー(複数)は
これで悩んでいる。
数年前までが頂点で、今は内部から崩壊が始まっている。
ここからの脱却は、この原因を探るより手立てはない。
しかし、これほど至難なことはないのが現実。


876神も仏も名無しさん:2007/06/03(日) 14:11:50 ID:m95KRYK0
なら、とかくメダカのように群れなくとも、
犀の角の如き「独り仏教」でブッダの教えを実践するスタイルでええやん。
http://buddhism.fc2web.com/
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1158705451/
こんな便利なもんもあるし
http://www.chuogakken.org/seitenHP/index.htm
877机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/03(日) 16:12:40 ID:1U4q+nC4
>なら、とかくメダカのように群れなくとも

人は生きる為にどうしても社会的な接点は必要としても、
その休息の間具合として、住居に庭を配置して、つかの間の自分の時間を楽しんだ。
のが伝統的な日本文化でした。
今の新興住居というのは庭はないですね。
たかだか50坪くらいの土地では庭の造成は無理ですが。

昔、京都では間口の面積で税金額を決めたらしくて、間口3間くらいの商家などは普通にあったらしい。
そんな狭い土地でも、庭園を楽しむ。という文化はあったのですね。
立派な日本庭園はできます。
坪庭などもすばらしいですよ(^_^)

こんな生活ならば、あえて群れることなく、ライフスタイル楽しむ余裕というのが出来ますね。
ちなみに、
>>875の「場祖」は間違いでして、正確には「馬祖」ですね^_^;
878神も仏も名無しさん:2007/06/03(日) 16:42:45 ID:fq6o6SRI
すいません、ここらへんに阿呆陀羅尼って方おられませんか?

他、ちっとご存知でしたら、教えていただきたいんですけど
ヨガでは、サマディに入ったら、呼吸停止とか心拍停止するって
データがあるんですが
(インドヨギなどは、それを証明していますが)
釈迦の経典に、釈迦がサマディに入った際
呼吸停止するとか、そのような話がありますでしょうか??

もしご存知でしたら、、
879草レーサー:2007/06/03(日) 17:42:42 ID:q12feFO5
私はマンション住まいなので庭などはないけど。
しかしながらクルマという便利な道具があるお陰で人気の
ない海や山にも(深夜なら)すぐ行けますね。
広大な自然に包まれて一人静かに沈思するのは楽しい。
だ〜れもいない夜の海や山は、少しコワイ時もあるけど。
でもそのコワサにはなんとなく惹かれるものがある。
880神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 22:14:14 ID:z2JOhZ87
あまり深くはないけど、二諦説について、ジャイナ教との関連も多少書いてありました。
Chapter V の、下に引用したあたり。

The Suttanipata indicates that the Sammutisacca 世俗諦 was accepted
as a common theory of Recluses 沙門 and the Brahmanas 婆羅門,63
and the Paramatthasacca 勝義諦 was treated as the highest goal.64

63. Ns., 897, 904, 911. cf. Milinda Panha, 160.
64. Sn. 68, 219.
881神も仏も名無しさん:2007/06/05(火) 22:35:35 ID:aD/0VqPK
悪魔「だれがこの個体(=個人存在)を作ったのですか?…
 この個体はどこから生じ、…どこで滅びるのですか?」(⇔来るところ無く、去るところ無し)

セーラー尼「この個体は自分の作ったものではない。…他人の作ったものではない。(⇔自作・他作)
 原因に依って生じ、原因が滅びたならば〔個体も〕滅びる。(⇒縁起)
 …〔五つの〕生存構成要素と、〔六つの〕要素と、これらの〔六つの〕認識領域は、(⇒一切)
 原因に依って生じ、原因が滅びたならば滅びるのである。」(『悪魔との対話』5‐9)
882神も仏も名無しさん:2007/06/06(水) 00:37:45 ID:Z0r13m6d

    /⌒⌒⌒⌒\      わては天下無敵の阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ   
   (  人____)   
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6 ∵∵  (_ _) )  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  _| ∴ ノ  3 ノ < 東山安井でいつも職質を受けてしまうねん。
 (__/\_____ノ    | なんも悪さなんかしてへんのに・・・。
 / (__)) § △§)   \_なじみのホテヘルに逝くだけやん______
[]_ |  |   [ (◎] ヽ  
|[] |  |______) 
 \_(___)三三三[□]三) 
  /(_)\:::::::::::::::::::::::/  
 |生八ッ橋|::::::::/:::::::/   
 (_____);;;;;/;;;;;;;/    
     (___|)_|)   
883机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/07(木) 13:53:57 ID:/jm8Qo4f
戦艦大和・武蔵の主砲は46cmで世界最大級とされている。
この世界最大級というのは、実は訳がある。
当時ワシントン条約では、主砲は16インチ(約40cm)に制限されていて、
各国の海軍はこの条約のもとに制限の16インチの艦船しか造っておらんかった。

旧帝国海軍の三連砲・三砲塔、九問の砲は伝統的なスタイルであり、
砲にはかなり思い入れがありまして、国際条約に違反し46cm主砲を搭載したのです。
わずか6cmの違いでありますが、
実はこの違いが後の戦艦の運命を決定つけることになる。
(以外にこういうことは歴史的に知らんもんも多いかな?^_^;)

武蔵は、フイリピン沿岸で敵機襲来を受け、主砲斉射をするのでありますが、
この衝撃の激しさに方位盤(照準器)破壊を招くのであります。
(つまり自滅)
このことにより主力砲は使い物にならず、機銃で応射せざるを得ないという状況に追い込まれ、
ついに武蔵は沈没するのであります。

年金情報のマイクロフィルム漏れの事件が世間を騒がせておりますが、
もしやそのルーツは、日本の敗戦まで遡らねばならんでしょうね。
という訳で、
わたしは昭和史を今、再度検証しとるんですわ(*^_^*)

884神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 19:40:21 ID:tvdoW6+0
世界がもし100人の人口だったら

33人がキリスト教,19人がイスラム教、13人がヒンドゥー教,6人が仏教を信じています。
5人は,木や石など,すべての自然に霊魂があると信じています。
24人は,ほかのさまざまな宗教を信じているかあるいはなにも信じていません。

さて、仏教6人のうち、原始仏教を奉ずる人は・・・
「原始」の定義が難しい。
885草レーサー:2007/06/07(木) 20:41:55 ID:994XZdRB
じゃー、ジャイナ教徒は一人くらいかな。

だけど原始に限らずとも、仏教の定義も難しい。
仏教がブッダの教えにしても、ブッダになる教えにしても。

誰もが認める「ブッダ」の定義が果たして立つのだろうか。

昔も、外道の修行者達から「何故、修行者ゴータマだけが
ブッダなのだ。我々もまたブッダなのだ」というような不平
を仏教は受けたとかなんとか。
886机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/08(金) 08:30:52 ID:Nj/S/9/O
>>884
>さて、仏教6人のうち、原始仏教を奉ずる人は・・・

「仏教を奉ずる」とか「仏教を信じる」とか、
私は以前から違和感がありました。
どうも仏教徒というのは、突き詰めるとこういった概念が消失するんじゃないか?
「奉ずる」とか「信じる」とかの対象もありませんし。

では何故に仏教に魅力を感じるのか?
それは究極までの自己洞察かと思いますね。
そうそう、孫子の兵法に
「己を知り敵を知らば危うからず」。というのがありますが、
これは兵法に限らず、万法の極意なり。







887神も仏も名無しさん:2007/06/08(金) 21:12:58 ID:DqfKQ9Ab
"Jainism in Buddhist Literature" の Chapter V の "Sanjaya Belatthiputta" のあたりから
四句分別やジャイナ教のスヤード・ヴァーダなどについて結構詳しく書かれています。ところで、

> The Pali Canon considers Anekantavada or Syadvada a combination of both Uccedavada and Sassatavada.

このように、パーリ仏典ではジャイナ教の相対説が常見と断見の合成と見られていたようです。
単に、ジャイナ教のジーヴァ説は常見だ、としていただけではないようです。

そこで常見と断見の原意を探る一環として、「相応部 12.17」の原文から訳読してみました。

"so karoti, so paTisaMvediyatI" 'ti, kho kassapa,
"Adito sato*, sayaM-kataM dukkhan" ti.
iti-vadaM sassataM etaM pareti.

 「彼が行い、(その)彼が(その行いの報いを)受ける」というのは、実にカッサパよ、
 「(世の)始まりから存在している者にとって、苦しみは自分で作ったものである」ということになる。
 この(後の)ように語る常住の〔論〕に、それ(=前文のカッサパの質問)は至ってしまう。
   *sato < asの現在分詞・属格(〜にとって)

"aJJo karoti, aJJo paTisaMvediyatI" 'ti, kho kassapa,
"vedanAhi-tunnassa sato, paraM-kataM dukkhan" ti.
iti-vadaM ucchedaM etaM pareti.

 「他の者が行い、(それとは別の)他の者が受ける」というのは、実にカッサパよ、
 「感受に急き立てられた存在者にとって、苦しみは他者の作ったものである」ということになる。
 このように語る断絶の〔論〕に、それは至ってしまう。

なお、これらに対して仏教では、「苦しみは縁によって生じたものである」と見、また、それらは
接触によって起こる、とされます。(相応部 12.24 など)
888神も仏も名無しさん:2007/06/08(金) 21:31:45 ID:UO9WODEb
>>886
なかなかイイこと言いますね。そのとおりだと思いますww
889神も仏も名無しさん:2007/06/08(金) 23:42:32 ID:KsS2kn1h

       |``i‐'''''"" |     .|
       |  | (◎ .! ____ |
       |  |  lj  .!ハ((.__\      仏道の基本は
       |  |    .||l._  _ l彡|   便所掃除なり 
       |  |   _,,,|.l ・〉. ・` .V^)  肛門もきれいにしよう  
       ``‐‐'i''i"  | (_,ヽ * i.J   ___  やっぱ、ウォッシュレットが
             .| |   ヽ`ニニ´ |   /\__\   ええわ
           ヽヽ   ┬ '  ヽ  \/(◎)
              ,r''',ニ二/´ ̄    l     `´
     _,,,,--/ /_,、 / .、     i
_,,,,--'''''    {  {_二ノ.ヽ     i \
          \ .{  `‐〉     }、  \
             . | .`r.、__   ノ_ ノ l、  .\
             <`|  |\`¨    \-'    .\
               \_).\ヽ、    ))
                      `-.ニ-‐''
       ∧∧
       (д`* )  
       (⊃⌒*⌒⊂)
        /__ノωヽ__)

890机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/09(土) 10:51:16 ID:JbA/T5kq
資本家が拡大再生産(資本の備蓄)に伴い、その一極(相対)においては多くの賃金労働者も増えて逝くことになりますが、
増える段階において、増えたぶんの労働者は過剰人員的な位置づけとなる。
つまり余剰人員的な・・・今でいう派遣労働者的な意味なんですね。
ここにおいて労働者間の格差が拡大する。→資本主義の発展する段階において
と、かように予測している。→資本論より

マルクスが資本論を執筆したのが1860年代ですから、
その後100年経過した1960年代というのは、この「労働者間格差」というのは、
どうも理解しがたいもんだったのです。
いろいろ議論はしましても、実際にそういうことは想像すらできない。

それから時代を経て2000年を経過した頃になってから、これがリアルな社会問題になってきて・・・
そういえば資本論の意味とはこういうことだったのか?
とか、
今なら分析することも可となりました。
マルクスの唯物史観というのは、労働者が想像する以上にもっとスパンの長いもんだったのかもしれません。

なんにしても、悠久の時代を経て、ようやく評価されるものなんて幾らでもある訳です。
891一休猫 :2007/06/10(日) 12:37:39 ID:Xe8jd/Kw
∧_∧ <おいらの肛門は美しい
 (´・ω・) <よのなかはくふて糞してねて起きてさてその後は死ぬるばかりよ
.c(,_uuノ 
      <森女を 死に伴(とむ)ない 死に伴(とむ)ない
          木は稠(しば)み葉落ちて更に春を回す
          緑長じ花生じて旧約新たなり
          森也が深恩もし忘却せば
          無量億劫畜生の身   
   これ「婆子焼庵」公案へのわが一休猫の実践回答ニャンDR
892机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/10(日) 13:27:48 ID:jht/aL7Y
>森也が深恩もし忘却せば
>無量億劫畜生の身

というふうに書いておる訳ですから、
婆子焼庵の「女の色香」とは全く番うかと思いますね。
日本語に「情交」とかいう言い方がありますが、
最近はこういう言語は死後?になってしまったのか?

ニュアンスとしては、一休と森女の関係は、この情交的なもんじゃなかったかと推測しております。
情交といっても、その捉え方は各人違うかと思いますが・・・
盲目というハンディーキャップゆえの、精神的な繋がりというのは常人以上のものがあったかと思います。


 
893一休猫 :2007/06/11(月) 07:00:32 ID:hpqcXox6
>>892
「婆子焼庵」公案への一休の時熟のときの直接回答は、

老婆心 賊の為に梯(かけはし)を過して
清浄の沙門に女妻を与ふ
今夜美人 若し我れを約せば
枯楊(こよう)春老いて 更に稊(ひこばえ)を生ぜん

心身脱落を経た(アフター)者の入廛垂手の境地か。
心身脱落を経ない(ビフォア)者には許されないだろう。
釈尊や臨在禅師からは形式的には否定されるだろう。

しかし、全てを超越して自然(じねん)に生きることこそ悟道だと悟れば、
無理強いの不自然な禁欲は(世俗的には)偽善だろう。
 それにしても、暖かく艶やかで美しい。

一休と良寛は、性格上スタイルは異なっても、同じ境涯にあったと思える。


894机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/11(月) 07:35:30 ID:FjiHfo47
>今夜美人 若し我れを約せば
>枯楊(こよう)春老いて 更に稊(ひこばえ)を生ぜん

中国4000年の歴史においての、若返りの秘術とはこのことだったのか?( ..)φメモメモ
ということもないとおもうけどw
一休の無為の心境が如実に表れておりますね(^_^)

>釈尊や臨在禅師からは形式的には否定されるだろう。

「婆子焼庵」といえば、先ず想起するのは白隠と弟子の公案ですね。
弟子が「私だったら女を抱く」というたら、
即刻、白隠は弟子を破門にした。この経緯
(盤珪だったら、先ず弟子を破門することはない)
私が白隠をどうも好きになれんのが、この事案なんです^_^;
白隠は了見の狭い人物だったんじゃ〜ないか?
白隠の弟子は2名も自死してるらしいし。
「難蘇の法」というよりも、白隠自身が既に問題なのかと思いますね。

>それにしても、暖かく艶やかで美しい。

なかなかイイこと書きますね。そのとおりかと思います。
「艶やか」
う〜〜ん、粋ですね(*^_^*)

ちなみに>>892訂正
×番う
〇違う

895893:2007/06/11(月) 10:02:55 ID:hpqcXox6
× 臨在禅師
〇 臨済禅師 大きな間違いですんません
896机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/11(月) 12:55:30 ID:FjiHfo47
>>895
>大きな間違いですんません

いやいや、そういうことは私は既に分かっております。
変換ミスのことですね(*^^)v

私も時々変換ミスはします(*^^)v
897神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 16:55:46 ID:a/lIXZUu
一休は野狐だろ。
898神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 21:30:39 ID:YrW+MBd9
仏教社会に順応するのが正しいと?
899自立:2007/06/16(土) 00:27:36 ID:ovxah5gj
>>897
> 一休は野狐だろ。

(爆)
山の頂上で、思わず、叫びます

やっこ〜〜〜

そりゃ、ヤッホー
900神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 10:42:31 ID:V5vBlO97
アートマン(真我)を求めて「自己」を徹底して調えて、心身脱落すれば、
アートマンも空なるものだというパラドックス。
アートマンは業法輪廻とおなじく、サンスカーラによる妄想にしか過ぎない。

「臨在録」における“無事”の問題。
901神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 10:44:22 ID:V5vBlO97
× 臨在
〇 臨済
902神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 14:18:48 ID:hRg8YAOA
パーリ文からの和訳『ミリンダ王の問い 1』p.26に
「出世間の空性に関する甚深のアビダンマ説」という言葉が出てきます。
  空性(パーリ語でスンニャター、空なること)
もっとも、2種類の漢訳『那先比丘経』とは対応していないようですが。

なお、これに続く、
> 婦人の信者に「すべて生起した存在は、いかなるものでも消滅する存在である」という、離塵・離垢の真理の眼が生じた。
というのは、いわゆる「遠塵離垢の法眼」というもので、『初転法輪経』やサーリプッタの
アッサジ比丘との出会いの場面でも出てきます。

サーリプッタの場合、縁起法頌との関連で出てくるので、
この生法(サムダヤ・ダンマ)・滅法(ニローダ・ダンマ)の「滅」も、本来、
いわゆる「縁起の還滅門」として、渇愛・執著などの滅・制御として理解すべきなのでしょう。
903神も仏も名無しさん:2007/06/17(日) 17:24:53 ID:5vsynAhJ
何も考えずに木下で座禅しなさい。
904神も仏も名無しさん:2007/06/17(日) 17:34:14 ID:5vsynAhJ
俺が「遍覚」になった原因は、衆生救済なとど言いながら原文のハッキリしない経典を勝手に解釈
しては論争している僧達に矛盾を感じて、もっと身近な人々達の手助けをするほうがよほど良いと思い行動しています。
皆さんの問答は、衆生救済に貢献していますか。
905神も仏も名無しさん:2007/06/17(日) 21:49:40 ID:vhq9X3A/
>>903
それで悟れる人は、機根が高く自然に止ができる人で、かつ、アートマンなどの常見に陥らない類稀な人でしょう。

普通は、考えるなといっても妄想が止まらないでしょう。

>>904
もちろん、人助けは素晴らしいことですが、本来、救済は解脱以外にないでしょう。
その意味で、貴方様が解脱へと導いておられるのでしたら、ただただ随喜するのみです。
906草レーサー:2007/06/17(日) 22:02:43 ID:3M9pz38S
まあ、自分も衆生ですからねえ。

アートマンは妄想に過ぎないというのも、妄想になりますね。
しかし、リアルなことは妄想ではない。
仏教も、目の当たりに体得される理法を知るべしと教える。
907神も仏も名無しさん:2007/06/17(日) 22:27:49 ID:vhq9X3A/
リアルとは、何ですか?

908神も仏も名無しさん:2007/06/17(日) 22:33:19 ID:B33dAHgV
井上雄彦の漫画。
909神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 18:16:20 ID:YUjkO+KL
910神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 18:49:43 ID:cvuTMWrZ
>>899
さ・・・寒い・・・
ダジャレが面白く思えるお年頃の方でしょうか・・・
911自立:2007/06/18(月) 19:08:42 ID:ZGXh6F/k
>>910
(@Д@; アセアセ・・・(笑)

『 りんごの色は、何色 ? 』

真の暗闇で見たりんごは、何色に見えますでしょうか ?

みかんの色は何色 ?

真の暗闇で見たみかんは、何色に見えますでしょうか ?
見えません。

存在するのかどうかすら、分かりません。
在るのに、無い。

りんごも、みかんも、無い。
りんごという存在もなく、みかんという存在もない。
ただ、真の闇がある。

まあ、空気があると言えば、いいですかねー

すべての存在が、一つの色に、見える世界。
そこを、空(くう)、と言います。

そこに、灯を点します(ひをともします)。
瞬時に、りんごやみかんが、見えます。
そこが、また、色です。

色から入り、
存在の本質は、空であると受け取り、また、色に立ち戻る。

宇宙の成り立ちです。
912草レーサー:2007/06/18(月) 20:10:14 ID:KKG8uLrP
>>907
それは、自分に問わなければわからないでしょう。
913神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 21:50:53 ID:GjHkkPhn
>>911
おみそれしました。
親父ギャグを披露したかったってだけでは無かったんですね。
空と色で宇宙が出来てるという結論は何となく肝心なものが抜けてると思いましたが、概ね自分の胸を打つものでした。
やばい宗教の教義も先人の言葉を借りてるせいか同じように胸を打つのであなたを信用する根拠にはなりませんが、
あなたのように専門用語は交えず、自分みたいな門外漢にも分かりやすい言葉で言ってもらえるとありがたいです。
釈迦はそうしていたって聞きました。

しかし親父ギャグのことは否定しませんでした。
やはりオヤジさまですか?(推定63)
914自立:2007/06/18(月) 22:23:22 ID:ZGXh6F/k
>>913
(推定63)・・・(◎−◎;)ドキッ!!
915神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 22:41:42 ID:9aRYVbcl
>>912
貴方は、何が言いたいのでしょうか?
916神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 23:22:57 ID:x6NXImP1
NHK第二ラジオの番組「宗教の時間」で、四月から毎月一回、
片山一良氏のダンマパダの話を放送しています。テキストが発行されています。
917草レーサー:2007/06/19(火) 23:00:18 ID:18SydUXp
夜明前の海辺などで、ぼーっと辺りを眺めていると、>>911
書かれているような光景が、目の当たりに体感できますね。
夜が明けるにつれて、次第に世界がその輪郭を現してくる。
これは実に壮観で、しかもリアルな光景です。
918神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 07:36:11 ID:nidDMlIH
ニフティ時代からトラブルを起こし続ける電波男(ヒロヘロ、バスタ)は、
2ちゃんでは宗教板で活躍する。しかし宗教板でも本来の無能ぶりが露呈し、
オカ板へ来て弱い者いじめをして憂さ晴らししていた。

ところがオカ板でも馬脚を現し、逆に集中砲火をうけボロクソにやられる。
特にリベリオンに落とされた時の逆上ぶり、罵倒ストーム、法律少女自演が絶品である。
形勢不利になった電波男に、サルと裁判中の革命王が絡んだのを幸いに、
敵の敵は味方、且つ援助するという大義名分を得た電波男は、
「サルさんを命がけで守る」といって革命王を堂々と罵倒して復讐する。

そこに主婦という第三者がかかわり、電波男 はサルと主婦の間で揺れ、
女自演者とバスタ名の書き込みのID一致というお笑いのピークを実現。
だれもがここで恥じて引退すると思いきや、どっこい、電波男 は只者ではなかった。
無線LANただ乗りという無謀な笑える言い訳と共に復帰するも、
サルが電波男のいい加減さに耐えきれなくなったのか、決別宣言し、
現実でも電波男が卑しいことが発覚する。

大義名分も失い完全な笑いものになった電波男は、無謀にもまとめサイトを作り
このスレを立て名誉回復を図るも、リベちゃん自演と思い込み、IP を抜こうとして
逆にフシアナに引っ掛かかり自分のIPをさらした。それをリベちゃんに偽装するも、
見抜かれ質問にはとぼけるも、みんなには笑われる。

サルとは敵対関係になったものの主婦は何故か電波男を擁護していたが、
サルとのエロメッセを自分に都合よく編集して無断で公開した電波男は、主婦とも対立してしまう。
エロメッセ全貌提出を盾に攻撃するサル・主婦連合の攻撃に加え、
自慢の種だった論理への無知をさらして取り敢えず遁走だったが、昨日、
エロメッセの全貌が晒され、その醜い行為が明らかにされた。これがそれである。
919神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 07:37:41 ID:nidDMlIH
280 主婦だが何か ◆hWMIh2BzVw  [sage] Date:2007/06/20(水) 00:43:32  ID:??? Be:
    2005/11/09 12:29:18 サル よろしくお願いします
    2005/11/09 12:29:49 バス それじゃご飯
    2005/11/09 12:29:52 サル 石本氏から近々メールが来ると思いますのでそちらもよろしくお願いします
    2005/11/09 12:30:02 サル ああ、ご飯時間ですね
    2005/11/09 12:30:09 サル ではではまたまたよろしくお願いします
    2005/11/09 12:30:14 バス わかりました<弁護士メール
    2005/11/09 12:30:21 サル ではいってらっしゃい
    2005/11/09 12:30:28 サル じゃね?????????
    2005/11/09 12:30:43 バス 東京いったときには抱きしめるよ
    2005/11/09 12:30:52 サル 会って下さいね会いたいから
    2005/11/09 12:30:59 バス うん
    2005/11/09 12:31:01 サル 会いたい!
    2005/11/09 12:31:04 サル 恥ずかしいけど
    2005/11/09 12:31:16 バス 愛してるよ
    2005/11/09 12:31:18 バス じゃね。
    2005/11/09 12:31:25 サル 私も大好きですよーーー
    2005/11/09 12:31:31 サル スキー
    2005/11/09 12:31:39 サル 照れくさいので消えます
    2005/11/09 12:31:43 サル じゃねーーー

920神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 07:38:21 ID:nidDMlIH
127 主婦だが何か ◆hWMIh2BzVw  [sage] Date:2007/06/20(水) 00:47:33  ID:R4GCAsTY Be:
    本番入りまーす ここからですw

    2005/11/09 12:32:10 バス 愛し合ったら照れくささは消える?
    2005/11/09 12:32:22 サル 消えるかも
    2005/11/09 12:32:31 サル 嫌われないとわかったら
    2005/11/09 12:32:32 バス じゃ、愛し合おう
    2005/11/09 12:32:38 サル 会うまでは不安
    2005/11/09 12:32:45 サル 会って嫌われたらどうしようと
    2005/11/09 12:32:55 サル 私はそうなの
    2005/11/09 12:32:59 バス 絶対に嫌わない。
    2005/11/09 12:33:07 サル わかんないよ・・・
    2005/11/09 12:33:15 サル 会ったら好みじゃなかったとか
    2005/11/09 12:33:25 サル 予想より下だったとか
    2005/11/09 12:33:27 バス これだけお話ししてるのに?
    2005/11/09 12:33:35 サル 外見がだよ
    2005/11/09 12:33:42 サル 見た目が
    2005/11/09 12:33:57 サル 私は自信がないの
    2005/11/09 12:34:00 バス そんなに自信がないの?
    2005/11/09 12:34:05 サル だから嫌わないでね
    2005/11/09 12:34:16 バス 絶対に嫌わないよ。
921神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 07:46:24 ID:nidDMlIH
     128 主婦だが何か ◆hWMIh2BzVw  [sage] Date:2007/06/20(水) 00:49:32  ID:R4GCAsTY Be:
        2005/11/09 12:34:24 サル 約束ね??
        2005/11/09 12:34:29 バス 今すぐにでも愛し合いたいよ。
        2005/11/09 12:34:31 サル 怖くないよー
        2005/11/09 12:34:34 バス 怖い?
        2005/11/09 12:34:44 サル ほら、怖いっていってたじゃん
        2005/11/09 12:34:50 サル 約束っていったらw
        2005/11/09 12:35:02 バス 愛し合うことが怖い?
        2005/11/09 12:35:04 サル なんだか怖いなあってさw
        2005/11/09 12:35:18 サル 私が怖いんだって>伊藤さん
        2005/11/09 12:35:27 サル ははっは
        2005/11/09 12:35:37 サル 怖くないよ>私
        2005/11/09 12:35:50 サル だいじょうぶだよ
        2005/11/09 12:35:59 バス ボクとエッチすることだよ
        2005/11/09 12:36:09 サル ドキドキ
        2005/11/09 12:36:17 サル ドキドキするね
        2005/11/09 12:36:30 サル 想像すると
        2005/11/09 12:36:32 バス 今すぐにでもくにちゃんを犯したい衝動がある。
        2005/11/09 12:36:44 サル う・・・・・
        2005/11/09 12:36:56 サル 妄想してしまう
        2005/11/09 12:37:01 サル また夢に見そう
        2005/11/09 12:37:06 バス 愛してる
        2005/11/09 12:37:10 サル 刺激強すぎ
        2005/11/09 12:37:17 サル 私純情なんだからーーー
        2005/11/09 12:37:25 サル ドキドキして落ちます
        2005/11/09 12:37:29 サル ドキドキ

922神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 07:47:24 ID:nidDMlIH
     129 主婦だが何か ◆hWMIh2BzVw  [sage] Date:2007/06/20(水) 00:50:29  ID:R4GCAsTY Be:
        2005/11/09 12:37:34 バス 強く抱きしめて
        2005/11/09 12:37:44 サル 抱きしめられるのす気
        2005/11/09 12:37:48 サル 好き
        2005/11/09 12:37:49 バス 首筋を愛撫して
        2005/11/09 12:37:57 サル ドキドキ
        2005/11/09 12:38:20 サル このメッセやばい・・・・
        2005/11/09 12:38:23 バス 胸をわしづかみして
        2005/11/09 12:38:28 バス 犯したい
        2005/11/09 12:38:31 サル うわ・・
        2005/11/09 12:38:41 サル ドキドキどき
        2005/11/09 12:38:53 バス 思いっきり突き上げて、、、
        2005/11/09 12:38:53 サル 私なんて私なんて私なんて
        2005/11/09 12:39:04 バス くにちゃんの中で果てたい。
        2005/11/09 12:39:11 サル きゃやあああそんなこと言われたの初めて
        2005/11/09 12:39:30 サル うわああ
        2005/11/09 12:39:31 バス そして、背中中愛撫して
        2005/11/09 12:39:39 サル うん
        2005/11/09 12:39:55 バス 今度は後ろから
        2005/11/09 12:40:08 サル 想像してします
        2005/11/09 12:40:20 サル 想像しちゃう
        2005/11/09 12:40:31 バス 早くあって、愛し合いたい
        2005/11/09 12:40:31 サル 夢に見るなきっと

923神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 07:48:20 ID:nidDMlIH
     130 主婦だが何か ◆hWMIh2BzVw  [sage] Date:2007/06/20(水) 00:53:22  ID:R4GCAsTY Be:
        2005/11/09 12:40:56 バス 激しいエッチは最近無いの?
        2005/11/09 12:41:04 サル ないよ・・
        2005/11/09 12:41:14 サル 旦那はあれだから
        2005/11/09 12:41:21 バス 何年も?
        2005/11/09 12:41:33 サル もう2年以上ないよ
        2005/11/09 12:41:41 サル 薬飲んでいるから
        2005/11/09 12:41:47 バス じゃ、くにちゃんは浮気もせず?
        2005/11/09 12:41:48 サル 副作用があるから
        2005/11/09 12:41:54 サル 相手いないもの
        2005/11/09 12:42:27 バス じゃ、絶対にエッチしよう
        2005/11/09 12:42:28 サル 相手いないよ
        2005/11/09 12:42:43 サル もーーーーーーそんなことばっかりいって(wa
        2005/11/09 12:42:50 サル 今日はエッチだね
        2005/11/09 12:43:02 バス うん。少しエッチ
        2005/11/09 12:43:11 サル もしかして
        2005/11/09 12:43:15 サル もしかすると?
        2005/11/09 12:43:25 サル あっちがあれですね
        2005/11/09 12:43:29 バス ん?
        2005/11/09 12:43:29 サル つまり
        2005/11/09 12:43:35 サル 立ってる?
        2005/11/09 12:43:41 サル あはは
        2005/11/09 12:43:42 バス たってるよ
        2005/11/09 12:43:47 サル あたり!
        2005/11/09 12:43:50 バス くにちゃんを犯したくて
        2005/11/09 12:43:59 サル ドキドキ

924神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 07:55:01 ID:nidDMlIH
131 主婦だが何か ◆hWMIh2BzVw  [sage] Date:2007/06/20(水) 00:54:15  ID:R4GCAsTY Be:
    2005/11/09 12:44:05 バス 握ってくれる?
    2005/11/09 12:44:10 サル 顔が赤くなってきた
    2005/11/09 12:44:21 サル いいよ、私うまいんだ
    2005/11/09 12:44:30 サル 口の方
    2005/11/09 12:44:34 バス ほんと?うれしいな
    2005/11/09 12:44:43 サル うまいみたいよ
    2005/11/09 12:44:51 サル 嫌いじゃないし
    2005/11/09 12:44:59 サル 何をいわせるんだーーp??!!!!!
    2005/11/09 12:45:01 バス じゃ、逆は?
    2005/11/09 12:45:10 サル 逆は好きじゃないの
    2005/11/09 12:45:19 サル あんまし
    2005/11/09 12:45:26 サル するのは好きだけど
925神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 07:55:42 ID:nidDMlIH
    2005/11/09 12:45:38 バス じゃ、逆で逝かせてあげる。で、逆が好きになる
    2005/11/09 12:45:39 サル 不公平かしら
    2005/11/09 12:45:52 サル そおかな。恥ずかしいんだけど
    2005/11/09 12:46:12 バス 今すぐにでもくにちゃんを犯したい
    2005/11/09 12:46:23 サル もーーーーー今日はエッチすぎ
    2005/11/09 12:46:30 バス ボクを拒まない?
    2005/11/09 12:46:38 サル 拒まないよ?
    2005/11/09 12:46:49 サル よかったら
    2005/11/09 12:47:02 バス じゃ、くにちゃんはボクの恋人決定。
    2005/11/09 12:47:10 サル ひゃっほう
    2005/11/09 12:47:22 サル 恋人認定ね
    2005/11/09 12:47:43 サル こんな会話みんなとやってるの?
    2005/11/09 12:47:49 バス やってないよ。
    2005/11/09 12:47:58 サル え?そうなの?
    2005/11/09 12:48:07 バス くにちゃんを愛したいから言ってるんだよ
    2005/11/09 12:48:13 サル 私だけなんだ?
    2005/11/09 12:48:16 バス うん。
    2005/11/09 12:48:22 サル 意外だった
926神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 14:45:14 ID:WW4KjNHU
>>918->>925
 乙!  しょーもないことで、人生を無駄にしてるなあ。

 ご苦労!
 
927自立:2007/06/20(水) 18:23:05 ID:zI5M/AxE
>>917
> 夜明前の海辺などで、ぼーっと辺りを眺めていると、>>911に 書かれているような光景が、目の当たりに体感できますね。 夜が明けるにつれて、次第に世界がその輪郭を現してくる。 これは実に壮観で、しかもリアルな光景です。

『 りんごの色は、何色 ? 』

真の暗闇で見たりんごは、何色に見えますでしょうか ?

みかんの色は何色 ?

真の暗闇で見たみかんは、何色に見えるでしょうか ?
見えません。

存在するのかどうかすら、分かりません。
在るのに、無い。

りんごも、みかんも、無い。
りんごという存在もなく、みかんという存在もない。
ただ、真の闇がある。

まあ、空気があると言えば、いいですかねー

すべての存在が、一つの色に、見える世界。
有るのですが、ここの色は、もう無くて、ひとつの色に見える。
そこを、空(くう)、と言います。

真っ暗闇に、灯を点します(ひをともします)。
瞬時に、りんごやみかんが、見えます。
そこが、また、色(しき)です。

色(しき)から入り、存在の本質は、空(くう)であると受け取り、また、色(しき)に立ち戻る。

宇宙の成り立ちです。
928神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 22:56:31 ID:WW4KjNHU
 全宇宙における最も厳然たる事実は、
同一縁起現象は二度と起こることはないということだ。
「一重の原理」といえる。
 一切法無常や龍樹の八不から抽出できる原理だが、
だからこそ逆にあらゆる一回性の縁生即縁滅の還滅は尊いといえる。
存在の有限性が内包する無限性に溶解することとなる。
929自立:2007/06/21(木) 00:31:20 ID:kwr3P7Gq
>>928
ほえ?
わかってんの?
930神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 01:09:35 ID:lW29nBqc
そっとしといてやれよw
931神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 06:22:15 ID:fAKBxyQU
訂正
一切法無常⇒一切行無常
932神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 11:27:17 ID:fAKBxyQU
>>927
おまいのマルチぶりは酷いなwww
933神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 12:47:19 ID:uuh0Iiq6
電波男=霊脳バスターズのご活躍

     もうね阿呆と馬鹿だけ22
    http://dso.2ch.net/test/read.cgi/myanmar/1180971153/
     もうね阿呆と馬鹿だけ23
    http://dso.2ch.net/test/read.cgi/myanmar/1182177615/
     もうね阿呆と馬鹿だけ24
   http://dso.2ch.net/test/read.cgi/myanmar/1182388604/
     喧嘩上等23
    http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1182004249/
 ■奥様、机板ですってよ その417■
    http://2chplus.2ch.net/test/read.cgi/supportdesk/1182065701/827
    【お口が】べろべろべろ【上手】
    http://2chplus.2ch.net/test/read.cgi/supportdesk/1182340202/
      ■■■主婦とサルとバスタ■■■  
    http://ex20.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1181931464/
934自立:2007/06/21(木) 18:01:16 ID:ojlL2KFj
>>930
> そっとしといてやれよw

おとなだ。(笑)
935神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 20:33:38 ID:loSt5joj
片山先生が法句経を講義するのですか。俺の卒業大學の教授です。
936神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 20:37:15 ID:loSt5joj
別の場所で「法句」と名乗っている坊主を某大學在学中に学内で見た時が有るよ。
937自立:2007/06/21(木) 23:32:23 ID:v5wtwX+Z
>>935
> 片山先生が法句経を講義するのですか。俺の卒業大學の教授です。

いばってらー(笑)
938神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 06:27:04 ID:mQFUoG1S
駒澤大学ってそんなに優秀なとこだったんだ
知らんかた
939神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 09:22:37 ID:tiLUtSxY
ここも最近はかなりのレベル落ちだな
940阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/06/22(金) 09:39:41 ID:+yhdRhEI
941神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 17:25:59 ID:OuLr74KD
阿呆陀羅經>>918-925への感想は?
942阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/06/22(金) 18:01:20 ID:+yhdRhEI
お白洲の 嗤ひ物なる破落戸が とこしへ喚く断末摩かな
943神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 18:45:41 ID:7HyX3M46
>>903
> 何も考えずに木下で座禅しなさい。

>>905
> それで悟れる人は、機根が高く自然に止ができる人で、かつ、アートマンなどの常見に陥らない類稀な人でしょう。
> 普通は、考えるなといっても妄想が止まらないでしょう。

釈尊は、無所有処や非想非非想処などの、無念無想の境地では、最高の悟りに達したと得心できず、
分析観察(vi-√paz)を経て、始めて本物の悟りに至った、と確信できたのではないでしょうか。
初めに慧解脱があり、その後、最初の雨安居で心解脱に達した、という船橋氏の2段階悟り説もありますが。

『ブッダ・チャリタ』ではアララ仙などはサーンキヤ系としていますが、その当非はともかく、
サーンキヤ・ヨーガなどの無念無想の境地は、坐禅中は悟っていたとしても、
出定後の外部との接触のまにまに、いつしか押し流されてしまうものであって、
煩悩や執著の振る舞いのありさまを根源的に(yoniso)観察分析して、それらの生滅の仕組みに通達してこそ、
悟後に於いて魔の出現に遭遇しても、不退転の境地を保てるのではないか、と思います。
944草レーサー:2007/06/22(金) 20:59:01 ID:y2V9DsZJ
ゴータマにしたところで、まずは当然なんらかの既成の方法論
に頼ってみる以外、方法を知らなかったのでしょう。

一流の禅定家にしろ、方法としての苦行にしろ、そういうもの
で道を修めなければば、正しい悟り、解脱はあり得ない。
と考えていたとしても不思議はない。

しかし他のものに従っている自分に、何か落ち着かない感じを
払拭できなかったんじゃないだろうか。
そしてそれらを全て捨て去って、そこでむしろ幼少時の自分の
体験の方に活路を見出していったのだろう。
945神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 23:45:02 ID:FcC682Ih
思考の世界は、それぞれに美しい。
あるいは全部、想像であり、見る人がみれば誤っているのかもしれない。
しかし、求める人がそれぞれに得たものゆえに、捨てるには惜しいと感じる程
美しい誤り、美しい小道もあるかもしれない。
それぞれの人が人生をかけ、とうりぬけたのだ。
946神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 00:16:30 ID:hD0dR8Rh
>>917
眺めているのも体感するのも壮観だと思うのも、仏教では色と言われてる状態ではないんですか?

何かを例えていたならスミマセン
947俗覚者:2007/06/23(土) 14:11:04 ID:OJ2wr2Mc
執着なかれとは、
仏の教え給いし趣きなれど
それにつけても
金の欲しさよ
948神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 17:46:29 ID:uo+yX4/Q
>>943

すでに以下で述べられてます。
>>756-757
vi-√paz、観を「分析観察」と訳すのはどうなんでしょう?
止によって四禅あたりに心を静めて、その状態で四諦、縁起などの観を用いることで悟るということだと思います。

これは『大品』などの原始仏教から、『ヴィスッディマッガ』『倶舎』などの部派、『入中論』『入菩提行論』などの大乗仏教、密教、スリランカ、ビルマ、シナ、日本、チベットに共通する一貫した立場だと思います。
949神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 18:29:28 ID:WGATKDl2
>>948
接頭辞 vi- を「分析」としてみたのは、これが sam- と対語である、という点からの発想です。
samAdhi や samApatti などと、vipazyanA, dhyAna (vijJAna も)を対比してみる視点もありかな、と。

中村元「ゴータマ・ブッダ」などによると、四禅の体系化は後の成立、ということのようですし、
どれくらい後か、という点はありますが、基本的に、釈尊成道やごく初期のサンガを見るときには
(ここが関心の焦点でもあるのですが)、あまり類型化した用語(数字で括ったような)に頼らない方が
より実態に近づけるのではないか、と思っています。
950神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 18:46:18 ID:eDrleXBg
>>941
あんた、管轄だろ?東京在住の。
変態友人だろ?成りすまし後その発現を叩いて撹乱する馬鹿だろ?
951神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 18:56:41 ID:uo+yX4/Q
>>949
vi だから分ける、sam だから合わせるってニュアンスは分かります。

四禅というのも、対象意識がありつつ集中しほとんど感覚、所縁がない状態といった意味です。

文献学者の言語分析より、数千年の実体験により検証され伝承されてきた伝統の方を尊重すべきだと思いませんか。

文献派の人にとっては、禅定、三昧の集中なしに四諦や縁起を考察してもあまり意味がないことが分からないと思います。
なにしろ、どの体系でも止の後で観るを置いていますから。
952神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 22:59:55 ID:3oA5eOMo
>>951
古い仏像は文化財としてたいへん貴重であり、現状として、それ自体の価値があるでしょう。
ただ、制作当時の原形を知りたいと考えた場合、こびりついた煤や錆を落とす作業も必要であり、
その結果、現在の視点から見て、美しいと感じないものが現れ出たとしても、それは敢行すべきだろうと。

たとえば、禅定に精進したであろう部派仏教の論師たちも、
十二縁起を胎生学的にとらえる、という陥穽に陥ってしまったことも
重要な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

ともすれば陥りがちな、催眠状態での暗示効果と近似した、瞑想状態での既成の教義(たとえ
それが四諦説であれ、十二縁起説であれ)の注入・受容ということと、
真にみずからの思惟に基づく縁起観とは、根本的に違ったものだと考えます。

いわゆる「古仏の径」というものも、単なる昔の覚者の教理の復興、ということ以上の意味が
あるように思います。根底から検討し直す、という姿勢。そういうことなしに無我説は生れなかったでしょう。
この辺がジャイナ教などとの根本的な分岐点ではないかと。
953神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 23:02:03 ID:BiEcYOy0
(ΩωΩ.)<藻前らイタすぎるお…このスレ読むくらいなら一人でもってけ!セーラーふく聴いてる方がマシだお…
http://www.youtube.com/watch?v=QtkQdOP2rt8
http://www.youtube.com/watch?v=bd6U515OylE
http://www.youtube.com/watch?v=GPRwo3SeKwk
http://www.nicovideo.jp/watch/sm126886
954草レーサー:2007/06/24(日) 01:06:28 ID:IQWjePQw
>>946
はい。それらは仏教では色といわれてる状態ですね。
だけど、同じ仏教で色といわれる状態は、それだけで成立する
ものではないとも言われています。


955阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/06/24(日) 21:44:06 ID:lVEzohGx
>>952
レンブラントの『夜警』を、修復の際に洗浄してみると昼間の絵であったというエピソードがありました。
教法に接するにあたっては、須くリヴィジョニスト(今般跳梁のそれではない)たるべしと考えます。
956自立:2007/06/25(月) 18:18:10 ID:w9vd2ToW
>>955
レンブラントの夜景は、TVで、見た。
そのあとは、何を言ってるの?
957神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 18:51:49 ID:QLm87j4n
《聞慧・思慧・修慧》
現存経文の真意解明、そして正しい思惟。
〔正思惟に関連して、入定中でない降魔について、相応部4-2-3 岩の破片、など参照〕

これらの手順を踏んでこそ、原始仏教としての正定を修することになる、と言うべきであり、
そうでなければ、外教の禅定と差別化し得ないものとなるであろう、と。

外教でも、多数の成就者が、禅定を通して悟りを開いたと称しているのであり、
外教と原始仏教の(声聞の)悟りの差は、聞・思にある、と。
958神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 18:59:33 ID:boXmRStc
>956
歴史修正主義者
959神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 19:04:53 ID:QugJhigv
>>956
つまり>>952に賛同して伝統を現代の目で読み直せってことだろう。
問題は、基準を何に設定するかで、日常意識を基準にしてはもう終わったも同然。
なぜなら、無明に覆われ倒錯した日常意識を聞思修によって変えるのが仏教に他ならないからである。

日常意識が倒錯してなく、それを基準に仏教を読み替えるなど倒錯以外の何者でもない。

>>957
定に関しては外道と基本的に変わりありません。
『ヨーガスートラ』などを見ればそれは分かることで、
単純に言えば意識を一点に集中することで、静めていくことです。

その静まった状態だけではだめで、静まった状態で縁起・四諦を観ずる、ヴィパシャナーの行が必要なのが、仏伝から一貫した仏教の立場と考えます。

聞思修だけなら外道も基本は同じでしょう。先生から教えを聞き、
それについて考え理解し、修行して体得するこれは同じですよ。
960自立、れい・・・それ、起立、礼・・・(冷汗)
>>958

( ^_^)/ドモ

>>959
サイの角のようにひとり歩め。