1 :
名無しさん@3周年:
3 :
名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 16:07:59 ID:yhydhlBb
新スレおめ!
4 :
名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 16:23:04 ID:oBLV2zuW
釈迦がすべての事象は因縁果によるとかいったとされるから
全てを因縁つけようとする人がいるということなのかな?
6 :
名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 17:25:00 ID:8N7eER2N
>>5 因果は釈迦が説く以前から漠然と存在しているわけだよ。
宇宙や地球が誕生するあたりからね。
ものごとにはすべて原因があり結果がある。これが因果。
善因善果悪因悪果が後付けのこじ付け教義ということだろ。
それに騙されてすべてを因縁説で関連付けようというような勘違い人間が現れる訳。
因果とかって解釈は人間が作ったものでしょう。
だからその気になればどこにでも因果は作れる。
そういうことだと思うけど。
一つの現象などを説明したりするときに因果という言葉が便利だった。
その言葉に必要以上に意味を持たせる人もいるってことでは。
前スレでも出てた道徳的な解釈に用いるとかは脅迫的なものでなければありかなと個人的には。
境界は難しそうですけど。
とくに宗教のカルト系なんかだと、前世まで使って無理やりこじつけて脅したりとか。
そんな利用の仕方とかをする者たちがいるから胡散臭いイメージが出てくるのかもしれない。
つか、仏教とかの用語全般に言えることかもしれないけど。
9 :
名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 17:37:35 ID:8N7eER2N
>>8 まあ大昔は法完備があいまいだったから犯罪者続出だった。もちろんレイプだらけw
これじゃあかんということで宗教家が前世の罪や悪因悪果、バチあたり、などを
構築した訳だ。それでも押さえられず戦争の道へ突き進み、核問題となり
現在に至っている訳になる。前世来世とは所詮、永遠の謎だからあまり意識しないほうが良いね。
>>9 本来の用いられ方と悪用のされ方とあると思うんですよね。
道理的なものの考えを好むものとしては因果応報も悪いものとは思わないけど。
絶対的なものではないでしょう。
でも、因果関係が明確なことも多くあるわけですし、それを用いたたとえってのは
必要でもあるような気はする。
罰が当たるなんてのも。
罰が当たるから○○をしなさいと強迫観念を持たせるのではなく。
そんなことはないと分かった上でのたとえ的な形であったら。
教訓的なたとえだと誰もが思うのであれば教育手段にもなるんだろうな。
結局はカルトとかのおかしなイメージが前面に出てくるから世の中変になるようなのもあるかもしれない。
犯罪者があの手この手を用いるほど規制が厳しくなったり範囲を広げざるを得なくなるのと同じように。
ちなみに。。。そーかは典型的に因果応報を利用して強迫観念を植え付けます。
俺の知ってるところではそーかが顕著。
日本中で人口も多いでしょう、そうなれば社会に与える影響も大きいでしょう。
13 :
brown:2006/11/18(土) 19:46:33 ID:d/m5W1nY
ブッダ曰く,
もしもある行為をした後に,それを後悔して,顔に涙を流して泣きながら,
その報いを受けるならば,その行為をしたことはよくない。
もしもある行為をした後に,それを後悔しないで,嬉しく喜んで,
その報いを受けるならば,その行為をしたことはよい。
愚かな者は,悪いことを行っても,その報いの現れないうちは,
それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには,
苦悩を受ける。
悪事をしても,そのカルマは,搾り立ての乳のように,すぐに固まることはない。
そのカルマは,灰に覆われた火のように,徐々に燃えて悩ましながら,
愚者につきまとう。
14 :
名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 21:54:48 ID:TNVMyQpG
>>12 なるほど。
では層化からあまり犯罪者は出ないかもしれない。
嘘かまことかは別としてやはり人間にバチ当たりの意識を
植え付けるのは犯罪防止のためにもいいことなんだな。
15 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:19:54 ID:sEYPFhse
>>13 カルマなど妄想。
BOXINGで相手を殴り倒したときの喜びは最高。
16 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:29:45 ID:sEYPFhse
いじめっこ(=悪)に対しては闘いを挑まなくてはならない。
悪を許すことは悪の手先(=悪行)となる。
したがっていじめられっこの自殺は自己を殺す悪となる。
メディアやマスコミはいじめ事件が起きても、この簡単な理屈を言わず、
ひたすら教師の責任を報道したがる無知ぶり。
これではいじめなる悪因を消すことは出来ない。
17 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:34:47 ID:sEYPFhse
因果は天地の法則であるのは周知の事実。
だがいじめられっこは悪いことをしている訳でもないのに理不尽にいじめられる。
ここには善因善果は存在しない。
18 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:37:37 ID:sEYPFhse
キリスト教などはひたすら「汝の的を愛せよ」である。
これがいかに間違いであるかということ。
断じて悪を許してはならない。これが善行(=政戦)
19 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 04:36:09 ID:fT6jC9/L
因果を知りつ因果に溺れず
20 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 06:11:20 ID:NlHF+CkT
因果応報や善因善果悪因悪果がぶっ飛んじまうのが戦争や自然災害だよな。
なにしろそれまでどんなに品行方正に良い行いをしながら生きてきても
一発の原子爆弾や地震や台風や竜巻で人生がお釈迦になっちまうんだからな。
まあ因果応報とは戦争の世の中のだいぶ前に説かれた訳だからしかたないが
やはり因果なんて妄想じゃないのかな。
21 :
風:2006/11/19(日) 08:12:48 ID:NikQaDD7
スレ立て乙。
因果はない。錯覚。幻想。妄想。なんでもいいけど。
22 :
風:2006/11/19(日) 09:58:14 ID:NikQaDD7
いろんな意見があっていい。
どれも正解。どれも間違い。
正解不正解を論ずるのは不毛だと思います。
23 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 13:06:10 ID:FBSmm1W0
そんなことはない
24 :
まい:2006/11/19(日) 14:02:06 ID:ilrwUm9Y
25 :
まい:2006/11/19(日) 14:06:08 ID:ilrwUm9Y
>>14 何をしたら罰が当たるのか・・に問題があるんですよね。
個人的な感性を押さえつけることにその概念が利用されているだけだとすると、
その組織は伸びることが出来ませんよ。
組織の維持のためにはいくらでも教義を曲げることが出来るからね。
26 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 14:27:24 ID:NSxysSX0
>>25 「バチが当たる」という概念を人間に植え付けた人は素晴らしいということ。
なにしろ法律が定まっていない太古の時代は悪人を制御する方法がなかった。
そこで「悪いことをすれば天罰が下る」と民衆に洗脳教育することでなんとか
犯罪を防ぐしかなかったというのが現状。
組織というものは株式会社と同様に組織を運営維持しなければならないがゆえに
後付け教義がいくらでも組み込まれるからそういう似非教義は無視するでよい。
27 :
brown:2006/11/19(日) 14:35:01 ID:lMQQqfBH
仏陀曰く,
まだ悪の報いが熟しない間は,悪人でも幸運に逢うことがある。
しかし悪の報いが熟したときには,悪人は災いに遭う。
まだ善の報いが熟しない間は,善人でも災いい遭うことがある。
しかし善の果報が熟したときには,善人は幸いに逢う。
もしも手に傷がないならば,その手は毒を取り去ることができるであろう。
傷のない人に,毒は及ばない。悪をなさない人には悪の及ぶことがない。
大空の中にいても,大海の中にいても,山の中の奥深いところに入っても,
およそ世界のどこにいても,悪業から免れることのできる場所はない。
28 :
聖霊大王:2006/11/19(日) 14:37:48 ID:tunFquSB
まいちゃん、こっちでも、遊んでいるのか、、
日本の宗教雑考が、、巣になっている、スレですは、、
29 :
まい:2006/11/19(日) 14:42:55 ID:ilrwUm9Y
>>26 善悪の統一見解をどう考えます?
悪用は可能でしょ。
仏教の八正道でも、正しい○○というと、何を基準にしているのだろう?
30 :
まい:2006/11/19(日) 14:53:48 ID:ilrwUm9Y
>>27 何経に書いてあるのですか?無知ですみませんw
>>28 ちわ!あっちも盛り上がっていますね。
31 :
聖霊大王:2006/11/19(日) 15:18:34 ID:tunFquSB
ばちが当るは、、神道のような、、
仏教の八正道は、、精神を乱さないための道徳だろうね、、原始仏教的(南方仏教)には、、
因果応報というのも、、如何にも原始仏教的だなあ、、
32 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 15:21:35 ID:NyI3hgWf
>>29 善悪とは客観性やある主観性においてそれが望ましいか否かという事である。
具体的にどういった事柄や行為が望ましくまたは望ましくないかなどは
哲学や倫理学の諸理論によって様々である。
特定の基準がある訳ではない事に注意する必要がある。
八正道における正しい概念とは嘘偽りのないことを指している。
しかし基本的に正しいということは客観的に異なる場合もある。
>>14 関係ないでしょ、実際に犯罪者も多いし。
言うこと聞かせるためとか、脱会させないために使うんだから悪質ですよ。
34 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 15:26:12 ID:NyI3hgWf
>>27 >悪をなさない人には悪の及ぶことがない。
それは大きな間違い。
悪をなさない少女がロリに殺されるし、
善人でも不慮の事故や自然災害、戦争で死ぬのは当たり前のこと。
35 :
まい:2006/11/19(日) 15:39:42 ID:ilrwUm9Y
>>32>>34 統一見解(個々の社会においてではなく、普遍的な)がはっきりしない中で、適当な事象を善悪に分けて
因果応報論な当てはめても正確ではないですよね。
わからないことに自身の不幸を当てはめて、がんじがらめにさせられている人は、そこから抜け出すきっかけは
ぜひ必要だと思う。
洗脳を解くようなものかな。
厳密に言うと、この世には悪をなしていない人なんて居ないといえる。
でも、それは悪ではなく、何処かの誰かには必要なことだとも言える。
誰かが自分を存在させたのだとしたら。
・・となると運命論かぁ。
主体的に悪を排除してしまえる人なんているのかなぁ。
36 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 16:06:25 ID:SymiAVkH
>厳密に言うと、この世には悪をなしていない人なんて居ないといえる。
生まれてきたばかりの赤さんもですか?
37 :
まい:2006/11/19(日) 17:25:21 ID:ilrwUm9Y
>>36 それはわからない。前世を信じる人にとっては・・。
生まれ持っての不公平を、そこらへんで納得しようとするのでしょうけどw
38 :
まい:2006/11/19(日) 17:37:23 ID:ilrwUm9Y
だから、不公平に何かを背負ってきたとしても、そこに何か意味を見出したいと思うわけですよ。
そういった心情を無視も出来ないわけで・・。
人生の縛りと考えるのではなく、目的として何かあるんじゃないかと。
面白いよ。
イスラム的には、人々に善を成させるためとかいうし。
39 :
まい:2006/11/19(日) 17:40:29 ID:ilrwUm9Y
本人に向上の機会が訪れているからともいうし。
40 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 22:25:14 ID:O/+Skdwh
>>38 基本的に人間とは何事にも理由付けをして自己満足を得たいというだけです。
いわゆるエゴイズムの固まりなのが人間という生き物なのでしょう。
41 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 22:52:09 ID:O/+Skdwh
ガイシュツですが因果とは単なる原因と結果の現象のみです。
例えばビルの屋上から地面に向かって石を投げるとします。
まず石を投げるという原因を作るわけです。
すると石は地面に向かって落下します。これが結果になります。
しかし結果のあり方がここから違ってきます。
例えば石が人に当たる場合もあり、車に当たる場合もあり、単に地面に落ちる
場合もあります。この結果は誰にもわかりません。
したがってひとつの原因による結果の形態は複数であるということになります。
ゆえに善因を蒔いたとしても必ずしも善果するわけではなく、
悪因を蒔いても必ずしも悪化するわけでもないのです。
しかし善因であれ悪因であれ何らかの種を蒔いた場合、何らかの結果を招く
ことは事実です。これが正しい意味での因果応報ということになります。
42 :
風:2006/11/20(月) 01:15:53 ID:QMce3v+P
相対という概念があるものすべて、私は疑問視しています。
要は個人がかわることによって、変化する概念に、普遍的な真理など存在しえない。
私が自己を探求することの意味がこれになります。
因果も同様。
特定の宗教のみに通用する概念であって、大多数の方が受け入れたとしても、私は受け入れません。
43 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 02:37:10 ID:ASxPJFnt
風さんが相対や因果の存在を疑問視しようが受け入れなかろうが
まったく関係ありません。
相対、因果は忽然として存在しておりますので心配ご無用......
44 :
涅槃のニート:2006/11/20(月) 04:05:20 ID:76jzaBx8
>>43 自信満々だなwww
つかイヤミな言い方だな、うん
いや悪気は無いよ、確かに人がいようがいまいが
数学的法則は確実にある(存在と言う単語は使いたくない)からね。
45 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 05:34:52 ID:ASxPJFnt
>>44 その通りです。
相対性理論は物質化学により立証されてます。
因果の法則もそれと同じ理論です。
否定しようが無いということです。
46 :
涅槃のニート:2006/11/20(月) 06:09:44 ID:76jzaBx8
>>45 また硬い言い方するな〜
人は理で割り切れないもんだろ。
君だって何かしらの悩み葛藤、あるいは孤独などを
かかえて生きてるわけだろ?
47 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 06:38:51 ID:ASxPJFnt
理で割り切るという問題ではなくて事実は事実であるということです。
また人間とは誰しも大小の差はあれども悩みや葛藤を抱えながら生きてます。
事実に目をそむけることは出来ないし自分を偽ることは悪に属します。
真実をありのままに受け止めそれに対しどう対処しプラス適応して逝くかが
人間としてもっとも賢明なる生き方ではないでしょうか。
48 :
風:2006/11/20(月) 07:52:40 ID:QMce3v+P
体が全てならば、相対も因果もある。
しかし、そうでないなら何の意味もない。
49 :
風:2006/11/20(月) 08:07:59 ID:QMce3v+P
理由付けをしているだけ。
生まれながらにハンディキャップをもつ子供や、余命いくばくもない子供達は過去からの因縁とでもいうのか?
それは、キリスト教の「人は生まれながらに罪人である」という、本来自由であるはずの人を恐怖で支配しようとする意志であると思う。
因果と呼ばれているのは「選択と現象」それを結び付けているのは、「人の主観」です。
50 :
風:2006/11/20(月) 08:29:17 ID:QMce3v+P
宝くじを買って(因)、当たらない人(果)と、当たる人(果)の違いは、普段の生活態度や行いにあるのか。
それは、差別といいます。神はそんなに心がせまいのですかね?
買うという選択は同じ。人としても同じ。普段の行いというが、それは過去の行い。今ではない。
神が過去にこだわるのですかね?
>>49 枯葉剤という因により奇形という果が。
有機水銀という因により水俣病(という症状)という果が。
>過去からの因縁とでもいうのか?
ここではそうは言われていないだろ?あなたが勝手にそう解釈しているに過ぎない。
池に氷が張る。気温が下がって液体が固体の状態へ推移した現象。
この現象の因は気温の低下であり、固体化が果。
こうした素朴な因果も、主観だと?
ここで「過去からの因縁で池の水は凍ったのか?」と問うようなものだ。
勿論、どこに区切りをつけ因とするか、どこに区切りをつけ果とするか、
の部分は恣意的なものだ。
あなたが言わんとしているのはこの点であろう。 → >それを結び付けているのは、「人の主観」です。
全てはあるがまま。 とある現象はとある現象としてのみあり、それ以上でも以下でもない、と。
しかし、因と果が連鎖して繋がっていることだけは認めねばなるまい。(ビッグバン以前は知らんが・・w)
それは、時間的推移を意味する。(逆行のない)変化を因果と呼んでもいい。
あなたの言う「因果はない」は、非常に禅的だ。
まるで、「州曰く、無。」のようだ。勝義としてはそれでもいい。
が、日常へと働きださせる時にはそのままではまずい。
52 :
風:2006/11/20(月) 12:10:12 ID:QMce3v+P
いいえ。
目に見えるものが全て、とするならば、因果はあるといっています。
その点ではあなたの考えは正しい。
しかし、縛られているのは視覚だけではない。
時間も同じ。
この二つの点でことなる。時間の連続など、私はしらない。
あるのは今だけである。
53 :
まい:2006/11/20(月) 16:37:07 ID:DCT6khI8
54 :
まい:2006/11/20(月) 16:45:19 ID:DCT6khI8
51さんの言っている事もわかります。因果は貫いているかもしれない。
でも、人に主観や善悪の価値観が、その時点での狭い視野でしかない限り正確な因を知ることは出来ません。
それらの危険性も配慮して、今後の行動の指針に参考程度にするのならいいのでしょうけれど。
本当に目の前の事象だけを見て因果を納得している人なんているのでしょうか。
55 :
まい:2006/11/20(月) 16:51:59 ID:DCT6khI8
ハンデイキャップについて言うならば、外面についても内面についても、同じ人は一人もいません。
横並び、大多数に属するものに普通という分類をしているだけです。
普通であることに価値を置いている社会があるというだけです。
どっちが得でどっちが損という話でもありません。
反省すべきは自分の価値観ではなく、その価値観で踊らされているという点です。
先ほども書きましたが、イスラム社会とヒンズー社会を比べてみるだけでも目から鱗ですよ。
56 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 16:58:41 ID:kHibwjqg
>本当に目の前の事象だけを見て因果を納得している人なんているのでしょうか。
紙に火を付けます。すると紙は燃えます。これが因果です。因果とは、
これ以上でも以下でもありません。火を付けるという因により、
紙が燃えるという果、ここには主観など要りません。
しかし、人間は行いの良し悪しに寄り結果も左右されると考え出したのです。
これが天倒妄想というやつです。キリスト教の罪文化や仏教の善因善果も
これに属します。これが大いなる間違いということです。
57 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 17:08:54 ID:kHibwjqg
>>50 ひとつの因でも結果は違ってきます。
幼女が登校下校中に何も起きない場合がほとんでですが、ときとして
変質者に殺される場合もあります。もちろん幼女に罪などないのですが。
つまり人間の行いなど関係ありません。また神が過去にこだわるのではなく
過去現在未来は連動しているということです。
平行線だなw
価値観を極力排除した時間的推移を「因果」と呼ぶのが一般的な理解ではないか?
という立場からレスしてるだけ。
このスレでは、「応報」の語の付いた恣意的な視点は確実かどうか?というものであった筈だ。
それを、初代スレの288が簡潔にまとめてくれている。
そこへ、『「因果」もまた恣意的な視点である』と、風が殴り込みをかけている。
勿論、
>>51に述べるように、『「どこを」因とし、「どこを」果とするか』という時間的分節はあろう。
それをも解体し、まさに文字通り『あるがまま』を見ることを否定するものではない。
が、その『あるがまま』は、はたして「因果」のないものかどうか?について疑義が唱えられている。
もし、「因果」という概念に「因果応報」と同様な意味を与えるならば、
「因果」という語を用いる際には、必ずそのような意味合いが判る修飾語句を付与してくれ。
こちらは、辞書を書き換える気はない。独自の意味で使用するなら、注釈は義務だと思うぞw
59 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 17:15:11 ID:kHibwjqg
>>51 その通りです。
いわゆる普通の日常的客観的因果現象は存在します。
因果の法則をややこしくしたのは既成宗教の主観です。これがいけない。
しかし悪い因が悪い現象を起こすし易いのも事実。
因の想念がある方向に果を誘引してしまうのは免れることは出来ません。
60 :
まい:2006/11/20(月) 17:23:24 ID:DCT6khI8
>>56>>57 物理的には納得です。
でも、宗教的に言うとわからない部分が多いでしょ。
生まれ変わりもそうだし、キリスト教の復活でも、「善悪」の基準は当時の社会情勢で違ったりする。
>>58 一般的な理解や呼び方を知識として知るのもいいんだけど、実際に目の前のどう考えたらいいのか
わからない事件が起きたとき、どうしたらいいのか。
脅しとか慰めとか・・そういう宗教的な現実をどうしたらいいのかを知りたい。
58さんには物足りないかもしれないけど。
>>60 >どうしたらいいのか。
そのためのツールの一つが、「恣意的な因果の解釈」なのでしょう。
他にもツールは沢山ある。ある価値基準に心酔しているのでなければ、何を使っても構わない。
勿論、工具箱の中身は人によって様々だ。豊富に取り揃えておくに越したことはない。
「たまたまだよ。運が悪かった。」というのもあろう。
「皆に改善の行動をとらせる為だったんだよ」というのもあろう。
「自分があの時あのように行動していれば起こりえなかった」というのもあろう。
挙げていけばキリがない。
しかしながら、解釈であることに変わりはない。
解釈を嫌うなら、とことんクールに、物理的な流れを見据えればいい。それができる強さがあるのなら・・・w
解釈である以上、そこには何がしかの基準がある。
その基準は、幼い頃からの経験(教育)であったり、恩師の生き方であったり、
テレビの向こうの憧れの人の生き方であったり、世論であったり流行であったり近所の目であったり、
コーランであったり聖書であったり仏典であったり・・・。
あなたに必要なのは、工具箱の中の種類を増やすことかもしれない。
色々使っていくうちに、自分の手に馴染む、使い易いものへと淘汰されていくことでしょう。
人から見たら、
「そんな時代遅れで、利用範囲の狭い道具はやめたら?w
ほら、これなんかどう? 最新式で使い易いよ。こんなことにもこんなことにも使えるし。
これとこれとセットで使えばさらに便利。それに、他にも使えそうなの沢山持ってるじゃんw」
というようなものでも、自身の心に馴染み、自由に使いこなせるものであれば、
胸を張って「いえ、これが私のツールです。」と言えばいい。
もし使いこなせたなら、100や200の重い工具を担がずとも、それ一つを片手に旅をすることができるだろう。
62 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 18:58:53 ID:kHibwjqg
>>60 宗教というものは人間が考えたものである以上、完全ではありません。
長所短所があり、正しい教え、誤った教えもあります。
キリスト教の姦淫禁止や仏教の禁欲教義は明らかな間違いなので無視すべきです。
感謝の念をもつという教えは正しいので必要です。
このようにいいとこ取りでいいのです。医学同様、宗教も嵌りすぎると
失敗します。教えに囚われすぎるのはいけません。
63 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 19:02:36 ID:kHibwjqg
因果の法にしても合致する点と、そうでない点も出てきます。
何かあったときは常識眼に照らしながら臨機応変に柔軟な思考で
対処していくことが必要です。
64 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 20:59:35 ID:YNMs2MRN
>>58 そうそう。
288で因果はあくまでも因果であり因果応報、善因善果、とは性質が違う
とあった。ごっちゃにしてまた議論が逆戻りになる。
風氏はあまりにも極端であり柔軟な思考がない。もっと認め合う態度も必要。
65 :
brown:2006/11/21(火) 02:04:44 ID:Zfa0Yz3R
風氏が四面楚歌なので,風氏側に加戦を試みよう。
因果に関する我々の知識は,西洋現代科学に基礎付けられるといえよう。
西洋現代科学が現れる以前にも,因果の法,つまり科学的知識は徐々に
発展してきたのであって,天文学や呪術的なややあやしいものから,より
合理的で,より確かな予言確率をもった科学が発展してきた。やがて,陰陽
五行説のような経験科学が生まれ,それは現代でもある程度生きている。
さらに,現代科学の古典的な部分が生まれ,さらにそれが半分承継されつつ,
半分否定されて,現代に至っている。現在もこの進化は進行形であり,日々,科学的
認識は,前のが誤りであったとして,改められ,より完全なものに近づき
つつある。
その点,経験上「因果律はある」(あるいは神は存在すると言い換えてもいいのかも)
ということは確定的に推認されるが,「その因果律は完全な形でこうである」
と断定することはできない。常に我々が持ちうる認識は不完全だから。
つまり,因果は,その意味で恣意的といえる。思わせぶりな神という表現を使う
なら,我々は,永遠に神と真に接触することはできないのである。
66 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 03:13:11 ID:O7SKy+2m
>>65 因果律と神はまったく関係などない。単純に原因、結果が因果律。
つまり因果は恣意的ということもありえない。
ただし善因善果悪因に関しては恣意的といえる。まあほとんどインチキに近い。
67 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 03:19:09 ID:O7SKy+2m
いくらせっせと善行を積んでも原爆が落ちれば死ぬし、飛行機事故や
大地震など自然災害の前には人間は無力であり善人悪人共々仲良く淘汰されるのみである。
宗教から考案された「善を行えば善い結果になる」
などは妄想と思えばよい。しかしながら善い結果も現れる場合もあるので
半分ぐらい納得するぐらい(中道)が賢明というもの。
原因と結果はある。
しかし、なにが原因で何が結果なのか、そんなことわかるわけはない。
主要な原因だと思われるものがあり、
まあ、その主要な結果だと思われるものがあるということに過ぎない。
例えば福知山線事故において、事故至る主要な原因というものはしだいに明らかになっている。
しかし、なぜ、運転士は脱線するとわかってスピードをださなければならなかったかたは不明。
どんなに解明しても、原因など見つけられはしない。
ただ、事故の場合は、確率を減らす努力をするために、
未然に考えられる原因を減らすだけである。
それでも、事故は起こる。
このスレ的には、それで、終結してると思ったが?
まあ、あとは、思い込みの激しい人間が、勝手に思い込めばいい。
それは、もちろん、宗教の領域だから、仏教でもなんでも、
すきなだけ屁理屈つければいいと思う。
という結論だったでしょw
69 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 04:00:51 ID:O7SKy+2m
>>68 ほぼ正解。
だが思い込みの激しい人間が列車事故で死んだのは前世の行いが悪かったとか
カルマ論に走るのがまったくもって愚の骨頂であり核武装論同様に議論はすべき。
70 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 04:13:43 ID:O7SKy+2m
>しかし、なにが原因で何が結果なのか、そんなことわかるわけはない。
いや原因結果は検証によりほとんど解明される。
福知山列車脱線事故の運転士がなぜスピードを上げたのかの理由は、
ノルマに煽れ、運行時間を短縮しなければならず無理な運転をしたとされている。
要するに若いうえに運転経験も未熟というのが発端ということ。
71 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 04:19:41 ID:O7SKy+2m
だが犠牲になった乗客はなぜ死ななければならなかったのか、
これについてはカルマ的な原理原則などは毛頭ない。
ただ前列の車両に乗ったというその原因だけである。
72 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 04:52:37 ID:jUruupFH
よく、何か悪いことが起きたときに
「日ごろの行いが悪いからだ」
とか言う人がいるけど、
悪いこともしてないのにもかかわらず
事故ったり、病気になったり、殺されたりする人もいるんだよね、
これはどう説明するんだろうか?
73 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 10:56:31 ID:uZjJzSZP
要するに、生きてる間の幸不幸なんかを、生きてる間だけの原因と結果だけで割り切れんと感じる人間が多いってことかな。
脱線事故の例があったけど、因果関係の究明って結構しんどい作業なんよね。
だから、生きてる間の幸不幸をいちいち厳密に究明していけるほどの暇人は少ないし、人知を越えた災害や不慮の事故とかになると、自分自身に原因が無い場合はやられ損で納得したくなくなるだろうね。
ただ、その納得しがたい気持ちを宥める方便が前世と来世に連なる因果律なんでしょ。
しかし、これはある意味すごく便利過ぎる方便で、生きてる間の因果を究明すると言うしんどい作業を放棄して、全部前世と来世に預ける無思考を生むことにも繋がります。
頭使って考えるのはしんどいし、出した答えが常に正しい保証も有りませんからね。
74 :
お大師様かまってチョ♪:2006/11/21(火) 11:01:03 ID:1XrMJrwL
ヽ(´∇`)ノ
仏教の因果応報は瞑想禅自問自答が前提だピョン♪
>>73 だから、究極は、生まれてこなければいいという発想になるんだろう。
あとはまぬけな繰り返しをしたい奴らが、
仏教とかにハマって因縁とかで納得するのさ。
おまけに、それで金儲けをたくらむ奴がいたりしてな・・・・・
侮辱すると冷笑があるとか、騒ぐ奴もいるし(笑
一般人は、大概、そんなものは存在しないと納得して終わり。
まあ、変ないいがかりをつけられたらいやだから、
それなりの忠告は参考にするだろうけどね。
真面目なレスでね。
「あんたのお父さんは被爆してるから、前世で相当な罪を犯したのかもしれない、
その子供のあんたも相当な○○(なんだか忘れたけど罪とかそんなようなの)を
もって生まれてきてるから、因果応報といって、その○○をなくさなければ
決して幸せにはなれない、しっかり信心しなさい、なんみょほれげっきょ」
みたいに言われて育ちましたよ、俺。
人の不幸をみて、あの人は前世で○○だったんだね、とか普通に言ってたな、あいつら。
78 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 13:41:52 ID:D/7LWT0T
↑もしかして層化?
あっそうかってシャレ?
おもしろいよw
81 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 14:23:44 ID:D/7LWT0T
↑それは困った
ん?今は無関係で困ってないけど。
83 :
まい:2006/11/21(火) 14:35:29 ID:ACKWYE4Y
>>76 被爆しても死ななかったんだから、すごい強運ですよ!
そのお父さんが結婚して、あなたがこの世に生まれたのにはすごい意味があるのかもしれない。
どお!すごい情報でしょ。
84 :
まい:2006/11/21(火) 14:38:53 ID:ACKWYE4Y
>>83 うん、好き勝手に生き抜いてたし。
その血は引き継いだw
86 :
まい:2006/11/21(火) 14:48:45 ID:ACKWYE4Y
>>67 私の言うことは宗教的で、あなたが納得するものではないと思うけど、「死ぬ死なない」
が、「応報」なのかな?
「死ぬ」のは物理的なきっかけでしかなく、その後に行いとして何らかの結果があると考える。
だから、平穏な日常の中の因に気をつけなさいと・・。
死んだ後の部分は、誰にも納得の行く説明なんて出来ないんだけどw
ま、一応どう生きるかの指針としてね。
だから、敬虔な人の死に接したら・・見送る人は、「なぜ死んだの?」という部分より、
「ついに死が訪れた。きっと天国に行くでしょう。」と考えるわけでしょ。
考えるのは自由だし。
87 :
まい:2006/11/21(火) 14:55:16 ID:ACKWYE4Y
層化は、死に方に行いが現れるって言ってた。
つまり、ワタシの論とは正反対。
彼の父親が苦しんで死んだ。
ワタシの祖母が老衰で死んだ。
その矛盾をどう感じたのかまだ聞いていない。
かなりスレ違いですが…
苫米地英人って角川春樹事務所顧問らしいけど。
涼宮ハルヒの憂鬱の製作に関わってると思う方おる?
華麗にスルーしてもらっても良いんですが
89 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 00:29:09 ID:ZUxy4mmF
>>86 災いや死を応報と捉えなければ何も語れない。原因によりどういう結果が起きるか
を考える必要がある。それが死となった場合何が原因だったのか。
死を不幸と捉えるかどうかは個人の主観になるが客観的に捉えるのが常識的というもの。
死後の話しはこの際抜きにしたほうがよいと思う。
90 :
まい:2006/11/22(水) 10:46:16 ID:7SCvJ0Ik
>>89 物理的な理由でしょ。それは納得だし(心情的には死は避けたいし、医学だってそのためにあるんだろうし)、
今後の進歩のためには必要だと思う。
ワタシが知りたいのは、人間の今の価値観での善悪と応報が関連しているのかということ。
死後の話や、宗教的な話ではなく、事故の検証スレだったらワタシはお邪魔でしたw
91 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 11:24:06 ID:6g+cbFPt
>>90 現在の価値観による善悪と応報を理解するにはまず倫理学を学ぶ必要がある。
善悪は日本に古くからある倫理的な思想を研究する倫理学の分野である。
仏教思想、神道思想、善悪の価値観が問題となる場面では応用倫理学が良い。
92 :
まい:2006/11/22(水) 11:32:53 ID:7SCvJ0Ik
>>91 何を専門とされている方ですか?
オカルトチックな話も応用倫理学で説明できるものなのでしょうか?
だったらすごいwwwww
いままで、「わからない」と言うところで話が終わっていたものでw
ちなみに、ワタシは、現在の価値観は普遍なものではないので振り回されるな〜!という立場ですが。
93 :
風:2006/11/22(水) 11:36:25 ID:fnMtFWnO
まいさん、死は単に通過点。それで終わりではありません。
死に方が問題なのではなく、生に執着する生き方がいけないと思うのです。
死は生と同じもの。目に見える現象にしかすぎません。
医学は、死なないためのものではなく、「目に見える現象の分析と対処」でしかありません。ですから、対応できないこともあるのです。
94 :
まい:2006/11/22(水) 11:38:58 ID:7SCvJ0Ik
そうそう。
「応報」というと死に方の話だと思ってる人が多いんですよね。
それに疑問を投げかけてみているわけですが・・。
>>90 「応報」を語るにしろ「善悪」を語るにしろ、
それが語られる(判断される)場(=TPO)に於いて、ある価値基準が骨格として(枠組として)選ばれねばならない。
どのようなものが選ばれるかは、その「場」がどのような基準、枠組を要請しているか、によるであろう。
端的に言うならば、
「あなた自身が、『どの枠組の中で思考するのか?』を選ばなければならない」ということだ。
「あなたが、どこにどのような足場を組んでいるか?」によるということだ。
そして、そうした足場や、そこからの解釈を共有できるものが共同体となりうる。
宗教的共同体、或いは思想における派閥等はそうした集合ではなかろうか。
真に絶対的価値、或いは価値基準は何か?さらには、そうしたものはありうるのか?
ということであれば、微妙にスレ違いになってくるかもしれない。
「応報」が成立するCという枠組・Bという枠組・Iという枠組があったとして、
それらが、同であるか異であるか、根底を貫く共通点があるか、
等々を考察するスレとしてゆくのも一つのやり方であろう。
96 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 11:45:24 ID:6g+cbFPt
オカルトは別として因果応報も道徳や倫理学の応用でだいたい解ります。
道徳あるいは、倫理 とは、社会や共同体において習慣の中から生まれ、
通用するようになった規範のことである。法律などの規則とは意味合いが
異なり社会的習慣や礼儀作法もその範疇にあるとされ自然発生的な
教えが多く明確な定義はない。道徳や倫理について分析し考察をおこなう
学問分野を倫理学という。これは時代に応じて異なり社会的影響を受け
変化する場合がある。又、倫理学は多くの宗教の教えと重なる部分が多い。
異なる社会や共同体では異なる倫理・道徳があることは当然であり、
普遍的倫理や普遍的道徳といったものは存在しない。このことを忘れると
集団的エゴイズムに陥ることになる。したがって因果の報いを受け
没落するということになる。
97 :
風:2006/11/22(水) 12:01:35 ID:fnMtFWnO
同じです。
視覚にとらわれ、体が私だと認識するならば、因果は存在するようになります。なぜなら、理由ずけするのは人であるからです。
しかし、体が私ではないと認識するものにとっては、因果があろうがなかろうが、たいした問題ではなく、現象について、理由付けする理由などどこにもありません。
どのような現象であろうが、単に現象というだけです。
98 :
まい:2006/11/22(水) 12:03:31 ID:7SCvJ0Ik
>真に絶対的価値、或いは価値基準は何か?さらには、そうしたものはありうるのか?
>ということであれば、微妙にスレ違いになってくるかもしれない。
>「応報」が成立するCという枠組・Bという枠組・Iという枠組があったとして、
>それらが、同であるか異であるか、根底を貫く共通点があるか、
>等々を考察するスレとしてゆくのも一つのやり方であろう。
う〜ん。難しそうだけど面白そう。
>異なる社会や共同体では異なる倫理・道徳があることは当然であり、
>普遍的倫理や普遍的道徳といったものは存在しない。このことを忘れると
>集団的エゴイズムに陥ることになる。したがって因果の報いを受け
>没落するということになる。
この場合因果応報は普遍的倫理や普遍的道徳ではないのに適用してしまうのですね???
物理的な不適応ということですかね。
理屈は良くわからないのですが、一個人として感じたことを書き込んでいこうかと思います。
説得力は持たないと思いますが・・。
99 :
まい:2006/11/22(水) 12:07:57 ID:7SCvJ0Ik
>なぜなら、理由ずけするのは人であるからです。
>どのような現象であろうが、単に現象というだけです。
わかります。
しかし一般的には体を使っての説明しか出来ないので、過去いろいろな方便というものを駆使してきたのでしょうね。
100 :
まい:2006/11/22(水) 12:13:11 ID:7SCvJ0Ik
なぜなら、とりあえず今は、私たちは現象の中で体を使って生きているわけですから。
ついつい、現象世界の泳ぎ方に興味を持ってしまうのですよ。
101 :
まい:2006/11/22(水) 12:14:46 ID:7SCvJ0Ik
どう生きても結局同じであったら・・なんのために産まれてきたんでしょうね。
体を必要としたんでしょう。
102 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 12:20:50 ID:6g+cbFPt
>>98 因果とは、道徳・倫理とは意味合いが異なり普遍的・永遠的なもの。
物理的ではなく論理的あるいは心理的な分野になる。しかしながら因果と道徳を
含めた倫理学とは、ある一定ライン上にありきわめて連動している。
103 :
風:2006/11/22(水) 12:27:50 ID:fnMtFWnO
>>100 それはある意味しかたのないこと。
しかし、体という制約があるから、限界もあるし、個性もある。
だれもが泳ぎ方をならっただけで、オリンピックに出れるわけではない。
だから、それだけを追求することに疑問なのです。
>>101 いろんな諸説があるので、私にはわかりません。
ただ、わかるのは、自己の認識というだけです。
104 :
まい:2006/11/22(水) 12:31:10 ID:7SCvJ0Ik
102さん、という事は
>異なる社会や共同体では異なる倫理・道徳があることは当然であり、
>普遍的倫理や普遍的道徳といったものは存在しない。このことを忘れると
意味合いが違うけれども、連動している普遍的なるものが何かあると仮定してみてもいいですか?
そういえばパワーの中に心理的な力も働く(祈りのようなもの?)とも聞いたことがありますが
これもオカルトの範囲ですかね。
105 :
まい:2006/11/22(水) 12:34:53 ID:7SCvJ0Ik
>>103 そうですね。
自己の確認をする機会なのかもしれませんね。
競争相手が存在するのもこの世界なのでしょうが、それだけを目的にしてしまうと
行き詰ってしまうんですよね。
>>97 その言辞の中で、
あなた自身こそが、「体」と「体でない私」との間で振り回されている。
体が私だと認識しても、私でないと認識しても、
単に現象であることに変わりはない。
「体」もまた現象であり、「体でない私」もまた現象であり、現象とは因果に他ならない。
区別に囚われているのはあなた自身のように見える。
あるがままに見るというのは、もっともっと達観した視線ではなかろうか。
107 :
風:2006/11/22(水) 12:47:05 ID:fnMtFWnO
常に勝ち続けたいという願いはわかりますが、それはありえない。
勝負とはそいいうもの。
因果を含めた価値観は、普遍的ではありえない。
そもそも、価値観自体が、体を中心にあることを忘れてはいけないと思います。
108 :
まい:2006/11/22(水) 12:50:13 ID:7SCvJ0Ik
・・・あるがままに見るかぁ。
109 :
風:2006/11/22(水) 12:50:26 ID:fnMtFWnO
誰かに対する言葉は、自己に対する言葉と同じもの。
他がなければ自己はなく、自己がなければ他もない。
そのおくにあるものこそが真実。
それ以外ではない。
110 :
風:2006/11/22(水) 12:54:09 ID:fnMtFWnO
あるがままとは、ありのままということ。
そこには意味などはありません。
見るだけ。
111 :
まい:2006/11/22(水) 12:55:17 ID:7SCvJ0Ik
ただ存在する・・という結論と、何らかの目的が・・という結論に大別されるのかな。
どっちが正しいのかなんて、確認する方法なんてなくて、とりあえずの枠組みを各人が選択しているだけなんだろうけど。
112 :
風:2006/11/22(水) 13:00:39 ID:fnMtFWnO
目的探しは因果と同じ理由づけ。
選択は自由ですがね。
あるがままと、わがままは違う。
わがままは自分にとってどうかというエゴでしかない。
あるがままは「在るまま」そのままでいいということ。
113 :
風:2006/11/22(水) 13:05:16 ID:fnMtFWnO
ああ、また気付きましたね。
そうか。
勝負は、勝ちと負けがある。しかし、負けない方法はあります。
勝負しないこと。
勝負かぁ。
仮に生き残りをかけた勝負があったとして、長く生きることに価値を置かなければ
勝負する必要はないですもんね。
でもその時「死にたくない」という意識が働いた場合、「死にたくない」という本能の
メッセージにはなにか、生きなくてはならない意味があるのでしょうかね。
主体的なするしないの選択を出来るときばかりではないと思うのですが。
115 :
まい:2006/11/22(水) 13:16:06 ID:7SCvJ0Ik
114はワタシ。
116 :
風:2006/11/22(水) 13:57:00 ID:fnMtFWnO
死にたくないという思いがありますか。。
時期がくれば、そういうこともある、というだけ。
どんな形も、形出ある以上、いつかはなくなる。
それで終わりと思うなら、執着もするでしょうね。
117 :
風:2006/11/22(水) 14:04:56 ID:fnMtFWnO
誤字脱字お許しください
118 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 17:26:38 ID:tx4wE141
>>104 オカルトとはラテン語のocculereの過去分詞「occulta」を語源とする。
19世紀に派生した非正統キリスト教以外の平常の生活から隠された
人間の知識を超えた神秘の研究とその結果である神秘主義体系をオカルティズム
と呼ぶ。
ゆえに通常の宗教における祈る行為自体がオカルトの範囲内にはならない。
>>97 >視覚にとらわれ
われわれの意識、思考もまた因果の中にあるのでは?
それとも、思考の停止を持続・継続することが目指すべきところかな?
非想非非想処定とか・・・w
ヨーガとか瞑想を極める方向をとったらどうかな? >>風
因果と言うか、悪い因果(心当たりのある悪業)を感じてはいるが、その念を正確に、どの言動が引き起こした
かを正確に認識する方法は個人レベルでは無理なのかな??
121 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 00:16:47 ID:e9892Edh
>>120 どういった悪行をしたんですか?
差し支えなければ教えてください
123 :
風:2006/11/23(木) 01:11:11 ID:SY+6hUsG
>>119 瞑想は手段であって、目的ではないと認識しています。
それが入れ替わっても、最終的には同じですが。
私は日々、瞑想は実行しておりますが、それゆえ気付く場合もあれば、気付かぬ場合もあります。
人として、日常を制約の中でいきるからこそ、気付けること。
私はそれらを糧にしたいと考えております。
124 :
風:2006/11/23(木) 01:15:25 ID:SY+6hUsG
私がやっかいな存在として消滅のために取り組んでいるのは、「自我」「思考」「心」です。
なくてはならないと認識されている方もおられますが、私は違います。
苦しみを生み出す根本に対峙し、日々精進あるのみと思っております。
125 :
brown:2006/11/23(木) 01:54:53 ID:8Tw74zQi
>>124 非常にいいですね。
自我や思考は大変やっかいな存在として現れてきますよね。人生の本質的な
欠陥,苦しみの源といえるでしょう。
しかも,瞑想に取り組めば取り組むほど,精進が進めば進むほど,それは
深まりますよね。
段階を追わないと,そこから,ショートカットすることはなかなかできない
かもしれないけど,瞑想がどんどんどんどん深まっていくとある段階で,
確かに自我や思考や心を消滅させてしまうことはできるようになっていくけど,
でも,さらに,より根本的に進めていけば,実は,自我や思考や心なんて,
消滅させなくてもかまわないことに気づくことにはなるんですね。
つまり,苦しみ自体が,それを生み出している心自体がそもそも幻というか,
なんでもないというか,消滅させるもさせないも,初めからなんでもないもの
だということが分かってくる。
仏教でも無我や空ばかり強調されてるし,この段階は従来の宗教ではもしかしたら
語られてない段階なのかもしれないけど,実際,自我や思考,心なるものは
なんら障害ではないことが明らかになるはずですね。それはあっていいんです。
それによって傷つけられたり,損なわれたりするものってなにもないから。
それがあったままでノープロブレムということが分かってくるはずなんですね。
126 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 01:58:21 ID:ZlQwy8Iw
>>124、
「自我」「思考」「心」は神が人間に与えたもので、いわば自尊心です。
これを無くすることは出来ません。無くそうとすることは排他的行為であり、
また、神への冒涜行為でもあります。そし無くなるものではないものを、
無理に無くそうとすることは新たな苦を作ることにもなります。
しかし、唯一、「自我」「思考」「心」を無くする方法があります。
それは自殺することです。それ以外これらを無くすることはできません。
>>126 >しかし、唯一、「自我」「思考」「心」を無くする方法があります。
>それは自殺することです。それ以外これらを無くすることはできません。
とりあえず、その根拠が知りたい。
意識は肉体を離れることができるのに、
肉体がなくなると心がなくなるというのも説得力はない。
というか、釈迦の始まりは、その辺から来てるんじゃないの?
もうちょっと、ましな説明がほしい。
128 :
風:2006/11/23(木) 02:18:59 ID:SY+6hUsG
神という概念そのものが、存在しえません。
自殺するのは、それが解放と信じるからです。
しかし、現象は解放ではありません。
129 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 03:08:29 ID:e9892Edh
>>127 唯物論では126は正しいよ
>>128 神は存在するかどうかわからんが神という概念は存在するだろ
自殺はある意味現実社会からの開放だよ
これはいい意味ではないがな
>>129 唯物論で心とか神が存在するのか?
そういえば、心身一元論とか言ってたやつがいたなぁ〜
ロゴス中心なら、もう少し、ましなことを言ってほしいという願いなんだがな・・・・
まあ、
>>126は質の悪いジョークで、気が利いてないだけのことなんだけどね。
131 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 13:04:47 ID:57u/TuZN
>唯物論で心とか神が存在するのか?
そりゃそうだよ、だって「神を信じたら物も信じちゃいけない、」なんていう
バカな法律はないだろ?両方ありなんだよ。
>>131 うん、そうだね。
なんか君の言ってることには、だれも逆らうことが出来ない、キキ迫るものを感じる。
133 :
まい:2006/11/23(木) 14:15:49 ID:e9CDFMym
>>128 それはちょっと・・「現象から開放されるには自殺しかない」と読めるけどw
134 :
まい:2006/11/23(木) 14:21:41 ID:e9CDFMym
>>127 深〜〜い!
ま、死後のことはわからないという話にもなるし・・不成仏霊の話を聞ける人には
身近な問題なのかもしれないがw
135 :
風:2006/11/23(木) 15:11:25 ID:SY+6hUsG
死は現象にすぎません。
それは、無に帰すわけでなく、本来の姿に戻るだけです。
確かに、死は現世における苦しみからの解放を一側面では意味します。
しかし、それが本当に終わりを意味するならば、生まれてくるのはなぜかということになりませんか?
生と死は表裏一体。同じものだと思います。
生きること、死ぬことは、自然の摂理。形あるものは、消滅します。
それに意味をもたせるのは個人であり、人です。
136 :
まい:2006/11/23(木) 15:40:05 ID:e9CDFMym
意味を持たせて、現象からの開放をとりあえず我慢している人は多いと思うんだけど・・
風さんは個人的にはどう意味付けたのですか?
>>21 始まりがあるから終わりがある
終わりが新たな始まりとなる
生まれたら必ず死ぬ、人と会ったら必ず何時かは別離がある
これが因果
しかし人間は、自分は死なないし、愛する者との別離がないと信じたがる
その執着が強ければ強いだけ人間を苦しめる
ただ、因果が過去世から引き継がれているか、来世へ引き継がれるかは分からない
それを証明することはできないし、当然ないことも証明できない
ただ、外れる予言はかっこわるいね
>>29 苦悩をもたらすことを悪とした
釈迦は倫理的悪や快楽主義は人間を苦しめることになると考えている
原始仏教でも、在家者に倫理道徳を勧める際は三世の因果を説いている
>>42 事象に「原因と結果」という関連性を認める者は、必然的に因果論者だよ
(三世に渡ることを認めるかどうかは置いておいて)
因果論は個人が努力することで境遇を変えることができる、と教えている。
>>49-50 顕正会の因果論は置いておいた方がいいと思う
>生まれながらにハンディキャップをもつ子供や、余命いくばくもない子供達は過去からの因縁とでもいうのか?
たとえば遺伝子や公害という因によって、障害を持った子供が生まれる
これも因縁といえる
過去世の因が引き継がれているかどうかは知らないし、分からない。
ただ、ハンディキャップを持った子でも、前向きな努力(特定団体への寄付とかじゃないよ)
を持ちましょうとはいうかもね。
自暴自棄になると余計に苦しみが増すだろうから…
>因果と呼ばれているのは「選択と現象」それを結び付けているのは、「人の主観」です。
原始仏教でも、その辺の細かい分類があったと思う
あんまり詳しくないけど
>それは、差別といいます。神はそんなに心がせまいのですかね?
仏教は運命を支配するような神を設定しませんので
ごめん
全部読んでなかった
141 :
まい:2006/11/23(木) 16:37:11 ID:e9CDFMym
142 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 23:53:25 ID:UEHV9udl
>>139 遺伝子や公害ならわかるんだが
もし前世の悪業やカルマでハンデイキャップ持って産まれるんだったら
乙武はどんだけ前世で悪いことをしたんだってことになるよね。
ある意味カルマ論てのは身障者に対する侮辱になるんだよな。
>>142 わかるわかるw
確かにその感覚って気持ち悪い。
因縁とか霊障を多用する仏教のキモイところって、それだったんだね。
なるほど。
>>142 >もし前世の悪業やカルマでハンデイキャップ持って産まれるんだったら
歴史上の釈迦が、障害の因を過去の生に求めたかどうかは知らないけど、
釈迦は過去の悪業より現在のあり方を問うたのではないかと思う。
136
生まれによって賤しい人となるのではない。
生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
「スッタニパーダ」
>ある意味カルマ論てのは身障者に対する侮辱になるんだよな。
それは聞く側が、因果が三世に渡るという価値観を持っていない場合だね。
信じない人は自己のあずかり知らない行為の責任の結果をおわされているという
不条理な印象を持つだろう。
しかし、歴史的釈迦が説法したのは宿業論を信じている者だった。
だから「過去の行いが悪かったからだ、だから今生では善く生きなさい」という話が通じたんだろう。
>>144 >因果が三世に渡るという価値観を持っていない場合だね。
そんな価値観で、差別するのがキモイ。
そんな差別を堂々と羞恥心なく言えるのも、君の因果なんだろうなw
とりあえず、君は人の心配する前に、
自分のその因果をはらったほうがいいと思うぞ。
かなり、悪いことしてると思う。
病人の身ぐるみ剥いで生計立てたりしてたんじゃない?
養生しんさいw
悪いこと言わないから。
沈黙した方が身のため。
>>145 ??
私自身が三世の因果を信じていると、どこかに書いたっけ?
障害者に対して差別意識を持っていると書いた覚えもないが
あなたが他人をただ煽りたいだけの人なら仕方ないかもしれないけど、
そうじゃないなら誤解されるような箇所を明示してもらえんかな?
まあ、お釈迦さんが現在いた場合、宿業論を全面に押し出さないんじゃないかと思う
148 :
風:2006/11/24(金) 01:26:34 ID:XVwI+t+e
それを論じてあなた方は何をしたいのですか?
自己の正当性ならば、いわずとも証明されている。
ただ、他に違う意見があるというだけ。
因果に縛られていきるかどうかは、その人の選択。
それがいやならば、選択しなければいい。
言葉にしなくてもね。
争うだけ疲れますよ。
>>146 ?
通常は
>>144のようなレスをすれば、
因果論の立場でレスしてると考えるのが適当。
まあ、違うんなら、どうでもいいんだから、聞き流せば?
参考程度にレスしました、ごめんなさいで終わる話。
まあ、どちらにしても、その辺はキモイから、私もどうでもいい。
んじゃw
>>148 >それを論じてあなた方は何をしたいのですか?
主に雑談
場合によっては勉強の種の発見と、論理の修正点の発見。
それにしても、あなた方?
>自己の正当性ならば、いわずとも証明されている。
信仰の正当性を証明することは不可能だよ
だからこそ、それは常に問い続けなければならない
それをやめることは信仰の堕落だろうね
>因果に縛られていきるかどうかは、その人の選択。
>それがいやならば、選択しなければいい。
ほっといても人間は普通、因果に縛られているよ
過去を悔い、将来に不安を持ち、常に何かを選択し続けている。
歴史的な釈迦は、因縁に依って起こることに執着するなとはいうけどね。
(三世の因果に縛られるかどうかは、知ったこっちゃないが)
>>143 >通常は
>>144のようなレスをすれば、
>因果論の立場でレスしてると考えるのが適当。
通常といわれても、具体的に指摘されないと改善できない。
> 歴史上の釈迦が、障害の因を過去の生に求めたかどうかは知らない
顕正会の狂信者のような人だったら
「釈尊が言われたことだから間違いなく、障害者は前世に悪業を積んだんだ」
と言うだろう
(それに歴史的釈迦という言い回しはしないね)
よく読まないで煽る人は、顕正会のキチガイより嫌いだな
152 :
風:2006/11/24(金) 01:49:19 ID:XVwI+t+e
反論はお上手ですね。
>>151 なにをムキになってるのか知らないですけど、
あなたは、因果論を信じてるんでしょ?
それにイエスかノーかしかないと思うのですけど?
どっち?
>>152 反論”は”ね
原始仏教の良コテの人々はもっと強烈だよ
理屈っぽい印哲やってるから
あそこの過去ログは参考になった
>>151 反省する点は
>>ある意味カルマ論てのは身障者に対する侮辱になるんだよな。
>それは聞く側が、因果が三世に渡るという価値観を持っていない場合だね。
>信じない人は自己のあずかり知らない行為の責任の結果をおわされているという
>不条理な印象を持つだろう。
>しかし、歴史的釈迦が説法したのは宿業論を信じている者だった。
>だから「過去の行いが悪かったからだ、だから今生では善く生きなさい」という話が通じたんだろう。
この文章の最後に
>お釈迦さんが現在いた場合、宿業論を全面に押し出さないんじゃないかと思う
これを書かなかったことか
(でも、釈迦が宿業論をどう扱ったかは確信を持てないんだよな)
わかりやすい文章は難しいな
155 :
風:2006/11/24(金) 02:19:25 ID:XVwI+t+e
論じて悟りをひらけるならば、容易いですよね。
>>153 よければ
>>144の問題箇所を指摘してね。
>あなたは、因果論を信じてるんでしょ?
人は生まれたら必ず死ぬ
人は生きていれば必ず老いる
愛する者とは必ず別離がある
この因果は信じている、というより自明だと思うが
三世の因果があるかどうかは知らん
>>155 それはまず、覚りとは何かを規定しないといけないでしょうね。
最近、原始仏教について調べているんですけど、
印度人らしく論理を大切にしていたようです。
>>156 結果における原因が人智で探れると言うことなのかな?
>>158 原始仏教は人間の認識力の範囲内で論証できることを問題にした、らしい。
とはいえ釈迦が神通力を使ったことや、輪廻説を認めていたようで、
この辺の解釈は原始仏教を勉強している人々の意見も分かれているようだ。
>>159 結局は主観ということ。
まあ、どちらにしても、勝手な解釈を人に押し付けるのは気持ち悪い。
思うのは自由ですけどね。
でも、なにも出来ないなら、なにも言わない方が良いと言うことだと思う。
私のいいたいことは、それだけのこと。
>>160 ?
なんでこの時点で結論を出せるんだ?
>人間の認識力の範囲内で論証できることを
ひょっとして認識の範囲内を指して主観と即イコールにしたのか?
(たとえば1+1=2 これは認識の範囲外か内か?)
あんまり論理的な人じゃないな
思い込みと結論ありきで考えても、まっとうな答えは出ないよ
下手をすると破壊的カルトやマルチ商法などの扇動に引っかけられることになる
>>160 それとだな
>まあ、どちらにしても、勝手な解釈を人に押し付けるのは気持ち悪い。
>思うのは自由ですけどね。
自明と思えることは言ったが、勝手な解釈は押しつけてはいない
押しつけていると感じた箇所があるなら指摘してくれ
参考にするから
結果による原因は、人智では判断できないのだろう?
出来るとしたら、それは仏教でお釈迦様を信じる人の間での話と君は述べている。
お釈迦様を信じない人にとっては、余計な話にしかすぎない。
だから、沈黙しなさいということでしょw
どこが論理的ではないの?
>>163 >結果による原因は、人智では判断できないのだろう?
できると言った覚えはないが…
ただ、人が生きていれば老いる
この老いるという果から、生きて時間を過ごしているという因があることは判断できないか?
>出来るとしたら、それは仏教でお釈迦様を信じる人の間での話と君は述べている。
そんなこと言ったっけ?
どこか具体的に指摘してくれないか?
>>162 >自明と思えることは言ったが、勝手な解釈は押しつけてはいない
>押しつけていると感じた箇所があるなら指摘してくれ
>参考にするから
通常は、一回で納得するものだが・・・・・・・・・
>>144 >それは聞く側が、因果が三世に渡るという価値観を持っていない場合だね。
>信じない人は自己のあずかり知らない行為の責任の結果をおわされているという
>不条理な印象を持つだろう。
>しかし、歴史的釈迦が説法したのは宿業論を信じている者だった。
>だから「過去の行いが悪かったからだ、だから今生では善く生きなさい」という話が通じたんだろう。
君がそれを信じているから、このようなレスが可能になると通常は判断する。
まあ、参考にしてくれ。
納得しないなら、君の周りに聞いてみなさい。
できれば、君より年上の方がいいね。
学校の先生とか。
>>163 >どこが論理的ではないの?
>>160で
>結局は主観ということ。
と論証なしに、いきなり結論づけたこと
最初から結論を用意してないか?
>>165 >しかし、歴史的釈迦が説法したのは宿業論を信じている者だった。
>だから「過去の行いが悪かったからだ、だから今生では善く生きなさい」という話が通じたんだろう。
これの文意が伝わらなかった?
当時は三世の因果が一般的に信じられており、
差別と受け取られない世情だったという主旨だったんだが
だから後で付け加えたけど結論は
>お釈迦さんが現在いた場合、宿業論を全面に押し出さないんじゃないかと思う
ひょっとしたら世界史が疎いのか?
輪廻説と因果業報説は釈迦の時代は常識だったんだよ
>>164 >できると言った覚えはないが…
できないのなら、できないと言えば終わるだけのこと(笑
仏教らしい堂々巡りで遊んでマヌケさらしてるのが楽しいのかな?
マゾ?
>ただ、人が生きていれば老いる
>この老いるという果から、生きて時間を過ごしているという因があることは判断できないか?
それが君の判断を押し付けてる(笑
なぜ老いるのか?
そういう疑問の可能性をなぜ遮断するのかな?
それをまず、君は学習する必要がありそうだ(笑
>そんなこと言ったっけ?
>どこか具体的に指摘してくれないか?
めんどくさい。
自分で探してたもれw
170 :
名無しさん@3周年:2006/11/24(金) 03:53:23 ID:pni5Nzak
>>155 議論は必要ですよ。論じないで解りあえますか?超能力者のように
言語をせずとも相手の意思を理解出来るなら別ですが。
それとあなたは生も死しも同じ現象であると言いましたね。
これが根本的なかんちがいです。生とは肉体があり心臓が脈打ち、
思考し、睡眠し、糞尿し、sexし、onanyし、仕事、恋愛、レジャーなど
あらゆる行為をこの現象界において実行しなければなりません。
死とは、肉体が消滅することにより、上記の行為をまったくしない状態に
なります。ゆえに生と死は180度ちがいます。
生死が同じならば味噌も糞もいっしょくたにするのと同一になります。
あなたはまずこの認識から改めて下さい。
>>167 >これの文意が伝わらなかった?
>当時は三世の因果が一般的に信じられており、
>差別と受け取られない世情だったという主旨だったんだが
>だから後で付け加えたけど結論は
>>お釈迦さんが現在いた場合、宿業論を全面に押し出さないんじゃないかと思う
>168 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2006/11/24(金) 03:49:37 ID:c3CcQVsD
>ひょっとしたら世界史が疎いのか?
>輪廻説と因果業報説は釈迦の時代は常識だったんだよ
君は、自分と同じレベルの世界で生活しなさい。
できれば、釈迦の時代へ行きなさい。
バイバイ(^O^)/
>>169 >できないのなら、できないと言えば終わるだけのこと(笑
今までのレスの中での話だよ
その質問を受けた覚えはなかった(か見落としていた)もんでね
>なぜ老いるのか?
>そういう疑問の可能性をなぜ遮断するのかな?
??
老いるという果から、生きて時間を過ごしているという因”しか”判断できない、と言った覚えはない
老いるということから遡及して別の因を考えることができないと、どっかに書いたっけ?
◆konbu//XQ6って面白い
>>174 めんどくさい人だねぇ〜(笑
>>172 >
>>169 > >できないのなら、できないと言えば終わるだけのこと(笑
> 今までのレスの中での話だよ
> その質問を受けた覚えはなかった(か見落としていた)もんでね
答え
>>163 >結果による原因は、人智では判断できないのだろう?
見落としようがないとおもうのだが(-_-;)・・・・・・
> >なぜ老いるのか?
> >そういう疑問の可能性をなぜ遮断するのかな?
> ??
> 老いるという果から、生きて時間を過ごしているという因”しか”判断できない、と言った覚えはない
> 老いるということから遡及して別の因を考えることができないと、どっかに書いたっけ?
答え(笑
>>164 >ただ、人が生きていれば老いる
>この老いるという果から、生きて時間を過ごしているという因があることは判断できないか?
だよ。
なぜなら、このレスの流れは、因が断定できるがどうかなのよん(^^♪
まあ、君のことだから、また、延々とレスを続けるのだろう(笑
そう思うなら、因が断定できると思う君が自分でその因を探しなさい。
因が断定できないなら、私が正しかったと思って、納得しなさい。んで終了w
>>175 >めんどくさい人だねぇ〜(笑
すまんな
プロの粘着とは知らなかったんだ
分かっていたらもう少し話し方を変えたよ
>答え
それ答えになっていない
>>163 結果による原因は、人智では判断できないのだろう?
それは
>>163で初めて出た質問だろ
だから
>>164で
> できると言った覚えはないが…
と言う答えになる
>>163以前には出てない(か見落としている)
出ていない(か見落とした)質問には答えられない
果から因を判断できてるね
>>175 >だよ。
>なぜなら、このレスの流れは、因が断定できるがどうかなのよん(^^♪
論理的じゃないな
そちらの脳内ルールを持ち出されてもなあ
まあいいや
結論ありきの人と話しても、お互いしょうがない
お休み
>>177 君は自分を論理的だと思ってるようだけど、まったく論理的ではないからね(笑
このスレも、私のレスの流れも、果に対する因が決定できるかどうか。
私は、決定できないといって、君はそれに対して、反論してるのだろう。
もし、それに対して、反論があるのなら、君は判断を保留にしてるということだ。
ということは、どちらにしても、因に縁る果は決定されないのだから、
障害者になった因は決定できないには、肯定せざるを得ない。
もしくは、また、遺伝子が決定するとかごまかすのか?
まあ、いいだろうが、とりあえず、ここまでの流れはどうかな?
君の屁理屈のポイントは判断できるが(笑
ちなみに、これから、仕事よん(笑
180 :
風:2006/11/24(金) 07:39:56 ID:XVwI+t+e
>それとあなたは生も死しも同じ現象であると言いましたね。
これが根本的なかんちがいです。生とは肉体があり心臓が脈打ち、
思考し、睡眠し、糞尿し、sexし、onanyし、仕事、恋愛、レジャーなど
>そんなもの、論議と関係ありますか?
いちいち誰かと話さなければできないことではない。それとも、常に話さなければいけないことでもあるのでしょうか?オ○ニー中に?
181 :
風:2006/11/24(金) 07:49:02 ID:XVwI+t+e
>現象界において実行しなければなりません。
>現象界?何かの宗教ですか。なるほどね。染まってるわけですね。(笑)
>死とは、肉体が消滅することにより、上記の行為をまったくしない状態に
なります。ゆえに生と死は180度ちがいます。
>死は肉体を失うことですが、単にその現象だけです。無に帰すと解釈する根本には「体が私」という唯物論的視点にたっています。ゆえに、現象界なる表現は、できません。
182 :
風:2006/11/24(金) 07:54:56 ID:XVwI+t+e
なぜなら、唯物論とは、「体感できるものが全て」であって、それ以外のものの存在を否定する論法です。
まさに、あなたがそれです。
ところがね、価値観はあなだけが知りえるものではないのですよ。
十人いたら、同じ数の価値観がある。
それを、議論で理解しあえるとするのはいかがでしょう?腹の中がわかりますか?超能力者でもないのに?
183 :
風:2006/11/24(金) 07:59:20 ID:XVwI+t+e
>死とは、肉体が消滅することにより、上記の行為をまったくしない状態に
なります。ゆえに生と死は180度ちがいます。
生死が同じならば味噌も糞もいっしょくたにするのと同一になります。
あなたはまずこの認識から改めて下さい。
>私にとって、本来、論議など必要でない行為。なぜそれをあえてしたか、おわかりになりますか?
ご自分だけが正しいと思うから、議論しなければならない。
その根本には相手の否定がある。
184 :
風:2006/11/24(金) 08:05:46 ID:XVwI+t+e
価値観がそれぞれであるのに、それを統一しようとするのが、
>>170さんの行為。
私はそれはでなきないといっているだけ。
そもそも、否定などできないのですよ。対象がなければ否定はない。あなたは、私がいなければ、存在しえない。私も同じなのですよ。
否定して、存在がなくなりますか?暴力がいけないと、声高らかに叫んでも、暴力はなくならない。
取り組み方が違うのですよ。
185 :
風:2006/11/24(金) 08:14:53 ID:XVwI+t+e
こんな具合にね、視点をかえて、みるだけで議論などいくらでもできます。
視点が違うということを踏まえないと、相手を否定し、非難し、中傷合戦となる。
それに意味などありますか?
宗教論争などまさしくこれ。正論など、価値観の押しつけにしかすぎない。
少なくとも、私は断固拒否ですね。
あー。好きでもない議論などするもんじゃない。。
馬鹿馬鹿しい。
好きそうに見えるけどねw
>>176 >
>>175 > >めんどくさい人だねぇ〜(笑
> すまんな
> プロの粘着とは知らなかったんだ
> 分かっていたらもう少し話し方を変えたよ
話し方ではなくて、方向性を定めてくれ(笑
> >答え
> それ答えになっていない
なにが答えになってないか、明確にしてくれ。
知識の理解なのか、論理力なのか判断つかん。
知識なら、どうでもいいから、好きにしろ(笑
おまえの知識にはまったく興味ないヽ(^。^)ノ
>
>>163 結果による原因は、人智では判断できないのだろう?
> それは
>>163で初めて出た質問だろ
> だから
>>164で
> > できると言った覚えはないが…
> と言う答えになる
ということは、判断保留かな?
>
>>163以前には出てない(か見落としている)
> 出ていない(か見落とした)質問には答えられない
> 果から因を判断できてるね
ありゃ?
判断できるのかい(笑
もともと、君のこのスレ
>>144 > それは聞く側が、因果が三世に渡るという価値観を持っていない場合だね。
> 信じない人は自己のあずかり知らない行為の責任の結果をおわされているという
> 不条理な印象を持つだろう。
> しかし、歴史的釈迦が説法したのは宿業論を信じている者だった。
> だから「過去の行いが悪かったからだ、だから今生では善く生きなさい」という話が通じたんだろう。
>146 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2006/11/24(金) 01:21:59 ID:c3CcQVsD
>
>>145 >??
>私自身が三世の因果を信じていると、どこかに書いたっけ?
と書いてるところから始まってるわけだ(笑
その文章から察するに、信じない人間には因果は関係ないと君が主張したいようだから、
君の粘着は、関係のない私に粘着して因果をつくろうとしてると解釈していいのかな(笑
私は君の世界観にはまったく興味ないから、君の粘着も興味ない。
まして、君の障害者に対する興味など、私にはあずかり知らぬこと。
ということで、既に終わってるのに、君の粘着はまだ続くのかな?
もしかして因果マニア?(笑
オチノシ
189 :
風:2006/11/24(金) 10:38:51 ID:XVwI+t+e
さぁ、なんくせつけられないうちに退散、退散。
190 :
風:2006/11/24(金) 11:11:08 ID:XVwI+t+e
生と死が同じものといったのは「現象」として同じだといったのです。それに意味を見いだすなら、それはそれ。
私は意味などないと思います。
ただ、在るだけ。
誕生する前から在り、死してなお在る。
もっとも、私の価値観ではそうだということ。
あるがままに在る。
判断と判断の応酬。
192 :
まい:2006/11/24(金) 14:50:11 ID:4dVd1zLo
>>188 キミらの話。どっちがどっちの言葉かわからないほど、内容的には同じなんじゃない?
193 :
まい:2006/11/24(金) 14:55:09 ID:4dVd1zLo
風さん、出来たら
>>136の質問に答えをいただけますか?
194 :
風:2006/11/24(金) 15:56:30 ID:XVwI+t+e
現象への意味付けは、個人の選択と認識しています。それ自体がいい悪いではなく、そのフィルターを通してしか物事を見れなくなることに危惧を感じます。
要は「自分だけが正しい」と思ってしまうことですね。
人の感覚はそれぞれ。受け入れた価値観もそれぞれ。それを判断し、評価し、悪であるなどと思ってしまうこと、そちらのほうが、器の狭さを感じてしまうので、私はそうはなりたくないなと心がけるのです。
195 :
風:2006/11/24(金) 16:02:49 ID:XVwI+t+e
評価や判断は誰でもします。
しかし、その奥にある「誰が判断しているのか」ということに、気付いていないと、とんでもないことになると思うのです。
つい先程も失敗しましたが、「全ての人が精神世界を理解できるわけではない」し、「どんなに言葉を尽くしても伝わらない時もある」ということを認識していないと、水掛け論になってしまうと思うのです。
その点でも、私はまだまだ未熟ですが。
196 :
まい:2006/11/24(金) 16:05:15 ID:4dVd1zLo
例えば、目の前に自殺したい人がいたとしたら、相手が風さんの言葉を選択するかは別として、
風さんの言葉で語りかけるでしょう?
197 :
風:2006/11/24(金) 16:06:03 ID:XVwI+t+e
解放や解脱とは、明らかに「とらわれないこと」だと認識しています。
「変化するものに意味をもたせず、あるがままに見る」こと。
意味をもたせれば、苦しむことになると私は思います。
198 :
まい:2006/11/24(金) 16:06:41 ID:4dVd1zLo
風さんの現時点での言葉を聴きたいのです。
それとも誤解を恐れて沈黙しますか?
199 :
風:2006/11/24(金) 16:07:31 ID:XVwI+t+e
語りかけません。見るだけです。
事実を現象としてみるだけです。
200 :
まい:2006/11/24(金) 16:09:09 ID:4dVd1zLo
例えば、奥さんや子供にとっては、肉体を持った先輩として目の前にいるはずなのですが・・。
201 :
風:2006/11/24(金) 16:15:37 ID:XVwI+t+e
であっても、それを真実としては見ていません。
現象や視覚できるものを真実としてみてしまうと、それにより穏やかではいられなくなります。
思うようにならないことにとらわれることをいいとは思いません。
202 :
風:2006/11/24(金) 16:21:16 ID:XVwI+t+e
目の前にいる彼女等のなかに、私は同じものを見ます。
それにより「お互いが成長できる」と確信します。
先日などは、子供から「愛」を学びましたよ。
203 :
まい:2006/11/24(金) 16:23:30 ID:4dVd1zLo
思うようになるもならないも、関わらないと言うことは肉体を持っているという今を
放棄していることになりませんか?
どうあってほしい・・と望みとらわれるのではなく、流れの一部として存在していると思うのですが。
その手段のひとつとしてコミュニケーションもありますよね。
人間はこの世界で、言葉を必要としています。
肉体を持っていることで、体温を感じることも出来ます。
204 :
風:2006/11/24(金) 16:24:12 ID:XVwI+t+e
言葉は確かにコミュニケーションのツールには違いありませんが、それが完全なものと認識してしまうと、それでまた苦しむことになると思うのです。
人は不完全。だからこそ様々な場面で完全を求めるのだと思います。
205 :
風:2006/11/24(金) 16:30:19 ID:XVwI+t+e
今を認めるということは「真実を見極める」ということでもあります。
今を放棄などできるでしょうか?
無理な話です。
私は単に「肉体をもつもの」が人であると見ていないというだけ。
それ自体(肉体をもつ姿)を否定などできません。
それがあるから、様々な無限を体験できるのだし、気付けるのだと思っています。
206 :
まい:2006/11/24(金) 16:32:13 ID:4dVd1zLo
確かに、言葉一つとっても誤解を生むことはありますね。
でも、「言わなくてもわかるだろう」というのは甘えであり、怠慢であると思うんですよ。
(風さんがそうだと言う意味ではありません
不完全だからこそ確認する努力は必要だと思うし、縁あって身近にいる人は、互いに迷惑を
掛け合いながらも、一緒に成長して行けると思うんですよね。
何が言いたいのかわからなくなってしまいましたが・・
風さんならどう言葉をかけるのかなと思った次第です。
207 :
風:2006/11/24(金) 16:55:02 ID:XVwI+t+e
そう思うならば、実践すればいいと思いますよ。
相手に求めるのではなく。
往々にして、夫婦や恋人となると、その人自体を「所有した」と思ってしまいがちになります。子供も同じですね。
だから、思うようにしたがる。
しかし、それこそ思い違いだと思います。
所有ではない。別人格が共同生活を営む場が家庭であると思います。
だからこそ、おっしゃる「おもいやり」が大切なのだと思います。
208 :
1/3:2006/11/24(金) 17:17:12 ID:6u62AaBl
>>145 @
>>144のその文が、なぜ差別と読めるのか理解に苦しむ。
>>149 A144の発話者がどの立場かは144からは読み取れない。
どういう立場の者であっても、144の発言はできる。
B>参考程度にレスしました、ごめんなさいで終わる話。
君の@の差別との判断が発端だろ?
>>153 C彼が因果論を信じているかどうかはわからないと思うが?
また、その「因果論」が、恣意的な判断を中心とするものか(応報としてのものか)、
(物理的事例も含めた)現象そのままの推移を指すものかにもよるだろう。
(彼の言辞は後者の可能性が高いが)。
また、A同様、信じていても信じていなくても144は可能な言明だ。
(言い方は悪いが、自身のスタンスを棚上げしたままでも語れる内容だということだ。)
>>158-160 D押し付けではないと思われるが? 会話における断定口調を否定される立場なのかな?
>>163 E>だから、沈黙しなさいということでしょw
君は風かw こういう思考もある、という提示も許されないことなのか?
>結果による原因は、人智では判断できないのだろう?
事例によるのでは? また、だからと言って「だから沈黙せよ」という命令を聞く必要もなかろう。
我々は、語ることによっても自身の理解を深めることができるのでは?
>余計な話にしかすぎない。
無理やり聞かせている訳でもなかろう。興味のある者だけが立ち止まり耳を傾ければいい。
209 :
2/3:2006/11/24(金) 17:18:06 ID:6u62AaBl
>>165 F>君がそれを信じているから →A
>>169 >できないのなら、できないと言えば終わるだけのこと(笑
156・164の例文が今一つ(或いは説明不足)であることは認めるが、
>>159で言われることは、人智で判断できる範囲内のことを仏教では説く、ということ。
(勿論、三世や輪廻、業果の相続に関しては諸説ある。だからこそ、「当時は」という限定が付く。)
G>めんどくさい。自分で探してたもれw
159は、 >出来るとしたら・・・お釈迦様を信じる人の間での話 という意味ではないように見える。
>>175 確かに、彼の返答は君への回答として不十分ではあろうが、
>>176後段の通りかと思う。
H>なぜなら、このレスの流れは、因が断定できるがどうか
その流れは、君の
>>158からだろう。
それに対して、(それ以前の流れから)原始仏教では・・・という159になるのだろう。
本人のスタンスが知りたければ、そのように聞けばいい。
また。158は探れるかどうか(→考察するかどうか)であり、
断定できるかどうかは163で改めて問い直されている。
>>178 I>私は、決定できないといって
君の意見としてそのようなレスはなかったと思うが?
君は、「わからない」という立場だと思って読んでいたよ。
また、このレスの構成の仕方はイヤラシイと思う。途中で話を横に振っておいて
振った先の回答を以って最初の話題の回答とするような・・。
彼の言説も、曖昧でぼやけた所もあるが、君の最初の絡み方が煽り的であったという自覚はあるかい?
210 :
3/3:2006/11/24(金) 17:18:51 ID:6u62AaBl
ま、後半は売り言葉に買い言葉の応酬と化しているし、彼のレスの仕方もふらついてしまっているが、
最初のボタンの掛け違いが響くという好例かもしれない。
とりあえず、彼サイドから見てみた。
(話題に対する)私の意見は殆ど入っていない。
少なくとも、
>>144には、別段噛み付くほどのものはない様に思うが、どうなんだろう?
144は、おかしな文章なのかな?
>君は風かw こういう思考もある、という提示も許されないことなのか?
>>結果による原因は、人智では判断できないのだろう?
>事例によるのでは? また、だからと言って「だから沈黙せよ」という命令を聞く必要もなかろう。
>我々は、語ることによっても自身の理解を深めることができるのでは?
私は、風氏に近いよw
番号を明示したんだから、立場を明確にするべきだと思うよ。
曖昧なレスなら、独り言でレスすればいいw
>人智で判断できる範囲内のことを仏教では説く、ということ。
>(勿論、三世や輪廻、業果の相続に関しては諸説ある。だからこそ、「当時は」という限定が付く。)
私は別に仏教徒でもないし、仏教に深く傾倒してるわけではないけど、
お釈迦の教えは、逆だと思いますけどね。
人智で判断できないことばかりなので、自然に対して謙虚になれと言ってると思ってましたけどw
>I>私は、決定できないといって
>君の意見としてそのようなレスはなかったと思うが?
>君は、「わからない」という立場だと思って読んでいたよ。
ありゃそうかw
私は、わからない=決定できないと判断していた。
君は、そうではなかったのか・・・・・・
まあ、私にとっては、どうでもいい違いだったw
失礼した(^^♪
>少なくとも、
>>144には、別段噛み付くほどのものはない様に思うが、どうなんだろう?
>144は、おかしな文章なのかな?
ここまで、こだわる内容ではもちろんないと思う(^_^;)
まったく、同意。
>また、このレスの構成の仕方はイヤラシイと思う。途中で話を横に振っておいて
>振った先の回答を以って最初の話題の回答とするような・・。
横に振ってる?
それは誤解だと思うぞw
因果スレなんだから、因果の必然性に関わる問題で議論してると判断するし、
当然、流れ的に障害者の因が前世に関わるという各論に及んでいると判断したし、
それに対するレスであると判断しても、おかしくはないと思うけどね。
どちらにしても、私は粘着するのが目的ではないから、別に、誤解なら、それでいいよ。
そこに決めツケがないんなら、別に問題にするつもりもないしね。
君(あるいは彼?)が判断保留だといってるんだから、別にそれでいいと思うw
ということで、終わります(^^♪
不公平なので、逆のレスもしてみよう。
>>159に於いては、
>>158をちゃんと受けて、
「知りえない部分もあろう。が、絞り込むことができるものもあろう。
何について考察するのかが狭く限定されていれば、断定できることもあろう。
ちなみに、原始仏教では・・・」とすべきであったかもしれない。
>>161は、
>>160の「主観」が、初代スレ288で言われる様な、
或いは、>51>58中ほどの、『「どこを」因とし、「どこを」果とするか』
の部分であることに気付けば、161のようなレスにはならなかったろう。
(ま、160も、どのような主観かの補足がほしい所だが・・。
独我論的な意味でのものか、初代スレ288で言われるようなものなのか・・・。)
>>164の例文も、「老い」ではなく「死」を用いるべきであったろう。
>>156も、老いや愛別離苦は不適切だったかもしれない。ツッコむ隙を与え易い。
>>176 >158→>163と、同質の問いが続いたことを見落としている。
158への返答が不十分だったことは認めるべきではないか?
てか、初っ端からスルーをするという手もあったかもしれない。
君のレスも少々粘着の雰囲気が出ちゃってる気が・・・。
214 :
名無しさん@3周年:2006/11/24(金) 18:17:54 ID:UpclGKVc
ひとりよがりな風さんのスレはここですか?
>>211 >番号を明示したんだから、立場を明確にするべきだと思うよ。
>曖昧なレスなら、独り言でレスすればいいw
kwsk
>お釈迦の教えは、逆だと思いますけどね。
>人智で判断できないことばかりなので、自然に対して謙虚になれと言ってると思ってましたけどw
そうか。ちなみに私はそうは思っていない。
現世で涅槃を見ることが目的であり、そのために必要なことが説かれたと受け止めている。
>ここまで、こだわる内容ではもちろんないと思う(^_^;)
>まったく、同意。
では、なぜ、
>>145において、
>そんな価値観で、差別するのがキモイ。
>そんな差別を堂々と羞恥心なく言えるのも、君の因果なんだろうなw
>とりあえず、君は人の心配する前に、
>自分のその因果をはらったほうがいいと思うぞ。 (以下略w
という発言をした? 私が144であっても、カチン!とくるレスだぞ?
>>212 >それは誤解だと思うぞw
うむ、そうかもしれない。
彼のその後の対応(言辞)が、ぼやけてしまったせいかもしれないな。
>そこに決めツケがないんなら、
決めつけ無しに自身のスタンスを確立できるのか?
「こうかもしれない、ああかもしれない」では、自身のスタンスとして柱にならない。
「私はこう思う。」という自信のない言葉は、積み木の家にもなりゃしない。
216 :
まい:2006/11/24(金) 18:31:56 ID:4dVd1zLo
>>207 回答サンクスです!
みなどこかしらひとりよがりですよ。
風さんらしさから得るものもまたありますw
>>215 >決めつけ無しに自身のスタンスを確立できるのか?
別に、またはじめるつもりはないですけど、
私も君の意見に同意だし、そう思ったのだが、
彼の言い分は、判断保留というニュートラルだと言い張ってると思う。
だから、長引いたw
とにかく、君とのやりとりであったら、この方向にはならないでしょう。
まあ、本来のところもどうでもよくなっちゃったしね。
差別でないなら、それでいいと思いますし。
ということで、オチノシ
218 :
風:2006/11/24(金) 18:37:44 ID:XVwI+t+e
ひとりよがりっていうかね。。。
みんな同じなんですよ。
自分しかしらない。
それをわかってると思ってる。
219 :
名無しさん@3周年:2006/11/24(金) 23:08:05 ID:6NEx93jQ
天上天下唯我独尊
これこそが正しい
つまり自尊心をもつこと
自我を無くす必要などサラサラ無い
自我を無くす=自分を亡くす=死
>>208-210 面目ない
>彼の言説も、曖昧でぼやけた所もある
歴史的な釈迦について、原始仏教スレの良コテほど学んでいるとは言い難いから
ただ、釈迦の教えは「三世に渡る因果論」が無くても成り立つとは思っている
>211
>人智で判断できないことばかりなので、自然に対して謙虚になれと言ってると思ってましたけどw
ちがうと思う
人智で判断できる範囲で苦しみの原因を探りあて、それを克服することだと思う。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1163948277/978 >978 名前: ◆konbu//XQ6 [sage] 投稿日:2006/11/24(金) 03:17:11 ID:rqONpVih
ID:rqONpVih=◆konbu//XQ6
しかし、◆konbu//XQ6がクリとは思わなかった
もう一点、誤解していたのは、このスレの風さんが、顕正会スレの風さんと別人だったことだな
顕正会は三世の因果で脅して勧誘していて、その関係でアンチ顕正会の風さんがきているとばかり思っていた。
(なんかテンション低いと思ったけど)
因果応報スレだから、てっきり仏教の基礎知識がある(と言うよりアンチ顕正会の)
人間だけだと思ったことが失敗の一因だろうな。
もう少し明瞭に書いたかもしれない。
221 :
名無しさん@3周年:2006/11/24(金) 23:14:54 ID:bV5darrr
宗教は相手を許すといった慈悲を説く。だがそのために悪人をも
許す結果となり悪が世に蔓延るという悪循環に陥る訳だ。
悪人は絶対許すべきではない。人間が人間の手によって人間を裁くべきだ。
ゆえに「汝、人を裁くなかれ」もまた誤った教えであり基督教なるものが
いかに矛盾に満ち満ちた邪教であるかが解るであろう。
>>213 >てか、初っ端からスルーをするという手もあったかもしれない。
>君のレスも少々粘着の雰囲気が出ちゃってる気が・・・。
どこに誤読される要因があったのか、本気で分からなかったんだ
(というより、私を顕正会員だと誤解したのかと思ったんだが)
>>220 >ちがうと思う
>人智で判断できる範囲で苦しみの原因を探りあて、それを克服することだと思う。
仏教がそんなに尊大だとは思わなかった。
私が誤解してたようだ。
もう少し、まともだと思ってたw
まるで、出来の悪い西洋哲学だな。
仏教、つまんねぇ〜
君の般若心経の解釈なんて、聞きたいとも思わないw
>◆konbu//XQ6がクリとは思わなかった
私がクリ?
そうなるのか(笑
まあ、君の人智ではそうなるのも不思議はない(笑
決め付けないといいながら、ホント決めツケがすきだねぇ〜
>>233 >仏教がそんなに尊大だとは思わなかった。
まあ、そう煽るな
原始仏教スレの過去ログを漁っていて見つけたのはこんな感じだった
>537 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/09/07 02:37
>箇条書きにします
>1 五戒を保とうと努力し
>2 己の欲望を基にすることなく
>3 人に対して笑顔で優しく接し
>4 ものごとを冷静に観察してあるがままに先入観無く判断しようと勤め
>5 真理を見つめるのに決して他人に頼ることなく、自分の目で見つめ
>6 更に見たものを合理的に判断し
>7 生きていく上での糧にし、人にも利益を与え
>8 精一杯にこの生を生き抜く
>これらの目標徳目を設定して一生懸命に生きなさいと言うのが釈尊の教えだと思いますよ。
>538 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/09/07 02:39
>それ以外のことは自然とこれらの徳目に伴うのだと考えます。
>私がクリ?
>そうなるのか(笑
ああ誤解だったようだな
>695 名前: ◆konbu//XQ6 [sage] 投稿日:2006/11/18(土) 13:05:24 ID:uSa+AGld
>
>>694 > 私は、クリスチャンではないが、信仰のために神を肯定しなければならないのは当然だろう
>>224 >695 名前: ◆konbu//XQ6 [sage] 投稿日:2006/11/18(土) 13:05:24 ID:uSa+AGld
>
>>694 > 私は、クリスチャンではないが、信仰のために神を肯定しなければならないのは当然だろう
その引用で終わる意図は?
自己矛盾を指摘するため?
君の人智は、きけんだねぇ〜(寺笑
君の「因果」の意味が、ご都合主義と云うのがよくわかった(爆
怖いネェ〜
近づかないほうがいいわぁ〜
その文章だけの引用では、信仰の主語はまるで、「私」。
違うと思うぞ。
そのご都合主義は君の信用に関わるから、訂正した方がいいと思うぞ。
まあ、君がそういう人間なら、別に訂正する必要もないと思うが(笑
>>225 だから煽るなって
>その引用で終わる意図は?
>自己矛盾を指摘するため?
それ以外の意図があると思うのか?
私が仏教を信仰していると、どこかに書いたっけ?
自分の立場を棚に上げて書いてるんだがな
煽るな煽るな、お互い時間の無駄になるだけだ
>>226 >それ以外の意図があると思うのか?
煽るなといいながら、
自己矛盾を指摘するために、その引用があるの?
うひょ〜ヽ(^。^)ノ
まあ、そのスレは返レスになってるな。
>>694 の内容は?
ところで、君は電波男なの?
他人のレスを貼り付けして、なんか意味があるの?
ものすごく理解に苦しむんだが・・・・・・・
>>227 >ああ、そうか
>そちらがクリスチャンであることの証拠として引用したように見えたんだな?
ああ、違うのか?
悪い悪い(笑
君は面白いナァ〜
久しぶりに、大笑いヽ(^。^)ノ
う〜ん、そうか、こういうのもあるなぁ〜
勉強になったわ
ありがとう(^O^)/
>>228 >自己矛盾を指摘するために、その引用があるの?
ああ
あやまれってことか?
クリだと早合点して誤解してすまなかったな
>ところで、君は電波男なの?
ちがう
電波男という人は原始仏教のコテだが最近多忙らしく全然来ていない
部派仏教の軽量部が専門でどっかの大学で教鞭もとっていたらしい
まあ、私の言うことより確からしさがあると思うからな
キリスト教もそうだろうが、一口に仏教と言っても時代と場所によって全然違う
ことに大乗仏教での教理と歴史的な釈迦が説いたそれが同一とは限らない
因果応報についても、後代のそれと原始仏教のそれは違うんじゃないかと思う
>>230 別にそんなこといってないよw
でも、久しぶりに、笑ったわw
ホント、感謝(^O^)/
私は、別に君に粘着するつもりではなかったので、誤解しないでね。
>キリスト教もそうだろうが、一口に仏教と言っても時代と場所によって全然違う
>ことに大乗仏教での教理と歴史的な釈迦が説いたそれが同一とは限らない
>因果応報についても、後代のそれと原始仏教のそれは違うんじゃないかと思う
それに関しては、私の勉強不足であることは素直に認めますし、
それに関しての誤解があったのなら、申し訳ありません。
まあ、これに懲りずに、機会あれば教えてくださいませ(^O^)/
ありがとうございましたm(__)m
>>228 >他人のレスを貼り付けして、なんか意味があるの?
>ものすごく理解に苦しむんだが・・・・・・・
彼は賛否両論ある有名コテだよ。ただ、その知識量は群を抜いている。
だから、本の引用と同じだと思えばいいじゃないか。
なんでそんなトコへ噛み付くかなぁw
引用全否定に繋がるぞw (ってのはオーバーか・・(^^; )
また、専用スレや質問箱等の回答の引用であれば、それなりと見做してもいいんじゃない?
(玉石混交は認めるが、自分なりの吟味を経ていればいいんじゃない?
間違っていれば指摘すればいい。)
それを信用できないと言ったら、2chのやりとり自体無意味だ。
たとえば、君がフーテンさんの解説を信じるなら、
彼が電波男の解説を信用することを責められない。
って、終わってた?・・・ orz
233 :
brown:2006/11/25(土) 00:27:32 ID:6e4bkAXQ
1.人智で判断できないことばかりなので、自然に対して謙虚になれと言ってると思ってましたけどw
2.人智で判断できる範囲で苦しみの原因を探りあて、それを克服することだと思う。
同じことですね。というか両方の側面があるでしょう。
>>231 あなたに教えられるほど知識はないから遠慮しますよ
…最初からこの路線で行ければなあ
あ、ちなみに
>>230は
「経量部」じゃないかい?
>>234 うん?
そんなに粘着してた?
それは失礼しました(^_^;)
引用レスの意味は、
自分の意見を述べないことには、引用した意味がないのではないかと思っただけ。
引用したレスの内容について、賛成なのか反対なのかを明示しないと、
それを見た側は、それがなに?
となるのではないかと。
まあ、参考になる程度であれば、問題はないのでしょうけどね。
別に否定するつもりはないので、あしからず(^^♪ノシ
>>235 うん、経量部だね
>>236 こちらこそ失礼しました
どうも、自分のレスは言葉足らずのようだ
反省点としますよ
|, ,_ チッ
|゚ 3゚) < なんだ、仲直りかよ・・
|とノ
|
|彡サッ
|
239 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 02:59:02 ID:8OnHJ6Hg
konbu//XQ6 がのぞみに毛嫌いされる理由がわかった
ものすごい粘着力だからだw
談話室覗いてるとは、皆さん物好きですね。。。
241 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 16:08:53 ID:h82KDC6s
覗きイクナイ!
窓が開いてたからね。
243 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 16:44:51 ID:IlMo0Huf
タシーロ?
244 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 00:40:11 ID:ODOUDRAf
konbuが来たら過疎化したぞ
疫病神かな
245 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 08:17:59 ID:lFWRJl4U
いや粘着だけどけっこういい人ですよ。
粘着は、レスする人がいないと粘着できないからね。
昆布さん寂しがりやなんですよ。
247 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 15:01:03 ID:0NS2/kFM
昆布=風
248 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 15:20:38 ID:sGL2/tTX
風さんがそんなに饒舌だったらどんなにいいか・・
249 :
風:2006/11/26(日) 16:42:14 ID:C/JZItqI
ごめんなさいね。
250 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 18:14:53 ID:0NS2/kFM
あやまらなくてもいいですよ
ありのままの風さんでじゅうぶんですから
251 :
風:2006/11/26(日) 20:54:36 ID:C/JZItqI
話すのが苦手なのです。
好き嫌いではないと思うのですが。
昆布が饒舌すぎ・・
253 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 22:50:21 ID:yNG5kbL1
饒舌というかちょっと異常
内容が伴ってないですけどね
アニヲタでももう少しマシな感想を述べる
255 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 23:00:13 ID:qOMpUzVx
風が吹けばホコリが立つ。ホコリがたてばメクラが増える。メクラが増えれば三味線ひきが増える。三味線ひく者が増えれば猫が減る。猫が減ればネズミが増える。ネズミが増えればネズミが桶をかじる。ネズミが桶をかじれば、桶屋が儲かる。。。
なんだなんだw!
因果応報スレで、他人の悪口ばっかりレスしてると、
自分に還ってくるゾォ〜ヽ(^。^)ノ
ってまあ、面白いからいいけど(^^♪
257 :
風:2006/11/26(日) 23:15:57 ID:C/JZItqI
お、こんぶさん、おひさ。
>>257 ノシ(^O^)/
風さんは、その頑固に嘯く独り言がいいんですよ(^^♪
他人に流されようが流されまいが、所詮は自分が決めてるんですからねw
自分の事だと認識するかしないかですよ。
まあ、どうでもいいんですけど\(^o^)/w!
ではではヽ(^。^)ノ
ちなみに、私はアニオタではないぞヽ(^。^)ノ
サウスパークは好きだがw
優越衝動とか強そうだね
262 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 00:40:11 ID:VKfpjBBO
>>255 砂ホコリで失明する人がそれほど大量にいるか? それほどの風であれば、
家屋倒壊や農作物の損害の方が大きくなるはずである。
視覚障害者が大量に出たとしたら、その全員が三味線弾きとして糊口することは
出来なくなるはずである。
ネコが激減する前にその革の値段は高騰し、
例えば(練習用三味線の革として使われる)イヌに取って代わられるはずである。
ネズミが大発生したとしても、桶だけを食害するとは考えにくい。
むしろヒトに噛みつく、伝染病を媒介すると言う問題の方が遙かに
大きくなるはずである。こうして社会は大混乱に陥る。
そのような状態で、人々が食害された桶を買いに走るとは考えにくく、
桶屋(彼ら自身もその混乱に巻き込まれるに違いない)が突風でぐらいで
それほど利益を得られるとは考えられない。
263 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 00:45:40 ID:VKfpjBBO
したがって風が吹いて(台風など)儲かるのはその影響で家屋倒壊するため
建設会社、土建屋、土方、などである。
264 :
某282:2006/11/27(月) 00:49:37 ID:5YRBkd3M
>>255 たぶん、ネタで書いてあると思うけど、
マジレスさせてもらう。
むかし、風か強く吹く時に、事故等の災害がおきやすく
それによって、死者が出て、たんに 棺おけ屋が儲かったって話でしょ?
265 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 00:52:47 ID:VKfpjBBO
ゆえに、「風が吹けば桶屋が儲かる」はドミノ理論であると言える。
個々の因果関係は「あり得なくもない」物であるが、実際にどれくらいの
確率があるのか検証された事の無い、経験的に言っても
「恐らく無いと言っていい」事象が5段階に渡って積み重ねられており
全体的な尤度は限りなく低い。その上、もし実際に起こったとしたら
副次的な問題の方が大きい。いわゆる「机上の空論」として
批判される物は、多かれ少なかれこの俚諺のような要素を含んでいる。
このような蓋然性を無視した議論に対し、実際の結果を元に
論証しようとする態度が経験論であり、その代表がプラグマティズムである。
266 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 01:00:46 ID:VKfpjBBO
よって因果の法則は厳然として存在はするが上の「風が吹けば・・」は、
単なるこじ付け因果と言えよう。
267 :
某282:2006/11/27(月) 01:11:30 ID:5YRBkd3M
>>265 俺、頭悪いから あなたの話は、良く解かりません。
ごめんなさいね。
<風が吹けば桶屋が儲かる>
俺には、昔から金儲け出来てる奴には、
僻みを持って答えるしか 無かったんだろうな。
いつの時代も良く似たもんですね。
二律背反の世界
物語や比喩にマジレスする器については頭を疑うけど
269 :
某282:2006/11/27(月) 02:44:15 ID:5YRBkd3M
すっ!すいませんでした・・・。
270 :
風:2006/11/27(月) 03:20:08 ID:FC1337bg
>>282さん、言葉は災いの元にもなりえるのですよ。
無論、使い方次第ですがね。
タナトスさんが言われているように、話せなくなってきているのは確かなんです。
もともと、議論は好きではありませんが。
271 :
某282:2006/11/27(月) 04:10:20 ID:0333ZO/Z
>>270 その通りでした・・・。
自分以外にも、迷惑かける事態は避けなきゃいけませんでした。
皆さん、どうもすいませんでした。
誰か迷惑被ってるか?
風はただ吹くだけ・・
誰が儲かったり損したり関係なく
雨が降り続く・・
地球のどこかで、誰かが喜んだり悲しんだり
274 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 16:22:04 ID:c1hIKlx+
>>271 全然迷惑じゃありませんよ。
逆に風さんのように「口は災いの元」とか言って
言論封鎖、言葉狩りするほうが迷惑です。
ここは言論の自由の国日本ですから
どんな発言も大歓迎です。災いにはなりません。
275 :
風:2006/11/27(月) 16:43:34 ID:FC1337bg
どう解釈しようが、自由ですよ。
しかしね、言論を制限などしてませんよ。
ご自由に。
私自身は、余計なことは語らないと決めただけですから。
276 :
風:2006/11/27(月) 16:47:30 ID:FC1337bg
言葉は未完成なもの。
まして、発言者だけでなく受信者にも自由がある。
だから、うまく伝わらなかったり、誤解されたりもします。
あなたのようにね。
強制などありえない。
私は教祖じゃありません。
277 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 17:17:00 ID:c1hIKlx+
>>276 もちろんそうです。日本人とは他人に迷惑をかけないということに
重きを置く民族なのは言うまでもないのですが、ただあまりにも迷惑を
かけないということに神経質になりすぎる懸念もあるのです。
それにより行動や発言の自由さえ奪われるのは本末転倒というもの。
某282さんの発言はまったく迷惑に値するものではありません。
荒らし行為なら別ですが。もっとも荒らし行為でさえ法律で裁く権限も無く
そういうことにいちいち目くじら立てるほうが心の狭い人間性を感じます。
迷惑をかけるなとか言いたがる人間こそ封建主義に満ち満ちた社会悪かつ
自己欺瞞的な空気を漂わせています。
あなた個人が迷惑だと思い込んでいるのは無論自由なのですが、それを他人に
強要するのはまちがっております。
278 :
風:2006/11/27(月) 17:39:14 ID:FC1337bg
ですから、いつ強要などしましたか?
279 :
風:2006/11/27(月) 17:42:25 ID:FC1337bg
強要と受けとめているのは誰でしょうか?
私はしていないといいました。
風さんは強要してないよ
風さん自身が、ちょっと臆病になってるだけ・・
281 :
風:2006/11/27(月) 17:52:30 ID:FC1337bg
いちいちね、反論することの虚しさ。
好きなだけ判断すればいいし、批評すればいい。
臆病にみえるならば、それでいい。
どのようにみられようが、全く関係ありません。
以後はスルーします。
音無し川は水深し、か
283 :
某282:2006/11/27(月) 23:42:22 ID:vxegp0X+
いや、いやぁ〜!
皆さんどうも。実は、私の実生活でも、
何でも正直にしゃべり過ぎると指摘される事が多くてですね。
失敗ばっかりしているんです。最近の私の課題です。
口は、災いの元。その格言の通りです。
皆さん、ありがとうございます!!
私の言う 迷惑は、私の発言で、スレが荒れる事の懸念であります。
誰かが、叩かれる事も、それにあたります。
私は、風さんの書き込みから、色々答えを見つけられるんですよ。
風さんは、やさしいですね。そして色々な人の鏡になれる人ですね。
色々な人の姿を映し返す。
矢面に立たされる事が多いと思われますが、
ヘコタレ無い人であると信じさせてもらいますよ。
言論統制、小泉政権下に、アベ幹事長が、マスコミに対して圧力かけましたね。
そして、小泉圧勝。・・・。
この国も、どっかの地方自治体の様に、破綻する事無き様 憂いております。
284 :
風:2006/11/28(火) 00:04:39 ID:FC1337bg
矢面。。。たちたくはないのですが、そうなりますね。
仕方のないこととあきらめています。
そうなるのは、自らの未熟と思い知りながら。
285 :
某282:2006/11/28(火) 00:16:27 ID:fjd6cANg
訂正させてもらいます。
アベさんは、官房長官だったかな?
大した記憶も曖昧のまま、書き込みしてしまいました。
>>277さん
>日本人とは他人に迷惑をかけないということに
重きを置く民族なのは言うまでもないのですが、ただあまりにも迷惑を
かけないということに神経質になりすぎる懸念もあるのです。
その通りですね。この国の外交課題でもありますね。
私には、答えは出せませんが・・・。
今回は、勉強させてもらいます。ありがとうございました。
286 :
某282:2006/11/28(火) 00:21:37 ID:fjd6cANg
>>284 風さん、矢面に立てる人って、凄い人だと思いますよ。
自由 気ままにいて下さい。
287 :
名無しさん@3周年:2006/11/28(火) 00:43:04 ID:BU5YTcl9
まあ、鏡と云うのは、反対を映し出しているもの。
人と云うのは、鏡みたいなもの。
反対を映し出しているわけではないところが、面白いところかとヽ(^。^)ノ
289 :
名無しさん@3周年:2006/11/28(火) 23:07:47 ID:EVR87y0w
前世からの因縁てのもおかしな理論だな
なぜ動物にはそんなめんどくさいものがなくて
人間だけが因果に縛られなきゃならんの?
動物にもあるでしょう
原子分子はすべて新型かな?
人間にあって動物にないって誰か言ったか?
因果があるかないか知らんが、確かに縛られてるのは人間だけだな。
意識してもしなくても時は変わらず過ぎていくだけなのに・・w
意識したがる奴(江原に聞きに行きたがる奴)は何を得て安心したいのだろう?
どうにも腑に落ちない不運とやらを納得したいのか?
という風に見下してるうちは、因果応報だよね
妄想性人格障害が該当するのは
人格障害は
精神疾患や
薬物や一般的身体疾患によるものではない
「人格障害」だと差別的ニュアンスがあるから
パーソナリティ障害と呼ばれるようになった
物理的には簡単に滅諦できるものなんだよねぇ
でも、できないのが、パーソナリティだね
なんか、滅諦できてる人がいるらしいw
その割には、解決できずにだらだら続く、このスレの正体は?
このスレが輪廻転生してるのか(笑
297 :
名無しさん@3周年:2006/11/29(水) 03:18:19 ID:rmgOMUyC
諸行無常......
>>292 見下しているように感じるか?
疑問を表明してみただけなんだが・・w
誰にも答えはわからないんだな。
縛られることに、みんな何処かで安心してるんだな。
欺瞞的コンバートが入る時点で
なにかを疑われる
300 :
名無しさん@3周年:2006/11/29(水) 13:13:56 ID:4ccPNLwp
300
301 :
風:2006/11/29(水) 20:46:35 ID:79KbfZHx
>>298 その通りですね。
束縛に慣れて、感覚がマヒしている。
本来、人は自由な存在。しかし、様々な概念に縛られ、いや、縛られることを選択しながら生きている。
安心なのでしょうね。皆が同じだから。
否定派で同調も同じようなシステムだよ
因果応報って派生は宗教かもしれないけど、
実社会で精神を保って生きていくための
大人の「考え方」にすぎないんじゃないかな
罪もない子供が不幸になったとか、天災とかに
因果応報を当てはめようとするのが間違いで
今の時世では、宗教とは無関係だと思う。
釈迦の時代から、21世紀まで広く伝わった「因果応報」って言葉が
宗教界だけで擁護されている訳ではないでしょ
例えば、
上司やお客に嫌な仕事を押し付けられたときとか
「嫌なこと進んでやっとけば、いいことが必ずあるさ」
って考えれば精神的に楽だし、
実際、嫌なことして、他人に「貸し」を作っておくと、
自分主導でことを進めようとしたとき「貸し」の威力が
発揮されてスムーズにことが進むことが多々ある。
また、ろくでもない同僚が評価されてたりすると
「仕事もたいしてやってないのに、きっと奴に悪いことが起きるよ」
って考えた方が、
その場で「ムキッー」ってなるより大人だよね
実際、ろくでもない人間だから、どっかでつまづいて自滅しちゃう
こんな経験を重ねれば、因果応報だと勘違いしちゃうか
因果応報の思想でものごとを考えれば、上手く生きていける
ってのが長く伝わってきた要因だと思う
304 :
風:2006/11/30(木) 00:00:22 ID:79KbfZHx
なるほど。
そういう見方もありますね。
因果の「因」とは人の選択のこと。
因果の「果」とは現象のこと。
「応報」とは相応の報いがあるということ。
これは、「目に見える現象に限定した分析、解釈」にすぎないと思います。
305 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 00:00:54 ID:iqJOW2Qp
>「嫌なこと進んでやっとけば、いいことが必ずあるさ」
いいことが必ずあるわけではない
>「仕事もたいしてやってないのに、きっと奴に悪いことが起きるよ」
悪いことはいい仕事をバリバリやってる人にも起きる
地下鉄サリン事件や福知山列車脱線事故などでは
そんな人達が犠牲になった
よって、行いの良し悪しがそのまま結果の良し悪しには結びつかない
306 :
某282:2006/11/30(木) 01:03:24 ID:TLeiK+W9
>>296 こんぶさん、物理の答えの中に、
本当の事は解からないって、答えは無いんでしょうか??
(意味の無い質問で申し訳ないです。)
>>303 大人の考えって、なかなか良い表現ですね。賛同します。
>例えば、 の所からは、説明する事の難しさを感じますが、
社会の中で生きて行くには、そんな切り替え方も有りですよね。
打算が無くなれば、完璧じゃないかって、思います。
307 :
某282:2006/11/30(木) 01:24:41 ID:TLeiK+W9
物理、興味あるんですが、全然 解かんないんですよ・・・orz
>>305 「嫌なこと進んでやっとけば、いいことが必ずあるさ」
「仕事もたいしてやってないのに、きっと奴に悪いことが起きるよ」
これは「考え方」です。
必ずしも、いいことや悪いことは起きません
ただ、こういう風に考えれば、前向きに生きられるでしょ。
その場で癇癪起こしたり、八つ当たりするより大人でしょ。
>悪いことはいい仕事をバリバリやってる人にも起きる
>そんな人達が犠牲になった
>よって、行いの良し悪しがそのまま結果の良し悪しには結びつかない
自分が起因になってない天災、災害や事件事故は
たまたま、その場に居合わせれば、誰にでも同じ確立で起きるもの
これは因果応報とは無関係の事象では?
>>306 数学ではたくさんありますよ。
そもそも、科学と言うのは、法則を発見するものですからね。
無秩序らしき中から、規則やら秩序やらを見出して、未来を予測するわけです。
典型が天気予報でしょう。
ただし、気象予報は、不確定要素が多すぎて、
すべての変数を把握できないし、それを処理する機能も高度なので、予想が難しい。
だから、わからない自然現象にルールがあるはずだと決め付けて、見出しているのです。
アインシュタインのいう、神はサイコロは振らないという例の奴。
でも、現在これは否定されつつあるのが現状でしょう。
そもそも、宇宙を扱う相対性理論と原子クラスを扱う量子論がうまく説明できてませんからね。
だいたい、現在の科学は生命をつくることもできませんし、脳味噌を解明することも出来てないのに、
本当のことがわかるなんて思ってるほうがキチガイです。
通常の科学者は、そんな横暴なことは考えてないでしょう。
まあ、口ではいいますけどね。
って、なんで私なの?
詳しいわけではないですけど、少しは方向付けが出来れば、幸いです。
ということで、ノシ
あっ、ちなみに、ゲーデルの不完全性定理は面白い。
めちゃ難しいけど、流れは別に難しくはない。
近いんじゃないのかナァ〜
311 :
某282:2006/11/30(木) 02:35:38 ID:TLeiK+W9
こんぶさん、レスありがとう!!
なぜこんぶさんにかって??解かりやすく教えてもらえるかって思いまして。
アインシュタインのサイコロと、ゲーテルの定義、
全然知らないので、良かったら教えてください。
そろそろ、睡魔に負けそうですけど・・・よろしくです!
そうですねぇまさに因果応報とは天気予報です
因果応報を天気予報に読み替えてみればぴったりだよ
313 :
某282:2006/11/30(木) 02:43:14 ID:TLeiK+W9
>>312 おもしろい!!座布団5枚あげてほしくなります。
当たるも八卦
当たらぬも八卦
315 :
某282:2006/11/30(木) 03:00:28 ID:TLeiK+W9
>>314 座布団4枚返却になりました。
でも、312は面白かったです。
316 :
風:2006/11/30(木) 03:02:33 ID:uus7pY8I
天気予報は「膨大な過去のデータ(気圧配置、数種類の天気図、各種分析など)をもとに、現在、週間、月間、3ヵ月、半年、年間の予報を作成、報道すること。
期間が長期になればなるほど、確率は低くなり、最も信頼できるのは、週間までです。
物理法則も同じですよ。
目に見えるものの分析、解析、読解、意味付け、解釈でしかない。
それが全てだと主張するのは勝手ですが。
317 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 03:04:09 ID:z7ii10Nd
>>308 >自分が起因になってない天災、災害や事件事故は
>たまたま、その場に居合わせれば、誰にでも同じ確立で起きるもの
>これは因果応報とは無関係の事象では?
いえ、たまたまその場に居合わせたという(因)と、災害や事故に合ったという(果)なので
それが純粋なる因果応報でしょう。
仏教や基督教の唱えるような、良い事をすれば必ず良い結果になる、とか、
悪い事をすれば必ず悪い結果になる、が間違いということ。
これが古来から行われた人間を天罰や罪で脅し、誤った因果で縛り付けたインチキ教義です。
それも偏ってるね
霊の雲を読めてないよ
あらゆる現象を足しても足りないのだから
ここの人の殆どが天気予報を信じる馬鹿は報われないと
いらんお世話を妬いているだけだね
320 :
風:2006/11/30(木) 06:14:59 ID:uus7pY8I
視覚できるものといったでしょう?
霊の雲?なんですかそれは?
もし、霊が視覚できるならば、要注意ですよ。
321 :
風:2006/11/30(木) 06:23:11 ID:uus7pY8I
精神世界や、自己探求を志す人にとって、人が通常体験できる、「五感」を通ずる感覚は、ほとんどが邪魔なものです。
それを「理解」と勘違いしてしまうと、本来の理解からは確実に離れます。
すべきことは、自己をみつめること。それをせずに、現象を現実だと思い込んでしまうと、大変です。
たいていの人がもがいていますから。
それすら個人の選択ですがね。
317にたいしてですが…
少し認知・感情・対人関係・衝動のコントロールに障害が入ってないですかね
もちろんそこでいう現象とは可視光線の範囲内でしょうね
霊を読むとは厳密には…そもそもこちらは比喩的にしか書かないのですが…君にはまだ早いからやめときますね
無無明の(無明を自覚し人にも無明を着せる)段階で
まだそれが尽きてないですしね
いやその前段階だ
>>311 自分で調べて下さいね(^O^)/
ここは宗教板だし、教えられるほどに詳しくもないですしね(^^♪
グーグルでも結構な知識は蓄えられるはずです。
326 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 12:30:40 ID:ExRn7ZhL
>>322 意味不明ですが?
認知や対人関係などとは別問題だと思います。
327 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 12:41:42 ID:/hXV24qT
>>321 素晴らしい
そうなんですか
五感を感じたくありません
パーソナリティ障害と宗教者の混同はできませんよ
全般的診断基準に該当するか否かが道の分かれ目になります
すなわちその人格により自分あるいは社会を悩ませている
その人格には柔軟性がなく広範囲に見られる
小児期、青年期から長期間続いている
その人格は福徳以上に害毒を産み出すから功利的でない。最大多数にとってはマイナスになる。
害毒が外に向かう場合は自己愛性や反社会性など。
内側に向かっているばあい
(たとえば話される言葉に'内なるテロル'が含まれているなど)
分裂病質人格障害を勉強したほうがいい、と思います(他人のことはわかりません)
ふだん朝晩(人間関係含め)すがすがしい気分で生きている・楽しめているのなら関係ない
330 :
風:2006/11/30(木) 18:56:06 ID:uus7pY8I
>>328 本来の理解?
私の理解は「私は在る」ということ。
331 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 19:01:06 ID:VYx4bJMD
>>329 人格障害や人間関係云々と因果応報とは関係ない訳ですよ。
関係ないことないよ
333 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 00:15:31 ID:4WeDsSYb
因果の法則を実体験したければ小さな悪事をすれば解る。
例えば近所の車をパンクさせるとか傷を付けるとする。
そうするとあら不思議、、なぜか自分の車も同じ目に合う。
これが因果だ。
334 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 01:36:30 ID:jGSiwmPz
そんなことより、良いことをしてみたらいいのに。
悪いことをするとしたことより1.2倍くらいで
還ってくるぞ。割りにあわない。
335 :
某282:2006/12/01(金) 02:00:15 ID:pmHZm9ge
こんぶさん、了解しました!!
でも、検索するのは後にしときます。
>>330 >私の理解は「私は在る」ということ。
その認識の、経験談を何かお話いただきたく思ったのですが、お願いしていいですか。
>>321 の内容を得た人が、どのような世界を見ているのか、興味あります。
337 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 12:01:02 ID:0l8gd+gd
338 :
風:2006/12/01(金) 16:58:47 ID:E/wVpaDo
>>336 私は過去に於いて、過ちを犯し、前科がついた人間です。
留置場のなかで、初めて自らの行動、選択が間違っていたかを知り、自由がいかなるものかを知りました。
反省と懺悔を繰り返し、毎日号泣しながら、自分を責めました。
何日か過ぎたとき、突然、体が何かに包まれる感覚があり、「もう、自分を責めるのはやめなさい。充分だ。私は今もこれからも、おまえを見捨てはしない」と声が聞こえたのです。
339 :
風:2006/12/01(金) 17:10:09 ID:E/wVpaDo
それが、自己との出会いです。
俗にいう「ハイアーセルフ」だったのでしょう。
それから自己探求が始まったのです。
しばらく経ったころ、やはり突然「自分の存在がなくなってしまう感覚」支配され、何も手に付かなくたりました。
言葉にできないほどの恐怖といったらわかりますか?しかし、そのとき、「全てをうしなってもなお、その状態を体験しながらも、観察している存在」に気付いたのです。
340 :
風:2006/12/01(金) 17:56:06 ID:E/wVpaDo
今は声による導きはないですね。
在るを知ってからは、なくなりました。
自己と対話する必要などないからです。
私がみる風景は同じです。ただ、とらえ方が違います。
意味を考えたりはしませんし。
341 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 22:31:43 ID:jRJe8g6J
>>341 その中途半端な突込みがレスを止めてるぞ(笑
しかし、風氏もだいぶ砕けてきたナァ〜
あんまり重くすると、みんな突っ込みに苦労するぞヽ(^。^)ノ
少しは、相手を考えてね\(^o^)/
343 :
風:2006/12/02(土) 03:20:59 ID:kCIXs/4F
体験をきかれましたので、答えただけですが。
>>343 以前は、絶対答えられないとか、拒否してたからね。
まあ、ホントかどうかは別にして、対話してるんだから、いいんジャマイカヽ(^。^)ノ
では、オチレス(^O^)/
345 :
風:2006/12/02(土) 03:49:29 ID:kCIXs/4F
必要ないと思っていましたからね。
恐れをみないようにしていたというべきか。
以前に別のスレで話したときの体験がトラウマとなっていたのかもしれません。
ただ、私にとっての事実は事実。恐れなど必要ではないし、過去は捨てることにしましたので、お話しました。
あとはご自由にご判断ください。
346 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 04:13:25 ID:zPthMlN1
でも犯罪など多かれ少なかれみんな犯すものです。
私とてチンケな前科持ちです。また交通違反が重くなれば前科も付きます。
万引きも重なれば立派な前科が付きます。
過去に縛られたくないならば前科も忘れるべきでしょう。
自分だけが悲劇のヒーローを気取ったところで、どっこいそうはいきません。
みんなそうだということです。
347 :
風:2006/12/02(土) 04:18:16 ID:kCIXs/4F
ご苦労なことです。
やったことが、かえってくる。
ということは、やったことがかえってくることを「無視」してることが
気になっている心をもちながら、やったことがかえってくることを無視して
生活しているということが、重く心にのしかかっている人が、
このスレを見て、反論などしてるわけだ。
ピンポーン
それは重いままではなく概念化されているけど
もうどうでもいいぐらいに
350 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 06:03:29 ID:nQJTVQ40
「そうしないと重すぎて耐えられない
「やったことが返ってくるなんていやだ
「俺は俺の法則の中で生きるんだ
>>350 なるほど。
それによるとここに一生懸命書き込みしてする君の果は、
どうしても重い明確な因がなければ気がすまないという君の因によるのだな。
ついでに、それも明らかにしてしまったら?
352 :
風:2006/12/02(土) 07:23:53 ID:kCIXs/4F
記憶を語っただけ。
当時は因果を信じていましたから。
しかし、今は違う。因果などない。
信じるというものでもないけどね
信じるか信じないかではなく
あるかないか
355 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 23:15:20 ID:DKs2bw/j
やったことが返ってくる?
じゃあレイプしたらレイプされるの?
>>348
356 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 03:48:02 ID:GkZvaQHD
風氏が「因果などない」と思うに至ったことも
何かの因果である。
357 :
風:2006/12/03(日) 07:34:33 ID:XJXMChYx
因果とは、行動と現象の間にある、「人の思考」のこと。
我々は時間が連続していると錯覚しているため、人が選択し、行動し、現象があらわれるまでを「一連」としてとらえてしまいがち。
しかし、実際には時間は概念であり、存在しないし、我々が感じることのできるものは「今」という独立した瞬間だけです。
つまり、その瞬間を「関連付ける意識」が「自我」ではないかと思うのです。
なるほどねー
それならいいよ
>>355 少なくとも、いずれ相手の苦しみがどんなものだったか、自分の体験を通じて知る機会はあるでしょう。
360 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 15:37:45 ID:3w+duy44
>>359 決め付けはよくない。
知る機会がない場合もありえる。
361 :
慈風:2006/12/03(日) 15:42:28 ID:XJXMChYx
そうですね。
362 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 17:16:28 ID:l4JDZ/ta
>>357 時間とは現実における0コンマ何秒の瞬間の連続であり確実に存在しています。
時間など存在しないのならばあなたも存在しません。
ゆえにあなたの考えは妄想ということです。
>>362 そんなに簡単なものではないと思うよ、多分。
実際、妄想かも。
364 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 17:27:06 ID:KBltunM/
365 :
慈風:2006/12/03(日) 18:47:00 ID:XJXMChYx
時間の概念は確かに存在しております。しかし、それは概念としてだけであって、実態などありません。
何かに夢中になるとき、時間が短く感じませんか?
夜寝て起きるとき、実際には数時間も経っているのに、それを感じますか?
逆に寝れないときやいやなことに望むとき、10分が長く感じませんか?
それが時間の正体です。
概念に囚われて生きているのです。
366 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 20:10:29 ID:xKDY+qnY
客の「ニッポン!」て声援は録音じゃないのか?
367 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 20:11:29 ID:xKDY+qnY
誤爆しますた、、、
368 :
brown:2006/12/03(日) 21:44:29 ID:+utLoCq4
ちとぶっとんできてますね。
究極的には因果も時間も自己同一性もないとかあるとかいうことはまあかまわ
ないけど,それはあるともないとも誰も知りえない。正しく論じられない。
ただ,現時代において,最も合理的で,最も信頼できると考えられる考え方
によると,時間は実在しており,因果は実在しています。当たり前ですが。
現在のみが存在しており,各瞬間が独立しており,因果がないという認識は,
分裂病というのですが,要するに誤った認識ですね。日常生活にも支障を
きたします。最低限自分のやったことの責任は自分が負う,という自己同一性
は守っていただきませんと,社会生活が成り立ちません。
369 :
慈風:2006/12/03(日) 21:50:34 ID:XJXMChYx
まるで問題ありません。
問題ありとするのが問題かとおもいますが。
370 :
慈風:2006/12/03(日) 21:51:58 ID:XJXMChYx
問題ありとする根底に、何があるかを御覧ください。
371 :
brown:2006/12/03(日) 21:57:20 ID:+utLoCq4
また,時間は物理的実体としても実在しており,それなしに力学を議論する
ことはできません。教科書には数式ばかり出てきて,「t」とかいって,
単なる概念に過ぎないと思ってしまうかもしれませんが,そうではありません。
また時間は物理的に計測できるのであって,運動が光速に近づいたときの
相対論的修正,及び原子的極微の世界における量子論的不確定性を除いて,
厳密に実験的に存在しています。また,相対論や量子論では実在が消えると
いうこともなく,古典的理解に修正が加えられるだけであって,やはり実在
しているし,計測できます。要するに誤った認識ですね。単に感覚で理解
していると認識が誤ることもあります。感覚的理解と合理的理解のどちらを
正しいと考えるか?これは選択の問題ですが,人類は,大方の理解として,
合理的理解を採ったのです。
…仏教で言うところの涅槃の境地に、因果…というより自他や時の分別があるかどうかはともかく
肉体を持って生きていかなければならないのは分別のある世界ですね
本来、因果や分別がないと言っても、やはり分別と因果のある世界に生きているのではないでしょうか?
373 :
慈風:2006/12/03(日) 22:08:49 ID:XJXMChYx
視覚に囚われ、目に見えるものを分析するならば、そうでしょうね。
私とはとらえ方が違うだけです。
>>360 キリスト教と仏教と唯物論では、「そのうちに」の時間の長さが違うんだよね。
>>373 つまり、あなたは自他の分別の無い世界で生きていると?
でも、私とあなたは別人ですよね?
>本来、因果や分別がないと言っても、やはり分別と因果のある世界に生きているのではないでしょうか?
日本で生きているからには、一応日本時間を利用したほうが都合良いですよね。
>でも、私とあなたは別人ですよね?
この世では、違う肉体を利用している別人です。
378 :
brown:2006/12/03(日) 22:32:31 ID:+utLoCq4
>>372 涅槃の境地において,因果は消滅します。それが涅槃だから。
涅槃の境地において,智慧の熟した行者は,因果の起こりと持続と消滅を
見ます。
そしてより智慧の熟した行者は,たとえ涅槃定に通暁したとしても,この
因果の理法から逃れられる処はない,と知るようになります。たとえ仏陀
でもです。
そのようにして仏陀には次の認識が生じます。すなわち,この世に生きとし
生けるものに因果の法は等しく及ぶ。それは楽も生ずれば苦も生ず。
これまで私はそれらから完全に逃れる道を求め,実証した。そして,それは,
むしろ無である。つまり解脱したとしても因果の法から逃れるすべはない。
それは仏陀にも及び,逃れる必要もなく,それでよしと。なぜなら完成している
からである。
379 :
慈風:2006/12/03(日) 22:35:48 ID:XJXMChYx
>>375 そうです。個別の肉体をもつ人です。見かけ上は。
>>376 利用できるものは利用しましょう。道具ですから、概念は。
>>376 むしろ日本時間を利用せざるを得ないんじゃないでしょうか?
ただ、日本時間が絶対の基準ではないという「視点」を
持ち合わせているかどうかは、大きな違いでしょうけど
>>379 釈尊もまた生きて老いて死んだわけですね
ただ、そこに苦しみを見いださなかった
ところで、因果を縁起と言いかえても同じでしょうか?
>>379 そういう意味では因縁、あるいは縁起に縛られている
仏教の立場は、因縁はある、しかしそれに執着し苦しんではいけない、
ということだと思いますが、あなたの理解と違いはあるでしょうか?
381 :
まい:2006/12/03(日) 23:11:09 ID:GAR0kRBt
>>378brownさん、いつもお言葉楽しみにしております。
>これまで私はそれらから完全に逃れる道を求め,実証した。そして,それは,
>むしろ無である。つまり解脱したとしても因果の法から逃れるすべはない。
>それは仏陀にも及び,逃れる必要もなく,それでよしと。なぜなら完成している
>からである。
ここでの「むしろ無である」の意味が良くわからなかったのですが・・。
382 :
まい:2006/12/03(日) 23:27:23 ID:GAR0kRBt
「完成しているから」という意味と「無」は同じものをいっているのでしょうか?
383 :
慈風:2006/12/03(日) 23:35:57 ID:XJXMChYx
>>383 なるほど
では、キリスト教の神との関わりはどうでしょうか?
「あなた」と「私」の垣根を取りはなった無分別のあり方を、神と理解しているのでしょうか?
>>380の
>>379 >釈尊もまた生きて老いて死んだわけですね
>ただ、そこに苦しみを見いださなかった
>ところで、因果を縁起と言いかえても同じでしょうか?
は
>>378宛の間違いでした
385 :
brown:2006/12/04(月) 01:14:37 ID:tlSxMlcw
>>380 379の場合,因果は縁起と言い換えても同じ趣旨の文章です
つまりここでは,十二因縁の「行」以降のプロセスに該当するものです
>>381 諸行無常ということです。
涅槃の境地に根源的な実体はないということです。それはいついかなるときに
もそこにあり,解脱境においてはっきりと知られますが,ある心のパターンが
形成されると,雲に覆われたように隠れて見えなくなってしまいます。
しかし,解脱すれば,はっきりと見え,かつ,雲に覆われたときに見えない
ということと,覆われてもそこにあるということがわかります。
そして,それに通暁すれば,覆われて見えないときでもやはりあることが
分かり,されに,覆われていてもそれでよいことが分かります。
それ故に,涅槃という境地は,彼にとって不必要になるのです。それを根源
的な無というわけです。悟るべきものがなにもないからです。なぜなら,
全てを悟っているからであり,つまり完成しているのです。
386 :
慈風:2006/12/04(月) 03:27:31 ID:RH+dLHyr
無分別ですか。それは判断ですね。
ならばお答えはできません。
387 :
慈風:2006/12/04(月) 10:58:02 ID:RH+dLHyr
はて?人として肉体をもつ以上、完全などないと私は認識していますが、いかがでしょうか?
諸行無常は、「移りかわり、すべては夢幻」のこと。
しかし、無などない。無は、有の相対。相対とは概念のこと。
概念そのものが実態などなく、幻であるから、有も無もないと考えますが。
しかし、相対なき真実もあります。
それが、在るであり、愛であると思います。
388 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 13:23:00 ID:iqX1rDVC
因果は確実に存在する。しかしながら確実に機能するという訳ではない。
例えば、善行をしても必ずしも善果にはならないし悪行をしても必ずしも
悪果するものでもない。解りやすいのはプロスポーツの世界。
同じ鍛錬をし、同じ努力を重ねても結果は勝ち負けという天と地の差に別れる。
また宝くじを買ってもほとんど当たらない。当たる者は一握り。
証券取引は、会社の運営状態、経常利益など勉強、把握した者が得をするが。
事件、事故、災害の場合は当然、日頃の行いの在り方に関係なく淘汰される。
ゆえに因果にあまり囚われるのは逆に苦悩を増すことにも成り得るので
多少は因果律の知識やら性質を勉強したなら、後は因果を意識せず、
自分の生業に集中するのが賢明というもの。
389 :
まい:2006/12/04(月) 13:36:24 ID:HMCqWYTX
>>385 >それを根源
>的な無というわけです。悟るべきものがなにもないからです。なぜなら,
>全てを悟っているからであり,つまり完成しているのです。
>>387 >概念そのものが実態などなく、幻であるから、有も無もないと考えますが。
>しかし、相対なき真実もあります。
>それが、在るであり、愛であると思います。
慈愛さん、brownさん、ありがとうございました。
「完成」を「愛」とも言っているような・・w
ワタシも恐れずあせらず、探して生きてそのままで包まれていることを感じたいと思います。
390 :
まい:2006/12/04(月) 13:39:50 ID:HMCqWYTX
>>388 >ゆえに因果にあまり囚われるのは逆に苦悩を増すことにも成り得るので
>多少は因果律の知識やら性質を勉強したなら、後は因果を意識せず、
>自分の生業に集中するのが賢明というもの。
さんせ〜!
391 :
慈風:2006/12/04(月) 13:57:39 ID:RH+dLHyr
頑張ってください。
392 :
慈風:2006/12/04(月) 14:09:09 ID:RH+dLHyr
私個人の考え方は、「悟り」とは「道の発見」であり、それが最終到達地点ではない。
スタート地点であると思っています。
悟りと解脱を一緒にみる方もおられるようですが、私ははじめに悟りを得、そのあとの精進により解脱できる人がでてくるのだと思っています。
現世における利のみを追求するならば、悟るだけで十分かと思うのですが、それを目的とするのも、いささか疑問が残ります。
なぜなら、「私は悟りました。ゆえに、この世とはおサラバします」といった方がでてくると思うのです。
393 :
まい:2006/12/04(月) 16:38:03 ID:0eak6/Pv
>なぜなら、「私は悟りました。ゆえに、この世とはおサラバします」といった方がでてくると思うのです。
そうですね。そこからどう生きるかですね。
394 :
大王:2006/12/04(月) 16:47:59 ID:rKsnV7wf
:慈風さん、すてき、、、表現が、まねできません、、、
395 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 05:10:15 ID:w2Mz2B6M
因果に縛られる仏教など妄想。
映画「風と共に去りぬ」でスカーレットオハラの名言、、
明日は明日の風が吹く、、
これが真理。
つまり
この災いや災害はなんの原因であろうか?
といったことに思い患うのは愚の骨頂。
そんなくだらないことに左右されずただ成すべきことを成せば良い。
396 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 05:22:12 ID:w2Mz2B6M
もちろん因果関係における現場検証は必要。
>>396 そういう因果であれば、はじめからなんの問題もないんだよなぁ〜
398 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 06:20:43 ID:w2Mz2B6M
↑そういう事
399 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 06:23:47 ID:w2Mz2B6M
因果の法則など血液型占いといっしょと思えばよい。
当たっていそうでいながら、そうでもなかったりする。
その程度のものだ。
400 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 11:21:49 ID:5DW6UCJc
400
横レス
因果の法則と善悪の関係を混同してはいけない
時間の流れが一方向しかないのだから必然的に因果は発生する
ただ、善→善、悪→悪の関係が成り立つ場合とそうでない場合がある
それは、因果とは別の視点の問題
402 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 13:13:57 ID:2Xihriib
>>401 そうそう。
因果は宇宙の法則、天地の法則であり、逃れられない。
善因善果悪因悪果は後づけ論理であり、どうにでも取れる。
がしかし、やはり悪事は罪として露見し裁かれるのも世の常ではあるが。
悪が100%裁かれるかは疑問。(例:原爆投下しても戦勝国なら裁かれず)
問題なのは、因果は存在しない、時間は存在しない、などと
誤った見解で妄想している人物もいるということ。
あえて誰とは言わないが・・
>>402 因果というのは太平洋にインクを一滴たらしたようなもの。
確かにインクは存在するが、それを求めて探し回るのは滑稽に見える。
一つの結果に対して、無限にある原因は薄まって、無いのとほぼ同義。
日常生活を送る一般人にとっては因果は無いといって差し支えない。
時のある世界に生きている以上、人間は因果を考えずに生活できないんじゃないか?
たとえば
他人の書き込みについて、自分はどう考え、それに対して返事を書き込む
その書き込みにまた誰かが反応する
涅槃とは、そういう因果によって起こる事象が幻であり、時や自他を分別しない境地をさすのだろう
しかし、たとえ涅槃の境地があり、その境地のあり方をモットーに生きるにせよ、
時のある世界で生き続ける限り因果からは逃れられない。
というか、あとは、仏教専用でやれば?
なんか、あたまおかしい人の集まりにしかなってないヽ(^。^)ノ
スレ的には、因果関係なんてわからんのだから、
そんなものは存在しないって、結論だったはず。
それで普通の人は納得するけど、
普通じゃない人たちは、そこに道徳観念をいれてるんでしょw
一般的な議論は薄いよ。
まして、時間があるとかないとかw
まあ、キチガイならしかたないけど(^O^)/
時間という実体があるかないか、という命題じゃなくて
人間は時間と言う概念を念頭において生活している、ということなんだが
時にせよ因果にせよ、そういう概念は存在しない、と言ったところで年は取るし私とあなたは別人だ。
そういう世界に生きているんだから、時と因果の概念を無視はできない。
そこに道徳論を付加するかどうかは、この際関係ない。
それにしても、なんで無意味に煽るのかなあ?
どういう効果を狙っているの?
>>406 念頭においている事を再認識する必要あるの?
自転車の仕組みはしらなくても乗れるんだから、無理に煽らなくてもいいのでは?
>>407 >念頭においている事を再認識する必要あるの?
その念頭に置いている概念が幻であると悟るのが涅槃、ってことなんだと思います
しかし、時にせよ因果で起こる事象にせよ概念に実体はない、と言ったところで
年食って老いて死ぬという現実は変わらないでしょう
それに苦しみを感じるかどうかは変わるだろうでしょうけどね
>>406 私とおなじこと言ってるよw
無意味に繰り返して、
なんとなく道徳論に傾くのが気味悪いだけ。
その背景が宗教的なものなら、堂々と宗教的にやればいいし、
スレタイにはその要素ないですからね。
どちらにせよ、一般性が薄いままに続けるのは、意味がない。
>>408 そうだと思います。
人は死ぬんだから「人は死ぬ」と聞こえるようにわめき散らかさなくてもいいし、
私たちの団体がが最初に人が死ぬことを発見したと手柄を自慢する必要も無いですしね。
思想特許があるわけでもないし。
412 :
まい:2006/12/05(火) 22:51:37 ID:9RJhetLW
>>403 >確かにインクは存在するが、それを求めて探し回るのは滑稽に見える。
わかりやすい例えだね。
気の毒になぁ。
414 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 00:38:58 ID:4Psgm76Y
<お初>ロム専だったが、たまらずカキコ
ちょっと次元が違うかも知れないが、自分の好きスロットの話をする
設定が悪かったのを変更して上げたとする
でも、前の日に悪い設定だった台で、その割にそこそこ出てしまった台は
いくら設定を上げても出ない(>_<)悲しい(設定はアトで確認)
それでも、時間をかければやがて出始める
これって、いわゆる複雑系ってやつ!?
色々な条件により、たまたま運がなっかたとしても
良い条件(善因)があれば、やがて良い結果がでると思う
これって、単なる幻想かな?
>>414 まず、確立や複雑系や因果を考える前に、スロット屋の経営について学ばれた方がよろしいと思います。
つぶれてしまうスロット屋と、繁盛しているスロット屋はどこが違うのでしょうか?
つぶれてしまうスロット屋は運が悪くて、繁盛しているスロット屋は運が良いのでしょうか?
もちろんスロット屋の経営内容の情報をどこで手に入れるかという問題はありますが、
善因を積んだからスロットが当たるようになるということはないと思います。
416 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:12:11 ID:VD2/LPUh
神さまの発明に時間があるといわれる。
神さまは時間をつくって何をしたかったのだろう。
なにかを人間に知らしめんとする意図があるように思う。
ただ私たちは神の心と離れてしまっているので
神さまの思いがわからずにその日その日を
漠然と送っているように思う。
417 :
brown:2006/12/06(水) 02:08:03 ID:OoGqGiHr
>>402 >>404 >>406 >>408 非常に善良なる見識をお持ちとお見受けします。
中道論ですね。
極めて明快で簡単なことなんだけど,その認識はあまり,一般の人には
残念ながら伝わらないと思います。
どちらかの極端に偏らないと不安なのでしょうか?
418 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 03:48:31 ID:hLZhEgRT
>>415 スロット屋やパチンコ屋は商売でやってる。
ちゃんと客に遊ばせ、儲けるシステムになっている。
店員に知り合いがいるか、卓越した知識がないと勝てないように出来ている。
因果とはあまり関係ない。
>>414 それは、単純に確率の話しなんじゃない?
複雑系を考えるなら、てすと氏のように店の経営者側の立場になると思いますよ。
出る台と出ない台とを店の中に配置させて、いかに出ない台に客を座らせるかという戦いでしょうから、
客の動線と台の関係、また、天気や曜日、給料日などに微妙に変化を受けるでしょうし、
また、店員のスカートの丈の長さや清掃の具合やBGM等々・・・・・・・
その要素は実に不確定で、微妙です。
ただし、ほんとに予測不可能にしてしまうと、店は倒産してしまうでしょうね。
だから、コスト高になってもいいから、ネオンサインで虫を呼び、
フェロモンを撒き散らして、サラ金地獄に向かわせるのでしょうね。
なるべく、そのような確定要素を高く設定するわけです。
賭博の確率では、マージャンが一番面白いと思いますよ。
確かに確率を踏まえた上手い奴は勝つんですけど、
強い奴は、ちゃんと、ここ一番で引いてきますから。
また、ついてるついてないの流れを見極めますしね。
その流れが複雑系なのかといわれれば、多分、違うでしょうぐらいかナァ〜
まあ、よくわからないですけど。
>>417 >非常に善良なる見識をお持ちとお見受けします。
>中道論ですね。
>極めて明快で簡単なことなんだけど,その認識はあまり,一般の人には
>残念ながら伝わらないと思います。
おもしろいw
その文章から読み取ると、
一般の人は善良な見識を持たないらしいw
しかも、中道論は「善良なる見識」らしい。
うーん、それも、やっぱり中道論の善良なる見識なのかな?
それとも
一般的ではない、特殊な人?
というか、君達はホントに仏教徒なの?
やっぱり、世の中の仏教徒の見方変えたほうがいいかもしれないナァ〜
421 :
慈風:2006/12/06(水) 09:30:46 ID:uR4yFhIE
こんぶさん、おもしろい!しかも、正論ですね。
422 :
まい:2006/12/06(水) 09:58:50 ID:H8LHpvez
善良とか正論って言ってもね・・。
やっぱり自分の立ち位置からの見方。
いや、立ち位置は大事だと思う。
基本的に一人一個だから。
雲の上から自分を見下ろすような特技を持っている人は別だろうけど。
誰でもなんとか自分の立ち位置を正常だと思いたいのではないかな。
そう思えないのが二重人格か・・。
最近の不安定の原因w
>>410 >なんとなく道徳論に傾くのが気味悪いだけ。
まあ、本人が不道徳と考える行為を行えば、後悔する事になるとは思うけどね
>>411 >人は死ぬんだから「人は死ぬ」と聞こえるようにわめき散らかさなくてもいいし、
カルト団体はそれを連呼して不安をかき立てますね
>私たちの団体がが最初に人が死ぬことを発見したと手柄を自慢する必要も無いですしね。
そんなお馬鹿な主張をする団体なんているの?
ただ、キリスト教や仏教の既成団体であれ「あなたも何時かは死ぬ」と、
「他人は死ぬけど自分は死なない」と考えがちな人間に向けて、
繰り返し言っていることだと思いますね。
>>417 極論はろくでもないね
でも、極論に偏らない考えが、一般の人に伝わらないかどうかはわからない
誤解をうけている気がするけど、ここでの極論とは
時間や因果で起こる事象を絶対視する立場と
時間や因果で起こる事象は幻で人生や生活と何の関わりもない、と言う極論
どちらの極論にも執着すると、苦しみを受けるんじゃないかと思う
>>418 >因果とはあまり関係ない。
↓これ因果関係があるよ
>店員に知り合いがいるか、卓越した知識がないと勝てないように出来ている。
>>420 彼は一般人を「時間や因縁で起こる事象を絶対視する人々」と定義してるのかなあ
でも、空や涅槃に執着する人というのは一般人じゃないねえ
>>421 どうかなあ?
あんまり、あなたと立場的に差がないと思っていたんだけど、そうでもないのかもね
>>422 まあ自分の人生に文句のない人に、宗教を押しつけるのは害悪だね
でも、人生に疑問を持った方が豊かになるんじゃないかとも思うけど…
>>429 ぶらうんさんは別に執着していないでしょ。
説明してくれてるだけだと思うよ。
素人さんかな?
>>425 誤読してるよ
>彼は一般人を「時間や因縁で起こる事象を絶対視する人々」と定義してるのかなあ
>でも、空や涅槃に執着する人というのは一般人じゃないねえ
問題にしたのは彼の「一般人」の定義について
中道が善良とすれば、極論は悪
一般人は中道を理解できない、という文脈とすれば、
一般人は、
時間や因縁によって起こる事象に執着する人か、
あるいは
時間や因縁は存在しない、人生にも生活にも関係ないとする人のどちらかになる
上を一般人とは言えても、下はすでに一般人とは言えない
だから、極論を言う人を指して「一般人」としたんじゃないかと読解したんだけど、どうかなあ?
428 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 12:55:47 ID:ieUr5hRz
>>422 雲の上から見下す努力は必要です。これが客観論になる。
人は常に主観に走り勝ち。これを抑制するのが第二、第三の目を持つこと。
それには精進、知識が必要となります。ローマは一日にしてならず。
>>426 違います
>>427 まちがえた
>だから、極論を言う人を指して「一般人」としたんじゃないかと読解したんだけど、どうかなあ?
訂正
彼は「一般人」を「極論を言う悪見に執着した人」の意味で定義したんじゃないと思う
まあ、一般人でも理解できると思うよ
釈迦も達磨も最初は一般人だったわけだし(宗教的な才能はあったかも知れないけど)
あるいは理解ではなく、「悟った」時には一般人じゃなくなってるだろうけどね
いかんな、読み直すと論理的にわやくちゃになっとる…
思うに、一般人に理解しがたい、ってのは、
風さんの「時間や因縁は存在しない」って主張も同じだよ
むしろ、これは理解されないだろう
>>430 当然、理解される訳ない
風の妄想だからな
>>431 …
>>430 訂正訂正
>思うに、一般人に理解しがたい、ってのは、
>風さんの「時間や因縁は存在しない」って主張も同じだよ
>むしろ、これは理解されないだろう
思うに、一般人に理解しがたい、ってのは、
風さんの「時間や因縁は存在しない」って主張も同じだよ
むしろ、ここが理解されない
>>432 ゴメン。よくわからん。
「空や涅槃に執着する人は一般人じゃない」
「空や涅槃に執着しない人は一般人」
で、ブラウンさんは?
>彼は「一般人」を「極論を言う悪見に執着した人」の意味で定義したんじゃないと思う
同意。
うーん、極論を言うなっていう極論を叫ばれたら、一般人はどうすればいいんだ・・。
一般人は極論もグレーも含めて生活しているからね・・。極論の楽しさもあるんだけどな・・。
極論のデメリットばかりいわれても、そんなの極論だと思うよ。
タルい
はいはい、言葉遊び大好きの私が来ましたよ(^O^)/
一般人は実は一般的じゃないヽ(^。^)ノ
これで一般的に解決しますね(^O^)/
>>433 ブラウンさんは、中道が善良だと思っているんでしょう
わたしも時間や事象に執着することも、時間や事象に実体がないという結論に執着することも
どちらも問題があると思います。
>>434 ただ、「時間や事象に執着する人々」を指して一般人というなら、
どこの宗教団体でも言うような意見だと思います。
…まあ、他人の書き込みを弄くるのは、もうよしますが
>>435 極論を言うな、じゃなくて、極論にとらわれるな、でしょうね。
実際の所、私も毎度毎度、時間に追われ、物事にとらわれています。
でも、それに流されるのではなく、ふと立ち止まって自省したいと思うわけです。
>>438 ふむふむ、なるほどー。確かに心が極論にとらわれている人にとってはその言い方がいいのかもしれませんね。
でも、極論にも楽しいところがあるのでゼロにしないで少しぐらい残しておいてほしいなぁ・・。
選挙とかでもそうですけど、「改革するのかしないのか」という極論のスローガンには魅力あるんですよね。
正しいとは思いませんが、たまには極論祭りをみんなでやりたいなぁ・・。
>>439 >たまには極論祭りをみんなでやりたいなぁ・・。
結構ひとりでやってますがヽ(^。^)ノ
みんな嫌がって、遊んでくれませんけど(^O^)/
まあ、私もかなりあっつくなりますしね(^^♪
私はどうなるか予想はつくナァ〜
441 :
慈風:2006/12/06(水) 18:01:07 ID:uR4yFhIE
今日退散しましたが、キリスト教のスレ、楽しかったですよ。
442 :
まい:2006/12/06(水) 18:05:52 ID:erVQMZNV
>>440 本心を隠して、わざと反対を言って遊んでもらうw
443 :
慈風:2006/12/06(水) 18:13:53 ID:uR4yFhIE
まいさん、本音でも遊んでもらえてますよ。
444 :
まい:2006/12/06(水) 18:20:09 ID:wccMwQpS
本音はいい人なのに、恥ずかしがりやだからw
445 :
まい:2006/12/06(水) 18:22:54 ID:wccMwQpS
ばらしてゴメンね。
しかし、被害者さんが傷ついた理由がわかったよw
退散するまでやるんだもん。
446 :
慈風:2006/12/06(水) 18:24:36 ID:uR4yFhIE
は?なんのことです?
人ができるだけ真面目に話しているのに、茶化したり揚げ足を取ったりするは
見ていて気分がよくないね
それは顕正会等々のカルト団体が大好きなことだ
448 :
慈風:2006/12/06(水) 19:20:09 ID:uR4yFhIE
それは世の常でしょう。
いちいちそんなことを気にしていたのでは、私自身の成長もないと思いますし。
>>448 ネタ話をしている時ならともかく、真面目な話をしているときにむやみに煽りを入れる
人は好かんですね
そういう人は「所詮ここは2ちゃんじゃないか」とよく口にします。
昔はそういうゴミの中にも使える物もあるかと思って見ていましたが、
最近はまとめてあぼーんしてます。
時間の無駄だと感じますから。
450 :
まい:2006/12/06(水) 23:24:20 ID:3JRrWmza
>>445は昆布さんの趣味の話ですよ。
慈風さんのことではありません。
>>449 そこのところの成長も(流れって言うか)読んだ上での遊びだと思うよ。
一般的な話から、もう一歩突っ込んだ話を期待してるような。
所詮・・じゃなくて、2ちゃんだから出来ることって、前向きに。
>>447 それをうまくはぐらかせるような技術も身に付けられたらいいね。
ま、個性だから、それが苦手ならそれでもいいし。
ワタシも、どっちかというとストレートな感想しか書けないけどw
453 :
brown:2006/12/07(木) 01:22:44 ID:6oVnoDvy
いや私は常に執着していますよ。
何かを言わなくてはならないと思っている。
伝えたいものがある。知って欲しいものがある。
ただ,時間とか因果とかが空であるとか,自我が無であるとか,
そういうことにこだわっても意味はないんです。
というのは,そう言っている間にも時間は流れ,輪廻は至る処で
起こっているから。
心や身体は無であるという,その瞬間にもそこに,心も身体もある。
それを悟れば,無というものはなくなる。
しかし,人は,心や身体に疑念を持つ。もっと深い「何か」があるのでは?と。
その疑念を解消していくためには心や身体,あるいは概念を乗り越えていか
なければならない。
乗り越えた処に,心や身体や概念が,初めて,あるんです。
それは生まれ変わるわけでもない。元から明々白々とそこにあるんです。
何も変わっていない。でも同じではない。
454 :
brown:2006/12/07(木) 01:39:50 ID:6oVnoDvy
因果などというのは,物理的現象しかみていない者のいうことであるとか,
単に確率的なことで,悪いことをしても悪果が降りかからないとか,
本当はないんだなどというのは,要するに頭がおかしいのです。
全く無責任で,自己中心的で,自我世界に閉じてしまっているのです。
しかし,閻魔大王が,死後,人の善行と悪行を天秤で量って比較するように,
何か実体のあるもののように見て,機械的に善行という物質量と悪行という
物質量があるかのように思いなすのも,とんちんかんなことです。
世の中見ていれば不公平なことばかりなのですから。
その両方の良識をともに見て,起こることは,「疑問」です。
その疑問を解消する方法として,どちらかの極端に陥り,どちらかを無視
する方法を取る限り,真実は覆い隠され続けます。
しかし,その疑問を保ち続けて,探求を続ければ,知り得る疑問に対する
答えは,その先にある体験の中に横たわっているんです。
>>447 そう?
スレ的な結論が出てるんだから、
深く掘り下げるんなら、立場を明確にした方がいいと思っただけなんですけど・・・
立場をあいまいにしたままに先に進むのは、
あまりにも暴論というか、
飛躍がありすぎると思うのですよね。
因果はある程度は客観的な要素が強いとは思いますけど、
善悪は、社会的な判断ですよ。
どんな社会・集団・組織によって判断されるかで、善悪は大きく左右されますからね。
それを無視して先に進んでも、スレ的にはその議論自体が嵐です。
まあ、結論がでているのにスレが立ってるんだから、
スレそのものが嵐歓迎ともいえるんですけどね。
そうすると、茶化しと揚げ足取りが、このスレでは正しい有り方?
まあ、どちらにしても、1>の無責任ともいえるかも。
>>453 ほとんど同意なんですけど、
>答えは,その先にある体験の中に横たわっているんです。
それは共有するものであって、
押し付けるものではないと思うんですよね。
また、共有できてるのかどうかも怪しいですし。
まして、善悪の概念などどこから出てくるのか、疑問です。
それが明確にならなければ、
因果に関しては、客観的な事実であるというだけのことだと思いますが?
457 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 06:45:41 ID:6VXLXmWd
>>454 >因果などというのは,物理的現象しかみていない者のいうことであるとか,
>単に確率的なことで,悪いことをしても悪果が降りかからないとか,
>本当はないんだなどというのは,要するに頭がおかしいのです。
>全く無責任で,自己中心的で,自我世界に閉じてしまっているのです。
だな。風がその典型だ。
>>457 だから、風氏の主張はそこにないんだって・・・・・・・
もし、因果があるんだとすれば、
それを認めようが認めまいが、逃れることが出来ないんでしょうし、
認めたからといって、どうせそれから逃れられるわけでもないんでしょう。
その因果を断ち切ることが出来るパワーのある人が、
因果はあると断定すればいいだけのことなのですよ。
それができないのに、
あるとかないとか言ってもなにも始まらないと思いますよ。
まあ、宗教的なご都合で信者獲得の伏線なら、別にいいですけどねヽ(^。^)ノ
非常にわかりやすいですけど、失敗してると思います、ハイ(^O^)/
459 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 07:24:27 ID:6VXLXmWd
>>458 だがしかし、
「時間とは概念のものであり時間そのものは存在しない」
と、風は言っている。
これは明らかな妄想であるのは言うまでもない。
因果についても真っ向から否定している。
のちに考えを変えたのか、因果の存在に妥協するようなことを述べている。
まったくもって優柔不断な風はさしずめ風見鶏といったところかなw
あとは人格障害で検索すれば因果応報のサンプルはたんまりとある
肯定することがタブーになるのは宗教チック症
463 :
慈風:2006/12/07(木) 09:24:22 ID:Z/bide7q
因果はない。
時間は、人が作り出した概念。
>>461 人格障害の因はどこにあんのかな?
というか、宗教と言うのも、なにかの因だな。
早く、取り除いてくれたら、君らの言うことも信じてあげてもいいぞ(^O^)/
>>463 そうそうヽ(^。^)ノ
君の場合は精神科に通うしかないよ
DVは警察につかまるまで気づかないらしいし
幼少期のインプリントを「原風景」という
似た原風景を持ったもの同士は引き寄せあうらしい
たしかに、自分が二人いれば、その自分がどれほど社会的キャパの足りてない人物(反社会性)であっても
自分にたいしては「同調」するはずである
「こいつほどわかっている人物はいない」
それが縁
とくに血縁はわかりやすすぎてわからないよねぇ
467 :
慈風:2006/12/07(木) 10:07:06 ID:Z/bide7q
こんぶさん、キリスト教スレ、楽しかったですよ。
いろいろ勉強になりました、
>>465 結局、医学の方が上かヽ(^。^)ノ
これだけは、双方が認める事実らしい(^^♪
ということで、結局科学の力に頼るしかない君らは、因果なんて語るもおこがましい(^O^)/
早く、因果があるなんて言う前に、自分の頭の断面図でも撮りに行った方がいいヽ(^。^)ノ
というのが、 ID:ZG4XT7LZさんの意見です。
ついでに君も行ったほうがいいかもね。
というのは、
>>466を眺めた私の意見です(^^♪
ちなみに、 ID:ZG4XT7LZは、つきたんでしょw
深く感じるものがあるぞw
はぁそうですねぇ
君も医者にたいして
「お前自身も精神科に通ったほうがいいぞ」
とは喚かないようにね
反社会性は医者にも嫌がられるらしい
因果はあるよ。脳の中に。今日こうして幸せに生きられるのは、みなさんや先祖や自然のおかげ。
炎の仕組みを議論する前に、炎をつかっておいしい料理をつくるのが先でしょ。
特に因果肯定論者にいってるんだけどね。本末転倒してますよー。
473 :
まい:2006/12/07(木) 14:16:25 ID:ZVbP+QPi
>>456 >それは共有するものであって、
>押し付けるものではないと思うんですよね。
昆布さん、別にブラウンさんは押し付けてはいないと思うよ。
ブラウンさんが知っている仏教的情報として、参考になるとは思うけどな。
それが本当かどうかは、興味がある人が追体験してみればいいんだろうし。
熱心な否定も強い肯定である
エネルギーを消費しているのだから
肯定を否定で消そうとすると
たいへんなエネルギー消費量になる
しかも負のエネルギー
シカトしておけばいいよ
476 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 16:14:12 ID:Nv9vdPB8
因果と言うと脅しに使われがちだが、貯金のように前向きな努力も生むからね。
あってもいいんじゃない?
「因果」という言葉・概念が、文脈によって違う語義を持ちうるということがわからんようだね・・
場合によっては、「熱が加わったから水分子の運動が活発になった(湯が沸いた)」
というような単純な事象の推移を指すこともあろうし
「俺があんな言葉を投げつけたから、あいつは自殺してしまった・・・」
というような、恣意的な因果もあろう
それらを全部ごちゃ混ぜで、よく話ができるね・・・
勿論、究極の達観としては、
風のように、「一切合財をあるがままに見る(事象の推移はそうした推移としてのみ見る)」
という視点もアリだろうが、あまり現実的ではない
479 :
慈風:2006/12/07(木) 16:51:55 ID:Z/bide7q
好きに論ずればいい。私はそう思います。
ただ、因果とは、概念としては存在しています。しかし、それは「知覚できる世界」すなわち、現世や現代や社会と呼ばれる世界にのみという前提があります。
これは、時間も同じこと。「ある」も事実。「ない」も事実。
視点が違うのに、論じても意味などない。
>>479 議論の前に視点の違いについて説明すれば混乱しなくていいんじゃないの?
視点がわからない人にはいっても無駄だけど。
因果も時間も存在してないというと、りんごも机も存在してないってことでいいんだよね?
481 :
慈風:2006/12/07(木) 17:13:05 ID:Z/bide7q
その通りです。
私もあなたもいません。
そういう視点です。
>>481 うん、そうだと思うよ。もう常識でしょ。
483 :
慈風:2006/12/07(木) 17:28:32 ID:Z/bide7q
常識ではないですね。
>>483 そう?視点の切り替え簡単にできる奴大分増えてきたと思うけど・・。
視点の維持も努力する必要ないしね。そのうちみんなそうなるんじゃないかなぁ・・。
485 :
慈風:2006/12/07(木) 17:52:40 ID:Z/bide7q
徐々にひろがりつつある、でしょうか。
既成概念「宗教」「一般常識」などに縛られている人も、同じものを求めている。
キリスト教のスレで確信しましたよ。
教祖様にとって色不異空とはどんな意味になりますか
487 :
慈風:2006/12/07(木) 18:11:56 ID:Z/bide7q
個人崇拝ほど危険な思想はない。
それは依存を生み、自主自立する力を奪い、個人を洗脳する。奴隷製造の温床が個人崇拝であると考えます。
キリストしかり、カルトしかり。
しきふいくうは(?)
489 :
慈風:2006/12/07(木) 18:19:08 ID:Z/bide7q
依存は、する者にも、される者にも心地いい。一旦はまるとなかなか抜けられないのは、そのためです。
仏陀が言われた「ただ独り歩め」という言葉がよくわかる。
依存は甘美。依存は蜜の味。しかし、そな一方の姿を知らなければならないと思います。
教祖などいらない。
>>485 >>487 個人崇拝もカルトもキリストも、縛られるものも,求めるものも、存在してません。
その確信は視点のゆり戻しが原因だと思います。
491 :
慈風:2006/12/07(木) 18:23:13 ID:Z/bide7q
さぁ?私は仏教徒ではありませんし。
知覚できるものは、幻。全て空である。
ですか?
適当に答えました。わかりません。
仏教とかキリスト教とか、分類するものは到達しないでしょう。
493 :
慈風:2006/12/07(木) 18:31:15 ID:Z/bide7q
ですね。枠ですから。
空が無ければ
むなしかろう
495 :
慈風:2006/12/07(木) 19:30:52 ID:Z/bide7q
視覚に捉われれば…ね。
>>495 貴方は視覚にこだわってますが、
貴方の思考(脳内と言ってもいいが)もまた、
因果の内なのですがね・・・。
497 :
慈風:2006/12/07(木) 21:42:50 ID:Z/bide7q
それは「解釈」といい、自我のことです。
>>471 名医と言われる精神科の先生ほど、定期的にカウンセリングを受けているものなのだよ。
まあ、患者には絶対に言わないけどね。
どうしてだと思う?
まあ、わかれば宗教なんていらないかもねwヽ(^。^)ノ
>>473 ブラウンさんは押し付けてると思ってませんよw
意図することろですれ違ってるだけのこと。
だから、立場を明確にしなければ、このスレの最初からの平行線。
それを無理に続けていることが、
宗教的な宣伝活動にしか見えないから、失敗と私が言ってるのですよ。
そもそも、ブラウンさんとは関係ない話しになりますけど、
ここで、因果応報があると主張する方々の論は一貫して、
因果応報があると主張するだけで、
なんら、具体的な例を挙げる人もいないし、
その因を断ち切ったという具体的な例もない。
障害者は前世で悪いことをした報いであると断定した割には、
その因をどうやって断ち切れて、その障害が治ったという話もない。
因果応報があると断定したのなら、
その直し方を医者に頼るようでは、余計なお世話だし、
細木カズコの方が、テレビに出ているだけによほどに責任感がある。
江原や細木以下でしょ。
だから、その意図がないのなら、誤解されないように、
因果応報は仏教的な立場において、このように判断しているということを明示するべき。
ならば、それぞれの立場において、
一つの事象において、このような見解もあるとわかりやすいし、納得がいくでしょ。
今のままでは、
風氏の時間が存在しないと言う話をいくら批判しても、目糞鼻糞。
やってることは、宣伝活動ではなくて、病人同士の罵りあいにしかならない。
まあ、そういうこと。
500 :
brown:2006/12/08(金) 03:01:07 ID:TK/0rxtb
知覚できるものが幻だというのは完全な誤解ですよ。
知覚できるものが全てです。それ以外には何も存在しません。
それ以外に「空」があるように思われるかもしれませんが,そうでは
ありません。知覚できない「何か」が何もなく空っぽだから空というんです。
人は常に「何かがある」と思うもので,例えば,「何か助けてくれるもの
がある」,「何かが間違っている」,「何か不足している」,・・・
しかし,現実には何もありません。直接的知覚が,自我や思考に曇らされる
ことなく,晴れ渡ること以外には何もありません。経験が何物にも覆われる
ことなく,そのまま静寂に完成しているので,それ以外のものが何もなく,
それ故に空と呼ばれるのです。
決して,知覚が幻で,空であるとか無であるとかいうのではありません。
知覚は幻であったり,空であったりするのではなく,むしろありありと有る
わけです。
>>500 >知覚できるものが幻だというのは完全な誤解ですよ。
だから、神様も同じなのですよ。
神様を知覚出来る人たちには、あるいは、お化けを知覚出来る人たちには、
それぞれ、存在するでしょう。
「空」も同じでしょう。
理解できなければ、空といおうが無といおうがなんの違いもありません。
ただ、目を瞑って、赤信号を渡れば、
まあ、自殺行為になるのはわかりますけど、それでも、幻は、幻でしょうね。
その意図することは、似たようなものだと思いますよ。
でも、その考えは確かに、かなり高度な話です。
一般的ではありません。
その一般的でないことに掛けては、似たようなものだと思いますけどね。
ということで、オチ。
>>500 だから知覚できるものが幻だという知覚ですよ。風氏のいうとおり視点が違うんですよ。
2次元の世界と3次元の世界では同じものをみても違う形に見えるでしょ?
絶対基準に執着しすぎ。
504 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 05:31:06 ID:xjgcTdcF
>>499 風の言う「時間は存在しない、因果は存在しない」は明らかな暴言、妄想だ。
まさに失笑に値すると言ってもいい。
前世の因縁で障害者で生まれるというのはインチキ臭いが、少なくとも、
原因があり結果となる、という因果は存在する。また時間は物理学、相対性理論
を学べば当然存在するのが解る。まあ常識。
また因果論とは別に波動というものがある。オーラと読んでもいいが、
事実、良い波動を生むには良い種を巻く必要性がある。逆もまたしかり。
このようにいくら因果、時間を否定しようがすべては因果、時間の中で
流れている。ゆえに風の意見は基地害の妄想以外の何物でもないかと。
人にストレスを与える原因がある
>>503 まあ、神が存在すると同じ話だな、こりぁ〜
どうでもいいw
507 :
慈風:2006/12/08(金) 09:25:42 ID:jvkzLLFp
暴言だろうが、妄想だろうが、そう捉えているのは、私ではない。
そう捉える人にとっての真実がそうだというだけ。
ほんと、どうでもいい。
508 :
まい:2006/12/08(金) 10:35:56 ID:cGjncG2S
>>499 >ここで、因果応報があると主張する方々の論は一貫して、
>因果応報があると主張するだけで、
>なんら、具体的な例を挙げる人もいないし、
>その因を断ち切ったという具体的な例もない。
さすが昆布さん。今後の展開に期待す☆
509 :
まい:2006/12/08(金) 10:41:31 ID:cGjncG2S
>>504さん、
昆布さんが言うように、他を妄想と言うからには、あなたの論に、何か納得できる証拠はないかな?
それとも、ひとつの信仰だと言うことで終わらせとく?
>>499 まず、君のいつもの手法だが、
既出の意見(や分類)を意図的に無視している節がある。 (邪推であればすまん。謝る。)
> ここで、因果応報があると主張する方々の論は一貫して、
> 因果応報があると主張するだけで、
中にはそのような意見もある(尤も、燃料投下が目的かもしれんがw)。
が、この3スレの間に出てきた意見は様々であったはずだ。
それぞれの割合がどれくらいかは数えてないので判らんが、
少なくとも、「因果応報がある」というもののみではない。
また、「どのような在り方として在るのか」についても散見されるはずだ。
君は過去レスを見てないのか? 少なくとも初代スレの288が、一つの叩き台にはなる筈だ。
(勿論、それ以降288への有力な反駁は書き込まれていないわけだが・・・。)
また、「因果」と「因果応報」(と「善因善果悪因悪果」と「善因楽果悪因苦果」)との違いも
一向に明確にされないまま書き込みは続けられる。全てが混交した状態で語られ続けている。
さらには、ただ「因果」と言われた時でさえ、その中に
「(物理的、或いは絶対的)事象の推移」
「短いスパンでの恣意的な区分」
(さらにこの中でも、一個人にのみ関わるものか社会全体のものかという区分も生じよう)
「長いスパンでの恣意的な区分」
(さらにこの中でも、一個人にのみ関わるものか社会全体のものかという区分も生じよう)
(さらには、前世・過去世という概念が加わることもあろう。話はどんどん複雑になる。)
等、幾つかの意味合いが(範囲として)同時に含まれる。
語る者はそれを理解し、場合によってはどの意味で用いられているか明示する必要もあろう。
511 :
2/5:2006/12/08(金) 10:58:31 ID:Uw/KbXO5
そうしたことを踏まえてみると、
君は「因果【応報】」という語を用いている。それは、君自身が既に【応報】ということを前提としてないか?
上記の文に於いて、なぜ単に「因果」と言わず「因果【応報】」と言ったのか?
まず君自身がその意図を明確にすべきだ。 次段の引用文に関係して重要なのは、
『『因果』が、前世・現世・来世へと確実なものとして貫いているかどうか』ではないのか?
君が異議を唱え、断固反対する思考は、まさにその部分ではないのか?
「因果【応報】」と言った場合には、288で示されている通り恣意的な基準が必要とされるのだ。
その枠組みは、キリスト教的世界観かもしれないしイスラム教的世界観かもしれない。
仏教的世界観かもしれない。或いは、ある共同体が伝統的に培ってきた価値観かもしれない。
少なくともそれは、足場をどこに組むかという事でしかなく、批判するならそれぞれの足場へと矛先を向けるべきだ。
288的な意味合いで捉えるなら、「因果応報」は解釈の手法として確かに「存在する」。
対して「因果」と言われた場合には、
上に述べたような、指し示される範囲の設定の仕方こそが問われてくる。
「応報」という語が付加されたものでない、一般的語義としての範囲は如何なるものか?
そして、それを拡大援用することの是非こそが、君の主張の要ではないのか?
だとするなら、君の問いは、「因果【応報】があるかどうか」でなく、
「『因果』はあるかどうか」 「その『因果』の関係性はどこまで及んでいるものなのか」
でいい筈だ。
512 :
3/5:2006/12/08(金) 10:59:11 ID:Uw/KbXO5
> なんら、具体的な例を挙げる人もいないし、
> その因を断ち切ったという具体的な例もない。
もしこれが、「因果【応報】」について言われることであるならば、
具体例(解釈例)は山ほどあろうし、(宗教的なものにならざるを得ないだろうし)、
その因を絶つということは、気持ちを切り替える(或いは解釈の方法を替える)ということになろう。
(参:
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1164200084/268 及び
もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ18528
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1149219253/ [520〜523] )
が、これが「因果」について言われるものだとしたら、話は少々変わってくる。
勿論、『因果』の語義の置き方にも依ってはくる
(風のようなスタンスを取るなら、全ての問いは無意味となる・・)が、
仮に語義を狭くとり、「事象の推移」とした場合には、
物理学等の話にもなってくるだろうし、その上で、「どう解釈を施すか」という
二段構えの構造になろう。その上で、避け難い因果関係をどう読むか、
或いは、因と果の関連のさせ方に恣意的なもの(ある価値観)を投射することの是非が
問われてくることになろう。
また、心的現象について「因果」を考察した場合は、
恣意的判断を除くことはほぼ不可能だろう。(反射的反応はまだわかり易いかもしれないが・・。)
> 障害者は前世で悪いことをした報いであると断定した割には、
これは、先の144の件にも絡むことだが、
誰が、どこで(どのレスのどの文章で)、断定したのか?
そうした解釈が世間に横行している事実はあろうが、
だからといって、このスレで発言する者が全てそうした価値観を持つ、と判断するのは乱暴に過ぎないか?
問題は、「『因果』が前世から現世へと繋がるのかどうか」 であろう?
それが「報い」かどうかであろう?
「因果応報」であるなら、当然そういう解釈もアリだ。
(それが、(現代)社会的に良いか悪いかは別問題として・・。)
513 :
4/5:2006/12/08(金) 11:06:37 ID:Uw/KbXO5
> その因をどうやって断ち切れて、その障害が治ったという話もない。
仰る通り。 だから、所謂「因果応報」は確実なものでない、と、このスレでは仮の結論がでているのだろうと思う。
> だから、その意図がないのなら、誤解されないように、
> 因果応報は仏教的な立場において、このように判断しているということを明示するべき。
> ならば、それぞれの立場において、
> 一つの事象において、このような見解もあるとわかりやすいし、納得がいくでしょ。
まったくもってその通り。
が、仮に、仏教的立場で『因果応報』を解釈するとしたら、その際の基準は、
仏教内に於ける善悪・良悪の価値基準に照らして・・・、或いは、涅槃を求めるベクトル、
及び他者への「悲」の観点からなされるものとなろう。(歴史的・政治的過去の実例はひとまず措く。)
もし、(現在一般的に言われる)『因果』について仏教的視点(≒解釈)をとるとしたら、
確固たる一律のものでなく、抽象的な(仏教内に於ける)善悪・良悪の価値基準に照らして・・
ということになろう。また、現代の道徳・常識等との摺り合わせの後、それを逸脱しない範囲で
上記のような基準を当てはめてゆく事になろう。
そしてもし、個別な、各具体例について述べる必要が生じた時は、その時は、
「・・・ちなみに私は、・・・」という付加が添えられて初めて、君へと届く言葉になるのだろう。
そうでなかったら、伝統的・歴史的解釈の援用として、君の異議申し立ての対象となるだろうし、
君の満足する言葉にはならないだろう。
※(たとえば、話は少しズレてしまうが、「脳死」や「臓器移植」や「中絶・堕胎」等に関してならば、
余計に、「私はこう判断する」という姿勢が不可欠となろう。
なんとなれば、現代的諸問題の様々なものは、2500年前のインドに於いては
夢想だにされなかった事例ばかりなのだから・・・。)
> 今のままでは、
> 風氏の時間が存在しないと言う話をいくら批判しても、目糞鼻糞。
> やってることは、宣伝活動ではなくて、病人同士の罵りあいにしかならない。
同意。
514 :
まい:2006/12/08(金) 11:06:42 ID:cGjncG2S
>>504 >また因果論とは別に波動というものがある。オーラと読んでもいいが、
>事実、良い波動を生むには良い種を巻く必要性がある。逆もまたしかり。
証拠にはならないけど、見える人には事実としてあるんだろうな。
見えない人には、その情報を信じるか信じないかしかない。
そして信じた結果と信じなかった結果を比べてみるしかないわけだが・・生きているうちに
その結果が見れるかどうかはわからないっとw
515 :
/5:2006/12/08(金) 11:07:11 ID:Uw/KbXO5
蛇足:
あっちのスレの件だが、
五分の四くらいは記し終わったが、(てすとへの返答は除くw)
なかなか進まない・・・(^^;
もう飽きた・忘れた・・ と言うなら、このまま闇に葬るが・・・w
>>504 限りなく透明に近いブルーは透明です。ブルーは存在しない、と断言して何か問題あるの?
517 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 13:03:14 ID:QT/sccNn
>>514 オカルトや宗教、ニューエイジではオーラは生命活動や精神活動をつかさどる超自然的な
エネルギーである生体エネルギーが体から放出され、体を取り巻いたたものだと
されている。中国の気、インドのプラナなどと同一視することが多い。
また宗教画などに描かれる後光をオーラとみなすことがある。
だが、科学的にもオーラは証明されている。オーラとは微弱な電気エネルギーや
電磁波、光のエネルギーなどである。キルリアン写真に映るコロナ放電の光や
生化学反応の副産物である微弱生体発光(バイオフォトン)をオーラだと言われている。
第六感で通じている
縁があるから
神の前に皆平等だとわかった
519 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 13:17:09 ID:g7+BgjdX
>>509 因果&時間は宗教の範囲内ではなく科学的分野の範囲内ということ。
例えば、、息を吸って吐く・・これが因果であり時間です。
因果はない、時間はない、と虚言を吐くその瞬間も因果&時間が
脈々と流れているのです。
原因の原因の原因の原因の・・と、たどってみればいいのに。
因果っていうのは人が便宜上発明した方便です。
用法・容量を守って正しく使いましょう。
522 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 13:25:46 ID:g7+BgjdX
>>520 仮に因果を方便とするのならば、、
では現象世界には原因もない、結果もない、と仮定すればいったいどうなるのでしょうか?
物理、相対性理論は崩壊し地球そのもの宇宙そのものがないことになります。
因果否定はあらゆる物理現象および自分の存在をも否定することになるでしょう。
>>522 だからなんで否定になるのかな。視点の違いだってなんども言っているのに。
三角錐を上からみたら円だけど、横から見たら三角でしょ?
横から見ている人にとって円は存在しない。
上から見る人にとって三角は存在しない。
524 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 13:37:15 ID:g7+BgjdX
三角錐はどこから見ても三角錐です。上下横から見ても三角錐。
角度により円や三角に見えるのは視覚的錯覚でしかありません。
それを妄想と言います。
>>522 因果は「範囲を限定」されて始めて存在するんですよ。人間の意図が必ず入ります。
物理学もそうでしょ?
常識なんだけどな・・
>>524 「どこから見ても」と、どうやってだれが結論つけるのでしょうか?
自分がすべての方向から見ているというのは視覚的錯覚でしかありません。
それを妄想と言います。
526 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 14:00:32 ID:g7+BgjdX
なんども言いますが物事には原因と結果があります。
これは否定しませんよね。そうです、これが因果の実体です。
範囲もなにもありません。厳然たる事実。
善因善果はまた別問題です。
>「どこから見ても」と、どうやってだれが結論つけるのでしょうか?
>自分がすべての方向から見ているというのは視覚的錯覚でしかありません。
屁理屈はやめましょう。
>>526 あなたが2chに書き込んだ原因を範囲指定無く全て列挙してみてくださいよw
>範囲もなにもありません。
難しかったかな・・。
>厳然たる事実。
ひょっとして絶対真理って奴ですか?w悟っちゃいました?w
事実は範囲に縛られますよー。
>屁理屈はやめましょう。
まだ早かったかな・・。その内理解するでしょう。
限定事実ではなく、無限の事実をどうやって把握するのか是非教えてほしいw
神ですか?w
529 :
慈風:2006/12/08(金) 14:14:30 ID:jvkzLLFp
>>526 物理現象として物事を解釈するならば、因果は存在するでしょう。
しかし、その因と果を結び付けているのは誰でしょうか?
あるとしている人達なのですよ。
目に見えることだけを分析判断する人と、そうでない人。どちらがいい悪いではないと思います。
個人の信条をあなたは判断している。
それは、宗教にたいして寛大でなかったり、他宗を否定し続けている人となんらかわらない。
530 :
慈風:2006/12/08(金) 14:23:13 ID:jvkzLLFp
確かに、因果は一般的に受け入れられている常識かもしれません。
しかし、それは始めからあったのですか?もしそうなら、あなたがどうやってそれを知りえたのですか?
見方が違うのです。あなたの常識と、精神世界は違うこともあるのですよ。
それに、もともと因果律は仏教の教えであり、「束縛」です。イエスを信仰しなければ、救われないと解釈してしまった、クリスチャンと全く同じ。
あなたの意見は最もです。だが、あなたの意見があるということは、同時に他の意見もあるのです。
それを違うとか、屁理屈とする心に、寛大さがあるでしょうかね?
>>529 自分が理解するのは簡単だけど、人に説明するって難しいですよね。
最後は屁理屈で片付けられちゃうしw
532 :
慈風:2006/12/08(金) 14:30:10 ID:jvkzLLFp
わかります、てすとさん。
ある程度はできても、完全に伝えることはできないかもしれません。
なぜなら、言う側の自由もあれば、受ける側の自由もあるのですから。
別にね、因果があろうがなかろうが、たいした問題じゃない。
問題はそこにないのではないかと思うのです。
それでなくても、人は束縛の中にいきていますから。
>>532 旧約聖書の創世記で神が最初にやった事は創造ではなく分類ですからね。
分類する神と人間は当然同じ形になるのでしょう。
人は分類や限定や束縛なしには生きられないのかも知れませんね。
534 :
慈風:2006/12/08(金) 15:02:34 ID:jvkzLLFp
概念の世界には分別はあります。
だから、苦しむ。
ところが、概念をこえてしまうと、その瞬間に苦しみが消えていきます。
捉われること…あらゆるものに捉われる心、それがあると寛大さ、寛容さを失ってしまうと思うのです。
私が言う「あるがまま」とは、一切の自我による判断を離れ、そのものの本質、つまり「存在」の視点にたつことです。
執着してきたことが、幻だと知ったら、愕然としますね。
>>534 その視点に立たないと、結局執着や夢まぼろしを楽しめませんからねー。
お化け屋敷にあるのが本物の死体だと勘違いしてたら、キャーキャー言って楽しめないよなー。
警察呼ばれたりとかw
分裂病質だから
苦しみを生み出すのだろうね
537 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 22:52:00 ID:KW7mucrn
因果は存在する。だが因果に捕らわれてはならない。
538 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 00:40:49 ID:lMeEW/6I
因果を超越することこそが解脱への道。
539 :
顕徹:2006/12/09(土) 00:45:17 ID:Fh8SwSkB
親鸞会で因果の法則を教えてもらったけど、お金が、無いからやめたよ。
現実問題。
540 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 02:04:54 ID:yWMMswlz
因果の法則とは別として善因善果なる後付けの法則がある。
実はこれがきわめて曖昧なものであり機能したりしなかったりと
気まぐれ要素を含んでいる。したがって行いに対してあまり神経質になるのは
良くない。何よりもストレス社会といわれる現代は自殺も頻発しており
いかにストレスを解消するかが問題解決の鍵になっていると言うのも
過言ではない。そしてその発散方法においては千差万別ではあるが、
あまり周囲に同調しないやり方がもっとも有効とも言えるのである。
つまるところが、少々の悪態行為で解消出来るならばそれもアリということ
になる。迷惑をかけないようにするという気づかい主義が日本人の長所でもあり
短所でもあるのだが、実は短所のほうが大きく作用している。
要は因果という概念に捕らわれない自由奔放な理念、行動こそが絶対善であると
信ずる次第である。
>>510 >まず、君のいつもの手法だが、
>既出の意見(や分類)を意図的に無視している節がある。
無視といえば無視かもしれないですが、
どのように取れるものは、説明不十分ということで、無視しています。
特に、名無しの場合は、素通りする傾向は強いかもw
>少なくとも初代スレの288
できれば、その内容をコピーしていただければ、嬉しかったのだが・・・・・
私は、すっかりスレ的な結論が出ていると思ってました(^^♪
>「因果」と「因果応報」(と「善因善果悪因悪果」と「善因楽果悪因苦果」)との違いも
>一向に明確にされないまま書き込みは続けられる。全てが混交した状態で語られ続けている。
確かに、その通りだと思いますよ。
だから、スレ主は無責任w
その後に続く、
>ただ「因果」と言われた時でさえ、その中に・・・・・・・・
の問題も、その詳細について議論していけばいいと思いますよ。
漠然としたまま、やりとりするのは不毛なんじゃないですかね。
どちらかと言えば、風氏の個性でこのスレが流れているのが現状ですから。
まあ、これはスレの運用上の話しなんでしょうけど、その意見は同意ですよ。
ただ、私は別に、スレ主はこうあるべきと思ってるわけでもありませんけどね。
今のこのスレの流れは、罵りあうほどに不毛ですよ、
というのが私のとりあえずの意見だと理解していただければ、助かります。
>>511 > 君は「因果【応報】」という語を用いている。それは、君自身が既に【応報】ということを前提としてないか?
> 上記の文に於いて、なぜ単に「因果」と言わず「因果【応報】」と言ったのか?
それは、私は、まったく、無視していますね。
ご指摘どおりです。
もしかすると大きな意味があるかもしれませんけど、今のところ、意識してる意図はなんにもありません。
>『『因果』が、前世・現世・来世へと確実なものとして貫いているかどうか』ではないのか?
>君が異議を唱え、断固反対する思考は、まさにその部分ではないのか?
> 「因果【応報】」と言った場合には、288で示されている通り恣意的な基準が必要とされるのだ。
私が異議を唱えるのは、まさにその恣意的な基準ですよ。
その恣意性は、それぞの立場の恣意性です。
科学は、論理実証的な立場から、法則を見出して、未来を予測します。
従って、科学の因果応報は、論理実証的な立場と言えるでしょう。
しかも、かなり激しく、実生活に役に立ってます。
細木は、占いの立場から、統計学上のデーターを駆使?して、未来を予測?します。
人生のスパイスとして、日常生活に笑いw!をもたらしてくれます。
では、仏教は、どんな立場なのでしょうか?
それを明らかにしてほしいと言うことなのです。
>>512 >もしこれが、「因果【応報】」について言われることであるならば、
>具体例(解釈例)は山ほどあろうし、(宗教的なものにならざるを得ないだろうし)、
>その因を絶つということは、気持ちを切り替える(或いは解釈の方法を替える)ということになろう。
そうそう、その具体例が知りたいのですよ。
その程度の解釈を仏教徒は、何千年も続いてやってきたのかと・・・・・・・・・
もし、それが仏教にとって重要なことならば、
なぜ、だれも、それを語ることがないのか?
この事実だけを取ってみれば、
因果応報に関して言えば、占い以下といわれても、誰も反論は出来ないでしょう。
そして当然ながら、「占いは宗教の一つ」というのはナシですよ。
なぜなら、それを言うなら、今の宗教は占いになったと言うべきでしょうから、
占いと宗教の違いを明示するべきでしょう。
しかも、占いの根拠は統計学ですからね。
ある意味、非常に数学的な根拠に基づいた、データーの分類でもあります。
ただし、統計学である以上、例外が必ずありますけどね。
だから、それを認めてしまうと、結局、宗教は古代の天気予報と同じなのです。
個人的には、すっきりして面白いですけどね。
特に、ご隠居は、この結論に満足するでしょうw!
素人氏も満足ですか?
>>513 > 仮に、仏教的立場で『因果応報』を解釈するとしたら、その際の基準は、
> 仏教内に於ける善悪・良悪の価値基準に照らして・・・、或いは、涅槃を求めるベクトル、
> 及び他者への「悲」の観点からなされるものとなろう。(歴史的・政治的過去の実例はひとまず措く。)
> もし、(現在一般的に言われる)『因果』について仏教的視点(≒解釈)をとるとしたら、
> 確固たる一律のものでなく、抽象的な(仏教内に於ける)善悪・良悪の価値基準に照らして・・
> ということになろう。また、現代の道徳・常識等との摺り合わせの後、それを逸脱しない範囲で
> 上記のような基準を当てはめてゆく事になろう。
> そしてもし、個別な、各具体例について述べる必要が生じた時は、その時は、
> 「・・・ちなみに私は、・・・」という付加が添えられて初めて、君へと届く言葉になるのだろう。
立場が明確であれば、「・・・ちなみに私は、・・・」はなくても、差し支えないですよ。
そもそも、その前段部分は、私には意味不明ですからね。
でも、その意味不明は仏教的な立場だから、私には理解できないと、理解できます。
これで、私はある意味、仏教を尊重することが出来るわけです。
ただし、仏教は宗教であって、哲学でもありませんよね。
誰でも、立ち入っていいわけです。
そしてこれがいつも問題になるんですよ。
この敷居の高さと低さの自己矛盾が・・・・・・・
かつてこの件に関する被害を受けた一人としては、多少は言う権利ぐらいあるだろうとは思いますよ。
押し付けたんだから、その根拠となる質問には、誠実に答えてもらいたいと。
まあ、素人氏はよくわかってらっしゃるので、なにも言うことはないのですけど、
カルトのトラブルの諸問題の原因は、この部分が大きいと思いますので、
しつこいようですが、念のためにコメントしておきます。
>>524 うん、そのレスが現状のこのスレの象徴だね。
一方は三角錐に見える方向ばかりを相手に見せる。
一方は三角錐に見えない方向を指摘する。
不毛であることには違いはないです、ハイ(^^♪
ということで、
てすと氏ノシ(^O^)/
引越しの片付けは終わったのですか?
ああ、あんまり荷物ないって言ってましたね(^^♪
546 :
慈風:2006/12/09(土) 10:27:29 ID:AD0IFAIU
こんぶさん、固執ってなんでしょうね?
>>546 んっw?
だから、なんで私なんだって・・・・・・・・・(-_-;)
きっと、上と下があるのに右と左しかないと思い込むこと。
いや、やっぱりそんなことだけではなくて、
宝くじなんか当たらないなんて思っていながら、
当選確率が高い売り場で買って、
しかも、今回は当たると強く確信しながら、1等の使い道を考えて、
当選金は誰にもやらないぞと、家族に内緒にしておきながら、
ちゃんと、神棚に隠して、バレバレなこと。
そういえば、ダリの「記憶の固執」ってのは、
いつみても、何が固執なのかわからないわァ〜
まあ、そんなことが固執なんだろう。
>>539 因果の法則を知ることも、超越することも、別に金はいらないよ。
何の特権も要らない。
知らなくても、そのままで誰でも影響の中にいる。
そもそも因果なんて原因と結果だから結果に対する原因を探せば見当たるのは当たり前のことで、
そんな有無を論じるようなことなのかな。
応報とか言うアレは方便だけし、宗教によってはとんでもない風に定義してるかもしれないけど。
550 :
まい:2006/12/09(土) 15:41:21 ID:GCs/BmUf
>>547 「固執」って、箱の中のものを取ろうとして手が抜けなくなった状態とか・・w
551 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 19:03:02 ID:l8/GpHzu
執着する、粘着するってことでわ?
善因善果もあるんですよ
善の定義とかやがて無限に分散する曖昧な結果はどうであれ与えたストロークは永久に機能している
完全に今の瞬間に限定しても核力や振動は今現在働いている
説明図の止まった波形ように振動を概念化させエネルギーがあることを忘れるのは簡単
解脱とアルツハイマーは違うよ
>>552 そりゃ海辺であそんでいれば、その波は地球上の海に到達するよね。
善因善果ってそういうはなしなの?
でも、その理屈では、ある一人の善の行為がその人にとって善果をもたらしたとしても、
他人にどう影響与えているかわからないよ。だれかに迷惑かけてるかもよ。
そもそも俺は善因をつんだ、あいつは善因をつんだなんて、そんなことだれが決めるの?
善を行うものは見返りを想像すらしないのだから、善因善果論をどこで使用するの?
>>553 詳しく。
555 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 00:41:08 ID:wkrfMI1V
善因善果は嘘です。善因を積むと逆に悪果する場合が多いです。
反対に悪因を積んだほうが善果する確立が高いです。
もちろん善因を積んでも善果ときもあります。
つまりこれはどういうことを意味するかというと
善因を積もうが悪因を積もうが結果はどうなるかわからないということです。
したがって自分の思うがまま行動すれば良く
結果をあれこれ詮索することは無駄ということになります。
それも卑屈な希望的観測でしょうね
悪性のミームですよ
まぁミームなんて語は自分は使いませんが
思考をすること自体が既に因果のうちにある
その反応も果ですからこの冬はスキーにでも行けばよいのでは
人に呪いを浴びることになる内なるテロルにも因がある
良いことをすれば良い見返りがあるだろう
不快を浴びせれば浴びせられる
559 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 01:40:46 ID:ZjsXVHqM
↑良いことってなんですか?
560 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 01:46:33 ID:7zTqU08t
>>558 ではボランティア団体の人はよっぽど良いことばかりあるんでしょうか?
そうでもなさそうですが。
良いことはたくさんあるよ
破壊工作もその国にとっては良いことでしょうしね
ボランティアは精神が何に基づいているかにもよるでしょう
縁は確実にあるなぁ
563 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 01:55:43 ID:7zTqU08t
精神云々はともかくとして以前ボランティア活動の海外派遣で殺された人がいましたね。
つまりボランティア活動をしても必ずしもすべての人が良い結果になるわけでは
ないと思います。
とても簡単な話ですね
565 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 03:39:09 ID:vz92QFz9
566 :
(-_-;):2006/12/10(日) 05:25:39 ID:CGRCorp+
ちょい質問!
おまいらカルマの法則って知ってんだろ
因果応報を論ずるなら、それも踏まえて言え
カルマの法則が正しければ因果応報も正しい
逆に、カルマの法則が正しくなければ因果応報も正しくなくなる
それだけのこと
もっとも、カルマの法則が正しいかどうかは、この世に生きているうちは確かめようがないが‥‥
エポケか? ノ ̄0 ̄)ノ⌒┻┻
567 :
(-_-;):2006/12/10(日) 06:16:23 ID:CGRCorp+
オマケ
ま、人間の死亡率は100%だから誰もがいずれこの世を去る
だから、放っておいても答が分かる時が来る
あの世のことなど今考えなくてもいい(考えても仕方ない)
>>567 心配性の人はどうすんの?
永遠の命を獲得するの?
ってのが、はじまりだとおもw
569 :
慈風:2006/12/10(日) 07:24:13 ID:9Y07NKU6
>>566 それは前にも触れましたが。
何を自らの真理としてもかまわないと思いますよ。
要はどい在るかだけだと思いますが。
570 :
慈風:2006/12/10(日) 07:30:40 ID:9Y07NKU6
こんぶさんはどう思います?
私は「命は永遠。形は永遠ではない」と思いますが。
得るものではなく、すでにそうだと気付くことが必要だと思っていますが。
571 :
慈風:2006/12/10(日) 07:33:24 ID:9Y07NKU6
心配性の人は、「今ではなく、過去や未来に捉われ続ける人」だと思います。
妄想や錯覚の中に生きるとき、心配や不安、希望や期待を抱くものだと思います。
>>570 私は、この件に関しては、いろいろ思うところがあるんですけど、
ここは、宗教色が強そうなので、やめときます。
勝手に解釈されたら、面白くないですからねヽ(^。^)ノ
生気が落ちても不安やネガティブな思想や乖離症状が出てくる
態度のとうりしきふいくうに
ずっと堂々巡りにしかなってないですからねぇ〜
君が、この堂々巡りに終止符打ってくれるとうれしいんだけどね。
なんども言ってるけど、ここのレスが輪廻してるんですよね。
しかも、つきたんはじめ、どうもそれを理解してるふしがないんですよ。
思うに、日本の義務教育の洗脳のなせる業だと思うんですよね。
つきたんは神社仏閣によく行くらしいから、
私の意味することがわかってもらえるのを期待してるんですけど・・・・・・・・
後追いをしているだけですよ
ことの始まりは、たったひとつのことしかないんですよね。
それは、単純なことにしか過ぎなくて、
自分の知らないことは、認識すらできないということ。
つきたんがコンブというキャラに見出しているものは、
すべて、自分なのです。
たぶん、因果応報がいうことは、そこでしょうね。
まあ、宗教的な解釈はしりませんけどね。
>>576 まあ、執着と粘着の違いに答えてあげれば?
って、その質問がつきたんなんだろうけどw
いきなり感情的になるところは因果応報ですね
抑えられない(?)
>>579 なんで、感情的?
というか、つきたんって、異常だからナァ〜
私には、所詮、理解不能なんですけどね。
南無菌の醗酵もつきたんの粘着菌があったからこそだと思いますしね。
まあ、2ちゃんならではなので、それ以上の関心はないですけどね。
その意味では、立派に縁起ですね。
でも、個人的には、面白い問題提起になればいいナァ〜
と思っただけのことですからね。
深い意味はないですよ。
異常は誰だろう
一歩外に出ればわかるよ
この件に関するポイントは、誰かも言ってましたけど、
因果の方向性なのでしょう。
しかし、因果を肯定してる人間が、粘着するってのは、
どのカルマの方向から来てるんだろう。
つきたんの前世は私の前世に踏みにじられたのかナァ〜
かつて、その踏み潰された怨念で、私に復讐してるとか\(^o^)/
無意識ほど、根深いからナァ〜
そう考えると、面白いナァ〜
つきたん、前世ではごめんよぉ(#^.^#)
って、ジョークが通じるところが、つきたんの面白いとこヽ(^。^)ノ
>>581 確かに、私の周りは、異常だw
もちろん、私も異常w
そう考えると、2ちゃんって、安心できるナァ〜
僕はミームならずコスモゾーンだから前世ははっきりとはさせていないよ
それと北海道からある個人的なことは推察しているけど前世とは関係ないよ
縁はアカシックレコードから来てるよ
厭世もまた縁だろうなぁ
>>584 私の理解インポぉ〜ヽ(^。^)ノ
アカシックレコード?
なんだろう・・・・・・・・・
セシルテイラー?
記憶にないナァ〜
そういえば、ビルエバァンスもしばらく聞いてないナァ〜
しかし、今年の北海道は、最悪だナァ〜
俺のせいか?笑
オチノシ
555 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 00:41:08 ID:wkrfMI1V
善因善果は嘘です。善因を積むと逆に悪果する場合が多いです。
反対に悪因を積んだほうが善果する確立が高いです。
もちろん善因を積んでも善果ときもあります。
つまりこれはどういうことを意味するかというと
善因を積もうが悪因を積もうが結果はどうなるかわからないということです。
したがって自分の思うがまま行動すれば良く
結果をあれこれ詮索することは無駄ということになります。
563 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 01:55:43 ID:7zTqU08t
精神云々はともかくとして以前ボランティア活動の海外派遣で殺された人がいましたね。
つまりボランティア活動をしても必ずしもすべての人が良い結果になるわけでは
ないと思います。
・・・人の振りを見てどう考えてもいいですが、要は自分がどう在るかですね。
どう在りたいかです。
確かに生きていると悲しいこともありますが、全て無駄だと、投げ出すかどうかですね。
こう生きなさいと、強制されることが嫌なだけでしょう?
588 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 22:08:27 ID:hNV7z3re
>>587 自分の生き方は自分で決めるのが筋というものです。
人の振りなど見る必要はありません。先人の教えに乗っかるのは単なる依存です。
人は人、自分は自分、といったドライな考え方がちょうどよぃ。
自分が善行をしたければすればいいし、悪に染まるならそれもまた良し。
すべては自分が決めるのです。自分に正直に行動すれば例え結果が悪くでも
後悔はないからです。
589 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 09:37:14 ID:E9lhg2JL
自我を捨てることは悪に属する。
なぜならば、自我とは善なる欲望、願望だからだ。
例えば、イチローや松井や松坂を含めたプロスポーツ選手が
自分の欲望や願望、野望を捨てたらどうなるか?
当然、それで選手生命は終わりになる。
自我を追求するからこそ節制や鍛錬をし、おのれを高めるのである。
自我を捨てるべきだ、とか言ってる風はただただ堕落するのみであろう…
590 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 10:54:35 ID:EDjJZOHQ
この原因と結果の回転の中に生きていることを知らずに生きることは、
気楽かもしれない。知っているか知っていないかの違い。
あるいは無視するか。
591 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 11:07:37 ID:EDjJZOHQ
病気とあらわれ、不幸となってあらわれているものは、
過去の自分の行為(か想念)でしかないもの。
だから今どうにかしようなどと思って宗教に入って鴨になってるやつらは
大きな間違いをおかしている。
本来そんな必要はないのであって、
自分の心内の浄化に努めればいい。いわゆる神(実在界・理想的な世・天国)と肉体の世界をつないでいる
「潜在意識」に汚れがあるから自ら病気や不幸になろうとしているのが事実なのであって、
頭脳表皮の自分がいくらその状態を嫌っても潜在意識の恒常性を保とうとして無為により働く、絶対的な力にかなう筈がない。
592 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 12:12:51 ID:4LDLw/t/
593 :
587:2006/12/11(月) 13:11:25 ID:bdNlYy/f
>>588 補足ありがとう。
自分に正直な行動の結果を見て、今後はどうしようと考えてみればいいことですよね。
誰かの善悪の基準に従っても、それを誰かのせいにするだけでは成長はないですからね。
594 :
587:2006/12/11(月) 13:13:38 ID:bdNlYy/f
>>592 591が生長だったら、生長もけっこういいことを言うんだな。
595 :
587:2006/12/11(月) 13:17:17 ID:bdNlYy/f
>>589 イチローや松井は野望を追求すればいい。
キミもイチローや松井のように生きればいい。
風は自我を捨てればいい。
どっちが良いとか悪いとか、そういう問題ではない。
596 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 21:04:36 ID:Hym7jkRa
>>593 その通り。
実際問題として人のために何かをするってのは嘘っぱちであり誤りなのです。
人のため(為)=人+為=偽、つまり偽りだからです。
人の為じゃなく自分の為だけを考えてればいい訳です。
ゆえにあらゆる宗教の教えである「他人のために○○する」ってのは
単なるきれい事でインチキきわまりない、いわば偽善者ということです。
それより素直に自分の幸せのためだけに努力するのが正直であり真理なのです。
>>596 それは、一見冷たい考えだと言われがちだけど正論だよ。
自分を大切に出来ない人は、他人を大切にする術を知らない。
自分の幸せを知っている人が、他人にも幸せを提供できるんだよ。
でも、自分で実際幸福を知ったあと、次にどう言う感情が生まれて来るか・・までを知ったなら、
その後の行動は偽善だとは限らない。
そして、素直に感謝できると言う変化も自分のうちに生まれるんだよ。
「人の為」が、感謝を要求する行為でなくなるんだよね。
そのことを知るまでは、私も相当惨めな思いをしたんだけどね。
599 :
1/2:2006/12/11(月) 23:56:19 ID:HsgvSEhC
541〜544 了解。
2・3点だけ。
>>541 >特に、名無しの場合は、素通りする傾向は強いかもw
自分は逆の傾向があるなw
コテだと、「あ、またくだらんカキコかw」と斜め読み、
七誌のカキコの方が熟読しがちかも・・・。 (あくまで、傾向だが・・・w)
>できれば、その内容を
このスレには貼ってなかったか・・
―――――――――――
288 名無しさん@3周年 2006/09/09(土) 09:14:24 ID:00sZZOMu
もういちど、今の時点までで辿りついた結論を確認します。↓
因果応報思想自体が仮説から成り立っており、
どれを主なる因と見て、どれをその果と見るか
の部分に、恣意的な判断(個人的信念)が入らざるを得ない。
それが因果応報という概念だと。
この意見を是とするなら、因果応報の確実性の認識は、個人各人の信念や
恣意的な判断に委ねられることになり、確実性という第三者的視点は意味を
成さなくなる。
つまり、因果応報は対個人の産物であり、確実か否かは個人の主観に寄り、
第三者的客観的にそれをを立証できないことになる。
ここでの結論は、因果応報は個人にとっては確実な法則であり得るが(主観)、
第三者的客観的視点では、因果応報は不確実な法則である。
今のところこれが結論となりそうです。
さて、これに対して、意見のある方はどうぞ!
600 :
2/2:2006/12/11(月) 23:56:52 ID:HsgvSEhC
>>543 >その程度の解釈を
そうです。その程度の解釈を続けてきたのです。
そして、科学を始め、様々な知見が仏教(宗教)を追い越した。
しかも、急激な勢いで・・・。 ついていけない部分は、矛盾として批判に晒されることになる。
この時、とりうる方向性はいくつかある。
「変更無しに、伝統的言説・解釈を保持すること」
「科学的・現代的知見に全面的に降伏し、一切の解釈を敷き直す」
「現代的知見を汲み上げながら、過去の解釈との整合性を模索する」
「現代的知見をベースとして、過去の解釈を組み直す」
など・・・。
勿論、「因果応報」という概念が指す範囲(援用の幅)を、
広いものとするか狭いものとするか、或いは、
「因果応報」という捉え方が、どこまで釈尊へ帰れるのか、など
確立しておかなければならない足場はあるわけだが・・・。
またもっと根本へ帰って、仏教に於ける「業」の概念の確立
(話者間のコンセンサス)も必要な要素となろう。
>素人氏も満足ですか?
まさかwww あれらが宗教なら、
部活で、先輩が後輩へ語る(経験談や伝統からくる)アドバイスや苦言も宗教と呼ばねばならないw
(ま、宗教の定義を極端に広く取れば、そう呼んでも構わないだろうが・・・w
「ある共同体内で、考え方や行動の基準となる枠組み」を宗教と呼ぶならば・・・。)
>>544 >この敷居の高さと低さの自己矛盾
相変わらず、いい目の付け所だw
私は、この高さと低さのダブルスタンダードこそが、仏教の(評価すべき)核だと思っている。
601 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 00:02:31 ID:u2uv5uOU
>>597 そうですね。
まあ恋愛を考えれば解りやすいでしょう。
いくら自分のことが優先とはいえ、
自分が幸せな気分になりたければ相手にも与えなければなりません。
そのためには相手のことも誠意をもって愛する必要があります。
最低限恋愛相手には尽くすべきだと思います。
602 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 00:06:17 ID:u2uv5uOU
>>598 相手のためを思う気持ちが自分にとって正直なものならば
それは偽善ではないです。そこまで到達できるかどうかが修行でしょう。
603 :
eagle:2006/12/12(火) 00:22:15 ID:kHWvVg7d
ありがとう!ここに来て、良かったよ。
ここに来て、色んな人に出会えて良かった。
生きる事すらままならかった最悪の心の状態が、ここですっごく緩和された。
すごい事も確認させられた。感謝しか出来ぬ事を詫びたい気分だ・・・。
ありがとうございました!!
604 :
600:2006/12/12(火) 00:24:13 ID:1BY2BoTW
少なくとも初代スレは、
玉石混交とは言いながらも、それなりに有意義なスレであったと思う。
DAT落ちして読めないのは実に惜しい・・。
605 :
慈風:2006/12/12(火) 08:58:15 ID:894cEaMv
私もそうでしたが、自らを救えればそれでいいのではないかと思います。
「究極は他などなく、自己すらない」
すなわち、「自己の幸福は他の幸福」であるということ。
宗教は「依存を生みこそすれ、自主自立を生み出しはしない」ということ。
皆等しい存在ならば、なぜ他という概念のために尽くさねばならないのか。
私は「他のために尽くすことも、自己のために尽くすことも同じではないか」と思うわけです。
覚者と呼ばれる方々が道を語るのは、方法の提示ではあっても、依存するためのものではないと思います。
606 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 11:39:13 ID:9/GNyDNO
>>603 生き方よりも生きることがまず大切。
自分のために集中して生きるべき。
そうすれば次に誰を愛すべきかも自ずと決定してきます。
>>605 自分を愛する者こそが本当に他を愛せます。
自分を救うだけで善行になる。
赤の他人などどうでもいい。しかし少なくとも家族や恋人には
愛が必要です。
宗教の言う「万人を愛する」などはきれい事ですので、これは無視で良い。
607 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 11:48:20 ID:9/GNyDNO
>>605 >私は「他のために尽くすことも、自己のために尽くすことも
>同じではないか」と思うわけです。
基本的に同じです。 もっと言うならば、、
自己のために尽くす>>>>>>>>>>>>他のために尽くす
であり、自分を救うことが最善となる。
なぜならばそこには嘘偽りがないからです。
他を救うというのは宗教の教えに騙されながら、嫌々やる場合が多いので
偽善となるからです。
608 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 11:50:25 ID:9/GNyDNO
したがって、人の為にする=「偽善者」といわれる所以があるのです。
609 :
eagle:2006/12/12(火) 13:44:51 ID:kHWvVg7d
>>604 >>605 >>606 レスさんくす。荒れる前にロム専に戻りますね。
慈風さん、あなたの書き込みをどこかで見る事を楽しみにしてますよ。
ここの板の黄金律スレの建て主は、あなたの参加を待ってるみたいでしたよ。
全ての書き込みに感謝します!ありがとう!!
610 :
慈風:2006/12/12(火) 14:30:08 ID:894cEaMv
イーグルさん、レスありがとうございました。
黄金律スレ?にはいきません。論戦になるだけでしょうし。
611 :
大王:2006/12/12(火) 15:15:37 ID:BAmVJb4l
:eagleさんも、苦労されてるんですねえ、、、
最近、おいらも、、やや、苦労、、、、
612 :
大王:2006/12/12(火) 15:20:42 ID:BAmVJb4l
わしも、思考が嫌になっているもんで、、最近、論理力を使うのが、嫌になってきたな、、
613 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 15:32:14 ID:TkIJ4VKU
偽善てそんなに悪いこと?
完璧な悪人よりも偽善者の方がまし。
614 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 17:49:15 ID:6EpMfzad
悪人は改心する可能性がある。
自己を偽るものは改心さえも
偽ってしまうので改心ができ
ないんだろう。
615 :
慈風:2006/12/12(火) 19:30:51 ID:894cEaMv
つもりが恐いのです。
相手のためにやったつもりが、実はそうでないなんてことは山ほどあります。
616 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 22:21:36 ID:bV1TqAo7
善>>純粋悪>>>必要悪>>>>>>>>>>>>>>>>>>偽善
先ずは自分の心のうちにあるヘドロから。
618 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 00:53:25 ID:GYqfqWiF
他人のための自己犠牲は偽善
619 :
慈風:2006/12/13(水) 01:48:39 ID:VFgaUmM6
そうとも言いきれないのですがね。
自己の幸せは、他の幸せと同一。
だとすれば、他のために自己を犠牲にするのもまた、同じなのではないでしょうか。
イエスのようにね。
620 :
brown:2006/12/13(水) 02:16:37 ID:b+H4B+UZ
善>>必要悪>>>偽善>>>>>>>>>>>>>>>>>>純粋悪
かな
621 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 03:03:43 ID:1JENLtxR
>>619 あなたはキリスト教でもないくせにきれい事は言わないほうがいい。
自己犠牲とは自殺行為と同一の理になる。
言わば、自己犠牲とはかつての旧日本軍による神風特攻隊のようなもの。
善とはほど遠いものな訳だが。
622 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 03:08:28 ID:1JENLtxR
「神は自らを助ける者を助ける」
623 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 03:20:34 ID:1JENLtxR
自己という生命と他の生命が存在するとする。
この場合自己の命を保つために最善を尽くすのが生命学の基本となる。
他人のために何かをするというのは道徳的後付け論理となる。
まずは自分が優先、のちに自分のために他のことも考える、というのが
次に来る。基本的には自分を生かすためにすべてを回して逝くのが真理。
624 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 03:26:53 ID:1JENLtxR
動物社会が全てを物語っている。
虎やライオンはひたすら自分が生きるために獲物を捕らえる。
所詮、人間も動物である以上、この構図と変わりはない。
625 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 03:43:07 ID:1JENLtxR
人間も含めた動物の細胞は自分を生かすかめに機能している。
にもかかわらず自己犠牲してまで他を生かそうとする行為は
宇宙的自然の理に反している。ゆえに反自然的である自己犠牲行為は
大きな誤りということ。
626 :
慈風:2006/12/13(水) 03:49:21 ID:VFgaUmM6
>>621 事実を言っただけです。
旧軍の神風が日本を守らなかったか?
いや、守ったのですよ。
それがあったからこそ、アメリカは日本を恐れたという事実もある。
一側面からしか観ることができなければ、自らの主観が正しいという、怪しげな宗教となんらかわらない。
見識の深さとは、「多方面から観る」ことができるということですよ。
627 :
慈風:2006/12/13(水) 03:56:24 ID:VFgaUmM6
彼らの犠牲が、現在の日本を作りました。
彼らの犠牲は、犬死にではないという見方もあるのです。
他方、そうでないという見方も厳にある。
どちらも正しい。違いますか?
一方が正しくて、一方が間違いというのは、偏見といいます。
自らの主観を正義とし、それを通じて判断しているにすぎない。
判断とは、人ゆえの行為。しかし、それは時に真実を失うこともあるという事実を認めなければならないと思います。
628 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 03:57:50 ID:1JENLtxR
>>626 それはこじつけ論理というものであり単なる言い訳でしかない。
一般論として自己犠牲とは偽善かつ最大の悪という構図は変わらない。
また神風はまったく日本を守ってないしアメリカは日本を恐れてない。
むしろ基地害だとは思われたでしょうが。それに神風擁護するなど
右翼的発想はまったくもって痛いとしか言いようがない。
629 :
慈風:2006/12/13(水) 04:07:40 ID:VFgaUmM6
こじつけはどちらか?
いいですか。主観あるところに、客観ありというのですよ。
自分の意見があるということは、「そうでない意見もまたある」という事実をみなければならないと言っているのです。
右翼も左翼もない。
一方だけがあるなどありえないのです。
その正邪を判断することの愚かさといったら…。
これ以上はやめにします。
630 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 04:13:26 ID:1JENLtxR
日本軍が神風を敢行したがゆえにアメリカは、これではまずいので早く決着を
付けるという意味で原爆投下に踏み切ったとも考えられる。
つまるところが神風は大いなる犠牲を払う原因にもなったとも言われているのも事実。
631 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 04:15:38 ID:1JENLtxR
つまり神風を美徳と捉えている風氏は時代錯誤なスーパー右翼ということ。
他の幸せが100%自己の幸せだと信じてる(思い込んでる)奴はいる
633 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 04:23:02 ID:Llg/57ic
どうもこんばんは
自己犠牲というものが問題というよりもそこにいたるための動機の方が大事ではないかと思います。
他人のために自らを犠牲にするということは、ひいては自分のためにもなるわけですから
(なので犠牲という表現が的確かはわからないですが)
634 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 04:44:52 ID:1JENLtxR
>>632 100%思い込むのは無理がある。せいぜい30%程度と予想。
>>633 そうなる場合とならない場合がある。ほとんどはならない場合が多い。
人生観はそのまま人生を語りますね
ここの人たちは多分社会的にかなり下のほうですよ
あまりにもくだらなすぎるから
そろそろ議論をやめたほうがいい
637 :
慈風:2006/12/13(水) 07:55:12 ID:VFgaUmM6
社民党か、共産党みたいな方がおられますね。
よくレスを読むこと。読解力を付けることをお薦めします。
君は何歳ですか
やはり2ちゃんはやめられなかったのですね
けっこう期待を裏切りますね
その執念的なところは評価できますが
640 :
慈風:2006/12/13(水) 08:10:35 ID:VFgaUmM6
必要でないことを語るつもりはありません。
期待していたのですか??それは残念。
期待は未来に生きること。得られることなどないですよ。持論ですが。
641 :
慈風:2006/12/13(水) 08:14:30 ID:VFgaUmM6
執念に見えたり、執着に見えたり、まぁ、忙しいことですね。
退屈しなくてよさそうですが。
歳をきかれましたか?
ほぅ。あなたは見かけを気にする方のようですね。
ご自由にそうぞうなさってください。
君はタブーが多すぎますね
期待すら破壊せねばならない
プルシャに至れたつもりなんでしょうが
独学の修行なしではたいがい自己崩壊していきますよ
643 :
慈風:2006/12/13(水) 08:17:17 ID:VFgaUmM6
結構なご忠告、ありがとうございます。
ではごきげんよう。
みかけというよりも
これは言うのやめておきます
ごきげんよう
ちゃんと働けよ
646 :
慈風:2006/12/13(水) 08:20:01 ID:VFgaUmM6
プルシャ?なんですか、それは?
猫ですか?(笑)
無学なのもので、わかりませんし、しりたくもありません。
647 :
慈風:2006/12/13(水) 08:26:37 ID:VFgaUmM6
判断に真実はありませんね。
自分だけが正しいと思う驕りがそれをさせる。
自我の虜でない人の話ならききますが、出会えませんねぇ。
気付いていないのか、我が身の未熟か。両方かな。
そのドロドロ感もなかなかよいよ
649 :
慈風:2006/12/13(水) 09:34:14 ID:VFgaUmM6
これがドロドロに見える?
不思議な目をお持ちのようだ。
どうもおはようございます
このスレ自体が因果律を表現しているようで面白いですね^^
皆さんが幸せでありますように
651 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 17:11:48 ID:zezb2j9d
ここは輪廻しています
652 :
名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 03:26:11 ID:afozyuJd
女なんて死ね
653 :
慈風:2006/12/14(木) 08:21:42 ID:2191bZqb
女性がいなくなったら、困りませんか?
654 :
名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 11:40:39 ID:dAf911BM
内容:
困りますね。女は沢山いたほうがよい。
男女比、男2:8女ぐらいの割合が適当。
655 :
慈風:2006/12/14(木) 12:14:05 ID:2191bZqb
それは…理想ですがW
656 :
南無大師遍照金剛:2006/12/14(木) 17:26:15 ID:ctf5xGoW
他の女にも手出すと運悪いと嫉妬に狂った女に刺されるよ(笑)
そうそう
ペニスちょんぎる事件もあったなぁ(笑)
657 :
南無大師遍照金剛:2006/12/14(木) 17:32:10 ID:ctf5xGoW
一夫多婦は
経済的に女性が自立出来てない地盤では簡単だけど
日本ではどうかな(笑)
>>657 別に、一夫多婦は今でも存続してるよ。
単に、婚姻関係を結べるかどうかの問題だけ。
とりあえず、金があれば大概のことは、可能。
逆に今は、安上がりの傾向が強い。
659 :
慈風:2006/12/15(金) 01:11:09 ID:6eaS3g4G
私は痛い目みてますから。もうしません。
660 :
名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 02:31:46 ID:2Bqy6AbP
慈風さんは存在しているんですか?
d
>>659 中途半端はよくない。やっぱり阿部定ぐらい愛されなければw
まあ、阿部定も中途半端だったから、ちょん切られてたんだろうけどね。
663 :
慈風:2006/12/15(金) 07:24:00 ID:6eaS3g4G
664 :
慈風:2006/12/15(金) 07:54:32 ID:6eaS3g4G
阿部定は殺したんだよ
どれだけ愛しても、結局、自分と他人は一つになれない
だから殺して自分だけのものにした…なんてね
666 :
名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 11:53:32 ID:2Bqy6AbP
667 :
慈風:2006/12/15(金) 12:29:27 ID:6eaS3g4G
はい。
668 :
名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 16:05:37 ID:2Bqy6AbP
あなたが存在しない可能性はないのですか?
失礼なことを聞いてすみません
670 :
慈風:2006/12/15(金) 18:13:45 ID:6eaS3g4G
おもしろいですね。
私は幻想ですか?
そう思うならば、あなたは誰でしょう?
あなたも私も存在しない可能性はあるような気がします
672 :
慈風:2006/12/15(金) 21:28:24 ID:6eaS3g4G
そうですか。
しかし、それはありえませんね。
真我が幻である可能性はありませんか?
真我が幻であるなら因果も幻だと思います
幻でないなら因果はあると思います
なんだなんだ、おまえらみんな幻覚だよ。
おれの作り出した、幻覚ヽ(^。^)ノ
まあ、幻覚同士で喧嘩してもいいけど、
どうせなら、仲良くしたほうが楽しいと思うよ。
675 :
名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 22:15:53 ID:sHdycNei
風さんは存在してませんよ。
自我を無くすのが本文らしいですから
当然風さん自身も存在しない理屈になります。
676 :
慈風:2006/12/15(金) 22:23:53 ID:6eaS3g4G
いや、その理屈は通りません。
677 :
慈風:2006/12/15(金) 22:26:42 ID:6eaS3g4G
因果は仏教の概念。信じる人にとっては有効でも、信じない人にっては、無意味。
それが概念です。
だから、幻覚同士、拒否しあっても意味ないのに・・・・・・・・・・・(-_-;)
まあ、それが幻覚の幻覚たる由縁なんだろけどねw
私は可能性の話をしました
私は何も信じていません
慈風さんの仰るとおり、今しか存在していないかもしれませんが
次の瞬間には存在しないかもしれません
680 :
慈風:2006/12/15(金) 22:38:23 ID:6eaS3g4G
それは無理です。
信じていようがいまいが、そんなことは関係ない。
あなたがあなたであるように、私もある。
破綻してるけど
反応が鬱陶しいからやめておこう
682 :
名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 13:35:47 ID:+0RwX7b6
風は独り善がり
683 :
慈風:2006/12/16(土) 15:24:02 ID:hMlyWYcK
それならばそれでいいではないでしょうか。
「在る」なら「在らず」も有り得ませんか
685 :
慈風:2006/12/16(土) 18:18:47 ID:hMlyWYcK
ありえません。
なぜなら、「在る」は「無い」の相対ではなく、「有る」の相対です。
「有る」の場合、知覚が対象になります。
しかし、「在る」は存在を意味するのです。
しかも、「有る」「無い」を「認識している存在が在る」以上、無いはありえないのです。
言葉遊び。あほくさ。
「無」は「在るもの、存在の否定」
「何かの存在がなければ、否定はできない」
と仰られていましたが、存在があるなら否定できるということではないですか?
すっかり言葉遊びのスレになったね。
689 :
慈風:2006/12/17(日) 01:14:03 ID:Cx63X/5e
>>687 否定はできますよ。それは個人の選択。
しかしね、否定の意味が無いのですよ。存在がある以上。
そんなに否定したいなら、すればいいと思います。
真我が幻である可能性を考えたところで在ることは揺るがないかもしれません
全てを疑ったからといって消えてしまうわけではないと思います
しかし全てを疑ってもまだ存在するものがあると気付いても(体験しても)、
それが幻でないとは言い切れません
真我に捉われないことで見えてくるものもあるはずだと思います
691 :
名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 04:31:54 ID:YVq2Q32J
我が強いほうが今生において成功する確率は高いでしょうね。
我が弱いということはそれだけ自己アピールも出来ない訳ですから。
692 :
慈風:2006/12/17(日) 07:46:03 ID:Cx63X/5e
>>690 ならば、そうしてください。
結局は、そうするしかないのですから。
693 :
名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 02:19:05 ID:zPma97uB
ずいぶん投げ遣りな方ですな
694 :
慈風:2006/12/18(月) 08:25:53 ID:Y4ltMdFP
投げやりとみますか。
様々な見方がありますね。
因果があろうが無かろうが、自我があろうが無かろうが、
あるがままの現象を注意深く観察していこうとすることにかわりはない。
大事なことは理解することではなく、観るという行為そのもの。
696 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 03:14:44 ID:vjtpRV6p
あるがままとは、努力、鍛錬、精進も含めたものでなければ自然の意思に
反します。戦争と平和は一心同体、平和とは戦って勝ち取るものであると
いう境地に達することです。心の葛藤から逃げる者は生ける屍でしかありません。
自我を肯定し、欲望を肯定し、その苦悩を克服出来た者こそが成功者と
成り得るのです。
>>696 自然の意思などどこにもありません。
戦争を推進することも、戦争を抑止することもただ淡々とこなせばいいだけです。努力は必要ありません。
成功者というのは比較の対象がいて初めて存在できる相対的なものにすぎません。
苦悩を克服したものが成功者なら、苦悩を克服できないものの存在が必要なのです。
苦悩を克服しようとすればするほど、比較の対象である苦悩そのものが増幅されるのです。
698 :
慈風:2006/12/19(火) 06:29:34 ID:sLpqElij
テストさん、完璧!
699 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 08:36:52 ID:9NWrmzoj
高次の自我の確立こそ この世で生きる目的
そうですね
相対の問題は通り超えてますね
701 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 13:47:13 ID:H+wn1Ofq
>>697 >戦争を推進することも、戦争を抑止することもただ淡々と
>こなせばいいだけです。努力は必要ありません。
あなたはバカですか?はたまた知能障害ですか?
努力もせず、戦略も立てず、戦費も少なく、
ただ無謀に神風特攻精神で戦争をすればどこかの国のように原爆落とされて終わりですよ。
まったくお話しにもなりませんね・・
小学校から勉強し直すように(呆れ
702 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 13:50:59 ID:H+wn1Ofq
あなたに限らず風氏もそうですが、努力や思考することを否定してますが
あなたがたが努力や思考を拒否して落ちぶれるのはけっこうです。
でもあなたがたの生活を支えているのは周囲の努力している人たち、
思考している人たち、一生懸命働いている人たちがいるからだと
悟ったほうがいいですよ。子供じゃないんですからねw
703 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 14:19:03 ID:xERzljAT
退廃主義者になにをいおうが無駄
>>701-702 全く意味を理解していませんね。努力というのは気休めにすぎません。結局は逃げなのです。
年収1億の人が、年収1000万の人の10倍努力と思考をしているのでしょうか?
イチローは努力がすごいのでしょうか?それとも結果がすごいのでしょうか?
結果の出せない人間が自分を癒すために努力だ修行だと言っているにすぎません。
>一生懸命働いている人たちがいるからだと
あなたは一所懸命に働いているのでしょうか?努力しているのでしょうか?
努力できない自分が嫌で「努力しなきゃ努力しなきゃ」と自分に言い聞かせているのではないでしょうか?
個人の癒しのための努力に高い評価が与えられるはずもないのは道理だと思います。
努力の地位を貶めているのは、あなただということを自覚したほうが良いですよ。
>>703 >退廃主義者になにをいおうが無駄
と、自分が退廃から脱したいからそう言う。喋ったらすっきりするよね。哀れ・・。
がんばって努力して成功とやらを達成してね〜♪
>>704 せっかく、違う切り口でぶった切ってあげたのにね。
また、同じ輪廻を繰り返す気配w
でも、宗教の人は差別主義と人格批判スキだから。
深入りしてもムダかも。
って、また煽ったりして(^_^;)
>>706 自分が神風を信じていることに気が付いていないんですよねw
708 :
まい:2006/12/19(火) 14:59:31 ID:uZqxolKC
>>702 努力や思考のはてに到達したとも言えるんだけどね・・。
でも、他の人の情報を鵜呑みにするのではなく、あなたが自分でやってみて感じることが
大切だから、あなたの考えはそのままでいいのだと思います。
それぞれ、自分の立ち位置から見えるものは違うからね。
709 :
まい:2006/12/19(火) 15:03:18 ID:uZqxolKC
目の前のにんじんが必要な人も居るし、そうでない人も居る。
710 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 15:34:24 ID:IFe44OE0
>>704 あなたはそうやって一生懸命に反論レスをしておりますね。
それも思考しているのでありあなたの努力でもあります。
思考、努力を認めるように。
>>706 てすとさんはぶった切ってません。単なるひとり善がりです。
>>708 泥臭い言い方ですが努力、思考は神が人間に与えた能力です。
それを駆使する者は富み栄え駆使しない者は滅びゆくのが世の常。
努力を否定したがる人間は一種の甘えの構造でしかないということです。
>>710 思考や努力というものがあるという事は認めてますよ。
それが正しい方向かどうかといわれると違いますよ、といっているだけ。
あなたの考えだと、あなたは職業の選択に失敗してますよ。
夢中になって黙って机に向かった奴が勝つのです。理由が必要な人はトップ集団には入れない。
答えを決めないと問題に着手できない奴は何やってもだめなんですよ。
だから努力だ思考だ根性だといいはじめるわけですね。
努力という行為に甘えているのはあなただと気が付かないと成功できませんよ〜♪
成功体験のない奴に伝えるのってむずかしい〜♪
気が付いたらただただ年齢を重ねているだけなんだろうな・・。カワイソス・・。
713 :
まい:2006/12/19(火) 16:01:15 ID:uZqxolKC
努力や思考を道具と考えるか、目的にして酔っているという違いでしょうか。
>>713 「努力すれば夢はかなう」とか音楽とかに癒されている奴は、なにやってもだめなんですよ。
人間は希望がないと生きていけませんから、希望をかなえるための道具といわれているものには盲目なんですよ。
人類の繁栄に、自分の発展を投影しているだけで、なんの解決にもなっていないのです。
乞食だって人類の一員ですからねw
慰めているだけなんですよ。ありのままの世界を見る勇気の無い奴は努力の神にすがるしかないのですw
「努力しなきゃ」と思考している時点でもう敗北は決定している。
たぶん伝わらないんだろうな〜♪
716 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 16:49:47 ID:yy4KfbYO
>>714 単なる批判なら誰にでも出来るんですよ。あなたはなんでも批判しては
優越感に浸りたいだけの煽り厨ってことです。
では、努力をしなければ成功出来るのでしょうか?
何か例を上げてみてくださいな。
上げられなければあなたは負け組と解釈しますので。
717 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 16:51:48 ID:yy4KfbYO
>>712 では、聞きますがあなたは努力なしにどのような成功を収めましたか?
答えられなければあなたは負け組と(ry
718 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 16:55:05 ID:yy4KfbYO
>>711 >夢中になって黙って机に向かった奴が勝つのです。
サラリーマンが勝ち組と言いたい訳ですか?
短絡的な考えですな。机に向かわないほうが巨万の富を得れますが何か。
719 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 17:09:05 ID:yy4KfbYO
結論:
てすとさんは努力するのが嫌いだからただ努力から
逃げてるだけだと解釈します。
720 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 17:12:42 ID:Vi0QoumJ
女の又に力と書いて努力
つまりセックスするのが努力
こんな気持ちいいなら努力(=セックス)はどんどんするべきだ
>>716-718 えーと、私は社会では結構成功したといわれる部類ですが・・。
別にあなたに負け組みと解釈されても気にしませんよ。リアルでは違うし、本名ばれちゃいますからねw
>サラリーマンが勝ち組>机に向かわないほうが巨万の富を
うわっ!!本当に全くわかってないw 宗教板でこんなに鈍い奴始めて見た。なんでここをクリックしたの??
まぁ君のやりかたで頑張って成功しなよ。努力に努力を重ねて県大会ベスト16にでも入って、人生の美しい思い出にしてください。
>優越感に浸りたいだけの煽り厨ってことです。
その通り!!かなり今かなり優越感に浸っています。いやぁ俺って幸せなんだとあらためて知りました。
本当にありがとう!!
今日はいい一日だw
みなさん、ごめんなさい。スレのレベルを下げてしまいました〜♪
>>722 おっ、さすがw
>>710 そうそう、切ってませんね。
瞬間接着剤でくっつけたのかもw
まあ、どちらにしても、どうでもいいことだとおも。
なぜ、
>対象がいて初めて存在
という言葉に引っ掛かりを持たないんだろうと思いましたけどね。
努力なんて誰も否定してないのに・・・・・・・
てすとさんはホントに悪い奴w
>>723 宗教板でリアルを語る奴をあおって、最後にこっちが社会的に上だとネタばらしてあぼーん。
結果を出してない奴が努力を語るなど笑止千万。まぁこういう遊びはもうやめます。
宗教板ではもっと深い話をしないと時間の無駄ですからね。
因果も含めて比較主義をやめないと、どつぼにはまる。
726 :
まい:2006/12/19(火) 19:00:19 ID:uZqxolKC
この世で生きる人は皆どっぷりはまってるわけで・・。
お客さんには風さんが特殊に思われるわけですよ。
727 :
慈風:2006/12/19(火) 19:04:14 ID:sLpqElij
え?特殊?
728 :
まい:2006/12/19(火) 19:11:32 ID:uZqxolKC
慈風さんだって、ほんの数年前まではどっぷりだったでしょ。
理解するには人それぞれちょうどいい時期があるんでしょうね。
729 :
慈風:2006/12/19(火) 19:14:46 ID:sLpqElij
益々宗教嫌いになりました。
特にキリスト教がWW
730 :
慈風:2006/12/19(火) 19:18:07 ID:sLpqElij
まいさん、そりゃそうですね。
しかし、一つの価値観に浸かっていると、恐ろしいことになるって、よくわかりました。
宗教は支配だということも。
731 :
まい:2006/12/19(火) 19:24:26 ID:uZqxolKC
732 :
慈風:2006/12/19(火) 19:32:15 ID:sLpqElij
スレみたんですか?
それがわからない人ばかりですね。
キリスト教は創世記から分類と比較の神を信仰してるからいいんですよ。
人が人たるゆえんは分類するからだと叫んでいるわけですから。神も人型ですしね。
犯罪かもしれないけど、泥棒が「俺はもっとビッグなものを盗む」といっているので、すがすがしいんですよね。
石川五右衛門とねずみ小僧なんですよ。キリスト教は。
仏教は諸法無我を説きながら、因果を説いたりともうむちゃくちゃなんで、そっちの方がやばいと思います。
越後屋と悪代官ですね。
734 :
慈風:2006/12/19(火) 19:37:27 ID:sLpqElij
てすとさん、うまいっ!座布団10枚!
山田く〜ん!
735 :
慈風:2006/12/19(火) 19:44:54 ID:sLpqElij
しかし、気持ち悪さは天下一品ですね。
>>733 人間が神に分類され、何かと比較される世界にいるとして
キリスト教の神自身は、どこかに分類されたり何かと比較することが可能な存在なの?
737 :
名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 23:29:38 ID:qtAUMpur
738 :
慈風:2006/12/19(火) 23:58:58 ID:sLpqElij
>>736 横レスです。
分類や比較ら神の行為ではありませんよ。人の行為です。
>>738 >>733で
>キリスト教は創世記から分類と比較の神を信仰してるからいいんですよ。
とありますが、キリスト教の神自身は分類も比較もできない、無限で全知全能の存在と聞きます。
ですのでキリスト教も、教義の中心は分類や比較を絶した価値観であると思います。
てすとさん風に言うと、
キリスト教は、分類や比較が人間の本質であると叫ぶのに、その人間に、
分類や比較を絶した神を信仰せよと言うのでむちゃくちゃだ、
ということになるのではないかと思います。
…ブルトマンの聞きかじりなのですが、どんなものでしょう?
ありゃ?
カントだったかな?
まあ、それくらいあやふやな聞きかじりの話ですが
741 :
brown:2006/12/20(水) 01:42:19 ID:/SGCqXsg
ずいぶんと勘違いをされているようですが・・
例えば,諸法無我というのは,「一切は無我である」という意味です。
無我とは,「何もない」,「全くない」という意味ではなく,諸々の
存在は,「そのあり方について,互いに他に有らしめられている部分がある」
という意味です。依存関係になく,ただ存在している,完全独立に存在して
いるものは,何一つないという意味です。
例えば,ある存在が因となって,別の存在が果としてある。逆に,因も
独立してあるわけではなく,果があるからこそ,因であるという意味です。
だから,「因果はある」んです。
解釈が全く逆です。
742 :
brown:2006/12/20(水) 01:50:23 ID:/SGCqXsg
>>741 ちょっと難しいですけどね。
例えば,「不注意」という原因によって「交通事故」という結果が生じた
としましょう。そのとき,「交通事故」は,「不注意」という因が
あってはじめて起こったんです。不注意がなければ起こらなかった。
しかし逆に,「不注意」という因は「交通事故」という果によってあるとも
言えます。というのは,「交通事故」という結果が生じたからこそ,
「不注意」が不注意と言えるだけの状態だったことになるから。その結果
が生じてなければ全然不注意じゃないんです。
いかんなあ…
てすとさんの無我の解釈に違和感を感じても意識化できなかった
一という概念は、多という概念を想定している。
多という概念がなければ、一という概念を持ちようがない
また一という概念があるから、多という概念があり得る
だから一と多の概念は独立して在るのではなく、相互依存的な関係にある、だっけ
744 :
名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 01:57:27 ID:xe2n8DeO
>>741 まったくその通り。
どうも風とかてすとといった無神論者は無理矢理にでも因果を否定したくて
しょうがないのだろう。これを天倒妄想とも言う。
745 :
brown:2006/12/20(水) 02:07:34 ID:/SGCqXsg
>>742 簡単に言えばそういうことを「一切は無我」といっているのであって,
例えば,「だから不注意や交通事故は本当はないんだ」とか,その間の
因果関係はないんだなどということは全く言っておりません。仏教理論的には。
不注意と交通事故の関係を分析しても,宗教的にはなんら益はありませんが,
事例で言えばそういうことになります。
では,宗教的には何にあてはめるのでしょうか?
例えば,自我や因果や思考や生死や心身や欲情対象などに当てはめるのです。
また,輪廻と解脱,努力に当てはめて考えていくことになると思います。
例えば,思考にあてはめれば,思考がないのが理想などという結論には
なりません。思考だけにこだわる必要もありませんが,思考はあるので
あって,なんら不思議でも邪魔でも,空っぽにする必要があるものでも
ないからです。因果も努力もこの世の栄華も不幸も皆同じことです。
どっぷりつかって精一杯努力して生きていくことがなんら否定されは
しないからです。
746 :
名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 02:35:50 ID:xe2n8DeO
まあ自我を無くすとか、思考は必要ないとか、因果は無い、などといった戯言を
発する輩には馬の耳に念仏だろうな。
747 :
brown:2006/12/20(水) 02:35:59 ID:/SGCqXsg
>>743 「一」と「多」も少し難しいですが,それは,基本的には,「自我はあるのか?」
という命題に対して説かれたものです。
つまり,「一」という「私」は,手や足,頭など肉体の各部分,感覚や感情,思考
などの精神の各機能(以下,各部分)という「多」からなっています。
つまり,一は多があるから成立しています。
しかし逆に,各部分は,私があるからこそ,各部分なのです。
というのは,「手」が道端に転がっていてもしかたないのです。私の手だから,
はじめて「手」なんです。そうでなければ,単なる分子の集合なんです。
自我がないなどということは全く言っていません。でも自我が何か根本的
なものというわけでもありません。一と多の相互依存という,そういう
あり方をしているということを自我の無我といっているわけです。
自我や因果や時間や概念がないというのはそもそも荒唐無稽だといえますが,
別にそれらは否定したり,克服すべきものだということですらありません。
それは,そういうふうにあるのであって,それぞれにそれぞれの役割を
果たして,一個の私という経験ができているからです。
748 :
名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 02:42:25 ID:xe2n8DeO
>>745 要するにこの世におけるあらゆる俗な現象に浸ることも善だと思う。
善悪を含めた欲を肯定しながら精進努力することが解脱への道。
749 :
名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 04:26:30 ID:8aMHEB7w
>>20 原爆を落とした人は80過ぎまで生きたらしいね もちろんベッドの上で死んだ
750 :
名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 04:29:34 ID:8aMHEB7w
毛沢東・スターリンなんかもそうだな
大虐殺しても罰なんて受けてない
左が存在するためには右が必要で左右などないというのが解らないのかなぁ。
限定された実験室は観察者の都合でいかようにでもできるので、それをもってしてあるとしてしまうのは無茶苦茶でしょ。
ケースバイケースで分類して目的に応じて手段として、方便として因果を使う分には問題がないですが、
それが全体に適用できるというのは勘違いも甚だしい。洗脳されてますよ。
このスレが善悪の因果や、限定された因果を語る場所なら、別にそれでいいんですよ。
その分類がわかった上で語りあえばいい。
>>751 >>739にコメントをもらえないでしょうか?
キリスト教の神と人間の、無限と有限の間には絶対的な断裂が在ると思います
仏教の無分別の悟りと、分別を持つ意識の間と同じぐらい
>>752 因果について語る場所なのでキリスト教をメインにするなら別スレでやりましょうか?
>>751 因果だけを取り出して、語るからね。
だから
>>745>>747はもっともな話。
なのに、いつのまにか、因果のネタを振り回し始める。
他人の悪い果を見つけると、やれ因がどうしたこうしたと、説法好きが現われる。
それだけ明確に因がわかるのならば、
取り除いて、悪い果を変えればいい。
それが出来ないならば、
そんなものはないと沈黙するのが人のあり方だろう。
まあ、この話も、もうなんども輪廻してるけどね。
でも、これだけ繰り返せばなにが因になってるのか、
普通は考えると思うけどナァ〜
ほんと、自分の身に置かない奴が多いよ。
他人批判ばかりであきない?
まあ、ふざけてるとは思うけどねw
網の目はありますか?ありませんか?
現象は網の目ですか?それとも網そのものですか?
brownわかりやすい
758 :
名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 15:16:09 ID:8aMHEB7w
因果応報って言葉の意味は、もともと人間社会の道徳(しかも特定の時代の特定の層の)には関係ないでしょ
そこに道徳的な意味がついてきたのは、権力者の恣意によってじゃない?
759 :
まい:2006/12/20(水) 15:48:22 ID:8IzD68NO
やっぱり比較しないとわかりにくいから仕方ないのかw
論理では1+1=2だとしても、実際目に見える部分が2になるわけではないし。
なんとなくわかるのは、引いたより足したほうがいいのかなって言う程度。
>>758 権力者だけじゃなくて、道徳的な意味じゃなくても主観の恣意が入っているんですよ。
意識的じゃない人もいるみたいだから、恣意といわれると何かに触れて腹が立つんでしょうけど。
たくさんの影をみることと、本体をみることは同じですか?
変化の要素を用いないで時間を説明できますか?
>>758 そんな甘いもんじゃないのが、宗教。
このスレ読んでるだけでも、善悪を結び付けてるよ。
もちろん、そう追求するとみんな否定するけどね。
議論が進むと、かならず、善悪の因果を持ち出して、
悪の果は悪の因から生じていると言い出すよw
まあ、どんな宗教もカルトなので、私は驚かないし、
彼らは自覚してないから、否定するのも別に不思議に思わないけどね。
逆に、肯定する人の方が、誠実なタイプだと思うよ。
そもそも、宗教なんて、何の責任もないからね。
どんな好きなことを言っても自己責任。
騙される方が悪い。
その割には、マジになってるというだけのこと。
>>761 結局、デカルトの域から誰も出ていないんですよ。
存在としての我と我が認識する対象とが、いつも、グチャグチャに混同されてますから。
まあ、言語表現の場合ににその主体性は意識されるべきものなのですけどね。
結局、ここでの因果は西洋思想としての因果です。
でも、釈迦は、それを超越しているはずなんですけどね。
ここで語られてる釈迦は、西洋思想の因果関係ですね。
ということで、釈迦も西洋思想に取り込まれて、おしゃかですw
>>763 >おしゃかです
wwwワロス
ほんと、限定因果論を語ることで釈迦の地位を下げまくってる奴は、仏教の本当の敵ですね。
自灯明といったって退化してどうするんだと思うけどw
まぁ、第一結集のときから怪しいから、もうどうしようもないけど。
原理主義ってこわいなぁ〜♪
象から観た机と、アメーバから観た机の違いもわからないなら、なにいってもだめだろうな。
洗脳ってこわいなぁ・・♪
766 :
名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 18:28:38 ID:8aMHEB7w
刑罰の正当化に使われたんでしょうね<因果応報論への道徳論の混入
こいつは道徳的に見て悪いことをしたから天罰を受けるのが当然だ。
天に代わって我々(権力者)が裁いてやる、と。
権力者は「お上」、刑罰は「応報刑」ですから、ピッタリ。
天国や地獄の概念なんかも、もともとの仏教や神道にない概念だとしたら、
いったい誰がなんのために日本に持ち込んだの?ってことです。
767 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 00:12:17 ID:1hJn/8XP
高天原(大宇宙)の神が持ち込みますた
768 :
まい:2006/12/21(木) 14:02:13 ID:RXBoca2e
>>766 天に代わってお仕置き・・てのは、最も天を当てにしていない考えかたなんだけどね。
仏教や神道では、死は生の裏側でしかなく、「罰」と言う考え方とは関係ないんだろうけどね。
769 :
まい:2006/12/21(木) 14:08:23 ID:RXBoca2e
「死には死を持って償う」とか、いつからの考え方かは知らないけど、結局は残された人間が
どうしたら気が済むのか・・を模索してきた歴史なんだろうね。
気が済んだら次はどうなるのかまで考えては居ないのだろうね。
感情の悪循環や押し付け合いの根本的な解消にはならないんだろうね。
なぜ人間は罪を犯してしまうのか・・てゆう話になってくるんだろうけど。
エデンの園にさえ蛇が居たからね。
770 :
生きたい!!! :2006/12/21(木) 14:35:21 ID:yZvspguR
そこの心温かき人
(´;ω;`) 虹の橋は渡りたくニャイワン,,,,,,,
ぼくたちをたすけてください
たすけて!!(愛猫犬の顔思い浮かべて)
全国各地での処分待ちの引きとり方
他団体 自治体での里親募集 ←ココ みるべしべし
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殺処分数
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771 :
慈風:2006/12/21(木) 16:55:49 ID:/QaKc0+e
まいさん、その通りですね。
姿形に捉われてしまうと、死を迎えることが、さも悪であるかのように認識しがちになります。
ですから、「目には目を」と言った愚かな考え方が罷り通ってしまう。
たとえば、何かの被害にあったとき、どちらが苦しむことになるか。
それは「行為者」です。
被害にあった無念さは理解できます。しかし、相手に同じ苦しみを望んだ時点で、同罪だということを忘れてはならないと思います。
772 :
慈風:2006/12/21(木) 17:00:14 ID:/QaKc0+e
たとえば、死が悪ならば、誰かを助けるために、身を挺する行為も悪となってしまう。
親が子を思い、恋人のことを思い、妻を思い、守りたい何かのために死を選択せざるをえない状況であれば、結果がどうであれ、行動することは愛だと思います。
773 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 19:32:00 ID:WH0SWYBU
>>771 >ですから、「目には目を」と言った愚かな考え方が罷り通ってしまう。
「目には目を」のどこが愚かなのですか?
あなたは基督教や仏教を含めた宗教の在り方を批判していましたね。
だったら合理的な法律における「目には目を」=「殺人者には死刑を」
でなんら問題はないはずでしょう。
言ってることがあっち逝ったりこっち逝ったり滅茶苦茶ですね>風氏
774 :
慈風:2006/12/21(木) 19:39:22 ID:/QaKc0+e
それは「あなたの価値観」ですね。
私とは違う。
それだけですが、何か問題がありますか?
いかなる理由であれ、暴力を肯定すべきではないと思うだけですが。
775 :
慈風:2006/12/21(木) 19:47:28 ID:/QaKc0+e
愛を実践すること。
私の価値観はそれだけです。
あなたは人の変化や気付き、成長すら認めないのですか?
ならば、それでいいでしょう。
一貫した考えなど、皆無です。
学ぶことにより、人は変わる。
私は愛でないものは、断じて認めません。
合法であろうがなかろうが、そんなもの人の本質にはなんら関係ない。
力による支配や、束縛などは、「私は」認めない。
それだけです。
人を馬鹿にすること。罵ること。蔑むこと。
私にしたら、意味のないこと。
それがいいか悪いかではない。
私は受け入れはしないということです。
776 :
慈風:2006/12/21(木) 20:01:39 ID:/QaKc0+e
一般的には一貫した考えをもつことは美徳とされ、信用を得たりするのでしょうが、それは「その時はそうだ」というだけ。
自分に不利とみるや、手のひらを返したように批判をはじめるのが人。
そこに宗教など関係ないと思います。
誰がどのような宗教を信じ、どのような価値観を受け入れるかはそのひとの選択。私には興味も関心もありません。
この世界がどういうものか、私は知っています。
だからこそ、自己を見つめ、「在ること」にこだわるのです。
777 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 20:42:09 ID:NqB+TebS
>>774 もちろん暴力はいけません。だからこそ法律がるのです。
暴力の最たるものが殺人です。それを裁くのが法であり、
これは言わば「目には目を」で成り立っています。
何人も殺した殺人犯は死刑に処せられます。
もしあなたが言うように「目には目を」が愚かな行為というのならば
死刑制度を含めた法律制度をも否定することになりますが。
778 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 21:09:21 ID:vSUNhQt1
>あなたは人の変化や気付き、成長すら認めないのですか?
そんなことは一言も言ってませんよ。
大丈夫ですか?
779 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 21:30:19 ID:vSUNhQt1
もちろん愛が大事です。
でもその愛を破壊する輩に対しては合法的な刑罰が必要ということです。
780 :
慈風:2006/12/21(木) 21:38:15 ID:/QaKc0+e
それは必要ではありません。
781 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 21:39:22 ID:REzCMGx8
刑罰に関しては報復と、見せしめと、更正の3つがありますが、
後者2つだけに限定すればいい話です。
782 :
慈風:2006/12/21(木) 21:45:47 ID:/QaKc0+e
それは現在の姿。
ただ、報復という要素もあります。
法律という名をかりた殺人は、自衛という名をかりた戦争となんらかわりません。
783 :
brown:2006/12/22(金) 00:00:10 ID:DDx8azUs
つ,ついに法律まで否定しちゃった?w
大自然の因果律も人間社会の法律も同じだけど,それを否定しちゃうのは
要するに,傲慢なんですよ。
人間は傲慢な生き物だけど,謙虚さも持っていて,特に謙虚さに優れた
人間が,大自然の運行について勝手な決めつけをするよりもむしろ
観察することによって,法則を見出し,それが現代科学に発展しているわけです。
同様に,人間関係についても謙虚に見ることにより,法律を整備していった
わけです。
人間精神に内臓された愛を見つめることもよいことなのですが,内的機能のみ
に固執するのではなく,謙虚に外界を見つめることも,正しい認識を持つ
ために必要なことです。
また,精神についても同じなのです。精神にも法則があり,それを謙虚に
観察していかなければ,悟りの智慧を得ることはできません。正しい努力
なくして心を探求しても,可笑しな体験をしたり,ケッタイな認識に到達
するだけで,何も利益はないからです。
784 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 00:16:04 ID:Rlwejx0Z
>>782 >法律という名をかりた殺人は、
>自衛という名をかりた戦争となんらかわりません。
風が基地害だという事が判明しますた(合掌
785 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 00:24:15 ID:vnRDUhba
>>783 まったくその通り。
だが傲慢で独り善がりな風氏には馬の耳に念仏。
死刑も戦争も殺人だってことの言い換えジャン。
そんなに極端な形容詞がつくわけでもないと思うけどw
というか、相変わらずなんかおもろいやりとりぃ〜
ガンジーはイギリスの法律守りませんでしたが。法律っていうのは人間が作ったんですよ。
いやはや、ほんと教育ってマジですげーなー。
788 :
brown:2006/12/22(金) 01:33:45 ID:BNOh5tTW
死刑と殺人は全く違います。
殺人とは,故意に人を死に至らしめる違法・有責な行為を言います。
死刑とは,裁判の確定を受けて死に至るべき刑の執行を受けるものです。
つまり,死刑は予め決められたルールに従って,殺人罪を犯したので死刑
となったものです。
これに対し,殺人で殺される側は,なんらルールも訳もなく,いきなり
相手方の勝手な無因果な思いで殺されるわけです。
これらは全く異なるのです。まして言い換えの問題ではありません。
>>788 うん?
戦争は殺人ではないの?
では、敗戦国が裁かれるのは違法?
なるほど、手順を踏めば殺していいんだ。勉強になったよ。
サダム・フセインが自分は法学者だと言った意味も解ったよ。
てすと氏の方が、広くて深くて正解。
792 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 01:46:29 ID:hA0wqpsh
死刑制度の殺人行為と戦争による殺人行為を
いっしょくたにしている昆布はアホ
793 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 01:47:43 ID:AbU63pg3
このスレの人達は、
法律や刑罰が、(相対的であるという理由故に)無意味である、と
結論を出したいのかな?
なるほど、金正日は北朝鮮のルールによって死刑にしてるから問題ないんだ。
勉強になったよ。
796 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 01:53:58 ID:DIlu7/6H
殺人にも色々種類があります。戦争、テロ、通り魔殺人、レイプ殺人、強盗殺人、
正当防衛、過剰防衛、死刑、など。
すべて性質や形態が違います。当然、罪や刑罰の重さも分かれます。
短絡的に同一に考える人間とは思考能力が足りない証拠となります。
しかし、このスレって、突っ込みたくなることに突っ込むと、
ほんと、ズブズブにはまるよナァ〜
なんで?
>>796 だから、ゴキブリを殺すことと、かわいい犬を殺すことと、かわいくない人を殺すことと、そ
れぞれ重さが違うと言うのだろうwwwww
その違いってなに?
まさか、君の個人的な主観か?
>>796 あほ丸出し。
>罪や刑罰の重さも分かれます
これは「誰が」決めるんですかー?神様ですかー?
800 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 01:58:28 ID:AbU63pg3
802 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 02:00:12 ID:DIlu7/6H
「殺人」の話しをしているのであり、ゴキブリや犬と殺人を同一線上で考える時点で
認識不足決定。もっと勉強すること
>>798
803 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 02:01:53 ID:DIlu7/6H
法律は人間が決めます。もっと勉強するように
>>799
804 :
brown:2006/12/22(金) 02:02:13 ID:BNOh5tTW
人を殺してはいけないのは,人と人との間でその旨申し合わせがあるから
です。予めルールを決めて,その前提で社会生活を送っているのです。
その前提で構築された社会生活をむやみに壊されないという利益を守る
ために,刑罰が設定されているわけです。
それに対し,ゴキブリや犬などとは申し合わせはないのです。というのは,
彼らは言葉を語らないからです。その故に,ルールが成立していないのです。
だから,人を殺してはいけないが,ゴキブリや犬を殺してはいけないとは
なっていないのです。
人とゴキブリとは,はっきりとこのように違うのです。
805 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 02:02:33 ID:AbU63pg3
807 :
brown:2006/12/22(金) 02:05:48 ID:BNOh5tTW
つまり,罪と罰が設定され,法が適用され,責任が問われ,といったことは,
コミュニケーションが成り立つかどうかということにかかっているのです。
平和時は確かにそうですが,戦時はそうではありません。
戦争とは,平和的な,話し合いによる衝突の解決が得られないときの,
実力行為による紛争解決を言います。
その場合には,「互いに殺さない」という話し合いによるルールは適用
されないのです。
殺人と戦争は,このように全く異なるのです。
>>807 つまり独裁者が都合の良い法律で人を殺すのは構わないわけですね?
>>802 では、飲酒運転をして事故を起こし現場から逃げれば、
飲酒、酒気帯び等の罪から逃れられるだけでなく、
危険運転致死罪の適用も逃れることができて、
なおかつ、死ぬとわかっていても逃げたほうが良いという法律もやっぱり正しいものなのだろうか?
というやり取りに不毛さを感じてないのかナァ〜君達は・・・・・・・・・・
>>805 意味不明な質問してる本人だったのか、スマンね。
811 :
brown:2006/12/22(金) 02:16:21 ID:BNOh5tTW
独裁主義国と民主主義国は,ガバナントとシチズンの間にコミュニケーション
が成立しているかいないかという違いが存在しています。
その間にコミュニケーションの存在している民主主義国においては,
ガバナントが定めた法律は有効にシチズンに対して合理的な意味を持ちます。
そのルールは人と人との間の正義を規定しているのです。
これに対し,ガバナントが独裁的に,傲慢な思考によって設定した刑罰は,
なんら人と人との間の謙虚な正義を規定しやしないのです。
民主主義と独裁主義はこのようにはっきりと異なっているのです。
>>811 独裁者は自国法によって人民を殺していいの?だめなの?
>>808 まあ、オームも戦争だったんでしょうね。
仏教徒らしい、見解って奴ですかね。
飲酒運転でやっちゃったーって状況で人がどう行動するかに興味津々
僕は相手を生き返らせるからいいけど
815 :
brown:2006/12/22(金) 02:23:24 ID:BNOh5tTW
今日述べたことは,傲慢な思考と内的感覚への固執,謙虚さと外の観察,
それによる法則の理解,人と人との間の関係の法則とコミュニケーション,
これらの考察を繰り返していくことによって身に着けることができるように
なります。
要点は,自分の外に世界が存在するということです。他人が存在するという
ことであり,自然が存在するということです。このことを知れば,
あなた方のような過ちは治癒されるのです。
>>815 独裁者は自国法によって人民を殺していいの?だめなの?
>>811 なんなんですか、その日本語?
日本は、ガバナント(?)とシチズン(?)の間にコミュニケーション(?)があるの?
あるとしたら、どんな形で?
それは選挙のこと?
では、なんで、選挙って使わないの?
正義???
なにそれ??
>>815 傲慢?
戦争は殺人ではないって思想のどこが傲慢じゃないのかな?
というか、
自分は正しいと思ってるところが、すでに私には傲慢そのものに映るがナァ〜
その過ちに気づかないところが、同じ過ちだと思わないのか?
まあ、最初から動物愛護と同じレベルなのは知ってたけどね。
>>817 自分のほうが謙虚だと思う傲慢に気がつかないんでしょうねw
永遠ループw
>>814 そういいながら、本当に堂々と酒を飲んでいるタイプかもね。
まあ、きみが仏教徒でないことを祈るよ。
きっと、きみにひき逃げされたら、ポアしてやったと言うんだろうナァ〜
こういうところが、このスレのいいところだわ、ホント。
820 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 02:42:15 ID:DIlu7/6H
>>809 法律とは人間が考え出した策であり完全ではありません。ゆえに穴もあります。
当然、ずる賢い者は法律の網をくぐります。これに反し当局では法の網を強化、
いわゆるいたちごっこ状態となります。
しかしながら、そんな法律のおかげで女子高生も夜中出歩いても襲われず、
最近では押し込み強盗も少なく、夜は安心して寝れるといったのが日本の
治安の良さです。発展途上国はまた別ですが。
したがって法律に守られている分際でいながら法律批判を展開するのは
一種の甘えの構造になる訳です。
>>818 というやり取りをいつもここでやってるんですけどね。
今回はハマらんのだろうと思っても、やっぱり、ハマるんですよね。
いつも、餌が風氏なのに・・・・・・・・・
>>821 もっと強い人来ると楽しめるんですけどね・・。遠征しようかな。
>>820 法律批判?
また、異な展開を・・・・・・・・・・・
殺すことに種類があるといってるのは君達ではないのか?
自己批判しているのか?
それとも、日本語読めんのか?
なんか、ものすごいご都合主義だにゃぁ〜
825 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 02:48:39 ID:7pSAZxla
>>815 昆布やてすとが治癒するとは考えにくい
相当ひん曲がった脳味噌をしている
826 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 02:49:21 ID:AbU63pg3
中絶・堕胎は?
今の流れとは全く別の話?
それとも、一緒に語るべき話?
おやすみ ノシ
>>825 またでた!医者気取りw お前が患者だっつうの。
名無しで逃げてないで、コテつけてかかってこいよ。へたれ。
>>825 戦争は殺人ではないのか?
>>826 殺生あるいは殺人だよ。
というか、君達は、馬鹿か?
お前ら、人に聞く前に、自分で答えてみろw
今までの、流れの中で、整合性があるのか?
ほんとに、お前らの脳味噌の中身に疑問を持ったぞ(笑
829 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 02:56:37 ID:DIlu7/6H
>>823 正確に言えば「法律は必要ない」という戯言を言い出したのは風氏です。
あなたがたにはさほど罪はない。しかし、その風氏を支持しているあなたがたにも
非はあるということです。また殺すことに種類があると言うこと自体は
法律批判とはなんら関係ありません。
>>827 まあ、深く考えたことがないから、仕方がないのよ。
しかし、多いなぁwwww
しかも、自分が常に正しいと信じている自信が凄い。
立派だわァ〜
>>829 はぁ?私がいつ風氏の発言を支持したの?どのレス??
>>829 もう一度よく読んでで見れば?
別に、法律が必要がないなんて言ってないって(笑
このやり取りの始まりも、
>>782 >法律という名をかりた殺人は、自衛という名をかりた戦争となんらかわりません。
を勝手に、法律を否定したと自分達で曲解してるだけの話しジャン。
暴力の否定から、その風氏のレスがあるだけのこと。
わざわざそれを極端にして私とてすと氏で遊んであげてるのにwwwwwwww
833 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 03:10:04 ID:DIlu7/6H
>>831 過去レスを探すのがめんどうなので自分で探してみてください。
確かに風氏に賛同する、あるいは慣れ合うレスが満載しておりますので。
派閥で言えば風派ということになるのでしょうか?
でも共産党と同列なくらい弱小派閥と言えるのでは。
あっ、遊んでるのは私だけだった(笑wwwwww
失礼w
>>833 >弱小派閥と言えるのでは。
弱小=間違い
と考えてるのか?
俄然、風氏を応援したくなるナァ〜ヽ(^。^)ノ
>>833 ばかじゃねーの。お前の発言の根拠を聞いてるんだから、お前が提示しろ。
弁護士が検事に無罪の証拠はお前が探せって言うのか?ww
いつ私が「法律はいらない」と言ったんだよ。お前の頭蛆がわいてんじゃないの?
人の発言捏造してんじゃねーよ。バーカw
なんで風氏の一部を支持したら、風氏の全ての発言を支持したことになるんだよ。ww
本当ににアホや・・。
まぁ多数派を自慢してる奴だから、永遠にわからないんだろうな・・。
837 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 03:58:33 ID:DIlu7/6H
万物流転しているということを言っているのです。諸行無常とも言います。
すべての現象は常に流動しながら移り変わって行く、支持率も変動します。
就任当時70%もあった安倍内閣が今はあのていたらくになっております。
風氏の発言を見ているとトンチンカンな部分が多いに見えてきます。
それを無視して最初支持したからといってすべてを肯定するのは愚かなことと
いうことなのです。やはり駄目なものは駄目という勇気も必要だということです。
>>837 解ってないのに無理に答えなくていいよ。私がいじめてるみたいじゃん。
>駄目なものは駄目という勇気も必要
だから自分の発言の誤りを認めなよ。勇気をもってさ。プライドが許さないの?w
バカとかアホとかやめようぜ
意味ない
>>839 このスレに意味あるの?意味が欲しいなら、宗教板なんて覗かなければいいのに。
いやあんた深い話したいとか言ってたじゃん
>>841 まぁ深い話に意味があるのかはおいておくけど、バカやアホをやめたからって、
意味のないことには変わりないんだけど。
一連の流れに目を通してる?
バカやアホをやめたら深い話ができると思うんだけど・・・
ただのあおりあいにしか見えないす
王手もかけてないのに、勝手に角道に王を出してきたら、バカアホいうしかないでしょう。
なんで、「それだと王がとられちゃうんですけど・・」って言って親切に勝負を長引かせないといけないのかな。
一連の流れを読んでくれ・・。もう最初かっら負けに来てるやつとどうやって深い話ができるのか。
君は私がバカアホ言わなければ、本当に彼らと深い話ができると思っているの?
バカと思ってる奴と話す必要はみじんもないと思うんですが・・・
感情的にならずに正しいと思ってることだけ言えばいいと思うんですが
勝ち負けとかどうでもいいんですが
なんで私が先生役やらんといけないのかわからんよ。
名無しで言いたいこと言って、けろっとして帰ってくるんだからキリがない。
ID違うのに前はこうだった言われてもお前なんてしらねーよと言うしかない。
brownは仏教のセンスは全くないし、洗脳されてるけどコテだから一応敬意は表してるんだけどね。
先生役とか言ってないw
言いたいことあるなら余計なあおりなしで言えばいいのにと思っただけ
感情的にはなってませんよ。感情的な表現を使っているだけ。
ただ「また同じパターンか・・」という辟易とした気持ちはありますよ。
同じ間違いを何度も何度も直してるとこっちは面白くないんですよね。
コテだと相手の成長具合が分かるからまだいいんですけどね。
勝ち負けというのは比喩で、すぐに突っ込まれるようなことなんでわざわざ言ってくるということです。
ミスするにしてももうちょっとがんばろうよと思うわけですよ。
そうですか
まあ、そうですか
>>847 あおりはたぶんやめませんよ。
自分をバカ呼ばわりした相手の発言をフィルターをはずして認められない奴は結局だめですからね。
私なりの時間節約術なんですよ。結局彼らは自分のミスを認めないで消えるだけでしょ?いつものパターン。
まぁ楽ですからね。打たれ弱いんでしょうね。
私や昆氏は修正するときはきちんと修正しますよ。ちゃんとレス読みました?
どっちが話をそらしてますか?
まぁ、コテ以外はスルーしようっと。キリないや。
んじゃみなさん、さようなら。またいつか。ノシ
まあ、馬鹿と言ったなこの馬鹿遊びですからね。
さようなら(^^)/~~~
って、誰に対してなのかよくわからないけど・・・・・・・・・
854 :
まい:2006/12/22(金) 14:55:51 ID:9BMswzov
法律や刑罰は、時代や人により変わります。
今、この国で生活している私たちは、この国の決まりに従わなければ非国民となります。
でも、人間としてどうか・・と言う話になると別問題です。
どっちも正論ですが、互いにフィールドが違うので会話になっていません。
855 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 15:05:56 ID:38Av6RE4
>コテ以外はスルー
ここは匿名掲示板2ちゃんねるであり名無しで投稿するのが基本だよん
コテを名乗るのは勝手だがコテ以外スルーだったら2ちゃんねるをスルーする
ことになるが?
856 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 15:11:27 ID:38Av6RE4
>>854 いや、風は明らかに「法律自体必要ありません」と言っている。
つまり無法地帯を理想としているんだよ彼わw
いつ通り魔に刺されるわからないような、押し込み強盗にやられるか、
わからないような危ない世の中が理想だと言っているんだよ。
こんなトンチンカン風の意見が正論なの?
857 :
まい:2006/12/22(金) 15:13:17 ID:9BMswzov
>>826 法律では保護されていますが、殺人だと思います。
法律より、自分の心情に従います。
よって、戦争において、英雄だと言われてもうれしくありません。
858 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 15:21:32 ID:38Av6RE4
>>857 「法律善は必ずしも真善にはあらず」と言われるのも事実。
もちろん人間が作ったルールだから完璧ではないよ。
だが死刑制度による殺人行為は肯定されなければならない。
死刑廃止論者こそ死刑にされるべきなのは言うまでもない。
戦争に関してはそれ自体間違っているから英雄でもなんでもない。
単なるこじ付けた英雄像だから。
859 :
まい:2006/12/22(金) 15:23:46 ID:9BMswzov
>>856 昆布さんの説明の
>>832が状況をよく説明していると思います。
風さんの発言、感情的にならず真意を知ろうとすればそう理解できると思いますよ。
少し振り返ってみませんか?
あなたが、どうしてついそこの部分に引っかかってしまったのか?
860 :
まい:2006/12/22(金) 15:27:35 ID:9BMswzov
>>858 死刑制度については、意見が分かれても仕方ないと思います。
でも、死刑を執行しつつ、やっぱり自己矛盾に苦しむんじゃないかな。
赦せるか赦せないかは結局自分との戦いだから・・。
861 :
まい:2006/12/22(金) 15:31:11 ID:9BMswzov
極論だけど・・第三者の手を煩わすのではなく、仇討ち制度のほうがいいと思う。
もちろん、頭を冷やす時間と、更生を待つ時間は必要だと思うけど。
遺族が苦しんでいる姿を見せたほうがいいと思う。
862 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 15:31:36 ID:38Av6RE4
いや勢いだけで法律を批判しながら、旗色が悪くなると逃亡する風の
いいかげんな人間性を批判している訳なんだが。
法律には不備もあるから是正するところは是正するべき、などというような
言い方をしたならば当然聞き入れている。
言葉足らずな風には困ったとしか言いようがない。
>>856 >774 名前:慈風[sage] 投稿日:2006/12/21(木) 19:39:22 ID:/QaKc0+e
>それは「あなたの価値観」ですね。
>私とは違う。
>それだけですが、何か問題がありますか?
>いかなる理由であれ、暴力を肯定すべきではないと思うだけですが。
と慈風氏は言っていますね。
君が
>つまり無法地帯を理想としているんだよ彼わw
というなら、その根拠を示してみればいいと思う。
>>854 という下らぬやりとりしかここでは出来んのですよw
最初から、立場が違うのは衆知のこと。
いわば立場が違うことを根拠に彼らは慈風氏を批判してるだけのこと。
それに当の本人達は気づいていないんですけどね。
まあ、慈風氏はかなり以前から気づいているし、なんども指摘しているんですけどね。
おまけに、今はあきらめて、そのこと自体を楽しんでるようにも思えます。
でも、あまりにも、それに盲目なので、ちょっとホントのところを突いてみたんです。
すると、まあ、またまたこの通りと言うわけですね(^O^)/
まあ、あえて私が知りたいとすれば、ここの名無しさん達の宗教的立場ですかね。
どうやら素人氏と同じ仏教徒なのかな?
といったところ(笑
864 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 15:34:43 ID:38Av6RE4
>>861 まあ仇討ち制度は合理的であり復活すべき。
安倍ちゃんなら復活させてくれるんじゃないかなw
まあ、どちらにせよ、ここは、かつての害毒スレと同じカルトっぽいね。
あまり、意味はなさそw
866 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 15:36:32 ID:38Av6RE4
867 :
まい:2006/12/22(金) 15:38:21 ID:9BMswzov
>>862 追い詰めようとする言葉と、理解しようとする言葉を使いこなそうと思えば出来るんですよ。
本当はわかっているのに・・少し風さんを困らせてみたかっただけでしょう?
868 :
まい:2006/12/22(金) 15:40:08 ID:9BMswzov
869 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 15:42:48 ID:38Av6RE4
>>867 風は自分の殻に閉じ篭もるというか意固地なタイプ。
それをこじ開けようとしても開かないのでこちらが困っている
といった状態かなw
ちょい出かけるので落ちますノ
870 :
まい:2006/12/22(金) 15:44:53 ID:9BMswzov
またね☆
もし、相手が自分よりも下だと思うのなら、
相手の立場を理解して、相手の足りない点を補わなければ話は進まない。
なんで、そんなに君達は自分勝手なのか?
殻を壊して中身を取り出して置きながら、
壊れてしまったことは相手のせいにするタイプなのかな?
まあ、もっとも、殻が壊れているのは君達のほうなんですけどね。
それが、因果応報と言う奴ですねヽ(^。^)ノ
872 :
まい:2006/12/22(金) 16:04:02 ID:9BMswzov
ちょっと話題を変えようかなぁ。
「不動心」と言う言葉があるでしょ。
風さんはワタシが思うに「不動心」を持っているというか、目指していると言うか・・。
対して名無しさんは、生きている実感を大切にしたいと言うか、捨てる必要はないと思っているのでは?
今のワタシは後者の名無しさんの気持ちに近い。
・・というと、きっと仏教的じゃないんだよね。
「物事は移り変わるものだから、悲しんではいけない、喜んでもいけない」と釈迦は言ったけど、
今のワタシは、泣きたいときには泣きたいし、笑いたいときには笑いたい。
それが生きている実感だと思うんだよね。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくね。今のワタシの実感。
いずれ変わったりもするものだろうから、違う人の実感を否定も出来ない。
・・間違って引用した部分はお詫びします。
873 :
まい:2006/12/22(金) 16:08:19 ID:9BMswzov
>>871 自分の考えを主張するのは構わないんだよね。
でも、相手の考えが自分のそれと違うと、瞬時に自分の考えが否定されたような気がする。
これは被害妄想の一種ですね。
・・と、指摘するとまた反応がw
個人的には、なんで風氏はここにいついているのかよくわかりませんね。
歩み寄ると下がり、下がるとぶつぶつ言い始める。
個人的にはマゾモード全開の解釈なんですけど、
あえて言えば、自然体を模索してるのだろうぐらいかな・・・・・・・・
逆になんでそんなに気になるのかがわかりませんネェ〜
ほっときゃいいでしょw
たまに気の利いたセリフの時に頭なでなですればいいと思うんですけどね。
気になる人は、それでいいと思うんですけどね。
なんであんなにムキに否定するのか、ホントに、理解不能です。
875 :
まい:2006/12/22(金) 16:43:16 ID:9BMswzov
マゾモード全開???
釣って、一般的な仏教思想を刺激しているような?
よくわからないけど、気の利いたセリフの時に頭なでなで・・いいですねぇ。
>なんであんなにムキに否定するのか、ホントに、理解不能です。
と、自問自答。
>>875 まあ、あまり深く考えないほうが・・・・・・・・
オチノシ
877 :
まい:2006/12/22(金) 16:49:43 ID:9BMswzov
行ってらっしゃいノ
878 :
慈風:2006/12/22(金) 17:18:25 ID:yI0Vj0kQ
あのねぇ、逃亡ってなんですかね?
私は逃げたりはしませんよ。
ただ、こっちも普通に生活してるわけですよ。
ニーとじゃないんだから。
都合っちゅうもんがあるでしょうが。
レスできないときもある。
それを逃げ?
まぁ、人の見方はいろいろありますが、あまりにも馬鹿馬鹿しい。
>>878 寄り道して、時間食っちゃった・・・・・・・
と現われる・・・・・
ここにばかりいないで、慈風さんも、わたしの遊んでいるスレにも来てくださいませ。
てすとたんがいなくなったので、寂しい限りです。
では、ほんとにノシです。
880 :
慈風:2006/12/22(金) 17:25:58 ID:yI0Vj0kQ
>>874 なんでここにいるか?
暇だからかな。仕事おわったら。
意味を最近まで見いだしていたのですが、その意味が崩壊したので、理由はありません。
まいさん、不動心?
それは無理ですわ。
キリスト教のスレに出入りするようになって、いろいろ気付いたんですね。
宗教はいらないこと、宗教的な価値観は、全て否定的な立場に完全になったというか。
今までは、それでも何かあるんじゃないかと捜し回ってきました。
しかし、そんなものはないことがわかり、私自身の価値観が変わったのです。
881 :
まい:2006/12/22(金) 17:30:54 ID:9BMswzov
風さんを差し置いて、勝手なこと言ってすみませんw
風さんがいつも言うようなことを「不動心」と言うのかと思っていました・・。
882 :
慈風:2006/12/22(金) 17:44:04 ID:yI0Vj0kQ
いや、以前なら当たっていました。
しかしね、捨てるべきものなどなく、なくなってもかまわないならば、いずれなくなる。放っておいても。
883 :
まい:2006/12/22(金) 17:51:25 ID:9BMswzov
そうですね。
意識して釈迦を倣ることもないし、捨てる必要もないということですね。
きっとね、誰かさんがカチンと来るのは、「自我を捨てろ」とか言うからですよ。
風さんが特にいわなくても、仏教徒は強迫観念ぽく意識していますから。
884 :
慈風:2006/12/22(金) 17:58:35 ID:yI0Vj0kQ
もうね、宗教はNOです。
仏教も、キリスト教も同じ。
私にとっては、救いではない。
関係ないですね。
885 :
まい:2006/12/22(金) 18:14:47 ID:9BMswzov
型にはめ合って、縛りあって・・w
886 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 19:00:29 ID:RRJ3mVku
>>884 宗教批判は良しとして
法律批判も展開してますね。
なんでもかんでも批判ですか?
馬鹿馬鹿しいのはあなたです。
887 :
慈風:2006/12/22(金) 20:11:50 ID:yI0Vj0kQ
わかってないですね。
人の本質を法で縛れますか?
見方が違うのですよ。
888 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 21:57:24 ID:D89OyBV2
法律を軽視する人間は犯罪者予備軍=風
>>883 仏教が言うのは「自我は存在しない」だろうな
>>884 新興宗教の開祖みたいなことを言いますね
既存宗教に満足できない人間が新しい宗教を作り、
運がよければ大きくなって、そのうち腐る
890 :
慈風:2006/12/22(金) 22:32:14 ID:yI0Vj0kQ
アホか
>>890 そうか?
新興宗教の開祖ってのはそういうもんだよ
たとえばイエスは?
既存宗教は神の声から耳を閉ざしている
我こそは神の真の預言者である
私の話を聞け!
イエスは犯罪者として社会から抹殺された
893 :
brown:2006/12/23(土) 00:46:17 ID:RwdI9egg
なんども言いますが,仏陀は自我を否定しない
むしろ大いに肯定しているのである。
では何を否定したのか?「真我」を否定したのである。
つまり我の本質というものはありやしないということ。
しかし,もし自我がなければ,修行も努力もなく,解脱する者もない
自我や思考や欲望,感情などこれら貴重なもの,これらがなければ,
輪廻もなく,輪廻がなければ解脱もない
一切は空無であり,生きることも死ぬこともない。
仏陀もなく,菩薩もない。苦しみもなければ涅槃もない
全てこのとおりであって,要するに何の役にも立たないのです
あたかも法より愛に期待するようなものです
仏陀曰く,そのような期待は髪で作った衣服のようであると
894 :
名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 02:04:46 ID:h2xwX8Iu
↑般若心経がそれを説いている。
895 :
某:2006/12/23(土) 03:59:04 ID:lfb4rwds
>>880 >なんでここにいるか?
暇だからかな。仕事おわったら。
意味を最近まで見いだしていたのですが、その意味が崩壊したので、
理由はありません。
いや、いや、十分意味ありましたよ!感謝しております!
崩壊でも解放でも、自由でいてください。
ありがとうございました!!
896 :
名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 04:12:27 ID:nAoPGUnG
風氏がここにいる理由?
本人は暇だからと言っているが実はそうではない。
何かの因果でここにいるのである。それが因果の実体だ。
「暇だから」という理由をスケープゴートに結びつけるのが因果。
いくら否定しようとも100%逃れられないのが因果の法則。
じゃぁ〜
なんできみはここにいるんだとぼくはきく
おまえがここにいるからさときみはいう
じゃぁ〜
もしぼくがここにいないのならば
きみもここにいなのかとさらにきく
きかれたきみはむねをはり
えへんとひとつせきをする
もちろんぼくはいないのさ
かぜがひゅうひゅうふいていて
ひざしがさんさんふりそそぐ
とおくではっぱがおちたおと?
それはちいさなありさんが
てくてくあるくあしおとさ
いったりきたりのあしおとさ
『ジャマイカじゃまいか』
じゃまいかじゃまいか
いったんじゃまいか
いったんいったんじゃまいか
とみせかけておいて
いったんいったんじゃまいかにいったんじゃまいか
もしかすると
じゃまいかじゃないんじゃまいか
いかないんじゃまいか
じゃまないかなんじゃまいかたべたんじゃまいか
ないかじゃじゃまなんでまいかたべたんじゃまいか
おじゃまないかなんじゃたべるしかないんじゃまかいか
たべるしかないまいかなんじゃたべるしかないんじゃまいか
やっぱりじゃまいかかがじゃまじゃなんじゃまいか
じゃまじゃまうるさいとじゃまなんじゃまいか
じゃまいかじゃまいかじゃまいか
まぁいぃかぁじゃまいか
『じゃがいもじゃがいも』
じゃがいもじゃがじゃがいもでもいも
じゃがいもじゃがいもでもいも
じゃが
じゃがいもでもじゃがいも
いもなじゃがいもでもいも
いもないもうとでもいも
いもなせとものでもいも
いもないものでもいも
いなものでもいも
いなものでもいつもいも
いつもいなばかりいてもいも
どうせいつもいも
い〜も
あっ、なんか私あらしてるね。。。。。。
ごめんw
901 :
名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 14:48:55 ID:Gq+JAXZa
これも因果だからしかたがない
902 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 16:21:55 ID:HV1AQdFP
因果は脈々と存在している。
善因善果はそれ相応の結果が出る場合もある。
だが善因を巻いても突然の事故や災害にはかなわないが。
したがって因果論を完全否定する風は間違っていると言えよう。
903 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 16:27:11 ID:HV1AQdFP
また人を殺すことが悪いことというのは間違いである。
法律上は悪いがこれは人間のご都合上のルールにおいてだけである。
人を殺したとて罪や天罰などあり得ない。
過去最大の殺人者である原爆投下した人間とそれを示唆した人間が
今生においては、なんら裁かれることなく長寿をまっとうしたのを
見ても納得出来るであろう。
904 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 23:53:07 ID:cIzV9iy6
「全ての物事には原因がある」のは確かじゃね
906 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 04:40:41 ID:tumubgUU
907 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 10:14:37 ID:T5KXfPHj
なした悪は今世で摘みとらなければ、来世で摘みとることになる。
平和な顔をした老人であっても、内面の苦悩は誰にもわからない。
>>903 法律上の悪も、世の流れにとっては必要な場合もあるってことか・・。
人の意思も流れの前では微々たるものなんだろうねw
909 :
まい:2006/12/25(月) 17:31:56 ID:B9w5kb7t
>>907 内面の苦悩・・つまり長生きがひとつの応報、償いである場合もあるんだろうね。
910 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 23:27:06 ID:9uLG0dgF
>>908 元来人殺しは悪じゃないんだよ。
だからこそ何千年もの間人間は殺し合ってきた。
だがそういった悲惨な歴史の中から人間の知恵で学び
これではいけないと有識者が判断し
人殺しは悪と取り決めしよう、ということになった。
911 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 01:41:48 ID:3nEHC5jk
来世がどうのこうのとか今考えてもあまり意味がない。
来世のことは来世になってから考えるべきかと。
それが間違いでもその場の正義や情のための悪もある。
それによって情状酌量されることも無きにしも。
宗教で来世などと考えるよりも現実のことをしっかりと整備できるような土壌を作るのが大事じゃないかと。
宗教者の宗教に偏る姿勢はそういう部分の整備を遅らせる元になるかも。
来世を思うのはいいけど、公の思想に影響させるべきではない。
913 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 19:51:54 ID:NPSSmd42
今世が来世を作るんじゃね
914 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 19:53:30 ID:NPSSmd42
と912を見て思いました
915 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 20:28:27 ID:fvJ53joq
いや今世と来世は関係ありません
916 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 21:53:21 ID:WqDCWk2/
因果とは原因と結果の意味だから否定できない
因果を否定している風は知障
917 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 22:20:38 ID:408ir56c
因…動機
果…行為
応…事実
報…報道
印 画 横 方
何ごとも方向を間違えるな!
919 :
慈風:2006/12/27(水) 08:46:10 ID:anB6KK0B
因果があろうがなかろうが関係ない。
実際にはどうかなど誰にもわからない。
肯定する者があれば、否定する者もある。
それにより相手を批判するこんきょとするのは、いかがか?
920 :
名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 13:16:55 ID:x/tfE9iy
↑
いやあなたは因果は無い派でしょ?
因果は無いと言う以上因果はあるという者に反論を受けるのは自然の理。
これを相対性理論とも言う。
921 :
慈風:2006/12/27(水) 13:33:00 ID:anB6KK0B
どうでもいいんですよ。
どないやねん
923 :
慈風:2006/12/27(水) 20:25:46 ID:Ey8stGzQ
当分の間、発言は控えます。
924 :
まい:2006/12/27(水) 22:56:01 ID:5Z4hRpQE
もうすぐこのスレも終わりですねぇ。
お正月明けまでこれないので、もうお別れですね。
皆さん良いお年を!お元気で〜ノ
925 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 00:39:02 ID:V3UecuGc
>まいサン
良いお年を♪
926 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 04:55:34 ID:E+F9qFMP
一人で善がってても真実は見えてこない>風
927 :
天ノ川 創:2006/12/29(金) 07:04:55 ID:p+LqfFQZ
9/27 虹 創222〜
928 :
慈風:2006/12/29(金) 08:50:32 ID:ySkDrWHe
929 :
大王:2006/12/29(金) 20:05:39 ID:ovUgwFFk
だが、、 :慈風 さんは、儒教的スタンスのスピリチュアリズムの、感じだなあ、、
思考が、ベースになっている、、
慈風 さんのスタンスで因果が無いというのは、納得、、
930 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 03:17:03 ID:dW+gapRP
風の虚言を納得出来るというのも失笑ですな
931 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 12:20:18 ID:zhGNxxN8
フセイン元大統領の死刑執行。
アメリカの没落が始まるよ。
よくよくみていてね。
932 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 12:33:58 ID:O4ssIxQ6
↑なんでアメリカが没落すんの?
933 :
名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 00:33:27 ID:3rv+g4BZ
風は破滅思想
934 :
慈風:2006/12/31(日) 11:21:36 ID:ps4KZoZl
何もわからないなら、自分の判断を信じるしかない。
それにより誰かを攻撃したとしても、その意味をしるまでには、行為を継続するしかない。
既に愛であったこと、私が道であったことを知るとき、はじめてあるがままを知る。
非難されることもなく、否定もない。
自分自身に返るとき、そこに真実をみるだろう。
935 :
慈 悲 :2007/01/01(月) 21:44:21 ID:nwSxr4Id
犬猫の殺処分問題を何とかしたいのであれば、
次のHPをできるだけ多くの人に紹介していけばと言われました。感動です。
児玉小枝さんのホームページ
★全国どこでも電話帳見て、お近くの保健所、動物管理センターに電話して、講習受けに行ったら、ただでもらえます。
全国保健所、動物管理・動物愛護・動物保護センター で検索したら
すぐ出ます とてもすごいホムペです。
全国に、もらい手がおらず殺処分を待つかわいそうな子がいます。
処分の日をドリームデイといいます (´;ω;`) お正月したいお
このホムペ、目から鱗でした
「動物愛護団体」を考えるページ この作者天才です。
パソで犯罪画像使ったら足がつく
ネカフェでもモニターと●●と●で足がつく
人の家からやってもこれはすぐばれる
動物愛護団体の追及はものすごい まじびびる
罪に鈍感で、それにも気づけない人間が過ちを犯すのだろう それこそも悲劇
しかし人生はどこからでもやり直せる
自分が収容されている立場になって行動 思考できたらいいな
国会議員とかでアニマルポリスできつつあるからかわったもんだな,,,
936 :
aisenkoufunodaokousin:2007/01/02(火) 20:00:41 ID:GU8DLyQ6
○
○ ●
因→果
○ ↑ ↓ ●
報←応
○ ●
●
<ありがとう因果の応報>
937 :
aisenkoufunodaokousin:2007/01/02(火) 20:06:32 ID:GU8DLyQ6
>>934 慈風?
あなたの名文句は、アチラこちらでみるのですが?
もう少しわかりやすく説明してくれないですか?
私だけ?…慈風じゃなく風でいいんじゃないです?
938 :
慈風:2007/01/02(火) 20:38:48 ID:z4ScMUS/
キリスト教のスレに風さんがおられるのですよ。
よっつ、慈風としました。
詳しく?わかりました。解説しましょう。
939 :
慈風:2007/01/02(火) 20:56:02 ID:z4ScMUS/
「何もわからない」とは「自己の本質に気付かない」ということ。
しかし、そういう状態でも人は「思考し、選択し、行動」します。
たとえば、何かの選択に迷ったとしても、誰かのアドバイスを受けたとしても、結局最後は「自己で判断したことを信じるしかない」のです。
誰かの決定、誰かの選択に便乗しても、それをよしとした自己があり、どのような状況でも、自分で判断していくしかなく、誰かのせいにはできないし、そうするしかないということですね。
940 :
慈風:2007/01/02(火) 21:11:42 ID:z4ScMUS/
その結果、特定の思想を否定したり、誰かを傷つけたりしたとしても、「自己責任」として、その行為から学ぶべき気付きを得、確信に変わるまで、その行為を続けるしかないということ。
941 :
名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 21:41:25 ID:Xat1Qjq+
風があちこちのスレに出没してはヒンシュク買い放題なのにはわろた
まあひとりよがりな偽善者だからいたしかたない
942 :
ありがとうございます。:2007/01/02(火) 21:56:27 ID:GU8DLyQ6
>>慈風さん、よくわかりました。ずっと本質な意味がわからなくて悩んでいました。
ありがとうございます。
自分のことは、自分で始末しろということですね。
943 :
愛のみ 慈悲のみ :2007/01/02(火) 22:02:39 ID:klTN91sg
もらい受け事務代行できないの?命助けだし 救うの御自分でもいいよ
犬猫の殺処分問題を何とかしたいのであれば、
次のHPをできるだけ多くの人に紹介していけばと言われました。感動です。
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パソで犯罪画像使ったら足がつく
ネカフェでもモニターと●●と●で足がつく
人の家からやってもこれはすぐばれる
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罪に鈍感で、それにも気づけない人間が過ちを犯すのだろう それこそも悲劇
しかし人生はどこからでもやり直せる
自分が収容されている立場になって行動 思考できたらいいな
国会議員とかでアニマルポリスできつつあるからかわったもんだな
944 :
慈風:2007/01/02(火) 22:14:33 ID:z4ScMUS/
人が生命をであり、それが宿るいわば「入れ物」が体であるということ。それが人の本質ではない。
生命とは「愛」である。
その生命をもつ人は、すべて等しく「愛」である。
ただ、その愛に帰ること。人の本質である愛に帰ること。それを自覚することが大切。
すべてはそのためにある。
そして、それを深めていくと、「自らが愛であり、自己の本質に気付くこと」ができる。
人は神である。神と同じ力をもつ。思考という無限の力をもち、それが「愛」であることを知るとき、人がいかに深く愛されているかも知ることができる。
945 :
慈風:2007/01/02(火) 22:16:47 ID:z4ScMUS/
人の本質。愛である。
それに気付けば、すべてわかる。
946 :
失礼しました:2007/01/02(火) 23:29:02 ID:klTN91sg
与える愛
947 :
放浪人:2007/01/03(水) 00:04:40 ID:KTfOpsQm
愛か‥
上辺(見かけ)だけのもの、執着と同一のもの、一時的なもの、幻想(思い込み)であるもの、様々な形がある
しかし、本物といえるものは何処にも無い!
948 :
慈風:2007/01/03(水) 09:28:32 ID:AY+kH4Rb
そう考える自由を与え、そう発言する自由を許したのは誰か。
受け入れることはたやすい。拒否するほうが難しい。
949 :
愛 :2007/01/03(水) 15:09:20 ID:YRMd1PBb
犬猫の殺処分問題を何とかしたいのであれば、
次のHPをできるだけ多くの人に紹介していけばと言われました。感動です。
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ネカフェでもモニターと●●と●で足がつく
人の家からやってもこれはすぐばれる
動物愛護団体の追及はものすごい まじびびる
罪に鈍感で、それにも気づけない人間が過ちを犯すのだろう それこそも悲劇
しかし人生はどこからでもやり直せる
自分が収容されている立場になって行動 思考できたらいいな
国会議員とかでアニマルポリスできつつあるからかわったもんだな
950 :
名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 15:23:27 ID:yj4Zy0n1
951 :
名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 01:11:02 ID:2KMaSr2J
人の本質は愛とのたまいながら
自我を否定する風は
やはり矛盾しているね
愛は自我から発するのに
952 :
名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 05:24:24 ID:QJt3pLQk
愛=自我
自我を否定する=愛を否定する
953 :
慈風:2007/01/04(木) 07:31:09 ID:kXDogiLD
愛は自我ではありません。
私の過去において、自我の否定はしてまいりました。
しかし、今は否定しておりません。
あなたがたのいわれる愛は「欲」ではないでしょうか?
それすら否定はしませんが。
954 :
まい:2007/01/04(木) 10:30:20 ID:QQj6Onvo
>>951 愛は自我から発する?
自我は愛から発する?
う〜ん、びみょ〜w
本質が愛だとして、自我は個々人の肉体的な防衛本能としてあるのではないかと思うのだが・・。
本質的な「愛」ではなく、肉体的な「愛」と言う場合は、欲求を満たす為にはなんでもありのような・・。
やっぱり、ドチラも「愛」と翻訳するのは誤解が多いからw
955 :
慈風:2007/01/04(木) 11:18:43 ID:kXDogiLD
ちがいますよ。それが在ることが愛です。
956 :
慈風:2007/01/04(木) 11:32:31 ID:kXDogiLD
自我を滅するというのは、仏教から派生したものです。
今在るものは、必要なものばかり。
それをなぜ滅するのか。
それがあるがままだろうか?
私は疑問です。
957 :
まい:2007/01/04(木) 11:37:49 ID:h2WnhZjH
>自我を滅するというのは、仏教から派生したものです。
>今在るものは、必要なものばかり。
>それをなぜ滅するのか。
ああ、それじゃ「自我は必要だ」と主張し続けている方と同意見ではないですか。
彼は誤解しているんでしょうね。いや、風さんが誤解されているのかw
958 :
慈風:2007/01/04(木) 11:46:51 ID:kXDogiLD
必要か必要でないかは、そのひとが決めるべきもの。
物事を判断するとき、それが愛であるかどうかで私は観ます。
統一した見解をもとうとするのさえ、今となってはどうでもいい。
959 :
まい:2007/01/04(木) 11:57:40 ID:h2WnhZjH
ワタシの本質は「在る」かもしれない。
それを知っている人も、知る必要もない人も居るでしょう。
でも今は、肉体を持つことによる課題をどうしようか・・というところですね。
>それが愛であるかどうか
人それぞれ表現方法が違っていて、誤解して伝わることもありますが、基本的に行動は「愛」が突き
動かしているものではないかと、ワタシは思いますね。
ですから、愛があるかどうかの判断で区別しません。
その時々の感情で、快・不快があることはありますが、そこで判断せずに相手をよく知ろうと思えば、
そんなに相手も違うことを思っているのではないことがわかったりします。
960 :
慈風:2007/01/04(木) 12:40:11 ID:kXDogiLD
私は相手をみているわけではありません。
言葉の波動というか、奥にながれるものを感じ取ろうとしています。
判断せずに、物事を発言できると思いますか?
散々やろうとしてきて、無理だとわかったのです。
961 :
慈風:2007/01/04(木) 12:45:04 ID:kXDogiLD
誤解して受けとめること、これは、「私の選択であり、誰かの選択かもしれない」のです。
なぜそう受けとめるかは、「当人が自覚しないかぎり」改善は難しい。どんなに誰かが指摘したとしても。
余計な手出しはしないことにしましたので。
962 :
まい:2007/01/04(木) 15:18:06 ID:y1BqLXs1
そうですね。
意識外で、なぜかそう受け止めてしまう傾向と言うものはありますね。
なぜだかはわからないけれど、とりあえず観察w
963 :
brown:2007/01/04(木) 18:00:19 ID:46zDaVRo
自我と愛は相対立するものです。資本主義と共産主義のように,これらは
相対立するものです。自我は愛とは異なる価値観を提示し,愛は,自我と
異なる価値観を提示します。
しかし,自我と愛は,ともに存在し,互いに相損なうことなく,存立して
います。長いと短いが互いに背反し,かつ互いに相損なうことなく成立し,
むしろ両方の概念があることによって,互いに意味を持つようなものです。
964 :
慈風:2007/01/04(木) 18:44:35 ID:kXDogiLD
愛の相対などありません。
965 :
名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 19:17:30 ID:bNyaAPaB
広島市動物管理センター内のネコ
第2第4木曜引き取り講習やってます
082 243 6058
現在ねこ数匹収監
うち一匹は ロシアンブルー デブネコ
うち一匹は 足の悪い子猫
電話早めにくださいとの事
ちなみに僕は広島市動物管理センターの者ではありません
家族の同意が得にくいので他の方に期待したのです
弱い子もいますが全部もらわれたら最高です!!!
ただかわいそうなので書いたのです
罪を犯さぬものはいない
よって応報されないものはいない
967 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 00:39:45 ID:Btdy7VVt
>>957 風は「自我は必要ない」と言ってみたり「自我が必要だ」と言ってみたり
まったくもって自分の意見が定まらない煽り厨だ。
あまり信用しないほうがいい。
968 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 00:42:33 ID:i8UYRKkV
969 :
brown:2007/01/05(金) 01:23:31 ID:+vxlE/Ej
そりゃあ,愛の相対は憎悪ですが,ここで言っている愛はそれを指しては
いません。
愛憎の愛ではなく,全てに浸透している愛を指しています。
しかし,絶対が相対に相対するように,一切が部分に相対するように,
愛には,自我が相対しているのです。
これを知らなければ,「道」を歩み始めることすらできません。
絶対や一切に逃げてしまうことで,重要な一切が覆われて見えなくなって
しまうからです。
970 :
慈風:2007/01/05(金) 07:11:52 ID:mJDX1qm6
そのような道ならば、必要ない。
仏教などゴミ同然。
どこまで人を騙せば気が済むのか。
971 :
まい:2007/01/05(金) 11:26:51 ID:vTfvJke5
>絶対や一切に逃げてしまうことで,重要な一切が覆われて見えなくなって
>しまうからです。
あまりに抽象的すぎて、なんともw
972 :
まい:2007/01/05(金) 11:41:10 ID:vTfvJke5
「絶対」や「一切」って、あるのか無いのかは知らないけれど、現実は常に揺れてあやふやだから、
考える上での根本として、とりあえず仮定しているだけじゃないかな。
別にあるか無いかが重要なんじゃないのではと・・。
用語は仏教学問の定義でしかないし、実際に「根本」を見たものはいないわけだし。
しかし自分の生の実感を考えると何者かが影響してるのではないかと言う・・推論。
973 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 11:45:28 ID:QfzCZPWB
お前等、宗教が好きならそれで良いが、税金が滅茶苦茶高くなっていく
今年からどうするんだ?現実を無視して神も仏も救いもなにもないぞ!
企業への税金は下げられて個人への税率は凄く上げられて、消費税も
20パーセント目指して所得税に健康保険にアゲまくられて庶民は水のみ
百姓の暗黒政治に突入だぞ!企業には税率が下げられてオマケに外国企業が
参加出来て買収されていく事を評論家達は皆予測している。つまり、日本人の
個人は貧乏でも強引に重税をかけられて逃げ出せば刑務所送りだ。
その上に在日手当て在日特権の為に3兆円でも10兆円でも投入されている。
つまり、日本人は一部の金持ちが在日と癒着して庶民はアメリカと在日と日本人の
エリートと公務員の食い物にされて生き地獄が待っているのだ。
神仏は結構だが、現実で政治的運動に出ないと将来は恐ろしい暗黒時代になるぞ!
目覚めろ!日本人!目覚めろ!お前等!現実の知識を増して現実で目覚めて
現実で救われなければ、あの世もこの世も苦しいばかりだぞ!戦え!団結と行動と
現実変革を神仏に祈願しろ!その上で在日から退治する事を考えろ!お前等がチンタラ
していると暗黒は増すばかりだぞ!
974 :
まい:2007/01/05(金) 12:29:30 ID:vTfvJke5
975 :
伸び板:2007/01/05(金) 17:26:26 ID:+387niYX
>>973 あなた様の弟子にさせてください?あなた様のおっしゃる通りです。
どちらにお伺えすればよろしいでしょうか?
宗教どころではありません。
社会党も虫の息で、労働者はされるがまま指を咥えているしかない昨今w
977 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 20:12:02 ID:g/rIOz9Y
因果はともかく、応報は線型応答に限られる。
自然界は非線型が主流。
978 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 20:33:48 ID:+gP19fDW
とても全部は読めないが、因果はあってあたりまえだろう。
現代科学は原因結果の追求だぜ。
原因のない結果なんてありえないし、その逆もまた真だ。
『因果』という言葉に惑わされているやつが無いとか言っているが、
科学的に考えてみればすぐ分かる事なのに。
979 :
伸び板:2007/01/05(金) 20:41:16 ID:+387niYX
>>因果はあってあたりまえだ、その『因果』の言葉を追求してるんだろうよ?
科学者は科学者のスレだろう?
980 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 21:24:09 ID:g/rIOz9Y
現代科学は、宇宙は何の原因も無く偶然できたなんて言ってますよw
神はサイコロを振らない
982 :
パースペクティヴ:2007/01/05(金) 22:16:01 ID:vUXly3n+
広島市動物管理センター内のネコ
第2第4木曜引き取り講習やってます
082 243 6058
現在ねこ数匹収監
うち一匹は ロシアンブルー デブネコ
うち一匹は 足の悪い子猫
電話早めにくださいとの事
ちなみに僕は広島市動物管理センターの者ではありません
家族の同意が得にくいので他の方に期待したのです
弱い子もいますが全部もらわれたら最高です!!!
ただかわいそうなので書いたのです
985
986 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 23:48:44 ID:t3YHKD3z
987 :
名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 23:54:43 ID:fAnmduZF
神はいないからサイコロも振れない。
量子力学的不確定性は情報の不足から起こるのではない。
988 :
名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 10:48:17 ID:WBPs4rZp
989 :
brown:2007/01/06(土) 19:06:08 ID:/OIvQbA7
>>970 仏教ではない。道理です。
道理が欠けているので,道を歩めないのです
990 :
brown:2007/01/06(土) 19:16:55 ID:/OIvQbA7
因果応報は嫌われています。
しかしそれは,罪の意識があるからです。自ら罪深いので,因果や応報を
心は除こうとするのです。さらにそれを理論付け,誤った道理で誤った
行為や生き方を行ってしまうのです。
しかし,全ては因果律に支配されており,自我は存在し,自ら為したことは
全て自らの責任であり,全て自らの存在状態に織り込まれます。
空だの無我だの愛だのと言っても,念仏を唱えてもこれを廃することはできません。
なぜなら,それが現実だから。
これが,自然界と人間社会とを貫く道理であり,大人の認識であり,
違うことのない完全な認識態度です。
人が生きてること自体何かの犠牲の上に成り立ってるわけで、それは因果か
995
998 :
名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 22:47:04 ID:mmeq0bBM
1000
神の声を信じよ
1000 :
名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 22:49:28 ID:ozQSOUoI
1000
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。