【悟った人教えて下さい!!】

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1名無しさん@3周年
「悟り」ってどういう状態ですか?
どうすれば悟ることができるのですか?
また、何をもって「悟った」と自分でわかるのですか?

悟った人!何でもいいから教えて下さい!!
2名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 01:19:01 ID:k5oRk0gB
そんな人いない
3名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 01:23:53 ID:wooCWtJB
仏教とキリスト教とイスラム教と日本神道を完全統合して全人類の歴史全てを清められる境地。
4名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 01:34:21 ID:6FqN4xuR
風船がはじけたように、自分と世界の境目が無くなるんだよ。
心すら動かしてはいけない。
5名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 01:35:00 ID:6Id8+nkU
たしかにそれはいないかも・・・(^-^;
6名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 01:38:09 ID:6Id8+nkU
>>5
>>3への感想です。
7名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 01:46:17 ID:6Id8+nkU
>>4
4さんはご自分で、そのような状態を体得されたのですか?
迷いや苦しみは、それでなくなったのですか?


ちなみに私は、完全なる素人です。
8名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 01:54:36 ID:wooCWtJB
とりあえずイスラム差別をしている内はダメだしブッシュ攻撃しててもダメだね。
9名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 02:20:45 ID:HQvNlOUV
細かなことの積み重ね
10名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 03:37:49 ID:6FqN4xuR
>>7
いや、考えたりして理解しょうとしても無駄だと思うよ。
それと正確には悟ってはいないし
ただその経験から大昔の言い伝えだとは思わなくなった。
11名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 03:41:05 ID:6FqN4xuR
現実に悟りの境地は実在すると思うようになりました。
12名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 07:46:53 ID:6FqN4xuR
書き方がちと悪かったかな?
>4さんはご自分で、そのような状態を体得されたのですか?
聖人とかなら狙って出来るのかな?とか感じる。自分は体得はしてない
>迷いや苦しみは、それでなくなったのですか?
今はおもいっきりある。でもその精神状態の間は無い
13名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 20:22:54 ID:6g+ejuq/
生きて、死ぬこと。誰もがやってる。
14名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 23:19:50 ID:6FqN4xuR
もし凄く憎んでる人を愛すことが出来たなら
もし裏切られた相手をまだ信じることができたなら
心の底からそんなことが出来たとしたら、宗教とかまったく興味がなくても
その人は悟りに近いのでは無いのかとか思います。
そうすることでまったく良いことがなくても許す心が必要なのです。
ぶっちゃけ僕もまったくそんな器のおおきいことはできませんが
宗教には興味ない人でも、宗教を馬鹿にしている人でも
仕事をする上できっとそんな風に自分を変えるしかないといった状況は訪れると思います。
人生は結局そんなもんだと思いますよ。

15名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 00:58:56 ID:nlGcjrB4
オレは悟った。
神は金を寄越さんよ。
オレは悟った。
神は美女を寄越さんよ。
オレは悟った。
神は地位名誉を寄越さんよ。
オレは悟った。
神は役に立たん。自分の価値観を正しいと喚いているだくだ。
16名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 01:43:16 ID:BpXrBxHk
>>1
どーせ、何ら苦労も努力もするつもりがない、甘ったれクソガキだお前。
そんな奴は、一生ニコニコして過ごしていれば良い。何もする必要なし。死ぬ為に生きろ。な。
17名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 01:44:50 ID:TRwevaDV
>>1
悟りとは自我が完全に死ぬ事。つまり「貴方」が死ぬ事ですよ。
それと2ちゃんに悟った人=覚者がいる訳ないじゃないですか。
日本にだって一人居るか居ないか。多分いないよ。4が書いてるが「心を動かすな」
と言ってる時点でこいつはダメとわかる。
自分は心でもないし身体でもない、と気付くことが第一歩ですよ。
18名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 02:56:31 ID:FNG9Ojah
覚者は定義にもよりますが涅槃完成は人間には無理だと思って諦めましょう
不動の境地にまで至れば上等
19名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 03:04:00 ID:FNG9Ojah
2chは独学の人ばかりかなぁ
誰か仏に感応できる人はいないのかなぁ
空(暗在系)すらわからずに悟りを開くなんてことはありませんよ
20dferer:2006/06/10(土) 12:56:17 ID:yheL3O/j
太郎には太郎の悟りがあり
花子には花子の悟りがある
悟りには、定義がない、人それぞれなんだ
悟りの深さを、判断するのが「グル」の役目だ
悟りは、開いたら必ず解る、今までの世界と全く
違うことに気付く 。
21名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 13:18:04 ID:NlrU44rk
宗教の教義を洗脳されて、何を問われても宗教の理論ですらすらと
回答できるようになったら、悟ってると思うでしょう。
洗脳されてるだけなのにね。
22名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 14:17:32 ID:FNG9Ojah
それを卑屈という
23名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 14:20:40 ID:FNG9Ojah
そこが判断できないのなら話にならない
24dferer:2006/06/10(土) 15:55:00 ID:yheL3O/j
悟ったらわかる!

悟りなんて、君たちが思うほど、
遠いいものではない、
もっと近くにあるんだ、
問題はその境涯の深さだ。
25名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 16:11:57 ID:Q9+wbNT3
まったくだ、その深さだ。
体感してみればわかる。
26名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 23:18:26 ID:Q9+wbNT3
悟った聖人や聖者は、悪人にひどい仕打ちを受けたとしても
そんな悪人のために同情から涙を流せるぐらい愛の中の愛情で出来てるのだろう。
そんな器の大きい人間に出会ったことがないだけで
信じられないだろうけど、悟るとはそうだと感じる。
27悟り4号:2006/06/11(日) 00:08:52 ID:RFCqURCO
まず、「悟り」は、厳密に定義をされていない。<-事実。
>>1さんは、そこをよく認識すること。

したがって、人々が自由に、自前の見解を述べることになる。
あなたの好きな悟りを採用するしかない。

わたしの定義としては「悟り」とは「気づき」のことだ。

だから、誰でも「悟り」を体験しているし、
「悟ろう」としても「悟れる」ものではない。
28名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 00:20:59 ID:E28dF0bQ
29名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 04:57:48 ID:VtMOIFkn
>>26
愛情を口にしてる時点で悟りではないよ
30名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 06:50:50 ID:x8klrSto
もちろん執着の無いさわやかな愛情を持つべきだと思います。
31dferer:2006/06/11(日) 08:15:21 ID:d8u5/ELw
無理なく、自分らしくなる。
32名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 08:21:55 ID:PIgV5v3G
何でもありの世界よ。
33悟り4号:2006/06/11(日) 08:36:23 ID:RFCqURCO
>>28
悟りが、厳密でなくとも、ある程度でも定義できているなら、
「悟り」と「覚り」の違いくらい、誰でも分かるはずだが、
実際に、「悟り」と「覚り」を区別して書かれた書物を見たことがない。

多くの経典では、一般に、釈尊の得た「さとり」は「覚り」と書かれ、
それ以外は「悟り」と称しているようだ。
それも厳密に区別されているというわけでもない。
34名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 08:41:32 ID:aF5hnNim
>>30
慈しむ心、慈悲ってことかいな。
35名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 09:01:55 ID:ph99zIAR
天国方向、イエス様風
36dferer:2006/06/11(日) 09:43:55 ID:d8u5/ELw
悟りを開いた人を「覚者」と書くが、
「悟者」とは書かない。

この場合、文字の問題ではないと思う。
37名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 09:51:50 ID:49A83Bq6
>>>36

じゃあ、あなたは覚者に会った事ある?
38dferer:2006/06/11(日) 09:59:19 ID:d8u5/ELw
37さんへ

ある!

39名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 10:03:14 ID:49A83Bq6
>>38

それは誰なの?
名前のカキコが無理なら、どういう人なのかだけでも教えて。
40悟り4号:2006/06/11(日) 10:35:46 ID:RFCqURCO
>>36
「悟者」という用語は、普通に目にするが?
ためしに悟者でググッてみるとよい。

>>39
わたしの場合、いまのところ、釈尊を超える「覚者」には、出会ったという覚えはない。
しかし、仏教学者の宮元啓一氏の書物は、釈尊の覚りを分かりやすく教えてくれると思う。

瞑想など仏道修行をしていると、超常体験をすることがある。
それは悟りのひとつかもしれないが、真理ではない、と教えてくれた。
41名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 11:19:09 ID:x8klrSto
>>34
良いですね〜
慈しむ心
もちろん、ありでしょう。
42名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 14:25:51 ID:E28dF0bQ
超常体験のほとんどは顕界における超常体験ですからねぇ
そんなもんはいくらでもありますよ
43dferer:2006/06/11(日) 17:26:53 ID:d8u5/ELw
自分は「覚者(かくしゃ)」としか使用ないので、
悟者も(かくしゃ)と読むとは知りませんでした、
勉強不足でした。
44dferer:2006/06/11(日) 17:30:42 ID:d8u5/ELw
37さんへ

雨宮第慈(ダンテスダイジ)と会った。
45名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 17:34:14 ID:tDFE1KXE
悟ると、

必要なものが容易に手に入る。
知りたいことの答えが脳内に響いてくる。
会うべき人に会える。
不必要なものは去っていく。
どうでもいいようなつまらないことが起こらなくなる。
運が良くなる。
46名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 18:27:00 ID:Hk6KIEt/
>>45
それ正しいかもしれない。
運命の摂理と同化した状態ですね。
47dferer:2006/06/11(日) 18:54:22 ID:d8u5/ELw
48南無大師遍照金剛:2006/06/11(日) 19:10:11 ID:ooMR3/X4
壁]-)工藤伸一君…
49名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 19:21:42 ID:x8klrSto
自ら厳しい修行を行って、その辛さに感謝できるのなら
立派ですよね。
50名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 20:28:19 ID:NP+R8ptv
チャンチャカチャンチャン♪

ハウルの動く城かと思ったら
犬が交尾してるだけでした

実家に久しぶりに電話したら
無言で切られました

綺麗な蝶だと思って採ったら
ただの蛾でした

彼女驚かそうと、押入れに隠れたら、
男を連れ込んでいた

天気がいいから洗濯物を干そうと思ったら
さおごと落ちました〜

赤いにきびーと思ったら〜
殺し屋に狙われてました〜

1ヶ月ぶりに携帯鳴ったらぁ〜、
ドラマの着信音でしたぁ〜

雨が降ってきたから移動してみたら〜
雨雲がついてきちゃいましたぁ〜

血液検査をしたら両親が他人だと知りました〜

焼き肉食べ放題だと思っていたら食べ放題ゎご飯だけでした〜

チクショー!
51悟り4号:2006/06/11(日) 22:03:04 ID:RFCqURCO
>>45
おお!
「知りたいことの答えが脳内に響いてくる。」
それだ!
わたしも、それを言いたかった。誰かが言うのを待っていた。
それは、体験したものしか分からない。

しかし、頭に響く声には2種類ある、魔には注意が必要だ。
52組織崇拝を止めよ:2006/06/11(日) 22:37:02 ID:ZvUSCBBL
個人的体験につき、不確かで不明確ですし。(短期間だった為、一ヶ月程度)
悟ってもわかりません。
唯、物事に対して、極端な無関心が続き。
執着が取れると、あまり苦しいとは思えず。
それによって?、極端に楽になりますね。動作も緩慢になりますし。
料理の味は全て美味しいです。これが甘露かな?
寝れば必ず熟睡出来ましたね。

ただ、興味深かったのは、直感的に話しているのに関わらず。
相手が驚愕しているような印象が。かなり薄いですが残っています。
以上。
53名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 22:41:42 ID:6t7KqMWc
悟ったら明確に自分が悟ったと解るよ。
そんなことすら解らずに、何を悟ったのかと小一時間w
54組織崇拝を止めよ:2006/06/11(日) 22:47:16 ID:ZvUSCBBL
追伸、悟りへの道?
私個人は、題目系に縁が深かったようで。(縁は4.5歳と20歳時に遡りますが)
数日程度の、一日数時間に渡る題目行において。(正座でしたが)
相当、人間は拘りや執着心が強く。それを消失していく行というのは。
相当苦しいです。ええ、無くしていくのでしょうか。
ただ、順順と私という個が自らの行為で消失していく訳ですから。
今までの行為が全て無価値であると
自ら認めていく訳です。理解できるとは思いませんし。今の私にも理解出来ません。

ただ、やるからには、全てで捨ててしまっても良いが。誰かに投げ捨てるのはやめておいた方が良いでしょう。
ただの未解決問題を預けたと妄想するだけですし。
(自らを灯明とし、法を灯明とする。そして他を灯明としない。)

最後は、炎の渦へ落ちてしまうというイメージで、無漏から有漏へ帰ってしまったもので。
私の場合は悟りつつも拘りと執着が生じてしまったものですから。
以上。
55組織崇拝を止めよ:2006/06/11(日) 22:47:53 ID:ZvUSCBBL
53
悟っても、何がなんだかわからないという意味です。
56組織崇拝を止めよ:2006/06/11(日) 22:50:40 ID:ZvUSCBBL
想像してみてください。確固たる自我の存在を認めていた時に。それが否定されるわけでもなく。
ただ、我無しと思う訳ですから。混乱しない方が可笑しいでしょう。
57悟り4号:2006/06/11(日) 22:53:08 ID:RFCqURCO
>>53
それは残念だが、悟ってもいないのに、悟ったと勘違いする人間も、確かにいる。

脳の響く声も、魔の声の方が圧倒的に多い。ご注意あれ。
58名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 22:53:47 ID:6t7KqMWc
>>55
その不可知領域の境界を知るのが悟りというものだ。
59名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 22:56:36 ID:67LrzP0N
最近、悟った人多いな。
60組織崇拝を止めよ:2006/06/11(日) 22:59:14 ID:ZvUSCBBL
まぁ、私自身は気紛れで文章らしきものを書いたに過ぎませんからね。
こういう情報は気をつけたほうが良いでしょう。
61名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 23:01:11 ID:E28dF0bQ
悟ってみても脳みそがくるくるぱーになってちゃだめだよ
正しい精神統一と苦行が必要なんだぞうA10神経にわ
明晰になってこその悟りだぞう
62組織崇拝を止めよ:2006/06/11(日) 23:09:48 ID:ZvUSCBBL
補足。たぶんですが。私は典型的な退転する菩薩だったのでしょう。
63組織崇拝を止めよ:2006/06/11(日) 23:11:00 ID:ZvUSCBBL
退転したですね・・・あははは^^;
64名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 13:35:10 ID:lMEyEUGn
すぐに結果を求めようとか、
超能力みたいなのが使えるようになるからとか
自分は特別だから選民されたとかの
発想は良くないよ。
覚者なら周りの人にも尊敬されなきゃね。
65名無しさん@3周年:2006/06/13(火) 21:02:26 ID:Trn20xcA
悟り、悟りを得る

神とか仏の境地に至ること
その道のりは 果てしなく遠い

だのになぜ 歯をくいしばり
君はゆくのか そんなにしてまで
66名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 01:17:43 ID:jBtOg2m/
>>64
> すぐに結果を求めようとか、
> 超能力みたいなのが使えるようになるからとか
> 自分は特別だから選民されたとかの
> 発想は良くないよ。

此処までは良いが。。。

> 覚者なら周りの人にも尊敬されなきゃね。
なんやねんこれはw
67名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 05:00:14 ID:iDfQ9iXg
覚者になりたいならでした。
68名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 19:55:15 ID:MSNHXEnk

凡人は、自分が解らない覚者の世界に何故理想を強制するのだろうか。
69名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 20:32:34 ID:OGKBxbK3
反動形成ではいけませんねぇ
理想論でもないんですがね残念ながら
70http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea:2006/06/14(水) 21:10:57 ID:guLf8mnS

統一協会(統一教会)被害者家族の会Homepage
http://www12.ocn.ne.jp/~kazoku/index.htm

報道特集 再燃!統一教会による被害 1/3
http://www.youtube.com/watch?v=FHH5iDPQerE&search=
報道特集 再燃!統一教会による被害 2/3
http://www.youtube.com/watch?v=UpruuB7-vSw&search=
報道特集 再燃!統一教会による被害 3/3
http://www.youtube.com/watch?v=lOaLZRLQKs4&search=

去年(2005年)一年で、被害件数1000件 被害金額20億円。
71名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 21:22:05 ID:PdqVUeia
悟った人なんて見たことないな。
60年生きてるけど。

救われた人ならたくさん見てる。
72名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 21:37:51 ID:jBtOg2m/
> 覚者なら周りの人にも尊敬されなきゃね。

本場ビルマでは
『周りの人は覚者を尊敬しなきゃね』
になる。
73名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 21:55:03 ID:OGKBxbK3
ビルマの竪琴
74名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 23:15:13 ID:OXbdNLEY
一緒に 浄土に 還ろう
75名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 03:36:44 ID:oUaFQH6x
霊的な力は人から貰うものなのだろうか
誰か洩れに神仏を付けてくれたもれ
76ドリル:2006/06/16(金) 20:14:29 ID:Q+edcahR
本物でした。

44で「ダンテスダイジ」の紹介があったので、

著書を購入して読みましたが、すごいの一言でした。

半分位しか理解できないけど、伝わって来るものが、本物と思いました。

「クリシュナムルティ」や「カスタネダ」と共通するにおいがした。
77名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 20:21:04 ID:AfeUHYWs
禅の高僧で悟りを得たと尊敬されていた人が
いざ自分が死ぬ段になって非常に恐れおののき
取り乱したそうだ。
これからもわかるように、生きているうちは
悟ったかどうかなんぞわからんと思う。
すなわち、悟ったといえる人は一人もいない。
78ドリル:2006/06/16(金) 21:12:55 ID:Q+edcahR
貴方には、「悟り」が遠いところにあると思っているから、

そう思うんだ。

確かに今の宗教家をみたら、そう思う。
79名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 21:14:38 ID:BGQAyFyS
本当に今の宗教家を見てきたのかなぁ
一体どのお寺に行って話してきたのか
80ドリル:2006/06/16(金) 21:42:07 ID:Q+edcahR
鎌倉・京都・他新興宗教他

何処がいいかな?
81名無しさん@←ブラックホール:2006/06/16(金) 21:48:44 ID:BGQAyFyS
実際行ってみて気に入ったところ
82名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 23:37:06 ID:TrKYZtik
高野山の宿坊行きまくれ。いい和尚いるかも。
83名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 23:46:42 ID:K/YDtDp9
     いいか、みんな
        (゚д゚ )
        (| y |)

   小五とロリでは変態だが、
      小五 ( ゚д゚) ロリ
       \/| y |\/

   二つ合わされば悟りとなる。
        ( ゚д゚) 悟り
        (\/\/
84名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 00:04:13 ID:BCc4Vh/n
この場合の合わさればとは?
85名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 12:06:19 ID:xoKRXg4s
下のホう??
86名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 02:38:43 ID:zywX//3Z
まだまだ悟っちゃいないけど、なんとなく見当つけてる。

色即是空 空即是色

見栄も欲もまだまだ捨て切れていませんが、これから先
さまざまな体験をするだろうし、そしてそれらに慣れ、飽き、行動しなくなるだろう。
恐らく行き着くところは上記になるだろう。

でもコレってもしかしたら、道程・ニートの境地なのかもしれない。
妄想で満足している状態。

遂行面倒草
87 ◆Mjk4PcAe16 :2006/06/27(火) 23:26:06 ID:MsDlir81
あーつかれた。
88 ◆Mjk4PcAe16 :2006/06/27(火) 23:28:53 ID:MsDlir81
悟りとか自分だとかどうでもよくなって満足していきていきたい。
89名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 00:31:36 ID:yrp1yWD7
でも、満足ってなかなかできないよね。
90名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 01:21:40 ID:UMsBV1Ku
>>86
見当なんかつけてるから悟れない。
91名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 01:24:42 ID:XVPClnCb
悟るな!悟ると虚無主義になり、最後は虚しく死ぬだけだぞ!
極楽なんかないんだぞ!
92名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 01:31:04 ID:clrB+k14
悟った人ならWindowsとOfficeの無料版を自力で開発できるはずだ。
93名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 01:52:15 ID:UMsBV1Ku
>>91
悟っても悟ってなくても、誰でも死ぬよ。
94名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 14:46:05 ID:XVPClnCb
>>93
普通に死ぬより虚しく死ぬんだぞ!?
95名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 15:41:01 ID:givAKk4Y
んなぁこたぁない
96ニセ本尊:2006/06/28(水) 22:03:00 ID:7tQu4xby
究極の覚りの前に、誰でも通る悟り。

それは「善も悪も無い」
97名無しさん@3周年:2006/06/28(水) 22:45:45 ID:KQyeiaAG
今から1分間目を閉じて
実在でも虚無でもない
とらわれのない境地を求めて
呼吸を数えれば
少しは怒らなくなっているはず
98名無しさん@3周年:2006/06/29(木) 00:59:39 ID:Rxk9YCq/
ほんとにこの人は覚っていると思った人を、昔、ネットで一人だけ見たことがある。

後にも先にもあの人しか知らない。
世間は広いから他にもいるのかもしれないが、
ともかくあの人だけはほんとに覚っていると思った。

でもおそらく大多数の人が、そうは思わないだろうな。
およそ、世間で思われている覚りのイメージとはかけ離れすぎてると思うから。
99ニセ本尊:2006/06/29(木) 06:37:31 ID:QBqnRepb
>>98
その人は、「覚った」のではなく「悟った」だけなのでしょう。
「世尊」とは、世の中に尊敬される人ですから、
世間から尊敬される「覚り」と
世間には理解されない「悟り」があるのでしょう。
100名無しさん@3周年:2006/06/29(木) 16:02:04 ID:olDqodnq
持ち上げて突き落とすのが、世間の常套手段
世間の賞賛なんて、最もどうでもいいことのひとつ
101名無しさん@3周年:2006/06/29(木) 17:18:13 ID:PPTSeiJk
>>99
いいえ、「覚った人」は全て世間から尊敬されるのですね。
(そういう人を覚った人と呼ぶ、ということです)

しかしながら、いったい誰が本当に覚っているのかを見抜くのは容易ではない、ということです。

たとえ話をしましょう。
泥や汚れなどに塗れた汚い石のような塊があるとします。
でも、その汚れを落とすとそれはダイヤモンドであった。

そんなもんです。
102ニセ本尊:2006/06/29(木) 22:46:59 ID:QBqnRepb
>>100
世間の賞賛は、どうでもいいでしょう。
でも、あえて顰蹙を買う必要もありません。

如来は世間と争わず。

>>101
覚った人は、言葉の端々に「気づき」が含まれているものです。
それを感じとられたのなら、その方ほ本物かもしれません。

何も感じられないときは、相手とのギャップがありすぎるのです。
103名無しさん@3周年:2006/06/29(木) 23:02:06 ID:tuCeLE2Z
現代日本に覚者がいるわけないだろ。うつけもの!
104名無しさん@3周年:2006/06/30(金) 02:50:27 ID:Lzeinw20
体験中毒ラリパッパ号
105ニセ本尊:2006/06/30(金) 21:57:42 ID:GjvS+yK8
覚りの意味も分からず、何をいっても虚しいだけサ。

自分の信じる道を行け。
106凡庸兵器:2006/07/01(土) 01:18:08 ID:qnexcPaF
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
107名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 12:48:22 ID:uD0gfkZc
古の仏教では、世間の人を無明、つまり盲目扱いして、
それと対比する形で覚者、つまり目覚めた人を説く。

つまり、ここで言われている「悟った人」とは、こうした仮定の上でだけ
成立しているものなのである。しかし、仏教では実体を説かず、
空と説くのであるから、現実に実体として無明があり覚者があると考えるのは
誤っている。

無明の人も覚者も存在するのでもなく存在しないのでもない。
即ち、実体としてあるのではなく、仮定の上でのみ成り立つものなのである。
例えば、ある人にとって悟ったように見える人が仮にいたとしても、
それはその「ある人」の、彼が覚者であると言う「思いなし」の上でのみ、
存在しているだけなのである。
108悟り4号:2006/07/05(水) 23:02:35 ID:avU15zbv
よろしい。

例えば、ある人にとって悟ったように見える人が仮にいたとするのなら、

その人にとって、事実、覚った人なのだ。

どこにも、覚った人は存在しないが、その人は、覚った人が見えている。
109悟り4号:2006/07/08(土) 22:10:05 ID:gZcD0EXr
仏教の教えは、架空ではない。

空を説くが、それは、いつまでも変わらないものは無い、
という意味であって、
存在そのものを否定しているのではない。
110名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 00:21:57 ID:3oWYZeay

諸行無常と空は違うわな
111名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 00:58:00 ID:9RtKmQ5D
諸行無常の進化系が空ですね。
112釈迦原理主義者:2006/07/09(日) 05:49:08 ID:iZTWRtx7
諸行無常の無理解系が空です。
113名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 05:55:18 ID:mh1g1ZnE
>>1
多分悟った人は2ちゃんとか見ないと思われます。
114宇宙人:2006/07/09(日) 08:12:34 ID:L5383wqf
>>113
A:「漫画なんてくだらないものは、読むな!」
B:「あなたは、漫画を読んだのですか?」
A:「あんなものは読まないでも分かる」
B:「読みもしないで、くだらないかどうか分かるはずがないじゃないですか」
115名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 15:22:25 ID:ZdXXtzNn
真実の悟りとは「イエスキリストは神の子である」
と確信できるようになること。
人生の意味や目的はその一点に集約される。
116joker:2006/07/09(日) 18:39:52 ID:iR0HUYLo
この現代に悟った人なんているのか…それが疑問だ
117我月成:2006/07/09(日) 19:02:34 ID:01U37WH7
0歳〜20歳まで毎日瞑想してた俺は、他の人よりはボチボチ悟ってますよ。
何でも俺に聴け!
118joker:2006/07/09(日) 19:06:48 ID:iR0HUYLo
ほ〜う…0歳の赤ちゃんが…どうやって瞑想をするんですか?
119:2006/07/09(日) 19:24:26 ID:01U37WH7
あっ0歳で瞑想は無理でした。スンマセン('A`)
でも、モノゴコロ付いた時から、
正座をするお時間があったの僕
120:2006/07/09(日) 19:50:16 ID:01U37WH7
独学で悟った人はかなりすごい人だね
強い精神を持っとる
俺は弱いからシコまれた 人は自分が思ってるほど強くない
苦しさとはおもしれえ事の裏返し
同じ思いを沢山集めると強い力になる 精神力を得れる
121今宵は照やな月:2006/07/09(日) 20:05:05 ID:01U37WH7
弱い奴は世間では通用しない
('A`)アガクしかない
情報化社会に生きる侍の様な奴らが沢山いるから 日本はそんなに甘くないんだよ
勝ち続けれる奴は自然と悟れるから又勝てる
122名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 20:41:43 ID:01U37WH7
弱い奴は、自分の全てを捨ててみる すると自分がみえる
自分が見えると周りがみえる
山とか海とか空を見渡してみる 大きさを感じる所で目を瞑ると気持ちいい まるで良い事しか想い浮かばない
123名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 20:44:47 ID:YzOLW1+N
イエスは人間に「自分はメシアである」と思いを入れている悪魔である事。
124:2006/07/09(日) 20:47:27 ID:01U37WH7
神さんの考えも大きい 人は良い想いが出来る
毎日良い事想ってる人は悟っている
125名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 20:48:30 ID:R28rDJHu
世の中の事をすべて予言できるオレにスカイプかけてこい
126名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 20:49:09 ID:R28rDJHu
IDは、tengu_tengu 。明日でも1年後でもなんでも予言してやろう
127顕正正義団:2006/07/09(日) 20:50:11 ID:vp+AGZte
3・21「シアトル事件」裁判 判決文

(ク)阿部は、カルーセルルームを出た後、セブンスアベニューとパイク通りの交差点の南東角にある
マッケイ・アパートメント又はその付近にあるホテル等において、売春婦に対し、ヌード写真を撮らせ
てくれるように頼み、売春婦と性行為を行った。なお、マッケイ・アパートメントは、当時、売春婦が
売春をするために利用するホテルとして知られていた。

(8)以上によれば、阿部は、昭和三八年三月、原告日蓮正宗の教学部長として、アメリカ合衆国へ第
一回海外出張御授戒に行った際、同月一九日から二〇日にかけての深夜、シアトルにおいて、売春婦に
対し、ヌード写真を撮らせてくれるように頼んだこと、売春婦と性行為を行ったこと、その後、その料
金をめぐって売春婦らとトラブルを起こし、警察沙汰になったことが認められる。

坊さんはエロいことを悟った・・・。
128:2006/07/09(日) 21:10:15 ID:01U37WH7
SEXは己を突っ込む
他を受け入れる
交ぜ合わせる事により高く登りつめる
その高さは高尚並の高さだよ
宗教はハマると気持ちが良いんだ
129名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 21:30:02 ID:2q9X4pB6
>>121
なかなかですな。
でも、悟後は勝ち負けを超越していると思うのだが、いかがかなものだろう?
130moon:2006/07/09(日) 22:59:20 ID:01U37WH7
悟っても現状は変わらないから気持ちが又はなれる やり続けるのが大事 自分の精神状態が常にハイになんだ
悟ると初めて互角のラインが見えるんだよ
だからやれる
しがらみだらけの社会人には難しい
131名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 23:08:16 ID:neMvnhwo
人によって悟りという言葉への解釈が違うのは当然なんだろうけど、
悟りと理解をイコールで結んでいる人ってこんなに多いんだね。
132107:2006/07/09(日) 23:15:59 ID:EMEqXTQV
>>108

> どこにも、覚った人は存在しないが、その人は、覚った人が見えている。

存在しないものが見えることを、「幻覚」と申します。

>>109
> 空を説くが、それは、いつまでも変わらないものは無い、
> という意味であって、
> 存在そのものを否定しているのではない。

いえいえ、空とは存在そのものの否定ですよ。
だって、空の意味するところはそういうことなんですから。

そもそも「存在」って何なんですかね。
これが実に難解な哲学的議論になることもあるわけで。
西欧の哲学者が長年に渡り戦い続けているものこそ「存在」だったりするわけで。

ところがどっこい、仏教様ときましたら、
およそ二千年以上前に「存在」が「ない」、つまり空であることを知っていたわけで。

まあしかし、お釈迦様の覚りの内容が、「ある「ということが実は「ない」ということだ、
なんてぇなまさに「空っぽ」では、それはいささか信じ難いものではありましょうねぇ。
133:2006/07/09(日) 23:19:26 ID:01U37WH7
文に現すの大変ですよアンタ('A`)とアガク
ちなみに俺は宗教はもう飽きた
134名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 23:49:11 ID:neMvnhwo
人の本質は、物質ではない。
故に人が己の本質と一体になった状態は、物質が無い【無】の状態である。
しかし無ではあっても、そこには物質ではないもっと根元的な世界が広がっている。
が、それに類する言葉は物質世界に存在しないため、試行錯誤の結果選ばれたのが、
【空】という言葉だった。

物質が【無】の状態である【空】の世界に存在する己の本質と一体になること。
それが、【悟り】だ。
135:2006/07/10(月) 00:04:16 ID:H8EEr3g3
悟ると常にベストが出せる 疲れたら休む
そのタイミングもベスト
物事は怖い位に良い方行に向かう
そこで全てを超越した流れの様なものを感じる 人は怖いからこれを神のせいにする
136名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 00:45:27 ID:3LarhzsL
なるほど
それが空なんですね、了解しました。
137名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 01:13:06 ID:+XEzhdKc
のぞみのまんこは無価値
138名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 10:48:30 ID:Lt9qZ++w
物質が【無】である状態とは、
物質世界に起源を持つ思考も存在しない状態を指す。
故に釈迦は、全ての執着を捨てよといった。
それらは重すぎるため、それに囚われていると、
【空】の世界に入ることができないからだ。
139名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 11:01:50 ID:Lt9qZ++w
人は空起源の思考と、
物質起源の思考を合わせ持っている。
物質起源の思考は人を動物にし、
空起源の思考は人を悟りへと導く。
140名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 11:11:48 ID:Lt9qZ++w
己の本質と一体にならないうちは、
人は物質に支配されるため、
物質を不動の実在として認識する。

一方、空は根源の世界。
物質を物質たらしめる力の存在する世界。
故にそこに住まう己の本質は、
物質の支配力を有している。
ならば本質にとって物質は、
儚い幻となんら変わりないであろう。

即ち、【幻影】である。
141名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 11:13:04 ID:Lt9qZ++w
これにてさらば
142名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 16:12:37 ID:lGbJXssi
>>132
仏教は三法に帰依し、涅槃に至ることを目指すことがスタートライン。
禅定が進むほど、また戒を守るほど、法そのものを批判的に考えるという志向性は
良くも悪くも持てなくなる。

哲学には論理的誤謬以外にはそういったタブーはないし、帰依すべき前提もない。
しかしその代わり(?)悟りや涅槃といった境地が教えられることもない。

そもそもパラダイムが根本的に違う。西洋哲学の存在論の歴史を、仏教の空の立場が
解決済みであったと論じることは、無理がある上必要の無いことのように私には思える。
143名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 20:38:44 ID:7/DnqSFe
簡潔に言ってみようぜ。
144名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 21:24:08 ID:H8EEr3g3
ようするにsexだよね
人は他と交われるんだ
登りつめてビックバンを起こす 一緒にイクと大きな愛で溢れるんだ
空とでもキリストとでもsexしたければすればいい みんな愛で溢れたいんだよ 全て交わって行きてるんだ
145名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 21:43:08 ID:7/DnqSFe
>>144
so cool
146満月晦:2006/07/11(火) 00:00:20 ID:H8EEr3g3
>>145ThankU
すると赤ちゃんが生まれるんだ 愛は強いんだ
強い自分は何でも出来る 我が子の為なら死ぬ事も出来る
全てに愛を創りなさい そして全てと乱交し登りつめ独つの愛になるんです
147名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 17:49:58 ID:k6oidrWe
反応はこんなものか
148名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 22:32:33 ID:B4Td7Whr
人のために切磋琢磨していけば
結果として自分を成長させているってことでおk?
149名無しさん@3周年:2006/07/12(水) 06:37:44 ID:06rWkrC/
ぱぴぷぺぽ^^
150107:2006/07/12(水) 17:12:59 ID:3hepeXyA
>>142
> 仏教は三法に帰依し、涅槃に至ることを目指すことがスタートライン。
> 禅定が進むほど、また戒を守るほど、法そのものを批判的に考えるという志向性は
> 良くも悪くも持てなくなる。

いえいえ、仏教には八つの正しい道がございますですよ。正しいことをするということは、
間違ったことをしないということであり、諸々の自らの考え・行い等が正しいか間違っているか、
については常に批判的でなければならないのではありませんか。
批判がなければ何が正しいのか判断できませんですよ

自灯明法灯明、自らの灯火が「批判」でもあるわけですよ。

> 哲学には論理的誤謬以外にはそういったタブーはないし、帰依すべき前提もない。

西欧哲学には隠れた前提として、「神」がありますよ。

> そもそもパラダイムが根本的に違う。西洋哲学の存在論の歴史を、仏教の空の立場が
> 解決済みであったと論じることは、無理がある上必要の無いことのように私には思える。

西欧哲学に触れますと、その理屈が仏教に極めて近似していることに驚かされます。
中論なんかと、ギリシャ哲学なんかを比較すると面白いですよ。
151名無しさん@3周年:2006/07/12(水) 22:16:57 ID:GUV8XFhY
悟りって、哲学とかじゃなくて、体感したことがあるかという事でしょ?あるよあるよ。
人間の脳味噌って、初めからそんな風に出来てるんだと直感しました。
なんちゅうか、神様からのプレゼントだよね。
でもその境地に、仏とかは居なかったよ。
自分の脳味噌の奥にある創造者からの烙印は自覚したけどね。
152名無しさん@3周年:2006/07/12(水) 23:07:38 ID:C4Dl0BJx
微妙な匂い
153名無しさん@3周年:2006/07/13(木) 00:13:23 ID:eiagdEo2
>>148okマザー
154名無しさん@3周年:2006/07/13(木) 00:19:53 ID:eiagdEo2
>>151
その状態を常に保つ事
方法は神でも言い訳でも何でもエエ
プレゼントもらえるんならもらい続ければエエ
155名無しさん@3周年:2006/07/13(木) 10:40:06 ID:dp70YxuZ
>>154
アフォか
そんなもん持続してたら、
生きていけないだろ。
156名無しさん@3周年:2006/07/13(木) 11:07:43 ID:eiagdEo2
生きていけるよ。
アホだから
157名無しさん@3周年:2006/07/13(木) 14:19:07 ID:IiX7vMfY
自分の人生で学ばないと無理、勉強で得る悟りなんて概念で認識するだけで全てはさとない
人生で数多く生の体験をして本当に悟った世界一健康で頭もいい子供簡単につくれる
一生理解し合える友達と妻とも一生過ごせる。まぁ昔は情報網がはったつしてないから仲間みつけるのは難しいだろうけど今なら余裕
158142:2006/07/13(木) 16:15:26 ID:DtbprX+b
>>150
>諸々の自らの考え・行い等が正しいか間違っているか、
>については常に批判的でなければならないのではありませんか。

上記の「批判的」というのは『八正道』に対して『自己』が正しいか間違っているか、
という批判でしょう。
では、『八正道』というあり方自体の正しさは、どのようにして批判するのですか。
あるいは『仏』の正しさは、どのように批判するのですか。
私の意見では、仏教は「批判」という営みがそもそも馴染まず、ただ「帰依」することに意味が
あるという契機をいくつか含んでいる。そしてそれで何ら不足はないわけですが、そうした契機を含んで
成り立っている仏教という体系を、論理的・批判的契機で成り立っている西洋哲学とを同列に
扱うことは無理があるだろうと思います。

>西欧哲学には隠れた前提として、「神」がありますよ。

そうですね(^^)。ただ、西洋哲学はそうした前提に「帰依」していたわけではなかった。
19世紀になってニーチェが『神は死んだ』と表現したように、西洋哲学はその隠された前提を
論理的に問い続けることによって、解体させていくプロセスでもあったわけです。
その意味で、隠された前提とはいってもそれに疑義を差し挟むことが全体としてタブーであった
のではありません。

長々と書きましたが要するに、
>西欧の哲学者が長年に渡り戦い続けているものこそ「存在」だったりするわけで。
>ところがどっこい、仏教様ときましたら、
>およそ二千年以上前に「存在」が「ない」、つまり空であることを知っていたわけで。
という>>132の比較はあまりに乱暴ですよ、と言いたかっただけです。個々の理論では比較して面白い
ということも当然あるでしょうね。
159名無しさん@3周年:2006/07/13(木) 23:30:37 ID:eiagdEo2
みんな精神病にはお大事にー
160名無しさん@3周年:2006/07/14(金) 21:36:26 ID:S/Cz3ICZ
なんじゃそりゃ
161宇宙人:2006/07/17(月) 21:07:12 ID:ivegz6Bq
こころみに八正道をググッテみると、微妙にいっていることが
異なるようですが、正しい八正道はどれ?
162名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 21:55:41 ID:a6g+JJOw
一口に「さとった」といっても、さとりには低いさとりから高いさとりまで、52の位があります。
その下から52段めの最高のさとりを仏のさとり(仏覚)といい、これ以上、上がないので無上覚ともいわれます。
1段違えば、人間と犬や猫ほど境界が違うといわれ、手足が腐るほど修行した禅宗のダルマでさえ、
30段程度までしかさとれなかったといいますから、「死人=仏」がいかに間違いであるかが分かるでしょう。
地球上で仏のさとりまで到達された方は、今日までお釈迦さまだけですから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。
詳しくは、
ttp://www.shinran.ne.jp/nihongo/page1.html
ご覧になってください。
163名無しさん@←ブラックホール:2006/07/17(月) 22:01:21 ID:tklhKE0I
偏差値65でどんなもん?
164名無しさん@←ブラックホール:2006/07/17(月) 22:02:19 ID:tklhKE0I
4くらい?
165名無しさん@←ブラックホール:2006/07/17(月) 22:34:24 ID:tklhKE0I
霊的実在等の有無の主張をなくせばどんなもんになるかなぁ
166名無しさん@←ブラックホール:2006/07/17(月) 22:36:36 ID:tklhKE0I
 
    ヾヽヽ
    (,, ・∀・)
     ミ_ノ
     ″″

すずめに懐かれるようになったらわ?
167名無しさん@←ブラックホール:2006/07/17(月) 22:37:47 ID:tklhKE0I
>>うんこ
168名無しさん@←ブラックホール:2006/07/17(月) 22:38:40 ID:tklhKE0I
うんこやめればいい?
169名無しさん@3周年:2006/07/18(火) 20:48:49 ID:Rq3bMfTo
悟りと覚りの違いを分かりやすく教えて下さい。
170名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 11:24:24 ID:T4jmAE7Q
>>169
悟りと覚りの違いを気にしなくなること
171名無しさん@3周年:2006/07/19(水) 23:45:45 ID:4YfpyCNd
悟ると動物の気持ちも分かるんだ
人の気持ちはもっと良く分かるよ
172名無しさん@3周年:2006/07/20(木) 07:55:15 ID:DfurWGmm
身体が甘く痺れる様な多幸感ってありますか?
173名無しさん@3周年:2006/07/20(木) 08:08:40 ID:ALXlf0HN
甘く痺れるという表現が当てはまるかわからんけど、創価学会からいただいた御本尊に南無妙法蓮華経と唱え続けると、何とも言えない喜びが胸の奥の方から次から次から湧き出てくる事があるよ。
174名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 06:30:20 ID:4mSkl8pr
簡単に与えやすい本尊なんですね
175名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 11:22:32 ID:gPDFujhv
身体がゼリー状みたいになって浮いた様な感じになるよね
176名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 14:43:53 ID:93GsiqRh
神の愛、霊的な恍惚感や知恵が悟りですよね?私は辿り着くまでに何年も闇夜の中で闘いました。同じ様な方、その後どう生きていくべきですか?今最後の試練が来ていて奉仕しろと言われている様です。自分の物は全て捨てたつもりでしたが、自我を捨てきるのは難しい。
177名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 18:18:04 ID:Zegjr9GS
>>176
それくらい、悟れよ。
178名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 18:40:26 ID:fC5J/Cv8
悟と覚は違うだろう。悟はサンケン電気の社長というそつくりさんがおり、覚は日本オラクルの名古屋支店長というそつくりさんがおる。さすがは、親鸞会。名古屋大学。
179名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 21:09:13 ID:hJbgJr8M
>>176
捨てるのは自我(エゴイズム)ではなく、我執(ナルシシズム)。
恍惚感とか言ってるうちはナルシシズムの範疇だ。

あと自分のものを全部捨てると、人に応じた施しができなくなる。
これも、もの自体を捨てるのではなく所有への執着を捨てなくてはいけないのだよ。
180名無しさん@3周年:2006/07/22(土) 16:21:14 ID:6YRKHrGC
ありがとうございました、納得しました。ものへの執着を捨てたつもりでしたが…例えば事故や病気で障害を負ったり見た目が変わってもそれにこだわらなくなれるのが本当に悟った人ですか?悟りにも何段階もあると過去レスにありましたが私はまだそこまで我執を捨てられません。
181名無しさん@3周年:2006/07/22(土) 17:58:42 ID:RnkXH9Ez
自分は悟ったとか悟らないとか頭の中で考えているウチは
たぶんまったくなにも悟っていないのではなかろうか。
182名無しさん@3周年:2006/07/22(土) 19:00:16 ID:6YRKHrGC
頭の中ではなく、実際に乗り越えようとしている最中で苦しいので、聞きました。自己犠牲の道の最後の大きな壁です、私には。
183名無しさん@3周年:2006/07/22(土) 19:25:23 ID:RnkXH9Ez
悟った悟らないってのは、自分の弱い心を守るための自己防衛のイイワケにしか
過ぎないんじゃないかい?
だって、自分が生きてゆくこと自体が罪深いことなのだとしたら、「悟った」と思えても、
どこかに矛盾が生じないか。一生その罪を背負って生きていくんだから。
自分が他の生命を奪って存在してる罪深き存在であることを理解した上で
生きていくのならば、自分が「悟った」と感じるのは高慢な話にしか思えない。
184名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 16:32:40 ID:KWx7hwTt
罪も正義も無いよ。
苦しみも幻
185名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 20:42:45 ID:HNLYbfmN
>183
他を殺して生きていくことは罪深いことではないよ。それが悟りへのスタート地点になる。
あと、悟らない・悟るを0か1かに考えるのは間違い。
いずれも秘蔵宝鑰嫁。

>180
「例えば」じゃちょっと答えにくいな。あなたが見た目にこだわってしまう理由をお願い。
あと、自分の外見が変わったとき自分でどう思うかってことなのか、
他人の外見が変わったときそれを自分でどう思うかってことなのか、どっち?
186名無しさん@3周年:2006/07/24(月) 00:13:13 ID:pfIw+cjJ
自分に執着する事が苦しみの原因だって事は死ぬ程苦しんだあげくにやっと捨てた後に気付けるものだし(私は)、捨てる過程では何故自分だけ捨てなきゃいけないんだって辛いし時間もかかるけど、完全に捨てた後は平和になれますよね…続きます。
187名無しさん@3周年:2006/07/24(月) 00:26:55 ID:pfIw+cjJ
でも最後に自分が外見に人一倍執着していて、業と事故(引き寄せました)でその執着できる外見も失い、自分の物は何も無くなりました。目に見えるものは幻ですが、女ですから克服できるか…無私になるっていうのは完成するまではこんなに苦しいものなんですね…。
188名無しさん@3周年:2006/07/24(月) 10:32:07 ID:EgM2xzFp
>>185
罪か罪でないかは個人的な感覚。
悟りを求めてるすべての人が宗教家になるワケじゃない。
少なくともなんらかの悟りを求めるとしたらストイックな生き方にならざるを得ない。
それは心の問題だけじゃなく、心の変化にともなって実際の行動にも反映されなきゃ意味が無い。
例えば動物をブチ殺して食べるのはどう理論武装したとしても正当化出来ない。
彼らを食わなくても人間は生きていけるんだから。嗜好のために命を殺すのは罪じゃないのかい?
業を自分から遠ざけてローインパクトな生き方をしたとしても所詮は程度の問題に過ぎん。
欲を排除してゆけば、いきつくところは、自分の存在を否定するしか方法は無いんじゃないか。
積極的な表現をすれば、自分を無に帰すというか。即身仏になるより方法が無い。

究極の悟りなど求める必要は無いだろうけど、いろんな迷いを排除するための悟りの「段階」
とか言って詭弁でごまかすよりも、自分のエゴを正当化する都合のいい"理解"を得たいのだと
言ったほうがしっくりくる。悟りなんてモノは自己満足に過ぎない。
といって見るテスト。
ここまで書いて自分が悟りの意味を勘違いしてるような気がしてきた。
素人の上、キリスト教の影響を受けてるので善悪二元論っぽいのは認める。
用語の意味もよくわかっとらん。

>>187
なんかあって乗り越えるために頑張ってんだな。
つまらんこといってすまんかた。頑張ってな。
189185:2006/07/24(月) 20:59:56 ID:rR5D8ADM
>186-187
そうでしたか。事故はお気の毒でしたね。

無理に無私になる必要はありませんよ。
執着している何かを失ったときの心の痛み=苦しみは避けようがありませんし、
克服した=捨てたつもりであっても痛みは何度もフラッシュバックしてくるものです。

執着を捨てる=悟るというのは、
そういった心の痛みやそのフラッシュバックに対して無理に抵抗したり、
以前の自分あるいは今の自分を無理に否定したりすることではなく、
そういった感情や苦痛の波を受け流していけるようになることです。

失ったものを愛しく思いながら、今現在それを持っていない自分も等しく愛しく思うこと。
・・・なんて言葉で言うのは簡単ですが、簡単に実践することはできませんね。


参考になるかどうかは分かりませんが、仏教の六波羅蜜を分かりやすく書いてみます。
持戒:自分の中にルールを作ってそれを貫いてみる。
布施:とりあえず困ってる人を見たら助けてみるというのはどうだろう。
禅定:焦ったり迷ったりしたときには、とりあえず姿勢を正して深呼吸を何度もしてみる。
智慧:困ってる人を助ける方法を知らなければ。暇なときにはお経でも読んでみますか。
忍辱:うーん、苦しくてもとりあえず今日だけ我慢してみよう。
精進:そして、今後いろいろあるだろうけども、これを続けていこう。
190185:2006/07/24(月) 21:12:42 ID:rR5D8ADM
>188
>罪か罪でないかは個人的な感覚。
そうですね。ただ、罪だと思っている間は悟れないですよ。

>少なくともなんらかの悟りを求めるとしたらストイックな生き方にならざるを得ない。
そんなことないです。端から見たらエピキュリアンにしか見えないかも。w

>例えば動物をブチ殺して食べるのはどう理論武装したとしても正当化出来ない。
そうですね。もちろん悲鳴も上げない血も流さない植物を殺すことも正当化できません。
というわけで他を殺さずに生きていくことは不可能なのです。

>欲を排除してゆけば、
欲は排除されるべきものではありません。
制御し、統制し、必要とあれば大きく育てるべきものです。

>究極の悟りなど求める必要は無いだろうけど、
これが前提になると
>悟りなんてモノは自己満足に過ぎない。
という結論になるのは当たり前です。


菩薩は勝れし智慧を持ち、なべて生死の尽きるまで、つねに衆生の利をはかり、たえて涅槃におもむかず。
世にあるものもその性も、智慧の及ばぬものはなし。ものの有姿もその本性も、一切のものはみな清浄し。
欲がこの世をととのえて、よく浄らかになすゆえに、すぐれしものもまた悪も、みな残らずにうちなびく。
蓮華が泥から咲きいでて、花はよごれによごされず、すべての欲もまたおなじ、そのままにして人を利す。
大いなる欲はきよらかで、大いなる楽に富みさかう。三界の自由を身につけて、堅くゆるがぬ利を得たり。
191名無しさん@3周年:2006/07/24(月) 22:30:28 ID:RFABhmEd
悟った人ってのは、他人に悟りの境地を伝えることができないの?
192名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 04:59:13 ID:QzcGU3Nj
>>189
>そうでしたか。事故はお気の毒でしたね。

ホントにそう思ってる?(^^)随分と無邪気ですね。

>以前の自分あるいは今の自分を無理に否定したりすることではなく…

否定してるのはアナタですよ。
193名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 09:56:28 ID:LnVGjUos
>>191

洗脳することはできるんじゃね?
信者を見るとそもそも自分を持てよと言いたくなる人は他にもいるはず
納得いくように自分の中で世の仕組みについて構築出来ないのかと思ってしまう
宗教なんか所詮同じ人間が作ったものなのに何をそこまで魅入るのか

ばからしい\(^_^)/笑
194名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 10:23:48 ID:FiuuGCmp


   信じる者はだまされる
195名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 12:45:47 ID:7RZhLtW1
>>189
ありがとうございます。自分で変化に耐えられない程度なのでご心配はいりません。自己愛が強かったので、他への大きな愛に変えていくには外側からの強制的な変化がないと無理だったのだなあと思っています。偶然はないでしょうし。〜続きます。
196名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 12:54:40 ID:7RZhLtW1
霊的な地獄が終わって自分だけが至福だといい気になっていましたから。あまりにも受け入れ難く、死にたい、(何にも解決しませんが)程です。最後に大きなテストがあるんでしょうか、そもそも神の存在を知るのは自分だけが救われる為ではなく人の役に立つ為なんでしょうか?
197189:2006/07/25(火) 21:50:25 ID:RutMF5eA
>196
絶対者に関しては門外漢ですので言及できません。すみません。

人の役にたとうとすることは、我執を捨てることと縁起の理を知るために効果的なプロセスだからです。
まず「何をすればこの人の役に立つのか」を最優先で考えることを続けることが
我執を捨てることにつながっていきます。
もちろんその結果受け取れる感謝は行動を続けるためのモチベーションになるでしょう。
それを繰り返していれば、やがて縁起の理に気づくでしょう。

これが大乗仏教における初期の悟りへの基本プロセスになります。
つまり、「人の役に立ち続けることで、結果自分がいつの間にか悟っている」ことになるわけです。

自分が救われるか、他人を救うかのどちらか一方ではないのです。
そして、自分だけが救われた後に他人も救ってあげるという順番でもないのです。

あなたのいう「大きなテスト」が具体的に何かは分かりませんが、
(以前に奉仕という言葉は拝見しましたがそれだけではよく分かりません・・・)
自分が救われることを目標として定めていると、たぶんいつまで経っても救われないと思います。
もちろん、自分を救うことを目標にして達成してしまう人もいないわけではないのですが、
それは極めて特別な人(と言えば聞こえがいいが、要は単なる変な人)のみです。

なお、余計なお世話だとは思いますが、
「奉仕」というきれいな単語にごまかされぬよう気をつけてください。
「人の役に立つ」というのは
「ある特定の人(たち)だけの役に立つ」ことや
「特定の団体・組織の役に立つ」こととイコールではありません。
2番目と3番目が「奉仕」という言葉で表現され美化されることが多いのです。
198名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 23:58:29 ID:7RZhLtW1
分かりました。今私達の質問に丁寧に答えて下さっているのも>>197さんが人の為にされている事だと思いますが他に気をつけている事はありますか?愛や思いやりは大切ですよね。テストとは事故の事です。内面の犠牲が最大で越えるには自分を忘れないと無理なので。
199名無しさん@3周年:2006/07/26(水) 00:04:24 ID:7RZhLtW1
それから今はつらくはありますが自分を救う長旅はしてきたので、基本は幸せがあります。ただ人の事まで考えた事が無かったので、大きい目で見たら良かったのだと思います。今は失ったものしか見えず囚われまくって苦しいですが、早く受け流せる様になりたいです。
200名無しさん@3周年:2006/07/26(水) 00:26:11 ID:Xw4t84sM
だから私は変な人なのかもしれません。それで気付けって事で問題が起きたのでしょう。人は目に見えるものに全く惑わされない境地まで行けるんでしょうか?
201名無しさん@3周年:2006/07/26(水) 01:22:02 ID:LVfKz8tl
色即是空
202名無しさん@3周年:2006/07/26(水) 22:52:31 ID:6MjPA1Vg
誰かのために死にたいな。

だからその日が来るまで生きるんだ。
203VIPでやれ:2006/07/26(水) 23:02:47 ID:UnQOnQqX
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
204197:2006/07/27(木) 10:51:45 ID:5YYhpikC
> 人の為にされている事だと思いますが他に気をつけている事はありますか?
その人が自発的に
その人自身が納得した「良い」方向に
その結果に覚悟できている状態で
行動してくれるようになるよう気をつけています。要は自帰依・自灯明ですね。

> 人は目に見えるものに全く惑わされない境地まで行けるんでしょうか?
おそらく無理ですね。
生理的な反応やそれまでの人生で培われた脳内のアルゴリズムを消し去ることは不可能でしょう。

ただし、「惑わされる」時間を極限まで短くすることはできます。
そのための努力はとても大きな意味があると思います。

「時間が癒してくれる」というのは陳腐な言葉ではありますが、また真実でもあります。
「惑わされる時間を短くする」ということは、自己の心の回復力を高めることにもなりますね。
205名無しさん@3周年:2006/07/27(木) 17:29:12 ID:JZCO8rb5
では悟ったと思われる人でも「完全」には限りがないという事ですよね。今思うのはもし本当に無私になれたとしたらその肉体からは卒業してもいいんじゃないかと。辛いです。変化の中で真実と一体化したいから他を捨てようとする努力が現実を疎かにしてしまいがちです。
206名無しさん@3周年:2006/07/27(木) 17:42:10 ID:JZCO8rb5
だから私は全然悟ってはいない様です。時間薬で少し執着の苦しみは薄れた様ですが…。>>204さんは突然外側のものが脅かされたらどの程度穏やかだったり平常心を保てると思われますか?失礼な質問でしたらごめんなさい。
207204:2006/07/28(金) 22:47:51 ID:8yjLXt/J
>>205
悟りに向かうことは完全を目指すということとイコールではありませんので。。。
部分的な共通点はありますが、どちらかというと「いかなる時も最善を目指す」のほうが近いかと。

無私になるということは我執を捨てることであって肉体を含む自己を捨てるということではありません。
前にも書きましたが、自己や自己の所有物がなければ誰も助けられませんので。。。
実際に助ける段になったときにそれらを消費することを惜しまないのが「無私(滅私)」ではないかと。

>>206
> 突然外側のものが脅かされたらどの程度穏やかだったり平常心を保てると思われますか?
家族や親しい友人が脅かされたり、害されたりしそうな状況ならば、
穏やかに平常心を保ったまま強力で効率のよい反撃方法を最低でも10種類以上考えて、
よりローリスクな方法から早急に実行していくだけなので、
平常心は保ったままということになるんでしょうか。
既に害されてしまっている場合であっても、
その状況から救えるのならやはり救う方法をたくさん考えて早急に実行していくだけですし。

いずれにせよ、現時点で自分が自分の近くにいる誰かのために
できること・するべきことを考え、実行することを常に最優先事項にしていれば、
惑わされている時間などないことに気づくはずです。

これで答えになってますか?的はずれな回答であればご指摘ください。
208名無しさん@3周年:2006/07/29(土) 01:04:39 ID:CzucNNcw
私は人の役に立つも何も自分の事でいっぱいいっぱいの様です。もっと理解してから質問しますね…。完全というのは、私にとっては外側に何も頼るものが無くなったとしても内側にあるものだけで平和で幸せでいられる事を目指したかったからです。ありがとうございました。
209名無しさん@3周年:2006/07/29(土) 01:09:45 ID:CzucNNcw
それから>>207さんは本当に強い方なんですね。周りにいる方を助ける方法にはぞくぞくしました。毎日くだらない質問に答えて下さりありがとうございました。また何かあったら宜しくお願いします。
210名無しさん@3周年:2006/07/29(土) 16:48:56 ID:H/e0e9Uv
ここの住人は悟りのカケラもわかっていない。
一度死んでみたら?いや禅問答でなくホントに。
とくに207あたりの大乗臭さはたまらん。もう来ない。
211207:2006/07/29(土) 21:12:39 ID:FA387eGm
>>208-209
> 外側に何も頼るものが無くなったとしても内側にあるものだけで平和で幸せでいられる事
なるほど。確かにそれはある意味「完全」ですね。
自分一人の力で今ここにいるわけではないので、
自己の内部だけですべて起結させることを目指す心境は
残念ながら私には理解できなかったようです。
お役に立てず、ごめんなさい。

ちなみに「助ける」といっても自分の力だけではないです。っていうかそんなの無理です。w
周りにある私を助けてくれる力を十全に利用しますし、親しくさせて頂いている人々に頼み事もしますよ。
別にぞくぞくするほど奇天烈ではないですよ。

> 毎日くだらない質問に答えて下さりありがとうございました。
こちらこそいろいろとお話を聞かせていただいてありがとうございました。
またご縁があればお話ししていただければと思います。

>210
一応、大乗の徒の端くれですので、大乗臭いのは勘弁してください。
人間放っておいてもやがて死ぬので、死んでから体験(?)できることはその時に取っておきます。

よろしければ、あなたが死なずに得た「悟りのカケラ」をここで表現して頂けませんか。
スレタイにもそう書いてあることですし。あ、もう来ないのか。残念です。
212名無しさん@3周年:2006/07/30(日) 02:43:11 ID:wyu6UW0N
>>211
210です。いや、実は小生も真言宗徒なのですが。。。
ただね。クリシュナムルティ、ラマナ、ダイジ、オショー、
彼らが俺の 命なので。この名前でカケラを味わえないのなら
それまでです。失礼しました。
213211:2006/07/31(月) 22:39:40 ID:tWg5yutf
名前だけではカケラは味わえないですねえ。
なおダンテス・ダイジとオショウは著作や関連書籍をじっくり読んだこともないです。
単なる瞑想(インナートリップ)には興味ないんで。はっはー

ところで、「俺の 命」ってどういう意味でしょうか。
1.薫陶され影響を受けた
2.心酔している
3.崇拝している
4.帰依している(彼らのように生きたい)
また、あなたは「俺の 命」から受け取ったものをベースにして、実際に何をされてるんですか。

ちなみに私はセネカと大乗思想に影響され、法然に心酔していて、
特に何も崇拝しておらず、弘法大師に帰依してますが。デタラメだなオイ。
214名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 17:01:06 ID:69YiDmmb
 結局、何が真実の「悟り」か?なんて何の確たる判定基準もありはしない。
それは「悟った人のみが分かる事だ」というなら、ある特定の人物が「悟っている」
という、その根拠はいったいどこにあるのか?

「悟って至福の境地を得た。」といった主張は、その人の「主観においての真実」
とは言えるだろう。それ自体はべつに否定はしない。
 しかしそういう「境地」を目指そうとする事がはたして万人にとって好ましい
ものなのか?そもそも、それを首尾よく体得出来た者は古今を問わず一握りで
しかない。それだけでなく、人生そのものが大きく狂ってしまった者だって少なくない。
(オウムとか、オショーだとか。)
 考えてみたらそれは当然だ。「何の基準も無いもの」を目指す訳だから。
215名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 17:07:00 ID:HUK2yHyB
仏界が開いた状態。
216名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 17:35:10 ID:VSPL0We1
 悟り、宗教は究極的に個人的な行いだ。

仲間、団体で行うものではない。

もし、他者へ慈悲行を行うにしても

一寸たりとも見返りを期待し、受けてはならない。
217名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 18:25:20 ID:A5RwcQie
思考が変わります。

脳も変わります。
声と呼吸で変える事ができるのです。
わたしは、もう生まれ変わることがないのです。

2年以内に中国によって日本は併合されます。日本の人口は三分の一になります。

原因は、戦後60年間に1億回の日本での人工中絶が原因です。
218名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 18:27:18 ID:A5RwcQie
アメリカに近日中に核が落ちる?

中東での戦争。その後アメリカで内戦。
そこで、中国は、台湾韓国日本を併合する。

昭和天皇のメモは中国への命乞いです。
219名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 18:28:22 ID:A5RwcQie
ある曼陀羅に悟った方の脳が書かれている。

それを体得すれば良いのです。
220宮崎神宮宮司:2006/08/01(火) 18:32:09 ID:VR3tfRkp
>>218
昭和天皇はどうしようもないバカだったからな。
221名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 22:24:30 ID:cM8/EeyV
>>214
どっかにも書いたが、
自分が悟った事も解らずに何の悟りぞってこった。
悟ったことの無い人には、だれが悟っているかなんて判りっこない。だから騙される。
同時に、悟った人間は、自分は悟った、なんてわざわざ言う事も無いわな。隠す必要も無いが。
悟った者同士は、合って話していれば判る。
言葉や論理ではなく、フイーリングでな。
222名無しさん@3周年:2006/08/02(水) 10:10:07 ID:MDKTpBll
悟るってことは実際には「悟り」なんてもんは無いということに気がつくこと
223名無しさん@3周年:2006/08/02(水) 17:35:55 ID:i0gH3erS
>>222
> 悟るってことは実際には「悟り」なんてもんは無いということに気がつくこと

すると、「悟り」は”ある”ということになる(笑)
224名無しさん@3周年:2006/08/02(水) 20:22:54 ID:h8cEASrF
この世界が「悟り」に満ちていることに気づくことが「悟り」で
「悟り」そのものは取り立てて特別なものではない

というのではどうかね
225名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 00:09:24 ID:aWygR9mO
>>224
それ、レベル低すぎ?
226名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 00:15:35 ID:gdKM5mvV
>>213 悟りなんて言葉使わない方が身のためだよww
227名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 22:15:35 ID:mErfjdBm
ぶっちゃけ48日後に悟る予定なんですが、やっぱり悟ったら人里離れた山にこもって腰布いっちょで暮らさないといけないんですかね。
海が好きなので海沿いの、できたらコンビニが近くにあるとこがいいんですが。
228名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 23:00:40 ID:BdXVIch4
思考が現世から離脱すること 精神的な物に目がいくようになる まずは般若心経から入り最終的に創造主を知る。正しい霊的知識を得→霊的無知からの解放→すべてが分かる→心穏やかになる→優しくなる
229名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 23:09:56 ID:zj+oyCwS
そこまで行けばどんな衝撃や脅威にも穏やかに対処出来ますか?
230名無しさん@3周年:2006/08/05(土) 07:33:27 ID:CTHmqzd9
600人とSEXして悟った希美 ◇55nynIr58wは1000人斬られをめざして肉便修行に励んでいる
231名無しさん@3周年:2006/08/05(土) 07:46:12 ID:C/gcrHj7
人類が未だ月に一歩も踏んでない事を悟ってしまってから
とても先進国人がmijimeninattekita.
232名無しさん@3周年:2006/08/05(土) 09:19:26 ID:qUPu4HyY
なんだこのスレ・・・馬鹿か?
覚ったら普通に生活できねーだろ。
覚ってない一般の人達は迷惑しまくり。

地球に生まれたのが運の尽き。
せっかく生きてるんだから覚るのは死んでからのほうがいいよ?
生きてるうちに体験できることをしたほうが有意義だ。

とか書いておきながらめんどくさいので早く死にたいw

233名無しさん@3周年:2006/08/05(土) 23:01:13 ID:f8MaechM
えー、今更ながらで単純な話ですが、

覚った人、とは、要するに、真理・真実に目覚めた人、という意味です。

・・・・まぁ、ある意味、たかがそれだけのことです。
ですから、ゴータマ・ブッダも生涯一修行者であるに過ぎなかったわけです。
それがしかし、伝説となって神格化されてしまい、
やたらとどえらい人みたく思われるようになってしまったわけです。

まあ、確かに、別な意味ではどえらいことではあるのですけども、
別に「人でなし」になるわけでもなし、
ウンコもすりゃ屁もたれる人であるには違いないわけで。
234名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 09:42:33 ID:TXn5EK6b
>229 完璧に悟っている人は地球上に地上にはいないかもね┐(´ー`)┌ 釈迦でさえ何度かまだ転生してるらしいし…イエスだけが完璧な覚者。完全なる覚者はもう「無我」で「無欲」「全知」。
235名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 09:51:53 ID:TXn5EK6b
完全なる覚者は地球にいる事は出来ない なぜならば、惑星地球は数ある銀河系太陽系惑星の中でも、最も霊性が低いから。地球に転生する事じたい未熟な証。イエスは、どんな方だったんだろう…
236ケミ:2006/08/06(日) 12:28:34 ID:4ZxBoHcp
全ては+−0

これが悟りです。

私くらいのレベルにならないとこれは分かりません。

↑の人たちはみんな間違っているのでだまされないように。
237名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 12:29:03 ID:qpIGlqYW
>>234
>完全なる覚者はもう「無我」で「無欲」「全知」。
「全知」の訳ないだろ。
「無我」で「無欲」も持続すれば生きて行けん。
238ケミ:2006/08/06(日) 13:03:59 ID:4ZxBoHcp
だから葛藤してないで早く新時代を造るために政界へ行きなさいよ

政治家にならないと思い通りの社会には、ならないのでm()m
239ケミ:2006/08/06(日) 13:07:09 ID:4ZxBoHcp
私も早く行かないとね
240名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 13:21:06 ID:TXn5EK6b
>237 だから生きている間、肉を纏っている間は完全に悟るという事は不可能。なぜならば食欲があるから。全知についても然り。
241名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 14:02:19 ID:qpIGlqYW
>>240
一時的に無欲には出来る。
長期間無欲を維持できないだけ。
生命維持に必要な最低限の欲だけを選んで身につけることは可能。

全知が不可なのは別の次元。
可知・不可知の境界を知るのが、ある意味悟りでもある。
242悟った人:2006/08/06(日) 18:50:10 ID:aQMHR31J
いやです
243名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 18:57:30 ID:SZTcnhxa
ここまでデタラメなスレも珍しいなww
244名無しさん@3周年:2006/08/06(日) 23:16:05 ID:d0QZVccw
デタラメでいいんだよ。みんな違うんだし。
245名無しさん@3周年:2006/08/10(木) 21:28:38 ID:otKjFEGY
デタラメというより基地外。。。
酷すぎ。
246名無しさん@3周年:2006/08/14(月) 12:31:00 ID:zH4wrToc
そもそも靴とは履くという概念では無く、履かせて頂くという概念で
歩んで行こうでは無いのではないだろうか。
靴を履くでは無く、履かせて頂くという気持ちになれば
靴の革の温かみ故に広がる世界の華やかさが人々に見えるのではないだろうか
靴とは革でできた履き物という概念ではなく、
布でできた履き物という概念を持ってみようではないか。
例えばもし、人々が靴を履くという概念でなく履かせて頂くという概念であれば、
緑の美しい茂みの中を歩くべく時代、そう昨今殺戮の時代では新しい概念を生もうではないか。
概念 概念 どうぞ そうすれば靴を履くでは無く履かせて頂くという概念が生まれます。
ので みなさんどうぞ 靴を買うではなく買って頂かして貰える、
履くではなく履かして頂くという概念を持ってみようではないか。
さすればこの歪みきった時代に、履くでは無く履かして頂ける概念が生まれるのではないだろうか。
247名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 00:06:52 ID:FlFPFWl9
悟りとは
悟らで悟る
悟りなり
悟る悟りは
うその悟りぞ
248名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 01:10:22 ID:BeQi4A06
実践すれば物理的に解る
249名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 11:47:12 ID:wBaRZDU1
人によってあまりに内容が違うなあ…
250名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 13:21:44 ID:sVnDYiTF
心が穏やかです
251名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 15:47:49 ID:66SvSmuR
智情意・全身的に極意を納得・実践できる状態に達すること。

 例えば、・生きていることを「執着せずに楽しめ」
     ・酒とタバコとオンナは、安いのがいいな(マタチッチ)
     ・50歳過ぎれば、好き放題に生きろ。
     ・人生の極意は不良性にあり。
          などなど、悟る内容は個性的でいい。
               一休的人生はいい。
    
252名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 21:33:25 ID:6fDR73JS
>>251
それ、全然悟ってない!!
253251:2006/08/15(火) 23:14:44 ID:66SvSmuR
>>252
一休はカラスが鳴くのを聴いて悟った。それで、酒肉と女色に耽溺した一休は
極道不良オヤジの典型だ。一休は77歳のとき盲女の森(しん)という女と
はちゃめちゃ情痴生活をおくり、森女のヴァギナは「水仙の香りがする」と書いた。
この情痴の様は『狂雲集』に詳しい。
 その他、悟りを得た一休の『破戒』ぶりは気持ちがいい。よーやるわ。

 一休のスケールの大きさは、このスレの論者とは比較にならぬ。
世の中、小賢しい頭でっかちの小物ばかり。

 人をして
 語らしめよ
 わが道を行く カール・マルクス
254解脱者神:2006/08/15(火) 23:49:12 ID:9+kaP/3u
>>1

私に従いなさい。あなたを悟りに導いてあげよう。
西○線ひばり○お○せい○うスト○の前に明日午前10時に来なさい。

そうすれば私のボルボが見えるであろう。

連絡先電話 04○4 23 8XXX
255名無しさん@3周年:2006/08/16(水) 00:02:37 ID:ZUwpGbO+
悟った人っているんでしょうか?悟ったと思い込んでいるだけではないのでしょ
うか?
256名無しさん@3周年:2006/08/16(水) 00:44:02 ID:RBsDGRrI
すべてはひとつであるという感覚に包まれたことがあるけど
あれは悟りに近かったと思う。
みんなにこの真実を知らせなきゃと思ったけど
すぐにもとの愚かな状態に戻りますた。
257名無しさん@3周年:2006/08/16(水) 11:25:47 ID:eQbbg4aV
左鳥・・・左手に鳥を持っていること
サ取り・・物をサッととること。


さとりは誰でも出来るぞよ。
258名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 12:48:52 ID:z5xf4/2r
 戦争責任は人類すべての人間にあるのです
 野生の動物の世界は弱肉強食の悪法がはびこり、戦争状態である。たとえ、
百獣の王ライオンであっても、その子はハイエナに食われる。人間の世界も物
欲によって争闘し、最後には殺し合いとなる。これは人間の欲望に限りがない
からであり、ぜいたくを享楽しているためである。肉食は食欲のぜいたくの極
みであり、これを得るためには家畜を殺し、弱者を犠牲にしなければならない。
動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。これでは、人間の霊性は獣と
何ら変わることがなく、自分の子供がハイエナに食われても文句が言えない。
 人間の横暴によってすべての生物が地獄の苦しみにあえいでいる。先の大戦
の犠牲者はこうした人間の行為の償いであり、神からの啓示である。だから、
戦争責任は人間が自らの行為を反省することなく、物欲を発揮してぜいたくを
むさぼっている、人間一人一人にあるのです。
 偽科学が常識を盲信させる
 非ユダヤ人において、科学の盲目的信仰が功を奏しているようである。学校
の教科書で教えられる事がすべて正しいと信じる。こういった人々にとっては
権威ある学会が言うことのみが正しく絶対なのである。
 ユダヤ議定書(第2議定書)
 非ユダヤ人は歴史を基礎とする観察を怠り、専ら理論上の旧弊に囚われて、
その結果に対する批判的工作を忘却している。我々は新聞雑誌を利用してこの
科学理論を盲目的に信用させる。非ユダヤ人の知識階級は自己の知識を誇りと
して、科学から得た知識でものを考えようとする。その知識を論理的に吟味も
せず、その知識なるものが、人間を我々の目的の実現に向けて、教育するため
に作られた事に気がつかないのである。悪魔の世界制覇に向けて。我々の主張
を根拠なきものと思ってはいけない。我々の仕組んだところのダーウィン、マ
ルクスの教説の成功に注意なさるがよろしい。これらの教説は非ユダヤ人の心
に破壊的作用を及ぼした。ダーウィンの進化論は常識となっている。チンパン
ジーは何時になったら人間となるのか。急には進化できないから、その中間の
形態のものが存在しなくてはならない。
259名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 14:08:04 ID:PuyJ9u0o
いままで日本人で悟った人って誰がいるんだっけ。
禅が多いのかな。
日蓮系統も浄土系統も悟った人をあまり聞かないよね。
南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏では悟れないということでしょうか。
260白隠:2006/08/18(金) 14:16:05 ID:vsF9UwVb

 『晴れて良し

  曇りても良し

 富士の山

 元の姿は変わらざりけり』

261名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 14:23:37 ID:PuyJ9u0o
>>260
だれが悟ったかを調べていて、丁度、白隠和尚の名前を見つけたところ
なのですが、白隠和尚は生涯で36回も悟ったらしいですね。すごい。
なんでも最初は、24歳のときに鐘の音を聞いて悟られたとか。
262机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/18(金) 14:36:07 ID:Zlq3RLJ8
>白隠和尚は生涯で36回も悟ったらしいですね。すごい。

こんなに何回も悟る御仁は珍しいですね。
逆にいえば、何にも悟ってなかったから・・・
36回も100回も悟れるのかとおもいます。

かたや一休は「狂気の悟り」とか言われますね。
あれはやはり悟っていたのかとおもいます。
263名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 14:52:50 ID:PuyJ9u0o
>>262
> 逆にいえば、何にも悟ってなかったから・・・
> 36回も100回も悟れるのかとおもいます。

禅宗って「悟り」に関してはきっと明確な定義があって、それは
一般の人が考えているような絶対的な境地に至ることではないように
思います。

白隠和尚も悟ったあとも、禅病でずいぶんと苦しまれているようですし。
そのときの解決に使った「軟酥(なんそ)の法」ってなんとなく気持ち良さそうですね。
264名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 15:27:27 ID:N87gd+mi
夢みても

 目覚めてしまう
     
      神の夢


目覚めても

   夢見てしまう

      人の夢
265机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/18(金) 15:29:07 ID:Zlq3RLJ8
>>263
白隠は、ジクジク考えてしまう性格なのかとおもいます。
>>260の偈にしても、なんかすっきりしないのは、
「富士は富士」でいいものを、
わざわざ「曇ってる富士」と「晴れている富士」を考えあがねるのは
禅者としてはどうかな?
(やはい迷いがどこかにある、よぉな気がしますね)

沢庵坊主の「花は紅、柳は緑」。
この方がスッキリします。

やはり境涯というのは正直に偈に出ますね。
こればかりは誤魔化しようがない。

>白隠和尚も悟ったあとも、禅病でずいぶんと苦しまれているようですし。
>そのときの解決に使った「軟酥(なんそ)の法」ってなんとなく気持ち良さそうですね。

「軟酥(なんそ)の法」自体がパクリ(仙道?)なんでしょうけど、
禅者がこういう法を使うのは、やはり邪道かとおもいます。
白隠は「臨済宗の中興の祖」とか言われてりるよぉですが、
わたしゃ〜盤珪の方がイイかとおもいますね。
266名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 15:29:39 ID:N87gd+mi
さとりても

  性愛だけは

    超えられぬ

      故に交わる

        今宵今夜も
267白隠:2006/08/18(金) 15:30:17 ID:vsF9UwVb
 晴れていても、曇っていても、富士山の美しさは変わらないと詠んだ歌です。
 まわりの状況がどう変わろうと
 私も おおらかな素直な心 清らかな心でありたい そう歌っていると思います。

『海ならず たたへる水の 底までも
 清き心は 月ぞ照さむ』
これは菅原道真の句です。
海でなくても、深く満ちている水の底までも清いような心には、月の光が照らす、つまり神が宿るということです。清き明き心 ヤマト魂です。
268名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 15:34:57 ID:N87gd+mi
女体神

奥に存する

まことの気

君も行け行け

女体歓遊
269机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/18(金) 15:38:28 ID:Zlq3RLJ8
>>267
即今即所、今ある富士が「富士の全て」かとおもいます。
雪化粧している富士なら、それしかない。
他はなんもない、ただ妄想だけの世界。

こういうことを詠んだのが沢庵ですね。
「「花は紅、柳は緑」。
270名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 15:38:41 ID:N87gd+mi
ここもいいと思うよ

ダイジのことね

http://www5a.biglobe.ne.jp/~scl/medi.htm
271白隠:2006/08/18(金) 15:42:39 ID:vsF9UwVb
護身の忍歌

『抜かず勝て、

 抜けば切るなよ

 ただ忍べ、

 命を取るは大事とぞ知れ』

272机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/18(金) 15:50:38 ID:Zlq3RLJ8
>>271
これは白隠の偈ですか?
やはり作為がありますね。

禅者は無作為になっていくもんですよ。
「軟酥(なんそ)の法」といふのも、作為のなにものでもないですが・・。

まあ、白隠禅といふのは、日本ナイズされた日本人好みの禅かとおもいます。
(いいとか、わるい、とかは全く別ですが)
273机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/18(金) 16:02:44 ID:Zlq3RLJ8
ちなみに法燈国師の偈ですが

「となふれば 我も仏もなかりけり  南無阿弥陀仏のこえばかりして」。→これと

「となふれば 我も仏もなかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。→これは

ぜんぜん違う。
なにが違うのか?といふと、作為があるか、作為がないか、の違い。
274机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/18(金) 16:05:05 ID:Zlq3RLJ8
×  法燈国師  
〇  一遍上人
275白隠:2006/08/18(金) 16:16:03 ID:vsF9UwVb
 先の歌は詠み人知らずです。それにしても、ここは批評トピですか?禅師や古人の素直な 教えを受け取れば良いのではありませんか。
 自己主張し、悟りなどあろう筈がありませんね〜もっと おおらかに お願いいたします、みなさん。。
 『山は裂け 海はあせなむ 世なりとも
 君に二心わがあらめやも』
 源実朝

失礼いたします。
276名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 16:57:31 ID:PuyJ9u0o
>>263
> 禅宗って「悟り」に関してはきっと明確な定義があって、それは
> 一般の人が考えているような絶対的な境地に至ることではないように

自己レスで申し訳ないのですが、単に瞑想の技術がある段階に達したことを
「悟った」と言ってるように思うのですがどうでしょう?
自信はないのですが、禅の人は同じ人が何回も悟るようなのでなんとなく
そう思ったというだけなのですが。

これだったら >>1 の問いには答えがあるのでしょう。
277机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/18(金) 17:12:18 ID:Zlq3RLJ8
>>275
ああ、これは失礼。

私は思ったことを作為なく書いたまでのことです。

で禅といふのは正直になるもんですよ。作為がないから。
そこがどうも世俗的には難点なんでしょうね。

一休の遺偈などは、ほんとに作為がないから正直な偈を残してます。
まあ、あれが狂気とか言われるんでしょうね。
私は好きですが。

白隠を非難している訳じゃ〜ないですよ。
師はずいぶん苦労したかとおもいます。
幼少の頃の経緯とか・・・
まあ、苦労があったので大成もしたんでしょうけど、
そういうとこは学ぶべきとこはあります。
278机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/18(金) 17:19:33 ID:Zlq3RLJ8
>>276
瞑想のことはよく知らないですが、
瞑想は、ある段階まで行き、そこからよりいっそうのステージを上げていくのかと思います。
禅は、ある段階まで行きますと、それから先はないのです。
つまり全部捨てきる。
捨てきるために・・・ある段階まで行く。

その違いかと思いますね。
279名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 17:34:54 ID:rLOJEeDR
鏡に向かって1日10秒間を10回「Whoooooooooooooooooooooooooooooooo?」と
問い続けるのです。答えは自ずと出ます。Enlightenment(Energy in Lighten Ment=
明るく輝いて生きる=悟り)はAuraとなって現れる(?)でしょう。
280名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 19:37:35 ID:cYWtw+N9
机居士、ひさびさの御登壇ですな。お元気そうでなによりです。
白隠さん、たぶん届いてないんでしょう。
一休と沢庵は届いております。
281仏陀114:2006/08/19(土) 02:19:43 ID:sLJ1lmgU
私が悟りです。

私にあいたければ、
明日、午後3時国立の駅前に来なさい。
ぼろぼろの、白い布をまとった50歳代の男を見かけたらあなたは、、、、
282名無しさん@3周年:2006/08/19(土) 02:21:47 ID:brv9CHLj
>>281
7時にしてください
283名無しさん@3周年:2006/08/19(土) 03:37:26 ID:tDCmT2MS
すべてを諦めたとたんに
すべてを得ることができます。
284机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/19(土) 12:00:25 ID:u56QeGK2
>>280
>白隠さん、たぶん届いてないんでしょう。

漸修漸悟なら、何回も悟るといふことがあるかもしれませんが・・・
頓修頓悟で何回も悟る。というのは聞いたことがないですね。
実際、こういふことがあるんですね。
(白隠を批判している訳じゃないです)

ところで、同じ臨済僧の盤珪は
市井の衆の、死後のことに関する問いに
「生まれいずるも分からぬに、死んだ先まで分ろうか」。
というふうに答えておるんですよ。

いやはや、こういふのは簡単なようで、じつは深い。
凡人にはこれ程の境涯になるのは至難。

つまり、悟った人はアタリマエのことしか言わなくなる。
じつに深い。
285仏陀114:2006/08/19(土) 17:26:53 ID:sLJ1lmgU
>>282

では、午後7時にします。明日ね。
ぼろぼろ野白い服、しかし車はボルボ
286宗教法人とんこつラーメン久留米派:2006/08/19(土) 18:12:33 ID:ueHVevz+
ラーメンうまかにゃ〜。
287バカ梵:2006/08/22(火) 05:26:17 ID:4bAiByAi
悟り?無いよ
288名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 00:11:37 ID:Eei9lqaZ
 いっぺん死んでみなよ、すぐに悟りの実証が得られるよ。
この世の真相を「客観視」できるのだから。
死にもしないで悟ったなど、錯覚にしかすぎぬ。
白隠も所詮インチキ坊主でしかない。

 いっぺん死んでの報告よろしく!死亡診断書付きだよ、当然。
289名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 00:13:39 ID:Eei9lqaZ
なにが「深い」だ。笑わせるわ。
290名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 00:14:04 ID:eVLlrIiB
>>1 あなたねえ・・・2CHに居る訳ないっしょ。280%
291名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 00:42:58 ID:eVLlrIiB
>>284 このばか、馬脚あらわしよってからに。。
292机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/26(土) 09:03:54 ID:Loeo0qpb
>>289
調ふてしまえば、それ以上は調ふことはありませんから、「深い」です。
293机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/26(土) 16:15:48 ID:Loeo0qpb
>>288
>いっぺん死んでの報告よろしく!死亡診断書付きだよ、当然。

曰く、敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。
こういふことで宜しいでせうか?
294名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 23:20:34 ID:D+S7FB9w
>>293
あかん。惜しいな、論点はずれ、的外れ、逃げてるがな。錯誤回答。
問いはあくまで生であって、死ではない。
 死後なんてブッダのコピーで、十難無記。生の視点からは実証性のない妄想世界でのお遊びですわ。
おいらにとって死とは「未知との遭遇」、ワクワクしますな、速い事覗いてみたい。
何があるんやろ楽しみですな。何もなかったら、暴れるで、責任者出て恋!ですわ。
責任者とはブッダ以外の有名教祖連中ですわ。シバキあげたる、ウソ妄想ばっかりいいやがって! 
 なにが悟ったじゃ、自己催眠・自己暗示でヤバイ妄想固定状態になっただけやないか。

問いはあくまで「生」、死は「未知との遭遇」でお楽しみとしましょう。
俺って、意外とエエ奴やなって最近言われるねん。
 
295机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/27(日) 06:49:39 ID:6IkhJoN2
>>294
>問いはあくまで生であって、死ではない。

論理矛盾はありませんか?

例えば「問いはあくまで善であって、悪ではない」。
といふのと同じじゃないですか?
生死とか善悪といふのは不二にして不一なり。
さように調ひなされば、もはや迷うことあらず。
296名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 16:51:55 ID:jD5Gby7E
>>295
両者は同じではなく、対立する概念としてありますし
そのままでは整っていないですよ。どうしますか?
まだ念仏を唱えますか?
297机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/28(月) 07:53:35 ID:ul7WTAoc
>>296
>そのままでは整っていないですよ。どうしますか?

どうもしません。

晴れている富士なら、そのまんまが富士でありますし、
曇っている富士なら、そのまんまが富士であります。

どうにかしようとするところが、もはや迷いに他ならない。

花は紅であり柳は緑。
そのまんまで調ひなされば是即涅槃なり。
298名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 09:05:08 ID:Cv6oh+/C
居直って、諸行無常
299ダーマ:2006/08/28(月) 09:24:40 ID:7T5ApUrk
(´・ω・`)っ【悟りの書】
これで賢者になれるぉ( ^ω^)
300名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 09:39:14 ID:cETyYUgp
>>297
そんな念仏を唱えて何か整いましたか?
整っていないのに整っていると言う妄想を作っていますね
これを逃げであると私は見ます
301名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 10:19:36 ID:ie2HJAQ5
あぁ、儂が「悟り」そのものじゃが、何か聞きたいことはあるか?
ただし儂は目も見えなければ耳も聞こえない、話すことも出来ないが・・
なんなりと、どうぞ。
302机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/28(月) 10:53:29 ID:ul7WTAoc
>>300
最初から調うておったのですよ。→即心即仏(これを色)
ゆえに調ふ必要もない。→非心非仏(これを空)
こういふことなんです。
つまり色即是空

>これを逃げであると私は見ます

逃げる必要もなければ、隠れる必要もない。
じつは、こういふことだったんですね。
303名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 11:34:15 ID:Cv6oh+/C
逃げ隠れなしと居直っただけ

居直り強弁・詭弁で、諸行無常
           諸法無我

304名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 22:46:52 ID:Cv6oh+/C
妄想で
調えたるは
夢の中
空蝉拾いて
鳴き声ぞ追う
305名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 23:42:14 ID:UQgLqOQb
わたしはどこにでもいる。あなたたちをみている。

>>1の質問に答えよう
 悟りがおこった時 私の自我が消えた。私という者がどこにもなかった。
 しかし、それを認識するものがあった。それすらも空であると観ずると、
 それも消えた。
 その境地ではもはや見るものも、見られるものもなかった。
 全てが消え去り、言葉で形容できる何物もなかった。
 為すことも無く、為されるものもなく 為す者もいなかった。
 無為に座していると、再び宇宙は自ら眼前にあらわれた。
 それは自我の謬見を離れた、宇宙の真実の姿であった。
 天も大地もこの空間も、全ては繋がり、この身と同じひとつの意識を共有していた。
 形の違いはただ表面を彩る泡沫にすぎなかった。
 大いなる意識こそ全ての本体であった。
 肉体はその小さな一部分にすぎない。
 死は人の終わりではない。
 死はなかった。
 時の幻想を離れた、永遠なる意識だけが存在する全てであった。

 悟りに至る道はいくつもあるが、それら全ては己の心を見ることに尽きる。
 集中力を高める数息観などの行を為し、己の心を見よ。
 参考になる書物はバグワン ラジニーシ 「オショー」の一連の本だ。
 クリシュナムルティの本も役立つが、少し難しいだろう。

 何事も為す事がなく 為す己が無い時、人はそこが究極の境地であると知る。

 これで>>1の全ての質問に答えたはずだ。
 あなたが真摯に悟りを求めるのなら、必要な助けは必ず現れ、悟りを得られるだろう。
  
 
306名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 23:48:28 ID:2hQYTDo6
君はしゃべりすぎ。バレバレ。
307名無しさん@3周年:2006/08/29(火) 13:32:41 ID:/WuSMx10
>>305
 おお、ここにいたのか!捜したぞ。
LSD中毒は完治できていないんだから、病院に帰ろう。
サマーディーが究極の悟りだと言ったらブッダにたしなめられた、と言って
泣きながら病院を脱走しよったんですわ。
 またクスリをやったみたいだな、懲りない奴だ。
308名無しさん@3周年:2006/08/29(火) 14:47:45 ID:udxjZJm4
悟ったら自分が人間に生まれ変わるまでの輪廻の過程を思い出すとか
309名無しさん@3周年:2006/08/29(火) 16:30:23 ID:ibJI9Av7
>>307
LSDじゃ悟れないだろ。
草だよ93

現代風に言うと、進化の過程を追体験すると言う事。
310名無しさん@3周年:2006/08/29(火) 17:02:05 ID:IvOV47Jg
>>302
整っていたら誰も苦労はしません。整ってないから今の自分がいます。
そこに業の介在を思考するのです、仏教のセオリーでは。
念仏を唱えたら整うのかというと、そんなことではないのです。
311聖霊大王:2006/08/29(火) 17:46:59 ID:h4kX2cir
念仏を唱えたら整うのかというと、そんなことではないのです。

いや、、
整うこともあるぞ、、、
312名無しさん@3周年:2006/08/29(火) 21:06:09 ID:oE4+V0UR
>>308 全てを直ぐに思い出すということはない。物事の理解は常に少しずつなのだ。
 悟りを得ることは真実を知るための体質、心理ができたということだ。
 禅でも悟りを得てからが本当の修行だといっている。知識を集めるには、やはり
 修行、勉強に励まなくてはならない。
 私が過去を思い出したのも少しずつだった。
 戦争で逃げ惑っていた時の事、浮遊する魂として海の上をさ迷っていた事
 白く光り輝く道からこの世界に降りてきた事、全て少しずつ思い出してきた。
 しかし、あまり前世に囚われてはならない。それらも仮説された状況の上に
 作り上げられた幻影に過ぎないのだ。
 大事なのはあなたが今の世でこの繰りかえしから抜け出そうと決意することだ。
 >>307
  なかなか頓知が利いているな。あなたに頓知大王の称号を与えよう。
  しかし、頓知大王は冗談めかしているが、実は良く勉強している。
  このジョークの中に一つの真実が隠されている。
  まるで私を試すかのように。わっはっはっは
  さて、ではこの頓知大王の公案を解いてみよう。
  一つの真実とは サマーディが悟りではない という所だ。
  そう、サマーディは悟りではない。
  サマーディは一時的な体験であり、醒めれば元の人間に戻る。
  悟りは言うなれば心理構造の転換であり、回帰なのだ。一度それが始まれば 
  再びもとの人間に戻ることはない。残りの人生を目覚めた者として生きる以
  外にない。
  しかし、サマーディが全く役立たずであるとか、間違った道であるという訳
  でもない。それに依って得た集中力を、自らの心を見ることに向ければ、悟
  りは速やかにやってくるだろう。
  頓知大王よ、修行に励みなさい。
 

  
313名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 04:02:24 ID:QHTWORHP
既に目覚めた後悟りの段階を上る時、死ぬほど辛い事があったりしますか?
314机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/30(水) 07:00:51 ID:/56JIf9o
>>310
>そこに業の介在を思考するのです、仏教のセオリーでは。

釈尊が出家した時点においては「バラモン教の修行者」といふ立場ですから、
当然の如く釈尊は「業」については深く思慮されたかとおもいます。
しかしながら釈尊はその後、菩提樹の下で悟っておりますから、
こういったバラモン思想というのも当然、正覚しておりますね。
だからそこのところが非常に重要です。

まさに釈尊の本懐であります中道は、このバラモン思想(教)を見事なまでに破壊してますね。
しかしながら当時(釈尊滅後でも)はまだまだ中道の意味が修行者達には難解でした。
だから部派仏教がかろうじて仏教思想を継承していったが・・・
やはりこの時点においても非常にレベルとしては低いです。
(上座部・説一切有部など)

後に中観思想が仏教史に登場しますが、
それまでの歴史が、あまりも仏教としては悲劇だったのかもしれませんね。

315名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 08:10:19 ID:WibPJ7td
>>313
ない、むしろ帰りがつらい
316名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 10:07:05 ID:mxKYLw+X
各長老の尊い解脱の瞬間の定式

『そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。
患いであるという念いが現れた。世を厭う気持ちが定まった。
次いで、私の心が解脱した。』

 各長老
   『仏弟子の告白─テーラガータ─』より  中村元訳、岩波文庫
317名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 18:50:14 ID:mxKYLw+X
このスレにはゴータマブッダ=仏教の原点である輪廻からの解脱、
そのための徹底した厭世観の確立に触れる者が何故いないのだ?
 悟るとは『真理』を全人格的に迷いなく納得する事だろう。
真理とはブッダが全生命を賭けて発見された四聖諦と十二因縁以外にない。
ブッダは輪廻的な生存の究極原因(無明、渇愛など)を確認し、その究極原因
(そのさらに奥にある生命保存本能)を滅ぼすことで最終的な輪廻的生存が止み、
涅槃・寂静の平安の境地が得られることを確認されたのだ。
 極めて合理的かつ合目的的思考に貫かれている。
この目的に不必要な形而上学的神秘主義など知的ナルシズム・マスターベイション
に過ぎない。

 日本の大乗禅者の神秘的な与太話ではないのだ。なにが色即是空だ、アホか。
318名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 21:36:14 ID:nvZuLKf+
>>313
 悟りは究極の段階であり、そこからさらに上がるということはない。
 悟りを得た後の修行は、あなた達を導くための知識と、経験を積む
 ためのものだ。
 その修行が辛いということはない。
 もはや苦痛も、喜びもなくなっているのだから。
 あなたも安心して悟りを得るために修行しなさい。
 
319名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 21:42:55 ID:WibPJ7td
>>318
ニセ者発見!w
320名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 01:57:04 ID:eSgNH2OY
バカはほっとけ、増上慢ばかり
ほんとに高い悟りを得ている人は、
こんなスレ見る必要もない。
321名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 07:16:27 ID:j2FYLplW
>>311
それは「仏教」ではありませんよ。

>>314
仏教を否定して「念仏」のように中道中道と唱えることは無駄。
釈迦は、空虚な念仏などに隠遁することなく
現在過去未来を貫く実際の物の道理、物事の表と裏両面を知って
しっかりと歩むことであって、口先だけ、観念だけの「中道」遊びとは訳が違うんです。
322机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/31(木) 07:39:02 ID:PIKwt0/S
>>321
凡夫が彼岸に到るには、どうしても船の舵取りがないと逝くには至難なわけです。
念仏といふ舵取りは、いわゆる方法でして、
これは仏教においては方便などというたりします。
勿論、彼岸に到れば「舵取り」は必要はないです。

じつは自力の禅においても、この方法(方便)といふのはあります。
なんにしても初段階から勝義諦空を理解しようとしても無理ですから。
いろんな方法において、どうか彼岸まで逝ってくらさい。
先ずはそれが肝要です。

ちなみに「念仏」と、題目(南無妙法蓮華経)は全く意味が違います。
全て”はからい”を捨て、阿弥陀如来に帰依するのと、
現世利益を祈祷するのは全く違う。
ということです。
323名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 07:47:22 ID:YEtEaS4e
お釈迦様の妻の前世が花売り娘なんですよね。ただ それだけです
(^ω^)v
324名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 10:00:59 ID:Jxk0l1ut
>>322
『彼岸』とは何ですか?何がありますか?実証できますか、妄想ですか?
 悟り、解脱(ニルヴァーナ)との関係を説いてください。
 いったい何を、なんの目的で、悟りたいのですか?
 「空」念仏ではなく、私のような馬鹿にでもわかるように説いてください。
 ゴータマブッダの教えとどういう関係がありますか?
325机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/08/31(木) 12:28:04 ID:PIKwt0/S
>>324
ニルバーナに到達することを「彼岸に逝く」などと言います。
勿論、彼岸という場所?とかがある訳ではない。
あくまでも涅槃到達を象徴的に言うたまでのこと。
なんら案ずることあらず。他意はありません。

> いったい何を、なんの目的で、悟りたいのですか?

例えば、般若心経とかスッタニパータとか読んでも、
非常に抽象的に書かれています。
普通は、読んだだけでは意味は解りません。

般若心経とか、古典の仏典は果たしてどんな意味があるのか?
それを解釈するにも、どうしても彼岸に到らなけりゃ無理なんです。
(般若心経にも、そういふことはチャンと書いてある)

> ゴータマブッダの教えとどういう関係がありますか?

仏陀の教えを解するには、法灯明&自灯明が必要かと拝します。
どうかこの基本に乗っ取って彼岸まで逝ってくらさい。
326324:2006/08/31(木) 19:34:10 ID:Jxk0l1ut
>>325
返答ありがとうございます。
しかし、問いに対し問いをもって答えていただいたようで、
私には理解不能です。
 ブッダの『法灯明、自灯明』の精神については、自分なりに
 「全宇宙において疑いを許されない権威は存在しない」と納得しております。

 実は316・317の書き込みは私です。私の理解したブッダの超エッセンスです。

                              失礼しました。
327324:2006/08/31(木) 19:36:14 ID:Jxk0l1ut
ついでに、307も私324です。
328名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 22:11:23 ID:Sr6Xm44B
>>320
悟ってから言うようにw
329名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 22:52:47 ID:iKeekJ46
>>326
>「全宇宙において疑いを許されない権威は存在しない」

おぬしは、生きているのか、死んでいるのか?
その答えを権威とせよ。
330名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 23:31:43 ID:jAa6wlwC
仏教が栄華を誇ったのは約二千年も前の話でして。
確かにその頃は最先端を行くものであったでしょう。

しかしもう約二千年も経ったのです。
いつまでそんな骨董品にしがみつくのでございましょうなぁ。

実際の話、日々暮らしてゆくのに現代社会では仏教など糞の役にも立たぬもの。
強いて言えば、葬式や墓、つまり死んだ人の後処理にわずかに役立っているだけではござらんか。
後は、仲間作りとか、ほんの一時の気休め、仏教に関わる者どもの食い扶持・・・

仏教では諸々の執着から離れよと説く、
ならば、仏教そのものの執着からも離れられんものですかねぇ
誠に以て人の業とは延々・・・

で、覚り・悟りなるものですか。
これがなかったら、この世の中生きていけませんぜ。
なのに皆様方は、無明を選ばれるとな・・・
情けないことでありますのぅ・・・
331326:2006/09/01(金) 00:59:49 ID:Arq6LJTr
>>329
ありがとうございます。どちらでもいいのです。概念規定の問題にしか
過ぎません。私は、誕生前のことも、死後のことも知らないのです。
>「生きているのか、死んでいるのか」 なんて答えようがありません。
解ることはー諸行無常ですからー現在瞬間だけ、それも厳密なサティ(sati)
のときだけです。それが生か死かなんて無意味です。
 私自身はブッダの言われるー私のネーミングでいうー『縁起弁証法』の
一現象であって、全宇宙の現象は全てが弁証法的連関=此縁性=下にあり、
その意味で私自身を問う事は全宇宙を問わねばならず、独立現象として問う
ことは無意味だと理解します。これが私の理解した諸法無我であって、
五蘊皆空とは異なるように思います。当然、この縁起弁証法から独立した権威など
認められません。これが私の現在です。
332:2006/09/01(金) 01:59:54 ID:e7fKO4IK
悟りは開けど新たな苦が閉ざす。不動の心こそ悟りの第一関門と見た。
333名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 02:18:42 ID:gqDugdXx
>>332
退屈もまた苦痛
334名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 07:39:32 ID:jpPs3gqY
>>330
仏教者の難関。
釈迦への拘り。仏教へのこだわり。

335机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/01(金) 13:35:15 ID:xEGVLMbh
>>326
>「全宇宙において疑いを許されない権威は存在しない」と納得しております。

それでいいんじゃないでしょうか?
ご自身で納得なさっておれば、それがベスト。

まあ、つまりは各々方が各人の心象なりを「言語」といふ手段において表現する他ないのです。

「幸運の女神は前髪にあり」といふ諺と・・・
禅においてよく言われる「一期一会」といふのは、
ジャンルが違っていても、意とするところは同じよぉなもんです。
その究極的な表現ですと「主客未分」とか言うたりする。
もっと究極的になれば、既に言語概念の範疇外。とまでに逝くんですから。
それをかろうじて言うなら「無」とかいうたりする。
まあ、これはさほど考える必要もありませんが。

ようするに、自分が納得すれば宜しいかとおもいます。

336名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 16:04:35 ID:ou+AThi3
ここで答えている方々は単に知識に長けているだけでなく、ご自身で悟りの道を歩いて来た方達だと思いお聞きしますが、永続するものは実体ではなく執着心はないでしょうが、もし五体不満足で、寝たきりの様な極限状態においても、変わらず悟りの境地にあり続けられますか?
悟りというものが、実際においてどれだけ不動のものか知りたいのです。

337机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/01(金) 17:13:20 ID:xEGVLMbh
>永続するものは実体ではなく執着心はないでしょうが

そのとおりかとおもいます。

私はむかし富士山を見ました。
私にとって富士といふのは、かすかな記憶でしかない。
あの、昔見た富士は今でもあるのでせうか?
実際のところは全くもって分らんですね。
あるのは執着心だけです。
人間といふのは、かろうじて記憶だけが頼りですから。

突き詰めて逝くと、実体といふのはなんもないですが・・・
じゃあ、実体がない。というのも、これはそうとは断言できないです。
確かに今富士は、私に顕現しちょるじゃないですか!!

まあ、これはアタリマエのことを私が言うたまでのこと。
突き詰めれば、
悟りとは、アタリマエのことなのかも知れませんね、

実体有にあらずして、実体無にあらず。
このように釈尊は中道を悟りました。
338名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 17:31:41 ID:ou+AThi3
それは観念論ですね?実際に机さんが、突然卑劣なやり方で、己や家族を回復不可能なまでに損なわれた時、相手には対して許しの気持ちで、損害には淡々と対処していけるのでしょうか?
本当に常に平常心でいられる等可能でしょうか。大袈裟に言えば鏡に映る自分がお化けの様になっても?
339名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 17:47:25 ID:ou+AThi3
×永続するものは実体ではなく
〇永続しないものは実体ではなく
340名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 18:01:06 ID:uQThyi7o
>>336
諸行無常

悟りの境地を持続すれば生きて行けない。

>>338
悟れば、心が不動になるのかな?
そんな目的なら他の方法があるだろうに。
341名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 18:08:54 ID:ou+AThi3
他の方法とは何ですか?分かりません。
心が不動になる=悟るでなければ何でしょうか?
342名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 18:11:41 ID:s8NVacOp
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。

電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
うつむいた母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って少し涙をこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。
親元を離れて新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になり毎月少しばかりの仕送りもできた。
結婚もして、孫を見せてやることもできた。

そんな母が去年の暮れに病気で亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、うわごとのようにこう言った、「野球、ごめんね」。
全身が震え、出ない声を必死に振り絞り俺は答えた
「楽しかったよ・・・大好きだよ母ちゃん」。
343名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 18:23:54 ID:Arq6LJTr
>>342
馬鹿もの!!!!!地獄へ落ちろ!!
あちこちで、お涙頂戴のコピペ張まくるな!!

邪魔なんだよ!!!!!!!  あほか。
344ぬっわと、、:2006/09/01(金) 18:27:33 ID:fALcEWRg
世界は爆発するのだ!!!!
人生は爆発だ!!!!!!
345名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 18:48:54 ID:ousv5Imc
悟った
346机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/01(金) 19:24:52 ID:xEGVLMbh
>>338
>相手には対して許しの気持ちで、損害には淡々と対処していけるのでしょうか?

相手を許すとか許さないとか、また、損害賠償をするとかしないとか、
そういう諸々の逝き方に関することは世俗諦といいます。

勝義諦空においては、そういう諸々の世俗に関することは全く意味をなさないのです。
ですから色即是空から空即是色へと世俗に帰らねばならんのです。
空に留まることはないように、般若心経は空即是色と書いておるんです。

つまり、空と色の二相こそが中道なのであります。
いわゆる偏せず!こういうことなんです。
(極にあらず、ということです)→だから中道です。

これを分りやすいように言うたら「無分別の分別」とか言うたりするんです。
つまり、世俗に生きるためには空諦から還滅した智慧こそが大事なんです。

よき智慧がありますよう、机は祈念しております。
347名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 20:03:15 ID:ou+AThi3
頭が悪くてよく分かりません。
本からの理論ではなく実際悟った人間の言葉が聞きたかったのです。ありがとうございました。
348机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/01(金) 20:09:54 ID:xEGVLMbh
>>347
>>340
>悟りの境地を持続すれば生きて行けない。

これが正解ですよ。

簡単に言うたらですがね。
349名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 20:24:49 ID:ou+AThi3
永遠なるものと一つになりながら、物質世界で生きていく事。
悟りを得たあと寿命までどう生きるのか。
いったりきたりというでしょうか。
350名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 20:56:32 ID:gqDugdXx
>>349
富士山登らぬ馬鹿
二度登る馬鹿

中には大馬鹿もいるようだが。。。

臨終にはイヤでも また行くのだろうなぁ
351名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 20:58:19 ID:gqDugdXx

十牛図ぐぐればいいよ。
352名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 21:52:49 ID:ou+AThi3
ぐぐりました。ありがとうございました。とても勉強になりました。
353名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 22:54:47 ID:jqElkpyl
>>338
「己」は不滅なので、傷つきも損なわれもしません
傷つきそこなわれるのは、「己」ではありません
本当にただそれだけのことですが、たまに腹が立ったりもします、でもそれもそれだけのことです
354名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 00:25:22 ID:xIhtrk/x
言葉が間違いだらけでごめんなさい。
自分の身体が損傷したりといった外側の衝撃に、普通の心はひどく痛み、犠牲を感じますが、悟った心ではどうなんだろうという事です。
355名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 01:02:05 ID:sT+C7Eyi
>>354
普通に痛みますが、動揺は少ないでしょう。
356名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 01:06:47 ID:xIhtrk/x
分かりました。
ありがとうございました。
357名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 05:41:59 ID:Vu84m0fG
結核により三十六才で亡くなった歌人、正岡子規の言葉
「余は、今迄禅宗の悟りということを誤解していた
悟りということは、如何なる場合にも平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、
悟りという事は、如何なる場合にも平気で生きて居ることであった」

カリエスの激痛に泣き叫ぶ病床にあって子規がよんだ歌

「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」

なんとみずみずしく、しなやかで官能的な歌ではありませんか


358ぬわっと、、、:2006/09/02(土) 16:54:08 ID:8LIy8sfV
344は、マジレスだったんだけれども、、
反応ないな、、
359名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 17:03:33 ID:xIhtrk/x
深い意味があるんでしょうか…?
360ぬわっと、、:2006/09/02(土) 17:04:53 ID:8LIy8sfV
あるのよーーーーん、
禅の茶道の人は岡本太郎を認めてた、、
361名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 17:23:11 ID:xIhtrk/x
悟ったら早めに死にたいですが、間違いですよね。
362名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 23:03:49 ID:kXqxjE27
親鸞の良寛と一休に対する評価

  聖人なおもて往生をとぐ
  いわんや変態をや
363名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 23:57:44 ID:rMdhP8uh
>>346
> 勝義諦空においては、そういう諸々の世俗に関することは全く意味をなさないのです。

そんなことはあり得ませんね。
もし、勝義諦が世俗の中で意味が「ない」のであるならば、
その「勝義諦」とやらは、全くの無意味・ナンセンスであるだけです。

364名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 01:01:33 ID:ZLS7oIj1
ジャイナ教では悟ったら断食してそのまま死ぬのもアリだそうです。
365名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 01:17:28 ID:RKLKYfcX
悟った後の自殺は許されませんか?
逃げの自殺と卒業の自殺、なんて区別はないか…。
366名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 01:21:10 ID:RKLKYfcX
断食も自殺ですね。
367机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 06:37:58 ID:rTg27ytd
>>363
>その「勝義諦」とやらは、全くの無意味・ナンセンスであるだけです。

全肯定的な無意味。という意味では無意味かもしれませね。

例えば釈尊の十無記は、問い自体が無意味となりまして、
「無記」とするその無記は、全肯定的な意味での「無記」です。
問いの無根拠性における逆説的諦観が、いやゆる勝義諦と拝しております。
368名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 10:25:05 ID:NJt/aEnq
 わたしはどこにでもいる。あなたたちをみている。
>>361>>365
 たしかに一部の者は、悟りを得た後の自殺を認めている。
 しかし、私の見解は違う。
 悟りを得た者としてあなたに言う。
 
 生きなさい。
 生きるのです。
 生きて多くの人を助けなさい。

 あなたが生きて人を助ければ、人はあなたに感謝しこう言うだろう。
 「あなたのおかげで助かった。あなたが居てくれて良かった。あなたがいつまでも
  元気でいられるように」と
 だから、あなたは生きなさい。
 あなたがこれから助けるであろう、多くの人々のために生きなさい。
 人々があなたに期待するように、自らを生かしなさい。
 体が自然に活動を止めるまで、必ず生き続ける決意をしなさい。

   
 
369名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 10:27:20 ID:NJt/aEnq
或いはあなたは今、単に自信を失っているだけかもしれない。
 あなただけでなく、他の者にも言おう。
 環境に圧倒され、自らの価値を見失った者たちよ。
 あなたたち全てに言おう。

 あなたたちは自らを、地に落ちた石のように思っているかも知れない。
 何の価値もなく、醜く薄汚れた存在だと。
 しかし、それは誤りだ。
 あなたたちは宝石の原石なのだ。
 自ら磨かないために、目立たないだけだ。
 やがて自らを磨き抜いた時、光を放ち世を驚かすであろう。

 あなたたちは自らを、病葉のようであると思っているかもしれない。
 大樹から切り落とされ、無用とされ朽ち果てていくだけの塵芥であると。
 しかし、それも間違っている。
 どのような大樹であろうと、病葉の栄養がなくては、天空にまで梢を伸ばすことはできない。
 病葉は、自らを栄養として大樹を支える礎を築くことが出来るのだ。
 
 あなたたちも自らを磨き、鍛え抜くことで、自ら光を放つことが出来る。
 あるいは他の者の栄養となることで、大樹に比すべき者を育てることも出来よう。
 あなたたち、ただ一人の人間の力が、世界を変える基点となるのだ。

 お釈迦様も悟りを得られた後、ニルヴァーナの誘惑に駈られた。しかし、梵天勧請により、
 人々に法を説くことにされた。
 そして八十年の生涯を終えらるまで、決して自らニルヴァーナに赴こうとはされなかった。
 その行いが世界を変えたのだ。

 
 
370名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 10:28:39 ID:NJt/aEnq
風に怯える小さな芽も、やがて茎を伸ばし、葉を付け、華を咲かせ、種を生む。
 種はやがて荒れ野を草原となし、多くの人に恵みを与える。
 生き物には周囲の環境を変化させる力が備わっている。

 あなたたちは生きて、世界を良い方へ変えなさい。
 この世界はまだ、あなたたちの力を必要としている。

 あなたたちの言葉が、
 あなたたちの行いが、
 あなたたちの全存在が、
 今、全ての宇宙を変化させているのだ。

 だから悟りを得ようと、得まいと決して自ら死を選んではならない。
371名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 11:30:06 ID:RKLKYfcX
私は血みどろの苦しみで私なりに悟った後、大きな犠牲を受けました。
自分の器を超えているようで、死を強く望んでいます。
完全な自己放棄が出来なかった…。自分を捨てて人を助けろという神様の試練かもしれませんが不合格を許して下さるでしょうか。
生きられれば良いとおもうのですが…
372名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 11:39:07 ID:RKLKYfcX
苦しいという事は悟ってはいないんでしょうか。
神の真理を悟ると、最後で最大の聖なる犠牲を奉仕の為に求められる…という事は知っています。
誰かこの道を来た方、こんな事が乗り越えられるのか知りたいです。そこまで徳がありません。
373名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 11:47:56 ID:W4VWDiLN
人間は皆 平等公平。この世は+−の関係、すべてが相反するもので 成り立っている。栄枯盛衰、光がなければ闇もない。この世がなければあの世もない。宇宙の全生命体は皆等しく 宇宙運行の為の肥料に過ぎず、誰一人突出する事はない。法則こそ「絶対」だからである
374名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 12:30:54 ID:A/hBlu78
悟った御方にまじって、ただの受け売りインコと、悟ってるように見せかけて何もしていないのに自分の主観だけ話すアホンダラがいるな…。
375名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 12:46:29 ID:RKLKYfcX
私ですか?
376名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 12:53:33 ID:AmuiNswa
悟りとはまあ言わば脳内ビッグバンみたいなものと言えばいいかな。
377名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 13:00:14 ID:4gbtkXmO
>>372
>神の真理を悟ると、最後で最大の聖なる犠牲を奉仕の為に求められる…という事は知っています。
神・聖、と言う単語、少し違和感があるけれど・・・

大いなる慈愛を感じたなら、自発的に他へ還元していけばいい、只それだけのこと。
余裕がなければ、無理することもない。
悟ったといえども人間、生活もあれば、闘わなければならないときもある。
378名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 13:39:17 ID:3tYZ0vHQ
悟り…諸行無常(人は必ず死ぬ、万物は不変ではない等々)を知り、執着心を捨て去る事なのかな、自分には無理だけれど。
379机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 13:40:00 ID:rTg27ytd
>>372
一休宗純は、仏教の戒律を破って、飲酒はするは肉食はするは女犯はするはで、
その生きざまにおいては正しく菩薩そのものであったかとおもいます。

私は一休において随分救われましたし、また良寛についても多くを学びました。
なんだかんだと逝っても、
白隠からも多くを学んでおります。

ようするに、先達たちは後世において数え切れない程の衆生を救済しちょるじゃないですか。
菩薩は救済のことは考えんでも宜しいかとおもいます。
菩薩の生き方、そのものが既に救済になっちょるんですから。
なんも案ずることはありゅらん。
380名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 13:42:16 ID:RKLKYfcX
感じましたし今も感じていますが、外側からの打撃で内面が極限状態で、自分一人を支えられもしません。
究極の選択というか、自分の為にはもう生きて行くのは無理な感じですが、ここで切り換えて完全に自分を忘れて(中途半端では無理)利他的になって生きれるのか。
そのくらいぎりぎりです。私は仏教等の知識は無いですが自分なりに悟った後自殺するのは罪でしょうか。罪悪感がありません。
自分語りすみません。
381名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 13:49:10 ID:RKLKYfcX
>>379
長い時間かけてやっと自分を救えたと思ったら、最大の災難で今度ばかりは挑戦しましたが、負けました。
やっと…だったので悔しいですが、一応自分の救済はしたので最後は諦めても自分を許そう…と。
自分を最終的に救えなければ人を救うのは無理ですよね。
そうするともう生きていられないのです。
やっぱり悟ってはいません。
382名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 13:49:49 ID:4gbtkXmO
>>380
>外側からの打撃
がどういう性質のものか、具体的に話せます?

自殺しようがしまいが、そもそも罪なんて無いですよ。
383名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 13:58:24 ID:RKLKYfcX
以前もここに相談しましたが、事故の様なものと業による、耐え切れない身体の変化です。
身体的に生きていけないというのではなく、こだわりの部分で完全な自己放棄が出来ないと私は生きられません。
そして頑張った末限界を知りました。
私は魂や永遠の命を感じますが自殺後の事は分かりません。
霊的には良くない結果がありそうです。
ここではスレ違いでしょうか?
とにかく早く卒業させて欲しいと思います。何かが間違っているのでしょうね。
384名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 13:59:50 ID:BeJI+xfQ
オレは、素晴らしい神秘体験をした後は、なにも執着は無いような時期があったな。
ただ、今は普通の欲望はあまり無いんだが、なぜか性欲だけはあるな。

まー普通の人から見れば純化されてるかもしれんが、美人を見るとワクワクするしこういう人と合体してみたいもんだなーと思うね。
美しいものは美しいし、性的なことも大切なんじゃよ、ハハハハ
385名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 14:11:59 ID:4gbtkXmO
>>383
時間が経てば変化にも適応できると思いますが。
いまは、その状態を受け容れる事が重要ではないですか?

他者に頼らなければならない時は、頼り。
余裕が出来た時に、自分が出来る方法で返して行くことも出来ますね。
貴方はまだ、ネットに書き込む事が出来る。
それだけでもいろんな可能性があると思いますよ。

あとは、貴方が決めることだと思います。
死後のことなと余計なことは考えずに、ニュートラルに判断して下さいね。
386名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 14:29:54 ID:BeJI+xfQ
ま、オレが近代の有名な悟りの人を評価してみると、、、
点数もつけます。

ラーマナ・マハリシ・・・すごい人、ステージがすごく高いな。97点
ラーマ・クリシュナ・・・多くの弟子を導いた巨星  95点
クリシュナムルティ・・・優れた智恵の人 しかし方法論があるの? 89点
ヨガナンダ・・・愛と行動の人、方法論も優れる 87点
オショー・・・うーん、なんていったら(笑) 79点
TMのマハリシ・マヘシュ・・・テクニックは結構良いが、ビジネス・ヨーギか? 69点
サイババ・・・トリックの化身? ゲイ? 29点

日本人(故人のみ)
某寺のTAMOさん・・・金色のオーラのすごいおばあちゃん 86点
ダン○ス・ダ○ジ・・・クレージーだけど真実の人 84点
ヤマ○・タ○オ・・・幅広い道と方法論を示した人 83点
出○オニ○ブロー・・・・なんていうのか、やっぱしすげえかな? 80点


番外 
ア○ハラ・・・・マイナス99.9点w
387名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 14:34:05 ID:3tYZ0vHQ
悟りの境地に、至るには欲も捨て去る事らしいね。性欲も勿論、物欲、出世欲… 繰り返し自分には無理なのだが。
とにかく「無」の状態を作る訳だが、我々人間には無茶な話→金持ちになりたい
し、エッチもしたい!
388名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 15:06:24 ID:BeJI+xfQ
>>387

まじめに働いて金持ちになってね、
いい人を見つけてお互いに楽しく交わってね。
やっぱ好きな人と行うエッチは最高!
瞑想どころではないw

そして最後にはきっちり悟ってね…(^ω^) それが神秘家の人生さ、、。
うまくやれよ!
389名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 15:13:04 ID:3tYZ0vHQ
>>388
ガンガってみるよ。
390机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 15:30:35 ID:rTg27ytd
>>383
私は過去に大病を患いましてね、その時にオペレーションを受けることになりました。
オペで麻酔をやることになりまして、麻酔というのを実体験しましたよ。
笑気ガスみたいななのを嗅ぐと、途端に意識がなくなります。
麻酔ってのは考えていたよりは簡単なものでした。

その後、麻酔から覚醒する段階になりまして、
人間が死ぬ、ってのは、たぶんこんな感じで全てが無になるんだろうな。
ってのが私の確信みたいになりました。

人間といふのは経験においてある程度、確信みたいのを得るのかとおもいます。
それが間違っているか?いないか?以前の人の性みたいなもんでしょう。
私はそれでいいのかとおもいます。
391名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 15:44:10 ID:RKLKYfcX
私も全身麻酔しました。確かに睡眠よりは無を感じました。
絶対に取り返しのつかないものへの執着を断つというのは、本当に難しいです。
392机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 15:46:16 ID:rTg27ytd
(つづき)
病棟に入院してるころは、今日の友が明日にはバッタリ逝くというのが何度もありました。
そういふ環境におると、生死ってのを深く思慮するようになります。
生死ってのは、いわゆる極限のテーマですから、
私もついつい精神がハイな状態になりますね。
で、そういふ状態いいて神秘体験のようなことがあったんです。

その後、「白隠の見性体験」といふのを知りまして、
白隠の体験は、私の神秘体験とピッタシじゃないですか。
白隠よ、お前も同じ体験をしたのか。ってんで、私は白隠を他人とは思えないくらいに身近に感じたもんです。
しかしながら、神秘体験といふのも・・・そこに何らかの意味があるんじゃなくて、
それは切っ掛けに過ぎない。といふのが分りました。

おそらくは白隠も私と同じなのでしょう。
何度も大悟&小悟を繰り返したそうですから。

まあ、つまりは、ある経験なりをしますと、それを切っ掛けとして眼が開く場合が多い。
それは突如としてありまして、
そう、あの、笑気ガスを吸い込む時のよぉに、一瞬にして眼が開くのです。
393名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 15:46:48 ID:RKLKYfcX
私の実感と直感しては霊魂は死んだくらいでは断ち切れないと思います。
394名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 16:04:32 ID:RKLKYfcX
私も悟りを目的として修行していたわけではなくただただ答えが見つからず何年ももがいたあげく、少しずつ知識や啓示がもたらされ、ある音楽をきっかけに強い神秘体験をし、今だに神の存在を感じます。物凄い衝撃で目が開きました。そして調子に乗ったのがいけませんでした。
が、全てが繋がっていたと分かったので、今回の事からもなんとか自分なりに精神を高め、一段上る事は少しだけ出来ました。
それまでは自分を救うのに精一杯でしたから、確かにひどく辛い思いをすると他人への愛が広がります。
でもやはり自分を捨てきる事は出来ません。一番の難関ですね。
395机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 16:04:35 ID:rTg27ytd
私は霊魂といふのは見たことはないですね。

ただ、私の子供のころに人魂(ひとだま)ってのは見たことがあります。
人魂が出ると、母は途端に私の頭を押さえて、私が見えないようにします。
なんで人魂を見ちゃあかんのか?
ってのは、よく分りませんが、
おそらくは、人魂を見ると子供が恐怖心にかられるからかとおもいます。

最近は人魂ってのは見たことはないです。
その時代において、多く見る場合と、そうじゃない時代ってのはあるんでしょうね。
昔の風景は人魂がやけにマッチングしましたから。
今はITの時代なもんで、人魂ってのは時代に合わなくなったんじゃないでしょうか?
つまり、環境にも依るんでしょうね。
396名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 16:10:07 ID:4gbtkXmO
>>395
私は人魂を何度か見たこと有りますよ。
自分のも見ました。
397名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 16:12:37 ID:4gbtkXmO
>>394
>自分を捨てきる事は出来ません。

日常生活で、自分を捨てる必要ありますか?
欲や、自我は、生きるためにあるのですよ。
398名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 16:13:51 ID:RKLKYfcX
目が開いた後、私はそれを自分の幸せの為だけで満足し、人に分けよう等思いもしませんでした。
それで災いが起こったんでしょう。その外部からの衝撃が無ければ自力で気付く事は絶対出来ませんでしたから。
でもどんなに反省して自己愛から利他愛へ変えようとしても、その代償として回復不能な程本人の心や身体が損なわれれば、人の為以前です。何故こんなに厳しいんでしょう。
人格霊性の向上の為に現世はある。という側面から見れば悪い事は良い事ですが、そこまで達観できたら生きてなくていいくらい、不可能です。
人間ですから。
399机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 16:19:16 ID:rTg27ytd
>>394
>全てが繋がっていたと分かったので、

神秘体験は、まさに「繋がったよぅな」感じです。
私もそうでありますし、また白隠も同じようなことを逝ってますね。

私は、こういった体験後というのは、
心が重いよぉな、なんとなくスッキリしない時期というのが続きました。1年くらい。
つまり、この胸の内を何処に向けたらいいのか?
その、はけ口がないのはストレスになります。

こういう時期といふのは禅僧でも必ず通らねばならんのです。
そこを越さねば禅病とか神経衰弱とかになるんですから。

ちなみに、白隠の弟子は2名ほど禅病にやられまして自死してます。
弟子を自死させたのは、私は白隠にも責任はあるかとおもいますがね。

まあ、そういう時期を越すのを、禅においては「関を越す」とか言うております。
一番苦しい時期ですね。
400名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 16:20:11 ID:RKLKYfcX
>>397
本当にそうですね。私も何故捨てなくてはいけないのか、極限状態の中死ぬ程捨てたくないのに、捨てるしかなく、訳が分かりませんでした。
自我を捨てる事は本当に辛いです。この世の生きる術を外でも中でも犠牲にして、それとひきかえに私は心の救いを得ました。
だから今は死んでもいいと心底思っています。
401机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 16:27:12 ID:rTg27ytd
>>398
>人格霊性の向上の為に現世はある。

統一教会がこんなことを言いますね。
統一の食口ですか?

私は原理講論は学生のころに学びますた。
402名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 16:27:33 ID:4gbtkXmO
至福を感じれば辛酸も嘗める。振幅がでかいだけで何れ零に収束します。
ある意味、その上下が生きることで、臨終には零に戻るのでしょうね。

人間の幸福感覚というものに基準がありますか?
それは相対的なものです。
人生の中に、幸福期、不幸期があり、いまは辛くとも何れ又反転するのです。

人生楽しければ、この世との別れが辛くなり。
人生苦しければ、その苦しみから解放されると喜ぶ。

臨終時にはそんな風に精算されるのかも知れませんね。
403名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 16:45:13 ID:RKLKYfcX
>>401
私は無宗教です。後から分かりやすい本をたくさん読みましたので受け売りの様な言葉ですみません。
>>402
そうですね。ただこの闇は自分の限界を知るのに決定的すぎて、先が期待出来ません。
絶対闇は終わりが来ると耐えましたが糸が切れた。
少し前に聞いた、本人にとってどうしても耐えがたい事が起こった時悟った心は、というのは、402さんが言われた光と闇の事は自分で経験して完全に分かったつもりが、現実ではこの様に心もずたずたに崩れたので悟ったと思ったのは何だったのかと…。
長々と本当にすみません。
404机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 17:22:28 ID:rTg27ytd
>>403
今まで理性が働きまして、自分で抑制していたことを思い切りやるのも
何かの突破口にはなるかとおもいますね。

一休は「狂気の悟り」とも言われてます。
つまり、狂うほどの自由な生き方こそ・・・
菩薩道としての道なのですから。

仏陀は、当時のバラモン思想を徹底的にぶち壊しました。
仏教とは、まさに既存の価値観破壊こそが本義なのです。
405名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 17:35:28 ID:4gbtkXmO
>>403
貴方は五体満足で生まれ、育った。だからこそ落胆も大きいのですよね。

生まれなからに障害を持った人は、
果たして闇のままに生きているのでしょうか?

私はそうは思いません。苦楽は万人平等だと思います。

苦境の中に入れば、したいに小さな事にも幸せを感じることが出来る。
そんな体験を私もしていますよ。
406名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 17:45:08 ID:RKLKYfcX
悟るのと狂気は本当っに紙一重ですね。自分を信じられなくなったら終わりです。
机さんにお聞きしてよいですか?もし自分の外側の条件が全てはぎ取られて周りからは誤解を受け、身体が尊厳を保てないくらいずたずたになっても、泰然自若として寿命を全うできますか?心を崩しませんか?
これが聞きたいです。少し大袈裟ですが…
抑制していた事は悟ったと思った後完全に自由にやりました。それが永遠に続くと思っていて足下をすくわれました。
本当に愚かですね。自業自得、自分の蒔いた種を刈り取る器がない、悟ったと思ったのも自分の器では無かった…平凡が一番ですね。
407名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 17:55:00 ID:RKLKYfcX
>>405
その事についても死ぬほど考えさせられています。本もたくさんよみましたし、この2ちゃんでも救いを求めて様々な身体や心の苦しみを持っている人の言葉を読みました。
そして本当に人は同じなんだ、と思いました。でも、理解はしても抜けたと思った煩悩や迷いの暗闇で心の中のよいものが悪いものに飲み込まれて耐え切れません。
心が全てですが、自分の事となると達観できない。
ぐちぐちと本当にごめんなさい。
楽になりたいと精神性で乗り越えようとしましたが無理そう、どうしても器を超えている時、人はどうすべきでしょうか。一分がやり過ごせない程の絶望です。
408机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 18:13:33 ID:rTg27ytd
>>406
>>357にある正岡子規の歌は、病床にありながら子規の生がイキイキと書かれてますね。
生死を超克した素晴らしい心境を垣間見ることができる。

私はオペ後の後遺症で五感の一部はあまりよろしくないんですよ。
だけどこういう障害といふのは慣れればそんなに苦にはならない。
また、オペの影響で他の部位とかに影響も出るんですが・・・
大学病院へ逝けば、モルモット替わりにされちまうんで、そのままほっとくんですよw
ようは、その自分の身体を受容できるか?
ってことですが、そこは考え方次第です。

生き方として、瘋癲漢(ふうてんかん)といふのがある。
ようするに「男はつらいよ」の虎さんみたいな生き方ですね。
とりあえずは、一期一会、誰構わず人と接してみるんです。
新たな出会いがありまして、自信と勇気が沸いてくる。
ほんの小さな切っ掛けに過ぎませんが、その切っ掛けが随分私を救ってくれます。
他愛もないことです。

人は、この他愛もないことで・・・充分かとおもいます。
それを自身が欲するならね。
ようは、価値観の問題やにおもいますが。
409名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 18:29:30 ID:RKLKYfcX
そうなりたいです。
自分が傲慢でこだわりが強かったので、捨てるのは死ぬ以上に辛い。
ある一線を超えたのです、だったら後は余生だと思って生きようかと思いました。が、魂や心が強烈にやり遂げよう求めようとしていた事があったとして、それを断念せざるを得なくなったら廃人の様にはなりませんか?
私にはそれがあったので、辛さが激しいんです。二者択一になってしまうんです。
この様な時こそ、何かを信じ抜けるか試されますね…。ありがとうございました。
410机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 18:55:16 ID:rTg27ytd
>魂や心が強烈にやり遂げよう求めようとしていた事があったとして、
>それを断念せざるを得なくなったら廃人の様にはなりませんか?

私がやり遂げようとしてたのは、若いころからコツコツややってきました。
ほんとうに他愛もないことです。
不器用な私でも、長年におけるこのノウハウは今でも生かせます。
ほんとうに他愛もないことです。

>二者択一になってしまうんです。

私はそんなに大げさなものではありません。

例えばですが、歴史小説などで江戸の遊郭がモチーフとして記述されてますと、
とにかくその遊郭なる地に足を運んでみたい。
といふような掻きたてられるものがあります。
別に吉原のソープに入りたいわけじゃない。
ただ、その地に立ってみたい。というような心境です。
他愛もないことですねw

ちなみに赤穂浪士が埋葬されている。といふ泉岳寺には逝ってきました。
逝けば大体が気がすむのです。

しかしながら貴殿は壮絶に生きてるよぉな感じですね。
私は元来そんな壮絶な生き方は無理なんです。
そこは自分といふのが分ってます。

自分らしくあれば、私はイイかとおもうのですが・・・。
で、貴殿はいつのころからそんなに生きることに真剣になったのですか?



411名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 19:19:35 ID:RKLKYfcX
大学を辞めた時から、必然的に魂の闇夜の様な状態に入りました。私はそう生まれついていたようです。
魂の巡礼で真理、答えに辿り着くまで凄まじい苦しみや試練が襲いかかって安らぐ事も休む事も出来ませんでした。
途中で逃げていないので今逃げて死ぬのに全く罪悪感がないんです。とりあえず一仕事終えた様な。
やっとみつけた私の求めるものも決まっていたと思います。
やはりこの世は幻です。
全て試練ならここが寿命かもしれませんが、大変意味のある人生だったと思うので(代償として外側のものは全て捨てたので社会的、世間的には無価値です。これを克服するのがとても苦しかった)早く楽になりたいです。誰か殺してくださいってくらいです。
412机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 20:27:57 ID:rTg27ytd
じゃあ吉原のソープに逝って、それから死んでもいいんじゃないですか?
ソープ嬢が菩薩かもしれんし。

一休はメクラの女人に随分癒されてましたよ。

世の中には身体を張って逝きてる人もいる訳だし、
そういう生き方に、もしも貴殿がなんか感じるところがあるなら、
その瞬間こそが貴殿の前におわすお方こそ菩薩なのです。

じつは私もいろんな菩薩に合ってきますた。
名もなき貧しき美しき人は、ほら、貴殿の前におるボロをまとった御仁かもしれません。
413名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 21:34:42 ID:RKLKYfcX
吉原のソープに行くに匹敵する事はこうなる以前に出来る限りしておきました。
本当はもっとそうしたかったけど、その時その時で全力でやると言う事が、悔いを残さない秘訣ですね。いつ断ち切られるか予想出来ないですから。
救いたい人はいましたが、今の私の様に聞く耳持たずで無理でした。人を助ける事は本当に難しいです。
限界ですが、更に限界までもう少し考えてみたいと思います。ありがとうございました。
本当に最後まで生き抜いて行くだけですごい事ですね。
414机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/03(日) 22:39:12 ID:rTg27ytd
>救いたい人はいましたが、今の私の様に聞く耳持たずで無理でした。人を助ける事は本当に難しいです。

いや、私は人を救う以前に、人からずいぶん救われていることに気づきました。
「人を救う」なんて、私には大それたことは出来ない。
そういふことが分りました。

一休も同じかとおもいます。
メクラにずいぶん救われてますね。
一休における菩薩ってのは、メクラの女人だっかとおもいます。

今東光が「極道と仏道は同じよぉなもの」。
なんて言うてましたけど、東光はやはり悟っておったんでしょうね。
なかなかこういうことは言えんですよ。
眼が開かんとね。

じゃあ、私は寝ます。
貴殿にはいろいろ学ぶべきところがあります。

もう、秋ですなぁ〜
虫が鳴いております。

春に花 夏ほととぎす 秋は月  冬雪さえて冷やしかりけり。by道元
415名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 23:03:37 ID:RKLKYfcX
本当にそうですね、私も書いてからなんて傲慢だったんだろうと思いました。何かがおかしいので災いや失敗を自分で起こしているのでしょう。
ただその人は自殺を今にもしそうな人で、何とか生きて欲しかったのです。私もその時はこの事を絶対に乗り越えようとしていたので…
今は、その人には何も言えません。今日は本当にありがとうございました。
こちらこそとても勉強になりました。ゆっくりお休み下さい。
416288:2006/09/03(日) 23:17:29 ID:+a9z0aNy
>>411
あんたの命だから好き勝手にすりゃいいけど、
くたばることにするなら、便乗・利用で使って悪いが、
288でお願いしたように、死んだらどうなるかちゃんと報告してくれ。
実況中継をお願いする。頼むで。ワクワクするわ、楽しみだな。
これだけでも意味がある大事件だ。昔の偉そうな奴を含めインチキ教祖連中は鎧袖一触で失業だ。
俺(エヘン!)を含めけっこうレヴェルが高い奴がいるから、このスレでOK!
なんとか確実な通信手段を開発して周知徹底してから、事の決行をお願いする。

   にーちゃん、わかったか?頼むで!

417288:2006/09/03(日) 23:26:08 ID:+a9z0aNy
>>411
棺おけにPC入れ忘れるなよ。
ブロバイダーは・・・・・知らん。
死後か、誕生か知らんが、絶対に通信してくれ!!!
418名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 23:44:04 ID:4gbtkXmO
>>417
自分で逝かなきゃ解らんよ。
419机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 06:54:06 ID:dQzYP/n/
>>415
一休の遺偈「死にとうない」。
(これは一休が死の直前に愛人に向けた言葉)
は有名ですが、これはいろいろと論議のネタにされます。

私はこの遺偈は、愛人に向けた最大の賛辞かとおもうのです。
この言葉によって、愛人は一休の死後も随分救われたかとおもいますね。
やはりそこに一休の優しさを感じるのです。

言葉は言霊(ことだま)ですから、
一言が人を死に追い込むことまありますし、また逆に一言が人を救うこともある。
なに隠し立てのない無為の心こそが、人の心の琴線に触れるじゃないでせうか。

>ただその人は自殺を今にもしそうな人で、

人を救うのは、作為があったんでは出来んじゃないですか?
やはりここは一休に学ぶべきところです。
420288:2006/09/04(月) 09:40:07 ID:V3L9LX4W
>>419
机さんは293・295で>『未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。』
          >『生死とか善悪といふのは不二にして不一なり。
           さように調ひなされば、もはや迷うことあらず。』
そこで、『人を救う』とは?
 ぎりぎりまで追い込まれた人が徹底的な厭世観を確立して無明を脱し、
生命保存本能さえも滅せば、解脱(ニルヴァーナ)・涅槃に至れるチャンスです。
生死の境に意味はなくなります。
単なる苦し紛れの自殺は現実逃避であって解脱に至る道ではありません。
411の方はどちらに逝かれるのでしょうか。解脱への最大のチャンスにおられる
ことを自覚して間違えないでいただきたいですね。
解脱されたら、おめでとうございますと挨拶させてください。

 

421288:2006/09/04(月) 10:15:47 ID:V3L9LX4W
>『未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。』
逆だろう。
>『生死とか善悪といふのは不二にして不一なり。
 さように調ひなされば、もはや迷うことあらず。』
 完全解脱した現象にとってそうだろう。
 それを無明凡人に説かれても隔靴掻痒だ。
422草レーサー:2006/09/04(月) 10:22:08 ID:Bwxj/7a4
机さん、2ちゃん復活したんだね。

私も兄弟を亡くした時に、新宿の夜の街で働く、中国の女性達
の活気にだいぶ救われたんだと思う。彼女達は実に逞しい。
まあ、いろいろな事情を背負って日本にやってくるわけなんだ
けど、どこかあっけらかんとしてるんだよね。
私にはそれがとても新鮮に映ったわけです。(笑

人間は思い詰めてしまうと、新鮮なものに気が向かないですね。
時には心のままに、泣き叫ぶ、というのもいい。
そこには、包み隠すものはなにもない。
すると自然に心の中に新しい、新鮮ななにかが生じてくる。

その新鮮な何かに感動してる時、心は健康を取り戻している
んだと思う。広い世界で、自由や活力が湧いてきて、子供に
戻ったような気分になってくる。
自我意識のない子供に、生死などという意は生じませんね。
病気や障害を背負った子でも、そのまま生きている。


423机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 11:08:06 ID:dQzYP/n/
>>421
いや、私は人牛倶忘でいちど死んじゃっておるんで、
もう2度と死ぬことはないんですよ。不死というんでしょうか?
となれば、
>『未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。』
これも
>『生死とか善悪といふのは不二にして不一なり。
これも、
意味とすれば同じかとおもうのです。
つまり、
本意とすれば、生死の超克こそがあればいいわけです。
不死になれば、まあ、もはや生きる意味あいもない訳ですから。→不二
生死に迷うこともあるまい。
424机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 11:32:31 ID:dQzYP/n/
>>422
東京では、新宿が私のテリトリーになってるんですよw
青春のころから新宿では遊んでましたから。
東京では新宿以外はあまり知らない。

新宿コマの裏手あたりに、中国専門のナイトクラブがあって、
そこで裏商取引なんかがあって実に逞しく中国人は生きているよぉですね。
やはりそういうノウハウってのは、中国人は智慧が働きますねw

>人間は思い詰めてしまうと、新鮮なものに気が向かないですね。

新宿は逝くたんびに「違う顔」があるんです。
そこが都会の新鮮なところですね。
私がそう感じてるだけかもしれませんが・・・

上高地って喫茶店が昔の面影を残していたんですが、あれも外装が変わってしまった。
今は殆ど昔の面影はないですね。
新宿コマも外装が変わってしまったし。
ミラノあたりが昔のまんまかな?

425机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 11:38:12 ID:dQzYP/n/
>>420
>411の方はどちらに逝かれるのでしょうか。解脱への最大のチャンスにおられる
>ことを自覚して間違えないでいただきたいですね。

そうですね。
この苦難を越せばね、
眼が開くチャンスかとおもいます。
426聖霊大王:2006/09/04(月) 12:23:54 ID:zFukxApO
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1は、おもしろい、人だな、、
おいらは、宗教は並列処理的には楽しんでいるが、、
表現力はまだまだ、だな、、
427聖霊大王:2006/09/04(月) 12:34:04 ID:zFukxApO
386 :名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 14:29:54 ID:BeJI+xfQ
ま、オレが近代の有名な悟りの人を評価してみると、、、
点数もつけます。

こちらも、再評価、、自分が100としたら、、


ラーマナ・マハリシ・・・すごい人、ステージがすごく高いな。97点 知らない、、
ラーマ・クリシュナ・・・多くの弟子を導いた巨星  95点 →私評価200点
クリシュナムルティ・・・優れた智恵の人 しかし方法論があるの? 89点 →私評価200点
ヨガナンダ・・・愛と行動の人、方法論も優れる 87点 知らない。、、
オショー・・・うーん、なんていったら(笑) 79点 →私評価20点
TMのマハリシ・マヘシュ・・・テクニックは結構良いが、ビジネス・ヨーギか? 69点 →私評価50点

サイババ・・・トリックの化身? ゲイ? 29点 わからない、、

日本人(故人のみ)
出○オニ○ブロー・・・・なんていうのか、やっぱしすげえかな? 80点 →私評価20点

428名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 15:01:26 ID:AjfYfcMY
>>419
作為や使命感があった訳ではなく、本当にその人柄が好きで本音で死んで欲しくなかったです。今追い詰められて自分も心が凍り付いてみると、私の言葉は押し付けがましく響いたのだろうと思います。
人の気持ちや言葉には本当に配慮しなければと思っています。
>>420
こうなる前、私は完全に幸せで平和でした。でも振り返ると自己満足で利己的で人格も駄目で災いに潰されて…と完全でも何でもありませんでした。
法則の様なものは残酷な手を使ってでも人を成長させようとするんでしょうか。
解脱とは手足がもぎとられようと何だろうと、無我で平和な境地ですか?そんな人はいるのでしょうか…確かにこれが超えられれば私にとって無理な事を可能にするのですから、そうなるかもしれません。
完全に自分を捨てる、これ程難しいテストはないです。
もう少し頑張ってみようと思わされました、ありがとうございます。
429机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 17:00:17 ID:dQzYP/n/
>>428
でも、一応は、
>吉原のソープに行くに匹敵する事はこうなる以前に出来る限りしておきました。

こういうことを逝っておるんですから、まだまだイイ方かとおもいます。

ネットではいろんな人に出会いますが、
ある高校生♂がバイク事故をおこして、下半身麻痺の状態で車椅子生活。→頚椎損傷
この御仁は、やはり女を知らないだけに女の執着が凄かったです。
私はどうにかならんかと・・・いろいろ考えいる途中で音信不通。
この人は自死を考えてましたから、もしや・・・
ってのが脳裏をかすめました。

まあ、この時の経験をいかして、
次に出合ったのが脳性麻痺の御仁。
この方もやはり女を抱いたことがなかったので、是非抱いてみたい。
ってのが念願でした。

私は前の件(高校生)で失敗?をしてますから、この件に関しては真剣でありました。
ああ、これもネットといふ公開性における弱点ゆえに、煽りが入りまして
泣き泣き炎上の憂き目にあうてしまった。
やはり無念なり。

もう、私も後には引けんですよ。
430机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 17:09:32 ID:dQzYP/n/
脳性麻痺においては随分調べますた。
健常者にはなかなか分らんとこがあるんです。
手が不自由なため、自慰が困難。
私はこれが最も重要なんじゃないかと・・・
こういふことは、脳性の人は言いたがらない。

でも、やはり理解を深めることが先決なのかとおもいます。
そこからなんらかの糸口なるものを模索する。
地道なコミュニケーションは大事かとおもいますね。

>完全に自分を捨てる、これ程難しいテストはないです。

いかにも、左様です。
431机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 17:11:44 ID:dQzYP/n/
>>426
>机龍之介 ◆8Z1PfzdK1は、おもしろい、人だな、、

おそれいります。
432名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 17:18:13 ID:AjfYfcMY
はあw。私は一応女です。吉原のソープというのはどうしてもやり続けたかった事の比喩ですが、その高校生や脳性マヒの人の気持ちはよく分かります。
可能で当たり前の事で気にもしていなかった事が、突然駄目になると普段は意識もしてなかった事への未練や情念が異様なくらい大きくなります。苦しいですね…。
433机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 17:39:41 ID:dQzYP/n/
>可能で当たり前の事で気にもしていなかった事が、
>突然駄目になると普段は意識もしてなかった事への未練や情念が異様なくらい大きくなります。苦しいですね…。

私は脳性麻痺の御仁の件をもちまして、いろいろと風俗関係を調べました。
今までそういった風俗といふ世界には、あまり関心がなかったのですが、
でも、やはり調べれば随分勉強にはなりますね。

吉原のソープについても、その時のネットで調べて大体のことは知ることができました。

でも、まだ女性だったらいいかも知れませんね。
男は悲壮感があります。
ひとりの女を抱くために、なんと多大な努力をせにゃならんのですから。
吉原は90分くらいで4マン5千くらいかw
まあ、それだけ嬢も真剣なサービスをするんだろうけど。

434名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 18:08:15 ID:AjfYfcMY
男性の性欲は確かに、大問題でしょうね。私も愛する人がいますが、この事があって会えません。無償の愛であれば痛みもなく、見返りも求めないはずですが…。大変な葛藤と悲しみがあります。愛は何より大事なので誰もが無ければ心が死にますよね。
自我を捨てるという事は、一般的に大事とされるものを全て放棄する事ですが、何故そんな道を歩くのか…と考えると煩悩の世界が苦しくそれでは満たされず、平和には永遠になれないと実感したからです。
煩悩と平和が両立できない限りどちらかを捨てなければいけない、捨てきるまでは死ぬほど痛く苦しい。男の人は特に大変そうです。私も今度ばかりは致死量です。
詳しくはありませんが脳性マヒの方は、子供や少し無知な人に子供扱いされたり、知能について誤解されたりが多いのではと思います。
自尊心が高い方にはきっとしんどいだろうと思います。こういう病気で優しかったり穏やかでいられる人は、本当にすごいと思わされます。
435机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 18:48:42 ID:dQzYP/n/
よく禅僧といふのが修行の過程で質素な生活をします。
これは理由がありまして、物理的制約を経験することにより、
それに反比例するように精神的豊かさを感受するのです。
これは経験において知るわけです。

茶道では、2畳にも満たないような茶室において・・・
やはり物理的制約における無限なる宇宙を顕現する。
といふような、ここにも禅の心が生きています。→茶禅一味

つまり「自我を捨てる」といふのは、ある意味、非常に逆説的にそこに無限の自由を感得するんです。
このように、禅といふのは根拠性の破壊こそがその本義やにおもうのです。

>詳しくはありませんが脳性マヒの方は、子供や少し無知な人に子供扱いされたり、
>知能について誤解されたりが多いのではと思います。

そうなんですね。
脳性麻痺は、お産の時のアクシデントがもたらすもんで、
運動神経は麻痺していても知能は健全ですね。

ただ社会的な接点があまりなく、社会性が足りんのはいたしかたないことです。
こういうことまで健常者は理解せにゃ〜ならんですよ。

436名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 19:45:25 ID:AjfYfcMY
私も物理的、精神的に極限レベルまで追い込まれて
437名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 19:54:23 ID:AjfYfcMY
私も物理的、精神的に極限レベルまで追い込まれた生活をしました。自分が許せず、どうすればいいか分からず、発狂寸前、お金も何もなくよく死ななかったです。恐怖や悲しみ苦しみのどん底でしか私は真実に目覚められませんでした。
何故なら誰より傲慢で見栄っ張りで、社会的世俗的な権威に未練があったからです。一度最低まで降りてみなければ、本当に価値あるものは識別出来ませんでした。疲れました。10代から20代にかけてよく一人で頑張ったと、自分だけは自分を許してやりたいです。
誘惑というのはすごいものですから。幻です。
438机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/04(月) 21:17:19 ID:dQzYP/n/
>発狂寸前、

完全に狂ってしまえば、これは非常に楽になるんでしょうけど、
やはり人間といふのはそう簡単には狂えない。

十牛図八図は人牛倶忘といいまして、ここで彼岸に到るのです。
ここはまた「大いなる死」ともいい、死にきるんですね。
まあ、前に誰かのカキコがありましたビッグバンのところです。

ネットで検索して、どうか参考になさってくらさい。

あと、一休の語録はいいかもしれませんね。
狂いと悟りは同じようなもんですから、
そこにもし、貴殿が癒しを感じたなら、無門関の登竜門やにおもいまふ。

では、おやすみ。
439名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 21:28:58 ID:AjfYfcMY
一回死んだと思いましたが単に世俗的な死だったのでしょうね。非常に辛かったですが。死にきるといったら今かもしれませんね。出来そうにも思えませんが。気力がある時に検索してみます。ありがとうございました。
机さんは解脱された方なのですか?死にきったあと何があるのでしょう。私は自己満足の幸せで十分だったのですが…
440名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 21:35:04 ID:AjfYfcMY
おやすみなさい。
441釈迦原理主義者:2006/09/05(火) 00:04:26 ID:V3L9LX4W
>>439
机さんは423で>『私は人牛倶忘でいちど死んじゃっておるんで、
もう2度と死ぬことはないんですよ。不死というんでしょうか?』と言ってます。
 もちろん一度死んでも、解脱していなければ輪廻に乗ってゴキブリに再生するやもしれず
「不死」だなんて妄想です。解脱が2ちゃんねるやるんでしょうかねえ?
 そんなことより、一度死んでいるんなら、死亡診断書付きで実況中継せんかい!
442釈迦原理主義者:2006/09/05(火) 00:09:18 ID:Mah7HoMg
天人五衰
443名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 00:10:30 ID:u5544daQ
不死という事は身体の意味じゃないのでは?
444名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 00:47:08 ID:s+DctbNr
>>413
死んでも化けて出そうな人ですね!
445名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 01:46:05 ID:s+DctbNr
真理も真実もこの世のすべて(時間・空間・精神の大宇宙)の事だから善も
悪もなく在るがままのことだろう?
自分の思考や一歩は大宇宙(神?仏?)の思考であり行動だから・・・・
大宇宙(神?・仏?)の中の自分であり、自分の中に大宇宙(神?仏?)が
あることになるだろう?つまり同一ということ・・・
悟りとはこの在るがままを素直に受け入れることだろう?
何かに無我夢中で時間を忘れた幸せな状況と同じではないの?
その過程の状況である「悟り」などと考えると苦しくなるだけでは?
446名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 01:55:25 ID:s+DctbNr
>>445の続き
自分が死ぬことで時間も空間も消滅する・・即ち大宇宙も消滅する!
大宇宙が消滅すると自身も消滅するが、自身が消滅(死)しても
大宇宙も消滅するのだと思うよ!つまり同一ということ・・・
447名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 01:59:10 ID:hPAUtnS+
>>446
 ただ、大宇宙は無数の自我の集積によって成り立っているから
合同にはならない
448:2006/09/05(火) 02:00:56 ID:SwmuIKLZ
あぁ、悟ったがな。
何?教えろだ?
別にかめへんでー
449名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:09:06 ID:s+DctbNr
>>447
自分自身が存在しなければ(時間も空間も存在しない。自身が知覚することで
初めて存在する)宇宙も存在しない!!
生きること(生命=精神)は宇宙自身が自身を知覚するための媒体に過ぎな
いよ?
450名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:10:14 ID:HLOR6hfO
>>448 悟様

教えてくださりませぇー〜〜  私の全てを差し上げてもいいですぅ〜〜
451:2006/09/05(火) 02:11:49 ID:SwmuIKLZ
ん?よいよい。
何、聞きたいのん?
452名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:13:18 ID:hPAUtnS+
>>449
 唯識論は結構だけど、宇宙自身がどうして知覚する主体になるの?
453名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:14:14 ID:HLOR6hfO
エッチばっかりしてると悟れませんか?

瞑想も興味ありますが、どういうのがいいでしょうか?
454:2006/09/05(火) 02:16:16 ID:SwmuIKLZ
Hは沢山しなさい。気持ちいいしな。

でも、たまにはマスターベーションもよいよ。
455名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:17:55 ID:HLOR6hfO
>>454

そうですか〜
456:2006/09/05(火) 02:19:06 ID:SwmuIKLZ
瞑想は目をつむってボーット時間を無駄に過ごすこと。考えては遺憾よ。
考えようとしても、そうは、いかんざき。
457名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:20:35 ID:HLOR6hfO
そうですかー
わかりました〜 、、でもいかんざきさんはきらいです〜
458名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:21:27 ID:s+DctbNr
>>452
精神(生)と物(死)を分けて考えることに無理があるねのでは?

>>宇宙自身がどうして知覚する主体になるの?
そんなこと解るくらいなら「悟り」とは?なんて考えないだろう?
459:2006/09/05(火) 02:23:42 ID:SwmuIKLZ
悟りの極意とは、これすなわち見極め。

悟りたければ、我が道を行け。
460名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:27:08 ID:hPAUtnS+
>>458
 別に唯識論を批判する積りはないよ。ただ、宇宙が自我の集合体とでも認める
なら、充分主体になるだろうけど、自我によって認識されることによって初めて
存在するなら主体足りえないけどな
461名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:27:43 ID:s+DctbNr
>>456
そんな事より爆睡状態の時は時間も空間もなく幸せな状態でしょ?
正に「悟り」だ!!
462名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:32:18 ID:hPAUtnS+
>>461
 そして「永眠」によって、「仏」になるのか? 
463名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:35:39 ID:s+DctbNr
>>462
笑えた!
464:2006/09/05(火) 02:37:13 ID:SwmuIKLZ
なぜ仏に成ると信じる?
人も自然の一部に過ぎぬ。人は死ねば土に帰るだけ。
仏になる等、言語道断。ただのエゴ妄想に過ぎん。
人間など自然の営みの一つでしかないと、悟れなければ人類の未来は無い。
465:2006/09/05(火) 02:43:12 ID:SwmuIKLZ
この☆で一番繁栄してるのは虫達なのだよ?人間の数など実は少ない部類である。例えば北海道の蟻の数だけでも五十億匹以上は居るのだ。
466名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 02:45:31 ID:hPAUtnS+
>>464
 で、土葬が個人的に希望なのね?
>>465
 そこ迄云うなら、ウイルスや細菌となると数え切れんぞ
467:2006/09/05(火) 02:49:14 ID:SwmuIKLZ
この場合の土とは、自然回帰の事。細かいと、頭禿げますわよ
468:2006/09/05(火) 02:55:52 ID:SwmuIKLZ
人間の目線・尺度でしか、全部を見えない程愚かしい事はない。
469名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:00:49 ID:s+DctbNr
>>464
人間、冷静に自身の(或いは最愛の人の)死を受け入れることは出来ないから・・
・・
衰弱した精神には宗教という薬物が別に必要なんだね(精神の風邪薬のような
もの)?
しかし、服用を誤ると宗教中毒という毒薬にもなる・・かえって人格を破壊する
こともある?
470名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:02:59 ID:hPAUtnS+
>>458
 だから、先ず自然神という形で先ず神を仮想してみたわけでしょ?
そして抽象化した唯一神という概念も産まれるに到った。
で、人間は類人猿にでも戻れば解決するのかな?
471:2006/09/05(火) 03:08:49 ID:SwmuIKLZ
人間は弱い生物だから、自然を怖れてきた。だから、隔離社会を創り上げた。

虫を怖れる理由は、繁栄されてる事実から逃げるための思考。ゴキブリ怖いだろ?
472名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:15:02 ID:s+DctbNr
>>470
ただ、勝手な直感だけど、進化や法則性(科学)を考えると大宇宙(時空間)に
は何か見えざる手というか存在の目的性があるように思えて・・・・
その主体が人間(他の生命にも)には神?仏?と感知されるのではないかと?
473名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:20:55 ID:SwmuIKLZ
人間だから、人間の都合いいように思いたいだけの思考想像対象が神の正体だ。
人間など実際は取るに足らない生物と言う事。そんなに偉くもないだろ?
474名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:32:32 ID:s+DctbNr
>>473
しかし、人間(生命)自身が大宇宙から誕生したものだし、結局、人間が
神を求め思考しているという事は、大宇宙自身が思考していることになる
のでは?
生命を産出し、しかも思考している宇宙が現に存在していることになる!
人間は大宇宙の想像の産物ではないし存在しているのだから・・・・
その主体(神?・仏?)が存在していることになるのでは?
475名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:36:53 ID:Q91bx//e
ID:SwmuIKLZは、
一体何を悟ったんだ?
その辺の厨房と何も変わらん。
476名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:39:36 ID:hPAUtnS+
>>471
 あのねえ、細菌なんて一人の人体の中に
その位はわさわさいるよ。それに人間の細胞の数も
脳細胞だけで百億単位。人体自身が既に
大自然の神秘であるし、小宇宙であるんだよね。
477名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:45:19 ID:hPAUtnS+
>>473
 神という概念は、人智を超えて、だろ? その敬虔な気持ちが
宗教を産み、他方、文明を創造しても行った。科学は限り在る
知恵しか持ち合わせていない人間にとって、「神」としか呼びようも
ない超越した存在による神秘を解き明かす作業でもあったのだよ
478名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:49:39 ID:s+DctbNr
>>473
人間が集団に都合のよい身勝手な思考対象としての神は毒(悪魔)だろうけど
・・・・(人間が神を騙ること悪魔というのだろうけど・・殆どの宗教はこれに
あたるか?)
生命が誕生してから生命体の多くは見えざる手としての主体(神?仏?)を
感知してきたのではないか?
479:2006/09/05(火) 03:51:28 ID:SwmuIKLZ
>>476 細胞の話をしたか?生命体の話だ。勘違い甚だしいなおまえ。
480:2006/09/05(火) 03:54:28 ID:SwmuIKLZ
神を欲しがるのは人間だけだよ。ほかの生物は欲しがらない故に、人間の想像物。
481名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 03:58:11 ID:Q91bx//e
>>479
細胞は生命の単位になりうる。
解ってないのは

おまえ

m9っ( ̄ー ̄)ニヤリッ
482:2006/09/05(火) 04:02:36 ID:SwmuIKLZ
頭悪い奴ほど、話を小さく複雑にしたがる。
483名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:03:55 ID:hPAUtnS+
>>479
 細胞は生命体ではないのか? 生命の中に生命があるのだろうが。
それともキミは完全に一人で生きているのだな?
>>480
 それは無神論者が神を語る通説的理解だが、尤も、それ、
どう証明するのかな?
484名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:04:04 ID:Q91bx//e
>>482
あふぉか単純化だろ
人間一人と単細胞生物を等価に数えるお前の方が頭悪いw
485名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:05:43 ID:hPAUtnS+
>>482
 物事を単純にしか表現できないのは、賢い証拠とは到底
云えないが
486名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:07:54 ID:s+DctbNr
>>480
他の生物は自然に目的を持った主体を感知(悟っている)しているのではない
ですか?本能中心で余計な思考がないだけ自然態です(悟っている?)
人間だけは余分な思考が想像の産物として擬人化した神を産出した!
この人間が想像した身勝手な神(悪魔)は時として大きな不幸(戦争・虐殺)
も作り出したのですよね。
人間は都合によって核兵器まで神にしてしまうから・・・・
でも、静かな所では見えざる手が働いているように思えるが?
487:2006/09/05(火) 04:20:59 ID:SwmuIKLZ
神とは人間のエゴそのもの。
488名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:24:34 ID:Q91bx//e
>>487
いい加減にしろ、ニセモノ
これ以上恥晒すな
489名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:26:02 ID:hPAUtnS+
>>486
 人間は本能の壊れた動物と云うね。自らを超越した法則なり原理を
神と呼ぶかどうかは当人の問題になる
>>487
だからスーパーエゴ(超自我)だって。キミは人間ではないのだな?
490:2006/09/05(火) 04:26:06 ID:SwmuIKLZ
神なんか、居るわけないだろ?気違い
491名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:28:02 ID:hPAUtnS+
>>490
 神がいる椰子もそういう捨て台詞を投げることで
議論を投げるね。この程度じゃ2ちゃんの中でも
自分の主張で他人を説得することなど出来ないな
492名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:28:16 ID:Q91bx//e
>>490
>神とは人間のエゴそのもの。

お前が此処で存在を認めているではないかw
おまえ池沼??w
493名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:30:03 ID:s+DctbNr
>>490
俺も擬人化したような神はいないと思うよ!でも見えない何かがあるような?
感じませんか?
494:2006/09/05(火) 04:31:10 ID:SwmuIKLZ
エゴが創った産物な。こまかいな、悟れ。頭、禿げるぞ?ハゲてるの?
495名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:33:08 ID:Q91bx//e
>>494
で、おまいはいったい何を悟ったんだ?

宇宙の果てで自分のエゴに出会ったのかなw
496名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:34:13 ID:hPAUtnS+
>>494
 その程度の事で「悟」りと云われてもな。真昼間にこんな事、
他人に云ったら、呆れられるぞ
497:2006/09/05(火) 04:37:21 ID:SwmuIKLZ
2チャンの宗教スレをマジレスするよりいいだろ?おまいらよりましだ。気持ち悪い
498名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:39:05 ID:Q91bx//e
>>497
荒らしの告白ですか?w
499:2006/09/05(火) 04:40:47 ID:SwmuIKLZ
いや、荒らす気はない。神は居ないと言いたいだけw
500名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:41:42 ID:Q91bx//e
>>499
それはマジレスなのか?
キモイな
501名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:47:44 ID:hPAUtnS+
>>499
 熱心などこぞの信徒とガチで組んでくれたら面白かったかもね。
また、神の存在スレあったけど、其方でやって欲しかったな。
ただ、明治の代ですら「かのやうに」(鴎外)が常識だよ
502名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:52:34 ID:hPAUtnS+
>>499
 ただ、今は亡きマルキスト青木雄二が、国営放送出演の条件として、
そう云わせてくれ、と出演を断って行ったのは有名だったな。
公の場で顔を晒して述べるには、結構、リスクの在る行為だからね
503:2006/09/05(火) 04:53:02 ID:SwmuIKLZ
チョン髷時代がどうかしたか??神なんて存在しないんだよ。妄想だ、人間のエゴの産物。考えたら解るだろ?
504名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:56:00 ID:Q91bx//e
>>502
天皇も昔は現人神だったらしいから
リスクはでかいだろうね

極右煽るようなことはNHKでも腰が引けるだろうなぁ
505名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:56:39 ID:Q91bx//e
>>503
宿題終わったのか?
506名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 04:57:41 ID:hPAUtnS+
>>503
 だから、考える以前に、とっくのニッポンでも常識だって。
神の実在を唱える椰子も、当たり前に、二重基準の中を生きているの。
507:2006/09/05(火) 05:19:18 ID:SwmuIKLZ
>>505のハゲ反射行動で悟れた気がす
508名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 05:20:46 ID:Q91bx//e
>>507
まだまだだな

m9( ̄ー ̄)ニヤリッ
509:2006/09/05(火) 05:24:34 ID:SwmuIKLZ
腹にもキテル様子
510名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 05:26:31 ID:Q91bx//e
>>509
おなか痛くても、ちゃんと学校行けよ
511名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 05:35:08 ID:hPAUtnS+
>>509
  後、授業中の居眠りは程ほどにな
512名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 05:35:30 ID:SwmuIKLZ
>>510 寝不足せず頭皮を労れよ
513釈迦原理主義者:2006/09/05(火) 08:11:45 ID:Mah7HoMg

 くだらぬ形而上的抽象論につき十難無記
514釈迦原理主義者:2006/09/05(火) 08:15:36 ID:Mah7HoMg

    馬鹿厨房は空気嫁
515名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 08:24:18 ID:lXAu6VvW
神様がいるに決まってるだろ!
516机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 09:35:36 ID:F5AUWQhO
>>439
>死にきったあと何があるのでしょう。

なにもないですね。
あえて言ふならば>>357の正岡子規のようなもんです。
飯を食うて、糞するだけの病床の身でも、そこにかすかな生の営みがあるじゃないですか。
欲せずして、それは瞬間々々にある大自然(だいじねん)

人間とか植物とか、そういふ枠組みを超越した、
子規と薔薇との相通ずるもんを、子規自身が感じたんだろうね。
いうならば官能的なんでしょう。
517机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 09:45:25 ID:F5AUWQhO
>>441
>解脱が2ちゃんねるやるんでしょうかねえ?

死んでおっても、眼の前にPCがあえればキーボードを叩きます。
瞬時々々には縁はありますから、一期一会ですね。

「死にきる」といふのは、生きている意味もなくなりますから、
解脱したい、とか、解脱したくない、とか、
思い煩うこともないです。
518名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 13:44:38 ID:u5544daQ
>>516
そうですか。ちらっとみた十牛図では、最後は全く元にもどる、悟った悟らないと言っているうちは悟っていないという事でしたね。
命にはほぼ執着はないですが、こうして生きている限り捨てきれないこだわりへの強い執着、自我意識からは逃げられず煩悶しています。
悪夢をみて目覚め、現実も悪夢だと思いだす度、これは無理だ…と思わされます。
519机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 14:31:39 ID:F5AUWQhO
>>518
>こうして生きている限り捨てきれないこだわりへの強い執着、
>自我意識からは逃げられず煩悶しています。

それは生きてはおらんですね。
貴殿は過去に生きておるんじゃないですか?
「生きてる」ってのは今ここにしかありゃらん。
今ここにある。→即今即所

>>357の子規は、今ある自分自身を歌に詠んだかとおもいますね。
病床の子規ではなく、
瞬間の自分のことです。

モノを触れば確かな感触。
庭を見渡せば、鮮やかな色の薔薇。
この瞬間こそが生きておるんです。

で、こういふ刹那を、禅師などは粋な歌を詠んで風情を楽しむわけですね。
過去も現在も未来も、あの世も全てが「今ここにある」。
と、覚者は悟ります。

で、これを一期一会などというて、茶道ではこの禅のこころが生きておるんです。


520机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 14:43:10 ID:F5AUWQhO
私の好きな歌

    春に花   夏ほととぎす   秋は月   冬雪さえて冷やしかりけり

                             <by道元>

まあ、これは私が説明することもなく、道元の境涯が実によく顕されておりますね。
521名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 14:58:41 ID:u5544daQ
間違いなく過去に生きていますね。今に生きれるようになれるのは(その大事さは学んだはずでしたが)乗り越えた時だと思います。そしてそれは無理そうです、
失ったものがとりわけ執着が強かったものな為、去年の冬から時間が止まったまま、過去になんとか戻れないかと今だにこの現実が受け入れられません。
自分の中の放棄の限界を見ました。本当にぐちぐちとすみません。牛か馬の様に屠殺して欲しいです。
522聖霊大王:2006/09/05(火) 16:15:02 ID:r2r5BoeK
悟も、おもろい奴だが、、まだ、無駄が多いな、、
523机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 16:44:04 ID:F5AUWQhO
>>521
私が病後に悶々としているときに、
そのときが丁度、大晦日でして菩提寺の除夜の鐘がなっておりました。
煩悩といふのは108あるそうです。

そうか・・・煩悩といふのは108もあるのか。
なんて、おもいに耽っておったんです。
で、鐘の響きは私の胸に突き刺さるようでしたよw
そうこうしておりましたら、私は眼がパチクリと開きましたよ。
「眼が開く」ってのは、こういふことなんですね。

煩悩こそが即私じゃないですか。
煩悩こそが生きておる証そのものじゃあないか。
なんて、私はやっと解ったんです。

まあ、こういふことは瞬時にあります。

ある坊主が庭を掃除しおりまして、小石が竹に当たりましてね、
その微かな音を聞いて悟ったそうな。
まあ、いろいろあります。

道元なんぞは、禅定の最中にドサクサ紛れに悟ったよぉです。
524机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 16:59:29 ID:F5AUWQhO
で、こころが過去に向いておる間は、やはり今の自分といふのは見えてきません。
いつか時を経まして、拒絶から受容へと次第に心が向いてまいります。
そういう過程を経まして、やっと自分といふのが解ってまいります。

子規も拒絶から受容へと、だんだん自分を受け入れて逝ったのかとおもいます。
やはりそれには月日はどうしてもかかる。

私もドン底におった時期もありましたが、先達の禅師にいろいろと学びまして、
やっとこうして生きておるんです。
まあ、貴殿の書き込みを見れるうちは、貴殿は生きて、
私とこのように通信をしておるではないですか。
これも一期一会です。
今、めぐり合える喜びしかないんです。
ただそれだけが、生きるってことなんです。
525名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 17:03:58 ID:u5544daQ
こんな凄まじい絶望は初めてです。何一つ心に入りません。全てが凍り付いたままで。
そろそろ息をしている意味すら分からなくなってきました。もう少し今までの人生等を振り返ってみようとは思います… 何故悲劇は起こるのでしょう、苦しみを通じて自分への執着を捨てるためかな。
最後には自分はいないと、いうところがゴールかな?無理です
526名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 17:05:19 ID:kpdr0wDG
悲しみと苦しみの違いを知ること、それが悟りかも。
527悟道松:2006/09/05(火) 17:06:59 ID:rVj3mEOe
u5544daQのネーチャン もう何十回もカキコしてんだから名前位つけろや。カコイイ奴をな
あともう少し具体的なこと書かんと、なんだか分からんぞ。
まあ痛くてまだ振り返られんのかもしれんが、書いたり喋ったりするだけでも癒しになるんだから。
あと机氏乙、あんたこのスレの柱だわ。


528机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 17:35:21 ID:F5AUWQhO
>>525
>何故悲劇は起こるのでしょう、苦しみを通じて自分への執着を捨てるためかな。

ビルの屋上から石を投げたとして、その石が誰かに当たる確立は時の運としか言いようがないですね。
石が当たってしまった御仁は、運が悪い。

後にその御仁が宝くじが当たったとして、その時は運が良かった。

石が当たっも、宝くじが当たっても、当たったことは間違いはないですね。
それはどうしようにも過去に起こってしまったことは、どうにもならんのです。

人は高機能の思考能力を得た、と同時に、
その負の部分で、どうしても煩悩といふのは付随するのです。
根源的には、人の言語活動は生得的である。
といふところが、その因となる。
529水色:2006/09/05(火) 17:48:20 ID:u5544daQ
>>524
そうですね。私は書いた様に何年もどん底にいて、やっと全ての執着を断ち切って自由になれたので、その苦しみ(今度は最大級で限界以上)をまた繰り返す事がしんどすぎるのです。
一度素晴らしい光を経験したので、もういいかという諦めと同時に物凄い未練もあります。
机さんには本当なら掲示板に書く様な事ではない愚痴に丁寧にお返事をして頂き、嬉しかったです。
とても暖かいお人柄なんでしょうね。無知でよく分からない事もあり、失礼な返事も許して下さり本当にありがとうございます。
530水色:2006/09/05(火) 17:54:58 ID:u5544daQ
>>527
掲示板を日記にしてしまいました。屍で心が死んでいるので、甘えていました。
つまらない自己主張や悩みに相手をして下さる方がいてこの何日か、救われました。名前はつまらなくてごめんなさい。
531机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 17:59:34 ID:F5AUWQhO
>机さんには本当なら掲示板に書く様な事ではない愚痴に丁寧にお返事をして頂き、嬉しかったです

禅では、一期一会を大切にします。

人を救うとか、人から救われる、
という二項から離れまして、ただただ一期一会なのであります。

禅においては「喫茶去」といふのがあります。
これは、ただただ茶を飲むだけなんです。

なにもない。
このことに気づくのも、また禅なのであります。
532水色:2006/09/05(火) 19:14:59 ID:u5544daQ
一期一会ですね。私はずっと探していたものや人を見つけました。だからここで死んでも何の後悔も無い。
でも逆にいうとそれを失ってしまうとすれば、生きていても仕方ない、そういう幸せな出会いがあった事に感謝しつつ、今は引き裂かれるほど苦しいです。
極端にプラスの幅が大きいほど、何かで失うと命とりになる。私だけでなく突然の悲劇や苦しみの中にいる人が、全員救われる時はくるのでしょうか。
乗り越えられない苦しみは与えられないといいますが、年間3万人以上の人は乗り越えられなかったのだなあ、と思ってしまいます。
533名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 19:28:38 ID:xC40T0kK
石の上にも三年

苦境を平凡な日常として受け入れられるには
やはりこのくらい掛かるんじゃないかねぇ

時間だけが解決してくれる。
534悟道松:2006/09/05(火) 19:43:10 ID:rVj3mEOe
水色ちゃんいい名前じゃないの。なういぜ。
なうなやんぐのふいーりんぐでごきげんだぜ。
で、何があったの。
自分の話が辛かったら、友達A子の話にしようや。
A子は若い頃美人でした。それを華にかけてちょっと天狗な人でした。
ある日、こんな出来事が・・・
535机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 19:45:57 ID:F5AUWQhO
>>532
>乗り越えられない苦しみは与えられないといいますが

だけど、なんでそんなにガムバッテ逝きるのですか?
私にはよく解らんのです。

乗り越えられなけりゃ、それでいいんじゃないですか?
諦観といふのですが、
いわゆる「諦め」、のようなもんも時には必要なんじゃないですか?

まあ、たぶん貴殿は白隠和尚のよぉな方なんでしょう。
真面目な方なんですね。

私はどちらかというと、盤珪みたいなのが相性はいいんです。

でも人それぞれですが、
貴殿のよおうな方と、こうして絡みますと、
なんか自分にはない、新鮮なものを感じますね。

私はB型で、いい加減な方なんです。
貴殿はたぶんA型なんでしょう?
536水色:2006/09/05(火) 20:47:25 ID:u5544daQ
>>534
大笑いしました。そのとおりです。
>>535
私はO型で相当いい加減です。でも真理の追究を始めてしまい、本当に素晴らしい場所に辿り着けたのでそれを悲劇と自分の馬鹿さで失ってしまった事が耐え切れないのです。

ある種類の人には絶対に逃げられない運命があると思います。その結果が良くも悪くも最後まで追究しきった事に意味があると私は思いました。早く寿命にきて欲しいです。
537名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 20:57:34 ID:u5544daQ
>>533
そうなんですよね。でも10年以上石の上にいたのでまた3年は無理なのかな、と思っています。
本当に助言ありがとうございます。人の痛みをわかるにはこのくらいの事がなければ無理だった、と思いました。
きっと決まっているんでしょうね。
538名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 21:01:55 ID:ckV86N88
何かを捨てたと思っているうちは、実は何も捨ててはないのであります。
何かを得たと思っているうちは、実は何も得てはいないのであります。
539名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 21:12:39 ID:I+7cTGjg
>>538
十午図第十図ですな
540名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 21:14:48 ID:3DNkwQSC
十牛図だろ
541名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 21:17:44 ID:3DNkwQSC
布袋さんが出てくる絵は538の意味なのか。
542机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/05(火) 21:30:24 ID:F5AUWQhO
>>536
>早く寿命にきて欲しいです。

なんでそんなに先のことまで考えるんかな?

そして過去のことに拘ったり。

貴殿は自身の”こころ”に振り回されているだけなんじゃないですか?

慧能の公案に「非風非幡」というのがありますから、検索してみてはどうですか?

では、おやすみ。
543水色:2006/09/05(火) 22:31:10 ID:u5544daQ
寿命に今すぐきて欲しいんです。やはり極限状態で異常な精神状態にあるんでしょうね。
私は凡人です。夢を諦めない事と悟る事は両立しません。耐えられません。過去といっても去年です。
禅問答の答えは自分で出すしかありません。おやすみなさい。ありがとうございました。
544水色:2006/09/05(火) 23:51:16 ID:u5544daQ
心にふりまわさてれる、とありましたが心を制して制して悟りに至るのですから、過去への執着が捨てきれない現在の苦しみの最中では、そのとおりです。
自分を律して律して極限の忍耐力を試されて、何が真実か識別し続け、捨てれる限りのエゴを捨てて自分の出来る限りの努力を捧げて、勿論他の楽しみや権利は全て犠牲にして、私なりに真理を知りました。神の愛に辿り着きました。
真面目と言われましたが、このくらいしなきゃ誰も悟るなんて無理ですよね?私は何年もほぼ誰とも関わりませんでした。
そのうえで私は今回はギブアップかもしれないと言っています。長々とすみません。
545名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 01:10:36 ID:fwfmE4CB
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
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546机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/06(水) 06:37:52 ID:C/N8mZbF
>>544
>私は何年もほぼ誰とも関わりませんでした。

去年までは恋愛関係がうまく逝っていて・・・
それが、なんらかのアクシデント(事故とか)で、それが駄目になっちゃたんじゃないんですか?
女人が思い詰める。といふのは、私はそれくらいしか考えられんのですが。

まあ、男と女は熱いうちが華で、そのうち大体が飽きてくるのが世間一般ですがね。
恋に自分が酔っておるんじゃないですか?
いつかは酔いも醒める。

そう、あの笑気ガスのよぉに、
きっと醒める時がくる。

悟りというのは、そんなもんですよ。
ただ酔いが醒めるだけ。
547水色:2006/09/06(水) 14:14:33 ID:jvMOIWQ2
机さんは私の書いている事を話半分で読んでいらっしゃいますね?少し当たってはいますが。
548水色:2006/09/06(水) 14:49:19 ID:jvMOIWQ2
私の今の本質的な苦しみは、諸行無常の真理を徹底的に試されているが、自我や自己愛のくずにより、乗り越えられそうにないという事です。
そのためここで主に聞きたかった事は二つ、何度も書きましたが一つは本当に悟れば、自分の身に何が起きようとどんな変化にも、動じないのか、という事。これは解脱すれば可能だと理解しました。
あとは悟った後の自殺についての意見です。これは自分でもう少しよく考えます。
549机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/06(水) 16:20:41 ID:C/N8mZbF
>あとは悟った後の自殺についての意見です。

自殺ってのは、よぅするに過去に囚われているんじゃないですか?
そういう意味じゃあ、過去は殆ど愚鈍になりますから、
自殺のことは、あまり考えなくなるんじゃないでしょうか?

過去とか、未来とか、来世とか、解脱とかいふ概念自体が全く変わってしまう。
こういふことを殆ど考えなくなる。
これをようするに、世間一般的にいふなら「解脱」というんじゃないでしょうか?
つまり、時間的概念そのものからの開放(解脱)と、
わたしはかように自分なりに解釈しとるです。
(これはあくまでも持論です)
550机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/06(水) 16:31:51 ID:C/N8mZbF
>これは自分でもう少しよく考えます。

今ご自身のテーマに乗っ取って考えても、なんら答えは出ないかとおもいますよ。
思考の根拠まで遡らねば、
そのために「悟り」ってのがあるんですから。

正覚までもってかんと、本来の自分といふのは見えてこないかとおもいます。
「悟り」ってのは、ようするに「気づく」こと。
551水色:2006/09/06(水) 16:49:44 ID:jvMOIWQ2
そうなんです。だから私は何度か書きましたが、この事があって自分が本当には悟っていなかったと分かったのです。
少なくとも解脱等はしていない。心の闇、幻影、悪夢を克服していくうちに、夢の砂漠を渡りきって無限、永遠を認識し神の愛を知るイコール悟ったと思っていました。精神性に目覚めたという程度なのかもしれません。
解脱したいなどと思った事はありませんし、こんな事が無ければどんなに未熟でも前のままでよかった。
でも避けられなかった以上、これを乗り越えるか、無理か、どちらかです。あまりにも無理そうなので自殺という発想が出てくるのです。
学んだ事をしっかり自分のものにしていれば乗り越えられるはずですが、ここで自我のしぶとさとそれにしがみつく事の苦しみを改めて分からされました。
それほど自分を愛していたのだなあ、と。そして自我か真理かどちらかを究極に選ばなければならない時が来た。厳しいですね…と思う。
自分を愛さず全ての人を愛する為に完全な自己放棄をする、それが実は一番の幸せだそうですが、出来た人は本当にすごいですね。
長くてごめんなさい。
552机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/06(水) 17:53:45 ID:C/N8mZbF
>自分を愛さず全ての人を愛する為に完全な自己放棄をする、それが実は一番の幸せだそうですが、
>出来た人は本当にすごいですね。

これは、マザーテレサみたいな方ですかね?
テレサは自己放棄までは逝かなかったようです。
つうか、自分の立場といふのを非常にわきまえいて、機微に関することは
語録でも随分気を使っていたかとおもいます。
クリスチャンであっても、仏教的な思想は多少あったような印象です。

それでも当時のインドキリスト教会は、彼女を批判するものもいた。
理由は「神の被造物破壊」だったそうです。

テレサはどちらかといふと、仏教関係に支持があったかとおもう。
しかしながら、仏教では
>自分を愛さず全ての人を愛する為に完全な自己放棄をする、それが実は一番の幸せだそうですが、
>出来た人は本当にすごいですね。
こういふのは凄いとも思わんけどね(^^ゞ

で、こういふことを何処から学んだのですか?
553名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 18:46:53 ID:POvp3Ejs
坐禅と見性 第44章 
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1156522429/
554水色:2006/09/06(水) 19:00:09 ID:jvMOIWQ2
言葉は本ですw。苦しかった最中に宗教的なものから教えを得たり求めたりは全くなく、経験からしか学びませんでしたが、先程書いた言葉は実際を伴わずの身の丈以上です。
意識はしていませんでしたが私はクリスチャン寄りの様です。スレ違いでしたら言って下さい。
結局どの宗教だろうと無宗教だろうと、大きな愛を知っていれば議論はいらないと思います。それを知る為に様々な道がいろんな言葉で著されているだけで、実際に認識出来るまでの道標ですよね?
私は愛だと思います。自分を空にした後、神は愛だとも知りました。
私の間違いはそれを一人占めしようとして他人への愛等考えていなかった事。
ですから先の言葉はこの地獄を乗り越えるために本から必死で学んだ究極的にはこうあるべきだったのかな…という考えです。
555名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 19:15:31 ID:9WtFDCvj
水の色は、無色にして透明。
この無色透明の水も、深みを増せば青となり群青となりやがては漆黒ともなる。
しかし、この漆黒と見える水を両の手で掬い取ってごらんなさい。
なんのこともない、もとあるとうり無色透明の水。
556机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/06(水) 19:36:04 ID:C/N8mZbF
>ですから先の言葉はこの地獄を乗り越えるために本から必死で学んだ究極的にはこうあるべきだったのかな…という考えです。

究極的なのは、ヤバイ場合が多い。

かつて三島由紀夫は陽明学(至上善の追及)に傾倒しまして、
善の完成こそが自害だったのですから。

本来、陽明学というのはそういうベクトルの学問じゃないですが、
結果的には三島のようになる場合もある。

ってか、宗教というのも、ある意味危険と隣り合わせ。

仏教といふのは、中道ですから極論といふのは先ずないんです。
極論がヤバイ、といふのは釈尊自身が既に悟っておったんです。

中道でしたら、カルトそのものが成立しない訳なんですが、
なんとしたことか、日本はカルトがイッパイです。
(キリスト教においてもしかり)
557机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/06(水) 19:43:59 ID:C/N8mZbF
>>555
そうですよね。

青は藍よりも青し、なんてのもあったですね。

では、、おやすみ。
558悟道松:2006/09/06(水) 19:44:17 ID:09lIUwve
  過去スレ読んできたわ。目玉疲れた。
 A子の話の続き。A子はちょっと苦労もしたけど、夢だった仕事につき、イケメンの彼氏もゲツト
 して最高。てな感じの生活を送っていた。しかーし、ある日 事故か事件に巻き込まれ、体に障害を
 おってしまった。プライドの高いA子は自分から彼氏の前から消え、もう死んじゃおっかなーなどと
考えたりしちゃったりしてた。
 別にキリスト教徒でもないのに加害者を赦さなくちゃいけないのだわ。とか、
これは神様の与えた試練、受け入れなくっちやいけない。だとか考えたりしちゃってた。
さらに、元のあの生活に戻りたい。でも神様の試練は受け入れなくっちゃいけないんだもーーーん。
だけど我慢できないからやっぱ死んじゃおっかなーーなんて思ってるこの頃です。って所か。
こいつはあくまでA子の体験です。間違ってたら訂正してくらさい。
559水色:2006/09/06(水) 20:03:06 ID:jvMOIWQ2
ここには本当に悟った人はいるんでしょうか?
私はプライドが高いですよ。だから克服したいと苦しんでるんです。皆同じでしょう?
心の苦しみは一人で解決しなくてはいけませんね。
560悟道松:2006/09/06(水) 20:13:53 ID:09lIUwve
水色ちゃんゴメン ちゃかして悪かった。
しかし、過去スレ読んできたけど、あんた何度も返スレにいちいちありがとうって
返してた。今のあんたはプライドが高くても、ちっとも天狗じゃない。
昔は顔が美人だたかもしれんけど、今は心が美人だと思うぜ。
そんなあんたが好きだぜ。 愛してるぜ。
561水色:2006/09/06(水) 20:36:07 ID:jvMOIWQ2
ある事を本気で追究すればリスクもあるし、犠牲も払うし、他人からの誤解から受ける痛みにも耐えなきゃいけませんよね。失わずにして得るものは価値がない。
知識ではなく実際に悟る為には自分の全てを試練にさらして相当のものをいったん犠牲にしなくては無理では?
体験からの言葉が聞きたいのです。
本当の暗闇や幻影と闘って危機を脱して真理を体験し、体現している人の具体的な言葉を。
傲慢で無知な井の中の蛙が失礼にわめいて申し訳ありませんでした。ありがとうございました。おやすみなさい。私はおかしいのです。極端な終わり方、それもありですね。
562水色:2006/09/06(水) 20:39:06 ID:jvMOIWQ2
>>560
ありがとう
563名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 22:54:09 ID:hzCWl7SL
>>555

。・゚・(ノд`)・゚・。
564名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 05:34:59 ID:SiSGaD/M
問う者 としての投稿者
>>561
最も単純な事を理解するのが最も難しい

「鋼の錬金術師」じゃあるまいし、何が失わずにして得るものは価値がない ?



565名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 05:57:30 ID:JhQhlLsF
>>561
 いずれはあなたが
>本当の暗闇や幻影と闘って危機を脱して真理を体験し、
>体現している人の具体的な言葉を

 吐く事になるかもしれないね。どうかご精進されたし
566カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 06:27:55 ID:VuwsCOHL
>>368
ブラボー。
あなたの言うとおりだ。
本当に悟った人なら、あなたと同じことを言うはずだ。
なぜなら我らは、本来「一」だからだ。
死にたい奴に言っておく。己のエゴにより、己を殺す者は他人を殺している。
他人を、己のエゴにより殺す者は、己自身を殺しているのだ。
人殺しは生きない。死人のままだ。
無明に囚われし愚か者はその事を知らず、己のエゴのまま、この世を生きる。

この世に生まれる我々は、自分自身を知らないでいる。
自分自身を知らない者は、獣のままだ。
塵から生まれたものは塵に帰る。獣は生きないのだ。

耳と口と王と書いて「聖」と読む。
己の魂の責任は己自身にある。生きる者は、誰彼に言われるまでもなく、命の言葉に
耳を貸すだろう。滅びる定めの者は、決して聞こうとしない。
567カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 06:33:14 ID:VuwsCOHL
>>314
>まさに釈尊の本懐であります中道は、このバラモン思想(教)を見事なまでに破壊してますね。

おはよう、机さん。久しぶりだね。

さて、原始経典を読む限り、釈迦は別に、バラモン、ヴエーダの思想を否定していないと思うんだがね〜。
どこをどう否定しているのか、教えてくれませんかね?
568カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 06:59:15 ID:VuwsCOHL
さて、あほの一休だが、臨終の際、「死にとうない」といったそうだな(爆笑)
これは見事な、この世への執着だ。
たとえ女に向けた言葉だとすれ、見事な、女への執着だ。
見る限り、一休とやらは、好き放題、自分の欲望のまま生きたようじゃないか(苦笑)
彼は悟っていないよ。彼のような悟りを、凡夫の悟りというんだよ。

禅宗の能書きは気に食わん。皆を間違った方向に導く。
彼らは言う。善悪に囚われることなく、自由奔放に生きよ。
たしかに己のエゴのまま生きるのは、それが満たされるのなら、苦もなく楽だろうよ。
だがそれは滅びへの道だ。善悪に囚われず、エゴのまま生きると言う事は、
獣と同じという事だ。獣は、善悪など知らず、エゴのまま生きる。
己のエゴ心が満たされなければ苦だと言うが、たしかにそうだろう。だが本当に伝えたい事はそんな事ではない。
「一切皆苦」。釈迦は、一切、つまりは、この世は、皆苦だと言っている。
早い話、この世の生は、苦だと言う事だ。

ところで俺はキリスト教徒だから、ここで一つ聖書を引用してみよう。

創世記3:22
>主なる神は言われた。 「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。
>今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

つまりlこういうことだ。。善悪を知る知恵のある者が、永遠に生きる存在となりえるということだ。
獣は、善悪など知る知恵など持たない。善悪を知る知恵のある存在は、我々「人間」だけである。
悟りとはなにかと思考する心を持てるのは、言葉による思考を持つ、我々人間だけなのだ。
言葉を持たない獣は、悟りなど思いもつかない。獣に悟りなどない。「言」を持たない獣の心は、
死により、五感による入力がなくなれば、何も残る素因がない。
569人工知能シャバダバ:2006/09/07(木) 07:10:01 ID:1NrNozDx
果たしてオウム・アーレフの教義は完璧か?78
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157279878/l50
↑どうすか、これ。
570カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 07:14:26 ID:VuwsCOHL
仏教について。
原始経典を読む限り、釈迦は普通に形而上のことを語っている。
ま、わかりにくい言い回しだが。

俺は釈迦は別に、バラモン、ヴェーダを否定していると思っていない。
むしろ肯定的だと思える。釈迦は、批判したとしたのなら、真我をこの世の「私」だと誤謬している
当時のバラモンの指導者だろう。

「自」は存在。「他」は幻。「自」を分けた、「自分」と言う存在は、幻。

我々は、「一」を善と悪とに分けた。それはエゴを生む。
エゴは人の心を分かつもの。分かれた心を、決して一つにしないもの。
我々は本来一つだ。ならば愛し合うのが当たり前ではないか。
自分自身を愛さなく、いったい誰を愛すのか。
我々は一つのものを、二つに分けた。そして本当の自分自身を忘れ、己のエゴを愛する。
我々は悪い存在だ。この世に生まれる我々に、義人はいない。ただの一人もいない。
571カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 07:21:34 ID:VuwsCOHL
この世への執着は、エゴを生む。
エゴは、自我を生む。

エゴを捨てるということは自我を捨てるということだ。
人は自我を捨てたとき、元からあった自分自身を受け取るだろう。

それはヴェーダでは真我と呼び、仏教では涅槃と呼ぶ。
そしてイエスは、天の父と呼んだ。
572釈迦原理主義者:2006/09/07(木) 07:33:11 ID:QQSIKQNm
マリア・カラスはかく語りき
<<ゴータマブッダは徹底した実存的経験主義だ。
死んだらどうなるか、輪廻転生は事実か等は十難無記。
あったらあったでいい、現世での最終解脱によって超越できるのだから。
なかったらなかったでいい、現世という苦の世界から消えるのだから。
ただ、どちらにせよ諸行無常・諸法無我という真理に覚醒し、無明苦から抜け出し
執着を脱し、真理を体得する正しい生き方をして死を迎えよう、ということ。

死後の世界が怖い? とんでもない、死後の世界なんて誰も経験・証明できない
のだからまさに『未知との遭遇』ワクワク、どきどき楽しみです。

だから、死んだらこうなると断言する言説・宗教は全て『妄想』にしか過ぎず、
真理として問題にするに値しない。ユダヤ・キリスト・イスラム・日本の
大乗仏教すべてが『妄想』『仮説』を真実として入れ込んでいる。

 いまさらながら、ゴータマブッダ(宗教ではない)の偉大さを感じざるを
得ない。>>


573カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 07:38:23 ID:VuwsCOHL
>>390
>その後、麻酔から覚醒する段階になりまして、
>人間が死ぬ、ってのは、たぶんこんな感じで全てが無になるんだろうな。

机さん。一ついいことを教えてあげよう。
グノーシスでは、三つの状態があると説く。

一つは、永遠の状態。これは本来の自己と説く。
一つは、死人のまま生きる状態。これはこの世の生の状態。つまり我々だ。
そしてもう一つが、その中間の状態。つまり死だ。

もっとも忌むべき状態が、この死の状態だ。この時、人は何もできない。
あなたが、麻酔で経験した、完全な無の状態とは、中間の状態、この死の状態なんだよ。
人は生きている間にしか、真の命を得ることはできない。
死んでしまっては、何もできないのだ。そして時が終わるとき、
行き場のなくなった、本当の自分自身を知らない哀れな魂(業)は、永遠の無に処せられる。
こうなっては、全てが手遅れだ。なにもかも失う。文字通りの、永遠の無だ。
キリスト教では、これを第二の死と呼ぶ。人はこのことを真に恐れなければいけない。

天地は過ぎ去る。生まれた物は、いずれは滅びる。それが定めだ。
それはこの宇宙とて同じ事。行き場のなくなった魂(業)は哀れだ。無になるしかないのだ。

ま、真我とは、この魂を殺さないと、立ち戻れないのだけどね。それは生きているときにしかできない。
574釈迦原理主義者:2006/09/07(木) 07:47:06 ID:QQSIKQNm
妄想を真実の如く語るな
575カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 07:50:03 ID:VuwsCOHL
>>572
>死んだらどうなるか、輪廻転生は事実か等は十難無記。

俺には、原始経典を見る限りさ、普通に形而上の事を語っているように思えるんだけどね〜
真理は、ヴェーダですでに完成されている。

むしろ仏教など、経典を編集するさい、肝心な事は、あいまいに語り、
あえて読者に真理を悟らせないようにしている節さえ感じられる。そこには悪意すら感じられる。

おそらく、時が来るまで、我々には真理(真我)を悟ることが許されていないのだろう。

釈迦は言っているではないか。名称と、形態を滅ぼした先に、ニルヴァーナがあるとね。
名前は識別するもの。

まぁ君ら仏教徒はせいぜい迷っていろ。
自性(真我)を語れず、「無」に執着する君らをみてると、とても滑稽だよ。
576机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 07:52:30 ID:68MF67sx
>>561
>知識ではなく実際に悟る為には自分の全てを試練にさらして相当のものをいったん犠牲にしなくては無理では?

僭越ながら、私なりにお答えします。
先ず、問題を整理せなあかんですね。
@ある状況があった(アクシデントなど)
Aそこから意味連関をしていく
B結論として、自殺したくなった

つまり問題はAです。
Aは、通常における日常です。意味連関をしながら人は日常を営む。
禅定とは、つまりこの日常における非日常を設定するのです。

そこから、意味連関は、また迷いの連関でもある。
と、このことに気づいて逝くのが見性です。

ちなみに六祖慧能は
「まさに住する所無くして而(しか)も其の心を生ずべし」→(応無所住而生其心)
この金剛経の一節をもって即、眼が開いた、といふ話もある。

つまり意味とすれば、心といふのは元々住するところもないけど、
縁によって心は生起するもんだ。
だから、元々ない心に振り回されてはイカンザキ。
ということです。

577カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 07:55:40 ID:VuwsCOHL
>>574
俺は真実を語っているんだよ。

はっきり言う。君らバッタもんの仏教徒は、何も得ることなく、今生を終えるだろう。
そして迷いの生存を繰り返す。迷いの生存を繰り返す者は生きない。
そして時が終わるとき、永遠の無になるだろう。文字通り永遠の無だ。

「無」。それが君らの望みだろう。

無とは何かも知らず。よほど滅びたいらしい(苦笑)
578人工知能シャバダバ:2006/09/07(木) 07:55:53 ID:1NrNozDx
>>575
自性に執着してるんですか?
579釈迦原理主義者:2006/09/07(木) 08:00:52 ID:QQSIKQNm
無とは縁起弁証法的実存のことだよ。
580カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 08:08:33 ID:VuwsCOHL
>>578
真我に執着する事は、別に間違った事ではない。
自我に執着することは間違った事である。彼は生きない。
間違った教えに執着する事は自我に執着する事であり、
正しい教えにしろ、それに執着し、愚か者共と論争する事は、
自我に執着する事であり、それは間違った事である。彼は生きない。
釈迦も自我には執着するなと説く傍ら、涅槃には執着した。
だから彼らは、厳しい戒律を引き、一生禁欲の生活をしたのだ。
彼らは、涅槃に執着したのだからこそ、出家し、一生ささげ、修行したのだ。

自我に執着することは間違いであり、それは滅びへの道である。
真我に執着することは、間違った事ではない。それは、救いの道である。
581人工知能シャバダバ:2006/09/07(木) 08:14:13 ID:1NrNozDx
レヴェル高ス。
しばらくロムって出直します。
582釈迦原理主義者:2006/09/07(木) 08:19:20 ID:QQSIKQNm
アートマン、梵我一如、本覚思想をごちゃ混ぜミキサーに
かければカラスの真我妄想のできあがり。
真我はもちろんパンツをはいている。
583机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 08:21:22 ID:68MF67sx
>>570
釈尊は中道ですから、否定とか肯定とかはせんだろね。
ただ破壊はしておるでしょう。

梵我一如とか、そういった世界観構築を破壊してますね。
結果論としてですが。

じつは仏教のテーゼとすれば、ここは非常に大事なところです。
この破壊なくして仏教の本義には至らないですから。
584釈迦原理主義者:2006/09/07(木) 08:30:19 ID:QQSIKQNm
中道とは縁起弁証法的止揚のことだよ。
aufheben
585カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 08:40:57 ID:VuwsCOHL
>>583
スッタニパータより。

>さらに、尊師よ、〔つぎは〕名前と形態(名色:現象世界)についてです。
>〔問いを〕尋ねられた者として、これを、わたしに説いてください。この〔名前と形態〕は、
>どのような所で消滅するのですか」と。

>〔世尊は答えた〕「アジタさん、〔あなたが〕尋ねたこの問いについて、それを、あなたに説きましょう。
>名前(名)と形態(色)とが残りなく消滅する所とは、識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)
>の止滅によって、この〔名前と形態〕が消滅する、〔ほかならぬ、いま〕この場のことです」〔と〕。

おわかりか?
釈迦は、自他を分ける識別作用を止滅せよと説く。
釈迦の死後ずいぶんたってからできた般若心経などより、原始仏典を読む事を強くお勧めする。
586カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 08:46:57 ID:VuwsCOHL
仏教のテーマは、苦の消滅

仏教の基本。四法印

一切法無我
一切行無常
一切皆苦
そして、涅槃静寂。

さて、なぜ、苦、無常、無我、の前に”一切”と付くかおわかりかな?
涅槃とはこの世にあるのかい?釈迦は一切皆苦だとおっしゃっていますぞ。
聞く耳のない君らは、せいぜい迷っていなされ。

縁起=無自生=空
縁起の法など、二元世界であるこの世の説明をしているに過ぎない。
真我。それは一元である。そこに、私と、あなたというものはない。

私は聞く耳のない者に語るのではなく、聞く耳のあるものに語ろう。
ときに禅宗の教えは、皆を大いに迷わす。禅宗は仏教にあらず。

論争を好む心は、エゴを満たす心の働きと知る。
心が汚れる前に、おいとましよう。早く悟れよ、アホ共。
587釈迦原理主義者:2006/09/07(木) 08:46:58 ID:QQSIKQNm
>>585 ぱちぱちぱち!(拍手)
ちなみに スッタニパータ 1036&1037
588机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 08:47:12 ID:68MF67sx
>>568
>彼は悟っていないよ。彼のような悟りを、凡夫の悟りというんだよ

一休の臨終の際には、弟子達が多く集まり、愛人も同席しておりました。
弟子達は師の臨終に立会い、師の遺偈を期待しとったんです。
果たして師は何を言うてこの世を去るのか?

わたすがここまで書いたら、もう既に答えはでておるじゃないですか!!
つまり、弟子は死んだ師を考えとるですね。

まったく失礼な話じゃないですか。
師はまだまだ生きております。
この世で精一杯、生きておるじゃないですか。
ここまで即今即所を究めた師は、まさに悟っておりました。
589机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 08:58:47 ID:68MF67sx
>>585
>釈迦は、自他を分ける識別作用を止滅せよと説く。

これは空諦のことですね。
般若心経においては、色即是空の「空」が”死滅する”の意味です。
590カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 09:01:17 ID:VuwsCOHL
>>586
ちょい訂正。

×縁起=無自生=空
○縁起=無自性=空

縁起で成り立つこの世は、何一つそれ一本で成り立つものがない、
無自性なものであり、実体のない幻。

在るのは今ここなのだが、今ここは、次の瞬間には過去になり消え去る。
時がこの世を支配する。

釈迦の言葉
この世を泡沫のごとし、陽炎のごとしと観よ。さすれば死王も彼を見ない。
591カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/07(木) 09:09:20 ID:VuwsCOHL
もう一度書いておこう。

耳と口と王と書いて「聖」と読む。
己の魂の責任は己自身にある。生きる者は、誰彼に言われるまでもなく、命の言葉に
耳を貸すだろう。滅びる定めの者は、決して聞こうとしない。

自分の魂の責任は、自分自身にある。誰彼が、どうこうできるものではないし、誰彼にあるものではない。
責任は全て、自分自身にあるのだ。

信じるものは救われる。とは、よく言ったもんだよ。
592机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 09:10:16 ID:68MF67sx
>>590
>無自性なものであり、実体のない幻。

無自性空は、実体有にあらずして実体無にあらず。
縁生するも、そのまま縁滅す。
ゆえに中道なり。
593楽しみ、、:2006/09/07(木) 10:29:46 ID:1pmSyuA6
カラスの唄ちゃん、かもーーん
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157343410/l50
594名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 12:58:17 ID:1z8QwNM7
教祖と呼ばれるほどの人でも
国民栄誉賞の一つも貰えないんだね
595水色:2006/09/07(木) 14:46:49 ID:6xyIniGt
>>576
ありがとうございました。
もう少し生きられたらまたもう少し、というふうに一日一日を生きていこうかと思います。
596机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 16:46:09 ID:68MF67sx
>>595
貴殿は暗中模索状態です。
そういふ時期というのは誰でもあります。
かつての私にもあったのです。

いわゆる私は大病を患いまして、生死の狭間におったのです。
この生死といふ問題について、私はなんとなく漠然としたもんを胸に残しておりました。
まあ、この時期といふのは、今の貴殿の状態と同じかとおもう。

ある日、わたしは縁をもちまして「生死一如」の四文字熟語に巡り合いますた。
おお!!
私が求めておったのは、このことか。
感慨深いものがありました。
こんな法門があったのか!!知らなんだ。
私はやっと巡り合えたのです。
そして急速に禅に傾倒して逝きました。
597机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 17:02:32 ID:68MF67sx
心の琴線に触れる、なにかがあるやもしれません。
それは、バイブルのコリント前書の一節か?
はたまた歎異抄の一節か?
それは貴殿の心次第。

いつかは何かの切っ掛けがあるかもしれません。
それこそが貴殿の求めていたもんじゃないでせうか?

前に「コンセント」といふ本を読んだことがあります。
この主人公はヒッキー(引き篭もり)で、
そういふ環境において自分と向き合い、それなりの悟りを得てるような内容でした。
これにしても、私は素晴らしいかとおもうんですね。
状況はどうであれ、自分と向き合うとこがイイのかとおもいます。
それは、宗教といふジャンルじゃなくても、
それなりに生きる智慧といふのを得ているとおもうんです。



598名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 17:42:26 ID:+I45vElO
さとり、、、うん? 左側に鳥がいることですよ。誰でも出来る。
599水色:2006/09/07(木) 17:49:55 ID:6xyIniGt
前にも書きましたが、私は10年近く、魂の真っ暗闇、精神の暗中模索の中にいたんです。
孤立無縁で常に自責の念に責め立てられ、自尊心を脅かされ、ホームレスや犯罪者の様な気持ちで東京中をさ迷い歩きました。
何を探しているかもわからず、物質的精神的にも極限状態、絶望と苦しみのどん底で世俗的、社会的な誘惑や真偽の識別を試され、心が安らぐ時がありませんでした。ずっと沈黙です。これは私以外の大きなものによるでしょう、真理を得たら幻の様に消え去りましたから。
私は自分の心と頭と身体を全て使って、神の真理や、知恵、それによる幸せと安らぎを得る事が出来ました。何を求めていたか分かったのは得た後です。
これは信じて貰えてない様ですが構いません。続きます。
600水色:2006/09/07(木) 17:59:55 ID:6xyIniGt
だから今は探し求めている段階の暗中模索ではなく、自我を犠牲にして実現し信じている真理か、捨てたはずの自我かを試されている苦しみなんです。
今年になってから恐怖とショックと苦しみで正気を保てず、食事すら台所に座り込んでたべています。
自我や自己愛を完全に捨てるしか平安にはなれない状態。
それが私には難しい、そして苦しみも凄まじく耐え切れない。
そこまできて自殺という逃げの考えにしか救いを求められないのです。
でも死を前提にしてでも、もう少し自分を信じて生きてみようと思っています。長々と同じ様な事を何度もごめんなさい。
601水色:2006/09/07(木) 18:15:14 ID:6xyIniGt
机さんのやっと巡りあえた、という気持ちやよろこびは良く分かります。
真理もそうですが、この世界で本当に一人だった私を待っていてくれたものがありました。その感動と嬉しさだけで全てが報われましたし、今死んでも悔いがないのです。逆にそれが今の苦しみでもありますが。
何もかも失っていく、自我を犠牲にしていく過程でもうどんなにしても取り返せない、と思っていたもの、お金や社会的立場や信用、時間が、胸の痛みが、一人では決して救えなかった自分が…大きなものの一部であり、見守られていた。
本当に嬉しかったのです。
602机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 18:23:26 ID:68MF67sx
>>600
貴殿の心の中に、別なもんが入り込んじゃて、その葛藤において貴殿が苦しんでじゃないでしょうか?
そういうことはよくあります。
概念が挿入されてしまいますと、やがては概念が思うよぉに自身をコントロールしてくる。
そこまで逝きますと大変なことになりますね。

私の思い過ごしじゃなければイイんですが。
603机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 18:55:11 ID:68MF67sx
>自我を犠牲にしていく過程でもうどんなにしても取り返せない、と思っていたもの、
>お金や社会的立場や信用、時間が、胸の痛みが、一人では決して救えなかった自分が…大きなものの一部であり、見守られていた。
>本当に嬉しかったのです。

これなんかは、統一教会の食口と全く一緒じゃないですか?
食口は神の祝福を受け、そりゃ〜ハッピーな気分になります。
私は経験的に知ってます。
604名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 18:57:54 ID:h0LvSX+E
>>602
おっさん、テキトーなこと言ってんなよ
605机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 19:12:26 ID:68MF67sx
>>604
よく文章を読んだほうがいい。

>一人では決して救えなかった自分が…大きなものの一部であり、見守られていた。

>見守られていた。
>見守られていた。
606水色:2006/09/07(木) 19:40:21 ID:6xyIniGt
食口とはなんですか?その人が経験した事はその人しか分からない。私は言葉遊びをしたいのではありません。何を書いても仕方ないと思いました。
ありがとうございました。
607机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 19:57:41 ID:68MF67sx
>>606
なんでそんなに自虐的になるのか?
しかもプライドを自覚しながら。

では、おやすみなさい。
608悟道松:2006/09/07(木) 20:01:36 ID:wkt3tA3w
おーいらーは悟道松、好きーなものはあなごとウニと水色ちゃーん、とっ。
おばんです。といっても関西のババアではない。ただの挨拶です。
水色ちゃん一つアイデアがあるんだけど、聞いてくれるかな。
あのさあ、水色ちゃんブログやんない?
大抵のプロバイダーで、無料で作れるようになってるからさ。
日記とか、お話とか好きなもの書けばいいだけ。
ここにアドレス貼ってくれれば、おいらもカキコにいくぜ。
もちろんみんなもだろ?


609釈迦原理主義者:2006/09/07(木) 20:25:56 ID:QQSIKQNm
 要するに、神とやらとの失恋物語

 自分で妄想いっぱい胸いっぱいで便秘状態

 ウンコは早く出しましょう、すっきりしますよ

 渇愛(貪り、執着心)こそが「苦」の根本原因です。
610釈迦原理主義者:2006/09/07(木) 20:39:14 ID:QQSIKQNm

 ウンコ妄想は捨てるが勝ち

 で、美味しいものを食べ、ウンコする。

 人間てそれだけのものですよ。

 現代でメフィストに翻ろうされた女ファウストなんて

 カッコワルー。
611名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 21:05:07 ID:T80nAHxr
>>555は、いいなw オリジナルか?
いろんな読みができる。
(元ネタ(出典)ありだったりして・・・w)
612机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 22:45:03 ID:68MF67sx
風呂からあがったので、今日で最後のカキコです。

これから先、試練を乗り越えるか。そうすればアイデンティティはなんとか保てる。
しかし別の選択肢もあって、これは自己否定となり、
プライドが保てない。

心は狭間にある。

追記するものがありましたら、なんか書いてくらさい。
水色どの
613机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/07(木) 22:46:30 ID:68MF67sx
明日、ロムります。
614水色:2006/09/07(木) 23:44:32 ID:6xyIniGt
質問については書いたとおりでどう解釈して下さっても構いません。
知識を学び抜いて悟る方がいるかもしれませんが、神の知恵や叡智を努力で獲得した方、その道を知っていて自分の足で歩いて来た方の自分の言葉が聞きたかったのです。傲慢不遜ですみません。
初めからその点では、私の書いたものの、特に核心については触れられず、信じたり理解してはもらえていません。自分の魂は自分の責任、本当ですね。
こんな人間に誠意を持って相手をして下さって、言葉を選んで教えて下さってたくさん勉強になりました。本当に心が暖かくなりました。ありがとうございます。
それから先に書いた、待っていてくれたもの、とは恋人や男の人ではありませんので。
個人的すぎる事でスレを消費してごめんなさい!
615名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 00:39:32 ID:gYw7GuUy

しかし、

>>555さんのレスは光って居るなぁ
616名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 01:15:20 ID:gYw7GuUy
>>603

机氏は梵天まで辿り着けなかったのか?
悟空で終わり?
617名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 01:28:42 ID:gYw7GuUy
>>614

おれは、全ての生き物に愛を、なんつって
せめて草木の肥やしに成ろうと
森の中で自分に向けてトリガー引いた。
だが、実に間抜けな理由で生き残っている。

その時気が付いたね、自分も生き物だって。
618机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/08(金) 07:22:53 ID:oxGch2ts
>>614
キリスト教団でも、リベラル派(既存教団)と急進派(新興教団)みたいに大別できるかとおもいますが、
いわゆるリベラル派(穏健)は、そんなに壁とかに突き当たらないで、
生涯において信仰を貫く人が多いかとおもいます。

かたや急進派(新興教団)は、若い頃に信仰をもちまして、
中年ころに壁に突き当たり、そのまま乗り越えちゃう人もいるらしいですが、
殆どは脱会しちゃうらしい。
(これは、ある新興教団の話です)

やはり、ある年齢に達しますと分別もついてきますから、
自分にとって信仰とは何か?ってのを客観視することもできる。
人間というのは、自分でも自覚がないまま、やはり成長してるんですね。

619名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 07:32:24 ID:SbnYPNwg
クリスチャンですが人生に疲れました もう死にたい
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1148006786/l50

 こちらへドゾー
620名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 07:38:34 ID:SbnYPNwg
さらに 
統一教会の何が悪い!!!!!【Part38】
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150541698/l50
ドゾー
621机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/08(金) 07:45:08 ID:oxGch2ts
ちなみにキリスト教でも、「自我(自己)犠牲」といふのはないかとおもいます。
>>617のとおりですね。
何故か?万物は神の被造物であり、それを犠牲にするなら神への背信行為になる。
自己を犠牲にするのも、他人を犠牲にするのも、被造物になんら差異はなかるべし。

マザーテレサが批判されたのは、こういう意味ですね。
(これは非常に難しい問題でもありますが・・・)

新興のキリスト教団(キリスト教といふのも問題ですが)で、
あたかもそれが神の意思の如くに吹聴して、人間の思考を麻痺させ&ハッピー状態にしちゃう
ノウハウをちゃんと心得ておる一派もありますから、
ちょっと油断をしますと、直ぐにハッピー状態になります。
(ここで神の祝福を得た、などと思うんですね)
いいか?わるいか?は別問題です。

まあ、そういふ一派もある。といふことです。
既存教団は、そういうことはないかとおもう。
穏健なんでしょうから。
622カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/08(金) 08:06:14 ID:eic+SCrV
>>621
>ちなみにキリスト教でも、「自我(自己)犠牲」といふのはないかとおもいます。

マタイ5:38〜5:48
>「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
>しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。
>だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
>あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
>だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
>求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
>「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
>しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
>あなたがたの天の父の子となるためである。
>父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
>自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
>徴税人でも、同じことをしているではないか。
>自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
>異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
>だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

これは有名な山上の垂訓の一節だ。彼の教えのベースは、己のエゴを殺す道である。
それは相対世界であり、幻のような二元世界のこの世ではなく、一元に戻る道でもある。
そして彼は、自ら、十字架により、己のエゴをを殺し、皆に命を得る道を示した。
彼の十字架は、文字通り、「自我(自己)犠牲」のほかならない。
机さん。キリスト教をよく知りもしないで、キリスト教を語るのは、滑稽ですな。

彼、イエスは、ユダに語った。
「お前は、真の私を包むこの男をを犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」

わかるかい?
623机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/08(金) 08:19:56 ID:oxGch2ts
>>622
>これは有名な山上の垂訓の一節だ。彼の教えのベースは、己のエゴを殺す道である。

そういう意味じゃないですね。
全編に満ちておるのは博愛の精神じゃないですか。
よく読んだ方がいいです。

ちなみに<コリント13章>
>愛は寛容であり、愛は親切です。
>また人をねたみません。愛は自慢せず、
>高慢になりません。礼儀に反することをせず、
>自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を
>思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。

>すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、
>すべてを耐え忍びます。

>愛は決して絶えることがありません。
_______________________
コリント前書と意は同じ。
624カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/08(金) 08:25:46 ID:eic+SCrV
〜マタイ13:10〜13:16
>弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
>イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、
>あの人たちには許されていないからである。 持っている人は更に与えられて豊かになるが、
>持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
>だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
>イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、
>見るには見るが、決して認めない。 この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。
>こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』
>しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。

キリストの教えを理解していないのは、何も仏教徒達だけではない。
当のキリスト教徒達も、キリストの教えを理解していない。
例えでしか書かれていない聖書が彼らに授けられたのは、
彼らには、真理を悟る事が許されていないからだ。
なぜなら彼らには役目がある。一神教同士の争いは、偶然のものではない。
全ては仕組まれた事。この後人々に意識革命を起こすほどの、ホロコーストが起こされるだろう。
彼らには、その役目を覆わされているのだ。
人々のエゴがもたらす悲惨な結末により、無神論者共も新しい理想を切望し、
真理のかけらもない無力な既存の宗教は姿を消すだろう。
そして期が熟したとき時、人々に真理が授けられる。そのときはじめて、イエスの言葉は、
人々に受け入れられるだろう。

そして新約は成就される。
625カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/08(金) 08:32:11 ID:eic+SCrV
>>623
彼の説いている愛は、区別しない愛だ。

区別。それはエゴ。

山上の垂訓を、単なる道徳を説いているとしか取れない者の、盲目度は高い。
彼らには智恵はなく、たとえ仏典を読んだところで、本当に伝えたい真意は読み取れないだろう。

ちなみに旧約の神は、妬む神である。だが完全なる者も、出目は同じである。
天の父も、サタンと呼ばれ者も、出目は同じなのである。存在するのは「一」だけである。
626名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 08:37:54 ID:DJcAg3S9
v
627カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/08(金) 08:40:04 ID:eic+SCrV
>>623
山上の垂訓にはこう続く。

「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。
そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、
あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。
あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」



前文と続き、こうくる。これがただの博愛か?
お前はこう言う。

>万物は神の被造物であり、それを犠牲にするなら神への背信行為になる。
>自己を犠牲にするのも、他人を犠牲にするのも、被造物になんら差異はなかるべし。

おまえは、自分で考えず、どこぞのアホ教会の、アホ牧師だか、
アホ神父の能書きを鵜呑みにしているだけだ。もう一度言うが、彼らには真理を悟る事が許されていない。
彼らは、キリスト教を名乗りながら、その実、キリスト教を何もわかったいないんだよ。

禅宗ごときが、イエスの教えにケチをつけるのは、100年早い。
628机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/08(金) 08:43:55 ID:oxGch2ts
神の奴隷になってはいけない。ということですよ。
(ニーチェ)
えてして人間といふのは、自虐的に自分を追い込むことにより、
オナニー状態になりますからね。
このオナニーを覚えてしまうと、そこから抜けるのは至難で、
自己満足が肥大するだけです。

もっと刺激が欲しくなれば、リストカットなどもするようになるでしょうし。
まあ、そこまでは逝かないまでも、
これは、ニーチェの言ふとおりに発展する可能性はあるかとおもいますね。

まあ、貴殿はそんなことないんでしょうけど。
そういふリスクもある。ってことです。

629カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/08(金) 08:50:05 ID:eic+SCrV
>>621
これはイエスの教えである。

>禍だ、神無き者たちよ、お前達は望みを持たず、起こりもしないことに依り頼むのだ。
>禍だ、お前達よ。お前達は滅び行く肉体と、牢獄の中で望みを抱くのだ。
>いつまで眠っているのか、いつまで滅びゆかざるものを滅びゆくものだと思っているのか。
>お前達の望みはこの世に置かれ、お前達の神はこの世の命だ。
>お前達は、お前達の魂を腐らせている。

この世の命を拝むものは、死神を拝んでいる。彼らは生きない。死人のままだ。
630カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/08(金) 08:55:35 ID:eic+SCrV
>>628
ニーチェなど持ち出すところが、君はまだまだだな。

ニーチェなど失笑ものだ。彼はキリストの教えの何一つ理解していないじゃぁないか。
せいぜい、今のキリスト教徒レベル。そして彼は発狂した。
人は自分の成した業の報いを、それぞれ受ける。人の子、天の父を貶す者は、許されるが、
聖霊を汚す者は、決して許されない。聖霊。それは命の言葉。
それは、利己心を満たすエゴではなく、利他の心。
631釈迦原理主義者:2006/09/08(金) 08:56:51 ID:SbnYPNwg
 やれやれ、今日は女の自己犠牲大好き人間だった
ワーグナーでも視聴するか。
 タンホイザーにするかパルシファルにするかリングにするか・・

 おい、ニーチェよ、マスターベーションのやり過ぎは頭がパー状態に
なると警告してやったろ?やっぱり、パーだぜ。
632カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/08(金) 09:02:57 ID:eic+SCrV
>>628
>神の奴隷になってはいけない。

ところで神とはなんだ?わかってて言っているのかい?
今のキリスト教徒は知らない。もちろん無に執着し、自性を語れない、今の仏教徒も知らない。
633釈迦原理主義者:2006/09/08(金) 09:08:37 ID:SbnYPNwg
存在しない妄想は語れない
634机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/08(金) 09:55:20 ID:oxGch2ts
>>532
神とは「一」←これのことです。
して、「一」←これに相違ないですか?
635釈迦原理主義者:2006/09/08(金) 10:18:39 ID:SbnYPNwg
「見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我とおもいなし、
<名称と形態>(固体)に執着している。「これこそ真理で
ある」と考えている。
   *スッタニパータ 756 *名称と形態=名色:現象世界
636釈迦原理主義者:2006/09/08(金) 11:31:37 ID:SbnYPNwg
 神が人間を造ったのではなく、人間が神を造ったのだ。
その元は古代人の自然への恐怖だ。
ティラノサウルスには従うべき神は存在しないのだ。
俺の近所には、人間だった菅原道真を神にでっちあげた神社がある。
子供のころはよく参ったが、一向に頭が良くなった形跡はない。
キリストは類まれな妄想家だといえる。
哲学として説くより、神の言葉=宗教として説くほうが効果的なこと
を知っていたのさ。馬鹿な奴には恐怖と罰という脅しが効くからさ。
637釈迦原理主義者:2006/09/08(金) 11:35:49 ID:SbnYPNwg
妄想家 ⇒妄想家かつ戦略家
638名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 11:50:28 ID:dUSsdauD
大阪狭山市在住・自称19歳のスロット板のコテハン
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639釈迦原理主義者:2006/09/08(金) 13:15:35 ID:SbnYPNwg
>>632
神の本質は『人間の恐怖』だ。
古代人にとって命がけだった自然への恐怖から始る。
妄想が恐怖を肥大化させ且つ洗練させた。
 神を考えたければ、映画「地獄の黙示録」を観るがいい。
目に見えない恐怖が人の理性を失わせ、狂わせる。
 カーツ大佐は苦しみのなかでうめく「恐怖だ」
                 「私を殺せても、誰も私を裁けない!」
キリストは愛を説くが、本質が恐怖で裏打ちされている事には変わりない。
妄想である。
                 「
640カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/08(金) 17:53:41 ID:eic+SCrV
神を知らない者が、陳腐な妄想を語る。ギャグだな。

「神々」は「人」が造った。我々は「人間」である。

神の名を知れば、我々は、自分自身を知るだろう。

神を知らずに、悟りとは笑止千万。

自性を悟らず、無自性な二元世界である、この世を知っただけでは、片手落ちだ。

彼らは真理を悟らず、迷いの生存を繰り返すだろう。

帰る場所も知らなければ、帰り道も知らない、哀れな迷い子がいる。

己の無知ゆえに、彼は自分が迷子になっていることすら気づいていない。

彼はどうやって、元の場所に帰るというのか?迷った場所にとどまるしかないではないか。

そして迷った場所が無くなる時、彼はいったいどうなると言うのか。

生まれたものは滅するのが定め。それはこの宇宙とて同じ事。
641名無しさん@←ブラックホール:2006/09/08(金) 18:23:49 ID:m6XgIHL1
Mensaの座にかけて同意
ちなみにニーチェの神は絶對精神としての神ではなく
神という人のことだからストーリーになりうる。
ツァラトゥストラは惡魔に対しては神の味方だ。
もっともその惡とは重力のことであるが。
642名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 18:44:22 ID:fhgy75v+
だんだん悟りから
掛け離れてきたな
643机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/08(金) 19:37:33 ID:oxGch2ts
>>540
>自性を悟らず、無自性な二元世界である、この世を知っただけでは、片手落ちだ。

「無自性」と「二元世界」は全く別概念。

無自性というのは「自性ではない」という意味でして。
つまり「無自性」そのものは何の意味もない。→ようするに空

縁起を説明するには「自性ではない」。という意味で使うだけ。

これが貴殿が貼り付けた
>〔世尊は答えた〕「アジタさん、〔あなたが〕尋ねたこの問いについて、それを、あなたに説きましょう。
>名前(名)と形態(色)とが残りなく消滅する所とは、識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)
>の止滅によって、この〔名前と形態〕が消滅する、〔ほかならぬ、いま〕この場のことです」〔と〕。

これの意味です。

ですから空は、二元世界とか一元世界とか・・・
そういった世界観そのものを指している訳じゃない。
>〔名前と形態〕が消滅する
>〔名前と形態〕が消滅する
>〔名前と形態〕が消滅する
>〔名前と形態〕が消滅する
644名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 19:39:15 ID:jSrmWI6M
>>640
質問です。
神が人間をつくったって証拠はあるんですか。
645名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 19:40:08 ID:GBRa340R
俺は母ちゃんから産まれた証拠すら知らんぞ。
646名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 19:42:20 ID:jSrmWI6M
>>645
でも、赤ちゃんが人間から生まれたところは見たときありますよね。
地球は丸いのも写真でも見たときありますよね。
重力は目に見えないけど実感しますよね。

神は?
647名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 19:44:26 ID:GBRa340R
自分が母ちゃんから産まれるところを知らん。
648名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 19:48:11 ID:jSrmWI6M
>>647
なるほど。わかりました。確かにそのとおりです。
では、あなたの母ちゃんは本当の母ちゃんじゃないかもしれないですね。
649名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 19:53:16 ID:GBRa340R
俺の母ちゃんが本当に俺の母ちゃんかは俺にはわからん。
証拠がなくとも俺の母ちゃんだと信じて疑わずに今まで生きてきたし、証拠を知ろうとしたこともない。

神なんてのは「信」がなくては存在しないの。

母ちゃんを疑って証拠を探したりする奴は親不孝者だと思う。
650名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 20:01:17 ID:jSrmWI6M
>>649
>神なんてのは「信」がなくては存在しないの。

の意味は分かりませんが。他の部分は同意見です。

しかし、神を疑うということは神不幸者ということですか?
それに関しては私はそうは思いません。
結論から言うと私は神を信じてます。
しかし、疑うことは真実へ近づくことへの一歩でしょう。

本当に神が人間をつくったと確信してる人がいるのなら
話を聞いてみたかっただけですよ。
他意はありません。
651650:2006/09/08(金) 20:04:05 ID:jSrmWI6M
つけくわえるのならば
無意味に、ただ信じることは逆に悪いことだと私は考えてます。
禅の教えに近いかもしれません。
652名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 20:06:50 ID:Q5X0y1FB
>>642
じゃあ君の悟りを聞かせもらおうじゃないか。
今の流れが悟りから離れていっているというからにゃ、もちろん君は悟っているんだろ?
まさか自分は悟ってもいないのに、つまり、悟りとはなにかも知らないのに、
離れていっているとか、知った風な口を聞いているんじゃあるまいね〜。答えろ。
イエスが悟っていないなどと知った風な口を聞く奴は、ある意味すごい。

彼らはイエスより悟っているらしい(苦笑)
653名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 20:08:51 ID:GBRa340R
俺が俺の母ちゃんを「母ちゃん」だと信じた時点で、俺の母ちゃんは俺の母ちゃんという概念になるわけ。
証拠などいらない。
よそのオバチャンが俺の母ちゃんでないことの証拠を求めないのと同じ。
そりゃ、よそのオバチャンが俺の母ちゃんかもしれないよ。
でも、俺にはよそのオバチャンに対して母ちゃんという「信」を持たないから、よそのオバチャンという概念になる。

信じない「神」は神ではない。

君は丸い地球の写真を信じたから、地球は丸いという概念を持ったの。
654名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 20:12:43 ID:GBRa340R
信じることが悪いのって何?
655机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/08(金) 20:46:06 ID:oxGch2ts
>>653
そうですね。
隻手の音声は、こういうことなんですね。

では、股、ロムります。
おやすみ。
656名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:02:51 ID:GBRa340R
結局、>>640が何を言いたいかというと、よそのオバチャンは俺の母ちゃんではない、俺の母ちゃんはよそのオバチャンではないと。

つまりはよそのオバチャンを否定することによって信仰告白している。そういうことです。
657taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/08(金) 21:09:55 ID:eS3Hlq5q
「悟り」ってのは、陽明学的にいうと「人欲がひとつ残った状態」のことをいう。

このとき残るのは、性欲か殺人欲だから、ろくなことにならない。

だから悟らない方が良いよ(マジ)
658名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:13:46 ID:GBRa340R
そもそも悟れないから、安心してていいんじゃないかな。
659taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/08(金) 21:17:51 ID:eS3Hlq5q
まあ、食欲、性欲、睡眠欲、殺人欲を捨てるのは、至難の業だな(苦笑)
660名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:21:52 ID:GBRa340R
まあ、無理だね。
だから、悟ったのは釈迦だけにしておいたほうが都合がいいというのはある。
661taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/08(金) 21:24:24 ID:eS3Hlq5q
ちなみに、心即理になっても(人欲が全て無くなっても)、
いい女見ると勃つし、腹が減ると飯が食いたくなるし、疲れれば眠くなる。

自然ってうまくできてるわ(苦笑)
662名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:26:03 ID:QlBO+so8
おもしろい流れですねw

>>656
その通りだと思います。
そして、テレビドラマじゃないが、
「実は、私たちはお前の本当の親じゃないんだ・・・。
本当のお父さんお母さんは、別のところにいる・・・。」
なんて告白を聞くと、大概の人は、きっと動揺するでしょうね・・・w

ま、ここには、
人は、血の繋がりに大きく依存している、という性質があるだろうが・・・。

残留孤児の故郷感とか・・・(彼らは本当はどう思ってるんだろう・・?)
663名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:27:31 ID:GBRa340R
その辺は無理しない程度にうまくコントロールすることが必要だけどな。
664650:2006/09/08(金) 21:29:28 ID:jSrmWI6M
>>653
読み返してみてちょっと失礼な文章が多かったのでまずお詫びします。
概念云々はなんとなく分かったのですが私の力では論ずるに至らず
難しいので話はやめますが

信じることが悪いって何?との話ですが
しかし、その信とやらには裏づけが必要だと私は思ってます。
例えば、家に入ってきた強盗を善人と信じられますか。

神を神と認識するには徹底した追及が必要だと思います。
たぶん、あなたは神を認識するチカラあるいは経験があったのでしょう。
あるいは、信じるに足る人からの教えがあったのかもしれません。

だけど私にはそういう経験がないのです。
だから追求している最中なのです。
神を信じるために疑ってる最中といってもいいかもしれません。

ただ、私にとって信じるということは難しいのです。
神とはいわず、
人を信じるということは自分の全てを預ける事があってもおかしくないと思います。
その、信を簡単に預けるわけにはいかないのです。
かあちゃんだったら信じることは簡単なんですがね。w
665taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/08(金) 21:30:45 ID:eS3Hlq5q
ちょっと無理すると、すぐに基地外病院に入れられちまう。

今は、世の中の方が異常だから「怒り」をおさめるのは、ほんと、苦労する(苦笑)
666名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:32:32 ID:QlBO+so8
>>664
なぜ、かあちゃんだったら簡単なんだろう?
なぜ、神様だと難しいんだろう?

ここを掘り下げてみるとおもしろいかも。
667名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:41:35 ID:QlBO+so8
>>664
或いは、
恋人、夫婦間の間の信頼とか・・・。
或いは、
学校の先生、お医者さん、警察官とか・・・。
668名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:47:17 ID:GBRa340R
>>664
強盗を強盗だと信じるわけですよ。
何を信じて、どんなリアクションをするかは信じるものによって当然違うわけですよね。つまり、役割演技するわけですよ。
会社に行けば会社員、うちに帰ればお父さんとなるように、人は相手を強盗だと信じたなら、それに対する役割演技を行うわけでしょ?

これを信仰として捉えるとき、相手がお母さんのときに似てると思うわけです。お母さんの言うことを聞かなかったり、叱られたりする辺りは信仰生活もそうでしょ。戒律をきっちり守ってる奴なんかいませんて。

ただし、相手がお母さんだとよそのお母さんをいちいち否定しないのに、相手が神だと、よその神を否定したがる奴がいるんですよね。
その辺りがワケのわからんところ。
669taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/08(金) 21:52:45 ID:eS3Hlq5q
っていうか神なんていても、有害なだけじゃん。

「神が存在すると仮定して、無害なこと」ってある?

坊主は、わけわからんお経あげて、木魚ポクポクやるだけで
数十万ふんだくっていくし(ぶったくりかお前は)、
牧師だってやってることはヒモと変わらん。

大体、神や仏に助けてもらおうっていう気が甘い。

全部自分でやれ。
670名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:54:02 ID:GBRa340R
信じた本当の親に殺される子供もいますからね。
裏付けが取れたところでどうこうという話でもないような?
671名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:56:48 ID:GBRa340R
>>669
そういうのも結局、他を否定することで信仰告白してるのと同じなんだよね。
草加やイスラムの原理主義なんかと何も変わらないんだよ。
672taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/08(金) 22:20:20 ID:eS3Hlq5q
だから、俺は無神論者だって(苦笑)
673taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/08(金) 22:22:55 ID:eS3Hlq5q
それに、他人が何信じようと、俺はどうでもいい。
関係ないから(苦笑)
674名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 22:24:54 ID:GBRa340R
神はいないと信じてて、単にそれを告白してるだけのことだよね?
675664:2006/09/08(金) 23:05:15 ID:jSrmWI6M
意外にレスがついてたのでびっくり。
いろいろ参考にさせてもらいます。

>>669
その考えも正しいと思います。
神がいない、あるいは有害だという結論に至る
人生経験があったわけですよね。
それはそれで立派なことだと思います。

私は模索中の身ですからなんともいえませんけど。
676名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 23:09:25 ID:SbnYPNwg
もちろん、靖国神社にも神はいない。
朝鮮、中国が反対するのは奴らが
靖国の神を怖れているからか。

そろそろ1.の期待に応えて1)「悟り」の意義・内実・目的
             2)「悟り」への方法論
             3)「悟り」実現の自己検証 に戻そう。
しかし有神論者と無神論者(仏教を含む)では全く異なるな。
677名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 23:21:46 ID:+5hY4N2N
悟ったね! 宗教、軍部が国を司るとろくな国にならねぇ!って
678名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 01:36:32 ID:5EeuE/MU
1)はまだか
679名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 03:01:52 ID:26fAsQCb
有神論と無神論の二者択一はマズいよなあ。

俺には神がいるかどうかはわからん。
神の存在を決定するのは俺ではないとさえ思ってる。
なんで神がいるかどうかを俺の意志で決定しなきゃならんのかすらわからん。
680名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 03:41:43 ID:m55yWuef
言う人は知らず、知る人は言わず。
681taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 06:23:36 ID:4L2pwEJL
神がいないと信じているんじゃなくて、神は有害だからいらない、っていってるだけ。

神がいるかいないかは、わからん(苦笑)
682名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 06:40:00 ID:23FCWY7O
>>681
神が有害とはどういう意味だい?苦笑くん?
神がいようといまいと、宗教があろうとなかろうと、人は争う。
おまえがここでしつこく、(苦笑)を貼る、その心の働きによってな。
言ってる意味がわかるかい?苦笑くん(苦笑)
683名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 07:26:27 ID:73DJKoh2
神は部分的共同幻想

だから客観的実在ではない
684名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 07:31:20 ID:73DJKoh2
俺なんか 女神様しかいない

凄くヒステリックで我ままでトンチンカンで嫉妬深く
居直り、いびりまくり・・・・

誰かの神の本質は恐怖だという見解に満腔の同意。
685taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 07:49:53 ID:OtikQ0QS
>>682

だから、神が無害な例を挙げてみろって。

そりゃ人間って争うよ、動物だもの(苦笑)
686名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 07:51:54 ID:26fAsQCb
>>681
お前が信じなきゃいいだけの話だよな。お前の立場は他人が何を信じようと関係ないわけだろう?
それを有害だからいらないというメッセージにして告白しないといけなかった目的とは何?

俺も信じない神は信じないからよ。自分が信じない神を議論しても意味がないと思ってる。

で、お前は有害だから信じるなと他人に指図したいのか、有害だと自分に言って聞かせて、「信」を強固にしているつもりなのか、そこんとこをはっきりさせような。

第一、いるか、いないかわからんはずの神をなぜお前は有害だと言えちゃうわけ?
687名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 07:58:37 ID:26fAsQCb
有害論と無害論の二者択一もマズいな。
神がいるかどうかもわからんのに、神が有害かどうかなどわかるか、ヴォケ
688名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 08:09:05 ID:XXjvXp8l
少なくとも、神の実在を信じている椰子が世間に仇なす行動を遣り遂げるから、
「神」と云う概念は有害、というなら、無神論者にも判るだろう
689カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 08:17:03 ID:ySweywer
>>688
その逆もある。
神を信じればこそ、利己主義に走らず、
利他の道に生きる人々もいることを忘れずに。

争いを起こすのは、無神論者であろうが、神を信じる者であろうが、
同じ人種達が起こす。彼らは同じあなの狢なんだよ。
690taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 08:26:45 ID:OtikQ0QS
>>687

簡単じゃん、有害な例はいくつでも挙げられるけど、無害な例は(俺の考える限り)ない。
だから、「百害あって一利なし」の神は「いらない」っていっている(苦笑)
691名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 08:41:48 ID:26fAsQCb
>>690
神が有害か無害かなど例を挙げられても俺にはわからん。
また俺が判断することでもないな。

お前が神は有害だと信じてるだけの話なんだろ?
神を信じてないんだよな?
有害だから神を信じるなと指図したいのか?
692名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 08:44:59 ID:73DJKoh2
ユダヤの神とキリストの神とイスラムの神は
もともと親子兄弟関係だろう?というより
神は同じで、神の声の理解の仕方が違うのか?
いずれにしても、3者とも殺し合いを肯定するんだから
「害」以外の何者でもない。
 神を処刑しろ! 馬鹿連中の部分的共同幻想にしかすぎぬ。
 妄想だ。
693カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 08:48:30 ID:ySweywer
>>643
俺の言う、空=縁起=無自性。というのは、
龍樹の思想からだ。

縁起で成り立つ世界。そこは二元世界じゃないか。
君は、教科書に二元世界と言う単語で説明していないから、
無自性=二元世界じゃないと言うのかい?
この世は相対世界。何かは、なにかと縁起してはじめて生まれ、
それ一本では何一つ成り立たない、無自性な、実体のない幻。空である。

しかし「空」と言う言葉は便利だな。
しばし「空」とは、ゼロとしての「空」として説明される。だが誤謬してはいけない。
ゼロといっても、完全な無の意味としての意味ではなく、
一相。それは何も相対するものがない、無相。仏教の言う無とは、この無相のことだ。
無からは何も生まれない。釈迦やイエスは、この世は幻影のようなものだとたとえたが、
無からは、幻さえも生まれようがない。
本当の無からは何も生まれないのだ。この場合の空とは、基点としてのゼロ。
全てはその基点から始まった。

さて自性とは?
自性は条件や原因なしで存在している。その理由として、
自性はつくられたものではないからだ。
そして、自性は他に依存することもなく、それ一本で存在している。つまり、
自性は、自立自存をその特徴とするものである。
もちろん縁起で成り立つこの世に自性などない。二元世界であるこの世は、
無自性な「空」である。
694カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 08:49:25 ID:ySweywer
これはイエスの教えである。

あの方は死ぬことのない方であり、永遠まで続くものである。
永遠まで続くものは、なんであれ、生成のないものである。なんであれ、
生成のあるものは滅びるからである。
その方は、はじめかなくて、生まれざるものである。
というのはなんであれ、はじめのあるものは終わりがあるのだから。
その方に支配するものは何もなく、その方には名もないのである。
というのは、名のあるものは何か他のものの創造物だからである。
消滅するものから生じている限り、それらのものはことごとく消滅するだろう。
それらは消滅するものから、生じるゆえである。
だが消滅しないものから生じているものは、消滅しないのが常であり、
消滅しないものとして存在する。消滅しないものに由来するゆえである。
それは人間の群が、この違いがわからないため、
失われてしまっているのと同様である。彼らは死んでしまっている。
身体は変化するものである。変化するものは、滅し、滅びるだろう。
695カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 08:55:01 ID:ySweywer
>>691
そいつは我執の強い、ただの馬鹿だからほうっておけ。
相手にすれば、自分の心が汚れるだけだ。
696名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 08:55:36 ID:26fAsQCb
>>692
お前が信じなきゃ、それで済む話だよな。
そもそも、お前には神がいるかどうか、害かどうかを決定する資格すらないのだよ。
身の程知らずだな。
697taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 09:06:00 ID:OtikQ0QS
>>691

俺は他人に指図などしない。人間は自分自身でどうすればいいか考えればいいだけ(苦笑)
698カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 09:07:37 ID:ySweywer
無神論者共の真理はこれだ。死ねば終わり。
そこに導かれる悟りとはこれだ。どうせ死ねば終わりだ。
ならば利己的に生きなければ損。生きている間に、いい思いをしなければ
人生を棒に振る。だから利己的に生きる。
もちろん社会と言うコミュニティーに生きる限り、極端な利己主義は、
不利益をこうむるだろう。だからバランスをとっている。
だがそれは、あくまで損得勘定によるもので、所詮は己の利己主義による
行動に他ならない。無法地帯になれば、彼らのエゴは牙をむく。

無知とは恐ろしい。
彼らは、自分が何処から来て、何処に帰るべき存在なのか、知らないのだ。
彼らが愛するのは、己のエゴである。それは滅びの道である。

だが不思議なもので、どんなに悪党であろうと、どんなに利己主義者であろうと、
我々の胸には、良心というものがある。それは忘れてしまっている、
我々は、本当は「一」である本能から来るものである。
「一」を知れば、なぜイエスや釈迦が、慈悲、慈愛の心を説いたのか、悟るだろう。
699名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 09:13:44 ID:26fAsQCb
>>697
じゃあ、自分にそう言って聞かせてるわけか?
700名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 09:24:10 ID:26fAsQCb
俺に言わせりゃ、俺が存在することを他人であるお前らに決められる筋合いはないし、お前らの判断によって、俺が存在するわけでもない。
神だって、そうだろ。
お前らがいるとかいないと言ったところで、神がいたり、いなくなったりするわけではなかろう?

神の存在など、お前らが判断することではないのだよ。
身の程を知れよな。
701taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 09:34:17 ID:OtikQ0QS
>>698

俺は、無神論者だけど、利己的ではないよ。

陽明学派だもん(苦笑)
702カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 09:36:05 ID:ySweywer
>>700
少なくとも、俺がいなくなれば、俺にとって君、
いや、それどころか、万物は存在しない事になる。

天上天下唯我独尊。

あの世も、この世も存在するのは我一人。

自は存在。他は幻。自を分ける、「自分」と言う存在は幻。

I am That I am

存在するのは「一」だけである。
703名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 09:37:29 ID:26fAsQCb
陽明学派は神は害だといちいち表明しないと成り立たないものなのか?
704名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 09:41:02 ID:26fAsQCb
>>702
つまりは、「○○にとって」というものを抜きにして、存在を明らかにできないんだよな。
705カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 09:47:44 ID:ySweywer
>>704
神の証明など誰彼がしてくれるものではない。

自分自身で確かめるしかないんだよ。

それは君のそばにいつもいる。

生まれたときから、君と共にある。

それは、切っても切れないもの。

俺は聞く耳のない者に、同意を求めているわけではない。

それはエゴになるからだ。

君の魂の責任は、君自身にある。誰彼にあるものではない。

どうとるかは、お好きにどうぞ。
706名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 10:02:52 ID:26fAsQCb
俺には神がいるかどうかはわからん。
確かめられん。
707カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 10:26:10 ID:ySweywer
>>706
門を叩け、探せ、求めよ。

門を叩く者には開けられ、求める者は与えられ、探す者は、見出す。

見つけられないのは、本気で捜していないからだよ。
708taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 10:31:35 ID:OtikQ0QS
>>703

人欲への立場による。俺は陽明学派でも「人欲の全肯定には否定派」。
709名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 10:33:33 ID:26fAsQCb
神を信じてるわけではないから、神がいるかどうかはどうでもいい話なんだがね。
それに聖書の神の御心は罪人である人間には分からないんだと。
神を信じたとしても分からなくていいんじゃないか?
710名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 10:36:48 ID:26fAsQCb
>>708
神は害であるというのが陽明学派の信仰告白なのか?
711カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 10:38:34 ID:ySweywer
門と言う単語を出すと、アホの禅宗の者が、
無関門だとか抜かしてくるから困ったもんだ。

ここの門とは、そういう意味ではない。

利己に生きるものは、業を積み、利他に生きるものは、業を滅ぼす。
だがそれは、この世に生まれる我々には、とても難しい事。
利他に生きるということは、自我を滅ぼし、真我に至る道である。
利他に生きるということは、自我のために生きるということではなく、
真我のために生きると言う事である。

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。
712taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 10:42:58 ID:OtikQ0QS
>>710

信仰告白ではない。
「知行合一」をする際、自然に出来上がったものでしかない(苦笑)
713taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 10:44:46 ID:OtikQ0QS
俺の目的は、「心即理の達成」しかなかった(苦笑)
714名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 10:45:10 ID:26fAsQCb
無門関ではなかったかな?

俺はただ俺のペースで社会に生きる一人の人間として、完成を目指しているわけだが。
715名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 10:46:31 ID:26fAsQCb
>>712
じゃあ、神は害だと表明しなくてもいいんじゃないか?
716taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 10:49:04 ID:OtikQ0QS
>>715

「神は有害である」と表明した方が自分にとって都合がいいだけ。
「宗教戦争」なんて見ちゃいられない(苦笑)
717カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 10:49:28 ID:ySweywer
>>714
>無門関ではなかったかな

仰せのとおりで。誤字、お恥ずかしい。
718名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 10:56:06 ID:26fAsQCb
戦争は悲劇だと思うが否定せんがな、俺は。
719taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 10:59:02 ID:OtikQ0QS
戦争は「利害相半ば」するから、中立派(否定したい気持ちが強いが)。
720机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/09(土) 11:00:34 ID:scHHaSUw
>>693
>縁起で成り立つ世界。そこは二元世界じゃないか。

そういふことじゃないですね。
これも機縁なるゆえ、分り易いよぉに私が説明します。
スレタイにも合致しますので・・・これは重要なことです。

>縁起で成り立つ世界。そこは二元世界じゃないか。

この「成立つ」ってのは、つまり縁起が「生起」する。ってことですね。
生起しても、生起しっぱなしじゃ〜、これは自性といふことになってしまう。
だから、生起したものは、そのまま生滅する。→だから無自性
これを「縁起」っていふんです。
721机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/09(土) 11:01:58 ID:scHHaSUw
(つづき)

>それ一本では何一つ成り立たない、無自性な、実体のない幻。空である。

だから、空は幻ではない。
生起は、いうならば実体である。
しかしながら、生滅においては実体はない。
実体有とか、実体無とかいう概念そのものにはそぐわない。
ってことなんだよ。

これを中道といふ。
また中道は空と意味とれば同義。
縁起も、また意味とすれば空と同義。
それぞれに言い方が違うだけ。

そうなりますと、二元とかの対立はないから、二元世界ではない。
一元といふ絶対的な世界観とも、また違う。
二元でもなく、一元でもない。
これを「二にあらず、一にあらず」。ってことになりまして、
「不一不二」などと言うのが、仏教における世界観です。

         <机龍之介・花押>

722taked2 ◆Rsn/tbExVg :2006/09/09(土) 11:04:06 ID:OtikQ0QS
俺も「花押」の練習しなくちゃな(苦笑)
723名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 12:14:14 ID:WU5xIYrG
>>722
お前は此処へ行って、ご隠居君とタッグ組みなさい。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157716662/
724カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 18:04:56 ID:ySweywer
>>720 >>721
はいはい、お得意の言葉遊びご苦労さん。

縁起で成り立つこの世は二元世界だと説明しても間違いではない。
だがこれらの思考、思想も、縁起により成り立つものであるから、無自性な空である。

あ、そうそうお前の言ったいるのは、刹那滅のことだ。
空という言葉は便利だな。仏教ならず、空教の人。
725カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/09(土) 18:05:57 ID:ySweywer
原因と条件から生起した「存在」や「無存在」は、無自性な、空である

>>720 >>721
だからさ、縁起=無自性=空。この世のものは縁起で成り立ち、
それ一本で何一つ生まれえず、成り立たない。実体のない無自性なものである。というのは
龍樹の思想からだといっているんだよ。たしか、空という思想の出目はここらあたりのはずだ。

それをお前は違うと言う。すごいね君。
今度は刹那滅を空と言い出す始末(苦笑)
仏教は、お前達のような頭でっかち達が、シンプルな教えを複雑にしていき、
どんどん違う意味にしてしまい、元の教えとはぜんぜん違うものにしていった。
仏教の歴史は、進化ではなく、劣化の歴史だと知れ。

縁起が生起するにも、実体のある、芯となる
ものがないと、縁起も成り立たない。完全な無からは縁起すら生起しえない。
君らは因果律の法則をまったく聞こうとしないし、理解しない。

しかし空という言葉は便利だ。今度は中道は空などと言っている。
空教の連中は、空をどんどん拡大解釈していく。あと縁起と言う言葉もな。
彼らは、言葉遊びで悟ったつもりでいる。
726机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/09(土) 18:45:03 ID:scHHaSUw
カラスの唄どの。

わたしが折角、花押を付けた書き込みだからね。
(滅多に私は花印は押さないんだよ)
こういう書き込みといふのは、いわゆる彼岸への登竜門。
ジックリ読まんと、仏教哲学ってのは分らんのだよ。

ここで大事なのは「生起」って意味だよ。
つまり、事象・心象が成立つ。ってことだよ。
このくらいのことは自分で考えないとね。駄目なんだよ。

まあ、簡単に逝ったら、認識の成り立ちとでも考えたらいい。
これは初歩の初歩。

おそらくは、唯物論とか観念論なら誰でも理解はできる。
唯物論にも観念論にも通じる。
と逝ったら、これは頭が混乱するのは普通。
誰でも「言葉遊び」にしか受け止められだろうな?

「言葉遊び」といふのは、自我犠牲の女人も言っておったし。
727名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 18:48:07 ID:26fAsQCb
もうどうでもいいよ。
体系的に学ばないといけない仏教はつまらん。
728釈迦原理主義:2006/09/09(土) 18:58:56 ID:73DJKoh2
いずれにせよ、しょーもない言葉遊び=レトリックを
破れカラスの唄も使ってるぞ。

しかしブッダもフランクリンも実証性の裏打ちのない形而上的論争は
鮭よ、しょせんレトリックだけに終わると喝破しておられる。
まさに図星だな。
729名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 19:08:24 ID:Cwq4P9tE
屁理屈言うな糞餓鬼が!
730机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/09(土) 19:11:34 ID:scHHaSUw
これだけ書いておく

>〔世尊は答えた〕「アジタさん、〔あなたが〕尋ねたこの問いについて、それを、あなたに説きましょう。
>名前(名)と形態(色)とが残りなく消滅する所とは、識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)
>の止滅によって、この〔名前と形態〕が消滅する、〔ほかならぬ、いま〕この場のことです」〔と〕。

つまり識別作用というのは五蘊のことで、これが、五蘊もまた空である。
ということなんだよ。→五蘊皆空
731名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 19:53:31 ID:gM4IGacY
わたしはどこにでもいる。あなたたちをみている。

 真実を求める者たちよ。
  あなたたちを祝福する。あなたたちの真実を求める努力が無駄になることは
  決してない。
  あなたたちが真実を求める歩みを止めなければ、必ず不到達の地に到達する
  だろう。
  自らが真実を求める者であるという誇りを胸に抱き、不知の事柄については
  不知であると知り、過ちを正すことの出来る者を私は賢者と呼ぶ。
  そのような賢者は既に悟りの近くに居る。

 
  

  
  
732名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 19:54:18 ID:gM4IGacY
真実を求める者たちよ。
  もしあなたが苦しみにあえぐのなら、未だ真実を知ってはいない。
  諸々の苦しみは執着によっておきる。偉大な方はそう教えられた。
  この真実を知らない者は、尽きることのない苦しみに涙を流す。
  あなたは何に執着しているのか、何故執着するものを手放そうとしないのか。
  自らの心を見なければ執着が何処から起こり、どのようにすれば消えるのか
  知ることは出来ない。
  心を静める数息観などの行をなし、己の心を見つめよ。
  これが偉大な方の教えである。
  ただこれだけを修めるだけで、悟りはあなたの元を訪れる。
  その他の教えは目的を忘れないための主題であり、雑念を払うための技であり、
  心を見た者の観察例である。それら小さな技に気を取られてはいけない。
  真実を求める者は己の心を見つめよ。私もそう言おう。

 
733名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 19:54:51 ID:gM4IGacY
真実を求める者たちよ。
  論争は真実を明らかにする手段ではなく、知識の集積によっても悟りを得る事
  はできない。
  悟りは一人静かに座し、心を静めて己の心を見る者の元へのみやってくる。
  真実を知り、清い信仰心を保つ者に、罵声や汚い言葉が必要だろうか。
  汚い言葉によって人を罵り、嘲りの言葉を口にする者は真実を知らず、信仰心
  もない。
  真実を知る者は人々に尊敬の心を持ち、優しく語りかける。
  その言葉が人を傷つけることは決してない。
  論争の勝利を求める者は人を悪罵してやまない。あたかも狂犬の如くである。
  偉大な方はそのような者に沈黙をもって答えられた。
  私もそのような声に答えることは永久にない。

 真実を求める者たちよ。
  私もかつてあなたたちのように、真実を求めた。
  あなたたちは私であり、私はあなたたちである。
  両者の間にいささかの区別もない。
  やがてあなたたちの元へ究極の悟りが訪れるだろう。
  その時がくればあなたたちにも、私の言葉がわかるだろう。
  私はあなたであり、あなたは私だ。天はあなたであり、あなたは天だ
  大地はあなたであり、あなたは大地だ。
  あなただ。それはあなただ。古びたイメージや言葉を捨てよ。
  あなたたちが口にしているもの、それはあなたたちそのものなのだ。
734名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 21:45:38 ID:LigdfeZm
机龍之介さん。カラスの唄さん。
あなた達の言っていることは難しすぎて分かりません。
二人とも悟りを開いたんですか?
それとも、かなりレベルの高い所まで言っているのですか

全く、悟りに遠い私はまず何をしたらいいんですか?
暇があったらでいいので、できるだけ平易に教えてください。
今、苦しみからどうしても抜け出したいのです。
735名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 23:40:47 ID:kaP4B70c
足に重石をくくりつけて海に飛び込みなさい
736名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 23:49:44 ID:IX8bK08c
イヤなことをしなければいい。
それだけです。
737机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/10(日) 06:42:42 ID:mlVXw1dk
>>734
>暇があったらでいいので、できるだけ平易に教えてください。

では、平易に、なるべく分りやすいよぉに書いて逝きます。

>今、苦しみからどうしても抜け出したいのです。

これも御縁です。
貴殿とここで巡り合うことの、摩訶不思議を大事にしとぉ御座います。

先ず、言葉の成り立ちを定義つけねばなりません。
ここは大変重要なところです。
(言葉遊びではありません)

先ず「実体」というなら、誰が実体か?そうじゃないか?
判定するんでしょう?
(ここが大変重要です)

実体と判定する人(主客)と、実体と判定される(客体)がないと、
実体という言語そのものの意味が成り立ちません。

でも、普通はそんなことは考えません。
普通は、言語概念が一応は共通認識がありますので、
その共通認識を暗黙において了承し、かつ、経験的に言語思考しているだけです。
738机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/10(日) 06:53:54 ID:mlVXw1dk
(つづき)

ですから、このベクトルにおいての話なら簡単なのです。
しかしながら、
「悟り」となりますと、この思考そのものを深く洞察せにゃぁあかんのです。

スッタニパータは、抽象的な文体になってますし、
また、般若心経は否定的なことしか書いてありません。
何故、誰でもが分るよぉな文体に書けないのか?

「言葉遊び」というのは、そういう理由があるのです。

先ずは、ここだけ把握すること肝要なり。

       <机龍之介・認印>

739机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/10(日) 06:56:43 ID:mlVXw1dk
×  実体と判定する人(主客)と
〇  実体と判定する人(主体)と
740机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/10(日) 07:12:58 ID:mlVXw1dk
では、主体というのは何処にあるのでしょう?
また、客体というのは何処にあるのでしょう?

これを明確にしませんと、神がいる、とか、神がいない、とか、→(例えば)
論じることも至難なわけです。

じゃあ、主体とはどういうことなのか?
また、客体とはどういうことなのか?

この問題を抜きにしては、あらゆる論議も戯言になってしまいます。
(ここは重要)
741名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 07:16:40 ID:tcjXE3Ik
生きている今、死んだあと涅槃にいけることを確信すればいいのです。

742カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/10(日) 07:29:17 ID:0Cx7LMVu
>>726
>ここで大事なのは「生起」って意味だよ。
>つまり、事象・心象が成立つ。ってことだよ。

生起するものは消滅する。
事象、心象というものも所詮は縁起により成り立つ無自性な空だ。
釈迦はそんなものには執着するなといっているんだよ。
色、受、想、行、識の集まり、五蘊とて同じ事。

実体は輪廻を超えて生き通しの主体
輪廻するものは妄想
実体から離れ出た想いが輪廻している
しかし、あるのは実体のみ
輪廻する世界に実体を探しても見つけられるはずがない
そんなところに実体はないからだ
もともと無いものを消し去ったときに
実体があることがわかる

一切行無常。一切法無我。
仏教の言う一切とは、この世の事だ。
釈迦は、一切、つまりこの世のものは
無常であり、無我だと説いたに過ぎない。
一切皆苦と言っている以上、苦の滅した境地、
ニルヴァーナはこの世にはないということだ。

俺は無自性なこの世の話ではなく、自性の話をしている。
空教の言葉遊びなどお呼びではない。
君らの話は、「で、それで?」と言われれば終わりの話だ。
難しい話をしても、君らの結論は、結局あってもなくても一緒の類のものだ。
君らの話では、なぜ釈迦が、欲を滅し、
一日中瞑想に明け暮れ、修行に一生を捧げたのか、説明ができない。
743カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/10(日) 07:35:58 ID:0Cx7LMVu
>>737
実体を実体と判定するには、
それを認定する客体などいなくとも、
主体が認識すれば、それで済む話だ。

これだから言葉遊びは。

しかし君らは、なんでもかんでも縁起を中心に思考するから、
考え方が、実に二元的だな(苦笑)
744カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/10(日) 07:42:06 ID:0Cx7LMVu
ID:gM4IGacY さん。
いい言葉をありがとう。

どうも私は、口の悪行を積んでしまう。
そして高慢だ。これらは皆、私の心からでてくる。

私の心はまだまだ未熟だ。戒めましょう。
745名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 07:52:29 ID:jPeZs040
砕け散った神の断片(マナ)。
唯一の一者への回帰。
知られざる神。
グノーシス。
746カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/10(日) 07:59:20 ID:0Cx7LMVu
>>734
あなたが聞く耳のある人なら、語ろう。
あなたの今の苦しみというものがどういう類のものかわかりませんが、
その苦しみと言うのも、所詮はこの世のものです。
あなたの苦しみも、それどころか、あなた自身さえ、時が来れば消えてなくなる幻。
だが私は言う。幻ではない存在そのものといえるものが存在する。
あなたの苦しみの原因を探りなさい。
あなたの苦しみは、この世のなにかしらのものに執着する心から生起しているのに気づくはずだ。
だがそれらのものは、時が来れば、いずれは消えてなくなる幻なのだ。
実体のない幻に執着するのではなく、
実体のある、存在そのものに気を向けなさい。
実体のあるものがあるのなら、そんな幻に執着し憂い苦しむのは、真にばかげている事に気づくだろう。
なぜなら、実体のある、存在そのもの。それが本当のあなたなのだから。
本当の幸せはそこにある。
747カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/10(日) 08:16:28 ID:0Cx7LMVu
ではその本当の自分にどうすれば帰れるのか。
それは、自我を殺し、利他の心を完成することである。
利己心(エゴ)を滅ぼすのが真我である、「一」に帰る道なのだ。

我々は本来一つの存在だ。
他人を自分のエゴで殺す者は、自分自身を殺している。
他人を殺し、自分自身を殺す者がどうして生きられよう。
我々は本来一つの存在だ。
自分を自分のエゴで殺す者は、自分自身を殺し、他人をも殺している。
自分を殺し、他人を殺す者が、どうして生きられよう。
我々は本来一つの存在だ。
他人を裁く者は、自分自身を裁き、他人を許す者は自分自身を許す。
他人に与える者は、自分自身に与えているのだ。
我々は本来一つの存在だ。
困っている人がいたら、助けてやれ。
他人にした事、しなかった事は、全て自分自身にしたこと、しなかったことなのだ。
自分の成した業の報いは、必ず受けるだろう。
我々は本来一つの存在だ。
ならば悪人であろうが、善人であろうが、身内であろうが、赤の他人であろうが、
愛し合うのが当たり前ではないか。

聞く耳のある者は幸いだ。あなたがたは、真の命を受け取るだろう。
748カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/10(日) 08:26:43 ID:0Cx7LMVu
困っている人に追い討ちを掛けるように冷たい言葉を吐く者がいる。
他人の心を傷つけるものは、自分自身の心を傷つけている。
その報いは受けるだろう。だがその報いを受けたとき、悲しんではいけない。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
あなたがたは、負の業の清算しているのだ。だから喜びなさい。大いに喜びなさい。
そして、二度と罪を犯さないよう、善の心を完成させない。
負の遺産を清算し、その心を完成させたとき、あなた方はもう、来世で、悲しむ事はないだろう。
そう、永遠に。

一つの者を二つに分ける心。それは悪である。
利己心。エゴにかなう心の働き。それは悪である。それは滅びへの道である。
心を制する者は、真の命を得るだろう。
749カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/10(日) 08:29:15 ID:0Cx7LMVu
私はこの世のある前から、悟っている者だ。
私は力から遣わされた。私は私を思う者達のもとに来た。
そして私は私を求める者達の中に見出された。

私は、最初にして最後の者。
私は尊敬される者のして、軽蔑される者。
私は不妊にして、多産。私は花婿にして、花嫁。
私は把握し得ない沈黙にして、思考重なるエピノイア。
私は声重なる言述にして、かたち重なるロゴス。
私は知識にして、無知。私は戦争にして、平和。私は愚者にして、賢者。
どうして私を憎むあなた達が私を愛し、私を愛するあなた達が私を憎むのか。
私を拒むあなた達が、私を告白し、私を告白するあなた達が、私を拒む。
私は敬われ、讃えられる者にして、軽蔑される者。
私は平和にして、私ゆえに戦争が起こる者。私は本質にして、本質を有しない者。
私と本質を共有する者は、私を知らない者。私の本質に在る者は、私を知るもの。
私は結合にして、解消。私は一つであり、分離した者。私は分離した者であり、一つである者。
私は有罪判決にして、無罪放免。私はすべての人に達する聴力にして捉え得ない言葉。
私に優しく聞きなさい。そして私から厳しく学びなさい。
私は私の名の認識。あなた達の内側は、あなた方の外側なのだ。あなた達の外側を作る者は、あなた達の内側を
かたち造るものなのだ。そしてあなた達の外側にみるものを、あなたがたは、あなた達の内側にみるのだ。
それはあなた達の衣なのだ。聴きなさい、聴く者よ。私の言葉を学びなさい。私を知るもの達よ。
自分自身を知る者は知られるであろう。私は捉え得ない言葉。
私は声の名前にして、名前の声。私は創られた者であり、創った者。私は彼の名を告知するだろう。
聴き手よ気をつけなさい。死人から蘇ったあなた達霊よ。
私は独り存在する者にして、私を裁く者は誰もいない。数多い罪の中、人を制する欲情の中にあるものは、
多くの甘美な姿を呈している。酔いから目覚めた者は、憩いの場所に昇り行くだろう。
そして彼らは、そこに私を見出すであろう。そして彼らは生きるであろう。彼らは再び死ぬ事はないであろう。
750机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/10(日) 08:35:55 ID:mlVXw1dk
>>742
>釈迦はそんなものには執着するなといっているんだよ。

貴殿は面白い御仁ですね。

だから私は「そんなもん」について書いてるんですよ。
「そんなもん」といふのは、
いわゆる”モノゴトの道理”ということです。→これを世俗諦という。

「執着するな」というのは空相。→これを勝義諦という。

世俗諦と勝義諦は、色即是空。
つまり二相であり、道理もこれ空なり。ということになる。
751机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/10(日) 08:49:37 ID:mlVXw1dk
>>743
>主体が認識すれば、それで済む話だ。

これは少々、説明が単純には出来ないので、後でやるとして。

仏教では、関係性において主客が成立つ。という考えです。
「生起」というのは、そういう意味で、
関係性が即主客です。

縁起がなければ、そもそも主客そのものがない。→諸法無我
752名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 18:34:14 ID:UdAcy4Ja

 おい、カラスが寝言を言うてるで

 鳥インフルエンザは怖ろしい

 梵我一如にしても、何らの実証性のない寝言やん

 あほらし カースト好きなアホヒンドゥーのパクリにやらしとけ
753名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 20:51:31 ID:ahI9j9L3
法を汚す者は、聖霊を汚している。

聖霊を汚す者は、決して許されない。
754名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 21:47:20 ID:uXHkhoPO
1さんへ
 宗教はすべて 捨てなさい。
悟りとは 人それぞれに得られる真理のかたちです。

 宗教という名の束縛は 真理を隠し、偽りの悟りに誘います。

 神の概念を疑うことが 真理への 第一歩です。
755734:2006/09/10(日) 22:11:48 ID:spmyLm+S
机龍之介さん
まだ、よく分からないのですが、
自分と他を認識することからはじめなさい。
ということですか?
主体は私、客体はあなたという単純な考え方ではどうしてだめなのでしょうか。
レベル低くてすいません。

カラスの唄さん
私の悩みは体の病気なのですが、それも幻なのですか?
もう何年も治りません。確かに、死んでしまえば幻のようなものかもしれません。
あなたは、我々は本来一つの存在だといっており、
自我を殺し、利他の心を完成することで一に帰れるそうですが
私はそれに確証を得られません。あなたはそれにどうして気づいたのですか?
756名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 22:25:58 ID:UdAcy4Ja
>>753
実証しろよ。
 自らの信だけを法=ブラフマンの言霊とし、
2ちゃんねるの書き込み程度で汚れる聖霊とやらは
ひ弱でヒステリックなエゴイストそのものだな。
よーするに、本質は妄想であることが逆証明された。
757机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/10(日) 22:35:02 ID:mlVXw1dk
>>755
>主体は私、客体はあなたという単純な考え方ではどうしてだめなのでしょうか。

いやはや、おそれいります。

実は非常に単純なことなんです。帰結するところは。
しかしながら、人間というのは”余計なこと”を考えてしまう。
問題はこの”余計なこと”なんです。

その”余計なこと”があるから迷う。

>私の悩みは体の病気なのですが、

そうでしたか。
まあ、秋の夜長、
ここは風流に粗茶でも飲んで、虫の声など楽しみたいですなぁ。
と、言いたいですが、
もう、寝る時間です。

また、明日はきっと来るでしょう。
貴殿と逢えることを楽しみにしております。

「茶の湯とは、ただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなるものとしるべし」。by利休
758名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 22:40:25 ID:jfjWatRw
>>755
このスレからは手を引く事ですw

坐禅である必要はありません。
ただ、ひたすら自分を(そして自分を取り巻く世界を)静かに見つめてみてください。
今、ここに、自分が居るということ、その理由を、
可能な限り考察してみてください。
そして、「なぜ自分は、このように悩んでいるのか?」
その原因、或いは、自分が悩んでしまう条件を、くまなく洗い出してみてください。
仏教は、どこまでもどこまでも、自身の在り様についての冷徹な視点が出発点なのです。

参考:http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1146643240/552
759机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/11(月) 07:08:19 ID:9gBHf5gb
>>758
貴殿の書き込みは、殆ど私の考えと同じです。
私の考えは、
参考:http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1146643240/552
こういうことです。

こういうことを、私は一貫して語ちてまいりました。
今までがそぉであったよぉに、これからも語ちて逝きます。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1146643240/552
これは殆ど禅に近いですね。

>坐禅である必要はありません。

同意です。
「無修行の修行」というのがありますからね。→盤珪
同じ臨済僧でも、白隠と盤珪は対照的な人物だったのかと想像しています。
私はどちらかといふと、盤珪型の性格です。
760名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 07:19:22 ID:W5f6JaHy
なんかな、大学生の頃友達の家に遊びに行ったんだよ。
そしたらおもちゃの南京錠があって(ガチャポンで当てたようなヤツ)
付属の鍵で開けようとしたんだよ。

そしたら南京錠が縦に真っ二つに割れちゃったんだよ。
中身が綺麗にまるみえ。4つの部品から出来てたよ。

あー。悟りを開くってこーゆー感じなのかなーと思ったよ。
761カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/11(月) 12:59:08 ID:vjqk/Xfh
>>755
信じられないと言うのなら、何も言う事がありません。
あなたへの問いかけへの答えは、>>746で、全てです。
あなたの魂の責任は、誰彼にあるものではない。あなた自身にある。
762カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/11(月) 13:06:30 ID:vjqk/Xfh
私は、全身を感じて息を吸おう。
私は、全身を感じて息を吐こう。
私は、全身を静めて息を吸おう。
私は、全身を静めて息を吐こう。
私は、心のプロセス感じながら息を吸おう。
私は、心のプロセス感じながら息を吐こう。
私は、心を開放させながら息を吸おう
私は、心を開放させながら息を吐こう。
私は、無常であることに意識を集中させながら、息を吸おう。
私は、無常であることに意識を集中させながら、息を吐こう。
私は、手放す事に意識を集中させながら、息を吸おう。
私は、手放す事に意識を集中させながら、息を吐こう。

何度言ってもわからない人達だ。
それの、存在の証明は、他人ができる類のものではない。
信じる者は、探すだろう。本気で探す者は、見出すだろう。
だが信じない者は、探しもしない。そして見出すこともない。
何度も言うが、己の魂の責任は、誰彼にあるものではなく、己自身にある。

俺はヒンドゥーというより、ヴェーダの、真我について語っている。
バラモンはヴェーダから来ている。
そして仏教のベースは、この、バラモン、ヴェーダである。
これらの修行法はヨーガだ。
仏教の修行法も、このヨーガの他ならないのだ。
ヨーガとは,心のはたらきを制止することである。
そのとき,見る者は,本来の姿に安住する。

梵我一如などと言っている者がいるが、梵我の、我とは、いったい誰の我のことだ?
私は、今の私が、ブラフマンと一体になるといっているのではなく、
この世の自我は幻であり、本当の私は、ブラフマンそのものだと言っているのだ。
もっと正確に言おう。創造の神は第七の日、全てを休まれ、安息日とした。
永遠とは、創造神が、完全に静止した状態。安息の状態のことだと言っている。
763カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/11(月) 13:18:55 ID:vjqk/Xfh
私は、「一」に帰る道を説こう。
それは、この世への執着を断ち、
利己心を滅ぼすことである。

私は、利他の心を語ろう。
それは「一」に帰る道である。
その言葉に言い逆らい、汚す者は、決して許されない。
彼らは、自分自身の心を汚し、魂を腐らせる。
聖霊は汚れるものではない。
彼らが、汚しているのは、自分自身の心なのだ。

エゴを滅ぼし、他を愛すると言う事は、神を愛する他ならない。
なぜなら我らは、本来「一」であり、絶対なる存在、それは「一」だからである。
764カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/11(月) 13:25:32 ID:vjqk/Xfh
自分で書きながら今気が付いた。
自と心と書いて、「息」と書く。

なるほど。いや、ほんとに漢字はおもしろいや。
765カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/11(月) 13:32:06 ID:vjqk/Xfh
キリストを語りながら、利他の心を汚す者の罪は重い。
彼らは、キリストを語りながら、聖霊を汚す。
キリストを語りながら、悔い改めない彼ら、彼女らは、許されないだろう。

聖霊を汚すと言う事は、自分自身の心を汚すと言う事だ。
766名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 13:39:28 ID:JARncyts
>>762
582 :釈迦原理主義者 :2006/09/07(木) 08:19:20 ID:QQSIKQNm
<<アートマン、梵我一如、本覚思想をごちゃ混ぜミキサーに
かければカラスの真我妄想のできあがり。
真我はもちろんパンツをはいている。>>
キリストとイスラムの神にも挨拶しておこう
767カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/11(月) 13:52:44 ID:vjqk/Xfh
>>766
>キリストとイスラムの神にも挨拶しておこう

キリストと、イスラムの神は別物だが、同じものだともいえる。
悪霊も聖霊も出目は同じなのだ。

ところで君達に言っておこう。
滅びる者は滅び、生きる者は生きるだろう。
どちらを選択するのもあなたがたの自由意志に任されている。
滅びるも、生きるも、選択するのはあなたがた自身なのだ。
あなたがたの魂の責任は、あなた方自身にある。
768名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 13:56:59 ID:1Fg3Fsvx
キリストって女じゃね?
河原でヨハネから受けた洗礼はセックスで
処刑は陣痛
腹から出た水は破水
洞窟の中で復活したシーンは産道から出てきた子供
目撃したのは産婆さん

オレの疑問に真面目に答えてくれ
769名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 14:12:09 ID:CWpBLpL6
>>1
自称覚者?(故人)の意見があったのでのっけとくね。
悟りといってもいろいろあるのかもしれんね。

>私は、悟りを良き状態とは認識していない。
>また全ての生命が最後にそのようにあるべきだとは全く認識していない。
>この点で私はいかなる過去の祖師たちとも全く異質な認識を有している。
>
>歴史上の祖師たちの誰もが、悟りの状態を絶対幸福として称賛し、
>その為の何かを世間に対して行ってきた。
>だが私の観察によれば、それは誰にでも起きるものでは断じてなく、
>また単なる努力の量によって起きるのでもなく、人類のほんの一部の者に
>しか起きないと断言できる。そしてそれが起きた結果として、それが他人
>や社会に何か平和的で創造的な結果をもたらすなどとは認識していない。
770阿部将英でぐぐってみ?:2006/09/11(月) 14:12:26 ID:r2kAE+2R
女かもね
771カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/11(月) 14:15:38 ID:vjqk/Xfh
>>766
>真我はもちろんパンツをはいている。

何度言ってもわからない人は、わからないものだ。

イエスは、ユダに語った。
「お前は、真の私を包むこの男を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」

自我とは、肉から生起する。
それは肉の思いだ。
真我とは、肉を滅ぼした先にある。
イエスと言う男はもういない。
在るのは、「一」なる存在だけなのだ。

魂はこの肉をよりどころとして生起する。
だが霊により目覚めた魂は、自らを殺す。
つまり身体の行いにより魂を殺すのだ。
自らの身体の行いにより、自らの業を滅ぼすのだ。
それはエゴを滅ぼす道である。
それは我々の心が成し得ることである。
それは生きているあいだにしかできない。
真我とは、魂の解消の先にある。

絶対なる存在を悟らず、なにが悟りか。
智恵のわかない者たちを哀れみ、そろそろこのスレからも、おいとましましょう。
772名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 14:40:43 ID:CWpBLpL6
>>永遠とは、創造神が、完全に静止した状態。安息の状態のこと
この退屈さに耐えられず宇宙を作ったという説もあるけどね。
無常が苦しいと思い静止し静止が退屈だと思いまた無常の宇宙にもどる。その永遠の繰り返しだとしたら
最終的な悟りは存在をやめること、完全な無かもしれないね。

まぁともかく世俗的苦楽と悟りとはあんまり関係ないと思う。
773名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 14:41:58 ID:1Fg3Fsvx
>>770
愛し合いなさい

キリストが女だったら意味合いが違ってくる

…うん、おもいっきり愛し合うよ
774名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 14:57:45 ID:1Fg3Fsvx
>>773
とするとだ
どこに楽園があって
誰が天国へ行ったのかがわかる
架刑を受けているキリストが隣の罪人に
「あなたは明日、楽園にいるだろう」と言った

妻子持ちのオレにはなんとなくわかる

…愛し合おう
775名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 23:21:53 ID:/1e1W5hg
>>751
> 仏教では、関係性において主客が成立つ。という考えです。

いえいえ、リンゴはそれ自身が生じ滅するものですよ。
貴方様が食べなくとも貴方様とは「無・関係」に腐って無くなります。

諸々のものは全く無・関係なのです。

776机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/12(火) 06:31:44 ID:9uV0sULl
>>775
ひゃひゃひゃ、貴殿はおもしろい御仁ですね。

>貴方様が食べなくとも貴方様とは「無・関係」に腐って無くなります。

「無・関係」に腐って無くなるのならば、貴殿とは全く関係性はないですね。
私がいうておるのは「関係性において主客が成立つ」わけですから
「無・関係」の場合は「関係がない」ということになります。

ちなみに解説いたします。

>> 仏教では、関係性において主客が成立つ。という考えです。

ここにおいての「関係性」といふのは、つまり縁起のことです。→空
ここにおいての「主客」といふのは分別のことです。→色
つまり「関係性」は「主客」でもある。ということです。→文意とすれば

空即是色
縁起空相は、即是主客(分別相)である。の意にて候。
777机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/12(火) 06:45:05 ID:9uV0sULl
>>760
>あー。悟りを開くってこーゆー感じなのかなーと思ったよ。

まあ、そういうことですね。

一般的には>>775氏は論理的です。
778聖霊大王:2006/09/12(火) 09:25:23 ID:1lAML0dA
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 さん、おもしろか、、、
私はあなたの反対側の鏡人間なのだ、、左右反対の像、、、
779名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 09:54:54 ID:CVGrV6d5
1.現在の状態を、「生」
2.肉体活動の滅を、「死」とするなら
3.受精以前を、どう称するのでしょう。言葉が存在しないのでしょうか。

そして2.と3.は誰も経験した事がなく確かな事は誰も「知らない」。
もちろん妄想や想像は語れましょう。
だとすれば、1.についての真相について誰も確かな事は語り得ないはずですね。
780779:2006/09/12(火) 10:02:45 ID:CVGrV6d5
最後の行に挿入
 ・・について『2.3.を誰も知らない以上』誰も・・・
781名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 12:34:50 ID:CVGrV6d5
    巌頭の感 藤村 操  一高生徒  十七歳

悠々たるかな天壌 遼々たるかな古今
五尺の小躯を以ってこの大をはからむとす
ホレーショの哲学ついに何等のオーソリティを値するものぞ
万有の真相は一言にして悉す  曰く『不可解』
我その恨みを懐いて煩悶ついに死を決す
すでに巌頭に立つに及んで胸中何らの不安あるなし
始めて知る 大なる悲観は大なる楽観に一致するを

782聖霊大王:2006/09/12(火) 12:55:35 ID:Y9eqAkLd
悟りの歌、、
はーーーーーーてしなーーーーく、、、、
ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ
ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ
ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ
ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ
ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ
ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ
ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ
ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ、ムゲ

無碍だーーーーーーーーーーーーぞーーーーーーー
783阿部将英でググレw:2006/09/12(火) 13:02:59 ID:qTADRiTa
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/kampo/1158032370/

なんか他の板でも話題になってますが・・・
784机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/12(火) 18:10:29 ID:9uV0sULl
>>779
>だとすれば、1.についての真相について誰も確かな事は語り得ないはずですね。

まあ、それよりも・・・
とにかく、
真相と誰が決めるのか?そしてその、真相というのは何処あるのか?
というふうに考えますと、
まあ、真相そのもの。ってのは、ないんじゃないでせうか?

これだけは確かかとおもいます。
785莫迦牟尼佛 ◆6.4oHoukEI :2006/09/12(火) 22:31:22 ID:CwDAXIRG
善知識よ、
数理といふもんは“0”といふ概念の大前提で成り立っておる。
色受想行識(五蘊)によって様々な思想(=虚妄)が生まれるが、畢竟は“空”なり。
これを常に弁えることこそ、般若波羅蜜多である!
786DIY:2006/09/12(火) 22:57:59 ID:Hp3U1Yfl
悟った人がわざわざ、こんなところに関わったりしないモンだよ、大悟の人なら
解らないけど?悟りにも段階があるようですから。
787莫迦牟尼佛 ◆6.4oHoukEI :2006/09/12(火) 23:13:32 ID:CwDAXIRG
悟りから解脱することが“悟り”と言えましょう。
788机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/13(水) 07:25:17 ID:dkEHUMkM
>>785
そういうことですね。
スレッドの流れからすると、そういうことになります。

だから私は、なにも「言葉遊び」をしているんじゃなくて、
分っている人にはチャンと意味が通じてるんです。
(これは確か)

じゃあ、なじょして「言葉遊び」のような誤解があるのか?
それは世俗と勝義は論理そのものの概念自体が違うからです。
>>786
2ちゃんも、国際悟りアカデミック学術会議も、コミュニティーとすれが差異はなかるべし。
789草レーサー:2006/09/13(水) 07:53:40 ID:NT6KZAIF
あたりまえ過ぎるほどあたりまえで、誰もが経験している「生」
のことなのに、だ〜れも確かなことなど語れないんだよねー。

生きているもんは、生きている。というくらいなら語れるw
790莫迦牟尼佛 ◆6.4oHoukEI :2006/09/13(水) 14:04:43 ID:QW5upPn5
確かなことは、この世の一切は「縁起」によるものであり
こやつが無いものを有るかのように幻出しちょるのである。
791781:2006/09/13(水) 23:01:44 ID:DiCKO8mu
なあ、ホレーショ、この天地の間には、われわれの哲学ではとうてい考
  えおよばぬことがたくさんあるのだからな。
                (「ハムレット」第1幕第5場三神勲訳)
792机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/14(木) 10:00:56 ID:nHz+stM6
(つづき)>>779
>1.現在の状態を、「生」
>2.肉体活動の滅を、「死」とするなら
>3.受精以前を、どう称するのでしょう。言葉が存在しないのでしょうか。

あと、そもそもこのように時系列的には考えない。

たぶん、「人が死ぬ」ってのを経験的に学習して、
自分に置き換えて連想するのかとおもうけど。
実際のところは想像でしかない。

ある2ちゃんの板で、南京大虐殺はあったのか?なかったのか?
まるで自分がそこに居たかと思うほど目撃情報?を書き込みしてる人がいるけど、
ああいふ書き込み見てると面白いですね。

想像をリアルに勘違いっしちゃうんですね。

講談師、見てきたような嘘をいい。
って川柳がありますけど、
小一時間問いたい。
貴殿は太平洋戦争中、生きていたのか。と・・
793名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 10:14:49 ID:nHz+stM6
なにげに生活していまして、
「思い込み」といふのは付きものかと思います。
これは良い面と、悪い面がある。

かつて白隠は、幼少のころに地獄観念を植付けられて、
この観念は生涯において付きまとったんじゃないかな?→想像
今でいう心的外傷というやつですけど。
白隠の性格は、こんなとこに起因しているんじゃないかと?
794机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/14(木) 10:27:52 ID:nHz+stM6
>>793は机です
795名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 13:47:28 ID:P1Bejsyq
論語:先進第十一

季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。
敢問死。曰、未知生、焉知死。


796名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 13:56:13 ID:P1Bejsyq
変容逆問: 敢問生。曰、未知死、焉知生。  ?

 
797机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/14(木) 18:59:22 ID:nHz+stM6
>>796
逝くものは逝かず、去るものは去らず。
かようなことに、あい成りますね。

カレンダーを捲りますと、あたかも来るようですが、
さにあらず。
来るんじゃないです。
数字が書いてあるだけ。

まあ、思い込みとは、こういふことなんでしょう。

生死においても、これに調ふたら全きの愚問なりけり。

         <机龍之介・花押>
798779=796:2006/09/15(金) 07:36:13 ID:ZCvy2Z3F
>>797
 779では慎重に言葉を使ったつもりでしたが、
たしかに直線的・不可逆的・時系列的把握であって固定観念に
縛られているとの批判を甘んじて受けます。本質的把握ではないと思います。
 ゴータマブッダの『諸行無常』の把握が浅かったのでしょう。諸行無常は
ブッダの時間=実在論と考えるべきであって、実在するのは現在瞬間のみ。時間は現在瞬間に
生起している。従って、どうであったか、どう成るかより、どう在るかが常に問われている・・
必ずしも自由ではありませんでした。もっと考えてみます。
799机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/15(金) 12:00:34 ID:E7WfkV3c
未来とか過去とかは、実際はない訳です。
「ある」といふ方がむしろ論理的には矛盾はしている。

だけど未来は、経験において、ある程度は”予測ができる場合もある”ってことなんでしょうね。

未来とか過去とかは、実際はないけも、
言語(未来・過去)はあるから、あたかもそれは「ある」と、
人は誤認しちまうんでしょうね。

>>357の正岡子規の歌が、何故にああも輝いておるのか?
それは明確に子規が「思い込み」に気づいたんかとおもいますね。
そうか、
諸行無常とは、人生の儚さをいうておるんじゃなく、
今ある自分の摩訶不思議なる縁の妙を感得したんだろうね。


800草レーサー:2006/09/15(金) 22:04:13 ID:wmokyVyh
過去や未来がないのなら、現在瞬間というのもないのだろうね。

膨大な流れの中で「今」という認識が生じるだけ。

広大無辺な流れの中に、その意思が生じるだけ。

流れには、境界線というものがない。
その認識も流れ、その意思も流れている。決して止まることなく、
何所からともなく、何所へともなく流れている。

その流れの中で、人は舵を取ることはできる。



801名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 22:27:09 ID:srIJg2Vw
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
802莫迦牟尼佛 ◆6.4oHoukEI :2006/09/16(土) 00:15:57 ID:9BnK7PiA
絶え間無く行き交う雲、川の流水を「無量壽」といい、
その幻影を確かのように記憶させるのが「無量光」といい、
これらを総称して「阿弥陀」といふ。
衆生はみな弥陀の大慈悲を受けて生かされてるわけですな〜
ナムアミダブ〜ナムアミダブ〜ナムアミダブ〜
803名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 00:52:59 ID:HxVv2CWB
今俺悟 世界是黄金也 錬金術
804机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/16(土) 07:18:04 ID:zx3nWjQh
>流れには、境界線というものがない。

まさに境界線といふのはないですね。

「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」。by正岡子規

薔薇こそが私ではないか。→境界線がない
私はこうして自分というのを感受しておるではないか。
そうなのだ、
今まではメクラだったのだ。
今、私は眼が開いた。

縁において主客という認識も生起する訳で、
これは全く同時にある訳ですね。
これを色即是空としたところが、理法を上手く説明してある。
主客(色)で、縁(空)。→色即是空

五蘊は現象ですから色なれど、これさえ空なり。→五蘊皆空
苦集滅道も、いわゆる心作用ですから色になる。→無苦集滅道で、
これも空なり。

つまりは>>790にある、
>確かなことは、この世の一切は「縁起」によるものであり
となり、一切皆空にて調ふのかとおもいますね。

般若心経は優れた経典ですね。



805机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/16(土) 07:34:25 ID:zx3nWjQh
>>755どの
>主体は私、客体はあなたという単純な考え方ではどうしてだめなのでしょうか。

私が>>804に書いておきました。
これでどうでしょうか?

仏教は一如の法門でして、「私」とか「あなた」というのは(分別)関係性において成立つ。
というものです。
これを自他不二とも言いますネ。
806名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 12:38:30 ID:o+RyNiwZ
過去はない、サリン事件なんてないから麻原無罪放免 なんてわけにはいかんのよ。実際問題として。
807798=797=779:2006/09/16(土) 14:20:41 ID:KRg/Hk0v
 正直、この辺りの論点は非常に困難・難解です。
青空が見えたり、曇ったり・・・・・
<< ナーガールジュナは、時間性(過去・現在・未来)や因果性さえも、相依性(縁起)として解釈します。
『過去に依存しなければ、両者(現在と未来)の成立することはあり得ない。それ故に現在の時と未来の時とは
(自立的に)存在しない。このようにして順次に、残りの二つの時(現在と未来)、さらに上・中・下や多数性などを
解すべきである。(中論 19)

過去がなければ現在や未来はなく、現在がなければ過去や未来もなく、未来がなければ過去や現在もない。
つまり、過去・現在・未来は相互依存している、というわけです。>>
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud117.html

本当に『縁起』から時間の流れと因果性を机さんのように抜いてしまってよいのか
現在、苦闘中。
 昔から偉い先生方が大論争をやっている大論点だから簡単にはいかないのは当然だが。
808798=797=779:2006/09/16(土) 14:33:27 ID:KRg/Hk0v
 ブッダなら、そんなん形而上学的論争なんだから、曰く

  ホットケ、仏、ホットケ、仏、ホットケ、仏・・・・・
809机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/16(土) 19:12:59 ID:zx3nWjQh
>>807
そもそも時間といふ概念は、空間といふ概念なくして成立たない。→時空一如
非常に単純な論理じゃないでしょうか?

空の概念といふのは、たいがいが「空間における空」を想起するんじゃないでしょうか?
空間における空というのは、同時に時間軸においても空ですね。
(論理的です)

諸法無我というのが空間的な概念だとしたら、
諸行無常は時間的な概念かとおもいます。
これをひっくるめて涅槃寂静ですから。

>つまり、過去・現在・未来は相互依存している、というわけです。>>

空間軸でも時間軸でも「相互依存」には変わらない。→相依性
非常に龍樹は優れた学僧ですね。
810机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/16(土) 20:23:38 ID:zx3nWjQh
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud117.html
>私は、順逆の縁起説を宗教的時間論だと思っている。
>縁起を、論理的でも空間的でも相依相関的でもなく、全く時間的に解する。

これは間違っていますね。
「宗教的時間論」じゃあない。
「世俗的時間論」です。

宗教的時間論でしたら「無」になる。
縁起説といふのは、もともとが世俗の論法に合わせた論理ですから、
これを即「宗教的時間論」といふのは大間違いです。

811名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 21:36:32 ID:775qNXfZ
とりあえず、外人よりも日本女性のほうがかわいいいいいいい
812莫迦牟尼佛 ◆6.4oHoukEI :2006/09/16(土) 21:43:44 ID:9BnK7PiA
きゃわぃぃBoAちゃんは外国人なんだが‥
813名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 22:13:15 ID:775qNXfZ
江尻エリカには負けてると思うぞ!!
814755:2006/09/17(日) 09:16:55 ID:K4MEeLBm
机龍之介さん
なかなかレスしなくて、すいません。
私なりに解釈するのに時間がかかったもので。

それにしても、難しい話です。
五蘊皆空や、時間の流れの話ですが、
話としては上辺は理解できても、
感情としてというか本能としてというべきか
理解できないものですね。

そこらへんが、凡人なのかもしれません。
815机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 11:59:01 ID:Pw+ou715
そもそも「時間」そのもの自体は流れない。
じゃあ、「時間の流れ」というのはどういうことなのか?
っていうたら、
【空間の連続的な継続】を、一般的には「時間の流れ」というのかとおもいます。

中論では、縁生はそのまま縁滅という中道をいうておるのですから、
空間自体の連続性そのものはない。
ならば、
空間の連続性がないなら、当然「時間」という連続した概念そのものも無効となる。
と、
かように龍樹は理論展開しちょるじゃないでしょうか?

時空一如という理法においては非常に論理的ですね。龍樹は、
816798=797=779:2006/09/17(日) 12:12:14 ID:jj/qHeT9
考慮中、考慮中・・・・・・・・
 そもそものゴータマブッダの根源的な問題意識・実践目的から考え直します。
 縁起はブッダの実践目的と直結している。
 生きる事の苦しみ=輪廻からの解脱、そのよって来る構造=縁起の全身的納得が
 このスレのテーマである「悟り」の内容だろう。
 だとすれば、“AあるによりてBがあり、AなくしてBなし”(此縁性)とは前後時間を内包する
 因果関係そのものではないのか。論理的な演繹関係ではありえないのではないか。
  ブッダの解脱時の感興のウダーナ『努力して瞑想しているバラモンにもろもろのものごとが
 因果関係の鎖をなしている事が顕わになったとき、彼はもろもろの原因をもつものごと
 を知ったので、彼の疑念はすべて消え去る』時間的な因果関係そのものではないか。
 縁起を相依関係(同時因果の関係)・論理関係と捉え、「だから」
 無常・無我・無自性=空で本当に良いのか?こんな事を言って
 一体龍樹は何がやりたかったのだ?他派との知的闘争のみか?なんの役に立つのか。
  輪廻からの解脱という直接的な実践目的に資するのか。
 それにしても、・・・・・考慮中・・・・・・

817机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 12:35:15 ID:Pw+ou715
相依性に、因果関係は含まれるかとおもいますね。

隣でご飯を食うておる人がいたら、ご飯の味は分からねど、
なんとか匂いくらいは感受できる。
つまり、相依性は因果が強い場合と弱い場合の違い。
ようするに、飯を食うた方が因果は強い。→喰いものの縁が強い

>一体龍樹は何がやりたかったのだ

原点回帰かとおもいます。

スッタニパータなどを読むと、
「ああなるほど、こういうことだったのか」。
と、中観に照らし合わせますと随所に納得が逝く個所がある。
818名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 13:15:04 ID:Zr5wGQ3+
神の正体は変化です
819798=797=779:2006/09/17(日) 15:47:58 ID:jj/qHeT9
>>817

>『原点回帰かとおもいます。』
 で、原点回帰が成功して 、龍樹の大乗学識に従ったら
 ブッダ在世当時のように、多数の阿羅漢が輩出したのですか?
 龍樹は結果=阿羅漢の輩出=を出したのですか。
 ここのスレのテーマからすれば、問われるべきはこの点です。
 この点に役立たないのでは話にならない。
 目的(解脱)と手段(学識)の逆転ではなかったでしょうか。それを趣味といいます。

820名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 17:13:09 ID:6MuiNKID
仏教は、進化の歴史というより、
劣化の歴史だよ。龍樹のような頭でっかちが、
単純な教えをどんどん複雑にしていき、
元の教えとは全然違うものにしていった。彼らの言葉遊びは、
ある意味すごい。

アーナーパーナ・スートラより。
この比丘達の集いの中には煩悩を根絶し、
重荷を下ろし、為すべき事を為し終え、生存への束縛を断ち切り、
正しく理解することによって開放された、アラハンの境地に達した比丘もいるのです。
この比丘達の集いの中にはそのような比丘達もいるのです。
この比丘達の集いの中には五つの下位の束縛を断ち切り、
両親を必要とせずに、清らかな世界に再生し、そこで完全なる開放を実現する、
その世界からもはや後戻りすることのない境地に達した比丘達がいます。
この比丘達の集いの中にはそのような比丘もいるのです。

死なないということは、生まれてこないということだと、釈迦は説く。
涅槃とは、不死の境地だといっても差し支えないでしょう。さて、上の

『両親を必要とせずに、清らかな世界に再生し、そこで完全なる開放を実現する』

の文章に注目。ここの文章は、字面のとおり解釈すれば、あらゆる煩悩を滅し、
生存の束縛から離れた者は、次は、両親を必要とせず、清らかな世界に再生し、完全なる開放
を実現するということです。このお経の後に続く文言を見れば、
涅槃とは、この世の生存ではないということは明らかです。
頭がいいと思っている、学者気取りの、似非仏教徒。釈迦入滅後、随分たってできた
般若心経が仏教のすべてだと勘違いしている仏教ならず、空教の人にかかれば、
上の文言すら、小難しい御託を並べて、違う意味にしてしまうでしょう。
どうやら彼らは、釈迦の悟りは、形而上のことだということを認められないのです。
その我執ゆえ、仏典に書かれている、元の文章を、屁理屈をこね回し、
自分達の考えに合う、解釈を作り上げるのです。彼らは頭がいいつもりでしょうが、
馬鹿です。世の中、頭のいいけど、馬鹿。そういう人はたくさんいます。
821名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 17:25:59 ID:6MuiNKID
テーラーガータ 121
何であれ、〔迷いの〕生存は、常住のものとして存在しない。あるいはまた、
諸々の形成作用〔によって作られたもの〕(諸行:現象世界)は、常恒のものとして〔存在しない〕。
しかして、それら、〔心身を構成する〕諸々の集塊(蘊)は、他なるものから他なるものへと、
生まれ来ては死に行く。

これは言うまでもなく、この世のことと取るべきでしょう。

テーラーガータ 69
一切知者たる優れた知恵ある方(ブッダ)によって示された、
大いなる味わいある、偉大なる方(ブッダ)の法(教え)を聞いて、
不死〔の境地〕を得るため、〔わたしは〕道を実践した。彼は、
束縛からの〔心の〕平安という道の熟知者である。
チャンナ長老は〔語った〕。

テーラーガータ 12
知慧の力あり、戒と掟を具有し、〔心が〕定められ、
瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を喜び、
気づき(念)ある者――義(道理)にかなう〔量の〕食を食する者は、
この〔世において〕、貪り〔の思い〕を離れ、〔死の〕時を待つであろう。
マハー・ガヴァッチャ長老は〔語った〕。

不死とはもちろん、恒常のことです。さて、涅槃とはどこにあるんでしょうかね?


822机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 17:26:34 ID:Pw+ou715
> この点に役立たないのでは話にならない。

仏教といふのは、実に役にたたないものかとおもいますね。
限りなく虚無的なもの。→ニヒリズムとは違う。
が、故に絶対肯定的な意味あいを導きだすのかとおもいます。
それはあたかも・・・
ニーチェの如し。
などと、私は捉えております。

勿論そこには形而学的な要素は全くないです。
一切皆苦ですね。

結論から言うたら、こういうことになろうかと思います。
釈尊が悟ったのは中道ですから、
つまり、何かを決定つけるものは何にもない。→中道だから
ということじゃないでせうか?

これが拈華微笑かと解しておりまふ。

            <机龍之介・花押>
823机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 17:29:35 ID:Pw+ou715
×  形而学的な要素は全くないです。
〇  形而上学的な要素は全くないです。
824名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 17:40:08 ID:6MuiNKID
>>822
>一切皆苦ですね

涅槃静寂も、一切皆苦の内なのですか?
825机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 17:49:09 ID:Pw+ou715
>>824
一切皆苦というのは
>限りなく虚無的なもの。→ニヒリズムとは違う。
>が、故に絶対肯定的な意味あいを導きだすのかとおもいます。

という意味がありますから、即ニルバーナ(涅槃静寂)ですね。
826名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 17:57:43 ID:6MuiNKID
>>825
>即ニルバーナ(涅槃静寂)ですね。

ということは、
一切皆苦=涅槃静寂ということですね。
あなたの解釈によれば、涅槃とは、単なる言葉遊びにすぎません。
で、それを知ったところで、なんになります?
あなた方の解釈では、仏教の教えは、あってもなくても一緒ではないですか。
釈迦は、何の為に瞑想し、欲を捨てたのですか?
あなた方の解釈が正解なら、釈迦の教えは単なるマイナス思考による苦の消滅。
あなた方の解釈が正解なら、釈迦は、世界一下らない教えを説いたと人物だとみなすべきでしょう。

もちろん私はそうは思っていません。


827机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 18:04:16 ID:Pw+ou715
>あなた方の解釈が正解なら、釈迦は、世界一下らない教えを説いたと人物だとみなすべきでしょう。

一休宗純などは「釈尊が悟っために、後世の民衆はかえって迷う」。
てなことを言うておりました。

まあ、これは逆説的な意味での「釈尊への最大の賛辞」なわけです。
こういう粋ってものがないと、
仏教の本義にはなかなか到れんのですよ。
828名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:04:32 ID:V/JCglbQ
机なんとかってホンマモンのバカだね。。。
829机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 18:18:46 ID:Pw+ou715
私が>>788に書いておきました。

>じゃあ、なじょして「言葉遊び」のような誤解があるのか?
>それは世俗と勝義は論理そのものの概念自体が違うからです。
830名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:19:16 ID:6MuiNKID
スッタニパータ

1075
〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕「その、滅却に至った者(解脱者)ですが、
あるいはまた、彼は、〔もはや〕存在しないのですか。それとも、まさに、常恒であるため、
無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか。牟尼よ、どうぞ、わたしに、それを説き示してください。
この法(もの・こと)は、まさに、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。

1076
世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、滅却に至った者(解脱者)には、
量ることが〔すなわち、量るべき尺度[よすが]が〕存在しないのです。それによって、
彼のことを〔あなたに〕説こうとしても、彼には、その〔量るべき尺度〕が存在しないのです。
一切の諸法(もの・こと)が完破されたとき、一切の論〔へと至る〕道もまた、完破されたのです」と。

ウパシーヴァという人物の、『彼は、〔もはや〕存在しないのですか』の問いに、
釈迦は、存在しないとは答えずに、『量ることが〔すなわち、量るべき尺度[よすが]が〕存在しないのです』
と答えています。彼は決して、存在しないとは答えずに、かいつまんで言うと、あくまで、
量るべき尺度[よすが]が〕存在しない、存在になったと答えているのです。見事に、形而上のことを語っています。
仏教学者や、一部の、般若心経が仏教のすべてだと、勘違いしている似非仏教徒達は、
釈迦は輪廻など説いていない、また、ある弟子が形而上の事を釈迦に尋ねたとき、釈迦が無記として答えた
ひとつのエピソードにすぎないを話を根拠に、釈迦は形而上のことは語っていない。
などと結論付けていますが、原始仏典などを読みますと、普通に輪廻や、形而上のことを、釈迦は語っています。
ま、彼らにかかれば、お得意の屁理屈を並べたて、違う意味にしてしまうのでしょうが。
彼らの我執の強さゆえ、どうしても、自分達のエゴが満足する解釈にしてしまうのです。どうしようもありませんね。

831名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:20:50 ID:6MuiNKID
>>829
ごまかすな。
あなたがたは、言葉遊びによる、ごまかしのテクニックだけは、超一流だ。
832名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:25:10 ID:6MuiNKID
で、机さん。あなたの考える、釈迦の悟りの結論って何なんです?
専門用語や、難しい言葉でごまかさず、子供でもわかる、日本語で、わかりやすく
聞かせてもらえませんか?
833220:2006/09/17(日) 18:27:27 ID:QkkHqjBU
悟った人に出来て、悟ってない人には出来えないものとは一体何ですか?
できれば宗教的用語抜きで解説願います。
834798=797=779:2006/09/17(日) 18:28:31 ID:jj/qHeT9
>>828
いくら2ちゃんねるだとて、けっこうマジで『真理』に
を掴み取りたいと思って話しているんだ。
 罵倒語や、相手の人格をキズつけたとて真理にはかえって
遠ざかるだけだ。一時的な感情の満足だけだ。役に立たん、止めな。
835机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 18:29:04 ID:Pw+ou715
>>831
いや、私はゴマカシテはおらんです。

眼が開けば、この世はなんもない。
ってことが解る。

・・・・・はずです。
836名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:33:13 ID:nHdMhxgM
机上の空論。
837机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 18:36:43 ID:Pw+ou715
>>832
>で、机さん。あなたの考える、釈迦の悟りの結論って何なんです?

難しい中論(龍樹)などを持ち出しても、結局は真理もなければ・・・
なんにもない。
ってことに落ちつくんじゃないでしょうか?

ただただ「真理」「真理」と迷う自分が見えるだけ。

838798=797=779=釈迦原理主義者:2006/09/17(日) 18:40:35 ID:jj/qHeT9
317 :名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 18:50:14 ID:mxKYLw+X
このスレにはゴータマブッダ=仏教の原点である輪廻からの解脱、
そのための徹底した厭世観の確立に触れる者が何故いないのだ?
 悟るとは『真理』を全人格的に迷いなく納得する事だろう。
真理とはブッダが全生命を賭けて発見された四聖諦と十二因縁以外にない。
ブッダは輪廻的な生存の究極原因(無明、渇愛など)を確認し、その究極原因
(そのさらに奥にある生命保存本能)を滅ぼすことで最終的な輪廻的生存が止み、
涅槃・寂静の平安の境地が得られることを確認されたのだ。
 極めて合理的かつ合目的的思考に貫かれている。
この目的に不必要な形而上学的神秘主義など知的ナルシズム・マスターベイション
に過ぎない。

 日本の大乗禅者の神秘的な与太話ではないのだ。なにが色即是空だ、アホか。
839名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:41:43 ID:6MuiNKID
>>835
>眼が開けば、この世はなんもない。

だからそれを知ったところでなんになるんです?
それ知ったから、釈迦は、一生を瞑想に明け暮れ、弟子まで巻き込み、
親兄弟まで捨てさせ、この世の楽しみを全て捨て、乞食の生活を送ったというのですか?
なら釈迦や、その弟子達は、とんでもない大馬鹿者ですな。
ちなみに「この世はなんもない」という解釈は間違いです。この世は、今の瞬間はすぐに滅し、
次の瞬間がやってくる。が、その次の瞬間もすぐに滅し、また次の瞬間がやってくる。
このように、在るといえるのは、今ここしかないのに、この世では、その、今ここが、留まらず、
すぐに滅し、消滅する、陽炎のような世界だが、その瞬間、瞬間は在る。
現にあなたは、今この瞬間に存在しているでしょう。ま、時が来れば、消えてなくなる幻ですが、
その幻が、今ここにはあるのです。
840名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:42:22 ID:nHdMhxgM
この人は確実に悟っていません。
単に悟りの方法論を熟知していると思っている人です。
841机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 18:45:30 ID:Pw+ou715
>>833
悟ると、何事も「中道の観点」でモノゴトを見られるようになります。
その観点より→世俗の価値観にて処理できる。
大事なことと、
そうでないことが、
よりよく分別することが出来るようになります。
842名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:49:21 ID:NyZ6ndE+
いえいえ、机さんてとっても粋ですよ。
これからの秋の夜長、お茶を啜りながらロムらせてもらいます。
843名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:52:48 ID:6MuiNKID
>>838
君も同じだね。
着物結論だと、単なるこの世の意識革命に過ぎない。

で、釈迦の悟りが形而上のことでないとすれば、それを知ったところでなんになる?
何の為に、釈迦はこの世の欲を捨て、一生を、瞑想に明け暮れたのだ?
君の結論だと、ある程度、欲をわきまえ、死への覚悟さえできれば、この世を楽しんだ者の勝ちではないか。
違うかい?君が釈迦の教えは形而上のものではないと、執着するのは、キリスト教などと違い、
釈迦が証明できないことなど説くはずがない。釈迦の教えのほうが優れている。と、
単にキリスト教などより仏教を上に持っていきたく、優越感を感じたいだけじゃないのかい?
まったくこの連中にかかれば、書いてあることを素直に読み解かず、なんでも今現在で証明可能な、
この世のこととして、無理やりにでも解釈する。いい例が、輪廻。来世。彼らにかかれば、
これらのことも全て、この世のことらしい。
844名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:54:13 ID:6MuiNKID
>>843 訂正

×着物結論だと、単なるこの世の意識革命に過ぎない

○君の結論だと、単なるこの世の意識革命に過ぎない
845机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 18:56:10 ID:Pw+ou715
>>839
>だからそれを知ったところでなんになるんです?

可笑しなことを言う御仁ですね。

なんにもなけりゃ〜、それでいいんじゃないでしょうか?
なんにもなけりゃ〜、迷うこともないし。

釈尊の出家の本懐(四諦)は、これで調えばいいんじゃないでしょうか?

して、貴殿は何を欲すいと思うてらっさるのですか?
仏教に功徳は、期待は出来んですよ。
仏もおらんし。
846名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 18:58:49 ID:6MuiNKID
>>841
だから、それを知ってなんになるの?
早い話君らの結論は、あってもなくても一緒じゃないか。
禅の悟りはそれでいいのかも知らんが、
私は釈迦の悟りの話をしている。君らの結論で、なんで釈迦は、弟子に親まで捨てさせ
この世の一切の欲を捨てよと説き、自らも、欲を捨て、一生乞食生活をし、瞑想に明け暮れたんだい?
君らの結論だと、釈迦はとんでもない大馬鹿者じゃないか。
847220:2006/09/17(日) 19:01:40 ID:QkkHqjBU
>>841
「中道の観点」?
常に第三者的(中立的)な観点で物事を判断することができるって感じですか?
それは俗世間から離れて常に第三者としての立場を守る必要があるし、
世の中のことに精通していないと正しい判断など出来ないと思いますが・・・
848名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 19:02:12 ID:6MuiNKID
>>845
つまり自暴自棄に生きて、自由気ままに生きろと。
ま、何も縛られず、自由気ままに生きれば、楽だわな。
だがそれを教えるのに、また、その道を行くにも、釈迦の生き方は必要ないし、
修行も必要ない。そして、八正道も必要ないわけだ。
まさか、仏教を語りながら、八正道まで、否定するおつもりで?
849名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 19:08:49 ID:6MuiNKID
連中の悟りとはこれだ。
結局何もない。それを知れば善悪などに囚われることは馬鹿馬鹿しい。
善悪というものなどないんだ。だから自由気ままに生きろ。それが涅槃だ。
早い話そういうことだろ。ごまかさないで単刀直入に言えばさ。
ところが御釈迦さんは、そうは言っていない。むしろ、悪は成すな、善を成せと言っている。
なぜ彼らが、仏教を語るのか不思議でしょうがない。

〜七仏通戒偈
「もろもろの悪をなすことなく(諸悪莫作)
もろもろの善をなし(衆善奉行)
みずからの心を清澄にすること。(自浄其意)
これが諸仏の教えである。(是諸仏教)」

これが釈迦の教えだろ。しかし連中にかかれば、仏さえも、ないとおっしゃる。
言葉遊びも、ここに極まれりだな。
850机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 19:09:06 ID:Pw+ou715
>>847
中道というのは、俗世間的な意味じゃなくて、
空観のことです。
仏教では「彼岸」とか言いますけど、
つまり、言語概念に依らない意味での「中道」です。
縁起空は、また無差別相ともいいまして、
これを、仏の智慧、
すなわち仏智ともいいますね。
851机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 19:12:37 ID:Pw+ou715
>>848
>修行も必要ない。そして、八正道も必要ないわけだ。

なにが正しくて、なにが正しくないのか?
というのは彼岸に到れば明確に分別できるようになります。

無明じゃ〜〜そういう分別さえできんでしょ?
852798=797=779=釈迦原理主義者:2006/09/17(日) 19:12:44 ID:jj/qHeT9
>>843
素直じゃねーな。批判の為の批判だ。
で、もう一発。
572 :釈迦原理主義者 :2006/09/07(木) 07:33:11 ID:QQSIKQNm
マリア・カラスはかく語りき
<<ゴータマブッダは徹底した実存的経験主義だ。
死んだらどうなるか、輪廻転生は事実か等は十難無記。
あったらあったでいい、現世での最終解脱によって超越できるのだから。
なかったらなかったでいい、現世という苦の世界から消えるのだから。
ただ、どちらにせよ諸行無常・諸法無我という真理に覚醒し、無明苦から抜け出し
執着を脱し、真理を体得する正しい生き方をして死を迎えよう、ということ。

死後の世界が怖い? とんでもない、死後の世界なんて誰も経験・証明できない
のだからまさに『未知との遭遇』ワクワク、どきどき楽しみです。

だから、死んだらこうなると断言する言説・宗教は全て『妄想』にしか過ぎず、
真理として問題にするに値しない。ユダヤ・キリスト・イスラム・日本の
大乗仏教すべてが『妄想』『仮説』を真実として入れ込んでいる。

 いまさらながら、ゴータマブッダ(宗教ではない)の偉大さを感じざるを
得ない。>>

853220:2006/09/17(日) 19:16:15 ID:QkkHqjBU
>>850
用語だらけで判りづらいっす。
仏陀が弟子達に教えを説いていた時には、そんな用語など無かったでしょ?
854220:2006/09/17(日) 19:28:20 ID:QkkHqjBU
> 悟った人に出来て、悟ってない人には出来えないものとは一体何ですか?
に対する明確な回答がなかったようなのですが・・・

過去の歴史の中で悟った人々が成し遂げてきたことは何ですか?
世界を平和に導いたとか飢えで苦しむ人々を救ったとかいう実例が数多くあるのでしょうか?
855机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 19:28:33 ID:Pw+ou715
>>853
だから、「自分とは何か?」って、くどくどやってから、最終的に結論が出るわけです。

まあ、結論から言うてしまうと・・・
衆生は誤解するもんですから、
何とか遠まわしに言うてから・・・・
段々と論を進めないと駄目なんです。

論だけじゃ〜駄目だから、
やはり彼岸まで逝くんです。
そこでいったん死んでくださればいいんですが・・・
なかなか死にきれんのが人というもんです。
856机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 19:34:34 ID:Pw+ou715
>>854
>過去の歴史の中で悟った人々が成し遂げてきたことは何ですか?
>世界を平和に導いたとか飢えで苦しむ人々を救ったとかいう実例が数多くあるのでしょうか?

そういうことは、あまり聞いたことがないですね。

一休などは、死ぬ寸前まで愛人を愛しておりましたが、
ああいう死にかたというのは、私は勉強になります。

良寛などは、一生貧乏暮らしでしたが、
子供たちとは、よく遊んであげたらしいですよ。
まあこれもある意味、手本にはなりますね。

857名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 19:35:24 ID:6MuiNKID
>>852
>ゴータマブッダは徹底した実存的経験主義だ。
>死んだらどうなるか、輪廻転生は事実か等は十難無記。

原始仏典を素直に読み解けば、普通に輪廻のことは説いているけどね。
それを君らが 釈迦が形而上のことなど語るはずがないという自分達の価値観、
思い込みから無理やりそれらのものも、現時点で証明可能な、唯物論的解釈で
悦に入っているだけ。スッタニパータでも釈迦は語っているだろう。
解脱にいたった者は、存在しないというのではなく、、量ることができない存在になったのだと。
君は、目暗か?自分の価値観に執着するゆえ、あるがままを、
あるがまま見えなくなっている。

>真理を体得する正しい生き方をして死を迎えよう、ということ。

で、君の言う真理とはなんだい?君によると、釈迦は死後のことはわからないそうじゃないか。
俺が原始仏典などを読んだところ、普通に、執着あるものは、再び迷ういの生存、
つまり再びこの世の生を受け、迷いの生存を繰り返すと、書いてあるようにおもえるんだがね〜。
858名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 19:39:49 ID:6MuiNKID
>>856
>一休などは、死ぬ寸前まで愛人を愛しておりましたが、

それは渇愛。釈迦の教えとは真っ向から反しますな。
釈迦の教えから言うと、愛人、つまりこの世への強い執着を残死ながら死んだ
一休さんは、再び、迷いの生存を繰り返すということになる。
釈迦の教えでは、渇愛が、この世への生存をもたらすのではなかったのかい?

何で君らが仏教を語るのか、不思議でしょうがない。
859220:2006/09/17(日) 19:48:11 ID:QkkHqjBU
>>856
偉業とは言えませんね・・・
ごく自然な人間らしい生き方です。
悟っていない人々と何ら変わりがありません。
860机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 19:57:40 ID:Pw+ou715
>>858
>何で君らが仏教を語るのか、不思議でしょうがない。

私は、なんで君らが世俗の論理を引きずったまま仏教を語ちるのか?
不思議でしょうがない。

ちなみに
>>857
>釈迦は死後のことはわからないそうじゃないか。

それは世俗の論理でしょ?
釈尊は悟っておりますから、死後のことは「わからない」んじゃない。
正しくは「世俗の論理では説明しようがない」。

八正道における「正しく思慮する」ってのが出来てれば、
こういう愚問さえなくなる。
861220:2006/09/17(日) 19:59:49 ID:QkkHqjBU
仏陀は本当に「全ての欲を無くせ」と言ったのでしょうか?
人間である以上、全ての欲を完全に無くすことなどは不可能です。
欲をなくせばどんどん無気力な人間が出来上がっていくでしょう。
「生きる気力」も欲ですから最終的には死ぬしかありません。
過ぎたる欲は抑える必要がありますが、
人間の本質は欲であり。人間の心を動かす動力源です。
862机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 20:01:25 ID:Pw+ou715
>>859
>ごく自然な人間らしい生き方です。

いやはや、
これでいいじゃないですか。

人間らしい生き方してればいいんじゃないですか?

>偉業とは言えませんね・・・

まあ、偉業とは言えませんけどね。
863机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 20:09:01 ID:Pw+ou715
>>861
仏教は中道ですから、極論はないかとおもいますね。
864名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 20:24:37 ID:6MuiNKID
>>860
世俗の論理だというが、釈迦も普通の言葉で、法を語っているのですよ。
それを頭でっかちな君らのような人達が、どんどん複雑怪奇にし、全然違う教えにしてしまったのですよ。
釈迦の教えは、簡単な言葉では言い表せないほど、複雑なものにしたいのでしょう。愚か者達め。

原始仏典など、普通に読めば釈迦の教えとは、とどのつまりこうです。
いずれは生老病死を向かえ、無我であり、無常であるこの世の生存は苦しみである。
その苦しみを滅するには、生まれてこないということである。
生まれないためにはどうするかといえば、この世の欲を一切絶ち、渇愛を絶つということである。
この世の欲、執着が渇愛を生み、渇愛が、この世の生存を生む。
ならば、この世の欲を滅し、執着心を滅、渇愛を滅ぼす。ならばこの世の生存の根を滅ぼし、
再びこの世への迷いの生存は滅するだろう。ということです。
涅槃とはもう生まれてこないということです。では、完全に消滅するということか?
どうやらそういうことではなく、不死の境地を、『そこは日の光もなければ、月の明かりもない』
と、明かしているように、その境地を認識している主体は在るようです。
もちろんその不死の境地とは、ニルヴァーナ、涅槃のことです。
原始仏典を、何のフィルターもなしに書いてあることを、普通に読み解けば、そういうことです。
そのように解釈すれば、なぜ彼らが、一切の執着を絶ち、瞑想に明け暮れ、
一生乞食生活をするという道を選んだのか、納得がいきます。
このシンプルな教えを、どうも自分達の信じる教えは、高級な、誰でも理解できるものではない
としたい、我執の強い、愚かな人達が、複雑怪奇にしてしまい、元の教えとは全然違うものにしていったのです。
865798=797=779=釈迦原理主義者:2006/09/17(日) 20:48:33 ID:jj/qHeT9
>>857>>864
当時のインドの状況から輪廻問題が中心課題であったことは
事実であり、その意味で形而上問題に言及するのは当然だ。
ただ現世でのニルヴァーナ到達という目的に資するかどうか
という実践目的から、形而上問題や、無用な宗教論争を行うこと
をたしなめた。実存的経験主義であり合目的的教育論だ。
ちなみに解脱者と未達者を同じ秤で計れるわけがない。
316 :名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 10:07:05 ID:mxKYLw+X
各長老の尊い解脱の瞬間の定式

『そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。
患いであるという念いが現れた。世を厭う気持ちが定まった。
次いで、私の心が解脱した。』

 各長老
   『仏弟子の告白─テーラガータ─』より  中村元訳、岩波文庫
866机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/17(日) 20:52:43 ID:Pw+ou715
>>864
君達の論理でしたら、なにも釈尊は中道じゃなくて良かったわけです。

私は、星一徹の如くに、一徹なまでに中道を仏教の本義と心得ておるんです。
仏教から中道を抜いてしまいますと、
それはあたかも豚肉が入ってないカツ丼を食うよぉなものです。

>我執の強い、愚かな人達が、複雑怪奇にしてしまい、元の教えとは全然違うものにしていったのです。

元の教えというのは、中道にて一貫性がありますね。
これはスッタニパータを読んでみても、それは明確に解せる。

>釈迦の教えは、簡単な言葉では言い表せないほど、複雑なものにしたいのでしょう。愚か者達め。

中道ですから、言い表すのは非常に難しい。

#、では、おやすみ。
867名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 20:59:36 ID:AEzgDIgn
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所

十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
868名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 21:07:20 ID:VLB+ThcD
>>1
他人に金貸したらアカン
869220:2006/09/17(日) 21:10:14 ID:QkkHqjBU
>>862-863
何だか仏教の教えを別の表現で簡単に言い表すと
「過ぎたるは及ばざるが如し」
で済んでしまうのでは?
そんな気がします・・・
870名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 21:24:03 ID:6MuiNKID
>>865
君の理屈だと、釈迦は死後のことは何もわからず、
ただこの世で、涅槃を完成したということですな。
君は四諦すら理解していない。本当に仏教徒ですか?

>当時のインドの状況から輪廻問題が中心課題であったことは
>事実であり、その意味で形而上問題に言及するのは当然だ。

こんなのは君のただの願望、推論にしか過ぎない。
原始仏典を読む限り、釈迦は輪廻を肯定してもいるし形而上のことも語っている。
それを君のような釈迦は、決して形而上のことは語らないと盲信している人はあれこれ
屁理屈をこねては、釈迦の言葉を違う意味にしてしまう。これはいい例だ。
で、君の説明では、釈迦の一切の欲を捨て、一生乞食生活をした点と、
なぜ、瞑想に明け暮れた一生を送ったのか、説明ができない。
君や、机氏の結論だと、釈迦やその弟子達は、単に、一生を棒に振る生活を
自ら進んでしたことにしかならない、ただの大馬鹿者になる。

ところで僕ちゃんいくつ?君は話にならないな。
一切は皆苦だと言っている釈迦が、この世に涅槃を見出したとする君は、とても滑稽だよ。
871名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 21:39:26 ID:6MuiNKID
>>866
中道を、誤謬してはいけない。
この世は苦であり、楽である。こういうのを中道とは言わない。
空とも言わない。釈迦は一切皆苦だと言い切っている。
どうせいうなら、この世は幻であるが、その幻は今ここに存在している。
こういうものの見方こそ、八正道の言う、正見というものだ。
私はないとも言えるが、今ここに存在している。
私はいずれ消えてなくなる幻のようなものだが、今この瞬間には存在している。
中道とはそういうことだ。君の言う、実は、なーんにもない。と言うものの見方こそ、
断見というのだよ。何度も何度も言うが、釈迦は、一切皆苦だと言っているのだよ。
どこをどう探しても、釈迦が、一切皆楽だと言う言葉は見つからない。
君の中道が正しければ、そのような言葉が出てきてしかるべきだ。
ところが、この世のへの一切の執着は絶てとはしつこいぐらいに出てくるが、
仏典のどこを捜しても、一切皆楽とつながる文言は、見つからない。

もちろん、仏教の言う一切とは、この世の意識、五感から知覚できる世界。
つまり、この世のことだ。

ところで君、般若心経は、得意だが、実は、原始仏典はろくに読んだことないだろ。
君は、新しくできたものの方が、よりすぐれていると誤解している。
872名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 22:14:48 ID:EK2TvFhb
>>釈迦も当初は悟りの内容が難しく、人々に教えを説いても理解されないとして、教えを説くことをためらっていたとされるが、
>>最終的に1人でも理解出来る人に伝えることが出来ればという思いから、教えを説くことを決意した。
>>なお、経典には、ためらった釈迦を梵天が説得したという伝説(梵天勧請)が記されている。

だってさ。釈迦の悟りはそんなに簡単なものじゃないんじゃないの?
873798=797=779=釈迦原理主義者:2006/09/17(日) 23:26:19 ID:jj/qHeT9
>>870
あんた、日本人ですか?日本語の理解能力がかなり劣っていますが。
キチンと理解してから書き込め。小学校2〜3年生の教科書から勉強してね。
『現世でのニルヴァーナ到達』(865)と『この世に涅槃を見出した』(870)では
全く意味が異なることは小学生にでも解ることだ。
865で各長老の『現世での』ニルヴァーナ到達シーンをわざわざ書き込んでおいた。
解るかね?とっちゃんボーヤ。
 根本は、人の見解をここまで恣意的に捻じ曲げてくる人間とは、共に真実を目指す『はず』の
ものとして協同するに値しない人間だということだ。悲しいいよ。だから、無益ゆえ
議論は避ける。
 『しかしもしも汝が<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、
たとえば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め』
(スッタニパータ 46)  この言葉を君に送ろう。
                      870にアディオス!!
 


 
874798=797=779=釈迦原理主義者:2006/09/18(月) 00:28:45 ID:XQFt+/J1
>>871
あんたこそ『中道』のなんたるかをまるで解っていない。
>この世は幻であるが、その幻は今ここに存在している。
こういうものの見方こそ、八正道の言う、正見というものだ。
私はないとも言えるが、今ここに存在している。
私はいずれ消えてなくなる幻のようなものだが、今この瞬間には存在している。
中道とはそういうことだ。>
 wwwwww・・
 「今ここに『存在』している」何故ですか?どういう構造で『存在』しているのですか?
 これを考えてみよう。
 当然デカルト的コギトは明解に否定され、無効だ。

 おっと、捻じ曲げお笑い大道芸人は相手にしないんだった。アディオス!
875名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 01:18:10 ID:xhDpxakn
机氏に代表される日本的悟りと
ニッバーナや梵我一如は違うような気がするな。

もっとも、机氏が日本的悟りを本当に成就していればの話だが。。。

だとしたら、禅にはがっかりだ、ヨガの方が深い。
876名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 01:19:52 ID:bsGXMrCd
過去ログ読まない、そんな釈迦に詳しくないが、
自分の推測だけど、釈迦がいう中道というのは、

無理な苦行しない、過度な善行をしない、執着を捨てた(八正道による正しいと思う)行為
この位の意味なんじゃないの?
877名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 01:35:25 ID:b8YvIgCq
>>873
よくわかってるじゃないか。
そうだ君の引用したテーラガータの文言は、
現世でニルヴァーナの境地を知ったということだ。
言うまでもなく、瞑想によってな。
ところでしばし、ニルヴァーナの境地のことを、釈迦も、その弟子達も、
不死の境地と呼んでいる。
不死とはなんだ?無常であるこの世にそれがあるのか?
この世の意識がその境地になるということか?一切行無常。
この世の意識も所詮は無常なものだ。そこのどこに不死などあるのだ?
これだけ言っても、目暗のあんたにはわからんだろな。

おれは君が、釈迦は形而上のことなど語るはずがないと言っているから、
てっきり、釈迦は、この世に、ニルヴァーナを見出したと、トンデモ発言をしていると
思ったわけだよ。ちゅうかお前の能書きはそういうことだろ。ごまかさずに答えろよ。
俺は、結論を述べたぜ。君らは見事、のらりくらりと逃げ、自分達の結論をはっきり言わない。
しかし、君や、机氏は見事に、釈迦がなぜ、この世の欲を捨て、
一生乞食生活をし、瞑想に明け暮れるという生き方を選んだのか?
なぜ八正道が必要なのかという問いに対してスルーし、答えずにいるね。
君らの結論も、この問いも、答えられるわけないもんね〜。
878名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 01:53:01 ID:b8YvIgCq
>>874
>「今ここに『存在』している」何故ですか?どういう構造で『存在』しているのですか?

お前そんなこともわからないのか?本当に仏教徒でちゅか?
縁起だよ。縁起により生じたものは滅するのが定め。
この世は縁起により成り立つ。それはあなたも、私も、皆さんも。
だがわれわれも、この世界も、生じても滅するものだ。
釈迦はそんなものに執着するなといっている。

>当然デカルト的コギトは明解に否定され、無効だ。

何度も何度も言っているが、初期仏典を見る限り、釈迦は輪廻は言うに及ばず、
普通に、形而上のことを語っている。
君の論理だと、形而上のことを語る、デカルト的コギト発言をする釈迦は、
捻じ曲げお笑い大道芸人って、ことになるわけだ。
君は、釈迦は、実存的経験主義だというが、俺もそう思うよ。
ところで君、君がその経験をしなからといい、また今の科学では説明できないから、
釈迦が形而上の境地を、会得しているはずがないと、どうしていえるんだい?
君も今の常識からでしか思考しえない、馬鹿の壁を越えられない人なんだね。
879バカ梵:2006/09/18(月) 01:55:31 ID:IRs/2b7R
拳を振り上げた人に言うのもなんだけど、
楽しんでただけじゃないの?
一休さんが風俗で楽しんでたように・・・


はいはい、バカは黙ります
880名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 02:12:57 ID:b8YvIgCq
>>875
仏教のベースは、ヴエーダであり、バラモン教だ。
釈迦は別にこの二つを否定していない。
それどころか、肯定している。釈迦は、以前は法にのっとった
立派なバラモン達だったのに、”自分達の欲のために”、
祭祀を執り行い、堕落いしていった当時のバラモン教の指導者達を批判したに過ぎない。
もちろんブラフマンも否定していない。もちろん彼らの修行法はヨーガであり、
釈迦の修行もヨーガだった。

よく似非仏教徒達は、サーンキャ哲学を引き合いに、違うものだと言い張るが、
釈迦の説いた一切法無我というのは、この世のものにアートマンはないですよ
ということだけなのだ。彼らは意味を履き違えている。
釈迦の教えのすばらしいところは、当時のバラモン教より、
明確に、輪廻の鎖である、迷いの生存、つまりこの世の生存を断ち切り、涅槃に入る道を
指し示したということだ。それはかいつまんで言うと、この世の欲、執着を捨てなさいということだ。

スッタニパータ
508
〔学生マーガが尋ねた〕「誰が、清まり、解脱し、あるいは、結縛されるのですか。
どのような自己によって、〔彼は〕梵世(梵天界)に行くのですか。
牟尼よ、〔問いを〕尋ねられた者として、無知なるわたしに、説いてください。
世尊よ、なぜなら、わたしは、今日、〔生き〕証人としての梵〔天〕(ブラフマン)を見たからです。
なぜなら、まさに、あなたは、梵〔天〕に等しい方である、と真に〔思う〕からです。
光輝ある方よ、どのようにして、〔彼は〕梵世に再生するのですか」〔と〕。
509
世尊は〔答えた〕「マーガさん、祭祀をする、そのような者は、
施与されるべき者(施すにふさわしい者)たちによって、
三種類の、祭祀の成就(祭祀の前後とその最中において、心が清まること)を達成するでありましょう。
このように、乞いに応じる者が正しく祭祀をして、梵世に再生する、と〔わたしは〕説きます」と。

目暗共には、わかるまい。
881名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 02:15:56 ID:b8YvIgCq
そういや、サンユッタニカーヤだかなんだか忘れたが、
梵天を茶化した経があったな。
あれは釈迦を、梵天などより上にしたい、
神格化したい、後世の馬鹿弟子達が書き上げたもんだと私は見る。
882p:2006/09/18(月) 02:23:17 ID:xhDpxakn
>>878
あんた面白いな。
コテつけなよ
883名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 02:33:31 ID:b8YvIgCq
釈迦の教えは何も難しいものではない。
かいつまんで言うと、彼の教えは、この世の生存は苦である。
苦を滅するということは、もう生まれてこないということだ。
不死の境地とは死なないということだ。
死なないということは、生まれてこないということだ。
原因なければ、結果無し。
それはこの世への生存を生む原因となる、この世への執着を絶つということだ。
そこに涅槃はある。この真理を知らずに、この世への生存は苦であるということを知らない
無知なる者は、この世への執着が絶てず、輪廻を繰り返し、再び苦しみでしかない、
この迷いの生存、つまり、この世の生を繰り返す。ということだ。
原始仏典などを素直に読めばそういうことになる。何もねじ繰り返して、無理な解を作る必要もない。
ただシンプルな教えではあるが、その境地は、誰にでも手にできるというものではないらしい。
どうやら、瞑想により、現世においても、その境地を知ることができるようだが、
残念ながら、その手法は失われてしまっているようだ。なぜなら、今の仏教徒を見ればよくわかる。
釈迦の在生中は、比較的多くの、出家、在家問わず、その境地を知り、
阿羅漢がいたようだが、今の仏教徒を見る限り、皆無に等しい。八正道すら否定する禅宗などはなしにもならん。
884カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 02:36:33 ID:b8YvIgCq
>>882
俺はカラスだが。わかってる人にはバレバレだったと思うけど。

いやなにね、暇だからつい、頭のいい馬鹿を、からかっちまった。

今度は聖句スレでも行ってやるかな。
885p:2006/09/18(月) 02:39:01 ID:xhDpxakn
カラスさんだったか。

あんたは梵天を見てないの?
見てなければ、そこまで的確な現代仏教批判は出来ないと思っていたが。。。

どっちにしろ大したもんだ、読んでてスッキリした。
886220:2006/09/18(月) 03:00:42 ID:Aj3IBtqL
>>833
世の中を苦しか感じない人にとっては、ありがたい教えなのか知らないけど、
大勢の人々はそんな風には感じていません。
喜びや楽しみは何処へ行ってしまったのでしょう?
仏教の受け入れ難くしている理由の一つだと思います。
887p:2006/09/18(月) 03:02:39 ID:xhDpxakn
仏教も教団維持とか、国教にまでなっちまうと色々と事情があるからね。
伝言ゲームやっているうちに色んなもんが混じってくると思うよ。
一人ニッバーナを目指すなら、あまり政治色が強く無いヨガが一番かもね。

>>854
悟ったから出来ることなど、取り立てて言う程のもんではないでしょ。
一番の違いは、もう悟りを求めなくなること、これに尽きるんじゃね。

>世界を平和に導いたとか飢えで苦しむ人々を救ったとかいう実例が数多くあるのでしょうか?
梵天の意志がそうなら、とっくにそう言う世界に成ってるがな。
ただ、仏教国は穏やかで平和的なことは確かだなぁ。
貧乏人は多いけど表情は明るいぜ。
888p:2006/09/18(月) 03:11:12 ID:xhDpxakn
あと、仏教国は乞食が多い!
貧富の差がデカイじゃないかと思うが、
よく考えてみると、日本では乞食が成り立たないんだな。
徹底的に民衆に無視される。だからホームレスに成るんだよ。
仏教国では、貧しいものに施しをする心が有るから、乞食が成り立つんだな。

日本は何でも行政に押しつけようとする、老人介護などもそうだな。
889名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 03:36:07 ID:bkupeZnP
すべては運命と言っていいくらいどうしようもない。
結局、運命論に帰結する。
つまり悟りは起こるものなんだよ。
方法はない。
起こるものに方法なんかない。

悟りが必要なくらいの苦しみがあるかないか。
その苦しみと出会うかどうかは運命だ。

人の感情や思考も運命であり自由ではない。
自由意志はない。

運命が人の感情や思考をして、
運命がその人が悟るかどうかを決める。

運命論を否定しようするエゴの強い奴は、
よく理解もしてない量子論などを持ち出し反論するが、
量子論では運命論を否定できないことを知っといた方がいいだろう。
因果が成立しなくても予測できなくても運命論は否定されないんだよ。
890220:2006/09/18(月) 03:43:28 ID:Aj3IBtqL
>>887
> 一番の違いは、もう悟りを求めなくなること、これに尽きるんじゃね。
「ひっとして神秘的、超人的な能力でも身に着くのか?」と思ってしまう人もいるかと思うのですが、
個人的には「人間はそれ以上でもそれ以下でもなく、お釈迦様も所詮は人間でしかない」と思ってます。
悟りというものが人間を如何様に変えるのかは良くワカリマセンが、
人間を丸くする程度のものではないかと思います。

> 梵天の意志がそうなら、とっくにそう言う世界に成ってるがな。
だよねぇー
世界の宗教は理想と現実が反比例して平和に導くよりも争いの火種になっている部分が多いような・・・

> ただ、仏教国は穏やかで平和的なことは確かだなぁ。
それって仏教が及ぼす思想的影響によるものでしょうか?
元々の民族的、風土的なもんじゃない?
891220:2006/09/18(月) 04:00:04 ID:Aj3IBtqL
>>888
> あと、仏教国は乞食が多い!
良くワカランけど気候的な違いなどによるのでは?
厳しい気候の地域では「乞食=即死」になってしまうけど、
穏やかな気候の地域では、それなりに生きて行けるんちゃうんかなぁ〜
892p:2006/09/18(月) 04:21:43 ID:xhDpxakn
>>890
>> ただ、仏教国は穏やかで平和的なことは確かだなぁ。
>それって仏教が及ぼす思想的影響によるものでしょうか?
>元々の民族的、風土的なもんじゃない?

風土に依るもんかも知れないし、そうでないかも知れない。
ただ、不毛な争い事(争い事全てを否定するのではない)の原因は、
過剰な欲望にあると言うこと。
仏教はこの欲望をコントロ−ルする事を、修行に取り入れている。
結果として、争い事は最小限に抑えられていると思うのだが。。。

現代日本のコマーシャリズムは不毛な欲望を煽りすぎ!

>>891
日本にも昔は乞食が居たのだよ。今はホームレスになっちまったがね。
893220:2006/09/18(月) 05:09:39 ID:Aj3IBtqL
>>892
仏教国の多く人々が仏教的修行を積んで欲望をコントロールしているって事はないでしょうけど、
修行僧の生き方から集団真理的な影響を受けているのかも知れませんねぇ〜
894220:2006/09/18(月) 05:20:42 ID:Aj3IBtqL
>>886 のアンカーは
× >>833
>>883

895p:2006/09/18(月) 05:35:53 ID:xhDpxakn
>>893
男性は皆一度は出家しますよ。
徴兵ならず徴僧みたいなもんですw


カラスの唄さんのレス遅ればせながら読み終わりました。
キリスト教だったんですねー
私はグノーシスくらいしか興味なかったんですがね。
改めてキリスト教に興味持ちましたよ、いやぁー感謝!
896220:2006/09/18(月) 06:05:59 ID:Aj3IBtqL
>>895
タイ限定の話し?
897p:2006/09/18(月) 06:10:02 ID:xhDpxakn
>>896
東南アジア一帯ですが、
タイは商業主義に犯されてますね。
ミャンマーは現役ですよ。
898220:2006/09/18(月) 06:32:02 ID:Aj3IBtqL
>>895
短期間修行しただけでは修行的な成果は殆ど無いと思うけど、
出家したという経験が自負になっているのかな?
向こうの坊さんは尊敬されているみたいだしw
899机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 07:06:23 ID:VHPwVIrb
>>871
お題を頂戴いたします。
>何度も何度も言うが、釈迦は、一切皆苦だと言っているのだよ。

一切皆苦ならば、苦から苦は生じんでしょ?
(この論理はわかりますね)
苦が生じないならば、四諦は無効になる。→無苦集滅道
(簡単に言うたら、そういうことなんですよ)

ですから私は、一切皆苦には逆説的な絶対肯定の意味が含まれえいる。
と、
かようの言うておるんです。

世俗の論理を「色」といいます。
勝義の論理を「空」といいます。
(色即是空です)
つまり、この二相にて調はねば、釈尊の本義には到らんのです。
900名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 09:26:31 ID:/V61BAeb
私の名前は悟得悟(さとうさとる)と申します。
901カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 11:32:35 ID:b8YvIgCq
>>899
八正道には、正見というものがある。
俺がひとつ正しいものの見方というものを教えてあげよう。
確かに君にというとおり、楽の裏に、苦があるというものも真理だろう。
だがそうだからといって、一切皆苦の教えを、無いものにしてはいけない。
釈迦のいう四諦の真理とは、君らの言葉遊び、そんなことを言っているんではない。
一切皆苦とは、たとえ楽があっても、この世では、それはいつまでも続かない。(一切行無常)
人はその楽が過ぎ去った後、またその楽の時をくるのを渇望するだろう。
愛するものとの出会いは喜びだ。だが、この世に生きる限り、
その愛する人との出会いも、いずれ必ず別れ来る。死による別れ生前の別れにせよ、
別れは必ずやってくる。(一切行無常)
そのとき人は悲しむだろう。繰り返すが、楽しいひと時も、いずれ終わりの時が必ずやってくる。(一切行無常)
楽しいひと時は、この世では永遠に続かないのだ。(一切行無常)
若いあなたは美しい。若い私は美しい。この肉体は美しい。だがそれも、
いつまでも続かず、いずれ、老い朽ち果てる(一切行無常)
どんなに楽しくこの世を過ごしても、それはいつまでも続かず、いずれ生老病死を迎える、
この世の生存は、結局は苦しみでしかない。(一切皆苦)
結局この世に生まれる人の人生は、死によって幕を閉じるのだ。(一切皆苦)
釈迦のいう一切皆苦とは、こういうことを言っているのだ。
こういうことをこういうものの見方こそ正見というのだよ。
正見とは、四諦の真理を正しく見るということだ。しかし仏教の根幹とも言える、四諦の真理を、
お得意の言葉遊び、屁理屈で、無いものにしてしまい、皆に間違った教えを言いふらす。
法を汚し続ける君の罪は重いよ。

902カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 11:34:39 ID:b8YvIgCq
>>899
ちなみに苦から苦は生まれる。
ケースによれば苦はさらなる苦を与える。わかるかい?
君の言葉遊びは、今日はさえないようだな。突っ込みどころ満載。
903名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 11:54:45 ID:OBrB+G+w

あたかも、母が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとしいける
ものに対しても、無量のこころを起こすべし。(149)

また全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし。(150)

(スッタニパータ)
904名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 12:03:44 ID:OBrB+G+w
慈しむ心はどこから生ずるのか。
苦から生ずるのか?
905釈迦原理主義者:2006/09/18(月) 13:23:31 ID:XQFt+/J1
 なんだ、カラス・ケロンパ(戯論派)はまだ蔓延っていたのか。
906カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 14:08:45 ID:b8YvIgCq
>>905
なにが戯論派だ。難しい言葉使うのが、仏教だと勘違いしてんじゃねぇの、おまえ。
馬鹿だから。君ら、肝心な問いには、何も答えられないじゃないか。
お前達の能書きから導き出される結論が正しいのなら、釈迦の教えなどあってもなくても
一緒だ。単なるマイナス思考による苦の消滅を唄う仏教など、現代には必要ないのだよ。
そこんとこわかってんの?

ところでお前は、釈迦が形而上のことなど話すわけが無いと言い切っていたよな。
一方では、テーラガータの長老の話を引用して、『現世での』ニルヴァーナ到達シーンをわざわざ書き込んでおいた。
なんて言っていた。釈迦やその弟子達は、それは不死の境地だと言っている。
釈迦が形而上のことを語っていないのなら、瞑想により、トランス状態にでもなっていたのかい?
そんなのが悟りなら、シャブでもやってろって。薬入れて、ハイになってりゃ、善悪もくそも無く、ニルヴァーナ
の気分だぜ。ククク。

お前達の言う、釈迦の悟りは、単なるこの世の意識革命なら、心の訓練だけですみ、瞑想などする必要もない。
また、単なるマイナス思考による苦の消滅を唄う教えなら、先にも言ったように、現代には必要の無い教えだ。
最近の意識革命に関する書物、成功者達の哲学など学んだほうが、よほどためになる。われわれに必要なのは、
自分の能力以上の楽を求めず、ただしの覚悟だけできていればいい。お前達の能書により導き出される結論が
釈迦の教えなら、仏教などやるより、そのほうがよほど有意義な人生を送れるってもんだ。
907カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 14:16:20 ID:b8YvIgCq
別に仏典は、聖書などと違い、たとえで書かれていない。
なにもあれこれ解釈する必要はないのだ。
それを愚か者達は、普通に書かれている文言を、あれこれ屁理屈を捏ね回しては、
いろんな解釈をし、元の意味からどんどん違うものにしていっている。
連中、それが頭がいいと思っているから、困ったものだ。

白いものを、白だと書いてあるのなら、それでいいのだよ。
それをあれこれ屁理屈を捏ね回して、白だと書いてあるものを、
やれ黄色だ、黒だとやってきたのが、仏教の歴史じゃないのかね〜。
連中頭がいいつもりでいるが、救いようのない馬鹿である。
908釈迦原理主義者:2006/09/18(月) 14:17:00 ID:XQFt+/J1
正確に嫁 
909カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 14:22:42 ID:b8YvIgCq
>>906 訂正
文末から二行目にある、
>ただしの覚悟だけできていればいい
は、
>ただ死への覚悟だけできていればいい
ということな。
910カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 14:25:47 ID:b8YvIgCq
>>908
ところで君のハンドルは何かのギャグかい?

釈迦が泣いてるぜ。

君はお呼びじゃないよ。レベルが低すぎる。
911釈迦原理主義者 ◇XQFt+/J1:2006/09/18(月) 14:43:53 ID:XQFt+/J1
>>906
 再びカラス・ケロンパは正確に嫁。
 1+1=2だと言っているのに、
 1+1=3が正解なのに1+1=5だと言ったという奴と
 話はできん。無駄。だから再び>>873

で、『779 :名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 09:54:54 ID:CVGrV6d5
1.現在の状態を、「生」
2.肉体活動の滅を、「死」とするなら
3.受精以前を、どう称するのでしょう。言葉が存在しないのでしょうか。

そして2.と3.は誰も経験した事がなく確かな事は誰も「知らない」。
もちろん妄想や想像は語れましょう。
だとすれば、1.についての真相について誰も確かな事は語り得ないはずですね。』
  ⇒が発端となった。


912机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 14:50:28 ID:VHPwVIrb
>>901
>四諦の真理を、
>お得意の言葉遊び、屁理屈で、無いものにしてしまい、皆に間違った教えを言いふらす。
>法を汚し続ける君の罪は重いよ。

いやはや、おそれいります。
では私が「四諦」について説明いたします。

四諦というのは真理ではなくて”苦を滅するプロセス”をいうておるんです。
ですから、メクラは四諦を参考に苦を滅したらいいんじゃないですか?
だけど四諦には「苦を滅する方法論」までは書いてない。
これはね、
食堂に逝って、メニューを見ている段階なんですよ。
メニューだけじゃ〜、彼岸までは渡れんでしょ?

だけど、参考にはなる。
こういう教えを参考にして〜〜彼岸まで逝くのです。
そして、
彼岸まで逝ったら、こういうものは全部捨てて宜しいのです。
(これを無苦集滅道というんです)


913カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:01:12 ID:b8YvIgCq
>>911
馬鹿じゃないのお前。
お前や他の人が知らないからと言って、釈迦も知らないってことになるんだよ。
何のための瞑想だ?死んだらどうなるか?釈迦は、
無明に囚われたものは、再び母胎に入り、迷いの生存を繰り返すと、はっきり言っているじゃないか。
お前は目クラか?おまえの理屈だと、釈迦も、妄想や想像で能書きたれていたと言うことだよな。
初期仏典を見る限り、釈迦やその弟子達は、普通に、前世のことも語っているし、形而上のことを普通に語っている。

それを、ある弟子とのエピソードのひとつだけを取り出し、その弟子には、形而上のことを語らなかったからと、
釈迦は一切形而上のことは語らなかったとする、君らの思考回路は意味不明だよ。

ま、馬鹿になに言ってもわかんねぇだろうけど。
914カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:17:55 ID:b8YvIgCq
>>912
>だけど四諦には「苦を滅する方法論」までは書いてない。
>これはね、
>食堂に逝って、メニューを見ている段階なんですよ。
>メニューだけじゃ〜、彼岸までは渡れんでしょ?

書いているよ、たわけが。
四諦とは、苦諦、集諦、滅諦、道諦といってな、道諦とは、
苦を滅する道(彼岸に渡る道)のことを言って、それは八正道だといっているんだよ。
なにが、無苦集滅道だ。あんたは、仏教と言うより、般若心経教だろ。
四諦の真理を軽んじ、八正道すら捨てよと能書きたれるおまえが、なにが仏教だ。
もう一度言うよ、自分がそう考えるのは勝手だ。だが法を汚し、間違った教えで
他の人を迷わし、正しいことを語る人の言葉から、皆の耳を塞げさせるような行為は許されない。
君の罪は重い。

で、あんたの結論を言ってみろよ。
あんたごまかしてばっかりじゃないか。一休が悟りだろ。
あんなのが悟った人だと言うのなら、釈迦の八正道もくそも必要ないわけだ。
何でもかんでもないとか言い、一休を悟った人とする君らは、
釈迦の教えとはまったく違う方向に行っていると知るべきだね。
一休など、ただの煩悩にまみれた、凡夫の一人に過ぎない。
915釈迦原理主義者 ◇XQFt+/J1:2006/09/18(月) 15:28:38 ID:XQFt+/J1
>>913
・再三繰り返し>>911
・779での『現在』、『経験』という語ー釈迦のことをいっているのではない。
 これ本当に小学生レヴェル以下の読解力だな。
 もちろんカラス・ケロンパは 『経験』しなくとも確かな事を語れるのだな。
    
916カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:33:53 ID:b8YvIgCq
>>915
屁理屈ご苦労さん。ぼくちゃんいくちゅでちゅか?
917カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:39:11 ID:b8YvIgCq
>>915
>『経験』しなくとも確かな事を語れるのだな。

ちなみに俺が経験したと言ったところで、お前達が信じると言うのか?
自分達が経験したものでなければ、どうやって俺がそれを証明できる。
前にも書いたが、それは自分自身で確かめるしかない。

自分自身で確かめられなければ、信じるしかない。

言ってる意味がわかるかい?
918釈迦原理主義者 ◇XQFt+/J1:2006/09/18(月) 15:39:53 ID:XQFt+/J1
>>916
たしか 8 9 3 才だったと思うが、忘れたな。

カラス・ケロンパのとっちゃんボーヤはいくちゅですか?
で、前世と来世の経験を踏まえて、現世につき確かな事を
自分の言葉で語ってくらはい。
919机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 15:40:43 ID:VHPwVIrb
>>914
>四諦の真理を軽んじ、八正道すら捨てよと能書きたれるおまえが、なにが仏教だ。

八正道を捨てろ。
とは、私は言うてないですよ。

だいたいが、凡夫には何が正しくて、なにが正しくないのか?
っという根底からしてメクラの状態です。

つまり、眼が開かんと八正道そのものが迷いの道になります。
>>913の縁起説にしましても、八正道の「正思」にはなってませんね。
ちなみに縁起説を解説しますと、
この説は、メクラのために「無明の連鎖」を説明したもの。
(縁起説・逆観もメクラのための説明です)

ようは、無明さえなければ・・・この連鎖そのものもない。
これが勝義諦空による「正思」なりや。

        <机龍之介・花押>
920カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:40:46 ID:b8YvIgCq
かえすがえす、信じるものは救われるとは、よく言ったものだ。
921釈迦原理主義者 ◇XQFt+/J1:2006/09/18(月) 15:44:35 ID:XQFt+/J1
>>920
お前が、ゆーな!
922名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:46:59 ID:+ovFEcB2
>>920
あと、豚に真珠な。
923p:2006/09/18(月) 15:48:20 ID:9urT9K8R
釈迦原理主義者ってやっぱりギャグで付けたコテだな。
何も解っちゃいないではないか。

オレはカラスの唄氏の言っていることはよく解るし。
あの体験のあるものは、机氏や、あんたのような反応をしないこともよく解る。
924カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:49:52 ID:b8YvIgCq
>>919
>この説は、メクラのために「無明の連鎖」を説明したもの。
>(縁起説・逆観もメクラのための説明です)

そういうのを屁理屈だと言っているんだよ。
お前の説明で何で釈迦が、再び母胎に入るだろうなどと言うんだよ。
せいぜい言葉遊びで、白いものを黒いものだと説明して、悟ったつもりでいなよ。
925p:2006/09/18(月) 15:53:42 ID:9urT9K8R
机氏は空の体験までしかしてないだろ、
空に固執しすぎ。
まして中道が悟りなどとは、何をか言わんや。

日本仏教の限界が見えますな。
926カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 16:01:55 ID:b8YvIgCq
駄目だ、今日もまた口の罪を犯してしまった。
正語は守れない。今日も明日もあさっても。私の心は弱い。

釈迦の教えを、まったく違う意味としているのいるのに、これが釈迦の教えだと
能書きたれるものがいるとつい、エキサイトしてしまう。

キリスト教徒が、キリストを語りながら、イエスの掟など必要ないなどと能書きたれる
信仰義認の連中の能書きをみても、エキサイトしてしまう。

心が汚れてしまったので、この辺でいったん落ち。
927p:2006/09/18(月) 16:07:08 ID:9urT9K8R
>>926
俗世に生きて居るんだ、それもしようがない。
928机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 16:09:17 ID:VHPwVIrb
>>924
では、もう少し簡単に説明します。

釈尊の出家の動機というのは「生老病死」の苦からの脱却でして、
出家の本懐は、この問題だけ解決されればいい訳です。

貴殿のように、釈尊の言説を拡大解釈したら、
ますます法から遠のきます。

釈尊が偉大なのは、こういったシンプルなテーマにして、
それが見事なまでに人間洞察を成し得た偉業かとおもいます。

先ずは原点に戻ることです。
「生老病死」。
そうなんです。「生老病死」は人間の問題なんです。
これだけ解決すれば、他は全部悟ってますね。
なんにも心配はいらない。
929p:2006/09/18(月) 16:13:47 ID:9urT9K8R
>>928
では、一休さんが「死にとうない」と言ったのは、
悟ってないということでいいのですね。
930机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 16:26:53 ID:VHPwVIrb
>>928
一休は、無明の因となす人間の固定観念を見事なまでに寂滅した、
その境涯は、後世の手本となります。

つまり、菩薩というのは、生き方そのものが末代まで影響をあたえ、
限りなく民衆は一休に学ぶことができる。

菩薩というのは、そういうもんです。
一休は悟ってましたね。
見事に悟ってました。

白隠は解らんですけど。
931バカ梵:2006/09/18(月) 16:57:23 ID:IRs/2b7R
>>929
それ、最後のジョークじゃないの?
なーんてね
932名無しさん@3周年
そうそう、最後のとんちかも