宗教はいらない。自分の内に神は存在する 2

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1Z
「宗教はいらない。自分の内に神は存在する」

そう思いませんか?
宗教団体ごとに争ったり、信者を食い物にしたり、
宗教で家庭が崩壊したり、政治を支配しようとしたり。
でも、それでも神はいます。
自分の内に、ハートの中に。
内にある自分の声に耳をすまし、毎日沈思黙考して
この世に生まれてきた目的、自分の使命をさがしながら
一日一日を一生懸命、生きましょう。
どこまでスレが発展するかはわかりませんが、このスレに
使命があるならばそれは続くでしょう。
のPart2です。

前スレ
宗教はいらない。自分の内に神は存在する

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1143324327/l50
2名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 08:09:05 ID:CcwP3Jda
test
3Z:2006/04/09(日) 08:22:29 ID:rnTYOJh2
アールグレイなTAOさん、ありがとう。
これでしばらくはゆっくりできますね。
それでは皆さん、改めてよろしくお願いします。
4“River〃”:2006/04/09(日) 08:22:38 ID:lNC0v9DX
要らないのは宗教じゃなくて先ずメディアです。マスメディア..マズメディア..不味いメディア..先ずメディア消えてちょ。
5アールグレイなTAO:2006/04/09(日) 08:23:59 ID:lDEO1ioa
>Zさん

 どういたしまして。
6名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 08:32:57 ID:gMed63yn
>>1
これは教義と実践方法を示しているとも思います。
宗教はいらないとする、宗教の可能性があります。

長い年月を経ると、この教えが枝分かれし、解釈がわかれ、同じ教えの下に争いを起こすでしょう。
そうやって来たのが宗教です。
7Z:2006/04/09(日) 08:33:52 ID:rnTYOJh2
それでは私も少しは語ってみましょう。

>例えば、中学や、高校で習った、理科や物理。
あの中にある、美しい法則性。

そうなんですよね。まあオレは物理ダメで文系に行ったけどw
その法則というものは自然にできたとは思えない。
誰かが創ったとしか思えないときがある。

オレが学生で一人暮らししていた頃、自炊しようとしてキャベツを
包丁で二つに切ったときなんだけど、その断面があまりにも美しくて・・
葉の一つ一つが寄り添うように集まっているのを見て・・
何か植物の意思みたいなものを感じたことがあったんですね。
いちいちそんなこと感じていたら料理なんかできないから
普段は気にしないんだけど、たまにだけど一瞬だけかもしれないけど
そういう現実世界から遊離する瞬間というか、哲学の瞬間というか、
何かがフラッシュバックするときというのがあってね。
8名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 08:40:11 ID:gMed63yn
横入りですいません。

私の考えは、科学と自然を対立させるべきではない。ということです。
科学は自然の法則の中で、人間が理解し利用できる、再現性のある技術である。と思います。
9Z:2006/04/09(日) 08:40:50 ID:rnTYOJh2
幼い頃、ものごころがつくかつかない頃、なんでボクはここにいるんだろう、
と不思議に思ったこともある。何度も何度も。
自分の名前を呼ばれたときに、どうしてボクは○○ちゃんで、
AちゃんやBちゃんじゃないんだろうかと、これも不思議に思っていた。

何を言いたいかと言うと、やはりオレは○○として生まれてこなければ
ならなかったと今、現在は感じる。そしてオレは○○として
何かを果たすことがあるから生きていると思うのだ。
皆一人一人も固有の運命と何か伝えなければいけないメッセージというか
起こすべき行動を持っているはずだと思う。
それが神の意思というか計画というか、神という言葉が嫌いならば
宇宙のクリエイターというか、なんかしらそういう存在が意思を持って
人間や動物、植物を創造したと感じる。
ただ、人間はそれに対して逆らう力、修正を入れる力を持っているとも
思うけどね。
10アールグレイなTAO:2006/04/09(日) 08:41:42 ID:lDEO1ioa
ちょいと宣伝(笑)

アールグレイで甘美な午睡 3

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1143760470/l50
11名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 09:25:33 ID:UN9rreDC
自分と合わない意見でも一度きちんと聞き、じっくり咀嚼して考える。
その過程で神の声をより深く聞き取る能力が培われると思います。

神の意識の、あの途方もない懐の広さそのままに会話できたら
きっと素晴らしいでしょうね。

>>1
スレ立て乙でした。
12Z:2006/04/09(日) 10:07:52 ID:rnTYOJh2
>>11
聞くということは簡単なようで難しい。
ミヒャエル・エンデの作品「モモ」でもそのテーマがあった。

「聞く」と「聴く」も使い分けたい。
「聞く」は肉体上の耳に音が入っていく状態だとすると、
「聴く」は意識的に注意しながら相手の言っている意図・意味を
理解しようと聞く。サウンドなら一音一音をやはり意識を持って
理解しようと聞く。

神の声というのは「聞く」ではなく「聴く」のほうだと感じる。
だから、日常生活において人の言うことを「聴く」ことを訓練している
人はやはり神というか目に見えない世界からのメッセージを
受け取りやすいと思う。
「聞く」ことは注意力散漫でもできるが、「聴く」ことは
意識がいる。意識がどこかへいっている人は「聴く」ことができないと
思うわけでして。
13Z:2006/04/09(日) 10:17:49 ID:rnTYOJh2
このスレの論争なんか読んでいると、感じることが幾つかある。
対立は「経験」の有無。感性と論理の戦い、右脳と左脳の戦い、
とにかく、同じ土俵・リングにたっていないからどうしてもどちらも
勝者でどちらも敗者になってしまう。どちらを基準に立つかで
どちらとも選べてしまうと感じるよ。
といってもこれらのディスカッションは有意義なものだし勉強になるから
どんどんやればいいんだけど。

神の声とか神秘体験という言葉はいろいろと誤解も生じやすいし
反発も受けやすい。
でも、神・目に見えない次元からのメッセージというのは
友人や家族との交流と同じくらい簡単な部分もあると思う。
感受性の高い人なら、いわゆる神秘体験をしなくとも、ふと空を見上げた
ときに見る雲の形、これを見過ごすことが多いと思うけど、
やはり「聴く」という意識で見れば、そこにメッセージが見つけることが
できると思う。
それはやはり意識を持っているかどうか。
目に見えない次元の天使や菩薩が肉体を借りて我々の周りにいるかもしれない。
気がつく人は気がつくし、気づかない人は気づかない。
天使、菩薩だけでなく宇宙人も同様かもね。
14処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/09(日) 10:21:23 ID:jVCQUA/V
>>1
ギョーザとオシンコも付けといて。
15風の主:2006/04/09(日) 10:25:25 ID:lrOfFa2c
その通りですね。
ただ、疑問なのは、なぜ自分だけが正しいと思うのか?
理解できないことを、疑問に思うのはいい。しかし、かならず決め付けてくる。「イチから学べ」などと失礼なことをいう輩もいる。
自分だけが正しいのか?あなたの感性が全てか?と思ってしまう。
真理が一つならば、なぜ同じ体験をさせ、同じように感じるようにしなかったのか?
なぜ自由があるのか?
強制する人に問いたい。
他の人の体験を否定する権利があなたにあるのかと。
16風の主:2006/04/09(日) 10:41:04 ID:lrOfFa2c
神が万能であるならば、一種類の人生だけでよかったはずです。強制などしなくてもよくなる。

馬鹿馬鹿しく思うのですよ、自分が体験者でもないのに、解説してきたり、否定してきたりする人をみると。
それを「今まで我々がやってきたこと」だと思うんです。それが今の世の中だと思うのです。
それじゃいけないと感じるから、精神世界に興味をもったのではないですか?
罠にはまっていることに気付かない。
好きなようにすればいい。そう思います。
17名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 11:12:23 ID:JZE5RKwN
強制するのは人の自由ですね。
するもしないも本人の自由です。
他人の経験を否定する自由も当然存在します。
価値判断をしないのなら気にならないですよ。
18名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 11:13:58 ID:JZE5RKwN
疑問なのは、なぜ自分だけが正しいと思うのか。
自分の体験がすべてで正しいと言ってる人間が、「なぜ自分だけが正しいと思うのか」
という疑問を持つとはなんとも笑える矛盾ではないでしょうか。
19風の主:2006/04/09(日) 11:24:16 ID:lrOfFa2c
なんと浅はかなことか。

私の真理は私の真理です。
それを押しつけたことなてない。
あなたにとって、それが真実でないのは当たり前。
20名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 11:32:52 ID:JZE5RKwN
押し付けるか押し付けないかがそれほど重要なことでしょうか?
押し付けないことを美化し、強弁なさる態度はいかがなものかと思われます。

>http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1143324327/976
>真理なとないとずっといっています。
おや、真理などないのではなかったのですか?
21名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 11:37:01 ID:JZE5RKwN
なんと哀れなことか。

自分の執着に気づかず、現世利益を求めていないなどと嘘をならべ
掲示板という場所に自慰を求める行為を美化するとは。
22名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 11:57:51 ID:wUdjk7ko
「私の真理」ってなんだよ。
23名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 12:14:13 ID:6xhW0CL8
ここで問題
東京タワーは自分の内にあるのか、はたまた外にあるのか
24風の主:2006/04/09(日) 12:29:49 ID:lrOfFa2c
個人の真理は個人の真実です。
他の人の真理はそのひとの真実です。
私はそれでいいと考えています。
25探求者:2006/04/09(日) 12:42:31 ID:EvAf5sK5
こんにちは
わたしは精神世界、霊的世界、真理、神、宇宙そういう事象に関心、興味を
持ち10余年になります。多くのその手の書籍を読み、自らも幽体離脱の経験
もしました。
言えることは人間は物的肉体だけの存在ではないということです。
こういうスレッドにたどり着いたのも偶然ではないと思います。
26アールグレイなTAO:2006/04/09(日) 12:44:39 ID:lDEO1ioa
真実とか、真理というものの言葉の使い方を、そもそも間違ってるね。
その人の価値判断、その人の世界観といったらどうだ。

それなら、だいぶ、ズレもなくなる。
安手の、駄本の言葉遣いを、安易にマネするから、困ったことになるんだ。
相対的に、個人の真実は、そいつの虚偽意識であったりする。

いちからやりなおせというのは、こういうことでもある。
27アールグレイなTAO:2006/04/09(日) 12:45:27 ID:lDEO1ioa
まあ、例外的に、風さんに言わせてもらうとね。
不正確、誤解、誤認、が多いからね。
28名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 12:50:20 ID:LHFC9+fv
>>24
そういうのを「宗教」と言って、憎しみ合いの始まりはそこなんだよ。
真理じゃない個人的なものを「真理」と主張するのが間違い。
29アールグレイなTAO:2006/04/09(日) 12:57:01 ID:lDEO1ioa
失礼ですが、宗教というより「宗教的教条」や「ドグマ」と呼んだほうが
いいと思います。
宗教には、大いなるものへの合一への要求、そこへの帰結という側面もあり
ますので。
余計なことをいってごめんなさい。
30無所属な旅人 ◆Trip.cNm8U :2006/04/09(日) 13:02:42 ID:h9e0cDxp
在るを使えるに変える歩みなんだって事だとおもうのよね。
在るだけで十分としてる人には申し訳ないけど。
31名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 13:22:53 ID:KsHD2CEK
神や真理について議論するのもいいですが、各々の感性によるところも多く
言葉を経由して伝えることには限界もあります。
直感(イメージ)→言葉→→解釈→イメージ(理解)
この過程でどうしても最初と最後では違ったものになってしまいます。

前スレhttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1143324327/
さんが、実生活上での変化について述べておられます。
神や真理を感じた方々がどのようにそれを実生活にいかしておられるのか。
実生活がどのように変化したのか。
神や真理そのものよりも、そういう議論を見てみたいです。
32名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 13:25:11 ID:KsHD2CEK
前スレ991さんです。
リンク失敗、失礼しました
33Z:2006/04/09(日) 13:48:35 ID:rnTYOJh2
>>25
探求者さん、こんにちわ。
10年以上、研究されていればいろいろな知識がおありと思います。
思うことを是非、書き込んでください。
私も学ばせていただきます。

>>31
仰る内容、そのまま受け入れたく。その通りだと思います。
言葉というものはマントラ・言霊という意味ではパワフルですが、
真実の伝達という意味では、特にこういう内的な内容を伝えるときには
かなりパワーダウンするということを強く感じますね。

>>32
ホントだ。991の凡人さん、すっごくいいこと書いてますね。
今、私もいろいろと問題を抱えて職場でも文句を言ったりしていましたが
猛反省です。自分の内の神を探すということは相手の内の神を探すということ
と同じですね。
実生活の変化については別途、書かせていただきます。
34風の主:2006/04/09(日) 13:49:10 ID:lrOfFa2c
しばらくROMります。
失礼な輩がいるようですので。
35 :2006/04/09(日) 13:54:03 ID:xz8+Ycs2
>>31

>神や真理を感じた方々がどのようにそれを実生活にいかしておられるのか。
>実生活がどのように変化したのか。
>神や真理そのものよりも、そういう議論を見てみたいです。


極めて重要だと思います。

この展開を期待します。


36Z:2006/04/09(日) 14:25:39 ID:rnTYOJh2
>>35
極めて重大ですから、思い出すことを書いてみます。
オカルト的神秘体験からごく他愛のないものまでいろいろな段階が
あるとは思いますし、いろいろな意見もあると思いますが。
37Z:2006/04/09(日) 14:30:58 ID:rnTYOJh2
神というレベルではなく、ごく普通の潜在意識レベルだと思うんだけど
大体、オレはマイペースというか相手のペースに合わせないで
行動をとるところがあって、時折、人とぶつかるときがある。
で、たまに反省するんだけど、ふと気まぐれに瞑想をして
その瞑想中に、そのあまり人間関係的にはうまくいっていない人を
イメージしてその人との関係を改善しているシーンを思い描いたりする。
そうすると早いときは翌日、大体数日程度で
その人が自分に親しく近づいてくることが多い。
これは今はやりの潜在意識の力というものなのか、自分自身が描いた
イメージが瞑想後にも持続して、オレの表情とか態度が
無意識のうちに変わったからか、うまく説明ができないけどね。
38Z:2006/04/09(日) 14:38:00 ID:rnTYOJh2
書いてて感じるんだけど、実生活の改善になったエピソードというのは
大体、自分の潜在意識の変化が原因というのが多い。
ある意味、オカルト的な展開ではあるんだけど。
で、このスレタイにある、自分の内にある神との対話というレベルに
なるとね、生活の改善というものもあるけど、むしろ、さらなる
試練を抱えて一時的には大変なプレッシャーを感じるときもある。
自分の果たさなければいけない使命を知って、あー困った、
面倒くさいぜ、みたいな感じになってね。
だから、実生活にどう生かすかというテーマになると
現世的な生活レベルのアップにつながった例を知りたいのか、
それとももっと人生そのもののターニングポイントに出会ってしまったような例を
知りたいのか、どちらに皆さんは関心を持っているのか、
ちょっとここで確認したいんだ。
言ってることわかるかな。ちょっと表現力が足りなくて申し訳ない。
39探求者:2006/04/09(日) 14:43:55 ID:EvAf5sK5
わたしはかなり前から、金縛りの体験で恐怖を味わい、夜布団に入るのが
怖かった時期が数年に渡って続きました。
その後金縛りについて科学的に説明した本や、オカルト的な立場の書籍を
読み、自分なりに原因をつきとめました。
それは幽体離脱の前兆現象として金縛りが起きるというものです。
金縛りの原因が分かってからは恐怖感は去り、むしろ金縛りの後に来るであろう
幽体離脱の体験を待ち望むようになりました。
そして或る夏の日の未明、トイレに起きた後、それは起こりました。
感覚としては身体が上昇と下降を繰り返すように振動し、自分の意識が布団を
離れ、天井を突き抜け、どんどん空へ上昇してゆきました。
気づけば眼下に街並、景色が見えます。自分の肉体、幽体は見えませんが、意識
は明確にあります。その後、意識は降下して気づいたらベットの上でした。
その後も二度ほど離脱の経験をしました。
40 :2006/04/09(日) 14:44:26 ID:xz8+Ycs2
>>36

35ですが、凡人さんの実生活での変化をもっと詳しく

伺いたいです。

色々な意見を聞いてみたいです。勿論其の人の主観でいいです、人生が

好転した等がいいですね。
41名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 14:44:27 ID:u2mF2SCg
>現世的な生活レベルのアップにつながった例を知りたいのか

それって、結局は社交辞令を身につけて、周りとうまくやっているという話
で、宗教とは全く関係ない話なんじゃない?
42Z:2006/04/09(日) 14:50:37 ID:rnTYOJh2
>41
いや、そういう表面的なことだけでなくて、
霊的進化の過程においては副産物としての生活レベルのアップというもの
もあると思う。それを受け取れるが改めて放棄する人もいるし、
普通に享受している人もいるし、受けざるを得ないこともある。

まあ議論のための議論は望むところではないのでこの辺にして
また実例を思い出すことにしよう。
43無所属な旅人:2006/04/09(日) 14:52:00 ID:Yhrppbei
マクロ的なのもミクロ的なのも分けること無いんじゃないかなぁ。

また、凡そ仕えるように動けば結果としてその場の調停者の様になるんじゃないかなぁ。
44 :2006/04/09(日) 14:53:01 ID:xz8+Ycs2
>>41 さん

社交辞令だけで凡人さんの様な変化は生まれないのでは?

世間はそんな甘くないですよ。

プラスアルファーがあるんですよね。
45Z:2006/04/09(日) 14:58:25 ID:rnTYOJh2
>>41
>社交辞令だけで凡人さんの様な変化は生まれないのでは?

同意。
利己的な目的で社交辞令に走ると、大抵いい結果には結びつかないと思う。
うまくいったように見えるのは相手と同じレベルにいるか利害が一致
しているときだけだ。
ただ、自分の中に大きな変化が起きて、これまで気づかなかった相手の
長所・美点が目につくようになったから、自然と世辞が口から出るように
なった。これは立派な内的変化の賜物だと思う。
表面的な社交と内的変化の結果としての社交は違う。
後者はやはりこのスレに述べるに値すると思うね。
46 五行:2006/04/09(日) 14:59:18 ID:xz8+Ycs2
Zさん、名前欄にハンドル名を入れなけらばならないのでしょうか。

初心者なので申し訳ないです。

空白は空しい。

何か入れヨット。
47Z:2006/04/09(日) 15:01:26 ID:rnTYOJh2
>>46
名無しじゃさびしいですからね。
何か入れましょうよ。五行さん、いい名前じゃないですか。
48 五行:2006/04/09(日) 15:08:12 ID:xz8+Ycs2

>>47

Zさん、本当にありがとうございます。

TAOさんが立てたスレによく書き込んでます。

若し良ければ遊びに来てください。向こうではモカで出てます。
4941:2006/04/09(日) 15:16:23 ID:u2mF2SCg
仮に、社交辞令でなくて「内部変化による好転」だとしても、最初からそういう
実利を求めれば、同じことだと思います。
それは、宗教でなくて「セミナー」です。
50Z:2006/04/09(日) 15:16:37 ID:rnTYOJh2
体験談というとプライベートな領域なんでいささか抵抗がなくはない。
まあ些細な例を。
今、娘が一人いるんだけど、妻のお腹にいるときは男の子か女の子か
わからなかったんだけど、どちらか知りたいなと思ったわけ。
その後、散歩していたら、道のど真ん中に赤い色の子供の靴が一足、
どういうわけか、落ちていたんだわ。
その瞬間に、そうか女の子かと思ったんだ。妙に自信ありありで。
で、妻にね、「生まれる子は女の子だと」と伝えた。
なんで、わかるの? と聞かれたんで、今日のささやかな出来事を伝えた。
なぜか、妻も納得。で、後日、女の子が生まれた。
50%の確率じゃねーか、と言われるエピソードだけど、
こういうことも、目に見えないけど自分達を導いてくれる、
守ってくれている存在との対話の一部分なんだ。オレなりの。
51Z:2006/04/09(日) 15:22:53 ID:rnTYOJh2
>>47
五行さん、今後ともよろしくです。
あとでTAOさんのスレも伺ってみます。

>>41
内的変化による好転で自分も周囲も幸せになれるなら
何の問題もないと思うけどね。
5241:2006/04/09(日) 15:26:53 ID:u2mF2SCg
>>51

そこが根本的におかしいのですよ。
宗教というのは、「脱日常」であるはずで、「日常」を否定することが前提
です。そうでないと、「本来の自己」はいつまで経っても見えてこない。
もちろん、最後に「日常」に戻ってくることは考えられますが、それは結果論
にすぎない。

「自分も周囲も幸せ」という、その「幸せ」の中身を問いただすのが宗教では
ありませんか?
53Z:2006/04/09(日) 15:29:03 ID:rnTYOJh2
>>39
探求者さん、
私も幽体離脱について少しコメントしてみます。

私も何度か経験しています。面白いのは、完全に自分が離脱できたのが
数回程度ですが、半分だけ出たという経験もかなりあります。
自分の下半身というか足だけが中に浮いているという、そんな感じです。
あと、離脱するときは予兆が確かにあって、
自分の体全体が微妙に振動しているというか、あと寝ているときの
天井が迫ってくるというかちょっと部屋が狭くなる感じ。
それと「キーン」という超音波みたいな、耳鳴りがします。私の場合。
実際に出たときはビックリというか感動しました。
ああ、本当にこんなことがあるんだと驚いたことは今でも覚えています。
そのときは布団から起き上がったときに自然となりました。
まだ上体だけ起こしたときになったんですけど、じっと体は静止している
つもりでも上半身が微妙にゆらゆらと風船みたいに揺れていたのも
覚えています。オカルトスレみたいになってちょっとスレ違いですけど。
54 五行:2006/04/09(日) 15:30:17 ID:xz8+Ycs2
単なる社交辞令と内的変化による好転の違いは、その人の心の負担が違うと

思います。内的変化による好転は自然です。自然のまま自分を表現すれば

言い訳です。社交辞令の様に無理に飾らなくても良いですね。
55Z:2006/04/09(日) 15:39:57 ID:rnTYOJh2
>>41
何度か書いているけど、オレは議論のための議論は好むところではない。
ただ、必要と思う部分を述べてみたい。

言いたいことはわかるけど、例えば宗教的・霊的修行をして神に
近づこう、悟りを開こうと思ったら全員、出家しなければいけないか、
家庭も仕事も捨てて無一物になって修行をしなければならないのか。
オレの答えは「否」だ。少なくとも現段階ではね。
日常生活こそがいろいろな発見・気づきがある。
「脱日常」が必要なのはわかる。オレにも必要だしタマにそういう瞬間を
もうけている。だが人生のベース、生まれてきた目的を考えると
この日常生活が基本となっている。神の意思によって、日常生活をいったん大きく
変化させる出来事、今の生活を捨てて次の生活へとジャンプする瞬間が
あるけどね。
あまり「脱日常」が必須と掲げるのは危険な場合もある。
日常からのドロップアウトの大儀名分に使われる恐れもないかな。
実際、新興宗教団体や各種精神世界のセミナーとかは、
フリーターや無職の人の割合が多かったりするし、自分も学校をやめて、
会社をやめて本格修行せよと言われたことがあったよw
5641:2006/04/09(日) 15:43:02 ID:u2mF2SCg
禅では「隻手の声」と言います。両方の手を叩くと音が出る。では、片手
ではどんな音が出るか。その音を聞いて来いと言います。

「日常」に捉われて「幸せ」にしがみついている限り、それは宗教ではなくて
単なる「現世利益の技法」にすぎないのです。現世利益のために宗教に手を
出せば、確実にしっぺ返しを食いますよ。
5741:2006/04/09(日) 15:46:28 ID:u2mF2SCg
>実際、新興宗教団体や各種精神世界のセミナーとかは、
>フリーターや無職の人の割合が多かったりするし、自分も学校をやめて、
>会社をやめて本格修行せよと言われたことがあったよw

その反面、会社がダメ社員を再教育するために送り込むセミナーもあり、
繁盛していると聞きます。いずれにせよ、「日常」から逃避するにせよ、
「日常」に適応するにせよ、「日常」と同レベルで右往左往しているだけ
ですから、「脱日常」とは言えないと思います。
58 五行:2006/04/09(日) 15:51:49 ID:xz8+Ycs2
>>39
探求者さん

>わたしはかなり前から、金縛りの体験で恐怖を味わい、夜布団に入るのが

>怖かった時期が数年に渡って続きました。

私も全く同じです。もう何十年も続いています。

寝る前に頭部をマッサージしてたり軽く叩いて血の循環を良くすれば
何とか治まります。

しかし幽体離脱できるなんて気づかなかったです。
勉強になりました。



59Z:2006/04/09(日) 15:55:17 ID:rnTYOJh2
41さん、オレなりにわかるよ。言わんとすることは。
あなたの言う道はエレベーターというか、日常を通る道は螺旋階段というか。
ただ、エレベーターより螺旋階段が安全で急がば回れという部分はある。
それにエレベーターだと思って覚悟して乗ったら逆に下降してしまった人もいる。
螺旋階段を上るのが面倒なのでエレベーターに乗っちゃえという人もいる。
螺旋階段を上るのに疲れて降りる人もいる。
エレベーターに乗れるのに、できるだけ多くの皆と互いに励ましあって
歩みたいから例え時間がかかっても敢て螺旋階段を選ぶ人もいる。
最終階から屋上に出るには螺旋階段はもう行き止まりで
エレベーターに乗るしかないということもある。
60名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 16:09:19 ID:rnyNrHVe
日本人は宗教に警戒心が強い。
だけどいったんタガが外れると「そこまで壊れたの?」という事態になる。
キツネ拝んだり。手かざしやってみたり。オウムに入ったり。
6141:2006/04/09(日) 16:23:34 ID:u2mF2SCg
そうですね。どちらかというと、自分の周りに「被害者が多い」という経験
が元になっています。60さんの言う「壊れたケース」がいくらでもあります。
というか、実益求めて宗教に入る人は、ほとんど例外なく壊れてしまいますね。
62名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 18:04:56 ID:KsHD2CEK
このスレは、「宗教はいらない」ですから、なんらかの宗教団体にはいる
ことには否定的というか、そういう話はスレ違いな気がします。

神や真実に気づくことで、人生にどのような影響があるのか、それは大切なことだと思う。
どうあがいても、死ぬまではこの現世で生きているのです。離れようにも離れられないのです。
現実逃避するための空想の世界が宗教であるならば、ロールプレイングゲームの世界に
興じる子供達となんら変わりません。
宗教的な世界と、現実は密接にリンクしているはずです。

「実益」や「現世利益」を求めることに否定的な発言をされているようですが
それは、どのようなものを指しているんでしょう。
モノやカネや地位などといった、欲望を満たすようなことなのでしょうか。
そういうものを目指して宗教的な世界に踏み込むのは、確かに的外れと思います。

神や真理を知ることによって、結果的にそのような利益がある場合ももあるのかもしれません。
でも普通はまず、自分の内面が変わるでしょう。
他人や出来事に対する態度が変わるでしょう。
行動が変わるでしょう。そうすれば、自ずと結果がでてきますね。
そのような変化はどうなのか知りたいのです。

というのも、前スレを見れば分かるとおり、神とは何か、それぞれの悟りが正しいのか否かといった議論が繰り広げられていて、非常に不毛に思えるのです。
じゃあ、悟ったらどうなんだ、どうなるんだ、ということを語って欲しいのです。
63探求者:2006/04/09(日) 18:10:11 ID:EvAf5sK5
>>58
幽体離脱に関しては立花隆の臨死体験という本に詳しく載っています
興味がおありでしたら是非ご一読をお勧めします。
64Z:2006/04/09(日) 18:10:47 ID:rnTYOJh2
62さんのコメントが一番、バランスとれてると思うよ、41さん。
我々は肉体を持っているわけだから日常は必要不可欠。

ただ、悟ったらどうなんだということは語れない。
悟ってないからw すみません。
65名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 18:15:36 ID:KsHD2CEK
>>64
Zさん、ありがとう。
言葉は難しいですね。「悟ったら」という言葉を使いましたが、お釈迦様のように悟りの境地に達するということではなく、
「自らの内に神は存在する」ということに気づいたらどうなるんでしょう、という意味です。
6641:2006/04/09(日) 18:23:02 ID:u2mF2SCg
バランスが取れているというのも「日常」からの観点ですね。
繰り返すのはこれで終わりにしますが、実益を求めて宗教の門を叩く人の
運命は悲惨です。これは、私の経験からそう言えるとしか申し上げられない。

仮に「自らの内にある神性」に気づいたとしても、エゴを放置したままでは
かえって猛毒で自らを損なうだけの話です。
67Z:2006/04/09(日) 18:23:13 ID:rnTYOJh2
>>65

それなら体験談というレベルでは語れますね。
たくさんありすぎて書くのは大変ですけど。
ただ一言で言うと、人間は一人では生きていけないということ。
一人で生きているつもりでも、家族や友人が自分のことを気にかけてくれて
いると同じように、目に見えない存在、神というよりは守護霊・守護天使、
先祖の霊? とにかく善意を持って我々を導いてくれている存在に
気がつくということは事実としてあります。
もっと凝縮して言えば、我々は偶然生まれてきたのではない、
ある目的を持ってこの世に送り出されたということです。
68オデッサ:2006/04/09(日) 18:31:46 ID:4s2eZYwr
>>52
>宗教というのは、「脱日常」であるはずで、「日常」を否定することが前提
です。そうでないと、「本来の自己」はいつまで経っても見えてこない。

 風氏との所でも書きましたが、宗教(の教え)と日常はリンクしなければ
ならないと考えます。究極的な自己を追い求めるために、出家しなさい
というような団体は、すでに宗教的思想が破綻していると思う。
私は仏教徒ではありませんが、釈迦も出家と在家それぞれに”教え”を
説きました。
 日常との乖離は、(精神的)分裂を招き、より苦悩を増すと思います
少なくとも私は。
たとい、その理想的自己を手にすることが出来たとしても、実社会に何も
反映させることが叶わなかったら、ただただ空虚です。
6941:2006/04/09(日) 18:40:41 ID:u2mF2SCg
>68

どうも誤解を受けているようですが、「脱日常」というのは、日常生活から
足を洗って出家するということではありません。
具体例を挙げた方がよいでしょう。
たとえば、あなたがスーパーに買い物に行くとすると、商品が並んでいて、
あなたは「お客様」で、レジの係りの人は「業者」です。もし、レジに間違い
があれば、あなたは「お客様」の立場でクレームをつけるだろう。
しかし、それは「日常」という舞台で仮に与えられた「役割」でしかありません。
レジの係りの人もまた、あなたと同じ人間で、家族を持ち、生活のためにスーパー
に働きに出てきている。もしかすると、「こんな単価が安い仕事はやめたい」
と思っているかもしれない。

しかし、「日常」においては、「お客様」と「業者」というレッテルを貼って
終わりです。そこに「人間」の姿はない。「脱日常」とは、例えばですが、
レジの係りの人を「一人の人間として」見つめな直してみようということです。
何も難しいことはない。「日常」で「当たり前」と思っていることを、根本から
見直してみるということです。
70五行:2006/04/09(日) 18:42:08 ID:xz8+Ycs2
>>63

>探求者さん

ありがとうございます。

是非読ませて頂きます。
7141:2006/04/09(日) 18:42:26 ID:u2mF2SCg
一言で言うと、現代社会は人間を「道具」と見做している世界です。
では「道具」という仮面を引き剥がした人間同士の関係とは何か?
それについて踏み込むことで、宗教の世界が広がってくると私は確信します。
72Z:2006/04/09(日) 18:47:51 ID:rnTYOJh2
もう今日は終わりにするけど、最後のコメント。

オデッサさん、そうなの。オレもそのスタンス。62さんも同じ考え。

ただ41さんの言わんとしていることもわかるんですよ。
人間の最終目標が日常生活で幸せをつかむことでなく、神になることで
あれば、41さんのスタンスは最終目標に焦点をあてているわけ。

エゴとの戦い、エゴの根絶は最終目標。
そうだな、ダンテスダイジさんの書籍なんかは参考になるかもね。

それではまた。
7341:2006/04/09(日) 18:51:24 ID:u2mF2SCg
駄目押しに、わかりやすい例を。

Aさんが会社からリストラされまいとがんばっているとします。
Aさんが「課長」だとすれば、現代社会では「まず課長ありき」なのです。
Aさんは病気したり死んだりするが、「課長」は不滅です。Aさんが退場すれば
誰か他に人が「課長」になる。つまり、この関係では人間は不在で、「課長」
のスペアでしかない。では、人間の本質とは何か。「課長」であることか?
それとも「課長」という仮面を剥ぎ取った後に残る「顔」なのか?
あるいは、「永遠不滅の課長」が本来の姿なのか?それとも、確実に死ぬこと
を定められているAさんの存在がそうであるのか?
74名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 18:53:48 ID:KsHD2CEK
41さん、言葉は難しいですね。
41さんのおっしゃる「非日常」は、私がこのスレの流れの中で使う「日常」に含まれます。
41さんは前スレをお読みになったでしょうか。
もっと、精神世界に特化して議論されています。
神や真理そのものについてばかりです。

ここでZさんや私が言う「日常」「実生活」「現実」などという言葉は
そのような一種神秘的な世界との対比で使われています。

ちなみに、>>69>>71でおっしゃられていること、すばらしいと思います。
75名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 18:57:34 ID:KsHD2CEK
>>67
Zさん、レス前後しましてすみません。
体験談ありがとうございます。
7641:2006/04/09(日) 18:59:01 ID:u2mF2SCg
>74

実は、私自身も「不思議世界」に憧れて、某新興宗教にはまって経験を持ちます。
それで、貴重な青春時代を棒に振ってしまった。自己反省の意味を込めて、
実益を求めて宗教世界に入ると、碌なことはない、と申し上げたいだけです。
この忠告がお役に立てれば、少しでも自分の罪滅ぼしになることでしょう。
77オデッサ:2006/04/09(日) 18:59:45 ID:4s2eZYwr
>>52
 なるほど、分かりました。物事の見方の視点を変えて、、、、ということですね。
まあ、これは個人的にはですが、例えばそのスーパーの一機能としての人間、
各個人としての人間の両方に普遍的思想を反映させたいです。欲張りかな

78名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 19:01:58 ID:7AN0437/
宗教被害者リンク集まとめ@Wiki
http://www11.atwiki.jp/anti-religion/
投稿者募集
79オデッサ:2006/04/09(日) 19:09:03 ID:4s2eZYwr
しかし、この細木ってオバサンは、まったく、もう・・・・。
 なんじゃらホイ
80名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 19:22:56 ID:UN9rreDC
日常というのは全てをひっくるめていると私は考えます。
41さんが仰っているのはレッテル貼り、ロールプレイ、そういうお話ですよね?
それは日常の一側面でしかない。
例えばある家庭の子供であり、学生であり、家族がいる若い人ならば
親が自分の親である以前に一人の人間であり、(学生と対比した意味での)社会人であり、
誰かの子供でもある、つまり自分と同じ立場の対等の人間なのだと
漠然と気付く瞬間があるはずです。

ですから…なんていうのかな、ご心配はあまり必要ないのではないかと思います。
実益を望んで神を求める人は、そもそもこのスレに興味を抱かないのではないでしょうか。
8141:2006/04/09(日) 19:30:24 ID:u2mF2SCg
>80

>41さんが仰っているのはレッテル貼り、ロールプレイ、そういうお話ですよね?
>それは日常の一側面でしかない。

もちろん、その通りですね。しかし、それは宗教の始まりでしかないと思います。

>親が自分の親である以前に一人の人間であり、(学生と対比した意味での)社会人であり、
>誰かの子供でもある

しかし、自分を犠牲にして子供を愛しているつもりが、実は「自己愛」でしかなかったり
する。そこに人間の業の深さがあります。また、企業戦士は「家族のために」といういい訳
を理由に不道徳なビジネスに手を染める場合もあります。

>実益を望んで神を求める人は、そもそもこのスレに興味を抱かないのではないでしょうか。

残念ながら、この点に関しては、私は絶望的と言ってよいくらい悲観的です。
82名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 19:34:10 ID:UN9rreDC
自分の内に神は存在する、という考えはそのまま、
他者の内にも神は存在する、と考えることです。
なので>>71で41さんが書かれている通りの方向に
進むだろうな、と思っていますが…どうなんだろう?
8341:2006/04/09(日) 19:37:09 ID:u2mF2SCg
ちょっと、舌足らずになりました。
社会におけるロールプレイの仮面を引き剥がすことから、宗教の入り口が
開けると思います。しかし、宗教とはロールプレイで「上位」に立つことが
目的ではなく、ロールプレイという虚構から自由になって、本来の人間関係に
立ち返ることが目的です。

チャップリン映画で、「街の灯」という名作があります。チャップリン扮する
浮浪者は、偶然知り合った大金持ちの気儘から、一時的に高級車を乗り回す
身分になりますが、浮浪者の習性から、つい道端に落ちている吸殻を拾って
吸いたくなります。彼は、高級車を乗り付けてそれをするのです。

これと同じく、「日常」の価値観から自由になることは、なかなか難しいこと
だと思います。
8441:2006/04/09(日) 19:43:05 ID:u2mF2SCg
>83
>>>71で41さんが書かれている通りの方向に
>進むだろうな、と思っていますが…どうなんだろう?

その通りです。
しかし、現実問題として、社会システム上の都合からどうしても「敵味方」に
分かれて争う場面に追い込まれるのです。「役割上の争い」だと割り切るにしても、
リストラされるとか、自分の生活にも直結してくるのです。

そこから先は、各人がどのように覚悟を決めて、どう結論を出すかでしょう。
私自身、答えを持っているわけではありませんが、ただひとつ言えることは、
人間の分際で、自分の行為のすべてに責任を持つことなど不可能だということ
です。だから、人間は常に「赦しを乞うしかない」。せいぜい、隣人に対して
自分が「できること」をしてあげるのが精一杯だということです。
85名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 19:43:41 ID:UN9rreDC
>>81>>83
それは日常の根本である"己自身"をしっかり見ていないから
起こることなのではないかと考えます。
8641:2006/04/09(日) 19:47:47 ID:u2mF2SCg
>85

だから、その「己自身」と現実世界で課せられている「ロールプレイ」を
どう両立するかという問題が難題だと思います。
87名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 19:52:14 ID:UN9rreDC
>>86
ああ、そういうことでしたか!
それは永遠の課題だと思います…

仕事に関してのみ言えば、現世利益を追求する態度と
精神的利益を追求する態度は真っ向から対立することが多いですね。
割り切るのか、割り切れないのか。休日に奉仕活動をすることで
バランスを取っている友人もおりますが。
8841:2006/04/09(日) 19:56:15 ID:u2mF2SCg
それを端的に表しているのが、イエスの言葉です。

「神とマンモン(富の神)に兼ね仕えることはできない」
89名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 20:03:55 ID:UN9rreDC
41さんは前スレをご覧になりましたか?
相反する「己自身」と現実世界の問題について
延々と議論(になっていなかったかもしれませんが)を
繰り広げ続けていたのが前スレです。
9041:2006/04/09(日) 20:06:38 ID:u2mF2SCg
ちょっと議論に参加させてもらいましたが、正直なところ真面目に見て
いません。ちょっと逝ってきます。
91名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 20:35:52 ID:UN9rreDC
読み返してみると議論以前の段階で止まってしまっている感が
無きにしも非ずでした、41さん、すみません。一応、かなり深く関連しているとは思いますが…。

私は前スレで某さんが仰っている"あるがまま"はタダのスタート地点
だと思っているので(最終的に辿り着く場所でもあると思いますが)
まずは自分に帰り、それから、さてどうするか?何を考えるか?という問題だと
思っていますが、自分の内の神に目覚めれば自分にとっての問題が
なくなるという意見も聞いたことがあるので、難しいなあと思う次第です。
9241:2006/04/09(日) 20:42:22 ID:u2mF2SCg
いや、なかなか読みごたえのある問いかけがされていて参考になりました。
主な論点は3つ位でしょうか(見落としはあるでしょうが)

36 (zさん)現世利益を求めて宗教活動をしてもやはり利益が与えられる。
精神的な自己探求が宇宙の創造神の計画の発展に貢献するものであれば
やはり結果として利益が与えられるだろう。

109 満喫できる人に、神というものはいらない。

814 (オデッサさん)精神世界の目的の一つは、この現実を生き抜く原動力を得ることだと思います。
93オデッサ:2006/04/09(日) 20:42:51 ID:2QZEIbBG
>>53
Zさん、スレ違いですが、細木スペシャルがつまんなくて(W
チャンネル変え特命リサーチ200Xを見たのだけど、幽体離脱
の実験をやってました。常識的には信じられない結果となって
いましたネ。ご覧になりましたか?(外国でしたっけ?)
 私的には、ヤラセであってほしい。信じられん
9441:2006/04/09(日) 20:50:18 ID:u2mF2SCg
自分の立場を明確にするために、一応、3つの論点に対する見解を書かせて
いただきます。

36->これが成り立つのは、その人の社会的ポジションがある程度以下に限られる
でしょう。たとえば、その人がパン屋で、「おいしいパンを、来てくれるお客様
に食べてもらいたい」という場合がそうです。しかし、大企業の経営者になって
しまえば、恐らく不可能だと思います。また、実際に両立している幸運な人々は
ごく稀だと思う。

109->同意します。富める者が「自分の後生のために」信仰するような場合、
「現世に留まらず、来世までいい目をしたい」というエゴを増長するのみです。
また、世界のあらゆる宗教で行われている偽善とは、「満喫できる人」が宗教
の運営に携わっていて、本来神を求める人が皆無だということから発生している
と思います。

814->これは、方便として許されると思います。たとえば、シャカは「生老病死」の
四苦から逃れるために出家しましたが、最後には死にました。しかし、もはや
四苦を苦と感じないという別の解決を得たのです。だから、「明日の現実を生き残る
ために」という目的が最初にある人も、別の次元で答えを見いだすことになる
だろうと思います。
9541:2006/04/09(日) 21:06:59 ID:u2mF2SCg
>>91

>まずは自分に帰り、それから、さてどうするか?何を考えるか?

私は、禅から「この道」に入ったので、どうしても既成概念が出てきてしまう
のですが、何かのご参考になれば幸いです。

禅では、「色即是空」の真相、「この世のすべてのものは、バラバラであるように
見えて、実は一体かつ平等である」を体得するようです。実は、この段階にとどまる
と、「生も死も平等である」ということになり、風の主さんじゃないが、「殺しても
生かしても善悪なし」という価値観に陥ります。

しかし、正統な禅では、今度は「空即是色」で、再び現実世界へ戻ってくる。
「平等とは言え、花は赤く、柳は緑という個性を備えている。それぞれが個と
してかけがえがなく、尊い。また、限り在る生だからこそ尊ぶべきである」という
価値感を身につけて、悟りが完成するそうです。

私は覚者ではないので、あくまで推測です。間違いがあれば、どなたかが修正して
くださるでしょう。
96名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 21:21:02 ID:UN9rreDC
>>92
無駄足にはならなかったようで良かったです。安心しました。

私自身は、あえて言えば前スレ814さんの考えに一番近いです。
私は禅の道に入ったことはありませんが、41さんが>>95で書かれたのと共通点のある
考え方を辿ってきています。空即是色を体感しきれているかは分かりませんが、
ハッと腑に落ちる瞬間が度々あり、その度に世界が美しく思えます。

結局どの道を辿っても、人に生まれた以上、この世界を尊ぶ心境に
辿りつくのではないかというのが、私の現時点での結論です。
まだまだ探求が浅い人間ですので、この先何が見えるのかはわからないままですが…。
97オデッサ:2006/04/09(日) 22:03:21 ID:2QZEIbBG
>禅では、「色即是空」の真相、「この世のすべてのものは、バラバラであるように
>見えて、実は一体かつ平等である」

 ほう、禅的には、そう訳するというか考えるのですか。
仏教徒では無いので詳しくは無いのですが、「この世の物質世界は、全て
変化移り変わり、実体が乏しい」かと思っていました。
 >>94 シダルタ様は、これから身に降りかかるだろう領主としての
現世苦悩からのがれるために旅立ったのですが、その解決思想として
無我のような例えば「求める心を捨てよ」と説法し、自らも実践した。
 風氏の話に疑問があったのもココで、対人間(心も含め)、対社会、
対国家(民族も)、対資本主義どれをとっても符合しない。
社会や国家が破綻しても、魂という多次元の救いがあればハッピーに
生きれる確証が自分にはありません。ある意味、不自由ではありますが

 
98オデッサ:2006/04/09(日) 22:12:06 ID:2QZEIbBG
うあ、釈迦を否定してるヨ、オレ。書いて失敗したかなあ(・ω・)
99風の主:2006/04/09(日) 22:16:35 ID:lrOfFa2c
争いの無い世界。絶対的な平和と愛。そして、永遠に発展し、おわらない世界。
            私はその世界が在ることを知った。
私はここを去る。
次のステップが待っている。
100マーヤー:2006/04/09(日) 22:18:23 ID:9plpNDIy
>>97
シッダールタ太子は病老死というような誰もがぶち当たるであろう苦に対する解決策を見出すために出家したのではないでしょうか
101凡人:2006/04/10(月) 02:29:50 ID:BQo4opG6
>>31
>>40

私の変化などいたって俗的なものですが、紹介させて戴きます。

一度別れ、修復不可な程に進展した恋人と再び付き合い始めたり、
中途採用の就職で希望の職に就く事ができたり、
以前は嫌いなタイプの人とうまく付き合えるようになったり、
感情的にならずに冷静に対処でき、イライラしなくなったり。

今まではひどく不細工な生き方をしていましたが、やっと普通の人になりつつある感じです。
こういう事が自然にできてる人は『何をいまさら』とお笑いになることでしょう。
でも、私にとっては劇的な変化なのです。
そして、その平凡な日常がとても幸せなんです。

今の自分の生き方は、自分の周囲の小さな幸福や自分自身の幸福の為だけに生活しているのは間違いがなく、
社会全体を見ての行動であるとは思いません。しかし、背伸びせず、自分の出来うる範囲で他人を喜ばせていきたい。
そんな感じです。


102凡人:2006/04/10(月) 02:36:17 ID:BQo4opG6
>>Zさん

私はZさんに大いに共感します。
Zさんのレスを読ませて戴き、心がとても温かくなりました。

私と違い、霊的な体験をお持ちなのが羨ましく思います。
でも妬みません。私の霊性が下がりますからW
103Z:2006/04/10(月) 02:43:08 ID:IxJjavrr
>>93
米国に今滞在しているので時差があって大変・・・
もうすぐ帰国しますがネット環境が期待できなくて書き込めないかもしれません。
それはそれとして、特命リサーチ200Xの内容知りませんので
興味ぶかい内容あれば是非、教えてください。
ちなみに私のは幽体離脱を熱心にトライした時期がありました。
その目的はですね、目に見えない次元のハイレベルの存在に出会い、
直接、生きる意義、様々な哲学的問題の解決を教えてもらうことでした。
(しかし、書いてても思うけど一般人から見れば、いい年した社会人が
書く内容じゃないな)
その目標は直接はいい結果はでませんでしたが、離脱そのものは、
死ぬときの準備、死んだ後、肉体を捨てたときの感覚を学ぶという意味では
十分だったと思います。
自分の意識が眠っていたらやはり離脱中、肉体を持っていないときも
意識が眠っていて、自分が離脱中であることすらわからないということが
多くて、多くの人も死んだ後、自分が死んだことすらわからないというのが
大半かなと実感したものです。
104Z:2006/04/10(月) 02:56:21 ID:IxJjavrr
>>101
凡人さん、こんにちわ。

>中途採用の就職で希望の職に就く事ができたり、

これ、私も体験しました。転職組なんです。
で、その現勤め先に今はあーだこーだ文句を言っているわけで
自分のエゴの深さにあきれかえっておりますが、
前スレ991、当スレ101を繰り返し読んで私も初心に帰りたいと思います。

>102のコメントについては大変、恐縮です。
ただ自分の体験は脳内麻薬みたいなものと考えており、本当の
神秘体験というものはそういうレベルではないとも思ったりします。
また自分の内的体験を他者に話すのは本来、タブーだと
当時、縁のあった私の師に相当する人から言われました。
それは聴く人・話す人の間で、やはり懐疑心を中心に様々な人の心の中の
様々なエゴを刺激するからですね。
ただ、このスレに関してはどうしてもテーマ上、抽象的論争が多くなりがち
なので、「真理」「神」などの言葉も抽象的・難解で人ごとに見解も定義も違う。
だから私はできる限り、ささやかな体験談も交えつつ、自分の言葉で
自分の感じたこと、現在の見解をわかりやすく表現したいと今は感じています。
105Z:2006/04/10(月) 03:08:28 ID:IxJjavrr
さて、41さんの書かれていることはなかなか格調が高くて・・・
オレにコメントできるか自信ないがトライ。
まずは・・・

>>76
41さんに必要なプロセスだったのではないでしょうか。
そのプロセスを経て大きな習得をなされたから
今、我々にその成果を一つの見解として提示してくれている。
習得と他者へのフィードバック、大きな使命の遂行と感じます。
106Z:2006/04/10(月) 03:23:22 ID:IxJjavrr
>>81
>しかし、自分を犠牲にして子供を愛しているつもりが、実は「自己愛」でしかなかったり
する。そこに人間の業の深さがあります。

我々は業が深いから地球に生まれてきた、生まれさせられた、という事実は
ありませんか? 私はそう感じることが頻繁にありました。

そして人間の行動パターンは99.9%自分の中のエゴが操っている。
前スレでも触れたけど、お金がほしいから泥棒する。利益が欲しいから
仕事する、誉められたいから親切にする。

だから24時間のうち、ほんの5分でもそのエゴを放棄する時間を
確保しようと、祈り・瞑想を試みたんですね。
根本的解決にはならないのは承知していますが、
自己放棄の祈り・・・全ての万物が愛で満たされるように、といった内容
の祈りを唱えるときは、私は体全体がリラックスして解放される感じを
受けます。瞑想においても・・・自分のエゴ・現世的利益追求の気持ちを
一時的に放棄(なくなりはしない)する・・・これは前スレの光の
体験につながりました・・・

ただ私の今の心境は・・・
神に祈る・・・全ての人の中に神はいる、その神性を信じる。
ただ、祈った後、家の戸締りは忘れない。泥棒が入ってくれば
バットで殴ってでも撃退するだろうから、そういうことをしなくてすむために。
人は霊だけでなく肉体を持つ以上、社会的つながりは
否定できないし、その社会的な行動は霊性向上にとっても
多くの意義はあると思います。
でなければ、皆、一人一人社会をつくらず自給自足で一人きりで
暮らして一日の大半を瞑想してればよい。
ただ神は我々にそうさせない。競争社会の中に誕生させた。
ここに大きな意味があると思う。
107Z:2006/04/10(月) 03:35:32 ID:IxJjavrr
>>92

概ねそうですね。新興宗教団体にどっぷりつかる人は現世利益追求型が多い。
でも、家庭が貧困・病気・不和等で苦しんでいる人に、実利を追求しては
いけないと言えるだろうか。
オレがそういう苦境にいれば確実に実利を願う。
おぼれていればまず陸に上がること、その前に呼吸することを必死で望む。
陸に上がってからようやく他者への愛を考えることができると思うけど
やはりオレとしてはその段階でもある程度の実利は必要だ。
その追求が自分の利己的なものであれば、神から強制的に調整・修正
させられるし、それが神の計画の遂行の一端を担うものであれば
逆に援助を与えられる、と感じている。
108Z:2006/04/10(月) 03:47:43 ID:IxJjavrr
>>94
このパン屋さんの例を考えると、どうかな、あまりそういう見解にたつと
社会的ポジションが高いと霊性を失うみたいにとってしまって
ローレベルを推奨してしまう危険がないかどうか。
確かに人の上に立つ人は非常に責任が重い。
特に宗教団体の幹部。人を導く立場にいながら人々の人生をめちゃくちゃに
してしまうパターンも多い。ただ、その反面、本当にたくさんの人を
救うことができる。競争社会は否定すべき面が多いが、人間は向上する
生き物だから、自分がなした成果に比例して地位というものはある程度
上昇していくのではないでしょうか。それが霊性を妨げるとは思わないな。
神の世界にもヒエラルキーはある。神>大天使>天使>通常の魂>地獄の住人、
といったような、ダンテの新曲なんか読むと参考になると思う。
パン屋のパン焼き職人が美味しいパンを焼いてくれると同時に
パン屋の経営者は職人さんがいい仕事をできるようにいい機械を導入したり
給与を上げたり、時には質の悪い職人を解雇しながら全体的に
美味しいパンがたくさん提供できるようアレンジする。
解雇されて人は経営者を恨むだろうし、経営判断ミスもときにはあるだろうけど、
小罪を重ねつつも大善を為す、その思考でいくしかないかなと思う。
ちょっとコメントはピントはずれかもしれないけど。
どの立場にいても献身活動はできるし、内面のエゴを観察してそれを
コントロールできることに両者の違いはないと思うんですけどね。
10941:2006/04/10(月) 09:02:25 ID:g/OQV4JE
>>108
>どの立場にいても献身活動はできるし、内面のエゴを観察してそれを
>コントロールできることに両者の違いはないと思うんですけどね。

それは「完成形」において成り立つと私は思うし、それを心から切に望んで
います。しかし、現実問題としてはどうでしょう。

たとえば、官僚ならば、本来は国民全体のサービスを最優先させるべきところ
が、省益中心で行動する人が模範とされる。そういう人だけが出世して、建前
を優先する「本物の官僚」は左遷される。現実は、保身の問題も含めて、いろいろ
なしがらみがあり、矛盾が付いてまわります。社会的ステータスが「低い」場合
には何とか矛盾を抱えたままで行けるでしょうけど、ステータスがあがるにつれて
矛盾が破綻してしまう局面が出てきてしまうのでは。

一般論になりますが、日本の社会では、ステータスがある程度以上になると、
手の平を返したように「悪魔化」する傾向があるようです。知り合いに役人が
居ますが、下積み時代に休みを返上し、夜中まで滅私奉公していた人が、上司
になると定時退勤した上に、勤務中に散髪へ行ったりと「公私混同」を平気で
やるようになる。そういう腐敗した連中が、まわりにイエスマンをはべらすから
日本社会全体が腐っていくのです。
110オデッサ:2006/04/10(月) 09:22:39 ID:qNli818K
>>103
幽体離脱の仕組み の科学的検証みたいな番組でした。

まず、互いに面識の無い被験者数名と被験者に面識の無い催眠術師一名用意。
一度も行ったことの無いホテルの部屋、2部屋用意する。
その一部屋に、赤外線センサー付き電球、サーモグラフィー(画面で視覚的に
部屋の温度が監視可能)、無人ビデオカメラを設置し、その部屋を施錠。
もちろん、無人業態で施錠です。

さて、他方の部屋で何人かに催眠術師が催眠を掛け、最も掛かったと思われる
被験者一名に、意識を?幽体離脱させるよう語りかけ、施錠された部屋に行く
よう促す。その部屋に何があるか答えさせる為です。
実は、その部屋にはテーブルがあり、その上に「サッカーボール」が置いてある
のです。
 そのうちに、センサーが反応?照明がつく(この部屋はもともと照明がついて
いて明るい)でも、カメラには何も写らない。(当たり前)
だんだんと、被験者がテーブル上の物体を言い表わし、当ててしまう。
その瞬間、サーモグラフィー反応、(誰かがいるかのような)温度上昇。
カメラには何も写らない。
 催眠を解くとサーモグラフィーが正常に戻る。サーモグラフィー技師の
コメント。 原因は現在検証中。追って報告する! で終了・・・・。

 おいおい、追って報告する かよ。この結果は、怪しい宗教団体に
利用されるかもしれんナ。と思った。霊魂や輪廻も証明?されてしまう
かも。でも、実験場所が反日感情がある韓国であること(催眠術師が
韓国人のため)、スッタフのヤラセも十分考えられる。以上です
111名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 09:37:46 ID:iwq3qXm/
さらしあげ
112名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 11:06:36 ID:V4H51d97
悟りの仮定については、小説だけど
夢枕獏氏の「涅槃の王」が面白いよ。
主人公のゴータマシッダールタが悟りの境地に至る様子を克明に
描いている。
実に良い出来の小説だ。
113探求者:2006/04/10(月) 11:27:24 ID:48tq4n/+
そういえば、もう誰もサイババの話をしなくなりましたね
彼が物質化して取出して見せたあれ、手品なだった、てネタバレしたけど
サイババを日本で一躍有名にした、青山さんはまだ医大の麻酔科医してる
のかな?どなたかご存知の方いらしゃいませんか・・・・
114Z:2006/04/10(月) 12:23:59 ID:IxJjavrr
>>109
これは宗教とか内面の問題でなく、
(性悪説の立場にたって不正・汚職・公私混同防止の機能を構築すべきだという)
社会組織論の問題じゃないかな。

「地位や金は人を狂わす」という言葉は確かにある。
貧しかった頃はいい人で皆に好かれていたのに、目もくらむような大金を
手にしてから、人が変わった、冷たい人になった・・・というよく言われるパターン。
オレはこの言葉を信じていない。
「地位や金は人を狂わす」のではなく、人はもとから狂っているのだ。
地位や金によって心のタガがはずれてエゴが表出しただけで、
エゴは社会的地位とは関係なく貧しかろうが富んでいようが存在する。
むしろタガがはずれたその役人の上司こそ現実の人間の姿で
貧しい人のエゴは抑圧されて隠れているだけではないかと。
だから内的ワーク・精神的向上・霊性の開発と社会的地位のランクは
関係ないと思う(社会的地位の高くないオレとしては、自分で書いていて
イヤになる意見だけど)
115Z:2006/04/10(月) 12:32:08 ID:IxJjavrr
>>110
オデッサさん、詳細なレポートありがとうございました。
大変、興味ある実験ですね。
しかし、どんなにスゴイ霊能者も100発100中というわけにはいかないでしょうね。
そうだとしたら、いろいろな組織がそれを利用しようと陰謀・利害がうごめくでしょうし。
サーモグラフィー反応はちょっと疑問かな。幽体反応(そんな言葉あるか知らないが)
があるとしたら、この世に霊がたくさんさまよっている場合、反応しまくりだと思うので。
ちょっとトピずれだけど、完璧に幽体離脱ができる人がいると困ってしまいますがな。
特に女性の方は、部屋に忍び込まれることを想像すると着替えることもシャワーも浴びれませんねw
116:2006/04/10(月) 14:52:21 ID:/r7g8Ebx
はじめまして!
少し勉強させてください。
ただ、ここ一年近く、なんだか騒がしく「急げ急げ」と、はやし立てられています。
しかし悪魔化している現実に「遅い」とも感じています。
ただ、生まれてくるときの第一義的霊的命令を少しでも果たせればと思っています。
みなさんは、こんなざわざわ感どうしてますか?
どうにかしょうとしてもできない事は、わかっているんですが、何かを変えられればとも思うのですが、
ただの気負いに、なりいけないのでしょうか?




11741:2006/04/10(月) 15:44:33 ID:g/OQV4JE
>>114

なるほど。一理も二理もありますね。
しかし、エゴというのはガンのように「増長する」ものだと私は考えているのです。
だから、貧しいだけで一生を終わった人は、持って生まれたエゴの分だけで
済む。一方で、富や名誉を積極的に求める人は、それを手にする度にますます
エゴを増長させていく。

釈迦もそのように言っていますね。欲望は充足すればするほど増すと。
11841:2006/04/10(月) 16:08:59 ID:g/OQV4JE
>>116

>何かを変えられればとも思うのですが

他人や社会を変えることはできないと思います。できるのは、自分の考えを
変えることだけ。それに、自力でやろうとすると、たとえうまく行っても、
かえってエゴを増長させてしまって逆効果になると思いますよ。
119:2006/04/10(月) 17:16:35 ID:/r7g8Ebx
>>118
ありがとうございます。
確かに、自力でやろうとして周りがすごいエゴの塊に見え出して凹んでしまいました。
そうですよね、エゴを増長させて自分自信も悪魔化するんですかね。
先生と呼ばれる人たちを沢山見てきましたが最後はみんな悪魔化してました。でも本人達は
気づいていない。すごく悲しいし、さびしいです。
しかし、これはこれでその人たち本人が気づくまでは何もできないんですね。
私自身も、答えを出されても「自分が失敗しないとわからないから」と反発したことを、
思い出しました。
でも、なんとなくそれではさびしい世の中のような気もします。
気づかず進む人が多すぎるというか・・・
ひたすら自分自身を知って自分を磨くですかね?

120名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 17:23:05 ID:ml3yu+/U
その通り。
121名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 17:36:17 ID:iwq3qXm/
特命リサーチ200X年のポイントになるシーンです。
見てみてください。幽体離脱の科学を解説しています。

http://mywebpage.netscape.com/qookoo1/street02.wmv
12241:2006/04/10(月) 17:43:30 ID:g/OQV4JE
>>119

>その人たち本人が気づくまでは何もできないんですね。

これだけは、いかんともし難いと思います。人生で不合理にぶち当たって、
立ち止まって考える機会を与えられた幸運な人だけが気づくのですから。
自分自身を振り返ってみてもそうです。当時は「何で自分だけがこんなに不幸
なのか」と運命を呪いましたが。

>ひたすら自分自身を知って自分を磨くですかね?

磨くという言葉には自力のにおいが残っているので、私は好きではありません。
それに、磨いて光りだすものでもないと思います。
12341:2006/04/10(月) 17:45:58 ID:g/OQV4JE
あっ、やられた >121
エログロ注意報発令!
124名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 18:04:02 ID:ml3yu+/U
自己を見つめるしかありません。
125オデッサ:2006/04/10(月) 18:07:04 ID:NVczil3b
ご指摘ありがとうございます。
仏教関係の書籍で調べてみたところ、私の書き込みが違った
ようです。当時贅沢な生活をしていたシダルタは、路上に今
にも死にそうな老人や死者を目の当たりにして・・・・と、
いうことのようです。
 紀元前500年頃のインドは、大小の国々があり武力的な
闘争等があったのかもしれません。(私の想像です)
釈迦族の長の子として生まれてきているので、武力・政治的
駆け引きに嫌気がさした可能性もありそうです。
 
調べているうちに、仏教思想の「無我」思想に行き当たりま
した。釈迦は、自我は否定したが(無我)「自己」
は積極的に肯定したそうです。傲慢さやエゴを排除した自己
の追求で、結果的に自分や会社、社会が良い方向に進むこと
ができたとしたら実社会との溝が埋まるのかもしれません。
私の過去の書き込みに、自我と自己との混同があったようで
す。
126名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 18:50:06 ID:ml3yu+/U
風と同じじゃないかww
127名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 19:23:41 ID:GJa27G+u
自分は宗教や神秘の世界について殆ど知識はありません。
あるのは自分の経験だけです。いろんなことがありました。
「神」なる存在はあるとなぜか確信できます。
導かれて今ここに在ると思えます。そしてありがたいと思います。
どこから「ありがたい」という感情が湧くのかもわかりません。

自分の周囲、家族に神を見ます。ペットにも神を見ます。
自分自身も神の分身?一部?であり、同じように家族も神であり
見える姿が違うだけのような気がします。
私が無知だから見える形で「私は存在するよ」と教えてくれているのだと。
神の力に包まれている自分は何と幸せなのだろうとなぜか思えます。
12841:2006/04/10(月) 19:28:34 ID:g/OQV4JE
>>125

自我=アートマンの否定ですね。ヒンズー教(釈迦時代のバラモン教)では、
アートマンという「霊みたいなもの」があって、それが肉体をまとってこの世に
生まれてくると信じていました。輪廻転生する主体があるということです。
釈迦は、それを否定したと広く信じられています。

ところが、釈迦の主張をよく読みなおすと、否定しているわけではなくて
「ノーコメント」なのです。「私は来世にどうなるかということには答えない」
と言っているだけです。また、「常見」(アートマンがあるという説)も、
「断見」(アートマンなどなく、人間は死ねば終わりという説)も、ともに
外道として退けています。

これは私見ですが、釈迦は「アートマンにこだわるな」ということを言いた
かったのではないでしょうか。アートマンがあると言えば、善行を積んで来世
にはいい目をしたい、とエゴを積み、逆にアートマンがないと言えば、この世
限りならば精一杯好きなことをしたいとやはりエゴを積む。

道元さんの受け売りになりますが、「生きている時は生だけ、死んだ時は死だけ
に徹すればよい」、現世に居ながら、来世の損得を考えていると鬼が笑うよ、
というのが釈迦の本来の考え方に近いのじゃないでしょうか。
12941:2006/04/10(月) 19:37:32 ID:g/OQV4JE
>>127

人間がエゴにこだわる根本原因は、そういう風に「武装」しないと生きていけない
という恐怖があるからだと思います。世界が自分を「敵視している」という価値観
です。現代はほとんどの人がそういう価値観を持っているから、いがみ合いが起こり、
競争に負けまいとますますエゴに走ります。

>神の力に包まれている自分は何と幸せなのだろうとなぜか思えます。

神から生かされていることを「実感」すれば、エゴの出る幕はありませんよね。
私はイエスの「天の父は善人にも悪人にも太陽の光をそそぎ、 正しい人にも
正しくない人にも雨を降らせて下さる」という言葉が大好きです。
130127:2006/04/10(月) 19:54:14 ID:17rqs0QC
>>41さん
レスありがとうございました。このスレッドを見つけたのも
こうして書き込みをしているのも全て導きだと思っています。
いろいろ勉強させていただきます。
13141:2006/04/10(月) 20:35:05 ID:rG/uJssD
>>127

いや、私こそ127さんがうらやましいです。
私はまだまだそこまで吹っ切れていないので。
お陰で、悩んでいたことから久しぶりに解放された気分を味わいました。
感謝です!
132五行:2006/04/10(月) 20:44:07 ID:XCA+XBJ0
>>131

>41さん

>お陰で、悩んでいたことから久しぶりに解放された気分を味わいました。
感謝です!

よかったですね。 ほっ。。
133127:2006/04/10(月) 21:44:14 ID:17rqs0QC
つまらない私事ですが、家族と夕食を共にしました。
私は平凡な主婦、できることは家族が健康で美味しいと思える料理を
作ることくらいしかできません。
夫は私の料理を口にし、「こんなに近くに天国があったのか〜」と
言いました。
彼もまた難しいことは知りませんが、その言葉は神の言葉のように
感じられ、ただの夕食も喜びに感じられました。天国は身近にあるようです。
134オデッサ:2006/04/10(月) 23:47:44 ID:NVczil3b
>>126
>風と同じじゃないかww

私に対してでしょうか? 久しぶりに読んだ書籍中に、参考になりそうな
ことが記されていたので書きました。これは、考え方として理解したので
あって、根本的原理には影響しませんね。そもそも、私は無我に到達でき
るほど徳がありそうに無いです(ww
>>128
 とうとうアートマンも出てきましたか。釈迦がアートマンの議論を避け
たもう一つの理由に、実際に目で見ることが出来ない存在なのだからだそ
うです。
 以下、独り言(昨日の特命リサーチで見えた物は、アートマンか?と
驚いてしまった。まあ、壮大な釣ってことで、、でなけれは、神への挑
戦ですね)俺もブラフマンの所へ送り届けてほしい。隣の部屋じゃなくwww

135フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 00:37:54 ID:WSnQm5VP
>>127
なるほど、そういう体験をお持ちなんですね。
私は、今の段階では、精神世界の苦い世界をスレから見ていますが、
神の素晴らしい体験もまた、段階であり、
甘い体験に酔うことなく、段階として、
留まることなく、進まれることを願っています。

136フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 01:07:25 ID:WSnQm5VP
>>129
うーん、反対意見で申し訳ないのですが、神に生かされているという感覚は、あまりおすすめできないかな。

神と分離した状態を作るのか、
自分を主体に物事を生み出すか、で、体験はかなり、変貌を遂げる可能性があります。
受け身の体験か、そうでないかは大きいですね。

エゴについては、健在です。┐(´ー`)┌
137フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 01:19:13 ID:WSnQm5VP
もっとも、自分はエゴを含めた、人であって、
自分は神であるという考えや主張には否定的です。
人である以上、どうしてもエゴの弊害も見逃せないのです。
138名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 07:47:58 ID:gmlptE6R
>>134
いや、話の筋からすると、お釈迦様がってことだと思うな。
139名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 10:53:38 ID:lFxHBEXC
時代は完全な錯誤に陥ってると思いますね。
さかんに心を見つめよ、自分を見つめよ、などという自己欺瞞の
風潮が昔からありますが、それは醜い現実を非現実的ものに
しようという愚かな時代の流れです。宗教とはその典型例です。
サイケの時代はもう終わりましたよ。
140フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 12:01:04 ID:WSnQm5VP
>>139
かと言って、ただ、自分の心も見つめずに、
ただ生きているのも、やっぱり無理だったりしますね。
日常の生活の中で、自分は無視できないんですよね。
否応なく、内面に向かう力があって、
歩みを止められないのです。
常に内に向かうものが流れとしてあると難しくなりますね。
宗教については、それをどうしたいのかが鍵だと思えますが、
自分の染み付いたものを思えば簡単ではないでしょう。

暮らしに根付いた、宗教儀礼や習慣など、簡単に一蹴できない思いがありますし。

141Z:2006/04/11(火) 12:32:46 ID:CJYkjXZP
>>119
>その人たち本人が気づくまでは何もできないんですね。

その人たちの中には我々も含まれていると思う。
私たちも別の人たちから同じように見られているというか。
人のエゴはよく見えても自分のエゴはなかなか気がつかないし、
見たくないよね、そもそも、私なんかは。書いててつらいな。
14241:2006/04/11(火) 13:06:26 ID:qaiNK3pE
>>141

>人のエゴはよく見えても自分のエゴはなかなか気がつかないし、
>見たくないよね

私の場合には、エゴの鼻っ柱を叩き折られるような経験をしました。
(抽象的な表現ですみませんが、実情を話すわけにはいけないので...)
他の人にも、そういうことが起こるかどうかはわからないですけど。
とにかく、自分が描いていた人生の方向とは、針が逆周りになるような「神から
のイジメ」に遭いました。それがなかったら、私も気づかなかったと思います。
143名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 13:51:59 ID:9gP6DnTC
>>141 >>142
エゴへの自覚も否定的な感情も、人生(生命、魂)にとって、
決してマイナスな要素ではありませんよ。っーか、そう信じています。
現に、>>41さんは、「神のいじめ」のおかげで気づけたんですよね?
それは、いじめではありませんね。

エゴにしろ、否定的な感情にしろ、宗教や神にしろ、
自分の目的に対して利用できるのなら、それは有り難い出来事になります。
実は、世の中には、目的に利用できない出来事などないんですよ。

感情が沸き、経験を選択し、その経験を元に信念を創り上げ、その信念が感情を創る。
んじゃ、最初の感情はどこから来るんですか?ってこと。
内なる神に気づくとは、この感情を見つめ、自分を理解し、始めが信念になること。
信念をパワフルなエンジンにする為には、目標、目的が必要です。

自分自身を見つめる。  簡単な事ですが、してない人が多い。
理由は、自分のすべてを理解したなら、自分のすべてに責任が生じるから。
144名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 13:53:33 ID:lFxHBEXC
>>140
自分の心をみつめるだけならいいですよ。
そこで神とか言い出すと終わってますね。
喜怒哀楽に理由づけをしてると鈍感な心のできあがりです。
145名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 13:56:24 ID:lFxHBEXC
問題は、本人が鈍感であることに気づかなくなってしまうことなのですね。
自分さえ良ければ良い。自分の真理は自分の真理などと愚かなことを言い出すのです。
146名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 13:58:45 ID:9gP6DnTC
>>144
他人の表現を否定できるほど、あなたは偉い人なの? 何様なの?
あなたの終わりは、他者の始まりかもしれないでしょ?

あなたのその、ちっちゃな価値観で世界を判断しない方がいいですよ。
147名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:06:41 ID:lFxHBEXC
>>146
批判・否定するのに偉いも卑しいも資格など必要ありませんよ。
あなたは、おっきな事なかれ主義という価値観でやってゆけばよいのです。

どうもこのスレには、前スレからそうですが、否定しないことを美化し
批判や非難をマイナスイメージでしか捉えられないちっちゃな価値観の
持ち主がおられるようですね。
148名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:10:45 ID:lFxHBEXC
こう捉えてみるのはどうですか?

私の言葉を他人の言葉と思わなければ良いのです。
あなた自身の言葉だと思うのです。
149名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:15:03 ID:liZgqQLY
>>147
>あなたは、おっきな事なかれ主義という価値観でやってゆけばよいのです。
あなたは、私の親?上司?先生? なに押し付けてんの?

批判や非難の内容の問題ですよ。
神を肯定している人達は、何らかの信念を書き込んでいるが、
あなたの場合、否定、批判、非難のみでしょ?
あなたは、神を否定することで、どんな素晴らしい生活を送ってるんですか?

あなたのその、ちっちゃな価値観で世界を判断しない方がいいですよ。

150名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:26:33 ID:lFxHBEXC
>>149
あなたに説明する必要がありますか?
「風」という方と同じ論理を使わせていただきますね。

神の探索は愚行ですね。風という方がおっしゃられていた
ように「心を止める」つまり、思考停止の行為です。
宗教とはそういうものなのですね。辛い感情を鈍らせ
ぬくぬくと平和の壁の内側で自己欺瞞しているのです。

私は押し付けてなどしていませんよ。あなたの考え方を
おっきな事なかれ主義と呼んだにすぎません。
事なかれ主義が嫌ならしなければ良いだけの話ではないですか?
それとも押し付けを拒否できないほどあなたは思考停止しているのですか?
151名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:28:36 ID:lFxHBEXC
神を求めていると、被害妄想の傾向が強まるのでしょうか。
実に哀れなことです。
152名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:29:08 ID:liZgqQLY
>>148
あなたの言葉は、幼稚すぎますよ。
とても、自分の言葉だと捉えることはできません。
153名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:30:49 ID:lFxHBEXC
しかし、残念ながらあなたと同じ人間の言葉なのですね。
神を考えることが高尚でレベルの高いことだと妄信しているために
「幼稚」などという価値判断が生まれるのですね。愚かなことです。
154名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:38:19 ID:liZgqQLY
>>151
あなたは、私を哀れと言い、私はあなたを気の毒に思う。 同じですね。
神を信じても、信じなくても、そんなに違いはないんですよ。

あなたは、信じない事があなたの人生に役立つんですよね。
それで、問題ありません。 
私は、信じる事で自分の人生が豊かになりました。
それは、あなたに何か不都合ですか?
そんな私を、あなたは、あなたの価値観で判断しないと、気が済みませんか?

私は、思考が停止してませんし、現実から逃避もしてません。 自己欺瞞もね。
あなたのその、ちっちゃな価値観で世界を判断しない方がいいですよ。

155名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:39:52 ID:lFxHBEXC
>神を肯定している人達は、何らかの信念を書き込んでいるが、

何かの信念で書き込む、実に自己欺瞞的な理由づけですね。
もっともらしく神を表現して満足し合うことがそれほど気持ち良いのでしょうか?
肯定も否定もまじめくさる必要などないのですよ。
無論、そのための資格も必要ありません。神を考えることが何かを
生み出していると思うことは、実に浅はかなことなのですね。

その愚行は世界の不均衡を生みこそすれ、何の平和にもつながらないのです。
そろそろ気づく時ですね。
156フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 14:45:07 ID:WSnQm5VP
>>144
今までの事を考え合わせても、
「神」と言う言葉は、逆に否定的に濫用され、
ある意味、タブーになりかねない面が伴うものです。
神というものにうんざりというのも、
当然考えられるでしょう。
言葉を聞いただけで、アレルギーというのもわかります。
本当にどうしたらいいのか、苦い部分ですね。
157名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:45:13 ID:lFxHBEXC
>ちっちゃな価値観で世界を判断しない方がいいですよ。

同じことを繰り返し言う、という宗教患者特有の病状が出ていますよ。
そうやって自分の価値観は広いと自分自身に刷り込んでいるのですね。
自己欺瞞、思考停止、現実逃避があなたの真実です。

判断しないと気がすまないかとのことですが、済まないことはないですね。
ただ、判断してもよいでしょう程度のことです。何も不都合はありませんよ。
158名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:48:27 ID:liZgqQLY
>>155
もっと世界を学んだ方がいいよ。 恥ずかしいから。。
貧富の差、暴力、権力、底なしの欲望、優越主義など、
平和の邪魔をしているのは、神ではありませんから。

人を殺す武器は、神の為に作られてると思ってるんですか?
あなたのその、ちっちゃな価値観で世界を判断しない方がいいですよ。

159名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:54:10 ID:ViPgiNP+
ID:lFxHBEXCさんには、それなりのお考え、信念がおありなのでしょう。
宗教的態度に否定的なのは結構ですが、その考えを他人にぶつけ
他人を否定する、その目的は何なのでしょう。
160フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 14:54:50 ID:WSnQm5VP
>>145
これは、私も含めてですが、常に自分を遮る霧があり、歩いているようなものです。
だから、言葉をかけてくれるのはありがたい事で、
自分の陥りやすい点をはっきり分かるという点でも、
外からの視点は必要と感じます。
161名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:54:56 ID:liZgqQLY
ここのスレタイ、理解してますか?
私は、どこの宗教にも属していませんよ。
否定するのではなく、受け入れてみてはどうですか?

神を信じる事で、幸せに成れる人もいるんだ。と。

あなたは、あなたの信念を貫けば良い。 何も問題ありませんよ。
ただ、あなたの信念に、他人を巻き込まないでと、言ってるんです。
あなたの信念を元にした価値観で、他人にレッテルを貼るな。とね。

あなたのその、ちっちゃな価値観で世界を判断しない方がいいですよ。

162名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:55:38 ID:lFxHBEXC
>>156
そのパラドックスは永遠続けるのでしょうね。
その「神」は、その言葉さえも唯一無二の存在で変えられない
とでもいわんばかりに皆「神」を語ります。神によって人を殺し、
神によって自殺までし、あらゆる犯罪を神の名の下に犯し、
それでも「神」は清いものにしておきたい、理想化しておきたい
のでしょう。宗教とて同じことです。カトリックは過去の宗教戦争
を謝りこそすれ、決してその血塗られた信仰を捨てることはしません。

このスレは宗教はいらないとのことですが、結局は同じことです。
先人の教えも宗教も個人的な思索から始まっているのですから。
163名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 14:59:09 ID:lFxHBEXC
>>161
愚かですね。

スレタイを承知で否定しているのですね。
それとも、神肯定の人間だけで皆が同じ方向を向くことを
良しとするべきだということでしょうか?
まさに思考停止ではないでしょうか。武器さえ持たなければ
皆が神を万歳することがそれほど重要なのですか?
ナチスと変わりませんね。
164名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:00:35 ID:liZgqQLY
>>162
>>143を見て下さい。
あなたは、宗教が語ってる『神』を語ってますね。
私は、自分の中に存在する『神』を語っています。

これは、同じではないんですよ。
165名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:01:50 ID:lFxHBEXC
事なかれ主義が好きな方は、その価値観でやってゆけば良いのではないでしょうか。
166名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:03:11 ID:lFxHBEXC
>>164
>>162を見て下さい。

これは、結局同じなのですよ。
167名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:04:42 ID:ViPgiNP+
個人の思索まで否定するなら、心を捨てろというのと同じことです。

あなたの言うこともわかりますが、それは神が利用された歴史です。
宗教はしばしば、思想教育、マインドコントロールに利用されてきました。
現在進行形のところもたくさんあるでしょう。
だからといって、一面だけを見て全てを判断するのはおろかなことです。

包丁が幾多の殺人や障害に使われてきた、だから包丁はいけない
というのと同じ過ちです。
168名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:04:56 ID:lFxHBEXC
あるのは、神の理想化と自己欺瞞と集団妄想のループなのです。
これが見えない方は愚かですね。
169名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:06:56 ID:lFxHBEXC
思索を否定はしていませんよ。
独りでやれば良いのではないでしょうか。
他人に神を語って自分の中の神を強化する愚行は浅はかすぎますね。
170名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:09:18 ID:lFxHBEXC
そのなれの果てがID:liZgqQLYのような方でしょうね。

自分のおっきな価値観という幻につかれた宗教患者の出来上がりです。
171名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:10:23 ID:lFxHBEXC
ちなみに、わたしの価値観はおっしゃるとおりちっちゃな価値観です。
人間ですから。人間はちっちゃな価値観でおっきな世界を否定・批判するのです。
172名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:12:04 ID:ViPgiNP+
ID:lFxHBEXCさん あなたの考えはわかりましたので
>>159の質問に答えてはもらえませんか。
173フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 15:12:15 ID:WSnQm5VP
ただ、内なる神、あるいは、愛だとか、命だとか、
表現に関しては、足りないきらいがあり、
宗教としての神か、内面の神性としての神か、一文字では難しい面があると言えます。
神性の発現としての内なる神にしても、常に二面性が伴いますから、簡単ではないでしょう。
174名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:12:59 ID:lFxHBEXC
しかし>>161の方は面白いですね。

あなたこそ私を否定するのではなく、おっきな価値観で受け入れてみてはどうですか?
器がちっさくて入らないなら仕方ありませんが。
175名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:14:36 ID:lFxHBEXC
>>172
その、何でも言葉で説明し納得しようという癖を見直された方が良いと思いますね。
したがって、答えることはしません。
17641:2006/04/11(火) 15:15:24 ID:qaiNK3pE
>lFxHBEXCさん

私が「神」と求めたのは、苦しい体験からやむなくです。
だから、私は「神」なしでは生き延びられなかったし、今もそうです。
もし、それを「人間が弱い」とあなたが批判されるならば、喜んでお受け
します。

たとえ自己欺瞞であっても、この世の中の醜い部分だけを現実と認めて
行き続けることは地獄です。私は、「神」という名の「善意」の存在を
信じて生きていきます。それ以外の「救い」はないと確信しているから。
177名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:18:11 ID:lFxHBEXC
ひとつ疑問を投げておきましょう。

なぜあなたがたは「神」を否定されると、自分が否定された気になるのですか?
その時点で、集団妄想であり自己欺瞞です。

見てください。私は最初>>140にレスをしたのです。
そこに現れた被害妄想が>>146なのですね。
178名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:20:59 ID:ViPgiNP+
>>175
ここは、言葉以外の方法ではコミュニケート不可能な場です。
あなたの言っていることは支離滅裂です。

>したがって、答えることはしません。
では、その目的を「煽り」と解釈させてもらいます。
つまり一種の「荒らし」。

そうでないというのなら、>>159の質問に真摯に答えてください。
179名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:21:56 ID:lFxHBEXC
どう解釈していただいてもよろしいですよ。

「風」という方と同じ論理を使わせていただいているとすでに述べましたから。
180名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:22:49 ID:lFxHBEXC
しかし、面白いですね。過去において私が風という方にした反論と
同じタイプの反論が>>178でかえってくるのは。
181名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:25:46 ID:ViPgiNP+
みなさん、ID:lFxHBEXC は荒らし認定です。
以後、レスをつけないようにしましょう。
つい釣られてムカッときてレスつけた方も荒らしと同罪です。
荒らしは無視されるのが一番ダメージを受けるのです。
182無所属な旅人 ◆TripFe2LDA :2006/04/11(火) 15:30:06 ID:13wL2Vgm
うーん…神をどう捉えてるかですかねぇ…。
開きが在るのは判るけど…。

風さんが説こうとしていた形の神であれば否定すると
自己や世界を否定することですよねぇ。
(捉え方と表現は一部置いて。)

宗教団体が示しきれなかった偶像であれば足りなさの指摘ですよね。
その足りなさはエゴでしょうから、その問い詰めになるのかなぁ…。
183フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 15:40:51 ID:WSnQm5VP
>>182 無所属な旅人さん

神という捉え方にしても、
幻想を抱えた神か、
神の一文字にもならない形態的な神かでも違いますし、難しいです。
184名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 15:45:18 ID:ViPgiNP+
私思うに、神は直感的に感じる以外に、その存在を知ることはできないのではないでしょうか。
観念的な存在にとどまれば、空想・妄想と同じレベルになってしまう。
185フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 15:56:37 ID:WSnQm5VP
感じる世界というのは、わかります。
ただ、感じる世界は、胡散臭いと思われる世界です。
また、感じることに振り回されかねない世界であり、
内にこもりやすい傾向もあります。

それを頭に入れた上で、人の言葉を参考にして進むのは、必要な事だと思えます。
反対意見や、リアル方向の人の意見は、リアルに戻すブレーキとして、大切に思っています。
186名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 16:27:46 ID:CLSXtYn1
ID:lFxHBEXC の発言はアラシでは無いと思いますよ。
誰でも書き込める公共の場所で自分と違う意見を言われたからと
言って、アラシと認定するのはあまりにも幼稚ですね。
頭から否定するのではなく、相手の意見も聞く心も持てない人の
内に存在する神など、価値の無いものと思いますが。。。
187無所属な旅人 ◆TripFe2LDA :2006/04/11(火) 17:41:39 ID:13wL2Vgm
神のその形は一応の説明をそれぞれがつけていて、
其れを互いに同じとできないところから幻想になるのではと思うのですよね。
もちろん、其れが唯一だから説明が要らないとするのも幻想や空想を生み出します。

感じることが出来る・知ることが出来る範囲をきちんと分離し、
どの程度知っているか、また、知らないことを知らないと出来るかが、
この世界の表現と理解を進める為には必要かと思うのです。

表現できるのは、一定以上知っている世界におけることで、
それ以上の靄の在る状態のものは暫く個の世界で堪能するほうが
良いとも思うのです。

この程度も、それぞれの理解とそれに向き合う姿勢の相対によりますが…。

感じるという感覚からの歩は繋がりと基盤を
どのようにするかがポイントになる気がします。
接触したときの確からしさを再現できるようになるまでは
複数回トライしたほうが良いのではと思うのです。

乱文ですがとりあえず…。
188名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 17:50:59 ID:fomNfx4p
長らく読んでいませんでしたが、読まさせていただきました。
41さんの129で書かれた神に生かされているは私が言いたい事そのものです。
私はキリスト教徒(あまり教会には通っていないが)ですが、
聖書をそのまま解釈するとキリストの伝えたい事がわかりずらくなると思います。
たとえば、旧約聖書では、歴史書とか伝説を書いたものです。
神は太陽を東から昇らせるようにした。とかアブラハムは1000歳まで生きたとか、実際の所それは間違いか解釈の問題です。
新約聖書でもキリストが起こした奇跡のひとつのパンを何万人で食べみな満腹となり、水をワインに替えた。
キリストはお金持ちが天国に行ける可能性はらくだが針の穴を通れるよりも小さい。とかこれも解釈の問題でそのままとらえると大変な事になります。
アブラハムが1000歳まで生きたのはアブラハムという名を次の世代に受け継いでいたからです。
パンを何万人で食べみな満腹となり、水をワインに替えた。ですが、皆で旅をする時、自分が食べ物に困らぬよう食べ物をかくし持っているものです。
それをイエスが皆で食べようと言われたので皆が食べ物を出し皆満腹となったのです。
水をワインに替えたのは当時ヨーロッパの水はとても悪いのでワインを殺菌剤として水に混ぜていたのです。
当時奴隷ですら、ワインを水で薄めているという時代背景を知ってください。
はお金持ちが天国に行ける可能性はらくだが針の穴を通れるよりも小さい。はまず当時針の穴とは50cmの穴の事です。
らくだなどの家畜を逃がさないため、土塁で囲みます。入り口はらくだの出し入れの時だけ使うので、人間は針の穴という穴を掘り出入りしていたのです。
すなわち、お金持ちは絶対に天国にいけないのではなく、困っている人々のために財産を土塁の中(自分の所有物をおいて)におかないとでられない(天国にいけない)という例え話です。
なぜかはわからないけど昔は奇跡がいっぱい起こっていまは起こっていない。だからキリスト教はペテンだ。
実際の所キリストが奇跡を起こしたかどうかはたいした問題ではないのです。
キリストが私たちに伝えようとした事すなわち聖書が一番伝えたい事を理解する事が大切です。
189名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 17:52:00 ID:CLSXtYn1
lFxHBEXCって、どうせ「風」でしょ?
>>99で、「私はここを去る。 次のステップが待っている。」とか
カッコつけて言ったのに誰からもレスもらえなかったから、
寂しくって帰ってきちゃったんでしょ?
いいよ!どんどん書きな!!
190名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 18:05:18 ID:lFxHBEXC
しかし、ひどい話ですね。
神や宗教が悪いように利用されていることを承知の上で神を語るとは。
どこまで理想主義者、楽観論者、事なかれ主義者なのでしょうか。

集団としての宗教の神も、個人の神も結局、始まりも終わりも同じなのです。

そもそも個人の中にある神、と言うのならば、語り合う必要などないでしょう。
このスレの存在意義自体破綻しているのですよ。結局は、他力本願
ということですね。他人の言葉によって自分の中の何かを神と呼んで
いたいのです。それは神以外のものでは困るのですね。人それぞれ
バラバラでは共感による安堵感が得られないために。結局本質は
集団妄想に帰結するのです。「神」という言葉にすがっているのですね。
執着であり現実逃避であり自己欺瞞なのですね。性質が悪いのはそれを
意識的に追求するあまり意識も無意識も見境がつかなくなっているのです。

>>189
まさか。愚かな教祖気取りと一緒にされたら困りますね。
そういう解釈も面白いのでありだとは思いますが。
所詮、私は名無しですから。風のように2ちゃんねるで名前に執着はないですね。
191名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 18:06:45 ID:lFxHBEXC
結局は、自分の内に存在する神とやらも、外で「神」という言葉に執着して
共有できなければ不安でたまらないのでしょう。それが宗教の本質ですよ。
192ガストリア:2006/04/11(火) 18:17:11 ID:fomNfx4p
188はガストリアです。
キリストが伝えようとしていた事は本質的には愛こそが究極の価値観だ。という事です。
私たちは必ず何かの糧を得て生きています。例えば魚は私の犠牲となり、すなわち私のためにつくしてくれている。と考えられます。
もっと大きな枠では地球、太陽、宇宙も私のために環境を整えてくださっています。
これを愛と詠んでいます。私のようなちっぽけな存在でも愛は包み込んでくれています。
そして愛の事を神といっています。すると宇宙も地球も魚も愛を持っているので、神が宿っているとなります。
自分の内に神は存在する。なら、自分を大事にしようとする心です。
そしてその神の愛を受けている私は神に大切にされているという自信(セルフエスティーモ)を持って生きていって欲しいという願いをキリストは持っています。
キリストは生きている内から神の国(天国)にいけるといっています。それはセルフエスティーモを持って生きている状態の事です。
セルフエスティーモという英語が存在するのは、外国ではその考えが浸透しているという事になります。
釈迦の慈悲はキリストの愛とほとんど同じ意味です。
釈迦はある僧が天国がどんな所か尋ねると、そんな事より今の事を考えよ。といったそうです。
私はキリストも釈迦も同じ事に気づいたんだ。と思っています。
193名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 18:24:31 ID:CLSXtYn1
「宗教はいらない。自分の内に神は存在する 」
内なる神の説明にキリストとか釈迦使うんだったら、
神様って必要なんでないの?
19441:2006/04/11(火) 18:25:22 ID:qaiNK3pE
昔、小学校の教科書で習った詩です。

心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。

この「太陽」を「神」と読み替えても、あるいは「希望」と読み替えても
変わりはないでしょう。「現実は冷酷である。それを直視せよ。」と強いる
ことは、「神」だけでなく「希望」も捨てよ、と主張しているのと同じでは
ありませんか。

「心の太陽」も「神」も目に見えないし、「心に太陽があってたまるか」という
価値観の人には永遠にわからない概念でしょう。求める人は求めるが、
わからない人にはわからない。

この詩だって、私が小学校で習った頃には何も感じることはありませんでした。
世の中に出て、冷酷な人々や無情な仕打ちを受けて、絶望を感じるようになって
から、初めて意味がわかったような気がします。そして、つくづく「人生を満喫
する人は神を求めない」というのは真理だと思う。
195名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 18:37:21 ID:CLSXtYn1
神って、人を救うだけの存在なの?その人を罰したり試練を与えたりする
もんじゃないの?
神と希望は同義語?
196名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 18:39:21 ID:CLSXtYn1
ヤバイ。だんだんアラシのようになってきてしまった。
大人しくしよう。
197フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 18:49:51 ID:WSnQm5VP
>>195
難しいのですが、私の体感では、神は人の性質とは違うもので、人間的ではないようです。
生命を推し進めるエネルギーや力と考えても構いません。

人を前に後押しするサポーターというのもよいかも。

19841:2006/04/11(火) 18:51:02 ID:qaiNK3pE
>>196

私自身、「神」を知っているのではないので...。
しかし、苦しんだり、絶望している人が求める「神」は、「希望」と同じ
だと思います。罰っしたり試練を与えたりする「神」は、受け止める側の
人間の視点が違うのじゃないでしょうか。

少なくとも私には、イエスが言う
「天国は貧しい者、病める者、不幸な者のためにある」
というのに共感できますし、仮に「神のイジメ」があったとしても、その鞭
を振るう時に、容赦ない執行人のようではなく、慈愛の涙を隠すような「神」
であることを望みます。
199アールグレイなTAO:2006/04/11(火) 18:55:47 ID:EA79RI5l
そもそも

(1)この世、あるいあの世に意味があり、これを動かしている存在があるのか、
どうか、という超「宗教」的な、視点。
つまり経綸のようなものが、あるのか。
で、それは人格神なのか、法則としての神なのか。
あるいはそれらを併せ持つものなのか。
こういったものへの関心。

ここらあたりが大事だろうね。

(2)あるいは、世界は、全くランダムに、物質的な法則のままに動いてるのかと。
すなわち、神はいないのか、と。

後者(2)を控除して、残るものは何か。控除したら、残るものがあるのか。

で、それは、あるとすれば、どう客観化されるのか。
20041:2006/04/11(火) 19:00:54 ID:qaiNK3pE
>>197

そうですね。「神」は受け取る側の世界観が反映されてしまうので、十人十色
になるのがむしろ当たり前だと思います。

>私の体感では、神は人の性質とは違うもので、人間的ではないようです。

もちろん、「神」は人間と隔たりがあるから、人間的という枠には当てはまらない
と思います。しかし、大人が幼稚園児に話しかける時に、身をかがめて視線を合わせ、
言葉使いをやさしくするように、「神」が人間に「語りかける」時には、人間性を
身にまとうと思います。それを一言で言えば、イエスが使った「アッバー」(アラム語
の方言でお父ちゃん)ではないのでしょうか。

「神」が人間と全く接点がないわけではなく、例えれば「お父ちゃん」のように
身近だし、話も結構わかるんだという視点は、非常に重要だと思います。
ただし、これを「神は愛である」と表現してしまうと、あまりにも安っぽくなって
しまうので私は嫌ですが。むしろ、人間が「神」を理解する時には、「愛」という
感情を通じてしかない、と言うべきでしょう。
201アールグレイなTAO:2006/04/11(火) 19:02:38 ID:EA79RI5l
自分にとっては、低い方から、高い方を、そっと覗き見るしかできない。

1から5まで段階があって、1を最上とするなら、自分は4と5の間を
かいま見たとする。

4から5のゾーンに働いている法則性。
なら、3か4のゾーンは、体験出来ないので、推定するしかない。
推定を反証で覆しながらも、おおむねこうかな、とそうぞうするしかない。

1は及びもつかない。
何かはあるのかなと、いう、わずかにそのことを推定するのみだ。

で、近代史なんぞを考えたりするのも、推定の材料になる。

人は、どのような方向へ進んでいるのだろう。
その推移の似姿を、トレーシングペーパーで写し取る。
相似形なのか。
破線なのか
実線なのか。

こうして推定するしかない。
すると、何かがあるのかな、と「思う」。思うだけだが。

直覚できればいいのだが。それは、自分ごときには、簡単ではない。
直覚したと称する、教祖どもが、歴史的に狂気をふりまき過ぎたからだ。

さて、どうするか(笑)。
20241:2006/04/11(火) 19:07:05 ID:qaiNK3pE
>>199

禿同です。
2種類の両極端な世界観が同時に存在している(あるいは、存在を許されている)。
どちらを取るのかは個人に任されている。

ひとつは、全世界が「愛」(こう書くと実に安っぽい!^^;)で連関している世界。
もうひとつは、全世界が「無関心」でバラバラな世界。あるいは、相手を「捕食
する対象」か「危険だから逃げる対象」としか認識できない殺伐とした世界。
203アールグレイなTAO:2006/04/11(火) 19:07:34 ID:EA79RI5l
神霊は、なんとか、分かった。
気のエネルギーや、せいぜいアストラルエネルギーのことで、ある程度の
客観性は得た。

しかし、本質的な「神」は遠い。
絶えざる自己否定と螺旋的上昇が必要なのか。

神と関わるなら、必ず、周囲に客観的な影響でるはず。
神霊次元の低い方では分かった。
しかし、上方では手に負えない。日本の霊的土壌でさえ、あまりに崇高で、
俺見たいのは、はったおされる。

しかし、体験など、何を言うのか。
神との体験。霊的体験ならともかく。
第一原因である、神は、遠い。
俺はありんこ。
204アールグレイなTAO:2006/04/11(火) 19:15:51 ID:EA79RI5l
ありんこのスレッド。Zさん自己宣伝するよ(笑)。

アールグレイで甘美な午睡 4

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1144622282/l50
205ガストリア:2006/04/11(火) 19:21:27 ID:fomNfx4p
しかし宗教を利用して儲けようとしたりする宗教法人は多いものです。
私はカトリックに所属していますが、カトリックのやり方は儀式を重んじてセルフエスティーモをつたえようとしていますが、
同時に黙って信者は教会についてくればいいんだ。という考え方です。
実際の所神父でもセルフエスティーモを知らず、信者を破綻や破滅におとしいれる事はあります。
カトリック教会は日本政府よりも大きな集団であり、非常に腐りやすいものです。
閉鎖した組織は腐敗する。という考え方にもとずきます。
金もものすごく集まっているのでこれもまた腐敗しやすい要素です。
こじきの僧がいますがこれはそれを防ぐためです。
今のカトリック教会はだめだ。と修道院が何度も作られましたが、いつのまにか貴族などから莫大な金をうけて腐敗していきました。
カトリックは昔ゲルマン民族に布教する際、女神像(マリア像)の目からワインの涙を流す仕掛けをほどこし、ここぞという時に神父が仕掛けを作動させていました。
これは後にビザンツ帝国がイスラムを見習い、像を作るのを禁止するように伝えましたが、これをやめるわけにはいかなかったのです。
そしてギリシャ正教会とカトリックに分かれました。このように、カトリックも非常に腐敗しているのです。
なので宗教はいらない。自分の内に神は存在するについて本質をわかっているならぜんぜんOKと思います。
206ガストリア:2006/04/11(火) 19:34:04 ID:fomNfx4p
41さんのおっしゃる通り、愛と表現するのは安っぽいですね。
207ガストリア:2006/04/11(火) 19:48:35 ID:fomNfx4p
141のzさんのおっしゃる通り自分のエゴははっきりいってわかりませんよね。
私もダメなところがたくさんあり、他の人を傷つけてしまったり、
自分の解決してない所を指摘されるとムカってきてしまいます。
それでいて気が付かない事もあります。
208名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 19:50:36 ID:LavvxYgh
神様から伝言が届いてます。。。。。

「ワシのことをいつまでもしゃべっていても
 時間の無駄じゃ。
 ここに書きこむことが、キミ達の拠り所で
 あることは知っている。
 が、そろそろ自立して次のステップに進む
 時です。」

甘えの時間はおしまいのようですよ。。。。。
 
209アールグレイなTAO:2006/04/11(火) 19:57:18 ID:EA79RI5l
>>208

そう、神がいってくれたら、世界はどんなに救われるだろうね(笑)
210フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 19:58:17 ID:WSnQm5VP
>>200
これは私が幼い時に、神に求めていたのですが、神や天使と遊びたいと思っていました。
それは愛情の不足からきたものでしたが、
神が、私の所に来てくれたら、優しいおじさんのように来てくれたらいいのに。
苦い経験から、こういう神を求めていました。

今もまた、話しのわかるジョーク好きなフレンドリーな神なら、違ってくるのは確かですね。

211:2006/04/11(火) 20:57:50 ID:0RWRNGDz
>>141 Zさんありがとうございます。
今日 私事ですがいろいろディスカッションしてきて少しすっきりしてきました。
私も今、聴くに集中しています。ただあまりの悲しさに凹でいたのですが・・・。
沢山いろいろと見えてきます。だから惑わされたり、あせったりしてました。もうちょうと心にゆとりをもって聴こえてきたことに対して、本当は何を伝えたかったのかを逆に問いていこうと思います。
他人を責めるより、自分のできることまた変われるように進んでいこうと思います。
41さんの言いたい事も少しわかる気がします。ただ難しすぎて厳しいですけど・・・。
>>71の世界が早く広がればと思います。でもそしたら悩むって心がなくなったり、こういう場がなくなるのかな?

212マーヤー:2006/04/11(火) 21:24:33 ID:O8O5VGIj
アールグレイなTAOさんIDにEARlとでていますね。
まあそんなことはどうでもいいんですが・・

神というものを考えてみたとき、

1)すべてが偶然の産物か
2)すべてが神の産物か
3)生物が偶然の上に乗っかっているのか

と考えてみたのですが
どうも人間は偶然の産物とは思えません。
ロボットでさえ作られたものなのですから。
生命の出発点。
そこでさいころは振られたのか・・
213名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 22:36:19 ID:NOMkiYJn
で、神が存在したとして、あんたらの人生になんの不都合があんの?
214フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 23:16:56 ID:WSnQm5VP
>>213
ひとまず、神と宗教は害悪があるとして、否定する方向と、神との出会いは、人を豊かに安らかにするという方向と、2分してますね。
215名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 23:18:36 ID:SIbXABDH
神が存在したとしても、「君たち自分たちで助け合って生きよ」
だと思う。要するに、自分の内に神を持てだな。

>>213 神様、神様って言って何の意味があるのか?
神を認めて神を崇拝し、自分が他の人たちより善人と認められたいのか?
神が存在しても、相手は人間なんか頼りにする存在じゃないんだぜ。

自分のことは自分でする、人間が人間を助ける。自立した人間たちのほうが
役に立つと考えるのが自然だろ。


216名無しさん@3周年:2006/04/11(火) 23:24:51 ID:NOMkiYJn
神と言う価値観(認識)の問題か。。
217ガストリア:2006/04/11(火) 23:26:20 ID:fomNfx4p
41さんの194の
つくづく「人生を満喫する人は神を求めない」というのは真理だと思う。 というのはその人のやり方、考え方で十分適応できているからこそ
それ以上の進展がない(助けを必要としないから)、という事で絶望しないと(いままでのやり方が破綻しないと)いけないという事ですか?
218フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 23:36:12 ID:WSnQm5VP
>>217 ガストリアさん
 必ずしも、絶望を必要とするかは、定かではないですが、今の状態の打破という方向転換に、破綻というのはあると思います。
私も、絶望から、神を求めましたが、
絶望する環境がなかったら、
神を求めることはなかったかもしれないですね。
219フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/11(火) 23:52:19 ID:WSnQm5VP
神という捉え方については、神に絶望して見放し、
堅固に心を守る為に、頑なに否定に徹するというのもありかもしれないです。

神への過度な期待や万能なら何でも可能だろうという考えや、
奥底にある理不尽な怒りなんかがあっても、否定に向かうには十分かな?
220ガストリア:2006/04/12(水) 00:08:00 ID:xEXIGjVM
破綻というのが必要なら、次の考えに進む時も破綻が必要なんですか?
あと、ふと思ったんですけど、生物の進化って常に破綻しそうになる度にさらなる発展がありますね。
シアノバクテリアが酸素を大量に放出した際(当時の単細胞生物のほとんどにとって酸素は猛毒)ほとんどが死んでいく中で(破綻状態)
今のミトコンドリアが酸素に適応しいままでの10倍の効率のエネルギーを生むようになり、さらに核と共存する道を選び、細胞ができた。
全球凍結と呼ばれる地球全土が凍った後カンブリア紀と呼ばれる生物の大発生に繋がった。
板皮類と呼ばれる魚が地球の海の85パーセントを占めていたが隕石の衝突により、生き残ったのは残りの15パーセント
陸上に上がった両生類、爬虫類は海には強力な魚がいるので川に逃げ、川でもまた強い魚が現れるようになり陸上へと逃げ大繁栄した。
6500万年前隕石の衝突により、大繁栄していた恐竜は絶滅して弱者の哺乳類が台頭。
600万年前アフリカで大地溝帯での大噴火により、気候変化による、サバナ化の中で人類は立つ事と道具を知った。
1万年前氷河期で食べ物がなくなり死んでいくなかで、農業と牧畜をするようになる。などなど。
221名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 02:01:56 ID:G7eJ8cVE
神は誰が作ったの?鶏と卵みたいなもんで
この世に偶然はない、全ては魂の成長の為
因果応報、輪廻、信じる事も出来るけど
死んで見ないと分からないです
死後は無かも知れないし・・・
現世を正しく生きようと思いますよね
来世、不幸になりたくないですし・・・
皆さんの様に高度な書き込みできず、ゴメンなさいです
222救世主。:2006/04/12(水) 03:00:04 ID:S1at8bSM
ハケーン。。しちゃったw
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=116309464&owner_id=2734822
この人でしょ?どう?
ちなみにmixiです。

223アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 07:42:06 ID:uZG7tXT9
結局、この世に、客観的な「意味」があるかと、いうことに尽きますね。
人が生きていく意味。

その意味があるとしたら、その意味、価値体系に身を置いて生きることで、
「真理とともにある」という喜びが生まれる。

その意味がないとしたら、意味のないこの世を厭うか、あるいは、自分に
とっての意味を探さねばならない。

意味付けを体系化すると「宗教」や「哲学」などが生まれる。

しかし、「宗教」が、真理を正確にトレースし、その価値体系が、生きて行く
ことと齟齬を生じさせないように、常なる検証が必要となる。

その「心的態度」は、科学などがもつものと、似てると思う。
この「心的態度」を失うとき、「宗教」は、独善、ドグマ、教条となる。

問題は、その「心的態度」の触手を、どこまで伸ばすか、だ。
物質的世界という限定でいけば、科学、あるいはそれに近いものになる。

「心的態度」の触手を、目に見えない世界、いわゆる霊的な世界、といった
ものに伸ばすとき、土台たる「心的態度」を乗せたトレイも、ゆらぐ。
彼我との関係、両者の関係に、ある種のゆらぎをもたらす。
こちらの心の在り方が、対象の存在様式に多少の変化をもたらすことがある。

そこで、多元的な、霊的事象が起ることがある。
「あること」をすると、不治の病が、奇跡的に治ることさえある。
事前に起ることが、分かり、厄災を回避できることがある。
肉体をもたない、意識だけの存在としか、判断できないような存在と
関わることがある。
224アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 07:42:43 ID:uZG7tXT9
始末に負えないことは、これが、一定領域の人間にの間での「客観性」を
もつことだ。

さて、問題は、この多元的な霊的事象の取り扱いだ。

実在か、妄想か。
いや、双方の性質をもって、現実に影響を与える、そんなエネルギーの
過渡的実体がある。

一種の唯識に堕ちることをさけて、物質との関係性を整理する。
すると、驚くべきものが感じられてくる。

これは、神の「似姿」なのか。
その働きは、活かし、育まんとする、働きの似姿だ。

卑近な例では、鍼灸治療の理論にも、かいま見られるもの。
調和し、包み込み、はぐくもうとするもの。

そして、これと対立する、破壊し、嘆きへひきずり降ろそうとするもの。

言葉や、文章では、嘘をつけるが、ごまかしえない、ある種の「場の展開」
がある。

これは何だ?

神の似姿なのだろうか。場の展開の法則性が、あるような気がする。
それは、立体型のチャートのように、思われる。
225アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 07:44:08 ID:uZG7tXT9

こうして、福音書を読むと、新たな感動があったりする。
法華経や、理趣経を読むと、大きな感動があると動じに、体調と気の感覚が変わる。

これは、なんだろう。遠隔ナントカも、簡単に出来てしまう。
これは、何だろう
226アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 07:50:00 ID:uZG7tXT9
ときどき、宗教の原型かつ普遍性を有するものは、シャーマニズムでは
ないのかと思う。

その心をもて、ボンヘッファーや、矢内原忠雄などを思うとき、むしろ
伝統的宗教のもっていた、強固さを思う。

かつて、プロテスタントの洗礼を受けた自分としては、イエスを、彼らに
こそ見る。
ホセ・リサールにも。
227アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 07:51:33 ID:uZG7tXT9

イエスが、我々に与える、似姿への励起は、とても大きい。
このような感動は、いったい何に起因するのか。

神なのか。
228アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 07:56:55 ID:uZG7tXT9
モノローグなカキコ。どうぞご容赦を。
229名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 08:10:32 ID:R11u5fvH
いや、続けて欲しい。
私は近親者が不治の病なので、ここにいるのだが
あなたの言葉はよく理解出来る。
目に見えない世界のことを知りたい。

だが、もし悪魔に魂を売れば近親者の不治の病が治るというなら
私は迷わずそうするだろう。
そのことについて、あなたはどう思うか?
230アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 08:19:05 ID:uZG7tXT9

悪魔に魂を売ってはいけない。
しかし、神はきっとある。
似姿を上方へ、移行させ、類推解釈を繰り返して行くと、それはあるような気がする。

ちなみに。

1オームの抵抗に1ボルトの電圧を加える。
すると
1アンペアの電流が流れる。

1オームの抵抗に2ボルトの電流を加える。
すると
2アンペアの電流が流れる。

こうして+nとして、演繹していく。

我々の貧弱な脳は、でも、何かを思う。

このような+nの演繹。
これを霊的な方向、上へ向けるとき。

なにか、涙が流れるような、何かを感じる。
そうあるときの自分は、知らず知らずに調和を生み出してるような気がする。
気のながれが、あるべき状態になるにかもしれない。
鍼灸でも。

231アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 08:19:46 ID:uZG7tXT9
つまりは、目に見えない身体にも、なにか、あるべきものがあるようだ。
その「あるべきもの」
その似姿を、我々は、手に出来るように思う。

それを信じ、たとえ哀しい結果になったとしても、きっと、大いなるものに
包まれるような気がする。

お薦め
「それでも人生にイエスという」 V.E.フランクル

ニーチェなんかぶっ飛ばせ。
232名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 08:39:23 ID:R11u5fvH
レス、ありがとう。
でも、救いたいのは自分でもなく、自分の心でもないんだ。
自分は本当なら、何度か死んだ身。
交通事故。大震災。水害。
その近親者がいなければ、とっくに死んでいるし。
奇跡を起こしたい。どうしても。
233名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 08:44:39 ID:R11u5fvH
そうそう。
だが、フランクルの著書、すばらしい。
自分以外の家族には、哀しい結果になったらその後、勧めてみるよ。
23441:2006/04/12(水) 09:01:51 ID:pNp9Goo6
>>217 遅レスでスマソ。

>人のやり方、考え方で十分適応できているからこそ それ以上の進展がない(助けを必要と
>しないから)、という事で絶望しないと(いままでのやり方が破綻しないと)いけないという
>事ですか?

アールグレイさんは、理系のようなので、数学で説明するのがわかりやすい
でしょう。関数の最小値を求めるとき、線形モデルを仮定した「最大勾配法」
を使うと、極小値にはまってしまって、抜けられなくなりますよね。それで、
「本当の最小値」を求めるためにあえて、遺伝的アルゴリズムを使って、一旦
求まった「見かけの最小値」を捨て、思い切ってパラメータを振ってみる。

これと同じ原理で、「自我からみた損得勘定」という枠内にとどまる限り、
その人は「エゴの極小値」にトラップされてしまうし、さらに「安楽なのに
そこから出る動機がない」から、脱出する機会はゼロに近い。どうしても「価値観
の崩壊」という外乱が不可欠になるのです。
23541:2006/04/12(水) 09:14:19 ID:pNp9Goo6
私は、禅の耳学問でこの世界に入ったので、他人の体験を引用するしか能が
ないのですが、この「身の保証=見かけの最小値」を捨てて、というのが
悟りの必要条件であることは間違いありません。

ある人が悟りを開いた契機は、その人が真っ暗闇の中を歩いて、戸外にある
便所へ行こうとした時のこと。いつもはあるはずの手すりか何かにもたれて
体を支えようとしたら、空を泳いでそのまま崖下に転落した。幸いに怪我は
なかったそうですが、両足が地面を離れて、体が宙に浮いた瞬間に「自分を
フワリと支える何者かの手を感じた」と言います。

別の人は、ある事情で両足を失って、絶望の中で何日も泣き明かした末、
「両足がなければ生きていけない」と思い込んでいる自分が、実は現に
「立派に生きている」ことに気づいてハッとしたと言います。

両足が地についているうちは、悟りは開けないと思います。なんらかの事情
で両足が使えなくなった時、「自分の思い込みの世界」と「実際の世界」とに
裂け目ができて、そこから「世界の真相」が垣間見えるのだろうと思います。
236名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 09:26:47 ID:iY3CLVMN
お前ら仕事しろよ!
神様論議して現実社会から逃げるな!
お前らの内なる神は、こんな状況を許してるのか?
甘い神様だこと。。。。
237アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 12:22:50 ID:1+nwlQXl
>お前ら仕事しろよ!

うん。仕事とここでの議論は、密接にカンケイしてるんだよ。
動機づけとして。

>41さん

 俺は法学部系ですよ。

 >どうしても「価値観 の崩壊」という外乱が不可欠になるのです。
 
 それを、ゆるやかに感じてはいるのですが、曲線上の微分不可能な点
がそこに来たとき、それをどうするのか。
 人は、自分のため以外にも、カネを稼いで生きて行かねばなりませんので。
 外乱を、どう受け止めるか。

 ある種の人間には、心の激動ひとつで、メモリの内容が飛んだり、ATMが停止
したり、いろんなこともあるのです。

238名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 13:37:05 ID:zl0OE5tZ
読んでいても、結局、神が何か理解出来ないです(>_<)
生命の事じゃないみたいだし…神を考える思考が、神ですか?
239名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 13:46:08 ID:8SgKlZ1x
>>238
あなたが、理想の自分になる為のエネルギーすべてが、神です。
理想の自分を考える思考。 ひらめき。 インスピレーション。
理想の自分になる為の努力。 やる気。 ワクワク感。
理想の自分になる為の他からの協力。 シンクロニシティ。 

最終的には、世の中すべてが『神』である事に気づきますよ。
自分自身も含めてね。
240名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 14:34:04 ID:iY3CLVMN
簡単に言えば自分に都合が良いものを神と呼んでいるのです。
241名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 14:40:40 ID:8SgKlZ1x
>>240
それが、自分の人生の役に立てれば、問題ないですよね?
『神』という概念が役に立たない人は、信じなければいいだけ。
242アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 16:48:54 ID:1+nwlQXl
>>239-241

 こういった考え方は、あってもいいと思います。
 どちらかというと、ニューエイジに近いもので、神概念を自分の方に
たぐりよせて理解するやりかたですね。
 神そのものが何であるかという、自分を離れた捉え方ではない。

 神が、自分というものにとって、まったく不都合であり、しかし、それが
「真理」であると、「限定的な意味で客観的」に認識された場合、自分と神との
距離を近づけて行きたい、という、願いや、渇仰もあると思う。

 これは、宗教団体の、要約された人間感、神概念ではなく。

 その種の渇仰をあらわすものとして、例えば、法華経の如来寿量品の制作者
の立場があるのかもしれない。
 これは、上座部(いわゆる小乗)からの迫害のもとに、当時の大乗のグループにより、
作成されたというが、ここまで、人を突き動かすものは何か、という、驚きもある。

 そのように働くもの、としか言えないが。

 私の場合、神とは、この世というかあの世というか、これらに通有する、
例えば法律や現象の解釈指針のような働きをする、「価値体系」を提示してくれる
ものも指します。
 それは、近代史の中に見えるなんらかのものであったりね。
 
243アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 16:55:01 ID:1+nwlQXl

 しいて言えば、野呂芳男という、神学者がいるが、この人のサイトは、
非常に興味深い。

 ジョンウェスレーという神学者を研究されている方なのですが、「法華経と十字架」
という、興味深い著書を出されている。私も所有していますが、この方の神の捉え方は
日本の民衆宗教の御利益的な在り方を、否定していない。

 キリスト教が、いかに日本化するかという部分と、日本人としてのイエスは、キリスト教は
という、実存的な、問いかけがある。

 こういう、神へのアプローチも、非常に面白いと思われるのです。
 野呂芳男 でググると、サイトが出てきます。
 非常に貴重なサイトです。


244アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 16:56:59 ID:1+nwlQXl
 しいていえば→あえていえば、と訂正。強いる必要なんかなかった(笑)。
245アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 17:01:49 ID:1+nwlQXl
『キリスト教と民衆仏教 十字架と蓮華』

これが、ただしい書籍名でした。失礼。訂正します。
246ガストリア:2006/04/12(水) 17:24:42 ID:xEXIGjVM
41さんお答えありがとうございます。その通りだと思います。
247名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 17:59:06 ID:2wt14vV+
神が愛、実にペラいですね。

よく良心や愛の存在を神の根拠とする愚かな考え方がありますが、それは人間が勝手に
定義したものにすぎないのです。見てる世界はそれぞれの動物の中で完結しています。
野生の動物が子供を天敵から守ることも愛と呼んでも良いのです。本能も理性も
すべて人間の恣意的な定義づけなのですね。

しかし人間というのは傲慢なもので、同じレベルに落とし込むのが許せないのですよ。
人間は他の動物と違う、としたいのです。それは知能が発達してしまったからなのですね。
主に科学の西洋的な考え方というのは、世界を支配しコントロールする、自然を管理する
という考えが根本にあります。それが知らぬ間に日本人にもしみ込んでるのですね。

神とは他ならぬ人間が生み出しているものなのです。
あるのは、この世界、それだけです。創造主がいるのではなく、きっかけがあったにすぎないのです。
神は説明不可能性を無理やり解決するためのツールにすぎません。偶然を必然と考えれば
気持ちよいでしょう。ジグソーパズルにカチッとピースがはまれば気持ちよいでしょう。それと同じ
ことです。しかし、現実にはぴったりはまるピースなどないのです。はまったと思ったのなら、
それは無理やりです。破れてめくれてますよ。
248名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 18:00:29 ID:2wt14vV+
「すべてに意味が最初からある」と信じることは心強いことです。
しかし、愚の骨頂ですよ。意味とは死ぬまでにじわじわ現実の生活の中で無意識に築かれて
いくものです。神へのショートカットを血眼になって求める行為は自滅へつながります。
救われたと思っている方は今のうちですね。世界が反転する時がきますよ。苦痛を神への
妄想で満たして麻痺させていれば、激痛も感じることができずに死、です。事なかれ主義者は
それこそが求めるものでしょうが、もはやそれは人間ではないですね。現に、ふたことめには
「幸せ」を口にしますからね、愚かな妄想患者は。

多幸感はセロトニン分泌が増えれば感じることができます。それは訓練によって可能です。
そうです、「神」「神」とやってるその行為です。ちなみに、サル山のボスは脳内の
セロトニン分泌量が高いです。知ってますか?セロトニン量が増えれば闘争的に
なるのですよ。宗教が戦争を引き起こすのは何もおかしなことではなく、それこそ必然なのですね。
このスレで神を否定すると、我がことのように反発する様子を見て私はますます実感できました。
まさにサルそのものと言えるでしょう。包丁にたとえて宗教を擁護してる方もおられますが、
とんだ例示の失敗ですね。包丁がものを考え勝手に動くのなら話は別ですが。
249名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 18:04:31 ID:iY3CLVMN
風おかえり!
新学期はじまってどうだ?学校には馴染めたか?
250名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 18:17:39 ID:6rlR1Ofz
閉じられた箱庭の中で盲目の雄叫びが木霊するー。
251アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 18:28:14 ID:uZG7tXT9
このスレッドでは、
神を否定するもしないもないと思うが(笑)

「神概念」というものに対する考察のようなスレになってると思う。
俺は、「神の存在」を否定も肯定もしないよ。
「神概念」とは、その歴史的変遷のほうが興味ある。

「所有権概念」なんかを考察するようなカンジが強い。

信条としての神とは、また違う。
読む方も、相対化を繰り返したほうが、批判の効果があるかも。
252アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 18:30:06 ID:uZG7tXT9

何よりも、いわゆるの「宗教」として盲目的に信仰することの弊害が
前提となってる。その上での話がでてると思うが。

良く読んでごらん。図式的反応こそ、主観の泥沼に堕ちるよ。
253アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 18:36:56 ID:uZG7tXT9
ボンヘッファーと出たら、グーグルで検索したうえで、それを見て批判してくれ
ボンヘッファーは、ナチスに処刑された牧師だ。
彼の神概念は、限定的に経綸しない神だ。
甘ったるい愛の神ではない。

人間に、わくつきで、この世を、預ける存在だ。
したがって、限定的に神はないようなもんだ。
それに対して、人間は、自己責任で、これを行う。

「宗教ではないキリスト教」という、興味深い在り方もある。
そういうのを、羅列させてもらったんだが。

ホセ・リサールについても、矢内原についても検索してみてくれ。

旧態依然たる「神概念」を、真に受けて批判すると、齟齬が生じる。
254名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 18:40:56 ID:iY3CLVMN
アールグレイちょっとウザくなってきた。
255アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 18:41:36 ID:uZG7tXT9
そうか(笑)
256アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 18:44:12 ID:uZG7tXT9
>>254

そういうある種の感情が、宗教的な争いの「似姿」なのだよ。
257ガストリア:2006/04/12(水) 18:45:34 ID:xEXIGjVM
247,248だけど前スレで私が神は愛ですよね?と聞いた時
その通りですね。とおっしゃたじゃないですか。
考え方がどのように変化したんですか?
25841:2006/04/12(水) 19:27:40 ID:pNp9Goo6
>>246

あ、急いでいたのでレス先を間違ってしまいました。ガストリアさんでしたね。
どうもすみません。
259名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 20:08:31 ID:2wt14vV+
神を肯定・否定するのではなく、神を求めることが愚かだと言ってるのですね。
考察することもしかりです。
260名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 20:14:27 ID:iY3CLVMN
ガッコ楽しかった?
261名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 20:18:49 ID:zl0OE5tZ
>>259 事故の怪我は回復しましたか?
262名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 20:19:17 ID:2wt14vV+
愚かな猿は、神を理想化することをやめれないのですね。
宗教も神も同じものなのです。それが破綻していても理想化をやめれない。

そうして延々と闘争心を無意識にかきたてて争いをやめないのです。

>>257
どなたかと勘違いしておられる。神は最初から妄想の産物ですよ。
263アールグレイなTAO:2006/04/12(水) 20:20:08 ID:uZG7tXT9
>>259

それは、それでいいんじゃないかな。
神というものがありえないかもしれないと、考察も並行させてるようには
見えないかな(笑)
神だと考えているものが、共通無意識の虚妄かもしれない。
しかし、この「虚妄」の動き出し方を、レイキスレでも考察したのだが(笑)

ステレオタイプ過ぎるね。ものの見方が。
つまり、思考停止になってしまうよ。それじゃ。
264名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 20:21:19 ID:2wt14vV+
私はステレオタイプです。それでいいと思いませんか?
265名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 20:22:47 ID:2wt14vV+
少なくとも、やんわりと言葉を合わせて中身のあることを語ったつもりになって
納得を見出す事なかれ主義よりは良いと思います。
266名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 20:23:30 ID:zl0OE5tZ
違う人かな(・・?)スレ違いすいませんでしたm(__)m
267238:2006/04/12(水) 20:40:06 ID:zl0OE5tZ
>>239
ありがとうございます。
理想の自分になる為のエネルギー。

そうすると、植物やミジンコには、神がいないのでしょうか?
268フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/12(水) 20:48:12 ID:83ocJUgM
>>267
あまり、パーツごとに考えないで、
リラックスして感じると、捉えやすいと思いますよ。
桜を見て、感動するように、
朝の風の香りに、爽やかさを感じるようにすると、
掴める一瞬がありますよ。
その一瞬がミソかな。
269オデッサ:2006/04/12(水) 21:28:11 ID:iERmHYEy
ID:2wt14vV+ さんへ
>「すべてに意味が最初からある」と信じることは心強いこと。

この世に偶然はあるのか?私は、あると考えます。
真理や法則にプラスして、エゴのようなものを付加すれば
偶然は存在すると思います。例えば、最近はやりの株の予想屋
さんなどは良い例でしょう。明日のトヨタの寄り付きは、絶対
に予想不可能なはずです。それでも何となく言った数字がアタル
こともアルでしょう。その時は、2CH市況1の中でネ申に
なれます。(W そこには、エゴのみの神を待望する人々が
ウヨウヨいますヨ
 でも、私の計り知れない所で真理が重なり合い、偶然のごとく
見せていただく物事に期待したい。

>苦痛を神への
  妄想で満たして麻痺させていれば、激痛も感じることができずに
   死、です。事なかれ主義者

人間は社会性の生き物ですから、いくら理想的な神を妄想した
ところで、結局は現実社会と比べることを要求される。
妄想が、より深いほどに苦痛なはずです。これで事多かれ主義者の
出来上がりです。(W 考え、悩むことも多分に必要。
 私は、神が内にあるとは考えていませんが、神を感じる心は
大切にしたいと思います。言葉にするのは難しいですがね
270238:2006/04/12(水) 21:30:49 ID:zl0OE5tZ
フィロさんありがとうございます。
すっごい考えて、気持ち悪くなりました 笑
神さん、見たり感じたりしたこと無いので、皆さんのお話、ロムします^o^
271フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/12(水) 21:52:04 ID:83ocJUgM
>>270
神を思考で考えると、それこそ、分子や原子にまで分けちゃうでしょうからね。
だから、感情で感じると疲れなくていいかもしれません。
272素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/12(水) 21:52:27 ID:EiXFxzAh
不死の境地【一切の「無」が有り、一切が幸せの喜びに満ちる】
 この上なき最上の喜びの境地(ニルヴァーナ)彼岸の平安の境地 この世では、
 ― 一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―

―生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない― 妄執という一つのもの
に一切のものが従属した。自己の命を絶つ者は、悪い境地の世界に生まれる。

《悩み無き、こだわり無き、思い煩い無き、不満無き、不安無き、恐れおののき無き、か
の世も望む心無き、今現在に精神統一された人》は何ものにも依存しない。

 悩みも不満も無く、今現在を喜んで生きている人は、何ものかを抱いて頼りとしない。
 
273素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/12(水) 21:53:23 ID:EiXFxzAh
【貪り取ろうとする貪欲も無い】
何もこだわりが無ければ、欲望も無い世界を無理に行おうとしない。
平安と安穏な世界を喜ぶ心は、誰かから貪り取ろうとして、争いや対立が起きるのを好まな
い。一切の幸せを喜ぶ心は、自分により誰かが不幸になることを喜ばない。

―人によくしてあげる― ―思いあがることも無い、誇り高ぶらない― ―自分の安穏と安
楽ーをも喜ぶ
 人によくしてあげる、その人が幸福になることに誠実に勤め、相手の納得と自己の損失
 とを防ぐ仕事をして生活費を得ることは、不死の世界に近い。
―自分の考えが無い、自分の意向が無い―
 他人の考えや、他人の意向をゆるし、仕えてあげようとすること、反発し、対抗し、争う
 ことを好まず、他人も自分の考えどおりにしようとしないことは、不死の世界に近い。
 顧客の意向、上司の考えに従うことは、相手の意向を押さえつけて、自分の考えで仕事を
 しましたという人より不死に近い。
274素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/12(水) 21:54:01 ID:EiXFxzAh
一切の人々の幸福や安穏や安楽な生活を護ろうとして、それぞれの人の幸福を損なわないこ
とを基本として法律などがある。

 人の考えたことを無視して、自分の考えが正しいとして法律を無視した行動は、自分の
 安穏や安楽な生活まで損なう。法律を守ろうとすることは、不死の世界に近い。

不死の世界に到達して神を本当に知る。神と一つになって全ての幸せを喜ぶ。神は人が意識
し、認知し、考え出して生み出すことも、人間として見ることも永遠にできないが、この世で、
 
 自分の考えが正しいとして人に押し付けたりせず、他人の考えを尊重してあげること、
 人々の幸せに奉仕して、自分の糧を得ること、人が考えた法律を護ることも自分の中に
 神を持つ人が行うこと。

平安ならよしとする。何も思わないこと。何かに執着しないことも神とともにある。世間を見
ず、人を見ない、他人の過失を見ず、自分のしたことしなかったことだけを見る人も神ととも
にある。この世から離れた時、最も神とともにある存在となるだろう。
275シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/12(水) 22:17:28 ID:lF1p/U/G
>>272-274 
素朴な言葉さんのカキコはこのスレタイ通りですね。

「宗教はいらない。自分の内に神は存在する」

このように生きれたら何もいらない、そう思います。
276シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/12(水) 22:22:01 ID:lF1p/U/G
それでもなおかつ『福音書』にあってもこういう逸話が出てくる。

>>226-227
イエスのシャーマニズムについて(こういう言葉を使っていいか不明ですが)、

「悪霊に取りつかれたガダラの人をいやす」 

イエスが「行け」と言えば、悪霊は出て行く。驚きます・・・


イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。
突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」
はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。
そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。
イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。
豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。
すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。
(マタイによる福音書 8章28〜34節)


http://www.bible.or.jp/i/gallery/Israel/10s_1.html
27741:2006/04/12(水) 22:39:13 ID:MVykoKWF
>>276

そうですね。
私自身の経験から、この世には「悪霊」の影響下にあり、その支配下に置かれている
人間の存在を確信します。

仮に「神」が善意だけの塊だとしても、ちょうどその対極の悪意の塊である
「悪霊」が存在する。

ユダヤ教の聖典「タルムード」の中に、こういう喩え話が出てきます。

ある木にとてもおいしい実がなるので、それを守るために二人の守衛を雇った。
一人は盲目で、もう一人は足の不自由だったので、単独では何もできないはず
だったが、盲目の男が足の不自由な男を肩車に乗せて、おいしい実の方角を
教えてもらって、それを取ることに成功した。

この話では、ひとりが「魂」、もうひとりが「肉体」を意味していて、「魂」
がいくら理想を持っていてもこの世では何ひとつ実現できず、どうしても「肉体」
の助けを借りる他ない、ということを意味しているそうです。

「肉体」を持って生まれたわれわれは、「神」か、「悪霊」か、どちからの
肩車に乗って仕事をするのだから、心の中でささやきかけてくるのが果たして
どちらなのか、しっかりと見極める必要があると思います。
278名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 23:14:25 ID:aGdQh/Gv
自分とは、(自分にとって神とは)どんな存在なのか?自己定義の問題だな。
279シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/12(水) 23:20:09 ID:lF1p/U/G
>>277
「思い」は非常に不思議で、磁石のように似たような対象を引きつける。
外側から霊的な?力をもっていくら浄化しようにも、思いがまた「悪霊」を引き寄せてしまうように思えます。

ある思いを核として次々に似たような想念が被さってくる。
それはある実体のように動く、そのように見れてしまえるものがあるように感じます。

「思い」の浄化は非常に困難ですが、元から断たないといけない。
自分の内側に神は存在しても、それを感じることはあくまでスタートであって、
ぬぐってもぬぐっても覆い被さるベールをしつこく剥ぎつづけなくてはいけないように思います。
いわゆる霊的な(宗教における)修行とはほとんどこのことにあてられているように感じます。
280名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 23:42:04 ID:Nevx+YHf
>>279
ズガーン!と共感しました。
どうしてそれを知っているのですか? 
私は無宗教で、神の存在も分かりません。
何か修行をされてたのですか?
281素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/12(水) 23:46:45 ID:HdLfkudT
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一の手紙)

この世界は真実の世界ではないということは確か。

―世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つ
のものに、一切のものが従属した―
―ブッダに帰依した人々は、すべて、悪しき境地におもむくことはないであろう。か
れらは、人間の身体を捨てたあとでは、神の身体を満たすであろう―
―牡牛のように結縛を断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたく
しはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、
雨を降らせよ―(ブッダ)
282素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/12(水) 23:47:27 ID:HdLfkudT
―歩行したからとて、いつになっても世界の終極に達することはできない。世界の終
極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない。それ故に、世界を知れる人、
聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう。かれは、
悪を静めて、世界の終極を知り、この世もかの世をも望まない―(ブッダ)

 とりあえず、神を追求するということは、何かにつながるとは思う。
 ただ、この世のことだけを考えて生きるよりは、何か大切なことが得られるか
 も。
 ブッダも神の望みはこの世に生まれることではない。世界の終極に達しないで、
 真実の世界は来ないと言っている。神の身体に生まれかわることを理想としてい
 る。
283名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 23:58:03 ID:Nevx+YHf
>>282
そのブッタさんと感覚は、似てる気がします。
世界(舞台)は多次元で、終極・誕生を繰り返している、(繰り返す方向に動いている)のじゃないかと、ぼんやりと、、
しかし、ブッタさんやキリストさんは、えらい言葉の表現が上手ですね。
284:2006/04/13(木) 00:05:43 ID:YdMeieMX
>>279
本当にそうですよね

>「思い」の浄化は本当に困難ですが、元から断たないといけない。

本人が自分自身に気づいて変わらなければ、また同じことの繰り返しですよね。
なかなかこのことに気づかないで、他力本願してしまう人も多いですよね。(私も含めて)
285名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 08:36:15 ID:1rfVVyAm
なぁ〜んだ!「宗教はいらない」とか言っておいて、出てくるのは
既存の宗教団体の言葉の受け売りばかり。。。
「宗教はいらない」とか言っている本人達は、結局既存の宗教に頼らな
ければ、自己の表現を出来ないってことかいな?
所詮言葉遊びの自己満足だね。
286アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 08:49:29 ID:kJboPO46
>>285

言葉は多面結晶体みたいなもんだからね。
ここでいう「宗教」は、人によって受け取り方が違うので、言葉遊びに見えても
仕方がない。
しかし、「言葉遊び」という行為も、多面結晶体の体をしてるかもしれないので、
あんたも回路を形成してしまうのだ。
価値判断から、自由にはなれない。

じゃあ、価値判断から自由になるにはどうするか、考えてごらん。
そのこたえいかんで、あなたがここへ意図せず、「出してしまうもの」があるかもね。
287名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 08:58:13 ID:PH9m2RnM
>>267
人間以外の視点を徹底的に観察することです。夢見心地になった
先にあるのは、人間中心の勝手気ままな幸福の追求です。
理想の自分など幻なのです。それは体と心との乖離に過ぎません。
そうやって何でもないことを考え続けるから地に足がつかず働く意欲を
なくす人間が増えるのですね。心をみつめる行為は欝への近道です。

高田延彦が言っていました。夢や理想はかなったのか?という質問に
対して、彼は「ただ夢中になっているだけだ」と。体をつくるという目に
見える目標はあるけれど夢や理想などないと。

神を語る人間にヒントを求めないことです。それは最も愚かな行為ですよ。
考えないで感じることだなどと中身のないことを言われるだけですから。
それは集団で思考停止することを美化して仲間にならないかと誘っている
ようなものなのです。

神とは、人が形のないものに与えた「名前の一つ」に過ぎません。
単なる言葉です。まじめくさって語る必要などないのです。
バチなど当たりません。
288名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 09:11:30 ID:I5mhr3Z1
>>279

>「思い」の浄化は非常に困難ですが、元から断たないといけない。

人間技ではできないという気がしますが。
浄化しようという意思そのものが、浄化の対象に転じてしまうから。
たとえば、健康オタクが居て、健康管理を完璧にし、民間療法やサプリメント
で完全武装しても、「健康でありたい」と意識しているうちは「健康ではない」。
健康という状態は、「自分は健康である」という意識すらない状態のことだから。
289名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 09:14:43 ID:I5mhr3Z1
ヘーゲルがそういうことを言っていますね。
人間は間違う。だから、反省することで一歩上のステップへ行ける。
これを永遠に続ければ、人間は「神智」に至ると。

しかし、永遠という言葉に誤魔化されてはいけない。
「明日は全額返しますよ」という債務者の約束よりも酷い嘘ですから。
290名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 09:33:43 ID:W5p5UdA5
>>287
> 神とは、人が形のないものに与えた「名前の一つ」に過ぎません。
そんな気もしてきました。どうなんでしょう
人間ってナンダロウ 神の前に人間がわからない
291名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 09:40:38 ID:BQ1Oz2p9
1000年後、500年後、いつかはわからんが、
長嶋さんや、ゴキロー、とかが、野球の神とか言われる日もくるんでねーの?
現に三国志の関羽や孔明が神様になってるじゃん、
自分のなかでの尊敬や憧れの人物を神にすればいいじゃん。
神ってそいうもんじゃね〜
292名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 12:45:15 ID:I5mhr3Z1
単なるタマ遊びの名人と、何千人もの生殺与奪の英雄とを一緒に並べるなよ。
293名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 20:08:50 ID:PH9m2RnM
愛だの恐怖だのを真面目腐って語ってるのを見ると映画ドニー・ダーコを思い出しますね。
みなさんは観ましたか?あれに出てくる学校のビデオ教材“Controlling Fear”
には爆笑しました。BGMは洗脳テーマの繰り返し、恐れを克服したデブガキが
目を血走らせながら“I'm NOT feared anymore!!!”(もう怖くない!!)宣言。
腹がよじれます。講師の名前がCunninghamってのも笑い死にさせてくれました。

細かい笑いネタも面白いですが、大筋の内容が衝撃的です。
観てない方は一度ご覧なられると良いでしょう。

>>290
人間に特有のことを考えると、知識を外部に残し蓄積してゆくことが挙げられる
でしょうね。他の生命も環境によって適応するための情報は受け継きますが
人間のように想像の産物を無理やり形に変えて残すようなマネはしません。
価値観のちっちゃな愚人は、思考が災いして生きてゆくのにも理由や根拠が
見出せないと安心できないのですね。そうならないように気をつけた方がいいです。
何でも良いのです。日常的なくだらない俗な事柄で他人とつながって楽しめば
いいのです。映画を観、スポーツで汗を流し、音楽を聴き、本を読む。
いずれ苦しむ時に苦しむのです。

根拠を見つけたつもりになって安定することは実は危険です。なぜなら、
完全だと思っていた実感が自ら信じられなくなった時、あるいは他から否定
された時、闘争心が沸き起こるからです。前スレからの否定に対するリアクション
を見ればわかると思います。この小さな反発は争いの種なのです。だったら、否定を
しなければいい、否定や批判は何も生まないなどという短絡価値観を何の恥ず
かしげもなく開陳される方もおられましたが、それは上で紹介した映画の中で
出てくる「Fear--------Love」の二元論と同じです。彼らのような短絡思考
なら、「否定」に対して迷わずFear側にXをつけるでしょう。
そういう愚かな猿は“Go back to China, bitch.”ですね。
294名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 21:37:12 ID:8S8FtVfi
>>293否定する事って実は、一番簡単で楽な方法だと思う。しかし、いずれ自分自身で
一つの疑問が沸き起こる。「じゃあ、どううりゃいい?」解決方法を模索しだすだろ?
突き詰めればみんな明確なる答えがしりたいんだ。
295アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 22:51:01 ID:kJboPO46
>>276

 シコオさん

 そこに書かれていることは、イエスならでは、とキリスト教ではいいます。
 しかし、それに類したことは、現代にこそ多くあるようです。
 祓われる、ということではない。そこに固着する。

 統合失調症、あるいはこれと類似のパターン。
 自分を神である、神の声を聞いた。チャネリング。
 こんなのが「宗教」を作ったら、目もあてられない。
 すぐ分かりそうなものだが、人は、何かあると思って着いて行く。
 ネットですら、見られる、この現象。

 次に、「見かけ上」の治病能力をもった、自称ヒーラー。
 狂気が、狂気を癒そうとする。全てがそうなのではありませんが。

 「見かけ上」ですから、それなりの気の世界をみせる。
 気の感覚だけは旺盛。しかし、難病は治らない。
 そこで、原因を、当事者の在り方に、牽強付会する。


 ヒーラーには、気の感覚はある。ある程度の客観性もある。
 しかし、治らない。治らないどころか、狂気が感染する。
 いつになると、地軸が傾くとか、最終戦争が来るとか、アセンションが
どうのと言い出す。そこが安住の地となる。仮住まいなんだが。
296アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 22:51:58 ID:kJboPO46

 実に奇妙。
 愛が調和がどうだといいだす。
 その調和は、自分への「穏やかな隷従」の別名なのだ。
 狂気に安らぐ。
 こういった小教祖が、巷に、増え出していると思われる。
 「自分が最大公約数」の自我を保とうとして、他人のそれを破壊する。
 舌なめずりをしながら。快味をあじわう。

 彼らは、「近代の成果」を捨てる。その思考力を持たない。
 客観性へのアプローチを捨てる。
 悟りというものが、もしあるとするなら、近代の成果である、ある種の
合理的思考と類似の結果を、包含するはずなのだが。

 必然性と蓋然性を区分けすることなく、少数のサンプリングで、全体を
語る。

 やがて、全体主義への地ならしがすすむ。
 いや、もう進んでいる。

 かの浅野和三郎は、偏狭な国粋主義者として狂った方向へいった。
 鈴木大拙でさえ、戦時中、鬼畜米英のポアを主張したのです。
 ある意味では、アサハラより始末に負えない。

 戦時中の各宗教の宗門が、どのような態度を取ったか、これを調べると
実に興味深い。
297アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 22:52:33 ID:kJboPO46

 狂気は、静かに、潜航し、上部構造に影響を与え、ひどい不条理を自己責任
として、押し付けるようになります。今の時代、まさにその道を進んでいます。

 マルクス主義は、自滅した。
 この手法は、批判的に、社会的な問題を分析するには、有効だった。
 そこから、修正資本主義へのヒントさえ、与えた。
 マルクス主義が、もっともヒントを与えたのは、マルクス主義と対立する
その最大の敵、社会民主主義や改良主義に対してでした。

 分析を終えた、マルクス主義が与える「価値判断」は資本主義的なるもの
その虚偽意識の、徹底破壊でした。殺戮をなんとも思わない。
 議会制民主主義も、ブルジョア支配の手段として、当初否定されたのです。
 その後、共産主義者は、そしらぬ顔で、これを自家薬籠中のものである
がごとき、態度をとっていますが。
 民主集中制というごまかしで、これにカヴァーをかけていますが。
 「魂の殺戮」は行われたのです。1950年代にも1960年代にも。この日本で。


 さて、問題は、宗教や、政治制度や、そういうものを「ポーズボタンを押した」
画面で判断すべきものではないということです。

 もっと、深刻な「何か」があるのです。
 その「何か」こそ、イエス時代も、今にも通有する何かだと思われます。
 神より、もっとこちらの「何か」を見据えることが大事です。

 さて、それは、何か(笑)。

 気やエネルギーということを、トンデモ以外の側面で理解できる
日が来たら、少しは見えてくるような気がします。
 もっとも、それは、「相」に過ぎないので、原因ではありませんが。
298ライト:2006/04/13(木) 23:03:38 ID:fRiB9r10
アールグレイさん
僕はあなたの書き込みに非常に興味がある。
きっと、自分の考え方が、アールグレイさんに近くなってきたからかもしれない。
人間にはエゴがある。しかし神にはエゴはない。従って、ある人には神は冷酷に感じられるかも。しかし、もし神が一人の為でなく、全体の為に動く存在であったとしたら…それは究極の愛かもしれない…
299アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:06:53 ID:kJboPO46
ここでいう、ポアとは、単に、鬼畜米英からの自営ゆえ、殺害もやむをえない
ということに止まらず、殺害し、浄土に送り届け、輪廻させるのも、高度な慈悲
である、という論理展開です。

それを、高名な禅の指導者が唱えたのです。

また、かの田中智学。彼は、天皇を釈尊の垂迹としたはずです。
侵略は慈悲である、とまで、断言した。

こう思うと、藤井日達上人や、矢内原忠雄、ボンへッファーを、突き動かした
深い、理性ごときもの、時代を見る目は、どこから、出たのだろうと。
実に興味深いものがあります。

常々貴方と対話しつづけてきた内容ではありますが。
300あぼーん:あぼーん
あぼーん
301アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:16:20 ID:kJboPO46
>ライトさん

 ありがとうございます。

 神あるいは神と推定される「働き」は、あるのかもしれません。
 あるいは、全く何もなくとも、そんなこと問題じゃない(笑)。

 問題は、カトリックの敵とされた、スペインの英雄 ホセ・リサール
 あるいは、そこに挙げた3名。
 いや、無名の人々に、個人の尊厳を守る戦いの中で、きらめいたもの、
それは、何なのかということです。

 そのきらめきが、普遍性をもつものなら、神なんか、仏なんかどうでもいい(笑)。
 なんでも、いいのだ。

 不易と流行、あるいは、空じることと流れの中にあること。
 これを見据えて、何かを掴めたら、神や仏は干物になり、言葉で表現すること
のできない、何かが、見えてくるのかもしれないとの、思いがでてくる。

 すると、やっぱり、ハンドルにTAOを入れたくなるのだ(笑)
302アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:19:41 ID:kJboPO46
>>299

>鬼畜米英からの自営ゆえ

自営を、自衛と訂正。
303シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/13(木) 23:20:46 ID:/V4Pv+76
TAOさん

今日は非常に濃く。咀嚼に時間がかかりそうです。
とりあえず何点か、順番に。

>>295
>イエスならでは
そうなのですか。イエスは凄い、単純にそう思いました。
エクソシスト(リアルの神父様)もおりましたよね。

>>296>>299
>鈴木大拙でさえ、戦時中、鬼畜米英のポアを主張したのです
これは全然知りませんでした。驚きです。
304アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:22:06 ID:kJboPO46
 ポアじいさんは、まだまだたっくさ〜ん、いますよ(笑)
 宗門の外国人禅僧の著書で、物議をかもした(笑)
305アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:23:19 ID:kJboPO46

キリスト教のあくどい部分は、吐き気をもよおしますが、良質な部分は
「宗教」の最高峰を思わせます。
このあたり、つらいですね。
306シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/13(木) 23:28:36 ID:/V4Pv+76
>>297
>さて、それは、何か(笑)。
たまねぎ・・・むけむけ・・・

>マルクス主義
20世紀最大の宗教かもしれませんね。
資本主義に対抗してのものであったかもしれませんが。
ファシズムも資本主義に対抗してのものであったから同じベクトルですか。
資本主義に対抗してきたものが自滅し、一人勝ちになった。
カウンターとして存在するものは、イスラムしか見あたらない。
その武器はテロ(資本主義からの命名)。

どのような主義であろうと正義と結びつくとろくなことは起きない。
307アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:31:03 ID:kJboPO46
そう、図式的正義、ポーズボタンを押した正義で、すべてを要約すると
悲劇が起る。

ファシズムは、資本主義への悪魔からの補完勢力かもしれませんねえ(苦笑)。
308アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:34:58 ID:kJboPO46
スピリチュアリズムは、共産主義へのカウンターとして登場したというような
部分も全くないという訳ではないないようです。
しかし、スピリチュアリズムの自己申告ですからね(苦笑)。

共産主義は、社民主要打撃論をふりかざし、対局にある全体主義に力を
与えたりする。
敵を見誤るのですね。で、自分もナチスにつぶされた。
309シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/13(木) 23:35:48 ID:/V4Pv+76
続き

すぐに連想することは、ポルポトですね。

一体何人の人が亡くなったのか。
大学教育を受けた者はもうアウト、このスレに来ている人で残れる人はほとんどいないのでは無かろうか。

処刑人は子供。純粋で教育により何でもする。
子供が正義のために、粛正を機械的につづける・・・

辺見庸のエッセイで「ポルポトの掌は暖かで柔らかかった」というようなものがあった。
政治的指導者からは悪いものを感じることが多かったが、ポルポトからはそのようなものを感じなかった。
彼は何者か・・・、というような内容だった。

正義

正義は人を高揚させる。
正義のためなら何でも行える。
だって正しいことなんだから。

最悪のことはここで起きる・・・
310シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/13(木) 23:51:35 ID:/V4Pv+76
正義(神の力)により、社会的レベルに働きかけを行う。

一(神)を、二元の世界(この世)にあてはめる。

一がそのまま肯定であるなら、二元をそのまま肯定しなければならない。

インドの不二一元論(全ては神の現れ)の行者は、犬といっしょに残飯をあさり、誰もから狂人と思われていた。
「ガンジス川の水と、この水たまりの水の区別がつかなくなったらお前は悟ったのだ」と言った。
ブッダは「この世は美しい」と言ってニルバーナに入った。

一の論理をこの世に当てはめ、この世を操作しようとするとき、ずれが起きる。
ごまかしが入ってしまう。
ごまかしはごまかしと認識されず、一を正当化する理由となる。

悲劇は常にあったし、今もある。

だからこそ、宗教が嫌われる。
宗教とはそのようなものとしてしか存在しなかった、と思われているから。
311アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:52:14 ID:kJboPO46

ポルポトね・・・・。

マルクス主義は、ああいう方向へ利用しやすい側面を持ってるね。

劣等意識とうまく繋げると、おそろしい事が起る。

マルクスに悪意はあったと思いますよ。
資本論の全身これ皮肉と揶揄のかたまりには辟易する。

資本主義の残滓はすべて、消滅させなければならない。
破壊には不満分子をあてれば効果が上がるしね。

エンゲルスは、「自然の弁証法」で、自由とは、(唯物史観にのっとった)
社会発展の法則に従うことだ、なんて書いてたけど。
もっとも、共産党なんかは、こういうところを抜け抜けと無視したが。

人は、イディオロギーのためには、なんでもあり、になってしまうからね。

中世の魔女狩りも酷かったんだろうな・・・。
霊能をもってくるのは、その人の自由になることではないと思うのだが。

312アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:58:29 ID:kJboPO46
>>310

それは、中古天台の、天台本覚思想というのと、類似のリスクをもつこともある。

下手をすると、真言立川流のようなところまで堕ちる。

ニューエイジの多くの部分に、西洋人の誤解にみちた(手前勝手な)東洋理解
があって、これと類似な問題が入り込む。

オショーが、あのラジニーシがどうのこうのというのも。

仏教ではマナ識のやけざとり、とすべきものを、覚醒だと勘違いしてるんだろーな。

始末に終えないのは、これにリンクするsomethingがあること。
313シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/13(木) 23:58:44 ID:/V4Pv+76
神とはなんだろうか

神とは何者だろうか

姿があるのか

形があるのか

人と同じ格好をしているのか

それとも無形の存在なのか


いや そもそも神なんてものはいないのではなかろうか


善とはなにか

一番優れたものとはなにか

一番気持ちよいものはなにか

それは概念なのか 思考なのか 抽象なのか

いや 具体的なものなのか この世に存在しているのか 

この世では無いところに存在しているのか

いやそもそもそんなものは無い のか

考えること自体無駄なのか
314アールグレイなTAO:2006/04/13(木) 23:59:47 ID:kJboPO46

「神との対話」は、これへのダメ押し。
大笑いするような内容なのに。

315アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 00:05:10 ID:tj9qr73g

>>313

>神とはなんだろうか

 分からないよ。神と言う言葉じたい、訳の上で問題がある。

 ありてあるものが、キリスト教の神、創造神、かつ、今この時代を経綸
して司ってるもの、これにも、固有名詞を与えるべきだったのだろうな。

 日本の神は、神霊を指すことが多いだろうし。
 つまり、肉体を持たない意識をもった存在ということで。
 デーヴァと、サンスクリットでいうカテゴリーに近いだろうし。

 しかし、抽象的に、神として、スレで論じるから面白いんだろうな。

 このスレの題名の「宗教」も「神」も、レトリックを含んだ表現なんだと
俺は、理解してるけどね。

316アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 00:09:10 ID:tj9qr73g

 電気って何だろうって、考えてても分からないし、回路に電流を通し
各パーツに、働きを与えたとき、電気は存在が、「間接的」に分かる。

 スイッチを切ったら。電子の流れはとまる。作用はわからない。
 電源は、ポテンシャル。すなわち、潜在力。
 俺は、こういう、近代の思考の整理の仕方は、すごいと思うよ。

 位置エネルギーとか、それは、ポテンシャルだし。

 法律も、権利が侵害されて、はじめて、存在意義が明確になる。

 ポーズボタンを押して、座敷牢で、静止画面を見ていても、つまらんしね。
317シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/14(金) 00:13:10 ID:7pfu1ypJ
>>311
現代思想はマルクス主義批判としてあった(ニューアカ生かじり)

哲学もロゴス中心主義に対する批判としてあった(現代思想入門jicc)

その残り香もニューアカデミズムで終わりましたでしょうか。
カウンターカルチャーは、ベルリンの壁の崩壊と共に先細り

日本ではオウムによって息の根が止まりました。

そして宗教の息の根も止められ、行き場を失ったもろもろが、ニューエイジ等々としてあちこちに咲いている。


梅原猛がマルクスの悪人顔のことを言っていましたが、20世紀は悪人の思想によってなってきた文明だみたいなこと・・・

代わりの知恵は明確には姿を現していない。

科学技術の発達により、人間は人間を止めれる(超える)段階まで来ている(来ようとしている)
そして、超えることができるのは現在の経済的勝者のみ。
そして人間と人間を超えたものが固定化されることが、SFではなく、リアルの問題として現れている。

そんな時代に生きている・・
318アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 00:19:25 ID:tj9qr73g
ニィーエイジは、近代を理解する、粘り強い努力をしないと(笑)。
努力を省略して、簡単に理解しようとしたってむりかも。
ほとんどがあだ花として終わるだろうね。

現実には今のままでは勝てない。
というより、グローバル化の促進犬になって尻尾を振るようになった。

発端と全然別なものに。
ニィーエイジというなら、逃避、排除じゃなくてインテグレードじゃないとね。
かつ、それを止揚して、自ずと何かが生まれないかなと。

気やエネルギーというものが分かったら、それを活用して、お医者さんにでも
なればいいのにね。
学び切る前に、自分の感情や気分を出すから、掴みきれないんだろうな。

職人の修行のようなものを嫌うから。
319アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 00:21:39 ID:tj9qr73g
インテグレード→インテグレート と訂正
320シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/14(金) 00:24:13 ID:7pfu1ypJ
>>315
>このスレの題名の「宗教」も「神」も、レトリックを含んだ表現なんだ

そうですね

神を思考の極限としてとらえてみる。
物理学者が宇宙の極限、物質の極限を考えるのと似ている。

>>313で書いたように 非常につまらないことしか書けない、私の場合

古来から思考の極限に挑戦する試みは続いてきた。
それはなにか。

宗教として。

科学技術を火のおこし方から自力で考え抜く必要が無いように、
発電機を一から発明しなくていいように、
教科書で学べばよい。

宗教もそのような観点からニュートラルに学べばよい。
昔なら入門して何十年経たないと見せてもらえなかったようなものが、文庫で買える。
三蔵法師が天竺まで求めにいったものが、ネットで買える。
教会に一冊しかなかった聖書がいつでも読める。

宗教を否定するのはそれからでも遅くはない。
宗教が起こした事象と、説いていること、一旦は区別が必要だ。

自分の内の神がどのようなものなのか、それらの書物から学べるかもしれない。
321アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 00:33:19 ID:tj9qr73g
そして、驚くべきは、人間の意識は、チューナーの要素をもっているので
はないか、ということ。

それは、先のシコオさんのカキコに戻り、想いの驚くべき作用にも、リンクする。
近代は、ニュートン力学を「理解」するあたまで作られたのではないかもしれない。

ニュートン力学は、ニュートン力学を理解する以上の頭で作られたのかもしれない。

以上とは、ディメンションが違うという意味ですよん(笑)。

あとはご自分でどうぞ。
322アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 00:34:34 ID:tj9qr73g

だから、どうして近代を捨てるんだいと、俺はこの4年、以下略(笑)
323シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/14(金) 00:52:03 ID:7pfu1ypJ
>>280
おおざっぱなカキコで誤解を与えましたね
単なる世俗生活者です
ここで言う修行とは八正道を念頭に置きました。
実践はとてもとてもですが・・

http://www.j-theravada.net/pali/key-ariya-attangika-magga.html

>>284
>人が自分自身に気づいて変わらなければ、また同じことの繰り返しですよね。
>なかなかこのことに気づかないで、他力本願してしまう人も多いですよね。(私も含めて)
助けが必要だと思います。
他力本願しかないのかもしれません。逆説ですが。
五木寛之『他力』とかありましたね。
他力は深いと思います。

>>288
>人間技ではできないという気がしますが。
だからこその「他力」
神、仏、
八正道
メソッドはいろいろあって、道筋はある程度ついているように思います。
あとは実践
(こんな風に書くと宗教ですね(笑))
宗教でも論理的思考力で全てを否定していくという方法もあるみたいです。
「ギャーナ・ヨーガ」
仏教における空の哲学もそうなのではないでしょうか。
324シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/14(金) 00:55:27 ID:7pfu1ypJ
>>321
>ニュートン力学は、ニュートン力学を理解する以上の頭で作られたのかもしれない
そうですね

アインシュタインも考えは子供の頃からあった
それを数式で現すのに時が必要であった、と言うようなことを言っていたように思います。

>>322
近代と古代の弁証法的発展でしょうか(笑)
325名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 01:22:07 ID:EBXpN3/O
悪魔にとっての正義ってなんですか?
326アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 07:22:26 ID:tj9qr73g

悪魔は、正義を行ってるとはおもわないでしょう。
壊すことを楽しみとする。
嘆きや、溜息や、死にたいとわめくのを見るのを、何よりの楽しみとする。

それは、真の意味でのシヴァが果たすそれとは、全く異質のものでしょう。

そのように感じます。
327アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 09:50:21 ID:NSnGXEog
>>301

>カトリックの敵とされた、スペインの英雄 ホセ・リサール

訂正、フィリピンの英雄、です。
328アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 10:29:57 ID:NSnGXEog
こんな時間ですが、忘れぬうちに・・・。

>シコオさん

 この書籍です。アマゾンにも出てる。
 俺は図書館から借りて読んだが、絶句した。

 「禅と戦争―禅仏教は戦争に協力したか」
329アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 10:31:58 ID:NSnGXEog
「今を生きる」と称して、座敷牢に生きる、ニューエイジは、
あらんことか、自発的にこれをやるようになった。
シッポ、パタパタ犬さんにね。

ウッドストックは、遠くなりにけり。
330名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 10:44:26 ID:XHEtaPeD
>>323
>>277です。紹介ありがとうございます。読みます。
331名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 11:02:57 ID:XHEtaPeD
>>293
お返事ありがとうございます。
日常的なくだらない俗な事柄で他人とつながって楽しむのは、とてもよく分かります。
それが好きだし、そこからその人達に親しみが湧きます。
寝る前に空想して遊ぶのが、ちっちゃい頃からの好きな事の一つなので、愚かな猿かもしれないです。
それと今のところ、私は自分の内の神様を考える事が出来ないタイプの人間だと分かりました。
昔からある、神社の神様やお寺の仏像が浮かび、畏れ多いと思ってしまいます

前スレ見れませんでした。
現スレは始めから読みました。どこまで許容するのかは、個人の判断で、何とも書けません。
293さんにも、他の方にも興味が湧く所や、凄いなぁと思う所がありました。
空気読めず、あまり考え無しに書き込み始めた事、スイマセン。
>彼らのような短絡思考なら、「否定」に対して迷わずFear側にXをつけるでしょう。
>そういう  は“   ”ですね。
価値観を守る争い、恐怖から出る争いは分かります。
沸き上がる渦に身を任せ、そのまま止められず暴走して、誰か止めないとと、家族でも殺す寸前まで行く人間が出る事も分かります。変な書き方ですいません。
それを長い長い年数をかけて、自然に無くせる・許容する瞬間があるのも分かるんです。
どう書いたらいいのか、、人の中で、やりきれなくなる事は一杯あります。
その場で自分の中に湧く、苦しいイヤーな感情の渦中に飛び込んで、身を任せるのはヤバいです。
なるべく頑張って、それを意識してずっとやっていくのだと思います。
長文の上、駄文ですいませんです(^◇^;。
332:2006/04/14(金) 11:54:32 ID:XsmmIAVK
>>323
シコオさんとアールグレイなTAOさんの対話には、頭がついていかないですけど(笑)
私が「他力本願」で言いたかった事は、神にすがるとか、たよるではないんでは?(表現は難しいですけど)
例えば宗教の先生とかに相談して祓ってもらう、それで安心して終わりと思う人が多いと思う、なぜそうなったのかを理解していないような。
祓ってもらってもいいんですが、自分のモノにしてほしいというか、他人任せにしないでほしい。同じことが起きたら祓ってもらったのにと他人のセイとか。
棚からボタ餅ではなく、自分で理解してほしいというか、他力は必要です。それをそのまま実行するのではなくて、自分自身で理解して答えを出してほしいような・・・。
自分でもどう表現していいかが、わからなくなってきました(苦笑)
お二人の対話後に低でスミマセン!  
333アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 12:44:04 ID:NSnGXEog
 本当の「他力本願」というのは良い言葉なのですよ。きっと。
 負の価値ではなく、正の価値です。

 ところが、俗語の「他力本願」は、思考停止して何もかも預けきることと
して使われている。批判、罵倒する言葉として使われることもある。

 でも、浄土真宗の他力本願は、本来、己の無力を知り、罪を懴悔し、自分の
ようなものは、救われないのではないか、というところまで、降りて行く。
 しかし、これに対して、「いや違うぞ」と手を差し伸べてくる存在、阿弥陀如来
がいる、という構造になる。

 これは、キリスト教にも共通の構造だと思う。
 自らを神や仏にする人間の思い上がりを防ぐには、有効な手立てだ。

 そこで、ふと思うのです。
 実際、ネットにも自分を神にした愚か者がいる。
 それは、無意識が、現実の自分を否定したくない、自己否定したくない、
懴悔したくない、という強烈な我執を帯びているからです。

 神から許されると同時に、自分も許す「主体」になろうとする。
 甘い神を自分でつくりあげることにより、真の懴悔を回避する。

 他人から言葉をかけられる前に、自分で自分に言葉かけるのです。
 そうでもしないと、気が狂いそうになるからでしょう。
 あまりにの弱さゆえに。
334アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 12:45:40 ID:NSnGXEog


 精神病は、自分のバランスをとろうとする最後の砦です。
 自己保存の最後の砦。とろうとしてもとれないでしょうが。
 肉体を狂ってでも、守ろうとする。
 こういう逃げ場でもないと自死する危険があるからです。
 でも、それは、社会へのシグナルであり、復帰は可能だ。時期をあやまらねば。

 しかし、自らをごまかして「神」とした場合も、こんどは、そちらの「神として作り
上げた自我(憑依霊であることもある)」が、別の角度から、その人物を転がし、死へ誘う
こともあるのです。あるいは、他人を殺すほうへ誘うことさえある。

 ここには、うんざりするような類型がある・・・。

 このようなことを思うとき、浄土真宗、キリスト教などの、「他力本願」構造は、
人をある種の破滅から救うという、大きなメリットがあることも否定出来ません。

 なお、これは、いわゆるの宗教、現実の宗教団体の教化方針のことではありません。
335アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 12:47:13 ID:NSnGXEog

 したがって、「正しく他力本願する」と、この人生に立派に自ら立ち上げることにも
繋がるのです。副作用を除去出来れば。それには、理性や知性が要りますが。

 で、多くの場合、自らを即、神とした場合、破滅がきます。
 歴史を見るまでもなく。
 人は神である、とは、言葉に過ぎません。
 「は」とはなにか。等号か。ここを間違えると、生き地獄になります。
 下手をすると、自殺予備軍を形成するのです。

 ニューエイジは、水面下で、そのような異常なものたちを引き寄せています。
 嘆かわしいことです。ここが最大の問題なのです。

 でも、客観的に見ると、そういう事態を引き起こしているのは、現実そのもの
なのです。なんのことはない、社会システムや、為政者の横暴や、過去の失政のつけ
だったりする。精神世界に逃げ込む以外にない、という現実を構築したのは、いったい
なんなのでしょうね。

 ほんとうに、人が神に近づいたら、その人の回りは、ある種の気や、安らぎがある
ようになる、そんなふうにも見えます。

 自分がそうなるのであって、求められるひとになるはずです。
336ライト:2006/04/14(金) 13:03:09 ID:WQis7S91
アールグレイさんへ
未だこのような文章を書いてくれた人に出会った事が無い。
まるで私の言いたい事、しかし表現出来なかった事を、言語化してもらったようだ。
337フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/14(金) 14:53:13 ID:JzrHPgkp
アールグレイなTAOさんの話しは、
私が今まで見えなかった、もしくは見る機会のなかったものだけど、
ニューエイジという枠から、
神、ハイヤーセルフとか、天使だとか、
目に見えない世界が扱われだしたのかな。
自分探しの遍歴で、やたら、本は読んだけど、
現実から、乖離しそうな世界で、
まんま飲み込んだらマズいかなというものが多いかな。
現実的に厳しく吟味しないと、
別世界に乖離しそうな世界というのは、感じていましたね。
神の知覚、変容、覚醒という面としては、
在駐させてもらっていたスレが幸運に恵まれていたせいか、
覚醒の後の予後が良い人が集まり、
覚醒の後の懸念すべき危険要素は、
無事に切り抜けられ、覚醒の恵みを受け取り。
覚醒のもう一面の避けるべき方向があるのを、
露とも思わなかった時があった訳です。
神も在るも、食傷ぎみですが。
338:2006/04/14(金) 15:28:47 ID:XsmmIAVK
>>333
すみませんでした!!
私は俗語の「他力本願」を使ったので、キリストや浄土真宗のことを深くは知りませんでした。

>浄土真宗の他力本願は、本来〜 
やはりこれも最終的には自分自身を理解して素直になるところからくるのではと思いました。
まだ理解してなかったらすみません(苦)

339アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 15:57:01 ID:NSnGXEog
照さん

>まだ理解してなかったらすみません(苦)

そんな、俺、俗人。分からなくてもかまわないし、採点しないし。
たぶん、この文体とは俺は別人(笑)。
ひまだったら、遊びにおいで。だらだらサイトへ。

アールグレイで甘美な午睡 4
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1144622282/l50

もひとつ
オレンジペコでサウンドリィな爆睡 1
・・・・なんて、なかったな。
・・心の中にだけあるかな。これはリンク不能だ(苦笑)。
残念。

340アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 16:07:03 ID:NSnGXEog

最近寝不足ぎみかな。
リンク提示できたら、夢の中で会えるんだが・・(苦笑)。
341アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 16:13:41 ID:NSnGXEog
ライトさん

おほめいただいて光栄です。

なら、同じ魂の故郷を持つかも(笑)。
342アールグレイなたーしゃ:2006/04/14(金) 16:17:22 ID:NSnGXEog
>フィロさん

ワォォオーン。
時には一匹の観音犬の方が、駄本よりイケてることもあるワン。
343アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 16:31:03 ID:NSnGXEog
>フィロさん

 ごめんね、うちなるナターシャは、言い方がきつくて(笑)
344名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 17:00:33 ID:nCRTpVKC
アールグレイ!お前の存在意義ってナンだ?
ず〜っとパソコンにへばりついて、こんな何の生産性も無いこと
書きつづけて。悲しくならないか?
他の皆は、生きるために必死で働いているんだよ。

言い訳はもういいから、本当に言葉遊びはやめな!
345アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 17:12:30 ID:NSnGXEog
俺も、仕事中だよ(笑)
346アールグレイなTAO:2006/04/14(金) 17:18:44 ID:NSnGXEog

まぁ、強いていえば、言葉あそびが俺の仕事なんだよ。
別の意味でね(笑)。
347名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 18:16:33 ID:kNjgKmFm
宗教はいらない、自分の理屈は存在する
348名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 18:58:02 ID:4SYB1lkT
まず前提として二種類の神がある。
一つは造物主。つまり大宇宙の一切を存在たらしめている根源的な一なるモノ。
もう一つは人格神。イエスや孔子やブッダ等地上に人間として生きていた大聖
人が、死後霊的存在となり、高位の神格を持って地上に様々な影響を及ぼして
いるといった意味での神。
神を語るならせめて人格神と造物主をしっかり分別して語った方がいいと思う。
349名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 20:11:25 ID:BT0HO4dA
>>294
私は否定で終われということを言ってるのではないですよ。
否定からすべては始まるということです。そして、人間という
ものは、自分で自分を否定することが極めて困難な生き物です。
最も簡単で楽な方法を自分自身に向けられないのが人間です。
思考があるために、あわよくば安定に向かって肯定し続ける性質
があるのですね。自分の内面から生じたふとした疑問をも追い求め
すぎれば克服によって肯定という形に昇華させてしまうのです。
人間には常に否定要素は必要なのです。

これは何も私が他人のために否定してやってるということでは
ありません。前進のために必要な要素を提示してるにすぎないのですね。
私を否定する方もどんどんすれば良いのです。そこから始まるのですから。
他人が×と言えば私は○と言う。他人が○と言えば私は×と言います。


ですから、あなたのおっしゃることは、ある意味的を射てます。
ただ、明確な答えは永遠に得られません。風という方がおっしゃっていた
ように「地獄を経験した」「揺らがない」「神が見捨てるはずもない」
などと心を固めるのは実に愚かなことなのです。自分の世界に閉じこもり
自分だけの幸せが得られれば他はどうでも良いという価値観を良しと
するなら、得られるでしょう。そして、私はそういう人間を否定することから
始めます。そういう主張を惜しげもなく展開される方は、非常に素晴らしい
反面教師としての教材なのですね。

批判や否定にマイナスイメージを抱いておられる方は、おそらく暴力
と結びつけて考えておられるのでしょう。
350探求者:2006/04/14(金) 20:17:46 ID:pZ3NHsw7
神の概念を語るのは中々難しいですよね。神の存在を信じている人に
それぞれ神のイメージがあるのかなと・・・
わたしは神の存在を考えていると、どうしても宇宙と結びつけて考えてしまいます。
宇宙の無限の彼方には何が存在するのか、無限とは何か?永遠の存在、始まりも終わりも
ない。宇宙は神であり、我々人類も神の一部
351素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/14(金) 22:16:53 ID:lHqsy5zO
―たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても〜父なる唯一の神
のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―(コリント人
への第一の手紙)

―(他の或る神は、尊師のもとで)ブッダに帰依した人々は、すべて悪しき境地におもむくこ
とはないであろう。かれらは、人間の身体を捨てたあとでは、神の身体を満たすであろう―
(ブッダ)

―「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われと』言
ったとしても、その言葉どおりになるであろう〜命じられたことを皆してしまったとき『わたし
たちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい―
―『主よ、主よ』と言うものが、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨
を行う者だけが、はいるのである―(イエス)
352素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/14(金) 22:18:27 ID:lHqsy5zO
―他人を頼りとすることなく―何ものにも依存することなく―(ブッダ)

不死の世界を知った人は、それらのことを知る。
《一切の「無」が在り、一切が幸せの喜びに満ちる》ことが永遠の自分であると。

【神は、神を特別なものとはしなかった】
人間が人格的な神々などを信じて偶像的な信仰をしても神と善を知ることはなく、誰でも他人を
頼りとせず神と善を知ることができると。つまり、人間も存在しなくなった世界で神を最も知り、
完全な善に至る。

無神論者でも「死後は一切が無になり、一切の悪が存在せず」がわかれば、善を知る一歩であり、
神と永遠の命を信じる者は、それに一切の不幸が無い世界で一切が幸福でそのことに喜ぶ善い世
界があると信じれば、神と善を知れる。

後は、それぞれの人が自分で考えればよい。人々の幸福を損なわないように注意しながら。

353オデッサ:2006/04/14(金) 22:18:30 ID:SNyMgJyG
 最近の研究では、宇宙の果ては150億光年ではなく、450億光年
が常識になっているそうだ。
でも、書物などの美しい写真は、150億光年かなたの星です。それは、
それより遠い星は、光速より速いので地球に光が届かないから。
 また、ビッグバンもほとんど何も無い空間から始まったのでは無く、
始めから現在のような多くの星が存在し、ビックバンにより星と星の
空間が広がっただけなのだそうだ。(現在も広がっている)
 我々は、宇宙の法則の中で生きているが、その解釈も時として
変化する。真理は確実にあるはずなのだが・・・・
ところで、ビックバン時の星たちって誰が作ったのか?疑問は尽きない
354素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/14(金) 22:19:21 ID:lHqsy5zO
神よ、神々よ、イエスよと何度か言ったとしても、神を知らない。最も神を知り、善を知る世界
では、人間が何かを唱えることさえ無い。

最低でも人々に害を加えない、人々の幸せへの心づかいも持ち合わせている人は、その人の内に
神はある。
355:2006/04/14(金) 22:25:20 ID:XsmmIAVK
>>339
ありがとうございます。
後で伺います。実は気になっててリンクしたら終わってて、ショック受けていたんです。(初心者なので)
356探求者:2006/04/14(金) 22:45:52 ID:pZ3NHsw7
オデッサさんあなた、どんな本をご覧になったのですか
宇宙の誕生は150億年前ビックバンによって始まったのです
大きさ1p、温度は誕生時1兆度
宇宙の広さは、ハワイ島のマウナケア山の各国の天文台、日本の電波望遠鏡
スバルもありますが、宇宙の果ては観測できる銀河は150億光年が限界です
ハップル宇宙望遠鏡でも同じです。
我々の地球が属している銀河は二千億の星から構成され、広さは10万光年です。
357フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/15(土) 00:27:33 ID:vRMHIuyQ
ビッグバンと、宇宙の大きさってどうしてわかったんだろう。
観測と計算かな?

ビッグバンというものがなかったら。

展開も流入も、言葉にならない世界だったら。

そういうものすら、当てはまらないのなら。
358フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/15(土) 00:51:04 ID:vRMHIuyQ
 訂正、
>>ビッグバンというものがなかったら。
は、しっくりこないので、保留です。
すんまそ。
359 ◆/YOs1JyQKM :2006/04/15(土) 02:54:59 ID:3ZiLg0Sz
なんかすごいね
360凡人:2006/04/15(土) 05:14:14 ID:GFoLtHY0
私は『内なる神』とは『思いやり』と思ってます。

学が無いので、うまいこと表現できませんが、人間や動植物、そして地球や宇宙…全てにそれを感じずにはいられません。

とはいえ、私は俗人。エゴに包まれ葛藤しつつ、それでも自分にできる範囲で他利他愛の心を見失わないようにして、必死に生きるのみです。

しかし、コテハンの皆さんの学の深さに感嘆するばかり。いつも勉強させて戴いてます。
361アールグレイなTAO:2006/04/15(土) 07:38:48 ID:lj46Sq3f
>>349

>人間には常に否定要素は必要なのです。

確かに、そうではありますが、肯定して上昇させる契機を内包する「否定」
であるべきです。
仏教で言う、「即非の論理」の如きものである必要があると思います。

そこに至る否定は、一種無私であらねばなりません。
あなたのここまでの書き込みはどうでしたか。

 
362アールグレイなTAO:2006/04/15(土) 07:42:07 ID:lj46Sq3f
>確かに、そうではありますが、肯定して上昇させる

→確かに、そうではありますが、質的に転化した、さらなる肯定をし上昇させる

と訂正します。
363名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 09:11:54 ID:uOZS6b9G
>>361
ですから、肯定して上昇させる契機を内包する否定は
予定調和でしかないということが言いたいのですが、
349の内容からはそれがご理解いただけないようですね。
364名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 09:13:57 ID:uOZS6b9G
要するに、行儀の良さは必要ないのですね。
こう言えばわかりやすいでしょうか。
365アールグレイなTAO:2006/04/15(土) 09:22:01 ID:lj46Sq3f
>>364

あぁ、そういうことですか。
366オデッサ:2006/04/15(土) 09:51:17 ID:XL+osEwh
>>356
遠くの天体ほど速く遠ざかっていることはご存知かと思います。
では、その150億光年彼方の今見えている星は、、、もう、
そこには存在しませんネ。しかも、150億光年の間に加速
して遠ざかっている。
 自然が一番じゃ。天網恢恢疎にして漏らさず

>何に書いてあったか?
 日経サイエンスの既刊誌だったと思います、図書館にあるはずです。
367名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 09:58:43 ID:AafqgFCo
アールグレイなTAOの成分解析結果 :

アールグレイなTAOの52%は言葉で出来ています。
アールグレイなTAOの31%はツンデレで出来ています。
アールグレイなTAOの10%は保存料で出来ています。
アールグレイなTAOの6%は度胸で出来ています。
アールグレイなTAOの1%は雪の結晶で出来ています。
368名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 09:59:34 ID:AafqgFCo
オデッサの成分解析結果 :

オデッサの64%はスライムで出来ています。
オデッサの13%はやさしさで出来ています。
オデッサの13%は真空で出来ています。
オデッサの7%は鉄の意志で出来ています。
オデッサの3%は純金で出来ています。
369素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/15(土) 13:05:11 ID:VVg/8H6Z
【単に人間が考え出したことを神とすることは無い】

永遠の命の世界があって神という名称がある。そこは、如何なる人間の思考をも超越した世界で
ある。
―思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり、つくるはたらきの静まった静
かな境地である―見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただ
けのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、また、
識別されたことは同様に識別されただけのものであると知ったならば―(ブッダ)

―わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする―この世は、自分の知恵に
よって神を認めるに至らなかった―(コリント人への第一の手紙)
370素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/15(土) 13:05:54 ID:VVg/8H6Z
【この世で人間の思考(考え)が神のもので正しいとしないなら、人々から認められる】

人間の考え、判断で見出せるものは、人間が名称をつける。それぞれの人が自分の考えが神のよ
うに正しいと主張しないなら、永遠の命の世界のように言い争いは起きないだろう。
自分の内に神がある人は、人々の考えを認める。科学を科学とし、科学的にまだわからないこと
も、人間の考えでおおよそ見当がつくようになれば、人間が名称をつけるだろう。

人々の考えに従って学習していけばよい。科学は科学のものとして、人々が得た知識から学習し、
人々が生活の向上のための知識を身に付け、それをまた別の人々に学ばせようとしている。その
知識を身に付け、人々の生活の向上のために役立つ人となれば、人々から認められる人となるだ
ろう。

 自分の考えが正しいとして、他人に押し付けようとする人は、自分を成長させることなく、
 他人に受け入れられず、他人の考えを尊重してあげる人は、その人から認められる。しかし、
 人間の思考もこの世のものであり、誰かの考えを尊重してあげれなかった場合でも、別に悔
 やむことはない。

371素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/15(土) 13:06:39 ID:VVg/8H6Z
【人間は自分の考えで生きる欲望がある】

他人の考えに従った時は、その人になんらかの見返りを求めるか、「やってあげた」と思うことが
多い。自分の不利益を思い、「仕方がないから」と思ったりもする。いくら自分の考えが正しいと
言ったとしても、それは自分のものだけとするなら事実から離れないだろう。

神の考えは永遠が完全な善で、この世のものが善に足りないとしている。
― 一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜上に、下に、また横に、
障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。諸々の
邪まな見解にとらわれず〜諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがな
いであろう―(ブッダ)
―敵を愛し、憎む者に親切にせよ〜人によくしてやり、また何もあてにしないで貸してやれ〜いと
高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深い
ように、あなたがたも慈悲深い者となれ―(イエス)

 自分が生きる、自分の考えが正しいというこの世のものを超越した世界に神がある。他人を思い
 やる心、自分の善悪から離れ他人を無意味に悪と定めず寛容であること、全ての人々に対する慈
 しみ、人を尊重し大切にすることなどが永遠に存在するものを持ち合わせている人。

自分の考えが正しいとする人と、「一切の幸せ」が善であるとする人と、いずれは分かれる運命に
ある。

 
372Z:2006/04/15(土) 16:21:27 ID:3zJm0c1d
テスト
373Z:2006/04/15(土) 16:23:01 ID:3zJm0c1d
とりあえず書き込めるようですね。
出張中で宿泊先にネット環境がないのでネットカフェに入ってようやく
ロムしはじめました。
374Z:2006/04/15(土) 17:28:34 ID:3zJm0c1d
>>194
心に太陽を持て。こういう言葉を口にするのは
少々恥ずかしい年齢になってきましたが、いい言葉だと思います。
ただ、今の心境としては心に北極星を持て、のほうがいささかしっくり
きます。
というのも、社会生活を営む限り様々な誘惑を受けるし怠惰におぼれることも
ある。欲にかられて本来とるべき道をとらないで誤った道を選ぶこともある。
そういうときに、自分の位置がわかる北極星が心にあれば。
まあ太陽でもわかるんだけどね。
375Z:2006/04/15(土) 17:37:13 ID:3zJm0c1d
このスレの後半を中心にエゴという言葉も出てきたけど、
自分の内に神は存在する、これは真実であると信じているし、同じように
真実と信じている人がこのスレに集まっていると思う。
ただこのエゴというものも残念ながら自分の内に存在している。
内なる神という絶対的存在は太陽、星に象徴される不滅で輝く存在だが
エゴはそれを覆い隠し、まるでもとから太陽も星もないように見せる
灰色の厚い雲のような存在ではないかなとイメージ的には思う。
376名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 17:41:11 ID:oMBJ9jBf
書き込む際に SG(セキュリティー・ガード)に登録しないと個人情報がバレますよ。
SGに登録せずに書き込んだ場合、あなたのパソコン内の
情報は他人に見られていると考えてほぼ間違いないでしょう。
個人情報がばれる方の多くはこの登録を怠っています。
初期の頃から2ちゃんねるにいる方達は、ほとんどの方が
このBBSのコマンドの仕組みを知っています。ですから簡単に
あなたのIPアドレス等を抜き取り個人情報を見破ってしまいます。
このコマンドの方法は決して教えないというのが初期の頃から
2ちゃんねるにいる方達の間で暗黙の了解となっていましたが、
あまりの被害の多さに心を痛めた私はあえて公開することにしました。
SGしておけばまず抜かれるコマンド自体が無効になってしまうのでどんなにスキルが
ある人でもIPアドレスを抜くことが不可能になります。SGに登録する方法は、

《名前欄に「 fusianasan 」と入れて書き込みする》

これだけでSGの登録は完了します。
一度登録すれば、Cokkieの設定をOFFにしない限り継続されます。
fusianasanは、正式にはフュージャネイザン、又はフュジャネイザンと読みます。
元々はアメリカの学生達の間で、チャットの時にセキュリティを強化する為に
開発されたシステムです。これを行うことにより同一人物が書き込んでいるか
どうか判別する手段が遮断されるので安心です。ぜひ書き込む前には
名前欄にfusianasanと入力してください。自分の身は自分で守りましょう

377Z:2006/04/15(土) 17:43:31 ID:3zJm0c1d
一番重要なのはその星の方向に従い、太陽の温かみを受けて自分の行く道を照らし
星の方向に歩んでいくことだ。
もちろん、星の方向にどれだけ歩いても星にはたどりつけない。
星への階は目に見えないし、それを上ることができるのは
この人生の目的を果たしたとき、星への方向へ歩み続けてきた人のみが
見つけることができる階段だと思ったりもする。
378越後屋城跡 ◆.8R.P8LfnQ :2006/04/15(土) 17:46:06 ID:EpVs+IfG
>>376
うはww携帯もってちゃんと書かなきゃwwww
379Z:2006/04/15(土) 17:52:08 ID:3zJm0c1d
最大の課題はその厚い雲をいかになくし、せめて薄くして、いくばくかの
光を見つけることができるように自分の内面を準備することだと思いながら
日々、オフィスで仕事し、家庭生活を営み、その合間に祈り、瞑想し
皆さんから有意義な情報を得たりエネルギーをもらったり、ヒントを
もらったりしている。
380名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 17:59:53 ID:uOZS6b9G
どうやら、アールグレイなTAOという方もFear----Loveの二元論のLoveまっしぐら
のタイプのようですね。最終的にプラスに転化しなければならないという脅迫観念が
無意識にあるように見て取れます。

>>349で私は、プラスのものとして/肯定的なものとして自分の中に吸収しなければ
ならないとは一言も言ってません。ただでさえ人間は何でも肯定したがります。
「失敗から学ぶ」だの「辛いことがあるから幸せも一入だ」だのです。
肯定を見込んだ否定であるなら最初からする必要はありません。私は肯定思想で
麻痺した頭を否定で叩く必要があると言ってるのですね。

たとえば、失敗から学んで次に活かせると考えるような方は、人生において
同じことが起こると思っているのですね。同じことなど二度と起きないのです。
失敗経験を活かせるチャンスが来たなどと感じる人は、経験をパターン化して
強引に当てはめて脳を麻痺させ衝撃を和らげてるにすぎないのです。

>質的に転化した、さらなる肯定をし上昇させる契機を内包する「否定」

こういうセリフを見ると、最近の生徒を殴れない殴らない教師、あるいは暴力教師
と目くじらを立てる親を見ているようで頭を横に振りたくなりますね。
すべてわかりやすく言葉で説明し、あらゆることから何かを得なければなら
ないというようなポジティブ指向の最たる現場がゆとり教育という事になるでしょうか。
381Z:2006/04/15(土) 17:59:53 ID:3zJm0c1d
自分の進むべき道、方向というのは一人一人固有のもので、まったく
同じではないと思う。一人一人の内にある神、星、太陽は一人一人
ユニーク(唯一)でオリジナルなものだからだ。ただそれはいくら
異なるといってもこの宇宙の絶対神・創造主・クリエイターの宇宙創造の
計画、その一端を一人一人が担っていると思うのだ。
宗教団体の危険なところは、いくら神が存在すると説いていても、
その一人一人の内にあるユニークな個性・使命を教祖が否定し自分の
所有物にしようとするところにあるのではないかと思う。
382Z:2006/04/15(土) 18:05:48 ID:3zJm0c1d
自分の中に一見矛盾した現象が起こることがある。
神を否定する人間に好感を持ち、神を賞賛する人間に疑問を持つことがある。

自分の内から本当に沸き起こる感情・体験として神の否定を
訴える人というのは、いずれは神を体験し神を肯定する機会が与えられる
可能性がある。自分に正直な人、内面を見つめる人というのは
通るべきプロセスを通る。

ところが神を肯定する人でも、「教祖がそう言ったから」「自分の所属
している宗教団体の本にそう書いているから」という、自分の外側に
ロジックを求め、自分の内にある神を見出そうとしない人であれば
その発言を否定したくなるのだ。教祖が神は死んだといえば、その人は
神は死んだと叫ぶだろうから。その人の今いるプロセスというのは
前者の否定論者のプロセスの前の段階で止まっているとも感じるのだ。
383名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 20:03:19 ID:u41VpDig
とりあえず簡単にまとめて下さいorz
384名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 23:15:10 ID:YWKBZISh
人間と神とどう違うのか分からない。
385名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 03:10:43 ID:sFNisdMJ
神=人間を導く存在。
人間=神へと近づく存在。
386名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 11:25:40 ID:d32E4SzO
そうですか。< 385さん
でも人間を導くってどこへですか?
387Z:2006/04/16(日) 13:30:10 ID:tH1I8xDc
TEST
388Z:2006/04/16(日) 13:38:40 ID:tH1I8xDc
>>386
横レスになってしまうが、神は人間をどこに導くか、人間にとって
難解な質問だね。知らないほうがいいということもある。
養豚場のブタが集まって人間はわれわれをどこに導こうとしているのか
熱い議論を戦わしていたとしたら。
まあこれは思いつきの冗談として。



389Z:2006/04/16(日) 13:46:24 ID:tH1I8xDc
383さんのリクエストにお答えして、とりあえず簡単に
まとめてみると・・・

神のもとに導く。(句読点を含めて8文字。どうですか383さん)

これが答えだと確信する。
390Z:2006/04/16(日) 13:54:31 ID:tH1I8xDc
ただ人間、最終ゴールだけしか見ないで走ると途中でやる気なくして
挫折することも多いし、道をそれてしまうこともある。
やや趣旨はずれるけど、内なる神は内なる声だとも言える。
人が道をはずしかけたとき、自分の内に耳を澄ます習慣をつけたい。
たとえば、オレの場合で恐縮だが、
配偶者を決めるときにも、ある女性と付き合いだしたとき、
「違う」という声を確かに聞いた。
そして転職をしかけたとき、やはり「違う」という声を聞いた。
あまり詳細は記述しないが、内なる神の声を聞くということは
自分の道を歩み続けるためのナビゲーター、まさに、太陽・星、
これらは単なる詩的な比ゆではなく、実用的な意味における
内なる太陽、星、声だと思うのだ。
内なる神というのは哲学上の抽象的概念にとどまらず、実在すると
思う。結局簡単にまとまらず長くなるオレ。
391Z:2006/04/16(日) 13:55:33 ID:tH1I8xDc
さて、ネットカフェにはコミックもたくさんあるから
ちょっとマンガでも読むか。休憩します。
392:2006/04/16(日) 15:36:26 ID:eCqeTXb6
>>390
Zさんに考えが似ているように思えます。ただ私はその内なる声をどうしたらいいのか悩んでいます。
そして、周りのいわゆる宗教の先生といわれる方々は、その内なる声で進んで道をはずしかけている人が多いというのか・・・私にはいい勉強として見させてもらっていますが。
私もその内なる声に従いすぎると道をはずすのかとも。。。
ただ今までの宗教のあり方が悪いともおもいます。
おなかのすいている方に魚を渡すのではなく、とり方を教えてほしいと思います。
今からの宗教のあり方がかわる時が来たと感じております。
また、周りも気づくときがきたと、神を頼る・すがるのではなく、Zさんのいうように、心の支え(太陽・星)としてほしいと思います。
ただただ私はそんな時代がくると信じながら、笑顔をイメージしながら祈るのみですけど。
そして、私が他人を変えられるのでもなく、個人個人が気づかないとかわらないと思っています。
どうかこのスレを見た方の心に、感じることがあることを信じています。


393Z:2006/04/16(日) 15:50:20 ID:tH1I8xDc
>>392
照さん、こんにちわ。

内なる声と簡単に書いたけど、内的なものなので一人一人の体験、知覚は
は人の数だけあるから、詳細を表現するのは難しいと思う。

>内なる声に従いすぎると道をはずすのかとも。。。

内にあるのは神聖なる魂・光に表現される神と同質のもの
そしてそれを覆い隠す多くのエゴ
後者の声を聞いてしまうと道をはずすでしょう。

それでは前者と後者の声をどう聞き分けるかが重大なポイントかと思う。
394素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/16(日) 15:55:55 ID:dyGz4nIY
神のことを人が考えるなら神はその人を拒む。神を人が知ることができない。神はどういう存在か
と知る時は、一切悪の無い、不死の世界のみで神を知れるだろう。

神は悩まない、思い煩わない、神は不満を抱かない、神は不安も恐れも無い、神はこの世もかの世
も望まない、神は自身を神と言わない、神は神を意識しない、神は迷わない、神は一切の不幸が無
い、神は一切の悪が無い、神は苦悩が無い、神は喜びに満ち、神は何ものにも依存しない、神は一
切が幸せに満ちている、神は敵意も怨みも憎しみも無い、神は責めることが無くゆるし、神には罪
にも裁きも存在しない、神はあれやこれやと考えない、神はこだわらない、神は人の手で作った物
を必要としない、神は神自身で喜び人を頼りとしない、神は人を悩まさない、神は怒らない、神は
人に迷惑をかけない・・・・・・・・・神はこのような今のような人間の状態ではない。

 神は人を「無することが多い」
395素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/16(日) 15:56:43 ID:dyGz4nIY
―かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満
足すべきである―
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―(ブッダ)
 
 悩みや思い煩い、こだわり、くよくよと思いめぐらさない、今現在に集中し、自然の中で楽し
 むように、雲ひとつない青空を喜ぶように、太陽に照らされた森や林を楽しむように、いつも
 清々しい心でいる人は、それだけ自分の内に神はある。

 〔神いわく〕人はどれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?もしも自分 
       の心を制することができないならば〜愚鈍なる者の気落ちするような危難は多い
       のである〜一歩一歩ごとに心が沈んでしまって、諸々の乱れた思いのままになっ
       てしまうであろう。
 〔尊師いわく〕自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ます
        ことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな。
396素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/16(日) 15:57:43 ID:dyGz4nIY
人は神ではなく自分のことに悩み、くよくよと考える。しかし、自分のことについても、何事でも
こだわらない人となることが肝心。

― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜何ぴとも他人を欺いて
はならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いを抱い
て互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。あたかも、母が己が独り子を命を賭けても
護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こ
すべし〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この慈しみの心づ
かいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(ブッダ)

 ことばやさしく、思い上がることなく、他人を見下すことなく、全ての人々の幸せや安穏や安
 楽、平安を思う心に神はある。他人の過失を見ること無く、自らを正す人に神はある。

神にはあれやこれやと考え思いめぐらすことは無い。自分のことから離れ、人々の幸せを思う心の
人の内に神はある。神を知る時は、人の粗雑な思考が無くなった世界で神を知る。自分のことを思
う時は人として区別する。人がそのままで「私は正しい」「私の考えは正しい」としても、それは
その人だけに通じるものとして認識していれば、事実を把握している。
397Z:2006/04/16(日) 16:03:20 ID:tH1I8xDc
内的な声、エゴではなく魂、自分自身の本質からの声を聴くには
いろいろな準備はできると思う。
たとえば・・・かなり宗教的表現が多くて恐縮だが。

・自分自身の内にいる神に祈る(正しく導きを得られるよう)
・沈思黙考・瞑想する(エゴの声を静めて直接声を聴く)
・24時間、できるだけ自分の意識を空っぽにしない(常に声を聴く体制)
・自分の中の無数のエゴを観察する(エゴと自分を同一視しない)
・他人の声、風景、自分の周囲に起こる出来事にも注意を払う
 (自分への内的なメッセージがそこに現れていないかどうか意識を向ける)

抽象的表現で文才もないのでうまく書けないけど、まあとりあえず
書いてみた。
398Z:2006/04/16(日) 16:14:18 ID:tH1I8xDc
実生活でこれらは全て役に立つと信じているが、補足を少し。
エゴと自分を同一視しないということについて。
人に侮辱されたとき、カッとなったり殴りたくなったりすることもあると思う。
そのとき、怒りというエゴが自分を支配しようとしている状態。
その怒りが自分自身と錯覚してしまったら、実際に相手を殴ってしまうか
こらえても別のところで爆発してしまうだろう。
自分の中の怒りというエゴを客観的に突き放して見つめる・・・
そういうワークができれば自分の行動パターンが変わると信じている。
地味で大変なワークだがこれは自己観察といって神秘主義の内的
ワークとしてはもっとも重要なワーク。
絶望に瀕して自殺などしてしまう人は絶望と自分を同一視してしまった
というわけで。
399:2006/04/16(日) 16:18:08 ID:eCqeTXb6
>>393
こんにちわ Zさん

聞き分けるのは本当にためされてるようにおもえます。
私の場合、ヨシッ頑張るぞってなったときは、エゴなのかとも最近思います。
だから、その辺で最近悩んでいました。
毎日 悲しみを聞いています。でもその悲しみを私が解決することはできません。解決できるのは、本人達だから・・・。
今は、サラっと流してみんなの笑顔をイメージしながら祈るだけですけど、ただなぜそんな悲しみを聞くのかなって思いますが、今これを書きながら気づきました。
考えることはやめやめ、エゴが生まれてくるかもなので。
サラッとが、いいみたいですね(笑)何が書きたかったのかわからなくなりました
スミマセン(笑)



400Z:2006/04/16(日) 16:18:51 ID:tH1I8xDc
人間には刺激に対する反応を選択する能力が神より与えられている。
動物にはそれがない。侮辱されてカッとなる、言い返したくなる、殴りたくなる、
それが内にある神の声か、エゴの声か、自己観察を続けることで
聞き分ける力が育つというか、神の声が大きくなりエゴの声が小さくなる
という効果を期待したい。
401アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 16:24:23 ID:Qjv/ACgZ
Zさん

>自分の中の怒りというエゴを客観的に突き放して見つめる・・・
>そういうワークができれば自分の行動パターンが変わると信じている。

そうですね。
自分を見てるもうひとつの自分というか。客観性ということが、メルクマールに
なると思います。
感情的な揺さぶりから、自分をいかに浮かすか、しかし、明晰であるか。
最近、ここ1年、自分は、燃え付き症候群のように、なり、再度エネルギーで満たす
必要が生じて、それをどう行うか、試行錯誤を繰り返していますが。
ここにも、客観性が必要だと痛感しています。

しかし、なんでも、とことんやらなければ、自分というもののモノサシも出来なかったのだな、
と考えを整理し始めていますが。
402Z:2006/04/16(日) 16:24:37 ID:tH1I8xDc
>>399
照さんはいい人だね。他人について悩んでるの?
そんな余裕はオレにはない。だって、照さんが書いているとおり
人の問題は人の問題。自分の問題は自分の問題。
自分自身の問題を片付けるのに手一杯だし。
もちろん、人に親切にすることは正しい行為だし、
愛を与えるのは必要なことだと思うけど、
人の宿題を勝手に自分が片付けてしまうわけにいかないしね。
403アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 16:30:59 ID:Qjv/ACgZ
横レスになりますが、
照さん、やっぱり、サラッしかないような気がしますよ。
執着すると、もつれてしまう。「いいこと」でもつれてしまう。
自分は、二重数年前、呪殺型の祈祷人間のようなタイプで、凄まじいことが周囲に
起きていた。
許せないとか、何かを追求するときとか、叩きつぶすまで、物事を進めた。
で、魔事が生じたりした。
実に不可解なことをあまた体験した。

で、人間には、出来ることと出来ないことがある。
その線引きをどこでするか、それは、本当に大事なことだと思います。
404アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 16:31:46 ID:Qjv/ACgZ
二重数年→二十数年 と訂正
405Z:2006/04/16(日) 16:32:23 ID:tH1I8xDc
>401
TAOさん、こんにちわ。
私も燃え尽き症候群の一人ですよw
もうすぐ正式に帰国しますが、日本の仕事のあり方についていけるかどうか
不安との戦いもあり、日本自体が以前の日本とずいぶん様子が変わっている
という印象を受けています。このスレとは関係ない話題ですが。

日本はいくところまでいって煮詰まってきたという印象。
あとはもう落ちこぼれるか、勝ち組というクラスに入るか、
そもそもそういう世界からフェードアウトするか、
何らかの姿勢を自分自身示さなくてはこの先、生きにくいなという印象。
それこそ、アールグレイかモカでも飲んで一息入れたいのに
それを許してくれない国になりつつあるような。
406アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 16:38:25 ID:Qjv/ACgZ

Zさん
グローバル化といっていいか・・・そういう悪弊は、地方都市にも影響というか
壊滅的なものをもたらしている。

これが、権利を主張し、丁々発止の戦いが出来る、国民性、地域性があればいいので
すが、和をもって貴しとなす、という土壌においては、静かに沈んでいくという悲劇
を、目に見えないところで、もらたしていると思います。

勝ち組だけになったら、消費、は、どこでどう行われるのでしょうねえ。
需要はどこに?
上半身は、資本主義、土台は、内向きで自分を責める善良農耕社会の残滓。

一部のニューエイジの思想は、弱者を破滅させるように仕向けてる。
407名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 16:41:03 ID:01mWdk/d
Zさんのいう事は私も最近本当に感じてるし、そう思うからこのスレみつけてみています。
自分は40に手が届く年で、未亡人だったり難病抱えてたりで、(や、自分はそれでもラッキーな人生
今まで送られたと思います)自分の経験を通してこういう考えに辿り着いたが、
内なる神のこと自体は色々な宗教なり文献なりで昔から言われていることですよね。
ただ、各々が自分の中から気付くのと、外からいわれるのでは全く違う。
だから他人から聞くとうさんくさく聞こえるのも分かります。
結局、人間各々が自分の経験を通して感じる事が重要で、でも他人と考えが違うから
と言って否定するのも、やっぱり安易だと思う。
なぜ人が今よりも上の人間になろうとしてある方向にいこうと思うのか。
それが、存在する全ての魂が幸せになれる道だというのを、心の奥底で知っているから
だと思います。
408:2006/04/16(日) 16:49:19 ID:eCqeTXb6
>>402
いい人間ではないですよ、それが私のお仕事なのかな〜。わかりませんが。。
他人に悩んでいるわけではないんですよ、ただ心が痛くて痛くて、その心をどうしたらいいのか。
人の宿題を自分が片付けることはできませんし、片付けようとしたら、その何倍もの物が自分に課せられると思います。ただ、この心の痛みをどうにかしてほしいというか、何なんだろうっていうとこですかね。
なんか言ってることが意味不明ですよね。
自分で理解して片付けないといけないんですが、どう理解していいのやら、何を伝えられているのか今の私には悲しさがいっぱい過ぎて受け入れられないのが実情です。
ますますわからん(笑)
ただその中で悲しみもすごいですが喜びもすごいです。そのギャップで頭が壊れだしたかな 



409Z:2006/04/16(日) 17:00:37 ID:tH1I8xDc
>407
人は一人一人問題を抱えているわけで、それだから人生で、やはり
人生そのものも突き放して客観的に見つめることも必要かと感じますね。
自分が何度も何度も生まれ変わり、今回の人生はそのうちのひとつに
過ぎず、時間制限のあるゲームみたいなものだと。
そこで得た地位・金等は、そのゲーム中のみ有効で、ゲームが終わったときに
何が手元に残るか、それを考えるのもまた面白いかと。
410名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 17:03:42 ID:r+tOtVAS
まず、目標・目的を設定する。
今現在の実力を知り、目標までの道のりをシュミレートする。
周りの人を観察し、何を、どうすれば、どうなるのか?
などを学び、焦らず、じっくり目標に向かう。
他人と自分を比べるのではなく、他人はあくまでも参考として。
比べる相手は、『理想の自分』であるべき。

次に、目標に向かう様々な経験を積む。
何が成功に近づけるのか?何が失敗になるのか?
常に平常心であることは、自分の行動を確認しやすくしてくれる。
それができれば、修正や微調整ができやすくなり、失敗からいろいろな事を学ぶ事ができる。
ここで気をつけなければいけない事は、平常心であることと、感情のコントロールのバランス。
平常心とは、感情を押し殺す事ではなく、たとえ感情的になった自分でも、
湧き上がる感情に流されるのではなく、冷静に自分を見つめ、
目の前の出来事を冷静に分析できる状態のこと。
逆に感情を押し殺し、感情を実感できなくなると、その経験が『経験の為の経験』になってしまう。

411名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 17:05:08 ID:r+tOtVAS

最後に、目標・目的に近づいたら、次の目標を作ること。
この段階で、次の目標を作らないと、燃えつき症候群になる可能性が高くなる。
目の前の目標が達成されれば、何を得て、どんな可能性が広がるのか? 自分を見つめなおす時間が必要になる。
ここで気づく事がある。
自分をここまで成長させてくれたものが『目標・目的』である事に。

人は快楽を求める生き物。
目標に近づく事は、誰にとっても快楽になるはず。
実は、この「目標に近づく快楽」ほど、人を快くさせる快楽はない。
一時的な快楽を求め、自己嫌悪に陥ったり、空しさ、後悔を経験した人は少なくないはず。
確かに目標をクリアする事は、最大のご褒美になり、最大の快楽になる。
でも、それだけではない。
そこに向かい、一歩ずつ前進している自分は、間違い無く成長しているはず。 それは十分、賞賛に値することである。
412名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 17:05:28 ID:7zSeNEhu
自分の中に神は存在する、として、
自分の「脳内」に居るとしたら、
とんでもない変人が出来るだけ。
413zftth000041.ztv.ne.jp:2006/04/16(日) 17:11:19 ID:fGRviSqu
o
414:2006/04/16(日) 17:11:50 ID:eCqeTXb6
>>TOAさん

やっぱりここ一年ですか・・・その前後はあると思いますが。
私は、人間が怒りをもっているとうまくいかなくなると思います。その怒りにつぶされることに気づいてないような。
例えば生い立ちも深く関係してくるし、日本全体がその怒りに満ちているようにも思えます。
他人を思いやる心がなくなって、物質的社会の中にとらわれて、心狭く、自己利益なら他人をきづつけても儲けたいと思う人が多い。
そして儲けても、満たされない心は、ますます物質にとらわれてどんどん狭くなる。
それでも本質に気づけない。
心が痛い、だけど変えれない社会・・・・でも本当にかえれないの?みんなが変えれると思えばかわるのでは?
わからない。。。(笑)
 
415アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 17:20:24 ID:Qjv/ACgZ
照さん

多くの人が「身に染みたら」変えようとするかもしれないね。
でも、「身に染みない」となかなか、自分だけは大丈夫、なんて思うし。
でも、まぁ、種蒔きはしないとね。
今すぐ花は咲かないかもしれないし、鳥についばまれるかもしれないけど。

もちろん、ここ一年は、その意識された時期ということで、根底は自分の愚かさに
あるけどね。

416アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 17:23:37 ID:Qjv/ACgZ
>>411-412

 ありがとうございます。
417410 411:2006/04/16(日) 17:24:09 ID:r+tOtVAS
この一連の作業が『神』です。
この一連のプロセスが『神』です。

成長、高みに登り詰めるプロセス、目標に向かうエネルギー、
それを可能にさせる環境、このすべてが『神』なんです。

何を目標に設定するのかは、個人の自由であり、目標はそれぞれ。
人類の唯一の共通点は、成長するってこと。
何を成長に定義するのかは、個人の自由であり、価値観はそれぞれ。
418アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 17:25:19 ID:Qjv/ACgZ
あ、間違えた。>>410-411 かつ>>412としよう。

すみません。
419Z:2006/04/16(日) 17:28:51 ID:tH1I8xDc
>414
こういう日本に生まれてきたということは偶然ではないはず。
行き詰った管理社会の度を強め、人情も和も薄れつつある日本だけど
その時代に生まれてきたというのは何らかの意味・目的があると思う。
地理的にちょっとずれれば韓国、うっかりすれば北朝鮮w
でも神様はうっかりしない。オレたちは絶対に日本に生まれるべきだったのだ。
ちなみにオカルト的な話になるけど、
この地球に肉体をもって生まれること自体がすごいことらしいよ。
地球の周辺には無数の魂が自分の誕生の順番が回ってくるのを待っている。
それが北朝鮮だろうと、スーダンの飢餓地帯だろうと、生まれたくて
しょうがないそうな。
つまり肉体を持って生まれてくること自体、自分の魂にとって大いに
習得を積む、大きな仕事をする大チャンスなのだと考えていいと思う。
ましてや日本、大きな意味があるでしょうね。生まれてきたことについて。
そして生まれることができなかった魂たちは自分の分も頑張ってきてね、
と愛を込めて我々を送り出してくれて今も祈ってくれているとのこと。
祈りというのは目に見えない次元とのコミュニケーションの発信ツール。



420アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 17:33:04 ID:Qjv/ACgZ

>神様はうっかりしない。オレたちは絶対に日本に生まれるべきだったのだ。

自分でもそう感じてますよ。実に面白い。つらく苦しい日々は長かったが。
とくに、気やエネルギーというものが、空論ではなく、ある種の過渡的実体
であると、感じられたこと、それも客観的に、ということも含めて。

ただし、過渡的実体「即」過渡的虚妄なんですが。即非の論理で言えば。
しかし、虚無ではない、最初からなかったのではない。
421Z:2006/04/16(日) 17:33:22 ID:tH1I8xDc
>415
そのとおりですよねえ。
人間、満腹のときはゴロゴロして
お腹がすきだすと、慌ててタネをまき始める。
おそいって、と神様からツッコミを受けそうなオレだ。
422アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 17:34:38 ID:Qjv/ACgZ

>>421

俺は、そうとう突っ込み受けてます(笑)
逃げ場として、アールグレイなスレ立てたのかな。う〜む(苦笑)
423Z:2006/04/16(日) 17:43:25 ID:tH1I8xDc
>422

いや熱いディスカッションも必要ですが一服のお茶も必要かと。

それではCM

当スレでちょっと疲れたなと思ったら

アールグレイで甘美な午睡 4
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1144622282/l50

424アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 17:47:33 ID:Qjv/ACgZ

宣伝ありがとうございます。

私は、モトは、レイキスレ「407本人」でしたので、論争のないスレが
欲しかった(笑)。
そこは不定形スレです。
「火の鳥」にでてくる、「ムーピー」みたいな感じで(笑)
425:2006/04/16(日) 18:00:49 ID:eCqeTXb6
そうですよね!偶然に今を生きているわけではないんですよね。

今 私用で外に出たら、雲ひとつない青空
なぜか 涙がでてきました、繋がっているんだと。
そして「同じ間違えを繰り返さないために」とも聴こえたような・・・。

沢山の芽が出ることを、そして、
泣きな〜さ〜い 笑いな〜さ〜い いつの日か いつの日か花を咲かそうよ♪

サラッと笑顔で祈ります。

426Z:2006/04/16(日) 18:01:43 ID:tH1I8xDc
>>424
ムーピーのところで飲んでたコーヒーを噴出しそうになりましたが
気を取り直して読むと、レイキとは!
また今度、勉強させていただきます。

427アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 18:08:12 ID:Qjv/ACgZ

俺は、強硬な、アンチ・レイキだったのです。
インスタント伝授、反対です。
428:2006/04/16(日) 18:11:30 ID:eCqeTXb6
>>424
ムーピーって、なっなんですか?
知らない私ですが、名前の響きで笑えますた(笑)
そしてレイキもすごい惹かれますよね 
429アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 18:13:32 ID:Qjv/ACgZ
照さん、

「なきなさい、わらいなさい」は、チャンプルーズの80年あたりの
ライ・クーダーがスライドギター弾いてる、ハワイ録音のCDもいいっすよ。

少々マニアックな名盤です。Bloodline。
名曲がイパーイですよ。
430アールグレイなTAO:2006/04/16(日) 18:16:34 ID:Qjv/ACgZ
ムーピー

>火の鳥が岩石の宇宙船に乗せて連れて来たのはムーピーという不定形生物で、
>どんな環境でも生き延び、またどんな種族とでも子供を作る事が出来る生物だった。

ぐぐって、無断引用すると、こんな感じ。
あれは、タントラ・スレだという噂ともリンクするかな(笑)
431素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/16(日) 18:27:55 ID:rWnaC15R
>>400
全てを超越した世界に真実の自分がある。今の自分の姿は真実の姿ではない。怒りも無く、敵意も
無く、憎しみも無く、人はそれぞれの環境によって、それぞれの立場によって、不満も無く、喜ん
で生きる姿が真実の自分に近い。

侮辱されて怒る姿は真実の自分ではない。本当の自分はそれらとは別の存在である。

―しかしすでに自己が自分のものではない― 一切の事物は我ならざるものである(諸法非我)―
(ブッダ)
  自己は作られただけの存在である。個人存在の諸要素の集合がアートマン(作られた存在あ
  る)と今知るか、不死の世界に至って知るかによって、自分の内に神を持てるか、死なないと
  わからない存在になるか分かれる。
432素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/16(日) 18:28:53 ID:rWnaC15R
怒られているのは自分ではない。怒らない自分が真実の自分である。それがわかれば自制心を身に
つけるだけである。
怒る、憎む、怨む、敵意を抱いて人と争う。自分ではないものにより、人はこの世で楽しく生きれ
ない。自然の中で瞑想し、粗雑な思考をおさめた姿は真実の自分に近い。

人の思考もこの世だけの存在である。自分の内に神がある人は、動物も人の思考も全てが同一のも
のとしてみなす。
人の考えはその人のものとして尊重する。人の思いもその人のものとして尊重する。人の性格も何
もかもその人のものとして尊重する。一切の生きものを尊重する人は、自分の内に神があり、全て
のものの上にある。

他人の行為にくよくよ思い悩む人は、その人に支配されている。聡明な人はそれらを割り切って明
るく生きていると他人を観察してもわかる。

433:2006/04/16(日) 18:51:02 ID:eCqeTXb6
>>429
ありがとうございます。
今度探してみます♪
434名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 20:09:03 ID:rDcKiKd2
自分について執着し自分の姿を文字通り鏡で見、そうやって
自分を必死に確認し位置づけないと気がすまないのは愚かな
ことです。この世に自分の姿を自分で見ることのできるものが
もしなかったら、人間の在り方も大きく違っていたでしょう。
特に自分の顔を見るという行為は自分の内面に大きな影響を
及ぼします。仕事をする上で身だしなみに気を使うことは大切
ですが、あまりに鏡を覗き込みすぎると泥沼に陥りますよ。

自分の心や鏡を見て自分を追求するのではなく、他人との
関わりの中で人間は自分を位置づけるのです。誰も自分の
ことを理解してくれないなどと考え始めたらアウトだと思いますね。
そんなことは当たり前なのです。社会というのは、その理解の
ないところでいかに歩みよるかという場所なのですね。

そして、最も大事なことは、理想の自分など幻だということです。
自分に対して客観視することに拘るのは愚かなことです。
435名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 20:22:54 ID:d5o+H9Y9
>434

あなたは、実にいやしい人間ですね。
花見に集まった人々を相手に、わざわざケチをつけにくる。
「花のどこが珍しいのか、花は自分の生殖行為をやっているだけだ。これ自体
に意味はない」と。
そういう無粋な考え方をするのは個人の自由だが、人生を灰色に塗るのは自分
だけにしてくれ。
436名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 21:58:09 ID:ZClC9npF
>>434
>>誰も自分のことを理解してくれないなどと考えたらアウトだと思いますね。

それを客観的に考えることが重要だと思うよ。
誰かをあなたが理解してあげることから、あなたの言うことが始まる。

人は客観的に物事をみることから進化するんではないの?
 
437名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 01:26:39 ID:7NqQaW1t
うちではプレーリードッグという小動物を2匹飼ってる。
こいつらの主食は草で、普段は草のペレットを与えている。
仲良く食べているのを微笑ましく見ている。

こいつらはヒマワリが大好物だ。
本来温和で集団生活をするこの動物が、ヒマワリを与えると
別の動物のように激しく喧嘩をはじめ奪い合う。

ヒマワリは人間にとっての金だな、と自嘲気味に思わざるをえなかった。
438名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 03:47:11 ID:1vWir8Yx
面白いですね。
多幸感と闘争心は脳内で両立するのです。
というより、排他できないと言った方がいいでしょうか。
439名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 12:44:34 ID:7B6G3QrZ
光って強すぎると眩し過ぎて見えづらいナ
もしも、自由に動けたらあの時見た緑が見たいな。今度は地に足をつけて
熱風で受けたものを治してくれそう。
440名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 18:02:52 ID:1vWir8Yx
カルト教皇ベニーが世界平和を願いテロに対して結束することを
訴えたようですが、さすが愚かな宗教者は違いますね。平和や幸せ
を求めること自体が争いの本質であるにも拘わらず、その争いを
助長する結束を促すとは。同じ考えを持った人間が群れるという
のは憎悪を助長するのです。そもそもが「幸せ」というのは、非常に
傲慢な自己欺瞞なのですよ。真の弱者は幸せなど求めない
でしょう。食べ物や家、家族との平凡な生活など極めて具体的な
ものです。

このスレの一部の人間も同じですね。結束して憎悪を自ら育てたい
哀れな方がおられるようです。明示的に宗教を捨てたからといって
中身が同じでは意味がないですよ。結局は、自ら信じる何かを「神」
という共通項で他人と共有し安心していたいのでしょう。それはまさに
宗教の本質なのです。幻をいつまでも追い求めているのなら何も
変わりません。

宗教はいらないと言ったところで神を求めていれば同じことです。
既存宗教もそうやってできてきたのですから。繰り返しの歴史のスタート
地点に立って、自分たちは進んでいると思うのは実に愚かしいことですね。


>>436
理解も幻ですよ。他人を理解することなどできず、せいぜい理解した
ように振舞う程度のことです。客観的にみることから人間は進歩します。
その客観の目は他人ですね。鏡を見て他人を見るように自分を見ても
それは好意的な解釈しかできないのです。
441Z:2006/04/17(月) 20:26:40 ID:SxzUXgjQ
書き込みテスト
442Z:2006/04/17(月) 20:39:56 ID:SxzUXgjQ
>>434
自分を必死に確認し位置づけないと気がすまないのは愚かな
ことです。

自分は誰か? 自分がどこにいるか? なぜここにいるか?
自分自身を知ろうとするのが人間。
自分の位置がわからず迷っていながら安心してるほうが愚に思えるのは
オレだけ?

>自分に対して客観視することに拘るのは愚かなことです。

安心してくれ。あなたのいう客観視はオレもあなたも含めて
ほとんど誰もできていない。目指してはいるが。
今の人間は自分自身を主観的にしかとらえることができていない。
自分は偉い! 私は美人! オレが一番大切! 
ボクが正しくてアイツがいけない!
このような主観的な見方をいったん捨てて本当に一歩引いて他人のように
自分の言動を客観視できれば、世界中に争いはずいぶん減るはずだ。
家庭でも職場でも国と国の間でも。
そういう意味で、われわれは、あなたの言う「愚か」なヤツになりたいねえ。
443名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 21:15:35 ID:UFfQFwR/
>>440
だったら、あんたがそうやって生きればいいじゃん。
このスレの住人は既存の宗教ではなく、神とか善とかいうものを
自分で考えてみようと思っているだけ。
他人に押し付けるつもりはなく、布教なんてしない。

他人の目から見ても、他人のやっていることに文句言う奴は、その
人から嫌われる。
444凡人:2006/04/17(月) 21:40:52 ID:vHkTeHnl
>>440
そう思うのならそう思えばいいと思いますよ。
それも考え方。
あなたがそれで満足ならよい。
445Z:2006/04/17(月) 22:10:10 ID:SxzUXgjQ
周期的に神否定論者がやってくるけど、それはそれでいいよ。
ロジックやディベートで神がいると主張するつもりはない。
神とか菩薩とか天使とかそういう目に見えない存在を信じるということは
直接体験するか、感じるか、何らかの人生のきっかけを通じて
信じるようになるか、その存在に感謝せざるを得なくなるか、
なんらかのきっかけが必要かと。その機会が訪れるのが早いか遅いか
という個人差もあるし、いずれにしろ自分に正直であり続けた結果、
神を否定するのであればそれはそれでいいと思う。
446名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 08:30:09 ID:qaSWeXxb
自分が信じているものが、間違いである可能性を考えたことはないの?
自分が感じた存在は100%真実なの?錯覚である可能性は0%なの?
逆になぜそこまで言いきれるの?
447名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 08:39:34 ID:DBR9bzIh
>446

来世のあるなしで言えば、
「来世がある」というのも「来世がない」というのも、思い込みにすぎない
わけでしょう。誰も確かめた者がいないのだから。

仏教では、「来世がある」と決めつけるのを「常見」、「来世がない」と
決めつけるのを「断見」と呼んで、共に外道(間違った教え)としています。
「ある」なら「ある」に、「ない」なら「ない」に引きずられて、自分を
失う。だから、「自分が信じているものが間違いである可能性はないのか」
という問いが大前提にあって、「たとえ間違いであっても、本望である」と
言える人間だけが「信仰者」の名前に耐えられるのだと思う。
448名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 08:47:15 ID:DBR9bzIh
例えば、一万円が道端に落ちていたとして、拾ってネコババしたくなったと
します。他人が見ているかどうか、確信がないとして、

A.「他人が見ているに違いないから、がまんする」は、「常見」の考え方、
B.「他人が見ているわけがないから、ネコババする」は、「断見」の考え方、
C.「他人が見ようが見まいが、ネコババはよくない」は、「信仰者」の考え方です。

「信仰的な生き方」に対して美意識を共有でき、多少の犠牲をも厭わず、純粋に自発的
にそれに従うのが「信仰者」です。これに、「来世があるかもしれないから」という
動機を持ち込むと、知らず知らずのうちに「落ちている一万円札」に呪縛されて自由を
失います。
449名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 09:18:41 ID:qaSWeXxb
私は人が見ているかどうかにかかわらず、落とした人が困っているかも
しれないと思うので、警察に届けます。

私は、信仰者ではありませんけど。
450名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 12:10:20 ID:DBR9bzIh
>>449

たとえ形の上で信仰されていなくても、神の目からは「本物の信仰者」です。
451名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 12:16:36 ID:DBR9bzIh
「信仰者」という呼び名が悪ければ、「求道者」でもいいですが。
452名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 12:27:57 ID:qaSWeXxb
>>450
だから、その「神の目からは本物の信仰者です」っていう意味がよく
わからん。
それは、100%信じているあなたの目線でしょ?
なんで人の行いを勝手に神の目でみるの?
なぜ、自分が信じているものが100%だと言いきれるの?
453名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 12:54:03 ID:DBR9bzIh
神という言葉を限定しているのは、あなたの方だと思うけど。

たとえば、海には海水がいっぱいある。そこからコップ一杯をくみ上げてみる。
その海水と、海にある海水は「同質」でしょ?
私は、人間と神様も同じ関係だと思っている。コップの海水が人間で、海が神様。
変な言い方になるが、「同質」であれば、人間という、いろいろな形をしたコップ
もまた中身は同じで、塩辛いとか、共通の性質を持っている。人間で言えば、「あれは
人間じゃねえ、非道(ひど)い行為だ」と認識する普遍的価値観がある。

要は、その普遍的価値観に素直に従えばよいので、「同質」であるとすれば、
コップの違いを超えて、その中身も、さらには海を満たす巨大な海水についても、
それは通じる。めんどうくさいから、ひとまとめにして「神」と呼んでいるだけ。
454凡人:2006/04/18(火) 12:56:33 ID:1oGLyWUX
>>452
この考え方が100%信じれるって人はそうそういないでしょう。私だって暗中模索、日々勉強です。
ただ、たとえ考え方にズレがあったとしても、悪い考え方?ではないと思いますよ。
455名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 12:56:49 ID:DBR9bzIh
人間を離れて神はなく、神を離れて人間はない。
だから、「神を信じられない」というあなたの意見は、「自分の存在が
信じられない」と同じだけ滑稽に見えてしようがない。
456名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 16:39:57 ID:Za6TOBby
人それぞれですね。いろんな考えがあってもいいのではと思います。

個人的には神さまって概念がイメージできないです
どなたか、簡潔明瞭に神さまについてお教えください。
457名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 17:49:46 ID:/4vKftMK
私は単に>>445のZさんの
「神とか菩薩とか天使とかそういう目に見えない存在を信じるということは
直接体験するか、感じるか、何らかの人生のきっかけを通じて
信じるようになるか、その存在に感謝せざるを得なくなるか、
なんらかのきっかけが必要かと。その機会が訪れるのが早いか遅いか
という個人差もあるし、」という発言について、
自分の感じたものは100%正しい。神否定論者はいずれわかる時が
来るという発言に聞こえるので逆に問うているのですよ。
逆になぜ自分が感じたことだけが真実だと言いきれるのですか?と。
自分が感じたものは神ではなく、錯覚であり、自分の脳細胞の一部が
無意識に作り出した偶像や偶然の一致かもしれないという可能性もある
でしょ?と。
もう少し謙虚に客観的に分別する気持ちがあれば、神否定論者を逆に
頭から否定する必要は無いんじゃないですか?と。
今までは、神否定論者が否定してきたことに対して、「なぜそう言いきれる
のですか?」と皆さんは問うてましたが、逆にお聴きします。
458名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 18:20:04 ID:DBR9bzIh
>>457

>逆になぜ自分が感じたことだけが真実だと言いきれるのですか?と。

そこがよく理解できないんですよ。
例えば、自分の好きな音楽を楽しんでいるとする。別の人が「その音楽のどこ
が楽しいのか、あなたが感じているの楽しさとは錯覚にすぎないのではないか」
と言われたとする。私は、いろいろと楽譜なんか持ち出して、「ほら、ここの
メロディーなんか、もう最高じゃないですか」と言を尽くして説明しようとする
が、「いや、それはあなたの錯覚でしょう。私はいいとは思わない。」と言われた
らそれで終わりです。

では、音楽は何のためなのか。錯覚であろうがどうが、楽しむためではないん
でしょうか。何にでも証拠や理屈を求めたがるのは、現代人の悪い癖です。
あるいは、こう言い換えることもできる。世の中には、分析のまな板に乗せて
包丁を振るった瞬間に死んでしまうものが多くある。自分が殺しておいて、
「だから、初めから錯覚にすぎない」と決め付けるようなことをして、
それに気づかない人が多い。

まな板に絶対乗せてはいけないもの...親子の愛情とか、夫婦の愛情などは、
「どうして」を拒絶したところに尊さがあると思う。あるいは、神仏の世界も
そうかもわからない。
459フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/18(火) 18:20:49 ID:dkFUI/Va
>>456
神というイメージが、普通の習慣からどう感じているか?
という所から探るとわかりやすいと思います。
神社の神様とか、キリスト教の神様のイメージとか。
これは宗教的なイメージを選びましたが、
自然と触れ合った中で、偶然とは思えない、
美しい自然の摂理を感じるのも、同じものだと感じています。
460名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 18:23:43 ID:DBR9bzIh
飢えて苦しい思いをしている時に、自分の分を我慢して差し出してくれた
おにぎり一個と、コンビニで売られているおにぎり一個の価値の差は何で
しょうか。

差がわかる人だけが、神仏の世界に心を開くことができる。
「おにぎり1個は1個だ」と言い切る人は、私から言わせれば、人間から
堕落して半分動物になっている。
461名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 18:32:22 ID:DBR9bzIh
>>459

直接「神」を感じるのなら、大自然の中に限りますね。
私は、ロッキー山脈のある3000メートル級の山頂にひとりでとどまった時、
あまりの風景の美しさに、自分の感動を誰かに伝えたくなりました。もちろん、
誰もいない。その時、ふと「人間は神と感動を分かちあえるんだ」という思い
が頭をよぎりました。「この」感動を味わうことができるのが、人間である
「私」ひとりならば、「神」は「私ひとり」のためにこの風景を用意してくれ
たのだとも言えるでしょう。たとえ錯覚にすぎなくても、これ以上幸福感に
溢れた結構な錯覚はないだろう、自分は実にラッキーだったと思います。
462フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/18(火) 18:41:45 ID:dkFUI/Va
>>457
これはこのスレに限ったことではないけれど、
神様が出てくると、気になって仕方がないんだよね。

で、自分が神を信じるのには、根底に不安があるからだと思う。
弱さとか、不安が、自分が不確実性の中にいるという弱さかな。
それが、不安を支えるものになっているんだと思う。
神を杖に不安の道を行く、
だから、神という杖を投げ捨てている人や、
否定している人の意見に無意識に反応を返す。

そんなところかな。
463名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 18:54:23 ID:/4vKftMK
ID:DBR9bzIh さんの意見がよく理解出来ないのですが。。。
まず、>>458ですが、
音楽の好き嫌いと神の存在の有無を同じ土俵で論じられても、
例え話がかけ離れすぎて、何をどう返答して良いものやら。。。
>>460の件も、感謝の気持ちは、神仏とは関係ないでしょ!
「道徳!!!!!」
自分も貧しいなか、おにぎりを分け与えてくれた人への言葉で
言い表せないような感謝の気持ちとか、落ちている一万円を
落とした人が困っているだろうと思って、警察へ届ける気持ちも
何でもかんでも神仏の世界にしないほうが良いですよ。
道徳の問題だからね。

私も100%神様がいないとは思っていませんよ。
ただ、Zの「100%神は存在する!いずれ皆それを感じる日が来る!」
という危険思想がオウムのような犯罪を生む可能性があるから、
逆になぜ、そこまで言いきれるのかを冷静に分析してほしいと感じて
おるのですよ。
のめりこまないで、客観的に、俯瞰で見れる目線を持つ。
・・・・・・もう無理かな?
464名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 19:19:35 ID:J0Ya6kS2
>>463
あなたは、認めるだけでいいんですよ。
「自分には、理解できない世界がある」と。

あなたのような、現実主義者、唯物論者は、別に珍しいことではないから。

あなたの考え、価値観があなたの人生に役立てば、なんら問題ないですよ。
神を信じる考え、価値観も人生の役に立ってる人がいるんですよ。
信じる人には、説明はいりません。
信じない人には、どんな説明も意味はないんですよ。

あなたの、神=宗教=オウム=危険思想と捉えてしまう考え方こそ、客観的に見つめるべきですよ。
465名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 19:28:21 ID:Cng+OsPc
主観の相違
信じてる人は何を言っても信じるし信じない人は何を言っても信じない
466名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 19:32:55 ID:/4vKftMK
>>464
だから、そうやって逃げないでよ。
何かっていうと「理解できない人には何を言っても無駄です」で
説明終わらせるよね。逃げてばっかり。

何度も言ってるように、私は唯物論者では無いですし、神がいるかも
しれないとも思ってますって。
けど、100%言いきれる根拠を示してほしいって言ってるの!
「おそらく存在するであろう内なる神」という表現ならまだしも、
100%神はいる!皆そのうち気付く!って言いきってるんだから、
「なんで?なんでそう言いきれるの?」っていう問いくらい明確に答え
られるんでないの?
467名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 19:41:03 ID:J0Ya6kS2
>>466
愛は信じますか?
「証拠を見せろ」と言われたら、どうします?
目に見えない事象に対して、根拠って。。
理解できる人にとっては、朝焼けにも夕焼けにも、神を見る事ができるんですよ。

「なんでそう言いきれるの?」の問いへの答えは、
「そう信じる事で、幸せになれるから」です。
468名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 19:53:47 ID:Za6TOBby
456です459のフィロさまありがとうございます
宗教のイメージですとキリストが神に一番近い感じがいたします。
学ぶためフィロさまのお勧めの書物がありましたらご紹介戴ければ幸いです。
469名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 20:12:07 ID:nb06ZB4I
>>450の「神の目からは」には笑いました。あなたは人間の目を離れることはできないのです。
人間には思考力や想像力があるために、超えているように妄想することは可能ですが
それを周りに触れ回るのは愚かなことですよ。神は自分の内にあるというのも、つまる
ところ外部で、たとえばこのスレで共有できなければ満足できないのですね。

>>457
簡単なことですよ。神を妄想し信じる方というのは、彼らにとってそれがすべてであり
真実だからなのです。自分の主観がすべてなのですね。それを周りに伝えることは
良いことなのだと、これもまた妄信しているのです。完結に言えば、神の根拠は
「信じること」なのですね。彼らはしばしば、自分が人間であることを忘れ「神の
視点」を語り始めます。彼らが言い切るのは、疑わないことを誇示するためでしょうね。
他人に否定されても、「あなたがそう思うのならそれでいい」と行儀の良さを示す
ところからも妄信ぶりは伺えます。


私は昔交通事故で臨死体験をし、幽体離脱を経験するという夢を見ました。
こういう夢も神の体験だとおっしゃる方はおられるでしょうね。実に哀れなことです。
奇跡だの神秘だの神のイメージでさまざまな現象が語られますが、所詮、それは
日常・非日常の差にすぎないのですね。私は毎日のように夢を見ますが、
それは人間の記憶と想像力がつくりだす映像に過ぎません。
470Z:2006/04/18(火) 20:16:29 ID:GOzzziyv
書き込みテスト
471Z:2006/04/18(火) 20:43:54 ID:GOzzziyv
>>446
446さん、できるだけ正直にマジメに答えるからね。
そのつもりで聴いてほしい。

>自分が信じているものが、間違いである可能性を考えたことはないの?

社会生活、いろいろとお金のからむビジネス社会に身をおいているからね、
基本的には人は疑ってかかる。どんなに笑顔で接してこられてもね。
だから、基本的には信じるということをしないんだ。オレはね。
体験を積み重ねて信頼関係を築く、そうしたら信用ができて信じることが
できるようになる。そのためには多くの体験と時間が必要だろう。
短時間で信用・信頼を得るにはそれなりの衝撃的な体験が必要だ。
オレはそうやって信頼関係を築いたのが、自分の内なる神と妻と娘、
そして数人の友人。

>自分が感じた存在は100%真実なの?

100%とは言っていない。
人間の行為・言動・判断力にはいつでも紛れが入りえるからね。
変な言い方になるけど、ざっくり言うと
直接体験から40%、状況証拠から30%、いろいろな他人からの
体験談から30%、総合トータルでまあ100%真実だなと
今は感じている。それが信じるということなら、まあ信じていることになる。
以上の合計が50%以下なら、オレも懐疑主義、否定論者になっていたかも。

(続く)
472Z:2006/04/18(火) 20:56:48 ID:GOzzziyv
>錯覚である可能性は0%なの?

錯覚である可能性も0%ではない。ただそうだとすると、相当
壮大な長期間にわたる錯覚で、これほど恩恵を与えてくれる錯覚は
他にないし、それはそれでその錯覚に感謝したいね。
神の信仰とはちょっと違うけど、いろいろと自分にふりかかってきた
直接的な神秘体験を様々な形から否定しようと何度も試みた。
一番、否定しやすいのは脳内麻薬現象。
ランナーズハイとか禅キチ、釣りキチ、トレーニングを究極にやり続けたり
趣味を極めようとしたり一定の何かを繰り返し続けるとそういう現象が
起きると耳でかじったこともあったんで。
脳内麻薬の可能性はある。それでも壮大かつすごい恩恵ある脳内麻薬だから
それはそれで享受したいし感謝したい。

>逆になぜそこまで言いきれるの?

言い切るというと語弊があるけど、こういう限られたスペースの
掲示板だから言い切り型にはなりがちだ。
まあ、言い切ったと前提で論を進めるとして・・・

オレだから言い切れるんだろうね。オレがあなただったらとてもじゃないけど
言い切れない。だって体験もなく感じることもなきゃオレだって言えない。
体験も感じることもなく言い切るなんて、自分にウソついているのと
同じだし、できない。
体験も感じることもないから否定できるんだと思う。
だからあなたは正直な人だと思ったんでいずれはもしや・・と期待して
ああいう言い方になったわけ。
473名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 20:59:39 ID:fpkhqbs5
>>463

>道徳の問題だからね。

そういうのを、「カテゴリー分け」って言うの。
それでわかったつもりになっているのは、愚かの見本みたいなもの。
「道徳」という言葉にいくらナイフを突き立てても、血の一滴も出ない。
そういう軽率な言葉が出ること自体、あなた自身が「道徳」と格闘した経験が
ない証拠だろう。

自分で恋愛して傷いたことがないくせに、メロドラマの擬似恋愛体験だけで、
恋愛がわかったような気になっているDQNと同じ。
474名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 21:05:23 ID:fpkhqbs5
>>469

あんたは、あんたの好きにすればいいさ。
人のことは放っておいてくれ。
野良犬にキャンキャン騒がれると、酒がまずくなるんだ。
475素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/18(火) 21:07:01 ID:LicTkdzu
【人の考えが神のものとして人を支配することな無い】

神は神について人が自分で考える能力を生かして神を見出すことができないものとした。「私の考
えたことが神の意向です。」として、人が人を支配することはできない。
しかし、何が善か何が悪か知りたい時、自分の主観から離れて、永遠の命を思いその人の生きるべ
き道を知れると思う。なぜなら、永遠があり神という名称があり、そこを完全な善として今のよう
な人間の思いが一切存在しないからである。

他人に依存せず、今のような自分から自分を成長させようと思うならば、永遠から学び、それを自
分が思い上がらない程度に受け入れていればよい。なぜなら、そこから善を見出して行い自分を善
人と自任しても、それを認める存在はないだろうから。

つまり、永遠の世界は安らぎであり善であるから、その人が安らげば善となる。

476素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/18(火) 21:07:56 ID:LicTkdzu
【多くの神々が存在するようではあるが、私たちは真実の自分の姿を探ること意外に救いはない】

敵を憎み争って、平和を願う。しかし、何ものかが争いを止めさせ、平和にすることはない。
永遠の世界で真実の自分を知り、敵意も無く、憎悪も無く、怨みも無い存在であったと知るならば、
宗教者が社会悪を憎み、人と争っても平和を目指せと言ったとしても、それは違うとはっきり判断
できる。善い者、悪い者、正しい者、正しくない者という識別も無く、自分の考えが正しいとする
ことも無く、人の考えを尊重するから、妙に反発し、また争いの原因を作ることもない。

 通常は敵意や憎しみ、怨むことを好まないだろう。お前は悪い者だ、正しくない者だと相手を
 責め立てることを好まないだろう。普通なら私の考えのみが正しく、相手を尊重せずお前たち
 も私の考えに従うものだと思わないだろう。それが真実の自分であって、それを維持していく
 ことで自ら安らぎを得て、自分の内に神がある人となる。

全ての人はそれぞれの考えで生きるもので、能力の違い、肉体の違い、思いの違い、性格や性分
の違い、好みの違いなどがあることを認めて、自分が人をゆるせるようになれば、誰かを責め立
てることをせず、その人の内に安らぎがある。
477素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/18(火) 21:08:40 ID:LicTkdzu

仏教の修行僧は、究極の安らぎを求めて五感の抑制を修行とした。永遠の命は五感もなく安楽だか
ら。瞑想修行は真実の自分に近い。
この世で人の手で作られたものを追い求めるよりも、それらが無くても安楽なのである。
全てに不満がなければ安楽なのである。不満が無い人は自分の内に神がある人となる。
享楽や快楽を追い求めるよりも、自然を楽しんでいたほうが、安らぎに近い。

 享楽や快楽への自制心がある人は、善いことを自然に知っている。
 無理に抑えるという思考も無いから、自分でできる範囲で五欲の対象を適度に楽しむというこは、
 人が普通に行うこととなる。虚無主義も苦である。
478フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/18(火) 21:09:02 ID:dkFUI/Va
>>461
ロッキー山脈はスケール大きいですね。(^-^)
それで神を感じたら、感無量ですね。
479アールグレイなTAO:2006/04/18(火) 21:22:25 ID:sx75OFQr
Zさん

あなたの言うこと、俺なりに分かりますよ。
あくまでも、俺なりに、だけど。

その最大のものは、自殺未遂者の事前察知。
過去の類例では。

俺はうたたねしてたような感じ。
夢かうつつか、ビジョンを見た。
ちょうど、望遠鏡を逆にして景色をみるような感じで。
哀しい〜〜気分に俺の意識が満たされ
ある人が、その家の門のようなところで、さよならー
と手を振ってる。
物悲しさ一杯。

なんだこれは!!
と、その人の関係者に連絡。
まだ、夕方だ、帰る時間じゃない、でもポケットベルは切ってるようだ。
連絡がとれない。
まさか、そんなこと、とその家族は言う。

深夜になった・・・・。まだ連絡はない。
市内を必死で捜索。みんなで祈る。拝み屋さんまで動員。

で、当人はさらに遅くなって帰ってきた。
ロレツが回らなくなってて、車の中に「ひも」を積んで。
「場所」を探して、車を走らせては止まり、ということをやってた。

で、車内で声が聞こえたそうだ、というより、お守りが音を出した(?)
そうだ。で、その人は気を取り直して帰ってきた。
480アールグレイなTAO:2006/04/18(火) 21:23:17 ID:sx75OFQr
俺にしてみれば、
最初に見た、あのビジョンは何?
こういう客観的なことが割と、かつてはあった。
神社参詣とか、そういうことを徹底してやってた時期。

病気に関しても。執拗に診断を俺が勧める。気違いのように怒る。
で、いやいや行って、エコーを。
ええっ!よくこのギリギリで、という奴がね。
蔭が消えたというのは、アールグレイスレの2だったか3だったかに
かいたけど。

いろんなことがこの20年にはあった。
うちなる突き上げが、突然きたりしてね。

これは、もちろん神ではない。よくわからない。
しかし、
集中、瞑想、三昧という、ヒンズーなんかで言われてる、「集中」の
成果みたいかなと。

レイキスレでのカキコは「自慢たらたら」
取られるとこわいので、相当押さえたが。

たしかに、経験をつんで夾雑物を削いで、整理して行くと、何らかのシグナル
はある。
ただし、必要に応じて再現性があるとは言えないのがつらい。
つまりはこの程度。

契約書とか登記簿を見たとき、ある種の直感とか、除籍謄本を
手にして云々というのは、結構あった。
「やらせまい」という存在があるのかよっ!という経験は多々ある。
まさにこの世は不思議だと。
しかし、再現性がないので、こちらから望んではできない。
481Z:2006/04/18(火) 21:23:36 ID:GOzzziyv
>>463
感謝の気持ちは、神仏とは関係ないでしょ!

そうかな? そうじゃないかもしれないよ。
482アールグレイなTAO:2006/04/18(火) 21:27:42 ID:sx75OFQr
>契約書とか登記簿

プリンタがいかれたり、パソが飛んだり。

呪詛騒ぎのときは、電灯や、壁のスイッチから煙がでたり、車がイカれたり
看板がおちてきたりとかね。
即日、ものすごいことが起きたりしたよ。
家の中の小動物や、鉢植えにまで異常が起こる。
483アールグレイなTAO:2006/04/18(火) 21:30:05 ID:sx75OFQr
気とか、アストラルのエネルギーというものを、否応無しに感じさせられた。
悪いほうでも。

自分なりの客観性というのは、驚くべき事象が、複数の人間に起きるわけで、
MRIとかレントゲンというので、成果がでたりもするし。

ここで、俺のいう演繹という意味の基本的体験は、そういったことを言うのです。
484アールグレイなTAO:2006/04/18(火) 21:31:43 ID:sx75OFQr
でも、神そのものは、分からない。

神々、デーヴァという類型に属するものはあるのかなーと。
これも、良く分からない。

しかし、何らかの蓋然性のもとに起こる、不可思議な現象はあるように思う。
485フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/18(火) 21:35:07 ID:dkFUI/Va
>>468
おすすめという書籍はないけれど、
今まで読んだのが、バシャールシリーズ、神対シリーズ(明日の神を除く。)、
だいたい、ニューエイジに入る書籍になりますが、
どの本も知識程度に留めておき、鵜呑みにしないことです。疑いも必要です。

自分が求めているものをはっきりさせると、
自ずと読む本も分かると思いますよ。
信じる心と、現実的な見分ける目、

時には、著者の履歴や噂なども調べる必要もあります。
2ちゃんねるはそういう意味では参考にする一つですね。
486名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 21:35:36 ID:BddFjWZ8
>>460
神様そのものでもあるし、神様が望んでいることでもあるね。
だけど、神様を疑う人は多い。私も神は私を見捨て給うたと信じ切っていたのに、
今は神に仕える身だ。人生どうなるか解らないよ。
>>463
>>460について
半分動物は言い過ぎだが、これ以上ない嬉しいおにぎりだろう。
たかがおにぎりが命を救った。

もらった方が感謝するんだよ。あげるほうがやったことは道徳だね。

487Z:2006/04/18(火) 21:40:36 ID:GOzzziyv
>>479
>>480

TAOさん、素晴らしい体験談のご紹介ありがとうございました。
いやはや、内容驚くばかりですが、こういう体験談を書くと
一部から反発の恐れがあることも承知しながら書いていただいた、
そのリスクを背負っていただいたことにさらなる感謝です。

>たしかに、経験をつんで夾雑物を削いで、整理して行くと、何らかのシグナル
はある。 ただし、必要に応じて再現性があるとは言えないのがつらい。
つまりはこの程度。

この部分を私はうまく言えず、状況証拠で30%なんて言い方で
済ませてしまいましたが、やはり複数の方が書き込みをくださることで
表現が厚く豊かになり、これまた助かります。

再現性がないというのもまた確かで、だから高めようといろいろと
自分に働きかけるワークをしたくなるのですが。
488アールグレイなTAO:2006/04/18(火) 21:44:13 ID:sx75OFQr
>Zさん

反発されてもかまわないよ(笑)
私の周辺の人間の中で起きた、たくさんの確固たる事実だしね。
厄災をかつて、多く回避することができた。

ブレーキを無意識にいきなり踏んだ後、子供が飛び出してきた、
なんてのも昔は結構あったし(苦笑)。

どうとられてもかまわないよ(笑)
489アールグレイなTAO:2006/04/18(火) 21:45:16 ID:sx75OFQr
Zさんの言うこと、良く分かります。
あなたは、一流のビジネスマンでしょうね(笑)。
490名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 21:46:01 ID:2dfoew4E
人間だ、すがれる何か。心の拠り所があってもいいじゃないか。
491Z:2006/04/18(火) 21:58:43 ID:GOzzziyv
>>489

私は思いっきり三流リーマンですw 
ネットカフェ代も惜しくて3時間コースにしようかどうしようか
セコく悩んだりしてねw

それはともかく、レイキのことはよく知らないんだけどね、
オレのおばさんが一人そういうことをするんだ。

3年前にあったときに、風邪ひいて熱が出ていてつらかったときがあったけど
ちょっとの間、3分くらいか、手をあててもらっただけで
急に汗がどっと出始めてそれから急に楽になって熱もひいた。

そういう例が数多いから、いろいろな客が集まっていたね。
それがレイキとは別のものか同じものかオレには知識がなくてわからないけど。

ちなみにオレの兄は無神論者だが、やはり体のデキモノとかをそれで
とってもらって、その件については不思議で納得がいかないようだ。

こういうことは直接の神の体験とは違い、アストラルとかエーテルとか
そういうレベルのエネルギーだとは思うんだけど、ある意味、
神の存在を知るためのヒントにはなるかと思う。
492フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/18(火) 22:00:59 ID:dkFUI/Va
神を信頼する、プロセスを信頼するというのは、
条件や割合というものを超えて、ただ、信頼する状態かな。
別の言い方なら、神に降参するかな。
一瞬の間に閃いて、ただ、全的な信頼が訪れる。

493名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 22:06:51 ID:BddFjWZ8
>>491
手を当ててくれた人がどんな人かわから無いけど、
東洋医学っぽいですね。
気というやつです。
494フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/18(火) 22:09:20 ID:dkFUI/Va
ただ、上下動はありましたね。
信じられなくなったり、混乱したり、
そういう状態を繰り返しては、信頼が結べたり、分からない事がいっぱいですね。
495アールグレイなTAO:2006/04/18(火) 22:33:45 ID:sx75OFQr
Zさん

>こういうことは直接の神の体験とは違い、アストラルとかエーテルとか
>そういうレベルのエネルギーだとは思うんだけど、ある意味、
>神の存在を知るためのヒントにはなるかと思う。

 そうかもしれませんね。
 俺は、「歴史的に人類が神だと考えていたもののの一側面」は、この種の
エネルギーと関係あるような気がします。
 価値判断を持ってるようにおもうんですよ。
 生かし育む方向の力と、エントロピーが増大するように枯れていく方向と。
 で、バトンタッチがなされていく。

 物質的なものの背後に、霊的というより、中間物質的な気が、価値判断を
内包させて、動いているように思う。思うだけであって、そこは断言できないけど。

 「物質の特殊な存在様式」というのが、いつの日か、もっと分かる日が来るかも
しれませんね。

 でも、あれら一連の経験も、過ぎて見ると、客観的共同幻想のようにも
思えてくる。でも、確かにそれはあったのだと、自分で驚いて気を取り直すのです。

 なにか、得をしたりプラスになったものはなく、マイナスを避ける、といった
程度ですからね。でも再現性は全くない。残念だけど。
496アールグレイなTAO:2006/04/19(水) 07:41:25 ID:tegQ7geS

Zさん、レイキは、一般名詞じゃなくて、おそらく実体は、一個の宗教と
いっていい、霊的バックボーンを持ってるかもしれない。

そういう意味では気功とは違う。
本来の手かざしとも違うと思います。
特定の宗派と同じようなもの、故郷は、特殊な世界かもしれませんね。
換骨奪胎をはかるもののような気がしてならない。

特殊化した宗教システムだと考えた方が、分かりいい。
自分たちは絶対そうは思ってないだろうけど。
意識の深層の地下水脈を、そういったものとチューニングするんです。
だからこそ、特定方向のエネルギーが来る。
これは、簡易密教だと思います。最高責任者のいない。ここが問題だけど。
497アールグレイなTAO:2006/04/19(水) 07:54:31 ID:tegQ7geS

このレイキシステムの最大の問題点は、先に述べた、エネルギー的世界への
環境汚染が、無節操な伝授先で広がるおそれのあることです。

ヒーリングより、高収入の望める伝授を、ハラの底では、どうしても意図する
ようになります。
被伝授者が、統合失調症を患うものであろうと、カルトのメンバーであろうと
おかまいなしに、行われてしまう恐れがあります。
伝授を受けたものは、次には、他の人を、比較的短期間で伝授することが
できるようにもなります。

こうした無節操なリレーションが、現実に多くの問題を生み出しています。
当初、副作用や、邪気は受けないとか、誰から伝授を受けても同じ、とか
実に無責任なことが言われていました。

伝聞と推量によるエネルギーへの甘い信頼が、困ったことを引き起こします。

「社会的な広がりを見て、客観視する」ということが苦手な人々が、こういう
ものに憧れるのですね。
ほとんどが、主観論争になり、まるで、マルクス主義者とそっくりの排他性が
顔を覗かせたりします。

面白いものです。
498名無しさん@3周年:2006/04/19(水) 09:06:24 ID:M64O4448
>ヒーリングより、高収入の望める伝授を、ハラの底では、どうしても意図する
ようになります。

それは、「不思議世界の技法」(適切な表現かな?)に限らず、科学のような
具体性を持つ「技法」についても同じですね。「技法」そのものに元々善悪など
ないが、それに人間の思惑がからむと必ず悪に転化する。

だから、「不思議世界の技法の秘密を教えてやるぞ」というのは、悪にまみれた
人間を引き寄せる契機にはなるものの、寺で言えば、門前に軒をなす屋台に
つられてフラフラするだけで、おかしなものを買い食いして、腹を壊しておわり
という結末になりやすい。

「秘密」をひたすら追い求めて、ようやくの思いで「奥の院」に到達してみると、
「秘密」どころか「奥の院」の扉はあけっ広げで、しかも仏像ひとつない。
まさかと思い、後ろを振り返ってみると、そこには大地が「あるがままの姿」
で横たわっている。

だから、客観性を発揮して「変なものは食わない」ことも大切ですが、もっと
大切なのは、早々と屋台を見切って、「騙されるために奥の院に進む」こと
だと思います。
499アールグレイなTAO:2006/04/19(水) 17:23:45 ID:7nWZ1Mm2

>「秘密」をひたすら追い求めて、ようやくの思いで「奥の院」に到達してみると、
>「秘密」どころか「奥の院」の扉はあけっ広げで、しかも仏像ひとつない。
>まさかと思い、後ろを振り返ってみると、そこには大地が「あるがままの姿」
>で横たわっている。

 凡夫の自分は、そこまでを認識できないのです。
 この世が激しい生存競争に振り回されるように、
 手近な「目に見えない世界」も、シェア争いや、迷いに満ちている
 ように思えます。

 手近な「目に見えない世界」も、我執や、我欲に満ちたものが、増えてしま
ったのかと。
 チャネリング、おかしな過去世療法、物欲の争いや、セクハラを促すような
妙なものが、うごめいている、そんな時代になっているのかと。

 さて、どうしたものか・・・・。
500名無しさん@3周年:2006/04/19(水) 20:10:54 ID:aqe+p8lD
結局は、宗教はいらないと言っても「神」という共通項の下で
こうやって群れていれば同じことなのですね。

神を語る人間は、些細なことを美化して語りたがるようです。
夕焼けに神を見るだとか大海原に神を見る自然の風景に
神を感じるだとか。「神」「神」と表現することに生きがいを
感じるのでしょう。神と呼んでいたいのですね。神がいると
思えば心強いのですね。信じることの裏に「不安」があると
おっしゃる方もおられるように、神を信じる根本は逃走と闘争
なのです。

あるのは日常と非日常の違いだけです。日々の生活
というのは、皆安定を求めるので変化に乏しいのですね。
ですから、非日常的な光景を目の当たりにすれば感動を
覚えるのです。それを神と関連づけて意識すればより
多幸感と闘争心を心にかきたてることができるのですね。
ロッキー山脈云々の話もそうなのですね。

>>479-480
察知の話は面白いですね。人間の記憶というのは実にいいかげん
なもので結果によって過去の思考や出来事も歪曲したりこじつけ
たりできてしまうのです。何の因果関係もないことでもそれらしく
意味があるように解釈してしまうという愚かな思考回路を人間は
持っているのです。ちなみに、自慢にはならないと思いますよ。
何も驚くべきことではないですから。
501素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/19(水) 21:00:18 ID:XfQq7LMt

【真実の自分は病気さえ無い】〜病気は気から〜

「一切の無があり、一切が幸せの喜びに満ちる」

《悩み無き、こだわり無き、思い煩い無き、不満無き、不安無き、恐れおののき無き、かの世も望
む心無き、今現在に精神統一された人》
 永遠の自分をこの世に現している人は、健康的な心の持ち主で自分の身体に対しても影響を与え
 る。病気は気から、病気は心からは一般的にも聞くことがある。

自分のことなどにくよくよ思い悩むよりも、自分のことを忘れるぐらいにして、
 ― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―(ブッダ)
 ― 盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやし
   たイエス・キリスト ―
  (困る人も無く、苦しむ人も無く、病などに苦しむ人がこの地にも無く、全ての人々が幸せに
   なりますようにと祈る)
502素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/19(水) 21:01:37 ID:XfQq7LMt
永遠の自分は、「イエスを主よ、主よ、神よ、神よ」と言うことは無いが、自分自身を愛すること無
く、このような人間の思いの自分というものは無く、全てが安穏で安楽で幸福に満ち、平安の喜びに
満ちて完全な健康となる。

この世でも自分のことなどにくよくよ思い悩むよりも、自分のことを忘れるくらいにして、人の幸せ
を思っている人は、それだけ自分に対する思い煩いは少ない。それだけ病気になる確率は低くなる。
しかし、病気になったら妙なことを考えず、速やかに医者に行くこと。自分のことに思い煩い、病気
を治してくれるのは医者しかないと思う。他に何かうまい手はないか、と考えること自体思い煩いで
ある。そこで欲望を持つから宗教的なことを考える人は気味悪がられるのだ。自分の内に神を持とう
とする人は、無神論者も認める健康体を目指さねばならないだろう。

【集中力を養う】
自分の欲求を思って仕事などをするよりも、人々の幸せになること、役立とうとすることを思って仕
事すると、無心になり集中力が増しよい仕事ができる。

 永遠の世界はこの世で、人々の知らぬ間に良い方向への影響を与えている。
503名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 13:24:11 ID:IC7zkb1L
>>500
その考えが、あなたを幸せにしてくれるんですよね?
問題ないですよ。
俺から見ると、そういう考えで幸せに近づけるようには見えません。
理解できないんです。
ですから、あなたを否定することはありません。
理解できない事を、正確に否定する事はできませんから。 あなたのようにね。

あなたには、あなたの信念や価値観があり、それに沿って生きていく。
しごく当たり前で、自然な事です。
でも、全く違った信念や価値観を持ってる人を、あなたの価値観で判断することは、
それこそ意味の無い事ですし、見る人が見れば、惨めに映ると思います。

あなたの人生と、まるっきり同じ人生を歩んでる人など存在しません。
あなたを100%理解できる人などいるはずないんですよね。
あなたもまた、同じ立場だと思います。

あなたを計る物差しで、他人を計っても意味ないですよ。
他人の物差しを理解する努力、もしくは、解らない事には判断をしない謙虚さ、
このどちらかを学んだ方がよろしいんじゃないでしょうか?
504名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 15:12:05 ID:W0YQNFWY
うむ・・・けっきょく神について人間が語るということは、個人の神に対する
概念を語ることであると思うが、
神の存在を信じている人それぞれの概念があるから議論したり、他者を批判
したりしても始まらないと思うが
人は人、自分は自分でいいのではないですかな
505名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 18:02:03 ID:2+RlLCO2
大昔の人間の言葉を、現代でも語ることは愚かなことです。
言葉というのは時代とともに変わります。その言葉が今でも
通用するように聞えるのは、それが本来そういう性質を持った
言葉なのではなく、現代の社会に見合うように翻訳されてる
からなのですね。

また、宗教の知識をつけてそれを語ることも哀れなり、です。
衒学趣味は楽しいですか?
506名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 18:17:35 ID:xUWZZUWk
お前らごときが感じたり語ったり出来るほど、神の存在はちっぽけではない!

お前らの思考を司る脳細胞も、それによって導き出される思想も全て神が
創ったもの。
神を信じるものの思想も神を信じないものの思想も、そして
神の思想を巡って争いが起こるようにしむけたのも全て神の導き!

神を感じたなどと、貴様らごときが偉そうに論じるのは一万年早いわっ!!
507名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 18:47:01 ID:LWNqR+5j
>>506
神を感じたなどと、貴様らごときが偉そうに論じるのは一万年早いわっ!!
 って、偉そうに言ってるが、それもお前の考えだけにしておけ。

全て神の導きだろ?神を論じるのも神の導きってことになる。

つまり>>506は神を論じてはならないってこと。わかるか?
508名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 19:17:36 ID:xUWZZUWk
>>507
無礼者!神にむかってナンだその口の利き方は!!!
509名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 20:09:05 ID:2+RlLCO2
>>503
現代人は病気なのでしょうか。幸せ、幸せと。「心の健康」や「心の豊かさ」
を強調するという愚かな風潮を象徴しているようです。モノの時代の次は
ココロの時代、といったところでしょうか。

あなたが否定しないのならそれは別に構いませんが、私が否定を止める
理由にはならないですね。理由はあなたがおっしゃった人それぞれの
価値観云々ということです。意味があるかないかはあなたが判断する
ことではないですよ。そもそも意味などありませんのであなたのおっしゃる
とおりとも言えます。

>あなたを計る物差しで、他人を計っても意味ないですよ。
>他人の物差しを理解する努力、もしくは、解らない事には判断をしない謙虚さ、
>このどちらかを学んだ方がよろしいんじゃないでしょうか?

意味を最初から求めることは愚行です。幸せのために神を求めること
と同様に。否定や一方的な価値判断は理解するための一つのツールでも
あるのですね。このことを学ばれた方がよろしいかと思われます。
あなたがおっしゃってるのは「理解」ではなく「同意」のような気がしますが。


花見や酒にたとえて酔いしれようと努力する愚かな方もおられるようですが
まさにこれが宗教の実態と言えるでしょう。「人それぞれの価値観」という
のは単なる方便にすぎず、結局同じベクトルを持つことで集団妄想を肯定
し満足したいということなのです。神について語っていなければ不安なのでしょう?
510Z:2006/04/20(木) 20:57:41 ID:eUwOsq3Y
書き込みテスト
511越後屋城跡 ◆.8R.P8LfnQ :2006/04/20(木) 20:59:40 ID:rgd+KcCE
>>508
ふはははははは!!

神のなかでもはみ出しものの貴様がいばるなぁぁぁぁぁ!
512Z:2006/04/20(木) 21:06:13 ID:eUwOsq3Y
>>499
>チャネリング、おかしな過去世療法、物欲の争いや、セクハラを促すような
妙なものが、うごめいている、そんな時代になっているのかと。

目に見える世界も見えない世界も人間のやることは同じということで
社会生活を営むには性悪説で臨みたいね。
自分の言動には責任が伴うからね、すべては自己責任。
513Z:2006/04/20(木) 21:36:48 ID:eUwOsq3Y
>>509
持論を述べるなら、どんどん書き込んでいいよ。
こちらも勉強で読ませてもらうから。

ただ神を否定するなら神否定論を述べてみてよ。
あなたの文章は、神否定・無神論ではなく、
単なる、神肯定論者を批判しているだけで、神の否定ではないね。
徹底的に神を否定してみたら? 
オレに言わせればあなたの文章は神肯定論者の書く内容だ。
514Z:2006/04/20(木) 23:03:39 ID:eUwOsq3Y
論争になるのがウザイからさっさとネタだけ明かしとく。
神を否定しつくしたときに残るのは神というオチを期待してるわけ。
神を信じる人たちを批判してても堂々めぐりでさ、
「否定」はエネルギーの集中がいるし、肯定を見出す逆ルート。
「批判」はエネルギーの放散で、ループの輪。
515名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 23:17:12 ID:uKiVn2cY

ここもやってるね!
516:2006/04/21(金) 00:29:56 ID:/hSZ9XOK
>>509
私は、なんとなくあなたを違った形でみてしまう。
批判だけで先がない内容というか、今のあなた自信が行き詰って怒りを
もっていて、それをこのスレで発散させているのような感じに取れてしまう。
でも、きっとあなたは「行き詰ってなんかない!そういうあなたが
おかしいし、愚かだ」って言うと思いますが。
でもこのスレを見ているということが、何か答えを知りたがっているように
思えますよ。
でも今のあなたには、答えは出ない。自分から閉ざしているから。
503さんは、いい事を言ってますよ。
あなたの行き詰っていることに対して、もっと素直に受け止めてみては
どうですか?このスレを見たということは、気づいてほしいとの
アピールかもしれないですよ。



517名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 05:38:32 ID:b9wZnmEc
>>509
>否定や一方的な価値判断は理解するための一つのツールでもあるのですね。
>このことを学ばれた方がよろしいかと思われます。

そのツールは、あまり役に立たない道具に見えますが、大丈夫ですか?
あなたにとっての愚行が、俺にとっては神聖かも知れません。
あなたにとって神聖な事が、俺にとっては愚行かも知れません。

あなたの愚行が、万人の愚行だとでもお考えですか?

ここで同じテーマで話が進んでるとしても、集団で群れているのとは別。
別に群れている訳ではありませんから。
あなたの固定観念や価値観が、あなたにそう判断させているだけです。

不安そうに見えますか?
何故、不安そうにみえるのか、自分に問うたことがありますか?
俺は、何も不安ではありませんよ。
神肯定者を「不安を抱えてる人」と見えるのは、あなたの中に原因があります。

ご自分を通して他人を見るだけでなく、
他人を通してご自分を見つめてみてはいかがでしょうか?
518アールグレイなTAO:2006/04/21(金) 08:01:04 ID:BXMP7Fju
>照さん

 そうだね。不機嫌はいらないよね。
 どんなつらいときでも、不機嫌はいらないんだよね。

519名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 09:04:51 ID:1GPbnMf+
>>509さんの意見は、机上の空論で、ちっとも読む側の心に響いてこないな。
「体験」の裏づけがないからじゃないか。むしろ、他人の体験を否定している
だけのように見える。それでは、そこらへんの三流批評家と同じことで、
他人を否定するだけで、自らは何も新しい思想を生み出すことができない。

「体験の裏づけ」ということで思い出した。ショーペンハウエルという厭世
的思想で有名な哲学者は、豪華な食卓を並べて、それに舌鼓を打ちながら
「厭世」を語ったということだ。彼の脳みそや舌は一流だったとして、
果たしてそういう思想に人生を賭ける意味があるのかどうか。
520名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 09:36:07 ID:whiQ9jot
>>513
勘違いしておられるようですね。神も否定しますが、私の書き込みは
神肯定に対する否定であることは自覚してますよ。神を否定するだけ
であれば、それは神を肯定するのとほとんど変わりませんからね。

>>516
先は見てないですね。前にも書きましたが、肯定に導くような打算的な
否定・批判なら最初からする必要すらないのです。幸せのために
神を求める愚かな行為と同じです。

>>517
>そのツールは、あまり役に立たない道具に見えますが、大丈夫ですか?
さあ、どうでしょう。役に立てようという明確な目的を持って書き込んでる
わけではないですから。

>>519
机上の空論ではないですよ。なぜなら論拠は、ここにいる神肯定論者
の存在なのですから。
521モカ:2006/04/21(金) 09:37:08 ID:n/LOIt12
石のブロックも鉄の壁も、地震による揺れや、風雨には、耐えられない。
しかし、竹は、大地に根を張り其の地を守り、風雨にも枝が撓う。

竹取物語のかぐや姫ではないが、竹は神秘的ですね。
天に真っ直ぐ伸びているのは、神に向かって伸びているのかなあ。
京都好きのオジサンの戯言でした。
522名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 09:46:36 ID:whiQ9jot
まさに神は自己陶酔するための方便と言えますね。
フンコロガシは神を転がしているとも言えます。
523モカ:2006/04/21(金) 10:15:14 ID:n/LOIt12
>>522

>フンコロガシは神を転がしているとも言えます。

何という、罰当りなことを言うのか。
でも君面白い、ユーモアのセンスありだね。
勇気もあるみたいだね。
500ポイント進呈するよ。

あまり強固に神を否定する人は、本当は信じたいのだなあ。
嫌い嫌いも好きのうち、これは男女の関係だったか。


524名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 10:25:13 ID:UbLBLY1K
このスレ気になって、少し読んでみたけど不思議な思いだ。

神様というか、自分自身の内向きのことだけで、こんなに悩んでいる人たちがいるんだな。
俺は、自分の悟りとか、自分の神様とか、命とか、結構どうでもいい。
神様がいるなら、自分が死んだ時に分かるだろうし、自分というものが
消えないなら、怖くも何ともない。
神様がいないなら、死んだ時には自分が消えるだけなので、認識する自分が
無ければ、苦しくもつらくもないわけで、やはり怖くも何ともない。

気になるのは、残される家族のこととか、親しい友人とかのこと。
生きていて気になるのも、家族のことや身内のこと、知り合いでなくても
不慮の事故に遭う人とか、事件に巻き込まれた人のこととか、重病の人とか、
不幸な人たちのこと。

凄く傲慢な考え方かも知れないが、そういった悲しみを軽減するための神様
だというなら、方便として使っても良いような気はする。
だけど、その悲しみを少しでも防ぐための努力をする方が大事だと思う。
家族や身内に対しても、社会に対しても。

それは、神様が存在としてあるかどうかとは別の話かもしれないが。
525モカ:2006/04/21(金) 10:27:57 ID:n/LOIt12
他板のCMでつ。

議論で疲れたら、こちらでちょっと一服してください。
紅茶・コーヒー・音楽あります。

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1144622282/l50

522さんもどうぞ遊びに来てください。
526名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 10:52:32 ID:1GPbnMf+
>>524

>気になるのは、残される家族のこととか、親しい友人とかのこと。

それは、実際に自分が死の床にいないからじゃないのかな。
自分の肉親が末期ガンで死ぬ前は、「死」という現実を受け入れるのが辛かった
みたいだ。最後には諦めるのだけど、「激痛から解放されたい」とか、そういう
動機がないとなかなか諦めきれないみたいだ。

あるいは、人間が「死」と対峙するとき、そこには家族も身内もいない、真っ暗
な空間でただ一人向き合わなくてはいけない。家族や身内のことが頭にある限り、
その暗闇にさえ足を踏み入れていないということじゃないか。
527:2006/04/21(金) 11:18:46 ID:/hSZ9XOK
>520
スミマセン。あなたは何をこのスレで何を伝えたいのですか?
さっぱり 伝わりません。あなたの芯が見えてこないというか・・・。
ただあなたが発散するためになら、どんどんどうぞ。
でも、素直に発散の為と言わないと、どんどんたまりますょ
なんとなく、このスレ以外のあなたの周りも、あなたに対して
たまっている様な気がする。(気がするだけですよ)
あなたいい人みたいだし、ある意味面白いし、もう少しでも
いいから素直になってみては。
どんどん自分の思っていること、スレてみてすごく興味があります。
528名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 11:21:29 ID:UbLBLY1K
>>526
なるほど。そういう見方もあるかも知れないな。

だが、俺は交通事故で車にはねられ、そういう状況になったことがある。
担ぎ込まれた時にはほとんどの内臓が損傷していて
医者に言わすと、8割方死んでいて意識はちゃんとあった。
俺自身も覚悟したよ。
意識を取り戻した時、最初に感じたのは死への恐怖だったが、
死ぬほど心配そうにのぞき込む家族の顔を見て、まだ死ねないと思ったなぁ。
まぁ、これにしたって完全にダメだと宣告された訳じゃないから
末期ガンの苦しみとは比較にもならないんだろうが・・・。


俺は医者が優秀だったせいもあってか、半年の入院と、数年の通院で
奇跡的にまともな生活に戻れた。
529名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 12:39:22 ID:1GPbnMf+
>528

これは又聞きなので、推測でしかないのですが。
あなたのように「絶対絶命」から奇跡的に助かった人は、その後は死が
恐ろしくなくなると言いますが、それは本当ですか?
530:2006/04/21(金) 13:10:16 ID:/hSZ9XOK
>527
>すみません。あなたは何をこのスレで何を伝えたいのですか?
 
訂正します。
あなたは、このスレで何を伝えたいのですか?

でした。すみませんがよろしくお願いします。
531名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 16:05:34 ID:ipRbeuF2
>>520
>>そのツールは、あまり役に立たない道具に見えますが、大丈夫ですか?
>さあ、どうでしょう。役に立てようという明確な目的を持って書き込んでる
>わけではないですから。

なら、話になりませんね。
あなたの言葉は、ただの独り言になり、ここで議論する価値のないもになります。
>>1に書いてありますが、
>この世に生まれてきた目的、自分の使命をさがしながら,
なんです。
誰の役にも立たないようなツールを持ち出して批判されても。。。

あなたは、あなたの目的の為に批判しているのではなく、
批判の為に批判している事は、あなたの答えから明らかですよ。
俺の位置からあなたを見ると、淋しい人に見えますよ。

あなたを通して自分を見ると、感謝が沸いてきます。
どうもありがとう。

532名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 16:18:56 ID:UbLBLY1K
>>529
そうなの?
そういうことなのかも知れないな。
別に臨死体験みたいのはなかったけど、いつ死んでも悔いのないように
ということは考えるようになったよ。
生きている意味も思うし、周囲の人たちのことを思って、簡単には死ねない
と思う。だから、死そのものが怖くないのかも知れない。

それに、死に瀕した人の気持ちや、つらさが痛いほど分かるようになって
救急車に「中の人頑張ってくれ」と祈ったり、
人死にの出たニュースとか聞くと、泣きそうになる。
子供と一緒に見ていると、チンケなヒーロー物の闘う理由などに共感して
ほろりと来たりもするな。
533名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 17:08:51 ID:UbLBLY1K
そうそう。

>あるいは、人間が「死」と対峙するとき、そこには家族も身内もいない、真っ暗
>な空間でただ一人向き合わなくてはいけない。家族や身内のことが頭にある限り、
>その暗闇にさえ足を踏み入れていないということじゃないか。

これは多分違う。
だから言ってるじゃないか。感じる自分が無くなるなら、真っ暗もクソもない。
感じる自分が存在するなら、真っ暗ではなく、少なくとも先に逝った人たち
には会えるだろ。

ちょっとスレ違いだが、俺の認識に一番近いのはこのフラッシュだな。
ttp://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkingtour.html
534名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 17:53:06 ID:1GPbnMf+
>533

>フラッシュ

イメージはよくわかる。
しかし、実際はどうなんだろうか。本当に死んだ人はそこに立ち止まっている
んだろうか。

時々、死んだ人と夢で出会うことがあるが、背景はもう壊してしまった古い家
だったりするんだよな。立ち止まっているのは「記憶」だけで、死んだ人も、
過去も、すべてなくなってしまうと思うと、実に悲しくなるな。

もちろん、実際にフラッシュの通りならばいいと思うけど。
535名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 17:57:15 ID:UbLBLY1K
>>534
>過去も、すべてなくなってしまうと思うと、実に悲しくなるな。

哀しいけれど、それが現実なら仕方ないだろう。


中島みゆきの「永久欠番」って歌、聞いてみな。
536名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 18:24:45 ID:CHm0tM4e
貴様ら!今日もワシのことを語っておるな!!
愚民の分際で生意気な!お前ら愚民はグミみたいに柔らかくして食っちゃうぞ!
537アールグレイなTAO:2006/04/21(金) 18:26:01 ID:Xw0zq4m3
>>536

ええっ、製造物責任は、負わないんすか(笑)カミサマっ。
538Z:2006/04/21(金) 20:22:31 ID:D6/zSn2n
かきこみテスト
539Z:2006/04/21(金) 20:24:29 ID:D6/zSn2n
>>536
カミサマに食べられるならオレはグミになりたいね。
カミサンにはいつも食べられてますが。
540Z:2006/04/21(金) 20:31:03 ID:D6/zSn2n
>>520
ああそうですか。もう好き勝手に書き込んじゃってください。
このスレは誰も排除されません。
ただ気がついたことは、あなたと他の皆さんとは感受性の面で
激しく乖離があるんだわ。
ロッキー山脈とかおにぎりの例が出てたときはオレなんか
なるほどと感心して映像まで見えちゃうわけだけど
あなたはどうかなあ。
541名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 21:06:30 ID:EZKLVaWr
ただ気がついたことは、オレと言いながら実は女ということ。
542Z:2006/04/21(金) 21:57:28 ID:D6/zSn2n
>>524

神は人格神としてとらえる人が多いが、それは我々が感情を通して
考えるからだろう。
神という言葉に拒否反応を示す人が多いようだが、そういう人らは
やはり神を人格神、まあぶっちゃけていえば、決まりごとのように
白いひげでも生やして白髪で杖でももって白い服をきていて、
悪人を罰して善人を天国に導く・・・みたいなイメージを持ってるのでは
ないだろうか。だから、そんなのいるわけないじゃん、と思ってしまうし
そこまで思わなくても、神なんかに頼らなくても自分で生きるぜ!
みたいな気持ちになるのではないだろうか。
543Z:2006/04/21(金) 22:10:20 ID:D6/zSn2n
この人格神のイメージは子供や感受性の強い女性とか一部の人には
信仰心を高めるのには有効だが、神のエネルギーの一部しか伝えてない
と感じる。

まず我々が感じる神はエネルギー。それも万物に平等に与えられる
エネルギー。それは神自身ではなくそこから発せられるエネルギー。
我々自身がそれを受けたり拒否したりしているだけで。
善悪は本来神とは関係なく、自ら巻いた種を自ら刈り取るという
行動と結果の法則が作用しているだけで、ただ、神を頂点とする
目に見えない世界のヒエラルキーが確かに存在して、それらの集団が
我々をある一定の方向に向かうことを期待しかつ援助している、
ただし行動の選択権、自由意志は我々人間の権利として持っていて
それらを無視したり正反対の方向に行くこともできる。
オレはその神を頂点とする集団が何をオレに期待(これまた感情の入った表現で適切ではないが)
しているのか(皆さん一人一人に何を期待しているのか)
これを理解し、応えたいと思うのだ。
繰り返しになるが、
神を頂点とするヒエラルキー、集団は何らかの意思を我々に対して
投げかけている。しかし我々は自由意志を持ちそれに逆らうことも
応じることどちらもできる。オレは後者を選びたい、それだけなんだ。
544Z:2006/04/21(金) 22:16:44 ID:D6/zSn2n
>>524
幸か不幸か我々は死んでも死ねない。もっと正確にいうと肉体が破壊されても
目に見えない霊的部分は残る。むしろそちらが本当なわけで。
それがわからなくてもぜんぜん問題ない。ただその経験をすれば
わかるというだけで。
オレの場合は大怪我とか肉体の破壊という形ではないが、
やはり確信したのは
肉体はこの世を生きるための道具ではあるが自分そのものではない、
むしろないほうが本来の自分ということだ。
ネクタイもスーツも捨てて裸になった自分のほうがホントの自分でしょ。
それと同じで。
だから死は怖くない(といいつつ危険が迫れば本能で避けるけどサ)、
むしろ、自分が消えない、この道を歩み続ける果てしない旅を
どこかで終わらせたいという気持ちのほうが強い。
ゴールを見つけてはやく終わらせたいのだ。次のステップに行きたいし
その前に休みたいというか。
545Z:2006/04/21(金) 22:33:03 ID:D6/zSn2n
>>534
幸か不幸か、ていうかこれは幸なんだろうけど、
先になくなった人というのは立ち止まってはいない。
むしろ、オレたちとの役割の違いだ。
野球にたとえるとオレたちはバットを持ってヒットを打とうとしている。
彼らはまだ打順が回ってこないで応援しているか、またはすでに打って
しまって塁上にいるか三振して戻ってきているか、それだけなんだ。
あまりこういう言い切りがたはまた批判もあるだろうけど、
まあオレの文才に限界があると思ってくれ。
先に亡くなった家族、今生まれてきてオレたちよりも未来がある子供、
みんな、同じチームだということ。家族は非常に霊的にも強いつながりが
あり、前世でも相当深い縁があった仲間と思ってまず間違いない。
まあこのあたりはどの本にも載ってるから書く必要ないけどね、
オレはちなみに直接、自分のチームというか、霊団(この表現はちょっとね)
とは瞑想を通して会うことができた。
ホント、とてもものすごく懐かしい気持ちでいっぱいになった。
どうして今まで思い出せなかったんだろうって自分を責めたくなったよ。
みんな、一人一人、守ってくれる存在、応援してくれる存在がいる。
自分の命・人生は自分のものかもしれないけど、自分だけのものではない。
546凡人:2006/04/22(土) 06:06:20 ID:6zIeZAtN
私もZさんと同じ考えです。同意です。

ただ、悲しいことに霊的な体験が無いですが。でも、見えざる力は感じてますね。

最近は仕事とFF12に追われ、内観する時間が少ないですが、近いうちにまとまった休みを取り、どこか自然の美しい所でゆっくりしたいと思ってます。
547名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 07:09:33 ID:UpVuEwAV
日常に追われていると、「こういう世界」のことを忘れがち。
そういう意味で、このスレは有益ですね。
朝か晩に瞑想でもする習慣をつけた方がいいかもな〜
548524:2006/04/22(土) 08:19:12 ID:o1Muc+sG
>>542
俺の言いたいことと、少し違ってとられたみたい。
俺は逆に、神様はいると思っている。それこそZさんが考えるような形で
非常に分かり易いし、真実に近いのかも知れない。

言いたいのはそうじゃなくて、自分の中を見つめまくって、気付きだなんだで
神様を感じようとすることに、意味を感じないということ。
「そんなヒマがあったら働け」的な意見が前にもあったが、それに近い。
そこまでは言わないが、そんなふうに神様を感じる努力よりも、生きている自分や
信じ合える家族や友人が居ることの幸せをかみしめることの方が、ずっと大事だと
そう思うだけだ。

聞きたいことがある。
たとえばの話だが
自分の一番大事な家族が、腎臓か肺がやられて確実に助からないとする。
しかし、自分の腎臓or肺を片方移植すれば、10パーセントくらいの確率で
助かるかも知れない。適合者は今のところ自分だけ。
助からなければ、自分は片方の臓器を無くし、家族も失うわけだ。
助かっても、多かれ少なかれ拒絶反応が出るから、家族も自分も常に
ハンディを背負った状況になる。

神様を知る人と知らない人とで、こういう場合、行動に差は出るだろうか?
549神肯定者:2006/04/22(土) 08:45:04 ID:6UrBvOo7
>>548
確実に移植します。 何のためらいもなく。 相手が嫌がらない限り。

あなたが言ってる、
『生きている自分や信じ合える家族や友人が居ることの幸せをかみしめることの方が、
ずっと大事だとそう思うだけだ。』
は、理解できますよ。

俺が思っている事は、中身がカラッポでは、どんな経験も意味がない。ってこと。
自分にとって有利な条件の中だけで、家族や友人と幸せをかみしめる人は、
少なくないんじゃないですかね?
中身(信念)がしっかりしていればこそ、本当に幸せを共有できると思います。

自分に中に『神』を見い出すことは、中身をしっかり持つ事につながります。
ま、方法はそれだけではありませんが。。
でも、そういう経験は個人的なことであって、他人が評価することではないと思います。

自分の中に神を見い出す事は、自分自身を理解する事です。
自分の中に測定器を置き、常に自分を測る事ができる状態になります。
何に感動し、何に怒り、何を悲しみ、何に喜ぶのか?
そして、その感情は、何処から来るのか?  自分とは何者なのか?

このような事を理解する事は、決して無意味ではありませんよ。
550カミサマ:2006/04/22(土) 08:53:58 ID:NwXnd2DE
馬鹿者!!貴様らまだこんなクダラナイ話で時間を費やしておるのか!!!
こんな書きこみばっかりしてると、貴様らの来世をミジンコにしちゃうずぉ〜!
551名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 09:20:14 ID:UpVuEwAV
>神様を感じる努力よりも、生きている自分や信じ合える家族や友人が居ることの幸せをかみしめることの方が
>ずっと大事だとそう思うだけだ。

それって神を感じることにすごく近いことだと思う。
神のことを言葉にするのは難しいね。うまく表現できないや。
552カミサマ:2006/04/22(土) 09:34:14 ID:NwXnd2DE
>>551
そうやって、なんでもかんでもワシと結びつけるな。。。
人間の個々の幸せの心まで、いちいち監視しとらんがな。。。
幸せは幸せで素直に受けとめなさい。その気持ちにワシを関与させるな!

わしかて、色々忙しいんじゃよ。。。。会議会議で。。。
553名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 09:38:53 ID:UpVuEwAV
>>552
ツマランよ
554名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 09:52:55 ID:A6bAzVX2
>>552
カミサマの会議って・・・(笑)

あなたのようなユーモアのあるカキコにも「神性」は感じられます。
何もゴチャゴチャ難しく考える必要は実はないのかも知れない。
人にほんの少し笑みを与えようとするその心にも、何かしら宿るのでは。
555カミサマ:2006/04/22(土) 10:43:12 ID:NwXnd2DE
>>554
でもね、、、553の人にツマランよって言われた。。。。
カミサマちょいヘコんだ。。。
553の人のIDの最期の2文字のビデオでも見ながら不貞寝するかな。
556アールグレイなTAO:2006/04/22(土) 10:53:31 ID:qns4r4j1

>553の人のIDの最期の2文字のビデオでも見ながら不貞寝するかな。

素晴らしい! 懐疑にいそがしい人間には、あなたのような神様は素敵。
557Z:2006/04/22(土) 13:48:51 ID:lDctsaZ7
書き込みテスト
558Z:2006/04/22(土) 14:02:18 ID:lDctsaZ7
>>546
>見えざる力は感じてますね。

その感受性が大切なんですよね。
守護のチームについて補足すれば、オレの場合も会ったといっても
ドーンって感じで会ったのは一回だけだな。
目算で50人はいました。思ったより多いです。
この人生では会ったことない人たちなのにすごく懐かしい気持ちに
一杯になって・・・この感覚は本当に不思議でね。
顔は皆さん、田舎のおじちゃん、おばちゃんという感じでしたが
異様なほどに真っ白い服をきていて、ちょっとこちらとしても背筋を
たださないといけないという気にはなってね・・・
大体、オレは疑い深いのでまた脳内麻薬みたいな原因で幻想を
見たのかなと思ったけど、あの懐かしさ一杯の感情はやっぱり説明
できなくて。
100%断言していいと思うけど、このスレの住人の皆さんにも
同じような守護チームが背後から応援しているということだね。
559Z:2006/04/22(土) 14:08:07 ID:lDctsaZ7
>>547
日常生活こそが大切でね。というのも、精神世界的なセミナーに
よく顔を出す人の多くは日常生活がだらしない人が多かった。
仕事しない、学校にいかない、フリーターみたいな人が多くて、
オレもそこでであった人から学校やめて、会社やめて、
もっと修行したほうがいいよと言われてね・・・
当時はまだ2000年前でノストラダムスの予言を信じてる人たちがさ、
会社いっても学校いってもしょうがないと考えてた人も少なからず
いたわけで。
やっぱり自分の仕事、主婦なら食事の用意とか、学生なら勉強とか
それをやった上で、瞑想とかするのはかなり有益かなと思う。
560:2006/04/22(土) 14:13:48 ID:8NCqPKAd
>>524=548
私なりのあなたの言っていることもわかります。

>自分の中を見つめまくって、気づきだなんだで神様を感じようと
>することに、意味を感じないということ。
>「そんな暇があったら働け」的〜

でも、働く中で働きにばかりにとらわれて、そして自分のやりたい
ことだけをする人が多いように思えます。
例えば、妻や子供がいるのに借金を繰り返す人、結婚しながらも浮気する人
平気で友人を裏切る人その他色々、自分中心で物事を考える人が多い。
その人たちは、自分の内を見つめれない人では?
そして嫌な事があると、他人のせいにしたり、周囲に不機嫌な感情を当り散らす。
でも、自分が行き詰ったら、簡単に他人に助けてもらおうとする。
どうしてそういう人が多いの?
でも私たちはそういう人を変えることは、できません。
本人たちが、自分自身を振り返ってみてほしいということなのではないですか?


561:2006/04/22(土) 14:30:42 ID:8NCqPKAd
>Zさん こんにちわ

>543の神を頂点とする集団が一人一人に何を期待しているのか
>これを理解し、応えたいのだ。

私もそう思います。私の周りにも同じようなことを受けとっている人が
います。各それぞれに役目は違うとは思いますが、何かを理解しないと
いけないように思います。きっとこのレスの中の方たちも同じ状況の方が
おられると思います。私もこのスレにたどり着いたのは、そういうことを
共有というのか、よくわかりませんがそのためかなって思っています。

しかし、感じてない方からは、こういうのが宗教なんじゃって言われると
思いますがw・・・。
面白いですよね、知らないことがこの世にはまだまだ沢山あるって事です。

562Z:2006/04/22(土) 14:32:19 ID:lDctsaZ7
>>548
おっしゃること理解します。
「そんなヒマがあったら働け」というところも559に書いたとおり同意。

ただこういう目に見えない次元との接し方には3通りの段階があると思う。

1. 依存心高い現実逃避型
(努力しないで社会貢献もせず、奇跡の到来を待つか、
 宗教パワーで利益を得ようとする)

2. 自立型
(神とか目に見えない世界を当てにせず自助努力で人生を切り開く。
 なんでも自分の力・能力だけで対応しようとする)

3. 超自立型
(自助努力・自立を前提としているが、自分一人でやれることの限界も
理解し、目に見えない神の存在も理解し、
自分のコントロールを超えた部分について導きを求める)

新興宗教・精神世界にふきだまりとなっているのが1のタイプ。
優秀なビジネスマン・高学歴者・無神論者に多い、能力が高いゆえに
なんでも一人でできると思っているのが2のタイプ。

このスレを立ち上げた目的としては3のタイプを目指したいという
ところにあった。
563:2006/04/22(土) 14:46:56 ID:8NCqPKAd
>>559

共感します。今を生きているから、今の日常をやりながら「事」を進める事が
大事と思います。
日常の諸々を捨てて、先に進むことは簡単ですがそれでは残された家族の
思いやら色々なことが出でくると思いますし・・・。
日常をこなしながら進むことが、道とも思います。
しかし、「慌てず急げ」と言われてもいるような・・・。理解に苦しみますが
慌てずに凛とした意識をもって自分なりに進みたいですね。
564Z:2006/04/22(土) 14:52:48 ID:lDctsaZ7
>>548
神様を知る人と知らない人とで、こういう場合、行動に差は出るだろうか?

差は出ると思う。
ただ信仰心があれば、神様が自分を含めて家族を助けてくれるはずだと
思い込んでいた場合で、家族が死にいたった場合・・・
神に失望して神否定論者に転向する人も出てくるだろう。
これが信仰というものの恐ろしさだ。

信仰とは自分と家族を守るという要素が確かにあるがその段階でとまってはいけないということだ。
信仰とは、自分がやれることはすべてやってベストを
尽くした上で、神にすべてをゆだねてその結果を受け入れること。

神に家族を助けてくださいと祈るのは人なら当然、そうすべき。
ただ、聖なる法が許すのであればその人は助かりそうでない場合は、
天国に召される・・・もしかしたら、移植するほうもされるほうも。
それを理解したほうがいいと思う。
二人ともこの世での使命を果たし終えたから肉体を捨てることができて、
天にいる守護のチームに戻れることを意味するのかもしれない。
もしかしたら、なんらかの過去の自分の行動の結果、
自分で蒔いたタネを刈り取っているのかもしれず、
まだ生きるチャンスがあったのにそれを差し出さざるを得なかったの
かもしれない。前者の場合はそのまま結果が出るだろうし、
後者の場合、当人が強く過去の行為を後悔し懺悔し今後の誓いをたてれば
生の残りを与えられることもゼロではないだろう。
これはキリストが説いた神は愛なり、愛の法則。
いずれにせよ、その結果は聖なる宇宙の法のもと、最善の結果が
与えられるよう祈るべきだし、そのように目に見えないエネルギーは
作用すると思う。
565Z:2006/04/22(土) 15:05:01 ID:lDctsaZ7
移植そのものの行為についていえば、オレもそうするし
ここにいる皆さんもそうすることでしょう。

生がこの人生一回きりと思ったり、家族に愛がなかったり、
輸血はできないとかそういうカルトがかった信仰だったりした
場合は移植をためらうこともあるだろうけど、
神、目に見えない世界の法則をあらかじめある程度理解して
まっすぐな信仰をもっていれば、普通に自分を差し出すことになる。

お互い死んで別の次元で再びであったときに、オレはあなたに
腎臓の移植を提供しなかったと互いに思い出すのか、
移植に失敗しても差し出したという行為に完全燃焼して
互いに死に至り、愛をできるだけ表現したまま別の次元で会うか、
結果としては、今後の転生での関係に大きな違いが生じると思う。
566名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 15:29:43 ID:BAvep3OE
客観など実はなくただ主観のみが存在する。
個人的な内体験も他者にとっての幻覚でしかない。
自己の価値観も認識も、突き詰めれば客観的立場など成立し無い。
ただ百人百様の主観と幻覚が存在するだけだ。
結局その中でよりベターな幻覚、主観を選択するしかない。
普遍とは主観と主観の、幻覚と幻覚の共通項でしかない。
認識の精度を向上させること、それが神に近づくことだろう。
ただ主観も幻覚も非物質レベルで永続するという共通項を持つ。
いま言えるのはそれだけ。
567名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 15:49:23 ID:BAvep3OE
>>565
心意気は立派で間違ってないけど、死んですぐ臓器を切り取られると物凄く痛いら
しいです。(そういう噂がある程度に聞いて下さい。)
霊体と肉体はシルバーコードという細い線で繋がっていて、これが切れることが本当
の死なのだそうだ。で、それが切れるまでに24時間くらいは掛かるので、その前に死
亡診断され、新鮮さを求めて速攻で切られると、麻酔無しで体を切り刻まれる拷問を
受けるのと変わらないらしい。
人助けの為ならそれくらい我慢できる根性があればいいけど、知らずに善意のみで
提供すると、恐怖で愕然とし洒落にならないようだ。
568Z:2006/04/22(土) 16:07:14 ID:lDctsaZ7
>>567
確かに現実的には大変だよね。
痛いし。いろいろと悩むよね。痛み叫びながら移植がなされるかもしれないし
少なくとも家族が相手でないとやろうとは思わない。
死んだ後の移植についての痛みはちょっと経験してないので
わからないけど、567さんの書いてあるようなこともあるのかね。
ちなみに戦地で弾にあたって死ぬ兵隊さんは痛みを伴わないと
聞いたこともある。突撃していたら自分の体が後ろに横たわって倒れて
いた、みたいな。
569名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 17:10:14 ID:V98ikc06
霊的知識のある人と、ない人では霊の世界へ行ったときに大きな差があると
聞いたが、無知よりも知識を身につけたほうが、よりスムーズに霊界へ
移行できるようです。
知識は力なり
570隠れ里:2006/04/22(土) 23:57:31 ID:zg7SywKJ
先週こちらのスレを見つけ興味を持ち読んでいます。
神の存在を信じる、信じないとかの議論にはあまり関心ありません。
どのような聖人が現れようが、キリストが現れようがほとんどの人には理解できないでしょう。
それは他人に教わる問題ではなく、自分で善とか真理を「内なる声」を聞きながら現実世界で実践してゆく途上で「ある一線」を超えたときに体験する、人類に共通する不変的体験です。
その瞬間に古い自分が死に、新しい自分が誕生します。
それは一つの終わりであり、新しい出発でもあります。
輪廻転生を繰り返し我々の魂は進化している、高度に進化した魂が覚者であり、Zさんがおっしゃるヒエラルキーの上層部の霊的集団かと思います。
我々の魂に聖なる衝動を与える不可視の霊的集団は私も感じています。
571フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/23(日) 00:51:06 ID:HsbyUMil
新しい自己の誕生や覚醒については、まだ答えがありませんが、知らないというのは、かなりのダメージを与えます。
その中で何を為すべきか、まだ何も見えない状態です。
572素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/23(日) 08:52:49 ID:ALarSdba
■■ただ唯一の真実の自分しか存在しない
― 一切の「無」があり、一切が幸せな喜びに満ちる ―

 このような人間の思いで存在しない。人間が意識しない、感受しない、見えない、考え出して生
 み出すことができない、「ここにいる」「あそこにいる」と何ものかがいると人間が永遠にその
 存在を知ることができないもの。「これだ」として断定できるものは無く、『如何なるものでも
 無い』世界。永遠に対して貪欲でも無く、生真面目に考え出すことも無い。

 ―安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る―(ブッダ)

今の状態のまま、永遠に人間が神を認知できない。神という名称をつけ、人が何か見解を述べよう
とするが、その見解さえ人間が捨て去った時は知っている。
573素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/23(日) 08:53:39 ID:ALarSdba
■■敵はただ唯一の自己しか存在しない
― 人のことを言わない時に、真実の世界を知っている ― 

 人はあまり良くないものを受け今現在の人間の境地に至り、安らぎを失っている。
 人に自分の意見が正しいと言い張ることも無く、あれが正しい、これが正しいとしてあれやこれ
 や思いめぐらすことも無く安らぎの世界と一つになり神を知る。自分の平穏な心を故意に乱す者
 を避ける。自分の内に神がある人は、相手の意見を尊重して好かれることになると思われる。
 責め立てること無く、過失をゆるせば永遠を知るから、人は誰でも自身のことしか言えない。


574素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/23(日) 08:54:35 ID:ALarSdba
■■無意識に真実の自分を現す
自分が食べる、欲求、目的、自分が生きる、自分の考えが正しい、自分のことへの囚われ。
しかし、― 無慈悲で無く、残酷・残忍で無く、冷酷で無い ―ことは、とっさの判断で現れる。
また、無意識にも行われる。人はなんとなく残酷なことを厭う。無意識に自分の永遠を失うことを
避けている。

最初は平穏を求めて話し合いで解決しようとする。無意識に真実の自分から平安を好んでいる。
しかし、互いに自分たちの考えを押し通そうとする時、争いが起き、大きな損失を生む場合がある。
「愛を学び、戦争に至る」他人を尊重するならば、彼岸に至ることを願っていたほうが世界は平和
になるかもしれない。「平和、平和」と言いながら、誰かを悪と決め付けて制圧しようとすると、
また新たな争いが起きる場合だってある。

 宗教でなくても、宗教であっても、人々を平安にする行為とそれを好むことは永遠の自分から
 でたことであって、その人の宗教的な知識よりも優れている。宗教的な知識が人々の平安と自
 己の安らぎを失わせるなら、無いほうがましである。
 
575素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/23(日) 12:47:53 ID:NwsrWMnw
>>562
□超自立型
― 一切の「無」があり、一切が幸福の喜びに満ちる ―
 ■真実の自分は、何でもできる
  ―このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう―(イエス)

『私たちの真実の姿は、何でもできる』一切が幸せな世界を喜ぶように、自分のことを忘れるくら
いにして、人々の幸せを思う心、安穏ではなく、困っていたり、苦しんでいる人々を助けようとす
る「哀れみの心」、人々の暮らしを安楽にしてあげよう、快適にしてあげようとする心は何でもで
きる。

 このような人間の思いの自身は無くなるが、一切が幸福で安穏で安楽で平安で安らぎに満ちた
 心のままで生きるなら、何でもできる真実の自分に近づく。

576素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/23(日) 12:48:41 ID:NwsrWMnw
その自分の現れの例
 病気は気から・・・・・自分のことでくよくよ思い煩ったり、迷ったり、悩んだりせず、心を休
            ませてあげたほうがよい。

 欲望より・・・・・・・熱心に人々のために役立とうとして努力していたほうが人々から認めら
            れる場合が多いし、その心は何でもできる自分に近づいている。

 自分が正しいより・・・自分が特別、自分が人々より正しいとして言い聞かせるよりも、相手を
            認めてあげ、聞いてあげることから、相手も自分を理解してくれる場合
            が多い。

 愛・・・・・・・・・・冷酷・残忍であることを無意識に厭い、自分が助けないとその人が大変
            となる場合、助けようとする。戒め無い思いから、自分の愛を押し付け
            ない。人は無意識に自分の永遠を失うことを避けている。
577素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/23(日) 12:49:36 ID:NwsrWMnw
真実の自分は、何ものにも囚われること無く、執着も無く、あれやこれやと思いめぐらすこと無く、
何ものかを抱くことなく、何ものにも依存しない。

明るくこの世を楽しみ、不満というものが無い。一切が幸せに満ちたその真実の姿は、人々から幸
せを奪い去ることは無い。人々が喜ぶことに喜び、人をして自分の欲望を満たすだけのことはしな
い。自分の労力を提供して、働いて暮らすということは真実の自分から遠くはない。
自分に求めてきた、その人の言うことを聞いてあげようとすることも真実の自分である。セールス
でも自分にゆとりがあれば、その人の言うことを聞いてあげようとするなら、それだけ自分の内に
神がある。

■自分を我慢することで築き、肉体である今は社会環境によっても変化する
―肉を制し自己を制するから自分の内に神がある者となる―

 肉を制し、自己を制した人には自分の内に神がある。しかし、社会環境が悪く、自己に苛酷を味
 あわせながら、その人に希望が無くなった場合、失望のみが生まれ心は沈んでいく。戦争などは
 その例で、平安を愛する心よりも、人間の考えが正しいとしてゆずり合わず対立した場合、多く
 の人々の行く末を変えていく。一切の幸せよりも、戦う意欲が勝った時、真実の自分は消滅し肉
 だけとなる。平安を愛さねばならない世界に決して生まれることがない存在となる。
578Z:2006/04/23(日) 14:22:52 ID:AB8hfXNx
>>570
>神の存在を信じる、信じないとかの議論にはあまり関心ありません。

神という言葉を使うと確かに無神論者からの干渉がときおりあり
論争が生じて、それが意義ある論争ならいいですが、そうでない場合も
あって、確かに面倒くさいなと感じることがあります。
そういう意味では、神という言葉を使わず、自分の中の良心の声とか、
インナーボイスとか、内なるマスターとか、まあ自分にしっくりくる
言葉をつかったほうがいいかもしれない。

ヒエラルキーという意味では、いろいろなレベルあありますね。
内なる声といっても、実際には以下のパターンとか考えられるので
見極めは重要かと。

自分の内にあるハートからくるもの、
自分の潜在意識に蓄積された単なる過去の記憶の断片、
生きている他人からのテレパシー等
死んでいる他人(低次元、地獄?)からのテレパシー等
天国というか高次元にいる守護チームのメンバーまたは
そのリーダーからのメッセージ、
もっと上のマスターレベル
以上の系統からはずれた別のヒエラルキーに属する精霊等。
579名無しさん@3周年:2006/04/23(日) 17:59:56 ID:kDOQGU/n
私は神を信じたい、それを求めようなどと思ったことはありません。
カルトにはまる、カルトを“始める”愚かな人たちに興味があるだけですね。


>>520
なぜそんなに正解を欲するのでしょうか。意図や意味を説明する
ことほど愚かなことはありません。好きなように解釈し、好きなように
価値判断をし、もし批判や否定をしたいのならすればよいのですね。
そうやって人間は前進するのです。
580名無しさん@3周年:2006/04/23(日) 20:07:14 ID:kDOQGU/n
ここには、多弁によって自分の中に神を刷り込みたい人が
大勢いますね。自分の幸せは他人の不幸を踏み台にして
得られるものなのですが、そこまでして得たいものなのでしょうか。

神などないのですね。そして何でも神聖だの崇高だの自分自身
の内面を崇拝することを明言することは人間として恥ずべき行為
と言えるでしょう。そこまでしてヒトラーでいたいのでしょうか。
581凡人:2006/04/23(日) 22:10:42 ID:1WBaeSBx
>>580
私にはあなたが可哀相な人に思えます。
でも、今現在のあなたが幸せや楽しさを感じて生きているならそれでいいと思います。

今自分の人生は一度しかないのだから、好きに生きればいい。自分に従って。
582( ‘,_ゝ‘)寄生虫だらだら ハンター:2006/04/23(日) 22:30:27 ID:sn86yxxS
人を害し毒するのが仏教スレッドhttp://life7.2ch.net/psy/#8
の地縛霊であり
そして太刀山型の土俵入りの守護霊
それが
顔文字電波( ‘,_ゝ‘)◆ 寄生虫だらだら

583隠れ里:2006/04/24(月) 00:21:02 ID:o3SF6AOc
Zさん返信>>578ありがとうございます。
神の存在が体験でしか確信できないように、ヒエラルキーの実在、階級も自身がその階段をある程度まで昇ることによってしか認識できないでしょう。

>天国というか高次元にいる守護チームのメンバーまたは
そのリーダーからのメッセージ、
>もっと上のマスターレベル
>以上の系統からはずれた別のヒエラルキーに属する精霊等。

私にはこの辺の分類がよく理解できません、説明が難しいでしょうがマスターレベル 、別のヒエラルキーについて
差し支えなかったらお聞かせ下さい。

内なる声には見極めが重要です。
と言ってもこれは植物、動物全ての生命が内包してるもので、人間ならば私利私欲、名声、肩書き、出世などに惑わされず、前向きに生きていれば無神論者でも内なる声に動かされたいるのではないでしょうか。
宗教を信じるとか精神世界のセミナーはむしろ内なる声の障害になってるし、そのような組織に依存する時点で邪心が働いていることでしょう。
ほとんどは

>自分の内にあるハートからくるもの、
>自分の潜在意識に蓄積された単なる過去の記憶の断片、
>生きている他人からのテレパシー等
>死んでいる他人(低次元、地獄?)からのテレパシー等

と言うことだと思います。
584名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 03:56:27 ID:xEhFxYmt
神を否定するのは自分を否定するのと同じことだ。
585名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 06:19:40 ID:V7esAFI9
そう思いたいのですね。
その思考の裏には、神を肯定することは自分を肯定することだという
愚かな妄信があるのですね。
586名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 09:35:34 ID:V7esAFI9
「内なる声」とは、これまた大げさな話ですね。
人間なら誰でも自分自身と対話はします。
「考える」とはそういうことです。ただ感じることに対しても
人間は絶えず脳によって判断をしているのですね。
判断をしない人間はいません。ただ、訓練によって
超越した気分に心を高揚させることは可能です。

>>581
幸せ信仰者がこのスレには多いですね。私にはあなたが
可哀想な人に思えます。好きに生きればいいのは言われる
までもないことですよ。
587名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 12:10:50 ID:7VkWzf6C
皆ばかだなぁ〜。みんなの心に内なる神様いるのにぃ!
それを感じれる俺ってかっちょいいよなぁ。
よっしゃ、2ちゃんで自慢するか。「お前らが気付かない内なる神様の
存在と、俺なんか会話できちゃうんだぜぇ!
お前ら低俗な人間と違って、俺なんか高尚な人間だから!!」
588名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 15:48:05 ID:GRsFA5Kh
>>587

>お前ら低俗な人間と違って、俺なんか高尚な人間だから!!」

このスレッドで言うところの「神」とはかけ離れていますね。
神は決して差別はしない。
本当に会話しているとしたら、其れは一体なんでしょう?www


589名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 17:47:07 ID:aFMOIqde
ここで神について語っている皆様の中で、
>>587のような心など微塵も持っていない!!」
と確信を持って言いきれる人はどれくらいいるでしょうか?
多少なりとも、ここで神について語ることで優越感に浸ってるでしょ?
ねぇ、Zさんに!
アールグレイさん!
フィロさん!
素朴な言葉さん!
隠れ蓑さん!
590アールグレイなTAO:2006/04/24(月) 18:52:56 ID:IYxpxTVg
>多少なりとも、ここで神について語ることで優越感に浸ってるでしょ?

それは当然!(笑)
591フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/24(月) 20:08:18 ID:jvxAn+8z
>>589
そうですね、それはありますよ。やっぱり、何も違ったモノなんてないんですよ。
592凡人:2006/04/24(月) 20:37:50 ID:9hT6HRUr
>>586
私はあなたが言う、他人を踏み台にして自分が幸せになる、という思いはありません。そして、幸せ信仰もありません。
ただ、私の近親の人が私と接することで楽しい気持ちになってもらえるように、小さく小さく生きていくのみです。

今生を生きる身ですから、社会と信仰のバランスを意識して一所懸命に生きるだけです。

あなたから見たら私が可哀相に見えるのは仕方ないでしょう。でもそれで結構、私は今の自分に満足してます。
593588:2006/04/24(月) 20:42:48 ID:GRsFA5Kh
天は人の上に人を創らず人の下に人を創らず。

神は天丼の上にカツ丼を作らず牛丼の下に親子丼を作らず

         ↑
      100回読みなさい
594Z:2006/04/24(月) 21:24:04 ID:fIUwbLsi
書き込みテスト
595名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 21:25:22 ID:RWmPM2T9
>>589 たしかに、この世の諸悪の根源は優越感と劣等感かもしれない。。
596Z:2006/04/24(月) 21:27:10 ID:fIUwbLsi
>>580
自分の幸せは他人の不幸を踏み台にして
得られるものなのですが、そこまでして得たいものなのでしょうか。

〜ですが、までの前提がそもそも誤っているというと考えている人が
大多数を占めています。
もしかしてあなた、幸せじゃないの?
597588:2006/04/24(月) 21:43:49 ID:GRsFA5Kh
少し強引なのですが、神を山に例えて下さい。
世界には色んな山があります。マッターホルン・チョノランマ・富士山・
近所の小山等
そして山の好きな人は、本格的な登山をしたり又はハイキング、山に登りをし
たく無くても遠くから眺めたり写真を撮ったり、山の絵を描いたりする人もいます。
山登りをする人も、ただ其処に山があるから登る人もいるし、いい空気を
吸いたい等森林浴をする人、健康の為に登る人、色々です。
此処はそういう人たちの集まりだと思います。
だから変な宗教が出来たりはしないでしょう。
純粋に神を語り合いたい人の集まりです。

                         by  moka
598588:2006/04/24(月) 21:48:47 ID:GRsFA5Kh

>>597
>そして山の好きな人は、本格的な登山をしたり又はハイキング、山に登りをし

山登りをし  に訂正
599名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 22:06:37 ID:H2GHkSRp
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

600Z:2006/04/24(月) 22:18:30 ID:fIUwbLsi
>>583

>私にはこの辺の分類がよく理解できません、説明が難しいでしょうがマスターレベル 、別のヒエラルキーについて
差し支えなかったらお聞かせ下さい。

発展途上の自分の体験でしか語れませんので断片的説明。
読んでも理解不能な箇所が多いと思いますが。

>他者からのテレパシー

生者・死者いずれも音声的に届くが、電気的な振動が体内に響く。
おそらく物質的な次元に近いエネルギーと思われる。
普通の人間の声が脳内・体の中から響く感じ。
離れているが、思い入れのある家族・恋人・友人から届く。
自分も無意識に発していると思われる。
参考ながら亡き友人からは「自分のために祈ってほしい」との
メッセージを受けとったことがある。
(その友人は自動車事故で高校生のときに亡くなっている)
祈りというのは自分の自己満足・抽象的な概念ではなく
本当に何らかの働きが目に見えない次元で作用すると思われる。
601Z:2006/04/24(月) 22:19:13 ID:fIUwbLsi
(続き)
>天国というか高次元にいる守護チームのメンバー

援助というのは割りと日常生活の援助のレベル? 
見守り方が家族・親族のそれ。暖かくやさしい波動。
姿も見せてくれる。
下記のマスターレベルの試練についても励ましてくれる感じ。
推定だが霊的レベルは自分と同じ程度またはやや上といった感じで
立場が逆転することも遠い未来ありえると思われる。
同じチームの一員。見えない別世界で一緒に生活していたと思われる。
自分が思う幸せの援助とか考えてくれる。
虫の知らせ、といったレベルのメッセージはここ?

>もっと上のマスターレベル

明らかにレベルが自分より数段上。通常の輪廻転生は卒業しているので
もう肉体を持たない。生まれてくるときは特別な目的をもつとき(人類救済とか)
高次元の計画に沿って我々に大きな試練を与える。しかしそれは人類の益になる。
一市民の小さな幸せを実現させてくれるというレベルではない。
生まれてきた目的が10なら、可能なら20またはそれ以上やらせてくれる。
自分が思う幸せとマスターの考えている幸せは明らかに違う。
発するメッセージは音声(脳内でひびくがテレパシーの波動ではなくもっと精妙、
時には爆発的インスピレーション(音声にすれば何十秒もかかる波動を一瞬で伝えてくる)
姿は見せない。ただし誠実に祈り呼べば、聴いてくれる。
602Z:2006/04/24(月) 22:20:04 ID:fIUwbLsi
(続き2)
>以上の系統からはずれた別のヒエラルキーに属する精霊等。

守護チーム・マスターはいずれにしろ自分の進化向上を援助してくれるが
精霊(?)は何も考慮しない。友達感覚でコミュニケーションできる。
興味本位・好奇心で近寄ってくる。
意識を合わせてあげると喜んでくれる。おそらく普段、人間から見向きされていないと
思われる。頼めば援助してくれることあり(失ったもののありかとか)
怒ることもあり。推測だが自然の精霊、都会でも草木とか誰もいなかったアパートとかに
存在の気配。

>自分の内にあるハートからくるもの

これはエゴの声とは違う。魂の声、ふるえ。
正直言うと、マスターの導き、守護チームの援助のメッセージとの区別がつかないこと多し。
ただ、自分のエゴの声とは区別がつく。
壮大なクラシック音楽(ベートーベン、バッハ、ヘンデル・・)を聴いたときの胸のふるえ、
偉大な人類愛の教え、演説を聴いたとき、芸術に触れたときの胸の感動、
そのわきおこる自分の内的な場所がどこかを感じたらそれがハートの振動のありか。
そこからわきでるインスピレーション、声、映像があればそれはハートからくるもの。
エゴの声とは、瞑想中、静まらない内的雑音、勝手に喋る内的な声、利己的でわがままな内容。
複数の声が一度に喋る(恐怖、怠惰、怒り、色欲、傲慢・・・)
603Z:2006/04/24(月) 22:28:27 ID:fIUwbLsi
以上ですが、最近、こういう書き込みをしていいのかと
躊躇することが多いです。いろいろな意味で。
というのも、それをやはり目に見えない次元が監視しているということも
ありまして・・・

このスレの「自分の内に神は存在する」の神については、
狭義においては、上記のハートからくる声、
プラス、マスターからの指導的メッセージ。
いずれも宇宙の創造主・宇宙意識とつながっているという意味で。

広義においては、
まあ我々も一市民としての幸せも得たいということですので、
守護チームからのメッセージも参考にプラスしてもいいかなと。

要するに外部の人間のテレパシー・エゴの声・精霊以外のものを除いた
我々の霊的進化を促してくれる声全般を指して差し支えないかなと。
ただし、声の出所ははっきりと認識しておきたいです。
できる限り。
604Z:2006/04/24(月) 22:34:31 ID:fIUwbLsi
訂正

×:テレパシー・エゴの声・精霊以外のものを除いた
○:テレパシー・エゴの声・精霊を除いた
605Z:2006/04/24(月) 22:52:51 ID:fIUwbLsi
>>589
多少なりとも、ここで神について語ることで優越感に浸ってるでしょ?
ねぇ、Zさんに!

・・・書くこと自体の危険性とにらめっこしてます。
かなり抑えて書いているし、本当に書けないこともあるし
線引きはしているつもりですが、
書いていけないことを書いてしまった場合の影響を考えるとね・・・
断片的体験をベースにしているから、体系的に書けなくて悩む
ということもある。
正直言うと、優越感という感覚に浸る余裕はないです。
これは書かなきゃ・・という義務感は感じることはあります。
606名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 07:17:15 ID:YL0azs0v
神を否定するのは、自分を否定するのと同じことだ。
607名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 10:33:44 ID:IAmeccpf
>>605
>正直言うと、優越感という感覚に浸る余裕はないです。
>これは書かなきゃ・・という義務感は感じることはあります。

そんな義務感は必要ありませんよ。
ここで貴方が何を書いても、何を訴えても誰も聞いてませんから。

貴方や他の皆さんがここで得意げに語っているものは、一般の人が
普段のふっとした時に無意識に感じているものです。
皆あえてそれを言葉にして表現しないだけです。時間の無駄ですから。

ですから、Zさんはご安心いただいて、何でも書いてください。
貴方の妄想の世界をどんどん書いてみてください。
皆笑って見てあげますから。。
(メンヘル板をすすめる人も出てくるでしょうけど)
608神肯定者:2006/04/25(火) 12:26:28 ID:SuxuB5qK
『自分自身を見い出す事が、人間の義務である』
これは、ある人の言葉です。
大勢の人から支持を受け、社会的にも大成功した人物です。

ここで神を否定している人達は、人間としての義務を放棄しているようです。
自分自身を見つめる事もなく、他人に宣言できる目標もなく、
努力と成長ではなく、妥協と停滞が心地良いんでしょうね。

609名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 12:32:06 ID:Y06N+T3e
>>608
心理学でも変化そのものを恐れる人のことが出てくるよ。
何が起きても恐いんだって。
610名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 12:58:53 ID:7zARt+tL
社会的に大成功って何? 大成功なら信用できるってか?自分の目標なんか他人に宣言しないし。あんた 視野狭い病だ!
611名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 13:06:12 ID:7zARt+tL
たかが人間、神のことなんか一生わからん!
612名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 13:06:45 ID:/ub3aL6S
HQに比例した神観
SQに比例した宗教観になる
613神肯定者:2006/04/25(火) 13:15:05 ID:SuxuB5qK
自分の目標を達成する為に努力する事で、他人からどんな評価をされたとしても、
俺には、あまり意味はない。
「事なかれ主義」なことが、人生のテーマな人もいるでしょう。
その人を否定するつもりはありません。 できれば、判断もしたくはない。

自分にとって『何が必要か?』を判断できない事は、気の毒に感じます。

苦労を避けて、努力もせず、ぬくぬくと生きていければ、神など必要ない。
目標に向かい、自分自身の限界を広げる努力を続ける人には、神は友となる。

否定者と肯定者、生きる世界が違うのだから、意見の違いはしょーがない。
肯定者には、その違いが認識できるが、否定者には認識できないようだ。
>>610、あなたは迷子であることを認めるべきなんですよ。
614名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 13:18:44 ID:7zARt+tL
神がいるかいないか知らんがもしいるなら、そんな凄いもの理解できんし、御心もわからん。ここは謙虚にもらった命を大事に、一生懸命生きるだけや!神様のことは死んでから考えるわ!
615名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 13:30:28 ID:7zARt+tL
>>613オレ、迷い子?なんで?
616神肯定者:2006/04/25(火) 13:42:26 ID:SuxuB5qK
>>615
ここは、肯定者が作った、肯定者が意見を交換する場所だと思います。
>>1の内容を、そう理解しています。
>>610のようなレスを入れる必要はないと思います。
あなたの意見を否定はしませんよ。 
あなたのは、そう思う事が必要なんでしょうから。

でも、ここでは必要ありませんよ。
ここに来て、そのようなレスを入れる事自体が、迷子だと思います。
あなたに必要な場所は、ここではないんじゃありませんか?
自分が何処に向かっているのか、理解していますか?
『自分』っていうことを、理解できていますか?

この問いに答えられるのであれば、あなたは迷子ではありません。
俺の意見を撤回し、お詫びします。
617名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 13:44:11 ID:SuxuB5qK
あなたのは、そう思う事が必要なんでしょうから。 =×
あなたには、そう思う事が必要なんでしょうから。=○

618:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 13:50:19 ID:WLT+l/uF
>>608

>ここで神を否定している人達は、人間としての義務を放棄しているようです。

神を信じる優しい思いやりのある方の発言かな

>努力と成長ではなく、妥協と停滞が心地良いんでしょうね。

努力と成長は自分自身の事、それが出来てはじめて神に感謝するのですよ。
成功したいが為に神を信じるのではなく、若し成功したなら神に感謝し
その恩恵を周りの人達にも社会にも還元するという事ですよ。


619608:2006/04/25(火) 13:54:56 ID:SuxuB5qK
>>618
それは、あなたの受け止め方。 あなたの理解。
俺には、コントロールできません。
620フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/25(火) 13:56:09 ID:MGGaAfry
>>608
横レス、スマソ。
自分の目標というのはなかなか難しいですね。
自分のやりたい事に気づくのは、随分かかったように思う。
それは、理由がない、実体のないものに起因していたから、簡単じゃなかった。
とかく言葉になりにくいものだから、簡単には言えない。

自分を探すのは、苦痛になる。
無いものを探すことになるから。
自分を思い出すのなら、いつでもできる。
自分を引き寄せ、自分をもう一度、再構成できる。
甘く甘美な自分の素晴らしいものも、
自分の望めるものも自分を再構成できる。
まだ、そこまで行ったか自信はないなぁ。
まだ、未熟かも。
621:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 14:05:01 ID:WLT+l/uF
608さん

私も神を信じる人間です。まず神を信じる大前提として、全てに反省し、
そして全てに感謝する気持ちが大切だと思います。

でな無ければ、神は遠ざかります。
神否定者の気持ちも全て間違ってはいないかもしれません。
相手を理解する事だと思います。
622:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 14:27:07 ID:WLT+l/uF
神を探求するあまり、自己や周りの人も見失い、神と交流した喜びに
満喫している人もいます、自分自身のユートピアを創ってしまい、
排他的になってしまっているのですね。
神否定者を認知しない、聞く耳をもたないのみでは
社会から途絶さえしてしまうかも知れません。
神否定者さんの仰られる事もある程度受け入れ自己の神探求へのアドバイス
としても構わないのではないでしょうか。
623名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 14:27:27 ID:7zARt+tL
>>616あんた、ちがうなぁー!勘違いか?大体オレ、神様否定してないしね。
624フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/25(火) 14:43:02 ID:MGGaAfry
>>622
確かに、神否定派の人の話を聞くのはいいんですが、
提示の仕方にクセのある方なので、少々辛抱がいりますね。
ただ、妄想という形で片付けられる問題かというと、
自分のものとして扱わなければならない状態になったら、
妄想の一言ですまない問題もあり、
複雑ですね。

625:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 14:43:13 ID:WLT+l/uF
神を否定する者を否定する事は神をも否定する事になるかも知れません。
何故なら神は全ての人に平等だからだと思います。

626:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 14:52:02 ID:WLT+l/uF
>>624

全くの無神論者と神否定者は違いますね。
無心論者の方は此のスレッドをスルーすると思います。

神否定者の方はどちらかと言えば、神に懐疑しているから
否定せざるを得ないのかもしれませんね。

神肯定者の方は、誹謗・中傷以外は、単に議論するだけではなく、
優しく受け止める事も必要ですね。
時にはユーモアも交えて、会話したら如何でしょうか。
627フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/25(火) 14:55:23 ID:MGGaAfry
>>625
いずれにしても、否定というのは不安定をもたらします。
安定を揺るがします。自分のものにできればいいのですが、できないでいると、つらいものです。

628フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/25(火) 14:59:28 ID:MGGaAfry
>>626
ユーモアたっぷりで彼らと対することができたら、すごいですよ。
それは並大抵の事じゃないですから。

629:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 15:06:29 ID:WLT+l/uF
>>627

以前フィロさんのカキコを読ませて頂きましたが、私なぞ足元にも
及びません。
他の神肯定者の方々も然りです。
しかし否定者の方のご意見も参考になります。
又神を完全に理解している方がおられるのでしょうか。
それはないと思えます。
宇宙の全てを理解する事よりも困難であるかも知れませんね。
630:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 15:09:33 ID:WLT+l/uF
>>628

議論すれば、ユーモアも通じませんね。
会話をすればいいと思います。
もう議論はある程度出尽くしたのではないでしょうか。
後は堂々巡りです。
631:名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 15:15:05 ID:WLT+l/uF
ちょっと失礼します。
TAO先生(先生と呼ぶと本人は非常に嫌がる)の所へ行って来ます。
632フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/25(火) 15:18:04 ID:MGGaAfry
神となると話が固くなりますからね。
グミにして食べたがっている神様はどこに行ったのかな?

私は清涼ラムネ菓子にキボン。w
633608:2006/04/25(火) 15:32:47 ID:WE8owPiI
>>620
それぞれの目標によりますね。
神を求めることが目標の人。
神を理解することが目標の人。
神を人生に役立てたいと思ってる人。
神に頼りたい人。
神を否定したい人。
神とひとつになろうとしてる人。

目的、目標によって、神は様々な存在になる。
ここに書き込むのは、
>この世に生まれてきた目的、自分の使命をさがしながら
>一日一日を一生懸命、生きましょう。
と、>>1に書いてあるからです。

神を否定する為のスレは、他にありますから。
634名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 15:35:32 ID:7zARt+tL
3周年もフィロも訳知り顔でやだね!偉そうで謙虚さを無くしてることに気付けよ!神ありきの考え方じゃなぁー?どこぞの宗教とかわりませんから
635608:2006/04/25(火) 15:58:43 ID:TuifqTEZ
>>621
あなたがここに来る目的と、俺の目的は同じではありませんね。
捉え方が違うのは、必要な事ですよ。

世界は相対的です。
お互いがなければ、存在できないんです。
闇がなければ、光は存在できません。
闇を否定する事は、光を否定する事につながります。 逆もまた然りです。

問題は、自分と反対の意見への理解です。
俺は、理解をして書き込んでいるつもりです。
ついこの間まで、俺も否定者でしたから。
636名無しさん@3周年::2006/04/25(火) 16:15:51 ID:WLT+l/uF
>608さん

>俺は、理解をして書き込んでいるつもりです。

それなら良いですね。素晴らしいことです。

>ここで神を否定している人達は、人間としての義務を放棄しているようです

これがちょっと引っ掛かりましたので。


>ここは謙虚にもらった命を大事に、一生懸命生きるだけや!神様のことは死んでから考えるわ!

人間としての義務を放棄している様には見えないですね。
言葉は乱暴ですが(笑)
637カミサマ:2006/04/25(火) 17:47:23 ID:IAmeccpf
>>632
ひさしぶりに呼ばれちゃったよ!いやぁ、、、、、こんなに必要とされるなんて照れるなぁ(・・・・・・勘違い?)
で、何?また貴様ら神がどうのこうの語っちゃってる訳?
こんな論争は無意味だっちゅうの!
だって、
「俺なんか、神様を感じること出来るし、神の存在を語っちゃうこと出来る高尚な人間なんだぜぇ!」
って勘違いしてる奴と、
「なんか、神様を感じてるとか生意気言ってる奴いるなぁ。
てめぇら2ちゃんに書きこんでる奴ごときが、神を感じることなんて出来るわけないじゃん!
のび太のくせに生意気だぞ!よっしゃ、いっちょう神否定論者になって叩くか!!」
っていう人間同士の争いでしょ?
で、最期は、「何を言っても体験してない人にはわかんないよ。ば〜か!!」
で終わるんでしょ?

。。。。こうして同じ事を繰り返して、このスレは延々と続くのだね。
もうカミサマ怒っちゃった!今から君たちに試練与えちゃう!
「フィロ」という言葉を使って駄洒落を考えてください!
つまらなければ、立直れないくらいのかなりキビシイ天罰与えます!
お楽しみに!!!
638名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 18:18:04 ID:+iv8kKWM
まずは隗より始めよではありませんか、神さま。
あなたがまずご「フィロー」してください。
639名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 18:20:14 ID:WLT+l/uF
>カミサマ

ゴメンネ、駄洒落浮ばないです、修行が足りないので。

その代わり回転寿司おごらせて頂きますw。
640608:2006/04/25(火) 18:23:54 ID:MJBruyK8
>>636
>ここで神を否定している人達は、人間としての義務を放棄しているようです
このコメントは、>>607へ宛てたものです。
>>614へ宛てたものではありません。

>>367のカミサマを見ればお分かりのように、他人への理解とは、
まず、自分自身を理解することから始まるんです。
自分を理解できない人が、どうして他人を理解できるんでしょうか?

神、自分自身、無常、宇宙の法則、愛、生命、これらを理解した時、
経験が人を創ることが終わる。
これらを理解すれば、信念が経験を創ることを理解します。
経験を求め、信念が安定していなければ、その経験は永遠にできない。
信念がしっかり保てれば、そこから先の経験はすべて、自分が求めた経験になる。
641608:2006/04/25(火) 18:26:33 ID:MJBruyK8
A
何かを経験する必要にせまられ、その経験から新しい気づきや考え方、
信念や価値観が生まれ、次の経験を求める。
その新しい経験が、また新しい気づきや考え方、信念や価値観が生まれ、
さらに次の経験を求める。
経験の内容次第で、方向は変わる。

B
自分がどうなりたいのか?=どんな信念や価値観を持ちたいのか?
自分が何処に向かっているのか?=理想の自分はどんな自分なのか?
目的地と今の自分を認識し、日々の経験を目的地に辿り着く為に利用する。
それが出来れば、経験の内容次第で右往左往せずに済む。


経験が先ではなく、信念が先になる。
これは、大きな違いを生む。
642名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 18:36:50 ID:+iv8kKWM
>信念がしっかり保てれば、そこから先の経験はすべて、自分が求めた経験になる。

理解不能。
経験というのは、科学で言えば実験で、「自分の信念を実証するためのもの」
のはず。経験が「No」と言えば、即、信念は否定される。

「自分は鳥だ」という信念を持っている人は、どうやってそれを証明するか。
ビルの屋上から羽ばたきながら飛ぶという実験を通して。もし飛べれば、その
人の信念は認定される。しかし、落ちてしまえば...それでも敢えて、自分の
存在を賭けて経験するからこそ、その人に信念があると言えるのだ。

経験ぬきの信念など、幼稚園児のままごとと変わらない。
643名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 18:41:01 ID:+iv8kKWM
「自分の信念」がテーゼで、それが経験によって否定されるのがアンチテーゼ。
その矛盾を解決するには、努力して再度経験をクリアするか、白旗を上げて
信念を撤回するかの二者択一しかない。

前者だけが、弁証法の三角形のはしごを上り詰めて「真の自分」になることが
できる。
644名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 18:45:36 ID:l4L3WM51
>>613
神を信じて人々をあわれむ教会関係者もいる。
そういうのを見て、神は素晴らしいと思う。

自分の為に努力するなんていうのは、わざわざ神を信じなくても
普通していること。



645608:2006/04/25(火) 18:46:25 ID:MJBruyK8
>>642
その信念のおかげで、世界は進化してきました。
経験先にありきでは、人類は火を扱う事もできなかったでしょうね。

あなたが幼稚園児のままごとと呼ぶ事柄に囲まれて生活しているのは現実なんです。
その恩恵の中で、現代人は生活をしているんですから。
「自分は鳥だ」という信念を保てなければ、飛行機は生まれなかったでしょうね。

あなたの理解がついて来れない事と、俺が言った事は、また違うお話になります。
646名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 18:52:04 ID:+iv8kKWM
>645 ???論理が支離滅裂ですが、釣りですか???
647608:2006/04/25(火) 18:52:28 ID:MJBruyK8
>>643
同意ですね。
エジソンやアインシュタイン、本田宗一郎が経験を元に信念を築いていたなら、
歴史は違っていたでしょうね。

ここでは、「真の自分」の中に神がいるとの前提で書き込んでいます。
648608:2006/04/25(火) 18:58:17 ID:MJBruyK8
>>643
>その矛盾を解決するには、努力して再度経験をクリアするか、

この再度、経験にチャレンジするエネルギーは、どこから来るんでしょうか?
あなたが言ってることと、俺が言ってる事に違いはないんじゃないですか?
649名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:02:42 ID:+iv8kKWM
>648

う〜ん。どうも議論がかみ合わないな。
むしろ、こういう質問に切り替えようか。
>>641のBのように、「経験が先でなく、信念が先になる」という具体例を
挙げてもらえないか。私に言わせると、信念にあわせて経験の解釈を変える
というのは「現実逃避」にすぎないとしか思えないんだがな。
650608:2006/04/25(火) 19:13:15 ID:MJBruyK8
>>649
あなたが「現実逃避」と判断しても、現実は変わりません。
エジソンが、電球を完成させるのに何度失敗したか、ご存知ですか?
カーネルサンダースが、ケンタッキーフライドチキンを商品化するまでに何件お店を回ったか、ご存知ですか?
アインシュタインが何度挫折をしたか? 本田宗一郎がどれだけ窮地に追い込まれたか?
ライト兄弟が何度失敗したか? 飛行機の開発に何人の命が犠牲になったか?

これらは、信念が経験を求め、その経験が成功に導いた現実の一部です。
経験が信念を作っていたなら、途中で諦めたでしょうね?

信念を元に経験を積まなければ、理解できないかも知れませんね。。
651名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:17:36 ID:+iv8kKWM
>650

エジソンの例で言えば、彼は最後に電球を完成させるという「経験」が
あったからこそ、「電球の発明者」として、自分の信念を実証できたわけ。
しかし、世の中そううまく行く場合ばかりじゃない。エジソンがもし、その
まま失敗続きで終わったとしたら、彼の信念は否定されて終わり。

>信念を元に経験を積まなければ、理解できないかも知れませんね。。

それもまた、最後に成功するという経験に裏打ちされない限り、単なる
負け犬の遠吠えになってしまうよ。むしろ、そういう不幸な例の方が多い
と思うが。
652名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:24:04 ID:+iv8kKWM
実は、私が考えていたことはそんなことではなくて、たとえばこういうケースね。

ある新興宗教では、死人が成仏した証拠として、ある程度時間を置くと死後硬直が
消えてやわらかくなると主張する。これは一種の「信念」だろう。しかし、医学書
を調べれば、誰でも数時間経てば腐敗が始まるから硬直は解けるということが書いて
ある。また、病院へ通って死人を何人も観察すれば、やっぱり「信念」がデタラメ
だということがはっきりする。

では、「信念」だけを優先して、それに都合が悪い「経験」をしないように目も耳も
蓋してしまったらどうだろう。恐らく一生「迷信」から抜け出られないだろうね。
「経験なき信念」と「迷信」は見分けがつかない。そういうことを言いたかったわけ。
653608:2006/04/25(火) 19:25:04 ID:MJBruyK8
>>651
エジソンが失敗に終わっても、彼の実験の数々は後に必ず、電球を完成させる事に役だったはず。
ここでの焦点は、信念が電球の完成に役だった、ということ。
信念が経験を生み、その経験が結果を出した。 それだけのこと。

不幸な例は、時代の価値観で判断されてるだけ。
ニコラテスラは、今は評価されてないが、50年後には評価されてますよ。
654名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:28:14 ID:+iv8kKWM
>653

それは、本人の「信念」の中身によるでしょう。
エジソンがもし「自分は電球を発明できる」という信念を持っていたのなら、
発明できずに死んだら、信念は否定される。
テスラがもし「自分の仕事は、将来必ず評価される」という信念を持っていた
のならば、彼の信念は50年後に証明されたことになる。
655カミサマ:2006/04/25(火) 19:31:20 ID:IAmeccpf
ねえねえ!
もしかして、>>640の発言って、カミサマを馬鹿にしてるの?
じゃあ、608君は天誅決定。
明日君の家に注文してないピザが2枚届くから。

追伸:「フィローしてください」の駄洒落は面白かった!合格!!

・・・もしかしてレスの流れに水差しちゃった?
まぁまぁフィロい気持ちで許してね!
。。。。。。。よっしゃー受けた!!明日聖書にこれ加えとこう!!
656608:2006/04/25(火) 19:32:09 ID:MJBruyK8
>>652
理解できますよ。
その辺の化けの皮は、今の時代には通用しません。

火星に人類が移住する。
経験を待っていたのでは、いつまでたっても無理ですね?
失敗を恐れず、信念を元に経験を求めることが、移住を可能にします。

一番始めの経験は、信念がエネルギーなんですよ。
その経験を一般市民は受け取るだけ。
でも、自分の人生は、誰も与えてはくれません。 待っていても受け取れないんです。
あなたの信念が、あなたの経験を作り、あなたの経験が、あなたを目的地に導くんです。
657名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:33:05 ID:+iv8kKWM
追加。
エジソンがちょっと弱気になって、「どうも、自分の生きている間に電球を
完成するのは難しいようだ。せめて、別の人が電球を完成させるために役立
ちたい」という風に信念を軌道修正したら、その信念は証明されるだろう。

人生においては、信念を現実に合わせて、修正することが最も重要なことだと
思う。ほとんどの場合、現実が見えずに「自分ができない言い訳」だけ探して
一生を終わる。
658608:2006/04/25(火) 19:33:55 ID:MJBruyK8
>>655
かしこまり。
フィロにでも入って、待ってます。
659名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:34:41 ID:+iv8kKWM
>カミサマ

褒められたお陰で、私の駄洒落が受けるという信念が実証されました!
どうもありがとうごぜえますだ!
660608:2006/04/25(火) 19:39:41 ID:MJBruyK8
お仕事なので、中座します。
付き合ってくれて、ありがとね。>>657
カミサマもありがと。
661フィロ ◆3VrWkg91Pc :2006/04/25(火) 19:46:39 ID:MGGaAfry
うわっ、カミサマ降臨しちゃったの!
風の噂に聞いたんですが、カミサマ、アダムとエバに内緒で、りんご食べてらしたのですか?

何でも、天国の台所で、小麦粉の皮、パータ・フィロを発明されて、
りんごを包んで隠しておき、焼いて、食べられたとか。
香りが天国中に広がって、りんごはもっぱら、
隠して、包んで食べろともっぱらの噂で。
人間達に内緒で広まっております。
662名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 20:19:09 ID:AocgIF1q
「宗教はいらない。自分の内に神は存在する」

1.宗教は誰かの指導に従わないといけないからいらないけど、何かに頼りたい人。

2.宗教はいらないけど、自分を神として他人を指導したり、見下したい人。

3.宗教はいらないけど、自分を神としないと、自分のしたいこと、進むべき道が
  さっぱりわからない人。

4.宗教はいらないけど、やっぱり神がいて、宗教団体に入らなくても護られたい
  と思う人。

5.宗教はいらないけど、神がいないと、何か悪いことしそうな人。


 少なくとも神を信じるだけで、人に害を加えないと思う。神は何かわからないだけ
 神を信じる意義はあるだろう。
 
663名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 22:25:04 ID:gQfW4x12
私は、私の個人的な神と言う人生のナビゲーターがいてくれたら大助かりと思う人間の一人。
664名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 22:51:57 ID:pld3vQC8
今の時代は、たとえばガンガン殺人している宗教に人を導くようなことを言うことが最大の悪になる。
それをやると、人を不幸な宗教に入信させることになるので結局それが自分に跳ね返ってしまう。
そのような宗教を否定しまくるのが正しい。そうすると、その宗教に入ることをやめて
救われた人が受けた恩恵は自分に返ってくる。今は宗教の妄想が完全に間違いであることが示される時代。
結果は出ている。
665Z:2006/04/25(火) 23:02:44 ID:wknaPSkv
書き込みテスト
666名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 23:08:36 ID:Yfyda81O
神は自由を与えたと考えて宗教を捨てること。人も他人を束縛してはいけないと
自分の信念を持つこと。徐々に自分で自分の人生を生きる楽しさを考えて、自分
が自分の目的を持って、努力して生きなければならない、苦労を乗り越えていか
なければならないという現実に目覚めること。

このスレは、宗教からの離脱を応援するスレにするべき。洗脳からの目覚め。
自分の内に神を持つということは、自分自身を信じて生きることへの躍進。
そして、自分を神とすることもなくなるまで頑張るスレにすればいい。

それでも何か信じたいなら、何でもいいから宗教を信じればいい。自分だけの宗教は
カルトと同じだよ。
667Z:2006/04/25(火) 23:14:19 ID:wknaPSkv
>>666
おそらく、神という言葉、宗教という言葉を使用しなかったら
このスレはもっと低い反響だったと思うね。
神といっただけで反発・否定・肯定の波が押し寄せて、
宗教はいらないと言っているのに、神を信じるなら宗教だから
危ないと警告をくれたり・・・

オレは生まれてずっと無宗教で過ごしたけど、宗教団体に入っている
連中を見て、これはちょっと・・・と思ったんだ。
家庭を省みない、仕事もしない、強引な勧誘・・
とても幸せには見えなかった。
そういう意味では宗教からの離脱を応援するスレという役割は
果たしたかったんだね。
668Z:2006/04/25(火) 23:17:23 ID:wknaPSkv
みんな、神の肯定・否定で論争するのもいいけど、
そんなところでエネルギーを使うくらいなら・・・
オレのアドバイスだけど・・・
ひとつ目標を持ってほしい。できるなら周囲にもいい影響を与える目標。
そしてそれを実現するための努力をしながら、自分の中の
神に語りかけてほしい。ハートといってもいいし、内的な声、
とにかく自分がしっくりくる表現で。
669Z:2006/04/25(火) 23:21:44 ID:wknaPSkv
自分の目標を実現しようとすれば、自分だけの力では及ばないこともある。
むしろ及ばないほうが神を理解できる。
そのとき、自分の至らない部分を感じることで謙虚さが生まれ
神に語りかけるきっかけとなる。
自分自身の神に声をかけなければ、神は答えをくれない。
神はオレたちにいつもメッセージを発しているのに気がつかないことも多い。
耳を澄ますという行為に集中してみてはどうか。
肯定・否定の争いをしたところでいったい何が実るというのか。
自分の数々のエゴの内的な喧騒の中で、か細い声が聞こえるときがくる。
それは目をつむっているのに見えてくる映像かもしれない。
その内容をしっかりと受け取ろうと誓うことからはじめるのもいい。
670Z:2006/04/25(火) 23:28:29 ID:wknaPSkv
または芸術鑑賞、広大な自然に触れるとき、自分からわきおこる衝動、
感受性を大切にしたい。
一日の終わりに数分でいいから目をつむり黙想をする。
スタイルは自由でいい。
そのときに目に見えてくるビジョン、聞こえてくる声を
見守り、聴き守る・・・
できれば、足元・手元にノートとペンを置いて、メモをとる習慣も
持つといいと思う。
何も目標を持たないで黙想するよりは、神に語りかける、何か回答を
得たいという気持ちを持って。
「神・ハート・マスター、あなたがたとともに私はいたい」と
強く語りかけてほしい。
そのように意識を変化させることで毎日がポジティブに変化し始めると
オレは信じている。

671Z:2006/04/25(火) 23:49:33 ID:wknaPSkv
他人を批判しても他人はちっとも変わりはしないし、
変わったとしてもあなたが批判したからではない。
その人自身が自分の内面に働きかけたからだ。
自分自身に働きかける、ワークする。
自分自身を批判すること、自分自身の中のエゴを批判すること
それが自分自身へのワークだ。
それを続けることで、エゴはやせ細り、ハートは光を取り戻し始める。
錆びた車輪に油を一滴づつさすような地道なワークだが
これほど価値のあるワークはない。
その価値がわかれば、人や世間の批判をすることがばかばかしくなる。
そして自分の中のエゴの行動を観察するのにもっとも必要な舞台は
社会生活、学校・会社・家庭の中での人と人とのコミュニケーションだ。
瞑想は夜できる。人との交流を通して自分のエゴを発見できる。
引きこもり、ニートは自分のエゴが見えないし気づかないのだ。
人と接することで、人を鏡にしてこそ、自分の内面レベルもわかる。
672Z:2006/04/25(火) 23:55:41 ID:wknaPSkv
とにかく自分自身に対してワークしてほしい。
自分自身に対して働きかけてほしい。
地面の中に宝があるかないか論争するくらいなら、
地面を掘ってみればいいじゃないか。

一回掘って何も見つからなければ、神はいないと言う。
三回掘って光るものが見つかれば、神はいたと言う。

「神がいるなんて妄想だ・・・」
掘らないから、いろんな妄想が始まるんだよ。
673名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 06:06:01 ID:3doQhhBW
偉人と神を結びつけたり、神を信念と同義に語る宗教患者のやり口に
気をつけましょう。神ありきの人というのは、何でも神に結びつけようとします。

神を語るのは愚かなことですね。現実から逃避し夢から抜け出せないのは
人間として非常にまずいことです。信念を神と同義にして神を肯定する
というトンデモ論を展開されてる方は実に哀れです。自分を知ったつもりに
なり、自分がどこへ向かって進んでいるかをわかったつもりになった人間とい
うのは周りに迷惑をかけます。人間はずっと迷って死んでいくのです。
過去の過ちは永遠に消えず、苦しみの火はいくら消そうとしても死ぬまで
燻り続けるのです。

ここで神を肯定してる方は、人間としての義務を放棄しているようです。
自分自身しか見えず、宣言できる目標を大げさに掲げ、努力と成長の
中にいるつもりで、実は妥協と停滞を続けてるという誤魔化しが
心地良いんでしょうね。残念ながらその誤魔化しは自分自身では
麻痺してしまっているので気づけないのです。問題は、本人がそれでいい
のだと自分を納得させ続けているということですね。
674アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 06:55:42 ID:ufZFjGEv
>>637

>自分自身しか見えず、宣言できる目標を大げさに掲げ、努力と成長の
>中にいるつもりで、実は妥協と停滞を続けてるという誤魔化

 このスレというより、社会の中でのそれは、確かにそうだとも言える。
 だが、逆に、歴史的に、価値あるものを生み出してきたバックボーンも
宗教エートスだったりする。
 むしろ、宗教というより、マルクス主義などにも検討を加え、人間のもつ
イディオロギー性の欺瞞といういうものを突いたほうがいい。

 神がないということで、そこから、組み立てた恣意的な体系もあるのだ。

 むしろ、モノの背後に、何らかの法則性はあるのか否か。
 これ自体、神あるいは類似の概念を仮説として演繹し、歴史が作られた、
そういう側面もあるのだ。

 断定的な、紋切り型の心的態度は、ファシズムを生む。
 そこから、シャドウに振り回され、虚無への憎悪から、虚無を愛するようになる。
 これこそ忌むべきものなのだ。
675アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 07:02:19 ID:ufZFjGEv

 近代史を学ぶことや、基本的人権概念の変遷を学ぶことにより、人間が
見えることもある。

 自動車のモデルチェンジひとつでも、見えるものがある。
 神を信じるという人間の営みを見て、見えるものがある。

 問題は、観察者の位置を、いかに没価値性というところにおきうるか。
 回路にあって回路を構成しないという二律背反を成し遂げるか。

 つまりは、空じるということと、流れの中にあるという2つの面を
どうこなしていくかにある。

 文章の行間にいろんなものがある。
 だから、こういうことを議論するのは、とても意味があるのだよ。
676アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 07:07:03 ID:ufZFjGEv

 このスレッドでの最大の問題点は、>>673の教養の欠如なのだ。
677アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 07:08:15 ID:ufZFjGEv

 それについて論じるスレに変身させるのも面白いかな(苦笑)
678凡人:2006/04/26(水) 07:14:45 ID:Kc5b4ZQ0
>>673
なるほど、言いたいことはわかります。
しかし、私は内なる声=神を信じています。でも、現実を逃避しようという気はありません。

あなたに聞きたい。それでも私は、あなたから見たら愚かで哀れに見えますか?
679凡人:2006/04/26(水) 07:32:48 ID:Kc5b4ZQ0
毎度毎度のことながら、神という言葉に過敏に反応する方がいますね。
そういう方の神の定義みたいなのが凝り固まっているみたいです。

しかし、このスレの住人の方の神の定義は、既存のものとは違い、現世利益を求めたり、現実を無視し妥協や停滞を認める類のものではない。


とはいえ、今の私自身はFFやりすぎ気味ですが。仕事に影響がでないようにバランスとりながら頑張ってます。
680名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 08:00:39 ID:DAKVEyNk
現実逃避現実逃避っていってるやつは
現実がどれくらいひどい状態か分かってない。
現実を変えるのは心を入れ替えるしかない。
もの事の表面外面や今日しか見えないため
明日の予測ができない。明日より今日を主としている。
だから刹那的感情的になる。
善といっても信仰がないため心からではないので打算的でしかない。
偽善者に近いのである。一番の現実逃避者である。
681アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 08:15:49 ID:ufZFjGEv

>現実逃避現実逃避っていってるやつは
>現実がどれくらいひどい状態か分かってない。

 そう、今の現実のひどさは、個人の枠内で見るものを超えている。
 社会の水面下で、いかにひどい現実が展開されていることか。
 しかし、それは、悪魔がやったことでもなければ、神がやったことでもない。

 人がやったのだ。
 ある意味では、人間の愚かさゆえに。
 しかし、宗教的なもの、イディオロギー的なもの、あるいは、誤った信念、
これらがなぜ、一人歩きを始めるのか、そういった考察が必要なのだ。

 で、教団やカルトとしての宗教批判、そして、それへの土台となる「神」概念
をこえた「神」への認識、こういったアプローチが意味をもつ。

 つきるところ、ニヒリズムを選択するか、あるいは、これ以外の道を模索しようと
するのか、そこが問題となるだけだ。
 いわゆるの神概念を正しく育む、これがいかにイディオロギーであることから
脱するか、そういう特殊な認識をもつ道を探って見るのも面白い。

 >>673のスタンスでは、方法論としての科学すら生まれないのだよ。
682アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 08:17:28 ID:ufZFjGEv

神概念というより、モノの背後にある、なんからの法則性ということになる
と思うが。
なら、近代史の中にも、それは見えるような気がするわけで。
683アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 08:23:55 ID:ufZFjGEv

尽きるところ、建設的でありたいかどうか。
投げすげるのか。嘲笑して、「虚無の覚者」となるのか。
この人生を信じるのか否か。
それも主観ではなく、社会も含めて。

そちらの時代へ舵をとるのかどうか。
スクリューを回すか否か。
藻が巻き付いても悲観しないで、いかにほどくか・・・。
問題はそこにある。
684カミサマ:2006/04/26(水) 08:29:38 ID:bCMMlueZ
カミサマちょっとだけ降臨。
また議論してたん?君たち結構しつこいねぇ。
>>637にも書いたでしょ?

「俺なんか、神様を感じること出来るし、神の存在を語っちゃうこと出来る高尚な人間なんだぜぇ!」
って勘違いしてる奴と、
「なんか、神様を感じてるとか生意気言ってる奴いるなぁ。
てめぇら2ちゃんに書きこんでる奴ごときが、神を感じることなんて出来るわけないじゃん!
のび太のくせに生意気だぞ!よっしゃ、いっちょう神否定論者になって叩くか!!」
っていう人間同士の争いでしょ?
で、最期は、「何を言っても体験してない人にはわかんないよ。ば〜か!!」
で終わるんでしょ?

って。。。。
結局延々同じ議論の繰り返しだもの。
ぶっちゃけ正直に言うわ!!カミサマである俺様が携わってるのは、
人の寿命だけ!考え方まで関知してないっちゅうの!!
685アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 08:31:38 ID:ufZFjGEv
延々同じではないよ。

>最期は、「何を言っても体験してない人にはわかんないよ。ば〜か!!」
>で終わるんでしょ?

これも大変意義があることなんだよ。カミサマ。
そこで対立だけが生まれるのでも、実はない。
686アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 08:42:47 ID:ufZFjGEv
カミサマがニヒリストになってどうする(笑)
さぁ、がんばりましょう、と。
687名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 12:15:03 ID:b/sb21An
>>681

>宗教的なもの、イディオロギー的なもの、あるいは、誤った信念、
>これらがなぜ、一人歩きを始めるのか、そういった考察が必要なのだ。

現実がひどいとして、「現実がひどいことは許せない」と捉えると、現実逃避
目的に宗教に走ることになるでしょう。マルクスが言った「アヘンとしての宗教」
ですね。本人は、自分だけは義人だと信じているけど、その実、「自分もまた現実
に関わりを持ち、ひどさの片棒を担いでる」という責任を捨ててしまっている。

「現実はひどいのが当たり前(現実)なんだ」と認識した上で、泥水の中まで
どっぷり首まで漬かりながら、それでも「真善美の存在」を信じ、泥水の中にその
片鱗を見つけようと努力する人だけが、「神を知る人」なんだと思う。

なぜならば、現実もまた神の一部で、現実を否定することは神を否定することに
つながるから。現実を「愛せ」ない人は、神を愛することもできない。
688名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 12:21:53 ID:b/sb21An
現実世界が泥水だからこそ、「真善美」が輝いて見えるのだと思う。

この不実なる砂漠に
きらめく真実のあるがために
ますます深く迷うばかり
われら哀れなる恋の砂金採り
(アポリネール)
689アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 12:53:36 ID:FcdYIKB0

 なるほど・・・・俺自身、本来は社会科学分野の人間で、宗教畑の人間
ではないような、気がしてきたなぁ。

 現実がひどいことは許せない、とか、許せるとかではなくて、どうして
このような事態に立ち至ったのか、それへの処方箋は、どうなのか、と考える
ようなカンジなのだが。

 で、その処方箋のイディオロギー性に、検証を加えるとか。
 イディオロギーとは、本来、秩序だっていないことを、主観的に秩序だてる
という意味合いをもっていて、もともとあまり良い意味での言葉ではない。

 現実がひどいのは当たり前とか許せないとかではなく、例えば、電気器具
があるべき動作をしていない、そういったものの取り扱いに近い。

 で、あるべき動作というのが、大きく言えば国家論などになるわけだ。
 ここに、共産主義状態というものを、一種アプリオリなロマンとでも
いうべき共通事項としてもってきたところに、マルクス主義の悲劇の一端
がある。
 つまり、彼らはブルジョアの国家論を、虚偽意識だとしたわけで。
 議会制民主主義とか選挙までね。もともとは。

 結局、ビジョンをどう置くかにも寄るんだが。
690アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 12:59:12 ID:FcdYIKB0

 こういったものの、似姿を、個人の内心と、現実世界の展開との関わりと
して捉える。

 すると、意外にも、霊と称するもの、(たとえそれが妄想であっても)
エネルギーと称するもの、気と称するもの、これらの、必然性ではないにせよ、
狭い範囲での蓋然性が、一定の客観枠の人間の間に起こり売るということを
経験則として、なんとか見えたに過ぎないのだが。

 もちろん再現性はない、だから、社会科学でいうところの科学ほどの担保
もない。自然科学でいうところの科学性は、さらにない。

 しかし、ある種の心的態度、というものは、出てくる。
 一種の方法論としてだ。

 ウェーバー流の心霊学なんかあったらおもしろいんだけど。
 たぶん、ユングは、言いたかったことを言いきらなかったような、
そんなカンジもある。

 分かる人間だけにしか分からない。でも、分かる人間の間では法則性が
ある程度ある、というものが、ある。
 それは、医者ではなおらないという、病気の治癒のしかたなどで、
一定の客観性はある。
691アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:03:52 ID:FcdYIKB0

 でも、社会的には、それは妄想であり、気違いである、とした方が、
安心なんだよ。で、それはそれで一向に構わないのだが。そのように
現実を、間接的に動かしている人はいるわけだ。

 そこで、マルクスの労働価値説、つまり資本論の最初の前提が、かんたんに
すっとぶんだけどね。
 1+1=3だと牽強付会するから、2+2=6だね、ってな具合で、次の
論が進み、社会主義が桎梏をむかえ、自ずと共産主義になる、なんて妄想
も生じるわけで。

 どこにごまかしがあるか。そういうことも大事なのだな。
 で、ごまかしようのない事実もある。
 一向に説明がつかず、物質的な法則のわくから出てるようなケースが。
692アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:05:02 ID:FcdYIKB0
 こうやって、ふるいを掛けていくと、古代人の迷信のようなものが
残ることがある。シャーマニズム類似の事象とか。

 まぁ、面白いのだが。それは、それ、としか言えない。
693名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 13:05:10 ID:b/sb21An
>共産主義状態というものを、一種アプリオリなロマンとでも
>いうべき共通事項としてもってきたところに、マルクス主義の悲劇の一端
>がある。

マルクス自身が主張していたこととは、人間が金儲けの道具として搾取された
上に社会から疎外されているという、資本主義の「汚い部分」を糾弾すること
だけで、誰が読んでも納得するしかない正論だったと思います。過言かもしれ
ないが、あれを読んで納得できないような人間は、半分悪魔化していると思う。

マルクスはユダヤ人だったので、ユダヤ経典に繰り返し出てくる「弱者に対する
愛の配慮」が精神的なバックボーンになっていて、そこから見ると資本主義社会
はあまりにも非人間的、悪魔的に見えたのでしょう。だから、それを糾弾する所
までは間違っていなかった。

問題は、マルクス主義という「主義」が打ち立てられた途端に、本来の精神が別
の「砂糖の山のようなもの」に置き換わり、びっしりと蟻がたかるようになる。
キリスト教はキリスト主義、仏教も仏陀主義、民主制も民主主義で、「主義」と
いうのは「〜の預かり知らぬイデオロギー」の同意語と言ってもよい位です。
694アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:09:27 ID:FcdYIKB0

いや、社会発展の法則、すなわち唯物史観を、まるで、ニュートン力学の
ような、科学性で捉えたところに悲劇があるんだよ。

資本主義社会は、必然的に崩壊する、などということを、主体的選択ではなく
一面、力学の法則であるかのように「も」説いた。

この辺りだね。
695アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:11:20 ID:FcdYIKB0
マルクスは、これを宗教や、多元的にある世界観のひとつとして
説いたのではないよ。
不可避の法則と、位置付けたのだ。エンゲルスなんかがこれを補強した。

民主主義を語る場合、それがどういう歴史的いきさつで現れたか、こういった
ことが大事。語義よりもね。
696アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:14:30 ID:FcdYIKB0
それが、ユダヤ教や、キリスト教のような一神教のエートスの中で
うまれたのはもちろん。

そういう意味でいえば、ニュートン力学や近代の電気の法則は、キリスト教の
エートスの中でこそ生まれたとも言える。

しかし、社会発展の法則を、そういう枠内に押し込んだ結果、
エンゲルスの「自然の弁証法」などでは、自由とは、社会発展の法則に
従うことなんだ、というヨタばなしになってしまったのだ。
697名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 13:16:18 ID:b/sb21An
>マルクスの労働価値説

私も「資本論」を読んだ時に、誰がどんな仕事しても同じ価値なんというのは
納得できませんでしたけど、聖書を読むとイエスが同じような譬えを口にして
います。ぶどう園に雇われた人が、労働時間がまちまちなのに同じ日当を手に
するのはおかしいと文句を言う。ところが、イエスは「それが契約なんだから、
それでいいんだ」と教える。

マルクスの労働価値説は、ユダヤ教的な意味で読むべきじゃないかと思います。
まあ、鉄とか綿製品とか、具体的なものを持ち出し、しかも単価まで計算すれば
誤解されても文句は言えませんけど。

原始人の住居を発掘すると、火の回りから出てくる人骨の多くは身体障害者だと
言います。彼らは、労働に服することができなかったので、一日中火を守って
暮らしたのです。こちらの方が労働価値説に近く、かつ人間的にも感じます。
さしずめ今日の企業ならば、「火はライターでつければいいから、即日リストラ」
ということになるでしょう。こちらは悪魔的です。
698アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:20:15 ID:FcdYIKB0

で、人々は、原始共産制というのが本来であったかのような、すなわち
旧約聖書のエデンの園みたいな、これまた、つまりアプリオリなロマン
みたいなヨタが、その前提としてあったという意味なんだ、そのカキコは。

で、社会主義にいたる道、その旧来のものを、マルクス一派は、空想的社会主義
と呼んだ。
そして、自らの方法論を「科学的」と呼んだのだ。
科学的社会主義、とね。
今でも日本共産党はこう呼んでるね。

しかし、科学とはなにか、ということが問われなければならない。
これを昔、俺は、法解釈学なんかで、あるていどやったけど。
けっきょく、社会主義法は崩壊したのだな。

市場経済を入れた社会主義国家が残ったくらいだから。
あれは、悪い冗談以外の何物でもないな、あの国は。

ことほどさように、人間というものは過つ。
699名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 13:23:10 ID:b/sb21An
私は、現代の社会主義や共産主義は、マルクスの名前を借りただけの別の主義
だと思っていますよ。

マルクスの主張は、
http://www.ne.jp/asahi/village/good/marx.html
に書いてる通りで、一言で言えば「人間にとって、労働とは、自分の存在意義
を確かめる神聖なる行為であるのに、資本家はそれを金儲けの道具として利用
しているために、労働者はその特権を奪われている」ということです。

誰がこれに反論できるでしょうか?
700アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:27:56 ID:FcdYIKB0
それは、認識、分析レベルではそう。
その成果はむしろ、社会民主主義や修正資本主義に役立った。
しかし、鬼子である、唯物史観、すなわち科学自体が価値判断を内包している
との考え方は、唯物史観を支持するもの以外を粛正させたのだ。

暗黒の中世の魔女狩りだな。これも同じエートスか。

そこに、反論はしないが、社会主義社会の実現の方法なんだ。問題は。
かつ、社会主義段階から共産主義になる、つまり法と国家の死滅なんて
ところへくると、それはヨタばなしになる。
敵対者の殲滅が行われる。

この最大の被害者は、穏健な改良主義だった。
701アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:29:32 ID:FcdYIKB0

プロレタリア独裁から、共産主義への移行など、迷妄。
レーニンが、この残虐性に輪をかけたのだ。
702アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 13:31:38 ID:FcdYIKB0
そろそろ、時間だ。
相手してくれてありがとう(笑)
703名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 15:33:18 ID:e53Zj4mv
レーニンは結社の居付きがもたらすものについてよく判っていたので、そうはならない党を夢想したが、現実にはその欠点を最もドラスティックに体現する組織が誕生した。それだけのことだ。
704608:2006/04/26(水) 16:38:58 ID:/3w4AlS2
>>657
>人生においては、信念を現実に合わせて、修正することが最も重要なことだと
>思う。ほとんどの場合、現実が見えずに「自分ができない言い訳」だけ探して
>一生を終わる。

そんな人生は『普通』かもしれないが、『退屈』で『迷路』のような人生になるね。
常に、揺るぎない信念を見つめる事ができれば、偉業を成し遂げる人生になる。

『教わってきた事』『みんながやってる事』『世間の常識』『自分の理解』が、
正しいとは限らない。と考えられませんか?

「自分が自分らしく生きて、幸せを実感できる人生」を送る為に、
知識を経験によって智慧に変え、自信を養い、自分の目的地に辿り着く。

経験によって信念をコロコロ変えていては、どこがゴールか分からなくなりますよ。
705アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 19:18:23 ID:ufZFjGEv
結局は、神の存在を全否定し、人間の手が、対象を物理的に支配する、
つまり、観念そのものによって物質は動かし得ない、という前提から
生まれた労働価値説、唯物論ゆえの価値の抽象化は、実体とかなりかけはなれて
多くの牽強付会をしなければならなかった。

そもそも、最初のモデルは、ひとつの工場で行われる価値であり、
通常、資本主義では、複数の工場、企業があるわけだから、どうしても相対化する。
これを排除するため、労働を抽象化したのだが、ここにもごまかしがある。

結局、計画経済は、硬直化し、需要と生産がアンバランスとなった。

そもそも、マルクス主義は、気とか、超能力がたった一例でもあれば、ぶっとぶ
という脆弱さを哲学的にもってるんだよ。

結局は、かくありたいという社会から、帰納的に導き出された恣意的な妄念。
それが、唯物史観であり、労働価値説だ。相対化されないやつね。

宮城音弥だったかな、彼の著作に、マルクスの人格のことが書かれてあったが、
彼は、この構想を思いついたとき、大喜びしたらしい。山師的な男だったと
俺は思う。
つまり、ひとりの男が書いた「聖書」
これが何千万人の命を奪った。
706アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 19:19:12 ID:ufZFjGEv
なにより、穏健な改良主義や、社会民主主義を、憎んだのが共産党だった。
社民主要打撃論というやつね。ナチスより敵は、社会民主主義だったんだね。

自由で、かっ達で、権力均衡により、物事を勧めていくひとたちと、
たったひとつのモノサシで人を裁き、あまつさえ、シベリア送りにする
ひとでは、人間類型に、なにか、ことなるものがある。

このあたりも面白い。原理主義者になるのは、どんな分野でも、似た要素が
あるんじゃないかな。

神があるか、ないか、という議論のなかで、肯定、否定ではなく見えてくる
部分、このあたりも重要だね。
707アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 19:30:32 ID:ufZFjGEv

神を否定する原理主義者ごときものも困り者なんだな。

鍼灸治療の気の存在を、どう位置付けるか、とんでもないことのようだが、
ここから、敷延される世界は、それなりに驚くべきものだよ。

物質と、非物質の間に足をかけてる気の世界。
間接的に証明されつつあるしね。
もし外気発射が可能なら、マルクス主義はつぶれる。
バートランド・ラッセルの哲学も、怪しくなる。

708名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 19:31:27 ID:Cq+Tb/tU
 激しくスレ違いだとおもうけど。。。
 全ての人に、潜在意識が存在している。それが、最終的に宇宙にまでつなが
っているという。また、潜在意識は、その人のもっとも理想とする姿で現れる
という
。宗教でいう神も、その一つの形態だと思う。
 例えば、キリストが好きならキリスト教、カメムシが好きならカメムシ教み
たいなのを自分で作って信じるのもいいと思う。(信者を増やすのは困難だと
思うが。)
 要するに、何でも自分の好きなもの信じたらいいでしょう。

709アールグレイなTAO:2006/04/26(水) 19:34:42 ID:ufZFjGEv

そういう潜在意識が、能動性をもつ、という気の性質ごときものは
あると思うよ。
>>708さんの意見は、極めて重要です。
非常に不思議な展開を見せることがあるのです。
集合意識として。
これが多元的に宗教が成立し得る、ある種のメカニズムでしょうね。
710名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 19:56:34 ID:Cq+Tb/tU
 興味の沸くスレタイだったので、書き込みました。私は自分の潜在意識を
信じて、一つになりたいと思っている者です。このスレには、ヒントになる
ことがたくさんありそうなので、これからもがんばってほしいと思います。
 
 集合意識の話も、興味があります。機会があれば、きかせてください。
711名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 19:57:38 ID:Cq+Tb/tU
 710=708です。
 
712名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 20:04:01 ID:3doQhhBW
教養を、単語を並べるという衒学と混同されてる方がおられるようで。
自分の迷妄に気づかないとはこのことです。
愚かな者であればあるほど多弁によって自分の迷妄を誤魔化すのですね。
知識によって現実に恣意的な意味づけをし安心しているのです。

一番の現実逃避者は神にすがる人間ですよ。彼らは、善悪の判断を
神にまかせた気になり、まぎれもない自分自身の価値判断であるにも
かかわらずそれを認められない哀れな存在なのです。

このスレは既存の宗教を捨て、新しいアプローチを目指すことを目的
としていますが、結局同じことなのですね。言ってみれば軸のずれた
レコード盤といったところでしょうか。針が揺れながら軌道を描いてる
ようなものですね。

それからもう一点。人生のゴールなど幻なのです。信念が人生を
彩り豊かにしてくれるというのは危険思想なのですね。信念を現実に合わせ
ることができない人間は、社会で生きるべきではありません。
713名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 20:46:29 ID:IPWGgZOi
目黒区碑文谷5丁目の大真は薄気味悪いカルト新興宗教だ。
嫌で辞めた者を何時までも追い回すな。いい加減にしないか。椿秀夫、
八千代姉弟よ。アメリカに帰れ!!
先の皇后もこのカルトにはまっていたそうだ。
714Z:2006/04/26(水) 21:41:06 ID:CQCYqNJg
書き込みテスト
715Z:2006/04/26(水) 21:41:50 ID:CQCYqNJg
今日はじっくりとロムでいこう。
716素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/26(水) 22:45:35 ID:T8id3np9
■■自分のような神が存在するという人は罪人
多くの神々がいるようではあるが、私たちには唯一の世界のみが真実として存在する。私たちは肉欲
から、自分のような神がいると期待し、神と名づけられたものを罪人としている。
しかし、私たちのこのような思いは永遠には続かず、善のみで存在するその世界とは相容れない。
私たちが完全な善なら、意識しない、平安、安らぎ、一切の無があり、一切の不幸も無く、一切が幸
福で喜びに満ちている。神を意識せず、神とも言わない。それで神と名づけられたものを知る。

■人は如何なる偶像をも抱かねば善である
何も無ければ、「如何なるものではない」一切の束縛から解き放たれ世界を知る。

□人の目的
神というものに自分の目的を求めても、語ることはない。一切が幸福に満ちて知る世界は、人が人々
を幸せにしようとする心で通じる。人に親切にしたり、よくしてあげたり、相手を尊重してあげて、
その人の意向や考えに従ってあげたり、困っている人を助けてあげたり・・・・・・・・・・・・
717素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/26(水) 22:46:23 ID:T8id3np9
□自分で目的を考えること
自分で人々を幸せにする道を歩めばよい。例えば病気で苦しむ人々を治してあげようとして医者を目
指す、犯罪をなくそうとして刑事を目指す、会社員になって社会に貢献しようとすることも、家族の
ために働くことでも、他人から取ろうとせず何か仕事をしてその会社に尽くすことでさえも、妄執に
従ってはいない。社会に貢献しようとする心のみではなく、人は思い上がることを避け、報酬を得て
いる。

■無意識に善いことを行う
電車の中でお年寄りに席を譲ることも、川で溺れた人を助けようとすることも、災害で人助けするこ
とも、親族を養うことも・・・・・・・・その人が助かることを純粋に思い、何ものかを抱いたり、
意識して私は善いことをした者だと思わなければ、真実とともにある。

 人を思いやり、その人が助かったり幸福になったりしたことのみに純粋に喜べば、永遠を知って
 いる。何ものかが存在するから私は善いことをしました、という人は純粋な善から離れる。
 しかし、悪を抑えるためには「何ものかがいる」から善いことをせよと偶像を抱かせることは過
 去では有効だっただろう。今は人の良識ある行動に見習えばよい。
 
718素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/26(水) 22:47:19 ID:T8id3np9
□幼い頃は心が汚れず偶像を抱かない
親などに言い聞かされることがなければ、「何ものかがいる」と信じただろうか。ましてや宗教は
しない。太陽に照らされた世界を楽しみ、悩み無く、こだわり無く、思い煩いも無かった。まだ汚
れない心のままだったから。

□宗教をする人には悩みなどがある
大人になって、悩みなどができ宗教に頼る人。不満あり、信じて自分の欲望を達成しようとする人。
自分を見ずに、何かを信じさせて他人を良くして、世の中を良くしようとする人。普段は人を悩ま
そうとせず、人を尊重しながら、信仰すれば救われるというのは貪欲他ならない。人はどのような
状況でも不満を抱かず、自分で自分の未来を切り開いていくしかない。なぜなら、善いものの世界
は何ものにも依存しないからである。

 ― かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみず
 から満足すべきである―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく
 起き上がった―(ブッダ) 人はまず、迷妄から離れ、今現在に精神統一された状態を目指し、
 不満の無い状態で、自分のことは自分でできるようにしなければいけない。

719608:2006/04/27(木) 04:08:11 ID:Qv9O4Umw
>>712
>愚かな者であればあるほど多弁によって自分の迷妄を誤魔化すのですね。
あなたも、中々の多弁者ですよ。。
720名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 09:55:47 ID:V+v5ct1k
本当にこまったら神にすがるのもよい。神は手をかしてくれる。
しかし、多くの場合は神はじっと見ているだけである。
転んでも起こしてくれない。口に食べ物を運んでくれない。
ただ、神と共にあることは心が平安であることで感じるだけである。
721カミサマ:2006/04/27(木) 10:02:02 ID:Ol0OOBG8
もうカミサマいっぱいいっぱい!
寿命選定作業に忙しくって、一人一人の人生にはノータッチ。
そっちは主に守護っぺ達に任せてるから!
。。。。まぁ何かあった時は監督責任追求されるけどね。
守護ッペに気合いれるために今期はボーナス出す予定だから、
多分来期はみんな調子よくなるんじゃねぇ?
722隠れ里:2006/04/27(木) 13:54:30 ID:oXerxeAD
>>721
>もうカミサマいっぱいいっぱい!
>寿命選定作業に忙しくって、一人一人の人生にはノータッチ。
>そっちは主に守護っぺ達に任せてるから!

面白い!
的を得てます。
通常の世界に関与しているのは、守護霊、天使、妖精あるいはそれと対照の闇の勢力であり、霊的ヒエラルキーのマスターあるいはそれ以上のハイラーキーは日常生活には関与してないと思います。

Zさん>>600,601,602,603ありがとうございました。
ほとんどの人間がこの世に生まれてくるのは物質世界で学ぶことがあるから転生を繰り返しているわけで、学び終えて卒業したら解脱したということでしょう。

解脱した人間がもし物質世界に生まれてくるとしたら、それは特別な目的があってのことで自分の幸福(物質的)ではなく人類の幸福のためです。
このような人物は往々に、悲劇的人生を歩む場合が多いのではないでしょうか。
芸術、文学、化学、古代の哲学者、宗教改革者などにもそのような人物がいたと感じます。
私はまだまだ物質世界で学ぶことがあるようで、そのためには自分の霊的階段での位置を確認し、次なるステップを目指さねばなりません。

自分よりはるかに進化した存在、人類を導く霊団などは感じますが、それを知識で追求しようと宗教団体、ニューエイジに求める、あるいは瞑想の目的にした場合、幻想世界での自己満足に陥ったり、集団催眠のワナにはまる危険性のほうが多いでしょう。

みなさんの話しを参考にしながら、身近な守護霊を感じ今を大事に生きることが私のレベルでの目的かと感じてます。
723名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 16:13:48 ID:84aL81Tm
>>722あんた何教?
724名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 20:26:42 ID:tB9wGbbr
例え神が偶像だったとしても、ある人が想定した神は、
その人の清さ、美しさ、正しさ、真実、愛、など
その人のポジティブな側面を象徴するものである。

だから、神を否定するならば、自分のポジティブな思考や感情を否定することになる。
725隠れ里:2006/04/27(木) 21:09:58 ID:P56wZqEi
>>723あんた何教?
何教でもありませんし、宗教団体に所属もしてません。
それがどうかしましたか?
726名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 21:31:36 ID:84aL81Tm
>>725あんた言ってること誰に聞いたのかなぁーって思ってさ。
727:2006/04/27(木) 23:01:46 ID:+19KzQaL
Zさん こんばんわ

ヒエラルキーというのか、ある集団を最近強く感じるんですが、その時は
ものすごく悲しくなるんですよ。
そして、どうしていったらいいのか困まっているという状態で私も困っています。
自分でもここのスレを見ながら勉強しているんですが、幻覚なのかとも悩みます。
でも、そうでもないみたいで・・・。

最近 私たちのところに相談に来る人の中で霊媒体質の方が増えました。
そして、その方たちのほとんどは、先祖が神を奉っていたところの方々で
今は、継ぐものがいないでスタビレタか、継いでいても形だけという方々で、その方たちは
ある程度を感じ取れています。そして宗教というものが怪しくなっているので
どうしていけばいいのかと悩んでおられる方が多いです。
気づくときがきて大切なココロのあり方を周囲に伝えていくときがきたのでは、
と、そして宗教にとらわれずある程度は経験もされているから自分で行きたいほうに
進んでいったらどうですか?と言っているのですが。
なぜ こんなに増えてきたのかなぁ〜と思うのですが。
そして、どうしてこんなに悲しいのかと思うのですが・・・。

答えは自分で出さないといけないとは思いますし、ある程度はわかっています。
ただ聞いてもらいたくて・・・。
Zさんだと どうするのかなぁ〜と思ってw。









728名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 23:54:08 ID:84aL81Tm
>>725とか>>727とか、怖い人多いね、ここ。
729:2006/04/27(木) 23:56:54 ID:QBF1Ficj
>>722
このような人物は往々に、悲劇的人生を歩む場合が多いのではないでしょうか。

隠れ里さん、こんにちわ。
現世的な幸せと霊格は一致しないことが多いようです。
ベートーベンは盲目にしてあの第九交響曲を創りましたね。
本人は未婚で独身のまま苦悩の生涯を終えましたが、なんと崇高な魂の持ち主かと
感嘆することが多く。
ただ、偉大な先達を尊敬しつつも、自分のオリジナルのユニークな使命と
いうものを求めなければならない感じます。
隠れ里さんは隠れ里さんの使命を、オレはオレの使命を。
730:2006/04/28(金) 00:06:25 ID:YeiHaz+J
>>727
照さん、こんにちわ。

照さんは、感受性の強い方ですね。女性かなと思うときが多いのですが
男性ですよね。

霊的な感覚が高まっている人が増えているのは当然とは思います。
私の周りは誰もいませんが。
地球も次のステップに進まないといけないのではと、感じることが多いです。
地球は・・・やはりいろいろな苦しみに満ちた星だと思うのです。
地球での輪廻転生を卒業すれば、別の星? とにかく、もう少し
霊的なエネルギーに満ちた星? に生まれるのでは、と感じることも多い。
推定ですが、イエスキリスト、ゴーダマブッダは、地球のような
低レベルの星に生まれる義務などないにもかかわらず、人類救済のため
だけに生まれてきてくれたのかなと思うことが多く。
われわれは自分にできることしかできません。
照さんのもとに集まる人々に対しては、照さんが、愛を持って
励ましたり、アドバイスしたりすることを続けるのがベストだしね。
それと、霊格の高い存在を感じるなら、そのメッセージを受け取れるよう
自分を準備する努力をするのもまたベストです。
オレは夢でメッセージを受けたり、瞑想で受けたり、そういう機会が多くて
夢・瞑想日記というものを書いたりします。」
731隠れ里:2006/04/28(金) 00:07:18 ID:fWU7BMdQ
>>726さんへ
このスレは「宗教はいらない。自分の内に神は存在する 」ですね。
子供の頃から宗教は嫌いでしたが、神秘体験をしてまして 一般的宗教、神とは違う全宇宙で唯一の真理、愛のような存在は感じてました。
今考えるとアニミズム、シャーマニズムの原点に近いのかなあと思います。
大人になり内なる声に導かれ世捨て人のようにさ迷った時期がありまして、その時の体験が神(全宇宙で唯一の真理、愛)の存在を決定的にしました。
その後も宗教より芸術、文学の方が目に見えない世界を探求するには役立ちまして、宗教書を読んだのは聖書くらいです。
10年くらいそんな生活が続きまして限界を感じ、自分を納得させてくれる本はないだろうかと書店、図書館で本を探してる時に出合ったのがユングの本で、それ以降神秘主義に興味を持ちました。

>>726あんた言ってること誰に聞いたのかなぁーって思ってさ。

一般的宗教は嫌いですが 、子供の頃と違い現在ではそれも必要なものと思います。
私の目に見えない存在、体験は私だけの体験ではなく人類の不変的体験です。
それを伝統的に伝えるのが宗教、神話、芸術であり、宗教学者、聖職者のほとんどはそれを理解せず説教してるように感じますので、宗教団体、精神世界のグループには所属してません。
それに他人と会話する際には宗教用語を使用しないと不可視の世界の会話は不可能に近いでしょう。
「誰に聞いたのか」と聞かれても、特定の個人はおりませんのであしからず。
732名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 00:19:07 ID:aD2sWa3t
「宗教はいらない。自分の内に神は存在する」



と言う「宗教」
733アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 00:28:40 ID:GhQp9qq+
>>732

>「宗教はいらない。自分の内に神は存在する」と言う「宗教」

そうそう、それでいいの。

ただし、前段の「宗教」は後段の「宗教」とは、即非のカンケイ。
だからいいのだ。人の数だけ分派があるが、水脈は同じ。
空の雲であり、海であり、川であり、空気中であり、植物の中であり、土中でも
ある。

上善=水。
734アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 00:30:23 ID:GhQp9qq+
>隠れ里さん

>それに他人と会話する際には宗教用語を使用しないと
>不可視の世界の会話は不可能に近いでしょう。

全くもって、同感。
735名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 00:43:43 ID:mMp3pnOP
こっ、こいつら・・ 昔見た漫画思い出した。 バカボンのパパの大学の 同窓会ってこんな感じだったような・・・
736隠れ里:2006/04/28(金) 00:44:11 ID:SzFmfsUw
>>729 Zさん、こんばんは

>現世的な幸せと霊格は一致しないことが多いようです。
>ベートーベンは盲目にしてあの第九交響曲を創りましたね。
>本人は未婚で独身のまま苦悩の生涯を終えましたが、なんと崇高な魂の持ち主かと
感嘆することが多く。

このような人達は地上の幸せを捨て、転生してくるのでしょうね。
ダヴィンチも独身でした。宮沢賢治は無名で夭折しましたが、霊的感性の鋭い人間でした。
そういう先達の足跡に気付いた時は感動します。
先達に学びつつも、自分の道は自分で探さなければなりません、教祖様、占い師に頼るのはジョークのようなものです。
737名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 00:48:35 ID:mMp3pnOP
ベートーベン?宮沢賢治?友達すか?
738アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 00:52:38 ID:GhQp9qq+
>>737

うん、フレックスタイム制の過去世で、親友だったよ(笑)。
739名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 00:56:07 ID:mMp3pnOP
だよねぇー
740シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/28(金) 00:57:29 ID:inq2ncY4
蓄音機のらっぱの中に頭をつっこんで、ベートーベンを聴いていたというのは、宮沢賢治だったか、私の勘違いだったか・・・

チェロ弾きゴーシュのチェロが聴きたければ、パブロ・カザルスをききませう
741アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 01:00:09 ID:GhQp9qq+
星巡りの歌、いいよな。もう寝るぞ、玄界灘に立つ虹。
742名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 01:04:53 ID:DMlp5g2u
>>729
>ベートーベンは盲目にして

それはどこの世界のベートーベンさんですか?
743732:2006/04/28(金) 01:10:56 ID:aD2sWa3t
>>そうそう、それでいいの。

書き込みの真意を理解した上で肯定なされていらっしゃるのかが不明なので、補足。
732の私の書き込みは、多分に>>1の方に対する皮肉のニュアンスを帯びたものです。
>>1の方の主張したいこともわかりますが、それを主張する場合、「宗教」と言う言葉の条件反射的定義への徹底した容赦ない掘り下げをした上でないと、毎度おなじみ迷宮の中。

つまり簡単なんだけど、「『宗教はいらない。自分の内に神は存在する』と言う宗教の信者」(皮肉でも否定でも肯定でもありません)である
>>1の方は、スレを立てた時点で「自己否定」をしたことになる、と言うこと。別にそれを非難するものではありません。ただ、多くの方が陥るトラップを提起したいだけです。

会社も宗教、学校も宗教、政党も宗教、イデオロギーも宗教、「無神論」と言う宗教、「科学」と言う宗教、2ちゃんねると言う宗教。
「宗教」を否定したら2ちゃんねるに参加することはできないどころか、この世に存在することも本来できなくなるはずなのです。

744アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 06:19:38 ID:GhQp9qq+
>>742

ふう、なぜか早朝型の基本は抜けない・・・。(とひとりごと)

いや、トラップを指摘しながら、前段と後段の「宗教」の用法の差異を、指摘
しなければ、あなたの発言そのものが、またトラップとなるのだよ。
これでは、ご隠居の皮肉と同じになってしまう。

そこで、ここで、問われるべきは、世界観というものの、イディオロギー性と
いうことであるはずだ。

「イディオロギーも宗教」とは、言葉の使い方を誤ってる。
政治信条とか、唯物史観、でもよい。
団体の概念と、思想というものの概念なんどをごっちゃにして、数式を書き
始めるから、わけが分からなくなる。

しかし、それも織り込み済みだ、というのが、「それでいい」のホンネなんですよ。

そもそも、このスレを「使者」として立てたのはこの私。
面白い多面結晶体のような、前段の「宗教」ということばが、むしろ、書き手の
何かを際立たせてしまうのです。

スレを立てた段階で、自己否定といってもいいが、こういうレトリックもありだな、
と、私は感じて、面白いなと思いました。
これは、否定する側にとってもそうなので、否定が空を切るのが見える。

しかし、水掛け論となろうとも、全体を通底した「何か」はあると思います。

私からみたテーマは、ニヒリズムに陥るのを如何に回避するか、そういうカンジ
でカキコしています。
745アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 06:40:35 ID:GhQp9qq+

つまり、自分の中に、いかにテーマなり問題意識なり、実践なりをもってきたか
それが、かなり如実に反映されるスレッドでもあるなぁ、というのが、感想です。
付け焼き刃など、役にもたたない。

こんなことを考えるとき、役にたつのが、宗教の発生形態としてのシャーマニズム
だったりするのです。
そのナマの現場を見ると、ある種の驚きを禁じえないことでしょう。

人間が、「宗教」という概念を得る以前の、あるいは、言葉そのものが、
例えば、漢字の発生にそのような呪があるように、不思議な力を秘めていた
ということも感じます。

さらには、人間が、自分と言うものを他者とは違う存在だな、と、つまり
自意識というものが、生じてから、そこには、何らかの「宗教」というもの
が、あったような気もするのです。

人のこういった性質なくしては、法体系も、力学も、文化も、あるいは生まれ
なかったかもしれません。

そうすれば、ある種の「心的態度」これこそが追求されるべきものでしょう。
この「心的態度」の成長にこそ、大きなカギがあるように思います。
746アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 06:45:32 ID:GhQp9qq+

人は、仮説を立て、演繹し、帰納し、さまざまなものを、打ち立てては壊して
来た。
神農という中国古代の伝説の人物は、薬草を口にし、のたうっては、効き目の
あるそれを選別したそうですが、「口にして滅んだ歴史の事実」も、大事な
薬になるのです。
747アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 06:57:41 ID:GhQp9qq+

私はといえば、こうした人間な営みの中の底に、「神」を確信しています。
こういった「意識」というものがあることの驚き。
それから、気という、ある種の人々にとっては、客観的な法則性を示す
物質と非物質の間に存在するような、「働き」。

それは、ある種の価値判断を内包しているように思います。
育み、生かすような力です。
そういった世界と現実は、何らかの浸透した関係があり、相互に影響を
特に、人間の感情に影響を与えていると感じます。
こういう感情をもったとき、人の気の流れは、こうなる、という対応が。

調和的、包摂的、非排他的、他者との合意、他者との通有性への認識。
これが、現実で、ものを進めていくとき、達成へのカギになるのではないかと。
敵を作る前に、気であいてを包み込んでしまう。

そして、無意識にサーチする。と想定して、自己を置く。
すると、その場で、何を必要とされているかが、なんとなく分かる。
超能力とか、そういうものでもなく、ある種の紛れもない現実そのもの
なのですが。

748名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 12:15:57 ID:mMp3pnOP
>>747何かいけない薬をやってるの?
749名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 12:20:57 ID:mMp3pnOP
メチャクチャ、酔ってるなぁー。オッサンのオナニーをみてるみたいで気分悪くなった
750アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 12:36:49 ID:r9b+khVb

>>748

そうかもしれないよ(笑)。ミュージシャン目指してたぐらいだもの。
大昔ね(笑)。
751アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 12:39:45 ID:r9b+khVb
>>749

ま、君も人生を原語で読み出したら、わかるかも(笑)。
アラム語を訳したのじゃだめだけどな。
752名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 12:53:15 ID:tWq5f/oi
原語を読んだところで人間は一つの言語に縛られるので
理解した気になれるだけですね。
753アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 12:54:52 ID:r9b+khVb

 そういう意味の「原語」じゃないの(笑)。
754アールグレイなTAO:2006/04/28(金) 12:55:39 ID:r9b+khVb
君は真面目な人だな。
それじゃ、ね。
755名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 13:00:51 ID:tWq5f/oi
いえいえ、あなたのおっしゃる「原語」の意味で言ってるのですよ。
思考によってわかったつもりになるだけです。
756名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 13:02:31 ID:tWq5f/oi
宗教に浸ってる方は喩えを自らするのは得意でも理解となるとまた違うようですね。
757名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 13:11:22 ID:Bz9wPmqP
>>755
つまり、人間は対象をラベリングせずにいることは不可能だとか、そういう話ですね。
饒舌な人にはそういう言い方は通じません。
758名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 14:17:35 ID:mMp3pnOP
>>754最後に皮肉を言って御退場ですか?そんな程度か、お前!けっ、ただの オナニー野郎だな!
759カミサマ:2006/04/28(金) 16:59:11 ID:Rsdntn26
日本国の民は、明日から休日ということで、ウキウキしておるなぁ。
別に人間の生き方まで関与するつもり無いけど、なんかムカツクなぁ。
よっしゃ日本めがけてしょんべんかけたろ!!
760Z:2006/04/28(金) 22:49:46 ID:YeiHaz+J
>>743
多分に>>1の方に対する皮肉のニュアンスを帯びたものです。

わざわざ自分の発言を皮肉だったと説明するのはむなしくないか?

>>「宗教」を否定したら2ちゃんねるに参加することはできないどころか、
この世に存在することも本来できなくなるはずなのです。

あなたみたいになんかの信者になりたがる人ばかりではないと思う。
ただ、あなたの文法でいえば、オレは自分教の信者だな。
これでいいかな。
761素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/28(金) 23:04:35 ID:ms2LgJ7h
■神は多くの人々が無意識に知っている、善いことは自然のままで知れる
人は死後、もし善いところに生まれることができるのであるならば、「困る人も無く、苦しむ人も
無く、病む人も無く、富む人も貧しい人々の別無く、全ての人々が安穏で、安楽で、幸福だろうな。
このような人間が永遠に続くことは無いだろうな、人の手で作られた偶像は存在しないだろうな。」
と、自然に善いことを認める人々は多い。善いことは自然に知るようになっている。

―偶像なるものは実際は世に存在しないこと〜たとい神々といわれるものが、あるいは天に、ある
いは地にあるとしても、そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、わたしたちには、父
なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされた、
多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス・キリスト―

― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない ―
― この平安の境地に到達して〜一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
〜慈しみの心づかいをしっかりとたもて。この世ではこの状態を崇高な境地と呼ぶ ―
762素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/28(金) 23:05:19 ID:ms2LgJ7h
―或る神は、尊師のもとで、この詩をとなえた、「ブッダに帰依した人々は、すべて、悪しき境地に
おもむくことはないであろう。かれらは、人間の身体を捨てたあとでは、神の身体を満たすであろう。」

■神より欲念に従い人間の境地に至る
永遠の命の世界で、一切を幸せにされる神よりも、地上の欲望を求めて人はこの世に生まれる。
―妄執が人を生まれさせる。人の心が走り廻る。生存するものが、輪廻に堕している。人は苦悩から解
脱しないのである―

 不死の世界で、全てを安穏に、安楽に、幸福にされる神よりも、地上の喜びを選んでこの世に生まれ、
 しかし、恣の肉欲に従って得られず、あわれみの無い行為によって更に悪い運命に至り、生存の断滅
 のための妄執によって悪いところに生まれる。

□神々とともなるこの世界
神々とともなるこの世界でも、唯一の神、もしくは唯一の境地の世界に従う。
 あわれみや思いやり、人を不幸にしてはいけないこと、恣の肉欲に従ってはいけないこと、人を尊
 重しなければならないこと、人の考えと自分の考えは違っても当然ということは、誰でも知ってい
 る。その法則から離れることによって、人は悪い運命に向かう。
763素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/28(金) 23:06:12 ID:ms2LgJ7h
□神は人を当てにしない(健康でも人々のために働かない人は食うべからず)
―わたしは、そなたに依存して生きているのではない。またそなたのために仕事をしてくれる人々がい
るわけではない―〔神いわく〕(ブッダ)
 神は人の肉欲からの命令を聞くことはない。私が神のために尽くせるというのはその人の驕りであ
 る。神に願って、他人の労力で得たものを奪うことはできない、不法を認める神はいない。
 
■自分の欲望や肉欲からくるものを神に望ませるのは悪魔
自分の欲望をくどくどと祈っても、その望みを叶える神はいない。臆病や不安、不満は悪しき境地から
であり、自分のことを忘れるくらいにして、困る人も苦しむ人も病む人もなく全てが幸せになるように、
あわれみの心で祈るなら、何でもできる不死の境地に近づく。自分のことでくよくよと悩む人は、何も
できない。

■「与えよ」―苛酷なることなく、貪欲なることなく、万物に対して平等である―
―人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり〜影がそのからだから離れないよ
うに―学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜「与えよ」と語る。かれは、
天が雨降らすごとくに、その轟きを発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降
り注ぐ―(ブッダ)
―「与えよ」。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ〜(イエス)

 苛酷な状況、豊かな状況はその人の行為次第。与えたことも、与えなかったことも、その人の業と
 して返ってくる。
764名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 23:26:29 ID:fK1q4xN1
>>760
>ベートーベンは盲目にして

で、それはどこの世界のベートーベンさんのお話なのでしょうか。
765732:2006/04/29(土) 02:55:28 ID:JeJsfh/a
>>760
>あなたみたいになんかの信者になりたがる人ばかりではないと思う。
ただ、あなたの文法でいえば、オレは自分教の信者だな。
これでいいかな。

そうそう、それでいいの。

766765:2006/04/29(土) 05:11:20 ID:JeJsfh/a
>>447
>>仏教では、「来世がある」と決めつけるのを「常見」、「来世がない」と
決めつけるのを「断見」と呼んで、共に外道(間違った教え)としています。
「ある」なら「ある」に、「ない」なら「ない」に引きずられて、自分を
失う。だから、「自分が信じているものが間違いである可能性はないのか」
という問いが大前提にあって、「たとえ間違いであっても、本望である」と
言える人間だけが「信仰者」の名前に耐えられるのだと思う。

うーん。自分は実はこのスレのタイトルと1の書き込みを見ただけで短絡的に絡んでしまっただけだったんだけど、
(ただし、最初の私の「屁理屈」とも見える皮肉な論理を、Zさんが「悪意」とはまさか受けとらないでしょうと言う前提で)
今ざっと上から読んできまして、今の自分が一番響いた447さんの言葉でした。私は今39歳で、今回この世の生での時間軸でいえば
18の頃からの真理探究の旅の帰結としてある「今」、はからずも447さんのおっしゃるその境地に導かれているんです。「創造主/神」ではない我々人間にできること。
決して美しい言葉だけで説明できる行為にはなりえません。
思いますに、Zさんの中にはまだ「否定」がある。「自分の中に神がある」然り。しかし神は全てを許しているのではないでしょうか?「既成宗教」を否定するZさんをも含めて。
767アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 09:36:15 ID:VL98j1/6

>神は全てを許しているのではないでしょうか?

特定の人間のある特定の行為を、人格神が、特定して許している、という意味
ですか?

あるいは、世界に起きるすべてのことを、善しとして、起こることを積極的
な正の価値として、包括的に許している、という意味かな?

それとも、世界に起こることは、全部それなりの因果的な連関があるから、
許す、という意味での許すかな。
消極的容認という意味での。包括というより放任に近いが。

これらに、よって、人間の社会への働きかけかたが違ってくると思うけどね。

ナチスの時代だったら、どうなるか。
神は、ヒトラーを「許す」のか。
政治犯を処刑することを「許す」のか。
ユダヤ人を殺戮することを「許す」のか。

告白教会の牧師が、抑圧されて行くのを容認するのか。

時を超えて
グローバル化のごまかしのなかで、ブッシュを許すのか。

具体的な問題になってくると、神が許すという意味がわからなくなってくる。
768アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 09:37:05 ID:VL98j1/6
返って
このまま、ヒトラーを活かしておいて良いのか、ヒトラー暗殺計画に参加した
牧師ボンヘッファーはどうなのか。
彼が処刑されたことは、神の意思なのか。

さらに、卑近に、あまたある社会的な不公正を神は許しているのか。

そういう意味では、俺には、「神」は分からない。

「神」は怠惰の言い訳になり、人を急かす言い訳にもなる。

現実的な歴史を、どう解釈するのか。
今の時代をどう理解するのか。
逃げ場として神をたてるのか。
それとも、背後にある、見えない法則性をさぐるのか。

ひとそれぞれではあるけれど。
生活を離れて神はない。
769アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 09:43:14 ID:VL98j1/6

キリスト教や、ユダヤ教、イスラム教のような神、つまり経綸する神、
は俺はいないと思う。

もし、あるとしたら、これらはローカル神だ。
彼らの神概念を投影した「神」に過ぎない。
しかし、それは、マルクス主義のように、人々を動かした。
これは何か。群集心理に、なにかエネルギー的能動性を加えたものだろうと。

共通意識の奇々怪々。

神概念は、変わらなければならないと思う。
「宗教」という抽象的な言い方では、別の物をさして争ってしまう。
「神の腑分け」が必要だと思う。
770アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 09:54:57 ID:VL98j1/6

神が誰をどう許しているか、など、俺には分からない。

しかし、歴史などを考えてみると、ある種の傾向性はあると思う。
自分の人生を振り返ってみると、ある種の傾向性はあると思う。
もうそれは、神とは呼べないものかもしれないが。

争いより調和だが、そこへの葛藤も意味があり、戦いにも意味があり、
結局、身に染みて体験し、のたうちまわって、自分が体や心から、何かが
落ちていくことだ。それを感じる。
因縁とか業とか、いわれたものだろうけど。

少なくとも、御利益は、現実で、人のハラが読めるようになったらしいこと。
人を現実で、多少とも説得して動かせるようになったことだ。

このために半世紀を要するとは、なんと人生は効率が悪いことか。
いくつかの生と、いくつかの死を見て、それでも、この人生に意味があると
言いたいと思う。
それは、気と現実の連関に、宗教的なものの源泉を見た思いがするからだ。

・・・・と酔って記す(苦笑)。

酔っているように感じるのは、俺が、何も考えないで、片手間に書き込みして
るからだろうな。推敲もしてない。許されよ。

771アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 10:55:09 ID:VL98j1/6

 随分、議論が、飛躍しているように思うでしょうが、神が、ある種の認識の
仕方を許すかどうかという、認容の問題であり、それを許したかどうか、人間の
側が、どう他者に向かって言い切れるのかという、シビアな問題でもあります。

>>766さんには不快に響くかもしれませんが。
そのような認識を、神は許されているのです、と言い切る根拠というのは、
結局は、言う方の「内心」にゆだねられるのであるから、私の追求も
やぼではあるんですが・・・。

ここはひとつご容赦を。
772アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 10:57:54 ID:VL98j1/6

 私には、最高原因たる神については、全く分かりません。
 私自身、「神に自殺勧告してやるっ」 と言い切ってキリスト教を捨てた
人間です。製造物責任をといたかった。
 神よ、己を恥よ!と言いたかった時代もありましたが。
773アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 11:37:06 ID:VL98j1/6
さらにしつこく・・・(苦笑)

>>447

>だから、「自分が信じているものが間違いである可能性はないのか」
>という問いが大前提にあって、「たとえ間違いであっても、本望である」と
>言える人間だけが「信仰者」の名前に耐えられるのだと思う。

 問題はここなのです。

 「間違いであっても本望である」という信仰態度は、信念として、小乗的
な世界にいるのであれば、それほど実害はないでしょう。

 しかし、大乗的、つまり、社会的な関連の中で生活し、自利利他とでもいうべき
立場にあるときは、おおむね、間違いであったということが分かった時点で、
それを捨てなければなりません。

 さもなくば、それは、狂信になります。

 この狂信性は、日蓮の遺文や、親鸞の歎異抄にも、もろ刃の剣として存在します。
 この狂信性を、言葉の持つ多義性を利用して、カルトの主が、大衆に与えてくる
とき、人々は取り返しのつかない愚行を犯すのです。

 山野に籠り、自分の一挙手一投足が、他人に影響を与えない、単独の出家のような
ものや、座禅のような自行のようなものなら、それは問題はない。

 しかし、そこから、社会的なテーゼが与えられるようなケース。
 集団へ、教祖様の指令が与えられてしまうケース。
 なおかつ、黙示のものをも含みます。
 弟子が忖度し愚行を行う場合も含めて。
774アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 11:38:11 ID:VL98j1/6

 軍国主義の時代、学徒動員された若者の良心を麻痺させるという形で
そういった思考パターンは、働きました。
 それも、必ずしも悪意という形ではなく善意でです。

 先に薦めた「禅と戦争」にも、そういった記述はあまたあります。
 そういう意味では、歴史的に人間の愚かしさを学ぶ必要があると思います。
 不都合なものに、目をつぶらず、それも、左翼イディオロギーとは異なる
視点で、そういったものを見なければならないと考えます。

775名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 13:59:30 ID:3647/C0v
こいつ、物言いが少し謙虚になってる。もともと言ってることはまともだし・・まぁ、許してやるか!
776:2006/04/29(土) 14:25:09 ID:dGWDLJ8y
テスト
777Z:2006/04/29(土) 14:34:02 ID:dGWDLJ8y
神の許しなどというものはオレたち人間にはわかりゃしないと思う。
人間は自己都合的解釈や希望的観測・悲観的観測というものを通して
神の慈悲・許しというものを理解する限りは。
例えば、前世において罪もない人を100人殺してしまったとしよう。
原因と結果の法則からすれば、将来、自分は何の罪も犯していない
状態で他人から殺されるという経験を100回積まなければならない、
という因をつくった。
そこで神が現れて、「それは大変だ。100回のところ、10回にまけてやる。
今回はその1回目だ。さあ、通り魔に刺されて死になさい。」

これもすごい許しだ。罪の1割引きでなく9割引きだから。
だが、現象においては理不尽に殺され、過去世の記憶もない当人と
その家族は、果たして「許し」が与えられたと思えるかどうか。
778Z:2006/04/29(土) 14:41:01 ID:1Q9JwuKz
おそらく、その当人は「許し」を感じるどころか、神をうらむだろう。
神の視点で見ると、それは逆うらみでしかない。
100回殺されるところを10回にまけてもらっていながら恨む。
人を100回殺しても自分は1回も殺されたくない。それが人間。
「こんなにも懺悔しているのに、こんなにも謝っているのに、
どうして私はこんな死に方をしなければならないのか・・・」
人は他者のために、神のために、懺悔するわけでもなく、愛を与えるわけでも
ない。人は自分のために懺悔し、愛という言葉を使う。
自分の考えたとおりの欲求がかなわないときに、「許し」が与えられないと感じる。
「神の許し」を理解できなければ、「許し」は感じることも
理解もできない。
779名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 15:55:08 ID:GfsOh0FT
恐らく、現実の出来事だけから「それが神の許しによる大バーゲン」なのか、
それとも「偶然の連続にすぎない」のかは判断できないでしょう。

前者は「因果律」ですが、因果律が証明されるためには、2回どころか、何度も
同じ条件で実験を繰り返さない限り証明できない。科学者が、金の無駄使いじゃ
なかろうかといぶかしく思われるほど、追認実験を繰り返すのはこのためです。

ところが、人間の一生は一度しかなく(現世において観察できる範囲で)、
しかもひとりひとり個性も違えば置かれた境遇も違う。また、恐らく「過去の
歴史」も。

だから、「神の許し」があったとしても、人間が理解できるわけじゃないので、
わかったかのような顔をして「神の試練だ、慈悲だ」と言い切るのも不誠実だし、
逆に「そんなものは偶然にすぎない」と決め付けるのもまた不誠実だと思います。

結局のところ、「自分はどちらを信条として生きるか」という選択の問題なので、
宗教の場合は、取り戻しがきかない自分の一生を賭けるという点が深刻なのだと
思います。その選択について、自分以外に責任を取ってくれる他人はおらず、
一人きりで「底が見えぬ千尋の谷」を見据えて、飛び込む決心をしなければ
いけない。

それは盲信としか言えないかもしれませんが、たとえば聖書の権威にすがる
のとは違っています。それでは谷へ飛び込む勇気など出ようがないからです。
780アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 16:38:02 ID:VL98j1/6

お薦めのプロテスタント牧師の説教

ttp://bancho.m78.com/preachall_06-1.html

同様の内容はネット放送でも聞けます。FEBC。

ttp://www.febcjp.com/program/sknw.html

 [引用]

 ・・・話を変えて、「白バラの祈り」という映画が、今月の末から上映されます。

 ナチスドイツ政権下、ミュンヘン大学の医学部学生であったハンス・ショルと、
哲学を学ぶ学生であったゾフィー・ショルの兄と妹、そしてその友人クリストフ
・プロープストが、大学の構内でナチスに反対する文書やビラを撒き、そのことに
よって逮捕され、逮捕からわずか5日後、わずか一回の裁判で有罪が確定し、その
日のうちに処刑されたのでした。

 この事件は、「白バラ抵抗運動」と呼ばれています。
 起こった出来事そのものは、けっして大々的なものではありません。
 にもかかわらず、このことはナチスへの抵抗運動の象徴的な出来事として人々の間
に記憶され、人々の間に言い伝えられたのでした。
781アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 16:39:57 ID:VL98j1/6
・・・

 それに対して、ショル兄妹は本当のところ恐れていませんでした。処刑の直前
に母親と交わした会話や、処刑のときの様子は、ちょうどボンヘッファーが処刑
されるときに「これは始まりです」と言ったのに通じる、不思議な明るさが
あります。
 ショル兄妹と一緒に逮捕され処刑されたクリストフは、処刑の直前に母親に当
てた手紙を書き、「あなたがぼくを生んでくださったことを感謝します。
 ぼくがふり返ってみると、この生こそは神への唯一の道だったのです」
と述べています

 [引用終わり]「悪霊は神の聖者を恐れる」をお聞きください。

 ここにある信仰的良心、とは何だろうか。
 現実に合わせて生きること、そのものが、生き方としての妥当性を担保する
のだろうか。

 信念とは何か。
 全体主義下、キリスト教の中にある「良心」は、光り輝くことがある。
 それは何だろうか。
782アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 16:58:37 ID:VL98j1/6

 それに引き換え、敢えて名は出さないが、高名な禅師たちの狡猾さよ。
 手のひらを返して、平和や民主主義を付け焼き刃した連中の哀しさよ。

 だが、同様のことは、今、我々の周囲で、常に起きているのだ。

 ニューエイジのヒーラー、たった一人の回りでも、こういうことは起きるのだ。
 
783アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 17:02:08 ID:VL98j1/6

 自分で掴んだもの、それは貴い。
 数カ月の伝授や読書で得た力は、シャーシを不問にしたエンジンの換装にもにて
足回りの貧弱さを問わない。

 コーナーで、アンダーステアに悩まされつつ、下手をすると路外だ。
 路外に、千尋の谷底があるとしたら。

 ひとりならかまわない。顧客をともなってとは、あまりの悲劇ではないか。
 
784アールグレイなTAO:2006/04/29(土) 17:05:01 ID:VL98j1/6

「神」などなくてもいいじゃないか。
逆説的に言えば。
785名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 22:07:29 ID:rhjE6VQM
>>777,778 カルマなんて信じてない。前世でどんな罪悪を起こしていようが、
今生は,みんな前世の記憶なしに生きているのだから。
どうすれば今が幸せで在るのかが最重要だと思うね。
786名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 22:18:08 ID:rhjE6VQM
神はもっと寛大だと思うけな。。
787名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 22:21:35 ID:rhjE6VQM
訂正> 思うけどな。。 スマン...
788素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/29(土) 23:59:36 ID:cLImyssl
■神を意識しない人は健康
神は意識されず、認知されず、見ることも、考えて生み出すことも、思うことでさえできない存在で
ある。無意識に何も思うこと無く生きていれば、普通の常識ある人ならば、正しい生き方を自分で見
つけられるだろう。

意識もできず、認知もできず、見ることもできず、自然なら考えない、思わない存在を見つけ出そう
とすることは、かえってその人が貪欲だと思わねばいけないだろう。それとも悩みからか、この世の
苦悩を厭い離れようと思うからか。

過酷な状態であっても、喜べる状態であっても、普通なら自分のこととして、その人自身が懸命に乗
り切っている、その人自身が楽しんでいる。
 ―生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生ける者を害するならば、その
  人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない〜もしも暴力によって生ける者
  を害しないならば、その人は自分の幸せをもとめているが、死後には幸せが得られる―(ブッダ)
789素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/30(日) 00:00:24 ID:M0x7Owfn
神々を崇拝していたバラモン教や偶像礼拝者への戒めと、自分の中にあるものへ変えようとした聖者。
それは自分の中にある慈しみやあわれみを認めること。他人を害しないなら、欲望のために他人を意
のままにしないならば、結局悪は生じず、何も恐れることはない。

何ものかを意識しなければ、「私はなぜこのような災難に遭った」と思うことなく、それらを現実的
に乗り切る。人間が永遠に意識しないものを意識し、人間が永遠に考えないものを考えるから罪の思
いが生じる。

「何も無いが、不幸にすることも無い」ぐらい思って、健康体ならしっかり働けばよいだろう。自分
のあわれみの心を大切にし、困っていそうな人がいれば、助けてあげればよいだろう。無慈悲で無く、
冷酷で無く、非情で無く、何も無くなって完全な善である永遠を知るのであるから。

ただ、神々などを崇拝しながら、偶像を拝みながら、殺人を犯した時代はあった。殺されなければ、
永遠に贖われることないイエス、また、世が平安で人に慈しみの心づかいがあれば、ブッダは教え
なかっただろう。 
790素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/30(日) 00:01:30 ID:cLImyssl
■主よ、主よ、神々よ、偶像を拝みながら無慈悲であった時代
自分のために神々や偶像を拝み、供養や献供させられ、宗教的な行事によって、自分を清浄であると
か、義人であるとか、自分の功徳を求める(求めさせられた)時代はあった。
人々は皆、自分のことについて信仰をしていたのである。何ものかを利用し、自分の怠慢を棚に上げ、
何らかの肉欲を満たそうとする悪魔信仰をしていた。

イエスが盲人で口のきけない人をいやして、物を言い、目を見えるようにされたが、パリサイ人は、
悪霊と言った・・・・・何かを信じながら慈悲がなかったのである。
《イエス》私を主よ、主よと呼ぶ者ではなく、慈悲深い者となれ、偽善者よ、他人を見るのではなく、
     自分がまず行え。人をさばくな、人を罪に定めるな、ゆるしてやれ。
《ブッダ》修行をして平安の境地に達し、慈しみの心づかいを保て。他人の過失を見ることなく、自
     分のしたことと、しなかったこととだけを見よ。

 ※信仰で自分の欲望を満たそうとするなら、慈悲を身に付けること。それをしない偽善者をどう
  にかしようとして宗教行事はある・・・・・人を釣るために餌が投げ込まれた(ブッダ)

神といわれるものは人間のように温情も、賄賂を受け取ってこちらによく、あちらに不利益を与える
ことはない。思案もない。神を信じて戦争をしても、その業は消えない。『人がこの世でなす善と悪
との両者は、その人の所有するものであり、人はそれを執って身につけておもむく。それは、かれに
従うものである』―苛酷なることなく、貪欲なることなく、万物に対して平等である―・・・・・・
・・・・人は自分の行いだけを正して生きればよい。
791:2006/04/30(日) 02:22:37 ID:itIoFApU
>>730 Zさん こんばんわ
遅くなりまして すみません!
ありがとうございました。 これから私も、今の自分に満足せずにどんどん
受け取れる準備をしていこうと思います。
地球のステップが 本来あるべきほうにいってなく、大変な状況になるとも感じますが、
今は 自分のできる範囲で準備していきます。
私も多少ノートに夢なりイロイロ書き留めてはいるのですが、本当なのか確信が
できずにいたもので。
これからは、どんどん書き留めていこうと思います。
792名無しさん@3周年:2006/04/30(日) 09:43:35 ID:ey9Ja5px
面白いですね。
否定すればするほど自己欺瞞のために言葉を尽くす傾向があるようです。
793素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/30(日) 09:46:45 ID:kbGXGh5V
本当であれば、口のきけない人が物を言うようになれば、良かったと喜ぶべきである。本当であれ
ば、盲人が見えるようになれば、良かったと喜ぶべきである。少々の過ちはゆるしてやり、人を罪
人と定めることも無い。
善い者の世界、永遠の世界で神を知り、神を人間が評価することも無いし、一切責めること無く、
全てに寛容で神を知る。
困っている人を見て、その人が困らなくなったことに喜び神を知り、苦しんでいる人を見て、その
人が苦しまなくなったことに喜び神を知り、過ちをゆるして神を知り、人を罪に定めず神を知る。
そして、神とも言わず神を知る。

 当時のイスラエルの人々は、それができなかったのである。偶像礼拝を行い、神を知ることは
 なかった。

その罪をゆるし、イエスは贖いの対象となった。偶像礼拝が続けば、永久に人はまともにはならな
いと考えていたからだろう。
そして、イエスを主として『「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天
にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである』〜「神の国は、見られるかたちで来るの
ではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなた
がたの中にあるのだ」。

794素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/30(日) 09:47:23 ID:kbGXGh5V
 偶像礼拝者に、その偶像礼拝をやめ、「人によくしてやる」「何も当てにしないで貸してやる」
 ことのほうが善いことですと言っても聞かないからだ。

神は寛容で慈悲深い方であるとして、偶像的にイエスを贖ったほうが、まだ進展が望めたと考えた
のだろう。かえって、それにより律法を確立すると考えられた。

―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくて
も、彼らにとっては自分自身が律法なのである―(ローマ人への手紙)

 主よ、主よとも言わず、偶像礼拝もしない人は、自然のままの状態で「人によくしてやる」こ
 とは善いことだ、「何も当てにしないで貸してやる」ことは善いことだ、など自然に善いこと
 は何か考えていたほうが普通になる。

当時の特殊な事情からくる教えとの混乱を避けることができるからだ。

795素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/30(日) 09:48:10 ID:kbGXGh5V
ブッダもバラモン教の反発からで、不死の世界を知った人は、偶像礼拝的な行いで善を見出すこと
はなく、慈悲など人間の内にあるもので善を見出すのである。

■神は人間と取引しない、偶像礼拝は貪欲他ならない
神といわれるものは人間ではなく、人間が消滅した「無」の状態で一切悪の無い状態を知り、自分
と取引してくれる人間のような神様と思っているととんでもない間違いを犯す。人間のように温情
判決は存在しない。私を他の人より義人とも清浄であるとも認める神は存在しないのだ。

 ―苛酷なることなく、貪欲なることなく、万物に対して平等―

〜する者は〜される・・・・・殺す者は殺され、盗む者は盗まれる、人によくする人は人によくさ
れる、全て自分自身から善と悪の業が生まれ、撒いた人はそれを刈り取る。

困る人も無く、苦しむ人も無く、病む人も無く、富む人貧しい人無く、一切の生きとし生けるもの
は幸福であれ、安穏であれ、安楽であれと慈しみのこころづかいが神の霊を知り、それを人が現す
なら、悪い運命に至ることはない。他に神を求める偶像礼拝は、間違いである。


796Z:2006/04/30(日) 19:41:29 ID:a9RcOdwN
>>779
>「神の試練だ、慈悲だ」「そんなものは偶然にすぎない」

どちらも人の楽観・悲観などの感情と自己都合的解釈というフィルターを
通して得た「思い込み」でしかないと感じる。
仰るように「盲信」の要素が少なからずある。

人間は常に、先入観、楽観的・悲観的な感情、自己都合、利害関係の視点
という主観的な色メガネ、フィルターを通して、物事を見て判断する。
客観的洞察・思考が根本的に欠落している。
だから人の数だけ意見が分かれ、それぞれが自己に利する方向に結論を出す。
特に「人格神」は自分の思い込み・主観的感情が入りやすくてね。
女の子がお人形を扱うようなものでさ、客観的な思考が入る余地が少なくなる。

>結局のところ、「自分はどちらを信条として生きるか」

これだと、どの「思い込み」を選択するか? という二者選択の問題に集約されてしまう。
「信条」というものは二者選択で培うものではなく、
自分の内にある意識そのものが、内的経験を通じて得た成長の結果だと思う。

「思い込み」は現実の社会生活においては「結果オーライ」もあるけど、
状況の変化に対応できず、失敗に終わることのほうが圧倒的に多いし、
また他人にとってはいい迷惑になることもある。
「創価学会こそが正しい! ボクは日本国民全員が学会員になるまでは勧誘はやめないぞ!」
なんて信条を持たれて近寄られたら、マジでウザイしさ。
797Z:2006/04/30(日) 19:42:14 ID:a9RcOdwN
(続き)
オレは信仰という言葉を使うのが好きではない。
信仰という言葉は「理解できないものをうのみにして信じる」という
盲信のイメージがつきまとうからだ。
信仰という言葉よりはむしろ、直観的洞察力(Intuition)という言葉を使いたい。

神を頂点とする目に見えない霊的な次元・事象というものは、
科学的・客観的に証明不可能ではあるが、直観的認識力(Intuition)で
把握・理解することは可能だと考えている。

直観的認識力(Intuition)で神の存在(being)に気づくこと(awareness)、
これこそが我々の目標とするところで、

そのIntuition は全ての内的な主観的要素・思い込みの要素(ego)を
コントロールして鎮める、というプロセスを通じて発生すると思われる。

そのプロセスのポイントは、自分の意識を瞑想・集中状態にもっていけるかどうか。

その方法としては、
全ての利己心を放棄して献身活動に身を捧げたり、
禅・ヨガといった瞑想的修業で意識のコントロールを高めたり、
全身全霊で祈りを捧げる、一芸を極めるために全身全霊で努力する、
いろいろなやり方があると思う。
798Z:2006/04/30(日) 19:57:47 ID:a9RcOdwN
>>781
>全体主義下、キリスト教の中にある「良心」は、光り輝くことがある。
 それは何だろうか。

オレが思うにはですね、以下の感じですかね。

全体主義は、人の意識を暗黒状態にする。そうすることで
特定の個人が他の人間の意識を自由自在にコントロールできる。
意識が眠り暗黒状態になった人間が「神は存在する!」と叫んでも、
それは負の要素でしかない。
ナチスドイツ、北朝鮮といった全体主義国家の国民、
統一教会、オウム真理教などの宗教団体の信者、
などは自分で考えるということをしない。他者からの思考的押し付けを
信条としてしまい、意識が暗黒状態にある。

それに対して、例にある兄妹の意識が輝いているのは、
他者からの信条の押つけを排除し、自ら内在する意識、
直観的洞察力に身を委ねる勇気があったのだと思う。

他者から信条を押付けられマインドコントロールされた状態で
「神は存在する!」と叫ぶことと、
自らの意識で、直観的洞察力で「「神は存在する!」と叫ぶこと、

この二つには大きな違いがあると感じるわけで。
799Z:2006/04/30(日) 20:13:03 ID:a9RcOdwN
>785
みんな前世の記憶なしに生きているのだから。
どうすれば今が幸せで在るのかが最重要だと思うね。

同意。過去は変えれないしね。

>>786
>神はもっと寛大だと思うけな。

とオレもそう願いたい。ただ、
原因・結果の法則を上回る超法規的処置・裁定を下せるのが
神だとは思うが、結果というものは自分がもっとも必然的に必要とする形で
与えられる、としか言えない。
800名無しさん@3周年:2006/04/30(日) 22:31:24 ID:0Od312nb
MTM, the internationally recognized leading manufacturer of military watches,
proudly introduces the Pro Ops Series of rugged, dependable, tactical timepieces.
After years of development, and in cooperation with Special Forces and Navy Seals
units, MTM unveils the exclusive Xtreme Ops, Dark Ops, Commando Ops, Spec Ops, Night
Ops and Special Forces watch models. These, in addition
to the enormously successful flagship model the Special Ops Watch, represent
the most durable and innovative

801Z:2006/04/30(日) 23:25:49 ID:a9RcOdwN
>>791
メッセージ、夢を日記のように毎日、記憶していくと
いろいろな方向性が見えていくこともあり興味ぶかいですね。
一日分の日記はジグソーパズルの一片みたいなもので、
継続することでわかることもあります。

変な記号がたくさん目に浮かんだけど、さっぱりわからなくて
とりあえずメモをしておいたら、後日、本で見た日本の古代文字
と同じだったということもあってね。

言葉で伝えてくれるだけでなく、特に夢の場合は
ビジョン、映像で与えられるメッセージも多いので、
一つ一つの映像がメッセージのシンボルの意味があり、
ここで夢解釈のテクニックも役に立つと思います。

ここまでくると、神への信仰というよりは、神秘思想、心理学、
古代の歴史、前世、いろいろとオカルト的な素養も必要になってきて
まあ大変で手に負えなくなりますけどね。
802Z:2006/04/30(日) 23:28:02 ID:a9RcOdwN
>801

訂正。
× 毎日、記憶していくと
○ 毎日、記録していくと
803名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 00:25:19 ID:tXx6h6d9
リア厨の頃はそう思ってた。神は私に内在すると・・・
しかし、実際どこにいようと関係ない。
804極論者:2006/05/01(月) 00:40:11 ID:wdsGcwA6
>>800

まぢイイ!!買い!!

ア、、、
805名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 01:41:50 ID:Itz4vCO6
人間の力、自分の力というのは、ほんの微力にすぎない。

人間は自分で生きてるように思いがちだが、食物も、住居も、エネルギーも
元々自然界に存在していたものを利用しているだけ。
人間が無から作り出した生物など存在しない。皆、既存生物の改造品。

人類自身も自発的に発生したわけではない。
自分自身も、自分の意志で生まれようとして生まれて存在している訳ではない。

万有引力や力学、時空など、物理法則も、もともと世界にあった。
人間はそれをうまく利用するだけで、法則を作り出したり、変更したりは出来ない。

このような世界をそうあらしめている存在を神と呼ぶとする。
その神を自覚しているだけで、自然と謙虚な気持ちになれる。
そして、生かされていることに感謝の念がわいてくる。
すると幸せになる。
806名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 01:51:35 ID:Itz4vCO6


「自分の内に神は存在する」と言った場合、自分が神なのではない。
また、自分の中に神が宿っているのでもない。
神を感じ取るチューナーを持っているということだと思う。

ラジオの電波はいたるところに飛んでいる。
屋外であれば、いろんな周波数が飛び交って全ての空間を隈なく埋め尽くしている。
でも、受信機であるラジオを持っていなければ、放送を聴くことはできない。

それと同じで、この世界は全てにおいて神の息がかかっている、いわば
この世界そのものが神であるのにもかかわらず、神を感じるチューナーを
持っていなければ、神など絵空事だ、空想だと、自分を小さくしてしまう。


既存の宗教は、神を感じることをさせず、神学とやらで論理的に構築された
説教をおしつける。 もう、その時点で神はどこかにいってしまっている。
それこそ空想物になりさがっている。
宗教はいらない。ほとんどの場合そうだと思う。
807名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 22:32:16 ID:lyFqsGu/
>>799
原因と結果は自己責任。神と結びつけるのはどうかと。。
808:2006/05/02(火) 06:09:31 ID:8IYjibJz
>>807
>原因と結果は自己責任。

その通り。
原因は人間がコントロールできるが、
どんな結果が与えられるかは神のみぞ知るというだけ。
809名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 08:28:07 ID:tT9LKPjL
>>805

>万有引力や力学、時空など、物理法則も、もともと世界にあった。
もともと世界にあったんではなくつくられたんですよ。地球は安定した惑星なため
それが最初からあるように感じるだけですね。

>人間はそれをうまく利用するだけで、法則を作り出したり、変更したりは出来ない。
人間が地球が不安定になるほどの力を行使した場合変更は可能ですね。

宇宙にまで視点を広げれば法則も何もないですよ。
810名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 19:06:40 ID:jrnZ2PJn
>>809
地球上以外の空間では万有引力の法則は無視されるというのだろうか。

>宇宙にまで視点を広げれば法則も何もないですよ。

宇宙内のどの空間のどの地点でも有効なのが物理法則なわけだが。
811名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 20:08:20 ID:tT9LKPjL
>>810
具体的にお願いします。
ブラックホールにも物理法則があるのですか?
812名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 20:36:31 ID:QkXkIUUp
>>811
ブラックホールも天体だということを知らないのですか。
813名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 23:36:05 ID:tT9LKPjL
>>811
ですから具体的にブラックホールの法則を示してください。
814アールグレイなTAO:2006/05/02(火) 23:46:14 ID:y+yBSNd8
高速とは、宇宙のどこでも一定という仮説の上で、光は質量をもつ。
ブラックホールは、引力で、質量ある光を引き寄せる。
だからブラックホールになる。
ブラックホールというものを理解できる土台は、根底にニュートン力学が
ある。
ブラックホールがブラックホールであるゆえんは、物理学の法則からの推定
から。
物理学の法則から、ブラックホールというものが想定されたのだ。
質量をもつ光がひっぱりこまれるのだからね。
815名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 23:54:28 ID:QkXkIUUp
>>813
理論の上では、別に巨大な恒星でなくとも、たとえばあなた自身でも、シュヴァルツシルド半径大に圧縮すればブラックホール化します。
これでいいですか。
816名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 00:24:03 ID:Lknip5ue
答えになってませんよ。

ブラックホールに物理法則があるのでしょう?
それを示してくださいと言ってるのですね。
ただ光がひっぱりこまれるのが物理法則なのですか?
それはただ現象の表現にすぎませんよ。
817名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 00:31:19 ID:Lknip5ue
>>810
>宇宙内のどの空間のどの地点でも有効なのが物理法則なわけだが。

正直この前代未聞の告白?には驚いています。
ぜひ未知の世界について詳しくご教授願いたいですね。
818名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 00:33:51 ID:dzMucrBd
物理的な現象はすべからく物理法則にのっとって起こっている。
私は専門的なことまでは分からない。だが、上記のことぐらいは常識として知っている。
興味があるなら相対性理論や量子力学を勉強されるがよい。
819名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 00:37:12 ID:Lknip5ue
科学とはまず観察から始め一般化するという帰納作業ではないのですか?
物理法則ありきでは、神ありきの妄想宗教と変わらないですね。
820名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 02:27:02 ID:BD30MOyX
>>819何言いたいかわからないが性格が悪そうなのだけはわかる
821名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 10:28:55 ID:sNzSy3zu
ブラックホールには物理法則は存在しないということを言いたいのでしょうか?
822oo:2006/05/03(水) 11:06:24 ID:bE0psbnK
po
823名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 13:32:32 ID:4vcUgJYS
科学が帰納法を頼りにしている限り、それが「(未発見の世界を含めて)
あらゆる世界で成立する」ということを証明するのは不可能だね。
確かに、物理法則が「これまで発見されてきたすべての世界」で成立している
のは確かだが、この「幸運」がいつまで続くかは誰にも予想できない。
824名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 16:32:05 ID:Ao4/Tnd/
特殊相対性理論はエネルギーは質量の高速度(=秒速300,000キロメートル)
質量はエネルギーに変換でき、ほんのわずかな質量でもC2乗を掛けるのだか
ら膨大なエネルギーに変換されることになる!ウランが分裂したとき、通常2個以上の中性子が放出され
るが、そのうち1個だけを次の核分裂に使い、残りの中性子をベリリウムのような
元素に吸収させてしまう(ベリリウムは核分裂を起こさない)。こうすると常に
一定量だけの核分裂しか起こらないからエネルギー放出も一定となり安定した動力源として利用することができる。
これによって発電するのが原子力発電である。原発は放射性廃棄物の問題から「トイレなくマンション」
などと汚名をきせられたが、プルサーマルが稼働すれば、金のなるトイレを
原子力発電所が持つことになる!早くプルサーマルを稼働させろ!
そうなると原発事故だけが問題だが、
今までのチェルノブイリやスリーマイルの放射能汚染は人災である、
人間は過去の過ちから学ぶ賢い生物だから、
技術面や人道面で再び人災が起こらない対策と教育をしている、
と言うより、これらの人災事態が稀な出来事であることを願う。

825名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 16:54:27 ID:sNzSy3zu
物理法則とはどこに準拠するものなのでしょうか?
826名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 17:12:31 ID:Ao4/Tnd/
 ある点に質量 m の静止した質点が存在する時、相対論的にはそこに mc2 のエネルギーが
存在していると解釈できる。ところが、それに対して速度 v で運動する人が
これを見れば、同じ点に γmc2 のエネルギーが存在していると解釈できることになる。
 ところがエネルギーだけではない。 同時に運動量 γmv もそこにあると見るだろう。
 ある人にはエネルギーにしか見えないものが、別の立場では運動量にもなるのである。

 逆は言えるだろうか? 自分にはある瞬間、ある点に運動量 p があるように見えるとする。
 それを自分に対して速度 v で運動する人から見たら、この点の運動量はどのように変化して
見えるだろう?
 これは難しい。ただ運動量 p とだけ言われても、元々の質量が不明だし、
質点の速度も分からないからである。
 さらに、質量も速度も異なる複数の質点がその時たまたま同じ位置にあって、
その合計が p だと言っているのかも知れない、と勘ぐる事もできる。

827名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 20:40:00 ID:dzMucrBd
物理スレみたくなってんな。
そもそも>>805は自然界に対して人間が極めて受動的な存在だと言いたいだけだろ。
科学文明の発達に伴って自然を征服してきたかのように錯覚しがちだが
そうじゃない、みたいな。
思えば、未開文明の社会では自然現象を神の仕業と恐れてるもんな。
828オデッサ:2006/05/03(水) 22:20:02 ID:VGspQp/2
>>353
これって日経サイエンスの六つの誤解?だったかの引用ですが
どうなのでしょう?
コレは間違いで、やはり130億光年が正解なのかなあ。わからん
結局は何も分かっていないが正解なのかなあ
829名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 20:07:45 ID:eNQWi8nR
>>828
超ミクロあるいは超マクロ世界の、まさに天文学的数値というのは
人間が直接観察不可能ですし、観察という行為つまり電子顕微鏡や
電子望遠鏡などで見るという行為が対象や対象までの空間に影響
を及ぼすので結構いいかげんなものだと思いますね。言ってみれば
井戸の深さを知るのに石を投げて水の音が聞えるまでの時間から
推測しているといった感じでしょうか。当然対象は石が当たることで
変化してしまいます。

人間は「これぐらいだ」ということでその計り知れない大きさをなるべく
実感したいだけなのではないでしょうか。
830オデッサ:2006/05/05(金) 14:04:55 ID:+29Is/SO
日経サイエンスの六つの誤解?には、一般相対性理論の何項だかを用いる
と天体の速度は、たやすく光速を越え広がる。
が、物理学選考の学生までもが、このへんを理解せず悩んでいる。と、いう
ような内容も書かれていました。私は数学はダメで、まったく理解できそう
にありませんが、そうなのだと一般的宇宙観がかわるほどの問題だと思う
のですが。
今度また図書館にいって、誰が書いた特集か調べてこよう。
831カミサマ:2006/05/06(土) 08:17:22 ID:0FtmgJsD
カミサマ降臨しちゃった!
。。。。。。なんか話が難しい方向に逝っちゃったね。
カミサマ退散!
832名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 05:56:24 ID:3c3UtETp
宇宙が、インフレーション・ビッグバン論でいうように、光の速度の10の22乗倍(1兆の100億倍)以上の高速度
で膨張する場合、その宇宙は、時間も空間もまだ存在しないところに膨張していくのだから、特殊相対性理論によ
る、物体の速度が光の速度の限界を超えることはないという原則が適用されない。
 さらに、膨張するのは空間そのもので、その空間の中の物質がお互いから飛び離れていくのではないから、いず
れにしても、その現象には光速の限界は適用されない。
833神様:2006/05/09(火) 06:05:11 ID:Dc9v2n24
宗教は、人が生物である以上地球上からなくならないと思う。宗教はアンチ暴力、アンチ権力の概念が根底にはある。戦争の背景に宗教があるといわれる事もあるが、それはまちがいで、たいていは宗教から外れた問題が宗教にからまって起きている。
834神様:2006/05/09(火) 06:15:23 ID:Dc9v2n24
人間の尊厳が著しく侵略される事に対する最後の対抗、増え続ける人間の中で自分を守る最後の信念としてある。形はちがえど信じている人間は同じ。信念のない人間はどうなるか。暴力により滅びる他はない。
835神様:2006/05/09(火) 06:19:24 ID:Dc9v2n24
神様を信じていなくても、信念をもって生きている人は大勢いる。特に今の日本はそうだと思う。それは人に対するものであったり、土地に対するものであったり、また自分自身の過去であったり、それは神様なのでは?
836名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 11:39:36 ID:xowCpmvv
生きるために心と体を道具として運用する真我なる何かが、
神様と同じ属性を持っているんじゃないかな。
神様を人物のように考えるのではなくて摂理や真理として考えると、
私たちはもとは神様の一部であったとも思える。
837名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 12:42:09 ID:4nISTnam
>>1
自分の中に神はいますが、心の中にではありません。
838名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 15:34:39 ID:5+rOetof
839名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 22:32:06 ID:Dc9v2n24
そうそう。人間個人としてではなく人類全体での意識というのはあるよね。
840名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 08:04:32 ID:11Wuw6aR
あげ
841名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 09:03:19 ID:zANfNMsS
自分で神を発見した人は上からの目線で語るようになる。
842名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 10:01:08 ID:S59RVGLg
じゃぁ不良はみんな
神に会ってきたんだね
843名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 19:43:18 ID:11Wuw6aR
神よ神よあなたは何処におありや

世にこれほど悪がはびこり、暴力、飢餓が続く世界に神を信じるのは
至難の業といわねばならない。

人類に幸福な日々が訪れるまで何千年の歳月を待たねばならぬのか
844名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 19:44:40 ID:DNfLcEVu
不良と善人は神に会ってきたんだね。
845名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 22:17:23 ID:DIwUj5ui
>>843
本当の信仰は、神を信じて人を助ける自分の内に神仏を持つ人になろうと
すること。
自分の御利益を願い信じるのは偶像礼拝。
隣人への愛、慈悲、寛容を教えたのがイエスや釈尊。現実路線だよ。
846名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 22:31:48 ID://bS14aK
>>845
仏教とは異なり、キリスト教は、すべての人間の心に潜む「神性」など絶対に
認めない。イエスの面子が丸つぶれになるからだ。
847名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 22:45:05 ID:DIwUj5ui
宗教はなんだかんだといって、宗教者の都合のいいようにしている
かもな。
848名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 22:48:39 ID:rRiYZaYJ

私はあなた方の内に住む、と、イエス様は行っておられます。
わたしたちのうちに、神はおられるということです。
849名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 22:49:56 ID:rRiYZaYJ
訂正>>848

行って→言って
850名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 23:01:56 ID://bS14aK
>>848
すべての人間の心の中には、生来的に「神性」がビルトインされているの
だから、見知らぬ他者であるイエスなどに住み着いてもらう必要はない。
それでは、創造主が与えた神性が破壊される。

イエスは、一方では、「私を信じなければ裁かれる」と言って脅迫している。

聖書に他の矛盾する言葉があれば、いずれの言葉も「無効」であるから、
聖書の引用の際には注意されたし。

本来の自分の心の中に、宗教から植えつけられた「神」や「イエス」が住み
着いて占拠するのが、統合失調症の症状である。
851名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 23:09:57 ID:rRiYZaYJ
>>850 イエスは、クリスチャンにとっては他人ではありませんから、
あなたはクリスチャンではないだろう、と推測します。
ぱっと読んで、やや解釈がひとりよがりのようにも思いますし、
読み方も失礼ながら、表面的なように思います。
あるいは、カルトの被害者で折られるのだろうか。
852名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 00:43:09 ID:XWI0+E0f
彼を信じない者は、すでにさばかれている。そのさばきというのは、光が
この世にきたのに、
人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされ
たということが、明らかにされるためである。

たとえば人助けをする人や、隣り人を大切にしたり、親を大切にする人は
イエスを信じる。
遊び暮らし、自分のためだけに働いて生きている人はイエスを敬遠すると
か。
偶像礼拝によって、御利益を求める人は、唯物的なものから離れ、隣り人
を大切にすること、人を愛することを教える現実路線のイエスを敬遠する
とか。

しかし、キリスト教が日本人に嫌われるのは、イエスを信じれば救われる、
イエスを贖えばいいんだとしてしまったからだろう。信じれば救われると
してしまったのは多くの宗教にいえることで、どうしてそちらを信じれば
いいのか明確に説明しないまま、自分たちの宗教のみで救われるとした宗
教者の傲慢から。 
853名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 00:48:51 ID:33J/CnlR
「信じれば救われる」か。なるほど。信じれるうちは、それでもいいわけだ。
854名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 01:02:15 ID:RHpK3Ks8
人ではなく神に謙遜する馬鹿
855名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 02:04:07 ID:XWI0+E0f
パリサイ人も神を信じていた。しかし、人に対する哀れみの心や愛がなかった
わけだ。
イエスの教えは、神を信じて「主よ、主よ」と言っても、目の前の人を愛さない
とお前たちの信仰は無に等しいと言っているような感じがする。
自然のままでも行える律法。自分を愛するように隣り人を愛せ。それができない
人を終わりの日で脅す。天国を終わりの日の後とし一部の選民のみが生き残りを
かけて信じる。天国をあなたがたの中にある人と、天国をイエスを贖った選民の
ものとにより分ける。欲があれば、哀れみよりいけにえを贖い天国に行くことを
選ぶ。

856名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 23:46:50 ID:hf+Dvy2+
誰かが勝手に作り上げた宗教というものは神への信仰にはいらない。
だから神を信ずれば己の意志の侭崇めればよい。
857名無しさん@3周年:2006/05/14(日) 14:14:02 ID:ZN3fZ493
どなたかサイババの近況をご存知の方、情報をお願いいたします。
858名無しさん@3周年:2006/05/14(日) 20:09:52 ID:dO3c+nEK
何でも神と呼びたがる悪い癖がまた出てますね。

>>843
善悪の概念がなくならなければ人類から不幸がなくなることはありません。
人間が人間であることをやめることです。つまり思考を捨て信仰を捨て本能の
赴くままに生きることが許される世界になれば幸福が訪れる、というより
その時はそういう思考も意識もないでしょう。

思考を捨てなくとも、少なくとも「神」などと言ってるうちは無理ですね。
神はあらゆることにおいて正当化の論理であり、それは不幸を生じせしめる
根源なのですね。神が愛などというのは完全なる倒錯です。


それからキリスト教は“言葉のあや”を巧みに悪用したカルトだと思いますね。
実にくだらない中身のない言葉をたらたらと垂れ流し続けます。あらゆることを
聖書的解釈・キリスト教的解釈に結びつける図々しさを持ってるのですね。
キリスト教が日本に根付かないのはそのためです。完全に異物なのですよ。
859名無しさん@3周年:2006/05/14(日) 23:54:36 ID:t/C3kVqk
神や神々などを信じていた時代に、釈迦やイエスは語った。何者かが作った偶像に
供え物をしたり、自分の利得を求めるために宗教的行いをしていた時代に教えた。

修行を積んで、この世で慈しみが崇高な境地であると心得ろと(仏教)
神を信じたなら、隣人を愛せと。慈悲深い行いをせよと(イエス)

偶像を拝んでありがたがっていた無知な時代に、人間の内にある愛や慈悲が
大切だと教えた。教えの元となった人は、理論であった。

しかし、脳の無い人々により、何かを信じれば救われる宗教となってしまった。
その理論だけでは、誰も聞かないために、教えの中に細工を施していたからだ。
欲の深い人には、信仰に依存させて、束縛をするよう細工を施している。

 
860名無しさん@3周年:2006/05/15(月) 20:07:10 ID:7uTpqpc7
釈迦:「ただ、自分自身だけを拠りどころにせよ」
イエス:「奇跡も神秘も教権にも、寄りかかるな」(ドストエフスキーのイエス)
861名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 18:02:19 ID:P9FXka9H
バラモン教、ユダヤ教の祭司が絶大な地位を得て、神、神々などへの偶像礼拝を
していた時代。供犠などを要求されて、宗教行事や戒律・律法に従うことを義と
していた時代。
信仰があると思う者は奇跡を起こしてみよ。からし種一粒ほどの信仰がある人はいない。
「働かざる者食うべからず」は、バラモンに対しても釈迦が教えた。〔正命〕

律法を持たない異邦人が自然のままでとあるように、誰でもわかりそうな教えを説き、
宗教の特異性をなくした。

隣人への愛(イエス)、修行の結果得られる慈しみのこころづかい(釈迦)
 
結局人を大切にすることがわかり、人々から貪らず働くように教える。
人を大切にしないから、宗教があり、危険人物を世から遠ざける。

仏教もキリスト教も、慈悲や働くことを拒絶すれば、危険人物として、宗教行事
を行うようになっているのだろう。






862無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/05/16(火) 20:00:59 ID:/LxaA8Oi
神社仏閣板から来ました。私は臨済宗の立場を取っています。

良スレですね。
自分も、仏とは自己の当体に他ならないと思います。
真実を自心の奥底に求め、既に真理と自己とは不二であると考えます。
性即理ってやつですか。


今から過去レス読みます。
863Z:2006/05/18(木) 22:09:14 ID:jgqSwq7Q
>862

臨済宗といえば公案禅のイメージが強いですが、現状はどうでしょうか。
ダンテスダイジ氏の「ニルバーナのプロセスとテクニック」という
本を読んだことがありましたが、「今の世の中は公案自体が成り立たない
難しい時代、生きることそのものが公案の時代」と書かれてあり
納得したものです。
864無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/05/19(金) 03:15:40 ID:ba+IeZvp
建長寺あたりでは今も盛んらしいですが、詳しいことは分かりません。
ただ、私のよく知っている僧侶はバリバリ公案禅ですがww

 一方で、既に江戸時代には臨済宗内でも盤珪などは
考案禅とは違う立場を取ったようですね(不生禅)
 自分にとっては公案禅よりこっちのほうが肌に合う気がします。
865無尽意 ◆u6zJZcZDQI :2006/05/19(金) 03:25:37 ID:ba+IeZvp
完全に宗教=信仰なら臨済宗、曹洞宗、真言宗は宗教かどうか微妙かもしれませんな…
866:2006/05/21(日) 10:41:40 ID:x6dhM87f
自分の外に答えを求めているから宗教に頼ってしまうのだ。
頼りになるのは自分自身。
最後はこれしかない。
867名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 11:17:23 ID:EmuyBp/g
その宗教にとって好ましくない信仰のあり方に偶像崇拝のレッテルを貼るのは
よくある手法だ。
868lvrtm:2006/05/21(日) 11:38:00 ID:ZZoGpEEL
私は無宗教なものです
でも、この世の中で一番怖いのは無知なことだと思います。
世の中のことを知ること、理解することが一番大切だと思っています
正しく知ることが理想ですが、何が正しくて何が間違いかは、人によって
時代によって、地域によって違ってきます。宗教によっても違ってきます。

そこで私は、私だけの中で生きる理想をもっています。
私には人に説教するような力を持っていませんから伝えることはできませんが
ただすべての宗教の考えに共通する考えなのかもしれません

太陽の暖かみを感じ、水の清らかな冷たさを感じ、風に時を感じる空間に身を置けば
だれにでも、おのずと理解できると思います。

869Z:2006/05/21(日) 15:33:54 ID:cvgs9RDv
>866
その通り。だからこそこのスレをたててみた。
ところが宗教はそもそも宇宙創造から人生の目的、生と死の神秘に
ついての謎・真理といったものを追求することを目的としていたはず。
だからこそこのスレは本来の宗教と同じ共通の目的を持つ。
宗教はいわば生きた哲学だったが、宗教と呼ばれるようになった時点で
形骸化してしまった。
本来の目的である哲学的探求や生きる目的の意味追求を放棄し、
物質的・社会的な利益追求や利害関係の維持を目的とした
人間の集まりになってきた。要するに営利団体となってしまった。
このスレが「けっきょくは宗教じゃないか」と時折ツッコミを受けるが、
それは、「宗教の本来の目的」の探求のために立てたスレだから
このスレの現状も「宗教の現状」と同じレベルと思われやすいからだろう。
870Z:2006/05/21(日) 15:44:23 ID:cvgs9RDv
>868
>でも、この世の中で一番怖いのは無知なことだと思います。

これまた同意。ただ、おわかりだと思うが、無知の解消は外からの知識を
たくさん吸収して身につけることではない。
無知の原因は知識の少なさではなく、本来の自分自身、内なる神・光を
覆い隠している曇のような存在、エゴ、欲、煩悩といったもの、
これらに自分自身の言動をコントロールさせてしまうことにある。
たとえば、粉飾決算を意図的に見逃す会計士はその会計的知識や監査手法という
専門知識・スキルをエゴがコントロールしたといえる。
知識がその人の無知・無明を解消できない一例かと。
外から植えつけた知識を自分の中の何がコントロールするかが重要だ。
871名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 15:45:42 ID:KhY81zhl
ダビンチコードの最大の問題点は、イエスキリストは生身の人間であった。
キリスト教会では反発が強いが。私はキリストの生誕、死亡は不思議に思っていた。Hもせずに生まれてきた子供、死後に突然亡骸が無くなった。神の奇跡によりキリストを崇めるが為の話だと思う。
キリストは神なのか、主なのか、王なのか、神の子なのかいつも疑問に思っていた。
キリストが私たちと同様に生身の人間であることでイエスキリストに誇りを持つようになった。神にしか成し得ないようなことを一人の人間が行ったこと。そして2000年もの長い間、現在でも世界の30%以上の人々に敬われている。
しかし、神の存在は否定できない。宗教により神や仏など言われ方は異なるが、入口の扉や山門や導く人、道は異なるが、神は宇宙の外にある魂の共同体かなと考える。宗教や宗派などの対立は、神からみれば保育園の子供のけんかのようなもの。
全ての生き物は、その神から何らかの依頼を受けてこの世に誕生し、その仕事が終われば元の場所に帰ると、たとえ殺人者や悪人から食用のブタまでもが神から命を授けられ、神の運命の元で生きていく。
キリスト教に精霊と言う言葉がある。私もあなたも、そう言った意味では精霊だと思う。神は何もしない、精霊も何もしない。しかし、人が困った時や助けを求めた時にふとそばに居る。
イエスキリストも神より1つの宗教の布教を依頼され、そして十字架に磔になった、精霊の一人だと。亡骸は妻であるマグダラのマリアと母である聖母マリアにより、別の場所に葬られたと考える。
今こそ私たちの一人一人が神の存在を信じ、キリストを敬い、キリストのように自分が神から依頼された仕事を全うすることに生きる意味を感じて欲しい。
父(神)と子(あなた)と精霊(周囲の人)の御名において、アーメン
872Z:2006/05/21(日) 15:46:30 ID:cvgs9RDv
>そこで私は、私だけの中で生きる理想をもっています。
私には人に説教するような力を持っていませんから伝えることはできませんが

できませんと断言するのではなく、あなたなりのやり方で伝えるべきだ。
でないと地球はかわりはしない。
873名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 17:04:00 ID:K6f5aH++
1<<仏教にでも改宗したら、合理主義だし。
874名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 18:22:31 ID:WWDM9lxK
>>871 漢字ですが、正しくは、精霊 でなく、聖霊 ですぅ。
875名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 20:16:05 ID:pwJeuWOY
自分自身は自分自身と表現すればよいのです。
神というタームを使うからだめなのですね。
876名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 12:33:08 ID:abGJVXj9
ニーチェ曰く「神は死んだ」宗教的な神を殺すことにより内在する神を復活させ デカルト曰く「コキトエルゴスム」にいたる
877名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:32:47 ID:raxDou0d
「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいているときに飲ませ・・・・・・・・
『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て
飲ませましたか。」マタイによる福音書

「信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめ
よ。心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天が雨降らすごとくに、そ
の轟きを発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ。」
「人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれを身につけておも
むく。それは、かれに従うものである―影がそのからだから離れないように。それ故に善いことを
なして、来世のための功徳を積め。」仏教

 善いことをしている時は、仏の境地に近く、この世で神と一緒にいる時。人は知らぬ間に信仰
 をしている場合だってある。

それまでの時代でも、神や神々を信じていた。しかし、対象物への崇拝で自分の求めるものを得
ようとする行為から、人間に内在する慈悲や哀れみといった方向への転換をブッダとイエスは果
たそうとした。

人間が再びこの世に生まれようとも、生まれないにしても、信仰は飢えた人にもある。人の助け
を求める人にも信仰はある。完全な善の永遠の命の世界は、誰でも幸せであるから、この世で人
助けをしている人が、神の代理をしている。




878名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:34:05 ID:EJmxlUp8
神は死んだ  死んで仏になった。
879名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:53:22 ID:LJv/ECWq
神、神って固執しすぎ。
神がなんだってんだ。
880名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 00:44:14 ID:C+oIbbEx
何か燃えてる
服だ服が燃えてる!
衣類という衣類が全部燃えてる!
何だこれは!
箱・・・
Pの箱だ・・・
箱にピンクな空気が吸い込まれてる!!

うほほーい!!!!
いーやっふおーい!!!!
スゲー!!!!
おいスゲーよ!!!!
みんな裸だ!!!!
全裸で街中歩いたり買い物したり電車乗ったりしてる!!!!

881名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 16:42:50 ID:2WbPG+KS
「神を恐れよ」(旧約聖書の記述箇所多数有り)
神とは人の情動のことだ。近代では自律神経とか、ホルモンとか、アドレナリンとか脳内物質とかで説明されている。
将棋倒しの最初の駒が倒されれば、この因果関係の連鎖の輪は自分の意思で止めることができなくなる。
このことは脳の指令を行っているのがホルモンであり、脳(人)はホルモンの命令通りに行動する生き物であることを裏付けている。
殺人も情動がもたらす行動なのだが、自分に内在する情動は自分の意思で止めることができないのだ、という真理を知れば、情動を恐れよ、神を恐れよという意味が分かってくる。
脳が意思の源であり、脳が理念ではなくてホルモン分泌によって運転されている器官であるという真実を知ることが、殺人などの悲劇から自分を守る処方箋になる。
882名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 20:08:17 ID:Nox4Y34d
Si Dieu n'existe pas, il faudrait l'inventer.

結局は妄想です。内在する神などと言う表現を美化し容認するから
教祖出現があとをたたないわけですね。キリスト教をはじめあらゆる
宗教がそうであるように、自分は彼ら、つまり悪をなす対象とは違う
んだとオナニーしてるにすぎないのです。神を語るとは、すべて
そういう悪の本質なのです。偽善などとも呼ばれますね。
883名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 20:35:51 ID:9IanGFsU
>882

ボルテールですね
884名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 05:58:40 ID:hQYHSlqy
>>882

あなたより偽善者のほうが素晴らしいですね。
そしてあなたのその思い込みもオナニーです。

あなたは、事あるごとに粘着的に否定レスをかましますね。よっぽど宗教で嫌な思いをしたのでしょう。
885名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 06:16:00 ID:p+xwMhps
宗教心はあった方がいいけど、宗教団体はそんなに必要とは限らない
886名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 07:07:33 ID:p+xwMhps
宗教心のある人は右の頬をぶたれたら左の頬を出すけど、
宗教団体は右の頬をぶたれたら絶対に許さない
887名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 13:52:19 ID:pwKVY/km
普通の人はぶたれないようにする
888名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 15:12:08 ID:XcaxeizB
普通の人は、ぶたれた証拠を確保して警察を呼び、傷害罪で逮捕してもらう。
889名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 19:44:14 ID:42tocQfo
なにを信じても個人の自由ですが、嫌がる人に無理やりしつこく勧誘する
宗教団体は許せない。これは立派な犯罪だ。人に義務なきことを強要する
刑法の強要罪だよ。
これが原因でおれの家庭の平和は著しく侵害された。
○○学会というが
890名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 20:10:21 ID:XcaxeizB
そういう宗教団体に入ると、人相が変わるからよくわかる。
○○学会の場合、何かキツネの兄弟みたいに、互いにそっくりになってしまう。
そんな例を見て、ぞっとしたことがある。

あとで、マインドコントロールを受けると、人間の感情面が抑圧されて、
キツネのような無表情な相になるんだという解説を読んで、納得した。
891名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 20:43:15 ID:p+xwMhps
>>887-888 ワロスwww
もちろん知ってると思うけど聖書の
「汝ら右の頬を打たれたら、右の頬を差し出せ」といくにたいするイヤミね。

どうして、お題目を唱えても池田大作の糖尿病はなおらないの?

と並ぶ宗教嫌いのやり込め文句だよね
892名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 20:57:46 ID:f4BSPy0z
聖書の神は聖書の句で朽ち果てるが良い。
お前さんはただの一度も罪を犯していないと言えるか。言えるか。

大体よーニケア会議だの○○会議で神の進路が決まっている以上、神は人が造ってやったんだよな。
893名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 21:04:08 ID:p+xwMhps
保育園くらいのときに、じいちゃんが鎌倉に行って、土産に仏教の漫画絵本を買ってきてくれた。

「いろは歌の意味」「目が見えない人が大勢で象をさわる話」
「親父が奥さんを怒る→奥さんが鹿を殴る→鹿が家に火を付ける→村中が家事になる話」
「食欲が止まらない王様の話」
なんかがあって、幼かったから、すりこまれたかも。

宗教系の本は悩んでるときにはいいよ。宗教団体に入れとは言わないけど

確かに自分の中に神いるけど、いい本はたくさん読んだ方がいいし
894ニョライ:2006/05/28(日) 23:30:21 ID:rPY7TsGu
もうあんたら神はやめといてホトケにしとき、ホトケに〜
時代はホトケやで〜

自分の中にとかややこしいこと考えんですむで〜
何たってホトケは世界そのものやからのう
つまりあんたらもそのままでホトケの一部なんやで〜
ちょっと努力したらボサツやボサツ
努力が苦手やったら念仏で往生確定コースもあるで

どや、カミサマより圧倒的にお得やと思うんやがのう
今なら安うしとくで、よろしゅうな
895名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 23:40:58 ID:hRVG2e8K
>>884
妄想するという悪習がまた出ていますよ。私は宗教関係で被害も
嫌な思いをしたことはまったくありません。ひっかかるのは馬鹿です。
重要なのは現実の社会で関わらないことです。実に簡単なことです。
冠婚葬祭の慣習とネットの文字世界だけは別です。内面は重要では
ありません。いや、内面と神を結び付けないことが重要と言った方が
建設的ですね。

>あなたより偽善者のほうが素晴らしいですね。
素晴らしいですね。あなたは私にとって素晴らしい反面教師です。
感謝します。
896名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 00:18:15 ID:Z76q1Jie
宗教のような神は存在しない
だが、何かしらの大きく雄大な力がこの地球や宇宙には存在するのは
感じとれる
生物や物質の源と言うべきか
1ついえることは古い者であると言う事
古いは悪い意味ではない
始祖たる存在と言う意味である
生命の謎の全てがここにあるのではないかと思う
897:2006/05/29(月) 01:19:28 ID:EL2lhwuN
>893
なんかオレもその絵本、記憶にあるな。
確か、大学生のとき、どういうわけか買った。
銭洗い弁天とか見学したときだったかな。
内容は仏教説話から逸脱はしていないものの
ストーリーがかなり強引な展開を見せる一面があったのと
かわいらしいがどこかしらインパクトのある絵だったので、
つい買ったと思う。
仰るとおり、まさに「すりこみ」には効果的なつくり。狙ってたらスゴイ。

>いい本はたくさん読んだ方がいいし

そうだね。知識の詰め込みには賛成しかねるが、名書は自分の中の
崇高な感情を刺激する一面がある。
宗教的・スピリチュアルな書籍の中では、ヨガナンダの自伝とか
クリシュナムルティの著作とか。
898:2006/05/29(月) 01:26:54 ID:EL2lhwuN
>896
>だが、何かしらの大きく雄大な力がこの地球や宇宙には存在するのは
感じとれる

こういう感覚がいわゆるセンスなんだろうね。
そういうセンスがない人は唯物論とか無神論に向かうのだろう。

その感じ取れる感覚があったりなかったりするのは偶然ではないと思う。
目には見えないが確かにある存在を追及・研究し続けた人、または、
それを追求せず、現世的なものばかり追いかけてしまったが
最後に強い後悔をして、次に生まれ変わったら神への信仰のために一生を捧げたいと
誓って死んだ人・・・パターンはいろいろあるが、神を求める気持ちを
持っている人は決して偶然そうなったのではないと思う。
899名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 09:41:52 ID:LdQVRTs9
>だが、何かしらの大きく雄大な力がこの地球や宇宙には存在するのは感じとれる

これは人間の認識、感情、把握、何と呼んでも良いですが
それらが完全であるという妄信から来る"実感"と言えますね。
結局は脳内の現象ですよ。
900名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 12:56:01 ID:Bz9HsUlG
十戒の二番目か三番目は自分のために偶像を造ってそれを拝んではならない、ってことだが、これは神を拝むなというのと同意語。そもそも神など居ないのだ。
偶像とはアイドルのことであり、アイドルを追っかけている若いのやオバンやらの女と、まったく同じことが成人に達した男の性癖としてあるってことだよ。神はその対象になる。
神だけがアイドルになるとは限らない。毛沢東・天皇陛下万歳・金正日・マッカーサー・ヒットラー等々、およそ崇拝という名の対象になるのは全てアイドルだ。
アイドル崇拝は、芸能界のキムタクの追っかけとまったく同じ、その構造は変わらない。追っかけ行動によって脳は満足信号を出し続け、人は幸福感を満たすことができるのだ。
金銭欲の追求は株を買うことによって達成される。これもアイドル追求の典型的な例だ。最近、また株ブームとなっているが、人の欲のカラクリを分析すると、アイドル崇拝のカラクリも見えてくる。
つまるところ、アイドル崇拝、神を崇拝するってことは、人の根源にある幸福感の追求とまったく同じだってこと。
だから、悪知恵の働く奴等はこの本能を利用して既得権益を死守するため、あるいは既得権益をさらに増加させるために大衆を操縦し、戦争を仕掛けたり、マスコミを操縦して自分等の利益を守るのだ。
901名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 20:12:34 ID:Lk3F+aj9
>十戒の二番目か三番目は自分のために偶像を造ってそれを拝んではならない、ってことだが、これは神を拝むなというのと同意語。

これには同意できませぬな
902ミケランジェロ・コード:2006/05/29(月) 22:51:22 ID:Dgup8rKF
プラシーボ・モーゼのお話し。
ある日、モーゼは会話を盗み聞きし、自分はエジプトの王になれないのを知りました。しかも自分は他国のユダヤ人である事まで。
そーか。
そーっか。
次期王を考えていたモーゼには大変なショックでしたが、何時までも落ち込んではおられません。
「架空の神を使ってその使者と言う型で王になればいいや」
こうしてモーゼの王になりたい一心な願望から心の底で激しい思い込みが始まり、ついに不動の神の使いと信じるに至りました。
。。。
モーゼもイエスもモハンマドも、みな確証ないからなぁー。
同じ童話だよw
903名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 23:09:57 ID:3fp3ZVtl
わたしにむかって、『主よ、主よ』と言うものが、みな天国にはいるのではなく、
ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

◎イエスは神よ、神よと言って崇拝していた時代に、自分を教えの主として尊ばせ、
主よ、主よと言うなと教えた。

あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。


◎何か崇拝しても、人の行いが善くならないと、この世界は平和にならないと悟った。
904名無しさん@3周年:2006/05/30(火) 03:57:41 ID:ADbzbqVF
>>897
昔、「夫が奥さんを怒る→奥さんが鹿を殴る→鹿が家に火を付ける→村中が家事になる話」について、
小さな怒りが、大きな災いに通じることがあるから、簡単に他人に八つ当たりをするなと
じいちゃんから解説された。

当然、ガキの頃の自分は「怒りたい時は怒ってもいいだろ〜」と思ってた。

社会に出て一旦「ああ、そういうこともあるんだな」と納得したが、
2chをはじめて、電車男みたいに、ちょっとしたことが大きくなるのも悪くないなとも
思えるようになった。
905シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/06/02(金) 00:51:56 ID:YdjdXFBk
今日FMで

♪神は内にある〜
 神は内にある〜
 神は内にある〜

と曲の終わりあたりでリフレインで歌っている曲が流れてきました。(うろ覚えなですが)

きよしろーの次に流れてきて、誰かなー、と思っていたら

南正人でした。(初めて聞いた)

彼はサイケデリックスの世界の探求者だったはず。
906:2006/06/02(金) 00:58:22 ID:T9Vi59X1
>904
ちょっとしたことが大きくなる・・・・
ある意味、人生の全てがその法則に凝縮されているような気がしますな。

ちょっと英会話の勉強を15分だけだけど毎日実践とか・・
好きになった女の子にスキと言うか言わないか・・・

案外人生が変わると思う。
変わらないことも多いけど、ちょっとしたことを実行しないと
変わる可能性もないしねえ。

907名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 21:46:27 ID:BHWATlqQ
>>895

妄信断定さん、こんばんは。
色々な神秘現象に関して科学的な解析をされてるようですが、そこで一つ質問です。

人は死んだらどうなりますか?霊界はありますか?
908名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 22:11:48 ID:wq2RKjMe
909名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 22:13:28 ID:wq2RKjMe
あーりまん
910名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 23:54:40 ID:uKVDw788
生まれる前そうであったものに戻る
911シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/06/03(土) 05:37:16 ID:rIg2OpLI
>>905
トラの歌 南正人 だった
912名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 22:46:13 ID:1e8nMrKK
愚か者!!
神は居るとか神は内にあるとか思うから、
ユダヤ人の大将になりたかったモーゼが生まれ、
イスラエル断末魔を利用しマリファナ中毒のイエスが舌先三寸で神の子を自称し、
釈迦のように謙虚内省でないモハンマドのように「自分は選ばれた!」と錯覚するのじゃ。
神は便所の紙に過ぎず。
無いと困るがそれ以上でも以下でもない。
ウンコした後に拭く。
ただそれだけにしときなさい。
913名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 07:40:08 ID:m5X00CaA
>>1に同意
宗教は心身共に強い奴には関係ない!弱い奴が救いを求めたがりその弱みにつけ込まれ丸め込まれて団結心に縋りたがる。傷のなめあいで団結力をつけたがる。
人間『道徳』以上は屁理屈にすぎない。
宗教はエイズと同じく感染したら治らない。感染される前に気づいて下さい。洗脳された方は可哀想としか言えません。
914名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 07:43:37 ID:SEEKVFQ5
神は居ないけれど仏は居るとか言い出しかねない勢いだな。
915名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 07:53:50 ID:a8VUuvQ/
自分のうちに神が存在すると考えることがすでに宗教そのものだ。
宗教と宗教組織・宗教活動の区別もできないからこんな意味不明なことを言い出すのだ。
916名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 14:30:06 ID:WeLyvrKH
作家の芥川龍之介は自殺する、かなり前から死人の姿が見える、とか自分と
同じ人間がもう一人いると訴えていた。ドッペルゲンガーという現象は身近
なところでもよくある。
そういう体験はありませんか
電車の座席に座っている真向かいに、もうひとりの自分がわたしを見つめて
いる。
917名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 18:54:30 ID:OixARYap
宗教はいらない、自分の内に神は存在する。
これは仙人的資質を持つ人の好む台詞だ。
ヒッピーだったり世捨て人だったり、アウトローな一匹狼を気取りたい
奴のきめ台詞だ。
この台詞が好きな人は、要するに集団で何かをする事が苦手だったり、
反発したりする傾向性を持っている。協調性に重点をおかず、群れたく
ないだけの心情を宗教に転化して語っているだけ。
918名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 22:34:35 ID:nlGcjrB4
イエスが強制信仰以外を全て私に与えたらキリストと認めよう。
ま、注文した時点で終わりだなw
919名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 22:52:42 ID:r6+9YUyR
所詮神とか仏なんて人の概念でしかないんだから存在するもしないもないだろうに
920:2006/06/11(日) 23:55:18 ID:nM8OdSy9
スレを立てた本人として一つ一つマジメにコメントすべきだし、
今まで実際そうしてきたのだが、今回は
過去のやりとりと同じことの繰り返しになりそうなので、すげー面倒くさい。
というわけで、913/914/915/917/919 へのレスは、

このスレを最初から読んでくれ。以上だ。

>916
ドッペルゲンガーについてはゲーテも体験してるときいた。
ただその現象の原理が不明。またその体験にどのような
意義があるのだろうか。そのあたりを知りたいものだ。

>918
意味がよくわからん。
921カミサマ:2006/06/12(月) 09:41:12 ID:QlPlH9A+
いやぁ〜まだここあったんだ!!
ひさしぶりに見つけちゃった!
これ以上議論したって、同じことの繰り返しだよ。
もう沈めてしまえ!!!!!
922名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 10:14:51 ID:AOiuDpeY
「神は存在しない。でも宗教は必要。」が本音だろう
次スレタイ変更キボンヌw
923名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 10:16:55 ID:3IszR+S3
米国のエリサベツ・クベル・ロウス (Elisabeth Kubler-Ross, MD, 1926−2004)医師は、
千人に近い人々の臨終に対面し、世界各地から2万人以上の臨死体験の症例を収集して
研究した結果、
「人は死亡した後も、生命は依然存続しており、その意識は不死である」と確信した。
しかも、この研究によって、
「孤独で死んだ人はなく、通常は、最も親しい人が迎えに来たり、
或いは自分が信仰しているイエス、聖母マリア、阿弥陀仏などが迎えに来る」
ことが分かった。
924名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 13:00:39 ID:AOiuDpeY
>>923
何の根拠にもならないですね。
「確信した」まさに信じることが先にあるのですから。
それが宗教です。
定義もせず生命を語るのは、定義もせず神を語るのと同じことです。
そしてこれが注目すべきことですが、彼らは定義したがらない。
あるいは、ころころ内容を変えて定義し続けたがっている、というのが現実です。
925名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 16:00:35 ID:3IszR+S3
>>924
の言われているとおり、人間が死して、原子が崩壊した後に生命が存在する
という説には納得できません。
大学のゼミで脳神経学を学んでいますが教授は、魂とは脳内で起きている事象
で、かつてアメリカ精神医学者が、人間の脳の側頭葉に電気信号を流すことにより
いわゆる、幽体離脱現象の本質を突き止めました。
死後の世界といっても、本当に死んだ人の体験は語られたことはないのですから。


脳神経学に興味のあるかたは下記専門スレへ
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1148451145/l50
926名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 17:57:37 ID:vESVkQkf
魂を突き止めようとする行為そのものが馬鹿げている。そもそも魂なるものが存在する筈だと言う固定観念
から始まっているのにそこから何かが見つかったと言うことには何の意味もない。仮定された魂を探し、
似たようなものを見つけ、それを魂と名付け直しただけだ。聖骸布探しと何も変らない馬鹿げた実験だな。
927名無しさん@3周年:2006/06/13(火) 10:36:02 ID:Da0Y4oQI
さてみなさんは、物質を構成するのは(+)電子を帯びたものだけという偏った認識
を植え付けられている様ですが、現実は(−)電子
を帯びた物質、いわゆる「反物質」の世界も存在します。
「反物質」の世界にはあなたのもう一人の「私」が存在するかもしれません。その世
界の「あなた」はどんな人生を送っているのか?
興味はありませんか?
余談はさておき、この(+)と(−)がとある空間で衝突した時、巨大なエネルギー
を発生し、あまりのエネルギーの大きさに加えて
「エネルギー保存の法則」から逃げる場所が無く、次元空間を突き破ってこの空間へ
と噴出して来たと思いねえ、これを後世の学者は「ビッグバン」と呼んだとか!M
r.ホーキンスはあくまでも頭の中でそれを見たのでしょう!
「ブラックホール」は次元空間へと通じると言う「説」を唱える学者もいらっしゃる
とか!
お立会い!「ブラックホール」は「太陽」の表面にも現れると言うから面白い!
そのうちに「太陽」を吸い込む「ブラックホール」が出現してもおかしくはないはず
928名無しさん@3周年:2006/06/13(火) 21:49:23 ID:V9CDa34N
動物本能って科学で証明できるのか?ww
929名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 12:15:19 ID:ch/j040Z
観察し客観的に位置づけられるものに証明は必要ないですね。
930名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 13:08:06 ID:/FE8DUD2
死ねばわかる。

あの世を信じてるなら、それでよし。
信じないなら、無になるだけ。

信じてないなら、自分の生きたいように生きて死ぬがいい。
931名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 17:44:24 ID:0OD/d7FU
この人のことですか
926 :名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 17:57:37 ID:vESVkQkf
魂を突き止めようとする行為そのものが馬鹿げている。そもそも魂なるものが存在する筈だと言う固定観念
から始まっているのにそこから何かが見つかったと言うことには何の意味もない。仮定された魂を探し、
似たようなものを見つけ、それを魂と名付け直しただけだ。聖骸布探しと何も変らない馬鹿げた実験だな。
932名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 08:40:22 ID:K8VNsdP0
A「神様っているよね!」
B「うんうん!俺も神を感じるもの。」
A「一般の皆は、感じないみたい。多分自分達は優秀なんだよ」
B「そうそう!神の存在を色んな宗教論を交えて論じること出来るしね!」

C「何言ってるの?神様なんていないよ。君らの感じてるのは錯覚だよ!」

A「何だよイキナリ!君は神の存在を感じたことが無いからわからないんだよ」
C「だったら、神がいない根拠をいくつか挙げてみせようか?」

B「・・・・・いいよ。どうせ信じない人には何を言ったって無駄だから」
A「そうだね。B君!向こうで遊ぼうぜ!!」
B「おう!」

こうしてこのスレッドは延々と続いていくのでした。 おしまい
933名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 08:51:07 ID:j52HxBkw
神がいない根拠を明示できたとしたら、それだけでノーベル賞ものだよ。
カントの二律背反を論駁したわけだから。
934名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 08:55:04 ID:j52HxBkw
目に見える事実だけで判断するのは、愚かな人間のやることだ。
たとえば、ガリレイが地動説を唱えたとき、「実際に、太陽も月も動いている
じゃねえか。地球が動いているって?動いてないだろ。」と「目に見える事実」
を振りかざせば、聖書を持ち出すまでもなく天動説が正しいという結論になる。
935名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 09:09:07 ID:j52HxBkw
>>932は、一方で宗教の本質を突いている部分もある。健常者A,Bと、緑色色盲の
Cの会話。

A「緑色ってあるよね!」
B「うんうん!俺も緑色を感じるもの。」
A「中には緑色がわからない奴もいるらしいぜ。俺たちは健常者でよかったな!」
B[そうそう!これから若葉の季節だし、いろいろな緑について論じることが
できるしね!」

C「何言ってるの?緑色なんてないよ。君らの感じているのは錯覚だよ!」

A[何だよイキナリ!君は緑色の存在を感じたことがないからわからないんだよ」
C「だったら、緑色なんて存在しない根拠を挙げてみせようか?光の中で波長が
ある範囲のものを『緑』と人間が名づけただけで、『緑』が存在するわけじゃない
んだよ」

B「・・・・いいよ。どうせ緑の存在がわからない人には何を言ったって無駄だから」
A「そうだね。B君!向こうで遊ぼうぜ!!」
B「おう!」
936名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 11:08:31 ID:WIwEHiQ2
存在しない根拠のあるものなど一切ない。

>>934みたいな結果論を持ち出して、未知と神を
結びつける愚かな人間がいかに多いことか。

神とは、目に見える見えない、認識できるできないという対象ではなく
思考の浅い人間が延々と「今のところわからない」と言いつづける妄想の対象。
937名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 21:15:58 ID:/Vj945rx
まア、神を妄想とか言いうヤシほど 初詣とか行って、さい銭あげて一生懸命手を合わせてるんだろうな。
938名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 23:30:08 ID:WIwEHiQ2
>>937
初詣はエンターテイメント。
939名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 23:39:32 ID:IIW6ZZWv
行くのかよ…
940名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 23:47:08 ID:WIwEHiQ2
まともな人づきあいありゃたいてい行くんじゃないのか?
ま、もちろん行かん年もあるが。行ったり行かなかったり。
俺は「信念をもって行かない」なんて言うあほではない。
941名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 08:26:56 ID:mPpVwqaG
>>933=934=935
ID:j52HxBkwは、普段生活してて、周囲からクドいって言われたことない?
942名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 10:43:02 ID:ZhhSxFVo
つーか、信仰なんて結局個人的なことじゃん
なんでみんなで祈ったり、本読んだりせにゃならんの?
結局、みんなと一緒にいることで安心してるだけ
943名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 10:56:13 ID:EyNvekwX
ジェラル ユージン ルーミ(発音適当)の話位は既に出てるよね?2スレ目なんだし。
944名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 16:05:35 ID:ZMeulszX
つまり、現代科学では証明出来ない事象について語ることは
個人の思想、心情の範疇にはいるが、神秘体験
とか霊的体験をも物理学者は否定する
945名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 22:12:50 ID:+cMJ4n1s

本来,科学とは可能性への追求であるべきはずなのにねえ。。
946名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 22:19:49 ID:xDWzf34m
あえて無料のユートピアも
汚れた靴で 通り過ぎるのさ
自力で見つけよう 神様
947名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 22:48:53 ID:QDB58sXP
>>944
たとえばどんな物理学者がいるの。
948名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 08:33:31 ID:5ZLP/aKu
不毛な議論をまだまだ続けますか?
次スレたてたら、地獄に落ちるわよ!
949アールグレイなTAO:2006/06/17(土) 10:17:13 ID:faF/3K93
>Zさん

 もし、次スレが必要なら、また俺が使者になって、立てますので、指示して
ください。このスレか、アールグレイで甘美な午睡スレへ連絡してください。
950凡人:2006/06/17(土) 11:09:42 ID:ldBFo/Z1
>アールグレイさん

頼みまーす。
951:2006/06/17(土) 12:52:31 ID:Xn0NA0S2
>949

TAOさん、どうもご無沙汰してます。
それではお言葉に甘えて、次スレよろしくお願いします。

952アールグレイなTAO:2006/06/17(土) 15:10:53 ID:faF/3K93
はい、立てましたよ。part3 !

「宗教はいらない。自分の内に神は存在する 3」

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150524500/l50
953名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 15:24:04 ID:UOTuIfqH
いくらゴミを分別してもせっせとゴミを出し続けてたら同じ。
954名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 19:10:32 ID:u8K0uJub
>>805-806さん
>>アールグレイなTAOさん
>>Z さん

達に近い考えを持ちます。

エネルギーを分けてできた地球とその地上の生物ですもの。
それをサポートする神的な存在は確実にあります。
本人が自覚していないだけで、感知できない人間に対してもあるのです。
ただ、見えないということは、例えば命綱や手を差し伸べても別方向を向いていれば
なかなか、意識の上で合致しないということです。効率が悪いとでもいいましょうか。
そういう意味では宗教は神の存在のあらましを伝えるという役目があるのかも知れません。
955:2006/06/17(土) 22:16:00 ID:Xn0NA0S2
>954

今までこのスレを読んできて最近思うのは、多くの人は頭がいいからか
知らないが、議論好きの人が多いね。神はいる、いない・・そういう論争は
終わりがない。頭で考えるだけだとね。

オレなんか、神どころか、電気が存在することもわかっていない。
目に見えないしさ。でも、コンセントさしこむと、やっぱりそうか
電気があるから動くのかとわかるし、そういうことも普段は意識もしない。
神についても同じで、必要なのはコンセントをさすことだけだ。

956:2006/06/17(土) 22:24:02 ID:Xn0NA0S2
>954
サポートといえば、太陽に水に、親の母性本能とか、全て周到に用意されている。
この時点で目に見えない援助者に気がつく、気がつかない、この差は
まあもって生まれたセンスとか一人一人の置かれた状況の違いも影響あるだろう。

>そういう意味では宗教は神の存在のあらましを伝えるという役目が
あるのかも知れません。

まあそうなんだろうね。
勉強には家庭教師、投資にはファイナンシャルプランナーとか
指導者はそれぞれの目的に応じているわけだけど、
生徒の得る結果で教師のレベルがおしはかられる。ところが
信者を指導する宗教家はその公式があてはまらないところに問題がある。
人生めちゃくちゃにされても「死んだら天国にいけるから」で
すまされるしねえ。
957名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 10:48:41 ID:rRntsnPC
周到にねぇ。
破綻してる現実が見えてないのか。
958:2006/06/18(日) 11:06:17 ID:ci9Lh0pU
>957
破綻してる現実が見えてないのか、ねぇ。
破綻させているのは誰かな?
959名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 11:42:10 ID:rRntsnPC
人間。
周到に用意されてるという見方も人間の一視点にすぎず。
すべては脳内現象。
960名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 12:12:13 ID:sXoSVpLK
やはり、何らかの実感を経験してみないことには認めにくいものでしょう。
体験がなくても自然などの存在そものを驚異として見ることができるなら、
扉をたたいているのかもしれません。ご利益といわれるものがこちらの目に見えなくても
普通、人は普通に生きているのが現実ですから、気にし過ぎることは徒労ですね。
ただ、何かあると思うことは畏れと感謝できる心につながりますよね。
安心と安寧が一番、人が満たされる条件だとするなら「神」との信頼によって日々の生活が
守られることを私は望んでます。
961:2006/06/18(日) 17:19:11 ID:ci9Lh0pU
>959
>何らかの実感を経験してみないことには認めにくいものでしょう。

この実感がないから、皆、頭でっかちになって議論のための議論でループしている。
体験がないから勝つための議論、ディベートのレベルで満足しているんだね。
ただ、その問題にすら気がつかないことには
コンセントもさそうとしないし、扉もたたこうとしない。

これらはやはり生来の感受性・センスの違い、普段の生活の仕方、環境の影響としか
いいようがない。または、なんらかのアクションを起こしていい縁をつくるしかない。

目に見えない世界は常に呼びかけられることをいつも待っている。
「感謝」はそのアクションの一つだね。
962:2006/06/18(日) 17:20:46 ID:ci9Lh0pU
訂正。

× >959
○ >960

まあ959への答えにもなってるけどね。
963アールグレイなTAO:2006/06/18(日) 17:40:42 ID:zSYSjPs1

>Zさん

 この種の実感は、分からない人は、残念ながら、死者が生き返ってきたところ
で信じないでしょうね。

 脳内の神経の伝達速度と、気の経絡上の伝達速度は、大きな違いがあるという
ことが実験で明らかになってるらしい。
 少なくとも、鍼灸の効果が、脳内によるものだと説明できない限り、一切の
効果を脳内のものと帰結させるのは難しいことでしょう。

 霊感とは、言わない。気の感覚、これは、恐るべき客観性があるのですが、
その客観性は、やはり、一定の資質のあるひとの間だけです。

 犬や、赤ちゃんにも効果が著しいし、それは、プラシーボでは説明がつかない。

 こういうことを敷延していくと、物質と非物質の中間のような存在様式がある
と思われます。

 もう、マルクス主義的な唯物論は、破綻してるし、通有性のある「共通な主観」の
なかで、確率的に起こることの、不思議さ、こういうものを理解しないと、手に負えない
時代が、やがてくると思いますよ。

 これに鈍感であることが、オウムや、ナチズムの萌芽を見過ごしてしまうのだと考えます。

 分からないひとは、分からない。でも、その人が分かるようになったとき、
役立つ資料を、少しでも残して置きたいと思います。傲慢ですけどね。

964アールグレイなTAO:2006/06/18(日) 17:49:19 ID:zSYSjPs1

 感謝の思いをもったとき、身体の気の流れは、非常に安定したものになると
思います。
 俺は、不思議に思うのですが、神仏を否定するひとたちに、気の世界や
鍼灸の世界、あるいは草に含まれてる煎じた漢方薬とエキス製剤の漢方薬
の効果の絶大な差異、こういうものを体感してみたら、といっても、ほとんど
興味を示しません。
 脳内である、という、一種のプラシーボさえ、あるのです。

 霊や神の世界とは言わない。
 気の世界、エネルギーの世界の感受性が開けると、霊や神と称してきた世界が
なんらかの妄想であったとしても、客観性、通有性があった、ということが分かります。

 そういった、中間的な世界と潜在意識、共時性というのは、かなりの連関があります。

 まぁ、必然性というかたちより、蓋然性、しかし通常起こらない高い確立で
ある方向性の事が起こる。
 これは、良いことであれ、悪いことであれ、事実なんですけどね。
 絶対知り得ない、情報をつかむ、霊能者など、本当にいるんですけど。

 まぁ、これは秘すべきことなんでしょうね。本当は。
 こうして、議論してみると、実に面白いことが感じられてきます。
 言わぬが花でしょうけどね。
965名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 08:34:16 ID:D/YWhsCm
実感とは脳内の「現象」です。
966名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 09:27:41 ID:D/YWhsCm
通常起こらないことが起こることは認めます。

ですが、それを神と結びつけて肯定する意味はありません。
宗教のため、以外にはないのです。

宗教と呼びたくないお気持ちはお察ししますが、
「神」という言葉を用い、秘すべきなどと言ってるうちは宗教です。
967岐阜りんご:2006/06/19(月) 09:49:43 ID:qFEr47oP
市況2から来ました
Zさんって人は、何歳?
上の方しか読んでないが、ほとんど同意だ。
ワハー
968アールグレイなTAO:2006/06/19(月) 18:27:56 ID:MFabsE/g

 ここで、俺は、「いわゆるのエネルギー」を、「神仏と称するもの」を理解
する、手立てとして述べているのです。
 単純な、宗教的なものの肯定論とは違うのです。

 つまり、世界を支配して人格神(経綸という意味)が存在するから、それを
信じるということを提唱しているわけでもない。

 また、非人格神(ある種の傾向性や価値判断を内包する、それじたい進化する、
いわば法のごときもの:ごときものであって、法とは断定しない)を信じるこ
とから始めようと言ってるわけでもありません。

 気やエネルギーを感じる人間がいて、それがある程度のワク付客観性をもつ、
ということを述べているのです。

 これは、逆に、全体主義の狂気を形成する、集合意識を束ねるような働きもする。
 
 ですから、もろ刃の剣なのです。

 これを、いわゆるの宗教団体、あるいは、エネルギーなどを伝授し、ヒーラーを
即座に作り上げると称する、そういったムーブメントを、見抜く素材として活用し
ようと、こういったことを述べているのです。

 したがって、神仏ではなく、「神仏と称してきたもの」といっていいでしょう。
 それも、多元的なのです。

 狂気の集団行動、そういうものの根底にあるもの。
 ニューエイジ商売を突き動かす、ある種の集合意識的なエネルギーです。
 時にそれは理性を失わせ、全体主義の土壌をつくりつつあります。
969アールグレイなTAO:2006/06/19(月) 18:28:41 ID:MFabsE/g

 巨大な宗教団体が、間接的に政治を動かし、自己の集団に都合のいい、行政や
立法を行いつつあるのが現実です。

 このときに、ひっぱりまわされず、オカルトに堕さずに、ある種の「目」をもつ
には、気やいわゆるのエネルギーというものの、奇妙な性質を、ある程度、理屈だけ
でもよいから、理解することです。

 本来、こういった警戒心というか、動物的な本能というべきか、危機感をもつべき
人が、残念なことに、オカルトや、ニューエイジ商売に転がされているのです。

 唯物論的な世界観だけでは、この危険さが、なかなか理解されません。
 残念なことではありますが、唯物論者さえ、無意識に、そういったものに、動かされ
てしまいます。

 加えて、さらに、洗練された認識は、どのようにして獲得されるのか。

 近代〜現代は、こういったことに無自覚であるがゆえに、エネルギーに転ぜられ、
集合無意識が狂気に突入し、戦争などを、招いた部分があると思うのです。

 ナチズムはそういう意味では狡猾で、意図してかいないかは別として、人のアストラル
的な狂気に火を着けたと思います。

 ヒーラーがセクハラを行い、ハーレムを作るのは、こういった方法を、無意識に
使ってしまうからでしょう。

 結局、一種、己を空じながら、この世の流れの中にある、ということになるでしょうが。

 人が詐欺にあうのは、そういうエネルギー場を築きあげる、邪悪な力量のある人物
による、という側面も否定出来ません。
970アールグレイなTAO:2006/06/19(月) 18:29:13 ID:MFabsE/g


 「ありがとうおじさん」という人物が、一時もてはやされ、「ありがとうございます」
と唱えれば、問題が解決し、時代の困難を超えられるかのような、一種のブームになり
ました。

 しかし、彼は、多数の若い女性との、セク「ハラ」のごとき問題を引き起こしたようで、
彼を紹介したサイトは、今、その反省にたった展開をしています。過去の体験なども
その真実性が疑われています。

 著名な人物が、彼の太鼓持ちのようなこともやってしまった。

 様々なことが起こります。こういったことは、戒めだけでは、再発します。
 伝統的な宗教、あるいはその周辺が、とても厳しい部分をもっているのは、
ゆえなしとしないのです。

 宗教という言葉や、表現にとらわれず、そのベールの奥にあるものへの、洞察力
を育むことが大事でしょうね。

 そんなに甘い話はないのですから。
 エネルギー的世界は、ある意味とても残酷です。
971アールグレイなTAO:2006/06/19(月) 18:39:12 ID:MFabsE/g

 霊や神があるかは、ともかく、気や、アストラル的なエネルギーと呼ばれる
ものが、良きにつけ悪しきにつけ、奇妙な働きをします。

 こういった世界のある種の感受性ができると、損師やおかしなのがテレビに
でただけで、腐敗臭(という表現感じ取れるもの)を感じることもあるようです。

 この種のことで、客観的に、連絡なしで、同様のものを感じることが、確かに
あるのですが、それは、そういう人達の間での妄想だね、ということにして、「秘する」
わけです。

 さらに、こういうことはネットだから、書ける訳です。

 朝日系、岩波系、NHK系の情報ラインには、あっても捨てらるしね。
 拉致はない、みたいなノリでね(苦笑)。
972名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 22:57:17 ID:D/YWhsCm
長々と書いていただいた後で言うのは多少気が引けますが、

「ならスレ違いなのでは。」
973アールグレイなTAO:2006/06/19(月) 23:30:54 ID:MFabsE/g

>>972

だからこそ、>>1の趣旨に合致してるでしょう?

浅く読んでいただいた後で言うので、少しも気は引けませんが。
974名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 00:11:15 ID:8uwfvhNx
要するに、既存宗教とは違う形で神を主張したいということでしょう。

何も変わらないことに気づけないのですね。
でも、わかりますよ。宗教はそういうものです。

「宗教という言葉にとらわれず」のような形で新しい主張をする
宗教が後をたちません。それは団体・組織であるかどうかは問題
ではないのですね。個人が各々に自分の神を主張することに
そもそもの過ちがあるのです。
975アールグレイなTAO:2006/06/20(火) 00:16:20 ID:IqeUYUj/

 いや、既存宗教そのものとしても、主張しているのですよ。
976アールグレイなTAO:2006/06/20(火) 00:20:22 ID:IqeUYUj/

 神を主張するということが、何を意味するのか、はなはだ曖昧ですが。

 認識の座が、流動的な、そういう領域全体の場というもの。
 つかみ所のないものでもある訳です。

 問題は、虚無か、あるいは、何らかの価値判断が内包されてるか、そういうことになる。

 で、測定器を回路におくのか、回路からフロートしても動作させ得るのか
という問題になってくるわけです。
977アールグレイなTAO:2006/06/20(火) 00:23:36 ID:IqeUYUj/

 気を実感し、これをあやつることが出来ると、あるとない、という、近代の
認識方法とは、かなり異なる領域が広がる。
 場が、浸透して成立することもある。

 こういうことは、宗教という概念を帯びていながら、そうでないものでもある
わけです。

 これは、体系化された教義にはなりえませんので、表現が難しい。
 一種の認識の座のことでもありますが、その座の分母をゼロに限りなく
近づけることに等しいのかな。
978名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 00:26:36 ID:8uwfvhNx
いえ、ですから、「宗教という概念を帯びていながら」となぜするのでしょう。
宗教という概念は帯びてないと言わねばなりません。このスレは宗教は
いらないという主旨なのですから。

そして気の客観性について語るならスレ違い、もとい板違いということです。
979アールグレイなTAO:2006/06/20(火) 00:30:40 ID:IqeUYUj/

>そして気の客観性について語るならスレ違い、もとい板違いということです。

いや、これが「宗教的なもの」の糸口となってるのですよ。
980名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 03:53:04 ID:JoOLf5p+
>> 961 Z さん
>なんらかのアクションを起こしていい縁をつくるしかない。

本当にそうですね。私も平素感じているままを書きました。


>>964
>感謝の思いをもったとき、身体の気の流れは、非常に安定したものになると 思います。

ありていに言うとこれは満たされた状態というものでしょうか。
それが次の瞬間変化し、より高いものを求めるようになったとしても、
足るという思いを味わえた満足感は心地よく、良い影響を残すもの。そしてそれはこの世界に
温かいエネルギーとして他にも波及する。そうありたいものです。
負のエネルギーは増やしたくありませんね。


>>974
>「宗教という言葉にとらわれず」のような形で新しい主張をする 宗教が後をたちません。
>個人が各々に自分の神を主張することに そもそもの過ちがあるのです。

神と人間の関係はもともと宗教という団体的な意味をもつものではなかったのです。
一人ひとりとのサポートが目的なのです。しかしこの世界には多くの人間がいます。
よりわかり易さを求める人たちにとって、教義という形をとり始めたのでしょう。
既存の宗教であろうがなかろうが人の一生は短くて、その個人にとっては
信じる信じないではなく既にその時空の中にあるのです。
981名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 06:27:28 ID:wWJxr7KQ
>>978

あなたは本当に執着しますねぇ。

どうでもいいから放っておいてもらいたい。いくら議論してもループするだけ。あなたが言いたいことが全く理解できない。

このスレに賛同する人がいると困るわけ?
教祖が現れ、宗教になるとでも?
神が自分に内包しているって事が罰当たり?
全て妄想であり脳内現象?

だったらそう思って構わないから、ねちねちと言ってこないでくれ。あなたはあなたの発言が生きるところで頑張りなさい。
982アールグレイなTAO:2006/06/20(火) 07:42:13 ID:IqeUYUj/
 はい、おはようございます。

 そうですね。
 このスレのタイトルは、逆説的な意味でもなりたつという、シャレのめしてる
部分もある訳で、それが分からず、あたかも、近代のアタマだけで、宗教論議を
したら、お里が知れるような展開になってるんだということ、気づかないんでしょうね。

 どうでもいいことを議論してるんですからね(笑)
 で、ものすごく重要なことを、ね。
983アールグレイなTAO:2006/06/20(火) 07:46:55 ID:IqeUYUj/

 で、どうでもいいんだけど、よくないことなんですね。
 この二律背反してるようで、実は相互に浸透しあってるという問題の
在り方が分かっていない人が多いので、面白い訳です。

 俺は、ある意味こうしてタオりますけど(笑)。
 文章をマトモに受けないで、幾重にもひねってる部分の、内容じゃなく
ヒネリ方のエートス、というか、その場の性質を掴めないと、カルトに
もってかれることが多いんですよ。

 唯物論者がね。一夜にして。アブないですよー。
984名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 09:17:42 ID:FeG5osHH
>>981
あなたが放っておけば良いのです。簡単なことですね。
985名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 09:21:12 ID:FeG5osHH
「宗教」が今これだけさも権利かのように語られるのは、日本が敗戦したからです。
宗教という言葉はそもそも仏教から来てますが、今のような使われ方をするよう
になったのはキリスト教の影響なのですね。

習俗化し制度化し神や信仰について語ることをやめれば良いのです。
重要なのは「宗教的なもの」を一切忘れることです。
986名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 09:53:12 ID:/zhfLj/H
個人の思想や人生観は全てその人の信仰。これが群れをなせば宗教。こんな単純なことがどうして分からない?
>>985があらゆるスレで唱えてるお題目に賛同する者が10人もいたらもう立派な宗教。そいつらが皆同じ念仏
を唱えてると思って見ろ。充分にキモイ。
987名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 09:57:23 ID:FeG5osHH
まずは、思想・人生観と信仰の区別をつけれるようになりましょう。
988名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 10:09:29 ID:/zhfLj/H
412 名前:名無しさん@3周年 メェル:sage 投稿日:2006/06/21(水) 09:58:21 ID:FeG5osHH
創価学会は宗教にあらず。
日々前進する人生哲学です。
多くのタレントも賛同しています。

草加煎餅だとは知らなかったね
989名無しさん@3周年:2006/06/21(水) 10:21:55 ID:FeG5osHH
茶番ですよ。前言ったはずです。
層化否定に必死なスレで層化を押すのは面白いでしょう。
本音を言えば、層化は糞です。このメッセージを
あちらへ書かれてはいかがでしょう。
990名無しさん@3周年
ID:FeG5osHHの文章は狂信者の匂いがぷんぷんするから冗談と本気が紛らわしいな。
全部がネタで自分が一種の迷コテになって人を楽しませてくれるって言うんなら大したもんだが
惜しいことにそんなに面白くないんだな…もっと工夫してみてくれ。