科学的姿勢と宗教的姿勢の違い

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1名無しさん@3周年
科学は世界の事象の中で「これは確かだ」と
思えるところから体系を築き上げる

宗教は「世界はこうである」との直感から
世界の成り立ちを説明する

で良いのかな?

科学的姿勢も突き詰めれば憶測の部類から入るようだが、
さらに強力で包括的な理論が提出されれば
時間をかけてそちらが主流を占めるようになるようだ。
つまり今ある常識が絶対でないと自覚していることになる。

それに対して宗教は最初からこれが絶対であるとの態度を改めることは無い。
妄信だ、迷信だと揶揄されようが「信じること」を肯定し、
その姿を美しいとする。尊ぶ。

僕の個人的見解では(多少短絡的なきらいはあるが)
個人の徳を積むという意味では宗教的世界観や姿勢はそれなりに深みが
あることもあり個人の成長にとって益するところはある。が、しかし、
人類全体の心の進化という観点にたてば、
科学的姿勢のほうが誠実で成長の余地があり、
よって未来を切り開く姿勢なのです。

反論、意見のある方、どうぞ。
2名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 21:20:51 ID:wCCVyuxO
反論としてはだね、宗教を解せないなら語るなという感じかな。
神ながら 言挙げせず
議論をし尽くして議論の非生産性を体得するのがよろしゅう。
要は心の問題なので科学と対立させること自体が不毛
では文学と音楽を科学で解明してみろってかんじ
意味のないことに気がつくのがよろしゅう。
3名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 21:23:12 ID:oT4KCn+3
哲学板や科学関係の板からも人を呼びたいもんだ。
これは興味深い議題だぞ。
4( ´,_ゝ`):2006/02/17(金) 21:25:37 ID:B8/S0ST7
科学の根拠って、再現可能性でしょ。
だから、実験を重視する。

んなもの、どうでもいい、おれたちはとにかく信じる。
というのが宗教。
まあ、時には感動も産むが、うざいのも確か。
あまり、深い話はないんじゃない。
似たようなレベルで思考すれば、いくらでも言えそうだけど。
明確に、違うよ。
5名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 21:28:53 ID:Sv1vbOxj
宗教は何でもあり
6名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 21:31:25 ID:9OeyIxmI
>>2
文学と音楽に解明すべき謎ってあるのか?
7名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 21:36:24 ID:P2on7bc+
宗教は説明に行き詰まると、神様や仏様に逃げる。
8名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:11:09 ID:QvN2eqCL
>>2

まず、議論ではありません。
反論って言葉がまずかったですか。
科学と対立させてるわけではなく、
姿勢の違いを簡単にまとめてみただけです。
できれば1の内容そのものに反応して欲しいです。

心の問題ってのは科学や哲学では取り上げていないですか。
宗教を理解していないとは宗教の何を理解していないように見えるのでしょう。
宗教全般と科学全般という乱暴な比較であることは承知しています。
知らないことたくさんありますよ。
宗教的姿勢ってものが1の内容とことなるなら、
是非ご教授願いたいものですな。
9名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:13:09 ID:wCCVyuxO
この板 1ヶ月で飽きてきた
10名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:14:25 ID:wCCVyuxO
11名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:18:20 ID:wCCVyuxO
ぜんぜん関係ないサイトばかりだった・・・
でも結構おもしろいところあるな
怨念の詰まったサイトは読む価値ないけど。一面的になってるから。
12名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:22:13 ID:QvN2eqCL
>>4のような意見は僕としては無価値ですね。
その内容なら一行レスのほうがまだマシです。
13名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:31:27 ID:QvN2eqCL
世界の成り立ちや在り様、目的が「絶対こうである」とする、
または悟りという確認のしようが無い曖昧な状態を指向する、

これらの姿勢は最終目的やビジョンを固定してしまうので
他の可能性を排除してしまいます。
静的なんです。
袋小路に迷い込んでしまっているようにも見えます。
それが悪いとは言いません。

ただ、全人類を俯瞰する(できるかどうかは別にして観念の世界だけでも)と
自ら成長の道を限定する姿勢に他ならないように思えます。
14名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:42:14 ID:QvN2eqCL
極論すれば宗教的姿勢とは
この複雑怪奇な世界を前にした時に心のどこかで誤魔化しがある、
妥協の産物ではないかと。

宗教とは一つの夢の形(それぞれの宗教で)に過ぎないのではないかと。
その点、科学的姿勢は世界を理解し己を理解するための根気強い我慢強い試みなのではないか?
こうではないか、こうあって欲しいと言う目の前に提示されたモデルに過ぎないのではないか?
そのモデルが絶対であると信じる時に、なにを根拠に出発するのか。

個が悟りを開くのは集に通じる可能性もあるので良しとしましょう。
集にフィードバックされる必要はありません。
個そのものが代表すれば良いだけです。

しかし、ここで問題がある。
悟りを開いたと証言する者は本当に正直者なのか?
正直者であったとしてその者の錯誤でなかったとどうして言えるのか。
確認のしようが無いなら、なにを根拠に人生をかけて追随するのか。

15名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:46:53 ID:wCCVyuxO
坐禅会ぐらいは行ったことある?
16名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:53:31 ID:QvN2eqCL
ありません。>>15
禅ってのは宗教なのですか?
修道ってイメージが強いですがね。
暇を見つけて京極夏彦の『鉄鼠の檻』を導入がてら読んでみようかと思ってます。

*科学を比較対照にしてあるし、
 宗教に懐疑的なので多少煽り風吹かせてますがご容赦の程を。
 
17名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:58:22 ID:wCCVyuxO
曹洞宗とか禅宗のお寺でやってるよ
けっこうやってる
というか基本
行ってみそ だいたい無料だから
18名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:59:59 ID:QvN2eqCL
行けば何が分かるのですか?
このスレのテーマと関わるなら説明お願いしたいのですが。>>17
19名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 23:01:15 ID:QvN2eqCL
寝るので。
また来ます。1
20あいちてる:2006/02/17(金) 23:11:01 ID:F2TQXaMk
家が曹洞宗なんで、一回だけ座禅したことがある。
そん時、坊さんが座禅は難行苦行ではないとか言ってたけど、
結局俺にはそれでしかなかった。
21名無しさん@3周年:2006/02/18(土) 01:21:15 ID:b6Yhg2/R
宗教は錯覚のもとに行動する。
科学は仮定のもとに試行する。
22名無しさん@3周年:2006/02/18(土) 02:46:49 ID:08MRE/7Q
宗教は現実逃避
23( ´,_ゝ`):2006/02/18(土) 03:23:28 ID:3QpRO7cd
>>12
お互いの無意味って、一致すんだね。
それは、合理的で嬉しい(^^♪

でも、タイトルの科学的姿勢はいらないな。
24名無しさん@3周年:2006/02/18(土) 17:04:36 ID:8KK62yII
神経質な方の入札はご遠慮ください。
25名無しさん@3周年:2006/02/18(土) 18:06:27 ID:IiP3yXm8
科学=真理  宗教=カネ
26名無しさん@3周年:2006/02/18(土) 18:12:11 ID:MbjJKy8A
こういうのは「科学的姿勢と宗教的姿勢の違い」板へ行ってやれや
27名無しさん@3周年:2006/02/18(土) 19:03:37 ID:08MRE/7Q
んな板ねぇよ
28名無しさん@3周年:2006/02/18(土) 19:06:00 ID:4d3GJM+x
29名無しさん@3周年:2006/02/19(日) 09:45:55 ID:yVq88iTf
宗教 一人の思い込みを周囲に伝播させる努力
科学 事実かどうかを多くの人によって確認する努力
30名無しさん@3周年:2006/02/19(日) 16:32:51 ID:tjv3jLTB
そのとおり
31名無しさん@3周年:2006/02/24(金) 09:52:47 ID:Tpu3yAPI
科学を理解する人は、賢い人。宗教なんかを理解した気になっている人は愚かな人。
32武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 :2006/02/28(火) 08:22:32 ID:lE20N9me
宗教は「仮設」、そして科学は「定説」。

一応、これが原則なんだけど、仮設であっても裏づけが取れて定説化する事柄もあれば、
定説であっても、それがひっくり返ることもよくある。
栄養学のジャンルなんか、10年一昔なんて悠長なものではないほど、しょっちゅう学説や定説がひっくり返っているほど。
ただ、それでも繰り返し強調しておきたい。

宗教は「仮設」、そして科学は「定説」と。 これが原則である、と。
33武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 :2006/02/28(火) 08:24:56 ID:lE20N9me
>>32
「仮設」じゃなくて「仮説」だったぁー!!
>>32はお馬鹿さんだったねww
34名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 10:20:18 ID:hhOcygAN
科学は自分より上位にあるものでも理解できる。
宗教は自分より上位にあるものは理解できない。

ただ、下位にあるものに優しく接するとき上位の
ものの考えがどのようなものかが推測できる。

35名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 20:56:29 ID:1XOSSYDp
人間はどこから来たのか、どこへ行くのか、何者なのか。
および人生の目的は何なのか、心の平安とは、
死ぬ人間の生きる意味など
人間が生きていくにあたって問題となってくる問題は科学では扱いきれない。
次から次へと書き換えられていく科学の「真実」は頼りないものだ。
人間が生きていくためには普遍の概念が必要だと俺は信じる。
だから、科学的方法は俺にとっては研究のための手段にすぎないね。
36名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 23:13:28 ID:WhL4xNCa
根拠も示されずに決められてる宗教の「真実」の方がお好みですか
37名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 23:28:41 ID:+Rs0tUXW
ニュートンやガリレオは神の作った世界の法則を知ろうとしていた訳だが
38名無しさん@3周年:2006/03/02(木) 00:27:55 ID:ZZUXwGzT
どちらかに偏るとどっちもどっち
39名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 13:12:28 ID:yzJchfin
科学的思考の出来ない馬鹿が、宗教などを妄想し、逃避する。哀れ。
40名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 23:38:16 ID:BvAxQmOz
宗教者は馬鹿
41名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 10:56:42 ID:QXSS04Cp
科学的思考とオバカ思考
42名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 21:24:12 ID:JMTlRMut
宗教=妄想
科学=真実
43名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 22:21:47 ID:w/V5UIZl
科学=真実
宗教=現在の科学で解決できないもの
44名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 22:27:28 ID:DGSeCJyz
宗教=人間力
科学=権力
45名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 22:36:42 ID:w/V5UIZl
科学的姿勢=フロイト
宗教的姿勢=ユング
46名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 10:22:52 ID:2A295cq5
44 全然違う
47名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 06:06:53 ID:OskmJrky
宗教は世の中を高いところから見下ろしたもの
全体はハッキリとしているが細かい所は解らない

科学は世の中を低いところから見下ろしたもの
全体は解りづらいが、細部はハッキリしている。

大事なのは宗教も科学も同じものを見ようとしている事
どちらかが正しいわけでも間違っているわけでもない
48名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 06:18:45 ID:tr2i2ief
>> それに対して宗教は最初からこれが絶対であるとの態度を改めることは無い。

変化こそ唯一の恒常的なものであるとする考え
を含む宗教的なものもある。
49名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 12:41:30 ID:i8YI0ulS
宗教は現実逃避。
50中観派:2006/03/13(月) 13:20:47 ID:YBTMNn2o
宗教は生きる意味と最善の生き方を教えてくれる。
科学は宗教における最善の生き方を確かにするための道具。
51名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 19:06:06 ID:i8YI0ulS
「我が国人が皇国を信じすぎて英、米を侮った。我が軍人は精神に重きを置きすぎて科学を忘れた。」敗戦に至り、昭和天皇は情熱的に暴走した国民、軍人を冷静に分析している。
52名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 19:29:12 ID:i8YI0ulS
宗教や精神論に倒錯していては発展しない。論理的、科学的思考が出来る国のみが発展する。科学立国日本に宗教などいらない。
53名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 19:27:24 ID:HNwbmcuh
宗教をなくそう!
54名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:24:34 ID:dJqd+ire
宗教だけの国と科学だけの国

どっちに住みたい?
55中観派:2006/03/14(火) 20:31:02 ID:1iGqx9Bt
>>51
天皇を神として敬った神道を信じたからだろ。
>>52
科学的っていうのはどうしても否定できないものを信じることをいうんだろ。
なら、仏教はどうしても否定できないものを信じるから科学的なのかな。
仏教を勉強しない人は仏教は天国を信じ、祈りにすがると思っている。
俺も昔はそうだったがな。馬鹿でした、認めて反省しています。
仏教は勉強しないと悟れない。祈れば悟れるというわけではない。


56名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 22:24:53 ID:7ACe6kpW
>>46
真実を知らない高卒の>>46はかわいそう。
57名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:29:56 ID:UV8O25Ew
科学=真実
宗教=迷信
58武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 :2006/03/15(水) 08:00:40 ID:rzkfdMtQ
科学=定説
宗教=仮説

>>51
陸軍に限っていえばね。
>>52
じゃあ、アメリカは近いうちにアウトだな?
59名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 08:06:50 ID:d7wxupuW
科学=真実だけどわかったことだけ、わかってる。
   わからないことは、わからない。
宗教=あいまいだが癒し効果がある。世の中を世知辛くさせない。
60名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 12:37:40 ID:XmgKlBob
>>58
科学にも仮説がいっぱいあるよ。
61名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 18:48:22 ID:UV8O25Ew
科学者=賢い
宗教者=馬鹿
62名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 17:59:36 ID:J14ksOjX
科学者=カッコイイ
宗教者=キモイ
63武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 :2006/03/20(月) 19:20:32 ID:6Fy5xORv
>>60
うん。 原則としての>>58投稿のつもりだった。

たしかに、定説とされていることだってひっくり返ってしまうことはよくあることだし、
逆に、仮説であっても定説化してゆく事柄もいっぱいある。
栄養学に至っては、「十年一昔」なんて悠長なスパンは成り立ち得ないほどに定説も覆っているほど。
また逆に、「雨乞い」のような、本来は宗教的儀式だったものに、科学的な裏づけが取れたような事柄もある。

ただ原則としては、やはり

科学=定説
宗教=仮説
だと、ここでは定義付けしておきたい。
64名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 19:24:18 ID:kaX/oDDE
科学=具体的
宗教=あいまい

たぶん
65え?服はもう脱ぐの?:2006/03/20(月) 19:27:24 ID:cF0Ov0DF
科学って3次元以外のものも立証できるの?

頭のいい人教えてください。
66名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 17:26:18 ID:OcHIAdMt
科学=論理的思考
宗教=思い込み
67名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 19:48:54 ID:1Eox00P9
宗教=気持ち悪い。
68名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 18:32:11 ID:vYsywCH7
宗教=ウソ
科学=ホント
69名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 20:14:53 ID:JOQcxN6j
宗教=うんこ
70名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 21:44:13 ID:YKjpV/HV
んこ
71名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 19:54:47 ID:jYkrtP+L
72名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 21:07:46 ID:VmMbDIQV
科学=世界の天才が考える
宗教=世界の馬鹿が騙される
73名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 20:24:17 ID:n+vvrd9m
宗教=思考停止
74名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 20:34:17 ID:kxdxEc4b
「科学」の定義って反証可能性があるってことじゃなかったっけ?
100回実験を繰り返して同じ結果でも、
101回目の実験で違う結果が出たら全部ひっくり返して検証するのが科学。

きちんと検証しないで仮説を受け入れて真とするのが宗教かな?
大衆の盲目性を利用して、倫理や道徳に生かすのが宗教?
(例:悪い事すると地獄に落ちる。支配に利用することも可)

宗教と信仰の違いってよくわからんが・・
ちょっと自信ない・・
75名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 21:02:55 ID:hpRG7yF8
信仰とは無意味な思い込みです。
76名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 10:51:25 ID:cHVk1Ohj
宗教なんかを信じ込む旧人類に進歩はない。
77名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 12:27:46 ID:/Vk0ztH/
宗教やめて悟りの世界へ
78名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 15:43:40 ID:ottX5/CO
科学的論理的思考をしよう!
79名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 16:02:07 ID:MLxZPlNB
必ずしも対立するものではないとだけいっておこう。
キリスト教が普通の欧米ではクリスチャンの科学者はいくらでもいる。
ノーベル賞級の学者から科学史上の学者までね。
80名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 16:45:41 ID:fKAlTRKg
科学の歴史を見れば、イスラム教徒やキリスト教徒の学者が大きく貢献していたことがわかるはず。
81名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 16:58:01 ID:qSZJdlPt
結論:
科学マンセーも宗教マンセーも同じくらいレベル低い。
…でFA?
82名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 17:37:03 ID:MLxZPlNB
両方勘案して考えていくというのが現代の流れ。
83名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:27:18 ID:ottX5/CO
宗教の時代は終わった。
84名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:31:56 ID:MLxZPlNB
サミュエル・ハンチントンでも読んでみて。
宗教に無頓着な日本は世界的には異端。
85名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:36:04 ID:NF+IATkI
>>83
あなたには世界が見えていない。
86名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:50:21 ID:jtufSknp
宗教を理解することは必要かもしれないが、宗教を信じる必要はない。
87名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:51:30 ID:ottX5/CO
科学を学びなさい。
88名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 19:54:07 ID:MLxZPlNB
信じるという主観的体験を客観的に理解することは
本当にできるのか。
89名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 21:33:56 ID:jtufSknp
客観的に理解できる範囲で十分。それ以上の深入りに意味はない。
90名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 14:04:47 ID:zV1PXGmU
でもクオリアや意識と同じで主観の部分に重要な点があるかもよ。
91名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 12:05:34 ID:qVj/brNF
本人たちにとって重要だからといって、その連中とつきあうために
自分まで飛び込む理由があるとはおもえん。

関係ないけど、胡散くさい言葉だよね>クオリア
92名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 17:44:02 ID:f00MWkzQ
宗教は胡散臭い
93名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 20:34:22 ID:/nG94mBe
クオリアが胡散臭いのかぁ
一体そうなると何が胡散臭くないのだろうか
94名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 20:36:26 ID:/nG94mBe
客観的俯瞰的観点かぁ
批判を恐れるのならそれでいいかもねぇ
認識が浅いからか、その手の人間は誰もたいしたこと言ってないけどね
95名無しさん@3周年:2006/04/27(木) 21:26:29 ID:qVj/brNF
俺がクオリア嫌いなのは、ものごとを説明する能力もその気もない奴が、
言葉があるというだけでわかった気になって、簡単にはわからないだの
言葉では説明できないだのとグズグズ屁理屈たれるのにしか使わない言葉だから。

ここにもそういう奴がいるんじゃないか?
96名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 17:39:05 ID:dhpmCZI3
たしかに説明する気は自分にはないですねぇ
今までに多くを書いたけど共有できるか否かは経験の有無によりますしね
97名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 15:00:12 ID:zTr/Fwc/
科学=世界の天才が常に塗り替える
宗教=馬鹿を騙すため嘘を嘘で塗り固める
98名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 16:39:44 ID:gevhVWqg
科学は迫害される
宗教は迫害する
99名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 18:48:29 ID:zTr/Fwc/
科学者=実験する
宗教者=自爆する
100名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 20:16:36 ID:xGjDNNHh
あまり宗教に私怨を投げかけても
なんの成長にもならないね
むしろ徳性を失うね
101名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 20:26:29 ID:H/pIsn7j
>>1
じゃあ、人に益するものはなくても良いと?
102名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 21:16:51 ID:zTr/Fwc/
宗教なんかいらない。
103名無しさん@3周年:2006/04/30(日) 21:47:01 ID:jpVvyLa1
宗教は馬鹿の証
104名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 00:56:46 ID:zayFel4b
祈れば金・食べ物・仕事・援助者などが 得られると信じるのが宗教。
全部努力と運によると思うのが科学、と言うより普通じゃないだろうか。
105名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 02:42:00 ID:2Z3aPnnN
世界の天才達が常に検証し塗り替えている科学と、宗教のような進歩のないお伽話とを比べるのが間違ってる。
106名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 13:13:07 ID:LXdeWso8
人間の本質は変わりませんがね
107名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 13:14:05 ID:LXdeWso8
世界の本質も変わらない
解明されたに過ぎない
108名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 09:23:47 ID:9nAjuGmJ
宗教のような迷信にしがみ付く思考停止患者は哀れ。
109名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 09:36:36 ID:AKm5O0l+
科学のような迷信にしがみ付く思考停止患者は哀れ
と言うのも、科学的思考とは「一切は迷信ではないか」と疑うことから始まるからだ。
科学精神の持ち主であれば「ひょっとしたら神は居るのではないか?」と用心するものだ。




110名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 12:01:08 ID:d9wkz/jY
Mensaならば科学も宗教も理解できる
数学も国語も偏差値が高い
批判するにも理解したうえでの批判になる
111名無しさん@3周年:2006/05/08(月) 15:08:04 ID:TpE3a3KG
宗教盲信は馬鹿の証
112名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 22:00:01 ID:pTpYJR52
宗教盲信は思考停止。
113名無しさん@3周年:2006/05/18(木) 19:28:57 ID:PIObg7uf
科学的論理的に思考しよう
114名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 15:17:43 ID:SZDuCDm8
科学=積極的思考
宗教=思考停止
115名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 15:18:58 ID:q+/5VlLJ

::: : : : :                      Sドラドゥス                 : : : : : ::::_,.、‐"
"‐-、、::: : : : : :                  2000(28億km)           : : : : : : ::::_,、-‐"
   ``ヽ-、.,_:::::: : : : : : : :                       : : : : : : : : : ::::,,:,、-ヽ"
        ```'−-,,、,:_:::::::: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :::::::、,,、、、-‐''‘ 
               ゙、.`゜`''':…‐:--.-::::::、,,.:::::.,,,,.::::-.--: ‐丶'"゛゙`  : : ,"
             `i、:                          : 、" 
              \: :                      : .:、 :l
              ゝ`'-、.:         ミラ        : .:,、'´::/
               ゙. `'‐、.: .:   500(6億9700万km):_/  :l,
               `'.   `ヽ-、,,、: ..`: : : : : : : ,_、、-‐"   : :.ノ 
                   ヽ:       ``゛"'':'''''''''"`″     : :,/ 
                 `-、      アンタレス     : .,/ 
                  ``、、  390(5億4000万km)..:,/
                    `'ヽ、、.          _,.-'" 
                       ^"ヽ‐、-::---:ー""`  

                           。   太陽
                                1(130万km)


      / ー┬         |  l l  \    l l _/__   ├  /  ナ-      ナ―
     /| 口 |  ー┼┐\  |/  -―,   ̄フ _/__    |  <   / ├     /   ̄"
      |   J   / /   ∠__  __ノ   (__  (_ノ ⊂)ヽ  \   ⊂)ヽ つ /  ー―
116名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 12:56:01 ID:MEQEl+po
赤色去勢
白色猥性

じゃなくて
科学は一巡すると宗教に辿り着く。そこにこの世界の悲しさがある。
117名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 17:39:12 ID:CzmUbpo5
科学が宗教に辿り着く?アホですか?
118名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 17:43:29 ID:mOa++NWS
でも宗教板の科学厨って、
宗教のことになると科学的・論理的思考を放り出す人、多いですね。
なにをムキになってんだか。
119寺田:2006/05/23(火) 17:46:56 ID:4Dh2WBef
118 →でも反論や討論しようとすると何においても科学的論理的思考に
到達するのですよ あまり討論の意味が… 分かります?
120名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:04:08 ID:mOa++NWS
>>119
じゃ一応お聞きしますが。
「水が沸騰する」とはどういう現象なのか、
なぜ水は沸騰するのか。
あなた説明できますか?
121寺田:2006/05/23(火) 18:09:30 ID:4Dh2WBef
もちろん論理では説明できるでしょう 誰でも。この世の存在においてニワトリが
先か 卵が先か といった話と同じですよね それを超越したものが宗教ですよ
122名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:14:25 ID:mOa++NWS
>>121
なら説明してみせて下さいますか?
もちろん何かの引っかけとかではありませんから(^-^)
123名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:18:09 ID:Tjeg9IZi
宗教は超越などしていない。脳内妄想が溢れ出し、現実との乖離が見えなくなっている病気だ。
124名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:31:40 ID:mOa++NWS
あれっ、寺田 ID:4Dh2WBefさんは逃走ですか?
やはりこの板の科学厨はこの程度かぁ…
ヤレヤレ┐(´-`)┌
125名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:36:21 ID:dHgeIikw
宇宙は無計画、生物は無茶苦茶なスパゲティプログラム。
神の存在余地は無し。
126寺田:2006/05/23(火) 18:41:24 ID:4Dh2WBef
いや違うんです それを説明して何になるのか… 宗教的要素ならともかく
127名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:44:45 ID:b2dr4sv5
水蒸気圧が大気圧を上回った状態
128寺田:2006/05/23(火) 18:52:11 ID:4Dh2WBef
そう127さんの言う通り ただ124さんそれ以上を説明して何があるの?おもしろいなあ
129名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:55:49 ID:OwO+Rn61
「神様が水蒸気圧を上げたから」みたいな事言い出したりしてねw
130名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:17:01 ID:OwO+Rn61
固体の氷では、加熱しても分子の振動が増すだけです。
融点に達すると、分子の回転や分子塊の運動などが起こり液体となりますが、基本的に分子の運動エネルギーを
位置エネルギーが押さえ込んでいるので沸騰はしません。
さらに温度が上昇し、沸点に達すると運動エネルギーが一気に優位になります。
激しく振り回していたヨーヨーのひもが切れて飛び出すようなものですね。
劇的に水蒸気圧が高まり、大気圧では押さえきれなくなるので、液体内部を含めた全体から次々水蒸気が飛び出
します。
なお、氷や水でも、分子に入るエネルギーは確率的なものですから、特に拘束が弱い表面付近からは、沸騰しな
くても時々大きなエネルギーを得た分子が飛び出します。氷が昇華したり、濡れたものが沸点より低い温度で乾
くのはそのためです。

科学者はこうしたモデルを量子力学などを用いて定量的に定式化し、理論値と実際の値を精確に比較して結論に
達します。
131名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:18:56 ID:mOa++NWS
>>127-128
そうですね。
でもそれは「説明」というよりは単なる「記述」に近いものです。
「水蒸気圧が大気圧を上回ったら何が起こるか」
を記述したに過ぎません。
もっときちんとした式や理論で「記述」できるかもしれませんが、同じことです。
「科学」とは、結局「記述」に過ぎません。
仏教的に言えば
「無常の世の中を一応記述するものが科学」
と言えるでしょうし、
キリスト教的に言えば
「神の至高のデザインを探求・記述するのが科学」
と言えるでしょう。
でも、どちらの場合も
「科学」や「科学的・論理的方法論」を否定してはいません。
ここまでお分かりですか?
132名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:19:51 ID:mOa++NWS
>>130
詳しい「記述」をありがとうございます。
133名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:21:06 ID:OwO+Rn61
残念ながら、どこにも神様の出る幕はありませんね。
多分、気の弱い科学者が、実験の結果が出るまで、「俺の計算合っててくれ〜っ、神様っ」とでも思ったときに
出たとでも言うんでしょうかね?
134寺田:2006/05/23(火) 19:22:18 ID:4Dh2WBef
131
いやだから…一生懸命説明してもそう言われるのは分かってましたって
だから無駄に説明しなかっただけです 最初からそう言って話してくれたら
よかっただけの話ですって(笑)しかしここまでは分かりましたよ
では次に進んで下さい だから何なのか 説明してくれた方に納得できるように
何がいいたいのか結論してください
135寺田:2006/05/23(火) 19:25:00 ID:4Dh2WBef
133
そうです いまのところは神は出ていませんが 個人的にどうやって神に
結びつけるのか興味ありますね 待ちましょう
136寺田:2006/05/23(火) 19:28:29 ID:4Dh2WBef
132
あれっ返信が… 待ちますので書いてくださいよ
137寺田:2006/05/23(火) 19:35:28 ID:4Dh2WBef
逃げた… 言う割りには…だったね(笑)
138名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:38:39 ID:oisXgNwI
はいここが重要です。
自然、宇宙と言ってもいいでしょうね、これは記述されるもので、理由を含めた説明になじまないのですね。
何故かって?
始めからそこに理由なんて無いからです。
では、理由、意味とは何でしょう?
これは人間が進化の過程で獲得してきた思考という仕掛けの中で、近隣な関係を効率的に処理して生存に寄与
させるための仮の変数名として持ち込んだものなのですね。発明と言ってもいいかもしれません。
しかし、この事を客観的に理解する事はなかなか難しいのです。
ともすれば、このローカルな仮設を、宇宙全体に逆流させて敷衍させてしまうような誤りを犯します。
139名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:43:09 ID:oisXgNwI
1つには、そうして擬制してしまったものを神と呼ぶ場合があるようです。
宇宙が生じた理由などという変なものを考えだすと、創造主様が入り用になるんですね。
140名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 19:51:29 ID:B6BsIbg8
神様はいます心の中に
141名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:00:46 ID:1aWLqEI7
大切に心の中に取っておきましょう。
脳内から溢れ出した神は、集団発狂の元です。
142名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:03:58 ID:mOa++NWS
>>134
お待たせしました(^-^)
お分かり頂けたと思ったのですが…
私は「宗教」も「科学」も否定していませんよ。
どちらかのみが「真実」だ、という偏った見方には疑問を抱きますが。
私が「科学厨」と呼ぶ人たちを見て思うのは、
説明というものの「階層」と呼ばれるものをしばしば無視してしまうことです。
先ほどの
「なぜ水は沸騰するのか」という問いに
「なぜかって?そりゃ僕がヒーターのスイッチを入れたからさ」
と答えることもできます。
人が「なぜ」と聞いたとき、どのような階層の話をしているのかを理解することは重要です。
143名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:10:16 ID:mOa++NWS
>>138-139で説明頂いた「科学的な「理由」についての意見」は、その通りです。
究極的に「記述」である科学に「理由」など無用ですから。
科学的な階層で「理由」を説明すれば
「そんなものはない。「現象」という現実があるだけだ」
と答えるでしょう。
これは宗教的な見方をする人も同意することです。
144名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:22:42 ID:mOa++NWS
先ほど>>133>>135
「宗教=神」
と結びつけていますが、そこから既に論理的な「飛躍」です。
世の中には「神」の観念を持たない
(あるいは神観念をその思想の中心には置かない)宗教もあるのです。
たとえば仏教徒なら
「諸行無常」
「諸法無我」
からの説明をするでしょう。
「いわゆる「科学的」な説明ができるのは、
「俗諦」である現実だけだ」
と言うでしょう。
でも彼は
「科学的な説明など嘘っぱちだ」
とは言っていませんね。
145名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:25:20 ID:F0iLt+0d
妄想の投影はスーパーオッカムの刃で削って欲しいですね。
146名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:43:02 ID:b2OE64nY
高知能:普遍性を備える
低知能:偏っている
高知能科学者:世界平和
高知能宗教者:聖人
低知能科学者:著作権
低知能宗教者:キレやすい
147名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:43:45 ID:b2OE64nY

宗教:音楽
科学:オーディオ
148名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 21:21:53 ID:7bf04ddp
妄想を見ながら道を歩くと、いずれ穴に落ちるか車に撥ねられるかひどい目に遭う。
相互主義じゃないんですね。
149名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 21:38:27 ID:b2OE64nY
他人の過失を探し求め、つねにそれをののしる人は、煩悩の汚れが増大する。
かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている。
150名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 21:41:40 ID:y6OtQ6CM
煩悩は生ずれば生じ滅すれば滅す目の敵にしてもしょうがない。
151名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 23:19:17 ID:R/9fwzeR
>>138
宇宙が生じた理由が存在しない、と何故言うことができるんですか。
宇宙が生じた理由は無いことを裏付けられるひとは多分にいない。
裏付けの無いことを前提にして説明ができないのは、科学も宗教も同じであると思う。

>>146 G

>>150みて思た
煩悩を滅するは滅するでも、考え抜くことが要るな。不毛なようでも。
人それぞれと早々に結論付けては議論が成り立たないのと同様に。
152名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 23:21:01 ID:R/9fwzeR
まだレスをあまり読んでないんで、ガイシュツ事を言っているかもしれませんが。

現在の科学が表せるのは、見たり触れたり聞き取れたりと、その動きをありありと感じ取れるものについて。
こころという、確かに存在するけれどみえないもの については、未だにその内訳を知れない。
私は こころ と表現されるものが、単に脳内の神経伝達によって生じるだけのものだとは思えないから、
科学=真実となるには、こころの構成を知ることが必要だと思う。

他人に存在を証明できるものの解析と、他人に存在を証明し辛いものの解析
質が異なるものだから、手段/結果に至るプロセス が異なって当然でもあるように思う。
自分のまわりの世界を深く知りたいとき よく、前者の解析を科学と称し、後者を宗教と称す。

「科学」に真実味を感じるのは、他人に内容を示しやすいものだから
「宗教」が虚妄であるようなのは、他人に内容を示しづらいものだから

「科学」は、技術と言う裏付けとともに進歩し、生活に還元されると言う形で共有している。
「宗教」は、内容を示せる技術が現在には無く、共通の認識をもつ/共有 し辛い。
また、故に、その名詞に対する固定観念や偏見が生じやすい。

科学 と 宗教 の違いは、他人に自らの意見や観念の伝達が平易か否か。
要はとっつきにくいかどうか。

んで宗教においては、それぞれ意識の持ち方が凄く違うと思う。
先人に傾倒して倣って依存してしまうイメージから、宗教って結構とっつきにくい。
依存しては、どの宗教だろうと 教えとされるものの本意には沿えないだろうに。。と

長文スマそ
153名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 00:07:12 ID:kIZK2zn8
理由は人間の発明です。逆に敷衍するのはおかしいと言ってますが、理解できませんか?
154名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 00:11:22 ID:kIZK2zn8
また、宇宙の生成に理由があるとしなければならない事実はいまのところ何一つ見つかっていないと思いますが?
155名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 00:20:20 ID:kIZK2zn8
何にでも理由を考えてしまうのは人間の癖で、ついやってしまうんですよね。
生物の「生き残り戦略」といったことを、自然科学者もつい言ってしまう。
一般の人が聞いたら、当然誤解してしまいます。
しかし、よくよく突き詰めて問いただせば、当の生物を含めて、理由や目的を
連ねて戦略を立てている何者かがいる訳ではない。
あくまでも、環境とのかかわり合いによる確率・統計の話なんです。
156名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 00:40:52 ID:kIZK2zn8
ところで、ニュートン力学も一般相対論も厳密には誤っています。
でも、イエスやムハンマドが程度の差はあれ誤っていたなんて言ったら、えらいことでしょうね。
都合の良い妄想ではなく、宇宙という峻厳な事実と向き合っていなければ誤りを認めるというのは難しい事かも
知れません。

ここでも誤解があるようなので言っておかねばなりませんが、事実とは、必ずしも目に見えるものではなく、
また感覚や、既知の論理だけでとらえ切れるものでもありません。電子などという粒子を、誰も目で見た者は
いないし、粒子という表現も、存在の一面を強調したものに過ぎません。
世界は、我々が見ていると思っているもの、宗教的思索により到達できると思っているものより、遥かに深遠
なのです。
157名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 02:33:59 ID:RZGRjgml
宇宙の枠内にいる人間の発明が、宇宙に作用することは、おかしな敷衍であると思います。
そして、宇宙の生成に理由があるとしなければならない、とは言っていません。
但し、理由が無いとするべき事実も無い様に思います。

これらは、精神を ひとつの未解明の要素 として考えたものです。
“目に見えている世界も、手で触れ確かめている範囲でしか確かでない”
というような、相当にドリーミンな話です。悪しからず。

が、書き込まれた様に、
事実とは、必ずしも目に見えるものではなく、また感覚や、既知の論理だけでとらえ切れるものではない
と考えています。だからと言って宇宙の起因理由があるとは言いませんが
なにも、既知の論理からは有り得そうも無い未確認の可能性を排除し、それを前提に話を展開させなくても と思いました。
考えられないことは多く覆されています。
158名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 02:34:59 ID:RZGRjgml
宗教的思索も浅くはありません。
科学者が、自らのたてた仮説を信じ、追究することは
篤信家が、自ら見定めた何かを善かれと信じ、追求する姿勢と共通するものがあると思うのです。
宗教的姿勢も科学的姿勢も、自分なりの根拠から強く信じることを始め、追ってカタチを成さんとする。
ガリレイぐらいしか例を挙げることが出来ませんが、与せぬことはハタからみれば 理解し難い執着でしかない部分があります。
眼前に証明され還元されて実感した、という意識は、ひとの疎通に助力します。

証明があるか否かは、科学と宗教の大きな差です。
追究/追求した先に何があるのか、若しくは何も無いのか不明な時点では、科学的姿勢と宗教的姿勢は同義にも思えます。
159名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 03:19:19 ID:d/NuA+fw
量子力学的不確定性は、直接の2値論理による論理構造の否定でもあります。
2値以外に値を持つ論理学が、かつて全く研究の俎上にのぼらなかったとは言い切れませんが、
20世紀の前半、量子力学が確立される以前は、ほぼ200年の間、論理学は2値で完結し、完成
されたものと見なされていました。
人間だけの想像力とは、ある意味その程度のものなのかもしれません。
思索だけでも飛躍しないとは限りませんが、非ユークリッド幾何学が発見されるまでには、何と
2000年を要しています。
160名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 03:49:11 ID:kUQDO6vE
ヒマラヤ
161名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 17:05:17 ID:SKteZscg
162名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 14:34:11 ID:/0gKktUc
科学=前向き、進歩的
宗教=後向き、進歩なし、バカ
163名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 15:18:20 ID:byqiPvAe
科学=物質や事象の真理
宗教=心の真理
164名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 15:40:24 ID:/V5YkzWN
>>162
宗教を信じる大手理系企業研究職(有名国立大院卒)は
どっちむきなんですか?
165名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 16:04:36 ID:0E+kYxnc
>>164
>宗教を信じる大手理系企業研究職(有名国立大院卒)は
>どっちむきなんですか?

…そういう人は、このスレのスレ主のような人を鼻で笑ってますよ、きっと。
166名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 16:32:01 ID:ZkFT2NeZ

>宗教を信じる大手理系企業研究職(有名国立大院卒)は

自己矛盾を感じていなければ、治療の必要があると思います。
167名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 17:07:22 ID:/V5YkzWN
>>166
なぜ?その理由は?

欧米にはノーベル賞クラスのクリスチャン物理学者が腐るほどいるよ。
大体科学を発展させてきたのはキリスト教イスラム教学者だし。
ガリレオガリレイだってクリスチャンだぜ。
168ち ◆GX3Eshj01M :2006/05/25(木) 17:55:30 ID:9t7Jikci
聖典の機械的解釈だけが信仰なわけではないし。
169名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 17:58:01 ID:ssFTIvYw
科学的なことには興味を持つが、
精神的なことに無神経。
170名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:09:13 ID:/0gKktUc
宗教を信じるって事は、二重人格になるって事です。矛盾を押し殺し思考停止するって事です。
171名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:12:20 ID:2rC2JYXr
>>169
科学的と精神的は相反する言葉じゃねーぞ
172名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:42:25 ID:CKGsoc2+
ノーベル賞は、彼らの科学的業績に対して与えられたもので、基地外かどうかは関係ないでしょう?
173名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:45:14 ID:Mxu4GBOC
宗教と科学は究極では相反せざるを得ないな
174名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:47:36 ID:o0r7M6Xh
IDを科学だと思える科学者は、頭の良し悪し、業績に関わらず、頭がおかしい。
175名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:54:21 ID:xgFDlKSv
>>167
確かに、頭のイカレタ科学者は多い(笑
176名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:55:54 ID:/V5YkzWN
だから何故相反するのかが知りたいんだけどなあ。
究極に神が出てくるのか来ないのかだけの違いで。
177名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 18:58:31 ID:JRsN5+43
>>176
神を科学していると思い込んでいるクリスチャンも多いね。
精神的というより物質的な信仰になる。
178名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 19:18:50 ID:/V5YkzWN
科学とは仮説および実験データから自然現象の法則を導きだす手法にすぎない。宗教とは世界を神の視点から説明する体系。別に矛盾しないのでは?
179名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 19:49:51 ID:/0gKktUc
宗教とは神や奇跡を信じ込む事です。そこに論理的科学的思考はない。
180名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 19:57:45 ID:/V5YkzWN
>>179
奇跡は隠喩として解釈すればいいのでは?
いわゆる古代の論法として。
論理的科学的思考は法則の理解に有効ですが
その存在を担保する究極の存在として神を考えます。
論理的科学的思考に乗らない現象の説明として
宗教を考えています。
181名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 20:15:29 ID:eFHa/vJj
そりゃ、わけ分からんものをもっとわけの分からんものに置き換えただけでは?
182名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 20:19:44 ID:/V5YkzWN
説明がないまま放っておくよりはまし。
少なくとも倫理面の穴を埋めることはできますよ。
それは冗談ですが、
そこは信仰としかいいようがありませんね。
183宗教大学者:2006/05/25(木) 20:22:23 ID:Ma8Tl2t4
科学にこだわる方。南方仏教おすすめ、クールで合理主義だよ。
184名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 20:29:38 ID:z5jBQeya
人間の限界か
185名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 20:43:29 ID:/0gKktUc
科学=思考
宗教=思考停止
186名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 20:55:28 ID:z5jBQeya
>>185
9割りがた正しいと思うよ
187名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 20:58:30 ID:/V5YkzWN
>>185
思考だけで処理できないことはどうするんですか。
188名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 21:09:37 ID:/0gKktUc
わからない事をなんでも神のせいにしていては進歩がない。わからない事を考えるのが思考する、という事。宗教は逃げ。思考停止である。宗教に凝り固まった国は衰退するのみ。
189名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 21:20:40 ID:/V5YkzWN
だから物事すべてが合理的思考の上にのっかるわけじゃありません。
科学が対象とするのは合理的現象のみです。
対象外のものをいくら考えても無駄なものはあるのです。
宗教が逃げなら哲学も思想も逃げになってしまいます。
190名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 22:07:29 ID:/0gKktUc
哲学(経験から得た人生観)
思想(社会、政治や人生に対する一定の考え)
宗教(神仏や奇跡を信じ込む事)
191名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 22:10:56 ID:xgFDlKSv
>>187
その解決は思考で行うしかない。
ということは、思考からは、抜け出せない。
192名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 22:15:17 ID:/V5YkzWN
>>190
合理的現象からはずれたものを対象にしている点では同じです。
193名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 22:21:53 ID:/V5YkzWN
>>191
そんなの何もやらないのと同じです。
194名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 22:48:42 ID:ohPM62XI
宗教は靈を扱うものですよ
全妄想で片付ければ進歩はしないが
それでも問題はない
195名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 22:55:22 ID:RyzTWdVL
合理的でない現象が存在するんだろうか?
線形でない現象や、解析的に解けない現象というのはいくらでもあるが、合理的でない現象というのは、
脳内妄想も含めてあり得ないような気がするな。
196名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 22:57:54 ID:6EZ27l4V
>>194
霊は人間にやどるの?
197名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:04:30 ID:ohPM62XI
宿るよ
198名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:06:03 ID:ohPM62XI
気で構成された精妙体という体がある
それが神仏と感応すれば人格も高まる
もちろん邪神もいれば天狗もいる
それらに影響を受ければおかしくもなる
199名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:07:46 ID:/0gKktUc
霊も魂も超能力も存在しません。幼稚な妄想です。
200名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:27:08 ID:vZa2rvg/
>>197
チンパンジーにも?
201名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:31:43 ID:ohPM62XI
チンパンジーにも。
202名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:32:58 ID:IVVuoHBY
>>201
あのゴキブリにも?
203名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:35:34 ID:ohPM62XI
うん
204名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:43:35 ID:caPYFN39
おいおい、植物やら細菌やら、道ばたの石ころにまで霊が宿ってるって咄か?
205名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:50:23 ID:ohPM62XI
1/10分の魂
206名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 23:52:03 ID:ohPM62XI
気の弱った人は大木を抱くといいらしい
207名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 01:19:53 ID:1I5xzXSu
あほや
208名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 02:09:36 ID:jwyx7uk+
霊を考えるとかように矛盾する
209名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 02:19:37 ID:NHQjtAFk
どこがだろうか
210名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 02:26:32 ID:C78pI9AP
石ころにも霊がないといけない理由は?
211名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 02:46:13 ID:NHQjtAFk
いけないわけではないと思いますが
212ち ◆GX3Eshj01M :2006/05/26(金) 02:50:53 ID:K0bZm+ng
変な流れだと感じる。
213名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 02:53:24 ID:NHQjtAFk
214名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 03:04:55 ID:8EyUscBk
でも、石になくって、細菌にあると、ウイルスやリケッチアにはあるのか無いのかってことになる。
215名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 03:06:49 ID:4C9LCak3
エンドオブデイズ見てロッテ話だろ
216名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 03:08:26 ID:8EyUscBk
妄想で稼ぐ映画。
宗教もエンタテインメントのうちなら許されるだろうがw
217名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 03:17:50 ID:NHQjtAFk
218名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 03:22:35 ID:NHQjtAFk
そして癌化
219名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 03:40:39 ID:1I5xzXSu
ないものをある、と言い張るのが宗教です。
220名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 10:05:21 ID:/0JKPKwn
ないといいきれないところがみそなんだよなあ
221名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 10:10:41 ID:/0JKPKwn
人間の理性に限界があるのはカントが言ってるんじゃなかったっけ。
222名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 18:25:31 ID:qtuxtzlV
ある事証明できないのは致命的。
無い事の証明は遥かに難しい。
223名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 18:51:25 ID:/0JKPKwn
>>222
科学の証明法なら確かにあるとする側が証明する訳だけど、これは宗教だから、「極めて疑わしいが可能性を否定できない」でもいいんですよ。
キリスト教なら聖書という唯一の記録例がある訳だし。

それに信者にとって「ある」ならそれでいいのでは?
その共通体験が何億人分もある訳ですし。
224名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 18:57:24 ID:tV8BTwpU
信じたくないから信じないというのもよい
そもそも科学的根拠なんて必要かな
やればわかるやんみたいな
225名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 19:01:55 ID:H9WmN705
やれば基地外だから妄想も万歳だなw
226名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 19:06:08 ID:/0JKPKwn
>>225
でも60年前以前のみんなの祖父、父世代は天皇を神として神道を信じてた訳で。
その中で飛行機開発したり、科学的発見をしたりしている訳で。
227名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 19:14:50 ID:2wOQSvUM
で、原爆ももろたしな。
228名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 20:41:52 ID:2nh231ag
>1
そうかな。
物理学が幾ら進歩しても、人間の魂の救済とは無縁であると思うけど。
全く無関係なものを同じ土俵で論じているんじゃないかい?
229名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 20:44:36 ID:7I4hDFqo
その魂とやらが、脳の上で動くファームウェアに過ぎないと思っている私だが、
その救済とは何の事だい?
230名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 21:17:36 ID:/0JKPKwn
ネットワークが複雑になれば自然に意識が発生するとでも
仮定する訳?
231名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 21:43:18 ID:dyp5bHZc
ネットワークが複雑になれば自然に霊魂が粘着するとでも
仮定する訳?
232名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 21:51:02 ID:CLxwrTBK
>>230
俺も229と同じ意見だ。
受精直後は意識なんてものは無く、生まれて成長していくにつれて脳も発達してくるが
ゆえ、いろいろ複雑なことを考えられるようになる。
脳震盪の時は意識なくなるし。

もし意識が脳によるものじゃないとしたら、厳密に発生のどの段階で意識は宿ると考え
てるのか?
受精した瞬間か?
だとしたら、受精後にクローン技術で分割したら、クローン全てが同じ意識を持つという
のか?
233名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 22:20:37 ID:vnIjdnI3
234名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 22:26:52 ID:ydEGHm30
俺は、そのデフォーマティングさえ解れば、私の意識をネットワークに載せる事も、
記憶媒体に保存する事もできると、マジで思ってる。
もっとも、ネットワーク上の意識は、デバイスとの関係で変化するだろうし、CD化
された意識は、文字通り「意識不明」状態だろうが。
235名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 22:40:31 ID:tua54d2C
科学は、我々が、この広大な宇宙に輝く星星と決して無縁ではない事を教えてくれた。
236名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 00:09:07 ID:SZrywtT1
ゴルラゴルラ屋!!
嘘欺瞞妄想のネタも尽きたか?WWW
237名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 09:37:09 ID:3ZGMyNf+
>>231
科学的証明ではあると主張する側が証明すべきでしょ。
ネットワークが複雑になれば自然に意識が発生することを
実証してみせてよ。
そうでなければ、何が本当かは選択の問題でしかない。
238名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 11:29:01 ID:3ZGMyNf+
>>232
そんなことは宗教では問題にされていない。
大体、霊がどのようなものかの定義でいかようにも説明できるからだ。

それに意識が脳だけに依存するとは限らないよ。
なぜなら意識の背後には無意識があり、そこには体全体のニューロネットワークやホルモン系の応答が関与していると考えられるからだ。
体の調子によって意識が左右されるのはどう考えるのか。
239名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 11:32:11 ID:3ZGMyNf+
脳は体を制御し、思考を司る道具であることは確かだろう。
しかし、意識は自明ではない。
そこがコンピュータと人間を同一に扱えない部分だ。
意識や魂がどこからくるのかはまだわからないよ。
240名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 11:51:23 ID:3ZGMyNf+
>>234
解ければね。今のところは空想科学小説でしかない。
241名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 12:13:06 ID:3ZGMyNf+
>>238
ちなみに入出力系を全部切ってしまうと脳は眠ってしまうことが
実験で確かめられている。
242名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 12:25:35 ID:sN+qcJIZ
>>238
>それに意識が脳だけに依存するとは限らないよ。

じゃ、こういうことを考えてみよう。
・脳死は本当の死か?
・臓器移植で意識や魂は分割、結合されるのか?
・細胞一個でも意識や魂はあるのか?

人口臓器による延命やES細胞による再生医療なんかについても宗教的姿勢からの
見解が気になる。
243名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 12:33:42 ID:3ZGMyNf+
>>242
難しいなあ。
少なくとも僕にはわからないよ。

個人的な見解としては、
脳死は本当の死とは考えていない。
受精卵は人間である。
と考えていますが。
244名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 12:51:08 ID:3ZGMyNf+
>>242
いや脳死についてはちょっと追加を。
脳幹死状態によって自発的呼吸ができず、人工呼吸器を止めた場合に数分後には心臓が止まってしまう、また瞳孔反応や鼓膜に水を入れた場合の反応がないなど所定の状態が脳死でしたよね(あやふやなので違っていたらごめんなさい)。
この場合、脳と体のネットワークが生きていれば、それは意識のある状態です。既に死んでいれば意識はない状態です。
それを確かめてからでないと何ともいえません。
従って、現在の脳死の判断は便宜的なものと考えています。
245名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 13:09:00 ID:3ZGMyNf+
長期脳死(chronic brain death)
従来、脳死になったら数日から一週間で心臓も止まると言われてきたが、1
998年に米国の脳神経学者D・A・シューモンShewmonが統計的な大規
模調査を行ない、175例が脳死判定後一週間以上、心臓鼓動していたこと
を明らかにした。脳死状態で1年以上心臓が動いていた例が3例ある。最長
例では14年間心臓が動き続けた。これは4歳で脳死判定された男子であり
、脳死状態で身長が伸び、論文発表後も成長し20歳を超えた。心臓停止後
解剖したが脳は死滅しており、人間の統合性は脳がなくても維持されること
が示唆されている。日本でも小児脳死の大規模調査が行なわれており、長期
脳死の例が確認された。海外の専門家のあいだでは脳死概念を疑う声も徐々
に出てきている。
246名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 13:44:57 ID:3ZGMyNf+
>>242
なお、科学者も倫理面の問題を考えて研究を進めるべきだと思いますが、
その点は如何なものでしょうか?
原爆のように人を不幸にする技術というものも開発すべきと考えられます
か?
それとも科学者は倫理から免除されているのでしょうか。
247名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 14:43:46 ID:sN+qcJIZ
>>246
北朝鮮はどうだか分からないが、倫理面で配慮の無い研究をする機関なんて日本には
無いと思うぞ。
問題なのは、人や宗教による価値観の違い。
例えば、宗教的理由で輸血を拒む人に輸血をせず死なせてしまうことが倫理的に是か
非か。
また、核を大量破壊兵器として使いたがってる国際テロリズムの背景にはイスラム原理
主義のような宗教が関わっていることも否定できない。
248名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 16:01:15 ID:3ZGMyNf+
>>246
話がすり替わっていますよ。
受精卵や脳死を扱う人達は自分の倫理観に従って
研究を行っているのかどうかということですよ。
249名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 17:02:55 ID:sN+qcJIZ
>>248
俺はそんなこと言えるような立場じゃないんだが…。

基本的に研究者は自分の倫理観に従ってると思うよ。
でも、そんな単純なことじゃないんだよ。
倫理観というものは人、国、宗教によって多少差異が生ずる。
全ての人が完璧に倫理についてのコンセンサスがとれればいいんだが、それ
は不可能だよ。
だから、国や国際単位で倫理に沿ったガイドラインを設けて、研究者はそれを
守るという形式になる。

たまに尊厳死とか中絶に関する問題がメディアでも話題になるが、医療行為に
ついては医者の倫理観と患者やその家族の倫理観の間に食い違いが生じた場
合の対処が難しいと思う。
250名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 02:24:03 ID:zLd9C4nn
「意識や霊」みたいな言い方はやめて欲しいな。類似品扱いは困りもの。
251名無しさん@3周年:2006/05/30(火) 12:30:16 ID:4+CLuB8u
霊も魂も存在しません。
252名無しさん@3周年:2006/05/30(火) 13:10:35 ID:yrt99gt9
>>251
なんで?
根拠は?
信仰?
253名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 03:25:59 ID:59CZ9H3W
意識〜脳のファームウェアで説明可能な事を、わざわざ脳外に求める用はない。
オッカムの刃。
254名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 08:33:38 ID:mJtxBOxy
>>253
だから、ファームウェアで可能なことは実証されてないって。
255名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 08:46:26 ID:mJtxBOxy
>>253
オッカムの刃は真理に近づくための方便であって
万能ではないって。
一種の生気論でもいいんじゃないの。
256名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 12:20:48 ID:WYU2T3wK
ファームウェア>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>魂
257名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 12:38:00 ID:mJtxBOxy
科学的に見えてかっこいいからといって
SFを信じ込んじゃだめですよ。
258名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 20:18:12 ID:mjc01C8v
魂だの霊だの生気だの、必要だとは思えんが。
259名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 16:25:36 ID:u1ocF6C7
幼稚
260名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 18:17:52 ID:TmsCWM3i
261名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 20:00:59 ID:pF0kDLva
ワラタ
262名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 21:07:21 ID:M78lYSsn
まあ、いい歳した大人が、霊だの生気論だの言う姿は恥ずかしすぎる罠。
263名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 22:40:03 ID:u1ocF6C7
たしかに
264名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 19:56:17 ID:AkdAjzuL
得意気に霊だとか神だとか語る姿は薄気味悪い。
265名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 23:00:36 ID:go0/ItMd
病気だな。
266名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 23:06:03 ID:pxBnR18e
267名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:08:43 ID:E7rfpW5w
脳が無矛盾にできていない、取ってくっつけ暴走の挙げ句に出来上がっているということが、
妄想を生み、神に作られたと思い込む。悪循環だ。
268名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:09:52 ID:yl/HG3Kq
君と同じレベル
269名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:17:05 ID:7WoOBSYK
意味不明
270名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:19:11 ID:RWW+3eHI
宗教はすぐレベル云々を言うが、ベクトルの向きが間違っていれば、絶対値をいくら大きくとっても無駄だという事が解っていないようだ。
271名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:22:29 ID:wl5xOWTR
科学は可能性の実証。
宗教は可能性への期待。
272名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:36:19 ID:CZLY2qsX
可能性もない事への妄想的期待
273名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:36:23 ID:yl/HG3Kq
五十歩百歩
274名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:40:13 ID:wl5xOWTR
>>272
可能性もないとするのは科学が実証してからにしましょう。
275名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:42:03 ID:K2vV/0C1
差は歴然なのに取りすがる宗教
276名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:44:43 ID:wl5xOWTR
>>275
どうしてそう思うのですか?
死んでただの灰になると思うよりましだと思いますが。
誰だって自分の人生に意味を見出したいでしょう?
277名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:46:30 ID:+7GxyofH
ありもしないものに頼っても無駄
278名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:53:20 ID:6JzEbDrM
ありまくるんですよ
場所によってはね
279名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:57:16 ID:NWDsxAeY
>>276
>>277は言い過ぎだと思うが、おそらくは存在しないものに希望を懸けても,結局は虚しい気がする。
280名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 00:59:58 ID:x4DaWj+y
その場所って、おまいの脳内だろ?
281名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:02:15 ID:wl5xOWTR
>>279
しかし無いと思っても有ると思う方が
精神衛生上良い気がするんですが。。
やっぱり皆考え方は違うんですね。
282名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:03:00 ID:6JzEbDrM
気功の気はプラシーボという論理かな
283名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:04:08 ID:6JzEbDrM
美輪大社はすごいですよ
あれは素人目にみてもわかるようだ
284名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:08:32 ID:9F8GPVnu
私が知りたいのは真理であって、矛盾や見込みの無い希望的観測ではない。
285名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:11:55 ID:6JzEbDrM
ご立派ですね
286名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:13:23 ID:wl5xOWTR
でも宗教っていろいろあってどれが本当か分からないし
迷いますよね。
287名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:18:00 ID:/Ifvf7db
宗教はほぼ全部欺瞞じゃよ
288名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:19:09 ID:wl5xOWTR
>>287
それはいえてそうですね。
289名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:20:17 ID:6JzEbDrM
どれも言ってる事はほとんど一緒
言語上で矛盾しているだけ
解脱はこの世の執着を離れるので天国に似てる
天国に行くことはこの美しい自然と同化することに似てる
まずは魂を磨くことだというのは一緒
隣のスレにはなんでも派がたまってるよ〜
霊的感応力ある人はなんでも派になる
290名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:21:06 ID:COWpCb+R
超ヒモ理論も宗教の一種じゃないかと思う今日この頃w
291名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:22:31 ID:6JzEbDrM
人の眼では見えないんだよね
292名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:25:45 ID:8GKtEJ/H
人の目で見えるのは、特定の波長帯の光子だけだつよ。
293名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 01:30:59 ID:VTSz1t4z
触ってるのもモノじゃなくて電磁場なんだけどね。と、言ってみるかい?
294名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 16:21:12 ID:rx0T9X3D
>>287
言い切るあたりが無知を示しているな。
295名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 22:47:23 ID:rw9+qLOQ
>>294
言い切るってのは、「完全に欺瞞」じゃないの?
「ほぼ」って言い切りなの?
296名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 22:59:46 ID:yl/HG3Kq
細かちゅう
297名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 23:12:42 ID:EdwJLBls
>293
それはどういう風に考えるかという意味での選択肢の一つか。
298名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 00:10:27 ID:9z4WOASB
>>297
原子核の並び具合から言うと、中性子星以外のどんな物質も、ほとんどスカスカだからね。
それが接触しても互いにめり込まないのは、電子の雲のおかげ。
電子の雲と言っても、波動関数の広がりからくる確率で、電子同士がぶつかって押し出してる
わけではない。
押し除け合ってるのは電磁場としか言いようがないってことかな。
299名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 13:05:53 ID:tYP0VgRX
どあふぉ!!
300名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 17:38:56 ID:1LI134lN
300界
301名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 20:33:44 ID:XUKE/3Zv
>>300 めでたage
302名無しさん@3周年:2006/06/06(火) 12:28:49 ID:iN2vWV3j
宗教はオバカ
303俺様 ◆f0ugTrYQRI :2006/06/14(水) 15:36:24 ID:VHTsEZLA
カール・ポパーの反証主義を乗り越えない限り
科学は宗教を否定することなんてできないんだよ。
科学は永遠の仮説にすぎない。
こんなスレを立てて議論すること事態オバカの証明だな。
304名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 21:20:03 ID:wsHtV/JF
ポパーの説は悪くないと思うよ。
科学は永遠の仮説であるが故に進み続ける。
教義で決まっちまった宗教は、最初からオシマイw
305名無しさん@3周年:2006/06/14(水) 21:21:32 ID:OGKBxbK3
偏っている人間ばかりですね科学側にも
306名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 07:21:18 ID:F5pgSE/k
>>305
この板の自称「科学的な」連中は実際には「科学教の信者」に過ぎませんからね。
実際には「科学的」なスタンスから一番遠いところにいるのがこの板の「科学教信者」。
307名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 17:18:56 ID:V0rtDCfG
>>303
本来はそんなキャラだったのか。
308名無しさん@3周年:2006/08/17(木) 01:15:43 ID:7faeM6q/
科学=存在を定義・考察する手法
宗教=価値を定義・考察する手法

それぞれ扱う領域が異なる。
宗教がその領域を逸脱して物理現象を説明しようとしても徒労に終わる。
物理現象を宗教的教義で説明しようとしても容易に科学的手法によって
論破される。科学は存在の有無を定義する最も優れた手法であり、優れた
宗教家は科学的手法を否定することはない。

科学は存在を定義する手法であるが、価値や意味、善悪を定義する
手法ではない。科学がその領域を逸脱して、モノの価値や善悪を定義
することは不可能である。時に蒙昧な科学者は科学で考証できない
事象は無意味であると言い放つが、優れた科学者はそもそも科学が
意味や善悪を定義する手法でないことを知り、宗教的手法を否定する
ことはない。

科学的手法と宗教的手法は対立するものではなく、どちらが優れているか
という問題でもない。
309名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 16:34:35 ID:vP/qWvBL
大体、308に同意。

ちょっと補足すると、
科学は、「普遍的事実」だと万人が認められるような、「単純なもの」だけ
を対象にしている(たとえば、存在とか、質量、長さ、体積など、誰もが
納得できる対象)。
また、科学は「再現性」を重視している。一度は成功したが、再現できなかった
ものは事実を認めない。

上の2つの条件に当てはまるものは、世界の中のごくわずかでしかない。
世界から「科学で扱えるもの」を除いたものを、宗教が扱うことになると考えて
よいだろう。だから、宗教では、

1.誰もが認める普遍的価値というものはない
2.再現性がない(「われ、ここ、いま」が揃った体験は、唯一なので、再現して
確かめることができない。「砂糖は甘い」という体験は、他人の舌を借りない限り
確かめられない)

科学的手法はスッキリしているが、それは、最初から対象を厳密に絞っているから。
守備範囲から言えば、圧倒的に科学的手法<<<宗教的手法ということになるだろう。
310220:2006/09/26(火) 02:06:44 ID:az46ot3Y
人間とは妄想する生き物です。
曇ったレンズでは真実を見極めることはできません。
だから科学においては、できる限り主観を排除して客観的に見る必要があります。

それとは逆に宗教の場合、真実を語る必要はありません。
科学では取り扱わない主観的命題に対して、
特定の人々から共感を得られる答えが提示できれば良いだけです。
311220:2006/09/26(火) 02:46:23 ID:az46ot3Y
>>309
>> 守備範囲から言えば、圧倒的に科学的手法<<<宗教的手法ということになるだろう。
「誰がこの世を創ったのか?」
「なぜ自分はこの世に存在しているのか?」
「人は何のために生きているのか?」
「人は死んだら如何なるのか?」
などの主観的命題に対して、
絶対的な答えを出すことはできませんが、
数としては大したことはありません。
だから少人数の宗教学者(預言者、創唱者)でも答え(納得案)を提示することができるのです。

それに対して客観的命題は、この世の全てが相手なので、
世界中の学者や研究者達が骨身を削って答えを探し続けるのです・・・
312220:2006/09/26(火) 03:24:30 ID:az46ot3Y
科学=客観的命題に対する答えを見つける。
宗教=主観的命題に対する納得案を提示する。

宗教の利点は、この納得案(教義)を通して宗教的な人生観や道徳観などを身に着けさせることが可能なことです。
313220:2006/09/26(火) 04:41:28 ID:az46ot3Y
>>308
> それぞれ扱う領域が異なる。
> 科学的手法と宗教的手法は対立するものではなく、どちらが優れているかという問題でもない。
科学そのものが主観的命題に対して彼是言うことはありませんが、
宗教は客観的命題に対して根拠の無い答えを出し、それが真理であると世界に言い広めています。
それが問題です。

>>309
> 科学は、「普遍的事実」だと万人が認められるような、「単純なもの」だけ
> を対象にしている(たとえば、存在とか、質量、長さ、体積など、誰もが
> 納得できる対象)。
ちと科学に対する認識が狭過ぎやしませんか?

「科学」
・自然科学(物理学、化学、生物学、地球科学、天文学、数学)
・社会科学(経済学、法学、政治学、社会学、経営学、歴史学、地域研究、社会福祉学、社会人類学、人類学、教育学、心理学、言語学)
・人文科学(哲学、芸術学、美学、心理学、教育学、宗教学、神学、歴史学、考古学、地理学、民俗学、文化人類学、文学、言語学)
※分類は曖昧ですw
314名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 18:10:34 ID:rf5yHsWe
人間にとって、真実なんてどうでもいいのかもしれないな。
ただ「真理」さえあればそれに矛盾する事実なんていらないのかもな。
315武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2006/10/09(月) 23:13:28 ID:lnhgp3XM
宗教は「仮説」で科学は「定説」。

一応はこれが基本。
もっとも、仮説でありながらも真実を衝いていることもあるのだし、定説がひっくり返ることもよくあるわけだけど。
316308:2006/10/11(水) 06:33:18 ID:vQy59ZQP
>守備範囲から言えば、圧倒的に科学的手法<<<宗教的手法 >>309
私が最初に「扱う領域が異なる」と書いてしまったので、多少誤解を招いたかもしれません。
どちらの取り扱う対象が多いとか少ないとか、守備範囲が広いとか狭いとか言いたいわけではありません。>>220
まったく同一の対象を科学、宗教両方の手法でアプローチしても良い訳です。
そういう意味では、扱う対象の守備範囲は同じと言っても構いません。

例えばあるメロディに対して、科学的手法でアプローチすると、音量とか、音の波形や波長とかがどうなっているかを測定する。
また、宗教的(直感的)手法でアプローチすると、心地よいとか不快とか、自分にとって価値が有るとか無いとかを考えることになる。
これらのアプローチはどちらが優れているとか言う問題ではないし、どちらの手法でアプローチすべきとか言う問題でもない。
317308:2006/10/11(水) 07:48:11 ID:vQy59ZQP
>>313
>科学そのものが主観的命題に対して彼是言うことはありませんが
しかし、科学的手法を絶対と考えるあまりに科学教に陥る人もよく見かける。
常に客観的に思考するべき科学者が科学的手法こそ絶対であると言い放ち、
科学的にナンセンスとか、科学的に無価値とか言い出す始末。これも問題です。

>宗教は客観的命題に対して根拠の無い答えを出し、それが真理であると世界に言い広めています。
>それが問題です。
仰るとおり、これも問題ですね。

本来、人は科学的手法(科学の眼)と宗教的手法(宗教の眼)の
両方を持ち合わせている。物事の本質を科学の眼で見極めると同時に
宗教の眼で自分にとっての価値の有無を判断する。

どちらの眼が優れているとか、どちらの眼で見るべきとか言う問題ではない。
318名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 07:55:00 ID:bO/lfr8u
>>315
ちがうだろ。

科学こそ仮説を扱うもの。いわゆる「定説」というのはその時点での
観測事象をよく説明できており、支持を集めているところの仮説。

一方、宗教には通常、仮説などというセンスはない。
自分こそが「真理」だと主張する傾向にあり、否定されうる「仮説」
であるなどとはまず言わない。
319名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 07:59:03 ID:bO/lfr8u
>>317
価値の有無の判断は宗教の専売ではない、と一応釘をさしておく。
事実の判定に対して科学は常に重要な地位を占めうるが、宗教の
価値判定における位置はそれほど確固としたものではない。
価値判断において宗教を参考にしないというチョイスは十分に
ありうる。
320308:2006/10/11(水) 09:22:07 ID:vQy59ZQP
>>319
科学が普遍的な真理を解明する最も優れた手法であり、科学的手法によって
得られた真理は万人にとっての真理であること。それに対し価値を判断する
手法は宗教だけでなく、また価値を判断するという性格上、常に対立を生む
ということ。

これらをもって、科学が宗教より優れていると結論付けたがる人たちがいるが、
あえてもう一度言わせてもらいたい。どちらが優れているとか言う問題ではない。
321308:2006/10/11(水) 09:47:12 ID:vQy59ZQP
価値の判断基準が宗教の専売特許ではないと言うことについてはその通りだろう。
価値の判断基準はいろいろと挙げることが出来るが、大きく二つに分類されるのではないか。
・経験的価値基準(歴史、文化、伝統、倫理、習慣・・・):価値観の共有・伝達が容易
・直感的価値基準(啓示、ひらめき・・・):価値観の共有・伝達が困難
本来、宗教的価値観とは後者によってもたらされるものであると思うが、それが如何なるもの
かは私にはわからない。
322名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 09:49:59 ID:oiuUZXoc
>>320
まちがいその一。科学は「真理」を解明するためのものではない。

まちがいその二。価値を判断する性質があるからと言って常に
対立を生むわけではない。当然結論が一致する場合もある(たとえば
「殺人をしてはいけない」)し、妥協が可能な場合もある。
323名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 09:52:24 ID:oiuUZXoc
はっきり言って、308の言ってることは初歩的すぎてヘソが
お茶をわかすような内容ばっかりだな。
せめて哲学や倫理学あたりの入門書ぐらい読んできてくれないか。
324名無しさん@←ブラックホール:2006/10/24(火) 21:35:29 ID:OH5qRygk
http://photoxp.daifukuya.com/index/konicaminolta/dimage-7.html
渋い色を出す
7→7i→7Hi→A1→A2
初めのほうのモデルのが好き
宗教飽きたらカメラでもやろうぜ
325名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 18:59:23 ID:fV/whxQw
vghu
326名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 12:41:50 ID:jlueLnps
宗教の意義は信じることそのものにあるじゃないかって思う。

人間は昔から飢餓、病気、天災などの自然現象に悩まされてきた。
今でこそ予測や予防、改善の手段が見つかっているけど、
当時の人間にとってはどうしようもない、それこそ神の悪戯だった。

例えば天候の問題。雨が降って欲しいのに降ってくれない。
いつ降るかわからない。どうやったら降るかもわからない。
不安で不安で堪らない状況だよ。死活問題だ。
そんな中で精神を安定させられるはずがない。

では、どうするか?
327名無しさん@3周年
人は理屈を作った。すなわち心の拠り所を創造した。
雨が降るまで手をこまねいて待っているのは苦痛だ。
ならば、自分たちで具体的なルールを定めてしまえばいい。
儀式を行って生贄を捧げれば雨が降る。そう関連づけてしまえばいい。

そのルールに実質的なメリットがあるかどうかは問題じゃない。
一番の目的は安心できること、不安を取り除くことにある。
先が見えないから不安なのであって、
手段と結論が繋がっていればそこには何の恐怖もない。
根本的な解決にはならないだろう。が、束の間の安らぎだけは得られる。

宗教の原点であり本質は、こういった部分にある。

神に祈ること。仏壇を拝むこと。これらに物質的な意味はない。
けれど、信じるものさえあれば人は幸せになれる。
理屈が通ってなくても非科学的でもいい。
何か一つ、無条件に信じられるものがあれば人は生きていける。

要するに、信じられるならそれは宗教でなくてもOKってことですね。
例えばそれがお金だったり、あるいは科学だったりしても。