1 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :
2005/12/17(土) 19:32:30 ID:pezJVqok 聖書の聖句解釈について、クリスチャン同士で分かち合うスレです。 まだ未信者だけど興味のある方、求道者さんも歓迎致します。 一般的解釈だとこう言われてるけど納得できない… ココとココの箇所って矛盾してない? ココがどうしても良くわからない…とか こんな解釈してみた!自分はこう思った!など皆で分かち合ってください。 お互いの解釈を照らし合わせつつ、議論してみてください。 新しい発見をお互い学び合えたら幸い!皆で語り尽くしましょう。 ★議論のお約束★ ◆他の人が読みやすいように気配りしましょう。 ◆結論をはっきりさせるようにしましょう。 ◆反論する場合は相手の立場で考えてみましょう。 ◆議論に感情を持ち込むのはルール違反です。 ◆自分の価値観や考え方をむやみに押しつけるのはやめましょう。 荒らし・煽りは放置しましょう。相手をしているとあなたも荒らしになっちゃいます!
2 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 19:33:49 ID:APNBcDNS
実質上はpart8だと思ふ。
3 :
名無しさん@3周年 :2005/12/17(土) 19:34:44 ID:APNBcDNS
4様 おまんこしたい!!
5 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/18(日) 19:06:43 ID:NehZ8nMe
今日のQ資料 Q資料だすんだったら、それが反映されてる福音書も出せとのご指摘 がありまして、ごもっともな事です。可能な範囲で出します。 それから聖書みたいに、何章何節を出せと言われましたが、研究者に よって、順番はまちまちですし、無理です。 「偉そうにふんぞり返っている者は赤恥をかくが、へりくだる者 は褒められる。」 箴言11/2 高慢には軽蔑が伴い/謙遜には知恵が伴う。 ヤコブ書4/6...箴言の写しと思える もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。 「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる。」 マタイ23/12:ルカ14/11(全く同文) だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。
ユダヤ人でない方はノアの子らの7戒を守れば十分だからです。
今日ではそういう人たちの団体もあります。ノアの子らの7戒を守る人は
他のユダヤ教の戒律をも自由に守ってもよいという意見もあります(マイモニデス)。
しかしユダヤ人になったら、613箇条の戒律を厳守する義務が生じます。
その用意がなければ改宗は認められません。
日本人として生まれた者がこれらの戒律を守り続けることは
けっして簡単ではありません。それがユダヤ教への改宗は単なる
宗教替えではなく民族替えを意味すると言われるゆえんでもあります
口伝律法 Oral Law ユダヤ教では、モーセがシナイ山で十戒を与えられた時、
文書としての律法の他に口伝もで多くの律法が伝えられたことになっている。
紀元以後に成立したタルムード Talmud は、その口伝律法を書き写したものとされる。
--------------------------------------------------------------------------------
ミシュナ 2世紀頃にラビ・ハナシが整理した口伝律法の名前。
これに対する注釈が、ゲマラである。タルムードの基本となる。
ゲマラ グマラ ミシュナ法典に対する注解と補足であり、
3〜6世紀にイスラエルとバビロニアで成立した。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1116304848/710-712 http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1116304848/810
7 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/19(月) 22:23:05 ID:TK4sq9BT
今日のQ資料−3 ここは、殆どルカ福音書と同じです。最近ちょっと変な妄想 を描くのですが、Q資料に相当する部分を編じたのは、原始教会 ではないだろうか(残念ながら僕にはそれを立証するだけの 能力がありませんが) 「おまえたちに言っておこう。敵を愛し、呪う者を祝福し、侮辱する者 のために祈ってやれ。 おまえの頬をヒシャリと打つ者には、反対の頬も向けてやれ。 上着を奪い取ろうとする者には、シャツもくれてやれ。 求める者には与えてやれ、おまえの持ち物を奪うものがいても、返して くれなどと言うな。 人さまにしてもらいたいと思うことを、彼らにもしてやれ。」 ルカ福音書6/27−31 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。 敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。 上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。 求める者には、だれにでも与えなさい。 あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
8 :
キュロス :2005/12/19(月) 23:06:54 ID:b09GnNcA
>>マタイ福音書 >5:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、 >あなたがたも完全な者となりなさい。」 聖書には 「神は完全である」と言う 言葉は無いようですね。 完全な存在という神概念は 聖書に由来するものではなく ギリシャ哲学に 由来するものらしい。 これは 理性から生まれた仮説らしい。 聖なる者 という表現はあるのだけどね。 このマタイ福音書の箇所は 70人訳 レビ記11:45あたり 引用なのかな?
9 :
キュロス :2005/12/19(月) 23:12:53 ID:b09GnNcA
>>8 >このマタイ福音書の箇所は 70人訳 レビ記11:45あたり
>引用なのかな?
これは 70人訳 レビ記11:45 が 「聖なる者」ではなく
「完全な者」 となっているのかな? と言う 意味でね。
秦剛平氏の翻訳したヤツは 創世記しか買っていから
レビ記が どうなっているか オレは知らない。
10 :
momo ◆HfNWSGfVro :2005/12/20(火) 20:21:55 ID:5bkyGuvF
本当だ。ウエストミンスターにも「神は完全」っては書いてな〜い。 無限、永遠、不変とは、書いてあるけどね。 詳訳には、レビ19 : 2となっています。 ココモ先生 詳訳聖書は1963年に発行されていて、わたしも、お下がりを 使っているんですけど、辞書等持っていないわたしには、参考 になるんですよ。また表現もおもろいしね。
マタイによる福音書5,48 <新共同訳> あなたがたの天の父が完全であられるように、 <口 語 訳> (同文) <新 改 訳> あなたがたは、天の父が完全なように、 主イエスが言われた言葉。「天の父」とは、「父なる神」の事。
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。
13 :
momo ◆HfNWSGfVro :2005/12/20(火) 21:00:53 ID:5bkyGuvF
>>11 ( - - )さん
神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において
無限、永遠、不変のかたです。 ウ小教理 問4
あのぅ もしかして不信仰者にみえたのでしょうか?
否定はいたしませんが。 わたしは上に書きましたように
神を信じさせていただきたいと、常に願っております。
>>13 いいえとんでもありませぬ。
その人の信仰がどうなのか、人は判定できません。
主なる神のみがご存じのことですので。
私は、聖書の一言一句を字義通りに受け止めるのではなくて、
そこで語られている意味を受け止めたいと願っているんです。
時代も、文化的背景も、そして言語も、全て異なった中で書かれたのが、聖書。
しかも、それを日本語という、聖書の言語とは全く異質な言葉に翻訳したわけですから、
文字をそのまま読んでも、本当のところは分からないと思っているんです。
そういうわけですから、確かに日本語で「神は完全」と記されていなかったとしても、
「天の父は完全」と言われているのなら、「神は完全」ということと同じではないか、
そう思って、書き込みさせて頂きました。
聖書の言葉が、もう少し理解できたら良かったのですが(^^;
15 :
キュロス :2005/12/20(火) 21:07:02 ID:TsJ7cmwM
マタイ福音書 新共同 >18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。 >七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 創世記 新共同 >4:24 カインのための復讐が七倍なら >レメクのためには七十七倍。」 70人訳 創世記 秦 剛平氏 翻訳 >4:24 カインに起因する復讐は七倍にされるのだから >レメクに起因する(復讐は) 70の7倍」 マタイ福音書18:22 と 70人訳創世記4:24の 数字 似てるよね。 フランシスコ会訳では この箇所の70人訳との関係に触れている。 以上の理由から 「完全な神」等の表現が 70人訳レビ記 にあるのではないか? と想像した。
16 :
momo ◆HfNWSGfVro :2005/12/20(火) 21:25:37 ID:5bkyGuvF
>>14 ( − − )さん
重ね重ねありがとうございます。
ところで、旧約はどこの訳がお好きですか? わたしは
これから、新改訳の通読に入ります。
17 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/21(水) 02:26:22 ID:9Nw9Zk1t
今日のQ資料 今日は聖句を出しませんが、Qって何だというのを説明しますと Qはドイツ語のQuelle(資料)の意味で、マタイとルカが 共通して(内容は多少違ってる)持っていただろうとされる推定上の 資料です。それはマタイとルカのマルコに拠らない部分が高度に 言語上の一致を見ることやその順序性が似通ってる事から出てきた 仮説です。それで多分長い年月をかけて編纂された語録集の文書資料 だと思います。 語録集と言うとトマス言行録の様に 「イエスは**********と言った。」 と言う文章が幾つかあると言う事で、経典としてはむしろこの形の の方が、下らない疑念や妄想もしにくいです。 「イエスは湖を歩いた」などと書かれていても、明らかに神話でしょうし それで何らイエス様が偉いとは思えませんし、人間はどう生きるべきか と言う教訓は得られないでしょうね... それで、これだけの語録集を編纂した人達はどういう人達かと言う事は まだ定説はありません。僕の考えでは、どうもその主張がヤコブ書の 主張に共通してる様な気がします。つまり原始教会の長老達の編纂では ないかと思います。
>>16 日常的に読んでいるのは、新共同訳です。
その他に、新改訳、バルバロ訳などを読んでいます。
英語なら、NIVがいいですね。
CEVは、とても易しい英語で書かれています。
非英語圏の人たち向けと言われているとおり、とても読みやすく、
中学生でも英語に得意な人なら充分読めるくらいです。
19 :
キュロス :2005/12/21(水) 19:42:10 ID:bWsVQ0MK
>>マタイ福音書 >5:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、 >あなたがたも完全な者となりなさい。」 さて 聖句を貼りつけたので この箇所の解釈を してみる。 聖書には 「神は完全」 と言うような表現は この箇所だけで 他には無いようだ また ラビ文献にもないらしい。 70人訳にも 同様な表現は 無いと 仮定して なぜ マタイ福音書だけに このような表現があるのか 或いは なぜ マタイ福音書の記述者達は この台詞を イエスに語らせたのか? という疑問が起きる。 旧約聖書の預言者達は 神から原稿をもらって それを 朗読したのでもなく また 忘我状態で預言したのでもない 神の霊感を受けて それを預言者自身の 言葉や行動で 表現した とすれば 人が神に対して 完全 であると 言うような 神を評価するような表現は避けたのだろう。 では この様な表現が 許される者はだれか? それは 「洗礼者ヨハネ」でもなく「エリヤ」でもなく 「エレミヤ」でも他の「預言者」等の人ではなく 「メシヤ 生ける神の子」だけなのですね。 マタイ福音書の著者達は イエスが人ではなく 「生ける神の子」 だから この様な 台詞をイエスに語らせたのでは ないだろうか。
20 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/21(水) 20:57:43 ID:9Nw9Zk1t
今日のQ資料−5 これは福音書の何処にあるのかは、各位で探してください。 キリスト教徒がこれを使うと、みんなから一斉に笑いものに されるから止めた方が良いと思います。自分の中の丸太( くだらないドグマ)が分からないから、聖書もまともに読めない 、人の話も殆ど理解できない、馬鹿を突かれると支離滅裂に なる。キリスト教徒の丸太は下らないドグマと根拠のない伝承 だと思います。 「おまえは兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、 なぜ自分の中にある丸太に気づかないのだ?自分の目の中に ある丸太を見ないで、兄弟に向かって、「あなたの目にある おが屑を取らせてください」と、どうして言うことができる のだ?偽善者よ、まずおまえの目から丸太を取り除け。 そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目の中に あるおが屑を取り除くことができる。」
21 :
名無しさん@3周年 :2005/12/21(水) 21:06:55 ID:kv8zxr01
キリスト教徒は、神やイエスなどの丸太を自分の目から取り除かない限り、 何も見えません。 イエスは、自分の目の丸太は取り除いたのだろうか。丸太とは、「あるが ままの現実」を見ることを妨げる物のことです。
ニーチェくんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
23 :
名無しさん@3周年 :2005/12/21(水) 21:21:48 ID:5X8Xvn0K
マリオネットのココモ君を操る怪しげなカトリック神学者の降臨、まだぁでつか
24 :
名無しさん@3周年 :2005/12/22(木) 01:52:36 ID:bF2L2Ht+
ココモ君を操る怪しげなカトリック神学者ダニエル
25 :
momo ◆HfNWSGfVro :2005/12/22(木) 20:12:10 ID:vB7z7THX
>>20 ココモ先生
丸太は「罪」のことだと思いますね。。
26 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/23(金) 10:20:16 ID:8Oopow21
昨夜出雲から京都へ移動したんですが、8時間も掛かってしまった... 中国道も山陽道も通行止めで、米子道も走れる様になったのを知らなくて 圧雪やアイスバーンの峠道を走ってました(もちろんSLタイヤですが) ...怖かった... ただ時間的に大変だったのは、姫路から西宮のたった50Km程に大型 トラック(宅急便が多い)が集中して3時間も掛かったんですね... まだ眠たいので、これから少し寝ます...わはははははははははは
27 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/23(金) 10:37:19 ID:8Oopow21
旧約の預言 マタイ8/16−17 夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。 そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々を みなお直しになった。 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。 「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」 聖書に「イザヤの預言」って書いてありますねぇ...イザヤ書が イエスの予表だと言ってる人は、イザヤ書の何処の部分か答えてごらん ...聖書を字面だけ追っかけてる奴は何の事かチンプンカンプンだろね ...わはははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははは
28 :
名無しさん@3周年 :2005/12/23(金) 10:40:57 ID:C8ad+YGD
>聖書もまともに読めない、 >人の話も殆ど理解できない、 >馬鹿を突かれると支離滅裂になる。 これって、ココモ自身のことじゃねえかよ。 ( ゚∀゚)フハハハハ八八ノヽノヽノヽノヽ / \ / \ / \ / \ ココモもクリスチャンってことか!!! >イエスの予表だと言ってる人は、イザヤ書の何処の部分か答えてごらん イザヤの53・4
29 :
名無しさん@3周年 :2005/12/23(金) 10:44:20 ID:8gnqePYl
>>25 「罪」とは何?何をしたことの罪?あなたが「丸太」とは「罪」だと考えた
理由は?具体的に説明してくれ。
「罪」ある人間のほうが、相手の「罪(おが屑)」がよく見えるのではない
か。
「罪のない人間」は、相手を罪人視したりはしないものだ。
30 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/23(金) 11:29:00 ID:8Oopow21
>>28 珍しく知ってたなぁ...第2イザヤ52−53章のOOOの僕の事だよ
...OOOを答えていただきましょうか...誰かに聞いてごらん
それでOOOの僕が誰かと言う事について、僕は*****説を説いて
ます。*****は誰でしょう...これの根拠はハガイ書で*****
をメシアとして擁立している事とイエスの系図にも入ってる事
僕は馬鹿信者をからかってるって言う事がわからねぇのかねぇ
>>29 罪を見逃している人は、罪に対して鈍感になり、
少しの罪ぐらいは無視してしまうようになり、
マヒして罪が罪であることも解らなくなる。
特に、罪のない人間と思っている人にその傾向がある。
逆説で警告した。
32 :
キュロス :2005/12/23(金) 20:12:07 ID:OWdcm4yC
ローマ 岩波訳 >1:17 神からの義はその福音において啓示されるのであり >それは、信仰から出て信仰へ至るのである >次のように書かれている >信仰によって義とされた者は生きるであろう。 「信仰から出て信仰に至る」と言うことは信仰が 先にあるのですね。この辺の主張は、 マタイ福音書の イエスの業(奇跡治療)に出会った 人達の信仰の有無と その後の展開の差 に似ている。 たとえば 8章28章〜34節 9章27節〜31節 9章32節〜34節。
33 :
momo ◆HfNWSGfVro :2005/12/23(金) 20:21:08 ID:ZXRJV+x/
あなたはニーチェ君でしょうか? なんかあなたの質問には、悪意や挑発を感じるのですが。わたしには、そのような 質問に対して、お答えできる器量を持ち合わせていません。 人違いでしたら、すみません。 一度、普通の教会に通われたらいかがですか? 頭だけで考えるキリスト教ではなく、何故 人が自分の理解をこえた( 納得できない ) 信仰に関わっているのかを、ぜひ、教会に行って調べてみてください。
34 :
キュロス :2005/12/23(金) 20:55:57 ID:G17K9VTx
ローマ 1章21節 岩波訳 >彼らは神を知りながらも、その神に神としての >栄光を帰することも感謝することもせず、 >むしろ彼らの思考は空しいものとされ、彼らの >理解なき心は暗黒にされたからである。 なぜ 神に対して鈍感になるのか それは 感覚が鈍くなるからだという話しを 以前にした。感覚と言うものは 訓練によって ある程度研かれ 鋭くなる。 例えば 日々の食事を自力で得ている あるいは 当然の事だと思う 事により その食事を作った人 また 材料を作った人に対する 感謝の気持ちが 無くなる。 日々の食事は 食卓に着席すれば揃えられるのではない。 食事の材料は ス−パに日々誰の努力も無く並べれている のではない と言うことを 知るべきである。 そのような事を思うことにより 感覚が鋭くなり 感謝の気持ちが芽生える。
35 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/24(土) 01:41:31 ID:YpT74x9+
罪の認識がごちゃごちゃ...これじゃまともな論議にならんw 罪と言う事について 一過性のものと<−−>その人に支配的に備わった罪 一過性の罪において 軽微な物と<−−−>その人の一生を掛けて贖罪しないとならない位重篤な物 そもそも罪とは何かの概念 キリスト教会は何時の頃から知らないが、神(どの神か不明だけど)から 離れる事を罪としているが、馬鹿教会の根拠不明なドグマですw 頭の弱い信者には良いだろうが、罪を論議するについては神を持ち出すな! というのが僕の主張だよ... それで聖書ではパウロが一番論議してる事なのでしょうが パウロが言いたいのはどう考えても、その人に何等かの支配的に 備わった物を罪としてるよ...それでその場合はその人個人の 努力では罪を逃れるのは難しいと言うのが僕の経験ですね... 一過性の物については、一般社会の司法制度の方が遥かにレベルが高く 整備されてるし、論議されてますよ...そんなところに馬鹿が あれやこれや考えても殆ど意味がないと思います。そんな事を キリスト教徒のレベルの低い道徳観であーだこーだ言っても馬鹿に されるだけだと思います。
36 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/24(土) 01:54:08 ID:YpT74x9+
それでな、その人に支配的に備わった罪と言うのは、パウロ も言ってる様に生まれながらにして植えつけられてしまった物 をいってるんだな.... イエス・キリストは神様ですと言うのがまさにこれなんだな どれだけ沢山の論証を積み重ねて「イエスと言う人物はいた でしょうが、普通のユダヤ人でナザレ村の大工の息子で、まぁ どう考えても普通の男子青年で。それより数段勝ってる人物が ぼくが調べただけでも 1...洗礼者ヨハネ 2...パウロ 3...主の兄弟とされてるヤコブ これだけ浮かんできます。敢えてもう一人出すのであれば 4...ケファ(ペテロ)だろね
[ヨハネ福音書の]14章を見ると「トマス・フィリポ・ユダなど弟子」を選んだ事を指してますね。 15章は、ほかの福音書の「求めよ。さらば・・・」「門を・・・」と矛盾します。 この世のものは「求めよ」「乏しい事のないよう働き、自分の手で得たパンを食べよ」 あの世のものは「わたしが、あなたを選んだ」でしょうか。 ペテロ・ヨハネ・レビ−マタイの名の弟子グループでない トマス・フィリポ・ユダの名の弟子グループを指定して言っているのが気になりますね。 ------------------------------------------------------------------------ 13章にペテロに、ユダの裏切りを告げる話があります。「えらんだ」は、やはり弟子に向けた話です。 16章は 11 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。 12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 13 しかし、その方、すなわち、 真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、 自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、 これから起こることをあなたがたに告げるからである。 これでは「イエス」も「真理の霊」も「父なる神」の従属となります。これは一体ドウいう事でしょうか??? --------------------------------------------------------------------------- トマス・フィリポ・ユダは福音書や行伝がありますが、いずれも「異端文書」です。 興味ある方は、ナグ・ハマディ文書を参照してください。 マタイ・マルコ(ペテロ書記)・ルカ(パウロ書記・ペテロとヨハネのつなぎ)・ ヨハネは、4福音書として「正典文書」に採用されています。 「選び」に関しての疑問は色々出てきます。 プリンケプス?(市民の中の第一人者) プロ−コンスル(地方執政官・州総督)コンスル(執政官)カエサル(皇帝)
四福音記者・所属配下・所属教会
弟子マタイ・兄弟ヤコブの配下・エルサレム教会(監督1)
書記マルコ・弟子ペテロの書記・エジプトのアレキサンドリア教会(監督3)〜バビロニア教会
書記ルカ・使徒パウロの書記・シリアのアンテオケア教会(監督2)の医者・画家・秘書
長老ヨハネ・書記ルカの子弟・ギリシアの諸教会
三監督(3司教・3主教)により、次の監督(司教・主教)を叙任
エルサレム教会・初代監督・主の兄弟ヤコブ・城壁より突き落とされ落下地で撲殺により殉教(ユダヤ戦争前後[70年前後])
アンテオケア教会・第二代監督・イグナチオ・獣と戦う刑により殉教(AD110ごろ)
スミルナ教会・監督・ポルカリュポス・生きたまま焼かれるの刑により殉教(2世紀前半)
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=282&to=304 霊・プネウマ[ギリシア語]・スピリット(霊感・ロゴス[神のことば]・理性・
良心の痛み[心にある神の戒め・善悪判断]・
自由意志[リンゴを食べる食べないの選択力])
魂・プシュケ[ギリシア語]・ソウル(呼吸・心・感情・魂魄)
身体・ソーマ[ギリシア語]・ボディー(血の流れる肉体・骨肉[ボーン&ミート])
「宗教的な罪」と「法律や掟などを破った罪」の大まかに2つあって
シン[英語]グレーフ[ロシア語](原罪)と
クライム[英語]プレストゥプレーニェ[ロシア語](犯罪)なんだそうです。
原罪のギリシア語は、的ハズレ(ハマルティオン)です。
神の望んだ善なる関係から的ハズレだからです。槍投げの標的ハズシ・やること失敗です。
人間は良心の痛みがありながら自由意志をもって的ハズレをやるというのです。それが罪なのです。
古代ユダヤは 神の預言者[サムエル(シェム+エル[呼ぶ+神を])]によって ヘブライ王を任命し、初代サウル王・第二代ダビデ王が誕生した。 俗人の砲兵隊長あがりのコルシカ人ナポレオン・ボナパルトは フランスの市民革命によって ローマ教皇の権威を破壊し 革命国のフランス皇帝の戴冠を ローマ教皇に行わせて 武力によって 教会秩序や宗教慣例を破壊して 政教分離を行い 民法[→商法→刑法]を制定し 教会慣習が絶対とされた 中世時代を終焉させた。 ※ 憲法や基本法より特別法や下位の法律が問題解釈で優先させる。 民事契約を犯罪や商売のために活用する事を否定・ 刑法の下位部分が取り締まり方法[訴訟法]や基準[治安維持法]の設定。 この下位部分を廃案や改定する。外国軍武力により条約や国際宣言で改廃もある。 ギリシアのポリスは、王制に代って アルコン制度(指導者制)を採っており ディオニッソス祭礼の神主(バシレウス[神主・長老]:ブドウ酒の神様を祭祀する王の意味) 都市監督長官(エポニュモス[市長・県知事]) 軍隊統率者(ポレマルコス[幕僚長・県警本部長]→マルス[軍神])の三巨頭政治であった。 ----------------------------------------------------- 『昔、人々はアルカディアに住んでいた』という言い回しがあります。 コスモ+ポリタンの共通語です。(世界+都市国家[町]の人。 世界の町々に横断的な人。国際人。)現在の国際人の言語はアメリカ英語ですが。 『人類は昔エデンの園である楽園に住んでいた』楽園は天国であった。 最終目標は造り主の神様の御身元に行き一緒に代々(よよ= 世代横断的に=永遠)に楽園な暮らしをする。です。
41 :
キュロス :2005/12/24(土) 17:41:42 ID:wVX9GiIu
マタイ福音書で 最大・最悪 もうこれ以上の罪は無い と言う罪は 何か? それは 「生ける神の子」 を殺したことだ。 「この子は自分の民を罪から救うからである」の 「自分の民」とは 「生ける神の子」イエスを 殺した殺した事を 自覚した者達の事かもしれない。 27章54節の 百人隊長やイエスの見張りを していた人達の 「本当にこの人は神の子だった」という発言は やはり 自分達の罪を自覚した 絶望の叫び かもしれない。 イエスの「わが神 わが神 なぜ私をお見捨てになったのですか」 という 祈りは 「自分の民」の為のイエスの祈りかもしれない。
42 :
名無しさん@3周年 :2005/12/24(土) 17:52:18 ID:Q+den3sS
クリスマスに宗教多元主義について勉強している俺は勝ち組
>>40 >預言者ムハンマド の出現に関する聖書の預言は、聖書を信じる人々にとってイスラームの真実を証明している。
イスラム教徒のココモスキーにとっては朗報じゃないの。
44 :
名無しさん@3周年 :2005/12/24(土) 19:56:18 ID:emKpLeLn
>>41 イエスは、自分から、「私は神の子」「神の座の右に座る」「アブラハムより
前からいた」などと言った。イエスはユダヤ教の信者であった。これ以上の
「父なる神」に対する冒涜の言葉はない。
「父なる神」を信じる心の深かったユダヤ教徒が、「衣を引き裂いて怒った」
のは当然である。福音書における、イエスの「暴言」に対するユダヤ教徒たち
の反応は極めて自然で、容易に理解できる。
イエスは、「神の冒涜罪」という最大の罪で死刑に処せられただけ。彼の死が、
「人類の罪を贖った」、など、どこをどう考えても出てくるものではない。後
世のキリスト教徒による全くの「こじつけ」以外の何物でもない。米国の聖書
学者バートン・L・マックは、「こじつけ」さえ不可能な代物だと言っている。
45 :
名無しさん@3周年 :2005/12/24(土) 20:26:10 ID:8BEpzkBs
聖書の語句っていうのは、免疫に共通する語句ででてくるの イエスの血なわけ 血なんですよ、文字通り 単純な科学主義で 万軍の主ヤハウェというのは 免疫軍 免疫戦争、細胞の戦争の比喩になってる イエスというのはがん細胞ですよ、ようするに 不死なわけ 永遠の命 ただ、その仕組み、からくりがどうなってるかはよくわからない その自己と非自己をわけるのが、隠れた神の正体だと 現代にも続いている
>>45 海外サイトの文章をエキサイト翻訳しただけのものを
そのまま貼られると、読む方としては困るのです。
47 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/24(土) 21:06:54 ID:VsGLd3nu
>>23 >マリオネットのココモ君を操る怪しげなカトリック神学者の降臨、
>まだぁでつか
知能程度が大体分かりますね....
相手も忙しくて中々連絡が付かないけど、僕が呈した疑問を説明すると
12使徒に徴税人マタイの名前を示してるのはマタイ福音書だけ
ルカは弟子にした徴税人の名前は「レビと言う人」になってる
マルコは「アルファイの子レビ」になっている
マルコ福音書の写本の中には「アルファイの子ヤコブ」と書かれて
いる物がある
*弟子にした人物の名前が違っている事に関しては、マタイがレビ人
であったと言う、キリスト教会お得意の辻褄あわせの説明があるが
全く根拠なし
*「アルファイの子ヤコブ」については、コピーストがマタイ教会と
違う方法で弟子にした徴税人と12使徒とを関連付けさせたのでは
ないか
でこの部分はマタイ教会が意図的に弟子にした徴税人と12使徒
(原始教会の長老達)のマタイを関連付けしたのだろう...と
言うのが僕の見解ですが、そうすると「異邦人や徴税人」と言う
破門の対象として扱ってる事で、前出のマタイ教会の意図が分からなく
なる...
と言う疑問です。よろしいですか?
48 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/24(土) 21:18:58 ID:VsGLd3nu
>>41 >マタイ福音書で 最大・最悪 もうこれ以上の罪は無い
>と言う罪は 何か? それは 「生ける神の子」
>を殺したことだ。
これが馬鹿信者の最大・最悪の「丸太」だよ...イエス
が「生ける神の子」だと言うのは、後付の言葉だよ
当のイエスが罪人と審判されたのであれば、イエスを処刑
した人達は「するべき事をした」人達であって罪人では
ないよ...
そういう論議はこのスレでも散々論議したと思うけど...
こいつら全く聞いてないんだろ....
あいも変わらず「生ける神の子」を殺したのが罪だなんて
言う馬鹿丸出しだろ、それを「丸太」って言うんだよ...
わはははははははははははははははははははははははははは
>>44 ソイツは、終末論は好ましくないから嘘だ、とか主観むき出しの
議論するバカ。
・・・世俗に迎合した教会の「広き門」に同調するわけでもないが。
51 :
キュロス :2005/12/24(土) 21:57:55 ID:EFWA7UhE
>>41 >イエスの「わが神 わが神 なぜ私をお見捨てになったのですか」
>という 祈りは 「自分の民」の為のイエスの祈りかもしれない。
神の創造とは 何か?
神は 無目的に機械的に この世を創造しているのではない。
そして 神の創造は 最初の7日間(安息日も神は創造された
事を 忘れてはいけない)で終わったのではない。
今も続いている。と言う事は 神のその目的は 今も続いている
といえる。
マタイ福音書では イエスは神に使命・目的を与えられて
この世に来られたと 主張している。
その 目的とは「自分の民を罪から救う」事だとすると
「なぜ私をお見捨てになったのですか」という 祈りは
「なぜ 「自分の民を罪から救う」私の 使命・目的を
見捨てられたのか」と読み替える事が出来る。
52 :
名無しさん@3周年 :2005/12/24(土) 22:15:56 ID:Go8Ns/Ki
>>51 「エリ・エリ」は、自分の命を助けてくれなかった神に対する、イエスの「恨
み言」と解するほうが、より自然だと思います。
イエスは、神の造化・顕現、「似姿」である人間を、「罪人」と考えていたの
ですか。それは一体何を根拠とするものですか。すべての人間に「罪人」とい
う烙印を押すこと以上の「罪」はありません。ユダヤ教徒たちも、人間を「罪
人」と考えていたのですか。
イエス自身が、父なる神を冒涜した罪人であることは、明らかです。
53 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/12/25(日) 01:11:19 ID:sxg9KXEh
神は自分に似せて人を創造した。 初め男を創造し、そして女を創造した。 女は、男のハートである。 男と女が一つであったとき、死はなかった。 男と女が別れたとき、死が入り込んだ。 女は、一を、二に分けるという罪を犯してしまった。 そして男も同じ罪を犯してしまった。 善しかなかったのに、善と、悪とを別けてしまったのだ。 「一」は善である。「二」は悪である。この識別作用は人の心にエゴを生む。 エゴは「一」を別けるもの。エゴは決して人の心を一つにしないもの。 この識別作用とともに、形あるものが生じ、、 男と女は別れた。そして、神に似せて創造されたはずの人に、死が入り込んだ。 男は自ら作り出した業を滅ぼし、再び命を得、生ける者となった。 彼が生ける者となったゆえ、女にも命の門が開かれた。 が、女は自らの無知のゆえ、業を滅ぼす事も出来ないゆえ、多くの者は いまだ命を得ないでいる。神は人と新しい契約をした。 世の終わりとともに滅びる定めであった人に、生きる道を与えてくださった。 つまり、大いなる苦しみの後、神の千年王国を約束してくださったのだ。 その時代に女は、真理を知ることになり、それを受け入れる者は、命を得るだろう。 その時代に、多くの者は救われる。そして、世の終わりの時が来る。 ハレルヤ。悔い改め、自らを洗い清める花嫁は幸いだ。 彼女は、花婿と再び一つとなり、永遠の命を得る。 あれから一年か。時の過ぎ行くのは早い。 楽しい人生を送ろうとも、悲しい人生を送ろうとも、 いずれ私にも死がやってくる。この世の命とは、はかないものだ。 ま、なにはともあれ、メリークリスマス。
54 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/25(日) 01:18:16 ID:Xd/EExPb
>>52 >イエス自身が、父なる神を冒涜した罪人であることは、明らかです。
僕もかなり長い期間その様に考えていたんですが、ユダヤ社会が確かで
あれば、イエス自身がそんな愚かな発言をするはずもありません
福音書の中の神を冒涜したとんでもない発言は、その殆どは福音書を
編纂した教会の発言でして、イエス自身の発言ではありません。
これは冒涜だとしていたユダヤ社会が崩壊していたから書けた事なんです。
>イエスは、神の造化・顕現、「似姿」である人間を、「罪人」と考えていたの
>ですか。それは一体何を根拠とするものですか。
そこがキリスト教徒の愚かさなんです。イエスの受難を描いてる
福音書は、人間の「罪」については殆ど論議されてません、ただイエス
の受難の光景が描かれてるだけなんですね。一方で人間の「罪」を
論議してるパウロ書簡では、受難の光景どころか、イエスの言葉すら
殆ど書かれてません。
キリスト教会はこれを都合よく重ね合わせて、独自の神話を作ってる
だけだと僕は思います。
55 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/25(日) 01:26:42 ID:Xd/EExPb
それじゃ、再度論議しませんか... イエスを処刑したのは 1...是か非か 2...誰が処刑したのか 3...何故処刑されたのか 僕が思うにこれについて、キリスト者は2000年間 嘘を突き通してると思ってるよ
56 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/25(日) 01:45:53 ID:Xd/EExPb
今日はクリスマスイブだったんですね...わはははははは 米国ではクリスマスとは言わない事になったそうです ハッピーホリデイというのですか... 昔の伝承に従うのでしたら、ミトラ教の「太陽の日」を 祝いましょうか...「太陽の日」は直訳したらSunday(日曜日) で毎週あるからねぇ... イエスがこの世に現れた事を祝うのですか... ナザレ村のイエスさんでしたら、どういう人だか知らない ので特別に祝う理由がないんですね 何故だか世界中のキリスト教会がミサをしてますけどね みなさんナザレ村のイエスさんと言う大工の息子さんが 生まれたとする(実際はどう考えても違う日だろね) 日を、全然違う謂れから出てきた12/24に 祝ってるんですね....わはははははははははははは ははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははは
このように 神と人間・万物の間を取り持つ「役割の人」や関係を 教学や神学的に キリストの「中保者(ちゅうほしゃ)」としての役割と呼ぶ。 神であり且つ人 人であり且つ神でなくてはならないのが 中保者であるキリストの存在。 霊(プネウマ)魂(プシュケ)肉体(ソーマ)[ギリシア語] 霊(スピリッツ)魂(ソウル)肉体(ボディ)[英語] 神(精神・理性・良心の痛み)魂(魂魄・感情)身体(血肉・骨肉)[日本語] 霊(神性)が神の霊の聖霊 霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)が父なる神 霊(ロゴスが人に)・魂(ロゴスが人に)・肉体(ロゴスが人に)が神の子キリスト(受肉の神) 霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)が人間 (なし)_・魂(人性)・肉体(人性)が動物(および狂人や植物人間など) -------------------------------------- 【 異端説1(アポリナリオス説) 】 霊(神性な神の霊)・魂(人性の動物)・肉体(人性の動物)が神の子キリスト 【 異端説2(サベリオス説) 】 霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)であるは「神」、神の子キリストから 霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)の「人間」としてヘンゲして十字架で死に昇天後に 霊(神性)の「聖霊」となって地上に君臨した。
★三位一体(神は一つ、人柄や神々[こうごう]しさの表れが3つ・顕われ方や性格が3タイプ)
人間の姿で見える人間の姿で語りかけてくる神(神の子キリスト・主・神)
人間の目で見えないほどマブシイ光の中にいて語りかけてくる神(父なる神・主・神)
人間の目でキョロきょろ見るがドコニいるか判らんが語りかけてくる神(神の霊・夢や幻で知らす)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1118356281/308n-309 ユダヤ教がカトリックの像や正教のイコンを否定した思想背景がうかがえます。
ロシア正教とユダヤ人は犬猿の仲で
イコン(影・かげ[ギリシア語])を偶像呼ばわりする理由は
「顔」を描いた物を礼拝施設に安置している事が理由だからです。
ユダヤ人をポグロム(ホロコースト)した仕返しが
共産主義革命の流布と共産党に正教の聖職者や熱心な信者を弾圧させ
正教を絶滅させる働きかけをしたというのです。
事実、ニホンでは共産党や社会党の躍進と
アメリカのプロテスタント信者の偶像破壊によって
正教は明治の20万人から現在は1万人に減りました。
ロシアでも ほぼ教会離れの策が成功し 殆ど信者に復帰する人がいないといいます。
日本人が葬式でお寺や仏教を使う感覚で教会を利用し礼拝などしない。というのです。
共産支配70年1世代の弾圧は それほどまでに過酷だったと言えます。
もう一つ致命的な問題があります。ユダヤとキリスト教では イエスを神とするか人間とするかに決定的な違いがあります。 ユダヤ教では偶像崇拝は「人間の顔」を礼拝対象にする事を 含むという事です。モーセの十戒の第一戒あたりだと思います。 汝は私の他に神としてはいけない。とありますが ギリシア語の文面はそうなのでしょう。しかしヘブライ語は 汝は私の他に顔があってはならない。他の顔を神と仰いではならない。です。 初期キリスト教ではサベリウス異端というのがあり 三位一体の説明をめぐってイロイロな説が出ました。 サベリウスは1つの体の神に三つの顔がある。 父の顔・子の顔・霊としての顔がある・ヤヌスのように複数の顔がある。かのような 説明をし、異教に引きずり込む異端として排斥されたようです。 三位一体の説明に「顔」という用語を使用しては いけないとの事です。「顔」ではなく 「位格:いかく・くらい+かくしき」を説明で使用する。という事になりました。 「ペルソナ」を位格や性格や人格と翻訳し、顔と翻訳しない との決まりがあるそうです。
★★★ 伝承発生地域と聖書流入記者 ★★★
ヨルダン: モアブ・カナン・ダビデ(バラム−バラク王と祭司→祭司王メシア救世主←メシャ王碑文・いけにえ・
貴賎や純潔に拘らない国際結婚・ホロコースト正当化[聖絶=殲滅])
クルド: アッシリア・ヨナ(トビト契約書作成・利子と銀行の考え・ピノキオ物語)
ガザ地区パレスチナ・ギリシア: ペリシテ・クレタ・サムソン・パウロ・ヨハネ(ニカノル門・
天国と地獄・応報は千年単位・命と血と息・愛と真理・ペリシテ王)
レバノン: フェニキア・ツロ・シドン・列王(文字・レバノン杉・白檀香・高き山の祭所・地中海貿易)
シリア: アラム・ゴラン高原・サムエル・エリヤ・マタイ・ルカ(将軍ナアマン・
ヨルダン川の洗礼・預言者シェムエル[サムエル])
イラン: ペルシャ・ネヘミヤ−エズラ(善悪光闇の戦い光の子・最終審判)
エジプト: ミツライム・ヤコブ・ヨセフ・エレミア・マルコ(母子が神・防腐オイルと沈香・
復活思想・ミイラ葬式・乳香・太陽暦の豊穣の川と一つの太陽の恵み)
イラク: バビロン・アブラハム・ダニエル(死んだ後に先祖の列に加わる家父長・
一人の王による支配という一神教・因果律を間違えた供物による偶像崇拝と科学的思考回路と迷信)
シナイ半島: ミデアン族−アラビア・イサク(お婿と巫女・啓示という神がかりの理由で移住や遊牧)
イエメン・エチオピア: シバの女王・ソロモン(タンバリンで賛美・香辛料・宝石・王族同士の国際結婚・淫乱の言い訳ハーレム)
イタリア: ローマ(法と正義・死刑と十字架)
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=282&to=304
63 :
名無しさん@3周年 :2005/12/25(日) 17:02:41 ID:Lbc6BD7s
歩兵=マクロファージ 万軍の主ヤハウェ=免疫軍 カニバリズム=大食・貪食細胞 ユダの自殺=アポトーシス イエス=がん細胞
64 :
キュロス :2005/12/25(日) 20:28:27 ID:C4T3Rhm+
>>31 >「信仰から出て信仰に至る」と言うことは信仰が
>先にあるのですね。この辺の主張は、
>マタイ福音書の イエスの業(奇跡治療)に出会った
>人達の信仰の有無と その後の展開の差 に似ている。
ラビ文献にも 信仰が先にある という考えがある。
「森の木々のあいだのりんごの木のように」(雅歌 2:3)
この 一節をラビ・アハ・ベン・ゼイラは 比喩として
解釈している。
「りんごの木は、葉よりも先に花を咲かせる。同様にエジプト
寄留のイスラエルは贖いの福音を認識するよりもっと前に
信仰を獲得した。「そして民は信じた。そして主は彼らの
ことを顧られたことを聞いた(出エジプト4:31)
また ラビ・イザ゙−ク・ゲルは
「イスラエルは、主がエジプト人に対して行った偉大な業を
見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。」
(出エジプト14:31)の一節を以下のように解釈している
「彼らはその目で奇跡を見たが、それでもなお信仰を必要とした
信仰は 見ることに優るからである。信仰によって 人は見る
以上の多くのを 見るからである。」
65 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/26(月) 00:55:49 ID:daOu1hw1
>>44 >イエスは、「神の冒涜罪」という最大の罪で死刑に処せられただけ。彼の死が、
>「人類の罪を贖った」、など、どこをどう考えても出てくるものではない。後
>世のキリスト教徒による全くの「こじつけ」以外の何物でもない。米国の聖書
>学者バートン・L・マックは、「こじつけ」さえ不可能な代物だと言っている。
キリスト教会の馬鹿どもが、「人類の罪を購った」などと、大嘘を
言うから、そんな事はなしえないと馬鹿にされるんでしょうね...
イエスのモデルである「苦難の僕」の経緯を読んでると(第2イザヤ)
どうもイエスが救ったのは使途言行録1/14−16の120人程の
人達じゃないかと思います。イエスはこの120人の人達の為に
十字架に掛かったんじゃないかと思います。
原始教会の人からその話を聞いたパウロは、いたく感激したんでしょうね
この「苦難の僕」の話を思い出したんだと思います
イエスは「苦難の僕」を意識してたかどうかは疑問です
「人類の救世主」なんて言うのは、馬鹿教会の宣伝文句ですよ
66 :
名無しさん@3周年 :2005/12/26(月) 07:09:30 ID:q0W0OY5b
原罪の罪を十字架にかけて 全人類が一括して神によって無条件に地獄に落とされる事を滑り止めしたのが キリストを信じて洗礼を受ける事で罪が赦される事で 旧約の喩えでいえば 神は陶器師(創造主)であって人間は陶器(被造物)なので逆らえない前提で考えます。 神が出来の悪い陶器(罪深い)と思えば、陶器を砕いてしまう(地獄に落とす)のです。 全部の陶器を壊して最初から創り直す(人類に代わる生き物を創造する)のではなく 生かして使う残す陶器(出エジプトの民やロトやノアのような人間)の基準を作ったのです。 新約ですとキリストの十字架[を正しく理解できているか]が[救われる]基準です。 マタイ26:74 そのとき ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら 「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ 鶏が鳴いた。 75 ペトロは 「鶏が鳴く前に あなたは 三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた イエスの言葉を思い出した。そして外に出て 激しく泣いた。 原罪は、人類にありがちなオリジナル・エラー 犯罪は、原罪から起こって更に失敗や間違いを続ける踏み越えた悪い行い ヨハネ福21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子 シモン わたしを愛しているか。」ペトロは イエスが 三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので 悲しくなった。 そして言った。「主よ あなたは何もかもご存じです。 わたしがあなたを愛していることをあなたはよく知っておられます。」 イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
67 :
名無しさん@3周年 :2005/12/26(月) 07:13:39 ID:q0W0OY5b
>神の作品であり、心身ともにその似姿である人間を罪人扱いするとは 似るのは自由意志・善悪判断や良心の痛み(心に刻まれた神の掟)についてです。 >イエスが十字架に懸かればその「罪」が許されると 罪というか違約には賠償やイケニエが必要です。律法違反は場合によって死刑です。 >「原罪」の真意は、人間が智恵付いて、作られたままの本能から離れ >神を思考し、語るようになったことだと思います。 神との約束を破った。自由意志を使って、良心の痛みに反した行動を取った。 これは神に対する約束破りであり違反です。 契約が破棄された場合「楽園」というメリットは享受できません。 神と和解しなさい。とは、神との契約である楽園に戻る契約の履行に戻りなさい。です。 罪とか借金の雪だるまのように、わざわざ地獄に行く必要は無いのです。 >旧約聖書の言葉は、「真理」に相応しい、極めて深いものになります。 いえ、律法はモノサシです。コレが悪い。コレは良い事。です。 罪の自覚が生じるだけです。 あー、やはり出来ないのか。守りきれない。という自覚です。 職人技や仕事を覚える完璧はあるにせよ、 道徳的に人間んて完璧になれない。という自覚です。 人間は約束や契約を守り切れるものでない欠陥品です。 不完全な体と心を持ち病気も怪我もします。 つまり、誓うに値しない力不足・間違いを犯す行いをする・ 予測しきれたものでない的外れ(罪)の約束をする。です。
>と言う事は、異邦人には、罪の意識は生じない。 >よって異邦人には、罪が無い。 罪を犯しても、反省が無い。罪を犯したと言う認識が無い 泥棒をした・無銭飲食した。他人に注意されたが反省し無い。しかも犯罪をした意識が無い。 南の島の人間たちがバナナやヤシの木の実を取って食べたぐらいの感覚。 なんか悪い事したっけっか。というバックレた感覚の人間。 所有権とか他人が栽培した物・料理した物を、勝手に取って食べてはいけない。という 感覚が無い。道徳とか対価が生じるとか頭に無い。つまり、罪の自覚が生じて無い。正しくない。 >536 >エレミヤ 31:34 >そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。 ええ、御霊によって知っていればミサや礼拝で「主を知れ」と唱える文を知りません。 聖書朗読や説教の引用で、この箇所を読むのを除けば。 >彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。 幼子とか未熟で固い食べ物を食べられない信者と喩えられているパウロの手紙や ヘブライ書などでは、小さい者(信仰の浅い者とか)も 大きい者(教師として神の前に人一倍厳しい裁きを受けるもの)も 「神の子キリスト・イエスを、主と知っています。」アーメン。 >わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。 十字架の贖罪に通じますね。キリストを信じれば悪を赦し、罪を心に留める事はない。
>そのような意味の制限が、聖書のどこに書いてありますか。 >何を基準として「完璧」と判断するのですか。人間の善も悪も、神が与えた >ものですよ。 マタイ19章 17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良い(善な)ことについて、わたしに尋ねるのですか。 良い(善な)方は、ひとり(神)だけです。 もし、いのち(命)にはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」 ヨハネ福音書5章 29 善を行なった者は、よみがえっていのち(命)を受け 、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。 ローマ8章 7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。 それは神の律法に服従しません。いや、服従できない(完璧にこなせない)のです。 マタイ5章 36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは 、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。 --------------------------------------------------------------------- >996 >罪とするのか、罪とはなんぞやの論議から始まるんだろ!!! ローマ3章 20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。 律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
>>67 しかるに、満洲・北朝鮮・南樺太・千島などの朝鮮人とロシア兵は
神社を放火し、仏像を射的の標的にし日本人収容所の女子供老人を訓練台にしたのです。
若い男はシベリア抑留でした。
五・六歳の日本の女の子がカーテンで裸をおおって下半身が血だらけで
さ迷い歩いているのが可哀想だと中国人の中に言う人がいるにせよ ソ連兵や馬賊のような狂気に走った中国兵相手では助けようがありません。
朝鮮人はソ連兵について回るのは馬賊と大して変わらない感覚です。
北朝鮮では校庭や防空壕に刑務所や軍事基地の倶楽部に日本女性を裸にして連れ込んで暴行の上殺していったわけですから
北朝鮮側が味を占めて強制収容所に改変して 未だに続けているのを改めようはずがありません。
頭上に中性子爆弾かデージーカッターのようなナパーム弾の親玉の熱爆弾でも投下しないと
強制収容所は解体しない程と思われます。
在日朝鮮人とアメリカ人に
良心の痛みや大和民族差別はイケナイ事という人間性が あるとは全然思えません。
死んだインディアンは良いインディアン。カルフォルニアの中国人苦力は白人同士の争いの仲裁に
拉致誘拐して争う白人の双方がイケニエに嬲り殺して仲直りしよう。十字の柱と梁に縛り首にして吊るし
イエスの十字架のイケニエと同じ喧嘩の罪のツグナイ方などとウソブイていた時代があったのです。
日本との戦争で「私は日本人ではありません」バッチを貰う時まで続いていた民族差別の虐待でした。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1116304848/847n-853 ドイツ人へは、欧州大戦(第一次世界大戦)より前にも
アメリカの入植地でドイツ人農民への略奪・暴行・誘拐が頻発していました。
その代表例が、サッター?といわれているドイツ人農夫です。
カルフォルニアのサン・フランシスコかロサンゼルスでしたでしょうか。
この町はサッター?氏による農園と点在した屋敷が原型です。
ゴールドラッシュの荒くれ無法者が農園に多数やって来て牛や馬を盗み家族を脅し、息子が殺され
まるで新約聖書のブドウ園の息子が殺された農園主人の話のような感じでした。
しかし聖書に手を載せて大統領の就任宣誓をし、それを支える
連邦裁判所は、サッター?氏の息子が弁護士になって訴え出ても
犯罪があったのは認める・被害事実も認める。
しかし、加害者達に謝罪や賠償や退去命令の判決は出さなかったのです。
こんなアホな判決などあるでしょうか。
息子に法律勉強をさせ育てる年月や裁判の上告に次ぐ上告の費用など
大変な苦労です。それでも「アメリカは正義で民主主義」だなどというのです。
このような神経で思考回路で屁理屈を押し通すので
日本国内で「在日朝鮮人」が生存し居住できるわけです。
戦争前の大陸法と[戦後の]英米法の組み合わせの法令適用解釈の慣例・判例が
更に今の日本を陥れて先住の戦争に負けた大和民族を助けようの無い状態を作っています。
日本人の国会議員が日本人被害者が助かる方向に替える法律を作らないのです。
日本人の警察が日本人被害者が助かる方向に捜査・逮捕しないのです。
日本人の裁判官が日本人被害者を助ける方向に法解釈適用の判決を下さないのです。
アメリカ人の思考回路: 純潔の律法を守って下さい。守らなかったですね。罰とかありますか。約束違反ですね。 約束(キリストの恵みに類似)は、契約(モーセの律法に類似)ですか? そうです。契約も約束も同じですね。(この時点でキリスト教ではない[神学的に]) 約束守らなかったらレイープします。[つまり約束させる側は、純潔でない] レイープは約束違反ではなく、契約の中身ですね。犯罪でないです。(この言い訳でカルト) おりしも西部開拓時代。モルモン教団はダナイト団というテロリスト部隊を養成し、 家財を積んで西に向かう一家を続々と襲っては財産を奪う。インディアンの変装で襲う のが常だったけれど、失敗すると変装を捨てて出直し、保護してあげると称して ソルトレークシティにつれていき、そこで子供だけ残して全員を虐殺したりしている。 後にこのダナイト団の親玉がつかまってこういうことを証言。最初はその親玉も口を つぐんでいたけれど、ブリガム・ヤングは「つかまるようなバカはさっさと死ね」と あっさりこれを切り捨て、絶望した親玉は口を割り、すべてブリガム・ヤングの直接の 指示で行われたと言っている。教団側はもちろんこれを否定している。 またかなり長いことユタ自治区はアメリカから半ば独立した存在になっていて、 税金も払わず、さらにアメリカ政府が裁判官とかを送り込むとかれらはこれを ぶち殺したりしてる。かなり長期に軍事的な対立をしてから、騎兵隊つきで 裁判官派遣、さらに一夫多妻だけはやめてね、という条件付きで、ユタは正式な 州になった。まあこういうこともあったからアメリカ政府側のプロパガンダも 混じってるんだろうし、これをもって、いまのモルモン教を否定することは できない(あ、ちなみにかれらは自分のことをモルモン教とは言わない。 末日聖徒キリスト教会という)。旧約聖書みたいにそういう残虐行為を得意げに 自慢しないだけマシかもしれないんだけれど、ただ出自はかなりすさまじい宗教 なんだというのは知っておいてもいいかも。あと50年くらいしてオウム真理教が いっぱしの教団になっちゃったような感じかな。
ロシア領アラスカ(ロマノフ[東ロマーナ・ビザンツ]王朝の帝国・第3ローマ) シアトル−オレゴン〜ユタ〜コロラド川(モルモン自治区・ユタ準州) メキシコ領サン−フランシスコ・ロス−アンジェルス・ロシア要塞 メキシコ領コロラド〜カンザス〜テキサス スペイン領フロリダ ミズーリ川流域〜ワイオミング・ララミー砦〜ユタ準州 ミズーリ川流域〜ワイオミング・ララミー砦〜メキシコ領(コロラド準州)〜テキサス ミシシピーの西岸セント−ルイス(聖ルイ) ミシシピーから東側(ミネソタ ・イリノイ・ルイジアナ[ルイの土地])〜インジアナ・テネシー〜東部13州 東部13州森林インディアン・イロコイ族をホロコースト殲滅。
ロシア領アラスカ(ロマノフ[東ロマーナ・ビザンツ]王朝の帝国・第3ローマ) シアトル・オレゴン〜アイダホ・ユタ〜コロラド川流域(モルモン自治区・ユタ準州) メキシコ領サン−フランシスコ・ロス−アンジェルス・ロシア要塞 メキシコ領コロラド〜カンザス〜テキサス スペイン領フロリダ ミズーリ川流域〜ワイオミング・ララミー砦〜ユタ準州 ミズーリ川流域〜ワイオミング・ララミー砦〜メキシコ領(コロラド準州)〜テキサス ミシシピーの西岸セント−ルイス(聖ルイ) ミシシピーから東側(ミネソタ ・イリノイ・ルイジアナ[ルイの土地])〜インジアナ・テネシー〜東部13州 東部13州森林インディアン・イロコイ族をホロコースト殲滅。
満州の日本人(イロコイ族) 北朝鮮(スー族・北ダコタ族) 韓国(アパッチ族・南ダコタ族) 台湾(シャイアン族) 日本(アラパホ族) こんな扱いだな。
ロシア_−インディアン−インディアン−_____−フランス領−イギリス領 モルモン−インディアン−インディアン−フランス領−合衆国政府−合衆国政府 モルモン−モルモンゆた−合衆国政府_−合衆国政府−合衆国政府−合衆国政府 メキシコ−モルモン__−メキシコ__−フランス領−合衆国政府−合衆国政府 メキシコ−メキシコ__−インディアン−テキサス_−フランス領−スペイン領 メキシコ−メキシコ__−メキシコ__−メキシコ
ナチスは動物を 絶滅収容所で殺した。 動物(良心の痛みがない人間・ ・ドイツ国内や占領地のアカ・ロシア人スパイ(ダビデの星に赤文字)・ ・ユダヤ教徒でない血筋だけユダヤ人(黄色のダビデの星に黒文字)・ ・ユダヤ教でないユダヤ人をかくまったカトリック信者(ダビデの星?) ・エホバの証人・アメリカ人・精薄者・身体障害者(青色のダビデの星に黒文字)・ ・カトリック信者を弁護したプロテスタント牧師(ダビデの星に青文字?)・ ・ユダヤ教徒と取引した事実をばらしたナチス党員など) ユダヤ人 →ガス室 アカ[ユダヤ人含む]・ロシア人[ユダヤ人含む]・アメリカ人・エホ証 →生体実験 カトリック・牧師 →餓死
アカなど、犯罪者にも人権があります、赦し続ければ役に立ちます。 → 生体実験という役に立ち方 働かなくても犯罪者をかくまえば、生きていける。 → 餓死するはずはなかろうから食事は与えない。マナが空中から顕われるのだろう。 アカやカトリックでない、取引に値しない信心がないユダヤ人。 → すぐ遺体にする。実験するほど暇でない。飯ももったいない。
歴史書のダイジェスト版(十八史略とか)・
要点解説書(口訣[くけつ]など)は、中国から日本に伝わっている。
翻訳解説本など明治書院の漢籍など多くある。
西欧は歴史書や異説解説や要点抜き出し説明が
主観的だし偏向が多すぎ。
自分を正当化したいばかりに
聖書にさえ、
付け加え(コリント書の父と子と聖霊・・・はギリシア語聖書にないが
ラテン語聖書にある)や
削除(黙示録の22:16〜22はギリシア語聖書にあり
ラテン語聖書にない)が見られ、
他の教派の解説自身を広めさせない為に解説書にすら記載しない。
焚書坑儒がひどく、学問の自由がない。
異端審問・宗教裁判が盛んだった時は、暗黒の中世時代なる時より
異説流布者への殺害と
書籍の焼却(エノク書[古代
スラブ語[ウクライナ(首都キエフ)と呼ばれる以前のキエフ公国時代]と
エチオピア語しか現存しない])が多かった。
だから比較研究自体に、消極的になる。
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=history&key=1124093582&st=312&to=327
★李朝 730万人(両班と師弟は、総人口の0.3%の約2万人に過ぎない)
両班(やんばん) 役人ポストがある
奴婢(のび)
卒居奴婢
常奴(さんのむ) 役人ポストがない(土地は持っている両班庶ゲツ・試し腹で育てられた師弟・
邑(まうる)・面(なら)などの任[にむ(長老・ぬし・有力者)] )
下人(はいん) チゲ(行商・保負商・荷背負い人夫・作業人足)・キーせん(妓生[接待婦])
外居奴婢 こサ(居士)・むーダン(巫檀[巫女])・ぺくチョン(白丁)・なむサだむ(男寺党)
★
両班 2万人(士農工商・
[両班(士大夫)・常奴(農業)・居士(手工者)・チゲ(行商)]・
1万余の寺を18院に減らす・
諺文禁止を判る・漢字がわかる・父や祖父に官職あり)
常奴 数十万人(土地持ちで農作業も出来るが
、父や祖父に官職がない)
奴婢 残り(両班や常奴達ニム(任[長老])の使用人にすぎない。
ニムの移動指図するマウル[邑]・ナラ[面]以外の土地を知らない)
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=history&key=1124093582&st=328&to=328
82 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/26(月) 18:20:11 ID:WHB7LWU0
あのう69−79の書き込み(ID:BDxapm3D)ですが、初めに ちょこっと聖書の話がでるだけで、どんどん全く違う話になってます し、今日の日本国が友好的に付き合うべき人々の尊厳を著しく犯して ると思います。皆さんの同意があれば、削除依頼を出しますがいかが でしょうか....
83 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2005/12/26(月) 18:40:29 ID:bGsKDi9Y
>>82 はぁ?削除依頼通ると思ってるの?
自分が散々質問箱とか荒らしてたくせにwいけずうずうしいwww
おなじ目的で書き込んでるだけでしょアンタとwww
つまり キ リ ス ト 教 の 誹 謗 中 傷 よwww
84 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/26(月) 18:52:36 ID:WHB7LWU0
>>44 >イエスは、「神の冒涜罪」という最大の罪で死刑に処せられただけ。彼の死が、
>「人類の罪を贖った」、など、どこをどう考えても出てくるものではない。後
>世のキリスト教徒による全くの「こじつけ」以外の何物でもない。米国の聖書
>学者バートン・L・マックは、「こじつけ」さえ不可能な代物だと言っている。
僕はこれが気になってしょうがないんです。マック氏の受け売りではないが
ある人物が何等かの理由で十字架に掛かった事が「人類の贖罪」だなんて
到底考えられないですね...「人類の贖罪」の概念が出るまでに20−30
年は掛かるだろうと思います。
イエスの十字架について、いろんな可能性を考えてみてるんですが
考えられる可能性の一つは、イエスはある策動があってそれを沈静化
する為の生贄になったと言う事です(これがイザヤ書の「苦難の僕」の死
と同じです)
救おうとした人達はもちろん人類などと言う大げさなものではないでしょうし
ユダヤ人でも異邦人でもないでしょう。ある限られた共同体の人達
です。
使徒言行録によれば、原始教会はイエスの名による信仰をしてたそうです
イエスによって救われた人達が、イエスを慕って信仰していたとすれば
ここの話は辻褄があいます。
この共同体が毎日朗読していたのが、山上の垂訓です...これは僕の
妄想ですが...
原罪との関連は?...パウロの初めの方に書かれた書簡(テサロニケ
やガラテア)を読むと、そんなにどうこう言ってないんですね...
原罪を言うようになったのは、コリント以降なんですよ...
続く
>>82 出したら?
「アメリカ人の思考回路」なんて明らかにスレ違い。
86 :
名無しさん@3周年 :2005/12/27(火) 10:38:24 ID:WFkN7uOc
問) 創世記の「塵」が「塵」であることをどう理解するか
87 :
名無しさん@3周年 :2005/12/27(火) 13:24:34 ID:YCiTIEdQ
餠云々を語る人は、なぜ中途半端な主張をする? 周知のネタ?
88 :
名無しさん@3周年 :2005/12/27(火) 14:06:57 ID:YCiTIEdQ
あ、違った
>>83 少なくともそれは最近のことではなさそうだが・・・・・
90 :
キュロス :2005/12/27(火) 20:33:34 ID:FfdJyAyF
ガラテヤ >2:19 わたしは神に対して生きるために、 >律法に対しては律法によって死んだのです。 >わたしは、キリストと共に十字架につけられています マタイ福音書 >10:38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、 >わたしにふさわしくない。 「自分の十字架をにな」ってイエスに従がいなさい という表現が似ているね。パウロは 明かに自分自身が キリストと共に十字架に掛かることが 神に対して 生きることに つながると言っている。
91 :
キュロス :2005/12/27(火) 20:45:11 ID:zRP88Zpn
>>90 では マタイ福音書の 「自分の十字架」とは 具体的に
何を意味するのか という大問題に 取り組んで見たい。
>>51 で イエスの十字架上の祈り
「わが神 わが神 なぜ私をお見捨てになったのですか」
を
「わが神 わが神 なぜ「自分の民を罪から救う」という
私の使命・目的を 見捨てられたのか」と読み替える事が出来る
のではないか と言うことを書いた。
だとすれば 「自分の十字架」とは その人が 神から与えられた
使命・目的の事ではないか?
人は 「在りて 無きところのもの」だからね。
92 :
momo ◆HfNWSGfVro :2005/12/27(火) 20:57:14 ID:BXY6yUfw
ガラテヤ2−21 わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって 得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。 ガラテヤ5−24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に 十字架につけてしまったのである。 義人はいないのだから、十字架の贖い以外には、人の救いはない。ここの聖句は そのように、理解していますね。
94 :
キュロス :2005/12/27(火) 21:17:57 ID:zRP88Zpn
>>91 >だとすれば 「自分の十字架」とは その人が 神から与えられた
>使命・目的の事ではないか?
聖書学では マタイ福音書も いわゆる「十字架の逆説」
弱さが 強さに 変わるってやつだ。パウロもそうだけど。
だとすれば 自分の十字架を担う とは
「神から与えられた 使命・目的」 を果せない
自分を 十字架に架け イエスの従がう ことで
それが できる と言う事かな。
とすると 人の「神から与えられた 使命・目的」とは 何か?
つまり なぜ 神が 人に 永遠の命 を与えるのか?
その 目的は 何か?
永遠の反対は 時間ではない 拡散 である。
と 主張している 人がいる。
と言うことは 「十字架の贖い」以前は 「拡散の命」
と 表現できる。
95 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/28(水) 00:05:48 ID:TetMCtze
原罪と人類の救済... この両方ともAD50年代だw...イエスが処刑されてから 20年経てますね...クリスチャンはその間が全く抜け落ちてる んすね...この間に教会のドグマは著しく変化してるんだな 前後関係も出鱈目だし、取って付けたような説明しか無いから みんなクリスチャンを馬鹿にするんだろね 原始教会にギリシャ語を喋る信徒(ヘレニスタイ)が 入ってきましてね...その中の一人がステファノです。 このラジカルな人達の参入によって、原始教会は様子が変わります。 ステファノはユダヤ教の聖職者と神殿を冒涜した罪で処刑されます。 田川健三流に言えば、この人達が一番イエスの主張を反映した人達 だそうです。この後官憲の一斉摘発が起こって、原始教会の面々は 各地に散らばります。その中でアンティオキアに大きな共同体ができて 原始教会はバルナバを指導者としてアンティオキアに派遣します。 以上アンティオキア教会が成立するところまで
>>84 「ある限られた共同体の人達」ですか。。
イエスの名による信仰をしていた・・・
なるほど。この着想は初めて知りました。
だれか本に書いてるんでしょうか?
★★★ 伝承発生地域と聖書流入記者 ★★★ ヨルダン: モアブ・カナン・ダビデ (バラム−バラク王と祭司→祭司王メシア救世主←メシャ王碑文・いけにえ・ 貴賎や純潔に拘らない国際結婚・ホロコースト正当化[聖絶=殲滅]) クルド: アッシリア・ヨナ(トビト契約書作成・ 利子と銀行の考え・ピノキオ物語) ガザ地区パレスチナ・ギリシア: ペリシテ・クレタ・サムソン・パウロ・ヨハネ(ニカノル門・ 天国と地獄・応報は千年単位・命と血と息・愛と真理・ペリシテ王) レバノン: フェニキア・ツロ・シドン・列王(文字・レバノン杉・白檀香・ 高き山の祭所・地中海貿易) シリア: アラム・ゴラン高原・サムエル・エリヤ・マタイ・ルカ(将軍ナアマン・ ヨルダン川の洗礼・預言者シェムエル[サムエル]) イラン: ペルシャ・ネヘミヤ−エズラ(善悪光闇の戦い光の子・ 最終審判) エジプト: ミツライム・ヤコブ・ヨセフ・エレミア・マルコ(母子が神・防腐オイルと沈香・ 復活思想・ミイラ葬式・乳香・太陽暦の豊穣の川と一つの太陽の恵み) イラク: バビロン・アブラハム・ダニエル(死んだ後に先祖の列に加わる家父長・ 一人の王による支配という一神教・ 因果律を間違えた供物による偶像崇拝と科学的思考回路と迷信) シナイ半島: ミデアン族−アラビア・イサク(お婿と巫女・ 啓示という神がかりの理由で移住や遊牧) イエメン・エチオピア: シバの女王・ソロモン(タンバリンで賛美・香辛料・宝石・ 王族同士の国際結婚・淫乱の言い訳ハーレム) イタリア: ローマ(法と正義・死刑と十字架)
創世記___−_古事記 申命記など_−_神社の物忌み・祭壇組かた・祈祷作法・年中行事説明書 ______−_(AD900頃の延喜式のような) エズラ記など−_神道復興と神宮建立経緯と ______−___日本教創設者の履歴や生い立ち伝記(教祖の紹介本) ルツ記など_−_倭王武(継体天皇)の曽祖母の生い立ち伝記 ______−___(コレアン嬢とかと国際結婚し[王となり]任那[コレア]領有正当化の民間伝承の抜書き) 列王記など_−_日本書紀 雅歌____−_額田大君の万葉の恋愛詩(和歌) 哀歌____−_山上憶良の万葉の防人や ______−___平城京建設に酷使で働く平民の嘆き詩(和歌) 詩篇____−_大祓祝詞など祈祷祭文集 ______−___(加持祈祷寺の門前で売っているような神道祈祷文−祭文集) 箴言や伝道書−_日本の諺集 エレミア記_−_サイパン沖縄で虐殺があり原爆が落ち ______−___GHQに強姦略奪される予言書 ______−___(岡本天明の「日月神示」のような神懸り詩文モノ) イザヤ書など−_アメリカ軍基地が無くなり在日朝鮮人が絶滅し ______−___日本の完全独立する予言書 ______−___(三島由紀夫よりキツイ表現の右翼本・ ______−___反米左翼本[前衛だの解放とか原理殲滅!とか表現するヤシ])
創世記(カナン・パレスチナの創造神話・・・アダム(人類の発祥・・・)ノア(洪水物語・・・)) アブラハム(ヘブライ人の族長・その名は「多くの父・高き父・愛される父」 __↑____親戚ロトにまつわる話・ソドム−ゴモラの滅亡・・・ __↑___エルサレム[平和の神]の祭司メルキゼデク[正義の王]のパンと葡萄酒・10分の1・・・) イサク(その名は「笑い」) __↑ ヤコブ(押しのける、の意味 兄を押しのけた 別名:天使に勝てる者・イスラエル) __↓ ヨセフ(入エジプト・ファラオ任命のエジプト宰相・・・) モーセ(出エジプト・モーセ五書[レビ族アロン系祭司と十戒の・・・]) ヨシュア記(師士はモーセの後継者)ヤショルの書 師士記(対ペリシテ・パレスチナ)__↓ ルツ記−−−−サムエル記−−−ヤショルの書 人間としての_メシアとしての_??? ダビデの出生_ダビデの即位__??? __↓ ダビデ王(古代ヘブライ統一王国の成立・詩篇) ソロモン王(ダビデの子孫・シバの女王・箴言・伝道の書) 列王・歴代誌(預言者エリヤ・エレミヤ・イザヤ・・) バビロン捕囚(哀歌・ダニエル(バビロン宰相・・・)) バビロンから帰還(エズラ&ネヘミヤ(ペルシア王が任命した州知事&書記)・エステル(ペルシア王妃)) __↓ 死海写本・・・ __↓ 新約聖書・パウロの手紙(教会の兄弟・長老などへの指示・諭し・・・) 新約聖書・福音書(イエスの記録)−使徒の手紙(12弟子・主の兄弟の) 新約聖書・黙示録
101 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/12/29(木) 00:10:03 ID:Vo+WABXG
>>96 >「ある限られた共同体の人達」ですか。。
>イエスの名による信仰をしていた・・・
>なるほど。この着想は初めて知りました。
>だれか本に書いてるんでしょうか?
僕はそう言う本を見たことがないです(誰か書いてる
かも知れませんが)...使徒言行録を何回か読み直して
思いついた着想です...
102 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/03(火) 00:13:17 ID:OVIhRECC
皆様明けましておめでとうございます。今日は清水寺の中にある 地主神社へ初詣をしてきました。縁結びの神様とかで、若いカップル で一杯でした。去年からシリーズ物で幾つかしてきましたが、例によって クリスチャンは殆ど目もくれず、むしろROM派が盛んに見てる様です。 ROM派は何処そこに書かれてると言えば読んでくれるでしょうが クリスチャンは何を言っても何も読まない人種ですので、ここに 書き込んでも無駄なようですね... 今年のシリーズ初めはヨゼフスをします。ヨゼフスの記録と主に福音書 が全く違う場所をピックアップして幾つか書いていきます。
ココモスキーさん棄教してたんですね・・・
104 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/03(火) 02:48:57 ID:o7zTJuHK
>>103 今年はこの手の知能程度の低い3流教団の馬鹿信者を徹底的に
突っ込んで行きます。馬鹿教会ほど寺社へ行くなって言いますね
仏さんを拝んだら棄教って言うんですね、神社に初詣をしたら
棄教って言うんですね...それを言い出す奴の教団は大体
程度が知れてるんですが、要はてめえの教会がアホだから
寺社へ行くなって言うんですね....てめえの教会の教義が
スカスカだから坊主や神主の説法や講釈を聞くと馬鹿教会の
馬鹿さ加減に信者が気づいてしまうかも知れないと馬鹿教会の
糞聖職者が考えての事です....これは自信を持って言える
事です....わはははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
異教の神殿で礼拝することは何ら問題の無いことなのだ。
106 :
名無しさん@3周年 :2006/01/03(火) 09:36:52 ID:y9UajuA8
イスラム教徒じゃないの?正月は元旦モスク礼拝でアザーン三昧じゃないの?
対キリスト教徒用のイスラム教の宣伝をしてほしい。
108 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/03(火) 11:27:21 ID:03GgeBN4
>>106 >>107 「イスラムは何々をする」,「キリスト教徒は何々をする」
「仏教徒は何々をする」と言う発想がおよそ、その人がどう
神と向き合ってるのかを殆ど理解してない奴の言葉だw
所謂セレモニーでしか宗教を理解してないからこの手の
発言になるんだろね....今年はこの手の馬鹿信者も
突っ込んで行きましょう.....
>対キリスト教徒用のイスラム教の宣伝をしてほしい。
こいつのお頭も程度か知れてるw...
僕が知ってるムスリムはそんな下らない事をするとは
思えないし、そんな資料を作る労力は無駄だよ...
馬鹿信者を扱き下ろすには、聖書を良く研究して
馬鹿教会の教義が如何に軽薄で全く根拠のない
誰かの妄想による物であるか示したらいいんだよ...
109 :
キュロス :2006/01/03(火) 11:28:18 ID:C48ZV/+/
マタイ福音書 >7:6神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。 >それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」 犬 豚等は 何を意味してるのだろうか? 2ペテロ2:22 のことわざを マタイ福音書の記述者達は 知っていたのだろうか。もしこの様な 諺を知っていたのなら 12章43節以下の「汚れた霊が戻ってくる」と言う話しは 7章6節の説明の様に思える。 2ペテロ >2:22 ことわざに、/「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」また、 >「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」 >と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。
キリスト教徒からムスリマに改宗した人の ホームページってあるけど?
111 :
名無しさん@3周年 :2006/01/03(火) 11:29:15 ID:y9UajuA8
ムスリムって戒律の宗教じゃないの? 神社に参拝して良いのかイスラムの指導者にきいてみっから。
112 :
キュロス :2006/01/03(火) 11:47:50 ID:C48ZV/+/
>>109 >ローマ 岩波訳
>1:17 神からの義はその福音において啓示されるのであり
>それは、信仰から出て信仰へ至るのである
「信仰から信仰へ至る」と言う考え方が有るのだろうね。
しかし この箇所の訳は 聖書によってずいぶん違うね
ローマ1:17 新共同
>福音には、神の義が啓示されていますが、それは、
>初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。
>「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
フランシスコ会訳
>人を救うのは神の義であり、その救いはひとえに信仰を通して
>与えられると言うことが、福音に現われています。
>「正しい人は信仰によって生きるのである」
>と記されているとおりです。
まあ フランシコ会訳は 約2ページの脚注が 在るから
この様な訳ができるのだろうね。
113 :
キュロス :2006/01/03(火) 11:59:25 ID:C48ZV/+/
>>112 新改訳 ローマ 1:17
>なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、
>信仰に始まり信仰に進ませるからです。
口語訳 ローマ 1:17
> 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。
新共同と フランシスコ会訳は なぜ「信仰に始まり信仰に至」
と言う 表現を避けたのか? 神学的な理由なのだろうね。
新共同には 解説が無いから 問題があるような気がする。
114 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/03(火) 12:02:59 ID:03GgeBN4
マタイ福音書3/1−6 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。 『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。 そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 悔い改めの思想は第1イザヤじゃないかと思います。 第1イザヤ1/27 シオンは裁きをとおして贖われ/悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。 第1イザヤ6/10 この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、 耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」 これらのイザヤの言葉がどういう状況で出てきたのか説明してると 紙面が足りないので、修学する意思のあるクリスチャン(殆どいないと思うが)は 第1イザヤを修学すると良いと思います。 それで、ヨゼフスなんですが、このマタイの聖句と異なった記録をしてます。 古代誌XVIII−v−2 「ヨアンナス(ヨハネ)によれば、洗礼は、犯した罪の赦しを得るためではなく、霊魂が正しい行い によってすでに清められていることを神に示す、身体の清めとして必要だったのである。」
115 :
キュロス :2006/01/03(火) 18:37:56 ID:noLG3KdL
>>109 >犬 豚等は 何を意味してるのだろうか?
と言うわけで マタイ福音書7章6節の 犬 豚等は
は 律法解釈によって 社会から排除されている罪人ではなく
信仰の無い者 なのではないだろうか?
豚に真珠とは、 現代のキリスト教徒のことではないでしょうか。
117 :
キュロス :2006/01/03(火) 20:10:47 ID:noLG3KdL
1コリント 6:11 >あなたがたの中にはそのような者もいました。 >しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、 >聖なる者とされ、義とされています。 まあ これ「しかし」以下が聖書上での 最古のキリスト教の入信 儀礼としての洗礼の記録なのではないのかな。
118 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/04(水) 01:30:00 ID:mjG2DS1z
>>111 >ムスリムって戒律の宗教じゃないの?
お前の頭ではその程度しか分からないんだろね...
戒律をかたくなに守ってるムスリムがクローズアップされて
それがマスコミや馬鹿教会で宣伝されてるから、その知識しか
ないんだよ....そういう上辺の知識だけで何でもカンでも
理解しようとするから、 どんな教団に入ってもロクな事が分
からないだよ...馬鹿クリスチャンの典型だw....
お前さんはコーランを読んだ事があんのかよ、そもそも聖書
を読んだ事ないんだろが...般若心経も読んだ事ねえだろ
...馬鹿教会のニワカ信者の実体はこんな連中だよ...
119 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/04(水) 20:47:56 ID:1xaMqbE3
>>114 注釈
マタイ福音書における洗礼者ヨハネの記事は殆どがフィクション
だと思います。
−−>そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、−−−>0
−−>「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。 −−−−−−−−−−−>*..そういう主張はしてない
−−>これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」 −−−−−−−−>*..マタイ教会の考え方
−−>ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、
いなごと野蜜を食べ物としていた。−−−−−−−−−−−−−−>多分0
−−>そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの
地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、−−−−−−−−−−−−−−>0
−−>罪を告白し、−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−>*
−−>ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−>0
僕の赴任先のマンションのネットがなぜか切れてしまいましたので
近くのネットカフェから書き込んでます。明日以降繋がらなかったら
しばらく休みます。
120 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/05(木) 22:24:34 ID:xjBh8T1Y
この休みにやっと「ユダヤ人とローマ帝国」大澤武男、「旧約新約聖書時代史」 山我哲雄、佐藤研、を、読み終わりましたん。これで少しは話についてけそうです。
121 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/06(金) 00:31:25 ID:FxABuTjj
>>120 >この休みにやっと「ユダヤ人とローマ帝国」大澤武男、「旧約新約聖書
>時代史」山我哲雄、佐藤研、を、読み終わりましたん。これで少しは話
>についてけそうです。
これこれ清らかなクリスチャンに学問は必要ありません。神の子イエス様は
乙女の御生母マリア様からベツレヘム近くの馬小屋でお生まれになられました。
神の子イエス様は嵐を沈め湖を歩き、病の人を癒し、罪の人を救い多くの弟子を
育てました。
イエス様はユダヤ人の手により十字架で昇天しましたが、3日目に復活し
神様になられました。
天の国にはイエス様がおられ、罪を悔い改めて洗礼に授かった人は
復活して天の国でイエス様とともに永遠の命に授かります。
ハッハァーーーー
122 :
名無しさん@3周年 :2006/01/06(金) 13:14:40 ID:0F8jvuw7
マルコ8.19〜8.21 >わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった篭は、幾つあったか。」 >弟子たちは、「十二です」と言った。 >「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった篭は、幾つあったか。」 >「七つです」と言うと、 イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。 ここに出てくる数字には、なにかメッセージが隠されていると思うのですが、 この聖句の意味がわかる方、解説よろしくです。
123 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/06(金) 18:53:48 ID:FxABuTjj
>>122 お尋ねの聖句について、僕は僕なりの答えがありますが
クリスチャンは僕が何十回説明してもそれをやろうとしない
連中なので、その方法を再度説明して、答えは
3日程経ってから書き込みます。
聖句の読み方
1..その聖句が示されてる章を数回(信者は数十回)
読み返すこと...普通の人はそれで大体わかります
2..その章の中で、特異な言葉が出てきたら、それに
ついて、ネットや資料で調べること
3..その章が書かれてる社会背景を調べること
4..それでも判らなかったら、信頼のおけそうな研究者
に尋ねる事。
ヒント 12はユダヤの部族数
7はアジア州の7つの教会
(黙示録が良く分かる)
パンだねはその教派・政府の教えや指導
4千・5千は信者の数?
124 :
キュロス :2006/01/06(金) 19:41:56 ID:LLQlpTFB
創世記 4章13節 新共同訳 >カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。 新改訳 >カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。 口語訳 >カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。 フランシスコ会訳 >カインはヤ−ウェに言った「わたしの悪は重すぎるので 岩波訳 >「わたしの咎は、重すぎて負いきれません」 古代の聖書時代にでは 原因とその結果を一体的に把握 していたらしい。 その例として ヘブライ語の「アーヴォーン」は「罪」を 示すのと同時に その結果の「罰」をも含意しているらしい。 罪と罰は 同じ言葉 なのですね。 その事を踏まえてパウロ書簡を読むと 面白いかもしれない。
125 :
名無しさん@3周年 :2006/01/06(金) 20:49:56 ID:Geiobr/y
コテハンの皆さん、 大貫隆さんの『イエスという経験』岩波書店2003の感想を聞かせてください
126 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/07(土) 00:49:22 ID:NmffFHWM
悔い改め 愛情深く慈愛厚き唯一の神様(アッラー)にお詫びをいたします。 私は不覚にも神様の教えに背き、1/2に邪悪な異教の神殿に赴き 新春の初詣を行い金100−を献上し偶像に礼拝をいたしました。 ごめんちょ、アッラー様
127 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/07(土) 00:57:44 ID:NmffFHWM
ユダヤ教徒の皆様へのお詫び 私は発言しない約束で、あるユダヤ教徒から教えていただいた神聖 な神の御名を不覚にも4−5回書いてしまいました。 ユダヤ教徒の皆様には御心を傷付けてしまったのではないかと 反省してます。 今年は改めて書き込みはYHWHに徹する所存ですし、敢えて 言葉にする必要があってもヤ*べとするつもりです。 ごめんちょ、ユダヤ教徒の各位様
>>127 ココモスキー ◆VAutiIin4w氏にしてみれば、ユダヤ教も邪悪なん???
129 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/07(土) 02:11:23 ID:NmffFHWM
>>128 どの教派にも邪悪教会と馬鹿教会とインテリ教会があるって
言う事だよ...ところが日本はキリスト教徒が少ない為に
ホンの数百万人の中で世界を代表する聖書学者もおれば、社会の
掃き溜め人間も巣くってる場所担ってるんだよ
日本人ではイスラムとユダヤ教徒は共同体が造れませんので、そういう
評価は不可能です
>>129 共同体は関係ない気がするのだけど、、、、まあいいです。
131 :
キュロス :2006/01/07(土) 19:34:16 ID:0ulux+gp
ミシュパートは シュ−フェート(裁判官)が下す裁きを 意味する そして 公正 規範 法令 正当な権利等を 含意する。 ツェダーカーは 義 と訳する事が 出きるらしい。 合法性は 義 と同一ではないが 両者は常に一致している。 聖書では ツェダーカー(義)とミシュパート(公正) の意味の違いを厳密に確定することは難しい らしい。 しかし ミシュパート(公正)は 行動様式を表し ツェダーカー(義)は 人格的な質を表している らしい。 シャーファット(裁く)に由来する名詞が ショ−フェートで それが 裁判官 仲裁者を意味するようになった らしい。 しれに対して ツァッダ−ク(正しくある)に由来する 名詞がツァッディ−ク(義人)を 意味するする らしい。 公正は厳密 厳格で 各人にその分に応じて報いる それに対して 義は 慈愛 親切 寛大 を含意する 公正が 形式 均衡状態であることに対して 義は 実質的な 関連的な意味を持っている らしい。 公正が 適法性を意味するの対して 義は 虐げられている人々に対する 共感を連想させる。 義人 とか 義認 とか言う時の 義 とは なんだろう?
132 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/08(日) 02:10:00 ID:YX8Sg3PV
>>131 弱いお頭で考えたって何も判らんダロ...
創世記15/6
アブラムは主を信じた。主はそれを「彼の義」と認められた。
トマス言行録12編
弟子たちがイエスに言った。”あなたがわたしたちから去っていかれる
ことをわたしたちは知っています。だれがわたしたちの上に長となるの
でしょうか”イエスは彼らに言われた。”あなたがたが行く場所で、
「義人ヤコブ」のもとに行くがよい。天も地も彼のゆえに造られたのである”。
133 :
キュロス :2006/01/08(日) 12:25:12 ID:hxmP7wk4
>ローマ書
>11:31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみに
>よって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受け
>るためなのです。
>11:32 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、
>それは、すべての人を憐れむためだったのです。
>>132 聖書の神義論の話しに行こうと思ったのだよ。
>>125 >大貫隆さんの『イエスという経験』
>岩波書店2003の感想を聞かせてください
残念ながら 読んでいないよ。
134 :
名無しさん@3周年 :2006/01/08(日) 12:25:43 ID:qfFvmbdQ
>>132 実は、トマスの言行録の、その箇所の意味がわからない。
たしかヤコブは、母親にたぶらかされて、父の愛した兄、エサウを出し抜いて、
目の見えない父をいいことに、兄エサウになりすまし、兄が受けるはずの祝福を、横取りした
ような人だよね。つまり不正を働いた。なぜ彼が義人になるのかわからない?ココモ大先生、
いやココモ大先生に限らず、このトマスの言行録のこの一文の意味がわかるかた、解説よろしく。
135 :
名無しさん@3周年 :2006/01/08(日) 12:43:02 ID:qfFvmbdQ
あとユダヤ人の出目に関して。 彼らのルーツをたどると、弟殺しのカインからはじまり、 不正で兄を出し抜いた、ヤコブの子孫だよね。 ま、カインなどは、ユダヤ人だけではなく、我々全ての人の先祖と言えるかも知れないが、 ヤコブが義人だとはどうしても理解できない。何が言いたいかというと、 ユダヤ人達の出目は決してよくないってこと。それがどうして、神から選ばれた民族になるのか? しかも面白いことに、彼らの神ヤハウェイは、自分自身のことを 「私は妬む神」だとはっきり言ってるし、自分の気に食わない者は殺しまくっている。 このユダヤ人達の神、ヤハウエイは、イエスの言う「天の父」からイメージするのとは程遠い存在だよね。 この両者が同一だというのは矛盾を感じる。この辺の矛盾を解説出来る方いましたらよろしくです。
136 :
名無しさん@3周年 :2006/01/08(日) 13:53:43 ID:jTikz5lm
137 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/08(日) 18:18:47 ID:GXzViEoY
>>135 さん
ローマ書8;30 そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを
更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さった
のである。
ローマ書9;11-13 まだ子供らが生まれもせず、善も悪もしない先に神の選びの
計画が、わざによらず、召した方によって行われる為に、「兄は
弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。わたしは
ヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。
選びのことだと思います。でも、この教理を受け入れている者が、必ずしも選ばれて
いる訳ではありません。(よく誤解を受けますので)
138 :
キュロス :2006/01/08(日) 19:19:49 ID:hxmP7wk4
ヤコブとエサウの物語は 前10世紀のイスラエルとエドムの 政治的関係が 影響を与えていると言う説もある。 申命記2:4 23:8 等で イスラエルとエドムとの兄弟関係が 記述されている。 エドムに対するイスラエルの敵意は 捕囚時代にその頂点に 達するらしい。前587年のバビロニアの攻撃にさいして エドム 人が エルサレム神殿に火をつけた らしい。 P資料・E資料等の資料批判からの解釈は ココモ博士の得意分野だから 彼が丁寧に解り易く解説してくれると思うよ。
139 :
名無しさん@3周年 :2006/01/08(日) 20:25:35 ID:23wyGFyn
テモテへの手紙一6章20-21節 テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、 不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。 その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。 恵みがあなたがたと共にあるように。
140 :
キュロス :2006/01/08(日) 21:10:58 ID:hxmP7wk4
神意識は 三段論法を経由して心に入って来る物ではない。 信仰の確かさは 思弁の銀皿にのされれて提示するわけには いかない。理論的なもっともらしさによって信仰が つくり だされるわけではない 理論的にありそうも無いことを指摘 されて 信仰が論破されることもない。 理性は 既知のものを未知のものに統合しようとする のに対して 信仰は 未知ものを神的なものと 統合しようとする。 信条に変えられるや信仰は慣習的な理性の述語に翻訳される。 理性がまきこまれる大葛藤は 信仰との間に生じるのではなく 信条との間に 生じるのだ。
義人ヤコブはイサクの子のヤコブではなく、 エルサレム教会の長老のヤコブ(使徒15:13)のことです。 プロテスタント教会の一般的見解ではこのヤコブは、主の兄弟(イエスの弟)で マリアとヨセフの子、ヤコブの手紙の著者とされています。 「義人」というのは、彼が正統なユダヤ教徒でもあったことからつけられたあだ名です
142 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/09(月) 12:31:47 ID:kaLRgvsR
>>134 >なぜ彼が義人になるのかわからない?
>>141 の方が言われる様に、トマス言行録のヤコブは
イエスの弟のヤコブです。つまりトマスの編者は原始教会
が正当な教会(あなたがたが行く場所で、「義人ヤコブ」の
もとに行くがよい。)だと主張してるんでしょうね。
143 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/09(月) 13:10:22 ID:kaLRgvsR
わははははははは...トマス言行録にヤコブと書かれてて 旧約のヤコブだと思ってるのがキリスト教徒のレベルさ... みんなで初春の大笑いをしましょう...わははははははは ははははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははははは
>>134 主の兄弟以外にも、新約には別人のヤコブが何名か登場するので、要注意。
聖書を読むときは、座右に聖書事典(辞典)と聖書地図は必携でしょ。
箸が転んでもおかしい年頃のココモちゃんに笑いのネタを提供しないように。
145 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/09(月) 14:26:43 ID:L+wFwScO
そだね、間違えちゃった。でもヤコブっていいよねぇ。人を騙くらかしても 神の祝福を奪い取るなんていうしつこさが。簡単に神の祝福を渡しちゃう エサウとか、又、教会が、キリスト者がいやになっちゃってすぐ神から離 れちゃう人が多いけど・・・・・ そんなことでヤコブ好きなんだわ。
146 :
名無しさん@3周年 :2006/01/09(月) 14:28:10 ID:To7x7ReV
147 :
名無しさん@3周年 :2006/01/09(月) 14:29:36 ID:/8ERNWyv
なんで聖書ってわかりにくく書いてあるの? 広めたいのならもっとわかりやすく書けよ! ・・・芥川龍之介
148 :
キュロス :2006/01/09(月) 14:44:04 ID:1konASiV
確かに トマスによる福音書12 の「義人ヤコブ」を 荒井献氏の解説では イエスの弟としている。 しかし 「彼のゆへに天と地が生じたのである」という 一節に注目すれば その説には 納得できない。 なぜなら イエスの弟ゆへに 天と地が生じたわけでもない からである。また 荒井氏は 義人ヤコブが天地の創造神 にされている としている。この説も少し変である。 なぜなら トマス福音書は グノシス系ではないからである。
149 :
キュロス :2006/01/09(月) 14:56:11 ID:1konASiV
>>148 トマス福音書の12 の「義人ヤコブ」明かに
ヤコブ つまり イスラエルである。
知恵の書 10章10節以下で ヤコブのことを
「兄弟の怒りを逃れた 義人 を」と 彼のことを
「義人」と呼んでいる。
この記述は 創世記のヤコブ物語の 解釈だと言われている。
トマス福音書12 の「義人ヤコブ」を イスラエル に読みかえると
意味が通じる と思うのは俺だけだろうか。
新しいイスラエル・新しい新天地。。。 兄イエス(プレローマー・満ち満ちている[豊かさ]・世代(世々の時代・ 代々の世界[アイオーン])に満ちた神の権能・ 世界に遍満している神・新約の神) 弟ヤコブ(代々の世界の下にある天と地・兄の下にある弟) マリアの三位一体(母マリア・姉マリア・妻マリア、3人ともマリア、どれもマリア) マグダラのマリア(第8天界の母・信仰の知恵、ギリシア語でピスティス−ソフィア へブル語でアーカモート[ホークモート(知恵)]) マグダラの娘(彼女の息(炎の天使)がデミウルゴス[創造者]をサクラス(愚か者)と呼びかけ ヤルダーバオート[奈落を渡る者・奈落に突き落とされた]にした) デミウルゴス(マグダラのマリアから生まれた天使の一種。第七天界に住む この世とこの世の7つの天を作った創造者、旧約の神) グノーシス(英知)的には、そうなるのだろう。
「マリア」はロシア語の愛称が「マーシャ」である 「マーシャ」は「マザー・マーテル・メーテル・メール・マードレ」の 意味があるという。 母マリアは可笑しい。ヘブライ語はミリアムという発音だそうだが。。。 メコン川がある。メコンは川というタイ語らしい。カワ川と二重に読んでいる。 サハラ砂漠がある。サハラは砂漠というアラビア語らしい。サバク砂漠と二重に読んでいる。 オフィース事務所がある。所ジョージの事務所の名だという。 笑っていいともの発言でタモリがジムショ事務所はねーだろうと言ったという。
>マグダラの娘(彼女の息(炎の天使) 息は、新しい生命・代々の命(ゾーエーアイオナス・永遠の命)の息吹で 聖霊(ハギア プネウマ)の事である。 霊(プネウマ)は、息(プネウマ)とか風(プネウマ)である。 炎も舌の様な形であらわれ、聖霊の象徴であり、知恵の象徴でもある。 サクラス(愚か者[旧約の神])の反対に グノーシス(英知[新約の神])を設定している。 ロゴスを、イエスであり神と設定するのは「ヨハネ福音書」である。 ロゴスを原罪や人類の過失の一因としているのは、グノーシスの「三部の教え」教派?という。
153 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/09(月) 17:37:14 ID:kaLRgvsR
>>149 >トマス福音書12 の「義人ヤコブ」を イスラエル に読みかえると
>意味が通じる と思うのは俺だけだろうか。
その通りお前らの様なくだらない妄想が好きな連中だけだよ
もっともファリサイと友好的なヤコブがイエスの継承者だなんて
言い出したら、馬鹿教会は都合悪いだろね...
何の事はないよ、イエスもファリサイと友好的だったと言う事さ
馬鹿教会は福音書の言葉を真に受けて、キリスト教のドグマが
イエスから出た物だと言いたいんだろうが、キリスト教のドクマ
の多くはユダヤ戦争の後の福音書が書かれた頃にできたんだよ...
イエスは普通のユダヤ人であり、普通のユダヤ教徒ざんす
わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
154 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/09(月) 17:50:21 ID:kaLRgvsR
>>149 >トマス福音書12 の「義人ヤコブ」を イスラエル に読みかえると
>意味が通じる と思うのは俺だけだろうか。
物事は正確に言いましょう。「意味が通じる」ではなくて
「自分達の教会にとって都合が良い」と言って下さい。
155 :
キュロス :2006/01/09(月) 18:46:26 ID:f1cQkXXk
創世記の ヤコブ物語では 着物で父を騙す 場面が在るけど (27:15〜)ヨセフ物語でも 着物で父親を騙すのですね(37:31〜) 着ているもので 人を騙す と言うのは 何を意味しているのかな。 着ているものは 身分的なもの 或いは他者との関係を 表しているのかな。それと 夢 とか 飢饉 というモチーフ も重要らしい。 ヨセフ物語は 資料の寄せ集め ではなく一人の作者の作品だ とい説があるのですね。
156 :
キュロス :2006/01/09(月) 18:58:32 ID:f1cQkXXk
>>155 創世記 3:15
>お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
>わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き
>お前は彼のかかとを砕く。」
他者との関係が 重要なんだと思うのだ。
「敵意」は 人の心の中 にあるのではなく
人と人との間にあるのね。
157 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/09(月) 19:17:04 ID:kaLRgvsR
今日のヨゼフス これをやるのを忘れてた... ヨゼフスと新約聖書で共通して登場する人物は、イエスを除いて 1..洗礼者ヨハネ(福音書) 2..ピラトウス(福音書) 3..イエスの弟のヤコブ(福音書・使徒・パウロ書簡) 4..ヘロデ大王(マタイ福音書) 5..ヘロデ・アグリッパス(使徒) 6..住民蜂起の指導者ユダ(使徒) 7..テウダ(使徒) 8..キリニウス(ルカ福音書) 位かな...それでこれらの登場人物の思想や時期は どうも聖書と食い違うんで、少しずつ出して行きますね
158 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/10(火) 01:22:46 ID:Hqo+czN7
>>147 >なんで聖書ってわかりにくく書いてあるの?
>広めたいのならもっとわかりやすく書けよ!
そんなに判りにくくないと思います。馬鹿教会の人達が分けの
判らない妄想を教義にしてる為に判りにくくなってしまうんです。
(これは僕の持論)
ただ何せ2000年前の文章ですので、社会背景が全く違いますし
弾圧や言論統制で直接的には言えないものを別の言葉に置き換えてる
ところもあります。
例えば黙示録の「大いなるバビロン」や「獣」や「大淫婦」や「666」
の数字などですが、これらは直接ローマ帝国やローマ人といえなかった
ためなんです。
それでそういうものを現代の教会は少なからず商売のネタにしてまして
性質の悪い教会はこういう判りにくい物で馬鹿信者達を弄ぶ妄想患者の
収容所になってます。
僕が思うには、それも人間社会の現実ですし、日本でのキリスト教会の
役割なのかも知れません。
すみません...もう眠い...
★申命記6:4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。 ★申命記6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 ★レビ記19:18 復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。 あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。 -------------------------------------------- ★マルコ伝12:29 イエスは答えられた。 「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 ★マルコ伝12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 ★マルコ伝12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 -------------------------------------------- 旧約 シェマの祈り 復讐をしないようにする・国を恨まない・隣人愛
天にましますわれらの父よ、 願わくは御名の尊まれんことを、 御国の来らんことを、 御旨の天に行なわるる如く地にも行われんことを。 われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。 われらが人を赦す如く、 われらの罪を赦し給え。 われらを試みに引き給わざれ、 われらを悪より救い給え。アーメン。 「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」(『エゼキエル書』に由来する祈祷文) 「天になされるごとく、地にも行われんことを」(『トセフタ・ベラコース』3章7節) 「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」(『箴言』30章8節) 「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」(『メギラ』) 「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」(朝の祈祷文) 栄唱 栄光は父と子と聖霊(三位一体)に 今もイツモも代々に アーメン。 国と力と栄えとは 限りなく汝の物なればなり、アーメン。『歴代志上』29章10、11節
バシリデース派 (グノーシス一般・ヌース[知性・叡智・英知]による 否定神学「存在しない神=思惟の思惟(アリストテレース)」) セツ派 (ナハシュ派・蛇派・エジプト人福音書・大いなるセツの第二の教えなど・ 「アルコーンの本質より」 その獣(デミウルゴス)は目を開き「私こそ神といった」 権威の高みから声があって「お前は間違っているサマエール(目くら)」と告げた。 永遠の命(ピスティスソフィアの娘)がデミウルゴスをサクラス(ばか者[シリア語])と呼んで その娘の息が火の天使となって襲い掛かりタルタロス(奈落・バフート)に落とした。 彼はヤルダーバオト(若者が渡る、若者が奈落にいる[シリア語])と呼ばれた。) バルベロ派 (男女両性具[おめ・おとこおんな]論・男性の処女神[童貞神]が 原父から与えられた思考により不滅・次に永遠の命・次に真理と与えられていった) バレンチノス派 (プトレマイオス派・原父と沈黙[シゲー・女性形]の対で二元・過失はソフィア[女性形]) バレンチノス派 (三部教・唯一原父[プロ_パトル]の一元・過失はロゴス[男性形]) マルキオン派 (マンダ教・ギンザー教・光の世界と闇・第2の命・ 一番年長者の第2の者が動揺を持ち込んだ・ヨルダン川のような洗礼) マニ教 (トマス福音書・シェームの釈義を含む・ イエスの派遣・アダムにイエスが生命の木の実を食べさせる)
< とあるグノーシスの一思想 1 > デミウルゴス(製作者とも造物神とも訳す)は、 もともとは古代ギリシアの「公共職人」を示して使われる言葉。 それをプラトンが、公共職人(デミウルゴス)と言う単語を著書に用いた。 グノーシス思想では、造物神は最高神ではない。 → 新キリスト教辞典 いのちのことば社 ナグ・ハマディ文書 救済神話 プトレマイオスの教説 第五章に登場する。 ヤルダバオート(「ヤハウェを貶める」の意味の造語)・ サクラス(馬鹿者)・サマエール(盲目の神)とも呼ぶ。 アイオーン(世の流れ)からプレーローマ(満ちた豊かさ)があり。 美(カローン)のプレーローマ、プレーローマの星(光・フォース)こそが 救世主(ソーテール[救済者] キュリオス[主人])イエスと言う。 アイオーンは、ビュスト(深遠)・シゲー(沈黙)をアルケー(根源)とし そこからエンノイア(思考)が、ヌース(叡智)とアレーテイア(真理)を生み さらにロゴス(言葉)とゾーエー(生命:ヘブル語のエバ)を生んだ。 ロゴスとゾーエは、アントローポス(人間)とエクレーシア(教会)を生んだ。 またプレーローマ(充満・遍満・満ち満ちている)から 30のアイオーン(世界[世代・代々・世々]・[時代の流れ]流出)より アカモート(ヘブル語ホクモート由来の借用語:[不妊の]ソフィア(知恵))が 第八天を創造し、母となり その母から天使の一種のデミウルゴス(旧約の神)が生まれて 第七天以下の七つの天を創造した。 デミウルゴスは自分が作った七つの天を、全ての世界と思い上がって サクラス(馬鹿)であった。 *ヨハネのアポクリュフォーン?から
ローマ書 正義(真理 アレテイアでなく) ディカイオシュネ コリント書αβ 親愛(善 アガソスではなく) アガペーセイス ヨハネ書 美 カローン 光 フォース・フォトス 命(息・霊 プネウマではなく) ゾーエー 言 ロゴス 世・代(世界 コスモスではなく) アイオーン・アイオナス コロサイ書 満ちた[豊かさ] プレローマー 像・影 エイコーナ(イコン) ほとんどグノーシスではテーマになっているギリシア語の単語ですね。 何度か繰り返しコピペのレスで済まんのですが。思い起こしや参考に。。。
165 :
キュロス :2006/01/10(火) 20:06:40 ID:KCr/A2Vf
>>133 広辞苑によると 神義論・弁神論とは
世界における諸悪の存在が 全能な神の善性と 矛盾する
ものではないことを 明かにしようとすつ立場。
ライプニッツの弁神論は特に有名。
パウロによる 神義論はローマ人への手紙 9章〜11章
で 展開されている らしい。
>ローマ書
>11:25 後半
>すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、
>異邦人全体が救いに達するまでであり、
>11:31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみに
>よって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受け
>るためなのです。
>11:32 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、
>それは、すべての人を憐れむためだったのです。
>11:36 すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、
>神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
【 人生の基準(古代ギリシア哲学で) 】 不正←→正または 偽←→真 事実と言葉が一致して良い 悪←→善 行いが見返りに関係なく良い 醜←→美 見てくれ良い 真善美(哲学) → 正美愛(プラトーン著 クリトーン[とソークラテースの会話]対話Z章) 正・不正(プラトン) → 真・偽(哲学) → 利益・損(創価教育) 翻訳の差 大学書林:良き友(対話[章)→岩波文庫:親愛なる友 原典:ベルティステ:アガソスの比較級→良き→親愛 原典:Διαディア(対話]U章の直前)→翻訳:ゼウス 善:アガソーン 正:ディカイオーン 美:カローン 無償の良 慈善 善:アガソス 無償の愛:アガペー 母子の愛、授乳の愛[出世払いというウバ的考えもあるが] 全能:[H]シャッダイ・女性の胸 [G]パントクラトール(何でも屋・よろずや) 有償の愛:エロス(男女の愛、あげたら貰う愛) 良い麦(カローンの麦・美しい麦?)←→毒麦(醜い麦?) 「ερωΣ」、最後のシグマ、字体がない問題は全部を大文字にすれば一気に解決でつヽ(´ー`)ノ アガペー(神の愛) ΑΓΑΠΗ フィリア(兄弟愛) ΦΙΛΙΑ エロース(性的な愛) ΕΡΩΣ ストルゲ(親子の愛) ΣΤΟΡΓΗ なんだか、大文字の方がギリシャ語っぽいでつねヽ(´ー`)ノ
167 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/10(火) 20:25:45 ID:Hqo+czN7
今日のヨゼフス ルカ福音書2/2−5 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた 最初の住民登録である。 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町 ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 キリニウスの時期に皇帝の命令で住民登録をした事は、ヨゼフスにも書かれ てます。この時ユダによる住民蜂起がおこりまして、登録に反抗します。 その時期はAD6年頃とされてます。マタイ福音書ではヘロデ大王が 出てきますので、BC4年以前になります。10年位食い違ってるんですね。 手身近に説明しますと、イエス出生に関する話はマタイもルカもフィクション だと思います。ユダヤの伝承でメシアはダビデ王の末裔で、ダビデ の生誕地ベツレヘムで産まれるとされてた為(ミカ書など)に、どう見ても ナザレ出身だったであろうイエスに、ルカは実際にあった事をネタにしたん だと思います。時期が大きくずれていても、それから数十年経ってます ので、これを聞いた人も「確かに昔そんな事があった、イエスはその時に ベツレヘムで産まれたのか」と納得してしまったんでしょうね...
>異邦人全体が救いに達するまでであり Bキリストの福音(律法による救いではなく 割礼[律法]がないゴイム[家畜・外国人]へ 十字架による救済の宣教が向かった) >11:32 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが Aモーセの律法(律法は罪の自覚を生じさせるのみ、人類は律法に不従順の罪びと) 【 律法の定めを果たす 】 ガラテヤ 3:12-4:1 @神のアブラハムへの約束 (祝福:法律的に有効なものと定められた契約)→BC2000−1700年頃から四百三十年後 Aモーセの律法 (相続が違犯を明らかにする為の律法(養育係)に由来し 聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めた(違約の民を呪った)。)→BC1290以降 Bキリストの福音 (エウ+アンゲリオン[良い+知らせ]・知らせ人[アンゲロン・エンゲル・エンジェル]) (律法の呪いを果たし、イエス・キリストへの信仰する洗礼を受けた相続人 つまり、約束に由来する「あなたの子孫とに」祝福が与えられた。) ▼ キリストの時代からアブラハムの時代までは、チョット2000年前 イスラエル共和国建国からキリスト出現やユダヤ滅亡までは、チョット2000年前
169 :
キュロス :2006/01/10(火) 20:35:50 ID:KCr/A2Vf
>>165 で引用した書簡の箇所が パウロの神義論の結論らしい。
ヨハネ福
>9:2 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が
>見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。
>それとも、両親ですか。」
>9:3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、
>両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
ヨハネ福音書の この箇所も 神義論 だそうだ。
このイエスの回答は 神義論が 人間の不幸の原因を ある特定の
人間の特定の行為に求めて 世界の悲惨の現実から 神を免責しよ
うとする 無自覚な意図を持つかららしい。
それは 人間と世界から神を排除して 人間と世界との自由な関わりを
神から奪うことになる らしい。
人間の行状に悲惨の原因を帰し 神に責任を負わせないことは
神の存在を前提とした時代には 神への敬虔に基づく態度にみえる。
しかし 神の存在を前提としない 時代には その態度は「神の死」
宣言することになりかねない らしい。
なんというのか 両者とも 主権が 人から神へ
ではなく 神から人へ発揮されている らしい。
170 :
キュロス :2006/01/10(火) 20:38:17 ID:KCr/A2Vf
>>169 >なんというのか 両者とも 主権が 人から神へ
>ではなく 神から人へ発揮されている らしい。
この二行を 削除してくれ。
因果律がないと、治しようがない。救いようがない。っすよね。 病気の原因がある。原因を取り除くとか治癒すればいい。 取り除く研究をする。治療方法決定。治る回復する。 神の気まぐれで治すか治さない事を決定する。 治らない人は救う気のない相手。 エコひいきジャン。いらん宗教だ。とかなる。
キリスト教の理屈は何とか判ろうと努力はしているが。。。 何とも救いのない宗教だと思った。 ギリシア語やヘブライ語やラテン語とか ヨーロッパの思想や芸術や昔話のネタになった事を 理解できるようになったけど。。。 聖書の断片的な言葉、抜き出しで励ましになっている程度で。 格言も意味不明なのや逆効果な気がするのもあるんだが。。。
173 :
キュロス :2006/01/10(火) 21:28:30 ID:oAv5gcOH
キリスト教の正当な教理は 知らないけど キリスト教では 病気の原因は アダムの不服従に よる原罪だと思うよ。 だから キリスト教では 人が病気になった原因は人に有る としてると思う。 病気の原因を取り除くのは イエスの代理贖罪だと おもうよ。 いわゆる「イエスは 私達の罪の為に 神に対する生贄として 死んで下さいました」というヤツだと おもうよ。 人の病気が直る為には その人が イエスを救い主として信じること だと思うよ。 この 人が「イエスを信じること」と言うのが 色々と理屈・諸説 有るんだよ。
174 :
キュロス :2006/01/10(火) 21:34:00 ID:oAv5gcOH
だから ヨハネ福音書9:3での イエスの回答は 驚くべきもの なのだと思うよ。 なにしろ病気の原因は 「神の業がこの人に現れるためである。」 なんだから。
たしかに。 病原菌や内臓の不良や体調の崩れではないのだからな。。。
176 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/11(水) 19:36:52 ID:r135F+Er
>>172 さん
いろいろ調べたり、考えたりしたら、次は信じてみたらいかがですか?
騙されるのはいやでしょうけど、ここは騙されたと思って。
あと
>>173 で正統がどうかってことだけど、とりあえずは、最大公約数の
教理ですよ。
ペンテコステ宝殿イエス教会(高2時)× 日本キリスト教団(学内YMCA副会長・高校時2年間−大学2年間)× カトリック教会(友人に連れられて来るが、ドミニコ会修道神父が面会拒否)× 日本キリスト教団(母校を新築中の仮礼拝所にしていたので参加・続かない)× 日本ハリストス教会(輔祭・神父・主教そのた、嫌な奴ばかり・泌尿器科のチンチン覗き事件以降無視)× カトリック教会(朝鮮人系統と暴行事件未遂・洗礼前教育面接無期延期・シスターの意見が分かれる・出向いていない)× (統一協会 × ビデオ500円×2回[高校時・大学時]) (エホバの証人 × アパート門前払い 公園で遭遇適当にはぐらかし 破産前マイホームの近所に来たが無視) (モルモン教会 × 英会話・6段階勉強会・聖餐会に出るがバプテスト会拒否逃げ回り) 信じるも何もない。 聖書は高校の時からずっと読んでいるし好きな賛美歌は歌っている。 HPの説教も読んでいるし 日本キリスト教団の礼拝時には献金もしていたし カトリックの日曜ミサとか初ミサ前後には小銭や白百合やカーネーションの献花もしていたし ルーテル派教会にもインマヌレル教会にも献金もしている。 教会側の心無い信者やシスターの一部が失礼なのではないか。 ニカイア信条はペンテコステのカトリックのミサで信徒とともに唱えていた。 ニカイア信条は一時期、毎回日曜のリトルギア(正教ミサ)で信徒とともに唱えていた。 カトリックのクリスマスイブに合わせクリスマス礼拝を正教でもし そのとき額に十字に塗油も受けている。ただ祝福の塗油であって堅信ではないが。 洗礼もドノ教会でも受けていない。したがって正教会員ではない。 ルルドの泉の聖水を風呂でかぶって仏教の新興宗教をやめキリスト教に帰る ニカイア信条を唱えただけである。 これはテクラのような自己洗礼なのだから異端の状態である。
ハローワーク紹介で創価学会っぽいホテルのフロント係をやっていて向かい側が仙台の 聖公会だったね、アングリカン教会。次の就職先の次の就職先で駐車場管理もあったが その時に礼拝堂が見えたけど 行く気しなかったね。 作業現場が何度も仙台の ルーテル教会の近くになったが礼拝に行く気なかったね。 仙台のライフセンターという本屋の2階が バプテスト教会だったが行く気しなかったね。 仙台にも地図の店というのがあり その近くにバプテスト教会がある。 ハローワーク紹介の会社の面接で2回ほど通りがかりに縁起担ぎに礼拝とも考えたが、辞めたね。 日雇い的に現場が近くで何度か通りがかったが やっぱ そのこの近くの バプテスト教会は行かなかったね。礼拝という単語の英語が書かれていたが 未だに覚えないね。フェローシップだか何だかいうの。 やはり現場の待ち合わせや歩きで通過、バスで通過で、3度目の別の バプテスト教会に出くわしたが、やはり礼拝に行く気しなかったね。 聖書だけ大切で神を礼拝というのなら ライフセンターやキリスト教書店に聖パウロ書店の注釈書で まにあうんだもの。 人の交わりはね相性だね。仲が悪いウマが合わないのなら隣人愛などないね。 就職や病気とか隣近所に空き巣の居空きで問題だというのなら なおさら その解決が先決だね。シスターの機嫌とか古株信徒の意地悪対応どころの 心の余裕なんてないし そんな暇などないね。だから あえて教会に行かない事にしている。
インマヌエル教会はバスの宣伝にも出ているね。 本屋のライフセンターでもその教会の御婦人とやら自己紹介のオバチャンと 居合わせたけど、どうもね。行く気がなかったね。 インマヌエルって 中央の通路をはさんで男女左右の席に別れて礼拝って厳格なんでしょ。 仙台の県南(仙南ともいう)の高校の登校姿みたい。 [宮城]県南は一昔前は道路をはさんで男女分かれて登校って言うので有名でね。 県南は道徳とかお侍とか気質が古くて生真面目で面倒な奴でね。 律儀というか きちんと仕事はするほうなんだが。と 仙台周辺や県北から煙たがられていたんだがね。今はどうだが。
いやな思いたくさんしたんですね。きっとわたしも知らずに人にいやな思いを させているんだなぁと、わが身を振り返りました。 でもね、それでもキリスト教に興味がおありなんですから、やはり教会に行って いただきたいと願います。もしくは通信講座など受けてみてはいかがですか?
教会にイジメ抜かれて それでも行きたい。逝きたい。っていうのはビョーキだ。殉教病とかマゾだと思う。 そんキモイの嫌だから。 教会に所属したい。教会員になりたいなんてビョーキな事 いわなくなったね。 悪夢から覚めたんだ。暗示って解かれた方が健康上良いんだぞ。 キリスト様の救える範囲と、自分でこの世を生きる努力する範囲は 自分で判断できた方がいい。教会の人に他人に一々聞かない事。 さもないと自殺だの女性だと婦女暴行などに巻き込まれてしまう。 自分を失うほどに 教会の御偉いや古い信者とかの強い命令など聞かないほうが良いね。 そういう命令を受け易いのは その人が弱くて漬け込まれやすい性格な証拠だね。 他人をイビッて自分が偉いと思い込みたい連中の 弱いものイジメや八つ当たりの ていの良い相手になるのは良くない事だな。 かえって教会に通わなかった時の方が 元気があったの健康だったの財産はあった仕事はあった。という 嘆き事のないようにした方がいいね。
まだドロボウ関係は未解決なの。 ルーテル派の牧師先生の年賀状が届いてないので、問い合わせるべきか考えていた。 元旦に来る年賀が5日・6日に着ていたり、 普通郵便が土曜に届くべきが、日曜の夜にポストに入っている。 しかもインマヌエル教会への献金の領収書とお礼の手紙。 郵便局は日曜に速達や書留以外配達してないと言い張る。 どっちもキリスト教関係の手紙やはがきなので 創価学会や朝鮮人がポストに手を突っ込んで盗んだりわざと遅らせたりして 面白がっているのかもしれない。 指紋がつかない工夫がしてある。チラシに挟んで戻す。手袋で物色し盗み 警察や110番通報だと聞けば 慌てて騒ぎの間にポストに戻すのや部屋に侵入しどっかに置いておくなどする。 そして被害者の記憶違いだ。とウワサを仕事場や隣近所に流す。 いたちごっこになるので始末に終えない。
むか〜し、御偉いさんに言われたことあったんだ。教会や教会員を 信じてはいけないって、イエスだけを信じなさいとね。 こういうことって、多くの人、聞いているんではないかな。 ココモ先生 スレ違いお目こぼしをお願いね。
monoさん、ココモ先生さん。キュロスさんのスレですたね。 毎度、荒らしスレ、よこスレすんません。
187 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/11(水) 22:59:37 ID:xw4Szt2v
>>183 >むか〜し、御偉いさんに言われたことあったんだ。教会や教会員を
>信じてはいけないって、イエスだけを信じなさいとね。
教会は建前的にそう言うけどね...神だけを信じろとかイエスだけを
信じろって言っても、そこで言われる神とはその教会の神だよ...
教会が勝手に作り上げたイエスだよ...
イエスだけを信じろと言われたときに、僕が調べた限りではイエスは
ユダヤ教徒なんだからユダヤ教会へ行きますって言えるのか?...だろ
>>178 実践神学で具具ってみない? 興味でてくるかも
189 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/11(水) 23:11:13 ID:xw4Szt2v
>>174 >なにしろ病気の原因は 「神の業がこの人に現れるためである。」
>なんだから。
ここがヨハネ福音書の一番の特徴ダヨ...これがグノーシスの
デーミウルゴス(不完全な神)思想さ...そのヨハネ福音書
のその後を読んで語らああああああん...イエスがその患者の目を
見える様にしてるざんしょ...つまり不完全な神により産まれた
盲目の人に光(覚知..グノーシス)を与える開示者がイエスさ...
こんなのちょっと勉強したらわかる事なんだけどね
190 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/11(水) 23:15:40 ID:xw4Szt2v
>>173 >キリスト教では 病気の原因は アダムの不服従に
>よる原罪だと思うよ。
これがキリスト教の一番幼稚でアホなドグマだよ...
パウロ書簡読んでも創世記を読んでもこんなアホなドグマ
は思いつかんよ...何処かの馬鹿教会が考えたとしか思えないw
191 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/11(水) 23:34:34 ID:xw4Szt2v
コリント15/22 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリスト によってすべての人が生かされることになるのです。 キリスト教会の愚かなドグマのもとはこれざんす。パウロも時々幼稚な 事を言うんだw 馬鹿なキリスト教会にとってはこれほど好都合な聖句はないでしょうね アダムの不従順って言ってたら、お前ら神(教会)に従えって言う事だよ この言葉を馬鹿信者に言ってたら、馬鹿信者はマインドコントロール されてな、教会に従順になるだろべ...創世記読んでみな... 死が与えられたなんて何処にも書いてないぞ...食べたら(その日)死 ぬって脅かされただけで、実際その日に死んだわけではないし、神との 約束を破った事の罪はその時に神から言い渡されてるよ(そこにも 死が与えられるなどとは書いてない) パウロがアホなのかキリスト教会がアホなのかキリスト教徒がアホなのか 知らんが、こんな下らないものをいつまでドグマにしてたら気が すむんだw
192 :
名無しさん@3周年 :2006/01/12(木) 00:49:31 ID:dOdqaoJQ
ドグマは ある程度必要だろうけど ドグマが あわないから隣人愛を示せない。もね。ないよね。 聖書の成句の朗読なり黙読に賛美歌で元気でも出して。 聖書と賛美歌は励みの言葉ぐらいの効用でね。 無いよりはまし。の状態。 だって教会の中まで救いに結びついたのが経験的に無いんだね。有難い覚えがない。 あるのは書店のオジサン・オネーチャンとかシスターのオバチャンでね。 解釈とか聖書や教会歴史に異端関係とかの知識が増えた助けになった事が感謝かなぁ。 就職確定とか病気やケガの治癒にドロボウごとの解決に ほとんど足を引っ張る結果しか出なかったね。 正味で感謝すべき功績がない。 評判が良くなるという精神的効用も無い。 こんなに不幸感あふれる宗教ないですよ。 仏教の加持祈祷寺でも有り難味って出るじゃないですか。
193 :
名無しさん@3周年 :2006/01/12(木) 01:06:40 ID:dOdqaoJQ
面当てばかり、禁止命令・悔しがらせ・惜しませ・泣かせ・悲しませ マリア様が・・・教会が・・・救ってくださいます。も、ねーだろって。 あのキモイ女の像が救うんですか。ドウやって。アホですか。 とか言ってやりたかったがね。そこは大人。 あの像を見て有難がる人も居るだろうし、野暮だってことで。 ようは妄想とか厳格でも見て、錯覚をマリア様のおかげと感謝しろって ことなんだろう。ってね。 ありゃ他人様が何かと仕事の世話や病気直しの奔走を 勝手にマリアか教会がしてくれたと「錯覚して、他人の功を盗んで」 救いもしないのにアタシタチガ救ったんだって感謝されたい。っていう 勘違いに漬け込んで有難がらせる、因果律なんか関係ない迷信屋の偉大妄想ですよ。 付き合ってらんないですね。 調子合わせていると因果律関係ない結論を言い出す人間になってバカ移りますよ。 まともな思考ができなくなる。 だから付き合わないようにしている。 非現実的なアドバイスや意味不明な命令とか平気でするし。 稼ぎも働きもしないのにどうやって暮らしていくのさ。 あなたは教会から衣食住保障されているからどんなに無責任な事いえるんだろうけど。 自分が食や居場所に困るわけでないから。 祈るとパンが出てくるわけ。働かないのに金が出てくるわけ。 それで革命とかで殺されたんじゃなかったのかな過去の仲間とか。と 言ってやりたかったね。 病気を治したいから信者の医者や病院紹介してといっても紹介しない。 仕事がほしくても信者の会社や店を紹介するでもない。 アルバイトでも良いからも通じない。 社会保障や生活保護の斡旋でもない。 何もない連中ジャン。献金だけほしいのか。あほなのか。と。 人を救う気がないなら、人類を救うの 罪があがなわれて不幸なく死もなく救われるの。ウソつくのやめろよ。って気になるね。
194 :
名無しさん@3周年 :2006/01/12(木) 01:08:28 ID:dOdqaoJQ
それでも高校時代の聖書や賛美歌を見つけて自暴自棄になるのを抑えた効果があって 感謝で主の祈りも賛美歌も聖書朗読もしているけど。 教会が何したのさ。何の救いさ。と言いたかったね。 プロテスタントが使徒継承性儀式より聖書の翻訳と朗読に走った理由と見たね。 儀式から見れば正統教会でないが、聖書の言葉で救われた人がいた。はウソではないと思う。 しかしキリスト教正統ではないとも思っている。 正統教会はプライドは持てるが人を救えない。 正統教会は歴史があるが人を救う気がない。 正統教会には教学や神学があるが迷信に過ぎない。 正統教会では助からない。
195 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/12(木) 01:29:16 ID:tCB7uAIH
アダムの不従順 アダムとイブが「善悪の知識の木の実」を神との約束を無視して たべてしまった事の罰は創世記3/16−19で言い渡されてます。 確かに人類はここで言い渡された罰を現代でも引き継いでます。 イブに対して 「お前は苦しんで子を産む」 「お前は男を求め男はお前を支配する」 アダムに対して 「お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ」 「土は野の草を食べようとするお前に対して茨とあざみを生えさせる」 「お前は土に返るまで顔に汗してパンをえる」 「お前は塵に過ぎないのだから何れ塵に帰る」 強いてアホ教会のドグマの可能性があるのはアダムに対しての 最後の罪状だけどね...何回読み直してもここはキリスト教会が 何かの目的があって、馬鹿なシナリオに変えてるとしか言えないんだな キリスト教徒は馬鹿なのかアホなのか意図的に読みたくない のか判りませんが、神から示された罪状を読んでナインだな 何処にも「死が与えられた」とは書いてないんだな
196 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 11:49:24 ID:MRN6ypkx
「義人ヤコブの元に行きなさい。天も地も彼ゆえに造られたのである」か・・・・・ ヤコブは兄に成りすまし、兄が父から受けるはずの祝福を、横取りした。 そして兄の怒りを逃れたヤコブは義人と呼ばれ、後にイスラエルを名乗る。 エルサレム教会の長老の一人、ヤコブはイエスの弟であり、イエスは父の・・・・・・・ なんか面白いね。ぞくぞくする。
197 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 12:16:13 ID:MRN6ypkx
エクレーシア、つまり教会とは、世の始まる前から ”在る” ものである。 なぜなら、人が善と悪に別ける前、人の心に識別作用が起こる前は、我々は一つであったからである。 隣人を愛せ。地上における真の教会とは、イエスの名において集まり、彼の掟を守り、 心を一つにする者達の集まりのことである。このイエスの名のもとに、一つになる者達が真の兄弟達である。 誰もが兄弟に対して、馬鹿と言う者は許されず、おごり高ぶるものは、低められ、へりくだる者は高められる。 真の教会の意味もわからず、単に、地上のコミュニティーの一つに成り下がった自分達の属する教派の教会に執着する 自称クリスチャン達が、同じくイエスの名の下に集まったはずの他の教派の自称クリスチャン達といがみ合い罵り合うのは、 非常に滑稽であり、愚かしい。自分のエゴを信奉するものが、どうして兄弟達と一つになれようか。 彼らは、口では主よ、主よとのたまいながら、その実、偶像崇拝していることに気づいていない。
198 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/12(木) 13:38:31 ID:M0W9gZiI
>>197 アンタは自分の子供捨てたでしょ?
人間として子供を育て一人前にするっていう当然の行為ができなかったのはなぜ?
事情があるらしいし 別に責めるつもりはないけど
でもアンタは人間の力を過信し 自分の力で自分を義とできるって主張するね いつも
でもアンタ自身はどうだろう?他人もアンタのような弱さ 抱えてると思わんか?
行為義認を云々する前に 人間の抱える罪 自分を通して神の前で明らかにされる
人間の無力さに気づきなさい
199 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 13:46:14 ID:MRN6ypkx
>弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。 >イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。 >持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 >だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。 >イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。 >この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、 >耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』 >しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。 よく、なぜ聖書などはたとえ話で、はっきり事を書かないんだ? などとお聞きするが、それは上に挙げた聖句の通りである。試しにわたしがここで一つ真理を述べてみよう。 「我々は本来一つである。だから互いに愛し合いなさい」 さて、どれだけの者が聞く耳を持つだろう。これだけでは要約しすぎなので、論理的にもっと詳しく述べてみたとしよう。 それでも聞く耳持つものは少なく、それどころか、必ず反対意見、否定するものが現れるだろう。 それはあのイエスのときもそうであった。また、たとえ聞く耳を持った者がいても、彼の教え、彼の掟を守れる者がどれだけいるか。 人は、どうしても肉の思いに負ける。このかたくなな人々に聞く耳を持たせ、彼の掟を守らせるには、 人々に大きな意識革命を起こさせる必要がある。一度、今の世の中の秩序、価値観をリセットしなければいけない。 旧約で、神はユダヤ人達に、あの地を約束の地とし、イスラム教徒達には、異教徒達を追い出せと命じる。 そして、神との新しい契約、新約がある。一神教は、よく出来ているよ。
200 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/12(木) 13:47:28 ID:M0W9gZiI
>>199 自分の子供も愛せなかったものがよく言うよw
201 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 14:03:47 ID:MRN6ypkx
>>198 >世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。
>だが、つまずきをもたらす者は不幸である。〜マタイ18:07
おまえは自分のしていることがわかっていない。おまえは救われるどころか、
皆につまづきをもたらしている。人はこの世のものと、神との両方に仕えることは出来ないんだよ。
おまえは神にではなく、この世に属している。
もっとはっきり言う。人は、サタンと神との両方に仕えることはできない。
おまえはサタンに使えている。エゴと言う名のサタンにね。おまえの信仰は空しい。かわいそうな人だ。
202 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 14:07:44 ID:MRN6ypkx
>>200 あんた俺の家庭の事情しってて言っているのか?
いいかげんにやめてくれませんか。だれも自分の息子を愛していないなど言っていない。
ひとつ言っておこう。自分の息子だから愛する。自分の家族だから愛する。というのは間違いだ。
203 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 14:28:58 ID:MRN6ypkx
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。 御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。 鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、 行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。 自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、 これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。 〜ヤコブの手紙1:22〜1:27
204 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 14:29:29 ID:MRN6ypkx
わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。 あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。 その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、 「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、 あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、 御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。 だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。 また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか。 もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。 しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。 〜ヤコブの手紙2:01〜2:10
205 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 14:31:46 ID:MRN6ypkx
もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、 体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。〜ヤコブの手紙2:15〜2:17
206 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/12(木) 14:42:32 ID:MRN6ypkx
パウロも信仰だけでいいなんていっていない。 クリスチャンを名乗る者で、善を行うことに否定的な者がいるのに驚きを禁じえない。 彼らは、はなから善行を否定し、自分のエゴのまま生きる事を好む。 自分達の都合のいい箇所だけ聖書から抜き取り、自分達の都合のいい解釈するのがあなた達の信仰なのか? 真の命を得るのは、生易しいものではない。 ただ、主よ、主よ、と言ってるだけで救われるほど、甘いものではないんだよ。 おまえ達の信仰はただの気休めだ。 招かれるべき客人は多いが、自ら拒み、実際に宴会の席に着く者は少なく、招かれて、席に着いた者でも、 汚れた者、宴会にふさわしくない者は外に放り出される。
カラス様: お怒りごもっともです。 なにぶんサロメ嬢も初心者なもので おゆるしくださいませ。 本人に成り代わりまして築地市場よりお送りいたします。 主の平和
208 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/12(木) 18:57:26 ID:M0W9gZiI
>>202 まず犬にパンよりも自分の子供の面倒でしょ
できて当然のことができない それを通じて自分や他人の弱さ 罪深さに気づけっていってるの
そこが信仰義認のキーじゃないのw
209 :
キュロス :2006/01/12(木) 19:07:15 ID:kAps9E3t
>創世記 2:17 >ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。 >食べると必ず死んでしまう。」 土の塵から創造された人間の生命は 自己充足してはいない、 人は 他者との人格関係において生きるのである。 ということは 人は他者との人格的応答関係を破るとき 精神的に死ぬのである らしい。 園の蛇は 神のこの戒めを 単なる肉体の死と歪曲して 最初の人の妻 を誘惑したのだそうだ。
腹減って腹減ってどーしようもないんだよね サロメ? 勉強しても勉強しても勉強し足りない気がするってんでしょ 涙で始まったら笑顔で結ばないとまた空腹感が湧いてくるだけだよ さ、感謝してハレルヤ! もうそろそろ子どもの喧嘩みたいなことは卒業しなさいなー
イエスはキリストと信じている人たちが、教会に集められているんだから その教会でいやな思いをするなんて、本当にお気の毒と思います。 イエスに繋がっていてくださいと、願います。
212 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 00:43:04 ID:crYHEvsi
>>208 さっきから、他人の家庭の事情も知らないくせに、随分と失礼な口を利いてくれる。
俺は今のままでは救われない(命を得ない)と思っているし、事実救われないだろう。
ただ主よ、主よと崇めていれば、救われると思い、己のエゴをそのままにし、エゴに従うおまえ達と一緒にするな。
私はアルファであり、オメガである。
あんた達はときおり、予定説が正しいか、正しくないかと論争をしているようだが、
初めであり終わりである者から見れば、過去も現在も、未来も、今ここなんだよ。
そのものからみれば、救いに預かる者も、滅びに至る者も決定済みである。が、救いに預かるも、
滅びの道に進むも、あくまで本人お自由意志によるもので、責任は全て自分自身にある。
あんた達はそんなこともわからないのか。
収穫の時がくれば、よい麦と、毒麦は神により選別されるが、それはあくまで法則に則ったものである。
草木に光を当てなければ枯れてしまうようにね。無論毒麦は炉に投げ込まれる。
エゴをそのままにしている者は、決して救いに預かることはない。
なぜなら、その者は決して兄弟達と一つになれず、花婿と一つになれないからだ。
悲しいかな、いくら主よ、主よと崇めたところで、己のエゴ二従い、エゴを増幅させる者などに救いなどはない。
それが法則ってものだよ。ま、あんたたちに言ってもわからんだろうし、聞く耳も持たないだろうが。
213 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/13(金) 00:46:30 ID:4WTtijx5
>>212 状況に対して無力なわけでしょアンタは
そこから行為義認の無益さにきづけw
214 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 00:56:34 ID:crYHEvsi
>主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 >主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、 >この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 >主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 >このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。 >あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」 >そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、 >主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれだろうか。 >主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 >確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。 >しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、 >その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。 >主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。 >しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、 >多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」 〜ルカ12:36〜12:48 信仰だけで救われるなどと馬鹿げた信仰で、行いをないがしろにしている愚か者共よ、上の聖句の意味がわかるか? お前たちの罪は、むしろ、異教徒、無神論者達より重い。聞く耳のあるものは、よく聞くがいい。
215 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 01:08:17 ID:crYHEvsi
>>213 汚れた者はそのままにしておけ。聞く耳持たないものは、ほうっておけ。
どうやらおまえとは会話にならないようだ。
俺は別にあんたに自分のエゴを押し付ける気はない。
あんたがちがうとおもうんだったら、それでいいんじゃない。
責任は全て自分自身にある。
一つ言っておこう。
この世の善行でなにが一番優れているか。人に物を分け与える。
それもいいだろう。誰であろうが、困った人がいれば、助ける。それももちろん善い事だ。
良きサマリア人は、良き隣人となる。が、なにより優れているのは真理を明かすことだ。
この世において、これより優れる善行はない。おまえや、おまえに良く似たそのお仲間達は、
このネット上で、自分達がなにをしているのか気付いていない。
聖霊を、聖霊様などと奇妙な呼び方をするおまえは、聖霊の意味すら知らずにいる。
おまえや、そのお仲間達は、聖霊を冒涜している。人の子を誹る者は許されるが、
聖霊を冒涜する者は決して許されることはない。
216 :
名無しさん@3周年 :2006/01/13(金) 02:01:07 ID:RfLc49hU
ではイエス・キリストの名言集から一句。 「私は盲を目開きに、目開きを盲にするために来たのだ。」 完全なる悪魔ですね。
217 :
名無しさん@3周年 :2006/01/13(金) 02:03:18 ID:V9hVcsec
へえ〜
218 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 11:44:43 ID:6QzluSAQ
>すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、 >キリストと神との国を受け継ぐことはできません。 >このことをよくわきまえなさい。〜エフェソの使徒への手紙5:05 偶像崇拝をするな。これは一神教のテーマでもある。 では偶像崇拝するなとは、単純に人が想像して作った作り物を拝むなということか? いや違う。神は何処にいるのか?それは私達の内におられ、そして、面前に広がっている。 父なる神は、真の命。我々のこの世の命は偽りではあるが、父なる神は、私達の命そのものなのだ。 神とは本来霊的なものである。この世、形あるものは、神の像である。 この世のものを拝むな。この世のものに執着する心。その心が、妬み、嫉妬、不品行、敵意などの 負の感情をもたらす。これこそが偶像崇拝なのだ。 偶像崇拝をするな。それはこの世のものに執着するなということである。それは、今の「私」の意識を 形成している、自我も含まれる。この世の「自我」なども、この世に属するものだ。 私の自我、意識に執着する心。これは我こそが正しい。違う価値観のものは排除する。と言う意識を生み、 人々の間に争いを招く。 偶像崇拝を、単純に文面だけ受け取り、マリアを拝むのは間違いだと、他者を攻撃し、 望まない者の前で、マリア像を壊すもの。 仏像など偶像崇拝だと、望まない者の前で、仏像を破壊したイスラム教徒達。 彼らは、偶像崇拝の間違いを正したつもりでいるが、そのい実、 自分達が偶像崇拝していることに気づいていないのだ。
219 :
名無しさん@3周年 :2006/01/13(金) 11:56:19 ID:wvPZreka
貪欲、金銭の力を信じることも偶像崇拝に当たる もちろんマリア像も偶像
220 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 12:07:15 ID:6QzluSAQ
偶像崇拝。この世に執着する心はなにから生起するのか。 それは、体の持つ五感からの接触から生起する。 この感官からの接触から受ける感覚の、快を求める心の働き、この心の働きが執着を生む。 人は無意識に、この感覚は好き。この感覚は嫌いだのと、 潜在意識に植えつけている。これがエゴを生む。この感官を制する者は幸いだ。 でもそれはとても難しいこと。肉の思いとは凄まじい。 隣人を愛せ。よきサマリア人は、あなたがたの隣人となるだろう。 彼は、あなた方とイエスの名のもと、一つとなる。 敵を憎むな。むしろあなたを迫害する者の為に祈ってやれ。そのような心を持つものは幸いだ。 その者は、我々地上に生れ落ちる人の心に巣食う、エゴと言う名のサタンに打ち勝ち 命の門は開かれるだろう。 親や兄弟であろうと、赤の他人であろうと、味方であろうと、敵であろうと、 また、善人であろうと、悪人であろうと、全て平等に愛せ。これがイエスの掟だ。これは 我々の心に巣食うエゴを滅ぼす道に、他ならない。でもこれはとても難しい事。 肉の思いとは、それほどにまでに凄まじい。
221 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/13(金) 12:27:03 ID:4WTtijx5
>>220 自分ができもしないことを他人に強要するなんてw
222 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 12:41:49 ID:6QzluSAQ
>>221 誰も強要などしていないよ。
どうしてあんたがそうとるのか理解に苦しむ。
あんたがどの道を進もうと、あなたの自由意志に任されている。
責任は全てあなた自身にあるのだ。
イエスの教えを理解するものが、どうして人に強要などするものか。
あんたはこれほど書いても、内容を理解しない。
223 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/13(金) 12:50:29 ID:4WTtijx5
>>222 だからその内容を実践できているんですか?
224 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 13:10:57 ID:6QzluSAQ
>>223 論点がずれている。
俺は今のままでは救われないと自覚している。
そこがおまえ達とは違う。それは前にも言った。
おまえは実行できないものは語るなと言うのか。
それとも自分達の考えに従えと言うのか。
あんたは自分の意に反するものは仲間はずれにし、
言葉巧みに差別を肯定する。あんたはどうしようもない人だ。
俺はイエスの掟を述べたんだよ。
あんたは今ここで、聖霊を侮辱している。
225 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/13(金) 13:15:43 ID:4WTtijx5
>>224 自分の弱さから 人間の弱さを自覚できるなら
そもそも人間の罪深さを知っているなら
行為義認に走りません
226 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 13:23:28 ID:6QzluSAQ
>わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、
>その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、
>人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。
>もしそうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。
>わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、
>人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、
>そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。
>外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。
>内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。
>外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」 〜コリント5:09〜5:13
>>221 いくらあんたが望もうと、望まなかろうと、
聖書をよく読むと、行いの伴わない信仰に、救いはないと言うのは明らかだ。
聞く耳が少しでもあるんなら、兄弟とはなりえない、無智な牧師と間違った教えを盲信し、
聖書を、自分にとって都合のいい箇所、間違った教えを説く牧師の指し示す聖書の箇所だけを読み解くんじゃなく、
自分自身で、聖書なりを最初から最後までよく読んで、よく考えてみるんだね。
別にあんたと論争する気はさらさらないし、時間の無駄だ。
俺に関わるのはやまえてもらえないか?あんたと関わると心が汚れる。
俺もまだ救いに預かるほど、完全ではないんでね。
自分の考えを他人に押し付けるな。
滅びに至るか、救いに預かるかは本人しだいだ。あんたに言うことは、これだけだよ。
227 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/13(金) 13:24:49 ID:4WTtijx5
>>226 行為義認を叫んでも救いに結びつかない
でもこれだけ叫んでれば・・・・・
って思ってるんですか?
228 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 13:47:20 ID:6QzluSAQ
>>227 何度言ってもわからない人だ。
行いの伴わない信仰に救いはないと言っているんだよ。
信仰だけでは救われず、また行いだけでも救われない。
行いだけでは救われないのはなぜか?人がそれは神の前で、誇る事がないようにする為である。
それはなぜか?自分は何者で、何処から来て、どこに帰るべき存在なのか、
又、父なる神はどういう存在で、イエスとは何者なのかを知れば、おごり高ぶるものは低められ、
へりくだるものは高められる。と言う聖句の意味を知り、神の前で誇り高ぶる者は救われることがないということを知るだろう。
ま、豚に真珠を投げてもしかたがない。
あんたとは係わり合いを持ちたくない。完全でない俺の心は汚れてしまうからだ。
違うと思うのなら、自分の道を進めばいいだろう。責任はあんた自身にある。
ただ一つはっきり言ってやるよ。あんたは救われてないし、甘やかされて育ったのか知らないが、
その性格だと救いの恩恵にあずかるのは非常に難しいだろう。
まだ救われていないのは多くのクリスチャンも同じだ。
狭い門から入りなさい。命に至る門は狭く通りがたく、滅びに至る門は、なんとも広く通りやすい。
自らの罪によりこの世に生れ落ちた我々が、再び命を得るには、並大抵のことではないんだよ。
ヘブライ人への手紙 5章12節 実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに 再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。 13節 乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。 14節 固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された 一人前の大人のためのものです。 6章5節 神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら 6節 その後に堕落した者の場合には 再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。 神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。 9章17節 遺言は人が死んで初めて有効になるのであって 遺言者が生きている間は効力がありません。 27節 また、人間にはただ一度死ぬことと その後に裁きを受けることが定まっているように 10章26節 もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも 故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。 27節 ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを 焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。
ヤコブの手紙 2章16節 あなたがたのだれかが、彼らに 「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と 言うだけで体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。 17節 信仰もこれと同じです。 行いが伴わないなら 信仰は それだけでは死んだものです。 19節 あなたは「神は唯一だ」と信じている。 結構なことだ。悪霊どもも そう信じて、おののいています。 26節 魂のない肉体が死んだものであるように 行いを伴わない信仰は死んだものです。
旧約第2 トビト記5章 3 トビトは息子トビアに答えた。「ガバエルは自筆の証文を作り、わたしも それに署名した。そして、それを二つに分け、おのおのが証文の一方を受け取った。 彼は証文の半分と共に銀も受け取った。今はもう、銀を預けてから二十年になる。わが子よ、 だれか一緒に行ってくれる信頼できる人を見つけなさい。その人には帰って来るまでの期間の 報酬を与えよう。さあ行ってガバエルからその銀をもらって来なさい。」 4 メディアまでの道に詳しく、一緒に行ってくれる人を探しに、トビアは外に出た。出てみると、 天使ラファエルが目の前に立っていた。しかしトビアには、神の使いであることが分からなかった。 コロサイ2章 14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや 私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです 神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました 15 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし 彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました 16 こういうわけですから 食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて だれにもあなたがたを批評させてはなりません 17 これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです Uテモテ3章 8 ヤンネ[アンネ]とヤンブレ[アンブレ]がモーセに逆らったように、 彼らも真理に逆らっています。彼らは精神の腐った人間で、信仰の失格者です。 15 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。 この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を あなたに与えることができます。 16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、 人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
232 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/13(金) 17:47:54 ID:4WTtijx5
>>228 アンタは救い自体と恵みの範囲にとどまることを混同しているのよ
救われた後に恵みの範囲を離れても 救いが失われるわけではない
悔い改めれば救いのうちに留まることができる
善行は救いの前提ではなく恵みへの応答によって罪から逃れる手段の一つです
こんなのカトリックの基本でもあるのよ
【 カトリック要理(サンパウロ) 】 第一部 神と、キリストによる人間の救い 第三課 人間 13 良心とはどういうものですか。 良心とは、人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、 悪を戒める神よりの心の声です。 ・・・人間は心の中に神から刻まれた法を持っており、・・・神とともにあり・・・ます。 (『現代世界憲章』16参照)p25−26 14 人は神に対してどのような態度をとらなければなりませんか。 人は神を礼拝し、愛し、ご恩に感謝し、そのおきてを守らなければなりません。 特に、祈りをもって、人は神に対する礼拝と感謝を表わし、・・・願います。 祈りの中で、もっともすぐれた祈りは、 イエズス・キリストのお教えになった「主の祈り」です。(マタイ6・9−13)p26−27 第一部 神と、キリストによる人間の救い 第十三課 罪と罪のゆるし 56 罪とはどういうものですか。 罪とは悪いことと知りながら自由意志をもって神にそむくことです。 (第三課、質問13(良心)参照)p109 第一部 神と、キリストによる人間の救い 第十五課 終末的完成 使徒信条 われは、天地の創造主、全能の父なる神を信じ、・・・終わりなき命を信じ奉る。アーメン。 ・・・信仰宣言の様式・・・。p121 第二部 キリスト信者の道徳 第三十課 完徳 ・・・イエズス・キリストは山上の説教で、真の幸福を告げ、 新約の道徳をおさとしになりました。・・・(マタイ5・3−10)p164 第三部 秘跡と祈り 第三十五課 ゆるしの秘跡 ・・・洗礼以後に犯した罪を、教会の司祭を通してゆるし、・・・和解させる秘跡です。 (第十三課、質問56−59参照)p190
【 カトリック教会のカテキズム 】 第2部 教会の七つの秘跡 p446 7 悔い改める者の行為 痛悔 1451 p447 罪の告白 1455 p448 償い 1459 多くの罪は隣人に害を与えます。 それを償うために、できるだけのことをしなければなりません(たとえば 盗んだものを返す、中傷された人の評判を回復する、与えた傷の補償をする など)。これは正義の上からも要求されることです。 ・・・、罪から生じた無秩序を修復されるものではありません。 ・・・ すなわち、適切な方法で「弁済する」なり罪を「あがなう」なり する必要があります。この弁済のことを「償い」ともいいます。 1460 聴罪司祭が科す償いは、悔い改める者の個人的状況を考慮しながら、 ・・・また、犯した罪の重さと性質にできるだけ相応するものであるべきです。 償いには、祈り、寄付、慈善のわざ、隣人への奉仕、・・・などがあります。 ・・・キリストと「ともに苦しむ」(ローマ8・17)からです 59)。 p449「しかし・・・ ・・・父に受け入れられるのです。」 62)。
235 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 20:03:24 ID:6QzluSAQ
>>232 あんた何教の人?それはどこの何教の教えだい(苦笑)
俺は、カトリックの教え、プロテスタントの教えなどに執着することなく、
イエスの教え、キリスト教の話をしている。
>あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
>すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
>良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
>良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
>このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
>「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
>わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 〜マタイ7:16〜7:21
ここに天の国に入るのは、天の父の御心を行う者だけが入ると、はっきりイエスは言っている。
天の父の御心とはなんだ?それすらもわからないか?信仰告白することだけが天の父の御心ではない。
あなたがどういう信仰をしようとあなたの勝手だが、法則に従い、救われる者は救われ、滅ぶものは滅ぶ。
何度も言うが、どういう生き方をするかは、あなた自身の問題だ。とやかく言うつもりはない。
ただ、自分の考えを他人に押し付けるな。真理を語るものの邪魔をするな。おまえは聖霊を汚している。
神は人の自由意志に任せている。責任は全て自分にある。
滅びたいものは勝手に滅びるがいい。
236 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/13(金) 20:07:57 ID:6QzluSAQ
>「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。 >わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 >かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、 >御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。 >そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。 >不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」 >「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。 >雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。 >わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。 >雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」 〜マタイ7:21〜7:27
【 バプテスト教会の見解 】 1.聖書の権威 最初に、聖書の権威を取り上げましょう。 この意味は『聖書のみが信仰と行動とのための唯一の権威である』ということです。 この点において他の教会と異なる特徴があります。例えば 『ルーテル(ルターが始めた教派)の牧師』は 按手礼のために 『アウグスバーグ告白』にサインしなければなりません。 ウエスレーによって始められて『メソジスト教派』は『メソジスト規律』を重んじています。また 『長老教派はカルビン』からの歴史で『ウエストミンスター信仰告白』を標準として重んじています。 英国の国教会である『聖公会』は『39ヶ条の信仰条件』を権威として重んじています。これらに対して 『バプテスト』は『聖書のみに信仰と行動とのための権威』を認めています。 権威の置き方については主に三つの立場が挙げられます。その一つは伝統です 『ローマ・カトリック教会』では 『選択された伝統』が聖書と等しい権威として認められています。また もう一つの立場は 『一般的に自由主義』の立場です。聖書は不充分だと言っています。聖書に 『理性と経験』を加えなければなりません。第三の立場は 『聖書が唯一の信仰と行動とのための権威』であるというものです。 この立場は聖書自体の主張に近いと思います。 聖書は権威ある神のことばです。聖書は人々を救いに導くものです。 地方教会の信仰と行動のための基準でもあります。 バプテスト教会はすべての教えと生活の行動のために聖書に権威を置き土台にしています。
【 バプテスト教会の見解 】 5.個人的精神の自由 もう一つのバプテストの特徴は、個人精神の自由です。 これは人が不法を行うとか、わがままに歩むこととかを認める自由ではありません。 「人に従うより、神に従うべきです」使徒5:29という、ペテロの言葉のように、 個人的に神に従うことを認めるのです。聖書を読むこと、神を礼拝すること、神に従うことは、 決して人に強制されてするものではありません。 人は個人的に恵みを受け、霊的な賜物を受け、神に仕えるのです。 人は個人の意志によって選択します。人は個人的に報いを受けます。 この原則をバプテスト教会は認めています。 8.国家(政治)と教会の分離 この原則はマタイ22:17〜22に教えられています。 国家は教会を保護して、キリスト者は政治に従います。 しかし、結合しているのではありません。 聖書によると神は三つの組織を創立されました。家庭、教会、国家です。 この一つ一つはそれぞれの範囲に中にあって使命を持っています。 キリスト者は政治に対して責任を果たします。税金を納め、従い、敬い、そして祈ります。 これに対して政治は、教会の信仰、良心的自由を保護する責任を持っています。 政治はどんな宗教に対しても特別扱い、または制限を加えてはなりません。 ただ、道徳、あるいは私財が脅かされている場合にのみ、これは許されるのです。
【 キリスト教信仰のABC−フリーメソジスト教会の信仰問答 】 8 教会 問51 目に見える教会とは何か。 答 礼拝と交わりのために結びあわされたキリスト者のグループである。 「そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、 引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。」(使徒行伝5:42) 問52 目に見えない教会とは何か。 答 時代と場所を越えて主にあって一つに結ばれた神の民すべてを指すのである。 「そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、 聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、 キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。」(エペソ人への手紙2:19-20) 問53 教会の使命は何であるか。 答 人々をキリストに導き、神の目的を続けていくことである。 「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、 エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、 わたしの証人となるであろう。」(使徒行伝1:8) 問54 代々の教会はこのようなキリストの教会をどのような言葉で現したか。 答 「一」「聖」「公同(普遍的)」「使徒的」という言葉で現した。 教会が主にあって時とところを越えて一つであり、使徒の信仰を伝える神の民だからである。
実を言えばわたしバプテストにもいたことがあって 友だちもそこそこいるのですけど、我さんや或るさんやムーさんたちのように 教義や行いなどに対して戦闘的に「熱い」人たちを知らないのですよね。 それで、2chに来てみていったい何だろうかこの熱さは!と思うのですね。 お付き合いが短かすぎたのだろうか。それとも浅すぎのだろうかと。
KGKに鍵があるのだろうか、とか考えてもみました・・・・
【 ウェストミンスター小教理問答の学び 】 責任と平安 人は運命の力に翻弄されることを恐れ、 自分の進む道がよい道かどうかを予め知りたい と願います(占いやさまざまな思い煩いなど)。 しかし、万事は神のご意志の下にあります。 そして、人は予め神の隠れた御心を知って従わなくてよいのです。 例えば結婚を決める時、恵みの神に委ね、その導きを祈りつつ、 与えられた愛を土台に、自分の知恵を用いて考え、自分の責任で自分の道を選んでよいのです。 聖書に示された神の御心に従い、神と人を愛し、主を信じて生きるなら、 自分の選んだ道で苦難を味わっても、 それは、人生の道を選び損ね、踏み外したしるしではありません。 運命の力も神の怒りもそこには及んでいないのです。 啓示されたご意志に服従するなら、人生の岐路で私たちは平安でいてよいのです。 ------------------------------------------------------------------------- メシアの活躍 ノストラダムスの予言(予測を言う・なぞなぞ歌などの戯れ言[ざれごと]) キリストの言行録(福音書・ゴスペル・エヴァンゲリオン)あるいは黙示録(アポクリュフォン) 聖書の預言(神の言葉を預かる・戒めや期待の言葉の伝達)
■権威の変遷 権威は「ペテロから継承した儀式」カトリック教会 ↓ 権威は「公会議決定」東方正教会(教区による東西の分離) 聖職者任命で ローマ教会と第2ローマのビザンツ教会(第3ローマのロシア正教会)に分離 ↓ 権威は「新旧66巻聖書」プロテスタント教会(教区による教会の分離) ローマ教会の教区内の聖職者任命で イギリス国教会(アングリカン派)・ オランダ国教会(改革派[スコットランド長老の留学先])・ スコットランド国教会としての長老教会(改革派)・ スイス各州の州教会(改革派とカトリック派)・ スウェーデン国教会(ルーテル派)・ ドイツ連邦の諸侯教会(ルーテル派とカトリック派)・ プロイセン内の諸教会(ルーテル派とフランス改革派[ユグノー教徒])・ チェコの教会(フス系統の改革派[オックスフォード大学内メソジストの留学先・ 写本保管はケンブリッジ大学図書館])などに分離 (ソルボンヌ大学(神学部が拡大)[フランス−カトリック]) ↓ 市民革命と国民教育により国割り・州割り・教区割りに関係なく 自由に個人で教派や教会を選んで信仰できる時代になる。 民族主義教育で教会を選ばせない逆行する信仰も反動で現れる。
------------------------------------------------------------ ■聖書の普及 聖書は羊皮紙やパピルスの写本に手間が掛かり多くは作れず 限られた聖職者しか読めず表向きラテン語だけ・ カトリック教会の時代 ↓ 聖書は印刷技術の発展と ヘブライ語・ギリシア語から母国語に翻訳する事により 多くの聖職者や金持ち王侯が読めるようになる・ プロテスタント教会の時代 ↓ 聖書は更なる製本の大量生産技術の発展や 学校教育人口の増大で解説書の普及と外国語翻訳の多様化で 一般の庶民にまで読めるようになる・大戦後の 福音派教会の時代 ↓ 異端審問などなく 聖職者任命も問題にならず [明治期でない現代の]無教会派まで生まれる。
246 :
名無しさん@3周年 :2006/01/13(金) 21:16:35 ID:PIZ8de2U
>>214-215 俺さんの出入りスレッドを探ってないから判らないけど、熱いですかね?
昔ほど出ないみたい。
あっしは洗礼を受けていないノン−クリスチャンですからねぇ。まじ真剣でない。
昔はどこか教会員として属していないといけないものかなと思い込んでいたが
救いもしないで命令を聞かせる事ばかり念力かけて言う感じだったんで
正統だから洗礼受けるように。という強圧的な所には行かないようにしていますね。
教会に出入りしなくても礼拝もできるし説教も読める。
下手に一つの教会にいるより多く学べるし為になる。
ソウ思って正教会かカトリックで洗礼受けないとキリスト教徒になれない。
キリスト教徒でないと幸せになれない。と思わなくなりましたね。
プロテスタントやモルモン教でバプテスマを受ける気はありません。
ルーテル派やインマヌエルの説教に感動しましたね。でも一教会員になるより
献金したり宣教の助けになっていた方が良いと思いました。
信仰義認ではドロボウも生命財産に自分の身体へのイタズラがなくならない。
仕事も見つからない稼げないから生活もできない病気も癒せないでは
宗教はいらないとなる。教会員クリスチャンでなければならない理由がないですね。
中学の頃から社会人の今まで、キリスト教各派や
密教や禅の読経や書籍読みの仏教・
祝詞集読みの神社参詣の神道・廟崇敬の道教・
クリシュナ本(バカバッドギータやヨガなどの本)読みのヒンドゥー教などの
宗教調べマニアだったのかな。といった感じですね。
キリストの為になっている。とか教会に尽くす意思はないです。助けてくれないし。
聖句に注釈書に説教や賛美歌などから励みや元気を戴いている感じですが。
有用性は認めています。それくらいかな。
247 :
名無しさん@3周年 :2006/01/13(金) 21:33:40 ID:PIZ8de2U
日本キリスト教団: 高校がミッションスクールで新旧約聖書に出会う・日曜学校や教会礼拝に参加・ 手違いがあって一度だけパンと葡萄ジュースを飲み食いした。 ペンテコステ宝殿イエス教会・・牧師: 異言の祈りを唱え按手を受けたが、自分に異言の祈りは乗り移らなかった。 ハルマゲドン予言の著作の中身は、ものの見事に外れだった。 キリスト教の考え方を勉強した。 インターネットの・・牧師のHP: 福音派の教会だと思うが、キリスト教の基本勉強になった。 改革派の流れが国教会や州教会と それに反発する自由教会が存在する事を知った。 ・・牧師の自由教会と スイスの州教会。 カベナント教会(聖契教会)と スウェーデン国教会。 メソジスト教会(ローチャーチ・救世軍)と イギリス国教会(ハイチャーチ・アングリカン教会・聖公会) 日本ハリストス正教会教団: クリスマスに額に十字に描いてハーブ入りオリーブオイルの塗油を受ける。 ニカイア−コンスタンチノポリス信条と主の祈りさえ出来ていれば良いと知る。 税吏の祈りや正教式の十字架のきり方とイコンへの拝礼の仕方を教わる。 日本カトリック中央評議会: 高校時代にロザリオの祈りと霊操の本を知った。 カトリックの書店でカトリックの注釈書つき聖書とロザリオを買った。 東京に就職の際に新興宗教の仏教の会員を辞めてキリスト教の勉強に復帰し カトリックの十字架の道行きも知るようになった。ミサに参加し祝福も受けたし 勉強会に出てカトリックの十字の切り方も教わったが、あまり感動でなかった。
聖句の解釈はどこへやら
249 :
名無しさん@3周年 :2006/01/13(金) 21:42:35 ID:PIZ8de2U
あと 正教会で乳香と金口イオアン聖体礼儀(正教のミサ)と 三時課・六時課など聖務日課(修道院での一日サイクル6回だかの各祈祷文)を知り カトリック教会で福音香とミサ典礼(礼拝順序)を知る。 自慢にしか見えなくてウザイかもしれんけど。。。メンゴ・・・。
250 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/13(金) 22:41:42 ID:Kf/sA3kM
>>248 ゴメソ...今日のヨゼフスしますね...前回ルカ福音書
をしたので、これと併行するマタイ福音書の部分をしませう
今日のヨゼフス...ヘロデ大王偏...
少し長くなるので本文は省略します。この文書を見て権威だの神の言葉だの
とボケまくりを言ってる連中は現代ではゴミ扱いされる人達だと思います。
ここの文章を読むと、マタイ教会の司祭たちのシナリオは連中の教養の
なさや、頭の悪さを示してるとしか思えません。
2/2
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
*占星術の学者が現在の王様に対して、その血筋と異なる人を
ユダヤの王になる人とは言いません(言ったら殺されるよ)
2/3
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、
同様であった。
*ヘロデがそんな下らない話や噂で不安を抱く様な器ではありません
*民衆がなんで不安がるんでしょう、ユダヤの王(メシア)が産まれた
のであれば歓迎すべき事でしょうね
251 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/13(金) 22:42:27 ID:Kf/sA3kM
ミカ書5/1 ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん 小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの 牧者となるからである。 2/16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。 そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘム とその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 大体マタイ教会の聖職者は統治者を暴君や残虐非道と決めて掛かってるから 幼稚なんだけど、こんな事をしたら住民の反感を買って失脚するのが 落ちなんだけどね... ヨゼフスには、ヘロデがいよいよ死ぬと思われた時に、「一人で死ぬのは 怖いから、道ずれを一杯連れて行く」と言って結局競技場に人を集めさせて 「自分が死んだらみんなを殺せ」と言って周囲の人間を当惑させたとある (もちろん実行されなく、ヘロデの死により解放されたが)... この辺の話がネタになってるのかもしれないが、実際のヘロデはイエス 如きナザレの大工さんちに子供が産まれた事なんか知るよしもなかったでしょう
252 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/14(土) 07:51:20 ID:A0KBYFKT
ヨハネ 1 「彼らはわたしたちから出て行った。」
教会や人に躓く人は多いね。
それで、出て行く理由を考えてみると、
>>140 > 理性がまきこまれる大葛藤は 信仰との間に生じるのではなく
信条との間に 生じるのだ。
このとおりと思いますよ。特に、贖罪と復活が難しいんだと思う、逆にこれを受け入れる
ことができればあんまり、人に左右されないと思う。
理性がじゃまして、受け入れられない人ももたくさんいるんだろうね。
第一ヨハネ 2;19のことね
254 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/14(土) 10:37:02 ID:npX9LjQn
>イエスは言われた。”父の国は、荷物を持っていて、一つの真珠を見出した商人のようなものである。
>この商人は賢い。彼は荷物を売りはらい、自分のためにただ一つの真珠を買った。
>あなたがたもまた、衣蛾が近寄ってくわず、虫が食いつくさぬ所に、朽ちず尽きることのない
>宝を求めなさい〜トマス76
>イエスは言われた。”この世を見出し、裕福になった者は、この世を棄てるように〜トマス110
>はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
>だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
>自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、
>それを保って永遠の命に至る。 〜ヨハネ12:24
>>246 あなたは多おい変な思い違いをしている。キリスト教の救いは現世利益ではないよ。
この世は流転する。この世のものに永遠普遍のものはなにもない。
富も、私の体も、私の今の意識も、やがては朽ち果て滅びる定め。イエスの救いとは
永遠で普遍のものだ。人の本当の幸せとは、真の命の中にある。
真の命を得るにはこの世のものを全て捨てなさい、つまり執着するなと説く。
自分のこの世の命すら執着するなと言っている。上に挙げた聖句は、非常に仏教的で、
釈迦の教えにも相通じるものがある。
私の肉の両親は、私に偽りの命を与えた。私の真実の父、真実の母は、私に真の命を
与えてくださる。
真実の父とは、在って在る者、つまり天の父のことであり、真実の母とは、聖霊のことである。
男は在って在る者。女は男のハートである。
あなたが現世利益をイエスに求めるのなら、失望に終わるだろう。
255 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/14(土) 10:51:55 ID:npX9LjQn
もうひとつ。今の教会にそんなにこだわる必要はない。 今の教会は単に、世俗のなかにある、地上のコミュニティーの一つに過ぎない。 その教会のほどこす、儀式の一つに過ぎない洗礼しきに授かったからと言って、直ちに 救われるなどということもない。自らの力で、真の洗礼を授かる者が救われのであり、 本当の意味でのクリスチャンとなるのだ。 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。 エクレーシア、地上に真の教会が現れるのは次の時代だ。 その時代に預かれる者は幸いだ。その者達には、第二の死は、なんの力もない。
256 :
名無しさん@3周年 :2006/01/14(土) 12:11:43 ID:6e/Qq7yk
【 招詞 】 マタイ11章 28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、 わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 【 一番大切な戒め 】 マルコ12章 28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、 イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」 29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。 『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 31 次にはこれです。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』 この二つより大事な命令は、ほかにありません。」 原罪(ハマルティオン[希]・シン[英]・グレーフ[露])をイエスはあがなっただけ。 個々の犯罪や間違いは。間違いや犯罪の本人が償うもの。 キリスト者は、カトリックか正教で洗礼・堅信を受け 教会員として教会の維持と使徒宣教使命の善行で布教に専念すること。 聖職者を侮らずニカイア信条と主の祈りを最低限唱えられれば良い。 ほかは異端か異教か 聖書の勉強をする一つの哲学や思想や為になる言行録を暗記する ウンチク者にすぎない。
257 :
名無しさん@3周年 :2006/01/14(土) 12:18:57 ID:VV/lyVa2
原罪を贖ったといわれても、原罪なんてあるの?ということになる。 目に見えないものを、ある、というのは一つの信仰。 原罪に対する信仰。しかし、一般人は原罪を信じていないので、 イエスが原罪を贖ったといってもピンと来ない。 自分の罪を自分で贖うのは、当たり前のことで、 わざわざ教会に行って教えてもらう必要はない。 まして、それだけのことのために、わざわざ、 さまざまな戒律や教会法などに拘束される気にはならんな。
258 :
キュロス :2006/01/14(土) 12:51:56 ID:EqP1yxE0
まあ それはアレなんだな。 原罪論を最初に言い出した思われるパウロは 自分自身を 罪人とは 思っていない。 そしてパウロは 元来法廷用語の「無罪と宣告される」事を意味する 「義とされる」という言葉に 「一つの状態から別の状態に 移される」とか「キリストの体の一部になる」という意味も 付け加えているのだ そうだ。
長い歴史を持つ名スレ。 誰か過去ログを自サイトで公開してくれないだろうか。
260 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/14(土) 13:24:26 ID:npX9LjQn
>>258 そうかい?
>「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、
>そのまま受け入れるに値します。
>わたしは、その罪人の中で最たる者です。〜テモテへの手紙1 1:15
本当のキリスト教を理解してもらうのは、難しいものだ。
ほとんどの者は原罪の意味すら理解できない。
ほとんどの者はいくら説明しても、キリスト教を理解できないでいる。
いくらイエスの教えを述べ伝えても、人々は聞く耳を持たず、理解もしない。
見える目があっても見えず、聞こえる耳があっても聞こえない。
それは今の自称クリスチャン達にも言えること。あの蛇女を観察すればよくわかるだろう。
原罪の意味を知ると、この世に生れ落ちる我々は、全て罪人だと言うことに気づくだろう。
そして、我々は、生まれついての人殺しだと言うこともね。
261 :
キュロス :2006/01/14(土) 17:10:18 ID:L00vK6x4
ローマ書 7:21 >「それゆへに、良いことをおこなおうと欲している自分に >まさにその自分に、悪しき事が存という法則を私はみいだす」 まあ それはそうなのだが ルターは キリスト教徒であるにも係わらず 自分を「罪人」と と感じ 罪責に苦しんでいたらしい。 ルターは 「信仰による義」を説くパウロの言葉を 神が キリスト教徒を「罪人」であるにも係わらず「義」であると 見なすと解釈したらしい。 ルターは キリスト教徒の状態を「義人にして同時に罪人」とした らしい。 Tコリント 4:4 >私は、私自身に対してなんの良心の呵責を覚えてはいないからである しかし パウロには 罪意識は無かった と思うよ。 また パウロは ローマ書7:21を キリストによって開放される 以前の状態と 考えていたらしい。(ローマ書 8:1〜8:9) また 「霊」に有るものは「肉」の罪深いわざは 行わない と 考えたらしい。(ローマ書 8:9〜8:17)
262 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/14(土) 18:08:46 ID:Wx1VEn2v
>>260 >ほとんどの者は原罪の意味すら理解できない。
クリスチャンに「罪」とは何かを問うと、版で押した様に
「神から離れる事」だと言うね...これは片手落ちだよ
マタイ福音書 22/36−40
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
「神から離れる」のはこの第1の掟を破る事だと思うけど
第2の掟(隣人を愛する)を破る、つまり
「異教徒なり異邦人なりを尊重しない」
「自分のエゴだけで人の為には尽くさない」
の御仁も「神から離れる」と同じくらい罪人だと言う事でしょ...
これについては多くのキリスト教徒が重大な罪を犯してる事に
なりそうだし、殆どの教会はこの手の説法を説いてナインじゃない
ですか
263 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/14(土) 21:57:33 ID:PCXZYJNp
>>256 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
次にはこれです。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
あなたの隣人って誰ですか、人類全てじゃないんですか?
愛するって何をする事ですか?その人達の為に尽力すると
言う事じゃないんですか?教会に課せられた使命は何ですか
信者に課せられた使命は何ですか?
それなのにどうして信者はエゴイストばかりなんですか?
それなのにどうしてエゴな教会ばかりなんですか?
どうして、人の説明を理解しようとしないのですか?
どうして、全く根拠のない批判ばかりするんですか、これは
ただ単に自尊心が傷つけられた事への反発でしょ...
どうして見てもいない物を見たと言って「素人」だと
決めつケルンですか?これもただのマスターベーションでしょ
何でこんな奴らばかりなんですか?
>>159 n
★申命記6:4 聞きなさい。イスラエル
。主は私たちの神。主はただひとりである。
★申命記6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして
、あなたの神、主を愛しなさい。
★レビ記19:18 復讐してはならない
。あなたの国の人々を恨んではならない。
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。
復讐しない同じ国の隣人を、自分自身のように愛せよ。
復讐するし別の国だし隣でない人を、自分自身のように愛さない。
自分がマゾで、相手にマゾをすすめられるのもねぇ。いやです。
主が複数あり、主は他人の神。愛さない場合は?
266 :
キュロス :2006/01/14(土) 22:30:23 ID:RxuTrUQG
レビ記 19:18(b) >自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。 自己は 悪いものではない。この戒めは 自分自身の自己への 配慮を含んでいる らしい。 いかに自分自身の 自己を無視するかではなく どうしたら他者の 自己を発見し それに注意深く接することができりか である。 箴言 14:31 >貧しい人々をしえたげる者はその造り主を侮る >乏しい者をあわれむ者は、主をうやまう。 他者への思いやりは 横方向の拡張ではなく 向上であり上昇である。 真の人類愛は 秘められた神への愛である らしい。 他者への思いやりそのものを 偽装された自己配慮とみなすことは 誤りである らしい。
267 :
キュロス :2006/01/14(土) 23:07:46 ID:2o/xsnTJ
>>266 全ての人との 一体感を持つ為には より高い一致においてその人と
の一体感を持つ以外にはない。 つまり全ての人を気遣う神の唯一の
思いやりにあずかる道を除いては。
何が自分にとって何が得になるだろうかと? と奴隷は常に自問する
利害と行動の因果関係 行為と個人的報酬を求める欲望との因果関係を
超越することができるのは 自由な人間だけである。
利己主義を粉砕するのは 神が人間を気遣っていることに 心情と
知力の全てをあげて答えることである らしい。
268 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 00:20:34 ID:Mlu41QhH
>>266 >他者への思いやりは 横方向の拡張ではなく 向上であり上昇である。
>真の人類愛は 秘められた神への愛である らしい。
これがアホなキリスト教徒の論調なんだよ...人の言ってる事を
横方向の拡張と決めて、自分の主張は向上であり上昇である。
真の人類愛は....
つまり人よりオレの方が賢いと言いたいんだろ..そうしないと
お前のプライドが満足しないんだよ...
そんな事はみんな知ってるよ、だからお前は馬鹿扱いされるんだよ
わははははははははははははははははははははははははははははは
>他者への思いやりそのものを 偽装された自己配慮とみなすことは
>誤りである らしい。
そんな事もお前なんかに言われなくても、みんな承知してるよ...
だからお前は馬鹿扱いされるんだよ
わははははははははははははははははははははははははははははは
>だからお前は馬鹿扱いされるんだよ ココモはキュロスになんか恨みでもあるん? やけに絡むけど。
270 :
キュロス :2006/01/15(日) 09:20:32 ID:e6A37j5C
>>266 まあ レビ記を読めば解ることだが
この 19章18節は 19章1節から始まる一つの資料から成っているんだね。
そして 19章19節から また別の資料からなる文書が始まるんだね。
271 :
キュロス :2006/01/15(日) 09:22:56 ID:e6A37j5C
>>270 >この 19章18節は 19章1節から始まる一つの資料から成っているんだね。
これを 下記に修正
この 19章18節は 19章1節から始まる一つの資料から出来ている文書の
終わりの部分なんだね。
272 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 10:48:43 ID:RgfnZKwp
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、
あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
〜マタイ5:43〜5:48
これは有名な山上の垂訓の一節だ。
>>263 隣人を愛せ。これは命を得る確かな道だ。
キリスト教の言う隣人とは、イエスの掟を守る人達であり、彼の掟を守る人達は、
良きサマリア人である。彼らはイエスの名のもとに集まり、一つとなる。
この一つとなる者達の集まりこそ、教会であり、彼らこそが、まことの兄弟達なのである。
が、上の山上の垂訓の一節をみてもわかるように、彼の掟は、隣人だけを愛せと
言っているのではない。敵をも愛せと命じている。これは自らの罪から招いた、自分の心に巣食う
エゴを滅ぼす道なのだ。この自分の心に巣食う、エゴ、利己心を滅ぼさない限り、
人は、他者と、心を一つにすることができない。このエゴを滅ぼさない限り、イエスの元、兄弟達と
一つになれないのだ。エゴ、己の利己心滅ぼさず、大事にしているものが、どうして
他者の者、兄弟達と一つになれよう。これは曲がることのない法則。法だ。
273 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 11:12:02 ID:RgfnZKwp
>>263 たしかに今の教会の指導者は、正しく信者を導いているとは言えず、
イエスの教えを正しく理解している者も皆無に等しいのではないだろうか。
間違った指導者の元、クリスチャンを自称しながら蛇の申し子のような、
あの愛国心あふれる蛇女のような、奇妙な自称クリスチャンを生んでいる。
あの蛇女は、愛国心とは自分の心の何処から生起しているのか知らず、サタンの正体も知らないのだろう。
もちろん、違う宗教、違う民族、違う価値観の者と争うのは間違いだ。これはイエスの教えに背く。
よく、教会生活で、教会内の人間関係に疲れると言う話を聞く。これは、本当の教会の意味を
知れば、あってはならないことである。中には指導する立場の牧師自らが、ストレスの原因を信者に
与えているケースがあるようだ。なぜ人間関係が疲れるか。それは、皆が、それぞれ自分のエゴを他者に押し付け
押し付けられた者は者で、自分のエゴがそれに反発するからである。こんな者の集まりは、教会ではない。
盲人が盲人の手を引くと、二人とも穴に落ちてしまう。
>どうして、人の説明を理解しようとしないのですか?
>どうして、全く根拠のない批判ばかりするんですか
佛教の話になるが、釈迦は、争論すらするなと説く。それは悟った者は、争論する心は、
自分の心の何処から生起するのか、よく知っているからだ。
あなたもエゴとはなにかわかっているのなら、ここでキリスト教徒達に悪意をぶつけるのはやめるんだね。
274 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 11:44:40 ID:RgfnZKwp
原罪とはなにか。これは偽書とされている聖イッサ伝からの一節。 17 「永遠の霊は、いのちあるものすべての魂です。あなたがたはそれを、 悪の霊と善の霊とに分けるという、大きな罪を犯しました。神が、善なるものの外にいるはずはないのに。 人は大変な罪を犯してしまった。 神に似せて創造された人は、本来一つの存在だった。なのに、善と悪とに別けてしまったのだ。 この識別作用が、現象世界であるこの世、形あるものを生み、 この識別作用が、人の心に分裂を起こし、我々を分け隔て、 この識別作用は、エゴを生み、エゴは我々を再び元の状態、つまり「一」に戻らせないでいる。 この識別作用は、生と死をうんだ。本来、生しかなかったのに、この識別作用が、死を生んだのだ。 仏教の話になるが、スッタニパータという最古とされる仏典がある。 このスッタニパータの最終章、彼岸に至る道の章に、釈迦はこう述べている。 1036 尊者アジタが〔尋ねた〕「あるいは、知慧こそが〔諸々の欲望の流れの統御となり〕、 あるいは、気づきが〔諸々の欲望の流れの防護となるなら〕、さらに、 尊師よ、〔つぎは〕名前と形態(名色:現象世界)についてです。〔問いを〕尋ねられた者として、 これを、わたしに説いてください。この〔名前と形態〕は、どのような所で消滅するのですか」と。 1037 〔世尊は答えた〕「アジタさん、〔あなたが〕尋ねたこの問いについて、それを、あなたに説きましょう。 名前(名)と形態(色)とが残りなく消滅する所とは、識別作用(識:認識作用一般、 自己と他者を識別する働き)の止滅によって、この〔名前と形態〕が消滅する、 〔ほかならぬ、いま〕この場のことです」〔と〕。
275 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 11:50:29 ID:RgfnZKwp
1054 〔尊者メッタグーが言った〕「偉大なる聖賢よ、しかして、わたしも、 その、最上の法(真理)を喜びます。〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者が、 それを知って、世における執着を超えるであろう〔真実の法を〕」〔と〕。 1055 世尊は〔言った〕「メッタグーさん、何であれ、上に、下に、 さらにまた、横に、〔その〕中間において、〔あなたが〕正しく知るなら、 これらにたいする喜悦〔の思い〕と固着〔の思い〕とを〔除き去って〕、 〔さらには〕識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)を除き去って、 〔迷いの〕生存のうちに止[とど]まらないように。 1073 〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕「一切に眼ある方よ、もし、彼が、〔何ものも〕追い求めることなく、 また、多くの年月を、そこにおいて安立するなら、まさしく、そこにおいて、 彼は、〔欲の炎が消えた〕解脱者として、〔欲の炎なく〕冷静に存するのでしょうか。 〔それとも〕そのような類の者の識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)は、 〔解脱後も〕有るのでしょうか」〔と〕。 1074 世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、風の勢いで飛び散った炎が滅却し去り行くと、 〔もはや〕名称に近づかない(名づけようがない)ように、このように、 名前と身体(名身)から解脱した牟尼(沈黙の聖者)は、滅却〔の道〕へと去り行き、 〔虚構の〕名称(概念)に近づくことはありません(名付けを離れた存在となる)」と。 1110 〔尊者ウダヤが尋ねた〕「どのようにして、〔あるがままに〕行じおこなう気づきある者の、 識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)が消滅するのですか。 〔わたしたちは〕世尊に問い尋ねるため、やってまいりました。〔わたしたちは〕あなたの、 その言葉を聞きたいのです」〔と〕。 1111 〔世尊は答えた〕「内も、外も、感受作用〔の結果〕(受:苦楽の知覚)を喜ばずにいる者―― このように、〔あるがままに〕行じおこなう気づきある者の、識別作用(識:認識作用一般、 自己と他者を識別する働き)が消滅するのです」〔と〕。
276 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 12:00:36 ID:RgfnZKwp
1113 実体〔というあり方〕を離れて形態を想う者(妄想によって固定され実体化された形相を捨象し、 認識対象をあるがままに表象する者)、一切の身体を捨て去る者、 『内も、外も、何であれ、存在しない』と見る者の知恵について、サッカ(釈迦)〔族〕の方よ、 〔わたしは〕尋ねます。そのような類の者は、どのように導かれるのですか」と 1114 世尊は〔答えた〕「ポーサーラさん、一切の識別作用(識:認識作用一般、 自己と他者を識別する働き)の止住(固着・停滞)を証知している如来は、この、 〔識別作用の〕安立を、解脱であり、彼の行き着く所と知るのです。 この人の心の識別作用が、この世、現象世界を生み、この識別作用が自分と他者とを別ける。 五感から受ける快を求める働き、自分の意識に快を求める働き、これが執着を生み、 この執着から、人々の心にエゴを生む。このエゴを内在させる限り、人は元の一つの状態には戻れない。
277 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 12:06:07 ID:CTj2dhcu
自分で実践できないこと延々コピペしてらwww
278 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 12:17:39 ID:xMDVZ3MI
>>273 >あなたもエゴとはなにかわかっているのなら、
>ここでキリスト教徒達に「悪意」をぶつけるのはやめるんだね。
これもキリスト教徒特有の論理だろ...
キリスト教を批判する物は全て「悪意」とする...あらゆる
批判が「悪意」による物としてしまう...便利な論理だw
わははははははははははははははははははははははははははは
279 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 12:19:35 ID:RgfnZKwp
>「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。 >人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。 >赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 >与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、 >あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。 >あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」 〜ルカ6:37〜6:38 我々は本来一つの存在だ。「一」を知れば、イエスの山上の垂訓の意味もわかるだろう。 人を裁く者は自分自身を裁いている。人を罪人だと決め付ける者は、自分自身を罪人だと決め付けている。 人を許す者は、自分自身を許し、人を愛する者は、自分自身を愛することに繋がっている。 そして、人を殺す者は、自分自身を殺している。それらの報いは自分自身が受けるだろう。それが法というものだ。 人を愛することが出来ない者は、元の場所に帰ることができず、自分自身すら愛せない者は、元の場所に帰れない。
280 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 12:20:04 ID:CTj2dhcu
カラスは残念ながら行為義認 信仰義認について解かっていない
281 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 12:22:33 ID:CTj2dhcu
カラスの神は救いの前に報いを要求する神 仏教の神ね アタシらの主はあまねく恩寵を注いでくださる神 それは一方的に注がれ人間に要求することはできない できるのはそこに留まるか否か選ぶだけ
282 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 12:30:28 ID:RgfnZKwp
>>280 蛇の子よ。まだ言うか。
おまえの何処が救われている。おまえの信仰は幼稚だ。
>あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。
>悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。
>悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
>しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。
>あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。
>わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。
>神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」
〜ヨハネ8:44〜8:47
おまえはイエスの時代に生きていたのなら、同じことを言われているよ。
283 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 12:37:12 ID:RgfnZKwp
>>278 そうか、あんたの文書には少なからずキリスト教徒に対して
悪意をを感じられるのは俺だけじゃないと思うが。
ま、あなたがそういうのなら仕方がない。悪意がないかどうかは、あなた自身がよくご存知だろう。
ひとつだけ言っておこう。
少なくとも、あなたの文章で気を悪くしているキリスト教徒はいるだろうし、
説のひとつに過ぎない、三文宗教学者の陳腐な学説を元に聖句の解釈を聞くより、
宗教的なアプローチで聖句の解釈を探っていきたい人もいると言うことも忘れずに。
284 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 12:44:48 ID:CTj2dhcu
>>283 カラスは意地張らずにカトリック勉強しなおしなよ
面白いよ
285 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 13:01:20 ID:RgfnZKwp
>>284 >カラスは残念ながら行為義認 信仰義認について解かっていない
>カラスは意地張らずにカトリック勉強しなおしなよ
蛇女よ、あんた達みてるとさ、イエスの教えにしたがっているんじゃなく、
後世の者達の教えにしたがっている。おまえにいたっては、己のエゴに従っている。
おまえはイエスにではなく、サタンに仕えているんだよ。
286 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 13:06:15 ID:CTj2dhcu
287 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 14:09:34 ID:RgfnZKwp
>>277 我々はその罪ゆえに、元からイエスの掟に背く生きかたをし、
イエスの掟を知った後も、自ら持つその罪ゆえに、彼の掟をなかなか守れないでいる。
あるとき、どうしようもない二人の悪人がいた。
彼らはひょんなことから、天の秘密を知ってしまった。
そこで一人の悪人は、自分の罪の深さにおののきながらも、自分のもつその業ゆえ、
天の秘密を知った上でも、なかなか善を行えないでいる。
悪人にも五分の魂だ。知ってもなかなか善を行えないでいるこの悪人は、激しく自分を攻め立てながらも、
こんな自分の言うことなど人は耳を貸さないだろうと、思っていたが、
それでも、もし聞く耳のある者が少しでもいて、救われるならと、彼は大通りに出て、
皆に、天の秘密を解き明かした。
一方もう一人の悪人は、天の秘密を知りながら、
肉を持って生まれた自分に、完全な善を行うなど無理だと決めつた。
悪人にも五部の魂だ。彼はこんな自分が天の秘密を言うに値しないと、
誰に明かすことなく、胸に秘めることにした。そして彼は、今まで通り、肉の思いのまま生きた。
さて、蛇女よ。おまえはどちらが義だというのか。
288 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 14:43:16 ID:CTj2dhcu
結局カラスは救いとは遠いかなたにあって 人間の努力によってえるものと考えたいわけだ
289 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 15:02:16 ID:RgfnZKwp
>>288 おまえこそさ、聖書読んでないだろ。
行為義認 信仰義認などと言う暇あったらさ、聖書を読もうや。
カルケドン信条やら、カテキズムやら、そんなのばっか読んでないでさ。
どんな教会通ってるのか知らないけど、無智な牧師の話聞く暇あったら、聖書を読もうや。
おまえに少しでも智慧があり、少しでも”内容を読めたら”、おまえの信仰は
何の役にも立たないってことに気づくよ。
290 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 15:10:26 ID:RgfnZKwp
まったく聖書の何処をどう読めば、 あの蛇女のような信仰で救われるなんて思えるのか、不思議でしょうがない。 ま、おもいっきりななめ読みしてるから、あんな幼稚な信仰で、救われているなんて 思えるんだろうが。 カルケドンやらカテキズム、自分の通う教会の教理にだけ詳しく、聖書を全く読まなく、イエスの教えを 知らない、理解できない自称クリスチャンが、聖書を元に話している者を批判するのも、おかしな話だ。
291 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 15:17:07 ID:RgfnZKwp
292 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 16:47:37 ID:CTj2dhcu
>>290 だからさ 救いの前提として行為が必要なわけ?
それとも救いを維持するために行為が必要なわけ?
行為そのものが救いなわけ?
はっきりさせようやw
293 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 17:17:44 ID:RgfnZKwp
>>292 どっちも必要だと言っているんだよ。
何度言ってもわからない人だ。蛇女よ。聖書をななめ読みして自分達の都合のいい
箇所だけ信じるんではなく、聖書全体をよく読んでから出直して来い。
294 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 17:18:43 ID:CTj2dhcu
>>293 罪ある人間ができる正しい行為ってナニ?
295 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 17:32:15 ID:RgfnZKwp
>>294 今度は子供の屁理屈か。
どうしようもない人だ。
なら聞こう。おまえははなからイエスの掟をそんなものはできっこないと放棄している。
おまえはそれで救われると思っているのか。
おまえのような者のことを聖書ではなんと書いてある。救われるのはどういう人達だと、イエスは言っている。
勝手に救いの基準を変えるおまえは、どこの宗教の人だ?
ま、おまえにいくら言ったところで聞く耳を持たない。蛇女よ。おまえは可哀想な人だ。
296 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 17:35:55 ID:CTj2dhcu
>>295 基準をはっきりなさいよ
いまさら律法に戻るわけ?
297 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 17:55:01 ID:RgfnZKwp
>>296 何度も言っているじゃないか。
イエスの掟を守ることだよ。おまえはとんだ盲人だな。
目の中のでかい梁に気づかず、取り除こうともしない。
見える目があるのに見えず、聞こえる耳があるのに聞こえない。
イエスの掟は何度も何度も言っている。
あなたの主である神を、全力で愛しなさい。
同じく重要なのは、あなたの隣人を、あなたを愛するかのごとく、同じように愛しなさい。
そして、あなたの肉親であろうが、赤の他人であろうが、敵であろうが、味方であろうが、
善人であろうが、悪人であろうが、全て平等に愛しなさい。
律法とはこれに要約される。
何も、あれは食べるな、これは食べるな、これは食べてもよい。
人が定めた暦の上にすぎない安息日に、何もするな。などと言うレベルの話をしているんではない。
彼は律法を廃止しにきたのではない。完成させにきたんだよ。
蛇女よ。つくづくおまえは、聖書を読んでいないな。
298 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 18:05:11 ID:CTj2dhcu
>>297 ふ〜〜ん
それじゃさ どの程度愛せば救いに至れるわけ?
救われた後はどれくらい愛を持続すればいいの?
だいたい律法守れるならイエス様の贖罪なんて無用でしょ?
299 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 18:19:17 ID:RgfnZKwp
>>298 >それじゃさ どの程度愛せば救いに至れるわけ?
>救われた後はどれくらい愛を持続すればいいの?
子供の屁理屈に付き合うつもりはない。これは前にも言った。
>だいたい律法守れるならイエス様の贖罪なんて無用でしょ?
だいたいおまえ達は、イエスの贖罪、十字架の意味すらわかっていない。
彼は私達の身代わりになって死んでくださったなどと、思い違いをしている。
天の父とは、自分の怒りを静めるため、おまえ達の身代わりに罰を受ける
者をよこせ。そうすればおまえ達の罪を許してやる。などと言う存在でもない。
はっきり言う。イエスの掟をはなから無理だと放棄するおまには、クリスチャンは無理だよ。
300 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 18:50:25 ID:CTj2dhcu
>>299 あぁなるほど回答不能なわけねw
結局律法に退行してるだけじゃんw
カラスの唄の信仰はカトリックともプロテスタントともちがう。 ヤンセニズムみたいな感じだな。
302 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 19:14:52 ID:RgfnZKwp
>>300 今度は屁理屈か。
聞く耳を持たない者などこんなものだ。
>あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
>また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、
>家の中のものすべてを照らすのである。
>そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、
>あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
>「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
>廃止するためではなく、完成するためである。
>はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、
>律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
>だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、
>天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、
>天の国で大いなる者と呼ばれる。 〜5:14〜5:19
おまえの教会では、なにを教えている。
蛇の子よ、蛇の女よ。おまえはどこの宗教の人なんだ。
303 :
名無しさん@3周年 :2006/01/15(日) 19:17:18 ID:7OfXAsEg
原始仏教などを経て独特の信仰に達したようだが カラスは自分自身のつくりだした教理に苦しめられているようだ。
304 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 19:17:33 ID:CTj2dhcu
305 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/15(日) 19:21:40 ID:RgfnZKwp
蛇の女よ。先にも言ったが、イエスの掟をはなから放棄しているおまえには、 クリスチャンは無理だ。おまえがサタンに従うのか、神に従うのかはおまえ自身の問題だ。 真のクリスチャンとなるのか、偽りのクリスチャンのままでいるのか、 イエスの教えが、おまえの望みどおりではないからと、棄教するかも、責任の全てはおまえ自身にかかっている。 俺は自分の考えを、あんたに押し付けるつもりはない。 選択するのはあくまえでおまえ自身の問題だ。タイムアウトだ。 皆さんに主の祝福を。
306 :
キュロス :2006/01/15(日) 20:31:30 ID:WkK+NQr7
まあ おもい話しが続いたようだから 雑学的な話しをしてみる。 イザヤ 7:14 >それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。 >見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。 箴言 30:19 >天にある鷲の道/岩の上の蛇の道/大海の中の船の道 >男がおとめに向かう道。 この イザヤ書の「おとめ」と 箴言の「おとめ」は 「若い女性」と 訳せる 同じヘブライ語らしい。 この ヘブライ語の名詞は 処女であることを意味しないし またその可能性をも 否定しない。 箴言では 暗に処女ではない ことを示している という議論もある。 LXX(いわゆる70人訳)では これを「処女」と翻訳して それを マタイ福音書が 引用している。 また このイザヤ書の箇所の 時制が特定されておらず 「処女がみごもっている」(新改訳)とも 訳せるらしい。 ヘブライ語の 文法だけでは この箇所が 未来のことを 言っているのか否か について断言は出来ないらしい。
307 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 20:32:45 ID:Z9UpqKuH
あのうサロメ様とカラス様はできれば、他のスレに移動してください
308 :
名無しさん@3周年 :2006/01/15(日) 20:34:47 ID:7OfXAsEg
>>306 イザヤは単に、いま、若い女が妊娠してます ってことを言っただけ、
ということも考えられるね。
309 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 20:37:28 ID:CTj2dhcu
>>307 嫌だよ
はははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははは
310 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 20:37:42 ID:Z9UpqKuH
>>305 >クリスチャンは無理だ。おまえがサタンに従うのか、神に従うのか
>はおまえ自身の問題だ。
サタン様も拒絶すると思うけど
聖書が原語で読めたなら −−−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会 57 いつも喜んでいなさい p136 テサロニケ人への手紙第Tの5:17の 17 αδιαλειπτωσ προσευχεσθε.(註:語尾のσは別文字) アディアレイプトース プロシューケッセ「絶えず」「祈れ」 45 的をはずれると「罪」 p107 神に背を向けた状態 「罪」というのはギリシア語でハマルティアーといいます。 これはもともと「失敗」という意味があり 槍を的に向かって投げるとき的をはずすという意味からきているのだそうです。 新約聖書においては このハマルティアーは明白な罪の行為を指しているのではなく 罪の行為が起こってくるもとの罪の状態を意味し 神という「的」からはずれ、神との正常な関係からはずれた人間の状態 神に背を向けた状態をいうのです。 αμαρτια(単数形)ハマルティアー 正教要理 p39 四、罪 人間が神に与えられた中で最も大切なものは自由です。 他人の意志によらず、束縛を受けず・・・喜びを持つ、・・・ しかし、人間は自由をはき違え悪魔の誘惑に負け 自分の生命を神のみ手にゆだねることを拒み、神の前に罪を犯しました。 ・・・。悪は神から来るものではなく罪から生まれるものです。 無限に尊い神にそむいた罪ですから人間は自分の力で罪のつぐないを することはできません。・・・人間が悪にうち勝つために 救い主ハリストスを遣わすことを・・・されました。 私註※ [新教]神に背を向けた状態・・・。[正教]神にそむいた罪・・・
ドストエフスキー 罪と罰(下)江川卓訳 赤613−7岩波文庫 定価(本体760円+税) 宗教的「罪」は、грех:グリェーフ(グレーフ)と呼ぶ。使い方として @しかたない損も半々に(責任も半分こに)грех пополам Aグリェーフを使う、若気の過ち грехй молодости 失敗・間違いの語を使う、若気の過ち ощйбки молодости B彼を虐めるのは可哀想грех его(彼を)обежить アビジャ−チ(怒らせる:侮辱する)とあり、このことから、 法律ではなく生活上の罪、[を意味する。そこで]ロシア的な宗教的「罪」の使い方は 「神様を怒らせるような事をしでかした」「どっちの人間にもある過失」 「人生一度は誰もがする失敗」と理解できる。法律を破ったの意味ではない。 慣用句というか、決まった言い方に 人間は皆、罪人です все Люди грещнь? 罪の赦しを神に祈る замолить грех とあり ロシア文学「罪と罰」で使われる「罪」はПре−ступление:プレ−ストゥプレーニエ 越える−歩む(踏み越えてしまう)という法律上の罪を意味する。 p428 ロシア語を知らないと気がつきようもないが この長編の題名の一要素である「罪」の原語「プレストゥプレーニエ」 は「越える」を意味する「プレ」という接頭辞(せっとうじ)と 「歩む」を意味する「ストゥパーチ」という動詞の合成語から派生した名詞で 原義は「ふみ越えること」の意味なのである。ロシア語で「罪」をあらわす言葉には、このほかに 主として神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」という名詞があるが 「プレストゥプレーニエ」のほうは、人間の定めた掟を「ふみ越えた」罪 つまり、犯罪なのである。 p429 ・・・ソーニャは自分のことを「罪の女」と呼んでいる。 この「罪の女」の原語は、神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」 から派生した「グレーシニツァ」である。ということは、神を信ずるソーニャが抱いていた罪意識を 「ふみ越えた」という言葉によって、ラスコーリニコフが強引に自分の罪意識に引き寄せ 彼女を自分の「同類」にしようとしていることを意味するのだろう。
313 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 20:50:12 ID:Z9UpqKuH
>>309 なーーーーんだ、何処からも厄介者扱いされてて、追い払われてるん
だろな...ここは聖書を読まない精神病患者は、御用なしだよ...
汚れるw
わはははははははははははははははははははははははははははははははは
このように神と人間・万物の間を取り持つ「役割の人」や関係を 教学や神学的にキリストの「中保者(ちゅうほしゃ)」としての役割と呼ぶ。 神であり且つ人 人であり且つ神でなくてはならないのが中保者であるキリストの存在。 【 人間の構成 】 霊(プネウマ)魂(プシュケ)肉体(ソーマ)ギリシア語 霊(スピリッツ)魂(ソウル)肉体(ボディ)英語 神(精神・理性・良心)魂(鬼・魂魄・感情)身体(血肉・骨肉) 霊(神性)が神の霊の聖霊 霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)が父なる神 霊(ロゴスが人に)・魂(ロゴスが人に)・肉体(ロゴスが人に)が神の子キリスト 霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)が人間 (霊なし)・魂(人性)・肉体(人性)が動物および狂人や植物人間など -------------------------------------- 【 異端説1 アポリナリオス異端 】 霊(神性・神の霊)・魂(人性・動物)・肉体(人性・動物)が神の子キリスト 【 異端説2 サベリウス異端 】 神の子キリストは 霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)である「神」から 霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)である「人間」にヘンゲして十字架で死に昇天後に 霊(神性)である「聖霊」となって地上に君臨した。
315 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 20:54:05 ID:Z9UpqKuH
>>309 シッシッそらあっちへ行け、塩でも撒いとくか...
【 この世の流れ 】 父なる神(創造主・アルケー[根源]) ↓ 神として「神の子」が生まれる(創造主・子に関してはアルケーを議題にしてはいけない) ↓ 天地創造(被造物) ↓ 聖霊により人間マリアから人の子[人間]として「神の子」生まれる。 ↓ 先駆−洗礼者ヨハネによる洗礼によって 人間の罪を償う贖罪の子羊としての「神の子」の啓示を受ける。 ↓ 受難−十字架−復活−昇天により神の子イエス・キリストが父なる神の右に座し 人間に対する天に国籍ある者の「王」となる。 ↓ 聖霊降臨により地上にキリスト教会が成立する。 教会(キリスト教徒の集会)の頭としての[人の子]イエス・キリスト。 ★三位一体(神は一つ、人柄や神々[こうごう]しさの表れが3つ・顕われ方や性格が3タイプ) 人間の姿で見える人間の姿で語りかけてくる神(神の子キリスト・主・神) 人間の目で見えないほどマブシイ光の中にいて語りかけてくる神(父なる神・主・神) 人間の目でキョロきょろ見るがドコニいるか判らんが語りかけてくる神(神の霊・夢や幻で知らす) 神なる父 ↓ ↓ ↓ 生まれる ↓ 神の子キリスト ↓ 出でる[発出(はっしゅつ)] 神の霊
もう一つ致命的な問題があります。キリスト教とユダヤとでは イエスを神とするか人間とするかに決定的な違いがあります。 ユダヤ教では偶像崇拝は「人間の顔」を礼拝対象にする事を 含むという事です。モーセの十戒の第一戒あたりだと思います。 汝は私の他に神としてはいけない。とありますがギリシア語の文面は そうなのでしょう。しかしヘブライ語は 汝は私の他に顔(パナイ)があってはならない。他の顔を神と仰いではならない。です。 初期キリスト教ではサベリウス異端というのがあり三位一体の説明をめぐって イロイロな説が出ました。サベリウスは1つの体の神に三つの顔がある。 父の顔・子の顔・霊としての顔がある・ヤヌスのように複数の顔(十一面観音のようなの)が ある。かのような説明をし、異教に引きずり込む異端として排斥されたようです。 三位一体の説明に「顔」という用語を使用しては いけないとの事です。「顔」ではなく 「位格:いかく・くらい+かくしき」を説明で使用する。という事になりました。 「ペルソナ」を位格や性格や人格と翻訳し、顔と翻訳しない との決まりがあるそうです。
318 :
総合失調症 :2006/01/15(日) 21:03:03 ID:Z9UpqKuH
総合失調症 思い出した。これ魔よけになるから使ってくだはい
もうちょいカキコ
【 主は唯一・主は神、神は三位一体 】 神なる父(エル・モシェ(モーセ)が聞いた ↓ ↓ 主の名「在って在る者(存在[ヤー]というBE動詞:ヤハウェ)」) ↓ ↓ ↓ 生まれる(父と子は同一+本質:ホモ+ウシオス[同質]、 ↓ ↓ 万物は「デーミウールゴス:創造主」によって創られた) ↓ ↓ ↓ 神の子キリスト(神の言葉:ロゴス、両性論[神であり人]、 ↓ ↓ BE動詞[ヤソ]現在形:イエス(ヨシュア)) ↓ 出でる[発出(はっしゅつ)] ↓ 神の霊(聖霊・みたま[冒涜してはならない存在]、 癒しの奇跡を起こす、異言(グロッサ)を語らせる) ヤー[ヘブライ語] 生きる。ある。存在する。BE動詞。アブラハム・イサク・ヤコブの神。 エリ+ヤー[ヘブライ語] 神は+生きておられる・旧約聖書の預言者の名前。 シェマ[ヘブライ語] 名前を呼ぶ・呼びかけ・聞け!聞けやの意味。 シェム+エル[ヘブライ語] 名前は+神(神を呼ぶ)サムエルという旧約聖書の預言者。ダビデに王様即位の油を注いだ。 はシャマイム(天)はアレツ(地)シェオル(黄泉)カイアふぁ(大祭司カヤパ) 神と共にあります(インマヌエル・エマニュエル・エマ) 私はいます(イエスース・イエホシュア・ヨシュア) 来て下さい(マラン+アファ マラナ・タ)
【 教会の頭(ブドウの幹)はイエス・キリスト、肢体(枝)は信徒 】 神なる父(三位一体論の神性のみ) ↓ 神の子キリスト(神性と人性(両性論・キリスト論)神と人の中保者・取り成し手 ↓ 永遠の神が有限の人間の罪を代わって償う 『聖霊の洗礼』 [人間となったキリストの有限の命は、人間の罪の身代金]) ↓ 神の子となった信徒(洗礼を受けた人間。 ↓ 教会の一員となったからには、教会の頭キリストが主人である事を宣言し ↓ 血(ワイン)を飲んで罪の赦しを契約し、肉(パン[同じ釜の飯])を食べ ↓ 神の言葉:ロゴス・永遠の命を、信者の肉体(神の宮:神殿)の中に持ち ↓ キリストの一部になる) ↓ ↓ ↓ 福音(よい+知らせ:戦勝報告[戦いに勝ち生き延びられた[喜び]を人に知らせる] ↓ ↓ エウ+アンゲリエ[エヴァンゲリオン]・キリストの救いを布教する事) ↓ ↓ ↓ 罪を赦された余裕を持って、罪ビトにも赦し愛を与える。 ↓ [一人間の命の終わりの]死後の裁き(私審判・第一審判決)と [この世の終わりの]最後の審判(公審判・最終判決) ↓ 罪ビト(洗礼を受けてなくて、キリストの弁護も期待できないし 有限の人間が自力で、楽園(天国)から追放された永遠の罪を償えないので 無限に天国に帰れない[同じ生まれ変わり死に変わり の『悪に悪を返すのを善と間違える』輪廻[を]し続ける]地獄へ行く人間)
322 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 21:11:04 ID:CTj2dhcu
323 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 21:21:29 ID:Z9UpqKuH
問題形式で、今日のヨゼフスをします。今日はイエスの弟のヤコブです。 下の「総合失調症」のところを全部言い当てた人は、僕の方から 何か記念品を差し上げます。 今日の「総合失調症」 聖書の中で「総合失調症」はたくさんでてきますが。「総合失調症」に 「総合失調症」は一回しか出てきません。当時の大祭司「総合失調症」2 世により、サドカイとファリサイの勢力争い(何回か読んでみたが原因は よく判らない)の咎で石打ちの刑で処刑されたとあります。キリスト教会 は「総合失調症」をファリサイ信徒だとしてますが、この事件もその有力な 証拠としてます。時期は多分AD62年頃だと思います。 僕はユダヤ教とキリスト教会そのものの違いがハッキリしてなかったんだと 思います。「総合失調症」の弟の「総合失調症」が、「総合失調症」の継承者 だと言うのは、パウロも認めてるところですし、トマスの編者も認めてる 事です。
324 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 21:23:53 ID:CTj2dhcu
>>323 わははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
325 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 21:55:10 ID:Z9UpqKuH
>>324 治療費なかったら出したろか?、僕の大学の同窓生で辣腕の精神化
のドクターがいるよ(もっとも東京の四谷だから近いかどうか?)
それより健康保険あんのか?全額負担は大変だからな、ご勘弁いただく
326 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 22:02:57 ID:CTj2dhcu
327 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 22:18:02 ID:Z9UpqKuH
>>326 それより質問に答えろよ
1...東京の四谷に通えるのかどうか
2...何処かの健康保険の被保険者なのかどうか
これで、予算ががらっと変わってしまうだろ...
想定外の費用が掛かるんだったら、サロメ治療基金
を作って、多くの人からカンパしなきゃ無利だよ
328 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 22:21:17 ID:CTj2dhcu
>>327 アンタ養えるくらいの蓄えありますが何かwww
329 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 22:51:13 ID:Z9UpqKuH
>>328 もう一回同じ質問をするw
1...東京の四谷に通えるのかどうか
2...何処かの健康保険の被保険者なのかどうか
蓄えがあると言う表現は、現実には全く収入が無いって
言う事だよ...収入と言う概念がないだろ...
お前なんかにたまたま少々の蓄えがあっても、すぐ吹っ飛ぶ
よ..それとも例によって「天の蓄え」とでも言いたいんか
...お前みたいなエゴに「天の蓄え」なんかあるわけ無いだろ
330 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 23:02:47 ID:CTj2dhcu
331 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 23:22:13 ID:Z9UpqKuH
>>330 見てる人は判ると思うよ...こいつ全然仕事してないんだよ
...仕事してたら大体健康保険があって「あるよ」と言う返事が
あるんだよ...四谷に通えるかどうかって聞かれたら...
近かったら通えるだし、遠かったら通えない...それが普通の
社会人だw...本当に治療する意思のある人だったら「助かります
、早速その病院に行って診察を受けてみます、そこで大体の費用が
判りますのでご連絡します」だな...そういう人だったら、僕も
「すぐ行ってください、**病院の**と言う医師が僕の友達なので
一筆メールしておきます。費用がどのくらいかかるのかわかったら
ご連絡ください」...だな、一般社会の方がよっぽどイエスの
掟を守ってるよ...わははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
332 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 23:27:28 ID:CTj2dhcu
>>331 一方的に妄想展開してない?www
つーかお前健康保険に加入してるのかよwww
333 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/15(日) 23:28:23 ID:CTj2dhcu
>>331 だからさぁ
その友人って 世間じゃ『主治医』って言うんじゃないのかいwww
334 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/15(日) 23:54:46 ID:Z9UpqKuH
これは社会でも家でも仕事をしてる人は似た気持ちだろうと思うん だけどね。それが「世のため人の為」なのか「自分の為家族の為」 なのかと言う区分けはできないんだな 「世のため人の為」と言うのが現代で言う「隣人を愛せよ」なんだな それで仕事をした事がない奴らは、その部分が欠落しちゃうんだよ それでお前のやってる事が本当に「隣人を愛せよ」を貫いてるか って言われると、急に言葉をにごしてしまうんだな.... 社会で仕事をしてる人は、まがいなりにも「世のため人の為」 になってるんだから、自分は「隣人を愛せよ」を実践してます って言えるんだな...
335 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/01/16(月) 00:01:20 ID:CTj2dhcu
>>334 はぁ?どーした誰に向かって話してるんだ?www
336 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/16(月) 18:13:50 ID:8jgtzRhc
避難勧告... まもなくこのスレは汚染物質によって著しく衛生状態が 悪くなる可能性がありますので、速やかに避難してください。
旧約第2 トビト記5章( 契約書を2通作成 ) 3トビトは息子トビアに答えた。「ガバエルは自筆の証文を作り、わたしも それに署名した。そして、それを二つに分け、おのおのが証文の一方を受け取った。 彼は証文の半分と共に銀も受け取った。今はもう、銀を預けてから二十年になる。わが子よ、 だれか一緒に行ってくれる信頼できる人を見つけなさい。その人には帰って来るまでの期間の 報酬を与えよう。さあ行ってガバエルからその銀をもらって来なさい。」 4メディアまでの道に詳しく、一緒に行ってくれる人を探しに、トビアは外に出た。出てみると、 天使ラファエルが目の前に立っていた。しかしトビアには、神の使いであることが分からなかった。 民数記 22:28 主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。 「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは。」 民数記 22:29 バラムはろばに言った。「お前が勝手なことをするからだ。 もし、わたしの手に剣があったら、即座に殺していただろう。」 民数記 22:30 ろばはバラムに言った。 「わたしはあなたのろばですし、あなたは今日まで ずっとわたしに乗って来られたではありませんか。 今まであなたに、このようなことをしたことがあるでしょうか。」 彼は言った。「いや、なかった。」 民数記 22:31 主はこのとき、バラムの目を開かれた。 彼は、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見た。 彼は身をかがめてひれ伏した。
>ペテロ第二は、教会内の偽教師たちに対処するための保証です 【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】 ニペトロ【2】(2)イスラエルにおける偽教師の前例は、列上22章、 エレミヤ28章に見られる。「自分たちを買い求めたあるじ」は、尊いおん血をもって われわれをあがなってくださったキリストのことである(一ペトロ1:18〜19参照)。 ニペトロ【2】(3)ユダ6節参照。「地獄」(ギリシア語では「タルタロス」)は、 ギリシア神話の中で、よみの国の下にある苦痛の場所を指すからである。 しかし、二ペトロが書かれたころ、同時代の外典に見られるように、悪天使が、 七つの層から成る天の上層部から暗い下層部に落とされて苦しめられた という考えがあったようである(一ペトロ3:19参照)。それで、著者は、 ギリシア神話の伝統的用語「タルタロス」を使ってはいるが、その本来の意味よりは、 ここでは単に、象徴的意味における苦しみの場所のことを考えていたものと思われる。 ニペトロ【2】(9)前節の「ボソル」は、民22:5の「ベオル」のことである。 民22:22〜30は、バラムがモアブ王バラクから金をもらってイスラエルを のろうために出かけたとき、彼の乗ったろばが、途中、進むのをやめ、 彼に打たれたとき口をきいたことを、物語っている。著者はここで、 偽教師がバラムと同じく、ろばほどの知恵も持ち合わせていないことをほのめかしている。 ニペトロ【2】(11)本節の終わりの表現は、 人の中から追い出された悪霊が七つの悪霊を連れてもどってくることを述べる マタイ12:45の表現と同じ。なお、ルカ1:26参照。 20〜21節は、偽教師に惑わされた改宗者(18節)を指しているとも言えるし、 また、偽教師を指しているとも言える。しかし、22節のたとえのきびしさから見て、 著者は、偽教師のことを念頭に置いているようである。
【 旧約聖書 】ルツ記 1章 1節 士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。 1 章15節 ナオミは言った。「あのとおり、あなたの相嫁は自分の民 自分の神のもとへ帰って行こうとしている。あなたも後を追って行きなさい。」 1 章16節 ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き/お泊まりになる所に泊まります。 あなたの民(ユダヤ人)はわたしの民/あなたの神(アブラハムの神)はわたしの神。 1章 22節 ナオミはこうして、モアブ生まれの嫁ルツを連れて モアブの野を去り帰って来た。二人がベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れの始まるころであった。 2章 6節 召し使いは答えた。「あの人はモアブの野からナオミと一緒に戻ったモアブの娘です。 2章20節 ナオミは嫁に言った。「どうか生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が その人を祝福してくださるように。」ナオミは更に続けた。 「その人はわたしたちと縁続きの人です。わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です。」 例: モアブ人→韓国人 あなたの民→大和民族 あなたの神→天照大神・天御中主尊など 例: モアブ人→朝鮮人 あなたの民→漢民族 あなたの神→盤古・老子・孔子・関帝・天妃など 例: モアブ人→アメリカ人(李承晩の妻) あなたの神→アサダルの檀君・チェりる将軍・イムぎょんオプ将軍 × 西学[星湖内部学問]・天主教[西学の一部]・教獄[天主教と静学全体への焚書坑儒]・ ○ 西学[星湖内部学問]・天主教[西学の一部]・教獄[天主教と西学全体への焚書坑儒]・ 例: モアブ人→アメリカ人(李承晩の妻) あなたの神→アサダルの檀君・松岳山神・チェりる将軍・イムぎょんオプ将軍
340 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/16(月) 19:56:01 ID:3GuefpNB
汚染物質どろどろでもいいよ。
エペソ 4;27−28 悪魔に機会を与えてはいけない。盗んだ者は
今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に
わけあたえるようになるために、自分の手で正当
な働きをしなさい。
>>334 ココモッキに半分、同意です。
この聖句は労働が善行に向かうようになってんのよね。
働けることは神に感謝ですね。
341 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/17(火) 14:20:20 ID:QcjopXB9
ここの宗教板にいる自称クリスチャンはどうしようもないな。 彼らは現在のファリサイ派である。 イエスは救いに預かれる者は、父なる神の御心に叶う者だけだとはっきり言っている。 天の父の御心とは、イエスの掟を守ることである。 あの現在のファリサイ派の人達はそのことを何度も言っているのに、聞こうとしない。 彼ら、彼女らは、イエスの教えではなく、後世の人の教えを信じている。
342 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/17(火) 14:49:44 ID:QcjopXB9
>人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、 >この世でも後の世でも赦されることがない。」〜マタイ12:31 聖霊とは、父なる神の言葉。 父なる神の言葉とは、父なる神の御心である。 それは永遠であり、イエスの残した言葉の中にある。 父の御心とはイエスの掟に要約される。 人の子を謗る者は許されるが、聖霊に背く者は決して許されない。 どんな悪人も悔い改め、父の御心の叶えれば許され、永遠の命を得るが、 父の御心に背く者は、どんな者でも決して許されず、命を得ることはない。 父は子の内におられ、子は父の内にいる。 そして聖霊である、父なる神の御心は、父と子の内にある。 天にまします我らの父よ。御国が来たらんことを。御心が行われんことを。 父なる神よ。天におけるように地の上にも。 わたしたちに必要な糧を今日お与えてください。 父なる神よ、私が私に負い目のある者を許すように、私の負い目をお許しください。 父なる神よ善を行えでいる私の弱い心をお許したまえ。私をサタンの誘惑から守りたまえ。 父なる神よ、イエスの名において願います。私に、サタンの誘惑に打ち勝つ、強い心をお与え下さい。 父と子と聖霊と御名において、アーメン。
クリスチャン・クリスティアノイは、油塗られし者ですよ。 イエスはマグダラのマリアの香油を塗られたし 聖書のヤコブ書には長老に油を塗ってもらい癒されなさいとあり 事実、カトリックろ正教会は、洗礼だけでなく 油塗られし者(クリスチャン)になるために 額に十字に油を聖職者に塗って貰います。 聖職者もペテロ・ヤコブに遡る油塗られ継いだ由緒を持ちます。 プロテスタントは油塗りを捨てた時点で クリスチャン(油塗られし者)を捨てたのです。
それに後世もなにも 聖書は後世に改ざんや付け加え捏造があります。 使徒行伝(使徒言行録)のピリポのエチオピア宦官の洗礼申し入れは 改ざん前は、イエスの名を信じる「告白」があればクリスチャンです。というのが 元の聖書本文だと言われています。 つまりキリストはイエス・父は神・聖霊は命を授ける・教会を信じる などの告白宣誓(堅信)と油塗りは 初期キリスト教・イエスに繋がるキリスト教の クリスチャン(キリスト者)が受け継いで絶やさなかった必須儀式だと言う事です。
345 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/18(水) 18:45:33 ID:5bOEtu13
>>344 >使徒行伝(使徒言行録)のピリポのエチオピア宦官の洗礼申し入れは
>改ざん前は、イエスの名を信じる「告白」があればクリスチャンです。というのが
>元の聖書本文だと言われています。
この話のソースは多分御貴殿が言わはる様に、「告白」と言うか「宣言」で
入信したと思います。それが使徒を編集する頃にはクリスチャン的な「洗礼」
が確立していたと思います。それまでの「洗礼」を異邦人が受けるのは
多分無理だったと思います。
346 :
キュロス :2006/01/18(水) 19:12:42 ID:Gg/x5aMw
エレミヤ 20:7(新改訳) >主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。 >あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。 >私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります。 エレミヤ 20:7 新共同 >主よ、あなたがわたしを惑わし/わたしは惑わされて >あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。 >わたしは一日中、笑い者にされ/人が皆、わたしを嘲ります。 この箇所の正確な訳は 下記のようになる と主張している人がいる。 >おお主よ、あなたはわたしを誘惑し >わたしは誘惑せれました。 >あなたは、わたしを強姦し >わたしはあなたのされるままになりました。 ヘブライ語の動詞「バータハ」は よこしまな思いを持って 若い女性を 結婚前性交を承諾させるという特別な意味が あるらしい。 (出エジプト22:16 ホセア2:14等々) また「ハーザーク」という動詞は いやがる女に暴力を振るって 結婚外 性交を遂げることを意味する(申命記22:15 士師記19:25等々)
347 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/18(水) 21:07:31 ID:5bOEtu13
>>346 >あなたは、わたしを強姦し
>わたしはあなたのされるままになりました。
そんでよ、「あなた」って誰?「わたしは」は誰ザンスか...
これって何時のことザンスか?...言葉の解釈だけやってたら
また何処かの誰かに馬鹿にされるよ...
348 :
キュロス :2006/01/18(水) 21:41:37 ID:SW24ST+2
エレミヤ書の ヘブライ語マツラ本文(MT)と ギリシャ語版(LXX) の間には 重要な相違点があることが知られている。 その相違を エレミヤ書を解釈する上で ある程度知っていると良いと思う。 それは LXXのエレミヤ書が MTエレミヤ書より 約8分の1短く また MTの46章51節に 配置されている箇所が LXXでは25章13節 に 配置されていることだ。 クムランから出土した資料等の研究によって エレミヤ書には MTと一 致する物と LXXと酷似する 二種類の異なる伝承が 前1世紀まで存在 していたことが明かになったらしい。 長文の方が しばしば節を繰り返したり 基本的内容を変更せずに詳しい 説明を加えているので MTエレミヤ書が LXXエレミヤ書と関連した さらに古いヘブライ語元本の拡張である との説がある。 する
>>348 >エレミヤ書の ヘブライ語マツラ本文(MT)
マツラではなく、マソラですね。
マソラテキスト、つまり「伝承本文」のことです。
350 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/18(水) 21:55:42 ID:5bOEtu13
>>348 それで、もう一回聞くけど
>あなたは、わたしを強姦し
>わたしはあなたのされるままになりました。
そんでよ、「あなた」って誰?「わたしは」は誰ザンスか...
これって何時のことザンスか?...言葉の解釈だけやってたら
また何処かの誰かに馬鹿にされるよ...
351 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/18(水) 22:07:14 ID:5bOEtu13
>>348 お前は聖書本分を全然読んでないから、こんな簡単な
事すら答えられねぇんだよ...
それで
>>348 みたいな事を何処かの資料から調べて
載せると如何にも賢い人間の様に振舞えると思ってるんだよ
馬鹿クリスチャンの一つのモデルだよ、こんな馬鹿クリスチャン
を散々見てきたよ...お前にとってのキリスト教は他では
全くウダツがあがらないが、こうやって如何にも賢く見せる事が
できて自己満足ができるいい題材に過ぎないんだよ...
352 :
キュロス :2006/01/18(水) 22:18:08 ID:3jZLAbZj
エレミヤは エルサレムの北方約5.5Kmに位置するアナトト村 の祭司の家に生まれ ヨシヤ王の治世の第13年(前625年)に預言活動を開始して (ヨシヤ王の 前640年〜609年 エホヤキム王 前609〜598年 エホヤキン王 前598〜597 ゼデキア王 前597〜587年) 前587年のエルサレム 陥落したのちににも しばらく生き 長らえた預言者らしい。 しかし エレミヤの預言活動の開始時期を 前625年とする説には 疑問もある。 それは エレミヤとヨシヤとの関係についての 記述 が見当たらないこと(3章6節〜10節 は明らかに後世の 加筆だと言われているらしい) 2章18節が アッシリヤの脅威を前提にしていると思われるので 年代は 前614年以降だと する説がある。 また 2章〜3章の 託宣にふさわしい 時代背景として ヨシヤの宗教改革(前621)以前のユダヤの宗教状況を想定する という 説もある。 他にも エレミヤが預言活動を開始した伝統的年代を 前625年 する説を 否定する説がある らしい。
353 :
キュロス :2006/01/18(水) 22:42:28 ID:6hwJC9iH
>>346 「バータハ」と「ハーザーク」は 韻文になっているのね。
エレミヤ20章7節は 預言者の召命につい言っているんだとおもうよ。
つまり 誘い出され すすんで言いなりになりたい 魅力的感情と
もう一方のでは 暴力で犯される 圧倒的暴力にいやおうなく服従
させられる意識。
預言者は 神の惹きつける力と強制力 魅力と圧力 誘惑と圧迫
自然的同一化と無理強いされた降服とを二つながら意識している
らしい。
354 :
キュロス :2006/01/18(水) 22:55:41 ID:6hwJC9iH
エレミヤ 15:16 (新改訳) >私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。 >あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。 >万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。 「喜び」と「楽しみ」という言葉は 他のエレミヤ書の箇所では 婚礼の祝宴との関連で出てくるらしい(7:14 16:9 等々) エレミヤの生涯は 悲惨 緊張 圧迫 に支配されていたのではない 彼は 神の婚約者である至福 いわば神の花婿である 「喜び」「楽しみ」 を 知っていたのらしい。 イザヤ 4:1 >その日、七人の女がひとりの男にすがりついて言う。 >「私たちは自分たちのパンを食べ、自分たちの着物を着ます。 >私たちをあなたの名で呼ばれるようにし、 >私たちへのそしりを除いてください。」 預言者の状況は 神と婚約している娘の立場である らしい。
355 :
キュロス :2006/01/18(水) 22:57:59 ID:6hwJC9iH
>>349 そうですね マソラ本 ですね。
話しは変わるが 新改訳も良いような気がする。
357 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/18(水) 23:47:39 ID:5bOEtu13
>>352 >あなたは、わたしを強姦し
>わたしはあなたのされるままになりました。
もう一度だけキイたるw
そんでよ、「あなた」って誰?「わたしは」は誰ザンスか...
これって何時のことザンスか?...言葉の解釈だけやってたら
また何処かの誰かに馬鹿にされるよ...
358 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/19(木) 00:38:24 ID:Z1GVSyFt
>>346 >あなたは、わたしを強姦し
>わたしはあなたのされるままになりました。
文章の前後を読んでりゃ、「あなたは」は主(アドナイ)
の事で「わたしは」はエレミヤ自身の事だよ....
こんなの小学生でも判るよ....
「強姦」なんて訳すのは何処の馬鹿たれだ...
期待(ユダヤの反エレミヤ勢力を一掃する事)したバビロンが、
エレミヤの意に反して、ユダヤを略奪してまさに神殿の周りを
バビロン軍が包囲した時に詠ったのが20/7−18だろね
20/18
ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか
こんな自己否定まで出てくる、弱さを曝け出した絶望的嘆き
の詩ざんすね...
*エレミヤ記はどうも原文を細かく切って再構成した形跡
があり、あっちこっちに散らばって出てくるのが特徴
だから何時のエルサレム包囲の時かは不明だが、BC600年±7年
頃と思われる。
359 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/19(木) 18:17:14 ID:Z1GVSyFt
>>358 続き...エレミヤを1年近く調べてますがね、まぁこんな
面白い奴は珍しいは...おそらくユダヤ人には
好かれるんでしょうね。キリスト教会が下らない
解説をしなければ、こういうタイプの男が好きだ
と言う女性が多いと思うよ...
マタイ16/14
弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』
と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ
』と言う人もいます。」
何故ここでエレミヤが出てくるのか、その理由がやっと判ってきたよ
360 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 00:13:47 ID:0F0APIDF
今日のヨゼフス...イエス・キリスト ヨゼフスにおけるイエスの記事はホンのわずかですがあります。 しかしそれがヨゼフスの筆による物かどうかが歴史的にサンザン 論議されてますが、ヨゼフスを読んでると答えはハッキリしてます。 どのように考えてもキリスト教会の追記です。明らかに文体も単語も 主張もヨゼフス自身のものではなくキリスト教会特有の物です。
361 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/21(土) 11:58:58 ID:m/V+yEZt
雪ですね。 詩篇51を読みとうなります。 7節の ヒソプをもって、わたしを清めてください、 このヒソプってハーブは栽培が難しいのよ 冬になると根っこも枯れてしまう。
362 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 17:00:42 ID:0F0APIDF
>>361 ヨハネ福音書によれば、イエスの受難のときにも
「ヒソプ」が使われてる、何か意味があるんかな?
ヨハネ福音書19/29
そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。
人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿を「ヒソプ」に付け、
イエスの口もとに差し出した。
363 :
キュロス :2006/01/21(土) 17:01:07 ID:1mlF+cDC
エレミヤ書 >12:5 あなたは徒歩の人たちと走っても疲れるのに、どうして騎馬の人 >と競走できよう。あなたは平穏な地で安心して過ごしているのに、 >どうしてヨルダンの密林で過ごせよう。 >12:6 あなたの兄弟や、父の家の者さえ、彼らさえ、あなたを裏切り、 >彼らさえ、あなたのあとから大声で呼ばわるのだから、 >彼らがあなたに親切そうに語りかけても、彼らを信じてはならない。 エレミヤ書でのエレミヤの悩みは 故郷の人達(エレミヤの故郷アナトト は 祭司階級の居住地)からの攻撃(11:18〜) だけではなく 神から も預言者としての働きに対して 叱責されていることだ。
364 :
キュロス :2006/01/21(土) 17:26:02 ID:m9tF/f9U
>>363 エレミヤ
>12:1 主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。
>それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きした
>いのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らか
>なのですか。
>12:2 あなたは彼らを植え、彼らは根を張り、伸びて、実を結びました。
>あなたは、彼らの口には近いのですが、彼らの思いからは遠く離れてお
>られます。
エレミヤの神に対する問いは なぜ義人が苦しむのか ではなく
なぜ悪人が栄えるのか? なのですね その問いに対する神の答
えが5節以下の 叱責なんだね。
義人がなぜ苦しむのか? 苦悩は罪過がある証拠なのか?
罪過の程度に比較して 大きな苦悩が嫁せられているのではか?
という 正義の問題にまだエレミヤは 突き当たっていなかたの
だろうか?
イスラエルは滅ぼされ その民を襲った悲惨な運命は彼らの
犯した罪過の程度を はるかに超えているようにおもえる。
365 :
キュロス :2006/01/21(土) 17:51:01 ID:f8D5fj4d
エレミヤ 12:4 新改訳 >いつまで、この地は喪に服し、すべての畑の青草は枯れているのでしょう >か。そこに住む者たちの悪のために、家畜も鳥も取り去られています。 >人々は、「彼は私たちの最期を見ない。」と言っているのです。 同箇所 新共同 >いつまで、この地は乾き/野の青草もすべて枯れたままなのか。 >そこに住む者らの悪が/鳥や獣を絶やしてしまった。 >まことに、彼らは言う。「神は我々の行く末を見てはおられない」と。 同箇所 口語訳 >いつまで、この地は嘆き、どの畑の野菜も枯れていてよいでしょうか。 >この地に住む者の悪によって、獣と鳥は滅びうせます。 >人々は言いました、「彼はわれわれの終りを見ることはない」と。 この12章4節は 各訳で違った感じを受けるね。 最初の2行は エルサレム陥落以後の状況なんだろうね。 神議論的な話しは ヨブ記にいくしかないのかね。 >ヨブ >9:12 神が奪うのに誰が取り返せよう。 >「何をするのだ」と誰が言いえよう。
366 :
名無しさん@3周年 :2006/01/21(土) 18:26:55 ID:rFrNF70P
初期のキリスト教徒は、「聖霊」を神聖視した。 使徒行伝のエルサレム会議で、異邦人に聖霊が与えられたことにより、 彼らは律法を遵守しなくとも、キリスト者となれた。 「聖霊」=「清さの霊」が与えられたことにより、罪が消えたとも見做された。 同じことは、極初期のユダヤ人キリスト者にも当てはまるはずだ。 彼らも、イエスの死後、「聖霊が与えられた」-->「罪が消えた」と、考えたのだ。 聖霊が与えられたのは、イエスの死後か、キリスト者として入信した後だから、それをもって、罪が消えた根拠としたのだ。 そこから、イエスの「贖罪の羊」論がでてくるのだ。 使徒行伝によれば、異邦人伝道のパウロが、強く主張しただろうが、結局は、 使徒らの総意だったと思われる。
367 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 19:19:30 ID:0F0APIDF
裸の王様とクリスチャン... 昔ある国の王様に「この生地は馬鹿には見えない生地です」と言って 服を献上した人がいましてね...誰が見ても透けて見えてしまうん だけど、見えないと言うと馬鹿かと言う事で見えなくても見えてる ふりをするんだな...ところが子供は正直で「王様は裸だ」と騒ぐ んですな...詐欺商法がバレテしまいました... 「神を信じれば救われる」...誰も救われたなんて思ってナイン だけどね...神様なんか信じてない奴も多いのでしょうね... それを口にすると「不信仰だ」「異端だ」と言われてしまいますのでね あたかも神を信仰してるかの様に振舞ってるんだよ...止めたら いいのに、そんな猿芝居みたいな事...
368 :
名無しさん@3周年 :2006/01/21(土) 19:42:30 ID:Qn1XQeYK
イエスは、モーセのような人であった。 神がイエスとともにあり、神の代弁をし、人には語れぬ真理を残した。 「終末がくる」「悔い改めよ」と述べた。 しかし、その時は、イエスも教えてもらえなかった。 イエスは、本当は、何を語ったのか、、、 わからない。
369 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 19:44:09 ID:0F0APIDF
「自分はあまり勉強してないので、***については あまりシッカリした知識は持ち合わせてない」 これが言えるクリスチャンがいたら、世の中の人達は クリスチャンを信用します。 「自分はかれこれ**年クリスチャンをやってるが 残念ながらイエス・キリストを信じるには至ってない」 これが言えるクリスチャンがいたら、世の中の人達は クリスチャンを信用します。 「自分はかれこれ**年クリスチャンをやってるが 残念ながら聖書は殆ど読んでないのでたいした事は言えない」 これが言えるクリスチャンがいたら、世の中の人達は クリスチャンを信用します。 「自分はかれこれ**年クリスチャンをやってるが 残念ながら牧師に権威があるとはとても思えない」 これが言えるクリスチャンがいたら、世の中の人達は クリスチャンを信用します。 「自分はかれこれ**年クリスチャンをやってるが 残念ながら自分の教会は大した教会だとは思えない」 これが言えるクリスチャンがいたら、世の中の人達は クリスチャンを信用します。
370 :
名無しさん@3周年 :2006/01/21(土) 20:12:45 ID:Qn1XQeYK
イエスの死後、大量の幽霊(キリスト教徒は、聖霊と呼ぶ)が現れた。 (しかし、ユダヤ教側の資料にはない) それが、キリスト教徒の原動力となった。
371 :
名無しさん@3周年 :2006/01/21(土) 21:10:22 ID:YGpxsmZT
「神の国は近い」 この「近い」というギリシア語に対応するヘブライ語の意味は、「ずっとすぐ 目の前まできているぐらい近い」という意味である。 「近い」というよりは、「ここにある」ぐらいの意味である。 そう、イエスのうちには、神の霊が「いた」のであるから、イエスとともに 神の国はあったのである。その意味で、イエスの体は、神殿であった。
372 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 21:10:28 ID:0F0APIDF
>>370 >イエスの死後、大量の幽霊(キリスト教徒は、聖霊と呼ぶ)が現れた。
聖霊の記事が多いのはマタイとルカ以降ですよ...70年代以降...
パウロ書簡に出てくる聖霊は例のコリント書簡15章のイエスだけですよ。
使徒に描かれてるのはイエスの名(教え)による信仰でしょ...
原始教会の信徒達はこれがモチベーションだったと思いますよ
373 :
名無しさん@3周年 :2006/01/21(土) 21:12:06 ID:YGpxsmZT
>>372 使途をはじめ、パウロにすら、現れた。
イエスも幽霊だしね。
374 :
名無しさん@3周年 :2006/01/21(土) 21:18:48 ID:YGpxsmZT
イエスは、殺されるとわかっていながら、神殿に行って説教をした。 「自分に従うこと」=「神に従うこと」だから。 ローマに苦しむユダヤ民族を救うために。 しかし、神は、イエスに、神殿での奇跡を与えなかった。 イエスはメシアであったが、約束されたメシアではなかった、、、
375 :
名無しさん@3周年 :2006/01/21(土) 21:25:34 ID:YGpxsmZT
イエスの死後、その死体が、墓になかったという。 それゆえ、ユダヤ人キリスト者は、イエスが甦って、エリヤのように、神によって 、天に上げらたと、考えた。今にも、戻ってくると、、、 しかし、イエスが十字架に架かったとき、弟子や親戚が、現場にいれたのだろうか? ゲヘナの穴に放り込まれて、犬にでも喰われたのでは、、、というほうが、本当っぽい。
376 :
:rFrNF70P :2006/01/21(土) 21:38:38 ID:YGpxsmZT
Qn1XQeYK,YGpxsmZT イエスは、何を語ったのだろうか? わからない、、、、
377 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 21:45:37 ID:YGpxsmZT
rFrNF70P.Qn1XQeYK,YGpxsmZT いちじくの木が枯れたのは、なぜか? これは、神話である。 いちじくの木と並ぶのは、ぶどうの木である。 ぶどうの木とは、イエスの象徴である。 ぶどうの木も枯れた。(イエスが十字架に架かって死んだ)。 マルコ福音書は、イエスの神話を書いたものである。
378 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 21:46:29 ID:YGpxsmZT
イエスは、何を語ったのだろうか? わからない、、、、
379 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 21:55:21 ID:0F0APIDF
>>373 >使途をはじめ、パウロにすら、現れた。
>イエスも幽霊だしね。
パウロはコリントの人達に対して、自分が正当なイエスの使徒
である事を主張したんですよ...多分聖霊を用いた方が、信用
されると思ったんでしょ...コリントにはいろんな福音があり
ましてね...自分こそイエスの継承者だと言う人達が一杯いた為
ですよ
380 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 21:56:29 ID:YGpxsmZT
終わりのときは、イエスも知らないし、神の使途ムハンマドも知らないという。 何が起きるのか? わからない。 イエスは、何を語ったのだろうか? わからない、、、、
381 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:02:37 ID:YGpxsmZT
>>379 パウロの頃は、キリスト者であることだけで、殺されるかもしれなかった。
なぜ、パウロは、改宗したのか?
それなのに、でっちあげを言う、その根拠がない。
382 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:03:57 ID:YGpxsmZT
退屈だぞう!!!!!
383 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 22:04:36 ID:0F0APIDF
>>378 >イエスは、何を語ったのだろうか?
>わからない、、、、
Q資料、ヤコブ書、トマス言行録に示されてる物が
イエスの主張に近いと思います。
384 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:06:05 ID:YGpxsmZT
>Q資料、ヤコブ書、トマス言行録に示されてる物が >イエスの主張に近いと思います。 そんなものを語るために、イエスは氏んだのか?
385 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:08:06 ID:YGpxsmZT
>Q資料、ヤコブ書、トマス言行録に示されてる物が >イエスの主張に近いと思います。 そんなものを語るために、パウロは、命がけで改宗したのか? ステファノは、、、 ケファは、、、
386 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:14:05 ID:YGpxsmZT
そういえば、ヤコブも氏んだんだな。 ココモスキー ◆VAutiIin4w は、氏にたくないのか?
387 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 22:14:28 ID:0F0APIDF
>>381 >パウロの頃は、キリスト者であることだけで、殺されるかもしれなかった。
時代がごっちゃになってるべ、何処に書いてあるんだ...使徒の中で
パウロはさかんに分派(後のキリスト教)の釈明をしてるけどね...
388 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:16:35 ID:YGpxsmZT
>>381 ヤコブもステファノも殺されたじゃあないか。
389 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 22:19:30 ID:0F0APIDF
>>385-386 ステファノもケファもパウロもみんなそれぞれご事情がありましてね
ヤコブさんもご事情がありましてね....みーーーーーーーんな
イエス・キリストの為なんて言うのは、キリスト教会のご都合による
神話ざんす
390 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:22:33 ID:YGpxsmZT
>>389 お前、やつらの知り合いか?
俺は、まだ、あったことはない。
ヤコブについては、ヨセフスもかいてるだろう。
391 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 22:27:20 ID:0F0APIDF
>>388 ステファノが殺された事情は、使徒7/1−53にその抗弁が
書かれてますがね、イエスなんて一言もござらん...
7/59でいざ死ぬと言う時にイエスの名を呼んでるけど
これはルカのフィクションだろね...
7/1−53が当時のヘレニスタイが率直に考えていた事だと
思うよ....わははははははははははははははははは
392 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:29:58 ID:YGpxsmZT
ムハンマドは、終わりの時の予兆として、 女奴隷が王を産むとか、貧しいラクダ飼いが宮殿にでかい面をしてのさばる ようになる、とか、語ったが、、、 イエスは、本当は、なんて、語ったのだろう?
393 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:32:08 ID:YGpxsmZT
>>391 ステファノは、ヤコブらを通して、献金していたからな。
394 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 22:41:04 ID:0F0APIDF
>>393 >ステファノは、ヤコブらを通して、献金していたからな。
使徒7/1−53にそんな事は、書いてないよ...
ここに抗弁が書いてあるって言ってるんだから、それを
読んでみたら良いじゃないか...それを聞いて民衆が怒りだした
んだろが...何で聖書読まないの?
一応これがステファノの主張だと考えていいと思うんだけど
395 :
キュロス :2006/01/21(土) 22:47:34 ID:5MgV848D
そう 献金だ。 聖書を 経済的側面から注解した書物が有っても良いような気もする。 イエスの集団の資金源とか 初期キリスト教団体の資金源とか 明かに エルサレム教会は経済的に破綻していたし 一方の異邦人教会は 潤沢な資金が有ったわけだし。 社会学系注解が有るのだから 経済的側面からの注解書も 有って良いはずだし ひょとすると有るのかもしれない。
396 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:48:05 ID:YGpxsmZT
397 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 22:52:41 ID:YGpxsmZT
キュロス訓も、なんか書け。 退屈だぞ。
398 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:00:16 ID:YGpxsmZT
しかし、まあ、聖霊のいないキリスト教を信じるなんて、俺には、 できないよwww
399 :
キュロス :2006/01/21(土) 23:03:04 ID:5MgV848D
>エレミヤ >4:10 そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。まことに、あなたは >この民とエルサレムを全く欺かれました。・・『あなたがたには平和 >が来る。』と仰せられて。それなのに、剣が私ののどに触れています。」 この神に対する訴えはすごい 神が人を欺く という考え方ずごいよ。 神が偽りの預言者を放置し エルサレムは陥落した。 エルサレムが陥落する約10年まえから いわゆるヨシヤの宗教改革が 始まってている。 ヨシヤの宗教改革は 一体なんだったのだろう。
400 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:05:44 ID:YGpxsmZT
預言者は、本当に、神にあったことあるのかなあ?
401 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 23:07:42 ID:0F0APIDF
402 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:08:38 ID:YGpxsmZT
神は、モーセやイエス、ムハンマドにも語らなかった秘儀を、 エレミヤやイザヤに語ったろうか?
403 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:13:48 ID:YGpxsmZT
>>401 感心だなw
まあ、1週間ぐらいかけて、読むでみるよ。
普段は、moperaなんで、書き込みできないんだよw
404 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 23:16:14 ID:0F0APIDF
>>396 僕の注釈本からピックアップするw
何せ古いURLで勉強不足だったもので、下手な注釈でゴメンネ
このナザレのイエスはルカのフィクションだと思うよ
「ステファノの逮捕」6/8−6/15
ステファノはおそらく、大変な論客家だったと思われ彼の宣教が
多くの民衆の指示をうけたのだろう。このステファノの宣教に妬みを
持った他の地域出身の信者達が「ステファノはモーセと神を冒涜する
言葉を吐いている」と言う噂をまき、民衆や律法学者達を扇動して
ステファノを捕らえて最高法院へ引っ立て、ステファノが
「ナザレ人イエスがこの場所(最高法院)を破壊し、モーセが我々に
伝えた習慣を変えるだろう」と発言したとの容疑を訴えた。
405 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:22:56 ID:YGpxsmZT
しかし、聖霊は確かにいる。 神は、未来を知っている、というか、創っている。 私には、体験がある。 他人に分かってもらおうとは思わないが、、、
406 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:25:20 ID:YGpxsmZT
霊の動きが分からないにもかかわらず、キリスト教とかを信じられる というなんて、私には、驚きだよwww
407 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:37:41 ID:YGpxsmZT
ユダが、イエスを裏切ったのが事実とすれば、、、 それは、イエスが神殿での説教(宮清め)に失敗したからだろう。 イエスは、神の国が来る(=メシアが来る)と延べ、それが無理と わかると、(いちじくの木が枯れた)自分でなんとかしようと、 神殿に乗り込んで行ったのだから。 ユダの裏切りは、その後だ。神の国が来なかったから。 しかし、神の国は、とっくに、来ていたのだが、、、
408 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 23:39:51 ID:0F0APIDF
>>405 >>406 オレはキリスト教を全く信じてないよ....
御貴殿の「霊の体験がある」と言うのを疑う気はないけど、聖書に
書かれてる「霊」は聖書を編集した人達が民衆に教えていく為の
テクニックとして書いてるんだよ...
「聖霊」が多用される時期とユダヤ戦争後のユダヤ社会とが時期的に
符号するんだよ...聖書の編者は非常にクレバーな頭で自分達そんな事は
全く信じてないけど、それを民衆の心をつかむ為に利用したんだろうと思うw
409 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:44:42 ID:YGpxsmZT
ヨハネ福音書などにもあるが、イエスのうちに神(の霊)が宿っていた のがわかる記述がある。 にもかかわらず、神が着ていたと、弟子たちも、よく分かっていない ようである。 どうなっているのか、、、 実に、不思議だ。
410 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:46:32 ID:YGpxsmZT
411 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/21(土) 23:53:22 ID:0F0APIDF
>>407 またしても、時代検証が無茶苦茶....あんた何処の教会?
>ユダが、イエスを裏切ったのが事実とすれば、、、
>それは、イエスが神殿での説教(宮清め)に失敗したからだろう。
「宮清め」ってもしかして「ハヌカ」の事か...
だけどユダヤ教では、どちらかと言うと「宮清め」はマイナー
な祭りだったんだけどね...
説教に失敗したってどういう事なんや...どういう説教ザンスか
誰に説教したザンスか...
>イエスは、神の国が来る(=メシアが来る)と延べ、それが無理と
>わかると、(いちじくの木が枯れた)自分でなんとかしようと、
>神殿に乗り込んで行ったのだから。
その前から乗り込んでると思うけど、エルサレム入京から
処刑・昇天・原始教会成立までのタイムチャートを書いて
くれないかなぁ...
>ユダの裏切りは、その後だ。神の国が来なかったから。
だからタイムチャートを書いてくれよ、後だ前だって
言われてもワカンネェよ
>しかし、神の国は、とっくに、来ていたのだが、、、
「神の国」って何だよ、少し前に「天の国」・「神の国」
ってシリーズでやってたんだけどあんたのご意見を聞きたいね
412 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:53:38 ID:YGpxsmZT
福音書記者は、「神の霊が来ている」と見做される記述を、それと 知らずに書いているようなんだよwww 使途の時代は、そうではなかったんだろうが、、、 イエスを知らない世代が、編集してるからだろうね。 あるいは、ユダヤ戦争で、ユダヤ教の常識が、失われたかだね。
413 :
いちじくの木 :2006/01/21(土) 23:56:50 ID:YGpxsmZT
「神の国」とは、神がこの世にいる処だ。 当時のイエスに、神が宿っていたから、イエスの肉体、そのすぐそば。
414 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 00:05:29 ID:S7X081LS
モーセに、神の霊が宿ったように、イエスにも、神の霊がいた、という意味。
415 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/22(日) 00:20:30 ID:HHyD0U2g
>>413 >「神の国」とは、神がこの世にいる処だ。
そんな判ったような判ってないのか判然としない事を言うから
馬鹿にされるんだよ..僕はこれを何回も出してるけど
マタイ11/12
彼(洗礼者ヨハネ)が活動し始めたときから今に至るまで、「天の国」は
力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。
(神がこの世にいる処)がな、「力ずくで襲われており、激しく襲う者が
それを奪い取ろうとしている。」ところだったら、どうしてくれるんだよ
そんなところだったら誰も行きたく無いだろが
416 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 00:29:13 ID:S7X081LS
>「力ずくで襲われており、激しく襲う者が それを奪い取ろうとして >いる。」 それが、サタンてやつだよ。
417 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 00:46:42 ID:S7X081LS
知らない人に言ってもしかたないが、、、 イエスも、言っても仕方ないけどなwww
418 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 00:54:19 ID:S7X081LS
>「神の国」とは、神がこの世にいる処だ。 イエスは、何度も、父なる神が、自分と共にいると、述べているし、ユダヤ教 の常識からすると、神の臨在の表現も、福音書には、沢山ある。 それが、分からなくなってるんだな、これが。
419 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 00:58:05 ID:S7X081LS
すこし、寝るよ。 「神の臨在」=「神が、そこに在ること」
420 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/22(日) 00:58:47 ID:HHyD0U2g
>>416 なんや、キリスト教の神様は常にサタンに知からずくで襲われ
いつ奪い取られるかワカンネェのか...わはははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
くだらねぇ神様だべえ...
あのな...この「天の国」はユダヤ戦争前後の「ユダヤ社会」
の事ですよ...この時残念ながら神様は沈黙を貫き通してしま
われたのです...わはははははははははははははははは
>>417 >知らない人に言ってもしかたないが、、、
>イエスも、言っても仕方ないけどなwww
わははははは...だから「裸の王様」の話を出したんだよ
「知らない人に言っても仕方ないが」って言うとな、何が何だか
判らない奴もな、知ってる振りをするんだよ....
421 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 01:01:00 ID:S7X081LS
>「神の国」とは、神がこの世にいる処だ。 「神がいて、そこで、神の言うことに聴き従う場所」とでもした 方がいいかな。
422 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 01:09:00 ID:S7X081LS
>>420 だから、霊が分からない人に、キリスト教が分かるなんて信じられない
といってるうだよw
>...この「天の国」はユダヤ戦争前後の「ユダヤ社会」
>の事ですよ...この時残念ながら神様は沈黙を貫き通してしま
>われたのです...
しかし、確かに、霊、聖霊といったほうがいいだろうが、未来を
知っているんだよ。
ちなみに、それを変えようとしてるのが、サタンというやつだよ。
あんたには、分からんだろうが、、
霊的なものを、現実だけに当てはめるなんて、無理だと思わないかい?
おやすみ。
424 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/22(日) 15:10:32 ID:HHyD0U2g
>>420 >だから、霊が分からない人に、キリスト教が分かるなんて信じられない
>といってるうだよw
この生地が見えない人は馬鹿です。って言っておけば、みーーーーーんな
生地が見えますって言うんだよ....わははははははははははははははは
それはお前さんが考えてるキリスト教だべ...そういう人向けの3流キリスト
教だよ...わははははははははははははははははははははははははははは
425 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 17:13:43 ID:tCczGLgv
黙示録にもサタンが出てくるでしょ。 あれは、ほとんど、お話だけど、、、 実在するんだよな、、、
426 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/22(日) 17:29:14 ID:HHyD0U2g
>>425 >黙示録にもサタンが出てくるでしょ。
>あれは、ほとんど、お話だけど、、、
ヨブ記にもサタン様は出てきますよ...
こちらは主(アドナイ)の部下の一人だけどね
ヨブ記1/6−7
ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。
主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」
「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」
とサタンは答えた。
要するに編者の頭の中で描いてる物だという事だよ
もしかしたらイーサーは預言者なのかもしれません。
428 :
キュロス :2006/01/22(日) 18:10:02 ID:E4Tst8L+
マタイ福音書 新共同 >11:12 彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで >襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。 同箇所の 岩波訳 >また、バプテスマのヨハネの日々から今に至るまで、天の王国は暴力 >を加えられている。そして、暴力的な者たちが、それを奪い取ろうと >している。 この「暴力的な者たち」を否定的にとるか肯定的に解釈するかで この箇所の意味が変わってくる。 フランシスコ会訳の脚注では 下記の4種類の解釈を記述している。 1.天の国は悪の権威とこれに呼応する地上の権威によって攻撃 を受けている。この解釈によれば ヨハネの死 イエスの死 及び それ以後のキリスト教とに対する迫害を意味する。 2.無理に上の国を広げようとする熱狂者たちが、かえって神の国に害を 及ぼしている。 3.天の国は霊的力を表し 霊的に力強い人たちがそれをうけつつある。 4.懺悔するあそびめや収税人などのように聖なる努力をする人達が 天の国を得ている。 そして 4番目の解釈が良さそうであると 結論している。
429 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/22(日) 18:20:30 ID:HHyD0U2g
>>428 要するにキリスト教会ってアホだという事か?
伝統的な解釈を崩したら全部パーになるからね....
わはははははははははははははははははははははははは
430 :
キュロス :2006/01/22(日) 18:24:05 ID:E4Tst8L+
>>428 同箇所の岩波訳の脚注では 「暴力的な者たち」を否定的に
とれば 天の王国の運動に逆らう者たちからの迫害が意味される
また反対に 肯定的に取れば 天の王国に入ろうとする者たちの
激しいまでの積極性を意味している。
とこれも 正反対の2種類の解釈を併記している。
ちなみに フランシスコ会訳の同箇所も引用しておく
>洗者ヨハネの時から今に至るまで、天の国は激しくおそわれている
>そして、激しく襲う者がこれを勝ち取っている。
新共同訳、岩波訳のニュアンスだと、天の王国に敵対する者たち、 つまりサタン(イエスは悪霊やサタンを信じていた)の攻撃、 というふうにとるほうが自然かな。
432 :
キュロス :2006/01/22(日) 18:37:36 ID:E4Tst8L+
>>430 さて 現代聖書学を踏まえた 2種類の聖書の脚注だけでは
つまらないので やっぱ新改訳のチェーン式 を買わなくては
ダメかな と思いつつ 話しを進めることにする。
ヘブライ語の「力」を意味する言葉は 体力 軍事力等の意味
だけではなく 大地にひそむ力の体現としての農産物の意味も
含んでいる。
つまり この箇所の力は「聖なる努力」とか「激しいまでの積極性」等の
意味だけではなく「大地に潜む力」的なものも含んでいるような気がする。
いわゆるイエスの喩えで多用される 農産物の話しに通じるものが
有るような気がする。
433 :
名無しさん@3周年 :2006/01/22(日) 18:43:58 ID:1GeXBipD
旧約聖書の「聖なるもの」と新約の「聖なる」は全然ニュアンスが違うようですが どうでしょうか。
434 :
キュロス :2006/01/22(日) 19:20:39 ID:E4Tst8L+
二世紀末期の ラビの言葉がある。 >ラビ・ビンハス・ベン・ヤイルいわく 神の宮が壊されてより、 >ハハ−ミームとプネー・ホーリーンは失意にあり、頭を覆い、 >行いの人も数が減り、腕力の者、巧言のものが増え、誰も我らが >誰に頼るべきかを説かず、求めず、尋ねない。天にまします我らの >父に頼るべきなのに。 「ハハ−ミーム」・「プネー・ホーリーン」は自由人のことだ とくに「プネー・ホーリーン」は 奴隷や債権奴隷との対する 自由人という意味にユダヤ社会では新たな意味を付加した。 それは 神の命令にのみ服従することにより人は真に自由になる という観念の表明である。 次の「行いの人」も 神に義とされる行いを、トーラーの定めを 実践する人のことだ。
435 :
いちじくの木 :2006/01/22(日) 21:57:22 ID:S7X081LS
イエスは、何を信じていたのだろう? イザヤもダニエルもクソだった。 パウロには、生前のイエスには興味がないといわんばかりに、言われてるし。 墓すら、残らなかったw
436 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/22(日) 23:31:55 ID:HHyD0U2g
>>433 >旧約聖書の「聖なるもの」と新約の「聖なる」は全然ニュアンス
>が違うようですがどうでしょうか。
旧約と新約でそんなに意識の違いは読み取れません、聖書とキリスト教会
の意識は全然ニュアンスが違ってると思います。
>>435 >イエスは、何を信じていたのだろう?
>イザヤもダニエルもクソだった。
>パウロには、生前のイエスには興味がないといわん
>ばかりに、言われてるし。墓すら、残らなかったw
普通のユダヤ教徒(ファリサイかエッセネー...これについては後日書く)
ですし。普通にYHWHを信じてたと思います。
イザヤもダニエルも糞だとは思ってなかったと思います。
最近ヤコブさんの骨箱らしき物が見つかったんですが
本物か贋作かは決着が付いてません。キリスト教会は贋作であって
欲しいんだと思いますが...
437 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/22(日) 23:51:44 ID:HHyD0U2g
438 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/23(月) 00:11:02 ID:QE2L9pBs
宮清めの儀式... 神殿奉献祭のことですか...ハヌカの祭りの事ですか 馬鹿な教会がどんな馬鹿話を大層な話にしてるのかよく知りましぇーん 実際の神殿奉献祭はダニエルの話の後にシリアのセレウコス・エピファネス 4世がユダヤの神殿にゼウス像を置いたのをユダヤ軍の独立の英雄 ユダ・マカバイがユダヤを解放してゼウス像を廃却して神殿を清めた 事に由来します。マカバイの家系がハスモン王朝のもとになるんだけど ダニエル書を書いたハシディームは早々にハスモンの政治家達を 袖にしてしまったんです。(アホらしくて相手にできなかったんだよ) この辺の時代背景を頭に入れて聖書を読んでチョ
つまらんことばかり掻く奴じゃなぁw
440 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/23(月) 22:52:45 ID:oNNUq4tG
>>432 キュロスさん
知ってるかもしれないけど 最初の新改訳の翻訳には改革派の牧師たちが
半数近く加わったらしいんですよ。旧約の主任は別の教派の有名な先生で
文語訳にも加わったことのある先生だそうです。
だけど使っているのは、口語から新共同訳。
ちょっと古い雑誌があって読んでるんですけどね、当時の、渡○善○牧師の
聖書論っていわゆるリベラルだったんでしょうか?
441 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/23(月) 23:24:29 ID:QE2L9pBs
>>440 ちょっと暇だったので、昔の2chを読み直してたんでする。
聖書は新改訳か新共同訳かどちらがまともか...その論議が
アホらしくなってヘブライ語・ギリシャ語に走った自分も正直
若かったね、どちらも何とか読める様になった事はあり難いけど
それほどメリットがあるとも思えません。岩波もフランシスコ会訳も
胡散臭く思うのが自分ですし...結局新共同訳あたりを読みながら
これを編集した人達の個人的な思いを自分の知識で補正するしかない
んですね
442 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/23(月) 23:42:27 ID:oNNUq4tG
>>441 ありがと ココモ先生
そうですね 聖書ってあれがいい、これがいいと分けること
ないんですよね。なんかすっきりしました。
443 :
キュロス :2006/01/24(火) 19:18:18 ID:lruF+3eU
ローマ 16:1〜2 新共同
>ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを
>紹介します。
同箇所 新改訳
>ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、
>あなたがたに推薦します。
同箇所 岩波訳
>さて、私はあなたがたに、ケンクレアイにある教会の執事である、
私たちの姉妹フィベをがたに推賞する。
フランシスコ会訳
>ケンクレアイの教会の奉仕者、わたしたちの姉妹フェベのことをよろ
>しくお願いします。
この 奉仕者および執事と訳出しているδιακουοξが
テモテ1:1にあるような職務を表すのか または伝道者を表すのか
あるいは もっと一般的な援助者を表すのかは 初代キリスト教集団の
内部組織 また それに対する女性の係わりかた についても
非常に興味ぶかい。
>>440 >ちょっと古い雑誌があって読んでるんですけどね、当時の、渡○善○牧師の
>聖書論っていわゆるリベラルだったんでしょうか?
その手の話しは 全く解らないよ。
444 :
キュロス :2006/01/24(火) 20:58:47 ID:AbbhvO28
>>443 また ローマ16章2節の 新共同・岩波訳で「援助者」と訳されている
προδτατιξは 一般に「長」あるいは それに類する語に
訳されるらしい。この用語は一部のヘレニズム都市で 公務上の意味での
行政上の役人を意味する πρυανειξ の代わりに用いられる
また 団体や組合の役員或いは指導者という意味で用いられるらしい。
また彼女は パウロの手紙を届ける為だけではなく たぶん彼女自身の
仕事でローマへ旅をしているのだろう。
いずれにしても彼女は 独立した かなりの財産を持った
キリスト教集団の指導者の一人 であると考えられるらしい。
445 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/25(水) 00:12:59 ID:7+jOvw1o
ちょっとご無沙汰してましたが、今日のヨゼフス...ふんでサロメ さん御登場...ヨゼフスは次に書くね マタイ福音書14/3−12 実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを 捕らえて縛り、牢に入れていた。 ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに 言ったからである。 ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを 預言者と思っていたからである。 ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、 ヘロデを喜ばせた。 それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。 すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場 でください」と言った。 王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与える ように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。 その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。 それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスの ところに行って報告した。
446 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/25(水) 00:36:54 ID:7+jOvw1o
>>445 それでね、「ヘロディアの娘」と言うのが一般に「サロメ」
と言われる娘です。ところがこのマタイの話は殆どがフィクション
だと思います。
ヨゼフスの古代誌にはこれのソースらしき話はあるのですが
ヘロデのスキャンダル(兄弟の奥さんを自分の奥さんにしてしまった)
とヨハネの拘束はヨハネの拘束・処刑が先です。...ヨハネ
は、「あの女と結婚することは律法で許されていない」などとは
言えないんです。しかもヘロデのスキャンダルはどうもAD37年
頃で、実はイエスの十字架の数年後なんです。
マルコとマタイが何を意図してこの物語を作ったのか謎ですし
(もしかしたらヨゼフスが事実を歪曲したのかも知れませんが)
この物語がフィクションだとしたら、マルコとマタイは政治家達
やその家族の残虐さを書いたに過ぎない、幼稚な物語になって
しまいますね...
ヨゼフスでは、ヘロデがヘロディアにプロポーズしてそれを
ヘロディアが今の政略結婚の奥さんを追い出す事を条件に
プロポーズを受け入れて、ヘロデが今の奥さんを追い出そうと
するが、事前にたくらみがバレテ、今の奥さんは実家の親父に
告げ口をします。それでヘロデと現奥さんの実家が戦争沙汰に
なりまして、ヘロデは大敗してしまいます。ヨゼフスはヨハネ
の亡霊が大敗を招いたと書いてますが、僕は領主のスキャンダル
如きで命を張れるかと兵隊の戦意が全く無かった為だと思います。
447 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/25(水) 22:19:10 ID:R0w5WnTH
ヤコブ3;1 わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。 教師の仕事の厳しさは、生活で福音を表す難しさなのかなと、ずぅ〜と思って いて、それで生半可で教師をやってはいけないと理解してたんですね。 カルヴァンは、ここの教師のことを「自分かってに他人を非難し、とがめだてする者」 と書いてたらしいのね。 孫引きだけど。 それならそうだなと思ってしまう。
448 :
キュロス :2006/01/25(水) 22:27:17 ID:Jlw52ktf
ホセア >2:8 彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、また、バアルのため >に使った銀と金とを多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなか >った。 砂漠に囲まれたカナン地方の人達にとって 植物の成長や春が来ることは 不思議な事だった。これらの現象の裏には バアルと呼ばれる 土地の神 がいて 自然を動かしていると信じられていた。 彼らは バアルを 羊毛や亜麻 オリーブ油と葡萄酒穀物 ぶどう いちじく等を 贈ってくれる神々と信じていた。 初期の預言者 エリヤやエリシャは バアルの預言者や祭司達と 戦った その争いの核心は 土地や肥沃にするのは ヤハウェか 或いは バアルか だった。そしてエリヤ等が勝利したわけだが カナンの宗教は(バアル信仰) イスラエルに生き続へていた。 それは 農耕と結びついた都市文化自体が 不可避の抱え込む問題だった。 ヘブライ人が 神からの離反ゆへに一度厳しい処罰を受けても 文化生活を 続ける限り 脱却できない事柄である。国家が滅ぼされても問題は 解決しない。 耕地における生のありようをそのものを 全面的に否定しなければ ならないが 否定だけが貫かれれば 民は文化の中で 生きて行く ことができない。
449 :
キュロス :2006/01/25(水) 22:47:11 ID:IyfHj1us
>>448 >ホセア 2:14
>それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、
>優しく彼女に語ろう。
そこでホセアでは 神が神であることを貫くために 神は 耕地での民の
生と精神態度を 一度 全面的に否定して そのうえで 新しい生と精神性
を創造しなければならない。そして 神と人 人と人 人と世界 の関係
が全く革新される。
しかし 文化生活にからまれた人には みずから神との真実の関係に
立ち帰ることが出来ない。 従がって神の方から バアル信仰に走る
イスラエルに 立ち戻らなければならない。
450 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/26(木) 18:46:13 ID:ikssEepg
50回読み直せと何回言っても馬鹿には判らないみたいなので、僕が
ホセア書のあらましを説明します...普通の人には参考になると
思います。
ホセアは時期で言うとBC750−720あたりで、北イスラエル
がアッシリアに滅ぼされた頃に、その北イスラエルにいた人です。
シリヤ・エフライム戦争を経験し、この破滅へ向かう北イスラエル
王国に対して、絶望の中でYHWHへの背信と、そのYHWHの
審判預言します。
神の指示に従って娶った淫行の女ゴルメと、北イスラエル王国とが
重なってるんだな...ホセア自身も南のユダ国へ亡命するか
そのまま北イスラエルに残るか苦闘するんだけど、結局そのまま
残るんだな...
1章は北イスラエルが破綻していく様を書いてます。
2章は破綻していく中で、再びYHWHの愛を期待する様子ですな。
3章はそれでホセアが神の愛を信じて、イスラエルの人々と共に
アッシリヤ捕囚の運命を受容する様子ですな。
4章はYHWHの北イスラエルに対する判決ですな。
5章以降は多分後から書き足した物でしょうから、神学的に再構築
した物と考えていいでしょう...
ホセヤ書の面白さは、国や民族と神の関係を人間の男と女の関係に
重ねてるところだと思うw...
と言う事で常識を持ってる人は1−3章あたりを数回読むと、ホセア
の面白さが判ります。
クリスチャンには何十回も言ってますが、50回読み返してください。
そうしないと、
>>448 や
>>449 の様な、馬鹿丸出しの自分の妄想
を言う事になります。 わははははははははははははははははは
451 :
キュロス :2006/01/26(木) 20:35:47 ID:/knLwwlU
ホセア >11:9 わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。 >わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者である からだ。わたしは怒りをもっては来ない。 ホセヤ書の興味深さは、勝手気ままなで浪費家な妻に対する 忠実な夫。 わがままな子供に 苦悩する父親のような 神のイメージだからだ。 つまり 民の行く末を苦悶する という神のイメージなんだよ。 それと ホセヤの主張が 神義論的に挫折するからなんだよ。 つまり イスラエルの不忠実による 軍事的敗北や破滅の告知がなされ それが 正当化され その裁は律法と一致して絶対視されるが しかし その処罰は中断されるからなんだよ。(11:5〜9)
452 :
キュロス :2006/01/28(土) 20:35:29 ID:eQL86Qd0
>>451 結婚の喩えで 神とイスラエルの関係を表現する話しの起源を カナン宗教
に求める説がある。
それは バアル・アシュトレト礼拝のうちにその起源を求める説だ。
しかし バアル神と耕地の結婚という思想が カナン人の思想の内に存在
したことを示す決定的な根拠は ないらしい。
神とイスラエルの結婚象徴と バアル神と耕地の結婚象徴との類似点は
いくつか有るらしいが 両者の思想には明かな相違点もある。
カナン宗教には 神と土地との関係が 第一義的なことに対して
イスラエル宗教では 神と民との関係が 第一義的である。
また カナン宗教においては 感覚的・自然主義的位相が強調される
しかし イスラエル預言者の思想は情緒的・法的きずなを暗示する。
結婚のたとえ話の背景ある思想が 神とイスラエルとの契約という教説
にあるとする仮説は 説得力があると思う。
453 :
キュロス :2006/01/28(土) 21:35:52 ID:FhS4iCUG
ホセア >3:1主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通して >いる女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛 >しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」 神が 預言者に姦淫の女と結婚せよ 再婚せよなどと 非道徳的な命令を するなはずはないから この話しは 喩え話・寓話 或いは 夢・幻で 起きた出来事である という説がある。 しかし 実生活で道徳的にいとわしいものは 夢・幻であってもいとわしい。 これが 夢・喩え話であっても 事実ではないという本文上の根拠はない。 ゴメスという名にも また第二子が男子ではなく女子であることにも 象徴 的意味を読み込むことは困難である。 もしホセアの妻が貞淑か 或いは彼が未婚だったとしたら 彼はこんな恥ず べき話しをするわけが無い。 等々の理由で ホセアの心の苦悩がこの話しを生み出したという説は 否定されている。
わたしは、以前使っていた口語訳にここのスレで読んだところを マーカーで線引きしているんですね。 そしてですね、恥ずかしいんですが、ホセアは通読でしか読んだ ことなくて今きちんと読んでます。で、何が言いたいかというと 通読が進まないんですよ。
455 :
キュロス :2006/01/28(土) 22:03:02 ID:FhS4iCUG
>>453 また ホセアが神の命令で結婚したわけではなく 通常の結婚をした
という説も有る。 ゴメルは 道を外した行為をした。
ホセアは 家庭内で起きた悲劇を思い悩んだ末に この結婚は 神が
が定めたものであり 世の人々に自分の結婚は 啓示された神の言葉が
成就される為に行われたの告げた とする説である。
しかしこの説は ホセアが神の声を聞いたのではないく 神の声だと言う
ものが彼自身の内的衝動だとする 説である。
この心理学説とでも言える説は ホセアの誠実さに疑念をめぐらしている
ホセアに 偽預言者の罪状とされる「己の思いを神の言葉として言い表す
こと」を押しつけている。
ホセアが 神の召命だと述べているものを 彼が結婚後に思いついた
ものだとすることは 誰にも出来ないだろう。
456 :
キュロス :2006/01/28(土) 22:45:53 ID:FhS4iCUG
>>453 またこの結婚の話しは 実例をもって民に教えるためだ とする説がある。
つまり 彼らの目の前で演じられる 夫婦間の生活のうちに イスラエルの
民が 彼ら自身の行為と運命のありさまを見て取れることが出来るように
させる為だ という説である。
確かに イスラエルの預言者は そのメッセージを伝える手段として
象徴行為を行っている。劇化されたのは 妻による裏切り 子供達へ
の命名 妻を離縁すること そして復縁 それとホセアの悲しみ等々。
しかし ホセアは イスラエルに対する神の拒絶を 警告しただけで
宣告したわけではない。また ホセアの考えでは 神と民との和解は
民の悔い改め・回心によってのみだけで実現する(14:1〜)
しかし ゴメルの回心については一言も言及されていない。
また ホセアのような 情の深い敏感な感性の持ち主が 大衆への例示
だけを目的とした結婚などできるはずが無い。 何年間も屈辱的な
芝居の役を演じつづけることは ホセアにとって彼自身の運命を
公衆の面前で生きたまま解剖されること 殉教すること そして神殿娼婦
にも等しい行為を犯すことで有っただろう。
またホセアの悲しみが 民に欺かれた神の苦悩を象徴的に表す目的で作
られたとも考えられない。
457 :
キュロス :2006/01/28(土) 23:12:46 ID:FhS4iCUG
>>453 また このドラマが 人間の所業の模倣に端を 発したものではなく
神的存在者達の行為を模倣したいという願望から生まれたのではないか
とする説も有る。この説は エジプトや多くのアメリカ・インデアン
諸部族における演劇の発達から裏付けられる ようだ。
役者達は それぞれ神々を表す仮面をつける。
役者は劇が行われている間は 彼が演じている神そのものであることを
暗示している。しかし 役者にとって表象されている神々は 役者が
自ら同一化されうると確信する神々に限られる。
ギリシャの劇ディオニュソス礼拝と密接の結びついていた
アテナ ゼウス ポセイドンの三神が 劇を持たないのは なんびとも
熱狂的陶酔の瞬間に 自分がそれらの神々に なりうる・なっている
とは信じ得ないからである。実際こうした確信が生まれるのは
秘教酒神祭的(オルギア)宗教に限られる。
そいて 少なくともギリシャの場合は 劇はオルギア宗教に発祥したもの
であった らしい。
イスラエルの預言者達にとって 人間が神の内的生を模倣するという考
えはなしい 人間が神を演じたり 自らを神を信じたりすることは
想像することすら 出来なかっただろう。
「イエスという男」の改版ちょっとずつ読み直してるんだが、 昔は気づかなかった発見がいろいろとあって良いな。 結論は異なるけど、着眼点はためになる。
459 :
キュロス :2006/01/28(土) 23:26:30 ID:FyvD9YX7
>>453 ホセアの結婚は 実際に起きた事実の象徴的再現でもなく イスラエルの
歴史上の事件あるいは神の内的生における経験を再創造もしくは反復する
行為でもない。
イスラエルの神的伴侶が経験したことを自らの生において生き抜くことに
よって始めて預言者は 神が置かれた状況に共感することができた。
結婚は 象徴や聖礼典であるよりは むしろ教訓、例示だあった
その目的は 民に神の態度を実例をもって解き明かすこと ではなく
ホセア自身を教え さとして 神のみ心を理解させることであった
らしい。
460 :
テスツ :2006/01/29(日) 00:04:45 ID:JYrme+fU
461 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/29(日) 00:17:36 ID:Cg/b4NdN
馬鹿は馬鹿で支離滅裂な自己満足をほざいていればいいと思うけど 馬鹿を相手にしててもしょうがないので、今日のヨゼフス をします。 今日のヨゼフス...イエス ヨゼフスには、ホンのわずかしかイエスの事がでてこないし それもキリスト教会の書き込みである事は明々白日ですが。 ヨゼフスの回顧録に、自分が若いときにいろいろな宗派を 渡り歩いた後にファリサイのあるグループに交わった事が 書かれてます。 イエスがどの宗派にいたかと言う事はサンザン論議されてます。 ファリサイだエッセネーだクムランに近いとか洗礼者ヨハネ の共同体にいた事は聖書にも書かれてます。 僕はイエスもヨゼフスと同じようにいろいろな教団と交じり合った んだろうと思います。それで多分何処にも落ち着かずに自分の 共同体を造ったのだと思います。それを継承したものの一つがエルサレム の原始教会です。
462 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 01:18:30 ID:78zpCRFe
>>461 おまえの古臭い三流宗教学者の、安っぽい学説の話はどうでもいいんだけどさ。、
他人様に、馬鹿馬鹿言うなよ、おまえ。
463 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 01:34:12 ID:78zpCRFe
>>461 幼稚どころか、自分達以外の価値観を認めず、危害さえ加える
ムスリムが、キリスト教徒に馬鹿馬鹿とよく言えるもんだ。
コーランに出てくるアッラーは、唯一絶対の神ですか?
俗物丸出しのムハンマドが、最後で最高の預言者ですか?
笑わせるね。あれは真理などなにも知らんただの俗物だよ。
そんな男の能書きを妄信して、他者に危害さえ加えるムスリムこそ馬鹿ではないか。
おっと勘違いするなよ。他者に危害を加えてきた今までの自称クリスチャン達は
イエスの教えを理解せず、イエスの掟に背いている。
一方、人質を取り、異教徒の首を掻き切るムスリムは、ムハンマドの能書きに従っている。
ここは大きな違い。ムスリムが、他の宗派の者に馬鹿呼ばわりすんじゃねえよ。ドアホが。
メジャー系の宗教で、馬鹿さ加減じゃ、おまえらに勝る宗教はねぇんだよ。
>>463 >ムスリムが、
ココモスキーさんはイエスやヨハネといった預言者たちを
尊敬しているのか疑問なのです。ホントにムスリムやろか?
>コーランに出てくるアッラーは、唯一絶対の神ですか?
コーランのなかではそういうことになっとります。確かめようがないですが。
>笑わせるね。あれは真理などなにも知らんただの俗物だよ。
「ただの俗物」なら一つの宗教社会の基礎を作り上げることなんざできないお。
>異教徒の首を掻き切るムスリムは、ムハンマドの能書きに従っている。
例えば?(文脈を無視したコーランの章節の切り抜きを出したりして悦に入らぬよう。)
465 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 02:27:16 ID:78zpCRFe
>>464 おまえは無知だな。 このような無知な者が俺に絡む。
おまえはコーランも読んだことがないのに、俺に意見する。
アッラーなどの人格神を唯一絶対の神などとほざくのは、自分の内なる真の神、
我々の命そのものである真の神を、ムハンマドが知らないからなんだよ。
コーランにでてくるアッラーなどは、エゴ丸出し。あれはな、一神教的に言うと、天の父ではなく、
悪い父、蛇なんだよ。我々はその悪い父から出てきた存在だ。そして我々の生みの親である、悪い父の
望みを叶おうと、日々生きている。お前に言ってもわからんだろうが。
ところでおまえ、バカモスキーのHPも知らないのか。
無礼者めが。俺はなにも根拠もなしにバカモスキーがムスリムだと言ってないんだよ。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/ --------コーランより抜粋
2_191.かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい。あなたがたを追放したところから、かれらを追放しなさい。本当に迫害は殺害より、もっと悪い。
だが聖なるマスジドの近くでは、かれらが戦わない限り戦ってはならない。もし戦うならばこれを殺しなさい。これは不信心者ヘの応報である。
9_5.聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。
だがかれらが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、かれらのために道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる
47_4.あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。
かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。
その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。
だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。凡そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない
-------------------------
466 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 02:28:35 ID:78zpCRFe
>464 無知なおまえに教えてあげよう。 あのイスラム教徒達による、異教徒に対する首を掻き切る惨殺、処刑は、コーランに書かれてる教えによるものなんだよ。 彼らは、コーランに書かれている通りの事をやっている。 おまえ創価か?ま、なんにせよキリスト教を批判したい人なんだろうが、人に意見したけりゃ、もう少し勉強してから言えや、無礼者が。 なにも知らないくせに、失礼なおまえは、一言多いんだよ。ま、人の心にはなにが住み着いているのか俺は良く知っている。 ま、おまえみたいなタイプに、なにを言っても無駄だろうが。 天下を取りたいと願う者。またそれを叶えたものであろうと、世俗の欲にまみれた、ただの俗人。 人はたとえ世界を手に入れようと、命(真の命)を失えば、何の得になろうか。命(真の命)を取り戻すのに、どれだけの代価が必要だというのか。 人の子は盗人のようにやってくる。それはいつ来るのか誰も知らない。だから気をつけておきなさい。だから気をつけておきなさい。 命(真の命)を失えば、どんなに代価を支払おうと、決して取り戻す事は出来ない。 はっきり言ってやるよ。コーランの内容など、 ”宗教的” にみれば、何の価値も無いものだ。 コーランには、真理の欠片もない。
467 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 02:39:33 ID:HI4H5eAU
コーランの場合は、酷い仕打ちをされたときの反撃法は書いてあるけど、 キリスト教はもっと酷いな。聖書読んでみ。
468 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 02:45:48 ID:78zpCRFe
あまりにバカモスキーが、”他人様”に対して、馬鹿馬鹿というものなので腹に据えかねた。 このバカモスキーの能書きは、古臭い、三流宗教学者の、”学説”でしかない。 宗教的には何の価値も無いものだ。なかには宗教学者のいう内容もあるのかも知らんが、聖書を何でもかんでも 唯物論的に解釈するのは無理があり、愚か者のやることだ。聖書の内容は、あくまで唯物論ではなく、宗教なんだよ。 とくに新約には重要なメッセージが秘められている。それを読み解く者はわずかだ。 只一つ言えるのは、、たしかに歴史的な背景、政治的な意図、自分達の宗教を 広める為の意図的な、書き加え、フィクションも含まれているであろう事は否定しないが、聖書のテーマはあくまで宗教的なものであり 全て、唯物論的に解釈するのは、誤りであり、愚か者のやることだ。 またそのメッセージを読み解いても、それが真か戯言かは、別の問題。これは自分で確かめるしかない。 あまりにバカモスキーが、自分はイスラム教などの幼稚な宗教をしんこうしている分際で、自分の事は棚に上げ、ここのクリスチャン 達に馬鹿呼ばわりするものなので、腹に据えかねて意見した。不正は、許す前に、まず正さねばならない。 バカモスキーよ、おまえなにを言おうが勝手だがさ、他人の意見の邪魔するな。 おまえがこのスレ立てたんだろう。もう一度テンプレみてみろ。日本語くらいわかるよな。 宗教的なアプローチで探る人達の邪魔するな。おまえも言ってもわからない人間か。
469 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 02:48:09 ID:HI4H5eAU
エホバ必死すぎ
470 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 02:52:41 ID:78zpCRFe
>>467 >キリスト教はもっと酷いな。聖書読んでみ。
おまえの言っているのは、旧約の話だ。
>だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。
>新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。
>新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする 〜マタイ
お前の目は節穴か。おまえにはこの聖句の意味も理解できないのか。
それとも聖書もろくに読まず、俺に意見しているのか。おそらく後者だろう。おまえはこの聖句すら知らないんじゃないのか。
そこまでしてキリスト教をけなしたいのか。その心はどこからくる。
コーランでは、古臭い、何の価値も無い、律法に立ち戻ってしまっている。
471 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 02:55:54 ID:78zpCRFe
>>469 所詮おまえ程度の者は、こんなものだ(嘲笑)
そういや、創価は、仏教を知らないんだってな。
472 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 02:58:15 ID:HI4H5eAU
新しいぶどう酒を古い皮袋に入れて裂けてしまったのがキリスト教だろう。
473 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 03:10:35 ID:78zpCRFe
>>472 おまえは馬鹿だな。
今のキリスト教は、キリスト教じゃないんだよ。
真の教会、真のキリスト教は、後の時代に現れる。
いいこと教えてあげよう。今のキリスト教もふくめ、既存の宗教は、キリスト教では、
偽預言者と比喩される。それは次の時代にはどれも残らない。
偽預言者共は封印される。無論、今のイスラム、”今の”仏教、仏教でもない創価も含まれる。
そして、真のキリスト教、真の教会が現れる。そのまえに大いなる生みの苦しみがまっている。
嘘か本当かはべつとして、キリスト教ではそうなっている。
そして、世はその通りにすすむ。あの中東の出来事は偶然ではない。
あれを偶然の出来事、新約とは無関係などという者は、よほどのメクラだよ。
ま、おまえの相手しても時間の無駄なんでもうねるは。キリスト教けなしたくてしかたないみたいだけど、
せいぜい頑張れよ。無知な人。いや、無智な人かな(嘲笑)
474 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 03:15:30 ID:Jwf7jbGM
なんだ カルト信者か
475 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 03:38:49 ID:78zpCRFe
>>474 それをいうなら、六道輪廻を信じる創価もカルトだよね。
え?なにが言いたいかって?
とどのつまり宗教とはそういうことだと言っているんだよ。
実際フランスあたりじゃ、創価はカルト認定されてるようだが。
ところでおまえ刈るとの意味知ってていっているのか?
やはりおまえは馬鹿だな。
え?おまえも馬鹿馬鹿言うなって?
バカモスキーは、悪意のない者に対して言っている。
476 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/29(日) 13:19:42 ID:n/8D1wce
わはははははははは、もう一度書いたろ 馬鹿は馬鹿で支離滅裂な自己満足をほざいていればいいと思うけど 馬鹿を相手にしててもしょうがないので.... 馬鹿クリスチャンの典型がお披露目いただいたので その特徴を整理しますとね 1..批判を喰らうとその相手を「価値の低い物」に決め付ける 判りにくい人は「あいつはムスリムだ」とか「3流学者の」と 言う、本文とは全く関係ない反発をしてる事に気がつくと思います。 要するに本文そのものを批判する能力なんか全く持ち合わせて 無い為ですw 2..聖書なり論文なり資料なりその中身は殆ど理解してない これも何回も言ってる事ですし、連中の発言を聞いてると 判るとおもうよ.... 馬鹿信者は日々これを繰り返してるんだべ...気の毒な人達 だと思うけど....
477 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 14:49:51 ID:8AAu+cx3
>476 は〜。本気で馬鹿? 現にあんたの能書きは、古臭い三流宗教学者の、学説のひとつの、コピーに過ぎない じゃないか。あんたもうそか、まことか、確かめようもない説のひとつ をくっちゃべてるに過ぎないくせに、ここのクリスチャン達の能書きに難癖つけて 馬鹿呼ばわりするなと言ってるんだよ。 お前の能書きも、所詮、”思います” レベルじゃないか。おまえのしょうもない学説と違う 意見だからといって、他人を馬鹿呼ばわりするな、他人の書き込みの邪魔をするな。 ちゅうかよ、ここは宗教板なんだよ。宗教的なアプローチでキリスト教を語って何が悪い。 おまえ、学門で語りたかったら、それ相応のスレにいけ。 語るのは勝手だが、他者を排斥するな。うっとおしい。せっかくいいスレなのに おまえが台無しにしている。
478 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 15:06:21 ID:8AAu+cx3
>461 >イエスがどの宗派にいたかと言う事はサンザン論議されてます。 >ファリサイだエッセネーだクムランに近いとか洗礼者ヨハネ >の共同体にいた事は聖書にも書かれてます。 >僕はイエスもヨゼフスと同じようにいろいろな教団と交じり合った >んだろうと思います。それで多分何処にも落ち着かずに自分の >共同体を造ったのだと思います。それを継承したものの一つがエルサレム >の原始教会です。 なに?本文で反論しろ?上のお前の能書きも所詮、”そう思います”のレベル。 おまえが馬鹿呼ばわりしているクリスチャンの能書きと、どう違うというんだよ。 ドアホが。 なに唯物論的に語らないから馬鹿だといいたいのか? なら馬鹿はお前だな。ここは宗教板。宗教的なアプローチでキリスト教を語って何が悪い。 おまえ本文で対抗しろと言ったな。面白い。 今までお前の能書きは、関心なかったから放っておいたが、これから暇見つけたら、 お前の能書きにケチをつけてやろう。そういや、黙示録に出てくる 神の大いなる戦いとはユダヤ戦争のことだとか言ってたよなおまえ。こういうのを アホ学者のトンデモ解釈だというんだよ。
479 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 15:11:21 ID:8AAu+cx3
ところでムスリムのバカモスキーよ。 なぜ自分の信じる宗教をここで隠すんだい? 今更次郎だろ。 おまえは人前で堂々と言えないものを信仰しているのかい(苦笑) そう言えば、創価の連中も隠すよね。あの女のように。なぜ堂々と言えないんだい? 可哀想な人達だね。
480 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/01/29(日) 16:24:52 ID:tuMW3PgE
>>447 やっぱ続きを書こう。
使徒20;28
どうか、あなた方自身に気をつけ、また、すべての群れに
気をくばっていただきたい。
召命感を持って神学校に入学し、牧師を定年まで勤められる人は
どのくらいなんでしょう?
自己訓練も厳しいし、会員それぞれに気を配り、そしてまた主は、いつ
来られるのか わからないのだから、居眠りしないような説教を準備して
福音を伝え、それでも、裏切られることもあるだろうし。
あれですね、聖霊を真剣に求めて、この仕事を続けているんだと思う。
カラスの唄みたいな人がいますね。
482 :
キュロス :2006/01/29(日) 18:34:45 ID:V7YZm85k
ヨハネ福 >9:2 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見え >ないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親 >ですか。」 9:3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、 >両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 当時の常識からすれば 身体は創造の秩序を象徴していたから 身体の 障害は聖なる秩序から外れ 儀礼的な不浄をその身に負っていた と解釈 していた らしい。 しかしイエスの回答は この身体障害者が 神の栄光を表す為に選ばれる のだ と言う 当時の神義論的問いに対するイエスの批判だった と解釈 できるらしい。 神義論的問いがこの世界に悪が存在するのに なぜ神の義を立証できるか? という この世界からの観みた問い だとすれば イエスは 神からのこの世を観みた問い つまり人義論で答えたのだね 人義論的問いとは この世界に悪が存在するのに どうして人間存在が 肯定できるか という問題なんだね。
483 :
名無しさん@3周年 :2006/01/29(日) 19:55:26 ID:AKchxoVp
テーマとして「クリスチャン同士が語り合うスレ」とあるが、 聖書を信仰するでなく、聖書道楽だね。 それもいいが、
484 :
名無しの権兵衛 :2006/01/29(日) 20:13:57 ID:AKchxoVp
書き込む途中で送信してしまったが、削除方法が分からない。 改めて書き込む。 信仰を持たないで、聖書を論じても意味はない。 まあ、聖書道楽あるいは趣味として、あさはかなものに違いない。 イエスが語るように、「私の言葉は霊であり、命である」と。 そして、「(聖)霊を冒涜するものは、永久に許されることはない」 と。 神を汚しても許されるが、聖霊を冒涜してはならない。 日本古来のことわざにも「触らぬ神にたたりなし」と。 イエスを信じないものが聖なる言葉をもてあそんではならない。 聖書をもてあそぶものはもはや救われることはない。 信じることのできないものが、聖書を論じることは、かならず 災いを招くことを知り給え!
>>450 ホセア書を語るには50回は読み返せと言っている人が“ゴルメ”はないだろ(藁
どう考えても、タイプミスとは思えないよ。
487 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/30(月) 18:45:43 ID:LjvtMrJG
>>486 わはははは....
ゴルメ−>ゴメル
真相はどうだろかって、ご想像にお任せします。
488 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/30(月) 18:58:34 ID:LjvtMrJG
>>478 お****たろ
>神の大いなる戦いとはユダヤ戦争のことだとか
2−3お尋ねしてもいいのですか?
1..「神の大いなる戦い」って黙示録に書かれてますか?
そういう言葉は使わないと思いますが...
2..神様は誰と戦うのですか?
サタン様とでしたら、ヨブ記での神様とサタン様の関係と
著しく不整合なんですが...
3..神様とサタン様の戦いだとしたら、それが人間界にどの様に
影響してるのでしょう。信者様は黙ってご静観あそばされる
べきかと思いますが
全知全能の神様には、初めから相手になるような者はいないと
思いますよ。サタン様も敢えて神様には挑まないと思いますよ。
489 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/30(月) 20:08:30 ID:LjvtMrJG
個人的な事で恐縮ですが、私の娘が某大学の神学コースを 選考したいみたいで、私は許可したんですが...神学コース って信者じゃないとアカンのでしょうか?... 今は京都のD大の付属高校ですので、多分D大の神学部だと 思います。
聖書学についていえば、ココモスキーのクーロンに合う大学なんて日本にはない。 D大神学部といえば、野本、橋本、石川、越後屋、あと誰かな? どれもココモスキーが大嫌いなメインストリームじゃんw
いいお嬢さんね キリストのかほりのするような人になってもらいたいわ。 そして、じわじわオヤジを詰めていくんです。 絶対に邪魔したらアカンですよ。
492 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/30(月) 23:15:35 ID:G/9L1/ln
>>488 揚げ足取って喜んでんじゃないぞ、バカモスキー。
あんたは、表面上の文章しか読み取れず、隠されたメッセージに気付く事はない。
なにが神と悪魔の戦いだ。ドアホウが。その程度の読みしか出来ないから、
三流宗教学者の下らない学説を鵜呑みにするんだよ。
いつ俺が、神と悪魔の戦いなどと言った。おまえのこの短絡的な思考をみてると、
さすがイスラム教徒だと納得できるよ。
コーランのアッラーが天使を集めて会議をしている箇所を思い出す。おまえはあんなの信じているのか(苦笑)
コーランなどに価値を置くから、ヨブ記にも共感できるわけだ。
493 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/30(月) 23:38:02 ID:LjvtMrJG
>>490 わははは...其処の野本先生のホムペは直接許可をいただいて
リンクを張らしていただいてますです。創世記研究の大家だと思うよ...
>>492 >なにが神と悪魔の戦いだ。ドアホウが。その程度の読みしか出来ないから、
だから誰と誰の戦いか言ってみろって言ってるんだ...
黙示録にそんな事書いてねぇって言ってるのはオレの方だろが
お前らが「神と悪魔の戦い」って言ってるんだろが、お前の頭
支離滅裂になってるんだろ....わははははははははははははは
494 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/30(月) 23:45:21 ID:G/9L1/ln
>>488 黙示録に書かれてる文言でいうと、「神の大いなる戦い」ではなく、『神の大いなる日の戦い』と書いてある。
だが俺の言いたいのはそういう細かな違いなどどうでもいいことだ。言いたい事の真意はそんなことではない。
ここに外伝と言うか、原文を正確に訳したものではないのかもしれないが、面白い訳がある。
1904年、神戸で発行されたとされる、F・パロット師版からの抜粋。
>第六の金杯が傾けられると、
>「大河ユーフラテスの水が枯れ尽きてしまった。それは東方の諸王の道を開く為である。
>また竜の口・獣の口・ニセ予言者の口から、蛙のような三つの
>”汚れた霊”が出てきた。これは悪魔が奇跡をみせて、”神が仕組んだ大戦に”
>全世界の王たちを呼び集めるためだ」という”
この部分は有名なハルマゲドンの下りだ。はっきり言おう。神の大いなる戦いとはこれの事だ。
そしてこれは、神が仕組んだものだ。神はユダヤ人達にあの地を約束の地とし、
イスラム教徒達には異教徒は追い出せと命じる。そして新約がある。
なぜ、神がムハンマドを遣わし、コーランには、ジハードを代表する危険な教義があるのか。
>「大河ユーフラテスの水が枯れ尽きてしまった。それは東方の諸王の道を開く為である。
大河ユーフラテスの水とはなにか?あの土地には石油がある。
東方の諸王の道を開く為にはなにをすればいい?中国の発展の裏にはエネルギー問題が必ず浮上する。
そして今の中東の情勢。全ては仕組まれたこと。生みの苦しみ。神が仕組んだ大戦。
一神教どうしの争いも全ては神が仕組んだもの。神との新しい契約、新約を成就する為に。
この大いなる戦いの後、大淫婦は裁かれ、神の千年王国が訪れる。そして終わりの時がくる。
一神教は良く出来ている。これは仏教で言うと所の大乗だ。とてつもなくスケールのでかいね。
イスラムは、新約成就の為の当て馬だ。そういう意味では、なるほどムハンマドは最後にして最高の預言者だろう。
彼なくして、イスラム教なくして、あの地での破滅的な争いは起こらない。今やあの地は、世界の火薬庫だ。
495 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/30(月) 23:49:37 ID:G/9L1/ln
>>493 >だから誰と誰の戦いか言ってみろって言ってるんだ...
>黙示録にそんな事書いてねぇって言ってるのはオレの方だろが
だからよ、いつ俺が、神の大いなる戦いは、神と悪魔との戦いなどと、神話の話をしたと言ってるんだよ。
さすが、聖書を50回読んでもなにもわかっていない、文盲だけのことはある。
496 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/30(月) 23:56:33 ID:G/9L1/ln
昔ね。ソ連が、超大国であった時、ある神父さん書いた本があってね。 黙示録をとても興味深い話で書いてたんだ。 連戦連勝の白い騎士とは資本主義だと解き、赤い騎士とは共産主義と解き、 詳細は忘れたが、黙示録から、ソ連は崩壊するなんて言ってたんだ。 当時、アメリカと双璧を成していたソ連が崩壊するなんて、とても信じれなくてね。 それが崩壊した。ソ連の体制が終わったニュースをみてて、その神父さんの書いた本の事を 思い出してね。少しながら驚いたもんだ。 その神父さんはこんな事も言っていたな。 俗に言われるハルマゲドン。中国が軍事的に動いたら始まりだって。 石油がらみでね。ま、黙示録の話をしていると豚が、飛び掛ってくるので、この辺にしておこう。
497 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/30(月) 23:58:51 ID:G/9L1/ln
>>489 バカモスキーよ。あんたと違い、娘さんは見込みがありそうじゃないか。
娘の信仰の邪魔をするなよ。たとえ娘であろうと、自分のエゴを押し付ければ
あんたは、罪を犯す。
498 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/31(火) 00:02:19 ID:GpnxRaEx
>>494 >>495 わはははははは.....時代の前後関係がメチャメチャ
1世紀から7世紀に飛んで、紀元前に戻って....だから支離滅裂
って言ってるんだw...読んでて大笑いしてしもた....
わははははははははははははははははははははははははははははは
もう一度聞いたるw
>だから「誰」と「誰」の戦いか言ってみろって言ってるんだ...
>黙示録にそんな事書いてねぇって言ってるのはオレの方だろが
>>490 それでさっき、ホムペ覗いていたら
*イスラーム・シーア派の思想と、それに基づくイランの統治体制
の諸側面についての研究
*古典イスラーム学と現代イスラーム地域研究
*イスラーム法原典と社会的現実との関係の中での、イスラームと
人間の自由と権利について
500 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/31(火) 00:09:59 ID:GpnxRaEx
>>490 ごめん途中で切れた...
それでさっき、ホムペ覗いていたら
*イスラーム・シーア派の思想と、それに基づくイランの統治体制
の諸側面についての研究
*古典イスラーム学と現代イスラーム地域研究
*イスラーム法原典と社会的現実との関係の中での、イスラームと
人間の自由と権利について
などと言う研究をしてる先生がいはるんですね...これは
何処の神学校かと思ってしまった...もちろん聖書関係の
研究者が多いですがね、自分が若かったらもう一度行きたいw
501 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/31(火) 00:10:16 ID:QjseDBHR
>>498 >だから「誰」と「誰」の戦いか言ってみろって言ってるんだ...
だからおれがいつ誰と誰の戦いだと言ったんだよ、このタコ。
おまえは文章読めねぇのか、流石だな。聖書50回読んだ人(嘲笑)
502 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/31(火) 00:17:53 ID:QjseDBHR
>>498 >1世紀から7世紀に飛んで、紀元前に戻って....だから支離滅裂
あそこの文章のどこに1世紀から7世紀に飛んでんだよ。
どこにそんなこと書いてんだよ。答えろ。またつまんねぇ根拠のない学説のひとつを引っ張り
出してぬかすなよ。あのハルマゲドンの下りのどこが1世紀から7世紀に飛んで紀元前に戻ってんだよ。
答えろ。批判してきたのはてめぇのほうだ。つまんねぇ根拠のない三流学者の学説ではなく、
根拠のある話で話せよ。あそこの文章のどこに1世紀から7世紀に飛んでるんだ。言え。今すぐ答えろ。
503 :
名無しさん@3周年 :2006/01/31(火) 10:58:22 ID:Qs3XUMD9
>>501 群盲象を撫ぜる だね。 聖書の読み方が分かっていない。 イエスが語るように「聖なる言葉は霊でありいのちである」と。(ヨハ6:63) きみの言うハルマゲドンも物理現象でなく霊的現象を意味している。 きみの挙げている黙示録6章はイスラムの出現を意味するのではなく、また 共産主義の出現を意味するのでもない、霊的理解の誤謬を意味している。 具体的に言うなら、きみの忌避する「信仰だけで良いとする信仰義認説」 の誤謬をヨハネは霊の中において予見させられたのである。
504 :
カラスの唄さん :2006/01/31(火) 11:50:51 ID:pUE6z9dV
あっちに似てる。。。
505 :
カラスの唄 :2006/01/31(火) 11:55:19 ID:Qk4IFZil
>503 >命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。 >わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である〜ヨハネ6:63 あのさ、あんたの言う、聖なる言葉=霊=命とは、それを言うなら、聖なる言葉は、命(真の命) を与える言葉であり、命を与える言葉は霊であり、それはイエスの残した言葉の中にある。だろ。 それをどこをどう読めば、聖書に書かれている内容は、霊的な現象になるんだよ(苦笑) あとさ、誰も黙示録の六章は、イスラム出現のことを書いてあるなんて言ってないんだよ。 イスラムに関しては、イスラムは新約成就の為の当て馬に過ぎないと言ってるんだよ。 一神教が三つに別れ、それぞれ争っているのは神が仕組んだことだと言っている。 この後訪れるであろう、大戦は、神が仕組んだ大戦だと言ってるんだよ。 その大戦のことを、神の大いなる戦いと比喩したんだよ。 なにをどう読めばあんたのようなレスが帰ってくるのか不思議でしょうがない。 あんたは聖書の読み方以前に、日本語の勉強しようね。 この程度の輩が俺に意見する。この程度の者だから、他人様に意見するんだろうが。 しかし霊的な現象ってなんだい(苦笑)そもそも霊とはなにか、わかってていってるか? お前みたいのがいるから、バカモスキーなんかに馬鹿にされるんだよ。
506 :
名無しさん@3周年 :2006/01/31(火) 12:05:27 ID:LotXFRpN
508 :
カラスの唄 :2006/01/31(火) 13:24:23 ID:Qk4IFZil
>わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、 >彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、 >イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。 >この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。 >彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。 >その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。 >これが第一の復活である。 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。 >この者たちに対して、第二の死は何の力もない。 >彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。 〜黙示録20:4〜20:6 この時代に預かれる者は幸いだ。その者達に第二の死(真の死)は何の力もない。 ところでキリスト教は、本当に輪廻を否定してるんですかね(苦笑)
509 :
カラスの唄 :2006/01/31(火) 13:29:45 ID:Qk4IFZil
>>507 さぁ。その人がその時代に預かれるかはどうかは、その人の生き様、
その人の業によるんじゃない。それは異教徒のみならず、今のクリスチャン
も含めてね。その時代に預かる者達こそは、真のクリスチャンであり、
真のクリスチャンとなり、永遠の命に授かるんだろう。
510 :
カラスの唄 :2006/01/31(火) 13:59:31 ID:Qk4IFZil
黙示録に関して、これが正しい、これが間違っているなどと言うのは 愚か者のやることだ。なぜなら黙示録のような文章は、書かれてる内容は、 推論でしかはかれない。この文章の真意は書いた本人にしかわからない。 何が正しく、何が間違いかは、これからの歴史である程度判断できるだろう。 ただ、黙示録の結びにはこうある。 >この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。 >これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。 >また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、 >神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。 〜黙示録22:18〜22:19 この一文をみてもわかるように、 俺はこの黙示録には重要なメッセージが秘められていると思っている。 これを単に、古代のユダヤ戦争のことだと言うのは、あまりにお粗末で、 結びにこんな一文を入れる必要もないと思うんだがね〜。 黙示録の内容の真意は、後の歴史が明かしてくれるだろう。
511 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/01/31(火) 19:59:23 ID:GpnxRaEx
聖書は何回も読むとだんだん判ってる実例 黙示録のキリストの1000年統治で蘇るのはだれ? 黙示録20/4 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、 「彼らには裁くことが許されていた。」わたしはまた、イエスの証しと 神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。 この者たちは、あの獣もその像も拝まず、「額や手に獣の刻印を 受けなかった。」彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。 ここだけ読むと裁く事が許された特別の者達とはどういう人達か判らない だべ...それで、馬鹿教会は「敬虔なクリスチャンであった者達」と 勝手に決めてしまうんだべ ところが何回も読んでると「額や手に獣の刻印を受けなかった。」で これを思い出すんだな 13/16−17 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の 者にも奴隷にも、すべての者に「その右手か額に刻印を押させた。」 そこで、「この刻印のある者でなければ」、物を買うことも、売ることもできない ようになった。「この刻印とはあの獣の名(ローマ皇帝)」、あるいは「その名の 数字(666)」である。 つまり、ユダヤ人には「獣の刻印」を焼いて皇帝への服従の証にしてたんだね それで、それを拒否すると首を刎ねられた様ですな...もちろん信念を 通すクリスチャンは拒否したという事でしょ...そういう人達が 復活してキリストとともに1000年統治すると言うことだべ
512 :
キュロス :2006/01/31(火) 22:31:37 ID:Bsnm5jEw
ホセア 6:6 >私は慈しみを喜び、犠牲を喜ばない >ばん祭よりもむしろ、神を知ることを喜ぶ。 ホセアは 「知る」という動詞を驚くはど多用している。 ヘブライ語のヤーダ−(知る)は 知的行為だけではなく情的行為も 含意している。と言う話しは以前したと思う。 ダアス・エロヒム(神を知ること)という語は 神への共感 全人格的愛 神とかかわり 神を愛し 神に献身する行為を意味する。 ダアスは へセト(慈しみ)と 呼応している 神が欲しいているのは 単なる儀式ではなく むしろ神と心を一つにする ことらしい
513 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/31(火) 22:54:17 ID:QjseDBHR
キリスト教は、本当に輪廻を否定してるんですかね。 イエスは言う。 >自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、 >また福音のために命を失う者は、それを救うのである。〜マルコ8:35 そして黙示録のこの文章だ。 >わたしはまた、 イエスの証しと神の言葉のために、 >首をはねられた者たちの魂を見た。 この者たちは、あの獣もその像も拝まず、 >額や手に獣の刻印を受けなかった。 彼らは生き返って、 >キリストと共に千年の間統治した。 キリストの為に命を落とした彼らは、最初の天と最初の地が過ぎ去る前に生き返り、 キリストと共に千年の間統治した。彼らには第二の死ははない。 これは輪廻だよ。最初の天と最初の地とは、この世の事だ。それが過ぎ去ると言う事は、 この世の終わりのことだろう。ところで、終りの前のこの千年王国には キリストの為、首をはねられた(命を落とした)者はよみがえり、キリストと共に統治すると あるが、イエスの弟子達も、ほとんどは処刑されてるんだよね。そう言えば、イエスは、 ペトロに天国の鍵を預けている。
そしてペトロの後を教皇たちが継いで来た。
515 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/31(火) 23:14:52 ID:QjseDBHR
>>514 君は俺の言わんとすることをまるで理解していない。
いいかい、イエスは天国の鍵は後の教皇達に預けたんじゃなく、
あくまで、ペトロに預けたんだよ。
ま、あんたらがどう解釈しようと、どうでもいいけどさ。あんたらに言わせると、俺は異端らしいし(苦笑)
さて、どっちが知っているんだろうね。君らは滑稽だよ。
516 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/31(火) 23:34:25 ID:QjseDBHR
さて輪廻を考えるとある矛盾に気付く。 人は輪廻してこの世に生まれると言うなら、人口が増え続けている ということはどういうことだ?ってね。 また、千年王国に預かれる者は、イエスの証しと神の言葉のために、 首をはねられた者たち だけだとすれば救われる者達はごくわずかの人達になってしまう。これは困った事だ。 釈迦は涅槃に至るには、自分と他人とを別ける識別作用を無くす事だと説く。 これの意味を知ると、なぜ釈迦は慈悲の心を説き、イエスは慈愛の心を解き、神が愛そのものなのか 智慧のあるものなら気付くだろう。慈悲、慈愛の心を説く教えが真理に至る道であり、 父の元に行ける道であり、本物の宗教だ。これを否定するものはまがいもの。偽預言者共は、 時がくれば、封印され永遠の火で焼かれる、人は自分と他人とを別け隔てているが、 本当は、俺はあなたで、あなたは俺。俺とあなたを分け隔て成り立つこの世こそ幻。無常なるかな、 幻であるこの世は、いずれは滅びる定め。それは今の私の自我とて同じ。 「私」を認識している意識、「私」の生きてきた証である記憶。これらもやがて来る死によって、全ては消え去る幻。 イエスの証しと神の言葉のために、 首をはねられた者たちの魂は、輪廻を続け、あなたかもしれないし、 あなたの隣にいるかもしれない。また彼らの魂は、分霊を続け、この世にたくさんいるかもしれない。 彼らは以前の自分を忘れていて、今は仏教徒かもしれないし、 イスラム教徒のなかにもいるかもしれなし、無神論者の中にいるかもしれない。 今は前世の事を忘れてしまっているが、ただ彼らと、他の人々との違いは、彼らの魂には イエスの掟刻まれている。世の中には根っからの悪人と、肉を持って生まれてきた我々には善を行なうのは 困難で、行なえないでいるが、根は優しい人間で、さほど惜しむ事もなく、人に施しを行なえる者がいる。 いずれも、それらの人の持つ性質は、彼らが過去に成した業によるものなのだろう。 なんか取りとめもない文章になってしまったが、別に他の人に同意を求めてないのであしからず。
517 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/31(火) 23:45:37 ID:QjseDBHR
イエスキリストの祈り。 >聖なる父よ、 >わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。 >わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。 >父よ、 >あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、 >すべての人を一つにしてください。 >彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。 >わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 >わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、 >彼らが完全に一つになるためです。 >正しい父よ、 >世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、 >この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。 >わたしは御名を彼らに知らせました。 >また、これからも知らせます。 >わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、 >わたしも彼らの内にいるようになるためです。 主の栄光。アーメン。
518 :
名無しさん@3周年 :2006/01/31(火) 23:49:20 ID:EqbzUnud
>>517 気持ちワリー言葉だな。具体的内容はゼロ。カルト教祖の言葉と同じ。
519 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/01/31(火) 23:57:41 ID:QjseDBHR
本当は、主の平和と結びたかったが、平和をのぞめない自分が嘆かわしい。 ところでバカモスキーよ、おまえさんがなにを信じ、なにを考えようが勝手だが、 絡みもしない相手に、ケチをつけ、邪魔をするのはやめろ。 おまえさんも、所詮根拠のない、説の一つを話しているに過ぎない。 俺もまだまだ知らない事が多い。ここの中には、なかなかいい書き込みをするなと思う人がいる。 いやいた?。おまえさんに絡んでくる相手ならいざ知らず、悪意のない者に 馬鹿呼ばわりして、発言の邪魔をするなよ。悪いけど俺にとっては、あんたの能書きよりも 他の人の書き込みの方が参考になる。邪魔するな。 前にも言ったが、ここの>>1はおまえさんが書いたんだろう。 おまえさん、テンプレみて恥ずかしくないか。
520 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/01(水) 00:02:30 ID:QjseDBHR
>>518 内容はゼロどころか、とても深い。
可哀想だが、豚には理解できないだろう。
521 :
名無しさん@3周年 :2006/02/01(水) 05:20:13 ID:tvHL5h9f
>>505 愚かなカラスだね。何がどうなっているか分かっていない。信仰さえあれば いいとする信仰義認説が誤謬であることつまりルーテルにきみが打ち勝った ことを言っているのだ。別の言い方をすれば新教の崩壊を意味しているのだ。 いいかね、ルーテルの信仰によってのみの義認説がカトリックと新教の分岐 点なのだ信仰義認説が敗れるとき新教は崩壊する実に最大の問題なのだよ。 黙示録で言う竜は信仰によってのみの義認を言う改革派ルーテルを意味する と言ってよい。 いいかね、イエスを「信じる」と言うことはイエスの言葉を守ってこそ 信じることなんだ。つまりイエスの言う隣を愛せよという言葉を実行し てこそイエスを信じることになる。行為義認と言ってもよいかも。 どだい信仰さえあればいいなどという信仰義認は狂気の沙汰である。 黙示録ではこれを竜と言う。 ちなみに言っておくがカトリックは黙示録ではバビロンを意味する。
522 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/01(水) 21:53:10 ID:LFbETY+P
大事な物を忘れておった.... 今日のヨゼフス....YHWH(アドナイ) ヨゼフスのユダヤ戦記には(自分で多少アレンジ) ローマ軍は地上の広い場所に攻め上がって行って、「聖なるもの達の 陣営と、愛された都とを囲んだ。」やがて神殿に火を付け数名の懸命な 祈りを続けてる聖職者を焼き尽くした。「神は無言であった。」 黙示録20/9 彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、「聖なる者たちの 陣営と、愛された都とを囲んだ。」すると、「天から火が下って」 来て、彼らを焼き尽くした。 このパラドックスはご理解いただけるだろうか。ユダヤ戦争では 神は無言だったんですねぇ...それで、黙示録の編者の希望は 「天から火が下って」と言う神の御加護が入ってるんですねぇ
523 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/01(水) 22:24:19 ID:LFbETY+P
大審判の被告は誰? 黙示録20/11−15 わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを 見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。 それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、 彼らの行いに応じて裁かれた。 海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、 彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。 死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。 *キリスト教団は、すべての人が対象者としてますね...その方が信者に 対しての警告にでもなるのかな...その前を読めば判るんだけどね 20/8−10 地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを 集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。 彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、「聖なる者たちの陣営と、 愛された都」とを囲んだ。すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。 そして彼らを惑わした「悪魔」は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには 「あの獣(ローマ皇帝)と偽預言者(それに迎合したパウロ達)がいる。」 そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。 *つまり「聖なる者たちの陣営と、愛された都」を取り囲んだローマ軍 と、その道案内をしたユダヤ人だw
524 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/02(木) 02:38:36 ID:Vg25Hvc8
>>521 信仰義認説って言うとかっこいいけど、こいつら本当に信仰してるんか
どうか疑問なんだよって言うか、信仰などと言う崇高な物は全くないよ
信仰義認を隠れ蓑にして、持論に酔ってるだけのオナニストだと思うw
イエスの第2の掟である隣人愛を示そうとすれば、当然社会へ出てしかる
べき行為をしないと「隣人愛」の担保がないんですw...
ところがこいつらは殆どその担保を持ってない輩なんですよ...
一方で通常社会がね、不完全極まりないにしてもまがいなりにも
隣人愛を理想としてるんですよ...それでこいつらは通常社会で
多分殆ど評価されない輩なんだな...それの逃げ場がキリスト教会に
なってしまってるんですね...だからこいつらは信仰義認しかスタンス
として持ち得ない人達なんですね...
今のキリスト教会って信仰義認でしか自尊心を保てない人達によって
成り立ってるところが多いのではないですか...それで隣人愛を追求
する人達は、通常社会でもそれなりに評価されますので、そちらで頑張ってる
と言う事じゃないんですかね
525 :
名無しさん@3周年 :2006/02/03(金) 23:25:44 ID:sCl9vQLQ
>>524 イエスの要求するのは、普遍的な隣人愛ではない。 彼は語る。「一人の友のために死ぬことほど大きなことはない」と。 また彼は語る。 「あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる者は決してその報いからもれる ことはない」と。 要求される愛とは大それたものでなく、プライベートな些細な親切なのだ。 そして、国のためで社会のためでもない、たったひとりの友のために 死ぬことが最高だというのだ。 私が思うのは、最高の隣人はイエスなのだ。故に、友なるイエスの ために死ぬことほど大きなことはない。 自我に死に、イエスの十字架を負うことが最高のパッションであろう。
526 :
名無しさん@3周年 :2006/02/04(土) 13:04:46 ID:boj6b/TY
ココモスキーは聖書でいう隣人とは誰か、隣人愛がなぜ救いの条件かを、ぜんぜん理解していないようだね。 聖書のいうところの隣人とは、なにも全人類すべてをさしているわけではない。 しかし聖書を何度読んでも、わからない人にはわからないものだね。 ココモスキーさんって、たしか五十回以上読んでるんですよね。 それでいてこの程度の理解とは、ある意味感心します(苦笑)
527 :
名無しさん@3周年 :2006/02/04(土) 13:36:00 ID:nknN6OeT
>522 >523 あいもかわらず突っ込みどころ満載だな。 ヨゼフスのユダヤ戦記には焼かれるままでいて、黙示録には 「天から火が下って」と言う神の御加護が入ってるんだろ。 明らかに違う結末なのに、これが同じ出来事だと解釈するのかい。 似たような記述があれば歴史的に同じ出来事だと解釈するのかい。 もう一度言おう。 明らかに結末が違うものを、歴史的に同じ出来事の記述だと解釈する バカモスキーは、かなり無理のある、単なる推察に過ぎない、ことを語っている。 で、ここの部分は、黙示録のl終盤だね。クライマックスともいえる。 で、このユダヤ戦争と、第二の死との整合性は?黙示録だろうと何だろうと、 キリスト教のテーマは永遠の命だ。それとの整合性は? ユダヤ戦争、この程度のことを語るのに、黙示録の結びの、 >この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。 >これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。 >また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、 >神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、 >その者が受ける分を取り除かれる。 こんなおどろおどしい、おどかしの文句を入れた筆者の意図は? いるんだよ、仏教でも、なんでもかんでも唯物論的に解釈して悦に入ってる基地外どもがさ。 彼らに言わせると、仏典に出てくる来世とは、この世の自分の未来らしい。 アホなんだよ。宗教を唯物論的に解釈しても何も得ることもなければ、本質を見誤り、徒労に終わる。 それを信じる信じないは別として、仏教のテーマはあくまで不老不死の境地、ニルヴァーナであり、 キリスト教のテーマは、あくまで永遠の命。それをないがしろにして、 唯物論的に解釈するものは、アホなんだよ。よくノストラダムスの詩を自分の都合のいいように解釈 している、トンデモさん達と、なんら変わらない。
528 :
名無しさん@3周年 :2006/02/04(土) 13:48:52 ID:nknN6OeT
仏教が単なるこの世の意識革命だけなら、 全ての欲を捨てて、一生乞食生活を送った彼らは単なる馬鹿だって。 この世の意識革命だけなら、自分の能力以上の欲を求めず、 自分の能力に応じた楽を求め、それで満足し、この世を謳歌する。 そしてやがて来る死の覚悟だけできていればいい。 どうせ死ねば終わりなら、釈迦の教えは単なるマイナス思考に成り立った 幸せであり、決して推奨される教えではないわけだ。 もし釈迦が唯物論を真理(つまり死ねば終わり)として、一生乞食生活で 死んだんなら、単なるアホなんだよ。もちろん釈迦はそんなことは言っていない。 もちろん、イエスキリストも、そんなことは言っていない。 そこのところを無視して、唯物論的に両者を語る宗教学者や、その信奉者共をみてると 滑稽で、愚かだ。唯物論がこの世の真理だと思うのなら、宗教なんかかじらず、 ビジネス書や、成功者の能書きでも聞いてろって、アホ共(嘲笑)
529 :
名無しさん@3周年 :2006/02/04(土) 13:59:21 ID:nknN6OeT
ところでムスリムのバカモスキーさんにお聞きしたいんですけど、 あなた日頃、キリスト教に対して、馬鹿にした、失礼な書き込みされてますよね。 なんですか、あのムハンマド風刺した漫画だけで大騒ぎしているイスラム教徒達は。 あの騒ぎじゃ、異教徒に対して、殺人すらやらかしかねませんよね。 馬鹿さかげんじゃ、どっちが上なんだよ。答えろ、バカモスキー。 俺はこいつが日頃、キリスト教徒に対して罵倒しているので聞いてみた。 自分達のことは棚に上げて、他人様を馬鹿だ馬鹿だと罵るなよ。 批判するのなら、公平な目で見ないとな。 答えろバカモスキー。馬鹿はどっちなんだよ。
ID:nknN6OeTさん、まあ落ち着いて。 ココモスキー氏は、おそらくキリスト教に対して、 何らかの大きなトラウマがありそうな気がするんです。 よっぽど傷つけられたか何かしたんでしょう。 キリスト教、クリスチャンに対する、ココモスキー氏の罵詈雑言は、 常軌を逸してますからね。 普通の人が、彼の書き込みを読んで、彼の主張をそのまま受け入れると思いますか? ココモスキー氏の間違った内容の書き込みを指摘しても、 それを完全に無視して、ただひたすら罵詈雑言を繰り返すのみです。 ここはひとつ、スルーした方がいいと思いますよ。
アソコスキー
532 :
キュロス :2006/02/04(土) 16:37:15 ID:ong7cPl8
>ヨゼフスの回顧録に、自分が若いときにいろいろな宗派を >渡り歩いた後にファリサイのあるグループに交わった事が >書かれてます。 ヨセフス 「自伝」10〜12 より 引用 >16歳の頃、私は、私達の宗教すべてを体験しようと決心しました。 >すでに何度も述べましたが、宗派には3つの物があり、第一は >パリサイ派、第二はサドカイ派、そして第三はエッセ派と呼ばれている。 >私はこれらの3宗派を徹底的に学んだ後で、その内最上の物を選び取る >べきだと考えたわけである。私は厳しい訓練に身を委ね、激しい勉強を >積んだ結果、3宗派とも卒業した、しかしそこで得られた経験は、私に >とっては十分な者とは思えなかった。ところがその頃、パンヌースという >人物の存在を耳にした。彼は荒野に住み、木から創った衣服を身にまとい >土地に自生する物を食べて、昼夜を問わず、浄めのため、冷水で沐浴する >という生活を送っていた。私は彼の熱心な弟子となった。そして私は >彼の傍らで 3年間 生活して、目的を果したので都(エルサレム)にも >どった。今や 19歳 となった私は、パリサイ派の教義に従がって >自分の身を処する事にした。このパリサイ派はギリシャ人の間でストア派 >と呼ばれている物に似ている。
533 :
キュロス :2006/02/04(土) 16:37:47 ID:ong7cPl8
>>532 ヨセフスさんは 16歳から ユダヤ教の3宗派を学んで卒業した後
パンヌースさんに弟子入りして また3年間学んだのですね。
そして 19歳になって エルサレムに帰り パリサイ派になった
のですね。
ところで 19歳でパンヌースさんの所を離れるまで パンヌース
さんの所に3年間居たのだから パンヌースに弟子入りしたのは
16歳の時なんだね(19歳 − 3年間 = 16歳)
ヨセフスは ユダヤ教の3宗派を 何時学んだのでしょうね。
534 :
キュロス :2006/02/04(土) 17:05:55 ID:ong7cPl8
>>532 また ヨセフスは その自伝のなかで 自分の家柄について記述している。
>しかも私の一族は、代々その祭司であったばかりではなく、24組の
>第一に属していた。つまり氏族のうちの最高位にあったのである。
>また 私は王家の血も享けている。というのは私の祖先には、
>アサモーナイオス(ハスモン)家の女性と縁組した者がいるが
>アサモーナイオス家は長期にわたって私達の氏族の大司祭であり、
>かつ、王でもあるからである。
この ヨセフスの自伝の記述を信用するならば 彼は19歳で
パリサイ派の一員とることが出来るのでようか?
当時の状況で 高位祭司家の男子が その身分を棄てて
パリサイ派になる事とは まあ不可能だろうね。
535 :
キュロス :2006/02/04(土) 17:18:16 ID:ong7cPl8
>>532 また ヨセフスは自分の系図を その自伝の転載している。
>私の一族の系図を、公共の記録簿に記載されているとうりに
>ここに転載する
ヨセフスが その「自伝」を 後96年頃にローマで 記述した時には
ヨセフスの「ユダヤ戦記」によれば エルサレム神殿にあった
公共の記録保管所は 焼け落ちていて 公共の記録簿は 無いのですよ。
ヨセフスは 一体どこの公共の記録簿から その系図を転載したのかな?
536 :
キュロス :2006/02/04(土) 17:31:13 ID:ong7cPl8
ルカ福音書 >2:46 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、 >話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 >2:47 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 そういうわけで 話しを聖書にもどすと ヨセフスの「自伝」に 下記のような記述がある。 >まだ少年だった14歳の頃、私の学問に対する情熱は誰一人知らない者 >が居ないくらい有名となり、大祭司達や町の指導者たちが、私達の掟に >ついてより正確な知識を得る為に、あい連れ立ってしばしば私のもとに >やって来た。 これは 当時の伝記文学に固有の形なんだね。伝記やその類の文学には しばしば その主人公が 少年時代は天才だった事が 強調されるんだね。
>>530 でも、娘が同志社大神学部に進むことには反対しないらしいよ。
野本先生を尊敬しているらしいが、野本先生が自分と同類だと思っているのかね(w
>>537 ふぇ〜 をどろひた
要するに、聖書をリベラルに読むことにはあえて反対せず、と言うことだろうか。
もしそうなら、ココモ氏はあまりにも知らなさすぎやしないかね。
同志社がリベラルなのは、キリスト教内部での立場であって、
決してキリスト教の正統教理を否定しているわけではないんだけどね。
野本先生にココモ氏の書き込み見せたら、なんとおっしゃるか。
今、「君の瞳に恋してる」をシーナ・イーストンで聞いてるのだけど、
この曲に関していえば、本家のボーイズ・タウン・ギャングの方がいいと思うんだな。
539 :
キュロス :2006/02/04(土) 23:19:40 ID:zB7U/KqG
創世記 >2:7 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻に >いのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。 人間が生きつづける と言うことは 神に服従していること らしい。 つまり 人間が生きる と言うことは 人間の欲望や自由意志ではなく 神の命令に従がっているのである。 人間がこの世に存在し・生き続ける事が 神に対する服従であり ・応答である らしい。 ことらしい。
540 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 01:12:03 ID:51nuRjad
>>525 >要求される愛とは大それたものでなく、プライベートな些細な親切なのだ。
>そして、国のためで社会のためでもない、たったひとりの友のために
>死ぬことが最高だというのだ。
その様に解釈しないと、現実のキリスト教徒と全く合わなくなってしまう
からさ...その様に好都合に取らないとね....お得意のキリスト教徒
の解釈ざんす...わはははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
541 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 01:31:04 ID:51nuRjad
>>527 >ヨゼフスのユダヤ戦記には焼かれるままでいて、黙示録には
>「天から火が下って」と言う神の御加護が入ってるんだろ。
>明らかに違う結末なのに、これが同じ出来事だと解釈するのかい。
例によって人の文章を読む能力が著しく無いに等しい...
誰も同じだと言った覚えが無いのになぁ...
>このユダヤ戦争と、第二の死との整合性は?黙示録だろうと何だろうと、
お前の頭の中は支離滅裂になってるんだよ...
「永遠の生=ゾーエイアイオノス」って黙示録に出てくるか?
黙示録の編者がゾーエーアイオノスを知ってるとは思えんw....
わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
542 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 01:56:49 ID:51nuRjad
>>530 >ココモスキー氏は、おそらくキリスト教に対して、
>何らかの大きなトラウマがありそうな気がするんです。
>よっぽど傷つけられたか何かしたんでしょう。
>キリスト教、クリスチャンに対する、ココモスキー氏の罵詈雑言は、
>常軌を逸してますからね。
こういう反応をするのがキリスト教徒の常套手段です。批判する
人達を常に異常者扱いするのがキリスト教徒の歴史です。
>普通の人が、彼の書き込みを読んで、彼の主張をそのまま受け入れると
>思いますか?
すみません私のwebに300−500人の来訪者がありまして
おまけにキリスト教会のwebに私のwebの案内がありまして
私の主張を受け入れてくれる人の数とあなたがおられる宗派の
信者の数とはどちらが多いか判りません。
543 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 02:05:35 ID:51nuRjad
>>534 >当時の状況で 高位祭司家の男子が その身分を棄てて
>パリサイ派になる事とは まあ不可能だろうね。
洗礼者ヨハネは(自分のwebからコピー)
両親は :父ザカリア・母エリザベート
ザカリアはアビヤ組の司祭とあり、歴代誌上24/10では24組
あった祭司組合の8番目の祭司組とされている
それで
>当時の状況で 高位祭司家の男子が その身分を棄てて
>パリサイ派になる事とは まあ不可能だろうね。
はお前さんの勝手な判断だよ...
544 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 02:23:58 ID:9SBSwiLz
「イエス=パリサイ派説」は知っていますか。
545 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 02:41:02 ID:51nuRjad
>>544 知ってます。それでその説はそれなりに根拠があることも知ってます。
イエスの基本的なスタンスはファリサイだったと思います。
ただファリサイの中で時代が流動的にうごめく中でイエス独自の
主張があったのだと思います。
546 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 03:03:28 ID:znE0DfJA
>>541 >の頭の中は支離滅裂になってるんだよ...
>「永遠の生=ゾーエイアイオノス」って黙示録に出てくるか?
>黙示録の編者がゾーエーアイオノスを知ってるとは思えんw....
おまえは馬鹿だな。
流石に50回以上も聖書を読んで、隣人の事もわからないだけのことはある。
ところでおまえ、馬鹿の壁って本知ってるか?(苦笑)
おまえに新約聖書を読み解くのは無理だ。おまえにはクルアーンがお似合いだよ。
>おまえにはクルアーンがお似合いだよ。 似たり寄ったと思うが。
548 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 03:21:21 ID:41YtLzVF
どうやらバカモスキーは、黙示録に、永遠の命という単語が登場しないから、 黙示録と、キリスト教のテーマである永遠の命とは無関係だと思っているらしい。 流石トンデモさんですね。 この人きっと黙示録にでてくる、第二の死の意味も全く知らないか、 お得意の唯物論的トンデモ解釈してるんだろうな。 馬鹿の壁とはよく言ったもんだ。
549 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 03:30:08 ID:znE0DfJA
>>547 おまえも馬鹿だな。
新約はそのまま読んでも内容を理解できる書物ではないが、
クルアーンなどの内容はそのまま読めばことたりる。
どうせおまえクルーンすら読んだことないんだろう。
おまえの聖書理解ぜひとも聞かせてもらいたいものだね〜。
似たり寄ったりと言ってる時点で、なーんもわかっていないのは明白だが(嘲笑)
なにが処刑ライダーだよ。餓鬼臭い名前で、横からちゃちいれてんじゃねぇよ。
餓鬼。
550 :
キュロス :2006/02/05(日) 09:17:40 ID:91B3gR5g
ヨセフスは 19歳でパリサイ派にならざるを得ないのでよ。 なぜならば ヨセフスがその「自伝」を 後96年頃にローマで 記述した時には エルサレム神殿は焼け落ち ハスモン系大祭司の 支配体制は 崩壊して サドカイ派等は消滅するんだよ。 当時のユダヤ教は パリサイハ派ヒレル系が主流なんだよ。 つまり 後96年にガマリエル2世がアンティオキアで ユダヤ人 共同体の首長として ローマの総督から承認を受けるんだよ。 しかし レビ族等の身分制度は存続する。 そして エッセネ派は アレキサンドリアのフィロンを経由して 当時のキリスト教 教父達に影響を与えて キリスト教にその 考え方・思想が受け継がれている ような気がする。
551 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 10:14:23 ID:4Ges4H5v
552 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 11:54:57 ID:VdNdoXFI
ゾーエアイオノスが理解できてるキリスト教徒が殆どいない
という事だろうね...もっとも新約聖書を書いた人の中で
それを理解してたと思えるのは、3−5人いるヨハネ福音書の
編者の中の1−2人だと思うw...
「永遠の命」で新約聖書をくくってみれば判るんだけどなぁ
みんな言ってる事がテンテンばらばら、まるでキリスト教会の
ドグマと同じで結局何の事か判らなくなるw...
例によって馬鹿信者向けのドグマとエリート向けのドグマを
用意してると言う事だろな...
>>551 はいはい、キリスト教徒も殆どが馬鹿キリスト教徒なように
イスラムも多くは馬鹿イスラム信徒なんです。お前らが相手に
するイスラムはお前らとドングリのイスラムなんさ...
わはははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははは
553 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 12:18:05 ID:4Ges4H5v
>>552 おまえはやはり馬鹿だな。どこがてんでバラバラなんだか。
イエスの肉の復活は、方便だろう。
方便。わかるか?”方便” なんだよ。新約聖書の永遠の命とはお前の言う
ゾーエアイオノスで、一貫してるんだよ。このタコ。
もちんパウロも知っている。知らないと思っているのはお前だけだ。タコ。
ところでおまえ、ゾーエアイオノスとはなにか、具体的に言ってみろ(嘲笑)
554 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 12:22:46 ID:VdNdoXFI
馬鹿信者の逃げ口は決まってるだろ... 1..キリスト教の矛盾だらけのドグマが何とか矛盾が 無いように辻褄合わせする 2..異教や他宗派の批判をして自分達を正当化する 奴らはこれしか手が無いんだよ...わはははははははは はははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははは
555 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 12:32:39 ID:4Ges4H5v
>>552 >はいはい、キリスト教徒も殆どが馬鹿キリスト教徒なように
>イスラムも多くは馬鹿イスラム信徒なんです。お前らが相手に
>するイスラムはお前らとドングリのイスラムなんさ...
ここでキリスト教徒達に、お前のエゴを押し付け、ぶつけているおまえも、
同じ穴の狢だってことに気づいているかい?
馬鹿だから気づかないんだろうな、おまえ(哀れ)
556 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 12:44:54 ID:4Ges4H5v
>>554 >1..キリスト教の矛盾だらけのドグマが何とか矛盾が
そう?新約聖書テーマは一貫してるぜ。
お前馬鹿だから気づかないだけなんじゃない。
隣人の意味もわかってないようだし(嘲笑)
どこがどう矛盾してるのか、聞かせてもらおうじゃないか。
具体的に述べろ。
>2..異教や他宗派の批判をして自分達を正当化する
自分達を正当化しようとして、イスラムを批判したわけじゃないんだけどな。
ムスリムのお前が、自分達のことを棚に上げて、あまりにキリスト教徒に対して、
お前に悪意のない者に対してまで、馬鹿だ馬鹿だと粘着しつづけているから、
じゃぁお前達はどうなんだと、言ったまでのこと。
そんなこともわかんねぇ?さすが聖書50回以上読んでも、隣人すら理解できないことだけのことはあるな。
557 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 12:51:47 ID:VdNdoXFI
キリスト教徒の反論と言うのはその内容がおおよそ決まってるので これも学問的に扱えるかも知れませんねぇ.... ここは、その反論発言の宝庫なので、素材には事欠きませんw その人の知的水準もバッチシ判るし、誰か頭の良い人に協力を いただいて、「キリスト教徒の反論の体系」みたいな物をまとめて みたいね....キリスト教会はそれで成り立ってる教団だとも 言えるんだよね...わははははははははははははははははははは
558 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 12:54:40 ID:4Ges4H5v
なんか勘違いしてるようだが、俺は洗礼は受けてはいるが、 あまり今の教会にこだわりはないし、熱心な ”今の教会の信者”ではないんだよ。 ただお前の不正は正す。他の人の意見、考えももっと聞いてみたいんだが、 おまえがくだらない持論で、邪魔をする。 お前の変質的なキリスト教に対する悪意が、俺の好奇心の邪魔をする。
559 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 13:22:20 ID:4Ges4H5v
>>557 >「キリスト教徒の反論の体系」みたいな物をまとめて
>みたいね....キリスト教会はそれで成り立ってる教団だとも
あのさ、反論しようと思えば、別に今のキリスト教に限らず、イスラム教にしろ
仏教にしろ、既存の宗教すべてにできるよな。確かめようのない、
なんら根拠のないことを信じてるわけだから。宗教なんてそんなものだろう。
それをキリスト教に対してだけ偏執的に、なに言ってんのおまえ?
世の中お勉強は出来ても、馬鹿はたくさんいる。
学問的アプローチで、宗教を探って何が得られるんだい?(嘲笑)
学門やりたきゃ、もっと他のテーマ探ったほうがよっぽど身になるぜ。
やっぱりおまえは馬鹿だな。
560 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 13:25:04 ID:4Ges4H5v
バカモスキーは、学問的にキリスト教を語れば、 頭がいいと思っているらしい。 馬鹿は死ななきゃ直らない。
561 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 14:14:35 ID:VdNdoXFI
やっぱしだね....わはははははははは 自分は人類の福祉の為にキリスト教徒になってると言うのが 一人位はいるのかと思ったら、誰一人おらせんわ.... みーーーーーーんなてめえの自己満足でやってるんだよ 自分らで勝手な妄想を描いて喜んでるだけだw.... 批判されたら、お決まりの反論方法を展開するだけだw.... わはははははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははははははは 明日は、ヨゼフスの最後...洗礼者ヨハネをします。お楽しみに
>>561 自己満足を覚えない人などいるのかナ。
自分を満足させたら他人を満足させる手助けをしたくなるのが人のさらなる欲望。
幸せを守るためには、他者の協力が必要となる必然。
563 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 15:17:26 ID:4Ges4H5v
>>561 >自分らで勝手な妄想を描いて喜んでるだけだw....
自分らで勝手な妄想を描いて喜んでるのはお前もだろう。
お前の能書きも、所詮推測にしか過ぎない。おまえ、本当に馬鹿だな。
564 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 15:18:16 ID:UX+iat7J
ココモスキーのサイトとリンクしているキリスト教会ってどこですか?
565 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 19:35:49 ID:RXiwb9kL
何かよく判らないけど、黙示録がAD90年頃ローマ帝国の 弾圧の中で、ユダヤ戦争での犠牲に対して、それをローマ帝国 を恨んで書いた物であろうと、20世紀の現代社会を預言した 物であろうと、イエス・キリストの2つの守らなければならない 掟は変わらないと思うけど。こいつら必死になるのは自分達の唱えて いた物が下らない妄想である事があからさまになると、メンツが ボロボロになる為だよ。こいつ等自分達のメンツの為に一生懸命 反論してるだけだよ...イエスがファリサイだったとしても イエスの教えは何ら変わらないはずだけど、イエス・キリストの 神話を唱えていた奴はメンツ丸つぶれだもんな....こいつ等 こんなアホな事を言ってたで....になるもんな...わははは はははははははははははははははははははははははははははははは
566 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 19:48:24 ID:RXiwb9kL
567 :
キュロス :2006/02/05(日) 19:58:58 ID:LNmaJEua
>カトリックの牧師さん 知っていて わざと間違えているのか それとも 全然知らないのか 不思議な人だよね。
568 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 22:02:44 ID:cePXOOid
>>567 >知っていて わざと間違えているのか
>それとも 全然知らないのか
>不思議な人だよね。
と言って折角紹介したwebは全く覗こうとしない...
それがお前達のやってる事だよ...馬鹿は何処に注目するのか
直ぐわかる...
569 :
キュロス :2006/02/05(日) 22:55:00 ID:0sfVFwF3
創世記 15章12節 LXX 秦剛平訳 >日が没するころ、アブラハムは脱魂状態(エクスタシア)なり >見よ、大いなる暗闇が彼を襲う。 同箇所 岩波訳 >日が沈みかけると、深い眠り(タルデーマー)がアブラハムを襲った >すると、こんどは恐怖、すなわち大いなる闇が彼を襲った。 LXX聖書では ヘブライ語の 深い眠り(タルデーマー)を 脱魂状態(エクスタシア)と訳されている。 この翻訳を見たフィロンは 脱魂状態(エクスタシア)を「預言者階級が なりやすい神的憑依もしくは狂信」という意味である断言した。 フィロンは ギリシャの密教的宗教の諸観念と述語を 聖書の預言者に ついての記述を適用させようとした らしい。 彼の混合主義的預言者説は 以後盛んになった預言解釈の元になった。 彼にとって預言者が預言している状態とは「神的憑依(エンテオス)および、 狂信(マニア)であって、いずれも預言者階級がなりやすい状態」あるいは 「その人が預言者であることを証明するところの・・・・・神の霊を吹き 込まれる者、神の霊にとりつかれたもの特有の経験」として記述される。 フィロンによると「神の霊にとりつかれた預言者は突如出現して預言的 神託をつげる、彼の告げる何事をも彼自身のものではない。 実際 神の霊感の支配下にあるにある彼は、語っているとき理解力を 欠いている。」
570 :
名無しさん@3周年 :2006/02/05(日) 23:00:34 ID:mScebZnJ
>>569 預言とは、預言者の精神障害(脱魂状態、憑依状態)の結果であり、「神」とは
何らの関係もない。精神医学が存在しなかった当時は、それが判らなかっただけ。
571 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/05(日) 23:57:53 ID:cePXOOid
>>570 預言が神懸りの物だと思ってるのは、そう言うのが好きな連中
(そう言うキリスト教徒)だよ...聖書の巻物にもよるけど
神懸りな物を殆ど感じさせない物も多い...それを神懸りな
物にしてるのは、幼稚なキリスト教会が聖書を権威付けしよう
してる(かえって幼稚な物にしてるけど)だけだと思うよ
572 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/06(月) 00:49:49 ID:Vlc7b8vC
573 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/06(月) 01:11:18 ID:Vlc7b8vC
つうか、
>>567 がいわんとしていることをココモスキーは全然勘違いしている・・・。
一から出直せ、ですか?
575 :
キリスト教は邪宗教ですよ。根拠があります :2006/02/06(月) 12:26:29 ID:krStoJbD
576 :
名無しさん@3周年 :2006/02/06(月) 12:33:59 ID:4E2/SJHw
>>566 そのサイトをつくってる人は牧師でも神父でもなく、普通の信徒です。
マタイ伝 5章 幸いなるかな心の貧しき者、天国はその人のものなり。 幸いなるかな悲しむ者、その人は慰められん。 幸いなるかな柔和なる者、その人は地を嗣がん。 幸いなるかな義に飢え渇く者、その人は飽くことを得ん。 幸いなるかな憐れみのある者、その人は憐れみを得ん。 幸いなるかな心の清き者、その人は神を見ん。 幸いなるかな平和ならしむる者、その人は神の子ととなえられん。 幸いなるかな義のために責められたる者、天国はその人のものなり。 やはり山上の垂訓はいいですね。しかし一言一句噛みしめて読むと 「幸い」にたどり着くには、とてもハードルが高いんですね。 「アンクルトムの小屋」のアンクルトムは、仲間の黒人奴隷に殺される時にも 仲間のために祈り、その仲間から「トムのそばにいたイエスってだれなの?」 と言わせるんですね。信仰を強く守っていることができれば神を見ることが できるんでしょう。
578 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/02/06(月) 18:53:10 ID:+GpGmBg8
ちと、わかりにくいですね。トムが殴られ続けている間、ずーっと イエスに祈っていたのです。それで我に戻った仲間が後悔して トムに尋ねたんですよ。
579 :
名無しさん@3周年 :2006/02/06(月) 21:32:00 ID:kmoD9m7m
>>577 「幸いなるかなではない人」は、「幸い」ではないのかな。まさに差別の羅列
ではないか。「幸いなるかな」ではない人は、自分は幸いではなくても、他者を
助けることの中に幸いを見出す。「弱者は弱者を救えない」「弱者を救えるのは
強者のみ」。ニーチェから、「弱者のルサンチマン」と嘲笑される所以である。
旧約の十戒は、人間にとって大切なことをすべて教える「骨太の真理」。
これに反して「山上の垂訓」は、不愉快極まりない偽善の「きれいごと」。
人間性の洞察と人間に対する本当の「愛」が欠如している。「口先だけのきれ
いごと」は、愛ではない。
580 :
キュロス :2006/02/06(月) 21:45:15 ID:xGIxCQiV
>「幸いなるかなではない人」は、「幸い」ではないのかな。 逆だ 「幸いだ 幸いではない人」 ではないにかな。 と書くべきなんだよ。「幸い」が先なんだよね。
581 :
名無しさん@3周年 :2006/02/06(月) 21:53:41 ID:kmoD9m7m
>>580 「山上の垂訓」のような「猫なで声のきれいごと」を聞いて鳥肌の立たない
男は、男じゃない。女子中学生程度なら、喜ぶかも知れんがね。
582 :
キュロス :2006/02/06(月) 22:11:38 ID:m02MgHaZ
聖書には 良い事のリスト や悪いことのリスト またイエスの弟子の 名簿(リスト)良く出てくる。このようなリストを読む場合は 最初と最後が非常に重要なんだね。 そのリストの記述者の強調したい事柄を 最初と最後に記載してある 例えば マタイ5章3節〜10節の八つの幸いのリストの最初と最後が 「天の国はその人達のものである。」と同じ報いが記述してあり しかも 最高の報いだ。 また 系図も同じようなことが言えることが 最近の研究で明らかになった 初めの方と最後の方が非常に重要だ。 これもマタイを例にとってみると この系図は ダビデからではなく アブラハムから始まって「マリアからメシヤと呼ばれるイエスがお生 まれになった」で 終わっている。 イザヤ11:1の「エッサイの株から・・・・・」という預言は ダビデ批判 では無いのか と言う説があるのだけど マタイ福音書の記述者達も 暗に この系図で ダビデ批判をしているのような気がする。
>>581 > 「山上の垂訓」のような「猫なで声のきれいごと」
ではないよ。
たとえば「心の貧しき者」の意味わかる?
「自分をつまらない者と考える謙遜な人」なのよ。
そのような人になるのって難しいでしょ?
584 :
キュロス :2006/02/06(月) 22:30:48 ID:m02MgHaZ
あのマタイでさえ 系図の最後の重要な位置に「マリア」の名を 持ってきている辺りに 最初期のキリスト教の教会は 女性が 非常に重要な位置を占め しかも女性の働き無くしては教会が維持 でき なかったのだろう。 それは 現代日本の教会を見れば 想像できる。 まあ 2000年程度の年月で人間が変わるわけがないからね。
585 :
キュロス :2006/02/07(火) 19:11:36 ID:OtSTcx06
創世記 LXX 秦剛平訳 1章1節 >はじめに、神は天と地をつく(ボイエオー)った。 岩波訳 同箇所 >初めに神は天と地とを創造(バーラー)した。 知っている人は知っていることだけど ギリシャ語のボイエオーには 創造というニュアンスは無く 単に 作るという意味ぐらいのもの らしい。 ヘブライ語のバーラ−は 神の創造行為を表す語だ。 そこでだ 例えば 芸術家の作品は 多くの場合供給が先にあり その供給に対して 需要が生まれる。 それに対して 工業製品は多くの場合 需要が先に有り その需要に 対して 供給が生まれる。 神の創造も まず需要があるのではなく 供給が先に有るのですよ。
586 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 02:33:09 ID:bawJo7/h
>>570 マタイ
幸いなるかな「心の貧しき者」、天国はその人のものなり。
ルカ
幸いなるかな「貧しき者」、神の国はその人のものなり。
Q資料(B.L.マック)
幸いなるかな「貧しき者」、天の王国はその人のものなり。
Q資料についての入門書を読むと最初に解説してくれる場所
だw...もっともマタイに「心の」が入ってる事については
幾つか意見があって決着はしてないです...教会はマタイ
について伝統的な解釈をそれぞれしてるみたいですが、ルカ
の文章については全く言及しないですね...
587 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 03:00:45 ID:bawJo7/h
>>582 >また 系図も同じようなことが言えることが 最近の研究で明らかになった
>初めの方と最後の方が非常に重要だ。
>これもマタイを例にとってみると この系図は ダビデからではなく
>アブラハムから始まって「マリアからメシヤと呼ばれるイエスがお生
>まれになった」で 終わっている。
そんな事は何百年も昔から判ってるよ...初めと終わりが重要と言う
のは中はどうでも良いという事だろ...イエスの系図については
その幼稚な発想がキリスト教会の発想だよーーーん...
ルカが示してる系図はアダムまで遡ってるんだよーーーん...
マタイとルカでは、その系図が全く違ってる−>教団によって
その解釈は千差万別...(ルカの方はマリアの系図だなどと
言う馬鹿教会もある)...
マタイとルカでは途中で符号する人が2人いるんだよーーーん
この2人については、どの教会も全く無視してると思うけど
福音書を書いた人達にとっては重要な2人だよーーーーん
僕のwebに書いてあるけど、紹介してもどうせ読まないだ
ろうから、自分らで研究してみな...
588 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 04:04:33 ID:bawJo7/h
>>570 「心の貧しき者」の教会の解釈は千差万別です。おまけに
その後ろの「天の国」がどういうものであるかも、甚だ
曖昧な為に、教会によっては言葉の羅列としか思えない
解釈が説明されます。本人が理解してるのかどうか疑問ですw
「貧しき者」がマタイ教会において「心の貧しき者」になった
事についての僕の意見...
マタイ教会の母なる教会であるエルサレムの原始教会では
「貧しき者は」だったんだろうと思います。それで
「天の国」は「神の教会=原始教会」の事ですので、原始教会が
貧者の為の物だと言う、原始教会の方針みたいなものだったん
じゃないかと思います。おかげで原始教会は経済的にも困窮する
んだけど...
それがユダヤ戦争を経て、原始教会が実質なくなって、ユダヤ
社会も崩壊して、「心の貧しい=生きていく為の心の糧がなく
なった」人達が一杯出てきたんだろうと思います。
それで「天の国」はマタイ教会の事ですから、「生きていく
心の糧を失った人はマタイ教会へ来なさい、ここはあなた方の
ものですよ」と言うキャッチコピーですな
クムラン文書には“霊の貧しい者”という表現が出てくるね。 洗礼者ヨハネもイエスもクムランに近いところにいたことを考えると、 ルカのほうがオリジナルなのかどうかだってわからないよ。
,, ∧_∧ ,, / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 八(´∀` ) ノ|ヽ < Web見せてよん >ココモフスキー / |` ''''' | ヽ \________ ノ〃⌒ヽ γ´ ̄ヽ) ∪ ⌒ ∪
591 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 19:06:27 ID:sHd9eBH5
>>589 これもお得意の反論パターン...A−4タイプの反論方法
だよーーーん
592 :
名無しさん@3周年 :2006/02/08(水) 19:09:15 ID:ezNsBagP
「キリスト教」から解放されましたが イスラム教ではなく佛教に回帰しました。
593 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 19:18:02 ID:sHd9eBH5
>>589 これで信者が何を研究してるか判るだろ...
こいつら、聖書を研究してるんじゃなくて、聖書を研究してる
人の見解をあたかも打ち破ってるが如く説明する研究をしてる
んさ....わははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
594 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 20:08:24 ID:sHd9eBH5
>>590 だから自分で調べろって言ってるでしょ...
折角だから、マタイ福音書の系図で奇怪な事があるんだw
当時のユダヤ人では異例なことですが、4人程の女性の名前
が出てきます。これは、何処かの系図(例えば歴代史の様な)
に出てきた者ではなく、ところどころでそれらしき年代の
他の書き物に書かれた女性です。しかもどれも曰くつきの女性です。
タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻(バテシェバ)です。
タマルは神殿娼婦に化けて舅と関係を持ち、子供を生む。
ラハブはジェリコの町の遊女で、ヨシュアのスパイを匿う。
ルツは外国人の女性。
そして、ウリヤの妻(バテシェバ)は、夫が不在(出兵)
中にダビデと***してソロモンを身篭る。
マタイが何を意図して、この様な系図を作ったのか、まあ
皆さん考えくだハイ...
595 :
キュロス :2006/02/08(水) 21:04:31 ID:b/Fh3Fyp
詩篇 新改訳 >35:10 私のすべての骨は言いましょう。 >「主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか。 >悩む者(アニ−)を、彼よりも強い者から救い出す方。そうです。 >悩む者(ヴァアニー)、貧しい者(ヴェエヴョン)を、 >奪い取る者から。(ミゴゼロー)」 新改訳で「悩む者」と訳出している アニー は 貧しい者 不幸な者 へりくだる者 柔和な 等の意味が有る ヘブライ語を知っていたと思われる人達が記述したマタイ福音書の 「心の貧しい者」の「貧しい者」は ヘブライ語のアニー のような 意味があると思うよ。
596 :
キュロス :2006/02/08(水) 21:43:52 ID:folUzcY2
詩篇 新共同 >35:10 わたしの骨はことごとく叫びます。 >「主よ、あなたに並ぶものはありません。 >貧しい人を強い者から/貧しく乏しい人を搾取する者から >助け出してくださいます。」 同箇所 フランシスコ会訳 >わたしの魂は、ヤーウエゆへに喜びおどり >そのすくいゆへに喜ぶ >わたしのすべての骨は言います >「ヤーウエよ、あなたに並ぶ者がありましょうか。 >あなたは哀れな人を 強い者から救い >哀れな人 貧しい人を略奪者から お救いになる。」 同じ意味の言葉を繰り返すことは そのことを強調するという意味がある。 新共同の訳者は 「貧しい者」を救う神 という解釈なのだろうね。 でもだ 旧約は新改訳の方が良い ような気がする。
597 :
キュロス :2006/02/08(水) 22:01:26 ID:5ne6sggG
アニ−は 経済的な意味以外の意味がある エヴョンは 経済的な 意味で使われる事が多い様です。 と言う意味がある。 それと 語の最初に「ヴァ」とか「ヴェ」と発音されるヘブライ文字 「ヴァヴ」は 接続詞だよ。
598 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 23:10:52 ID:sHd9eBH5
>>597 >アニ−は 経済的な意味以外の意味がある
>エヴョンは 経済的な 意味で使われる事が多い様です。
>と言う意味がある。
>それと 語の最初に「ヴァ」とか「ヴェ」と発音されるヘブライ文字
>「ヴァヴ」は 接続詞だよ。
ヒンズー語で、「オナニスト」を何と言うのか教えてくれ
ついでに、カルタゴ語で「アホ」の事を何と言うのか
ついでに、中国語で「自己満足」の事を何と言うのか
ついでに、スペイン語で「幼稚」の事を何と言うのか
ついでに、日本語で「キュロスの様な馬鹿丸出し」を何と言うのか
ついでに、コプト語で「最低の人間」を何と言うのか
おせえて...わはははははははははははははははははは
599 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 23:18:16 ID:sHd9eBH5
>>597 これを訳してくれっか...
べレシート バラー エロヒーム エット ハシャマイム
ヴェエット ハウレツ
600 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/08(水) 23:32:42 ID:sHd9eBH5
ROMの人は判ってると思うけど、キリスト教徒の無様な様は ひど過ぎると思うヤロ...聖書に関しての説明でキリスト教徒は 全く役にたたんという事だよ..webにもいいホムペあるから みんなそっちを勉強した方がいいよ...こいつらは自分達の 教団や自分の信仰まがいの思い込みを傷付けられない様に 振舞ってるだけで、見る人がみたらボロボロなんだけどね 何とかその体裁を繕ってるだけだよ....
601 :
537 :2006/02/09(木) 15:19:18 ID:RdWlFcaj
>>538 >同志社がリベラルなのは、キリスト教内部での立場であって、
>決してキリスト教の正統教理を否定しているわけではないんだけどね。
その通りだね。
しかし、野本先生がご自分のホムペにアップされている聖書学の論文をココモスキーが読んで
なんで感激できるのかが、まったく理解できないよ。
旧約聖書学の世界では、現在、主流派を護教的なバイアスがかかっているとして激しく攻撃する
“ミニマリスト”とか“レヴィジョニスト”とか呼ばれている学者が意気盛んなんだが、
彼らからいわせれば、野本先生はまさにその護教的なバイアスがかかった典型なんだけどね。
つまり、野本先生は保守系の聖書学者に対してリベラルなだけって事なんだけど、
ココモスキーは何か大きな勘違いをしているみたいだ。
>>599 εν αρχη εποιησεν ο Θεοs τον ουρανον και την γην
・・・意地悪はやめようよ。
はっきり言うけど、語学に関してだけ言っても、
あなたよりも高いスキルを持った人が、何人もここを見ていると思うよ。
ただ書き込まないだけだよ。
クリスチャンをこき下ろすのは勝手だけど、少しは考えた方がいいんじゃないかな。
>>601 聖書学全体から見ると、野本先生はむしろ保守的な方ではないですかね。
日本では、例えば「アブラハムは実在しなかった。彼は、名祖である。」というと、
もうすぐにリベラルだ、と言われてしまう。
けれども、「アブラハムは名祖である」と言うこと自体、すでに保守的なわけですよね。
日本の聖書学全体が、一部を除いて保守的だと思います。
603 :
キュロス :2006/02/09(木) 18:47:04 ID:fQKdXZXq
>>599 >べレシート バラー エロヒーム エット ハシャマイム
>ヴェエット ハウレツ
いいですか? キリスト教批判をしているのでしょ?
そして ヘブライ語とギリシャ語をあるていど読めるのでしょ?
であれば 初期キリスト教徒に大きな影響を与え しかも
今ではキリスト教徒が 誰も逆らえない 初期の信条 を作った
人達が読んでいた LXX創世記で バラ− を ボイエオー
と訳してあるのですよ。
オレは 凄い事だと思いますよ。
604 :
キュロス :2006/02/09(木) 19:03:11 ID:fQKdXZXq
>>603 あるHPより引用
>罪のゆえに、生きることにはさまざまな困難がつきまとうように
>なりました。生きることの苦しみが始まったのです。
バラ−を キチンと訳してあれば 神から借りている命を生きることが
苦しみになるという発想は 無いと思うよ。
605 :
キュロス :2006/02/09(木) 19:58:34 ID:oPW5deHS
>>604 の根拠となる 聖書の箇所は下記のところだ。
>お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。
>お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を
>得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる。
>野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る。
>土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお
>前は塵に返る」(創世記三・一七―一九)。
食べのを得る為の作業は 確かに困難が付きまとう。
その事が 生きる事の困難だ と言うのは わかる。
しかし「お前は顔に汗を流してパンを得る。」ことが
生きる苦しみだろうか?
神学者を自称する引退牧師が 真夏に農作業をしている農夫を
エアコンの効いた車の中から見ると 確かにこの様な発想は
するだろうね。
606 :
キュロス :2006/02/09(木) 22:14:30 ID:XOZkLFJl
マタイ福音書 25章40節 >そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの >最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 同 40節 >そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人 >にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 わたし達が ある人達に奉仕していと思いこんで 奉仕しているの のもかかわらず 実際には そのある人達のほうが私たちに対して 奉仕している とい事が無いだろうか。 また 真夏に樹の苗を エアコンが効いた高級車に乗った人から 見物されつつ 大汗をかいて植えている人は 誰の為に植えてい るのだろうか? これから生まれてくる ナン世代もの人の 為 まだ顔を見たことも無い人の為に植えているのだろう。 人間が 何事であれ 他の人に対してする事 しない事は 同時に それは 神に対して 行っているのだと思うよ。
607 :
537 :2006/02/10(金) 13:44:43 ID:WbFceflf
>>602 >日本の聖書学全体が、一部を除いて保守的だと思います。
そうだね。
しかし、“保守的”というより、“主流派に立った”といったほうが良いかも。
例えば日本基督教団出版局から出ている『現代聖書講座』(全三巻)所収の論文などは
どれも主流派に立った解説だよね。ただ、初期イスラエルの歴史や社会構造への関心、
聖書の文芸学的アプローチに一章を割くなど、レヴィジョニストやポストモダンな
聖書解釈を意識したテーマが取り上げられてはいるのだが。
いずれにせよ、野本先生は聖書の記述に立って古代イスラエルの歴史や宗教を考えようと
しているわけだが、そういうアプローチの仕方をユダヤ教ないしはキリスト教的な
バイアスのかかった方法論であるとして拒否するのがレヴィジョニストなのに、
ココモスキーはキリスト教批判を執拗に繰り返しながらも、何故か嬉々として聖書の記述に
しがみつき、主流派の野本先生を支持している。批判のしかたが全く中途半端なんだな。
中途半端な批判だから、クリスチャンにとっては痛くも痒くもない。
608 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/02/10(金) 20:20:05 ID:YohGZyxE
遠藤周作の「沈黙」でロドリゴが踏み絵のイエスに語りかけるんですね。
「主よ、あなたがいつも沈黙しておられるのを恨んでいました。」
>>606 > 人間が 何事であれ 他の人に対してする事 しない事は 同時に
> それは 神に対して 行っているのだと思うよ。
つい、自分勝手な神を想像して、神は隠れているなんてボヤくけど
人の間に神はおられるんですね。ほんと毎日 毎日の何気ない行動が
神を喜ばしたり、悲しませたりしているのね。
人との関係に鈍感になってしまっている今日この頃。毎日生かされていることに
感謝しよう。
609 :
名無しさん@3周年 :2006/02/10(金) 21:07:49 ID:O1xfPZS0
>>606 >人間が 何事であれ 他の人に対してする事 しない事は 同時に
>それは 神に対して 行っているのだと思うよ。
何故そこに「神」など持ち出すのか。「他の人」だけで十分。
ユダヤ・キリスト教的「神概念」は、人間の一大妄想。どこまで行っても
人間の観念作用、空想であり、過去、現在、未来永遠にその実在が証明される
ことはない。人間を超越した架空の存在に最大の価値を認めることは、人間を
狂わせ、その軽視・否定と人間間の争いを招くだけ。
キリスト教が率先して、この人類に巣食うがん細胞である「神概念」という
妄想から目覚める努力を尽くすべきだ。
610 :
名無しさん@3周年 :2006/02/10(金) 21:10:01 ID:DrzqBj1o
他の人=神なら、その神は超越的じゃないでしょ。
611 :
名無しさん@3周年 :2006/02/10(金) 21:19:36 ID:O1xfPZS0
>>610 キリスト教は、イエスの狂気と思想的欠陥から、「他の人=神」という
概念は絶対に認められない。イエスの面目が丸つぶれになるからだ。
聖書は、大昔の少一握りの精神異常の人間が書いた書物に過ぎない。
聖書に基づいて、人間を語り、判断することほどの倒錯はない。
人間と自然は、聖書などに優先する一大聖典であることを忘れてはなら
ない。
612 :
キュロス :2006/02/10(金) 21:37:26 ID:nZ6lpkp2
>>611 預言者 狂人説は飽きたから。君に 良い事を教えてあげよう。
それは 預言者 スパイ説だ。
エレミヤは バビロンから指示を受けていた
イザヤは ニネベか 指示を受けていた
また パウロはローマから 指示をうけていた
と言う説だ。調べてい見ると面白いぞ。
613 :
名無しさん@3周年 :2006/02/10(金) 21:45:04 ID:O1xfPZS0
>>612 エレミヤ、パウロ狂人説は、ユングも唱えているはずだよ。
狂人説のほうが説得力がある。当時は精神医学が存在しなかったから、
精神病であることがわからなかっただけの話。
614 :
名無しさん@3周年 :2006/02/10(金) 21:49:09 ID:O1xfPZS0
イエスをはじめ、狂人を崇拝するのはいい加減で止めよう。
615 :
キュロス :2006/02/10(金) 21:57:20 ID:57ON/qo/
>>613 その人達は ギリシャかぶれなんだろ
預言者 狂人説は プラトンも下記のように主張している
「なんびとも正気にあるときは預言的真理と霊感に達する事は出来ない
しかし霊感に満ちた言葉を受けると その知性が魅了され眠り込むか
心的異常 憑依によって 狂気 になる」
616 :
名無しさん@3周年 :2006/02/10(金) 22:01:52 ID:O1xfPZS0
>>615 現代の発達した精神医学から見れば、預言も霊感も変性意識の結果
だから、「神」や「真理」とは一切関係ない。
宗教が饒舌に語る神は、「神」などではない。
617 :
キュロス :2006/02/10(金) 22:30:42 ID:57ON/qo/
>>615 ギリシャ語のプロフェーテースは 神の思念を他の人びとにあかす
或いは告知する人 神に代って語る人 神の言葉を通訳する者
を意味していた らしい。
この プロフェーテースは LXXでナービーの訳語として
用いられていた。
デルフィ神殿の巫女ビュティアの意味難解な神託を 解き明かす人の
指すのに用いられていた。
619 :
キュロス :2006/02/10(金) 22:42:19 ID:228UN/0j
>>617 を修正
ギリシャ語のプロフェーテースは 神の思念を他の人びとにあかす
或いは告知する人 神に代って語る人 神の言葉を通訳する者
を意味していた らしい。
また デルフィ神殿の巫女ビュティアの意味難解な神託や ドドナ市の
樫の木の葉ずれの音を 解き明かす人 を指すのに用いられていた。
この プロフェーテースは LXXでナービーの 訳語として
用いられていた。
それに対して ヘブライ語のナービーは (神によって)呼ばれている
者 (神から)使命を賜っている者 或いは 魔神や偽りの神に影響
されやすい者 そうした召命もしくは影響が彼に課した条件を保持して
いる者 を意味している らしい。
620 :
名無しさん@3周年 :2006/02/10(金) 23:28:00 ID:OjZ0euhB
>>618 >変性意識ってなに?
精神障害のことです。神懸り、神秘体験、憑依現象、など。
現代では、抗精神病薬で治療可能であり、「神」も消滅します。
621 :
名無しさん@3周年 :2006/02/11(土) 00:19:05 ID:ZhCkf2v7
>>612 >預言者 狂人説は飽きたから。君に 良い事を教えてあげよう。
>それは 預言者 スパイ説だ。
>エレミヤは バビロンから指示を受けていた
>イザヤは ニネベか 指示を受けていた
>また パウロはローマから 指示をうけていた
彼らが狂人であってもスパイであっても、キリスト教は成立しえないことに
なりますね。言ってることに何らの信憑性もないのですから。
622 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 00:30:33 ID:R3NXJ9UC
また、若しある一つの福音書(たとえばマタイ福音書)を正典として、 他を排除すれば、他の福音書は、マタイほどに評価されてはいなかったとは いえ、尊重してきた他の教会(ユダヤ人系はマタイ福音書、異邦人系は ルカ福音書、マルコ、ヨハネは傍流教会)の賛成は得られない。 当時のこれら止むを得ない事情の結果、当時グノーシス派に好まれていた ヨハネ福音書の、仮現論的なところや、マルコ福音書が他福音書と違う 過激な箇所など、そのほか四つの福音書の相違点すべてを含め、矛盾箇所を そのままにして、この四つを、正式の福音書として公式の合法的文書に 認定します。いわば主流各教会・妥協の結果です。 むしろ、この聖書の多義性により、マルキオンの異端に対抗することが 出来る、というのが、主流派エレナイオスの考えであったようです。 このことが、主流教会の穏健派にとって、はからずも左右両極端な教義を 異端として排除するのに、極めて有効となります。聖書をくまなく探せば、 相手を非難する箇所を、大体、見つけることが出来たのです そういう事か...わはははははははははははははははははははははは
623 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 00:38:52 ID:R3NXJ9UC
つまり、母なる教会は原始教会なんだろうけど、其処を羽ばたいた 人達は、離合集散を繰り返し、中道少数教会の連合与党がキリスト 教会になったという事さ...わはははははははははははははは ところで、イエスってどんな人だったの...そんなのどうでも いいのか...わはははははははははははははははははは 何処の少数派に聞いても、私たちはイエスの弟子ですでヤッテン だろね...わははははははははははははははははははははははは
624 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 01:23:32 ID:R3NXJ9UC
ココモスキーはキリスト教批判を執拗に繰り返しながらも、何故か嬉々として聖書の記述に
>>607 >しがみつき、主流派の野本先生を支持している。批判のしかたが全く中途半端なんだな。
>中途半端な批判だから、クリスチャンにとっては痛くも痒くもない。
典型的な馬鹿教会派の一つの型式ザンスね...僕の分け方で
b−3型です...わはははははははははははははははははははははは
お前は野本先生の論文を数行でも読めるんか?????
webからリンクしてるから、野本氏の論文を批判してみな
このての馬鹿信者が横行してるのが3流キリスト教会さ....
625 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 01:31:37 ID:R3NXJ9UC
>>607 お前ら、その手の神学批判する前にD大すらおおよそ入る能力が
ない連中だろ..馬鹿教会の資料を見たら大体見当つくw...
どうせお前らにしてみれば、関東のJ大も批判するだろうし
関東のTもWもK大の卒業生も聖書研究してる奴は批判の対象
だろうし、田川氏も荒井氏もくだらないと言ってるんだろ...
そうやって自己の保身をしてるだけの輩だよ...わははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
626 :
537 :2006/02/11(土) 02:47:34 ID:wv45JeuV
>>624 野本先生がご自分のホムペにアップされている論文の結論部分だ。
> 以上、われわれは創世記1,26〜27における神の像としての人間創造の記事を検討したが、
>その結果、ここにはさまざまな伝承史的背景をもった表現が、捕囚という状況の中でイスラエルの
>信仰の内実を表現するために、きわめて巧みに用いられていることが明らかになった。
>
> 全般的にみれば、われわれもまたW.H.Schmidtとともに、1,26〜27aは伝承部分に属し、
>27bは解釈部分に属するということができよう73)
(
http://theology.doshisha.ac.jp/nomoto/ronbun/ron5.html )
これを一目見ただけで、先生が主流派に立っておられることは歴然としている。
先生は五書研究について“伝承史”的アプローチを肯定し、ドイツ旧約聖書学の主流派を代表する
学者の一人であるヴェルナー・シュミットに賛同されているが、レヴィジョニストの立場からは、
ヴェルナー・シュミットの創世記解釈や五書研究の“伝承史”的アプローチなどといったものは
とうてい受け容れられないんだよ。
どうせこれだけでは君には理解できないだろうが、君のその傲慢な態度に接すると、問題の所在を
懇切丁寧に解説してやる気持ちも失せるというもんだよ。そこまでお人好しではないんでね。
ヒントだけは教えてやった。自分の頭で考えな。
まあ、君は独善の塊のようなお人だから、人のアドバイスや忠告なんか聞く耳持たんだろうが(w
627 :
537 :2006/02/11(土) 03:14:44 ID:wv45JeuV
レヴィジョニストの“聖書”学にはとうてい同意できないが、 反キリスト教・反西洋中心主義・反ユダヤ教・反セム主義を突き詰めれば、 ああいう方向に向うのが自然の姿というもの。聖書学の現状を知らずとも、 回教徒としての臭覚が鋭敏ならば、聖書学における“護教”臭が那辺から 漂ってくるのか気付くはずなんだが。
>>607 主流派でしょうね、確かに。
野本先生よりも、亡くなられた左近淑先生の方が、保守的だったかも知れない。
左近先生は、「フォン・ラートだけでなく、オルブライトも読むべし」と、
神学生に言われた事があるそうです。
日本では、フォン・ラートというだけで「リベラルだ!」というレッテルが貼られてしまいそう。
>>626 親切に教えてあげても、無駄になるだけかと。
ただ、ROMしている人にとっては、とても参考になるでしょうね。
私は、聖書は専門ではないので、書き込みはできるだけ控えているのですが、
>>622 はひどいねえ。。。
いくらでもつっこめるけど、やめておきましょう。。。つまんないし。
629 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 10:27:23 ID:8sryG4FK
>>626 はいはい。大体わかったw...やはり俺が想像してた通りだw
630 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 10:37:34 ID:8sryG4FK
>>628 >
>>622 はひどいねえ。。。
>いくらでもつっこめるけど、やめておきましょう。。。つまんないし。
つまんないんじゃなくて、つっこんだらなさけなくなるんだろ
じぶんらの恥部を曝け出す事になりかねないし
631 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 11:03:12 ID:8sryG4FK
>>626 >これを一目見ただけで、先生が主流派に立っておられることは歴然としている。
>先生は五書研究について“伝承史”的アプローチを肯定し、ドイツ旧約聖書学の主流派を代表する
>学者の一人であるヴェルナー・シュミットに賛同されているが、レヴィジョニストの立場からは、
>ヴェルナー・シュミットの創世記解釈や五書研究の“伝承史”的アプローチなどといったものは
>とうてい受け容れられないんだよ。
お前等が受け入れられないんだろ...お前ら、固有名詞でその様態を
特定して、保守だ、何だと決めてそのアプローチはどうだと決める...
アホがする手法そのものだよ...わははははははははははははは
>どうせこれだけでは君には理解できないだろうが、君のその傲慢な態度に接すると、問題の所在を
>懇切丁寧に解説してやる気持ちも失せるというもんだよ。そこまでお人好しではないんでね。
>ヒントだけは教えてやった。自分の頭で考えな。
>まあ、君は独善の塊のようなお人だから、人のアドバイスや忠告なんか聞く耳持たんだろうが(w
お前の不満は自分で解決しなあかんよ...どうみても
自分から出た錆びだw...わはははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
632 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 11:10:53 ID:8sryG4FK
>>626 その論文の後半読んだ?野本先生はその様に聖書を解析してきた
と言う歴史経過を説明してるだけで、その論文の主要なところは
ぜんぜんヴェルナー・シュミットの論文を引用してないんだよ
現代ではヴェルナー・シュミットはかなり古典の部類に入るんでね
お前らの人の論文を読む能力がさらし者になってしまった
わははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
633 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 11:19:40 ID:8sryG4FK
ますますますますます僕は確信するに至った... >>626 >>537 の様な奴等は、聖書を研究してるのでは なくて、聖書研究をしてる大勢の人達が出す結論や結果が おおよそ気に入らないか不都合な為に、それを否定せんが為の 研究をしてるに過ぎないんだよ.......... それをタテシまくって、あたかも自らの立場が成り立ってるが 如く錯覚(自己陶酔)してる愚かな連中だよ
634 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 11:34:40 ID:8sryG4FK
>>626 >これを一目見ただけで、先生が主流派に立っておられることは歴然としている。
>先生は五書研究について“伝承史”的アプローチを肯定し、ドイツ旧約聖書学の主流派を代表する
>学者の一人であるヴェルナー・シュミットに賛同されているが、レヴィジョニストの立場からは、
>ヴェルナー・シュミットの創世記解釈や五書研究の“伝承史”的アプローチなどといったものは
>とうてい受け容れられないんだよ。
こういう幼稚な文章を作る人間は大体見当がつくよ、よく読んでみな
言ってる事が支離滅裂だろ、典型的な馬鹿教会の信者の文章だろ
だれが書いてるかあまりにも明白なんだけど.....断言するのは
やめとこ...万が一違ってるかもしれないので...わははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
今日は来客があるんで、布団を干しました。もう春だね〜。 雛人形をだし、そのあと桃と菜の花でも買ってきて飾ります。 なければ水仙にしよう。梅はまだかな。 いつも喜んでいなさいって聖書も教えてるんだから、せめて 頭の中だけでも、一年中春めいていたいと思うよね。
636 :
537 :2006/02/11(土) 12:00:16 ID:wv45JeuV
>>628 左近淑先生のほうが保守的だったというのはどうかな?
最近の旧約聖書学の関心の一つは新しい文芸学的アプローチについてなんだが、
左近先生は、この分野で先鞭をつけたJ・マイレンバーグにいち早く注目し、
W・リヒターの業績を日本に紹介した方だ。つまり、旧来の通時的アプローチの限界を
早くから訴えておられたのが左近淑先生だ。
>「フォン・ラートだけでなく、オルブライトも読むべし」
これは保守的ということではないと思う。
左近先生はフォン・ラートの『旧約聖書神学』を体系的過ぎて、実証的ではないと批判する。
その点、考古学者であるオールブライトのアプローチはまさに“実証的”なんだよ。
そしてその実証的考証が、旧約聖書学の世界で一時下火になった古代イスラエル宗教史に対する関心
を取り戻させ、オールブライトの『ヤハウェとカナンの神々』は古代イスラエル宗教史の研究の古典として、
現在でも高く評価されている。もちろんフォン・ラートの『旧約聖書神学』と同様、
オールブライトのこの著作にも、現在では受け入れ難い箇所は多くあるわけだが。
>>634 君こそ、ちゃんと読みなさい。
まあ、ホセア書を何十回読んだと嘯いた口で、ゴメルを“ゴルメ”と書いてしまう君だから、
期待するほうが無駄かな。
637 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 12:17:59 ID:8sryG4FK
>>636 わははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははは
馬鹿の文章を読んでると面白くてしょうがないw
636の一見まともな文章のようだけど、全く中身がないと
言うか、要するに中を全然読んでない奴が、何処かの評論を
コピーしただけの物だよ....こいつは評論をかき集めて
自分に都合のいい物を作り上げてる、典型的な馬鹿信者だよ
....
わははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
>>636 ご教示感謝。
私にはどうしても、左近先生が保守的な方だという印象が強いんです。
もうかなり前になりますが、先生がご健在だった頃(神学校の学長をなさるよりも前でした)、
某教会で、先生の説教を聞く機会が何度かあったのですが、
その説教の保守的なことと言ったら・・・そのまま福音派の集会で語られても良さそうな感じでした。
その印象が、とっても強いんですよ。
ただ、礼拝での説教と、神学校での講義とは、当然違ってくるでしょうね。
>ココモ氏
537氏を見抜けないあなたこそ、どうかしてるよ。
逆に聞くけど、あなたは537氏の書き込みに、罵詈雑言でなく、
きちんと反論できるかな?
それとも、いつもの罵詈雑言で逃げることしかできないかな?
639 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 12:47:53 ID:8sryG4FK
>>636 わははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははは
>君こそ、ちゃんと読みなさい。
>まあ、ホセア書を何十回読んだと嘯いた口で、ゴメルを“ゴルメ”と書いてしまう君だから、
>期待するほうが無駄かな。
お前らにおいしいネタを提供してやってるんだよ...それで
お前はホセア書を何回読んだんだ...多分一回も読んでないだろ
3行位読んで、妄想を捲るに都合の良い聖句が無いか...
毎日それの繰り返し、それが、お前らの信仰とやらぶち撒いてる
実体だよ...馬鹿信者の典型だよ....
わははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
このスレ開いたついでに、一言だけ書いておくとするか。
>>622 >この四つを、正式の福音書として公式の合法的文書に 認定します。
いわば主流各教会・妥協の結果です。
>むしろ、この聖書の多義性により、マルキオンの異端に対抗することが 出来る、というのが、
主流派エレナイオスの考えであったようです。
新約聖書に含まれる諸文書が、聖典として確認されたのは、397年のカルタゴ教会会議。
一方、エイレナイオス(固有名詞は間違わないように)は、2世紀中頃の人物。
それから、エイレナイオスが聖典と考えていたのは、四つの福音書を含め、17巻だけ。
一方、カルタゴ教会会議で承認された新約聖書の諸文書は27巻あるので、
(イエレナイオスの考えで「主流派各教会」が聖典としたというのは)ちょっとおかしいね。
さて、どんな罵詈雑言が返ってくるかな。。。
641 :
キュロス :2006/02/11(土) 12:59:57 ID:5a0tkyCY
聖書が キリスト教批判をする 良い手引きになる また またその際の 強力な武器になる と言うのは理解できる しかし その際に聖書を解釈するための 手引きとして 聖書学や考古学等の キリスト教系研究者の成果を利用する と言うのがわからない。 攻撃対象の集団と 同じ色眼鏡をかけていると 同じ色にしか見えないよ。 聖書を キリスト教攻撃の最良の武器として 用いる為の 色眼鏡は ユダヤ系思想 あるいは イスラム系思想だろうね。
642 :
キュロス :2006/02/11(土) 13:00:13 ID:5a0tkyCY
聖書が キリスト教批判をする 良い手引きになる また またその際の 強力な武器になる と言うのは理解できる しかし その際に聖書を解釈するための 手引きとして 聖書学や考古学等の キリスト教系研究者の成果を利用する と言うのがわからない。 攻撃対象の集団と 同じ色眼鏡をかけていると 同じ色にしか見えないよ。 聖書を キリスト教攻撃の最良の武器として 用いる為の 色眼鏡は ユダヤ系思想 あるいは イスラム系思想だろうね。
>>639 やっぱり罵詈雑言でしか返せないんだね。
さて、あなたがこき下ろしている537氏は、私の想像が当たっているなら、
537氏は、神学部で旧約学の講義をする実力をお持ちの方だよ。
今の若い牧師は、オルブライトなんて名前しか知らない思うんだが、
この方はきちんと押さえておられる。
ところで、
>>640 ちゃんと読んだ?一カ所訂正して欲しいのだけど。
644 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 13:10:42 ID:8sryG4FK
馬鹿相手にしててもしょうがないので、ROMの方の為に 今日のヨゼフスをしませう...ピラトウス 福音書ではイエスが十字架に掛けられたときに、ローマ帝国 の代官として審判をした人です。イエスとのかかわりは 福音書によってまちまちで、史実を説明できそうな物は ありません。福音書編者が作り上げたものだと思います。 ヨゼフスにはイエスとピラトウスのかかわりを示すものは 全くありません。時期的なものを言うと、イエスの少し後 だと思うが、大ほら吹き(ケジリム山...これを間違えると また馬鹿どもを喜ばすネタを提供するが...に行って モーセ所縁の宝物をみせてやると言ってる)の騒乱を事前に 鎮圧して、首謀者を処刑したのはいいが、その始末について いちゃもんがついて、ローマから呼び出しをくらうんですね ところがローマに戻ったら、呼び出した皇帝が息を引き取って まして、その事件についてはウヤムヤになってしまった そうです。 イエスの十字架はピラトウスにとって、数多く扱った事件の 一つに過ぎないんだと思います。事件の性質上、イエスを 殺したらヘロデが洗礼者ヨハネを処刑した時の様に後に 尾を引く事を杞憂したとは思います。福音書で民衆に 誰を助命するか訪ねたのは、イエスを殺しても民衆が 騒がない事を確認したんでしょう...
645 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 13:20:34 ID:8sryG4FK
しかし、なんといっても、一番影響したのは、当時ユダヤ教で正典化 されていたヘブライ語・旧約聖書のあり方でした。律法、預言書、知恵の書 と、多種多様な文書を、幅広く豊かに保存している旧約聖書の状況は、 新約聖書の正典化の考え方のモデルであり、マキオン派の限定した狭い 範囲での正典化を弾劾する理由になったことでしょう。 そして、福音書以外の使徒書も、難解なパウロ書簡に限定することなく、 権威ある使徒の名による文書を選び、やがて新約聖書27文書が確定します。 以上のように、新約聖書は、異端対策のために正典化されたのであり、権威 ある神聖な文書であることが選択基準だったのです。 信仰教育のテキストとして読まれるためではなかったのです(今も、聖書 なしで信仰教育は可能です。引用して、教説を権威づけるために聖書は 必要ですが)。 そういう事なんでしょうね...要するに中身うんぬんではなくて いかにもそれらしい聖句がたくさん詰ってれば良いと言う事ざんす。 それで聖職者がいかにもそれらしく権威付けできれば良いんだよ 今もその伝統がしっかり受け継がれてるという事でしょ
もうやめようと思ったけど。
>>644 >しかし、なんといっても、一番影響したのは、当時ユダヤ教で正典化
されていたヘブライ語・旧約聖書のあり方でした。
イエスが処刑されたのは、ピラトがユダヤの総督であった、26年頃から36年頃。
だから、どんなに遅くても、36年。
一方、ユダヤ教の聖典化は、90年頃と118年頃に、二度開催された、ヤムニヤ会議。
批判するのはいいけど、正確にお願いしますね。
647 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 14:18:33 ID:8sryG4FK
>>646 あのねぇ...644と645は全く別のシリーズなんざんす
お前の頭の中ではごっちゃになってるだろうけど
648 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/11(土) 14:31:09 ID:8sryG4FK
>>645 の補足
新約聖書の成立の謎...これを入れなかったから誤解を招いた
んざんすね...
「しかし、なんといっても、一番影響したのは、当時ユダヤ教で正典化
されていたヘブライ語・旧約聖書のあり方でした。....」
はある人の論文をピックアップしたものや...
649 :
(−−) ◆xJ2IloU.N. :2006/02/11(土) 14:36:17 ID:XXasV1OZ
>>636 「オールブライト」「ヤハウェとカナンの神々」でググったのですが
ヒットしませんでした。まだ日本語訳されてないのでしょうか。
651 :
キュロス :2006/02/11(土) 22:33:10 ID:qd3HINnb
652 :
キュロス :2006/02/11(土) 22:36:08 ID:qd3HINnb
>>650 古代パレスティナの宗教
ヤハウェとカナァンの神々
W.F.オールブライト:著 小野寺 幸也:訳
A5判 並製 384ページ 5,460円税込
ISBN4-8184-5021-9 C3016 2005-02
古代パレスティナの混沌とした多神教世界の中から、
いかにしてヤハウェの唯一神教が誕生し発展してい
ったのか。本書は、この展開の過程を、考古学的・
歴史学的・言語学的に明らかにした名著。
日本キリスト教団出版局
653 :
650 :2006/02/11(土) 23:09:56 ID:7kavf3B3
654 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/12(日) 00:50:55 ID:17zAXgmj
>>649 >それは一体誰よ??
お前らに固有名詞を教えたら、それであーだ・こーだ
言うから止めとくよ...クリスチャンが文章の中身
に対して批判するのでなければ、何れ馬鹿教会は崩壊するよ
655 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/12(日) 00:56:40 ID:17zAXgmj
>>652 >古代パレスティナの混沌とした多神教世界の中から、
>いかにしてヤハウェの唯一神教が誕生し発展してい
>ったのか。本書は、この展開の過程を、考古学的・
>歴史学的・言語学的に明らかにした名著。
こいつも中身読んでないだろ...パレスチナと言う
言葉は比較的近代...と言ってもかなり古代ですが
少なくともカァナン神話や多神教を扱ってる時代には
ない言葉だよ...わはははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははは
クリスチャンはこのてのチンケな解説のオンパレード
ざんす
656 :
537 :2006/02/12(日) 02:45:17 ID:gZ15sB3F
>>638 貴重な体験談、多謝。
どういうところを保守的と感じたのか教えて頂けると、ありがたいのですが。
>>655 いや、“聖書”考古学か“パレスチナ”考古学かという議論があるんだよ。
興味があれば、A・マザール『聖書の世界の考古学』(リトン)21-22pを読んでくれ。
だから、“古代イスラエル”史でなく、“古代パレスチナ”史といった問題意識も
存在するのだ(Gosta W.Ahlstrom,The History of Ancient Palestine,p.52)
ちなみにオールブライトの原題はYAHWEH AND THE GODS OF CANAANであって、
『古代パレスティナの宗教』という題名は訳者である小野寺先生が
“日本人の読者に本書の内容を的確かつ端的に伝えるために”変えたものだ。
657 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/12(日) 12:04:18 ID:TG8b0xVE
>>656 はいはい...そんなくだらない論議はおまえらがしてるだけだよ
おまえらの好きな資料だw....わはははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
パレスチナ...「ペリシテ人の土地」って訳したら良いのかな?
もっとまともな資料勉強しな...わはははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
658 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/12(日) 12:12:04 ID:TG8b0xVE
>>656 お前らなんだかんだ並べまくっても、中身を全く読んでないのは
明白で、評論しか読んでないんだから、判る人から見たら馬鹿どもの
社交界に過ぎん...わははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
659 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/02/12(日) 16:12:53 ID:duI7HciK
古い雛人形をはじめ、クリスタルの人形、米粒ほどの人形、市松人形等 たくさんの人形を飾りそれを見てマタ〜リしています。 キリスト者で「雛人形はあかん。」と言う人いるらしいけど、わたしは何故 なのか理由がわかんないのですよ。十戒にあると聞いたんだけど、 そりゃちょっと乱暴だわよね。 むしろ、雛人形って両親、親戚、その他関わりのある人がその女の子の 存在を喜んでプレゼントしてくれる物なんだから感謝してもらった方が 良いと思うんですね。 なんかスレ違いかしらん?
660 :
暇人 :2006/02/12(日) 16:17:47 ID:EWKjyUTE
見ない間に ココモクンは 笑い上戸になっちゃったみたいだね
>>ココモ〜 最近ツッコミどころを見誤ってないか? キレのいいカキコよりキレちゃった人カキコになってるぞ。
662 :
キュロス :2006/02/12(日) 16:41:12 ID:iL1Av68i
そうなんだね 彼は以前ヤムニア会議 このとで 叩かれているんだよね。それを忘れて 罵倒しか できないのは 相当に動揺しているんだろうね。 かなり学識・知識コンプレックスが有るのだろうね。
663 :
キュロス :2006/02/12(日) 17:53:53 ID:iL1Av68i
アモスは北イスラエル王国で ホセアより前の時代に活躍した 預言者である らしい。 ごちゃごちゃ五月蝿いのがいるから 時代背景を簡単にふれると アモスが活躍したのは 前765年〜前755年ぐらいの時期らしい。 北王国が経済的に繁栄していたヤブサロムU世の晩年だった らしい。 当時の北イスラエル王国は アッシリヤやシリアの弱体に乗じて ハマテとダマスカスを侵攻して北方に領土を広げ また ユダにも 侵入して南方のも領土を広げていた。 1章1節〜2節 と 9章7節以下は後世の加筆だと言われている らしい。
664 :
キュロス :2006/02/12(日) 19:04:36 ID:7JsByish
アモス >4:12 それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。 >わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたは >あなたの神に会う備えをせよ。 >4:13 見よ。山々を造り、風を造り出し、人にその思いが何であ >るかを告げ、暁と暗やみを造り、地の高い所を歩まれる方、その >名は万軍の神、主。 「イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」 この記述を 一般的に これまでに述べられた災難よりも もっと厳しい罰を預言していると 解釈されている らしい。 一般的解釈だと 「備える」は 「災難に備える」を、 「出会う」は 「災難を目指して進む」を 意味する。 ヘブライ語の リクラート(出会う)は 聖書的用法では 到達したばかりの人を出迎えに行く 或いは 戦場で敵と対決する のいずれかを意味する らしい。 けっして 災難に備える とか 敗北を覚悟する を意味していない らしい。 この箇所を 「イスラエルは 神を求める事が出来なかった そこで 神のほうからイスラエルと出会う為に 出ていこうと される ことを意味する」と解釈できる らしい。
665 :
キュロス :2006/02/12(日) 23:03:15 ID:8zsXzqOK
列王記下12章は 基層 契約神学的改訂 祭司的改訂 前歴代誌的改訂 及びその他の加筆の 五層に分ける事が出来るらしい。
666 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/13(月) 01:16:54 ID:MggvvIMG
>>663 >>664 それでアモスもちょっと読みザンスね...例の50回読みは
何処かの馬鹿聖職者が得意げに言ってた事だよ...でお前は
読んだのかって聞いたらやってないっていってたよ.....
これがお前等の実体だよ....人に***せいと言って自分で
全く検証してないから、実際に馬鹿正直に実践した人間からは
詐欺師呼ばわりされる...わはははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
アモスでもホセヤでもイザヤでもマタイ福音書でも良いよ
その一行のピックアップでくだらない妄想が知能程度の低さを
晒してる馬鹿丸出しだって言ってるんだよ...
667 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/13(月) 01:34:26 ID:MggvvIMG
>>663 >>664 お前が表向きあまり好きではないかもしれないけど実は
興味津々のところを教えてやるw
イザヤ書の前にな雅歌というのがあるから、マジに
50回読みをやってみな..わははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははは
アモスなんか読んでもお前の興味...そんな事どうでも
いいんだろ...ヘブライ語で******...で幼稚な
妄想を書いたら....あららららこの人はヘブライ語
を研究してると思う馬鹿信者が要るっていう事だろ..
668 :
名無しさん@3周年 :2006/02/13(月) 08:46:32 ID:hZLBwqSK
666は君が踏むと思ってたよ。W
>>656 左近先生の説教についての私の印象なんですが、
聖書の言葉の全部を「神の言葉」として受け取った上でのメッセージ、と言う感じでしたね。
もっとも、私もその頃若かったし、生意気盛りでしたから、
受け取り方が違っているのかも知れませんが。
若い牧師の中には、説教の中で平気で「第二イザヤ」などという先生がいる中、
左近先生は、聖書そのものが語る神のメッセージを、伝えてくださいました。
・・・少なくとも、私にはそのように伝わりましたね。
670 :
キュロス :2006/02/13(月) 19:41:02 ID:YrWI9/83
>>665 は 列王記下11章の間違いね。
列王記 新改訳
>11:17 エホヤダは、主と王と民との間で、主の民となるという契約を
>結び、王と民との間でも契約を結んだ。
まず 解りやすいところから この箇所は 2つの重複する契約が
記述されている。これは 歴代誌下23章16説 及び いくつかの
LXX列王記 写本にも記述が無いことから 写本時の重複筆写
されたという説もある らしい。
671 :
キュロス :2006/02/13(月) 20:49:07 ID:Km+LPDHc
>>670 しかし この二つの契約は辻褄が合う らしい。
つまり 最初の契約が 神とすべての民(王と民)との基本的な
契約であり つぎの契約は 民の上に立つ 王と民 との契約な
のです。
つまり 神と王を含むすべての民の契約によって 地上の王国 自体が
「神の民」となる。これは 申命記史家の 信条らしい。
672 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/14(火) 01:37:28 ID:ihMu4paH
>>606 >人間が 何事であれ 他の人に対してする事 しない事は 同時に
>それは 神に対して 行っているのだと思うよ。
いいこと言うねキュロスさん。その通りだ。
そして自分が他人に対して行なうこと、行なったことはその実、
自分自身に対して行なっているんだ。当然それらの報いは、その人自身が受けることになる。
自他を別けて成り立つ、この世に生きる我らには、理解しがたい事なんだけどね。
山上の垂訓は、なにも道徳の話しをしているんじゃない。
イエスは真理を語っている。
673 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/14(火) 02:16:22 ID:ihMu4paH
>「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、 >そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 >また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 >高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。 ここをみていつも思うんだが、そりゃ聖書には、政治的な意図、また、復活の記事を代表する布教の為の方便の為 の編集はされている箇所はあるだろう。だが、そんなことより、イエスの残した言葉、彼の教えとはなんだったのか、 彼の言う真理とはなんだったのか?そのことの方がはるかに興味深く、重要なのに、 どうして下らない、イエスの教えを理解していないであろう後世のキリスト教徒達が手を加えたであろう聖書の箇所、 政治的に意図された部分ばかりクローズアップして、その部分ばかり一生懸命研究しているんだろう? あのさくらとか言う人もそうだ。あの人、仏教にも詳しいようだが、仏教(原始佛教)に触れてるのになぜ、イエスの言う永遠の命を理解しないんだろう? 文献などで、隠されたメッセージに気付く事は出来る。それは聖書だけでは気付くことは難しいとは思うが、それに気付けば、 それが本当にあるのか捜さずにはいられないはずだ。少なくとも俺はそうだった。 門を叩け。捜せ。求めよ。求める者は与えられ、捜す者は見出し、門を叩く者は開かれる。 どうもイエスは、自分の教え、真理を直球で教えているのは 自分の直弟子だけで(それも一部だけかもしれない)他のものには例えでしか話していない。 おそらく、他の大衆などに直球で話しても理解されず、理解しようともしないと言う事を良く知っていたからだろう。 時が来れば皆が理解する事になる。イエスから直球で真理を明かされた弟子達も、そのことは良く知っていたのだろう。
674 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/14(火) 02:20:19 ID:ihMu4paH
トマスの福音は、イエスの生の声、教えを、比較的忠実に残されてる書物だ。 それは間違いない。あれには真理が語られている。あそこに書かれているたとえの意味を見出す者は少ないと思うけどね。 聖書を一生懸命聖書を研究している人もいるようだが、下らない、真理を知らないであろう後世の者達の 自分達の政治的な意図のため編集したであろう箇所ばかり注目して、下らない研究に時間をついやするくせに、 なぜ、イエスの教えとは何かを理解しようとしないんだろう? なぜ聖書などに隠されているメッセージに気付かないんだろう?それに気付いたら、捜さずにいられない、たいへんなことが書かれているのに。
愛
676 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/02/15(水) 21:13:40 ID:okGI+OyF
愛と言えばわたしは、やっぱヨハネ福音書3;16だわね。 神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。 それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、 永遠の命を得るためである。 信じるにもいろいろ解釈があると思うけど、とにかく信じることが できれば滅びないと神は約束してくれている。磔になった強盗 だってパラダイスに連れて行ってくれるもんね。
>>674 トマス伝に書いてあることはダンマパダやスッタニパータに書いてあることと
共通しているのですか。
678 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/16(木) 00:00:47 ID:454G18K1
>>677 いや、というより、仏陀の教えをある程度理解している者なら、
トマスの福音の意味を読み解くのも、さほど時間はかからないだろう。
むしろイエスの教えではなく、今の教会の教えしか知らないクリスチャンには
いくら読んでも理解できないだろう。無論、仏陀の教えではなく、
仏教を元にできた、新興宗教の仏教の教えしか知らない者も、読み解くことは出来ないだろう。
今の教会の教えで、イエスの教えを理解する事は困難だ。
カトリックの頂点にいる、教皇すら、真理を知らないだろう。
ただ信仰のみによって自分達はすでに救われているなどとのたまい、行いは、ないがしろに、
己のエゴをそのままにしている、一部プロテスタントの連中は絶望的だ。
彼らは真理からもっとも遠いところにいる。なにが救われているものか。
イエスを信じるのなら、彼の掟を守らなければいけない。それが本当の信仰だ。
彼の掟を守る者だけが永遠の命を得る。それは自分の罪ゆえ、この世に生れ落ちる我々には
とても難しいことだけどね。
今の教会の信者は、イエスの教えではなく、後世の者達が作った、人間の教えを信じている。
679 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/16(木) 00:07:00 ID:454G18K1
釈迦と、イエスの言葉。 これは、某、禅スレにも書いたんだが、どうも連中にはぴんとこなかったようだ。 連中の悟りは「無」だからな(苦笑)連中自分達は佛教だと思っているようだが、禅は佛教ではない。 仏陀の教えとは違う。前置きが長くなった。それでは書こう。 イエスは例え話をされた。 ある金持ちの畑が、豊作だった。そこで男はどうしよう、穀物を入れておく場所が無い。と考え、そして言った。 そうだ今の蔵を、壊してもっと大きいものを建て、そこで穀物と、財産を全部入れよう。 そして自分に言ってやるのだ。お前には、この先何年分もの蓄えがある。気楽に食べ、飲み、楽しめ。と。 だが神は彼に言われた。愚か者め。今夜お前の命は召し上げられる。それなら、お前の蓄えたものは、 いったい誰のものになるのか。と。自分の為に富を蓄えるものは、このように、神の前では豊かではない。〜ルカ 仏陀は言った。 この子供達と、財産は私のものだ。と考えて、愚かな者は悩む。 しかし、自分さえ自分のものでないというのに、自分の子供達と財産とは一体どういうことか。 まことに、幾百幾千物富を蓄えようと、死の呪いに屈するのが、人の定め。蓄えはつき、 高い身分は地に落ち、出会ったものは別れ、生はついに死に至る。〜ウダーナルヴァルガ イエスは言った 完全になりたければ、行ってあなたの持ち物を売り、その金を貧しい者に分け与えなさい。 そうすれば、天に富を積む事になる。〜マタイ 仏陀は言った。 貧欲な者は天界に行かず、愚かな者は分かち合うことを喜ばない。 しかし賢明な者は喜んで分かち合い、それによって、来世は、幸せになる〜ダンマパダ
680 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/16(木) 00:07:48 ID:BZez3O8c
>>677 共通してる部分もあると思いますし、トマス独自の物もあります。
僕の翻訳文が
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html にあります。底本は
@The Gospel of Thomas Hidden
Sayings of Jeasus.
New Translation.with Introduction
Critical Edition of the Coptic Text.& Notes
by B.Meyer in New York 1992
Aトマスによる福音書 荒井 献 講談社学術文庫
にありますので、御貴殿ご自身で判断してください。
僕は宗教屋ではありませんので、翻訳に関して恣意的な誤訳は
してないと思いますが、当時の独特な言い回しなどは、現代に
通用しにくい言葉もあり、できるだけ現代に通用する様に
言い換えてます(例えば「救い主」−>「主」など)
イエスの生の声だなどと馬鹿な事を言ってるものもいますが
イエスの生の声などが載ってる聖書はありません、それが
知りたかったら、Q資料を読んだ方がイエスの生の声に
近いと思います。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qtxt.html
681 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/16(木) 00:07:54 ID:454G18K1
イエスは言った。 どんな奴隷も、二人の主人に仕えることは出来ない。一人を憎んで、もう一人を愛するか、 一人に尽くして、もう一人をおざなりにするからである。あなた方は、神と、富に使えることはできない。〜ルカ 仏陀は言った。 一方は富への道。もう一方は涅槃への道。仏の教えに従う者は、真理を知り、栄誉を惜しまず、無心の境地を 養いなさい。〜ダンマパダ 人々はイエスに言った。 先生、この女は、姦通の現場を取り押さえられました。モーセの律法では、このような女は 石打の刑にしなければいけません。あなたはどうお考えになりますか。 イエスは人々に言われた。あなた方の中で、罪のないものからこの女に石を投げなさい。 そういうと、年長の者から手に持った石を地面に放り投げ、その場をはなれていった。〜ヨハネ 仏陀は言った。 他人の欠点を見たり、他人がなにをし、なにをしたかを問題にすべきではない。 自分自身がなにをし、なにをしなかったかを掴みなさい。〜ダンマパダ イエスは言った。 あなた方は真理を知るだろう。そして真理はあなた方を自由にする。〜ヨハネ 仏陀は言った。 真理に基づいて行動する人は、この世でも、あの世でも幸せになれる。〜ダンマパダ
682 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/16(木) 00:09:32 ID:454G18K1
イエスは言った 心の清らかな人は幸いである。彼らは神をみる。〜マタイ 仏陀は言った。 思いやりの瞑想にふけるものは、ブラフマー神を自分の目で見ることが出来。 向かい合って言葉を交わし、助言を求める事が出来る。〜ディーガ・ニカーヤ イエスは言った。 天の御国とは、畑に隠された財宝のようなものである。見つけた人はたとえ無一文になろうと 喜んで自分の全ての持ち物を売り行き、その畑を買う〜マタイ 仏陀は言った。 目先の喜びを捨てて、大いなる幸福を見えるのであれば、賢明な人は、目先の幸福を追うのをやめ、 大いなる幸福を求める。〜ダンマパダ イエスは言った。 天地は滅びる。〜マルコ 仏陀は言った。 この大地は燃え尽き、跡形もなくなる。〜アングッタラにカーヤ
683 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/16(木) 00:16:13 ID:454G18K1
群集は答えた。 律法によれば、メシアは永遠に生き続けると私達は聞いていました。〜ヨハネ 仏陀の弟子は言った 力に至る四つの道を切り開く者は、必ず永劫に生きる事が出来る。仏陀はその力に到達された。 だから必ず永劫に生きられるだろう。〜ディーガ・ニカーヤ イエスは言った 人にしてもらいたいことは、なんでも人にしてやれ〜ルカ そして仏陀は言う。 人を、自分自身のように思いなさい。〜ダンマパダ 皆、本当の自分。自分自身を忘れてしまっている。 そして、大いなる自性。神を忘れてしまっている。復活とは、本来の自己に戻ると言う事だ。 自分自身を知るものは、知られるのだ。永遠の命は、いつも自分の側にある。切っても切れないもの。 これはゲームだよ。本気で探し、求める者には、与えてくださるだろう。
684 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/16(木) 00:23:38 ID:BZez3O8c
救い主で思い出した...マリア福音書もそうなんだけど 「救い主」はどうも特別な意味が薄くて、イエスを呼ぶときの 総称(あだ名)みたいなものじゃないかと思ったんだw... 翻訳の難しさで、直訳すると「救い主」でも文章から言うと 「主」と訳したほうが良い場合もあるんだw...キリスト 教団は何が何でも「救い主」でなければアカンらしいけど... 聖句を解説するときに「救い主」と言う言葉が大事なんだ そうで...馬鹿臭いけど..言葉のマイコンだそうです。 ところで何処の馬鹿か知らないけど、俺の訳したトマス 福音書を読んで真理だって言ってる奴がいるよ... 大笑いしたろ...わははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははは
685 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/16(木) 00:26:09 ID:454G18K1
>>680 >イエスの生の声だなどと馬鹿な事を言ってるものもいますが
トマスとは、イエスと双子の兄弟という意味もあるそうだ。
あんた、肉のイエスが話した言葉だけが、イエスの言葉だと思うのか?
肉の姿をしたのがイエスだと思うのか?
復活した後、弟子の前に肉の姿で現れたイエスは何者だと思う?
あんたは、聖書の言うところの隣人の意味も理解していない。
あんたには双子の兄弟の意味がわからんだろうな。
686 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/16(木) 00:27:09 ID:BZez3O8c
何処かのキリスト教会が訳したトマス福音書を読んだら おもしれーよ...どうせ臭いトマス伝になってると思うけど
687 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/16(木) 00:35:30 ID:454G18K1
>>684 おまえは本当に馬鹿だな。
何年聖書を研究してるんだよ。
イエスは救い主でいいんだよ。
今の教会が教える、我々の身代わりになって十字架に貼り付けられたというのは違うがな。
それとさ、あんたのHPのトマスは、コピペする時に便利に使わせてもらってるが、
トマスをはじめて読んだのは、荒井 献のやつな。
あとナグハマディ文書。あそこの一部、説教、書簡。福音書などの内容は、非常に佛教的だ。
そもそもあんたは、翻訳しただけで、あの文書の原文を書いたわけでもないのに、なにを言ってるんだか。
だからあんたは馬鹿だと言ってるんだよ。
688 :
キュロス :2006/02/16(木) 22:07:07 ID:YKWvGOnS
>>670 列王記11章は アルタヤの殺害の記事が 16節と20節に2回記述
されている事から 1節〜12節・18節b〜20節の 祭司の伝承と
通俗伝承の 13節〜18節a の部分に分けられる らしい。
これらの二つの箇所では アルタヤ のヘブライ語の綴りが
違っている。
また 1節〜4節でも アルタヤ の綴りが違っている ので
この1節〜4節 の中でも分けられるらしい。
689 :
656 :2006/02/17(金) 10:51:53 ID:7AoWpi4S
>>669 前にも書きましたが、左近先生が関心を持たれた分野のひとつに聖書の文芸学的アプローチがあります。
聖書の歴史批評的アプローチは聖書を専門家の独占物にしてしまうとの反省から、先生は説教において
聖書の文芸学的アプローチの重要性を強調されます。“第二イザヤ”というのはまさに聖書を歴史批評的に
分析した結果の仮説ですので、先生は説教において“第二イザヤ”に触れなかったのではないでしょうか?
聖書の文芸学的アプローチは最近の聖書学における関心分野のひとつです。どういうものであるかについては
『現代聖書講座 第二巻』(日本基督教団出版局)を参照して下さい。旧約聖書の場合と新約聖書の場合と分けて
解説されていますが、新約聖書の文芸学的アプローチの解説(太田修司執筆)のほうにはマルコ福音書を題材に
物語批評の適用の実際例が載せられているので、旧約聖書のほうの解説よりもわかり易いはずです。
なお、左近説の理解を深めるならば、先生の『旧約の学び 上・下』(日本基督教団出版局)が良いです。
690 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/18(土) 01:10:57 ID:AVm+JcGR
>>689 聖書は文学でっか
雅歌7/8−9
あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。
なつめやしの木に登り、甘い実の房をつかんでみたい。
わたしの願いは、ぶどうの房のようなあなたの乳房
りんごの香りのようなあなたの息
僕にはセクハラにしか思えないけど...わはははははは
はははははははははははははははははははははははははは
逃げ場を失ってる神学者がたむろする分野ですか?
エロいと文学にならないのかw
692 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/18(土) 01:18:47 ID:AVm+JcGR
>>689 僕は聖書学が進歩しすぎて、昔流の神学者の居場所が
無いんだと思いますよ...それで能力のある人達は
馬鹿を相手にする気も起こらないし、聖書学を研究する
気力も沸かない...大変そうだし...能力のある人は
文学をやるもよし、宗教音楽をやるもよし...本業に
嫌気をさしてるという事だろ...そのくらい旧来の宗教屋
のドグマと聖書学に格差が付いてしまったという事ですよ
...わはははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははは
693 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/18(土) 01:33:05 ID:AVm+JcGR
>>692 聖書に素晴らしいことばがありますよ...
古い酒袋に新しいワインを詰めるなって、価値観が無茶苦茶
変わってしまったら、古いワインは置き場がなくなるんですよ
蒸気機関車は何ぼ頑張っても朝夕の通勤・通学には使えないん
すね...でもそういう懐古的なものも観光には使えるよ
キリスト教と言う博物館を作ったら良いと思うし、人類は
こんな物をマジに信じていたと言う教育資料館みたいな物を
造りたいザンスね...わはははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
694 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/18(土) 01:45:46 ID:AVm+JcGR
>>689 例によって、文学的価値を持つところをピックアップして
文学論を論じてるだけだよ...逃げ場がなくて能力の
ある人がそうやって人生を費やすケースでんな...わははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
695 :
名無しさん@3周年 :2006/02/18(土) 18:05:20 ID:mMG6h7UU
雅歌が旧約聖書に加えられた経緯
696 :
名無しさん@3周年 :2006/02/18(土) 18:26:24 ID:mMG6h7UU
わ は は は は !! 彡 ⌒ ミ カタ ( `へ´) < 今日も聖書を骨抜きにするぞ! カ.タ__| ̄ ̄ ̄‖)__ / | FMV ‖/ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | . ココモ聖書研究室. |/
697 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/19(日) 02:18:44 ID:EfHuH8oq
>>693 >聖書に素晴らしいことばがありますよ...
>古い酒袋に新しいワインを詰めるなって、価値観が無茶苦茶
>変わってしまったら、古いワインは置き場がなくなるんですよ
酔った勢いで間違えた...つまり古い皮袋がキリスト教会
新しいワインが聖書学...そういう事でんな...教会を
護教しようとして聖書学の成果を利用しようとすると局面的には
辻褄が合うけど、すぐ理屈が破綻しますな...そんな場面を
サンザン見てマッセ...
第2イザヤは時期的にずれた物が2つ合わせて造られた
ものです。つまり一般的に40章から55章と言われてる
第2イザヤはこの中にカッティングが存在します。
まあ何回か読めば判りますよ。
それと詩篇の何処とは言いませんが、第2イザヤと交絡が
あります。それから第1イザヤとされてる部分の特に27章
以降は第2イザヤの編者が作ったものです。別に難しい
研究をした訳じゃないんですね...何回か読んでると
どうもそういうことだろうというものが判って来るんだよ
...それを研究者が裏付けてくれるだけなんだな...
殆ど読んでないキリスト教徒にとってはいつまでたっても
仮説だろうし、仮説じゃないとキリスト教会の立場が
まずいんだろうね.....
わはははははははははははははははははははははははは
俺みたいな異教徒のヤクザがこうやでっていう事自体が
不愉快なんだろね...何処かのキリスト教会は
ますます骨抜きになりますね...わはははははははは
ははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははは
698 :
689 :2006/02/19(日) 15:04:36 ID:/Fj11LXP
>>697 一口に“第二イザヤ”といっても、編集史上の複雑な議論があるし、預言から黙示への過渡期の作品として
思想上の位置づけの議論も絡んで、イザヤ書の一部を“第二イザヤ”として扱うのはそう単純な話ではないよ。
だからといって誤解してもらっては困るが、“第二イザヤ”の存在を否定しているわけではないからね。
それと聖書の文芸学的アプローチの起こりには確かに聖書の歴史批評的アプローチの限界といった問題意識が
背景にあったわけだが、左近先生は当たり前だが、聖書の歴史批評的アプローチを否定しているわけではない。
それに聖書の文芸学的アプローチは“護教”とは関係ないから・・・。
>俺みたいな異教徒のヤクザがこうやでっていう事自体が
>不愉快なんだろね
不愉快というより、あなたの聖書の読み方には余裕が感じられなくて、気の毒というのが感想かな?
色々な聖書の読み方があってもかまわないというのが聖書学の面白さのはずなのに、あなたの場合、ものすごく
排他的な読み方に凝り固まっていて、あなた自身が教会のドグマにおかされた人達とそっくりでは?といったら、
怒るかな。教会を攻撃しているうちに、ミイラ取りがミイラになってしまったのでは?もう少し頭を柔らかくしたら?
ドグマどっぷりのとこ行っているれど、 頭でっかち、聖書より教理と、誤解され 冷たいと、曲解されてしまう。 ボソっと独り言。
700 :
sage :2006/02/19(日) 22:04:40 ID:zZozHeRj
創世記 新改訳 >8:1a 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、 >すべての家畜とを心に留めておられた。 ノアの洪水の話しは この個所を挟んで 交差配列(キアスム)に なっている と言う話しは有名だけど まあ一応確認しておくと A 箱舟に 乗りなさいとの命令(7:1-3) B 洪水までの7日間の待機に関する2つの注記(7:4-10) C 箱舟乗船(7:11-15) D 神はノアを閉じ込める(7:15) E 洪水の始まり 山が水没(7:17-24) F 神がノアを思いおこす(8:1a) E’洪水がひき始め 山々の頂きが姿をあらわす。(8:1b-6a) D’ノアが 箱舟の窓を開ける。(8:6b) C’箱舟から 烏と鳩を放す(8:7-9) B’洪水の水がひき 大地が乾くまでの7日間についての2度の注記 A’箱舟を 出るようにとの命令(8:15-17)
701 :
キュロス :2006/02/19(日) 22:18:51 ID:zZozHeRj
>>700 さて マタイ福音書の イエス誕生物語と 受難物語が
交差配列に なっているような気がするんだよ。
この仮説を 思いついたのは
4章1節〜11節の 誘惑物語 と 26章36節〜45節の ゲッセマネの祈り
とが 交差配列 になっているように気がしたからなんだ。
しかし 読み直したら この仮説は どうも違うような気がする。
でも マタイの誘惑物語は 受難物語の 重要な複線 になっている
ような 気がする。
702 :
キュロス :2006/02/19(日) 22:27:18 ID:zZozHeRj
ファンダメンタリストは 全ての探究的問いは解決済み だと主張する らしい。 また 理論実証主義者は 全ての探究的問いは無意味だと 主張する らしい。 まあ ココモ博士は 前者なんだろうね 彼の主張に 不快感を覚えるのは 「わはははははははは」 の連続にではなく その主張が 頑迷なファンダメンタリスト的で カルト臭があるからなんだね。
703 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/20(月) 02:36:32 ID:29EfajmQ
>>698 >不愉快というより、あなたの聖書の読み方には余裕が感じられなくて、
>気の毒というのが感想かな?
>色々な聖書の読み方があってもかまわないというのが聖書学の面白さのはずなのに、あなたの場合、ものすごく
>排他的な読み方に凝り固まっていて、あなた自身が教会のドグマにおかされた人達とそっくりでは?といったら、
>怒るかな。教会を攻撃しているうちに、ミイラ取りがミイラになってしまったのでは?もう少し頭を柔らかくしたら
それは僕があなた方に常に感じてる事なんですね...あなたが第2イザヤ
を何回読んだか知らないけど、何回か読んだ人は第2イザヤを編集した
人達のインテリジェンスはある程度想像できるんですね..そんな話は
あなた方には殆ど通用しないでしょ..非常にレベルの高い人達ですよ
それが第3イザヤに引き継がれてるんですよ...
わははははははははははははははははははははははははははははははは
読んでも判らない...悲しいですね
聖書が読めない....悲しいですね
僕は聖書くらいは読んで立て板に水の如く読める様になりたいと
思っただけよ....わははははははははははははははははははははは
馬鹿が何を言おうがかまわないけどね...........
僕は自分が納得する読み方をしますよ..わははははははははははは
それで商売がやりにくくなった人がいても俺はしらねぇよ....
704 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/20(月) 02:45:24 ID:29EfajmQ
>>698 お前は自分の立場を示してしまってるよ
僕は所詮異教徒だよ...余裕を感じ取れないのはお前が余裕が
ないんだよ
>>689 いろいろとご教示下さり、ありがとうございます。
そういえば、左近先生の口から「枠構造」という言葉をお聞きしたことを、思い出しました。
これなども、文学的アプローチですよね。
聖書学の素人が、信仰の書物として聖書を読む場合には、
この文学的アプローチは大変分かりやすいですし、何よりも信仰の養いとなる読み方ができると思います。
そういう意味では、左近先生の説教は、模範的な牧会者の説教だったように思います。
私は、先生からうかがった「救いを見よ(出エジプト記14章)」という説教が、大変心に残っています。
出エジプト記の釈義的なこと、神学的なことは、よくは知りませんけれども、
「聖書の神は、このようなお方なのだ」ということが、よく分かる説教でした。
先生の説教集に所蔵の説教ですが、文字では伝わらない迫力がありました。
といっても、福音派の様な「絶叫系」の口調ではなく、
静かなのだけども、力強く魂に響いてくる言葉、とでも言いましょうか。
200名近い会衆が、水を打ったように静まりかえって聞いていたことを思い出します。
706 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/02/20(月) 08:41:55 ID:VgvPxDHC
707 :
(−−) ◆xJ2IloU.N. :2006/02/20(月) 09:16:10 ID:KkXDEUgI
>>706 すまん。そん時の正直な印象だったもんで。
その頃知ってた福音派って、スーパーホーリネス極右系教会か
単立ペンテコステ系信徒も一緒にウルトラシャウトバージョンの教会しか無かったんでね。
今なら、もう少し違う印象を持つかも知れないんだけど。
とにかく、お久。
708 :
いちじくの木 :2006/02/20(月) 12:49:53 ID:+StJoGx/
イエスの教えは何かと問われて、キリスト教徒は「愛」と答えるが、本当に、 解っているんだろうか? 大抵のやつは、とどのつまり、SEXすることとでも答えるのだろうが、、、 「愛」とは、真理を行うことだよ。 では、「真理」とは何か? どんな場合でも、正しいことだよな。 なんもわかってないもんなw
>708 キリストとセックスしようとは普通思わないよね。 「愛」とは「真理」を行うこと? そんなの神様にしか無理だよw わたしは「教え」は何かと聞かれたら 「いろいろあるけど、自分が好きなのは『(好きな聖句)』」 くらいにしか答えられないよ。
710 :
いちじくの木 :2006/02/20(月) 13:02:46 ID:+StJoGx/
ココモを見てて、若いなあと思うよ。 第一、キリスト教の教えとは、プロみたいに、聖書だと考えていること だね。でも、実態は、教会の伝承なんだよね。 キリスト教を攻撃したいのなら、ユダヤ教やイスラム教の立場のほうが と誰かも言ったが、教会が間違っているのは、とっくに明らかなんだよ。 「三位一体論」なんて、こじつけ以外の何者でもない。 それで、ほぼ、全てのキリスト教会だしね。 連中は、今も昔も、無視するだけなんだな。 俺も、あいつらキリスト教とは、関係ないし、どうでもいいやって感じ だな。バカにいっても仕方ないし。
711 :
名無しさん@3周年 :2006/02/20(月) 13:07:21 ID:Unb8nTU4
>>710 三位一体論はこじつけではありませんよ。
キリスト教の教えは聖書でもあります、しかし元と成るのは神でありイエス様です。
712 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/02/20(月) 13:08:30 ID:VgvPxDHC
713 :
いちじくの木 :2006/02/20(月) 13:15:18 ID:+StJoGx/
まあ、ムハンマドが考えていた三位一体は、神、イエス、母マリアだったがw
714 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/02/20(月) 13:28:07 ID:VgvPxDHC
716 :
いちじくの木 :2006/02/20(月) 13:35:25 ID:+StJoGx/
>>714 じゃあ、「キリスト教は、妄信のかたまりです」とでも答えておくよw
718 :
いちじくの木 :2006/02/20(月) 13:51:27 ID:+StJoGx/
プロも、聖書のみとか、真しやかに言っているが、最後の最後は、 教会の伝承によっていることが、分かってない。 笑っちゃう世ねw
>>718 聖書自身も結局は、教会の生成過程で作り上げられていった
ものだしな。福音書自体が伝承なわけだし
720 :
キュロス :2006/02/20(月) 19:03:09 ID:16Xr924s
ルカ福音書 >15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、 >食べ物をくれる人はだれもいなかった。 アリストテレースの 動物誌 を拾い読みしているのだけど それによると 豚・牛の飼料に いちじく を与えると 良く太る という記述がある。 いちじくの他に 良く太る飼料として オオムギ キビ(アワ) ドングリ ナシ キュウリ を上げている。 或る注解書によると いなご豆 とは 実は甘く 健康にも良く 家畜等の飼料として用いられていたが 貧しい者達も食用と下らしい。
721 :
689 :2006/02/21(火) 10:24:44 ID:+WHf43Qg
>>705 聖書の成り立ちについての議論は確かに大事ですが、そういう議論とは別に、聖書は昔から、
そのもの自体として読まれ、それだけで多くの人々の心に訴求力を持ってきたわけですね。
つまり、聖書の最終的形態そのものにも人々を感動させる工夫が施されているわけですよね。
聖書の成り立ちにばかり関心が行ってしまうと、例えばヤハウィストがどうだ、
祭司文書はどうだという議論にばかりなってしまい、じゃあモーセ五書そのものはどうなのか
という議論がすっぽり抜け落ちてしまう。モーセ五書そのものでなくても、出エジプト記の中の
一単元そのものが持つ意味は何かといった議論が抜け落ちてしまう。これでは駄目なんではないか
というのが左近先生だけでなく、最近の聖書学の反省なんだと思います。ただ、聖書そのものは、
正統的なユダヤ教やキリスト教の流れの中で生まれてきたものですから、最終的形態としての
聖書そのものを扱うことは“護教”的というか、“正典論”的というか、見ようによっては
保守的なスタンスに映ってしまうのかもしれませんが、実は全然そうではないんですね。
722 :
キュロス :2006/02/21(火) 18:50:47 ID:5/Tfunbz
アモス >7:5 私は言った。「神、主よ。どうか、おやめください。 >ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。」 >7:6 主はこのことについて思い直し、「このことも起こらない。」 >と神である主は仰せられた 神は 預言者の願いを聞いて その成そうとした行為を やめた それは 民が正しい からでもなく 悔い改めた からでもない それは イスラエルの民が小さく その罰に耐え られないから なのですね。 預言者は 民に対しては神の思いを告げ また 神に対しては 民の側について 民をかばうのですね。 聖書の預言者は このあたりが 上の方に書いた ギリシャ的預言者観 つまり 神の計画を民に事務的に伝える 或いは解読する 預言者ではないのですよ。 (まあ 初期に忘我状態で預言する預言者はいるけどね。) マタイ福音書 >26:42 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。 >「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、 >あなたの御心が行われますように。」 ここで イエスは アモスとは違い「あなたの御心が行われますように。」 と 言うのですね。このへんが 興味深いですね。
723 :
キュロス :2006/02/21(火) 19:12:08 ID:5/Tfunbz
>>722 アモスは イスラエルの民が小さく その罰には耐えられないから
神に 罰を止めてくれ 神に願ったのですね。
つまり 神のイスラエルに対する罰の目的は
イスラエルを滅すためではなく イスラエルを立ち直らせるため・
イスラエルが神に立ち返るため なんだね。
そこで イエスはこの場面(マタイ26:42)では 明かに御自分が
十字架刑で殺される事は 予測がついていたはずで この「この杯」
は 十字架刑のことを指しているんだね。
当時のユダヤ人の理解では トーラーに記述があるように
十字架刑とは神の罰 なんだね。
神の罰の目的は アモス書で見たように 滅ぼすためではなく
民を神に立ち返らせるため だから
イエスは 御自分が 十字架刑で死ぬ 事は 民が神に立ち帰る
為だと 理解したのだね。
罰が救いになるんだね。この逆説的なところが 凄いところよ。
724 :
キュロス :2006/02/21(火) 20:00:12 ID:jH+xJ5ke
>>723 マタイ福音書
>10:38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、
>わたしにふさわしくない。
神の罰は 民や人を 滅ぼすのが 目的ではなく
民や人を 神に立ち返らせる為 言い方を変えると救うのが
目的だから イエスは 神のこの特別な 杯を飲むこと つまり
最高刑の十字架刑の 後に復活するのだね
それが なぜ全ての民の救いにつながるのか その事が
マタイ福音書10:38 だと思うが 「自分の十字」とは 何を指し
ているのでしょうね。
まあ パウロ的原罪論 ではなく マタイ的罪論 が有るかもし
れない。
それは イエス殺し 神の子殺し なんだろうね。
神の子イエス殺しの罪 に対する罰としての 十字架なのですかね。
725 :
キュロス :2006/02/21(火) 20:42:24 ID:jH+xJ5ke
>>724 マタイ福音書
>25:44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが
>飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、
>牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
>25:45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者
>の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
神の子イエス殺しの罪に対する罰としての 十字架を背負う
といっても 2000年も昔に戻って 神の子イエスを 十字架に
掛けることは 出来ないわけで 時間の相違は有るが
マタイ福音書が 書かれた 教会でも事情は同じはずだ
では 神の子イエスを十字架に掛けて殺す とは具体的にどのよ
うな行為の事を言うのか という謎を解く鍵は
マタイ福音書25章31節〜なのだろうね。。。
ここで 興味深いのは 上記25章44節の人達は 罪に対する
自覚が無いのだね。自覚が無ければ 自分で十字架を負う事は
出来ないのだね。
何しろ10勝38節では 自分で積極的に十字架を担って
イエスに従がえ と言っているんだからね。
そして 神の義を求めろ と言うのだね。
これも 上のほうで書いたけど 神の義 とは 事務的な正しさ
裁判的正しさ ではなく 神の憐れみによる正しさ なんだね。
「クウォ・ヴァディス」だと、ペテロが仲間にせかされローマを出たとき イエスに出会う、そして殉教する仲間のため、自ら十字架にかかるため にローマに戻る。 イエスは「互いに愛し合いなさい」と新しい戒めを与えた。ペテロも伝道 より、イエスの戒めを守って十字架にかかったんですね。 [互いに愛し合う」この新しい戒めが、人に課せられた十字架だと思う。
727 :
名無しさん@3周年 :2006/02/22(水) 04:16:05 ID:Vl8ZYJNk
>>726 >>[互いに愛し合う」この新しい戒めが、人に課せられた十字架だと思う。
きみの言う通りだ。キリスト教はこの一点にかかっている。
ココモは愛の体現者である。 しかし良心とする指針は隠され、表現されることは信仰者とは大きくずれている。
729 :
キュロス :2006/02/22(水) 18:54:13 ID:6dRfnITJ
>725 マタイ福音書 >25:37 すると、正しい人たちが王に答える。 >『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、 >のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 ラビ・ヒレルかそれとも 彼以外の人が 下記のような趣旨の言葉を 残している。 (その事を書いてある本が手元に無いので ヒレル以外の人の 言葉かも知れない) 「善行を行う人が 良い人ではなく 善行が習慣になっている 人が 良い人である」 このマタイ25:37で 正しい人は 善行の自覚が無いのだね。 つまり 善行をしようとして 他者に親切にしているわけではなく あたりまえの事として 或いは 生活の一部として 他者に親切に しているんだね。 「互いに愛しあう」事も 同じようなことなんだろうね。
730 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/23(木) 22:29:34 ID:seJUINn9
天国の話を出しても全く筋違いの話しか出てこないので
地獄の話をしてみたい...と言うよりその予備知識として
http://www.josephandleon.co.jp/hellsbirth/h00.html 結構面白いです...地獄を明快に説明してるのは
聖書ではなくて、ゾロアスター(ツァラトウストラ)だそうです。
キリスト教は経典として聖書を用いながら、ドグマはゾロアスター
教のドグマを使ってるという事か...わはははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
731 :
キュロス :2006/02/24(金) 23:33:24 ID:3Nw744nW
キリスト教は理論宗教なんだね。 だから その信仰が無い人でも キリスト教的質問に もっともらしく 答えられる。 ひょとすると これが最強のキリスト教に対する批判かもしれない。 (批判と言うのは 誉めすぎかな コバ○にしてるが 正解かな) でも オレは聖書でキリスト教批判をするのが 正攻法だとおもよ。 そう言う意味で ココモ博士は 頑張ってくれ。
ココモ先生 読みました。 地獄って閻魔大王がいて、支配しているんでしょう。 広辞苑をみると、地獄についていろいろ書いてあって 日本人の生活にずいぶん密着しているなぁと思うのね。 閻魔は、手加減してくれそうでいいね。 聖書の地獄や黄泉の国はどうなってんのでしょうかしら?
733 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 01:56:27 ID:LyJAyz37
>>732 天国も地獄も場所ではなく、その人のこころの状態を言うのだそうだ。
さもありなん。
臨終の牧師の死に立ち会ったが、末期がんを苦しむことなく、
「生きて天国、死んで天国」と叫んで死んで逝った、笑みを浮かべつつ。
生きて天国でなければ、死んで天国はありえないだろうと、そのとき
思った。
734 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 10:05:43 ID:qGDJWg7H
信仰者であっても苦しいものは苦しい。 自身の生きた結果が意義あるものであったことが救いであり天国であった。
735 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/25(土) 10:58:07 ID:dU3gtvMh
>>732 >聖書の地獄や黄泉の国はどうなってんのでしょうかしら?
それ自体は聖書に全く説明がないでしよ...書いた人達は
読む人達が一般的に持ってる「地獄や黄泉の国」についての
認識と共通の物と考えて良いと思います。つまりゾロアスター
が言う「地獄や黄泉の国」だと思います。
あの文集では「地獄」を「戦争」に置き換えると宗教家の言葉と
一般の人の認識が整合すると書かれてますが、アッシリアによる
ナラク(奈落の底の語源)の街の侵略戦争の光景を読むと
地獄の様は想像できると思います。新約聖書もユダヤ戦争の
地獄のすぐ後に書かれてますので、聖書の編者もそれを
認識してるんだと思います。
736 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/02/25(土) 12:39:07 ID:hzVYUZHs
>>735 質問 奈落はサンスクリット語源ではありませんか?
737 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/02/25(土) 12:40:47 ID:hzVYUZHs
まったくこじつけもいいところなんですけどぉww
響子の中の人がココモだったとは・・・
739 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/02/25(土) 13:33:35 ID:hzVYUZHs
アウン(阿吽)=オーム アメン・ラーのアメン=アーメン ナラクの街=奈落 このような感性を持つ人間が地球上に二人以上もいるとは思えない・・・
741 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/02/25(土) 13:51:52 ID:hzVYUZHs
>>740 なんでアメン・ラーがアーメンなんですか?????
たしかにそうかも
だってナラクの町なんて誰も知りませんし
742 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/25(土) 15:43:09 ID:dU3gtvMh
アッシリアの軍勢がナラクに現れたのか。むむむ。 さあ、トウカツ、話を続けなさい」 「はい。岩の陰からそっと町の様子を伺うと、 悪魔たちは爪を振り回し、男といわず女といわず、 ナラクの人々の肉を裂いていました。 悪魔たちはピクリとも動かなくなったものにも爪を突きつけ、 その肉を裂いていました。
743 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/25(土) 15:44:11 ID:dU3gtvMh
悪魔たちはナラクの人々を捕らえては、 爪で肉を裂き、岩よりも堅い棒で打ちました。 ある悪魔は逃げまどうナラクの人々に崖の上から岩を投げていました。 悪魔たちの連れてきた犬に食い殺されたものもいました。 火の中に放りこまれたものもいました。 悪魔たちはナラクの人々の亡骸を門の外の池に投げ捨てていました。 池の水はナラクの人々の血で真っ赤に染まっていました」
744 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/25(土) 15:47:45 ID:dU3gtvMh
一番、すごかったのは針の山だよ。 鉄の爪を何本も空に向かって立ててな、 その上にナラク人を寝かせるんだよ。 体中から血が出てさ、すごいのなんの。 体をよじるとまた血が出てさ。 さすがのおれも、あれには声もでなかったぜ。 でも、そのナラク人は根性のある人でな。 最後の最後まで空に向かって叫んでいたよ。 ナラク人よ、立ち上がれーってな。おれは涙が出たぜ」 「兄ちゃん、あれもすごかったよ。ほら、タコの磔の刑」 「ああ、あれは陰惨だったな。 板があってな、そこにタコを干すみたいにナラク人を磔にするんだよ。 でさ、ぶっとい針を打っていくんだ。 一本、一本。手とか足とか、すぐ死なないところからな。
745 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/25(土) 15:49:09 ID:dU3gtvMh
「ナラクが消えただと。それはどういうことじゃ」 村長さまがこう言うと、ラクダの商隊の長はこう答えました。 「アッシリアのバカどもが石の壁を切りすぎたんじゃ。 そのせいで石の壁にひびが入ってしまったんじゃ。 それで、こないだ大地が揺れたとき、崖が崩れたんじゃ。 ナラクの国は埋まってしまったんじゃよ」 村長さまは目眩を覚えました。
746 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/25(土) 15:50:33 ID:dU3gtvMh
村長さまは天を仰ぎ、祈りを捧げました。 「神よ、水を求めた男には酒の川を与えたまえ。 神よ、食べ物を求めた男には山のような料理を与えたまえ。 神よ、妻の名を呼んだものには100人の女を与えたまえ。 神よ、娘の名を呼んだものには100人の処女を与えたまえ。 神よ、目を潰された男には光を与えたまえ。 神よ、家を求めた男にはエメラルドの宮殿を与えたまえ。 神よ、舌を抜かれた男には神の言葉を与えたまえ」 そこにいたものたちは、 酒の流れる川、 山のような料理、 100人の女、 100人の処女、 輝く光、 エメラルドの宮殿を思い浮かべました。 この星空の向こうにはきっとそんな国がある。 誰もがそう思いました。
747 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/02/25(土) 15:53:23 ID:hzVYUZHs
本当にココモスキーが響子だろうねw
そこに悪魔アスモデウスが現れました。 村長さまは彼が悪魔だと気付かず、むしろ目障りだったので つま先を思い切り踏みつけました。 怒ったアスモデウスは悪魔としての本性を現すと 村長さまに怒鳴りつけました 「おい!貴様!いい根性してるじゃないか・・・ちょっとケツ貸せや!」 村長はため息をつきました。これから尻の肉を千切りとられて しまうのだろうかと思うと、不安で仕方がありません。
749 :
キュロス :2006/02/25(土) 19:16:05 ID:b8T/uIIB
ホセア アモス と来れば次は当然 イザヤ を読むんだろうね。 時代背景を簡単にふれておくと イザヤは ユダの王ウジヤが死んだ年(前742)に預言者として 証明を受けた。それはイスラエル王ヤラベアム2世が死んで(前746) 間もないころであった。 当時はアッシリヤが バビロンやシリヤの 征服に乗り出し その他の 複数の小国を征服して都市を略奪・住民を強制移住 させていた。 また サマリヤがダマスカと同盟して ユダに対して侵攻していたが それが 逆にアッシリヤの侵略に すきを与える結果となった。 サマリヤは破滅は決定的となり ユダの未来も微妙なものとなっていた。
750 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/26(日) 00:30:05 ID:qTnDWEqH
ゾロアスターは面白いw...もちろんゾロアスターを 信仰するわけじゃないよ...キリスト教と聖書の主張が まったく整合性がないので、なんだろと思っていたら、キリスト教 のドグマはゾロアスターがシッカリ説明してるという事だよ 聖書の編者はゾロアスターに嫌気をさして聖書を編じてますよ それをキリスト教徒は殆ど理解してないんだよ... 聖書に三十幾つかの天国の説明があっても、キリスト教会の天国は ゾロアスターの天国だから、聖書の天国の説明は皆無だろ 普通ならルカ福音書**−ooの天の国「神の国」はどうのこうの と言う説明が本来の経典説明のはずなんだけど、そんなの聞いた事が ないw...ゾロアスターの天国を信じてる奴が聖書の「天の国」を 説明できるわけがないて...わはははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははははははははは キリスト教徒に聖書から「天の国」を論じた自分が若かったよ わはははははははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははははははははは
751 :
mono ◆HfNWSGfVro :2006/02/26(日) 18:13:40 ID:g6mrkufb
ヨルダン社のW・バークレーの聖書注解が、売りにでているのよ。 すっごく欲しいんだけどね、ここ数日悩んだんだけど今回は諦めた。 次はいつだかわかんないけど。 このスレも良いし、なんてたってタダだしね。 そんな訳でアゲ。
752 :
キュロス :2006/02/26(日) 19:20:12 ID:+6SHx/9u
ウェルギリウスの牧歌 第4歌4-10 >クーマエの巫女に歌われた最後の時代がやって来た >偉大なる世紀の秩序が新たに生まれる >いまや乙女は帰りきたり、サトゥウヌスの王国は戻ってくる >いまやあたらしき種族が高き天より送られる >聖きル−キーナよ、生まれてくるみどりごに微笑みたまえ >子のこの下に、まず鉄の種族は絶え、黄金の種族がたちあらわれよう。 「クーマエの巫女」とは シビェラと呼ばれる女預言者 「乙女」とは 正義の女神 ウェルギリウスは 前70年頃の生まれ前19年に死んだ ギリシャのホメーロスに匹敵する ラテン文学を代表する 詩人らしい。 これ イザヤの7:14 9:5 のメシヤ預言と似てるよね じつはこれ アウグスティーヌスー以来ウェルギリウスによる キリスト預言と解釈されてきたらしい。
753 :
キュロス :2006/02/26(日) 22:15:28 ID:WIjGTqZJ
ヨハネ福音書 >19:12 そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。 >しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、 >あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」 ある本を読んでいたら この箇所と18章38節を根拠に ヨハネ福音書は ローマに好意的だと記述してある。 また 19章21節以下で ローマを代表するピラトが ユダヤ人の 願いを 退け「ナザレのイエス ユダヤ人の王」という罪状書き を そのままにしたことも ローマに好意的だ と書いてある。 しかし 本当にそうだろうか。 また ローマを代表するピラトが書かせた イエスの罪状書き の意味は ピラトのイエス理解が 間違っている事を 主張して いるのではないだろうか。
754 :
キュロス :2006/02/26(日) 22:22:33 ID:WIjGTqZJ
>>753 ヨハネ福音書
>2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんな かかわり が
>あるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
>13:8 ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」
>と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、
>あなたはわたしと何の かかわり もないことになる」と答えられた。
確かに ローマを代表するピラトは イエスを釈放しようと
努めているように解釈できるように描かれている。
しかしそうではなく ローマを代表するピラトは イエスの十字架との
かかわり を避けている様にも 見えるわけですね。
上記の箇所は イエスとの「かかわり」が重要だと主張している
ようにも見える。
受難物語でピラトは イエスの十字架をとの かかわり を避けている
つまり イエスの十字架とは無関係 だとしているのだと 思う。
そして イエス理解も その罪状書き で間違っていることが
主張されている。
以上の考察から 明かに ヨハネ福音書は ローマに好意的ではないと
言える。これは明かにこの福音書では ローマ人は 救いから外されて
いる あるいは選ばれてはいない という事だ。
エルサレム戦争で神殿が陥落して 100年もたっていないのに
明かにユダヤ人が記述した ヨハネ福音書が 親ローマ的な
わけがないよね。
755 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/26(日) 23:13:16 ID:qTnDWEqH
>>754 >エルサレム戦争で神殿が陥落して 100年もたっていないのに
>明かにユダヤ人が記述した ヨハネ福音書が 親ローマ的な
>わけがないよね。
原子爆弾を落とされて数十万人の人間が死んだ日本人が、新米的な
分けないよな...わはははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
親ローマの人達はエルサレムが陥落しても親ローマ的だろうし
反ローマの人達はエルサレムが陥落しなくても反ローマだよ
その教会の主張は、その教会の書き物に直接反映する場合と
直接には反映しない場合があって、その教会の置かれた立場や
信者のレベルを考慮しないと判断できないよ...
>>721 私は、まさにその事が大切だと思うんです。
つまり、聖書の「その文書」がどのように生み出されたか、と言うことは、
決して、聖書の「聖典性」を破壊したりはしない、と思うのです。
料理の素材は、確かに大切かも知れない。
けれども、料理人の手を通して供された料理を、私たちは味わうわけですよね。
しかるべき後に、この美味しい料理の素材は?となるわけで、
料理そのものを味わう前に、素材がどうの、料理人がどうのというのでは、
一体何のための料理なのか?と思うわけです。
ところで、カトリック教会、東方教会の「聖書と聖伝」に対して、
プロテスタント教会は、「聖書のみ」を掲げるわけですが、
宗教改革の形式原理である「聖書のみ」は、何を根拠にしているのでしょうかね。
もちろん、改革者の思想であることは明らかなわけですが、
聖書以外に、根拠となるものがあるのでしょうかね・・・
757 :
キュロス :2006/02/27(月) 20:51:51 ID:ier1Wfjv
>>755 エルサレム戦争後 ユダヤ教パリサイ派ヒレル系が 主導になり
ヤブネに サンへドリン的組織を再興する 経緯を調べてみなよ。
ユダヤ教パリサイ派ヒレル系が ヤブネで主導権を持つわけ
だけれど その事でユダヤ教非ヒレル系は ヒレル系に屈服するか
それとも そのヤブネ体制の外へ出て行くか しかないわけだ。
とうぜん ヤブネ体制は ローマの公認を得ているユダヤ人を
代表する組織だ。この組織外に出るということは ユダヤ人と
しての権利をローマが保障しない と言うことなんだよ。
つまり ヤブネ体制外ユダヤ人 から見れば ヤブネ体制内
ユダヤ人はローマ帝国とつるんでいる と見えるんだよ。
そして ヨハネ福音書を記述したのは ヤブネ体制から追い出された
非ヒレル系の集団だ という説だ。
キリスト教とユダヤ教は ヤブネ体制成立以前に 別々の宗教に分かれた
と言う説を 上記の説とつなげると ヨハネ福音書は キリスト教徒が
生んだ文章ではなく ユダヤ教非主流派が生んだ文章だ という説が出
て来るんだよ。
758 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/28(火) 01:01:43 ID:TjDFYrKC
>>757 >キリスト教とユダヤ教は ヤブネ体制成立以前に 別々の宗教に分かれた
>と言う説を 上記の説とつなげると ヨハネ福音書は キリスト教徒が
>生んだ文章ではなく ユダヤ教非主流派が生んだ文章だ という説が出
>て来るんだよ。
あのねぇ、キリスト教徒という馬鹿信者がこの時代にいるわけ無いだろ
みーーーーんな、ユダヤ教非主流派だよ...だから何回も言ってるだろが
小さユダヤ教非主流派をかき集めて、アホみたいな連立教団を作ったのが
エレナイオスだろうし、それでできあがった連立与党教団がキリスト教会
だって...その時にインテリジェンスの高いマルキオンやグノーシス
は少数野党になったんだって...
759 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/28(火) 01:29:26 ID:TjDFYrKC
イエスがどれほどの物か... 1宗教的カリスマ性としては 洗礼者ヨハネ>>>ナザレの大工の子イエス 一般民衆に対しては月とすっぽんの違いがあります 2共同体の指導者としての政治力は 弟のヤコブ>>ナザレの大工の子イエス ヤコブがいなかったらキリスト教会なんかとっくに消え去ってます 3神学的論理力として グノーシスやマルキオン>パウロ神学>>>ナザレの大工の子イエスの主張
760 :
名無しさん@3周年 :2006/02/28(火) 01:59:29 ID:1DVPXD52
>>759 おまえ一回病院で診てもらったほうがいいよ。
キリスト教に何の恨みがあるのか知らんが、この粘着ぶりは異常だから。
761 :
名無しさん@3周年 :2006/02/28(火) 02:06:25 ID:soFjF5CQ
>>759 ココモスキーが教会批判のための聖書読みをしていることが明快に示される箇所。
信仰聖書批判研究者ココモスキー。
無神論を唱える者でもないのに信仰聖書に敵愾心を発揮するのは、妬みか功名心か。
762 :
名無しさん@3周年 :2006/02/28(火) 02:06:58 ID:1DVPXD52
ここでひとつ真理を示そう。
イエス=釈迦>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>ムハンマド
ムスリムが、どの面下げて
>>759 みたいなこと言えるんだい(苦笑)
だからお前は馬鹿なんだよ、バカモスキー。
763 :
名無しさん@3周年 :2006/02/28(火) 02:20:39 ID:1DVPXD52
もうひとつ真理を述べよう。 信徒の質。 仏教徒>>キリスト教徒>>>>>>>越えられない壁>>>>>>オウム=イスラム教徒。 自分達軒に食わない相手は信徒レベルで、平気で殺し、それで良しとするお前たちは、馬鹿さ加減では、キリスト教徒の非ではない。 なんだいあの風刺漫画ひとつであの騒ぎは。たく中世でもあるまいし、今は21世紀だぜ。 わかるか?バカモスキー。ムスリムのお前が、自分達のことは棚に上げ、よくキリスト教徒をつかまえては、馬鹿だ、馬鹿だと言えるもんだな。 馬鹿は、お前だよ。バカモスキー。
764 :
名無しさん@3周年 :2006/02/28(火) 02:35:07 ID:soFjF5CQ
愛と憎は相対する事象であるが、対極ではない。 憎は愛の変化したものであり、愛の対極は無(関心)である。 マザーテレサは、無関心の中で孤独に死んでいく命に温度を与えた。 カラスの罵倒も愛。ココモスキーの挑発も極低温の愛。 人は孤独ではなく、熱い愛が与えられていることが聖書に示される。
765 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/28(火) 03:02:47 ID:1DVPXD52
エクレーシア。真の教会とは、この世が現れる前からあるものだ。 妬み、憎しみ、争う、この世は、欠乏の中にある。 完全なる一致。 ブレーローマの中に充満するアイオーン達には、それらのものはない。 なぜならそこは、欠乏なき、完全なる一致だからである。そこには愛が満ちている。
766 :
名無しさん@3周年 :2006/03/01(水) 03:08:49 ID:sDtuA2WU
脳が硬化したココムスキーは愛を語れない。 聖書が愛を語っていることに関心が無い。 批判するべく聖書を用いるのみ。
767 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/01(水) 20:37:18 ID:r3VXy3Df
愛を語るものは多いが 知る者はすくない
768 :
名無しさん@3周年 :2006/03/01(水) 20:39:13 ID:p8T6wcvF
そう思い込んでるだけ 自分が知ったつもりになってるよ みんな
この板でイスラム教が嫌われる一つの理由には君の言動のせいでもあるんだよ。 ココモスキーよ!そういうわけで、これまでの罵詈雑言を改め、これからも 老身に鞭打ってアラブ在来の猛者を平らげた預言者ムハンマドっぽくがんばりたまえ。
770 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/02(木) 01:52:49 ID:9hjLl1FD
>>759 一部修正を加えます
>1宗教的カリスマ性としては
洗礼者ヨハネ>>>ナザレの大工の子イエス
一般民衆に対しては月とすっぽんの違いがあります
−>洗礼者ヨハネ>ナザレの大工の子イエス
>2共同体の指導者としての政治力は
>弟のヤコブ>>ナザレの大工の子イエス
>ヤコブがいなかったらキリスト教会なんかとっくに消え去ってます
−>弟のヤコブ>>>>ナザレの大工の子イエス
>3神学的論理力として
>グノーシスやマルキオン>パウロ神学>>>ナザレの大工の子イエスの主張
−>グノーシスやマルキオン>>>パウロ神学>ナザレの大工の子イエスの主張
771 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 11:06:25 ID:2/HxOSLa
知る者と言えるのは、預言者のような体感者か、キリストに出逢った者。 それ以外は、聖書、洞察、により結果として認め、語る者でしかない。
新改訳 マタイ26;50 イエスは彼に「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。 そのとき、群集が来て、イエスに手をかけて捕らえた。 新共同 マタイ26;50 イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。 どちらも「友よ」と、ユダのことを呼んでいる マタイ5;44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し自分を迫害する者のために 祈りなさい。 「敵のために祈る」ということは、多くの人の知っている聖句だけどキリスト者 は言っているだけで、実行できないから嫌われちゃうんだろうね。 でも無力であることを見つめることは大切だと思うね。
773 :
罪深いキリスト者 :2006/03/02(木) 20:58:58 ID:cEEdhkmY
ゴメンナサイ
774 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 21:47:50 ID:2/HxOSLa
ココモスキーが、敵のために祈るという真理、の属性内の実践者である事実。 但し、良心の向きが異なる。
775 :
キュロス :2006/03/02(木) 22:11:29 ID:uizzAIje
ヨハネ福音書 新共同 >19:30 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」 >と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 ヨハネ福音書 フランシスコ会訳 >イエズスはすっぱい葡萄酒を受け取ると「成し遂げられた」 >と言って、頭を垂れ、霊をお渡しになった。 人の命は 神からの贈り物である事は 創世記の天地創造物語を 読めば だいたい解るだろう。 そこでだ 人の命は 死ぬことを運命付けられた 惨めな存在ではなく その命は 神から それぞれ使命 を与えられている とヨハネ福音書は 主張している ように思える。 だから イエスは その神から与えられた使命を「成し遂げられた」 から 命の霊を 神に渡した のです。
776 :
キュロス :2006/03/02(木) 22:12:26 ID:uizzAIje
>>775 ヨハネ福音書
>11:4 イエスは、それを聞いて言われた。
>「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。
>神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
この話しとか 9章3節の話しから 人の命は神の栄光の為に
神から贈られていることが 解る。
しかも それは人が単独の努力ではなく 神の協力があって
始めて 神の栄光を表すことができると ヨハネ福音書は主張
しているように 思う。
777 :
キュロス :2006/03/02(木) 22:34:27 ID:uizzAIje
創世記 >2:7 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、 >その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。 ヨハネ福音書 >20:22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。 >「聖霊を受けなさい。 ヨハネ福音書の 復活したイエスが 弟子達に聖霊を与える記述と 創世記の 神が人に命を与える場面は 良く似ている。 この箇所は 神からの人に対する新しい命の贈与とも読める。 その新しい命は 従来の命の中に 復活したイエスから弟子達に 与えられている。 これは 神の永遠が 人の時間の中に入ってくることを 表している ような気がする。つまり 瞬間と永遠につながって 永遠になる ではなく 瞬間の中に永遠が入ってくる 瞬間が永遠になる 事を 主張している ような気がする。 なんと言おうか 神の時間が 人の日常の中に入ってくる あるいは 人の日常生活の中に 安息日という聖なる時間が入ってくる 事により 人も聖なる時間を神と共に過ごす と言うような 感じかな。
778 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 00:28:17 ID:QgC3Wmiw
彡ミミミミミ カタ ( ´┏┓`) <俺は 甘さに 溺れないぞ カ.タ__| ̄ ̄ ̄‖)__ / | NEC‖/ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | キュロス聖句研究室.|/
779 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 10:57:55 ID:QgC3Wmiw
【光】 関心・有・互いの認識・求める心 ┌──────┐ ┌────────┐ │愛・自己犠牲 ←相転→ 憎しみ・自分中心 │ └──────┘ └────────┘ 秩序 ↑ 混沌 対 ──────────────────── 極 ↓ 無関心・滅び 自己のみ・自己をも無とする心・孤独 【闇】
AAがうまい。
781 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/04(土) 00:25:17 ID:nOG+wOXX
>>772 ユダの事を「友よ」と呼んでるのは意味深です。ユダはこの段階では
本来の意味の「友=同士」だった可能性があります。
ヨハネ福音書の「行ってなすべきことを今すぐしなさい」は、ユダの行為
がイエスの了解事かあるいはイエスの指示によるものと言う事です。
つまりユダにサタンが入ったと言う聖句は、実はその前からイエスに
サタンが入っていて、イエスとユダが何かを画策してユダがその役回り
を実行したと言う事です。....キリスト教会ではこんな解釈は
100%不可能ですが、サタンがキリスト教会の「悪魔サタン」では
なく旧約で言う「人を惑わす物」、イエスがキリスト教会の「神様」では
なく、「ナザレ村の大工の息子」であり、ユダがキリスト教会の言う
「裏切り者」ではなくイエスから財務係りを任命された「同士」で
あれば、この様な解釈になります。またそうでなければこの際の
イエスとユダのヤリトリは疑問が残る物が多いです。
山上の垂訓の「汝の敵」とこの「友」とはおそらく殆ど関係ないと
思います。山上の垂訓がイエスの本当の言葉かどうかもサンザン
論議されてますが、僕はこの「汝の敵を愛せよ」は、イエスより
大分後の人達の主張だと思います。
イエス
782 :
もらみら ◆HfNWSGfVro :2006/03/04(土) 07:44:12 ID:G1rEApxQ
ココモ先生 おはようございます。 反論たっぷりしたいのですが、出かけますので 夜書き込みます。 ムカッ。
変換まちがえました。
> ヨハネ福音書の「行ってなすべきことを今すぐしなさい」は、ユダの行為 > がイエスの了解事かあるいはイエスの指示によるものと言う事です。 マタイの26章を読むと、ユダヤ教会はイエスをだまして捕らえ、殺そうと 相談していますよね。しかし祭りの間は騒ぎがおこるのでいけないと 話しているんですね。騒ぎが大きくなるのを承知で イエスは、ご自分を過ぎ越しの羊としてささげたんですよ。 普通に読むと、そう考えるんじゃないのでしょうか?
785 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/05(日) 00:31:40 ID:549TkFps
>>784 >騒ぎが大きくなるのを承知でイエスは...
まず騒ぎが結果として大した事にならなかっんじゃ無いですか?
キリスト教徒にとっては大変な出来事なので、騒ぎが大きくなったと
誤解してると思いますよ。
>ご自分を過ぎ越しの羊としてささげたんですよ。
過ぎ越しの羊って何ですか?何の為に「過ぎ越しの羊」になったんですか?
イエスはユダに何を指示したかわかりますか?
このイエスとユダのヤリトリはどういう状況で、何処で
なされたか判りますか?
>>785 夕食の席でヨハネ福13;18 で引用されている、詩篇41;9のダビデの子
アブサロムのクーデターのこと話しているんてすね。
ユダは自分の期待を優先して、イエスに絶望したんですね。都合のよい
救い主を求めて、イエスを理解できずがっかりしているところに、サタンが
忍び寄ったのだと思うのね。それでもイエスは最後まで、ユダを守ろうとして
話をしようと思い、すぐ近くの席にすわらせたのだと思いますよ。
787 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/06(月) 00:31:05 ID:CEbWytBx
>>786 >ユダは自分の期待を優先して、イエスに絶望したんですね。
ユダはイエスに何を期待したんですか?それに対して実際のイエス
に絶望したと言う事でしょうが、ユダの主張とイエスの主張が
食い違うという事だと思いますが、ここの部分をもう少しはっきり
させて欲しいんです...
ユダはイエスに対して何を求めたのですか...?
それに対してイエスはどう対応したんですか...?
実はこの考え方もしばらく一般的だったんですがよくよく調べると
矛盾だらけなんですね...
>都合のよい救い主を求めて、イエスを理解できずがっかりしている
>ところに、サタンが忍び寄ったのだと思うのね。
イエスを一番理解していたのはユダだと思います。少なくとも
他の弟子達よりはずっとイエスを理解していたと思います。
イエスから見ても一番心を許せたのがユダです。だから資金管理を
任せたんです。世の中には
1...理解できるがその主張に同調できなくて逆らう場合
2...理解できてその主張の趣旨に従ってへいへいと従う場合
3...理解できなくて何がなんだかわからなくてしたがってる場合
4...理解できなくて気分的に不愉快だから逆らってる場合
でユダの場合は1です。ユダはイエスを一番理解していながら
そんな幼稚な事ができるかどうか疑問だったんだろうと思います。
ただユダはイエスに対しての恩義と言うべきか愛情だと思いますが
ユダヤ教会の祭司たちとの交渉役を担ったんだと思います。
それで交渉決裂で挫折したんだと思います。
>それでもイエスは最後まで、ユダを守ろうとして
>話をしようと思い、すぐ近くの席にすわらせたのだと思いますよ。
僕はユダがこの人(イエス)を最後まで思いをとい遂げさせようとして
最後までイエスの近くにいたんだと思います。
>>787 ココモ先生
ありがとうございます。
ユダがイエスに求めていたものは現実に於いての神の国。自分たちがさまざまな
不幸から逃れ、平和に暮らすことを描いていたのだけど、ちっとも変わらない。
さまざまな奇跡を目の当たりにしてしたけれど、神の国の実現への奇跡は起こらず
逆恨みしたんです。現実の人の思い(貧乏、病気、ローマから開放など)の解決を
イエスに期待し、イエスの教え(悔い改め)が理解できなかったんですね。
わたしが思うユダは、 > 4...理解できなくて気分的に不愉快だから逆らってる場合
ですね。
しかし何故、ユダだったんでしょうね? 魔が差すってことは日常茶飯事あるでしょう?
ここのところは、怖いとこですよね。
789 :
名無しさん@3周年 :2006/03/06(月) 20:38:09 ID:r91MeBvP
>しかし祭りの間は騒ぎがおこるのでいけないと 話しているんですね。 エルサレムでは、祭の間には、よく暴動が起きたんだ。だから、祭りの前に、 片付けたということ。
790 :
名無しさん@3周年 :2006/03/06(月) 20:41:34 ID:r91MeBvP
>ユダの事を「友よ」と呼んでるのは意味深です。 マタイだけでしょう? マルコ、ルカは、そういっていない。 だから、マタイの文脈から、「友よ」と書かれた意味を判断しなければいけ ない。マタイは、あまり調べていないから、今回はパス。
791 :
名無しさん@3周年 :2006/03/06(月) 20:47:33 ID:r91MeBvP
ヨセフスのユダヤ戦記にもあるが、パリサイ派(正確には、後に、そう呼ば れる、といべきか)は、自分たちの考えに合わないユダヤ教徒を、ユダヤ当 局に告げ口して、殺させるということを、よく、したらしい。
792 :
名無しさん@3周年 :2006/03/06(月) 20:55:22 ID:r91MeBvP
イエスも、できれば、神の気が変わって、自分が生き延び、ユダヤ人が 神によって救われることを、望んだのかもしれない。 だから、ユダに対して、これみよがしに、パンを浸して見せたのかもし れない。 だが、神の心は変わらなかったということなのかもしれないな。
793 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/06(月) 20:56:09 ID:CEbWytBx
>>788 イエスが求めていた物も現実の神の国です。あの世の物でもないし
空想を求めたのでもないと思います。だからイエス一行はエルサレム
に上ってきたんでしょ...エルサレムに来て、あの世の神の国の話を
一般の人達に言っても全く無駄ですよ...それをペテロ達は武力で
行おうとしたのに対し、イエスは言葉で行おうとしたんでしょ...
それで神殿を襲撃していわゆる解放区にしたと言うのが、この事件の
始まりですよ...ところがそれが官憲には反乱と捉えられ、首謀者
の摘発を考え始めるんですよ...それがマタイ26章ですよ...
ここまでは聖書に基づくシナリオですが以下は僕の推測です。
イエスはこの行為が摘発の対象になる事を察知したと言うか
エルサレムに来る前から想定内の事だったんでしょうが、その摘発が
信者皆に及ばない様に、一番信頼していて事態を把握してるユダに官憲
との交渉役を指示したんですね...自分が捕まれば、弟子達が事態を
察知して逃げ出してくれると思ったんでしょうね...以下省略
>しかし何故、ユダだったんでしょうね? 魔が差すってことは日常茶飯事あるでしょう?
>ここのところは、怖いとこですよね。
どの部分が「魔が差し」て行われた事ですか、官憲と交渉した事は
事前にイエスが知ってた事なので(行ってなすべきことをしなさい)、
「魔が差して」行われた事ではないですよ...
魔が差してする事は、「そんな事はしてはならないと思いつつ、気が
緩んで思わずしでかしてしまった」時に使う言葉で、イエスから「
やりなさい」と言われて行う事は、魔がさしてしたのではありません
イエスの指示に従ったまでです。
794 :
名無しさん@3周年 :2006/03/06(月) 21:42:52 ID:r91MeBvP
それだけの武力があったのであれば、イエスの死後、ヤコブらは、神殿で 福音を説かなかったであろうにwww
795 :
名無しさん@3周年 :2006/03/06(月) 21:52:14 ID:r91MeBvP
>ヨハネ福音書の 復活したイエスが 弟子達に聖霊を与える記述と >創世記の 神が人に命を与える場面は 良く似ている。 >この箇所は 神からの人に対する新しい命の贈与とも読める。 >その新しい命は 従来の命の中に 復活したイエスから弟子達に >与えられている。 にもかかわらず、聖霊の時代が終わったことに、キリスト教徒が、何の痛痒 も感じていないのは、不思議だ。 というよりは、バカだからだ、と言った方がいいのだろうな。
796 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/06(月) 23:41:46 ID:2zBXKtFF
>言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。〜ヨハネ1.10
>「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。
>あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、
>あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。
>だから、世はあなたがたを憎むのである 〜ヨハネ15.18〜15.19
>>793 >イエスが求めていた物も現実の神の国です。あの世の物でもないし
>空想を求めたのでもないと思います。
おまえは馬鹿だな。聖書がまったく読めていない。
イエスを、この世の益を求めて争いにあけくれた、ムハンマドなどと一緒にするな。
イエスの教え、釈迦の教えを、唯物論的に解釈して悦にはいる頭でっかちアホ共、アホ学者共は、なんとかならんのか。
797 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/06(月) 23:50:09 ID:2zBXKtFF
>>793 おまえ随分聖書研究、ちゅうか粗探しに精を出し、
この世の自分の貴重な時間を無駄に過ごしているようだが、
あるがままをあるがままに受け入れる。何の先入観もなしに読まないと、
聖書に書かれている本当の意味は見えてこないんだよ。
おまえのように唯物論が真理だと固定観念、決め付けで読んでる奴はな。
お前達のやってること。
天の御国という単語がでてきた。真理は唯物論に違いないから、唯物論的に
無理やり解釈する。イエスが唯物論を真理としたのか、観念論を真理としたのか、知りもしないくせに。
自分の思い込みで無理やり自分の気に入る解釈をする。
これも己のエゴの強さゆえ。
愚か者のやることだよ。
798 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :
2006/03/07(火) 00:02:38 ID:dKm8n7n+ イエスは言われた。皇帝のものは皇帝に、私のものは私に返しなさい。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
>>790 >ユダの事を「友よ」と呼んでるのは意味深です
それはイエスも罪人だったからだよ。
〜トマス
>ある人が彼に言った”私の兄弟たちに、私の父の持物を私と分けるようにと言って下さい”。彼がその人に言った、
>”人よ、誰が私を分配人に立てたのか。彼は弟子たちに向かって、言った、”私が分配人なのか”
自戒の言葉。
この聖句の意味を、俺はよく知っている。