■原始仏教談話室 その2■

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952リベラル派:2006/03/26(日) 12:54:03 ID:zd0o4roP
>なんで仏教の戒律は〜してはいけないと書いてあるんですか?

なんでだろうな。日本の坊さんも内心そう思ってるのかも。彼らの多くが
基本的な五戒すら守ってないしw
953名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:45:25 ID:u9g65QHR
>>951
仏教では執着しない事が説かれる。今殺生に付いてみてみると、
殺生とは他人の身体に執着する事に他ならないだろう。でも仏教は一切は縁起して居るものであり、
自性は無いといっている。この真理に基づけば、殺生してはならないと言う表現が当たっている事にならないだろうか?
 又仏教では誰でも自分の命が大切なのだから、自分に引き比べて他人の身体を殺生してはならないとも言う。
ここでキリスト教の様に、自分を愛する様に他人を愛せよ、と言う表現は見当たらないようなのだ。
しかし表現こそ無いものの、自分の命が大事であると同様に、他人も自分の命を大事に思っているのだから、他人の命を
損ずるようなことをしてはならないと言うのも、同じ意味と解して良いのではないだろうか?
 ここに問題が生じているね。それは自分の命を大事に思うという事の是非である。
 
954名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:51:55 ID:u9g65QHR
自分の命を大事に思うという意味が、自分の身体心に執着する事であり、
それを容認していると解するのなら、それは仏教に反する。そして、自分の命に執着する事が容認
されるものなら、他人の身体に執着する事、即ち他人の身体を殺生することも許される事になる。
そうすると、自分の命を大事にするとは、執着する事ではなく、反対に執着しない事を意味するものと
解すべきであろう。
955名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:58:06 ID:RKCHraRG
>>951
随犯随制
956名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 14:03:40 ID:NmaSivBS
カラスくんはヒンドゥー系の新興宗教ですか?
なんてな・・たしかになんてなですね。
ちなみに仏教は無神論でもないし一神教でもないですよ
957名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 14:23:03 ID:RKCHraRG
>>947
国訳一切経。
南伝大蔵経。
958中観派:2006/03/26(日) 14:54:32 ID:bhALy5Kw
>>954
ようは正当防衛して長生きしようとし、最後は無自性を悟って死のうってことでしょ。
959947:2006/03/26(日) 14:55:56 ID:zd0o4roP
>>957
両方とも訳が古すぎてとても一般人向けとは思えないよ。それとも仏教とは
あの程度の訳がわかる者のみに許されるんだろか。
960カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/26(日) 15:01:04 ID:u42vYKH6
>>954
>「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、
>更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
>自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
〜ルカ14:26〜14:27

>自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。
〜ルカ17:33

>わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
>友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
>わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
〜ヨハネ15:12〜15:14

君達はキリスト教を知らないで、仏教とキリスト教は違うと言っている。
ま、君らが、キリスト教を知らないと言うのはあたりまえのはなしだが。
俺が言いたかったことは、釈迦も神に祈ったのは間違いないと言うことを言いたかったわけ。
あの時代に生きた釈迦が神を信じていなかったとは考えにくい。
彼は修行の傍ら、何度も何度も、神に祈ったと思うよ。
「神よ、我に悟りを」てな具合にね。これって、案外とても重要なことだったりしてな。

あ、そうそう。確かダンマパタだかに、
人を、自分自身のように思いなさい。という意味の句があるはずだ。
961中観派:2006/03/26(日) 15:12:31 ID:bhALy5Kw
>>960
神はやれるべきことをすべてやってから、祈ればいいよ。
神に祈るだけで何も対策を考えようとしないやつはばかだろ。
962名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 15:51:04 ID:RKCHraRG
また次に世尊、仏世尊が《【諸々の】常住論について》説かれた教えは無上なるものです。
それは、三種類の常住論です。
【ある沙門・バラモンは】─A:熱心により、精勤により、修定により、不放逸により、正作意により、
その心が三昧に入っているとき、種々の宿命を想起する。すなわち、:A─ 『一生〜多百千生』 を想起する。想起して、
─B:-b:彼の処に於いて、私はこれこれの名であり、これこれの種族に属し、これこれの姓であり、このように飲食し、
このように苦楽を経験し、このような寿命であり、:b- 彼の処より没して其の処に生じ、其の処に於いて、─ b::b ─、
そうして其の処より没してここに生じている。:B─
このように種々の宿命を想起して、彼は言う。
─C:私は、過去において、世界が破壊し或いは生成したかどうか知らないけれども、
未来において、世界が破壊するかどうか或いは生成するかどうか知らないけれども、
〔我〕と世界とは常住であり、(新たに)生じせしめることなく、山頂のごとく常住にして、
石柱の立つがごとく不動である。そうして人々は、輪廻し、死去し、誕生するけれども、〔我〕と世界とは常住である:C─
これが、第一の常住論です。
【ある沙門・バラモンは】─A::A─ 『一成壊〜二十成壊の生』を想起する。想起して、─B::B─
このように種々の宿命を想起して、彼は言う。─C::C─
これが、第二の常住論です。
【ある沙門・バラモンは】─A::A─ 『十成壊〜四十成壊の生』を想起する。想起して、─B::B─
このように種々の宿命を想起して、彼は言う。─C::C─
これが、第三の常住論です。そしてこれが【諸々の常住論のうちで】もっとも最上のものです。
963名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 15:52:04 ID:RKCHraRG

また次に世尊、仏世尊が【《宿住随念智》に関して説かれた教えは】無上なるものです。
【ある沙門・バラモンは】─A::A─ 『一生〜多百千生』『幾壊劫〜幾成壊劫の生』を想起する。想起して、─B::B─
このように種々の宿命を想起する。また、諸々の天人が居て、彼らがその寿命を(長すぎて)数えられず、
思量できなくとも、彼らの前世がいかに特別なものであったとしても、有色であっても無色であっても、
有想〜非想非非想処にあったとしても、その全ての種々の宿命を想起するものがあれば、それが、
宿住随念智の無上なるものなのです。


上記の骨格は、[(他の宿命通)常住論1・常住論2・常住論3、(世尊の)宿命通]が、
併記されているだけではなかろうか。
964名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 15:58:17 ID:RKCHraRG
>>959
あれが、何人がかりで何年掛かっている仕事かわかって言ってるのか?
漢訳は知らんが、南伝は片山訳を追え。
965カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/26(日) 16:07:04 ID:u42vYKH6
>また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、
>次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
>旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
>すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、
>子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
>しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、
>しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
>そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、
>見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
>だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
>あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
>このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
>まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」 〜ルカ11:06〜11:13

最初は駄目でも、何度も何度も頼めば与えられる。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。
そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
966カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/26(日) 16:14:48 ID:u42vYKH6
自分はイエスの弟子でいたいと思う傍ら、釈迦の悟りに大変興味がありましてね。
ま、ちょこちょこいろいろと顔出しましたよ。でもね上座部にしろ、禅にしろ、ヴィパッサナーの指導者にしろ、
話を聞いても、どうも釈迦の悟りとは違うんじゃないかと。某長老の話、彼の人柄などみても、とても
悟りを開いたものとは思えない。また、今の仏教界で、ニルヴァーナを知る人もいないんじゃないかと、
思いにいたりましてね。釈迦の時代には、多くの阿羅漢がでたというのに、これはどういうことかと。
なにかがたりないんじゃないかと。そこでふと、思ったわけですよ。言わんとすることを、お分かりいただけたら幸いです。
今のキリスト教の迷いは深い。それは今の仏教界にも言えるような気がするのは僕だけでしょうか。

スレ違い失礼しましたん。

967959:2006/03/26(日) 16:21:00 ID:zd0o4roP
>>964
そんだけ日本の仏教関係者は仕事が遅いって事だな。南伝に関して言えば、
パソコンで資料整理なんて便利なことができなかった一世紀も前に、たった数人の
ヨーロッパ人がかなり翻訳したのはご存知でしょ。現代ならそれこそ先代の
研究も参考に効率よくできそうなもんだが、片山でさえ律蔵や論蔵の全てに
手を伸ばせるかわからないね。
968暇人:2006/03/26(日) 16:46:15 ID:3887dLki
>>944
>>923>>929の引用でパーリ文は特定できました。有難うございます。
http://www.tipitaka.org/tipitaka/s0103m/s0103m-frm.html
このページのchapter5「SampasAdanIyasuttaM」のsection12「SassatavAdadesanA」156です。
冒頭のAparaM pana, bhante, etadAnuttariyaM, yathA bhagavA dhammaM deseti sassatavAdesu.を
「また尊い方よ、世尊が常住論について教えを説かれたやり方は 最高のものです。」(岡田訳)
のことですが、
AparaM次の panaしかし, bhante尊師よ, etadそれAnuttariyaM無上の・最高の,
yathA〜のごとく bhagavA尊師 dhammaM教法 deseti教示する sassatavAdesu常住論
ですので違和感のない訳です。
969暇人:2006/03/26(日) 16:47:12 ID:3887dLki
最後部分の訳については「長部経典V」(春秋社)P153,P154を
あたってみないと なんとも評価できません。
つい最近まで置いていた最寄の本屋に当該巻がありませんでしたので
確認にしばし時間がかかります。
現在のところでは
Sassato attA ca loko ca vaNjho kUTaTTho esikaTThAyiTThito.
Te ca sattA sandhAvanti saMsaranti cavanti upapajjanti, atthitveva sassatisaman’ti.
AyaM tatiyo sassatavAdo, etadAnuttariyaM, bhante, sassatavAdesu.

Sassato常住の attAアートマン caと loko世界 caとは vaNjho不毛・空しい kUTaTtho不動の
Esika石柱TthAyi状態にあるTthito立った.
Teその caと sattA衆生 sandhAvanti 走り回る・流転するsaMsaranti動き回り・輪廻する cavanti死す upapajjanti再生する,
Atthiある・存在するtvevaしかしながら sassati常住saman同じ’ti.
AyaMこれ tatiyo第三の sassatavAdo常住論, etadそれAnuttariyaM無上・最高, bhante尊師よ, sassatavAdesu常住論において.

「アートマン(個我)と世界は常住であり、なにものも生み出さず、不動であり、石柱のように固定していて、
かの生けるものたちは生死流転し、輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している。」(岡田訳)

「常住のアートマンと世界とは、不毛で不動であり、石柱のように(変化しないで)存在している。
その有情らは、流転し、輪廻し、死し、再生しているが、しかしながら常住不変に存在する。
これが第三の常住論であり、常住論において最高の常住論です、尊師よ」(私訳)

いづれにせよ ご紹介ありがとうございました
970名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 16:51:46 ID:OEJFcEwS
下らん。
971名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:09:58 ID:RKCHraRG
>>967
時代が違うと思う。当時は、各研究者の為、とりあえずの訳文が必要だった。
これから必要なのは、精度の高い訳文ではないのか?
精度や訳語の妥当性、拠って立つスタンスをどこまでの範囲にするか、
自説の織り込みをどの程度に抑えるか、訳出したものへの責任、
各種研究成果・各種解釈の反映(それらの、経典の性質に合わせた取捨選択)
などを考えれば、ほいほいとできる作業じゃないだろw
972名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:15:48 ID:OEJFcEwS
>>971
そんなこと、ここの連中に言っても理解できないとおも。
973967:2006/03/26(日) 17:24:18 ID:zd0o4roP
>>971
そんなこと言ったらいつまでたってもできないだろうなw 批判的研究はつねに
されるから、最新の成果がいつ覆されるかもわからん。それにそんな精度より、
とりあえず一般人にはとにかく読めることの方が先決だ。
974暇人:2006/03/26(日) 17:30:17 ID:rw9njnsy
>>970-973
偉そうーな 能書き垂れているだけかね キミらは。
バーリ文法のイロハも中学英語さえしらん劣等性の私でさえ
自分なりにチャレンジしているのに。。。

http://www.tipitaka.org/tipitaka/s0103m/s0103m-frm.html
能書き垂れるほど偉いならば
ここの全文をキミらで訳してくれたまえ。

話はそれからだ
975名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:35:15 ID:RKCHraRG
>>974
俺もかよwww
喧嘩売ってんのか?
976名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:36:38 ID:ioctb2wV
劣等性
 ↓
劣等生

やっぱり
977973:2006/03/26(日) 17:36:45 ID:zd0o4roP
こんなことを偉そうと言うのがいかにも足を引っ張るのが上手い日本人気質だな。
そうやって研究者を甘やかすから仕事が遅いんだ。そんなことするなら専門家の
翻訳なんていらんわ。
978名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:40:51 ID:RKCHraRG
>>973
だから、有名どころは色んな人によって沢山出版されてるじゃんw
また、批判を恐れるという意味の精度ではない。
経典に対して誠実である、という意味での精度だ。
解らなければいい。

・・・・これ以上はスレ汚しになるな・・・。
おいらの負けだ。この話題からは撤退する。
979暇人:2006/03/26(日) 17:41:17 ID:rw9njnsy
ご報告

その3を立てました
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1143362427/l50
980暇人:2006/03/26(日) 17:44:10 ID:rw9njnsy
>>975
喧嘩売る気はないが 喧嘩してもよいね 楽しければね。
自然と勉強になる喧嘩だとサイコーですね。

>>976
添削サンクス。 誤字脱字だらけの粗忽モノです。
981973:2006/03/26(日) 17:48:14 ID:zd0o4roP
>>978
俺は有名な経典の話なんてしてないぞ。大蔵経全体と言ったまでだ。経典に対して
誠実であろうとするのはどの翻訳者も昔からそうだろうがw こういう読解力に
欠ける無意味なレスこそ2ちゃんの特徴だなw

>>979
乙。ああ、あんたは自分が賢明に翻訳したのに誰もレスしなかったらムキになったのか。
お疲れさん。
982981:2006/03/26(日) 17:48:59 ID:zd0o4roP
賢明>>懸命
983暇人:2006/03/26(日) 17:49:30 ID:rw9njnsy
>>977
入手しやすい現代語訳はいっぱい出てるじゃん。
中阿含・長阿含は、春秋社モノで完訳しているし、
雑阿含について抄訳だが増谷さんのがある
雑阿含の古層と言われる部分は岩波文庫版で中村御大のやつが
小部の代表的経典 ダンマパダ スッタニパータ 長老偈 長老尼偈も
岩波文庫から中村御大のがある。
手に入りにくいのは増壱阿含だけでは?
これも南伝大蔵経か国訳があるわけだし。。
984981:2006/03/26(日) 17:52:16 ID:zd0o4roP
>>983
既に申したように、俺は大蔵経全体と言ったのだが。
985暇人:2006/03/26(日) 17:53:41 ID:rw9njnsy
>>981
大蔵経全体はスレッド違いだよ
どんなけ膨大かわかって言っている?
訳したって全部読む一般人はたぶんいないが 限りなく少数だよ。

せめて原始経典に(笑)

>誰もレスしなかったら
ちゃうな 経典を読みたかったら人任せにせず 
自分で訳す努力したらどうだねと キミの視点変更を刺激したのだが
そういう発想はキミに生じないみたいね
986981:2006/03/26(日) 18:03:14 ID:zd0o4roP
>>985
大蔵経全体はこのスレにあってるよ。南伝大蔵経のことだからね。全訳しても
どれだけの人が読むかどうかは、各読み手の判断だ。少なくとも用意されてない
ことには、どうしようもないわけだから。

>自分で訳す努力したらどうだねと キミの視点変更を刺激したのだが
そういう発想はキミに生じないみたいね

それはお宅には関係ないことだな。
987名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 18:37:08 ID:u9g65QHR
海外ニュース - 3月16日(木)15時20分 ニュース記事写真動画トピックス 条件検索


紀元前約450年の要塞都市、バングラデシュで発掘



拡大写真

 3月15日、バングラデシュのワリで紀元前450年ごろの要塞が出土。写真は14日、現場で陶器を掘り出す考古学者(2006年 ロイター/Rafiqur Rahman)
 
 
988名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 18:38:45 ID:u9g65QHR
 
 [ワリ(バングラデシュ) 15日 ロイター] バングラデシュの首都ダッカから約85キロ北東にあるワリで、
紀元前450年ごろの要塞(ようさい)が発見された。
古代の交易ルート上の関所だった可能性があるという。
 考古学者らはこれまでに、堀と古い道の一部を発掘した。
 ジャハンギールナガル大学考古学部の責任者、スフィ・モスタフィズール・ラフマン氏は
「この要塞と多数の人工物が、インドの歴史を再定義するのに役立つかもしれない」と指摘。
「マンホールも備え、巧みに計画された道は、要塞が非常に有能な統治体制の下で運営されていたことを立証している」と語った。
 オランダの大学の調査によれば、出土品は紀元前450年ごろのものと判明した。
 600メートル四方の発掘現場から見つかったのは、硬貨や金属製ののみ、陶器、石鎚、腕輪など。装飾品は、
町の中心部で仏教が圧倒的な信仰を集めていたことを示唆しているという。
 モスタフィズール氏は、この要塞はハッラパー文明(インダス文明)の一部とみられ、
この地に重要な交易上の中心地が栄えていたかもしれないと指摘。

同時期に存在した南アジア文明とローマ文明の中継地だった可能性もあるとの見方を示した。
 ハラッパー文明は紀元前2700年から同700年ごろにかけて栄えたといわれている。
(ロイター) - 3月16日15時20分更新

989名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 18:40:14 ID:u9g65QHR
>>988
BC450念と言うのが本当なら、釈迦の生まれた年代はそれよりも前で無ければならない。
990南無大師遍照金剛:2006/03/26(日) 18:46:32 ID:0Cws0ogh
>986中観ぽいねヽ(´∇`)ノ考えてかた
991名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 18:53:56 ID:pgMW2B5d
a
992名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 19:11:34 ID:u9g65QHR
>>988
>同時期に存在した南アジア文明とローマ文明の中継地だった可能性もあるとの見方を示した。

だとすると、仏教思想はギリシャ思想やヘブライ思想にに影響を与えてた可能性もある。
993名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 19:12:57 ID:u9g65QHR
速く暇人さん次のスレッドを立ててください。
994暇人:2006/03/26(日) 19:42:24 ID:rw9njnsy
>>993
既に建てたよ >>979参照。
995名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 20:59:44 ID:+K4AZVQy
>>989
年代は、誤らないでしょう。問題は、

>>町の中心部で仏教が圧倒的な信仰を集めていたことを示唆しているという。
  
  この根拠。
996名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 21:43:20 ID:u9g65QHR
言ってる趣旨がわからない。
 この時に既に仏教が定着していた事実を認められるとすれば、
少なくともこれ以前にこの都に仏教が伝えられていたわけだが、
伝えられるまでの時間、定着するまでの時間、これらを合わせると、
50年と見積もるのは大杉だろうか?仮に50年とすると釈尊が悟りを開いたとき
から50年とするなら、釈尊は37歳で成道されたのだから、釈尊の生誕は
BC487年となる。釈尊の生誕時期に付いて二通りの説がある。
997名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 22:09:45 ID:+K4AZVQy
出土品が仏教の定着を示す根拠が不明だということです。
記者もそこを疑って伝聞で「という」と書いているでしょう。
998名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 22:50:01 ID:RKCHraRG
>>986
このスレも終わりだし、負け惜しみのように一言。
おいらだって、たとえ読む人が一万人に一人だろうとも、全訳があるべきだとは思っている。
実際、「もう何十年と経つのに、この文体は無いよな・・・w」と思っていた。
けれども、いろんな人の授業を受け(勿論片山さんの授業も受けてたし(^^;))、
南伝や国訳の担当者の解説(≒言い訳)、本文の訳出の仕方のバラつき・誤訳・漢訳語のそのままの使用等を見たり、
註釈経典のチェックが必須であること、教相判釈ではないが分類や系統によっての訳出態度、
底本をどれにするか、どの程度底本に校正を加えるか
(→むしろ、一切校正せずに、底本は底本としてそのまま訳すべきではないのか)とか、etc.etc.・・・
経・律・論は言うに及ばず民話・文化等への知識(或いは見識)もそれなりのものが必要だし、
翻訳作業の困難・重要性・翻訳前に必要な作業に思いを寄せたとき、
軽々しく「遅ぇーよwww」なんて言えないと思った。
片山さんも、解り易い現代語訳の必要性・重要性は、ことある毎に口にしていた。が、同時にこうも言っていた。
「こういう風にも考えられますよね。こういう風にも読めますよね。」という話になったりした時、
それらを頭ごなしに否定することはなかったが、「(底本の系統の上で)、まずとりあえず伝統解釈を抑えることが大事だ」と。
授業内容からして、もう既に翻訳作業には入っていたと思う。慎重に過ぎるという批判もあるかもしれない。
けど、おいらは、そんな片山さんの丁寧さが好きだし、だからこそ、彼の翻訳は信頼できると思う。
決して上座部マンセーでないところも良い。三蔵全ての無事訳出を心より希う・・・。

ドロップアウトした自分がこんな文章おこがましいが、少しチラシの裏してみた・・・w

ノシ

彡 サッ
999南無大師遍照金剛:2006/03/26(日) 23:33:54 ID:0Cws0ogh
ヽ(´∇`)ノありがとう
1000センダミツオ:2006/03/26(日) 23:35:27 ID:0Cws0ogh
ナハ…ナハ…ナハナハナハ   ヽ(´∇`)ノ byアートマン
10011001
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