公案に参ず。
第1章を南予さんに建てていただいたこのスレも、自然環境の大変化で、自然災害が多発している世界状況にも似て、大激震である。
その中でも、変わるものと、変わらぬものがある。
それは、本来、その人が持ってる素直なこころである。
やわらかなこころと言っても良いと思う。
スレタイに、「すずめが、ちゅんちゅん」、と掲げさせていただいた。
これは、「すずめが、ちゅんちゅん」、と鳴いているのではない。
わたくしが、「ちゅんちゅん」と鳴いているのだ。
そのとき、わたくしは、すずめとなりきる、一如だ。
わたくしと対立しているものは、何もない。
すべてが、わたくしの中にある。
全存在は、わたくしであり、わたくしは、全存在の中にある。
母の納骨の時、おしょう様にお尋ねした、「母は、どこにいますか?」
おしょう様は、言われた、「おかあさまは、どこにもいます、この全宇宙に、遍満していらっしゃいます。」
母は、わたくしの中にいるばかりではなく、見るものすべての中にいる、わたくしの外に存在しているもののすべての中にいる。
それで、ようやく、わたくしは、少しずつ動けるようになった。
元気になった。
母に、見守られていることが、解ったからだ。
母とは、何だろうか?
母とは、ダルマ、真理、法だ。
禅では、涅槃、悟り、と言う。
なに、難しいことではない。
わたくしの中に、すべてがあり、すべての中にわたくしがある。
それが、すなおなこころで、うなずけるか、どうかである。
いいスレだ。
いつも身近に見ているすずめは、半径250メートル以内のテリトリーで、産まれ、生き、そして死ぬという。
画家が、すずめを描いている。
絵描きは、すずめを見ている。
すずめは、わたくしである。
わたくしは、それでやっと、すずめを描く。
画家は、すずめを描いていたのではなかった。
画家は、画家を描いていたのだ。
ゴッホに、アーモンドの花を描いた絵がある。
それは、生涯彼を助けてくれた弟夫妻の子のために、描かれた。
そして、ずっと、二階の子供部屋に通じる壁に、飾られたのだという。
春の到来を告げるアーモンドの花に、ゴッホは、冬の次は、アーモンドの花が咲く春は、必ずやってくるんだよ、とやさしく語りづけているのだろう。
ゴッホは、このアーモンドの花を描いてまもなく死んだ。
弟の家族は、何代にもわたり、その壁に、このアーモンドの花の絵を飾っているという。
やがて産まれ出でてくる者に愛情を注いだゴッホのこころは、熱く流れる。
わたくしのこころにも。
2才の女の子が、お兄ちゃんの脊髄をもらって、まもなく脊髄移植の手術を受ける。
これで、助かりそうだ。
今月の末には、手術が出来そうだ。
そうしたら、3週間ほどで、退院が出来る。
れす
あはは、公案にも飽きちまったのかい
>>12 とくに、公案というかたちでなくても、いいのじゃない?
公案って、さとりに至らせるものだからね。
どれか、ひとつ、
引っかかってくれると、悟るようになってるから。
どう?
どれかひとつの公案に、取り組んでみないか?
14 :
名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 11:20:28 ID:qU30REVA
小学校時代の同級生の死を、聞いた。
静脈瘤破裂だという。
もう1ヶ月も前の事だったという。
当時から歌がとてもうまい男だった。
バラの花が咲いてた、一輪だけ.
早速切って一輪挿しへ。
一輪挿しの花瓶は小さくてね。
でも、大きなバラの花を、しっかり支えてるよ。
秋の日のやわらかな陽射しを受けて、バラと一輪挿しの花瓶、美しく見えた。
菊は、ディープインパクトを、外して馬券を組んだ。
それで、チャットのみんなからは、勇気というより、愚かだよと笑われた。
なので、昨日の天皇賞は、ゼンノロブロイから流した。
ゼンノロブロイ、ゴール前でさされて、2着と沈む。
3連単は、122万円の驚愕配当となった。
とかくこの世は、住みにくい。
と、すねてみた。(笑)(^^ゞ
20 :
意味な無し:2005/11/29(火) 21:27:20 ID:fEL51yeC
21 :
名無しさん@3周年:2005/12/01(木) 05:32:02 ID:rQAjFGl1
あはは写経を続けているのか?