101 :
ハルカ ◆0tZOcyVq86 :
『中観』ってのは『純粋な論理思考の産物』なんだがね…
102 :
名無しさん@3周年:2005/05/05(木) 23:24:01 ID:ZSCJ//qe
>>100 >中観は、論理より程遠い。
あはははは。
中観ほど洗練された論理はない。論理学としてインドでもっとも発展したのは中観派の論理学。
現代論理学でもってもまだ解明され尽くしていない。
即非の論理といっているようでは、何回死んでも絶対に中観は理解できないでしょう。
で、宿題はまだ?
103 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/05(木) 23:31:33 ID:4HSaR/29
では、君たちは論理的に思考して中観を究めてくださいまし。
君たちには、かないませんなぁ〜〜
( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \
では、おやすみ。
104 :
折 伏 明 王:2005/05/05(木) 23:49:58 ID:G6RahgN4
>>アホダラ
おい、見えてるか?ヒマ人。
おまえ、NGワード設定してるわりには、
机が出てきたらキチンと登場してるよなあ。
ほんとは好きなんだろ?
正直に生きろよな。
( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \
105 :
ベロ ◆eOod7XM/js :2005/05/06(金) 00:12:05 ID:1vizfBWB
たぶん、机さんには「論理」という言葉の意味、使用法等がわからないんだと
思います。中観が論理的でなければ何を論理的と言うんだろうね?
以前も色は五蘊で五蘊が色だとか言ってたけど、致命的な勘違いが多いよね。
始めも中ほども終わりまで論理的に思考し実践して、自分で納得できるように
説かれているのが仏教ですね。
106 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 05:51:36 ID:fg8ij+ZW
>たぶん、机さんには「論理」という言葉の意味、使用法等がわからないんだと
ならば、自己矛盾もない。すべてが論理的でことたりる。
煩悩もあるはずはない。
>以前も色は五蘊で五蘊が色だとか言ってたけど、致命的な勘違いが多いよね。
空というものはない。
ならば、全てのもの(現象)は色である。
言葉を発言するのも色である。
107 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 05:55:54 ID:fg8ij+ZW
勝義においての「論理」と、世俗においての「論理」は意味が違う。
108 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 10:59:19 ID:Xvzr8SCQ
またまた「机は馬鹿である」証明がでてきました。
>ならば、自己矛盾もない。すべてが論理的でことたりる。
>煩悩もあるはずはない。
これだから机には論理がわかるはずないというのだ。自己矛盾やさまざまな様相、
真であれ偽であれ、多値であれ、矛盾であれ、不充足であれなんであっても、それ
を的確に示そうとするのが論理手法なのである。
>空というものはない。
>ならば、全てのもの(現象)は色である。
>言葉を発言するのも色である。
現象を何に限定するかという作業もなしにその断定か?五蘊で捕らえるのであれば、
あんたは「と」。無色界も知らないんだろ?
世俗において論理を尽くした後、勝義に導入される。これは中観派の常識。
よって、机には中観はもろより仏教そのものも無理。
109 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 11:24:30 ID:fg8ij+ZW
>>108 >世俗において論理を尽くした後、勝義に導入される。これは中観派の常識。
こういう発想自体が、哲学オタと同じです。
これなら生死大海に逝くこともなかろう。
机上の論理にて全てが解決する。
勝義は帰納法ではない。それなら哲学で充分。
>世俗において論理を尽くした後、
では、論理を尽くしてくだされ。
尽くすどころか、終始わたくしへの煽りのことで・・・それどころではない。
そうであろう。
お見通しであろう。
( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \
110 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 13:51:47 ID:mKWjmOYY
あ
111 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 14:04:03 ID:pT3gZ8Oj
龍樹の「龍」は、インド古来のナーガですが
中国になると少し意味合いが違うようですね。
龍は中国においては平和の象徴にあたると聞きました。
この龍は、猫とか犬とか熊、蛇などを合成して
生まれた説など生き物の総体とみなされることがある。
つまり、あらゆる文化の統合だから平和の象徴と。
112 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 14:09:49 ID:Xvzr8SCQ
>>109 下品ですね。世俗対の所詮・能詮、因明を尽くした後に勝義諦が開かれるというのは
竜樹自身の言葉。あんたはこのスレッドにはふさわしくないから出て行きなさい。
113 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 14:16:37 ID:mKWjmOYY
第五章的には唯名論なのか。被限定の個物と限定する普遍、
或いはこれを時間論化して、無停滞的純粋な流れと停滞性、か。
可相は個物、相は普遍と考え得る、のではないかと思うが、
第五章はどちらも認めないから、個物と普遍の二元論も、
個物は有だが普遍は非有、というのも認めないのではないか。
戯論は、二元論化して先ず相互に離れてありえて、
それが結合したり離れたりすると為すことではないのか。
114 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 14:42:22 ID:fg8ij+ZW
>>112 >下品ですね。世俗対の所詮・能詮、因明を尽くした後に勝義諦が開かれるというのは
勝義諦が開かれて「無色界」ですか?
貴殿は、勝義も世俗もチャンポンです。
チャンポンですと、私がどうレスを付けていいのか?
>あんたはこのスレッドにはふさわしくないから出て行きなさい。
いえいえ、貴殿が勝義を開いたことに関しては伺っておりません。
続けで勝義の書き込みキボンヌ
115 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 15:00:59 ID:Xvzr8SCQ
>>114 完全に狂っていますね。無色界は勝義ではありません。
無色界自体、あんたは知らなかったんでしょ?
あなたには竜樹は語れない。
116 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 15:46:07 ID:fg8ij+ZW
>完全に狂っていますね。無色界は勝義ではありません。
ならば、無色界も意味はない。
意味なくば、そこにおいて勝義をどう導きますか?
そこが大事です。
さあさ、どうか勝義の書き込みを木ボンヌします。
書いてくだされ。
世俗のことはどうでもよろしいですから。
117 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 16:14:54 ID:Xvzr8SCQ
>>116 馬鹿に語る必要なし。
それより、無色界て解ってるの?
118 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 16:21:46 ID:fg8ij+ZW
>それより、無色界て解ってるの?
無色界という言葉の世界です。
まったく意味はありません。
意味なくば既に私の辞書にはない。
なにもないんです。
すまんですね。
119 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 16:29:32 ID:fg8ij+ZW
>>117 >馬鹿に語る必要なし。
もう、馬鹿を相手にすることもなかろう。
これにて終了です。
世俗の書き込みを見てもしょうがない。
120 :
ベロ ◆eOod7XM/js :2005/05/06(金) 18:05:31 ID:1vizfBWB
「世俗の書き込みを見てもしょうがない。」って…
言語活動そのものが世俗ですよ。世俗における論理的な言語活動を通して
涅槃(勝義)に導入して行くのが仏教じゃないですか。釈尊は涅槃を得てからも
死ぬまで世俗の言語活動を続けられましたよ。言葉の絶えた世界を「伝える」のも
「言葉」でしか出来ないんですよ。だから仏説と言う真実を伝え、正しく論理的な
言語活動を世俗の真理(世俗諦)と言うのです。その世俗諦を通して言語では表現
しきれない、実戦・経験を通したあるがままの真実の世界(勝義諦)に悟入する
のだと思いますよ。
121 :
113:2005/05/06(金) 18:16:06 ID:mKWjmOYY
第五章というのは観六種品第五。
122 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 18:29:22 ID:fg8ij+ZW
>>120 >その世俗諦を通して言語では表現
>しきれない、実戦・経験を通したあるがままの真実の世界(勝義諦)に悟入する
>のだと思いますよ。
そうですね。その悟入したもんを書いて頂かねばなりませんね。
もうこのスレも終了かとおもいましたが・・・
かろうじて逝き伸びるかもしれません。
続けて悟入したもんキボンヌ。
123 :
阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/06(金) 18:51:41 ID:3PFj5kIH
>>120 汚穢を踏み付けても履物が穢れるだけですよ。老婆心まで。
ちょっと横レス。
>>120 >言語活動そのものが世俗ですよ。
>世俗における論理的な言語活動を通して
>涅槃(勝義)に導入して行くのが仏教じゃないですか。
そうすると言語活動は涅槃への手段となるのでしょうか?
言語活動の因があって涅槃という果がある?
125 :
ベロ ◆eOod7XM/js :2005/05/06(金) 19:32:58 ID:1vizfBWB
>そうですね。その悟入したもんを書いて頂かねばなりませんね。
「悟入したもん」は言語表現の範疇を超え出ていますね。
「悟入したもん」は「観じたり」「感じたり」するもんで
「悟入したもん」そのままを「書く事」はできませんね。
「悟入する方法」はたくさん仏典に説かれておりまする。
ちなみに私自身は悟入した経験がないので、「悟入したもん」が何なのか、
どう言う表現がされ得るのかは、実際に悟入経験のある釈尊の経験談が伝えられる
古い仏典をお読みになられるのが良いかと思いまする。
126 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 19:41:24 ID:fg8ij+ZW
>>125 >「悟入したもん」そのままを「書く事」はできませんね。
いえいえ、書くことは出来ます。
私は毎度書いておるじゃ〜ないですか。
書いても”馬鹿”扱いになりますがね。
それだけ中観というのは世俗には程遠い。
127 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 20:03:59 ID:fg8ij+ZW
>>105 >中観が論理的でなければ何を論理的と言うんだろうね?
論理的というのは、二元論法において論理的であるわけです。
中観は、この二元論法にはそもそもそぐわないのです。
ならば世俗的に論理的であっても、それは勝義においては論理的ではないですね。
つまり、世俗の論理性は勝義では通用しない。
128 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 20:37:08 ID:RWHe4KSj
机さんは、見性を体験したんですか?
机さんが、自分しか気付いていないだろうと思ってることは、実は他の人もとっくに気付いてることで、ただ互いに相手が気付いてることがわからないだけでは?
129 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/06(金) 21:43:05 ID:fg8ij+ZW
>>128 電波先生の取り巻きは、「仏教は一如の法門にあらず」と言いますね。
では、中観はなんなんでしょう?
これを説明して頂きたいかとおもうています。
もしや良スレの悪寒?
( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \
130 :
独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/05/06(金) 22:40:13 ID:4hIvgGT3
さて、そろそろ宿題をしなきゃ・・・
某キャッシュよりコピペ
-----------------------------------------------------------------------
唯名論と本質主義について
唯名論について
・言語には相互性がある。この相互性のために言葉による分別が付くわけである。
・この相互性のある2語(正確には2語以上)の間にはある関係が成立していると
考えられる。
(例えば、自存性と付属性、原因性と依存性、同一性(肯定)、非同一性(否定)、
単一性と全体性、相互(補完)性、等がそうである。 )
・言語の分離は何故起きているのかを考えると、その境界は「非常」に「曖昧」である。
(例:希望と絶望 現在希望であるということは、現在その状態に成っていないと
いうことであり、そのことは正しく絶望である。 )
境界が曖昧であるということは、言葉(名前)が在っても、その言葉の示すような
存在は無いということである。
131 :
独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/05/06(金) 22:40:46 ID:4hIvgGT3
本質主義について
・「すべてがaのためにおきている」この文の判断を見ると、
「すべて」は全体性を示す(反対は単一性) (判断の分量)
「aのため」は原因性を示す(反対は依存性) (判断の関係、因果性)
またここで「すべて」の指す内容は、
1科学的な法則
2個人的な法則
3社会的な法則(社会関係は、個人的な法則によって成り立っているので、どの立場に
立っても客観的には一方的であるが、行為の過程やある結果が生まれ
れば社会的には相互的である:マックスウェバー改 )
3ー1社会的な意味内容が相互合意により協定されたためにある法則
3ー2社会的な意味内容が相互に一致したためにある法則
3ー3慣習
上記の2と3であると考えられるが、上記123の概念を含む言葉として「神」が既に在るので
ここにおいて「すべて」の原因となっている「a」よりは「神」を問題とする議論に任せた方が
よい。「神」以外の言葉によってはすべてを含むという意味での全体性になり得ないことは、言
葉に相互性があるということから明確である。
但し、現在、諸研究が狭く深くなっており、一般社会との乖離が進んでいるために、物事を考え
る上で一つのことから全体を見るというのは、避けられないことにみえる(ことであるという程
まだ考えていません)
唯名論が本質主義の対立語となる理由
言語は分離によってできている、それはすべての言語に相互性があるということから分かる。
-------------------------------------------------------------------------
132 :
独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/05/06(金) 22:44:57 ID:4hIvgGT3
なんか余計に判りにくくなったような気がしますが(汗)、唯名論の主張は“「物質」など
というものは名目上のものであるだけで、実在はしない、というところにある”と感じます。
要は“実在論(=本質主義)の否定”ということで・・・
うーん、、、、
阿呆陀羅經さん、中観とつなげるキーポイントって、やっぱり唯名論そのものにある
(論駁の為に利用する対極の理論ではなく)と感じるんですが・・・・間違ってますか?
133 :
名無しさん@3周年:2005/05/06(金) 22:51:10 ID:vKEla7Vh
ナーガールジュナは、決して負けることのない論理を
お持ちのようですが、そのナーガルジュナの
思想を理解しようとすればするほど、その天才ぶりに
圧倒してしまいます。
わたしは、時間がないと言い切ったナーガールジュナの
理論に圧倒されました。
これだけ、カレンダーや時計に生きている人間の中では
そのような事を納得するのは物理学くらいではないかと。。。
いや、世の中にはいると思いますが。。
しかし、そのナーガールジュナが驚いたのが
おそらく釈尊の言説ですね。
自分のこの完璧な理論を釈尊は存じておられた可能性が大きい。
しかも、世尊は自分のような難解な論理を用いる事が無かった。
ナーガールジュナを考えていますと、真理とはいかに難しいか。
釈尊なら、真理とは簡単なことだよと思えてしまいます。
134 :
独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/05/06(金) 22:58:20 ID:4hIvgGT3
135 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 06:50:44 ID:F4bMyEo0
涅槃は論理的思考を越えている
136 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 07:09:12 ID:E1wnxmlO
>>132 >要は“実在論(=本質主義)の否定”ということで・・・
既に貴殿は答えを書いておるじゃありませんか?
そのように調へば宜しかろうにおもいます。
中観は、唯名論も本質主義も含んでしまいます。
こんなこと考えたら実存主義などと言ふのも馬鹿馬鹿しくなりますね。
西洋哲学はチンケになります。
まあ、ここに書き込みしてる御仁はまだ西洋哲学かぶれが多いようですが・・・
137 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 07:17:59 ID:E1wnxmlO
>>133 >わたしは、時間がないと言い切ったナーガールジュナの
>理論に圧倒されました。
そうですね。
人は時間というのは経験でしか認識できないですからね。
時間は連続していない。
などと言われても、直ぐには納得できない。
時空は一如ですね。
空間の歪みは時間の歪みである。
時空は常住にあらず。
138 :
阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/07(土) 08:58:22 ID:VYwFqZtq
>>130 ええっと・・・。
>要は“実在論(=本質主義)の否定”ということで・・・
もっと言えば「本質」あるいは「本体」を論じる諸見解を論理的に破壊したのではないかと考えます。
唯名論にせよ、役割を終えれば退場させられているのではないかと考えるのですが。唯名論も
追究すれば形而上的見解の一つとなってしまうのです。
>>133 >しかし、そのナーガールジュナが驚いたのがおそらく釈尊の言説ですね。
同意です。『根本中頌』全体に佛陀に対する龍樹の尊崇の念が看取出来ますし、それがこの
書の「佛教原理の綱要書」たる性格を基礎付けていると考えます。
>>138 阿呆陀羅經さん
>唯名論にせよ、役割を終えれば退場させられているのではないかと考えるのですが。
あぁ、そういうことですね。理解できました。
感謝致しますm(__)m
140 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 09:35:34 ID:0x3Ykvxf
理屈だけでなく実践しろや。釈尊は実践の人だった。屁理屈屋じゃない。
141 :
独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/05/07(土) 10:09:20 ID:R9O3VqQa
じゃそういう理解をしておいて、次は中観の論書を眺めてみますか。
142 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 10:11:29 ID:zAdshxY4
>>140 言葉をつかってコミュニケーションをとっている掲示板で「実践しろ」とはこれいかに。
実践すべき実生活においては実践していて、ここでは言葉を使う。これがけじめある
良識人のすること。
言葉を使う場所で、実生活ですべきことを持ち込む人はけじめ無く、ことのよしあしを
判断できない未熟な我侭人と言えるでしょう。
このスレの住人は哲学が分かってない人が多そうだね。
文献学の手法で哲学やっても分からんよ。
>言葉をつかってコミュニケーションをとっている掲示
余計なお世話かもしれないけど
言葉を使ってコミュニケーションをとるのも立派な実践でしょう。
もうすこし謙虚になられた方がよろしいかと思いますよ。
144 :
独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/05/07(土) 10:59:16 ID:R9O3VqQa
ま、確かに私は哲学ちーとも判っとらんですが。
>文献学の手法で哲学やっても分からんよ。
恥を偲んで申し上げれば文献学についても無知ですが(汁
ここまでなら問題なかったんですが・・・
>言葉を使ってコミュニケーションをとるのも立派な実践でしょう。
これは多分に論点のすり替えかと。
発端は
>>140氏の意味不明な書込みです。掲示板上において
「屁理屈はやめて実践しろ」という発言に対し、
>>142氏が「ここでは
言葉を使う場所だ」と反論されたわけです。つまり
>>140氏の意図を
「掲示板でくっちゃべるの辞めれ」という風に捉えたわけですね
(実際そうとるのが自然かと思います)。
で、もし
>>143さん、貴方がいうように
>言葉を使ってコミュニケーションをとるのも立派な実践
なのであれば、最初から
>>140の発言は無用なわけです。
なぜなら発言している皆は「実践している」わけですから。
さらには
>>140にある「理屈ではなく実践しろ」という発言が自己矛盾を含む
ことになりますよ。理屈(掲示板上でコミュニケーションをとる為に
必要な論理展開)=実践なのでしょう?
最後の一行は意味不明です。どういう文脈で「謙虚」という単語が
出てきたのですか?
>>144 >最後の一行は意味不明です。どういう文脈で「謙虚」という単語が
>出てきたのですか?
>>142さんの発言を読んで
>>140さんを見下しているように思えたのですが
私の気のせいでしたか?
146 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 11:20:57 ID:E1wnxmlO
_____________________________________
電波先生の取り巻きは、「仏教は一如の法門にあらず」と言いますね。
では、中観はなんなんでしょう?
_____________________________________
お題が既に出ております。
皆さま、いろいろとご教示くだされましm(__)m
147 :
独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/05/07(土) 11:21:29 ID:R9O3VqQa
どうなんでしょう?
私には
>>142さんが
>>140さんを説得している・或いは諭している風に読めました。
見下す云々については、私は
>>140さんの発言こそ、ここの発言者
一同を見下してるように感じました。
これも私の気のせいなのかもしれませんが。
あるいは私の未熟さなのかもしれません。
掲示板ってのは難しいですね。
書込みだけで全てを判断されてしまうのですから。
ま、これぐらいにして、
>>143さん、貴方も実践的な議論に御参加
くださいませんか?
前述致しました通り、私は哲学にも文献学にも無知ですし。
中観とナーガールジュナについて、哲学的に切り込む視点から、お考え
を聞かせて頂けたら幸いに存じます(あたしゃハクチなのでネコに小判と
思われるかもしれませんが)。
148 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 11:28:23 ID:E1wnxmlO
そぉですね。
仏教は「行学二道」とも言いますから、教学も大事なんでしょうね。
>>147 >どうなんでしょう?
>私には
>>142さんが
>>140さんを説得している
>・或いは諭している風に読めました。
そうですね。
判断するのは自分ですから
相手がどう思っているか分からない。
しかしね、大事なのは
あなたや私に
>>142さんの心が分からなくても
142さんは自分で自分の心が分かっている、ということです。
あなたも自分の心は自分で分かるでしょう。
その自分の心に照らしてみて反省する。
それが私が言いたかった実践です。
理屈だけならいくらでも逃げ口上でそんなつもりじゃなかった
と言い訳できますし他人には分からないですからね。
150 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 12:23:36 ID:kBZMSRGv
質問スレの方が適当かもしれませんが。
第二品の gata(已去) agata(未去) gamyamana(去時) 括弧内は漢訳です
これらは単体では厳密にはどう読むべきでしょうか?
例えばgataの場合「すでに去られた」という受動的なのか、
「すでに去った」という能動的なのか、
また、すでに去られた/去った、“ところ”か“もの”か
“こと”か“状態”か“世路”か、是等ではないのか。
どうでしょう?
151 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 16:21:53 ID:msxPUo7T
>>137 >時空は一如ですね。
>空間の歪みは時間の歪みである。
>時空は常住にあらず。
私には、一如というのが分かりません。その境地にならないと
使ってはいけない言葉のような気がしまして。。
教えていただいたのですが、物理学には経路積分という
理論があるそうですね。
もし、それを現実世界に当てはめる事が出来るのならば
今という一瞬は過去と未来をすべての総和と言えるのかな。
時間とか空間とかの概念をするときは、ただ分解をしている
と思えてしまいますが、とにかく、ナーガールジュナの
時間の記述は、ただ事ではないと個人的に思いました。
釈尊といい、ナーガールジュナといい、実はたいした事が
ないんじゃないかと思わせる所が恐ろしいです。
152 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 16:24:10 ID:E1wnxmlO
>>150 >また、すでに去られた/去った、“ところ”か“もの”か
>“こと”か“状態”か“世路”か、是等ではないのか。
>どうでしょう?
というよりも、
gata(已去)と agata(未去)は対立してますから、あまり意味はない。
つまり消去してもいいかとおもいます。
それよりもgamyamana(去時)ですね。
「現に去られつつるもの」も、同じく否定して宜しいのか?ってことが肝要かとおもいまふ。
>>137に書いたように、時間そのものも本性としてあるわけではなく、
依存によってある。
つまり、今という時間さえ依存なくして有り得ない。
というところが中観のポイントかとおもいます。
153 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 16:35:54 ID:E1wnxmlO
>>151 私が書いている間に被りました・・。
>私には、一如というのが分かりません。その境地にならないと
ブラックホールは空間が濃密になれば、それに比例して時間の速度も速くなる。
これも相対でしかありませんが・・・
相対なくば、空間も時間も比較のしようがありません。
現実世界の話です。
>今という一瞬は過去と未来をすべての総和と言えるのかな。
簡単に言えば、そういうことですよね。
>時間とか空間とかの概念をするときは、ただ分解をしている
と思えてしまいますが、
そうですね。
余計なことはせんでいい訳ですね。
余計な思推が、かえって迷うのです。
154 :
阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/07(土) 17:14:16 ID:wpx5NRE3
>>151 佛陀釈尊にせよ龍樹にせよ、時間論や空間論、あるいは物理学等には無関心もしくは
無頓着です。
155 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 17:19:50 ID:6e7R3jm4
理屈だけ論じているこのスレの人たちと違って釈尊は偉い。
156 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 17:29:04 ID:kBZMSRGv
>>152 何か勘違いされている様ですが聞いているのは、
第二品の解説や貴方の私見ではなく、
gata agata gamyamana の訳し方です。
157 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 17:37:51 ID:E1wnxmlO
>>156 そうでしたか。申し訳あいません。
私は訳は苦手です。
まあ、普通に訳して、
「すでに去られたもの」gata
「未だ去られていないもの」agata
「現に去られつつあるもの」gamyamana
この程度しか出来ません。
ようするに、単純に時間のことかと理解しています。
他の方のレスを木ボンヌします。
158 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 17:45:04 ID:kBZMSRGv
>>157 ありがとうございます。
「すでに“去った”」という能動形なのではなく、
「すでに“去られた”」という受動形が正しいということですね。
それから「すでに去られた“もの”」となっていますが、
中村先生等は「すでに去られた世路(時間の路)」としていますが、
何故“もの”なのでしょうか?
159 :
名無しさん@3周年:2005/05/07(土) 17:48:37 ID:kBZMSRGv
能動か受動かにこだわっているのは、
25偈で去ること、去る主体、去られるべき処というのが
出てくるのですが、この去られるべき処が、
gata agata gamyamana だと立川先生がお考えになっているからです。
この三は去る主体に対して客体に当るのか、が知りたいのです。
160 :
阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/07(土) 17:56:35 ID:wpx5NRE3
>>155 「理屈」すら理解できなくて何を吠えてることやら(失笑)。
161 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 18:12:32 ID:E1wnxmlO
>>159 中観ですから、主体も客体も合一かとおもいますが・・・。
無自性で、縁滅してしまいますから、
>この去られるべき処が
この意味は、どうも私には分かりません。
>gata agata gamyamana だと立川先生がお考えになっているからです。
そうですか。
では、他の方のレスを木ボンヌします。
162 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/07(土) 18:19:15 ID:E1wnxmlO
>>158 >それから「すでに去られた“もの”」となっていますが、
>中村先生等は「すでに去られた世路(時間の路)」としていますが、
>何故“もの”なのでしょうか?
単純に私は、装飾語かと理解してましたが・・・
他にレスを木ボンヌします。
163 :
ベロ ◆eOod7XM/js :2005/05/07(土) 23:58:57 ID:tGzi/9Be
164 :
名無しさん@3周年:2005/05/08(日) 04:54:38 ID:8XEzozC4
>>163 机にはそのレスの日本語を読むのに問題があるとおもわれ。
165 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/08(日) 06:49:24 ID:DYtdIvOn
>>159 >能動か受動かにこだわっているのは、
ようやく意味がわかりました。
言語に表記すれば、能動と受動というように対立しますが、
もともと中論は対立がありませんから、言語表記と離れて「去る」というのを解釈したら如何なものでしょう。
さすれば、
>25偈で去ること、去る主体、去られるべき処というのが
こういうこともあまり意味がなくなる。
つまり、分別概念をわざわざ導入するから訳がややこしくなるんじゃないしょうか?
166 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/08(日) 06:58:49 ID:DYtdIvOn
167 :
名無しさん@3周年:2005/05/08(日) 11:06:34 ID:Gnq6ZRON
>>164 あまり刺激しても逆効果です。
公害を増やさないためにもスルーが一番です。
168 :
名無しさん@3周年:2005/05/08(日) 18:06:51 ID:ddUNJT4Y
>>163 ありがとうございます。読み途中です。
やはり「すでに去られたもの」というのが正しいのでしょうか。
すでに去られた“処”とか“世路”というように場所的な読み方、
25頌の去られるべき処を予想しているような読み方は可能なのでしょうか。
169 :
名無しさん@3周年:2005/05/08(日) 18:12:46 ID:ug4r8jbo
ナーガの本性を身につけていない者が龍樹とは。。。
170 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/08(日) 20:05:44 ID:DYtdIvOn
単純に考えて、過去は去るものじゃないから「去らない」と、否定してますね。
中観は蒟蒻問答になりますか?
私は一応、これにて終了します。
他の方のレスポン・・キボンヌ。
171 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/10(火) 15:13:44 ID:+2qSLiIY
娑婆に戻ってまいりました。
このスレッドでは従来の竜樹解釈をなぞるのではなく、新たな切り口で「中論」を見て行きたい
ですね。ベロさんにご紹介して頂いた哲学板での議論のなかで、文法的・言語学的にはこれまで
誰一人読み解けていないことが明らかになりました。
竜樹の指摘点として新たに考えうることは√gam から作られる動詞の特性として他動詞なのか、
自動詞なのかそして他動詞なら目的語を取るのですが、方向動作動詞が目的語を取ることに
無意味さがないのかということかもしれません。サンスクリット文法学ではこれは気づいていない
のか無視しているのか問題にしませんが、言語学や認知心理学の世界で取り上げられる傾向
にあります。
多くの問題点を孕んだ中論ですが、新たな見解を提示していきたいと思います。これは中観研究
に新たな流れを作ることになりますが、私は学界から離れているので論文にはしません。書物に
するか、2ch本にすれば面白いですね。
>>9 のような
>ですから私は、そもそも仏教は弁証法では無理だと言うておるんです。
>そういう発想しているまでは、貴殿の仏教理解は無理です。
>中観は、鰻論法・蒟蒻問答しか理解はできない。
>理解ができんもんを、私がレスを付けても意味がない。
などという常識外は迷惑ですので完全に無視しましょう。
172 :
名無しさん@3周年:2005/05/10(火) 15:15:30 ID:tx6OEu0g
部外者
173 :
名無しさん@3周年:2005/05/10(火) 21:59:45 ID:d6yMPQlz
「去る者」には、すでに「去る」行為が含まれているから、
去る者は去らない。
174 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/11(水) 20:10:07 ID:E+va4GxI
>>171 >娑婆に戻ってまいりました。
おめでとうございます。
>このスレッドでは従来の竜樹解釈をなぞるのではなく、新たな切り口で「中論」を見て行きたい
ですね。
そうですか。それは頼もしい限りです。
>多くの問題点を孕んだ中論ですが、新たな見解を提示していきたいと思います。
では、どうぞお示しくだされまし。
私は暫くROMになりますが、皆様が中論をどう捉えておるのか?
ってとこが、多少関心があります。
>などという常識外は迷惑ですので完全に無視しましょう。
まあ中観というのは、そもそも常識外れなもんです。
175 :
魔法のマント ◆zPDVctO00E :2005/05/12(木) 19:15:25 ID:gk6fsa9J
机っちは、馬鹿のオーラさえなくなった気が・・
パワーダウンだね。
176 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/13(金) 10:14:40 ID:KAcs+BeB
>>175 この時期は、愛車ハーレーダビットソンを乗り廻している時間が多い。
時期的に今は、バイクは旬なんですよw
殆ど洗ってないジーンズを穿いて乗るんですが・・・
ジーンズってのは、洗うと色落ちしますね。
気にいってるジーンズは洗わないw
洗っても洗剤は使わない。
水洗い。
そんなジーンズでも「ほすい」って人もいるんですよ。
世の中はわからんもんですね。
私は売る気はないですが・・・
まぁ、時代もんのジーンズは結構人気があります。
177 :
名無しさん@3周年:2005/05/15(日) 08:06:25 ID:Gpe0AoTZ
>>171 やはり、gata agata gamyamana について、
25頌の「所去処」を予想したような
「すでに去られた“処”」といった読み方は正しくない、
ということなのでしょうか?
ชิงรางวัลดอทคอม ขอสนับสนุน
ท่านสามารถแนะนำ/
何故にナーガールジュナの中論はあんなにも
分かり辛い書いたのだろうか。。。
182 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/05/19(木) 07:09:36 ID:E1xAxluY
>>181 まあ、君たちは頭が良すぎるんだよ。
頭が良いうちは、その頭に負けちゃうんだね。
だから分かり辛い。
福永法源が言うておるように、頭をヒンムいちゃえばいいかとおもうよ。
183 :
名無しさん@3周年:2005/05/22(日) 10:30:43 ID:jcGc38hC
171さん、是非続きを御願いします。
184 :
名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 23:55:38 ID:k9oLb9kG
>112 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:2005/05/06(金) 14:09:49 ID:Xvzr8SCQ
> 世俗対の所詮・能詮、因明を尽くした後に勝義諦が開かれるというのは竜樹自身の言葉。
ソースきぼんぬ
185 :
名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 20:27:41 ID:1tUz3K4u
>>73 >>133 おっしゃるとおりで。できそうな方々ですね。
25 =
>>102 >>112 のいう論理ってどうゆう意味?
>>112 「因明を尽くした後に勝義諦が開かれるという竜樹自身の言葉」って何に書いてある? ランギューパは、いいそうだけど、竜樹が述べる言葉とは思えないです。はい!
>> 105 のいう論理ってどうゆう意味?
186 :
名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 21:54:42 ID:Iy7jh55D
age
188 :
名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 01:40:46 ID:6zkOAwjY
age
189 :
名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 18:41:51 ID:6zkOAwjY
age
190 :
名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 00:06:13 ID:seqzQtOa
カマラシーラを研究されている
>>25 さんに質問です。
有名なチャパの dbu ma shar gsum gyi stong thun は日本語で何と訳しますか?
191 :
名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 18:13:13 ID:6uiFjsnF
age
192 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/06/11(土) 18:49:11 ID:jtbotYpT
>>190 こら。
>>25さんが誰か知らないけど、知ってるなら聞くなや。その態度むかつくぞ。
Phya pa chos kyi seng ge の書だろ?あの書はあの名で通っているから仕方ない。
それを盾にお前はつつきたいのか?性根の腐ったやつめ。
193 :
名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 21:36:39 ID:seqzQtOa
何、おこってんの? じゃ何と訳す?
194 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/06/11(土) 22:19:30 ID:jtbotYpT
>>193 怒ってないよ。お前の存在がむかつくだけ。
195 :
名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:36:26 ID:seqzQtOa
「むかつく」の根本煩悩は瞋恚じゃないの?
で、訳は知らないわけ? 博学なんでしょ? 笑い
196 :
名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:46:36 ID:vP3pFQmW
>>195 きちがいがいるぞ。
ナーガアルジュナをだべってるのに、だべり手の煩悩を追求してるぞ。wwwww
訳を知ってるのに揚げ足を取ろうと人に聞いて、それを咎めたひとに
>で、訳は知らないわけ? 博学なんでしょ? 笑い
だって。wwwww きちがいは氏ね。
197 :
名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:59:41 ID:vP3pFQmW
>>195 あー、ほんでね。なんで25がカマラシーラ専門だと思うわけ?
有名な論争なら誰でも知ってる。
で、きちがいは氏ね。カカカカカカカ
198 :
名無しさん@3周年:2005/06/20(月) 00:22:33 ID:RK4OXabL
こちらから移動しました。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1074370195/l50 >中観では自性、我というのは恒常不変なものだから変化できない、 だから輪廻するというふうに考えるだけどなあ。…(B)
言葉が足りませんでした。 以下に訂正します。
>だから(無我だからこそ)輪廻するというふうに考えるだけどなあ。…(B)
> また、日常的語法に勝義を持ち込むことをやめろ?これも意味と意図が
> 理解できない。あなたはそっくりそのまま『中論』否定になっていますよ。
『中論』には二つの縁起が説かれてるのはご存じですよね。1章の大乗の縁起と、
26章の小乗の縁起です。「日常的語法に勝義を持ち込むことをやめろ」言い換えれば
26章の縁起を1章の縁起で解釈するなってことですよ。
『宝行王正論』1.43以下(梶山雄一訳『龍樹論集』中公文庫)
要約すると、(善悪の)業には果が存在しない、というのが虚無論(無見)であります。
これは不善であり、堕地獄であり、邪な考え方である、といわれます。[43]
要約すると、(善悪の)業には果が存在する、というのが実有論(有見)であります。
これは善であり、善趣にいたる正しい考え方である、といわれます。[44]
知にもとづいて無と有(との二見)を寂滅し、それによって罪福(善悪)を超えます。
これがかの悪趣と善趣からの解脱である、と聖者によって説かれています。[45]
この部分を引いたのは、結構考えてなんですよ。
よく読んでください。あなたの見解は、断見だと龍樹は言ってますね。
199 :
名無しさん@3周年:2005/06/20(月) 04:53:18 ID:HX/7UANB
>>198 >この部分を引いたのは、結構考えてなんですよ。
>よく読んでください。あなたの見解は、断見だと龍樹は言ってますね。
なんか、一番頭が悪い気がする。
小乗の縁起?はぁ?
虚無論が断見?はぁ?
二身論や唯識説などが登場する宝行王正論を無批判に引用する
その態度が気に入らないよ。引用部分の正否は別にして。だれも
そのことは否定してないんだけどな。
てゆーか。馬鹿は発言するな。
200 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/06/20(月) 17:18:09 ID:Oo+4V18P
>>198 常見と断見は世俗諦ですから、どんなに思惟しても時間の無駄かとおもいます。
で、法華経を第一義経典とせば、あまり中論は意味がないかとおもいますが、
どうですか?