★法華経★ 第二巻

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935名無しさん@3周年:2005/09/21(水) 23:46:51 ID:Xp+XtZhF
一言。無駄に長い。
で、I如是が諸法実相でない根拠が俺にはわからん。「無い」と証明するためには諸法実相とはこれこれでありI如是では無いと書いてもらわんと

ただ仏のみがよく、仏の知っている存在の実相を究めつくすのである。「すなわち」

ここのすなわちの後は何?すなわちって「=」じゃないわけ?
936名無しさん@3周年:2005/09/22(木) 18:34:10 ID:kT4tr9Gy
>>935
すなわち 【即ち・則ち・乃ち】
[接]1 前に述べた事を別の言葉で説明しなおすときに用いる。言いかえれば。つまり。
「日本の首都―東京」2 前に述べた事と次に述べる事とが、まったく同じであることを表す。
とりもなおさず。まさしく。「生きることは―戦いである」3 (「…ば」の形を受けて)前件の事実によって、後件の事実が自然に成り立つことを表す。
その時は。そうすれば。「戦えば―勝つ」「信じれば―救われる」 .. [さらに]

「すなわち」には上のように幾つかに分けられる意味があるが、当該文は、上の1番に該当しましょうか?
ですから、『ただ仏のみがよく、仏の知っている存在の実相を究めつくすのである。』
【すなわち】
このすなわちは、仏と仏のみが、存在の実相を知っているが、どの様に知っているかを当たりをつけて
言い換えたものと解するのが相当なんです。
、『ただ仏のみがよく、仏の知っている存在の実相を究めつくすのである。』
 上の文意は決して、諸法実相そのものを意味するものではないです。
どの訳文を見ても文意は同じです。
 また以下の十如是の文意も、実相とは何かを明かしていると解する事はできません。
『、存在とはこの様な相をしたものである、
この様な本姓のものである、この様な本体のものである、この様な力のあるものである、
この様な作用のものである、この様な原因を持つものである、この様な条件を持つものである、
この様な結果を持つものである、この様な報いを持つものであると究めつくし、
ついに本体と現象とがひとつのものであると究めつくすに至るのだ」と。』

 諸法実相が日蓮天台の様に、十如是または十如是に基づくものであったれば、
それは、それまでの仏教の教えととてつもなくとっぴなものであるから、それに基づいた、
教えが広まったり、法華経ばかりではなくほかにも、十如是を説いた経典が、
誕生していて良いのですが、皆無です。
 天台「天台が十如是を宣揚したのかどうか知らないのですが、」日蓮が、十如是だ一念三千だというんは、
以上により、全くの嘘と言わなければなりません。まして、題目うんぬんは、
トンデモ説の中のトンデモ説です。
937名無しさん@3周年:2005/09/22(木) 22:59:45 ID:kT4tr9Gy
やっぱりこいつらは悪魔だったか。
みんなよく聞け、日蓮や層化に近づくな!!
938名無しさん@3周年:2005/09/22(木) 23:30:54 ID:kT4tr9Gy
池田創価は釈迦を否定・侮辱した時点で、もはや仏教では無いのだ!
ブッタの教え、仏教を名乗ってはならぬ!
それは詐欺だ!池田教と名乗りなさい!
統一協会・エホバの証人・モルモン教と同じ新興宗教=創価学会・池田教。
名目上は日蓮氏を仰ぎながら、実は「池田教学」が一番の新興宗教。
愛も慈悲も無い、イカサマ詭弁教学。3流だ!
下品さと暴言・詭弁で証明されている。

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」P63
「釈迦の法はもう過去のもので何の利益もない」
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P65
「われわれは釈迦仏教に縁のない民衆であることを知
 らねばならない」
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P67、P316
「日蓮聖人が末法の御本仏であらせれる」
「釈迦等のとうていおよぶ 分際ではない」
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P93
「釈尊出世の本懐である法華経でさえも末法の今日に
 は まったく力はない」
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P70
「(創価学会の)この大御本尊を拝む以外に末法の
 衆生は基本的に幸福になれないのである。」
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P303
「釈迦仏法など立てるのは去年の暦と同様で役に立た
 ないしろものである。これを使用するから生活に破錠
 をきたすのは とうぜんである。」
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P321
「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者が
 できたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては
 発狂する者ができたりして〜」
939名無しさん@3周年:2005/09/22(木) 23:36:44 ID:2B9miKY9
実相って空性のことじゃないかねえ?
940名無しさん@3周年:2005/09/22(木) 23:42:09 ID:kT4tr9Gy
そうだよ、それをよく理解して欲しいね。
941名無しさん@3周年:2005/09/23(金) 18:09:22 ID:sl4LiT3X
>>938
3流とはまたまた高く評価されておりますねぇ。
「外道・邪道」のほうがいいんじゃね?
942名無しさん@3周年:2005/09/23(金) 18:36:32 ID:05wqRtnZ
>>938
938の作文は『原始仏教その15』からの引用です。
失礼しました。
943名無しさん@3周年:2005/09/23(金) 19:31:14 ID:l1/jvbZc
>>931
久々に岩波の法華経見て、何を言ってるのかわかったwそもそも>>932のサンスクリット版の法華経と岩波は違うという事を念頭に。
さてさて、なぜしゃりほつの懇請があるのか?
「(法華経以前は)今まで声聞、縁覚、菩薩は同じ悟りを得られると説かれていたのに、突然それは方便であり、真の悟りではないと言って諸法実相を説かれた。我々には理解できない」 意趣
で、三回聞く。
で、>>933一切種知=空。誰の解釈かは知らない。岩波では平等と差別とを合わせ知る仏の知恵と注釈してある。俺は浅学の為、ここで空と解釈していいのやら知らない。ただ、梵文でのその個所は「悟り」である。悟り=空でいいのやら?
てか、一切種知は漢訳だろ?漢訳とサンスクリットを混合するな
以下方便品ではサンスクリットで「悟り」が漢訳「一切種知」
で、結局諸法実相って何?>>936それで答えになってると思ってる?俺は諸法実相とI如是の関係を聞いてるのではなく、諸法実相自体を聞いてるのだが

あと天台、日蓮云々言ってるけど、あれは漢訳法華経を前提にして展開してるわけ。わかる?サンスクリットとは異なりますから。混合乙
法華経の影響つ涅槃経、非華経、以下成立の大乗
944名無しさん@3周年:2005/09/23(金) 21:10:33 ID:05wqRtnZ
>943
『悟り』と言うが、悟りとは何を悟るかが問題。
一切種知を悟るのだ。一切種知とは、完全な『空』である。
 完全な『空』に付いては、サンスクリット本の薬草喩品の
漢訳に欠けている部分に詳しい。
 漢訳なら、日蓮天台のような解釈になると言うことも絶対にない。
945名無しさん@3周年:2005/09/23(金) 21:52:49 ID:l1/jvbZc
ふむ、俺が浅学なんで、一切種知(悟り)=空と解釈したのが誰だと(略 てか、本当に誰?お前?
さっきも書いたけど、サンスクリットと漢訳とは別として解釈しるのが前提。
ちょうど、外国映画と日本語吹き替え版外国映画の違い
翻訳するのに翻訳者の意向が前面に押し出してあるから。直接ありのままに和訳すると訳わかんない個所あるし、言いまわしがその国では使われなかったらわからない
そんな中で鳩の腕の見せ所な訳だが
まして鳩の原本に無いとされる薬の欠品を持ち出されてもなwwwΣ(^∇^;)えええええ〜
まず、悟り=空をサンスクリット原本、と初期大乗の例を引いて証明すべきだと折れは思う。でなければただの独りよがり。もち法華経成立以後と推測される経は外してね
あ、もちサンスクリット原本ね。漢訳は↑の通り翻訳者の思考、情勢が影響するから
以上 法華教学より
946名無しさん@3周年:2005/09/23(金) 23:10:07 ID:05wqRtnZ
>>945
>悟り=空を

俺はこんなことを言ってない。おまえが証明して味噌。
947名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 08:11:08 ID:ZC4BU5/m
日蓮も終わりだな。
948名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 12:45:48 ID:ZC4BU5/m
>>945
> 一切種知(悟り)=空

こう言うことだったか?これならすでに答えているよ。
>>917
>○また、懇請に対する釈尊の説法(つまり、懇請以下の文章)のどの部分から釈尊が「空」を説いていると、あなたは理解したのですか?
 
●薬草喩品 「同一の相、同一の味の教えとは、生死の絆からの解放、
愛欲からの離脱、執着する心の絶滅という特徴を持つものであるが、
これは究極的な永遠の平安であり、常住の寂滅であり、ついに空に帰着するものである。
仏はこれを知りつくしているけれども、生ける者達が心に欲している事を観察してこれを譲ってやろうと思うから、
一切種智を説くという事をしないのだ。迦葉よ、御前達が、如来が相手に応じて説かれる教えを知ってよく信じ、
よく受け入れるという事は甚だまれである。それは何故かというと、
諸仏が相手に応じて説かれる教えは理解し難く、知り難いからである」

それから>>919にサンスクリットからの和訳

 法華経においては、菩薩の教法として、空の完成と言うことがすでに自明のこととして
教えられていた事実が前提となっているのだ。その時、声門、縁覚は空の完成(智慧の完成ともいい六波羅蜜)
から外されていたのだ。
949名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 12:46:40 ID:L8w/OE92
>>946
梵「さとり」=鳩訳「一切種知」=>>933 と好意的に解釈したんだが。違ったのか。で、方便品のどこに空が説かれてるって?
あと一切種知を空と誰が解釈したか教えてけろって言ってるだろ
950名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 12:48:11 ID:ZC4BU5/m
続き
 方便品においては以下の答えが答え。
 
「それでは舎利弗よ、諸々の仏陀.世尊はただ一大事因縁によってのみ世に出現されるというが、
それはどういうことなのか。
 諸々の仏陀.世尊は、生ける者達に仏の知見を開かせ、
清浄なものとする為にこの世に出現されるのである。生ける者達に仏の知見を示そうとしてこの世に出現されるのである。
生ける者達に仏の知見を悟らせようとしてこの世に出現されるのである。
生ける者達を仏の知見の道に入らせようとしてこの世に出現されるのである。
 舎利弗よ、諸仏がただ一大事因縁によってのみこの世に出現されるという事は、
こういうことなのである。」
 仏はさらに舎利弗に言われた。
ー 「諸々の仏陀、如来は、ただ菩薩だけを教化される。すべての行為は常にただ一つのことのためである。
ただ仏の知見を生ける者達に示し悟らせるためである。」
951名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 13:57:54 ID:ZC4BU5/m
>>949
生死の回転の車輪を知らないものは、平安の境地を識別することができない。
しかし、諸々のものには個性がなく、本体がない事を知るものは、『悟り』に到達
した世尊達の『悟り』を真に知るのだ。
中程度の理知によって分別することから「独覚)といわれる。
「空」についての智慧が劣っていることから、声門と言われる。
しかし、一切の教えを会得することから、完全に「悟り」に達したものと言われる。
 
 薬草喩品のサンスクリット本の、最後のゲの中のもので、これはラジュ訳の漢訳にはない。
952名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 14:00:44 ID:ZC4BU5/m
いずれにしても、十如是でないこと、一念三千でないこと、題目でないこと
これは間違いないだろう?
953名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 14:06:31 ID:ZC4BU5/m
仏の知見をそれだけを取り出して明らかにしているのが般若心教だ。

954名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 19:36:04 ID:L8w/OE92
>>950それが空?仏の知見=空?
とりあえずしゃりほつが三回聞いた後のすべての品にわたって釈迦が答えている。と>>951が理解してるのが俺は理解できた。
ところで、獲得するのが空と説きながらも全体としてわずかにしか触れていないのはさほど重要視してないからと言う「学説」しってるかw
>>953何℃も言うが、空を展開して空を説くのが般若。空を展開して有を説くのが法華。まっ、学説を知らないだろうが
955名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 19:57:23 ID:ZC4BU5/m
>>954
>>>953何℃も言うが、空を展開して空を説くのが般若。空を展開して有を説くのが法華。まっ、学説を知らないだろうが

そんな学説間違っています、捨てた方が良いでしょう。
956名無しさん@3周年:2005/09/24(土) 20:48:43 ID:ZC4BU5/m
>>954
>獲得するのが空と説きながらも全体としてわずかにしか触れていないのはさほど重要視してないからと言う「学説」しってるかw

これも皮相的な見方です。
ま、法華経はそれまでの教えを相当な程度で知っていないと理解が難しい教えです。

 あんた冷静沈着サン?
957名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 00:31:12 ID:BF4ibyZf
間違った解釈は間違ったものとしなければならない。
958名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 00:46:58 ID:kY0DHV72
冷静沈着?誰それ?
ちょいと見てみると 例
ひゆ品。以下梵意訳 「私は空の教えをさとり、悟ったのだと思いました。しかし真のさとりではありませんでした」
ここでは空は真の悟りでは無く、方便品の教えを聞いてジュキされて悟りに至ったとあるのだが。探せばまだ有りそうだなw空を得させるはずじゃなかったの?
あと、まっ、当然知ってると思うがやくそうゆ品の最後の梵の問題。
正にはあるが妙には無い。そもそも底本が妙が古い。後の付け足しでは無いかとの説(ry  確かに他の梵文とは雰囲気がちょっと違う希ガスる。この場合、この部分の成立は初期大乗成立後の思想の影響(ry
959名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 12:35:10 ID:kY0DHV72
さてさて、ヒマが出来たから引っかかってた>>933の一切種知を検証してみるか。>>944も答えじゃないからなあww
梵において「さとり」とあるのを鳩は一切種知、一切知、智恵、あのくたらさんみゃくさんぼだい、むじょうとうしょうがく等と翻訳。これは経全体を通して一貫。
梵において「空」とあるのを鳩は空と翻訳 例
>>948で取り上げられたやくそうゆ品の部分。梵「同じ根拠にたち、空に到達する〜」 鳩 「終帰於空」
あんらくぎょう品。梵 「それらは空であると見るのである」 鳩 「観一切法空」等

これらの事実から判断するに、鳩は 「悟り=一切種知」 としていても 「空=一切種知」 とは考えていないことが伺える。他の経品において空=一切種知が成り立ったとしても、少なくとも法華経では別として扱われている。後世の解釈だろ。
以上考察するに、もし梵と翻訳品の比較ができる状況ならば空=一切種知とはならないはず。ならば漢訳のみで理論展開した結果と推測されるから空=一切種知は中国で成立されたのであろう。あれ?誰か天台とんでもって言ってたっけ?
深読みすれば悟り→し諦→十二因縁→Eはらみつ→空。か?深読みしすぎたw 

以上法華経における空と一切種知との関係〜梵文と漢訳を比較検討・鳩の翻訳思想〜
960名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 13:15:09 ID:BF4ibyZf
法師品
この立派な若者や娘は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐って、
四種の会衆の為に広くこの経を説くべきである。如来の室とは、
一切の生ける者達に対する大慈悲心がこれである。如来の衣とは、
柔和な忍耐の心がこれである。如来の座とは、一切の存在するものが空であるという考えに入る事がこれである。
この中に安住して、しかるのちに怠りなき心で、諸々の菩薩と四種の会衆の為に広くこの法華経を説くべきである。
安楽行品
また、次に、菩薩は、この世に存在している一切のものは空である、
ありのままのすがたである、顛倒しておらず、不動であり、退転せず、
虚空の様であって固有の性質がなく、言葉でも口でも説明の出来ないものであり、
生じたのでもなく、出て来たのでもなく、起こったのでもなく、名もなく、
相もなく、所有するものがなく、無量・無辺・無碍・無障であると観察しなさい。
ただ因縁によって存在しているだけであり、判断の顛倒によって生ずるから、
常住であり、安楽であると説くのである。存在するものをこの様に観察すること、
これが菩薩の第二の近づくべき範囲である」と。

 仏と言うのは一国の主であるが、声門縁覚は、一国の主になろうともしていない。しかし、菩薩は、
一国の主になろうとしている人である。
 この差の故に、仏の知恵が声門縁覚では、完全なものとならないのだ。
菩薩は主になろうとしているので、その目的が完全な空であるから、仏となると予言されたのである。
961名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 13:52:56 ID:BF4ibyZf
>>959
もっとまじめに論述してくれない?不明確では迷惑するだろう。

 ところで、あなたは『一切種知』とはどんなものを指すと解釈していますか?
962名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 14:11:29 ID:BF4ibyZf
★法華経★ 第3巻」を立ち上げたのだが、URLはどうして出しますか?
963名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 15:20:36 ID:BF4ibyZf
>>959
>事実から判断するに、鳩は 「悟り=一切種知」 としていても 「空=一切種知」 とは考えていないことが伺える

以下の叙述はどして『空=一切種知』に当たらないと思いますか?

>>948 これは究極的な永遠の平安であり、常住の寂滅であり、ついに空に帰着するものである。
仏はこれを知りつくしているけれども、生ける者達が心に欲している事を観察してこれを譲ってやろうと思うから、
一切種智を説くという事をしないのだ。
964名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 15:37:02 ID:BF4ibyZf
★法華経★ 第3巻
以下に準備しました。

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1127624690/l50
965名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 18:16:07 ID:kY0DHV72
>>961
失礼。内容は真面目だよ。ただ略してはいるけど。
俺は一切種知=さとり、または仏の智恵かな。理由は↓の通り。深く読めば違うだろうけど、梵を元とする限りこれ以上の解釈は不要かと

>>963
指摘しなかったけど、それどこ?岩波にその様な個所ありません。似た個所はあるけどね
そもそも一切種知は漢訳での表現で、梵語にそれに該当する単語無い。鳩が梵語「さとり」を訳す時に適宜に使ったんだろ。使う基準は知らん
以上 何故梵字なのに一切種知なんて漢訳単語が使われているのだろうと不思議に思ったぼくちんでした

>>964
乙〜
966名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 19:29:29 ID:BF4ibyZf
>>965
初めが当該漢訳 次が岩波梵訳

●薬草喩品 「同一の相、同一の味の教えとは、生死の絆からの解放、
愛欲からの離脱、執着する心の絶滅という特徴を持つものであるが、
これは究極的な永遠の平安であり、常住の寂滅であり、ついに空に帰着するものである。
仏はこれを知りつくしているけれども、生ける者達が心に欲している事を観察してこれを譲ってやろうと思うから、
一切種智を説くという事をしないのだ。迦葉よ、御前達が、如来が相手に応じて説かれる教えを知ってよく信じ、
よく受け入れるという事は甚だまれである。それは何故かというと、
諸仏が相手に応じて説かれる教えは理解し難く、知り難いからである」

919 :866:2005/09/15(木) 22:18:27 ID:E+4dxRP5
>>917の薬草喩品について他のもっと解りやすいと思われる訳を紹介しょう。
「余は世のけ縛からの解脱と平安と言う味を持ち、〈悟り〉の境地に達することを究極の目的とし
常に完全に平安で、同じ根拠に立ち、「空」に到達する教えを知っているが、人々の意向を大切にする故に
仏の知恵を突然に解き明かさないのだ。なぜならば、、もし突然に仏の知恵を解き明かすならば、
汝らは奇異の念に打たれ、不思議に思うて、如来の深く微妙な言葉を悟ることができないからだ。
完全に「悟り〉に到達した如来達の深く微妙なお言葉は理解しがたいのだ。」と。
967名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 21:10:44 ID:kY0DHV72
>>966
ふーん。漢訳って言うから鳩訳妙法蓮華経かと思えば違うのか。じゃあその漢訳は知らんから俺から何も言う事は無い。
いずれにしても「仏の智恵」を一切種知としてることは共通か。はたして仏の智恵を空と訳して法華上はよいのか?上の漢訳知らんから言及しない
968名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 21:30:59 ID:BF4ibyZf
声門の悟りと言うものは無い、声門乗と言うものは無い、全て仏の乗り物であり、仏の乗り物しかない。
そこで、声門の悟った空は不完全であるだけなのだ。

>>951
>しかし、諸々のものには個性がなく、本体がない事を知るものは、『悟り』に到達
した世尊達の『悟り』を真に知るのだ。

諸法には個性が無く、本体が無いこと、これは空の真理からしか導かれない教えである。

>中程度の理知によって分別することから「独覚)といわれる。
「空」についての智慧が劣っていることから、声門と言われる。
969名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 21:41:50 ID:BF4ibyZf
空と言う真理を聞いただけで、悟りを得るのではないだろう?
空と言う真理を体得することで悟りを得るのだ。
 その悟りを体得する段階があると言うべきだろう?
声門縁覚は悟りの完成に至っていないと言うわけだよ。
970う? ◆XhozoLVp46 :2005/09/25(日) 22:50:57 ID:kY0DHV72
トリップついたかな
971名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 23:02:39 ID:BF4ibyZf
トリップってなに?俺寝る。
明朝楽しみにしてる。
972う? ◆XhozoLVp46 :2005/09/25(日) 23:07:56 ID:kY0DHV72
ついたことを確認して
般若の悟りを詳しく知らんが
例を挙げれば法華経では、仏の世界に声聞、縁がくがそのままで居るとある。つまり声聞らはそのままで@仏乗に達すると説くのが法華。
>>968
の声聞が不完全ってどこ?
>>969
えーと、どこ?梵、漢でよろしこ
俺の話に注いれるなら信仰による話に関わらない。あくまで法華経の話。なんとなくここに居るのは天台、日蓮の法華だよな。今般若も居るみたいだがww恥さらしてるみたいだが
で、誰か知らんが>>966の漢文は誰の訳?いずれにしてもど素人マルダシww指摘するまで構わない俺
973冷静沈着:2005/09/25(日) 23:44:01 ID:Sl52OZ7L
お久しぶりです。学生ではないので頻繁にはこれないのですが、何やら話が進んでいるようですね。途中で登場人物の勘違いもあったようですが(>>956)。
一切種智とか空とかの捉え方の違いには踏み込むつもりはないのですが、>>866さんに質問(>>909>>910)して回答させておきながら(>>917>>920)そのままになってしまったので、ちょっと書かせてもらいます。

まず、866さんの>>884のコメント(十如是十界を否定するために「空」と言った)に対して、>>888のような「預言者?」という発言に見られるように866さんは歴史認識が間違っているのではないか、ということに関してです。
私は、866さんが
 法華経は釈迦が言った言葉そのままで(もしくはそれを弟子が忠実に書き残した)ある。
と信じている、と理解しました。また、「預言者?」と批判的に言われている部分に関しては、
 釈迦が時空を自由に駆け回ることが出来る存在である
というイメージを866さんは持っていると理解しましたが間違ってますか?
よって、
 「釈迦は、後世において日蓮というオッチョコチョイが十如是が重要などという間違った教説を普及しようとするのを防ぐために、空を強調した」
というのが866さんの考えですよね?

>>866さんへの質問
あなたが日蓮を嫌っているのは文面からわかるのですが、
  天台教学=日蓮が構築した教説
と考えているようにとれるのですが、そう考えているのですか?
974冷静沈着:2005/09/25(日) 23:46:46 ID:Sl52OZ7L
>>917から866さんの方便品以降の解釈は、

 「爾時世尊 従三昧 安詳而起 〜 示以三乗教 衆生処々著 引之令得出」(大衆の疑問の文が始まる前まで)の部分は、
   『仏の知恵の素晴らしさを明かした部分』・・・>>866さんの解釈
 で、舎利弗たちには表現が難しくて理解が出来なかったから、
 「今者世尊 何故慇懃 〜 而今不知 是義所趣」
   (易訳;釈尊は何故方便を称歎して、仏の得たる法は難しく、声聞には理解できないなどというのか。われら声聞も涅槃に至っているというのに、この言葉の意味が分からない。)
 と疑問にもち、舎利弗が代表して
 「世尊何因何縁 慇懃称歎 〜 難解之法」
   (易訳;世尊よ、どうして方便の法を称歎するのですか。いまだかつて、このような説を聞いたことがありません。)
   『仏の知恵の素晴らしさを教えてください』・・・・>>866さんの解釈
 と懇請を始めた。
 それに対して、釈尊は、三止三請以下の文章で
   実相=空である
 と説明している。

という理解でよいでしょうか?
975冷静沈着:2005/09/26(月) 00:17:32 ID:RFq773ZJ
>>866?さんへ
>>936の「すなわち」についての解釈、大変興味深く読ませてもらいました。ここで取り上げている「すなわち」は「乃能究尽」の『乃』ですか。訳文からは「所謂諸法」の『所謂』のことを「すなわち」と訳していると解釈しましたが。
>>866さんは、ここの「すなわち」は3((「…ば」の形を受けて)前件の事実によって、後件の事実が自然に成り立つことを表す。 )の意味だと主張しているのですか。3の意味では前後のつながりがよくわかりません。申し訳ありませんが、
「所謂諸法」の前後の文章を「〜ば、・・・・である」と訳してみてもらえませんか?

単純につなげてしまうと、
『ただ仏のみがよく、仏の知っている存在の実相を究めつくすのである
ならば(そのときは? そうすれば?)、
存在とはこの様な相をしたものである、 この様な本姓のものである、この様な本体のものである、 〜と究めつくすに至るのだ」と。 』
となって、ちょっと難解なもので。
976独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/09/26(月) 00:51:06 ID:xwW+ki8Q
>>964
スレ立てお疲れ様です・・・とか書きたいところですが・・・・・・
なんで>>1で石川高明氏のサイトにリンク貼ってるんですか?
端から荒らしを呼び込むスレにしか見えない私は性格腐ってますか。そうですか。

ttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1125118802/
このスレで暇人さんと質疑応答中のようですね。こちらでは
真摯になさっているように見えますので悪意を持って立てたとは
判断できません。

考えられる可能性として、ここの>>1を(テンプレと思って)そのまんま
コピペされたんでしょうか?だとしたらリンク先とか、>>1のコテハン
(勿論騙りでしょうけど)とか、念の為確認して欲しかったです。

折角立てて下さったスレですけど・・・
このまんまだとあんまり使いたくないなぁ・・・(汗

お手数をおかけしますが、法華経スレのテンプレとして相応しいものを
、即興で作って追加って形で書き込んで貰えませんか?
977名無しさん@3周年:2005/09/26(月) 09:08:14 ID:VOH3i9Cy
>>976
当方は何にも知らないので、コピーしました。他意はないのです。
オ好きなように治すなり、建て直しなりして下さい。
978名無しさん@3周年:2005/09/26(月) 18:46:40 ID:VOH3i9Cy
>>973
大乗経典は、釈迦の説く真理をよく理解した修行僧が書いた物だと思っています。
その内容がすばらしいと思いますので、インドには、釈迦のように悟った聖人が
釈迦以降も何人もいたのだと思い、すばらしい事だと思っているのです。
 大乗経典を読みますと、仏陀の説法の中で、ブッダ自身が、仏陀がこの様に教えられたのであるとか、
これは仏陀の教えであるとか、言う個所が散見できます。
 ブッダの教えをよく理解しているなら、正覚者としての釈迦になぞらえて、理法に適った
教えを述べても罪ではないでしょう。現に私は、釈迦以外に歴史上に釈迦と同じ理法を、ブッダ「釈迦」
とは関係無く、説いている人が何人かいることを知っているのです。また釈迦自身、自分のほかにもブッダがいることを
当然のこととして明かしていまして、その説くところは、同じであると、言ってると思います。

>釈迦が時空を自由に駆け回ることが出来る存在である というイメージを866さんは持っていると理解しましたが間違ってますか?

この様なものを神通力といってる様ですが、理屈から言って否定できない力ではないかと思っているところです。
しかし、あのレスの時点で、神通力の事を言った覚えはないですよ。

>「釈迦は、後世において日蓮というオッチョコチョイが十如是が重要などという間違った教説を普及しようとするのを防ぐために、
空を強調した」
というのが866さんの考えですよね?

 別の日蓮だとか、十如是を意識しているなどとは思えません。結果的に空に反する教えを排すると言う目的の教え
になっていると言えると言うことです。
979名無しさん@3周年:2005/09/26(月) 19:04:29 ID:VOH3i9Cy
>>974
法華経は二つの事を説いていると思います。一つは、二乗の成仏であり、
もう一つは、智慧の完成です。この二つは表裏の関係です。
 智慧の完成とは、修行者においての空諦の完成です。
方便品においては二乗達はこの智慧の完成に勧誘されたんだと言わねばなりません。
 智慧の完成に至っていないものは、今だ仏の知恵を知らないものと言うことです。
実相は空に他なりません、と思います。
980名無しさん@3周年:2005/09/26(月) 19:12:35 ID:VOH3i9Cy
>>975
>>935
すなわち 【即ち・則ち・乃ち】
[接]1 前に述べた事を別の言葉で説明しなおすときに用いる。言いかえれば。つまり。
「日本の首都―東京」2 前に述べた事と次に述べる事とが、まったく同じであることを表す。
とりもなおさず。まさしく。「生きることは―戦いである」3 (「…ば」の形を受けて)前件の事実によって、後件の事実が自然に成り立つことを表す。
その時は。そうすれば。「戦えば―勝つ」「信じれば―救われる」 .. [さらに]

「すなわち」には上のように幾つかに分けられる意味があるが、当該文は、上の1番に該当しましょうか?

私は1番だといってるつもりです。これと手も相手の人に従って説明しただけです。

>「所謂諸法」
 
 これの意味なら十如是であるといえると思います。十如是は諸法に過ぎないと言うことです。 
 
981う? ◆XhozoLVp46 :2005/09/27(火) 22:37:05 ID:cyrP/QSi0
>>979
なるほろ。
他の大乗で否定されたA乗の成仏は空の思想の徹底に他ならないと(ry ここで指摘するなら「なぜ実相」と訳したか。
空の徹底によるのなら諸法空相と訳すのが内容的に(ry  鳩は梵の意味を汲み取って漢訳してるのに空を一切種知と一切翻訳してない件とか
かなり略するけど、法華成立の背景にうぶ(実有)があり、どうやらそれから派生して空思想をとりこみながら (ry  それは経文内容的に指摘できるみたいだが
端的に表現するなら、うぶ→空→実有。だから実相を空とするのは法華教学的に否定されてますな。ま、個人の信仰には関与しませんから勝手にどうぞ、か?

てか、元を正せば一切種知を空と解釈するから勘違い(?)があるような気が。それが間違いとは言わないけど、梵を交えて解釈するから突っ込んでみました。梵と漢訳は別にするのが当たり前なのにど素人臭い混合解釈(ry
詳しく突っ込むと>866が居なくなったww
ゴメンな〜。お前みたいな素人がいないとレスが全く伸びないなww
982冷静沈着:2005/09/28(水) 00:58:24 ID:1XAXHUJf
>>980は、本当に866さんの発言ですか?ニセモノではないですよね。
本人であることを前提に書かせてもらいます。
「〜上の1番に該当しましょうか?」
866さんには、このような疑問形を用いた表現が何箇所か見られます。例えば、>>866
「これが答えになると言う道理があるか?」
「このことを判ずることは難しいことか?」
これらの疑問形は通常は、「そうでないことは、説明の必要も無いほど明白である」という意味で使われるものです。余談ですが、debateの常套手段です。
それなのに、「〜上の1番に該当しましょうか?」は「私は1番だといってるつもりです。」とおっしゃる。日本語の意図するものが異なっているのでは、おっしゃる意味を理解することは困難で、会話を成立させることができそうもありません。
法華経の解釈が互いに異なっているとか、ポイントと思う部分が異なるとか、それらは致命的な問題とは思えませんが、違うルールの言葉では会話するのが困難です。
よって、もし>>980が866さん本人であるならば、わたしは866さんとの会話から撤退させてもらいます。

これが最後なので、>>975の返答を見てから書こうと思っていたことを書いておきます。
論法についてですが、
  『所謂』についての解説として、「すなわち」と訳した訳文を出し『すなわち』の用法を説明したあと、自分の解釈を述べる。
これは厳密には好ましくありません。議論すべきは『所謂』であって訳文の『すなわち』ではないからです。「すなわち」の後についての質問(>>935)は、あなたが「すなわち」と書いた訳文を載せた(>>931)ことに対してなされています。この場合、あなたは
○『所謂』についての用法を掲げ、自説に導く
あるいは
○原語(例えば、サンスクリット語原典でよいと思いますが)の『所謂』前後にあたる部分を原語の持つニュアンスを損なわないように意訳し、自説を主張する
という形をとらなければいけないところです。

自分と価値観が異なる人の話を聴けたことは大変楽しかったです。ありがとうございました。

※「無駄に長い」と怒られそうですね。ごめんなさい。

983冷静沈着:2005/09/28(水) 01:02:25 ID:1XAXHUJf
最後に、
自分と価値観が異なる人の話を聴けたことは大変楽しかったです。ありがとうございました。
984冷静沈着
>>983
二度書いちゃった・・・(^^ゞ