1 :
名無しさん@3周年:
阿頼耶識とか
2 :
名無しさん@3周年:04/08/18 11:28 ID:OfgfXEEF
アラヤ識ね。
あー、流れ仕事してると「流水上に鞠子を打す」。
また机のすけかとオモタ
カラダ使ってると、禅が懐かしくなるねw
6 :
1:04/08/18 15:33 ID:D5uLbwqb
7 :
名無しさん@3周年:04/08/18 15:45 ID:TTVKInGP
んじゃーこれも!
唯識入門 春秋社 高崎直道
8 :
名無しさん@3周年:04/08/18 16:18 ID:cKSpmFkQ
すいません、唯織ってなんですか?宗教??
9 :
名無しさん@3周年:04/08/18 16:31 ID:D5uLbwqb
10 :
名無しさん@3周年:04/08/18 16:34 ID:3zHP7O1y
11 :
名無しさん@3周年:04/08/18 20:13 ID:cKSpmFkQ
>>9 では、変な新興宗教とかではなくて由緒正しい?仏教の一派なんですね?
良かった・・・たまたま唯織ってゆうのが我が子に付けたばかりの名前と酷使してたので
ちょっと焦ってしまったんです!安心できました
ありがとうございます
「織」じゃなくて「認識」の「識」。
13 :
名無しさん@3周年:04/08/18 23:04 ID:cKSpmFkQ
>>12 は!!本当だ!(織)ゴメンナサイ・・・・
14 :
名無しさん@3周年:04/08/19 00:00 ID:EwlcwZZ0
誰か、唯識をキチンと教えてくれないかな〜
以前、禅スレに、唯識派の人がいたみたいだけど・・・。
何も教わることはない。あるとすれば自分自身に教わるだけだ。
神の意思に触れられる才能があるか、
またはそれだけの思想的成熟がなければ瞑想をしても何も得ないだろう。
意識とは快と不快に支配された、世にも奇妙な迷路であるのだ。
16 :
名無しさん@3周年:04/08/19 09:36 ID:2ZM546ou
法隆寺のお坊さんは唯識の研究をしてるんですか?
17 :
名無しさん@3周年:04/08/19 10:53 ID:cruGLtsx
識もまた空
18 :
名無しさん@3周年:04/08/19 11:10 ID:kq8dlvDL
<<15
どのような資質の人でも、座禅をすればそれなりの効果あり。
やってみれば分かる。
>>18 座禅はちゃんとした師についてやらないと魔境に落ちる危険性大。
軽軽しく奨めるべからず。
>>14 トランスパーソナルの安藤とか諸富とかの著書読めば?
もろ本覚思想だから、オレはあんまり好きじゃないんだけどね。
20 :
名無しさん@3周年:04/08/19 14:44 ID:Z7K8glNH
唯識論は法相宗が一番詳しいんだっけ?
21 :
名無しさん@3周年:04/08/20 09:57 ID:bv9hoZ4t
age
22 :
名無しさん@3周年:04/08/21 07:36 ID:G0Vdh0De
本家本元は薬師寺だっけ。
23 :
名無しさん@3周年:04/08/22 17:55 ID:6NxS+s9q
唯識と禅宗って関係ありますか?
24 :
名無しさん@3周年:04/08/31 15:48 ID:wXNSNtjC
agre
25 :
名無しさん@3周年:04/09/04 02:35 ID:XU4zaAKW
あげ
26 :
名無しさん@3周年:04/09/04 10:55 ID:LuZuCXCb
27 :
名無しさん@3周年:04/09/04 11:00 ID:J+hOK1yN
立川の本っていいかあ?
なんか違和感を感じてならないんだけど。
仏教を基本的に勘違いしてるって感じ。
>>27 単に貴方に会わないってだけの話じゃない?
もし「仏教を基本的に勘違いしてる」って言い出すのであれば
『そもそも仏教って何?』
この命題に答えないといけなくなるよ。
29 :
名無しさん@3周年:04/09/04 12:22 ID:ylLX6KhN
仏教っていやあ釈迦の教えでしょ。
釈迦の教えっていやあ、苦から解脱して涅槃することでしょ。
>>29 >仏教っていやあ釈迦の教えでしょ。
さて、ここだけど。
「釈迦本人の教えだけを仏教と見なす」のであれば、釈尊本人の教えって一体
なんだろう?って話になるよね。でも釈尊本人の金口直説ってのは残ってない
わけだ。てことは「判らない」が答えになっちゃうよね。
では逆に「釈迦本人に限らず、釈尊その人に仮託して作られたものも仏教と
見なす」としようか?そうするのであれば「仏教に宗派なし」って事になるね。そ
うすると
>仏教を基本的に勘違いしてる
という話は殆ど成り立たなくなるよ。
>釈迦の教えっていやあ、苦から解脱して涅槃することでしょ
これは何を典拠にして言ってるの?
でもって、それは“何をもってして『仏教』を定義してる”の?
31 :
名無しさん@3周年:04/09/07 20:32 ID:lS4Vp/4w
>>30 う〜ん、そうだなぁ・・・。やっぱ三宝印と四諦だろうね。四諦は縁起論だし。
アビダルマも、唯識も、中観も、別に要らないだろうと思います。
別にそれらが「仏教ではない」とまでは私は言わないけど、核心ではない。
何が仏教か?と問われれば、やっぱ「釈迦の教えだ」と答えますね。
そしてそれは四つの苦しみにから開放される教えだと答える。
で、それには三宝印と四諦論があれば十分でしょう。これは核心ですね。
>やっぱ三宝印と四諦だろうね。四諦は縁起論だし。
『仏教とは縁起の法である』ですね。概ね反論はありません。仏教文献学の王道
もそれでしょう。「じゃ縁起の法って何?」って話は、宗教板名物スレの「原始佛教」
シリーズで為されてあるので、そちらを参照して頂くという事にして。
>アビダルマも、唯識も、中観も、別に要らないだろうと思います。
>別にそれらが「仏教ではない」とまでは私は言わないけど、核心ではない。
これも別に良いと思いますよ。一応釈明じみた事を言わせて貰うならば、日本の
仏教文献学は「北伝佛教が間違いなく釈迦の系列である事」を証明する事に
躍起になってた部分があるんですね(理由は言わずもがなです)。その為、これ
らの動きに冷ややかな視線を送る者にとっては、「くだらねーことやってんじゃ
ねーよ」という気分にもなるでしょう。
もっとも唯識に関してはともかく、私は中観思想は習得しておいて損は無い、
と考えてますけどね。
>そしてそれは四つの苦しみにから開放される教えだと答える。
>で、それには三宝印と四諦論があれば十分でしょう。
私には「それで十分か否か?」に関してはなんとも言えません。なんとなれば、
私自身それらを実行できてるとは到底思えないので(汁
まぁ教えとしては十分なのかもしれませんね。できるできないは本人の問題
ということで(逃
で、まぁ貴方が言うとおり『唯識が仏教の核心ではな』かったとしましょう。
(私的には半分以上同意しているのですが、一応仮定形を取らせて下さいな。
“仏教の定義付け”は泥仕合にしかなりませんので)
別にいいではないですか。唯識が仏教であろうがなかろうが、このスレは唯識
を語る為のスレなんですから。仏教を語る為のスレはそれこそ原始佛教スレが
あるわけですし。
仏教である無しには全然関係なく、『唯識を語り合っていきましょう』というのが
このスレの趣旨なのですから(どうにもたて逃げ臭いが)、唯識の参考になりそ
うな文献や論文を挙げて活発な議論を希望したいところです。
あ、やべ。
>>32の真ん中、引用部分とレス部分が繋がってないですね(汗
>一応釈明じみた事を言わせて貰うならば
の前に
>唯識に限って言うなら
って文章を入れたらなんとか繋がるかな?繋がらないか(涙
まぁスルーして下さいな。
唯識って如来蔵思想そのもので、日本の仏教を根深く支配している思想でも
ある、ってのが私の考えなんだけど、、、、
まぁ端的に言って「釈迦の仏教では有り得ない」よね。
35 :
名無しさん@3周年:04/09/09 21:41 ID:/LH3t9Wb
>>32 >>33 >>34さんは同じ人ですよね?
唯識、如来蔵思想、日本仏教。これらはあなたの言うように、根深い絡み
合いがありそうですね。なんとな〜くだけど私もそんな気がしてます。
そういう土台が既にできあがっている環境下では、中観思想が威力を発揮
するんですよね。私も、チラッとだけど勉強してきました。
やっぱり私は、三宝印や四諦が仏教の核心だと思うのだけど、四諦という
のはとても応用の利く理論だし、それとは知らずに行っている人々も結構
いるような気がします。(厳密な意味じゃないんだけど。
ただ、仏教を知らずに四諦論的な問題の解決に向う人々でも、三宝印的な
眼差しというのは、なかなか仏教以外ではないようですね。
三宝印と結び付かない四諦論法にも、十分に活用の余地はあります。
さて、そこで釈迦の教え以外は仏教ではないか?
煎じ詰めるならば、やはりこれにはNOと答えるでしょう。
人生には病あり苦悩がある。そこに答えるのが仏教の本義なのかも知れま
せん。人々が誰も病まず、老いず、死なず、なら釈迦ですら出家すること
もなかったはずですから。
36 :
名無しさん@3周年:04/09/09 22:42 ID:LaxsaEKo
中観は講談社学術文庫の「龍樹」がよさそう。
唯識とは関係のない話になってスレ主には申し訳ないけど・・・
>>36さん、講談社学術文庫の「龍樹」は故中村元博士の著書ですね。私も読みましたよ。
『中論を読み解くに当たって、誰の注釈書を主たる参考にするか?』
に関してそれなりの分量を割いていましたね。「なぜチャンドラキールティなのか?」
を巨細に噛み砕いて説明してありました。あーゆーのを学問的手続というのでしょう。
故中村元博士の学問に対する誠実さが滲み出ています。
ちなみに故中村元博士ご推奨のチャンドラキールティ(彼の流派をプラサンギカって呼
びます)が著した中論註はチベット密教ゲルク派の創始者ツォンカパが、その教理を大成
した際、空の部分に関して参考にした、と聞いています(参考文献多数)。
39 :
名無しさん@3周年:04/09/21 03:48:56 ID:3vvt5g+H
阿頼耶識が存在することってどうやって分かったんですか?
40 :
名無しさん@3周年:04/09/21 11:35:29 ID:9q+sWKJ2
荒霊(あらみたま)が存在するから。
41 :
けちゃっぷ:04/09/21 12:50:57 ID:bsHyrEX5
>39 ユガ行の実践から唯識は生まれたそうです。瞑想で心の深層の奥深くまでたどりついた体験を、体系化したのでしょう。
42 :
けちゃっぷ:04/09/21 12:57:56 ID:bsHyrEX5
アーラヤ識と仏性(如来蔵)の違い。アーラヤ識は、むしろ迷いの原因と考えられます。みな仏性があるという天台・法華思想に対し、法相宗は、仏性があるかないかわからない者や、ない者もいると主張しました。
43 :
名無しさん@3周年:04/09/22 12:40:44 ID:XW+PKDTm
たしかにアーラヤ識は迷いの原因と考えられてますが、一方では迷いの原因である
煩悩の種子を取り除こうとする善の種子もあります。だからこそ、人間は悟りを求
め、菩提心を培う向上心も持ち得るのでしょう。悟りを求めようとする分別が、そ
もそもの迷い、だなんて言われると、絶句しかありませんが。そうすると人間もた
だただ本能のままに流され生きていくだけの畜生界と何も変わりません。
アーラヤ(住居)の中で煩悩の種子に対抗する善の種子を育てていくのがヨーガ行
です。止観によって、アーラヤ識の中で善の種子がはぐくまれ、煩悩の種子が徹底
的に排除されると、そのときアーラヤ(住居)識は種子の拠り所、アーラヤ(住居)
としての機能を果せなくなります。煩悩に抵抗する善の種子は煩悩のない無漏であり、
そのまま法界とか真如といわれるものに転じていきます。あるいはただ単に空≠ニ
か。
44 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/22 15:41:43 ID:Ki/EU2Gs
『唯識二十論』のサンスクリット読書会を計画しております。
よろしければご参加ください。詳しくは原始仏教スレで。
45 :
名無しさん@3周年:04/09/22 17:49:55 ID:0uOIgf48
『電波二重論』の読書会は何時ですか?
46 :
名無しさん@3周年:04/09/23 16:37:16 ID:gQBh4znD
横山 紘一氏は創価学会の人なんでしょうか?
第三文明社から本を出しているので気になります。
<「唯識思想入門」(第三文明社)>
せっかく今日「やさしい唯識」を買ったのに読む気をなくしてしまいました。
誰か誤解を説いてください。誰か教えてください!
47 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/23 16:40:53 ID:ykSmXVFA
>>46 かれは法相宗の僧侶です。
レグルス文庫(第三文明)で出版しているからと言って、創価学会員ではありません。
今は無き森三木三郎先生は「だまされた。創価学会の出版社だと判っていれば執筆
しなかったのに。レグルスとはわかりにくいな」と仰ってました。
48 :
名無しさん@3周年:04/09/23 16:56:15 ID:gQBh4znD
「電波男Ψ(´д`)Ψ@」さん、ありがとうございます!
誤解が解けました。
>レグルス文庫(第三文明)で出版しているからと言って、
>創価学会員ではありません
はあ。それはわかっていますが、レグルス文庫で「創価教育なんたら」
のような露骨な草加物があったの警戒心が働いてしまいました。
それとレグルス文庫からベルクソンの「精神のエネルギー」が出ていた
のでとてもがっかりした思い出があります。
(まあ草創期の創価学会はまともな団体であったと聞いたことはありますが)
49 :
名無しさん@3周年:04/09/23 17:32:48 ID:SOA56H5e
>>47 森三樹三郎の『中国思想史』のこと?
あれ名著だよね。中国の通史でまともに仏教をとりあげているのは
これと武内義雄くらい。
50 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/23 19:18:56 ID:ykSmXVFA
>>49 私は台湾からの帰国子女で漢文の読みは誰にも負けないつもりでしたが、森先生には脱帽しました。
それだけではなく、先生の中国思想全般に関わる卓見とその直感は素晴らしいものがあり、台湾の
道士たちは先生の足元にふれ伏すようでした。先生は三階教の研究に着手される前にお亡くなりになりました。
あれ以上の中国研究者はもう出ないでしょう。宇井白寿クラスですね。
ゆん ゆん湯意識
52 :
名無しさん@3周年:04/09/24 10:27:35 ID:JczRRj8G
台湾に住んでいたからって漢文が読めるとはかぎらないでしょ。
日本に住んでいたからって古文が読めるとはかぎらないのと同じ。
現代文と古典とじゃ全然違うよ。仏典にしたって、漢訳経典と
禅の語録とじゃ全然違うじゃない。はっきりいって漢訳経典なんて
直訳されたものが多いから漢文法を知らなくてもそれなりに訳せちゃう。
仏教やってる人ってそのへんがマヒしているから、
どうしても漢文を甘く考えてしまうんだよね。
まあ、「私は漢文読めます」ということじたい、漢文が読めない証拠。
読める人はぜったいそういうことはいわないw
サンスクリットにしたってそうでしょ。
53 :
名無しさん@3周年:04/09/24 10:41:34 ID:jhY9f7Sv
>>52 そこまでいうなら唯識三十頌をここであなたが解説すれば。
成唯識論でもいいぞ。
54 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/24 11:18:17 ID:2QwFKSWs
>>52 なにいきがってるのですか?一般論で人を評価判断してだめですよ。
誰が漢訳経典の話してるの?馬鹿じゃないの?
>台湾に住んでいたからって漢文が読めるとはかぎらないでしょ。
>日本に住んでいたからって古文が読めるとはかぎらないのと同じ。
>現代文と古典とじゃ全然違うよ。
はぁ?日本と台湾では古文に対する接し方が違うんですよ。知らないことはいうもんじゃ
ありません。もうすでに恥を晒していますよ。白話と文語があって、新聞や教科書はその中間
文系寄りの書物やそれに言及するとき、話すときは漢文です。(時代的な特徴はでますが)
唐詩を語るときは唐代の漢文を使い、隋は隋代、呉はそれぞれの漢文を使います。
台湾の時代劇などを見ると面白い漢文になっています。
>直訳されたものが多いから漢文法を知らなくてもそれなりに訳せちゃう。
この認識ではまったく漢文なんか読めないでしょうね。
おまえ、面白くないからどっかいっちゃえ。
>まあ、「私は漢文読めます」ということじたい、漢文が読めない証拠。
>読める人はぜったいそういうことはいわないw
これも馬鹿まるだし。
55 :
名無しさん@3周年:04/09/24 11:33:11 ID:dMtdazd7
電波男といやあ、ちょっとした有名人だが、たいしたことないな。
いきがってる?どっちが(苦笑
台湾のことなんざわざわざご教示たれんでもよろしい。
ま、そのプライドをせいぜい大事にしておきなさい。小人さん。
>>53に同意・・・と言いたいところだけど、多分ただの電波氏ストーカーだろうし、
頼んでも無駄だろうなぁ。
スルーが一番。
電波さんも熱狂的ファンが多くて大変ですね。
57 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/24 16:37:36 ID:2QwFKSWs
>>55 どうして人格攻撃しか出来ないのかな?
わたしと漢文でお話しするか?
それとも唯識について何か語るか?
どっちも出来ないんでしょ?
ま、ボケのことはいいとして。。。
唯識を見る場合、アーラヤ識や三性説などに目が行きがちですが、
それは日本法相学の伝統にあって、それらの概念が絶対根本にあるので
どうしてもまとまってしまっている瑜伽行唯識派内部での教義しか見えてきません。
他の流れと総合的に見ようとするなら、認識論の違いから攻めるのが一番わかり
やすいでしょうね。そうしないと唯識はただの唯心論だという短絡も出てくるでしょう。
>他の流れと総合的に見ようとするなら、認識論の違いから攻めるのが一番わかり
>やすいでしょうね。
この切り口から唯識を眺める場合、参考書としてお勧めのものが何かございますか?
ございましたらご紹介いただけますか?
59 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/24 17:41:24 ID:2QwFKSWs
>>58 一番いい方法は『唯識二十論』を難しくても読み進め、それに関連するものを探して補強しながら
読み上げるのがいいと思います。現在『唯識二十論』の読書会を計画しております。
浅く全般をまずお知りになりたいのなら梶山先生のものを書店で確かめるのもいいでしょう。
60 :
名無しさん@3周年:04/09/24 21:13:34 ID:Sr1SCFSY
大乗仏教の深層心理学『摂大乗論』を読む
を購入しました。 岡野守也著
61 :
名無しさん@3周年:04/09/24 22:40:12 ID:ho01qb/w
62 :
混沌坊主:04/09/24 23:56:28 ID:9Z4gHUKk
なつかしぃな〜。大学院で文献にかじりついた日々が思い出される〜。
63 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 01:06:55 ID:QVmefVXI
>>61 その書籍も悪くはないですが、もっと適切なものを探しておきましょう。
実は唯識二十論に入る前に、チベットの宗義書購読のとき、仏教思想の概説を
詳しく勉強しました。チベットの宗義書の構成は大きく毘婆裟師→経量部→瑜伽
行唯識派→中観派の順番に認識論を(も)中心に詳しく説明していくのです。
サルバダルシャナサングラハというインド全哲学要綱にもその順番に仏教の
項目を紹介していますがこれは修士課程のときにどっぷり浸かりました。
中村元先生の訳がありますからそれから始めるのもいいと思います。
とりあえずもう少し探してみますね。
64 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 01:09:36 ID:QVmefVXI
65 :
反論出来ず逃走の引き籠りの負け犬穂も連合:04/09/25 04:50:17 ID:ab3NSGOF
>>54 原始仏教のスレで苛められて、言われまくった電波女。
そこから逃げて関係ないスレに来てウップン晴らして八つ当たりか?
初めから随分強気だなー!何何時もと違って荒れてんだ?苛められてこのスレの人に八つ当たりするなよ。
的外れは何時もの事か、しょうがないよ、お前性格悪いから何時も人格攻撃されるんだよ。
鼻に付く野郎はクラスでも嫌われていたのは直ぐ分かるぜ。
みっともないぞ!お前が何と言おうがサンスクリット勉強会がお前の収入源として
成り立つ様にする為の野望が見え見えだ。だからあちらこちらで、他の宗教スレに入っては
宣伝してお前の崇拝者作って仏教原理主義似非学者ぶりっ子低脳カルト教団の教祖になろうって魂胆が
見え見えなんだ。皆様に反論できず負け犬として逃亡していますというフレコミが
足りないんじゃないのか?このスレでろくに唯識について話も出来ず、人様の揚げ足とって、
商売の宣伝してここでもお前は退散しか出来ないんだなあー!図星の恥さらしを見て頂きな。
66 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 05:47:12 ID:QVmefVXI
>>65 ab3NSGOF
なにに反論できないのか先ず言ってみろ。全て反論済み。
お前の行っていることは全てはずれだ。
原始仏教スレでもそうだが、お前の発言はすでにフォールトラインを超えている。
よし、収入源とはなんだ?勝手に捏造するな。ジックリ攻めてやる、
それと俺は女ではない。
68 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 06:13:04 ID:QVmefVXI
>>65 スレ住人には申し訳ないから唯識の質問をしてください。
さて、お前みたいなイキリは放置と決めたんだが、追い込むぞ。
>原始仏教のスレで苛められて、言われまくった電波女。
苛められたとはどういうことだ?論理的に反論できている発言を提示してみろ。お前を含めて根拠の無い罵倒だけじゃないか。
電波女と言ってるところが完全な妄想入りだ。誰かと勘違いしてないか?
【認識錯誤】
>初めから随分強気だなー!何何時もと違って荒れてんだ?苛められてこのスレの人に八つ当たりするなよ。
どこが八つ当たりなのか証明してみろ。それと判る日本語を書け。
【人格攻撃、侮辱・名誉毀損】
>的外れは何時もの事か、しょうがないよ、お前性格悪いから何時も人格攻撃されるんだよ。
>鼻に付く野郎はクラスでも嫌われていたのは直ぐ分かるぜ。
なにが的外れだ?前文と後分はどう繋がるのだ?頭大丈夫か?あんた自身が私に対して「人格攻撃」してこと表明してるんだよ。
おめでとさん。自己表明捕捉→>鼻に付く野郎はクラスでも嫌われていたのは直ぐ分かるぜ。
【錯誤、捏造、侮辱・名誉毀損】
>みっともないぞ!お前が何と言おうがサンスクリット勉強会がお前の収入源として
>成り立つ様にする為の野望が見え見えだ。だからあちらこちらで、他の宗教スレに入っては
>宣伝してお前の崇拝者作って仏教原理主義似非学者ぶりっ子低脳カルト教団の教祖になろうって魂胆が
>見え見えなんだ。
さっきも言ったが勉強会を収入源となると勝手に思い込みそれを非難し罵倒している。これは許されないことなんだよ。
どこが収入源になるのかキッチリ証明してみろ。それと「崇拝者を作っている」「カルト教団の教祖になろうとしている」
と判断する客観的根拠もだ。
>皆様に反論できず負け犬として逃亡していますというフレコミが
>足りないんじゃないのか?このスレでろくに唯識について話も出来ず、人様の揚げ足とって、
>商売の宣伝してここでもお前は退散しか出来ないんだなあー!図星の恥さらしを見て頂きな。
反論できていない所を列挙しなさい。唯識について話も出来ず?どこが?脳味噌腐ってるんじゃないの?
69 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 06:14:11 ID:QVmefVXI
>>67 zpVr1rDu
いきがるのであれば、根性決めろ。
「まことに申し上げにくいことですが……」
電波男の主治医の抑揚のない声が、四畳半一間のアパートに響いた。
職業的無感動に支配された彼の表情は、重い事実にも少しも変わることはなかった。
「……では、息子はもう?」
対照的に、電波男の母の顔にはすでに達観したような、諦めの色が漂っている。
全てを捨てて看病し続けてきた彼女には、もう気力も体力も残されてはいなかったのだ。
「非常に珍しいケースなのですが…」
主治医はメガネに手をやって、眉一つ動かさずに続けた。
「空っぽになった精巣から侵入したウイルスが、すでに脳の言語野や海馬に達しています。
かろうじて思考する能力は残されてはいますが、それもあくまで形式的な話で、
すでに日常生活に支障のないレベルは、キープできていません。
今や、体を名で表してしまっています。もう時間の問題でしょう。」
「そうですか……」
母の首は深くうなだれた。
そのとき、電波男が最後の力をふり絞るようにして、母のほうに手をさしのべた。
口から、大量のよだれが流れ出している。母は息子の頭を抱えるようにして、それをゆっくりとぬぐった。
「……メ……メ……」
「どうしたの? 何か伝えたいことがあるの?」
「……メ…」
「さあ、言ってみなさい。生き延びて見せる、そう言ってごらんなさい。」
息子を愛撫しながら、母は励ました。
「……メ…」
「さあ。」
「……………メロンパン……。」
主治医の無表情に翳りがさした。彼はそれを隠すように目をそむけた。
あとには母のすすり泣く声だけが残った……。
72 :
皆様、仏道の為お体お大事になさってください:04/09/25 07:04:43 ID:WJQcH9fU
電波さんも頭の悪いカルト宗教団体の挑発に乗っては同じレベルに下がってしまいます。
仏道を理知的に研究できない只の悪口しか言えない人は完全無視をするのがよろしいと思います。
学識の高い者は教養のない者のはしたない言葉を貴方様を僻んでの足引きとお考えになった方が宜しいかと思います。
一言も学術的に反論できない子供は大きな心でゆっくりと見守ってあげましょう。
一々苛々していたらそう言う輩の思うつぼです。仏陀第二の矢を受けずの如く、
どうして貴方様を僻む者が多いのか、ご高察下さい。勘違いして非難する者達に
分かりやすく真実の仏法を解説出来るようお願い致します。
貴方様こそ広く人々の無知蒙昧を冷静に分かりやすく啓蒙する方だと確信しています。
73 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 07:06:04 ID:QVmefVXI
>>71 >バーカ。オレは
>>65じゃない。
そんなのID見りゃ判ること。お前に言ってるんだよ!!
消えろといってるだけのことに、何の根性決めろってんだ。w
アフォか? いや、アフォだな。
75 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 07:55:47 ID:QVmefVXI
?
オレが阿含宗? ナニわけわからんこと言ってんのやら。w
77 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 08:03:11 ID:QVmefVXI
78 :
阿含宗を呪う者は既に裁きの中にある。:04/09/25 08:10:42 ID:uThkB/MA
阿含宗は卓上理論を捏ねる所ではなく実践する所である。
行の実践もないのに非難するとは実体験を元に結果を論じるべきである。
感情的で攻撃的で品性の無いのは自分自身ではないのか?
私は感情的な言葉は吐いてはいない。貴方は勘違いしている。
79 :
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :04/09/25 08:42:12 ID:QVmefVXI
>>78 行の実践は密教に限っても、おそらくあなたの10000倍はしているでしょう。
嘘ではありませんよ。あなたの知らない印も沢山ぎょうじているはずです。
>私は感情的な言葉は吐いてはいない。貴方は勘違いしている。
あなたの発言を冷静になって読み直しなさい。
>行の実践は密教に限っても、おそらくあなたの10000倍はしているでしょう。
>嘘ではありませんよ。あなたの知らない印も沢山ぎょうじているはずです。
で、なぁ〜んの法力もないと・・・。w
81 :
seiyuu:04/09/25 09:03:14 ID:nfK82fRZ
>>80 こら、弟子。ワシのは呆力じゃ。間違えるでない。
82 :
名無しさん@3周年:04/09/25 14:43:21 ID:qmKXnXja
83 :
名無しさん@3周年:04/09/26 18:08:34 ID:4wiirJQJ
>>80 わたしは原始仏典は翻訳されているものの一部(岩波や講談社、
中央公論などの一般的なもの)しか読んだことはないので、こう
した専門領域について発言する知識を持っている訳ではないので
すけれど、それでも一つだけ言えそうなことがあります。
それは、法力法力と言ったとき、法力にたよったり、法力を誇っ
たり、それを見せびらかしたり、宣伝したりすることが、果たし
て本当に釈迦の中心的教説、四諦八正道、三法印・縁起説から出
てくるだろうか?といえば、やっぱりそんなことない、というこ
とです。『神通力の行使』など、釈迦は一番嫌ったのではないか
とさえ思います。伝説ではビンズルさんでしたっけ?神通力を人
前で使ったことを師である釈迦に厳しく叱責され、以後、精舎の
中に入ることを禁じられたとか。
わたしは個人的に全く興味ありませんが、法力とか神通力はあるか
もしれない。しかしそれに自分が囚われたり、他者をその虜にした
りするような行いははっきり言ってよいとは思えないし、どう考え
ても釈迦の言説とは関係ないと思うのです。
84 :
seiyuu:04/09/26 18:30:51 ID:yXlE3gXx
>>83 その通りなんだが、それを言うとワシの商売が儲からんわい。
幸い、現実的に努力もせず、超能力を身につけてうまく世渡りしようという
欲深な連中がうようよ集まってくるので、ワシは安泰じゃ。キミもワシと一緒に
一儲けしないか。給料ははずむし、ホテル・オークラの豪華ランチを付けても
よいぞ。
316 名前:あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA [sage] 投稿日:04/09/27(月) 20:37:00 ID:bT02vi4u
犬に、仏性があるか?
あるに決まってる。
だが、そこを、無、と言うらしい。
この公案以後の禅は、ここに尽きると言う。 しかし、飲み込めない。
犬に仏性があるとも、答えている。 これはまともだと思う。
然し前の、いぬに仏性が有るか、無。
がひっかかる。
空の理解は、している。
仏性のある、なし、には、かかわらない。 仏性は、あるに決まっている。
犬に仏性はあるか。無。 これは、受けと入れない。
犬に仏性は、あるか。空。
これだと、門の内側に入る。
無。
これに、迷う。
空では、無いのか、と。
86 :
名無しさん@3周年:04/09/28 01:53:11 ID:W+A5awMv
どうしても唯識にリアリティーが持てない
87 :
名無しさん@3周年:04/09/28 10:59:10 ID:szjhEqsk
僕は法相唯識の「五姓各別」を結構いいと思っています。
自分は無姓有情なのではないか?と深く悩んだりすることは仏教徒として
かなりリアルな悩み方かと…。
88 :
名無しさん@3周年:04/10/01 15:37:05 ID:cNHPfkp5
ヒマラヤって、him(雪)のalaya(アラーヤ:貯蔵庫)という意味らしいね
89 :
◆aj02kekrv6 :04/10/01 22:39:59 ID:o43M3i+z
禅における仏性とは、自覚できたものには仏性があり、
仏性を自覚できないものには仏性は無い、ということらしい。
それはともかく、
仏性というものは無い。文字通り無い。
90 :
名無しさん@3周年:04/10/02 00:53:54 ID:yytT+DAy
91 :
◆aj02kekrv6 :04/10/02 08:08:43 ID:pNkd46I5
禅においては、仏性は空であるという。
この場合、空とは中身のないこと。
仏性が人間の中身として想定されているが、実際は空であるという。
なんのことはない、仏性は無い、ということ。
92 :
◆aj02kekrv6 :04/10/02 08:11:36 ID:pNkd46I5
こう書くと、無我とは我がないことではない、というのと同じパターンで、
空とは無いことでない、という反論が、当然でてくるであろう。
そういう人には、無我が、我では無い、非我だといっているのと同じように、
仏性は空、というのは、仏性では無い、非仏性である、といっておこう。
93 :
名無しさん@3周年:04/10/02 23:41:43 ID:AvCulqq2
>>91 >この場合、空とは中身のないこと。
・・・なんで??
空を理屈で理解するのは難しいでしょう。
「狗に仏性ありや?」「無」
この問いは、「空を実感すること」を重視したものと捉えています。
「空」とは、有ではない。また無でもない。
あなたの目の前に、パソコンがあるだう。
では、そのパソコンを分解し、さまざまな部品にしてみなさい。
そのとき、そこに「パソコンがある」と認識する人がいるだろうか。
「コンピューターの部品」としか認識しないだろう。
あとは、「基盤」「ネジ」「スロット」「マウス」「ケーブル」など、
個々の部品としてのみ認識するだろう。
だれがネジだけを見て「パソコン」と認識するだろうか?
だがそれを組み立てた瞬間、我々は「パソコン」が「有る」と認識する。
さて、本当にパソコンは「有る」のか? 「無い」のか?
広々とした平原があった。
やぎが草をはみ、そよそよと風もそよぐ、のどかな平原だ。
そこでは隣町からやってきた子供が遊んでいる。
ところが、子供たちから見えないところに、一本の立て札があった。
「危険 地雷原。入らないこと!」
子供たちは知らずに遊んでいる。
さて、そこに地雷は有るのだろうか? 無いのだろうか?
仏教書では、一切衆生悉有仏性(すべての生き物は仏性を持つ)とある。
狗もまた、生き物である。
だからある僧侶は、狗にも仏性があると信じていた。
ところが、まだ勉学の浅い小僧が、寺に入り込んできた狗を、棒切れで
たたき出そうとした。
僧侶は言った「やめなさい。狗にも仏になる性があるのだ」
小僧は言った「うそだぁ。狗がホトケ様になれるはずないじゃん」
さて、狗に仏性は有るのだろうか、無いのだろうか?
>>97 小僧は言った「うそだぁ。狗がホトケ様になれるはずないじゃん」
まず、これが、あなたの結論なんでしょうね。
公案は、見性を得るためのものです。
そう言う観点がなくては、ならないと思います。
狗子に仏性、有るか?無。
一切衆生、悉有仏性が、目の前にぶら下がる。
そこで問う、狗子に仏性、有るか?無。
>>98 いいえ、それは結論ではありません。
強いて結論をつけるとすれば、以前の3レスにまたがる共通解答、
「有ると見る人には有り、ないと見る人にはない。しかしいずれも真実」
です。
おかしいと思われるかもしれませんが、まあ、それが言葉の限界ですね。
止観によって得た境地を、言葉で語るのは不可能でしょう。
今日食べた晩御飯のおいしさを、寸分たがわず他人に伝えることができないように。
100 :
名無しさん@3周年:04/10/03 01:43:08 ID:9MW7v+oq
>>99 そんなに簡単に言葉の限界などを言及してはいけません。
ご飯のおいしさも、共通認識を喚起する言辞の積み重ねによって
少なくとも部分的には伝えることが可能となります。
その努力を怠った時点で、ここ(掲示板)にいる意味も資格もなくなります。
101 :
◆aj02kekrv6 :04/10/03 01:51:54 ID:N7ptJ0I+
> さて、本当にパソコンは「有る」のか? 「無い」のか?
パソコンは有る。ただし、いつまでもパソコンではない。
なぜならば、パソコンという実体は無い。これが空。
同様に、仏性には実体が無い。だから仏性は無い。
102 :
名無しさん@3周年:04/10/03 03:22:08 ID:9MW7v+oq
>>101 あのー、
パソコンは有るけど、いつまでもパソコンではない
↓
同様に、
仏性は有るけど、いつまでも仏性ではない
でしょ?
なんで仏性とパソコンで結論がちがうの。
もしかして仏性のこと大嫌いでしょ(w
103 :
名無しさん@3周年:04/10/03 03:26:21 ID:9MW7v+oq
それともあれかな。
パソコンに自性はない。よってパソコンは無い。
ってことかな。
目の前のパソコンの存在を否定するの(爆
「今」は存在するという事実から目を背けるの(笑
なるほど。パソコンは仏さまだね。
105 :
呑無:04/10/03 07:08:07 ID:iU1tX1ad
有ると見る人には有り、ないと見る人にはない。しかしいずれも虚
これ即ち見性
106 :
けちゃっぷ:04/10/03 07:20:52 ID:ATCLz6SV
「パソコン」は名前。名前つけたのは人間。犬に「ポチ」と名付けて、「ポチは存在するか?」と問うた場合、「ポチ」を知ってる人にとっては存在するけど、「ポチって何?」っていう人にとっては存在しない。
107 :
けちゃっぷ:04/10/03 07:26:28 ID:ATCLz6SV
「神様」も名前。何かに「神様」と名付ける人が、「神様」を観る。雷を見ても「神様の奇跡だ」と思う人にとっては、「ほらやっぱり神様いるね」ってことになる。逆に、奇跡を見ても「神様」と観ない人も。
108 :
けちゃっぷ:04/10/03 07:31:49 ID:ATCLz6SV
経験や知識を頼りに、目に見えるものを、知っている名前(概念)でラベリングしてしまうのを、分別(計らい)という。手は「私」、鉛筆は「私じゃない」というのも、すでに分別のはじまり。
109 :
◆aj02kekrv6 :04/10/03 08:05:50 ID:N7ptJ0I+
>>102 パソコンと、仏性では、ものがちがうでしょ。
いいかえれば、パソコンの実体が仏性。おわかりかな。
人間の実体が仏性 と人々はいう。
人間は有るけど、いつまでも人間ではない。
なぜなら、人間の実体(仏性)は無い。これが空。
だから、仏性は無い。仏性=我。
仏教では無我、つまり無仏性。
110 :
名無しさん@3周年:04/10/03 09:16:03 ID:9MW7v+oq
>>106 >「ポチって何?」っていう人にとっては存在しない。
唯識の説明のつもりでしょうか?
ポチの存在は人に左右されません。
「ポチって何?」っていう人はポチを認識しないだけのはなし。
111 :
名無しさん@3周年:04/10/03 09:18:38 ID:9MW7v+oq
>>109 >パソコンと、仏性では、ものがちがうでしょ。
なら最初からパソコンの比喩など使うなよ。
112 :
けちゃっぷ:04/10/03 10:33:24 ID:ATCLz6SV
>110 生命って何?っていう人は、生命を認識しないので、生命と非生命の差別がなく、生まれた死んだで悲しむこともないでしょう。唯識って、無分別智、円成実性の悟りを体系化したものでしよう?
113 :
けちゃっぷ:04/10/03 10:35:56 ID:ATCLz6SV
世界ね物質とエネルギーの代謝の中で、「ポチ」だけを切り取って差別し執着するから、「ポチ」が死ぬと悲しい。何もなくなりゃしないのさ、形が変わっていくだけさ。
114 :
けちゃっぷ:04/10/03 10:43:05 ID:ATCLz6SV
すべてはアーラヤ識の縁起なんだから、ポチが死んでもアーラヤ識が滅ぶわけじゃなし、悲しむ必要はないのです。ポチを分別・差別・執着するのは、苦悩の原因です。
115 :
◆aj02kekrv6 :04/10/03 10:47:09 ID:N7ptJ0I+
アーラヤ識って、無明(迷い)のことではありませんか?
116 :
けちゃっぷ:04/10/03 10:58:36 ID:ATCLz6SV
>115 迷いの原因がアーラヤ識だそうですね。だから、仏性(如来蔵)とは違うようです。アーラヤ識に内蔵された種子が対象世界を形成し、それがアーラヤ識に印象(薫習)を与えて新たな種子となる。
117 :
名無しさん@3周年:04/10/03 10:59:54 ID:9MW7v+oq
阿頼耶識を常在と認めることで、原始仏教から乖離しちまうね。
死んだら諦める、のが単純で正しい仏教的態度かと。
形が変わっていくだけのことが激しく悲しいわけだが、今への集中がそれを和らげる。
118 :
けちゃっぷ:04/10/03 11:02:37 ID:ATCLz6SV
アーラヤ識が仏性であったり、アーラヤ識の奥に仏性があるなら、みんな仏の子なんですが。法相宗はそうは考えなかったようです。種子と薫習の気の遠くなるような繰り返しの中で、悟る縁がある人は悟れる。
119 :
名無しさん@3周年:04/10/03 14:36:04 ID:mC9KQK0t
>118
興福寺や清水寺ですな。法相二巻抄に日本の唯識説がまとめられてますよん。
120 :
名無しさん@3周年:04/10/03 14:41:46 ID:mC9KQK0t
「自性清浄心」無垢識
この一日の身命は 尊ぶべき身命なり 貴ぶべき形骸なり
121 :
名無しさん@3周年:04/10/04 16:35:44 ID:yr42n0v+
阿頼耶識があふれてくるよーー!
122 :
名無しさん@3周年:04/10/04 20:10:12 ID:7VoMu4lq
無垢識(アマラ識)
↑パラマールタ(真諦。499-569)
123 :
名無しさん@3周年:04/10/14 03:05:38 ID:tMDxkKYA
あげです。
124 :
◆sBfdlT4.CY :04/10/17 08:58:02 ID:xF4xiNTh
阿頼耶識は、第八識ですが、天台宗の阿摩羅識(アマラシキ)=九識ってのは、唯識ではないのですか?
125 :
名無しさん@3周年:04/10/18 18:16:02 ID:FLRd2n9S
126 :
名無しさん@3周年:04/10/18 20:32:59 ID:G6AyzqGK
基本的に唯識観とは、実在すると思っているものは識によって作り出される虚妄分別
と知り、そこから認識するものもされるものも空≠ナある、という洞察へ導かれる
――空を悟るための方法でしょう。有漏の種子である煩悩が撃退された阿頼耶識は無漏
となり、無形象の照らし出す作用、輝く空となった状態を、アマラ識=無垢識とポジテ
ィヴに表現しているのでしょう。
真諦は546年に中国に渡り、マイトレーヤ=アサンガ系統の唯識を伝えたインド僧です。
アマラ識という述語は、彼の訳書にしか見当たらないそうです。
真諦訳から玄奘訳への転換は、中国の唯識が「無相唯識」から「有相唯識」へと主流が
変わったことを意味している、云々と
↓のサイトに
http://www.1134.com/jinbutu/2china4.html
突然質問してすみません。
どなたか教えてほしいのですが、仏覚を成就したとき、
アラヤ識はどうなるのですか?また、真宗でいう現生正定聚不退転を成就した
ときはどうなのでしょうか?
アラヤ識=無明ならば、覚ると消えてしまう、ということでしょうか?
>>128 >仏覚を成就したとき、
> アラヤ識はどうなるのですか?
> アラヤ識=無明ならば、覚ると消えてしまう、ということでしょうか?
悟ったから阿頼耶識が消えるということはありませんよ。
ただ定に入ること容易ですからコントロールしやすくなります。
130 :
けちゃっぷ:04/11/13 20:03:14 ID:hX0HnMKd
>128 アーラヤ識以外ね識も、悟った後は「仏の智慧」の働きに転換されるようですね。
論文のコツは構造にある
論文やレポートは読んでみて「筋が通っている」という点が一番重要です。
「日本人のレポートは何を言いたいのかわからない」という批判をよく受けるようですが、これは「言いたいことが書いている本人にもわかっていない」という大問題がある場合は別にして、
やはり、どのように書いて表現するか、まとめるか、というのが大きなネックになっていると思います。
筋が通るように書けば、ずいぶんわかりやすくなる論文が多いのではないでしょうか。
日本人が論文が苦手、という原因は国語教育のせいもあるでしょう。日本の国語教育はあくまで文学的・情緒的な文章に中心がおかれているようで、論理的な文章を書く、
というトレーニングを積む機会がなかなかないのが一因だろうと思っています。
大学でも「論文の書き方」のような指導はあまり受けませんし(最近は力を入れている大学もあるようですが)、
第一教える側がちゃんとした論文構成ができていないのであれば、教えられるはずもありません。
さて前置きはこれくらいにして、わかりやすく、筋が見える、したがって説得力がある論文の基本は、構造をちゃんと構築する、という点です。
構造は二つに分けて考えることができます。一つは「序論」「本論」「結論」といった論文全体を形作る大きな構造です。
もう一つは文、段落(ここではパラグラフと呼んでいます)といった小さな構造です。
この両者がきちんとしていない限り、よい論文・レポートは書けません。
小論文や短いレポートの場合は、こうした大小の構造を考えるだけで多分間に合いますが、論文が大きくなればその中間の構造も必要となります。
このコーナーでは触れませんが、基本は中間構造であっても同じです。
論文の大構造は、論文全体の構成を決めるもので三つの部分からなります。「序論」「本論」「結論」です。基本的にはこの三つで事足ります。
実際には名称が違っていたり、あるいは大き目の論文・レポートであれば、本論部分が多くの章に分かれていたりします。
しかし、どんな短いものであれ、長いものであれ、論文・レポートであればこの三つの部分を含むと考えてください。
序論 「序論」は全体の紹介です。この論文・レポートが「何を意図しているか」「どのような問題意識を持っているか」「どのような結論に至ったか」「どのように議論していくか」ということを簡単に紹介します。
ここを読めば、筆者が何を考えて、何をこの論文・レポートで主張しているのかがつかめるようにしておきます。
「序論」に結論を書いてしまっても良いのです。結論は最後に来るように思われがちですが、論文・レポートは小説ではありません。
推理小説なら結論を先に出されてしまったら興ざめかもしれませんが、論文・レポートは、「突飛な結末」を楽しむのではなく、論文の著者がどうやってその結論に行くかの過程を見るためのものです。
ですから「私の結論はこれである。こうした方法論を用いてこうした結論に至った。」というようなことを、「序論」に書くべきなのです。
読み手は、結論を念頭に置きながら、書いた人の議論を追いながら検証していくことができます。
本論 「本論」は、自分の主張したいことに沿った証拠を積み上げていく部分です。次から次へと証拠を繰り出し、自分の議論を進めて行きます。
ここで使われるのは自分で調べた資料や、調査結果、実験結果や二次資料(参考文献など)です。
結論 「結論」は言わば裁判の判決部分のようなものです。「本論」で有罪(あるいは無罪)の証拠を積み上げ、読み手が納得できる形で判決、つまりは書き手の結論を述べます。
とは言っても単なる結論の宣告ではなく、「本論」で議論されたことをサマライズして、「であるからこう考える」のように導き出します。
起承転結はだめ 時折「レポートの構造は起承転結」と書いてあるような参考書がありますが、無視した方が良いでしょう。起承転結は文学や詩文ならいざ知らず、論文やレポートに向いた構造ではありません。
パラグラフの書き方
論文の小構造は、基本的に文とパラグラフ(段落)、そしてそれらの関係が命です。
小論文や短いレポートでは、大構造以上に小構造のでき、特にパラグラフのできが全体の印象を左右すると言えます。
パラグラフというのは、日本語の段落に該当する言葉ですが、日本語の作文上での文の区切りの段落と、論文を書く上での段落の性格はかなり異なるので、ここではあえてパラグラフという言葉を使用します。
パラグラフはひとつのアイデアを示す
まずパラグラフですが、これは単に「読みやすい長さで切る」のではありません。このあたりが作文で言う段落とは大きく違うところです。
無論長すぎるパラグラフはいかに論理的であっても良くないのですが、基本的に論文やレポートにおけるパラグラフは、「ひとつのアイデアを示す」単位です。
単なる文章の区切りではありません。
134 :
名無しさん@3周年:04/11/28 22:01:56 ID:XnLEdGv0
>>129 アヤラ識って単なる倉庫でしょ?
倉庫に「はたらき」を見いだすのは、
マナ識と混同してるのでは?
見性ってマナ識の対立二元論の止揚でしょ?
アマラ識ってのは、アヤラの奥ではなく
見性によってアヤラの薫習がなくなり
アヤラが本来の貯蔵庫としてではなく
すべてを生み出す種として在る状態でしょう。
「あやや」らしき人?
137 :
ぬゑぽ:04/12/06 21:04:08 ID:3hcbaYFD
新屋敷
141 :
名無しさん@3周年:05/01/07 23:54:06 ID:f7kXMDR3
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
i / )( \, 、 ,/ , ヽ ヽ
| | ⌒ ,,___\l,::,l/___| |
| |. ー-ゞ'-'">><ー-ゞ'-'"'| |
| ;:| '""^ 、 | |
| ヽ. ゝ( ,-、 ,:‐、) | |
| /ヾ.. / ヽ | |
| | ./ゝ二ニニニニ二、 | |
>>2 .. | `、ヽ へ"\┼┼┼ノ/ / | ワシの掲示板で何さらしとんじゃ(爆
| ヽ\ `\ ̄ ̄ ̄ノ / |
| l `ー-::、_ " ̄ ̄" ,,..'|ヽ./
ヽ. :人 /`ー――''''' /
/;:;:;:;;:;:;: _/
144 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 13:35:13 ID:fhEZS3Bq
アーラ,ヤーね。
145 :
名無しさん@3周年:2005/05/02(月) 22:48:58 ID:su/o2+Hw
これも
146 :
名無しさん@3周年:2005/05/04(水) 17:37:21 ID:cGVZ7SP5
ほとんど唯識で,幻影のように,また,蜃気楼のように
実態を持たないスレになってるな。
147 :
名無しさん@3周年:2005/05/04(水) 17:47:46 ID:8OPD5UpQ
唯識の勉強は、太田久紀と竹村牧男がいいな。
太田さんだと「成唯識論要講」
竹村さんだと「唯識三性説の研究」かな
148 :
名無しさん@3周年:2005/05/05(木) 17:27:37 ID:hSubUxYi
摂大乗論を読んで,アサンガが intuitive にとらえていた世界がある程度
実感できればそれでよいと思う。ヴァスバンドウ以下が表現する世界はやや
凡庸だ。後世の法相宗における枝葉末節の議論はまことにナンセンス。
うん、ご苦労。
150 :
名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 22:39:22 ID:ec3PA//y
このスレが恰も存在するかのように見えるのも阿頼耶識のはたらきによるものですね
151 :
立て看板:2005/06/07(火) 04:30:10 ID:hTjoIJl0
152 :
名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 14:03:48 ID:U5j7yq3x
あーやらしい
153 :
名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 23:38:35 ID:9UxL3kk/
「唯識三十頌」ってどうやって読誦するんですか?教えて、えらいひと。
立て看板設置。スレを支える参加者、発言者、の参加を募ります。
坐禅と見性 第20章◎飯袋子の集い◎驢年横行◎
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1119079479/ 現在、下記の公案に取り組んでいます。参禅をお待ちします。
三毒の人、貪瞋痴(とんじんち) 「貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)」または、三毒の人をインテリバカセ、とも言うらしい。
眼が見えず、
耳が聞こえず、
口がきけず、
この三毒の人が、さくらを知るために、さくらの木に抱きついた。
この三毒の人に これがさくらだと悟らせるには、どうしたらいいのだろうか。
五力によって解決せよ、と言う。この問いに答えるには、五力が、解を与えるそうだ。五力とは、
(1)信じること。
(2)勤めること。
(3)思慮深いこと。
(4)心を統一すること。
(5)明らかな智慧を持つこと。
155 :
名無しさん@3周年:2005/07/03(日) 19:42:30 ID:UhZ/QE8W
アートマンとダルマに関するいろいろな表現がなされる。それは
識の転変においてである。その転変とは3種である。
異熟と我執と対境の了別。その中の異熟はアラヤという識であり
一切の種子を持つ。
それは完全には知り尽くされない執受の了別と住処の了別を有して
いる。常に遍行の心所に伴われている。
そこでは受は捨受である、それはまた無覆無記である。
それは川のように流れにおいて生起する。
その捨離は阿羅漢たる者においてである。
それによってそれを所縁とする、異という名の識が起きる。我執を
自性とするものである。
常に有覆無記の我見・我貪・我慢・我癡に伴われている。
阿頼耶識が受生した所に属する四つの煩悩に伴われている。
それは阿羅漢と滅尽定と出世間道にはない。
第三は六種の対境を認得するものである。それは善・悪・無記の
いずれでもありうる。
これは遍行と別境と善の心所と相応し同様に煩悩とも相応する。
遍行は触等。欲・勝解・念・定・慧が別境。
157 :
名無しさん@3周年:2005/07/08(金) 19:15:42 ID:eoqwpbRS
阿頼耶識は,生物学的レベルでは,潜在意識というよりも遺伝情報等を総合した
生命体維持の基本的仕組みと解釈されます。
信と慚と愧と
無貪等の三と、勤と軽安と不放逸と、倶なるものと不害とが、善で
ある。煩悩は、貪瞋痴と、
慢見疑とである。
さらに忿・恨・覆・悩・嫉・慳と、また誑と、
諂・?・害・無慚・無愧・?沈・掉挙・不信、また懈怠・放逸・失念、
散乱・不正知と、また悔と眠そのものと、尋と伺とは随煩悩である。
二組の二はおのおの二種である。
五識は、根本識から、縁にしたがって、一緒に、あるいはそうでは
なく、生起する。ちょうど、水における諸々の波のようである。
意識は、無想果と、二つの禅定と、睡眠および気絶という無意識の
状態を除いて、常に生起する。
この識の転変は分別である。それによって分別されたものは存在しない。
それ故、この一切はただ識のみのものである。
阿頼耶識は、一切種子をもつ識である。その転変は更互の力に
よってそのように進んでいく。このことによって、それぞれの分別は
生じるのである。
業の習気は、二取の習気とともに、前の異熟が滅したときに、他の
異熟であるそれを生じる。
どんな分別によってどんな事が分別されたとしても、それは遍計所執性
である。それは存在しない。
依他起性は分別であり、それは縁によって生じるのである。
円成実は、それが常に前の遍計所執性を離れていることそのことである。
この故にこそ、それは依他起性と別ではないし、別でないのでもない。
無常性等のようにいわれるべきである。これが見られないとき、それは見られない。
三性に関し、三種の無自性性があることを秘かに考えておいて
説かれたのである。
初めは実に相によって無自性である。また、次はこれには自らあるもの
のあり方がない、というのが、次の無自性性である。
そして、それは諸法の勝義であるからなのである。それはまた、
真如である。一切時に、その如くあるからである。それこそが
唯識実性にほかならない。
ただ識のみであることに、識が住しないかぎり、その間は二取の随眠は止滅しない。
これはただ識のみにほかならない、というのもまた、実に対象的認識故に、
面前に何ものかを立てるので、なお住していない。
識が所縁を得ることがまさに無くなったとき、ただ識のみ、ということに
住したのである。所取がないとき、それを取ることがないからである。
これは無心であり、無所得である。それはまた、出世間の智である。
転依である。二種の粗重を断じたがゆえに。
それこそが無漏界であり善であり楽である。これが聖者の法といわれるものである。
我と法に関するいろいろな表現がなされる。それは識の転変においてである。
その転変とは3種である。 異熟と我執と対境の了別。
表現 : 仮説・仮設・施設・仮有 ⇔ 実有
転変 : 因の刹那が滅したと同時に、因の刹那とは相が異なって、果が自体をえること
異熟と我執と対境の了別 : 阿頼耶識と末那識と六識
種子の六義
@刹那滅 永遠不変の実体ではなく刹那刹那生滅するものであること。
A果倶有 次刹那に結果を生むのではなく、同一刹那に果を生むこと。
種子と果は同時にある。
B恒随転 どこまでも相続して間断することがないこと。
C性決定 その種子を薫習したもとの現行と、その種子が生じる現行とは、
善・悪等の性質が同一であること。
D待衆縁 必ず他の多くのさまざまな縁が和合するのを待って果を生じること。
E引自果 色法の種子は色法を、というように定まっていること。
因是善悪、果是無記
転生とは阿頼耶識の中にその身体や器世間が新しく現ずることである。異熟とは
このことをいうのである。というのも、結果としての楽または苦は、善でも悪でもない無記を
性質とする。したがって、因である善・悪と異なって無記の結果が熟するというので異熟というのである。
竹村牧男先生の
『唯識の探求』
春秋社 ISBN4-393-13240-8 C1015
を使ってます。
初心者です。
その中、異熟は、阿頼耶識という識であり、一切の種子を持つ〔識〕である。
Bそれはまた、知られることのない、執受と住処と了別を有している。
常に、触・作意・受・想・思にともなわれている。
C阿頼耶識においては、受は捨受である。
それはまた、無覆無記である。触等も同様である。
それは河のように、流れにおいて生起する。
Dその阿頼耶識の捨離は、阿羅漢たる者においてである。
三種の識転変の一つの異熟=阿頼耶識=一切種子識=阿陀那識=第八識
滅尽定に入った者の個体性が極度に変壊せず相続されるのは、阿頼耶識があるためである。
唯識の立場では存在するのは現在のみで、有部のような形での過去・未来を否定する。
現行薫種子 種子生現行
眼識から末那識までの七識を七転識と呼ぶ。
唯識における薫習とは、七転識が生起し、阿頼耶識にしみつけられることである。
こうして第八識に薫習されて成った気分を習気という。
習気は後識活動を産出する原因となる。この原因になる所を捉えて習気を種子という。
七転識が生起し活動したところを現行という。
識はすべて刹那滅である。
能薫(七転識等の現行の薫習)の四義
@有生滅 常住不滅の存在ではないこと。
A有勝用 対象を縁ずるはたらきや、善・染(悪と有覆無記)の性質などがあって、自ら薫習しうること。
B有増減 仏果とは異なり、いまだ円満せず、増減の余地のあること。
C能所和合転 所薫と同時同所にあること。
所薫(阿頼耶識の薫習)について
@堅住性 無始以来、一類相続して転依・間断のないこと。
A無記性 善や染など、他を排除する性質のないこと。
B可薫性 常住不変ではなく、かつ種子を保持する能のあること。
C能所和合性 能薫と同時同処にあること。
根っこは同じだから当然のことではあるけど、現代のパーリ経典に依る上座部と、
倶舎論(説一切有部)、成唯識論(唯識)の立場は親近している。
スマ先生の所で実習を十分につんでから倶舎論や唯識を読めば最高。
難解・晦渋なものとして知られる倶舎・唯識も実体験のある者にはこころよく語りかけてくる。
テラワダのために動くにしても無駄なく活動できるようになるでしょう。
まず、座らないとね。がんばってサティしてください。
169 :
名無しさん@3周年:2005/07/13(水) 10:21:14 ID:wjOJMpw2
考えれば考えるほど現実と遊離していく。
170 :
名無しさん@3周年:2005/07/13(水) 22:33:45 ID:yq57liBI
171 :
名無しさん@3周年:2005/09/20(火) 12:40:26 ID:OULe8ed1
あらやしきってなに?
172 :
名無しさん@3周年:2005/10/17(月) 17:46:46 ID:1wzNHuJr
age
173 :
名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 20:03:08 ID:4ntje4Nk
含識だから
174 :
沙門:2005/11/02(水) 01:04:27 ID:9P7WoaHL
横山先生が計画していた唯識学辞典は刊行されましたか?2000年をめどにという事でしたが出版費用3000万円がある人物(私は名前を知っている)に依ってトラブルした
175 :
沙門:2005/11/02(水) 01:20:04 ID:9P7WoaHL
現代の唯識には残念ながら修行法が欠落している 故に単なる煩瑣哲学だ 弥勒 世親 それと特にアサンガの五重唯識観の徹底した研究がまたれる 私は看板屋ですからその時間がないが真の仏教者よ 出現せよ!
176 :
沙門:2005/11/02(水) 12:42:12 ID:9P7WoaHL
唯識と素粒子物理学の行き着く先は同じ事を説いてはいないか?或は同じ現象の異なる解釈ではないのか それにしてもハイゼンベルクは気になる
177 :
沙門:2005/11/03(木) 09:09:00 ID:TiMwZ3V7
171 あらやしき とはあなたを造った真の母胎 あなたはその種子が織り成す世界から絶対逃れられない もっというと それは「あなた自身」
178 :
沙門:2005/11/03(木) 10:14:07 ID:TiMwZ3V7
成仏 解脱とはその阿頼や識を変えることそして智恵を得ること 悟る事は易しい しかし悟後の修行が難し ろんぐみゅうちあるおぶざさくれむ,,,聖胎長養
179 :
沙門:2005/11/03(木) 10:26:08 ID:TiMwZ3V7
仏の教えを行ずるのに群れる必要はない 一人一寺でいけばよい しかし理論 修行法 衣食住 これを一人で完成させるのは至難である悟る一刹那前は人は必らず己一人となる ある何物かと対決する その最低必要な日数は40日
180 :
沙門:2005/11/04(金) 06:21:08 ID:ycjHticd
そもそも仏教は出家の教え 結集以後の発展はある意味世俗との妥協の産物
181 :
名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 19:56:37 ID:ctAETYow
唯識なんぞ考えることはない 確かに空観 唯識は仏教の基本中の基本でそれがなければ仏教は成り立たないしかし今の仏教界をみなさいよ もはや死んでいる みる陰もない
182 :
名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 03:44:42 ID:Uj+txOkm
キミの科簡においての話?
信者レベルでの話?
183 :
名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 23:13:36 ID:n2I/rt6P
174→181 の方は修行者でしょうか?唯識学をマスターされておられるようですが
ネットに修行僧なんていないと思うけど。
ここはあくまで宗教好きが語らう場。
185 :
名無しさん@3周年:2005/11/12(土) 20:50:30 ID:o7V4OWNc
それもそうだな まぁ唯識に依って無我と輪廻の相矛盾する思想に説明が為された訳だ 思うにあらやしきの発見は仏教史上 偉大な発見だった ましてそれはユガ行のなかから出たものであるから人間に普遍的なもの 彼ら唯識ユガ行派とはいかなる修行者団体だったのだろうか
186 :
名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 11:40:28 ID:XsO+Y+nY
初期ユガ行唯識派の修行者が西に流れてユダヤ教三派の中 秘密主義を主とする かのイエスを生んだエッセネ派の教義に影響を与えている可能性はないか?
187 :
名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 22:05:38 ID:XsO+Y+nY
充分に有り得る
188 :
名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 22:36:04 ID:6vU4tIYg
ヨーガチャーラブーミ 無相唯識 有相唯識 三十ジュ サングラハ 解深密経 摂大乗論 仏教心理学
189 :
名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 19:22:57 ID:WNCM0txp
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
190 :
祝:2005/11/20(日) 03:25:00 ID:g6d1fUk8
幻の未渡経 大乗アビダルマ経とは何か? アサンガの摂大乗論 マハーヤーナサングラハのことではないのかな?
191 :
祝:2005/11/22(火) 09:42:17 ID:599AhFdG
フロイトが夢の解釈を書いたのが1900年 そのずっと前から仏教では潜在意識の存在に気付いていた訳だ 瞑想の力のなせる業である
192 :
名無しさん@3周年:2005/11/24(木) 20:53:08 ID:gizBDLNQ
成仏ってなんだんべ
193 :
名無しさん@3周年:2005/12/21(水) 23:09:55 ID:aBj65dj+
読んで字の如し。仏に成ることです。
仏とは遺体のことではなく仏陀の音写。
194 :
名無しさん@3周年:
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪