1 :
ホヨス(代行) :
04/05/14 00:51
2 :
ホヨス(代行) :04/05/14 00:52
やっとたてられたわ。
3 :
ホヨス(代行) :04/05/14 00:57
今回はピオ汁専用スレができたので、もうその辺の話題はスルーでいこうや。 成相神父は書いてもいいけど、聖座に忠実でいてくれよ。 ここでは改宗者の方が典礼関連強いけど、 ただ聖伝を逸脱しがちな彼らをフォローしてね。 聖伝に従って、いちおう受洗3年以上の人、よろしこ。 俺さんとか、サロメはネタが市販書籍の域を出ないので、書かなくても いいや。
4 :
名無しさん@3周年 :04/05/14 01:05
5 :
名無しさん@3周年 :04/05/14 03:56
age
成人洗礼の初心者です。 普段の御ミサで、感謝の祭儀の時などは合掌して目を閉じて いて、「〜体である」「〜行いなさい」の時だけ目をあけて 見ているのですが、気が付くとまわりは動作等がバラバラの ようです。 合掌せず手を組んで下ろしている人、合掌しているが目は終始 開いている人等々。また、拝領の直前に司祭が拝領される時に 十字をきる人も。 本来はどうするものでしょうか?
7 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 13:37
みんなバラバラなのなら、自分がいちばんしっくりくる姿勢でいいと思いますよ。 私は合掌したまま、司祭の動作を見ています。 奉挙のベルでは聖体を見つめたまま、司祭が深くお辞儀されるときに一緒に頭を下げています。 私の教会ではほとんどの人がベルをお辞儀の合図にしていますが、典礼の意義としては御聖体を 見上げることが重要なのでは、と思います。 6さんの教会では、エピクレシス(いま聖霊によってこの供え物を....の祈り)のときに、ベルを鳴らしますか? かつて大阪カテドラルでは鳴らしていたのですが、いまはやってないみたいです。 わたしの教会はもともとやってないけれど。 あと、神の栄光と賛美のため...は黙祷が正しいのでしょうか?それとも発声するのが正しいのでしょうか? 典礼にくわしい方教えてください。
>>7 ご回答ありがとうございます。
ベルは通常ならされています。
ただ、主日以外の小聖堂での
御ミサは特別な日以外ならさ
れません。
9 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 14:50
10 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 15:08
___∧∧_ __ /\ (*゚∀゚)つ=|__ノ \/| ̄∪ ̄ ̄|\ \| 〓〓 |
ピオ汁書くなと書くととたんに発言数が減るのが面白いですね。 ラテン語そんなに使いたくてしようがないのでしょうか? 恐らくこのスレに存在している人の9割以上はトリエントミサの侍者をできないと思いますけどね。昔は中学生以下の男児だけでしたしね。
初めて御ミサに出た時には、年配の信者の方の 恭しいお辞儀(おみどうに入る時や着席の時から) に驚きました。私などは、それまで「ああシンド、 よっこらしょ、座ろか」という感覚でしたので。
13 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 12:36
>>7 うちも鳴らさないね。カテドラルではベルを鳴らすのに。
あと栄光の賛歌の冒頭「天のいと高きところには神に栄光」
を司祭が唄ってから始めるところと、信徒の先唱が唄うところ
とがある。
14 :
ある聖公会信徒 ◆6l0Hq6/z.w :04/05/16 13:12
新しいミサ典書はいつから使用されるのでしょうか?ひょっとして通常文も全て口語ですか? ところでカトリック聖歌集でミサやると聖公会の聖餐式に激似になりますね。
>>12 カテドラルに通ってたころは、座る前にひざまづく人が居たりしたのに
ウチの教会、みんな「よっこいしょ」って座る・・・
最初のころ、すんごい浮いたぽ・・・
16 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 13:23
>>6 合掌して一礼、高挙された聖体を仰ぎ見て十字を切る、再び合掌して一礼。
合掌して一礼、高挙されたカリスを仰ぎ見て十字を切る、再び合掌して一礼。
拝領前に十字を切って、左手の上に右手を重ね、聖体をいただく。
というのが、本来の仕方だと思います。
しかし、司祭様の動きが素早いと、聖体に礼拝して頭を上げたら、カリスが奉
挙されていたりする(w
>>7 鳴らすのが本来の仕方だと思います。ギリシャ典礼だと、聖変化の最中、外の
鐘を撞きっぱなしらしい。
それにしても、ミサ総則書の新版、まだ出ないのかyo!
17 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 13:52
また池長大司教が玉造教会でdでもないことしてくれました。閉祭の歌で、作詞・作曲:槇原敬之、唄:SMAP の「世界に一つだけの花」なんてやらせてましたし。 ほんで、本日はエキュウメニカルを目的としたミサだと謳って、プロテスタントの聖体拝領を認めてました。 「カトリックの洗礼を受けられた方で聖体拝領をされる方は・・・」のところを「洗礼を受けられた方で」と言う具合に。 池長さん、自分の職権で大阪教区を滅茶苦茶にするつもりです。 もう、ええ加減にしてー!!
19 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 14:00
>>17 プロテスタントの中には
対決的に御聖体を迷信と
断言して、自派の聖餐式
でさえ年数回しか行なわ
ない団体もあるのに...
20 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 14:04
>>17 司祭の顔ぶれは、梅田ブロックの共同宣教司牧司祭でしたね。
予想通りでした。
そういえば、手で受ける人と、口で受ける人と両方だな。
22 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 14:11
本日は「国際協力の日」の交流会ということで、御聖堂の中に出店を許可してましたし。幾ら雨天という理由でも、もう滅茶苦茶。
23 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 14:14
復活祭より集う信者数が多いとはどういうことなんでしょう。今や教会の信仰的意義は薄れてタダの自己満足の世界になったのかもしれませんね。
24 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 14:16
大阪教区の神はもう死んでます。
25 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 14:19
マリア大聖堂の聖域内で演劇なんてするし、そんなのミサ以外で外でやれっつうの。
28 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 15:51
こないだ長年の夢だったイタリア旅行に行ってきて、 サンピエトロ大聖堂で御ミサに出たら、ノヴスオルドだけどラテン語だったよ。 アンチ・トレントミサの人ってノヴスオルドのラテン語使用はどうなの? お膝元でやってるくらいだから正座後任ですが。
>アンチ・トレントミサの人 いるの?
30 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 16:58
先週、来週は10時ミサはお休みです。カテドラルで世界協力の日のミサがあります。バザーもあります。 プ ロ テ ス タ ン ト も い っ し ょ に 集 ま り ま す と告知があったので、あ、こりゃ耶蘇会歩く絵ぴす子ぺーなんかやりよるぞ、と思っていたら、案の定でしたな。 いかんで正解だった。 一致の表現として、他教派と典礼をともにすることは、エキュメニズムに関する教令で禁止されていたと思ったが、はて。 また宇治さんらに燃料投下して。 たかまーつ以上にやばいよ、やばいよ、大阪大司教区。 見返るはきてたんだろうな。企画・主催が見返る? 南緯代牧区→大阪司教区→大阪大司教区→俗人区大阪カトリック教会ということで、よろしいかな?→宣教省 日本聖公会ローマ主教管区教会大阪主教区でもいいわけだが。→ランベス会議 日本基督教団大阪カトリック連盟 コンスタンチノープル エキュメニカル大主教、大阪大司教区はもはや自浄能力がありません。 帰正させてください(涙) つぅか、カトリックはしゃぎ杉。 プロテスタントのほうがもっと慎重だぞ、エキュメニズム。
>>30 しかし元プロの私としては
プロテスタントがあまり参加してなかったので
嬉しかった。
32 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 17:22
>>31 すいません、意味がよく分かりません。どういう意味でですか。
>>32 昔の教会の人間と鉢合わせせずにすんだと
ゆうことです。
>>33 そういうことですか。ありがとう、理解しました。
しかしブラジルの焼肉は旨かった。
大阪教区では聖変化はどうなってるのかな...?
37 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 17:58
プロテスタントして「カトリックの礼拝に参加するわけにはいかない。しかし社会問題や福祉活動は 福音宣教以前に、隣人愛の実践として喜んで参加させていただきましょう」という心構えがあるのなら 俺は彼らの意志を尊重するし、尊敬もする。 しかし、な、きょうは拝領おおめにみるからさぁ、いっしょにミサを祝おうよ、というカトリックの虫のよい 態度には嫌悪感を覚える。 それは聖体論、聖母論、宗教改革観などプロテスタントの心情(信条)を 全く考慮していない偽善的兄弟愛の押しつけではないか。 というよりも、ブラジル焼き肉があるのなら、先週いっとけ!>神父 俺は 内 心 忸 怩 た る 思 い を抱きつつ、きょう玉造の地を訪れただろうに!
38 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 18:01
39 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 18:02
>31 31はピラトくんか? まぁまっとうな感覚を持つ教団、教派であれば、このようなエセメニカルな集いに参加することはないだろう。 だが、ブラジルの焼肉ってなによ!どんだけんまいんよ?! 聖母大会あたりでやってくれ>レオとミカエル
40 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 18:03
焼肉食い おのが身焼かる 玉造 (カト川柳) ってとこか。
31=35 ピラトです。 ブラジル焼肉は最高でした。w ついでにチヂミ、フィリピン料理などを堪能しつつ 酒を飲んでいました。 カトリックのいい所はこういった大らかさがある所だと 思うよ。(初心者の私がいうのもなんだけど) スマップはちょっと考えるけど、 戦争は嫌だとかいうスローガンも何だかキリスト教の主張とは 思えなかったけど、(何だか左翼政党の主張みたいだった) 聖体拝領についていえば、(祝福を受けるのも加えてみれば) プロにとってもカトにとっても好ましくないと思います。 だってお互いの教義の違いを尊重しあったら、ミサではなく 朝祷会になってしまうよ。 ちなみにブラジル焼肉はまじうまかったす。w
ピラト君は大阪教区だったのか... スマップの歌を使うという話は中高生の広島遠征のとき 使う(った??)という話をきいたが、主日のミサで使う とはなあ。
>>42 ちなみに私の通っている教会のプリントでは
スマップははずされていました。
後あれは聖歌ですか?
何とかサガンとか言う人が作曲した
子供達が望むのは戦争ではなく云々
いい曲だとは思うが、、
新しい聖歌を作ってもらってそれをバチカンに公認して
貰ったほうがいいんじゃないかと。
昔のバロック音楽は全て教会音楽から始まったんだから、
44 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 19:00
聖歌はね、司教に権限が与えられているから、ローマの認証は特に必要ないんだよ。 だから1970年代から典礼聖省が必死になってKyrieからAgnus Deiの伝統的聖歌を 使おうよって呼びかけていたけど、口語聖歌の流れを食い止めることはできなかった。 閉祭の歌は、典礼細則からいえばミサとは関係ないので、まぁ何使ってもいいといえば いいんだけどね。教皇様が来日されたときの後楽園ミサの閉祭の歌はかの『アーメン、 ハレルヤ』だったからね,,,,,
そういえば伊太利亜も仏蘭西も新しい典礼聖歌を使ってるらしいな。
カトリックで御聖体のことを粗略にあつかってしまえばどうなる!
47 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 20:20
本日の出店でメキシコ料理タコスがありましたが、 雨天でどこか落ち着いて食べられるところは無いですか? って店員に聞いたら聖堂内へと勧められて、悶絶しかけました。 後で椅子を貸してもらいましたが。
私の音楽教室の先生の一人はまったくのノン・クリスチャンだが、 フランス留学中にカトリック教会のミサで「小さいおせんべいみたいな白いパン」を、 食べたという話をしていた。知らずに聖体拝領を受けたらしい。 フランス留学中は作曲家、オルガニストのメシアンのいるカトリック教会に行っていたということだ。 プロテスタントだって未信者が聖餐式に与かることは無い。 フランスのカトリックは別にカトリックかノンカトリックかチェックしないということだろう。
>>47 でもお御堂の中では食うなと
小田神父様より注意がありませんでしたか?
その教区が特別なんでしょw
>>49 というか、通常そういうことが出来にくい雰囲気、空気なんだが。
「祈り込められたおみどう」というらしいが、そういう所だと妙な
ことができにくい。
大阪教区といえば 大阪府、兵庫県、和歌山県か。 昔は現京都教区の京都府、滋賀県、奈良県、三重県も大阪教区だった。
>>49 さあどうなんでしょう。
しかし、御聖堂の中で出店(飲食店ではないですが)を許可してましたからね。
信徒のマナーが麻痺しても仕方がないと思いました。
55 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 21:35
某教会では、もう15年くらい前から、バザーなんかあると、 老信者が聖堂でカレーとか平気で食ってたぞ。
56 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 21:50
おい! とうとう司教団は、「ニカイア・コンスタンチノープル信経」まで、改訳 したぞ!このままで良いのか!! 追伸 溝部脩司教様。高松は、大変でしょうが頑張ってください。 菊池功被選司教様。新潟は「秋田問題」で、大変でしょうが、頑張ってください。 聖アーノルド・ヤンセンと聖ヨゼフ・フライデナメッツの執り成しが ありますように!アーメン!!
57 :
り〜ず ◆HNUDYzuu5k :04/05/16 21:51
58 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 21:53
>>56 とうとう、来るとこまで来た!って、感じだな!
もうどうなっても知らんぞ!
60 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 22:19
ヴァチカンは、何をしているのでしょうか? このままでは、「日本・カトリック教会」に成ってしまいます! ヴァチカンとの一致を、司教団は望んでいるのでしょうか?
>>60 いや、カトリックを名乗らせては貰えまいて・・・
62 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 22:21
>56 どの部分?
63 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 22:31
>60 日本二十六聖人司祭同志会 当会は第二バチカン公会議の精神を遵守するために逢坂大司教が設立された教会法に基づく修道会です。全国16司教区が参加した日本における正統なカトリック教会です。 バチカン 全員離教団体ですな。 Anathema Orientale malae ecclessiae Japanis発令
次は女性司祭、司祭妻帯か...
65 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 22:57
>>62 旧「ニカイア・コンスタンチノプール信経」
われは、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、またその御独り子、われらの主
イエズス・キリスト、すなわち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、
ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ
古聖所に降りて三日目に死者のうちより蘇り、天に昇りて全能の父なる天主の
右に座し、かしこより生ける人と死せる人とを裁かんために来たり給う主を
信じ奉る。
われは聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通功、罪の赦し、肉身の蘇り、終わりなき命
を信じ奉る。アーメン!
新「ニカイア・コンスタンチノプール信経」
私は信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、
すべてのものの造り主を。私は、信じます。唯一の主イエス・キリストを。
主は神の独り子、全てに先立って父より生まれ、神よりかみ、光より光まことの
神より、まことの神、造られる事なく生まれ、父と一体。全ては主によって造られました。
主は、私たち人類のため、私たちの救いのために天からくだり、聖霊によって
おとめマリアより体を受け、人となられました。ポンティオ・ピラトのもとで、
私たちのために十字架に付けられ、苦しみを受け、葬られ聖書にある通り、三日目に復活し
天に昇り、父の右の座に着いておられます。主は、生者と死者を裁くために栄光のうちに再び
来られます。その国は終わることがありません。私は信じます。主であり、命の与え主である聖霊を。
聖霊は、父と、子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者を通して語られました。
私は、聖なる普遍の使徒的、唯一の教会を信じます。罪の赦しをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活
と来世の命を待ち望みます。あーめん
66 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 22:59
67 :
り〜ず ◆HNUDYzuu5k :04/05/16 23:01
り〜ずは、「公教会祈祷文」を、旧仮名遣いのまま復活させるべきだと思います。 いまある口語の祈りは廃止!!
>>65 いや、これ、新の方、
ラテン語原典をそのまま訳しただけとちゃうか?
忠実だと思ったが。
>67 乱暴なことを。まるでマキシムで北島三郎を流すようなセンスだな。
70 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:05
>>64 禿げ同!!
ラリってても、いい事言うね!
>>65 旧って、それ使徒信条・・・ニカイアじゃないぽ。
われは信ず、唯一の神、 全能の父、天と地、見ゆるもの、見えざるもの すべての造り主を。われは信ず、唯一の主、 神の御ひとり子イエズス・キリストを。 主はよろず世のさきに、父より生まれ、 神よりの神、光よりの光、まことの神よりの まことの神。造られずして生まれ、父と一体なり、 すべては主によりて造られたり。 主はわれら人類のため、また、われらの救いのために 天よりくだり、聖霊によりて、おとめマリアより 御体を受け、人となりたまえり。 ポンシオ・ピラトのもとにて、われらのために 十字架につけられ、苦しみを受け、葬られたまえり。 聖書にありしごとく、三日目によみがえり、 天に昇りて、父の右に座したもう。 主は栄光のうちにふたたび来たり、 生ける人と死せる人とを裁きたもう、 主の国は 終わることなし。 われは信ず、主なる聖霊、生命の与え主を、 聖霊は父と子よりいで、父と子とともに 拝みあがめられ、また預言者によりて語りたまえり。 われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ、 罪のゆるしのためなる唯一の洗礼を認め、 死者のよみがえりと、来世の生命とを待ち望む。 アーメン。
73 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:13
>使徒継承の教会 これを使徒的教会と訳してあったなぁ。 「継承」と「的」は同一なのか?
>73 そら違うだろ。
75 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:15
>>74 だよな。
カトリック協議会のサイトにあるニカイアは使徒的ってなってるんだよなぁ。
76 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:16
使徒的教会、ということは、いろんな可能性を思わせます。
一致運動の手前ってやつか?使徒的教会は・・・
自損自壊的な香りがする...
79 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:27
壊れていくものからは、特有の香りがただよいます。 一般的には危険な香りですが「 それはそれで一つの芸術にすらなるのです。
われは信ず、唯一の神、 全能の父、天と地、見ゆるもの、見えざるもの すべての造り主を。われは信ず、唯一の主、 神の御ひとり子イエズス・キリストを。 主はよろず世のさきに、父より生まれ、 神よりの神、光よりの光、まことの神よりの まことの神。造られずして生まれ、父と一体なり、 すべては主によりて造られたり。 主はわれら人類のため、また、われらの救いのために 天よりくだり、聖霊によりて、おとめマリアより 御体を受け、人となりたまえり。 ポンシオ・ピラトのもとにて、われらのために 十字架につけられ、苦しみを受け、葬られたまえり。 聖書にありしごとく、三日目によみがえり、 天に昇りて、父の右に座したもう。 主は栄光のうちにふたたび来たり、 生ける人と死せる人とを裁きたもう、 主の国は 終わることなし。 われは信ず、主なる聖霊、生命の与え主を、 聖霊は父と子よりいで、父と子とともに 拝みあがめられ、また預言者によりて語りたまえり。 われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ、 罪のゆるしのためなる唯一の洗礼を認め、 死者のよみがえりと、来世の生命とを待ち望む。 アーメン。
81 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:31
実際、「カトリック教会」自体が 特有の芳香を放ってはいないでしょうか?
82 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:35
apostlicam eclessiam 文法的には正しいが。
83 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:36
84 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:37
感覚的ないい匂い、というのはどうなのでしょうか。 理性的には、警戒すべきもののように思えますが、 実際、とてもよい匂いがするのです。 これは困ったことでもあります。
85 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:40
万事叶ひ給ひ、天地を創り給ふ御親デウス(父なるゼウス)と(1)、その御ひとり子我らが御主ゼズキリシト(子なる神イエスキリスト)を真に信じ奉る(2)。 この御子(=キリスト)スピトツトサント(聖霊なる神)の御奇特を以って宿され給ひ、ビルゼンマリア(処女マリア)より生まれ給ふ(3)。 ポンショラピラト(総督ピラト)が下において呵責を受け堪へ、クルス(十字架)に架けられ死し給ひて、み棺に納められ給ふ。(4) 大地の底へ下り給い三日目に甦り給う(5)。天に上り給ひ万事に叶い給ふ御親デウスの御右に備はり給ふ。(6) それより生きたる人、死したる人を糺し給はんために天降り給ふべし。(7)スピリツサントを真に信じ奉る。(8) カタウリカ(普遍的)にてましますサンタイケレジア(教会)。サントスみな通用し給ふ事(9)。科の御赦し(10)。肉親の甦へるべき事(11) 終わりなき命を真に信じ奉る(12)。アメン。
86 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:41
87 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:42
↑キリシタンの時代から使徒継承には興味がなかったのかね。
88 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:42
89 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:43
香ばしいのは、ホスチアの麦のにおいかとおもったら、 そうでもないらしい。 イエスが男性なので香ばしい匂いがするのか。
90 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:47
91 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:48
92 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:53
93 :
名無しさん@3周年 :04/05/16 23:56
コンスタンティノポリ第二全地公会百五十人の諸聖父の信経 我信ず一の神父・全能者・天と地・見ゆると見えざる萬物を造りし主を。 又信ず一の主イイススハリストス・神の独生の子・萬世の前に父より生まれ・ 光よりの光・真の神よりの真の神・生まれし者にて造られしに非ず、父と一体にして 萬物彼に造られ我ら人々の為め又我らの救ひの為に天より降り、 聖神及び童貞女マリアより身を取り人と為り我らの為にポンティイピラトの時 十字架に釘うたれ苦を受け葬られ第三日に聖書に應ふて復活し天に升り 父の右に坐し光栄を顕はして生ける者と死せし者を審判する為に還た来り其国終りなからんを。 又信ず聖神・主・生を施す者、父より出て父及び子と共に拝まれ讃められ預言者を以て嘗て言いしを。 又信ず一の聖なる公なる使徒の教会を。 我認む一の洗礼以て罪の赦しを得るを。 我望む死者の復活並に来世の生命を。 アミン。 ハリストスはんは 使徒的 と訳してはるみたいやし、okってこと?
94 :
名無しさん@3周年 :04/05/17 00:00
95 :
名無しさん@3周年 :04/05/17 00:02
使徒的の解釈が問題か?w
97 :
名無しさん@3周年 :04/05/17 00:33
そうだね。幅が広すぎるよね、**的って。 使徒継承っていうと、俺単独、ってニュアンスだけど、 使徒的となると、ま、ほかにもあるけどさー、俺も、って感じだね。 というか、ほとんどだれもが忘れていたニケア・コンスタンチノープル信経を、ねぇ.... 次は、栄光の賛歌あたりかねぇ、目障りなのは、ってなるのかな。 主よ、あわれんでください、ってなんか卑屈。 ローマでは皇帝凱旋のときの民衆の歓呼の大合唱だったんだよね、キリエ。 いよいよ内堀埋めにきたかぁ。 俺は意地でも天使祝詞は文語で唱え続けてみせるぜ(私的信心だしね)
キリエは栄光でっか???
99 :
名無しさん@3周年 :04/05/17 09:43
しかもギリシア語をローマの民衆が叫ぶのか? 教養人ならまだしも。
第二バチカン前に少し揺り戻しとか言ってたが違うようだね。
101 :
名無しさん@3周年 :04/05/17 14:21 ID:D5rNr+o0
おや、IDが入ったぞ。しからば sage では?
103 :
名無しさん@3周年 :04/05/17 14:22 ID:D5rNr+o0
どっちでも入るね。
104 :
名無しさん@3周年 :04/05/17 22:19 ID:jPoEaCBx
典礼では洗礼式の信仰宣言だけだし...
105 :
名無しさん@3周年 :04/05/18 02:36 ID:ZjmxvgJn
宗教にうといので質問させて下さい。 歌手の石井竜也って人が奥様の影響で教会に通ってるそうなのですが バカにするような書き込みを頻繁にHPにされていたそうです。 「アーメン」→「ザーメン」等etc・・・ 読んでるだけでイヤな気分になったのですが、どう思われますか?
そんな事より カトリックの児童福祉擁護施設で行われてる児童虐待 近郊のカトリックを騙る教会に助けてって書いたんだって 何も助けてくれなかったよ 止めるように口ぞえしてもくれなかったよw
107 :
名無しさん@3周年 :04/05/18 02:48 ID:IlEeSQq/
カトリックはイエスの言う事聞いて無いんだね 神父とかの人間の言う事は聞いてるそうだけど イエスは人を愛するように教えてるはずなんだけど なんで面倒だからって放置するんだろうね
108 :
名無しさん@3周年 :04/05/18 08:41 ID:s4CCWe2P
>>82 「使徒の」が一番正確。「使徒的」でもまあ良いと思う。
言いたいことは使徒性ということだから、日本語のニュアンスとしては
初代教会の「使徒」に限定してしまってもまずいと思う。
その意味で「使徒『継承』」と訳していたんだろうけど、
これでは継承性に重点がおかれてしまう。
(バルト的な「使徒的」ではなく)、
@カトリック教会が使徒の信仰に立つこと、
Aペトロを頭とする使徒団を継承する、教皇を頭とする司教団との一致によって
人はキリストの体たる教会に属すること、
B各人の身分(聖職者、奉献生活者、信徒)に応じて使徒職を行使する教会
であること、などが
「使徒の」教会たる意味だと思う。
109 :
名無しさん@3周年 :04/05/18 08:45 ID:6WEGj/bc
>>108 なるほど、「〜的」というと何か薄めたニュアンスを感じて
しまうけど、その解説で納得です。
110 :
名無しさん@3周年 :04/05/18 12:46 ID:PxA0dXCJ
>107 で、あなたはそれを聞いてどう行動したの? あなたの知恵と勇気を問われているんじゃないの。 単に伝聞で批判垂れ流ししてるのは、変態聖職やことなかれ主義教会とかわらないよ。
祈りましょう〜♪
112 :
名無しさん@3周年 :04/05/18 23:52 ID:u/oo77GI
こんな時間に歌ミサが始まっていたのか!
113 :
名無しさん@3周年 :04/05/19 16:52 ID:v7AzHaa1
築地教会の新主任司祭が、古くからある祭壇をぶち壊す意向だと。 ソースは東京大司教区掲示板。
>>113 やめてくれよ(・A・#)
古いからって良い訳じゃないけど、壊したら取り返しが付かないって分
かってんのか?
116 :
名無しさん@3周年 :04/05/19 20:09 ID:kTZTZixN
日本のカトリック教会は、もう危険水域を超えた!! もう、どうなっても知らんぞ!
117 :
名無しさん@3周年 :04/05/19 20:16 ID:FmlAvOKF
しかたないや。主任司祭の意向なら。
118 :
名無しさん@3周年 :04/05/19 20:22 ID:Dw2wtMiS
皆の者に言います。司祭には従順でありなさい。司祭はイエス様の代理者として老朽化した祭壇を壊す権威が与えられている。つぶやいてはなりません。
119 :
名無しさん@3周年 :04/05/20 04:59 ID:AxfQto8x
築地の祭壇って、聖遺物とか入ってる大切なものじゃなかったっけか…。 築地の新主任司祭って、伝統ある教会の主任司祭が兼任するんだよね。 本当に壊しちゃうの?>祭壇(T_T)
121 :
名無しさん@3周年 :04/05/20 08:37 ID:GiRvdOvW
>>120 聖遺物ははやりのオークションにかけられるから大丈夫。
売り払ったお金をホームレスの人たちに分け与えましょう。
122 :
名無しさん@3周年 :04/05/20 08:49 ID:mqec6Ks2
>121 ゴルア
123 :
(・∀・) ◆.IjycOFqtg :04/05/20 12:31 ID:ytEqQlji
125 :
(・∀・) ◆.IjycOFqtg :04/05/20 12:48 ID:ytEqQlji
>>124 築地も今風になるのか?
食卓囲んでお食事会系?
神田教会の神父ってそんなヤシだったっけ?
126 :
123 :04/05/20 13:10 ID:RRXxRwZg
>125 HPの写真じゃ ヒゲのおさーん。 よく知らないけど。
127 :
(・∀・) ◆.IjycOFqtg :04/05/20 13:12 ID:ytEqQlji
>127 そのうち...
129 :
名無しさん@3周年 :04/05/20 17:49 ID:j1ETYvSX
豊島教会にも異変が!
>コロンバン会の司牧から教区司祭に変わって一年経ちました。
>随分とまどわれたことと思います。「前の教会がよかった。」
>「前はみんな明るく楽しかった。」「主任司祭が替わってみんな来なくなった。」
>「最近、教会がガラガラになった。」という感想も盛んに囁かれていますし、
>カトリック新聞に載った森司教様の「みんなが困っているひどい神父」
>の記事を取り上げて「西川師、それはあなただ」というお手紙も頂きました。
>妨主憎けりや袈裟まで」のことわざ通り、相当憎まれていることもしっかり感じています。
>悲しいかな、司祭不信の感情は、もう修復不可能の時点にまで達しているようにみえます。
http://www.toshima.ne.jp/~catholic/news/news.htm
130 :
名無しさん@3周年 :04/05/20 17:54 ID:GiRvdOvW
修道司祭のときにはよかった。 教区司祭に代わってから 司祭がガキの前で酒・タバコ飲み放題。 がきに酒を持ってこさせ、勺までさせる。 最悪だな。
131 :
(・∀・) ◆.IjycOFqtg :04/05/20 19:38 ID:0l4Z+D8O
>>129 豊島教会になにが起きた?
教区司祭の評判悪いな
132 :
(・∀・) ◆IApAHNvIKg :04/05/20 19:58 ID:GiRvdOvW
犬たちよ!聞きなさい。 アムステルダムの聖母が偽りと言うなら秋田も偽りになることを覚えておけ。 小野田は相変わらず秋田との関係については何も書けずにいる。 秋田の聖母=アムステルダムの聖母。 聖体奉仕会会長のシスターがご絵と信心を通してアムステルダムの聖母に病気平癒を願い、願いがかなった暁に、必ずご絵をご像にすると約束したのが最初だ。 願いが聞かれ、病気が全快したために、シスターはアムステルダムの聖母像を造らせた。 その御像から涙の奇跡が起きた。それがすべての始まりだったのだ。 アムステルダムの聖母を受け入れよ。聖霊刷新、エキュメニカル、真の社会主義を目指して邁進せよ! わかったか!犬たちよ!
133 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 00:21 ID:M0WOdrob
カトリック築地教会って、文化財に登録されているけど 勝手に内部を改装してもいいのかね。 建物の外側がそのままならいいのかな?
134 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 00:25 ID:M0WOdrob
135 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 01:32 ID:92PsPtGg
>>133-134 見たけど区民文化財じゃん?
国の重要有形文化財のような制約はないんとちがう?
136 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 01:36 ID:92PsPtGg
>>129 教会変革期には必ず、攻撃する香具師と支援する香具師がでる。
不一致を避けて一致の雰囲気を作って行くのが、まともな教会委員の努めじゃろう。
137 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 01:41 ID:92PsPtGg
138 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 02:12 ID:aF77yZST
139 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 02:25 ID:92PsPtGg
140 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 13:08 ID:rQS61psy
さびれた感じだね。 菅田に乗っ取られても仕方ないと思う。
141 :
名無しさん@3周年 :04/05/21 19:28 ID:dSmiKYMi
お御堂とはとても思えない。
>>138 ワラタ(w
でも本当に「壊す」んか?他のに取り替えて保存する、じゃないのだろうか…疑問。
143 :
名無しさん@3周年 :04/05/22 01:33 ID:HBWs5pcY
左右の朗読台(説教台?)がアンバランスだね。
144 :
(・∀・) ◆.IjycOFqtg :04/05/22 14:22 ID:kHAQ0baa
>>137 もっとゴテゴテなのかとおもた
神田並にしたいのか?>神父
そんな事より 振られますた。
146 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 22:57 ID:5W2zvT6V
私たちの司教、ペトロ・白柳誠一、パウロ・森一弘!
147 :
名無しさん@3周年 :04/05/23 22:59 ID:YfmTV1pn
148 :
名無しさん@3周年 :04/05/24 04:36 ID:Z1if/F4E
150 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 14:11 ID:ZxVrgiqo
カトリックは、もう「普遍性」を語ることを止めたのか? 教皇に忠実であることと、信者であることは両立しないのか?
151 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 14:19 ID:CtRxXv6m
すべての民の母信仰は怖いなあ。 すべての宗教の母信仰だよ。 これは恐ろしい賭けだな。 正しかったらどうしようという気持ちと 正しいわけないよなという気持ちと半々。 どっちが正しいのか判らない。
152 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 19:38 ID:8UksRx0H
がんばれ宇治! すべての民の馬鹿母をいわせろ!
153 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:24 ID:Uc9r/j59
154 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 20:46 ID:Uc9r/j59
>>152 京都の宇治の近くに住んでましたが、何か?
155 :
名無しさん@3周年 :04/05/25 23:47 ID:CFpaYfxE
日本語を読めない馬鹿が数名迷い込んだようです。 ここは典礼について語るスレです。 ピオ専用スレへの退出を命じます。 Vade Retro Satana nunquam suade mihi vana sunt mala que libas ipse benea bibas
156 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 00:03 ID:eqO0zBvu
>>151 カトリックだけの母とかケチくさいこと言わないように。
共贖者が全ての人を愛すのは当然!
聖母は選り好みしない。
157 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 12:52 ID:GsziC8Ci
>>30 > コンスタンチノープル エキュメニカル大主教、大阪大司教区はもはや自浄能力
> がありません
コンスタンティノープルは総主教だ かってによそさまの位階をさげるのは止めろ
159 :
名無しさん@3周年 :04/05/26 21:16 ID:0MNHkzfT
北海道のトラピストでは復活祭の光の祭儀ミサでギリシャ語の聖歌を歌っている。ちなみにふだんは大和の捧げ歌もミサで歌っている。普通の教区とはまたひとあじちがう雰囲気だった。
160 :
大阪大司教区 ◆D6KMjknA3U :04/05/30 04:55 ID:4wdOm3j8
祝 聖霊降臨祭 復活の続唱より更に歌いにくい聖霊の続唱age
161 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 05:22 ID:5lLfHEf7
小野田神父あげ
162 :
名無しさん@3周年 :04/05/30 20:57 ID:5lLfHEf7
163 :
(・∀・) ◆.IjycOFqtg :04/05/30 22:14 ID:db5iqeT9
164 :
名無しさん@3周年 :04/05/31 05:15 ID:gILSGVD5
165 :
名無しさん@3周年 :04/05/31 09:14 ID:X2UjtT9R
典礼を考えるスレなのに、何で規範版ミサ典礼書ネタはありませんか?
トリエントの教令を踏まえた上で、司教が規則を定めたなら、両形体拝領を解禁する
とか、主日は基本的に第一奉献文、司牧上の理由があれば<第三>奉献文を用いるよ
うにとか、けっこう変更があるのだけど。
つうか、第一奉献文は、同志会のラテン語ミサの時と、いつかの復活徹夜祭でしか聞
いたこと無いし、第三奉献文に至っては、全く聞いたことありませんが。
何で今ごろ、主日の奉献文をヒッポリュトスからラテン教父の式文に変更する? 典
礼改革の揺り返しが始まりましたか? マシア神父様は異動したし、土屋神父様は過
去の人ですか?
>>164 1信徒って、何これ(AA略
166 :
名無しさん@3周年 :04/05/31 09:45 ID:gILSGVD5
>>165 そういう質問は小野田神父様にしなされ。スレ違いもはなはだしい。
ここは蛆虫を退治するスレッドです。
167 :
名無しさん@3周年 :04/05/31 16:56 ID:n3Kc6h6E
>>166 典礼を考えるスレじゃないのかい。
旧ミサ派も刷新派も、礼拝に関心を持てyo!
168 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 23:26 ID:aAs17zC5
>>165 だいたい第2、たまに第3、第4は数年に一度、というか、マジで10年以上第4は聞いてないぞ。
第1は修道院でのミサのときくらい....
第5、第6一度もなし...
第2はシンプルでいいんだけどね。
169 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 23:48 ID:FXfAZGoM
ところでミサでスマップ歌ったって本当? 本当ならもう俺、カトリック辞めようかな。
>>169 福音派へどうぞ。福音派ではそんなことしませんので。
www.jeanet.org/
171 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 23:53 ID:IGl7paFJ
>>169 本当かどうかは知らねぇが、第二バチカンの精神からいえば
スマップでもいいんじゃねーの。
172 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 23:54 ID:1+NJPlOw
173 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 23:56 ID:iIv4JPnY
>>171 第二バチカンのどこの部分に照らして大丈夫なの?
典礼憲章なら番号をお願い。
174 :
り〜ず ◆HNUDYzuu5k :04/06/01 23:57 ID:WJBLzIWI
スマップいや〜 グレゴリア聖歌にしておきましょう!!
175 :
名無しさん@3周年 :04/06/01 23:57 ID:iIv4JPnY
>>172 気の毒に。頑張りすぎて自爆してしまったな。
論理の一貫性がないとああなる。
>>174 すっこんでろ!
典礼ヲタの保守派の石頭め。
177 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 00:21 ID:FNbU5NOq
178 :
169 :04/06/02 00:33 ID:1EQo3QLz
>176 やっぱりどう考えてもスマップはおかしいだろー。 それで石頭といわれるならそれで構わないよ。賛成派が多いとは思えんが。
179 :
名無しさん@3周年 :04/06/02 00:37 ID:FNbU5NOq
>>176 「聖なる典礼に関する憲章」より
116章.教会はグレゴリオ聖歌をローマ典礼固有の聖歌として承認する。
それゆえ、これは典礼行為の中で、ほかに同等の価値をもつ聖歌があるが、
主たる位置を占めるようにしなければならない。
181 :
名無しさん@3周年 :04/06/03 19:46 ID:VHPaWWIM
>>180 いくらリベラル全盛といっても、これは許せん。
これではカルトの宗教儀式ではないか。
183 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 01:04 ID:PsjRbd/r
>181 これを支持するカト信徒がいるのか? いるんならどこがいいのか教えてくれ!
184 :
:04/06/04 01:36 ID:s2aT1ev5
>>181 これは、ミサ中に新体操を行ったのか?
それとも単に、聖堂内で新体操を行ったのか?
一体どっちなんだい???
185 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 04:42 ID:auP18zXC
お金のない狂言師が聖堂で自分のネタを人知れず神に捧げることもあるし、 人知れず聖歌を神に捧げる人もいるし、神への感謝や捧げ物は人それぞれ。 まだ社会人ではなかったり、お金を寄付することの出来ない人が、新体操 を神の前に披露することも、これがミサであるなら別だが、神も微笑ましく 見ておられるのではないかと思われる。信徒皆が新体操出来るわけはなく、 ミサに新体操を取り入れることが現実的だとは思えない。しかし、聖堂で お祈りをすることと、まじめな感謝と捧げ物として神の前でどうしても ネタを一つさせてもらいたいとか、聖歌を数曲歌いたいとか、立派に出来る ようになった技を披露したいとか、真摯に神に向かう姿勢の表明であれば、 教会も許すことは出来るのではないか?自分は基本的に教会が祈りの場で あることが必要だと思っている。しかし、献金や献身がなかなか出来ない 人も多く信者の中にはいるのではないかと思う。何も自分に持っていない 場合は、ミサで聖歌を一生懸命に歌うことしか出来ない場合もある。 人の様を外見だけで判断し、制止したりせず、共に喜び、共に歌い、共に 祈ったりしたらどうなんだろうか?外面的な部分がそんなに大事なんだろうか? ミサで聖歌を歌うことだけが正しいのだろうか?元気だけが取り柄で、お金を 持たない人もみな神の子なのだと自分は思うのだが。
186 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 04:45 ID:S4DJprl6
187 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 04:50 ID:auP18zXC
>>186 特別のミサではなく、通常のミサの中での事だとしたら異常だと思いますね。
その教会は教区付属の教会ですか?それともどこかの修道会の管轄教会ですか?
教区づきの教会でこのような事が聖堂内で行われることは普通は考えられない
のではないかと思います。どのような意向がどこから出て、どのような経緯で
どういった団体や実行委員たちなどが加わってこのようなことが実現したのか
少し詳しくソースを明かす必要がありますね。その辺の具体的なミサに至る
経過がわからないと、この「新体操ミサ」が事実だとしても軽軽に良し悪しの
判断は出来ないものと思います。
188 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 04:50 ID:S4DJprl6
189 :
すみませんでした。185です :04/06/04 04:51 ID:auP18zXC
自分は
>>185 で
>>184 ではありませんでした。
横槍入れてしまったことをお詫びします。>186さん
190 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:05 ID:auP18zXC
「新体操ミサ」ですが、日本ではなくドイツかどこかの話のようですね。 屋外ミサなどの時に特別にこのようなデモンストレーションをするのなら 可能性として論じることが出来るかもしれませんが、典礼の進行として このような「新体操」を聖堂内それも祭壇前で行うのは典礼の意味から 外れているような気がします。キリスト復活の喜びの日ですから祭りを 祝うということである程度の行為の幅は許容できるのかもしれませんが、 聖堂というのは「祈りの場」であり、それに相応しい儀式としてミサが 執り行われる場所ですから、このような事件は問題になるのではないかと 個人的に自分は思いました。
191 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:10 ID:S4DJprl6
192 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:18 ID:S4DJprl6
193 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:36 ID:auP18zXC
自分としては、カトリックは19世紀にマリア崇敬についての一連の 取り決めが宣言されるにつれ、本当の霊の業に対抗できる力が失せてしまって いると考えています。マリア崇敬に関連して「マリア無原罪」の教理が ピウス9世によって宣言された後、次の教皇ピオ13世は教会の将来に 対する重大な警告を含む幻を受け、大天使聖ミカエルに対する祈りを 作り悪霊に備えるべく必死の努力をしますし、世界中にこの頃から起 こったマリアの奇跡では、出現するマリアが「無原罪の聖母」を名乗って カトリックを翻弄したのではないでしょうか?方やピオ13世の作った 悪霊と戦うための大天使聖ミカエルへの祈りにしても、実効はとても 薄かったのではないかと思われます。たとえば、悪霊払いに1974年4月 13日から始まったカレン・キングストンのエクソシズムにカトリック司祭 ジョン・O・タイソン氏が立会い、件の「大天使聖ミカエルに対する祈り」 を唱えたところ悪霊を怒らせ、不可思議な物理現象を伴いながら悪霊に 嘲られるにとどまってしまったという話があります。 あなたは、メーソンとカトリックのつながりに恐怖感を持っておられる ようですが、それはある程度正しい感覚なのではないかと自分は思います。 自分は、フリーメイソンとイルミナティという組織の癒着について色々と 考えています。まずは、アメリカ初代大統領をして危険視し、メーソン であったことを危惧したイルミナティのメーソンへの影響や実態を知る べきなのではないかと考えます。イルミナティは明確に悪魔を崇拝して 実際に殺人の儀式や聖体への侮辱、カトリックとイエス・キリストの 完全否定をその構成員としての資格を得るための儀式としているようですし、大変危険な団体と性格を持っていると自分は認識しています。 乱文、失礼!
194 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:39 ID:auP18zXC
>>192 一つお伺いしますが、あなたはカトリックの信徒ですか?
カトリックは、霊の問題や奇跡が、実際に起こることがありますし、
霊との戦いや霊の影響というものに対しても真剣ですから、もしも
信者でなければあまりこうした問題に関わらない方がよいと思います。
195 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:41 ID:S4DJprl6
>>193 イルミナティなどは知りません。
でも、メイソンは存在します。
どこの大都市にも本部があり中に入れますから。
カトリックの聖堂はメイソンの神殿にこの30年間で作り変えられて
今なおこの改築計画は続行中です。
196 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:45 ID:auP18zXC
>>192 自分も今、囚われの身のようにして生きているような気がしますが、
自分はカトリックが歴史上本当にキリスト教であった時はなかったのかも
知れないと感じています。カトリックで天国に行った人は、一人残らず
教義を覚えたり信じたからではなく、神に信頼し愛する者の祈りによって
地獄を免れたか、神に対する愛を人に対して示したゆえに神によって
最後に救われた人たちなのだと思っています。カトリックのこの霊が
関わる問題は深刻です。実は、自分もフリーメイソンに知らずに関わって
いたことが社会生活上ありまして、そのことで悩んだことがあります。
197 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:51 ID:auP18zXC
>>195 あなたの心配はわかります。しかし、聖書と神を信じる信仰は別段揺らぎません、本当の信仰者ならなおのこと。メイソンの神殿が意味するのは、
イルミナティを認めているのかどうかというのが目下の懸案でしょう。
カトリックも、カトリックであることをイエス・キリストに対する信仰を
互いに示すことによって確認しなければならない時代になっているのでしょう。
教会生活が聖書の記述の意味を明らかにするとカトリックは考えますが、
中世からのカトリックは少しずつ聖書が警告するあるまじき姿としての
教会を聖書に書かれているように実現してきているのかもしれませんね。
しかし、神への信仰と愛を持っている信者は必ずいますし、教会の建物
の概観がどう変わろうとその点では信徒が信仰と愛の土台の上に信徒間の
交わりを持つ限りにおいて悪魔は容易には信者をだますことが出来ない
のだと思います。
198 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:51 ID:S4DJprl6
>>196 フリーメイソンは社会のすべてに浸透してますよ。
最初からプロテスタントの牧師が創立したんです
ようやくカトリックにも浸透できたのが20世紀でしょうね。
199 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 05:53 ID:S4DJprl6
>>197 建物の「概観」ではありません。
祭壇です。
ブラクラじゃないかと思ってクリックしなかったんだけど、クリックしたら信 仰的ブラクラだった。 しかし、神社で神楽を奉納するのと同じ感覚で、いかにもドイツらしく、体操 を主の御前に奉献してるだけかもしれないよ。体操してる人たちも、信仰心に 燃えているかもしれない。
201 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:01 ID:S4DJprl6
>>200 www
神様は体操を見たがっているのですね。
202 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:03 ID:Btm9lnNY
>>198 そうです。メーソンは社会に浸透していますから怖いですね。
カトリックに浸透してきたとおっしゃっていますが、カトリックは、
メーソンに関する書籍や現代カトリック事典の項目を見てもらっても
わかりますが、歴史の上でメーソンを破門したりして禁止してきて
いるのが現実なのです。ですから、メーソンについては、カトリック
であれば拒否しなければならないのです。メーソン拒否のの理由と実行
について明らかな指針が出されればこのことの重要性も再確認される
のかもしれません。自分はメーソン即悪魔崇拝であるとは認識していません。イルミナティとその影響について特別関心があり、そのことの延長
でメーソンがどうしても切り離せない問題なのではないかと睨んでいます。
>>199 祭壇が切り石から木に変わったということ?
203 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:05 ID:Btm9lnNY
>>200 自分もはじめはそう考えましたが、通常の主日のミサでカトリックが
このようなミサを挙行しますかね?
204 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:05 ID:S4DJprl6
>>202 聖堂内部はメイソン神殿内部と同じに改造されています。
理由は何でしょうか。よく考えてみたら?w
祭壇?祭壇とは聖櫃を供えたものです。
今のは机です。
205 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:13 ID:Btm9lnNY
>>204 カトリックの祭壇の場合には、祭壇中央の下に聖遺物が安置されるのです。
つまり、唯の机として祭壇があるというよりも聖遺物はどのようになって
いるのか、どのようになったのかという外見では良くわからない部分について
触れなければその祭壇のことをいくら論じても何の意味もないのです。
信仰が愛に裏打ちされていなければ何の意味もないのと同じように、
教会の建物もカトリックとしては、隠れた部分が大切になっています。
あなたはきっとカトリックではないと思うのですが、どうですか?
信者でないのにカトリックの奇跡がどうとか霊がどうとか言うと
取り返しがつかなくなるかもしれませんよ。信徒でないし、他で
洗礼を受けたキリスト者などでもないとしたら今すぐこうした興味から
足を洗った方がいいですよ。
206 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:18 ID:S4DJprl6
いいえ。本来の祭壇とは聖櫃をその一部に組み込んだものです。今は聖櫃は別にされています。 お御堂内部をメイソンの神殿と同じように改造しなければならない何かがあるんです。 メイソンの儀礼と同じ方向へカトリックの儀礼を導くためです。 メイソンの儀礼は多元主義のためのものです。 まさしくこの方向にカトリックは流れているではありませんか。 多元主義とはすべての宗教が等しいという思想。 キリストはただの一人の宗教指導者に過ぎず神ではないという思想です。 この思想に統一するのが最終目的でしょうね。 私はカトリックですよ。何を妄想されているのですか。
207 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:21 ID:S4DJprl6
>>205 メイソンに詳しいなら教えてもらいたいことがあります。
メイソンでは女神を崇拝してるのでしょうか。
あなたは聖母の出現を否定しておられるようですが、
今世界に出現している「聖母」は彼らの崇拝する女神だと
あなたは思ってるのでしょうか。
>>203 普通はやめれと言うけれど、ドイツ人がたまに外国人の理解を超えるの
は、いろいろな例で示されているし。
>>204 それ間違い。祭壇とタバナクルは違う場所に置くように、総則に指示が
ある。しかし、何でそうなのかは、67年の礼部聖省通達、聖体祭儀指針
を参照せよと、イヤンな注釈がついてる。Dzに収録してるだろうか。
209 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:26 ID:S4DJprl6
>>205 あなたは悪魔や魔女の霊はこの世に出現できる奇跡の力を持つが
聖人の霊はひとりたりとも出現する力さえ持っていないと
思われているのでしょうか。
それがカトリックを称する人間の思想でしょうか。
210 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:30 ID:S4DJprl6
>>193 リュ・ド・バックに現われて
無原罪の御宿りのメダイの製作を啓示された
マリア様の霊は悪魔だったとマジで考えているのですか。
俺さんと同じ思考パターンですね。
病院へ行ったほうがよいでしょう。w
信じても信じなくても良い私的啓示なのに、信じろ、嫌なら帰れ、とい う流れになって、殺伐としたスレになるので、本スレでやってほしいな あと希望を述べるテスト。
212 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:40 ID:S4DJprl6
213 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 06:53 ID:S4DJprl6
>>211 意味分かりません。
無原罪の御宿りは私的啓示ではなく
教義です。カトリックとしては信仰箇条であり
信じる義務があります。聖母が無原罪の宿りでなければ
どうしてイエス様を神と信じられますか。
214 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:02 ID:O3x7o6XB
>>206 >>207 >>209 まず、あなたがカトリックであるとのこと、聖櫃について問題を感じて
いることはわかりました。
自分は、祭壇と聖櫃は同じスペースに配置されることでその場が
聖なる空間であることを信徒にもわかりやすく認識され、良いことだと
思っています。ですから、聖櫃を祭壇と切り離して祭壇はお御堂へ、
聖櫃は香部屋や他の特別の部屋へ、などと分けることには断固反対です。
この点ではあなたの問題提起は正しいと思います。どうぞ声を大にして
教会の司祭などに提議したらどうでしょう?
メイソンが信じる神がどのような神かは解りかねます。ただ、アメリカ
初代大統領のジョージ・ワシントンが懸念しているように、メーソンは
イルミナティの道具なのではないかと思います。そしてその実態は非常に
宗教的で実際に霊の存在を認め、その霊に対して忠誠を誓うことによって
カトリックに相対立する。このことによって存在意義を持つかのような
秘密結社です。
マリアの出現が偽りである可能性は、「マリアの無原罪受胎」の宣言が
185れ4年12月8日当時の教皇ピウス9世によって宣言された4年後、ルルドの
奇跡が起こった時(1858年3月25日)に出現した女性が自らを「汚れなき
おんやどり」ですと言ったことが一つ。もう一つは1884年教皇レオ13世が
幻を見て「大天使聖ミカエルへの祈り」を作ること。この二つに対する
疑問から端を発することになります。
215 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:02 ID:O3x7o6XB
マリアの奇跡、その中でもファティマの奇跡についてはルルドと並んで 重要な第三の預言を含むものとしてクローズアップされてきました。 自分は、公開された第三の秘密の象徴がイルミナティの儀式と似ていると 考えています。また、聖書によれば、イエスの御名によらずに悪霊を追出す ことの危険さはいくつか指摘されることと思っています。 イルミナティの霊がカトリックを支配することに躍起になった時代が このレオ13世の幻以降のカトリックに見られる現象ではないかと考える のです。レオ13世の受けた幻視の内容はある本によれば次のようなもの であったとされます。 「時間さえあれば、この世界を全部支配することができる」とサタン。 「何年かかるか?」キリストは聞く。 「75年もあれば十分だ」 「与えましょう」 この対話を聞き、時の教皇はミサ中大声を上げて卒倒し、その後すぐに 「大天使ミカエルへの祈り」を作り出したということです。
216 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:11 ID:O3x7o6XB
217 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:16 ID:S4DJprl6
>>216 そんなのはどうでもいい。
1、リュードバックに現われ無原罪の御宿りを告げた聖母が悪魔であること
2、無原罪の御宿りの教理が偽りであること
この2点について証拠を提示しなさい。
218 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:19 ID:S4DJprl6
>>214 違います。
無原罪の御宿りを最初にお告げしたのは
1830年にパリのリュー・ド・バックの愛徳姉妹会聖堂で
聖カテリナ・ラブレーに現われた聖母マリア様であり、
ルルドはずっと後ですよ。
219 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:38 ID:O3x7o6XB
>>217 無原罪の教義に対しては、歴史の中でその異端を何度も教会自身確認しているのです。宗教改革があって1644年にも「無原罪受胎」という言葉の入ったすべての
文書の没収をした程です。そして、カトリックの聖人ベルナルドやトマス・
アクィナスなどもマリアを敬愛しておりましたが、この教義に関しては否定的でした。
リュードバックに現れた聖母については、詳しくは自分は存じ上げません。
しかし、「無原罪の聖母」と名乗るのであれば注意が必要だと思います。
1830年の当時では、公式にも「無原罪の聖母」は宣言されていませんでしたから、
この出現が後の宣言にどのように影響したのかは良く知らないといけませんね。
とにかく、聖人も反対し、歴史も退けていた「無原罪」教義ですから、慎重に
して下さい。カトリック内部に普遍性を乱す流れが確定的に成されたのが
この時期といっても過言ではありません。自分の洗礼名もマリアを敬愛しつつ
この「無原罪受胎」には反対していた聖人の名前をもらっているので、この
矛盾は解消すべきであり、撤回すべきであるのでは?と考えるわけなんですが。
これ以降のレスは夜かまた別の機会に・・・、あしからず。
220 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:50 ID:S4DJprl6
>>219 >リュードバックに現れた聖母については、詳しくは自分は存じ上げません。
なんだ、ノンカトリックだったのか。ww
221 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:52 ID:S4DJprl6
しかし、2CHには精神病患者が多いと聞いていましたが、本当だったんですね。 カトリックの正統教理を「異端」だといいつつ、 自分はカトリックだと言い張り、 なおかつフリーメイソンは悪くいないといい、 ありもしないイルミナティを心配する。 キチガイですな。w
222 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 07:58 ID:S4DJprl6
223 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 08:40 ID:S4DJprl6
>>219 ベルナルドとアキナスは不可謬なんでしょうか。ルターはベルナルドがイエスの意味づけを捻じ曲げて解釈したと批判してますよ。
In Nomine Jesu
Luther believed that this misinterpretation of the theotokos was promulgated by St. Bernard who wrote,
"Christ is given to scolding and punishing, but Mary has nothing but sweetness and love."
Painting Jesus Christ in such dark tones elevated Mary in the minds of the faithful to such a degree ...
http://www.mindspring.com/~hofnarr/id45_m.htm
224 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 08:44 ID:S4DJprl6
>219 それに、ベルナルドは、マリアについて、 「出生する前に神によってすべての罪が清められた」と書いています。 受胎と出生の違いだけじゃないですか。 いずれにしろ、聖母がおぎゃあと産声を上げて生まれたときには とっくに無原罪だったとベルナルド自身が認めています。
225 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 09:20 ID:S4DJprl6
226 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 11:38 ID:zLEx4FEg
>197 3.AA1025に関する話題は他の専用スレで。聖座に忠実であろうとする信徒が関わるべき問題ではありません。 スレの主旨を理解してください。 また受洗3年以下の信徒であれば速やかに他のカトスレはどうぞ。
227 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 11:42 ID:zLEx4FEg
スレの主旨を理解できていない人がきています。 無視してあげることも隣人愛です。
もうリベラルを通りこして新興宗教へまっしぐら。->体操ミサ。 思わずオウム真理教の踊りを思い出してしまった。 プロの連中でも、この写真を見たら衝撃を受けるだろうな。
229 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 22:44 ID:45iwOKy6
>>220 >>221 自分は、聖母の奇跡については現在あまり関心を持っていません。ルルドを
頂点としてファティマや秋田に現れたような一連のマリア出現を疑問視しています
し、自分としてはそれが証明されていると感じています。あなたがカトリック信者を
装っていることは、文面から推測できます。あなたのために一度だけ忠告します。
マリア崇敬をすることは良いことですが、崇拝にならないように気をつけてください。
正しくマリアを賛美することが出来るように祈って下さい。自分はあなたの
発言から、悪魔の支配を感じます。死の直前までそのことはわからないかもしれません。
しかし、自分はあなたが死ぬ前になぜ自分が地獄に落ちるのかということが
わかるのだということを伝えておきます。地獄に落ちないようにする唯一の頼み
は愛を信じ自ら愛の中に身を投げ出すことです。まだ、多くの年月があなたには
残されていると思われますから、その人生を良く生きてください。
人に対して精神病患者やらキチガイ(
>>221 )と侮蔑する表現をしていますが、
この点は常識的に訂正して下さい。よろしくどうぞ。
230 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 22:58 ID:45iwOKy6
>>222 リンク先は存在しませんでした。参照出来ませんしその内容を信じることは
もちろん出来かねます。
>>223 カトリックの変遷を話しているのにカトリック以外のルターを正道の基準として
話を進められても困ります。ルターは宗教改革をしました。そのご1644年に
カトリックのローマ異端審問条例は「無原罪受胎=Immaculata Conceptio」と
いう言葉の入るすべての文書の没収を命じて、カトリックの脱迷信化をはかった
のです。ベルナルドは無原罪受胎については神学的正当性に欠けるとして排除
していると聞きます。ベルナルドの祈りを見ても「小さき冠」では、
「聖なるおとめよ。あなたをふさわしく賛美させてください。そのため、
あなたの敵に対する力を わたしに与えてください。」と祈り、マリアの賛美
への欲求を素直に祈りに込めています。マリアの神格化をベルナルドは求めて
おりませんでした。謙遜にマリアを慕い、正しく賛美させてくださいと祈って
いるのがベルナルドの姿です。これほどまでに聖母マリアを慕うベルナルドが
「無原罪のおん宿り」を宣言することに反対していたのですから、カトリックは
19世紀に歴史的に大きな内部的矛盾を抱えてしまったと言えるでしょう。
カトリックのあり方として19世紀以前と19世紀以後とではその連続性が断たれて
います。
231 :
名無しさん@3周年 :04/06/04 23:05 ID:45iwOKy6
>>226 >>227 都合の悪いことであれば、守秘義務があるように黙ることも許される
でしょう。しかし、カトリックについて真剣に話し合うことが必要と考え、
そのために話し合いをする者たちの間を裂いて、事勿れ主義的にものを
まとめる姿勢は良くないと思います。
AA1025なる文書について今論議をしてはいません。
新体操をミサの中祭壇前で行うドイツのある教会の出来事について
どのような典礼的な問題があるかを話し合うことにここ一連のやり取り
があります。また、あなたが「ホヨス」さんであるのなら、きちんと
ハンドルを付けて書きこみをお願いします。スレ管理者の要望として
他所に移ってほしいということであればこちらも早急に対処します。
232 :
横レスゴメン :04/06/04 23:18 ID:NGsQ9Qho
>ローマ異端審問条例は「無原罪受胎=Immaculata Conceptio」と いう言葉の入るすべての文書の没収を命じて これ、本当ですか? 何の本で読んだか忘れましたが、パリ大学などの神学部教授はみな 無原罪を信じていることという条件がつけられていたと読んだことがあります。 トマスの後の時代です。1644年にそんなことがあったんですか? デンツィンガーにありますか?
233 :
横レスゴメン :04/06/04 23:36 ID:NGsQ9Qho
234 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 07:24 ID:IyKMntpm
235 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 07:32 ID:IyKMntpm
>>230 >リンク先は存在しませんでした。参照出来ませんしその内容を信じることは
>もちろん出来かねます。
信じることはできかねる?事実は事実でしょ。SSPXのサイトでさえ引用してますよ。
SSPXAsia.com: Mary, Our Advocate: July 1997 Newsletter
At the command of Mary, all obey, even God.” St Bernardine fears not to utter
this sentence; meaning, indeed, to say that God grants the prayers of Mary as if they
were commands. And hence St. Anselm addressing Mary says: “Our Lord, O ...
http://www.sspxasia.com/Newsletters/1997/ July/Mary-Our-Advocate.htm
私はカトリックですよ。先の文章はシタラバからコピペしただけです。
http://jbbs.shitaraba.com/study/729/storage/1060897910.html
236 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 07:49 ID:IyKMntpm
>>228 典礼聖省長官によればダンスミサも合法だそうです。w
Catholic World News : Top Vatican liturgist defends dance at Mass
... in ceremonies at which the Pope presides can help to underline the universality of the Catholic Church ... Archbishop
Marini was responding to critics who have complained about the use of dance at major public ... The most recent
example came at a Mass for the canonization of three missionaries on October 5 ...
http://www.cwnews.com/news/viewstory.cfm?recnum=25361 ここでも問題視されてますが典礼省長官はブニーニさんの教え子だそうですね。
Catholic-Pages.com | Discussion Forum - Boogie down, dude!
Archbishop Marini is a disciple of Archbishop Bugnini, who was the architect of all
the changes to the Mass. He is as bad as the worst Diocesan Liturgy official you can imagine.
http://www.catholic-pages.com/ forum/topic.asp?ARCHIVE=true&TOPIC_ID=112
237 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:12 ID:IyKMntpm
>>229 >聖母の奇跡については現在あまり関心を持っていません。
そういうことではなくて、準秘蹟である不思議のメダイに刻まれているでしょう。
「無原罪の御宿り」と。聖母マリア様が1830年に聖カテリーナ・ラブレーに現われて
この文句を刻むように命じたのです。
聖カテリーナ・ラブレーに現われた聖母も悪魔だったのですか?
238 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:19 ID:So+rv3Sj
>>232-233 先に234への返答をし、自分の発言のソースを示しますのでこのレスの
次のレスを読んで下さい。
>>234-235 >At the command of Mary, all obey, even God
この言葉は、マリアの「無原罪の御宿り」などに言及したものではありません。
これは、かなの婚礼の席でイエスが水をぶどう酒に変えられるという
初めての奇跡をなさった時にそのきっかけは母マリアの呼びかけにあった
という事実を称える意味で、「イエスがマリアの働きかけに応えられる」という
意味を表わしたものです。これは、無原罪受胎を容認することとは何の関係
もないのです。それを変な意味にとらないようにして下さい。
239 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:19 ID:So+rv3Sj
>>232 >>233 そのあたりの疑問の回答として手元にある本から引用を致します。
ひとまず以下の記述を参照し、裏づけは別に取ってみてください。
第三の教義−−無原罪受胎
第三の教義は、1854年2月8日にピウス9世が宣言した「無原罪受胎」の
教義で、マリアが原罪なくしてその母アンナの胎に宿ったとするものである。
これは本来、「神の母」が普通の人間であってはおかしいという、初期教父たちに
よる神学的思弁から生まれた抽象的なものであった。その背景には、受胎の
仕組みがまだよく解明されていなかった時代において、子供は母の「胎の実」
であり、肉を母親と共有するという感覚がある。だから、神を胎に宿したマリアに
原罪があっては、イエスの神性に矛盾すると考えられたのだろう。そして原罪は
生殖に関係し、受胎の瞬間に受けつがれるものであるから、マリアは無原罪の
受胎によって生まれる必要があった。
実はこの教義は最も無理があり、最も抽象的思弁的なものなので、古来しばしば
論議の的になっていた。マリア好きだった聖ベルナルドゥスも、またトマス・アク
ィナスも、神学的正当性に欠けるとして退けている。はっきりと異端のカテゴリーに
入れられた時代もあり、1644年のローマ異端審問条例は、「無原罪受胎=
Immaculata Conceptio」という言葉の入ったすべての文書の没収を命じている。
宗教改革をへてカトリックの脱迷信化がはかられたころだ。
このように大いに問題のある考え方だったのに、19世紀も半ばになって、
どうして突然、教義として取りあげられたのだろうか。それはヨーロッパの
カトリックが、19世紀に非宗教主義の攻撃の的になったからだ。反教会の
傾向に脅威を感じるあまり、かえって反動的にマリア神格化の方向に傾いて
しまったのだ。
[上記 講談社選書メチエ137
『聖母マリア <異端>から<女王>へ』竹下節子著P125L9-126L9まで引用]
240 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:20 ID:So+rv3Sj
マリア崇敬で大事な勘所、それは、マリア崇敬はマリアの神からの祝福を マリアの言葉のとおりに賛美することです。エリサベトの言葉やマリアの 言葉に心を重ねることではないでしょうか? ルカ福音書1章41−42節 『マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。 エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で 祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。』 同1章48節(マリア自らのエリサベトへの返答の内に) 『身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。 今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう。』 マリア崇敬で、なにより大事なことは、マリア様の行いに倣いイエスの言葉を 待ちそれに従うことが前提に立つということではないでしょうか? ヨハネ福音書2章3−5節 『ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」 と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかかわりが あるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、 「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。』
241 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:21 ID:So+rv3Sj
マリアの出現が伝えるメッセージにはカトリック的な愛の教えに反している と感じる部分があります。それはたとえば以下の実践的な愛の2に対するものと 重なり、真の愛の動機とはならないメッセージ性を出現のマリアに見ることが 出来るのではないかという不安です。 120愛はいかなる場合に実践的か? 愛は、善意(好意)が善行(善い仕業や行為)の形をとるときに、実践的といえる。 聖書の呼びかけ、キリストの模範。 真の愛は自らをわかち与える方へ向う。それは与えること、助けることへと かりたてる。こんにちとくに注意すべきことはつぎの三つである。 1 愛は法律が命令するまで、もしくは命令するぞと脅かすまで実行を待って いない。それは法的な命令よりも前に来る。 2 未来、つまり未来の事件や「変革」にたいする怖れ(不安)は、けっして 真の愛の動機とはなりえない。たんに怖れからして行動する者(援助し、大いなる 権利を譲り、均等に協力する者)は、自らの利益、適当な時期における「再保障」 の望みによってかりたてられているのであって、好意や没我的な人助けの心がまえ によって動かされているのではない。 3 愛はまず自らが実行できる課題へと、しかもただちに向う。愛は、大いなる ことがらが自分の力をこえており、あるいは全般の事態がきょうあすには改善 できないからといって、より小さな課題を放置するといったことは許さないので あり、むしろ自分にできることをするのである。大いなることは、小さなことが 沢山集まってできている。個々の、もしくは僅かの人間(家族)を助けることは、 やりがいのあることなのだ。』 [キリスト教社会倫理講座 1 社会生活の根本問題 E・ヴェルティ著 稲垣良典訳 パウロ・エグリ校閲 ヘンデル代理店・エンデルレ書店 P425-426より抜粋]
242 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:23 ID:Fy0NqDmz
ルチアさんの直観とレオ十三世教皇の幻内容との一致について シスター・ルチアが「秘密」の第三部を入れて封印した封筒を、当時の レイリアーフィティマ教区の司教に渡す前に、外封筒に、「開封は 1960年以降に、リスボン教区の総大司教かレイリアの司教かによって」 と書いたことについて、ベルトーネ大司教は、「なぜ、1960年以降に と期限をつけたのですか。マリアがそうお決めになったのですか」と尋ねた。 するとシスター・ルチアは、「いいえ、マリアではありません。わたしが 決めました。なぜかといえば、わたしの直観で、1960年以前には理解 されない、そのあとになれば分かってもらえると思ったからです。今では、 とてもよく理解することができます。わたしは、見たことを書いたまでです。 解釈するのはわたしではなく、教皇様です」と答えた。 [ファティマ第三の秘密 教皇庁 教理省 カトリック中央協議会 ISBN4-87750-095-2 \900 P28L8-L15より引用] レオ13世が幻視を見た75年後は1960年前後ですから、その公開 された内容を見るときに思い起こされるのがイルミナティの儀式とも酷似 していることから、シスター・ルチアは悪魔の勝利宣言のためのメッセンジャー として利用されたのかもしれないというのが不安ですね。彼女自身の直観が 彼女をして1960年以降になればその内容の意味がわかると言わしめる その背後にあるもの、それは聖なる霊であるのかどうか、非常に怪しい と自分は考えます。
243 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:25 ID:Fy0NqDmz
イルミナティの遂行するイエズス・キリストを捨て去る儀式 『悪魔に愛された女』成甲書房 P143L4-148L4まで以下引用 ガーフィールドがティネとグレヴィーと一緒にいるのが見えた。 彼らは重々しい声でわたしへの尋問を開始した。 「あなたはどの宗教に所属しているのか」 「どこにも所属していません」とわたしは応えた。 「あなたはどの宗教の下に生まれたのか」 「ローマカトリック」 「あなたは今、この宗教への信仰を棄てるか」 「それを信じたことは一度もありません」とわたしは心臓の鼓動を 抑えながら答えた。この言葉を証明するためには、イエズスを冒涜する 行為を披露しなければならない。イエズスの御像のついた十字架を 手渡された。 「この宗教が無意味だと思うなら、それを砕け!」 十字架はもろい材質で作られていた。わたしは躊躇なくこれを砕き、 床に放り投げた。それから、洗礼を棄てる儀式が始まった。洗盤が グランドオリエントの前に出され、彼は血と水でこれを満たした。 そして床に着くほど深々と頭を下げ、ラテン語とヘブライ語を混ぜ 合わせた脱洗礼の祈りを開始した。洗盤から汲んだ水をわたしの頭の 上に少しだけ注ぎ、彼はこう祈った。 「われらを導きたもう至高の聖霊、その御力によりて、最低の力に 呪縛する洗礼の焼印を除きたまえ」 ここで言う「最低の力」とは、むろん、イエズス・キリストのことだ。 「願わくは、聖霊が汝の頭と額を清め、汝に乗り移り、より高きこと がらを汝に知らしめんことを。 汝の心を、その限りなき力に屈服せしめ、この至高の存在(悪魔の ことである)の霊に照らされずして得るあたわざるものを、汝のなかに 生み出さんことを。
244 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:26 ID:Fy0NqDmz
御意のままに行なう力を、汝にあたえたまわんことを。汝を通して、 大いなることどもを為したまわんことを。 汝を通して、イルミナティ・ロッジの計画に、光明を与えたまわん ことを。汝の心と精神が、それ以外のことに無感覚にならんことを。 聖霊が、危機のときに汝を守護し、過失から守りたまわんことを。 汝を導き、動かしたまわんことを。 汝は、御霊のためにのみ生きられるよう、まったく御霊のものとなれ!」 ガーフィールドはわたしを立たせ、ティエントがさらに高い段に 導いた。わたしは、ここから、ドーム真下に位置する高さ4メートルの 「サンクタ・サントリウム」(聖なる幕屋)と呼ばれる小壇に移動した。 ここで、グランドマスターはヒドラ[龍]の真前に走り寄り、出現を ふたたび祈った。長く不気味な呪文が始まって一時間以上が経過した。 突然、わたしは叫び声をあげた。目に見えぬ力がわたしをつかみ、 空中に浮揚させた。その状態で半ば落ちかけたのだ。霊によって宙吊り にされたのである。その瞬間に、ふたたび愛するものの声を聞いた。 何たる瞬間!わたしは、自分を超えるいかなる自然の法則も、重力さえも、 どのような秘密も存在しないことを感じた。 この世の人間の弱さをわたしは思い知った。彼らは、どのような力も、 自分自身から出てくるものだと考えているからだ。だが、彼らに力を 与えているのは霊なのである。 わたしは、この人生で龍のためにすべてを捨て去れば、龍のなかで どんな力も持て、どんなことも実現できると知った。 そうするうちに、霊はわたしを優しく降ろし始めた。頭と宙に浮いて いるドレスの一部だけが見えるよう、霊はその翼でわたしを覆った。 それから、殺人を行なうようわたしを強いた。これが彼の中心的考え なのだ。
245 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:27 ID:Fy0NqDmz
霊は、教皇の三重冠をかぶった人形の前に立つよう、わたしを激励した。 それから、人形の頭から冠を奪わせ、弓矢を持たせて矢で人形の胸を 射抜かせた。これは、ローマカトリック教会の教皇制を打倒する儀礼 である。王人形と呼ばれる、王冠をかぶるもう一つの人形があった。 わたしは王冠を奪い取り、マッチーニが絵のなかでしていたように、 手のなかで引き裂いた(訳注:マッチーニはイタリアの王制を打倒したこと で有名)。 次いでわたしは、王権を表わす、長さ45センチほどの金メッキの勺を 人形から奪い、短剣をこの人形の胸に突き刺した。重罪に幾度となく手を 染めてきたために、このおぞましき行為に対して何の罪悪感も抱かなく なっていたのである。女の優しさはとうの昔に麻痺し、良心の呵責なく、 どんなことをも行なうことができたのだ。 その場にいた誰もが、わたしの見せた凶暴な行為に驚き、かつ恐怖した。 新参者はマスターの助けを借りなければ、この複雑な儀礼を手はず通りに 進めることはできない。だがわたしの場合は、霊自らが指導にあたったのだ。 霊は洗盤からの血で両手を洗うよう、わたしに指令した。次に神殿の 中央に導き、ここで所定の宣言を行ない、加入を果たさせた。それから、 わたしの頭を後ろにのけぞらせ、この状態で、口から息を吹き込んだ! 霊的な火焔が身体の中央を貫き、全身に充満して、新たな力が沸き起こって くるのを感じる。なんという悲劇であろう!わたしは完全に悪魔に支配 されたのだ。顔は邪悪な表情でこわばっていた。
246 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:28 ID:IyKMntpm
聖ベルナルドは「マリアからすべての恵みを受け取るのが神の御心である」と書いています。
several twentieth century popes have officially taught the doctrine of Mary as Mediatrix of all graces,
quoting the words of St Bernard: "It is the will of God that we obtain all favours through Mary."
http://www.ewtn.com/library/MARY/MEDIATRI.htm
247 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:31 ID:IyKMntpm
聖ベルナルドは「マリアを通してでなければ誰も天国に入れません」と書いています。
The Virgin Mary as co-redemptrix, mediatrix and advocate
St. Bernard (1090 - 1153):
"[Mary is called] the gate of heaven, because no one can enter
that blessed kingdom without passing through her.
http://www.religioustolerance.org/mary_cor.htm
248 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:43 ID:IyKMntpm
249 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:46 ID:xn8j4ZVK
>>239 議論とは関係ないが、竹下節子の本を引用するのは恥ずかしいぞ。
250 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:50 ID:PfP0Euqp
>>246-247 ベルナルドは、主を愛してマリアを主のように扱うことはありません。
ベルナルドの祝福は十字であったし、最後まで聖母を通して天の父を
仰ぐことなく、直接天の父を仰ぎ、残す主の子である修道者たちにも
一心に主を愛するようにと諭して息を引き取るのです。
晩年の活躍
その日、八年前から重病で寝ていたある女性が、ベルナルドが
来たことを聞き、そのそばにきて足もとに平伏して、祝福を願った。
それでベルナルドが、その女性の上に十字のしるしをすると病気は、
たちまち治った。これを見て、争っていた貴族も大衆も、ベルナルド
の聖徳に感嘆し、ベルナルドのすすめに従って和解した。人々は
平和になったのを喜び、ベルナルドに感謝した。その時ベルナルドは、
「このような栄光は、わたしにではなく主になされねばならない」
と言って、神に感謝するのであった。修道院に帰ってから、ベルナルドは、
ますます衰弱し、死の近いことを予感し、集まってきた修道者たちに、
「互いに愛し合い、完徳に達するよう励み、一心に主を愛するよう
努めなさい。あなたがたに対する主のお望みは、あなたがたが聖人に
なることである」と遺言した。・・・・ベルナルドは目を天にあげ、
非常に柔和に「子ども対する愛に引かれ、この世にとどまるのと、主の
愛がわたしを天に引かれるのと、いずれを選ぶほうがよいであろうか。
ああ、主のみ旨に委せます」ということばを残して息を引き取った。
[上記『乳と蜜の流るる博士 聖ベルナルド』池田敏雄著 グロリア文庫18
P146L6-P147L10より抜粋]
251 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 08:58 ID:PfP0Euqp
>>248 250で示したように、ベルナルドは主に仕え、聖母を敬愛していたことを
認めます。しかし、ベルナルドが「無原罪受胎」を容認していたかどうか
となると、認めることは今はできません。竹下節子さんの著作について
完全に否定する裏づけが取れないことと、自分の知るベルナルドは、
あなたの言うベルナルド像ではないからです。
>>249 根拠として引用するには卑近なものでありすぎるかもしれませんが、
今でも書店や図書館で手軽に手に取れる書籍だと思いますし、公に
出版されたものですから、この本をここで挙げても良いと自分は考え
ております。
252 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 09:00 ID:PfP0Euqp
[245続き] それから、わたしは新位階の紋章を受けるあいだ、メーソンの聖書から いくつかの節を引いて朗読した。それはカトリックの聖書を愚弄する 内容のものであった。 「わたしを力づけてくれる方にあって、わたしは強い。わたしは彼のもの。 彼はわたしのもの。わたしは決して彼に背かない!」 今や、自分という「神」が、ますます力を増してきた。「あなたは 神のようになって、善と悪を知るのです」と蛇がエバを誘惑したように。 わたしはカトリックの僧衣を象徴する白い衣装を脱ぎ捨て、異教の 衣装を身に着けた。脱ぎ捨てた白い衣装は、カトリック司祭の着る上祭服 に似て、胸にも背にもカトリックへの信仰を表わす十字架がついている。 わたしはこれを火に放り込んだ。 次に、フリーメーソンの紋章のついたギリシャ風の白い綿衣に着替えた。 二人の秘伝者が専用のトーガを持ってきた。そこには金のコンパスと、 最高位を表わす黄金の太陽のシンボルがついている。最後に一枚の用紙と 登録簿が運ばれてきた。ここにわたしの名前と年齢、これまでに犯した 罪状と加入の日付が記録された。まずグランドオリエントが署名を行ない、 6人のアジアの騎士、6人の秘伝者がそれに倣った。作業はすべて、獣の しるし(角の生えたヤギ)の捺印をもって進められた。用紙はフリーメーソン のシンボルに満ちていた。
253 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 09:03 ID:PfP0Euqp
だが、彼らはこれだけでは満足しなかった。彼らはわたしの右親指に 切り込みを入れた。小型のシグニット(訳注:カップ状のものがついた指輪) を傷口に押しあて血を採った。わたしは自分の血にペン先をつけ、紙の上に 薄くトレースされたメーソンの署名をなぞらなければならなかった。 それから、神を捨て去る証文のすべてに署名した。 「わたしは、ローマカトリック教会の十字架の生贄、聖三位一体を捨てます。 わたしは、ただ一人の神への信仰を捨てます。霊から啓示されないすべての 奥義、また霊から出たものではない、いかなる仕事をも捨てます。 わたしは、自分のすべて、自分の体と魂を霊にすすんで明け渡します。 わたしは、霊がその支配領域、わたしの心、意志、思考を独占することを 願い求めます。 わたしが霊のなかで生き、行なうように、霊がわたしの中で生き、 行なわれるように求めます。 霊の名によって、わたしはキリストと、カトリック教会と、その秘蹟の すべてを呪います!」 署名を行なうと同時に、背後にいた「聖霊」が文書を取り、もう一つの 文書を渡し、地獄の力への完全な屈服を証明するため、これを死ぬまで 持っているよう命じた。 [以上 『悪魔に愛された女』シスター・マリ・エメリー/林陽訳 成甲書房 P143L4-148L4まで引用]
254 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 09:24 ID:IyKMntpm
>>251 聖ベルナルドは聖母が受胎から出生までの間にすべての罪から清められたと解釈しています。
受胎の瞬間か受胎後の違いでたいした違いとは思われません。
要点は、聖母はすべての罪をぬぐわれて誕生したということです。
カトリックならそれぐらい認めなさい。
聖ベルナルドはまた聖母がすべての恵みの仲介者であるとはっきり書いています。
これは今後制定されるはずのマリアの第5の教義の先取りです。
255 :
横レスゴメン :04/06/05 09:30 ID:2rLLRP/x
>>239 悪いけど、それは竹下節子さんの理解が間違っていると思います。
デンツィンガーで小勅書Sollicitudo omnium ecclesiarum
(1661年12月8日)というのを見つけました。
DS 2015
キリスト信者は、キリストの聖母処女マリアに対して、古くから次のことを
信じてきた。すなわち、神は特別の恵みと特典をもって、マリアの霊魂を創造し
それが体に注入された最初の瞬間から人類の購い主であるそのこイエズス・キリスト
の功績によって、原罪の汚れをまぬがれるように前もって保護した。このマリアの
受胎を記念するために荘厳な祝日をもって祝ってきた。シクストゥス4世の教令
(1400,1425トレント公会議によって再確認された。1516参照)の後この考えが発展した。
この信仰が再び広がり・・・・多くの有名な大学においてこの説が受け入れられ、ほとんど
すべてのカトリック信者がこの説を支持している。
2016
しかし説教、抗議、論文において、処女聖マリアが原罪をもって母の胎内に
宿ったという反対の主張を機会として、キリスト信じる民の間に、大きな
躓き、論争、不和が起こったため、私の先任者パウロ5世教皇は、上記の説
に反対の意見を公に述べたり教えたりすることを禁じた。同じく、私の先任者
グレゴリウス15世教皇は、上記の説に反対する意見を私的会話において述べる
ことを禁じ、上記の説を支持することを命じた。すなわち、公的または
私的にミサ聖祭を挙行し、聖務日課を唱えるとき、「受胎」という表現以外を
用いてはならないと命じた。
シリーズが続いてるスレができると、給料の査定が増えると 聞いたことがある。よし荒らしてやろうwww はじめまして、2ちゃんねるのプロ固定です。 2ちゃんねるでヒッキーしてたら、ひろゆきさんから才能を見込まれ スカウトされて、今に至っております。 『プロ固定』としての僕のミッションは、他人を誹謗中傷することです。 匿名の掲示板で、大勢で人をいじめているように自作自演すると、本当に 皆んなでやっているような気になって、引きこもりのストレスも発散できて すごく気分がいいです。 こんな僕の才能を発掘して、『プロ固定』という職に抜擢してくれた ひろゆきさんに感謝しています。 月給は2ちゃんねるから月2万円ほどで、ひろゆきさんのように7億円の 年収があるわけではないんですが、親に見離されて、部屋で閉じこもって いた僕は、他人を誹謗中傷しながら実益にもつながる新しい生き甲斐も 見つかり、この職業に、プロとしての自信と誇を持って活躍しています。 | |/(-_-)\| | | ∩∩ | |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (-_-) (∩∩)──────────────── /宗教板プロ固定 / /
257 :
横レスゴメン :04/06/05 09:32 ID:2rLLRP/x
2017 私は、聖なるローマ教会が終生処女聖マリアの受胎の祝日を祝い、特別の 聖務日課を定めたことを考え、この信心と祝日と崇敬を支持しようと望み・・・ 聖マリアの霊魂が作られた体に入れられた時、聖霊の恩恵によって原罪から 免除されていたという主張を支持している諸教皇の教書と教令を再確認する。
258 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 09:35 ID:IyKMntpm
259 :
横レスゴメン :04/06/05 09:36 ID:2rLLRP/x
DS2015-2017を読む限り、無原罪をめぐって議論が封じられた時期があると いうのは、あくまでも無原罪へ反対する意見がよくないとグレゴリウス15世が 考えられてのことで、この勅書を発行したアレクサンダー7世も、これほど までに無原罪を支持しているのだから、1644年に無原罪を異端説として 退けたというのは竹下節子さんの読み間違い以外の何物でもないと思いますけど。
260 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 09:38 ID:IyKMntpm
261 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 09:49 ID:IyKMntpm
262 :
横レスゴメン :04/06/05 09:49 ID:2rLLRP/x
>>260 >受胎の瞬間か受胎後の違い。大した違いとは思われません。
DS 2017を読むと、当時の神学者たちにとっては、まさに受胎の瞬間かあるいは
出生までの間から大きな問題だったようです。教皇が議論をやめさせな
ければならなかったほど白熱したようで。
263 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 09:52 ID:IyKMntpm
>>262 そうかもしれませんが、つまらないことです。
わかりもしないことを議論してたのですから。
聖母自ら1830年にこの机上の空論に終止符を打たれたということです。
264 :
横レスゴメン :04/06/05 09:58 ID:2rLLRP/x
>>263 それを言ったら神学全体がわかりもしないことを議論しているつまらないこと
になってしまわないですか。
リュ・ド・バックに現れた聖母は受胎の瞬間か出生までかということに関して
は、終止符を打つようなことを言われていないでしょ。神学で決定的に
なったは1854年にドグマとなった時です。
265 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 10:08 ID:IyKMntpm
聖母がメダイに刻ませた、 「オリジナリ・コンセプタ」は 無原罪の宿りという意味です。 無原罪の誕生という意味ではありません。
266 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 10:14 ID:IyKMntpm
>>265 >リュ・ド・バックに現れた聖母は受胎の瞬間か出生までかということに
>関しては、終止符を打つようなことを言われていないでしょ
聖母がメダイに刻ませた「オリジナリ・コンセプタ」は無原罪の宿り(受胎)という意味です。無原罪の誕生という意味ではありません。
267 :
横レスゴメン :04/06/05 10:28 ID:2rLLRP/x
>>266 それはわかります。
でも、受胎の瞬間であるということは歴代の教皇の理解でもあったわけで
無原罪の身ごもりは祝日としても祝われていました。
議論はあったものの、神学者たちもほとんどは受胎の瞬間だという考えが
優勢でした。
それを決定的に教義としたのは1854年です。メダイが決定づけた
わけじゃありません。教義宣言を導き入れる案内役として大いに活躍
したのだと思います。
268 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 10:29 ID:IyKMntpm
訂正します。 聖母がメダイに刻ませた SINE LABE ORIGINALI concepta は無原罪の宿り(受胎)という意味です。 無原罪の誕生という意味ではありません。
269 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 10:30 ID:IyKMntpm
>>267 確かに。しかし、この奇跡がなければ教義決定されませんでした。
270 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 10:33 ID:IyKMntpm
マリアの第5の教義が決定されてもどこも不思議はありません。 これもまた教父の時代から定説化していたのですから。 第5の教義はマリアはすべての恵みの仲介者・擁護者・共贖者です。
271 :
横レスゴメン :04/06/05 10:36 ID:2rLLRP/x
>>266 えーと、ちょっと待って下さい。
オリジナリ・コンセプタが無原罪の宿りという意味ではなく
Sine labe originali conceptaで原罪なしに宿ったという意味になりますね。
Sine がwithout, labeは知らないけどきっと罪に該当する言葉でしょ。
originaliが原(最初から)、conceptaが受胎ですから。
272 :
横レスゴメン :04/06/05 10:37 ID:2rLLRP/x
>>268 描いている間に訂正されたようで。271はなかったことに。
こんにちは、2ちゃんねるHN、金土日と呼ばれている星山成寿(李明煕)です。
長年プロ固定してますので、削除とか他人のIP抜き取りなどとかいろんな
権限を持たしてもらっています。趣味は若い女のIP抜き取って個人情報を
調べ、2ちゃんで晒すことです。それまでに、いかに馬鹿な書き込みを
数多くさせるかが、個人情報を晒す時面白くするコツです。人間の心理と
して、匿名で書き込みできる掲示板だと調子のっていろんな馬鹿なことを
書いてきます。心を開かせるだけ開かせといて最後に個人情報を晒し、
「すべての発言は、実名○○のこの馬鹿がやりました」と大々的に発表する
と、大抵は断末魔の悲鳴を上げます。その悲鳴を想像するだけで、僕の
チンポコは、勃起してきます(笑)精神的にもろい人間になれば、自殺にま
で追いやることもできて、翌日の新聞などにそいつの自殺記事がでると、
2ちゃんねる内では、ドンちゃん騒ぎです。今プロ固定の岡田とおるや
英一樹らと、何人の人間を自殺に追い込めるか競争しています。やっぱまだ
まだ僕の敵は、いないですね。他人を中傷するテクニックで、僕に叶うものは
2ちゃんのサクラ100人以上いる中でも聞いたことがありません。これは
僕の誇りともいえます。
自殺女性がリンチを受けていたと言われるスレッド(一年経ってもdat落ちのまま)
http://qb.2ch.net/accuse/kako/1029/10299/1029918742.html | |/(-_-)\|
| | ∩∩ |
|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(-_-)
(∩∩)────────────────
/
/ 星山成寿(李明煕) 職業 誹謗中傷プロ固定
274 :
横レスゴメン :04/06/05 10:39 ID:2rLLRP/x
>>269 奇跡のメダイは一般大衆に無原罪の宿りという概念を広めたのですよ。
すんなりと信徒たちに受け入れられる土壌を作った。
メダイのせいで教義決定されたとなると言い過ぎに感じてしまいます。
275 :
聖ベルナルドとマリア崇敬 :04/06/05 10:45 ID:IyKMntpm
>>274 事実です。そうでなければ千数百年教義決定されずにいたのが、
ご出現の20年後に突然決定された理由が説明できません。
聖母はメダイに刻むよう教会に要求されましたが、
教義決定の直前までこの要求は撥ねつけられていました。
276 :
横レスゴメン :04/06/05 10:51 ID:2rLLRP/x
気持ちはわかるけど、聖母の新しい教義を望んでいる者は、少し抑えぎみ な発言をしないと、狂信者というレッテルを貼られて相手にされなくなる んですよ。
277 :
横レスゴメン :04/06/05 10:54 ID:2rLLRP/x
一般信徒を納得させるような聖伝に基づいた神学的な議論をしないと co-redemptrixを教義化することに理解を得られない。 カテキズムにもあるように、私的啓示はそれぞれの良心に照らし合わせて 受け入れたいものだけが受け入れるものであって、絶対化して語った時点 逝っちゃっていると思われるので要注意です。
278 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 11:05 ID:3vusIyam
>>1 >3.AA1025に関する話題は他の専用スレで。聖座に忠実であろうとする信徒が
>関わるべき問題ではありません。
理由を言え。
279 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 11:41 ID:IyKMntpm
どうでもいいですが、体操ミサは合法だそうです。 また昨年10月5日にバチカンで行われたダンスミサも合法だそうです。 それを認めるのが聖座に忠実であることらしいです。
280 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 13:11 ID:IyKMntpm
はげさんによれば体操ミサは合法だそうです。 昨年10月5日にバチカンで行われたダンスミサも合法だそうです。 それを認めるのが聖座に忠実であることらしいです。
281 :
サロメ☆ ◆sqHnb0/6.o :04/06/05 13:16 ID:wr+hQ0GV
>第5の教義はマリアはすべての恵みの仲介者・擁護者・共贖者です。 正気でしょうかカトリックは?
282 :
横レスゴメン :04/06/05 13:21 ID:2rLLRP/x
>>280 偽証は十戒に反する「罪」だってご存じですか。
283 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 16:52 ID:QlLXgAk8
福音派はカトリックのようにカルト宗教紛いのダンスや体操はやらない。 カトリックのカルト性が垣間見えたきがする。
284 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 22:28 ID:IyKMntpm
エッグヘッド知識人様はどこへ消えたのだ?
285 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 22:35 ID:uoEj9O3H
286 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 08:25 ID:2VGf3BTT
287 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 09:26 ID:kfjMpzER
>>254 ベルナルドがあなたの言うような解釈をしていたとは思えません。
>>250 で
自分が書き込んだように
『ベルナルドが、その女性の上に十字のしるしをする』
『集まってきた修道者たちに、「互いに愛し合い、完徳に達するよう励み、
一心に主を愛するよう努めなさい。』
『ああ、主のみ旨に委せます」ということばを残して息を引き取った。』
と、ベルナルドは、いつも主を第一とし、また主の御旨を最後の願い
として息を引き取るのです。ベルナルドの生涯の内には色々な言葉が
残っているにせよ、ベルナルドがあなたの言うような主張をもって生涯を
閉じていないことは明らかなのです。
また、カトリック教会のドグマの変遷と教会生活の重視が、聖書の意味を
明らかにしているとしても、「無原罪受胎」教義などは聖書のどこにもその
正当を問う立場を与える根拠が見受けられません。次に
>>255 の方の意見に
レスをしますが、その点に触れるつもりですから読んでみてください。
P/S
>>258 >>260-261 のような荒らし同然の連続投稿はお止めください。
288 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 09:26 ID:kfjMpzER
>>255 竹下節子さんの持つ資料の所在やその正否をまず確認出来てからでないと
あなたの指摘する点は自分にはなんとも言及出来かねます。
そこで別の観点から自分は意見を述べてみたいと思います。
聖書は、イエスに対してイエス自身の言葉をもって「罪人の一人に数えられる@」
という聖書の実現を示唆しています。聖書が指摘するのは恵みと義の賜物はイエス
一人によってもたらされることですA。イエスキリスト自身についてさえ旧約から
罪人の一人に数えられると預言されていたのに、マリアは受胎時から原罪を免れ、
イエスを生んだ後にも罪がなかったとなれば、イエスの言葉に反しB、旧約の預言に
反し、聖書全体の意味を根底から見失わせ、逆に聖書の警告面をことごとく実現
させることになると自分は考えますC。マリアを神格化させることに聖書的意味は
イエスの言葉においても旧約聖書の言葉においても注意や警告を実現する以外の面に
見られません。
@●ルカ福音書22章37節(マルコ15章28節)
《言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、
わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」》
A●ローマ5章17−19節
《一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、
なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・
キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪に
よってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、
すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順に
よって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が
正しい者とされるのです。》
B●Tテモテ1章15節
《「キリストイエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実で
あり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者
です。》
Cたとえば、イエスが再三大事な掟としてマタイ22章37節やマルコ12章29−30節
のように教えるにもかかわらず、申命記13章2−4節に記された意味の警告を実現
させることになると思われます。
289 :
288訂正 :04/06/06 09:37 ID:hNlQWQiq
>>288 の文面8行目、
>イエスの言葉に反しB、
ここ「イエスの言葉に反しB、」の点は福音書を挙げるべきでした(@などを参照してください)。ここは、「弟子たちの認識に反し」と読み替えてご理解ください。
290 :
254 :04/06/06 09:46 ID:2VGf3BTT
>>287-288 あなたは英文がまったくお読みになれないようですね。多くの情報を証拠としてリンクしたのに残念です。私は翻訳する暇はありません。信じたくないならそれで結構です。
291 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 21:42 ID:6bfrtRi1
>>290 あなたが書き込みするベルナルド観は「無原罪受胎」の根拠としては意味がありません。
ベルナルドはマリアを童貞と敬愛し、マリアを通して神に願うこともしています。
それは前にも挙げた「小さき冠」や「聖母の御保護を求むる祈」などに結実
しているかもしれません。しかし、ベルナルドは主を大切にしましたし、主の言葉
と聖書の記述に従ってマリアを敬愛していたのです。あなたが
>聖ベルナルドは「マリアを通してでなければ誰も天国に入れません」と書いています。
と引用する言葉の意味は、マリア様の謙遜について言っているのであり、マリアの
無原罪受胎と生涯罪から免れていた清さというような根拠のない彼女の神格化を
前提として言っているのではありません。あなたは「聖ベルナルドとマリア崇敬」
などとハンドルネームを名乗られていますが、洗礼名はベルナルドなのですか?
自分は、幼児洗礼を受けていて必ずしもベルナルドの生涯と行動にすべて賛同する
者ではありませんが、告白すると洗礼名はベルナルドなのです。
カトリックが今後マリア神格化の路線を歩むときには破滅的道に信徒を導く
ことになるだろうと自分は危惧します。ファティマの預言は解釈され開示されましたから、
悪の計画が明るみになりました。あとはすべて悪を捨て去り、表裏一体の
カトリックとイルミナティの霊との関わりを信者・聖職者・修道者一人一人が
唯一の神への愛と隣人への愛によって告白・超越してキリスト者として敢然と
悪に立ち向かうことで今後明るい希望が見えてくるものだと自分は信じます。
292 :
291 :04/06/06 21:51 ID:6bfrtRi1
次の表現は、違う気がしましたので訂正します。
>>291 L2の部分。
×>マリアを通して神に願うこともしています。
↓
○マリアに願い、マリアに自らのすべてを投げ出す姿勢を示しています。
293 :
横レスゴメン :04/06/06 22:15 ID:A2IQWujg
>>288 両人の議論の全体を見ずに飛び込んだので、よくわかってないまま、気のついた
ことを書き込んだのですが、今度は288さんへ少し意見させていただきます。
マリアの神格化という言葉を使っておられますが、無原罪や共贖のことを指して
いるとしたら、誤った理解をされているのではないですか。
原罪がないというのは神格化ではないです。アダムやエバも原罪なく生まれています
が、誰も神のようだったとは考えません。
聖母は原罪を持たず生まれてきましたが、自罪を犯す可能性がなかったわけでは
ありません。犯そうと思えば犯すこともできる自由な存在でした。もっとも、誰よりも
多くの恵みが注がれていたので罪を犯そうという気持ちに、なりにくくはあったでしょうが。
聖母が無原罪で生まれたのは、ひとえにキリストを生むという大役のためであり、
マリア自身が聖であったからではなく、キリストの功徳ゆえに与えられた特別な
恵みです。マリア自身もキリストの救いを必要としていることに変わりなく、
神格化と言うことはできません。我々みんながキリストによって聖化されてゆくように、
マリアもキリストによって聖化されたのです。違いは生まれる前か後かの違いです。
294 :
横レスゴメン :04/06/06 22:27 ID:A2IQWujg
>>288 >A●ローマ5章17−19節
《一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、
なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・
キリストを通して生き、支配するようになるのです。
アダムの罪という言い方をしますが、それでは288さんにおたずねします。
エバに罪はなかったのですか?
うまく表現できませんが、人類の祖は、二人一緒に罪を犯しましたが、これは
アダムの罪を表現されます。エバに罪がなかったという意味ではないですね。
世の贖いはキリストお一人の功徳ではありますが、聖母による協力も必要でした。
コロサイ 1:24 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。
「キリストの苦しみの欠けたところ」という不思議な表現をパウロはとっています。
救いの業はキリストお一人によるものではありますが、我々も救いの業に参加
することが求められています。聖母は特にこの苦しみの欠けた所を満たしておられる方です。
ルカ福音書2章に出てくるシメオンの預言のとおり、十字架のもとで聖母の
心は差し貫かれました。我が子が目の前で殺されるという所に気丈にも立ち会い、
彼女は死ぬほどの思いをし、キリストと苦しみと共にしました。
十字架につけられなくても、キリストと苦しみを一致させること、それが
共贖の意味です。
われわれも自分自身の苦しみをキリストと一致させなければならないのです。
それが自分の十字架を背負うということでしょう? 共贖は神格化ではありません。
295 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 23:18 ID:6bfrtRi1
>>293 原罪という表現は、便宜上のものだと自分は思います。
カトリックは自分でいうのもなんですが、客観的に誤解を与えるような習慣や教義
が多く、端から誤解を前提とした説明自体が教義となっているようなものが散見
されます。
マリアの無原罪について言えば、人間には原罪があるという前提をマリアに
関してのみ逸脱させるということであり、これはマリアを人間以上の何者かに
理論的に押し上げる暴挙です。洗礼者ヨハネは、イエスが「預言者以上の者である@」
と称しザカリアエリサベトの間に類稀なるエピソードを伴ってA生まれ、かつ「およそ
おんなから生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかったB」と
イエスに言わしめる人物です。そうしたヨハネや旧約で生きたまま天に上げられた
とされるエリヤC、イエスが光に包まれる中でお会いになられたモーセやエリヤD、
このような聖書の重要な人物が原罪の是非に触れられずにいるのにマリアだけは
人を超えた聖人であると位置付けることが出来るのでしょうか?
このことを客観的に眺める人がそれはイエスの言葉を越えたマリアの神格化に
等しい行為ではないか?と訝ったとしても自分は当然の反応なのではないかと
思ってしまいます。
@●マタイ11章9節(ルカ7章26節)
《では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の
者である》
A●ルカ1章13−25節 長いので引用は略します。
296 :
293つづき :04/06/06 23:19 ID:6bfrtRi1
B●マタイ11章9−11節(ルカ7章26−28節) 《では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の 者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、 あなたの前に 道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。 およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。 しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。》 C●列王記下2章11節 《彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、 二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。》 Dマタイ17章2−4節 マルコ9章2−5節 ルカ9章32−33節 代表として●マタイから引用 《イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように 白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが 口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしい ことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つは あなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」》
297 :
名無しさん@3周年 :04/06/06 23:28 ID:6bfrtRi1
要は、問題はマリアが無原罪であるかどうかという表現上のことではなく、 実質的にマリアを他の旧約からいる天の国にいる聖人たちを含めてすべての 聖人の上に、神学上格上げするのか?ということです。自分は、マリアが 聖人の上に立つことを望んでいるとは思えません。カナの婚礼の席で、 イエスにお酒が無くなったことを告げる際にも給仕に対してはイエスの 言う通りにするようにと言われます@し、マリアは常にイエスの言葉を謙遜に 待ち、天使の言葉に驚きを隠せない時にも謙遜に受け止めますA。 @●ヨハネ2章5節 《しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおり にしてください」と言った。》 A●ルカ1章38節 《マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。》
298 :
横レスゴメン :04/06/07 00:55 ID:Sf7/4NzL
>>295 >人間には原罪があるという前提をマリアに関してのみ逸脱させるということであり
神の子を生むという特別な使命のために原罪から免れさせられたわけで神格化とは
違いますね。モーセも聖なる山で神と会うためには履き物を脱がなければなら
なかったし、モーセほどの人でも神の顔を見ると死んでしまう危険があったので
見ることはできませんでした。神は罪のある者が見るとあまりに聖なる方なので
焼き滅ぼしてしまわれます。9ヶ月も神の子を胎内に宿すことは、普通の罪ある人間
には耐えられないことです。
モーセに関して言えば、彼は最初、神からの申し出を断りアロンが補佐することで
ようやく受け入れます。
1列王19章で、エリヤは主に対する不満を天使にぶつけます。
全く神の意志に抗うことなく「お言葉どおりになりますように」といった小さなマリア
とどちらが強い信仰でしょうか。
>自分は、マリアが聖人の上に立つことを望んでいるとは思えません。
その謙遜故に神は小さな者をあげられるのではないですか。
イエズスもご自分を無にして徹底的に神のご意志に従われたから天にあげられた
ように。聖母が望もうと望むまいと、神は謙遜で神に忠実であるものを高く
あげられるでしょう。それが天国での順位というものだと思います。
299 :
296訂正&>>294 :04/06/07 00:58 ID:ZjK9RKlX
>>296 は「295つづき」か「
>>293 つづき」にするところをミスしてしまいました。
ご迷惑をおかけしました。書き込み中コンピューターが異常になり、そんなこんな
で今ごろ296のレスに対して訂正する次第です。あしからず。
>>294 >人類の祖は、二人一緒に罪を犯しましたが、これはアダムの罪を表現されます。
>エバに罪がなかったという意味ではないですね。
アダムとエバは夫婦でしたから一体であったという認識なのでしょう、同意します。
>「キリストの苦しみの欠けたところ」という不思議な表現をパウロはとっています。
>われわれも自分自身の苦しみをキリストと一致させなければならないのです。
このあたりのあなたの見解も、おおかた同意します。
教会はキリストとその妻に喩えられて説明されるのです@が、キリストと母マリアが
夫婦のように一体であるというのは無理があり気持ち悪いことAです。
@●エペソ1章22−23節
《神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの
上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてに
おいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。》
●エペソ5章24−25、30−32節
《また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。
夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
・・・・・・・・・
わたしたちは、キリストの体の一部なのです。
「それゆえ、人は父母と離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」
この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。》
A●イザヤ書3章12節
《わたしの民は、幼子に追い使われ 女に支配されている。わたしの民よ
お前たちを導く者は、迷わせる者で 行くべき道を乱す。》
300 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 01:20 ID:ZjK9RKlX
>>298 >神の子を生むという特別な使命のために原罪から免れさせられたわけで神格化とは
>違いますね。
聖書には原罪という言葉がありませんし、マリア様が原罪を免れたという教義
の裏にはイエスが神であることの必然性を教義的に裏付ける一つの神学的やり方
であって必然的結論ではないと自分は思います。イエスが完全な人間であるという
こととイエスが神の子メシアであるということの両面を支える教義に「無原罪受胎」のマリアなどと宣言する必要性があるでしょうか?自分は疑問です。
神に御出来にならないことは無いのです。石ころ一つからでも神はアブラハムを
造られます(マタイ3章9節)。聖伝としての聖書にある使徒や弟子たちの言葉が
人間に原罪があるかないかとか、マリアは原罪から免れているかいないかとか、
そういうことを取り決める必要をどこからも汲み取れないということを示して
います。あえて言えば逆に次のような注意を実現させているかもしれないと考え
ます。
●マタイ15章7−9節(マルコ7章6−8節)
《偽善者たちよ、イザヤは、あなたたちのことを見事に預言したものだ。
『この民は口先ではわたしを敬うが、 その心はわたしから遠く離れている。
人間の戒めを教えとして教え、 むなしくわたしをあがめている。』》
教会とは、キリストの体を造りあげるところであり、申命記13章2−4節
のような過ちを犯さないように気をつけるべきであり、イザヤ書3章12節
のような状態から脱却して誤解を受けないものであるべきだと思います。
301 :
300 :04/06/07 01:24 ID:ZjK9RKlX
いつもながら、日本語の言い回しや表現、改行のミスなど乱文ですが お許しください。 以後の必要なレスなどはまた後日か後程ということで、休憩します、では。
302 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 05:41 ID:ikyOpsJe
あのー、典礼の話は?
303 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 07:48 ID:CDGY8uNn
@1884年10月13日バチカン内プライベートチャペルでレオ13世は幻を見る。 75年の後:1959年 第二バチカン公会議開催予定発表される。 1960年 ルチアが預言の開封期限について言及した年。 100年後:1984年3月25日 マリアの御心にロシアを奉献 @レオ13世が亡くなる1903年から75年後1978年にパウロ6世教皇死去。
304 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 07:48 ID:CDGY8uNn
レオ十三世幻視について=Modern Papal Visions
ttp://members.aol.com/bjw1106/marian7a.htm ○『ファティマ大予言“第三の秘密”全貌を解明』鬼塚五十一 サンデー社
【「フィティマ第三の予言」-それは聖母マリアがポルトガルのファティマに出現し、
予言した恐るべき内容であり、時のローマ法王パウロ六世(在位1963-1978)が事の
重大さに失神したといわれる最高機密。(P19 L16-P20 L2)
・・・・・・・・略・・・・・・・・
もうひとつサタンにまつわる有名なエピソードがある。
エキソシズムの時には、必ず「大天使聖ミカエルの祈り」が取り入れられる。
別名「レオ十三世の祈り」ともいう。
このレオ十三世とは、1878年から1903年まで在位したローマ法王である。この
法王がいつものように多くの聖職者とミサを唱えている時、突然、大きな叫び声
を上げて、卒倒した。
彼はしばらくして起き上がり、回りの者に、キリストとサタンが対話している
声を聞いたと語りはじめる。
「時間さえあれば、この世界を全部支配することができる」とサタン。
「何年かかるか?」キリストは聞く。
「75年もあれば十分だ」
「与えましょう」
ただこれだけの対話である。この日以来、サタンは地獄の鎖から解放された--。
カトリックではそう解釈されている。(P156 L2-14)】
○『サタンよ去れ!戦慄の悪魔ばらい』鬼塚五十一 白井一男 共著 学研
【 彼はさっきから小さな声でラテン語による主への祈りを唱えていたが、
ふと思いたったようにカレンの頭に左手を置き、右手で十字架を握ったまま
「大天使聖ミカエルへの祈り」を唱えはじめた。
その祈りとは、1884年、ときの教皇レオ13世が、将来起こるべき神とサタン
の戦いを幻視し、その日のうちにつくったものである。(P30 L2-6)】
305 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 07:49 ID:CDGY8uNn
ファティマ出現の奇跡とイルミナティ儀式の特徴は次の比較において見られる。 ○『ファティマ 第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」 に関する最終公文書 教皇庁 教理省 カトリック中央協議会(P20-21全文) 【 「秘密」の第三部 イエス、マリア、ヨセフ、 ファティマのコーワ・ダ・イリアにおいて、1917年7月13日に明らかにされた 秘密の第三部。 レイリア司教と聖母マリアを通してお命じになる神への従順の行為として ペンを執ります。 すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の 少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。この剣は、 まるで世界を火で焼き尽くさんばかりに、火花を散らして光り輝いていました。 しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から 発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指し ながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。それから わたしたちには、はかりしれない光――それは神です――の中に、「何か 鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い 衣をまとった一人の司教が見えました。「それは教皇だという感じでした」。 そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。 その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が 立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな 町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがり に出会う死者の魂のために祈っておられました。それから教皇は山の頂上に 到着し、大十字架のもとにひざまずいてひれ伏されたとき、一団の兵士たち によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、 矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらに 様々な地位や立場にある多くの信徒たちが、次々に殺されていきました。 十字架の両腕の下には二人の天使がいて、おのおの手にした水晶の聖水入れに 殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。 トゥイにて 1944年1月3日 】
306 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 07:50 ID:CDGY8uNn
○『悪魔に愛された女』シスター・マリ・エメリー 林陽訳 成甲書房 【 霊は、教皇の三重冠をかぶった人形の前に立つよう、わたしを激励した。 それから、人形の頭から冠を奪わせ、弓矢を持たせて矢で人形の胸を射抜かせた。 これは、ローマカトリック教会の教皇制を打倒する儀式である。…略… その場にいた誰もが、わたしの見せた凶暴な行為に驚き、かつ恐怖した。 新参者はマスターの助けを借りなければ、この複雑な儀式を手はず通りに 進めることはできない。だがわたしの場合は、霊自らが指導にあたったのだ。 霊は洗盤からの血で両手を洗うよう、わたしに指令した。次に神殿の中央 に導き、ここで所定の宣言を行ない、加入を果たさせた。…(P145 L13-P146 L8)】 【〔告白録最後に書かれた署名〕シスター・マリ・エメリー 主の年1886年6月1日(P221 L7-8)】
307 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 08:19 ID:tczZ5poA
竹下に鬼塚に林じゃあなあ。勘弁してくれ
竹下景子に1000点。
>>302 だから、啓示の話はよせと言ったのになあ。ウワーン
と言う訳で、新総則について語れ。持ってない奴は、中央協に注文して読め。
310 :
名無しさん@3周年 :04/06/07 19:51 ID:tczZ5poA
311 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 06:47 ID:a8XX1Kow
大変有益な議論だとは思いますが、みなさん、ここは典礼スレッドであり、マリア論を語る場所ではありませんよ。 しかるべき場所への移動をお願いします。
312 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 07:43 ID:lCpVbEq2
>>311 &all
>しかるべき場所への移動
移動の要望があることですし、典礼そのものの話題と同様に大事な議論かも
しれませんので、別にスレッドの議論を引き継ぐ新たな場所を作成することに
しました。
移動先は臨時の処置となるかもしれませんが、これまでのスレッドを一旦全て
削除してリフレッシュした状態で、ひとまずスレッドを2chスタイルの「したらば」
掲示板内『[Christian]キリスト教交流[Board]』上に建てさせていただきました。
ここ数日の議論の流れに興味のある方は、次のアドレスに飛んでROMしたり
書き込みにご参加下さい。
題名:現代カトリック典礼の基礎は大丈夫?
ttp://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/music/5560/1086646711/
313 :
名無しさん@3周年 :04/06/16 00:13 ID:3TvqT37a
314 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 21:06 ID:7dDV8cOA
聖金曜日の「主の受難」の日に歌われるべく用意されている典礼聖歌332番 「十字架賛歌(クルーチェム・ドゥアム)」には次のような歌詞があります。 「主の じゅうじかをあがめとうとみ その ふっかつをたたえよう みよ この木によって あまねく せかいに よろこびが来た」 これと同じような歌詞は「カトリック聖歌集510番もあげることができるかもしれません。 「510 十字架のおおいを取る時」 冒頭より Ec-ce lig-num cru-cru-cis,・・・・ 「見よ、よの救いのかかられた 十字架の 木 を。 いざ、拝みましょう。・・・・・」 このことはイザヤ書を彷彿とさせますし、現状のカトリックの有様を見渡してもエレミヤ記 の状況にも似て非常に憂慮されると個人的に思うのです。 ●イザヤ書45章20節 (この個所の前後をお読みください。) 《国々から逃れて来た者は集まって 共に近づいて来るがよい。偶像が木にすぎないこと も知らずに担ぎ 救う力のない神に祈る者。》 ●エレミヤ記2章27節 (前後も参照するとよいかもしれません。) 《彼らは木に向かって、「わたしの父」と言い 石に向かって、「わたしを産んだ母」と言う。 わたしに顔を向けず、かえって背を向け しかも、災難に遭えば 「立ち上がって わたしたちをお救いください」と言う。》 「カトリック倫理の基礎」として「教会の伝承に生きることによって聖書の意味が明らかに されると考え」(同書P39)と謳われますが、マイナス側面の現実化を確認しても意味は ありません。キリスト教としての間違いのない歩みを聖書を読むほどに確信できる、 そういうカトリックに今後変貌することを自分は望む者です。
語句の表層だけ読む新興宗教の方でつか?
316 :
名無しさん@3周年 :04/06/17 21:18 ID:FEkvSU5X
>>315 表層に現れる「言葉」というのも大事なんです。
言葉によって相手が受ける印象や理解を考慮しないと自分勝手に思い込みで
相手に不快な思いをさせたり、思わぬ躓きを与えてしまったり・・・・・。
そうした誤解の与えない語句上の表現というのは大事なんですよ。
こと学問的な権威ではなく、人と人の結びつきや愛を大切にする教会の
話であるならその辺はなおさら。
317 :
名無しさん@3周年 :04/06/19 22:36 ID:BiwMnJTl
カトリック以外のキリスト教徒が拝領でパン食わせろ! と抗議したりするのを見た人いますか?
318 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 05:16 ID:/MaT0ihv
>>317 抗議なんかしなくても、黙って食えば誰も気がつかないだろう。
319 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 09:32 ID:0NYPdrnw
>>317 汚聖の罪という重大な過ちになるので、そういうことは人に勧めてはいけません。
まだ、洗礼を受けておられない方、初聖体の拝領がお済みでない年少者の方は、
手を合わせたまま司祭の前に行ったら頭を少し前に傾け、祝福を受けるように
して下さい。
320 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 19:56 ID:DrMMqaPR
>>319 現代カトリックでは、聖体は象徴にしかすぎねーんだろ?
そもそも象徴に対して、汚聖の罪なんて成立しないんじゃねぇか。
321 :
名無しさん@3周年 :04/06/26 20:48 ID:2o9VAlOH
カトリック教会信徒の方にお尋ね致します。 ■ 西方教会がニカイア・コンスタンティノポリス信条において 「聖霊は父と子から」出ると告白されているそうですが 聖霊が御子キリストから遣わされる、との信仰は聖書の どの文言を根拠としているのでしょうか。
322 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 01:20 ID:jOQXQMaS
>>320 聖体は、一つにカトリックが秘蹟と定める七つの秘蹟の中の一つです。
もう一つ、聖体は「パンとぶどう酒の外観のもとに実際に実体的に存在し、
ミサの犠牲において自分自身を奉献し、聖体拝領において信者の霊的
食物として与えるイエズス・キリストの真の体と血」[現代カトリック事典より]
と受け止められます。ですから、聖別された御聖体は、七つの秘蹟の一つで
霊的に特別の意味があるものとして尊重されるものであり、かつイエス・キリスト
の体として聖なる物なので、間違った理解で他人を惑わさないようにして下さい。
323 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 02:05 ID:jOQXQMaS
>>321 イエス・キリストの言葉によってキリスト信者は彼から永遠の命を与えられ
●ヨハネ10章28節
《わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らはいつまでも滅びることなく、だれもわたしの手から、
彼らを奪い去りはしない。》
また、人となられた神の子イエス・キリストは、父と一体であり
●ヨハネ10章30節
《わたしと父とは一つである》
世界が造られる前に栄光を持っていた方であり、我々にその栄光を与えてくださる方です。
●ヨハネ17章5節、22節
《それで、今、父よ、あなたがご自分のおられる所でわたしに栄光を与えてください、
世界ができる前に、わたしがあなたのもとで持っていたあの栄光を」。》
《また、わたしはあなたからいただいた栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つで
あるように、彼らも一つになるためです。》
そして、イエスス自らが父の約束として聖霊を弟子に送ることにルカ福音書によると触れて
おられます。
●ルカ24章49節
《わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたたちに送る。だから、あなたたちはこの天より
の力に包まれるまでは、都に留まっていなさい。》
324 :
名無しさん@3周年 :04/06/27 02:07 ID:jOQXQMaS
解釈の問題が生じるとすれば、次の個所で受け止められ方に議論が起こるのです。 ●ヨハネ15章26節 《わたしが父のもとから あなたたちに遣わす弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の 霊が来られるとき、この方がわたしについて証をなさる。》 ですから、出るとか発出するとかいう言葉にこだわらずに、父と子の御旨によって 遣わされる聖霊などという表現を使用すれば何の問題も生まれないと思います。 出るのは父からだけだとか、イエスと父とは一体であり天地の創造以前からイエスが 栄光を帯びていた上我々の主はイエス・キリストではないか、などと議論し出したら 埒があきません。霊が「出る」ことにこだわらず霊が「遣わされる」ことに明言するならば、 「父と子から聖霊は遣わされるのである」と言えるのではないでしょうか?
/ヽ /ヽ プロテスタントでは教派に関係なくパン食わせてるだろ?!ゴルア!!なんで食わせねえ? /::::::::ヽ____/:::::::ヽ / / ::::正教の孤立:::::::._.\ ////:::::: / 。\ヽ v.._/。 \ :::\' キリストの言葉に逆らうな!迫害する気か?あぁ? ///|:::: / ̄ ̄ /___√ ̄ ̄\ ヽ ///|:: :::::. /|ーーーt ヽ ヽ.. :.:::::::::. | _______ ///|.::::: ! |/ヽニ⊃| | ::: |.//// | ///|::. | |::::T:::| | | .. : /.//// |う、パンじゃなくて。。。 /_丿:::: ├^^^^^--∧ :: :///∧//| /:::::::::::::::::::: ../ ::ヽ \ / ヽ、|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :::::::::::::::::::: / ::::ヽ⌒ヾ⌒ヽ ::::ヽ :::::::::::::::::::: グリグリッ/ ..(.....ノ(....ノ ::::/ ヽ :::::::::: | >> ∪ .:(....ノノ )) :::::::::: / ̄ ̄ヽ ∪ ::::::::::::/`ヽ :::::::::: (( (___..ノ ::::::::::::::(....ノノ ))
今日、普段行かないイグナチオ教会に行った。 (別に50円引きだったわけではない) オバチャン聖体奉仕者にはもう驚かないけど、 聖体拝領の他に、祝福までしてたのはビックリした。 (秘蹟じゃないからいいけどさ) それと、司祭または奉仕者の横に、オバチャンたちがいて、 聖体をちゃんと食べてるかどうかチェック入れてた。 (こういう人たち、前からいた?) そのオバチャンの一人から指摘されて、 やっと聖体を口に入れてるオジイチャン発見。 (おいおい) その様子が、「ああ、こうやっていただくのか、なるほど」 という感じで、ちょっとヤバイんじゃないかと思った。 (未信徒でないことを祈る、アーメン)
>>327 祝福の場合は司祭に代ってもらってるけどなw
329 :
名無しさん@3周年 :04/06/28 21:18 ID:UTApIE5A
>>327 食べてるかチェックしてる、のかどうかわからないけど、
司祭・奉仕者のわきに立っている人は以前から(少なくとも4年くらい前)
いました。
未洗かどうかは、司祭の前での手の出し方でわかるかもな。
332 :
名無しさん@3周年 :04/07/09 23:40 ID:GXMK/RZV
四位一体は我さん。キリストは神と人との2つの位格ではなく1つの神格。だから、マリア様を神の母と認めない方こそ、三位一体の正統教理に反しますね。
333 :
名無しさん@3周年 :04/07/09 23:41 ID:Ewsb4r3m
ナンダ、、我傘下。。。。
334 :
名無しさん@3周年 :04/07/10 15:07 ID:yT3zKhMl
ニケア・コンスタンティノープル信条の新しい和訳で、「使徒継承の教会」の部分が「使徒的教会」になってしまいましたが。。。 どういうつもりなんだろう。(鬱
335 :
名無しさん@3周年 :04/07/10 20:17 ID:pV/fM9pt
>>334 ニケア信条まだミサで用いられてないよ・・・
336 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 16:11 ID:iYyb1pBi
337 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 17:16 ID:jRvecZ5A
>>324 横レスですが
素晴らしいご意見、敬服いたしました。
338 :
名無しさん@3周年 :04/07/13 08:37 ID:KxAHdCpZ
339 :
名無しさん@3周年 :04/07/17 01:23 ID:VjATWqMx
>>337 >横レスですが
>素晴らしいご意見、敬服いたしました。
誉めていただくには及ばないですよ。歴史上、キリスト教は分裂したまま、
分裂を齎した者たちにその下にいた者達は従うしかなく分裂が分裂を生み、
キリスト教は愛を初期から失ってバラバラなのかもしれませんね。キリスト教
から真に『愛』が始まり出すことが、キリスト教と人類の一致のために必要な
スタートではないかと思います。分裂後は分かれた者が指導するのだからダメ
です。分裂前の形を信徒が積極的に求め、神と人を愛していくことが、分裂を
修復してゆくカギなのではないかと自分は個人的に思っています。
罪人の我々は謙虚にしかし粘り強く、神を愛して人を愛することの出来る
人間へと一人一人が日々成長していかなければならないのではないでしょうか?
最近また、少し掲示板に書き込みはじめました。仮設の無料掲示板ですが、
よかったらお越しください。(URL中のmusicというのはご愛嬌です。)
掲示板アドレス:
http://jbbs.livedoor.com/music/5560/
340 :
339 :04/07/17 01:30 ID:VjATWqMx
>>339 の投稿文ですが文章がわかりにくいと思われます。見直しも
校正もせずに送信したこちらの不手際をお許し下さい。
341 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 19:20 ID:IkHIINDS
カトリックの人がおられたら、いると書き込みして下さい。10日も書き込みが ないのは誰もいないと見ていいんでしょうかね?
342 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 20:28 ID:IkHIINDS
誰もカトリックの人はいません?
いる
344 :
(・∀・) ◆.IjycOFqtg :04/07/27 21:50 ID:mFyb5EcY
345 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 21:54 ID:8n1tuzps
歌ミサ好きです。 それから旧ミサの日本語バージョンをやって欲しい。
346 :
(・∀・) ◆.IjycOFqtg :04/07/27 21:57 ID:mFyb5EcY
>>345 旧ミサ日本語バージョン!!!!!
イイ!
347 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 22:03 ID:8n1tuzps
>>346 翻訳作業等、なかなか難しいとは思いますが、
カトリックの伝統の姿への認識も必要かと思いまして。
なかなか美しい響きになるのではないかと思います。
現代社会は様々な病が満ち溢れています。
旧ミサの旋律は、心を癒すものとしても良いかとも思います。
348 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 15:42 ID:vSQDpkqF
典礼聖歌集は駄作揃い。
349 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 16:25 ID:DMnmkRxZ
TS作曲は駄作。 典礼をつまらんものにする音楽。
天使のミサは15世紀頃の作曲だったんだ。 あれを使ってミサを行う時、入祭とかはどの歌を使うのかな?
>>350 聖歌隊がクリスマスか待降節に部分的に歌うくらいだが
352 :
名無しさん@3周年 :04/08/03 08:53 ID:rPYWh544
聖公会なら天使ミサ曲の日本語版がある。古今聖歌集の後ろに歌ミサ用に載ってる。でも歌いにくい…。あと他のグレゴリオ聖歌の日本語版もいくつかある。
あとサルヴェレジナも教会の祈りの終りに歌ってたりするな。
日本語版とは「きりーーえーー」とかじゃなく「あわれみたまえ〜」
という訳したものでしょうな。
>>352
354 :
352 :04/08/03 13:27 ID:rPYWh544
キリエは聖公会天使ミサ曲はラテン語。でもそれ以外は日本語(文語)。 歌いにくい…^^;ラテン語のメロディに文語あてはめるのは…。
>>353 サルヴェレジナ イイ!
終課にはこれ最強
ミサアンジェラスのは典文内のだからじゃね?
サルタリス・ホスチア、ウビ・カリタスとかたまに聖歌隊が歌うのを きくが残して欲しい歌だ。 海外からの信者はよくいっしょに唄ってるw(日本人は ポカーン?)
ラテン語のミサは18組あったんだってね。
358 :
名無しさん@3周年 :04/08/10 00:17 ID:HSpfiV9T
>>356 『オ』・サルタリス・ホスチア、ですね。
海外からの信者は、と言いますが、彼らにとってもラテン語は遠い過去の言語。
ポカーンとしながら教えられたメロディをたどってるだけですよ?
もちろん日本人よりは感触やアクセントに親近感はあると思いますが。
それより、何が歌われているか、何が賛美され、何に感謝し、何で胸叩くのか、
それが伝わらない典礼共同体のあり方に心を向けたらどうでしょう。
「俺は知ってるぜ、ヘッヘッへ」
「あいつら無知だぜ、ヘッヘッへ」
…なんともまあ。
360 :
名無しさん@3周年 :04/08/10 09:09 ID:M1kAqTKJ
361 :
名無しさん@3周年 :04/08/10 18:04 ID:z2kd7gwm
ゲレオン神父の後継者はいない。 教会で、グレゴリオ聖歌指導しようとしても、 迷惑がられるだけ。 典礼聖歌と、ひとつだけの花だけ歌ってろ。
362 :
名無しさん@3周年 :04/08/10 19:18 ID:UjfbF8zM
「世界に一つだけの花」を典礼の歌として歌うのだったらやめてほしい。 キャンプとかで歌ってくれ。あるいはカラオケボックス
363 :
名無しさん@3周年 :04/08/10 22:13 ID:+xiqPOp+
>>359 何かすごいムキになってませんかw
朗読も式文も日本語だから、時にはラテン語の歌が
1曲くらい混じっても致命的ということはないでしょう。
>>362 ONLY ONE ってそんなに目新しい価値基準なのか?
と小一時間・・・。まだミサで歌われるのは聴いたことがないが。
364 :
名無しさん@3周年 :04/08/10 22:18 ID:UjfbF8zM
>>363 ごめん、言うとおり…。
ちょっと(すごく?)ムキになってた。
確かに、ラテン語の歌は歌ってて気持ちいいもんね。
でも、この気持ちよさを、一緒に典礼を祝っているみんなと
共有できないというのは、結構ストレスなのでつ。
で、また絡むようで悪いけど、一曲くらいって言うのは、
どの場面の歌ですか?
一緒に声を合わせて、汗を流して歌う主への賛美に、
捨てダマはないと思うんだけど。…あんまり理想を追いすぎてるのかな。
聖歌隊の奉仕として、歴史のある主への賛美のメロディを響かせるのはアリなのかな。
今、テレビでオリンピックの特番とか結構組まれてますよね。
その団体競技で「俺は名前がエントリーされただけでいいやー」
てな選手が居たら、きっと噴飯ものでしょう。
それと同じ次元で、選ばれた民族、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民として
生きてほしい〜。それくらいの矜持を持ってほしい〜。
そんな、気持ちなのです。
勢い任せのカキコに、冷静なレスありがとうございます。
2chは初心者なので、返答(レス)があると嬉しくて仕方ありません。
時に、364さんの
>>17 をご覧あれ
って、どういう意味なんでしょう。
>>365 確かに、50歳より若い司祭にはあなたのような考え、思いが
徹底しているように思えます。私は、典礼聖歌になってからの
信者なのですが、キリエとか決まりきった歌ならラテン語でも
いいのじゃないか(古くからの人で、典礼聖歌はイクないという
人に対して。まあ、汚いものでも捨てるように一切ラテン語ダメ
というなら、今までは何だったんだ!となるから。)、と思います。
言い出したら、アレルヤも。。
>17 は、実際にスマップの歌を典礼に使っているし、独自路線を
走っている教区があるという意味か。
2ちゃん、は「煽り」「荒らし」「騙り」等々何でもありなので、
歓楽街を早足で通過するくらいの気持ちでちょうどいいかも。
典礼にSMAPはやめれ
SPAM典礼と呼ぼう
369 :
あげ :04/08/13 00:00 ID:qLb9G4TU
>>366 ご返答に感謝します。
概ね賛同できる、また2chには稀な懇切丁寧なレスで
感謝も2バイ2バイです。
アー、でも、ぼくとしてはミサ曲は譲りがたいです。
ラテン語で歌うことでその持つ意味に逆に注意を喚起させるというのはアリとしても、
やっぱりあの三つは、信者の参加という一点において、要(カナメ)だと思うので。
司式司祭にも、そのあたりのメリハリを意識してもらえれば、
典礼はずいぶん違ってくると思うんですけどね。
反対にアレルヤは、言葉の意味より福音へのファンファーレという意義を大切にしたいと思います。
だから、いまの典礼聖歌のメロディに不満はありますよ。
きちんとした指導を受け得ないオバチャンたちが歌えば、陰惨なものになるしかないメロディもあるしねぇ。
いや、これはオバチャンたちを責めるのではなく、純粋にテクニックの問題ですが。
スマップ典礼のことははじめて聞きました。
スマップと聞いて「アイスクリームか?」と思うくらい浮世離れのぼくですが、
なんだかすごいことになっているというのは想像つきます。
もし、典礼に不満なり不信があるときは、いきなり司教様でなくて、
教区の典礼担当司祭にアクセスしてみるのも一つの手だと思います。
一概には言えませんが、典礼学を本式に学んだ人よりも、
カテドラルに近くて手すきな割と若めの司祭に担当の役が回ってくることも多いようです。
その辺を歩いている教区司祭を捕まえて、典礼担当を聞き出し、
いろいろ疑問をぶつけてみてはいかがでしょう。
聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者 信じる者の力である神よ、あなたは聖マキシミリアノ・マリア・コルベの心を 汚れないおとめマリアへの愛で燃え立たせ、宣教の熱意と隣人愛で満たしてく ださいました。・・・・・・・ (ああ、今朝寝坊してミサに行けなかった。)
371 :
名無しさん@3周年 :04/08/14 11:59 ID:DMjiisSy
>>369 そういう担当者の問題じゃなく、感性の問題。
グレゴリアンとかより、典礼聖歌やSMAPのほうがわかりやすくていいんだろう。
ほんとはそんな典礼なんかより、海外ボランティアにこころが向いてるんだろう。
372 :
あげ :04/08/14 12:29 ID:pe545fKN
>>371 えー、すみません、よく文章の意味を把握できません。
典礼のあり方を考えるに当たっての
慨嘆もしくは諦めの言葉と受け取ってもいのでしょうか。
373 :
名無しさん@3周年 :04/08/14 22:27 ID:jzaGsny+
ミサが神への感謝の祭りである以上、信仰の表現の一部として聖歌もミサ中に 存在していると考えていい。お御堂の中に、それもミサの中に大衆歌や歌謡曲を 持ち込んで利用してはいけないね。偶像崇拝の意味合いとダブる部分があるよ。 よって、信徒が神を賛美することに集中できる歌、感情移入して神を称えることの 出来る歌が賛美歌として大原則だと思う。歌謡曲は、ミサ後の出し物とかパーティ の演出などに使われるなら良いが、聖歌や大事な派遣の歌(ミサ最後に歌う)に 用いては神の御心への配慮が完全に欠けているということになるね。 信徒にわからない言葉で賛美歌を歌っても美しいだけのものはだめだよね。 全員が理解できる言葉であること、神を賛美するという目的に合致していること、 全員が受け入れることの出来る歌詞であること、そういう面がすべてクリアされ ていることが大前提だと思うよ、ミサ曲のミサ中での賛美に用いる際の必要な 準備ということではね。
神は真善美 神の美は普遍 ∴典礼における美は普遍性を持つものが望ましい 典礼は神の神秘の現存する場である つまーり 流行歌は望ましくないYO! 新しい美を探求するのもイイけど 歴史に淘汰された美を無視したらイクナイ! SPAM典礼はもっての他
spam典礼?smapじゃなくて・・・。 「世界に一つだけの花」は槇原氏が、同級生で今は聖職についている人の話から ヒントを得て作った曲だそうです。(ソースは音楽雑誌、立ち読みなのでタイトル忘れました)
376 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 00:06 ID:r9eq3tT6
信者が理解できて(日本語で)歌える聖歌ということにこだわると、 いまみたいな聖歌や、場合によってはSMAPでもいい。 芸術的にレベルの高いもの、グレゴリオ聖歌でもいいが、会衆が歌えなくても 聖歌隊が歌い、会衆がこころをそれに合わせるならいいのでは。 信者に歌えることを第一に考えるなら、SMAPの歌は駄目で典礼聖歌がいい理由がわからん。
377 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 01:38 ID:uXPimZD6
>>376 SAMPもいいが、折れはI WHIS もいいと思う。
最近の若者が作る歌は、ミサに使える歌が多いよ。
グレゴリアンなんて禁止したほうがいいし、それに、フォークミサも古い。
積極的に最新の若者の曲を取り入れるべし。
378 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 01:41 ID:uXPimZD6
おっとスペル間違えた SAMP -> SMAP
379 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 01:43 ID:0W4OG0Mz
遂にニッポン放送との連携を暴露し始めたねww で、どこまでやる気かな?
あなたは 愛されるため うまれたひと その愛 今も うけている あなたは 愛されるため うまれたひと その愛 今も うけている ♪ 初めからあった 神さまの愛は われらの出合いで 実をむすび あなたが この世に存在することで いかに大いなる喜びとなるか ♪ あなたは 愛されるため うまれた人 今も その愛 うけている あなたは 愛されるため うまれた人 今も その愛 うけている あなたは 愛されるため うまれた人 その愛 今も うけている ♪ あなたは 愛されるため うまれた人 その愛 今も うけている 初めからあった 神さまの愛は われらの 出合いで 実をむすび あなたが この世に存在することで いかに大いなる 喜びとなるか あなたは 愛されるため 生まれたひと 今も その愛うけている ♪
381 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 14:32 ID:j6HrPc1q
「世界にひとつだけの花」って、そんなにいい歌ですか? たとえば「We Shall Overcome」や「God Bless Africa」みたいに 長く歌い継がれていくでしょうか? まあ、ボクたちには企業社会で世渡りしたり試験にうかったり金儲けしたり する才があるし、キミには歌をうたったり子供を生んで育てたり貧乏でもガマン とかして暮らしていけたり、みんなそれぞれ賜物に恵まれててヨカタヨカタね、 って聞こえてしまうのは、私の信仰が弱くて妬みの悪霊に取りつかれてるせい でしょうか?
382 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 15:30 ID:EJEqsFZT
自分が酔いしれるためではなく、神に向かって捧げる歌、それが聖歌であり 賛美歌だからね、そこを勘違いしてミサ中に自己満足に浸るのはよくないよ、 やっばり。 僕は、ミサ以外では本気で聖歌を歌わない。聖歌は誰かの要請で余興や出し物 としてみんなを楽しませる歌ではないと思っているからね。教会の大祝日の後で 信徒会館などでみんなが前に出て聖歌を歌ったりすることがある。自分の場合、 それが嫌だ。そういうときは、口パクや小声などで対処せざるを得ない。ミサ 自体本来は歌ミサが本当のミサの形式だ。自分はすべてのミサを歌ミサにしろ とは言わないが、せめてミサの中の歌の部分は自己陶酔のためではなく、周囲の 人たちに聞かせるためでもなく、神に向かって祈りを捧げるつもりで声を出して 清々と歌ってほしいものだと常々思っているよ。
こと「世界に一つだけの花」は、カラオケボックスの光景がまず 頭に浮かんでしまう。 ヒットした歌だから初めてきた人の中にはとっつきやすいと感じる 人も少なくないだろう。
384 :
XYZ(正教徒) :04/08/16 14:01 ID:GC9/hwhF
神の民の役割=典礼(奉神礼)において、 流行歌とはいかがなものかと思ってしまう。 分かり易さや歌い易さ、そういったものが第一に考える対象なのでしょうか?
385 :
あげ :04/08/17 00:18 ID:a8xO7q/u
>>373 いままでの自分の発言と微妙に食い違うかもしれないと覚悟のカキコですが、
ぼくは「美しければそれでいい」という考えはアリかとも思います。
その点で、ぼくはグレゴリオ聖歌はじめ教会の伝統的なメロディを
バッサリと切り捨てることに賛同できません。
それ以上に、プロパガンダの手段としてのグレゴリオ聖歌の使用に賛同できませんが。
>>374 (・∀・) ◆.IjycOFqtg氏
ぼくには、あなたの意見が とても魅力的です。
『歴史に淘汰された美』という言い回しなどは、ハッとさせられます。
ぼくらは諸聖人の通功を生きているんだという思いを新たにさせられます。
>>376 さんへの答えは、この一言に尽きていると思います。
典礼聖歌は、答唱詩編に使われる部分(詩編唱和)のみに限って言えば、
旧約の神の民の祈りの言葉の歴史的な継承だからです。
翻訳という限界があるとはいえ(本音を言えばその翻訳はちょっと分かりにくいけど)、
救いの歴史の中で神の民が声を合わせてきた祈りを、
メロディに乗せて歌えるのはとてもいいことだと思います。
欲を言えば、言葉が主で、メロディが従であることを
もっと意識できる歌にできればよかったとも思いますけど。
まあ、そこは歌う者の意識の問題なのかな。
もし本当にそうしてしまったら、典礼聖歌集などは
広辞苑よりも分厚い書物になっていたでしょうし、
聖歌はいつまでも信徒のものでなく、
聖歌のために組織された得能集団のものでしかなかったでしょうから。
386 :
あげ :04/08/17 00:31 ID:a8xO7q/u
>>380 なんて歌ですか?できれば作曲者、作詩者名も教えてください。
>>381 いやぁ、アナタの信仰が根深く根強くて、
なおかつ照れ屋であるアナタをどうにかしてやろうという
神さまの執念の所為でしょう。
>>382 人一倍声がデカイぼくにとっては
身につまされる言葉です。
どーしてもね、酔ってしまう瞬間とかはありますね。
若いことは潔癖に「いかん、こんなこっちゃイカン」などと
償いにめでたし2回とか唱えてたけど、
近ごろは、「まぁこれも人間の自然さー」とか考えて流してます。
良くないですかね、やっぱり。
387 :
鼻安寝 :04/08/21 19:53 ID:OAgyN9R2
ミサ中ではともかく、サルヴェレジナは根強い人気があるな。
388 :
名無しさん@3周年 :04/08/24 22:56 ID:LZjH0W43
サルベレジナいいですね。新しい聖歌って口にするのが小恥ずかしい歌もあり、、かといって典礼聖歌も難しかったり。 カトリック聖歌集(光明社)はもう使ってないですかね?
389 :
名無しさん@3周年 :04/08/24 22:59 ID:gHaBXpZf
アーメン、ハレルヤ、これで決まり。 あと、「小さな人々の〜一人ひとりを見守ろう・・・」っていう曲。
390 :
名無しさん@3周年 :04/08/24 23:00 ID:2NWbDdPk
パニス・アンジェリクスもすき
392 :
名無しさん@3周年 :04/08/25 00:34 ID:S5RAxSB0
刷新されたカトリック教会には、最新のポピュラー音楽こそ相応しいんじゃねーの。
393 :
名無しさん@3周年 :04/08/25 01:14 ID:6yE11qVs
>>392 洗礼を受けて『イエス・キリストは私の主です』と公言するアーティストや
作曲家に作曲や作詞を依頼するような場面が今後出てくるのかもしれませんね。
商業主義に乗った出来合いのポピュラー音楽をミサに組み入れるのは大反対ですが。
俳優がどんなに名演で司祭や牧師を演じてみてもよい信徒や司祭になったの
ではなくよい俳優になったというだけですから、そういう意味で以下に聖歌に
似ている音楽や歌でも、商業的目的で作られたものを祭壇の前で信徒と聖職者
が神に感謝するため、賛美するために歌謡曲歌うわけにはいかないでしょう。
394 :
あげ :04/08/26 00:10 ID:fxwsKiD4
>>392 刷新って、
どのくらいの覚悟で敢行した事か分かってる?
このスレや他のカト系スレ見ても感じるし、実際司祭や修道者を見てても思うけど、
復古的な傾向は決して教会の中で少数派ではないよ。
実際、幾星霜歳を経て練られた詞や旋律は我々とって美しいし、心地よいしね。
でも、ほんとうに神と人に心地よい調べは何かと考えて、試行錯誤して行こうという時ではないのかね、今は。
それなら、アナタのその口は、その日そのとき共に集った兄弟と共に声を合わせる口であってほしいですね。
ネーノ
とか口を閉ざす口実を口にする前にさ。
395 :
名無しさん@3周年 :04/08/26 11:36 ID:7lcY36Xb
聖歌だけが問題になってるようですが、祭壇の位置の問題はどうなの? 祭壇を食卓に変えてしまうようなプロテスタント化はいかんだろ。
396 :
名無しさん@3周年 :04/08/26 17:19 ID:S3iJpBXo
刷新ねぇ。
>教会で、グレゴリオ聖歌指導しようとしても、迷惑がられるだけ。 >グレゴリアンなんて禁止したほうがいいし、 >刷新されたカトリック教会には、最新のポピュラー音楽こそ相応しいんじゃねーの。 第2ヴァティカン公会議の「聖なる典礼に関する憲章」より引用 116.教会はグレゴリオ聖歌をローマ典礼固有の聖歌として承認する。 それゆえ、これは典礼行為の中で、ほかに同等の価値をもつ聖歌があるが、 主たる位置を占めるようにしなければならない。 ほかの種類の教会音楽、特に多声音楽は神への奉仕の務めを祝う中で、 第30項の原則にしたがって典礼行為の精神に沿うものである限り、 けっして排除されてはならない。 117.グレゴリオ聖歌の楽譜書の規範版が完成されなければならない。 さらに聖ピオ10世教皇の改革後、すでに出版された数々の楽譜書の いっそうの批判的な出版が準備されなければならない。 望ましいのは、小さい教会で用いるために、より単純な曲を含んだ 出版物の準備がなされることである。
398 :
名無しさん@3周年 :04/08/27 05:37 ID:j1FyOZ5/
刷新という言葉は、なんとなくうそ臭くて自分は嫌いですね。 言葉の使い方の面では「正常化」の方がいいと感じます。 これまでの聖霊と今日の聖霊、また明日の聖霊や将来の聖霊はコロコロと 入れ替わったり新しくなったりするのでしょうか?レギオンに取り憑かれて いるならそういう話の可能性があるのかもしれませんが、昨日の聖霊はまだ 足りなかったとか、明日の聖霊は完璧だ、などと言うようなそんな印象を 受ける言葉使いはいけないと思っています。 聖歌についてみても、聖霊刷新の訝しさと同様の議論がなされているみたい ですね。はじめに押さえるべきはカトリックが普遍的という意味であること。 キリスト者たちの信仰は、個人的な企てではなく、はじめにイエススを信じた 弟子たち、彼らの跡を継ぐ信徒たち、世界中の普遍的な教会をなしている「神の 民」の信仰に心を合わせるということですから、一概にラテン語のミサや聖歌を 捨てることなく、共存させる中で少しづつ状況を見極めながら現行ミサを増やし たりラテン語ミサを増やしたりして徐々にこの繰り返しで信徒聖職者ともに 穏やかな変化を受容しつつイエススを信じたはじめの人(使徒など)たちの信仰と 信仰者相互の交わりに心を合わせていき、最後にはいつのまにか新教・旧教の 壁も氷解して一致の内に天の父を十字架の上の主を仰ぎ新たな者へと変えられ ていると気づくような賛美・礼拝を心がけられる共同体に進歩してゆけばよい と思います。
お前ら馬鹿ばっかだな。 中世ミイラの正教みたいになりてぇのかよ そんなことだから若者が教会にこねぇんだよ。
400 :
名無しさん@3周年 :04/08/28 01:34 ID:wuZ+cNTC
>>399 教会から離れた若者達はミサツアーみたいのを組んで、
近隣の国(韓国など)で捧げてる10世怪やらペブルなどのバチカンと係争中とは
関係の無いトリエント・ミサに与りに多い人で週一で行ってるのよ。
少ない人だとそれでも月一や月三で行ってる。
安く買い物も出来るし仕事関係で韓国に用があるからと言う人もいる。
日本よりも信徒が多い分教区にトリエント・ミサがまだまだ残ってる。
時々グレゴリオ聖歌のトリエント・ミサやらベネデェクションもあるしね。
金銭的に余裕のある人はアメリカのペトロ会のトリエント・ミサに与ってるの
仕事や学業の関係で月一の方が多いけどね
401 :
名無しさん@3周年 :04/08/28 01:56 ID:kHNOr1KL
>>399 普通生活している事から得られないことを求めてるのに教会へ行っても世俗と変わらないことを言っているでは
それこそ教会に行かなくなるだろ。
日本に来たアメリカ人に六本木ヒルズ見せて喜ぶか?「こんなのアメリカでも見れる。日本に来た意味がない。」と思われるだけだよ。
キツイこと(戒律)は若者が嫌う?
未だに自分を鍛えるため空手とかやってる人はじゃあ何?「虎穴には入らずんば虎子を得ず」でわざと厳しいことやってんだろ。
若い人にも志のある人があるのになめんな。
402 :
名無しさん@3周年 :04/08/28 11:28 ID:nPiGoDjw
403 :
あげ :04/08/28 13:18 ID:eeJBkjC/
>>400 、
>>402 ミサは、そういう伝統芸能のようなものであってはイカンと思うんだけどなぁ。
どうしてこういう、何度も繰り返してきた不毛な議論にしかならないのだろう、このスレは。
まぁ、分かってはいるんだけどね。
>>403 2chだから。
【これで】スレタイからして煽りだから【いいのか】(いや(・A・)イクナイ!!)
398氏みたいに理性的に議論できない?
おれは、槙原も良いが、つんくに典礼聖歌の作曲を依頼してもいいんじゃねぇかと思う。 モーニング娘の歌、あれで以外と大衆が覚えやすくて口ずさむ歌なんだけどなー。
405 :
名無しさん@3周年 :04/08/28 19:41 ID:1VIzsgwL
「多くの典礼学者たちは、その宝を”わずかの人にしかなじめないから”と言って切り捨て、 公会議後の典礼の”どんなときにもみんなにわかりやすい”聖歌の名において教会音楽を敬遠した。 だから特別のときに大聖堂などで例外として使用されても、教会音楽はもう存在しない。 そのかわり”ありきたりの音楽”、やさしいメロディー、カンツォネッタ、はやり歌が 取り入れられることになった。美を追放し、ただ実利だけを追求するところで示される 恐るべき貧しさは、ますますはっきりしたものとなってきた。”みんなにわかりやすい” 唯一のカテゴリーですまそうとすることが、本当に典礼をより分かりやすく、 より開かれたものにしたのか、ただ貧相な典礼にしかならなかったのではないか」 byラッツィンガー枢機卿
406 :
名無しさん@3周年 :04/08/28 20:23 ID:OcWaOcBJ
>>405 だから、開かれた典礼などと言って公教会の典礼を破壊しようとする動きには
断固として抵抗すべきである。ていうか、俺が我慢ならん。
…と言いたいのか。
うん、きっと偉い人の言葉を持ち出してきたからにはそう言いたいのだろうな。
>>405 お前ら狂信的な保守派の書いた文章みてると、頭痛くなんだよ。
408 :
名無しさん@3周年 :04/08/29 14:51 ID:rLhIVRdm
あのね、そんな俗っぽくて軽薄な曲ではいけません。 ミサはもっと厳かなものです。
409 :
名無しさん@3周年 :04/08/30 00:05 ID:bLhwo0rD
なにが正しいとか正しくないとか、議論すればキリがない。 最終的には、感性の問題。 感動しないような、くだらない音楽のミサには出たくないけどね。 時間のムダだ。
410 :
名無しさん@3周年 :04/08/30 00:15 ID:d91gqADr
>>409 誰の感性の問題なのだ?
きっと自分以外の連中の感性の問題だといいたいのだな。
あと、どんなものであれミサに参加するのが時間の無駄だと言えるようなお方なら、
参加しないほうが良いと思います。
たとえどんなに美しいとあなたの感性が認めるミサであっても、
結局アンタがそこで飲み食いしているのは自分自身への裁きでしかないんでないの?
411 :
名無しさん@3周年 :04/08/30 01:07 ID:AB0jHxBD
>>407 世間に迎合したあんたらは「塩の味のない塩」だよ。存在価値がない。
412 :
名無しさん@3周年 :04/08/30 01:43 ID:d91gqADr
>>411 2chとはいえ、誰かに「存在価値がない」と言えるキリスト者には驚き。
聖書の引用はいいけど、その言葉はすべての人のために十字架に架かり、
今なお祭壇上ですべての人のために自らを捧げ続けている方の言葉だと言うことを
お忘れなく。
>>399 >中世ミイラの正教
褒め言葉と思っておきますね^^
>>405 ラッツィンガー枢機卿。良いこと仰いますね。^^
414 :
名無しさん@3周年 :04/08/31 13:34 ID:YECiXpVs
>>412 「・・?」と思ったが、人間として存在価値がない、と言っているのでなく、キリスト者として存在価値がない、と言ってるのさ。
415 :
414 :04/08/31 13:37 ID:YECiXpVs
>>412 結婚前のSEXの中絶も離婚もオーケーでは世間の人に「私はキリスト者」です、
と言っても「私たちとやってること変わらないじゃん」って言われるだけでしょ。
416 :
414 :04/08/31 13:44 ID:YECiXpVs
つーか「聖書に書いてある、同性愛はいけない、などは当時の道徳観から影響を受けたものなので今のわれわれは彼らの『行為』を罪と認める必要がない」 なんていってるような人たちと仲間の方が『聖書の引用はいいけど、その言葉はすべての人のために十字架に架かり、今なお祭壇上ですべての人のために自らを捧げ続けている方の言葉だと言うことを お忘れなく。』なんて笑止だな。
>>416 なぜ笑止なんでしょうか?
それはそれとして、イグナチオ教会の書き込みできるツリー掲示板は廃止されたんでしょうか。
>>すべての人のために十字架に架かり、今なお祭壇上ですべての人のために自らを捧げ続けている方 でも、今のミサでは犠牲を強調しないんだよなあ。
419 :
名無しさん@3周年 :04/08/31 15:52 ID:s6rghQB8
>>416 どうせ第3バチカン公会議でこう決まりましたから、
同性愛者に対する考え方も変わりました、なんてしらっと言うんだろ。
いつも置いてきぼりにされるのは、保守派さ。
>>419 同性愛や、避妊具の使用、婚前交渉をカトリック教会が認めるのは、
もはや時代として当然のことだろう。
時代の空気が読めない、頑迷な保守派などは放置しておけばよい。
421 :
名無しさん@3周年 :04/09/01 00:05 ID:j8n1ZLEC
>>420 時代によって変わらないのが真理ってもんだろが。
>>421 おまえ、日本の10代の若者の多くが性体験をしているのを知っているのか?
若者の性病の蔓延は深刻な問題だぞ。
今大切なのは、若者の性を禁止することではなく、
カトリック教会が率先して性病予防と、不意な妊娠の防止のために行動することじゃねぇのか
例えばコンドームを配布するとかな。
もっと現実をミロ!
423 :
名無しさん@3周年 :04/09/01 00:49 ID:j8n1ZLEC
>>422 現実ねえ。
じゃあお前さんは、配偶者の浮気が現実になったときには、
「せめて避妊はしてくれ」って、コンドームを渡すのかい?
>>423 若者の性の問題を夫婦の不倫に置き換えとは。。。。さすが保守派の脳味噌は違うな(ry
425 :
名無しさん@3周年 :04/09/01 23:55 ID:AJ5k/6Wi
>>424 置き換えられるよ。だって、同質の問題だからね。
若者のみならず配偶者にだって、性病には罹ってほしくないし、
よそで妊娠して(あるいは妊娠させて)ほしくもない。
どちらもセックスに伴う危険であり、どこかで現実に起きている。
何が違う?
426 :
名無しさん@3周年 :04/09/02 00:55 ID:EJfxEQKl
>>414 キリスト者として存在価値があるかないかって、
おまえはキリスト者だとか勝手にレッテル貼っておいて批判するためでしょう。
敬虔なクリスチャンという枠組みに押し込めておいて、自分には関係ない問題だって
批判できるしね。
つまり、キリスト教を信じるかどうかという問題が、あんまり身近になったら困るんだね。
427 :
名無しさん@3周年 :04/09/04 00:06 ID:nkLT7KOZ
ここ、典礼についての議論の場でしょ。
428 :
吾 ◆ueZq.hjsWU :04/09/04 23:34 ID:NrbPDBZB
わたしはギリギリ旧典礼の侍者をやったけど、 ここであーだこーだいってるほど、たいしたものではないよ。 経験した者が懐古趣味で語るものであって、 聖体信仰するものにとって、祭式そのものが重要なわけではないのだから。 さ、くそして寝る。
>>425 配偶者の不倫なんて、低レベルな下ネタ話に摩り替ええるとはねぇ・・
流石に呆れちまったぜ。
保守派の脳細胞は完全に腐りきってるんじゃねぇか。
430 :
名無しさん@3周年 :04/09/05 02:19 ID:XfDAMH4T
突然ですが、みなさまのご意見を伺いたいと思います。オンラインの聖歌集があったらどうでしょう ?まだ立ち上げていませんが、次に引用するのはその精神を文字にして自分の中に確固としたものに しておくために書いたものです。ご意見お待ちしています。 ♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯ 第二バチカン公会議で自国語の典礼聖歌の使用が認められてから今日に至るまで、多くの諸先輩 音楽家達が日本語の典礼音楽作曲の労に携わり、その結果は目覚ましいものである。しかし音楽の 性質上避けて通る事の出来ない「歌集」と「著作権」の問題が、多くの素晴らしい作品の普及を遅 らせている、または妨げている要因の一つである事は、疑い様のない事実である。 例えば、著作権法において楽譜の複製は禁止されている。これは小教区が1回のミサに来る信者 の数だけ楽譜を購入しなければならない事を意味する。また聖歌集を出版することで、使いたい曲 がその中の数曲であったとしても、1冊の本を人数分買う事が法的に義務づけられてしまうのであ る。必要経費とは言えども、資金面からかなりの負担になる小教区も多いのではないか。 歌集作成に際しては、作る側も相当の努力が要求される。出版社との兼ね合いや出版資金の確保 と採算の問題。プロに作曲を委託すれば、作曲家が作品に対して人件費や著作権による保護を求め たとしても、それは当然の権利なのである。さらに歌集であれば編纂者の意図により掲載される曲 が限定されるし、新曲が出来ても出版を待つので早急なニーズに答える事は難しい。 これらの問題はインターネットを使用することで解決できないだろうか。ホームページ上に楽譜 を公開することで、聖歌集では避ける事のできなかった多く制限から解放され、音楽家の全く自発 的な「音楽によるボランティア」が可能になり、著作権による制限を(目的を限定した上で)解除 することもできるだろう。 著作権の問題をクリアした楽譜をWeb上に公開する。小教区や修道院はそれらの中から使いたい 曲の楽譜をダウンロードする。後は輪転機で人数分コピーし、オリジナルの歌集に挟み込めばよい。 コストは紙代とインク代だけに削減できる。しかしオンライン型の魅力は資金面や手早さだけでは ない。
431 :
名無しさん@3周年 :04/09/05 02:21 ID:XfDAMH4T
続き オンライン型の最大の魅力は、参加者に制限がないことである。オンライン型が発展すれば、今ま では司教団と一部の作曲家に依存していた日本の典礼音楽が、「信徒主導型」に変わる事ができる。 作詞や作曲による参加はもちろん、詩の内容を検閲する神学者としての参加。録音した音源を楽譜 と同時に公開するための聖歌隊の参加。教会や小教区のニーズを把握し、それを伝える事。さらに は教派の壁を越えてプロテスタントの兄弟達の参加。また、時には歌う側から厳しい指摘も必要だ ろう。素直な感想を伝えるだけでも立派な参加なのである。それらは全て「やりがい」という動機 のもと、全くのボランティアとして行われる。従来の歌集型では一部の人間しか関わる事が出来な かった典礼音楽創作活動だが、このオンライン型には典礼を愛し、音楽を愛する全てのクリスチャ ンが縦横無尽に参加でき、典礼そのものがより自発的に、より活動的になる状況を作り出せる可能 性が存在するのである。 何も強制されることなく、出来る時に、神様と教会のために出来る事で奉仕すればよい。音楽の 才能と技術を持つ人々が、その才能と技術を神様と教会のために使う場を作りたい。典礼と音楽を 愛する全てのクリスチャンに、典礼音楽の創作活動に対して能動的な参加を期待する。与えられる ものを待つだけの時代はもう終わったのだ!多くの人が集まれば、一人一人の負担は少なくても素 晴らしいものが出来るはずだ。結果を神様の意思に委ねながら、自分ができることを精一杯やって いくつもりである。 創作5原則 典礼音楽の創作を通して、 A、日本の教会における典礼の豊かさを追求する。 B、カトリック典礼の日本文化へのインカルチュレーションに協力する。 C、信徒霊性の高揚に貢献する。 D、キリスト教諸教派が音楽によって相互理解を深められる場を提供する。 E、次世代に受け継がれるべき創作方法と普及方法を研究する。
432 :
名無しさん@3周年 :04/09/08 21:40 ID:uUISpDTw
典礼聖歌が、ここでは不評ですが、 「371 しあわせなかたマリア」とか 「391 ごらんよ空の鳥」とか 「396 救いの道を(教会はひとつ)」なんかどうですか?なんかいい感じじゃないですか?
>432 そうですね、(371 しあわせなかたマリア)は、特に好きです。 あと復活の続唱も好きです。
434 :
名無しさん@3周年 :04/09/08 22:42 ID:hGvPSYWq
ttp://ip9.tosp.co.jp/i.asp?I=tekitou21&P= ここのキチガイカトリック冒涜者に制裁を。
「エジプトへ逃れ、やがてナザレへ行く。天の幕が裂け、三日の後に復活する。
破壊した神殿を三日で建て直せる。そして栄光を手にする。
T.サンタンジェロ、天地創造のアダマがこのオレだ。
U.武器商人としてアフリカの大地を探検して周り、アビシニアへ行き、やがては祖国フランスでカトリック教徒として死んだ。
それがこのオレだ。by.Arthur.Rimubaud
V.グァタルペの聖マリアがオレを祝福し、常に見守り、守護して下さる。
W.ヴァーチューズ・ケルビム・セラフィム・メタトロンの未知数の軍勢が天の星の数々となりオレを見下ろしている。
ARAJIN
alchimieU.T
アケナテン、トゥトゥアンクアテン、セティ、ラメセスの生まれ代わりの魂がこのオレだ。
謎を知った者は夢の中でネフェルティティのミイラに殺害される。
また、ジュリアス・シーザーを裏切ったブルータスと、イスカリオテのユダは今だに地獄にいる。
オレはアレクサンダーだよ、そして聖なるカイラス山の玉座こそ、シヴァ神であるこのオレにふさわしい。
オレはインディアンの酋長シアトルの魂を受け継ぎ、また、ケツアル・コアトルだよ。
光輝く海の星。
21世紀のイブン・バトゥータはこのオレだ。」
こんな馬鹿げた事があるわけがない。
435 :
名無しさん@3周年 :04/09/26 18:40:09 ID:O1d0SYS1
基本的には厳粛な雰囲気の聖歌の方がいいよ。カトリックにはそういう イメージを持っている人が多い(非信徒でも)し、悪い印象ももってない。 ただし長年信者をやっていれば飽きることも多いので補完的に最近の 曲と似た感じの歌を取り入れるのはいいと思う。 ただし、最近できた聖歌は妙に子供っぽいのが多い気がする。
436 :
erbm :04/09/26 21:08:57 ID:1FHY9i+/
437 :
名無しさん@3周年 :04/09/26 21:12:04 ID:AJwUd4tP
厳粛な聖歌が合うミサ、みんなでわいわい歌える聖歌が合うミサ、色々なミサがあると思います。 主日の10時ミサと、気の合う仲間達で内輪でやるミサが同じ雰囲気になる事はないでしょうし、そ ういう中で使う聖歌が違ってくるのも当然ですね。何はともあれ、先ずは「数」を作らなきゃ、と 思ってます。あ、質を落としてでも…とは思ってませんが。
438 :
名無しさん@3周年 :04/09/27 04:00:42 ID:j+4yWZwx
439 :
名無しさん@3周年 :04/09/27 05:39:35 ID:yy78Q4JG
ここに書き込んでる連中は4人だけだな。 ・青眼 ・シルビウス ・ナリー ・斧陀
>>439 で、あんさんはその4人のうちの誰なのw
世界難民移住移動者の日で特別なミサってありましたか? 諸国語を使ってとか。 まさか、ラテン語でクレドとかw
犬に、仏性があるか? あるに決まってる。 だが、そこを、無、と言うらしい。 この公案以後の禅は、ここに尽きると言う。 しかし、飲み込めない。 犬に仏性があるとも、答えている。 これはまともだと思う。 然し前の、いぬに仏性が有るか、無。 がひっかかる。 空の理解は、している。 仏性のある、なし、には、かかわらない。 仏性は、あるに決まっている。 犬に仏性はあるか。無。 これは、受けと入れない。 犬に仏性は、あるか。空。 これだと、門の内側に入る。 無。 これに、迷う。 空では、無いのか、と。
443 :
erbm :04/10/04 20:21:59 ID:Duo2uvmJ
444 :
erbm :04/10/04 20:34:08 ID:Duo2uvmJ
445 :
名無しさん@3周年 :04/10/06 00:22:54 ID:vgxASvxC
446 :
吾 ◆ueZq.hjsWU :04/10/09 09:31:40 ID:OZvmlL/x
兄弟のみなさんに訊きたい。 神の栄光と賛美のため、ってまだ唱えてる? うちの教会では、ひとりの老司祭が唱え始めるようになり、なんかつられて唱えることが多くなった。 これって密唱だよね。 しかも神父さま、自分で「司祭の手を通して」とかいっちゃってるし...
447 :
名無しさん@3周年 :04/10/09 11:14:36 ID:TFoSHAbO
>>446 2年位前のことだが、イグナチオでは信徒も唱えていた
448 :
名無しさん@3周年 :04/10/09 12:09:26 ID:+mZkq1Dy
>442 もし道路に人の死体があったら大変! けれどもそれが犬や猫だったら「あーかわいそうに・・・」で終わり。これが真実。 まあよその国に行けば人間でもあーかわいそうに・・・で終わったりするところも あるが・・・。
449 :
名無しさん@3周年 :04/10/09 23:49:19 ID:4aB4hfHb
450 :
名無しさん@3周年 :04/10/10 00:08:44 ID:JS3DTQOj
アメリカのどこかの女子修道会。 レイキ・ヒーリングの施術をしている。 その修道会の紹介サイトがあったのだが、どこだか わからなくなった...
452 :
名無しさん@3周年 :04/10/11 12:32:26 ID:1q1v8b45
>>452 そうそう、コレですよ。あなたすごいね。
どうやって探してくるのか。
454 :
名無しさん@3周年 :04/10/23 01:39:58 ID:kDSzea7B
英語圏を中心に、典礼が混乱していることは、現実問題カトリックにとって 大変な問題だと思います。
455 :
名無しさん@3周年 :04/10/23 02:20:33 ID:2GFUedAj
ここに書き込んでいる香具師は どうやら 青眼、なりー、小野田、シルビウスだけだな 嫌がらせとしか思えん。
超保守派は典礼の混乱の直接の原因は新ミサの導入にあると見ているようだが、 新ミサは教皇の承認のもと、教会法上完全に合法的に存在してる訳で、そして きちんと捧げられるなら救霊の妨げとなる要素は何もないのだから、問題は新ミサ それ自体ではなく、新ミサを乱用する側にある。 主は、刈り入れの時が近づいているご自分のブドウ畑の善い実と悪い実を選別する 為に、教会の一時期において自由が導入されるのを摂理的にお許しになった。 黙示録の小艱難が過ぎ去ればすべては新しくされ、新しい教皇は教会を破壊する 者達を追放するだろう。第三バチカン公会議が開かれ、また旧ミサの復興があろう。
パウルス6世がすべて悪かった。
458 :
名無しさん@3周年 :04/10/23 23:57:07 ID:o5F5Pr7l
459 :
名無しさん@3周年 :04/10/26 10:05:34 ID:6S7tD7ZL
ヨセフ・ラッチィンガー著 「典礼の精神」が濱田了神父様の翻訳で サンパウロから出版されました。価格は2200円+税です。 一読の価値はあると思います。
奉教諸死者age
ラテラン教会献堂までsage
462 :
名無しさん@3周年 :04/11/06 17:36:31 ID:Tn/lSFoS
取りあえず ラテン語で、 第一奉献文で、 グレゴリアンチャントで、 背面式で、 東向きーので、 跪きーので、 口受け拝領デフォ ならノブス・オルド・ミサでいいかなと思う最近の俺であった。
「必要悪だった共産主義」−ローマ法王が新著で ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の新しい著作が来春、出版される事になった。「記憶とアイデンティティー」 という題で1993年にポーランドの哲学者二人と交わした対話を基にしている。 法王の本は五冊目になる。自伝的著作は既にあるが、発表された要約によると、今回は歴史を省察する内容。 ナチズムの後に世界に現れた共産主義を「悪」その崩壊後の自由化を「善」とし、善を生む為にこそこの悪 は「有用」だったという歴史観が披瀝されている。 ポーランド生まれの法王はナチスドイツ占領下に神学校で密かにキリスト教を学んだ。本ではその前後を回 想。ナチスの後、ソ連に母国が支配された時「はっきり判ったのは共産主義はナチズムより長続きするだろ うという事。然しどれくらい続くかは予想困難だった」と感じたという。 又「考えさせられる事はこの悪(共産主義)が世界と人類にとって或る意味、必要だった事だ。或る状況で は悪が何か有用な形で姿を現す。つまり善の(現れる)好機を生むからだ」としている。 哲学者と対話したのは共産主義諸国が崩壊してまだ間もない時期。イタリアの有力紙は「(激動から)距離 をおき冷静になる為に10年が必要だったのだろう」と説明している。 出版元はリッツォーリ社。バチカンの広報官によると既に各国の出版社から翻訳の申し込みが届いていると いう。
ほかのカトリックすれでの繰り返しですが・・・ 50歳にもうすぐの若輩ものですが、子供の頃のラテン語のごミサの 荘厳さが懐かしくてたまりません。第2バチカン公会議の確か典礼憲章には、 キリエ、グロリア、クレド、パーテルノステルなど主要な祈りはラテン語で するようにとの勧告があったと記憶します。しかし、公会議以降、日本の司教団は このことを知りながら無視するかのように、グレゴリオ聖歌やカトリック聖歌の 旋律は年を追うごとに減少し、ごミサの現地語化が推し進められていきました。 ごミサでの共通言語であったラテン語は意図的に捨て去られていったように思います。 その結果は、バベルの塔の崩壊にも似た混乱・混迷で、現在も混乱の度を増していると 思います。作曲家による新しい聖歌やフォークミサ、政治に関わる説教、他国の 政治に関わる説教、カトリック新聞におけるローマへの批判の数々、靖国神社問題への 聖職者の深入り等々これらのおかげで、私は日本の教会がローマの教皇様の意向とは全く 正反対の方向、分裂へ向けてひた走っていると感じるようになりました。 キリストがお建てになった教会を、先進国の司教団、特に日本の司教団は世俗的なものに 貶めてしまっています。 私はふつうのカトリック信者です。私が教会に求めるものは、司祭の政治演説でもなく、 けたたましい音楽でもなく、浮き世の垢を少しなりとも落とし、御言葉に耳を傾け、 自分が罪人であることを再認識し、そのために救霊を願い、心静かに祈ること、告解の秘跡、 聖体の秘跡に与ること、これに尽きます。現教皇様、歴代の教皇様の回勅 や使徒的勧告、カテキズム、教父や聖人方の教えが今の私の心の拠り所です。 ローマに忠実でない聖職者の妄説にはいい加減飽き飽きしているのです。 そのような人々の改心をお祈りしてはいますが・・・
>>464 司祭の政治演説なんて、ミサの説教では皆無ですけどね、うちの教区。
あなたがほんとうにあの時代にいたのなら、質問します。 おきよめの祝日に聖ブラジオの祝別してもらったことがありますか。
467 :
名無しさん@3周年 :04/11/09 18:55:49 ID:RlTCbpuN
司祭が二本の蝋燭を十字に組んで病める人の喉にあてがいつつ もう一方の片手で祝福を与える。 「願わくは聖ブラジオ司教殉教者の代願により、 主が汝を喉その他の禍より救い給わん事を聖父と聖子と聖霊との聖名によりて。アーメン」
昨今じゃ珍しいけど昔ながらの事が好きな司祭が今でもしてくれますよ。 一人しかしらないけど他にしてくれる司祭今でもいるのかな?
469 :
名無しさん@3周年 :04/11/10 00:52:50 ID:eHkJOk9c
あげ足とるようでもうしわけないですが、おきよめの祝日と、聖ブラジオの小祝日は1日違いなのですが。 さておき、いまでも長崎の実家では、歯が痛むと聖アポロニアの御名を10回唱えよ、といわれれますが、 これって効いたためしがありません。
疑い出せば2chだけにキリがないですね。 あの時代は大変動の時期でした。堅信は土井大司教様でした。東京教区です。 祭壇を低くするため、内陣の土台をハンマーで崩してたりしてました。 お祈りの面白いのでは失せものの時に、聖アントニオにお祈りするとか、 今でもやってます。海外に行くと、とても懐かしい教会に出会うことがよくあります。 しかし、そう思ってしまうのは、現実逃避に根ざすいけない態度なのかなあ。
典礼聖歌集は嫌い。
472 :
。。。 :04/11/11 16:35:59 ID:16+5w0Ji
高田ていどな作曲者しかいなかったのが日本教会の不幸か、 高田に作曲を頼んだ司教程度しかいなかったのが日本教会の不幸か。
473 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 02:38:19 ID:jT/aFK1r
>>464 54(国語の使用)
しかし、キリスト信者が、ミサ通常文の中で信者に属する部分を、ラテン語でもいっしょにと
なえ、または歌うことができるよう配慮しなければならない。
↑これの事ですか?ところが、こういう事↓も書いてあるんですよ。第二バチカン公会議以前の典
礼が懐かしく、今の典礼では祈れないとの事、心中お察しします。が、それはあくまで「好み」
の話しです。司教団とあなた、どちらが正しいかと言えば残念ながら司教団なんです。36条3項
で司教の典礼言語に関する決定は決定前にローマの承認を得る必要がない事が明記されています。
それだけ強い権限をローマによって与えられているのです。もちろん司教が違法な事をやってい
る場合に使徒座に告発するシステムはありますが、その根拠を持たずに司教団を批判する場合、あ
なたが「ローマに忠実でない」人になる危険がありますよ。
36(典礼言語)
§3 このような規準が遵守されたうえ、第22条第2項にいう地域所轄の教会権限所持者は、必
要な場合には同一言語を用いる隣接地域の司教と協議し、国語の使用とその方法について定める権
限を持つ。この場合に、その決定を使徒座が認証、すなわち確認する。
22(典礼の規制権)
§2 法によって与えられた権能によって、典礼に関することの規制権は、一定の地域内において
は、合法的に構成された種々の地域所轄司教団にも属する。
>>473 ( ゜д゜)ハア?
( ゜д゜)ハア?
( ゜д゜)ハア?
( ゜д゜)ハア?
( ゜д゜)ハア?
475 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 03:03:19 ID:+nD0Wrot
>>473 まあ、そんなに硬いことをいわなくてもいいと思います。
ある程度は、典礼方式にラテン語と現行形式の並存を認めることが前提と
なってミサの充実感が信徒それぞれにとって向上するというのであれば
それもいいのでは?
自分は、ラテン語にも現行にも典礼には多少の疑問を持っています。
色々な面で聖書や聖伝と矛盾した説明があるのではないかと思っている
部分があるのです。そのことは、今は横に置いておいて信仰の形態に
ついて信徒各自が意見を言うことに対して日本司教団を代表して反論
するような書き込みはここでする必要なんか無いじゃない?なんて
やり取りを拝見しつつ思いました。
476 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 03:18:14 ID:jT/aFK1r
自分は国語派ですが、ラテン語でも日本語でも構いませんよ。ただこの前カトリックアクションの 司教荘厳ミサに出席し、個人的には「もうラテン語はいいや」と思いましたが、色々なミサがあっ て良いと思っています。むしろ「あるべきだ」とも思うくらいです。10人いれば10通りの好みが あるし、嫌いなスタイルや合わないスタイルで祈れるものではないでしょう? 自分は司教団を代表して言ったつもりもありませんよ。自分は司教じゃありませんから。合法なス タイルを否定する意見に対して、多様性の根拠を示しただけのつもりですが。
477 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 03:35:27 ID:+nD0Wrot
>>476 >>464 さんは、ラテン語のグレゴリオ聖歌で神を賛美する祈り、四部合唱
歌ミサの醍醐味を知っていて郷愁のような感に包まれているだけでしょう。
ギターとタンバリンで「せーかいのみんなー兄弟さー♪」と歌うのにちょっと
戸惑いと気恥ずかしさと軽さを感じて馴染めないだけなのかもしれません。
合法な典礼スタイルに対して適切な知識を提示することは必要でしょう。
しかし、カトリックの過去の典礼を間違いであるかのように否定する必要も
サラサラ無いのだと自分は考えます。
『なぜなら、キリスト者たちの信仰は、およひ個人的な企てではなく、
はじめにイエススを信じた弟子たち、彼らの跡を継ぐ信徒たち、世界中の
普遍的な教会をなしている「神の民」の信仰に自分の心を合わせるという
こと』(ペトロ・メネシェギ)でしょうからね。過去を深めることにおいて
現在を共有するという姿勢は、今のカトリックに必要かもしれないと自分は
個人的に思っています。
478 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 03:45:35 ID:VRN7O+bg
奄美民謡の節みたいなのをやって欲しい。何か凄そう。
ギターとタンバリン だって・・・。 ( ´,_ゝ`)プッ
480 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 03:56:36 ID:jT/aFK1r
>>477 おっしゃる通りだと思います。もし過去の典礼を否定するような意見に取られたなら、それは自分
の文章力の無さが原因です。自分は合法な全ての典礼スタイルを否定するつもりはありませんし、
カトリックであるならそれらを否定する事はできないでしょう。
典礼行為や典礼音楽は心と密接に関わるものなので、あるスタイルを考える時に個人的な好き嫌い
は価値判断基準に非常に大きな影響を与えるものだと思います。だからこそ、まず最初に肯定して
からの議論でなければ、排斥し合うだけのものになってしまう。それは非常に良くない事だと思い
ます。
481 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 08:50:01 ID:gTxVXdlU
「アーメン、ハレルヤ」しかないよ。
補足、「アーメン、ハレルヤ」は正直、気まずいものがある。 しかし、さも楽しそうな顔でニコニコ、 アーアーメン、ハレールヤー♪ とみんなにあわせて 歌うのも一つの試練だと思っている。
>>473 でも、前者は「しなければならない」だよ。
ちょっとバランスを欠いちゃいないかい?
484 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 13:34:38 ID:+ZuBGDfl
>>473 そうなんですよ。基本はラテン語なんです。あくまで国語は「使ってよい」というだけの話しなん
です。しかし裁治権者にも相当の権限が与えられている。つまり「現場の判断」も重視してるんで
しょう。「土着化したらまずいが、工夫無しに行うのもいかん」という所なのでしょうか?
ただ、まぁ現状ラテン語派は少数派でしょうね。個人的には東京で言えば麹町、神田、吉祥寺、赤
羽等、交通の便が良く比較的信徒数も多い教会で、少なくとも輪番でラテン語ミサを行い、毎週ど
こかで必ずラテン語ミサが行われる環境を作ればいいのにな、と思ったりします。自分は絶対行き
ませんが。
485 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 13:37:39 ID:+ZuBGDfl
486 :
St. Ondorya ◆WWkTvYxtEs :04/11/12 13:53:58 ID:7iOW3Vbo
>>484 一箇所知ってるわよ。東京でラテン語ミサしてるとこ。
ピオ会じゃなくて、カトリックのお御堂でしてるとこ。
いわないけど。
でも、神父様はラテン語になれてないせいか、へた。
ときどき、聞いてられないときがある。
それに、対面でやってもなんとなく違和感を感じる。
487 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 21:29:12 ID:j9crveCk
今の教会に教義と規律の間に困難を抱えているのは事実。 ただし分裂をもたらすほどの物ではない。
>>487 高松教区じゃ一部信徒がネオカテ式のミサを嫌がってなかった?
489 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 23:35:28 ID:wA3a1Nw7
>476 人間の脳は言語情報を得るとき、8割以上は声の調子とか身振りとか、 言葉の意味以外のものから得るようにできてるから、 言葉の意味云々て実は2割程度の価値しかないんだよ。 奉献文を日本語に翻訳するよりも、 幼稚園児に分かる程度の意味の歌を歌うよりも、 ラテン語で荘厳で神秘的なメロディを歌い、 神聖な雰囲気で壁面式に作った祭壇の上で、 いかにも恭しく厳粛な所作で聖変化の祈りを捧げる方が、 よっぽど「意味」が伝わると思うが。 それに、「意味」を言葉で伝えたければ、 ミサそのものを意味の分かる言葉で執り行うより、 司祭が説教のときに教えるとか、 教会学校や洗礼志願者の勉強会で教えるとか、 ほかにもっといいやり方があるんじゃないの?
490 :
名無しさん@3周年 :04/11/12 23:37:42 ID:dJAYs7oi
ラテン語のミサは出たことがないが、ベネでラテン語でグレゴリアンを歌ったことはある。 ベネの聖体の祝福は、これまたいいもんだが、やってるところって、もうないのかな? ベネ(ディクション)は聖体賛美式よりも、聖体降福式のイメージのほうが強いな。
491 :
名無しさん@3周年 :04/11/13 01:30:21 ID:lk4Xxwxo
>>489 へぇ、そうなんですか?知らなかった。でもたった2割でも重要じゃないですか。結局分からない
から奉献文の間にロザリオ唱えたりする人がいたんでしょ?ま、日本語で唱えても上の空なら同じ
ですけど。ミサは儀式であると同時に食卓ですから、あまり儀式の面だけが一人歩きするのは良く
ないと思います。逆を考えれば食卓の面だけ強調した場合、居酒屋でミサしたり、鍋をつつきなが
らミサしたり…、という所まで行き着くかどうかは分かりませんが、やっぱりバランスが悪くなる。
程度の差はあれ、両者のバランスを保つ事は大切だと思います。
教会学校をもっと徹底した方がいいっていうのは賛成ですね。自分が小さい頃(と言っても20年く
らい前)行ってた教会は毎週教会学校終わった後にベネディクション(グレゴリオ付き)とお告げ
の祈り唱えてましたよ。その頃はそれが当たり前だったけど、小学生がタントゥムエルゴ歌えるん
だから、今思えばずいぶん恐ろしい教会だった。近頃そこまで気合い入った日曜学校はお目にかか
りませんね。
そういえばトリエント公会議で背面式が決定された神学的根拠って何なんですか?
492 :
くしこ :04/11/13 01:31:44 ID:vynZVVYT
正教みたいに旧典礼の日本語化をすれば良かったのにね。。。 きっといいものが出来ると思うんだけどな。。。 今からでも遅くないと思うから、そういうのも許されるようになればいいのに。 聖歌も今のものより昔のものの方が音楽的にも格段にいいのは事実だし、 このストレス社会への福音宣教にはより良いと思うんだけどなぁ。。。 建物や祭壇だって、昔のものの方安らぎがあっていいしね。。。 プロテスタントみたいな対面式もいいかもしれないけど、 昔の背面式の何が悪いんだろうね? 良く背面式が悪いというような言い方をする人もいるみたいなんだけど、 私にはそこのところがどうも理解出来なかったからね。。。
>>492 背面式と対面式の決定的な違いは
それが生贄の儀式を模するか食卓を模するかの違いでね?
対面式は聖福音の イエスの食卓の場 の再現の色が濃い
背面式は旧約の時代から続く 神へのささげモノ の儀式性が強い
後者では司祭は会衆と同じく 神に向き合い祈る人 という色が濃くなるが
前者では イエスその人 と司祭の役割が重なるために
皮肉にも司祭の地位が高まったように見えるな
司祭のカリスマが却って重視されてしまったような観はあるのかもな
誰それが人気の神父とかいう話はよく聞くな
背面式だと誰がやっていてもたいしてよく分からんので違いもない
声がでかいかとか 歌が下手かくらいはあるかもしれないが
何をやってるのかはマジに分からんから退屈だ
その代わり昔のは祭壇がごちゃごちゃしてるので眼のやり場はあっただろうな
礼拝堂が沢山ついてる教会だと そこで勝手に祈ってるのとかいるだろうし
もっと信徒も自由にうろうろしていただろうが 今より行儀は悪かったかもしれない
俺は対面式の世代だからこれに慣れちゃってるんで
今更 背面式を とはいわんが
ミサは お食事会 的理解にはどうも馴染まん
>>492 日本語も 音はきれいなんだが
それは文語によって成り立つな
韻を踏む音声 というモノがある
和歌や俳句をたしなむ民族だからその辺りの効用は分かろうモノだが
昨今の 口語の訳は 詩や謡をたしなむ感性も感じないのが残念だ
唱えづらい
祈りの文は詩だ
意味だけわかりゃいいというものでもない
皆が唱える文を作るというのは 文化を創ること だという自覚がほしいトコロだ
ラテン語の歌やらなんやらは少なくとも何世紀にも渡って練られ淘汰された末の結果
それだけにそれなりに洗練されているのは当たり前だろう
その遺産を捨てるのは もったいない
>>491 言葉を理解できない人間でも
身振りや手振り
視覚的なもの
音的なこと
それは理解できる
つまり 普遍の言語の可能性もそこにある
頭で理解しなければならない言葉では受け取り手も限定される側面もある
子供は子供なりにミサの意義を体で覚えるし
障害のある人も 同様に 体で感じるナニかを知る
496 :
名無しさん@3周年 :04/11/13 05:57:43 ID:lk4Xxwxo
>>495 それだったら別に日本語でもいいんじゃないですか?限定された受取手でない人は体で感じればい
いわけだし。無理して全員が分からない言語を使う必要はないですよね。ラテン語やグレゴリオ聖
歌が首位に立つ理由って何なんですか?やっぱ伝統ですかね?
そういえば典礼憲章で笑っちゃうのはパイプオルガンの項目。自分は自称オルガニストなんですが、
最初は単に「音がでかいから」って理由だけで教会に持ち込まれたパイプオルガンがいつの間にか
「心を神と天上のものへと高く掲げる伝統楽器」になってしまった。国語も最初は「みんなが分か
るから」っていう理由だけで持ち込まれたけど、後1000年もすれば「自国語こそ心を神と天上の
ものへと高く掲げる言語」になってるかも知れませんよ。
497 :
名無しさん@3周年 :04/11/13 09:11:33 ID:ereg+k5F
対面も、背面もなにもそもそもミサ聖祭そのものの存続が危ういわけで(涙) 共同司牧でなんとかしのいでいるが、いずれはそれも破綻するのは目に見えている。 俺はそんななか、守門が復活するのではないのかと見ているが。
498 :
名無しさん@3周年 :04/11/13 12:37:22 ID:/EBzS5L7
典礼でラテン語使用は全員排除という論理を唱える者がいるが、ラテン語の素養が無くたって 固有名詞くらい何度か聞けば解かるよ。完璧に理解出来ないと駄目ってんなら乳幼児や外国人 を自国語ミサから排除しろという話になる。万人司祭じゃあるまいし。 旧ミサで小声で奉献文を唱えるのって、ペトロの悔悛の反復なんだから、自然に小さい声になるわなw 主の御前に出る時に、堂々とでかい声張り上げて「私は罪を犯した!」なんて振舞う奴はいないだろ。
499 :
名無しさん@3周年 :04/11/13 13:46:15 ID:waxzqxXK
ずいぶんトリエント形式が好きな人が多いけど、トリエント公会議ってたかだか400年前の話だよ ね。トリエント形式が好きな事は全然否定しないけど、古いのが好きならもっといっぱいあるんじ ゃない?元は13人で寝っころがって食事してたのが始まりなんだから。キリスト教が発展する過程 で色々形を変えて来たミサがたまたま400年前に背面式に決定されただけで、時代の流れと共に形 が変わってくのも伝統と言えば伝統なんだけど。言語だって最初はアラマイ語だったのが、ローマ 帝国の中で発展する時に公用語でみんなが分かるにラテン語になったんだから、世界中に広まる段 階で各国の言葉になるのも今まで通りの事だと思うけど?アラマイ語がラテン語になるのは良くて ラテン語が各国語になるのはダメなのは何でだろう?
500 :
489 :04/11/13 14:01:58 ID:u2gkKpjo
>491 2割を分からせるために8割を切って捨てたら結局理解度は4分の1。 それじゃあ本末転倒じゃない。 分からないから奉献文の間にロザリオ云々は、 ミサがラテン語だから悪いんじゃなくて、 説教や教会学校できちんと教えないから悪いと考えたほうが 正鵠を得ていると思いません? それから、ミサは儀式であり食卓だとおっしゃいますが、 ミサが食卓であるのはあくまでも儀式の一環として。 子羊を殺していけにえに捧げ、それを焼いてみんなで食べたのをやめて、 その代わりにキリストをいけにえに捧げてみんなで食べてるんだから。 結局、説得力の問題なんだよ。 卑近な例で申し訳ないが、 営業マンのプレゼンみたいな口調で 「私はあなたが好きだ。その理由は、第一に‥‥第二に‥‥」 みたいにいわれるより、 じっと見つめられて、いかにも愛情のこもったしぐさと口調で 「te amo」 とかいわれたほうが、より説得力を感じない?
judicare vivos et mortuos といわれてもぽかーんだが ただ聖体拝領という訳語はラテン語の原義とニュアンスが違うと昔ラテン語の購読授業で教わった記憶あり。 母語による教義変節は問題デース、といってたイエズス会助教授、元気かなぁ。
>>496 俺は日本語典礼は否定していないYO!
8割部分の効果について書いてるだけだ
グレゴリオやラテン語の効果については別に書いている
現地語のミサはいいと思われ
俺だってそれになれているし今更 式文が全部ラテン語 もな 困る
ケド ラテン語曲を一切典礼からなくして
こなれていない詩のダサい曲ばかり押し付ける日本の典礼の風潮はどうかね
典礼聖歌集も酷い曲が多いのでそれは淘汰されるとイイ!
ラテン語曲も定型の文など キリエ ベネディクトゥス サンクトゥス アニュエスディ
などタマに取り入れてもいいんでないか?
どういう意味かは対訳もあるわけで それくらい見当つくだろ
トリエント以前はミサの形式はわりと自由だった
ラテン語も現地語も使うというのでもいいと思われ
(・∀・) ◆.IjycOFqtg さん。お久しぶりです。
>>494 > 祈りの文は詩だ
> 意味だけわかりゃいいというものでもない
全くその通り!はげしく同意。口語で意味が解る事が最重要みたいな論調には
ため息が出てしまふ…
504 :
名無しさん@3周年 :04/11/13 17:40:20 ID:waxzqxXK
>>500 >>502 う〜ん、おっしゃる事はもっとも。まさに正論だと思います。ただ、好みとしては自分は高田氏を
尊敬しているし、新垣先生の曲も好きです。グレゴリオ聖歌やパレストリーナよりも。ラテン語よ
り日本語が好きです。そして「ミサは食卓であり儀式である」という考えも捨てるつもりはありま
せん。
どうしてもラテン語でミサをやりたがる人たちの気持ちがわからない。結局好みの問題ですから、
ピーマン好きになるまではピーマン好きな人の気持ちが分からないのと同じかも知れません。でも
色々な考えの人がお互いの意見を尊重し合い、それが新しい典礼を作る原動力になれれば、日本の
教会はきっと素晴らしい典礼を手に入れる事ができると思います。
高田三郎氏はいい作曲家ですね。合唱曲「水のいのち」とか良かった。 「イザヤの預言」は「?」だったですが。 まぁ私は部外者だし、日本正教会は良い翻訳文持っているから、いいや。 これにて退散。お邪魔しました。お招き頂けばまたお邪魔します…。
だから、ラテン語わからなかったら、訳したテキスト配って補えばいいだけの話なんで、 排除する理由にはならないよ。 特に多民族で集うようなミサはラテン語でやるべきだね。
>>504 逆も成り立つよ
どうしてもあのダサい典礼聖歌集をミサに使いたがる人たちの気持ちが分からない
というシトもいるだろ
日本語曲なら 昔の聖歌もあるのにな
それは最近ほとんど使われない
ケキョーク好みの問題のはずだが
何故か 典礼聖歌集のみを用いる場面が増え
ラテン語の歌を歌いたいと願う人が無視されているような
またそれをいうコトは 保守的 のレッテルを貼られる
そういう風潮が現実の今の日本のカトリックの現状
現実の教会では
>>504 タソの好みの世界の全体主義が教会を支配してるダロ
機会を奪われているのはラテン語曲を歌いたいとしてる人々だ
新しいばかりに目を向けるといずれ枯渇する 現代の病理だな
オリジナルを求め続ければ永遠に前を否定していくことになる つまり永久革命だ
過去の模倣を繰り返しながら
実質的には新しいものを作り続けてきたのがカトリックの歴史だケドな
しかし この日本では なぜか文化大革命が行われている
過去のものはなかったがごとく変容しているのが現実だろ
俺がガキのころに知っていたものがいまや跡形もない
色々な人の意見を というなら
寧ろ過去の遺産がなくなりすぎている現状に目を向けろ
>>505 正教会の訳は国学者が携わっているからね
現代ではカナーリ意味不明な式文もあるけど
頑として守っているな
ぜひこれからも守っていってほしいYO!
訳文は日本語の美しさに精通してるシトがやらないとな
高田三郎氏の曲にはいい曲もあるし駄作もある
どんな音楽家でもその宿命は免れ得ないだろ
モーツァルトなみのよっぽどの天才でない限り
一生に3〜4曲でも歴史に残ればそれだけでもすごいYO!
モーツアルトですらミサ曲に使えるものには限りあるだろーし
駄作は淘汰したほうがいいYO!
典礼聖歌集には日本語として酷いのとかもあるしな
509 :
名無しさん@3周年 :04/11/13 21:22:39 ID:waxzqxXK
>>507 いや、自分がピーマン嫌いなだけだから。自分が嫌いな物を好きな人の事はなかなか理解できませ
んよね、って例えでしてね。別にピーマンが悪いとかピーマン好きだから狂ってるとか言うわけで
はないんですよ。
どんな形になれ、結局進んで行くしかないでしょう。ぐるっと回ってトリエント典礼に行き着くな
らそれでも良いが、もう後戻りはできないじゃないですか。だからその方向性を決める為に色々な
人の色々な意見を尊重し合いながら考え合いましょう、って事ですよ。もしピーマンが不愉快な表
現ならごめなさいね。自分は本当にダメなんですよ、ピーマン。
モーツアルトの音楽にははずれがない。 どんな小曲でも完全な調和がある。
511 :
くしこ :04/11/13 21:29:14 ID:vynZVVYT
>>493 うん、だから否定の見解になるのが理解出来なかった。
>>494 どうせなら「大和言葉」使ってみてもいいかもね。。。
それは士族の言葉に過ぎないからさ。。。
もうほとんど死語と化したけどさ。。。
こっちの方がキリスト教には合ってるっぽい。全てが調和してるから。。。
512 :
くしこ :04/11/13 21:38:20 ID:vynZVVYT
>>508 ゴメソ。それは漢学かも。。。
国学は復古神道あるいは新興神道の一派だからさ。。。
>>509 ぐるっと回ってトリエントなんてありえね
それよりゼロかイチかしかないように考える思考をなんとか汁
俺がいつ トリエントがいい
それに戻るべき だなんていったYO!
ここでラテン語がいいといってるヤシも
そこまでは言ってないだろ
トリエント以前は何でもアリだった
中世という 暗黒時代 と呼ばれた時代は実は自由だったんだYO!
全体主義的になったのは近代で
現代も 現代 新しい という名のもとの全体主義が起きている
つまーり
あんたのようにゼロイチで考える思考がそうさせるんだ
それに気づけってこった
ラテン語を好きになるならのないの問題ではねーよ
多様な価値のうちの一つが奪われている現実の話だろ
>>511 背面式が排除された理由は俺もよくワカンネ
ただミサの神学意的意味の違いで色々ある
俺は背面式というのは昔経験したけケド
対面式に長く馴染んでるからな
どっちかというと対面式がイイけどね
聖公会じゃ未だに背面式をやってるところもあるらしい
どうもここでラテン語に反対してるヤシのミサの神学的意味を読むと
どちらかというと聖公会のブロードチャーチも通り越して
かなりローチャーチ的な考え方だな
ケキョーク プロテスタントに歩み寄りすぎて自己の個性を失ったといってもいいだろう
ミサの根本的なコトだけは 保守とラジカルの中間であるのがイイと思うんだけどね
だから瑣末なことでも外れないような配慮は必要だろ
枝葉である楽曲の選択とかは 今風のでも 高田でも グレゴリアンチャントでも なんでもイイ
ま 教会外の社会では グレゴリアンのほうが評価されるだろうケドね
ノンクリでもチャントが聞きたいというヤシは結構いる
反対に今風のを聞かせるとダサいといわれる これは(´・ω・`) ショボーンだぞ
まず個人的見解を述べるならば、典礼様式には信者の気を散らせるようなどんな要素も持ち込むべきでないと考える。 また典礼は教義ではなく規律の問題だから、信者にとって司教の合法的な決定は、それが例え不賢明なものであっても 反抗することは是認されない(従順は救霊の近道である)。
516 :
nanasi :04/11/14 00:08:56 ID:UbqO8+qQ
ここのレスをみて感じたこと!あんたら教会にいってないだろ!知識としての典礼かいな。むなしいねぇ。くだらないよ。グレゴリアンをどうのって・・・ラテン語で会話してんのかあんたらは。祈れるの??ラテン語で??おろかだねぇ。
517 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 02:42:58 ID:cgGiPfkr
>>513 どうも言葉尻ばかりとらえられるの残念です。自分の意見がどうゼロイチなのか全体主義なのか。
仮に自分の意見が全体主義で悪い、というなら、それは規範版を出してくるローマに問題があるん
じゃないですか?だって規範版があるからそれにならえ、なわけだから。そりゃ規範版がなければ
好き勝手できますよね?そういう事ですか?
518 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 06:56:09 ID:J4WPMVrK
信徒お互いの愛が、第一に優先されるということを除いては典礼の是非や 可否を問うことは問題かもしれません。典礼は、ラテン語であるべきか自国語 であるべきかという論争は不毛でしょう。また、ラテン語典礼についての 意見はともかく、カトリックはもうラテン語を使用してはおらず、過去のもの として処理されているかのような意見を述べるのは間違っています。洗礼の 台帳はラテン語で記されているのを自分は自分の洗礼のことについて司祭に 問い合わせた際に見て知っています。ラテン語などおくびにも出されたことの ないその司祭がラテン語で洗礼台帳の記述を行っていたことを知ったときには 自分も驚いたものでした。ある程度カトリックではラテン語が伝統であり、 また重要な公文書や洗礼台帳などの記載の際にはその言葉を使用していると いうのは現在にあっても厳然たる事実であると思います。
519 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 06:57:33 ID:J4WPMVrK
段落前に一字空白を入れても反映されない?テストします。 あ い う え お あ い う え お
520 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 07:22:49 ID:J4WPMVrK
気のせいでした、書き込み反映までのプロセスで意図的な操作が
挿入されているのかもしれません。では
>>518 の書き込みの続きです。
問題は、自分には典礼の内容が聖書や聖伝とは違う面があったり、
ラテン語典礼の時代に様々な問題が内部に起こって混乱していたこと
なのではないでしょうか?端的に例を挙げるとすれば、ラテン語の
「また司祭と共に」は「Et cum spiritu tuo.」ですが、直訳すれば
「またあなたの精神と共に」となるでしょう。ヴルガタ訳聖書から
中世のドゥエイ聖書が英訳された時、聖霊はHoly Ghostと訳されて
いました。これは、1900年前後にケンブリッジから出版された聖書
でも欽定訳でもカトリックの有名なノックス司祭の訳においても
同様でした。ラテン語Spirituは、英語でSpiritとするべきかGhostと
訳すべきかということは置いておいて、一つの危険な情報の中には
秘密結社の聖書に対する訳語変更の陰謀とSpiritという用語が密接で
あるということが非常に重要な問題なのです。悪魔、所謂黙示録に
出てくる龍(ヒドラ)の霊を「聖霊」と呼ぶ者たちが英訳ではSpiritを
その「聖霊」と捉えている情報があります。この情報を元にラテン語の
「霊」について考えると、spiritを自然にラテン語に変換した際の言葉
がSpiritusになるとするのが正常な感覚であるとするならば、カトリック
が伝統的にラテン語を使用するようになって以来「聖霊」と考えて崇拝
してきた聖霊が、実は秘密結社の悪魔を意味する霊と同じ性質のもので
あったと推論せざるを得ません。この辺りが、ラテン語によるミサの
実質に対して警戒心を起こす部分の一つであろうと自分は考えます。
521 :
518.520 :04/11/14 07:27:07 ID:J4WPMVrK
>>518 >>520 は、主述の関係が乱れていたり、係り受けがおかしかったり
乱文で申し訳ありませんでした。
522 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 08:05:16 ID:J4WPMVrK
第二バチカン公会議以降のカトリックの変化にも注意すべき点が 幾つもあると思いますが、聖霊の言葉が特に英語圏ではSpiritに定着 している中で聖書学習やミサ典礼に利用されていることの霊的な危険 が一つあると思います。 もう一つは、カトリックがマリア教になってしまい、キリスト教の 体裁が崩れ、聖書の負の側面、あるいは間違ったものとして警告され ている側面について実現している事柄が多くなっているということの 危険があると思います。日本で最初に枢機卿となった故土井枢機卿が 司教の時に認可したフェデリコ・バルバロ司祭翻訳の「毎日のミサ典書」 P1011下段:洗者ヨハネ解説中やパウロ会の池田敏雄司祭がお書きになった 「教会の聖人たち」上巻P391上段L2-6などでは、洗者ヨハネが原罪の 穢れを免れていた旨明記されていたものでしたが、これらの説明は カトリックの伝統や教義について明確化したものではないようです。 つまり、マリアのみがピオ九世教皇によって無原罪を宣言されています (カトリック教会のカテキズム:P119-120項目411注の307参照)が、これ まで日本では公式教義を超えた説明が繰り返されてきてこのマリアのみ の無原罪教義という問題について信徒にも聖職者間にも問題意識を持たせ ないようにされていたと言えるでしょう。 ラテン語現行典礼に共通して典礼についての問題があるとすれば、 その一つに聖金曜日の「十字架礼拝」が挙げられます(典礼聖歌332番 カトリック聖歌集510番「Ec-ce lignum crucis,」など参照のこと)。 「十字架の木」が礼拝対象として敬われ祭壇前の十字架に行列をなして 礼拝されることは、イザヤ書などで警告の対象とされている偶像崇拝 かもしれません。 ●イザヤ書44章13−20節 引用割愛 ●イザヤ書45章20節 《国々から逃れてきた者は集まって 共に近づいて来るがよい。偶像が 木にすぎないことも知らずに担ぎ 救う力のない神に祈る者》etc.
523 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 08:33:04 ID:J4WPMVrK
カトリックの典礼の混乱は4世紀ころからすでに起こっていたのでは ないかと自分は考えています。一つは聖書の中で、フィリア、フィラデル フィア、フィランスルピア、などの「愛」以上に大切なアガペーという 「愛」が「愛餐」の意味を付されて固有名詞とされた挙句に、その意味での アガペーが宗教的会食として機能しなくなり禁止されてついには忘れられる という事態が起こっているのです。愛を教えるギリシャ語新約聖書の表記の 中でアガペーに関係する「愛」ほど重要な語彙はないのにも関わらず、まるで 「愛」はカリスであるかのようにカトリックでは慈善とか施しに通じる恵み のような意味で新約聖書中用いられる「カリス」を「愛」の中心的意味合い として説明してきているように思います。たとえば「信徒使徒職に関する 教令」の8(愛のわざ)などの説明では、アガペを愛の実質と捉えるよりも 『愛さん(アガペ)』と記し、『慈善事業やあらゆる窮乏を和らげる相互扶助の 仕事』などに関係する「カリス」を愛の説明の中で実質的中心に据え、本来の 意味合いにおけるアガペーについては、「愛さん」という別の固有の意味を 与えられた上で愛のわざの本筋から巧妙に退けられている。愛に至る道を 巧妙に隠しつつ愛は大切だという説明がなされているような印象を受けるので 読んでいて気持ちが悪いものなのだが、この問題は調べると4世紀に遡るので ある。冒頭に述べたように397年カルタゴ公会議によって宗教的会食としての 意味を付されたアガペーは禁止され、8世紀にはこの習慣はまったく廃れ、 第二次バチカン公会議を経て用語用法的には聖書的に誤りのまま再度クロー ズアップされたといういわくつきの単語なのである。 乱文失礼!
524 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 08:36:27 ID:J4WPMVrK
少し疲れたので一休みします。乱文は、今のところはご容赦ください。 意味の取れない文面があれば「こういう理解でよいか?」的な質問で こちらに確認してください。では、ごきげんよう。
>568 プロテスタントさん、乙。 十字架礼拝はバチ2以前、ちゅうか、古カトリック時代からありますわん。 カトリックの「礼拝」にいつでも遊びにきてください。 十字架礼拝の心情は、ユデア人の十戒石に対する心情態度と同じです。こう書けばわかるかなぁ。
あほらしくていちいち揚げ足とんのもなんなんですが、ミサは新約におけるパン割きであり、愛餐とは別。愛餐は、さてコイネーではなんといいましたっけ?(w spiritusについてはあんたそれ冒涜だよ。 無原罪教義については、マリア教って、それはイエズスが何者かを否定することでしょ。 いずれにせよ、このような浅薄な知識でいざ質問を、といわれてもねぇ。なんだか。
527 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 14:24:26 ID:F3469r1L
確かにラテン語の典礼とか自国語による典礼とかを云々することは差ほど重要ではありませんが、第ニヴァチカン公会議ではラテン語の典礼の横に夫々の国語を添えるよう指示があったのですが、次第にラテン語が省かれて行った経緯があるようです。
528 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 15:47:00 ID:gnaxblSW
>>516 >>527 確かに結局やってることは同じですから重要ではないと言えば重要ではないですね。でも現実問題
として、国語主流の流れの中でラテン語をどう残すべきか、はまだまだ考える余地があると思いま
せん?首位ラテン語、国語はその次、という姿勢は、憲章にある以上変えてはいけないと思います
が、どうもそうは行っていないようですし。ましてお互いを排斥し合うような意見を聞くと、一致
はどこに?と思います。私は国語ミサの中で生まれ育ってますからラテン語なくなっても全然構い
ませんが、それだと困る方もそれなりにいらっしゃるようなので。最終的に混ざり合う事は無理か
も知れませんが、お互いにそっぽを向いてるのではなく、歩み寄るような姿勢が日本の教会(東京
教区しか知りませんが)にはもう少し必要のような気がします。
幼児洗礼だった自分の感覚では、信仰ってまず「型」から入っていったような気が しています。天にまします、めでたし、栄唱、使徒信経を暗記して、初聖体の前に は告解のやり方を教わり、ミサ答えのやり方を教わり、ラテン語の暗記をし・・・ という風にやり方「型」が非常に大きな部分を占めていたと思います。そうであれば、大きく型が変わると、なじみの無い新しい「型」に戸惑っても当たり前かもしれません。 成長して行くにつれ「型は変わっても、カトリックの信仰は昔も今も変わらない」と 考えられるようになり、自分の感じる多少の居心地の悪さは枝葉末節のことと見なし、 40年以上つぶやきながら教会に通い続けています。通い続けるのも一種の型だから でしょうね。私のように古いことを懐かしんだりすると、保守主義者というレッテルを 神父様からはられてしまうのは、悲しいです。けれど、今の典礼で育ってきた信者さん には、今の典礼が「型」になっているのかなあと思ったりしている今日この頃です。
530 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 17:10:06 ID:gnaxblSW
4年ほど日曜学校のリーダーをした経験から言えば、今の親は弱い!自分が子供の頃の記憶を辿る と、日曜学校なんて楽しいものじゃなかった。むしろ仮病使ってでも休みたいくらいのものだった けど、逆らえずに連行された。そして知らず知らずのうちにグレゴリオ聖歌が歌えるようになり、 十字架の道行きを暗記し、色々なものを詰め込まれた。今は?親は信仰教育を日曜学校に任せ切り。 子供は楽しくなきゃ来ない。結果、遊びやゲーム中心の日曜学校になる。それでも子供が教会に来 ないよりはましかな…とか思いつつも、どこかやりがいの無さがあった。子供も「人が話している 時は黙っている」とか、「順番を待つ」という、社会性としては基本的な事が出来ない小学校低学 年が多すぎる。下手したら中学生もそんな感じ。その辺を躾け直す程度の事しか出来なかったなぁ。 もし「子供にきちんとした信仰教育を」と言うなら、親も協力してくれなきゃダメだよ。「騒いだ らひっぱたいていいですから」とか言われると嬉しいが、自分が子供の頃の感覚からすればそんな のは当たり前で、もう一段上の協力をしてくれなきゃ、伝統的な典礼を叩き込むなんて不可能です ね。「子供は本物を見抜く」なんて嘘、嘘。子供は楽しいものに駆け寄るんです。
今の教会学校で尽力されている信者の方々には頭が下がります。私ら親も頑張ります。 私の子供の頃(少なくとも高校まで)は、土曜学校(今で言う教会学校のこと)は神父 様が教えて下さっていました。教会内部でも、信仰教育の柱は神父様でした。信者に とって、神父様が一番身近な信仰教育の先生でした。「先生」などと教会で呼ばれたり した日には、恥ずかしくて逃げ出すような奥ゆかしい信者さんたちが殆どで、まず神父 様を立てていました。 しかし、一部の教会では教会学校を主任司祭が閉鎖してしまいました。率先して子供の 信仰教育に当たらねばならないのは親と神父様なのに、要の神父様がこれでは、将来が 思いやられます。聖パウロじゃないけれど、こぞりて使徒なるか、こぞりて預言者なる か、こぞりて教師なるか・・といわれた、それこそ「百家争鳴」のコリントのような教 会は、現在日本にいっぱいあるのではないかと思います。 ちなみに、子供の頃楽しかったのは、土曜学校での絵めくりで習った、旧約聖書、 土曜学校の後の野球(それだけ多くの信者の子供が教会でたむろしていた)、夏期学校 のおやつの時間、ご復活祭のゆで卵のお絵かき等々いろいろあります。それが楽しかっ たから子供もたくさん来たのでしょう。 典礼の激変時代(60年代後半)に、子供心に感じたことは、今まで一生懸命ラテン語 を覚えてきたのに〜、というがっかりした感情と、ごミサが「軽く」なって、侍者の存 在意義が薄くなった、「侍者がいてもいなくても、別にどーだっていいじゃん」という しらけた感情でしたね。昔は侍者にも上下関係があり、習熟した年長者ほど、格好良い 役割を担っていたものです。たとえば、香炉をもつのは先輩、後輩は香入れ、奉献の時葡萄酒を持つのは格上、水は格下とかいろいろありましたが、格付けが上がる楽しみも あったことは事実です。 長くなるのでこのへんで。
532 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 20:31:33 ID:hmh+XPlQ
>>525 >>526 あなたの発言は、ひょっとしたら
>>518-524 の自分のレスに対してのもの
かもしれませんが、何を言っているのかこちらに伝わってきませんので、
申し訳ありませんがスルーさせていただきます。
>>528-531 まあ、ラテン語が併記された「聖書と典礼」を共用することなどでラテン語
と日本語のミサに繋がりを持たせていくことなどが出来るとは思いますね。
個人的にはそのようなことをしてまでラテン語を典礼に残す必要がないと考え
ますがね。その理由は、イエスとカトリックを敵対視する秘密結社などの
宗教性において彼らの『聖霊』がSpiritという言葉の内意に秘められていた
とすることに対する警戒などなのですが。自分はラテン語の典礼をまったく
否定しませんが
>>477 で「過去を深めることにおいて現在を共有するという
姿勢は、今のカトリックに必要かもしれないと自分は個人的に思っています。」
と書いた意味は、イエスの言葉や聖書にある正しい意味での教会のあり方
においてそれを混沌から引き出し明確にする限りにおいて深めるということ
であって、誤りは殺ぎ落としていく態度も同時に持たなければならないと
考える態度ですから、無制限にラテン語と母国語使用の典礼を現行のあり方に
拡大導入すればよいということは決して申し上げていません。
533 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 22:15:06 ID:gnaxblSW
同じミサの中でやる必要があるかなぁ?例えばある規模以上の教会なら、日曜日に何回もミサがあり ますよね。その中の1回をラテン語でやるとか、教会全体、教区単位ではなく、小教区単位の司牧的 配慮に期待したい所です。私の感覚から言えば、「全能の神が私たちをあわれみ、罪を赦し、永遠の 命に導いて下さいますように、アーメン」「キリ〜エ、エ〜〜〜〜〜〜〜〜エ」と始まるのは?とい う感じかなぁ。ま、アーメンも日本語ではないと言えば日本語ではないのですが。無理して折衷する より分けて共存した方がスマートな感じはします。
>>517 俺は 全部ラテン語に汁 などと言ってないんだが
高田も 典礼聖歌も カトリック聖歌集も ラテン語曲も 全部並列でやればイイ!
とずっと主張してきているわけだが
つまり同じことを主張してきたわけだが
そういう文脈で 何故か トリエントに戻るだ のなんだのという極端なコトいうからだYO!
ピオ会はともかく
単に ラテン語曲も やりたい ラテン語ミサも出てみたい というシトの意見が無視されている現状はどうよ?
も であり だけ ではない
ここのほかのヤシもそうだろ たぶん
違うヤシもたまにいるが
式文に関しては動かせなくとも 国語や 曲の選択は動かせる
日本では現実その自由が奪われてるわけだ
聖歌隊が高田氏や典礼聖歌信奉者に牛耳られているトコが多くて 嘆いているヤシが多い
どうも話を聞くと学閥的なものもあるようだ
カトリック聖歌集がなくなった教会も多い
まるでロシアの記憶省だな
存在そのものが抹消されている
ミサも自国語と ラテン語と やればいいと思われ
折衷は俺もなんか違う気がする
535 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 23:07:26 ID:gnaxblSW
>>534 なぁんだ。同じ事言ってたんですか。全体主義とか言われたから「どこが?」と思って極端な例を
出しましたが。失礼いたしました。
536 :
くしこ :04/11/14 23:18:15 ID:hisGYisk
>>514 私は現役時代はカルー大司教のミサの侍者もした経験もあるんだけどさ、
どっちもいいよ。どっちも大いにやるべきだと思うんだよ。
色んなことをやってみるのはいいことだと思うんだよ。。。
だって、トリエント公会議までは色んな典礼が西方教会にはあったわけだし、
色んな地域の特色のあるものがあってもいいとは思うんだよ。。。
ただし、信者以外の人は今のミサの受けはいまいち。。。
神社仏閣にはない神聖なものに触れたいのに「ない」というんだよね。。。
私は信者以外の人のこの感覚は、案外正しい点もあると思ったよ。
何か、そういうものを保存したままのもので日本的に発展できるものがあれば、
典礼改革は大成功となるとは思うんだけどね。。。
個人的に葬式ミサのオルガン奏者長年やった経験から、
旧ミサの聖歌の方がパイプ・オルガンの音色に合うんだよね。。。
新ミサのは他の楽器の音色が合うしね。。。
537 :
くしこ :04/11/14 23:24:54 ID:hisGYisk
で、やまとことばを基調とする典礼をやってみたら良いと思う。。。 やまとことばはね、当時の日本で全てを調和させる意味を もたせたもの。。。 士族的な言語表現ではない美しさがあるんだよね。。。 って、キリスト教的には異端かな。。。
538 :
くしこ :04/11/14 23:29:25 ID:hisGYisk
というか、闇で考古学ファンの神父さんいっぱいいるんだし。。。 ちょっと考えて欲しいなぁ。。。て。 きっと心が落ち着くようなものが出来ると思うよ。。。 神の神殿たる教会には合うと思うんだけどね。。。
句読点もまともに使えない香具師が大真面目に論じてるのが笑える。
540 :
くしこ :04/11/14 23:34:30 ID:hisGYisk
>>539 マルコによる福音書だったかは、結構へたくそなギリシャ語だったらしいね。。。
541 :
。。。 :04/11/14 23:37:31 ID:TSvuEQl6
フォークミサ最高!
542 :
くしこ :04/11/14 23:40:59 ID:hisGYisk
>>541 確かに、初めてやった時は結構新鮮なイメージがあったね。
でも、何か続けると飽きがくるというのか。。。
楽しんでるのは中年以上のおじ様やギター弾ける人だけと
いうのも感じてね。。。ちなみに私はその時も侍者でございました。。。
543 :
名無しさん@3周年 :04/11/14 23:42:16 ID:AsIM730i
>520 あんた、むちゃくちゃだよ。 英語のpiritの語源がラテン語のspiritusなのに、 英語のほうの用法からラテン語の意味を推測するなんて…… そもそもラテン語のspiritusの語源は「息」という意味で、 そこから息をさせるものというつながりで「魂」という意味になった。 だから、supiritus sanctusは聖なる魂という意味で、 神の魂、息吹のこと。で、「聖霊」となる。 異端者が何を曲解しようと、言葉の本来の意味はこれ。 先にラテン語勉強してから疑問を持ってください
544 :
くしこ :04/11/14 23:44:40 ID:hisGYisk
あれもたまにやる分には刺激あっていいと思う。。。 というか映画の「天使にラブソングを」みたいなミサも やって欲しかったりするかも。。。 でも、あれは歌うまい人がそろわないとダメだしね。。。 私なんてそれ、モロもののけ姫だから無理だね。。。
545 :
。。。 :04/11/14 23:49:24 ID:TSvuEQl6
フォークミサって日本だけでやってんの? 初めてやった人間のセンスはすごいワイ。 deo garatias
546 :
くしこ :04/11/14 23:55:52 ID:hisGYisk
547 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 00:07:24 ID:jrDuw1vt
>>536 パイプオルガンいいですよね。自分も自称オルガニスト。あのオルガン特有のプリンツィパル列の
音とかペダルの低音はなかなか出せるものじゃない。それでね、一つ質問なんですけど、東京カテ
ドラルに新しいオルガン入ったじゃないですか。カテドラルのHPに載ってるんですけど、第一鍵
盤がポジティフで第二鍵盤がグランドオルガンなんですよ。そこまではいいんですけどね、第三鍵
盤がレチタティーボってなってるんですけど、レチタティーボオルガンってなんなのか分かります?
Swellの事をイタリアではレチタティーボって言うのかな?
548 :
くしこ :04/11/15 00:14:08 ID:yU/qmqrx
>>547 ふふふっ、私が弾いてたのはエレクトーンやハモンドだからさ。。。
そう、電子オルガンなわけです。。。
パイプオルガンのことは専門外です。
パイプオルガンの音色に似た音も、
電子オルガンで出せる時代になりましたから。。。
549 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 00:58:39 ID:xlgGonP7
>>543 あなたの意見のほうが、こちらの主張をわかっていないですよ。
ヴルガタといわれるラテン語聖書を底本として、16世紀にドゥエイ聖書
という英訳聖書が発行されています。この聖書はカトリックから英訳聖書
として公認されていたものです。また、同様にヴルガタを底本として
翻訳した新約英訳聖書にカトリックのノックス司祭が訳した聖書が
あります。
【The Knox Translation of the New Testament was first published in
1945 and of the Old Testament (in two volumes , Genesis-Esther
and Job-Machabees) in 1949
This one-volume edition was published in 1955】
上記のカトリック公認英訳聖書、ドウエイ聖書およびノックス訳聖書
においてマタイ28章19節の『聖霊』部分はHoly Ghostと訳されています。
550 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 00:59:53 ID:xlgGonP7
話は変わりますが、欽定訳のここ100年の変遷を見ても聖霊と幽霊の
霊の識別に関して明らかに混乱を見て取れます。このことは、ある信徒
にとっての聖霊が別の信徒にとっては幽霊であり、ある信徒が幽霊だと
思っていることが別の信徒にとっては聖霊であるとして霊の識別に対し
重要な問題が内在することを示しています。
http://bible.gospelcom.net/cgi-bin/bible ★mat 28:19 αγιου πνευματοs(ハギオウ プネウマトス)
◆mat 14:26 mar 6:49 Φαντασμα(ファンタスマ)
King James Version ★Holy Ghost ◆spirit
New King James Version ★Holy Spirit ◆ghost
21st Century King James Version ★Holy Ghost ◆spirit
以上から問題が、旧教新教の別に関わりなくキリスト教界全体の
問題であることを指摘することができるとも言えます。
つまり、こちらの主張はラテン語のspiritusに対して英訳ではSpirit
が正しいのかGhostが正しいのかと二者択一を迫っているのではなく、
ハギオウ プネウマトスと音読みできる新約聖書写本のギリシャ語
「聖霊」やファンタスマと音読みできるおなじく「幽霊」にあたる言葉
をラテン語でSpiritus、また英語でHoly Ghost、Holy Spiritなどに
翻訳することが果たしてその内意と実質に対して忠実かどうか問うべき
であるという問題提起なのです。
>カトリックが伝統的にラテン語を使用するようになって以来「聖霊」と考えて崇拝 >してきた聖霊が、実は秘密結社の悪魔を意味する霊と同じ性質のもので >あったと推論せざるを得ません。 ここでもやってるよこの人。 歴代の教会博士や教父や聖人や教皇の中でそんな主張してる者が一人でもいるか? そもそも言葉の用例、用法は変わりうるものだろ。例えばGhostの意味が時代の変遷と ともに、幽鬼、亡霊のようなニュアンスが強くなってくれば、聖霊の訳語も替えようか? てな話が出てきても全然おかしくない。 あるいはSpiritという言葉が、翻訳時点ではまだ馴染みの無い外来語だった為に、訳者が 現地語のGhostを採用したという可能性も考えられる。 少なくとも聖書訳者が聖霊の訳語を悪意を持ってすりかえたという主張は、何の根拠もない トンデモ仮説だよ。
552 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 01:59:42 ID:iyP5sFYL
未信者だけど、 以前、クリスマスに教会で聞いたグレゴリオ聖歌に感動して、 カトリック教会に通ってるけど、私の教会では典礼聖歌ばかりで、 カトリック聖歌もグレゴリオ聖歌も全く歌われないのでがっかり。 カトリック聖歌はとてもいい歌が多いのに、せめて典礼聖歌 減らしてカトリック聖歌を少し入れて欲しい。 聖歌隊の指導者の方針で典礼聖歌ばかりらしいが、 カトリック聖歌もグレゴリオ聖歌もカトリックの財産だと 思うのに、平気で全く捨ててしまう人の気が知れない。
553 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 02:00:25 ID:xlgGonP7
>>551 あなたは、カトリックがフリーメイソンを禁止してきた事実、そのような
者への破門や警告を与えてきた事実を知っていますか?「フリーメーソン主義」
という項目で『現代カトリック事典』にもあらましは載っているので知っている
とは思いますが、なぜカトリックがフリーメイソンを禁止しはじめたのか、
どのような経緯を経て(現在のカトリックとフリーメイソンの対立が特に
聖職者において強調される)今に至っているかをきちんと説明することが
できるでしょうか?
また、幽霊や亡霊の単語の意味合いに多少の変遷を見たとしても訳語を
「幽霊」と「聖霊」で入れ替えたり元に戻したりということを肯定する
反論に十分な根拠とはなり得ません。使用する単語をより実質に近づける
ために各々「聖霊」について、「幽霊」について相応しい表現を選ぶので
あればありえるでしょう。しかし、
>>550 で示したような訳語の入れ替えが
度々おこれば信仰の根幹を揺るがすことになるわけです。
こちらの話がトンデモ仮説であるなどと言っているあなたの反論は甘い
と思います。
554 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 02:11:46 ID:xlgGonP7
>>552 とにかく、今、カトリックは霊的に不安定であり、色々な面で試行錯誤
しているのです。賛美歌というのはミサ中の信徒の役割部分の文言であったり
祈りそのものであったりするのですが、まるで自分が気持ちよくなるため
であったり人に歌い聞かせるためのものであるかのように周囲に聞かせる
ための賛美が横行してしまいました。ラテン語を理解しないのにフィーリング
で聞いたり歌ったりするのは、本来神を愛する意味での共同体の一致した
自己表現であることを考えると少し邪道な態度ではないかと自分などは
危惧します。
>>552 さんのような未信者の人は美しい声でラテン語を歌う『libera』
WPCR-19023の少年たちの歌声に聞き入ってみるなどの方が双方に害が
なくよい解決策だと思います。詩篇を歌うとか賛美歌を歌うというのは
信徒にとっては文字通りミサの中で神を賛美する祈りの表現なのです。
ミサ中の賛美歌は、聞かせるものではなく祈り方の一つの正しい表現
方法であるということを認識してください。
555 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 02:29:14 ID:xlgGonP7
>>551 英訳聖書は一説には200以上とか少なくとも100種類はあるとか言われます。
>>550 で挙げた
http://bible.gospelcom.net 内の聖書は、皆現役バリバリの聖書ばかりだと思います。メジャーな
2-30種の中のそれも欽定訳(King James Version)を冠する英訳聖書に
ついてのみの問題です。マタイ28章19節はキリスト者の洗礼についての
イエスの言葉についての記述ですからその霊的な重要性は計り知れず、
時代によって言葉は変わるものだなどという理屈が通る個所ではありません。
556 :
553-555 :04/11/15 02:31:26 ID:xlgGonP7
557 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 02:39:52 ID:7UrR1myd
>>553 フリーメイソンのどこが悪いのかわかりません。
公開されている結社ですし、ほとんど高級老人クラブ。
何が陰謀なのかサパーリ。w
558 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 02:45:22 ID:7UrR1myd
>>553 18世紀や19世紀の教会は
自然科学、近代主義、啓蒙思想のすばらしさが認識できない
幼稚な段階にあったから、
それらを先取りしていたフリーメーソンが
カトリックの脅威に映って、批判の対象にされただけでしょうな。
現代ではこのような感覚は通用しません。
逝ってきなさい。
559 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 02:57:44 ID:7UrR1myd
フリーメイソンについて言えばこうなる。彼らは中世には「神殿」の名で知られていた。 カトリックの聖堂の建築に力を尽くす特権階級であった。メイソン統合の際にも実に多くのカトリック職人が存在したのである。 彼らがフランス革命の影の主役であったという証拠はない。イルミナティがフランス革命を起こしたというのも根拠がない。その発起者のバイスハウプト自身は死ぬ前に母教会に戻っている。 実はイルミナティは14世紀から存在しました。「私的に聖霊と直結できる者」と称したために、そう呼ばれたが、カトリック教会により正式に破門されたのである。ヤコブ・ベーメの一派もイルミナティを名乗った。 秘蹟を無視して内的光を得るものたちをイルミナティと呼んだのであります。彼らは陰謀集団ではありません。高い理念のために仕えていると考えた実践集団だったのである。 陰謀論者に共通するのは退化思想、停滞思想、現状維持、旧習の固執、改革意識の欠落、化石化である。 それは何に起因するかといえば、保身である。おのれの利益にとらわれているのである。彼らには次世代を思う気持ちはない。 他宗教者を思う気持ちはない。キリスト教の囲い以外のものを救うというキリストのような崇高な意識は欠落している。 われわれ真のキリスト者は真のイルミナティ、真の聖霊の油注がれたものとして、これらの問題に取り組むべきである。 それは先人たる霊的イルミナティに学ぶところが大である。さっきも述べた内的光を得た者たちの方法に学ぶのである。 これを加えることによって、われわれは世界を神殿とする神の神殿造りを達成できる。その土台はカトリック教会である。
カトリックの立場からは、例え根拠が無くとも、 フリーメーソンを警戒したところで害はない。 7UrR1myd は陰謀論が広まると困る立場の人だろうね。
561 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 10:30:05 ID:tkSDzN5T
>>553 カトリック聖歌集に対しては私も意見があります。曲には何ら問題はないと思う。問題は歌詞です。
なぜ翻訳してまで日本語で歌うのでしょうか。例えば「主よ、みもとに近づかん」という曲が載っ
ていますね。あれはプロテスタントの賛美歌から借りて来たようですが、「登る道は十字架にあり
とも、など悲しむべき。」という歌詞が音楽によって「登る道は十字架に。ありともなど、悲しむ
べき。」と強引に節分けされ、意味の分からないものになってしまった。逆に言えば、音楽の節に
合っていない訳詞を強引に詰め込んだ、という事でしょう。これは新垣先生が著書の中で指摘なさ
っている事ですが、それを読むまで私も「ありともなど、悲しむべき」だと思っていました。「所
詮替え歌だよ」と指摘されたときはショックでしたね。自分がそう歌っていた事よりも、日本の教
会でずっと使われて来た歌集が、「所詮替え歌」と言われて反論できないものであった事が。そし
て替え歌を使わなければ成り立たない日本語のミサが。
典礼聖歌を100%素晴らしいものだと言うつもりはありませんが、少なくとも日本人が自らの手で
賛美のための曲を作った、という意味ではカトリック聖歌集を大きく超えるものではないでしょう
か。カトリック聖歌集に載っている曲を歌うのは構わないが、どうしても歌いたいなら元の言葉で
歌ってくれ〜、という感じです。
562 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 10:38:15 ID:tkSDzN5T
書き忘れましたが、カトリック聖歌集の中にも日本人の作品はあるでしょう。カトリック 聖歌集全体を否定するつもりは全然ありません。翻訳のあり方に疑問があるだけです。全 体主義と言われないために、念のため。
563 :
くしこ :04/11/15 12:07:08 ID:yU/qmqrx
典礼聖歌集は「やまとのみさざげうた」という割に、 日本調の歌は全くなく、アメリカ調の歌なんだよね。。。 祭祀調のものやら民謡調の歌は皆無というのも変なもんだね。。。
564 :
くしこ :04/11/15 12:10:29 ID:yU/qmqrx
外国のなら、それぞれの国の民謡調のものがあるらしいのに。。。 どうして日本だけはそういうのは採用されないんだろ? 日本嫌い名人が上層部には実は多いのかな?
565 :
くしこ :04/11/15 12:12:06 ID:yU/qmqrx
まぁ、祭祀調のやってしまったらヤコブのお祈りみたいになるね。。。 ちょっとコワーかもしれないけど。。。子供とかが泣き出しちゃうかな?
566 :
くしこ :04/11/15 12:14:42 ID:yU/qmqrx
でも、非信者の人の意見は案外正しいと思うよ。 日本にはない霊性や神聖さをキリスト教に求める人は 多いわけだからさ。。。 色んな日があったらいいんじゃないかって思うよ。。。
>>ID:xlgGonP7 もう一度聞くが、歴代の教会博士や教父や教皇や聖人の中でそんな主張してる者が一人でもいるか?
568 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:10:00 ID:wlBt6D4j
>>551 >>557-559 >>567 色々と疑問に思われ質問されるのは結構ですが、こちらの書き込みの内容に
ついて少し落ち着いて咀嚼して理解していただけませんか?
歴代の聖人や教会博士や教皇の見解の一つに自分が加勢してカトリック内部の
分裂を画策でもしているとお考えですか?そんなことは、全くありません。
自分が目指しているのは分裂ではなく一致です。また、教職者である司祭や
司教の間に霊的あるいは精神的な対立や争いを齎すことが良い事であるとは
考えていません。不安要因や分裂の原因を明らかにしてその相違を解消する
ことを地道に続けることが大切なのではないかと思っています。
聖書のマタイ28章19節はイエスが弟子たちを派遣するにあたり、
「父と子と聖霊の名に入れる洗礼を授け」と洗礼に対する指示を与えて
いる重要な場面です。ここにおいてGhostでありSpiritであるなどとして
お茶を濁すことは出来ません。「聖霊(ハギオウ プネウマトス)」と
「幽霊(ファンタスマ)」はギリシャ語写本上明確に異なる単語であり、
霊の意味合いにおいて区別されなければならない言葉です。洗礼にも関わる
重要な言葉は、キリスト教の伝承として不動であらねばなりません。
日本語で考えてもそれはよく理解できるでしょう、昨日まで「父と子と
聖霊の御名によって」と唱えて授けられた洗礼が「父と子と幽霊の名によって」
などと変更されたとしたらどうなるのでしょうか?時代のニーズによって
用語は変わるものだなどと悠長なことを言っておれますか?
このように基本的な霊的識別に関する用語は、普遍であるべきものなのです。ですからこのような混乱はすぐにでも収束させなければならない大問題
として『初めにイエススを信じた弟子たち、彼らの跡を継ぐ信徒たち、世界
中の普遍的な教会をなしている「神の民」に心を合わせ』てゆくなかで間違いの
ない信仰に立ち戻り、その信仰の実質を明白に明らかにしてゆかなければならい
のです。
569 :
568 :04/11/15 19:13:24 ID:wlBt6D4j
>>568 は、大変な乱文でした。申し訳ありません。
570 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:16:18 ID:KqzLhfT9
このスレッドを荒らしてるのは鬼塚とLPとナリーと斧だ
571 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:19:06 ID:wlBt6D4j
>>570 荒らしているのは、ズバリ 君・で・す!!
572 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:19:28 ID:KqzLhfT9
573 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:22:10 ID:KqzLhfT9
■荒らしのブラックリスト■ このスレを執拗に荒らしまくる反ネオの正体 1、俺さん(煽りと双頭戦略でカトとプロを対立させ戦争を起こす達人) 2、青眼 (名無しで得意の粘着コピペする異端LP崇拝蛭) 3、シル(自分を神学者と妄想してカトリックの誤謬探しに狂奔するキチガイ) 4、ピオ (混乱に乗じて返り咲こうと必死になる反教皇反公会議派離教集団) 5、ナリ(気に入らない運動を散々罵倒した挙句出入り禁止に辞職した元神父) 6、モリ(ナリに洗脳されるがまま人生を浪費した鹿児島教区のおぼっちゃまん) 7、ふぁ(ファチマに狂い第3の秘密公開とともに自滅したファチ狂徒の陰謀論者) 8、化猫(年がら年中2ちゃん宗教板に待機して新しい動きを蹴散らす変態シスター) 9、爺婆(時代の変化についてこれず取り残されてパニクってるお年寄り) 10、ハエ(教皇様とバチカンが推進する聖霊刷新に反対するしか脳のないウザイ害虫) 11、化石(あくまでトリエントミサに固執する懐古趣味派。脳が化石化している) 12、蛆虫(司教様の粗探しをして辞任させれば教会が改革できると妄想する傲慢信徒)
574 :
くしこ :04/11/15 19:36:52 ID:32RxeYFU
>>573 特殊な世界ですよね。。。ネオ。
私も誘われはしたことはあるけど、ちょっとね。。。て感じでした。
水曜日に集会してましたよね。。。
575 :
。。。 :04/11/15 19:39:57 ID:frdMEU6f
すげー! ghostとspiritの訳にそんな深い意味があったのか・・・ 恐るべしフリーメーソン!!!
576 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:43:50 ID:5NTU8DIY
新ミサは異端 神に背を向ける体面ミサなど冒涜 早く昔に戻そう
577 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:45:02 ID:5NTU8DIY
578 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 19:47:23 ID:5NTU8DIY
土曜深夜にお祭り騒ぎをして明け方にへとへとになって帰ってくる だから、当然日曜のミサには行かない 二度行けば教会法に違反する ネオミサは悪魔の謝肉祭
579 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 21:30:18 ID:iyP5sFYL
>>554 >>詩篇を歌うとか賛美歌を歌うというのは
>>信徒にとっては文字通りミサの中で神を賛美する祈りの表現なのです。
>>ミサ中の賛美歌は、聞かせるものではなく祈り方の一つの正しい表現
>>方法であるということを認識してください。
そんな事くらい、言われるまでもなく良く分かっています。
私も賛美歌を歌う時は、神に思いをよせて歌っています。
説明不足でしたが、グレゴリオ聖歌は一つのきっかけにすぎず、
洗礼を受けるつもりで教会に通っています。
あなたは本当にグレゴリオ聖歌をただのフィーリングで聞いたり
歌ったりすると考えているのですか。
ラテン語を勉強して意味を理解した上で、グレゴリオ聖歌も歌いたいと
いう人や、海外に出た時にラテン語のミサに授かりたいと思う人も
中にはいるかもしれないでしょう。
別に典礼聖歌を全面否定している訳ではないし、昔に戻れと言っている
訳でもありません。
自国の言葉で賛美歌を唱えるのは素晴らしいと思いますが、昔のものを
全部捨ててしまうのはいかがなものかと言っているだけです。
要するにもう少し選択の幅があってもいいのではないかと思っているのです。
あなたの仰りたい事は要するに部外者は典礼に関して口を出すな。
現行の典礼に不満があるならば教会には来ない方がお互いの為と
いうことでしょうか。
古くから信者さんの一部が現行の典礼に不満があっても、表立って
口に出せない理由が良く分かりました。
580 :
名無しさん@3周年 :04/11/15 22:01:02 ID:1uij5B5d
>>578 カトリックでもサバトをやるのでつか。。。。。。すごいデツね。。。ww
フリーメイソンの司教・枢機卿が多くいるというのは事実ですか。 教皇聖下はメイソン33階級だと聞き及びましたが事実ですか。
>>571 同感。ID:KqzLhfT9 は荒らし決定。
583 :
。。。 :04/11/16 00:29:07 ID:P3hvXVZD
>>581 事実だと思います。
メーソンを教皇庁から追放しようとした前任者は殺されて、
ヨハネパウロ2世が登極しました。
584 :
名無しさん@3周年 :04/11/16 00:37:18 ID:CucQduAE
>>583 アラーアクバル君こんばんわ。早くカトリックに改心するように祈っているよ。
ノブス・オルド・ミサを作ったブニーニはフリーメーソン。
>>568 歴代の教会博士や教父や教皇や聖人の中で
そんな主張してる者が一人でもいるか、
YESかNOかで答えろよ。簡単だろ?
答えられないならお前の負け。
>>579 まーまー
>>579タソの感覚はまっとうと思われ
よいものは言語の壁すら越えるし
いまさらこういうインターネットの時代に
日本語のみ に固執するのもな
民族主義化してるYO!
大和言葉はもちろんきれいだし
高田氏達が声明の伝統を取り入れて典礼に組み込もうとする実験はイイ!
詩篇とか式文でのアレはミサの雰囲気に自然に調和している
幾つか調子っぱずれのばかげた曲もあるケドな
特に数字の高い歌ほど酷い
カトリックは民族の壁を越えて使ってきた言語の伝統もあるわけで
てか 民族の壁を越えているのを教会共通言語があることで自覚できたYO!
その文化を捨てるのは惜しい
チョイ昔の典礼に慣れていると世界のどこでもあの出だしだけで
即座に唱和出来る利点があったYO!
今はそれが効かないな
イタリアやスペインならなんとかなるケドね
ラテン語と同じ言葉が多いからネ
言葉が出来ない国に行っても
教会関連だけは共通言語のラテン語の単語を知ってると
色々助かるときもあったな なんせカトリックだと分かってもらうには
祈りの言葉がいえることを証明しなきゃならんこともあったからネ
観光客と思われて入り口で足止めくらいそうになったもんよ
目の前のミサにあずかれねーのは辛いからな
>>563 そりゃ 後半のばかげた曲の幾つかだろ
詩篇やサンクトゥスなんかには日本の伝統的手法も取り入れられている
いい曲もあるYO!
アメリカ風のでも いいのもあるケドね
ダサいのはとことんダサいな
子供の歌ってる曲には顔から火が出るような変な曲がある
最近教会でアデェステ〜とかいう曲聞かなくなったな
ガキのころ歌ってたから もう一度歌いたいよ
言葉は分からなかったがな
何故か意味は理解はしていたな 対訳のおかげだと思うケドね
>何故か意味は理解はしていたな 対訳のおかげだと思うケドね そう、対訳載せれば、ラテン語ミサでも問題ないんだよ。
590 :
名無しさん@3周年 :04/11/16 05:38:27 ID:cE+hV/D9
>>563 「やまとのささげうた」は、典礼聖歌で言えば451番からのミサ曲を指します。好きな人は多いよ
うですが、私は今イチかなぁ。日本的過ぎるんですよね。日本の伝統的な旋法が、今の日本とリン
クしてないせいかなぁ。日本で聞くヒット曲というのは理論的に言えばきわめて西洋的な理論で作
られているんですよ。むしろ日本の伝統的な旋法を聞く機会は皆無に等しい(自分から求めれば別
ですが)し、それは伝統が血肉になっていないって事ですよね。だから「ザ・日本」みたいなの作
って来られても違和感の方が大きいかな。
和風にこだわるなら、演歌だな。
>>590 今の流行歌なんぞ所詮ルーツは西洋だ罠
J−POPの曲はよく知らんがどこかで聞いたことがあるような焼き直し
ブリティッシュ系とか黒人系の流れだろ
ビートルズみたいなのとか 昔のグラムっぽいのとか ファンクとかラップな
ネオアコなんぞも一昔前に流行ったケド
ケキョークぐるっと元に戻って何一つ新しいことなどない
のに 新しいミサ と称して フォークなんぞをやってるのは
歴史のパロディとしか思えんよ
フォークなんぞガキのころに聞き飽きた クズな曲だ
パンクが出てきて パンクのほうがずっとイイ!と思ったが
ありゃ ミサにはむかないな
曲そのものの意図がミサの本質と反対にあるからな
音曲にも 適材適所の分際というものがあると思われ
祈りの音曲にはなんとなーく共通の旋律がある
昔 細野晴臣がそういう民族音楽を集めていたな
グレゴリアンチャントはその手のに共通するのがあるYO!
坂本龍一もケルトの古いチャントを発掘していたが
教会外のシトのほうがそういうモノを正しく評価しているな
これも回りまわっての新しいことのない歴史のひとコマの一例だけどね
今の時代は一つのことをずっと続けていることのほうが貴重なのかも知れんぞ
それも千年もの伝統となると貴重すぎるほど貴重だ罠
593 :
名無しさん@3周年 :04/11/16 17:33:00 ID:cE+hV/D9
>>592 昔々、ヨーロッパには正変格合わせて12の教会旋法がありました。所がいつの間にかイオニア旋法
が長調として、エオニア旋法が短調として生き残った以外は消えてしまったのです。日本には4つ
の旋法(琉球旋法を入れれば5つ)がありましたが、明治になって外国のものがドバーッと入って
来ると、古来からの旋法は長短音階にかき消されてしまったようです。特に日本の場合は極端で、
もともと5つしかなかった音がそこで7つになった。つまり日本の音楽文化は明治を境に全く違う
ものになってしまったと言えるでしょう。
その変化については色々な学説があるようですが、少なくとも言える事は明治前後のあるタイミン
グで、(もちろん例外もあるでしょうが)日本の伝統旋法は学術的興味の対象としての存在に成り
下がり、大方の日本人の音楽文化はその時点で白紙になってしまった事に間違いないと思います。
そして日露戦争〜第二次世界大戦まで、魂に響く曲よりも愛国心を鼓舞する曲を作り続けた。そし
て終戦と同時にそれも消えた。日本はとても長い歴史を持った国ですが、現代の(大半の)日本人
の音楽文化は、舶来物か、せいぜい50年ない国産物でしかないのです。「これが日本の伝統音楽だ」
と胸を張って歌える曲がないのが現状でしょう。
だからこそ現代の典礼聖歌の作曲は難しい。日本の音階を使えば確かに日本っぽいものはできます
が、それが現代の日本文化(があれば)と融合して日本人の心に響くものになるとは限らないから
です。高田氏はこの困難に正面から立ち向かいました。この動き、ぜひ1000年続けて欲しいもので
す。
594 :
名無しさん@3周年 :04/11/16 22:06:38 ID:cE+hV/D9
もう一つ。芸術であればあるほど、その作品には深い精神性が宿っています。音を通してその奥の ものを感じる事が重要なのでしょう。深い精神性を持って作られた曲は、聞き手にも歌い手にも深 い精神性を要求するのでしょう。この前ベルリンフィルの特集をテレビでやっていましたが、イン タビューを受けたベルリンのある若者は「ベルリンフィルが優秀な楽団なのは知ってる。でも俺は 今レゲエにはまってんのさ。ベルリンフィルにはノリがないから合わないね」というような事を言 っていました。私はレゲエをよく知らないのでレゲエが深い精神性に基づいていないとは言うこと は出来ませんし、好き嫌いの問題もあるでしょうからその若者がベルリンフィルを好きじゃないと いう事実だけで一概に言う権利もありませんが、古の巨匠達の深い信仰を受け取るだけの準備がで きていない若者が多い感じはします。日本の教会はこの二重の壁を乗り越えて、日本キリスト教文 化を築く事はできるのでしょうか?
595 :
名無しさん@3周年 :04/11/16 22:28:06 ID:60iqbAFN
>>579 信徒の内部の問題に対してあまり色々な意見を言われても困ります。
クリスマスにラテン語の歌をお聞きになって感動されたとのこと、自分も
特別のミサの時に歌うそれぞれのラテン語の聖歌が好きかもしれません。
しかし、信徒にとってミサでの聖歌は、訪問者がどう思おうと神への
賛美の歌なのです。未信者の方にリクエストを受けて歌って喜んでいただく
ための歌でも商業主義に乗ってお金を戴くための歌でもありません。
あなたが心から神を信じる時からあなたにもわかると思います。詩篇137編
をお読みになってご自分の立場についてよくお考えになってください。
自分はミサを大切にする限りにおいて聖歌がラテン語でも英語でも日本語でも
一向に構わないと考えます。信徒の神を賛美することの喜びは、信徒各自の
少しの勇気があれば話し合いに際して何の障害もないと考えてよいと思って
います。
>>586 何かあなたは勘違いしているようですが、
>>559 のようなことを言ってますね。
1738年クレメンス12世によるメーソン破門令以降、教皇、聖人、教会
博士などにあなたの主張のようなことを言っている方が居られますか?
教皇をはじめ聖職者に対してメーソンとの関係を禁じられているこのご時世に
あなたのような主張をする方が正統なキリスト教徒でしょうか?申し訳あり
ませんがグノーシスとかイルミナティとかメーソンに対して信仰する方とは
お話したくありません。あしからず。
596 :
595 :04/11/16 22:31:55 ID:60iqbAFN
意味の取れない乱文が各所にありました。乱文申し訳ない。 関係のない人はレスを読まないでスルーして下さい。
598 :
名無しさん@3周年 :04/11/16 22:50:19 ID:60iqbAFN
ちょうどよいので
>>597 さんにお伺いします。正教の十戒とカトリックの
教える十戒には違いがあるのです。アウグスチヌスの時代以降カトリックの
十戒は、今の形式に落ち着いたようです。東方と西方が分裂する頃までの
東方教会全般の十戒はカトリックのそれと一致していたのでしょうか?
それとも東方教会は3−4世紀以降8−11世紀(?!)までの間は潜在的に
後の西方キリスト教会とは違う認識の十戒を持っていたのでしょうか?
>>595 部外者なのに申し上げて良いものか恐縮ですが…
>>579 さんは何か特定の形だけが正しいとか言っていらっしゃるのではなく、ただ、
古いものが無くなっていく現状は如何なものかという疑問を呈していらっしゃるだけ
なのではないですか?「古いものもいいじゃないか、少し用いたっていいのでは?」
とおっしゃっているだけでしょう(そうでしょう?
>>579 さん)。
何でそんなに怒っていらっしゃるのか判らない…私がノンカトだからですかね…。
でも正教会でも私が文語(漢文調)の大切さ、美しさを口にしたら、ある人に
「じゃぁ、文語だから正教会に来たの?口語訳したら来なくなる訳?」と凄い勢い
で恫喝されてしまったことがある f^^; ハハ…。
現代日本語を推進しようとされる方には、文語の良さを口にするとエライ勢いで
怒られる方が私の周りには多い(これは正教会のみならず、聖公会さんでもそうで
したね…)。あくまで私の個人的体験ですがね…。
まぁ、正教会ではそうした人は小数なのでほっとしていますが…。
600 :
598訂正 :04/11/16 22:54:45 ID:60iqbAFN
>それとも東方教会は3−4世紀以降8−11世紀(?!)までの間は >潜在的に後の西方キリスト教会とは違う認識の十戒を持っていた >のでしょうか? 上記の文面、意味がわかりずらいので訂正します。 「東方教会はアウグスチヌスの時代以降、西方と袂をわかつまでの 数世紀の間、十戒の認識を西方と共有していましたでしょうか?」
>>598 すみません、そうした質問は私は不得手です。私はしがない元プロテスタントの
感情的保守派に過ぎません^^;
マターリ東方正教会スレにお越し頂ければ、海外の某国神学校で学んでいらっしゃる
方(直接の面識はありませんが、噂の人です)がお詳しいと思いますので、そちらで
お願いしますm(_ _)m
602 :
名無しさん@3周年 :04/11/16 23:01:48 ID:60iqbAFN
>>601 そうですか、残念です。回答ありがとうございます。
603 :
名無しさん@3周年 :04/11/16 23:03:56 ID:60iqbAFN
>>599 ご意見は、ご意見として拝聴させていただきました。どうもありがとう
ございました。
604 :
579 :04/11/16 23:25:29 ID:fRTOXr6I
>>595 大丈夫ですか?
私の言ってる意味を丸っきり分かってらっしゃらない。
>>599 その通りです。
605 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 01:07:12 ID:2gnPf8lP
>568 少なくともラテン語 spiritus なら、 同じく「息」に語源を持つギリシア語 プネウマトス の訳として問題なし。 日本語にいうところの「幽霊」に相当する言葉として umbra というのが 別にちゃんとあり、spiritusとは区別されている。 だからラテン語でやればいいのだ。
606 :
くしこ :04/11/17 01:27:35 ID:PdxV+7GO
>>588 残念ながら、あれは正確には日本固有のものではないから。。。
仏教的なものを日本流にアレンジしたというものだからさ。
天台声明なんていうのは、融通念仏宗の開祖が中興なんだけどね。。。
確かに参考にはなるかも知れないけど、そこまでかもね。。。
何なら祭祀調のものユダヤ教並みにアカペラ
(たぶん子供は怖がって泣く)や
民謡調のものなんかにも挑戦してみれば良いかも。。。
607 :
くしこ :04/11/17 01:29:09 ID:PdxV+7GO
十戒の区分については、どうやらカトとオーソは違うらしい。。。 と言う話を聞くね。。。カトとプロも違うらしい。。。
608 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 01:40:45 ID:fCRdo7ha
>>597 申し訳ありません。せっかく教えて頂いたのに、私非常に外国語が非常に苦手で…。
せっかくだからちょっと正教会について基礎的な事を教えて頂きたいのですが(私も神学論争は苦
手ですので)、ここで「正教会」と言った場合、それはギリシャ正教を指すのでしょうか?「正教
会」は「ギリシャ正教」「ロシア正教」くらいしか知りませんが、そもそもカトリックと何が違う
んですか?世界史で「聖像破壊令」が原因で袂を分かった、と習った記憶がありますが。正教会の
典礼はどんな塩梅ですか?うまく行ってます?いい歌あります?日本の正教会は2つの壁を乗り越
えてます?
>>579 >>595 まぁ、まぁ。
>>595 さん、そこはそんなに熱くなる所じゃないでしょう。「典礼は部外者のための
見せ物じゃない」との意見は正にその通りですが、受洗を希望してらっしゃる上に本当の祈りを求
めておられるんだから、全くの部外者ではないじゃないですか。そう思って読めば、お二人の意見
は大して変わらないものに私は感じますが。
>>579 さん、教会のための祈りである伝統的な歌が、実は教会の外での方が良く演奏され、よく価
される現実は、教会の人間に取ってはとても屈辱的な事なのです。極端な人は「ゴスペラーズ」と
いう名前にすら不快感を示すくらいです。さらに何も知らない人が教会にそれを求めて来て、典礼
に対して偉そうな事を言ったとなれば、怒りのボルテージがレッドゾーンに達する気持ちも理解し
て下さい。私も
>>552 を読んだ時「黙ってろ、部外者が!」と心の中で思いました。「未信者」と
書くより、受洗を強く望んでおられるなら「求道者」と書いた方よりあなたの今の立場を良く表す
事ができると思います。
609 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 01:45:00 ID:mobhybVm
>>595 よ、お前は
>>520 において、
>カトリックが伝統的にラテン語を使用するようになって以来「聖霊」と考えて崇拝
>してきた聖霊が、実は秘密結社の悪魔を意味する霊と同じ性質のものであったと
>推論せざるを得ません。
と書いた。俺はその書き込みに対して
>>551 及び
>>586 で、
>歴代の教会博士や教父や聖人や教皇の中でそんな主張してる者が一人でもいるか?
と質問したのだ。話をそらさずに、イエスかノーかで返答せよ。
ちなみに俺は
>>559 ではないし、
>>559 の主張に同意しない。
俺はお前と同じく教会に敵対する秘密結社に反対してるよ。
ただ聖霊の訳語に関して言えば、お前は敵の罠にはまっていると言ってるのだ。
悪魔は嘘つきの父だからな。
悪魔の主張を無条件に信奉し、教会が聖霊によって導かれている事を疑うのは、
信仰において極めて危険で有害な傾向だからこそ、こうして追求してる訳だ。
>>609 彼は言葉足らずのだけだ。俺には理解できるぞ。
19世紀と「聖霊」といえばすぐに思い出すのが第一次聖霊降臨運動だ。プロでおきた運動。
野火のように世界に伝播して今の第2次ペンテコステ運動のさきがけになったのだ。
その運動を秘密結社が背後で推進させていたとしたらどうする。
彼らは聖霊様、聖霊様と聖霊をホリースピリットで呼ぶが、ホリーゴーストさまとはいわんのだ。
おまけに、この運動は、ホリーゴーストをホリースピリットに翻訳し変えた頃と時期的に一致する。
彼はそのあたりのことを言いたいのだが、舌が足らなくて、いつもへんちくりんなレスになってるのではないのかのお。
>>610 その背後関係が仮に事実だとしても
>>609 は揺るがないよ。
教会が聖霊によって導かれている事を疑い出したら、遅かれ早かれ離教への道を辿るだけだよ。
第二バチカンや教皇様の推進する諸宗教対話路線が秘密結社の陰謀だとか言ってるのと同じレベル。
612 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 02:54:05 ID:T9QNdZlN
>>552 >>579 です
>>608 そうですね、私も求道者と書いた方が誤解を招かなくて良かったかなと
最初思いました。
不愉快な思いをさせてすみません。
613 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 03:02:23 ID:f2k2uwOf
>>611 だから彼の文章はおかしいといってるだろうが。作文が苦手なんでないのか。それとも外人かもよ。(ww
614 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 03:05:46 ID:f2k2uwOf
>>611 >第二バチカンや教皇様の推進する諸宗教対話路線が秘密結社の陰謀だとか言ってるのと同じレベル。
諸宗教対話路線というが
ファティマの聖母聖堂でヒンズー教の女神を拝ませたのは何なんだ?
対話か?
615 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 03:11:58 ID:f2k2uwOf
公教要理では他宗教の礼拝をしてはならないと定めていたはずだが。 今の要理はそのあたりあいまいだな。
>>614 ヒンズー教徒がヒンズー教の女神を拝むのは当然だろう。
それともカトリック信者がヒンズーの女神を拝んだのか?
カトリック教理の持つ道徳的強制力は、今も昔も信者の良心を拘束し続けている訳だけど、
今の教会は教義の実践(規律)に関しては、かなーりフレキシブルだなとは思う。
エキュメニズムもどこで線引きするかは聖座の専管事項だから、信者がとやかく言っても
始まらないよ。規律的事項については信者は長上に従順でいたほうが安全ではありませんか?
>>616 >>エキュメニズムもどこで線引きするかは聖座の専管事項だから、信者がとやかく言っても
>>始まらないよ。
もはやカスパー枢機卿が線引きすら放棄しているわけだが。
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fox1.htm >しかし、教会の外にいる者たちが教会に立ち帰らなければならないという考え方を
>脱落させることは、また、ファチマの聖母によって要求されたロシアの回心を含む、
>一、聖、公、使徒的教会への回心というまさにその考え方を脱落させることである。
>実際、今日の教会における最高位にいるネオ近代主義者の一人、ワルター・カスパー
>枢機卿--教皇は彼をキリスト教一致のための教皇立委員会の長とされた--は、
>「今日われわれはエキュメニズムを、それによって他の人々が『回心し』、
>『カトリック者』たるべく立ち帰る、そのような立ち帰りの意味において、もはや
>理解しない。このことは第二バチカン公会議によってはっきりと放棄された」と
>公的に宣言した。
>>616 >>規律的事項については信者は長上に従順でいたほうが安全ではありませんか?
同じページにある聖書の引用をもって答えとしよう。
>「彼らはめしいにしてめしいの手引きなり、めしいもしめしいを手引きせば
>二人とも穴に陥るべし、と。」(マテオ15-14)
>>608 正教会をカトリック的機構で考えると誤るYO!
地方教会的考え
正教会とは若干教義が違う
アウグスチヌス以降を共有していないといえるカモね
・聖霊の発出の差異 ←袂を分かつことになった理由
・ミサ/聖体礼儀における聖変化の瞬間の差異
・聖母被昇天 無原罪の教義はない
・煉獄という概念はない (地獄と天国の中間の存在の概念はある)
・教義等の決定には公会議が優先される(教皇を頂点としたヒエラルキアではない)
・神秘主義的な要素が強い(アリストテレス的発想からの神学ではないので)
教義以外では
・司祭の妻帯(ただし 主教以上は妻帯者はなれない)
・至聖所のあり方の相違
イコノスタシスの存在など正教会は聖域と俗界を隔てることに厳密
・イコン と 聖像
(聖画像破壊の問題は正教会内部の問題で袂を分かつきっかけの理由ではない)
・聖体の種アリ(正教会) 種無し(カトリック)
・楽曲に演奏はつかない (楽器を用いない)
以上 他にもあると思うケド 気がついたトコだけ
中世以前のカトリックは多くのものを正教会と共有していたので
正教会の典礼などからトリエント以前のカトリック教会の様相を知ることができると思われ
>>608 >
>>579 さん、教会のための祈りである伝統的な歌が、実は教会の外での方が良く演奏され、よく価
>される現実は、教会の人間に取ってはとても屈辱的な事なのです。極端な人は「ゴスペラーズ」と
>いう名前にすら不快感を示すくらいです。さらに何も知らない人が教会にそれを求めて来て、典礼
>に対して偉そうな事を言ったとなれば、怒りのボルテージがレッドゾーンに達する気持ちも理解し
>て下さい。
怒る場面ではないな
恥じ入る場面であっても
教会外の人間のほうが理解している現実を見せ付けられて
そのシトたちにむかつくのは単なる 八つ当たり だ
ここは謙虚に耳を傾けるべき場面だろ
批判者が未信者だろうが 求道者だろうが 部外者だろうが 同じ
ほんとにイイ典礼をしていたら どんな音楽をやっていようと
そのシトたちの気持ちをひきつけることが出来るはず
現代語の 現代の音楽の典礼でも いい雰囲気の典礼は可能だ
たとい古いチャントやらゴスペルソングをうたわれても
ミサの雰囲気がざわざわしていたら それもダメだろ
>>598 出エジプトの分け方を採択するか
申命記の分け方を採択するかの違いでネ?
おそらく
>>598 タソの観点は文脈からして
偶像崇拝の問題(イコンか聖像か)だろうが
イスラムの脅威が激しくなる以前はわりといい加減だった
原理主義的に偶像の問題を理解し 旧約を共有するイスラム教徒からの批判が
像の問題を討議するきっかけになったという話を読んだYO!
完全に像を取り去ろうとする派と 像を用いる派との争いがイコノクラスムとなった
(これには当時のビザンツ帝国内の政権抗争も絡んでいる)
イコンの定義はそうした論議のなかで誕生した
西方では像は 単なる教化のための道具として理解されたが
東方では もうすこし積極的な意味合いが強かったらしいな
イコン崇敬はそうした中で伝えられてきたから
西方よりも聖画崇敬についてはきちんとした定義付けがあるようだ
623 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 17:35:49 ID:mIalIOyd
>>620 ありがとうございます。私の中でプロテスタントは「同じキリスト教でもカトリックとは異質のも
の」という感じがしますが、東方教会や英国教会はなにか同質な匂いを感じるんですよね。でもそ
れは感覚的なものであって、実際に東方教会や英国教会がどういうものか良く知りませんから。
>>621 いや〜、怒って良い場面だと思いますけどねぇ。私は外部の指摘に耳を塞げ、と言っている訳では
ありません。不躾な意見を指しているのです。例えば
>>552 「聖歌隊の〜」の場合、この意見に反
対するのは典礼憲章を読んだ事も無いのに第二バチカン公会議の意義を語ろうとする、極端な反伝
統派くらいであって、良識ある信者の大半はこの意見に賛成だと思います。しかしそんな事は教会
内部でも現実と照らし合わせてどうすればいいか模索している所であり、そういう事を真剣に考え
ている人に対して何も知らない人が言うならば、それは失礼な事ではないでしょうか?「そんな事
分かってるよ。でもあんたに言われる筋合いねぇんだよ」と言うのが八つ当たりであったとしても、正当な八つ当
たり(?)だと思いますが。信者だって感情を持った人間なんですから。
>>617 「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」。
との聖母の言葉を信じるなら、なにも案ずることはないという結論になる。
>>618 教会は宣教を放棄したことはないよ。エキュメニズムと宣教は両立する。
あなたは、両者を対立するもの(相容れないもの)として捕らえるいう
誤想に陥っているようですね。
>>619 「めしい」とは教義的誤謬に陥っている人々を指しているのであって、
その例え話は、信者が長上の合法的指導を拒否する根拠足りえない。
(・∀・) ◆.IjycOFqtg さん。 今は忙しいので後程詳しく書かせて頂きますが、本当に色々お詳しいですね。私より ずっと正教会についてわかりやすく書いていらっしゃる^^;。 ローマ教会信徒さんについてのイメージが若干変えられるほどだ…。後程色々お話 したいですね…。
626 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 21:04:19 ID:mIalIOyd
>>625 すげ〜!ニコライ堂のページで正教会の結婚式の典礼を見ましたが、かなり仰々しいですね。カト
リックの叙階式より色々ある。もしかして毎日曜日のミサ(正教会では何と言うのかな?)もあん
な感じなんですか?
所で
>>620 に「聖歌は無伴奏」との事が書かれていましたが、正教会はパイプオルガンないの?歌
は全部アカペラなんですか?
627 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 21:27:55 ID:mIalIOyd
すげ〜!すげ〜!読めば読むほど興味が出て来ました。お気に入りに正教会関連のページが4つも 増えました。誰か、正教会と公教会の典礼で、お互いに素朴な質問し合ってそれに答えるスレッド 作って〜! (・∀・) ◆.IjycOFqtg さん、典礼憲章でラテン語とグレゴリオ聖歌が首位に立つ背景って、もし かして正教会を意識したものなんですか?なんか正教会は当初からその民族の言葉を積極的に使っ てたらしいんですよ。何で典礼憲章で「使ってもよい」みたいな表現するのか分からなかったんで すけど、もしかして「積極的に使いなさい」って言うとプライドが許さないような背景があったり するんですか?
628 :
。。。 :04/11/17 22:24:06 ID:1dwZRnxD
4年位前にニコライ堂行ったとき、一人音を外して歌ってるおっさんがいたけど 今でも歌ってるのかなぁ。 元気だろうか。 知り合いじゃないけど。
正教会の言語についてですが、伝統的にその国、地域の言語を用いて奉神礼(典礼)を 行っています。日本では日本語です。スラヴ語にコイネーの祈祷文を翻訳することを はじめたキリルとメフォディ(キュリロスとメソディオス)は列聖されています。この事 は正教会が現地に土着し、神の教えを広めることに繋がったとして自賛するところです。 信者達がある程度意味を掴んだ上で奉神礼にあずかることが正教会では古くから可能でした。 日本の亜使徒聖二コライの亜使徒としての列聖理由には、聖神゜(聖霊)降臨のとき多言語で 話しを始めた聖使徒と同様に、日本語を自らのものとし、新約、祈祷文の翻訳にあたったことも 挙げられています。 ただ…。こうした自賛も行き過ぎるとちょっと違和感が出て来ます。スラヴ語に翻訳すること を、いち早く正教会が宣教にあたって始めたのは紛れも無い事実ですが、10世紀前後頃までは ブルガリア帝国とビザンチン帝国の抗争の中で、政治的動機からスラヴ奉神礼のコイネー化を 図ったギリシャ人がいたというあまり芳しくない話があることも事実です。 (続きます)
加えて現代においては、コイネーと現代ギリシャ語・スラヴ語と現地の口語(ロシヤ語、 セルビア語、ブルガリア語など)間の乖離が問題になっています。近代に入ってから翻訳 がされたルーマニア語はあまりそうした問題はないのですが、スラヴ語は翻訳されて既に 千年ほど経っているので、現地人が聞いても半分くらいしか意味が取れないという問題が 起きています(我が国で言えば平安古文くらいの時代ですかね…)。これよりはるかに 小規模な問題ではありますが、我が国正教会でも翻訳にあたった聖二コライと中井師(漢文 の専門家)が漢文体で訳したために、明治時代から現在に至るまで「翻訳が難解だ」と仰る 方もいらっしゃいます。私は名訳だと思いますが…。 聖二コライ師と中井師は、聖神゜降臨のときように現地語に翻訳するという仕事をしつつも、 正確な翻訳、美しい翻訳を行うという、様々な価値の要請の中にあって翻訳を進められました。 それは聖キリルと聖メフォデイが設定した価値とおそらく同様であったと思うのです。例えば こちらでも再三問題にしていらっしゃいます、コイネーの「プネウマ」と「プシュケ」ですが、 これはスラヴ語でも訳し分けられていますし、同様にこれを日本正教会は訳しわけています。 前者を「神゜(しん)」、後者を「霊」としています(ですから「聖霊」ではなく「聖神゜」 と言っています)。残念ながら旧約の完訳は完成していませんが、新約ではしっかりこの原則に 則り、訳し分けが行われています。(続きます)
翻訳はおそらく「聖神゜降臨を象り、宣教のために分かりやすく現地の言葉に翻訳する」という 価値だけで行われたのではなく、ハリストスの福音を誤りなく述べ伝えるための「正確さ」、天使 を象り讃美するにあたっての「美しさ」といった、多義的な目標を目指して行われたのではないか と思うのです。こうした多義的な目標というのはどこの教派でもお持ちだと思いますが、聖神゜の 恩寵の下で我が国正教会の見出したそれらの諸価値の間の着地点は、現在用いられている文語 体:亜使徒聖ニコライ訳である…。このように私は理解しています。 文語体の改訳問題ですが、これは容易ではありません。我が国正教会の場合、コイネー、スラヴ語 の両方に精通している方は亜使徒聖ニコライ訳を高く評価していらっしゃる方ばかりであり、改訳に 賛成する人材がほぼ皆無という技術的問題が一番大きい^^;のですが、スラヴの場合、「調」 (エーコス;旋法)によって聖歌を歌う伝統を、長い年月に亘り文語で行ってきました。これはある 程度の熟練を要するものであり、聖歌隊員のおばちゃんから次の世代へ…と半ば口伝で伝えられるもの です。従いまして言葉を変えるということはとりも直さず、一種の口伝を基盤とした聖歌システムにメス を入れることを意味します。そこまでモスクワやベオグラードは未だ踏み込もうとはしていないようです。 尤も両者とも、共産主義社会で失われた教会の復興に忙しくて手が回らないという事情もありますが…。
口語体の「分かりやすさ」ですが、プロテスタントで幼児洗礼を受けた私の経験から 言えば、口語でもかなり難しく、そして違和感も大きい。なぜかと言えば、口語にした といってもそれは結局、助動詞や活用変化語尾の改訳に過ぎない部分が大半だからです。 名詞が変わらない以上、少年の私あまり難しさは変わらなかった。それに言葉を簡単に したとしても、プロテスタント時代の「神」と、正教徒になってからの「神」では、捉え方 は大きく変わりました。「分かりやすさ」=「文体の平易さ」では必ずしもないのではない でしょうか。 また、違和感についてですが、現代日本語には「あなた」という言葉を使う場面は殆ど ありません(妻が夫を呼ぶとき、そしてクレームを店員につけるとき位ですか)。しかし 聖公会では「また、あなたとともに」と訳しています。カトリックでは「司祭とともに」 ですか。後者は「自然な」日本語を意図したと言えそうですが、これは「正確さ」を要請 される翻訳にあたって果たして許される範囲なのかどうか。これについては、私は部外者 なので判断はカトリックの方に委ねましょう…。 日本正教会では英語の”And to thy holy Spirit”にあたるものを、「爾の神゜にも。」 と訳しています。
633 :
XYZ(正教徒) ◆xbX1kRWdrE :04/11/17 23:34:30 ID:5fabjbPt
>>626 >>597 で挙げた海外正教会聖歌のページの中に、MP3などの形で聖歌が視聴可能になって
います。全てアカペラ(無伴奏)です。アメリカの一部、韓国ほか一部の例外的な教区を
除き、正教会は楽器を用いません。当然、オルガンもありません。今度、もっと詳しく
述べさせて頂きます。私は今日はそろそろおちますので…^^;
> もしかして毎日曜日のミサ(正教会では何と言うのかな?)もあん
>な感じなんですか?
主教祈祷(巡回時以外は殆ど毎週ニコライ堂はこの形式です)時は、もっと派手で
す^^;。一見の価値はあるかと思われます。
634 :
名無しさん@3周年 :04/11/17 23:51:13 ID:e+vQeRPs
>>608 >>612 >>621 現行典礼の周囲に典礼に取り入れることの出来るものを探すのと、
現行典礼の現実の中でそれをより深めるために過去を考察するのとでは
まったく立場も考え方のベクトルも違います。外部の方は典礼への可能性
として理性であれやこれや我々に申します。内部の方は典礼をより深める
信仰の立場からミサの現実を信仰的に深めようとして色々なことを勘案
します。
洗礼を受けていない方の典礼問題についての意見は、可能性に言及する
だけで信仰の本質に基づくものとは基本的に自分には考えられません。
信仰を表明し、それを深めようと努力する中で温故知新の考察も典礼に
活きてくるものなのではないかと自分は考えます。
ですから、洗礼さえもお受けになられていない求道者の立場の方の意見は
「わたしは中世カトリック教会の信徒の役を演じたことがあります。その
立場から言わせて戴くとカトリックにおけるラテン語の典礼や聖歌はとても
美しく捨てがたい財産なのではないかと思うのですが、どうでしょう?」と
発言されてるようなもの、つまり役者としての立場で信仰の現実である典礼に
堂々と文句や提案をされているようなものでしょう。役者はどんなに真に
迫った演技で信徒や司祭・牧師を演じられてもいいですが、つまるところ、
その結果は良い司祭や信徒になったのではなく、良い役者になったとしか
言えないのです。良い役者が信徒のごとく良いことを言った、だからといって
それがカトリック教会で行われる本当の典礼による神への賛美においてどれ
ほどの影響を持たせよと言うのでしょうか?
信仰者の態度はいつも神への集中であり、それ以外の人の態度はいつも
可能性の追求なのだと思います。可能性の追求を論じるのは良い事だ?笑わせ
ないで下さい。神への集中の内に典礼が深められない限りどんな可能性も
無意味な虚構です。
>>623 東方と正教が同質 はいいトコついていると思われ
聖体の祭儀が中心なんだな
神秘としての場がある
神と人とのコイノニアがまずありきだと思われ
特に正教会典礼にはその色が濃い
正教会は正教徒タソもかいている通り ギリシャとかロシアとか地方色が濃い
そもそも正教会の定義に従えば ローマも ローマ正教会に相当するからね
ラテン典礼を行うローマ総主教のいる教会といったトコだろ
聖公会はアングロ・カトリックという名が示す通り
アングロ典礼を行う教会と考えることが出来る
カトもトリエント以前はローマ典礼 モサラベ典礼 ガリア典礼
ミラノ典礼(アンブロシウス起源の典礼で今もある)などと地方色が強かったんだけどな
修道会などでもオリジナルの典礼があったりな
典礼において改革派の系譜の礼拝と比べれば
正教会や聖公会はローマ・カトリックと基本的に差異はないと思われ
部分的な神学理解において差異があるために
(例えば秘蹟について正教会とローマは一致しているが
聖公会はハイとローでは考え方が違う為に いくつかが準秘蹟扱い)
その相違によって袂を分かつしかなかった
>>623 素人さんの直感はバカにできない
聖歌隊の云々は俺のカキコに反応したからだろ
本来カトリックでは神は 真善美と理解するわけで
神が普遍の存在ならば
真において普遍であり 善において普遍であり 美において普遍である
と理解できる
真については 神学の範疇で 哲学や他の高度な神学的世界の宗教にも共通する理がある
認識の差異によってまったく異なるが 普遍の何かが存在するという点においてそれを
知ろうとする人々が世界に絶えないことがそれが普遍であることを証明してるな
善については 洋の東西を問わず よいことにはある種の共通項がある
人を殺めること 悲しませること 盗むこと 嘘をつくこと
など色々なものがいけないとされる 倫理というのはあんがい差異がなかったりするよな
それにおいて普遍といえる
美においては 感動する美しさは神のものだと昔の人は考えたんだな
だから誰かがそれを美しくすばらしいと思うのは
普遍的なナニかをそこに見出すからだろう
ルネッサンス人はその普遍性を視覚において探求していた
音楽家はピュタゴラス的法則性に神の理が存在すると考えた
グレゴリオ聖歌の美しさはその普遍の美の結実といえる
ヒーリング音楽として使われるのも神の美の再現がそこにあるから当然なんだろ
どんな人間でも普遍的な美には感動する それは神に由来するものだから当然なんだけどな
信者に限らず 全ての人間に対し働きかける聖霊がそこに見出せるというこった
そのことに気づかないで タダ古いものだからイクナイ という感想しか持たないなら神にたいして傲慢と思われ
そういう方法論ではない別の方法論(新しい音楽など)にその人が招かれているに過ぎないだけ
こうした感動は年齢とともにも変化するし けどそこにいつも存在する働きには敏感になったほうがイイ
>>625 正教会に知り合いがいると言ったろ
それに東方スレで色々教えてもらったしな
はじめはわからないんでROMばかりだったケドな
でも俺はモノを知らないほうだYO!
ローマ教会の信徒は侮れないゾ
ここにもすんげーのがタマに来ることがあるね
公文書に精通してるシトとか 原語を読めるシトとか
ましてや神父連中には重量級がうじゃうじゃいるYO!
とにかく正教徒タソは現役正教会のシトだから貴重だ
これからもヨロ
638 :
名無しさん@3周年 :04/11/18 01:26:35 ID:hGkUCV8/
>>622 >
>>598 >出エジプトの分け方を採択するか
>申命記の分け方を採択するかの違いでネ?
自分は、単純にアウグスチヌス時代以降東西分裂までの数世紀、両旧教間で
十戒の認識は一致していたか否かと問うたまでですよ。不一致が生じたのは
『いつ?』というのが焦点です。東西十戒の理解に不一致が訪れたのはいつか、
そしてどのような経緯や理由によってか、それらをこちらは知りたいのです。
>>627 カトリックの歴史を振り返ればラテン語を共通言語として用いてきた時期が長いからね
ラテン語を用いないとナニがなんやらな訳の混乱も起きることがあるだろ
ここでスピリットだかゴーストだかで揉めているようなこともそれだな
言語定義におけるコンセンサスは重要だからね
カトリックは 聖書と聖伝 を尊重する
グレゴリオ聖歌もラテン語も 聖伝 なんだよ
カトリックは確かに福音派などが批判するように色々なものを付け足してきた
ケドそれは 聖霊の働き 神の働きの結果であり
その軌跡を辿るようにしてカトリック教会は今に至るわけだから
やはり長い歴史の中で培われた文化を 簡単に変えるなYO!的発想はあるだろうね
改革は始まったばかりなのに 行き過ぎも目立つから
もともと2000年でまったり動いてきた世界が いきなり加速度ついて変化している
そのあたりを予測していたのかもね
バブル期のイベント屋的発想のような典礼じゃ いずれ滅びるぞ
>>638 ヒエロニムスに聞く これ最強
ヴルガタ訳に要因があると思われ
とにかく正教会スレでの回答を待つのがイイかもね
641 :
名無しさん@3周年 :04/11/18 02:26:20 ID:YzORneHq
>>634 神への集中と可能性の追求が洗礼において線引きできる根拠は何ですか?信者か否かを洗礼で分け
るのは妥当でしょうが、受洗1日前は可能性の追求だが、水をかけられた瞬間に神への集中になる
のは変だと思いますが。
>>636 考え過ぎですよ。少なくとも私はそこまで話を広げるつもりはありません。純粋に態度、礼儀の話
をしているのです。何度も言うようですが、私はラテン語・グレゴリオ聖歌は好きではありません
が、ダメだ、とか、いかん、というつもりは全くありません。
>>639 なるほど。するとやはりラテン語重視なのは、言語の一つとしてのラテン語そのものに由来すると
いうよりも、カトリックが歩んで来た足跡に由来するものなんですね?
>>633 >>635 東方教会についての解説、ありがとうございます。いいもの持ってますね。結婚式の中に「戴冠式」
があるのには驚きました。「オイオイ、ナポレオンかよ」という感じで。
ちなみに言語と言えば、上智の神学部で教えてらっしゃるイエズス会のある司祭は、くさび文字が
読めるそうです。酔っぱらって哲学科の教授とギリシャ語で議論してた事もあるそうです。それを
聞いたときは、学生ながらに空いた口が塞がりませんでした。教皇庁立聖書研究所(ビブリクム)
ではそれが普通だ、とか。あぁ、恐ろしい。
642 :
名無しさん@3周年 :04/11/18 04:28:12 ID:didQgG+5
>>641 >受洗1日前は可能性の追求だが、水をかけられた瞬間に神への集中になる
受洗までは受洗する可能性があるだけですよ。受洗の際に公に自分の罪を
脱ぎ捨てカトリックの一員として神に心の穢れを取り除く決意を表明
(Tペトロ3章21節)するわけです。穢れを取り除いて神に集中する直前までは
その人は受洗の可能性のある一人の人に過ぎません。洗礼を受けることが、
公に神に正しい良心を求めることの表明となりカトリック信徒の一員として
の仲間入りになるきっかけです。「神よ」と言う人ではなく神の御心を
行う人を典礼においてもカトリック全体も必要しています。典礼改革が
あるとすれば、それは神の御心を行おうとするカトリック内部の行為による
のであって「霊性」を無視した外面的な様式を云々する集客性や集金性を
前提とした世に開かれたエンターテイメントのための設計ではありません。
643 :
名無しさん@3周年 :04/11/18 04:29:30 ID:didQgG+5
>>640 >
>>638 >ヒエロニムスに聞く これ最強
>ヴルガタ訳に要因があると思われ
仰っていることがどういうことなのか、具体的に説明くだされば
ありがたいです。
644 :
名無しさん@3周年 :04/11/18 04:51:27 ID:OBcgDAGu
>>643 ウルガタ訳聖書は10戒の区分法が違うのよ。
645 :
名無しさん@3周年 :04/11/18 05:28:31 ID:wFP/dnfX
>>644 そんなことではないでしょう。申命記5章のマソラには段落記号が
付いていますが、それに沿って十戒を区分するとカトリックの分け方
が出来るようです。ヴルガタが申命記のマソラを参考にしていると
いうのであればそういうことが言えるかも知れません。しかし、いま
そんなことは問われている問題ではありません。
十戒において東方と西方の一致していた時代、相違していた時代、
この二つの歴史上の時点とその理由や根拠となった経緯について
あなたの意見は何にも答えていません。
646 :
名無しさん@3周年 :04/11/18 05:36:45 ID:wFP/dnfX
一旦休みますから、レスはまたいつか・・・では。
>>645 マソラ区分はルネッサンス期
人文学者がヘブライ訳を参照にした
それ以前はギリシャ語の77人訳
で ヒエロニムスのヴルガタ訳の導入で東西に差が出来たんでね?
これも現地語訳だ罠
>>641 ギリシャ語が話せたからといって
重要なのはその内容と思われ
イエズス会の神学者はいろんな国の言語ができるどころか
複数の国の人間とその場で同時に話せたという聖徳太子も真っ青なつわものがいたらしいな
たぶん>>641タソの想像してる神父は同じシトかと思われ
>>641タソも知ってると思うケド
彼がすごいのは話せるだけでなくその知識の深さと創造的論理性だな
俺もラテン語好きかといわれたら 外国語そのものが苦手だYO!
好きか?ときかれたら嫌いの部類に入る
ケド ラテン語の伝統に関しては個人的な好悪の問題ではないからね
厳密な定義や聖伝の範囲になる
グレゴリオは旋律の問題もあるんでね?
バッハの平均律を生み出した土壌でもあるだろうからな
礼儀に関しては 俺はあまり腹が立たなかったYO!
普通によくある批判だろ アンマリ オコルナYO! WWW
東方の典礼で面白いのは聖変化のときは隠れちゃうんだよな
イコノスタスの裏でナニやってるかワカンネ
>>642 洗礼による恵みについて言いたいんだろーが
少しピントはずれだな
求道者にも恵みは注がれている
でも 一部において禿同
外面的な〜〜〜エンタテーメントが云々とかな
綿密な神学的裏づけがあって典礼は宇宙を成すからな
表面的なコトでどうこうされるのはイクナイ
しかしその為には芸術というものを深く理解してないとまずいと思われ
その点 欧州の神学者は学理や芸術学 美学に詳しいな
650 :
名無しさん@3周年 :04/11/18 08:57:09 ID:YzORneHq
>>642 なるほど、おっしゃりたい事はよく分かりました。しかし教えとしてはその通りでも実際にどうか
と言えば、神様の意志なんてどこに働いているか分からないわけで、言葉が信者の口から出たか否
かで判断するのはもったいないような気がしますけど。何気なしに口にされた言葉が、もし教会に
とって有益である可能性があるにも関わらず、その意見が誰の口から出たかで判断するのは、教会
が「神へ集中する可能性の一つ」を失う事になるかも知れませんよね。ま、私はそう冷静に判断を
する前に怒ると思いますが。
652 :
YahooBB219198068033.bbtec.net :04/11/18 21:35:26 ID:8I70AY5f
>>648 そう、グレゴリオ聖歌は旋律の問題が大きいですね。私は長調と短調が好きな人間ですから、それ
以外の旋法はどうも違和感が大きい。神聖な感じがするのは事実ですがね。ただ、年齢とともに変
化する、との意見はその通りかもしれません。実際に多くの方がグレゴリオ聖歌を神聖な音楽とし
て受け止めている。実際そうなのでしょう。自分がまだ未熟なだけだと思います。モーツアルトは
「グレゴリオ聖歌の1曲でも自分の作品になるなら、自分は全作品を捨ててもよい」と言ったそう
です。グレゴリオ聖歌は、あの神童ですらたどり着く事の出来なかった、祈りの境地へ導く究極の
音楽なのでしょう。私はもう少し人格と信仰が成熟するのを待ちます。
>>632 の訂正から。凄い間違いですね^^;
(誤)”And to thy holy Spirit”
↓
(正) ”And to thy Spirit”
無伴奏の聖歌は全般的に好きですね。パレストリーナはそれほど好きではないです
が、ビクトリアは好きです。あまり西欧聖歌は聞かないですが、16世紀スペインの聖歌
は結構よく聞きます…。まぁ、無伴奏ですからね、正教会も。
>>652 >私はもう少し人格と信仰が成熟するのを待ちます。
感銘を受ける文章です…。
私も自戒するところですが…現代にはもう少し「待つ」という姿勢が必要であると
思います…。「意味が分かるように」「現代に合うものを」といった意見は全否定は
しませんが、性急に過ぎると思えます…。列聖された致命者達が皆、「意味」に精通
した知識人達だったとは考えられない。奉神礼・言語の分かりやすさが福音を宣べ伝
えるにあたって最も考慮を払うべき価値なのでしょうか?
ましてやローマさんは急ぎすぎなのではないかと思います(物言いをお許しくださ
い)…。正教会には様々な問題があるとはいえ、多言語に翻訳することを長い年月を
かけて伝統的に行ってきました。奉神礼(典礼)と言語、聖歌について、問題は山積
みとはいえ、考えるためのノウハウの蓄積は既に伝統の中にあると考えられます。
良かれ悪しかれ、ラテン語と教皇(正教会的にはローマのパパ=総主教)聖下に
よって結束力を誇ってきたローマ教会にはそうしたノウハウはこれから作っていかな
くてはならないという問題があるのではないでしょうか(違っていましたらご指摘を
お願いしたいと存じます)。
新しい試みをしているにしては、随分と古いものを簡単に変えていってしまって
いる…単なる印象論ですが、私にはそう思えるのです。如何でしょう…。
656 :
名無しさん@3周年 :04/11/19 02:27:45 ID:WekB6fmv
>>654 >(正教会的にはローマのパパ=総主教)
この何気ない文章が凄く気になるんですけど、正教会的にはカトリックは「ローマハリストス正教
会」であって、公会議にも出なければ勝手に違う教区にも教会を建てるし、自分勝手が過ぎるけど、
教区の一つなんですか?
657 :
名無しさん@3周年 :04/11/19 18:46:48 ID:1uU79/cl
>>656 すっごい誤解を招く文だったこと、お詫びします^^;。
正教会もローマの名誉的首位そのものは今に至るまで全否定したことはない(但し、
権限そのほかについての解釈はかなり大幅に異なりますが)ので、それなりの敬意を
こめた表現を使わせて頂いた訳です。
教区という理解は、正教会も、私個人もしてはいません…。
659 :
名無しさん@3周年 :04/11/19 20:38:55 ID:EVwrh2R+
>>658 あー、そうなんですか。残念。「東方教会の目から見れば好き勝手やってるカトリックなのに、何
と懐の広い人たちだろう」と思っただけです。
カトリックの発想から言えば、東方教会がカトリックの教区になることはありません。しかし「東
方教会は地方教会的」と教えて頂いた通りだとすれば、カトリックが何と言おうが、東方教会の目
から見ればカトリックはバチカン教区なのかなぁ?と、ちょっとワクワクしました。
>>659 ちなみに東方正教会では、アレクサンドリアの総主教も「パパ」"Pope"と、現在も
呼んでいます。この間、ヘリの墜落事件(原因不明)で主教品3名含む同乗者と同じく
永眠されてしまったペトロス7世総主教聖下も、「パパ」とCNNで報じられていました。
661 :
名無しさん@3周年 :04/11/19 20:53:22 ID:EVwrh2R+
ロシア正教の音楽聞きました。驚きました。見事な混声合唱ですね。日本の教会もあんな感じで歌 うんですか?日本のカトリック教会ではオルガンで伴奏がついてもあそこまで見事な混声合唱で歌 い上げる聖歌隊を持っている教会は少ないと思いますよ。浦上天主堂の長崎カトリック合唱団はす ごいですけど。
>>661 東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)、札幌ハリストス正教会、大阪ハリストス正教会、
山手ハリストス正教会、仙台ハリストス正教会、豊橋ハリストス正教会、名古屋ハリストス正教会、
函館ハリストス正教会などは、混声聖歌が用いられている教会としてよく話に聞きます。
正教会の混声聖歌は西欧の影響を受けつつ、かつ正教会独自の、聖伝に沿ったあり方を
模索しつつ形成されてきた歴史があり、混声聖歌そのものは歴史としては新しいものです
(混声聖歌の合唱団を初めて本格的に結成した作曲家アルハンゲルスキィは19世紀後半の
ロシヤ人です)。
正教会の聖歌ですが、
>>597 でも挙げさせて頂きましたセルビアのギリシャ聖歌サイトを
ご覧頂ければ分かるとおり、通奏低音付きのアジア的旋律も伝統として持っています。主に
ギリシャ、アンティオキア系の正教会がこの種の聖歌を用いています。日本人には好みの
分かれる旋律ではないでしょうか^^;。CDを聴きつつ、私もギリシャ聖歌を練習していま
すが、「こぶし」の利かせ方など、歌い方はかなり難しいものがあります。
ちなみに日本正教会はスラヴ(ロシヤ)系の奉神礼を受け継ぎましたので、聖歌もロシヤ
聖歌(サンクトペテルブルク系)を導入しています。ですから大きい教会では、日本正教会
は無伴奏で混声聖歌を歌っています。
>>661 ただ、無伴奏で正教会の聖歌を歌っていくことはこれまた日本人には難しい。
・多くの聖歌で、拍子・小節が存在しない
・うたう祈祷文が日によってかなり異なり、奉神礼の知識もある程度指揮者に要求される
・無伴奏なので、歌うのに熟練を要する
といった理由で、残念ながらこの美しい祈りの歌の伝統を継承できずにいる教会がある
ことも事実であり、目下、日本ハリストス正教会は聖歌の普及講座を年に何回か開き、
聖歌の充実を図っているところです。
664 :
名無しさん@3周年 :04/11/19 21:45:04 ID:EVwrh2R+
普及講座出てみたいなぁ。でもカトリックじゃダメですよね。もし仮に出れたとしても、正教会の 典礼を何も知らないで出ても、何にもなりませんよね。 ロシアの聖歌を使ってるとの事ですが、日本人が日本語の歌詞(式文)に合わせて作った聖歌とか あるんですか?それとも全部ロシアの聖歌に翻訳した歌詞を当てはめて使ってるんですか?
>>664 そうですね^^;信者の中でも指揮者クラスに対する集中講座ですから…。申し訳
ありませんが正教徒以外の方の参加は難しいと思います…。
地方毎にレベルが異なっていて、クラス分けをしようかという話も講座によっては
あるようです。
えーと…日本正教会の聖歌は9割5分以上がロシヤ由来の聖歌です。一部日本にいた
ロシヤ人、ヤコフ=チハイ師が作曲したものや、明治時代に金須嘉之進氏が作曲した
ものも使うことがありますが…。また、「ギリシャの歌譜」と記載されていても、それは
「(ロシヤで伝承された)ギリシャの歌譜」であることにも注意が必要です。ギリシャで
は五線譜を使った記譜法では歌っていませんので…。
また、正教会の聖歌翻訳は、祈祷文を原型のまま使うことを基本とします。従いまして、
歌のリズムに合わせて祈祷文を変更するということは行ないません。音節数の多い日本語
に翻訳するにあたってこの伝統を満たすのは難題なのですが、レクト=トノ(同じ音階の
音を連続したもの)の部分を拡張する・挿入するといった、これまた伝統的手法を用いて、
ロシヤ聖歌を翻訳しています。
666get
667 :
名無しさん@3周年 :04/11/19 22:22:51 ID:EVwrh2R+
いや、本気で出席しようなんて思ってませんから大丈夫です。真面目に取り組んでる方々の集まり に興味本位で出席するなんて失礼ですから。できたらいいなぁ、くらいで。 拍子を持った音楽の翻訳作業で原文を完全に翻訳し切るのは不可能に近いですからね。レクト・ト ーノは典礼聖歌でもよく使われてますよ。グレゴリオ聖歌の自由リズムと呼ばれる手法を日本語で 応用しています。歌ミサの式次第は9割以上この手法によっています。ご存じない方が殆どのよう ですが、それを使うとノッペリしたレクト・トーノにリズム感が出てくるんです。典礼に携わる音 楽家同士の交流があったらお互いに学ぶ所がたくさんありそうですね。
>>662 の補足です。
本格的混声聖歌の歴史は新しいですが、多声聖歌の歴史は17世紀頃にイタリアに
学んだドミートリィ=ボルトニャンスキィが登場し、エカテリーナ女帝がサルティを
イタリアから招くなど、400年ほど前から本格的に始まっています。
バルカン半島での近代聖歌の始まりはこれより遅く、19世紀頃になります。それ
まではギリシャ式聖歌を使っていました。
669 :
。。。 :04/11/20 00:42:52 ID:9ofDCD9X
アルツハイマー教皇が生きてるかぎり改善されないだろうね。
670 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 06:12:54 ID:wGasBwzG
ふ〜ん。お詳しいですね。そういった流れを日本語で読めるページとか本とかありませんか?カト リックも多いに学ぶ所がありそうです。 カトリックには、残念ながら第二バチカン公会議の精神を「何でもありになった」と解釈する人が いるようです。確かに多様性の根拠は示されましたが、それはイコールで「何でもあり」には結び つかないと思います。 多様性は素晴らしい事です。しかし今の日本のカトリック教会の中で、急進的な改革派の方々の多 くは、古に学ぶ事をしないで新しい物を作ろうとしている。目立った改革と言えば、フォークミサ を行ってみたり、聖堂を丸くしてみたり、色々です。しかしそれらは表面的な事に過ぎず、大切な 事は、伝統の中で守り続けて来た物をどう今日化するか、という事だと思います。その現れとして の国語でありフォークソングであるわけですから、根底の部分を置き去りにして表面の部分だけ変 えて満足しているなら、それはとんでもない結果を生む事になるような気がしてなりません。
>>カトリックも多いに学ぶ所がありそうです。 だからこそ刷新派はプロテスタントに接近しようとするんだな。学ばせないために。
>>669 君は教皇様より病状が重いようだが・・・。
673 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 18:02:46 ID:b5vnAxL0
補足ですが、私は円形聖堂やフォークソングが悪いと言っているわけではありません。その結果を 生み出すプロセス指しています。 例えばバチカンの高官に「第二バチカン公会議の結果、カトリックの典礼は日本にどうインカルチ ュレーションしましたか?」と聞かれて、司祭が袈裟を着けて登場し、漆塗りの聖器と巻物のミサ 典書を使い、畳の上でミサをして、「どうですか?ミサは間違いなく日本の土壌に受肉しました」 と胸を張って言ったらどうでしょうか? その高官はまず振り返り、参加している信徒を見るでしょう。そして足が痺れて苦しんでいる信徒 や、非日常的な作法を間違えない事にだけ集中している信徒が目に入ります。その高官は「なかな か面白いショーでした」と言って、肩を落として去って行くでしょう。 信仰と伝統を真面目に考えた結果のものであれば、何の問題もありません。問題なのは、神学的に ミサをミサとする部分だけ残して、後を好き勝手にすげ替える姿勢です。それはミサを自己主張の 表現の場にし、まさしくエンターテイメントにしてしまう行為です。逆に信仰と伝統に向き合い、 祭壇の上と下が間違いなく一体化している典礼ならば、どんなものでも構わないと思います。祭壇 を舞台にしないこと、この一言に尽きるかも知れません。
祭壇は舞台に見えるなぁ・・・。
675 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 18:09:36 ID:9GUn2O4D
典礼破壊の元凶は、土屋神父が、いけないのだ!
676 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 18:11:13 ID:8kpesuDC
677 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 19:24:31 ID:sCdb3QlS
>>647 >マソラ区分はルネッサンス期
>人文学者がヘブライ訳を参照にした
>それ以前はギリシャ語の77人訳
>で ヒエロニムスのヴルガタ訳の導入で東西に差が出来たんでね?
>これも現地語訳だ罠
人文学者が参照したヘブライ訳って何のことですか?マソラはそれ自体
ヘブライ語聖書本文のことを指していますが。ギリシャ語の77人訳って
なんです?70人訳(ラテン語:セプトアギンタ)のことを仰っているの
ですか?70人訳もヴルガタ訳も元はヘブライ語聖書から翻訳している
ギリシャ語ラテン語の聖書ですが、70人訳やヴルガタ訳からヘブライ語
【訳】なる聖書が出来て、そのヘブライ語【訳】聖書からマソラの申命記
5章21節中の段落記号区分が生まれたのだとか・・・なんだかご自身で
仰っていることの意味がわかっています?
聖書の成立に対する理解を順を追って説明し、その文脈の中でどのような
ことが起こったのかということを読むこちらにわかるように説明して
いただけませんか?あなたの主張の根拠(著書や資料)をはっきりと述べて
ください。70人訳を72人訳と間違えるならわかるのですが、77人訳
がどうたらこうたらと書かれるとあなたのレスを読む気もしなくなるので
きちんとレスは書いてくださいね。
678 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 19:37:51 ID:sCdb3QlS
>>649 >
>>642 >洗礼による恵みについて言いたいんだろーが
>少しピントはずれだな
>求道者にも恵みは注がれている
>しかしその為には芸術というものを深く理解してないとまずいと思われ
>その点 欧州の神学者は学理や芸術学 美学に詳しいな
求道者への恵みと洗礼の恵みを同列に置くあなたの理解が少しおかしい
ですよ。
芸術を深く理解することが重要という観点も少しずれていますね。
ドイツのヒトラーも大変な芸術愛好家でした。宗教は芸術で推し量れる
何かではありませんよ、芸術性は一つの要素であるかのように見える外面
的なものであるに過ぎません。何かを形にすることに渇く、神へ向かう
集中とそのうねりのようなある種の目に見えない力が必要な宗教の力なの
ではないかと自分は思います。宗教に必要なのは美醜のセンスではなく、
どちらかと言えば存在的なセンスであってそれはまず間違いなく神に
向けられた関心であり、行為であり、渇きであり、躍動であるべき、目に
見える形あるものにも目に見えないものにも同じように貫かれている
間違いのない「聖性」とか「霊性」とかを含む魂の渇きと満たしのうねり
のようなものでしょう。
679 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 19:52:27 ID:sCdb3QlS
>>650 >なるほど、おっしゃりたい事はよく分かりました。しかし教えとしては
>その通りでも実際にどうかと言えば、神様の意志なんてどこに働いているか
>分からないわけで、
「神の意志なんてどこに働いているか分からない」と明言するところが
あなたがまだ全く信仰者としての歩みの第一歩を踏み出していない証拠の
ようなものです。あなたが信徒の一員となって、神を知ろうと渇き、兄弟が
互いに愛し合うなかで神の下に向かうということを実感として内に宿さな
ければ本当の意味で神と関わることも兄弟を愛することも出来ないでいる
ことになるのではないでしょうか?
Tヨハネ4章20節
《「神を愛している」と言って、兄弟を憎む人は、うそつきです。目に
見える兄弟を愛さない人は、目に見えない神を愛することはできません。》
教会に集う者の救い、それが神の御心であり我々の心にある大切な価値
です。「信仰」とは何か、それについてパウロは次のように表現します。
ローマ1章20節
《神の永遠の力や神性のような、神についての目に見えない事柄は、
宇宙創造の時から、造られた物を通して明らかに悟ることができます。
したがって、彼らには弁解の余地はありません。》
ヘブライ11章1節
《さて、信仰は、希望していることを保証し、見えないものを確信
させるものです。》
680 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 21:05:24 ID:b5vnAxL0
>>679 おやおや、ずいぶんな言われようですが、「神を知ろうと渇き、兄弟が互いに愛し合うなかで神の
下に向かうということを実感として内に宿す事」が、教会の中においてのみ可能だと、あなたが引
用なさった聖書の箇所からは読み取れませんが?あなたの論理は突き詰めれば、教会の外には救い
も愛もない、ということですか?
681 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 21:22:38 ID:uXolaW88
>>680 まず、教会から始めることが、正常なカトリック的な発想であろう
と考えます。教会は、ミサを執り行いますが、このミサの意味は最後に
「行きましょう、主の平和のうちに」という派遣の儀式の中にあると
言われます。主の平和を持って教会から派遣されるという意味合いに
ミサの根幹があるという意味かもしれません。
「カトリック倫理の基礎」吉山登 サンパウロ の中に次のような
教会と倫理 聖書と伝承 の説明があります。
『 カトリック教会が、聖書より教会生活と教会の教えを宣教すること
を大にすることを、プロテスタントによって批判されることがあるが、
それは、教会の伝承に生きることによって聖書の意味が明らかにされる
と考えられるからである。テキストを文献学的に研究する解釈学の
もたらす成果と、使徒たちから始まる教会共同体の中で、生けるキリスト
を信じながら生きていることから体験するキリストとその教えは、聖書を
無視することではなく聖書を生かす体験となるはずである。』
[P38 L15〜P39 L4]
682 :
名無しさん@3周年 :04/11/20 21:36:48 ID:uXolaW88
正しい教会は、信徒にとってのキリスト者としての出発点です。
ですから、その意味で典礼は大切に育まれること、間違いは正し
深く発展していくことが必要です。
現在の典礼については、間違いがあるかもしれないと自分は
思っています。聖書に書かれていることの負の面、あるいは信仰者
への警告の側面を実現する必要はないのですから、その辺に対して
不安を抱かせる実現や誤解を与えるあらゆる様態は適時改善すべき
であると自分は考えています。例えば
>>314 に書き込んだことが自分
には不安に感じます。また、教会がマリアの象型であると規定される
ことでキリスト教の教会の体をなさなくなった形骸化・異教化した
現状カトリック教会となっている可能性を危惧しています。霊的混乱
についてもいろいろな側面から言及できる気がして不安になっています。
色々と現状のカトリックには問題が多いです。ですが、問題は解決され
るべきものであって放置したり無視するべきではなく正面から改善すべき
であると考えます。
683 :
。。。 :04/11/20 22:28:33 ID:GM3CSqOK
ヨハネス23世がすべて悪い。
684 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 02:08:58 ID:DjkGrjfn
>>682 おっしゃっている事が良く分かりません。>聖書に書かれていることの負の面、あるいは信仰者への
警告の側面を実現する必要はない、というのはどういう意味ですか?具体的な例を出して説明して
いただけませんか?
685 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 02:16:03 ID:6tL2F3Ql
公会議以前よりはまし。
>>678 相変わらず俺の鈍い頭ではナニ言ってるかよく分からんのだが
芸術というものの定義を誤解しているようだというコトだけはよく分かった
芸術を過去の神学者たちがおろそかにしてこなかったからこそミサのあの形式が誕生した
狭い範囲で芸術を捉えているようだな
芸術というより 美学 なんだけどね
芸術はその一部 ケドそれは 受肉の神秘に 通じることだけどな
イエスキリストは目に見える形で存在し
聖体は実体においてイエスキリストである
というコトに通じるものでもあるワケだ
目に見えるものと目に見えないものは連動して一なるものとなる
芸術の定義においてヒトラーを持ち出すような理解の仕方じゃダメだな
あのおっさんは芸術のセンスのかけらもない
そのうえにコンプレックスを持っていた
その為に当時の前衛芸術家を迫害したのは有名
ヒトラーも
>>678 も美学をきちんと勉強汁
>>682 正しいとか言ってる時点で
自分が指摘したエレミヤ所の間違いを自分が犯していることになると思うぞ
部分的に同意できる箇所もあるし
言わんとしたいこと 目指すところは俺も
>>680 タソも
>>682 タソも同じだとは思うが
その方法論を考えるとき
>>682 タソは変な固定概念がありすぎるYO!
たとえば美学音痴 芸術をヒトラーと結び付けてしか考えられないような
トンデモな考え方じゃ どうもまずいだろ
芸術とはかつては教会典礼のあり方そのものの問題であったわけで
>>682 タソが目に見えるものや音に聞こえるものについて考えることそのものが
すでに 芸術論の範疇 なんだがな
同じように 他でも独自だが独自すぎて変な固定概念が散見できるぞ
>>677 もういいよ
説明する気もうせた
77人訳はキーボードの打ち間違い
直し忘れただけだYO!
690 :
さろめ(ノ≧∀≦)ノ・‥…━━━☆キュ〜 ◆vXcroNVPPU :04/11/21 04:47:25 ID:pqlMHUa/
691 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 05:42:37 ID:/MPc1Gwo
>>686-688 変な観念や誤解は、あなたの理解や知識の方にこそ充満しているよ、
はっきり言って。
>>688 でわざわざ次のようなレスを返してくることで
あなたの姑息な性格がわかった。あなたへの説明レスは時間の無駄、
こっちから願い下げだよ。変な固定観念に縛られたまま、賢い者だと
自認していて下さい。今後こっちに対するレスは結構だから、遠慮するから。
>>688 >もういいよ
>説明する気もうせた
>77人訳はキーボードの打ち間違い
>直し忘れただけだYO!
あなたはねー、「十十十 カトリック126十十十」の651のレスでもね
「現代の聖書学の神父はギリシャ語の77人訳から直によむ」なんてレス
しているんだよ。自分の知識の無さや曖昧さをその場しのぎの言い訳で
逃れようなんて、キリスト者の風上にも置けない不埒者だよ。自戒を含めて
君に助言しておく。なんとでも好きなこと言ってな、(・∀・) ◆.IjycOFqtg
のおふざけ君。
692 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 05:53:07 ID:DjkGrjfn
またあの正教会の人来ないかなぁ。色々教えてもらいたい事あるのにな。主教祈祷ってカトリック
でも出席していいのかなぁ?興味本位で行くのはあんまりよろしくないですよね。でも今日のカト
リックが、第二バチカン公会議の精神に生きる為に学ばなきゃいけない何かがありそうな気がする
んですよね。ちなみに正教会の聖歌は↓が好き。パソコンを使うと始まりと終わりで半音のさらに
半分くらい音が下がってるのが分かるけど、さすがチャイコフスキーを生んだ国。そういえばバル
トークって何人だろう?
http://www.mitropolia-spb.ru/rus/music/Sounds/orthm16.mp3
693 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 05:57:45 ID:/MPc1Gwo
>
>>682 >おっしゃっている事が良く分かりません。>聖書に書かれていることの
>負の面、あるいは信仰者への警告の側面を実現する必要はない、
>というのはどういう意味ですか?具体的な例を出して説明して
>いただけませんか?
色々なことが具体例として挙げられます。そのことについては今後少し
ずつ触れていこうと思います。まず先に応急処置としての対策を示し、
その理解と祈りの中で、カトリックの問題点について議論する必要を
感じますので、まずは問題点を列挙するよりも問題点を回避する最低限
の共通の対策から順次述べていこうかと今思案しているところです。
あなたがあせらずに書き込みを待って下さるようにこちらとしては
お願いいたします。
694 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 06:00:16 ID:GQSnayra
>>693 イルミナチなど存在しない 妄想をばら撒くのイクナイ
695 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 06:01:51 ID:GQSnayra
>>693 ラテン語典礼からして間違ってるなんて
嘘つくのイクナイ
696 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 06:05:07 ID:DjkGrjfn
>>693 いや、別にあせるつもりはありませんが、応急処置は問題点あっての応急処置ですから、問題点が
はっきりしないのに応急処置だけ示されても混乱するだけだと思いますが。ま、いずれにしても気
長にお待ちしていますよ。
697 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 06:28:40 ID:/MPc1Gwo
>>692 正教会に学ぶ前にカトリックを深めていく中で正教会との接点を
きちんと押さえていくことが必要ではないでしょうか?自分には
正教会に対して疑問に思うことが幾つかありますね。
黙示録2章6節には[UBSのギリシャ語でΝικολαιτων]
《しかし、あなたにはほめるべき点もある。あなたはニコライ派の
人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。》
上記の他に同じく2章15−17節の黙示録の記述も参考のこと。
とありますが、お茶の水近くの正教の教会はニコライ堂と呼ばれて
いますね。これは偶然の一致かもしれませんが、ニコライ堂が自身
ではこのことに対して説明しているのを聞いたことも見たこともない
のでこうした聖書的に好ましくない一致点に対して注意を払う方が
よいと思います。
パウロはミサの聖体拝領についてTコリント11章23−28節
までに記しています。このイエスが引き渡される夜に行われたパンの
儀式の中心的な意味についてパウロは別の個所で次のような説明を
しています。Tコリント5章7−8節
698 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 06:29:32 ID:/MPc1Gwo
《あなたがたはいつも新しい「練り粉」のままでいるために、古い 「パン種」を取り除いてきれいにしなさい。あなたがたは、もうすでに 「種なしパン」なのですから。わたしたちの「過越の子羊」キリストは、 すでに屠られたのです。ですから、わたしたちは、古い「パン種」や 悪意とよこしまの「パン種」を使ったパンではなく、混じり気のない、 まことの「種なしパン」を用いて祭りを行なうことにしましょう。》 実際共観福音書各書が、イエスの過ぎ越しの儀式について除酵祭の 内に書いているのに(マタイ26章17節 マルコ14章12節 ルカ22章7節)、正教のミサにおける「パン」は酵母が入ったもの を使用するべきとされるようですからこの辺りの正当性に自分は訝しい ものを感じます。 聖書や典礼が正教の場合は文語を使用しいかめしい感じがします。 ギリシャ語聖書本文を規範として常に示し、現代語訳をインターリニア 的に示すことで教会の典礼の現代化を推し進めるほうが、今のままの 文語を死守するよりも発展的で間違いのない東方正教会の典礼や聖書に おける改革になると自分は考えます。今の正教会のあり方は普通の日本 に住む現代人には形においても取っ付きにくいものです。
>>697 御茶ノ水の教会は正式名称は「東京復活大聖堂」です。ずいぶんな仰り
ようですね…^^;
>>698 私はコイネーに詳しくありませんが、機密制定の時のパンの記述には
「アルトース」とあり、これは種無しパンを意味する「アジモン」という
言葉とは明確に異なるものです。
私はプロテスタント出身です。種無しパンの正当性の理由付けも分かっている
つもりです。しかし、正教会は自らの聖伝承を信じています。私も場を弁え、かつ
自らの力不足への理解から、これ以上論じるのは避けますが…。
それからあの正教会訳については何と言われようと私は死守します。聖ニコライの
遺産を、たかだか150年くらいで変えていいはずがない(勿論単語レベルの改訳
は当時から行われていましたがね…)。1000年くらい経ったら考えてもいいかも
知れませんが、「分かりにくい」というだけの理由でこんなに早い時期に改訳
してしまうのは正教会の伝統にはない…(口語を用いているルーマニア等は、あれは
翻訳自体が最近されたものです)。そもそもハリストス教が分かりやすいもの
ですか?
「自らの理解しやすいもの=善」という価値観に縛られていると思いますが?
現代人としてもっと先人に対し、今こそ謙虚にならねばならない時代なのではない
でしょうか?
>>692 ここですとスレ違いの方向の話がしにくいですので、もしよろしければ
こちら↓へお越しください^^;
<マターリ東方正教会>
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1063681818/
「アルトス」は発酵パンを意味します。福音記者はちゃんと分かっていてこの 言葉を用いていた、というのが正教会の解釈・聖伝です。
701 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 12:49:58 ID:DjkGrjfn
>>697 >>698 私は別に正教会の方が優れているから教えてもらおう、と言っているわけではありません。ただ正
教会には今までその民族の文化を積極的に取り入れて来た伝統があるようです。それはカトリック
が少なくとも400年以上行って来なかった事で、不慣れが故に現に第二バチカン公会議以降未だに
混乱が続いているじゃぁないですか。そんな時だからこそ、正教会の持つ先人達の知恵をお借りで
きないか、と思うわけです。疑問は疑問でいいと思いますが、正教会とカトリックを比べてどうこ
うするのが目的ではありません。
ただ、あなたの疑問はちょっと筋違いというか何というか…。まず、ニコライは聖人の名前ですよ
ね。カトリックだって聖ニコラスに捧げられた聖堂なんてヨーロッパに行けば山ほどあるんじゃな
いかな?それにパンが酵母入りか入りか無しかを言う前に、カトリックが使っているホスチアは現
実としてパンですらない。種無しパンってインドのナンみたいな物ですよね。重箱の隅を突き合う
のは止めましょう。
702 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 13:49:51 ID:fmZ8dvrR
>>699 >御茶ノ水の教会は正式名称は「東京復活大聖堂」です。
自分は正式名称が
『日本ハリストス正教会教団 ニコライ堂東京復活大聖堂教会』である
と思っておりました。電話帳に乗っている名称の受け売りです。こちらの
認識が間違っていたのであれば申し訳ありませんでした。レスにあるように
こちらの認識が間違いであれば率直に説明いただけると幸いです。
>「アルトース」とあり、これは種無しパンを意味する「アジモン」という
>言葉とは明確に異なるものです。
新約聖書に「アジモン」という言葉で「種無しパン」を表現する個所はある
でしょうか?あなたが仰る「アルトス」という言葉はヨハネ福音書6章26,32節
で「マナ」に関係する表現として登場しますが、神が酵母を入れて焼いたパン
を民に与えたという意味あいをそこの記述に持たせるのは無理があるように
自分には感じます。また、マタイ6章11節には「主の祈り」中に「アルトス」が
出てきますが、これは厳密にパンだけを意味するというよりも食物や糧という
広い意味合いを含む言葉の使い方であると考えられるのではないかと思います。
旧約聖書において、ロトが訪れた御使いに対して酵母を入れないパンで
もてなす場面があります。酵母を入れないパンは重要な場面でも何かに欠けた
食べ物であるとか「パン」と呼ぶには事足らないのであるとかそういう類の
ものではありません。むしろ主エジプト記34章25節には次のようにあるのです。
《あなたはわたしにささげるいけにえの血を、酵母を入れたパンと共に
ささげてはならない。過越祭のいけにえは翌朝まで残しておいてはならない。》
上記の他にもレビ記2章の他、色々な旧約個所で酵母を入れないパンへの
言及が見られます。旧約聖書中の聖句について「酵母」をキーとして検索
されると宗教的に大切な場面で酵母を入れないパンが多く用いられていた
事実を知ることが出来るのではないかと思います。
703 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 13:50:14 ID:fmZ8dvrR
あなたは種無しパンとしてアルトスと区別した形で「アジモン」という 種無しパンそのものを表す単語を挙げておられますが、その単語は新約聖書 中に一回でも使用されアルトスと区別の付けられた単語なのでしょうか? あなたの主張は、一つの単語を独立させて聖書に無い単語と比較して正当性 を主張しているようにこちらには感じました。聖書の文脈を無視して、根拠の ない前提と定義によって虚しく持論に説明を与えるようなことはしておられ ませんか?こちらで調べてみようと試みましたが「アジモン」の綴りもよく わからないために新約聖書の検索は出来ませんでした。できれば、あなたの 方で「アジモン」という単語が「種無しパン」の意味でここで使われている という具体的聖書個所を示していただきたいのですが、出来ますでしょうか? >それからあの正教会訳については何と言われようと私は死守します。 そんなにムキになられても困ります。こちらはの云々よりも底本であるとか 原語を明らかにする中で典礼や聖書が用いられると正教のあり方も深まるの ではないかと考えて意見を述べさせていただいたまでです。今ある訳をあなたの ように大切にして信仰を深める方がおられる限りその訳を排除したり改変せよ などという気はこちらにはサラサラありません。その辺誤解なきよう。
704 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 13:56:45 ID:fmZ8dvrR
>>701 >カトリックが使っているホスチアは現実としてパンですらない。
びっくりすることを言いますね、あなたは。司祭にあなたの見解を
伝えてみてください。どのような答えをあなたが受けるか自分には
興味があります。酵母のことについては、重箱の隅を突付くような
些細な問題であるとは自分には思いません。「過ぎ越しの神秘」と
表現される重要問題について旧教間の異同について知り合い共通の
理解を深めることは大事な交わりであろうと考えます。
705 :
702-704 :04/11/21 14:02:36 ID:fmZ8dvrR
文面にわかりづらい点、言葉が抜けているところなど乱文がみられますが、 一つ一つ訂正するのは骨がおれますから今はそのままにします。ご了承ください。
706 :
702重要な訂正 :04/11/21 14:14:53 ID:fmZ8dvrR
>>702 の以下の記述中の参照個所は自分の勘違いでした。申し訳ない。
>あなたが仰る「アルトス」という言葉はヨハネ福音書6章26,32節
>で「マナ」に関係する表現として登場します
上記の「マナ」に関係して「アルトス」に言及される個所はヨハネ
6章31節でした。ここにお詫びと訂正をいたします。
707 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 14:44:17 ID:fmZ8dvrR
>>701 > ただ、あなたの疑問はちょっと筋違いというか何というか…。
>まず、ニコライは聖人の名前ですよね。カトリックだって
>聖ニコラスに捧げられた聖堂なんてヨーロッパに行けば山ほど
>あるんじゃないかな?
仰るとおりだと思いますよ、大雑把には。しかし、ニコライという
名前についてきちんと説明があった方が変に勘ぐって近づかない人も
安心すると思います。前世紀は世紀末が騒がれましたし、ハルマゲドン
なんて言葉が色々なところで使われていました。興味本位で黙示録だけ
でも聖書を読んだ人なんかが結構いるのではないかと想像出来ます。
黙示録2章は黙示録のほんの前半始まり部分ですから、そこでニコライ
という言葉が出てくるのはインパクトがあるのではないでしょうか?
ニコライの教えという聖書の記述と正教のニコライ堂を結びつけて考える
人も少なくないと思います。正教が、自らを省みて聖書の記述を鑑み、
人に不安や誤解を与える部分についてはきちんと説明し、間違いは改め、
正しいキリスト教としてカトリックと手を携えて発展的に並存する
道をまずは模索することが総体としての旧教に今必要な動きであるように
自分は思っています。乱文失礼!
708 :
り〜ず ◆HNUDYzuu5k :04/11/21 15:01:01 ID:q92WyJOg
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709 :
名無しさん@3周年 :04/11/21 15:09:55 ID:DjkGrjfn
>>704 そりゃ、神父はパンだって言うでしょうね。今は少し香ばしくなりましたが、5年くらい前のホス
チアは「イエス様の体をかんではいけないという理由で、自然に溶けるようになってるんだよ」と
教会学校で教えられました。真偽の程は明らかではありませんが、カトリック教会以外のどこの世
界に口の中で自然に溶けるパンがあるんですか。どういう根拠があってあのウエハースをパンと主
張できるのかご存知ですか?知ってたら教えて頂きたい。私はどんな根拠があってもあのウエハー
スをパンだと主張するのは無理があると思うんですけど。
酵母の有無に関しては私の理解が浅かった上に失礼な表現を用いた事をお詫びいたします。ただ私
は自分で勉強する程その問題に興味を持てないので、もしよかったら折に触れて教えていただけれ
ば嬉しく思います。
ラゲ訳の聖書が一番しっくりきます。昨今のは「はっきり言っておく」で ラゲ訳は「まことにまことに汝等に告ぐ」で、格調が比べものにならないです。 今日の福音の天国泥棒も「今日汝、我ともに楽園にあらん」です。涙出そう。
>>708 ,:::-、 __
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`ー--' ヽ:::::::::::l l;;;;::::ノ
712 :
。。。 :04/11/21 21:15:39 ID:rTTOYV9w
コピペも満足にできないのかよ! ,:::-、 __ ,,r::::::::::::〈:::::::::) ィ::::::ヽ 〃::::::::::::;r‐''´:::::::::::::::::::::ヽ::ノ ,'::;'::::::::::::::/:::::::::::::::::::::::::::::::::::: l::::::::::::::::::l::::::::::●::::::::::::::●:::::ji |::::::::::::::::::、::::::::::::::( _●_)::::::,j:l クマー! }::::::::::::::::::::ゝ、::::::::::|∪|_ノ::;! . {::::::::::::::::::::::::::::`='=::ヽノ:::::/ ';::::::::::::ト、::::::::::::::i^i::::::::::::/ `ー--' ヽ:::::::::::l l;;;;::::ノ
そんなことも気が付かないのかよ!
715 :
。。。 :04/11/22 23:22:01 ID:ealVAWrK
日本人の癖にラテン語なんかに拘るのはどういうことだ! ラテン語の典礼なんて退屈すぎて欠伸がでちゃうよ!
君のところのコーランもアラビア語だよなぁ?
>>707 >ニコライの教えという聖書の記述と正教のニコライ堂を結びつけて考える
>人も少なくないと思います。
…いないって、そんな人。
(・∀・) ◆.IjycOFqtg さん。
詳しいことはよく知りませんが頑張って下さい。あなたは好感の持てる方だから。
さてカトリックの方に質問。 美学というか、言葉の美、音楽的な美というものに対してそれほど重視しない考え って、こちらでは強いのですか?
719 :
名無しさん@3周年 :04/11/24 21:47:21 ID:aKFMZbCW
>>718 みんながみんなそういう事も無いと思いますけど、しかし今の日本のカトリック(私はよくこの言
い回しを使いますが、他の国の事を知らないもので)では、神学的な意味が無いものや希薄なもの
を典礼から排除する動きは強いですね。美が神様と結びつくという発想があまりないのかも知れま
せん。どちらかと言えば美よりも実用性を重視する感じはします。ミニマムで満足しているような
部分はあるかも知れません。
音楽で言えばそれは特に顕著ですね。典礼聖歌の使用は、多くの人が満足しないままに納得してい
ます。美しく歌い上げる聖歌隊がいれば、「コンサートじゃないんだ」と否定される場合もありま
し、かといって新曲を練習するほど気合いも入っていない。音に対して無気力な感じを受ける場合
が多いですね。信仰から出た曲の美が教会の外で一人歩きしてきた歴史に対する拒否反応かも知れ
ません。
言葉で言えば、一部の人たちがその権限を握っていますから、今更どうこうできないでしょ?とい
う感じでしょうね。
>>719 レスをありがとうございます。
「コンサートじゃない」という意見は実は正教会でもよく聞く意見です。で、これは
正論ではあります。しかし私が思うに、こういう事を言う人の殆どが、自らの音楽能力
を磨くことに対する怠慢を正当化しているだけの人が多いように思うのです。何故なら
そうした人々も、視覚的な美については注意を払っているからです。
美は最終目的ではありません。アトスの修道士も「この世的な美に執着してはならな
い」と教えています(現代の修道者テオクリトス=ディオニシアトスの著作より)。し
かし同時に修道者は、「この世は神が創られたものですから、本性は美なのです」とも
教えています。
美にとらわれて最終目的を見失ってはならない。しかし美をことさらに捨象していく
かのような姿勢には、私は強い疑問を抱きます。
中東的旋律のギリシャ聖歌や、若干とはいえ西欧的なロシヤ聖歌しか聴かなくなった
近頃ですが、それでもヴィクトリアとモーツァルトだけは今でも聴きます。特にヴィク
トリアは(あまりたくさん知りませんが、今まで聴いた中では)最高の西欧聖歌作曲者
だと思います。彼は宗教曲以外、作っていません。
他の方のレスもお待ちしています。
721 :
名無しさん@3周年 :04/11/24 22:28:41 ID:aKFMZbCW
>>720 高田三郎氏の曲もいかがですか?「来なさい、重荷を負うもの」や、最後の作品「神のみわざがこ
の人に」なんて涙無しでは聞けませんよ。日本人に生まれて良かった、と思えるのはその作品を聞
く時くらいですかね(笑)
視覚的な美に関して言えば、誰も知らない所で祭壇に花を生けたりする人がいらっしゃいます。あ
る事が当たり前で気付かないくらいですが、無ければ殺風景。そんな素朴な心遣いは本当に素敵で
す。顔も知りませんが、きっとその人に取って聖堂はまぎれもなく「わたしの父の家」なのでしょ
う。
>>721 今度聞いてみますね^^。
高田三郎氏ですが、今まで聴いたのは「水のいのち」(←これは歌ったこともあります)
とか、「イザヤの預言」とか…。後者は「?」でしたが(どうも現代語訳聖書は歌になる
と「?」になることが多いですな…)、前者は合唱曲中屈指の名曲ですね。聖書的な言葉
「降りしきれ雨よ、全て赦しあう者の上に、また、赦しあえぬ者の上に…。」を綺麗に歌
い上げています。
花についてのお話、いいですね^^。レクリエーション活動や政治活動に嫌気がさして
しまったこともあって教会から離れていたこともある私にとって、聖なる行いだと感じる
ものは、聖堂に花を活けているおばちゃんとおじちゃんの姿です。
723 :
名無しさん@3周年 :04/11/25 22:04:27 ID:GL4Zy2sD
>>717 スマソ
ここんトコ忙しくてオチ気味
師走だな
725 :
。。。 :04/11/26 00:52:20 ID:pDrMj1Is
使える聖堂を壊して、前よりもデザインが悪い聖堂を建てるなんて、 よくそんな無駄に出来る金があるな。
726 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 01:36:08 ID:yM9I+A0S
>>709 あなたは、カトリックに興味をお持ちのようですが、パンについて煎餅だとか
ウエハースだとか形容する方はカトリックに対して斜に構える人たちの物の言い方
です、そういう認識や表現は使わないほうがいいですね。
>>717 あなたへのレスは別にきちんとしているのにそちらには答えず、人様のレスに
レスをつけるのですか?アジモンというパンを示す名詞は新約聖書にないかも
知れませんね、こちらが意地の悪い質問を浴びせ掛けてしまったようで逆に
申し訳なく思っています。自分は「アルトス」という名詞を「パン」と捉え
マナや主の祈りに言及するときにも用いられる言葉であると認識しています。
「アジモン」はパンを示す名詞ではなく、酵母の入っていない意味合いに
おける「パン(アルトス)」を共観福音書各書文脈上や旧約儀式の内容に則し
適切にそのことを表現するために用いられる形容詞ではないかと考えています。
727 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 01:44:16 ID:yM9I+A0S
聖歌の話題があるみたいなので自分のことも少し話させていただいて いいでしょうか? 自分は典礼聖歌集の中では、371番「しあわせなかたマリア」 391番「ごらんよ空の鳥」396番「救いの道を(教会はひとつ)」なんか が割合と好きです。 昨今の明るい新しいタイプの聖歌(?!)の中では、「アーメン・ ハレルヤ」や「マラナタ」なんかはまあまあ歌ってもいいなあ、という くらい好きな方です。しかし、「神様といつもいっしょ」は歌詞に すこし引っかかるところがあって好きじゃありません。
728 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 06:47:32 ID:MYASq85J
>>726 いえいえ、私は根っからのカトリックですよ。入信の秘跡は全て受けています。私に取ってホスチ
アがパンだろうがウエハースだろうが何の問題もない。キリストの体かどうかという事が重要なの
です。むしろ知りたいのは、繰り返しますが、なぜあのウエハースをパンだと主張できるか、とい
うことです。斜に構えてるというなら根拠を教えて下さいよ。誰がどう見たってあれはパンじゃな
いでしょ?
>>入信の秘跡は全て受けています。 俺は1つしか受けてない・・・。
>>729 入門式と洗礼式と堅信式を言ってるんかいな?
「根っからのカトリック」なのになんでだ?
>>728 >なぜあのウエハースをパンだと主張できるか、
世界には食パンと菓子パンしか無いのか?
731 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 14:02:25 ID:btA2vhe4
入門式、洗礼志願式、洗礼式、堅信式。燃焼系アミノ式。
732 :
まなみ ◆55nynIr58w :04/11/26 14:36:21 ID:tPgjJDJl
いつも疑問に思いますけど、[聖書と典礼]を、なぜ皆さん持ち帰らないのでしょうか? ミサの後、戻された[聖書と典礼]は、教会ではどうされてるのでしょう?
733 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 14:45:03 ID:3YqD2kkt
>>731 入門式とアミノ式は秘跡じゃないでしょう。洗礼、聖体、堅信を入信の秘跡といいます。成人洗礼
の場合は1度にこなしますが、私は幼児洗礼ですのでバラバラに受けました。だから初聖体を含め
て「全て」と言ったのです。
>>730 人間が食べるのは何でですか?栄養を摂取するためですか?人をもてなすためですか?根本的な理
由は食欲を満足させるためですよね。空腹感を満たすためじゃないですか?ご飯とかパンはその中
でも特に大きな役割を持ってますよね。文献や教義からどんな理由を引っ張って来たとしても、そ
れは概念的な事であって、現実にホスチアは食物としてのパンの基本がなってないでしょう?それ
とも私の知らない所でホスチアを主食として毎日ポリポリ食べてる食文化を持つ人たちがいらっし
ゃるのでしょうか?
734 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 14:47:17 ID:btA2vhe4
たしかにウエハースはパンじゃないな。 でもパンをちぎって食べるのが大人数だと面倒とか、 そういう便宜上の理由なのでは。
発酵パンについてですが… どうも誤解なさっておいでの方がいらっしゃるようですが、私は正教会の伝道会 で教えられている程度のことを示し、当方にもそれなりの言い分はあるという事を 示しただけです。そして西方教会が種無しパンを用いることにある程度の正当性を 認める根拠も、プロテスタント出身の私はある程度は知っているつもりですし、別 にカトリックが種無しパンを用いていらっしゃることについてとやかく言うつもり は毛頭、ありません。私は疑問に答えて東方の弁護をしたに過ぎず、これは西方へ の攻撃を意味するものではありません。 私は部外者ですから。
736 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 21:11:20 ID:3YqD2kkt
>>726 >>733 の補足ですが、私は御聖体に対して何らの疑いを持つ者ではありません。あのホスチアが現
実として、繰り返しますが、現実としてパンではないだろう、と言っているのです。敬虔や忠実と
言った表現は当てはまらないにしても、私はカトリックの人間です。しかしホスチアがパンだろう
がウエハースだろうがせんべいだろうが、私の信仰には何の影響もありません。
その上で再度お尋ねしますが、どうしてあのホスチアがパンなんですか?
737 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 22:08:29 ID:0EVgj4n6
>>735 こちらも正教の教えに対して攻撃をしたのではなく、正教の教えに対する
こちらの疑問を率直に申し上げただけです。そちらもこちらの直近の質問に
答えておられないばかりでなくこちらがお尋ねすることに対する認識において
もこちらの意図を誤解されているようですから一言申し上げておきます。
>>728 >>736 聖体のパンは小麦と水とオリーブ油のみで出来ていますが、煎餅は米が
使われ、ウエハースは卵や砂糖などが使われているでしょう。パンである
ホスチアと菓子であるウエハースや煎餅を一緒くたの概念で論じるなどと
いうのはまったく無意味なことです。
あなたのような人は、アンパンミサでもゴーフルミサでも何でもあり
なんだ、なんて考えるかもしれませんが、神への感謝や過ぎ越しの生け贄に
添えられるパンは旧約を通じても新約の文脈上も酵母の入っていない純粋
な「パン」を使う原則があるのです。パンの形状や信徒の良心が大切なので
はなく、聖書という「聖伝」の一つに沿うこととイエスキリスト自身と彼を
信じた使徒と弟子、彼らの跡を継ぐ信徒たち、に一致する信仰表現が大切
なのです。あなたのウエハース発言は、信仰表現の適切さを決定的に欠いて
いるものです。ミサ中の聖体に対する司祭の文言、要理における聖体の説明
などをもう一度再確認して下さい。
738 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 22:34:54 ID:3YqD2kkt
>>737 私に対する批判はいいですから、なぜあのホスチアがパンなのかにお答え願えませんか?酵母の有
無の事は謝りましたよね?それに私はウエハースでミサをして良いなどと言った覚えはありません
し、そのようにも思っていません。私が言いたいのはホスチアは現実に種無しパンではないだろ、
という事です。どこの中東料理店で種無しパンを頼んだらホスチアが出てくるんですか?もしホス
チアは実態も概念もまぎれも無く種無しパンだと言うなら、その根拠を教えて下さいよ。知らない
なら知らないと言ってくれればこれ以上質問もしませんから。私を批判する前に質問に答えてくだ
さい。材料が小麦と水とオリーブオイルだから、なんて理屈は、出来上がったホスチアがパンであ
る事の説明にはなりません。無意味だと思われるならお答え頂かなくて結構ですが、私の質問に答
えずに筋違いな批判をされても納得は行きませんが。
739 :
くしこ :04/11/26 22:47:03 ID:1zAc1mF5
>>738 イエスさん達が使っていた種無しパンは、ああいうものだからさ。。。
740 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 22:51:26 ID:Ulqs1kUk
741 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 22:53:49 ID:3YqD2kkt
>>739 え?最後の晩餐で使われていたパンはホスチアだったんですか?それが本当なら謝らなければなら
ない。本当なんですか?根拠はどこにあります?私が典礼学概論で習ったのは、中世になって聖体
顕示の習慣が出てくるまで、カトリックもナンみたいなパンを使っていた、という事だったんです
けれども。
742 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 22:54:19 ID:DJD/7K5U
イエズスのお肉は混じりけのないお肉。だから、酵母抜きなの。 パトラッシュ、もう疲れたよ。
743 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 22:56:57 ID:0EVgj4n6
>>738 どんな答えをあなたは望んでおられるのですか?
『イエズス・キリストは、どのようにして聖体の秘跡をお定めになりましたか。
イエズス・キリストは、ご受難の前、最後の晩さんの時に、パンをとって
感謝し、使徒たちに与えて「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたの
ために渡されるわたしのからだである」と言われ、次に杯をとって感謝し、使徒
たちに与えて、「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなた
がたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい契約の血である。
これをわたしの記念として行いなさい」と仰せられ、聖体の秘跡をお定めになり
ました。(マタイ26・26-28、マルコ14・22-24、ルカ22・19-20、Tコリント11・23-25参照)』
[カトリック要理改訂版 P178より抜粋]
上記のようなミサ中の司祭の言葉というもの、その時に掲げる聖体について
司祭の言葉をそのまま受け止めることが信徒に必要な態度ではないかと自分は
思います。ホスチアがパンでないとすれば、あなたにとって何なんです?
まだウエハースだとかゴーフルだとか煎餅だとか言うおつもりなのですか?
744 :
くしこ :04/11/26 23:07:56 ID:1zAc1mF5
>>741 ラテン教会の解釈では種無しパンを使用だからさ、
あんなのを使ってたということだから。。。
カトでも東方諸教会は酵母パンを使用。
745 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:13:53 ID:3YqD2kkt
>>743 だからそんな深い話じゃないんですよ。あのホスチアをパンだと言うのは無理があるから、その
根拠を教えて下さい、と言ってるんです。もしイエスがホスチアを使ってたんであれば何の問題
もないでしょう。誰が見たってパンではないホスチアをパンだと言うからには、何かしらの神学
的根拠があるんでしょう?司祭の言葉だってその根拠が前提になってますよね。その根拠を教え
て下さい、と言っているんです。要理だってパンと言っているのであってホスチアとは言ってい
ない。
>>709 でホスチアをウエハースと形容したのは軽卒でした。お詫びします。
746 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:14:27 ID:0EVgj4n6
>>738 >材料が小麦と水とオリーブオイルだから、なんて理屈は、出来上がった
>ホスチアがパンである事の説明にはなりません。
あなたの主張は、何がなんだかさっぱりこちらにはわかりません。聖体が
キリストの身体を表現するものである以上その実質を純粋に保たなければ
ならない。そのために動物の乳や砂糖や卵などを入れずに神に捧げるパンに
準じて純粋な種無しパンを用いるというのは当然すぎるほど当然の感覚では?
747 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:17:38 ID:3YqD2kkt
>>744 「種無しパンはホスチアであり、ホスチアは種無しパンである」という論理が成り立つのですか?と
いう事です。酵母が入っているか入っていないかの問題では無いのです。
748 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:22:15 ID:Ulqs1kUk
>>747 そんなにカッカしないで。
現在のようなホスチアの形態は歴史的に成立してきたものでしょう。
材質はともかくパンには見えないというご意見なら、そのとおりだと思います。
749 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:25:01 ID:0EVgj4n6
>>745 ホスチアと表現するのは、それがイエス・キリストの身体を示す
からですよ。『いけにえ』という意味合いがホスチアという言葉の
由来です。イエスがパンを取って弟子にご自身の身体として渡された
そのことを記念する儀式を記念としてミサの中でずっと繰り返されて
いるわけです。誰が見たってパンではないとあなたが思うのは、
変なミサや要理や信仰とは別の知識によって示されるある種の謬説
です。パンの小片であってもそれはパンであると言えるのです。
パンくずではありませんし、もちろん煎餅やウエハースではないのです。
なんだか、だんだん自分の方の書き込みも何をあなたに伝えたいのか
わからなくなってきましたが、あなたの執拗な「パンではない」宣言は
その主張に方向性が見えません。信仰の観点ではなくて、パンではない
可能性をひたすら求めて答えを欲しているかのようです、あなたのレスは。
どうにかなりません?無意味な議論は、このあたりで止めましょう。
750 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:25:11 ID:3YqD2kkt
>>746 そう言ってもらえれば分かりますよ。不純物を排除し続けた結果あの形になったのですね。ただパ
ンがパンである存在意義、というよりも食物である存在意義を排したらそれはパンと呼べますか?
→
>>733
751 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:32:14 ID:/8qSFDyy
>>750 不純物の問題だけでなく、いかにパンくずが出ないようにするかという問題を追及した結果でもある。
マビヨンによれば6世紀にはあの形のホスティアで統一されつつあったようだ。
752 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:34:11 ID:3YqD2kkt
>>749 望む所です。私も早く打ち切りたかった。あなたのこのレスではっきりしました。私は信仰の観点
からの答えなど要求していないからです。信仰の観点から言えば、私に取っては御聖体ならなんで
も良い。しかしあなたに取ってはそうではない。逆に私が質問した現実にパンではない可能性の問
題に、あなたは意味を見いださなかった。それだけの事です。話は食い違って当然です。どうもお
つかれさまでした。また色々教えて下さい。
753 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:34:32 ID:Ulqs1kUk
そうそう。屑もご聖体だからね。
754 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:34:51 ID:GWO4Sy+S
メシアニック・ジューの聖餐式は 主イエスの最後の晩餐に近いのかな。
外部から観察していて…
>>748 Ulqs1kUkは
>そんなにカッカしないで。
3YqD2kktが
>>738 で真摯な質問をしているのに対して、失礼かつ、
おちょくりとも受け取れるやりとりをしているのが、甚だ遺憾である。
>>749 0EVgj4n6へは
相手の質問の意味も分からず、「どうにかなりません?無意味な議論」
と断定して打ち捨てる投げやりな態度は、あなたの方こそ「どうにか、なり
ません?」と映じる。
756 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:38:11 ID:0EVgj4n6
>>750 >そう言ってもらえれば分かりますよ。不純物を排除し続けた結果あの形に
>なったのですね。
不純物を除去した結果ではなく、はじめに定められた様式やイエス・キリスト
の言葉をはじめのように今も守っているのだと考えてください。
757 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:40:28 ID:3YqD2kkt
言われる前に言いますが、
>>755 は自作自演ではありません。
今フと気づいたコト。 ホスチアがまったく普通の種なしパンというのはまずい。 くさらない、保存できる状態のものでないと、 ご聖体として常時置いておいて聖体訪問はできても、 病気の方のもとへ運んで食させるわけにはいかない。
759 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:43:49 ID:3YqD2kkt
>>756 興味あります。はじめに定められた様式とは何を意味するのですか?イエスがホスチアに言及した
のですか?
>>755 私も一連の流れを拝見して、同様な感想を持ちました。
3YqD2kktさんの質問には歴史を通し儀礼化、権威化
のプロセスを辿る組織が陥りやすい問題点を考察する
姿勢を感じます。意味の変遷、オリジナルと異なる物の
混入とそれの正当化・伝統化など。
761 :
758 :04/11/26 23:44:35 ID:YJ2d0jNc
ホスチアがまったく普通の種なしパンというのはまずい。× ホスチアが、まったく普通の種無しパンと同じ形状、同じものだというのはまずい。 ○
762 :
名無しさん@3周年 :04/11/26 23:53:17 ID:0EVgj4n6
>>752 ウエハースや煎餅を使って司祭がその気になってそれらを聖別したと
しましょう。あなたは、それらがイエス・キリストの最後の晩餐でイエス
が行ったことの記念として相応しい御聖体に聖変化するのだと考えますか?
カトリックでは、キリスト者たちの信仰は、およそ個人的な企てではなく、
使徒から連綿とつづく普遍的な教会をなしている「神の民」に自分の心を
あわせることであるとされます。ですから、カトリックが教えているミサ
でのパンをパンとは呼べないとか、イエスの最後の晩餐でのことを記念する
ものとして不適当であるとか、そのようなことを発言するためには聖書など
の聖伝や教父の言葉や聖人の言葉、あるいは過去のカトリックの歴史上の
具体的な事例と事実に基づいて発言しなければなりません。
763 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:02:01 ID:VQfCIc1K
>>759 『107 イエズス・キリストは、どのようにして聖体の秘跡をお定めになりましたか。
イエズス・キリストは、ご受難の前、最後の晩さんの時に、パンをとって
感謝し、使徒たちに与えて「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたの
ために渡されるわたしのからだである」と言われ、次に杯をとって感謝し、使徒
たちに与えて、「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなた
がたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい契約の血である。
これをわたしの記念として行いなさい」と仰せられ、聖体の秘跡をお定めになり
ました。(マタイ26・26-28、マルコ14・22-24、ルカ22・19-20、Tコリント11・23-25参照)
なお制定以前に、すでにキリストは聖体の秘跡を約束しておられました。
「天からくだった生きるパンは私であって、このパンを食べる人は永遠に
生きる。そして私の与えるパンは、世の命のために〔わたされる〕私の
肉である。」
「私の肉を食べ、私の血をのむ人は永遠の命を有し、終わりの日に、
その人びとを私は復活させる。」(ヨハネ6・51、54)
「これをわたしの記念として行いなさい」ということばによって、イエズス・
キリストは聖体に対する権能と任務を、使徒たちとその後継者にお与えになり
ました。この権能と任務を受け継ぐ使徒たちの後継者は、司教と司祭です。』
[カトリック要理改訂版 P178-179より抜粋]
旧約聖書は、古代西アジア遊牧民の「妄想」です。 西アジア遊牧民とはすなわち、「あの首切り人種」がいる民度の低いチグリス・ユーフラテス川からヨルダン川にかけてのセム・ハム語族(古代ヘブライ人・現在のアラブ人)のことです。 旧約聖書は、以下の3つの邪教を生みました。 ●ユダヤ教 ●キリスト教 ●イスラム教 旧約聖書は、男尊女卑の書です。神に似ているのは男性になっていますが、生物学によれば全ての生物の胚は根本的にメスです(胚発生後も男性に乳首があるなど)。 旧約聖書は、徹底して一神教であり、神の栄光のため、人間を地上の支配者とさせるべくこの世を作ったとされていますが、自然破壊の最先端を行く邪教と言えます。また、生物学的にも生態学的にも地球の主人公は人間ではありませんし、ありえません。 旧約聖書を土台としている以上、新約聖書、コーランは妄想の重ね塗りです。 旧約聖書の歴史的価値は、成文法の成立、社会秩序の構築、古代遊牧民文学として貴重です。が、その一方で自然崇拝やアニミズムを一方的に「原始的」とする独善性を常にはらんでおり、徹頭徹尾あくまで古代の人間の書いた書物です。 イラク戦争を見るまでもなく、旧約聖書は、その歴史的価値を終えようとしています。この世は相対的であり絶対的ではありません。量子力学の研究成果は、むしろ相対的価値観を重視する多神教の世界の正統性を示しています。 量子力学者の多くが、研究すればするほど東洋思想に魅せられ、多神教を信奉しています。
765 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:07:36 ID:sBz127ur
まず、基本として。
>>763 さんの抜粋された部分、この時が過越祭。
主は過ぎ越しのパンにご自分をなぞらえた、と考え、
種無しパンを使ってミサを執行するようになったのですよね。
('A`)<ヒロシです・・・ ('A`)<ホスチアをパンと言うのに抵抗があります。 ('A`)<ヒロシです・・・
767 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:19:19 ID:VQfCIc1K
>>765 違いますね。イエス・キリストはこの過ぎ越しの儀式を終えた後、捕まって
十字架にかけられます。十字架の姿がいけにえの子羊としてのご自身でしょう。
「私の肉を食べ、私の血を飲む」と表現するイエスの思いは十字架のいけにえの
奉献を前提とされていたのだと思われます。ですから、その血を酵母の入った
パンと共に食すことは出来ないのだと旧約の次の記述からも言えます。
出エジプト記23章18節
《私にささげるいけにえの血を、種を入れたパンとともにささげてはならぬ。
私の祭りのいけにえのあぶらを、あくる朝まで残しておいてはならぬ。》
768 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:20:41 ID:SLPKuZ6I
>>762 また蒸し返しますか?だったらイエスが最後の晩餐で食した種無しパンが今のホスチアと同じだと
いう、歴史的に、科学的に誰も反論出来ない根拠を示して下さい。
ちなみにホスチアが「いけにえ」と言う意味だ、との事は知っています。ただ、あの「小麦と水と
オリーブオイルから出来ていて、カトリックが儀式で使い、あなたがパンだと主張なさる」物体に
他の固有名詞がないもので。
769 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:37:49 ID:sBuf+3Qn
パンの定義 ウィキペディアから
http://en.wikipedia.org/wiki/Bread Breads are a group of staple foods prepared by baking, steaming,
or frying a dough consisting minimally of flour and water. Salt
is necessary in most cases, and optionally a leavening agent is
used.
最低、小麦粉と水を使って揚げたり蒸したり焼いたりしたものをパンと呼ぶらすぃ。
770 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:40:27 ID:SLPKuZ6I
分かりました。降参します。あのホスチアはパンです。間違いなくパンです。誰がどう見てもパン です。慈悲深い主イエスよ、この罪深き私を憐れんで下さい。
771 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:46:24 ID:VQfCIc1K
>>768 カトリックのミサの歴史の中でホスチアにパンが用いられていなかったと
いう時期がありますか?司祭がミサの中でホスチアを取り上げる時にも、
「渡される夜、パンを取り・・・」と言うでしょう?あなたはパンが小さいから
パンではないとか薄いからパンではないなどと言うわけですか?ホスチアの
ことを「形や外観上はパンじゃない」などと言うのならあなたはカトリック
信徒ではなくなっちゃうのではないですか?逆の言い方をするならば、パンで
ないホスチアはミサに使うホスチアにはなりえないのですよ。
772 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:51:29 ID:sBuf+3Qn
>>771 まぁまぁ。
パンとは何かがわかったら、ホスティアもパンだと納得してくれたようです。
773 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:53:09 ID:VQfCIc1K
>>770 そうですか、誰にとってもミサは大切にしなければならないものです。
あなたの考えが反映されて聖変化されたホスチアが腹が膨れるほど食べ
られるミサを行う教会なんかが現れればいいかもしれませんね。
でも、Tコリント11章20節以降21-2節や34節などの記述を参考にミサの
あり方を考える必要もあるとは思います。
774 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 00:56:16 ID:VQfCIc1K
>>772 調べてくれてどうも。相手も渋々かもしれませんがナットクして
下さったようなので、あなたの情報に感謝!
>>770 妥協と譲歩の泣き寝入りか…
ダミダ、コリャ・・・
776 :
。。。 :04/11/27 01:25:00 ID:+YyShEgk
なんだよ〜あんなのパンじゃないって言い張ってくれよ。
777 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 01:40:12 ID:SLPKuZ6I
>>771 敗北宣言を出したのにまだ言いますか?カトリックではない、とか、異端者と言われるのは慣れて
いますが、それを判断するのは教会裁判所の役目であなたではない。そんなに私の信仰が気に入ら
ないなら教会裁判所に告発すればいいじゃないですか。私は
>>770 の敗北宣言を持ってこの議論を
打ち切るつもりでしたが、どうやらあなたは敗者をいたぶるのが好きなご様子だ。
,,.. -──- 、, ,. ‐'"::::::::::::::::: ....:``'-、 ,/::::::::::::::::::: ....::::::::::::::::::::::::ヾ:、 ,...., /::::::::::::::: ..:::::::::::::::i、::::::::::::::::::::'、':,. / ヽ /::::::::::: ....:::::::::::::::::::::i:::!`、:ト、::::::::::::i i! / i i ...::::::|'、ヽ;::::::::::::::|,!:!__リ,,'iヽ::l''、:'、 / / | ..::::::::;:::i!:i ヾ:、ヽ:::::::::| リ , -─ リ i;il:ヽ, i / あはははは〜 l:::::::::::::::i',i ':i ,メ、 \;:l '゙ `、 !::::/l ...::::::/``ヽ l::ヽ:::::ヽ:i,レ',.゙-‐'''' ',/'/..::::::::::/ l'ヽ;、 こいつら旧約聖書 i:::::>、:ヾ,' / _,.. -‐'ヾi ,レ'::::::::::;r':.. / i_\ i:::i. `'‐,ゝ i" '! ,.‐''" :::::::::::i゙::::::::.../. ノ 'i 信じてるよ。 !::\ `ヽ ':, l{ ..:::::/::L,. ‐'":::::;/ ! l::::::::`''‐r\ ヽ.,__,.ノィ'‐-‐''"'ォ‐--,゙弋''''"::::::;.ノ |::::::::;ィ:::}、 ``'''─--、-‐ニ┤ ___ハ,`''ーヽ-'=‐''"::: !::::::/ i:::|、\ ヾ´. i ヽ 、''‐-、_::::::::::::::::: / i:::::/ i:::ハヽ`''‐、/l__\,| / ヽ--、,.ニ=‐--‐'"
779 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 01:53:23 ID:VQfCIc1K
>>777 しつこいですね。敗者だと自身を卑下していいわけはないでしょう?
「わかりました」と素直に言えないならドンドン噛み付いて来てもいい
です。よろしくどうぞ。
>>778 新約聖書は旧約聖書をなくしては語れません。
マタイ5章17−20節
《あなたがたは、わたしが律法や預言者の教えを廃止するために来たと
思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのである。
あなたがたによく言っておく。天地の続くかぎり、律法の一点一画も
消えうせることはなく、ことごとく実現するであろう。だから、最も
小さなおきての一つでもこれを無視し、またそうするように人々に
教える者は、天の国で最も小さな者と呼ばれるだろう。しかし、
おきてを行ない、またそうするように教える者は、天の国で大いなる
者と呼ばれるであろう。》
>>779 そんなことは誰でも知っている。
要点は、旧約聖書がカスなので、そのうえに成り立ってる新約聖書やコーランは言うまでもなくカスです。
781 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 02:07:17 ID:SLPKuZ6I
>>779 しつこいのはあなたでしょう。私の言いたい事は
>>733 と
>>747 に書きましたよね。それに対して
>>746 で反論出来ない事実を示された。これ以上何が言えますか?だいたいこの議論を「無意味」
と言ったのはあなたでしょうが。私が敗北宣言を出したんだから素直に喜べばいいのはあなたでし
ょう?
782 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 02:08:14 ID:l+WO50ib
宗教は戦争の基。 自分が正しいと言い聞かせ、悪を討つ。 大嫌い。
>>777 心情的にはあんたのほうを応援していたんだけどね。
敗北するなよな。
「パン」の定義についてそれぞれ考えてることが違ってただけなんとちゃうかと小一時間・・・・・・。
形相的には過ぎ越しのパンと、ホスチアのパンは違うもんなぁ。
イエスの時代のパンはナンみたいな形状だったと思われ。
あの形(小さいやつ)に変わったのは中世。
けど、実体としては同じ。本質的にホスチアパンはイエスのパン。
どっちを想定して語ってるかの違いで、そこ、すれ違ったままだと、
アンパンでもいいのか?という話になってしまうのもしかたない罠。
784 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 02:10:39 ID:SLPKuZ6I
>>SLPKuZ6I 信仰者は、自分で善悪の判断や分別が付けられないから 他人が先に行なった出来事や下した決定、紙に書かれた文字に拠り所を求めて 自分が信じるところの根拠を提示するより他、表現の方法を知らない。 すべてはそういうことです。 哀れんであげなさい。
>>780 君のレスはスレ違い。荒らし、煽りは別のスレッドでどうぞ。
787 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 02:45:45 ID:VQfCIc1K
>>781 議論に勝つために典礼スレッドで書き込みしてたんですか?
自分は議論がどうあれ、お互いに納得する公正さと明解さにたどり着く
ことこそが大切だと思っています。
>>785 人の心の弱みに付け込んだ悪質レスを信徒でない人は遠慮して!!
788 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 02:46:27 ID:VQfCIc1K
あとは、もう休みます。では、また。
789 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 03:10:56 ID:rIUMn0v6
改宗者、もっと落ち着けよ。
790 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 08:06:07 ID:SLPKuZ6I
>>787 人の事を斜に構えるだのカトリックじゃないだの言いながら、人の意見を執拗だとか無意味だとか
言いながら、お互いに納得する公正さと明快さとはよく言えますねぇ。
確かに議論の勝ち負けは重要ではありませんが
>>749 であなたが言ったように、無意味な議論がど
うにかなったんだからいいじゃないですか。そもそも議論にすらなっていませんよ。まともなやり
取りと言えるのは、事の発端である
>>701 に対する
>>704 だけですよ。それ以降私はひらすら質問
しているのに、それに答えてくれるレスは
>>769 まで出て来なかったじゃないですか。多分
>>769 は文体から見てあなたじゃないですよね?という事は、私がここであなたに「俺は納得してないよ」
と言えば、また食い違った言い争いが始まるだけです。だから
>>770 をもってこの話題を打ち切ろ
うよ、と言っているの。だってあなた最後の最後まで私の質問を理解しなかったじゃない。私の文
章力の無さだろうけどさ。
791 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 11:11:31 ID:Cz1myWtf
>>790 あなたが自身をカトリックの幼児洗礼を受け、初聖体も堅信も受けられた
信徒であるというのでこちらは信仰としてあなたの「パンじゃない」発言が
どこから出てきた考えなのかが皆目わからなかったわけです。パンの定義を
百科事典から持ってくることがあなたの望みであったとは自分にはわかりません
でした。百科事典というのは自分も時に使用しますが、好きな書物ではあり
ません。バラ十字の教義やフリーメイソンが、百科事典を奨励する教えを
持っているようなので、その関連で百科事典の使用が好きではないのです。
典礼を考えるスレッドで、カトリック信徒でありながら、ミサの起こりと
ミサの『パン』の意味合いについて科学的(?!)説明を求められるなど思っても
見ないことでした。あなたの質問の意味合いを汲み取れなかったこちらの不手際は
ご容赦のほどを。
ただ、あなたの発言にこれからは注意をします。あなたは対話の相手を
信仰や愛の正しさに導こうとせず、相手の信仰が理性的であり神に集中する
ものではないことを願っているかのようであり、相手が愛よりも勝負への
こだわりをもって満足するように対話を方向付けようとしておられるかの
ようでしたので。そして、ここにその対話の結果を見ると、あなたの姿勢や
納得の基準もカトリックとは似て非なるバラ十字などの神秘主義が教える
内容を彷彿とさせるものなのでした。あなたがお気づきになっている
かなっていないかはわかりませんが、あなたはどこかイエスとその使徒や
弟子に心を合わせこころを合わせるカトリックから少しずれた所におられる
気が書き込みを読むこちらにはしてなりません。あなたとのやり取りを
通じても昨今のカトリックの揺れがどれほどひどいものなのかその一端が
わかったような気がしています。今まで、質問を下さりまた忍耐強くお付き合い
下さったことは感謝です、ありがと。
>>791 あんたの一連の書き込みからも愛なんて感じないけどね。
793 :
791 :04/11/27 11:18:28 ID:Cz1myWtf
>>791 の文面は、言葉が重複していたり意味の汲み取りにくい文が
あり、乱文すさまじいものでした。ご容赦あれ。
794 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 11:21:26 ID:Cz1myWtf
>>792 愛というのは具体的な現実ですから、ネットの不特定多数に愛そのものを
分け与えることなんて無理ですしそんなことをしてはおかしいですよ。
書き込みに愛は要りませんが、信仰者の態度として愛や正しい信仰に
相手を導く姿勢と情報が不可欠だと思います。聖書や教義と比較して
相手の発言のどこに問題を感じるかということを率直に指摘することが
一つのまじめな相手に対する姿勢だと自分は思っています。
795 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 11:28:08 ID:Cz1myWtf
>>792 >>794 で書いた事に加えて一番大事なことは、書き込みをする人個々が
神に集中しているのか、神からそれたところに注意が向かっているのか
ということです。神に集中する中で信仰が語られる場合は正しいのです。
聖書に書かれていることを悪魔もイエス・キリストを公生活前に誘惑した
ように誘惑の材料として使用するでしょう。悪魔は関心を世と世の事柄
に向けさせるように努力し、イエスは神と神の御旨に関心を持つことを
主張しています。同じ聖書を用いるのであっても信仰者であれば、イエス
に倣うという一つの方向性を持たせて親交を深めなければならないもの
なのではないでしょうか?
796 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 11:30:24 ID:Cz1myWtf
また、一端休みますよ、では。
>>794 それで、ID:SLPKuZ6Iを正しい信仰はともかく
愛に導くことには成功したと思ってるの?
798 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 12:36:25 ID:gyWfAsFm
>>797 何が愛なのかは、神を信じる信仰が本物であり、その神への愛と神からの
愛を確信することについて隣人との間にまで押し広げた限りにおいて成立して
いるかどうかを見るなかで判断出来ることなのだと思います。
愛を導くのはその人自身の神への向かい方とその人の関わる隣人との
具体的な交わりの中で実現する絆のようなものなのではないでしょうか?
教会の教えではその聖書の言葉の実現は教会生活において明確になると
されるのですが、神を信じる者同士がイエス・キリストの名において
集まる場所にはイエス・キリストが共にいて、そこは教会生活の一つの場
であるのではないかと自分は考えます。
昨今のカトリックを見てみると自分には教会が、聖書の警告面を実現して
いるような気がして文字通りの教会や教会活動には不安を持っています。
しかし、本来の意味において、その実現が聖書の正しい側面を体現すること
において教会はその役目を使徒や弟子の心や行動に合わせて改善するべきは
改善しなされていくべきです。
>>792 ID:Cz1myWtfはまるで或る福さんみたいだ。
800 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 16:21:50 ID:SLPKuZ6I
>>791 だから、そんなに深い会話にしようとした覚えは無いんですよ。今までの書き込みを振り返って下
さい。「カトリックのホスチアは現実としてパンではないでしょ」→「びっくりする事を言います
ね」→「じゃあ根拠を示して下さい」こんな簡単なやり取りでしょ?聖伝だの伝統だの引っ張り出
して話をややこしくしたのはあなたじゃないですか。それに本当に相手を正しい信仰や愛に導こう
とする人が
>>749 のような発言をするんですか?とても不愉快でしたがね。勝負へのこだわりを持
ってるのもあなたでしょう。
理性ではなく神へ集中する信仰であるなら、ホスチアがパンだろうとなかろうと酵母が入っていよう
といなかろうといいんじゃないですか?御聖体なら何でもよい私の信仰の方が、よっぽど純粋で神に
集中していると思いますがね。私の信仰のあり方までネット上で顔も名前も見えない相手にとやかく
言われたくないですよ。
801 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 18:33:59 ID:SjKxLGV9
>>800 聖伝や聖伝の一つである聖書と突き合せないで正しいことなんて実際には
言えやしません。キリスト教に対する単に主観的な解釈を書き込んで欲しかった
あなたの要求にはこちらはお答え出来かねます。ここはカトリックの典礼
スレッドのようですし、お互いに匿名で書き込みあっています。相手の発言が
正しいものであるかどうかは書き込みの裏付けが取れなければわからない
わけですから、こちらの主張が要理や聖書を引用しつつ意見を述べることに
ならざるを得ないのは匿名発言にあっては必然的なことです。あなたは、
相手の発言に対しては相手の引用する聖書や要理を引っ張り出してその書かれた
内容についてご自身で確認なさればいいことです。
キリスト者たちの信仰は自分の中に都合の良い神観念を作って拝むような
ものではありません。カトリックというギリシャ語は普遍的という意味ですが、
それは個人的な企てではなく、はじめにイエスを信じた弟子たち、彼らの跡を
継ぐ信徒たち、世界中の普遍的な教会をなしている「神の民」の信仰に自分の
心を合わせるということです。
あなたは、外観の形状と満腹感などを「パン」と呼ぶものへの定義の一つに
したがっているようでした。しかし、パンというのは自分の理解も
>>769 さん
などの一般者の理解も共通していてあなたの要求する形状や大きさや食べた
後の満足感などはパンの定義からは常識的に外れた観念であったわけです。
また、自分が
>>773 で挙げた聖句からすれば、ミサにおけるパンは各自の腹を
満たすために「パン」と呼ばれているしろものではありません。さらに、あなた
はじめに「パン」について司祭にお聞きしてみたらどうかとこちらが提案した
時頑なにそれを拒みましたね。あなたが正しい見解を知ることを拒む理由は、
怠惰ゆえか悔し紛れなのかより有無を言わさぬ明証性を求めようとする習性の
ゆえかいづれにせよ、あなたがカトリック信者ならば少し落ち着いて相手に
レスを返したほうがいいと思いますね。 聖書引用につづく。
802 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 18:34:47 ID:SjKxLGV9
Tコリント11章18節−34節 《まず、あなたがたが教会の集まりをするとき、仲間割れがあるとのことですが、 ある程度そうに違いないとわたしは思っています。確かにあなたがたの間で だれが本物の信仰者であるかはっきりわかるためには、仲間争いもあるに違い ありません。それで、あなたがたが一緒に集まっても、「主の晩餐」をすること にはなりません。なぜなら、食べる際に先を争って自分の持参した食物を食べよう とするので、腹をすかしている者もいれば、酔っている者もいるという始末に なってしまうからです。あなたがたには食べたり飲んだりするために、家がない とでもいうのでしょうか。それとも、神のものである教会を軽んじたり、何も 持たない人々に恥ずかしい思いをさせようとするのですか。わたしは、あなた がたになんと言ったらよいのだろうか。あなたがたをほめたものだろうか。この ことについては、ほめるわけにはいきません。 あなたがたに伝えるのは、実に、わたしが主から受けた事なのです。すなわち、 主イエズスは死に渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてから手で分け、 そして、こう言われました。「これはわたしの体、あなたがたのためのものである。 わたしを思い出すために、このように行ないなさい」。食事が終わってから、主は 杯についても同じようにして言われました。「この杯はわたしの血による新しい 契約である。これを飲むときはいつでもわたしを思い出すために、このように 行ないなさい」。実に、あなたがたはこのパンを食べ、この杯を飲むときは いつでも、主がおいでになるときまで、その死を告げ知らせるのです。
803 :
Tコリント11章18節−34節 つづき :04/11/27 18:35:25 ID:SjKxLGV9
したがって、ふさわしくない状態で「主のパン」を食べたり、「主の杯」を 飲む人があれば、主の体と血に対して罪を犯した者となるのです。一人ひとり 自分がふさわしいものであることを確かめてから、パンを食べ、杯のぶどう酒を 飲みなさい。主の体をわきまえずに食べたり飲んだりする者は、自分自身に対する 裁きを飲み食いしているのです。それだから、あなたがたの中には、体が弱かったり 病気だったりする人が多く、また、死の眠りについた者もかなりいるのです。 わたしたちは、自分がふさわしいかどうかを調べるならば、裁かれることは ありません。しかし、わたしたちが裁かれるにしても、それは、この世とともに 罪あるものと定められないように、主によって懲らしめられることなのです。 それで兄弟の皆さん、食べるために集まるときは、互いに待ち合うようにしなさい。 もし、だれかが腹をすかしているなら、裁きを受けに集まることにならないように 自分の家で食べなさい。このほかの事は、わたしがそちらに行ったときに決める ことにします。》
804 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 19:18:45 ID:Nwo0AU/F
>>ID:SLPKuZ6Iさん、キリスト教@質問箱 で質問した方が効率よかったかも。 なぜあの形状になった変遷なんかに詳しいサイトに連れてってくれたかもしれないね。 カトリックだけじゃなく、神学全体に詳しい人もいるから。 一度質問箱に質問出してみたらどうかなぁ? 自分も種なしパンの形状の変遷とか、気になるところだw
805 :
804 :04/11/27 19:22:05 ID:Nwo0AU/F
プロテスタントの方なんかは 「え?あれがパンなんだぁ〜。。。ふ〜〜ん」と不思議がってる方多いですし。
806 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 19:23:17 ID:rh89sthu
神学も何もどっかのオッサンが考えた妄想にすぎんだろ どーでもいいわい 暇つぶしが好きだな おまえら だから大革命で大量虐殺に遭うのだよww
807 :
名無しさん@3周年 :04/11/27 19:29:23 ID:SLPKuZ6I
>>801 外観の形状や満腹感はパンに限定せずとも食物の基本でしょ?って言いたかったんです。
>>769 の
引用を見て、答えが出たから
>>770 でこの話題を打ち切ろうとしたんじゃないですか。あなたに言
いたい事は
>>790 に書きましたよね。これ以上何がしたいんですか?私が自分はフリーメーソンだ
とかローゼンクロイツだと宣言すればいいんですか?
>>770 以降あなたが何をしたいのかさっぱり
分かりません。パンについての議論というか言い争いは終わりましたよね。
>キリスト者たちの信仰は自分の中に都合の良い神観念を作って拝むようなものではありません。
確かに仰る通りです。しかし私はこの表現についていささかの疑念があります。ここで書くのは危
険なのでやめておきますが、恐らくそれがわたしとあなたの決定的な壁になっているのではないか
な、と思ったりします。あなたもここでこの表現を用いたということは、同じ壁を感じているのだ
ろうと思います。ですからこのまま話を続けても恐らく永遠に平行線でしょう。
808 :
名無しさん@3周年 :04/11/28 13:54:57 ID:Eo1O6TAX
>>804 アドバイスありがとうございます。でも私は別にホスチアがどう変遷してあの形になったのかは別
に興味がないんですよ。今はどこで作られているか知りませんが、かつては深大寺のカルメル会で
つくられていたあの白いホスチアを客観的にパンと呼べるのかどうか、と言っていたのです。
>>805 今度パン屋にホスチアを持って行って「これはパンですか?」と聞いてみようかな、と思いました
が、そんな事をすれば本物のバカになってしまうのでやめておきます。プロテスタントの兄弟たち
には「小麦粉と水を使って揚げたり蒸したり焼いたりしたものはパンだよ」と、ホスチアがパンと
しての必要最低条件を満たしている事を笑いながら説明してあげて下さい。真面目な顔して言えば
私のように食って掛かる人がいるでしょうから(笑)。
809 :
名無しさん@3周年 :04/11/28 14:16:19 ID:5YL7kDSk
810 :
名無しさん@3周年 :04/11/28 14:16:53 ID:5YL7kDSk
やはりイエスはインド方面の人に違いないと確信した。
811 :
名無しさん@3周年 :04/11/28 15:10:06 ID:tzbeA2hZ
中近東に行ったとき、ナンと同じような種の入らないうすぺったいパンを 竈にたたきつけて焼いてるのを見ました。。あれが原型なのかな、と思った。
812 :
名無しさん@3周年 :04/11/28 15:13:09 ID:6y0wrzJl
ナンは美味しいけどね。
813 :
名無しさん@3周年 :04/11/28 22:17:34 ID:Eo1O6TAX
>>797 ホスチアはパンと呼べないと言っただけで↓が出来てないとまで言われるのはたまったもんじゃあ
りませんよ。
愛を導くのはその人自身の神への向かい方とその人の関わる隣人との
具体的な交わりの中で実現する絆のようなものなのではないでしょうか?
814 :
名無しさん@3周年 :04/11/28 23:21:55 ID:qFzquRCq
>>807 >外観の形状や満腹感はパンに限定せずとも食物の基本でしょ?って言いたかったんです。
常識的にも信仰上の定義においてもこんな共通理解はありませんよ。食物という概念と
パンという概念のどちらについてもあなたの理解や観念が間違っています。ですから
あなたが同じ文面を幾ら書いたところでそれを読む人の納得は得られないと
思います。
>パンについての議論というか言い争いは終わりましたよね。
ミサのパンがパンであることについて常識的なパンの定義においてあなたは
納得されたようですが、信仰の上で教会の示すホスチアをパンと認めることに
あなたは反感をお持ちのようです。信仰上の疑念としてパンに対する疑問が
まだくすぶっているようであれば、今度こそその疑問を身近な司祭などの
聖職者にお聞きになってみてください。あなたがそうすることによってはじめて
常識的な判断としても信仰上の理解としても「パン」をあなたのものとして
受け入れることが出来るようになるのだと思います。こちらにレスを以後は
返す必要はありません。パンがパンであるかないかの言い合いは一段落ついた
ことにしましょう。では。
815 :
。。。 :04/11/28 23:42:49 ID:S4BsrZKN
それじゃあチャパティでも聖変化できるということか。
映画のパッションで食ってたのはナンだった希ガス
まだやってら。
818 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 03:14:04 ID:vPgOjKbI
>>814 出た!得意技の一方的な打ち切り。「お互いに納得する公正さと明快さ」と言いながら自分の言い
たい事だけ言って話を一方的に打ち切ってみたり、人の事を「信仰や愛の正しさに導こうとせず」
と批判しながら人の事をののしってみたり、私は同一人物だと思ってレスしてきましたが、もしか
してお一人じゃなかったんですか?
>あなたがそうすることによってはじめて
ほほ〜?そんな事ないでしょ?じゃぁ神父が「カラスは白い」と言えば黒いカラスが白く見えるん
ですかね?「明日の朝日は西からのぼる」と言えば東が西になるんでしょうかね?それはカルトで
すよ。私は別にパンの問題が信仰の問題だとは捉えておりませんから。ただそんなに聞いてもらい
たいなら、今度聞いておきますよ。その答えが面白いものだったらまたその事について書き込みま
すので、ちょくちょく見て下さいね。私の信仰についてのご心配はありがとうございました。
819 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 04:21:40 ID:nJM/pq0u
820 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 05:38:20 ID:vPgOjKbI
>>814 自分でカルトという表現を使ったら謎が全て解けました。私自身、どうしてこんなどうでもよい問
題であなた(方?)にこんなに食って掛かったか分からなかったんですよ。
カルトは判断力を奪う所から始めると言います。ホスチアがパンかパンじゃないかくらいの問題を
客観的に論じられないあなたは、カトリックに相当判断力を奪われてるご様子です。私はあなたの
その狂信的な信仰にカルトのにおいを感じ取り、必要以上に熱くなったのです。カトリックは狂信
者の群れではありません。もちろん奥義中の奥義である秘跡を客観的に論じる必要はありませんし
そうする意味もありませんが、ホスチアが実際どうなのよ?というような問題くらい客観的に見る
事ができる余裕をお持ちになった方がよいのではないでしょうか。狂信の中にこそ愛は存在し得な
いでしょう。
熱くなりすぎて申した無礼はお詫びいたします。今後はいただいたアドバイス通りに、もう少し冷
静な判断をその場で下せるようになれるよう努力します。色々ありがとうございました。
821 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 09:34:04 ID:N/+oHVOg
>>820 がパンに対する固定観念を修正すれば済んだ話だと思うんだけど、
それを一方的に信仰の問題と決めつけてしまった
>>814 もしょうもないね。
>>821 とりあえず、
820は世界中のいろんなパンを食べ歩け!
814はもっと教会の中で友達作って話しろ!
で、いいんでないかい?
823 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 15:43:46 ID:7BzYpQw+
宗教に興味をもって軽い気持ちでこちらを覗かせてもらっていたのですが、 ホスチア?をパンかパンじゃないかでこれだけ熱い議論を繰り広げられるキリスト教信者ってすごいなと思いました。 大変面白かったです。 キリスト教を信仰してる人って、撲られたらその撲られたほっぺたを差し出せーみたいな すべてを許し、めったに怒らない、博愛主義みたいな感じに思ってましたけど、そうでもないんですね。
825 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 16:23:24 ID:xw8vIJdu
正直、ホスチアがパンかどうかで言い争っているのはここだけだよ。
826 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 21:30:25 ID:Fc6kYByR
ここで暴れているのは。シスターブーリッジとか何とか 超保守派の基地外女だろ。
827 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 23:06:17 ID:Wq0DF4pp
>>818 >>820 そちらが打ち切りたくて次のようなレスをこちらに返したのだと勘違いしました。
>
>>769 の引用を見て、答えが出たから
>>770 でこの話題を打ち切ろうとしたんじゃないですか。
>あなたに言いたい事は
>>790 に書きましたよね。これ以上何がしたいんですか?
>私が自分はフリーメーソンだとかローゼンクロイツだと宣言すればいいんですか?
>
>>770 以降あなたが何をしたいのかさっぱり分かりません。パンについての議論
>というか言い争いは終わりましたよね。
上記のレスは、議論を終わらせてくれという懇願ではなくて新たに議論の
火蓋を切る宣戦布告のようなものだったのですね。
>出た!得意技の一方的な打ち切り。「お互いに納得する公正さと明快さ」と
>言いながら自分の言いたい事だけ言って話を一方的に打ち切ってみたり、
>人の事を「信仰や愛の正しさに導こうとせず」と批判しながら人の事を
>ののしってみたり、私は同一人物だと思ってレスしてきましたが、
>もしかしてお一人じゃなかったんですか?
自分は言ったように典礼スレッド内では典礼を信仰者の立場から議論する
という意味でレスを誰に宛てても付けるようにしているつもりです。あなたが
パンについて疑問をこちらにぶつけた時にも信仰上の感覚と現実感覚とのずれ
が問題なのだと思い、まず典礼におけるホスチアが司祭によってどのように
表現されているかが信仰上の問題だと思いましたからそれを告げました。
あなたは、形がパンではないとか満腹しないと食べ物ではないと言って聞きません
でしたが、ミサにおいて司祭がホスチアを取り上げて「パン」とハッキリ言う
ことからそのことに反対するのは信仰上の問題だと申し上げたつもりです
(
>>743 >>749 >>763 >>802-803 )。
828 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 23:07:13 ID:Wq0DF4pp
また、常識的なパンの定義に反するというあなたの疑問については
>>737 で
「聖体のパンは小麦と水とオリーブ油のみで出来ています」と書き込みましたが
>>738 のような頓珍漢な回答をよこしたのはあなたの方でした。
あなたが、こちらに向けている非難はほとんどあなた自身の問題であり、
あなた自身の一皮剥いた時のあなた側の欠点です。自分で話合いを拒否する
姿勢を示していながら最後にこちらがレスをすると一方的に話を打ち切る
だとか非難しますし、司祭に正確な知識について尋ねるでもなく
「カトリックに相当判断力を奪われてるご様子です。私はあなたのその
狂信的な信仰にカルトのにおいを感じ取り、必要以上に熱くなったのです。
カトリックは狂信者の群れではありません。」
などとまるでご自身がカトリックの代表であるかのような発言をしていますが
これらの反応は読むものにとって奇異に感じるものです。あなたは問題を
話し合いで明らかにすることをハナッから望んではおらず、聖書も要理も
司祭の言葉も無視、あるいは遠ざけることで無意味にカトリックを騙って
自己主張しているだけなのです。あなたがカトリックであることをここの
書き込みを見ている人にわかってもらう為にはあなたがカトリックの教えや
聖書や聖職者の話などを引用する中で正当性を主張するしかありません。
あなたはカトリックとして決定的に信仰を欠き、司祭とのつながりを欠き、
自己欺瞞の内に似非カトリック信仰を吹聴しています。あなたはカトリック
信仰を示して相手の問題点を挙げるべきなのにカトリック信仰の外側に
典礼の正当性を説明する根拠を求めようとしておられた。あなたはカトリック
信徒としては少し具体的現実の中の信仰という意識が欠けています。気を
つけてください。
829 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 23:23:33 ID:Wq0DF4pp
>>821 自分は信仰面と常識的な言葉の定義に乗った客観的「パン」としての
正当性を両面から示しました。
>>822 自分は今の教会の典礼や教会自体への定義や霊の識別への信頼において
考えが揺らいでいます。そのことは別にここでも一部書きましたし今後
スレッド上で皆さんにお伝えする予定です。
>>823 そうした団体のミサにはあいにく預かったことがありません。失礼!
>>824 キリスト教の信徒にとっては一面、「右の頬を打たれたら左の頬を
差し出す」という信念があります。それは、次のように具体的なこと
として一般的に受け入れられている信念でもあります。
次のレスではぺシャワール会の中村医師がアフガニスタンで赴任中
に実際に起こった出来事のエピソードです。やられるままという態度
ではなく人間として一歩前に進む決断と行動を「右の頬を打たれたら
左の頬を差し出す」ことに見出すべきだと思います。
830 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 23:27:45 ID:1HyJ014a
831 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 23:39:37 ID:Wq0DF4pp
『 診療所に患者さんが殺到しました。中には一日かけて来る人もいます。 しかし、診療所で診られるのは一日200人から300人が限度。不安にかられ 住民は石を投げることもありました。あるとき石どころかミサイルが 飛んできて準スタッフ2名が殉職しました。 アフガンの風習では、2名殺されたら2名殺さないと恥になってしまう んですね。で、スタッフが殺気立って反撃をしようとした。わたしは、 「発砲するな!!」と言った。びっくりして「先生、皆殺しになっても ですか?」と聞く。私は「皆殺しになっても発砲しちゃいかん」と答え ました。「たかが18人の我々が死んでも他の人が来て、何万人も助かる。 けれど、ここで発砲すればすべてが台無しになる」。部族長が翌日 謝りに来ました。私は彼に「これは一体どういうことか。私たちは一所 懸命に働いてきたつもりだ。2名首を出せ、でなければ、この診療所を あなたたちのものとして守ってくれ」と声を荒げて言いました。すると 部族長は「すみません、この診療所は我々のものです。守ります」と 言ってくれました。』 上記文面は、ネット上の掲示板投稿(投稿者不明)より記事を取り資料と して保管していたものの抜粋にこちらで少し手を入れたものです。上記は おそらくぺシャワール会 中村哲医師が上智大学で行った公演内容です。
832 :
名無しさん@3周年 :04/11/29 23:41:05 ID:Wq0DF4pp
833 :
名無しさん@3周年 :04/11/30 02:36:25 ID:DRI1KYsf
>>828 ↓にもう一言「小麦と水で出来てればパンだよ」と付け加えてくれれば嬉しかったのに。
>「聖体のパンは小麦と水とオリーブ油のみで出来ています」と書き込みましたが
>あなたはカトリック
>信徒としては少し具体的現実の中の信仰という意識が欠けています。
具体的実現の中の信仰があるから「ホスチアがパンかパンじゃないか」という疑問が出てくるんだ
と思いますがね。観想修道者以外の全てのキリスト者は俗世間との関わりの中で生き、そこに証す
る使命を帯びています。「カトリックがこう言っているからこうなんだ」「聖書にこう書いてある
からこうなんだ」というだけでは、俗世間の流れに反して信仰を主張する事はできても、俗世間の
流れに乗りつつ、それに同化せず信仰を生きる事はできないんじゃないでしょうか。もちろん逆ら
わなければならない時に逆らわないのはいけませんが、必要以上に逆らうのもよくない。
834 :
名無しさん@3周年 :04/11/30 02:40:23 ID:DRI1KYsf
>>833 の続き
今回のホスチア論争で言えば、私は
>>736 で「私の信仰には何の影響もありません」と、信仰上の
話ではないと断った上で「実際どうなの?」と話を進めて来たつもりですが、それでも無理矢理信
仰の問題に結びつけたがるあなたの姿勢は、教会を壁で囲み、「中にいるなら疑問を持つな。中の
人が分かればいいんだ。」と言っているように映りました。だからカルティックな狂信だと言った
のです。教会を俗世間の尺度で計るのは馬鹿げた行為ですが、俗世間の尺度を一切排除するのであ
れば、↓にあげたパウロの言葉に引っかかるのではないでしょうか。それこそ具体的実現の中の信
仰とは言いがたい(観想修道者を除く)と思いますが。
♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯
同じように、あなたがたも異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どう
して分かってもらえましょう。空に向かって語ることになるからです。
1コリ 14:9
教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人
が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。
1コリ 14:23
♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯
それからあなた
>>827 で「懇願」だの「宣戦布告」だの言ってるけど、やっぱり勝負にこだわって
るんじゃないですか?
>あなたは、形がパンではないとか満腹しないと食べ物ではないと言って聞きません
>でしたが、ミサにおいて司祭がホスチアを取り上げて「パン」とハッキリ言う
>ことからそのことに反対するのは信仰上の問題だと申し上げたつもりです
>>769 のレスで納得してしまった結果からすると、「誤診」でしかなかったわけだが。
まだやってら。
837 :
。。。 :04/11/30 22:40:30 ID:223DfFbP
こんな無駄な論争は珍しいな。
839 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 00:38:17 ID:vwWLOqUZ
>>833-834 >もう一言「小麦と水で出来てればパンだよ」と付け加えてくれれば嬉しかったのに。
こっちは、あなたが一般的な「パン」の定義を知らないなんて思いもしません。
こっちの説明不足だなんて甘えたことを言わないで下さいな。
>具体的実現の中の信仰があるから「ホスチアがパンかパンじゃないか」
>という疑問が出てくるんだ
自分はミサという具体的現実の中で『ホスチア』という言葉が使われる
のだと思っています。またこちらは、「具体的実現」ではなく「具体的現実」
としてのあなたと典礼、カトリック信仰との関わりを念頭に置き話を進め
させていただいていました。
>>833 俗世間ありきではなく信仰ありきの中に俗世間を考えるのが信徒でしょう?
ご存知かもしれませんが、改訂版前の要理の扉に次のような祈りがありました。
参考に引用します。カトリックや要理を研究する者の祈りの一つの例かもしれません。
====研究者の祈り====
主なる神よ▲真理を求めているわたくしに、その道をお示しください。
心の清さと平和とを求めているわたくしに、それを得る方法をお教えください。
わたくしは、今、自分の弱さを認め、謙遜に御身を仰いでいます。わたくしが、
この短い一生をよく過ごし、その目的を達し、家族、友人、社会に対する
自分の義務をよく果たすことができるために、御光りと御助けとをお与えください。
==============
840 :
小枝子 :04/12/01 00:44:23 ID:jlUihUPF
>>839 あなたスピリトスのラテン語は悪霊と同じだとかいって、
ラテン語典礼そのものさえ問題みたく書いていましたね。
そんな発想をどこで教わったの?
これ以上妄想を撒き散らさないで。
今更蒸し返して恐縮だが、
>>617 が提起した問題をもう少し考えてみたい。
まず、「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう」という聖母の預言と、このファティマの一連の
出来事には、どのような整合性があるのだろうか?
この問題意識を踏まえた上で、ポルトガルに関する預言に対して信者が取りうるおよそ3つの立場がある。
1.ポルトガルに関する預言は時の終りまで有効である。
2a.ポルトガルに関する預言は、ファティマ預言の時間的枠組の中でのみ有効であり、他のファティマ預言が
まだ実現してないので、この預言も未だに有効である。
2b.ポルトガルに関する預言は、ファティマ預言の時間的枠組の中でのみ有効であり、他のファティマ預言が
実現した以上、この預言の有効期限も既に過ぎている。
次に、今ファティマで進行していることに関して信者が取りうる2つの立場がある。
ア.1か2aの解釈を受け入れ、今ファティマで進行していることはなんの問題も無いと結論する。
イ.2bの解釈を受け入れ、今ファティマで進行していることは「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれる
でしょう」という聖母の預言がもはや過去のものとなったことを示す象徴的事件である、と結論する。
要するにアの立場を受け入れる信者は、ファティマの件で大騒ぎすることは出来ないし、すべきでもない、という
ことになるし、また、イの立場を受け入れる信者は、今、ファティマで進行していることを非難せざるを得ないとも
言える。
842 :
小枝子 :04/12/01 00:47:46 ID:jlUihUPF
>>841 ファチマの聖母のことを言わないほうがよいわ。
>>839 さんはファチマの聖母も悪霊だと書いていたもの。
843 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 00:55:59 ID:vwWLOqUZ
>>834 >教会を俗世間の尺度で計るのは馬鹿げた行為ですが、俗世間の尺度を一切排除
>するのであれば、↓にあげたパウロの言葉に引っかかるのではないでしょうか。
異言というのは、パウロによればうめきのようなものであると書かれています。
ですから、信仰をありのままに表現することは異言の仲間には入りません。
それよりもあなたの無意味な議論の持ちかけは次のような聖書個所を思い起こ
させるものでした。
マタイ6章24節
《神と富とに兼ね仕えることは出来ない。》
Tテモテ6章3−5節
《もし、異なった教えを説き、健全な言葉、すなわち、わたしたちの主イエズス・
キリストのことばと、宗教にかなう教えに従わない者があれば、その者はおごり
高ぶって何一つ悟らない者で、つまらない議論や、言葉の争いをする病にかかって
いるのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、邪推、きりのない言い争いが
生じるのです。これらは、精神が腐り、真理に背を向け、宗教を金を得る手段と
みなしている人々の間で起こるものです。》
844 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 00:56:25 ID:vwWLOqUZ
あなたにとってたとえこちらが律法学者やフアリサイ派の人々の内の一人に 見えようとも、イエスス・キリストを主とする者の一人であるのならば、 イエスス・キリストの言葉を鑑みる上でこちらが聖書や要理をもとにして 説明することがらに対してそんなにも反発する必要はないはずだと思うのですが。 マタイ23章2-3節 《「律法学者やファリサイ派の人々は、モーセの座についている。だから、 彼らの言うことはすべて実行し、また守りなさい。しかし、彼らの行ないを 見ならってはならない。彼らは言うだけで、実行しないからである。》 あなたがこちらについてどう思おうとも結構ですが、聖書やカトリックの 要理などに基づいて回答していることについてこちらを狂信的であるとか カルトなどと非難することはカトリックならずともキリスト者として的が 外れています。
845 :
小枝子 :04/12/01 00:57:14 ID:jlUihUPF
私はファチマも秋田もアムステルダムもメジュゴリエも ガラバンダルも「私的に」信じています。 特定の出現への信心はしてませんけれど。 ファチマで起きていることはアッシジで教皇様がなされたことの再現でしょ。 何が悪いというの?
846 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 00:59:36 ID:vwWLOqUZ
>>835 >
>>769 のレスで納得してしまった結果からすると、「誤診」でしかなかったわけだが。
「パン」が「ホスチア」であるというのは、カトリック教会内でのみ通じる
事柄ですから、「カトリックが使っているホスチアは」(
>>701 下から3行目)
という主語による問いかけは信仰上の疑問を問題にしていると捉えるべき
ですね。問いは、パンの定義を問うものではなく、ホスチアに用いられるパン
について、それはパンと言えるのか?というものでしたからこの問いを信仰の
ものと判断しないというのは逆におかしいですよ。
>>846 >vwWLOqUZ=粘着厨の洟垂れへ
酵母が入っていないパンをパンと言えるか否かの質問について
聖餐の儀に使う種無しパンをカトリック教会では「パン」と見なすと教会法で規定
しています。
あなた個人の見解で種無しパンを物理的にパンと言えないのではないか?とカトリック
教会へ疑問を提起するのであれば、自分の心の中にしまっておくよう勧める。
何故ならあなた一個人が宗教団体の決める儀式の規約に異議申し立てして此処2chで何の
意味があるのか?また、あなた自身この問題に言及出来る立場にあるのか否か?
そのような立場にないのであれば、相手から「ご遠慮ください」と無下に追い返されるのがオチ
であるし、裏を返せば、「身の程を知れ、このヒヨッコが」
と言われているのに未だ気づきませんか?おめでたい方だ。
すげー まだ続いていたのか
849 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 01:31:37 ID:vwWLOqUZ
>>847 話の流れが見えていないのにでしゃばるあなたへ。
誹謗中傷しか出来ないで、話の脈絡を理解したようなこと、カトリックの
信仰がわかっているかのような物言い、止めてください。
「聖餐の儀に使う種無しパンをカトリック教会では「パン」と見なすと
教会法で規定しています。」のような意味合いのことはすでに相手に伝えて
いますよ。話が見えないあなたの身をこちらは逆に案じます、お大事に、
さようなら。>ID:RtdgA9Md
850 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 01:35:41 ID:vwWLOqUZ
>>848 過日は、あなたを拒否して申し訳ありませんでした。
姑息な言い訳をしたり、センスの悪い言い換え(SMAP典礼をSPAM典礼と呼ぼう)
で周囲への無理解や無視をされないように気をつけてレスをしてって下さい。
こちらの怒りは収まりましたから、こちらへのレスもどうぞ。
851 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 01:56:03 ID:vwWLOqUZ
>>841 マスコミ(商業主義)に乗るか、教導権を持つ長上の判断を待つか、二つに一つ。
私的啓示を下に信徒が教皇や司教を初めとする使徒の後継者の教導権をひっくり
返すことだけは許されないと心得るべきです。つまり奇跡に信仰をゆだねるな、
ということです。もしも奇跡で人を躓かせた場合には命の償いが神によって
求められることになるのかもしれませんから、奇跡はその奇跡を受けたものに
帰せられるべきですし、出現の奇跡が恐ろしい場合には直属の司祭や司教、
教皇に直接出現するようにその対象である出現者にお断りと進言をすべきかも
しれません。変なことが起こってもキリスト者の印はヨナの印だけなのだから
とあきらめましょう。判断は、使徒の後継者によって速やかになされるように
その出現と奇跡全体を長上にゆだねましょう。
852 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 02:12:06 ID:vwWLOqUZ
申命記13章1-4節 《わたしが命じることに何一つ加えず減らさず守り行え。 おまえのところにしるしや不思議を行う預言者か夢幻者がきて、自分で 話したしるしや不思議を行って見せ、〈今までおまえの知らなかった他の 神々に従い、その神々に仕えよう〉と言っても、そういう預言者や夢幻者の ことばに耳をかしてはならぬ。神なる主は、おまえたちが心を尽くし 魂を尽くして主を愛しているかどうかを知ろうとして試しておられる。》 マタイ22章36−38節 マルコ12章29−30節 ルカ10章27−28節 《イエズスは答えて、「『こころを尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、 あなたの神である主を愛せよ』。これが一番重要な第一の掟である。》 ルカ11章28−29節 マタイ12章39節 《しかし、イエズスは、「むしろ幸いな者は、神のことばを聞き、それ 守る人々である」と仰せになった。 群集がなおも押し寄せて来たので、イエズスは語り続けられた。「今の 時代は悪い時代で、しるしを求めている。しかし、ヨナのしるしのほかには、 なんのしるしも与えられないであろう。》
853 :
850訂正 :04/12/01 02:18:09 ID:vwWLOqUZ
あまりにひどいので以下の文面は訂正します。 >×周囲への無理解や無視を ○周囲から無理解や無視を・・・
>>853 気にするな。長くて誰も読んでないから。
855 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 02:23:14 ID:vwWLOqUZ
>>854 荒らす間に、どこか他のスレッドで暴れてくれ。カトリック典礼に
何の関係がある?君。
>>855 まぁ、荒らしたつもりはないのだが不快だったようで。とりあえず、、
,.、 ,r 、
,! ヽ ,:' ゙;
. ! ゙, | }
゙; i_i ,/
,r' `ヽ、
,i" ゙;
!. ・ ・ ,!
ゝ_ x _,r''
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
(,,) 遺憾の意 (,,)
/| |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
857 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 02:36:14 ID:vwWLOqUZ
>>856 もうわかった。君は神道なんだろ?自分は神社にいい思い出はなくてね。
神社のおじさんは小学生に性的ないたずらをしたり、中学生に5000円を
渡して気に入った子を呼び出させたりして裏ビデオを境内の奥のソニーβ
デッキで見せるような人だとしか思っていない。絵馬やおみくじを売る
男を自分は、全く信用していない。他人様の秘密を聞きつけるにつけ、
気に入った小中学生に面白おかしく暴露し聞かせる言語道断の非道徳
人種だとしか記憶にない。よかったら、もうカトリックのスレッドには
来ないでもらいたい。即席AAがまあまあの出来であったことは認めるが、
神社神道には個人的に良い思いでがないもので・・・さよなら。
>>857 神社の境内でSEXするのは、普通だな。とりわけ古神道ではそうだ。
なにしろ「神ながらの道」ですから…祭りの後で、神と一体化して相手を見つけてHして遊ぶわけだ。しかし、性的虐待は良くありませんな。
ただし、古神道にも典礼というか、ちゃんと掟がある。
「SEXの相手は別の部族から選ぶこと!!」守らぬものは奴婢に落とすw
859 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 03:02:43 ID:vwWLOqUZ
>>858 そちらで普通のことは、キリスト教では普通ではありません。
ここはカトリックの典礼スレッドですから、あなたは別のところに
行ってくださいな、よろしく。
860 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 07:36:52 ID:eMRGYEhZ
>845 2.御出現問題は典礼と直接関係ありませんので他のカトスレで。 1嫁
861 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 08:56:30 ID:Cfc4FSY1
>>839 自分で蒸し返しといてこんな事いうのもなんなんですが、こんな話して楽しいですか?ホスチア
がパンかパンじゃないかの話は必ずゴールがどこかにある話題でしたが、お互いの信仰の話とな
ると、司教か権威ある教導者が「あなたが間違ってます」と言わない限り終わらないと思うんで
すよね。私はちっとも楽しくないです。
信仰は祈りと分かち合いで深まるものだと思います。あなたと個人的に分かち合いをする機会が
あればお話したい事は山ほどありますが、どうも2ちゃんの掲示板は信仰の分かち合いをするに
は不向きな気がしてなりません。そもそも信仰は神とその人の問題なので、私は基本的に口出し
するのもされるのも嫌いなのです。ただ私の性格上(あなたももうお分かりだと思いますが)言
われたら言い返さないと気が済まないもので、あなたの信仰にも口出ししてしましたが、はっき
り言ってとても空しい。特に聖書を引用した事については後悔の念に耐えません。自分の正しさ
を主張するために聖書を引っ張り出すなど、神に対して謙虚な姿勢だとはとても言ませんから。
あなたさえよろしければですが、この辺で本当に打ち切りませんか?私はこれ以上あなたとこの
話をするより、あなたと一緒に「♪主に向かう心はみんな同じ、子供だから」とアーメンハレル
ヤでも歌いたいのですが。
それから私はあなたの知識の深さには敬意を表します。アルトスだかなんとか原語がポンと出て
くるあたり、相当お勉強なさっておられると思います。何か別の話題で色々と教えて頂きたいと
思うのですが。
862 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 10:26:41 ID:UFGtvCRh
>>852 この言葉は旧教、新教に限らず
イエスを主と告白する者であれば皆、
耳を傾け心に留めておかなければならない神のことばだと思います。
特に奇跡が喧伝されるカトリックの方、プロテスタントの一部大集会を頻繁に行うところは
本当にこの聖書のことばを真摯に聞き祈るべきです。
863 :
名無しさん@3周年 :04/12/01 22:53:16 ID:iKShFz51
>852 まったくだ。 日々の典礼から神秘性が失われているから 「しるし」ばかりを求めるんだと思う。 ノヴスオルドだって、きちんと威厳を持って荘厳にやれば それなりに神秘的にできるんだから たまにはもっと荘厳にやってくれ。 アーメンハレルヤがいかんとは言わん。 そういうのが好きな人も少なくないからな。 おれは嫌いだが。 だが同じ頻度でグレゴリオ聖歌も歌えといいたい。 嫌いなやつのほうが多いかも知れんが、 おれは好きなんだ。 たとえば、トレントミサときちんとしたノヴスオルドと アーメンハレルヤが好きな人たちが喜ぶようなミサを ローテーションするとかさ。 と、スレ本来のテーマに戻してみる。
>>863 >トレントミサときちんとしたノヴスオルドと
>アーメンハレルヤが好きな人たちが喜ぶようなミサを
>ローテーションする
これはいいね。個人的にはアーメンハレルヤはいらないけどw
トリエントもノヴズオルドも両方じっくりと味わいたい。
じっちゃんばっちゃんは「昔のミサはなつかしいねぇ」だし
若いモンは「トリエント・ミサってどんなだったのかなぁ」って憧れてたりするわけだし。
とスレ本来のテーマに戻してみる。
>>863 >だが同じ頻度でグレゴリオ聖歌も歌えといいたい。
>嫌いなやつのほうが多いかも知れんが、
好き嫌いの前に言葉が分からん。
「典礼で使うラテン語講座」みたいの開いたらいいんでないかい? 開かれたら行ってみたい。
グレゴリオ聖歌歌うなら、取り合えず拝領中に聖歌隊だけ歌うあたりから始めると良いのでは?
ちゃんと指導できる人が居るかが問題かも?
公会議以後の世代だからトレントミサを知らない。二つのやり方が混在するのは嫌だけど、
年数回やる程度ならトレントミサがあっても良いんでないかい? と思うのだけど。
>>864 >若いモンは「トリエント・ミサってどんなだったのかなぁ」って憧れてたりするわけだし。
憧れているかどうかは別として、公会議前の教会が分からないから、公会議を正当に評価できない。
「懐かしい」という感情って、結構大切だと思うから、じっちゃんばっちゃんの為にもたまにトレントミサやればいいのにね。
868 :
864 :04/12/02 00:36:30 ID:n/W0pLhQ
>866 グレゴリオじゃないけど、昔バッハのロ短調ミサのコンサートで Credo(1) in(2) unum(3) deum(4) 私は信じる(1)(2)唯一の(3)神を(4) みたいに、すべての単語に番号振って 対訳の日本語のどの言葉に当たるのかを 説明してあるすごいパンフレットがあったよ。 この方法を使えば、複雑な文法をとりあえずおいといても ラテン語をラテン語のまま分かるように覚えられると思われ。 ちなみにおれはこの方法でDies Iraeの歌詞を全部暗記したよ。
869 :
863 :04/12/02 00:52:51 ID:n/W0pLhQ
ごめん、868カキコ864じゃなくて863です。 864さん失礼。 ところで、 >864、867 おれも公会議後生まれの世代でそれ以前の教会は知らんのだが、 家族はラテン語のごミサをすごく恋しがってた。 で、おれもなんとなくラテン語のごミサというものに 漠然とした憧れを抱いてたんだが、 学生の時亡国を旅行中にたまたま立ち寄った教会で 偶然トレントミサをやっていて運良く参列できた。 感動したね。 おれの曾祖母はとても敬虔で 毎日欠かさずロザリオを唱えるような人だったが、 あのごミサがあったからこそそこまで敬虔になったんだなと思ったよ。 あれがピオ十だったのかウナヴォーチェだったのかは分からないが とにかくあの偶然こそ神様のお恵みだったと思う。
>>868 そういうテキスト欲しい。ラテン語は語尾変化が複雑だから習得は絶望的。
グロリアでも、「ホミニブス」や「ボネ」を初めとする主要な単語を覚えれば、「意味の分からないありがだいラテン語」から
少し遠ざかる事が出来るよね
>>869 今のカトリック教会は、許される範囲内で最大限歴史の尊重をして欲しいと切に願います。
871 :
名無しさん@3周年 :04/12/02 06:00:26 ID:1n8TeJth
>>866 確かに指導者の問題は切実だと思います。ラテン語でミサをやりたくても、実際に「じゃぁ私がグ
レゴリオ聖歌を指導するから神父様司式お願いします」と言える人がいないのが現状ではないでし
ょうか。かと言って外部から人を呼んでグレゴリオ聖歌講習会をやる程燃えている教会も少ないの
ではないかな。ラテン語が全くできないまま司祭になる人もいます。以前誰かが書き込んでいまし
たが、指導しようと積極的に行動すると迷惑がられる教会もあるそうです。私は公会議後に生まれ
た人間で、個人的にミサは国語でよいと思っていますが、ラテン語軽視の風潮はよいものとは言い
がたいかも知れません。
奉献文の栄唱「キリストによって〜代々に至るまで」までは司祭の独唱のはずなんですが、なぜか
典礼聖歌の歌ミサ式次第では「全ての誉れと〜」は会衆も歌う事になっています。どうしてそうな
ったかご存知の方いらっしゃいますか?聞いてても「キリストによってキリストと共にキリストの
内に、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに/」で切れたような感じがして何か変な
感じがするんですが。それよりは最後までぶっ通しで歌ってもらって、アーメンだけ力強く答える
方がよっぽど自然な感じですけど。
872 :
名無しさん@3周年 :04/12/02 23:07:34 ID:RZSAfxP9
日本の司教団の考えることはわからん。
>>871 自分の所属教会で奉献文の栄唱は、
歌ミサでなくとも「全ての誉れと〜」は会衆が一緒に唱えていますよ。
切れたような感じがするのは、『納得の間』のせいだと思いますよ。
874 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 00:22:42 ID:hIDWS0hW
>>861 >特に聖書を引用した事については後悔の念に耐えません。自分の正しさ
>を主張するために聖書を引っ張り出すなど、神に対して謙虚な姿勢だとは
>とても言ませんから。
自分はそんなことないと思います。パウロは会堂で議論するときには盛んに
聖書を用いていたようですし(使徒17章2節)、次のように色々な個所の聖句に
よって聖書を用いることは正しい信仰姿勢であることが伺えると思います。
・マタイ5章19節
《だから、最も小さなおきての一つでもこれを無視し、またそうするように
人々に教える者は、天の国で最も小さな者と呼ばれるであろう。しかし、
おきてを行ない、またそうするように教える者は、天の国で大いなる者と
呼ばれるであろう。》
・ローマ15章14節
《兄弟の皆さん、あなたがた自身も善意にあふれ、あらゆる知識に満ち、また
互いに戒め合えるのだと、わたし自身、確信しています。》
・Tテモテ4章13−14節
《わたしがそちらに行くまで、聖書の朗読、勧告、教えに専念しなさい。
あなたのうちにある神の賜物をないがしろにしてはなりません。この賜物は、
預言を通して、長老団の按手によって、あなたに与えられたものです。》
・Uテモテ3章16節
《聖書はすべて、神の霊感によるもので、人を教え、戒め、誤りを正し、
正しさに導く教育をするために有益です。》
875 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 00:23:44 ID:hIDWS0hW
874のつづき >あなたさえよろしければですが、この辺で本当に打ち切りませんか? >それから私はあなたの知識の深さには敬意を表します。 パンの話は、仰るように打ち切って構いませんからどうぞ。知識については 自分は全然無知です。むしろ相手の知識ではなく相手がイエス・キリストにおいて 力の無い者取るに足らない者である場合にこそ相手に敬意を表するべきでは ないかと自分は思います。アーメンハレルヤを歌いたいのはルカ9章48節が念頭に あってのことではないのですか?もしもそうでないのなら自分はあなたにそう であって欲しいと思います。こちらを買いかぶらずに、誹謗もせずにいてくれれば ありがたいことです。神に感謝!!
876 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 00:24:32 ID:hIDWS0hW
桐生の聖フランシスコ修道院刊聖歌集「平和を祈ろう」より) @ 世界のみんな兄弟さ、話すことばが違っても、主に向かう心はみんな同じ子どもだから。アーメン、ハレルヤ、アーメン、ハレルヤ、アーメン、ハレルヤ。 A 世界のみんな兄弟さ、働く場所が違うけれど、主に向かう心で一つになって分かつ力、アーメン、ハレルヤ、アーメン、ハレルヤ、アーメン、ハレルヤ。 B 世界のみんな隣人さ、倒れるものは助けながら、主に向かう心の愛は一つ、みんなのもの、アーメン、ハレルヤ、アーメン、ハレルヤ、アーメン、ハレルヤ。
877 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 00:35:04 ID:xBXePF60
>>876 子供向きの唄だ
俺は嫌いだが
子供はこの唄が好きだな
>>873 ミサレットなどでは
全ての誉れと栄光は〜 の個所は司祭がとなえる場所になっているな
会衆の応答のアーメンには 神に誉れと栄光があるように という答えと
賛美といけにえに賛同する という意味での アーメン
と いうようなコトが書かれている
ケド 俺の記憶にある限りでは
全ての誉れと栄光は〜 は会衆がとなえていた
いつからそうなったんだ?
881 :
873 :04/12/03 11:52:02 ID:yCfnjRck
>>880 まさか、同じ教会なんてオチでは無いですよね (w
自分は、歌でない時は唱えないようにしていますが、いつからなんでしょうね…
歌ミサの習慣で唱えているだけとは思いますが、本来の姿(?)に戻して欲しいな。
882 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 13:05:08 ID:av5DlPip
>>880 >>881 歌ミサの式次第が混乱を招く原因になっている事だけは間違いなさそうですね。高田氏が独断であ
あやったとは考えにくいです(神学的な問題指摘には謙虚だったそうです)から、司教団の決定な
んでしょうかね?
もう一つ「神の栄光と賛美のため、また全教会と…」っていうのも唱える教会と唱えない教会があ
りませんか?
"Domine, non sum dignus ..." に相当する 日本語だって、どこにもないじゃん。
日本語典礼には謎が多いぞなもし。 誰ぞ説明してはくれぬか?
885 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 19:39:41 ID:E4/FasMa
>871 まず、ミサ典礼で歌う場合でも歌わない場合でも会衆が「すべての誉れと栄光は〜」を唱えることは、 日本語の典礼書にも明記されいるので、合法です。 日本教会固有の典礼法規の解説書や日本における典礼の権威とされている土屋神父によれば、ラテン語 版典礼書のように会衆が「アーメン」とだけ唱えるよりも、みんなで奉献文最後の祈りを唱えた方が一 体感が生れるので日本では会衆が「すべての誉れと栄光は〜」を唱えることにしたそうです。 この日本における適用は合法であっても、不適当だと思います。 奉献文は司祭だけが唱えるものに抵触するからです。 奉献文最後に会衆が唱える「アーメン」はミサ中で唱える「アーメン」の中で最も意義深いものです。 なぜなら、この「アーメン」は奉献文の諸祈願の一括承認の意味を持つからです。 日本の教会のやり方は、この尊い「アーメン」のもつ意義を曖昧にしています。 また、奉献文の一部を会衆が唱えることとなる日本のミサのやり方は古代教会以来の伝統に反しています。 ユスチノスの『第一弁明』(153年)には、司祭だけが唱える奉献文に会衆が「アーメン」とだけ唱えたと書 いてあります。 「パンとぶどう酒と水が運ばれてきます。司式する人は、力の限りを尽くして、祈りと感謝を天に昇ら せ、全会衆は、アーメンと言ってそれに答えます。それから、聖別された食べ物が一人ひとりに分配され ます。欠席している人には、助祭たちがそれを持っていきます」(第一弁明ch.67)。 參考までに1980年に典礼聖省から出された教書『評価を絶するたまもの』で、奉献文最後の祈りを会衆が唱え ることは、歌う場合であっても許されないと記されています。
886 :
。。。 :04/12/03 19:55:35 ID:CSuUnloV
それじゃあヴァチカンの怠慢だな。
ひょっとして 888?
889 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 21:47:53 ID:av5DlPip
>>885 誰か栄唱の間の沈黙を「最も甘美な沈黙」と表現した人がいましたよね。ラッツィンガー枢機卿だ
ったかな?私はお上に逆らう気はありませんからどっちでも良いですけど、やるなら徹底して統一
して欲しいですね。
ただ、ミサは対話句によって進みますから、文章として中途半端な所で会衆に受け渡すのは良くな
いと思います。前述の通り「〜父であるあなたに、全ての誉れと〜」が「〜父であるあなたに。全
ての誉れと〜」になってしまう。もちろんここは対話句ではありませんが、体に染み付いた対話句
の習慣はどうにもならない。どうせやるなら「キリストによって」から一緒に唱えるか、もしくは
「アーメン」だけにするか、どっちかにして欲しいな。
890 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 22:09:26 ID:av5DlPip
>>885 言い忘れましたが、あなた私とホスチア論争展開した方ですよね。呆れもせずにご丁寧なレスあり
がとうございます。
891 :
名無しさん@3周年 :04/12/03 22:53:34 ID:QwoIqMG2
>>890 全然違います。あなたとホスチア論争を展開した自分はあて先を示す時には、
>>の記号を使ってリンクが貼られるように該当番号を書きますし、段落の始め
の一文字は空白を置きます。また、一行文字数は37文字前後の文面になるように
通常心がけています。
文面は、人によって特徴があるのでそれを捉えることが相手を判別する一つの
目安です。相手の特徴は見誤らないようにして下さいね。
スレを読む人に誤解や勘違いをさせるような書き込みは良くありません。
>>874-876 の書き込みに対してきちんとお礼のレスを返しましょう。
892 :
名無しさん@3周年 :04/12/04 06:24:27 ID:4l9kM4Hu
>>891 それは失礼いたしました。おつきあい頂きましてありがとうございました。
893 :
名無しさん@3周年 :04/12/04 07:05:37 ID:zJCjTYMQ
最近の、国士舘大の事件には驚きました。
また、
私の職場でアルバイトしている者に、青山学院大の学生がいます。
彼は、公然と反キリスト者であると語っています。
また、麻薬を使って女性に悪戯したいとの願望があるようです。
何なんでしょう?
チャラチャラした学生は何処にでもいるものです。
残念。
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/
894 :
。。。 :04/12/04 11:33:14 ID:gUg7Cs0w
日本の司祭たちが怠慢なんだよ。 ラテン語と見比べれば一目瞭然じゃないか。
あくまで試用版だからと言って了承を取り付けたとか? あるいは日本での宣教に役立つとか何とか上手いこと言ってバチカンを丸め込んだ?
897 :
【【【最も重要な共通理解としての聖霊】】】 :04/12/07 01:35:57 ID:6UsUt1Fr
以下に挙げる理由と情報から、聖霊という言葉についてキリスト教の
共通理解が緊急に望まれます。その際に取られる方法の一つはギリシャ語
聖書における「聖霊」をそのままに英訳語に置き換える、あるいは発音の
際に言い換えるということであると思われますので、聖霊という言葉は
「ハギオウ プニューマトス(ヴァチカン写本B)」と音読することをまず
日本人欧米人によらず皆さんに提案します。
>>550 と重複しますが、欽定訳のここ100年の歴史は、ある信徒にとって
の幽霊が聖霊であり、別の信徒にとっての聖霊が幽霊であるという重大な
霊的識別の混乱を産む翻訳が行われています。ヴァチカン写本(Codex B)を
規範としてその訳語の対比を順に並べると以下のようになります。
★mat 28:19 αγιου πνευματοs(ハギオウ プネウマトス)
◆mat 14:26 mar 6:49 Φαντασμα(ファンタスマ)
King James Version ★Holy Ghost ◆spirit
New King James Version ★Holy Spirit ◆ghost
21st Century King James Version ★Holy Ghost ◆spirit
マタイ28章19節は、イエス・キリストが洗礼について弟子たちに言い渡す
場面ですのでこの霊に対する認識の混乱は、キリスト教界全体にとって重大
です。プロテスタントでも聖公会とそこから派生している諸派の団体はその
霊的なルーツに誤りがないものかどうかが危ぶまれますからお気を付け下さい。
カトリックにとっては、フリーメイソンを禁じていることを勘案して、
「ハギオウ プニューマトス」の英訳について考えるべきです。このことに
ついては後々詳しく書き込みをしていきたいと思います。
898 :
【【【ネット上の聖書や写本について】】】 :04/12/07 01:38:41 ID:6UsUt1Fr
899 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 01:39:36 ID:6UsUt1Fr
900 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 01:40:06 ID:Cs9tvH1X
>>897 だったらギリシャ語で典礼やる教会に移れば?
ギリシャ正教会しかないわね。
901 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 01:43:13 ID:Cs9tvH1X
>>897 >◆mat 14:26 mar 6:49 Φαντασμα(ファンタスマ)
それは亡霊という意味もありますが。あなた自分が何を言ってるのかわかってるの?
聖霊のギリシャ語を英訳したら悪霊になるって根拠を示しなさいよ。
902 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:01:16 ID:6UsUt1Fr
>>900-901 ハギオウ プネウマトス と ファンタスマの訳が入れ替わっている
という事実は、異なる単語間の認識に信仰者の間で一致がないということ
です。霊に対して信仰者間で一致を欠くという事態はここ一世紀足らず
の間に起こっている重大事件です。洗礼に関わる霊の識別にキリスト教
間で一致した認識が無いということが信仰上は大変な事態なのです。
903 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:04:29 ID:6UsUt1Fr
>>900 極端なことを言わないで下さい。ギリシャ語で典礼がなされる必要を
言っているのではなく、キリスト教間で霊の識別は一致していることが
必要であるとこちらは申し上げているのです。ギリシャ正教にも誤謬が
あると自分は考えます。移るとかそういうことでは信仰の問題は解決
しません。安易な提案はおやめください。
904 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:06:27 ID:7EebJDj6
>>902 ですから、聖霊とい語のどこが悪霊と同じなんですか。
霊は霊ですよ。神の霊であれば聖霊、悪い霊であれば悪霊です。
聖霊と区別してるんですからいいのでは?
英語だってホリーをつけてるじゃない。何言ってんだか。
不一致なのはあなただけでしょ。誰も不一致してませんよ。
905 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:09:55 ID:7EebJDj6
>>897 >聖霊という言葉は「ハギオウ プニューマトス(ヴァチカン写本B)」と
>音読することをまず日本人欧米人によらず皆さんに提案します。
ですからギリシャ語圏の教会に行けば?
なんで聖霊の箇所だけギリシャ語で読まなきゃいけないの?
ばかですか?
906 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:11:22 ID:7EebJDj6
父と子とハギオウの御名においてアーメンとでも祈れというの?(獏藁
907 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:11:37 ID:6UsUt1Fr
>>904 プネウマトスとファンタスマは単語も違い、意味も別物です。
ホーリーが付くから良いとか悪いという問題ではありません。
908 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:16:11 ID:6UsUt1Fr
>>905-906 聖霊について間違った認識の下にある可能性を拭うには、なんらか
の指針を示す必要があります。自分は今のところギリシャ語写本に
書かれている言葉を訳さずにそのまま用いるのが一つの解決策だと
考えています。
「天の父と子そして[聖霊]ハギオウ プニューマトスの名によって」
と言うことが一つの間違いのない選択であると考えます。笑い事では
ありません。そのことは、以降準じ自分の体験などとともに書かせて
もらうつもりです。
>>908 >>そのことは、以降準じ自分の体験などとともに書かせて
>>もらうつもりです。
書かなくていいよ。
910 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:20:09 ID:7EebJDj6
>>907 いいえ。それは神の霊の性質の違いです。
神の霊を息のように表現するときにはプネウマを用います。
それに「聖なる」の形容詞を付けて、
ハギオウプネウマといいます。
ファンタスマはですから亡霊という意味です。
弟子はイエズスを亡霊と間違えたのです。
英語ではアパリッションといいますね。出現と訳します。
何が問題なんですかね?
911 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:22:48 ID:6UsUt1Fr
>>910 次のようなメジャーなKJVやNKJVなどにおける訳語の入れ替えが問題です。
★mat 28:19 αγιου πνευματοs(ハギオウ プネウマトス)
◆mat 14:26 mar 6:49 Φαντασμα(ファンタスマ)
King James Version ★Holy Ghost ◆spirit
New King James Version ★Holy Spirit ◆ghost
21st Century King James Version ★Holy Ghost ◆spirit
912 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:22:57 ID:7EebJDj6
わかりづらいので書き換えます。
>>907 いいえ。それは神の霊の現れの違いです。
神の霊は息にたとえられて、プネウマと呼ばれます。
それに「聖なる」の形容詞を付けて、聖霊(ハギオウプネウマ)といいます。
しかし、ファンタスマは亡霊という意味です。
弟子はイエズスを亡霊と間違えたのです。
英語ではアパリッションといいますね。出現と訳します。
何が問題なんですかね?
913 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:25:59 ID:7EebJDj6
>>911 それは英語でしょ。ここは日本ですが何か。
英訳も間違ってませんが。聖霊はホリースピリットです。
ウルガタの英訳が出る前の14世紀の聖書にも
ホリースピリットが使用されています。
914 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:28:27 ID:6UsUt1Fr
一応、「聖霊」と「幽霊」の訳語による識別が信仰者間で困難であることに ついては横に置いておきます。 ここは典礼スレッドですから、その方向での別の問題を挙げさせてもらいます。
何でカトリックのスレでKJVなんだか・・・。
916 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:30:54 ID:7EebJDj6
917 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:33:01 ID:6UsUt1Fr
>>913 あなたはSr.Ondoryaとか言うふざけたことを言う人ですか?
カトリック126の649のレスでその方が14世紀のウィクリフの
訳した聖書がホーリースピリットであったとかないとか書き込み
されていましたがこちらは無視させていただきました。
ウィクリフは、最初に聖書を英語に翻訳した方かもしれませんが
当時異端として認定された方です。ウィクリフの初版の訳本に
なんと書かれていようとも異端者とされた人の訳語をもって何が
悪いかとすごまれても困ります。ウィクリフの生涯とそのカトリック
に対する主張、また彼の死後彼と周囲に何があったのかを少し調べて
みたらいかがでしょうか?
918 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:34:31 ID:7EebJDj6
>>914 >「聖霊」と「幽霊」の訳語による識別が信仰者間で困難である
はぁ?識別できてますが。ファンタスマは亡霊、
ハギオウプネウマ(スピリトス・サンクトゥス)は聖霊と訳してますが何か。
本当に大丈夫ですか?薬飲んでます?
919 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:37:16 ID:6UsUt1Fr
>>916 聖霊のことについては、プロテスタントもカトリックも関係ありません。
今は新共同訳がカトリックとプロテスタントに共通して使用されるよう
になっていますが、日本聖書協会の母体はアメリカの聖書協会です。
また、プロテスタントの中でも英国の聖公会から派生した宗派は
沢山あり、英国からアメリカ、アメリカから日本へと伝えられて来た
プロテスタントの中では割とまじめでメジャーな団体があるのです。
また、KJVやNKJVというのは日本人が英訳聖書を読むときには割と
一般的に普及している英訳です。いろいろなことからKJVは重要な
英訳聖書だと言えるのです。
920 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:37:17 ID:7EebJDj6
>>917 そういう問題ではないわ。
あなたがホリーゴーストが最初だって言い張るから違うわよと書いただけ。
異端だのなんだの持ってこないでください。
そんなこといえば欽定訳させた王様だって異端じゃない。ばかみたい。
921 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:39:23 ID:6UsUt1Fr
922 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:40:51 ID:7EebJDj6
>>919 ですからファンタスマは亡霊、
ハギオウプネウマ(スピリトス・サンクトゥス)は聖霊
と訳してますが何か。
>>921 批判されると「野次」呼ばわりとはすごい態度ね。どこに謙遜があるの?
自分は正しいという思い込みをどうにかしたほうがよいわ。
>>921 言い争ってる当事者のレスを野次とはねえ。
924 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:41:55 ID:6UsUt1Fr
>>920 カトリックが認めた聖職者の訳、あるいはカトリックが公式に使用した
英訳聖書、それらを話題にせずに意味のある聖書議論は出来ません。
どういう聖書がカトリックで使われていたかにまず注意を払って英訳聖書
について言及して下さい。よろしくお願いします。
925 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:44:57 ID:7EebJDj6
>>924 ですからそれは17世紀に英訳を出したカトリックの学者二人が
正しい訳をしたかどうかの問題でしょ。
なぜその翻訳が絶対的に正しいといえるの?
改訳が間違っている証拠は?
926 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:45:26 ID:6UsUt1Fr
>>922 >>923 書き込みを野次るだけで言い争っているなんて笑止千万。
相手の書き込みについて何も理解せずに日本語で聖霊と幽霊は区別が
出来てるからいいなんて、ズレてますね君たちは。
>>924 頭大丈夫か?
だったら最初からカトリックの公式英訳聖書から用例を出せよ。
928 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:48:05 ID:7EebJDj6
>>926 ここは日本ですが。英語にしても間違ってませんが何か。
ハギオウの正しい訳語が「ゴースト」だけであるという
あなたの見解の正統性を示してください。
929 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:48:09 ID:6UsUt1Fr
>>925 絶対がどうとかではなく、司祭の訳に信頼を置くというのがカトリック
の姿勢として正しいでしょう?。訳に対して信仰における忠実さを根幹
に置いているものとして司祭やカトリック公認の訳をまず認知するべき
です。
930 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:49:34 ID:7EebJDj6
>>929 >司祭やカトリック公認の訳をまず認知するべきです。
でしたら、今の改訳を認知すべきですね。
>>929 Douay-Rheims にも holy ghost って訳があるから認知すべきだな。
932 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:52:26 ID:6UsUt1Fr
>>928 明らかにドウエイ聖書のマタイ28章19節はカトリックが使用していた
聖書ですよ。『現代カトリック事典』の「ドゥエー版英訳聖書」の項目
にも「20世紀中頃まで英語圏のカトリック信者によってひろく用いられて
いた」と記載があります。オンライン上にもドゥエイ聖書がありますからマタイ28章19節の聖霊にあたる言葉の部分を確認してみて下さい。
933 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:56:31 ID:6UsUt1Fr
>>930 過去の聖書翻訳者の司祭は異端であると結論付けることは出来ない
ですね。このような重要な部分の訳語について改変されるのであれば
歴史と伝統にも照らし合わせて改変後の聖書にもきちんとそのことに
ついての根拠と経緯を説明しなければいけないでしょうね、普通は。
>>931 あなたのレスは、宛名が勘違いですね。わけがわからなくなってます。
934 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:58:27 ID:7EebJDj6
928訂正します。→「プネウマの正しい訳語が「ゴースト」だけであるというあなたの見解の正統性を示してください。」 欽定訳聖書にしても訳者は同じ節で聖霊に対してゴーストとスピリットの二種類を使用してますが何か。 Acts 2:4 "And they were all filled with the Holy Ghost [original Greek word pnoo-mah], and began to speak with other tongues, as the Spirit [again, the original Greek word pnoo-mah] gave them utterance." つまり、聖霊が体に作用を現すときにはゴーストを、霊のままである場合にはスピリットと訳し分けていますが何か。
935 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 02:58:55 ID:6UsUt1Fr
もう休みますから、あとはレスが必要なものがあっても後ほどと いうことで。では、さよなら。
>>934 そこ、Douay-Rheimes ではどっちも Holy Ghost だ。
だから、訳し分けてもいいけど、かなり互換性もあるんだよね。
937 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:04:08 ID:7EebJDj6
938 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:06:04 ID:6UsUt1Fr
>>934 一言だけ。
ファンタスマという言葉は、目には見えるけれども実体のないもの
という言葉です。訳し分けるとか訳語に二種類立てればよいことには
決してなりません。マタイ28章19節は洗礼に関わる重要な言葉
としてプネウマトスが使われます。この言葉に人によってそれを
ゴーストだと思ったりスピリットだと思っているということはあっては
ならないことなのです。
使徒行録該当個所の訳し分けは、状況説明であって信仰宣言や
洗礼と直に結びつくような重要個所ではありませんから問題は少ない
のです。では、このレスだけであとは休みます。
940 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:08:19 ID:7EebJDj6
>>938 あなたが言いたいのは典礼における言葉遣いでしょ?違うの?
典礼でスピリトスを使うと悪霊と同じ意味だから問題だって
書いていたのではないですか。話をそらさないで。
941 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:11:27 ID:7EebJDj6
>>938 ドウェーのヨハネ福音書1:33でもスピリットとゴーストと訳し分けてますが何か。いい加減にしてください。
The Gospel of John1:33
And I knew him not: but he who sent me to baptize with water said to me:
He upon whom thou shalt see the Spirit descending and remaining upon him,
he it is that baptizeth with the Holy Ghost.
942 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:11:51 ID:6UsUt1Fr
>>940 まだそのことに関しては詳しく書いてません。話を聖書自体についての
ことから逸らさないで書き込みしていてください。
944 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:13:28 ID:7EebJDj6
>>942 >>941 以外にもあるけど面倒くさいわ。自分でなぜ調べない?
あなたドウェーなんて持ってないのでしょ?
誰の入れ知恵ですか?
945 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:16:17 ID:6UsUt1Fr
>>941 訳し分けられているのは、基本的に正しくないのですよ。
訳し分けているから聖書が原語を基本的に踏襲するということでは
ありません。「父と子と聖霊の御名」としてSpiritであったりGhostで
あったりしてはその受ける霊について内意に違いがあるかもしれません。
そのような危険や不一致が同じキリスト教の信徒の間には無いように
しなければならない。では。また。
947 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:17:31 ID:7EebJDj6
>>945 >訳し分けられているのは、基本的に正しくないのですよ。
では、ドウェーも正しくないというのね?
948 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:19:44 ID:7EebJDj6
ドウェー:ユダの手紙も訳し分けられてます。 The Epistle of St. Jude 1:19, These are they who separate themselves, sensual men, having not the Spirit. 1:20, But you, my beloved, building yourselves upon your most holy faith, praying in the Holy Ghost
949 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:20:03 ID:6UsUt1Fr
>>944 カトリックがフリーメイソンを禁止している理由を知るなかで
色々なことがわかってきたということでしょうね。調べるのは
核心についてだけで良いんです、自分にとっては。核心に不安が
内在しているからこそそれを公にすべきであるし、その内容を
明らかにしていくべきであると考えます。
調べるのが面倒なら、もう少しこちらの書き込みを傍観して
いてくれます?
>>「父と子と聖霊の御名」としてSpiritであったりGhostで >>あったりしてはその受ける霊について内意に違いがあるかもしれません。 普通は洗礼が有効か無効かを論じるものだけどな。
951 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:25:03 ID:7EebJDj6
ドウェー パウロ書簡 The First Epistle of St. Paul to the THESSALONIANS 1:6, And you became followers of us and of the Lord: receiving the word in much tribulation, with joy of the Holy Ghost 4:8, Therefore, he that despiseth these things, despiseth not man, but God, who also hath given his holy Spirit in us.
952 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:29:56 ID:7EebJDj6
ドウェー コリント第二 5:5, Now he that maketh us for this very thing is God, who hath given us the pledge of the Spirit,.......
953 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:33:59 ID:7EebJDj6
ドウェー エフェゾ The Epistle of St. Paul to the Ephesians 4:30, And grieve not the holy Spirit of God:
954 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:36:30 ID:7EebJDj6
ドウェー 知恵の書 1:5, For the Holy Spirit of discipline will flee from the deceitful, and will withdraw himself from thoughts that are without understanding,
955 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:37:58 ID:7EebJDj6
ドウェー テサロニケ1 4:8, Therefore, he that despiseth these things, despiseth not man, but God, who also hath given his holy Spirit in us.
956 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 03:40:45 ID:7EebJDj6
疲れたのでもうやめます。 ドウェー聖書でも、 ホリースピリットと訳してる箇所は、数十箇所ありますけど。 何がどう問題だというわけ?(ww はよしね
>>956 お疲れ。
まあ、あいつがカトリックかどうか怪しいもんだが、もしそうだとしても、
自分が洗礼を受けたときの形相が間違っている、すなわち無効である、
と主張していることになってしまうのに気が付いているんだろうか?
ギリシア語かそれに近い言語で洗礼を受けたなら別だが、それはどうかな?
958 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 05:40:01 ID:8cbt49UV
よく分かりません。そんな重要な事なのかな?もしそんな重要な事なら2ちゃんで収まらないで、 教会の中でアクション起こして欲しいものです。私は参加しませんが、本当に重要な事ならみんな 話を聞いてくれるんじゃないかな?
959 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 06:50:08 ID:WSDateG+
>>958 重要でねえ。
カトリックの由緒ある聖書にspiritなる穢れた訳語は一切使われてねえ。
それがやっこさんの大仮説だった。だが、ゆんべ崩された。
立ち直れねえべ。
960 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:18:28 ID:XhzdH4iy
わずか100年程度の間に聖霊の英訳単語がそこまで迷走錯綜してるのは、 英語圏での聖霊理解の基となる言語への共通基盤がゆれゆれですね。 定義が固定していない。砂の上に建てた家のようだ。 聖霊:Holy Ghost -> Holy Spirit -> Holy Ghost 亡霊:spirit -> ghost -> spirit そうすると例えば英語圏の人が ghost という言葉を聞いたとき 神の霊と捉える人と、亡霊と捉える人がいて言葉への共通認識が失われている可能性が強いということ。 近現代の日本語訳ではどうでしょう。幸いにしてハギオウ・プネウマを亡霊とか幽霊と訳すことはないかな。
961 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:36:42 ID:YynFRnBr
聖霊が体に作用を現すときにはゴーストを、霊のままである場合にはスピリットと訳し分けていますが何か。
962 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:38:53 ID:+ubeYZCN
>>960 だからホリーゴーストというと聖なる亡霊のようにきこえるでしょう。
それでホリースピリットにしたのでは?
日本語でも、父御子御霊とも父と子と聖霊ともいいます。
御霊という表記が誤訳であると誰に言えるでしょうか。
963 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:47:56 ID:AWoincZS
典礼聖歌の251番に「信仰宣言」が載ってるんだけど、ミサの中でこれ歌ってる教会ってどれくら いあるのかな?で、その教会は信仰宣言の文が変わったらどうしてるんだろう? それから、このスレッドでレスが1000件越えたらどうすればいいの?
964 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:48:19 ID:+ubeYZCN
スピリットとも訳してるからいいじゃない。何が問題なんだかね。外基地はヨシね
965 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:49:24 ID:+ubeYZCN
>>963 今の段階で、次のスレを作ってチョー台。
966 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:52:18 ID:AWoincZS
>>965 どうすればいいの?やりかた知ってるならやって下さいよ。
967 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:54:29 ID:+ubeYZCN
>>966 できたらとっくにやってるわよ。
あなたがやって。画面一番下の新規作成を押して。
作成画面が出たら
>>1 をこぴぺして。
あなたのハンドルを入れて。
ボタン押して。
968 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:56:43 ID:AWoincZS
>>967 え?何で?何で?何でやり方知ってるのにできないの?
969 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 20:56:51 ID:+ubeYZCN
970 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 21:03:45 ID:+ubeYZCN
971 :
Sr. Ondoria ◆WWkTvYxtEs :04/12/07 21:24:35 ID:+ubeYZCN
972 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 21:26:34 ID:AWoincZS
973 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 21:29:33 ID:+ubeYZCN
974 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 21:31:24 ID:AWoincZS
975 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 21:33:23 ID:+ubeYZCN
976 :
Sr. Ondoria ◆WWkTvYxtEs :04/12/07 21:36:11 ID:+ubeYZCN
977 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 21:38:28 ID:AWoincZS
978 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 21:39:31 ID:AWoincZS
あ〜、だぶっちゃったね。/のあとの150は関係ないのかな?
979 :
Sr. Ondoria ◆WWkTvYxtEs :04/12/07 21:39:38 ID:+ubeYZCN
980 :
名無しさん@3周年 :04/12/07 21:43:25 ID:AWoincZS
>>979 基本的に2ちゃんは嫌い。だからスレッド立てた事もない。でもこのスレと東方教会スレは好き。
981 :
1 ◆ueZq.hjsWU :04/12/07 22:31:53 ID:B3ASjdde
たいへん興味深い議論が続いていますが、 >ここではローマ典礼様式の聖体祭儀を中心とする諸秘蹟の実践とその考察の話題をメイン とするというガイドラインが提示されています。 またトリエント式においても、新オルドにおいてもSpiritus Sanctusが正式ですので、この議論はこのスレでは全く意味を持ちません。 他のカトスレでの議論継続をお願いします。
982 :
名無しさん@3周年 :04/12/08 01:13:03 ID:c3r80l6M
983 :
名無しさん@3周年 :04/12/08 01:50:18 ID:c3r80l6M
欽定訳聖書にしても訳者は同じ節で聖霊に対してゴーストとスピリットの二種類を使用してますが何か。 Acts 2:4 "And they were all filled with the Holy Ghost [original Greek word pnoo-mah], and began to speak with other tongues, as the Spirit [again, the original Greek word pnoo-mah] gave them utterance." つまり、聖霊が体に作用を現すときにはゴーストを、霊のままである場合にはスピリットと訳し分けていますが。 ドウェーのヨハネ福音書1:33でもスピリットとゴーストと訳し分けてます。 1:33And I knew him not: but he who sent me to baptize with water said to me: He upon whom thou shalt see the Spirit descending and remaining upon him, he it is that baptizeth with the Holy Ghost. ドウェー:ユダの手紙も訳し分けられてます。 1:19, These are they who separate themselves, sensual men, having not the Spirit. 1:20, But you, my beloved, building yourselves upon your most holy faith, praying in the Holy Ghost ドウェー パウロ書簡 The First Epistle of St. Paul to the THESSALONIANS 1:6, And you became followers of us and of the Lord: receiving the word in much tribulation, with joy of the Holy Ghost 4:8, Therefore, he that despiseth these things, despiseth not man, but God, who also hath given his holy Spirit in us. ドウェー コリント第二 5:5, Now he that maketh us for this very thing is God, who hath given us the pledge of the Spirit,....... ドウェー エフェゾ 4:30, And grieve not the holy Spirit of God: ドウェー 知恵の書 1:5, For the Holy Spirit of discipline will flee from the deceitful, and will withdraw himself from thoughts that are without understanding, ドウェー テサロニケ1 4:8, Therefore, he that despiseth these things, despiseth not man, but God, who also hath given his holy Spirit in us.
984 :
名無しさん@3周年 :04/12/08 05:55:07 ID:geBeFxql
>>961 >聖霊が体に作用を現すときにはゴーストを、霊のままである場合にはスピリットと訳し分けていますが何か。
&
>>983 こちらが提示している問題点は、洗礼を授ける際または受ける際の霊的
基盤の混乱です。
マタイ28章19節[天の父 と 子 と 【ハギオウ プネウマトス】]
マルコ6章9節[【ファンタスマ】 だ!]
の聖句について訳語がGhost とSpirit の間で入れ替えられては信仰者間で
ハギオウ プネウマトス と ファンタスマ という異なる霊的表現に対して
共通認識を得られないということです。
プネウマトスという言葉について前後や文脈からGhostとSpiritを訳し分け
ているというのはそのような訳語は原語を正確に反映していないごまかしである
とは言えても、そのほうが訳語として正確であるとは言えませんね。なぜなら
本来信仰の書物としての聖書は翻訳を読むことによって写本原語に書かれた
言葉を正確に再現するような認識こそが求められるわけですから。聖書を書き
記したイエススの弟子たちは自分たちに不利な記事も率直に書き記しています。
弟子たちの陰謀、嫉妬、猜疑、信仰の弱さ、度重なる失敗などが語られています。
聖書は美化されたり誤解を受けるようなあいまいな訳が許される書物ではない
と思います。その正確さはギリシャ語底本記者の宗教上の良心と神の御言葉に
対する尊崇に基づくものであって訳す側の信仰によらない言語上の良心に
基づくものであってはなりません。
あなたは、問題点を履き違えています。イエス・キリストが父と子と聖霊
の御名に入れる洗礼を授けよと仰った時の「ハギオウ プネウマトス」は、
湖で弟子が見て恐れた「ファンタスマ」と洗礼において、また霊の認識において
決して混同される事態を招いてはいけない信仰生活の入り口(洗礼)と生涯の
信仰生活上の霊的な神と人との一致に関わる急所なのです。
985 :
984 訂正 :04/12/08 06:09:13 ID:geBeFxql
>>984 書き込み本文L4
×マルコ6章9節
↓
○マルコ6章49節 他にマタイ14章26節など
986 :
名無しさん@3周年 :04/12/08 06:28:11 ID:3nz8rv/n
>>981 典礼はトリエント以前、4世紀から教会に共通の様式が出来ていると
言われます。トリエント以降の話以外は排除するあなたの姿勢は正しい
のでしょうか?
987 :
名無しさん@3周年 :04/12/08 07:59:27 ID:zOc+awc1
はい。正しいです。 初代ホヨス以降、あなたのような人間は注意深く排除されてきました。 内容の浅薄さ、また陰謀論に関心を示されていることから、おそらくは成年改宗された方だと思いますが、受洗後3年に満たない方はneophyteと呼ばれ、教会の意志決定事項、召命等からは遠ざけられる伝統になっています。 3年以上経って、その信条なのであれば、悪いことはいわない。東方に行くなり、新教にいくなりしたほうがいいと思います。 お互いにとって有益といえます。
>>985 >イエス・キリストが父と子と聖霊の御名に入れる洗礼を授けよと
>仰った時の「ハギオウ プネウマトス」は、湖で弟子が見て恐れた
>「ファンタスマ」と洗礼において、また霊の認識において
>決して混同される事態を招いてはいけない
誰も混同していないですよ。
訳語もきっちり分けていますし。
混乱してるのはあんた一人です。