‡ネストリオス異端に救いなし‡

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1名無しさん@3周年
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1073815646/1
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1045154847&st=199&to=203&nofirst=true
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1073193349/1
> D主イエスが人として生まれたのはマリヤからですが、父なる神と同質の神の
> 御子として生まれたのは造られたすべてのものより先であり、マリヤは神の母
> ではありません。コロサイ1:15-17

確かに「カルケドン信条(>>4参照)」では、
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/kato.html
「神性においては、この世の前に父から生まれたが、
この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、
われわれのため、われわれの救いのために、
神の母(Θεοτόκος・生神女)、処女マリアから生まれた。」
となっており、これを否定すると「単性論」になります。
しかし、これは御子の本性(φύσις)が2つあるという意味で、
御子の位格(υπόστασις)が人格と神格とに別れるという意味ではなく、
位格は唯一の神格です。
これを認めない場合は、ネストリオス異端になります。(>>2参照)
本スレッドで採り上げた教理は、公教及び正教に限るものではなく、
福音主義を掲げる教会でも認められているものです。(>>3参照)
2名無しさん@3周年:04/02/12 15:38
マリアが「神の母」というのは、三位一体の唯一の神性の母という意味ではなく、
御子なる神格の母という意味です。
例えば、もし「神の子」が神性の子とすると、
三位一体の唯一の本性の子ということになり、
キリストは御父の神性の子、聖霊の神性の子、御子自身の神性の子になり、
サベリオス異端になります。ですから、「神の子」は御父なる神格の子という意味でなければなりません。
御父が神格であるということは、御子も聖霊も神格ということになります。
御子は一つの神格であって、人格ではありえませんし、神格と人格に分かれることもありません。
コンスタンチノープル公会議(381年)でにおいても、御父と御子と聖霊のことを、
三つの神格 "the three divine persons" と呼ばれています。
http://www.piar.hu/councils/ecum02.htm
So what is presented here is the synodical letter of the synod of Constantinople held in 382,
which expounded these doctrinal decisions, as the fathers witness,
in summary form: namely, along the lines defined by the council of Nicaea,
the consubstantiality and coeternity of the three divine persons against the Sabellians,
Anomoeans, Arians and Pneumatomachi, who thought that the divinity was divided into several natures;
and the enanthropesis (taking of humanity) of the Word,
against those who supposed that the Word had in no way taken a human soul.
3名無しさん@3周年:04/02/12 15:40
ルター派は「和協信条」の中でマリアを「神の母(Θεοτόκος)」であることを認めています。
「日本福音ルーテル教会」の公式ホームページ
http://www.jelc.or.jp/JELC/whatsjelc.html
「日本ルーテル教団」の公式ホームページ
http://www.jlc.or.jp/NRK.html
「旧新約聖書が信仰と行為の唯一明確なる規範たることを主張し、
信条として使徒信条、ニケア信条、アタナシオ信条、アウグスブルク信仰告白、
同弁証論、大・小教理問答、シェマルカルド信条、和協信条を採用します。」
「和協信条」
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/wakyou.html
「第8条 キリストの位格について
7. マリヤは人の子を宿し生んだのではなく、神の子を宿し生んだ。それゆえ、神の母である。」

"The Lutheran church-missouri synod" の公式ホームページ
http://www.lcms.org/
http://www.lcms.org/bookofconcord/fc-ep.asp
"12] 7. Hence we believe, teach, and confess that Mary conceived and bore
not a mere man and no more, but the true Son of God; therefore she also
is rightly called and truly is the mother of God."

また、改革・長老派で承認されている「カルケドン信条」の中で、マリアを「神の母()」であることを認めています。
http://homepage2.nifty.com/keisen/kikkuha-sengen.htm
「日本基督改革派教会信仰規準の前文」
教会ハ古[いにし]へヨリ使徒信条、ニカヤ信条、アタナシウス信条、
カルケドン信条ナル四ツノ信条ヲ教会ノ基本的、
普遍的信条トシテ共有シ来レリ。
カルケドン信条は>>4を参照。
4名無しさん@3周年:04/02/12 15:42
カルケドン信条とは、23人の主教により起草され、カルケドン公会議451年10月22日第5回総会で定められた信条です。

以下がそのギリシャ語の全文です。

Επόμενοι τοίνυν τοις άγίοις πατράσιν, Ενα και τον Αυτόν
όμολογεΐν Υίόν τον Κόριον ημών Ι. Χριστόν συμφώνως άπαντες
έδιδάσκομεν: τέλειον τον Αυτόν εν θεοτητι και τέλειον τον
Αυτόν εν άνθρωποτητι. θεόν άληθώς και άνθρωπον αληθώς τον
Αυτόν, εκ ψυχής λογικής και σώματος, όμοούσιον τω Πατρί κατά
την Θεοτητα και όμοούσιον τον Αυτόν ήμΐν κατά την ανθρωπότητα.
Κατά πάντα ομοιον ήμΐν χωρίς αμαρτίας.
5名無しさん@3周年:04/02/12 15:45
>>4のつづき
Πρо αιώνων μεν εκ του Πατρός γεννηθέντα κατά την θεότητα.
Έπ' εσχάτων δε των ήμερων τον Αυτόν δι 'ημάς και δια την
ήμετέραν σωτηριαν εκ Μαρίας της Παρθένου της Θεοτόκου κατά
την ανθρωπότητα.
Ενa και τον Αυτόν Χριστόν, Υίον, Kopιoν, Μονογενή εν δύо φύσεσιν
άσυγχύτως, άτρέπτως, αδιαιρέτως, άχωρίστως γνωριζομενον.
Ουδαμου της των φύσεων διαφοράς άνηρημένης δια την ένωσιν, σωζόμενης,
δε μάλλον της ιδιότητος έκατέρας φύσεως και εις εν πρόσωπον και μίαν
ύποστασιν συντρεχούσης.
Ουκ εις δύо πρόσωπα μεριζομενον ή διαιρούμενον, αλλ' Ενα και τον Αυτόν,
Υίόν και Μονογενή, θεόν Λογον, Κύριον Ι. Χριστον.
Καθαπερ άνωθεν οι προφήται περί Αυτού και Αυτός ημάς
ό Κύριος Ι. Χριστός
έξεπαίδευσε και τо των πατέρων ήμΐν παραδέδωκε σύμβαλον.
6名無しさん@3周年:04/02/12 15:49
7名無しさん@3周年:04/02/13 17:06
南部バプテスト者が弁護した奴隷制度機構とはどのようなものであったか。(中略)
奴隷制度機構の最も非難するべき様相の一つは、白人と黒人のあいだの不平等な性
関係の蔓延であった。非常にまれな実例において、白人婦人が男性奴隷を愛人とし
てもつことはあったが、白人男性と奴隷婦人のあいだの性は全く普通のことで
あり、通常婦人たちの望む事態ではなかった。奴隷所有の大部分でないとしても多
くの場合、白人男性――主人、息子、もし大農園であれば監督――は奴隷婦人に行
きずりセックスを求めた。白人男性にとって慣例的なことは、しばしば黒人婦人を
苦しめること、恥をかかせることであったという証拠である。

E・ルーサー・コープランド 著、八田正光 訳
「アメリカ南部バプテスト連盟と歴史の審判(副題:ひとつの根源的な罪の痕跡)」
新教出版社、2003年9月15日
8名無しさん@3周年:04/02/13 17:07
 南部バプテストがこのように熱心に奴隷制度を普及させた理論的根拠はなにか?この典
型的な解説は、抑制されている見解としては、一八二二年のリチャード・ファーマンのサウ
スカロライナ州知事にたいする提言にみられる。(1)ファーマンは分裂以前のバプテスト者た
ちの傑出した指導者であった。サウスカロライナ州バプテスト連盟の長としてだけでなく、三
年毎の定期総会の初代会長として務めた。ファーマン大学の名は、彼に由来する。わたし
は以下にファーマンの論文を、彼自身のことばを自由に用い、ただ一、二箇所で一般的資
料から補足しながら要約する。

 一、「奴隷保持の権利は聖書において、教訓と実例とをともって明らかに確立されている」。
   それはアブラハムや族長たちによって実践された。イスラエルの民は異教徒の国から
   奴隷を得るように指導された。新約聖書において、奴隷は主人とともに、キリスト教会
   に受け入れられている。しかし、奴隷と主人との関係は解消されていない。
 二、 奴隷制度は道徳的に弁護できる。なぜなら、そうでなければ「霊感を与えられた使徒た
   ちが・・・・・・それを寛大に取り扱ったとは考えられない」。
9名無しさん@3周年:04/02/13 17:07
 三、現在のアフリカからの奴隷獲得は「当然非難に値する」。[一八〇八年アフリカ奴隷売
   買が禁止された]。けれども、以前のアフリカからの奴隷輸入は「人間性とされに経験な
   動機」を表していた。[おそらくアフリカか人を教化し、キリスト教化する意図を意味してい
   る]。
 四、奴隷制度は実際にアフリカ人をさらに改善させ、彼らのために「かなり幸福な状態を創
   造する。それは多くの貧しい[人々]が自由と考えられている地方で享受していることと
   比較して、まさっていなくとも同等なものである」。
 五、奴隷制度はアフリカ人をキリスト教の福音に触れさせ、奴隷所有者に彼らの宗教教育
   提供の義務をゆだねている。
 六、 このようにして、奴隷制度は彼らに永遠の救いというきわめて貴重な恩恵を提供する。
   それだけでなく、アフリカの奴隷の回心は、アフリカの福音宣教化、伝道者としての故国
   への帰還という最善の希望となる。
1. Richard Furman, “Exposition of the Views of the Buptists Relative to the Coloured Popu-
lation of the United States . . . ,” in H. Lenon. McBeth, A Sourcebook for Baptest Heritage
(Nashville: Broadman, 1990), pp. 252-255.
10名無しさん@3周年:04/02/13 17:08
「南部の国教会」
 ある結果がこの一体感(南部連合の団結)から付随した。一つは、南部連合の敗北がそ
れに関係した他教派の場合より南部バプテストの心に、より一層深く消えない傷痕をのこ
すことになった。そのうえ、南部バプテスト連盟は事実上、ビル・レオナルドやハロルド
・ブルームが表現したように「南部の国教会」になった。(1)

「南部バプテストのなかでの人種差別主義の継続」
 1865年南部連合敗北でもって、奴隷制度は南部において終止した。しかし人種差別
主義は、確実にそのようにはならなかった。実際に、はるかにより醜悪になった。(中略)
 白人男性社会は黒人男性にたいして異常な非行を計画し、黒人男性が抱くことを知らな
い性的衝動と特大の性的機能をもて理想化された南部女性をいつでも略奪できるような性
的動物へと駆り立てた。このようにして、恐ろしいリンチによる黒人男性殺害と去勢が非
常に増大した。(2)

1. Leonard is correct in saying that the SBC “evolved into something rese-
mbling the Established Church of the South.”Ibid., p. 15. This judgment
is in harmony with Martin Marty's statment that the Southern Baptist Conve-
ntion is “the Catholic Church of the South.” Ibid., p. 3. Bloom is wrong,
however, in identifying Baptists with the Established Church of the “Old
South ....” American Religion, p. 195. Baptists and Methodists vied for
that position, and it was not until later that the Baptists won out. See
Charles Reagan Wilson, Baptistzed in Blood, The Religion of the Lost
Cause, 1865-1920 (Athens: The University of Georgia Press, 1980), p. 9.
2. Rosemary Ruether, In His Image, but . . . (Durham, N.C.: Duke Univers-
ity Press, 1975), p. 119.