1 :
五六〇 ◆BD/.VOmZgU :
美しく2げっと
3 :
名無しさん@3周年:04/02/09 14:26
4 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/09 14:30
5 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/09 14:31
「カゲロウは一日飛び回って死んでしまう。人間も同じだ。」
ある日突然人生が終わる人もいる。長生きして孫やひ孫に囲まれて
死ぬ人もいる。
それでも、どちらも幸福かもしれないし、どちらも不幸かもしれない。
後者より前者の方が幸福な事もある。
それは命ある日々をどう生きたかが問題だと知った。
それから数年後また気付きが訪れた。俺にとっては2番目の気付きだ。
「人は一人では生きていけない。」
純粋に「自分」と呼べるものは何もないという事だ。自分の肉体や
知性は勿論、心さえも他の存在からもらった物だという事だ。
心は今まで関わった人との記録で出来ている。
とりわけ愛情を全く受けないと人間は死んでしまう。そして愛情は
気力となってあらゆる困難に打ち勝つ力になる事を知った。
この2つの経験で少しだけ偉くなったような気がしたが、まだまだ未熟者だと
世間が教えている。
どちらも凄い衝撃で特に2回目は1度目より何倍も強い衝撃だった。
このような体験ができたのは幸運だったのだろうか。
でも悟りを開かなくてもどんな死に方をしても、自分は幸福だと
実感できればそれで良いのではないのかとも…また、こんな人生を
少しでも多くの人に全うして欲しいとも思います。
6 :
名無しさん@3周年:04/02/09 14:57
私は絶対に一人で生きていない。それが解る簡単な事実がある。
それは「ひきこもり」
出来るだけ外の空気を吸うようにしているが、働いていない限りは
役に立たない存在に過ぎない。ほかの道があるとも思うが、それは
大きな存在が許さないようで、働けなくても、働く道しか用意されて
いない。おそらく、かなりの数の人間がそういう状況では無かろうか。
就職したくてもできないのだ。会社が求める人間の範囲を可能な限り
狭めている。技術を身につけるのよさそうだが、勉強している間に
喰っていけなくなるのだ。どうしろと?
悟ったのは、知っていることが出来るとは限らないと言うこと。
たとえ頭脳労働の仕事でも、それ以下の仕事が出来てから、出来る環境が整う。
週刊「Air Craft」を読んでもパイロットにはなれない。
飛行機マニアになるだけ。
CIA FBIがどんなところか知っていて、映画で謎の集団の身元が
分かったとしても、FBI CIAに入れる分けじゃない。
実際に出来るかどうかだけが問題だと悟った。国際情勢がテーマの
映画が完璧に理解できても、実際に軍隊の軍曹か?国防長官か?
実際に白衣を着られるアナリストか?
知っているだけではいけないと思った。いくら知っていても、
経験値はゼロのままだと言うことだ。
↑そんなことは当たり前のことじゃないですか。
>>5
それでも、どちらも幸福かもしれないし、どちらも不幸かもしれない。
後者より前者の方が幸福な事もある。
それは命ある日々をどう生きたかが問題だと知った。
自分しか見えていない、他人を助けるを入れて考えないと。
>>「人は一人では生きていけない。」
純粋に「自分」と呼べるものは何もないという事だ。自分の肉体や
知性は勿論、心さえも他の存在からもらった物だという事だ。
心は今まで関わった人との記録で出来ている。
とりわけ愛情を全く受けないと人間は死んでしまう。そして愛情は
気力となってあらゆる困難に打ち勝つ力になる事を知った。
自分の為と云う所から考えている。(貴方にはこれでも未だと書く必要が有るのかは
知らないが。
自他を分けるということが出来ていない。他に頼って生きている。他に頼って自分が
有ってはいけない。 人に他人に施しを受けようと思っている所が間違い。
愛を他人に配らなければ成らないので有って、他人から貰うという方になると
悟りでは無い。それは自分の欲求ともいえる。他人からの愛で満たされるというが
自分自身だけでそれと同じ満足した時の心を手に入れなければならない,たった1人
でと書けば解り易いか?(悟りではだ。生活ではそれでいいこと、主婦にそれを求める
訳にはいきまい。)
自分が他人に対して世話や等(心の世話も含めて)を欲しがって居る間は悟り
は無いです。
そこに有るのは悟りで言えば、他人だけになるでしょう。
愛について言えば他人から貰うのではなく、逆に他人に対しての愛情が自分から
満ち溢れないといけない。
まあ悟りは自発的な物ともいう、自分自身でその心を作らなければならない。
他人の世話に成っている事に気づいたからと言って悟りではない。他人への感謝と
いうものだ。
それはそれで人間的には正しい心では勿論あるよ。自発は自分でそれを作ら
なければ成らない事。悟りの話しをしているから言っているだけ。
貴方の文に生活の糧と云う物があるように思うが、悟りとは関係無い。世話に
成っている事が分かっただけ。悟りは自発的なものだ。
同じ事を何度も言ってしまったが、それはそれですまん。
「自他を分けるということ、自発的にそうなる」これが貴方の悟りのキーワードに
成ると思います。
10 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/09 17:55
1からやり直し・・・無常というものか、あのスレは取り戻せないものなのか・・・
>>8 前スレではこうも書いた。
教師が教えることによって多くのことを学ぶにように
救うことによって自分の方がより救われるものだと思っています。
これは俺の考えですが、
「情けは人の為ならず」
という言葉は有名ですが、その意味は
「人にかけた情けは巡り巡って返ってくる」
と言われていますが、それは事実としても方便でしかない。
「情けをかける行為その物が自分自身の為だ」
と解釈しています。情けをかけたその時こそ自分を活かす事が
できる。生きている意味がそこにある。良い事をした後気分が
良いのはそれを実感しているからに他ならない。
忘れてしまうことも多いですが、自分が「喜んでもらえて良かった」
「お役に立てて良かった」と思える時はそのチャンスを運んできてくれた
人を仏の化身だと思います。
11 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/09 17:59
でも良いレスが来て良かった。
おまいら集合意識って知ってるか?
仏教ではなんて言うんだあれは。
>>「情けは人の為ならず」
という言葉は有名ですが、その意味は
「人にかけた情けは巡り巡って返ってくる」
マリアが言ったとされる言葉に見返りの無い愛という言葉が有る。
10、他人に対しての施しをしたからと言って2、他人から返ってくると思っては
いけない。見返りを何も求めない、欲しがらない所に悟りは有る。他人に配っても
なお余るのだ。自分の持つ他人への愛情は未だ余る位、そういう所に悟りは有る。
10の行いに対して2と書いたのはわざとです。10返って来ると思うのは人間の
考え。
別に損はしない、満ち溢れる仏の心で。悟りを手に入れれば損と言う物は無い。
満足が湧きあがる。、
>>「情けをかける行為その物が自分自身の為だ」
と解釈しています。情けをかけたその時こそ自分を活かす事が
できる。生きている意味がそこにある。良い事をした後気分が
良いのはそれを実感しているからに他ならない。
他人に何かをしてあげたからと言って、それで気分良いのは悟りでは無いです。
他人に役立ったと思うのは悟りでは無い。他人に対して良い事をしてあげて
すごくその人間に対して役だったと思うのは、悟りでは無いです。悟りは無です、
それは他人にしたあげたと思う自負する自分の気持ちがゼロです。
僕は何も無い所から自分の他人へ対する気持ちが湧いてくると書いたが。
駆け引きは何も無い、自分は無を貰って、ゼロを貰って他人に対して施しをし
なければならない、これが悟りです。
他人に何かしてあげたと思う気持ちはゼロでなくてはいけません。他人からの恩
が自分に有ると思うところには悟りは無いです。他人と自分との繋がり(恩義)は、
大きな世話をその人間にして上げてもゼロでなくてはいけないのです。 何で自分を
満足させるかというと自発的な心、仏の心で満たすのです。それは先に述べた湧き上が
って来る他人への愛情という所か。勿論無理にそう思うのでは無くて自然に本当に湧き
上がってくる心でです。
悟りの事を話しているから言っているので、人間の生き方を書くと貴方は善人です。
人間の生き方として人間が誉めることをしている。
でも貴方は悟りを求めているのでしょう?
善人と悟りとは違う。悟りとは仏の心と思ってもらえれば。
この速さなら懺悔できる。
2年前、ディズニーランドのトイレで白人ょぅι゙ょ(多分ゲルマン)に淫らな行為をしてごめんなさい。
177 公共放送名無しさん 04/02/10 01:55 ID:PJEPUGQk
NG追加しといたから消えてくれ 6ptnyUvo
184 公共放送名無しさん sage 04/02/10 02:00 ID:DxDd9KLU
少し頭悪い人の役って難しいよね。窪塚の演技は気持ち悪い。この人のが普通。
195 公共放送名無しさん sage 04/02/10 02:06 ID:DxDd9KLU
強く愛されている、と。
205 公共放送名無しさん New! 04/02/10 02:12 ID:DxDd9KLU
かわいいな
<<201
55 公共放送名無しさん New! 04/02/10 01:07 ID:uYXFP4Kp
捨て子だ、捨て子ザウルスだ
130 公共放送名無しさん sage New! 04/02/10 01:41 ID:uYXFP4Kp
これはなんて戦艦かな?軍ヲタならわかるのかな
善い、悪い
こうするべきだ、こうしなければならない
このように考えるべきだ、このように考えなければならない
みたいなのはスレ汚し
19 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/10 08:46
五六〇 ◆hRMyj8cq8I は前スレからの騙りです。
トリップで見分けてね。
前スレからの移住者はこいつだけ・・・?
>>13-14 情けをかけるのはその時に自分の心が清らかになると思ってます。
無を貰う事は自分の心を覆う考えを掻き消し、心が素直に表面に
現れるという事にも見えます。
自分の心の中に幸福があり、人生において色々なきっかけで
それで心が満たされる―そのきっかけの一つが自分が人の手助けを
出来たときではないかと思ったのです。
質問ですが、貴方は行動においてそれが悟りだと仰っていますが、
悟りは心の変化の他に必ず行動ひとつひとつに付きまとうというか
行動のあり方が変わっていくものなのでしょうか?
もう一つ。気付きはある時突然に訪れました。悟りもある瞬間に訪れる
物なのでしょうか?ちょっと変な質問ですが、人力飛行機のようにちょっと
気を抜くとすぐ元に戻ってしまうような、訓練や修行のような実践や心構えに
よって得られる、あるいは保たれる物でしょうか?
560さん、一応ずっとROMはしております。
560さんの感性に共感することろがある。
私は人間性を無視してしまうような悟りには、どうしても違和感を覚えて
しまいますね。
人生の苦しみや悲しみに、共感的な態度を示せなくて何が悟りだとも思う。
人間は人間らしく生きていくのが自然で、あまりにも不自然だと何処かに
歪みがでてくるでしょう。
人間が神や仏のようになったなら、誰もが何処か歪なところを感じるはず。
昔、某カルト宗教の指導者が、選挙に立候補した時がありましたね。
私も周りの人々も、あの顔を見て何か怪しさを感じ取っているようでした。
多分、客観的な判断が下せる立場にいたからなんでしょう。
たとえ対象が悟りであれ何であれ、貪欲や瞋恚は人の心を曇らせてしまう。
弱い立場に立てば、藁をも縋る気持ちになるのが人間の偽りなき心です。
人間、欲しいものは欲しいし、怒るときは怒るように出来ている。
まあここでは当人の人生など、幾らでも隠すことができるのだが…。
でも悟りは、人生と切り離せない。その道程で感得していくものだと思う。
私には人生を離れた「悟り」なるものが独り歩きしているようで、気味が悪
く感じることがあります。
人間悟りを開くための人生じゃないと思う。人生あっての悟りだからね。
悟りは徹底して個人的なもので、人生を豊かにする。その豊かさに人は惹か
れるものだと思います。貧しいものに惹かれる人はまずいない。
自然の豊かさに触れるために、わざと貧しさに身を置く人はいるでしょう。
人間はどうして悟り(真理、法)なるものを苦労して求めるのでしょうね…
21 :
名無しさん@3周年:04/02/10 17:10
ここは倫理や道徳を語るスレでつか?
>>17 必要か必要で無いかと言われたら必要と答えるよ。
先に述べたのは他人に施しをした上でその人から自分が受け取るものは何もなけれ
ならないということ。その人との繋がりはその人間に対してのこちらからの愛情
だけと言う事になる。
話しは反れるが、善業を行なったからといって悟る訳では無い。世の中に
他人の世話ばかりする、ボランティアの偉い人がいるが、その人が悟るかというと、
そうでは無い。
自分をも護る為にいうがその人は人としてとても本当に立派だ。ボランティアをして
いる人が世界にはいっぱい居るけどその人が悟る(成仏して仏になる)とは考えられ
ないでしょ?悟る為には、例えれば寺に行って修行しなければならない。云い方を
変えれば、こころの修行が必要だと云う事だ、行動だけでいいと云うわけでは無い。
さらに付け加えると仏は多くの人間を助けて居る。成仏(仏に成れば)すれば人間を
多くの人間を助けられるということだ。
>>19 情けをかけるのはその時に自分の心が清らかになると思ってます。
成るよ、勿論
>>無を貰う事は自分の心を覆う考えを掻き消し、心が素直に表面に
現れるという事にも見えます。
相手に配ってなお、自分に余りある。(仏で云えば慈悲が
>>自分の心の中に幸福があり、人生において色々なきっかけで
それで心が満たされる―そのきっかけの一つが自分が人の手助けを
出来たときではないかと思ったのです。
それは人生にとって素晴らしいし、良い事でもある。でも悟りを
求めているんでしょ?悟りはもっと一歩先に有る。
自分のこころがそれで満たされるなら、貴方にはそれが必要なのかもしれ
ないです。仏、今で言う所での悟りは、欲しいというこころではない、
それはあげるという心だ。他人になにかしてあげたからと言ってそれで満た
される事は無い。他人に世話をしてなお他人に対しての慈しみが余るのだ、
そういうこころの位置に悟りがあります。
人間としての人生の満足を得たいならばそれでいいでしょう。でも悟り求めて
いるんでしょ?人としての満足をそちらから返してくるならもう言いません、
悟りを求めて居るなら僕の話した事になります。
4のURLが全て見れないんですけど
スレタイだけでもおしえておくれ。
>>19 質問ですが、貴方は行動においてそれが悟りだと仰っていますが、
悟りは心の変化の他に必ず行動ひとつひとつに付きまとうというか
行動のあり方が変わっていくものなのでしょうか?
質問の意味が分からないが、悟りは付いたり消えたりする電球はとは違うと言う事
これで答えられたかな?
>>もう一つ。気付きはある時突然に訪れました。悟りもある瞬間に訪れる
物なのでしょうか?ちょっと変な質問ですが、人力飛行機のようにちょっと
気を抜くとすぐ元に戻ってしまうような、訓練や修行のような実践や心構えに
よって得られる、あるいは保たれる物でしょうか?
悟りの段階にも色々あります、仏は彼岸にいますし彼岸に行けばもう変わる事
なんかないでしょう。
それは極端な話しなので、今は天覚を得るという話しにしときましょう。
天に通じるこころを持つことが出きる。
天の世界、菩薩の世界。仏の世界。段階を踏まえた1つは天の世界に入ると
いうことに成ります。大まかですが今の3つの世界が有るとしてその1つの天の
世界に入ると言うのがここで話す所の悟りでしょう。その世界に入ると諸天と話し
をする事が出きる様に成る。天通まで持てば後は神に諸天、諸仏に話しをする事
が出来るようになるので後は人間に聞く事無く進める。天通まではそう難しい
事では無い。
ここでの話しに似つかわしく無い、話しに成りましたが、そういうのが悟りです。
悟りは即ち仏に成る事です。
貴方が人生を生きていくなら普通に生きていったらいい、そのじゃまはしないし
ここでの何時もの話し並に合わせてのそのレベルの世界で話しをしていきたければ
それでもいいでしょう。いつもそれは人生を求めて居る話しに聞こえるけどね。
人生を求めて行きたいならばそれでもいい。
僕は本物の悟りの話しをしたのだ。
>>人間が神や仏のようになったなら、誰もが何処か歪なところを感じるはず。
釈迦は人間だったし。神に成ったイエスキリストも人間。仏教では悟りの
道は伝えられているし。人間が仏に成る事に歪に1つも無い。
ただ凄く距離があると。そう感じるのは分からなくないですよ。
>>人間、欲しいものは欲しいし、怒るときは怒るように出来ている。
でも悟りは、人生と切り離せない。その道程で感得していくものだと思う。
悟りと人生は切り離せる。貴方の話す意味での悟りと人生は切り離せる
ということです。
普通の人生を生きたからと言って悟れますか?悟った人を知っていますか?
カルト教団から切り離すには言い言葉だと思うが。自分で求めるのはその人間
が求めてすることだね。いやなら悟りのスレッドにも来なければ良いかと。
>>私には人生を離れた「悟り」なるものが独り歩きしているようで、気味が悪
く感じることがあります。
それについては仏を見てそれが悟りだと思って貰えばいいです。
仏以外悟りで無い。例えば話しは悟りでは無いと思ってもらっても結構。
間違いの話しをいままで多く聞いてきたからそう感じる物。僕に向けられる
のは迷惑だけどね。ここでの人生は先に貴方が述べた内容の人生だから
切り離せると言った。
やっぱり人間の人生を生きて悟れますか?と聞きたい寺で僧に成って修行
したら悟れますか?と比べて貰いたい。
>>人間悟りを開くための人生じゃないと思う。
こう思う人は全く必要無し。
>>悟りは徹底して個人的なもので、人生を豊かにする。
生活しか見えていない感じがするね。
>>人間はどうして悟り(真理、法)なるものを苦労して求めるのでしょうね…
これは何で産まれたかを知る為に。生命を見る為にだ。最後はいい質問
だったね。
>>私は人間性を無視してしまうような悟りには、どうしても違和感を覚えて
しまいますね。
人間性は無視していない。
>>人生の苦しみや悲しみに、共感的な態度を示せなくて何が悟りだとも思う。
相手に対しての愛情で余りある。悲しみや共感以上に相手えの思いが多いと言う事。
>>人間は人間らしく生きていくのが自然で、あまりにも不自然だと何処かに
歪みがでてくるでしょう。
人間の人生を求めるのは否定しない、でもここでは悟りに話しをしているから
ね。自分に取ってそれが不自然というならやらないほうがいいね。
3つに分けて話したら一番上が書きこみされていないので、書き足しました。
26に答えた先の内容、28に又書き直したが。28だけ不完全な雑な答えに
成ったかもしれない。
僕はもうロムに移ろうと思います。私の答えた事にレスする事が絶対必要だと
思われない限りね。ではまた。
30 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/10 19:05
>>24 すみませんでした。それはdat落ちしてます。
スレタイは以下のとおりです。
>ぶっちゃけ、悟りって何よ?
>>13など (
>>22-23>>25)
丁寧な説明本当にありがとうございます。
悟りとは思っていたより遥かに大きなモノですね。レベルが低いと思い知らされました。
仏と話ができるようになった人の話は聞いた事がありましたが、人間はそこまでの
存在になれるとは思ってませんでした。勝手に頼ってしまうのは申し訳ありませんが
悟りの話をこれからも教えて頂きたいと思います。
>>20 822さん
悟りに達すると確かに人間ではなくなってしまうと思います。
13氏の説明で察するに十界(法界〜人界〜地獄界)において人界、あるいは六道(十界のうち天界〜地獄界)
を抜け出てしまうようです。それは精神状態の大きな変化だと俺は考えています。
真言宗の記録によると空海は真言宗を完成させた後、日本中を歩き回って疫病や
飢餓に苦しむ人々を救ったそうです。俺の地元にも弘法大師所縁の石碑があります。
イエスは様々な社会的な改革を行ったとこの板で聞きました。(イエスが悟りに達してたかは分からない
のですが)
人間の域を脱してしまうのかもしれませんが、悲しみや苦しみを見失うような事はないと思います。
悲しみ、愛情、などは地獄の亡者にも仏にも人間にとってのものと同じ筈です。
31 :
名無しさん@3周年:04/02/10 19:11
前スレの964さんアドバイスありがとうございます。
とても健全でよい考え方だと思いますが、なんだか今はそういう気持ちには
なれそうにありません。いずれはそういう風にして普通の幸せとか楽しみとか、
そういうところに戻っていく可能性もあるのかもしれないけど、どうも今は
変な方向に運気?の暴走が始まってるみたいで、しばらく無理です。
どうも僕が出てくると荒れる傾向があるみたいなんですが、
再び前スレに続いて今度は少しまじめに書いてみます。
悟りについてですが、小悟の経験あるんでそれについてです。
僕が小悟を経験したのは確か17歳のころでした。
僕は、昔から変で進学校だった高校でも僕は浮いていて、
まあその、いじめじゃないけどいろいろとあって、
躁鬱病みたいになって薬まで処方されて家にいる状態の時がありました。
ちなみに薬はさっぱり効かなかったんでほとんど飲みませんでした。
そうして、あるとき、夕方ごろだったか、それぐらいの頃から偏頭痛で
頭が痛くなってきまして、夜になってもおさまらないから、しょうがなく
バファリンを二錠飲んで寝た訳です。
そしたら夜中に目が覚めて、その時がプチ悟りでした。
>>21 倫理や道徳を飛び越えて「悟る」のはいいが、人間界に戻ってきたなら
それらはルールとして尊重して欲しいんだよ。
何かとても感動的な明晰夢のようなもの(前世の夢も混じってたのかな)
を寝ている間の起きる直前に見ていて、そうこうしているうちに、
何か、ばーっと、ものすごい感動的な感情がこみ上げてきて、
目が覚めてもその状態だったんです。言語化は、不可能です。
とにかく全体の統一感というか、そういうものです。
悟りの真っ最中にはとにかくすばらしい、すばらしい、で何もわかりません。
そして目が覚めてから10秒ぐらいでしょうか、それぐらいすると、
引いてきたんですね。その発作みたいなものが。
<ああ、これはまずい、この感覚がなくなってしまう、なんとかしないと>
と僕は思って、なんとかして今の、この感覚を言葉にして残しておこうと
思って、さめた直後ぐらいに言葉として表現して出てきたのが、
「全ての瞬間が完璧ですばらしいのだ」というフレーズでした。
時間は無い、全部完璧で、統制が取れていて、すばらしいの連続なんだ、
という感じです。
その当時、何がきっかけであんな状態を僕が経験したのかということですが、
思い当たるものとしては当時出版されてすぐのころの「神との対話」を
僕は読んでいて、真正面からぶちあたる形で一生懸命読んで、
躁鬱病の感情の波と戦っていたような部分がありました。
あとは日記です。毎日パソコンで日記をつけて、反省をしていました。
画像や顔文字を入れながら、確かワードパットやワードで書いていたような・・・。
この時の一種のクライマックス?の前後には、夢の中で感動して懐かしくて
号泣するような、そういう不思議な夢を頻繁に見てもいました。
人の参考になるかどうかわからないけど、僕はあれは今でもとにかく印象に残っています。
座禅も坊さんも哲学書も問答もクンダリーニなんとか行法もなくて、
パソコンとゲームセンターとムーと、「新約聖書」と「神との対話」と、
登校拒否と精神病と、カウンセリングと親子喧嘩・・・。
まあそんなものでした。
38 :
名無しさん@3周年:04/02/10 20:47
>>34 >倫理や道徳を飛び越えて「悟る」のはいいが、人間界に戻ってきたなら
>それらはルールとして尊重して欲しいんだよ。
言い方が不快感を与えてしまったようです。m(__)m
もちろんルールは大切であり尊重すべきものです。
勿論釈迦も人間だったろうし、イエスも人間だっただろうね。決して仏教
の世界で祭り上げられているような佛ではなかっただろうし、イエスも
キリスト教が祭り上げるような神の子ではなかっただろうと思いますよ。
彼らは人間をして、人間を超えたのかもしれないが、人間として人や社会
との接点を持っていたんだろうね。
超越者(神や仏)として人間を見下しているような態度ではなかっただろう
と言っているんですよ。悟っていると称する人の、他人の神経を逆撫でする
ような物言いをする、その神経が私には理解できないと言う事です。
生活しか見ていない人間が、このようなスレに来ると、私なら思わない。
まあ、気に障ったら許してください。人間好きな人間の戯言ですわ。
自分が一番苦手とする分野、やりたくないことをやる。
そうすると、デコボコしてる部分が広がって丸くなってくるから。
黒髪で生真面目でシャツは第一ボタンまで閉めてる優等生タイプの人は、
茶髪にしてバイトでもやってみるとか。接客業やってみるとか。
マルイで服でも買ってみるとか・・・。
オウムが間違えたのは、人のぶんまで勝手に背負おうとしたこと。
余計なお世話のような気が・・・。
地下鉄に乗ってる人は地下鉄に乗ってる人として、それでいいんだから
いちいちかまう必要は無いと思う。
完璧で、全てが予定調和で動いているわけで、その社会の人たちの生活を
ひっくり返して、上からいじって強制的に変えてしまおうとするのは
間違いだと思う。ほっとけばいいのに。
なんで派手なことをオウムの人たちがやって、目立ちたがりやで
がんばったのかというと、やっぱり、本当はたださびしかったんじゃないかな。
優等生だったり、変に頭がよすぎたりして。
前スレで理科の実験の授業の話でも書いたけど。
42 :
五六〇 ◆hRMyj8cq8I :04/02/10 23:44
お前白痴だろ(w
目立ちたいだけで毒ガス撒くかよ(w
いいかげん氏ねや(w
43 :
名無しさん@3周年:04/02/10 23:50
>>42 とか言いながら、ちゃっかりスレ見てるんだな
44 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/11 00:03
荒らしは放置。
45 :
名無しさん@3周年:04/02/11 00:07
>>42 目立ちたい人がいないと、スレはおろかレスする人もいないはずさ。
あらゆるタイプの人がいることでバランスが保たれて成り立っている。
もしおまえのようなタイプの人間しかいなかったら、世界はきっと終わりさ。
46 :
五六〇 ◆hRMyj8cq8I :04/02/11 00:13
日本語が理解できない自作自演がいるようだ(プゲラ
47 :
名無しさん@3周年:04/02/11 00:16
それは私がまだ幼い時であった。
ある夜、急に体が火照ってしまい、どうしようもなくなった。
全く眠れないので、私はそっと布団から立ち上がり、
なるべく音を立てないようにして、玄関から外に出たのであった。
私の意識は澄み渡り、また、寒い夜であったにもかかわらず
パジャマ一枚で寒さは感じなかった。
わたしは、歩き出した。
歩いていると、急に車のブレーキの音が聞こえた。赤信号を渡っていたようだが
そんなことは一つも気に止まらなかった。
神社に着いた途端、私は何者かの声に包まれ、何かを吹き込まれたのであった。
極度の恐怖と、その中でも残る冷静さの同居する中、私は逃げ出したいという一念であった。
そして、蹲って、うめいて、暴れて、この極限状態に必死で耐えていたのだった。
>>46 毛生え薬が存在しないことなんてみんな分かってるよ。つるっぱげが
ふさふさになるなんて、誰も思ってはいない。
それは大前提であって、医学生じゃないと知らないようなことじゃないよ。
だからこそイノベ程度の効果でも、これまでのものと比べたら立派に
「発毛」剤。販売してもらわないと困る。
「血行をよくする」「毛根に働きかける」「シグナルをストップ」という言葉に
過大な幻想をもってしまったのはむしろ君のほうでは?
そりゃ、本当の毛生え薬が開発されたらうれしいけどね。
おいら、もう亜鉛のみ続けて1年
明らかに抜けなくなった。
以前はシャンプーすると抜けまくりだったのが亜鉛のんで2週間頃から
抜けない
だから毎日洗髪できるようになった(´ー`)
飲んでるのは、ファンケルの亜鉛とファンケルのビタミンB群
毎日2カプセル&2粒
51 :
魔法のマント(アンポン改め):04/02/11 00:34
>完璧で、全てが予定調和で動いているわけで、その社会の人たちの生活を
ひっくり返して、上からいじって強制的に変えてしまおうとするのは
間違いだと思う。ほっとけばいいのに。
アフリカの貧困も放置しろ、ということすね(プ
52 :
名無しさん@3周年:04/02/11 00:35
悟ってない奴はSAGEろ
ヽ(‘∀‘)ノ
54 :
名無しさん@3周年:04/02/11 00:44
>>51
人殺しと人助けでは次元がちがうだろう
55 :
魔法のマント(アンポン改め):04/02/11 00:47
そうだね。で?
56 :
名無しさん@3周年:04/02/11 00:50
そういうことだけ
人よ、神の声と共に歩むことを恐れる莫れ。
全ては自然、全ては必然、全ては終焉へ動き出しているのだ。
58 :
机龍之介 ◆ng98/U98aY :04/02/11 00:51
何でも体に溜める事は、毒を溜めるのと一緒で良くないし病気になりますよ。
手淫は、人間に必要なものです。
小便大便と一緒ですよ。溜るものは出すようになってるのが人間の体です。
人間の体は、よくできてますよね。風邪を引けば熱がでるのと一緒で…。
59 :
名無しさん@3周年:04/02/11 00:53
/".::::.:.::::;;:;:;:;::;;:z-‐.、ミ、`::;;::: :;ゝ^ヽ、;;:::.`ー-..、 ,.-..、
;._、ヾ:::.、`` /,.、。`ヾ }ヽ;;:;;:;:::/`i";:r-ァ''ゝ.。 、.;;::.. ``ー,'=ニ、゙ `ヽ.
:ト、ヽ、::..;ヾ`:,i{´ ヾ.ヽ、.::j;;:j /j /.:i´ \.;;;::;::.j_,ィ=t \
::.i.ト、 '´ヽ゛`' i `ヾノ/、i;:イ . .: `y'" j´r-‐、,._ ゙!
:.::.:ヾヾ、. 、,. i'´゙ヽ |:. ,ィ゙、,ノ_ / `´ ..::;;;}' /
ト;::::ヾ:`ヽ`!.i{ ``´,..イ-ァ'~,:'/`ヽ.`ヽ、 _,.ィ´ ....::;;;./ :/
、;::ヽ.:ヾー-=゛、._,/;;:::::;ィ.`゙/ィ:. i.:: `"ヽ;;::... ..::;;::,.ィ'~ .:/
i::ト;::゙::.ヾ:::.ミ、` {イ;'´ ゙̄i. i i 丿 ..:;;;゙i.;;;:::;;./´ ゙ヽ、.'
ヽ::``ヾ、ヽ=、`.:;;゙i,:., ゙i. i.}ー=-'´,..:: ,.: ::;;_ノヘi,.='´ヽ、 `ヽ.
ヾ、\;;:`ー::.... ゙i,;ー - ゝ.`ヽ二_./ ;.,ィ'´: : : . ゙ヽ. `ヽ、
\;;;:::. \、 ヽ、=-゙'、;:'__ .:,ィァ'"⌒`ーェ,,___,.._ :.. \
.\;;;:: `ヽー-----─=゙ァ'´ ヾ、 、`ヽ、..:: ヽ.
ヾ、;;;:: '~;,.. ....::;;;./ . :,.ィ:.:. :. ト、ヽ.;;. :、_`ヾ、t、 ゙ヽ.
`、\{;;;::: ..::;;;/ . :/;;:;い、゙i、ヽ.゙ヽ) _`ヾ、ヾ、 ゙、
.\ヾ、_;;;::::=ァ'´ . : /-'゚::;゙i,⌒`´`'``! ゙! i. `ヽ_j`ー'
\;〈 ,ィ" . : : /;;;:::.. :;;;゙i,:: : : : ヾヾヽ ゙i .:.:.
j/゙! . .: : : ノ;;;::... :::;;;゙!:: : : ``'`' 〈 `゙i,:: : . +
`ヽ、_,..イ´;;;:::... ;;;゙i,:: : . .+:ヽ. ゙!:: : . +
ヾ;;;:::;,:;;;::::...... ../::;;゙i,:: : : . :ヽ.゙i,:: : .+
ちょろ……ちょろちょろ………
60 :
名無しさん@3周年:04/02/11 01:05
削除依頼出しときました。
自覚された破壊衝動が破滅を引き起こすのではない。
それが、破壊に対する憎悪へ転化されたときに破滅が起こるのだ。
62 :
名無しさん@3周年:04/02/11 01:18
性欲と怒りがミックスする心理状態がある
それを悟りとはいわない
63 :
鬼検索 ◆ONIoniKkao :04/02/11 01:33
64 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/11 01:38
どういたしまして
私は「常に人の為に何かしたい」「誰かの役に立ちたい」
ただそれだけを考えているのです
人の意思とその発する言葉の間の距離を認識しなければ
意思疎通の重要さは語れない。
67 :
名無しさん@3周年:04/02/11 01:52
あんまり調子に乗るなよ
.__
((ヽ| ・д・ |ノ
|__| ))
| |
.調子
"""""""""""""""""""""""""
69 :
名無しさん@3周年:04/02/11 02:00
腹をたてない
一つの気づきでは?
71 :
高島屋 ◆ZgEPjbSIEo :04/02/11 02:18
'`,、'`,、'`,、'`,、(´▽`) '`,、'`,、'`,、'`,、
>>68 アレを見ろ!
コンニャクだ!塗り壁だ!
いや、羊羹マンだ!
びろ子びろびろぉーーん
人間、腹を立てなくなったら終りだよ。気付いた時には既に腹は立っている。
ただ腹は立っても、それに乗るか乗らないかの判断が必要なのが人生。
悟りに分別は必要ないだろうが、人生は分別を迫られる。
人間や自分自身への洞察を飛び抜けての悟りの希求には問題もあると思う。
悟りと人生は切り離せない、と私は思うから。
切り離せなくても、想いに留まらなければ、喜怒哀楽や苦楽が永続的でなく
根源的なものでなく、わたくしのものでないことは納得できる。
悟れば自分の人生も客観的に眺めるだろう。だがその眺めに行いが随行する
のが自然なんだと思う。形に影が添うようにね。
悟りの精神状態にばかり気を配らないで、悟りの行いにも気を配りたい。
75 :
前スレ964:04/02/11 11:18
のあさん、レスありがとうございます。すごい喜びを感じられたんですね。
よかったですね。あなたの観察眼は、虚無感に基づいていつのではなく、調和を感じて
のことだったんですね。
その観察眼があれば、きっと今のあなたの置かれている状況も、調和の下に説明が付き、
あなたの生きている意味を教えてくれることでしょう。
私はもともと、ひとつでもいいことがあれば、「ま、いいか。」と考えられる安上がりな
性格だったんですけど、ある時期、嵐の中の落ち葉のように、もみくちゃにさて、生きているのか
死んでいるのかさえ分からないようなことがありました。
その時の苦しみや痛みは、自ら選んだ修行ではなかったんですが、山にある岩が、川を流されるうちに
角がとれてまるくなっていくように、いつのまにか、以前とはまったく違う自分になっていた
ことに気付きました。
本当に、生きていくと言うことは、無駄ではなかったことに気付いたのです。
822さん、
>>39,
>>74 納得します。
削除議論板におかしなスレ立てないでください。
77 :
前スレ964:04/02/11 19:31
漏れ紙コップに入れてもらった聖水を一気飲みしたことあるけど
かなり勇気いるよ。ひと口含んだだけで吐きそうになったもん。
前にもう1つの書きこみには面倒なのでレスはしないが。
>>74 人間、腹を立てなくなったら終りだよ。気付いた時には既に腹は立っている。
ただ腹は立っても、〜
人間としての感情で生きるなら、それが悪いとは全く言わない、人間としての
普通の人生を生きていけばいいし。それにどうとか言いたくない。
常という言葉が有る、常はいつも同じ状態を持ちつづける事でも有る。
それは怒りを捨てるという事でもある。 悟りを目指す者には必要になるだろうね。
僕が前に書いた難しい話しは、貰う方の立場からあげる方になると言う事でもある。
自分はいままでして貰っていて楽をしていた、しかしあげる方の立場になるとそれだけ
こころにならなければ成らないという事でもある。貰う方は楽なのだ。それが普通の
人間の立場だね。(仏が悟りだからそうだ、人間が 悟りでは違うね。
腹を立てるというのは人間的には悪くないしかし、悟りを求めるならそれを捨てよう
としなければ成らない。それは修行に向けてのこころ構え(悟りを得ようとする立場
に置いても)こころの中からそれを捨てようと発起する必要があるんだ。
これは書きたく無いがそうすると、みんなのよく話す一瞬のひらめきのようなものが
あるんだ、これをここでは小悟と呼んでいるね、瞑想又は禅と表現をここでは
するが、禅を組んでいて悟りを得るという時の悟りがここにある。
そういう1人での悟りを求める者のすることを書いた。
>>人間や自分自身への洞察を飛び抜けての悟りの希求には問題もあると思う。
これは悟りの高いレベルの段階を書いたからそう思うのだと、思うね。
例えば修行が進むと先に述べた貴方が、自分自身の洞察から飛び越えていると
思うという事。さらにその行なっている本人からすれば自分を見失ってなんかいない、
むしろ自分をじっくり何度も何度も振り返って認識している筈だよ、洞察について
はむしろ普通の人間よりも多く持っているものだ。貴方の考えている全く逆だ。
ここで書く以上に凄い力を持っているのだが、解り易くトーンを落して書いた、
この方が分かり安いと思う。
>>悟りと人生は切り離せない、と私は思うから。
人生と切り切り離せないとはどういうことだろう。先に述べた貴方の話していた。
人生とは意味が違って書いてきていると思うけど。今度の貴方の書くところの
人生は人生より何かを学ぶということかな?自分の人生を置き去りにして何か
するとは僕は書いた覚えはないが。普通の生活を全うしてその人生の中で悟りを
求める事はできるよ勿論。いい加減に生きて悟りを求めるなんて話は僕はするはず
無いし、した覚えも無い。(僕に向けての貴方からの言葉があると云うならばだが。
>>悟りの精神状態にばかり気を配らないで、悟りの行いにも気を配りたい。
それは当然の当たり前の事を言っているように思うね。
>>人生と切り切り訂正→切り離せない。です。
>>81 は騙り、13と書いてあるが13では無いです。騙られてすまん。
今ちょっと忙しくてROMもままなりません。(千客万来だし)
>>82 騙られても貴方の場合すぐ分かります。
でも次からはトリップを付けて頂けると嬉しいなと・・・
84 :
13 ◆x/9boA8rSk :04/02/11 23:28
>>83 了解しました。
なんだか大変そうですが頑張ってください。
84も騙り、書いておくか。
つぎからは13て云うのも使わないので。
87 :
名無しさん@3周年:04/02/11 23:51
現代の悟りには
昔からの悟りと
オウム真理教のいう悟りと
二つがありそうだな
1990年代から2000年代の頃って
巨乳とかいう異常に胸の大きなのが流行ったんだって。
あんな乳牛みたいな女の子のどこが良かったんだろうね…?
彼女とデート中に、彼女が実家に帰る時に何かしたいことありますか?
って聞かれた俺はキスをしたいって言った。
でも、車でするのも恥ずかしいからと彼女の部屋でキスをした。
そのまま抱きしめて胸を触った。「いい?」って聞いたらここまでしておいて
しないわけには行かないでしょ?って怒られた。
ちなみに彼女は処女ですた。
91 :
名無しさん@3周年:04/02/12 00:26
何でこのスレ偽者ばっかなの?
92 :
名無しさん@3周年:04/02/12 00:40
全員の偽者がでてくるようだ
>brownさんへ
まだこのスレを見ていたらですが・・・
前スレ「熟考されたし」の答
私はこれまで心のメカニズムを解明していなかった。
しかし、まだまだ、解き明かしていませんが、1つの結論がでました。
思いが湧き上がる動機を追及してゆくと、最後に「不安」に突き当たった。
すべてはこの「不安」から動機が出来上がっていた。
この「不安」こそが、自我を作り上げ、またそれに愛着させ、
また、私を証明しようとする行為の源であること。
私を認めさせようとする行為の源であること。
が解りました。
そして、その「不安」の原因はそれが空っぽのため、
闇になっているため、空虚なためと解りました。
その空虚を埋め合わせるため、色々なことで私の存在を証明しようとするのです。
後は、私がそこに光を燈せば、私が意識を向ければよいのでしょう。
それに気づいた時から、私に「静けさ」が訪れました。
それは日増しに大きくなり、1ヶ月ほど経ち、ほとんど常に感じるようになりました。
しかし、あの悟ったときのような、圧倒的な至福感ではなく、もっと小さなものです。
私が正しい方向に向かっているのか、それとも妄想に耽っているだけなのか
どうかはまだわかりません。
ただ、今はその心地よい「静けさ」が常にあります。
ま、今はこのような状態です。
心のメカニズムに気づくきっかけをもらってありがとうございます。
94 :
brown ◆EyY6.JeVAY :04/02/12 02:34
>>93 1;どんなときに幸せを感じますか?
2;趣味は何ですか?
3;机の上には,なにがありますか?
4;座右の銘は何ですか?
5;明日死ぬとしたら何をしますか?
6;明日死ぬとしたら誰に何を伝えたいですか?
7;あなたにとって一番美しいものは?
8;人生を送る上で一番大切なことは何ですか?
9;あなたにとっての「神」とは?
10;何故生きているのですか?
11;今一番悔しい思い出は,なんですか?
12;初恋が恋の中で,一番重要だと思いますか?
13;家出をした事が,ありますか?
14;どんな人が恋人に欲しいですか?
15;最後にあなたの年齢と職業、性別を教えてください
95 :
マルチンドルジサクジエンノコクハクハゲシクワロタ:04/02/12 02:40
削除理由・詳細・その他:
とても神聖なスレなのに、
>>50のように、人のコテハンを使って荒らされるのは迷惑です。
96 :
魔法のマント:04/02/12 05:16
≫51 食べ物あまりない所では、あまり子供作らないと思うが。
97 :
名無しさん@3周年:04/02/12 07:16
オウム(ダイバダッタ)の存在がなかったら、
私が悟ることは決してなかった。
98 :
名無しさん@3周年:04/02/12 17:17
↑
反面教師を見て
お釈迦さんが
そういったのかな?
>93(301)
不安というソースに気づくことは,かなり深層を理解されていると思い
ます。それは,心の中の負の感情の一番深層にあるものですね。
しかし,その不安が生じるメカニズムは何だと思いますか?
心のエネルギーという点から見ますと,確かに,光や圧倒的な至福感,
別の言葉では安心感が空っぽなために不安なのですが,メカニズム的な
分析からいうと,もう少し別のところに答えがあります。
答えをここに書いても意味がないかもしれないけど,答えは,
「知らないこと」です。知らないから不安がある。よく調べてみて
ください。それを裏返して,何を知っているから安心があるかと言う面も
よく調べてみてください。
そうすれば,あなたの体験に横たわっている至福感や静けさの意味も
よりはっきりとしてきます。
100 :
マルチンドルジサクジエンノコクハクハゲシクワロタ:04/02/12 22:51
削除理由・詳細・その他:
とても神聖なスレなのに、
>>50のように、人のコテハンを使って荒らされるのは迷惑です。
101 :
名無しさん@3周年:04/02/12 22:54
貧困だからこそ子供作るわけだが・・・。
102 :
301 ◆2spuC3Ftq2 :04/02/12 23:20
今日松屋逝ったんだけど
すげーデブの客からチケット渡された店員が、奥に向かって「ブタ一丁」と叫んだ時
店内客全員が笑いをグッとこらえる重苦しい雰囲気に包まれたのを感じて
口の中の牛めしを吹き出しそうになってしまった
始めまして、301さん、brownさん。始めて書き込みいたします。
ちょっと気になったので、brownさんにお聞きしたいのですが、
(キツイ言い方になるかもしれませんが、お許しを)
>>99の「答えは,「知らないこと」です。知らないから不安がある。」
は、301さんの今の状態に合わせてでしょうか?
それとも、brownさんの悟りの状態でしょうか?
私は知らないことの不安ではないと思うのですが。
知らないことの不安は、「諦め」と「希望」による浅い不安です。
もっと深い不安は、「知ること」「知ってしまうこと」
「知ってしまったこと」による不安です。
これが次の落とし穴であり、乗り越えるチャンスでもあります。
ヒントは3つ。
301さんの
>>93の中に1つあります。
十牛図の8番目は何ですか?そして、9・10番目は何ですか?
「観念」と「慣念」の違いは何ですか?
よく考えてみてください。ここで答えてくれなくても結構です。
お二人が理解して下されば良いのですから。
お幸せに。
マンモスの肉は石のお金で購入してました。
105 :
名無しさん@3周年:04/02/12 23:46
なんかこのスレ聞いたこともないようなコテハンが次から次へと出てくるんですが・・・。
106 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/02/12 23:47
ROM記念
う〜ん、やっぱり人間の理解力に合わせないと、コミュニケーション
がままならなくなる。やっぱ相手あっての対話だからね。
かつて悟った人も、人々の理解力に合わせて待機説法というのを実践
していたようです。それは対話者の理解力をも活性化しました。
今家(マンション)が無駄に空いてるので、
女でも飼ってみたいんですが、どこから拾っ
ってこればいいですかね?
わけありな女を見つける方法ってないっすか?
109 :
名無しさん@3周年:04/02/13 12:41
>>99brownさんの言うこと、わかるような気がします。
>>103平凡さんの言うことは、まだわからない。わたしはまだまだ勉強が足りないようです。
ブッダの悟りも入り口に過ぎなかったと考える人もいるようですから、奥が深いですね。
しかし欲張らず、とりあえず肉体や不安のある意味を知って、人間らしい生活を目指しましょうか。
110 :
名無しさん@3周年:04/02/13 15:45
111 :
名無しさん@3周年:04/02/13 15:46
112 :
名無しさん@3周年:04/02/13 16:00
腹部は、宮殿の各所に置かれた宝の壷である。
113 :
brown:04/02/13 21:04
ところでホモの温泉同好会ってないの?
僕は温泉好きなコッチの友達とたまに行くけれど
それ以上の広がりができない・・・
やはり不便な所だから車を乗りこなす人に限られるし。難しいかな。
114 :
名無しさん@3周年:04/02/14 00:26
>>109 >ブッダの悟りも入り口に過ぎなかったと考える人もいるようですから、奥が深いですね。
いるようです、で確信できる人は、確かにミステリアスという意味において、奥が深い。
115 :
名無しさん@3周年:04/02/14 00:41
>ブッダの悟りも入り口に過ぎなかったと考える人もいるようですから、
私もそう思いました。最後に黙りこくってしまったって。 え?みたいな。
悟ってないのによく生きてられるよね。
面白いですね、凄いですね。私が書き込んですぐにもう一人の平凡さんが。
これをきっかけに、その他の愚なるレスを読みながら、新たなる悟りを一つ
得ることが出来ました。有り難うございます。
痴聖人を見ることによって開ける悟りがありますが、このようなところ
からでも可能だったんですね。
愚なるレスを書かれている方々にお礼申し上げます。
お礼のお返しに一つアドバイスを。
愚なるレスをもっともっと書いてください。
貴方の責任と義務と思ってどんどん書いてください。
時間を惜しんで徹底的に書き続けてください。
嫌と言うほど、飽きるまで、いや、飽きてもなお更に書き続けてください。
その先に貴方の悟りはあります。
>ブッダの悟りも入り口に過ぎなかった
入口もクソもありません。溜まった水は腐っていくのみ、です。
118 :
名無しさん@3周年:04/02/14 23:59
>>64
思考回路の一律化というべきか、脱却したい。
ラーメンでたとえるなら、「美味い」という共通価値観が一致
すればいいのですよ。
当てになっても、そうでなくてもあまり意味はないとおもうのです。
もっとシンプルに考えたほうが良いとおもいます。
結果論で処理しませんと、観念的になるのではありませんか?
スレの方は、そのまま一生マットウすればいいんで、
仏教の方は、どうも解りにくいです。
自分の感性も、当てにならないのですか?
それとも、自分のことはあまり信じられないのかなー。
どうしてバランス取らないといけないのかなー。>>64
120 :
名無しさん@3周年:04/02/17 12:25
_,,,,,,,,
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,r' /=ミ
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. / 彡lll
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l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
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゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
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【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
思わずうまい。
彼岸と涅槃は違うのけ?
brown さん まだいてくれたんですね。最近あまり見てなかったので。
いなくなってしまったのかなとも思い少々残念に思ってました。
彼方とは是非いろいろお話してみたい。
まだいなくなられては困ります。お話はおいおいと言う事で。
(机龍之介 ◆ng98/U98aY さんもご健在で何よりですわ、おじいさま(笑))
113さんbrown さんの名前を騙るなんて、あなたいい度胸ですねー。
124 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:47
122 :名無しさん@3周年 :04/02/19 03:07
彼岸と涅槃は違うのけ?
彼岸はあの世の浄土。
涅槃は神仏とアクセスできている心の状態。その、最上ランク。
125 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/02/19 14:01
>>123 >(机龍之介 ◆ng98/U98aY さんもご健在で何よりですわ、おじいさま(笑))
私のトリップは→机龍之介 ◆8Z1PfzdK1 これだよ。
それは偽者です(>_<)
126 :
brown:04/02/20 01:19
俺は打ち明けた。自分がエロゲーなるものをプレイしていることを。
そして・・・この事は内密にしてほしいとも言った。
すると、友人は何か貸してほしいと言う。
俺は戸惑いながらも銀色完全版を友人の家に持っていき、インスコするのを確認して帰った。
あれからもう10か月。
友人はゲームの感想を話してくることは無かった。
俺も自分から聞く事は無かった。
そして、他の人間に知れ渡っている様子も無かった。
全く変わらずドラマや歌の話なんかをしながら仲良く付き合っている。
今思えばゲームを借りたのは俺を安心させようとするためだったんだろう。
自分もインスコして共犯になることで、軽いパニック状態だった俺を落ち着かせようと。
そんな友人がいることを嬉しく思う。
でも、わかっているとは思うがそいつは男だ。
女の子からの好意なんて・・・・もう数年ずっとないよ。。
127 :
名無しさん@3周年:04/02/20 02:34
>>126 それで何を悟ったの?オチは?これじゃ悟れな〜い。
128 :
名無しさん@3周年:04/02/20 03:05
ナイスなつっこみ
>127は私です。HN書き忘れました。
>128さん、センキュ〜!イェ〜!
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU さん、始めまして。
あまり気にしないことですよ。
悟りの人生とは、水のように在ることです。
「固定“慣”念」を持たないようにしましょう。
サーフィンをするように、“観”念を大切に!
131 :
本日の鬼畜大賞:04/02/21 00:13
237 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/02/20 08:48
12縁起は受胎から死までをいうてるのであって、そんなに意味はない。
生老病死。
132 :
名無しさん@3周年:04/02/21 00:23
>>39 (随分と遡及しちゃうけど)
>勿論釈迦も人間だったろうし、イエスも人間だっただろうね。決して仏教
>の世界で祭り上げられているような佛ではなかっただろうし、イエスも
>キリスト教が祭り上げるような神の子ではなかっただろうと思いますよ。
法身は無形態で衆生が接触する事は出来ませんからね。
活動なされる場合は色身として姿を顕わされます。
粗大なカルマの顕れとしての迷いの生にある衆生が、実際に見聞覚知出来るように、
人間の姿に化身されたのが、お釈迦様やイエス様や、他の諸々の聖人とか宗教家?
といわれる人たちだと考えればいいと思います。
菩薩や神々の前に顕れるのは、報身。(有名な阿弥陀仏等)
法身・報身・変化身(応身)→仏様の三身です。
133 :
橋田壽賀子:04/02/21 01:17
イエス・キリストなる人物は、フィクションです!
134 :
1(五六〇) ◆BD/.VOmZgU :04/02/21 06:38
>>130 ありがとうございます。明鏡止水を心がけます。
か ム ぜ | / ', / は こ
た リ っ 机l. / , i :i、 |、 ゙, ノ' っ う
つ ム た ち ヽ./ /! ./l lヽ :i ', i`) き な
む リ .い .ゃ ./! /|:! | ./ | ! ヽ l ヽ ! l り っ
り ム ム ん / | /!//''|l‐=/、 ! l ,ゝ- ‐‐ヽ、 | | 言 た
よ リ .リ に (, l, :l.|: /_ ァテゝ、ヽ ! ヽテ = 、ヽ ! l わ ら
!!.ム よ 解 l . :!|:!:|, i` .}{ i゙! ` ´ }.{; 'ィヾ,. ∧ :} /. せ
. リ . 脱 ,ゝ ! ! :i '' "´, ‐'='' ´ | i`:} / / て
は (. / ', ` i ヒ/ /ソ ゝ. も
> /人 | 、 ヤ‐ヽ ,イ l /!/ _ ゝ ら
\ _ / ' ':, ヽ. ' ‐ ' ,/ /,r, |i' |' ` ). う
'レ'⌒´ ゝ, ` 、 ,. ' _// ‐‐ 、 ム わ
// >:t' ,. '´ /' _>-‐- 、,_ヽ
// /ノ,._'´ 丿 iヽ , '´ `
/ - ' /-) _' i' ノ‐ ' ヽ、 '
136 :
1(五六〇) ◆WUzfI4t1BA :04/02/21 12:26
お母さんにオナニー見られた・・・( ´-` )
137 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/21 13:12
>>134 どちらかというと融通無碍かな?
その上での(中での)明鏡止水。
きっとその方が世界が(視野が)拡がるです。
人それぞれでしょうが、明鏡止水だけだと、
拘りや驕りが出てくることがあるです。
>>135-136 まだまだ、これくらいじゃ悟れませんよ。(笑)
139 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/21 15:36
>>138 感情に乱されない心という意味かと思ってしまって
実は
>>130の後半は
>>138を読むまで理解してなかったんです。
>>13氏のお陰で少し悟りに対して見えて
来たような気がしてきました。
「己無き所に幸いあり」
と言いますが、自分を“無”にする事ですね。
感情と遊びながら、感情を観る、観ている自分をも観る。くり返し。
無に“しよう”とすることはいけません。
どうせ 人生 暇つぶし
141 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/21 18:18
>>140 なるほどです。
それなら、どんなに感情が乱れても心を保てるかも
_、-〜:ゞ-〜:z_ 妄想brownくん………
ィ: :,.-‐'-‐-‐'- 、 'z 君はわしから見ると……
7 ;' 二二二二 '; :', 実に好ましい男だっ………!
1 ;' ‐------‐ :} :!
} { ‐==:、 ,.a==‐| } 近頃の2ちゃんねらーには珍しく…
「r|:i;===,=、 ,.=,===;「rヘ 命懸けのできる男…
|〔.|| `ニニ〈@ ;;〉ニニ´::!|_).|
人,lL二ニ( @ ')ニ二a|!_人 ネタが浮かべば…
ノ./]ヾョョョョ王ョョョヲ7[\ ヽ 即座にAAを作れる……
_... -‐''"|:::::{ヽ ,, === / i'::::::|`‐-、__
...:::::::::|:::::::';!iヽ、...____... イi!:リ::::::::|:::::::::... 熱き炎を心中に宿す職人…
:::::::::::::::|::::::::lヾ:!i !i !i: !i ソ|::::::::::|:::::::::::::::
::::::::::::::::::::|:::::::::|:.ヾ !i !i !i '/.:|:::::::::::|:::::::::::::::::: 実に素晴らしい……!
>>135 スレとは関係ないけどいい作品だな。
>ぜったいムリよ
>ムリムリムリムリ
>かたつむりよ!!
AAもいいし、オチもついてるし。
>>138 はじめまして平凡さん
拘りや驕りがないことによって、自動的に明鏡止水になりますが、何か
なるというのは、正確性に欠けますね。
頭痛のときとか、何かに拘ったとき以外は、明鏡止水ですね。
128さん どうも。
>>138にも書いてありますが、人それぞれなんですよね。こういうの。
◆BD/.VOmZgUさんのイメージからこちらかなと。
逆もアリだし、意識しなくても良し。そこに遊べれば良し。
今風邪ひいてしまって、頭痛いです。寝ながら、痛いを観ています。
イケます。
悟ったひとってオナニーするの?素朴に聞いてみたい。
148 :
名無しさん@3周年:04/02/24 21:57
蛆やボウフラは、腐った溜まり水を寄る辺とする
>>146 失礼、意味がわかりました。観自在ってことですね。
そうすると、もう葛藤が起きない。
止まったはずの水面に(感情などの)動きを見つけ、
まだ水面が動いているという勘違いをして、
(感情などを)止めようとする。これ拘り。
(感情などを)止めてしまったことを悟りと思い込む。これ驕り。
感じる(観じる)こと無しに悟りはないです。
微細なモノゴト・感情まで観じられるようになるからといって、
大きな動きが観じられなくなる訳ではありません。
悟りを得た人は「心静かで落ち着いた人」というイメージに
騙されやすいですよね。これ落とし穴。
151 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/25 00:54
昔読んだ催眠術の本で自己催眠のページに
普段何も考えずに水を飲むと水の味を敏感に感じ取る事ができる。
しかし、水の味を見ようとして飲むと、水道水とミネラルウォーターの
違いも分からなくなってしまう。
腕や足から力を抜いて暖かくしようとは考えずに、それを感じるのを
待つようにする。
というような事が書いてあったが、そういう事なのだろうか?
>>151 >普段何も考えずに水を飲むと水の味を敏感に感じ取る事ができる。
そういう元々備わっている体感覚が意識に上がってくるようにする、
というのは方向性としては間違ってないと思います。
ただ、暗示にかかった状態が悟りというわけでは決してありません。
自己催眠術というのは自己の潜在意識(頭より体に近い)へ直接言葉で
語りかける技術であり、習得することで自分の心身の仕組みを、直感的に
理解できるようになると思います。
精神世界に興味を持つ人の場合、練習の際に興味本位で面白さを
追求すると、暗示による変化をオカルトと誤解して変な人になる危険も
あるので、基本を守って技術だけを磨く事が大切です。
自律神経訓練法として広まっているものがお奨めです。
私は以前、「心・思いと仏性は別のものである」という事を聞いて、
心・思いから脱却しようとしました。座禅したり、念仏を唱え続けたり、
全ては空だという見方を継続したり、様々な方法をとりました。
しかし、心や思いは消えないので、どうすればよいかと思った所、
盤珪禅師の「一切は不生の二字で整いますわいの」によりて、悟りを
得るための修行は外道であると悟り、全て辞めました。
今は、煩悩あっても仏性は間断なく我が身心を照らして止む事無し、
という心境に落ち着いております。
155 :
名無しさん@3周年:04/02/25 18:23
>今は、煩悩あっても仏性は間断なく我が身心を照らして止む事無し、
>という心境に落ち着いております。
言葉で覚えただけでも偉いよ
それだったら本を読んでだれでも出来る
>>155 >それだったら本を読んでだれでも出来る
それは不可能ですね。
“慣”念は育てても、“観”念は育ちませんので。
157 :
名無しさん@3周年:04/02/25 20:03
>>156 あなたがレスしただけでも、十分に観念的です
その原動力となってるのが、習気です。
>>150 まったく、その通りですね。
同感です。
感情を静めようと頑張ると、葛藤が起きてしまう。
微細な心の動きがわかると葛藤は起きないので、勝手に静まる。
それに、悟りのエネルギーは感情から来ているのでしょうね。
301です
160 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/26 09:30
俺は感情の観察をしようとしてもそれを押し殺してしまってる
ような気がします。怒ったときに怒ったなと思うとどこかで
「怒るのは良くない」と考えているようです。
>>156 出来れば慣念と観念の定義を説明して欲しいのですが、
>>157 「機を見て敏」ということです。
私の体験談を話しても意味無いことだから、もし興味があるなら
あなたも体験しちゃった方が話が早いでしょ?ということ。
だから出来るだけヒントに留め、あなたが感得して下さいということ。
必要と私が判断すれば、連続レスもしますよ。w
それから、あなたも観念の意味が解ってらっしゃらないようですね。
この文章からいえば、
観念では無く慣念(=“固定”観念=習気=習“慣”)では?w
「念」という字は「今+心」。意味、理解できますね?
「観」は「観察」の“観”。ただの“見る・眺める”ではありません。
観念の意味がイメージできましたか?
それが固定化されたものが固定観念ですね。思い込みともいいますね。
では、慣念の「慣」は?「貫く+心」。思い込みですね。
これが体系化されたものを「概念」。「既に+木」ですね。
イメージできましたか?
あまり説明する気はなかったんですけど、いつまでも引っ張っても
しょうがないし、>160も聞いてるし、そろそろタイミングかなと。
>>160 説明してみましたが、出来るだけ自分で考えることが基本です。
左脳で知識を貯めることよりも、右脳で直感(センス)することですから。
「怒るのは良くない」は慣念(固定観念=道徳=常識)ですね。
怒る時に怒らないと、怒る(の本質)を観察できませんね。
感情も「感じる(センス)」の一部ですが、全体ではありません。
ミュージシャンがビートを感じること、絵描きがモチーフを観察すること
などは、感情とは違います。
ミュージシャンも絵描きも、同時に感情も(殺さずに)使っています。
これヒントです。
凡夫さん、悟りのエネルギーは感情より、「好奇心」かな?と。
162 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/26 20:03
163 :
ナーガールジュナ:04/02/26 21:21
言
葉
の
虚
構
性
に
つ
い
て
語
り
ま
し
ょ
164 :
名無しさん@3周年:04/02/27 19:03
語るのもまた言葉。
あの〜、ナーガールジュナさん、いつ語ってくれるのでしょうか?
楽しみに待っていたんですけど。24時間経ってしまいました。
166 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/27 22:08
>>152 自己催眠はいつでもリラックス出来るように一部習得しただけです。
教材などがなのでトランス状態に入るだけで終わりです。
>>161 そういえば、小悟を体験したときも湧き上がる感情の元が何であるのか
考察したときに起こりました。その時のエネルギー源は感情だった
ようです。俺は感情をもっと大切にした方がいいのかもしれません。
>>166 自己催眠もそうでしょうが、スイッチを入れるキッカケは
何でも良いんですから。禅ではお茶(カフェイン)だったり・・・
最初のうちはスイッチを入れる“コツ”“感覚”が解らないから。
待っても待っても来なくって、忘れた頃にやってくる。
だんだん増えていって、日常的になる。当たり前のことになる。普通。
特別だった時が懐かしい。(今、真っ最中ですね!)
でも普通も楽しいですよ。
168 :
ナーガールジュナ:04/02/28 14:58
>>165 ごめんごめん
レスしてくれてたんですね
今現在、片足にギブスを嵌めてままならない状態です。
いろんな意味で自己内省の機縁としたいです
自由になったら、またネットしたいです
よろしくね(^_-)
169 :
brown:04/02/28 17:49
(^Д^)ギャハ!↑みなさん、この人のレスどう思いますか♪
なんて気持ち悪いんでしょうね♪
誰もが皆、脳内スルーしたくなる発想のレスです(^^;ワラ
しかし、愚鈍な人はそのみずからの短絡的思考を野放しにすることを好み、こういうレスを増殖させます♪
まさに、この人は典型的なキチガイです♪
「誰もが忌み嫌うような事」を堂々と(^^;ワラ
この人にとって2chとはなんなのでしょうか♪
ひきこもっているあいだにも時間は刻々と 過ぎ去っているのです♪
まさにこの人の存在は「生ゴミ」「キモオタ」でしかありません♪
ああ・・・なんていうことでしょう(^^;ワラ
このレスにも馬鹿の一つ覚えのコピペで返される事でしょう(^^;ワラ
170 :
名無しさん@3周年:04/02/28 17:52
悟りとはいつかくるものでは無い。
すでに知っていることを思い出すことである。
石ころでさえ自分だと知ったとき次なる叡智に向かう。
>>168 いつまで居るか判りませんが、縁がありましたら、お聞かせ下さい。
>>169 ここは「悟り・気付きの体験と相談」のスレですね。
これはあなたの体験ですか?相談ですか?
これは「自己投影」と思われますので、体験ならそこからどのような
悟りを得たのかをお書き下さい。(気付いて無いということかな?)
相談だとすれば、あなたはまだ、「自分の投影」と「相手」の区別が
付いていないようですので、もっと観察した方が良いでしょうね。
>>170 うん、その通りですね。だから私は「悟り」とは一言も書いてない。
スイッチの話をしているだけ。
これを「悟り」と読んだのは、あなたの慣念(固定観念)。
それに、あなたの言われるようなことを、今ここで言っても、
あまり意味無いでしょ。難しいばかりで役に立たない。
>>171 ではわかりやすく。
「人は今、思(想う)っている自分が本当の自分だと勘違いしている」
これでよろしいか?
174 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/28 21:06
頭で分かってもなかなか難しい。
トランス状態も訓練しているうちに心にスイッチが出来て
ホンの数秒で入れるようになる。そんな物だろうか?
>>173 うん?
思考を止めないと見えてこないはずだが。
>>174 あまり小悟と言い分けることは好きではないが、便宜上。
最初の小悟を体験してから、次までに、どのくらいの期間がありました?
ではその次の時は?(期間の変化は?ということ)
それは、いつも同じスイッチでしたか?
それから、なんだかトランス状態を作ろうとしているように思うが、
はたして・・・。
私の経験だと、やはり観察しきるための集中は欠かせないと思う。
そのためには、抽象的なものより、具象がよいと思う。
りんご一個を徹底的に観察するとか。どこまで観察できるものなのか。
>>175 私は思考と一緒に動きますよ。その刹那の中では止まっているのと同じ。
もちろん止めたい時は止めるし、両方アリ。
「人は今、思(想う)っている自分が本当の自分だと勘違いしている」
もOK。逆もOK。その先?(向こう?)にあるもの。
まあその前に、あなたも解ってる人なら、ほかの人に解るように、
気付かせるように、語って欲しいな、ということなのですが。
178 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/28 21:50
>>176 平凡さん
最初から2回目まで3年かかりました。
2回目から10年経ちましたがそれらしき物はありません。
その時は悟りを目指していた訳でなく、そのまま
8年くらい前から忘れていました。
小悟があった時はタロットカードを使い、明鏡止水の
訓練を良くしてました。
1度目は生まれてきた事に喜びを感じた時で
2度目は絶望の淵に立った時でした。
179 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/28 22:06
>>176 それとトランス状態と小悟・悟りに関係があるとは思ってません。
平凡さんの話を聞くと自身に注意を払って観察するところが
自己催眠の訓練に似てるのかなと思っただけです。
>>179 ごめんなさい。勘違いさせてしまいました。
トランスはスイッチとして大切だし、トランス状態も関係あります。
「トランス状態を“作ろうとしている”ように」思ったので。
もちろん作るものでもあるんですが・・・。難しいな〜。
禅に関係あるものだと、茶道とか、華道とか、ありますよね。
みんな作法にこだわる。寸分違わぬように所作に注意を払い続ける。
その流れの中で、スイッチが“自然に”入ってくるというような。
実は、何でも良いんです。
料理が好きなら、作る所作が流れるように美しいとか、
音や匂いで“味”を見れるとか、
武道でも良いし、音楽でも良いし、絵画でも良いし、
五感+直感、全てを使って向かい合えるか?ということです。
その“感じ”がスイッチです。
禅ではお茶(カフェイン)と書きましたが、
むかーしは、神道や密教では大麻を使用していましたよね。
それもスイッチ体験の一つの方法です。
解り始めると、スイッチはどこにでもあることが解ります。
181 :
◆BD/.VOmZgU :04/02/28 22:56
>>180 それらを感じ取ったとき、心の動きがどうであるかを観察する事が
大事と言う事ですね。
182 :
名無しさん@3周年:04/03/02 12:50
181さん、絶望の中で、その奥にあるもの・・・生きていていいんだって事がわかったとき・・・、
踏みつけられた麦が丈夫な根を持ち力強く伸びていくように・・・、強くなった自分を感じます。
だからって、自分に何が出来るのか、同じような苦しみの中にいる人に何もしてやれない。
側にいるだけでいいんだ。体温を感じるだけで、幸福を感じることが出来る。それが力になっていく。
・・・そんなことを最近感じました。
もちろん、ひとりで乗り越えなくてはいけない孤独も味わいましたが、だからこそ余計に、
力になれるときは、力になりたいな。縁がありがたいなって思いますね。
183 :
偏見だいっ嫌い:04/03/02 16:19
悟りに対して解答のような概念を持つ言葉で言い表せるものがある、とお考えのようですが。
それは悟りの境地とは言わないでしょう。
悟りとは、矛盾していることを引きずっていけること。
私がこう書いていること自体が、すでにして矛盾ですから。
世に言う悟りとは、立派なものじゃありません。
当方十八歳の若輩者ですが、宗教的・形而上学的な意味を持つ悟りは理解できていると思います。
何せ、出家しているのと何ら変わらないことを生誕時より行っていますゆえ。
184 :
名無しさん@3周年:04/03/02 17:20
>>183 矛盾を突き詰め、よく悩み、
物事の裏と表の両方について深い理解と納得を得る事です。
すると、ある地点で自我は機能できなくなり、空に至る筈です。
そこから日常へと戻る道程にて、様々な事を悟る。(認識する)
そういうものではないでしょうか。
矛盾を受け入れるか受け入れないかは、
在り方のひとつであるに過ぎません。
悟りが何ら立派なものでない事は同意です。
単にありのままを知るだけですから、
そこに立って虚飾なき自分を伸ばす努力を伴わなければ、
何ら変わる事はありません。
185 :
名無しさん@3周年:04/03/02 17:40
四つのディヤーナを住みかとすると言っても、その果報として至福の天界に生まれるということをしない。
四無量心を行ずると言っても、色界に生まれず、衆生を教化するために欲界に止まる。
四無色定を実習すると言っても、大悲のゆえに無色界に住しない。
執着を捨てることを実習すると言っても、衆生を教化する事を捨てない。
空を観想するといっても、空に執着しない。
すべての願いを離れると言っても、菩薩としての願いを捨てない。
186 :
名無しさん@3周年:04/03/02 17:40
>悟りとは、矛盾していることを引きずっていけること
ただ気がつくだけ。
特別なものではないことは同意。
187 :
名無しさん@3周年:04/03/02 17:43
>何せ、出家しているのと何ら変わらないことを生誕時より行っていますゆえ。
環境、苦行で悟るものではない。
電車に乗っていても、、
ただ気がつくだけ。
あんたら好きねえ
偏見だいっ嫌いさん、はじめまして。
しかし、すごいHNですね!いきなり自己矛盾ですものね。
ビックリしちゃいました。
>悟りとは、矛盾していることを引きずっていけること。
>私がこう書いていること自体が、すでにして矛盾ですから。
とっても重そうですね。不自由じゃないですか?
私なら放棄するな。大体、矛盾なんてどこにあるのかな?
無いものは放棄すら出来ない。
それに、言葉なんてものは(特に文字は)記号にすぎないので、
最初から「概念である」として遊べば良いんですよ。おもちゃ。
>世に言う悟りとは、立派なものじゃありません。
立派な“もの”でも、特別な“もの”でもありません。
元々“もの”じゃ無いし。まだ“こと”の方が近いかな?
>184さん
>物事の裏と表の両方について深い理解と納得を得る事です。
(少なくとも)裏と表だけじゃ足りないですね。
どちらも“もの”の一部だし。ネガとポジ、虚と実。ものとこと(関係性)。
ものが存在するためには、“空”間が必要。
だから、>ある地点で自我は機能できなくなり、空に至る筈です。
「空に至る」なんてことは無く、既にある。(“ある”というのも概念)
>185さん
とっても難しくって、よく解らないや。
>執着を捨てることを実習すると言っても、衆生を教化する事を捨てない。
まず、「執着を捨てることを実習」ってどういうことですか?
実習自体が執着なのに?
「衆生を教化する」って何?悟るって、個人的なことでしょ?
「暇つぶし」というなら解るが。
難しいこと“目指し”てませんか?
>186>187さん
>ただ気がつくだけ。
一応確認。気が付いた時も、悟りの状態でしょうか?
そうじゃない、と思っていた方が“間違いがない”と思うが。いかが?
191 :
名無しさん@3周年:04/03/03 14:18
悟りを求めてはいけない。
そのことに気づかなければ悟ることは難しい。
見つけちゃった。連続カキコしちゃお〜っと。w
>191
>悟りを求めてはいけない。
>そのことに気づかなければ悟ることは難しい。
気づくためには、求めなければならない。しかも徹底的に。
徹底的に、徹底的に、徹底的に。
そうしないから、矛盾が生まれる。
193 :
名無しさん@3周年:04/03/03 14:40
>>192 道がひとつしかないと考えるのは浅慮である。
道はどこにでもあるのだから。
神社に鳥居があるでしょう。
偏見だいっ嫌いさんが、「悟りの境地」って書いてたけど、
境地(外に対する内)なんて無くて、鳥居みたいなものかなと。
入口と同時に出口みたいな。
参道にずっとたくさんの鳥居が並んでいるのって、
悟りの状態(のイメージですけど)に似てますよね。w
>>193 こんちは。どうせコミュニケーションとるなら、HNくらい付けようよ。
同じ人なのか違う人なのか判らないから。ね。w ほかの人もね。w
私はひとつなんて言ってませんよ。それは前にも書きましたが。
どの道を選ぶのも自由。
ある段階まで体験している人にとっては、あなたの言われることで
問題ないことですよね。
このスレのタイトルおよび
>>1を見直してね。宗教哲学を語ってもね。
あくまでも、“私は”興味のあること一つに絞って拘り続けることが
拘りのなんたるかが解りやすいかな、と思っただけ。
では、“あなた”はどう語ります?
続き。
>道はどこにでもあるのだから。
これって難しいですよね。どれも道なら、無いに等しい。
砂漠の真ん中に一人立たされた気分にしかなれません。
さてどうします?
思考は本当の自分ではありません。
無心状態となったある時点で
(これを他人に言葉で指導できないから難しい、、
というよりも言葉が見つからない)
自分と他人がなくなり、草も石も根は一緒だったと
気がつく。
ただしこれが悟りかどうかはわからない。
海に波が立ち一滴の水の粒が空中に飛び出したのが
私たちのひとりひとり。
海に落ちて帰れば膨大な海水(存在の記憶って表現で
いいのかどうか)で宇宙は一緒だったのを知っていた
自分を思い出す。
、、、このほうがわかりやすいだろうか?
198 :
191&193:04/03/03 17:21
>>196 砂礫は存在しない。
砂礫だと感じているのは貴方なのだ。
感じる前に成すべきことがある。
ただ、それだけ。
あっ、187さん、あらためてヨロシクです。
美しい詩をどうもありがとう。素敵です。(本心です。)
>思考は本当の自分ではありません。
“本当の自分”ではありませんね。同感です。
でも自分の一部(?)だったともいえる。適切な例えではないけど、
思考ってウンコみたいなものかな?って、体の中にある時は自分の一部(?)
だけど、出てしまうと自分の一部でもなくなる。
(あっ、やっぱり適切じゃないや。ここ突っ込まないでね。イメージと言うことで)
思考は感じる(食べる)ことによって生まれます。
生命力、活力の源です。気づくためにも必要なものです。
本当の無心状態とは“死”です。気づくこともない。
そしてそれは、本当の自分ですら無い。
本当の自分であるためには、思考も含めた“感じる”が必要なのです。
「悟」という字は「心+吾(われ)」、「吾」は「五+口(五感)」。
>199
違うのです。
思考をもう一人(本当の自分)の自分で客観的に眺めるのです。
自分が嫌だと感じているもう一人の自分がいるはずです。
ある場面に出会ったとき思考は古いレコードのように
同じことを繰り返して考えていませんか?
頭の中で思考がかってに会話をしていませんか?
これらが黙ったとき見えてくる世界があります。
それと詩ではなく自分でつかんだ真理を書いたつもりです。
>>191 はじめまして。
こんな事を書くと非難が多いだろうと思うので今まで
言わなかったのですが,
"釈尊はなぜ戒律なるものをつくったのでしょうか。"
私は無意味だと思われてならない。
続き
>自分と他人がなくなり、草も石も根は一緒だったと気がつく。
>ただしこれが悟りかどうかはわからない。
その通りですね。
私はへそ曲がりだから、こう言ってしまうところだが。
「全ては自分(の感覚)の一部であり、ウンコもペットボトルも
根は一緒だったと。」
>一滴の水の粒が・・・宇宙は一緒だったのを知っていた自分を思い出す。
そのためにはどうしたらいいのでしょうか?
191&193さんもヨロシクです。
>感じる前に成すべきことがある。
何があるのでしょうか?感じることが全ての出発点では?
>>200 はい、了解しています。明鏡止水ですね。
鏡(止水)に映ったいろいろな思考などを止める必要はありません。
それによって水面が波立つことはないのですから。
それがもう一人の自分。(?)
>それと詩ではなく自分でつかんだ真理を書いたつもりです。
詩で良いように思うのだが・・・。
私は「真理」とかに全く興味がないもので。
解脱とか涅槃とか大悟とかも、そう。今はいらない。
死ぬ時の楽しみに取っておきたい。w
204 :
191&193:04/03/03 18:45
>>201 意味を求めてはならない。
戒律は理解するものではなく感じるもの。
205 :
191&193:04/03/03 18:48
>>202 >何があるのでしょうか?感じることが全ての出発点では?
すべてをひとつに見ること。
心がモノに色をつける前の「存在そのもの」を受け止めること。
美しい
醜い
それは色でしかない
単なる道しるべ、地図、標語。砂漠の真ん中で困らないための。
必要じゃなくなったら、捨てれば良い。
207 :
名無しさん@3周年:04/03/03 18:57
>206は
>>201にでした。
>>205 >すべてをひとつに見ること。
の“見る”は何ですか?
>「存在そのもの」を受け止めること
これが解るため(解るまで)のスレだと思っているのだが。
そうじゃなかったら、レスしなかったと思う。
悟りの自慢大会には興味がないから。
>それは色でしかない
同意。だから一緒に遊ぼう。
私、これから遊びに行くので、また後で。
209 :
191&193:04/03/03 20:04
>>208 「ひとつに見る」とはすなわち無色で受け止めること。
言い換えるならば対象の「名前」や「役割」を意識しないこと。
鉛筆は鉛筆ではなく鉛筆と名づけられたもの。
>>190 >「空に至る」なんてことは無く、既にある。(“ある”というのも概念)
色即是空の言葉どおり、それは正しいです。
ただ、その「空」において、中心を持ち、自分という範囲を定め、
特定の立場に立脚して物事に対して反応をし、作用する。
これが即ち色であり、日常を生きる人間の姿ですよね。
この空と色とのコントラストこそが、宗教的な言葉としての
「悟り」であり、醍醐味なのではないでしょうか。
そこを水掛け論的に否定しても、あまり意味がありません。
>>184 悟りが何ら立派なものでない事は同意です。
単にありのままを知るだけですから、
そこに立って虚飾なき自分を伸ばす努力を伴わなければ、
何ら変わる事はありません。
世に有る全ての有りのままを知る事が全てだと思っているようですが、
それは悟りでは無いです。悟りの手前ですね。
知るだけでは全てを悟ったとは云わないと昔の僧が言っていたのを思い出しました
が、知ると悟るとは違います。
悟ったらどうなるのかというと仏に成ります。
212 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/03 20:31
スレ立てて良かった。
>>200(187)
>思考をもう一人(本当の自分)の自分で客観的に眺めるのです。
平凡さんもそう仰ってましたね。
>>209 >鉛筆は鉛筆ではなく鉛筆と名づけられたもの。
>>210 >色即是空
本当の自分を見つけ出す手掛かりになるでしょうか?
213 :
191&193:04/03/03 20:52
>>212 見つけ出そうとすること自体が悟りへの妨げである。
欲すれば遠ざかり見えなくなる。
214 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/03 21:19
十牛図を見直してみたのですが、
長い事悟りについて忘れていて、自我という物が無いのだと言う記憶だけが
残ってる状態のようです。
自分自身を見つめてみると、確かにそれまでよりは「感情はこうして湧き上がる」
「知性はこうして成り立つ」くらいは感じ取れるのですが
それを感じ取ろうとすると感情を失ってしまうようなのです。
それを感じ取っている自分もまだ本当の自分より浅い・・・思想のような
ものである感じです。
>>212 >本当の自分を見つけ出す手掛かりになるでしょうか?
そうですねぇ・・・
211のレスから一部言葉を借りますが、
”世に有る全てが有りのまま”であると言うことは、
考えてみれば一切の逃げ道などありはしないという事です。
本当の自分も何も最初から自分は自分なのですから、
まるごとの自分は受け入れ、気に入らないなら改める
それ以外の事はないわけです。
世の中が気にいらなくとも、それはそういう物として、なお
自分はどう振る舞うのか、それ以外の事は無いわけです。
私はそういう風に思うようになりました・・が、
これだと質問の意図への期待には沿えていないかな?(汗
>それを感じ取っている自分もまだ本当の自分より浅い・・・思想のような
ものである感じです
いい感じです。
エゴ(思考)って自分の存在価を脅かされる言葉に
必ず反感します。
そして体もエゴと協力します=病気の原因
エゴが病気になりたい体を作ります。存在したいから。
人が死ぬ時エゴは抵抗します。消滅するから。
もう一人の自分はもうこの体は用済みと感じます。
体はエゴと協力します。消滅するから。
なぜか私は生き返りました。
分かった人生になんの意味があるのか
自分に問いている最中です。
>>211 >が、知ると悟るとは違います。
>悟ったらどうなるのかというと仏に成ります。
もっと高尚な”悟り”という物があるんだよ、という話ですね。
確かに私の話で前提にしているのは、そういう物とは違いますね。
218 :
名無しさん@3周年:04/03/03 22:07
十牛図って本場の中国では認知度は低いらしいね。
それと無門関ってのもあまり読まれてはいないらしいね
219 :
名無しさん@3周年:04/03/03 22:08
ここの悟りは、理知的な悟り
220 :
名無しさん@3周年:04/03/03 22:09
221 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/03 22:10
>>220 海上保安官です。
人を助けに行き溺れました。
そして溺れている自分を見ていた。
>>209191&193さん、質問の仕方がいけなかったようなので、
あらためて質問しますね。下の>208の2行目からが追加です。
>198砂礫は存在しない。
砂礫だと感じているのは貴方なのだ。
感じる前に成すべきことがある。
>202何があるのでしょうか?感じることが全ての出発点では?
>205すべてをひとつに見ること。
>208>すべてをひとつに見ること。の“見る”は何ですか?
「見る」は“感じること”ですよね。
これだと、
「感じる前に成すべきこと」は「感じること」になってしまいませんか?
という意味の質問でした。
184さんが
>>210で言っていること
>この空と色とのコントラストこそが、宗教的な言葉としての
>「悟り」であり、醍醐味なのではないでしょうか。
>>211さんの
>それは悟りでは無いです。悟りの手前ですね。
>悟ったらどうなるのかというと仏に成ります。
◆BD/.VOmZgUさんの
>>212の
>本当の自分を見つけ出す手掛かりになるでしょうか?
(その後このレスに対するのやり取りがあって・・・)
187さんの
>>216の
>人が死ぬ時エゴは抵抗します。消滅するから。
>もう一人の自分はもうこの体は用済みと感じます。
184さんの
>>217の
>もっと高尚な”悟り”という物があるんだよ、という話ですね。
>確かに私の話で前提にしているのは、そういう物とは違いますね。
皆さんの「悟り」感が見え隠れしていますね。でも、微妙に?(大きく?)
違って感じるのは私だけでしょうか?
◆BD/.VOmZgUさんの
>>212での「本当の自分を見つけ」とは、「悟り」の
ことなのでしょうか?
私は“違う”という認識ですが。
皆さん(HNの方に限りたい)は、いかがな認識でしょうか?
私は小悟とか大悟とか、分ける必要はないと思っていますが、
必要な方は使って頂いても構いませんので、教えてください。
226 :
191&193:04/03/04 14:19
>>224 「見る」と表記すべきではなかった
ここで誤りを正したい
正しくは「視る」
己の意思で「見る」のではなく目に入ってきたままを「視る」
感じることは悪いことではない
だが主観は事物に色をつけてしまう
入り口は主観でいい
「感じる前に」とは道程においてのこと
>>226 >己の意思で「見る」のではなく目に入ってきたままを「視る」
このこと自体は同感。
でも、これも同じことでは?「視る」も“感じること”ですよね。
やはり、「感じる前に成すべきこと」は「感じること」になります。
そして、この「視る」というのは、“右脳によるアナログ的感受”を
指すものであると私は結論づけています。
そこには全ての情報が含まれています。欠落した情報すら補い得るとも言えます。
>感じることは悪いことではない
>だが主観は事物に色をつけてしまう
あなたの言われる「感じる」は、どうも“左脳による経験・分析(差別化)・言葉(記号)
などのデジタル的な思考”を指しているようですね。
あなたの言われるところの「主観」ですね。
私もそちらの話をしている訳ではありません。あくまでも、「視る」です。
でその「視る」=「感じる」と言っています。
だから、入口は主観でなく、「感じる」です。
「感じる」があって、はじめて「主観」が生じます。
お互いの言葉使いによるズレであるのか、違うのか、いかがですか?
228 :
191&193:04/03/04 18:21
>>227 無色の事象を美しい(醜い)と「感じる」
結果、「主観」なるものが生まれ、色なき物に色がつく
「感じた」うえで主観を捨て、改めて事象を捉える
それが「視る」こと
観念的な説明御容赦されたし
>>228 観念的な説明ですか?そうでしょうか?
観察による知的思索、その先にある悟りはお好みではないと言うことですか?
なるほど、解りました。
では一言だけまとめてみますね。
無色の事象を美しい(醜い)と「感じる」こと自体が既に「主観」。
無色の事象をただ、そのまま「感じる(受け止める)」、それが「視る」。
ですね。同感。
230 :
191&193:04/03/04 20:19
>>229 「当方の説明が観念的」であることの謝罪につき誤解なきよう
言葉の足りなさ、まことに申し訳ない
思索はこちらも好むものの、思索自体が「色づけ」である故に控えている部分有り
>>225 >皆さんの「悟り」感が見え隠れしていますね。でも、微妙に?(大きく?)
>違って感じるのは私だけでしょうか?
「何をどう悟る」のかという、主語が抜けた状態で話をしているからですよね。
各々の指している物が何か判りさえすれば、別段問題はないでしょう。
>◆BD/.VOmZgUさんの
>>212での「本当の自分を見つけ」とは、「悟り」の
>ことなのでしょうか?
>私は“違う”という認識ですが。
>皆さん(HNの方に限りたい)は、いかがな認識でしょうか?
本当の自分探しというのは、無色でありたいという要求への
妥協点を見つける作業に相当すると考えています。
232 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/04 21:57
難しいですね。
>>200(187)
>思考をもう一人(本当の自分)の自分で客観的に眺めるのです。
自分を眺める自分、それをまた眺める自分があり
遂には無色の自分が眺めているとき悟ったと言えるのではないかと
考えたのです。
本当の自分とは十牛図の牛のことだと思っているのですが、
十牛図では途中から牛が居なくなってしまうということは「本当の自分」
という考え方は方便なのでしょう。
>>225 悟りって何でしょうね。
改めて考えてみると・・・
そうですね。
色をつけない。
思考停止になる。
圧倒的な安心感。
今ここにある。
空虚になる。
愛を感じる。
でも、これは結果ですね。
心の全的理解。
これですね。
brownさんに教えてもらったことです。
理解すると、勝手に、
期待しない、頼らない、意味を求めない、安心を求めない
葛藤が起こらない。エゴの主張する矛盾に悩まない。
すると、怒りなく悲しみがある。
苦がなく安心がある。
>>233 ちょっと横槍っぽいのですが
列挙された事に関して、どうも理想化された幻想が混在するように思います。
日差しに喘ぐ者が小陰を求めては転々とする、そんな連想をしてしまいます。
>>235 理想に見えましたか?
いいですね。理想を持っていて。
>日差しに喘ぐ者が小陰を求めては転々とする
そう、転々と、悶々としていました。
答が見つからなかったからです。
>>235 続き
つまり何というか・・・
その状態では苦悩をもっと自覚できた方が健全なんじゃないのかなと。
ちょっと言葉が足らないかもしれませんが。
凡夫さんの事というより、
>>233の事を教えてくれたという人の事です。
239 :
brown:04/03/05 00:25
>238
それでは私が苦悩を知らぬみたいではないか。
ある時,私は絶望の果てに居続けて,激苦地獄に長らく存在しました。
それが続いていくと,苦しすぎて苦しみが薄らいでしまいまうほどです。
自我が苦痛に押しつぶされて,透明になり,世界がなくなってしまうほどです。
そしてその後,全ては静まりました。そのとき,心から我が解脱したからです。
心には依然,あの恐ろしい苦悩が渦巻いていましたが,しかもそれから完全に
自由でした。心では感情・思考・言語などの一切が勝手に生じては,自ら
消滅していました。そこに我は介在せず,全て自動的に成っていました。
なおかつ,意識・五感は鮮明で,恋人と会話し,音楽に感動し,おいしいもの
を味わいました。さらになお,えもいわれぬこの世ならぬ喜びとともにありました。
それは確かに理想的な状態なのです。
しかし,私には実は次のような恐怖が生じたのです。
私はこのまま,今後一切苦悩を感じられなくなってしまうのではないか?
なぜなら,苦悩を生じることがありえなくなってしまったからです。
そのために,私は苦悩を生じさせるように研究したのです。
240 :
brown:04/03/05 00:31
心が完全に苦悩から自由になることと,心に苦悩を味わうことの両方が,
どのように成り立つのかを体験的に知ることにより,その双方の基盤となる心の
本性を知ることができます。そうしてその双方を包摂する垣根がとりはら
われると,苦悩自体,問題ではなくなります。苦悩の中に安住することが
できるからです。
これはどうも、brownさん
>それでは私が苦悩を知らぬみたいではないか。
決して苦悩が無いなどと言っていません。
あなたが未だに苦悩の中にあるようだと言っているのです。
>消滅していました。そこに我は介在せず,全て自動的に成っていました。
>なおかつ,意識・五感は鮮明で,恋人と会話し,音楽に感動し,おいしいもの
>を味わいました。さらになお,えもいわれぬこの世ならぬ喜びとともにありました。
>それは確かに理想的な状態なのです。
解脱的な体験とは気付きとはまた異なるもので、この世の物とは違います。
その時は絶対的な静寂が訪れ、一切は意味を失い、喜びや感動などという
物も何一つ残りはしません。それらは単なる物となり、停止した時の中で
静寂の一部と成り果てます。
どちらかといえば、brownさんの体験は、解脱ではなくその少し以前の状態で
心が閉ざされてしまった結果なのではないかと見受けます。
>しかし,私には実は次のような恐怖が生じたのです。
>私はこのまま,今後一切苦悩を感じられなくなってしまうのではないか?
もし本当に解脱という体験を経てしまえば、そういう問題は起こらないのです。
なぜなら解脱した無色透明の精神には、苦悩をするそれ以前の自我と、
苦悩をもたらす相手のどちらもが等価であり、どちらをも理解する事ができ、
自ら望むならそのどちらになり換わる事もできるであろう事を悟るからです。
その上で、苦悩する不完全な自分と思っていた物が実は自分なりの精一杯を
体現した自信作であった事も知るでしょう。そこで初めて元の自分に戻るのです。
苦悩があると言う事は、物事に真摯に取り組む事であり、自分の心にある
良い意味での拘りに、素直にぶつかった結果でもあるわけです。悟りによって
この生来持つ拘りを忘れるという事はありません。ただ、自ら選んだ道である事
を理解した以上、迷いにより生じる余分な痛みや、がむしゃらな捕われからは
解放され、少しだけ自由になれるのです。
以上、不躾ながら思い切って意見させて頂きました。
243 :
名無しさん@3周年:04/03/05 12:32
>その上で、苦悩する不完全な自分と思っていた物が実は自分なりの精一杯を
>体現した自信作であった事も知るでしょう。そこで初めて元の自分に戻るのです。
・・・今まで、こんなに簡潔に言葉にしたことはなかったけれど、わかるような
気がする。
結果、善も悪も、貴賤もなくて、うれしくてうれしくて・・・。
これやあれが「悟り」だとかそうでないかとか思っているのは「迷い」だ。
これでもなくあれでもない、それが「悟り」だ。
そのようにして一切の境地が悉く「悟り」でないことを知るものにだけ
「悟り」はある。
例えば道を渡るとき、「右から車が来るかも知れない、左から車が来るかも知れない」
などと考えていては道を渡ることはいつまで経っても出来ないし、
さりとて、「何れからも車は来ない」などと勝手に思い込んでも
事故に遭う可能性が消えるわけではない。
普通は右左を自分の目で確認して車が来ないことを確認して渡れば安全だということは
誰もが知っている当たり前のことだ。
しかしこの様にして何事の思いなしにもとらわれないで当たり前のことが出来ることが
本来の悟りの意味なのである。
単なる「気休め」と「悟り」は全く別なものである。
>>230 私が、◆BD/.VOmZgUさんに試して欲しかったことは、
「色づけ」をそぎ落としていくために、徹底的に観察し、
思索することなのです。
頭で理解できたつもりになることと、体験の結果は違いますよね。
悟りの状態と、単なる「酔い」を勘違いされている方も
たくさん居ますよね。(特にニューエイジ系に多いと思う)
昔ながらの方便は、偽物にも多用されていて、役に立たないどころか、
害(落とし穴)にすらなっている。
だから私はこのスレを活かしたかったと。
「絵空事はもうたくさん、ごちそうさまです。」ということで、
思索を(こういうところで)控えることを止めてみようかな、と。
どうせHNなんだし。
>>231 >本当の自分探しというのは、無色でありたいという要求への
>妥協点を見つける作業に相当すると考えています。
つまり、“悟りでは無い”ということですよね?
せいぜい、悟りの前段階でしょうか?
>>232 >本当の自分とは十牛図の牛のことだと思っているのですが
はたしてそうでしょうか?もう少し思索された方が良いと思いますが。
では、図に出てくる人物は誰?それが本当の自分ではないのですか?
248 :
名無しさん@3周年:04/03/05 16:49
十牛図に拘りすぎ
>>236 凡夫さん
あなたはどんどん装飾を加えていってるようです。
今しなければならないことは、そぎ落とすことです。
そのためには徹底的な観察です。最後に残るものがなんなのか・・・。
神社の鳥居の話をしましたが、あれは悟りを得るまでの道程のイメージでも
あります。タマネギやらっきょうを剥き続ける猿になってみることです。
>>239 brownさん
>えもいわれぬこの世ならぬ喜びとともにありました。
>私はこのまま,今後一切苦悩を感じられなくなってしまうのではないか?
この世ならぬ喜びがあれば、同等のこの世ならぬ苦もあったはずですが?
それを観なかったのですか?
私は観ました。それで逃げ出しました。w
急ぐ必要も理由も無いと思ったし。もっと悟りを楽しみたいし。w
もしbrownさんが解脱しているなら、私も解脱してることになってしまうが、
私は解脱していません。まだいいです。
>>244 >そのようにして一切の境地が悉く「悟り」でないことを知るものにだけ
「悟り」はある。
そこにいかにして到達する(した)のでしょうか?
語るだけなら簡単。ここにいらっしゃる人なら、そのくらいはいつでも言える。
>>248 拘りの無い人が悟ったためしはないと思うが。w
これが真実であるというという認識に到らないこれがこの世に存在するものの定めではないのでしょうか
悟ったものだけどさ、あんたら悟りを勘違いしてるね。
悟ったものにしかわからないけど悟ったら「明らかにこれが悟りだ」と気づくよ。
生きる意味を失い光の中にいる。
死やハイにも近いがそれらを超越している。
私はやがて人類すべてが悟るときが来るであろうと思う。
そのときが人類絶滅のときだ。
ごくろうさん。
悟りだ、と思うときはたくさんある。
有頂天になってるようだが、
それにこだわってるうちはまだだな。
>>254 ガリレオがひとつの真理を解いたとき庶民はこれを否定した。
脳は真理を拒む。
信じたくないなら信じないのが自然だ。
真理を知ることで人類の絶滅を早めてしまうのだからな。
>>255 冷静な視点、
常に何も染まらない視点をもっていますか?
>>256 もちろん持っています。しかしそんなものは悟りの本質ではない。
もっていらっしゃる方の書き込みに見えない。
>>241に関してですが、
心から自我が浮き上がり、自我と精神が離れ、3者が別々に
意識された状態。この時点で透明な精神が自覚されますが、
自我は依然として心に没入しており、我を忘れて働いている。
精神は依然として自我と共感することで、世界を見、感じ、思考を受け取る。
この後進むでもなく戻って来るでもなく、このあたりを
キープしているのでしょうか???
>>258 あなたが悟りというものに変な概念を抱いているだけでは?
>>246 >>妥協点を見つける作業に相当すると考えています。
>つまり、“悟りでは無い”ということですよね?
>せいぜい、悟りの前段階でしょうか?
自分はどう在るべきなのか試行錯誤しているのなら、そうかと。
本来の自分というのが確固として存在する物という前提で、
それを探しているのならちょっと違う話かと。
でも人それぞれの事ですから、自分の見解としてはともかく
なんだかおこがましい話な気もします。
ここにいるものたちは私に言わせれば全然悟っていない。
悟るということは無限でありそれ以上上はない。
私を山頂としたらあなたたちは山を登っている途中だ。
263 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/05 22:49
>>262 それならもう少し参考になる話をして欲しいんだが。
>>263 その「参考になる話」とやらも人によって違うからな。
何を語ればよいのやら。
>>246 悟るという事自体はもっと日常的な事ではないでしょうか?
言葉のとおりに取るのであれば、
気付きというのは、ふと意識に上る事。
悟るというのは、思い知る事です。
逆に何か特殊な境地を体験したからといって、
必ずしも何かを悟るとは限りません。
267 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/05 23:26
俺の経験ではその特殊な境地を体験した時に
普段見えなかった心の構造を垣間見る事ができました。
しかし社会が自分が心の全てを見ていない事を教えます。
268 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/05 23:48
地上には無限と言えるほど悲しみの大量生産が行われている。
悲しみは心を傷付け穴の空いた水筒から水が漏れるように
精神力を奪っていく。
心を健全に育てるのに→つまり人間には悲しみなど必要ないと
考えてきた。というより、存在してはならない物だと
皆さんの書き込みから考えると無限の悲しみは無限の愛を生み出すのだろうか?
>>261>>265 184さん
また省略しすぎてしまいました。(汗)もう一度。
>>本当の自分探しというのは、無色でありたいという要求への
>>妥協点を見つける作業に相当すると考えています。
>つまり、“悟りでは無い”ということですよね?
184さんの上の文を読むと、「本当の自分探し≠悟り」と読めます。
そして、私はその通りと思っています。
なぜなら、「無色でありたいという要求への妥協点を見つける作業」とは
悟りの状態のことでは無いからです。
それでよろしいですか?
それとも、184さんは「本当の自分探し=悟り」とお思いですか?
と言う質問でした。
お手数をおかけして申し訳ありません。
>>252 えんさん、はじめまして。
>これが真実であるというという認識に到らない
>これがこの世に存在するものの定めではないのでしょうか
認識するためには、認識する者と認識されるモノが必要ですね。
真実と一体になってしまったら、認識することは出来ません。
そういう意味では正解だと思います。
しかし、実感することは出来ます。痴呆老人にならずとも。(大差はないがw)
賢者よめさん、はじめまして。
あなたはまだ二元論的な世界から抜け出してはいないように思われます。
一瞥の経験はお有りのようですが。
>>268 悲しみを知らなければ、喜びを経験することは出来ない。
喜びを知らなければ、悲しみを体験することは出来ない。
一方だけ無くなるということはない。
無差別の状態にあるときのみ、両方ともなくなる。
生も死も、苦も楽も。
その時は 、あなた自身も無い。あなたという存在が在るにもかかわらず。
273 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/06 01:17
>>272 ちょっと悟りと離れますが、喜びだけの社会とは
存在し得ないのですね。
274 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/06 01:21
それが悲しいという訳ではなくて最初のスレが終わる頃は
それが存在し得ないのではないかと思ったのですが
このスレで存在し得ないと確信しました。
>>273 喜びだけの世界はあり得ませんね。残念ながら。
全てが喜びになったとしても、大きな喜び、小さな喜び、というように
少しでも差別や比較があれば、そうではなくなりますよね。
一番になったとしても、いつ抜かれるか、いつも心配。これが喜び?
それでは、最近の小学校の運動会の駆けっこのように、手をつないで
みんな一番。これ喜び?
276 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/06 01:50
悲しみと喜びが同じ物というか車の両輪で
ある事に何年も気付かなかったのが
いけなかったんですね。
快・不快がそうである事が分かっていたのに
悲しみだけは許せなかったようです。
精子が卵子に向かって、一斉にゴールしたら、大変なことになってしまいますよね。
これが「生(命)」の本質。喜びと悲しみ。
>>249 アドバイスですね。嬉しいですね。
>あなたはどんどん装飾を加えていってるようです。
表現しにくくて、すいません。
すべての絶望の時に、私が消えていった。
私が、断末魔のように?爆発した時、そのときの、
表現のしようの無いすばらしい体験を少し書いたのです。
>今しなければならないことは、そぎ落とすことです。
殺ぎ落とすというより、独りでにに落ちるものでしょう。
殺ぎ落としたら、葛藤するだけになりますね。
タマネギを1枚1枚むいていくのは、それはイメージ、幻想ですね。
落ちるときは、いきなり落ちるものです。
>>250 >この世ならぬ喜び、この世ならぬ苦
宇宙すべての喜びを集めたぐらいのものです。
無制限の自由、それと同時にどこにも拠り所がない空虚、まさに虚無そのものがありました。
吸い込まれそうな底なしの闇が有りましたね。
でも、闇を受け入れれば、闇は消えるのですよ。
そこには、苦もエゴも見えませんでした。
今は静かに起こっていることを見守っているだけです。
もう怒りに震えることも、苦しみに悶々とすることもない。
葛藤が起こらないからでしょうね。
ただ、静かすぎるくらいです。
280 :
名無しさん@3周年:04/03/06 02:15
生まれてから死ぬまでの幸福の量のグラフがあるとすると、幸福の量の
全総量は、不条理だけど、人まちまちによって持ってる量が違んだと思う。
幸福量の変化の割合が、喜びや悲しみなんだと思う。
>>233で誤解があったようで表現不足でしたね。
>色をつけない。
>思考停止になる。
>圧倒的な安心感。
>今ここにある。
>空虚になる。
>愛を感じる。
brownさんに教えてもらったのは、「心を観察し、熟考せよ」ということだけです。
あとは、私の体験による見解です。
brownさんの見解ではありません。凡夫の見解です。
>>269 >なぜなら、「無色でありたいという要求への妥協点を見つける作業」とは
>悟りの状態のことでは無いからです。
>それでよろしいですか?
>それとも、184さんは「本当の自分探し=悟り」とお思いですか?
>と言う質問でした。
不肖ながら、答えさせていただくと、我が家へ帰ることではないでしょうか。
闇を受け入れたとき、「・」ともいうべき我が家へ帰りましたから。
283 :
名無しさん@3周年:04/03/06 02:34
悟るって、恐らく、動物的な面を継承している人間が、怒りや、憎しみ、
悲しみの本質を、合理的に解き明かすことによって、その蓋然性っていうか、
理由はわからないけどそういう風に考えるのが正しいと思える回答が得られ、
自分が疑う余地なく正しいことを考えたり行動したりしている時は、
囚われから開放されていて、生命力が光り輝く事なんじゃないか?
>>269 >なぜなら、「無色でありたいという要求への妥協点を見つける作業」とは
>悟りの状態のことでは無いからです。
>それでよろしいですか?
良いと思います。
ただ、素の状態へ戻りたいという(現世的にはある種の逃げかもしれませんが)
要求を持つ時点で、求道者なんではないでしょうか。
>>281 >233で誤解があったようで表現不足でしたね。
そうでしたか、なら私の大きな勘違いです。
勝手に騒いですいませんでした。
286 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/06 02:47
>>277 これが分かった事で喜びと悲しみを同時に感じたようです。
そしてそれを観察する自分がいました。
厚さ寒さ痛さ、不味い醜い臭い耳障り、そして不満・・・
これらの物に色は無く人間がそう感じているだけである事は
容易に理解できましたが、
感情も奪い、涙も忘れさせ、人生の時も止めてしまう、
この肉体をズタズタに引き裂いてしまうような不幸というものは
存在自体許せなかった。
受け入れ難かった不幸でしたが、それがあるべき物だと
受け入れる事で新しい道が開けたと思います。
>>285 まだ、凡夫ですから。またアドバイスしてください。
288 :
名無しさん@3周年:04/03/06 02:58
悟りの本質は、「悟ったつもりになるor悟ったと勘違いする」所にあると思うのだがどうよ。
典型的なのが
>>262 何かを悟ったと気付いても、真実ではない。
ただ、本人が悟ったと感じた「事」は、事実。
禅を組んだり、苦行をしたりして悟ったりもすれば、オナニーして悟っちゃう人も居る。
そんなもんよ。
>>283 そうかもしれませんね。
生き生きとしている時、あえて悟る事など何もないのでしょう。
人生後ろ向きになった者が出戻りするようなもんでしょうか。
で、戻ってもやっぱり何となく出てきちゃう。
悟りの話になると必ず光やら闇が出てくるがそれで満足か?
光の波動そのものになったとき、そこには光も闇もない。
白と黒を感じて空やら虚を知ったところでそれがいかほどのものか。
その程度で悟ったつもりの人間には罪を背負わせるまでもない。
人間同士で傷つけあって血のぬくもりをしるところからはじめよ。
>>184 漏れもまだ、本当の悟りの境地にはなった事がないので、何とも言えないけど。
ただ、今までの経験からそう思うんだけど、具体的というか、移り変わりの
ある動的な事について考えても、麻薬的というか、効き目は強いが長く持続
しないので、悟りモドキなんだと思う。普遍的というか、静かで抽象的な
考えで確固としたものが得られれば、その効き目の続行期間は長く及ぶの
かなと?
だから違うって・・・
そんなんなら金持ちの家に生まれてずっと寝てたらいいだけじゃねえか。
人を憎め、しかしよく見て、これを愛せ。
まず自分が許し、愛し、信じること。 そして信じ続けること。 これだけだ。
293 :
名無しさん@3周年:04/03/06 05:42
ここで言う「気付き」の集合体が悟り。
日々試行錯誤を繰り返し、気付きを積み重ねていくと
ある瞬間に悟りが得られる。
280さん、
>幸福量の変化の割合
ではなくて、量は仮に一緒でも、個人の感性により幸福量はかなり違ってくるんだと思う。
自分個人の話でも、状況は何も変わっていなくても自分の感性の変化に驚いている。
本当に、まずは生きてみなくっちゃ、経験してみなくっちゃ、何がどう転ぶか
わからない。だから退屈せずに生きていられるんだよね。
ROMらせていただきます。
ご挨拶だけね。感謝
凡夫さん、どうも。
>表現しにくくて、すいません。
>表現のしようの無いすばらしい体験を少し書いたのです。
本当に言葉の限界を感じてしまいますね。(汗)
よく解りました。
私は凡夫さんが、過去の体験を賛美し引きずっているのかな?と
誤解しておりました。それでそぎ落としの話をした訳です。
>落ちるときは、いきなり落ちるものです。
同感です。
「タマネギを1枚1枚むいていく」はその前の段階、
つまり、brownさんの「心を観察し、熟考せよ」の事です。
なぜ、「人」ではなく「猿」と言ったのかも、解ってらっしゃいますよね。
もう凡夫さんには必要ないことと理解できました。
他の人への「心を観察し、熟考せよ」の解説になれば良いかな?
仏教には、真の賢者は自身が愚者であることを知る、という言葉がある。
これを逆に言えば、真の賢者でなければ自身が愚者であることを知らない
ということになる。
簡単に言うと、驕るなかれ、っちゅうこっちゃな。
>吸い込まれそうな底なしの闇が有りましたね。
>でも、闇を受け入れれば、闇は消えるのですよ。
>そこには、苦もエゴも見えませんでした。
>今は静かに起こっていることを見守っているだけです。
>もう怒りに震えることも、苦しみに悶々とすることもない。
>葛藤が起こらないからでしょうね。
>ただ、静かすぎるくらいです。
質問です。今もその状態のままなのでしょうか?
私が戻ってきたのは、その状態では、たとえば遊ぶことも、このような掲示板に
レスすることも、しなくて充分になってしまったからです。
せいぜい、食事とトイレくらいしか、必要ないな、と。
だからその少し手前で遊んでおこうかなと。戻っちゃいました。w
そこでも“苦しみ”などの「こと」(二次的なモノ)はありませんし、
逆に、“喜”とか“笑”とか“怒”などの「根元的なエネルギー」は使えるし。
怒りとか(根元的なエネルギー)はあった方が良いと思うのだが、
無くなっちゃうんでしょうか?無くなるようには思わなかったが・・・。
これが二つ目の質問です。
ヨロシクです。
お釈迦さんは、遺言として
「修行を怠ることなく完成させよ」
と仰ったと言い伝えられている。
お釈迦さんは、生涯一修行者であったそうな。
覚った人、これを本来ブッダというそうなのだが、
その覚った人が、修行者であったというのは興味深いことだ。
この間、プロジェクトXである技術者が
「人間進歩を忘れるべからず」みたいなことを語ったということを言っていた。
新興宗教などにはろくでもない教祖、自分は釈迦とかキリストの生まれ変わりだとか
悟りを開いたとか、なんだとか言っている輩がいるわけだが、
本来は、普通に日々努力を怠ることなく精進に努める人のことを
尊き人、つまり尊ぶべきなのではないか。
古来、それら修行者を目覚めた人、ブッダと呼んだのは
そのような人々が尊ばれたからである。
283さん、はじめまして。
>>283>>291で言われていることは、どちらかというと哲学的かな?と。
>普遍的というか、静かで抽象的な考えで確固としたものが得られれば、
悟りって、「今」じゃないですか。決して固定的なモノじゃない。
固定した(執着)した途端に悟りは逃げていきます。
抽象的とは、象徴化(記号化)ですから、そのものでは無くなります。
これは哲学です。
>>漏れ
元のままで良いのだ、というのはエゴの最たる物と一体何が違うかと・・
なんかものすごい勘違いをしている気がしてきました。
私は体験から純粋な精神が限りなく無色透明な物である事を知っ
たわけですが、同時に完璧に無色透明になってしまえば自分という
物は消滅してしまうであろう事も感じており、未だに自分という物に
片足を置き続けている事は理解してはいました。
そこに至る前段階として、自我が崩壊しているわけですが、
それを以って自我から精神が一旦離れたのだと認識してしまった。
これが私の大きな勘違いなのではないかと・・
私の体験からの洞察では、完全に純粋な精神とは限りなく
無色透明な物であり、感覚を持たず、思考も持たず、究極的には
意識そのものも持ち合わせてはいないと思うのです。
その代わりに意識を共感する機能があり、通常では自我意識に
同化して感覚や思考を共有し、体験を共有しているのだと。
今振り返って考えるに、実はいかなる時であっても自我は常に共にあり、
自我を外に見る事自体、自我の働きによるものであったのではないかと。
そうであれば、いかなる境地に達したのだとしても再び元に戻る以上は、
五十歩百歩である事を忘れてはならないのだなぁと。
私は時に悟りなど無用の物だというスタンスを取ります。
それは、悟りを得たいという要求自体が自我の自己矛盾であると常に感じ、
自身を嫌悪する自我というのは不幸の最たるものだと考えるからです。
あと、別に悟ったからえらいってわけでも、悟ったから良い訳でも無い気と思ったり思わなかったり。
何十年の瞑想也何なりやって悟った事を、八百屋の親父が無意識レベルで実行してて、
「?。そんなんあたりめーだろ。それよりいい大根入ったんだよ。どーでえ奥さん」
とか言っててもおかしくなし。
>>293でいいと思う。
305 :
ニホンゴベンキョウシナオシテクダサイ(w:04/03/07 00:04
302 名前:184 投稿日:04/03/06 23:53
私は時に悟りなど無用の物だというスタンスを取ります。
それは、悟りを得たいという要求自体が自我の自己矛盾であると常に感じ、
自身を嫌悪する自我というのは不幸の最たるものだと考えるからです。
306 :
名無しさん@3周年:04/03/07 00:06
髭と髪を伸ばせ
>>290>>292 これはたぶんキリスト教などの一神教的な発想、思想ですね。
悟りを得ている人間が役に立つとか、救世主であるとか、
これ間違いだと思いますよ。
>そんなんなら金持ちの家に生まれてずっと寝てたらいいだけじゃねえか。
もし選ぶなら、こっちを選びそうですね。w
>>297 >簡単に言うと、驕るなかれ、っちゅうこっちゃな。
悟りの状態にある者は、驕るなかれどころか、驕ることは出来ません。
そんな場合じゃない。ただし、遜ることもなくダイレクトなので、
端から見たら、驕っているように見えるかもしれない。
事実は本人のみぞ知る。w
>>299 悟った人が尊いかどうか・・・、解りませんが、目覚めた人であることは
その通りでしょう。つまり眠ってない人。進行形。今とともに在る。苦の無い人。
そのくらいに思っていた方が賢明かな?
>>302 「時に」、「常に」って・・・。
どっちなんですか?
こうやって目を閉じると、あの煌めいていた君の姿を思い出す。
我々、悪の尖兵を憎み、愛する者の為、正義の為に戦う君。
神秘的な衣に身を包み、光の鉄槌を下す戦う君の姿は、まさに神話世界の戦女神を連想させる。
だが、罪ない弱者へと向けられる君の笑顔は聖女のように清く濁りないもので、
その暖かな抱擁感に誰もが祝福を受けた気分になっただろう。
しかし、そんな相反する凛々しさと優しさを持つ君も、衣を脱げば、どこにでもいるような、しかし輝いている普通の少女の姿に戻る。
友達と冗談等を言い合い、笑い、時には喧嘩したりする。男の人の前で顔を赤らめたり、美味しい食べ物が気になる。
そんな普通の世界に溶け込む君。戦士として、普通の少女として、二面性を持つ君に僕は惹かれていった。
だが、こうして我々に敗れ、囚われた君の姿はどうだろう・・・?
聖なる衣を引き裂かれ、その未開の花園に我々の忌むべきペ○スを叩き込まれる君。
胎内に白濁液を注ぎ込まれ、異形の怪物の触手に穴と言う穴を塞がれ、名も無き戦闘員達にいつまでもその身を輪姦され続ける。
君が我々に囚われて数日が経った今、君は別の存在へと変身してしまった。
未成熟の女体は秘められた牝の本能を曝け出し、我々の責めのために歓喜に震える。
その整った小さな口からは際限なく卑猥な喘ぎと牡のモノを求める声が吐き出されていく。
そして、使命と愛で構成されていた君の精神は、淫らな牝奴隷のそれになっていた。
まったく変わってしまった君、でも、僕は戦士としての君、淫乱になってしまった君、どっちの姿も大好きだ。
何しろ僕は、そんな美しく、凛々しい戦乙女の君だったからこそ、こうやって貶めて僕の物にしたかったのだから。
おや、どうやら君の仲間が囚われてしまった君を助けに、このアジトまで侵入してきたみたいだ。
僕はちょっと失礼するよ。ふふっ、今度の戦士はどんな痴態を晒してくれるかな・・・
>>308 常にそう感じていてもスタンスは定まらないって事で。
311 :
高島屋 ◆ZgEPjbSIEo :04/03/07 00:33
/ \
/ ,r'"j i^'!、 ヽ
/ </´ `ヾ> .:;i,
,l _,._,. _,._,. .:.:l,
| < (ヅ,> < (ヅ,> ...:.::|
! ` ̄´ . ` ̄´ ..: ::::::!
| ノ . : . :;i, ... ::::::.:::|
! (.::.;人..;:::) ...:.:::::.:::::::::!
ヽ、 `´ `´ ........::..::..::.::::::::/
\......,,,,,,,_ .....:::::::::::::::::::::::::/
312 :
高島屋 ◆ZgEPjbSIEo :04/03/07 00:40
>>310 貴様は常に「悟り」に矛盾を感じているが憧れることもあるということか?
どんな点が誰にとってどのように有用だと思うのかね?
314 :
184 ◆.svyBui9Mw :04/03/07 01:24
>>312 >貴様は常に「悟り」に矛盾を感じているが憧れることもあるということか?
えー? そんなの割と普通ではないの。
>どんな点が誰にとってどのように有用だと思うのかね?
凡夫が凡夫であるために有用。
凡夫が凡夫であるためには無用。
あるいは凡夫が凡夫でなくなる為の「悟り」があるのであれば、
それはとりあえず別の話にしておいてください。
315 :
高島屋 ◆ZgEPjbSIEo :04/03/07 01:30
>えー? そんなの割と普通ではないの。
知るかヴォケ。
>凡夫が凡夫であるために有用。
凡夫が凡夫であるためには無用。
さっぱり意味がわかりませんが。
>>296 >過去の体験を賛美し引きずっているのかな?と
そうです。それが最大の障害となっていたのです。
それに、気づいたときに、悟りを求めなくなったのです。
>なぜ、「人」ではなく「猿」と言ったのかも、解ってらっしゃいますよね。
観察に人の判断を入れない、
つまり起こっている事に良い悪いというという観念を持ち込んで
正しく観察することを歪めないということ。
要するに何も考えずに観察するということ。
でしょうか。
>>298 >質問です。今もその状態のままなのでしょうか?
いいえ。
すべてが完全の中へ溶けていった。そして意識だけになったような気がします。
ここだけ、よく思い出せないのです。
その後、「まだ、何も解き明かしていない。」という思いとともに再び動き出したのです。
思考と共に、感情が戻り、いろいろ、解き明かした後、
「誰かにそのことを伝える。」ことを夢見たとき、完全に戻ってしまいました。
>>310 184さん
お互い、偽物登場ですね。w
>>308も実は私じゃないです。w
私はこのような本質と関係ない質問はしません。w
でも、これは私がしても別におかしくないし、
私の代わりにレスしてくれるなら、私も楽が出来るので大歓迎、
というところでしょうか。w
>>310了解です。スタンスなど決める必要ないのですから。
>>309に関しては、誰も私のレスだとは思いませんよね。w
ご苦労様。w
>>117でも書きましたが、やるならもっともっとやりなさい。
その先にあなたの悟りが準備されているのだから。
実は元々私は、悟りとか宗教とか精神世界とかに全く興味がなかったんです。
あることをずっと突き詰めてやっていたら、突然ポンッとそういう状態に
なってしまった。なんか解っちゃった、見えちゃったみたいな、発見。
それが嬉しくて、気持ち良くて、またならないかなと。
その経験を意識してる時にはなくって、忘れた頃になる。
それを何度も繰り返すようになり、コントロール(スイッチ)出来るように
なってきて、それからちょっと調べてみたら、悟りと言われるものに似てるなと。
だから、仏教とか禅とかは少しかじった以上の知識がないんですね。
それで、皆さんの言われる「解脱」とか「悟り」とか「小悟」とか「気付き」とか
どれがどの段階なのか、皆さんマチマチで、誤解や食い違いが多いように
思っている訳です。
私の解釈では、「解脱」は一つになってしまった状態の進行形。
ある意味、「生きた屍」状態かな、と。
「悟り」は、出入り自由な状態。ここには結構いらっしゃる。
「小悟」あるいは「気付き」という、一瞥の経験者。
どうなんでしょうか?
こんな事は本質的には無意味な事であるのは解っていますが、
無用な誤解などしたくないので。(今後語る上でも、気遣いが面倒臭いですし。)
320 :
名無しさん@3周年:04/03/07 19:52
言葉遊びだからね
適当にやってりゃいいって
>>320 そういう人が出てくるだろうなと覚悟していました。w
しかも名無しでね。w
なぜこんな事を拘っているのかをお話ししますと、
はたして、釈迦は「解脱」したのか?という疑問からです。
もちろん>319の私の解釈上の意味でですよ。
皆さんはどう思いますか?
323 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/07 22:17
平凡さんは誰にでも分け隔てなくレス付けられる
ようです。
324 :
◆E8stvqaUcI :04/03/07 22:45
平凡さんは誰にでも分け隔てなく頭の悪いレスを付けるのが趣味な
ようです。
325 :
自作自演ハンター ◆guDHfEOVhQ :04/03/07 22:51
∧_∧
( ▼∀▼) < 助けが欲しい時はいつでも呼ぶんだ!じゃあな!!
/ 、、 ,へヽ, _,,(ヽ,,ヘ、
____( ___ ヽ二つミミジ ,, ・ヾヽ、
彡彡彡ミミ"´ || 丿丿 | ̄" ``メ-ゝ-々_゚〉
/, ,) ヽ(_)-" ヽィ´,/
( ,ヽ | | 、ヽ )ノ l
ヽ ノ`゙`i''‐'‐'─t" ヽ<ノソ
) /ヽ、 l `ー-、_`ヽ、
゙.; 〈, ', ヽ.ヽ、 } ,l`ヽ,`、
; . / / `tニゝ / / ,tニゝ
・; Lソ `,゙ ;' ;,〈_フ ' ; '
326 :
名無しさん@3周年:04/03/07 23:00
>> 321 (平凡さん)
何か一定の境地に達しておられるようですね。
「言葉遊び」だという別の方の論評は、体験がベースにないか
ら、というか、根本的な疑問を自分の中に持っていないから、
あれこれと言い直しているもどかしさが分からないのでしょう。
道元の『正法眼蔵』を見ても、悟りの境地をいろんな角度から
表現しようとしている、しかし、どれも当たっているがどれも
当たっているわけではない、言葉ではぴったりと表現しきれな
い、そんな感じが伝わってきます。
それは、神秘的な体験でも、超自然的な体験でもない、人間が
体験可能な生の次元なのだが、一定の修業とか、瞑想(気付き
の訓練)を積まなければ体験できない境地…という風に理解し
てます。理解してるだけで、実際の感覚は全く分からないので
すが。
悟り体験の本を読むと、段階がいろいろあって、先生みたいな
方が横についてないと、どのような境地にあるのか、なかなか
見分けがむつかいしいように思えます。だれか、段階を判定で
きる方、おられないものでしょうか。
>>326 高度経済成長とは、将来の若者の労働力を期待した前借のようなもの。
つまり、今の団塊以上の世代が、われわれ若者の労働力を搾取してるということ。
これは互いに気づいてない人が多い。
退職金と年金と高度成長の恩恵による貯蓄をもとでとした優雅な生活のリタイヤ達。
かたや若者には就くべき仕事すらない。
本来、老人は若者にストックを還元すべき。
それすら気づかずに若者のフリーター志向を若者のたるんだ精神のせいにしようとしてる。
ソルジャー!老人を排斥しよう!
若者のための政党を作ろう。
日本の未来のために。
283さん、どうも。
急に人と会わなくちゃならなくなって、言葉足らずでしたね。
320のたった二行前で、私自身が「本質的には無意味な事である」と
言ってるのに、ここに反応されてもね〜。
私は“このスレの主旨に準じて”質問をしてる訳で、
反応するなら質問に答えて欲しく、
そうでなかったら無視して頂きたいと思っています。
ご理解願えますか?
それよりも、なぜあなたがムカついているのかが気になります。
(違ったらごめんなさい。)
>>326さん
ありがとうございます。参考にさせて頂きます。
今までの皆さんの意見なども、本当に参考になりました。
「はたして、釈迦は「解脱」したのか?」という質問は
いきなり過ぎますでしょうか?
本来であれば、自分の考えを先に述べるべきなのでしょうが、
今までのやり取りで、それなりの境地を体験されている人が
いらっしゃることも判りましたので、先入観のない状態で
質問してみようかなと思った次第です。
たぶんこれが私の最後の(最終的な)質問だと思います。
なので、もう少し待ってみます。
やっぱり、もう少し付け足します。
釈迦は、あえて(私の言うところの)「解脱」の状態に入らず
「悟り」の状態にとどまった、あるいは
「解脱」の状態から戻ってきて「悟り」の状態にとどまった、
のではないか、ということです。
331 :
名無しさん@3周年:04/03/08 00:17
>>329 >「はたして、釈迦は「解脱」したのか?」という質問は
>いきなり過ぎますでしょうか?
平凡さんがイメージする平凡さんの釈迦象においてという意味でしょうか?
平常心是れ道
別に試みることでもなし
別に構えることでもなし
332 :
アルジュナ:04/03/08 00:46
>> 330 (=329 =321) の平凡さんへ
このさとりの境地というか瞑想の境地というのはいろいろあって、
釈尊の伝記なんかを読んでいると、アーラーラ・カーラーマ仙の
「無所有処」であるとか、ウッダカ・ラーマプッタ仙の「非想非
非想処」であるとか、グレードに差があるように見受けられる。
釈尊の境地はそれらよりもさらに高い、最終的な境地=「解脱」
に到達したということのようです。つまり、輪廻転生を脱した
ということですね。しかし、いずれにせよこれは平凡さんの境地
と直接比べることはできないし、輪廻を脱したかどうかは誰も
確かめられない。残された原始仏典などの典籍から境地を推測す
るしかないのかも知れません。
>>319 >私の解釈では、「解脱」は一つになってしまった状態の進行形。
私も進行形ではあると思いますが、本質的には別の事かと。
解脱→空そのものを離れてしまう。(涅槃?)
>>321>>330 釈迦の事はよく知らないので何とも言えませんが、
元々救世を目的に苦行に入り、その答えを得たわけですよね。
主たる目的は救世なので、解脱して「終わり〜」というのは、
彼にとっては意味のない事だったと思います。
334 :
アルジュナ:04/03/08 01:07
>> 333
釈尊が救世を目的に苦行に入ったということについては、別の
報告もあり。苦しみから脱出する方法を探し求めた結果、そこ
で発見した真理が他の人にも役にたったということのような…。
救世目的というのは、弥勒さまとか阿弥陀さまとか、後世の菩薩
さまたちの世界ですね。
335 :
名無しさん@3周年:04/03/08 01:23
十ニ縁起や四諦の道理を、釈迦と同じように瞑想をとおして生きた真理
とするのが、答えを見出す最善の方法だと思います。
一般に釈迦は、バラモンの苦行を否定して中道を説いたと言われてますが、
苦行時代に肉体の汚れを浄化できていた下地があったからこそ、その後の
修行も順調に進み、菩提樹下での成道も可能だったのでしょう。
>>335 > 苦行時代に肉体の汚れを浄化できていた下地があったからこそ、その後の
> 修行も順調に進み、菩提樹下での成道も可能だったのでしょう。
「肉体の汚れ」って何ですかね。大体、人の体なんざ糞まみれだよ。
腸内洗浄でもするわけかね。
337 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/08 04:00
質問ですが、瞑想は悟りに役に立つでしょうか?
>>328 別にむかついてるわけじゃないべさ。
ただ
>>320は、たまにある合いの手みたいなもんで、誰か特定の意見に何か言ってるわけじゃないしょ。
何度も何度も出てくるならともかく、いちいち気にするモンでもネー。
ある意味真実ってだけでいい。
しいていえば、
>しかも名無しでね。w
というところ。
そういうレスに名無しであることを付いてどうすんだと言ってる。
固定の発言への質問、回答の中でコテハン・トリップの意味は出てくるが、それだけの話。
名無しであることに、問題があるような発言すんなということ。
スレ違いスマンが
>>337 役に立つ人も居れば、意味無い人も居るかと。
α波が出るから、その気にはなれるかも。
340 :
名無しさん@3周年:04/03/08 11:01
なんかよぉ、コテハンを捨ててもなおトリップつけてるやつはウザイね。
悟っちゃいない未熟者がさ。
>>337 改まって、これが瞑想というモノをやったことが無いので、
判らないのですが、私が言った「一つのことに集中していく」ということも
もしかしたら瞑想かな?なんて。
たとえば、音に集中するんです。今聞こえてる音、全てを探るんです。
結構無視している音があることにビックリしますよ。
出来れば静かな方が良いかもしれませんし、人工的な音が無い方が良いかもです。
とにかく全部、どんな些細な音も聞き逃さないように、
自分が高性能なマイクになったつもりで、または風景の一部になったつもりで、
凡夫さん達が言われた「点」「・」になったつもりで。
音の方向や距離など時空間的なものも感じながら、
それらの音が自分の中でどのように響いているのを(考えるのではなく)
感じながら、何時間も「・」で居続けるんです。
座っていても、寝ていても構いませんが、自分自身も音を出す対象の一つなので、
理解して、いろいろやってみて下さい。
悟りって、ある意味、未発達だった回路を使えるようにすることではないかな?
と思う部分もあって・・・、どう思いますか?
343 :
アルジュナ:04/03/08 20:06
瞑想というのは、まず仏教とキリスト教とでは基本的に内容が
違うのでしょう。次に、仏教でも禅なんかでは瞑想なんて言い
方はしないと思います。
瞑想というのは、どちらかというと上座部系=東南アジアに伝
播した仏教やチベット仏教なんかでやる修業法で、やり方とし
ては、基本的に「自分を観察する」ことです。観察することに
よって自分に累積された心的、身体的条件付けにをひとつひと
つ暴露し、解体し、これらから自由になることが目的です。
そこに現れた情景を、禅なんかでは主人公とか無衣の真人とか
本来の面目とかゆっているのでしょう。
344 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/08 20:43
>>339 >>341>>343 大変参考になりました。意識に対して鋭敏になる事ですね。
>>340 そうだよねえ、騙りが出来なくて困るよね。
せめてコテハンがあればトリップデタラメでも騙せるかも
しれないのにね。
345 :
名無しさん@6周年:04/03/08 22:18
悟っているかどうかを判断する1つの基準がある。
それは自分の命を捨てられるかどうかということ。
命が惜しい人はまだ悟っていない。
彼は自分の命に対して執着を持っているから。
悟っている人間には執着は無い。
自分の命は有限であって、それが無限に続くのでは無いということを知っている。
全ては有限だ。自分の命も、
あらゆる事象も。すべてその固有の時間を持っている。
時間が来ると壊れる。
それは仕方ない事だ。
それが本当に分かることが悟り。
346 :
◆Ts9YZvIsGQ :04/03/08 23:24
>> 345
死は一番の重大局面なので、特徴的なメルクマールとすることは理解でき。
しかし、執着が無いのは、あらゆる局面ににおいて無い、ということでな
いとだめだから、死にこだわってなくても、他に執着が残っていたら、
さとっていないのだと思われ。
(トリップテスト)
>>346 執着が無いことに執着するのも、これまた執着ですな。
何故執着があってはいけないのかを考えないと、
執着を増やすだけで何の意味もありませぬぞ。
外道さん、どうもです。
>>342に関しては、いつでも出来るし、説明が簡単な例ですので。
耳が聞こえない方には別の方法があるかと。
>>347に関しては、まさにその通り。だから、釈迦は妥協しなかった。
執着し続けたと言えます。
>>332でアルジュナさんが言われたように
>さとりの境地というか瞑想の境地というのはいろいろあって
>アーラーラ・カーラーマ仙の「無所有処」であるとか、
>ウッダカ・ラーマプッタ仙の「非想非非想処」であるとか、
こういった境地に安住せず、もっと先を求め続けた。
>>299さんが言われた
>お釈迦さんは、生涯一修行者であった
ということも、そういう意味で頷けます。
苦行の限りを尽くして、そのまま入滅することも出来たはずなのに、
それをせずに、なぜ乳粥(でしたよね?)を食べたのか?
ここが(このスレにおいて)重要なポイントだと考えています。
(続き)
そういう意味で、
>>345さん、
>>246の◆Ts9YZvIsGQさんの言われることは
ちょっと違うのではないかと思います。
悟りきった結果、命に執着するのもアリだと思ったり。
わかっちゃ居るがやめられない。
そんな人間らしい人間が好きデス。
351 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/09 02:44
一番最初を思い出した。
実は気付きのような体験は3度だった。
気付きとちょっと違うような気もするが、16歳の時
当時、死を恐れていたのですが死んでも意識が無くなるだけで
別に辛くも苦しくも無いじゃないかと気が付いた。
しかし、その後の気付きで生きている事は素晴らしいのだから
死にたくないと考えるようになった。
352 :
名無しさん@3周年:04/03/09 02:51
初心者練習用:
練習を積めば女の子のイク感じを得られます。
0.エロ画像・小説等で気分を高めます。(物理的刺激は無しで)←大事
1.綿棒を水にぬらします。
2.肛門の周りにローション(無ければオイル等で代用)をぬります。
3.綿棒を挿入します。(あまり奥には入れない。頭が入りきるくらい)
ゆっくりと綿棒をまわしチクッとするところに当てておきます。
4.5〜10分放置。この間体に触れてはいけません。
お知りに集中しつつエロ小説等で高めましょう
5.お尻全体がむずむずしてくるはずですが、力を抜いて我慢。
腰など振って物理的刺激を与えないように。(発射してしまう場合があります)
6.腰とお知りの境目にズーンと重たい快感が連続的にくるようになったら
いよいよ7へ。 頭の中がポーっとしてくるはずです。
7.乳首等をやさしく触ります。
太ももの付け根から腰の間にピリピリと電気が走るような感じがするはずです。
8.チンコは刺激してはいけません。この状態だと太ももと
こすれるだけでも発射にいたる場合があり、終了してしまいます。
9.肛門と下腹部が勝手に反応するようになります。
10.腰をゆっくりのけぞらせるように振ると快感が増します。
ぜひお試しください。
353 :
アルジュナ:04/03/09 22:15
>> 348
> 苦行の限りを尽くして、そのまま入滅することも出来たはずなのに、
> それをせずに、なぜ乳粥(でしたよね?)を食べたのか?
> ここが(このスレにおいて)重要なポイントだと考えています。
本当の歴史的事実というのは分からないこととして、今日語り継がれている
ところでは、少なくとも釈尊はスジャータから乳粥をもらったのち、苦行に
よっては真理には到達できないことを知り…ということは苦行の限りを尽く
したら悟りを開けないということですが…苦行と享楽的生活との間の中道の
道を選び、菩提樹下での瞑想によって成道した・・・ということではなかっ
たかと思います。ただし、仏伝の成立過程から見れば、苦行を捨てたのが先
か乳粥をもらったのが先か、また、その時点の釈尊に中道という観念があっ
たのかどうかは、はっきりしないところもある模様。
もひとつ、346(=私です)の執着の問題もそうですが、釈尊は、苦行に偏し
てはだめだ、執着は苦の原因だ、等々の真理を発見するために、苦行もし、
執着もしている…そのあたりが面白いというか、弁証法的というか、一端
否定されるべきものを媒介として、真理に達しているわけですね。という
ことで、達成されるべきものと、そこに到達する過程における活動との間
に一見矛盾する性格があったとしても、その過程が誤っていたとは言えな
い、ということだと思います。
354 :
名無しさん@3周年:04/03/09 23:07
>>351 実際に死んで、あるいは臨死体験のようなものを体験して、
そこから蘇生したのか。それとも、脳内でそのように思考を組みたてて
いったのか、どちらなんですか?
感動の吐露もいいのですが、その程度の気づきは…。
>>353 アルジュナさん、種明かしされちゃうと困っちゃうな。(汗)
いろいろな情報によって、頭で解った気になっちゃう傾向が強いから、
とにかく体験してみた方が良いという判断でありまして、
その結果が頭で解った気になっていたモノと同じであったとしても
意味合いが違ってきますとね。どちらにも落とし穴はあるし、
躓く訳ですが、急がば回れというか・・・。そういうことです。
やってみた人が居るか判りませんし、ちょっと位じゃ解らないだろうしね。
石の上にも3年くらいの覚悟がないとね。その上何の保証もない。
それでも猿になってやってみるくらいの酔狂でないと。w
>319
平凡さん、差支えが無ければ突き詰めてやっていた「あること」を
教えていただけないだろうか? 親近感を感じていたいんだ。
もちろん、飯炊き、風呂掃除、空き缶拾い、便所掃除なんでもいい
ってことはわかっているよ。 でも自分のやっていることをもっと
愛したいって気持ちもあるしね。
>356 フルーチンさん、はじめまして。
>>319でも言ったことですが、言葉の定義がハッキリしてないので
どうもお話しする気になれないんです。
ただ言えることは、
>>341での例も含め、これによって、多分ここで言ってる
ような悟りに直接たどり着けるものではないということです。
どちらかというと、気付き(これも定義がハッキリしない)の為の
別な言い方をすると、「日常からの覚醒」の為の「スイッチ作り」いや違う
「スイッチの使い方」みたいなものかと。
358 :
名無しさん@3周年:04/03/10 16:02
悟りだけのスレに戻してよ。
(続き)
感覚というのは、日常は「リミッター・スイッチ」が入った状態です。
覚醒に対して言えば、眠っている状態、虚ろな状態です。
情報刺激がありすぎるため、これがないと狂ってしまうからです。
無意識のうちに身につけたスイッチです。
「日常からの覚醒」というのは、広義的に言えば「幸福感・高揚感」とも
言えます。これは大なり小なり、誰でも体験していると思います。
逆に言えば、「苦痛」を知っている人なら、それに比するものとして
考えることも出来ます。
ランナーズ・ハイやドラッグ体験などというのもあります。
では、ここで言われる「気付き」「日常からの覚醒」とは何でしょうか?
俯瞰的に観た時、どこから(どのような体験から)「悟り」に関係する
「気付き」「日常からの覚醒」と言うことが出来るのでしょうか?
私個人としては、他の方が言われたように、言葉の定義は、
たいした意味は無いし、どうでも良い言葉遊びです。
また、このスレが悟りの自慢大会であるなら、これも必要ないと思います。
皆さんがこのスレでも必要ないと仰るなら、それで良いし、
私の突き詰めた「あること」をお話しする必要もないだろうと思っています。
フルーチンさん、そういう訳です。ごめんなさい。
機会があればということで。
ありがとう。ボクは間違えないように
無心で線を引くような仕事をしている
んだ。専念するよ。ROMに戻ります。
諸君 私は留年が好きだ
諸君 私は留年が好きだ
諸君 私は留年が大好きだ
寝坊が好きだ 代返が好きだ サボりが好きだ 一発試験が好きだ
休学が好きだ 除籍が好きだ 学費未納が好きだ
風の強い日は遅刻するのが好きだ 雨が降ったら休むのが好きだ
教務課のおっさんに名前を覚えられるのが好きだ
学生課のおっさんに「連絡つかんから早く携帯を買ってくれ」と言われた時など心がおどる
知り合い全員が既に学び舎を去っているのが好きだ
同窓生と飲みに行って社会人マネーの恩恵に与った時など胸がすくような気持ちだった
久々に出席したゼミで出席すら呼ばれないのが好きだ
教務課から「今キミ講義中やろ」の電話がモーニングコールになる様など感動すら覚える
折角朝早く起きたのに小倉さんがカツラかどうか気になって遅刻する様などはもうたまらない
教室の前まで行っても引き返してしまうのも最高だ
10代の若造と体育を共に受けさせられるのが好きだ
「平成×年度以前入学者は〜」と学生便覧に記される様はとてもとても悲しいものだ
在学中に所属学科が消滅するのが好きだ
卒業式に昔の学科名で呼ばれるのは屈辱の極みだ
諸君 私は留年を地獄の様な留年を望んでいる
諸君 私に付き従う留年諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる留年を望むか?
情け容赦のない糞の様な留年を望むか?
実家からの仕送りを止められそれでもバイトせず一日二食allお茶漬けの留年生活を望むか?
『留年! 留年! 留年!』
よろしい ならば留年だ
我々は高校の時に習った「モラトリアム人間」そのものだ
だがこの暗い部屋の隅で4年間もの間堪え続けてきた我々にただの留年ではもはや足りない!!
さらに4年間の留年を!!
限度いっぱいの4年間の留年を!!
「卒業戦線指揮官より敵前逃亡艦隊へ」
目標1回生必修科目試験会場!!
第二次カンニング作戦 状況を開始せよ
征くぞ 諸君
363 :
アルジュナ:04/03/10 21:22
355=357=359 の平凡さんへ (361=362 も同じ平凡さん?)
このスレは「悟り・気付きの体験と相談」のスレですから、悟りの内容
とりわけ、悟りに至った経過を語っていただかないことには、価値も半減
するのではないかと思います。厚かましいお願いですが…。
というのも、仕事や学校、あるいは家族を持っていると、実際に宗門の扉
を叩いて、そういうものに親しく接する機会がない、また、宗門の方の
書かれた書籍を見ても、肝心のところが分からないのです。そういう点か
ら、変な言い方かも知れないかも分かりませんが、市井の、あるいは在家
の方で悟りと考えられる体験をされた方に、2chで大井に語って頂きたい
と思うのですが、いかがでしょう。
>>363 >361=362 も同じ平凡さん?
そうです。留年が決定してしまいました、悪いですか?
それに私は悟ってなどいませんよ。
悟りっていうのは自己申告制になってます。
そもそも「悟り」とは何でしょうか。そこから始めましょう。
私はインチキなものだと思っています。
365 :
宗教は必要ないかと:04/03/10 21:59
超高級霊 シルバーバーチ より
・地上では特定の神を信じれば救われ、反対にその組織が崇拝する神を
崇拝せねば救われないと説く宗教がいますがそのような事はありません。
神とは自分が崇拝されたからと言って喜ぶような人間的存在ではありません。
もしそうであれば神の公正が根源から崩れてしまいます。邪悪で利己的な
人生を送った者が、神を崇拝したからと言って素直で利他愛に富んだ人生を
送ったものを差し置いて神の恩恵に浴する事になります。
・宗教に教義、経典、教祖、礼拝堂、賛美歌は必要ありません。
宗教とは利他愛の実践、一言で言えば「サービス」。これにつきます。
大切なのは利他愛の実践であって、神を信じるかどうかは関係ありません。
神を信じるからと言って神から寵愛される訳でもなく、
また神を信じないからと言って罰せられる事もありません。
・因果律は絶対の摂理です。どんな偉人でも狂わす事は出来ません。
因果律は自動的に機能します。ツキ(運)と言うものも、偶然も存在
しません。賞罰は自分でこしらえているのです。しかし肉体と言う鈍重で
霊的視野の限られた人間からは、その存在(因果律)が感知できない
のも無理ありません。死後こちらの世界においでになれば、そしてその時
あなたが過去の転生を見渡せるだけの資格に至る霊格を身に付けていれば、
自分が送ってきた幾度にも渡る転生の地上人生を見渡し、そこに神の公正
(因果律)が行き届いているのが分かります。
366 :
宗教は必要ないかと:04/03/10 21:59
・神を崇拝し自分は選ばれた一人のつもりになり宗教的行事に傾倒
している人間よりも、転んだ人に手を差し伸べ、飢えた人にパンを分け与え、
悲しみに打たれている人に励ましの言葉をかける無神論者の方が
遥かに神に近く尊い人物である事ぐらい分からねばなりません。
・私(シルバーバーチ)は一霊にすぎません。信仰の必要もありませんし、信仰
したところでなんら苦しみが除かれる訳ではありません。お金が入ってくる事も、
苦難が取り除かれる事もご利益もありません。私は神でも神的存在でもありま
せん。元はあなた方と同じように地上人生を歩んだ人間です。あまりにも地上
に霊的知識が乏しいので霊界から使命を受け、メッセージを伝えに地上に
戻ってきた一霊です。あなたが地上に再生してきた主な理由は、霊性の向上と
カルマの滅却です。地上に学びにきているのです。苦しみは人間から見れば
ごめんこうむりたいものでしょうが、霊界側から見れば人間の霊性を進化
させるものです。それを無闇に取り除く訳にはまいりません。
・あなたは肉体を備えた霊的存在です。霊を備えた肉体的存在ではありません。
決して肉体と言う鈍重で低俗な存在ではありません。死を迎え古い衣服を脱ぎ
捨てるように肉体から離れる時がくれば、あなたが住むべき霊性に応じた本来
の世界へ行きます。
そこが地上に近い幽界付近であるか高級霊の住む世界であるかはあなたの霊
性の程度によります。神を崇拝しようが宗教に入ろうが関係ありません。貴方の
内面、霊性に応じた世界へ赴きます。地上と霊界の異なる点は、地上では様々
な霊性の霊が肉体をまとう事により一緒に生活している事です。
・神を崇拝しているからと言って、その人物の魂が高いランクに属している訳では
ありません。地上界には無心論者でも素晴らしい霊格を備えた人物もいれば、毎
日賛美歌を歌い「主よ主よ」と唱えていても霊格が幽界付近に属している人もい
ます。また霊能力と霊格の高さは関係ありません。霊が見えるか、霊の声が聞こ
えるかは霊格とはなんら関係ありません。以上「シルバーバーチの霊訓」より
367 :
高島屋 ◆ZgEPjbSIEo :04/03/10 22:02
368 :
アルジュナ:04/03/10 22:11
>> 364
> 留年が決定してしまいました、悪いですか?
私は意気揚々として留年したクチですから、悪いなんぞとは全然
思いませんが。もっとも、留年も卒業もかなり前の話です。
> 私はインチキなものだと思っています。
言葉は多義的なものですから、悟りを標榜している人の背後に何
があるか、 金儲けや自分がめだつ目的のために悟りを売り物に
しているのなら、眉唾ものというべきでしょう。しかし、臨死体
験や来世ものとは違って、本当に生きていくことからの救いを求
めている人のため悟りについて述べている人の言うことは、信じ
ていいと思いますよ。
>>368 >本当に生きていくことからの救いを求
めている人のため悟りについて述べている人
誰ソレ?
悟るといい女抱いてもうまい物食っても何も感じなくなるわけですよね。
私はそんな境地に達したくありませんね(w
370 :
アノレジュナ:04/03/10 22:22
よし!現役女子大生の私がアドバイスをしてあげよう。
オンナは実は変わりづらいが、男は服と髪をいじればすぐに変わるから。
自分を信じて頑張ろう。
まず、無理をして高いもの、ブランドを買う必要はなし!
ブランドでも着こなせてなくて、服に着られてる状態だと非常にダサいからね。
レプリカも、わざとやってると相手にわかってもらえないと
非常に非常に恥ずかしいから、いますぐゴミ箱につっこめ。
もし余裕があるんだったら、靴とジーンズ(パンツ)にはお金をかけてよし。
私の趣味が入るから、綺麗目になってしまうがそこは許してほしい。
まず靴は落ち着いた色を買うこと。
安いからと間違って白系を買ってきたらいけません。バランスが取れなくなるから。
黒、茶、出来れば革でかちっとした靴。でも就活に使うようなローファー(?)や
革の模様が出てるようなものは、論外。カーフ素材がよろしい。
ずぼんではなく、パンツを履こう。
細身のジーンズがベスト。間違っても布製、だぼだぼしたものを
ユニ○ロあたりで買ってはならん。
激デブなヲタはいますぐ痩せろ。話にならん。
371 :
アノレジュナ:04/03/10 22:23
次にお金をかけるのは、首から上。
まず、にきびがあったら全力で直せ。
次に万札握り締めて美容室(地元のオバちゃんがいるとこじゃないぞ)に
駆け込もう。色を抜きすぎるとただの低脳になるので
適度な茶髪に。そして短髪に。初心者がパーマなどを当てる必要はない。
さっぱり短髪にしたら、ワックスを買って帰ろう。
また反応があれば書きます。
それまでバンダナ禁止、美少女系バッグ禁止。
こら、そこのお前、萌えTシャツきて出かけようとするな。
>>360 フルーチンさん、
あなたがその仕事を楽しんでやっているのか、退屈と思ってやっているのか、
それとも無心でやっているのか、それによって違ってきますが、
自我(思考)は単純なことや退屈なことが嫌いですから、皆さんの言われる
「無色透明」「・」になるには有効かと思いますね。
決してそれは「自分探し」ではありません。自分探しは「希望・期待」
という自我を満足させることにしかなりませんから。
作法のように集中し完璧に専念するのが良いと思います。
373 :
机龍之介 ◆ng98/U98aY :04/03/10 22:31
ROM記念
374 :
フルーチン:04/03/10 22:34
>>372 ではあなたは一生無心でオティンティンを摩擦し続けてください。
作法のように集中し完璧に専念するのが良いと思います。
375 :
名無しさん@3周年:04/03/10 22:39
平凡ってキモイ・・・。
376 :
アルジュナ:04/03/10 22:41
>> 369
言葉が多義的だというのは、言うまでもなく、悟りという言葉が使わ
れている場合、語っている人の状況、書かれている文章の文脈の中で
言い表しているものがまちまちだろう、ということです。
> 悟るといい女抱いてもうまい物食っても何も感じなくなるわけですよね。
> 私はそんな境地に達したくありませんね(w
いろんな悟りがあると思うので、そんな悟りもあるのかも知れません
が、悟りというか執着がなくなった場合には、何も感じなくなるので
はなくて、そういう女性に相手にされなくなったとか、美味いものが
食えなくなった場合にも、動転しない、見苦しいまねをしないという
ことのようです。ようです…というのは、私自身悟っていないですか
ら、悟りについて書かれたものに基づく推測ということですが…。
>>376 それでは君は悟った人間が自ら望んでうまい物食ったりいい女抱いたり
する、という状況もあり得るというのかね。
>動転しない、見苦しいまねをしないという
俺はうまい物食えなくても動転したり泥棒したりしないから悟ってるということかね?
>>363 アルジュナさん、どうも。
残念ながら、お話しすることに意味を感じないのです。
理由の一つは、特殊すぎること(求めた結果じゃないし)。
第二に、とても長くなってしまうだろうし、その労力を(お互いに)
使う価値がない。それなら、
>>341での例の方がスマートだし、
大体の人が実際に体験できます。
もっと言ってしまえば、体験の知識を増やすことは、
「自我を強化すること」でしかないということです。
私が満腹になるまで食べた話を、そして、ウンコをした話を
あなたにしたからといって、あなたが満腹になる訳でも、ウンコが出る
訳でもありませんよね。あなたが体験するしかないんです。
379 :
アルジュナ:04/03/10 22:51
僕は気難しい。くれぐれも敬意を払って発言してくれ。キレる。
僕は統合失調症だから何をしても許されるエリート。それを忘れるなクズ。
380 :
アルジュナ:04/03/10 22:51
>> 374 フルーチン師
スレからのズレを感じますが、いいセンスですね。
悠揚迫らず、大家(おおやではない)の風格あり。
モンティパイソンともちょっと違う、殺人刀、活人剣。
自在にコメント入れて下さい。
381 :
brown:04/03/10 22:52
>>378 >残念ながら、お話しすることに意味を感じないのです。
じゃあ消えればいいのに。
382 :
376&380 アルジュナ:04/03/10 23:08
同名の役者が舞台上で乱舞しているので、混乱してきましたね。
>> 378 の平凡さん。もっぱら私の方の話の展開の仕方のまずさ
からだと思いますが、噛み合っていないようなので、一端中座
いたします。聞いてもらえるような話が見つかったら、またお
邪魔します。
>> 377 の平凡さんへ
> 俺はうまい物食えなくても動転したり泥棒したりしないから
> 悟ってるということかね?
形式論理的に偽。
悟りを求める人間というのはこれまでの人生でひどい目にあってきてこれから先も希望がもてない人達です。
快楽に対する無感覚、というよりも苦痛からの解放を求めているわけです。
本人が心から人生を謳歌している場合は悟りなど求めません。
384 :
アノレジュナ:04/03/10 23:17
>> 377 の平凡さんへ
> 俺はうまい物食えなくても動転したり泥棒したりしないから
> 悟ってるということかね?
形式論理的に真。 あなたは悟っておられます。
尊師と呼ばせてください。
385 :
brown:04/03/10 23:25
>俺はうまい物食えなくても動転したり泥棒したりしないから
それは必要条件ではあっても充分条件ではありませんよ。
365と366が殆ど答えだと思いますよ。
人間の生きる目的は霊的成長です、産まれる目的というのは霊が成長する為に
産まれるんです。いずれ仏に成る、これが悟るという事であります。
霊の成長の先は仏であり、キリスト教においてはキリスト(神)です。これが
悟りの本当の意味です。
無色透明などでは無い、悟りとは仏なのだから。
分かりましたか?365と366はいい例だった。
387 :
アルジュナ 本家:04/03/10 23:30
>> キョンシーでいいよ
388 :
高島屋 ◆ZgEPjbSIEo :04/03/10 23:32
>>386 アナタノイッテルコト、サッパリワカリマセーン。
389 :
名無しさん@3周年:04/03/10 23:39
386 名無しさん@3周年 sage 04/03/10 23:29
365と366が殆ど答えだと思いますよ。
人の生きる目的は人間的成長です、産まれる目的というのは人が成長する為に
産まれるんです。いずれ成人する、これが悟るという事であります。
人間の成長の先は社長であり、政治活動においては総理大臣です。これが
悟りの本当の意味です。
無色透明などでは無い、悟りとは社長なのだから。
分かりましたか?365と366はいい例だった。
平凡さん、キャップ(トリップ)をつけませんか?
まあ、じっくりと読めということなのでしょうね。
>372 作法のように集中し完璧に専念するのが良い
辛い部分もありますが道だと思っています。
いいアドバイスをありがとう。
>374 こんなヤツがいるからです。
ROMに戻ります。ありがとう。
391 :
自作自演ハンター ◆guDHfEOVhQ :04/03/11 00:06
ROM記念
>>366 アホか?
>神を崇拝しようが宗教に入ろうが関係ありません。
宗教板でこれを言ったら終わりだろうが!
人は救われたいからどこかの宗教にしがみつく、
そうかんがえんとやっとれんやつの方が多いだろう。
信じてれば神様が救ってくれるって思えるのが宗教の意義なんだ。
肉体って鈍重で低俗なのかYO・・・ _ト ̄|〇|||
>>393 霊は一瞬で移動します。良く死んだ人が複数の人に同時に挨拶しにくるのが
世界中で報告されていますが、霊は一瞬で移動出来るからです。
>>392 いま自分の居る位置に行くって事ですよ、神を崇拝し宗教をする事は霊的成長を
させる方法と思えばいい、それで今自分の成長している段階の場所へ行くって事だ、
無宗教者でも霊的に成長していればそこへ行けるって事だよ。(^^
396 :
名無しさん@3周年:04/03/11 00:33
安易に霊とか髪とか…
おまいら超越願望ってヤシだなそれ
みんなが守ってる事を守らなければ最強!偉いだろー!(大得意)って
じゃあやって見せろよ(w
ガキなんだなある意味
シルバーバーチ
私達霊界の者はラベルにはこだわりません。いかなる宗教、信条、人種、
性別、階級、年齢に関係なく、波長が合えば私達の目的の為に
働きかける事があります。それを無視するかどうかは結構です。
人間には拒否する自由意志が与えられております。
しかし覚えておいて下さい。もしあなたに心霊治癒能力が発現した場合は、
その能力を使って病める人に奉仕しなければなりません。
心霊治癒能力は神が授けた特別な能力だからです(エドガーケイシー等)。
それをお金で売ってはいけません。
霊能力は霊性に関係なく発現しますが、心霊治癒能力を授かるのは霊性の
発達を高度に遂げた霊に限られます。選ばれて授けられた能力です。
それを利己的な目的で使用してはなりません。
398 :
名無しさん@3周年:04/03/11 05:09
皆しゃま、オッハー
東 真一郎と申します
これからもどうぞよろしこ
>398 (;´д`) < おかえり・・・
400 :
名無しさん@3周年:04/03/11 11:33
>>394 >霊は一瞬で移動します。良く死んだ人が複数の人に同時に挨拶しにくるのが
>世界中で報告されていますが、霊は一瞬で移動出来るからです。
複数のスレに同時に挨拶しにくる山崎みたいなものか?
401 :
名無しさん@3周年:04/03/11 12:54
>>397 >霊能力は霊性に関係なく発現しますが、心霊治癒能力を授かるのは霊性の
>発達を高度に遂げた霊に限られます。選ばれて授けられた能力です。
>それを利己的な目的で使用してはなりません。
霊性の発達を高度に遂げた霊 が利己的な目的で使っちゃう物なの?
>>400 自己などで突然死したばあいでも、肉親や友人に死者が同じ時刻に
挨拶をしに来る事例は腐るほどあります。
>>401 魂の発達に関係なく人間には自由意志が授けられています。利己的な目的で使う
事も、利他的な目的で使う事も人間は自由に出来ます。
どんなに高度に発達を遂げた霊でも過ちを起こさないとは限りません。
聖人のような人でも欲に目がくらんで過ちを起こす事があります。
それと同じです。
403 :
名無しさん@3周年:04/03/11 14:58
>>402 >挨拶をしに来る事例は腐るほどあります。
肉親が死んだと思われる時刻に逆に病室に出向いた事ならあるよ。
明け方の夢ですがね。
>聖人のような人でも欲に目がくらんで過ちを起こす事があります。
人間ぽくて良いけど案外俗っぽいのねん。
では、どこら辺が霊的な発達であり、聖人たる所以なんですかね?
>どこら辺が霊的な発達であり、聖人たる所以なんですかね?
「聖人」と言うのは例えで出しただけで、聖人は今は関係ないです。
最初の
>どこら辺が霊的な発達であり
これについてですが、霊的発達の尺度は利他性の度合いです。利個性の反対。
人の役に立てるのなら、辛くても、自分になんら報酬がなくても
人の役に立てれば嬉しい。そう思える度合いです。こう思う度合いが霊性
の発達程度の指針です。しかしこう言った霊性に富んだ人でも、時に利個性
をむき出しにしてしまう事があります。
406 :
名無しさん@3周年:04/03/11 17:42
>>404 >>397 >心霊治癒能力は神が授けた特別な能力だからです(エドガーケイシー等)。
要は利他心のある人に神が授ける能力って事ですね。
>霊的発達の尺度は利他性の度合いです。利個性の反対。
では、ここで尺度とした以外の事で何か変わる事はあるの?
>>405 あんただれ?
>>396 霊を信じない奴の方が世間ではガキと思われ、
409 :
名無しさん@3周年:04/03/11 17:50
>>397と
>>402で
魂の発達って言葉と霊性の発達って言葉が出てるけど
魂と霊性は用語として何が違うの?
また霊能力は霊性に関係なく発現 するという事だけど
では利他心の程度とそれに伴い神が授ける能力以外の事で、
発達した者とそうでない者に何か差はあるの?
410 :
名無しさん@3周年:04/03/11 17:52
荒らしが混じってきたようだね
412 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/11 19:47
荒らしばっかり。
413 :
名無しさん@3周年:04/03/11 19:49
ここでいう悟りは霊的な神秘体験じゃないよ。
それにあくまで人間の意識の到達点であってゴールではない。
悟りは恒常的な意識の維持が自然に出来る状態なんだと思う。
その中身に関しては不明だけれども。
414 :
自作自演ハンター ◆guDHfEOVhQ :04/03/11 21:42
まだまだだね。(w
415 :
名無しさん@3周年:04/03/11 22:40
覚醒したという人への質問
なぜ人は病気になるのか?
416 :
名無しさん@3周年:04/03/11 23:15
>>415 別に覚醒はしてないがひとつだけ言っておく。
病気になるのは人だけじゃない。
>>415 ここにはいないと思うけど、
病気の流れに触れたからかな、世の中には病気の流れがある。
病気の元は有っては成らない物、この世に有っては成らない物から病気が産まれる。
病気にもいろんな種類があるし、
健康と病気の区別に曖昧な点もある。
すなわち、凡ては同じ、凡ては独立なのである。
419 :
名無しさん@3周年:04/03/11 23:23
覚醒者さんまだ意見ありませんか?
420 :
名無しさん@3周年:04/03/11 23:23
>>415 たとえば感染症の話であれば・・・
病原体にとっては病気でもなんでもない。
421 :
名無しさん@3周年:04/03/11 23:28
せめて小覚が本当ならば当たり前の
答えが返ってくるはず。
>>422 じゃあ、霊に寄ってです。霊界が病気をつくります。
それは苦しみ死んだ霊が自分らを救う為に病気を作り上げる。
最近は動物の霊が多い、動物の霊によって病気は作りあげられる。自分らが
助かる社会を作るために。動物の霊も人間の霊も仲良く霊で有る。さらに
云えば動物の霊はその先に人間となり産まれる、今生きている人間の霊を
たどれば当然の如く昔の自分は動物。
まあ苦しみより病気は産まれるということだ。
それで病気になって苦しむ人間は皮肉なものだな。
これに対するレスは返す気ないや。
425 :
名無しさん@3周年:04/03/11 23:41
覚醒者に質問
なんでPCはフリーズするんですか?
眠いし明日も忙しいので次の質問もこたえてちょーだい♪
俺は覚醒していないが仕事柄それらしき人を何人か知っている。
その人たちへの質問で答えが一致した質問ばかりね。
質問2
死について語れ。
質問3
極楽地獄はあるか?
次にこのスレ見たときに自称覚醒者の真皮、聞いた答えを
書こうと思っています。
でも、たぶんお前の知り合いたちが覚醒していないと逃げられる
んでしょうがねヾ(@^▽^@)ノわはは
さあ出でよ覚醒者と名乗る厚顔無恥な男よ。
>>426 どんな仕事かの方が気になる、教えてちょ。
答えも教えろ。
>>420 良いとこついているけど、宿主を殺すことは
病原菌にとって失敗(進化の途中)ね。
ウイルスについても覚醒者に語ってほしかったけど
どうせ前の質問で偽者がばれると思って書かなかった。
さあ寝よっと。
430 :
名無しさん@3周年:04/03/12 00:32
>>425 それはね。
ファッキン糞窓OSを使ってるからです。
糞窓を安インストールすれば平安がおとずれます。
質問2
死について語れ。
語ってみたいので書く。
死ぬとは次の産まれの為に霊界に戻るためである。向こうの世界で次の
産まれの為の準備をすることに成る。
人間が霊の長であり人間が一番成仏に近いとされている。
悟り易い。成仏して悟ったら、仏と成り、仏の世界へ行く事が出来る。
死は霊に戻る事。生は霊的に成長する為かな。シルバーバーチが答え言って
いたじゃないそれを参照した方がいい。
厚顔無恥に向きになって書いたんじゃない。煽りはいらないや。
質問3
極楽地獄はあるか?
これだが、人間が作り上げた物だというのが答えじゃなかろうか。
仏の世界は有るので成仏すれば仏の世界に行ける。成仏とは人間がただ死ぬ
事を指しているのではない。だからブッタが悟ったように生きながらに
成仏出きるという意味を持ったものだ。だから仏の世界はある。極楽は有る
と言える。
地獄は無い。死んだ後の世界に地獄という世界自体は無い。汚くなった
こころをクリーンする所は霊界に有るんじゃないかな。
死んだ後の霊界に入る前の地獄だが、自縛霊等は未だ霊界に入っていない。
彼らは霊界に帰るべきだが入っていない、そういう霊のこころは苦しく、
何度も苦しみを繰り返しており、とても人間の入れるこころではない。
そういう場所は地獄といえるだろうねー。
むしろ地獄は生きている世界に有る。これが宗教的だな、生きている間に
合う色々な酷い目、いやな目に合う事が地獄だ。宗教の世界には地獄は全く
無い。新興宗教等の出鱈目の宗教の話しは突っ込みに備えて書くのも嫌なの
で止めておくが。
答えになったかな。覚醒者と名乗る厚顔無恥な男はやめてくれ。
自分は未だ覚醒したとは思っていない。悟ったとは思っていないよ。
まあ、貴方にもそれなりの知識はあるようだから、打たれたりしないかも
ね。
434 :
名無しさん@3周年:04/03/12 01:04
>>415 別に覚醒したつもりもないけど腕試しでいい?
>なぜ人は病気になるのか?
自然にはそれぞれの営みがあり、人にも人の営みがある。
世界は何かの都合で動いているわけではないのであり、
身を守るのも己の営みであるにすぎない。
身を守る必用のない只の物体が何かに冒されても病気ではない。
己の健康を維持できなかった時病気になるだけである。
なるべく健康でありたいなら衛生に気を配り、心身のリズムを整え、
適度に体を鍛えて抵抗力を高めるのが良い。仮に病気に罹った時でも
養生し、大事に回復を待てば却って免疫を獲得する事につながる。
>死について語れ。
人は死ぬ。それ自体は別段恐れたり悲しむような事ではない。
生まれ出て、死ぬまで生きて、死んでゆく。
自分は今愛すべき生命の営みに在るのだから。
死後については何らの執着を残さないのが一番良い。
そのまま無に還って出直すも、新たな生を得るも自由となる。
>極楽地獄はあるか?
ない。
心という箱庭に自らそれを作り込んで苦しむ事はある。
やっぱ小1〜小4のつるつるおマンコ見てみたいよなぁ…
殺害はひどいけど襲いたい衝動には激しく同意だな。
あの綺麗なおまんこの匂い嗅ぎ続けながら眠れたら幸せだな。
>>431 >生は霊的に成長する為かな。
まさか偽覚醒者まで同じ事言わないよね。
>>433 >仏の世界は有るので成仏すれば仏の世界に行ける
じゃあ仏教徒以外の人間が悟ったらどこ行くの?
>>434 お!やっと3問を試みる人が現れたね。
常識的に生きている人の考えはこれでOK。
おーい、偽覚醒者!まだかー。
特にbrownって人。書いてくれ。
さあ仕事に行かねば。
438 :
名無しさん@3周年:04/03/12 09:14
>>415 覚醒者ではないが、面白そうなので答えてみる。
>なぜ人は病気になるのか?
自分の精神的、霊的エネルギーの乱れが、肉体に影響を及ぼす。
それから、精神的、霊的成長期に、肉体がついて行けずに、
病気のような症状になるときもある。
>死について語れ。
死は肉体という物質の消滅であって、霊的には生き続ける。
>極楽地獄はあるか?
ない。
極楽も、地獄も自らが作り出したイメージ。
しかし、自らの作りだした地獄のイメージに囚われて、苦しむ霊はいる。
>417 この世に有っては成らない物などないという覚醒
人間には本来、ホメオスタシスといって自らが自らを
あるべき姿に整えようとする自助作用があることが
知られているよね。
その他のことでも、病気=困ったことだ、という図式は
人間の傲慢さによる、人間のための理屈だと思うよ。
今、病気で苦しんでいる人には気の毒だけど、
彼が苦しんでいることで、ボクは苦しんでいないからね。
440 :
名無しさん@3周年:04/03/12 10:33
>>415 オラも覚醒者ではないが、面白そうなので答えてみる。
>なぜ人は病気になるのか?
病気になる原因があって、病気になる縁があれば、何人も病気になる。
釈尊といえども同様です。
>死について語れ。
>極楽地獄はあるか?
こんな答えでは皆納得せんかな(w
理想があるから病気になる。
理想があるからPCはフリーズする
死については別問題
極楽地獄は人間が作り出した単なる理想 >無いっていうこと
目の前に起こる問題はそれを乗り越えろという
メッセージだと理解しているよ。受け入れろ
ってこと。頭で理解していても、なかなか行動
にはできないことだけどね。
>>438 >自分の精神的、霊的エネルギーの乱れが、肉体に影響を及ぼす。
45点
>それから、精神的、霊的成長期に、肉体がついて行けずに、
病気のような症状になるときもある。
-45点
ゆえに0点
>死は肉体という物質の消滅であって、霊的には生き続ける。
まあいいんだけど覚醒者に聞きたいのはもっと具体的なプロセス。
たとえば死ぬ瞬間の実況中継とか現実てきなその後とか
>極楽も、地獄も自らが作り出したイメージ。
しかし、自らの作りだした地獄のイメージに囚われて、苦しむ霊はいる。
0点
>>439 うーん、もうちと語ってくれねば点つけられない。
>>440 0点
>>441 0点
って仕事中に2CHやっている俺も0点って言いたいところだが
ある理由で上司に見つかっても叱られないんだ。
ところで覚醒者はまだかー。
覚醒者はこんな時間に
こんなところに来ない。
真の覚醒者であればね。
たとえ疑問があったとしても
他人の意見に左右されたり、
点数付けて評価したりするのが
悟りや気付きからほど遠いと思われ。
仕事に専念して、自分のオツムで
考えることだ! あ、オレか。
446 :
名無しさん@3周年:04/03/12 11:40
>>415 そしてアブノーマル覚醒編
>なぜ人は病気になるのか?
生命体が傷くと、痛みを覚え苦しむ。
これを見た自我が「攻撃された」と騒ぎ立てる。
それを見た精神が防衛的に念を生み出す。
念は念で中和される事はなく、作用するまでは消えない。
行き場を失った念が生命体に作用する。
生命体が痛みを覚え苦しむ。>>振り出しに戻る
生命体は元来強靱な生命力を持っており、
自律的な恒常性を持ち、傷を受けても自然に復元する。
精神が余計な「防衛」を止めるだけでも猛然と癒える。
念による治療も可能ではあるが、自らの念の作用に
自覚的でない者が行えば多くの弊害が生じる。
念は単に物を変形させる力であり、たとえ善意からの
ヒーリングであっても破壊的な結果をもたらし得る。
>死について語れ。
死は言うまでもなく肉体の死であるが霊もまた永遠ではない。
霊界という物もあるにはあるがあまり感心した物でもない。
>極楽地獄はあるか?
ない。
これについてはあまり語るべきことがない。
>>445 前のスレ読んでから発言してくれ。
俺がいつ覚醒者だと言った?
>>446 精神=魂って解釈でしょうか?
普通の精神ってのは自我と同じって聞いています。
念ってのも難しい言葉ですね。それも彼らからは
聞いた事ないなあ。
>精神が余計な「防衛」を止めるだけでも猛然と癒える。
ここらはいい感じ。
死については0点だと思います。
ALL
この点数はあくまで彼らや彼女たちから聞いて
私の目からみても覚醒者なんだろうなと思った
人たちが同じことを言ってるのを元にした私の
判断です。
>>448 >精神=魂って解釈でしょうか?
そうなります。私としてはそっちの言葉の方がしっくり来るので。。
精神=splitではなくドイツ語のguistに近い意味ですね。
逆に魂という言葉の方を自我(形ある物)に含めて使っています。
紛らわしいでしょうか?
>>449 分割してどうする・・・
×split
○spirit
451 :
名無しさん@3周年:04/03/12 12:20
>>415 415さんの覚醒者の定義は?
それによっても答え方が変わる。
使用している単語が異なるから。
>447 ああ読んでるよ。
だれもオマイのことだといってないし
オマイが覚醒者だとも言っていない。
もしオマイが>415ならオマイこそ
誠意あるみんなのレスを心して
読ませていただくことだなw
>452 スマソ、「覚醒者」の答えを求めているんだったな。
ま、仕事サボらず精進しちくり。
皆さん別に引っ張っているつもりではありません。
答え(聞いた事)を早く書いても偽覚醒者の正体を
あばけないからね。
覚醒者=悟りを開いた人の意味でお願いします。
仕事で離れます。
夜に自称覚醒者さんの書き込みがあれば論争します。
415さん、はじめまして。
面白そうなので、暇つぶしさせて頂きます。
いきなりですいませんが、あなたの質問、質問になってないんですよね。
漠然としていて(抽象的で)答えようがないです。
その上、あなたがその質問をする意味(意図)が解らない。
よって、答えを違う角度から二つ書きますね。
しかも、3問とも同じ答えなので、まとめます。
1)私はそれら3つを実在(実体)として見たことがないので、
判りません。(答えようがありません)
2)それら3つは、過去と未来の中(?)に存在(?)するものであり、
まず過去と未来が存在するのか、しないのか、
これを逆に問いたいところです。
少なくとも、
「悟り(今とともに在る)」の状態においては、それら3つとも
存在しないと断言できます。
以上ですが、あなたの質問に答えられているでしょうか?
456 :
名無しさん@3周年:04/03/12 13:18
>>442=415
>まあいいんだけど覚醒者に聞きたいのはもっと具体的なプロセス。
>たとえば死ぬ瞬間の実況中継とか現実てきなその後とか
それは誰にも検証できない以上、難しい注文でないか・・
とか思いつつ死に損ない編スタート
まず必ずしも肉体の生死とは関係なく、死を意識した時点で
いわゆる臨死体験的な状態に入ります。
肉体と別に物を考えている自分がある状態です。
既に死は覚悟しているので肉体への執着は
薄情なまでに無く、恐怖も不安も全くありません。
ごくあたりまえにその状態を認識しています。
次いで肉体がないので自我は意識する対象を求め自然と内側へ向かい、
内省モードに入ります。それまでの人生が走馬燈のように浮かぶ。
ひとしきり浸るうちに、家族や愛する者、友人知人への思いが浮かぶ。
ここで思いを残し、自らを惜しむなら霊として残る物があります。
そうでなければ自らを解放して忘却の境地ならではの新たなる道が開かれる。
そこから先はわからない。というか、生前に選んでおいてもおそらく無意味。
457 :
名無しさん@3周年:04/03/12 13:29
>>455 そうそう。
ぶっちゃけ覚醒と悟りは別の物だと思います。
知らない物を悟れる事はありません。
何故人は病気になるか。
→病気には様々なものがあって一概には言えないが、例えば風邪なら風邪
の原因となるウィルスに感染し、それによって発熱や咳などの症状をもたらされる
場合があるからである。
これはおちゃらけているのではなく真面目な答えである。
何故ならば、病気になる理由を知るということは、病気を滅する可能性を知ること
以外に意味はないからである。
それ以外の目的であれこれ理由を適当に見繕ったところで
自己満足的妄想の肥やしになるだけで、意味はない。
>>439 >417 この世に有っては成らない物などないという覚醒
人間には本来、ホメオスタシスといって自らが自らを
あるべき姿に整えようとする自助作用があることが
知られているよね。
有っては成らない物とは罪の事です。物や物体では無い。
460 :
brown:04/03/12 19:43
ここらで,覚醒者の模範解答例を示しておきましょうか。
問い1.なぜ人は病気になるのか?
病気になるのは,通常は(つまりそれとは違う原因もあるかもしれませんが),
体に病原菌が多数侵入し,かつそのときに体の調子(免疫力)がいつもより悪く,
そのため,病原菌の増加スピードが,免疫による減少スピードを上回って,
抑えきれなくなったときに,発生するようです。
なぜ病原菌のような不都合な存在が存在するかというと,生物は生態系
といって,(広義の)共存関係にあるからです。人間が人間だけで
生きているのならこういうことにならないのですが,人間は人間以外の
存在によって生かされているので,病原菌のようなものもどこかで何か
の役に立ちながら,この生態系ができているからです。
問い2.死について語れ。
死とは,もはやこの世に帰ってこないことを言います(不可逆性)。
問い3.極楽地獄はあるか?
知りません。
461 :
brown:04/03/12 19:58
念のため,本当の解答を言っておくと,どのような質問をもってしても,
誰も覚醒者を見分けることはできません。
もしそのようなことができると称する覚醒者がいた場合,彼は覚醒者では
ないからです。なぜなら,覚醒者はそうできないことを知っているから
です。
また,いかなる質問以外の方法でも同様に,判別することはできません。
彼の行動からも,彼の心からも,彼の肉体からも,彼の死に様からも,
いかなるものも,彼の足跡を見出すことはできないからです。
>>460 おお、2問目がメタ回答になっているゾ
#一般的な死が死であるかの定義に別の定義を必用としている
>>46 おお、これもメタ回答
#覚醒者の定義自体、一般論的に可能なのかっ!?
せっかくワードに答え半分書いていたが
ばからしくなって止めた。
こんなの相手にした自分に腹立つ。
今までに聞いた最低の答えだ。
>>461 ちなみに、覚醒者を見分けることができないというのは
いかなる場合の事を言っているわけ?
1、覚醒者である事を隠そうとする覚醒者をあぶり出す事ができない。
2、覚醒者を騙る非覚醒者を見分ける事ができない。
3、その両方
まず背景の説明。
私はある職業柄、40年間世界中を見てきました。
おそらく行っていない所は南極と北極くらいではないかと思います。
悟りは自分の生涯のテーマーだった為と、昭和52年ある雑誌社の友人が
取材でインドに赴いた時に同行したのが最初でした。
その後名前を出せば皆さんもご存知の覚醒者ではないかと思われる
人々から薫陶を受け、自分なりに「そんなもんなんだ」と思われる
事しか書けませんのであらかじめご容赦ください。
この後答え書いていたが、偽が今後どこかで人をだます時に
使いそうなんで止めた。
468 :
名無しさん@3周年:04/03/12 21:02
>>415 途中で止めるくらいなら、最初からやらないでね。
>>この後答え書いていたが、偽が今後どこかで人をだます時に
>>使いそうなんで止めた。
これは、真っ先に検討するべきことでしょう?
415さん自身は気づきや悟りから遠い所にいるんですね。
なんか結局俺はこんなこと知ってるんだぜーって自慢したかっただけみたいね。
ま、467読んでやっぱ釣りかと確信。
この板ってホント釣堀だよねー。
471 :
brown:04/03/12 21:20
>466
その答えは,467に書いてあります。
極めて論理的な,科学的なことでしてね,もし覚醒者がいたとして,
その特性がAだとして,非覚醒者は特性Aが覚醒者の特性だとどのように
して知ることができるのでしょうか?なぜ判別者はその判別方法を
知っているのでしょうか?自分が覚醒者だと威張りたいのでしょうか?
その人を信じられるでしょうか?信じられるとしたらあなたはなぜそれを
信頼する能力を持っているのでしょうか?あなたが覚醒者だからですか?
こうやって,絶対に解決しません。
さらに,仮に特性Aが本当だとして,例えばそれが言葉で表現されたとして,
それを仮に真の覚者が悟りの言葉だと言ったとして,それを非覚醒者が
そのまま言ったらどうなるでしょうか?もしその判別方法が覚者と非覚醒者
を分けると言うのら,その時点で非覚醒者は覚者になったことになって
しまいます。このようにしてその誤りは指摘されます。
( ´・ω・`) ショボーン
答えはともかくどうやら論争もないのね。
>>468-471が宙を舞うザブトンに見える。
まじめに期待してた皆さんごめん。
我々が取材して嘘をつく人間が必ず言う言葉があるのです。
>念のため,本当の解答を言っておくと,どのような質問をもってしても,
誰も覚醒者を見分けることはできません。
ぜったいに逃げ道を言います。
悟ったらしき人の質問の答えにはある共通のキーワードが
あります。
本当にそれワードに書いて後はコピーすれば良い様にして
いたのですが・・。
2Chあたりに書いたのが悪かったと反省しています。
>>468 もちろんほど遠い所に私はいます。
>>469 ごめん
>>470 すまない
しかし腹立つ。
474 :
brown:04/03/12 21:26
>471
この点は非常に重要ですから,求道者はよく覚えておいてください。
このような判別はできないというのは常に真です。
この同じことは,霊能,超能力,人格神・・・その他いかなるいかがわしい
ものについて洞察するときにも,重要な,同じ類の洞察になります。
475 :
名無しさん@3周年:04/03/12 21:35
>>474 それを言っちゃっちゃあ覚醒者Aが自分自身を覚醒者だと知る由もありません。
つまり結局のところは覚醒者などいない!
という事でF/A?
476 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/12 21:37
やっと終わったかな。
このスレはROMしたり、自分の状況を見てもらおうという人が
沢山いたが、この騒ぎでどれだけ残ってるやら。
477 :
アルジュナ:04/03/12 22:03
待って下さいな。これでは、まだ幼稚園の卒園式も終わってない
のでは。悟りと一般的に言われている境地は必ずしも一義的では
ないようなので、悟りは無いとか、何が悟りかとかについて議論
しても生産的ではない。
むしろ、あらためて、これは悟りではないかという境地に達した
人に報告をしてもらい、そこから議論を展開して行くべきではな
いかと思うのです。文献の蓄積を見ても、「悟り」と呼ばれる人
間の境地が存在することは確かです。
悟った人を見分けられるかどうかについては、道元の正法眼蔵に
「道得」という巻があったと思います。これは、一定の境地に至
った人は、その境地に達した人しか語れないことを語れる、それ
により悟っているかどうか見分けられるという趣旨であったと
思います。 もし、秘かにこのスレを読んでいる覚者がおられた
ら、一くさり語って下されませんか。
478 :
名無しさん@3周年:04/03/12 22:07
>>477 そうだね。
偽の心の氷までも溶ろかしてしまうような、至極の語りをきぼん。
数日考えさせてください。
相棒はこのテーマーで出版を20年も暖めているんです
480 :
アルジュナ:04/03/12 22:33
先取りして言うと、
@上座部系のヴィパッサナ瞑想法に関する記述は、真実を述べている
と感じられること。
A同じく、チベット仏教のゾクテェンの修業の成果に関する記述も真
実を述べているのだろうということ。ただし、死後のバルドの記述
の真偽はよくわからない。
B日本の坊さんが「××提唱」などという題名で書いている本の内容
は、うさん臭い感じがしてならないこと。 W
481 :
名無しさん@3周年:04/03/12 22:35
相棒の許可を取りました。
1.人はなぜ病気になるのか
「病気になる人はその病気を愛している」
そんなばかな、それならばどうして幼いこどもを残していやいやながら死んでいく人がいるのですか?
「それはその人の魂が選択した生き方だからだ。人は魂を向上させるために生まれてきたのではない。経験する為に生まれてきた。」
じゃあ病気は運命なのですか?
「エゴである思考から生じた病気は今すぐにでも治すことができるが、魂が選択した病気は治らない、いや本人が治そうとしない。」
釈尊の言った因果の関係ではないのですか?
「因果応報は無い」
悟りを開いたらしき人が必ず言う言葉のキーワードは
「病気は自分で作る」
でした。
因果応報を何人もの人に聞いたのですが、みなさん言われたのは
「弟子が間違って伝えたのである」
でした。
以上でとりあえず反論をどうぞ。
三位って言葉を説明せねばならぬのですが、今日はもう疲れました。
論争の参加は明日以降にさせてください。
>>481 わざわざ覚者がそう言いに来たなら 絶 対 に語りたがっている。w
>>482 この人洗脳されてるのかな
病気は自分で作るは間違っています。
原因がなくては病気になりようが無い。
ここが宗教版だからこんなのばっかりなのか?
>>429 宿主のところ読んで呆れるわ
ウイルスやガン細胞はそんな損得感情してない
あるがままに増殖しているだけ。
一つを説明しょうとすれば次から次へと説明せねば
いけないのがもどかしいですよね。
とりあえず
三位がこの三次元を作る。
人はまず思考→言葉→行動
これらと同等な次元が「過去、今、未来、」「あそこ、ここ、その間」
ユングやフロイトの「深層意識、意識、何だっけ?手元にメモ無いので
明日書きます・・・旅の宿なもので」
一番覚えているのが体、エゴ(精神って言ってた)、魂」
これが2番目の質問と3番目の質問に大きくかかわってきます。
さて皆さんまた明日、おやすみなさい。
これは色々な三位
487 :
アノレジュナ:04/03/12 23:18
おまえらっひとを羨むな!!
ひとを羨むってことは自分を否定するってことだ!
そんなんじゃぁミジメナ人生送ることになっちまうぞ!
ひとはひと自分は自分!
強くなりたいと願うことは構わない
だがそれはひとと比べるようなもんじゃないんだ!
人生すべての答えは己の中にあるんだ!
わかったか!!!
488 :
名無しさん@3周年:04/03/12 23:19
>>477 >>481 覚者は絶対に語らない。
何故なら、悟りの境地とは言葉で語れない領域の事だからです。
ですから、ネットで悟りの境地や、悟りへの道を語っている人達は覚者ではありません。
簡単なことです。
悟っていると錯覚している人達が語ります。
489 :
名無しさん@3周年:04/03/12 23:21
そんなたいそうなもんじゃないよ
>>484>>485 (^O^)
あなたのような方は詐欺師ではありませんので
うれしい。
ウイルス、細菌は計算して宿主に感染します。
野生の鴨は何億年前にウイルスと共存する道を選んでいます。
私の専門分野はこっちのほうなのですがぜひ調べてください。
寝ようと思ってたらあまりにもうれしいスレなのでつい書きました。
機会があればウイルスについても書いてみようと思っています。
グンナイ
491 :
brown:04/03/12 23:26
>475
そのようなこと(正覚者はいない)を論証することはできません。
(ただし,私が正覚者であると客観的に証明できる正覚者はいないという
命題は真です)
かつ,そのような結論は間違っています。
なぜなら,悟りとは,議論や言葉のことではないから。
また,本人には,密かに分かるものです。明々白々と。
しかし,それを論証することはいつまでもできません。
なぜなら,人に証明する必要がないからです。
なぜなら,人に証明するためのものではないからです。
それよりも,求道者にとって知られた必要ななすべきことが全て
終わるから,終わったと分かるのです。そのためには実は共通のものを
見ているのでしょうが,それは証にはならないのです。
早い話,禅の証明は全て嘘です(だからこそ意味を持つのですが)。
>484
もちろん,病気は自分で作るものではありません。
実験すれば分かります。マウスをいっぱい用意しておいて,無作為に
集団を抽出し,病原菌を注射すれば,その集団は統計的に有意な確率で
病気になると断言できます。
正しい方法でやれば,誰が,どこで,何度やっても同じ答えがでます。
そうして,病気は病原菌によって起こると知られているのです。
なおかつ,自分の気持ちで起こすのではないとはっきりと知られている
のです。
なんだか変な感じになってますね。楽しみにしてたんだけど・・・。(汗)
>>482で415さんが言われていること、どこかで読んだことあります。
特に最初の3行あたり、鮮明に記憶しています。
ある程度、そうかもしれないなと思いつつ、産まれたばかりの子供とかは
どうなるのだろうか?と疑問にも思っていたものです。
面倒臭くなっちゃって、それ以上興味を持たなかったな。
自分が病気好きなのが解って、満足しちゃったかも。まだまだですね。w
`,、('∀`) '`,、
494 :
名無しさん@3周年:04/03/12 23:32
>>482 415さんが悟っていると言っている人がいっていることは、
普通に言われていることです。
最近のホリスティック医学とか、心理学者の間でね。
だから、悟って無くても言えるんですよ。
もう少し勉強して下さい。
495 :
brown:04/03/12 23:37
>488
それも偽です。
あなたは覚者ですか?もしそうなら,どうして語るのでしょう?
もし違うなら,どうしてそんなことが分かるのですか?
>もちろん,病気は自分で作るものではありません。
実験すれば分かります。マウスをいっぱい用意しておいて,無作為に
集団を抽出し,病原菌を注射すれば,その集団は統計的に有意な確率で
病気になると断言できます。
正しい方法でやれば,誰が,どこで,何度やっても同じ答えがでます。
これが自称覚醒者のいう言葉ですか。
ではねむいのをおきていて質問します。
個人の病気以上の天災はどうしておきるのですか?
497 :
brown:04/03/12 23:41
>415さん
ごめんね,ちょうど今,自称覚醒者brownは,あなたのいう詐欺師らしく,
逃げのために,議論はするつもりがありませんから,念のため,では。
と打とうとしていたところでした。
498 :
brown:04/03/12 23:42
でも,気になるので聞くのですが,
天災って具体的に何ですか?
499 :
brown:04/03/12 23:43
よくわからんので,一般論で言いますと,天災でもなんでも,病気でも
そうですが,とにかく物理法則にしたがって,自然に起きます。
早い話,一般論でいうとそういうことです。
なんで覚醒者が一般論をのべるのですか?
少なくとも私が出会ったそれらしき人々は
曖昧なことばを絶対のべませんでしたよ。
501 :
brown:04/03/12 23:45
>499
それから,あなたにとっては絶望的なことに,その物理法則を支えている
基盤も,主体も,意思も,意識も,精神も,何も存在しません。
さらにあなたにとって絶望的なことに,これが,覚醒者の悟り知ることです。
502 :
brown:04/03/12 23:47
>500
だから,具体的に天災ってなんですか?
それから,あなたがどうしてそれらしきと思ったら,それが覚者なの?
特別な神の恩寵によって,選別眼に恵まれたのか?
503 :
名無しさん@3周年:04/03/12 23:48
>>415 本当の覚者は絶対ににちゃんねるに書き込みません。
ですから、馬鹿を相手にしないで下さい。
相手にするから、つけあがるんですよ。
>>501 笑止!
落ち着いてください。
私はあなたを糾弾するつもりはありません。
世間の人に悪い影響(これも無いのですが)・・・
気づきを邪魔させたくないだけです。
505 :
brown:04/03/12 23:50
>503
それも偽です。
あなたは覚者ですか?もしそうなら,どうして語るのでしょう?
もし違うなら,どうしてそんなことが分かるのですか?
全て同じ論法です。誰でもできます。論理的に分かることはまず,
押さえた方が良いですよ。
>>
地震、台風、事故で亡くなられた人たちの
意味を問うています。
507 :
brown:04/03/12 23:54
>504
ところが,残念なことに,私にはあなたを糾弾するつもりがあるのです。
あなたは間違ったことを言っています。
それ故に,私は,自らの知識に照らし合わせて,間違っていると
はっきりというのです。
なぜなら,正しく知ることが重要だからです。
>>505 私は何べんも言いますとおり覚醒者ではありません。
しかし我が師匠とも尊敬する薫陶を受けた方よりも
あまりにもかけ離れたあなたのエゴを憎む者です。
509 :
brown:04/03/12 23:56
>506
それは,天災がなぜ起こったか?とかなぜ天災に巻き込まれたか?
という議論と,それに巻き込まれた悲しみからどのように救われるか?
どのように救ってあげればよいか?という議論とをまず分けて考えなけれ
ばなりません。
それを混同して,天災の起こる仕組み自体に,超自然的な意味づけを
することは間違っているからです。なぜなら,それは自然現象だから
です。
510 :
brown:04/03/13 00:02
>508
私はあなたのエゴを憎みません。
ただ,あなたの間違った発言を否定しているだけです。
エゴも,天災と同じで,自然現象です。
その基盤や意味づけや,・・・等々どこにもありません。自然に起こって
いるのです。それを憎んでも仕方がありません。それよりも,自分のエゴ
に苦しんだり,他人のエゴに苦しんだりする人をどう救ってあげるか,
とか,論点を間違えないようにすることが大切です。
>>
507
そうですか。
三番目の答えの前売りです。
地獄はありません。もちろん天国も。
ただしたとえ2CHでも言葉を発した事実は消えません。
まず人は思いがあります。
これは一つのエネルギーなのです。
言葉はもっと大きいエネルギーとなります。
宇宙に飛びます。
私は電気分野でも第一級無線通信士、第一級陸上無線技師の免許を持っています。
その分野の初歩でクリスタルの振幅を習います。
人や物質はある振幅で三次元の世界に姿を現すのは分かっています。
あなたはその振幅(負の)まきちらしているのをあなだ自信で
わかっているはずです。
その影響を聞きたいですか?
自称覚醒者brownは議論の充実よりも、あまりに自分が覚者である事を
守り抜く事自体に必死なように見える。
自然に相手に理解されるオーラの様な物を持っていない。
何事であれ極めた者が普通に持つであろう雰囲気がどうにも感じられない。
少なくとも正覚者ってのは誇張がすぎる。
一方、415が議論のベースにしている方々は、
悟りを開いた者というよりは、ある種の修練を納めた方々であると思います。
それはある種の覚醒をもたらすが、このスレで度々語られてきた悟りとは
少々趣が異なる物なのではないかと思います。無論、同時に何らかの
悟りを得ているであろう事は想像に難くありませんが。
ていうか、もう寝るね。また明日。
>>510 このあたりになると言葉を失います。
あなたは覚醒者と名乗ってどんなエゴの
満足感を得ているのでしょうか?
>>509 それは一般の人々の口にする言葉ですね。
詐欺師ならばどうしてもっと嘘でもいいから
ひねった言葉を考え付かないのでしょうか。
もしあなたにまだ嘘をつく気があるならば
一晩時間を与えましょう。
これを見ていただいた皆さまへ
2問目、3問目の答えを明日か明後日書いてみようと思っています。
我が師からヨーガと同じ言葉をもらったのを思い出しました。
「人が準備できた頃に師は現れる」
私の伝聞が届く人と届かない人がいるのは承知しております。
516 :
アルジュナ:04/03/13 00:38
487=アルジュナもどき…が現れたのでROMしたいけど、盛り上がって
きましたね。週末ですからね。宮仕えには書き込みやすい、1週間で
最もナイス時期です。
brownさんと415さん、言葉尻にとらわれた議論をせずに、ご自身の、
あるいはお知り合いの体験を語って欲しいんですが。どうしたら、
悟りの境地に達するのですか。もしくは近づけるのですか?
回診をお願いします。
415に質問
クラスター爆弾により今イラクでは被爆をして死んでいる子供が増えているが、
それは魂が選択した、病気なのか?魂の選択とはなんでしょう?因果応報とは
関係が無いならば、理由など無く自分から病気になりたくて被爆したという
ことなのかな?被爆というのは白血病になったりするものであるようが。
経験する為に生まれてきた。というならそうして苦しんで死ぬ経験をする為に産ま
れたということか?ちっとも説明に成らないと思うが。
説明できるならしてくれ。
518 :
アルジュナ:04/03/13 00:46
>> 515 (=415) さん
>「人が準備できた頃に師は現れる」
チベットのゾクチェンに関する書物でそんな話を読んだこと
があります。しかし、何をして自分なりに修業したらいいの
でしょうか。
全然分かってない。
死は開放の時なんだよ。この世から見れば死は人が消える瞬間だが、
あの世の住民から見れば霊が戻ってくる喜ぶべき瞬間なんだよ。
ただ自縛霊になってしまう人も中にはいる。怪奇現象起こして存在を
知らせたり、心霊写真にわざと写って存在を知らせようとする霊もいる。
因果応報以外にも人には罪があるということを書かねば成らない。
人の起す罪により犠牲に成る。スペインでの列車事後酷いものだったね。
平和が一番では有る。
>>517 精液のこと。samenはドイツ語で、英語ではsemenn(シーメン)で、種や萌芽を意味するラテン語が語源である。
フランス書院文庫ではこの他、スペルマ、粘液(ねんえき)、白濁液(はくだくえき)、愛液(あいえき)とも呼ぶ。
もっとも愛液という意味は、女性の体液を意味することのほうが一般的である。かつては陰液(いんえき)、
クリームとも呼んだが、これらは翻訳小説がほとんどである。絶頂感とともに飛びだす精液に対し
、カウパー氏腺液(しせんえき)、前触れ液(まえぶれえき)、我慢汁(がまんじる)は、性交時の潤滑油
ともいうべき透明な液のことで、はっきりと使い分けている。ただし、淫汁(いんじゅう・みだらじる)は時折
り両方の意味で使うこともある。
>>517 息子と電話で話していて寝る瞬間にこれ見たから回答するねW>
もうどこで書いたのかも探す気もないけれど、魂は昇格するために
生きているのではない。「ただ経験するため」って聞いた。
ちなみに俺は698回生まれ変わってきたらしい。
覚醒者に言われたのでメモったがみんな同じ数字だった。
実は俺は名古屋の大同ってところででヤクザと立ち回ったり
、弱電の勉強を一応極めたり、世界を見てきたり、
女なんか覚えていないほど抱いてきた俺が今こんな事
書いてるのが不思議と思う。
俺は人を糾弾する資格のない人間だと思う。(というか資格は無い)
縁で聞いた話をしますね。
イラク問題なんかでも偽覚醒者に質問した答えだろうけど
「人の集合意識でそれらは呼び寄せる」ってことだった。
天災もそれらしい。
個人の病気はあなたでも治せるらしい。
そのためには心(じゃあない、通訳を介してだったから)
・・・我が師の言葉で言うと言葉は不完全なんだって。
インスピレーションで天の声を聞きなさいって言われたが
わたしにはわからなかった・・・。
ただ君への答えで酔った意識で考えられるのは
たぶん不幸を呼ぶ人生ってその人なりに意味があるのかな
って事かな。
答えにならなくってごめんね。
>>515 ごめんねもう覚醒いていない私は酔っ払って寝ますw
頭をしっかりして回答しますね。
うーん。もう終盤ですか。
では、別の面から回答を。。。
覚者じゃないけど。
>問い1.なぜ人は病気になるのか?
なぜ気にするのか。なぜこれを問題と捉えるのか?
そのあたりに、生えてる雑草が病気になろうが、気にしないでしょ。
「なぜ、私は過去、病気で苦しんだり、未来に病気で苦しむ恐れがあるのか?」
多分こういう疑問なのではないですか。
病気の疑問なら「雑草はなぜ病気になるのか?」で考えると、冷静に考えられそうですね。
>問い2.死について語れ。
今の技術では修復不可能な状態。
>問い3.極楽地獄はあるか?
さあ、誰も見たこともないし、実在する可能性は低いだろうね。
どう言ってもすれ違うでしょうね。
たぶん、一方はどこにも意味はないことを見出し、
一方は意味付けしようとする。
当然すれ違いますね。
死の意味は何だ?病気になる意味は何だ?この世に生まれてくる意味は何だ?
と何でも意味があると思う。
一方、本来は、どこにも意味などないし、意味をつけているのは自分以外にいない。
と知っている。
たぶん翻訳機があっても、通じませんな。
>415
覚醒者かどうか、その人が覚醒していない限り、わかるわけがないのですよ。
簡単な理屈ですよね。
覚醒とは、どういうものか、知っていれば、誰かが覚醒しているかどうかを判定できる可能性がある。
覚醒がなにか知らなければ、誰かが覚醒しているか判定できない。これは確実ですね。
528 :
名無しさん@3周年:04/03/13 01:57
小便しに起きてきたけど
平凡さんあんたさん卑怯どすな.
論争に入らずに漁夫の利を得るってのが
あんさんどすな。
少なくとも、このスレに常駐してる自称悟り人の悟りはたかが知れてる気がしてならないお年頃。
530 :
名無しさん@3周年:04/03/13 02:06
>問い1.なぜ人は病気になるのか?
自然に反したことをやったから。
>問い2.死について語れ。
生の反対
>問い3.極楽地獄はあるか?
宗教で言われているようなものではないが、似たようなものはある
531 :
名無しさん@3周年:04/03/13 03:21
>問い1.なぜ人は病気になるのか?
持って生まれた業によるもの。または、生活の因果応報
>問い2.死について語れ。
肉体は滅びても魂はまた続いて次の世界に進む
>問い3.極楽地獄はあるか?
それは生きている中にあるものだ
532 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/13 03:28
そろそろ、他にスレ立ててやってもらえるかな。
ここで問答されては困るんだよ。
>>526 凡夫さん、どうも。
まあ、一番大きな違いは、前世がどうの、霊(や魂)がどうの
というような前提条件(仮説)を設けるかどうか、信じるかどうかですよね。
否定もしないけど、見たこと無いものを持ち出されても・・・ね。
ここはもっとリアルな事を話すスレですよね、 ◆BD/.VOmZgU さん。
>>527 判定はできないだろうな。少なくとも文章からじゃ。
ただ、この人は覚醒の経験が無さそうだなとか、過去の経験に拘って
落ちちゃってるんじゃないかとか、そのくらいが察せられるかな程度。
>>528さん、卑怯でどうもすいません。(汗)
でも、いつ漁夫の利を得たんだろうか? >論争にも入らず って
相手にしてもらえなかっただけですよ〜。
まあ、論争は嫌いだから良いや。漁夫の利を得たということで、ラッキー!
>>533 ごめん間違えたわ。
凡夫だった。
まぎらわしいー。
あまりにばかばかしいので
酒を飲みながら書いたので読み返してみると乱文だなあ。
でも書いた内容は聞いたままなのでよかったー。
brown氏よ、こうして読み返してみるとあなたの
質問の内容が我々が出会った覚醒者らしき人の
質問とすごい開きがあるのですよ。
覚醒者が凡人にこんな質問をするのかあってな
感じ。
あなたの幼稚な質問に答えるには膨大な言葉を
必要とします。
ここを見ているみなさんが迷惑だと思う。
自分が覚醒していないのを一番分かっているのは
あなた自身だからもう攻撃するのはやめようと思います。
最後までわからなかったのはそんな「ふり」を
しなければならないあなたの気持ちでした。
実に興味深くROMらせていただいています。
本当のことを語る言葉にはそれが文字であっても
輝きを放っているように思います。聞く側にも
心眼が必要ですね。
「ボクは生まれてきたくて生まれてきたんじゃない」
「いや自分の魂が望んでこの世に生まれてきたんだ」
といったことに対する考え方の違いの背景も
ハンドル付きの発言に影響しているように思います。
ありがとう。またROMに戻らせていただきます。
537 :
名無しさん@3周年:04/03/13 10:18
オカルト板のほうが似合いのDQNがいるようだ。
ムーかなにかの編集者のようだな。
>>533 平凡さん。コテを間違われちゃったようなので、改名しますね。
>>523
漁夫の利ってどこにあるんだ。見当たらんが。
>>415 あなたは、こう主張しているのですね。
・多くの覚者達は、同じ質問に、同じ答で返す
・ここで、同じ質問をしたが、誰も同じ答を返さない。
・従って、ここには、覚者はいない。
あなたの選別眼が正しいとするなら、
あなたが取材した覚者達とは、具体的に、だれですか?
540 :
名無しさん@3周年:04/03/13 16:55
ここにもZetaの粘着が。
415さんの示された回答を、わたしも以前聞いたことがあります。
しかし、それが正しいかどうか、私にはわかりません。
ただ、それが事実であるとすれば、それは非情なものであるといえます。
これを運命論というのかな。別に新しい理論でも、目新しいものでもないでしょう。
病気になったり、死を目の前にしたりして、自分が何を感じるのか。その自分の
感覚を知りたくて、ココのスレでは、そう思いながら生きてきた結果を語り合って
いるのだと思います。そう言う意味ではbrownさんの気付きも415さんの又聞き
よりは参考になります。
自分が人間として生まれて、その状況に到ったとき、諦めるか、希望を持とうとするか、
その時初めて、理論ではない心の動きを知ることが出来るのです。
それは、この世界の動きを知ったことにはならないかもしれませんが、今、この時間
この場所において、いま自分が知らねばならないことだったのです。
543 :
名無しさん@3周年:04/03/13 17:57
>>541 すげーな、そこ!!
200万もぼられてる香具師がいるんだ!!
>>543 そこが重要なとこですね。
詐欺師は例外なく、とても良いことを言います。
そして詐欺の手口を自ら語り、それを何で?ってくらいに貶します。
肝に銘じておきましょう。
何の脈絡もなく世の間違いを語り出す輩は詐欺師です。
彼らはほぼ100%正しい事を語ります。よく敬い、耳を傾けておきましょう。
しかし、最後に彼らは彼らが語ったとおりの手口であなたを貪ります。
その時になったら自分自身を信じて決別する事です。
このブラウンて人は本人???skrw??
546 :
アルジュナ:04/03/13 20:22
フルーチン氏が、も少しRAMになってくれたら面白いのにな。
BD/.VOmZgU (スレ主) は、他でやってくれじゃなくて、
喝入れるとか、三十棒くらわすとかしないと。
道場主なんすから。
547 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/13 21:08
548 :
アルジュナ:04/03/13 21:43
>> 547 あっさり認められると拍子抜けしますね。
しかし、他の殆どのスレが、いわゆる「宗教団体」に関するスレで、
誹謗、中傷、罵り合いのバトル・フィールドになっている。
その点、このスレは宗教的な「テーマ」を正面に掲げたいいスレだ
と思うのです。主な登場人物以外に、いっぱいギャラリーがいるの
では。ニヤニヤ笑いながらROMしている本当の覚者の皆さん、そろ
そろ、獅子吼すべし。
549 :
名無しさん@3周年:04/03/13 22:45
>>548
ニヤニヤ笑っているようじゃ覚者じゃないでしょう。
覚醒ねぇ・・・
心と宗教板だけど「宗教」にはさっぱり興味が無いよ。
ある板から誘導されて流れてきただけなんだ。
ROMは天使になったみたいで楽しいよ。
ま、天使なんて人間の作り出したものだろうけどね。
同様に覚醒者はいないし、覚醒者はいる。
自分にとって都合のいい覚醒者を求めるんだったら
こんなとこうろついているより、ご近所のご老人で
お茶のみ友達を作ったほうが手っ取り早いと思うよ。
552 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/14 06:30
俺より核心に迫っている人間は山ほどいるが、彼らが俺に出来る事は
アドバイスとヒントだけだ。悟りへの道は自分で切り開くしかない。
俺は核心に迫るたびに新しい認識力を手に入れてきた。
>>551 >心と宗教板だけど「宗教」にはさっぱり興味が無いよ。
貴方がそう思うのは勝手だがスレ違いだ。ここでは迷惑だ。
553 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/14 06:34
ちょっと言い過ぎたかな。
記念科気子
初めまして、
悟りってどーでもいいゲームだと思うけど、
どーでもいいと知ったうえで、
真剣に楽しませてもらいます。
では。
>>539の質問に対する答えがありませんね。
じゃ、ここに書いておきますか。
世の中には、この「悟り」について研究する人がいる。
苦を解決しようとしているのではなく、なぜか、研究する人がいる。
1人の人が言ったことを比較・検討して矛盾点を見つけて、どうだ、みたいな。
こんどは、1人でなく、複数の人が言ったことを、比較・検討して、
それが共通しているかどうかを検討したり、矛盾点を見つけたり、
今までの回答と異なると言ってみたり。
そして、本人にはまるで役にたっていない。
比較・検討に忙しくて、全く、理解していない。
何がおかしいと思います?
本当に覚者が答えたことと仮定して、
その答は、1人の人でも、複数の人でも、矛盾は出てきますよ。
なぜなら、それは、一般的に答えられたものではなく、
そのときの状況で、その個人に対する答だからです。
だから、答をあとで、よく考えよう、あとでゆっくり考えよう、整理してから考えよう
では見落とすのです。その時にその場で、受け止めないと、受けられないのです。
それは保存のできるものではなく、新鮮なうちに味わうことしかできないからです。
訂正
新鮮なうちに味わうことしかできないからです。
⇒新鮮なうちにしか味わうことしかできないからです。
557 :
名無しさん@3周年:04/03/14 13:50
覚者とはどういうものか分かるか?
覚者は書き込みをするときは頭を空にして出てくる言葉を手が打っている状態。
頭はその言葉を校正しているにすぎない。
最後に感覚的に判断して取り消すか送信するか決める。
覚者は常に瞑想状態で生きている。
もし、そういうことを教えてる宗教があるとしたら危険だなぁ。
自論ならま、当たらずとも遠からず・・・かな。
分からない。本当に分からない。俺は霊が見えるなんて日常
茶飯事だし、うたた寝してると必ず風邪をひかないようにか
強烈な音を頭の中でならされたり、体を触られたり、揺すられたり、
して起こされるのだが、そう言う存在に毎日を感謝して生きているのだが、
俺にとっては当たり前のように見えるものも、皆さんはただの一度も見た事が
ないのですか?みんなが思ってる以上に、普段色んな霊から助けられて
生きていると思うのです。体を触ってくる時は、波長を俺のレベルに下げてる
のかしらないが、天井を見ると顔がいるんだけど・・・。
みんなはただの一度も不思議なことはないの?
みんなも毎日を色んな霊と一緒に過ごしてると言う事にただの一度も
気付かないわけ?
561 :
アルジュナ:04/03/14 22:35
>> 560
霊能者と覚者は同じか?
いろいろなレポート興味深く拝見してますが、悟りという体験は“もの”
ではないので、目の前に広げて比べようがないですよね。言葉でもって
てんでにこれが悟りだと言っても、真偽は弁別しがたい。
で、どやったら、悟りの境地に入れるのか、それを教えてほすいす。
それとも、悟りは先天的なもの?
562 :
こんにちは:04/03/14 23:11
>561
霊能者は単にこの現実世界と霊的世界との間に何らかのチャンネルまたは回路がはたらいているだけ
覚者は意識に誤魔化しがないだけ、聖職、地位、名誉などは関係ない
悟りの先天性の話はなるべく公の場では触れないほうが賢明です
563 :
名無しさん@3周年:04/03/14 23:37
>うたた寝してると必ず風邪をひかないようにか
>強烈な音を頭の中でならされたり、体を触られたり、揺すられたり、
>して起こされる
睡眠中の出来事ですね。
あなたが霊を見ているときは、たぶん睡眠しているときでしょう。
>>561 勿論悟りと霊が見えるかどうかは全く関係ないのは分かっています。
しかしスレを読んでると、全く霊的体験の無い人が多いように感じたので、
みんなそうなのかな?っと知りたかっただけです。
悟りですかぁ。難しいですね。
>>563 睡眠中ではありません。起きている時もあります。
566 :
名無しさん@3周年:04/03/14 23:46
>564
霊的体験した人はみんなしましたとはなかなか言わないものです
「霊も見ました。」とfネットでも言えるひとはなかなかいません。
あなたは直ぐに見ましたといえますか
567 :
名無しさん@3周年:04/03/15 01:17
オカルト板のほうが似合いのDQNがいるようだ。
ムーかタマ出版かなにかの編集者のようだな。
568 :
名無しさん@3周年:04/03/15 01:24
>562
短い指摘ですが
メイカイですね
569 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/15 05:05
アルジュナさんのお陰でだいぶスレが落ち着いて着ました。
今は平凡さんに言われた全身をセンサにする事と、悲しみと喜びを
同時に感じる境地を身につける訓練をしています。
570 :
名無しさん@3周年:04/03/15 06:17
>>560 霊能者でも覚者でもないけど、
同じようなことは、良くあるよ。
だから、霊とか、神は信じている。
実感するから。
571 :
名無しさん@3周年:04/03/15 06:29
不思議なことといったらデジャヴぐらい
572 :
名無しさん@3周年:04/03/15 08:51
不思議といったら、なんでみんな簡単に
霊能者とか覚醒者とかを信じ込むのかってことかな。
573 :
名無しさん@3周年:04/03/15 09:11
>>572 みんなじゃないよ。
口癖で「みんな」とか「絶対」とか「いつも」を使用する時は、
事実を見ずにエゴに支配されているので注意をしましょう。
574 :
◆BD/.VOmZgU :04/03/15 09:21
気付きに伴い神秘的な体験をした事はあるが、
ここは不思議な話をする所じゃない。悟りをテーマにしたスレだ。
オカ板でタコにされるのが怖いからここに書き込もうというなら
哲学板にでもいけば仲間がいるぞ。
575 :
こんにちは:04/03/15 10:22
精神的探求や気づきの中で確かに霊的な体験をする人は確かに居ます
ただ、気づきや探求の意志の強さと霊的体験は分けて話しをしたほうがいいと思います
ここは、悟りの地平というものがテーマだから霊的体験と無関係とは言いません。
でも、霊的体験は霊的なものを見たとか話したとかいう話は隣のおじさんゆやおばさんと
挨拶したというレベルの問題です。霊的体験で苦しんでいるとか悩んでいるというなら
そういうテーマのところもあるかと思います。ここでは、悟りへ向かっていこうとするときの
意識の問題か基本的な悟りや気づきをしたらそれがどういう出発点であるかといったことを
話し合えば益するのではないかと思います
576 :
名無しさん@3周年:04/03/15 12:00
中四国地方の T会場で以下のような事がありました.入会後2年位の会員で夫婦
仲が悪く夫がいたる所に中傷している妻に 対し会場責任者のK女史は 倫風輪読
会の席上、目を その妻をしっかと見据え「○ ○ ○ ○」 ー犯罪者の名称ー
と投げつけ、つずけて犯罪を犯した者は昔は出歩かないものだったけどね、と言い
放った.そして,自分が責任者として朝の演壇の最後の演壇をする時はその妻の
身体的特徴を 誰にでも分かるようにいちいち取り上げ「この人の庭は草ボウボウ
で 私も子育てで忙しい時は出来なかった。と草ボウボウを話題にして延々と話し
後,演壇を聞くときは眼を閉じているとか誰か分かるように 言動をあげつらって
いました.要するにそんな悪い噂のあるひとは 来て欲しくないから責任者として
排斥行為をするのでしょうが 凄いでしょう.この責任者の倫理は 悪い噂の人物
には 行わなくて良いみたい.会誌頒布もその妻は 誘わなかった.代わりに本を
沢山勧められ,買っていたけど.他の宗教法人は 参加可能だそうです。
あと会誌頒布で 訪れた家庭内のことを「あんな家でも玄関に子供の写真を飾っ
ある、とか行った先の家庭事情を 会員同士で情報交換している。いいところも
沢山ある会だけどね。
ようやく落ち着いてきたのかな?
しかし、私が危惧していた通りのことが起こってしまいましたね。
それもかなり想像を越えたものでしたが。
ヒステリーって恐ろしい・・・。(汗)&(笑)
やはり、「悟り」って何なのか、もう少し観察して「悟り」を悟る(笑)
必要がありそうですね。
こんにちはさん、はじめまして。こんにちは(笑)。
あなたの言われている通りです。
「悟り」は、霊とか、前世とか、超能力とか、超人とか、そんなものとは
全く関係がありません。(ちっとも格好良くないということ。)
関係あると思ってる方は、ここに来ても、ちっとも面白くないと思います。
またそういうものと関係あると“思わせようとする”ような発言をされる方も
お引き取り願いたいものです。
釈迦の悟りが全てかどうか判りませんが、釈迦の悟りって何でしょうか?
簡単に言って、「苦」を無くすことですよね。
また、釈迦が「苦」を観察しはじめた最初から、深いところの「苦」から
考えていったと思いますか?
私はもっと身近な「苦」から考えはじめるのが普通であると思っています。
アルジュナさんが以前言われていた、釈迦が教えを求めて行った○○仙方も
ある段階の「苦」までは対応している「悟り」を得ていた訳で、
それでは“対応できない「苦」”が残っていると考えた釈迦が、更に
対応範囲(段階)の広い「悟り」に到達したということなのです。
釈迦が考えた「苦」を超えた「苦」があって、それを解決する悟りが
見つかれば、釈迦の悟りは“真理”では無くなりますが、
今のところそれを超える「苦」も「悟り」も見つかっていませんね。
578 :
名無しさん@3周年:04/03/15 14:11
>>562 >>悟りの先天性の話はなるべく公の場では触れないほうが賢明です
私は悟るには先天性の素質が無いとダメだと思います。
そういう話ですよね?
(続き)
では、釈迦の時代背景を考えた場合の「苦」の原因と考えられるものは
何だったと思いますか?
当時は、ヒンドゥー教の前身であるバラモン教の支配する国であったと
思います。そこにおける根本的な「苦」はカースト制度です。
ここからは少し、皆さん各自で考えてもらいたいものです。
「出家」って何でしょう?この段階での「解脱」って何でしょう?
先に言っておきますが、私は仏教にも、釈迦の伝記にも、歴史にも
詳しくありません。あくまでも私の観察の結果を語っているだけです。
>578
あなたが言われることを否定はしませんが
この問題は個人の資質を自分自身の中でだけ探るというのなら問題はありません
人間一般の問題として資質のあるなしはとても危険です
思想的にという一面もありますが、この板に他の人が入ってきてとんでもないことになる可能性があります
他の板でもそれがおこりました。詳細はふれませんが、ここでのテーマの真剣さからはずれた方向へ
行くのはもったいないと思います。宗教家でもこの問題にふれることをさけます。昔にもめにもめたことがあるそうです
個人のなかだけの探索をお勧めします。あなたの探求がまちがっているいないの話ではなく
こういうふうに申し上げたいと思います
霊が見えるという事と悟りは遠い距離があるものじゃない。
生命の全てをみることが悟りなのだから。
かえって気持ちだけで感情だけで悟りを探そうと言う方が問題がある、そのような
方は哲学板に行った方が賢明ではないかな。
仏に出会う所に悟りは有る。
>>580 562さん=こんにちはさんですよね?
>>578さん、あなたの言われている“先天性の素質”または“素質”とは
何を指しているのでしょうね?
もし、“選ばれし者”(選民思想)であるなら、間違いです。
それはここで言う「悟り」とは正反対に位置する思想です。
もっと当たり前の意味で考えてください。
たとえば、探求好きであるとか、集中力があるとか、感情で判断しないとか、
偏見を持たないようにするとか、そういう能力という意味で、多少差がある
かもしれませんね。何でもそうですよね。
だから個性があって楽しい。いろいろな入口があって、可能性がある。
どこまで(段階)悟る必要があるのかも、時間がかかるかも、
どうでも良いことです。
自分の抱えている「苦」を無くしていくことが、悟っていくことが、
大切なことではないでしょうか。
584 :
こんにちは:04/03/15 15:13
>582
この板の趣旨を確認します
>悟りや気付きについての体験やそれが何であるかを
>語るスレッドです。
>不思議な体験やそれによって様々なことを得られたら
>それも語って見ましょう。
>宗教哲学は他のスレで書いてください。
ここの板は個人の体験をとおして悟りや気づきについて語るという前提です
確かに生命の全てを見ることが悟りの要素であることはまちがいないと思います
でも、気持ちだけで感情だけで悟りを探そうという方が問題があると言われていますが
シャカもそこから出発しているんじゃないでしょうか
悟りの哲学的構造をここでは語ろうとする趣旨ではありません
>宗教哲学は他のスレで書いてください。
とはっきり書いてます。哲学は基本的に論理展開が中心の世界です
悟りへの体験を語るのに何故哲学板に行く必要があるのでしょうか
> 仏に出会う所に悟りは有る。
と仰られていますが、仏に出会われたのなら、その体験をここにかかれたら如何でしょうか
それをみんなは望んでいます
失礼かもしれませんが、率直に感じたことを書かせていただきました。
>582さん
ここは「心と宗教」板ですよね?
少なくとも「オカルト板」ではありません。
お間違いなきよう。
哲学と違うところは、実践、実体験を通しての思索であるということです。
586 :
こんにちは:04/03/15 15:16
>583
はいそうです
ハン忘れです。(ぺこりです)
587 :
こんにちは:04/03/15 15:20
資質のはなしはもう止めて下さい
絶対に荒れます
なにもかもむちゃむちゃになります
落ち着くのにとても時間がかかりますよ!!!!!
>>583 平凡さん
私が指している資質はその人の霊的な成熟度です。
最終的には誰でも悟ることはできますが、それが今生であるとは限らないという事です。
今生、霊的に成熟している人だけが、今生悟る事ができるのです。
例えば、霊的年齢(霊的成熟度)が1000歳あたりで悟りが訪れるとすると、
(これはたとえ話ですから、1000という数字には根拠がありません)
今生、100歳の霊的年齢の人は、今生では悟れないという事です。
しかし、その人も、1000歳に達したときには悟れるという事です。
589 :
こんにちは:04/03/15 15:38
わたしぬけます
なぁー
煽りじゃなく真面目に聞きますよ
霊が見える、語りかけてくると主張する方々、
なんらかの脳障害や精神疾患を疑った事はないのですか?
>>583 578さん。
>私が指している資質はその人の霊的な成熟度です。
“成熟度”という言葉自体が既にこのスレの主旨と違います。
これは選民思想につながる“比較”を含んでいます。
過去も未来も「無い」、「今」を見つめることで、“苦を無くす「悟り」”
を語るスレです。
だから、過去世も来世もありません。あくまでも「今」です。
なぜ「一つであるところの“私”」を分割する必要があるのでしょうか?
あなたの言われる「悟り」がどんなに素晴らしいモノであれ、
あなたは“今は「苦」である”と言っているにすぎません。
有りもしない未来に希望という種をまいて、今を「苦(不幸)」にすることに
何の意味が(価値が)あるのでしょうか?
このスレの求めていることは、そんなものではありません。
>>591 平凡さん
何か誤解されている気がします。
選民思想につながる比較は他者と自己においてでです。
自己の中の比較、例えば、今の私、さっきの私、これからの私
の比較はなんら、選民思想には繋がりません。
10歳の私と100歳の私を比較して、どうして選民思想に繋がるのでしょうか?
それから、このスレは仏教のみの悟りのスレでしょうか?
そうでしたら、どの仏教の何を元にしてお話をされているのでしょう?
>>590さん。
あなたの言われていることも、このスレとは関係ありません。
他を当たってくださいませ。
気持ちだけで感情だけで悟りを探そうとしても悟りはないからですよ。
このずーっと前のレスにそういう悟りの探し方のような事を書いている人が
いたが、そんなもの悟りでは無い。
>>シャカもそこから出発しているんじゃないでしょうか
自然から悟りを得ようとするのは無駄な事です。空から雲をつかむような事だから
ですね。
今の世の中もっと簡単な方法が有る。寺へ行きなさい、仏を祈りなさい、
それが悟るのにもっとも近い。
自然から悟るというのは原始人の木から火を起すような物だと言った聖者がいたが
その通りだよ。今は誰もそんな事しない。
595 :
こんにちは:04/03/15 16:18
シャカ自然から悟ったのではないのですね
寺云々で゛すが、悟られているんですね
つーかなんで593さんがこのスレ仕切ってるんですか
597 :
名無しさん@3周年:04/03/15 16:20
こんにちは、
個のスレッドに参加して良いですか?
598 :
名無しさん@3周年:04/03/15 16:23
いいんじやないですか
べつに
599 :
名無しさん@3周年:04/03/15 16:24
そうですか、なん化、いいスレッドですね。
>>592 578さん。
そうでしょうか?
私は、“成熟度”が比較を含んでいると言ったのですよ。
では、他者と比較しないで、どのように“成熟度”を測ることが出来る
のでしょうか?基準は何でしょう?その根拠は何でしょう?
601 :
こんにちは:04/03/15 16:54
>588
悟りのゴールを植物の開花時期とおなじにすることはできません
今世の成熟度を自分で測るのですか、それとも誰かにはかってもらうのですか
悟りを蓮の花にたとえることがあっても、それは違うと思います
自分が開花時期が分かるくらいなら、なにもここで話す人も居ないでしょう
自分が開花してから人々の中で生きればいいことですものね
仮に誰かに測ってもらうのなら誰にですか
仮に今世でゴールできないとかわっても・わからなくても
求めて行く姿勢を返るひつようはないわけです
求めることを止める必要もないでしょう
悟ったとしたら、それから覚者としての求道があるのではないでしょうか
悟りの階梯の違いに触れたとしてもなんのえきもないと思います
2合目、5合目、8合目どこに居ようあゆむだけだと思います
霊的成熟度というものは、いいわるいに関係なく今世の具体的テーマに照らし合わせたとしても
なんら得るものがあるとは思えません。今の具体的取り組みの体験がどのくらい真剣であるかという
自問が大切なのではないかと私は思っています。
自灯明法灯明という言葉がシャカ入滅の時の遺言だという話は
シャカに依存することなく自立して求めればいいというメッセージではないかと
私は受け止めています。寺に行って祈れば悟れるとは思えません。
シャカは命を掛けて菩提樹の下に座して光明を得たのだと思います
彼は伝統的なものに頼らず乙女のスジャータを飲み
命のすべてを掛けて自分の魂を見つめたのではないかと思っています
色々考えましたが、このスレはsage進行でいきましょう。
多くの人の目に止まるようにと思いましたが、関係のない話が多く
書き込まれかえって迷走するようです。
>>596 スレを立てた俺を援護してくれているのです。
>悟ったとしたら、それから覚者としての求道があるのではないでしょうか
>悟りの階梯の違いに触れたとしてもなんのえきもないと思います
>2合目、5合目、8合目どこに居ようあゆむだけだと思います
なるほどと思います。
悟りを開くのは勿論、他人を悟りへを導けるようになって初めて一人前だと聞きます。
また、魂は停止する事はないので、常に求道をしていないと成仏から外れていくもの
だとも聞きます。
信仰や求道をなくした時期もありましたが、それも道なのだろうかとも思いましたが。
>>601 こんにちはさん。
>>579について考えてみて下さいましたでしょうか?
>2合目、5合目、8合目どこに居ようあゆむだけだと思います
これも誤解(悟りに対する誇大解釈、妄想)を招きやすいですね。
>>579の>「出家」って何でしょう?この段階での「解脱」って何でしょう?
の続きです。
出家者は、なぜ「糞掃衣」を着て、「托鉢」をしたのでしょうか?
これはどう見ても乞食ですよね。
◆BD/.VOmZgUさん、あまり意味がないようには思いますが、
そういうならsageることにしましょうね。
それはそうと、 ◆BD/.VOmZgUさんも
>>579について>604について
考えてみて下さいましたでしょうか?
>>605 >◆BD/.VOmZgUさん、あまり意味がないようには思いますが、
>そういうならsageることにしましょうね。
状況が変わらなかったら元に戻しましょう。
>>all
いろいろ注文つけて申し訳ありません。
>それはそうと、 ◆BD/.VOmZgUさんも
>>579について>604について
>考えてみて下さいましたでしょうか?
すみません、今見た所です。
>605
解脱については、端的に 執着の問題だと思いますが、その裏面という言葉が適切かどうか分かりませんが
そういう問題もあるかと思うところがあります。ここでは打ち込めるスペースがちょっとなさすぎてこまぎれになると思います
ちょっと触れるのも問題がありそうです
出家のことですが、シャカ当時の問題と現代の我々の出家の問題とは同じれべるでは扱うのはちょっと無理があるかなと思っています
この出家を現代でやることには私自身の感じではやりたくありません。しかし、いっぺん今朝つけて段可をまわったことがあります
托鉢・糞掃衣の問題は、それをやってみた方が体験を通して意味をみつけるのが一番はっきりするのでは・・・
私自身は、托鉢はしたことはありませんのでなんともコメントできません。はっきり言ってしたくありません。あれより大変なことはいくらでもあると思います。
あれが修行だという表明を否定する気持ちはありません。私がやるならもっときつい事をやりたいです。肉体的ということではありません。
あなたの提示なさった問題は言い出すとA4何枚になるでしょうかと言う感じです。
こんなんですいません。
こんにちはさん。そんなに難しく考えないで下さいね。
>当時は、ヒンドゥー教の前身であるバラモン教の支配する国であったと
>思います。そこにおける根本的な「苦」はカースト制度です。
インドに行かれたことがありますか?私が行ってからもう20年以上
経っていますので、現在どの程度なのか判りませんが、その当時でも
カースト制度はとんでもないなと言う状況でした。
食堂で水(コップ)を運ぶカーストと、食事を運ぶカーストは違います。
トイレを掃除するカーストの人は、それ以外の職に就けません。
さらに、不可触賤民(アンタッチャブル)という職を持つことが出来ない
カーストもあるのです。いわゆる乞食です。
そこに産まれた人は、親の愛情により(生きていき易いように)、
片目を潰されたり、両手首から先を切り落とされたりしているのです。
私はそういう人達をたくさん見ました。
切り落とされた手首を目の前に差し出されて、めぐみを求められました。
彼らはそれに“慣れてしまっている”のか、諦めているのか・・・。
この制度からの(「苦」からの)解放とは何でしょうか?
そのことがおかしいぞ?いう「気付き」「悟り」、そこからの「解脱」、
身近な段階での「悟り」とは、このような事だったと思われます。
つまり、「自由」になることです。
バラモン出身者も、不可触賤民出身者も(カルマから、その宗教から離れ)
同じ地平に立つということではないでしょうか?
そういった思索をいろいろな状況や段階に当て嵌めてみても、通用した。
そういうことではないかと私は気付いたということです。
>>601シャカに依存することなく自立して求めればいいというメッセージではないかと
私は受け止めています。寺に行って祈れば悟れるとは思えません。
シャカは命を掛けて菩提樹の下に座して光明を得たのだと思います
寺に仏が来ているからですよ、仏が居ない時期とは違う。釈迦は一番初めに仏
に成った人悟った人ですよ、今の世の中は仏教が広まり。寺に行けば仏が居る。
向こうの世界仏の世界からこっちにやってきてお寺に居ます、大体殆どのお寺にね。
>>600 平凡さん
>>601 こんにちはさん
お二人とも何か誤解があるようです。
今生の霊的成熟度が、全体の100であるか、1000であるかという様なことは、
自分でも他人でもはかれません。
ですから、他人との比較はありえないのです。
しかし、3年前の自分と、今の自分というものは、比較できます。
それは自分の中だけではかれることです。
基準は今、この瞬間の自分です。
そして、対象は過去の自分です。
成熟度をはかれるのは、今生の範囲においての自分のみです。
>>601 >>仮に今世でゴールできないとかわっても・わからなくても
>>求めて行く姿勢を返るひつようはないわけです
>>求めることを止める必要もないでしょう
それは、もちろんそうです。
霊的成熟度が今生達さなくても目指さなければなりません。
目指す行為によって、霊的には成熟して行くからです。
だからといって、先天的な要因があるという事を隠す必要は全く無いと思います。
最終的には、皆、悟りへ行き着くでしょうから。
何年、何万年、何億年かかるかは、わかりませんが。
>>なんら得るものがあるとは思えません。
損得のお話をしているのでは、ありません。
真理か真理ではないのかという事が問題なのです。
612 :
こんにちは:04/03/15 18:54
>608
すいません、ちょっと用事ではなれてました。
シャカのころの出家のことについてだけおもっいてることを・・・
608で書かれた内容にその答えがあると思います。
出家は真理を悟るの絶対必要かという論議もあろうかと思います。
わたしは、そういう真理探究の生活形態についてはあまり興味がありません
ただ、あの当時のカースト制というものが貴方のインドの経験から推し量った時
どんな状態だったかは私なんかより貴方が感じとられたリアリティーはすごいものでしょう
シャカは自身が達した境地をつたえたかった。真理は階級となんら関係がなかったと思います。
そして、出家するということは当時、修行者の道へはいることです。バラモン教であろうとなかろうと
修行するものに対する尊敬というものがあったとおもいます。出家すれば、カースト制の塾縛・拘束から
自由になれたと思います。釈迦の方便として、出家を打ち出しひどい状態の人でも
求道できる条件をつくりたかったのではと思っています。そうでない限り、家畜状態で
水も道路の水溜りからしか飲めなかった人々が真理を求めるというのはかなりの無理が
あると思います。出家をあの当時は方便として打ち出す必要があったのではと感じます。
出家で平等と同じものをえられたのではないでしょうか、自由も・・・
613 :
名無しさん@3周年:04/03/15 19:03
私が問題に思っているのは
悟ってない奴が、「ちょっと悟りにかすった」くらいで
自分のちっぽけな悟りをのうのうと公共掲示板に書いちゃうことです
自分のさとりは低レベルなのではないか?
悟りをまちがって伝えてしまっては大変だ。
と畏れを抱いている謙虚な人ばかりであったならば、
間違いの宗教を悟りとして伝えるようなことはなかったはずである。
ところで、わたしは悟っていると言っているが、
自分が悟ったことを断言するまでに悟ってから10年を要した。
>>609さん、悟りとは、他人事ではありません。
あなた自身が悟ることなのです。
「仏」とは何ですか?悟った人、悟った状態、のことではないのですか?
あなたは「究極の悟りのみ」を悟りと言ってるのですか?
二元論的にしか悟りを考えることは出来ないのですか?
寺もあなた自身を指しているのではないのですか?
向こうもこっちも無いと思います。
>>610 578さん。
あなたはなぜ、上ばかり見ているのでしょうか?
なにか勘違いをしていませんか?
あなた自身も“成熟度”を測れないと言っていますよね。
それは基準がないと言うことです。
では、3年前のあなたと今のあなたの“成熟度”の違いを
どのように測るのでしょう?
時間が経てば“成熟度”は上がると言うことですか?
長く生きていれば良いと言うことですか?必ず成熟するのですか?
比較する過去の自分はどこにあるのですか?
その時のあなたの全体を、今と比べて“成熟度”が低いと判断する材料が
どれだけあるというのですか?どのように比較するのですか?
俺なりに考えましたが、
程度の差はあれカースト制度は自分自身を縛っているエゴ、とか思考系に
似ているのではないか?それを全て捨てる事によって本当の自由を手に入れる
事ができるのではないかと思います。
>>all
sage進行でお願いします。反対があれば話し合って決めましょう。
616 :
こんにちは:04/03/15 19:35
>609
貴方の仰っていることは、否定しません。そうだとおもいます。
ただここでは、そういう世界のスレではありません
お寺にお参りして仏がこられるという話はひていしません。
ここのスレのテーマでそこまで踏み込むことは、混乱がおきます
寺に来ている仏が見える見えないという話で多分やりあうでしょう
貴方にはそのことが分かっていても、それを表明してもそれが分からない
見えない人は、かならず神の存在証明的な論争になると思います。
ここのまじめな精神的求道の雰囲気を大切にしたかったのです。
私は霊的な存在を否定するつもりは全然ありません。
寺に仏様がくるということに対してはあなたの言うとおりです。
でも、来てくれたからと言って悟れるというのはちょっと無理な感じがします
当時、シャカが目の前で言わば生き仏として存在しているときに
悟りを得られなかったひとも居ます。寺に参って、仏がほんとにきていると
100セント信じるだけでなく確信するだけの霊的感覚で仏をとらえ
その大いなる慈悲の抱擁のなかでしっかりと仏の心を感じ取っている人もいるでしょう
貴方もそういう一人だと思います。でも、そういうことを表明したとたんに拒否反応を
するひとがいることをだれよりもあなたがご存知だとおもいます。
617 :
名無しさん@3周年:04/03/15 19:36
>612
つづきです
そういうことから無縁のひとに求道の心だけで関わっていくことがとても大事な時代だと思います。
あなたの霊的感覚の感動を伝えたいという熱い思いは良く分かります。でも、今ほど
霊的なことを語るとカルトとして危険しされているなかで、それを表明することは
とても慎重である必要があるのではないでしょうか。貴方はつよいですが、普通の方が
「仏さんが出てくるからお寺に行くわ」と言ったらカルトに被れたといわれ、社会的にとても辛い目にあうでしょう
「仏への信仰が本当ならそんなことはどうでもよい」とはいえるでしょうが、その人の環境の軋轢をかんがえると
とても簡単には言えません。そういう感覚の準備が整ったかたにそれとなく、一般に秘めた形で示されることが
だいじだと私は思っています。ここのスレの方の立場をかんがえると、こういう下記子は極めてつらいのです。
真理は真理だと思いますが、押し付けても逆にその真理は押し付けられた方の中で死んでしまいます。
真理はものごとを活かせますが、また殺すことができる力があると思います。
こういう書き込みをしたことを、このスレを立ち上げたかたにお詫びします。
そして、貴方にも失礼をいたしました。共通確認のできない話題は、オープンな場所ではとても誤解と無駄な戦いを産む危険性があります。
お許しください。 ちょっと、はずします。
618 :
こんにちは:04/03/15 19:39
617はわたしです ハンわすれ
616のつづきです 612のつづきではありません ごめんなさい
sageって何のことか理解していない人がいるようですね。
****メール欄に半角英数で sage と書いてください****
スレッドが上がらないため、通りすがりの荒らしや
過去スレを読まないまま無関係な話を書き込むような人を避け
スレが荒れるのを防ぎます。
>>612 こんにちはさん。
>608で書かれた内容にその答えがあると思います。
そうですね。w ついうっかり答えてしまいました。w
というか、その先を考えて欲しいということでもあるんですけどね。
>出家は真理を悟るの絶対必要かという論議もあろうかと思います。
>わたしは、そういう真理探究の生活形態についてはあまり興味がありません
私が話した事における「出家」とは、バラモン教のカースト、
簡単に言えば“家柄”“家系”から出る(カーストの呪縛から自由になる)
ということです。
そしてこれは、あくまでも比喩(メタファー)であることを察してください。
決して、今ある宗教(宗教団体)の仏教における出家でも、
新興宗教、カルト宗教、ニューエイジ系における出家およびそれに類するもの
のこと、を指して言ってる訳ではありませんので。
そんなものはどうでも良いことですので。(興味無し)
それよりも、今の時代においてのカーストを考えてみる方が良いですよね。
学歴社会ですか?キャリア支配ですか?資本主義ですか?セレブですか?
それに対する「出家」って、どういうことですか?
新しい主義を打ち出し革命を起こすことですか?
あなたにとっての「苦」は何ですか?その原因は何ですか?
その「苦」から解放(解脱)するためには、何を悟れば良いのですか?
たとえば、生死による「苦」が、最終的で重大な「苦」であるなら、
それよりも“些細な”「苦」に対して悟ることは多少は簡単そうですね。
逆に言えば、それに答えられないようでは、最終的な「苦」にも
答えられないですよね。だから、身近な「苦」から取り扱っていくのが
実感を伴った「悟り」を得ることにつながる訳です。
>>614 平凡さん
何か論点がずれているように感じます。
平凡さんは、感情的になっているのでしょうか?
感情によりわき上がり、膨れあがったご自身の妄想を書き込まないで下さい。
こういう部分を気を付けて見るのが、悟りへの道ではないですか?
私は選民主義の話をしているのでもなく、成熟度の話をしているのでもありません。
真理としてどうなのか?という話をしているのです。
悟りの真理として、今生における先天的な素質があるのではなかろうか?という話です。
>620
出家については、現代の状況では進攻州境そのたで問題になっていますが、それとは関係なく
先ほど言ったように時代状況にあわせた方便とすれば必要のない時代があってもおかしくはないと思います。
実際、シャカは在家でも求道はできるといってると思います。在家に関しては、大体どの時代でも可能だと思います。
今の時代はシャカから2500年たっていますが全ての環境があまりにも違いすぎると思います。
そこでの出家というのは、それだけでも考えにくいのですが、
当時、シャカがいるから出家したんですよね。今、シャカと思える人が教団を作っているというならそれはそれで自由ですが
あなたにとってシャカがいて、貴方に出家を求めていますか。その状況がないのなら、出家について考えても具体性がないのでは。
亜砂利さんみたいに山を走りまわることが出家というならその道をいくしかないと思います。
肉体的苦行を解かなかったシャカの教えはその当時のシャカの方便で現代はその必要性があるという人は実際に苦行しています
それで、霊能力はつくかもしれないけれどシャカの到達した境地に達せるとは私にはおもえません。
シャカは菩提樹にいく時は死の手前まで苦行をして、悟りに苦行が必要ないといいました。
それを否定する人は、苦行するでしょう。それをしたい人は勝ってですからとめることはできません。
今の時代で出家し托鉢して寺に住んでもそこに釈迦に匹敵する存在がないのです。ボウサンがシャカと同じ境地だと思われるなら
そのかたのところへ弟子入りすればいいことだと思います。そんなことだれも証明できないからです。
とても人が良いからシャカと同じ境地だといえなくわありません。その人と師にあたるひとの問題ではないでしょうか。
一般論で出家を考えてもなんにも答えられません。出家するしないは個人の決断にかかっているからです。
第三者は評価したり、断言したりできますが、強制は出家の性質上意味がないと思います。
長くなるので、苦については別にします。
>それを全て捨てる事によって本当の自由を手に入れる
>事ができるのではないかと思います。
捨てると言うより捕われない事でした。地位や階級は捨てる事は
出来ますが、感情や思考(エゴ)は捨てる事はできませんから。
>>619 ありがとうございます。
>>621 578さん。
そうですか。私が感情的に見えるのなら、それで結構です。
何も問題はありません。私には私の悟りがあるだけですから。
>悟りの真理として、今生における先天的な素質があるのではなかろうか?
もう一度言います。あなたの言われる意味での「素質」は無いです。
必要ありません。
>>622 こんにちはさん。
どうも私の言ってることを曲解してらっしゃるようです。
私はこのスレで発言した最初から、苦行も出家も必要ないと言っています。
「苦」を無くすことのみです。そのための取り組み方の一つの例です。
釈迦を取り上げたのも、「悟り」を得た人の参考例、先輩という以上の
意味はありません。読み直してください。お願いします。(涙)
>620
生老病死という四苦ですが、この四苦は行ったところでどんな人にも訪れるでしょう。釈迦でであってもです。
人間の人生が個性的なものになる枠組みみたいなものだと思います。
病が一生のうちで無いという人がないとは言い切れませんが、まずあるでしょうね。
それから八苦になるもうひとつの四苦があります。
愛別離苦、これは苦しみだけど我慢できますよね。辛抱できます。怨憎会苦、
これも別に耐えれますよね。いやな会社の上司といつも会ってますよね。
求不得苦、ローンもあるし辛抱くらいできます。五蘊盛苦、食欲も性欲も辛抱しても死にません。
そんな深刻にならなくてもやってけます。
そういう四苦八苦的なものは、現代ではそんなに重要でないというと大変語弊がありお叱りを受けますが、
現代の人は、こういう四苦八苦とは違う苦しみというか渇望があると思います。
自己実現・能力・才能・生きがいです。これがあれば八苦の後半分はほとんど文句を言う人は少なくなるんじゃないでしょうか。
この方面は、セミナーなどで盛んにやっていますね。州境も取り入れているんじゃないでしょうか。
この自己実現・能力・才能・生きがいが新しい現代の四苦ではないかと思います。
これが、咲き誇る個性の花となって人生を謳歌できれば「苦」がどうのこうのという話は現代人からは出てこないと思います。
自己実現・能力・才能・生きがいの4つが花咲いたら「バッチグー」といってOKサインをだすと思います。
そして、この個性の花で他の人と寄せ植えのように咲けたらどんなに喜びが溢れるでしょうか。
私にとってもこの4つの苦るしみの種が花へと成長できればと思っています。
活かしあえる個性・支えあえる能力・咲き誇る才能・手応えのある生きがい
これらに勝るものがあるでしょうか。この苦の種は喜びの花へ向かってもがいています
この苦しみが現代の苦かもしれないと思っています。
貴方のほとばしる精神の求道に何がしかの刺激になりましたでしょうか。
長々と勝手なことを書いてしまいました。
>>624 平凡さん
>>>悟りの真理として、今生における先天的な素質があるのではなかろうか?
>>もう一度言います。あなたの言われる意味での「素質」は無いです。
>>必要ありません。
と、平凡さんは、個人的に決めている事ですね。
了解しました。
しかし、
>>562でこんにちはさんが、
>>悟りの先天性の話はなるべく公の場では触れないほうが賢明です
といい、
>>578で、
>>あなたが言われることを否定はしませんが
と言われているという事は、「無い」という事ではないように思います。
真理を見る目、真理がいかに厳しく、苦しくても目をそらさないで見るという事が、悟りであると思われますので、「無い」とか「必要ない」というのは、私には残念ながら理解できません。
それは、つまり苦を「無い」「必要ない」として見ないことと同じでは無いでしょうか?
苦から目をそらす方が、このスレを仕切っていらっしゃるのも不思議ですが、ここはにちゃんねるですので、そういう事もあるのでしょう。
>625
わかりました ごめんなさい (涙ふきふき)
>>627 578さん。
なるほど、あなたはそこに拘ってらっしゃったんですね。
ごめんなさい。実は>562でこんにちはさんの言われたことの意味が
よく解らなかったんです。(汗)その後のこんにちはさんの説明で
意味が解ったのですが、あまり重要視していませんでした。(汗)
私は悟りには興味がありますが、真理の追求にはさほど興味はありません。
それに、苦から目をそらすことも言ってないと思います。(涙)
このスレを最初からお読み下さい。
ソレカラ、私はこのスレを仕切っているつもりはありません。念のため。
>627
すいません。スレでたくさんかってなことを書いてしまいました。
別にしきるつもりはございません。もう去ります。
それと、はじめの資質云々でだいぶ論議をかもしだしたようなのでお詫びいたします。
最後に、なぜ私が562の最終行で言ったかともおしますと。
他の板でもああいうはなしが出てきまして、州境関係者だけでなく様々な政治的団体の方など
入り乱れてサベツ問題として大騒ぎになりました。求道者の中だけで今世は悟れる云々のはなしでも
様々な考え方の人たちからすればサベツ発言として許せないというという一方的反発が起こり
弁護士に報告し、板を立てた方のログを探って、制等へ連絡するぞというオドシとも思えるレスが
波のように押し寄せました。まったくの誤解ですが、タイミングが悪いとこういうことになります。
私は貴方が、センミンだとかサベツがあるとかは一つも思っていません。
上記の状態をおそれたからです。
実際に、その話で過去にかなり宗教者自身がたたかれたことがあります。
大変な事態になるらしいです。貴方の純粋で熱心な求道の姿勢を否定するきなどもうとうありません。
あなたの真剣な求道への情熱は
「真理を見る目、真理がいかに厳しく、苦しくても目をそらさないで見るという事が、悟りであると」
というお言葉ににじみ出ています。決して、貴方を非難しているのでないことをどうかご理解くださいませ。
私の不用意な発言で貴方を苦しめたことをおゆるしください。
では、お元気で、貴方様の情熱は必ず実ることとおもいます。大変しつれいいたしました。
さようなら
>>627 >真理を見る目、真理がいかに厳しく、苦しくても目をそらさないで見るという事が、悟りであると思われますので
平凡さんが言っているのは、苦しみが何故苦しみになるかという事です。
人から聞いた話では、どんな苦しみにも負けない絶対の安心に到達する事ができるそうです。
それは苦しみの根源が自分の中にあるからです。それに捕われなくする事を階級社会からの
離脱を例に言っているのです。(未熟者なので指摘があればお願いします)
632 :
アルジュナ:04/03/15 22:33
私は哲学的興味が強くて、しゃべり過ぎると他板への遠島を申し付け
られそうなんで怖いのですが、
選民思想でも、霊的成熟度でも、先天性の問題でも、なんでも議論し
たらいいと思うのですが、何か裏付けがないと、あくまで“ことば”
について議論してるだけなんじゃないかと思います。
584 こんにちは さんが確認されてるように、このスレは
>悟りや気付きについての体験やそれが何であるかを
>語るスレッドです。
>不思議な体験やそれによって様々なことを得られたら
>それも語って見ましょう。
ということで、私は、まさにマターリと、おおらかに“悟り”や不思
議な体験について話を聞かせてもらい、参考にさせてもらえればいい
なと思ってます。間違っているとか、間違っていないとか、それも、
論争の修練としてもやるのも結構かと。ただし、個人個人が眉につけ
る唾を持っていればいいわけで…。とにかく体験を語ってほすい。
>626のこんにちはさん。
後半で書かれていることについて、
>>273の◆BD/.VOmZgUさんの質問に
対する答えですが、
>>275をお読みいただけると有り難いです。
「苦」とは、そんな生易しいものではありません。
>628のこんにちはさん。
すいません。私、こういう言い方しかできませんので。
>>632 アルジュナさん
sage進行でお願いします。反対があれば話し合って決めましょう。
>>619
>>619にはsage進行について書いてあると言いたかっただけです。
636 :
アルジュナ:04/03/15 22:58
>> 630 先天性の問題について、いろいろあることがよく分かりました。
561 で私が「先天的」という言葉を使ったのは、もちろん、非日常的な体験
をする場合でも、人によっては、修業などの特別の訓練を積むことなしに、
他の人より容易に一定の境地に達し得るのではないかと思ったからです。
ただ、これが“こんにちは”さんが報告されたような騒動になるというのは、
それは悟りとか仏法に対する機縁を欠いた、餓鬼とか修羅の世界ですね。
オフェンダーになった方々は、未来永劫の生死流転が約束されたと見るべき
でしょう。
仏教自体が、宗教ではなく哲学に近しと言われているくらいですから、悟り
の探求は、クールで知的なものだと思います。(これも言葉の議論か)W
もっとも、世にも奇妙な物語への関心も失わず…。
>> 634 当方、配慮欠きました。了解です。
>>637 アルジュナさん >>all
俺が勝手に決めた事なので、ご理解頂きありがとうございます。
>631 ◆BD/.VOmZgUさん、フォローありがとう。
しかし、あの質問(273)からずいぶん時間が経ったような、
経っていないような、不思議な感覚がありますね。
その間に、いろいろな物語があったな〜。
>633
もう去るつもりでしたが、後ろ髪ひかれる書き込みを見てしまいました。
一言で言うと「よろこびだけの**」は無いということだと思います。
**には社会・人生・恋愛・仕事などいろんな言葉が入るかと思いますが
そうなんでしょうか。たしかにそのとおりだと思います。
ただ人間の歴史を見るとたたかいの日々であります。今もとてつもない殺戮が起こっています。
戦争状態でいつ殺されるか分からない人々には、苦しみというより日々恐怖だと思います。
その状態からすれば我々の日本の苦しみはまだありがたいのかもしれません。
でも、日本の中で精神的な苦しみからぬけられない人たちにとってはやはり苦しみでしかないですよね
これから言うことは、ひょっとしたらかなり反感をかうかもしれませんがあえて書き逃げですが書きます。
これ以上いるとなんか私が嵐の元凶になりそうで申し訳ないです。
>640
つづきです
苦しみの話ですが、一つにはそんなものは無いということです。苦しみだけではないということですが
喜びもあるから苦しみもあるといってるわけではありません。そんなアリキタリのことを言うとみんなに放り出されそうです
苦しみというのはある一つの一面にしか過ぎないということです。四苦八苦というのはシャカにとって出発点です。
そして、その答えとして解脱だとか悟りがあるわけです。そしたら、その苦しみはどうなるんでしょうか。四苦八苦のシャカは
解脱しました。その悟ったシャカの中で四苦八苦はどうなったのでしょうか。消えてなくなったのでしょうか。
無痛症のように感じなくなったのでしょうか。こころの無痛症でしょうか。違うと思います。他の何かに変わったという言い方は
事実とは違いますが、外からシャカを見たとき四苦八苦は消えてなくなったように見えたかもしれません。
でも、四苦八苦を感じるこころはシャカにはあるはずです。その裏側には生きる喜び・死ぬ時の充実感・老いる精神の深化・健康の健やかさ
悟った弟子の自立による別離・仏陀を否定するものたちへの説法の喜び・与えられたものを人々に捧げられる喜び・食べることで命を維持し活動できる喜び
最後の性欲は彼の中でどんな喜びに変わったでしょうか、性格には性欲の苦の裏にどんな喜びがあったでしょうか。
ここまでいうと問題があるやもしれません。控えます。みなさんはきかなくても分かるでしょうし。
これは四苦八苦の裏版ですね。でも、平凡さんやみなさんが指摘される苦というのは他にまだあると奥深くで思われているのではないでしょうか
その苦については、とてもここで表明することは、量的にも、状況的にも、かなりの誤解がでると確信します。別にモッタイブッテルわけでないことを理解してください。
私も、ここまで来るとは思ってもいませんでした。長くなりました。では、さようなら ありがとうございました うれしかったです
>>632 アルジュナさん。
>>608で私が話したインド体験も、私の悟り体験の一つなんですけど。(汗)
一週間ほど悩み苦しんだ結果、到達した答え(悟り)です。
>>631 ◆BD/.VOmZgUさん
>>平凡さんが言っているのは、苦しみが何故苦しみになるかという事です。
>>人から聞いた話では、どんな苦しみにも負けない絶対の安心に到達する事ができるそうです。
苦しみが何故、苦しみであるかというと、一つには、苦しみがあると自己が思いこんでいるからです。
もう一つ、通常、苦しみを感じるのは、自らが作り出した、幻想を真実と思いこんでいた状態で、本当の真実に対面した時です。
幻想を創り上げるのは、何も自覚の無い人間が自己と思っている部分の存在、つまり、思考や感情や感覚です。
ですから、思考や感情や感覚が、自らが作り出した幻想であるということを理解し、真理や真実を見つめ、日々を過ごしていけば、苦しみは無くなります。
しかし、私はそれだけでは、悟りではなく、その先があると思います。
その先に何があるのかは、知りませんが。
ご存じでしたら教えて下さい。
645 :
自作自演ハンター ◆guDHfEOVhQ :04/03/16 02:47
ROM記念
>>636 アルジュナさん。
>他の人より容易に一定の境地に達し得るのではないかと思ったからです。
>624でも書きましたが、素質とか先天性とか、そういう考え方は捨てた方が良い
ように思います。それは単純に、自分とは関係(縁)がない、自分がそういう努力を
をしても報われない、厳しい修行(w)が待ってそうで挫折しそうだ、などの
「言い訳」にすぎないからです。そういう安心の求め方を否定はしませんが。
私の体験では、巡り合わせ(縁)としか言いようがありません。
しかも、同じ体験(同じ体験というのは厳密にはあり得ないが)をしても
それ以外の個々の体験の違いや、それらによって培われた性格などによって、
千差万別の変化がある訳です。「あみだくじ」みたいなものでしょうか。
しかも、拒否権(選択権)のある「あみだくじ」。
全ては関係性の中に存在しています。この辺りは「般若心経」を読んでみても
良いかもしれません。深入りしない程度にですけどね。(解説は注意が必要!)
(続き)
>仏教自体が、宗教ではなく哲学に近しと言われているくらいですから、悟り
>の探求は、クールで知的なものだと思います。
今の大半の仏教は宗教でしょう。他の宗教よりは哲学“的”かもしれませんが。
私は、仏教と釈迦を分けて考えています。違うものとしておいた方が良いように
思います。釈迦の悟りは、更に哲学“的”と言えますね。
哲学“的”と言いましたが、では、哲学とはどう違うでしょうか?
全てとは言いませんが、哲学ってヘッドトリップ(妄想)や屁理屈を
組み合わせて、真理とか一般論に構築していくものではないかと
思っています。(あくまでも私の見解ですが)
それに対し、悟りの探求は「個人的な実践を伴った思索」です。
結果として真理に到達することもあり得ますが、それが目的ではありません。
あくまでも、「苦」を無くすことではないでしょうか。
アルジュナさんが、「悟りはこうであって欲しい」と想像を膨らませるのは
自由ですが、それは「願望」と、その反対の「言い訳」による妄想です。
(続き)
他人の体験を聞きたがるのも、同じ原因からです。
もう一度、自分の心の中を観察し直すことをお薦めします。
649 :
こんにちは:04/03/16 12:26
こんにちは
さようなら
悟りですが、菩薩と話しが出来るように成りました。
思うに、諸天、諸仏と話しもできないようでは悟りを話すのはまだ早いような
気がしますよ。
祈りに行く殆どの場所でそこの仏と話しが出来る様に成りましたよ。
想像で悟りを話し出鱈目で他の人を導いてはいけないと思いますよ。想像思考錯誤
はいいが、それは自分の中だけでやって、他人には悟りの間違いの無いものを教
えた方がいいでしょう。他人に迷惑ですよ。嘘を教える事が。
武男は基地外としかいいようがありません。
>>651 では何故、どこが出鱈目なのかそこから話さないのですか?
654 :
こんにちは:04/03/16 20:25
さきにゆく たかきそらより みおろしは ぼさつほとけの なみだにきえる
655 :
こんにちは:04/03/16 20:32
へいぼんに あゆむすがたに てらしゆく ほとけのひかり いずこにあらむ
くるしみは しょうごのちえに ふりそそぐ ぼさつのちえの いざないのみて
聴き手が静かにしてるとすぐ布教が始まっちゃうの・・・
657 :
こんにちは:04/03/16 20:40
>653
はすのはの ちえにしみいる いつくしみ ともにあゆみて あらたさとらむ
俺たち聴き手としては出鱈目が書いてあるというのは何の意味も無い。
誰の発言のどこが出鱈目なのか、何故出鱈目なのか、それが分からなければ
迷うだけだ。
(´-`).。oO(瞑想して喜びと悲しみを受け止める事を考えよう。)
無意識に種を撒く
という事も大事らしい。
道教では無限の時間と無限の空間を表す円が
陰陽の定理によって枝分かれするという。そして森羅万象は
陰陽どちらかに分類される…らしい。
喜びと悲しみを同時に受け止めるとは陰陽によって分かれた物を
一つに統一する事を意味しているのだろうか?
つまり、無になる事と同じなのだろうか?
661 :
名無しさん@3周年:04/03/16 21:16
>>656 聴き手は常に今の状態を訴えてすべき事を聞き、
分からない事を質問しなければ答える方も答えられない訳ですね。
その隙に布教が始まる?
最近ちょっと怒り過ぎた。無意識に怒りを覚える事を植え込んで
しまったかもしれない。
663 :
こんにちは:04/03/16 21:21
>659
>無意識に種を撒く
>という事も大事らしい。
ひょっとすると
無意識に種があるから
その種が
>無意識に種を撒く
>という事も大事らしい。
と思わせるのかもと思ったりもします
はやくこの種を見つけてくれと叫んでいるかもしれませんが・・・?
664 :
名無しさん@3周年:04/03/16 21:23
>>663 よく分かりませんが、
苦しみが拘り、捕われから生まれるように無意識にも偏見を持つなと
いう事ですか?
>>あなたにとっての「苦」は何ですか?その原因は何ですか?
その「苦」から解放(解脱)するためには、何を悟れば良いのですか?
たとえば、生死による「苦」が、最終的で重大な「苦」であるなら、
それよりも“些細な”「苦」に対して悟ることは多少は簡単そうですね。
逆に言えば、それに答えられないようでは、最終的な「苦」にも
答えられないですよね。だから、身近な「苦」から取り扱っていくのが
実感を伴った「悟り」を得ることにつながる訳です。
抜粋して書くが今までの平凡さんの悟りの事を粗方いっている。
彼は悟りを語り教えているがそれは生活の知恵じゃないかと思っているということ
僕は彼が哲学的だと思う。哲学は自分の有り方を説いている物で有って悟りとは
違う。自分の生き方だけを書くならいいが、釈迦等を書きこみの内容使っている
のでそう書くのならば仏教で言う所の悟りを書かねばならないと思う。
色々書いているのを見ているが、彼の文は哲学であるんじゃ
ないだろうか、「全ては関係性の中に存在しています。この辺りは「般若心経」
を読んでみても良いかもしれません。深入りしない程度にですけどね。
(解説は注意が必要!)」と有るのも般若心経に深入りすると悟りから遠ざかる
イメージさえあるのが、自分としては疑問だ、むしろ深入りする所に悟りはある。
お寺で僧が般若心経を深く勉強して日夜読んでいるが、彼らのそういう勉強をも
否定するようなものだろうか、と思った。
平凡さんにはスマンが貴方のは人間としての有り方だ、自分と云う物をを持つため
の生き方だと云える。スレを1から読んでそう感じた。自分と云う物が出来た時
悟ったというのだろうか?ここはそういう生き方を書くスレだった?
667 :
こんにちは:04/03/16 21:44
>665
すいません、ややこしいことを言ってまいました。
もっと積極的な意味でいったつもりなんですが
だれでも、今世の人生のテーマのために
すばらしい種をもっているけれど、その種が芽吹く時期に来ているのに
その種に目を向けないことがあると、その種がもう目をだしたいという
メッセージのかわりに自分自身が
>無意識に種を撒くということもだいじらしい
という形で、言わば自己メッセージを発信することがあるかもしれないと
言う意味のつもりでした。
608 = 642 平凡さんへ
私方、単におねだりしてるだけの書き込みしかできないので汗顔の至り
です。丁寧なご回答ありがとうございます。平凡さんの体験について、
とりあえずの感想を述べますと、
インドでのご体験には驚きました。しかし、別の世界ではこんなことも
行われている、あるいは苦とはこういうものであるという発見と、悟り
と一般に言われるものとは、別種のものではないかと思います…と単純
にお返ししようと思いましたが、しかし、
> 身近な段階での「悟り」とは、このような事だったと思われます。
と書いておられるところが気にかかりましたので、も少し考えてみるこ
とにしました。皆さん、思い付きをどしどし書いておられるようであり
ながら、一語、一語思考過程をきざみ込まれておられるようですので、
感想ひとつ述べるにも、慎重な読み込みを要します。
>>666 >スレを1から読んでそう感じた。
苦労と努力、ありがとうございます。
>ここはそういう生き方を書くスレだった?
>>13氏の言うような、まず天通へ通ずる悟りを話したいと思ってます。
しかし、俺はまだ未熟者なので何が悟った者が言う事が分からないのです。
平凡さんの言う事も参考にはなっていると思っています。
>>667 わかりました。
>>666 >>669の続きですが、それだけに様々な人の意見を参考にし、
自分の身体で悟りを目指そうと考えている訳です。
気付き(小悟)で認識力を身につけているつもりですが
俺にとってその先に悟りがあるとは限りません。欠けている部分があれば
指摘して欲しいとねだるのが実情です。
訂正
>俺にとってその先に悟りがあるとは限りません。
→俺にはその先に悟りがあるかは分かりません。
>>654 こんにちはさん。
この歌はどなたの歌でしょうか?
出来ましたら、簡単な訳もお願いしたいのですが。
673 :
こんにちは:04/03/16 22:46
よく悟りへの道を山登りにたとえられることがありますが
そのアプローチに法門が8万4千とか言われています。
それを全部チェックするというのはちょっと無理かと思いますが
アルジュナさんや平凡さん、BD/.VOmZgUさん、みんなだれでも
そのアプローチが違うのは当たり前だと思います。
自分のアプローチの違いをはっきりさせていく作業というものがあってもいいような気がします
私も、まだまだ(towani)修行しなければなりませんが、いつも自分のアプローチがどこらへんにあるかを探っているつもりです
山を登る時のアプローチに似たアタックの準備も異なると思います。
そのルートの違いによる準備された道具立てが、他の人に役立つこともあれば、あまり必要性のないこともあると思います。
この自分自身のアプローチが今現在どんなものか、これからどういうアプローチに変更するかしないかということは
かなりそのアプローチを具体化するのに役立ちはしないかなあと思っています。
私の感想ですが・・・
674 :
こんにちは:04/03/16 22:50
>672
やっとでてきましたね さみしかったですよ
歌についてのお尋ねですが、ちょっとここで言う内容かどうか分かりませんが
歌は私が勝手にうわごとしました。
歌の訳についてですが
歌った本人が解説するというのは、大変恥ずかしく、またなんともいやな者です
それなりに感じていただければ嬉しいですが・・・
>>674 こんにちはさん。
素敵な歌ですね!!他の歌も含めて! 感動しております。
「みおろし」と「なみだにきえる」はどういう意味かな?と
確認したかったんです。
「みおろし」とは、「驕り」のことでしょうか?
それとも、全体で「慈悲」を歌っているのでしょうか?
お教え下さい。
あー知り合いが降臨してる悪寒・・・
>675
驕りでもあり、ただの指摘でもあるとおもいます
菩薩と話されるというかたの真偽は関係なく
仏があの方を使ってあなたへの真剣な求道にたいして答えたくて
次なる具体的テーマに気づいて欲しいというメッセージを
たくされたという解釈もあるわけです。
あの方がどんな方であれ関係はなく
貴方の今の探求にとってもっとも適切なものをしめしたいと
思う仏の仕業かもしれないのです
あの歌はあなたにうたったわけではありません。
でも、世の中に一番いやなことの中に私たちが求めている次の
悟りの境地へのメッセージが含まれていることがあります
私もずいぶんおもいしらされました。貴方みたいにそんなに真剣だったかなあと思い返します。
>>666さん、はじめまして(でしょうか?)
私は、水のようでありたいと思っています。
コップの水にも、ドブの水にも、地の底の水にも、深海の水にも、
氷にも、氷壁にも、湯気にも、雲にも、雨にも、雪にも・・・
その時、その場に応じて自由に姿を変えます。
そこに拘りはありません。
私が今ここで必要と思ったことを、思い付いたまま書いています。
何も考えていないようなもんです。
ですから、私の言っていることは、その場に応じた「提案」と
思ってもらって結構です。
当然、私が的を外すこともあるでしょうし、誤解をするような書き方を
してしまうこともあるでしょう。
また、受け取る側が誤解することもあるでしょう。
また、私も誤解をします。言葉とはそんな程度のものですし。
その中でのセッションを楽しみながら、学んでおります。
しかし、あなたは何も、一つの提案もせずに、批判をしているだけです。
外から批評する「評論家」でしかありません。
あなたはセッションに参加していない。
まずあなたは、人のことをどうのこうの言う前に、何かを語るべきなのでは?
>671
BD/.VOmZgU さん
>俺にとってその先に悟りがあるとは限りません。
→俺にはその先に悟りがあるかは分かりません。
この訂正に貴方の悟りへの冷静な客観性と誠実な無我への思いを感じました。
貴方はご自分をかなり内に秘められていますが、もって打ち出されたほうがいいのではと思います
今の悟りはステップに過ぎません。今の悟りは全て早く使い切ってしまったほうが
先ほどの種のことですが、双葉がもたげてくるのではないでしょうか
貴方の控えめで誠実なおこころはとてもここちよいものです
でも、悟りの境地を新たに切り開くためにこのスレにみんなあつまっていると思います
かなりつっこんだ話のなかで我々の殻が浮かび上がってくると思います
貴方のポリシーにたいして大変失礼なことをいいました。お許しください。
貴方のなかの種のことが気になってまりません。
勝手な感想ですいません。
あーやっぱりだんだん・・・
>>679 恐縮です。
実は書こうかと迷ったのですが、意識して拘ったり捕われたりするのは
面子が掛かってる人くらいで、普通はこんな疲れる事はしませんよね。
何かに執着するから苦しみが増すのですが、無意識のうちに執着心が
出来たりする物らしいのです。例えば何かの恐怖症とかギャンブルや
お酒にのめりこむような事です。
頭では分かっているのにどうしても身体を言う事を聞かない…
これは無意識に様々な種が育っているからだと言う事です。
(タバコやパチンコが止められないとか、真言宗の話を聞いたのですが)
>>13氏は怒りを捨てる事が悟りを求める上で必要になると言ってましたが、
私事ですが怒りは気にしなければそう起きる物ではないのが経験で分かってます。
それでもある事項については黙ってられない事がありまして、それは克服すべき
課題ではないかと思うのです。
ところで実はもっと早く寝るつもりだったのですが、このスレに拘ってる自分があります。
分かっていてもレスを確認して発言したいと思うと書いてしまう…
>>678 俺も
>>666さんの提案と言うか仏説を期待しています。平凡さんは批判に対して
謙虚な姿勢を持ってると俺は思いますので間違いと分かるからには
それを正していただきたいと希望します。
ところで色々失礼がありましたが、単に知識だけで話す輩との区別が付かなかったので
かまをかけてみたのです。ご無礼をお許しください。
>ところで色々失礼がありましたが、単に知識だけで話す輩との区別が付かなかったので
>かまをかけてみたのです。ご無礼をお許しください。
これは
>>666さんへのレスです。
>>673 こんにちはさん。
>よく悟りへの道を山登りにたとえられることがありますが
>666さんが言われるように、私の言う悟りは、皆さんの言われている悟りとは
違うのかもしれません。でも、実は同じかもしれません。
誇ることでも何でもないので、どちらでも良いのです。
その上で言わせて頂きますが、やはり、皆さん「悟り」を過大評価または
超人的に捉えているように思います。
なぜ、山に登るとか、上を目指すようなイメージを納得できるのでしょうか?
前に、インドでの体験を話した時に、追加で「糞掃衣」と「托鉢」の事を
取り上げました。まるで乞食のようだと。
これは不可触賤民と“同等またはそれ以下”になることを示しています。
私は、釈迦が何を示しているか考えました。
「悟り」を得るためには、最低の位置から観ろ、底の底から観ろと
言っているように感じました。
あなたは最低である。もう何も捨てるものも、拘ることも、驕ることも無い
ということを自覚しろと。
違うでしょうか?
そう思っていたら、こんにちはさんのこの歌です。
>さきにゆく たかきそらより みおろしは ぼさつほとけの なみだにきえる
684 :
こんにちは:04/03/17 00:35
>681
このスレに参加してから、貴方のその秘めたなかにあるものがとても気になっていました。
貴方の性格からあまり表明されないとは思いますが、平凡さんの「食いつき」にもにた
情熱はとても大事だと思います。でもそれは個性の違いでもあるわけで、同じ食いつきを必要だとも思いません。
ただ、貴方の中にある悟り、多分過去世の悟りみたいなものは古い悟りです。そんなものはさっさと吐き出して、
この新しい時代での悟りの種に芽吹きを与えるべきではないかと思います。時間はそんなにないと思います。
人生では、時間は限られています。無限ではありません。タイミングというものが、人生にはあると思います。
いつでも、悟りへの門は開いていますが、次の悟りの扉はタイミングをまっていると思います。私はそのタイミングに遅れたことがあります
だから、今はとても必死です。自分が悪いから仕方ないんですが、でもその経験は他の人に活かしていただきたいと思います。
すいません、貴方のことが気になってしかたありません。わけのわからんことを言いましたが、お許しください。
>欠けている部分があれば
>指摘して欲しいとねだるのが実情です。
というあなたの表明はここらへんにあるのかも知れません。
あなたの中で種がきしんでいるような気がします。よくわかりませんが、普賢菩薩あたりの悟りと関係してるような感じがします。
では、今日はZZZzzzです。失礼します
平凡さん
>>皆さん「悟り」を過大評価または
超人的に捉えているように思います。
これですが、悟りを大きく評価しています、超人的に捉えていますよ。
お寺に行っている人を見ていますか?そしてお祈りしている人の数々を、参拝して
居る人をみれば分かる。彼らは何を期待していますか?それが悟りの出きる事です。
仏の出きる事です。超人的でしょ。
>683
今まであなたの書き込みを見てきておもいます。
誰かに食い込んでいるすがたは、実は貴方が貴方に食い込んでいるという感じがします。
貴方は他の人に食い込みながらその中での葛藤を通して大好きな水のようにさらりと
自分の非をみとめ、新たに得た悟りにおごりなく喜びを感じてられます。そんな姿は
とても励ましになります。あなたの、「苦」「水」「哲学的」という側面はぐーちょきぱーのように
ぐるぐると法輪をまわしているようなきがしました。あなたの体験された現実の「苦」は
その聖なる三角形をまわす原動力かもしれません。
阿弥陀の請願を立てた阿弥陀如来は、もし下生したらどんな姿で出てくるでしょうね。
この答えは私なんかより、あなたが一番ご存知だと思います。
あなたは何時も自分で問い自分で答えを出しています。自灯明法灯明で歩んでいます。
私も、そういう貴方から学ばねばと、こころに激をどばそうと努力したいと思います。
ありがとうございました。
今日は、ZZZzzz...また、よろしく
>>678 平凡さん
>>そこに拘りはありません。
・水のようでありたい
・その場に応じて自由に姿を変える
・今ここで必要だと思ったこと
・思い付いたまま書く
・何も考えていないようなもん
というのは、平凡さんのありたい姿という理想であり、拘りの表明ではないでしょうか?
666さん、続きです。(書き忘れていたもので。)
般若心経については、あくまでもアルジュナさんに向けて言っています。
そのため、(解ってくれるだろうと)かなり省略した文章になっていました。
誤解させてしまってすいません。
あなたが般若心経を原文のまま理解できるのなら、それで良いです。
訳文が必要なら、本によってニュアンスが違うので、何冊か見た方が良い。
解説文に関しては、筆者の思惑が相当入っているので、注意が必要。
本気で研究するなら構いませんが、相当手間がかかります。
それで悟ることも出来るかもしれないけど、他にも方法はありそう。
私は体験を通して会得する方が無理がないと思う。
判断はお任せします。
という意味です。ご理解下さい。
>>685 >彼らは何を期待していますか?
救いという御利益です。その中に悟りを求めている人がどのくらいいて、
どれだけの人が成就しているのか、私は知りません。
また、あなたの言われる通りだとすると、新興宗教なども同じように
人を集めています。悟っているのですか?
>>687 「そこに拘りはありません。」と書いたのは、自説や提案に対してです。
「水のようでありたい」のは、理想と言うよりも、「拘り」です。
ずいぶん前に書いた通り、(私が言う意味での)解脱はとてつもない恐怖を
感じたので、逃げ出しました。そこにたどり着こうという拘りはないです。
ですので、今を楽しみたいと思っています。これは私の拘りです。
それでよいと思っています。w
>686 こんにちはさん。
>誰かに食い込んでいるすがたは、実は貴方が貴方に食い込んでいる・・・
その通りと思います。
その続きの分析は、買い被りすぎ、とんでもないです。(汗)
制御していたアナハタが、あなたのレスを読んだことで反応してしまい、
困ってしまいました。(汗)
691 :
こんにちは:04/03/17 11:29
>690
さとりより すくいをもとめ くにまつる せいしぼさつの あつきひかりよ
あなはたの はたははためき しらせどき どろにまみれし ほとけはいずこ
692 :
こんにちは:04/03/17 11:49
>691
くるしみの くうのくうなる かんじざい それよりあふる あつきしずくは
ほとばしる むせかえるかな あつきむね いのちきりさく そはなにものぞ
めざめゆく ふたばかんすい ときめきて ほとけなみだは むかえみずかな
695 :
名無しさん@3周年:04/03/17 13:37
>>693
あかねさす あずまののべに かがやける
わかききみが むねにこたえる
696 :
名無しさん@3周年:04/03/17 14:07
>695
あっちで、よみます
平凡さんの683の書きこみをみると悟ると何も無くゼロに成るみたいですね。
コマーシャルでゼロに成りなさいと僧が言っているのを思い出しましたが
それは欲をゼロにしなさいということです。
>>>彼らは何を期待していますか?
救いという御利益です。その中に悟りを求めている人がどのくらいいて、
どれだけの人が成就しているのか、私は知りません。
また、あなたの言われる通りだとすると、新興宗教なども同じように
人を集めています。悟っているのですか?
悟ったら何が出来るかと云う事を書いたんですよ、御宮やお寺でのご利益の話しを
しています。仏様は何が出来るかという事ですね。お寺や御宮で人々が行って期待
している事ができます。御宮で何を頼みますか?お寺で何を頼みますか?
それがご利益とよばれるものです。人々にご利益をもたらせる事が出来ます。
それが悟りですよ、弘法大師等思い出すのがいいかと、
>>また、あなたの言われる通りだとすると、新興宗教なども同じように
人を集めています。悟っているのですか?
ん?お寺や御宮で頼みごとをしにお寺や御宮に集まっている人は
新興宗教に行っているのと同じと言っているんですか?
悟りは護摩修行などにで行なうものでしょう。
698 :
雲 ◆mizu2vy5RY :04/03/17 19:21
ありのままの自分であることを悟るんだよ
修証一等
四苦八苦
ROMしながら考えています。
弘法大師は日本各地を回って人々を救い、伝説を残しています。
人間がそこまでに成れると言うのは分かります。
>>698 雲 ◆mizu2vy5RYさん
sage進行でお願いします。反対があれば話し合って決めましょう。
>>619 にはsage進行について書いてあります。
>>699 御宮でもいいんですよ、表現するならば御宮の数だけ悟りが有る。
ということかな。お寺も足して考えてね。
アルジュナさん
貴方の空についての思いを教えてもらえませんか
703 :
こんにちは:04/03/17 20:54
BD/.VOmZgU さんは、空についてどんな思いがありますか
よかったら教えてください
密教的な方のご利益と言うテーマと禅的な修証一等という話がでましたが
密教でも禅でも般若心経をとても大切にされてるとおもうんです
でも、一般人から見たら密教的世界と禅の世界というのはある意味、
仏教の中では最右翼、最左翼的な感じがするんですね。
でも、般若心経をある意味どちらもベースにしているように思うんですが、
そしてこの心経のなかでの中心的テーマが空だと思うんです。
仏教の中心に空があるのは当たり前としかられたら、「はい、そうですね、すいません」で
終わっちゃうんですけど、その空という中心からとうしてこんなに色彩の異なる
宗派があるのかなあと、一般人としては疑問に思ってしまうんですね
そういう意味で、空について何か思うところがあればお教えくだされば
とても刺激になるんですが、アルジュナさんなんか「空」について
かなり研鑽というか取り組んでこられたんじゃないかなあと思うんですけど。
密教-空-禅というこの連携というのはどういうところにあるのか
とても関心を示したくなりますね
>> 702
ノートにいたずら書きして遊んでいたところ、やおら先生に名前を呼ばれた…
そんな感じで、びっくりしてます。
皆さん、議論や思いの漂白が濃密で、話されている筋道をたどって行くだけ
でも、四苦八苦してるのが実情。「名無しさん@3週年」さんは、当然複数
の方なんでしょうね。ユニークな名前をつけていただくと、ご意見をたどり
やすいのですが。とりあえず、毎日拝読続けてます…。
706 :
こんにちは:04/03/17 22:25
>705
アルジュナさん
704の問題で空のことをもっとつきつめたいと思っているのですが
貴方のご意見をきかせていただければとても参考になると思うんですが、
いかがでしょうか、よければ聞かせてください。
>> 704
> アルジュナさんなんか「空」についてかなり研鑽というか取り組んでこら
> れたんじゃないかなあと思うんですけど。
否。そんな感想を少しでも持たせたとしたら、私は立派な詐欺師ですね。
単に、仏教を中心としたインド思想に興味があって本を読み散らし、生か
じりの知識でもって、皆さんの議論に間の手を入れている、というのが
実情です。「空」については、仏教という宗教体験を理論付けするために、
たとえば、ナーガル・ジュナなどの中観派の偉い論士さんが中心に据えた
概念だ…程度の知識、認識しかないのです。(一端改段します)
708 :
こんにちは:04/03/17 22:50
>707
私も偉そうなことはいえません。特別勉強したわけでもないし、「空即是色」は「食う即是色」だなんて言って遊んでただけです。
ボウサンにそれは何だときかれて「食うたら色気が出る」なんて言ってひんしゅくかってました口です。
709 :
こんにちは :04/03/17 22:53
,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
,. ‐ ヽ
,.‐´ \
/ ,l \ ヽ
/ l|, 、 、 |iヽ, ヽ \. ヽ
/ l i ! | i | |l'、ト ヽ iヽ ヽ ',
! | / | |. i |.|| i.|ヽ |、 | ', i i
! ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l .i| i
! i ,.|!,.+‐'"| | | |i} ' ュノェ|i,`i l.| i
l i l l |/;:=ニ|i l | /rj:ヽ\ i l i l
| | | ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!. ' {::::::;、! 〉iー | | |
| |i. | !; 〈 !:::::::c! `'ー''(つ }i | i.| |
| ! | | ;: (つ`''" 、 //// /;:i | | !. |
| i, i. 、//// ' /,ノi, i. |
! .| | i 、,ゝ、 、─, / i | |. i
.! | i |. | lヽ、  ̄ / l | i | !
! | i |i |l l| |`''‐ 、 , イ |i | |i | i |. !
| | i |i |i .| ノ ` ''" ヽ/l| l__,.、-|l l ! i、
,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l ' ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
/ ! l l ̄ ` 、_ | /ノi i.! |
,' ! | ,|/ |/i' |
i ` l .ノ ノ ' ヽ、 |
| ノ ,... ヽ、; ヽ-,
.! |:: :..゚..:: i: ゙゙''i
| l:: ゙゙" |: |
゙! |:: !:: ノ
色気なんていうとわなにはまってしまいました。
709さんみごとなタイミングですね
ごめんなさいね
711 :
こんにちは:04/03/17 23:00
なんか今日は、私は居ないほうがいいですね
ごめんなさい、寝ます。
707 承前
“こんにちは”さんの【提題704】には興味を覚え、書き込み意欲をそそ
られているのですが、全うな準備がありません。ただ、702 での「空」に
ついての思いを述べよ、とのご勧誘にお答えしますと、
ものであれ、ひとのこころであれ、縁起でなりたっている…ということは
恒常的な実体はない、これを言い換えれば、ものもこころも「空」である
ということですが、ただし、それは実体がないという意味では「有」では
ないが、何事かが絶えず現象しているという意味では「無」でもない。
だから、「色」は「空」に異ならないし、「空」は「色」に異ならない
という風に言われているんだろうな…と、現時点ではこのように理解し、
また、自分や自分の周りの世界をこのような視点で見る練習をしてみよ
う、などと思っているところです。
713 :
こんにちは :04/03/17 23:11
と思いましたがやっぱりまだ寝ません。
しかしキンタマは最高ですね。私はnyやってないので関係ありませんが(w
>>713は偽物です。
>>712 あなたのおっしゃることはさっぱり理解できませんね。
>自分や自分の周りの世界をこのような視点で見る練習をしてみよ
う、などと思っているところです。
そんな練習をする前に他人に理解できる言葉で思ったことを伝える練習をした方が良いですよ。
715 :
名無しさん@3周年:04/03/17 23:21
716 :
こんにちは:04/03/17 23:48
アルジュナさん
風呂に入って寝るまえにこのレスほ覗いたら
光栄なことにナリスマシさんがいました。からかわれる様になったらちょっとはイケテルかなと思います
今日はむりだと思います。 おやすみなさいZZZzzz
まっぽうの みよにうまれし わがみをぞ いずこにむけむ みほとけのみて
717 :
名無しさん@3周年:04/03/17 23:51
718 :
高島屋 ◆ZgEPjbSIEo :04/03/17 23:57
>>716 お前は「もう寝る」とレスして実際に寝たためしがないね。昔から。
>> 714
「何を分かりきったことを言っている」のかと返されるかと思ったのですが、
痛いところを突かれましたね。確かに、712 で書いた内容は、インド仏教史
の文脈の中で仕入れた知識ですので、自分は分かっているつもりでも、他の
人から見ると何も分からない、あるいは分かっていないと思われるかも知れ
ません。ただ、般若心経のことを書かれていたので、712 で書かせて頂いた
ような書き方で、充分理解して頂けると思ったという事情はご理解ください。
分かるように書けというご指示に対しては、もう少し噛み砕いてパラフレー
ズすることは可能ですが、それがいいのか、一端寝てから考えますね。
721 :
名無しさん@3周年:04/03/18 00:13
パラフレーズだってよ(プ
723 :
自作自演ハンター ◆guDHfEOVhQ :04/03/18 00:44
ほんとにわかりやすい奴だなぁ
>>703-704 こんにちはさん
>空についてどんな思いがありますか
色即是空の空ですよね。悟りのステップにおいて色とは個性の事、
空とはあらゆる存在に共通した物だと思っています。悟りとは無とも
言われました。常に自分をつめる→自分の感情や拘りを見つめ最終的には
個性の無い“空”最も基本的な自分によって自分を観察するものだと思います。
“空”は感情や蟠り(俺は心と感情は明確に区別しています)を持たない本来の自分
だと思っています。それを意識できるかが大きな課題だと思っているのですが。
>仏教の中では最右翼、最左翼的な感じがするんですね。
俺は密教に縁があったのでそちらの傾向が強いです。しかし、密教でも空海ほどの
人は天海だけらしく密教を極めた人さえ色々のようです。
>>684 >貴方の性格からあまり表明されないとは思いますが、
レスが控えめだったのは俺自身悟りに程遠い事が良く分かるからなのです。間違った事を
書いて人を惑わしたくないのです。このスレの最初の方には今まで経験で獲得した事を
書きました。
>>13氏にことごとくそれは悟りではなく人としての生を享受する物だと教えられましたが。
725 :
高島屋 ◆ZgEPjbSIEo :04/03/18 02:54
>俺は心と感情は明確に区別しています
感情と心が区別できるわけねえだろダニめが。
>間違った事を
書いて人を惑わしたくないのです。
その割には随分態度でかいね。黙ってROMってろ。
726 :
名無しさん@3周年:04/03/18 03:47
>俺は密教に縁があったのでそちらの傾向が強いです
君のレスには、密教とか悟りとか、そゆうのを醸し出す文体もないし語感もない
日常のなかで、人一倍オーバーに情が働いているだけ
情の引っ掛かりは、悟りには程遠いし、密教での縁なら現世利益といったところ
>>725 いきなり横槍入れて人を罵倒する人間に態度でかいと言われたく
ないですね。
貴方は悟りと関係ないですから黙っててもらえませんか?
>>726 >悟りには程遠いし
自分でそう書きましたが、読めませんでしたか?
>密教での縁なら現世利益といったところ
密教を勉強なさってないとお見受けします。加持祈祷だけが
密教ではありませんよ。
>>こんにちはさん
自分の悟り、というか悟りを目指して今居る自分の境地と言うか状態をもっと
出すべきと言われましたが、実は前スレ、前々スレで出していたのです。
仏教で言うところの人生における諸行無常、人間における諸法無我
そして悟りにはまだまだ足りない事です。
(それらの齎した行く末が何であるかはスレの住人には分かってる筈で通りすがりには
分からないでしょうが)
しかし、このスレに入り内容が核心に迫ったものになりました。自分自身を観察する事
これは最初のスレで俺も心理学の立場から言いました。その時感情と心は分けて考えないと
辛い目ばかり見ますよと説明もしました。でも悟りにおけるそれはそれに輪をかけて
深い心まで観察する事を知らされました。
諸法無我の意味を理解した時に自分の観察にブレイクスルーが起きました。色と表現すべきかも
しれませんが、純粋に自分と呼べるものは何一つ無い。もともと自分というのは空なのだと
わかりました。
俺はもっと深く、もっと深くと自分を探ろうとしている途中です。
>>分かる方
怒りは捨てるべきだと聞かされましたが
>>725-726(
>>726はタイミング的にとばっちりかも)
には一瞬頭にきました。俺的に言うと感情で心が見えなくなったのです。
しかし、その後自分のレスを見直してもっとこのスレを有効に使う事を考えました。
心は様々な姿を描いて悟りへ達すると十牛図や十住心で表現されています。
感情も良し悪しかもしれません。
それでも感情で心が見えなくなるような事が無い様、心の修行が必要だと思っています。
自分を観察する事がその修行になるものでしょうか?その他アドバイスを頂けたら幸いです。
>>712>>720 アルジュナさん。
抽象に抽象を重ねていって、ますます解らなく(解りにくく)なって
いらっしゃる気がします。
なぜかというと、途中にあるべき思索の過程が疑問もなく省略されている
からなんです。
解りやすい例を挙げてみます。ちょっときつい例かもしれませんが、
お許し下さい。
モザイク(抽象化)にモザイクを重ねていくと、肝心の一番見たいところが
ますます見えなくなりますよね。(笑)
だったらまず、体験してしまいましょう。
そうすれば、モザイクがあっても、想像(イメージ)出来るでしょ。(笑)
ということです。
究極の悟りはともかく(置いといて)、身近な、興味あるところから
体験と思索による悟りを得ていくところから始めれば良いんではないかと。
(続き)
ちょっと前に、私が言っている悟りは、ここで言うところの悟りとは違うと
言われた方もいらっしゃいましたが、
もし、真理と言われるものがあったとしたら、その真理は全てのものごとの
中に無ければなりません。身近で些細なことの中にも無ければ、それは真理
とは言えなくなります。
ですので、悟り(悟る)ということも、まず、不思議系の意味合いを排除し、
普通に言葉としての意味から見直していくことが、「体験への道」として
重要ではないかと思っています。
そういう意味で、
>>724 ◆BD/.VOmZgUさん。
言葉の理解に混乱をしてらっしゃるようなので、
もう一度整理してみてはいかがかと。
>色とは個性の事、空とはあらゆる存在に共通した物
まさにこれは、「色即是空 空即是色」の直訳と言えますね。
でも、この“矛盾”とも言えるトータリティーを理解するためには、
「色」とは何なのか?「空」とは何なのか?を、
実感する必要がありそうです。どう思いますか?
732 :
名無しさん@3周年:04/03/18 16:53
>怒りは捨てるべきだと聞かされましたが
>>725-726(
>>726はタイミング的にとばっちりかも)
>には一瞬頭にきました。俺的に言うと感情で心が見えなくなったのです。
浪と水を分けようとすれば、ますます繋縛に陥ります
隻手の音声を聞くのです
733 :
こんにちは:04/03/18 17:27
>>731 平凡さん
その真理は全てのものごとの中に無ければなりません。身近で些細なことの中にも
無ければ、それは真理とは言えなくなります。
身近な些細なもの事から真理を悟る時何をもってそれが本当に真理だと思うのです
か?本当か否かの違いを見分けられなければ進まないでしょ。
見分ける手段は真理を知っている」しかないと思いますね。つまり悟っている者に
聞くしかない。
間違いを真理と思いそれを受け止めてしまったら意味無いですがね。
>>733 空なんて簡単な事だよ、有(ゆう)だ、仏さまだよ。
ええと、欲を無くせば人はそれを空だと読んでいる。そう、欲が何も無い
事を空だとね。でも有だ、仏が有(ゆう)なんだよ。
>>その苦しみ全てを解き放つ「空」とは何でしょうか。衆生、阿羅漢、
菩薩、仏の全ての「苦」を解き放つ「空」とは何なんでしょうか。
それは仏の有(ゆう)だよ、上の文は菩薩と仏が入っているから分から
ないかもしれないけどね。
まあ、つまり空を探すのでは無く仏の有(ゆう)をさがせばいいのさ。
簡単な質問だったよ。
>>734さん。
そうですね。一つ一つ可能な限り実証していく必要がありますね。
それが釈迦の歩いた道だと思っております。
そして私はその道を選びました。それだけの話です。
ぼちぼちと、こつこつとやっていきますです。
あなたが、“悟ってる者に聞くしかない。”と思われるなら、
それで宜しいんじゃありませんか?問題なしです。
ただ、もしあなたがあなたの言われることを、このスレのタイトルに合わせて
語られるなら、「悟っている者の見分け方、証明の仕方」を披露する必要が
あるように思います。(出来れば、コテハンで)
悟ってない人を悟った者と勘違いしてしまったら意味無いですから。
>>736語られるなら、「悟っている者の見分け方、証明の仕方」を披露する必要が
あるように思います。(出来れば、コテハンで)
悟ってない人を悟った者と勘違いしてしまったら意味無いですから。
こんな所から話さなければ成らないとはね。
あなたの悟りですが、諦めを悟りとしているからですよ。
あきらめた時それが悟りでしょうか?自分には無理、不可能、出来ない。否定的な
ことが悟りなのでしょうか?では例えば自分には何も出来ないと悟った時それが
悟りだといえますか?悟りは無力では無い。
諦めは人生での行き方だ、ある意味は余分に多く求めずに生きていくというあり方
だとは言えますよ、そこは譲りましょう。そうして上の文。自分が何も出来ないと
思ったとき。云いかえれば、いまのままの自分を見つけた時でしょうか?それが
悟ったといえますか? それはいまのままの自分です。私はそれを生活の知恵だと
いいました。いまの自分から一歩も動かない事、進まない事。それが悟りでは無い
からだ。
さとりとは、そう、 育つ事だ。
釈迦は何年も掛けて、自分が自分であるということを分かった(悟った)分けじゃ
ないんですよ。 育つが抜けている。
私は自分のいろいろな体験を通して、いろいろな気付き(悟り?)を得ました。
それが正しいのかどうか実証していく過程で、般若心経と出会いました。
般若心経に照らしていくと、今と比べても、明らかな勘違いや矛盾が見つかり、
自分の考えを改訂しながら実証し続けています。
今の自分の考えは、今のところ般若心経との矛盾点が見つかっていない状態です。
そういう意味では、私は般若心経の(実証的)「信者」であろうかと。
>さとりとは、そう、 育つ事だ。
その通りと思います。諦めてはダメです。
739 :
名無しさん@3周年:04/03/18 18:53
俺は悟った事もないし、別に悟りたいとも思わないが、どんな世界だろうという興味
は有ったのでいくつか本を読んだ事はある。
俺の想像では悟りとは宇宙レベルの自然の摂理を体感する事だと思う。つまり「理解」
や「想像」ではなく体感=体験して体で感じる事だな。般若心境読んでも悟れない
だろうし、過去の偉い人の書いた本を読んでも悟れないと思う。ましてや座禅や写経
読経などは気分を鎮めるのには役に立っても悟りとは無縁の行為だと思うよ。
宇宙飛行士が地球の外から地球を眺めて悟ったりするんだろうな。修行僧では「音」
や「痛み」がきっかけで悟ったりするようだ。だから禅で棒や喝を手段として使った
んだろうな。弟子が師匠をぶん殴って師匠が喜ぶなんて、今の世の中では考えられない
がある意味健康的で羨ましいね。
741 :
木几龍之介 ◆.IC1Y2QQHs :04/03/18 20:51
(・∀・)ジサクジエーンってたのしいよな。
>>733 長文、お疲れ様です。大変参考になり、励みにもなりました。
何度か読み返してみます。もしかしたらちょっと質問をするかも
しれません。
>>731 >言葉の理解に混乱をしてらっしゃるようなので
確かに「悟りとは何か?」と聞かれてもハッキリした答えを
持ってません。
>「色」とは何なのか?「空」とは何なのか?を、
>実感する必要がありそうです。どう思いますか?
俺が気付きで諸法無我を理解した時に、自分がもともと「空」で
ある事は分かっても、「空」が何なのかまでは分かりませんでした。
「空」が実感できなければ「色」と「空」の区別がつきませんね。
>>737 >さとりとは、そう、 育つ事だ。
>釈迦は何年も掛けて、自分が自分であるということを分かった(悟った)分けじゃ
>ないんですよ。 育つが抜けている。
俺には時期早々の質問かもしれませんが、育つ事とは「空」が育つ事ですか?
純粋に自分と呼べるものが無いと思ってますが、実は仏としての自分?
を育てる事なのでしょうか?
>>742 正体不明の性病にかかって射精しっぱなしで氏ね 開いてると思いこんでガラス戸にぶつかり
氏ね 朝起きたら死ね 水たまりで溺れ死ね 缶ジュースがあけられず氏ね 幼女に踏み殺されろ
布団に押し潰されろ 銀紙を奥歯で噛んで氏ね 醤油一升飲み干して氏ね かくれんぼをやって
いつまでたっても見つけてもらえないで氏ね 好奇心からホッチキスで鼻と口ふさいで氏ね む
しろ布団圧縮袋に圧縮されて氏ね アナルに掃除機を入れられて吸われ氏ね 自動改札機に巻
きこまれて氏ね 昔の缶のプルトップで首を掻き切って氏ね プッチンプリンをプッチンしないま
ま食ってグリコに殺されろ 明るい街づくりに耐え切れず死ね 早く死ね 怖いもの見たさで氏ね
大根おろしで爪の先まですり下ろされろ カラオケで0点だして死ね 七つの傷持つ男に一瞬で殺
されろ スコーピオンのミロにアンタレス決めらて氏ね 犬猿雉の局所集中攻撃にあって氏ね 正
月番組のポロリ要員になって氏ね イチローのクリーンヒットをチンコに食らって死ね 1レスごとに
氏ね 蟻と数時間格闘して氏ね 尿道にガン消しのビームサーベル突っ込んで氏ね クリボーに
ぶつかって氏ね 浜崎のライブで一人だけ立たないで氏ね 田代に覗かれ市ね ろみひーで飯島
愛に酷評を受けて氏ね ナプキンに吸収されて氏ね 笑ったら肋骨が肺に刺さって死ね スキップに
失敗して氏ね 甲子園の決勝の日に子供かばって交通事故で氏ね ハドラーにメガンテかけて氏ね
寒い日に乳首勃起して氏ね 実は半分が自演で死ね バイト先の女の子に無視されて氏ね ちんこ
の皮むき忘れて氏ね 彼女のブラのホックを外しつつ、首筋にやさしくキッス チンコを机の上に置い
てハンマーで叩きまくれ 洋式便所で便座を落とし忘れてハマリ氏ね 自分のケツにスカルファックして
氏ね ハイチュウのCMの浜崎のビームで氏ね 死んだそばから死ね オナニーしすぎで亀頭が取れ
て死ね 馬鹿殿に田代が出てないから死ね ピラミッドの頂上でチンコを支点に高速回転して死ね
>>743 よくこれだけ考えたなあ。コピペかなぁ?感心しちゃった。
ニャー(*´∀`*)ニャー
>>743 俺宛に死ねと書いてあるからには煽りのつもりだとは思うが…
これ本当に面白い。(見づらくなって皆困るではないかと心配だけど)
ひょっとして2ch流ギャグ?
747 :
名無しさん@3周年:04/03/18 21:47
>>746 質問ですが、スカルファックとは何ですか?
748 :
名無しさん@3周年:04/03/18 21:51
>さとりとは、そう、 育つ事だ。
>釈迦は何年も掛けて、自分が自分であるということを分かった(悟った)分けじゃ
>ないんですよ。 育つが抜けている。
北宗禅では漸悟を旨とし南宗禅では頓悟を旨とした。修行を積み階段を登るがごとく
最上段?の悟りの境地にたどりつくか、きっかけにより一瞬に悟るかの違いだが、
おれは南宗禅の立場を信じるね。大悟したら完全に人が変わるようだから、前後で
育ったと言えなくもないが、時間をかけて少しずつという意味なら信じないな。
>>742 俺には時期早々の質問かもしれませんが、育つ事とは「空」が育つ事ですか?
純粋に自分と呼べるものが無いと思ってますが、実は仏としての自分?
を育てる事なのでしょうか?
身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度
せん。
大衆もろともに、至心に三宝に帰依したてまつるぺし。
自ら仏に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、 大道を体解して、無上意を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
と云うところの智慧海ですが、空とは大海であり宇宙であり、智慧海です。
それは戻ってきて仏です。
仏の心を育てるというのがいいでしょう。 どうすればいいかというと
仏を祈ればいい。ただそれだけでいい。
750 :
五六〇 ◆hRMyj8cq8I :04/03/18 21:56
>>749 乳房は、もまれるよりも揺すられる方がきもちいそうです。でもあまり揺れすぎると痛いそうですね。
バスト大きい人は特に。ブラジャーしてないと痛いんだそうです。ブラジャーは揺れ防止の意味もあったのですね。
>>748 諸説がある訳ですね。ありがとうございます。
>>749 仏の心を育てるという事は分かりました。ありがとうございます。
>>748さんのきっかけで〜という説も実は大悟の前に育てていればこそ
という事も考えられるかなと思いました。
>と云うところの智慧海ですが、空とは大海であり宇宙であり、智慧海です。
>それは戻ってきて仏です。
ここの所はまだ何となくしか分かりません。考えてみます。
>>747 なんでここで聞くのか分からんがぐぐった。
http://sdic.fc2web.com/23.htm ■スカルファック/頭を膣へ入れてしまうこと。
753 :
名無しさん@3周年:04/03/18 22:44
俺が感じている「空」は、実体は何も無いという事だな。迷い、悩み、苦しみ、不安等
色々あってもその実体は何もない。反対に喜び、希望、満足等にも同じく実体は無い訳だ。
話は変わるが時間という概念も人間特有のもので現代物理学ではそんなものは無いらしい。
有るのは相対的な関係の相互作用だけらしい。変化があるだけらしい。
何事も気の持ちようとかいう言葉があるが人間のハートは虚ろなものなんだねえ。
>>753 それは無感覚じゃないでしょうかね、
空は喜びがあるんですよ満足もある。
755 :
名無しさん@3周年:04/03/18 23:00
>>754 無感覚とは違いますよ。そりゃ、喜びや満足や悩みや苦しみは有るでしょう。でも
実体が無いと言ってるんです。それらを差し出して「これが私の苦しみです。」なんて
出来ますか?そう感じている人がいるだけで、その苦しみ〜そのものは無いでしょう?
>>755 有りますよ、これが苦しみですというのはある。
仏様は苦しみを見て、有ると思いそれを救ってくれる。
極端に言うと、それらを差し出して「これが私の苦しみです。」と云える
という事。仏教的には苦しみは物と考えた方がいいかもね。
貴方の場合四苦八苦を離れるというのかもしれませんが、その時満足がなけ
れば成らない、貴方の場合は例えば霊に成って体から出た場合には体の苦は
もう感じないわけでしょうけど、霊になったから悟ったとはいえませんよね。
実体が無い、はいままで悟りを語った人の言葉にあるから、言葉は合っている
かもしれない。悟りは無では無い。貴方のは現実から距離を置いているだけ
ですね。距離を置けば喜びを感じない。悲しみを感じない、痛みを感じない
。そういうことでしょ。先に述べた霊になって体からでるというのも、同じ
意味です。
厳しい言葉に成っていたらごめん。貴方が悟りを求めて居るなら為には成る
でしょう
730 & 738 平凡さんへ
いろいろありがとうございます。私の方は、自分の書いたものを読
み返すたび、やはり馬の脚が長くて丸見えであると、汗顔の至りで
す。前に私が書いた「空」の話は、“こんにちは”さんの誘いに乗
って、ついつい読んだ本のコピペみたいなことをしただけで、体験
は全くありません。ただ、観点として役立つのではないかなと…。
ところで、スレのタイトルが「悟り・気付きの体験と相談」という
ことで、<<何をしたら>>そんな体験ができるか、そのあたりを諸先
輩に教えて頂きたいのですね。何度も繰り返しになるのですが…。
738 平凡さんの
> 私は般若心経の(実証的)「信者」であろうかと。
というあたりは、具体的に経文と平凡さんの体験とがどのように、
即応しているのか、お聞かせいただけるような話があれば、お願い
したいです。
758 :
こんにちは:04/03/19 00:02
よがよなら いしずえのこと つみてみよ なんじはとわの うつほなるかな
759 :
名無しさん@3周年:04/03/19 00:02
>>756 えーっと、739=748=753=755は自分のカキコなんだけど、最初に言ってるように
悟りの世界には興味はあるけど悟ったことは無いしそれを望みもしないんだよね。
霊云々〜には興味ないから分からんです。
739で悟りについて、753で空について感じていることを書いた訳だが、
見てもらえば分かると思うけど俺は南宗禅的な立場を信じているのですよ。
荘子の思想とも相通じる世界で荘子の道の教えも共感をおぼえる。
俺が受け入れないのは仏様含めた人格神てやつだな。これは信じない。南宗禅は
仏教の一派かも知れないがその教えは「執着する心」を寸断する。例え始祖でもだ。
だから、俺も禅そのものに対しても共感の域にとどめてるんだが・・
共感というのは俺の体験と重ね合わせて「いかにもそうだ」と思ったから受け入れてる
訳だが、達磨大師が最初の弟子をとった辺りの話を読むと空が解るカモね。
現実から距離を置いてるというより「感じているそのものに執着しない。」という
方が適切なような気がするな。喜び、悲しみ、痛み等感じるのは人である以上当然だが実体がない
という点で空だというのは変わらない。捉われる(執着する)からそこから抜け出せずに深みにはまる。
空とは厳密には、存在しない幻ではないと思いますよ。
ホログラムのようなものともいえますが、実態の在るものです。
正確には有と無は同じだということです。
存在するものは、増えたり減ったり、無くなったりしないということです。
新しいものが生まれたり、滅したりしないということです。
有と無の違いは、五感で捉えられるものが有、また、秩序あるものが有です。
しかし実態は同じということです。
空を知ることは、何にもないことを知ることではないです。
すべての有と無の成り立ちを理解することです。
すべてが、完璧な世界を理解することです。
自我を通した単純なトリックを見ることです。
やはり俺は空を理解できてない。でもいつか分かってやる。
そう思うとワクワクします。
「空」を理解する前に、「色」を確認しておいた方が良さそうですね。
「色」とは、calmさん(私は“凡夫”さんの方が気に入ってますが)の言う
「有」と「無」を合わせたものではないかと私は考えています。
また、それを「実」と言うことが出来ます。
「有」が「色」であることは、お解りですよね。
では、「無」が「色」であるというのは如何ですか?
「無」は“有の無い”状態、つまり、スペースです。
「空間(空の間)」です。
だから、「無(スペース)」は“有る”と言える訳です。
「色」=「実」=「有」+「無」
では「空」とは何でしょう?
簡単に言ってしまえば、「境界」。境界そのものです。
“自”と“他”を分ける境界です。
二次元で言う「境界線」、三次元で言う「境界面(界面)」と言えますが、
そこには“線”や“面”“膜”のようなものが有る訳ではありません。
変な言い方ですけど、そこにあるのは「虚」です。虚数の虚。
「虚」は「無(スペース)」すら存在できません。
これが「空」です。
「空」=「虚」
>>760=761
あげ足とる訳じゃないのだが、ちょっとお聞きしてもいいですか?
空はホログラムのようなものとの例えですが、一般にホログラムは触る事は出来ませんが
見ることは出来ます。空は見ることが出来ますか?もし出来ないのであれば何をもって
ホログラムに例えられているのですか?両者、触る事が出来ないという点だけでしょうか?
また有と無の違いについて有についての解説はありますが無についての解説が有りません。
最後に「実態は同じ」と締められるのなら両者同様に解説すべきだと思いますが。
「すべての有と無の成り立ち」と「自我を通した単純なトリック」につて、それが
どんな世界なのか素人にも理解できるように解説願います。
>>763 なんか難しいばかりです。
要は「有」「無」というのは日常の感覚に根ざした物であり、
そういった感覚から離れてしまうので意味が無くなってしまうのです。
「空」を日常的な感覚で捉えれば「無」です。そして同時に
何もかもがそこに「有」る、究極の「有」でもあります。
物事に執着しないというのは簡単なようで結構難しいんだよ。あまりこれについて
考えると「物事に執着しない」という事に執着している事になる。
俺の好きな南宗禅の趙州和尚の決まり文句に「至道無難唯嫌揀択」というのがある。
これは三祖鑑智禅師の信心銘が元のようだけど解説サイトがあったから張っとくよ。
信心銘
http://www10.plala.or.jp/runrun-nana/newpage135.htm >物事の実在を否定すれば、そのことの真実を見逃すことになる。
>物事の空虚を主張すれば、また、そのことの真実を見逃すことになる。
>それについて語り、また考えるほど、真理から遠く離れる。←ココ
>語り、かつ考えることをやめるがいい。
>そうすれば、知り得ぬことなど何ひとつない。
つまり難しい事は考えず普通に生活しなさいという事だろうな。
767 :
名無しさん@3周年:04/03/19 17:57
40過ぎて悟りの一つも開いてない人間なんて生きてる価値あんの?
(
>>765の続き)
「色」というのは、その「物」を特徴付ける相互作用の事です。
「色」「形」「香」・・表現は何でも良いんです。
「空」とは、虚空に浮かぶちっぽけな塊。この世界そのものです。
一切はこの中に在ります。(実は神?も仏?もこの中にこそ在ります)
自と他を分ける事で「色」が生じますが、無い物は分ける事もできません。
「空」が在るので「色」が在るわけです。
>>768 >「空」とは、虚空に浮かぶちっぽけな塊。この世界そのものです。
>一切はこの中に在ります。(実は神?も仏?もこの中にこそ在ります)
>自と他を分ける事で「色」が生じますが、無い物は分ける事もできません。
モニターを凝視しながら考えました。
自他を分ける事で相互作用が発生して色を生み出すのは分かりました。
「空」とは全宇宙を丸ごと意味するのでしょうか?
>無い物は分ける事もできません。
ここでいう「無い物」が分かりません。
>>763 平凡さんの説明については一応頭で分かりました。
私の他にもこんなにたくさん自称悟り人のゴーマン君がいるなんて、とても嬉しく思います。
「空」とは、私達人間が因果付けをする前の状態のことでございます。
ですから簡単に言えば「全部同時に在る」ということでございます。
それを好き勝手に並べ替えて時間とか空間とか喜びとか悲しみとかを生み出している創造主は、神ではなく、なんと私達人間様なのでございます。
ゴーマンにもなろうというものでございます。
でも、こんなこと知っても悟れないのでございます。
>>763 「空」=「虚」
これで分かりましたが貴方変な世界に着いていますよ。
貴方がこころが飛べる物だと、もしそれを知っているならば。
空は仏に着かなきゃ、有り難く嬉しいと感じるのが空に着く事ですよ。
>>770 相互作用とは人間の思考の産物だから、本来、境界を作る事は出来ない
という事でしょうか?
>でも、こんなこと知っても悟れないのでございます。
うううむ・・・そんな気もするし、空が出来てないとも言われてるし
>>764 空は見ることが出来ますか?
空は感じる事ができます。五感で。
>>無についての解説が有りません。
無は有だと悟った時、空が分かったと云えます。
私はcalmさんじゃないですが
>>773 >空は感じる事ができます。五感で。
空を五感で感じる事かできる?五感は常識的には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚だよね?
ふ〜ん。じゃあ皆さんの言ってる「空」と俺の感じている「空」は別物だな。
ま、無、有、空、色・・・色々あるだろうけど766のとおり俺は普通に生活すること
にするよ。飯を食って糞を垂れだ。じゃあ、そういうコトで、皆さんさようなら〜。
>>774 有ると感じる事が出きるということだけど、
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚じゃないです。五感て書き方が悪かったかな?
>>769 >「空」とは全宇宙を丸ごと意味するのでしょうか?
正直言ってそれがわかりません。
少なくとも自分の知る全ての事柄はそこに在るわけですが
私にはそれが私の世界の全てなのか全宇宙であるのか
判断がつかなかったんです。
>ここでいう「無い物」が分かりません。
「無い物」という「物」があるとか、そういうトンチな意味ではないです。
ごめんなさい。書き方が悪かったです。
「空」が無ければ分ける対象もないという事です。
>>776 ありがとうございます。
「空」があらゆる世界なのか人の知覚し得る世界かは置いておくとして、
「空」は世界を意味するわけですね。
>無い物は分ける事もできません。
>「空」が在るので「色」が在るわけです。
これをセットに考えないといけなかったんですね。世界は分割し得る物で
分割する事で「物」など特定の領域…というか一部が出来、他の一部と
相互作用が起こる。
>>774 単なる言葉の行き違いの様ですので、どうか悪く考えないでください。
あと、リンク先はとても参考になりました。ありがとうございます。
>>772 ◆さん
相互作用というより相対性でございます。
私達人間様が観察者としてこの世界に介入する際、どこかに基準をつくってしまうのでございます。
「空」なんぞ理解しなくとも◆さんは悟れますから大丈夫ですよ。
どうするかというと、何人かがおっしゃっておられたように、自分に絶望するのでございます。
自分の存在を徹底的に否定し尽くすのでございます。
でも私のように絶望しなくても運悪く悟ってしまう場合もあるのでございます。
このことは正直言ってかなり引け目に感じているのでございます。
>>766 つまり難しい事は考えず普通に生活しなさいという事だろうな。
禅をするときの求め方じゃない。
何もしないなんて、読み違い。
>>779 ありがとうございます。
>「空」なんぞ理解しなくとも
と言われましても、
>>779の書き込みで空について理解が深まりました。
俺はまだ諸法無我に未解決の問題を残している。徹底さが足りない
ようです。
>>669 >
>>13氏の言うような、まず天通へ通ずる悟りを話したいと思ってます。
とスレ主さんが書いていますね。私は
>>651ではありませんが
これには神仏を奉り行を積み、霊的な加護を篤くするのが早道です。
単純に霊界・神界との結び付きの強さであり、空とか悟りとか関係ありません。
(こんな事言ったらバチ当たる?)
783 :
金正日MkU改 ◆A.YCQlIDKA :04/03/19 22:27
ROM記念
「空」についていろんな見解がありますね。
なかなかいい感じですね。
「空」を知ったところで、何の役にも立たないのですけど。
しかし、これについては、引き下がるわけにはいきません。
いくら、働きづめで、不調だろうと、書きましょう。
>>763 「空」=「虚」ですか。
「虚」だったら、どうやって、認識できるのです?
「色」とは目で捉えた「いろ」の世界のことでしょうね。それがいつのまにか「物質」と解釈された。
「色」とは感覚器官や、感覚を捉える意識があってはじめて「色」となり、
感覚器官がなければ、感覚器官を捉える意識がなければ「色」ではなくなり、「無」となる。
つまり「色」は「無」と同じということです。「有」と「無」は同じということです。
「有」と「無」の両方を指して「空」というわけです。(たぶん・・・)
つまり「有」=「無」=「色」=「空」になります。
1つの球体があるとしましょう。
これが実態だと仮定しますと、
中は「無」ですが、球の表面だけが、映し出されて「有」になります。
だからホログラムのようなものなのです。
もう1つ表現しましょう。
小さな種から大きな木が育ったとしましょう。
木は生まれて、成長して大きくなったのですか。
木は種から生まれた、木は大きく育った。
しかし、それは、正確な見方ですか。
木は、土の中の栄養分と水が変化したものであって、
生み出されたものでもなく、大きくなったものでもないのです。
寿命がくれば、また、栄養分と水に還るでしょう。
何も、増えたり、減ったり、生まれたり、死んだりしていないのです。
変化が起きている。それが感覚器官で捉えられ、
まるで「無」から「有」へと変化し、また「有」から「無」へ還っているように見える。
それだけなのです。実態は何も変わっていないのです。
物事を認識するとき、必ず、対極で捕らえる性質があります。
「愛」と「憎」、「有」と「無」、「生」と「死」、「優」と「劣」、の2つに分解して捉えます。
それが捉え方の性質だからです。
実は、その捉え方が、トリックなんです。
1つのものを、2つに分解して、そのどこに位置するかを、認識して、ものごとを捉える。
実際は、2つに分解されたものではなく、1つのものなんです。
お解りか。
なんか、悟りはどうでもいいことなんだと思う。
本当は。
世界を勝手に見てる僕らは、
壮大なごっこ遊びをしてるような気がする。
子供の頃、ごっこ遊びの世界が、
真剣に現実だと思ってたように・・・。
僕たちは、世界を、自分たちのやり方で、
今でもごっこ遊びしてるんだと思う。
それはもちろん悪いことじゃないし、
子供の成長にごっこ遊びは必要。
で、真剣にその遊びをやった人は、
あるとき、ふと、みんなごっこ遊びだったんだ、
なんて気づく。
ただのありのままの世界に、気づく。
自分の生きてた世界は、自分の見たい世界だったんだと気づく。
そこで、EO(たぶんここではリンクは既出ですよね・・・。)みたいに、
ぜんぶすることやめちゃってもいいけど、
「う〜ん、ゲームだったのか、
じゃ、この瞬間をただ楽しんでやろう」
ったのが、いい感じなんではないかと思いました。
たぶん、悟っちゃった人は、それが当たり前すぎるんで、
教えを説こうなんて思ってないんじゃないかと思う。
仏陀のキリストも、今を生きる喜びを、
周りの人と一緒に、楽しんでただけなんじゃないかな・・・。
でも、それはお馬鹿な僕らには、
すごい人が、偉大な教えを説いてるように見えてしまう。
そんな気がしました。
横からスマソ。
薬中の独り言でした。
>763平凡さん
「空」について私が取り上げてから、まあなんと色とりどりの「空」についてのコメントが出てきたんでしょうね
どれも、真理、悟りの煌く光を放っていますね。なんか色々な宝石を見ているみたいで楽しくなりました。
貴方の
>では「空」とは何でしょう?
>簡単に言ってしまえば、「境界」。境界そのものです。
>“自”と“他”を分ける境界です。
>二次元で言う「境界線」、三次元で言う「境界面(界面)」と言えますが、
>そこには“線”や“面”“膜”のようなものが有る訳ではありません。
>変な言い方ですけど、そこにあるのは「虚」です。虚数の虚。
>「虚」は「無(スペース)」すら存在できません。
>これが「空」です。
>「空」=「虚」
とても興味深く読ませてもらいました。
「境界」という指摘
「虚」という指摘
ユニークですね。「境界」というあたりはとてもはっとさせられますね。
この「境界」という部分をもっと具代的に掘り下げて体験的に話してくださいませんか
ここは、宗教哲学はよそでやってくれという趣旨ですし、なにより体験を重視したスレですから
ただ哲学的話に行き過ぎてもねえー、抽象論の論議になりますから・・・
>>782 悩んじゃうな。加護によって神仏に導いてもらうのが早道というのは正論かも。
>>787 解りました!ありがとうございます。
>>791 横槍すみません。皆さんの教えで「空」とは世界をその物を分解しない見方で
見た時の姿という事ですが、平凡さんの国境のように実体の無い(=虚?)境界と
認識を合わせる事ができません。
>この「境界」という部分をもっと具代的に掘り下げて体験的に話してくださいませんか
俺もお願いしたいと思います。
哲学的に傾いてしまうと悟りどころではなくなってしまう。抽象的になってサッパリ
分からなくなったこともありました。でもここ一連の「空」については大半は俺の相談に
のって貰った話で、分かりやすく非常に参考に参考になりました。
>>789 俺も現実とは命がけでやるRPGだと思ってた事がありました。
>>763 平凡さん
>calmさん(私は“凡夫”さんの方が気に入ってますが)
どちらも、気に入ってます。凡夫のほうがぴったりなんですが。
>「色」=「実」=「有」+「無」
「無」の言葉の割り当て方が違っていたのですね。
>「空」=「虚」
それならば了解です。
「空」とは、「ない」ものに付けられた名前・呼び名・言葉です。
もの凄く単純なのですが、ありとあらゆるものを呼ぶ言葉は、つまり全て
「ある」ものにつけられております。対応する、と言っても良いでしょう。
たとえそれが架空のもの、例えば一角獣でも良いですが、「架空のもの」
として「ある」ものにつけられております。
「空」はその逆・反対、発想の転換といいますか、対応する何ものも「ない」
ということを意味するのです。
従いまして、あれが空、だとか、これが空、だとかいったものは
一切「ない」のでございます。
>>794 >これが空、だと
いったものは 一切「ない」のでございます。
お前のレスも内容が無いね。
796 :
魔法のマント(アンポン改め):04/03/20 17:54
>>787 >実際は、2つに分解されたものではなく、1つのものなんです。
お解りか。
そんなの当然だとおもいますが・・・。
あなたはなんでそんなにえらそうなのですか?
>>従いまして、あれが空、だとか、これが空、だとかいったものは
一切「ない」のでございます。
これは悟っていない人の云い方で悟った人は有るというよ。
空は有るといのがその言い方。
798 :
名無しさん@3周年:04/03/20 18:53
799 :
名無しさん@3周年:04/03/20 19:02
クソコテは出て行ってください
もしやってきても徹底無視で
↓↓↓↓↓↓↓↓↓再開↓↓↓↓↓↓↓↓↓
800 :
名無しさん@3周年:04/03/20 19:11
まあ、空は無限だとしよう。
わたしは空になったといったとき
無限を認識してる私とは何なのかということになる。
801 :
フルーチン:04/03/20 19:42
802 :
菩提樹 ◆64noMzfCqw :04/03/20 19:54
ダイアナは俺が殺したった
耳の裏がくさかったので殺した
おまえらも耳の裏のところを指でこすってにおいをかいでみろ
くさかったら殺しに行くよ お楽しみに
803 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/03/20 20:01
>>800 >まあ、空は無限だとしよう。
無限なら色。いわゆる無限という現象ゆえ。
>わたしは空になったといったとき
なってもならんでも空。
>無限を認識してる私とは何なのかということになる。
認識は色で・・・空。五蘊皆空。かように思ふ。
(ROM記念)
804 :
名無しさん@3周年:04/03/20 20:03
要するに悟りを求めないということが悟りへの道だということか。
805 :
名無しさん@3周年:04/03/20 20:04
>>803 机先生、自分で自分にレスして楽しいですか?
806 :
名無しさん@3周年:04/03/20 20:10
なんでも一如君を相手しないように
807 :
名無しさん@3周年:04/03/20 20:14
808 :
名無しさん@3周年:04/03/20 20:48
机はスルーに限るからね、くれぐれも。
相手した途端に、スレは終わったものと思え
哀れにも、自・作・自・演・までして参加しようとしている
禅スレ、ことごとく壊滅状態
まともな議論ができないのを、論理性を超えると屁理屈を捏ねる
自分の力量異常のものを、常にあるように執拗に主張する度し難し香具師
809 :
名無しさん@3周年:04/03/20 20:50
お前を放置すれば良いのですね。
810 :
名無しさん@3周年:04/03/20 22:03
そうですよ
おまえとは、809のことです
私、机さまのファンなのでございます。
久々の書き込みとても嬉しいのでございます。
ところで一言申しますと、悟りとは空を知ることではございません。
くれぐれもご注意をなさって下さいませ。
>>811 机先生、自分で自分にレスして楽しいですか?
813 :
実行委員長:04/03/20 22:09
間脳の開発で、カルマを断つ
814 :
名無しさん@3周年:04/03/20 22:16
机老人は誰からも相手にされず、
断末魔の苦しみに慟哭しているみたいです。
815 :
名無しさん@3周年:04/03/20 22:18
800だけど、漏れは803じゃないよ。
念のため。
邪悪は聴衆を必要とする。
816 :
名無しさん@3周年:04/03/20 22:19
いつまでも机に関わるんじゃねえ
愚か者ども
817 :
自作自演ハンター ◆guDHfEOVhQ :04/03/20 22:26
ROM記念
818 :
机龍之介 ◆ng98/U98aY :04/03/20 22:28
>>811 廓然無聖(かくねんむしょう)
禅宗の始祖・達磨大師は”真理などない、聖なるものもなにもない”。
と、こう言うとる。
(碧巌録より)
スレを拝見していると、実際に仏門におられて、悟りを開いている
方もおられるような気がします。もしおられるとしたら、次のような
設問(公案と言えるかどうか分かりません)に、どのように答えられ
るのでしょうか。
おシャカさまが霊鷲山におられたとき、花を拈じて会衆に示された。
そのときカッサパ君だけがにこっと笑って応じたので、おシャカさま
は、教外別伝、不立文字の正法眼蔵を君だけに伝えようと言った。
このとき、もしカッサパ君だけでなく、会衆が一斉におシャカさまに
向いて笑っていたら、仏法は伝わったか? (『無門関』から)
820 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/03/20 22:55
>>819 拈華微笑
五祖が慧能に法脈を託すのは偈がその原因じゃない。
いうなれがその前から決めていたこと。
偈はひとつの切っ掛けのようなもん。
微笑もひとつの象徴(逸話)であって、微笑そのものに意味がある訳じゃない。
>悟りを開いている
>方もおられるような気がします。
気がするだけでしょう。
でも漏れはこのスレに力を感じます。
空が動く感覚。
>(略)会衆が一斉におシャカさまに
>向いて笑っていたら、仏法は伝わったか?
その仮定は無意味です。
もし何々ならと言う仮定は存在しません。
>>818 すなわち一般的に想像されている神秘体験は悟りではないと思うのでございます。
>>819 すなわち「空」は概念として知ることはできますが、私達人間様が観察した瞬間「色」になるのですから「空」そのものを言葉で表せない(見ることすらできない)のは当然なのでございます。
拈華微笑の逸話はこのことを伝えるための例え話であると私は考えるのでございます。
>>801 もいらも鼻ぢぶーだ。
アルジュナさんも難しいこと考えんと、
いっしょにぶーっしよう。
人生RPG かどうかはともかく、
悟りって、きっとたいそうなモンじゃない。
机龍之介さん
”真理などない、聖なるものもなにもない”。
僕もそう思う。
空ってなんだか、おばかなもいらにゃようわかんないけど、
みんな自分の観念の中で生活してる。
みんな自分の思いを世界に見てるだけなんだ、
ってことがわかりゃいいんじゃない?
で、それまで勝手にやってたごっこ遊びからめざめて
仏陀サンもキリストさんも
きっと、当たり前のドーデもいいことに気づいて、
そんな生き方を実践しただけさ。
それは、当たり前のことなんだけど、
きっと、言葉にすると、伝わらない。
それは知識じゃなくどう生きるかだから。
でも、説明しなきゃいけないから、
今一つ伝わんないと分かってても、
それがどんなモンなのか、伝えてみる。
その言葉が、ドーデも良いと知りつつ、
真剣に伝えてみる。
運命だからとか、神の子だったからとかじゃなく、
それで肩の荷が下りたような気がする人たちが
後にもたくさん出てくるのが嬉しくて、
みんなと愛を分かち合うのが嬉しくて、
磔けにかかったりする。
そン内規カテをした人たちを
もいらたちが神格化してるだけさ。
そんな気がしました。
ジャ、サルビアでも吸って寝ます。
>そン内規カテをした人たちを
訂正
そんな生き方をしたひとたちを
しらふでこれじゃなあ。w
826 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/03/20 23:44
>>823 鳥や魚など、真理とは何ぞや?とか考えないしね。
「生きる」とか、その原点に返ったときに、真理とか考えるのも馬鹿馬鹿しくなるかと思う。
>>820 どうも 前スレ301です
一緒に○○氏にやり込められて以来ですね。
>偈はひとつの切っ掛けのようなもん。
>微笑もひとつの象徴(逸話)であって、微笑そのものに意味がある訳じゃない。
それは象徴(逸話)でなく、実際にあったことじゃないでしょうか。(たぶん・・・)
こう解釈できます。
カッサパが悟りそうなのを見て、シッダールタは蓮の花を見ながら待っていた。
で、カッサパは、悟った。そして大笑いした。傍にいたシッダールタも気づいて大笑いした。
伝えることが不可能なことが、カッサパに伝わった。
カッサパが悟って、すべて理解した。そういう意味ですよ。
828 :
アルジュナ:04/03/21 02:19
>> 820 机さん
おシャカさんは皆にひねって見せた。しかし、機が熟していたのは、
カッサパ君だけだった。
>> 827 calm さん
書いておられる通りということですね。おシャカさんは、カッサパ君
に悟るきっかけを与えた。
無門関第六則ですが、本則は短いから、どちらとも読めるように思え
ます。不思議に思うのは、不立文字、教外別伝を無門は懸羊頭売狗肉
と言ってることです。単純に解釈すると、おシャカさんが自分の教え
(覚り、解脱体験)を特定の人に伝えたる、ということをを示したの
は、誤解を招く行為だと言っている。じゃ、どやって今まで伝わって
来たのか?
すみません。sage忘れました。
宗教板に来るのも久しぶり。ヘー、まだいたんだ、茶坊主は。懲りないやっちゃ。
で、少しは参禅してみたんか? 印可はもらったか?
相変わらず聞いた風なことを書き連ねて、大衆を惑わしておるな。痛棒が欲しいか?
>>830 んだんだ。
頭の悪いおいらにゃ、
ありがたいお話も、こう難しく書かれると
さっぱり和姦ねえだ。
やっぱ、おいらみてえな頭悪い凡夫は悟れねえだか?
はあ。
お経とか、お釈迦様の話書もいいけんども、
おら、もちっと賢い皆さんが普段、
考えたこと、感じたことを教えてほしいだ。
そのほうが、何千年前の人のお話より、ためになるだす。
悟りってもっと血の通ったモンでねえかと、おらおもうだ。
832 :
こんにちは:04/03/21 12:13
>831
そうだなや、わたつもそうおもうだすが・・・
初めの悟りは知的ゲームにすることができるから、
ちょっと頭のいいものは
ゲームをして、「わいが一番や」言うて遊んでしまうんじゃな
また、この遊びは我を喜ばすにはもってこいの遊びになるでなあ
まあ、知的ゲームの頭が壊れるまでやらんとわからんということもあるで
好きにやらしてやらんといかんという面もあるじゃ
一概に否定してもいかんしのう
初めの悟りは出来立てじゃから血が通うまでちと時間もいるもんじゃでなあ
まあ、どんなゲームをするものか見てみるのも修行のうちじなあ
我らも負けんように修行せねばのう
>>793 calmさん。
私が
>>763で言ったこと、ご理解いただけたでしょうか?
ちょっと不安であります。
>>「色」=「実」=「有」+「無」
>「無」の言葉の割り当て方が違っていたのですね。
>>「空」=「虚」
>それならば了解です。
これはカテゴライズの問題ではありません。二元論と三元論の違いという
大きな(根本的な)問題だからです。
私の言ってるのは三元論です。第三の道です。三位一体です。三神です。
この道を「悟り」の道と言います。(と思います。)(汗)
二元論は、阿修羅の道。戦いです。そして「一元」を目指します。
それが一神教です。一つであることの道。これが「解脱」への道です。(と思います。)(汗)
834 :
アノレジュナ:04/03/21 14:07
スレを拝見していると、実際に仏門におられて、悟りを開いている
方もおられるような気がします。もしおられるとしたら、次のような
設問(公案と言えるかどうか分かりません)に、どのように答えられ
るのでしょうか。
目で女性を犯すこと。かつては覗き(peeping)にも使われていたが、
最近では覗きはあくまでも覗き、もしくは窃視と表現し、視姦は明らかに視線で犯すこと、換言すれば、
いやらしい目で見つめることである。とはいえ、男の立場からはあまり視姦とはいわない。
つまり、女の立場から「私は目で犯されている、視姦されている」という被虐的な表現に用いられている。
佳奈淳や香山洋一など、M的(マゾ)要素の強い女性を描くのを得意とする作家が、
性の露出シーンと絡み合わせることで視姦の効果を高めるかたちで、上手く取り入れている。
>>833 >私が
>>763で言ったこと、ご理解いただけたでしょうか?
ちょっと不安であります
お前の電波レスなどさっぱり理解できん。
私が
>>763で言ったことを、出来れば体験(体感)して欲しいんですけど、
如何でしょうか?興味のある方だけで結構ですよ。
まず、二次元で理解することから始めましょう。そうすれば、三次元を
理解するのはそんなに難しくないと思います。
絵が描ける白い紙を数枚用意してください。四角くなくても構いません。
同じ形でなくても構いません。
白い紙は「無」(空間)を表しています。(そう思ってください。)
出来れば絵の具が(数色)あると良いです。途中まではカラーペンでもOKです。
何色でも良いですが、たとえば「赤」を選んだとします。これは「有」です。
一枚の紙(空間=無)に、赤(有)で、「円(○・まる)」を「一つ」
描いてみてください。これは二つの「境界」を持っています。解りますか?
では、その赤の円(○)の中を同じ赤で塗りつぶしてください。
「●」になりましたか?これは「境界」が“一つ”です。上との違いが解りますか?
もう一枚紙を用意して、同じように円(○)を描きましょう。
そして今度は円の中でなく、外側に赤を塗りましょう。
「円(○)」の中が「無」になります。
中と外が(有と無が)入れ替わっても「境界=虚=空」は存在しています。
(なんと、虚が存在していると言うしかないところが、混乱の元なのですが)
個を自覚する(意識)為には、境界が必要です。自と他を分けるための境界です。
この境界のことを「違和感」と言うことが出来ます。
違和感こそ“原初の「意識」”と言えます。
(続きます)
(続き)
次の紙には、二つのまる(●)(=有)を描きます。
一つは赤の●、もう一つは青の●。
くっつかないように、まわりを無(空間=白い紙)が取り囲んでいるように。
二つの●が(両方でも、片方でも良い)どんどん大きくなっていきます。
実際にやってみましょう。どんどん「無(空間=白い紙)」が小さくなっていきますね。
最終的には、「無(空間=白い紙)」は無くなり、「二つの有」だけになりました。
「赤の有」と「青の有」だけです。
しかしよく観ると、やはり「境界」は(虚として)存在しています。
ここまで理解できましたでしょうか?
で、お前は何を言いたいんだ?
それがお前にとって何故重要なんだ?
頭が悪いので全然理解できんけど
空と実の境界線のことを言ってるのしょうか。
もっともパワーのある所。
あと、悟りを得たかどうかの判定基準の1つに
夢の中で意識を保っていられるかどうかがあります。
寝て夢を見てるときそれを見ていられる事。
常にね。
夢に埋没しないこととでも言うのかな?
841 :
名無しさん@3周年:04/03/21 16:17
>>839 それはむしろ病気。
神経症や統失の症状ですから自慢する所ではない。
ここから少し難しくなります。人によりますが・・・。
今まで描いた3枚の内、1枚を選んでください。(別に描き直しても良いです。)
今までの3枚は境界がハッキリしていて、解りやすい例です。
では、境界が曖昧だったら、ぼやけていたら、どうします?
実は現実をよく観てみると、こちらの方が圧倒的に多いです。
赤と(紙の)白、赤と青、そこにある境界を筆でこすって、ぼやかしていきます。
ハッキリとした境界は無くなりました。しかし境界は無くなったでしょうか?
人の境界とは何でしょうか?何があるでしょうか?
物理的には肉体とそのまわりの空間の境界ですね。これが解りやすい一つ。
もっともっと境界はあります。
服、家、家族、学歴、男女、国、思想・・・etc.
人と人の距離感を観ただけでも解りますよね。親子の距離、恋人の距離、
友人の距離、嫌いな人の距離、全く縁のない人の距離、
電車の座席や公園のベンチに座る時の距離感。相互的、相関的ですよね。
これも「曖昧な境界」「見えない虚」です。
さきほどの「違和感」に対して、「親和感」というものの存在を感じられましたか?
絵に戻りますと、たとえば、赤と青が融合していくと、紫になりますよね。
どんどん混ぜていくと、差異(違和感・ムラ)が無くなっていきます。
完全に差異が無くなった時が“一元”です。これが解脱の状態です。
逆に、完全に差異が無くなるまでは、境界はあり続け、三位一体の状態と言えます。
その境界、つまり「関係性」を「五うん」と言い、「空」なのです。
>> 831 & 832
ご理解いただきありがとうございます。
ことばの遊びを、禅問答的に一句で吹き飛ばすような方が出てこないか
楽しみにしているのですが、そういう方は、もし2chをwatchしていても、
老婆心でもって点心されることはないのでしょうね。
>> 839
夢の話、面白いですね。どやったら、そうなれるのですか?
844 :
アノレジュナ:04/03/21 19:46
警官がゲインの自宅に踏み込んだ時、見たものは凄惨だった。頭蓋骨の中に人肉入りのシチューが入っていたことを始め、フライパンの上に摘出された心臓が乗っており、靴箱の中には9人分の女性器と鼻がしまってあった。
逆さ吊りになった首のない女性の死体、生首が9個みつかった。
冷蔵庫にはぎっしりと内臓が詰まっており、椅子には剥いだ皮膚が貼ってあった。また、よく磨かれた頭蓋骨、女性の上半身の皮を剥いだベスト、壁には顔の皮を剥いだデスマスク9個が化粧をして飾られていた。ベッドはすべて骨や皮で作ったものだった。
掘り出した死体と性交したことがあり、皮膚をはいで身につけることでも性的快感を得ていた。
死体の解体は満月の夜に行っていたが、それは発掘に便利だった以上に、何らかの儀式を意味していたという。
ゲインの自宅の捜索で15人の女性の死体が見つかった。
死体の内臓を「新鮮な鹿の肝臓」だといって近所に配って回っていた。近所の人々はゲインに子供の世話を依頼したりするなど「いい人」だと考えていた。
穏やかに取り調べに応じたが自らの罪を悔いるそぶりは全くなかった。なお、死体との性交を自供している。
「意識」とは何でしょうか?この意識とは、根元的な「意識」のことです。
たとえば、あなたが単細胞生物だとします。
あなたが、あなた自身をあなたと認識するためには何が必要でしょう?
それは境界であり、「他」との「違和感」の認識であり、「他」の認識であり、
それを通しての「自」の確認にとなります。
その「違和感」は、「信号」とか「刺激」により(その違いにより)、
“他として認識される”ということです。
これは体細胞についても同様です。一つ一つの細胞が“他との違和感”を
信号として受信しています。(センス・センサー・受信機)
これが「意識」です。
全ての細胞が、その細胞に応じた「センス(意識)」しています。
その全ての信号情報は、右脳(正確には“右脳という機能を持った脳”)に
送られます。(セコムのセンターをイメージしてください。)
その中の危険信号(危険な違和感)や親和感という信号などを左脳が選択し、
その体験の積み重ね(記憶・こころ)から対応を考えます。
しかし、左脳に意識されない信号情報にも、細胞間で行われる無意識の対応も
たくさんあることを忘れてはいけません。
846 :
こんにちは:04/03/21 19:56
>842
言いましたね
さんぜんの こくうのいとの からみをぞ みつめしまなこ なにをなさむと
>どやったら、そうなれるのですか?
悟りを得たらそうなります。
848 :
机龍之介 ◆ng98/U98aY :04/03/21 20:07
ク ク || プ / ク ク || プ /
ス ク ス _ | | │ //. ス ク ス _ | | │ //
/ ス ─ | | ッ // / ス ─ | | ッ //
/ _____ // / //
. / l⌒l l⌒l \ )) ____
. / / ̄| ,=| |=、| ̄ヾ / ____ヽ
/ ̄/ ̄. ー'●ー'  ̄l ̄ | | /, −、, -、l ))
| ̄l ̄ ̄ __ |.  ̄l ̄.| _| -| ,=|=、 ||
|. ̄| ̄ ̄ `Y⌒l__ ̄ノ ̄ (6. ー っ-´、}
ヽ ヽ 人_( ヾ ヽ `Y⌒l_ノ
>〓〓〓〓〓〓-イ /ヽ 人_( ヽ
/ / Θ ヽ| /  ̄ ̄ ̄ ヽ-イ
悟りとは何かと言うと、
分かってるということです。自分自身が。どんな時もね。
自分を見失わないということです。
常に醒めているから、寝ているときも醒めていますw
夢を見ているときも醒めています。
悲劇が起こったときも醒めています。
悟っていない人間はその場その場で巻き込まれます。
感情に。眠りに。夢に。
そしてあれは良くないことだ、これは良いことだといった
判断をする。
そこから抜け出すことが悟りとも言える。
自分が考えていること、
やっていること
それら全てを意識してる人間はいないです。
すべて自分の体にプログラムされたように動きます。
この体はそのように作られています。
ある感情を特定のパターンでしか感じられなかったりします。
それは両親から受け継いだものです。
それらは先祖代々受け継がれてきました。
なぜ体を傷つけると痛いのでしょうか。
それは先祖はそのような感情を避けたかったからです。
体の持っている感情とは先祖が避けてきた感情の塊です。
それを喜んで感じられる人間。
それが悟りを得た人間です。
851 :
こんにちは:04/03/21 20:25
>849
うそ800方便800放弁800--->800ってとこがいい
さとりにぞ やさしさこめし かたりくち あまきからさも ときのえにしか
852 :
こんにちは :04/03/21 20:41
「皆さーん、無職ですかー!!」「とっととハロワに、いってこい〜!!」
「ハイ! 1・2・3・無職〜!!!」
「挙動不審」「労働意欲が見つからない」「ヒキコモリにパラサイト」
ダラダラ 止まらない
「無職」「親に依存」「情緒不安定」「2ちゃん以外にすることない」
ズルズル ずっと無職 多分……
ママンがため息 つくたびに 胸が 胸が 痛むのよ
ヤ・ト・ッ・テ・ホ・シ・イ 無職 職歴もないけれど I Want JOB
熱いハートの微熱 今すぐ雇ってよ 雇って 使って バイトでいいから
雇用して 昼間でも 夜中でも
毎日何もしないから 眠れないの
セツナイ刺激 All Night Long I Miss JOB
きっと変われる 素敵なわたし 無職ダメ人
近所の冷たい視線 感じる毎日 肩身狭いの
雇ってください 十年 百年 一億光年!!
「クビだよ。……役立たず!」
ダメダメ無職!
「まだまだ無職だよぉ〜〜〜!!」
「ダメダメ無職! ダメダメ無職! 生麦 生米 ダメダメ無職!!」
「ダメダメ無職! ダメダメ無職! 採用見送り ダメダメ無職!!」
「ダメダメ無職! ダメダメ無職! 履歴書生産 ダメダメ無職!!」
「ダメダメ無職! ダメダメ無職! レジュメ送信 ダメダメ無職!!」
「ダメダメ無職! ダメダメ無職! 貴意に添えない ダメダメ無職!!」
「ダメダメ無職! ダメダメ無職! ダメ板一発 ダメダメ無職!!」
「ダメダメ無職! ダメダメ無職! ダメダメ無職! ダメダメ無職!」
「ダメダメ無職! ダメダメ無職! ダメダメ無職! ダメダメ無職!」
「最後にもいっちょー、ハイ! ダ・メ・ダ・メ無職!」
> うそ800方便
そうそう。嘘です。全部。w
それを感じる人の数だけ真実が存在します。
だから絶対的な真実なんて言葉にはできません。
万人にとっての真実とは無いもの、つまり空なんです。
無いものだけは共通して真実です。
有るものは変化していくけども
無いものは変化しません。
もしくは変化したくありません。
空は常に空でありたいんです。
つまり、(有と無、有と有の間の)差異=違和感=境界=虚=空となります。
これが、色即是空 空即是色 ということです。
それは感じられ、楽しむことが出来る「空」です。
それに対し、一神教の「空」は一元的な無境界な世界。
そこに入ったら、抜け出すことは出来ません。なぜなら、抜け出すということは
「二」の創造であるからです。
抜け出すという意志さえも存在しません。絶対の「不自由」。まさに地獄。
それが解脱の世界です。それを目指す人はご自由に。
もう一つの道は、解脱しない道です。自由の道です。苦もあるし、楽もあります。
悟りの道は、この二つの道ではなく、第三の道です。
空とは何なのかを知った上で、解脱の道は選択せず、しかも自由の道をも
選択しない、どちらも選択できる状態の道です。本当の自由。
どちらも選べる喜び。これが慈悲であり、歓喜であり、分別(差異)を
楽しめる幸福なのです。
境界(=空)を知ること、その仕組みを知ることが「悟り」なんです。
「実」の中に居るから、悟ることも出来るんです。
>>842 ありがとうございます。
世界を色としてみた場合、境界にのみ空が現れる
境界の空を曖昧にして世界の全てに広げてしまえば世界は
一つの空となる
わけですね。
>852
こんなじゃ だめですよ
1年くらいぶっ通しで煽らなきゃ
でも楽しめたよ
今度はもうちょっとスパイスきかしてくれるかなあ
ただの連呼は選挙みたいだし
君のセンスはもっといいものがあると思うんだけど
がんばれーフレーフレー!!!
だめだしの きみのさけびは こだまして うつをまわりて いずこにかえる
>854
平凡さん
ここまで言ったら
誤解する人もでてくると思いますが
この後、どこへ行くんですか・・・
苦にありて 苦をぞ消しゆく 悟り旅 御世は末法 いずこ足踏む
858 :
こんにちは :04/03/21 21:06
女の子の体内に種をやどす。
これに興奮するんだよ。相手が抵抗すればするほどね。フフフフ
859 :
こんにちは :04/03/21 21:13
一度生ハメ、中田氏の味を覚えるともうゴムつけるなんて無駄な動作はしたくなくなる。
嫌がる子に無理やりはめて、キスで口封じしながら奥にドクドクって瞬間は、ああ
男に生まれてよかったと思う
あのときめきを擬似体験するためにみんな中田氏ビデオ見てるんだよな?
完全な空を認識できる人はいません。
なぜなら完全な空を認識することは不可能だからです。
私という存在(有)が居る限は。
だから私とは何かと言う問いかけが重要になります。
認識できるとするならば、せいぜい境界止まりでしょう。
それは完全な空とは違うものです。
個性を持った空です。
空が有になりたての空です。ですからそれは有だと言えます。
861 :
名無しさん@3周年:04/03/21 21:15
>>860 800さん
>認識できるとするならば、せいぜい境界止まりでしょう
なるほど。自分を観察するという事と色と空について聞かされて、
随分前に自他を分けていないとも聞かされました。
自分を観察するのは自分が何をどう感じているのかを感じる
事だと思っていましたが、それは境界なのですね。
>>853 そうでございますね。善き哉善き哉。
まさに「空」は私達の願いをかなえてくれるのでございます。
その願いに応じて必ず私達を救ってくれるのでございます。
私達に歓喜(菩提)を与えてくれるのでございます。
私達を安心(涅槃)させてくれるのでございます。
私達に生きる力を与えてくれるのでございます。
大いなる慈悲でございます。
そこに為すべきことが自ずと見えてくるのでございます。
それを実践する生き方こそが菩薩道なのでございます。
ですから願い(悟りを求むる心)を持たない者に悟りは無いのでございます。
あなたが、体細胞(しかも、脳細胞!)だったとします。
あなたは一見、足の裏の細胞と比べ、優れた仕事をしているように見られています。
しかし、だからと言って、その優れた?脳細胞(あなた)をクローン化して
増殖させても、足の裏の役は出来ません。
一つの「個」が、自己繁栄?なのかどうか判りませんが、増殖しても
人という生命を産み出すことは出来ません。
どちらかというと、ガン細胞のように見えます。破滅に向かう支配。
(今でもそうか判りませんが)インドではそうならないように
(自分がガン細胞のようにならないように)金持ちは貧乏人に施し(布施)
をしました。だから、貧乏人は施しを受けてもお礼をしません。
金持ちが「ガン細胞のようになるカルマを取り除くこと」=「徳を積む」
ことだからです。
今はたまたま脳細胞だったけど、もしかしたら、足の裏だったかもしれない訳です。
これは選民思想の問題点です。
>> 856
センスやウィットといった精神のホメオスタシスがなければ、悪いカルマが
貯まり、知性の色んな部位に転移し、ステージ4の暗闇に陥るのでしょうね。
開いたとたん縫合です。
>> 800 さま
悟りを開いたら、夢を見ているときも醒めている…ということですが、夢を
見ているときも醒めているというのは、悟りを開いた状態の一側面ですね。
じゃ、どうしたら悟りを開けるのでしょうか。あるいは、800さんはどのよ
うにして悟りを開いたのですか(スレ本来の問いですね)?
>864
>一つの「個」が、自己繁栄?なのかどうか判りませんが、増殖しても
>人という生命を産み出すことは出来ません。
>どちらかというと、ガン細胞のように見えます。破滅に向かう支配。
自己繁栄がガン細胞でなかったら
破滅に向かう支配でなかったら
どうなりますか?
>悟りを開いたのですか(スレ本来の問いですね)?
この問いかけは単純です。
漏れは悟りを開いていません。w
断言できます。
夢で起きていられる事もないし、
死を越えたわけじゃないです。
このスレに書き込んで何が帰って来るのか。
その石を投げてみたかっただけです。あしからず。
夢で起きてられたり、死を超越した人間がこのスレ
にひょっとしているかもなー。
そんな期待を抱いたまでです。
単細胞生物の“食”を観ると、体内に取り込んで(境界の中に取り込んで)
境界を壊します。限りなく「親和」していきます。
取り込む前と、親和完了した後では、当然成分が異なります(違う色)。
つまり、ある境界内における境界の消滅という、ある意味では
「擬似的な“虚”、擬似的な“空”」と言えなくもないです。
食を通して、単細胞生物は変化しました。これが喜び、歓喜です。
もうひとつ、精子と卵子、半分のDNAしか持っていません。
それが「親和」して、一つの細胞になりました。生命の誕生の歓喜です。
>> 867 = 800
ホント?この掲示板の方式では、他人を騙るのはいとも簡単だから、867も
なりすましかも知れないと、疑ってしまいます。
> そんな期待を抱いたまでです。
そうですね。私も、そんな期待を抱いて、ワッチを続けてます。一般には、
やはりきっちりした修業をするとか、その道の先達に教えてもらうとかしな
ければ、悟りは開けないみたいなのですが、普通の生活を送りながら、半歩
でも、一歩でも近けるヒントがあったらと思うのです。
>>865 夢を見ているときも覚めているくらい精進することが八正道でございます。
それは悟り人の努力であり、悟りを開いたから夢でも覚めていられるわけではないのでございます。
>じゃ、どうしたら悟りを開けるのでしょうか。
これは漏れも知りたかったりします。
だからこんなスレに書き込んだりするんですが。。
瞑想したって悟れるわけではないです。
瞑想はあくまで道具だと思う。
思うに、動く空を伝達するナディ
をクリアにすることがその第一歩のような気がします。
その為の手段が瞑想らしいんですが、それについてはよくわかりません。
世界の瞑想の全てを理解してるわけではないので。
あと、夢に注意を向けること(夢日記をつけたり)
は止めといたほうが無難です。
逆効果になることの方が多いです。
(続き)
絶対の「虚」、「空」は増えることも減ることもありません。
絶対の「一」だからです。
ただその中に入った瞬間、いや「刹那」と言った方が良い、
生も死も、個も意識も、全てが消え去ります。
それを選択したら、そうなります。それを私は「破滅」と感じました。
(
>>866に対してのレスです。)
>>872 貴方が着いた場所は霊界に近い場所です
悟りには多数あるとよく云われますが、多くの宗教もあるしね。
着く場所がそれぞれちがうんです。
気持ち、感情のつく場所を悟り(ここでは正覚)と呼んでいますがそれはどれも
いいもの暖かいものです。あなたのついた場所は絶望です。
私もいつくつかの世界に着いていますが、暖かいものですよ
>> 871
夢日記は栂尾の明恵上人が記録してたと思いますが、どこが逆効果なのでし
ょうか。宗門の外側で悟りといったことに興味を持つ限り、いろんな人の体
験を頼り申すしか他にないので…。
>>872 諦めをもって悟りを求めた場合そうなります。
諦めと捨とは違う。 捨とは欲を捨てる。
>夢日記は栂尾の明恵上人が記録してたと思いますが、どこが逆効果なのでし
>ょうか。
明恵はある一定のレベルを越えていましたよね。
つまり、夢の中で起きていられた人です。
でも、漏れみたいに普通の人が夢に注意を向けると、
それに巻き込まれます。
夢の世界はアストラル次元と呼ばれる世界とつながっているらしいです。
そこには精妙な波動を持つ存在から、荒い波動を持つ存在
までたくさんの者がいます。
幽霊に取り付かれたという表現が適切なんだとおもいますが、
こちらは意識の無い状態なので夢に注意を向けると取り付かれます。
おどすつもりは無いのですが、
これは漏れの体験的に感じたことです。
夢で起きてられる人以外は危険なので止めた方が無難です。
それでも夢日記付けてみたいと言う人は
それは自己責任で行って下さい。
>>873さん。
>悟りには多数あるとよく云われますが
>悟り(ここでは正覚)と呼んでいますがそれはどれもいいもの暖かいものです。
>私もいつくつかの世界に着いていますが、暖かいものですよ
その通りです。悟りとはそういうものです。歓喜です。
>あなたのついた場所は絶望です。
これの意味が解らない。私はそんなことは言っていないが。
「絶望=虚=空=解脱」は観ました。
だからそこから逃げ出して、悟りの道を選んだんです。
古の真人の生き様があるだけで、「悟り」とか「真理」とかは理屈で解き明かせないし
文字や言葉では説明がつかないモノでしょう。それを言葉や理屈で表そうとした
とたんにそれは消えて無くなります。
このスレはまるで「悟り」や「真理」の鳥かごの様なものです。追い求めればそれは
逃げていく。鳥かごから外に出ませんか?本当に「悟り」や「真理」を目指す人達に
このスレは不要です。ここの住人で居れば居るほど「悟り」や「真理」とは程遠い処に
居ることになるからです。
>本当に「悟り」や「真理」を目指す人達に
>このスレは不要です。
まあね。
それでもあえて試してみるのも
面白いとは思わないかい?
失敗せずにすべて理解(悟り)できればそれにこしたことは
無いんだけどもそうじゃないでしょ?
漏れ達は体に痛みを蓄積してるし、苦しんでる。
それも人生の大切な1つの側面だ。
漏れ達は失敗する。この体を持って望みをいだく限り。
失敗はそれで良いんだよ。痛みを感じることで人は自分を見つめられるんだし。
でも多くの人は失敗したくないと考えるんだよな。
そんなの不可能だし、そんなことをしたらますます悟りから遠ざかるだろうな。
大体語り尽くされたのかな?
>> 876 = 800 さん
アストラル次元というのはよく知らないのですが、一般的に、瞑想訓練をする
場合、適当な指導者が付いていないと離脱不能になるという危険性を指摘して
いる文章に出会ったことがあります。これは、神秘主義やオカルトではなく、
人間の精神にそういう領域があるのでしょうね。注意したいと思います。
>>877 そう、絶望の果てに歓喜があるのでございます。
しかしながら、絶望=空ではないし、絶望=解脱ではないし、空=解脱ではないのでございます。
>>878さん。
あなたがそう思うのは自由です。問題ありません。
私はあなたのように誰かを誘ったりしません。私は自由だからです。
このスレが不要と感じたのなら、あなたが去ればよいのです。
スイッチを切ればよいのです。その自由があなたにはあります。
掲示板内でどんなにいじめられ、虐げられようと、スイッチを切れば
あなたの勝ちです。全ての命運はあなたに懸かっています。
その意味では、あなたは神であると、仏であると言えます。
選択権はあなたにあるからです。
だから、“あなたが”そのことを体感しなければならないのです。
>「絶望=虚=空=解脱」は観ました。
その「虚」=「空」は、混沌、カオス、暗闇、無です。
しかし、それだけだったでしょうか。
空っぽでありながら、1つの存在でありながら、同時に歓喜です。
しかもそれは悟った意識です。
「虚」=「空」=「仏」です。
それに、すべての「有」と「無」のベースとなるものです。
喩えて言えば、「絵」のバックの無地のキャンバスのようなものです。
西遊記の中に「悟空」はどこへ行こうとお釈迦様(仏)の手の中とあるじゃないですか。
夢はアストラル界と繋がっているのか、
たまに明晰夢を見ることが有るが
大抵は自分の行いを戒められるような内容なんだよな。
おれはアストラル界から見ると出来損ないなのかw
>>885 懐かしいな
消防の頃ガイキチ家族がトンカチ持って女の頭を叩き割ろうとするシーンが
何気にトラウマだったんだけど映画の全体のストーリーとか
タイトルとか全く忘れてたんだよねー
でも大人になってから見たら大したことなかったね
>>884 どうも私が見たものとちょっと違うみたいですね。
私の場合は自他の別が壊れて一つとなった後、混ぜこぜになってしまった
「それ」を吟味してから、一旦その全てを離れました。
ふと見下ろすと眼下には今まで自分だったモノの全てがありました。
それらを見て呆れると同時に想い出の品のように懐かしく思いました。
そこは本当に何もなく何も起こらない所で、あらゆる尺度が成立せず
時間すら存在せず、あまりに何もなく退屈するのではないかと思うも
退屈という物自体が存在しない事に気付くといった状態です。
良くも悪くもない所ですが喧騒を離れて安らぐという点ではちょっと良いです。
更なる興味でさらに虚空へと離れてゆくと、急速に自意識自体が失われ
自分が無になって行くのを感じ、完全に無になってしまえばもう二度と
「それ」と巡り合う事は無いなと直感しました。特に恐怖はないのですが
そこで改めて「それ」を失うのを惜しく感じ、自分がそれに非常な愛着を
持っていた事を知りました。で、戻る事にしました。
>>888(続き)
再び「それ」を覗き込むのですがどうもぼんやりして何も感じられない。
さらに深く入り込むと様々な事柄が混然としているようだが「自分」が
一体何であるのかさっぱり分からない。それは自我が無いからだと気付き、
自己の範囲をある程度限定し、より小さな部分に入り込む事でようやく
様相が見えてきました。
そこでは複数の者がそれぞれの立場から争いをしていました。
各々の行動はその立場により必然的に起こされたものであり、
自然で何ら無理の無いものでした。そこには元の自分とは
全く対立するような立場の者もありましたが、自分が相手の
立場に立脚していたなら全く同じ事をすると知りました。
全てが矛盾無く、ありのままに営まれているだけでした。
そんな様子を眺めているうちに自分も何かしら関ってみたくなり、
争いに口を挟もうとしました。しかし何度試しても発した言葉は
声にならずに霧散するのみでした。なぜだろうと一瞬戸惑った後、
自分という中心を定めていないからだと知りました。
言葉を発するには自分はどこかの立場に立脚しなければなりません。
そこで、どんな自分が一番望ましいかとじっくり吟味しました。
次々と立場を定めるうちに、出来上がった物は元の自分とそっくりになっていました。
そこで私の体験は完全に終わりです。
890 :
こんにちは:04/03/22 09:13
>886
もう何かをはじめなきゃいけない時期かもね・・・
ときはなし よごとおもいは つのりたり ときのねがいは よりてひらかむ
>877
のぞみなし すべてこころは きえゆきて すべてをこえし もののみちはと
>888
あれくるう あらしもやみて そろいぶみ まことのわれは なにをみるかな
888というところがなんとも妙味かなあ
>879
くうをさす ういのさとりを はなれたる ういのこだわり いまぞきえゆく
あなたやさしいなあ・・・
どうも私が見たものとちょっと違うみたいですね。
>私の場合は自他の別が壊れて一つとなった後、混ぜこぜになってしまった
>「それ」を吟味してから、一旦その全てを離れました。
>ふと見下ろすと眼下には今まで自分だったモノの全てがありました
>それらを見て呆れると同時に想い出の品のように懐かしく思いました。
もいら、そんな賢者さんたちの話が聞きたかっただよ。
空はこうだとか、それは空じゃないとか霊界とんて言われても、
もいらにゃさっぱり和姦ねえし、
そんな子と知っても、おらのもいらの暮らしはかわんねだよ。
賢者さんたちの言う悟りってやつになっても、おいら
相変わらずあくせく暮らしてくんだろうけんども、
心の中じゃ好きなように生きれるんでねえかとおもうだよ。
あくせく働くことから逃げれないだろうけど、
もう、暮らしてくことがになんねえとおもうだ。
みんなと、今を生きるよろこびを楽しめるようになるとおもうだ。
そんな話を聞きたいだよ。
tong pooさんの894のメッセージをどうとらえますか?
悟りの血肉のあたたかさでしょうか
どうでしょうか
悟りのステージが今スライドしようとしてるような感じがしますが・・・
さとりたる とうげのみちは うえしたへ ひとつにあゆむ こころはいずこ
もいら近代の標準語しかうまく操れねえだ。
888さん、どうもです。
>>888>>889 で言われていること(個人的な感じ方、伝え方の差はともかく)
私の体験と、ほとんど同じといって良いと思います。
もしあのまま、あそこに入ってしまっていたら、あなたのこの体験談を
確認することも出来なかった訳です。良かった、良かった。幸せです。
ちょっと前に「拈華微笑」について、書かれていましたよね。
詳しい情景は判りませんが、釈迦とそれを取り巻く弟子達がいました。
“迦葉を除く”他の弟子達は、いつものように釈迦が説法を説いてくれると
期待していました。
きっと“今日は”“昨日よりも”凄い悟りの話が聞けるに違いない。
(昨日の話は、前にも聞いたことのある大した話じゃなかったし。)
しかし、弟子達の期待に反し、一輪の花を持って微笑んでいるだけでした。
その弟子達の中で迦葉だけは違いました。釈迦とともに、その花とともに、
その瞬間、いえ「刹那」を「空」を楽しんでいました。
888さんの言ったことが、釈迦の「説法」でしょうか?それとも「花」でしょうか?
私が言ったことが、釈迦の「説法」でしょうか?それとも「花」でしょうか?
捉え方はお好みで、どちらでも良いでしょう。
どちらを右耳(右目)に入れるか、左耳(左目)に入れるかの違いだけですから。
「悟り」や「真理」は練達した職人が体得したコツや感のようなもの。
「悟り」や「真理」は楽器を奏でる人が習得した微妙なテクニックのようなもの。
どんなにコレについて書かれた物を読んでも、どんなに当人にソレについて語って
もらっても伝わらない。
ところが世の中にはああだこうだと聞かせたがる(話したがる)輩がいる。
疑う事を知らない人の良い人達は有り難いことだと話を聞いて参考になったと誤解する。
もっと疑うことをしたらどうだ?騙される羊ちゃんから卒業したらどうだ?
>>898さん。
その通りと思います。体感していくしかないのですから。
calmさん。
>>884 >1つの存在でありながら、同時に歓喜です。
これが、あなたにとって最大で最後(最初?)の間違いです。
これは「2」です。「1」では決してない。
>>885 >「悟空」はどこへ行こうとお釈迦様(仏)の手の中とある
当然です。同じものを体感することを目指しているのですから。
だから、悟空という名なんです。
>>900 884が正しいとおもうよ、
我々の存在はキャンパスに書かれた絵なんだ
>>901さん。
大筋では合っています。
>>882のマンゴーさんと、
>>884のcalmさんの体験が事実なら、
お二人の体験は、次のどちらかであろうと思います。
「1」の近くまでたどり着いたが、なぜだか戻ってしまった。
(「1」の中?近く?では、“方向”というものはありませんので。)
私はたまたま、「1」と「2」のちょうど半々くらい足を突っ込んだ訳ですが、
お二人は、「2」に爪先の先がギリギリ残っているだけくらいまで、
「1」に入っていて、自覚が無くなって(保てなくなって)しまうギリギリで
戻ってきたのかもしれません。
このどちらかだと思います。
>>902 >>1つの存在でありながら、同時に歓喜です。
しかもそれは悟った意識です。
僕もここまで行きました、間違い無いですよ。
>>903 それは女と繋がって逝った瞬間だろ?それなら僕もあります。間違い無いです。
895さん865サン
文章おかしくてごめんね。
今日は風ひいて仕事休んでるんだけど、
風邪薬が効いて頭がぼおっとしてるんだ。
「1」は、「空」=「虚」=「解脱」=「一元論」です。
私は、ここに入ってしまうこと(解脱?涅槃?)を、
「ミイラ取りがミイラになる」と表現したいと思います。
「2」は、「実」=「有」+「無」です。だから二元論なのです。
ここには、
「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」の人と「君子危うきに近寄らず」の人と
「こんなことどうでも良い」の人
この三種類の人が生きています。
もし、白い紙があったら、その紙に「1」という○と、「2」という○を
別々に離して描いてください。
その二つの関係を見る時、二つを直線で繋いで見ることが出来ます。
しかし別な方法として、円で繋ぐことも出来ます。
人々は「1」と「2」の間をこのように行き来しています。円環しています。
これが「二元論」です。
釈迦は「これを違う角度から見てみよう」と言い出しました。
そうすると、「円」だと思っていたものが、実は立体的なものだったと
気付きました。本当は「螺旋」だったんです。
「1」から「2」に行き、そして再び「2」から「1」へ行くと思っていたのに
「1」ではなく「3」だった、という訳です。
それに気付かずに、解脱しちゃった人達は「3」から「1」へ真っ逆さま。
ミイラ取りがミイラになった、とさ。
「3」は、「悟り」。「悟りの道」です。
「1」も「2」も、どちらも選ぶことが出来ます。自由です。
選択権はあなたにあります。しかし、これは逆に言うと「選ばない」と言えます。
「優柔不断」な道。なんて美しいのでしょうか。
“曖昧な日本人”と言いますが、これこそ「悟りの道」です。
ああ、このすれ残り少ないのに送信途中でしちゃったよ。
ごめんね。
どこかの本八尾坊さんの話の自分的解釈を書くんじゃなく、
894サンみたいに、自分のきずいたこと、
見てきたことを書く人が出てきて嬉しかったんだ。
別にこのスレそのものをけなしてるわけじゃないんだよ。
繰り返してばかりで悪いけど、
お釈迦様のやったとうりの道をたどることも、
お釈迦様の言葉をいちいち覚えたり、
それをこまごま解釈する必要はないんだと、僕は思うな。
もちろん、あの人の生き方は、人生の局面で思い出すと、
とっても役に立つけどね。
あの人は、自分が本当は誰なのかってことに気が行いた、
ちょっと素敵な人生を生きた人だと僕は思うから。
真に悟っている人は他人に悟ってる事を悟られないようにするものです。
ましてや自分は悟りの道を選んだとか「体感」したとほのめかす人はそれだけで
偽者といえます。
たびたびごめんね、895サンと896サンでした。
どこかの本八尾坊
は、どこかの本やお坊さん、です。
朦朧と書きこしてごめんね。今日はもう消えますよ。
空だろうとなんだろうと、人は切ったら血が出る。
現世には、たくさんの人がいる。
(たとえそれが、僕らの夢だったとしても、)
それにはやっぱ何か意味があるよね。
僕もたいしたこと考えてるわけじゃないんだけどさ・・・。。
>>909さん。
本当にその通りですね。10年前には考えられなかったことです。
インターネット様々、匿名掲示板様々です。
HNで書くことが出来ちゃうんですから。ラッキーです。
そうじゃなかったら、なかなか言えることじゃないです。
きえるつもりだったけど、誤解されたままなのもやだから、もうすこし。
909さんえらそうにみえたんならあやなります。
ぼくは、さとってなんかいませんよ、もちろん。
悟ってるような振りして書きこしても、
見る人には、見抜かれることも知ってますよ。
僕は以前、悟りってなんだか神秘的で、
人間の潜在能力を引き出して生きれるような、そんなもんだと思ってた。
恥ずかしながら、軽い苦行の末、空を知ったつもりにもなって、
自分はすごいと思ってしまったこともあった。
悟りは全部無だっていって、周りから超越して生きれるものだともおもってた。
ま、ばかだったんだね。
でも最近は、ただ当たり前になることなんじゃないかって思い出しました。
みんな当たり前になれないから、それが特別なような気がしてきた。
もちろんその「あたりまえ」がどんなモンなのか、僕もわかんないんです。
でも、当たり前のことって小難しく考えると、わかんなくなっちゃう。
そんな気がするんです。
ぼくも、悟りの道とか、悟ったって言う人はにせものだとおもいます。
それは多分、当たり前のことだから。
そんなこという人はきっと、幼稚園児相手に、
サンタはいないんだぜっていって得意になる大人がいないように。
僕もなにもわかってってないわけですが、
知識は人を分かった気にさせてしまいます。
だから、僕は血の通った話が聞きたかったんです。
えらそうでごめんね。
>>906 >「1」は、「空」=「虚」=「解脱」=「一元論」です。
>私は、ここに入ってしまうこと(解脱?涅槃?)を、
>「ミイラ取りがミイラになる」と表現したいと思います。
「空」=「一元論」 ≠ 「解脱」=「0」ではないでしょうか?
相変わらず平凡さんの例え話は私には難しくてよく分かりませんが(笑)
>>888のような事が向上の末の「悟り」だと思うなら、それは
平凡さんのおっしゃるとおり、真っ逆さまですね。
それは出発点なんです。だから何も無いんです。
歓喜も絶望も「この世界」の中にこそあります。
高尚な物、崇高な物はこの世界の中に形作られる物です。
我々が求めるような類の神や仏であれば、それらは決して
涅槃の淵に潜んでいるのではなく、我々と同様に世界の中で
感じ、思い、考える「存在」に他ならないと思います。
2元の世界が出発点で1元が高みだと思いこんでいる事が根本的な勘違いで・・
この世界そのものが価値であり、その中で培ってゆく物の中にこそ
「高み」があるんだというのが私の素直な感想です。
>>884 >>901 私の体験もそんな感じでございました。世界が一枚の絵のような。その瞬間はどれが欠けても存在できないのでございます。
>>889 いのちの流れをご覧になったのでございますね。
>>908 自分のした体験がどの程度のものなのかをお釈迦様の言葉と照らし合わせてみるのでございます。
>>911 全くでございます。よく怪しい人扱いされてましたw
>>913 888さん。
>「空」=「一元論」 ≠ 「解脱」=「0」ではないでしょうか?
ちょっと想像を働かせてください。
「1」と「0」の違いは何でしょうか?実は同じことなのです。
どちらも「一色」なのです。無境界。
「1」は、“「1」が存在する”という錯覚、誤解から生まれました。
色即是空 空即是色 です。
自称悟り人の傲慢な偽者くんより真剣に悟りを求むる人の為に一言。
最も遠いところが最も近いところでございます。
>>915 ああなるほど。
それこそが究極の二元って事だったのかもしれませんね。
>>916 マンゴーさん。
>最も遠いところが最も近いところでございます。
その通りです。「1」と「2」よりも、「2」と「3」の方が近いですから。
似ていますから。
というか、「3」は、「1」にも「2」にも似ているということです。
ああもう、
うまく伝わんないってもどかしいなあ。
じぶんすっげええって思っちゃったってことを書いたんだようッ僕は。
そんときだってさとったとはおもわなかったよう。
自分すごいこと知ったとは思ったけど。
何かを知ることは、
同時に自分を縛ることになるんだと思う。
それがたとえ仏様の教えでも、
理解してるのはじぶんなんだから。
だから、888、889の科気コは好きです。
>>912 心配なさらずともtong pooサンのことを言ってる訳じゃありません。
一部のタヌキやキツネの連中のことですから。
>ぼくも、悟りの道とか、悟ったって言う人はにせものだとおもいます。
>それは多分、当たり前のことだから。
>そんなこという人はきっと、幼稚園児相手に、
>サンタはいないんだぜっていって得意になる大人がいないように。
その通りです。あなたはまともです。なんでも人のいう事を鵜呑みにしてはいけません。
909で言った事は例え匿名掲示板であろうと、なんら変わりはありません。
>>917 888さん。
その通りだと思います。
>>920 909さん。
>なんでも人のいう事を鵜呑みにしてはいけません。
その通りだと思います。
だから、自分で体験、体感してくださいと言っています。
だからといって、体感しよう、理解しようと言う気持ちを捨てるのは何故ですか?
あなたは「君子危うきに近寄らず」派、ということですか?
ええっと、五階無いようにねんのためにもういちどかいとくけど、
僕は悟ったなんておもっていし、その時すげえとおもったことは、
今思い出すと、はずかしいです。
お釈迦差様のはなしも、
僕は僕でお釈迦差もを越えるなんていうつもりじゃない。
お釈迦様の生き方を人生の局面でおもいだす、
ってのはおしゃか様と自分を照らし合わせうってことと同じじゃないかい?
ぼくは、それでずいぶん救われたよ。
でも、僕たちはお釈迦様をきちんと真似て生きなきゃなんないわけじゃないし、
イスラエルには、みんなの苦しみを取り去るのが嬉しくて、
磔で死んでった人もいる。
共通するものもあるだろうけど、
みんなそれぞれ一生ごまかしなくけんめい生きれば、いいんででないかなあ。
>>919 ありがとね。私もtongpooさんのカキコ好きです。
>>915 実のところ私にはずっと
>>888の体験が引っかかっていたんですが、
どうも最後の1ピースが見つかったような感じですね。
すんなり流してやっと普通の自分に戻れる気がします。
実感として理解できたわけではないけど、
いずれにせよ良いヒントには違いないんでしょう。
>>923 888さん。
そうなんです。「3」の道は、選ばない、求めない道です。
欲を捨てるとは、そういう意味です。
「ありのままの自分」とはそういう意味です。
そこが誤解されてきました。
>>921 >だからといって、体感しよう、理解しようと言う気持ちを捨てるのは何故ですか?
>あなたは「君子危うきに近寄らず」派、ということですか?
つまり私があなたの言ってる事を何故理解しようとしないのか?ということですか?
だとすれば答えは909です。
「君子危うきに近寄らず」は時と場合によります。派じゃないです。
百聞は一見にしかず。百見は一体験にしかず。匿名掲示板に100回書き込んだところで
遠く一聞にも及ばないだろう。
(続き)
知ったからこそ選べない、知ったからには選べない、ということです。
これが「3」の道。
知らないから選べない、知らないから、選べるということすら知らない。
これが普通の人達。
似ているけど、違う。
これで「十牛図」の7・8の意味と9・10の意味が解ったでしょうか?
7・8で「空」を体験し、しばらく滞在、観察しましたが、9・10で
そこで終わらず(「空」「虚」に同化してしまわず)、戻ってくることを
表現しているんです。
卒業の「卒」を略字?(旧字?)で、「卆」と書くのは、そういう意味です。
「1」(=0)と「2」という二元論に生きることを「カルマ」(業)
と言います。卆業(9・10)はそういう意味です。
その意味でいえば、「3」は「解脱」とも言えるのです。
「1」の解脱とは似ていますが、別なものです。
円は重なって見えますが、螺旋だからです。
だから体験談を語ることは、(似ているから)誤解を生むと考えました。
実感として理解してもらうしか方法はないんだな、と思いました。
お絵描きを通して、「3」を理解していただければ幸いです。
大体こんな感じです。w
>>888-889 俺も似たような経験がありますが、俺には決定的に欠けている点があります。
>ふと見下ろすと眼下には今まで自分だったモノの全てがありました。
>それらを見て呆れると同時に想い出の品のように懐かしく思いました。
これは感じました。
>急速に自意識自体が失われ自分が無になって行くのを感じ
しかし、こういう事は感じませんでした。
その時、俺は強烈な憎しみと悲しみの中にいて、何故こんなに苦しいのかと自分に
問い詰めたところ理由を手繰っていった先に“自分”とは何で出来ているのかを見た
のです。
しかし、虚空に入っていくとかより、その憎しみの矛先を成敗する目的があったので
それに固執する力が何よりも強かったのです。その感情なくてはその経験は無かったし、
その感情があったからか意識が失われていく事が分からなかったようです。
>>931 ◆BD/.VOmZgU さん。
固執とは「2」二元論です。「固執される対象」と「固執する者」に
分かれます。そこに境界が産まれます。(しかし二元論の人は、ここに
「3」があることに気付いていません。)
また、「2」である限り、「1」も「3」も体験できません。
以前、“音を聞く”方法をお話ししましたが、この方法を応用してみてください。
“怒り”という音、(雑音?)として聞いていきます。
これを「観世音」と言います。
(続き)
以前、私が風邪ひいて、頭痛を“観る”話をしたのを覚えてますか?
これも「観世音」です。
(続き)
スイッチの一つです。
>>932-933 >>931 は十年近くも前の話で今は憎しみに固執して自分を見失う事は
ありません。憎しみを抱いているとその事を感じ取れます。
>>901>>903 >>914マンゴーさん
同じですか、それは良かったです。
同じ人がいて、妄想の確立が減りました。
なぜかもう結論がでたような雰囲気ですね。
そうですか。今まで誤ったことを言ってたのかな。
みなさんすいません。
難しいですね。自分の体験だけが、真実ですから。
一切は空スレも閉めどきですね。
>>935 ◆BD/.VOmZgU さん。
ここまでに話したことをちゃんと理解してくれないと、時間軸について
話すことが(更に難しくって)出来ないんですけど、
「今」とは「刹那」です。
◆BD/.VOmZgU さんの「今(刹那)」の中に「憎しみ」はありますか?
少なくとも“その時の憎しみ”は無いはずですね。過去の記憶のみです。
それは「過去」。「今」にはありません。
それを考える意味がどこにあるのでしょうか?何を悩む必要がありますか?
そこに気付くことです。“今とともに在る”とは、こういうことです。
もし、どうしても“憎しみを知りたいのなら”、次に憎しみがやって来た時に
「観世音」を実行すれば良いんです。
>一般的に、瞑想訓練をする場合、
>適当な指導者が付いていないと離脱不能になるという危険性を指摘して
>いる文章に出会ったことがあります。
適当な指導者というのは大事だと思います。
漏れもある指導者に日常生活を送りながら瞑想を習ってます。
ただ、その指導者が正しいのかどうかと言うチェックはしたいわけです。
その人が言ってることが一体何なのかということです。
その情報をを匿名掲示板に流して、
どんな反応があるのかをチェックしたかっただけです。
この指導者に付いて行って正しいのかどうかを。
より高いものがあればそちらに行けば良いわけだし。
なので800の文章のほとんどは指導者から自分が学んだことです。
体験ではありません。
漏れの体験はとても浅いですし、大したことは無いです。
もちろん、人を気にする前に自分自身を変えれば良いことなんですが。
そんな簡単にはいきません。
才能もないしね。
>>936 我ながら動揺していますね。
訂正
>同じ人がいて、妄想の確立が減りました。
同じ人がいて、妄想の確率が減りました。
補足
自分の体験だけが真実ですから、
他人の体験は、なかなか信じられんのです。
誤ったことを言ってたのなら、
空をテーマにしたスレは閉めどきだなぁと。
>>936 calm さん。
そんなこと言わないで下さい。
まず、あなたが今、この刹那に悟ってしまえば良いじゃないですか。
そうすれば、あなたの体験を語ることが出来る。
見えない境界である違和感、親和感(親和度)は人それぞれであり、縁です。
私の言い方では伝わらない人がいる。
あなたでなければと言う人達がいるんです。それを忘れないで下さい。
>>937 苦しみは悲しみからのものです。なぜそんなに悲しいのかその時、悩んだのです。
自分の悲しみを観察していたのかもしれません。
俺が書きたかったのは悲しみをきっかけに自分の心を覗き込む体験をしたという事です。
そしてその悲しみはここで言う自分が貰った慈悲から生まれる事も知りました。
ついでに言えばその後、憎しみは期待から生まれるものだと思うようになりました。
>>937の内容は理解しているつもりです。今は悲しみや憎しみで悩む事はありません。
この間のように怒りで自分を診ようと思っても診えなくなる時があって困る事はありますが
それは時間と伴に移り行くものでまた診えてきます。
>>941 ◆BD/.VOmZgU さん。
今、この刹那に、あなたは何を感じていますか?
それを「観世音」するんです。それだけです。集中するんです。楽しむんです。
それを実況することが、今このスレで必要なことです。
過去の体験談ではなく、今の体験“中”談です。
>>942 >>888さんが自分の体験を語っていたので応えただけでして、
お騒がせしました。申し訳ありません。
909さん、888さん、サンクス。
平凡さん、
>卒業の「卒」を略字?(旧字?)で、
>「卆」と書くのは、そういう意味です。
これは知らなかった。
さとりトリビアっすね。
あと、ここでこんなこと言っちゃ元も子もないけど、
ほんとに苦しくてしかたないときは、
心療内科に行ったほうが良いと思います。
根本的解決にはなんないですけど、
即効性はあるので・・・。
おやすみなさい。
>939
「空」については、出尽くした感がありますね
私もそう思います。
また、えらそうにテーマを考えてみました。
お釈迦さんが予言したという
「空」についての教えを完成させたという竜樹が
「空」「中」「仮」ということをいいましたが
とりわけ「中観」が魅力です
この「中観」によって、その後の仏教、大乗仏教の礎ができたとも言われていますし
この「中観」から禅も密教もでてきていると思います
「中観」の体験へと挑戦していきたいとおもいますが、いかがでしょうか
スレを立てた方を差し置いて無礼なことを提案したとお叱りを受けるかもしれませんが
いかがでしょう
気に入らないようでしたら、この提案は引っ込めます
>>946 こんにちはさん。
>「空」についての教えを完成させたという竜樹が
>「空」「中」「仮」ということをいいましたが
>とりわけ「中観」が魅力です
私は、こういう事を全く知らないんですよ。(汗)すいません。
簡単に説明してもらえると有り難いですが、如何でしょう?
ただ、こういったことは議論するよりも、実感しちゃえば良い訳でしょ?
そう思いませんか?
だって、こんにちはさんは既に悟っているでしょう。
隠しているのか、悟ったことを気付いてないか、どちらかですよね。
どう観たって、あなたの歌は「空」「刹那」とともに居なければ書けない。
左脳の知識を捻り出し、寄せ集めて、「“作った”歌」じゃない。
刹那の中に、その歌の全体像を観切って、ただ“書き留めた”だけ。
(最終チェックや改変はするだろうが。)
それが「1」ではなく、“「3」の「空」”体験(体感)であり、
「悟り」です。歓喜です。
(続き)
これこそが「拈華微笑」であり、あなたの歌が花だったんです。
これを、「アート」と言います。
>>931 >それに固執する力が何よりも強かったのです。その感情なくてはその経験は無かったし、
私もきっかけは同じですw
ただ自他が混ぜこぜになってしまった時点で、既に憎む相手を失っていました。
何故かと言えば、今まで憎しみをぶつけていた相手が自分の半身だったからです。
自分は何故、相手の何がどれほど悪く何がどう有害なのか知っているのか・・・
それは様々な「悪い相手」像が自分の中にもあるからわかるんです。
まさに「ほう、よく知っているじゃないか」ってところです。
自分はそれを相手に憎しみをぶつけ、何度も何度も滅ぼし方を検討してきました。
半身は健気にも役割をこなしているだけなのに、憎まれ、叩かれ、
訳もわからずに震えている。だから辛く、苦しいんだと知りました。
そして本物の「相手」の事なんか実際はよく解ってなかったりします。
「アート」とは“境界を創ること”“感じること”です。
それを「想像」「創造」と言います。
これが「1」ないし「0」には“無い”のは、お解りですよね。
キリスト教で言うところの神は、「“創造”神」です。
決して「1」「0」は、神ではありません。これを「地獄」「悪魔」と呼びます。
創造は「2」からです。
だから、マリア(「2」)は処女で懐妊し、イエス(「3」)を産んだのです。
神=イエス=「3」
だから、「1」=「0」は「3」に似ていて、双子と言われる。
(続き)
これが本当のキリストの教えです。
今のほとんどのキリスト教は一神教にすり替わった偽物。
>>931 ◆BD/.VOmZgU さん。
>>949 888さんの言われる通りと思います。
>今まで憎しみをぶつけていた相手が自分の半身だったからです。
これに気付くことです。
曖昧な境界は、違和感と親和感で出来ていますから、
自分にとって害にも役にも(毒にも薬にも)ならないものは、
あなたとは関係(縁)の無いもので、近くを通りすがっても気付きさえもしません。
あなたの中に、“相手と同じようなもの”があるから、反応するんです。
それを忘れないことです。体感することです。
>951
平凡さん
あなたの発言にはいつもはっとさせられることがあります
鋭い知性という部分以上に鋭い意識の突っ込みがありますね
ある意味怖いくらいです。でもそれがあなたの持ち味だと思います。
その鋭さがある意味「空」をも突き抜けたところから空を論じられたのだと思います
あの境界の指摘はそんな簡単に言えるものではないと思います
いろんな論議を読ませてもらいましたが、あの境界の指摘は
おそらく私観になりますがあまりないのではと思います
中観の話ですが、私とてそんなことはあんまり知りません
>ただ、こういったことは議論するよりも、実感しちゃえば良い訳でしょ?
と貴方がいわれている通りだと思います。知識は調べればだれでもわかります
仏教辞典でもなんでも図書館でも簡単に調べられます
ただ、このスレは体験が軸になっています。知識は関係ないというとまずいですが
この「空」と「仮」=「現象」の間を見通す目が菩薩の目、仏の目なのではないかと思います
>953
(続きです)
空を境界と言った貴方の指摘に出会った私は、貴方にこの挑戦状を叩きつけなければなりません
でなければ、貴方のいままでの様々な体験は今世で無駄に終わると確信しました。
どうか、菩薩・仏の目を極めようじゃありませんか
私も必死に自分の眼を擦って皆さんについていきたいと思っています。
空の体感は修行者にとってはただの始まりです。そしてこの中観の道を通り円を描いて空に帰ったとき
一体どんな体感・体験・境地が待っているんでしょうか、私もそれを感じてみたいです。
>>954 こんにちはさん。
>どうか、菩薩・仏の目を極めようじゃありませんか
だから、極めちゃあいけないんですよぉ〜。(涙)
それじゃぁ、「0」「1」ですよ〜。(涙)
選ばない、決めないことなんですから・・・。「3」は〜。(汗)
あなたはあなたのままで良いのですから。
>954(続きです)
この菩薩の目は空を体感したあと現実の現象、人間のどろどろとしたものと直面せざるを得ません
言ってみれば、自己の菩薩に目覚めたものは自己の仏性のめざめを目指したくなると思います。
菩薩の目は目覚めたばかりの目だと思います
その目をこすりながな仏に目覚めていくのかなと思います。
そうだとしたら、この中観にそのヒントがあると思います。
貴方は自分のことを般若心経の実証者だといいました。
ならば、空を体感している菩薩・仏の目がいかなるものか体感しなければ
貴方は、心経の実証者でなくなります。
限りなく透明な覚醒と甘露甘露の歓喜は仏の二本足だと思います
957 :
こんにちは:04/03/23 14:30
平凡さん
貴方の言いたいこと、キリスト教のこといろいろあると思います
そして、貴方の体験、それから一番言いたいことがまだ貴方の胸のうちに
あることもわかります。でも、ここまで貴方はこのスレでやって来たことに
対する責任というととても語弊がありますが、貴方が一番いいたいことまで
語りつくすことを私は期待します。貴方だけの宝としておさめておきたいのなら
それでも結構ですが、ここまで貴方は人生だけでなく、このスレで突っ走ってきました。
ここから語ることが一番大変なことは分かります。
でも一番大変なことの中に、新しい体験があるのではと思います。
その一方で一番困難と思えることは、さほど困難ではないと貴方の直感は知っているではありませんか
私は、悟る方法は簡単だといいました。ただ自分の心を一切誤魔化さなければいいだけだと。
空を体感した修行者は自分が誤魔化した瞬間に修正が掛けられます。
これができないひとは空など体感していません
体感した雰囲気を味わっているだけです
だから誤魔化さないという訓練はいりません。簡単にできるからです。
そうしたら次はなんの訓練が要りますか。言い換えれば、貴方は何の訓練を始めますか
ということになるかもしれません。
次のテーマも体感なさっているのなら貴方は
2チャンネルではなくどっかでクリエイティブ極まりないことをやっているでしょう
今、すでにクリエイティブなことをやってられるかもしれません。でも、2ちゃんでとぐろまくひまがあったら
もっともっとクリエイティブに時間をつかっているかもしれません。
失礼なことを思わず口ばしってしまいました。
貴方と実際に面と向かって話しをしたら最後は取っ組み合いになりそうで怖いです。
酒でもあったら酒ビンで殴りあいしそうですね。ネットでよかったと思います。
958 :
名無しさん@3周年:04/03/23 14:37
輪廻から解放されたいという清浄なる心なくしては、
輪廻という大海の一時的な快楽の実現を求める欲望を鎮めることはできない。
輪廻の生への執着は、身体を有する者たちを、あらゆる面で縛り付ける。
それゆえ、まず最初に輪廻から解放されたいという心を求めなさい。
自身の持つ悟りへの期待を他人に投影するのは勇なき事です。
未踏の地は自ら踏む勇気がないので誰かに前を歩ませようとする。
自説を確信できないのにそれが真理に違いないと思いこみたい。
だから自分より有望そうな者を探しては自分が前だと思った方向へ
自分の先を歩ませる。
平凡さん
普通は悟りを極めたいと思います
でも、貴方は
>だから、極めちゃあいけないんですよぉ〜。(涙)
と言います。普通そんなこと言う人いませんよ。多分ね。
悟りを極めなくていいなんて・・・(どっかの棒図に名具羅れまっせ)
でも、貴方は言う。私は黙ってますけど、それは私の勝手です。
そして、言うことも貴方のかってです。
そこで、貴方が何故「極めちゃあいけないんですよぉ〜。(涙)」というのか
それも涙ながらに、これはとても誤解を招くでしょうね
でも、そんな誤解をものともせず貴方は言う
何故、貴方は極めてはいけないと言うのか
それに対して私は大大大賛成です。
でも、なぜ貴方がそういうのか、この誤解を与えかねない表明に対して
貴方は、誠実に誤解をとかなければなりません。
私は言わなかったから誤解をとく責任はありません。
でも、貴方は明らかに誤解を招くことを言いました。この責任は重大です
これを放置して知らん振りをするなら菩薩・仏・如来はなんと言うでしょうか
とても楽しみです。責任は貴方にあります。私にはありません。
これが、貴方のいいところです。
自分で問うて自分で答える
自分で罠をしかけ自分ではまる
ご苦労いたみいります。
>>959 888さん。
なるほど、そういうことですね。
>隠しているのか、悟ったことを気付いてないか、どちらかですよね。
と言いましたが、もう一つありました。
悟ったことを気付いているくせに、気付いてない振りをする。振りをしたがる。
そういうことですね。
平凡さんへ
さとりみち いってもだめなら かえってみな いきはよいよい かえりもよいよい
いづれふる ほううのなみだ あせにみる そのあじわいは かんろかんろの
ゆめはゆめ さくりはさとりと とけあいて かんきのみちに なにがながるる
きらわれそうなので、これくらいでやめときます。
>959
やっとホンショウアラワシマシタネ
888のスレ番 伊達 にとってませんね。感服つかまつりました。
そういうあなたも、888の体験をしたばっかりではあんなふうにまとめられませんよ
貴方は私より隠していますよ。
私はへたこな歌を恥かしげもなくさらしてます
これだって結構どきどきもんなんですよ
それだけ、まだましですよ。
貴方もそこまで言うならさらしなさいよ
貴方は悟り評論家ですか・・・
また、とても失礼な発言をしてしまいました。すいません。
ネットでよかったです。ここって怖い人ばっかですね
論議にはいっていけません。あなたみたいなこと言う人がいたら・・・ぶつぶつ・・・
898 :名無しさん@3周年 :04/03/22 15:14
「悟り」や「真理」は練達した職人が体得したコツや感のようなもの。
「悟り」や「真理」は楽器を奏でる人が習得した微妙なテクニックのようなもの。
どんなにコレについて書かれた物を読んでも、どんなに当人にソレについて語って
もらっても伝わらない。
ところが世の中にはああだこうだと聞かせたがる(話したがる)輩がいる。
疑う事を知らない人の良い人達は有り難いことだと話を聞いて参考になったと誤解する。
もっと疑うことをしたらどうだ?騙される羊ちゃんから卒業したらどうだ?
899 :平凡 :04/03/22 15:21
>>898さん。
その通りと思います。体感していくしかないのですから。
「体感していくしかない」と言いながら、匿名掲示板でああだこうだとゴタクを
並べる。
ビブラートのかけ方は指をネックに対して43度で構え50g/cmの圧力で
4.33回/秒の率で絃に振動を与える・・とかギター奏者が語っているようなものだな。
「1」とか「3」とかさもそんな世界がありそうな言葉で一般人に誤解を与える。
そんなやり方では地獄に落ちるぞ。300年は地獄界をさまようことになろう。
さっそく、すばらしいメッセージがはいりましたね
これくらいきついのがいいですね。めがさめますよ。
なんか、ぴりっとしてまたゴタク並べましょう。
なんとか棒みたいですね
888さん。
そうでしたね。結局は自分のことしか語れませんからね。w
すいません。
>966
いまごろ言い訳しても遅いですよ
はじめから自戒だと言えることでしょう
それなのに、私が・・・・って、・・・ぶつぶつ・・・
言わしてもらいますが、このスレを定期的にプリントアウトして
いつもじっくり読ましてもらってますよ
そこらの解説書よりよっぽど面白いしね
何回も何回も読み返して 平凡くんを困らしてやろうってね
でもなかなか書き込めません
変わりに歌で誤魔化してるんですけど
それを褒められるととてもつらいなあ
やっと困らせられると思ったのに
888のよこやりでおじゃんです
あんたほんと人が和流意よ
今日は、あんまり寝つきがよくないかも知れないなあ
あんたに うた2つよんだよ みみかっぽじって聞いてくれます?
きっかけを こわすやからは どこにいる くうのなかから あらわれたるか
ひとつとな がをぞたばねた ひとつるぎ どこをきるかを みさだめたるか
969 :
名無しさん@3周年:04/03/23 17:12
急にカバラァな話になっている。
3は物質化だから創造という意味だろう?
3になるには、1と2が必要じゃないか。
970 :
名無しさん@3周年:04/03/23 17:35
なんか勝手な話しになってるけど、合っているか
悟りについて書かれた幾つかの本を観て検証したら?
ここに10枚×2束の宝くじがある。君は右の束に1等前後賞の3億円が有る事を
知っているとする。さてどうするかだが・・
1)右の束を買い、当選金は自分で使う。
2)右の束を買い、当選金は恵まれない施設に寄付する。
3)左の束を買う。
>>968 >何回も何回も読み返して 平凡くんを困らしてやろうってね
あややや〜
申し訳ない。
こんにちはさんの場合決して冗談でない所が怖い。
・・・狙っていたのか!
テロリスト とりいだしたる核兵器 我もろとものアフロヘアー
>> 938 = 800
このスレは議論が非常に活発濃密なので、n+1がnへの回答にならないのは
仕方ないですね。私は、覚りの問題に対しては全く観念的な接し方しかで
きないので、偉そうなことは言えないのですが、
指導者が、ある人の境地を判断できるのは、そばにいるからではないでし
ょうか。発言内容だけでは、その人がどこまで何を掴んでいるのか、判断
できないように思います。
そういう点からも、2chは、いろんな人の発言を読ませてもらって、自分
が勉強するきっかけにする、あるいは問題に対する関心を持続する場だと
思ってます。
それに、何より、いろんなアプローチ、文体の人がいて、読んでいて楽し
いですね。個人的には、師家風のかたが颯爽と登場して、禅問答みたいな
ことをしてくれたら嬉しいんですけど。
畜生ー!!
昨日夢で悟ったのに、内容を忘れた マジ
悟りたいならよく己の心を観察して自らに絶望することでございます。
一度死んで(象徴的な意味ですよ)、存在に関するパラダイムシフトを起こして目覚めるのでございます。
幸せに生きたいなら明日起きて初めて会った人に「ありがとう」と言ってみることでございます。
「何が?」と聞かれたら「なんとなく」と返事をしてみるとよいのでございます。
このスレ素晴しいです。
さっぱりわかりません。
私もプリントアウトしようかな。
終了前に書き込めて超幸運。
>>975 すみません。忘れてました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
あと23スレでおわりますね
最後のふみ(23)としゃれ込んで
まよいみち つきつめたれば くるいみち いかであらんと あゆみゆくかな
byby
979 :
名無しさん@3周年:04/03/23 23:19
話している内容が抽象的なんだよね。>>1の"それが何であるかを語る"ことより
体験そのものを話してくれよ。
漏れも976と同じでサパーリ分からんよ。つーか面白くない。
保存することにしました。901以降は逐次 overwrite。
part2が立ち上がることを期待しつつ。
981 :
名無しさん@3周年:04/03/23 23:34
悟りは向こうからやってくるもの
982 :
名無しさん@3周年:04/03/23 23:38
大体悟りとか話すのになんで仏教とかお釈迦様とかの話を持ち出すわけ?
もっと自分の言葉で解説してくれよ。今の言葉で。隠れ蓑の言い訳に聞こえる。
>>888さんにもレスを返したいのですが、もう寝ないといけないので。
このスレは本当に衝撃的でした。
色即是空 空即是色が良く分かりました。今ちょっとヒマがないのですが
ころあいを見て、般若心経の解説書を読みたいと思います。
986 :
名無しさん@3周年:04/03/24 01:18
>>985 >色即是空 空即是色が良く分かりました。今ちょっとヒマがないのですが
>ころあいを見て、般若心経の解説書を読みたいと思います。
〜が良く分かって、何故、改めて解説書レベルを?
観念的な理解を、観念的な解説書の定説で確認するという意味か
はあ、なんかどうでもよくなってくるなここ。
カバラねえ、理屈っぽいって言うけど、
実践化バラのほうがここよりまだ経験的かも。
イエエエエ・ホオオオオヴァアア・エロオオ・
アアアア・ヴァエエエエ・ダアアアアト
(倍音きかせて)
じゃ、DMTでも決めてヤハウェさまとお話してから寝ます。
ずをいいいいいいいんん。
おやすみなさい。
何か言ってる人がいますね。俺をどれほど知って何か言ってんでしょうかね。
>>949 俺の場合のきっかけは悲しみです。その出来事について憎む相手と悲しむ相手が
いましたが、悲しみについて非常に苦しみを覚えました。
そして、何故それ程悲しいのか考えた所、自分の心を除く事になったのですが、
その時、俺には自分の中の悲しむ相手しか見えていなかったようです。
憎む相手が未だ見ぬ敵だったというか、その時は人間と言うより事象、出来事に
近い存在だったからかもしれません。
確かに憎むほどに相手が見えなくなりますし、憎む程に壁に拳を撃ちつけるように
自分を傷付ける事にしかならないのは経験上良く分かりますが、
その訳はそこにあったんですね。
このスレで俺に諸法無我に欠けてる物がある事が分かりましたが、少なくとも
一部は見えてきました。
>>952 平凡さん
自分を観察するとは例えば『何か言ってる人に』何か感じてる事を一生懸命観察して
たのですが、なんか言ってる人の影というべきか「見掛け」が自分の中に入ってきて
自分を形成する部品の一つになるわけですね。それを観察するべきでした。
>>988 ◆BD/.VOmZgU さん。
>「見掛け」が自分の中に入ってきて
そうですね。思い込みというヤツです。
あなたの相手に対する期待=相手では無いのです。
あなたが相手から感受した情報を読み、自分との関係性を想像します。
これが親和感と違和感の関係として、感じられる訳です。
あなたが「相手」と思っているものは、あなたの全体験とその記憶を
組み合わせた「情報」でしかありません。
つまり、それは「あなた」が作りだしたもの、「あなた自身」なんです。
あなたがあなたであるために、境界を作り、他を作ったのです。
それが歓喜なんです。
(続き)
このスレを見渡しても、同じことが起こっています。
「人は自分の読みたいようにしか読まない。」
現実の会話と違って、何度でも読み返すことが出来るのにもかかわらず。
自分の思いや期待で人のレスを読み、近ければ親和感を高める。
期待と違ったら、落ち込むか、相手を攻撃する。違和感を高める。
親和感が高かったものが、急に違和感に変わると、その落差は大きいですよね。
しかしそれは、相手が変わったのでしょうか?
違いますね。あなたの“感じ方の変化”でしかありませんよね。
誤解は、“あなたが作り出す”のです。
「相手に責任はありません。」
そういう物語が、このスレの中に“たくさん”ありました。
それを“観ていく”だけでも、相当悟れるはずです。
このスレ自体が、「十牛図」です。
絶妙なタイミングでいろいろな人が登場してきます。完璧です。
残念なのは「名無しさん」の存在かな?これも全部コテハンだったら、
もっと面白い物語が見えてきそうですもんね。w
(続き)
このスレッド(宇宙)が産まれる前は、このスレは「虚」でした。
そこに◆BD/.VOmZgU さんという神が、
>>1という「個」(存在)を産みました。
それが◆BD/.VOmZgU さんという「個」であり、それと同時に、「他」を
「他」という神を産み出しました。たくさんの神です。
なかなか面白い宇宙の歴史を刻みました。
まわりを見渡すと、あまり成長しない宇宙(スレッド)もあります。
でもそれはそれ、そこから学べることもあります。
嵐の、戦いの宇宙(スレッド)もありますね!
あなたはそれを選ぶことが出来ます。作ることも出来ます。
選ばないことも出来ます。止めることも出来ます。
捨てる(PCごと?w)ことも出来ます。遊び続けることも出来ます。
あなたの自由です。
なぜなら、あなたが「神」だからです。
ではあなたはどうします?これが悟りです。
では。w
(おまけ)
「親和感」と「違和感」は、「喜び」と「苦(痛)」と
言い換えることも出来ますよね。
これは「個」が産まれ、同時に「他」が産まれたことの宿命です。
これが二元論であり、「苦」(喜び)の原因です。
しかし、これは恨むべきものなのでしょうか?
尻尾を巻いて、「0」「1」の中に逃げ込むことが、解決の道でしょうか?
これは産まれた赤ちゃんを、子宮に戻すようなことです。
明らかに間違いです。
悟りの道「3」は、選ばないことを選ぶ道。
「個」を感じられることを選び、そして選ばない道を知り、
選ぶことも、選ばないことも、どちらも“いつでも”出来る「可能性」
「創造性」を楽しむ「喜び」。これを「歓喜」という。
(「苦」とともにある「喜び」とは別であることが解りますか?)
苦を体験することも、喜びを体験することも、「個」を気付く(発見)こと
無くしては、あり得ません。
それを「知り」、「感謝し」、「歓喜する」ことが、「悟り」です。
では。w
(最後)
◆BD/.VOmZgU さん。
>>5 >>6 >>8 >>9 あたりで話されていることを、
私の言っていることに照らし合わせて、観てご覧下さい。
どのように捉えられましたか?
あなたの成長が測れると思いますよ。w
>>994 >>5の体験は大変素晴らしいものですね。ここまでいっていれば悟っていてもおかしくなかったのでございます。
その時、今くらいの覚りについての知識があれば覚っていたかと思うのでございます、maybe。
覚りの果実を得る為に、瞑想はハシゴであり、知識はハサミである
(祈りは木の下に置いておくカゴである)
>>995 マンゴーさん。
>覚りの果実を得る為に、瞑想はハシゴであり、知識はハサミである
>(祈りは木の下に置いておくカゴである)
それであなたはどうしますか? これが、あなたへの最後の質問です。w
皆さんへの最後の質問です。w
陽はいつか落ちるものです。
おやすみなさい。
あ・・、というか、
平凡さんの言われる「0」「1」って絶望ではないんですよ。
みんなそこから帰ってくるでしょ?
>>997 888さん。
いえ、そこから帰ってこなかった方は、たくさんいらっしゃいます。
私達はラッキーだったんです。だから、こうして語れる。w
では、さようなら。
>>996 悟り人はただ「あらゆる生きものはこころ幸せなものであれよ」と願うばかりでございます。
ありがとうございました。
螺旋を昇るというのも私は疑問に思うのです。
幸せは元々あります。
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このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。