多くの人の悩みの根源は自分を知らないことにありそうだ。
思考を止めてしまい、自動的・反射的な言動をとっていることを見つめる
ことで自分がわかるかもしれない。
我々がいかに多くのことを決め付けて思い込んでいるかを知ることで、自分の言動の
理由がわかる。
本当に自分がしたいことを知る必要があるだろう。
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ヽ / '/ iヽ、
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多くの人が気づいていないことの中に、自分のもっとも大切にしていることがある。
つまり自分が何を基準にして行動をしているかに気づいていない。
なにかを選択する上でなにを基準としているだろう。
多くの人はいろいろな思い込みを持ち、パターン化している。選択を迫られるとそのパターンに
当てはめて自動的もしくは反射的・機械的に選択をする。
では、それらのパターン化が出来上がった根底には何があっただろう。
それは「これがいい」「これはいけない」といった思い込みだ。
それらは、多くの人が深く考えずに結論を出す手助けをしている。
そして、多くの人はその事実に気づいていない。
しかし、深く思いを巡らせていくと気がつくことがある。
自分の優先順位、嗜好、先入観、思い込み・・・・
そして、もっとも大切なのは自分の気持ちだということに気づく。
思い込みや先入観などをパターン化して事象をとらえることはとても便利だ。
ではどのように便利かといえば、深く考えずに結論を出せるからだ。
つまり、われわれは考えて結論を出す、という作業をそれほど好ましく思っていないということになる。
現代の文明の利器を考えれば類似しているので容易に理解できそうだ。
現代の文明の利器の多くは、体を動かさずに済むよう工夫されている。
われわれは深く考えるということも億劫なようだ。
なぜ深く考えるのが億劫なのだろう。
それは体を動かしたくない理由と類似している。エネルギー消費が高いからだ。
もしくはそのように思い込んでいるため、労力を惜しむ結果だろう。
そのためさまざまな基準を自分の中に設けて、入ってくる情報をなるべくそれらに照らして
深く思考せずに済むよう工夫している。
その結果、気持ちとは裏腹なことを選択して後悔したり、悩んだりして自分を苦しめることになる。
仮に自分の気持ちが大切だとしても、多くの人はさまざまな事情でその気持ちにそぐわない
生き方をしている場合が多い。
また、自分の気持ちを見つめることも少ないため、自分がどのようにしたいのかがわかっていなかったり、
自分はこれでいいんだと自らを欺いていることも少なくないだろう。
まずは自分と向き合う必要がある。
そしていかに自分がたくさんの思い込みを抱えて生活しているかを知ることが必要だろう。
最も基本となるのは、善悪の基準だろう。
>>9 1−2行目賛成、3行目むずかしい。
善悪は 相対的なものであって 基準を設けることが難しい。
>>10 そのとおりだ。
では、我々の善悪の基準がどのように出来上がっていくか考えてみる。
我々は生誕と共に多くの既成概念を植え付けられる。
これは育つ環境の道徳・風俗・慣習・法規等によってさまざまだ。
多くは親でありまた育児に携わった人全てが、乳幼児に対し自らの信念(思い込み)を
もって接する。その人たちの思い込みによって乳幼児の基本的な善悪の基準が出来上がる。
乳幼児にとって善悪の基準はまわりのものが喜ぶことが善であり、怒られたり禁止されたり
することが悪となる。
ところが、これらの基準は自ら感じる快・不快とは多くの場合合致していない。
よって徐々にストレスを覚えていく。
幼年期になると大人たちの矛盾に気づくことがある。
禁止されたり、悪いことだといわれていたことが、世の中でまかり通っていたり、しつけていた
本人が自ら禁を犯していることを知る。
また、よいと教えられたことが負担に感じてできなかったり、素直によいと思えなくなる。
そして同年齢の振る舞いに理不尽なものを見て、傾倒したり反発を覚えたりする。
新たな価値観を知ることで大きなストレスを受けることとなる。
ここでまわりから適切にストレスを解消してもらえると、さほど善悪に対して疑念を
抱かずに成長できる可能性が出てくる。
逆にストレスが解消されないと、善悪に対して疑念が膨らみストレスも溜まる。
いわゆる素直な子とそうでない子が出来上がる仕組みはこのようなところかもしれない。
成長と共に固定された善悪の基準が思考の根底を支える。
前述したように思考は面倒なので問題が生じた際は根底にあるその善悪に照らして即断を試みる。
その結果は本質的な自らの気持ちとは相反する場合も出てくる。
そこでストレスが生じる。
悩む。
多くがこの繰り返しだろう。
自分の気持ちをはっきり確かめもせず、自ら設定した善悪の基準に照らして自動的に判断した結果は
「どこかのだれか(世間)」にとってはよいはず(幼少期に依存していたような対象)だという
納得の仕方でしかない。
そこに気づいていない。
さて、絶対的な善悪の基準とはなんだろう。
善とは?よいこと。喜ばしいこと。喜ばれること。正しいこと。適切であること。悪でないこと。
悪とは?わるいこと。悲しいこと。辛いこと。きついこと。痛いこと。嫌なこと。よくないこと。
上にあげた例は地域性が影響してくる。宗教色の強い場所ではかなり明確に善悪を設定している。
日本は比較的その基準が緩い。
そして地域性を排除して考えると絶対的な善悪は存在しづらい。
善悪は個々の主観であり、根本に気持ちに起因する状態をさすことがほとんどだ。
つまり、絶対的な善悪の基準はおそらくかなりあいまいだ。ないに等しいと考えられる。
この相対の世界において絶対などないに等しい。
地域のみならず、時代を経るに於いても移り変わるものである。
>>17 そのとおり。
しかしわれわれは柔軟な思考をすることよりも、ある種の絶対的(指摘通り本質的には
ない)価値観に依存する。
理由はそのほうが楽だと思い込んでいるからだろう。
その結果多くのストレスを抱え苦しむこととなる。
そこでまず自分と対峙して、自分が絶対だと思い込んで寄りかかっている事柄をみつけ、
それを絶対視しているのは自分だ(主観に過ぎない)ということに気づく必要がある。
2chを見ていると、その辺りのところで多くの人が思考を止めていて、自分が依存している
価値観をぶつけ合って論争になっていると見受けられる。
もちろんそれはとても面白い。けれども、ここではそれをせずに自分を見つめていきたい。
Kさんは 勇気がありますね。自分と向き合うことができるのは・・・大人なんですね。
主観に過ぎないと気づくまでで 精一杯、その先へ行くのは二の足を踏んでしまいます。
続きが 楽しみです。
>>19 いつも書き込み感謝。
気になるところは随時指摘してください。
勇気はほとんどなかったけど、ふり絞って自分と向き合った。
痛いし辛いししんどい。でも得るものは多いと思う。
善悪が個々の主観にしか存在し得ないと知ると、では何を目標に生きればよいのか
という疑問がわく。
これは仰向けになって青空を見上げたときに感じる、吸い込まれるような、すがすがしい
ような、孤独感を覚えるような、なんともいえない感覚にも似ている。
一体なぜ、何のために生きているのか。
いいも悪いもない。何をしてもよいし、視点を変えれば悪いのかもしれない。
基盤を失った感覚。
しかし、思考する自分はいる。ここにいる。どうやって生きていくのか。
何かにすがりたい。指標を示してほしい。どうやって生きていくか教えてほしい。
しかし、だれも教えてくれはしない。そして誰にも教えられない。
この世の全ての人が自分の生き方を教えてもらっていない。
むろん押し付けられている例は数知れないが、本人がその教え通り生きた場合は本人の
意志で選択したことが認識されていないと、いずれ迷うことととなろう。
さまざまな情報がある。しかしどれがよいというものもない。
結局は自らの選択によって決定していかねば生きてはいけない。
また、死ぬのも自らの選択だ。
つまるところ、まずはそのように悩んだ以上、生きるか死ぬかを決める必要がある。
決めると言ってもね すでに存在し生きてる以上 生きてゆくしかないのでは?
この世が汚いからと 己が汚いからと 死を選んではいられない。
生きているのが死の恐怖を超えるほどつらい現実を抱えた人だけが
死を選ぶのではないでしょうか。もちろん 他のために死を選ぶなんてことも
あるかもしれないけど これは例外にしておきます。
それとも 私の考えは すでに「死を選べない、自殺は罪だ」
という考えを選択してしまっているということでしょうか。
>>23 難しい問題だから結論はないと思うよ。
「死を選べない、自殺は罪だ」という考えは生きていく上では選択せざるを得ない。
生きていくしかないというのも事実だろうね。
少し考えてみよう。
まず、死とはなんだろう。
死とはなんだろう。 簡単そうで一言ですまないよ。
>>25 むろん一言ですむとは思っていないよ。
でも避けては通れないと思う。
死とはどのような状態をさすか。誰でも知っていることだが、この世(と認識している世界)
から存在がなくなる状態。
その後は、
天国へ行ったり、お空の星になったり、地獄へ落ちたり、なにかに生まれ変わったり、
木星にアストラル体となって移り住んだり、現世を幽体として彷徨ったり、意見はさまざま。
でも、はっきりしているのは死後は不明確だということだ。考えてもわからない。
何かを信じたかったら納得できる資料を探してそれを信じる努力が必要だろう。
それもなかなか成功するかどうかは、歴史が物語っているように難しい。
はっきりしているのは、この世(と認識している世界)から(肉体的存在として)
いなくなる、ということだ。
そしてもう一つはっきりしていることがある。
われわれはいずれ死ぬ
という事実。
どうやらこれも歴史が物語っているように避けられない事実だ。
また、自ら死を選択する自由もある。
ずうっと生き続けることはできないが、死ぬときは寿命が尽きる前なら選択可能だ。
方法もさまざま考えられる。
そして意義も見出せる。
遺した家族に保険金をとか、生きるのが辛いからとか。
必ず死ぬが、死ぬ時期は多少選択可能。
もう少し突っ込むと、死に方がある。
老死、自然死、病死、爆死、焼死、窒息死etc....
必ずしも選択可能というわけにはいきそうもない。
現象に注目すると、この世の生存が不能になる状態以外はよくわからない。
しかし、生きるか死ぬかは古来から大きな問題として考えられることがある。
そこには、自ら命を絶つという選択肢が存在することによって可能となっている。
自殺行為が成立しなければ 死のう などと考える必要がない。
そして、同時に 生きる という選択が可能となる。
肉体の死を聞かせてもらった。では 心の死については?
>>29 できたら君の意見も聞かせて欲しいな。
さて、心の死ということだが
>>26の中ごろに書いたような、死後の世界のことだろうか。
死後の世界には肉体が存在しないから、心といったものでとらえる事柄かもしれない。
でも既述したようにいろいろな考えはあるが、証明されていないので わからない
ということにしておく。
そういう意味でないとしたら、説明してくれると助かるな。とりあえずすすめてみる。
死の選択が可能であることで、人は生をも選択できる。
人は本来なんら束縛されるものではないかもしれない。しかし、いずれ待ち構えている
死を避けることは出来ない。つまり少なくともその事実から、今の生を永遠に求めることが
不可能な状態で生きていることになる。
この事実を束縛(苦)ととらえるか、そのようになっているものだとそのまま受け入れるかは
「生き方」に大きく影響を与えそうだ。
人は死を選択できる。
これは 生きることから逃避する自由が与えられている という見方も可能だろう。
つまりある程度は生死に関して選択の自由があるということだ。
生きなければならないわけではない。
嫌になったらいつでも自ら命を断つことが出来る(ただし病状によっては死ぬ意志があっても
自ら命を断てない病人もいる)。
では、死にたいか 生きたいか 。
死の先はわからない。死はこの世に自分が存在していないこと。
それを自分は望むか。
存在しなくなるということは、今とどう違うのか。
体がなくなる。思考は?わからない。なくなるかもしれない。
それを自分は望むか。
それは今生きていて何を感じているかによるかもしれない。
自分は今生きている。
生きていてどうなのか。楽しいのか。辛いのか。嬉しいのか。悲しいのか。
生きていることをどのように感じて、どのようにとらえているのか。
34 :
鎖骨 ◆9ixgIWvUVI :03/11/28 16:39
絶対的なものを求めようとする本性は否定できない。
生きるとはなんだろうか。
善悪はあくまでも主観だ。いい生き方。悪い生き方。これらはさまざまな情報と経験から
多くの固定観念として人々が頭の片隅に潜ませているのではないだろうか。
しかし、そのような分類は生きる上でどれほどの価値があるだろう。
自分以外の人からどのように映るかを気にかけている人は多いだろう。
みっともなくないように、恥ずかしくないように、といった他人を気にした上での
規範に自分を押し込んで生きていることの意味はなんだろう。
果たして人はそういう生き方が好きなのだろうか。そうやって生きたいのだろうか。
>>30 心の死”は生きているこの世での話し。
体は生きているのに 心が生きているとか死んでるようだとか
表現することあるでしょう。心と宗教板だから この手の話もありかと。
問いかけてみました。
>>34 今夜は いつものところより先にここに居るんですね。
二人の世界から かしましい3人の世界になるのも おもしろそう。
>>35 ホントはそんな生き方したくないのが 人の本音と思います。
みんな 言い訳しながら 世間体や体裁を繕っているんじゃないかな。
>>37 なるほど。確かにそのような表現をよく使うね。
心が死んでいるというのは、積極的に生きる意志がなさそうだということかな。
おいおいそのような話になりそうなので、しばしお待ちを。
>>38 やはりそうだろうか。そのように見受けられるね。
事実こうして書いてる本人がまさしくそのように生きていたからね。不満たらたらで。
では自分はどうしたいのか。どのように生きたいのか。
死を選択できるという考え方から、生きることも自ら選択しているという見方も可能になる。
しかし実際はどうだろう。
ただ 生きている。
生きているから生きている。
面倒だから考えたくない。
日々の生活をこなすだけで精一杯。
生きるとはそのようなものだととらえていないだろうか。
大切なことはなんだろう。
生きることだろうか、死ぬことだろうか、生き方だろうか、死に方だろうか。
死ねば悩む必要がなくなるかもしれない、でも保証は何もない。
ただ生きるか。それもどうだろう。なにかぱっとしない。
何が自分にとって最も重要で大切なんだろう。
大切と感じるのはなんだ?
何にとって重要なんだ?
それは自分だ。自分の・・・・体・・。ではない。心?考え?気持ち?
44 :
名無しさん@3周年:03/11/29 10:55
自分を見つめて一体何が出てくる?全て自分の主観ではないか。
主観でいいじゃない。集まれば客観になるかも(適当なこといってみる)
もしかしたら 性善説や愛がはたまた神が飛び出してくるかもしれない。
おもしろい 試みだと思って 眺めていたい。
>>44 全て自分の主観だ。遺伝子と環境から得た多くの情報を処理した結果の主観だ。
全ての人が気づかずにしていることではないのかな?よく考えて欲しい。
>>45 何が出てくるだろうか。
さて、何が大切だろう。どう思う?
何が大切か・・・これには単純に「心」が大切と言える。
しかしである
はたして 大切にしているのだろうか?
どうしたら 心を感じることができるんだろう。
大切にするには 何をすればいいのだろう。
ここで質問形にすると 限がなくなる。
脇においていてくれていい。
>>48 なるほど。心なんだね。
大切にしているかどうかを見ていこう。
大切にしているとはどういうことかも見ていこう。
何をすればいいかも見ていこう。
ここでは徹底的に考えていくつもりだ。
自分にとって大切なもの。
家、車、おもちゃ、親、配偶者、恋人、友人、子ども、ペット・・・・
自分の顔、体、性格、名誉、金、プライド、価値観・・・・
人によってさまざまだ。でも、その対象となる事象を大切だと認識しているのは自分だ。
自分が大切だと思っている。
自分の何がそう思っているのか?
大切だと自分が思うものを大切だと思っているのは、その「思う」という行為の主体だ。
主体は自分だ。だが自分の体だろうか?脳だろうか?心だろうか?
わからない。わからないという事実がある。
>>48で指摘があるように一般的には心だろう。この板のタイトルでもある。
では心とはどのようなものか。
まず、どこにあるのだろう。心を示すとき多くの人は胸を指す。胸にあるのだろうか。
心臓だろうか。
心臓の中に心の存在を見ている宗教はある。根拠はわからない。
心臓移植された患者の嗜好が提供したドナーのものに変化したとする報告がある。
夢でドナーに会ったり、考え方や記憶が移植前と変化している。
心臓には記憶を司る器官が存在するのではという医学的な仮説もある。
結論は出ない。
胸腺だろうか。
成長と共に萎縮していく特徴を持つことから、心が成長と共に閉ざされていくという見方をすれば
類似性はある。免疫に関わる器官でもあり、心理的要因と関連がありそうではある。
事実、胸が騒いだり、胸が熱くなったり、胸が苦しくなったりする部位は心臓より胸腺の
方に近いかもしれない。
しかし根拠はない。
アナハタチャクラだろうか。
愛のチャクラと呼ばれていたらしい。いかにもだが、肉体の器官ではないし、存在自体
未確認であるから雰囲気を味わうにとどまるそうだ。
脳だろうか。
最もありそうだ。中枢神経であり、肉体および精神の全てと通じている。
脳の欠損による感情の異常性の発覚は周知の事実だ。
しかし残念ながら根拠はない。脳を一つの器官として使用している主体がわれわれの
心である可能性は否定できない。
結局現在でも心の所在は特定できていない。
では心とはどのようなものか。
多くの人が所在を特定できない不可視であるそれを認識している。
その作用とは何か。
多くは精神作用もしくは感情面に関しての出所といった認識だろう。
作用は、気持ちを創り出すものではないだろうか。
気持ちとは何だろう。
心が生み出すかどうかは仮説の域を出ない。気持ちの認識も人それぞれだろう。
しかし、仮に心の存在を否定しても気持ちや感情を否定できる人はなかなか存在し得ない
のではなかろうか。
>>54 アナハタチャクラとは丹田のあたりにあるというチャクラのことだろうかことだろうか?
8つのチャクラの内で一番下にあり、性のエネルギーを司る。
瞑想などでここを開くと蛇が飛び出してくる危険を説いていた方もある。
チャクラの研究も別の機会になさると 興味深いものがあることでしょう。
さて心ですが 細胞の一つ一つにまで存在するなどという説まであります。
まして器官ごとなら尚のこと、どこにと限定するのは無理なように思いませんか?
感情と気持ちはどのような分類だろうか。
感情は喜怒哀楽などの分類がなされ、多く認識されている。他にも驚く、怖い
などもあげられるだろう。
気持ちと感情は同じだろうか。多くの認識としては、気持ちは感情を含んだ存在だ。
同質とはいいがたい。
なぜだろう。
いろいろな表現を探してみるのもきっかけに つながるかも。
気持ちいい・・・・感情がいいとはいわない
弾む 落ち込む いろいろ探すと気持ちは動的である
それにくらべ 感情はその有様を表現しているように思います。
>>57 丹田にあるといわれているのはスワディスターナではないかな。
最下位はムラダーラだとおもうよ。
クンダリニーの覚醒については諸説あるようだ。根拠が希薄なので取り上げないが
否定するつもりはないよ。また仙道のクラや小周天・大周天も同じ理由で取り上げないが
否定はしない。というよりテクニックとしての利便性はあると思う。
ただし、このように根拠の希薄なものはとりあえず排除して、言葉をやさしくすれば
幼児でも理解可能で、科学的な面からも否定し得ない状態で考えたい。
また、心の所在は
>>55に記したように特定できないと思うよ。
これはとりあえずの結論。
まどろっこしいと思うけど、一つ一つ確認していこうかなと。
>>59 なるほど。鋭い指摘だね。
感情は心の有り様を表現しているが、動的ではないということかな。
そして気持ちがいいとか悪いといった表現をする。感情はしないね。
感情より気持ちの方がどうやら心の状態を適切に表現できそうだ。
われわれがもっとも大切にしているのは心。
もう少し突っ込むと、心の状態ー気持ち のようだ。
視点を変えて検証してみよう。
自己犠牲。これは相手を思いやるあまりに自分を犠牲とすることだ。
実際はどうだろう。
急な流れの川で溺れるわが子を救おうと川に飛び込む親。自分の命も危うい状況だ。
一体親は何を大切に思って行動したのだろうか。
後先考えずに 咄嗟の判断で行動するんだと思います。
迷いがでたら 動けなくなる。一瞬のためらいが 人の行動を変える。
我が子の命大事。
苦しむさまを見ていられない己(親)の気持ち。
どちらもあるのかもしれないが
ご当人でもはっきり区別はつけられないのではないかしらん。
>>63 そうだろうね。ここではそういった普通は考えないことを考えようと思う。
咄嗟の行動とは一般的にあまり考えずに思わず行動をしてしまったというようなことを指す。
言い換えれば反射的に行動したということかな。
考えずに。
では、実際はどうだろう。
上の例で考えよう。
シチュエーションは不明だが、とにかくわが子が急流に飲み込まれた。わが子の詳細も
不明だが、いくつであろうと川の急流には逆らえない、ということで考える。
仮に棒切れが流れていたらどうするだろう。
仮に罠にかかったねずみが流されていたらどうするだろう。
仮にダンボールに入った子猫が流されていたらどうするだろう。
仮にイアン・ソープが流されていたらどうするだろう。
流されている物体が視界に飛び込んできた状況は同じだ。
だが、人によって取る行動は変わってくるのではないか。
次にわが子の設定を少し決めてみよう。
とても可愛がっていて自分になついている子の場合。
わが子ながら憎憎しく思っていて、出来たら死んで欲しいと願っていた子の場合。
家計が圧迫された状況下で子どもに多額の保険金を掛けていた場合。
先に例にあげた状況が3つのうちの最初であろうことは、身を呈して飛び込むことから
容易に推測できる。
後の2つの設定の場合、飛び込むまでにためらいがあったり、もしかしたら飛び込まない親
もいるかもしれない。
むろん、強度に水に対する恐怖症がある親は飛び込めないかもしれない。
そして、そのような恐怖症を克服して飛び込む親もいるだろう。
咄嗟に飛び込むにしても、人は瞬時に自分の意識しないところ(できる人も多くいるが)で
状況判断をし、いろいろな選択肢から一つを自ら選んで行動している。
反射的(咄嗟)に見える(考えられている)がそうではない。
人は瞬時にさまざまな状況判断をしている。これは訓練により強化可能だが、多くの人は
そのような訓練を体験していない(ジャングルに住むような人や軍隊経験のある人等と比較して)
ので、成長の度合いによって選択肢が増えたり減ったりはする。
幼児は見守るだけのものが多いだろう。中高生の男子くらいになると飛び込んだり助けを
求めようと判断するかもしれない。女子はどうだろう。
人は自分の知識や経験をよく把握した行動をとるのではないだろうか。
苦しんでいる子どもを目の前にした親は状況を判断していないだろうか。
判断しているから飛び込むのだろう。
しっかりと判断しているはずだ。
目の前で苦しんでいるのが自分の可愛い子だとしっかりと判断している。
相手がイアン・ソープだったら、妙なトレーニングだなと思うにとどまるかもしれない。
飛び込んでいる。これもしっかりとした状況判断の結果だ。
多くの人は、服を脱がないで飛び込んだりするのを見れば、ああ、何も考えずに助けに行った、
と見るだろう。
考えている意識が本人になくても、歩いたり走ったりしない時点で状況判断できている証拠だ。
飛び込んだ親にはしっかりとした意志があった。
自分の子どもを救いたいという強い意志だろう。
自分の子どもを救いたい。
これは意志と表現したが、どのようなものだろう。
心の状態、気持ちはどのような状態なのだろうか。
>>69 やはり 63で書いた後半が 答えになるのかな。
<<心の状態、気持ちはどのような状態なのだろうか。
<<我が子の命大事。
<<苦しむさまを見ていられない己(親)の気持ち。
<<どちらもあるのかもしれないが
<ご当人でもはっきり区別はつけられないのではないかしらん。
>>70 そうだろうね。
さて、今まで長々と書いてきたように状況判断は瞬時にしている。行動を起こした気持ちは
なんだろう。
これは人それぞれでわからない。あくまでも推測。
君が指摘した、わが子の命が大事だと思う気持ちと苦しむさまをみていられないという気持ち。
どっちもあると思うよ。
意地悪な事を書けば、ギャラリーがいたとしたら、飛び込まないで自分がギャラリーに非難されたくない
という気持ちもあるかもしれない。
ここで重要なのは、自分の「気持ち」を最優先した結果の行動だということ。
自分の「体」もしくは「命」ではないね。
つまり、自己犠牲は 自分の気持ち を最も重視した結果の行動だとも考えられる
ということだ。
そこに親子の愛の美しさを見たりするのはギャラリーの自由。
当人たちは必死だ。無我夢中。生き死にがかかっている。何とか助かりたい。
でも、行動の原点は全て沸き起こったいろいろな気持ちだ。
自分の命より、自分の気持ちを優先した行為だとも考えられる。
人がいかに自分の気持ちを重視しているかがわかると思う。
73 :
名無しさん@3周年:03/12/01 22:36
紅茶のおいしい喫茶店にみんな逝けよ
???意味不明。
>>73 それに類似した歌を歌った最初の歌手はアグネスらしいよ。チャンね。仮面じゃない。
>>74 確かに。
われわれは生きるにしろ死ぬにしろ、重視している大切にしている自分の気持ちを
よく知る必要があるのではないだろうか。
しかし、ことに日本人は自分の気持ちを重視したり大切にしたりすることにためらいを
感じる民族かもしれない。
これはあくまで地域性によって感じる度合いに差が出るだろう。
生まれ育った風土の道徳・慣習などによって教育されるため無意識に固定観念として
持っているものだ。
比較するとアメリカなどは自己主張を重んじているので日本人とは違うかもしれない。
だが、どうやら人は言動の基準を最終的には自分の気持ちにおいているようだ。
よく見つめる必要があるだろう。
そこでまた違う見方をしてみる。
自己犠牲の例をあげた。
これを親の自分の気持ちを満たすための行為だと考えることが出来るだろうか?
また、人に施したりする隣人愛も行為する側の気持ちを満たすための行動だと考えられないだろうか?
>>77 考えることはできる。全てとは言わないが、ある。
なぜなら 自分(親)のために子供を犠牲にすることも
しばしば 見受けられる行為だからである。
施しもまた 相手の身に真実なってないものもあるだろう。
>>78 なるほど。
すると、自己犠牲や隣人愛には行為する側の自分の気持ちを満たす(自己満足)ものと
そうでないものがあるということかな。
行為する側の自己満足のない例とはどのようなものだろう。
そのようなものがあるのだろうか。
>>79 そのようなものがあるのだろうか・・・ずいぶん冷めた言い方、うーん。
あると思いたい。真実善なる人、想いはあると。とてもじゃないけど自分の中からは
例なんか出てこないけれど 信じたい心があるので きっとあると思う。
しばしタイム。
>>80 悩ませてしまったかな。
冷たいと感じたのはなぜだろう。
君の「信じたい気持ち」で見えなくなっているものがあるかもしれないよ。
「自己満足」はいけないことだろうか。
善悪は主観だったね。
考えて欲しい。
>>81 つめたいではなく さめてる。と言いたかった。
でも 冷めてるのはきっと私自身。
自己満足はいけないとは思わない。必要なものではある。
無意識に自己満足を「隠している」ことへの 嫌悪感、即ち偽善への反発かな。
なんだか いつのまにか 逆転していない これって。
考える主体はKさんで 私Tは傍観者だったはずでは?
信じたいは 信じてないからこそ出てくる言葉。
したい”が含まれるのは していない”証拠。
・・・人間不信だね。おまけに 自分自身すら信じられない。
どっか虚無的・・・冷めてるに通じていく。
>>82 なるほど。
で、主体がkだと書いたつもりはないよ。むろんそう受け取ってもらって構わない。
ここでの作業はkがしているが、自分を見つめていく作業は全ての人対象だよ。
>>83 「信じる」という行為についてもいずれ考えてみたい。
基本に立ち返ろう。
善悪は主観
わかり易くいえば、いいも悪いも捉え方次第。
これは間違いのないところだった。これを忘れると固定観念で引っかかるよ。
仏陀(釈迦、ゴーダマ)イエス(ジーザス)など聖人とされている人たちは何がしたかったのだろう。
何か使命を何者かに言い渡されて、本人は意思に反して仕方なく行動していたのだろうか。
自分がしたいことをしようと貫いたのではないか。
人は自分が納得出来ないことをすると、多大なストレスを受けた状態となる。
要するに、したくないことはしたくない。したいことだけしたい。
これは事実だ。
だが、社会生活をおくる上ではそうもいかない。
そこで、他人との折り合いをつける必要が生じてくる。
一通り読んでみた。
ずいぶん慎重だなという印象を受けた。
繁盛していくといいね
>>88 ありがとう。
慎重なのは、受け入れられた経験がないためだね。
繁盛は難しそうだ。
来ちゃった(;´Д`)ハァハァ
あっちのスレの方が詳しく書いてあるところもありますね。
本音をいうと原則スレじゃなかったら76=kさんと違うやり取りが出来ただろうなぁと。
悪い言い方をすると原則というものに縛られていたから、あぁなってしまいました。
まぁ、自分で進んで縛っていたんだけどね、縛らないと原則スレのまとまりに欠けるので。
もしよければ、原則とか原則的発想なんてどうでもいい僕の主観と
76=kさんの主観で良い話しが出来たらなぁと思います。
>>89 一応原則スレにだけでもリンク貼っとこうか?
迷惑じゃなければ
>>90 ワロタw
人は,本質的に何を望んでいるのか・・・?
この問いについて考えるなら、動植物を題材に取った方が良い。
通常、人間に比べて、動植物はギリギリ迄、死ぬ事を考えない。
動植物にもストレスは有る。
けれど、人間程には無い。
人間と動植物の違いは何か・・・?
それは、自我の有無だろう。
つまり、自我を消せば、人間も生存本能に忠実だという事だ。
生存本能を基盤として、人間は、感情や理性を働かせている、という事だ。
ところで、心理学者フロイトは、エロスに対してタナトスを考えた。
エロスは、=生存本能として、タナトス等という物が存在するのかどうか、
私は疑った。
考えるに、タナトスとは、ストレスの事のように思われた。
深層意識に溜まったストレス・・・
それが、タナトスなのではないだろうか・・・?
つまり、人はエロス(生存本能の喜び)を追求する為に生き、
そして、タナトス(深層意識のストレス)を処理する為に、
頑張っているのでは、ないだろうか・・・?
>>90 そうかい。
どうぞ。
君は結局原則はどうでもいいの?
>>91 そうだね。お願いするよ。
ところで、君はどんな考えで生きているの?
少しずつ聞かせてくれると嬉しい。
>>92 ストレス解消のためにがんばっているのは事実だろうね。
ちなみに君のいう意味とはかけ離れているかもしれないが、動植物にもストレスはあるかもね。
そういう実験もされていたはずだね。
生きているものは、みんな生きようと努めているように見える。
でも実際はわからない。
われわれは自分のことすらわかっていない。他のことは推測が関の山だ。
でも、推測という認識のもとであれば、他を思う行為は自分にとってとても重要だと思う。
96 :
名無しさん@3周年:03/12/05 23:10
遠い目で黄昏ている奴はイカ臭いね
>>94 もう1さんが貼ってくれてるみたいだな。良かったね。
考えなんてないと思うがわからん。難しいな。
当たり前な事を当たり前と決め付けないくらいかな。
分かったつまりにはなりたくないって感じ。
>>98 そうだね。貼ってあった。
君の言う「決め付け」をどれだけしているかに多くの人は気づいていないだろう。
「決め付け」「思い込み」「先入観」「固定観念」
などをどれだけ自分が持っているかに気づくと、世界をまったく違った視点で見ることが出来るだろう。
当たり前ということは本質的にはないね。便宜上そう呼んでいる。
君はとても思考が柔軟なようだね。思うことを書いて欲しいな。
この世の全ての人は、自分の気持ちを大事にしている。
別の表現を使えば、生きることは自分の気持ちに集約される。
人はなぜ生きるのか。理由は人それぞれだ。だが、本質は同じだ。
気持ちを満たすためだ。したいことをするためだ。
人はしたいことしかできない。だが、全ての人が自分の気持ちを優先していけば、当然
軋轢が生じる。そこで折り合いが必要になる。
人の言動は自分の気持ちを反映している。そして、全ての言動は自らの選択によって行なわれている。
仮にやりたくないことを強制されてする場合も、その行為をした時点で自ら選択したことになる。
これを勘違いしている人は多い。
強制してくる人の気持ちを慮ったり、今後の自分の立場などを考慮して「嫌だ」が「自ら選択」する。
これも折り合いのほんの一例だ。
いわゆる、「負け」という解釈が多くされる状態だ。相手の気持ちに自分の気持ちが負けたというわけだろう。
しかし、勝ち負けはとらえ方だ。善悪でもない。本質を見失わなければ、そこから先の展開も望める。
だが、多くの人は「負け」と認識して強くその気持ちを持続させる努力をする。
ストレスとなる。
>>99 どうだろうな。
最近、何かの作品作りをしてると自分の頭の固さ、
不自由さに気づき悲しくなっているところだ。
もっと自由になりたいと思ってる。もっと自然体になりたいと思ってる。
レスを見る限りkはすごくナチュラルな感じがする。羨ましいかぎりだ。
>>102 なるほど。創作活動をされている人なんだね。
あくまでもこれまでのレスのみを読んだ限りの感想だが、過去に出会ったどの人よりも柔軟に
思考しようという気持ちが伝わってくるな。
こちらとしては嬉しい限りだ。
kはナチュラルな感じを演出しているつもりなので、そのような評価は努力が報われた感じで
嬉しい。
仮に羨ましいということばを真に受けてレスをすると、君も自分の描く理想の状態を明確にして
それに向けて実現可能な手段を探すことをすすめる。みつかっているなら実行することだ。
kは偉そうに語っているが、これも演出のうち。了承願いたい。実態はバカだ。
>>103 あっちのスレとか 原則スレと 呼んでいるスレの紹介はしないのかい?
>>104 して欲しいのかな?
哲学版の「人生最大の発見 3」。誘導は出来ないので失礼。
そこで1が原則について語っている。
kは「人生最大の発見 2」のときに76として自分を見つめることを提唱していた。
1は76に対し原則がわかっていないという指摘を繰り返し、76はその指摘の無意味さと本質を
見つめないことにおいて1を指摘し続けて、ギャラリーがいなくなったところで撤退。
3になって面白そうな人(深い森)が登場したので10として復帰。そこで43と出会い今に至る。
>>103 創作活動といっても2ちゃんねる内でしてることだけどな。
そんな大それた物じゃないと。
理想の状態ってのはなんだろう。難しいな。
方向性を定めるってことかな?
世の中には、幾つに成っても、泳げる人と泳げない人が居る。
プールが好きな人と、嫌いな人。
足が届かないような水深を、好きな人と嫌いな人。
何故だろうか・・・?
泳げない人達は、筋肉に無理な力が入っている。
水を恐怖している。
けれど、実体の無い恐怖は無い。
恐怖は、単なる記憶情報なだけではなく、
筋肉の無意味な緊張という、実体を伴っている。
恐怖の記憶情報が消えれば、筋肉の無意味な緊張も消える。
逆に、筋肉の無意味な緊張をほぐせば、恐怖の記憶情報も一時的に消える。
心と身体は、相関関係にあるのだ。
私は、よく散歩をする。
理性を動かし、身体を動かし、更に感情を動かせれば、申し分無いのだが、
残念ながら、芸術方面(感情を働かせる作業)には、
あまり、才能を持っていない。
人間は、理性と感情と肉体の、バランスによって生きているのだろう。
>>93 kさん
>君は結局原則はどうでもいいの?
物事を知るための考え方としては役に立つけど、
今まで好きだった音楽が変わるということはないかな。今後はわからんけど。
>>このスレについて
このスレッドに書いてあるkさんの言葉はかなりいいと思う。
僕も読んでいくうちにあぁ、あんなことがあったなぁ、こんなことがあったなぁと、
以前、自分自身で気付く自分自身を振り返ることが出来た。ありがとう。
kさん自身が見つめることで気付いたことはありますか?
>>106 そうなんだ。差し支えなければ教えて欲しいな。2ch。
>方向性を定める その通りだ。とても的確だね。
これ!と決めるのもいいが、柔軟性を持たせ、いくつもの道筋を考えられると可能性が広がるかもね。
実は哲学版でもう一つ「悟りとは、苦とは何か、その二つの接点」というスレで25をやっている。
ここでも同じことを語っているが、見事にスルーされっぱなし。
さっき珍しく質問されて面白いことを書いてきたので、興味があったらどうぞ。
以前は書き込みをしたこともなく、TVドラマ板や犬猫板を眺めているだけだった。
上記のスレの元になった「悟ったよ!!俺悟ったよ!!」とかいうスレからこういう書き込みをはじめた
という経緯があるので。
>上記のスレの元になった「悟ったよ!!俺悟ったよ!!」とかいうスレからこういう書き込みをはじめた
>という経緯があるので。
そのスレ立てた香具師は原則スレにカキコしていた
>>107 興味深いね。君はよくわかっているようだよ。
理性、感情、肉体と君が認識しているそれぞれのバランスを「上手に(自分にとって)」
保つことを「積極的に」するか、なんとなくするかで生き方が変わると思う。
君が芸術方面に才能を持っていないというのは、君の思い込みだと思うよ。
君は自分にとって厳しい批評家かもしれない。もしくは他人の評価を必要以上に気に留めているのかもしれない。
よく考えて欲しいな。
>>108 君が理解しているという原則は利用価値があるのだろうが、他の人の知識欲を煽るだけで
実態を具体的に表現する工夫をしないのはどうかなと思ったよ。
kはいまだにわからない。
ここにはkが自分で気づいたことが書いてあるので、全部がそうだ。
また、今も気持ちをそのような状態にすれば気づくことだらけで感動する。
君が素直に書いてくれたことでとても感動しているよ。
これからも読んでくれれば、自分の気づいたことを書くのでわかってもらえるかも。
>>109 ありがとう。ご苦労さま。
実はコピペの仕方も知らない。出来たら教えて欲しいな。バカですまない。
原則に関してはkもさっぱりわからない。2のほうに76としてがんがん1に突っ込んでいるように
明確に知らせる努力をしていないので1の考える原則というものはわかるはずもない。
だから、考える必要はないと思うよ。
>>111 君は
>>104と同じ人かな。
で、その情報は本当かい?
そのスレ立てた香具師とは、kが突っ込み続けて逃げていった1なのかな?
それともハルカ?
質問ばかりですまないが、君はなぜそれを知っているのかな。
その人はどのようなレスをつけたのだろう。
なにやらとても面白い気分にさせてもらったよ。
>115
俺はただの通りがかり。
「悟ったよ!!俺悟ったよ!!」を先に読んだから印象に残ったんだと思う。
不思議に思って書き込みした。
私もここで教わった、必要に応じて 一つづつ。
PC初心者板で質問した。
初心者の質問板でもスレッドを継続するにはどうすればいいのかとか尋ねていた。
マウスの左を押しながら動かす→動かした部分だけ
反転する→自分がほしい部分を反転させたら左はなす→
反転させた部分にマウスを重ねて右クリック→
コピー→メモ帳など開いてペースト(貼り付け)
>>110 スレは紹介はしないでおくよ(不満か?)
悟りとは〜のスレにいったが俺には難しくて10分も読んでられなかったな。
分からんものは分からん。
ちなみに俺も?悟りたいって気持ちはあるけどな。なんだろうね。
そもそも悟りってなんだろうな?
難しいなー。
>>116 すまないが、いっていることはわかるが、文意が読み取れない。
君は何を不思議に思ったのかな。
「悟ったよ」の1が「人生最大」のレスに自ら存在を明かしたわけではないのかな。
>>117-118 手間を掛けたね。
おかげでバカなkにもその通りやったら出来た。ありがとう。
親切な人だね。
>>119 不満ではないよ。もともと紹介するかどうかは君の自由だからね。
気が変わったら教えて欲しいね。
あのスレは書いてあることがよくわからない。実はkもほとんど読んでいない。
彼らは妄想を基盤に理論を確立させることに懸命になっているので、その世界に入り込めない
人には理解不能だと思うよ。
悟りはとらえかたでさまざまなものが考えられそうだ。
>>120 そうだね、難しい。
なぜならこれが悟りだという明確なものが提示されていないからね。
けれども日本人の多くが「悟り」の認識を何らかの形で意識しているのは興味深い。
おそらく、多くの人が心のどこかでそれを求めていると思うよ。
われわれ人間の間に完璧な共通の認識はない。
なぜなら、異なる存在だからだ。
遺伝的に極めて類似しているが、異なる部分がある。
また
>>110に紹介したスレに書いたことだが、育てられた環境によってさまざまな知識(固定観念)
を得るため、微妙に異なった考え方をするようになる。
コミュニケーションツールとしての言語は利用価値が極めて高いため、積極的に好んで使用されている。
だが、共通認識のないわれわれが利便性だけみて言語をある種絶対視することによって多くの誤解が生じている。
>>124 ありがとう。
楽しそうなスレだな。しかし、あの場で受けを狙うのはかなり困難だね。
理由は今kが語っていることと密接な関係があるだろう。
ともかく、困難だからこそ創作がより面白くなると思う。
>175 >439 >485 などが壺だった。>175は本人も気づいていなかったようだね。
確か「角朗」だったかな。TDLのホーンテッドマンション待ちで本当のご本人の後ろだったことがある。
背は低いけど横は分厚かったな。ちなみにkは極真だったりする。
われわれは各自持っている認識を相互に確認し合って理解を互いに深めるという作業を
あまり好まない。
「なんとなく」分かり合っている気分に浸りたいようだ。
だが、残念ながら実際はほとんど分かり合えていない。
その認識が「悟る」には必要だと思う。
存在という認識の根源には「自分(自己)」と「他(自分以外)」しかない。
自分とは思考する主体であり、存在の根源だ。
他とは自分が五感を通して脳で認識している自分以外の存在で、実態はすべて自分の体の器官という
媒体を通してしか認識不能だ。
多くの人がこのような考え方による認識をしていない。
自分と他を単純に同列の存在として認識しているので、大きな過ちを犯して自らストレス状態を
引き起こしている事に気づいていない。
多くの人は思考し続けることより、思考をある程度でとめて自ら作ったある種のパターン
に瞬時に当てはめて認識しようと試みる。
理由は既述のようにエネルギー消費の削減だろうか。いわゆる「めんどくさい」が近い。
その結果、相手の行動を瞬時にパターン化し、記憶に照らしてそこから類推されることを
先入観として決め付けてから相手の次の行動を待つ。
結果、予想通りなら自らのパターン付けが確信となり、固定観念化される。
結果、予想外であるとき、思考が柔軟であればそれを意外に思うと同時に面白くも感じる。
そこで、自分の思考パターンに修正を加える作業をしていく。
思考が堅い場合は、意外であると同時に不快感を覚え、修正を加える作業も不快で、したつもりで出来ていないかもしれない。
また自分の先入観を棚に上げて、相手の行動を「変だ」と決め付けて非難するかもしれない。
多くの争いの根源はこのようなことから生じるのではないか。
人は理解し合う事は出来ないのか・・・?
大人と子供・・・男と女・・・善人と悪人・・・
これ等の内、最も理解の難しいのは、男と女の場合であろう。
同姓同士ならば、年齢差も立場の差も、ある程度は、克服の方法は有る。
けれど、異性同士の場合はどう成るか・・・?
このスレの住人達のような、理性タイプの場合で考えてみよう。
理性タイプは、左脳が発達したタイプだ。
理性タイプは、常に、欲求不満(フラストレーション)に晒されている。
左脳を発達させたのだから、右脳も発達させたいわけだ。
けれど、右脳の発達は、女の方が得意で、男は不得意だ。
けれど、女達も又、右脳のみが発達し、
左脳を発達させられない、という欲求不満に晒されている。
ここで、もしも、同じ程度の素質を持ち、
左脳のみを発達させた男と、右脳のみを発達させた女が、
出会ったとしたら、どう成るか・・・?
おそらく、両者は宿命的な反応をする事だろう。
絶対の天敵と成るか・・・或いは無二の親友、恋人と成るか・・・
男と女は、カードの表と裏、補い合う関係にある。
その事が実感出来ない内は、両者の理解は有り得ない。
>>130 いささか例が極端のようだ。
人と人は理解し合う努力をすることで、ある一定の関係を保つことが出来るかもしれない。
安定した状態というのは束の間だろう。人の思考や感情は常に変化可能だ。同じであることは苦痛ですらある。
そのような性質を持つ人という存在が、互いを理解するにはそれ相応の努力が必要だろうね。
その関係に安心したらすぐ不安定に変化するかもしれない。
また、それが楽しいと認識できると生きるのが楽しくなるかもしれない。
そのようなことを考えていこうと思う。
君もこれからも思うまま書いて欲しい。
>>126 受けを狙うのは確かに難しい事だな。
ただ、ま固定概念があるからこそ取れる笑いも多くあるから
まだまだ捨てたものじゃないという事だな。固定概念も
>>k
人は、確かに変化する。
人の基本的欲求の中には、「進化」という項目が含まれている。
より、正確に言うなら、生命は、常に、新鮮な何かを追い求めており、
宗教も、恋愛も、芸術も、本質においては、生命の異なる相に過ぎない。
これ等は、通常、全て引っくるめて、「自己表現」、と表現されている。
「自己表現」こそが、人の変化の本質に関わる問題だと、
私は考えている。
>>132 その通りなんだ。いつも君は実に的確なことを書いていることに気づいているかな。
「人生〜2」に固定観念の重要性を書いた。これがなければ「成功」は難しい。
いずれそれについても書こうと思う。
>>113 僕も知識欲を煽られましたよ。実は一度質問を書きこんでいたり。
はじめてあのスレを見てから原則が認識できるまで四ヶ月w
話しは変わって、このスレにあう話しでも。
自分を見つめるきっかけはなんだろうか。
つまり、どういうときに人は自分に気付くのだろうか。
失敗したとき?成功したとき?感情的になったとき?
人それぞれといっちゃぁ人それぞれなんだろうけど。
人と話しをしていて違いが見える瞬間がたまらなく好きだったりする。
それは相手を知ることにもなるし自分を知ることにもなる。
自分と同じということに価値観をおくのもいいと思うけどね。
僕と同じだと僕みたいなつまんない人生を送ったのかと同情してしまうw
>また、今も気持ちをそのような状態にすれば気づくことだらけで感動する。
そのような状態とはどんな状態なのだろうか?これは詳しく聞いてみたい。
>>133 そうだね。君のいうとおりだと思うよ。
人は安定を求めて生活していると錯覚している。だから安定を手に入れると安心は一時で、
すぐに不安定を求めたがる。結婚したと思ったら浮気したくなったりとかね。
君の言う自己表現こそ人の最大の喜びだろうし、生きるとはそれの連続かもしれない。
多くの人は、とくに日本人は慎み深いことを美徳とする伝統があって、自己表現といった
事柄を色眼鏡を通してみてしまいがちだね。
人は常に変化している。常に変動している。その認識だけで自由になれるかもしれない。
>>135 「そのような状態」とは「さまざまなことに気づこうと積極的になる状態」のことだよ。
通常まるで無感覚かのように生きている人もいるね。満員電車に揺られている人などは
極力周りの状況を無視して自分の五感の感度を下げようと努めているかのようだ。
その逆をやるということだ。五感の感度を最大に上げて思考を解放する。
自分の環境がまるで新鮮なものと変わり、何もかもが面白く感じてくる。
思考は止まらず、しゃべりもよどみなく出る。体は自由に動き快感ですらある。
でも後で疲れるときもあるからコントロールして通常は限定して解放するようにしている。
意味不明だったらすまない。要するに、気づこうと自分の意識を持って行くといろいろなことに気づく
とうことなんだけど、限定して何かに気づこうと「力む」とできないね。でも気づこうという
積極的な姿勢は必要だよ思う。まあ、たいしたものではないよ。
>>134 固定概念じゃなくて固定観念か?
日本語勉強せんとなw
的確かどうかなんて分からんよ。
てかもう何が正しいかも分からんような時期さ。(?)
頭よくなりてえ
>>138 ゴメン。これ俺ね
>>137 俺へのレスじゃないが、それ今日やったらどうなるかなーって思ったのだわ。
フルパワーで五感を同時に使うての。
なんか感動w
>>137 いやいや、よくわかるよ。
目の前に人がいるのにいないように振舞うのが普通になってしまって、
もしくは、それがよりよいコミュニケーションの手段だと思い込んでしまって、
息苦しさを感じているけど自分に気付いていないから耐えるしかないみたいな。
なんというかな、電車やバスは運転手がいるから動いていることを
忘れてしまっているかのような人は多いからねぇ・・・残念ながら。
積極的な姿勢が必要なのは意見を同じくするところだと思う。
まぁ、積極的でもなく消極的でもないあるものを得ようとする状態が理想だろうけど。
僕はそれをニュートラル状態と呼んでいたりするw
>>138 哲学板や心理学板いくときは辞書必須w
めんどくさがりなのでコピペでgooの辞書つかってますわ。
http://dictionary.goo.ne.jp/index.html
>>140 ああ。ども
でも辞書は左手にあるから大丈夫w
やっぱ自分で調べんと不安でね。
ニュートラル・・・・自然体・・・俺も理想だ。
生きてやるでも死ぬのは嫌というのでもなく素直に生きたい。これだね。
力まない事だね
やっぱりネットは面白い。
いろんな奴がいる。
ネットができる環境で良かったわ。ほんと
>>138 いやおれもよく知らない。使い慣れている言葉で代用したんだよ。
正しいかどうかは、目的が明確になったときに判断可能かな。
というか、正しいというのもある限定した範囲内でのみ存在し得ると思うよ。
つまりは、わからないんだよ。
>>139 前スレくんに質問されて調子に乗ってしまった。
あまり気にしなで欲しいな。
>>140 まあ、本当に適当に流して欲しいな。
多くの人は(当然kもそうだったわけだが)敢えて気づかないように生きているとしか思えない
生活の仕方をしている。
ひとつこれだと思い込むと切り替えがなかなか出来ないね。
君のいうニュートラルになると気づくチャンスが広がるということではないかな。
>>141-142 力みは体感できるね。
思考の力みをなくす方がkにはやり易かったが、これは個人差がかなりあるようだ。
体の力みを無くして生活するのはこれまた至難の業だけど、少しでも出来ると愉快だよ。
ネットは確かに利便性が高いね。出会う可能性の極めて低い環境の人同士の対話ができる
素晴らしさがある。
kのようにしゃべり好きにはありがたい環境だよ。
>>143 そのままだとアヤフヤって事かな?
なんとも言いがたいと・・
>>144 どういうこった?w
>>146 体の力みをなくせばスポーツとかすごい楽しみになるんだろうな・・・
学校もこういうとこを教えてくれればいいのにね。
そうすりゃ自発的に外にも出ることだろうに
ネットは喋るのが苦手な俺でも支障なくできるのでいいんだよね
ま克服したいと思ってるけどな
>>147 絶対的な正しさは存在しないということかな。
極端な例をあげれば、戦時下であれば敵兵の殺害は「正しい」。通常は「悪い」ことだね。
イラク自衛隊派遣のいきさつなどもわが国の首相の判断の正誤は意見の分かれるところだ。
力みはなかなか取れないね。でもコツがある。
それは、お腹に力を入れることを意識して動作を行なうこと。
肩を下げて手を上げていくとお腹に力が入るから体感できると思うよ。
kはしゃべりすぎで迷惑がられている。ネットの利用も人それぞれの利便性が見えて
面白いね。
ROMは続けています。書き込まないだけ。人が増えて面白がっています。
私は自分を見つめるのが怖いくせに 発言していると心の中をここに晒してしまうような ストレスを感じたから。
でも Kさんはじめ 人の心の中は知りたいなんて 虫のよいことは思ってます。
>>149 人の心の中を知りたい。君はずばっと本音を言うね。多くの人がそうじゃないかな。
むろんkはそうだ。
気が向いたらどんどん書き込んで欲しいな。
>>141 そうそう、日本語で言うと自然体。
ふと、いい人と呼ばれていた昔を思い出してしまったw
僕はそのころ自然体ですごせていると思っていたのだけど、
今思うと怒りの感情を出していない自分だったなぁって。
人ともめないようにもめないようにする観念ってやつがあったなぁ。
そういう無意識の観念はなかなか気付けない・・・
>>148 しゃべり過ぎで迷惑がられているというけど、
このスレにきている奴は誰もそんな風には思っていないと思うよ。
まぁ、スレタイからしてkさんのやってることは人に影響を与えることだと思う。
僕もそうだし他の人も何かしらkさんとやり取りする事で得るものがある。
そうやって人に与えた影響(返事)をはぐらかしているように思える。
僕がそう思うだけなのでkさんはどう思っているのだろうか。聞かせてほしい。
こっちがどう考えているか、書いておきます。
僕は与えた影響の分、相手の返事をしっかり責任を持って受け止めたいと思っている。
受け止める事は誰かに影響を与えた自分ってのを自分で認めることにもなるだろうし。
>>148 難しいねえ・・・
ほんと簡単な事なんて一つもない
丹田に力を入れるってことかな?NHKで武蔵が言ってた。
気が付けば肩に力が入ってしまってる状態が続いてたので
どうにかしたいと思っていたところだ。情報サンクス
>>151 なるほど。
受け止め方、というのもある。
kはとりあえずここではあまり否定はしない。
理由は、限定された状況以外では否定が困難だと考えていることによる。
「なるほど」は書かれていたことに納得した表現。
「その通りだ」は共感を覚えた表現。
人は互いに影響しあって生きているね。嫌だけど楽しいと思う。
>>152 あたり。
丹田も分類で上中下があるらしいね。武蔵が言ったのは臍下三寸の下丹田だろう。
臍に四指を閉じて当て小指外側辺りで、その場所からちょっと尾骨方向斜めに下った
ところにあるらしいね。
kは怪しげな武術も少し齧ったのでくだらない知識がある。でも問題は実践だ。
日々の積み重ねが重要だと知ったよ。
人は何のために生きるのか。
人それぞれが自分の気持ちを大切だと思っている。
自分の気持ちは自己の利益を含有する。
人は自己の利益の実現のために生きている。
人のために生きることを美徳としてとらえる風習がある。
それは同時に我儘を戒めることにも通じる。
仮にそれを生きる基盤とするとき、人はどのように生きることになるだろう。
どのように生きればいいのだろう。
>>128に記したとおり、他人は自分以外であり自分と同一ではない。
他人のことはわからない。
わかるのは、他人もその人の気持ちを大事に思っていること。その人の利益を優先させたいこと。
その点で全ての人は同じような気持ちかもしれない。
問題はその人の気持ちだ。
その人が相手を思う気持ちを大切にしていれば、それは我儘と映る行動にはつながらないかもしれない。
自分の利益とは自分の気持ちが満たされることだろう。
何によって満たされるかは、その人によって異なる。
>>151 >人ともめないようにもめないようにする観念ってやつがあったなぁ
前スレはなんか俺に似てるねw
争いがないようにないように生きてきた。
が、それも臆病者のとる行動と認知してきたこの頃。
何を争いとするかも考えなきゃならんな。
自分というものを持とうと思っている。
傷つきたくないだけだったかもな。なんとなくだが
>>154 詳しいな。丹田はへその下ってぐらいの認識だったw
武術と言えばNHK人間講座「古武術に学ぶ」終わっちゃったんだよな。
あの先生好きだったのに。
人は自分から動いているのかそれとも動かされているのか?
自然と人間の関係・・・
色々興味深い話だった。まあ知らんかな?
ちなみに俺は武道は脳内で楽しんでいるw
>>153 ふむふむ、わかりますた。
場合によっては否定してもいいんじゃないかなぁと思ってたもんで。
受け止め方ってのもいろいろあるだろうなぁ・・・
受け入れだったらちょっと悩むなぁ。
>>158 似ているかも・・・臆病者とか、事なかれ主義とか思ってたわ。
んじゃせっかくだから少し続きを書いておくとしまつ。
これは生い立ち、環境を遡ることで気付いたことで。
幼少のころはすぐ手がでるタイプでよく親に怒られていた。そこで親の望む、怒られないようにしようとする。
選択したのが怒りを出さないようにしてしまったこと。
まぁ、ここで面白いんだけど、怒りの感情を出さないようにすると、他の感情までだすのが下手になってしまった。
感情を抑えるのが普通になって感情を自認できなくなってね。
それでも怒り以外の感情はかなり漏れていたんだけど(←自覚なしw)
ちなみになぜ気付いたかというと、人から感情をぶつけられてしまって、感情を出さざるおえなくなって、ふと気付いた。
アレ?自分に感情あるやん!ってw
スレタイ通りに自分を見つめてってやつでしょうかね。(゚д゚)ウマー
>>158 >何を争いとするかも考えなきゃならんな。
鋭いね。
争いは、目的を効果的に達成する手段として優れた効果を発揮する場合が多くある。
反面、本質を失って競争相手より優れた感触を得ることに目標を設定したり、全てのことを
競争という概念で見てしまう人もいる。
>自分というものを持とうと思っている。
うん。是非そうして欲しいよ。
>傷つきたくないだけだったかもな。なんとなくだが
そうなんだろうね。kはそうだった。
でも、傷つくのは自分で傷ついていることに気づくとなんとかなるかも。
他人の評価はあくまでもその人の価値観でしかないね。気にするかしないかは自分の気持ち次第だと思う。
>>159 >武術と言えばNHK人間講座「古武術に学ぶ」終わっちゃったんだよな。
>あの先生好きだったのに。
甲野先生だね。以前黒田先生という居合道場へほんの少しだけ通ったことがある。
そのときに甲野先生が遊びに来たことがあったよ。
>人は自分から動いているのかそれとも動かされているのか?
>自然と人間の関係・・・
そんな話をしていたんだね。一度見たときは座位から一瞬で立ち上がって抜刀していた。
あれは両足の外側を支点として内転筋というところを使いながら立っていると思う。
ゆっくりやると後ろ向きになるよ。
偉そうにうんちく語って申し訳ないが、興味を持ったのなら何かしら体を使って体感する
ことをすすめたいかな。
人は自分から動いているのは間違いないところだろうね。
でも、動く主体は自分だけど根本は脳の指令だろうか。とすると、気持ちで動こうとするときは
その気にさせる「何か」は外的要因がきっかけだろうね。蝶を見かけて追いかけたりとか。
脳の反射の場合は、能動的感覚はまずないだろうから動かされている感じだろうかね。
すると、いずれの場合も動かされているとも捉えられるかもね。
>>160 >これは生い立ち、環境を遡ることで気付いたことで。
kが言い続けていることをしたんだね。
kは嫌々ながらさんざんやって前スレくんのように気づいたことがたくさんある。
人は成長過程で自分の気持ちを納得させるために、必死でいろいろな言い訳やら作戦やらを
考えて、自分のそのときの瞬時の気持ちや、引きずりそうな気持ちを「ごまかそう」とするみたいだよ。
kはさんざんそんな面倒なことをして幼少期を過ごした。でも、多くの人がそのような体験があることに気づいた。
だから、偉そうだけど一人でも多くの人に自分を見つめるという嫌だけど実りの期待できる作業をして欲しくて
2chにいる。
選民思想の宗教が唱える理想郷のようなものを、人が自分を見つめることによって実現し得るのではないか
と思っている。
必要なのは自分がしたいことを知ることと、みんな自分の気持ちが大事だと知ること。
そして折り合いをつける作業を楽しむことかな。
ここでの結論の一つはそれかな。まだまだ説明が足りないね。
>>160 なるほど。
環境をさかのぼる事で得られる物は多いよな。
俺の場合何故「争いがないようにないように」っていう考え(?)に至ったかと言うと
おそらくそれは小さい頃に両親が離婚するだのしないだのという
喧嘩をしてる時を見てしまって「争わないでよ。やめてよ」とと思ったのがきっかけだと思う。
(夫婦喧嘩?を「争い」と見なしたって事)
それからというもの自分は傷ついてもいいから俺が悪かったから
争いだけはやめてくれ!となったわけだ。
自分が捨てられる危機(?)が脳裏に浮かぶのかな?分からんけど。
こうして過去を見ていくと他の人で似たような奴がいたら
なんか気持ちを共有したっつうか共感する部分が見えてくるっつうか。
だから一方的に誰が悪いとか言えなくなっちゃうんだよな。はああ
意味分からんくてスマソ
>>161 >争いは、目的を効果的に達成する手段として優れた効果を発揮する場合が多くある。
>反面、本質を失って競争相手より優れた感触を得ることに目標を設定したり、全てのことを
>競争という概念で見てしまう人もいる。
そうなんだよな・・
討論とかもする気がしないもん。ふう
>でも、傷つくのは自分で傷ついていることに気づくとなんとかなるかも。
>他人の評価はあくまでもその人の価値観でしかないね。
>気にするかしないかは自分の気持ち次第だと思う。
うーん。気にしない風になってみたいものだ。
言葉は変だが「無視」するのかな?
むずいな
>>162 そうそう甲野先生!
初回で運命とは何か?とか話してたから興味が湧いたんだよね。
>そんな話をしていたんだね。一度見たときは座位から一瞬で立ち上がって抜刀していた。
>あれは両足の外側を支点として内転筋というところを使いながら立っていると思う。
>ゆっくりやると後ろ向きになるよ。
見ただけで分かるんかい。すごいな。
ん?十代か?なんとなくだが・・
>偉そうにうんちく語って申し訳ないが、興味を持ったのなら何かしら体を使って体感する
>ことをすすめたいかな。
まあ面白そうだと思うからそのうちやりたいとは思ってるよ。メリット多そうだしね。
でも空手とか剣道とか何やろうって感じだな。武道つっても沢山ある気がするし。
悩むよね。
>>162 >人は自分から動いているのは間違いないところだろうね。
>でも、動く主体は自分だけど根本は脳の指令だろうか。
>とすると、気持ちで動こうとするときはその気にさせる
>「何か」は外的要因がきっかけだろうね。蝶を見かけて追いかけたりとか。
>脳の反射の場合は、能動的感覚はまずないだろうから動かされている感じだろうかね。
>すると、いずれの場合も動かされているとも捉えられるかもね。
自分で始まり自分で終わるってな。
まあ言いたかったのはそう思わされてるんじゃないかという可能性。
神とか高貴?な存在に操られているのかもしれないという可能性。
運命の話もそうだが。
難しいね。
>>165 >うーん。気にしない風になってみたいものだ。
>言葉は変だが「無視」するのかな?
>むずいな
そう。難しいんだ。でも生きていく上でかなり重要なことかもしれない。
他人の評価を期待して生きている人は多いからね。
kはあまりに評価されずにいじけが高じて自分で評価するようにした。
もっともあほらしい愚かな行為と見なす向きもあるだろうね。でも冷静に判断して
他人に自分の価値観を押し付けたりしなければ人にはわからないし、自分にとっては有益かも。
価値観は人によってさまざま。また、他人の評価がその人の正直な評価かどうかも未知。また、その評価が
正当なものである根拠も希薄だろう。
気にする必要はある。もっと積極的に「利用」してはどうか。
駄目だ!という人にはどこが駄目なのかを聞いてみる。そして今後の参考にする。
いい!という人にも同様。その人の思い込みだけかもしれない。
人は自分のことすらわかっていない。相手のことはよく見えて気づくことも多いが、その根底には
その人の価値観がある。価値観は人による。絶対はない。
といったわけで、気にすることは必要だが、利用するという考えにすると心はあまり痛まないかも。
相手を心の中で馬鹿にするのも手だね。なんだって利用できる。
大事なのは自分の気持ちを把握すること。穏やかでいたいならその方法を考えること。実践すること。
相手と仲良くしたいという要素を盛り込みたかったら、そのように工夫する。
なにやら面倒だね。でもその作業を繰り返すことで、わりと楽に人の非難や批判を冷静に
受け取れるようになると思う。他スレでガンガン非難されてもkが平然としている理由はそこにある。
実生活でもやられてるから慣れっこなんだね。
>>166 >初回で運命とは何か?とか話してたから興味が湧いたんだよね。
なるほど。そんな話をしていたんだね。
>ん?十代か?なんとなくだが・・
青臭い話ばかりするからそう受け取られたのかな。もうおっさんだよ。
>まあ面白そうだと思うからそのうちやりたいとは思ってるよ。メリット多そうだしね。
その気になったらどうぞ。辛いし、嫌になるだろうけどメリットはあると思うよ。
強弱がいかに相対的で、精神的なものかがわかるかもしれない。また、肉体を通した技術を
体感できるのもいいところかな。
>>167 >自分で始まり自分で終わるってな。
身も蓋もなくてすまない。
>まあ言いたかったのはそう思わされてるんじゃないかという可能性。
>神とか高貴?な存在に操られているのかもしれないという可能性。
うん。むろん理解していた。あえてああいった話を書いたのは捉え方の可能性。
kは元来不思議好きでそういった関連の本は好んで読んだ。
宗教も勧誘されるままいろいろなところへ足を運んだ。
哲学の本は一度も読んだことがないが、宗教関係は少し読んだ。
幽霊もオーパーツもUFOも好きだった。
でも根拠がない。神が宇宙人説も好き。カルマも解脱も面白い。でも確証がない。
すべて「信じる」ところから始まる。
疑うと消えてしまう。仮説は立てられる。そこまでだ。
疑問の余地のないところからはじめようかな、という試みがこれなんだ。
結局思考する主体である「自分」のとらえ方なのかなーというところかな。
やはり、身も蓋もないね。
しばし止っていますね。
信者ではないけど・・・
みなさん メリー・クリスマス!
>>171 メリークリスマス。
休みだからね。
気が向いたら書き込んでね。
>>163 遡ること、それ自体はだいぶ前にして今もしつづけていますね。
まぁ、個人的には情に薄かったので全然嫌と思いませんでしたw
結局はそういう環境があったからそういうように成長していったわけですし。
気付いたからこそ自分を主観的なよりよい自分に変えていくことができることと、
自分がどういう環境を人に提供しているのかに気付くことだと思います。
kさんのいうところの自分の気持ちの満足度に沿って自分を変えていくこと、
折り合いをつけることによって自分の満足のゆく環境に変えることですかね。
>選民思想の宗教が唱える理想郷のようなもの
このへんがよくわかんないですね。選民思想・・・ってなんやろう。
>>164 ふむふむ、なるほど。
書き込みを読むだけでこっちも感情が渦巻く・・・
あぁ、孤独感とかあったんじゃないかと思ったり。
争いとして受け取ることで生まれる感情を出さないようにしていたかなぁ。
僕は今、喜怒哀楽どれであっても出し合える関係を大事にしている。
怒りはだしにくいけど、溜めこんでいては相手も気付かないし、
自分もためこんでいることを忘れていってしまうような気がする。
過去の自分は受け入れたり見ないしかできなかったけど、
今の自分にはいったい何が出来ただろうか?
と、思ったりして昔と今の自分の差を感じようとするわ。
あぼーん
>>173 >>163 >kさんのいうところの自分の気持ちの満足度に沿って自分を変えていくこと、
>折>り合いをつけることによって自分の満足のゆく環境に変えることですかね。
また、どのような環境にも適応できる自分を、自分の中に見つけていくというのもありだろうね。
>このへんがよくわかんないですね。選民思想・・・ってなんやろう。
宗教は「信仰」が基盤。信じていないものは基本的には救われない。その意味でいえば、すべての
宗教は選民思想だよ。
一つの教理を「信仰」=「洗脳」することで争いのない世界が実現できるらしいよ。
おれは洗脳なしでそれをしたいということ。
皆さんよいお年を。
自分は特定の信仰をしているわけではないが、「信仰」にたいしては
「信仰」=「洗脳」ではなくて、 「信仰」=「決断」が近い。
決断は極めて人間的なことだとおもうし、その言葉に魅力を感じる。
信仰にしろ決断にしろ「考えないこと」につながるのだが、
「考えること」が強調されて「考えないこと」がどうも軽蔑される。
それが「洗脳」ということばになるのだろう。
しかしそこに美だとかセンスだとか「考えること」とは異質の何かを絡めることで、
「考えないこと」が必ずしも、取るにたらないことではないことがわかる。
無理やり考えなくてもいいんじゃないかと思う。もちろん「考えること」を
否定するのではないが。
それから「考える」には「正確」がつき物だがこれも、度が過ぎない
ほうがいい。というより、かなりあいまいであっても、思い切った意見だとか
着想だとか、そのほうがおもしろい。
>>176 なるほど。云い得て妙だね。
>決断は極めて人間的なことだとおもうし、その言葉に魅力を感じる。
kも同意。
ただし、信仰が一過性のものであれば決断も一度でよいが、信仰を続けるとするとなかなか大変だろうね。
人物や教理に関して、なんら疑問の余地のないものはありえない。
それに関して思いを抱き続けることによるストレスは甚大かもしれないよ。
>無理やり考えなくてもいいんじゃないかと思う。
むろんその通り。それから「いいわるい」は主観だからkは語っていないよ。
kが語っているのは、全て移ろい行くもので、変化し続ける。思考や感覚も同じ。
自分を見つめ続けることをやめることは、それに対応することをやめること。
多くの人がそうしている。でも実際に変化し続ける存在だということを知ることも生きる上での
足しにはなるのではないか。
178 :
名無しさん@3周年:04/01/04 20:17
あけまして。
>>175 >一つの教理を「信仰」=「洗脳」することで争いのない世界が実現できるらしいよ。
なるほど、そうなると僕の場合は原則&道になっちゃうなぁ・・・
そういう宇宙なんだからと諦め気味に。
>>176 なかなか面白い書き込みですね。
もどかしさのある書き込みとでも言いましょうか。
心の働きとしての「知情意」を調べてみるといいかもしれません。
>>168 なるほど。自分の気持ちの把握が大事か・・
勝手に期待しちゃっているのかもな。誉められたい。認められたい。
だから裏切られる可能性が出てくる。
いろいろ考えさせられるな・・
>>ん?十代か?なんとなくだが・・
>青臭い話ばかりするからそう受け取られたのかな。もうおっさんだよ。
レスから感じるオーラ?みたいなのが生き生きしていたんだ
まあ気にしないでくれ
>>まあ面白そうだと思うからそのうちやりたいとは思ってるよ。メリット多そうだしね。
>その気になったらどうぞ。辛いし、嫌になるだろうけどメリットはあると思うよ。
>強弱がいかに相対的で、精神的なものかがわかるかもしれない。また、肉体を通した技術を
>体感できるのもいいところかな。
うむ
>>170 あって欲しい。あったら面白い。なかったらやってられないよ。
みたいな感情があるのかな?
まあ捉え方か。うん。
>>173 孤独感か・・あったねw
ひとは結局一人なんだーとか思ってたし。醜いのは嫌だったし。
味方を傷つけ敵をかばうとかしてた事もあったし。意味分からんかもしれんが。
感情は出した方がいい。同意。
はっきり言って判断材料だな。自分はこういう人なんですっていう。
相手に分からせないと、なにこの人恐いよっていう風になってしまう。
ストレスも溜まらないし。
昔と今を比べるってのはすきだな。なんか。
作品鑑なんかでも昔は分からなかった事が今になって分かったりして
自分の成長を感じれて面白い。
日記でもつけようかなー?
>>183 ×作品鑑
○作品鑑賞
遅くなったけどあけましておめでとう。
みんな今年も宜しく。
>>179 おめでとう。
原則や道は君が気づいたものなのかな。洗脳は気づくというより思い込まされることだよ。
>>184 おめでとう。
このスレはかな〜り平和な雰囲気でほっとするね。これもみんなのおかげだな。
感情の話だけど、kはほとんど出さないテクを使ってレスを書いているけど、プライベートは
ひどいもんだよ。というかめちゃくちゃ。言葉使いがとても粗暴なのでとても嫌がられている。
そのことでよく注意を受けるので、わかって言ってんだよ、っせーよ!的に返してしまうため
友人は極めて少ない。でも、人間慣れるもんで気になるけど仕方ないか、と思ってくれる人
もいてそんな人とはかなり楽に話せる。ほとんどいないけどね。
今は大人になって使い分けるテクを学んで社会的に生きている。本質的には社会不適応。
>レスから感じるオーラ?みたいなのが生き生きしていたんだ
それはありがたいよ。他のスレでは「覇気がない」と形容されたこともある。後で謝罪があったけど。
受け取り方は人さまざまだなあと思う。
でも、本来の話し口調だったら・・・・以前の前スレくんなら喜びそうだけど。
保守
人は自分の気持ちが大事。そして、いかにそれが無意識に行なわれているか。
他スレでやりとりをしていてつくづく感じる。
人は自己防御のために相手を攻撃したり、相手や自分を誤魔化したりに終始していることに気づかない。
そこで防御している自己は、むろん自分の気持ちだ。それもその場の気持ち。
だが、そのような意識は見られない。
何か大切にしていること(思い込みたい何か)を守ろうと必死だ。
だが、現象は自分のその場の気持ちを取り繕うことに専念しているようにしか見えない。
ここの住人にはあまり見られないが、このようなことが日常の基盤にあるように見える。
みんな気づかないで辛くないのだろうか。
>>185 言葉使いがむちゃくちゃでも意図や気持ちを汲み取ってくれるとありがたいよな。
俺は言葉使いもそうだがマナーが守れないっつうか。
相手の立場になって考えるのがかなり苦手。
自分で分かっていかなきゃならんからかなり苦しかったりする。
しかし争いは避けたい。自分の行動は制限。何もできない。成長しない。
悪循環ってことで
>レスから感じるオーラ?みたいなのが生き生きしていたんだ
それはありがたいよ。他のスレでは「覇気がない」と形容されたこともある。後で謝罪があったけど。
受け取り方は人さまざまだなあと思う。
でも、本来の話し口調だったら・・・・以前の前スレくんなら喜びそうだけど。
覇気がないってのは感情の起伏が見られなかったからかな?
まあ人それぞれってことでw
ん?そういや前スレ689は何が一番大事なんだっけ?
気になる気になる
>>189 >言葉使いがむちゃくちゃでも意図や気持ちを汲み取ってくれるとありがたいよな。
ん。君は何気に書いてるんだろうけど、かなり壺なんだよ、それは。
共通認識はない。こう思っていてこう伝わるはずだと思っていてもその限りではない。
表面(言葉使いや態度)ではなく、真意を汲み取る努力が人間関係には不可欠だろうね。
>相手の立場になって考えるのがかなり苦手。
>自分で分かっていかなきゃならんからかなり苦しかったりする。
これもおれがしつこく書いてるけど、相手のことは「わからない」んだよね。
でも努力というか、わかろうとすることは重要だと思うよ。関係を良好にするためには。
だから、互いに本音を話し合える世の中になると良いかなとは思う。
>しかし争いは避けたい。自分の行動は制限。何もできない。成長しない。悪循環ってことで
それが現実だろうね。自分を主張し合っても本気では争わない世の中を実現したいな。
>Kちゃん
初めまして。(←最初から馴れなれしい奴w)
今、会社で書くレポートの一文を考えてるんだけど、広い視野で且つ論理的に
書けてるかどうか分かんないんでチョット意見を聴きたいなーって。俺が2ち
ゃんで知ってる人の中では、Kちゃんが最も視野が広く論理的で2ちゃん内では
優しい(普段も優しそうだけど)ので頼りたいなーってね(笑)
中略。私達が良い人間・社員になるにはどうしたらよいのでしょうか?
まず「良い」とは何か?「良い」とは「目的にかなっている」という事です。
人間の目的はひとまず置いておいて、企業の目的は(広義の)利益の追求であり、
「良い社員」とは「その企業の目的にかなう人」だと思っています。
ここまでで何かアドバイスあればお願いします。こういうレポを書こうと思った
のもKちゃんに憧れて、広い視野から企業や人の在り方を考えていきたいと思っ
たからです。具体的に何のレポかというと、俺は製鉄会社で働いてるんだけど
最近、災害が多発して安全安全って五月蝿いんだよね。安全を優先させると
作業が遅れる。だけど納期に遅れるワケにもいかない。一見すると二律背反に
見える二つの命題を見事に融和させる術はないのか?(深く深く考えていくと、
この二つは二律背反ではないに辿り着くと思ってるんだけど、今はまだ分かん
ない(笑))というテーマで書いてる。よろしくね(笑)
おっとっと。早速しでかしちゃったな(笑)
まず「視野」とは何かをハッキリさせとかないと、互いの意見がくい違いかね
ないね。「視野」とは一般的によく使われる意味では大きく分けて二つあると
思う。ひとつは、「一目で見渡せる範囲」。これは単純に「目」という器
官のみを指しているのかな。これが広いとスポーツなんかでは有利になる。
もうひとつは「ものを見、考える事のできる範囲」。これのいう「もの」とは
いろんな意味が有る。物体であったり「品物」、文章「もの書き」、恐怖の
対象「ものの怪(け)」、道理「ものが分かる」、感慨・感動「大きくなった
ものだ」etc・・・であったりする。これが広ければ、感受性が高いという事
になるのかな。感受性とは「外界からの刺激を感じ取って心に感動をよびさま
す能力」とある。人間は五感を通して外界から刺激(情報)を得る。その内、
6割から7割は目からのものだと聞いた(嘘かホントか知らないけどw)という
事は、(後者の)視野が広くなれば6割から7割の情報を丸ごと自分の中に消化
吸収できるようになるのかな。逆に視野が狭ければ、多くの情報を見逃してし
まう事になるのかな。まぁ、視野の狭い広いと感受性の高低を同列に扱う事
自体がおかしいのかもしれないし、視野の広さに感動は必須ではないだろうし
。なんか時間ないから支離滅裂になっちゃった←言い訳
俺が
>>192で「視野」という言葉を2回使ったけど、いずれも意味は後者の方
です。
>>192 >初めまして。
こちらこそ。
>俺が2ちゃんで知ってる人の中では
kが哲学版の「悟り」関連スレで無視されつつも啓発し続けているのはご存知?
>私達が良い人間・社員になるにはどうしたらよいのでしょうか?
よく考えて自分のしたいことと、求められていることの折り合いをつけるよう試行錯誤
することかな。
>「良い社員」とは「その企業の目的にかなう人」だと思っています。
なるほど。
>安全を優先させると作業が遅れる。だけど納期に遅れるワケにもいかない。一見すると二律背反に
>見える二つの命題を見事に融和させる術はないのか?
君は希望をもって事に当たっている様子だから、術はあるだろうね。
安全を優先させると作業が遅れることの具体的事例を教えて欲しいかな。抽象的概念では共通認識がないと
主張しているkとしてはなんともこたえに窮する。
安全性は常に要求されそうな事象だから、最優先が基本とも捉えられそうだね。
安全実現のための具体的事柄を基盤として明確に打ち出し、常にそれを意識し点検確認する
作業を怠らないことを、「訓練」によって自在に出来るよう作業する人たちに「努力」してもらうことかな。
>>193 視野に関する考察はよくわかった。
きみも思考が柔軟なようだね。
お尋ねの件に関して上記の内容で不満の際は、具体的に細かく情報をいただけると助かるかな。
今後も思いついたことなど何でも書いて欲しいな。
自分を煮詰めてく→鬱になる
自分を見つめてく→きゃあ〜いやぁ〜ん
最近どうしたのかな 誰もいないのですね?
読んで増す読んでます。すごい好きだよこのスレ。なんか書いてくれよ
甲野さんは武道かというわりに弱いんだよ オヤジ狩りでぼこぼこにされたし
>199ナイスパース
201 :
名無しさん@3周年:04/02/10 06:36
甲野って人はテレビに出てたけど、一瞬見ただけで動きが洗練されて
ないのはわかったよ。
あんなにブレた重心では何もできない。
なんか自信なさそうに下を見てコソコソと喋ってる人だなという印象。
>>196 確かに嫌なんだよね。
>>197 失礼。哲学版に書き込んでた。あちらはほぼ終わったみたい。
>>198 ありがとう。
>>199 それは本当なのかな?戦いを挑まれて拒んでるのは知ってるけど。
>>200 ?
>>201 なるほどね。結構あの番組見た人がいるんだね。
kは見たことはないけど、佐川先生が本当に凄かったと思いたいな。
完全にスレ違いというか板違いだけど、重心の置き所を常に意識する動作は難しいね。
君は武道経験者?
>>191 なるほど。相手の事はわからない。確かにね。
まあ完全に一致させるというより近づかせるという感じだが、
ま、変わらないか。
本音を話し合える世の中にしたいってのは、かなり気持ちがこもってるように見受けられるな。
勝ち負けで捉えずにいて欲しいものだよな。自分が絶対正しいと思ってるだけでは無駄な争いが増える一方だし。
同意だよ。
柔軟性が必要かなー?
>>203 そうだね。自己の願望を実現させながら生きていくには柔軟性は思考においても肉体においても必要だろうね。
本音で話し合える世の中にしたい気持ちがkの中ではとても強い。
理由は、そうすることで生きるのが楽になることを知ったから。
包み隠さず全てしゃべるという意味でもないんだけど、会話において本質的な部分を見据えるということかな。
この2chはそういう意味では見識を深めるには絶好の場だなと思うよ。
kは哲学版のいくつかのスレで無視されたり罵倒されたりしながら多くのことを学習した。
「悟り」というなにやら人の究極の状態らしきことを語り合うスレッドでなされている会話が
全て「気持ちの奪い合い」「気持ちの動かし合い」等に終始し、本質的な「悟り」については
空想の域を出ずにある種の分類や新たに設定したキーワードによって理論を構築することに意義を
見出している様子だった。
悟りもしくは解脱などという概念が一人歩きしている実態の不明瞭なものに関する論議であることを
考慮すると、致し方ないかと思う。
悟り等に関して憧れを抱いたり、自分なりの解釈で悟りを規定していたりということを
多くの人がしていることが読み取れた。
そして、それはなかなか実現不可能だと決め付けているように見えた。
そもそも悟りというものの実態も本質も不明瞭であるわけだから、語るにはそれを明確に
規定もしくは提示する必要がありそうだ。
だが、それは不可能だろう。概念はあるが、捉え方は人それぞれであり手本すらない。
だから、「悟り」という考えではなく「生き方」というより実践的な主題をこのスレッドに
設定してみた。
この世は苦、輪廻しても苦はなくならない。だから解脱する。
このような思考は輪廻、解脱の実証がなければ思考ゲーム以外に利用価値はないかもしれない。
けれどもそれらの考えを否定するつもりもない。話し合いたい気持ちもある。
話し合うには基盤が不可欠。その基盤が明確で意義を見出せれば是非考えたい。
このスレッドは自分を見つめることが主題だ。自己分析を徹底しても否定しきれない自己の思い込み
を基盤にしようと思う。今までもそれを試みてきた。
kはこのような姿勢でこのスレにいるが、他の人に押し付けるつもりは全くない。
書き込める人は自由に書いていただければ嬉しい。
Kよ、私は感動した!!(純一郎風味)
208 :
名無しさん@3周年:04/02/13 19:25
ひょっとして金龍?
てかkほど物知りな人間初めて見たんだが、仕事何やってんのさ?
科学者とかだったりして?歳も50ぐらいだろ?20や30でそこ
まで物知りだったら恐いなw
211 :
割り込み失礼:04/02/15 15:12
仏教ですら「悟り」に対する思想や観念は様々に割れていますからね。宗派
の教義を超えるような統一された見解は出されていません。
つまり、ある宗派で「悟り」だったものが、違う宗派では「悟り」と認めら
れない部分があるので、余計に厄介なことになっています。
基より、仏教の起点である釈迦が「悟り」というものを実態視していた様子
は、古い経典からはあまり見受けられず、むしろそれを否定している。
「悟り」という実体を定義して、それに到達するという方法論というよりも、
人間存在の「苦」に焦点を当てて、そこから解放される教えを説いていたと
いうのが、釈迦の教えであっただろうと覗われてくるのです。
仏教の基本的な教えとして、苦しみからの解放の方法論は、四諦です。
まず人間存在としての苦を自覚し、苦に原因があることを洞察し、その洞察
から、人間存在としての苦しみを離れる実践をして行くというのがあらまし
です。つまり、ここには悟りや解脱は、何ら指し示されていないのです。
ただひとつ、苦しみから離れることしか説かれていません。
だから、釈迦の悟りはレベルの低いものだったと考える人さえ大勢います。
輪廻と解脱は、人間の陥る悪循環からの解放と私は捉えています。
悟りは気づくことの連続で到達するとこ、と考える。
真理の探求が近道かなと思う。
固定観念は壊しまくる。
「悟り」が分からないのにこんなこと言ってもな意味ねえな・・・
>>211 面白い見解だね。とても勉強になる。
釈迦の時代にもヨーガに類似したものもあっただろうから、苦からの解放に関しては
いろいろな考え方や土壌があって、彼のは何か理由があって広く受け入れられたのかもしれないね。
kの推測では釈迦がカリスマ性を出して人々を惹き付けたのかなと。故意かどうかはわからないけど。
キリストも同様に。
人はどうしても「楽」をしたいから、この人についていけばOK、と思い込める人を心の
どこかで探してると思う。
釈迦は人にそう思われる人だったのかなと考える。
でもこれは見方を変えれば洗脳に近く、いわゆる悟りと捉えられているのとは異なる感じがする。
ただ、
>ただひとつ、苦しみから離れることしか説かれていません。
というなら、とても納得がいく。洗脳は気持ちよい面も多く「苦」から逃避するにはうってつけと
考えられる。
>輪廻と解脱は、人間の陥る悪循環からの解放と私は捉えています。
なるほど。他の生命体に生まれ変わるということではないわけだね。面白いな。
よかったらどんどん書き込んで欲しいな。
>>212 kは同様に気づきの連続が悟りだととらえている。
「悟り」の定義が不明瞭なんだから何を当てはめようが自由だと思う。
悟ったら到達するというのでもないかもしれないけどね。悟ったとしたら、悟り続けないと
悟ったという「経験」を知っている状態にいるということかなと。
偉そうに書いているk自身何もわかっていないので、43も気にせずどんどん書いて欲しいな。
kはこのスレッドにおいて、人がもっとも大切にしているもの、大事なものを、「自分の気持ち」
と決め付けた。
自分を含めて、悩んだり苦しんだりという人を観察するうちに気づいたのが、そのことだった。
体に病を抱えている人。仕事がうまくいかない人。金がない人(k)。恋人がいない人。
妻から冷たくされている人。夫が不倫している人。etc・・・
分析していくと、とりあえず行き着くのはその人の「気持ち」であることに気づいた。
>>211にある釈迦のとった行動ももっともだと思う。
人は「苦」を感じで悩む。そして苦しんでいるのは「気持ち」だ。むろん認識は脳がしている。
その認識を「楽しい」とか「苦しい」という表現で表される状態の総称として「気持ち」と
定義しておく。
人が自分の気持ちを大事にしているのは事実だが、認識が希薄だ。
あまりにも当たり前で語られることも少ない。
だが、言葉の端々(日常会話、ドラマ、劇漫画、アニメ、映画、小説、エッセイ等)によくあらわれている。
そしてその自分の気持ちを満たす(気持ちいい、楽しい、納得、嬉しい、悲しい、苦しい?)
ことが重要な課題となっている。
ところが、大志(とりあえず大きな目標)を抱いていても、すぐ目先の気持ちの満足を優先してしまいがちな傾向にある。
そこで、人は自分の気持ちが大事ということがはっきりする。
いい悪いは主観だと言い切っているように、人は自分の気持ちを大事にすればいいんだ、といった話ではない。
人は自分の「瞬時の気持ち」に左右されがち、といったほうが適切かもしれない。
そして、人は相手の気持ちを満足させることが、相手にとって「よい」ことだと思いこんでいる。
自分がそうなのだから、当然相手もそうであろうというわけだ。
そこで、相手に喜びを与えたいときには、自分の知識と経験の範囲内で自分が満足したパターンに
類似した状態を相手に置き換えて考え、実行する。
反対に苦しみを与えたいときには同様に考えて実行する。
結果はさまざま。思った通りになれば味をしめるし、そうでなければ反省したり、悔しがったり。
対人関係の多くは突き詰めるとこんな感じかと思う。
しかし、しつこく書いてきたように、人のことはわからない。
相手の気持ちを動かすことに専念しているようでいて、そのようなことに頭を悩ます自分が疲れていることに
気づいていない。
これは「苦」だ。
>>213 >仕事は治療。以前は教師。
あなたの苦しんでる人を見ると放っておくことのできない優しさの理由が
分かった気がする。その優しさが知識に変わり、実践を通じて知恵となる。
と思い込むテストw
あなたの文章を読んでいると本当に自分に素直になれるし、考えさせられる。
生きるのもずいぶんと楽になったよ。ありがとう。
できる事ならいつまでも2ちゃんに居て欲しいと願う。
>>215 なるほど・・では・・
俺が気づいた事は「気づいた事の多くは一般の人から見れば
当たり前じゃんと言われそうな事ばかりなのだ」という事だ。
(当たり前かな?w)
当たり前と言われる出来事の多くは思い込みだ。
思い込みというのは無理矢理に外から詰め込んだもの過ぎない。
自らが掴んだ真実ではない。
気づくと言うのが思い込みを思い込みだったと気づく作業でもある場合もあるという感じ。
うーむ俺は伝える作業に慣れてないからな・・
意味不明かも・・・
気づく
(動カ五[四])
(1)それまで意識になかったことに、思いが及ぶ。気がつく。
「ミスに―・く」「忘れ物に―・く」
(2)意識を取り戻す。正気(しようき)にかえる。気がつく。
「気絶シテ―・キマシテコサル/交隣須知 3」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
念のため
気づくとは何か
俺の場合、閃きが降りてくるのを全力で待つみたいな感じでいると気がつきやすいが・・受け取るつうか。
悟りが気づくの集合体であるならそのセンサーを磨くことも必要かなと思う。
ただどうやって磨くのと聞かれても分からないとしか言えない、
ただ一般t的に脳は使えば使うほど洗練されると言われるので
気づきまくるだけで勝手にセンサーのレベルも上がるのかなと思っているが・・・
突っ走ってる様なきがしないでもないので終わり
>>219 こちらこそありがとう。
やさしいという評価は別のスレでも受けたけど、正確には違うと思う。
人が苦しんでいる状態を放っておけない理由は、k自身の気持ちが悪いから。
病的かと思う。
気づいたことがあったらどんどん書き込んで欲しい。
>>220 kも同様に、思い込みに気づくことが気づきの重要な要素だと考えている。
そして、思い込みを利用して人は生きている。振り回されるから苦しい感じがする。
>>221 なるほど。調べたことはなかった。なにやら意味深な感もあるね。
>>222 うん。気づくには気持ちがある種ニュートラルな状態にないと困難だろうね。
kは以前(二十歳前まで)はほとんど出来ずに苦しみまくっていた。自分が嫌いでどうしようもなかった。
そう思ってる自分も嫌だったりして、八方ふさがりのどん底だったよ。
自分の言動が見え出すととても怖い反面、もの凄く面白くなった。
結果ばかり見ていたが、原因を考えるようになった。原因には終わりが(始まり?)ないことに気づいた。
だから結果も終わりがないかもしれない。人間万事塞翁が馬。
一つの思いに固執する面白さもあるし、それを客観視する面白さもある。
君の言うとおり、脳は使えば使うほど洗練されるようだね。肉体もどうやら同様のようだ。
センサーを磨くのは重要だろうな。やはり固執していることを客観視することかな。
瞬時に離れる。瞬時にとらえる。なんだか武術的だけど、そんな感じかな?
225 :
割り込み失礼:04/02/17 12:59
>>214 私もこのスレは勉強になります。宗教は思想の自由を許さない堅苦しいところ
があるし、自由を尊重しようとする意思が封じ込められて、息苦しくなる。
まあ団体という制約上、致し方ない面もあります。
自由の自は、自然の自。自由の由は、由来の由。自分の自は、自然の自。
自分の分は、分身の分。つまり自分とは「自」然の「分」身という意味だそう。
人間の自律というのは、この辺りを洞察すると、至極当然であり、非常に重要
なことであると覗えます。これは取って付けた社会倫理や道徳や規範と異なる、
本々自然と同じように、自ずと成る性分であろうと思います。
本来の自己を悟るとは、こういうことではないだろうか。
しかし、それを実感しても、集団との軋轢で埋没してしまう人も多いようです。
それが大切なものとも知らされないで、次第に雲ってしまう。
ここが人生の難しいところ。宗教や思想の歴史を見ると、大抵はそのカリスマ
が仇となることが多い。釈迦についての、その辺の事情はよくわからない。
世俗でのカリスマ性を見ると、そこでは非凡な能力が認められている。
そこにある内面の悲壮なまでの努力、非常な地味さは、その華やかさと正反対。
世俗でのカリスマ性は、不思議とその努力が報われる人に見る気がします。
「楽をしたい」という衝動はあるけど、人はどこかで努力が報われると信じ
ていて、それを代弁しているのが、彼らなのかともとか思ったりします。
>>225 >つまり自分とは「自」然の「分」身という意味だそう。
>本々自然と同じように、自ずと成る性分であろうと思います。
なるほど。
本来の自分を見つめていくと、やりたいこととやりたくないこと、快不快、といった分類
が事象に対して生じることがよくわかる。
これを社会通念等に照らすことでややこしくなるようだね。
まずは自分の特性をよく知ることが生きる上では重要だろう。
>世俗でのカリスマ性は、不思議とその努力が報われる人に見る気がします。
そのような場合が多いかもしれないね。
kが他のスレで多用する「努力」だけど、思い込みをしっかり持って「努力」することなしには
目標は達成しがたい。その意味で、
>人はどこかで努力が報われると信じていて、それを代弁しているのが、彼らなのかともとか思ったりします。
このような考えが説得力をもつようだね。
裏を返せば、目標達成までの「努力」が続かない人が多いのかな。努力の持続には強力な思い込みが必要かもしれない。
でも、多くの人はその瞬間の事象に対する自分の気持ちに流されてしまいそうだ。
カリスマ性を発揮するにはそれなりの努力の裏付けがあるんだね。
今日の宗教の多くはカリスマ性のある教祖をピラミッドの頂点とするような組織形態を
とるところが多いように見受けられる。
これは教団発展において極めて有効な形態かと思う。では、宗教の本質的な意味合いであろう
心の救済(違うのかな?)においてどうかというと、不明。
釈迦にしろキリストにしろその教義を基盤とした(?)宗教団体が極めて多岐にわたって分裂発展
していることからも推測可能なように、本人の意志は確認のしようもないのでわからないが、結果的にカリスマ性
を教団発展(多岐に分裂しているが)に「利用」していると見える。
釈迦キリスト両名が宗教を興そうという意志があったかは不明だが、結果的に興った。
賢明な両名にその推測が出来なかったと考えるのはいささか無理があるようにも思える。
人が多く集まっていることで、その人たちがなんらかの利を得ようとしているのは明らかだ。
それが「心の安らぎ」か「現世利益」か「来世での救済」かは不明だが、kが提言しているところの
その場の自分の気持ちを満足させるためであろうことは推測に難くない。
これを分析すると、結局洗脳に近い。
新約聖書によれば(実はよく知らないのでご存知の方は突っ込んで訂正されたし)キリストは
衆人の自己啓発を促すというより、奇跡的な事象による衝撃や身近な例え話等で洗脳していたように
見える。
むろん適切な指摘等で啓発もしたことだろう。それでもなお従う人々をそのままにして
いたのはなぜだろう。自分を信じる人たちをどうしたかったのだろう。
いずれにせよ、自己のカリスマ性を発揮したままこの世を去ったように見える。
復活しているらしいが。(表現が過激かとも思うが、愚弄しているつもりは全くない)
釈迦は何がしたかったのだろう。
自己のカリスマ性に関しては頓着しなかったのだろうか。
多くの人が彼の元に集まったのは、どのような利が得られたのだろう。
釈迦はいわゆる素晴らしい人物だったのだろうか、説法が素晴らしかったのだろうか。
いずれにしろ大衆が求めたのは自己の利であり、釈迦は憧れの対象であったことと推測される。
釈迦の一挙手一投足を弟子は見逃さないようにしたかもしれない。
突き放しもしただろう、厳しい接し方もしただろう。それでもついていく人が多い、影響力の甚大さ等
をみるに、いかにカリスマ性が凄かったかという証明とも取れる。
そのような状態で弟子の自己自律(それが目的かどうかは不明だが)は可能だろうか。
前述のように賢明な二人にその後の成り行きが全く予測出来なかったとは考えがたい。
実は歴史に埋没した事実があってそれが見えていないため、宗派が多岐にわたって意味不明の争いにまで至っているのかもしれない。
だが、現実はそのような状態だ。
これは教義の本質を見ていない教徒の責任であると同時に、伝えていた当人の責任でもある。
そして、最も重要な点は教義の本質が不明な点ではないだろうか。
教祖(?)のカリスマ性の強烈さ故に、伝えたかった本質が伝わらなかったようにも思えてくる。
なにやら宗教団体を敵にまわすような発言になってしまった。その関係者の方には愚者の戯言と見逃してもらいたい。
申し訳ない。
231 :
割り込み失礼:04/02/17 20:47
kさん連射ご苦労様。やはり自分と違う目線というのは新鮮です。
かつての賢者達の心の深奥を覗くことは、今となっては不可能なことだし、
賢者達の残してくれたものから統合的に推察するしか方法はないんですね。
でもどんな偉業を成し遂げた人でも、普通の人でも、その心の深奥にあるもの
を誰かが知り得ることはできるのでしょうか。
ところで230レスの・・・
>賢明な二人に、その後の成り行きが全く予測できなかったとは考えがたい。
なんだけど、
私の個人的な意見ですが、多分ある程度は解かっていたのではないだろうか…。
解かっていたがどうすることもできないこともあったんだと思う。
仏陀、神の子と祭り上げられても人間です。できることには限界があったのだ
ろう。集団、群集という圧倒的なパワーの前で、一人の人間にできることには
限りがあるものです。指導者になることを切望した痕跡はあまりない。
一人の影響力が染み渡るのがカリスマだとしても、そのカリスマも人を通して
現れるもの。発揮する当人には相当の重圧が加わるだろうとの想像は容易です。
更に人間であるから、自分を慕って付いてくる人間を愛さないはずがない。
恐らく、様々な要素の中で本人としてできる最善の選択をしていたのでしょう。
だけど人間の限界は超えられなかった。それが現実なのではと思う。
イエスの場合、奇蹟を信じた人々もいたでしょう。でも彼は亡なってしまった。
私は人間存在を考えると、その不完全性から、いつもより善きものを目指すし
かないと考えています。
その考えから、自分や他人の失敗から学んでいくしかないという姿勢を保ちた
いと願う。まあ、これがやってみると実際難しいのは御承知の通りです。
私の見聞きしてきた範囲では、非凡な能力を発揮する人も、ごく普通の人が躓
く、同じような問題で、結構躓いていた様子です。
だから超人的な能力で、人間性という弱点?は払拭できないだろうと思う。
ここでは、特定の能力の平凡さ、非凡さがあるだけで、あとは同じような気が
します。
232 :
名無しさん@3周年:04/02/18 11:14
>>1 私の悩みは女性にもてないことなんですが、
どうしたら、思考停止して、
自動的・反射的な自分を見つめることができますか?
233 :
名無しさん@3周年:04/02/18 13:57
その問題では、案ずるより産むが易しで、行動するのが一番。
この場合、自分を見つめるより相手を見極める方が得策であるような気がする。
原因と結果の法則って本を買った。
過去の自分の想いの積み重ねが現在の環境を作り出している云々。
自分を見つめていくついでに興味がある人は見てみるといいかもね。
哲学板から飛んできました、お初です…。
>227
キリストが、のちのキリスト教が後の人々によって利用されたことに関してなのですが…。
僕の私見では、キリストは「宗教」というものを「宗教」として捉えていたわけではなく、
「絶対的な世界の真実のあり方」として信じていただけではないでしょうか?
のちにキリスト教は彼の弟子たちによって新約聖書として書かれるわけですが、
キリストは、それこそ彼の教えが「神の教え」であると信じて疑わなかった。
彼は、宗教が「人間の作り出した概念」だということに、気がつくことができなかった。
なぜなら、彼は神の存在を確信していたから。
そして、キリストは世界に彼の思う「神」以外の信仰があることを知らなかった。
だからこそ、かれは彼の教えを「真実の信仰」だと確信していたし、人々もそれに賛同した。
彼らにとっては、「宗教」とは心を救済するためにあるのではなく、「絶対的な真理」として、
「人間が世界(神)に対して行うための義務」のようなものだったのだと思います。
彼は、彼の考えを正しい方法で発展させることができるくらい賢かったかもしれませんが、
「神の教え」それ自体があることを確信していたし、それが世界に対して正しいことだと思い、
それを疑うことをしなかったのではないでしょうか。
>>231 なるほど。偉人聖人たちも一人の人間であるという点でわれわれとなんら変わりないということだね。
おそらくそうだろうな。
カリスマ性を出している認識がなかったとは考えがたいし、出さない手段も選択できただろう。
カリスマになった理由の一つは、彼らの考えを広く多く伝えるための手段であったろうと思う。
時代背景的に今とは比較にならない少ない情報量で生活していた当時の人たちは、ほぼ共通認識的な
思い込みの中で生きていたかと想像する。
自己の生き方が生誕時には決まっているかのような人々の思い込みは、われわれ現代の日本人には想像すら困難なほど
強烈だったかも知れず、比較的生活レベルの低い状態が当然といった風だったかもしれない。
そこで少数の富める者の存在がなおさら大衆の思い込み(人としての不平等)を確固たるものとしていたと推測。
そのような人々に対して「希望」を抱かせる効果は、現在のわれわれには想像が出来ないほど絶大であったかもしれない。
彼らのとった方法は最適なものだったという考え方は十分に出来ると思う。
説法説話も自分の気持ち(流石にその場の気持ちではないだろうね)を満足させるための行動と解釈できると思う。
やはり、人だからね。
>>232 君は
>>1を読んでくれたようだ。
質問の主旨は「私の悩みは女性にもてないこと」をどうにかしたいのか、「どうしたら
自分を見つめることができますか」のどちらなのだろう?
自分の見つめ方はその後のkのレス等を参考にして欲しいな。
女性にもてるようになる方法としての自分の見つめ方をきいているなら、もてないkにはよくわからない。
とりあえず、
もてたい対象が存在するなら、その人にもてるための方法をリサーチする。
漠然ともてたいなら、対象年齢を絞って好みの男性の傾向をリサーチする。
具体的な方法としては、金を使う、女性に好まれる容姿にする(やせる、マッチョ、整形)などかな。
でも君の気づき通り、自分がもてないと思うなら、なぜもてないのかをよく考える必要がありそうだ。
本気なら具体的に思うところを書いて欲しい。
>>233 なるほど。232に対するレスだろうか。適切だね。
行動に移す具体的事項は本人の目的によって決まるだろうね。
相手を見極めることも重要だ。
また、もてるという状態の認識も必要だろうかね。
好かれる、ということであれば多くの男性が232と同じ気持ちでいることだろう。
人が自分の気持ちを大切にし、相手の気持ちを動かしたいという現象が端的に表われているのが
恋愛かと思う。
>>234 >原因と結果の法則って本を買った。
>過去の自分の想いの積み重ねが現在の環境を作り出している云々。
>>12-15 に幼少期における善悪の概念の形成過程の概略を綴った。
kにはこの辺りに現在の自分を形成している嗜好の基盤があるように思える。
その本に関しては広告で知っていた。どんな本なのかなあ、と思っていたけどおかげで少しわかった。
その本で気づいたことがあったら教えて欲しいな。
君は読書は好きな方?
kは読書好きだけど大衆娯楽作品(ずっと以前は筒井、キングなど、最近は桐野、高村など)ばかり
読んでいるので(しかも最近は借りてばかり)そういう本は読んでいない。だから無知。
もし気に入った本があったら他にも紹介して欲しい。面白いやつ。
>>235 >哲学板から飛んできました、お初です…。
はじめまして。ということは、あのスレを読んでいたのかな?
>僕の私見では、キリストは「宗教」というものを「宗教」として捉えていたわけではなく、
>「絶対的な世界の真実のあり方」として信じていただけではないでしょうか?
彼は自身の行動を宗教ととらえていなかったかもしれないね。
>だからこそ、かれは彼の教えを「真実の信仰」だと確信していたし、人々もそれに賛同した。
聖書によれば、彼に触れた人が癒されたとき「汝の信仰が救った」と語ったとされている。
どうやら君の言うとおりだね。そしてこれは強烈な思い込みのなせる業ということもできる。
信じるには強い気持ちが不可欠だ。強い気持ちを持つためには、根拠が必要。
根拠は人による。その人が納得できるものなら何でも可。
キリストの場合は何だったんだろう。神の存在だろうか。
大衆にとってはキリストの奇跡だろうか。
>彼らにとっては、「宗教」とは心を救済するためにあるのではなく、「絶対的な真理」として、
>「人間が世界(神)に対して行うための義務」のようなものだったのだと思います。
なるほど。
自己の心を救済するというより、自ら洗脳されにいっているような感じなのかな。
つまり、世界を創造し統治している神を絶対視することによって、自己のなすべきことを
神の意に添う形を指標に設定する。これは大変なことだが、多様に思考しない分やりやすい面もあるかな。
つづき
>彼は、彼の考えを正しい方法で発展させることができるくらい賢かったかもしれませんが、
>「神の教え」それ自体があることを確信していたし、それが世界に対して正しいことだと思い、
>それを疑うことをしなかったのではないでしょうか。
なるほど。おそらくそのような感じだろうね。
数年前、17歳の少年犯罪が多発した年の暮れに近所の教会で牧師さんの話を聞く機会があった。
kは信者ではないので場違いだったのだが、そのときの話で、
「人を刺した少年の事件も神の御心のまま」
といった発言があって、とても興味を引かれた記憶がある。
二十数年前から「善悪」について思うところがあったkにとっては、教会の牧師さんのその発言は
教会関係者は「善悪」を決め付けがちと思い込んでいた自分にとって刺激となった。
kは、神の存在を仮定し、神がこの世のダルマ的なものを統括しているのだとしたら、
牧師さんの発言はもっともだなあと思う。というかそうでなければ整合性が危うい。
ブッダやモーセはこの宇宙とは別の宇宙からのコンタクトを受けたようなのだ。
だから宇宙ロゴスの外側からの見解を示す。しかし彼ら自身はこの宇宙の存在
なのでロゴスの手の内でしか動けない。
ではそんな意味の無い入れ知恵をした外宇宙の存在の目的なのだが、実は嫌が
らせだ。妨害工作なのだ。
つまりEOやブッダのような考えに達した者がこちらの宇宙にやっても無駄
なのだが妨害工作として宇宙の裏事情を吹聴しているのだ。彼らもまた解脱は
出来ない。無限の苦しみを味わうだけだ。彼らは恐らくワームホール
によってこちらへ来ている。」
思考は化学反応が脳内で起こって作られる。純粋に物理的現象である。物質は
完全にエネルギーに変換される。エネルギーは
不滅であり、全て保存されている。いわゆるエネルギー保存の法則だ。思考の
エネルギーの元は人間の活動エネルギー、つまり食べ物だ。牛や豚の死体とか
だ。全てロゴス自体である。思考は外に向けられた時、空間に保存される。
永遠に。カロリーを使って体外に出たエネルギーは体外にある。声、つまり
言葉も神のエネルギーであり、不滅のものだ。宇宙創造の
ロゴスの言葉が宇宙全ての活動エネルギーとして形を変えて使用される。」
意味分かるかい?Kなりの説明求む
>>243 面白いね。文面どおりで構わなければ意味はわかるよ。
>>6-7 に記したように、人はエネルギー消費を抑えることを重視して言動しているとも捉えられる。
>妨害工作なのだ。
地球の人類の一体何を妨害するんだい?また、なんのために?妨害する側の利点は?
仮に妨害する意志があるとしたら、われわれ人類と大差ない知能程度かもしれないね。
>Kなりの説明求む
エネルギー保存とかエントロピーとかいった類の話かな?
まずはこれらの話題に関して、君が何によってどのような影響を受け、どのようにとらえていて、
今後どのような展開を望んでいるのかを話して欲しいな。具体的に。
「何かすごいな。解脱と輪廻転生の事を教えてくれ。」
「仏教は神の計画する経綸にとって邪魔な存在だ。人間
も家畜が自分達の運命を知って人間に反逆したり、食べられる前に
ハンスト始めて餓死したりしたら困るだろう。そういう個体を処分するのが
解脱であり、輪廻からの脱却だ。」
「人間はよく、次に生まれてこんな苦しい世の中に生きるなら修行して解脱し
て高次元の世界に生まれたいとか言ってその実本人は何も修行してない人がい
るけど、どう?」
「高次元へ転生する事は解脱では無い。輪廻の中での出来事だ。私も輪廻の
中にいる。釈迦は経綸から離れて処分される
事を望み、多くの仏教徒を生み出してしまった。神を裏切る者達だ。しかし
釈迦はこの宇宙から生まれた宇宙の中の存在である。どう頑張ってもロゴス
の範囲を抜ける事は不可能だ。釈迦や、彼に従った仏教徒の一部は解脱出来ず
にまだ輪廻の輪に捕われている。彼らは深く後悔しているが反逆者のサンプル
と見せしめの為に無限地獄に封印されて永遠に苦しむ事になっている。」
超能力とはテレパシーとか、透視とかのESPの事だな。あれは人間や動物が
みんな持っている能力なのだ。少しヨガ等の瞑想をすれば誰でも使えるように
なるし、見ようと思えば誰でもエーテル体や他の身体のオーラは見える。
簡単だ。誰でも持っている能力なら超能力とは言えない。単なる能力なのだ。
よって超能力は実在しない
これらの内容は吟味すれば納得出来るはずだが。ただ、科学的手法での証明は
無理だ。3次元の人間の理解は超越していて絶対に本質は見えない。」
全ての記憶が凝縮された「種」を体内に発見したからです。はいはいしていた
赤ちゃんの時に見た絨毯の模様から質感まで完全に記憶は残っていました。自
分の意思で退行催眠状態を自分で作り出す事が変性意識状態では可能です。そ
してその記憶の保存場所なのですが、何故か腹部に記憶が保存されています。
ある人が記憶はへそで行われるという本を書いて「と学会」にこきおろされて
いましたが、自分が体験すると本当に腹部に記憶が保存されていたのです。脳
はフラツシュメモリーで、腹部はハードディスクのような感じです。思考の履
歴は物質体ではなく、エーテル体か、アストラル体にあるようで、これが普遍
無意識でネットワークされたものがアカシックレコードなのではないでしょう
か。アーキテクト(元型)ですね
EO、ロゴス、エーテル体とは何だろうか。説明できるかい?
「地球の管理者は人間の存在によって自分の存在の意味を知るのだ。
人間はどうせ自分の為に利用する動物を病気を治したり、
寒さをしのいだりして一見可愛がるではないか。表面上の愛情であれ、
世話してやって結果的には殺して食べたり、毛を刈り取ったり、眺めて楽し
んだり、遊んだりしている。そして人間には家畜は必要なのだ。」
「神には人間が必要な訳か。そして時々きまぐれに奇跡や祝福で人間を喜ば
せたり、戦争や病気や災害や犯罪で殺したりして管理し続ける訳だな。」
「神は自身が人間である事も知っている。そして神には人間の感情や死が
必要なのだ。必要無ければ人間が苦しんだり死んだりする必然性は無い訳だ。」
昆虫は金星からもたらされた存在だが、種族に対して自我は一つだ。アリやハチ
は集団が一つの生物のような働きをする。実は全てで一匹なのだ。3次元的には
個別のアリだが、水面下の4次元では一つに属している。人間と神の関係と同じ
だ。無意識は神という事と。人間も別の次元では一人になる。
アリの一匹一匹は一つの生物の細胞だ。全体で統合して活動している。
一部が死んでも入れ替わる。細胞の生まれ変わりと同じだ。アリ全体で一つ
の自我なので記憶は当然共有されているし、個体が入れ替わっても
記憶を共有出来るのは人間の記憶と細胞の関係に似ている。そして昆虫は種
としての自我を持つので基本的には不死の存在だ。人間が死んでも神が死な
ないのと同じ事。」
>>224 ちなみに最近気づいた事って何かある?
俺は「人間は一枚の皮でできているんだな」ってことに気づいた。
指とか腕とか足とか区分けをしているけど連続的だってこと。
どうも自分の気づきが小さいつうか、他の人に話した事ないから比べる対象がいなくて
少し一人よがりな感じが否めないかもしれないと思っているのだ・・
視野が狭いのかもしれないと最近思う。
「じゃあ人間が自殺したり暴れたり発狂したりして死んでも神にとっては身体
の垢となる不要な細胞とか、フケとかかさぶたを構成する血小板みたいなもの
だな。すごく些細な事だ。」
「その神の意識を自分の実体験として受け入れるならこの世の苦しみも自分の
楽しみとなる。それが悲しみが喜びになる本当の意味だ。楽になりたいのなら
意識をロゴスのレベルに切り替えればいいだけだが、その本質を理解していな
い人間には何故悲しみと喜び・苦しみと悲しみ・善と悪等の相反する概念が
等価値なのかは理解出来ないだろう。その程度のレベルの人間には宇宙の
経綸とカルマを説明しても無駄だ。理由もなく反対する
だけだろう。バルトロマイよ、お前の使命はこんな事を大衆に説明する事
ではないし、パラダイムシフトでもない。
バルの使命は神の苦痛を代理として受ける事だ。この使命は99パーセントの
人間に与えられている。その苦痛は自分自身の喜びである。ロゴスへのカル
マの流れを円滑に進める為には神自身である人間が神となって
人間より下級の存在の神の死体であるエネルギーをカルマに乗せる事だ。
金を消費してもいい、飽食してもいい、殺してもいい、愛してもいい、
性欲に溺れてもいい。個人にふさわしい方法で職務は遂行される。それは神
の喜び、人間の喜び、そして全ての苦痛と悲しみである。」
以上、バル(日本人)と高級悪魔さんの対話でした。
>今後どのような展開を望んでいるのかを話して欲しいな。具体的に。
自分を見つめるついでに合法的なドラッグをやる事で、こういうおかしな
対話(無意識の自分との)が可能になるかもしれない。事実バルは上記のような
対話をしているようだ。Kはやった事あるかい?
3次元の人間の理解は超越していて絶対に本質は見えない
とあるが、どういう意味だとKは受け取った?
オカルトと科学の融合ができそうなKには期待してるのさ
だから頼む
>>245 解脱は輪廻する苦からの脱却と捉えられているね。輪廻は生を繰り返すこととされている。
でも、なんら実証はない。
生きていることが修行というとらえ方もできるね。
後は君の決め付けのようだし、質問でもないようだ。
>>246 文体が変化したのには何か理由があるのかな?
>EO、ロゴス、エーテル体とは何だろうか。説明できるかい?
EOというのは何かの略?全く知らないよ。
ロゴスは法?全く知らないよ。
エーテル体は肉体より微細な魂を包むそれに類するもので、もっと微細なコーサル体もある
とヨーガ大全等にあったと思うけど、説明はできない。
>>247 >地球の管理者は人間の存在によって自分の存在の意味を知るのだ。
地球の管理者とはどなた?神?人以外の知的生命体?なぜ君はそのようなことを知っているの?
>神は自身が人間である事も知っている。
神はどのような存在なのかな?
>昆虫は金星からもたらされた存在だが、種族に対して自我は一つだ。
そうなんだね。その根拠は?
人の集合体を神ととらえて、社会的に活動していると見える蟻と関連付けて解釈している
のかな。面白いね。
>>248 最近気づいたというのは、とりたててここで書くようなことでもないけど、いつもと同じかな。
人は自分の気持ちをいかに大事にしているかということ。そのために見失っているものも大きい。
気づきが小さいか大きいかは、その事象に対してどれだけ強く思い込んでいたかにもよるかもしれない。
そして、気づいている自分が大小の判断をする。
人の意見は参考だよ。
結局自分が生きてるんだから、kは自分中心しかないと思うよ。社会的に生きるなら折り合いは必要だけどね。
気づいたことはどんどん書いてよ。
>>249 >以上、バル(日本人)と高級悪魔さんの対話でした。
なるほど、君の意見ではないんだね勘違いしたよ。
ところで、バルって?日本人の総称なのかな?高級悪魔っていうと?
>Kはやった事あるかい?
ドラッグ?それとも対話?いずれもしていないよ。
>3次元の人間の理解は超越していて絶対に本質は見えないとあるが、どういう意味だとKは受け取った?
人間にはどうあがいても理解できないという意味だろうね。
でも、説明の仕方で理解できるかもしれないとも思うけど。
「絶対に本質は見えない」と語っている人と直接話してみたいね。
>K レス有り難う。Kは自分の頭でものを考えずに語る人とはあまり話しをし
ない人間だと他スレから推測していたので嬉しいよ。自スレということもあり
普段よりも人との折り合いをつけた方がスレの発展、ひいてはKの自己満足に
繋がる、あるいは例の文章がkの好奇心を大いに刺激した等の理由もありレス
を返してくれたと推測するが、まぁ本題はそれではない。
例の文章も、これから紹介する文章も全て俺が考えたわけではない。
俺は、おそらくKと同じ様に科学的根拠のある否定し得ない事実のみを基盤に
物事を考えるようにしている。そうする事で自分の思い込みに気付き、それを
常に修正していく事で物事に対し、より深い認識を得る事ができると考えるか
らである。
だが非常に興味深いのが「3次元の人間の理解は超越していて絶対に本質は見え
ない」という一文。彼の文章によれば「地球人も個人は別々に存在しているが、
本体は一つだ。それは最終的にはロゴスでもある。山頂が3つある氷山が水面下
では同じ氷山としよう。海上は2次元、水面下は3次元と考えるとわかるだろ
う。」とある。そしてロゴスとは「宇宙を作ったロゴスは地球人の宗教の考え
る神とは同じだが違う。地球人の伝説や教義の神は地球を作った神にすぎない
。例えばヤハウェやゼウス等だ。地球の製造・管理者の上に太陽系の各惑星の
管理者を管理する神がいる。宇宙ロゴス本人から見れば地球の神は砂浜の砂の
一粒にすぎない。その一粒の神はロゴス本体の端末だ」だそうだ。
ここに、二つの大豆がある。
一つは丸い、綺麗な大豆。もう片方は最初からつぶれた様な形をしている。
人間は丸い方の大豆を美しいと感じ、もう片方を美しくないと感じる。
大豆にとっても丸いほうが優勢遺伝子、つぶれたほうが劣勢遺伝子となってい
る。「優勢遺伝子を持っているから好き」なのでは無く、美しいと感じるから
丸い大豆が優勢遺伝子なのだ。そして、人間に美しくないと思われる劣勢遺伝
子大豆は淘汰されるべきであり、誰も劣性遺伝子大豆が繁殖する事を望んでい
ない。人間、または他の生物が美しくないと感じるから劣勢遺伝子なのだ。
上の文章は2ちゃんで誰かが言っていた。そして下の文章は、例の彼の文章だ
俺は生物学などに詳しくないし調べてないので理解できないし信じもしないが
共通点がある様に思えて興味深い。
地球と同じように。太陽系も一つの生物として活動していますが、恒星間
レベルに意識を合わせた時に、そのレベルの大きさの「星を食べる」存在に
接触しました。不定形で、大きさは数十光年クラスです。その存在と同化し
て観察すると、物理的に食べるのではなく、星々のエネルギーのような物を
必要としている生物のようです。地球の管理者は地球を「美味しく」して
(エネルギーのレベルを上げて)そのような星の神から星々の神へと糧を
上納しているようにも見えます。人間レベルでも家畜に対して同じ事をして
います。人間は脂肪分の多いもの、糖分の多いものを美味しいと感じます。
脂肪と砂糖と言えば、ケーキ等に代表される菓子類、生クリームは乳脂肪で
すし、更に砂糖を加えたものを美味しいと感じます。肉は牛に高カロリーの
餌を与えて筋肉組織に脂肪の混ざり込んだ病気の牛を作って霜降りとして美
味しくします。フォアグラみたいですね。トロも脂肪分が多いので美味しい
のです
次の文章も彼のものだ。EOとは彼によると「老子を超えた者」らしい。
私は自分の中で縮尺を変えて自分の内部を探検?していました。そして自分
の中に輝く小さな球体を見付けました。どうやら何らかの理由で「この人」
に埋め込まれていた物のようです。恐らくそこはコーザル体(因果体)の中の
「自我」の領域のようですが、その光球は「種」(たね)でした。何物かが、
何らかの理由で埋め込んだ「種子」です。倍率を変えて観察するとその種には
「この人」が生まれてから現在までの全ての記憶・体験が保存されていました
。この種は次の生でその時に持つ体に埋め込まれるべき種でした。これが輪廻
の意味かも知れません。倍率を調整すると今度は無数の光球がありました。全
ての種の中に「この人」の体験した無数の過去生の記憶が入っていました。こ
れが自我の本体かも知れません。体験をして、転生を繰り返した「事実」が種
となって次々と凝縮され、生まれる度にその人の一番大切な財産となって受け
継がれるようです。その果ての究極の目的は神が知っていればいい事です。人
は体験を通して宇宙(神)に何かを与え?ているようです。神は人の体験が必
要なのです。私はこの事に関して今まではEOのように、人は神が利用する為
に作った家畜で、神が好きなようにしていい存在であり、逆らう事が出来ない
から、また、家畜の身分が嫌だから解脱して無になり、神との関わりを絶つ事
を望んでいましたが、この宇宙の範囲内では本当の解脱は無理であり、考えて
もしょうがない事だと認識しました。それを嫌だと思うか、何とも思わないか
というだけの事です。ブッダや、EO等の仏教的思想は神に対する受け取り方
の一つにすぎません。もし、楽しい事を求めたいなら、体験する事自体を楽し
めばいいのです(それが望みなら)。気楽に生きようと思えば神により開示さ
れるこの世界をただ楽しむ事が方法の一つです。
K,非常に面白いと思わないか?
>>247では、
>3次元的には個別のアリだが、水面下の4次元では一つに属している。
と言っているのに
>>258では
>海上は2次元、水面下は3次元と考えるとわかるだろうと言っている。
恐らく水面下というのは人間の無意識の事で、その無意識の中には
人類の歴史としてのDNA(記憶?)が刻まれており、ある一定の意識状態になる
とその記憶が使えるようになる。なぜならば人間は輪廻転生する度にその記憶
を受け継いできたし、そういった意識状態では(4次元では)ひとつの存在とし
て繋がっているからだ。といった類の事が
言いたいのかなと勝手に妄想してみた。四次元とは縦・横・高さの
三次元の空間に時間の空間を加えたものとされている。水面下というものも
人類の歴史という点では時間的なことが関係しているが、それが水面上では
関係していないという証明にはならない。妄想からの結論は所詮妄想だが
面倒くさいので勝手に結論にいくと
4次元というのは考えの次元が高いとか低いとかそっちの事を言ってる様に
思える。だから
>>258は〜海上は3次元、水面下は4次元〜と考えると
良いかもしれない。
それと>3次元の人間の理解は超越していて
とあるが、個人は別々に存在していると思っている間は3次元で
本体は一つだと思うようになると4次元ということになりそうだ。
思うというのがどの程度のもの言うかもキチンと定義しなければならないが。
彼の文章を読む限りではそう思える。
言い忘れていたがバルと言う人は自称無職の俺たちと同じ日本人だ。
高級な食品はカロリーが高いのです。バターとジャムを組み合わせたり、
カカオに砂糖と乳製品を加えてチョコレートとして食べるのも、エネルギ
ーを求めるからです。星を高エネルギーにして神に与える?(神にとって
好ましい状態にする)には、感情が必要です。感情を高めた星が宇宙には
必要なのです。喜びや、苦痛が多いほど、神の希望する星となります。地
球の管理者はその仕事をしています。戦争が無くならないのも、次々と新
しい病気が出現するのも、奇跡を起こして宗教心を高めるのも、フォアグ
ラや、霜降り牛肉と同じ理由です。感情や欲望の元は神自身です。EOは
この先の認識が出来なかった為に神の家畜である人間に失望し、利用され
る事に絶望しました。ただ、神自身である人間が物を食べ、快楽を享受し
、怒り、苦しみ、喜ぶ事によって神自身を感情として星を「食べる」神に
届ける(返却する)のです。それがカルマの実態であり、カルマ自体が神
そのものでもあります。そして更に意識を拡大すると銀河系が生物である
神だと感じました。銀河系は生きています。その体内でエネルギーを作る
細胞内のミトコンドリアみたいな構造が恒星系であり、惑星であり、生き
物(物質体生命とは限らない。銀河レベルでは高次元生命も、恒星神も細
胞にすぎない)であるのです。銀河生命体(銀河神)も、更に大きな「宇
宙」にエネルギーを送り(食べられ)ます。宇宙自体も別の無数の宇宙を
含めた更に上の存在にエネルギーを送ります。その先はわかりませんが、
恐らく無限に連鎖しているのでしょう。そしてこの宇宙は素粒子の中にあ
る宇宙と同じだと認識しました。
例えば、人が食べる高エネルギーの食物
は素粒子で構成それていますが、その素粒子の中に無数の宇宙があるとい
う事です。カロリーの高い美味しい食べ物はその無数の宇宙から得た感情
のエネルギーの大きさによって美味しくなっているのです。つまり、人は
個人としても神であります。無数の宇宙の管理者のトップとして食べ物を
得ます。食べ物とは究極にこの上なく有難いものなのです。この無限の繋
がりはループしているのか、直線なのかはどうでもいい事なのですが、客
観的に考えると「諸行無常」と言うか、ブッダが解脱を説いた仏教も理解
出来なくもありません。無意味と言えば、無意味でもあるからです。ただ
、ブッダやEOはそれを無意味「無」マーヤーとして受け止めて認識した
だけです。仏教を信仰している人達はその事を知って信仰しているのか、
その事を知りたくて信仰しているのかわかりませんが、解脱を目指す事自
体がマーヤーだとも言えるのではないでしょうか?。この認識に至ってや
っと「この人」の役割(悪魔の力により地獄に参入する能力を身に付け、
神の死体である物霊を霊流であるカルマにする為に神の光を地獄に届ける
事。そして神の死体を神に返却する事)の意味が実体験として理解出来ま
した。神の死体とは物質になれなかった進化中止状態の神自体ですが、喜
びや、苦しみが多いほど神への流れにエネルギーを与えます。死ぬ時は思
いっきり苦しんで、殺人は出来るだけ苦痛を与えて拷問状態で行う事が重
要になります。悪魔的ですが、悪魔は神の一部です。ここで二元論や、善
悪を考察する事は無意味になります。無論、喜びや愛の感情が大きいほど
良い事も事実です。
別に「この人」は魔的な思考に惹かれている訳ではあ
りません。ただ、悪を否定する社会においては善悪を意識しない人は悪を
認める(悪を肯定する)人と見られます。悪を否定すると真実を知る認識
力にフィルターがかかって邪魔をします。悪を否定すると悪の魅力に執り
憑かれる人が出現してしまいます。二元論の弊害です。「この人」は悪を
奨励してはいません。ただ、成すべき事を成すだけです。今後も「この人」
には宇宙の秘密が開示されるかもしれません。「この人」は霊能者ではあり
ませんし、預言者でもありません。ある種の化学物質によって「気付き」の
きっかけを得た者です
楽しみや快楽だけを求める人も、性欲に溺れる人もそれはそれで突き進めば
いいのです。宇宙の糧としてのエネルギーを神に返している事になりますか
ら。「この人」は天才とは何か?について考察していました。MM(シロシ
ベクベンシス)を実験した時、私は「これが天才の状態かな?。」という感
覚を覚えました。聖徳太子が一度に10人の話を聞くという噂ですが、トリッ
プ中はそんな事は容易い事です。MMの成分のシロシンとシロサイビンはノ
ルエピネフリン(モノアミンの一つ)の司令塔である脳の青斑核を急激に活
動活発化させます。実際どうなるかというと、記憶、感覚、意思、知覚がフ
ル活動します。すると、悟り、超越意識、気付き、幻覚、共感覚等の効果が
出現します。あと、ドーパミンと、ギャバと、セロトニンにもただならぬ影
響が出ていると推測されます。その時、私の脳は演算能力が何十倍にも高速
化されます。一度にいくつもの質問、考察、結論が同時に、また、瞬時に出
来ます。質問も同時多発的に出現します。生きるとは何?食べるとは何?神
とは何?宇宙とは何?人間とは何?家族とは何?意識とは何?悟りとは何?
死とは何?等々。そんな事柄に対して瞬時に同時に結論が出る訳です。その
状態の時には平常時の頭の回転の遅さに絶望するほど思考が高速回転するの
です。そんな時にIQテストしてみたいものです。いつもその状態ならすぐに
考えるべき質問は無くなり、悟り状態に急速に近づくでしょう。。
天才と呼ば
れる人達は多分、いつもそんなスピードで頭が回転しているのだと思います。
先天的にモノアミンの状態が最適にセッティングされているのでしょう
※ちなみに、
自分の事は「この人」(である私)とか、「この男」と呼ぶのが一番状況に合
っています。その状態で初めてキリストや、EOが自分を表現する時に三人称
を使うのが現実に理解出来ました。
だそうだ。
「・・・・・バルトロマイ・・・・バル・・・ここだ・・・・・・・・。」
「ん?誰だ?ワシはシロシベクべンシス使用時の感覚を利用したフラッシュ
バックで瞑想からアストラル界への参入を試みているのだが。」
「私は私自身であり、光。」
「ふざけるな、お前はワシ自身じゃないのか?」
「私は魂を食らう者、お前に地獄のエネルギーを与える者。」
「えっ、ベルか?ハエの王様?」
「ベルの一部であり、端末の一つだ。人間とのインターフェイスにもなって
いる。お前に理解可能な言語と表現でコンタクトしている。
↑高級悪魔との出会いの経緯だそうだ
おれも後でちゃんと考えてみようと思う。Kも分かった事があれば沢山書いて
欲しい。例え全てが彼の作り話だとしても、思考者として非常に興味深い
話を聞けてとても嬉しい。なぁK?
>>254 うーむ、まだ他人の意見が気になる時期ってことかな?
参考程度ね。
頭では分かっていても今までが気にしてきたからな。悲しい習性だよ。
反射的に行動をおこしてしまっていると言う事か。
そういった意味ではまだまだ自分を見つめるべき状態にあるってことか。
まだ自分の本当の気持ちに気づいていない可能性もある気がする・・なんだろう・・・
そういえば俺はここにいるんだなってのも気づいたな。
なんだろうね。樹海つうか。安心が欲しいんだろうね。どこにいるのか分からない。
全く関係ないかもしれんが少し色々書いてみる。
自然との調和
あるジャンルの達人は自然体に物事をなしている。大きな流れに身を任せている感じ。
自然に逆らわずに波に乗っている。
学校のサッカーをやっている時に一度変な気分にあった。
その感覚にあるとき全てが必然に感じるのだ。ボールが止まって見える。
ボールが取れない気がしない。負ける気がしない。
少し先の未来が映像として入ってくる。・・・見せられているのか?
点が入っても当然の結果。自分でやっているのにどこか他人事。
・・・動かされているのか?
その感覚のときはすごく気持ちいい。悩みとか吹き飛ぶ。
あえて言うなら未来に引っ張られている感じ。・・何なんだ?
これは自然に身を任せている瞬間だったのかもしれない。
少し不思議な体験だったという話。
この感覚を常時維持できたらなあと思う。
達人なら可能かな?
常に自分の意志で自然にシンクロする・・自分がない。任せる。
初心者の俺もいきなり何かにバッとできんものかと夢見ている。
発動条件がよく分からない。なんとかならんものか。
最短で頂上に行きたいものだ。より効率よく効果を発揮したいものだ。
悟りにも応用できたらいいのにね。
以前テレビでボクシングで速いパンチを繰り出すにはどうすればいいの?という質問があった。
トレーナーは言った。「速いパンチを打っているところをイメージするんですよ」
・・・原因と結果の法則だ・・・。
筋トレでも筋肉がムキムキになっている様子を思い浮かべながらやると効果的らしい。
原因と結果の法則・・。
目標を明確に立てれば方向性が定まる。イメージするという事で方向を修正するのだろう。
悟った状態を思い浮かべるのだ。そうすれば効率がいいはずだ。
悟りについて論議するよりちゃっちゃと悟っちゃう事も考慮に入れればいいという話。
>>239 本の話だけど読書はあまりしないほうだが最近自分の将来の事で不安になってきてね(今年で二十だよ)
いろいろ漁って自分の考えを深めている。基本は家のものを読むのだが。
気に入ったやつもあるよ。例えば「呼吸入門」とかどうだろう。
呼吸を深めることによって集中力を増したり自分の感情をコントロールしようという本。
(ググッて見るといいかもね)
呼吸というのは当たり前かも知れないが、基本的にはいつでもどこでもできるものだ。(というか、しているもの)
スポーツをする際にも仕事をする際にも勉強をする際にも呼吸を少し調整するだけで効果が全然違うというもの。
三秒すって二秒止めて十五秒吐くというもの。
自然との調和についても少し書いてある。興味が出たら見てみるといいかもね。
応用が利くものほど役に立つと考えている。
呼吸というものは単純だが単純なものほど奥が深い(ピンからキリまで)と、このごろ思うよ。
横レスですまないけれど…。
>269
「速いパンチをうっているところをイメージする」
僕の知り合いに運動神経のすごい人がいて、どんな難しいスポーツ
の技術も、長年やってる人を差し置いて3,4回で覚えたりしていた。
彼も、頭に明確なイメージを描くと覚えやすいといっていたよ。
でもそれは悟った状態というより、
「どうすればきれいにシュートを打てるか」、
「どうすればそれを身体に伝えらるか」
という具体的な要素をノートにメモをするように理解していて、
それからを組み合わせて、実行する…みたいなことを言っていた。
本当に運動神経のいい人は、こうした思考を無意識に行えるから
「運動神経がいい」んだけれど、試行錯誤で身に付けることも
確かにできる。このとき難しいのは、精神とに身体の統合。
>>257 その人は最近「人生最大の発見3」の1に対して「あなたの原則は自分の感じたものと同じだ」と
レスをしていたね。
「人生〜」はTが
>>109に貼ってくれてあるし、
>>105に経緯が簡単に書いてある。43と前スレくん
はそのスレがきっかけで来てくれた。
「電波〜」の1は「自分が何か行動をしようとするとき、"それ"が自分に「こうすれば世の中は円滑に動く」と教えてくれる。
もちろん話しかけてくるわけでは無いが、"それ"から感じ取ることが出来る。」
と記している。
「円滑」の意味合いが微妙だが、kはそのようなものは常に感じているというか、瞬時に選択している。
1は「それの存在」という形で自分ではないものを想定して、そこから影響を受けているという
とらえ方のように見える。kのとらえ方とは少し違う。
kが「人生〜」の1にしつこくっ突っ込んで、「電波〜」の1に全く突っ込まない理由は、前者は
「とてもよいものだが、全く説明できないもの」を広めたがっていて、後者はそれはなんだろうか?
とみんなに問い掛けているという点で大きく異なるから。
前者は徒に人に期待を抱かせながら、明確に答えない。これは期待している人を惑わす行為に
なりかねないので(事実多くのレスが信じたいけどわからないといったものだった)
もしはっきりさせられるならそうしたいと思った。
後者にはそのような危惧を感じなかったので、全くレスをしていない。
つづき
「どう思いますか?」ということだったね。
何かを感じているんだろうな、と思う。
kは自分を見つめていくことで人やものごとの本質に気づいてきた。
ただし、これは霊的でもなく神秘的でもない理路整然としたもの。とらえ方を変えれば
不思議かもしれない。全てはとらえ方で変化しうる。
多くの人がいろいろなことを感じ、気づくことで変化していると考えている。
>>258 >自スレということもあり普段よりも人との折り合いをつけた方がスレの発展
文脈から、他スレのkをご存知のようだ。どのスレかな?
>地球の製造・管理者の上に太陽系の各惑星の管理者を管理する神がいる。
つまり地球を作り管理している者がいて、他にも類似する管理者もいて、それらとは別格
の存在として神がいるということかな?
>>259 >人間レベルでも家畜に対して同じ事をしています。
なるほど。年貢を納める感覚にも類似している印象だね。
>>260 >人は体験を通して宇宙(神)に何かを与え?ているようです。神は人の体験が必要なのです。
「神との対話」における神の発言とされる文にも類似した箇所があった。
神は人々の体験を通して喜びを得ているといった内容だったかな。
>家畜の身分が嫌だから解脱して無になり、神との関わりを絶つ事を望んでいましたが、この宇宙の範囲内では
>本当の解脱は無理であり、考えてもしょうがない事だと認識しました。
このくだりは面白い。解脱をそのようなものと設定して努力する空しさを諭しているようにも見えるね。
>>261 >恐らく水面下というのは人間の無意識の事で、その無意識の中には人類の歴史としてのDNA(記憶?)が刻まれており
無意識のとらえ方は様々だろうね。無意識をある種の領域ととらえるとそのような仮定が成り立つだろう。
輪廻転生を抜きに考えても、DNA内の情報を人が有効利用しているとは考えられていないのだから、
それを有効利用することで既存の人の限界に対する思い込みは無意味なことが判明するだろうね。
また、それを具現化するための端末として重要な機関である「脳」の有効利用もさほど出来ていない
とされる現状にあるのだから、可能性はは無限に広がる。
>それがカルマの実態であり、カルマ自体が神そのものでもあります。
多くの宗教が神の意のままに生きることを説いているのだから、実に説得力のある話だね。
逆にそうでなければ神が存在する意味がわからない。
洗脳とはそういったものだからね。
>>275 6行目「機関」は「器官」に訂正。7行目「可能性はは」は「は」が重複。
>>263 >つまり、人は個人としても神であります。
そういうことになるだろうね。
>悪魔的ですが、悪魔は神の一部です。
ということだね。
>>264 >ただ、成すべき事を成すだけです。
>楽しみや快楽だけを求める人も、性欲に溺れる人もそれはそれで突き進めばいいのです。
いいかどうかはその人の主観によるだろうけど、身も蓋もない感じはkの発言に類似している。
>一度にいくつもの質問、考察、結論が同時に、また、瞬時に出来ます。質問も同時多発的に出現します。
kは天才と分類されたことはないけど、類似した状態にはなるね。映画「オーメン2」で、ダミアンが
教師の質問に対して瞬時に答えていき、挙句に先回りして質問の前に答えてしまうシーンがあったかと思う。
人としての可能性を考慮すれば、多かれ少なかれそれに類似した状態になると思う。
固定観念を自己認識することで実現できると思うよ。
kって・・・
まさかクリシュナムルティを気取ってんじゃないだろうな?
>>265 >例え全てが彼の作り話だとしても、思考者として非常に興味深い話を聞けてとても嬉しい。なぁK?
そうだね。面白い。長文ご苦労さま。ありがとう。
いくつか質問。
・君はこの話をどのようにして知ったのか。
・「高級悪魔」という言い回しはどのような意味なのか。これは自称「高級悪魔」にきかないとわからないね。
・バルは何がしたいのか。これもバルにきかないとわからないね。
彼らの話によれば、神の喜ぶご馳走は大きな感情のようだね。赤ん坊などはその具現者として最高かもしれない。
多くの人は成長するにつれて感情表現、もしくは感情までも抑制していく。
神が万能ならなぜそのような不利益なものを創造したのかな?彼らの話を基盤に考察すると、神は自己の利益にそぐわない
ものを作ってしまったようにも見える。どうなんだろうね?難しいゲームを考え出す人間と同じ感覚だろうか。
つまり、なかなか利を得にくいところが面白いので人をそのように作ったのかな?
>>266 >本質は認識できない、という考え方は仏教の他にもある。
>興味があるなら、カントやショーペンハウエルなどの著書をお勧めしてみる。
ありがとう。
ところで、仏教では本質は認識できないという考えなのかな?
お勧めのカントやショーペンハウエルも本質は認識できないと著書に記しているの?
本質は一定ではない。事象と主観によって如何様にも変わる。
ちなみに、kが気づいた人間の本質は
・その場の自分の気持ちを極めて優先しがち
・常に気持ちがよい、もしくは楽だと予測できる選択をしたい
かなり語弊があるので、表現を変える。
・人は自分の気持ちを大切にしている
・人は常に幸せを求めている
こちらの方がkとしては語弊があると思う。かなり説明しないと、そのように生きるべきという
人生の指標と捉えられかねない危険を孕んでいるね。
これは自分を見つめた結果わかった当たり前の真理であり、現実であって、決して理想ではない。
そうあるべきではなく、そのようにしか生きていない場合が多いということ。
また、その事実をほとんど自己認識できていない。
>>267 自分を見つめる必要性のない人がいるとしたら、社会的に生活することを完全にやめた人
くらいだと思うよ。そういう人がいればの話だけど。ホームレスにも当然社会はあるからね。
>>268 >あるジャンルの達人は自然体に物事をなしている。大きな流れに身を任せている感じ。
うん。力みがあまりない状態かな。それを意図的に実現できる状態の人を達人とか名人とか呼ぶと思う。
>>269 >最短で頂上に行きたいものだ。より効率よく効果を発揮したいものだ。
そうだね。kも真剣にそう考えた。
そして、それは瞬時に状況を見極め続け、選択し続けることであるかなと思っているよ。
>悟りについて論議するよりちゃっちゃと悟っちゃう事も考慮に入れればいいという話。
まさしくその通りだね。悟りの定義を自分で設定してそれを実現する他ない。
重複するけど、悟り続けないと悟りは経験になってしまうと思う。
>>270 「呼吸入門」で検索したら「斎藤孝」という人の著作が出てきた。これかな?
最近著名な人だよね。声に出して読むとかいうのを書いた人だね。
ヨーガの呼吸法(プラーナヤーマ)では吸・止・吐を1・4・2でやったりもするね。
斉藤氏のは日本独特の伝統が書かれているのかな?
「人生最大の〜2」でkが1に突っ込んだ事項に「呼吸の本質」というのがあったんだ。
ようするに、kが質問したんだけど答えは得られなかった。
呼吸は君の言うように奥が深いと思う。
ことに腹式呼吸において呼気と当時に腹をへこます動作は内臓を押し上げて横隔膜をも上げ、
肺を圧迫して残っている空気を吐き出すのに極めて有効。
同時に内臓を動かすので血行が良くなり、内臓の病を防げる。
また、自律神経のバランスを整えて、精神の安定ももたらす。
逆にヒクソンや舟木がやったとされるような急激な呼吸は急速にエネルギーを蓄えてパワーの源
となるかもしれない。危なそうだけど。
いずれにしろ、生きることは呼吸することといいかえられるくらい、当たり前だけど重要だよね。
>>271 こちらも横レスですまない。
>でもそれは悟った状態というより、
> 「どうすればきれいにシュートを打てるか」、
> 「どうすればそれを身体に伝えらるか」
>という具体的な要素をノートにメモをするように理解していて、
>それからを組み合わせて、実行する…みたいなことを言っていた。
なるほど。目標実現に最も近い道筋かもね。面倒で遠回りのようだけど、結局それしかないという感じかな。
武道や楽器の演奏などをするとそれらの重要性が体現できると思う。
何かが出来る過程を見つめていくと人の思いが見えてくる。思いの強さと思考の柔軟性によって、より
その人の望む状態を得る方法が見えてくるかもしれないね。
>>277 >kって・・・
>まさかクリシュナムルティを気取ってんじゃないだろうな?
無知で申し訳ないが、その人が著名であろうことはこの板にその人の冠スレがあることで
認識しているけど、どのような人なのかな?
おそらく気取りたくなるような人なんだろうね。
だけど、誤解。kは名前の頭文字。ちなみに名字はtなので、Tがレスくれたときはちょっと驚いた。
>>283 偶然とは おもしろいもので 私の苗字の頭文字もtです。
このスレッドが にぎやかになって喜んでいます。
>>284 へ〜。
今後もよろしく。何か気づいたり気になったりしたら書き込んで欲しい。
>>279 レスどもー。
266で名前を挙げた哲学者たちは、ドイツ観念論という区分に入る哲学の一派で、
中でもこの人たちは人間の認識についてを掘り進めてます(ヘーゲル、フィヒテ、シェリングはまだ勉強不足なので省きました)
「対象が我々の認識に従って規定されなければならない」
「認識とは、あるがままを知ることではなく、主観の方が主体的に知覚を構成することである」
そんなようなことをほざいた天才さんたちです。
ここで使った「本質」と、k氏の言われる「本質」は、まったく違う意味合いですね。
k氏はどちらかというと実存主義的な思想をお持ちで?
氏の示す「本質」は「初めに具象的存在(つまり、今ある『自分』というもの)ありき」のものです。
もしそうでしたら、先に紹介したドイツ観念論はまったく無用です。まるで逆の立場なので。
>・人は自分の気持ちを大切にしている
>・人は常に幸せを求めている
これらは実存主義的アプローチの人間観に似ている感じがします。
詳しくは下で。
実存主義的アプローチの人間観
a. 人間は、行動(前進的に行動)し、かつ反応する存在(an active and reactive being)である。
人間の行動は、身体的構造と機能によって、環境的諸力によって決まるものである。人間は、これらの要因をもって絶えず反応し続ける存在である。
b. 人間は意識する(to be aware)存在である。
人間の意識は継続的であり、実存の中心的事実である。これは、自己同一性(self-identity)の確立を助けるような継続的意識感である。
現在にあっていかに振る舞うかは、過去において何が起こったかということに関係し、また同時に、未来に対して何を望むかということと関係する。
c. 人間は選択(choice)することのできる存在である。
現象学的見地からすれば、選択は経験の所与(given)と考えられている。
人間は選択の能力をもち、選択が自己の意識の流れに変化をもたらすことに気づく。
d. 人間は志向的(intentional)存在である。
人間は志向的なものであるから、自分の経験に対して、目的、意味、及び価値を付与するものである。
e. 人間は現存在(Dasein)、すなわち、世界内存在(a being-in-the-world)である。
人間の独自な本性は、人間が常に自分自身、仲間、及び現実界との関連においてとらえられるということにある。
f. 人間は超越的(transcendent)存在である。
「実存の本質は超越である」とフランクルは述べている。
人間は、自己以外のものとかかわりながら、自己、および現時点の諸事情の限界をも超越する能力を有している。
資料は↓
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~spring01/Step%20up/existentialism.htm カウンセリング用、とちょっとずれてはいますが、実存主義については比較的わかりやすく書いてあります。
実存主義にも色々あるんですけどね。有名どころはキェルケゴール、ニーチェ、サルトルあたり。
288 :
横やり失礼:04/02/25 10:26
>>236 遅レスごめん(汗
カリスマ性とか、人を惹きつける力って難しいですね。人間には厄介な精神的
問題があって、誰でもそこで躓く。幼い頃からの条件付け、トラウマ、洗脳と
か…。制約や危険も何かと多い。
ところで、人間は嘘をつくことができる。人間関係において、嘘のない関係
というと理想的な関係のような気もするが、どうでしょうね…。
まあ、嘘というと語弊があるかもしれないが、想いとでもいうのかな?
愛情や慈悲。思惑や感慨。そういうものは心に何かが投影されて初めて湧い
てくるようだけど、かといって誰かに伝達するのも困難ですね。
真心から伝えても、不審がられたり、逆に下心から簡単に騙せてしまったり。
誠実が人を幸せにするとも限らず、不謹慎が人を不幸にするとも限らない。
そもそも、その幸不幸も何かの投影なのかもしれない。
私などもこのように自分を省みることができるが、沈んでいく夕日を眺めて
たり、人々の平和な暮らしの中に安らぎを感じるのは否定できない。
しかし一方で人間、霞みを食って生きていけるものでなく、生きていく糧を
得るために、奔走もしなきゃならない面もある。
前者に誰かのカリスマが入り込む余地はまずないが、後者の方には余地が縋
る分だけある。合理的で効果的な約束、快適の保障には弱いからね。
人間、心の働きは相対化できるけど、心そのものは捉えることはできない。
この相対化できる部分で、どう生きるかで人生は決まってくるんでしょうね。
自分とは何か?
これは最も困難ですが、誰にも当てはまる最も身近な問題なんですね。
恐らく、釈迦もイエスもそこへ人々を導きかかったんだろうと私は思います。
>287
ドストエフスキーも面白いよ。
代表的には、「カラマーゾフの兄弟」(長いけど…
>>286 >「対象が我々の認識に従って規定されなければならない」
>「認識とは、あるがままを知ることではなく、主観の方が主体的に知覚を構成することである」
>ここで使った「本質」と、k氏の言われる「本質」は、まったく違う意味合いですね。
君がどのような観点で違うと思ったのか教えて欲しいな。
また、本質に関して彼らがどのようにとらえていると君は理解したのかな。
>>287 いろいろ紹介してくれてありがとう。別スレでも実存主義のようだと評価されたことがある。
勉強不足で失礼だが、哲学書を読んだことがないのでこのようにまとめてくれると本当にたすかる。
f以外は人間を冷静に客観視していると思う。
fに関しては
「限界をも超越する能力を有している。」
という箇所の、「限界」がそれを判断する人の思い込みであることを考えると
「人は思い込みによって自己に規制をかけて限界という形にしている」
という感じかとも思う。超越というのはなにやら凄そうだけど、元々持っているから出せると思う。
大切なのは自己を見つめて規制をかけている事実と原因を追求してまずはそれを認識することかな。
>>288 >恐らく、釈迦もイエスもそこへ人々を導きかかったんだろうと私は思います。
ここの「そこへ」は
>自分とは何か?
ということ?
嘘は洗脳の一種ともとらえられる。相手を信じ込ませるという意味合いにおいて。
見方を変えれば心の動かし合い、奪い合いともいえる。
面白いもので、約束を破られても平然としている人ととても悔しがる人など、同様に見える
状況における反応は人それぞれだ。
その理由は、裏切られた人々の思考の仕方が一様ではないからだ。
>ところで、人間は嘘をつくことができる。人間関係において、嘘のない関係
>というと理想的な関係のような気もするが、どうでしょうね…。
嘘のない関係を理想的ととらえるのが一般的だね。そこにははっきりとした利便性が盛り込まれている。
人を信用したり、約束を守るという前提を作ることによって、いちいち思考しなくて済ませようという
省エネ的な発想が見える。
冷静に考えれば、人は互いに利用しあって生きている。自己の利益の追求の先に人との関係がある。
それを自分に有利に働かせるための方便(嘘)を使わない人は稀だ。
嘘をつくことは生育過程において洗脳されて身に染み付いている。なおかつ、それが見方を変えると
いけないことだという思い込みも持たされていることが多いのでややこしい。
つづき
まず嘘の定義から入らないと誤解が生じるので、
「その場の自己の気持ちや思いや考えなどと自分以外の対象(自分の日記等も含む)に対する
発言に食い違いのないこと」
としてみよう。
こうしてしまうと、いかに嘘をつかないことが大変かがわかる。いわゆる「ふつう」は無理だと思う。
また、幼少の頃から周りの大人がそれぞれの価値観で接触してくるため、知恵がついてくると幼児は
対象に応じて適宜相手の要求にこたえることが可能となってくる。
この中には、相手を喜ばせたり嫌がらせたりすることが目的で敢えて「嘘」をつく場合が生じてくる。
そして、相手が予測どおりの反応を見せたりすれば、幼児もパターン化して記憶していく。
こうなってくると何が本当なのかもよくわからない。しかしこれが脈々と続いている「育児」だと思う。
結局育児とは気持ちの動かし合い、奪い合いに終始してしまうことが多い。
そのような生育過程を経ているので、多くの人は嘘をつくことで相手の気持ちを動かせる
ことを知りつつも、嘘はいけないという思い込みを持たされているので悩むというわけ。
なぜ嘘をついていけないかといえば、当然気持ちを動かされることとなり(むかつくとか
ちくしょーとか)自分の気持ち(嘘をつかれた人の)が嫌な感じを受ける「不利益」を生じることが
予測可能なので、未然に防ごうという思惑だろう。
つづき 長くなって申し訳ない とても興味深いテーマなので自分勝手に盛り上がっている
信じることをとても素晴らしいことのようにとらえている人は多いことだろう。
事実kはそのようなテーマを扱った小説やドラマで涙腺が緩む。正直その手には弱い。
では、なぜ信じることが人の気持ちを大きく動かすのかといえば、それが「有り難いこと」
だからかと思う。
つまり、人を信じ続けることが難しいと知っているからだろう。また、信じきる思い込みの強さに
なにやら素晴らしいものを感じるように洗脳(教育)されているような気がする。
幼少の頃から走れメロス(これの対象は小学生高学年くらいだけど)的なお話を、なにやら良いことのように
読み聞かせされると(事実強い思い込みは簡単に持てるものでもなく成功には不可欠なわけで)信じることの素晴らしさ
を確信するようにもなろうと思う。
だが、人は瞬時に考えが変化可能だ。五感によって不確かな情報を常に脳に送り込んでいる。
なおかつ曖昧な記憶と数限りない思い込みによって分類分析して思考している。
言ったそばからその反対のことの方がいいかな?なぞと思ったりもする。
だから信じるという行為が「美しく」とらえられるのだろう。「有り難い」ので。
嘘をつくのも、信じるのも個人の自由。
そのような人間たちが互いに利用しながら生活している。
それが社会。社会ははじめからあるのではなく一人一人の影響の集合体として常に変化している。
一人人が生まれるだけで社会は変化している。
社会的に適応することを望めば、上手に折り合いをつける必要が出てくる。
いい悪いではない。
自分はどうしたいのか。そして人とはどのような存在か。よく認識する必要がありそうだ。
>>289 ありがとう。kも以前は文芸作品を読んだこともあって二十歳ころカラマーゾフは読んだ。
確かに面白かったと思う。
なにやら殺人事件があったり、人の内面を詳しく表記してあったような記憶。
主人公も変わってしまった気がするな。途中で終わってたんだっけね。
中学生のときはトルストイの「人は何のために〜」とか他の難しそうなのも読んだと思うよ。
今じゃまんがとか犬関連の本とか娯楽小説ばかり。少し反省。
>295
カラマーゾフ、長くて最後までいけないんですよね…。
僕は哲学の授業でかじっただけなんですが、こういった場面が
実存主義で語られるようです。
イワンが、アリオーシャにキリスト教について語る場面で、
こんなことをいいます。
アダムは確かに神のりんごを食べ、罪をとわれたのかもしれない。
けれども、神はその子供たちにさえ、罪をといつめている。
アダムの子供達はこの世界で現実に苦しんでいるけれど、
本当にそれは子供たち自身の罪なのだろうか?
子供達にさえ、罪をとうということを、私達は受け入れられるのだろうか?
そういった神を、そして彼の作り出した世界を、私は認めない。
神が存在する、存在しないなどとは、議論をすることができないし
それを議論として神の存在を確認することは意味のないことなのだけれど、
仮に神が今現れ、これからこの世界が何の苦しみもない世界に私をつれて
いこうと言われても、私は彼のつくりだすという楽園へのチケットを彼に返すよ。
うろ覚えで、しかも英語で読んでいたので、文庫とかの表現とは食い違うと思う
けれど、こんな感じでした。面白そうだから全部読んでみたいんですけれども…。
>>296 確かに長かったね。尻切れだし。英訳のペーパーバックで読んだの?凄いね、分厚いのかな。
論理の基盤を何にするかを見極めないと、主体の思惑と違って理論が一人歩きするような状態が生まれることはよくあるね。
「神」のとらえかたは各人様々だ。
君の引用における主体の神のとらえ方は「人格神」ぽいね。また、自分で規定した神に逆らう意思を見せている。
彼の根拠は
>本当にそれは子供たち自身の罪なのだろうか?
>そういった神を、そして彼の作り出した世界を、私は認めない。
をみると、アダムの子孫である彼らに罪があるとは考えたくない。そのような状態を創った神とその
神の創った世界が嫌だ。
といったものだろう。
つまり自分の気持ちに納得がいかないので、神の存在自体を認めないというわけだろう。
神を規定したのが自分であり、アダムの子どもたちが神に罪を問い詰められていると思っている
のも自分だということに彼は気づいているだろうか。
このような状態による思考がいわゆる「ふつう」だと思う。
とても悩ましく、神を偉大なものと想定するほど思考が止まりやすくなる。
kも随分とそういったことに頭を悩ませて、自分を苦しめていた。引用の人物の気持ちはよくわかる気がする。
僕も、これは陥りやすい迷路だと思います。
ただ、ドストエフスキーは実存主義が理解される前の人ですから、僕達の神の認識の
仕方とすこし差があると思います。
神の規定の主体が、自分であるとは少しいいきれない部分もあります。
当時のロシアもヨーロッパなどでは、宗派は違えどキリスト教の影響力が強かった
と思いますし、なにしろ神の規定は牧師さんたちがやることで、このときのイワンも
牧師さんのいう神の定義にのっとって議論していたと思います。
アリオーシャ自身もキリスト教徒として修行をしている人でした。
神の規定は、全体としては人間の行為だとは思いますが、それを教える者と、
教えられた者がいるわけで、教えられたイワンは、牧師さんたちの規定にそって
神の存在を定義していると思います。
客観的に、僕達の倫理観では罪はその本人にあるべきだというのが基本ですよね。
僕達の作った倫理観と、聖書の語る神の倫理観には圧倒的な差があります。
聖書でも、神が人間に命令をして他の人間を殺す、といった行為も出てきたり
するようですし…。
神が超越的で、僕達が理解不可能な知識と見解をもっていること、
それから神の倫理観と自分達の倫理観が違うことを踏まえて、
神を意識することに意味をみいだせない、そういう考えなのだと思います。
結局、神が理解不可能なら、神を主体に行動することが人間にできないのなら、
やはり自分を主体に生きるべきなんじゃないのか、…そういう感じなのでしょうか。
ちなみに当方、授業でかじっただけなので、誤解もあるかも…。
ペーパーバックは、買おうかどうしようか考え中…。
英語なので、逆にそんなに分厚くはなかったり。
>>271 なるほど。貴重な情報ありがとう。
過程と結果の違いだね。
どれだけイメージしても空を飛ぶ事はできないのと関係がある感じだな。
まあイメージしておいて損はないだろうという話。
>>280 >自分を見つめる必要性のない人がいるとしたら、社会的に生活することを完全にやめた人
くらいだと思うよ。そういう人がいればの話だけど。ホームレスにも当然社会はあるからね。
なるほど。
もしかしたら見つめすぎるぐらいが丁度いいかもしれないな。
>>268 >>あるジャンルの達人は自然体に物事をなしている。大きな流れに身を任せている感じ。
>うん。力みがあまりない状態かな。それを意図的に実現できる状態の人を達人とか名人とか呼ぶと思う。
そうだな。何気にそういう風に呼ばれてみたいと思っているよw
>>269 >>最短で頂上に行きたいものだ。より効率よく効果を発揮したいものだ。
>そうだね。kも真剣にそう考えた。
>そして、それは瞬時に状況を見極め続け、選択し続けることであるかなと思っているよ。
その都度対応していくってことか。
選択肢のが多ければ多いほど有利だもんな。
>悟りについて論議するよりちゃっちゃと悟っちゃう事も考慮に入れればいいという話。
まさしくその通りだね。悟りの定義を自分で設定してそれを実現する他ない。
重複するけど、悟り続けないと悟りは経験になってしまうと思う。
なんかどっかのホームページに書いてあったが一つの問題という軸があるといいらしいね。近づきやすいつうか。
そこにあったのは両手を合わせるとパチンって音がなるけど片手だったらどうなるか?っていうの。
ちなみにトンチじゃないよとさ
301 :
横やり失礼:04/02/27 22:01
>>291 そうですね。その、そこへだと私は思ってます。
自分とは何か?とか、己を知る。やはりそれぞれがそこから発し、そこへ帰る。
まあ、釈迦やイエスを深く研究して言っているんではないですけど…。
人が嘘を付くことは、生育過程でどうしても身に染み付けてしまいますね。
そして、嘘をつかないでいるのは非常に難しい。更についてしまった嘘を封印
するための嘘も更についてしまったりする。
こうなると、自分の素直な気持ちというのさえ解り難くなり、虚構の人生に塗
潰されていくのかも知れない。ニヒリズムというのは、そういうものだと思う。
ここでは、世間一般の「いい人・わるい人」という価値観も曖昧になるが、概
ねの人は、その辺の事情を吟味しないで善悪の価値観をハッキリさせた世界を
構築したいと願っているような気がします。
精力的に活動しているように見える人が、実は大変なニヒリズムに悩まされて
いることも珍しいことではないようです。
現代人の求める癒しなどは、概ねこのニヒリズムを埋めたい衝動なのではない
だろうか。
kさんは嘘と方便とニヒリズムの関係について、どんな考えをお持ちでしょうか?
>>298 >神の規定の主体が、自分であるとは少しいいきれない部分もあります。
そのとおりだね。一般的にはそのようにとらえられていると思う。
>>191(それ以前には書いてなかったようだ)で共通認識はないとした。
誰かの定義した抽象的な概念を個々に認識するとき、それは確実に個々独自の認識であって
枝葉は類似していても全体像は異なるだろう。
牧師の定義した「神」という概念がいかに具体的で細かく規定されていても、それをとらえる
主体がそれなりに受け取って自ら規定しているというのが事実。
つまり、いかにイメージを強要されても受け手の主体的な認識が介在している事実があるということ。
今も当時も洗脳されていることに変わりはないけど、情報量が少ない当時の洗脳は純粋で強固かと想像する。
現在の日本人が自ら洗脳されたがっている概念は、そこそこ生活できる状態を維持しつつ、
それなりの自分探しをして自分を納得させることがよりよい人生、といった感じかな。
>結局、神が理解不可能なら、神を主体に行動することが人間にできないのなら、
>やはり自分を主体に生きるべきなんじゃないのか、…そういう感じなのでしょうか。
kはそう思う。
神を主体にすることは出来ないとも思う。なぜなら、神を主体にした思考をどのように巡らせたところで、
結局そうしたい自分の気持ちを大事にしている事実に変わりはないから。
つまり神が示す、神が望む生き方をしようという、自己の主体がなせるわざだと考えられるから。
kの言ってうことは事実だと思うけど、身も蓋もないのも事実。
事象を端的に表現することもこのスレでしたいこと。気に入らなかったらすまない。
>>300 kは達人というか超人を目指しているよ。目指すのは自由だからね。
でも
>>290に書いたように超えるというのは固定観念を超えることで、元来可能性として
持っているけど発揮できていない実は当たり前のことかなとも思っている。
人は自分で自分の限界を作っているとは思わない?
>そこにあったのは両手を合わせるとパチンって音がなるけど片手だったらどうなるか?っていうの。
>ちなみにトンチじゃないよとさ
面白そうだね。片手で音を出す方法をきいてるのかな?とんちじゃないんだね。なんだろう。
もう少し詳しく知りたいな。片手でどこか叩くとかではないんでしょ。
「どうなるか?」というのは片手でどうすることなのかな?
>>301 >概ねの人は、その辺の事情を吟味しないで善悪の価値観をハッキリさせた世界を構築したいと願っているような気がします。
そうだと思うよ。kもそうだし。それを自覚しているかどうかをkは執拗に話しているんだ。
>現代人の求める癒しなどは、概ねこのニヒリズムを埋めたい衝動なのではないだろうか。
そのように見受けられるね。
>kさんは嘘と方便とニヒリズムの関係について、どんな考えをお持ちでしょうか?
毎度お恥ずかしいけど「ニヒリズム」をよく知らないので検索してみた。
http://www.kani.or.jp/hojyuin/nihilism.html 上のをちょろっと読んだだけなので奇妙なことを語っていたら指摘してもらえるとたすかる。
ある種の固定観念(ニーチェがとらえた厳然とあったとされるキリスト教的世界観)を支えに
人は「安心」して生活したがっていると思う。
その打ち崩されることのないくらい強固で当たり前であるはずの「基盤」がただの思い込みに過ぎなかった
ことに気づくと、足が地に付かない不安定な精神状態になると推測される。ニヒリズムとは
このような状態を呼ぶのかな?
これはkが他スレで執拗に説いて全く相手にされなかった、「自由」の本質だと思う。
つづき
人は生誕時に胎内(実はこれも羊水の中という不安定な状態)という安心できる環境から外の世界に
押し出された瞬間に「自由」=「不安定」を体感する。
これが「苦」の原点となることも多いことだろう。
その後成熟するにつれ様々な価値観を知り、取捨選択しながら成長する。と同時に「不安定」(原始的な苦)
を嫌うため「自由」の範囲を狭めるため固定観念を強固に信じようと試みる。その固定観念が多くの場合に
適応すると「安心」を得る。その反面「自由」を求める(束縛を嫌う)。
人は思い込み(固定観念)を利用して生きている。何かを信じて思い込まなければなかなか目標は達成できない。
そして、多くの場合自己を見つめていないため、その認識が極めて希薄だ。
そこには「いい わるい」といった分類が根強く影響している。
善悪は主観でしかないが、人の意思決定には極めて強力に作用する。
そして、その認識も希薄だ。
つづき
人は何かしら自己を束縛することで「安心」を得ようとするが、その反面「自由」を求めている。
既存の絶対的な価値観を社会に見出すと、それに追随したい欲求と反発したい欲求が起こる。
つまり、欲求が矛盾している。起因は生誕時にまで遡れるほど根深い。
それが人の生きる本質であるから、嘘はある種必然でもある。むろんとらえ方の問題でもある。
支えとしていたものが無価値だと決め付けるとき、人は「自由」=「不安定」を得る。
だが、その認識が希薄なため不安感を強く感じる場合が多い。「ほっと」する人も多いと思うが。
その辺りの矛盾を本質的に持つ「人」は嘘をつきながらに生きるのが本来の姿かと思う。
そこに「善悪」という曖昧で比較的絶対的な価値観を持たせ気味の分類を加味するので
ややこしくなるかと思う。
何も頼るものなしでは生きづらいのだから、しっかりと思い込みを方便(作戦)として持って
積極的に生きることで喜びを感じる生き方は如何なものだろう。
kはそのようなことを提唱している。
長くてすまない。
>304-306
僕の学部の事務所にこんな文句があります。
Never trust anything before they have officially denied.
(公的に否定されるまで、なにも信用するな)
ありとあらゆる、完璧に見える理論でも、かならずそこには
矛盾点がある。アリストテレスにも、イマニュエル・カントにも、
ましてやキリスト教にすら、矛盾点や問題点がある。
John Stuart Millがいうには、
「あらゆる批判をうけ、なおかつ生きている理論こそ、真実に近いといえる」
もちろん、その理論自身にも問題点はある。
こうしたことを考えると、はたして自由=不安定だといえるかどうか疑問です。
なぜなら、僕は自由こそが安定した状態だと思うから。
つづきます。
たしかに、ある固定概念を受け入れた場合、精神的な安息は得られます。
なぜなら、本を机に置いておきさえすれば、考えなくても生活できるからです。
こまったなら、その本を開いてみればいい。
けれども、これはある固定概念に縛られた、一方に傾いた状態ではないでしょうか?
ここに、相反する概念を受け入れる姿勢は生まれてきません。
この本がAといえば、その人はAという行動しかしないことになり、これは非常に偏った、
「不安定な状態に固定され、一見安定しているようにみえる」状態と表現できます。
もし彼が、相反する本を二つもっていたらどうでしょうか?
彼の状態は確かに固定されてはいません。いつも、この二つの本を読みながら
AとBの間を行ったりきたりしています。
でも、彼はAだけに偏ることもなければ、Bだけに偏ることもありません。なぜなら、
Aの矛盾点をBが指摘し、Bの問題点をAがいつも示しているからです。
彼は常に、「概念を選択する」自由を持っている、そしてこの状態こそ、
「一見不安定だけれども、安定した状態」だと僕は思います。
>何も頼るものなしでは生きづらいのだから、
>しっかりと思い込みを方便(作戦)として持って
>積極的に生きることで喜びを感じる生き方は如何なものだろう。
うん。自分も、色々と齧ってみて結局はこれしかないだろうと思った。
信念を以って行動し実践しようとしても現実には、色々な問題が起きてきてくる。
だから、これは大事な何かを気づかせようとしてると考えてみたりする。
てか、人生の浮き沈みってなんだかもう、不思議と笑えてきてしまう。
自然(ランダム)にも偏りはあるし
>>307-308 >なぜなら、僕は自由こそが安定した状態だと思うから。
そのように多くの人が思っていると思うよ。
「自由」という状態は(とらえ方によって大きく変化するけど)固定していない状態だと思う。
固定していない状態を「不安定」と呼ぶんじゃないかな。
言葉には「雰囲気」が付随されていることが多い。「自由」はよい感じ。「不安定」は嫌な感じ。
そういった「雰囲気」が自分のその場の気持ちに作用して、言葉の本質を見えづらくしているかもしれない。
kは「自由」=「不安定」という考えを提唱しているつもりはない。ある種の固定観念があると推測される
言葉を敢えて用いて、相容れないと考えられがちな言葉の共通性を考えて欲しくて書いている。
>けれども、これはある固定概念に縛られた、一方に傾いた状態ではないでしょうか?
そうだね。それが現実に多く用いられる固定観念の使用方法だ。
kは思い込みを作戦として積極的に利用して生きる利便性について提唱している。
ここにおいては、主体は思い込み(固定観念・概念)を客観視している。
君の挙げた例の主体は洗脳されている。もしくは「楽」そうだから、自ら思い込もうと
積極的に洗脳されているかもしれない。
これは
>>1に記した状態で生きることとなり、君の指摘通りだと思う。
つづき
>彼は常に、「概念を選択する」自由を持っている、そしてこの状態こそ、
>「一見不安定だけれども、安定した状態」だと僕は思います。
なるほど。
君のいう「安定した状態」は何に対するものだろう。
君のいう「選択の自由」はkも他スレで執拗に説いてきた。これはいい感じがするかもしれないし
人によっては実に面倒なことかもしれない。だが、とらえ方によるが、事実だね。
選択が可能な状態は「今このとき」の次の瞬間の言動・思考等を選択しなければならない状態ともとらえられる。
>>6-7に記したように、これはとても面倒なことだ。別の見方をすると、怖い。理由は、どうすればよいのか
わからないから。では、その理由は?それは自分を見つめていないので何をどうするかが明確ではないから。
これは「不安」でもあり「不安定」でもあるといえないかな?
多くの人はそのようなことが面倒なので、固定観念を多く持ち、パターン化して事象をとらえ、あまり思考することなく
瞬時に反射的・機械的な言動を取っていると思う。
312 :
横やり失礼:04/02/29 10:51
>>304.305.306
御丁寧な返答ありがとう。生き方について同意します。
ニヒリズムについては、自分の感覚的なもので語っております。信頼に値する
ものが嘘偽りであった場合、多くの人が多少は抱く感覚だと思います。
我々人間は普通、何か問題がなければ信頼している。健康な自分を信頼してい
るように。何か、大きな病気になったりすると、この信頼は危うくなってきて
ニヒリズムに陥ったりします。生命に対し抱く不信感は辛い状態を生みだす。
私はニヒリズムというのは、心にできた空洞のようなものだと思っている。
だから、その空洞を埋めてくれるものを必死で探す。
私には理屈は解りませんが、人間というのは本々信頼している生き物なんだと
思う。だからそれが無くなったと感じた時に、人は空虚な感じを抱いてしまう。
これが素朴な疑問から、次第にニヒリズムにまでも発展していくのでしょう。
では、自由な人間というのはニヒリズムか?と問われれば、私は違うだろうと
答える。信頼関係は、社会で交す契約から生じるような義務はないかと思う。
子供達は、大人に対する依存度は高いが不自由ではないし、虚無的でもない。
私は、ニヒリズムの問題を解決してる人間が自由な人間なんだろうと思います。
大抵は、ニヒリズムを対象に投影してやっつけるか、その対象から逃げるかの
どちらかの自動的な反応になってしまうのでしょう。
つづき
共通認識はない。ありえない。これも繰り返し記している。うるさくてすまない。
人は五感を通してしか「他」を認識していない。ほとんどが自己の想像だ。とらえ方は様々であり
共通するはずがない。
しかし、共感的理解はとても心地よい側面を有するので、共有したい願望がある。
共通認識だと思い込みたい。そう思えた瞬間は喜びを得る。
君とkの考えが異なるのは当然だ。だが、互いに理解し合う努力は喜びを生むかも知れず、kはそのように生きたい。
これを他の人に強要する気はない。望むのは、考えて欲しいということ。
納得がいかないことは徹底的に突付いて質問してもらえるとたすかる。
>ありとあらゆる、完璧に見える理論でも、かならずそこには矛盾点がある
その通りだね。
>>205-206に記したように、ここでの主題は自分を見つめて生きていくことを考えること。
理論はいくらでも構築可能。構築には基盤が必要。基盤の信憑性で構築した理論のあり方が決まる。
このスレでしているのは、その基盤を見つめている。全ての思考の基盤を自己という主体に焦点を当てて
考えている。よかったらどんどん突っ込んで欲しい。
>>309 >信念を以って行動し実践しようとしても現実には、色々な問題が起きてきてくる。
>だから、これは大事な何かを気づかせようとしてると考えてみたりする。
そうだね。全てとらえ方だ。
kは元来悲観主義的な傾向が強く、くよくよぐじぐじ悩んでいた。
悩んでも解決しないのに一々難しく考えようとした。いつも苛々して不機嫌だった。
それは、こうなればいいな〜、という希望だけを大事そうに持っていて、目標達成への
具体的方法を見つけず、なんら努力していなかった。
君の言うとおり、全て時分を気づかせてくれるきっかけだ。それに気づくと世界が変わって見えるかもしれない。
まさしく真理だと思うよ。
>>313 k
>人は五感を通してしか「他」を認識していない。ほとんどが自己の想像
以前kは、人は五感等を通してしか「他」を認識していないと書いていたが
今回は「五感を通してしか」と「他」への認識は五感によってのみ行われる
と受け取らざるを得ない書き方をしている。「等」を省いても良いと思える
証明ができるようになったのだろうか?もしそうならその旨を証明文を書くと
共に皆に伝えないと理解の混乱を招く可能性が高くなると思うぞ。
現在の大脳生理学等の研究の進み具合や、後で俺が書く事柄からも現時点で
「五感等」の「等」を省いても良いと思える証明をする事は非常に難しいと
思われるのでkは恐らく「等」を書き忘れたのではないかと推測する。
書き忘れることは何ら問題は無いが、その後何の訂正も無いというのが
気になるな。
>>314でも時分を変換忘れしてると思われるし今日は自分のレス
を読み返すほどの時間の余裕が無かったのかもしれない。
グジグジと語って申し訳ないが要するに漢字の変換ミスなどは書き手の思いが
そこからある程度読み取れるが、「等」の書き忘れなどは書き手の意思に反し
て、文章がどこまでも独り歩きをしてしまう可能性が非常に高いと思うから
(もし書き忘れていたのであれば)気を付けてくれということ。なんで俺が
kにだけこんな面倒くさいこと言うのかというと、俺が思い込みに囚われて
いたことに自分で気付けてなかった頃には「等」から読み取れるものは殆ど
無かったがkによって自分が何の思い込みに囚われているか分かるようにな
ってくると「等」に含まれる膨大な情報量なんかがわかってくるようになった
んだ。書くのがめんどくさくなってきたので乱暴に言うと、kはkが思う以上
に人に影響を与えてる可能性が実体験などからも高いと思うので自分の発言に
は今まで以上に慎重になってくれたほうが少なくとも俺にはありがたいって事
。が、しかし俺たちの理解力を測るため等の理由から敢えて書き忘れたふりを
するという事もあるし実際俺もそういう事はよくやるので真相は分からんがな
まぁアレだ。情報を遠くはなれた国に伝える事ができなかった時代とかに
同じ発明が同じ時代に離れた国どうしで起こったとかあっただろ?
あとは瞑想の達人が起きてる時に脳波がシーター波だとテレパシーをしや
すくなるとか。こういった事はいわゆる第六感とやらを通して「他」を
認識(情報を受け取る事も他の認識に入るよな)してるようにも感じられる。
これらの現象は全て五感の範疇内だという証明や、あるいはそれらは全て
錯覚だとするならその錯覚を抱かせるものは五感から入ってくるのかどう
かとか色々あるよな。五感のみでいく場合にはな。
乱暴な文で最後らへんは妄想の共通認識に頼りっぱなしの文章だが、
そういうことだ。kの事が好きなのでこれからも頑張ってくれ
kに質問。他の人も俺が間違いを言ってると感じたら指摘してくれると
ありがたい。
人脳の中の小脳というところは、主に運動神経などを司るものだと俺は認識
している。kが言っている行動や考えのパターン化や自動化というのは
大雑把に言ってしまえば小脳で行われていると俺は思っている。理由は
例えば車の運転をする時、慣れない頃はアクセル踏んでクラッチ離してとか
逐一頭で考えて行動に移してた事と思う。その逐一頭で考える作業は前頭葉
が行っていたと思う。それがいつしか車の運転に慣れるに従って何も考えな
くても(実際は考えているんだろうが)自由に運転できるようになる。小脳の
お陰でな。
こういった服を着るとか歯を磨くとか簡単なものから高度な計算などまで
(ここで幾つか疑問が出るだろう。主に運動神経などを司る小脳は計算や論理
なども管理する事ができるのか?と。俺もそれはよく分からんのだが、実際に
可能な様なのだから恐らくパターン化すればどんなものだって可能になるので
はないかと思う)
特に意識しなくても何かをできるようになることを小脳による自動化とい
う(たぶんな)そしてその瞬間から自動化が可能になった物事に対しては
深く考えずともやっていけるようになると俺は考えている。
つまり前頭葉から小脳へその意識が委託された瞬間からだと思ってるんだ
逆にいえば深く考え続けたい場合には前頭葉を常に働かせ続けなければならな
いと言える。前頭葉が活性化すると思考力が増したりする。
現在のビジネス書なんかを読んでると時間節約やライバルに差をつける
ためには物事の同時並行処理ができるようになる事が大切だとしきりに説いて
るように思える。たとえば歯を磨きながらテレビの天気予報を見聞きし、
ラジオから流れるニュースも聞き、そして本日の業務の事も考えながら朝の
身支度を整えるといった具合にだ。これは初級編で、なれてくればもっと沢山
の事柄を同時に考えられるようになるだろう。とね。
だがこれらは小脳の自動化の域を越えていないと思われる。なぜなら筆者達が
そういった事に一切触れてない様に思えるからだ。(つまり彼らのいう物事の
同時並行処
理を小脳で行うのかそれ以外の部分、例えば前頭葉などで行うのかを明確に分
けて書いてないように思えるって事)例えばライバルに差をつけるという事だ
が、ライバルが刻々と変化していく時代に敏感に適応していく事のできる人や
企業だとして、こちらがそれらに差をつけていかねばならないと仮定したとす
ると、小脳の自動化というのはなんとも心もとない。
今回聞きたいのはkは物事の同時並行処理を行う場合全てを前頭葉で行って
いるのか、あるいは一部だけなのか、それともまったく別の所を使っている
のか?ということ。仮に全てを前頭葉で行っているとしたらなぜその様な事が
可能なのかなどkの考えを聞かせて欲しいと思ったから。答えは今までのkの
レスにあることは百も承知だが、今回聞いたような事をkの中でどのように
考えてるのかが聞きたいから。
あとこれに関連して
>kは天才と分類されたことはないけど、類似した状態にはなるね
というのを世間一般で言われる「自慢話」というものを交えながら具体的に
話してもらえると嬉しい。
>ライバルが刻々と変化していく時代に敏感に適応していく事のできる人や
企業だとして、こちらがそれらに差をつけていかねばならないと仮定したとす
ると、小脳の自動化というのはなんとも心もとない。
「差」ってなんだよ!とツッ込みを入れたくなった人はかなり世間一般の
固定概念から解き放たれてきた人たちだろう。俺自身もそうだが気を付けない
と「ライバル会社との差」とか見るとつい業績とか上っ面だけの差の事を
言ってる様に勘違いしてしまう。差とは比べる対象とのへだたりという意味
以外なにものでもない。ライバルとは好敵手や恋敵という意味のこと。
そこには業績や成績などと言う文字はひとつも書かれていない。本来そこから
考えられる可能性は無限のはずだがパソコンの漢字変換機能のように本人に
とって使用頻度の高い概念が直ぐに浮かんでくるような、ある意味では
便利な機能が俺たちには備わっている。が今までの自分に囚われない発想が
したい時にはこの便利な機能を意識的に使わないようにしなければならない
だろう。
>>312 >私には理屈は解りませんが、人間というのは本々信頼している生き物なんだと思う。
そうだね。
理屈に関しては、
>>305に記したことが関連していると思う。
信頼したいし、信じたいという願望はとても強いし、そうでなければなかなか積極的には生きられないかもしれない。
守られた(と後から思えるような)状態の胎内から飛びたした際のケアのされ方に大きく影響されると思う。
虐待され続けた子はなかなか人を信じられない。優しくされたことは信じやすいかも。
これは他の動物で容易に実験できる。
生き物は自己の生命保存のために生きている部分が強いので、「快」や「楽」の方に向かう。
それを求めるのが無駄だと思い込むほどの体験をしない限り、そのような方向を目指すと思う。
そのような生物としての本質的な部分を考えるのは、生活する上で重要かと思う。
われわれは他の生命を奪う形で生存している事実もあるしね。
>私は、ニヒリズムの問題を解決してる人間が自由な人間なんだろうと思います。
なるほど。
自分の本質を見極めないとその問題は解決しにくいかもしれない。
ニヒリズムに逃げ込むのは簡単かもしれないもんね。大変なことだけど、自分がどうしたいかを見つめる他ない。
君の言うように思い込みを強烈に持って精力的に活動している人の中には、ニヒリズムを認識しつつ
そこから脱出するための代償行為として積極的に生きようとしている人も多いかも。
>>315 >もしそうならその旨を証明文を書くと共に皆に伝えないと理解の混乱を招く可能性が高くなると思うぞ。
指摘通りだね。失礼。
>kは恐らく「等」を書き忘れたのではないかと推測する。
そうだね。「現在認知されているであろう科学的見解では」ということを前提に書いた。
指摘通り「等」を書くことで誤解を防げたね。失礼。
>時分を変換忘れしてると思われるし今日は自分のレスを読み返すほどの時間の余裕が無かったのかもしれない。
指摘通り時間を作らなかった。他(仕事)を優先させた。大変失礼。
>>312へのレスも昨日したい気持ちが強かったけど
他を優先させた。失礼。
>文章がどこまでも独り歩きをしてしまう可能性が非常に高いと思うから
>(もし書き忘れていたのであれば)気を付けてくれということ。
指摘通りだね。了解。
>が、しかし俺たちの理解力を測るため等の理由から敢えて書き忘れたふりを
>するという事もあるし実際俺もそういう事はよくやるので真相は分からんがな
うん。可能性は否定できないね。でも今回に限ってはそのような意図はなく、上記のような理由で
適切な文章ではなかった。指摘してくれてありがとう。
よく読んでくれているようで本当に嬉しいよ。
>>316 >こういった事はいわゆる第六感とやらを通して「他」を認識(情報を受け取る事も他の認識に入るよな)
>してるようにも感じられる。
そうだね。
第六感的なもの、超常現象的なものを認知したような気がすることは多くの報告例から明らかだ。
しかし再現性に乏しいためいわゆる科学的ではない。
kは科学者ではないし、ことさら科学が好きなわけでもない。どちらかといえば、オーパーツとか
UFOとか幽霊とか死後の世界とか仙術とかそういったことのほうが面白いので好きだ。
君のいいたいことは理解しているつもりだ。
43が以前指摘したとおり、ここではそれらに関してかなり慎重だ。理由は、そのような未知の物を肯定する
ことが思考を止める最大要素となりうるからだ。いわゆる洗脳に近い。また、ひとはそのようなものに憧れ
そのようなものに惹かれる。思考を止めて、全てを委ねたくなる。楽だから。気持ちいいから。
kはそのような理由で共通認識的に当たり前とされることを疑うのと同等に、それらのことを疑って見るような
方法をとっている。決して否定はしない。むしろ、それらの実証性を示したいくらいだ。
しかしそのような感覚も
>これらの現象は全て五感の範疇内だという証明や、あるいはそれらは全て
>錯覚だとするならその錯覚を抱かせるものは五感から入ってくるのかどう
>かとか色々あるよな。五感のみでいく場合にはな。
という指摘通りなので、あくまでも主観的に自己の可能性を見つめていきたい。
>>322最後の行
「という指摘通りなので」は「という指摘通りだが」に訂正。
>>317-318 脳の働きに関しては例の如く無知なので生理学・解剖学的な見地から適切な説明が出来ない。
今回君の言う「小脳の自動化」の意味するところは理解したが、無知のため検証ができない。
そこでその真偽は専門家にまかせて、意味するところを踏まえて話をする。
幾度か武道関連の話が出ていることを記憶されているだろう。
kはいくつかの武道・武術を体験して体の動かし方に関して考えるところがある。
いわゆる日常動作に関して人はどれほど意識をしてことにあたっているだろうか。
立ち方、座り方、物を取る動作、歩き方、走り方、話し方など限がない。
これらは生育過程において地道な努力によって徐々に実現させ身につけたものであるにもかかわらず、
多くの人は「自然」に身についたと簡単に片付けている。だから、出来て当たり前だし、出来なくなったのは
歳のせいだったり、体調が悪かったりという短絡的な理由付けで納得していることが多い。
元来赤ん坊は手を開くことすらままならず、じたばた腕や足を動かすのが関の山で、大きく口を開けて
泣き叫ぶことが自己の意志伝達の方法だった。
つづき
いわゆる順調に生まれた赤ん坊は力みの極みともとらえられる。真っ赤に顔を充血させて泣き叫び、
こぶしをこれでもかと握り締め、全身を震わせるように緊張させている。
赤ん坊が次々と実現していく現象(手を開く、口で吸う、眠る、目を開ける、目で物を追う、笑うなど)
のほとんどが本能であり、遺伝的に組み込まれた「自然」のものととらえられている。
しかし、これも
>>320に記したように生後のケアで大きく変わる可能性は否定できない。
少なくとも緊張状態で生まれてきた赤子がリラックスして筋肉を弛緩させる精神状態にならないと
上記の現象は起き難い。乳を吸う行為は筋肉運動だがある程度リラックスしていないと不可能な行為だ。
仮にこのような環境に置かれない場合、いわゆる正常に育成することは難しいだろう。
世にいう狼に育てられた姉妹は顕著な例だ。発見当初の彼女らはもはや人間ではなかった。
その後姉の方は言語を話すようにまで変化を遂げる。
人の底知れぬ可能性を示す例かと思う。
つづき
人は遺伝的にいわゆる「人」を実現させる能力を有しているが、似て非なるものになる可能性は
否定できない。そこには環境が大きく影響していよう。
赤子は真似ることでいろいろな動作を体現していく。そこには知的好奇心なるものが発動し、自己実現
による喜びがある。そしてそこにも環境が影響している。誰も反応してくれない環境に置かれたままでは
実現は困難を極めそうだ。
乱暴に話をまとめると、われわれの現在のあり方はほとんど自分以外の「他」を真似たり、逆に逆らったり
することで身につけたともいえる。
いわゆる「ふつう」は、限定された地域内という条件がつくことを忘れると生きてきた全てが固定観念であることに
気づけないだろう。
われわれの動作は周りの人の真似でしかない。
身に付けるまで苦労を伴うもの(比較的それが意識される)もあるが、繰り返すことで苦労ではなくなることが多い。
こうして「当たり前」になり「自然」と呼ばれる状態で言動は行なわれている。
それをkは反射的・機械的と表現し、君は「小脳の自動化」と理由付けた。
>今回聞きたいのはkは物事の同時並行処理を行う場合全てを前頭葉で行って
>いるのか、あるいは一部だけなのか、それともまったく別の所を使っている
>のか?ということ。
ここでも「前頭葉」という限定した部位での質問だが、「いちいち思考する」という意味合いで
とらえさせてもらって話を進める。
答えは、そのように常に努めるよう心がけている、といったところかと思う。
つづき
簡単に理解してもらうために役者の「演技」を考えてもらいたい。
kは設定した(常に変動可能)理想とする(合理的、健康的塔を考慮した)言動を常に意識して
実現するよう努めている。
むろんそのためにはそれなりの研究が必要で、自分なりの大したものではないが常にそれも意識している。
つまり、理想的な状態を明確にし、それに向けた研究と現時点で実現可能な範囲の実践を同時に行なう
努力をしている。
そこには常に自己のとった言動を瞬時に認識し続ける必要がある。偉そうに書いているが大して出来ていない。
その証拠が
>>315の指摘だ。
実は体の使い方に関しても話したいことがたくさんあるので、スレ違いだが許しが得られれば語り合いたい。
>>281 >>270 >「呼吸入門」で検索したら「斎藤孝」という人の著作が出てきた。これかな?
最近著名な人だよね。声に出して読むとかいうのを書いた人だね。
そうその人。NHKで番組に出てたから印象深かったんだよね。(最近NHKに、はまってるんで。)
声のやつも気になってるけどね。
>ヨーガの呼吸法(プラーナヤーマ)では吸・止・吐を1・4・2でやったりもするね。
斉藤氏のは日本独特の伝統が書かれているのかな?
独自の経験、研究から3・2・15という明瞭な方法にたどり着いたと書いてある。
色々な角度から呼吸というものを語っている面白い本だよ。
>「人生最大の〜2」でkが1に突っ込んだ事項に「呼吸の本質」というのがあったんだ。
ようするに、kが質問したんだけど答えは得られなかった。
「呼吸の本質」とは? なんだか気になるね。
本質っていうくらいだから何か確信的な事実えお握ったっということだろうか?
>>281 >呼吸は君の言うように奥が深いと思う。
ことに腹式呼吸において呼気と当時に腹をへこます動作は内臓を押し上げて横隔膜をも上げ、
肺を圧迫して残っている空気を吐き出すのに極めて有効。
同時に内臓を動かすので血行が良くなり、内臓の病を防げる。
また、自律神経のバランスを整えて、精神の安定ももたらす。
リラックスにおいて呼吸ほど手軽にできるものはないかもしれないね。
そうであった場合腹式呼吸ってのは知っておいても損はない呼吸法だね。なかなか意識的にできるひとはいないかもしれないが。
>逆にヒクソンや舟木がやったとされるような急激な呼吸は急速にエネルギーを蓄えてパワーの源
となるかもしれない。危なそうだけど。
面白そうだな。そんな呼吸もあるのか。勉強になるな。
>いずれにしろ、生きることは呼吸することといいかえられるくらい、当たり前だけど重要だよね。
そう。当たり前のことを軽視しないで正面から見据えるってのはすごい大事な事だと思う。
呼吸は誰もができるぶん何か低く思われると思うが、なかなか考えさせられる本であったよ。(もちろん実践ありきの考えだ)
とりあえず習慣に組み込んで毎日やってみている。なかなか集中状態になれない俺でもすっと入っていけるつうか。
読み物するときなどは重宝(?)している
>>303 kは達人というか超人を目指しているよ。目指すのは自由だからね。
でも
>>290に書いたように超えるというのは固定観念を超えることで、元来可能性として
持っているけど発揮できていない実は当たり前のことかなとも思っている。
人は自分で自分の限界を作っているとは思わない?
ああ・・・はっきり言って、かなり思うよ。うん。
「常識的に考えてできっこない」とか言われても。じゃあできてしまうひとって一体・・・・みたいになる 。
自分にはまだまだ知らない世界があるんだ、可能性は無限なんだ、という純粋性が欲しいところ。みんな固いと思うよ。
なにか一つでもいいから、「できっこない」から「できるかもしれないに」変わる体験があるといいと思う。
すこし教育に関係あるかんじだが。 そうすれば視野が広がるつうか。
(もちろん何かに妄信的になれってことではない。できる可能性を考慮にいれたらどうだろうという話)
>そこにあったのは両手を合わせるとパチンって音がなるけど片手だったらどうなるか?っていうの。
>ちなみにトンチじゃないよとさ
面白そうだね。片手で音を出す方法をきいてるのかな?とんちじゃないんだね。なんだろう。
もう少し詳しく知りたいな。片手でどこか叩くとかではないんでしょ。
「どうなるか?」というのは片手でどうすることなのかな?
「悟り」で検索したらすぐにでてきたページに書いてあった。
>両手を打てば音がしますね。では片手にどんな音があるのでしょうか。
といった問題です。中指と親指でパチンと音を出しても駄目ですよ。
頓智教室では ありませんし、 普通の、学問、知識 では解けないように作ってありますから。
全自己がこの片手 の問題に没入され、この公案とまさに一つとなった時、その答えは得られます。
それが見性(=自己の本心本性を徹見する事)の時です。
とさ。
俺も結構面白いと思っている。
どんな音があるでしょうか?の「あるでしょうか」が気になるところだが。
まあ自力で問きたいね。
>>327 >そうその人。NHKで番組に出てたから印象深かったんだよね。(最近NHKに、はまってるんで。)
やっぱりそうか。
この人はNHK教育で子供向けの「にほんごであそぼう」の監修もしているね。KONISHIKI出演の。
その影響で最近の幼児は落語の「じゅげむ」をすらすら言うんだ。kは中学のとき覚えたよ。
> 独自の経験、研究から3・2・15という明瞭な方法にたどり着いたと書いてある。
>色々な角度から呼吸というものを語っている面白い本だよ。
なるほど。興味深いな。教えてちゃんですまないが、3・2・15は秒数でなく比率ということかな?
つまり、6秒で吸ったら4秒止めて30秒で吐くといった感じ?
また、その呼吸を行なうのはどのようなときだろう?斎藤さんが奨励しているのはどんなときの呼吸なのかな?
kが書いた1・4・2は例えば5秒で吸ったら20秒止めて10秒で吐くわけだから、おいそれと日常では出来ないね。
つまり呼吸法をやろうと準備して呼吸に専念するわけだけど、斉藤氏のもそうだろうかね。
また仮にそうだとしたら、日常の動作における呼吸にも言及してるのかな?
kが自分で調べればいいんだけどね。気が向いたら教えて。
>>328 >呼吸は誰もができるぶん何か低く思われると思うが、なかなか考えさせられる本であったよ。(もちろん実践ありきの考えだ)
そうだね。これをしていない人はまず生きていない。生存にこれほど重要なものはないともいえるね。
しかも極めて実践的。今この瞬間に現存している生物の多くがしている行為ともいえるね。
>とりあえず習慣に組み込んで毎日やってみている。なかなか集中状態になれない俺でもすっと入っていけるつうか。
>読み物するときなどは重宝(?)している
うん。kも常に実践を心がけている。でもすぐ忘れて自動的に呼吸している。姿勢に気をつける以上にやっかいかも。
kの経験では、やはり吐くことを意識するとそのような呼吸法に近づくかなと思う。
睡眠中はふつう腹式呼吸。腹がへこんで息を吐いているはず。覚醒時は胸式呼吸が一般的。肩が上がるような極端な人も少なくない。
君の言うリラックスを得られるというのも睡眠中が腹式であることを考えるとなるほどだね。
だから、kは腹をへこませて吐くことだけは意識する回数をより多くしている。
吸うのは死にたくなくて空気があれば、それこそ自動的にやるみたいだよ。
どうやら肺に空気がかなり残ったままの状態が多いようだね。結構吐かないと新鮮な空気が入る
スペースがないんだろう。そこで内臓を押し上げて肺を圧迫するわけだね。面倒だけど。
>>329 >すこし教育に関係あるかんじだが。 そうすれば視野が広がるつうか。
その通りだと思う。
ことに日本は教育の意識が固定された感が強く、可能性が見出しにくい。
どのような日本人を育てていくかという明確なビジョンがない。これは各地域ごとに持つべき
ものでもあるかもしれない。
雰囲気でしか教育を語れないところが問題の核心かとも思う。
よい子を育てるといったものではなく、常に変化する社会に適応していく能力を育てるといった形くらいは欲しいかな。
結局生き方を教育することになるのだから、思考の柔軟性、思い込みを利用するという発想、姿勢、体の動かし方、呼吸法
などを幼少の頃からしっかり教えると、随分違った世の中にはなるかな。
>どんな音があるでしょうか?の「あるでしょうか」が気になるところだが。
確かに。よくわからないな。検索してみたもののたどりつかなかったよ。
>全自己がこの片手 の問題に没入され、この公案とまさに一つとなった時、その答えは得られます。
> それが見性(=自己の本心本性を徹見する事)の時です。
その公案と一つになるにはどのような方法をとれば実現できるのかな?
ん〜ん。頓知じゃないのかい?さっぱりわからないな。
片手にも両手にも「音」はないよね。両手を適度な速度で互いにそれなりのぶつけ方を
したときに「音」が鳴る。両手がうまくぶつからないと「音」はでない。でもどちらの手にも
「音」は「ない」と思うな。「あるでしょうか」か。質問した人に細かく突っ込みたいところだよ。
>kと43
「両手をたたけば音が出る。なら、片手ならどうだ」と
問いをしかけた禅者が日本にいた。
彼は西洋人が「ピンと来た」ときに
指で何をするか知らなかったようだ。
だが、もっと優れた和尚がいた。
彼は「では指一本なら、どうやって鳴らすか?。その音はどんな音だ?」
と無言で問いを出していた。
彼は生涯、何を聞かれても、ただ指を一本立てるだけだったと言う。
それは、かつて、いにしえの者が
生まれたばかりの時に天を指さした、その印のそれだ。
あなたに、その誕生が訪れる事を、我々は、望むことなく、祈願することなく
ただ、深く祈るだけである。
あなたの、内なる、
あるいは、外なる
内でも外でも、どこでもない、
何物でもない
『それ』に向かって、
我々は深く礼拝する。
『それ』とは恐らく天上天下唯我独尊のことを言ってるんだろうよ。
天上天下唯我独尊は生死の間に独立する人生の尊厳を示したことばとか
世界に自分はただ一人、それ故に価値があり尊いということだとか言わ
れている。
「虚無宇宙からの伝言」と検索してみな。面白いぜ。
>>333 やめとけ。
kには『その手』の事を言っても無駄だから。
曰く『客観的な証明が出来ないから、その人の思い込みに過ぎない』とさ。
この板じゃなく『心理学板』に行くべきなんだよ、こいつは。
無論『哲学板』でもない。
『哲学板』で散々メタ議論吹っかけられたからね。
>>333 ついでに言っておくと『それ』は『天上天下唯我独尊』なんかじゃない。
そんな言葉じゃない。
『それ』としか呼べないものを指している。
>ハルカ
>kには『その手』の事を言っても無駄だから
なるほど。kには猫に小判も同然ってか。だが、俺たちがkに小判やら
真珠やらと過去のkの発言を頼りに推察したとしても、その可能性が
100%ではない事だけは確実だ。
可能な限り自分の言動を客観視しようとする人間とそうでない人間、
あるいはそんな事は全く考えた事のない人間etc・・・
kの文章を読む限りでは可能な限り自分の言動を客観視しようとしている
ように見える。そういった人間に対して、軽率な判断を下す事は非常に危険
だと俺は認識している。なぜならば彼らにとってはひとつの人格を作り上げ
る事など造作も無いと思うからだ。これは全くの妄想だが、ハルカにとっても
他人に嘘の自分を信じ込ませる事などは朝飯前なのではないかと思っている。
やるかやらないかは別にしてな。
ましてや文章のみのやりとりなら特にだ。
ハルカもkが俗に言う「愚か者」でない事を理解していると思う。
kが他スレで、かたくなまでにああいった態度を貫いたのには何か
理由があるのではと思わなかったか?何らかの目的があってひとつの
人格を作り上げたのではないかとか思わなかったか?
本当のところは何一つ分からんさ。案外口にしないだけで、kはEOと友達
で宇宙神と話した事があるのかもしれんし。そういったことを皆に信じ込ま
せるために敢えて最初はお堅いイメージで・・・とか、そういったことを
kが考えてる可能性は否定できないだろ?
>ハルカ
>ついでに言っておくと『それ』は『天上天下唯我独尊』なんかじゃない。
そんな言葉じゃない。
『それ』としか呼べないものを指している。
なるほど。『それ』に関しては恐らくハルカはずっと考えてきたんだろう
から、あまり考えずに発言した事はある意味では悪い事をしたなと思う。
『それ』とはEOの見つけたものの事だろ?
>>336-337 いや、別にkがどういう目的を持って『あの人格を演じていた』かは知りようもないし知ろうという気もない。
しかしね、あのスレの中心だった者の一人として言わせて貰うと、ハッキリ言って『邪魔者』以外の何者でもなかったよ。
あのスレでは客観証明不可能だが確実に『ある事を知る者がいる』わけ。
そういう形而上的な問題を話していたの。
それなのに、ここで言ってるのと同じ事‐形而下問題としての解決方法だけを『したり顔で語ってる』から、私は『嘲笑にも値しない』と言った訳。
それを理解しようともせず『ハルカは逃げた』としか言わなかった‐このkの何処が『客観的』なの?
もう一つ言うと…
あの『それ』はEOが見つけたものじゃない。
見つけるものじゃない。
単に『それ』は『いる』だけ。
>>k
スレ汚して悪かったね。
ただ『EO』みたいな形而上を理解せねばピントのずれた発言に終わる‐そんな問題にkが関わる必要はないし、今までからして『理解しないだろうとしか思えない』わけ。
だからコッチの問題に関わってこないで欲しいと希望するのさ。
それにスレの参加者にもコッチをkに関わらせないで欲しい。
無論kの言うように『希望を聞くかは自由』だから、この希望は無意味っちゃあ無意味なんだがね(苦笑)
>ハルカ
>あのスレでは客観証明不可能だが確実に『ある事を知る者がいる』わけ。
そういう形而上的な問題を話していたの。
それなのに、ここで言ってるのと同じ事‐形而下問題としての解決方法だけ
を『したり顔で語ってる』から、私は『嘲笑にも値しない』と言った訳。
それを理解しようともせず『ハルカは逃げた』としか言わなかった‐このk
の何処が『客観的』なの?
なるほど。仮に3次元の世界を認識するのが精一杯の人に4次元の観点から
ものを語ったところで、馬の耳に念仏がいいとこだよな。
そういえば霊魂なんかは新しい素粒子が発見されれば証明できるだろうと
言われているが、3次元の物質である人間の体を通してでは見つける事は
できないだろうとも言われている。つまり諦めさえしなければ形而下オンリー
で突き進んだとしても、かつての形而上を形而下に引きずり落とす事できる
可能性も無きにしも非ずってとこかなと思う。がそれはどうでもいい。
今回ハルカのレスを読んで俺なんかが思ってたよりもずっとハルカは賢いんだ
なと俺は認識した。どうもありがとう。
俺は「賢い」とは、この物質界つまり3次元の世界で起きる数々の
現象に対して極力思い込みに囚われずに思考することができ、なおかつ
4次元・5次元・・・と高次元からものを見ようとする事、少なくとも
それらを考慮しようとする事、そういったことができる人が賢い人だと
思っている。
>>334 >この板じゃなく『心理学板』に行くべきなんだよ、こいつは。
アメリカで主流の行動主義的臨床や、
精神物理・生理学的対応の図式、実験心理とも違う。
むしろ、機能主義的っていえる。
本来の心理学、独自の考え方に近いって事で、間〜違いないッ
それはむしろ、ないさー
漏れの立場からすれば、まっとうだと思うわけ
確かに見方に危険性がでてくるかもしんないけど、聞いてみたい。
ま、チミはもうあぶないジャンキーなわけだけど、ネー
>>333 いろいろありがとう。
>彼は「では指一本なら、どうやって鳴らすか?。その音はどんな音だ?」
質問は「音」に関してだね。でも「無言の問い」だとその実は不明かな。
>『それ』とは恐らく天上天下唯我独尊のことを言ってるんだろうよ。
なるほど。その言葉は日本で広く知れ渡っているね。kがここで語っている「基盤」と酷似した
印象だと思う。「尊」のところはとても雰囲気漂う部分なので微妙だね。自分の気持ちを大切にしている
ところと重なりそうだけど、本質をしっかりとらえるには全ての思い込みを客観視しないと難しいかもね。
>「虚無宇宙からの伝言」と検索してみな。面白いぜ。
うん。実は
>>243が教えてくれたとき検索してそれが出てきた。ちょろっと見たけど難しそうなので
やめてしまった。折角だから読んでみるよ。関連のところに男の潮吹きとかもあったね。興味深い。
>>334 >>やめとけ。kには『その手』の事を言っても無駄だから。
物言いが相変わらず礼節を欠いていて面白い。
無駄と君が判断するとおりの反応をkはするわけだからもっともだけど、何をするのも
>>333の自由だよ。
また、君に今回の問いの見解を聞いてみたいな。どう?
>曰く『客観的な証明が出来ないから、その人の思い込みに過ぎない』とさ。
その通りだね。君は思い込みを利用するということがまだ理解できないのかな?
「過ぎない」? 君は「思い込み」というものによほど君にとってよろしくないイメージを持っているのかな?
>この板じゃなく『心理学板』に行くべきなんだよ、こいつは。無論『哲学板』でもない。
ひとりごとでないなら、kに対してか
>>333に対して語ったものかい?
ひとりごとなら書く必要がないね。
>>333になら同意を求めたいのかい?kに対してならもっとわかりやすく書いたらどうかな。
面白い文を書くね。
>『哲学板』で散々メタ議論吹っかけられたからね。
吹っかけたつもりはないけど、答えないのは君だったね。
「わからない」「こたえられない」というのを言わせたがっていると思っていたようだけど、むろん違う。
ただ、「わからない」と知ることも重要かとは思うよ。
いずれにしろ、「スルーする」と脅して読んでいるのは君の意志。君の選択の結果じゃないかな?
今回もkのスレを自主的に開けて書き込んでるのは、君。
>>335 >そんな言葉じゃない。『それ』としか呼べないものを指している。
そう呼ばれた虐待児も著名になっているね。
さて、きみはその和尚さんでもないのに言い切るわけだね。
そして「それとしか呼べないもの」と濁す。随分とお気楽な話だね。
人の言を否定するのだから、それなりの誠意を見せても罰は当たらないと思うよ。
>>336 >だが、俺たちがkに小判やら真珠やらと過去のkの発言を頼りに推察したとしても、その可能性が
>100%ではない事だけは確実だ。
そのとおり。残念ながら、ハルカの予測どおりの結果だけど、結果のみが真理ではない。
>kが他スレで、かたくなまでにああいった態度を貫いたのには何か
>理由があるのではと思わなかったか?何らかの目的があってひとつの
>人格を作り上げたのではないかとか思わなかったか?
そうだね。大方書き込むという作業は作戦なしには履行不能だ。
kは洗脳しない方法で悩める人を啓発する手段としてこのような人格を演出している。
何度も書いているけど、実生活ではかなりめちゃくちゃだ。周りの人間も大変そうだよ。
>本当のところは何一つ分からんさ。
全くその通り。これがハルカには理解不能なようだね。そのような演出であって欲しいよ。
>そういったことを皆に信じ込ませるために敢えて最初はお堅いイメージで・・・とか、そういったことを
>kが考えてる可能性は否定できないだろ?
可能性は否定できないね。とりあえず、洗脳はしないけど。「わかったんだよ」では違うキャラ(実生活っぽい)
だったんだけど予想通り誰も寄り付かなくなった。
>>338 >しかしね、あのスレの中心だった者の一人として言わせて貰うと、ハッキリ言って『邪魔者』以外の何者でもなかったよ。
すまなかった。
でも不思議だね。邪魔者はスルーじゃないの?おれは決してやらないけど。理由は、もったいなくて出来ない。
>あのスレでは客観証明不可能だが確実に『ある事を知る者がいる』わけ。そういう形而上的な問題を話していたの。
客観証明?再現性でしょ。共通認識という虚存(?)に依存する世界だという認識を確認し合う作業
を怠りすぎていないかな?
>それなのに、ここで言ってるのと同じ事‐形而下問題としての解決方法だけを『したり顔で語ってる』から、私は『嘲笑にも値しない』と言った訳。
それが人の本質だよ。君が語りたいのは「依存したい何か」だと思うな。
それは君の自由。22,25,17,219は君たちに単純な疑問を投げかけた。しっかり答えたのはカオルとN。後の人はなぜ答えないのかな?
>それを理解しようともせず『ハルカは逃げた』としか言わなかった‐このkの何処が『客観的』なの?
「としか言わなかった」?何度も何度もいろいろな質問をしていたようだよ。これはきみのいう
客観証明が十分可能だ。残っているからね、今なら。落ちてからにした方が賢明かな。
「それを理解しようと」とは、「くだらない質問だから答えない」という意味かと推測するが、
同等の君の質問にkは全て答えていたので、君がそのような誠意を見せても一興かとは思うよ。
また、君が馬鹿と決め付けるkに期待するところと、ここに書き込むことは如何なものかな。
>単に『それ』は『いる』だけ。
『いる』「だけ」だと「他」に影響しないような稀有な存在だろうか。
きみの発言には造語と、イメージを受け手に依存するものが多いから、それを確かめたくて質問をした。
イメージは人の社会では極めて重要だしね。
>>339 >スレ汚して悪かったね。
どういたしまして。全くそのようにはとらえていないよ。
>だからコッチの問題に関わってこないで欲しいと希望するのさ。
なるほど。かなりわかりづらい説明だけど、君の希望は明確だ。でも、君中心のスレでkがEOに関して
語っていないのにどのような問題があるのかな?
君はkの保護者とかお目付け役というわけでもないだろ。本当に不思議だな。なぜそんな心配をするんだろう。
これは誰でも推測可能な原因だけど、kのことが気になるのかな。気になるなら話し合うことをすすめるよ。
もしかしたら君自身が自ら封印(?)しているような事実と対面できるかもしれない。
>それにスレの参加者にもコッチをkに関わらせないで欲しい。
>無論kの言うように『希望を聞くかは自由』だから、この希望は無意味っちゃあ無意味なんだがね(苦笑)
その通りだね。
>>341 うん。
現状を認識しつつとらわれない。常に多角的見地からの見解の可能性を考慮できる。
そのような状態の人は「賢い」と思う。
>>342 >漏れの立場からすれば、まっとうだと思うわけ
君は他スレで「漏れ」を使っていた人かな?二つのスレで出会ったと思うけど違うかな。
だとしたらいろいろあったけど、読んでくれて嬉しい。いろいろ教えて欲しいな。
kもハルカも、本心で文章を書いているのであろうか。俺には二人が何らか
の目的があって本心を偽り、敢えて分かり合えない様を演じてるように思え
るのだが。
kのこのスレでの目的は、恐らく洗脳をせずに色々な悩みを抱えてる人を救う
事だろう。自分を見つめるという努力さえすれば誰にでもできる具体的な実践
方法を説いている。思慮浅い人はすぐに共通認識や洗脳される事などに傾倒し
がちになり、それが本人の気付かない思い込みになり悩みの起源になると
予測するので、最初は逃げ道を作らせないため等に敢えて証明のできないもの
は徹底的に排除するという姿勢を貫いてるのかなと思う。
ハルカの2ちゃんでの目的は、かつての自分と同じ悩みを抱える人がいたら
力になる等・・・のように見える。
めんどくさくなったから適当に書くとkは立場上、形而上のことを理解してい
ても敢えて理解できないような姿勢を見せる必要がある。とkはおもっている
かもしれない。また、ハルカの言うとおり、本当に「証明はできないが存在
するもの」に関しての理解が極端に低いという可能性もある。俺はkは
「証明はできないが存在するもの」についての知識もある程度あり、証明でき
るのなら誰よりも証明してみせたいと思っているのではないかと思うが。
ハルカはkの言いたいことも殆ど分かってるんだけど敢えてわからずやのふり
をしてるのかも。文章だけから考えるとハルカは論理ではkに勝つ事はできな
いようだしkも今のままでは新しい世界を覗く事は難しいと考える。
だが何回も言うが俺は二人の事を素晴らしい思考者だと認識している。
文章に書いてある事があなたたちの思い全てではあるまい。
kには次の文章をよく読んでもらいたいのだが、高い認識に至る為の方法だけ
を考える場合は、何も下から順番に物事を積み上げていく必要は無いだろう。
上から降ってきた情報、それが自分が積み上げてきた物事に少しでも合致する
可能性があると判断したのなら徹底的に検証してみればいいと思う。といって
もk相手には釈迦に説法のようにも思えるがな。
352 :
名無しさん@3周年:04/03/04 23:01
まず意識がどのように作用し、そして現象化していくか、そのプロセスについ
て話してみましょう。140億個の脳のニューロン、その神経節が無数にから
み合って、多量の情報を形成していると現在の科学では捉えておりますが、
それはあくまでも、神経科学的な物事の見方、3次元の肉体をとおした時に、
みなさまが感じる3次元的な肉体として神経を反応させる、記憶を固定させ
る、視神経、聴覚、嗅覚、言語中枢、それらに反応させるプロセスにおいて、
ニューロンや神経節は必要です。しかし、意識というものは、そのあなた方
の持っている、五感とは違うレベルにあります。五感を越えたところ
いわゆる第六感というところ、ちょっと、みなさまが考えている次元とは違う
ところに、意識の発生メカニズがあり、いまの地球の科学では、あくまでも
肉体反応としての解明しかできないのが現状です。
それも、科学の発展のプロセスかもしれません。もっと違ったレベルで物事を
捉えられるようになった時、意識が何たるか ということをみなさまは理解で
きるでしょう。
「いし・き」 という言葉、意志も”気”ということ、いわゆるあなた方の
意志を持った時、気というエネルギーが流れる。その”気”があなた方の神
経節に反応し、そして、五感に反映してくるということ。
最初に意志を持った時、”気”の流れが発生する、その気の流れがあなた方の
神経節に、脳のニューロンに反映してくる。
その脳のニューロンに情報を蓄えるのは、脳内伝達物質が媒体をなしていると
考えられていますが実はそのようなものではなくて、単なるあなた方のご存じ
の水、水分に情報を蓄える記憶物質が含まれております。
その記憶方法は、フラクタルメモリー、水の分子結合のおりなす角度、その
角度が、非常に複雑な多層、多面体構造をなしていく。その多面体構造のなか
に、情報が蓄積されていくのです。多面体構造であるが故に、意識は多重
構造にいくらでも記憶されていくわけです。
353 :
名無しさん@3周年:04/03/04 23:02
意識の波動レベルによって、深い深い層まで、記憶をたくわえられていく
わけです。これは、水の特殊性がその中にいくらでも、無限に、情報を蓄積
できるようになっているのです。水の情報源というのは、無限に可能性を含め
たものです。そのことをまだ現在の地球科学では分かっておりません。
この地球は、水の惑星です。水分が、ほぼ70パーセントを占めております。
あなた方の人体も同じくらいの比率で水分なくしては生きてられないのが
現状でしょう。地球の水分の構成量とあなた方の人体の水分のパーセンテイ
ジは、ほぼ同じなのです。それも、フラクタル、宇宙のメカニズムに等しい
といえるでしょう。あなた方の体内の水分量が、メモリーの量を決めるとい
うことを言ってもいいのです。したがって、あなた方が死をむかえた時に、
まず、起こる反応としては、人体の水分がなくなっていくのです。
そうすると、あなた方の体の中にある3次元的なメモリーは消えていくのです。
ただし、水分が記憶したメモリーの属性は永遠に残留するのです。これが魂の
永遠性の元となるのです。水なしでは、あなた方は生きられません。
この水の中に意識を蓄えるすべての秘密が、隠されております。
まず、あなた方が物事を考える時、五感から脳内の様々なメモリーへ情報が
伝達されているはずです。情報の伝達は、実は、瞬時に行われております。
354 :
名無しさん@3周年:04/03/04 23:03
ただ、肉体に反応させるための電気パルス・・・イオンチャンネルというの
がありますが、このイオンチャンネルに反応させる、そのプロセスに若干の
時間が発生している。本当は、瞬時で行われているのです。若干のタイムラ
グが発生するのは、肉体を持っているが故の、ジレンマかもしれません。
意識というものは、肉体の次元を越えたとき、ほぼ時間軸を意識しないで、
瞬時に反応しているのです。高い次元チャンネルで、あなた方が、意識を
持たれた時、その意識は低い次元へ転換され、これをエネルギー転換と申し
ますけれども、最終的には、脳神経ニューロンのイオン反応として現れてき
ます。そのプロセスというのは、非常に複雑、多岐、極まりないものです。
逆のこともありえます。あなた方の五感から、高次元へ意識を転換すること
も可能なのです。どちらも可能なのです。どの次元で意識を使うか、使う意
識のレベルによって、あなた方が、つながる世界が変わってくるのです。
つながる世界も多次元構造化しております。際限ないと言ってもいいと思
います。無限の次元をなす、意識の空間が存在しているからです。
基本はあなた方の持つ体、脳神経がすべての発信源となっております。
従って、脳神経反応、そして、エネルギー伝達、速度、エネルギー純粋性、
人体の水分の純度、それらをいかにして
高めるかが、高次元へつながるための大事なプロセスといっていいでしょう。
355 :
名無しさん@3周年:04/03/04 23:04
どの次元までつなげられるかは、あなた方のたゆまざる努力、そして学習、
それ以外にないかもしれません。
できうる限りの条件反射機能を蓄積する以外にないかもしれません。
学習のプロセス、みなさまがご存知のように、条件反射を積み重ねる、
それ以外にないのです。生まれてから死ぬまでの間に、どれだけの条件
反射を蓄積できるか。それらの開発、程度によりアクセスできる次元が変わっ
てくるのです。可能性は、無限大にあります。
しかし、途中で努力を怠った時、そこで停止するのは、やむを得ないこと
なのです。これも自然の成長、あるいは進化のメカニズムのひとつにすぎ
ないのです。
意識の進化もそれぞれの個人の意志のなすままなのです。
それぞれの選択にまかされている、これが、意志における、あるいは、
意識における自由度というものです。
すべては個人にゆだねられている。しかし、可能性は、無限大にあるとい
うこと。覚えておいてください。味覚、視覚、聴覚、嗅覚、皮膚感覚、
これらを五感と称しておりますが、これらの五感を越えた領域、
別名、第六感と呼んでおりますが、この第六感の領域から、意識は形成され
ているのです。五感がベースとなって、五感がうまく組み合わされ、ベスト
なコンビネーションよって、意識の世界は創られているのです。 したがっ
て、意識を磨くとは、まず、五感を磨き、洗練された五感の上に第六感が、
存在するのです。
356 :
名無しさん@3周年:04/03/04 23:07
すべては、水がおりなす、微妙な幾何学パターンの中に情報が蓄えられてい
るのです。単なる H2O という表現形態、それはあくまでも、地球の科学
で捉えたレベルにすぎないのです。酸素と水素が織りなす角度、それも無数
に織りなす角度、それは、雪の結晶構造と全く同じなのです。
この結晶構造のなかに、フラクタルメモリーの秘密が隠されております。
あらゆる形態を形作ることができるのです。
それ=(イコール)意識のメモリーなのです。
この意識に宇宙のエネルギーが通ったときに、現象化が起こってくるのです。
意識は情報です。エネルギーは電流のようなものと捉えてみてください。
電流のなかに情報がのっている、それも意識の情報です。それが人体を通っ
た時、三次元へ現象化してくるのです。
kよ前に掲載した彼の文と通じるところがあるように思えないか?
>>330 >>327 >>そうその人。NHKで番組に出てたから印象深かったんだよね。(最近NHKに、はまってるんで。)
やっぱりそうか。
この人はNHK教育で子供向けの「にほんごであそぼう」の監修もしているね。KONISHIKI出演の。
その影響で最近の幼児は落語の「じゅげむ」をすらすら言うんだ。kは中学のとき覚えたよ。
それは初耳だよ今度見てみようかなw
じゅげむってのは長助さんだな。俺も学生の頃覚えたよ。懐かしいね。ピカソの本名とどっちが長いんだろうな
>> 独自の経験、研究から3・2・15という明瞭な方法にたどり着いたと書いてある。
>色々な角度から呼吸というものを語っている面白い本だよ。
なるほど。興味深いな。教えてちゃんですまないが、3・2・15は秒数でなく比率ということかな?
つまり、6秒で吸ったら4秒止めて30秒で吐くといった感じ?
また、その呼吸を行なうのはどのようなときだろう?斎藤さんが奨励しているのはどんなときの呼吸なのかな?
kが書いた1・4・2は例えば5秒で吸ったら20秒止めて10秒で吐くわけだから、おいそれと日常では出来ないね。
つまり呼吸法をやろうと準備して呼吸に専念するわけだけど、斉藤氏のもそうだろうかね。
また仮にそうだとしたら、日常の動作における呼吸にも言及してるのかな?
kが自分で調べればいいんだけどね。気が向いたら教えて。
秒数のほうだな。とにかく長く緩く吐くほうに重点を置くらしい。馴れれば3秒・2秒・25秒とか徐々に吐く時間を長くしていく。
まあつまり呼吸法を意図的にやるってことだね。
著者は授業の初めや一区切りついた時に生徒達に二回(一分)ほどつづけてやらせてみているらしい。呼吸法をやるとやらないでは子供たちの落ち着きがまるで違うとさ。
とにかく物事を取り組む際に効率の良さを求める人には実践的でいいと思うよ。仕事なり勉強なり。おすすめ
>>331 呼吸を吐くことに集中してやっているのは空気圧の関係でとても理にかなっているとか。
どっかの本に書いてあったが、水泳で息継ぎする時に空気を吸おう吸おうとするのは初心者との事。一度全部吐くすると自動的に空気のほうからはいってくれる。空気は入れる前に出しているんだとさ。
何かを手にいれるためには何かを捨てる。強くなるには自分を。なくす。勝ち負けに執着している自分を捨てる。
呼吸入門は俺に色々な事にきづかせてくれたよ。
深い呼吸の習慣化は良い姿勢を保つのと同じくらい重要でもあるし難しいと捉えている。まあでもやる気さえあれば誰でも取得?可能なのが嬉しいよね。
俺も頑張ってやってみる。みんなもやってみるのもいいかと。
(呼吸だけじゃなく他の器官五感とかのレベル上げもやてみようかね)
>>332 教育も難しいね。
何を教えてもいいとこか何を考えさす部分なのか。それをはっきりさせる意味でビジョンの明確化は同意。
まあとにかく基本の充実が最優先事項だと思う。何事も。
思考の基本、体の動かし方の基本、コミュニケーションの基本、呼吸の基本。
土台の安定がぶれを小さくしたり土台の広さがそのまま物事に対応していく時の柔軟性に繋がると思う。
突き詰めていけば生徒、教育者、保護者、ひとりひとりの心、精神、考え方に原因があると思うので
やはり自分を見つめていく作業はとても重要だと考える。
上の方で誰かが言ってたけど世界は自分の鑑。自分を気づかせてくれる、ありがたいものだと思う。
一人一人が貪欲に気づく姿勢や何かを学ぶ姿勢をもつ事が出来れば、
思い込みに縛られず利用したり、無駄な争いを避けれたりという自由な世界になると思う。
>>332 ヤフーとグーグルの違いかな?
「坐禅ホームページ 」てとこの「悟りとは」の中の文章だ。
坐禅ホームページで検索してくれると一発かな?
(アドレスを貼りたいとこだがパソコンが壊れててアドレスにクリックしただけでなんかIEが強制終了してしまう困った自体なんだ。
新しいのを買うべきなんだけどね。)
>>333 おお
何か面白そうなページだな。
悟りとタオってのは同じ意味ではない?
「ただいること。」これは極意みたいなものかな?
何かを思ったり思考したり認識した時点で「ただいる」という状態ではなくなるということだろうか?難しいね。
情報サンクス。
ここ宗教板かぁ〜、・・。
>>350 >君は他スレで「漏れ」を使っていた人かな?
('▽') アハハ
件のスレは、もうやだってやめますた。このスレは
いまはまだ面白いから読んでるけど、知ったことじゃないだす。
362 :
N ◆XEvUT1ciAM :04/03/06 16:28
>>347 >それは君の自由。22,25,17,219は君たちに単純な疑問を投げかけた。しっかり答えたのはカオルとN。後の人はなぜ答えないのかな?
何か答えたっけ?。
いつも、質問の意図が不明なのが多かったのでレスしようがなかったけどね。
ああ、思い出した。「悟り」と「解脱」の解釈のとこだね。
ま、好きに解釈してくれ。
このスレを見て、君が何を言いたかったのか理解できたよ。
ムルティという人がいて、その弁を真似ていたんだね。
確かにムルティの弁はすぐれている。
あれを、理解できるとしたら、すごいことだよ。
理解というのは、頭で理解することじゃないよ。
そのものとして、感じること。体験することだよ。
ま、俺よりもよく知ってるのは確かだよ。少しだけね。
363 :
N ◆XEvUT1ciAM :04/03/06 16:33
でも、誰もついていけないかもしれないね。
たぶんね。
あの内容は、心を注意深く観察できる人にしか決して理解されない。
364 :
N ◆XEvUT1ciAM :04/03/06 16:38
真似ているのじゃなく、あれは参考意見として、
自分を実験台に試して感じて、本当の所はどうなのか。
を確認しなきゃね。
楽をして、言葉で、頭でわかったつもりは、無意味だからね。
いや、「俺は理解しているんだ。ムルティを真似てなんかいない。」
というなら、「それは、すまないね。」と言っておくよ。
366 :
金正日MkU改 ◆AG3xyP3q8E :04/03/07 00:07
また(・∀・)ジサクジエーンですか(W
367 :
名無しさん@3周年:04/03/07 00:27
自作自演と疑われたら冗談でおまえよくわかったなとレス返してみる
その後、そのスレがどういう状態になるか想像つくよな。
でもここは良スレみたいだからイタズラはしない
368 :
魔法のマント(アンポン改め):04/03/07 00:30
>>366 ここは駄スレみたいだからイタズラしていいよ。
369 :
名無しさん@3周年:04/03/07 00:35
馬鹿な奴、弱い奴、駄スレはイタズラしていいわけがないでしょうと、
教師っぽく説教してあげるとすごい荒れるぞ
レス番号一桁で今年度を占う
1 死ぬ 2 自殺
3 殺される 4 死ぬ
5 事故死 6 死ぬ
7 自殺 8 事故死
9 事故死 0 死ぬ
さて、あなたは何番を選びますか
お母さんにオナニー見られた・・・( ´-` )
373 :
名無しさん@3周年:04/03/07 00:45
369=370=371
ジサクジエン わかりやすいよ
374 :
名無しさん@3周年:04/03/07 00:47
375 :
名無しさん@3周年:04/03/07 00:48
>>373 激しくドウイ。
ヴァカだよねぇpッ??{わら}
376 :
横やり失礼:04/03/07 01:00
【アニリングス】
正しくはanalingus(エイナリンガス)という。
口、唇、舌で相手の肛門を愛撫する行為。
これを小説で多用し、言葉としても登場させるのは鬼頭龍一をおいて他にいない。
肛門快感は程度の差こそあれ、誰にでもあると言われている。
フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーが少年時代に鞭打ちを受けて得
た快感が一生忘れられなかったというのは有名な話。古代ギリシアで、
アヌスの性感を高めるために自らの指を肛門に挿入したという記録が残っているが、
これは肛門自慰で、鬼頭龍一が描く女たちは、よく肛門自慰を行なっている。
>>376 宗教人にはシモネタ受けないからそういうの貼ると流れが止まる
378 :
名無しさん@3周年:04/03/07 01:31
多くの宗教人は実はシモネタが大好きです。
>>351 >kもハルカも、本心で文章を書いているのであろうか。
気持ちは瞬時に変化可能だから「本心」で行動しているかどうかはやはりとらえ方によると思う。
ようするに「本心」の規定をどうするか。kはそのへんのことを執拗に説いている。
行動は全て自己の満足のため(でありたいと思っているようだ)。言動には作戦が付帯することが多い。
ましてや、このような内容ではなおさらだと思う。
それを全て含んだ形で全ての人は「本心」で行動していると思う。
kが彼らに語っていた本質は、自己表現を認識しているのかということ。
不特定多数が閲覧可能な掲示板における書き込みという認識。相手をどのようにとらえて、どのような手法で
表現しているか。何を伝えたいのか。相手がどのようにとらえるであろうか。
意図していることを理解させる適切な手法を用いているか。
そのようなことを考えながら書くことで議論は比較的スムーズに行く傾向にある。
むろん彼らが気持ちの奪い合い、動かし合いを楽しんでいることも承知の上で。
だから、他を排する行為をするならメールという手法は如何かなと提案した。
状況、目的等において「適切」かどうかを抜きに考えれば、言動は全てその瞬間の本心だと思う。
つづき
>思慮浅い人はすぐに共通認識や洗脳される事などに傾倒しがちになり、それが本人の気付かない思い込みになり
>悩みの起源になると予測するので、最初は逃げ道を作らせないため等に敢えて証明のできないものは徹底的に排除する
>という姿勢を貫いてるのかなと思う。
とても鋭い洞察力だ。その通り。でも、思慮深くてもその傾向は強いと思うよ。
>また、ハルカの言うとおり、本当に「証明はできないが存在するもの」に関しての理解が極端に低いという可能性もある。
可能性は否定できないね。
でも君の推測どおり、kは証明ができないものの存在をよく知っている。証明は難しい。
というか証明というのは被証明者(?)が納得すればよしなのだから、ほとんど無意味。
ひたすら思い込みを強化する状態か、完璧にそれを否定するかといった両極端に自分の立場を置きたくなるのが人の心情かと思う。
しかし、人の気持ちは動く。自分の規制に苦しむことが「苦」と気づくと「楽」になる。
気持ちを変化させることは自在。
つづき
kの仕事は、証明できないがあるとしか考えられないものの作用で成り立っている。
奇跡的ともとらえられかねない現象を日常の当たり前のこととして行っている。
未知のものに対する興味は尽きない。なんら否定するものもない。
世の中の仕組みが人の思い込みによって形成されていることに気づくことで「苦」から「楽」の
状態にすることができる。むろん「楽」から「苦」にも。他の状態にも。自分の選択で思うとおり。
幼少の頃から無意味に苦しんだ結果、それに意味がつけられることも学んだ。
全てはとらえ方。自ら規定した枠や基準に囚われて思考している。そのようにして生きている。
生きるとはそのようなこと。なんら特別でなく、それ自体が奇跡的。
価値は自分が与えている。
>>356 >kよ前に掲載した彼の文と通じるところがあるように思えないか?
そうだね。興味深い。
出典はどこかな?そして、君はこのようなことをどのようにとらえている?
>>357 そうだね。生きることは呼吸することととらえても無理がないくらい重要だと思う。
実践はなかなか困難だね。自分の気持ちに容易に左右される。
>>359 どのような社会も実現可能だろうね。どのようにしていくかの話し合いが不可欠だけど。
>>360 うん。あった。禅問答のようだね。問いの意図は「音」に囚われずに思考をしようといったことのようだ。
>>333にあるようなことがこたえかもしれない。
トリックの山田が掛詞を駄洒落と評したように、禅問答が頓知でないとは言い切れないかな。
言葉に付帯させる雰囲気によって人は事象の貴貧、高低をみて、本質を見失いがちだ。
人がとても大切にしようとしている部分でもあるね。
>>361 >ここ宗教板かぁ〜、・・。
そう。気づかなかった?
>いまはまだ面白いから読んでるけど、知ったことじゃないだす。
そうだね。気が向いたら書き込んで欲しい。
>>362 >何か答えたっけ?。
219の質問
>具体的に解脱した人を知っているのかい?
に対して
>具体的に知らないなぁ。誰も「私は解脱した。」何て言わないしな。
と答えている。このようなことに関して「素直(いわゆる、ふつう)」に返答してくれない人の方が
多かったので君が答えたと印象に残った。挑発するように受け取れたら失礼。
>ムルティという人がいて、その弁を真似ていたんだね。
そうじゃないけど、その人を真似たように思えるのかな?
「自分と他」「自分の気持ちが大事」「共通認識はない」などといったようなことを言ってる人なのかい?
>ま、俺よりもよく知ってるのは確かだよ。少しだけね。
自分を卑下するつもりはないが、kは哲学宗教には無知だよ。語り合いたいことがそれらに類するから
それらの板にいる。
>>363-365 君はその人をかなり高く評価しているようだ。
>「俺は理解しているんだ。ムルティを真似てなんかいない。」
そのような返答にしかならないな。本当に知らないんだよ。
>>277のいうクリシュナ「ムルティ」のことかい?気が向いたら教えて欲しい。
>>366 >また(・∀・)ジサクジエーンですか(W
kに対して?それともNかな。
いずれにせよ2chにおける作業は自作自演だと思う。
>367
>でもここは良スレみたいだからイタズラはしない
ありがたいな。
>>368 >ここは駄スレみたいだからイタズラしていいよ。
いいかどうかは自分で決めるんだよ。
>>369 >馬鹿な奴、弱い奴、駄スレはイタズラしていいわけがないでしょうと、教師っぽく説教してあげるとすごい荒れるぞ
そうかも知れないし、違うかも。
>>370 >レス番号一桁で今年度を占う
シュールで面白い。全く主旨が不明なところがかっこいい。
死ぬという、人の生の未来の本質を突いている。「死ぬ」は病死?
>>371 >さて、あなたは何番を選びますか
予め答えが用意された占いだね。自分で選択しろと。凄い。
>>372 >お母さんにオナニー見られた・・・( ´-` )
見られたくなかったら、それなりの努力をしよう。
>>373 >369=370=371 ジサクジエン わかりやすいよ
そうだね。
>>374 >いや370を書いたのはこの俺だ
つまり君は370?それとも・・・
>375
>激しくドウイ。ヴァカだよねぇpッ??{わら}
そうだね。そして馬鹿は状態でもあるので、如何なる人もそのような状態になりうる。
>>376 >口、唇、舌で相手の肛門を愛撫する行為。
だとしたら、
>ルソーが少年時代に鞭打ちを受けて得た快感が一生忘れられなかったというのは有名な話。
この逸話との関連が不明かな。
不快感を覚える住人もいるだろうから差し控えるけど、快楽の追求は自己に存在すると思う。
kが二十歳のときに書いた下劣な小説は、ある地点より前進するとワープしてその地点の後方に出現する
という異空間を利用して男性が自分に自分を挿入するというもの。快楽の極限かなと思い、書いて友人達
に読んでもらった。その後、主人公を両性具有に変えて子どもを産ませ・・・
>>377 >宗教人にはシモネタ受けないからそういうの貼ると流れが止まる
失礼。kも書いてしまった。
>>378 >多くの宗教人は実はシモネタが大好きです。
そうだとたすかる。
人の本質はセクシャルなものでもあるね。
>kが二十歳のときに書いた下劣な小説は〜
いい感じだね。面白い。
kはSEXを極めるために極真やってるって本当?(希望的観測)
相談よ。
自分を変えるためにはどうしたらいいの?
何も考えてなかったと言うか廻りの趣味や楽しみが自分の趣味や楽しみ
だった頃は毎日楽しかったの私
でもものを色々考えるようになてからはものしりさんだとか頭の良い人
や哲学者だとか前はやや敬遠してた人と話すのが楽しくなったのね
でも私は電話で人とはなすことを仕事にしていますの
プライベートでは話したくも無い人とは話さなければいいのだけど
しごとではあまりものを考えてない人とつまらない話をしなければならない
前はどんな人とも楽しく話ができてたのよ表面的でうすっぺらな
話で満足だったのよ
この仕事が好きで入ったのに今は苦痛です
つまらない話をしてるときに何でこんな事してるんだろうって時間もったい
ないって
でも私の考えてる事を話しても理解してもらえなかったし理解してもらっても
向こうがそれに興味が無いことが受話器越しに伝わってくる
ものを深く考えてる人とはお互いに本当に楽しんでるって言うのが受話器越し
でも実感できるのに
前の私のような人と話して私もその人も楽しめるようになるには
どうすればいいの
>>390 >kはSEXを極めるために極真やってるって本当?(希望的観測)
どこからの情報かな?そのような利用法は否定できないけど、直接打撃のやりとりをしたくてはじめたよ。
>自分を変えるためにはどうしたらいいの?
>前の私のような人と話して私もその人も楽しめるようになるにはどうすればいいの
気づくことによって君自身の感性が変わった。以前のような会話では満ち足りない。
以前のようにそのような会話で満足するにはどうすればいいのかということ?
変わる前の自分に戻るということじゃなさそうだね。
気づかない方が会話が楽しめたということだろうか。でも、気づいてしまったら今までの会話では面白くない。
ということであればとてもよくわかるよ。
理由は物事の本質的な部分を見つめる方向で君が事象をとらえだしたからじゃないかな。
つまり、うそ臭い感じを敏感に察知してしまうような感じがするんじゃないかな。
仮にそうだとしたら、君に見える事象は全てそのようなものだから仕方ないと思うよ。
人はしたいことしかしない。でも行為の本質が本心からしたいことであることはそれほど多くはないかも。
趣味で好きでしていることも、ある種の義務として「こなす」状態になっている場合もあるだろう。
それを「認める」ことで全く変わると思うよ。
つづき
>前はどんな人とも楽しく話ができてたのよ表面的でうすっぺらな話で満足だったのよ
これは反射的な発言をし合いながら、気持ちの動かし合い・奪い合いをすることを指していると思う。
例えば、相手はこういうことを望んでいそうだからこれをいって喜ばせようとか、これをいったらむかついた
反応をするだろうから控えようとか、逆にあえてやってみようとか。
自分がいかに相手のことを心配しているかを相手にわからせようとか、いかに面白がっているかをわからせようとか。
こんなことじゃないかな。
思い通りで当たり前。予想外だとちょっと困る。そんな感じかな。
多くの人はそのような駆け引きをしている。そのテクニックに卓越した人は人気があるかもしれない。
カリスマ性をも持ちうるかもしれない。人はそのような技術に憧れたりもする。
「そうだよね」「わかるわかる」といった会話は共感的理解を得た雰囲気があるが空しい感じも覚える。
理由は人の気持ちは他人には絶対にわからないから。
多くの人はそこを錯覚している。
つづき
この世の世界観を「自分」と「他」に分けて考えることが可能。自分のことすらよく見つめていないのに
他のことなどわかりようもない。自分の感覚を脳内で認識しているに過ぎない。
その仕方は多種多様。同じ事象を様々な見解で見ることが可能。
そこに気づかないと空しくなるかもしれない。
会話の本質を見極めたらどうかな。
何のためにその人と話をしているのか。情報を得るためか。共感的理解を得るためか。暇つぶしか。
その上でそれをいかに上手に達成できるかを目標に会話を組み立てたらどうだろう。
いずれにしろ、会話(というかほとんど全て)の本質は自分の気持ちを満足させるためだと思うけど。
相手のご機嫌を伺うことも極めて重要。でもそれに終始するばかりでは飽きる。そして相手を見下す。
そんな自分を嫌悪する。
相手が何を望んでいるのか。自分はどうしたいのか。
この折り合いをつける作業が会話の成り立ちとしては理想的かと思う。
つづき
kは仕事柄利害関係のもとで人と話をする。
kの主眼は相手の引っ掛かりをみつけること。
そのために徹底的に相手を油断させる。相手が防御を少しずつ解くように仕向ける。そのための
テクニックはかなり研究した。会話の運び方、声のトーン、間の取り方、語尾の使い方、自分で認識
しうる限り自分を見つめ続けながら会話している。要するに演技。
相手の気分を高揚させることなく、リラックスさせて日常のストレスを引き出すことが目標。
人のことはわからない。多くのことが予測可能だが、予測でしかない。
相手から得られるのは情報だけではない。相手が自己に気づく様に立ち会うことは本質的な
喜びでもある。これは体験しないとわからないかもしれない。
そしてこれが会話の醍醐味でもある。
同意したり慰めあうことばかりに終始していてはなかなか得られない喜びがそこにある。
つづき
>前はどんな人とも楽しく話ができてたのよ表面的でうすっぺらな話で満足だったのよ
たぶん気持ちの動かし合いのことだろうね。
>つまらない話をしてるときに何でこんな事してるんだろうって時間もったいないって
気持ちの動かし合いが空しく感じられるからじゃないかな。
相手のことをわかったつもりにならないで、先入観や思い込みを常に認識しながら相手の言うことを
聞いてみるといろいろな発見があるかもしれない。
するときっと「なぜ?」「なんで?」といった素朴な疑問が湧いてくると思うよ。
そのときの自分がとても素直に不思議がっていることに驚くかもしれない。新鮮かもしれない。
相手のことも今までと違ったように感じるかもしれない。
常に人は変化している。退屈なのは思考をとめているから、もしくは感覚を麻痺させているから。
相手も常に変化している。
そんな二人の会話がつまらないはずないと思うよ。
ありがとお。
東大に合格したいのですが、自分を見つめる事で可能になる?
397は東大に合格したいということだが、何かしらの目標を設定して実現したいと希望するのは
生きる上でとても重要だと思う。これがないと死にたくなるかも。とはいえ、死にたくなったらそれを
目標にいろいろな自己の希望を満たした死に方を選択してそれに向けて努力する点では同じなんだけど。
東大(東京大学)は現代の日本における教育制度上、ステイタス・難易度ともにトップなんだろうね。
このような難易度の高い目標は他にも枚挙に暇がない。突き詰めれば人によるので、どのような目標も
その人の状況によっては困難であり、実現したいものは大方その人にとっては困難である場合が多い。
397の質問の解釈を拡大すると目標を達成することと、自分を見つめることの関連性に関する疑問かと思う。
まず、目標の設定段階を考えたらどうだろう。
なぜそのような目標を立てたのか。(東大に合格したいとか)
つづき
おそらくこの時点で思考が止まる人が多いことかと思う。
つまり、なぜそれを目標としたのかを突き詰めると、判然としない場合が多いということ。
理由をのべると、目標は全て思い込みであり、その思い込みを持ったきっかけは些細なことが原因であり、
その原因は自分がそれを「よい」と思ったからだ。
要するに独自の判断でそれを「よい」と思い、それを実現することで「喜び」を得られると直感したり
思い込んだりしたわけだ。
信頼をおいている人が「よい」と判断していることを理由にしたり、目標に関する事象で喜びを得たりときっかけは
人それぞれ異なるわけだが、本質は同じだと思う。
目標達成により何かしらよいことが得られると判断したはずだ。
しかし、その可能性は否定できないが、喜びが得られる保証もない。そこをしっかりと見据えるとき
人は不安になる。だからあまりそこは見つめない。
そこで、目標を立てた理由に関してしっかりと見つめることが困難になるかと思う。
誰よりも頭が良くなって人を見下す事が自分をある程度振り返ってみての
感想です。そのためには理解力を上げるというのもありますが、例えば
教科書に載っている物理学とか英文とかそういったものをすばやく理解できる
ようになる為にはどうすればいいのでしょうか。
あと甘いものが辞められないのですがどうしよう。w
kさんは子供にはどういう教育を?その効果のほどは?
体のやわらかさと頭のやわらかさについて関連はあるのですか?
議論に負けないためにはどうすればいいのだろう?
>>401 君は
>>397を書いた人かな?
>誰よりも頭が良くなって人を見下す事
これが東大に合格したい理由?
>教科書に載っている物理学とか英文とかそういったものをすばやく理解できる
>ようになる為にはどうすればいいのでしょうか。
興味を持って好きだと思い込む。そこに書かれている本質を見る。そのような練習を焦らずに
着実に計画だてて地道に行なう。
>あと甘いものが辞められないのですがどうしよう。w
kも甘いものを自ら禁じて苦労した経験がある。嗜好を変えたければ本気で体質改善をはかることが
理想的かと思う。安直な手段は一時的な結果しか生まないことが多い。
つづき
>kさんは子供にはどういう教育を?その効果のほどは?
仕事上での子どもの教育に関しては、仕事上要求されているであろうことを配慮してそれを
実現する必要を感じていたので嫌だった。
基本的に放任的で自己責任を認識させつつ善悪を自己の判断に任せながらもこちらの主調は毅然とする。
態度は極めてふざけつつ、偉そうで、丁寧、粗雑に見せて油断させておいて本音を出させる。
人の本質をさらけ出す教育かな。効果はわからない。
実生活でも同様。自分の子どもには社会(の変化)に適応できるよう思考が自由でどのような状況下
においても自分を見失わず冷静に事象をとらえることを主眼に接している。
実際は互いに馬鹿にし合える関係を築いている(偉そうにいえることではないね)。
うちは少し複雑な事情があるのでそれなりの配慮が必要だけど、それを好材料にして教育している。
つづき
>体のやわらかさと頭のやわらかさについて関連はあるのですか?
どうかな?無関係とはいいがたいけど統計をとっていないからわからない。
体のやわらかさを考えてみよう。
一般に体がやわらかいとは柔軟性に富むという意味で、関節部位の可動域が正常であるといった
感じかと思う。
しかし実際は多くの人が前屈運動に関してこだわっている。これは関節部位の腰椎・股関節等の
可動域というより、下肢の後面の筋肉(大腿ニ頭筋、下腿三頭筋など)の伸張具合によるところが大きい。
ようするに筋肉に疲労物質が蓄積した状態だと伸びにくく硬い感じがする。
これは努力で如何様にも改善可能。実現できれば血行が良好となり脳に酸素が送られ思考上も効果大と考えられる。
実際kは毎日かなりストレッチをしている。これを二十代前半からはじめてみて、思考の自由度にはかなり
貢献していると考えている。
ちなみに、安易な前屈運動は百害あって一利なし。腰痛の最大原因なのですすめない。
アキレス腱を伸ばす運動(かかとを地に付けないと無意味)を腰を曲げないように実現する方が
効くし危険が極めて低い。
つづき
>議論に負けないためにはどうすればいいのだろう?
この文から推測されることは、君は何かしらの議論をして負けたくないという希望があるということ。
さて、なぜ負けたくないのかな?
これも推測だけど、負けると思っている、もしくは負けるという状況がとても嫌。
どうかな?
kはここ何年か負けたことがないよ。
2chにおいて様々な人と話してきたけど一度も負けたことはない。そして勝ったことも一度もない。
kは対話を楽しんでいるのであって勝ち負けを決める作業をしていない。
多くの人は君と似ているところがあるかもしれない。
会話の本質を見失っているね。議論も同様ではないかな。
相手より上に立ちたい気持ちがあるなら、そのような状態になることをすすめるよ。
他人の評価を気にしていたら決してそのような状態は実現できないことを知ろう。
相手の全てを受け入れて、自分を見つめながら自己主張し続ければ誰にも負けることはないよ。
そして、勝つこともない。勝つ必要もない。君は誰の評価を得たいと考えているのだろう。
誰の評価もそれを聞いて反応し判断するのは自分自身だ。
自分の固定観念で自分勝手に負けていないかな?
弱い僕でも大男を張り倒す事ができますか?
足が長くなるためにはどうすればいいのですか?
運動神経を良くするにはどうすればいいのですか?
卵を一日5個位食べるのを100日続けるとスタミナがつくのはホント?
もしKさんの今までの書き込みがkさんの賢さからきたものであるなら
kさんは昔からその様に賢かったのですか?
それとも賢くならざるを得ない状況をどこからか突きつけられたのですか?
もしそうならどの様な状況だったのですか?
>>406 >弱い僕でも大男を張り倒す事ができますか?
状況と努力次第で可能だろうね。設定条件を限定しないと可能性は無限大。
>足が長くなるためにはどうすればいいのですか?
どの程度かにもよるね。また、君の年齢と生活状況にも。骨折して接合すると確実に伸びるよ。
>運動神経を良くするにはどうすればいいのですか?
漠然とした「良くする」では方法も無限大だね。
>卵を一日5個位食べるのを100日続けるとスタミナがつくのはホント?
それは発言者に聞くか、自分で試したらどうかな?鳥インフルエンザの影響で鶏卵に関しても
ニュースを賑わせているだけにタイムリーだね。
>>407 >>もしKさんの今までの書き込みがkさんの賢さからきたものであるならkさんは昔からその様に賢かったのですか?
君の質問は仮定を前提にしているね。
まず、kの書き込みが「賢さ」から着たものかどうかは不明。
昔から今のように君が賢いと評価するような状態ではなかった。
>それとも賢くならざるを得ない状況をどこからか突きつけられたのですか?
人生は自分で生きている。どこからも突きつけられていないよ。
>もしそうならどの様な状況だったのですか?
何かしらの苦労を克服したのか?ときいているのかな。
苦労はあくまでも主観であって受け取る側の問題かと思う。
kは幼少の頃からとても苦労してきた。でも客観的に見ればどうということもないだろう。
むしろ今現在の方が大変そうに見えるかもしれないが、本人はいたって平然と暮らしている。
どのような事象にも本質をとらえるよう努めると、大変な苦労が伴うが多きな収穫を得ると思う。
がんばってね。
質問の質がおちた事は私の責任です
すいません。。。
素粒子って何?
不確定原理って何?
>>410 質問の質は疑問を持った人の思い入れにもよるんじゃないかな。
kは質がおちたとはとらえていない。質疑者がその問の答えを本気で知りたがっているかは不明。
>>411-
>>412 尋ねるべき人もしくはスレを誤っているようだよ。
>>413 その通りだね。
くどいようだが、kはかなり無知。ハルカが表現するところの「したり顔」で「当たり前」のことを
語っているから、なにやら何でも知っているかのように誤解する人もいるだろう。
どのようなことでも分析していけば得られるところは多いし、解明できたように思えることもあろう。
しかしどこで納得するかはその人による。
理屈を並べて納得する人もいれば、直感しか信じないという人もいるだろう。
同じように見えても人それぞれだ。人それぞれに見えても同じような部分もある。
そのようなものだから面白いともとらえられるし、理解できずに悩んだりもする。
多くの人は悩んでいることだろう。果たしてそれは「自由な思考」という形態をとっているだろうか。
堂々巡りではなかなか解決策が見出せないことが多い。
自分で思考する材料を限定して苦しんでいることが多くないだろうか。
少し視点を変える。ありえない方向から見直してみる。すると気付くことがあるかもしれない。
けれど、限定した材料による思考を否定しているのではない。
そのようなことから新たな発見が生まれる可能性は極めて高い。むろん発見のためにはその作業の先に
視点を変える必要があるとは思うけど。
kを試すもいいし、みんなで語り合うもいい。
わだかまりやひっかかりを一つずつ自ら認識して理解する作業にこのスレを利用して欲しい。
人は事象の本質をとらえているだろうか。
自己の存在が及ぼす影響をどのようにとらえているだろう。
事実は一通りではない。
自己への影響は全てが自己の主観で決まる。
このようなことを考えたり理解したりする世の中でないのは、ひたすら自己を見つめることを避けてきた結果だ。
日本を含め文明的な先進諸国はその極端な例かもしれない。
われわれの先人たちは様々な知恵を働かせて文明を築いてきた。
文明の本質は人の気持ちの具現化だろう。
衣食住の確保。これは文明生活には不可欠と考えられる。
その他に嗜好により様々な文化が生み出される。
全て自己の気持ちを満たすため。
そして文明は飛躍的に発展した。
さて、人の気持ちはどうだろう。
文明の発展は自己の満足を「他」の刺激による方法に依存しすぎていないだろうか。
これでは文明だけが発展し、しかも際限がない。
言葉どおりの自己満足を具現化する方向に発展させないのはなぜだろう。
多くの先人の教えに内観のすすめがあるように思える。
五感の刺激はとても認識が容易でつい絶対視し依存しがちになるのは仕方のないことだろう。
しかし自己の認識の仕方の選択が可能であるとの見識にもっと目を向ける必要はないだろうか。
全て自己の認識は選択可能かもしれない。
ただし修練が必要でないとは言い切れない。
この修練、努力を嫌った結果がいまの文明社会であるともとらえられる。
420 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/21 10:32
>>419 >この修練、努力を嫌った結果がいまの文明社会であるともとらえられる。
こんにちは。(^.^)
質問。
非文明社会の人はどういう心構えで生きているのですか?
比較してもらえるともう少し理解が深まるかもしれません。
あと関係ないけど、「kは〜」みたいな主語の使い方ってキモーですぅ。(笑)
あなたの人格の押し付けをカンジさせないための戦略なのかしら?
エラそうじゃなくていいのかもしれないけど・・・もう使えないでしょ?(笑)
なぜsage進行なの?
(415〜はあなたの意見のまとめだから) ageちゃいます!
>>420 >非文明社会の人はどういう心構えで生きているのですか?
知らない。
まず、君のいう非文明社会とはどのようなものかな?そのような社会がどこにあるのだろう。
また、人に説明できる心構えで生きている人がどれほどいるのか分からないが、他人のことはわからないよ。
君の心構えは人に説明できる?
>あと関係ないけど、「kは〜」みたいな主語の使い方ってキモーですぅ。(笑)
その通りだね。きみたちのやり取りと同程度にはきもいね。
>あなたの人格の押し付けをカンジさせないための戦略なのかしら?
そうだね。書いてある内容により目を向けてもらうための作戦。
>なぜsage進行なの?
君の指摘のsage進行とはひたすらage続けて書き込むやり方と対照的な意味合いだろうか。
最近のkがsage進行であるのは、この板にとって五月蝿くないようにとの配慮(哲学版で五月蝿がられていたことも考慮して)
と、ときどきageてくれる人もいるので今のところ落ちないですむと予測しているため。
はじめの頃はときどきageていたよ。
この程度ではsage進行だろうか。また、きみはage進行をすすめているのかな。そして
きみたちはなぜsage進行なのだろう。
>エラそうじゃなくていいのかもしれないけど・・・もう使えないでしょ?(笑)
なぜ、「もう」使えないのかな?
>(415〜はあなたの意見のまとめだから) ageちゃいます!
君の自由だから随意にどうぞ。
でもなぜkの意見のまとめだとageる理由になるのかな?
カオルたんはなかなかオモロイこと書くのでこのスレには
必要悪れす
423 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/21 16:51
>>421 >まず、君のいう非文明社会とはどのようなものかな?
ふつう文明社会と比較されるのは原始共同体とかじゃないの?
>そのような社会がどこにあるのだろう。
さぁー。人間の社会=文明社会っていうことなの?
>他人のことはわからないよ。
そういうことじゃなくて、「文明社会であるともとらえられる。」とか書いてあったから
文明社会じゃない社会を当然想定して話しをしてると思ったの。おかしい?
だって文明社会っていうのだったら、そうでない社会もあるはずでしょ?
>その通りだね。きみたちのやり取りと同程度にはきもいね。
ごもっとも。(笑)
>きみたちはなぜsage進行なのだろう。
半分板ちがいだし、わたしのような煽りや荒らしを呼ぶデンパが生息してるから。
>なぜ、「もう」使えないのかな?
さっちゃんはね
さち子っていうんだ ほんとはね
だけど ちっちゃいから
自分のこと さっちゃんって
よぶんだよ
おかしいな さっちゃん
>でもなぜkの意見のまとめだとageる理由になるのかな?
わたしがもっと沢山の人に見てもらいたいと思ったから。だからage!
424 :
実行委員長:04/03/21 17:05
人間の意志は、先祖の抑圧によって、 恋愛 友情 就職 病気 死亡の形式を
強制的に決定される。
個人の意志は関係ない。
425 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/21 17:08
426 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/21 17:16
>>424 >先祖の抑圧
どのあたりまでの先祖が先祖の抑圧を受けているの?
お猿さん? お魚? それともデオキシリボ核酸?(笑)
427 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/21 17:21
>>424 >個人の意志は関係ない。
あなたがココに書き込む意思は、どんな先祖の抑圧によるものなの?
意思と抑圧が論理的に連鎖していると証明できますか?
>>422 >カオルたんはなかなかオモロイこと書くのでこのスレには必要悪れす
うん。でもなぜ「悪」なのれすか?
>>423 >ふつう文明社会と比較されるのは原始共同体とかじゃないの?
そうかもしれないね。ちなみにkはそのようなものと想定していないし、文明社会の定義も書いていないから
そのように短絡的思考で比較したくなるのはよくわかる。
人は対立概念や極端な状態を想定することで思考を簡便にしている。でもそこばかりにこだわると本質は見えにくいかな。
>さぁー。人間の社会=文明社会っていうことなの?
さぁー。違うの?混乱するようだったら定義したらどうかな。
今語っている文明は人の生活と認識しうる状況といった感じかな。言語があれば文明かと思うがそうではないのかな。
つづき
>そういうことじゃなくて、「文明社会であるともとらえられる。」とか書いてあったから
>文明社会じゃない社会を当然想定して話しをしてると思ったの。おかしい?
君の思考が可笑しいかどうかを本気で知りたいわけでもないだろうから、その質問はとりあえずおいておこう。
君がそこに書いてあるレスの意図を読み取る意志があれば
「この修練、努力を嫌った結果がいまの文明社会であるともとらえられる。」
の「いまの」という部分に注意がいくかもしれない。仮に比較するとしても、この文と関連させるなら
「以前の」「昔の」といった過去の文明が対象になるのではないかな。
>だって文明社会っていうのだったら、そうでない社会もあるはずでしょ?
そういうのを思い込みというと思うよ。
>おかしいな さっちゃん
「おかしい」ということが使えない理由と君はとらえたのかな。人の評価をあまり気にかけないkは
迷惑だという意見が多くなるまでそのことについては考えないと思うよ。
心構えに関してはよいのかな?
>>424 >人間の意志は、先祖の抑圧によって、 恋愛 友情 就職 病気 死亡の形式を強制的に決定される。
>個人の意志は関係ない。
先祖の抑圧は先祖の意思なのかな?
その先祖の意思は・・・・
でも結局人間個人を見ると仮に抑圧を受けた意志だとしてもそれは個人の意志になりそうだね。
なぜ無関係なのかな?
>>425 なんだろうね。恋愛の形式も知りたいけど。
>>426 お猿さんは先祖なの?
>>427 ほんとにね。
面白い意見があるもんだ。抑圧がどのように作用するかも知りたいところだ。
つまり本来個人の意志というものが抑圧されうるべき状態にあって(躍動的なのかな?)
何らかの働きかけがないとそれなりに作動して個人(人間)が恋愛、友情、就職、病気、死亡といった
ことをしてしまうので、先祖の抑圧でそれなりの形式にしているということなのかな。
極めて難解な主調だ。詳細希望。
>>431 最後の行「主調」は「主張」に訂正。
われわれは社会の一員であり、生を受けたときから構成要員となっている。
むろんこれはとらえ方により、社会がはじめにあって徐々に社会に加わっているという見方や
はじめから社会など存在しないという見方も可能かもしれない。
社会における影響という観点に立つとき、人はいわゆる生誕をせずとも命が宿ったといわれる
状態になった時点で社会に影響を及ぼしている。
それを知った母体の反応いかんで様々な状況を思い描くことが可能だろう。
喜ぶもの、悲しむもの、波及は想像を越えて広がるかもしれない。
人は生を受けた瞬間から社会に関わっているという認識が自分を見つめる上では重要かもしれない。
人はこの世における生を自ら断ったり、事故・病等による死によって社会との関りを断つもしくは
断たれるという思いがある。
愛着や煩わしさといった自分の気持ちを大きく揺るがす事象との関わりを重要視することが生存の理由
ととらえている人が多いことだろう。
死ぬことで果たして社会との関わりを断てるだろうか。
結局これもとらえ方かと思う。
死して名を残す人。財産を残す人。名もなき人。様々だ。
親族友人は時々思い出すかもしれない。これは社会的影響だ。その人たちが他界した後は誰も思い出すこと
もないかもしれない。
著名な人は後世まで語り継がれるかもしれない。
いずれにせよ社会との関わりを気にしていた主体はこの世に存在していない。
それをどのようにとらえるかは主体の自由。現状はそのように社会は成り立っている。
社会は人と(とりあえず)地球上のあらゆるものとの関連で成り立っている。
それをどのようにしていくかはそれぞれ個人の自由。
決められた枠の中で生きているというのは、自分の勝手な思い込みだ。だがそのような
生き方が「楽」だからそのように枠組みを作る作業に専念している。
枠組みを作る作業を意義深いものととらえる人は様々な人の気持ちを考慮してそのような仕事に
従事する。
そのような枠組みを既成事実として受け入れたい人、反発したい人など様々だが、とりあえず
構成員になるべく従事している。
しかしこれらもそのようなとらえ方でしかない。
利便性のため出来たと推測可能な枠組みが、いつしか既存の確固たるものとして存在しているという
幻想を共通認識的に持つようになる。
これが不便(自己、もしくは社会的に不利益)と見なされるとその変革欲求が出てそれなりに
何かしらが変更されうる。
今の社会はわれわれが構成員として成立させている。生を確認されてから、死してもなお
人々に忘れ去られるまで関わりを断つことは極めて困難な状況となっている。
むろん主観の問題であって、社会と関係ないという立場も十分に成り立つ。
そのような認識(さまざまな雰囲気をとりあえず横に置いた)の上で自分をみつめていくと
あらためて気付くことがあるかもしれない。
自分以外の環境のとらえ方で人の生き方は変わる。
文明は自己満足の具現化であり、社会は築き続けていくものだ。
既存のものを普遍的にとらえたり絶対視して、依存したり嘆き悲しんだりするのは自由。
しかしその既存のものの本質は人の気持ちが表現されたものだ。
縛られる必要もないし、縛られるのも自由。
生きているのは自分自身。選択・決定は自己の意志に委ねられている。
環境(自分以外・他)の「せい」にするのも自由。
それを変えていくのも自由。
生き方を選択するという視点に立つと、
自分がどうしたいのかを「常に」見つめ続ける必要があるだろう。
436 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/22 20:24
>>428 >今語っている文明は人の生活と認識しうる状況といった感じかな。
>言語があれば文明かと思うがそうではないのかな。
わたしの「文明」の定義は、goo国語辞典参照。
>>429 >「以前の」「昔の」といった過去の文明が対象になるのではないかな。
わたしの非文明社会(=原始共同体)の定義は、goo国語辞典の「原始社会」参照。
>心構えに関してはよいのかな?
事象にたいする心構えから派生する認識の仕方という意味。
わたしの心構えは、いつもわたしの唯一の死を想定したものです。
言いかえるなら、未来という時制を自覚しているということかな。
437 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/22 20:32
>>431 kさん
>詳細希望。
わたしにたずねられてもねぇー。(笑)
>>432 人は生を受けた瞬間から社会に関わっているという認識が自分を見つめる上では重要かもしれない。
そうですね。
438 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/22 20:40
>>433 kさん
>死ぬことで果たして社会との関わりを断てるだろうか。
>結局これもとらえ方かと思う。
>死して名を残す人。財産を残す人。名もなき人。様々だ。
>親族友人は時々思い出すかもしれない。これは社会的影響だ。その人たちが他界した後は誰も思い出すこと
>もないかもしれない。
>著名な人は後世まで語り継がれるかもしれない。
うん。かかわりは、現世代だけじゃないですね。
過去の(死んでしまった)人たちや未来の(生まれていない)人たちにも広がっています。
この視点を持つことはとても大切なことだと思います。
439 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/22 20:52
>>434 kさん
>利便性のため出来たと推測可能な枠組みが、いつしか既存の確固たるものとして存在しているという
>幻想を共通認識的に持つようになる。
>これが不便(自己、もしくは社会的に不利益)と見なされるとその変革欲求が出てそれなりに
>何かしらが変更されうる。
道徳のようなものは、共通認識的に確固たるものとしてあった方がいいと思います。
利便性や非合理だから、という理由だけで変革したり破壊したりするのは早計でしょう。
440 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/22 21:04
>>435 kさん
>しかしその既存のものの本質は人の気持ちが表現されたものだ。
>縛られる必要もないし、縛られるのも自由。
人は、ひとりで生きているわけじゃないですから
「縛られる必要がない」というのは、あまりに個人主義的だと思います。
というか、すでに縛られているということを自覚して
さらに、その拘束にたいして、自己の自由意志と責任の問題として
どのようにバランスをとって対処していくか、という姿勢が大切だと思います。
>>436 >わたしの「文明」の定義は、goo国語辞典参照。
参照ということから、参考文献と君の主観は同じではないんだろう。だとしたらあまり意味がないね。
>わたしの非文明社会(=原始共同体)の定義は、goo国語辞典の「原始社会」参照。
君はkが指摘した意味を理解していないと思われる。
まずその定義に関して質問していない。また、
>>417-419でkが文明社会と書いたのは「いまの〜」
一度。だから「いまの」と比較するなら「昔の」ではないかな?ときいた。
kが文明社会に関して論じたと思ったのかもしれないが、よく文意を汲めば既成概念や思い込みに
気づく作業の手助けの一環だと理解可能かと思う。
>事象にたいする心構えから派生する認識の仕方という意味。
これは心構えの説明かな?
「事象にたいする心構え」で使用した「心構え」はどうなっているのかな。
>わたしの心構えは、いつもわたしの唯一の死を想定したものです。
>言いかえるなら、未来という時制を自覚しているということかな。
うん。kも類似した認識を常に持っている。
437
>わたしにたずねられてもねぇー。(笑)
文頭に「ほんとにね。」を記したことで君に対する同意を表現した。受け取れなかったかな。
その流れでの「詳細希望」はむろん君に対してではない。面白い主張をした
>>424に対してだよ。
>>438 >この視点を持つことはとても大切なことだと思います。
うん。さて、この視点はどのようなことに対して「大切なこと」だと君は思うのかな?
>>439 >道徳のようなものは、共通認識的に確固たるものとしてあった方がいいと思います。
そう思うのは君の自由だね。
ではなぜそう思うのかな?
確固としたものは現在君の属する社会には存在していると君は考えるのか、それとも存在していない
と考えるのか。
道徳のようなものとは何を指し、どのような理由で必要なんだろうね。
>利便性や非合理だから、という理由だけで変革したり破壊したりするのは早計でしょう。
そうだね。「という理由だけ」「破壊したり」という指摘は君の創作でありkはそのような表現はしていない。
でも、現実にそのようなものと考えられると思うよ。
そのような認識が君にはあまりないのかな。
kは君たちのしていたような自分の主義を主張していない。このようにしていこうと語りかけていない。
多くの人があらゆる事象に共通認識的に付帯すると思われる雰囲気ばかりに気をとられて
その事象の本質が見え難くなっている。
争いの本質はそこにもある。
kはそのような本質を見つめる作業を通して自分自身を見つめなおしたらどうかなと語りかけている。
見つめていこうとはいっていない。kにはその必要があり、そのことを実践することで気づくことが
ある。だからみんなにもあるかもしれないと思う。興味があったらしたらどうかなと語りかけている。
このような語りかけは理解できないかな。
>>440 >人は、ひとりで生きているわけじゃないですから「縛られる必要がない」というのは、
>あまりに個人主義的だと思います。
君にとってはそうなんだろうね。さて、個人主義だと君にとって何か不都合があるのかな?
君は「縛られるのも自由」も引用しているから目に触れたことかと思う。
自分の意志で自由に決められるんじゃない?という問いかけなんだよ。
君は拘束されたいのかな?それとも君の現状はがんじがらめに拘束されているという認識かな?
>>443-5行目
「道徳のようなものとは何を指し、どのような理由で必要なんだろうね。」
を
「道徳のようなものとは何を指すのかな。」
に訂正。
上の方の文はkの思い込みによる捏造。失礼した。
つづき
>というか、すでに縛られているということを自覚して
>さらに、その拘束にたいして、自己の自由意志と責任の問題として
>どのようにバランスをとって対処していくか、という姿勢が大切だと思います。
なるほど。
これは「生き方を選択するという視点に立つと」というkの立てた前提における君の意見なのかな?
それとも君の心構えが前提だろうか。
「大切」というからには何らかの現状があり、それを維持する「ため」か、何らかの目標を設定しそれに向けて
現状を変化すべく何かしらの働きかけをする「ため」かと推測可能。
上記の君の文意では「何のため」にそのような姿勢が大切だと君が思うのかが記されていない。
そのため君の文のとらえ方に多様性が生じるように思う。
つづき
>すでに縛られている
とあるが、君は何にすでに縛られていると自覚したのだろう。
>バランスをとって対処していく
とあるバランスとはどのようなものだろう。
どのような事象においても自己の満足を得る適切な方法としてバランスをとるということは重要だろうね。
中庸だろうか。過不足なくかな。可もなく不可もなく、ではニュアンスが違う。帯に短したすきに長しでは
意味が違うね。このような慣用句は多くのことを示唆する。そこに意味を見出すのはそれぞれの主観。
慣用句・ことわざなどには先人が悟ったであろう生きる上での知恵が見出せる。
それに「いい・わるい」といった評価を与えて楽しむのは自由。
本質を見失うと使い方が奇妙になるね。それも面白いけど。
一つの事象に対するとらえ方は様々であり、「正誤」を確定させるためには多くの条件で
規定する必要が出てくる。
このようなことを「当たり前」「わかりきっている」などと思考を停止させ思い込んで
話をすすめていくところに、理解しあえない原因の一因があろうかと思う。
体を動かすのも億劫。思考もめんどくさい。
kが生きる希望すらなくしかけたときの気持ち。
さて、どれほどの人が自分で目標を立てそれに向けて計画的に地道に丁寧に常に自分を振り返りながら
体を動かしたり思考しているだろう。
>>7にも書いたが、人はどうやらそのようなことの重要性の「知識」はあってもなかなか
実践し難いようだ。省エネ体質なのかな。表現を変えると面倒に思うというところだろうか。
いずれにせよ事実のように見える。
「いい・わるい(善悪)」は主観による。絶対的な価値観や分類ではない。
あくまでも便宜上存在しているが、方便として気軽に使われている。
つまり使いやすい表現方法であり、普通に使う。
ところが「いい・わるい」が一人歩きしているかのような現状をよく目にする。
「いいでしょ」「いいじゃない」「わるいの?」
これらが使用される場面によく出会う。なかなか面白い。
なぜなら「いい・わるい」はその人に主観によるのだから、シチュエーションが相手に対して純粋に
「いい・わるい」を問うものでない場合には滑稽に見える。
こどもの言い逃れのようだが多くの人が使用していると思う。
kは滑稽で面白いので子供相手によく使って楽しんでいる。
「いいだろ!」
全く説得力がないはずだが、言い切ることによりそれなりの雰囲気を相手に感じさせるには十分だ。
「いい・わるい」の使用頻度が高い理由は何によるだろうか。
ひとつにはある事象に対する共通認識的な善悪の幻想があるように思える。
人殺しは悪い。人が喜ぶことは良い。といった感じ。
詳細を認識した上で個々の主観に立たないとなかなか判断できる事項ではないと思うが。
「よかったね」
という言葉は多用されるが、受け手にとっては「何が?!」「どこが?!」といった疑問
が生じるケースも少なくないだろう。
相手の気持ちはなかなかわからない。よかれと思って口にしたその言葉で相手を傷つけることもある。
口にするなら状況をよく見定める必要がありそうだ。
気軽に使っているが、安易に使うことによる弊害も考慮すると誤解が減るかもしれない。
また、使用する根底に相手に対する「甘え」なり「依存」があるとも考えられえる。
「いい・わるい」はその人の主観に違いないから、そう表現することで自己主張しているとも見える。
このへんの認識にはかなりの個人差がありそうだ。
今まで紹介してもらったホームページなどの文章にも、「前提なし」にいい・わるいを
言い切っているものが見受けられる。
限定された条件に加えて主観という認識を踏まえないと滑稽に見える可能性があることに気付いているのだろうか。
人を導くような作業には「いい・わるい」は欠かせない。理由と目的を明確にしないと、相手の自覚や理解が得にくいので
洗脳になるか思いっきり反発を食らう。
洗脳の場合、雰囲気で持っていけるときは調子がいい感じがするだろうが、相手がふと我に帰ったりすると
なし崩しに反発を食らう。だから先導側の強烈な思い込みと巧みな心理操作を随時する必要が出てくるだろう。
人を導くのは容易な面は否定できないが、結局自他共に極めて疲労する場合が多いと思う。
人をある方向に向かわせたいと思ったら、なぜそのように思うのか、具体的な方法等を明確に示し
相手の選択に委ねることが本質的かと思う。そのかわり多くの時間と根気は覚悟する必要があるだろう。
452 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/23 19:31
>>441 kさん
>参考文献と君の主観は同じではないんだろう。
同じ。文明論を語れるような勉強はしてないから国語辞典以上の定義は提出できなかっただけ。
お粗末でした。(^_^;)
>君はkが指摘した意味を理解していないと思われる。
たぶん理解してると思うよ。(笑)
以下は、昨日書いたけど書き込まなかった本文。(
>>429へのレス)
【文明】〔civilization〕(1)文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、
国家的政治体制のもとで経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。
【原始社会】(1)原始時代の社会。文明化されていない社会。
(2)文字をもたず、採集狩猟や遊牧に依存する社会。未開社会。(goo国語辞典から抜粋)
@【原始社会】⇔【文明社会】、あるいは、A【原始社会】⇒【文明社会】のような
構図を立ててから思惟していくのが、わたしが本質を理解するためにとる方法論です。
この方法論は、思惟を簡便にするのが目的ではないです。
@によって事象の空間的な広がりを確保し、Aによって時間的な流れを把握します。
@,Aの内容は、わたしの経験(知識等の獲得)によっていつでも更新可能な状態です。
また、goo国語辞典の「定義」や、@,Aの構図を絶対視しているわけでもないです。
453 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/23 19:33
ってなことを書いても「kは文明に関しては論じていない」と言われてしまうオチ。(笑)
わたしは、「むかしの文明」と比較するにしても、@,Aの構図のなかで考察する方が、
より的確に「いまの文明」(あるいはそこに生活する人間)像を浮き彫りにできるのでは、
と思ったのです。
>>420の質問の意図は「既成概念や思い込みに気づく作業の手助け」
になるかもしれない視点を提示したつもりでしたが、あなたの反応(感想)は、
「〜でもそこばかりにこだわると本質は見えにくいかな。」(
>>428)ということなので
「フーンそれならべつにいいけど」ってカンジです。
>「事象にたいする心構え」で使用した「心構え」はどうなっているのかな。
>>わたしの心構えは、いつもわたしの唯一の死を想定したものです。
>>言いかえるなら、未来という時制を自覚しているということかな。
ちなみに、原始社会には(近代社会のような)未来という時制がないらしいです。
なので、事象にたいする心構えもかなり違ってくるのかな、なんて思ったりしました。
454 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/23 19:35
>>442 kさん
>うん。さて、この視点はどのようなことに対して「大切なこと」だと君は思うのかな?
たとえば、「人は人を殺してはいけない」という規範がありますが、
このような既存の価値観を安易に壊したり否定したりするような権利は、
現世代にも一個人にも「ない」ということを自覚させてくれるからです。
455 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/23 19:37
>>443 kさん
>確固としたものは現在君の属する社会には存在していると君は考えるのか、
>それとも存在していないと考えるのか。
汝殺すなかれ、汝姦淫するなかれ、汝盗むなかれ、とか。
>道徳のようなものとは何を指し、どのような理由で必要なんだろうね。
道徳のようなもの ⇒ 倫理、道徳、モラル。
人として生きるための価値判断の基準だと思うし、
それに守られて生きているし、生きてこられたから。
>多くの人があらゆる事象に共通認識的に付帯すると思われる雰囲気ばかりに気をとられて
>その事象の本質が見え難くなっている。
>争いの本質はそこにもある。
たとえば、わたしが正しいと思う道徳の共通認識が、
否定されたり、壊されそうなときは、わたしはすすんで争います。
人として生きているかぎり。
>kにはその必要があり、そのことを実践することで気づくことがある。
>だからみんなにもあるかもしれないと思う。興味があったらしたらどうかなと語りかけている。
自分を見つめることは、"良い"ことだと思うよ。
でも、それによって発見した自分のこだわりや思い込みが
たとえ自分の生を苦しくしているとしても、
人として大切なものなら、人として守らないと"イケナイ"と思います。
456 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/23 19:54
>>444 kさん
>さて、個人主義だと君にとって何か不都合があるのかな?
>君は「縛られるのも自由」も引用しているから目に触れたことかと思う。
>自分の意志で自由に決められるんじゃない?という問いかけなんだよ。
自由意志には責任がともないます。
自由意志による行為の責任を取れるのかどうかをよく考えた方がいい、
ということ。
>君は拘束されたいのかな?
>それとも君の現状はがんじがらめに拘束されているという認識かな?
たとえば、あなたの使用する言語は歴史や文化や伝統を継承していますよね。
あるいは、あなたが日本人であること、あなたがあなたの両親のもとに生まれたこと、
今のこの時代に生きていること、人間であること・・・あなたはこのような拘束に縛られて
いるのではないですか?
それをどうやって引き受けて生きていくのかが大切なんだと思います。わたしは。
>>456 訂正
あなたはこのような拘束に縛られて→あなたはこのような現実に拘束されて
>>445 kさん
>上の方の文はkの思い込みによる捏造。失礼した。
もう答えちゃいました。(笑)
>>446 >上記の君の文意では「何のため」にそのような姿勢が大切だと君が思うのかが記されていない。
現実から遊離しないで逃避しないで、かつ「より良くより高く」を希求するため。
>>447 >どのような事象においても自己の満足を得る適切な方法としてバランスをとるということは重要だろうね。
>中庸だろうか。
うん。そのための知恵が道徳だと思っています。← 思い込み=中庸でない?(笑)
あーあ、こんだけageてもだれも反応しないね。(笑)
やっぱ哲板とはちがうよねー。つまんなーい。
もうかまってもらおうなんて期待するのやーめた。なのでsage。
>>448 kさん
>kが生きる希望すらなくしかけたときの気持ち。
kさんの生きる希望はなんですか? よかったら。
>さて、どれほどの人が自分で目標を立てそれに向けて計画的に地道に丁寧に常に自分を振り返りながら
>体を動かしたり思考しているだろう。
ヒッキーに聞かせてあげれば? ヒッキー板ってあるから。
>省エネ体質なのかな。
おじさんおばさん見てるとホントそう思う。
地べたリアンの子たちもおんなじだけどね。(笑)
夢じゃなくてもがんばれる工夫をする力がないんだよね。
>>449 >「いいでしょ」「いいじゃない」「わるいの?」
頻繁に使いますね。(^_^;)
やっぱり同意してもらいたいし自分は正しいって思い込みたいし。
>>450 >気軽に使っているが、安易に使うことによる弊害も考慮すると誤解が減るかもしれない。
弊害を恐れていたら過ぎ去っちゃうから、好意からそれをするならした方が"良い"と思います。
>>451 >相手の選択に委ねることが本質的かと思う。
まぁーね。でももたもたしてたら過ぎ去っちゃう。むずかしいですね。
思い込みがあると省エネになるけど脳の活性化には不適役ってかんじだな。
このごろえらい振り回されているのに気づいた。
思い込み・・・・おそるべし・・・
>k、カオル、43
>「省エネ」
日本人は世界で三番目に太りやすいらしい。これは「β3アドレナリン受容体
の遺伝子の変異」を持っている人が多いという事で、この遺伝子の変異は
「エネルギー倹約遺伝子」のひとつと考えられている。日本人なら約39%
アメリカ人なら約11%の人間が、このエネルギー倹約遺伝子を所持している
らしい。
エネルギー倹約遺伝子は、太りやすい太りにくいは勿論、その人の根本的な
考え方にも大きな影響を与えているのかもしれない。
例えばエネルギー倹約=省エネ(と仮定)から連想されるもののひとつとして
「ものぐさ」がある。
何かをする事や考える事などを面倒くさく思う時ってのは誰しも経験有ると
思うけど、それが顕著に見受けられる人とそうでない人、その違いは何なん
だろうねぇ?まぁいろんなことが考えられるわな。
俺が言いたいのは、単純に「面倒くさがりやサン」にエネルギー倹約遺伝子
を持つ人が多くて、それを持たない人は「面倒くさがりやサン」ではない
であろう事が証明できれば面白いかなと思ったわけさ。
そうすれば生来自分は「面倒くさがりやサン」に属する人間なのに、そうでな
いと思い込もうとして苦しんでしまう事も減るかなと。
「日本人は勤勉」説=「日本人は面倒くさがりやサンではない」(と仮定)
を信じてる(事実かもだけど)人もそういった事で苦しんでるのかも。とかね
詳しくは後で説明するけど、「働かざる者、食うべからず」は、明治以降に
日本に輸入された言葉であり、
怠惰を罪にしたのはキリスト教と西欧の金持ちであり、
江戸時代、江戸の町人の3割はフリーターとして気ままに生きていたそうだ。
それらがもし事実だとしても現時点では何の証明もできないし理由にすら
なっていないし意味不明かもだけど、もう少し調べてからまた書くね。
とりあえず最近カオルの
お陰でこのスレが活気づいてきたので俺も考えがまとまらない内につい書き出
してしまったという有様(笑)
※「ベータ3アドレナリン受容体の遺伝子の変異」ね上の文章。
>43
>思い込みがあると省エネになるけど脳の活性化には不適役ってかんじだな
思い込みって恐いねぇ(笑)思い込みとはさみは使いようというか、思い込み
は一長一短というか、思い込みってさ自己暗示とかには凄い効果を発揮する
らしいね。般若心境を一日百回唱えると願いが叶うとかいうしね(マニアック
だな〜それ)とか言わないでね。俺、一時期は256文字全部暗記してたんだ
から(笑)成就の程は・・秘密だw
>>461に書いたようなことを議論しようと思ったら「面倒くさい」とは何か
を定義しないと難しいだろうね。
でもさ、ハッキシ言って「面倒くさい」って各個人の主観に100%依存してい
るよね?そして各個人は生まれ育った国や暮らす地域、自分と関わる人たち等
の習慣を無意識的に、時に意識的に受け取りながら生活してると思う。
なかでも無意識ってのは恐いもんで周囲に「面倒くさい」と信じられてる様な
ものを、つい絶対的なものとして信じてしまいやすいんだよね。
例えばご飯を炊くのに5時間(適当)かかるのに慣れてる人はその事に対して
面倒くさいとは思わないかもだけど、水洗いもいらない米とか使って凄い
電子ジャー(ドラゴンボール思い出した人いる?)で30分(適当)でご飯炊く事
に慣れてる人は5時間の国に行ったらウェーとなる人は結構居るんじゃないか
な。(最近はスローフードなるものが流行っててその国その土地に合った調理法
を楽しむ人も多いとか何とか)
見方によっては、日本人は「面倒くさがりやサン」が多いからここまで文化を
発展させる事ができたのかもしれないね。そして発明は苦手だが改善・改良は
日本のお家芸と言われるのもある意味「言い得て妙だなこのヤロー」みたいな
ね。でもさ、そういう話じゃあなくて、もちっと普遍的な面倒くささみたいな
もんは無いのかね。例えば呼吸をする事すら面倒くさがる民族とかさ(笑)
そこで「じゃあ死のうか」となるのかそれとも「呼吸をしないでいい装置を
発明しよう(笑)」となるのか。その二つを秤にかけて「面倒くさくない方」を
選択して、もしもその結果が装置開発の方だったら俺はその人達好きだなぁw
オイオイそんな面倒くさい事すんのかよみたいな(笑)
思い込みをどんどん外していく内に気付くどうしても捨てられないもの。
他人からも言われ自分でも思う「どうしてこんな面倒くさいものを・・・」
ありとあらゆる合理化の波にのまれ見失いかけてた自分にとっての大切なもの
「ゼロに戻る事」「自分を信じる事」が大切なのかもしれない
と隣の裏の山田さんが言ってました(笑)思い込みに囚われずに思い込みに囚わ
れた文章を書くことが俺の当面の目標かな
>>460 43さん
>思い込みがあると省エネになるけど脳の活性化には不適役ってかんじだな。
うん。
でも、なにかにたいしての「決断」がせまられているときとか、
他人との信頼関係を「信じる」ことで築きたいときとか、
なにか大きなことをやり遂げないといけないときの「情熱」とか・・・
思い込みが必要になるような状況はいっぱいあります。
なにもかも疑ってばかりいたらいずれニヒリズムに沈むのは必然です。
まったり生きるといってもそれはそれなりの能力者の特権ですしね。(笑)
それに何百兆円も借金があって先の見通しも明るくないわけだから、
国も個人もいつまでもモラトリアムを継続できるとも思えないしね。
今はなにかしらの思い込みが希求されている時代なのかもしれません。
ちょっと怖いかも?
日本の借金時計
ttp://www.takarabe-hrj.co.jp/takarabe/clock/
>>461 充さん
>日本人は世界で三番目に太りやすいらしい。
へーと感心しながら横腹をつまんでみるわたし。(^_^;)
痴呆症とかは、思い込みによる前頭葉の省エネ活動のせい?
痴呆症のランクも知りたいですね。
>そうすれば生来自分は「面倒くさがりやサン」に属する人間なのに、
>そうでないと思い込もうとして苦しんでしまう事も減るかなと。
あーわたしこれかもしれない。
life板で「面倒くさがりやサン」になるにはどうしたらいいですか?
って、おととい相談していたわたし。(^_^;)
>>462 充さん
>「働かざる者、食うべからず」は、明治以降に日本に輸入された言葉であり、
>怠惰を罪にしたのはキリスト教と西欧の金持ちであり、
>江戸時代、江戸の町人の3割はフリーターとして気ままに生きていたそうだ。
たとえば、簡単な検査で「面倒くさがりやサン」の証明をしてもらえても
「面倒くさがりやサン」は、"悪くない"という倫理観が公に認められないと
結局、障害者意識みたいなものを背負うことになるだけかもしれないですね。
>とりあえず最近カオルのお陰でこのスレが活気づいてきたので
わたし気まぐれだからあんまり期待しないでくださいね。
>>463 充さん
>そして各個人は生まれ育った国や暮らす地域、自分と関わる人たち等
>の習慣を無意識的に、時に意識的に受け取りながら生活してると思う。
就職ではじめて東京に出てきた子達なんか満員電車から降りられなくて
遅刻したりします。まぁふつうは研修期間中に克服していくんですけど。
人間関係とかでつまずいちゃう人も東京なのでつまずいちゃうんですよ。
東京の人が冷たいわけじゃないと思うんです。自分中心の思い込みなの。
でも彼ら彼女らからしたらやっぱりいきなり厳しい環境に投げ出された
感じなのかもしれません。(お金しか信じなくなる子達が多いような?)
っていうか、最悪を覚悟していなかった自分の自業自得なんですけどね。
「それ」についての競争がなくて視野が狭いとこういうことになります。
競争や闘争は「思い込み」をかなり取り去ってくれるものだと思います。
あえてわたしの思い込みで話ししてみました。(笑)
>>464 充さん
>見方によっては、日本人は「面倒くさがりやサン」が多いから
>ここまで文化を発展させる事ができたのかもしれないね。
「面倒くさがり」は、工夫の母?
試験勉強なんかまさにコレ!(笑)
>そして発明は苦手だが改善・改良は日本のお家芸と言われるのも
>ある意味「言い得て妙だなこのヤロー」みたいなね。
発明が苦手なんじゃなくて発明を受け入れる度量がないのかも。
半導体とかOSとか、もともと日本が最先端だったんでしょ?
でも宗教とかのぐちゃぐちゃさ加減はやっぱり改善改良型かも。
いろんな異質なものを排除するような国力がなかったのかもね。
>もちっと普遍的な面倒くささみたいなもんは無いのかね。
わたしも少し考えてみます。
>どうしても捨てられないもの。
ことば=価値=わたし。
>>452 >構図を立ててから思惟していくのが、わたしが本質を理解するためにとる方法論です。
なるほど。
>この方法論は、思惟を簡便にするのが目的ではないです。
そのようだね。でも一般的にはkの指摘通りだと思うよ。君も含めて。
君が拘った「文明社会」だが、君の参照(同意見らしいが)によるところの文明の見解で、われわれが
学んだ古代文明をとらえたとき、われわれの現代の文明社会と比較した場合どのような考察がなされるのかな?
「文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。」
これが君の文明の定義だ。
kは
>>428に書いたように、言語があれば文明ととらえた。
「文字をもたず、採集狩猟や遊牧に依存する社会。未開社会。」
いわゆる未開の人たちととらえられがちな人々にも言語はある。文字をもたない民族はいる。
さて、君の定義では文字を持たないが言語を有する民族はどのようなとらえかただろうか。
仮に文明の本質に関して考察する際、君の提示した思考方法は極めて有効に見えるが、それはとらえる人の
思考が自由であるという前提が必要と思う。
自分以外の生活を正確に知る術がない以上、比較することで考察する危険性(本質が見えにくい)を十分考慮する必要を感じる。
わかりやすくいうと、自分が知っているのは今。もっといえば、それすらどれほど認識できているか不明。
そこをしっかり踏まえないと
>>419で語っている本質は見えてこないと思うよ。
君の拘り方から推測すると文意の本質に興味を持っているかは疑問だけど。
>>453 >ってなことを書いても「kは文明に関しては論じていない」と言われてしまうオチ。(笑)
君はこのような、君の思い込みによる解釈を相手に押し付けて、期待通りでないとおちゃらけて
濁す手法が好みなのかな。
kが文明に関して論じていたのならわかるが、論じていると君が思い込んでレスしたというのが実状のようだよ。
>わたしは、「むかしの文明」と比較するにしても、@,Aの構図のなかで考察する方が、
>より的確に「いまの文明」(あるいはそこに生活する人間)像を浮き彫りにできるのでは、
>と思ったのです。
そうだね。でも、それを君が希望したのでもなければ、kもしていない。
君は
>>441で指摘した意味を理解しないかな?「kの文意を汲んで拘るとしたら昔のになるんじゃない?」と
尋ねたのであって、裏を返すと君が文意をよく理解していないのではないかという指摘だね。
>「フーンそれならべつにいいけど」ってカンジです。
なにやら肩透かしを食らったといった感じかな。すまないね。君は誰に対しての手助けのつもりだったのだろう。
君は理解している?
>ちなみに、原始社会には(近代社会のような)未来という時制がないらしいです。
初耳だ。どのような情報源によるものかな?
>なので、事象にたいする心構えもかなり違ってくるのかな、なんて思ったりしました。
そうだろうね。知りたい気もするね。
>>454 なるほど。君には守りたいものがあるか、理想とする世の中のビジョンを持っているように
思える。それはどのようなものだろうか。
>>455 >汝殺すなかれ、汝姦淫するなかれ、汝盗むなかれ、とか。
存在しているという理解でよいかな。
>人として生きるための価値判断の基準だと思うし、それに守られて生きているし、生きてこられたから。
君は必要と思っているんだね。
kはこれに類することに関してしつこく書いている。そのように読んでいないと思うがkはそのつもり。
生きるための価値判断の基準がないと生き辛い。そう考えるとその重要性がわかる。
それを一人一人見つける必要をこのスレで説いている。
人の生きる本質が見えなければわからないが、安易に思い込めば洗脳になる。そして人は洗脳されたがっている。
また、洗脳を非難するものでもない。kが語っているのはすべてを自己認識する方向が生き方の本質ではないか
という問いかけだ。
>たとえば、わたしが正しいと思う道徳の共通認識が、否定されたり、壊されそうなときは、
>わたしはすすんで争います。人として生きているかぎり。
ご自由にどうぞ。宗教戦争も必然なのかな?
つづき
>自分を見つめることは、"良い"ことだと思うよ。
そう?何に対してどのような理由で?
>でも、それによって発見した自分のこだわりや思い込みがたとえ自分の生を苦しくしているとしても、
>人として大切なものなら、人として守らないと"イケナイ"と思います。
なるほど。いろいろなスレに渡って幾度も重複するが、こだわりや思い込みは生きる上で不可欠ともとらえられる。
それらは利用するもの。「縛られる」と思い込みたければご自由にどうぞ。
「良い」「イケナイ」も君の自由。
>>456 >自由意志には責任がともないます。
それはどのような理由で断定しているのかな?類似した表現はよくみかけるが一体どのような経緯でそのような
断定に至ったのだろう。
また、責任とはなんだろうね。面白い言葉だ。子どもの喧嘩にもよくある。
おまえのせいだかんな。責任取れよ!
なんて感じで。
>自由意志による行為の責任を取れるのかどうかをよく考えた方がいい、ということ。
論点がずれたままだけど、「個人主義」はどうなったのかな?これが答えだろうか。
自分の意志で縛られているか縛られていないかを決められる、という視点が理解不能?
あまりに論点がずれていると思うよ。
>あなたはこのような拘束に縛られているのではないですか?
拘束だとも縛られているともとらえていないよ。君からどのように見えようが。
君はそのようにとらえているのかな?kは幼少(2,3歳)の頃からそのようにとらえていて生きるのが
辛かった。だからそうでない方向を見出した。
>それをどうやって引き受けて生きていくのかが大切なんだと思います。わたしは。
がんばってね。kは前提がなければ大切とは思えないな。疲れそう。
>>458 >もう答えちゃいました。(笑)
失礼。この場合kの捏造を指摘しなかった君の「責任」もある?
>>446 >現実から遊離しないで逃避しないで、かつ「より良くより高く」を希求するため。
残念ながら君のはkの問いに適切に答えていない。よって二度手間もしくはそれ以上に質問
することになる。kは慣れているし、日常はそのようなものなので気にしないが、君が気を悪くすると
失礼にあたるかと危惧する。一般的な悪意がないことは明記しておくが、どのようにとらえるのも君の自由。
さて、より良くより高く何を希求するためかな?
>>447 >うん。そのための知恵が道徳だと思っています。← 思い込み=中庸でない?(笑)
思うことが思い込みではないと思うよ。kも思うし。思い込みは揺るぎにくいほど強い思いで、思考が停止
した状態かと思う。
>あーあ、こんだけageてもだれも反応しないね。(笑)
もっとがんばると違った結果かもしれないよ。
>やっぱ哲板とはちがうよねー。つまんなーい。
君は
>わたしのような煽りや荒らしを呼ぶデンパが生息してるから。
sageていたと書いていたけど、狙いがわかりにくいね。
>もうかまってもらおうなんて期待するのやーめた。なのでsage。
誰にかまってもらいたかったのかな?25,17,219はあまり(君にも)相手にしてもらえなかった。
ここはそれらと同一人物が立てたスレだよ。
>>459 >kさんの生きる希望はなんですか? よかったら。
快感。
>ヒッキーに聞かせてあげれば? ヒッキー板ってあるから。
kはヒッキーぽかったことがある。大学のときのバンド名は「松茸エビロン深海魚」といってアパートに引きこもりがち
のkを見た知人が「おまえ深海魚みたいな生活だな」という言葉が面白かったのでつけた。カシオペアのコピバン。
体の動かし方に関しては世の全員に必要と思うよ。むろん君にも。
>おじさんおばさん見てるとホントそう思う。
人によるけどね。短絡的な思考、なるべく体を動かさない方法の実現が今われわれが体感している文明
だと思うよ。みんなどっぷり使ってる。
>夢じゃなくてもがんばれる工夫をする力がないんだよね。
どうしてだろうか。
>頻繁に使いますね。(^_^;)やっぱり同意してもらいたいし自分は正しいって思い込みたいし。
そうだろうね。その認識が明確になると、使う度に幸せ感が増すかもしれない。
>弊害を恐れていたら過ぎ去っちゃうから、好意からそれをするならした方が"良い"と思います。
そうだろうね。それだと思考停止か反射的な対応に終始するかも。
>まぁーね。でももたもたしてたら過ぎ去っちゃう。むずかしいですね。
生き急ぎたいのかな?もたもた?人の気づきや自覚を望まず、相手に自己の価値観を理解させようとすると
そのようになるかも。むずかしいね。
>>460 >思い込みがあると省エネになるけど脳の活性化には不適役ってかんじだな。
そのようだね。
>思い込み・・・・おそるべし・・・
まったくだ。際限がないことに気づくと、結論的には気づき続ける他ないということになるかな。
積極的に思い込みを利用する自覚を持つととても楽かと思うよ。
>>461 君ははじめて書き込んだ人かな?よろしく。
>日本人なら約39%アメリカ人なら約11%の人間が、このエネルギー倹約遺伝子を所持しているらしい。
情報源はなんだろう。面白いね。その遺伝子がそのようにとらえられたからには何らかの根拠が研究上
見られたんだろうね。
まあ、文明の発達の仕方を見るとそのような遺伝的なものがあるとしか思えない。さて、なぜそのような
ものが先天的にあるのかな?
消費エネルギーを抑えることで長生きできる?楽しい?
生活環境が極めて生きる上で厳しい状態においても生存可能な状態を仮定したときに見えてくるもの
がありそうかな。基礎代謝を生存可能な状態まで低下させた状態で実験すると発見があるかも。
人体実験しか意味がないので今は大問題だね。
>>462 >江戸時代、江戸の町人の3割はフリーターとして気ままに生きていたそうだ。
粋だね〜。kの最大の望みの一つは働かない(という認識)で生活すること。まじでかっこいい。
>それらがもし事実だとしても現時点では何の証明もできないし理由にすら
>なっていないし意味不明かもだけど、もう少し調べてからまた書くね。
よろしく。
>>463 >なかでも無意識ってのは恐いもんで周囲に「面倒くさい」と信じられてる様な
>ものを、つい絶対的なものとして信じてしまいやすいんだよね。
そういうのが思い込みだね。ちょっと視点を変えると気分も変わるんだけどね。
>>464 >見方によっては、日本人は「面倒くさがりやサン」が多いからここまで文化を
>発展させる事ができたのかもしれないね。
うん。日本人に限らないと思うよ。そこから得られる喜びと失う寂しさがあるね。
>思い込みに囚われずに思い込みに囚われた文章を書くことが俺の当面の目標かな
難しそうだけどがんばってね。
>>465 >思い込みが必要になるような状況はいっぱいあります。
そうだね。しつこいようだけど、利用するというとらえ方で君の思い込みという言葉から受ける
印象が変わるかもしれない。
>なにもかも疑ってばかりいたらいずれニヒリズムに沈むのは必然です。
どうかな。疑い方というのもあるよ。視点を変えるとかね。
>まったり生きるといってもそれはそれなりの能力者の特権ですしね。(笑)
実現しているのはおじゃる丸くらいだろうね。
>今はなにかしらの思い込みが希求されている時代なのかもしれません。
可能性は否定できないね。でも思い込みによって借金を抱えていることにも気づきたいところかな。
手元にある金で予算を組まずに、これだけ必要と思い込んで予算を組んだ結果が今の借金だよ。
何が大切か見えなくなっているからともいえるね。
みんな自分の気持ちが一番大切なんだと思うよ。そこからはじめないでスローガン立てると自滅すると
歴史から学べるね。
>>466 >>へーと感心しながら横腹をつまんでみるわたし。(^_^;)
横腹は落としにくいね。kはそのあたりはいろいろな人に実践してもらって結果が出るよ。
「面倒くさがりやサン」は状態だと思う。「馬鹿」と同じだね。そのような「状態」であって変化可能。
みんなめんどい。どれだけやる気になるかが決め手だね。随分洗脳した。
それでもたいてい「めんどくさい」の勝利。
思い込みが弱いんだと思う。自己認識が甘い。そういう現実を見つめることが目標達成の第一歩かと思う。
>>467 >「面倒くさがりやサン」は、"悪くない"という倫理観が公に認められないと
>結局、障害者意識みたいなものを背負うことになるだけかもしれないですね。
君らしい意見で面白い。
そんなに世間の反応を気にしながら生きる人はつらそうだなーと思うけど、たいていそのようなものだろうね。
障害者意識とは面白い。みんなひとつやふたつありそうだね。
どんなに羨ましく見える人も悩みがあるところがこの世の面白いところだね。
>わたし気まぐれだからあんまり期待しないでくださいね。
みんな同等だと思うよ。
君はとてもよく書き込んでいる。
>>468 >競争や闘争は「思い込み」をかなり取り去ってくれるものだと思います。
思い込みがあるから競争や闘争になるとも考えられる。
というかkはここでそのような主張を繰り返している
>>469 >ことば=価値=わたし。
うん。自分は捨てようがないね。死んだら再生不能という思い込みがあるから、死んだ際に
自分が捨てられるか否かも判然としない(死にたくない)。
自分が捨てられないという視点から生きることを考えると見えてくるものがあるだろうね。
やっぱ自分の気持ちが一番大事だと思うよ。
大切にしよう!という意味では全くない。捨てられないという意味合いと極めて類似している。
そこをしっかり自分で見据えると世界観が変わるかも。そのような状態は世界中の人全員だと思う。
自分を見つめるとはどのようなことだろう。
自分はこんな人間です。と自分か他に対して宣言することではないと思う。
そのような行為は自分を規定し、そのようなものと思い込むための手段だ。
人は楽に暮らしたいようだ。これは一般的な意味合いでの生活だけでなく、思考・運動を総括していえる。
自分はものぐさ、ちょっと馬鹿、いい加減、しっかりしていないというのを言い訳に使用して防御体制をとることは
生きる知恵ともとらえられる。
つまり、ある理想的な状態を想定しつつもそれを実現できない言い訳として使う方法。
これは思考・運動を極力抑えるには好都合なので機知に富む人が利便的に使用していると思う。
ものぐさも馬鹿もいい加減もすべてそのような状態にあるということであり、そのようなもので
いかんとも動かしがたいということではない。
そのようなものだと言い切る行為は、言い訳であり、甘え。それを理解して意識的に使用するか
そうでないかでストレスのかかり方は大きく異なるだろう。
人の本質は常に変化可能な思考を有する変動的有機体(ただし姿かたちが瞬時に大きく変化する
ようなものではない)。
そこをよく理解しないと変化に対して警戒したり恐れたりするかもしれない。
いずれにせよ、刻々とわれわれは変化している。
それを認識しない思考が思い込みを生む一つの要因だろう。思い込みはある種の安心感を
与えてくれるかもしれない。むろんそれも生きるために必要。自分を見失わないためには
そのような経緯と状態を理解する思考の柔軟性と気づき続ける作業を楽しむ気持ちが必要
かもしれない。
繰り返し書いている体の使い方に関して、自分を見つめるという観点から少し見たい。
地球上に生息している生き物はほぼ等しく重力の影響を受けていると考えられている。
人もしかり。
地上には「高低」という見識が生まれ「よい・わるい」と類似した認識で用いられることも
あるほどポピュラーだ。
高いところは見晴らしがよく気分も良くなる。下を見下ろすことで自己の位置が高位であるとの認識ができるため
なにやら「偉い」とされるような状態と錯覚するのかもしれない。
基本的に地球上の物体は地面にへばりつかざるを得ない状態を強いられているようにも見える。
高位で宙に物体を移動させると落下する現実がある。
これは地上で生活するものの根本的な恐怖となってもおかしくはない。
「上下」という見識も地上における重力なくしては生まれ得なかっただろう。
そのような当たり前の存在である重力がわれわれの日常に及ぼす影響ははかり知れない。
しかしどれほど認識して生活しているかというとこころもとない限りだ。
生を受けたものは死ぬまで動き続けている。
寝たきりになろうが身動きをとらぬよう努力をしようが、体内では血液・リンパ液が循環している。
それらの循環が滞ると体の各部位に栄養が行き渡り難く、免疫機能が正常に働き難くなり各部位の機能
が低下しやすくなり病に至る。
そのようなことをなるべく避けたければ、人はそれらの循環を促す必要が出てくる。
つまりは生き続けるには基本的に体を動かすことが必要となる。
体を床に横たえて極力動かさずにいると褥瘡(床ずれ)ができる。
介護するものの心得として、まめに体勢を変えることは必須だ。
これも重力による影響。自分で循環する機能が低下するため水分が床(ベッド、布団等)との
接地部位に滞ることにより皮膚をはじめとして皮下組織、筋、骨にまで腐敗が侵食する。
肉体を動かさないとこのような経過をたどり放置するといずれ死に至る。
重複になるが、人は生き続けることを希望する限り体を動かす必要がある。
人の生活上の基本的な姿勢は、体を横たえる姿勢、座る姿勢、立つ姿勢大きく分けられる。
この中で人に特徴的な姿勢として座る・立つがあげられる。
座位・立位は猿を代表として犬猫その他の動物にも可能な姿勢だが、人の場合は独特なものがある。
それは座位・立位ともに長時間にわたってほぼ同じ姿勢を保持可能なこと。そのため脊椎の状態を
いわゆる生理的彎曲という状態に近づけて保持しないと筋疲労が生じやすい。これも重力の影響。
座位では坐骨より上部、立位においては全身が地面に対し垂直方向に位置しない限り重力の影響が
屈曲した部位にかかる。
いわゆる「いい姿勢」と呼ばれる状態が存在する理由の一つに、この重力による影響(弊害)
を緩和する知恵として必然的に生み出されたのではないだろうか。
座位による長時間労働を体験すると、職種や個人の姿勢、習慣により体の様々な部位に疲労を覚える。
筋肉のこり、手足のしびれ、首の痛み、腰痛、目の疲れ、頭痛など。
これらの原因のひとつに姿勢による重力の弊害がある。
座り続けることによる循環器系の機能低下に加えて、腰・首の細い関節部位にその部位より上部の
重さがかかることによる疲労がそれ。
つまり腰を丸めたり反らし過ぎた状態や背中を丸め首を前に出した状態が疲労を増加させている。
丹田を徹底的に鍛えたいのですが
どうすればいい?
>>462 >思い込みとはさみは使いよう。
なるほど。
思い込みを意図的に使おうてのは面白いと思う。
意図的に満足度をコントロールすることも可能になるだろう。
幸せの基準も変える事が出来るかもしれない。
可能性は無限大?
(まあ脳の活性化をしなければ満足できないと思い込めば役には立つと言えるが)
>>465 確かに。
思い込みがくれる安心感みたいなものはある気がする。
(それ自身が思い込みである可能性も出てくるけども・・・)
思い込みがなければ何をしたらいいかわからないなんて人もいるかもしれない。
しかし中には今の自分にとって足を引っ張る存在と考えられる思い込みもあるはずだ。
そういったものは取り除いていきたいと思っているので。
まあ思い込みが取れた状態でも全然大丈夫。
一人で生きていけるぜ俺は!みたいなやつになりたいのかもしれない。
493 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/29 01:42
>>492 43さん
最大の思い込みは、自分を見つめられると思い込んでいること。
>>490 >丹田を徹底的に鍛えたいのですが
丹田は
>>154に記したものだろうね。これは言い伝えられているし多くの人が今も語り関係書
も出版されているようだ。
このスレではこのようなありそうだけど判然としないことに関して、それを表題にしてkが語ることは
今のところないと思う。研究はしているんだけどね。
なぜ徹底的に鍛えたいのかな?
これからkが少しずつ書いていくことを、君が試しに実践していくと君の望みは叶うかもしれない。
気が向いたら試して欲しいな。
>>491 >思い込みを意図的に使おうてのは面白いと思う。
うん。
>意図的に満足度をコントロールすることも可能になるだろう。
>幸せの基準も変える事が出来るかもしれない。
>可能性は無限大?
そうだと思うよ。
>>492 >思い込みがくれる安心感みたいなものはある気がする。
>(それ自身が思い込みである可能性も出てくるけども・・・)
いずれもその通りだね。
人は思い込みがないと生きていけないだろうし、思い込みはとても安心感を与えてくれる側面もある。
また、そのように思うことが固定すれば思い込みだね。
思い込みを常に認識しつつ自由に利用すると自分の希望が叶うと思うよ。
>>493 >最大の思い込みは、自分を見つめられると思い込んでいること。
なるほど。
なぜ「最大」と言い切れるのかな?どのような根拠があるのだろう。
でも仮に最大の思い込みだとしたら利用価値も最大の可能性があるね。
kが繰り返し提言している思い込みを自認し適宜利用するという意味を理解すると、この発見は
自分を見つめることが生きる上でいかに有意義かということを示すものだね。
がんばってね。
>>494 >詳しく聞きたいね。
まったくその通りだ。「最大」だからね。
座位において重力による疲労を極力抑制する方法は地面に対して腰より上部を垂直に保つこと。
正座、あぐら、椅子に腰掛ける等座位の形態も様々だが、現在一般的にとられている椅子に腰掛けた
状態を考えてみる。
足の裏全体が地面と接地した状態で屈曲した膝の位置とソケイ部がほぼ同じくらい。
お尻の後ろが椅子より浮く状態にする。脊椎に生理的彎曲を与えながら少し前傾気味と
思われる状態がおそらく垂直。
このときソケイ部に圧迫があり、足の第1・2指間の付け根あたりに重さを感じるようにする。
腰が前に出るとお腹も出るが、あごをひき胸より後方に来るようにするとお腹がへこむ。
肩の力を抜いて机なりももの上なりに手を置くとお腹に力が入る。
>>494 43さん
「 cogito, ergo sum 」の cogito は、現前しない!
ということです。
詳しくは無理です。
物理的な時間の限界と、表現力、説明能力のなさのため。
っていうか、デカルト読んだらわかると思いますけど。(^_^;)
>>470 >でも一般的にはkの指摘通りだと思うよ。君も含めて。
あなたの思い込んでいる事実がそうだというだけでしょう。
どうしてそのような事実が構成されるのか、ということを探究しなければ
本質はつかめないのではないですか。
「自分以外の生活を正確に知る術がない以上」というスタンスなら、
壷のなかでひとりああでもないこうでもないってやってるようなもん。
>われわれの現代の文明社会と比較した場合どのような考察がなされるのかな?
>君の定義では文字を持たないが言語を有する民族はどのようなとらえかただろうか。
もったいなくてあなたに話す気がしません。
哲板でわたしと同じスタンスの人と話します。
その方が有意義だと思い込んでいるので。
>>470 >比較することで考察する危険性(本質が見えにくい)を十分考慮する必要を感じる。
あなたの自己還元的なやり方にも危険性があると思いますけどね。
>君の拘り方から推測すると文意の本質に興味を持っているかは疑問だけど。
わたしは、あなたの
>>419の文意に本質が示されているとは「思い込めない」だけです。
503 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/30 02:12
>>471 >君はこのような、君の思い込みによる解釈を相手に押し付けて、期待通りでないとおちゃらけて
>濁す手法が好みなのかな。
>kが文明に関して論じていたのならわかるが、論じていると君が思い込んでレスしたというのが実状のようだよ。
わたしには、わたしの考察の仕方があるから、
接点があれば議論できるかなって思っただけです。
少なくてもあなたは、
>この修練、努力を嫌った結果がいまの文明社会であるともとらえられる。
と、一連のレスを締めくくっているのだから、わたしがしたような質問を
されることは、むしろ自然なことだと思います。
504 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/30 02:19
>>471 >裏を返すと君が文意をよく理解していないのではないかという指摘だね。
>>わたしは、「むかしの文明」と比較するにしても、@,Aの構図のなかで考察する方が、
>>より的確に「いまの文明」(あるいはそこに生活する人間)像を浮き彫りにできるのでは、
>>と思ったのです。
というのは、「既成概念や思い込みに気づく」ための、わたしのやり方です。
あなたのやり方ではないやり方があるけどどうかしら?っていっただけです。
505 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/30 02:26
>>471 >なにやら肩透かしを食らったといった感じかな。
あなたが、あなたのやり方に拘るなら、どうぞご勝手にということ。
そのようにわたしに思いこまれるようなレスしかあなたはしないのです。
それをわたしはあなたの責任だと思っていますけどね。
わたしのレスにはこのスレを盛り立てようという意図しかありませんでした。
もうその気ないですけどね。
506 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/30 02:27
>>471 >どのような情報源によるものかな?
もったいなくて話せない。
507 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/03/30 02:27
>>472 >それはどのようなものだろうか。
さぁ、あるのかないのか、どっちにしても教えない。
>存在しているという理解でよいかな。
意味が理解できない。
>君は必要と思っているんだね。
守られて生きているし、生きてこられたんだから
否定するのなら、ヒトデナシの世界に逝ってください、ということ。
>kが語っているのはすべてを自己認識する方向が生き方の本質
問いかけはご自由に。
>>472 >宗教戦争も必然なのかな?
人としての義務の話しをしてるつもり。
>>473 >何に対してどのような理由で?
自分にたいして。
他人が見えてくるから。
>それはどのような理由で断定しているのかな?
人として当り前のことだから。
これを認めないのも自由などというような人は
人の社会で生きる権利はないと思います。
>>473 >あまりに論点がずれていると思うよ。
わたしはそう思わないけど、あなたがそう思うならご勝手に。
>君はそのようにとらえているのかな?
ええ。
>だからそうでない方向を見出した。
そうですか。
>kは前提がなければ大切とは思えないな。
そうですか。
>>474 >この場合kの捏造を指摘しなかった君の「責任」もある?
捏造とは思わなかったけど。
あなたに害が及んだのなら謝りますけど。
>残念ながら君のはkの問いに適切に答えていない。
そうですか。
一生懸命何時間も考えてレスしました。
ホント残念ですね。
>よって二度手間もしくはそれ以上に質問
>することになる。kは慣れているし、日常はそのようなものなので気にしないが、君が気を悪くすると
>失礼にあたるかと危惧する。
十分気分を害しました。
だからもうレスしないと思います。
>もっとがんばると違った結果かもしれないよ。
そうですね。もうその気はないですが。
>誰にかまってもらいたかったのかな?
この板のいろんな人に。
>>475 >快感。
ふーん。
>体の動かし方に関しては世の全員に必要と思うよ。むろん君にも。
そうですか。
>短絡的な思考、なるべく体を動かさない方法の実現が今われわれが体感している文明
>だと思うよ。みんなどっぷり使ってる。
そうですね。
>その認識が明確になると、使う度に幸せ感が増すかもしれない。
へー
>それだと思考停止か反射的な対応に終始するかも。
何もしないよりいいと思いますけどね。
たまたま結果が良かったからかもしれませんけど。
>生き急ぎたいのかな?
さぁ
>相手に自己の価値観を理解させようとするとそのようになるかも。
選択は本人の意思。
>>497 >なぜ「最大」と言い切れるのかな?
そう思っているから。
>がんばってね。
あなたもね。
>>500 >「 cogito, ergo sum 」の cogito は、現前しない!ということです。
デカルトがそういったんだね。
でcogitoが現前しないとしたら自己を見つめること自体不可能ということかな。
デカルトは絶対なの?
>詳しくは無理です。物理的な時間の限界と、表現力、説明能力のなさのため。
いいわけじゃないかな。君の拘る「責任」はこれで大丈夫なんだね。
>>501 >あなたの思い込んでいる事実がそうだというだけでしょう。
うん。
>どうしてそのような事実が構成されるのか、ということを探究しなければ本質はつかめないのではないですか。
その通りだね。
>壷のなかでひとりああでもないこうでもないってやってるようなもん。
うん。君がそうとらえたいのはわかる。
でもkが話し合う立場を貫いていることが理解できないかな?kは誰からも逃げないし、誰とでも話をしている。
話し合おうとしないのは君じゃないかな。
>もったいなくてあなたに話す気がしません。
一般的に君のこの発言は矛盾しているよ。むろん自由だけど。
kが壺の中でひとりでああでもないとやっているというなら、まさしくそれは君たちがそのようにさせている。
がんばって話してみたらどうかな。
>>502 >あなたの自己還元的なやり方にも危険性があると思いますけどね。
可能性は否定のしようがないね。君はどのような危険を予測するかな?
kは多くの人と話し合うことでそのような危険性を回避できるかなと考えて実践している。
>わたしは、あなたの
>>419の文意に本質が示されているとは「思い込めない」だけです。
人それぞれだからね。自己の満足のために文明を発展させるとしたら、自己の満足を自己内に見出す方向性
もあるということが理解できないのかな?
>>503 >わたしには、わたしの考察の仕方があるから、接点があれば議論できるかなって思っただけです。
「思っただけ」なんだね。接点を見つけて議論する方向もあると思うよ。
>わたしがしたような質問をされることは、むしろ自然なことだと思います。
非難したわけではないね。文意を汲んでいないと指摘した。つまり文明社会論を語っているのではなく
文明は人の満足を満たす方向で発展(?)しているという視点で自己の満足を見つめることを提示した。
このあたりの君の考察がないね。君はあげあしとりが目的に見えるよ。
>>505 >あなたが、あなたのやり方に拘るなら、どうぞご勝手にということ。
それはわかるよ。
>そのようにわたしに思いこまれるようなレスしかあなたはしないのです。
君が思い込むだけではkのレス「だけ」が原因とは言い切れないと思うよ。
多くの人に読んでもらってから判断したほうが思い込みは避けられるかもね。
>それをわたしはあなたの責任だと思っていますけどね。
同時に君の「責任」という可能性もあるね。確認したければデータを取ることをすすめるよ。
>わたしのレスにはこのスレを盛り立てようという意図しかありませんでした。
そうは見えないけど、そうなんだね。
>もうその気ないですけどね。
その程度の気持ちということかな。
>>506 >もったいなくて話せない。
基本姿勢が話し合いに不向きのようだね。
>>507 >教えない。
ここまでくると、面白いね。失敬(by藤堂さん&鈴木一夫部長)
>>508 >さぁ、あるのかないのか、どっちにしても教えない。
了解。
>意味が理解できない。
>>455 >確固としたものは現在君の属する社会には存在していると君は考えるのか、それとも存在していないと考えるのか。
>汝殺すなかれ、汝姦淫するなかれ、汝盗むなかれ、とか。
とあるから「存在しているという理解でよいかな」としたことが理解できないのかい?俄かには信じがたいな。
>守られて生きているし、生きてこられたんだから否定するのなら、ヒトデナシの世界に逝ってください、ということ。
否定していないからヒトデナシの世界に行かなくていいかな。
>>509 >人としての義務の話しをしてるつもり。
義務や責任が好きなんだね。それが生きる指標として固定されると戦争になると思うよ。
戦争が嫌いなら知って欲しい。
>自分にたいして。他人が見えてくるから。
そうだね。そして自分も見えてくる。
>人として当り前のことだから。
その人が属する社会の社会生活を営むという前提が必要みたいだよ。
>これを認めないのも自由などというような人は人の社会で生きる権利はないと思います
限定した社会生活はね。このように前提がなければあまり断定できるものでもないんだよ。
君は多くの事を前提なしに決め付けているようだ。前提なしを「当然」のこととしているようだけど
世界を広く見渡すことも君に有益かもしれない。いろいろな価値観があるかもしれないよ。
>>510 >わたしはそう思わないけど、あなたがそう思うならご勝手に
君は個人主義に触れていないと思うよ。
>kは前提がなければ大切とは思えないな。
>そうですか。
この反応は拗ねているという印象を受けるけど、仮に本心からそのようにとらえていない
もしくは気づかないということだと、議論という形態をとっていると思い込んで気持ちの奪い合いに
終始するのも理解できる。
共通認識はありえないよ。自分がどのように事象をとらえているか、相手がどのように思っているか
確認し合う作業は「めんどくさい」が、話し合いにはかなり重要だと思うよ。
>>511 :
>>捏造とは思わなかったけど。
そうかい。気づかないんだね。
>あなたに害が及んだのなら謝りますけど。
「責任」とは害が及ぶことばかりではないね。君に責任に関しての考察を促したんだよ。
謝ることを要求していないし、2chでそんな愚行はしない。
>そうですか。一生懸命何時間も考えてレスしました。ホント残念ですね。
ホントにね。kは2chにレスするのに何時間も考えたことは一度もない。こういうのは自慢と受け取られるだろうね。
書く作業には何時間もかかる。だから考えるのに時間を費やせない。仕事中だし。
>十分気分を害しました。だからもうレスしないと思います。
それはすまなかった。君たちが使う意味合いでの「悪気」はない。素朴な疑問を書いた。
でも行間やら言葉の持つ雰囲気を重視すると文意の本質は見えにくいだろう。
kは子どもと一番気楽に話せる。知能程度がそのようなものかと思う。言葉の持つ意味だけを
伝える道具として使っているからね。
>そうですね。もうその気はないですが。
でもageたね。
>この板のいろんな人に。
ふ〜ん。君も相手にしないkのスレでかい?自分の行動をよく見つめる必要がありそうだね。
各宗教スレなら相手にこと欠かないかも。
>>512 >ふーん。
君はなんだろう?
>そうですか。
すぐにおばさん化したくなければね。
>へー
1へ〜。
>何もしないよりいいと思いますけどね。
何もしないよりいい程度で行為に及ぶのかい?だっふんだ(byミニモニ)。
何をしたいか、どう思わせたいかということを自認するような方法も試したら?
>生き急ぎたいのかな?
>さぁ
しっかりね。
>相手に自己の価値観を理解させようとするとそのようになるかも。
>選択は本人の意思。
その通りだ。意志かもしれんが。
しかし言葉に付帯する雰囲気を重視するもの同志では共通認識を疑わないため思い込みばかりで
争いや仲たがいや早合点に終始する可能性が極めて高い。
>>513 >そう思っているから。
なるほど。
>あなたもね。
ありがとう!(byべーやん)
このスレにおけるkの基本姿勢は、決め付けない・思い込まない・言葉の意味を吟味し文意を
とらえる・素朴な疑問を投げかける・真理や事実に同意する、といったところ。
本質的にふざけているととられがちな言動が生活の中心(仕事中は別人格)のため、気が緩むとふざける。
多くの人との対話を希望しているが、現実を含めなかなか希望通りには行かない。
理由は上記の基本姿勢が相手に与える印象を悪くしがちだからだと思う。
では、その理由はなんだろう。
そこには言葉に付帯する雰囲気を重視する傾向が大きく影響していると思う。
この言葉からこんな感じを読み取ってくれ、といった依存がある。
自分で決めた(とは思わず、「みんなもそうだ」と言う思い込みだろうけど)「よい・わるい」によって
言葉(2chは基本的にこれしかない)から受けたり与える印象が固定されそれを効果的に授受し合おうとする。
kもそのように生きてきて疲れた。
それは相手の機嫌をとったり、こちらがそのようにされる関係や相手に嫌な思いをさせたり
こちらがそのようにされる関係になりがちだった。
素直に言いたいことがあっても、これを言ったら相手が嫌な思いをするだろうと予測して言えなかったり
したくないのに機嫌をとったり。
これは会話の本質ではない。対話でも議論でもない。
気持ちの動かし合い、奪い合いだ。
言葉に自分の感情を込め、相手の感情を揺さぶる道具として使われている。
そのような言葉の使い方は心にやすらぎをもたらしたり、気づきを得たり、議題について意見を交換し合ったり
といった事柄を実現しにくい。
そのような本質に気持ちが向かい難い。
会話の基本は相手に「何」を「どのように」伝えるかだろう。
その言葉によって相手がどのように反応するかを考慮する必要がある。
相手にこちらの意図を受け取ってもらうには、そのような作戦が必要だ。
言葉に付帯する雰囲気は共通認識的に認められるところだろう。同じ共同体で長期に生活することで
その思い込みは互いに強まる。
しかしこれに地域性があるのはよく知られたところ。同じ言葉が異なる地域では異なる意味を持つ場合がそれだ。
だから滑稽に見えたり、いざこざの原因になることもある。
「馬鹿」という言葉から受ける印象は一般認識では決して良いものではない。
相手を罵倒する折に容易に用いられる安直な言葉でもある。
「ばーか」というように語形を変化させることで、より悪意を効果的に高める方法も用いられる。
この言葉を会話に用いることで相手にダメージを与えることは可能だ。
ただし、相手が類似した認識をした場合に限る。
例えばそれを理解しない他国の人にはなかなか伝わらない。
また、「空手バカ一代」のように「〜馬鹿」は「一筋に専念している」といった意味で使われることもある。
kが馬鹿と呼ばれても平然としているのは、日常子どもたちとその言葉や他の侮蔑用語を乱用しあっている影響もある。
むかつく事実を認識しつつも、じゃれあう手段でもあるため反応は適宜変化させている。
相手を罵倒するのが目的である場合が多いのだから、そのような意図に乗りたくなかったら
自分で反応を選択する。所詮言葉でしかない。その言葉を使った相手の気持ちを思いやる必要もない。
相手の気持ちはわからない。相手の気持ちを予測して自分の気持ちを動揺させることにあまり意義は見出せない。
言葉の暴力というフレーズを耳にすることがある。
これは共通認識の上で成立可能なものだ。
この言葉はこのような意味だから、このように気持ちを動かすものだ、という決め付けによる。
つまりその言葉を発する主体の「気持ち」が表現されているから、そのように受けた人が感じることが
前提と考えられる。
当たり前のようだが、ばかげた話でもある。いつからそのような決まり事が出来たのだろう。
言葉の意味を正確に認識して、付帯する雰囲気が自分の思い込みであることに気づけば相手の意図に
操作される必要はない。
「おまえは馬鹿だ」
それは発言者の主観であってその通りかどうかわからないし、馬鹿の定義すら曖昧で意味をなさない。
相手が悪意を持って発言したとしたら、それを思いやることで相手の短絡的な発想が滑稽にも思うことが可能。
「ばかっていったら自分が馬鹿なんだよ」
子どもたちが多用するフレーズだ。負け惜しみでもあるが、真理でもある。
言葉は言葉。付帯する雰囲気も大切だろうが、会話に必要なのはそこに含まれる本質的な
共通認識的意味だろう。
意思の疎通をはかるには、その言葉の意味を確かめ合う手間が必要だ。
そのような認識を多くの人がもっているにもかかわらず、なかなか実践できていない。
このスレでは面倒だが、その手間をかけたい。
kのレスに不快感を感じた人には申し訳ない。相手の気持ちを操作する意図もないし、疑問があったら
徹底的に話し合いたい。
気が向いたら書き込んで欲しい。
あんたら元気だねぇ・・・
とつぜんですみません、じゆんです。
>カオルさん、kさん
ああ、もう議論おわりですか?
もうちょっと、カオルさんとkさんの議論みたかったんだけどな。
なんでかって言うと、イナゴさんがね、kさんとカオルさんの相性が
いいってそういうメールを以前、私にくれたから。まあそれ以上の
意味はあんまりありません。
>kのレスに不快感を感じた人には申し訳ない。相手の気持ちを操作する意図もないし、
>疑問があったら徹底的に話し合いたい。
色々ありましたが、私も参加してよろしゅうおますか?
きっとkさんならいいっていうよね。
でも私たいした意見はできないかもしれない。
もしkさんが私に興味が出てきて、私に対して質問があれば聞いて
ください。いちおう、このスレは拝見させていただいておりますのでね。
>kさん
私も最近、寿限無をなんとか覚えましたよ。
あと呼吸についての考察も勉強になりました。
kさんの思想の基盤は斉藤孝氏なんでしょうか?
身体論の影響が強く出ていると思いましたので。
誰か他にも参考にしている人がいたら教えてください。
>kさん
話し合う内容も大切だけれども
話し合う雰囲気も大切だと思います。
雰囲気作りをして欲しいです。
論理よりまず感情を大切にして欲しいと思います。
わたしのように論理より感情の方が先立つ人間は
あなたのやり方にはついていけません。
相手に不快感を与えない努力をしてください。
論理は感情の後ろ盾があってはじめて成り立つのではないでしょうか。
わたしにはkさんのいうような自分を見つめるということの意義がいまひとつ理解できなくて
つまり冷静に論理によって合理的に物事を分析してみることも大切なのかもしれないけれど
嫌なものは嫌なのであってたとえそれが非合理でも論理的に矛盾していてもそんなことは重要じゃないです。
嫌いな顔は好きになれないし嫌いな雰囲気は我慢できない。分析された理由なんてどうでもいいんです。
好き嫌いがはじめにあってそこから論理が展開するんです。
好き嫌いを論理によって分析することはできるのかもしれないけれど
そんなこと(自分を見つめる)したって何も変わらないし本末転倒だと思います。
このスレの雰囲気が良かったならkさんのいうことにだってなるほどってなると思います。
わたしを悩ましていたことだって気分が変われば楽しみになったりします。
震えてしまうほどの不安だって突然ジェットコースターの爽快さに変わります。
未来が未知のバケモノのようにわたしを襲ってくる日もあるし
未知であることこそが生きている喜びを与えてくれることもあります。
永遠の時の流れのなかに置いてきぼりにされる寂しさは
ある日は永遠の今のようになってわたしを包み込みます。
あっという間に過ぎ去ってしまう瞬きのはかなさは
いつでもわたしのかけがえのなさに生まれ変わります。
無限の宇宙に浮かぶ自分の小ささは世界の素晴らしさに限界のないこと教えてくれます。
あの人の笑顔に、やさしい言葉に、ちょっとした仕種に、世界は見違えるほど美しくなります。
>>527 >あんたら元気だねぇ・・・
そうかな。
君はどうなの?
>>528 >ああ、もう議論おわりですか?
終わらせたつもりはない。また議論だったかどうかも定かではない。
>色々ありましたが、私も参加してよろしゅうおますか?
もちろん。待っていたよ。君のスレにここを貼り付けたのはk自身だ。
>でも私たいした意見はできないかもしれない。
みな同等だね。
君は豊かな想像力があり独創的発想をする。それがこのスレで生きるかどうかは君次第。
ここは自分を見失いそうな人のためのスレ。kが偉そうに書くためだけのスレじゃない。
君とkの会話は多くの人の参考になると思うよ。
>もしkさんが私に興味が出てきて、私に対して質問があれば聞いてください。
君がレスをくれたら以前通りに質問すると思うよ。
つづき
>kさんの思想の基盤は斉藤孝氏なんでしょうか?
その人に関しては著書が著名なので認識があった。43が教えてくれたことと子ども番組に関係している
ことしか知らない。
kの話は思想だろうか?
このスレの目的はみんなに自分のしたいことを見つめて欲しいということ。
自分が何をしたいかは、自分を見つめないとわからないと思う。
みんなのしたいことは違うから、折り合いをつける必要がある。
kはそのテクニックを研究しているので随時紹介している。思想はないよ。
あるのは疑問。本当にそうしたいの?何がしたいの?どうしたいの?ということ。
>身体論の影響が強く出ていると思いましたので。
斎藤さんは身体論について言及してるのかな?
kのは自分を使った(他の人にもしてもらっているけど)研究結果だよ。
>誰か他にも参考にしている人がいたら教えてください。
これは接触する人全員が参考だな。君も含めて。
十代後半から二十代はマンガのはぐれ雲と筒井康隆とスティーブン・キングに影響を受けた。
他にも小説マンガは膨大に読んでいるのでいろいろ影響を受けている。
TVバラエティとドラマにも。
特定の人はいない。実はずーーーーーっと探していたんだけど、いないことに気づいたんだよ。
いろいろな人に誤解されているようだけど、難しそうな本はほとんど読んでいない。
>>529 >話し合う内容も大切だけれども話し合う雰囲気も大切だと思います。
同感。
>雰囲気作りをして欲しいです。
それは君にもいえると思うよ。君は自分が「よい」雰囲気作りをしたと思っているのかな?
>論理よりまず感情を大切にして欲しいと思います。
感情は常に変化可能だという事実から目を背けたいのかな。
君を喜ばせたり苛立たせるのは容易なんだろうね。言葉しかない2chでそのような発言をするということは
言葉によって感情が変化するということだろうから。
君には前述の「言葉に付帯する雰囲気」のくだりがあまり理解できないのかな?
そのような常時変化可能なものを最優先させたかったら話し合いは出来ない。
>わたしのように論理より感情の方が先立つ人間はあなたのやり方にはついていけません。
そのようだね。kについてきている人はごくわずかだ。よく理解している。
でも、話し合いの本質はこのようなもので、本音(自分のしたいこと)を言い合う世の中には
必要なテクニックだ。
>相手に不快感を与えない努力をしてください。
それは君にいえることだよ。
kは不快感を与えない努力を最大限にしている。理解しない君の「責任」かもしれないよ。
不快感を与えない努力とは相手を思いやること、相手のことがよくわからなければ徹底的に
話し合うこと。よく考えてごらん。
>>530 >このスレの雰囲気が良かったならkさんのいうことにだってなるほどってなると思います。
理解している。
ここは君のためのスレでもあるが、君だけのためのスレではない。
君には信じがたいことだろうが、kの文章に良い雰囲気を感じる人もいる。極めて少ないだろうが
kの文章で気持ちが落ち着く人もいる。
君のその発言は「洗脳してくれ」というのと類似している。そしてkはこのスレでそれをしないと宣言した。
kは洗脳が得意。かなり研究した。と言っても書物ではない。実体験を通して対人関係において徹底して
試み成果を挙げた。でも、それは洗脳する側される側の本質的な欲求が呼び起こされなければ、いずれ疑問を持ち
洗脳された事実を嫌悪する。
要するに意味がない。そのような結果を導くことを目標としない限りは。
だから言葉の雰囲気で相手の感情をコントロールすることの利便性をここでは敢えて使わない。
それを大切にする風習を否定するつもりもない。k自身陳腐なドラマですぐに涙腺が緩む。
でもそこにはメカニズムがあり、自分の気持ちを大切にせざるを得ない人の本質がある。
そこに気づかないと気持ちの奪い合いに終始する。お好きに。
つづき
>嫌いな顔は好きになれないし嫌いな雰囲気は我慢できない。
今の君はそうだろう。でもそのような事柄を決めつけ(先入観)というよ。
>分析された理由なんてどうでもいいんです。
今の君にはそうだろう。でもいつかそれが重要だと気づく日が来る可能性は否定できない。
>好き嫌いがはじめにあってそこから論理が展開するんです。
それは真実だ。そしてなぜ好きなのか・嫌いなのかを考えていくのは理論構築ではないね。
kはそれを実践している。kの口調は極めて論理的で君には崩しようがないように見えるかもしれない。
それはkが理論を語っていないからだ。真理を語っている。君がよく知っている真理だと思うよ。
>好き嫌いを論理によって分析することはできるのかもしれないけれど
>そんなこと(自分を見つめる)したって何も変わらないし本末転倒だと思います。
そういうのを思い込みといわないかな?
君のその発言の根拠は?
君がそう思っているんだろ?違う?みんなに確かめた?
君は決め付けた考えから離れるのが怖いのかな?苦しくないのかな?
>>531 その通りだ。
君は変化を認識している。可能性を否定しない。喜びを知っている。
kがここで語っていることの一つの側面が君のそのレスにある。
kは実生活でそのような啓発(時には洗脳を混ぜて)をし続けている。
その本質はその人に喜びを体感させること。
嫌だと思ったことをそうでもないかなとか、これも悪くないかなとか、結構いいかも、と
気づく状態に何度か立ち会っている。
>あの人の笑顔に、やさしい言葉に、ちょっとした仕種に、世界は見違えるほど美しくなります。
その通りだ。そしてそれらは全て作戦によった演出でも同等の効果が得られる。
君がそのようなことに興味がないのであれば今は仕方がないだろう。
ドラマや映画や小説で心の底から感動したことがなければ理解しがたい本質でもある。
オレオレ詐欺がなぜ起こるのか、その本質を見極めれば容易に理解可能だろう。
君が全てを選択している事に気づかない限り「責任」と「義務」という安直な言葉で多くの
問題が解決したように思い込めるかもしれない。
すべて君の選択の自由。人のせいにするのも、自分のせいにするのも。
事象のとらえ方は多様。人の感情は常に変化可能。
「知っている」ことと「気づき続ける」ことはまったく異なる。後者は常に新鮮な感覚で生きている。
>>499に示した姿勢は重力に抗して上体を支える方法の中では極めて少ない労力で疲労物質
が体に溜まりにくいものかと思う。
しかし、これでもいわゆる「こり」は発生する。姿勢が固定することによる血行不良が原因。
それを避けるには動く他ない。
この姿勢ができると、椅子との接地部位が坐骨になる。
触ると(触れない人は太りすぎか、こりすぎ)出っ張っているのでよくわかる。
一般的におしりのふくらみがぺったり椅子と接地していることと思うが、実はこれでは
後ろ気味。腰に負担がくる。
おしりのふくらみを浮かせるとなにやらきついと思う。どこがきついかよく感じて欲しい。
おしりを浮かし、かなり前傾した姿勢でようやく坐骨中心で椅子と触れる。
坐骨は見方によっては尖っていて接地したまま前後左右に動かしやすい。
これを利用して、意識的に体を揺すると血行不良を避けられる。
2chへの書き込みはかなりこるので実践したいところ。他人の視線が気になる人は微妙に
わからないようにゆっくり動かすことで羞恥心を覚えずに実践可能。
誰もいない部屋なら、思いっきり動かすとより効果的。肩の力みを抜くのがかなり困難かな。
実践する人にはがんばって欲しい。たぶんめんどくさいと思う。kはいつもそう。
楽な姿勢はとは、実はその場の気持ちが楽なのであって、からだにはきつい。
気持ちにきついがこの方法はからだには楽。実践しないと体感はない。
思考も体も止まると何かしら弊害を生む。その場の気持ちは楽な感じがするようだが。
人はどうしてもその場の気持ちに左右される。
人は自分の気持ちが一番大切という生き方をする。でも何が大切かはよく見極める必要があると思う。
>>535 >そのような常時変化可能なものを最優先させたかったら話し合いは出来ない。
どうして?
わたしはいつもそれを最優先にして話し合いをしてるけど。
>話し合いの本質はこのようなもので、本音(自分のしたいこと)を言い合う世の中には
>必要なテクニックだ。
話し合いの本質は感情ですよね? ちがうの?
んん?、何が言いたいのか理解できないんだけど・・・
>それは君にいえることだよ。
うっそー!、kさんってわたしに不快感持ってたの?
ホントにー?、わたしのどこが不快なのですか?
っていうか、正直ショックです。(泣)
>kは不快感を与えない努力を最大限にしている。
ホントに努力してるんですか?(信じられないよー)
>理解しない君の「責任」かもしれないよ。
ふーん、わたしのせいにするんだ。
でもさー、みんなに理解されてないっていうのも事実じゃないの?
>>536 >極めて少ないだろうが
この事実が重要なんじゃないの?
>君のその発言は「洗脳してくれ」というのと類似している。
かりに言っていることが正しくても言ってるその人が嫌いなら
その意見は受け入れられないじゃない?っていうことなんだけどな。
君の望むようなやり方はいくらでもできるけれど
それは自分の主旨に反するからしない?
でもそれだと話し合い以前で終わっちゃうと思うんだけどな。
今のわたしとあなたみたいに。
>お好きに
俺のやり方についてこれない奴は、お好きに・・・で終わり?
>>537 いろいろ書いたけどPCがフリーズして消えちゃった。(泣)
>でもそのような事柄を決めつけ(先入観)というよ。
先入観なのかな?
無垢で生まれてきたわけじゃないから
DNAの好みなんじゃないの?
>でもいつかそれが重要だと気づく日が来る可能性は否定できない。
だからね、わたしのいいたいのは論理的尺度と感情的尺度はべつってことです。
>kの口調は極めて論理的で君には崩しようがないように見えるかもしれない。
口調が論理的ってどういう意味?
まぁあなたの口調は崩せそうにないけど。
>真理を語っている。君がよく知っている真理だと思うよ。
わたしが知っているなら真理じゃないと思うよ。(笑)
真理って何?
>君のその発言の根拠は?
合理は非合理の上に成り立っているから。
かなり手抜きのレスになっちゃったけど時間は割いてるんだから許してね。
>>538 >kは実生活でそのような啓発(時には洗脳を混ぜて)をし続けている。
kさんは宗教関係のひとなんですか?
っていうか、実生活では悪態ばかりついてるっていってなかったけ?
なんか矛盾・・・
>ドラマや映画や小説で心の底から感動したことがなければ理解しがたい本質でもある。
そうなんだ。
わたしはドラマにも映画にも小説にも殆ど縁がないから・・・
っていうか、興味ないから見ないし読まないからよくわからない。
kさんのドラマ、映画、小説のNO1は何ですか?
心の底から感動するか試してみたいです。(^_^;)
でもなんていうか日常の生活で十分刺激的なんだけどな。わたしは。
>君が全てを選択している事に気づかない限り「責任」と「義務」という安直な言葉で多くの
>問題が解決したように思い込めるかもしれない。
問題は解決なんてしませんよ。何一つ。だから責任と義務なんです。
>「知っている」ことと「気づき続ける」ことはまったく異なる。後者は常に新鮮な感覚で生きている。
意味不明です。
知識と行為のちがいのことかしら?
知識は記憶ですからね。使われないと静的かもしれないけど
哲学的思惟に使われることで新鮮になったり新たな感覚を呼び覚ましてくれたりするよ。
とってもダイナミックだしドキドキするけどな。
あと行為が常に新鮮な感覚なのは生きていれば当り前のことでしょ?
>>534 おばんです。つかこれを送るのは昼になるのかな
書いているのは仕事場で、窓を開けるとざーざー雨が
降っている。そんな、夜中の3時です。
>斉藤孝さんについて
「声に出して読みたい日本語」ですよね。
私もあれ時々声に出して読んでます。あと、「外郎売り」
なんかも学生のとき覚えました。まあ滑舌が悪いのはあんまり
直んないんです。
>kの話は思想だろうか?
誤解無く言えば、まったくkさんのは思想です。
これはもう間違いないです。考えるだけ無駄ですね。
自分をよく見つめてみましょう。べつにkさんの思想が
嫌いってわけじゃないけどね。
>斎藤さんは身体論について言及してるのかな?
もしかして、あの人とkさんの世代は同じなのかな?
あの人はヨガとかから強く影響を受けています。
>十代後半から二十代はマンガのはぐれ雲と筒井康隆とスティーブン・キングに影響を受けた。
>他にも小説マンガは膨大に読んでいるのでいろいろ影響を受けている。
>TVバラエティとドラマにも。
ふーん、私は今テレビとドラマは見ない(配線すら繋げてない。)映画もたまにだし、
小説も昔と比べてそれほど読んでないです。
(つづき)
>特定の人はいない。実はずーーーーーっと探していたんだけど、いないことに気づいたんだよ。
そうですか私、結構いますよ。漫画家とか小説家とか映画監督とか
画家とか哲学者とか科学者とかいろいろいますね。まあ薀蓄語れるほどくわしくないけど。
まあ単純に言って惚れますね。盲目になります。
>もちろん。待っていたよ。君のスレにここを貼り付けたのはk自身だ。
そうですか、あの、やり方が露骨だったんで躊躇してました。
もうちょっとあなたも素直になれるといいのになと思いました。
>君がレスをくれたら以前通りに質問すると思うよ。
逆に私があなたになんでも質問したいんだけどな、だめかね?
>ここは自分を見失いそうな人のためのスレ。
いい宣伝文句ですね。
>kが偉そうに書くためだけのスレじゃない。
ごまかさなくていいんじゃない。いつだってkさん偉そうじゃんw
>君とkの会話は多くの人の参考になると思うよ。
まあメールでもないからね。いろいろと気分よく話しましょう。
とここ(上記)まで書いて、中断(現在AM5:30)
実はちょうど今、仕事仲間が事故を起こしてしまって、その対応に今まで追われていた。
今、ようやく状況も落ち着いたし、それほどひどい状況でもなかったけど、
こういうのは今でも全然慣れないものだね。私の今やっている仕事は
場合によっては簡単に人が死ぬ仕事なのでね。幸い、今まで死人は出していないが、
怪我人なら、この目で多く見てきた。全治三ヶ月なんてざらだし、それで後遺症の残る人も
いるし、そしてそのまま去った人も多い。当然まあ、無理に忘れるというか、こういうのは
私の仕事にとっては、日常ごとでもあるからあまり気にしない。でもこういうのは何度目にしても、
絶対に慣れないね。まあ対応の仕方は大体覚えたけどね。こういうのは、慣れたくない。
一応、死との距離が割と近い者としての意見。
もし、あれだったらkさんあなたの死に対しての考えを聞かせてほしい。
まあ、ふとそう思ったわけなんで。別に友人、知人が死んだとか、九死に一生を得た
とか経験談を語る必要はない。
自分についてじゃなくて、こんどは、死を見つめてみましょうか。まあそんな感じですね。
とりあえず、今日は誰も死ななくてよかったそんだけです。
>>541 >わたしはいつもそれを最優先にして話し合いをしてるけど。
よくわかるよ。
君は「人は気持ちを大切にしている」という人の本質を理解するかな?
意図的に最優先するまでもなくそのようなものだよ。気づいていない人は特に。
>話し合いの本質は感情ですよね? ちがうの?
違うよ。
学校の学級会での話し合いはそのようなものと教育されたということかい?
話し合いの本質は自分の思っていることを相手にわかりやすく伝えることだよ。
>んん?、何が言いたいのか理解できないんだけど・・・
上に示したことに気づいて欲しい。あまりにも哀れだ。
>うっそー!、kさんってわたしに不快感持ってたの?ホントにー?、わたしのどこが不快なのですか?
kの過去レスに君に不快感を持っていたという記述があるのかな?思い込みだと思うよ。
>っていうか、正直ショックです。(泣)
仮にそれが本当だとしたら、そのような思い込みで自分を悲しませているのが君の日常ということかな?
もう少し文意を汲んだらどうかな。
つづき
>ホントに努力してるんですか?(信じられないよー)
kの文章は誰が読んでもはじめ無味乾燥な印象を受けると思う。
その後は受けての自由な読み取りが可能。そのように努力している。
意図的に相手の気持ちを誘導する文は極力避けている。
君が問題と感じる箇所を具体的に指摘してごらん。君の誤解がとけるかもしれない。
話し合う用意はいつでもあるよ。
>ふーん、わたしのせいにするんだ。
君の思考は短絡的かな?「責任」に関しては君がこだわっていたね。kはそのようなものは一つのとらえ方
であって自然発生的なものとはとらえていない。
君のいう「責任」がこの場合君にはないのかな?と聞いている。kは端からそのようなものは
主観だというスタンス。君のせいにしているわけでもない。 しっかりしよう。
君のいう「責任」とは誰かの「せい」にすることを指すのかい?
>でもさー、みんなに理解されてないっていうのも事実じゃないの?
みんなとは誰で、誰が理解していないといっているのかな?
kの書いている内容は君がいつでも気づくことが出来る真理ではあるが、君のいう感情が
それを妨げることが多いようだよ。
>>542 >この事実が重要なんじゃないの?
その通りだね。そして君とkではそれに関する考察が異なるようだ。
>かりに言っていることが正しくても言ってるその人が嫌いなら
>その意見は受け入れられないじゃない?っていうことなんだけどな。
君はkが嫌いということかな?嫌いな人に君はなにやら教えてくれているといくことだろうか。
>君の望むようなやり方はいくらでもできるけれどそれは自分の主旨に反するからしない?
その通りだ。
>でもそれだと話し合い以前で終わっちゃうと思うんだけどな。今のわたしとあなたみたいに。
そうかな?
君は賢明に嫌いかもしれない相手の気持ちを動かそうと努力をしている。君の感情はさておいて。
君とkのこのようなやりとりは、一般社会では「話し合い」というと思うよ。
>俺のやり方についてこれない奴は、お好きに・・・で終わり?
kのやり方についてこられない人は読むも書き込むもやめるも自由に選択可能だと思うけどな。
終わるかどうかはその人によると思うよ。
>>543 >いろいろ書いたけどPCがフリーズして消えちゃった。(泣)
それは残念。
>先入観なのかな?無垢で生まれてきたわけじゃないからDNAの好みなんじゃないの?
自分の生育過程を考察してごらん。DNAと環境が今の君を形成していると思うよ。
>だからね、わたしのいいたいのは論理的尺度と感情的尺度はべつってことです。
はじめからそう言った方が手間が省けると思うよ。
そしてそのような尺度を規定すれば君の中で別なのは十分理解可能だ。
>口調が論理的ってどういう意味?
そのままの意味だよ。君は誰かに勝ちたいんじゃないかな?負けたくないとか。
kは誰にも負けない。また勝ちもしない。そのようなことをゲーム性を楽しむ意味以外で
考えない。つまり勝ち負けはとらえ方だ。その様な観点に立つとすぐに気づくこと。
>まぁあなたの口調は崩せそうにないけど。
変化しないものなどこの世にはないよ。kの口調は容易に変化する。
君は崩したいのかな?たぶん不可能だね。今の君の思惑にkはのらない。
つづき
>わたしが知っているなら真理じゃないと思うよ。(笑)
なぜ?
>真理って何?
誰でも理解できる本質。言語を有さないものや理解しないものには言葉で試していないけど。
人によるけど3歳前後から理解するよ。実体験を通して。
>合理は非合理の上に成り立っているから。
いつからそういうことになったのかな?
>かなり手抜きのレスになっちゃったけど時間は割いてるんだから許してね。
kの許しが必要なのかな?
手抜きかどうかはこちらにはわからない。
時間を割いたら許すという決まりがあるのかな?努力したことを伝えたい?
君がこの一連のレスを意地悪ととることは予測可能だが、よく見つめて欲しい。
君が書いた文章の文意だけを読んだらどのようなことを伝える文になっているのだろうか。
行間や雰囲気を横に置いて読むと書かれている内容がよく読み取れると思う。
君の場合は書いた時の感情を引きずっているのかもしれないが、一度それを脇に置くと見えてくるかも。
>かなり手抜きのレスになっちゃったけど時間は割いてるんだから許してね。
気づいて欲しい。何を伝えたかったのか。記載することによるどのような効果を狙ったのか。
不必要な言い訳と読めることに関して気づいているのか。君たちのやりとりで多用されるものだ。
>>544 >kさんは宗教関係のひとなんですか?っていうか、実生活では悪態ばかりついてるっていってなかったけ?
>なんか矛盾・・・
宗教関係者ではないよ。
>>213に職業に関して書いた。
実生活のプライベートでは言動が粗暴。仕事上は別人格を演出している。君はいつも同じかな?
kの発言が矛盾していて不快なら指摘して欲しい。
>わたしはドラマにも映画にも小説にも殆ど縁がないから・・・
>っていうか、興味ないから見ないし読まないからよくわからない。
うん。その様な印象を受けた。
君は感情のメカニズムを学習していないかもしれない。多くの人は気づいていないかもしれないが
娯楽を通して学習し、自己の選択で感情をコントロールして楽しむ方法を実践している。
君はそのような体験が比較的少ないのかもしれない。
>kさんのドラマ、映画、小説のNO1は何ですか?
ないよ。NO.1はない。オンリーワン(byまっきー 前も書いたね)
>心の底から感動するか試してみたいです。(^_^;)
今の君には無理だと思う。
>でもなんていうか日常の生活で十分刺激的なんだけどな。わたしは。
うん。kも同じ。
あれらの娯楽を楽しむということは体感しないとわからない。
つづき
>問題は解決なんてしませんよ。何一つ。だから責任と義務なんです。
君は問題の本質を見ずに、派生すると思い込んでいる「義務」と「責任」という無意味なものを
考えるから問題がややこしくなると考えたことはないかな?
問題とは突き詰めれば、複数の思惑が入り乱れて統合されないことで解決を見ないと思うよ。
「〜すべき」は丸投げするには利便性が高いが本質ではない。どうするかが問題。いろんな意見を出し合って
考えていくと解決(らしきもの)が見つかると日本の学校で教えることになっていると思う。
重要なのは「義務」と「責任」をどうするかではなく、どのように解決していくかだよ。
>知識と行為のちがいのことかしら?
知識は知恵ではないね。知識を適宜使って何かしら体感することで知恵となる。
気づき続けることはそのようなことに近い。知っていることにあらためて発見を見出すことでもある。
>哲学的思惟に使われることで新鮮になったり新たな感覚を呼び覚ましてくれたりするよ。
>とってもダイナミックだしドキドキするけどな。
そうだね。固めないで柔軟に使用することでそのような感覚を得られるだろう。
>あと行為が常に新鮮な感覚なのは生きていれば当り前のことでしょ?
そうだね。でもそのようなことが体感できなくなるから人は苦しくなる。
またハルカのようにそのこと自体が苦というとらえかたもある。
思い込みは新鮮さを体感するのに適している。これが強いほど、こだわりが自己の思い込みである
と知るときの感動は大きい。
でも多くの人は思い込みに気づくことなく新鮮さをあまり体感せずに生きている。
君は違うのかな?
>>545 >「声に出して読みたい日本語」ですよね。
そう。面白いのかな?
>誤解無く言えば、まったくkさんのは思想です。これはもう間違いないです。
そうかい。
そこまで言い切るなら、kの思想を君の視点で具体的にわかりやすく書いてくれないかな。
>考えるだけ無駄ですね。
そうなんだろうが、そういわないで頼むよ。
>自分をよく見つめてみましょう。
うん。いつもしているよ。
>もしかして、あの人とkさんの世代は同じなのかな?
>>213に書いてあるよ。
>あの人はヨガとかから強く影響を受けています。
なるほど。kも強く影響を受けているかも。というのは数冊書籍で読んで実践している
怪しい奴なので、ヨガをやっているとはいえないと思う。
>ふーん、私は今テレビとドラマは見ない(配線すら繋げてない。)映画もたまにだし、
>小説も昔と比べてそれほど読んでないです。
興味がないのかな?
あれらの娯楽を楽しむということはどのようなことだと思う?
>>546 >そうですか私、結構いますよ。まあ単純に言って惚れますね。盲目になります。
なるほど。
kもそのように惚れこんだり、これしかない!と思い込んだり(思い込みたかった)したけど
でも全てに多様な価値を見出せることに気づいてからは、盲目にならない。
>そうですか、あの、やり方が露骨だったんで躊躇してました。
「やり方」とは「君の」かな?「露骨」というと?君の感情のことかな。
>もうちょっとあなたも素直になれるといいのになと思いました。
「素直」というのはどのようなことを君は言うのかな?
表現方法なら、君が削除依頼を強要したスレにおいてはプライベートのkの口調で書くよ。
他に関しては素直に書いていると思う。
>逆に私があなたになんでも質問したいんだけどな、だめかね?
どうぞ。
君が質問があればと書いていたからそのように答えた。誰からの質問も歓迎。
でもkは本当にあまりものを知らないよ。
>いい宣伝文句ですね。
そうかい。あまり効果がないよ。
つづき
>ごまかさなくていいんじゃない。いつだってkさん偉そうじゃんw
君はその文意をとらえていないかな?
[「kが偉そうに書く「ためだけ」のスレじゃない。]誤魔化しているかな?
文意は、「他の利用法もある」と読めると思うよ。しっかりね。
>まあメールでもないからね。いろいろと気分よく話しましょう。
誤解のないように断っておくけど、kが気分よく書き込まないことなどないよ。
言いかえると、2chへの書き込みは楽しみ。すらすら言葉が出る楽しさが体感できる。
君は書き込まないことがよくあったけど、それは気分がのらなかったからじゃないかな。
kは気分を全てコントロールして生きている。君が信じる必要はないが、kに気を使う必要はないよ。
君に関して(誰に関しても)いわゆる悪感情はない。悪感情が自分にとってストレスであり自分に
不利益であることをよく理解しているからこだわらない。
kが罵詈雑言を使う理由は今の君のは理解不能かもしれないが、面白いから。むろん君には使ったことがないし
使うことはない。
このあたりに関してはいずれ書くかもしれないけど、一連の言葉に付帯する雰囲気のレス
から推測可能だと思うよ。
>>547 大事の様子だね。
そのような仕事なんだろうね。体には気をつけて欲しいな。
>もし、あれだったらkさんあなたの死に対しての考えを聞かせてほしい。
死は生きていない状態の総称。>>24-
>>42に死に関して書いてある。
死後は不明。説はたくさんある。
kの死に対する考えはそのようなもの。
現状では地球上の全ての生命体が同等に迎える生きる最後の瞬間の後の状態。
7歳くらいのときから死に対する恐怖に心を奪われた。寝ると死ぬんじゃないかという恐怖と
戦っていた。幽霊が怖かった。死後の世界の本を読んだ。本当にあった幽霊話に戦慄しつつ
興味を持った。死者の書や宗教の本を読んだ。誰かに助けて欲しかった。何かにすがりたかった。
あの世を知りたかった。思い込みたかった。信じ込みたかった。生まれ変わりを信じたかった。
解脱を目指した。仙人を目指した。死なない体を作ろうと思った。鍛えた。呼吸を長く止める練習をした。
不思議な感覚を体感した。超常的なものを目指した。
そしてふと我に返った。自分が恐怖と戦っていたことに気づいた。疲労していた。
戦う理由は死の恐怖から逃れるため。なぜ?死んだことがないのになぜ恐れる?なぜそれを克服
するために辛いことをしている?何の保証もないのに。死ぬことを恐れる生き方を選んでいた
ことに気づいた。
死は訪れる。避けられない。怖い。今がなくなる。
そのような生き方が辛いことに気づいた。
死後の世界はわからない。死んだ時のこともわからない。わからないことを必死で悩み苦しんでいた。
生きている事実を見つめた。生き方を考えた。いろいろと気づいた。気づき続ける意味に気づいた。
>>548 kさん
>君は「人は気持ちを大切にしている」という人の本質を理解するかな?
うん。
>話し合いの本質は自分の思っていることを相手にわかりやすく伝えることだよ。
「人は気持ちを大切にしている」のだから
その自分の気持ちを相手に伝えてわかってもらうことが話し合いの本質だと思います。
>上に示したことに気づいて欲しい。
わたしは上に書いたように思っています。
>あまりにも哀れだ。
どこがどのように哀れなんですか?
あまり良い印象を相手に与えない言葉だと思うのだけれど
そういうところは気遣ってくれないのですか?
>思い込みだと思うよ。
それだったらいいです。
>そのような思い込みで自分を悲しませているのが君の日常ということかな?
わたしは敵と確信するまでは相手にいろいろたずねたり思いを伝えたりします。
わたしの気持ちを伝えてわかってもらえても友達になれないこともあるけれど
そんなときはやっぱり悲しいですね。
>もう少し文意を汲んだらどうかな。
読解力がないのはみんなにいわれることだから
たぶんそうなんだと思いますけど
どう汲み取れてないのかよくわからないです。
>>549 kさん
>kの文章は誰が読んでもはじめ無味乾燥な印象を受けると思う。
この人何様のつもり?っていう印象でした。(笑)
いまもそれは変わらないけどね。
でも男の人はそれくらいの方がいいと思います。
もちろんやさしい人じゃないとだめですけどね。
>その後は受けての自由な読み取りが可能。そのように努力している。
>意図的に相手の気持ちを誘導する文は極力避けている。
じゃあ「文意を汲んだらどうかな。」って言われてしまう
わたしの読み取りもあなたの意図するところになりますね。
わたしも自由な解釈の可能性を否定しないやり方には賛成です。
>>549 kさん
>君が問題と感じる箇所を具体的に指摘してごらん。
たとえば、
「君の思い込みによる解釈を」
「思い込みたければご自由にどうぞ。 」
「でも思い込みによって」
「思い込みがあるから」
「思い込みばかりで」
「そういうのを思い込みといわないかな? 」
「思い込みだと思うよ。」
「そのような思い込みで」
・・・・・ ずーっとこんな風にいわれてるとさー。(笑)
kさんの意見とわたしの意見はそんなに違わないと思います。
わたしの意見は大切にしないとイケナイ思い込みもあるよね?
っていうことです。たとえば「人を殺してはイケナイ」とか。
これはどんな事実を持ち出しても「イケナイ」とはいえないけれど、
「イケナイことはイケナイ!」と思い込んでもらわないと困ります。
あと、言い方の問題なんだけど、
たとえば、「それは君の思い込みだと思うよ。」というのは、
受け取る側のわたしの気持ちからしたら「断定」されているのと
同じような印象を持ちます。それはイコールあなたにそのように
思い込まれてしまっているのだなーっていう感じと、そのように
決め付けられてしまっている感じです。気持ち良くはありません。
ですから、たとえば、
「もしかしたらそれは思い込みの可能性があると思います。」
「なぜなら〜だからと思うからです。」
「如何でしょうか? あなたの意見を聞かせてくれませんか?」
みたいな言われ方なら抵抗なく受け入れられると思います。
>>549 kさん
>君の思考は短絡的かな?
わたしは「短絡的」かもしれないけど
一般に好意的な良い意味では使われることのない
「短絡的かな?」から始められちゃうとさー。
>君のいう「責任」がこの場合君にはないのかな?
だけで十分だと思うのです。
責任はわたしにもあると思います。
あなたにとやかく言えるようなカキコをしてきたわけじゃないし
どうやったらわたしの気持ちが伝わるのかのテクニカルなこととか
努力しないといけないと思っています。
お互いに努力していけたら良いと思います。
>君のいう「責任」とは誰かの「せい」にすることを指すのかい?
わたしの自由意志による行為の責任は誰かのせいじゃなくて
わたしの責任です。
>みんなとは誰で、誰が理解していないといっているのかな?
ごめんなさい。みんなではないですね。
もしかしたらわたしが理解できないのだから
同じような人がたくさんいるはずって思ったの。
哲板でもそうだったしココでも同じだろうなって。
>>550 kさん
>その通りだね。そして君とkではそれに関する考察が異なるようだ。
わたしは、あなたの文章が良い印象をもって読まれたり
あなたの文章で落ち着ける人が少なからずいるのだとしたら
もしかしたらあなたの文章がもっと工夫されたなら
そのような人たちがもっと増えるかもしれないって思っています。
あなたはあなたの文章に良い印象をもつ人や落ち着ける人より
そうでないわたしのような相手にあなたの思いを伝えたくて
掲示板に書き込んでいるのではないですか?
あなたは工夫を洗脳というテクニックだと思っているのかもしれないけど
あなたがいつもいうように「自分で気づくこと」の大切さや
わたしのいうような「自分で気づいた」ことの責任をいつも明確に示して
いくなら問題ないと思うのです。どうでしょうか?
>>550 kさん
>君はkが嫌いということかな?
ううんそんなことないよ。
わたしはあなたがやさしい人なの知ってるもの。
でもだからってあなたの文章が心地よくなるわけじゃないけどね。
>その通りだ。
残念です。
>君とkのこのようなやりとりは、一般社会では「話し合い」というと思うよ。
うん。いつのまにかそうみたい。(笑)
>kのやり方についてこられない人は読むも書き込むもやめるも自由に選択可能だと思うけどな。
>終わるかどうかはその人によると思うよ。
それはそう思います。でもわたしのいいたいのは
上でも言ったけど、あなたのやり方についていけない人の中にこそ
あなたがほっとけない人がいるのではないですか?ということです。
もしかしたらあなたはあなたのほっとけない、あるいはあなたの言葉を
もっとも必要としているかもしれない人を遠ざけてしまっているかも、です。
>>551 kさん
>DNAと環境が今の君を形成していると思うよ。
半々くらいでしょうか。
個人的には性格とか生まれつきみたいな感じがします。
どちらかというとDNAのほうがより根源的というか。
おなじ環境で育っても姉妹でぜんぜんちがうもの。
>はじめからそう言った方が手間が省けると思うよ。
冷たいね。わたしはわかりやすく伝えようと思ってたのに。
>そしてそのような尺度を規定すれば君の中で別なのは十分理解可能だ。
理解してもらえて良かったです。
ふたつの尺度がうまくバランスしてくれるといいんだけど。
>君は誰かに勝ちたいんじゃないかな?負けたくないとか。
わたしは負けず嫌いかもしれないけれど
あなたにたいしては勝ちたいとかじゃなくて
お互いの思いが理解し合えればいいなーという気持ちです。
>君は崩したいのかな?たぶん不可能だね。今の君の思惑にkはのらない。
そこまで宣言しなくてもいいです。(笑)
>>552 kさん
>なぜ?
わたしは絶対の至高の真理を探しています。
そのようなものがあるのかないのかもわかりません。
けれど探しています。
>人によるけど3歳前後から理解するよ。実体験を通して。
ふーん、よくわからないけど。
ものごころついたときに言葉にできるようになるのですか?
わたし3歳のときの記憶ないけど、それは問題になるのでしょうか?
>いつからそういうことになったのかな?
昔からだと思います。(笑)
>時間を割いたら許すという決まりがあるのかな?努力したことを伝えたい?
決まりはないですけど、言いたいことがうまく伝わらないかもしれないって
思ったから。少なくても限られた時間のなかで一生懸命に考えてレスしてる
ことはわかってもらいたかったし。
>>552 kさん
>君が書いた文章の文意だけを読んだらどのようなことを伝える文になっているのだろうか。
>行間や雰囲気を横に置いて読むと書かれている内容がよく読み取れると思う。
>君の場合は書いた時の感情を引きずっているのかもしれないが、一度それを脇に置くと見えてくるかも。
読み直してみたけれど今のところ何も見えてこないです。
どういうことなのかヒントをくれませんか?
>気づいて欲しい。何を伝えたかったのか。記載することによるどのような効果を狙ったのか。
効果ってなんですか?
気持ちを伝えようとすることですか?
ホントにわからないです。
なにを気づいたら良いのですか?
>不必要な言い訳と読めることに関して気づいているのか。君たちのやりとりで多用されるものだ。
哲板でのやり取りのことですか?
わたしは不必要な会話(=言い訳なの?)だなんて一度も思ったことがないです。
どの会話もとっても貴重で大切なわたしの宝物です。いまでもそれは変わりません。
>>553 kさん
>宗教関係者ではないよ。
>>213に職業に関して書いた。
もしかして「君が代」とか歌わない先生でしたか?
ちなみにkさんはわたしのお父さんと同い年です。
わたしのお父さんはもういないので何か不思議な気持ちです。
>実生活のプライベートでは言動が粗暴。仕事上は別人格を演出している。
粗暴はどんなところが楽しいですか?
迷惑してる人のこと気になりませんか?
>君はいつも同じかな?
うん。哲学の話しをする相手がリアルにはいないけど。(笑)
それから仕事はわたしも立場上の人格を演出していますね。
>君は感情のメカニズムを学習していないかもしれない。
>多くの人は気づいていないかもしれないが娯楽を通して学習し、
>自己の選択で感情をコントロールして楽しむ方法を実践している。
>君はそのような体験が比較的少ないのかもしれない。
テレビや映画のない時代の人は?
テレビや映画を見れない人は?
文盲の人は?
小説に関心のない人は?
おかしいと思います。
スポーツしたり友人と遊んだり仕事をしたりだって同じだと思います。
>>553 kさん
>今の君には無理だと思う。
どうして決めつけるんですか?
見てみたり読んでみたりしないとわからないと思います。
>あれらの娯楽を楽しむということは体感しないとわからない。
あなたのおススメを紹介してください。
ドラマの『エースをねらえ!』も、映画の『千と千尋の神隠し』も
小説の『アルジャーノンに花束を』も、安部公房の小説(新潮文庫のは大体読みました)も、
みんな面白かったよ。でもわたしは、
築地まで買い出しにいって料理を作ったり、
オリジナルのデザインでパターンから洋服を作ったり、
スポーツをして汗をかいたり、哲学書をフムフムと読んだり、
仕事に関する勉強をしたり、友人と餓鬼旅行wに出かけたり、
物欲の赴くままに買い物を楽しんだり、2chであなたにレスを返したり・・・
に時間を使うことの方が多いです。
>>554 kさん
>君は問題の本質を見ずに、派生すると思い込んでいる「義務」と「責任」という無意味なものを
>考えるから問題がややこしくなると考えたことはないかな?
ないです。
>問題とは突き詰めれば、複数の思惑が入り乱れて統合されないことで解決を見ないと思うよ。
言ってることがよくわかりません。
わたしにもわかるようにわかりやすくお願いします。
>重要なのは「義務」と「責任」をどうするかではなく、どのように解決していくかだよ。
これもむずかしくてわかりません。
もっと簡単に表現してもらえませんか?
>知識を適宜使って何かしら体感することで知恵となる。
>気づき続けることはそのようなことに近い。
具体性がなくてよくわかりません。
たとえ話とかで知識と知恵のちがいを教えてくれませんか?
>思い込みは新鮮さを体感するのに適している。
>これが強いほど、こだわりが自己の思い込みであると知るときの感動は大きい。
思い込みであると知った後でも思い込みによる生の新鮮さは失われないのですか?
>>554 kさん
>でも多くの人は思い込みに気づくことなく新鮮さをあまり体感せずに生きている。
>君は違うのかな?
「新鮮さをあまり体感せずに生きている。」ってどういう状態なのかわからないから
なんともいえませんけど、わたしの心境を哲板からコピペしてみますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
75 名前:カオル ◆BBBRv/ousU 投稿日:04/03/29 01:18
今日はお花見にいってきました。
美しいSAKURAに涙が零れました。
露天のお兄さんの威勢のいい掛け声
円を描く水上スキーの水飛沫
手をつないだふたりのはにかむ笑顔
お母さんに甘える幼子の泣き声
みんな命の彩なす色とりどりの華
春爛漫 ぽかぽか陽気に浮かれてしまうわたし。
生きてるって素晴らしい!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
わたしってどうなんですか?
>>559 >「人は気持ちを大切にしている」のだから
>その自分の気持ちを相手に伝えてわかってもらうことが話し合いの本質だと思います。
違う。共通認識的な「話し合い」はkが示したもの。周りの人に聞いてごらん。
「正しい」とか「良い」とは言っていない。君の見解は君独自のものであって学校や社会
ではそのような見解でとらえられていないということ。
君が示したのは、君がして欲しいこと・したいことじゃないかな?それは話し合いの本質ではない。
君は相手に自分をわかって欲しいし、相手のことを知りたい。そのような作業を話し合いと
思い違いをしていると思うよ。
>どこがどのように哀れなんですか?
思い違いに気づかないところ。
>あまり良い印象を相手に与えない言葉だと思うのだけれどそういうところは気遣ってくれないのですか?
申し訳ないが、意図している。
>わたしは敵と確信するまでは相手にいろいろたずねたり思いを伝えたりします。
敵?君の敵って何?
>わたしの気持ちを伝えてわかってもらえても友達になれないこともあるけれどそんなときはやっぱり悲しいですね。
よくわかる。
でも伝え方も考慮したらどうかな。
>どう汲み取れてないのかよくわからないです。
そうだろうね。いずれその意味がわかる時が来るかもしれない。
>>560 >>この人何様のつもり?っていう印象でした。(笑)
よくわかる。そして君の文章に対して同等の感想を持つ人もいると思う。
文章はとる人によって様々。自分を見つめる作業をし、思い込みに気づき利用することの
意味に気づくことで印象は変わるかもしれない。
>でも男の人はそれくらいの方がいいと思います。もちろんやさしい人じゃないとだめですけどね。
「いい・わるい」を自分で決めていることがわかるね。「いい・わるい」は主観によって変わる。
君の真理でもあるようだよ。
>じゃあ「文意を汲んだらどうかな。」って言われてしまう
>わたしの読み取りもあなたの意図するところになりますね。
今のところはそのようだね。
>わたしも自由な解釈の可能性を否定しないやり方には賛成です。
kはやり方を推奨していないね。「自分と他の折り合いのつけ方」とはそのようなものなんだよ。
君たちのやりとりには「命令」や「強制」が多用されているけど、それに従うかどうかは各人に
選択の自由がある。今は意味不明でもいずれ理解するかも。
>>558 へえ、苦労していたんですね。おそらkさんはく幼児期から自我が発達していたんでしょうね。
もしくはkさんの時代性も考慮に入れるべきなのかもしれないです。kさんの言っていることって
正直に言わせてもらうと、社会の不安感があなたの幼少時代から、その「気づく」ときまで、
その時代の影響を与え続けていたんじゃないかなと思っているのです。おそらく斉藤孝氏と
同じくらいの世代なんではないかなあと思っています。まあ私の年齢を申し上げると今20代の
真ん中あたりを通過中なんですが、テレビ世代でもあって、わりあいまったりとした生を営んでます。
まあこういうのは、人それぞれでもあるとは思いますし、まあ私も時代の影響も強く受けていて、
その思いこみもあるかとは思います。
ちなみに私も恐がりでした。怖くて眠れない日は弟や母親のベッドに潜り込んで恐怖を
乗り切りました(11歳くらいまで、そうしてたような気がする)そのうち、高校生くらいになって、
幽霊はいないと悟りました。まあいても迷惑を掛けないと言うことに気づいたわけです
(ここらの表現の仕方は難しいですね) まあそれで一安心かというとそうではなくて、
今度は夢のなかの幽霊に悩まされたわけです。まあそれは寝るときだけの恐怖で、起き
てしまえば何ともない。まあ、話のネタとして友達などに吹聴して楽しんでました。こういう話は
できるだけ意味深に語るものですからね。幽霊がいるかいないかの論議なぞ、まず普通はしません。
一人でいると思っていればいいだけの話です。変な人と思われたくなければね。
>解脱を目指した。仙人を目指した。死なない体を作ろうと思った。鍛えた。呼吸を長く止める練習をした。
>不思議な感覚を体感した。超常的なものを目指した。
これはあなたの経験です。そして技術でもあるんでしょう。大事にしてあげてください。
なぜこのようなことを言うかというと、たぶんあなたのやっていることは決して特殊でもないから、
そのように私はkさんを判断していると言うことです。私見ですが、存在は連関することに価値
があるのではなく存在することに価値があるのだと思うからです。
あと昔一度、一人旅をしてて、お金がなくて山奥を旅しているとき、雨を除けれるところを探して
野宿したことがあったのです。まああのときは、闇が凄く恐くて途中で逃げちゃいました。
目の前が真っ暗、ライターの火で視界を何とかしようとしても、雨でざーざー降ってすぐに火が
消えちゃう。日はただ自分の手を映すだけ、そのうち凄い土砂降りになって、自分の声も聞こえ
なくなっちゃって。ああこれが闇の恐怖かと今では思います。闇の恐怖は、自分の声に恐怖する
わけじゃないんですよ。自分の言葉(思考)がかき消されることに恐怖するわけです。これはまっ
たくびびります。で、ああ駄目だと思って、我を忘れて山道で来る車に手を振って助けを呼びま
したね。その助けてくれた優しいおじさんは民宿まで私を乗っけてってくれました。そして、その
民宿では今度は優しいおばさんにお世話になりました。感謝ですね。まったく馬鹿なことはするもの
じゃありませんね。
>死ぬことを恐れる生き方を選んでいたことに気づいた。
そうですか。どうしてそう思ったんでしょう。そうじゃないですね。
どうしてこのような書き方をしたのか気になります。死に対する向き方って微妙
ですよね。私も何度か死に対する態度なるものを2ちゃんねるに書き込んだり
しますが、いつも不安ですね。本当に自分はそう思っているのかという不安です。
まあ難しい問題でもあるので、つっこんでみます。視点は死が怖いだけなんですかね。
もっと色々あると思うんです。そういう不安が自分にはありますね。
例えば、それは決意や覚悟への懐疑です。本当に、他人のために死ねる人間がいるのか?
そのように考えたとき、おそらく私にないものは死ぬ理由だと言うことに気づくわけです。
まあ気づくというかそこら辺で、もがくことになるんです。
もう、なんで死ななきゃなんないんですかね。なんで事故が起きるんでしょうね、なんで病気に
なったりするんでしょうね。まあ、だいたい原因があるんですよ。自分をおろそかにしているという
事実が実はある。だから死が早まる。基本的に頑張る人は短命だと言う考えを自分は持っています。
そういう人を見るたびに、かわいそうだなと思ったりします。そして、そのとおりになると無力感に襲
われます。まったくどうしようもねえなってことになるわけです。所詮他人事なので。
(つづき)
実は、一人知人にやばいのがいます。昨日、生き方の方向転換を迫られた人間がいます。私は
彼とわりと多くの時間関わってきました。まあしっかりした奴で、性格も明るくて、カリスマもあって、
結構いい奴だったんですが、おそらく、そいつ仕事を辞めてどこかへ消える羽目になるかもしれません。
そいつの夢も希望も昨日の時点で、フリーズしてしまいました。そいつは今、先行き真っ暗なのです。
たぶんそいつは今、自分の死について考えていると思います。それと自分の生についても。
そしておそらく今、彼は孤独だと思います。そう表現することしか、できません。私は彼じゃないので、
彼の苦しみをわかってやれないのです。できるだけ力になってやりたいとは思うけれど、
どこまでできるかどうか。
まあなんとか、彼の負担を減らすことを考えるだけです。今はそれだけが私のできることです。
いちおう私の死そのものを語っているわけではなく、ちょうど私の近くにいた死と向き合っている人間を
見て思ったこと。まあ宗教板だから言うんではないけど、そいつに必要なのはおそらく宗教ではありません。
そういうキャラじゃないので。おそらく、そいつのそばにいてくれる人なのかな。と想像したりします。
定かではないですが。私なら生き方を教えたいと思いますが、所詮自分の生き方のごり押しなわけで。
どうせ役に立たないだろうし。まったくどうすりゃいいんでしょうね。よくわからないですね。複雑ですよ。
ちょっと独り言です。失礼しました。
>>561 >・・・・・ ずーっとこんな風にいわれてるとさー。(笑)
kとこのスレで話し合う上では仕方ないと思う。君が気づけばそれらの発言はなくなる。
>わたしの意見は大切にしないとイケナイ思い込みもあるよね?っていうことです。
そのようだね。
それは君の思い込みであって、kはそれが共通認識でもなければ「大切にしないとイケナイ」と
もとらえていない。君のいいたいことの本質は「大切にしたい」だと思うけど違うのかな?
「イケナイ」にするところが君らしいところだけど、それは君のストレスになっているかもしれないよ。
むろんストレスが「わるい」という短絡的発想ではない。事実の認識ということ。
>「イケナイことはイケナイ!」と思い込んでもらわないと困ります。
困るのは君と君のようなとらえ方をしている人だろうね。人は禁止事項を鵜呑みにして
そのとおり行動するほど単純には出来ていない。kはその事実から思考するよ。
つづき
>あと、言い方の問題なんだけど、そのように決め付けられてしまっている感じです。
>気持ち良くはありません。
大変申し訳ない。決め付けているし、君の不快感も予測可能。全て意図的にしている。
>みたいな言われ方なら抵抗なく受け入れられると思います。
君はそのようだろうね。
そういったテクニック(君が示したのは丁寧口調だね)は日々仕事上駆使して効果をあげている。
でもそれはそのような利害関係が前提でkがそれを崩したくないからそうしている。
ここでは目的も前提も異なるので使わない。このスレでは言葉に含ませた意味の本質に近い部分だけで
話し合いをする。その前提なくしては気づけないことがあると思い込んでいる。
また、君は自分の表現方法が人に対して好意的に受け入れられると思っていることだろう。
>>420 >(^.^)
>あと関係ないけど、「kは〜」みたいな主語の使い方ってキモーですぅ。(笑)
>あなたの人格の押し付けをカンジさせないための戦略なのかしら?
>エラそうじゃなくていいのかもしれないけど・・・もう使えないでしょ?(笑)
>(415〜はあなたの意見のまとめだから) ageちゃいます!
これらが君の思惑通り(好意的に思われる)に受け取られない可能性は否定できないね。
kの知人にもこのような表現を多用する女性は少なくない。またそれらを嫌悪すると主張する人も
少なくない。
kは端的に語ることで真意が伝わると思う。誤解も端的に話し合えば解消する。
>>562 >責任はわたしにもあると思います。
kはわからない。
>お互いに努力していけたら良いと思います。
kはそれに関しての努力は最大限実行中。
>わたしの自由意志による行為の責任は誰かのせいじゃなくてわたしの責任です。
質問の答えになっていないよ。「責任」とは「誰かのせいにする」なの?という問い。
君じゃない人の自由意志の行為はその人の「せい」?
kが2chを通して気付いたことって何かある?
>それはkが理論を語っていないからだ。真理を語っている
そっか〜。
>>419 我々にとってテクノロジ―とは何か?ってビデオがあったネ。
で、YoYoMa(神!)が音楽担当っていうヽ( ´∀`)ノ
つまり、道具で、本来は能力を拡張・延長するためのものだったけど
産業革命、IT革命、生活の利便性や効率化、記憶の外部装置
どんどん広がっててる。現代の社会的な環境の中で、
直接的な身体の感覚及び経験は乖離してきている。
文化・思想・思潮的背景、体制の影響もあると思われ。
>知っていることにあらためて発見を見出すことでもある。
それもあってこのスレ読んでるネ。
>>563 >あなたはあなたの文章に良い印象をもつ人や落ち着ける人より
>そうでないわたしのような相手にあなたの思いを伝えたくて
>掲示板に書き込んでいるのではないですか?
違う。
全ての人に対して同等に気づいて欲しいことがある。日本語限定だけど。
>あなたは工夫を洗脳というテクニックだと思っているのかもしれないけど
洗脳とは限らないが、テクニックには違いない。
>どうでしょうか?
kのこの語り口調がポイントなんだよ。気づくには。
>>564 >でもだからってあなたの文章が心地よくなるわけじゃないけどね。
気づくと変わるかもしれないよ。
>もしかしたらあなたはあなたのほっとけない、あるいはあなたの言葉を
>もっとも必要としているかもしれない人を遠ざけてしまっているかも、です。
その通りだろうね。
でも君はレスしている。kは実生活(仕事関連)においては君の望む形で話をしている。
昨日も今日も本来の仕事の範囲外の人生相談のような形で人の悩みをきいた。
必要に応じて洗脳も使いつつその人の気持ちを「いい感じ」に導いた。
でもこれは利害関係が前提の仕事の一環だからそのようにしている。
kが本質的に望んでいるのはこのスレでしている形で気づいてもらうこと。
洗脳は便利だしある状態に導くのは容易だ。でもそれはkの本当にしたいことではない。
kは人が気づく手助けをしたい。導きたくない。君にもいずれわかるかもしれない。
>>565 >冷たいね。わたしはわかりやすく伝えようと思ってたのに。
すまない。
端的な表現に冷たい感じを受けるには君なりの理由もあると思う。
kにわかりやすいのは端的な表現だよ。
>お互いの思いが理解し合えればいいなーという気持ちです。
うん。
人の気持ちはわからない。だからこそ分かり合いたいし、わかった気がすると嬉しさも大きい。
その努力を続けることが理解し合うには重要だ。kはやめない。
>>566 >わたしは絶対の至高の真理を探しています。
絶対で至高かどうかは知らないけど真理は知っていると思うよ。
気づいていないんだよ。
>ものごころついたときに言葉にできるようになるのですか?
よく理解するよ。人にもよるけど。
>わたし3歳のときの記憶ないけど、それは問題になるのでしょうか?
なると思うよ。
>少なくても限られた時間のなかで一生懸命に考えてレスしてることはわかってもらいたかったし。
このあたりが気づくポイントかも。どうしてわかってもらいたいのかな?
>>567 >どういうことなのかヒントをくれませんか?
ヒントは書いた。それ以上だと答えになると思う。
>かなり手抜きのレスになっちゃったけど時間は割いてるんだから許してね。
この文は
「君のレスは手抜きだな、もう少ししっかり書いてくれよ」
といった内容の指摘に対する言い訳としてはじめて成り立つ。
kが何もそのような指摘をしていない事実を考えると、その文を書いた君の心理が推測できる。
そこで君に働いた心理とは、kの心理を先回りして予測して決め付け、それを回避しようというものかと思う。
君たちの会話では多く用いられてきた技術だが、不必要なストレスがかかりやすく話の本筋から
話題がずれるきっかけにもなりやすいものと思う。
また、「許してね」は前提として相手が許しがたいという意志を表していない場面では、
相手の気持ちを予測で「許さない」と決めつけているともとられがち。これは一般的に失礼と
とられがちということ。「許してね」は柔らかくしてあるが命令文でもある。
むろんこれは一般論であり、君がそのような意図がなくkがそのように受け取っていないので
問題はない。
kが指摘しているのは、文章でしか伝達方法がなく、瞬時にやりとりが不能である状態では
それなりに配慮が必要と認識しているのか、またそのようにしているつもりで誤解を生む
可能性が高いことに気づいているのかということ。
>>568 >もしかして「君が代」とか歌わない先生でしたか?
大きい声で歌った。
>粗暴はどんなところが楽しいですか?
思いっきりふざけられるので気持ちが解放される。むろん相手を選んでしている。
>迷惑してる人のこと気になりませんか?
誰が迷惑しているのかな?
>それから仕事はわたしも立場上の人格を演出していますね。
気づいていないだけで、いつも演出していると思うよ。
>君は感情のメカニズムを学習していないかもしれない。
>多くの人は気づいていないかもしれないが娯楽を通して学習し、
>自己の選択で感情をコントロールして楽しむ方法を実践している。
>君はそのような体験が比較的少ないのかもしれない。
>テレビや映画のない時代の人は?
>テレビや映画を見れない人は?
>文盲の人は?
>小説に関心のない人は?
これらに答える用意はあるが、その前によく見つめて欲しい。
君が引用したkの文には君の質問事項が一つもかかれていない。こういう細かいところをみつめたら
どうかな?
>おかしいと思います。スポーツしたり友人と遊んだり仕事をしたりだって同じだと思います。
スポーツや遊びはkが指摘した「娯楽」だよ。仕事にも娯楽性を見出すことも可能だね。
>>569 >どうして決めつけるんですか?
どの辺が決め付けているかな?
>見てみたり読んでみたりしないとわからないと思います。
その通りだね。でも、君はこう書いている。
>わたしはドラマにも映画にも小説にも殆ど縁がないから・・・
>っていうか、興味ないから見ないし読まないからよくわからない。
どうやら縁がないようだし、興味がない・見ない・読まない。そう言い切っている人が
>心の底から感動するか試してみたいです。(^_^;)
と書いてあれば、「今の君には無理だと思う」という人はkだけではないと思うよ。
「今」は無理だろうけど、君が読みたい見たいという気になったら違うかもしれないけど。
その気がない人に、自分でいいと思っているもの(kの話じゃないよ、仮定の話)を紹介して
「試し」に見て欲しいとはなかなか思わないかも。
つづき
>あなたのおススメを紹介してください。
君がそのようなものによって感動したいと本気で思ったうえで、どのような種類の
感動を望んでいるかがわからないとおいそれとはいかない。
>みんな面白かったよ。
そう。kもそれらは面白かった。
>に時間を使うことの方が多いです。
君の好きな娯楽で見つめる方法をとることも十分可能だね。
自分が喜びを得たいことを認識しているか。具体的な方法を見出しているか。自分が自分を
演出していることに気づいているか。演技の技法を身につけているか。
今君が生活している社会の人は巧みな演出に慣らされている。そのような時代だ。
その認識があるだろうか。
>>570 >わたしにもわかるようにわかりやすくお願いします。
人々の間で「問題」とされる事柄の多くは、様々な人の思惑が加わること(考慮すること)で
方向性が定まらず解決に向かって意見を出し合ったり考えたりがスムーズに行かない。
>もっと簡単に表現してもらえませんか?
問題が生じた原因を誰かの「責任・義務」といった表面的で形骸的なものに求めると、その人
たちに丸投げするかのような印象を与えかねず、それを避けようとしたりなすりつけよう
などの問題解決にとって不毛なことに時間を費やしかねない。
責任義務の所在ではなく、どのように解決するかを見出すことに時間を費やすことが、問題解決
への近道。
それを見出した上でどのように具体的に対処すべきかをまた考える必要がある。
責任義務を論ずることは問題解決を遅くするだろうということ。
そうしたければそうするしかないし、責務を問う問題ならばそのようにする他ない。
つづき
>たとえ話とかで知識と知恵のちがいを教えてくれませんか?
人を褒めると喜ぶと知ったことが知識。
その人を喜ばそうとして、その知識を使い褒めようと思いつくのが知恵。
同じように褒めてもその人が喜ばないことを知るのが気づき。
人の気持ちは変化する。いい感じで生きていくには気づき続ける必要があると思うが。
>思い込みであると知った後でも思い込みによる生の新鮮さは失われないのですか?
意味不明。説明希望。
>>571 >わたしってどうなんですか?
さあ?君はどう思うのかな?
それは君の作品だね。そのような認識はないだろうけど。
そこには事象を君の感覚がとらえて喜びとして認識していることが表現されている。
作品の評価を尋ねているのではないわけだろうから、答えようがない。
また他人の評価をどうしたいのかな?
>>574-
>>577 年齢に関しては君宛のレスにあるよ。
人の気持ちはわからない。
その人が何を望んでいるかは誰にもわからない。
何とかしたければ話をきく他ない。
きくにも方法がある。
そして君がどうしたいかがもっとも重要だろうね。
>>581 >kが2chを通して気付いたことって何かある?
多くの人が何とかしたがっているんだなということ。
気づいていない人も多いけど、やはり気づきたがっている人もいるんだなと気づいたよ。
>>419 >で、YoYoMa(神!)が音楽担当っていうヽ( ´∀`)ノ
へ〜。大先生が音楽担当なんだね。
>現代の社会的な環境の中で、直接的な身体の感覚及び経験は乖離してきている。
なるほど。そのように見えるね。
全てバーチャルだという認識を持ち始めているともいえるかな。
>それもあってこのスレ読んでるネ。
これからもよろしく。気が向いたら書き込んで欲しい。
カオルって何歳?若いのに自分の意見持ってて偉いねぇ
>>596 年齢が気になるのかな。確かに自分の意見をもっているようだね。
いわゆるしっかりした考えを持ち始めるのは人それぞれかと思うけど子どもにもいる。
立派に見える意見をいえる子は多い。
接する環境による影響が多いと思う。
人は価値観の多様化に惑う。それを避けるには信じられる思い込みを持つことだと気づく。
でも思い込みは目標達成のための原動力や道しるべであって、遭遇する全ての事象に対応するような
思い込みはなかなかない。
今自分は何がしたいのかを見極めて思い込みを選択する必要があるかもしれない。
その気になったらkと対話をして欲しい。カオルのように。
人は常に変化している。
変化に対応するのがめんどうだから固定させたい。固定を気持ちよいと認識するとそのように思う。
変化を楽しむことに適応するには常に努力が必要。もの凄くめんどくさい。その代わり得られる喜びが
多く、新鮮。
どちらを選ぶも個人の自由。いい・わるいは自分で決める他ない。価値観は視点によって
多様化する。瞬時選択する必要がある。
こうしたほうがいい。これは駄目だ。
これらには前提が不可欠。「いい・わるい」は固定した視点に立ったときはじめて出現する。
これらは自分を見つめていけば誰にでも気づくことができるだろう。
どうするか決めるのは気づいてからでも遅くないと思う。
>>572 kさん
>違う。
違うと言い切れる根拠は何ナノ?
>君の見解は君独自のものであって
あなたの見解もあなた独自のものですね。
お互いの気持ちや見解がわかりあえたらいいと思います。
>学校や社会ではそのような見解でとらえられていないということ。
あぁ、たしかにわたしのやり方は学校の先生には評判が悪かったかも。(笑)
というか、どうして多数決なのかわからなかったです。最大多数の最大幸福・・・
>君が示したのは、君がして欲しいこと・したいことじゃないかな?
>それは話し合いの本質ではない。
あなたにとって本質じゃなくてもわたしにとっては本質かもしれないよ。
>君は相手に自分をわかって欲しいし、相手のことを知りたい。
>そのような作業を話し合いと思い違いをしていると思うよ。
コミュニケーションにはいろいろな形があったほうがいいと思います。
>>572 kさん
>思い違いに気づかないところ。
あなたから見たら思い違いに気づかないように見えるんだろうな、
ということには気づいてきたかもしれません。
>申し訳ないが、意図している。
あなたが意図するということは、なにかしらそれについての相手の心の反応を
推測して操作しようとしていることにはならないのですか?
>敵?君の敵って何?
どうしてもわたしのことが嫌いで悪意からわたしの不利益になるようなことばかりする人。
>でも伝え方も考慮したらどうかな。
友人や先輩の意見を聞いたり協力してもらったりしています。
最近わかったことなんですけど、気持ちなんかどうでもよくて
損得の勘定さえあえば協力してくれる人もいるんですね。(苦笑)
まぁ損得がその人の気持ちなんですけど。
>いずれその意味がわかる時が来るかもしれない。
来ないかもしれない。(笑)
>>573 kさん
>君の真理でもあるようだよ。
真理ではないけど大切な思い込みのひとつ。
たとえば、その人のやることの良い悪いより
その人が良い人か悪い人かのほうが大切です。
ヘンな話、ドナー登録しても性格の悪い人には
わたしの臓器はあげたくなーみたいな感じです。
>君たちのやりとりには「命令」や「強制」が多用されているけど、
>それに従うかどうかは各人に選択の自由がある。
そうですね。
>>578 kさん
>kとこのスレで話し合う上では仕方ないと思う。
>君が気づけばそれらの発言はなくなる。
わたしが気づいたとあなたが判断するまで
あなたがそれをし続けるのなら、
わたしにとっては気づきを強制されているのと同じことになります。
あなたにとっては「なぜ強制されていると思うのかな?」
ということになるのでしょうけど、わたしにとっての「強制」は
わたしにとって不快なことであることはかわらず、
その不快さを取り除くためにその不快さの原因であるあなたの発言の仕方にたいして
わたしは分析しないとならないのだと思います。
まずわたしはなぜあなたの発言の仕方を気づきの強制と感じるのか。
について考えてみることにします。
ただ結論を先取りするとおそらくその答によって不快さは解消されないだろう
ということ。論理的尺度としての解決がはかられるだけだと思います。
>>578 kさん
>君のいいたいことの本質は「大切にしたい」だと思うけど違うのかな?
うん。
なぜかというと、なにかしらの事実から「〜してはいけない」とは
いうことができないからです。
世界のなかには相対価値しか存在しないのです。
言語によって倫理や道徳を有意味に語ることはできません。
論理的な結論をいうなら倫理や道徳はトートロジーなのです。
だからこそ「大切にしたい」「大切にしないといけない」なんです。
>困るのは君と君のようなとらえ方をしている人だろうね。
そんな子供みたいなこといわないでください。
あなただって倫理や道徳の通用する世の中で
倫理や道徳に守られて生きてきたのだし生きているんです。
その事実をちゃんと自覚して責任をはたしていくのが大人だと思います。
>人は禁止事項を鵜呑みにしてそのとおり行動するほど単純には出来ていない。
>kはその事実から思考するよ。
わたしもその事実を認識した上で意見をいっています。
>>579 kさん
>大変申し訳ない。決め付けているし、君の不快感も予測可能。全て意図的にしている。
「大変申し訳ない」と思いながら「意図的に」そうすることの目的はなに?
>このスレでは言葉に含ませた意味の本質に近い部分だけで話し合いをする。
>その前提なくしては気づけないことがあると思い込んでいる。
思い込みたくて思い込んでいるのなら仕方ないのかもしれません。
>またそれらを嫌悪すると主張する人も少なくない。
そうでしょうね。わたしにもkさんだからという甘えがあったと思います。
わたしらしいカキコだし喜んでくれるかな、なんて勝手に期待してました。
あとROMの人のことまでは考えていなかったです。反省します。
>kは端的に語ることで真意が伝わると思う。誤解も端的に話し合えば解消する。
わたしはそうは思いません。お互いに感情的なしこりがあるとうまくいきません。
まぁあなたの好みはわかりましたけど。
>>580 >君じゃない人の自由意志の行為はその人の「せい」?
君じゃない人=その人とします。
その人の自由意志による行為の責任はその人にあります。
>>583 kさん
>全ての人に対して同等に気づいて欲しいことがある。日本語限定だけど。
ふーん、でもすべての人にたいして同等のやり方でいいのかしら?
>洗脳とは限らないが、テクニックには違いない。
テクニックもっと使ってみたらどうですか?
>kのこの語り口調がポイントなんだよ。気づくには。
あなたがそのように思い込みたくて思い込んでいるのなら
仕方ないのかもしれません。
>>584 kさん
>気づくと変わるかもしれないよ。
変わらないかもしれませんね。
>でもこれは利害関係が前提の仕事の一環だからそのようにしている。
したくなくてもやらないとならないこともありますからね。
>kは人が気づく手助けをしたい。導きたくない。
気づくというのは快感につながるのですか?
>君にもいずれわかるかもしれない。
わからないかもしれませんね。
>>585 >kにわかりやすいのは端的な表現だよ。
わかりました。
できるだけそうするようにこころがけますけど、
ROMの人のことも考えるときがあるかもしれません。
>人の気持ちはわからない。だからこそ分かり合いたいし、わかった気がすると嬉しさも大きい。
>その努力を続けることが理解し合うには重要だ。kはやめない。
がんばってください。
>>586 kさん
>絶対で至高かどうかは知らないけど真理は知っていると思うよ。
>気づいていないんだよ。
あなたのいう真理は当り前のことでしょ?
でも人はそのことに気づこうとしない、でしたっけ?
>>わたし3歳のときの記憶ないけど、それは問題になるのでしょうか?
>なると思うよ。
どういう問題になるのでしょうか?
思い出す方法はありますか?
>このあたりが気づくポイントかも。どうしてわかってもらいたいのかな?
わかってもらうことと認められることはちがうけれど
少なくてもあなたの問いかけにたいしてがんばって考えてることは伝えたかったのです。
もしわたしのレスに真剣さが感じられなかったらやっぱり真剣なレスは返ってこないと
思うのです。それを心配しました。
>>587 kさん
>それ以上だと答えになると思う。
たとえわたしに見えてくるものがあったとしても
それがあなたの思う見えてくるものと同じだという
保証はないのだし、それによってあなたが
見えてないということもできないと思うんです。
だから答えをおしえてくれてもいいと思うんです。
>不必要なストレスがかかりやすく話の本筋から
>話題がずれるきっかけにもなりやすいものと思う。
不必要なストレスをかけない、話題をずらさないための
効果を発揮することもあるように思います。
>>587 kさん
>「許してね」は前提として相手が許しがたいという意志を表していない場面では、
>相手の気持ちを予測で「許さない」と決めつけているともとられがち。
>これは一般的に失礼ととられがちということ。
>「許してね」は柔らかくしてあるが命令文でもある。
たとえそのような場面でも、一般的にはそんなに大袈裟なことには
ならないと思います。この程度のことで「失礼な!」と思うような人は
かなり傲慢でプライドのお高い人なのではないでしょうか?
わたしの「許してね」は、書き込みがすべての掲示板だからです。
長文がいいとかじゃなくて、最初に書いた文章より書き直した文章のほうが
質が落ちたように感じていたし、うまく伝わるかしらという心配もあったから
「許してね」って書き添えました。
>それなりに配慮が必要と認識しているのか、またそのようにしているつもりで
>誤解を生む可能性が高いことに気づいているのかということ。
「許してね」と書き添えることが、わたしの配慮でした。
けど無理してカキコしないで、もう一度あらためて書くことはできました。
でもあなたもいってるようにあなたは誤解して受け取らなかったし
わたしもそのように思っていたから「許してね」と書きました。
「誤解を生む可能性が高い」というのはあなたの思い込みじゃないですか?
>>588 kさん
>誰が迷惑しているのかな?
わたしはときどき築地に買い出しにいくんですけど
最初の頃はこわくて買い物ができませんでした。
いまは威勢がいいとか表現できますけど
はじめの頃は粗暴にしかみえませんでした。
>気づいていないだけで、いつも演出していると思うよ。
わたしのいっているのは会社に求められている人格を演出しているということ。
「いつも演出」についてはもう哲板で話しましたね。
>>588 kさん
>君が引用したkの文には君の質問事項が一つもかかれていない。
>こういう細かいところをみつめたらどうかな?
あなたこそ見つめたらいかがでしょうか?
以下のような流れで質問してるのです。
重箱の隅を突つくようなまねはやめてください!
>あの人の笑顔に、やさしい言葉に、ちょっとした仕種に、世界は見違えるほど美しくなります。
>その通りだ。そしてそれらは全て作戦によった演出でも同等の効果が得られる。
>君がそのようなことに興味がないのであれば今は仕方がないだろう。
>ドラマや映画や小説で心の底から感動したことがなければ理解しがたい本質でもある。
>>そうなんだ。
>>わたしはドラマにも映画にも小説にも殆ど縁がないから・・・
>>っていうか、興味ないから見ないし読まないからよくわからない。
>うん。その様な印象を受けた。
>君は感情のメカニズムを学習していないかもしれない。多くの人は気づいていないかもしれないが
>娯楽を通して学習し、自己の選択で感情をコントロールして楽しむ方法を実践している。
>君はそのような体験が比較的少ないのかもしれない。
>>テレビや映画のない時代の人は?
>>テレビや映画を見れない人は?
>>文盲の人は?
>>小説に関心のない人は?
わたしがするような質問がされるのは自然なことです。
(つづき)
そして、
>>おかしいと思います。
>>スポーツしたり友人と遊んだり仕事をしたりだって同じだと思います。
という、わたしの見解をいっています。これはあなたの
>ドラマや映画や小説で心の底から感動したことがなければ理解しがたい本質でもある。
という「ドラマや映画や小説で」という決め付けにたいしての反論です。
また、あなたのいう娯楽は「人生そのもの」でもあるのでは、という示唆です。
だから、一般には娯楽には含まれない「仕事」を入れてあるのです。さらに
>君は感情のメカニズムを学習していないかもしれない。
にたいしての反論でもあります。
わたしは感情のメカニズムは人生そのものから学ぶのだと思っています。
ドラマや映画や小説に感動するのはなぜか?、を分析することで
さらにその感情のメカニズムを客観的に観察できるようになるかもしれません。
(もちろんその他のことでもいいわけですが)
そしてそれらは「全て作戦によった演出でも同等の効果が得られる。」
という「知恵」になるのかもしれません。それをわたしは否定していません。
>>589 kさん
>>わたしはドラマにも映画にも小説にも殆ど縁がないから・・・
>>っていうか、興味ないから見ないし読まないからよくわからない。
>どうやら縁がないようだし、興味がない・見ない・読まない。そう言い切っている人が
>>心の底から感動するか試してみたいです。(^_^;)
>と書いてあれば、「今の君には無理だと思う」という人はkだけではないと思うよ。
見てみたり読んでみたりしないとわからないのだから
「今の君には無理だと思う」というのは決めつけです。
いままでドラマや映画や小説は他の娯楽より優先順位は低かったかもしれないけれど
「試してみたい」といっているのだから試させてみたらいいと(わたしなら)思います。
それに
>>569で最近見たドラマや映画、最近読んだ小説も紹介しています。
そして「面白かった」という感想も入れています。
「アルジャーノンに花束を」なんか泣きながら読んでましたけどね。
ちなみに哲学書とかなら心の底から感動したものがたくさんありますし、
スポーツでも仕事でも友人とのつきあいでもそれ以外のたくさんのことでも
心の底から感動したことはいっぱいあります。
だからわたしはドラマや映画や小説でも感動できるんだと思うのです。
ドラマや映画や小説に関心が向いていないのと感動できるかできないかは
別だと思います。
それから哲板でも感動はたくさんあります。
すばらしい議論や書き込みを見つけたときは感動ですし
わたしはスレ違いなんだけど創作の書き込めるスレを持っていますし
そこから素敵な詩や短編がたくさん生まれています。
>>590 kさん
>君がそのようなものによって感動したいと本気で思ったうえで、
>どのような種類の感動を望んでいるかがわからないとおいそれとはいかない。
本気でとかいう前提をもつことは危険な香りがします。(笑)
わたしのスタンスは上で書きました。
さらに感動の種類というのも本気とかいう前提と合わせると
まるでそのように感動しないといけないみたいですね。(笑)
そうですね。信仰することについての感動とかが感じられるのがいいです。
>自分が喜びを得たいことを認識しているか。
>具体的な方法を見出しているか。
具体的な方法とかわからないです。
ただ
>>571のように感じられることが多いです。(喜びですよね?)
いつもは一生懸命にやっていると自然に喜んだりしてるみたいです。
>>590 kさん
>自分が自分を演出していることに気づいているか。
>演技の技法を身につけているか。
他の女の子とかとくらべるとたぶん演出もヘタだし
演技の技法とかも身に付いてないかもしれません。
なんかそういうのうざったいんです。
わたし男の子と話したりするほうが楽しい。
あっそうか!
>君は感情のメカニズムを学習していないかもしれない。
ってそういうこと?
だったら大当たりかもしれません。(^_^;)
>今君が生活している社会の人は巧みな演出に慣らされている。
>そのような時代だ。その認識があるだろうか。
そうですね。わたしかなりやばいですね。
どうやったらもっと巧みさを身に付けられるでしょうか?
>>591 kさん
>人々の間で「問題」とされる事柄の多くは、様々な人の思惑が加わること(考慮すること)で
>方向性が定まらず解決に向かって意見を出し合ったり考えたりがスムーズに行かない。
ありがとうございます。よくわかりました。
「問題」を解決したければ、事実そのものをよく認識して
それにたいして具体的に何ができるかを考えればいいんですよね。
これってわたしの仕事のときの人格がとる方法論です。
「思惑」を切り捨ててしまうところがあるんでフォローが大変です。
>問題が生じた原因を誰かの「責任・義務」といった表面的で形骸的なものに求めると、
>その人たちに丸投げするかのような印象を与えかねず、それを避けようとしたりなすりつけよう
>などの問題解決にとって不毛なことに時間を費やしかねない。
ありがとうございます。よくわかりました。
わたしの会社では責任の所在がいつでも明確になるように
何々の問題はどこどこの責任というのを細かく決めています。
だからいい加減に仕事を受けないし渡さない体制ができています。
ただ渡す方と受ける方の連携(協力)がうまくいかないと
効率的でかつクオリティーの高い仕事はできないので
シビアなTQC活動と親睦会みたいな交流が充実しています。
>>591 kさん
>責任義務を論ずることは問題解決を遅くするだろうということ。
>そうしたければそうするしかないし、責務を問う問題ならばそのようにする他ない。
問題の解決にばかり重点がいってしまうのはバランスが悪いですね。
たとえば浅田農産の鳥だって浅田農産の社長の決断がもっと早かったら
業者が全部引き受けていた可能性もありますから。
もしかしたらなにも発覚しなかった可能性だってあるんです。
わたしの会社では社長以下一般の社員も参加する形での定例会議があって
そこで、会社はどのような社会的責任や義務を負っているのか、
会社は社員にたいしてどのような責任と義務を負っているのか、
社員は会社にたいしてどのような責任と義務を負っているのか、
みたいな直接利益には結びつかないような内容のことについても
しっかり話し合う習慣があります。
だからたぶん浅田農産みたいなことはしないだろうなって信じています。
>>592 kさん
>同じように褒めてもその人が喜ばないことを知るのが気づき。
道徳とか「蓼食う虫も好き好き」みたいな格言も知恵だし
気づかせてくれますね。
>いい感じで生きていくには気づき続ける必要があると思うが。
わたしはいつも道徳と対話することで「いい感じ」みたいです。
>意味不明。説明希望。
えーと、あなたが
>思い込みは新鮮さを体感するのに適している。
と書いていて、ひきつづき
>こだわりが自己の思い込みであると知るときの感動は大きい。
とも書いていたから
Aという思い込みを思い込みであると知って感動した後でも
同じAという思い込みによって生の新鮮さが体感できるのかな?
っていうことです。というか「新鮮さを体感する」がどういう
ことなのかもわからないし「思い込み」と「新鮮さを体感する」
ことのつながりもわかりません。
どうして思い込みが新鮮さを体感するのに適しているの?
>>593 kさん
>多くの人は思い込みに気づくことなく新鮮さをあまり体感せずに生きている。
>君は違うのかな?
と聞かれたのだけれど
「新鮮さをあまり体感せずに生きている」というのがどういう状態なのか
よくわからなくてくらべようがないのだけれど、たぶんわたしの日常は
ちがうかなって思ったから、あなたに
>事象を君の感覚がとらえて喜びとして認識していることが表現されている。
と評価されるような日常の一コマを描写した文章を見てもらいました。
新鮮さを体感して生きているってどういうことなんですか?
>>599 >違うと言い切れる根拠は何ナノ?
その後に書いてあると思います。あなたの「話し合い」の認識がkと異なるのは学校が違った
からかもしれませんね。
>というか、どうして多数決なのかわからなかったです。最大多数の最大幸福・・・
多数決の話はしていませんね。(^.^)
>あなたにとって本質じゃなくてもわたしにとっては本質かもしれないよ。
あなたの本質が大事なのですね。多数決で決まった話し合いの定義など意味がないんでしょうね。
>コミュニケーションにはいろいろな形があったほうがいいと思います。
いいわるいを自分で決めているのですね。
>>600 >あなたが意図するということは、なにかしらそれについての相手の心の反応を
>推測して操作しようとしていることにはならないのですか?
そうですね。
>>601 >真理ではないけど大切な思い込みのひとつ。
なぜそれは真理ではないのですか。
>>603 >言語によって倫理や道徳を有意味に語ることはできません。
>論理的な結論をいうなら倫理や道徳はトートロジーなのです。
>だからこそ「大切にしたい」「大切にしないといけない」なんです。
あなたの示した上ニ行と三行目が「だからこそ」で結ばれる過程がよくわかりません。
>そんな子供みたいなこといわないでください。
なぜそのように命令するのですか?
>あなただって倫理や道徳の通用する世の中で
>倫理や道徳に守られて生きてきたのだし生きているんです。
あなたは大きな思い違いをしていませんか?わたしたちがそれを守っているのではないですか?
>その事実をちゃんと自覚して責任をはたしていくのが大人だと思います。
あなたは確実にそれを実践されているのでしょうか?それは嬉しいのでしょうか?
いつからそれが大人と決まったのですか?
>>604 >「大変申し訳ない」と思いながら「意図的に」そうすることの目的はなに?
あなたが気持ち良くないとkに示したので、そのようなことであれば礼儀的に謝辞の意を表しました。
目的はそのようにすることで喜びを得られるからです。
>わたしらしいカキコだし喜んでくれるかな、なんて勝手に期待してました。
kのカキコ上の喜びは気づいている人との会話と、人が気づく過程が見えるときです。
>わたしはそうは思いません。お互いに感情的なしこりがあるとうまくいきません。
kは感情的なしこりをつくりません。ですからそのような面で物事がうまくならないように心がけて
楽しんでいます。
>君じゃない人の自由意志の行為はその人の「せい」?
>その人の自由意志による行為の責任はその人にあります。
あなたは質問の意図を理解していないのでしょうか。「責任」とは「〜のせい」なのですか?
>>605 >ふーん、でもすべての人にたいして同等のやり方でいいのかしら?
どうでしょう。いいかどうかはご自分で決めましょうか。kはそうしています。
>テクニックもっと使ってみたらどうですか?
繰り返しになって申し訳ありませんが、仕事や人間関係において多用して効果をあげています。
あなたは(軽い)洗脳が好みかもしれませんが、kは好みではありません。
利害関係を円滑にするという前提において使用しています。
>あなたがそのように思い込みたくて思い込んでいるのなら仕方ないのかもしれません。
はい。でもこのように口調を変えるのは極めて簡単です。お気に召しますか?
>>606 >気づくというのは快感につながるのですか?
kはそうです。人によるかもしれません。
>できるだけそうするようにこころがけますけど、
>ROMの人のことも考えるときがあるかもしれません。
ROMの人のこともよく考えましょう。でも人の気持ちはわかりません。
これに関するいろいろな人の意見が出てこないとまったくわかりません。
>>607 >あなたのいう真理は当り前のことでしょ?でも人はそのことに気づこうとしない、でしたっけ?
はい。
>どういう問題になるのでしょうか?
あなたが問題とすることがあれば問題だと思います。
>思い出す方法はありますか?
あると思います。
>それを心配しました。
あなたはそのような心配をいつもしてませんか?人の気持ちはわかりません。
なぜ心配するのですか?
>>609 >この程度のことで「失礼な!」と思うような人はかなり傲慢でプライドのお高い人なのではないでしょうか?
だったらどうなのですか?あなたの配慮のなさのいいわけでしょうか。
>うまく伝わるかしらという心配もあったから「許してね」って書き添えました。
ですからそれは相手の印象を知ったうえで言い訳として成り立つものです。
先走りを否定するわけではありません。あなた(多くの人も)が気づかずに不利益(今回のようなこと)
を招き不快になることは避けられるかもしれません。
>「誤解を生む可能性が高い」というのはあなたの思い込みじゃないですか?
そうです。でも可能性は否定できませんし、kのいうことは順を追って話せば誰もが理解可能では
ありませんか?
>>611 >あなたこそ見つめたらいかがでしょうか?
いつも見つめています。
>重箱の隅を突つくようなまねはやめてください!
それはあなたにも言えることでしょうし、kはそのようなことはしていませんよ。
>わたしがするような質問がされるのは自然なことです。
「自然」かどうかはわかりませんが、あなたのおっしゃりたいことは理解していました。
その上での指摘であったことを考慮いただきもう一度考えてみていただけませんか。
>>613 >「試してみたい」といっているのだから試させてみたらいいと(わたしなら)思います。
あなたがよくされる予測にもとづいて判断しました。
kは心の底から感動したといった表現をしていないことをご記憶でしょうか。
そのような期待にこたえられるとは思えません。あしからず。
>それに
>>569で最近見たドラマや映画、最近読んだ小説も紹介しています。
>そして「面白かった」という感想も入れています。
それはあなたにとって大きな意味があることと思いますが、それらをさほど重要でないと
書いておられるのも事実です。
また不思議に思うのは筒井康隆とスティーブン・キングと
>>534に明記してあるにもかかわらず
それらに関してあなたが触れられていないことです。
強制するつもりはありませんが、このスレはある意図のもとに書かれています。この件だけでは
なくkを理解したいと書かれるあなたなら過去レスも参考になるかと思います。
>>615 >自分が自分を演出していることに気づいているか。
>演技の技法を身につけているか。
これは生きていることすべてにおいていえると思います。
>そうですね。わたしかなりやばいですね。
>どうやったらもっと巧みさを身に付けられるでしょうか?
まずはご自分が「どうしたいか」をよく見つめたらいかがでしょうか。
そこから始まると思います。
>>618 >どうして思い込みが新鮮さを体感するのに適しているの?
これはkが不適切な表現をしたことが原因だと気づきました。ごめんなさい。(^_^;)
>思い込みは新鮮さを体感するのに適している。これが強いほど、こだわりが自己の思い込みである
>と知るときの感動は大きい。
はじめの文はあとの文が前提になっています。
つまり、思い込んでいることが多いほど、それが思い込みだと気づくことで新鮮さが多く得られるし、
思い込みの度合いが強いほど新鮮さが大きいだろう。
思い込み(を持ち、それに気づくこと)は新鮮さを体感するのに適している。ということで()
部分を省いたためあなたに多大な迷惑をおかけしました。申しわけありませんでした。
>>619 >新鮮さを体感して生きているってどういうことなんですか?
決め付けや思い込みに気づき、はっとする自分の状態を興味深く感じることだと思います。
説明が拙いため伝わりにくいかもしれませんね。
人が五感を通して他を認識するとき自分で形成する思考パターンに照らす。
この作業なくして判断はできない。思考パターンを絶対的とせず常に変更しうるものと
認識し変更する作業を楽しむことで生きる喜びが増えるかもしれない。
生きる喜びが何であるかを見つめることは難しいかもしれないが、大切かもしれない。
喜びの本質はなんだろうか。
628 :
はけめがねアナル指:04/04/07 18:38
やっぱり自分の気持ち 見える世界が気持ちの持ち方でかわるよね
>>628 そうだね。
kが語っているのはその事実。気づいている人はたくさんいると思う。
喜びとか幸せとか楽しいとかそんな気分でいたければ、そうすることは可能だ。
技術が必要だし修練しないと出来ないかもしれないけど。
それにしても興味深いハンドルネームだ。
アナル指は推測できるけど、「はけめがね」って何?それとも区切り方が違うのかな?
ん〜。口元が緩むな。面白いぞ。声に出して読みたいハンドルネームだね。失笑確実。
立位に関しても座位と同様に重力に抗して体をほぼ垂直な状態に置くことで、重力の負担を
極力抑えることができる。
立位においては座位以上に全身の力を統合して体を垂直に保つ必要がある。
ただし、
>>540に示した血行不良を軽減するための、体を固定させずに微妙に動かす動作は
座位と比較して立位の方が容易に可能。
理由は足の指、足首、膝、股関節、腰の関節等が座位の時より有効に使えるから。
というのは、各関節部位にはその上部の重みがかかるわけだが物理的に考えれば最終的に
足の裏に全ての重みがかかるように思えるが、各関節が座位より固定され難く自由度が
高いため有効に筋力を行使することで随所で少しずつ重みを軽減することが可能になる。
つまり各関節部位に関連する筋力を有効に利用することで足裏にかかる重力を軽減できるということ。
ジャンプを考えてみる。
飛び上がる動作は基本的に前述の関節部位を全て有効に使用し、かつ全身の関節やらそこにまつわる
筋力を使っておこなう。
これらの動作ができるようになるまでにわれわれは多大な努力を費やしてきているが忘れている。
今や出来て当たり前という人が多いかもしれない。
しかし年とともに出来なくなり、年齢の「せい」にする。これは事実でもあり思い違いでもある。
毎日ジャンプしていればいくつになってもできる可能性はある。少なくとも100歳で可能な人が
著名人にいる。彼が特別なのは日々の努力を怠らなかったこと。そのような状態を望んだこと。
すっかり諦めるということをしていない。多くの人が諦めているのでその点が特別かと思う。
ジャンプの基本動作の前段階。つまり飛び上がる瞬間地上に接している部位はどこか?
これは普通足の指だ。ではどこかというと体の形状から考えて理想的なのは太い指。つまり
第1指〜3指くらいかと思う。小指側でジャンプしている人はやりにくい上に身体に弊害が出る可能性が高い。
立位における理想的な足裏と地面の接地は上記の指の付け根辺りと考える。
指導時には足の親指の付け根辺りに体重がかかるようお願いしている。
これをまず実行していただければ立位が容易ならざる状態、つまり立ちにくいことに気付くと思う。
まず不可能に近い。
なぜか?それは各関節が有効に使われていないから、前のめりに倒れそうになる。
足首、膝、股関節を軽く曲げることでかなり楽にできるようになると思う。
まとめると、足首、膝、股関節を固定せず少し曲げることで緩めて体重が足の親指の付け根辺りに
かかるようバランスをうまくとりながら立つということ。
これは座位よりもはるかに不安定で揺らそうと思わずとも揺れる。
というよりバランスをとることに気を奪われてまともに立つどころではないかもしれない。
このように常にゆらゆらと動くことで通常使っていた筋肉とは別の筋肉を多く使うことになり、
揺らぐことで使う筋肉が固定しないため特定部位の筋疲労が減る。
はじめは疲れるが、慣れると体全体が凝りにくくなるので快調な状態を長く保てる。
この立ち方の効能と弊害を述べる。
効能は身体能力が極めて向上すること。これにはいずれ記すかもしれない移動方法を加えることで
目覚しい効果があがる。
立位時は常時様々な(脚だけではない)筋肉を使い続けるので体が引き締まる。
ダイエットスリッパというのが流行したことがあった。発案者は主婦だったかでこれにより
多大な収入を得たとTVで取り上げられていたのを見たことがある。
その原理は同じだ。気付いていたかどうかはしらないが。
ズボンやスカートがきつくなってきた人やはけないものを残している人は試すと面白い
かもしれない。
弊害はめんどくさいこと。疲れること。
また、内転筋と呼ばれる筋肉を中心とした普段使用しない筋肉の疲労があるため、正座したまま
後ろに倒れたり、アキレス腱を伸ばすようなストレッチ等を随時する必要がある。
この立ち方は中国拳法の意拳の中では基本中の基本である立つ訓練から発案した。
その訓練はここで記した方法とはまったく異なるので誤解なきよう。
ただしパワーが生じるのは間違いない。
思い出していただきたい。ここに示した立ち方の基本はジャンプの前段階であった。
この立ち方はジャンプという最も重力に逆らった行為の準備を常にすることでもある。
よって常にパワーを蓄積しているとも考えられる。
先に記した訓練があまりにもきついので、もっと楽に出来ないかとその訓練をいろいろな
視点から分析したことで発案したので、動機は怠けたいからだった。
これは比較の問題だが、その訓練よりは楽だし短時間で効果が見られた。なおかつ血行が良くなる。
この立ち方で体を揺すって欲しい。まずは膝を軽く上下させる。数ヶ月くらい経て楽にできるようになったら
左右に軽くツイストしてみる。
ポイントは、少しかかとを浮かせること。むろんついてもかまわない。なるべく浮かせよう
とするだけで効果があがる。
このような動作を、膝が動かないと診断されて諦めていた老齢の方が実践されて治癒した例を見ている。
気が向いたら試して欲しい。疑問点は質問してもらえれば答える。
固定させた動作と思い込みの関連。
自由な思考と体の微妙な揺らぎ。
気づくことが多いかもしれない。
637 :
はけめがねアナル指:04/04/08 10:53
無邪気に見える行動 善良に見える行動の裏の気持ちは善良かな
>>637 「善良」という言葉の定義によってその答えは微妙なものになるだろうね。
絶対的な善悪はありえないので、別の観点から考察すると見えてくるかもしれない。
無邪気に見えてもライオンのじゃれ方だと人は大怪我するする。トモ子のように。
うちの犬も同様だ。ふざけているのかもしれないが噛まれれば痛い。善良かどうかは微妙。
でも傍から見ていると微笑ましいくみえるときもある。
はけめがねに関して少し教えて欲しいな。
639 :
はけめがねアナル指:04/04/08 11:55
判る者には判る 10年前のあだな です
>>639 なるほど。
あまり詮索するのも礼節を欠くね。でもとても気に入ったことは付け加えさせてもらう。
説明ありがとう。
641 :
はけめがねアナル指:04/04/08 13:01
アナル指はわかりますか 言葉に翻弄されてないですか それはk氏の過去の経験の経験で思い込んでいませんか
>>641 >アナル指はわかりますか
わからないよ。
>>629に「推測できる」とかいてあるね。
>言葉に翻弄されてないですか
どうかな。翻弄の定義にもよるだろうね。楽しんだのは事実だよ。
>それはk氏の過去の経験の経験で思い込んでいませんか
過去の経験は否定しないけど、思い込んではいないかな。
アナル指に関して互いの理解を深めたいのかな?kはスレ違いという理由でその気持ちは
希薄だけど君の気持ち如何では考えを改める用意はあるよ。
成功哲学って知ってますか?
>>643 まったく知らない。
差し支えなければ手短に説明してもらえると助かるな。
645 :
はけめがねアナル指:04/04/09 12:41
k氏の言いたい事は いままでの思考パターンにとらわれずこれから起こる事柄の判断は新鮮にそのつど考えようと言う事と自分が何をしたいか 自分の言動に潜む自分の気持ちとは を掘り下げようと言う事ですか
>>645 >>1に書いてあるように悩みがある人限定でこのスレを立てている。
悩みの根源は自分を知らないことにあるという前提で話をすすめている。
そのようなことを踏まえたうえでの話として、君の指摘通りのようなことをすることで
自分が見えてくるのではないだろうか、という問いかけをしている。
みんなでこうしていこうというスローガンを打ち出しているわけではない。
自分に気づいたらどうかな?と提案している。
自分を見つめる上でこれは真理だろうなということを書いている。
これについて多くの人に考えてもらいたい。異論反論があれば教えて欲しい。話し合いたい。
kがしたいことは、みんなが自分を見つめたり気づいていく手助け。
全ての人にそのめんどくさい作業をして欲しい気持ちはあるが、無理強いするつもりはまったくない。
全てはその人の選択による。それは真理。無理強いはまったく無意味だとよく知っている。
こんにちは。悟りスレの107です。遅くなってしまいました。
まずは、クリシュナムルティに興味を持たれているようなので、
彼の紹介をします。
クリシュナムルティは、子供の時に神童と見込まれた人です。
周囲から、宗教団体の教祖として据えられたと記憶しています。
20代のときに何か気づいたようです。
自分に与えられた役目は、「多くの人にこのことを伝えることだ」と思ったのでしょう。
教団の人たちに「あなたの苦しみをみつめなさい」と説いた。
しかし、教団の人たちの望む言葉はこんな言葉ではなく、次のようなものだった。
「私たちはどうするべきか、どういう道を歩むべきか、
その道筋を具体的に示して欲しい!」
クリシュナムルティは、
「宗教という形では真理に気づかせることができない」
と考え、宗教団体を解散し、
多くの人と対話することで気づかせようと活動しました。
彼の活動は欧米が中心だったようです。
日本に来たのは、飛行機の乗換えで立ち寄った1回だけだったとか。
日本には仏教思想があったから、活動の必要性がなかったのだと思います。
うろ覚えなので、詳しくは
「クリシュナムルティーの世界」(コスモス・ライブラリー)
でお願いします。
「私も何かできないかな」と思い、考えたのが、
掲示板を通じて誰かの「気づき」のきっかけを作ることです。
もう一つ。
自分の意見を話すこと、文字にすることで、考えの整理ができる為です。
でも、私には自分でスレッドを立てる自信がありません。
もともと怠け者なので、管理する自信もないし、
対話を続けることで相手に自分の心を見つめさせる前に、
はっきりと言い過ぎてしまうような気がするからです。
だからと言って、他の人のスレッドでそういう発言をするのも
問題ですね・・・。
この板の人に対して、「書きたい、書きたい・・」と思うことが、
2,3ありました。
でも、書いてしまうとこの板の雰囲気を乱してしまいそうです。
自分を見つめてみました〜。
うーん。もどかしい。
出そうで出ない。ど忘れしていることを思い出しそうで、思い出せない。
そんな感じがします。
一体、何のテーマのスレッドを立てて、
何について「書きたい、書きたい」と思ったのです?
この板を乱すほどのことなら、
今まで、見たことも無いような、「荒し」ですか?
たぶん違うでしょう。
だったら、ここに書いてはどうですか。
私の「もやもや」も、あなたの「もやもや」(たぶん・・・)も晴れますから。
650 :
名無しさん@3周年:04/04/10 18:03
語るべきを語らず、為すべきを為さず
されど吾ら、祖先の霊を見たり。
>>649 いやいや、スレッドを立てて「書きたい」と思ったのではなく、
この板に書き込んでいる人に対して、「一言、言いたい」=「書きたい」
と思ったわけです。
この板は自分の気持ちを書くことによって、
自分をみつめるきっかけを作る手伝いをしている所だと、私は判断しました。
なので、私が勝手なレスをつけて、気分を害させて、
書き込みをしてくれなくなったりすると、
それはkさんの意図に反することだと思ったわけです。
違う板でkさんに、「まあまあ」という感じで
その場をおさめてもらった経緯があることを思い出しました。
>>500 「 cogito, ergo sum 」の cogito は、現前しない!
うーん
どういう意味なのだろう。
自分を見つめる事なんて出来ないということだろうか?
日本語に訳してくれると、とても助かる。
レスをすることで満足する。
他の人からレスを返される事に満足する。
自分の意見を誉められて満足する。
自分の意見が認められて満足する。
レスを読んで満足する。
レスの内容を理解して満足する。
自分をみつめて満足する。
自分をみつめていく様をみて満足する。
いろんな満足があるなあと思った。ただそれだけ。
>>647 >遅くなってしまいました。
いろいろと読んでくれてご苦労様。また、教えてくれてありがとう。
>20代のときに何か気づいたようです。
何に気づいたんだろうか?
>多くの人と対話することで気づかせようと活動しました。
なるほど。この文に書かれていることはまさしくkが実践していることだね。
だからNはあのようなことを書いたのかな。Nのいう「ムルティ」がその人だという前
提だけど。
>日本には仏教思想があったから、活動の必要性がなかったのだと思います。
それを前提とすると、kがこの日本で類似行為に及んでいることから、その人と活動理由が異なるようだね。
>>648 >この板の人に対して、「書きたい、書きたい・・」と思うことが、2,3ありました。
>でも、書いてしまうとこの板の雰囲気を乱してしまいそうです。
このスレッドでなく、板なの?
もしこのスレなら、たいした雰囲気もないから気にすることはないと思うよ。
>>650 >語るべきを語らず、為すべきを為さずされど吾ら、祖先の霊を見たり。
語るべき、為すべきこととは何?
それをしないことと先祖の例を見ることの関連は何?
>>651 >なので、私が勝手なレスをつけて、気分を害させて、書き込みをしてくれなくなったりすると、
>それはkさんの意図に反することだと思ったわけです。
気遣ってくれたのかな。ありがたいけどそのような心配をせずに好きなことを書き込んでくれると
嬉しいな。
>>334でハルカがk以外の人に「やめとけ」と命令しているけど、特に影響はなかったようだよ。
人の気持ちはわからない。
思ったことを書ける場所にしたいので、どんどん書いて欲しいな。
>>653 >いろんな満足があるなあと思った。ただそれだけ。
そうだね。いろいろな満足がある。
>>627にも書いたけど、喜びの本質とはなんだろう。
問題は種類やシチュエーションではないかもしれない。
満足は欲求を満たす喜びかもしれない。喜びの本質とはなんだろう。
デカルトは、思考どまりみたいだね。
思考があるから存在するとは・・・
もう一歩進んでほしい。
思考がなくても存在しているから。
>>648 >この板の人に対して、「書きたい、書きたい・・」と思うことが、
>2,3ありました。
もしわたしも含まれているならどうか気になさらないでください。(^.^)
>>652 >日本語に訳してくれると、とても助かる。
ごめんなさい。
哲板ではどんなDQNでも厨房でも
デカルトは読んでいますので
「 cogito, ergo sum 」って書いてしまうこと多いんです。
コギト エルゴスム = 我思う、ゆえに我あり、です。
(学校で習うから聞いたことはありますよね?)
>自分を見つめる事なんて出来ないということだろうか?
ニュアンスとしてはそうですね。
つまりコギトは「思考についての思考」ではないということです。
>>661 あなた哲板の住人でしょ?
ちょっと恥ずかしいコメントだよ。
デカルトくらい読まないとマズイよ。
板違いの「悟りスレ」といっても
もともとはわたしとSさんが
ショーペンハウアーの「意志と表象の世界」を
読むことから始まっているの知ってる?
それなりの哲学的基盤があっての「悟りスレ」なんだから
・・・・・だから存在が許されているの。その辺ヨロシクです。
哲板住人カオルより
>>661 >デカルトは、思考どまりみたいだね。
そうかもしれないけど、本人にきいてみないとわからないと思うよ。
>思考がなくても存在しているから。
そうだろうけど、その人が言っているのは、思考する主体の本質が認識する自己だろうか
とかそんな意味にもとれるよ。意味合いが違うんじゃないかな。
>>662 >もしわたしも含まれているならどうか気になさらないでください。(^.^)
某107さんが気にしているのは、彼のレスで誰かが書き込まなくなった場合それがkの意図
に反するのでは、という危惧とあります。これに関しては
>>658に書いてあります。
>哲板ではどんなDQNでも厨房でもデカルトは読んでいますので
実はkも43も哲学版からここにきました。あなたからするとわれわれはどういった括りになるのでしょうか?
>(学校で習うから聞いたことはありますよね?)
話し合いに関しては習いました?
>つまりコギトは「思考についての思考」ではないということです。
自分を見つめることが出来ない説明としてはわかりにくいと思います。
>デカルトくらい読まないとマズイよ。
どのようにマズイのでしょう。また、本人から読んでいないという確認はとれていますか?
>それなりの哲学的基盤があっての「悟りスレ」なんだから・・・・・だから存在が許されているの。
いつからそのような規定が出来たのでしょう。また誰かが許さないと住人にはなれないのですか。
>哲板住人カオルより
あなたがここにいらっしゃる状態は住人ではなく旅人といったところなのでしょうか。
kは2ちゃんねるの住人ということにさせていただけますか。あしからず。ヽ( ´∀`)ノ
自分を見つめることで様々な発見がある。
人は自分の気持ちを大切にしている。>>100-
>>101 これは自分を見つめることを相手に理解してもらうために思いついた利便性の高いキーワード。
「いい・わるい」という分類法・価値観に自己の選択の基盤を委ねる傾向が強い人には
なかなか納得のいかない真理かもしれない。
しかし、どのような価値観にこだわっていようが、よく考えれば全ての行為の根本には
自分の気持ちが関わっていることに気づくだろう。
>>653に43が書いてくれた「いろんな満足」は多くの示唆を含んでいるとも読める。
人は自分の気持ちを満たすために行動しているというとらえ方が可能。
a.カオルがこだわる「責任・義務」に則ったと認識しうる行動をすることは、「責任・義務」を
重要な価値観ととらえる人には自分の気持ちを満足させることになろう。
b.また、そのような価値観に疑念を抱いたり反発する人にとっては満足感が希薄かもしれない。
しかしそのような人も自ら選択して行動する以上その行為に何らかの意味を見出して「気に入らない」
ながらも行動する。
そのような場合、「何らかの意味」は「誰かのためにやってやる」といった風な行動の根拠を
他の価値観なり他人に依存した形を取ることが多い。そのようなことでその場の自分の気持ちを
納得させる作業を懸命に行なっている。
どちらの例においても満足度はシチュエーションや個々の性質、経験などによって千差万別だろう。
aよりbの方が満足感が希薄かもしれないと書いたが、むろん逆の場合もある。
人の気持ちは瞬時に変わり、また複雑怪奇でもある。
aの場合「責任・義務」に即した行動は当たり前であって満足度は低い場合も容易に想像可能。
bの場合その行動を「責任・義務」ととらえて起こすのは気に入らないが、だれかを欺く
行為として有効と判断し自らの立場を有利にするととらえれば満足度は高いかもしれない。
(例えば、意地悪した子が先生に責任を問われ、即座に反省の色を示し許されるとか)
満足がかならずしも喜びとなるともいえないようだ。
喜びとはなんだろう。
人は自分の気持ちが大事。
を大切にしている。
に縛られている。
に振り回されている。
とらえ方は様々。問題とするところはそのような事実があるということ。
人は自分の気持ちが大切だからそうしよう!と唱えているのではない。
自分の気持ちを納得させることに終始しているともとらえられるほど、自分の気持ちを
大切にして生きている。そうでないと生きられないのかもしれない。
では人は自分の気持ちを大切にするために生きているのだろうか?
どうやらそうではないようだ。大切にしたいのではなく、生きるためにはそうせざるを得ないのであって
生きる目的ではない。
では何が望みなのだろう?
自分の気持ちをどうしたいのだろう?
何のために生きているのだろう?
言葉で説明する限界がここにあるかもしれない。
共通認識的な雰囲気に頼らざるを得ないかもしれない。
でもそれは確かに感じられる。
それを失っている人もいるだろう。常に感じている人もいるだろう。時折舞い降りるかのような
その感覚を待ち望んでいる人もいるだろう。自らその感覚を獲得している人もいるだろう。
喜び とはなんだろう。どのような感じだろう。人によって異なるのだろうか。
どのような状態を喜びと認識しているのだろう。
自分を見つめて気づくことは、自分が喜びを得るために生きているのかもしれないということ。
幸せな感じ、いい感じ、嬉しい感じ、満たされた感じ、救われた感じ、癒された感じ。
そのような状態をここでは喜びととらえてみた。
喜びとはなんだろう。
欲とされるものが人にあるというとらえ方がしばしばされる。
それを満たす行為で満足が得られる。多くの場合それは喜びとして体感される。
また、そのような喜びを否定するむきもある。人の霊性(?)を高めるのに不適切であったり、
社会的に不都合が生じるなどの理由かと思われる。
根拠は希薄だ。欲の規制による不満から生じる不都合や欲を満たす方法の積極的な見直しなど
検討の余地がある。
人の本質を見極めない短絡的・利便的思考による決まりごとによる規制は、不明瞭ではあるが
ある種の理想的な社会的人物像を目指す指標として適切に見える。
そのような決まりごとの有用性は歴史上明白だが詭弁さも露呈されてきている。
そのような決まりごとを改変したり、そこへ適応させる術を検討することが社会的に生きる
「責任・義務」とする見方が一般的かもしれない。
そのようなことを十分踏まえたうえで、人は自らの欲求を満たすことで喜びを得ることを生きる目標
として社会生活をおくることも可能と考える。
そのためには自分を見つめ、何を望んでいるのかを常に認識する必要があるだろう。
自分の欲を見つめたらどうだろう。
何が欲しいだろう。
何がしたいだろう。
どうなりたいだろう。
その欲を満たすことで自分はどうなるのだろう。
欲を満たしたいのだろうか。そこから得られるであろう喜びを期待しているのだろうか。
欲を満たしたら必ず喜びが得られるだろうか。
多くの人はそうでない経験をしていないだろうか。
駄々をこねって買ってもらったおもちゃも親の態度等で素直に喜べないことがなかっただろうか。
喜びとはなんだろう。欲とはなんだろう。
人の気持ちはわからない。自分の気持ちすらわからない。
どうしたいかは瞬時に変わることがある。さっき生じた欲を今満たしても満足できないこともある。
自分はどうなりたいのだろう。
>>620 kさん
>多数決で決まった話し合いの定義など意味がないんでしょうね。
「多数決で決まった話し合いの定義」とは何でしょう?
このスレはそのような定義にもとづいて進行しているのでしょうか?
>>コミュニケーションにはいろいろな形があったほうがいいと思います。
>いいわるいを自分で決めているのですね。
コミュニケーションには、他者が前提されているのではないでしょうか。
この場合の「良い、悪い」は、個人の主観だけで成り立つものではないと思います。
多くの人たちと共感できる価値観だと思いますけど。
>>真理ではないけど大切な思い込みのひとつ。
>なぜそれは真理ではないのですか。
わたしの好ましく思える男の人のタイプを
【真理】だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。
(goo国語辞典)
とはいえないからです。(笑)
>>621 kさん
>>言語によって倫理や道徳を有意味に語ることはできません。
>>論理的な結論をいうなら倫理や道徳はトートロジーなのです。
>>だからこそ「大切にしたい」「大切にしないといけない」なんです。
>あなたの示した上ニ行と三行目が「だからこそ」で結ばれる過程がよくわかりません。
道徳という価値体系の正当性の証明は論理的には不可能だということです。
換言するなら価値命題に「なぜ?」の原因を求めても答えはでないということです。
だからこそ、道徳は、大切にしたい、大切にしないといけない、
という信念によって、支えていくしかないということです。
>>あなただって倫理や道徳の通用する世の中で
>>倫理や道徳に守られて生きてきたのだし生きているんです。
>わたしたちがそれを守っているのではないですか?
守っていることで、守られている…矛盾してないと思いますけど?
>あなたは確実にそれを実践されているのでしょうか?
いいえ。
>>622 kさん
>>その人の自由意志による行為の責任はその人にあります。
>「責任」とは「〜のせい」なのですか?
「その人のせい」=「その人の責任」。
>>623 >あなたはそのような心配をいつもしてませんか?
>人の気持ちはわかりません。なぜ心配するのですか?
誤解されたくないからです。
>>624 >>あなたの配慮のなさのいいわけでしょうか。
あなたがそのように受け取られるならそれでもかまいません。
>あなた(多くの人も)が気づかずに不利益(今回のようなこと)
>を招き不快になることは避けられるかもしれません。
いままでわたしの配慮の仕方に不快を表明された方はひとりもいませんでしたし、
逆にそのような配慮をしなかったことで不快を表明されたことが何度かあります。
またそのような場面をたくさん目撃もしていることから、総合的に判断してとった行動です。
わたしのレスを受けた当のあなたも不快ではなかったのでしょ?
もしも不快にさせていたのなら謝ります。ごめんなさい。
>>625 kさん
>重箱の隅を突つくようなまねはやめてください!
>それはあなたにも言えることでしょうし、kはそのようなことはしていませんよ。
お互い様といいたいのでしょうか?
それともわたしの発言が自己言及であると指摘したいだけなのですか?
わたしは「そのようなことはしていません」というあなたにたいして、
これ以上反論するつもりはないです。
>その上での指摘であったことを考慮いただきもう一度考えてみていただけませんか。
感情の取り扱い方がヘタという指摘なのだとしたら、もう納得してますけど。
>kは心の底から感動したといった表現をしていないことをご記憶でしょうか。
>そのような期待にこたえられるとは思えません。あしからず。
あなたが、
>>538で
>ドラマや映画や小説で心の底から感動したことがなければ理解しがたい本質でもある。
と、おっしゃられたので、あなたが「心の底から感動した」ドラマや映画や小説を
紹介してもらえたら、と思ったんです。
>それらをさほど重要でないと書いておられるのも事実です。
たしかに、選択の「優先順位が低い」とは書きましたけど
それはドラマや映画や小説の価値が「重要でない」という意味ではありませんし、
ましてや、ドラマや映画や小説で「感動できない」ということでもありませんよ。
>>626 kさん
>部分を省いたためあなたに多大な迷惑をおかけしました。申しわけありませんでした。
いいえ、どういたしまして。
>>619 >決め付けや思い込みに気づき、はっとする自分の状態を興味深く感じることだと思います。
そうですね。
思ったより周りの人が自分を気にかけてくれてるのに気づいたときとか、
反対に思ったより気にしてないんだなって気づいたときとか。(笑)
>>595 >全てバーチャルだという認識を持ち始めているともいえるかな。
なんちゃら世代で、むしろシュールミラクル(不在)
スキゾる、パラノって多重人格的だす。時代っスわ。
>>661 実在は、主客二分法や二元論をはみだしてるつーか、
あるに、先(潜)行しているだろうネ。
>>663 >思考する主体の本質が認識する自己だろうか
えーと、意味付け、構成じゃない。関係(性)の
>>665 >自分を見つめることで様々な発見がある。
肥大化した自我でまえん、自尊心と羞恥心を揺れ動く心理状態のループ
てか無駄、謙虚さとは無縁。
気持ち、根底にある感情ネ
>喜びとはなんだろう。
実感でしょ。だから願うのでしょー、終わりを
>>670 どうしたいかって聞いてんだよ、ゴルァ!みたいなネ。
よく見れって事
>>654 >>20代のときに何か気づいたようです。
>何に気づいたんだろうか?
「私は仮にはある。しかし、実体としての私はない。」
この言葉だけを覚えています。仏教思想で言う「空」ですね。
>>日本には仏教思想があったから、活動の必要性がなかったのだと思います。
>それを前提とすると、kがこの日本で類似行為に及んでいることから、その人と活動理由が異なるようだね。
活動理由ですか。
彼の活動理由は、一人でも多くの人に「自分は実体のないものだ(=空)」
ということに気づかせようとしたものだと思います。
そういう思想がある場所に、わざわざ遠くから来て話すより、
洗脳のような手段でまとめられている人々に話すほうが、
意味があったのでしょう。
>>655 >このスレッドでなく、板なの?
>もしこのスレなら、たいした雰囲気もないから気にすることはないと思うよ。
間違えました。スレッドです。
では、お言葉に甘えて・・・
と思ったのですが、機を逸してしまって話を蒸し返すことになりそうなので、
今回は見送りたいと思います。
またそのうち、レスつけさせてもらいます。
>>661は、誰かに説明しようとしたわけではなく感想なのです。
私自身このデカルトの考えになるほどと、納得していたのです。
≪661の補足≫
私って何だ。何を指して私と呼べる?
自己とはどれか?自己とは何なのか?
これは永遠のテーマとも思える。答のない問題とも思える。
しかし、こう考えた人がいた。
すべては、虚構に見える。
しかし、考える主体は疑いようがない。
考える主体、思考する主体、この発する主体、これがこそが疑えない自己に違いない。
デカルトは発見した。その通りだ。間違ってはいない。
しかし、それで終りか?
本当にそれが答か。
それは、想像、推論だけで、まだ、自己を発見したとは言えない。
誰もが思考にどっぷりと浸かっている。
思考を片時も止められない。
僕であるはずの思考が主体になっている。
僕になってこそ、能力を発揮する思考が主人になっている。
誰もが思考に振り回されている。
だから思考も振り回され、支離滅裂になり、矛盾している。
思考が僕になったとき、思考ははじめて休憩することができる。
思考が僕になったとき、矛盾はなくなり能力を発揮する。
思考が僕になったとき、思考は休憩し「自己」は見つかる。
「自己」は思考の後に隠れていたのだ。
注釈、僕⇒「しもべ」の意味。「ぼく」ではない。
>>671 >「多数決で決まった話し合いの定義」とは何でしょう?
自分の考えを相手にわかりやすく伝えるといったことかと思います。
あなたは学級会で自分の気持ちや相手の気持ちを伝え合っていたのですか?
>このスレはそのような定義にもとづいて進行しているのでしょうか?
いいえ。なぜそんな愚問をなさるのでしょう。それを拒否されているあなたがそこにいらっしゃるのですよ。
cogito, ergo sum これは関係なかったでしょうか。(笑)
>いいわるいを自分で決めているのですね。
>この場合の「良い、悪い」は、個人の主観だけで成り立つものではないと思います。
あなたは言葉を読まずに雰囲気や行間を読むと呼ばれる深読みが習慣になっているようです。
わたしkはあなたが「いいわるいを自分で決めて」いらっしゃいますねと指摘させていただきました。
あなたは全ての人の認識を確認されていないことは事実ですから、他の人の気持ちは判然としません。
その事実を認めたくないのでしょうか。とても不思議です。
つづき
>>でも男の人はそれくらいの方がいいと思います。もちろんやさしい人じゃないとだめですけどね。
>「いい・わるい」を自分で決めていることがわかるね。「いい・わるい」は主観によって変わる。
>君の真理でもあるようだよ。
とあります。
前述と同じ「いい・わるい」を自分で決めるという話ですね。
>わたしの好ましく思える男の人のタイプを【真理】とはいえないからです。(笑)
思い違いをされていませんか?あなたの好みの男性が真理という話ではありませんでした。
真理さんという女性だという話でもありません。
あなたは「いい・わるい」をご自分で決定されていませんか?
よほどお認めになりたくないのでしょうか。不思議です。
>>672 >道徳という価値体系の正当性の証明は論理的には不可能だということです。
どのような価値体系も前提を設定しない限り正当性の証明は出来ません。
つまり前提を明確にすることで正当性(という認識を明確に定義した上でなら)の証明は
不可能とは言い切れないと思いますよ。
>換言するなら価値命題に「なぜ?」の原因を求めても答えはでないということです。
前提を細かく設定することで答えは出ると思いますよ。
>だからこそ、道徳は、大切にしたい、大切にしないといけない、
>という信念によって、支えていくしかないということです。
というわけで、いまだ繋がりがつかめません。理解力が乏しくて申し訳ございません。
>守っていることで、守られている…矛盾してないと思いますけど?
またも思い違いでしょうか。矛盾しているという指摘をさせていただいておりません。
あなたは積極的な意味の「守る」ではなく、受動的な「守られる」を使用していました。
積極的に守らなければ成り立たないという認識が希薄のように見えると思います。
>>673 >「その人のせい」=「その人の責任」。
ようやくのお答え、ありがとうございます。
これからもこのような形で質問の本質に沿った答えをよろしくお願いします。
では、この世の問題は誰かのせいであるかを明確にする必要があるとお考えでしょうか?
また、だれのせいであるかを明確にできるものなのでしょうか?
>誤解されたくないからです。
なぜでしょう。とても不思議です。誤解?あなたのことを全て理解されている方がいらっしゃるのですか?
人の気持ちは瞬時にも変わることがあります。そのような人のことを自分ですらよくわからないのに
相手のことがわかるという方が乱暴ではありませんか?
誤解されたとしても、それがあなたの誤解かもしませんよ。
納得がいくまで話し合うもしくは別の手段で努力する、そのような面倒な作業を楽しむという
方法もあるとおもいますよ。
つづき
>あなたがそのように受け取られるならそれでもかまいません。
わたしkの受け取り方は固定していません。わたしkの受け取り方はどうでもよいということでしょうか?
だとすれば、前述の「誤解されたくないから」という気持ちがここでは働かないということでよろしい
でしょうか。
このように、人の気持ちは常に変わるようですね。
>いままでわたしの配慮の仕方に不快を表明された方はひとりもいませんでしたし、
それをどう判断されるかはあなた次第かと思います。
>わたしのレスを受けた当のあなたも不快ではなかったのでしょ?
>もしも不快にさせていたのなら謝ります。ごめんなさい。
わたしkは、今のあなたにはおそらく理解不能な特殊能力を身につけています。
不快といったものに関してはことさら働く凄い奴です。これをいろいろな人から学び努力して
身につけました。というか元からそうだったことに気づいたわけですが。(苦笑)
あなたが謝る必要はありません。謝るのはあなたの意志です。わたしkへのあなたが抱くであろう
種類の危惧はされる必要がないと思います。
どちらにせよ、人の気持ちはわかりませんね。素直に話し合ったり、体でじゃれあったりしながら
なんとなくわかるような気がするだけだとおもいますよ。
>>674 >お互い様といいたいのでしょうか?それともわたしの発言が自己言及であると指摘したいだけなのですか?
あなたは「気持ち」kは「考えや思い」と、互いに話し合う本質が異なることから生じる齟齬から
あなたの命令が出たと考えられます。違いますか?
>わたしは「そのようなことはしていません」というあなたにたいして、これ以上反論するつもりはないです。
あなたはいつもkに反論なさっていらっしゃるのですか?なぜそのようなことを・・・?
>感情の取り扱い方がヘタという指摘なのだとしたら、もう納得してますけど。
あなたの引用されたkの文があなたの指摘された語句をまったく含んでいない事実に関して
見つめたらいかがかと僭越ながら指摘させていただきました。
話を進めるうえで伝える相手にわかりにくい点と、あなたの指摘した「娯楽」についてkが
引用された文で語っていたため文意が余計に伝わり難くなっているということです。
>と、おっしゃられたので、あなたが「心の底から感動した」ドラマや映画や小説を
>紹介してもらえたら、と思ったんです。
失礼いたしました。そのように使用していました。
また、それに関しては前述したとおりの疑念が浮かびますが、あの2人の作家のいくつかの作品
感動いたしました。また、トリイ・ヘイデンの第一作目「シーラという子」は読みやすく感動する場合も
あるかと思います。彼女の他の作品も好きですが、おすすめはそれです。
前述の2人に関しては「教えない。もったいなくて話せない」(byカオルさん)というのは嘘で、癖があるので
おすすめしかねます。
筒井は安部のエログロ版といった趣です。キングはグリーン・マイル(小説でお願いします)が読みやすい
と思われます。それ以外はおすすめしません。この2人の作品で感動するという人は少ないかと思います。
>>675 >思ったより周りの人が自分を気にかけてくれてるのに気づいたときとか、
>反対に思ったより気にしてないんだなって気づいたときとか。(笑)
そうですか。
あなたのその文章にkが執拗に書いていることがいくつか見て取れませんでしょうか。
思い込みに気づいていない。
思い込みだったことに気づくことで得られる何か。
人の気持ちはわからない。
あなたは何のために生きていますか?
あなたにとって喜びとはどのようですか?
喜びとは何でしょう?
>>676 >スキゾる
意味不明。説明希望。
>実在は、主客二分法や二元論をはみだしてるつーか、あるに、先(潜)行しているだろうネ。
なるほど。
>えーと、意味付け、構成じゃない。関係(性)の
なるほど。
>肥大化した自我でまえん
でまえん?
>謙虚さとは無縁。
そうでもないと思うよ。
>気持ち、根底にある感情ネ
?気持ち=根底にある感情ネ なのかな? 根底というと?
>実感でしょ。だから願うのでしょー、終わりを
なるほど。実感だね。願うのは何の終わり?
>よく見れって事
うん。人はみんなどうしたいんだろうね。人の気持ちはわからない。だから聞きたくなるんだね。
>>677 >「私は仮にはある。しかし、実体としての私はない。」
>この言葉だけを覚えています。仏教思想で言う「空」ですね。
なるほど。これは仏教っぽい思想を含む宗教の教義にはありそうな考えだね。
実はkも親の影響で中学生の時ある宗教の小冊子を読んで、へ〜と感心したことがあって、それが
その実体がないみたいな話だった。その宗教によると実相が自分らしいのでその人の気づきとは
違うんだろうね。
kがこのスレで話している背景にそのような考えはある。量子物理学(ブルーバックス程度の知識)
でも随分前から物質の存在の不確かさが取りざたされているようだしね。われわれの存在も不確かと
とらえられないこともないようだ。
そのようなとらえかたを基盤に、「生きる」ということに焦点を当てて(普通そうだろうが)自己の
願望を満たす方法を考えようかな、というのがこのスレの目的。
>彼の活動理由は、一人でも多くの人に「自分は実体のないものだ(=空)」
>ということに気づかせようとしたものだと思います。
なるほど。
でもとっかかりとしてはかなり難しいし、逆に洗脳しやすいのかな。
人の本質等に関しては説いているのかな?
検索して子どもとの対話などがあったのでちらっと見たんだけど、方便だと思うけど決め付けが多いかな
と思った。好きな人には申し訳ない。ちらっと見ただけの感想なのでいくらでも突っ込んで欲しい。
>>678 >またそのうち、レスつけさせてもらいます。
気が向いたらいつでも頼むよ。
向こうの方にも差し支えなかったらレスするので気が向いたら相手して欲しいな。
このスレをどれほどの人が見てくれているのか、皆目見当がつかない。
いろいろな人が見てくれているのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。
書き込んでくれている人だけではないという気もするので、まだ書き込んだことがない人や
最近書き込んでない人も気が向いたら、何も気にせず書き込んで欲しい。
どうせ2ch。たかが2ch。ここを気のすむように使って欲しい。
>>679 >
>>661は、誰かに説明しようとしたわけではなく感想なのです。
なるほど。ここを日記やメモ帳のように使ったんだね。
>僕であるはずの思考が主体になっている。
「はず」とはどのような過程でそういえるのかな?君のいう意味がよくわからないけど、思考が
主体ならそのときはそうなんじゃないの?
主体が一つとは決まっていないんじゃないかな。
>だから思考も振り回され、支離滅裂になり、矛盾している。
多くの人はあまり論理的ではないね。矛盾だらけだ。人の社会はそういうものかもね。
>「自己」は思考の後に隠れていたのだ。
そうなの?そういう可能性もあるということかな。
このような考えてもわからないこと、意見を持ち寄って「こういうことにしよう!」と
決めることを考えるのが哲学なのかな。
死んだ後のことはわからないし、生まれる前もわからない。自己の認定も、社会のしくみも、
交通ルールも、学級目標も同等にわからない。
必要なら決める他ないかな。でも自己の認定がそれほど必要だろうか?それが不定ゆえに不安だという
人は、不安の原因がそこにあると思い込んでいると思う。
とらえ方ひとつでその原因が変わる可能性は否定しようがない。
人の悩みの本質はどのように今を生きるかといったことに集約されると思う。
むろんわからないことを考えることは面白い。生きる上では大切なこと。
同等に、わからないものはわからないと認識することも大切かとは思う。
>>659 サンクス
でもなんか文字化けして読めん・・ああ
>>660 喜びの本質ねえ・・
分からない。感情としか言えない。
選択は可能だろうか?分からない。意識的に選択している人は少なそうだ。
喜怒哀楽。
誉められて喜ぶ。馬鹿にされて怒る。恋人と別れて哀しむ。友達と騒いで楽しむ。
何かが起こってからでないと起こらない?
他を認識してからのアクション?みたいなかんじ
相対的
そんなかんじ
>>662 我思うゆえ我あり。
なるほど。訳サンクス
聞いた事あるよ。学校でかどうかは分からんけども。
自分て何?みたいなことになってたどり着いた答えなんだろうか
興味深いね。
でも実際難しいというかそんな簡単に正解はでないだろうね。
そもそも正解があるのかどうかもあれだし。
本当に自分を見つめる事ができるかどうかは置いとくとしても、
そのような自分を見詰めていくと思われる行為が有益だったらいいんじゃないか
みたいに思ってるがw
>>679 個人に拘ってもしょうがない気がする
個性はないかもしんないネ
>>688 >意味不明。説明希望。
スキゾの説明だけなら、ググると、いいよぅ。
>でまえん?
まえん=(前が)見えん、ok?
>そうでもないと思うよ。
ビョーキぽかったら、そうだと思うよ。
>?気持ち=根底にある感情ネ なのかな?
誰しも理性を働かせてふるまっているつもりでも。によって、
行動を左右されてるネー
>根底というと?
狭義にはその香具師の原理、原則ってとこ。厳密には環境の性質(あるすべてのもの)、
っても、本質的に相互依存関係(区別はできる)ネー
でもって、意識を接点、行為を接触と考えて、
認知形式、自己組織化、システムとしての構成につづく。
とりあえず、こんな感じィー(~ρ~)漏れ
>願うのは何の終わり?
それぞれじゃないのー。シラネ
しぃーらねっと。
>うん。人はみんなどうしたいんだろうね。人の気持ちはわからない。だから聞きたくなるんだね。
>k
ρ・)
先人に聞きたい。
気付き続けることの意味って?
>>692 >でもなんか文字化けして読めん・・ああ
残念。でもカオルが説明したね。
>喜びの本質ねえ・・分からない。感情としか言えない。
そうだね。感情の中でどんな種類だろう。共通認識的にはいい感じかと思うけど。
また、薬等でそんな感じになるというのはどう?
>選択は可能だろうか?分からない。意識的に選択している人は少なそうだ。
うん。ここがたぶんこのスレを立てた目的の大きな部分。
kが何をいっているかというと、これに関することを説明するためにいままでの話をしていた
と言っても過言ではないかな。
選択して喜びを得ている人は少ないだろうね。でも積極的に喜びをあらゆることに見出していそうな人は
いるように見える。
患者で驚異的に治癒力(というものがあるとして)が働きやすい人がいる。類する人は多いが、その人は
特に凄い。検査では健康体。朝まで飲んでいても何も出ないらしい。徹夜で何日も働いて死にそうなときもある。
それでも体がもっているのは奇跡的。でもその人は幸せに生きている。仕事は大好きだし、生きていることに
喜びを感じている。稀有な例かもしれないけど、人にはそれが可能だということを教えてくれる。
失礼ながら何度かそれに類する話をした中で、一緒に仕事をした人に感謝されることがあるという話があった。
「あんたと仕事してるとこっちまで楽しくなったよ。ありがとね」といった感じらしい。
kも同感。本人はへらへら笑って「子どもの頃からよくいわれんだよねー」といっていた。
その人は面白いことを言うわけでもなく、言葉使いも稚拙でふにゃふにゃしているのだが、
見るからに楽しそうで、尋ねると「楽しい」と平然と答える人。
つづき
>何かが起こってからでないと起こらない?
>他を認識してからのアクション?みたいなかんじ
そうだね。
それを体感したいときに過去の経験でそれを得た知識を利用して、娯楽等で積極的にその状態
を自ら演出するね。
怒りたいとき怒るのは「怒」かな?欲求を満たすから「喜」かな?
この辺のとらえかたはどうだろう。
>相対的そんなかんじ
そう思っている人は多いだろうね。
でも違うかもしれない。
>>693 >本当に自分を見つめる事ができるかどうかは置いとくとしても、
>そのような自分を見詰めていくと思われる行為が有益だったらいいんじゃないか
>みたいに思ってるがw
ほんとにね。
いいかどうかは自分で決める他ない。君がそう思うのだから、そのようなもの。
カオルが言うように自分を見つめられるというのが最大の思い込みなら、利用価値も最大かも。
>>694 >個人に拘ってもしょうがない気がする
なるほど。
>個性はないかもしんないネ
うん。そういうとらえ方も否定できない。
個性は演出ともとらえられるかな。
>>695 >スキゾの説明だけなら、ググると、いいよぅ。
了解。分裂症といったことかな。
>まえん=(前が)見えん、ok?
ははあ。それは一般的に常用されているのかな、それとも特殊?
>ビョーキぽかったら、そうだと思うよ。
そのような症状の病気ならそのようだろうね。
>誰しも理性を働かせてふるまっているつもりでも。によって、行動を左右されてるネー
自分の気持ちが大切だからね。理性(?)によって瞬時の行動を選択することも可能だと思うよ。
>狭義にはその香具師の原理、原則ってとこ。厳密には環境の性質(あるすべてのもの)、
>っても、本質的に相互依存関係(区別はできる)ネー
>でもって、意識を接点、行為を接触と考えて、認知形式、自己組織化、システムとしての構成につづく。
なるほど、そのようなものなんだね。むずかしいな。
つづき
>それぞれじゃないのー。シラネ しぃーらねっと。
なるほど。
>気付き続けることの意味って?
気づき続けるとは、可能な限り体感する認識を新鮮なものとしてとらえつづけるということ。
それによって得られることは、さまざまな事象に対する認識が選択可能であること。
気分、雰囲気、感情、感覚までも選択可能。人の能力は結構すごいかもといったことに気づいて
選択し、実践することが可能。
どう生きるかを選択できることがわかるかも。
新しく「自分を見つめていく 2」をたてようとしたところ、「このホストでは、
しばらくスレッドが立てられません。またの機会にどうぞ。。。」と拒絶されている状態です。
可能になればたてる予定ですが、気が向いた人はお願いします。
K
提案
新スレッドが間に合わない場合は
スレッド一覧の 最も下のほうに 沈んでいる スレッドの
リサイクルは 如何でしょうか。
スレ立て 私も試してみましたが 同じでした。
最近 この板の「自治を考えてみるテスト3」が活発なので
関係があるのかもしれないと 思いました。
この板の容量が満杯になってきたから、新規スレを止めてるだけだろう。
増設待ちなんじゃないのかな。
もしくは、4百万の賠償が響いたのかな。まさかね。
706 :
名無しさん@3周年:04/04/19 17:27
渡辺二郎の講義タイトルかと思った
708 :
名無しさん@3周年:04/04/19 17:41
的確な突っ込みだな。
ていうか知ってるだろ、k。
>>708 知らないから聞いているんだよ。
日本拳法やってた人じゃないの?
このスレのファンですが、何故移転したの? このスレは使いきらないの?
>>710 赤字で警告されたのでビビって移転したんだよ。
もちろんまだ生きているから、ここに書き込むことも可能。
書き込んでくれれば使いきれるかも。
>>711 今見て気づいたけど、字は白いね。赤い帯に白抜きの字だった。訂正。
気づいたことを書き込んで欲しいな。こんなんでも。
>>681 kさん
>あなたは学級会で自分の気持ちや相手の気持ちを伝え合っていたのですか?
はい。よくみんなの気持ちを聞いて気持ちがひとつになったときは
体育祭とか文化祭なんか盛り上がりますよね。気持ちがのらないと
なかなかやる気になってもらえませんからいいカンジになりません。
>いいえ。
安心しました。
>わたしkはあなたが「いいわるいを自分で決めて」いらっしゃいますねと指摘させていただきました。
>あなたは全ての人の認識を確認されていないことは事実ですから、他の人の気持ちは判然としません。
>その事実を認めたくないのでしょうか。とても不思議です。
「コミュニケーションには色々な形があった方が良い」というのは、
わたしの発言ですから、わたしがそう思っているのは確かです。
けれど、このような意見を「良い」と判断するに至るには、
過去、両親、友人、学校、共同体、社会・・・から学んできた結果なのです。
たとえわたしの主観が「コミュニケーションの方法は単一であった方が良い」
と思っていたとしても、わたしはそのような発言を公にはしないと思います。
うーん、もしかしてkさんは自由意志のことをおっしゃっているのですか?
それなら「決断」する主体が「わたし」なのは当り前のことですけど?
(宗教的、哲学的にはどうなのかわかりません。あくまで常識ですけど。)