結論として、「見ているものを見る」という態度が最善ではなかろうか。
もっともそれは万人に適応される訳ではなく、「異常者」には適切な態度を無理にでも提供し無くては成るまい。それが社交だ。
うんこ
まんこ
ちんこ
15 :
考える名無しさん:04/04/19 17:17
ちんみ
16 :
考える名無しさん:04/04/19 17:19
社交というのはよくいる押し付けがましいやつにも表面だけはしっかりした対応しなさいという事だよね。
これは常識という。
>6
>「もしも人間の目が体の外についていたのなら、誰も自分を「特別な自分」とは思わなかっただろう。」
そうなの?
>7
?
>>9 ?
>>10 「何に」とって「どのように」最善なのかな?
>>11 他人との折り合いは、社会生活においては必然だね。
>>12-15 名詞では会話が困難だな。「こ」の韻から「ち」つづきになったね。
>>16 そういうことだろうね。重要視している人は多いかもしれない。
↑また三浦か。
>>689(自分を見つめていく)
>kがこのスレで話している背景にそのような考えはある。量子物理学(ブルーバックス程度の知識)
>でも随分前から物質の存在の不確かさが取りざたされているようだしね。われわれの存在も不確かと
>とらえられないこともないようだ。
そういえば、私も色々な本を読みあさるうち、
量子力学にたどり着いたことがありました。
さっぱり分かりませんでした。
ちゃんと理解したいという希望はあるのですが、今挫折しています。
>でもとっかかりとしてはかなり難しいし、逆に洗脳しやすいのかな。
クリシュナムルティは洗脳という手段は使っていないと思います。
私がいう洗脳は、キリスト教会などで行われている、
「ほれこみ」(byフロイト)のことですが。
彼のやり方は、仏教で言われる「薫習」ではないかと思います。
(続き)
>人の本質等に関しては説いているのかな?
彼は「愛」に重きを置いているようですね。
ザーっと読んだだけなので、私の心に響いたことしか覚えていません。
私自身、彼についてかかれた本を主観的に読んだのですが、
彼も彼自身が知り得たことを、主観的に表現したように思います。
ケン・ウィルバーはクリシュナムルティによって、
自分に起こったことを理解したようです。
ただ、ケン・ウィルバーの場合は、主観的なことを
客観的に分析しようと試みているようです。
自分の「気づき」を、数多くの資料をまとめるベースにしているのだと思います。
>検索して子どもとの対話などがあったのでちらっと見たんだけど、方便だと思うけど決め付けが多いかな
図書館でそんな本を見かけました。
パラパラめくって、「これは読まんでいいや」と思い読んでいません。
クリシュナムルティを紹介しているのに、お恥ずかしい・・・。
「子供との対話」は釈迦が行った「人を見て法を説く」と
同じことなんじゃないかと思います。
彼には「生と覚醒のコメンタリー1〜4」という著作があるそうです。
読んでみたいのですが、入手困難のようです。
>>1 ガイドライン違反です。
http://info.2ch.net/guide/adv.html#saku_guide ☆2ちゃんねる削除ガイドライン
3. 固定ハンドル(2ch内)に関して
スレッド
固定ハンドルが題名に入っている・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法を目的としている・等は、
自己紹介板・最悪板・夢・独り言板・おいらロビー・なんでもあり板以外では、原則として全て削除または移動対象にします。
================== 終 了 ==================
>>19 根拠は?前スレがそこだったとしても書き込んでいた人と内容はここで問題ないと思うよ。
>>20 その人はどういう人なのかな?
>>21-22 >彼のやり方は、仏教で言われる「薫習」ではないかと思います。
なるほど。その「薫習」について教えてもらえるかな。
>彼は「愛」に重きを置いているようですね。
うん。その言葉は印象深いね。
「愛」に付帯する雰囲気はなにやら良い感じがしそうだね。どのような意味付けで使用して
いるのだろう。
これに関する思いは人それぞれだろうけど結構強いものがありそうだ。
愛の本質とはなんだろうね。
>>23 ご丁寧にどうも。
残念ながら君の指摘
3. 固定ハンドル(2ch内)に関して
のどこに違反しているのかがわからない。
具体的に細かく、わかりやすく指摘してくれるとありがたいかな。
人は何のために生きているだろう。
古来から求め続けていた答えは得られただろうか。
自分をよく見つめて考えていくとわかってくるのではないだろうか。
そんなものないでしょう。
>>25 >なるほど。その「薫習」について教えてもらえるかな。
本から引用させてもらいます。
「薫習」は梵語ヴァーサナーの翻訳語。「くんじゅう」と読む。
経験のすべてが人格の根底に蓄積されることである。
香りが衣に染み込むように、あるいは霧のなかをいけばいつしか湿ってくるように、
いつからともなく、また明確化することもできぬ状態で、
しかし確実に人格の中に浸透してその人の人格と世界を形成するのである。
・・略・・
人格の底に新しく経験が<薫習>されることによって、
人格が新しい豊饒な自己を発(おこ)し、生じるのである。
豊かな自己が生まれるのである。
玄奘三蔵訳『唯識三十頌』要講
太田 久紀 著
中山書房仏書林
>愛の本質とはなんだろうね。
「『他』と安定を共有しようとする心」
こんなのはどうでしょう?
>>28 君にはないのかい?
「ただ」生きてるということだろうか。
「ただ生きる」これが自分に気づいていない生き方かもしれないね。
人は何のために生きているか、自分に問い掛けてみたことがあるのかな?
他人もいいけど、まず自分でしょう。
君はどうしたい?
>>29 いつもありがとう。
kの受け答えは実に素っ気無いし、気に障るレスと取られる可能性が大きい。
これも意図的のため容赦願いたいところ。いわゆる「悪気」は一切ない。
きみや他のよくレスをくれる方々には日本の世間一般常識から逸脱したレスばかりで
申し訳ない。反省はするもののとりあえず変更する予定がないことを了解いただきたい。
君が教えてくれた「薫習」はおかげでなんとなく理解した。
「経験のすべてが人格の根底に蓄積されることである。」
これは経験は全て人格が形成に関わっている、ということだろうか。
「いつからともなく、また明確化することもできぬ状態で」
このあたりの雰囲気が「薫習」にとって重要そうだね。
「人格の底に新しく経験が<薫習>されることによって、
人格が新しい豊饒な自己を発(おこ)し、生じるのである。
豊かな自己が生まれるのである。」
この結論の根拠はちょっとわからないが、玄奘三蔵か太田久紀かはたまた釈迦?の伝えたい
内容はよくわかる。
つづき
洗脳は思考停止もしくは思考固定を強要するイメージがある。
薫習にはそれがないようだ。
彼は人に気づかせるきっかけを与え続けたのだろう。そのことをきみは「薫習」ととらえた。
きっかけは経験となり、自己の体感や記憶などと関わって新たな気づきを生じるかもしれない。
でも果たして「方向性」を決め付けずに話をしていたのだろうか。
kが人との対話や難しそうな文章でとても気になるのが「方向性の決めつけ」。
話し合いは前提となる基盤が明確でないと同じところを回ったり、枝葉の部分でこじれやすい。
その意味で前提となる基盤はある方向性を持つこととなる。その基盤から大きく逸脱すると話し合いには
ならない。だが、漠然としているものや決定していないことを扱うというのも話し合いの前提としてある。
全て決まっていることは話し合う必要がなく、「報告」が適切かもしれない。
それなのに「もっと狭い範囲のある方向」に「導く」かのような話し合いもある。
これには主張側の明確な意図がある。「そうしたい」か「その方がいい」といった思惑だ。
当然このスレッドを立てたkにもある。
つづき
話し合いであってもそうだから、誰かが人に何かを伝えようとして対話を望んだり、書き記す
といった状態ではなおさら「方向性」は明確になるだろう。
それに加えてその人が多くの人の支持を得たとされる状態であれば、いわゆるカリスマ性といったもの
が生じる可能性も高く、ある種の神格化がなされるだろう。
そのような状態においては中心人物が多岐にわたって細かい配慮を続けない限り洗脳といった状態に
まず受け手が陥りやすいと推測する。
カリスマ性は自然発生的なもので本人にもいかんともし難い、と思う人もいるかと思うが、
人に気づきを促すことを主眼とするのであれば、そのカリスマ性が洗脳を呼ぶ危険性を孕むだけに
留意を要するところだろう。
偉そうに語るほど彼の文章を(ほとんど)読んでいないので、まったく的外れの可能性は否定できない。
ただし、彼が多くの決め付けをしていると感じたのは事実。
善悪も彼には明確にあるかもしれない。それが個人の自由な選択により決められる、といったことを
しつこく語っているならとても共感できるのだが。
つづき
つまり、善悪の価値観が強烈な思い込みとして持っている人の発言は、基盤が揺ぎないだろうから
硬いし明確な方向付けを示すこととなる。
そこにカリスマ性が生じている場合、これをkは洗脳ととらえる。
むろん悪いとは思わない。それで自己(の欲求の)実現を体感した人もいることだろう。それは素敵なことだ。
>「『他』と安定を共有しようとする心」
なるほど。愛には「他」が前提条件ということだね。そして「安定」とするある種の理想を
ともに体感しようとする「心」(思い?)。
うん。同じようなとらえ方をする人は多いかもしれないね。
彼はどのようにとらえているんだろう。どこかに書いてあるのかな?
宗教板の方が512k超過で書き込めませんでした。(1レスだけ書きこめた)
kさんとの会話はこちらに書き込むつもりにならないのでこれで終わりです。
相談系の話をするために
>やっぱりlife板だよねー。ごめんなさい。
>life板に逝こうと思います。
といって人生相談板と宗教板に書き込んでいたので。
(あちらにPart2を立ててもらえるなら書き込みますけど。)
お話に付き合ってくれてありがとうございました。m(__)m
>>33-34 >kが人との対話や難しそうな文章でとても気になるのが「方向性の決めつけ」。
うーん、難しいですね。
「方向性」は持たないと何も語れなく、自分の考え、思想を
伝えることも出来ない。
彼の方法が主観的に訴えるものだから、「決め付け」と感じても
不思議はないのだと思います。
>つまり、善悪の価値観が強烈な思い込みとして持っている人の発言は、基盤が揺ぎないだろうから
>硬いし明確な方向付けを示すこととなる。
>そこにカリスマ性が生じている場合、これをkは洗脳ととらえる。
「洗脳」の定義が、私と少し違っているのですね。
私は「考えを伝える側に、強制的に思想統制しようとすること」を
洗脳ととらえます。
前のスレッドでしたでしょうか、
kさんはプロテスタントの教会に足を運ばれたことがあるようでしたが、
パンとぶどう酒の儀式はご存知でしょうか?
記憶の有る限りでは、ただ一度だけ遭遇した洗脳の現場です。
鳥肌が立ってしまいました。
カリスマ性を生じる場合は、なんらかの魅力がある人物に対し、
それに惚れる、賛同するようなものだと思います。
そういう気持ちがあってこそ、自分の心の成長につながりませんか?
まとめると、
「洗脳」の主体は「導く側」
であり、
「カリスマ性」の主体は「導かれる側」
だと思っています。
クリシュナムルティが、宗教という形態を捨て対話の方法をとった理由は、
自分が神格化されることを望まなかったからだと思います。
>>34 >彼はどのようにとらえているんだろう。どこかに書いてあるのかな?
彼の詩があったので、その中の一つを書かせてもらいます。
千の視野を持つ千の眼
千の愛をもつ千の心、
それが私だ。
清き川も濁った川も
受け入れ、
頓着しない海のように、
そのように私はある。
山間の湖は深く、
泉の水は澄んでいる、
そしてわが愛は事物の隠れた源泉だ。
ああ、ここへ来てわが愛を味わえ、
そうすれば、涼しい黄昏時に
蓮(ロータス)が誕生するように、
君は自身の心の秘密の願望を見つけるだろう。
ジャスミンの香りが夜気に充満し、
深い森の奥から
過ぎ行く日の叫びが届く。
わが愛する<生>は重荷を下ろして軽やかだ、
それを達成することが究極の自由だ。
(「生の詩」16頁)
上の詩は「愛とは何か」をうたったものではありませんが、
クリシュナムルティの表現方法は伝えられると思います。
>>37 この詩をみると、彼はやはりいいねー。
でも、訳がいまいちだったりするなー。
原文がないから難しい。
>そしてわが愛は事物の隠れた源泉だ。
そしてわが愛は全ての物に隠れている源泉だ。
>君は自身の心の秘密の願望を見つけるだろう。
君は自身の心に隠れていた望みのもの見つけるだろう。
前スレ
>>647 >20代のときに何か気づいたようです。
どうやら、それが、これのようですね。
「涼しい黄昏時に
蓮(ロータス)が誕生するように、
君は自身の心に隠れていた望みのもの見つけるだろう。
ジャスミンの香りが夜気に充満し、
深い森の奥から
過ぎ行く日の叫びが届く。
わが愛する<生>は重荷を下ろして軽やかだ」
>>39 >そしてわが愛は全ての物に隠れている源泉だ。
>君は自身の心に隠れていた望みのもの見つけるだろう。
こちらの方がいいですね。
実は私も書きながら、
「『そしてわが愛は事物の隠れた源泉だ。』?。これはなんだ?」と
考えてました。
エヌさんは『生と覚醒のコメンタリー』を読まれたことはあるのでしょうか?
だったら、とてもうらやましいです。
「英文のものなら手に入るかも」という情報はネット上で得たのですが、
訳しながら読んでいく自信がないんですよね・・。
>>40 とても綺麗な表現ですよね。
こんな表現が出来るのも、
彼の心にそのようなベースがあったからなのでしょうね。
>>41 >エヌさんは『生と覚醒のコメンタリー』を読まれたことはあるのでしょうか?
いいえ、ありません。
まだ、本を読んだことはありません。最近2chのスレで知りました。
だから、彼についてあまり知らないのです。
>>42ちょっと飾りすぎのような気がしますが・・・
私だったら、少しアレンジして、こう表現します。
「人生の黄昏時に蓮の花が誕生する。
そのとき、自身の心の中に望んでいたものがあったことを見つける。
美しいハーモニーが暗闇の部屋に充満し、
過ぎ行く日の叫びが深い湖の静寂をもたらす。
わが愛の<生>は重荷を下ろして軽やかだ」
あんたのは、いらないって?失礼しやした。
人生の黄昏⇒老人の意味でなく、最悪な時ってことです。
>>44-45 私の場合は、このような表現はとてもむりですね。
たぶん、ニーチェのような表現になりそうです・・。
(ニーチェ本しか読んでいないのですが・・。)
なので、クリシュナムルティのような表現にあこがれてしまいます。
>人生の黄昏⇒老人の意味でなく、最悪な時ってことです。
ニュアンスはわかりますが、彼の場合「最悪な時」だったのでしょうか?
あー、でもこれは本人が手記でも残しておかないと、わかりませんね。
私の場合は、周囲からは「最悪な時」と見られていたようですが、
私の心の中は必ずしもそうではありませんでした。
とにかく一人で居たかったですね。
人に会いたくない、会話したくない。
全てが嫌になったというわけではなく、
一人で体育座りをして、いつまでもうずくまっていたかった。
「鬱っぽいけど、鬱ではないな」と冷静な判断もしてました。
この状態が「黄昏時」かなーと思っています。
>>46 >ニュアンスはわかりますが、彼の場合「最悪な時」だったのでしょうか?
特に何かがあったわけでは有りませんが、
しいて言えば、
この希望をかなえることはできない。
⇒この思いをかなえることはできない
⇒この思いを満たすことはできない。
という思いに至った。
彼もおそらく、黄昏に咲く蓮に掛け合わせて、同じ意味を言っているのでしょう。
なぜかって?
おそらく、このルートしかないと思われるからです。
>>35 >kさんとの会話はこちらに書き込むつもりにならないのでこれで終わりです。
大変残念です。
またのご利用を心よりお待ちしています。
ご苦労様でした。
>>36 話をする上で方向性は必要だね。決め付けも必然かもしれない。
でも、価値観の決め付けは発言者にカリスマ性があればあるほど洗脳になりやすいと思う。
>そういう気持ちがあってこそ、自分の心の成長につながりませんか?
その通りだと思う。kはカリスマ性やそれを有する人に惹かれることを否定していない。
気づき続けるには不適切な面が大きいとは思うよ。これがいいと思い込みやすいと思うので。
でも気づくには適切だね。当たり前のようで気づきづらいことをわかりやすく提示す
ることで、人に気づかせることは可能になる。
そこにいい雰囲気が付帯することでその気づきが心地よいものになることだろう。
つづき
気持ちがよいにもいろいろな種類があると思う。
心地よい洗脳も世の中では多く見受けられる。というか資本主義社会では日常がそれ
を基盤にしているともとらえられる。経済基盤もあり選択肢がある状態だと、選ぶ基準は
うまく騙されたい(語弊はあるね)といったことかと思うよ。
>「洗脳」の主体は「導く側」であり、「カリスマ性」のは「導かれる側」だと思っています。
そうだね。でもカリスマ性が出ていることに気づかない指導者には問題が生じるかもしれない。
伝えたい本質に気づく作業より、指導者の雰囲気を重視しありがたがる人も出てくるだろう。
人々を気づかせたいという思いがあったとしたら、その状態は本意ではないかもしれないね。
ある事柄を知らせたいのなら、それを提示することで叶う。
気づかせたいのなら、本人が一種の発見をするような状況を整える必要がある。
気づかせ続けたければ、気づきを知識にさせない工夫が必要となる。
つづき
>クリシュナムルティが、宗教という形態を捨て対話の方法をとった理由は、
>自分が神格化されることを望まなかったからだと思います。
よく理解できる。
彼がその手法を選択したということは気づかせ続けたかったんじゃないかなと推測する。
人の気持ちも自分のそれもすぐに変わるから、真実を伝えるには直接語り合う方法が適して
いるだろうね。
>>37 >千の視野を持つ千の眼 千の愛をもつ千の心、それが私だ。
多角的視野に立ち、自由な思考をするということだろうか。
>清き川も濁った川も受け入れ、頓着しない海のように、そのように私はある。
固定観念を持たない、と読めるね。
>山間の湖は深く、泉の水は澄んでいる、そしてわが愛は事物の隠れた源泉だ。
許容量の広さと意識が澄んでいるということの比喩だろうか。彼の愛が事物の本質を
見出すということだろうか。
>ああ、ここへ来てわが愛を味わえ、そうすれば、涼しい黄昏時に
>蓮(ロータス)が誕生するように、君は自身の心の秘密の願望を見つけるだろう。
彼の精神(心理?)状態に類似した状態を体感することで、われわれは自分の本質を
見出すことができるということかな。
>ジャスミンの香りが夜気に充満し、深い森の奥から過ぎ行く日の叫びが届く。
癒された雰囲気の中、過去となりつつある苦悩が感じられる?むずいね。
>わが愛する<生>は重荷を下ろして軽やかだ、それを達成することが究極の自由だ。
不必要なストレスから解放されて自由を体感しているということかな。
>>38 >上の詩は「愛とは何か」をうたったものではありませんが、
>クリシュナムルティの表現方法は伝えられると思います。
そのようだね。紹介してくれてありがとう。
やはり彼のいう「愛」を理解することが彼のいわんとすることを理解するには重要なようだね。
きみは彼のいう愛をどうとらえているのだろう。やはり
>>29に書いてくれたような「心」だろうか。
>>43 >だから、彼についてあまり知らないのです。
横レスで失礼。
きみには何度か同じ質問をしているが、前スレで「ムルティ」とあったのは今君が話題にしている
人のことなのかな?それとも別の人だろうか。
このスレには、自分が気づいたことや自分の思いなどを気が向いたら書き込んで欲しい。
ここでkが前スレで書いてきたキーワードをいくつかあげるので、気が向いた人は考えて欲しい。
・「思い込み(固定観念)」「決め付け(先入観)」
人の成育過程において便宜上身についた知識。利用価値が高い反面、事象に対する新たな発見が
しづらくなる。
賢くなるに従って、生活上で出くわす事象に対してそれらに照らし、反射的・自動的に言動を
発する傾向にある。すぐに対処できるが、事象に遭遇した新鮮味は得られない。
・「気づき・気づく」
自分で規定した思い込みや決め付けによる反射的な反応に流されずに、遭遇した事象を素の状態
でとらえてなんらかの発見をすること、または行為。
・「自分と自分以外(他)」
自己認識を基盤とした世界観。自己の認識は明確なようで曖昧。自分以外(他)は自己の
五感を通した知覚を脳内(だと思うけど)で統合して存在を認識している。知覚が常に変化可能で
固定されておらず、慣れると鈍磨になることを考えると、自分以外の認識の曖昧さが理解できる。
・「自分の気持ちを最も大切にしている」
人は(気持ちがあるとすれば他の生物も)自分のその場の気持ちを最も優先させようと
しているかのような行動をとる。また、その認識が希薄。言動の根拠を他の価値観(善悪)
に依存して「自分がそうしたい」と思っていることを理解しない。また、実際それほどの
強い思いもない。多くの人がこのあたりのことに気づいていない。
・「自分を見つめる」
まずは、上記の「自分の気持ちを最も大切にしている」ことに気づいていく作業。
あまりにもめんどくさいので、多くの人が嫌いな作業。
・「共通認識はない」
全ての人が(地域・経験・学習能力等の括りを設定しても)ある事象に対して同じとらえ方を
することはありえないということ。そう見えることは多くある。
遺伝的にも育成環境も異なるためとらえ方は人それぞれ。これに関して「思い込み」「決め付け」
を作動させて、人との折り合いがうまくいかないことが多い。
・「他人の考えや気持ちはわからない」
他人の痛みが想像や推測しか出来ないのと同様、考えや気持ちも推測するのが関の山。
上記の「共通認識はない」ことをよく理解すればこれも理解可能。人との折り合いをつける上で
重要な認識。
・「善悪(いい・わるい)は主観」
絶対的な善悪の規定が全世界的に未だ確定していない現在、善悪は道徳・習慣モラル・法規等の
共通認識的なものであり、実際は自己の主観に基づいて決めているということ。
気づいていない人も多い。
・「折り合いをつける」
人の本質を見るとき基本的に自己保存を本能に持ち、したいことをして、したくないことは
なるべく避けたいという欲求がある。
このような人が「自分」や「自分以外」と関係を自己の満足のいく状態を維持する作業。
多くの人が挑んで失敗を体験していることと思う。まずは人の本質を理解して「作戦」を
立てる必要があると思う。いずれその話をしたい。
>前スレで「ムルティ」とあったのは今君が話題にしている人のことなのかな?
ジドゥ・クリシュナムルティのことだ。それが何か。
>k
君と議論できんなー。
何も一致するものがないし、それより何より、なんだろう?
別世界なんだな。ねじれの位置にいるというか。交わるところがないというか。
ま、放っておいてくれ。
例えるなら、フリータと公務員じゃ話があわんだろ。
>エヌ
Kは敢えてそういう態度をとってるんだよ。ここでのKは立場上、Kの主張に反す
る事は何も言う事ができない。言ってしまえば気付かせるという大きな目標に
反してしまうから。たぶん君の言いたい事やその裏にある気持ちも、かなりの
確率で分かってるんだと思うよKは。そして人間的にもなかなか面白い人間だと
思う。だから哲学版の「わかったんだよ」スレならある程度主観にのっとって
話ができると思うがどうだろう?
>>k
ま、俺じゃなく、他に教えてあげるといい。
他の人は喜ぶかもしれない。
俺は知ったかぶってるから 暖簾に腕押し、糠にくぎ、馬耳東風、馬の耳に念仏、猫に小判、豚に真珠
だから他をあたってくれ。
せめて某107さんぐらいのカキコするなら、相手してやろう。
ここの議題は”自分”。共通する何かの話をすることは副産物のようなもの。
何も一致するものがないとしたら”自分”を議題にしていないのかもしれません。
>>59 >ジドゥ・クリシュナムルティのことだ。それが何か。
「ムルティ」という略し方は一般的なのかな?
また、前スレで「ムルティという人がいて、その弁を真似ていたんだね。」
などの書き込みがあったので、どのあたりがそう思えたのか詳しく知りたいと思ったんだよ。
>>60 >君と議論できんなー。
これは決め付け(
>>55参照)だね。
>何も一致するものがないし
これは思い込みだね。
>ま、放っておいてくれ。
同様のことを、じゆん・ハルカ・Sも他スレで書いていた。
でも、ここはkの立てたスレで、一貫してほとんどのレスに返していることを考えた上での
発言なのかな?
>例えるなら、フリータと公務員じゃ話があわんだろ。
思い込みだよ。調べてみた?
>>61 よく理解してくれているようだね。
前スレから一貫して、ここを気づきのきっかけの場とするために鋭意努力しているkの態度を
汲み取ってくれる人がいることはありがたいことと思うし、そう受け取られる可能性があることを
見せてくれたという意味でもありがたい。
きみは他にも書き込んでくれているのかな?気が向いたらどんどんお願いしたいな。
苦しんでいる人は多いし、救いを求めて哲学や宗教に向かう人も多いだろうね。
宗教板に立てたものの、宗教関係者の書き込みがほとんど確認できなかった。
原因の一つはkが宗教板の他のスレにいかなかったこと。でも原因は他にもありそうだ。
つづき
結局書き込んでくれた人のほとんどが哲学板の人だった。
原因の一つは、というよりほとんどkが哲学板の悟り関連スレでいろいろな突込みをし続けた
ことが原因だろう。
きみはどちらの住人だったのかな?
kは実生活ではそれこそ読売新聞やみのもんたが取り扱うような人生相談に関して前述の
キーワードをもっと噛み砕いた状態で用いながら対処している(仕事ではないよ)。
話が具体的であるがゆえ、人にもよるが理解が早い。
そして、そこには一つのキーワードが大きな意味を持っていると考えている。
前スレで何度も執拗に疑問形で書いたことだから気づく人も多いと思う。
kが話し合いたいのはそのことについて。
未だそれを語る前段階の基礎。通常の工事と異なる手法のため困難を極めている。
というのも、基礎固めをしないで硬いものを柔らかくすることがこの手法の基礎だから。
構築するのではなく、自分の中にあるものに気づく作業だから。
でもこの基礎が最も重要だと思う。kがいずれ話し合いたいことはこの基礎が体感できれば
自己発生的にみんなから欲求が出てくるものかもしれない。
>>62 >ま、俺じゃなく、他に教えてあげるといい。
いいかどうかは自分で決めるんだね。(
>>58参照)
>他の人は喜ぶかもしれない。
そうだね。可能性は否定できない。でも人のことはわからない。(
>>57参照)
>だから他をあたってくれ。
あんた、あの子のなんなのさ?港のヨーコ横浜横須賀〜という感じでかっこいいね。
>>63 >せめて某107さんぐらいのカキコするなら、相手してやろう。
その表現は某107に対する礼節を欠く危険性が高いと思うよ。もちろん彼(彼女?)は
気にしないかもしれないけど。でも折角話し合っていた相手に対する配慮は君にとっても
大切かもしれないよ。
そもそもこのスレや某107がいたスレでkに関わりを持ったのがきみからだったことを考えると
奇妙な台詞回しに受け取れるね。
掲示板の利点は、後から自分の書き込みを再読できること。利点を生かしたらどうだろう。
>>64 >ここの議題は”自分”。
そうだね。一応そのような主旨で議論展開を望むスレとして立てた。
ここにまた理解してくれる人がいるようで、ありがたい。
>共通する何かの話をすることは副産物のようなもの。
その通りだね。
そしてその副産物がとっても面白かったり、自分にとって重要だったりすることも多い。
>何も一致するものがないとしたら”自分”を議題にしていないのかもしれません。
なるほど。これは意味深だね。
kが語り合いたいことをきみは書いてくれたのかもしれない。
自分を見つめていくと、「他」と何かしら一致するものがあるという見方も可能だね。
kがいずれ語り合いたいと思っているのは、それと類似することかもしれない。
多くの人が共通認識的に思い描く理想的な生き方。そんなものあるはずない、というのは
よくある思い込み。
生き方はシチュエーションだろうか?気持ち、こころ、事象のとらえ方・・・そういった
ものでいくらでも変わるという体験やそのような体験を伝える話を見たり聞いたりしたことは
ないだろうか。
自分を見つめていくと、自分がどうしたいのかが見えてくると思う。
もしかしたら突き詰めるとそれはみんな同じかもしれない。そして当たり前にみんなが
知っていることかもしれない。
>>69 自分がどうしたいのか?
自分を活かしたい。
でもどうすることが そうなのかわからない。
だから 試行錯誤して生きているというところか。
>k
あのさ、自分を見つめるんだったら、
>>36 >まとめると、
>「洗脳」の主体は「導く側」であり、
>「カリスマ性」の主体は「導かれる側」
>だと思っています。
このぐらいの内容のあることを今までに言ったことあるか?
書けないのなら
>>37のような詩でも持ってきたらどうだい。
>k
半年ぐらい君のカキコを見てるが、いつも何が言いたいのかさっぱりわからん。
その訳を、せっかくだから、言っといてあげよう。
例えば
>>69のカキコ
>一応そのような主旨で
~~~~~~~~~~~~~~~~
>理解してくれる人がいるようで
~~~~
>重要だったりすることも多い。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>書いてくれたのかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~~~
>一致するものがあるという見方も可能だね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>それと類似することかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
>それはみんな同じかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~
>知っていることかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~
の箇所がなくてもいい曖昧な表現のところ。
~~~~~~~~~~~~~~~
いつも、こんな調子だから、一体どっちなんだ?一体何が言いたいんだ?となるわけだ。
わかるかな。主張がないんだよ。
俺のように書き手の意図を読み取ろうとする者にとっては、非常に疲れる文章なんだよ。
なぜかわかる?読んでもまるで意図が読めないんだよ。
昔から何度か言ってるように主張をはっきりさせてね。それだけ。
>>72 書き込み失敗で訂正
半年ぐらい君のカキコを見てるが、いつも何が言いたいのかさっぱりわからん。
その訳を、せっかくだから、言っといてあげよう。
例えば
>>69のカキコ
>一応そのような主旨で
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>理解してくれる人がいるようで
 ̄ ̄
>重要だったりすることも多い。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>書いてくれたのかもしれない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>一致するものがあるという見方も可能だね。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>それと類似することかもしれない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>それはみんな同じかもしれない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>知っていることかもしれない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
の箇所がなくてもいい曖昧な表現のところ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
いつも、こんな調子だから、一体どっちなんだ?一体何が言いたいんだ?となるわけだ。
わかるかな。主張がないんだよ。
俺のように書き手の意図を読み取ろうとする者にとっては、非常に疲れる文章なんだよ。
なぜかわかる?読んでもまるで意図が読めないんだよ。
昔から何度か言ってるように主張をはっきりさせてね。それだけ。
またずれた。失敬。でも意図は伝わっただろう。
75 :
考える名無しさん:04/05/01 06:39
へーエヌって超理解力あると思ってたけど、kの意図が解りかねるんだ?
カオルもなんか分かったような分からないような感じだったので、ずーっと
不思議には思ってたんだけど。
俺は俗に言われる「頭の良い人」、例えば論理的思考が得意に見せかけれる人
とか、こ難しい事が書ける人とか(多くの人が読みとばすような文章)、そう
いったところにカオルがいて、そのちょこっと上にエヌがいて…という風に
勝手に解釈していた。
でもエヌがkの主張(エヌは無いと言ってるが)をハァ?的に思ってるのを見て
よく分からなくなった。今までエヌはkの主張をこの世で体現してきて、その
延長線上にいるからこそ、今までエヌが語っていたような事(俺にはよくわか
らないけど)が言えるんだろうなと思ってたけど違うんだな。
カオルもエヌ(エヌはそう判断するには不確定要素がまだ多すぎる気がするが)
も基礎を飛ばして「賢そうに見える人」になったんだろうなと思う。
もし本当にkの意図がわからない、理解しようとしないんだったら、この二人
には賢さの限界があるのは間違いない。
ここで、「賢さ」=「気付き続ける能力」だととりあえず定義するが、その能力
は「簡単な思い込み」を持った時点で本質的な成長は止まるだろうと俺は思う。
その根拠のヒントとしては、真実と言われているものは、適者生存の法則と同じ
様に否定されずに現時点で残っているから、ただそれだけの理由だと思う。
そしてそれは時間とともに肯定率を上げていくが、いつまでも誰にも本質的な
意味での真実の判定というのはできかねないのでは?と思う。
そういった考えの延長線上にkがいるのかなと思う。
76 :
考える名無しさん:04/05/01 06:43
77 :
考える名無しさん:04/05/01 06:57
とにかく俺のように現時点では馬鹿と呼ばれてるような奴だったら
賢くなるためにはプライドもクソもかなぐり捨てて…となる事も多いから
kの主張は理解しやすいと思う。そして今年の2月ぐらいだったかな。
kの主張が理解できたと思えたとき、「あ、ホントに馬鹿は状態なんだ」
と思えた。どんな物事も理解しようと思えば、その物事を理解するために必要
な理論を構築する方法が見えてくるというか…やるかやらないかは別だが
そして5月になった今は頭を使うのが面倒くさくなったから、このような思い
込みにとらわれた分かり難い文章になっている。
ようするに何だかんだ言ってるやつでkの言いたいことも分からないやつは
プライドを捨て切れてない場合が多いというか、俺から見ればもったいない
なぁと思う。プライドを捨てたほうがプライドは高まると思う。
78 :
考える名無しさん:04/05/01 07:38
>エヌ
ところで君さぁ、哲学板の「人生最大の発見」というスレ知ってる?
それのbQ(パート2)が凄い面白いし、読めばkの言いたいことも分かる
と思うよ。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9272/gen2.html ↑
ここの43の「俺」という人と76の「k」のやりとりが凄く面白い。
悟りやら解脱やら、その他全てのものにも通じる考えがここにあると思う。
哲学板では今bRをやってて「俺」という人はまだいるみたいなので
興味持った人は話し掛ける事を勧める。こんな凄い奴いたんだ!って感じ
79 :
考える名無しさん:04/05/01 09:54
幸福論
ぴかぁ〜 ◆lk7eU.5KwI :03/08/13 03:06
------------------------------------------------------------------
幸福とは、曖昧な観念であり、曖昧な言語である。そこのは大きく二つの種類に
分けられるように思う。感情としての幸福感であり、概念としても幸福である。
これは同じ言葉であるが全く違うものである。
この感情としての幸福感を明確に規定することは難しい。
それは喜び、楽しさ、嬉しさなどの言葉を明確に規定することはできず、
なおさら感情としての反応として、区別することができない、
また同じ感情を、状況によって名前を変えている可能性が高いからである。
そしてドラッグなどにより得られる幸福感は、生体内の化学反応により、
このような感情を誤動作させるようなものであると言えるあろう。
80 :
考える名無しさん:04/05/01 09:55
もう一つの概念としても幸福とは、曖昧なものである。
ある種の理想的イメージとしての幸福という観念であり、予測である。
これら二つの幸福の関係性は、たとえば、私の中に予測としての幸福という
曖昧なイメージがあり、それに近づいたときに幸福感という感情が内部に
発生するようなものである。
しかしこれはかなり安易なモデルであり、幸福のイメージとは曖昧であるが故に、
それが達成された場合も、幸福感が訪れない可能性もある。
-------------------------------------------------------------
そしてこの幸福感という感情そのものを発生させるシステムは、
生得的な物理的な感情発生システムであるが、それを呼び起こす判断アルゴ
リズムは、
生得性と後天的なものがあるように思う。
生得的なものは、生命の思考する経済性の達成につながっているように思う。
簡単には、ある状況のおいて、経済性の向上が行われたときに
感情としても幸福感がわき上がる。
それに対して、後天的なものは少し複雑である。
過去の状況のおいて作られたアルゴリズムが、そのような形態になっているか
によるからであり、欲の人により様々な形をとるのではないだろうか。
-------------------------------------------------------------------
では、私たちはどのようにすれば、幸福になれるのだろうか。
これはまた難しい問題である。
なぜなら幸福の結果である幸福感とは感情であるために、継続性が低いためである。
感情というのは生理的な防御システムとして、「慣れる」というシステムを
とっているからである。
それと経済性の追求は、絶えず相対的である。達成されたある経済性は、
さらなる経済性をついすることを欲求するのである。
81 :
考える名無しさん:04/05/01 09:55
このように考えると、生命とは幸福を継続させない、満足を継続させない
システムであるといえる。
幸福の追求の目的化は、本質的には意味がないことになる。
ではなんのために生きているのかという問題に行き着くわけだが、
生命とは、本質的には経済性を追求しつづけるシステムであり、
幸福とはその副次的なものでしかなく最終目的化出来ないのである。
人生哲学に帰結させると、人は幸福になるために生き続け、
目指しつづけるものであるということだろうか。
>>70 >自分がどうしたいのか?
>自分を活かしたい。でもどうすることが そうなのかわからない。
ちょっと待って。
自分を活かしたいというのは確かなのかな?
仮にそうなら「自分」がわかっているんじゃないだろうか。
活かしたい「自分」はよくとらえられないけど、なんとなく自分を活かしたいと思ったのかな?
まずは自分を見つめてみたらどうかな。
自分が何を望んでいるのかは自分にしかわからない。
>だから 試行錯誤して生きているというところか。
そうだね。たぶんそれは生きている限り続くだろうね。
いずれ、それらを通して喜びを体感しながら生きる方法を話し合いたいと思っている。
>>71 >このぐらいの内容のあることを今までに言ったことあるか?
さあ?どうだろう。それはきみの評価だからね。きみの分類法で判断するしかないと思うよ。
むろんきみがこの手の文意を読み取るのが苦手なのは理解しているつもりだけど、そうとしか
答えようのないことをきみは書いていることに気づかないのかな。
>>72-74 kは君の意図は汲むけど、きみはkの意図は汲まないようだね。
>わかるかな。主張がないんだよ。
それは何度も自己申告していること。きみがそれを理解していないようだよ。
kはスローガンを打ち出したり、決め付けた主張を押し付けたりしていない。
そういう基本姿勢でスレッドを管理しているkの意図を理解しないきみの発言はとても参考になる。
とりあえず、放っておいてくれと書きながら自分から書き込んでいる。
kの質問には答えない。
話し合いをするつもりがないようだから、kを諭そうとしてくれているのかな?
>>75 随分理解力に長けているようだね。大変ありがたい。
きみの挙げた2人の理解度に関しての疑問はよくわかる。
原因はいくつか推測が成り立つ。
1.kのレスをあまり読んでいない。
2.kの書いた内容だからたいしたことはないだろうという決めつけがある。
3.一般的な読解力に欠ける。
など。
kの書いたキーワードは真理であってkの捏造等ではない。様々な場面で類似した言葉が
交わされている。気づいていないかもしれないが。
それをあげあしとりのように受け取るのもまた仕方のないことかと思う。
誤解は話し合いでとける可能性がある。ここでいう話し合いは気持ちの動かし合いではない。
話し合う内容に関する本質についての互いの思い込みを打ち明けあう作業だ。
きみには理解可能だと思う。
>>76 面白いね。
>>77 >プライドを捨てたほうがプライドは高まると思う
なるほど。その通りかもしれない。
馬鹿は状態だね。賢いのも状態。どの状態になりたいかは自分で選択可能。
ミルコがドンキーにK.Oされるように、ヒョードルも努力しなければ王者ではいられない。
井上も鈴木に敗れた。努力していても叶わないこともある。
どう生きたいかを自分で決める。
いい・わるいは自分で決める。(ピピピカソだったかの歌詞にも ピーピピピピーピカソも
ダビンチもー いいかどうかは自分で決める〜というのがあったよ)
自分で決められない状態に多くの人がいるようだね。
きみはどう思う?
>>78 >ここの43の「俺」という人と76の「k」のやりとりが凄く面白い。
きみはそれも読んでくれたんだね。ますますありがたいな。
でも「俺と」76はそんなに絡んでいなかった気がするけど。76はあまり彼に相手にされて
いなかったんじゃないかな。
そのスレではかなり具体的なことを書いているね。興味をもってくれたのなら嬉しい。
きみのように思考が自由な人が増えてくるとこのスレも世の中も面白くなるだろうね。
まだまるで方向違いだけど、「意図をはっきりしてくれ」ということだ。
「言いたいことをはっきりしろ」ということだ。
「かもしれない」「という見方も可能だ」とあやふやを連発されたら、何も進まない。
自分を見つめることでわかった。何かわかったのかもしれないけど、
「何について」が決定的に抜けてる。○○についてわかった。の○○がないんだよ。
原則発見だっけ。それも同じ。同一の類。類友ってヤツ。
原則についてわかった。でも何の原則なんだ??
○○についての原則がわかった。 これならOKだ。
では○○って何だ。と次に進む。
○○は言葉で表現が難しいけど例えば△△だ。
具体的には、××だ。と進んで、なるほど。。。となる。
言いたいことは簡単「具体的に話せ」それだけ。
>エヌ
君はkの言いたい事を全部見越した上で「具体的に話せ」と言ってるのかな?
それともkの言いたいことが分からないから「具体的に話せ」と言ってるの?
後者ならそう言いたくなるのも何となく分かるが、前者ならば「具体的に話
をさせる」とやらの、やり方があまり有効ではない。俺なら、郷(スレ)に入
っては郷に従えの言葉どおりにまずkの主張に、つまり「複数の価値観を想定
せずに話をするのは、見る人に誤解を与える可能性がある」という主張に
のっとり話をする。
そして、「俺はkの言いたいことは分かったし、会話が成り立つ事も証明できた
よな。しかしな、あんたのやり方ではこういうデメリットがあるよ…」
てな具合に話を持っていくけどね。まだ君は郷に入っていない。
まぁ入りたいとも思ってないかもしれないが。
単純に君の文章だけ見ると後者だろうと推測できるが、俺は他のところに
書いてる君の文章を読む限りでは、kや俺の言いたいことは十分に理解できる
人間だと思えてならない。もしそうならば、試しに郷に入ってみてはいかがだろ
うか?君もkの立場は分かるだろ?
ちなみにkは原則スレでずっと自分の発言の根拠を示し続けていたよ。
こんなに発言者の意図がわかるような文章書ける人がいるって事が俺には
衝撃的だった。たぶんそういう方面の勉強と努力はもの凄い量だったと思う。
90 :
エヌ ◆XEvUT1ciAM :04/05/01 14:19
>>78 >ここの43の「俺」という人と76の「k」のやりとりが凄く面白い。
>悟りやら解脱やら、その他全てのものにも通じる考えがここにあると思う。
何についてどういうことを発見したのか具体的でない。
もし、何かを発見したとして、表現できないなら、おぼろげにしか発見してないということだ。
おぼろげながらも表現できないとすれば、ほとんど見えていないのだ。
はっきりと断言しておくが悟りやら解脱やらにまるで関係なし。
何にも通じていないし、その気配もまるでない。
上の文章は郷に従えの訂正。
郷(スレ)に入り書き込みすることは誰にでもできるw
>>89 原則スレではk氏が「具体的に話せ」といって、
自分を見つめていくスレではエヌ氏に「具体的に話せ」と言っている。
具体的にもそれぞれの具体的があるのだな。
93 :
考える名無しさん:04/05/01 15:12
>>92 良レスだね
君はkのこのスレでの意図が推測できる?
それとも分かり難い?
>>79-81 これはぴか〜のレスのコピペと受け取れるね。
書いてあることはまさしく真理だ。
kがこのスレを通していずれ語り合いたいことに類似した内容だ。
>>78に紹介してくれたスレに76の関連レスがあると思いうよ。
>>88 >「言いたいことをはっきりしろ」ということだ。
>>1に書いてあるとおりだよ。
今のきみには理解不能かもしれないね。
みんなの気づきによってそれぞれの悩みが解決する方向にいく「かもしれない」と思っているんだよ。
きみの思考基盤として固めたものをいったんなしにしてみたらどうかな?という提案と受け取ってもらっても
かまわない。
このスレでkが語っているのは、きみが大切にしている(ようにみえる)思考基盤を見つめなおす
方法なんだよ。
きみがとらえている「主張」はまだしていない。カチカチの思考では理解不能な内容なんだよ。
思考を自由にしたらどうかな。
96 :
エヌ ◆XEvUT1ciAM :04/05/01 18:27
>>95 「思考基盤を見つめなおしてカキコする。」と「具体的でなくなる」のとは違う。
思考基盤を見つめなおした結果、幸福は
>>79-81の通りか?。。。
うーん。一体何を見つめ直したんだ?
的を外しすぎだ。
>>75 >へーエヌって超理解力あると思ってたけど、kの意図が解りかねるんだ?
>カオルもなんか分かったような分からないような感じだったので、ずーっと
>不思議には思ってたんだけど。
kさんの意図は本人の意図に反して押し付けになるくらいw明確に主張されています。
それにkさんはkさんの意図にしたがう必要なんてないともつねにいっていますね。
「郷に入っては郷に従う」というようなテリトリーの慣習や風俗にしたがう処世術は
知恵ですね。慣習や風俗にたいして客観的に「みつめる」距離感がそこにはあります。
郷にもとからいる人にとっての慣習や風俗は、テリトリーの共同体性を支える
基盤になっていることが多いために、外から来た異邦人のようなまなざしでは
それらを見つめることはなかなかできないでしょう。
kさんの「自分を見つめる」は、異邦人になったつもり(フラットなまなざし)で
自分を見つめてみたら色々な発見や気づきがあるかもしれないということですね。
要するに無自覚的に思い込みにしたがうのではなくて思い込みが思い込みである
ことに自分を見つめることで気づけたなら主体的に思い込みを利用できるように
なるし、今よりもっと自由で楽になれるかもしれない−(たぶんw)・・・ということ
だと思っていますけどね。
わたしはわたしをふくめた多くの人に思い込みが足りないなーというか
思い込みへの信頼感が乏しいなーと思うから、もっとたしかな思い込みをもてたらいいのに
ということと、思い込みを論理的に分析したり合理的に判断していくことも大切かもしれない
けれど、そのバックボーンになっている感情というものを、もっとハッキリクッキリとさせる
ようにして、その気持ちを相手に伝えられるようになることも大切なのでは、というのが
わたしの意見です。
>俺は俗に言われる「頭の良い人」、例えば論理的思考が得意に見せかけれる人
>とか、こ難しい事が書ける人とか(多くの人が読みとばすような文章)、そう
>いったところにカオルがいて、そのちょこっと上にエヌがいて…という風に
>勝手に解釈していた。
「頭の良い人」・・・自分でよく言うけど(^_^;)他人に言われたのはじめて!ウレシイ
「多くの人が読みとばす」・・・超ショック!カナシイ
「ちょこっと上」・・・エヌさんに失礼です!ガハハ
「こ難しい事が書ける人」「論理的思考が得意に見せかけれる人」
・・・の自覚はないでございまする。
>カオルもエヌ(エヌはそう判断するには不確定要素がまだ多すぎる気がするが)
>も基礎を飛ばして「賢そうに見える人」になったんだろうなと思う。
「賢そうに見える人」・・・ホントにー? ホメ殺しですか?
わたし賢くないから見えるだけでも〆たもの!(笑)
>もし本当にkの意図がわからない、理解しようとしないんだったら、
>この二人には賢さの限界があるのは間違いない。
だから意図がわからなくても理解しようとしなくてもいいんですってば。
>ここで、「賢さ」=「気付き続ける能力」だととりあえず定義するが、その能力
>は「簡単な思い込み」を持った時点で本質的な成長は止まるだろうと俺は思う。
>その根拠のヒントとしては、真実と言われているものは、適者生存の法則と同じ
>様に否定されずに現時点で残っているから、ただそれだけの理由だと思う。
「真実と言われているものは、適者生存の法則と同じ様に否定されずに現時点で残っている」
と仮定しても、そのことと「簡単な思い込みを持った時点で本質的な成長は止まる」は
論理的にむすびつきません・・・「論理的思考が得意に見せかけれる」わたしにはね。(笑)
ところで「簡単な思い込み」の「人を殺してはいけない」は否定されずに残っているけど
大多数の人の成長は止まっているわけなのかしら?
>そしてそれは時間とともに肯定率を上げていくが、
「人は人を殺してはいけない」の肯定率は下がっているかもしれないですね。
真実でない簡単な思い込みなのでこれから淘汰されていくわけですか?
それで"良い"と思いますか?
>そういった考えの延長線上にkがいるのかなと思う。
懐疑論、不可知論、独我論の延長線上にいる快楽主義者じゃないの?
自然科学的な意味での機能主義的な思考の行き着くところですね。
・・・以上、「こ難しい事が書ける人?」カオルでした。(笑)
100 :
考える名無しさん:04/05/01 21:30
>>もし本当にkの意図がわからない、理解しようとしないんだったら、
>>この二人には賢さの限界があるのは間違いない。
>だから意図がわからなくても理解しようとしなくてもいいんですってば。
確かに。kの意図がわからない・理解しようとしないからと言って「あなたに
は賢さの限界がある!」とは言い切れないね。ありがとう。
たぶん賢さに限って言えば、自分が
何かについて思いを巡らしたりしない限りは、それについて分かったり理解
しようとする必要は無く、そしてそのこと自体は賢さには何の影響も与えない
と予想されるからね。
その文章が通じるのは、このスレに書き込みをする事は必然的にkから話かけ
られることになり、そこでkを無視せずに「このスレの目的に沿った話し合い」
をしようとする場合、kの意図がわからない・理解しようとしなければ本人
には明らかに賢さの限界が生じる。と書いた場合とも言えるかもしれない。
要するに賢さに限界が無い人ってのは、自分が何かについて考える時に
それが理解できるための理論を常に構築できる人の事を言うと俺は定義する
もちろんこの世には人が理解できない事ってのがあると思うけど、それさえも
思い込みに囚われずに一から「理解できないための理論」を構築できる、
そんな人が賢さに限界のない人だと俺は思う。
101 :
考える名無しさん:04/05/01 21:30
>「真実と言われているものは、適者生存の法則と同じ様に否定されずに
>現時点で残っている」 と仮定しても、そのことと「簡単な思い込みを持った
>時点で本質的な成長は止まる」は 論理的にむすびつきません
ごめん。これも真実とは何かを定義しないと分からないともいえるよね。
例えば「人の行動はその先に価値を見出したから起こる」、これは俺の中では
というか世界の真実のひとつだと思う。この論を誰かに完全に否定されない
限りは俺はずっとこの論を真実だと信じ続けるだろうと思う。
ちなみに「人を殺す事はいけない事だ」という真実(真理)があるとする。
でもそれは誰かが人殺しをした時点で真理ではなくなる。俺の言う否定されずに
何とかかんとか、とはそういう意味。
「簡単な思い込みを持った時点」とは、例えば「人を殺してはいけない」という
思い込みを教えられた時、ただ単にそれを暗記した様な瞬間等に起こると考えて
いる。九九を何故そうなるのかの仕組みを理解せずに丸暗記しただけの状態に
似ているかもしれない。例えば丸暗記でもテストで100点取れれば、志望校に
受かれば、コンペに通ればなど、見せ掛けの賢さや成長は演出できるかも
しれない。
でもそうではなくて、人を殺すと自分にとってどういう結果が帰ってくるのか
なぜ人を殺さないでおこうと自分が思えるのかとかそういった事を一から理解
していく事、そういった考え方を常にしていく事を、思い込みに囚われない
状態・本質的な成長といい、真実とはそういう思い込みの無いところから抽出
できる場合が多いと俺は考えている。
まぁ量子物理学の観点からも本質的に物事を断定する事はできないらしいから
そういった意味でも何かを決め付ける事は真実とは離れていくことになるから
そういった事に興味のある人はあまり決め付けないほうが〜みたいな
まぁ今の俺の頭じゃ・・・カオルって成長したよね。おれにレスくれてありがと
102 :
考える名無しさん:04/05/01 21:36
まぁ、めちゃくちゃだな
かってに決め付けてるとこあるし論理のすりかえはするわで
ひでぇ。まぁいっか。
>101
>でもそうではなくて、人を殺すと自分にとってどういう結果が帰ってくるのか
>なぜ人を殺さないでおこうと自分が思えるのかとかそういった事を一から理解
>していく事、そういった考え方を常にしていく事を、思い込みに囚われない
>状態・本質的な成長といい、真実とはそういう思い込みの無いところから抽出
>できる場合が多いと俺は考えている。
原則の発見だっけ。こういう意味なの。やっと、なるほど。。。と言えるな。
でも、こんなことを気づいてない人っているのか?
知ってて当たり前だろ。原則発見ってそれを延々と言ってたのか?。。
なるほど。。。多分、人に言わないほうがいいな。言ったら笑われるぞ。当たり前だろって。いまさら何だ?ってなるぞ。
それに賢いからもっと気づいている、バカだから全然気づいていない、なんてことはないぞ。
賢いかバカかは関係ないぞ。
>こ難しい事が書ける人とか(多くの人が読みとばすような文章)、
そうか訳わからんカキコだったのか。
ま、致し方なし。
もう少し、簡単にするか。
105 :
考える名無しさん:04/05/01 23:52
>エヌ
うん。kやおれが言った事なんかは、君はとうの昔に気付いていた事だと
思っていたよ。じゃないと君がいつも書いてる様な素晴らしい文章は
書けないと思うからね。
でも君は、いささかそういった事を「過去の事」として片付ける癖がある様に
見える。少なくとも文面からは。君はたぶん、そういったことはいつでも潜在
意識から顕在意識へと過去に記憶した事を瞬間的に譲り渡す事ができるかの
ように考えているんじゃないかなと思う。
でもそうすると、上手くいえないけど気付き続ける事はできないと思う。
まぁ君は分かってそういう事をやってる可能性も十分あるとも思うけど。
>知ってて当たり前だろ
こういうのが君が勘違いされる元なんだってwこういう書き方すると他人に
君の賢さの限界を垣間見せる事になりかねないし、それより何より、もし君が
本当にその様に考えているんだったら、その瞬間に再び真実の扉は閉ざされる
ものだと推測されるよ。これは過去にどんなに気付き続けてきた人にも当て
はまるんじゃないかなぁ。「全ては今」ってこないだ言ってたじゃんw
あんま知らないけど。
>それに賢いからもっと気づいている、バカだから全然気づいていない、
>なんてことはないぞ。 賢いかバカかは関係ないぞ
なんとなく分かるけど、もしよかったら詳しくきかせてくれないかなぁ?
>>89 きみはよく理解しているね。
以前にも書き込んでいるのかな?
エヌってやっぱ賢いよね
頭いい奴がそうやって自分の考えを随時修正していく心構えをもってるの
見るとホント尊敬するよ
↑ってどこのどの文章指していってんだよ、俺
もちろんkも最高!!
>kやおれが言った事なんかは、君はとうの昔に気付いていた事だと思っていたよ。
はて?俺、勘違いしたのかな。
「物事には全て意味がある」ということじゃなかったのかな。
物事には意味があるけど効率化するために記憶する。
次回に同様の事例があった場合記憶を引き出して判断材料にする。
うーん。やっぱり誰でも知ってるんじゃないか?
>君がいつも書いてる様な素晴らしい文章
なるほど、ホメ殺しだ。で、見返りはないけど。
>「全ては今」ってこないだ言ってたじゃん。
あっちのスレね。で、どなた?
物事の意味に気づいているか否かは単純なこと。
経験して学んだか知識として取り入れたかの違い。
次に同じような事例に遭遇すると、記憶を引き出して、効率的に対処する。
経験であろうと知識であろうと関係なく記憶として蓄積され知識となる。
そうでないと、時間がかかってしょうがない。
いちいち、歩くのに、その意味を考えていたら歩けないでしょ。
>>90 >何についてどういうことを発見したのか具体的でない。
きみの理解力か読解力を疑わざるを得ないレスだと思うよ。
あのスレにおいて「最大の発見」と謳いながらなんら具体例を示さないスレ主に対して
76が執拗に食らいついている形なんだけど。
つまり、76はなんら発見したとは書いていない。スレ主がそう言っているんだよ。大丈夫かな?
>はっきりと断言しておくが悟りやら解脱やらにまるで関係なし。
>何にも通じていないし、その気配もまるでない。
そうきみが断言するのは自由。ではどの部分に関して、どのような点でそういえるのだろう。
細かく書いてごらん。きみの言い分からすると、どうやらきみは悟りや解脱に関して判定する
能力を有しているととらえられるね。そのきみの根拠に基づいてお願いしたいな。
110 :
考える名無しさん:04/05/02 11:00
>エヌ
>いちいち、歩くのに、その意味を考えていたら歩けないでしょ。
う〜ん…たぶん君は心の底では分かってると思うけど。重要なものとそうでない
ものとをきちんと分けるような感じ。あと、書き手の意図を文面からだけ読み取
るような事はしない事←矛盾してるでしょ?そういうもんよ。これは深い。
誰かさんのコピペでちょうど良いのがあったから読んでみて。
『当たり前のことを当たり前に理解できない人ってのは大勢いるんだ
同時に当たり前だから自分はちゃんと理解できている、と思い込んでいる人も
それに次いで多い
だからその人たちは当たり前以下なんだよ
この場合原則を知るってのは結局当たり前のことを全部当たり前に理解できる
ってだけのこと、という言い方をした方がいいかもしれない
でも世界の真実ってのは当たり前のことだけで大抵が表せてしまう
知識に乏しい俺にそれが可能であることがそれを証明している可能性がある
真剣な議論に参加するのに、最低限必要な資質は世界の真実をすべて理解
できる資質をもっていることだ、というようなことを以前にも言った気がする
といっても見つけ出した当たり前のことをすべて逐一覚え照られるほど人間の
脳の容量はでかくはないんだろう
だから、重要な要素に絞って保管することが必要になってくる
それをするときに必要なものを削ったり、いらないものを残したり、という
間違いを犯さないように参照するのが原則の利用法の一つとも言えるかも
しれない 』
君は分かりすぎて忘れてしまってる事もあるんじゃないかい?
少なくとも文面からはそう感じられた。あとはもう俺なんかが何かを教え
られるような事は何も無いくらい君は世の中を理解してると思う。
ごめんなk
俺、書き込めば書き込むほど思い込みが入ってきてるのが自分で
分かるよ。
やっぱ常に真剣勝負という気持ちがないと、すぐ思い込みや過去の知識に
頼る
やっぱ君は凄いよ。じゃあ・・・
>>92 >自分を見つめていくスレではエヌ氏に「具体的に話せ」と言っている。
これは
エヌ氏「が」 に変えるか、もしくは
と「言われている」 に変えたほうが正確かな。
つまり、原則スレではkがスレ主に「具体的に!」と要求し、kのスレではk自身がエヌに
同じ指摘をされている、ということかとおもう。
そういう意味なら、その通りだね。
人生面白い。
>>96 >「思考基盤を見つめなおしてカキコする。」と「具体的でなくなる」のとは違う。
そうだね。どういう脈絡かわからないけど。
>思考基盤を見つめなおした結果、幸福は
>>79-81の通りか?。。。
kはきみがもっとうんざりすることを付け加えると思うよ。
>うーん。一体何を見つめ直したんだ?
自分の気持ちや考え、欲求などをだよ。
>的を外しすぎだ。
すぎたるは及ばざるが如しだね。
さて、きみのいう的を具体的にあげてから、はずさない話をしてごらん。
>>97-99 二度目の宣言撤回とも受け取れる書き込みご苦労様です。
>「賢そうに見える人」・・・ホントにー? ホメ殺しですか?
「〜そうに見える」はどちらかというと「〜」に対する懐疑的要素を含んだ表現かと思います。
ですからホメ殺しと疑問視される必要はないように思いますよ。
よく文章を理解してから書き込むことも一興かと思います。
>だから意図がわからなくても理解しようとしなくてもいいんですってば。
いいかわるいかは自分で決めるとポンキッキーズでも歌われています。
そしてあなたの相手はよく理解しているようですよ。
>ところで「簡単な思い込み」の「人を殺してはいけない」は否定されずに残っているけど
>大多数の人の成長は止まっているわけなのかしら?
どのような根拠で「簡単」なのでしょう?今も正当な理由付けをして人を殺したり殺されている
戦争というものもありますね。いけないけどしているということで納得でしょうか?
このようなところをよく考えたらいかがなものでしょう、というのもこのスレの意図かと思いますが。
>懐疑論、不可知論、独我論の延長線上にいる快楽主義者じゃないの?
そうかもしれませんね。そうでないかもしれません。(笑)
あなたはどのような分類なのでしょうか?
>自然科学的な意味での機能主義的な思考の行き着くところですね。
言い切りましたね。よくご存知で。いかれたことがおありですか?
またのお越しを心よりお待ちもうしております。
>>1 > 多くの人の悩みの根源は自分を知らないことにありそうだ。
悩むのは、対処の仕方がわからない状況に遭遇したとき。
> 思考を止めてしまい、自動的・反射的な言動をとっていることを見つめる
反射的に対処できるのは対処の仕方がわかるから。
> ことで自分がわかるかもしれない。
自分のことをわかるようになりたいという1さんの願望。
>>100 面白いね。
限界はつくるものともとらえられる。生き物は限界の中で生きているともとらえられる。
限界がいけないととらえるのも自由。
限界と見えるものを利用するというとらえ方も出来る。
思い込みを見つめ、利用しながら作戦を立てて地道に努力することで、そのとき限界におもえた
ものが限界でなくなるかもしれない。
「限界」の友は「めんどくさい」かもしれないね。
>>103 >原則の発見だっけ。こういう意味なの。やっと、なるほど。。。と言えるな。
もう少し文章をしっかり読んだらどうかな。
原則提案者は一度もそんなことは書いていないし、「俺は考えている」とあるように
>>101 の主観という風に読み取ることが出来ないのかい?
つまり原則がそういう意味だとは書かれていないよ。
>でも、こんなことを気づいてない人っているのか?
疑問に思うならいろいろな人とそのような話をしてごらん。調査しないと何もわからないよ。
>知ってて当たり前だろ。原則発見ってそれを延々と言ってたのか?。。
当たり前はきみの思いこみだし、原則提案者はなんら具体的に語らずだよ。
>言ったら笑われるぞ。当たり前だろって。いまさら何だ?ってなるぞ。
んー。きみはどうなんだろうね?文意を汲む努力は嫌い?
>それに賢いからもっと気づいている、バカだから全然気づいていない、なんてことはないぞ。
>賢いかバカかは関係ないぞ。
確かにそうかもしれない。だいたい、賢いにしろバカにしろ「状態」だからね。
まだ理解しないかな?
>>104 >もう少し、簡単にするか。
そうしてもらえると助かる人がいるかもしれないね。
kからの提案は、文章をよく読んで理解してから書き込んだらどうかな、ということ。
>>105 きみはよくとらえているようだね。
「気づき」は次の瞬間「知識」や「記憶」になる。
人は同じ事象で気づくことを「ばからしい」といった風にとらえがち。そのため気づき続ける
ことを避ける傾向にある。
このことをよく理解しているなら、きみにとってどのような人やものとの接触も新鮮で興味深く
日本で広く使われる慈悲を体感しながら喜びを得ることが可能となるかもしれない。
自分のすすみたい方向を常に認識しながら、いつでも瞬時に変化可能だという態勢で臨むことで
自己(の願望)実現が可能となるとおもうよ。
>>107 賢いはとらえ方によるし「状態」だと思うよ。
>>108 >そうでないと、時間がかかってしょうがない。
そうなんだよ。前スレでめんどくさいというのが今の文明の発展に大きく貢献している
という話が出た。
きみは
>>1に書いてあることが当てはまりそうだよ。
知識は絶対ではないことをきみはよく知っているんだろうけど、先入観や固定観念で
目の前の文章の意味をとらえていないことがあるように見えるよ。
>いちいち、歩くのに、その意味を考えていたら歩けないでしょ。
きみは歩くという行為を説明できるだろうか?
kはいままで必要に応じて歩き方を指導してきた。現在もしている。(デュ―クじゃないよ)
重力の話を前スレや原則スレでした。
反応はなかった。多くの人がこの大事を当たり前に受け入れて無意識に苦しんでいるようだね。
座り方・立ち方に関しては既述。機会があれば歩き方も書くかもしれない。
だれか歩くという行為を身体を通した力学っぽくk簡単に説明してくれる人いるかな?
結構興味深いと思うよ。
>>121 最後から2行目「k簡単」は「簡単」に訂正。
>>110-111 きみは「賢い」という分類にこだわり、君自身はそれに属さず、エヌは属しているという
とらえ方をしているように読み取れる。
しつこいようだが、「賢い」も「状態」だよ。
分類は利便性が高い反面思い込みとして固定されやすい。
「賢い」には「よい」意味合いが付帯する傾向が強いので、そう分類されると「よい」から
受ける印象を持ちやすく、気持ちを操作しやすい状態となる。
きみはある種魔法使いのように言葉で相手を思いのままに操る術を手に入れたに等しいかもしれない。
きみの望むことがそのようなことでないなら、注意を要するかもしれない。
つづき
きみは文章表現における意志伝達に関して、本質的な言葉のとらえ方を常に心がけ、相手に
真意が受け取りやすい方法を選択すべく努めていることだろう。
ところが現実には意図していないとらえ方や、主観的事実で評価したことが過剰に受け取られる
現実をここでも体感したことと思う。
ここは基本的に文章のみで対話する場だ。当然文章による伝達能力が必要となる。そして書かれてある
文章を理解する能力が必要だ。
文章を理解するには言葉の持つ本質的な共通認識的意味合いを冷静に分析判断することが不可欠。
きみはよく出来ているように思う。
だが、出来ていないとしか思えないような人がいる現実も見たことだろう。
つづき
文章表現のみのこの場では、言葉の持つ力は絶対的に人の気持ちを左右しかねない。
言葉に付帯するであろう雰囲気をよく理解して用いることを検討願いたい。
多くの人は短絡的に言葉に付帯する雰囲気により「善意」「悪意」などを判断しがちだ。
きみは自分を低く見せ、相手を持ち上げる手法を用いることで、受け手に心地よい感じを
与えている可能性が高いと思う。
この手法は誰もが用いるが、きみのようにいわゆる裏のないような書き方で表現されると
効果は絶大となる。
kが洗脳が得意と書いている意味が、きみにはわかってくるかもしれない。
すでに小手先のテクニックではなくなっているかもしれないよ。
kとしては上手に利用してきみの本質的な願望達成に活かしてくれたらな、と思う。
>>115 >悩むのは、対処の仕方がわからない状況に遭遇したとき。
そうだね。知識がない場合や考慮すべきことが多すぎてどうしていいかわからないとか。
そういうのも思い込みや決め付けが原因とも考えられると思うよ。
>反射的に対処できるのは対処の仕方がわかるから。
そうだね。そう対処すべしと思い込んでいるんだろうね。
>自分のことをわかるようになりたいという1さんの願望。
そうだね、きみはもう知っているのかな?
>>125 > >自分のことをわかるようになりたいという1さんの願望。
> そうだね、きみはもう知っているのかな?
おまいのことなんて知らないって。(プ
127 :
考える名無しさん:04/05/02 14:57
kさん
kさんが皆にレスしたことを読ませていただきました。
いろいろ勉強になりました。
私の中で上手く消化できた時、
また話をさせてください。
ありがとうございました。
>>50 >気づかせたいのなら、本人が一種の発見をするような状況を整える必要がある。
>気づかせ続けたければ、気づきを知識にさせない工夫が必要となる。
そうですね。そして、それが難しい。
知識に囚われないようにして、人々に「気づき」を促した人の一人が、
親鸞だと思っています。
「本願力を信じる」という行為をさせることによって、
本人が気づかないうちに「自分を見つめる」行為をさせていたのだと思います。
>>52 最後の2行以外はkさんのほうが私より理解ができているようです。
2行については「こうだったんじゃないかな?」
という私の想像をかかせてもらいます。
>>ジャスミンの香りが夜気に充満し、深い森の奥から過ぎ行く日の叫びが届く。
>癒された雰囲気の中、過去となりつつある苦悩が感じられる?むずいね。
遠い過去の記憶とそのときの強烈な感情がよみがえる。
>>わが愛する<生>は重荷を下ろして軽やかだ、それを達成することが究極の自由だ。
>不必要なストレスから解放されて自由を体感しているということかな。
私の苦しみは、その感情に対処したために発生したものであることを知り、楽になった。
同時に自分は実体のない存在なのだと気が付いた。
>>53 『「愛」とは何か?』
客観的に表現すると、今のところ
>>29のようなものですね。
kさんのやり方に不満があるという書き込みがあるようなので、
そのことについて書かせてください。
私はkさんのやり方を理解しているつもりですが、
不満をもつ人の気持ちも分かります。
kさんは他の人の書き込みに対して、ポイントを外さずに指摘し、
筋の通った話のできる頭の良い方だと思います。
ただ、kさんの心はベールに包んだまま、
相手には「その心のベールを剥ぎなさい」と言っている印象を持ちます。
これはkさんが感情的にならない為だと思いますが。
このスレの意図をしっかり把握できていなかったり、
自分の思いを語るのに熱心であればある人ほど、
相手がkさんとの間に距離を感じるのも必然だと思います。
こんなこと書くには及ばないかもしれませんね。
このスレのやり方を貫くということは、
何度も主張されてきているし、確立されていると思います。
>>100 >その文章が通じるのは、このスレに書き込みをする事は必然的にkから話かけ
>られることになり、そこでkを無視せずに「このスレの目的に沿った話し合い」
>をしようとする場合、kの意図がわからない・理解しようとしなければ本人
>には明らかに賢さの限界が生じる。と書いた場合とも言えるかもしれない。
何か思う→思い込みなのかな?→また何か思う→思い込みなのかな?・・・・
のくりかえしのなかでわたしに芽生えてくるのは賢さへの疑問でしょうか。
進歩とか進化とか呼ばれるものとおなじような歩みの感覚をおぼえるのです。
それはまるで誰かに仕組まれたプログラムのようです。
どうして分析しようとしだしたの?
どうして話して理解しようとしだしたの?
そんな必要がどうしてあるの?
ほんとうにあるの?
・・・・・
『 Hello, Again 〜 昔からある場所 〜』(my little lover)
自分の限界がどこまでかを知るために
僕は生きてる訳じゃない
だけど 新しい扉を開け 海に出れば
波の彼方に ちゃんと "果て" を感じられる
僕は この手伸ばして 空に進み 風を受けて
生きていこう どこかでまためぐるよ 遠い昔からある場所
夜の間でさえ 季節は変わって行く
この詩ってとても矛盾してるでしょ?
だから好きなんだけどw…上のレスで言いたいことって
こういうことなんだけど…うまく説明できない。ホント限界感じる。
>>100 >要するに賢さに限界が無い人ってのは、自分が何かについて考える時に
>それが理解できるための理論を常に構築できる人の事を言うと俺は定義する
さらにいうなら、その理論の前提(公理)は何か?
ということにこだわるのが哲学徒の性癖なのかもしれませんね。
公理は、無自覚で当り前としていることが多いのでしょうけど
たとえ意識できたとしても、科学的な説明への信頼(思い込み)を
前提としてしまうことが多いような気がします。
ここに?を差し挟むのが哲学的思考なのでしょうね。
自分を見つめる、の自分ってなーに?
自分を見つめているのはだーれ?
自分って実在するの?
自分って身体のこと? 心のこと?
見つめる対象が自分だってどうしてわかるの?
見つめる主体が自分だってどうしてわかるの?
・・・・・
>>101 >例えば「人の行動はその先に価値を見出したから起こる」
じゃあ、朝自然に目が覚めたときには
誰の意志でどんな価値を見出してそうしたの?
みたいなのは置いておくとしてw基本的には同意です。
価値の相対化によって価値の外には出れないですからね。
わたしが心配なのは無際限に思い込みへの信頼が
失われて(弱まって)しまうことにたいしてなんです。
たとえば
→「長男は家業をつがないといけない」
→ 思い込みに気づく
→「親孝行する義務はない」
→「親を敬う必要もない」
→「ましてや他人を敬う必要はない」
→「人を敬う必要もない」
→「生命を敬う必要もない」
→「人を殺してなにが悪い」
・・・・・みたいな。(苦笑)
もちろん人には思い込みだろうと何だろうと大切にしたい
感情があるのですからこんなことにはならないのですけど。
>ちなみに「人を殺す事はいけない事だ」という真実(真理)があるとする。
>でもそれは誰かが人殺しをした時点で真理ではなくなる。
「人が人に殺された」という事実によって「人は人を殺してはいけない」が
否定されることはないです。またこのような物事の捉え方の行き着くところは
脳科学や生物学的、あるいはフロイト先生の真理と相場は決まっています。
あるいは、価値相対主義という絶対主義でしょうか。
>「簡単な思い込みを持った時点」とは、例えば「人を殺してはいけない」という
>思い込みを教えられた時、ただ単にそれを暗記した様な瞬間等に起こると考えて
>いる。九九を何故そうなるのかの仕組みを理解せずに丸暗記しただけの状態に
>似ているかもしれない。例えば丸暗記でもテストで100点取れれば、志望校に
>受かれば、コンペに通ればなど、見せ掛けの賢さや成長は演出できるかもしれない。
そう思います。わたしには羨ましかったりしますけど。
ちなみに「1+1=2」を証明するために、ラッセル/ホワイトヘッドは
『プリンキピア・マテマティカ』のなかで数百ページを割いているらしいです。
(もちろんなにかしらの公理は立てたのでしょうけど)
>でもそうではなくて、人を殺すと自分にとってどういう結果が帰ってくるのか
>なぜ人を殺さないでおこうと自分が思えるのかとかそういった事を一から理解
>していく事、そういった考え方を常にしていく事を、思い込みに囚われない
>状態・本質的な成長といい、真実とはそういう思い込みの無いところから抽出
>できる場合が多いと俺は考えている。
わたしもそう思います。
ひとつ付け加えておくと「自分にとってどうなのか、自分がどう思えるのか」
と同時に「殺される人にとってどうなのか」という視点が不可欠だと思います。
>カオルって成長したよね。
そうかなぁー自分じゃわからないけど。でもありがとう。
>前スレ681 kさん
>あなたは学級会で自分の気持ちや相手の気持ちを伝え合っていたのですか?
はい。よくみんなの気持ちを聞いて気持ちがひとつになったときは
体育祭とか文化祭なんか盛り上がりますよね。気持ちがのらないと
なかなかやる気になってもらえませんからいいカンジになりません。
>いいえ。
安心しました。
>わたしkはあなたが「いいわるいを自分で決めて」いらっしゃいますねと指摘させていただきました。
>あなたは全ての人の認識を確認されていないことは事実ですから、他の人の気持ちは判然としません。
>その事実を認めたくないのでしょうか。とても不思議です。
「コミュニケーションには色々な形があった方が良い」というのは
わたしの発言ですから、わたしがそう思っているのは確かです。
けれど、このような意見を「良い」と判断するに至るには
過去、両親、友人、学校、共同体、社会・・・から学んできたからでもあります。
たとえわたしの主観が「コミュニケーションの方法は単一であった方が良い」
と思っていたとしても、わたしはそのような発言を公にはしないかもしれません。
うーん、もしかしてkさんは自由意志のことをおっしゃっているのですか?
それなら「決断」する主体が「わたし」なのは当り前のことですけど?
(宗教的、哲学的にはどうなのかわかりません。あくまで常識ですけど。)
>前スレ682 kさん
>>でも男の人はそれくらいの方がいいと思います。
>>もちろんやさしい人じゃないとだめですけどね。
>前述と同じ「いい・わるい」を自分で決めるという話ですね。
ああ、やっぱり自由意志のことですね。(笑)
もちろん「決断」する主体は「わたし」です。
この場合「良い、悪い」ではなくて「好き、嫌い」ですけどね。(^_^;)
>あなたは「いい・わるい」をご自分で決定されていませんか?
>よほどお認めになりたくないのでしょうか。不思議です。
いえ、上述したようにわたしは人間には自由意志があると思っています。
ですから、(基本的には)わたしの価値観や行為の自由は、
自分の価値観や行為に責任を持つことで与えられるのだと思っています。
たとえば、わたしは「悪い」と思っていることでも、
その行為が、わたしの望むことなら(わたしにとって「良い」ことなら)
してしまうことがありますけど、その行為によって生じた物事の責任は
わたしにあります。
>前スレ683 kさん
>>道徳という価値体系の正当性の証明は論理的には不可能だということです。
>どのような価値体系も前提を設定しない限り正当性の証明は出来ません。
>つまり前提を明確にすることで正当性(という認識を明確に定義した上でなら)の証明は
>不可能とは言い切れないと思いますよ。
たとえば、道徳の「〜すべき、〜してはいけない」の正当性を裏付ける事実が
どれほど提出されても、その事実から「〜すべき、〜してはいけない」という
価値を論理的に導くことはできないということです。(論理的に連鎖しない)
また、あなたの論旨にしたがった説明をするなら、道徳の正当性を説明(演繹、帰納)する
に先立って、まず前提(公理)を立てますが、その前提の根拠は?、と問われつづけたなら
根拠はないということです。どこかで「その根拠の根拠は?」を止めないかぎりは。
>前スレ683 kさん
>>だからこそ、道徳は、大切にしたい、大切にしないといけない、
>>という信念によって、支えていくしかないということです。
>というわけで、いまだ繋がりがつかめません。理解力が乏しくて申し訳ございません。
道徳は非合理な体系ですし正当性の根拠も不明確です。
ですから根本的なことをいうなら、道徳の正当性の証明は
道徳という価値体系外からの視点がないかぎり無理だと思います。
けれどいまのところわたしたちはそのような視点をもっていません。
だからこそ道徳の正当性を支えていくには、わたしたちが道徳を
大切にしたいと思い、大切にしないといけないと信じて
みずからが道徳を体現していくしかないのだと思うのです。
>あなたは積極的な意味の「守る」ではなく、受動的な「守られる」を使用していました。
>積極的に守らなければ成り立たないという認識が希薄のように見えると思います。
「守られていることで、守っている。守っていることで、守られている。」
という意識をもつことが大切だと思う、ということがいいたかったのです。
わたしを含め日本人は「守られていること」を、つい忘れてしまいがちなように
感じていましたので「守られていること」を強調したレスをしました。
>前スレ684 kさん
>では、この世の問題は誰かのせいであるかを明確にする必要があるとお考えでしょうか?
>また、だれのせいであるかを明確にできるものなのでしょうか?
明確にできないことは沢山あると思います。
それでも責任の所在を明確にする必要のあることも沢山あるでしょう。
>納得がいくまで話し合うもしくは別の手段で努力する、
>そのような面倒な作業を楽しむという方法もあるとおもいますよ。
誤解されたくないからと思って気遣いをした発言なんです。
わたしが逆の立場だったらと想像したら、誤解する可能性があると思ったし
そのように誤解された経験も過去にあったから
わたしだったら「許してね」と言われたら「そんなに気を遣わないで」と答えるし
いままでそれで誤解されることが(リアルも含めて)少なくなった経験から
「一言声をかける」という気遣いのつもりで、そのようにしてみたのです。
今回あなたにとってわたしの発言が不要だったことや
わたしの気遣いを不快に思う人がいるかもしれないという指摘は理解しました。
ただ、いまのところ「一言声をかける」ことをしなかったために誤解される経験
の方が勝っているので「一言声をかける」のはつづけると思います。
>前スレ685 kさん
>わたしkの受け取り方はどうでもよいということでしょうか?
>だとすれば、前述の「誤解されたくないから」という気持ちがここでは
>働かないということでよろしいでしょうか。
>このように、人の気持ちは常に変わるようですね。
今回のような会話でのわたしの「許してね」発言にたいして
「失礼な!」と思う人がいるかもしれないことは否定しません。
ですからあなたにしたのと同じように説明はすると思うけど
それでも理解されなかったら、それ以上の努力をしてまで
その人に理解してもらいとは思いません。
>どちらにせよ、人の気持ちはわかりませんね。
>素直に話し合ったり、体でじゃれあったりしながら
>なんとなくわかるような気がするだけだとおもいますよ。
ええ、わたしもそう思います。
やっぱり気持ちは伝えないとなかなか伝わりませんものね。
あんまり「愛してる」とかいわれるのもアレですけど
そういことはちゃんと伝えて欲しかったりもします。(って誰に?w)
>前スレ686 kさん
>>重箱の隅を突つくようなまねはやめてください!
>それはあなたにも言えることでしょうし、kはそのようなことはしていませんよ。
>>お互い様といいたいのでしょうか?
>>それともわたしの発言が自己言及であると指摘したいだけなのですか?
>あなたは「気持ち」kは「考えや思い」と、互いに話し合う本質が異なることから生じる齟齬から
>あなたの命令が出たと考えられます。違いますか?
えーと「あなたにも言えることでしょうし」というのは「お互い様」ということですよね?
なのに「kはそのようなことはしていませんよ」というのは、そうじゃないということでしょ?
なので「わたしの発言が自己言及であると指摘したいだけなの?」と質問したのです。
こういうのを「重箱の隅を突つくようなまね」というのかもしれませんが。(笑)
で、あなたの質問についてですけど
わたしも「重箱の隅を突つくようなまね」をしたつもりがないのです。
ただ、あなたと話していると、どうしてわたしの自然な気持ちの流れを
わかってもらえないのかなって思ったりしてるのは確かですけど。(^_^;)
>あなたはいつもkに反論なさっていらっしゃるのですか?
いつも? すべてじゃないですよ。
同意できることは同意しています。
>前スレ686 kさん
>あの2人の作家のいくつかの作品感動いたしました。
>また、トリイ・ヘイデンの第一作目『シーラという子』は読みやすく感動する場合もあるかと思います。
>彼女の他の作品も好きですが、おすすめはそれです。筒井は安部のエログロ版といった趣です。
>キングはグリーン・マイル(小説でお願いします)が読みやすいと思われます。
紹介して頂いてありがとうございます。(^.^)
スティーヴン・キングは、いま『小説作法』を読みかけています。
映画やドラマならけっこう見ているかもしれません。
映画で一番好きなのは「スタンド・バイ・ミー」かな。
男の子のああいう世界ってとってもうらやましいです。
生まれ変われるならリヴァー・フェニックスみたいな男の子に生まれたい!
「シーラという子」は何度か手に取ったけど心理学的な誘導を警戒して未読です。
心理学への免疫というか抵抗力がもう少し身についたら挑戦しようかなって思っています。
筒井康隆さんは中学の美術の先生が大好きで授業しないでよく読んでくれました。(笑)
『時をかける少女』とか『七瀬ふたたび』とか、(エログロの作品は知りませんでした)
あと眉村卓さんの『なぞの転校生』とか『ねらわれた学園』とか・・・みんなSFでした。
そういえば『なぞの転校生』は、つい最近「NHKアーカイブス」でやってましたね。
わたしのいちばん感動したSF作品は、クラークの「2001年宇宙の旅」です。
映画の「2001年宇宙の旅」もすばらしい作品だと思いました。
つい先日、スタンリー・キューブリックのドキュメンタリーがやってました。
なるほど!あそこまでこだわるからあの作品なんだなってひとしきり感心しました。
>前スレ687 kさん
>あなたは何のために生きていますか?
わかりません。
>あなたにとって喜びとはどのようですか?
あなたが前スレ591で
『そこには事象を君の感覚がとらえて喜びとして認識していることが表現されている。』
と説明してくれた571のような感じでしょうか。
>喜びとは何でしょう?
なんともいえない571のような気持ちのことでしょうか。
>前スレ693 43さん
>なるほど。訳サンクス
お礼なんかされると気恥ずかしいです。(^_^;)
>聞いた事あるよ。学校でかどうかは分からんけども。
妹の高校の倫理の教科書に書いてあったような?
>でも実際難しいというかそんな簡単に正解はでないだろうね。
>そもそも正解があるのかどうかもあれだし。
うん。ホントのところはそうなんです。(^_^;)
正しい認識にたどり着くためには、まず全てを疑い、不確実な存在は排除し
確実なものから演繹法で、つぎの確実なものを導いていかなくてはいけない。
結果、どうしても疑えない「疑う主体である自分(思惟実体)」を発見した。
というのが、たぶん教科書的な説明なのでしょうか。
思惟実体というのは、その後ヒュームによって否定されたりしましたが
ともかくも教科書的な説明でいくなら、コギトは現前しているわけです。
それなのに「コギトは現前しない」ってわたしはいっているのですから。(^_^;)
>本当に自分を見つめる事ができるかどうかは置いとくとしても、
>そのような自分を見詰めていくと思われる行為が有益だったらいいんじゃないか
>みたいに思ってるがw
ああ、ホント反省! あなたの言う通りだと思います。
>前スレ670 エヌさん
>思考が僕になったとき、思考ははじめて休憩することができる。
>思考が僕になったとき、矛盾はなくなり能力を発揮する。
>思考が僕になったとき、思考は休憩し「自己」は見つかる。
>「自己」は思考の後に隠れていたのだ。
エヌさんのいう「自己」は、cogito なしの ergo sum のことではないですか?
ですから、cogito をストレートに「思考」ととらえているのだと思うのです。
でも、わたしの思うデカルトの cogito は、エヌさんのいっている「自己」のことなのです。
なので「現前しない」といいました。
仮に「思考」と比較するなら「叡智」に近いものとしての"それ"が cogito だと思うからです。
ショーペでいうなら「純粋な認識主観によるイデアの観照」における自己のことです。
いつもながらのMy解釈ですけどね。(笑)
>>48 kさん
>大変残念です。
そう思ってもらえてとっても嬉しいです。(^.^)
>またのご利用を心よりお待ちしています。
お言葉に甘えてまたご利用させて頂いています。
わたしkさんにメールのこと言われてから
メールと人生相談板とリアルと哲板とって
いろいろ使い分けていたんだけど
なんかわけわかんなくなっちゃったから
また以前のように好き勝手にやることにしました。
カオルおつかれ〜。相当暇人だなw
>>82のKへ
まず みつめていたら 「ものたりない」 という気持ちがあったの。
それで 考えていたら 「活かしていない」 ということで理由付けしてしまった。
「活かしていない」のが因なら 「活かせばいい」 「活かしたい」と
思考は流れて言ったのだけど。
150 :
考える名無しさん:04/05/03 21:17
思春期?
はじめまして。
人生板のときからみていました。相談です。哲板では板違いならスルーして下さい。
自分の近くになりたい人がいます。正しくは、その人の「ある部分」を見習いたいです。それは、気配り、必要最小限の言葉で人に物を伝えられるという形になって表れています。
Kさんなら「見習う」ことと自分を見つめていくこと、結びつけることができると思われますか?
========================
================================================
創価学会員が奇妙な「哲学」を披瀝しています。
硯学の皆さん、この男の曲学を正してあげてください……。
↓
大切な想いをあなたに伝えたい/創価・公明@2ちゃんねる
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1083426009/ >名前:希水 ◆O5iHeCraTI 投稿日:04/05/02 01:36 ???
>現在の私たちには「知識」と「知恵」の調和こそ急務です。
>その知恵の源泉こそ妙法であり、この情報化社会という
>荒海も信心という無量無辺の知恵の舵で……
>第一に大切な点は「全体性」もしくは「連関性」です。
>深層心理学や生態学の成果が明らかにしているように
>人間と人間、人間と自然・宇宙との関係を追っていけば
>つながりは無限に広がってゆくでしょう。
>小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)とは……
========================
================================================
>>146 カオルさん
>わたしの思うデカルトの cogito は、エヌさんのいっている「自己」のことなのです。
なるほど・・・
でも仮に「cogito」=「自己」だとすると「sum」になるはずがないのです。
「自己」は、まだ主体・客体に分離していないからです。
不満ね。大いにあるね。
kは自分をみつめて何かに気づいたと思っているからだ。
しかし、とても気づいたとは思えない言動だ。
過去半年間で、何か気づいたと思わせる言動はゼロだ。
>>52 Jクリシュナムルティの解釈にしろ、
>>79-81 幸福論にしろ、
どう、ひいきめに見ても「自分をみつめた」とはとても思えない。
ま、以前から「悟りや解脱」を否定しているくらいだから、
彼の言う「自分を見つめる」「気づく」というのは「悟りや解脱」とは全く別物なんだろう。
ということは、俺とまるで、見解、解釈が違っても当然なわけだ。
ということは、「気づく」という言葉は同じでも、まるで別の「気づく」になってくる。
ということは、kは何か良く解らないことに「気づいて」そのことをカキコしてるということになる。
ま。そういうことだから。議論の余地がないので、よろしく。
そういうことだから、
同じ「自分を見つめる」にしても「気づく」にしても、
kと俺は全く別物。
一切一致しない。
原因がわかってよかったよかった。
>>154 原因がわかったので訂正
不満ね。特にないね。
kは自分をみつめて何かに気づいたと思っているようだね。思い込みという見方も可能だね。
しかし、とても気づいたとは思えない言動だったが、観点が異なるだけで、本人が気づいたというなら、そうかもしれない。
過去半年間で、何か気づいたと思わせる言動は全く見当たらなかったが、全く別の観点から気づいた点があるのかもしれないね。
>>52 Jクリシュナムルティの解釈にしろ、
>>79-81 幸福論にしろ、
「自分をみつめた」結果という見方も可能かもしれないね。
>>153 エヌさん
>でも仮に「cogito」=「自己」だとすると「sum」になるはずがないのです。
>「自己」は、まだ主体・客体に分離していないからです。
ん?(意味不明でごじゃるが・・・)
というか、言葉上の意味においてはそうなのだけど
それだとエヌさんのとらえられた認識レベルのコギトになってしまうでしょ?
だから「デカルト君はまだまだだなー」とかってツッコミ入れられてしまうんです。(笑)
えーと、主客の分離した自己は、本来的自己の「現前」の痕跡を確認する自己のことで
「存在する」を意識する「わたし」のことです。これは、existence する自己のことですね。
彼は実存の実体としての本質、自己のイデア的現前のことを sum といっているんです。
自己のイデア的現前が痕跡として現象したもの(デリダの差延と同じに考えてください)
が、コギトなわけですけど、ないものが存在しない以上、コギトにもイデア的な契機が
ふくまれているのは当然なのでは、と考えたわけです。
デカルトの方法的懐疑の行き着くところは、必然としてコギトへの懐疑なわけですから
その自己喪失の危機的状況における極点の感覚としての cogito ergo sum なのです。
うーん。カオルさんは確かに賢いですね。
難しいカキコは苦手なんです。これが。。。
>彼は実存の実体としての本質、自己のイデア的現前のことを sum といっているんです。
あの、「自己」というからややこしいのですが、
「実存の実体としての本質」はそのとおりだと。。。
でも「イデア的現前」ではなくその前の未分化の状態だと。。。
「自己」というからややこしいのですが、
「天上天下唯我独尊」のことです。
「たったひとつの存在」のことです。
主体と客体に分かれていない状態のことです。
それは「存在する」しかありません。
デカルトの「私が考えているという事実だけから私の存在は確かめられる」
とは相容れないのです。
>>158 エヌさん
>でも「イデア的現前」ではなくその前の未分化の状態だと。。。
うん。イデア的な存在者が実在へと現象した時点で
もはや純粋なイデア的存在者とはいえないでしょう?
だからこそコギトは「現前しない」と言っているのです。
コギトをはじめから実体化させてしまうとアウトなんです。
>デカルトの「私が考えているという事実だけから私の存在は確かめられる」
>とは相容れないのです。
「すべては偽りであると考えているあいだにも、そのように考えているわたしは
必然的に何ものかでなければならない。」(『方法序説』)というのは
かならずしも「思考についての思考をする」自己が思惟実体として存在している
ということを指しているのではなくて、たとえ「わたし」という思惟実体が偽りで
あったとしても「なにものかでなければならない」というのは必然ということです。
ですから cogito ergo sum の「われ」の「存在」とは、いわゆる個別的な自我の
存在を指しているのではないのでは、ということなんです。
うまく説明できなくて「ごめんなさい」なんだけど、気持ち的なことをいうなら
デカルトのギリギリ感がとてもよくわかる気がするの。根拠はそれだけ。(^_^;)
>>159 「イデア的現前」というのは、いわゆる自我には現前しない、ということです。
>>126 >おまいのことなんて知らないって。(プ
そうだね。他人のことはわからないと思うよ。
kが尋ねたのは、きみは自分をわかっているのかな?ということだよ。
>>127 >私の中で上手く消化できた時、また話をさせてください。
文意から推測すると、きみは一連のレスをくれた人かな。
こちらこそお願いするので、気が向いたら書いて欲しいな。
>>128 >知識に囚われないようにして、人々に「気づき」を促した人の一人が、親鸞だと思っています。
面白いね。
>「本願力を信じる」という行為をさせることによって、
>本人が気づかないうちに「自分を見つめる」行為をさせていたのだと思います。
面白い。他力本願の代表格の人が実は自分を見つめさせていたという解釈だね。
なるほど。きみは頭が柔らかいね。
彼は人を救いたかったんだろうなと推測する。そのための作戦を入念に練った結果だろうかね。
彼の成果は今となっては歴史だけど、信仰の簡便さにおいて異彩を放っただろうね。多くの人が救われた
感じを得たかもしれない。優れた指導者だった可能性が高いね。
>>129 >同時に自分は実体のない存在なのだと気が付いた。
なるほど。これは難しいところだね。
実体に関してはいろいろな見方が可能だけど、あるように感じる事実は否定するのが困難。
でも成長過程における「ある」とか「存在する」とかの認識の仕方の固定化が一要因かもしれない。
いずれにせよ、自分がここに「ある」以上一般的には「重力」の影響を受けている。
これとの葛藤が結構厳しいかなと思う。
実体はないかもしれないけど、体が重く感じられて無意識か顕在意識的にストレスになっている。
この辺の対応の仕方はどうしていたのだろう。
kが時折それに触れるのは、気持ちに整理がついても生きている以上、重力が厳然と我が身に
与える影響が結局気持ちに作用する事実を見逃せないと思うから。
きみは体に関してそれほど辛さを感じていないかな?
>>130 >このスレのやり方を貫くということは、
>何度も主張されてきているし、確立されていると思います。
その通りだね。きみはとてもよく理解してくれているようで大変ありがたい。
きみに対しても一般常識に照らせば非礼ととられかねないレスを繰り返してすまない。
kは日常においては営利活動(仕事や近所付き合い、子どものPTA関連等)以外は愛想などの
円滑な人付き合いに欠かせないとされる手法を極力しない。理由はめんどくさいから。
このスレにおいても微弱な営利目的(このスレの存続=kの楽しみ)のためにそれなりの
愛想的手法を用いているが、今まで程度が限度。それ以上は洗脳になる可能性が高く、
kにとってはもの凄くストレス。めんどくさい。
仮死状態の「わかったんだよ」ではガンガンしゃべるが、このスレで文句を言う人が来ない。
何人か勧めていた人もあるのにね。
ここは気づきの場。kが偉そうに語っているが、こんなものは読み流してもらっても一向に構わない。
現にカオルやエヌなどよく書き込んでいる人はkの書いていることを読んでいないかのようだ。
注目して欲しいとしたら、そういう人たちとkのやりとり。
多くの事に気づくことだろう。そして自分を振り返ってよく見つめると多くのことが見えてくるかもしれない。
>>131 >わたしに芽生えてくるのは賢さへの疑問でしょうか。
賢さは、そのような状態にあるという場合の状態の一つかと思います。
今まで馬鹿でも次の瞬間賢いこともあるでしょうし、賢い人も馬鹿になります。
そのような評価をする人の判断で変わるでしょう。そのような人とは、他人でもあり
自分でもあります。
>>132 >この詩ってとても矛盾してるでしょ?だから好きなんだけどw
あなたは矛盾していることが好きなのでしょうか。
だから感情を優先順位の上位におくべく生きようとさせるあなたは、書き込まないと書いても
書き込むのでしょうか。
>うまく説明できない。ホント限界感じる。
説明は難しいですね。ゆっくりじっくりお願いします。
>>134 :
>価値の相対化によって価値の外には出れないですからね。
すみません。文意および脈絡が理解できません。また、「出れない」は頻繁に使用されますが
「出られない」が本来の用法でしたね。腰を折って申し訳ありません。
>わたしが心配なのは無際限に思い込みへの信頼が失われて(弱まって)しまうことにたいしてなんです。
あなたの危惧は、社会風習によって成り立っている秩序の崩壊を指しているように受け取れます。
昨今知識人のコメントに類似する内容がみえるようです。
あなたの心配は多くの人の危惧でもあるようです。
そしてわたしは、しめしめとほくそえんでいるわけです。
>もちろん人には思い込みだろうと何だろうと大切にしたい
>感情があるのですからこんなことにはならないのですけど。
そうでない場合もあるようです。
今まで大切だと教え込まれ信じていた価値観の無意味さに気づくとき、人は極論に走ったり
厭世的になったりして思い切った(抑制していた)行動に出ることがあります。
その原動力はなんでしょう?強制的な思い込みの負荷の反発かもしれませんよ。
>135
>ちなみに「1+1=2」を証明するために、ラッセル/ホワイトヘッドは
>『プリンキピア・マテマティカ』のなかで数百ページを割いているらしいです。
ちなみにあなたはこのことからどのようなことを感じ取るのでしょう。
思いつきで記載されたのでしょうか。
わたしはとても興味深く思いました。
「1+1=2」は数学の基本かと認識しています。そしてそれは規定したものであり
その上に構築していく学問ととらえています。その基本の定理(?)の証明はさぞかし
困難を極めたことでしょう。人は何のために生きているのかといった問に対する回答を
得るのに似ている気もします。
>と同時に「殺される人にとってどうなのか」という視点が不可欠だと思います。
そうですね。人の気持ちはわかりません。しかし自分に置き換えたりして類推することは
可能です。生きるということを考えると「かけがえのない」といった修飾語が喚起されます。
人と争いごとを厭わないあなたは、人を殺さない程度なら戦うのも致し方なしというお考え
でしょうか?
>>136 >よくみんなの気持ちを聞いて気持ちがひとつになったときは体育祭とか文化祭なんか盛り上がりますよね。
体育祭や文化祭を様々な事情でやる気が起きない場合も多いと思います。
そういうときにカオルさんの在籍した学校はやる気が起きるまで待ったり、やる気になるように
話し合ったのでしょうか?
わたしはみんなの気持ちが一つになった経験がありません。
やる気がない人にやる気のない理由を聞いたり、無理強いして「いいじゃん。やろうよ」と
誘ったことはあります。
わたしの在籍した学校では全て、体育祭の種目に誰が出るか、どのような応援をするか、
文化祭で何をやるかなどを「話し合い」ました。
気持ちは自分で何とかしろ、といったところでしょうか。嫌々やっていても何かしらうまく行って
興味を持ってやるようになることもありました。
>気持ちがのらないとなかなかやる気になってもらえませんからいいカンジになりません。
そうです。カオルさんの学校ではそのような場合どのような対処をされていたのでしょうか?
わたしの学校では大方我慢して、「何をするか」を話し合いました。
>うーん、もしかしてkさんは自由意志のことをおっしゃっているのですか?
あなたの規定される自由意志が不明なため断言はいたしかねますが、類似しているようです。
>それなら「決断」する主体が「わたし」なのは当り前のことですけど?
ほっとしました。重複して申し訳ありませんが、わたしは「当たり前」のことのみお話
しています。お気づきではありませんでしょうか?
>137
>ああ、やっぱり自由意志のことですね。(笑)もちろん「決断」する主体は「わたし」です。
理解していただいたようで助かります。
>この場合「良い、悪い」ではなくて「好き、嫌い」ですけどね。(^_^;)
困りました。(^_^;)
>>>でも男の人はそれくらいの方が「いい」と思います。
と書かれています。あなたの表現から受ける印象としては、「好き」というより「まだまし」
といった感じでしょうか。
ここでわたしが不思議なのは、誰もあなたにそれに類する問いをしていないにもかかわらず、
「それくらいの方がいいと思います」と記されたことです。どのような意図があって書かれたのでしょう。
わたしに気を使ったということでしょうか?
>その行為によって生じた物事の責任はわたしにあります。
また責任ですね。あなたにある責任はどうなのでしょう?
責任をとる、とかそういった類のことをおっしゃっているのですか?
あなたは全ての決定事項に責任と義務が派生するとお考えのように見えます。
その責任と義務をどのようにお考えなのですか?
責任が「ある」という認識から生じる次の展開が起こった場合を常に想定されているのでしょうか?
>>138 >どこかで「その根拠の根拠は?」を止めないかぎりは。
あなたはどこで止めているのですか?
わたしがこのスレで語っているのはまさにそのことです。
興味がおありならわたしのレスをよく読んでみたらいかがでしょう。
わたしは真理を書いています。あなたのお嫌いなそしてよくお使いの心理ではありません。
根拠はわたし、あなた、だれかの気持ちであったり考えであったりするのではないでしょうか?
その人の気持ちの根拠は?
その人がどうしたいかではないでしょうか。
どうしたいかの根拠は?
みなさんで考えていかれたらいかがでしょう。よく自分を見つめると、意外にもみなさん
同じかもしれませんよ。
そういうことを話し合う場になることを望んでいます。
>>139 >だからこそ道徳の正当性を支えていくには
はい。その前提であれば思い込みが重要です。
でもその正当性を支えていく作業は、道徳の価値観が変わることでなにやらきな臭いものにも
変わってきた歴史がありますね。
正当性が必要な時点でありがたくないものかもしれませんよ。
よく考えてみましょう。
>わたしを含め日本人は「守られていること」を、つい忘れてしまいがちなように感じていましたので
そうでしょうか?
最近騒がれている自己責任問題をどのようにお考えなのでしょう。
守られている意識が強いということが問題のようですよ。また国会で行なわれている
話し合い(あなたにとってはあの場は気持ちを語る場に見えるのですか?)等に積極的に
参加する意志が希薄なことは投票率の低さから窺えます。
あの場に参加することは容易に叶いませんが、代わりの人を選出する権利を有する人は
間接的に参加可能です。それを行使しないのは決まりを自ら作ったり守ったりする意識が
希薄だからではないでしょうか。
あなたは現実(最近の日本人の傾向)が見えていますか?
国は守ってくれていますか?あなたのまわりの方は国政に参加していますか?
>>140 >明確にできないことは沢山あると思います。
>それでも責任の所在を明確にする必要のあることも沢山あるでしょう。
ごもっともなご意見です。
明確にする必要がある(というように人が便宜上規定する)場面はたくさんあるものの、
明確に出来ないこともたくさんあるということでしょうか。
ならば責任の所在は多くの場合擦り付け合いに終始する可能性も秘めていますね。なぜなら
誰かのせいにしなくてはいけないようですから。
>誤解されたくないからと思って気遣いをした発言なんです。
人の気持ちはわかりません。そのような気遣いは説明する際にいかしたらどうでしょう。
>そのように誤解された経験も過去にあったから
わたしにも数多くあります。わたしはその経験から人は自分の説明を想像以上に理解
しないことを知りました。
ですから物事や言葉の本質的な部分をとらえて明確に説明する努力をしています。
>ただ、いまのところ「一言声をかける」ことをしなかったために誤解される経験
>の方が勝っているので「一言声をかける」のはつづけると思います。
ご自由でしょう。あなたがあなたのお持ちの経験を重視するのは当然のことです。
あなたはそのようなやりとりが誤解を回避できるから用いているのですか?
利便性も高いからではないですか?
誤解を回避するような表現で説明する方向へは気持ちが向かないのでしょうか。
>>141 >それ以上の努力をしてまでその人に理解してもらいとは思いません。
そうでしょうね。あきらめますか。
>やっぱり気持ちは伝えないとなかなか伝わりませんものね。
伝え方にもよるでしょう。
基本的に伝わるのは言葉です。あなたやそのまわりの方は言葉に付帯する雰囲気を伝え合って
いるようにも見えます。
わたしには両方とも伝わりますが、言葉に含ませる本質的な意味合いを理解する努力をします。
あなたにはその努力が希薄なようにわたしには見えます。
話し合いの実際があなたのおっしゃる気持ち重視であることはよく理解しています。
国会でも同様です。でも話し合いの本質的な意味はそうではないと思います。
相手の気持ちは、こちらには自分勝手にいくらでも想像可能です。
それよりも相手の言いたいことの本質を読み取る努力が話し合いには必要とは思いませんか?
>>142 >ただ、あなたと話していると、どうしてわたしの自然な気持ちの流れを
>わかってもらえないのかなって思ったりしてるのは確かですけど。(^_^;)
大きな誤解をされているようですね。
あなたの自然な気持ちの流れが具体的になにを指すのかは、細かく話し合わなければ
相互理解は実現しないでしょう。
ですが、あなたの言わんとするところをわたしなりの解釈でなら十分「わかっている」
と思います。それはわたしの特技の一つでもあります。洗脳が得意と書くくらいですから、
相手の気持ちを察することが出来なくては話になりません。
わたしはそのような気持ちのやりとりは、本質的な話し合いには不向きだからしないよう
努めていると書いています。
>>143 >紹介して頂いてありがとうございます。(^.^)
どういたしまして。
トリイ・ヘイデンの作品はいわゆる「愛」がテーマかと思います。心理学的要素は筆者の
経歴上否定できませんが、内容的にそのような記述は極めて希薄だと記憶しています。
キングに関して、スタンドバイミーに類似した作品はいくつかあります。それらはちびまるこちゃん
やうる星やつらなどで極稀にある「いい話」的な要素があり、通常のそれらしい話を書く作家の
「いい話」よりも際立つかもしれません。「IT」もそうですが、いい話以外に長くてグロくてエロいです。
筒井はとにかくエログロです。おすすめしません。でも頭の中が解放される可能性はあります。
先日貸していただいて読了した桐野夏生の「残虐記」は最近の桐野節健在といったところで
まずまずでした。「柔らかな頬」に類似する、事実から浮かぶ実際の多様性を執拗に描いています。
事実を伝える虚実が見事に表現されていると思います。
「OUT」「グロテスク」なども興味深く読みました。気が向いたらどうぞ。
わたしの好きな作品はきわどい作品ばかりです。ですからあらかじめあなたの好みを伺う
必要を感じてあのように拒んでいました。
あなたに受け入れられ難いことは予測していましたので配慮は必要ありません。
>>144 >>あなたは何のために生きていますか?
>わかりません。
あなたは何をするために、もしくは何をしたいから生きていますか?
また哲学書をお読みになる理由はなんですか?
>>喜びとは何でしょう?
>なんともいえない571のような気持ちのことでしょうか。
あなたはそれを得たいでしょうか?
その気持ちは選択可能ですか?
>>147 >お言葉に甘えてまたご利用させて頂いています。
ご自由にどうぞ。
>わたしkさんにメールのこと言われてから
219か17のときに言ったことでしょうか?
>なんかわけわかんなくなっちゃったからまた以前のように好き勝手にやることにしました。
なんともかわいらしい理由ですね。
人は好き勝手にしたいもののようです。その上である設定されたとされる状況(社会的にとか)
において何かしようとするとき、自分や他と折り合いをつける必要が生じるようです。
このあたりを当たり前と見過ごさず、細かくなぜ?どうして?と見ていくと自分がわかってくる
かもしれません。
>>148 >カオルおつかれ〜。相当暇人だなw
なるほど。
でも
>>35を読むと前もって書いてあった可能性もあるね。
また、仕事中にこれだけのレスを返しているkは相当な暇人ということになる。
>>149 >まず みつめていたら 「ものたりない」 という気持ちがあったの。
うん。なにがどう物足りないんだろう。
>それで 考えていたら 「活かしていない」 ということで理由付けしてしまった。
でもそれは一つの事実だろうから見つめることも重要かもしれない。
理由付けしたことを認識していることが結構重要かも。
>「活かしていない」のが因なら 「活かせばいい」 「活かしたい」と 思考は流れて言ったのだけど。
うん。活かしたいなら活かすのはものたりないを解決する作戦として有効だろうね。
活かすにもいろいろ方法があると思うよ。
>>150 >>思春期?
言葉どおりならみんないつでも思春期っぽいときがあるかもしれないね。
きみはそうでもない?
>>151 >はじめまして。人生板のときからみていました。
はじめまして。でも宗教板だと思うよ。
>Kさんなら「見習う」ことと自分を見つめていくこと、結びつけることができると思われますか?
重要な質問だね。
kはひたすら目標とすべき人の言動やしぐさ、表情、話し方、イントネーションなどを
徹底的に研究したよ。
kは自分が大嫌いだったから、いいな〜と思う人(老若男女問わず)を見るとそうなりたくて
観察した。
はじめは手法がわからなかったが、次第に分析が容易になってきた。次の実践が難しい。
いずれも自分の固定観念を見つめ、思考を自由にして相手の全てを細かくそして全体的に
とらえ、見習いたいところを実践していく。
結局自分は相手とは異なる人間なのだから、自分なりの個性になると思うよ。
疑問点は細かく聞いて欲しいな。
>>152 きみは気になるのかな?正すとはどのようなことを指すのだろう?
>>154-156 >ま、以前から「悟りや解脱」を否定しているくらいだから、
主語が不明だ。kはそのような発言はしていないと思うよ。
>kと俺は全く別物。一切一致しない。原因がわかってよかったよかった。
別物なことが原因?きみの思考内ではそれで納得なのかな?
>「自分をみつめた」結果という見方も可能かもしれないね。
そういうことだね。
>>157-160 ここで討論されているcogito ergo sum の解釈がお二人で互いに異なるようですね。
カオルさんはコギトは「自己のイデア的現前が痕跡として現象したもの」でありそれは
現前しないということになるという解釈のように見受けます。
ところがエヌさんは、
>「自己」というからややこしいのですが、「天上天下唯我独尊」のことです。
>「たったひとつの存在」のことです。
というようにコギトではなく「自己」に焦点を合わせているように見受けます。
実際はデカルトさんに尋ねてみないと判然としないことでしょう。
しかし、折角話をされるなら互いの論点を明確にした上で相互理解が図れるよう焦点を
あわせる努力も必要なように思えます。
質問です。kさんは「自分と自分以外(他)」と世界観を書いていますが、
もし、自分以外(他)を見つめていくと何が見えるのでしょうか?
>>186 君には何が見えるのかな?
自分以外(他)を認識しているのは自分。
だから、他の認識は自分のとらえかたで変化可能。
結局、他を見つめていくことで自分の認識が見えてくる。
つまり、他を見つめることは認識の変化やその変化する理由などを考えることで、
自分が見えてくると思うよ。
自分の事象のとらえ方が見えてくれば、それに対する自分の気持ちや気分の選択も可能だろう。
ことわざにも、他山の石とか他人のふり見て〜などがある。他人の行動を反面教師的に
とらえて自分の今後に生かすといった意味合いかと思うけど、他人の行動の認識は
自分がしていることを踏まえるといろんな勉強ができると思うよ。
・「気持ちの動かし合い・奪い合い」
通常の人間関係において行なわれていること。当然人間以外の対象にも同等のことが当てはまる。
生存維持には駆け引きが不可欠であり、生き物は常時それを心がけているように見える。
この認識をするか、それともその事実に目を覆うかで実際の言動の効果も変化する。
また、認識した上で効果的に言動する工夫をするかどうかによって自己にかかる負担も変わる。
これらは全て作戦であり、意図的なものであるにもかかわらず、「ふつう」「自然」「当たり前」
といった感じで明確な認識に乏しい人も多い。
これをよく理解することは、折り合いをつける上でとても重要となるだろう。
・「選択の自由」「自分で決める」
全てのことに対して選択の自由が見出せるということ。また、全ての結果は自分で決定した結果。
何を決めようが、宣言しようが自分の自由。社会的な身分の低い幼児には決定権がないかのような場合もある。
しかし選択しうる知識が欠如していたり、意識が未分化であることも多い。だからといって
選択の自由も自分で決めることもできるし、している。
また、大人と分類される人でも幼児と同様に知識が欠如していたり、意識が未分化のものもいる。
このような人には思い込みや決め付けがあると決定がし易い。
と同時に現実が見え難くもなっていく。つまり自分が見え難くなる。
全てに決定を自分でしている認識が、自分を見つめる上では必要。
しかし、どのように生きるかはその人の自由。どう生きればいいかは自分できめる他ない。
「信じる」という言葉はよく用いられるが、TV・映画の水戸黄門における印籠が如き使い方もされる。
いわく「信じてたのに」「信じてたんだよ」「信じるよ」。または「信じられない」というのもある。
信じる対象はなんだろう?
相手だろうか。自分だろうか。
信じることは人間関係において大きいことだろうか。それほど重要だろうか。
もしくは、なぜそれほど大きく扱われ、重要なのだろう。
信用が大切とはよく目や耳にするフレーズだが、根拠はなんだろう。
なぜ人の世はこれほどに「信じる」ことを大変重要で価値のあることとしたいのだろう。
よく考えていくと利便性が高いからではないかと気づく。
信用を絶対的なものとすることで、人の言動を拘束することが可能となる。
また、信用を裏切ることを「悪」と決定することでさらに重みを増している。
信用を裏切るものは悪人であり罰することもできる。
だから信用は大切で、裏切ってはいけない。
もっとも辛いのは裏切られた人の気持ちだから・・・
しかし、そこまで信用を絶対視することを洗脳すれば、裏切られたとされる状態が辛いのも
当然だろう。
人の気持ちは常に変化可能。約束した時には遂行するつもりでも、時が経てば気持ちが変化して
不履行にならざるを得ない場合もあろう。このスレにおいても同様なことが見られる。
そのようなことを予め考慮して人との約束事をするのが面倒なので、信用という行為で互いに
縛りあっているように見える。
人はとかくめんどくさがり屋のようだ。
約束は一応の決め事であり、互いの折り合いのつけ方としてそれで双方納得がいくということで
取り交わされるものであるが、その時の気持ちを持続させるのはなかなか大変な場合もある。
様々な理由で気が向かなくなることも当然ある。
それでも遂行することは自己に対して多大なストレスであり不利益だ。
しかし社会的に生活するには約束の不履行こそ不利益であることがほとんどだ。
多くの人が悩んだ経験もあり、今後も悩むかもしれない。
その原因の一つは自分を見つめずに安易に決定を下したことも挙げられそうだ。
自分が何をしたいのかをよく見つめていかないでおいそれと約束をすると、気持ちの変化が
それについて行かないといった場合が生じるのも仕方がない。
共通認識的な決まりごとの本質を見つめることで、安易に他に依存する傾向は減少するかもしれない。
自分を見失っていることに気づいても、では一体自分がなにもので、なにをしたいのかが
わからないという人もいるだろう。
欲望という言葉から連想されるイメージは決してよいものでないという人が多そうだ。
欲に関する見識は結局、自己の不利益を回避するための詭弁として自分以外に対して利便的に
使用されることが多い。それを自己に使用するとき、人はなにをすれば「いい」のかを見失う。
つまり、「〜したい」=「欲」という認識だろうから自分を見つめる上での最大の障害が
「欲はいけないこと」といった思い込みだろう。
自分を見つめる上で重要なことは思い込みや決め付けを見つめることだろう。
こ ん な こ と は 当 た り 前
といったことは全て思い込みや決め付けなので、作業としてはかなりめんどくさい。
なぜそれが当たり前だと思うのかを分析することで理由がわかるかもしれない。
その理由は、はじめこうだと思っても、ではなぜそう思ったのかと考えるとその理由が
わかってきて果てしない感じがする。
しかし、この果てしない感じのする面倒な作業をし続けるうちに何度か同じ理由にたどり着くかもしれない。
そうするとそれは自分にとってなにかしら大きな意味を持つということに気づくだろう。
そして常に自由な思考ができる状態を実現して生きるには、気づき続ける作業が終わることはない。
これで大丈夫、という「安心」がない状態ともいえるかもしれないが、その作業の積み重ねは
大きな自信となるだろう。そしてそこに安住することで無意味になること、気づき続ける作業
が終わるものでないことの認識がなくなれば、「自信」だけが残り実践には適さないかもしれない。
>>164 >実体はないかもしれないけど、体が重く感じられて無意識か顕在意識的にストレスになっている。
>この辺の対応の仕方はどうしていたのだろう。
>kが時折それに触れるのは、気持ちに整理がついても生きている以上、重力が厳然と我が身に
>与える影響が結局気持ちに作用する事実を見逃せないと思うから。
>きみは体に関してそれほど辛さを感じていないかな?
先日、掛け布団の上に転がったまま寝てしまい、体調を崩してしまいました。
胃の調子が悪くなり、嘔吐、胃もたれ、食欲不振、
さらに8度4分の熱・・・。
「死ぬ前の辛さは、こんなもんじゃないんだろうな・・」
と想像しながらも苦しんでおりました。
その辛さを感じる私は、「存在」はしていますね。
164のkさんの書き込みは、
「実体はないかもしれないけど、存在は否定できない」
と、こう考えてよろしいでしょうか?
確かに、自分自身の存在は否定できないです。
同時に、kさんの文から『「実体=存在すること」ではない』と考えていらっしゃると想像します。
私もそう思います。
(続き)
パスカルのこの言葉をご存知でしょう。
「人間は考える葦である」
この言葉は、人間の実体を考えたときのひとつの表現だったのだと思います。
私の勝手な解釈をさせてもらいます。
「葦は、そよ風に吹かれ強風に晒され、体を揺らされる。
体でそれを支え、保ちながら生きていく。
人間は、他人から褒められたり、けなされたり、思考を揺らされる。
思考でそれを支え、保ちながら生きていく。
人間も葦も、周りの環境に影響され、存在している。
違いといえば、与えられた影響に対して、
一固体の葦はある一定の対応しか取り得ないが、
一固体の人間は使い方によっては無数の対応を取る可能性のある脳をもっている。
人間と葦は大してかわらない。
人間には脳があり考えることができるくらいである。」
「人間は考える葦である」
私がパスカルに関して知っているのはこれだけで
彼の著書はまだ読んでいませんが、
この言葉を思い出したとき、「パスカルも気づいたんだ」と思いました。
彼の著書は私の心を満足させてくれるものだと、期待しています。
(続き)
私が存在することは否定できません。
しかし、その存在する私には実体が無かったことに気がついた、
という話はもう一方のスレで書いたとおりです。
もしかしたら、頭で考えて理解できる人もいるのかも知れませんが、
私に限ってはなんの予備知識もなく突然気づいてしまい、
しばらく頭が混乱していました。
言動も端から見ると、怪しかったことでしょう。
「今まで私を支配していたものが見えた!」
とか、
「今まで私が自分で決めてきたことは、私が決めたことじゃない!」
とか・・・。
たった1年ちょっと前のことです。
こんな言い方じゃ伝わるはずもなく、ただの狂人です・・・。
初めて食べる物の味は、誰かに伝えようとしてもうまく説明できない、
「食べてみて!」と思う気持ちと共通するものがあります。
私には実体がないということは、うまく説明できない、
「それに気づいて!」と。
>>195-197 「実体がない」というとらえ方は多種多様だろうね。
量子物理学の案内書等を読めば、われわれが生まれる前から物体の細かい分析を通して
存在の曖昧さは証明されているようだ。
しかしこれもとらえ方であって、五感で存在を知覚することで世界を認識している構造を
有している人間にとってそのような認識は余程教え込むか洗脳するかしないと難しそうだ。
自分という主体の存在を考えるとき、自分とされるパーツ及び総体は「自分の」それであり
部分的な自分ともとらえられる。
思考する主体が自分であるかどうかも不明。一応そのような前提で話を進めているが、
そうである確証はない。単なる思い込みに過ぎない。
>「今まで私を支配していたものが見えた!」
>「今まで私が自分で決めてきたことは、私が決めたことじゃない!」
これらはいままでkが書いてきたことと真っ向から対立する内容にみえる。
しかし否定する根拠は皆無だし、きみがそう気づいた事実が大切だろう。
できたら詳しくその感覚を教えて欲しいな。
つづき
ここで書いていることは、基本的に主体=自分という認識が前提にある。
これは多くの人の共通認識的実感かと思ってそうしている。
解離性同一性障害等のいわゆる精神的な障害を持つ人の認識は違うかもしれない。
自分が「大いなるもの」に従属していたり、操られている可能性は否定しようがない。
われわれの日常が「大いなるもの」の栄養となっている可能性も否定できない。
どのような可能性もあり、どのような可能性も否定できない。
つづき
人それぞれ認識の仕方が異なる。何を好むか、何を欲しているかこれらも異なるだろう。
ここで話していることは、それらに関して自分自身(と認識しているなにか)に問い掛ける作業
から得られることの有益さといえるかもしれない。
生誕して後、自分と関わった記憶にある全てに渡って検証を試みても
人は自分の気持ちが大事 人は自分の気持ちを大切にしている
ということが当てはまるように見える。
存在の実体に関しての考察は気づく上で有益だと思う。
かくいうkも中学の時にそれに気づいたときは結構衝撃で言動がおかしかった(もともと
かもしれないが)と思う。またそれ以降随分と悩ましい日々を送った。ありていにいえば
全てが空しいというか、馬鹿らしいというか、そんな気持ちが日常を覆っていたように思う。
でも根底(とりあえずこの世の存在の絶対性)が崩れたことで、思考を柔軟にするきっかけにはなった。
つづき
哲学する上でも宗教や学問をする上でも、この地球上で生活する以上重力の影響を受け
空気を吸って吐き、食物を摂取して、いらないものを出す。
これらの思い込みをうまく利用することが有益であることに気づいた。
誰にとってどのように有益なのかをここでみんなに考えて欲しい。
こうであるべきと考えている決まりは単なる決め事であり、実体すらない。
では一体何のために生きているのかという話になる。
動物として生存していることを認識しつつ、それに関して考えたらどうだろう。
>>166 kさん
>賢さは、そのような状態にあるという場合の状態の一つかと思います。
kさんの「賢さ」の定義がわからないのでなんともいえませんが
わたしの
>>131での「賢さへの疑問」というのは
たとえば、科学やテクノロジーのたゆまない前進への疑問というか
その動機への疑いというか、べつに天が地球の周りを回っててもいいのに
なぜかそうでないことに気づいてしまうことの不思議さというか
まるでそれが宿命づけられているかのように気づきつづけていることに
いったい何の意味があるのかな、みたいなことです。
またいつもの推測ですけど、kさんの気づきと進歩や進化と呼ばれることの
気づきとは、kさんのなかでは相反することなのかもしれないのだけれど
なぜなら進歩や進化への信頼もひとつの「思い込み」かもしれないからです。
けれど物心のちがいはあるにしてもその志向性においては同じ気もするのです。
もちろんkさんのいう気づきは「もしかしたら楽になれるかも」の苦楽の二元
しか示されていないので「楽」が、何かしらプラスの価値と思われていること
への導きとはいえないのですけれどね。
>>167 kさん
>書き込まないと書いても書き込むのでしょうか。
書き込む気にならないと書きました。
けれど書き込む気になったので書き込んでいます。
いまでもこのスレは宗教板か人生相談板が相応しいと思ってますよ。
でもまぁいいかって感じです。(人のこと言えないし)
それとkさんが「大変残念です」「心よりお待ちしています」
といってくれたことも大きな理由です。
>>168 kさん
>>価値の相対化によって価値の外には出れないですからね。
>すみません。文意および脈絡が理解できません。
価値を相対化することによって「何の価値も見出せない」とか嘆いても
その人がどのような価値の選択もしないでジットしているなんてことは
できないのではないでしょうか、ということです。
>そしてわたしは、しめしめとほくそえんでいるわけです。
どうしてほくそ笑むのですか?
何があなたの思い通りの結果になった(なりつつある)のでしょうか?
それはあなたにとってだけの満足なのですか?
それがわたしにとっての満足でないとしてもあなたはほくそ笑むのでしょうか?
>今まで大切だと教え込まれ信じていた価値観の無意味さに気づくとき
その人にとって無意味になるだけであって
その無意味さもまた、その人の主観(=思い込み)ですよね。(笑)
>>169 kさん
>ちなみにあなたはこのことからどのようなことを感じ取るのでしょう。
>〜
>人は何のために生きているのかといった問に対する回答を
>得るのに似ている気もします。
何のために生きてるか?
じゃなくて
生きてるってどういうこと? なに?
みたいな方がちかいと思います。
1+1=2を、わたしは小学生のとき理解できなくて
テストはできてても、ほんとうは何もわかっていないことが
苦しくて怖くて不安で仕方なかったんです。
だれにもそんなこと恥ずかしくて話せないし
ひとりでずっとかかえてました。
じつはいまでもよくわかってないんですけどね。(笑)
だから1+1=2が当り前でないことを知ったとき、
1+1=2を本気になって解明しようとした人たちが
いるのを知ったときの感動は忘れられません。
とかいって『プリンキピア・マテマティカ』は
まだ読んでないんですけどね。むずかしいんです、これが。(^_^;)
>>170 kさん
>体育祭や文化祭を様々な事情でやる気が起きない場合も多いと思います。
>そういうときにカオルさんの在籍した学校はやる気が起きるまで待ったり、
>やる気になるように話し合ったのでしょうか?
あーそうか。話し合うみたいなことはあまりしなかったのかも。
やる気のない人には一生懸命にお願いしました。一緒にやりたいって。
わたしはできるだけ裏方にまわってみんなが主役になれるようにって。
文化祭より体育祭の方が大変だったかな。やっぱり運動の苦手な子とか
やる気どころか休みたいみたいな気持ちだから。
それに体育祭はわたしリレーの選手だったから裏方になりきれないし
そういう反発もあったと思います。全員というのはむずかしいですね。
>わたしはみんなの気持ちが一つになった経験がありません。
ほんとうに全員なのかといわれたら自信ないけど
それでも運動が苦手な子には組み体操とか応援とかがんばってもらって
やっぱりがんばったらやって良かったー、になりますし。
それにうちのクラスは普段からまとまっていたから
クラスの応援とか自然とみんな夢中になってやってましたね。
>やる気がない人にやる気のない理由を聞いたり、無理強いして「いいじゃん。やろうよ」と
>誘ったことはあります。
うーん、それは逆効果だと思いますよ。(笑)
とにかく一緒にやりたいっていう気持ちを一生懸命に伝えるのがいいと思います。
>嫌々やっていても何かしらうまく行って興味を持ってやるようになることもありました。
うん、ここ大事!
でも、うまくいったからではなくて、一緒になって一生懸命に取り組むうちに
こだわり(興味)がでてきて、気づいたら夢中になってやってるってカンジかな。
>カオルさんの学校ではそのような場合どのような対処をされていたのでしょうか?
準備をはじめる前のことは、もう上で話しました。
準備をはじてからは、やっぱりがんばってもらうしかないのかな。
がんばらないとやる気って起きてきませんものね。
わたしはとにかくがんばってもらえる場や機会を作ることにがんばりました。
あーそうか。わたしオレオレ君と先生には嫌われてたかもしれませんね。(笑)
>>171 kさん
>>でも男の人はそれくらいの方が「いい」と思います。
>どのような意図があって書かれたのでしょう。
kさんの話を聞いていて、この人強引な人だなぁーって感じたので
たとえば、文化祭とかで「俺は絶対参加しない!」とか宣言して
あたしがいくら頼んでも聞いてくれないひねくれた人っていうか。(笑)
で、こういうわがままな子には「おまえに従ったんじゃない!」
という機会をどこかで作ってあげないといけないんです。(笑)
でもこういう男の子って自分の意思ではじめたからにはって感じで
すごくがんばってくれるし盛り上げてくれるんですよね。
とりあえず「キレイ」「よい」「正しい」には脊髄反射しますから
その化身であるところのわたしwのいうことを聞くわけがないのです。
でもわたしはあんまり心配してなくて気持ちは通じているというか
やってくれるの信じてたから。で、なんの話しだっけ?
そうそう、kさんのイメージはそういう男の子なんです。
もちろん誉めてるんですよ。(^.^)
>また責任ですね。あなたにある責任はどうなのでしょう?
>責任をとる、とかそういった類のことをおっしゃっているのですか?
はい。社会や学校や親や他人のせいにばかりしないで
それは自分が決めたことなんだから自分に責任があるんだということです。
たとえば、オームの信者は洗脳されていたんだから被害者なんだ、
みたいなこといわれて「そうなんです」っていってしまう信者がいますけど
それはどうなのかなっていうこと。あなたには責任あるよっていいたい。
>責任が「ある」という認識から生じる次の展開が起こった場合を
>常に想定されているのでしょうか?
ちょっと意味がつかめないので何を答えたらいいのかわかりません。
>>172 kさん
>あなたはどこで止めているのですか?
止めていないけど?
人として生きているかぎりはヒトデナシにならないように
道徳を守るとか、大切にするとか、そういうのはあるけど。
>>173 kさん
>でもその正当性を支えていく作業は、
>道徳の価値観が変わることでなにやらきな臭いものにも
>変わってきた歴史がありますね。
何がきな臭いのでしょうか?
それは「悪い」ということを含意してるのですか?
>正当性が必要な時点でありがたくないものかもしれませんよ。
>よく考えてみましょう。
もともとは無自覚的な信念でしたから正当性が問われることは
なかったのではないでしょうか?
それを自覚的なものとして相対化したために正当性を
いわなくてはならなくなったのでしょう。
またありがたくなくても否定する必要はないのだと思います。
>最近騒がれている自己責任問題をどのようにお考えなのでしょう。
守られていることへの意識がないのだなぁーと思いました。
>それを行使しないのは決まりを自ら作ったり守ったりする意識が
>希薄だからではないでしょうか。
たしかにそうですね。
自分たちの代わりにやってくれてる人にはもっと
感謝した方が良いのかもしれませんね。
>あなたは現実(最近の日本人の傾向)が見えていますか?
kさんには見えているんですか?
>国は守ってくれていますか?
はい、そう思っています。
>あなたのまわりの方は国政に参加していますか?
投票のことですか?
会社の人はみんな行ってるみたいですけど
全体としてはあんまり行かないみたいですね。
>>174 kさん
>ならば責任の所在は多くの場合擦り付け合いに終始する可能性も秘めていますね。
そうでない可能性もありますね。
前スレで会社のことを話しましたけど
システムの構造上の問題もあるような気がします。
日本人の気風も関係しているのでしょうか?
>ですから物事や言葉の本質的な部分をとらえて明確に説明する努力をしています。
あなたのやり方を否定する気はないのだけど
理屈が通っても気持ちが通じないと信じてもらえませんよね。
どっちもどっちみたいなこと夏目漱石か誰かが言ってませんでしたっけ?
>誤解を回避するような表現で説明する方向へは気持ちが向かないのでしょうか。
理屈っぽいこといってるわりに、そういうことで理屈っぽく言われたり
言ったりするのが苦手なんです。
たとえば「浮気疑惑」を理屈で説明されても、それって言い訳にしか
聞こえないし・・・ますますあやしいぞーみたいなね。(笑)
>>175 kさん
>それよりも相手の言いたいことの本質を読み取る努力が話し合いには必要とは思いませんか?
言いたいことを理解したいとは思いますよ。
でも知りたいのはその人の気持ちですね、やっぱり。
だって、ある人の言いたいことが「世界が平和でありますように」だったとしても
その人は、世界が平和になってしまうと困ってしまう武器商人かもしれないでしょ。
その人のほんとうの気持ちが「戦争万歳」だということを見抜くことを
「本質を読み取る」といっているのなら、そう思いますけど。
>>177 またまたいろいろご紹介頂いてありがとうございます。
ひとつずつ読んでいきたいと思います。(^.^)
214 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/15 02:57
>>178 kさん
>あなたは何をするために、もしくは何をしたいから生きていますか?
わかりません。
>また哲学書をお読みになる理由はなんですか?
いつのまにか読んでいました。
なぜか意味がわからなくても読めるんです。
そのうちこの人ってわたしみたいとか、わかるわかるみたいな。
それがどれ読んでもそんな感じなのです。
少しわかるようになってからは書物のなかの哲人と会話したり
それちがうよとか、甘いなーとか、いろいろ言いながら。(笑)
>あなたはそれを得たいでしょうか?
わかりません。
>その気持ちは選択可能ですか?
いいえ。でも瞑想するとおなじような感じになりますね。
>>202 >>賢さは、そのような状態にあるという場合の状態の一つかと思います。
>kさんの「賢さ」の定義がわからないのでなんともいえませんが
論点をずらされているようです。
わたしはあなたのイメージする「賢さ」もそのような状態に見えるうちの一つではないでしょうか、
という意味で書いています。
わたしの賢さの定義はあまり関係ないようですよ。
>>203 >書き込む気にならないと書きました。けれど書き込む気になったので書き込んでいます。
わたしが繰り返し書いている、人の気持ちは常に変化可能だということが示された文ですね。
>いまでもこのスレは宗教板か人生相談板が相応しいと思ってますよ。
どちらにもたてられなかった旨理解されていますか?
敢えてそのようなことを繰り返しかかれる意図は察しますが、そのような事情もありまして
あなたのような哲学板の方の書き込みばかりなのでここに立てました。
気が向いたらまたそのときにチャレンジするかもしれません。
>でもまぁいいかって感じです。(人のこと言えないし)
まぁいいかで済むなら敢えて書く必要もないかもしれませんね。
>それとkさんが「大変残念です」「心よりお待ちしています」といってくれたことも大きな理由です。
わたしの責任もあるということでしょうか。
>>204 >どうしてほくそ笑むのですか?
価値観の多様化の体感によって思い込みに気づき、本質的な生きる意味を考え始める可能性
が見えるからです。
>何があなたの思い通りの結果になった(なりつつある)のでしょうか?
同上。
>それはあなたにとってだけの満足なのですか?
知りません。まずあなたがよく考えたらいかがでしょう。
>それがわたしにとっての満足でないとしてもあなたはほくそ笑むのでしょうか?
もちろん、あなたに見られないところで。(笑)
>その人にとって無意味になるだけであって
>その無意味さもまた、その人の主観(=思い込み)ですよね。(笑)
もちろん。(笑)
このようなやりとりがお好きなようですが、すべてが主観であり、とらえ方が多様であることに
気づいたとするわたしにどのようなご意見がおありなのでしょうか。
その考え方を否定されたいならご自由にどうぞ。
あなたの主観は常に変化可能にお見受けしますが、いかがでしょうか?
>>205 >だから1+1=2が当り前でないことを知ったとき
前述のように、1+1=2というのは決め事であり思い込みでしょう。
これを基盤に数学を構築していると思います。
思い込みが弱いと危惧されるあなたらしくもありませんね。
1+1=2という思い込みを利用してこそ基本的な数学を理解することができることでしょう。
そこに疑問を抱くのも当然のことで、それは基盤に関する疑問のようです。
この世はすべてそのように思い込みによって決まりが成立しています。
あなたはそのことを本当に理解しているのでしょうか。
1+1=2に対する素朴な疑問が気づきもしくはそのきっかけだと思いますよ。
わたしに反論されている(思い込み等に関する誤解など)あなたのその疑問(この場合は認識でしょうか)
こそがわたしが書いていることと類似しているように見えます。
>>206 >あーそうか。話し合うみたいなことはあまりしなかったのかも。
気づいていただけたのなら助かります。
>やっぱり運動の苦手な子とかやる気どころか休みたいみたいな気持ちだから。
相手の気持ちは計り知れませんが。
>それにうちのクラスは普段からまとまっていたから
>クラスの応援とか自然とみんな夢中になってやってましたね。
大きく誤解を招く表現かと危惧します。
「うちのクラス」とはある限定したものでしょうか?それともあなたが所属した小中高
全てのクラスという意味でしょうか?
「普段からまとまっていた」に関しても、元教育関係者として疑問が生じます。
あなたにとってそう見えた、というならよく理解します。
>>207 >とにかく一緒にやりたいっていう気持ちを一生懸命に伝えるのがいいと思います。
とにかく「いい・わるい」は自分で決めますし、あるシチュエーションを限定しないと
なかなか決まりません。
「一緒にやりたいっていう気持ち」とはどのようなことでしょう?
作戦で?それとも本気(?)でそう思ってそれを伝えるということでしょうか?
おっしゃりたいことはよく理解しますが、人の気持ちはそのように簡単ではないので
あなたのその文章だけではとても「いい」とは思えません。何にとってどのようにいいのでしょう。
>でも、うまくいったからではなくて、一緒になって一生懸命に取り組むうちに
>こだわり(興味)がでてきて、気づいたら夢中になってやってるってカンジかな。
そうです。
これは人生を思い通りに生きる極めて利便性の高い技です。
>準備をはじめる前のことは、もう上で話しました。
話し合いではなかったということでしょうか。
>がんばらないとやる気って起きてきませんものね。
そうですね。目的を見据えて細かい計画を立てることが適切と思います。
>わたしはとにかくがんばってもらえる場や機会を作ることにがんばりました。
それはなぜでしょう?
やりたくない人はやりたくないという気持ちがあるように見えます。
あなたはそれを受けてやらないことに向けて努力されるのではなく、やる気になるように
気持ちを変える方向で努力されたということでしょうか。
気持ちを大切にするといわれるあなたの行動とするとよくわかりませんが。
>>208 >>>でも男の人はそれくらいの方が「いい」と思います。
>>どのような意図があって書かれたのでしょう。
ここで尋ねた意図が
>kさんの話を聞いていて、この人強引な人だなぁーって感じたので
>で、こういうわがままな子には「おまえに従ったんじゃない!」
>という機会をどこかで作ってあげないといけないんです。(笑)
でしょうか?
申し訳ありませんが全く理解できません。
>そうそう、kさんのイメージはそういう男の子なんです。
>もちろん誉めてるんですよ。(^.^)
あなたのイメージを否定することはしませんが、主観的に見て肯定もしかねます。
あなたがわたしにあなたなりのイメージを持ち、決め付けと思い込みであなたの気づき
の機会を逸していることも、あなたにとっては取るに足らないことかもしれません。
ただ、わたしの本質を理解しようとされないあなたがわたしに対して抱くイメージが
実際のわたしと符合するかはかなり微妙かもしれません。
あなたはわたしの文章表現を非難し、文意を汲み取ろうとしないことが多くあります。
仮にあなたに本来的なわたしと話がしたいという心持ちがあれば、もう一つのわたしのスレで
話をすることで叶うかもしれません。
もちろんすすめていません。仮にという前提での実現可能な方法を示したまでです。(^.^)
>>209 >あなたには責任あるよっていいたい。
結論がそれであるなら、わたしが執拗に書いているようにあなたの「〜したい」という
気持ちを満たすために責任の話をされているようですよ。
つまり本質はあなたの(その場の)気持ちを満足させたいように受け取れます。
>>責任が「ある」という認識から生じる次の展開が起こった場合を
>>常に想定されているのでしょうか?
>ちょっと意味がつかめないので何を答えたらいいのかわかりません。
仮に事故が起きたとして、なぜそうなったかを細かく分析するより「責任」問題に事態を
転嫁して、責任の所在が不明だからこの問題はまずそれをはっきりさせてから!という
言い逃れをすることで事故の収拾がつかなくなる事態のような状況をどのようにお考えかと
いうことです。
新聞紙上を賑わす事故事件に纏わる悲劇は、責任の所在重視より事故の原因の細かい分析と
考察が回避に役立つように思えます。
>止めていないけど?
つまり根拠がないということですか?
それで思い込むしかないから、みなさんに強く思い込もう!と呼びかけているのですか?
はて、1+1=2が1+1=2ではないことはあるのでしょうか?
>>210 >何がきな臭いのでしょうか?
何がきな臭いかと問われても答えようがありませんが、使用した意図は焦げ臭いという
意味を匂わすことで戦争関連の想起を誘っています。
>それは「悪い」ということを含意してるのですか?
わたし自信は意図的に「悪い」という意味を含有させていませんが、上の文章からあなたが
どのように受け取るかはあなたの自由です。
>もともとは無自覚的な信念でしたから正当性が問われることはなかったのではないでしょうか?
知りません。
「もともと無自覚的な信念でしたから」と言い切る根拠はなんですか?
正当性が問われたかどうかよりもあなたはどう思うかを聞きたい気持ちです。
>またありがたくなくても否定する必要はないのだと思います。
それではどうでもよい類のものにも思えます。
>>最近騒がれている自己責任問題をどのようにお考えなのでしょう。
>守られていることへの意識がないのだなぁーと思いました。
一般的世論にはない見識のようです。
具体的に説明していただけますか?
>>211 >自分たちの代わりにやってくれてる人にはもっと感謝した方が良いのかもしれませんね。
なぜ感謝した方が良いとお考えですか?
感謝したくなるようなことをしている代わりの人たちをご存知ですか?
>>あなたは現実(最近の日本人の傾向)が見えていますか?
>kさんには見えているんですか?
どうやらあなたよりは世論に関する認識は一般的のようですね。
>>国は守ってくれていますか?
>はい、そう思っています。
事例はたくさん必要ありませんので、具体的に細かく説明をお願いします。
>会社の人はみんな行ってるみたいですけど
>全体としてはあんまり行かないみたいですね。
守られている意識がないからそのようなことが起きているとお考えでしょうか?
>>212 >>ならば責任の所在は多くの場合擦り付け合いに終始する可能性も秘めていますね。
>そうでない可能性もありますね。
そうです。可能性は否定のしようがありません。
ですがわたしの意見は「責任の擦り付け合いに終始する」ことで本来の問題解決がなされないことが
日々のニュースや実体験を通して気づける状態にあることを踏まえて語られています。
あなたは問題解決の本質を責任の所在としたいのでしょうか?
話し合いが気持ちのやりとりで終始すると主張される所以がそこに見えるようです。
>理屈が通っても気持ちが通じないと信じてもらえませんよね。
知りません。
信じるに関しては
>>190-192に書いてあります。
あなたにとっては信じてもらうことが重要なのでしょうか。
わたしは、信じるかどうかはその人の自由だと思います。ですから信じてもらう努力は
その必要を強く感じた時に気が向いたらする程度です。
>どっちもどっちみたいなこと夏目漱石か誰かが言ってませんでしたっけ?
知りません。人のいったことがなんなのでしょう?
>理屈っぽいこといってるわりに、そういうことで理屈っぽく言われたり
>言ったりするのが苦手なんです。
そのように理由をつけて努力を怠ることを一般的に言い逃れといいます。
そのような努力を怠ることは相手に対して「無責任」というとらえ方にはなりませんか?
もちろんわたしは責任に関してあなたと見解が異なるのでそのようには思いません。
あなたのおっしゃる「責任」が一体どのような時にかかるのか判然といたしません。
>>213 >言いたいことを理解したいとは思いますよ。でも知りたいのはその人の気持ちですね、やっぱり。
無理なことに気づくのが怖いですか?
相手の気持ちはわかりません。
もちろんわかったつもりにはいくらでもなれます。
>またまたいろいろご紹介頂いてありがとうございます。
どういたしまして。
>>214 >>あなたは何をするために、もしくは何をしたいから生きていますか?
>わかりません。
では相手の気持ちを知ることができないことを理解されるでしょう。
人の気持ちもよく似ています。すぐに変わりますね。
あなたも生きる目的は細かく捜せばあると思いますよ。そうでなければなぜ生きているのでしょう?
>いつのまにか読んでいました。
思い出せないということでしょうか。
>なぜか意味がわからなくても読めるんです。
喜びを得られるからかと推測します。
>そのうちこの人ってわたしみたいとか、わかるわかるみたいな。
今までの経緯で考えると著者である哲学者の「気持ち」ということでしょうね。
>それがどれ読んでもそんな感じなのです。
つまり、あなたのお読みになった哲学書の著者の気持ちに共感できるということでしょうか?
わたしの気持ちはどうですか?
>>あなたはそれを得たいでしょうか?
>わかりません。
考えてもわからないということでしょうか?
>>その気持ちは選択可能ですか?
>いいえ。でも瞑想するとおなじような感じになりますね。
おっしゃるとおりなら選択可能とも取れませんか?
なぜ瞑想すると同じ感じになると思いますか?
また瞑想すると必ずそうなりますか?
>>218 >自分をわかるの定義をどうぞ。
それは
>自分のことをわかるようになりたいという1さんの願望。
にある「自分のことをわかる」の定義と同義としようか。
>>224 >はて、1+1=2が1+1=2ではないことはあるのでしょうか?
これは「1」「+」「=」「2」などの概念を明確に定義しない限り、いくらでもこじつけられるね。
1+1=2をわれわれが共通に認識していると信じている状態でとらえるなら、それが
決まりなのだからそうでない状態は基本的にはないことになるだろう。
233 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/16 04:04
>>216 kさん
>どちらにもたてられなかった旨理解されていますか?
代理で立ててもらったら良かったのでは?
(わたしに言ってくれたら立てたのにw)
>>217 >価値観の多様化の体感によって思い込みに気づき、
>本質的な生きる意味を考え始める可能性が見えるからです。
本質的な生きる意味というのは、本能に気づくということですか?
>その考え方を否定されたいならご自由にどうぞ。
自我の主観によって思い込みに気づきつづけるという作業は
メビウスの円環をぐるぐると回りつづけているかのようです。
気づくということは思い込みの前提に「何かが起こる」ということだと思いますが
たとえば、ある思い込みにたいして疑いをもち、それにたいして問いを立てた場合
を想定しますと、思い込みの前提に「何かが起こる」には二つあると思うのです。
1.絶対化されていた前提の意味(価値)が相対化される。
2.前提それ自体の無効化。(よって問い自体も消滅する)
わたしは、1.によってはメビウスの円環を抜け出せないと思うのです。
ああそうか!と何かに気づいても、それもまたあらたな思い込みなのですから
思い込みに気づきつづけるという作業は永遠につづくかのようです。
わたしたちは、なぜ問うことができるのか? 問う自分とは誰なのか?
234 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/16 04:10
>>220 kさん
>「うちのクラス」とはある限定したものでしょうか?
はい。わたしのいたクラスのことです。
>>221 >「一緒にやりたいっていう気持ち」とはどのようなことでしょう?
>作戦で?それとも本気(?)でそう思ってそれを伝えるということでしょうか?
一緒にやりたいというわたしの気持ちを心から本気で伝えました。
>何にとってどのようにいいのでしょう。
参加したくないという人に参加する気持ちになってもらうのに。
>>わたしはとにかくがんばってもらえる場や機会を作ることにがんばりました。
>それはなぜでしょう?
それが自分の役割だと思ったからです。
>気持ちを大切にするといわれるあなたの行動とするとよくわかりませんが。
いろいろ理屈をいって「参加したくない」といっていても
わたしやみんなからの「一緒にやりたい」という気持ちが伝われば
「参加してもいいよ」にかわるもの。「参加したくない」けれど、
という気持ちも残っているかもしれないけれど、その人のがんばれる
場と機会を用意することができれば「参加して良かった」になるもの。
235 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/16 04:24
>>222 kさん
>申し訳ありませんが全く理解できません。
わたしがちょっとわがままで強引で強気な男の子に
良い印象を持っていて、勝手にkさんにそれを重ね合せていたので
kさんには悪い印象は持っていないよ、ということを伝えるために
>でも男の人はそれくらいの方が「いい」と思います。
といいました。的外れだったみたいだけど。(笑)
(こんなことここまで説明する意味あるの?)
>>223 >仮に事故が起きたとして、なぜそうなったかを細かく分析するより「責任」問題に事態を
>転嫁して、責任の所在が不明だからこの問題はまずそれをはっきりさせてから!という
>言い逃れをすることで事故の収拾がつかなくなる事態のような状況をどのようにお考えかと
>いうことです。
事故が起きたら「責任問題」も「事故の収拾」も同時に行われているのでは?
バスが事故を起こして怪我人がでてるのに「責任問題」で「事故の収拾」が
つかなくなるとかってないと思うけど。
>みなさんに強く思い込もう!と呼びかけているのですか?
あなたの意見だけが突出するのはバランスが悪いなぁーと思って。
236 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/16 04:33
>>225 kさん
>「もともと無自覚的な信念でしたから」と言い切る根拠はなんですか?
そうですね。言い切るのはちょっといけませんね。
モラルハザードとかよく耳にするから、つい。
>それではどうでもよい類のものにも思えます。
わたしには思えません。
>具体的に説明していただけますか?
オシャレして高級ブランドのバッグをぶらさげてニューヨークのスラム街を歩く
ような人はいないけど、もしかりにそんな人がいたら、その人は国内で守られて
安全でいられることの当り前に気づいてない人なのかもしれないって思うのです。
なんかズレてます?
237 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/16 04:42
>>226 kさん
>なぜ感謝した方が良いとお考えですか?
きっと大変な仕事なんだろうなって思うからです。
>感謝したくなるようなことをしている代わりの人たちをご存知ですか?
はい。お母さんとか友人とか会社の上司とかたくさんいます。
でも法律とかつくる政治家の人とかの知り合いはいません。
>事例はたくさん必要ありませんので、具体的に細かく説明をお願いします。
年金制度があって、警察がいて、軍隊があって、日米同盟があって・・・
具体的に細かくといわれても書けません。ごめんなさい。
>守られている意識がないからそのようなことが起きているとお考えでしょうか?
わかりません。
238 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/16 04:46
>>227 kさん
>あなたにとっては信じてもらうことが重要なのでしょうか。
>わたしは、信じるかどうかはその人の自由だと思います。
信じてもらうことが大切と思うことと
信じてもらえるかどうかは別問題です。
>人のいったことがなんなのでしょう?
ただ思ったことをわたしは書いてるのです。
そんな言い方しなくたっていいと思います。
>そのような努力を怠ることは相手に対して「無責任」というとらえ方にはなりませんか?
あの程度のことで「無責任」とか「言い逃れ」とか大袈裟だと思います。
あなたはわたしにそのようなことを感じていないのだからそれでいいじゃないですか。
少しシツコイと思います。
わたしはあの程度のことで他人にもあなたのいうような努力なんてしてほしくないです。
239 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/16 04:58
>>229 kさん
>あなたは何をするために、もしくは何をしたいから生きていますか?
>>わかりません。
>では相手の気持ちを知ることができないことを理解されるでしょう。
「わたしが何をするために生きているのかわからない」という命題と
「相手の気持ちを知ることができない」という命題は関係ありません。
「相手の気持ちを知ることができない」というあなたの主張は
もう散々聞きました。悟りスレでも答えていますし、あなたも納得されたはずです。
>そうでなければなぜ生きているのでしょう?
わたしに生きていてほしいという人がいるからです。
あなたは、なぜ生きているのですか?
>思い出せないということでしょうか。
哲学に興味があってとかじゃなくて
小学生の頃からお父さんの本棚にある本を読んでいたのです。
そのなかに哲学書がありました。
240 :
カオル ◆BBBRv/ousU :04/05/16 04:59
>わたしの気持ちはどうですか?
あなたは自分の気持ちを理解されたいとか思ってないのでしょ?
「気づいたらどうかな?」っていうだけなんだから。
>考えてもわからないということでしょうか?
はい。
>おっしゃるとおりなら選択可能とも取れませんか?
そうですね。
>なぜ瞑想すると同じ感じになると思いますか?
わかりません。
>また瞑想すると必ずそうなりますか?
いいえ。
>>233 >代理で立ててもらったら良かったのでは?(わたしに言ってくれたら立てたのにw)
前スレの702に気が向いた人に立てていただけたらと呼びかけています。
あなたは読んでいませんか?そのレスを書いた責任とこのスレで書き込んでいる人としての
責任はいかがなものでしょう。
>どちらにもたてられなかった旨理解されていますか?
>わたしの責任もあるということでしょうか。
以上2つはスルーされたということでよろしいですか。
つづき
>本質的な生きる意味というのは、本能に気づくということですか?
そのようなことは含有されると思います。
>思い込みに気づきつづけるという作業は永遠につづくかのようです。
生きている限りは続くと思います。それに関してもこのスレで何度となく書いています。
>わたしたちは、なぜ問うことができるのか?
そのようなシステムが出来上がっているからかと思います。
>問う自分とは誰なのか?
自分と認識する主体ではありませんか?しかも極めて不安定でころころ変化するような。
>あなたの主観は常に変化可能にお見受けしますが、いかがでしょうか?
これに関してはスルーでしょうか。
>>234 >>219>あなたはそのことを本当に理解しているのでしょうか。
もスルーでしょうか。
>>「うちのクラス」とはある限定したものでしょうか?
>はい。わたしのいたクラスのことです
では、
>それともあなたが所属した小中高全てのクラスという意味でしょうか?
これに関してはいかがですか?
>一緒にやりたいというわたしの気持ちを心から本気で伝えました。
相手の方の「やりたくない気持ち」があるのにあなたの「やりたい気持ち」を優先させるのは
なぜですか?
>>何にとってどのようにいいのでしょう。
>参加したくないという人に参加する気持ちになってもらうのに。
それが参加したくない人にとって「いい」理由を教えてください。
>「参加して良かった」になるもの。
おっしゃりたいことはよく理解しますが、そうなる可能性があるというだけで、それを実現させるには
テクニックが必要です。理解されていますか?
へたを打つと多くの場合お粋なお世話と受け取られます。
>>244 最後の行「お粋な」は「大きな」に訂正します。
でもお粋なお世話も素敵ですね。
>>235 >>222 kさん
>kさんには悪い印象は持っていないよ、ということを伝えるために
わかりました。
>的外れだったみたいだけど。(笑)
ということは悪い印象をもったということでしょうか?
>(こんなことここまで説明する意味あるの?)
さあ?意味はご自分で見いだされたらいかがでしょう。わたしは書かれたあなたの意図を
知りたいと思い尋ねました。
つづき
>事故が起きたら「責任問題」も「事故の収拾」も同時に行われているのでは?
一般的な理想でいえばそのようなことを期待したいところですが、そのようでないから
新聞紙上を賑わしているようですよ。
>バスが事故を起こして怪我人がでてるのに「責任問題」で「事故の収拾」がつかなくなるとかってないと思うけど。
あなたのその発言が「本気」なら、あなたの事件等に対する認識は表面上の事実を見たうえでの
あなたなりの願望を付加して終了しているようです。
事態の収拾を遅らせる作戦として、大きな会社や国家が好んで用いてきたのが責任問題に終始させる
という手段だともいえます。
>>みなさんに強く思い込もう!と呼びかけているのですか?
>あなたの意見だけが突出するのはバランスが悪いなぁーと思って。
肯定ということでしょうか。
また、あなたはわたしが「思い込みはよくない、止めよう!!」といった呼びかけをして
いるかのような誤解をされていませんか?
一言もそのようなことは書いていませんね。
思い込みは利用して意図的に使うことで目標達成が叶うと書いています。
>つまり根拠がないということですか?
はスルーでしょうか?
>>236 >>具体的に説明していただけますか?
>オシャレして高級ブランドのバッグをぶらさげてニューヨークのスラム街を歩く
>ような人はいないけど、もしかりにそんな人がいたら、その人は国内で守られて
>安全でいられることの当り前に気づいてない人なのかもしれないって思うのです。
>なんかズレてます?
はい。
仮定の話にしても、あなたが「いないけど」と言い切るような状況ではなく、もっと身近で
わかりやすい例でお願いします。
>>237 >>なぜ感謝した方が良いとお考えですか?
>きっと大変な仕事なんだろうなって思うからです。
あなたは大変な仕事をしていますか?そのことでだれかに感謝されたいですか?
全ての人が大変な仕事をしているかもしれませんよ。
そういう意味では全ての人に感謝した方が良いということでしょうか?
>>感謝したくなるようなことをしている代わりの人たちをご存知ですか?
>はい。お母さんとか友人とか会社の上司とかたくさんいます。
>でも法律とかつくる政治家の人とかの知り合いはいません。
あなたが書いた「代わりの人たち」は政治家という意味ではありませんでしたか?
わたしはその意味で使いました。
そういう意味では「いない」ということですね。
つまり、あなたはそのような仕事にたずさわる人に関してご存じないということでしょう。
物事を良く考えて書くことも、このような手間が省けて「いい」かもしれませんね。
>>事例はたくさん必要ありませんので、具体的に細かく説明をお願いします。
>年金制度があって、警察がいて、軍隊があって、日米同盟があって・・・
>具体的に細かくといわれても書けません。ごめんなさい。
よく文章を読んでいただけたら謝る必要はなかったかもしれません。
「たくさん必要ありません」と書いてありますね。
あなたの見識は一般的な世論の多数の意見とはいい難いようですよ。
ではなぜあなたのように思えないかにも理由があると思います。
そのようなことが学べる場所で少しお勉強されたらいかがでしょう。
>>238 >>あなたにとっては信じてもらうことが重要なのでしょうか。
>>わたしは、信じるかどうかはその人の自由だと思います。
>信じてもらうことが大切と思うことと
>信じてもらえるかどうかは別問題です。
そうです。知っています。あなたは論点をずらしてわたしの質問をはぐらかされている
ように見えますよ。
>>人のいったことがなんなのでしょう?
>ただ思ったことをわたしは書いてるのです。
ただ思っただけではないと思います。書く意志があったから書かれたことと思います。
ご自分を良く見つめていただきたいところです。
>そんな言い方しなくたっていいと思います。
もちろんそうですが、とりたてて問題があるとも思えません。
夏目漱石に関するあなたなりの考察か、他人の言葉の引用における有益さに関しての意見が
おありかと思い尋ねました。
ご存知のようにわたしも多用させていただいています。間違いない!(by長井秀和)というように。
>あの程度のことで「無責任」とか「言い逃れ」とか大袈裟だと思います。
どの程度なら大げさとお考えにならないのでしょう?
果たしてあなたのお考えになる「責任」とはどのようなシチュエーションにおいて起こること
なのですか?
つづき
>あなたはわたしにそのようなことを感じていないのだからそれでいいじゃないですか。
わたしにとっていいかどうかは残念ながらわたしが決めています。
>少しシツコイと思います。
少しではありません。徹底的です。
>わたしはあの程度のことで他人にもあなたのいうような努力なんてしてほしくないです。
それはあなたの願望ですか?
でもあなたの内的宇宙ではそれで問題ないのかもしれませんが、多くの人との関わりあい
の中ではいろいろなことが起こると思いますよ。
努力するかどうかは当事者の問題です。
>>239 >「わたしが何をするために生きているのかわからない」という命題と
>「相手の気持ちを知ることができない」という命題は関係ありません。
はい。その通りです。
でも、相手の気持ちが常に変化可能なように、あなたの生きる目的も常に変化可能だから
変化可能という点において定まらないという共通点があり、そのことを考慮することで
理解していただけるかもしれないと思い書きました。
>「相手の気持ちを知ることができない」というあなたの主張は
>もう散々聞きました。悟りスレでも答えていますし、あなたも納得されたはずです。
なぜわたしの納得をあなたにわかるのでしょう?
あなたは納得されたのですか?相手の気持ちがわからないことに。
つづき
>わたしに生きていてほしいという人がいるからです。
そうですか。
それはその人のために生きているという解釈で差し支えありませんか?
>あなたは、なぜ生きているのですか?
生きていて面白いからです。喜びや満足を得られると幸せな感じがするからです。
また、死後の世界は不明ですからとりあえず死ぬまで生きようと決めています。
ですが、今後の事情によっては気持ちも変わるかもしれませんので先のことは知りません。
>つまり、あなたのお読みになった哲学書の著者の気持ちに共感できるということでしょうか?
おこたえいただけませんか?
>>240 >あなたは自分の気持ちを理解されたいとか思ってないのでしょ?
そうでもありますし、そうでもありません。
時と場合で変わりますよ。
>「気づいたらどうかな?」っていうだけなんだから。
とても「だけ」とは思えませんが。あなたはどこを読んでいらっしゃるのですか?
>>なぜ瞑想すると同じ感じになると思いますか?
>わかりません。
理由の一つは脳内の神経伝達物質の作用だと考えられませんか?
人は何のために生きているか認識せぬまま生きているのだろうか?
「何のために生きる」
「生きる目標」
などという言葉でとらえると、なにやら重く大きく凄いことのように感じるかもしれない。
果たしてそうだろうか?
そういった雰囲気が付帯するにはそれなりの理由があるだろう。
しかし、それは雰囲気であって、実際はそのような問いかけに関して自分なりのこたえが
見出せずとも生きている。
だから、「ただ生きる」というこたえが出てくる人もいるかもしれない。
それもとらえ方であり、「ただ生きる」のも事実であろうし、それだけでないことも事実だろう。
人が死にたくなるときはどのようなときだろう。
自分を振り返って思いつくことがあれば、何のために生きているかも見えてくるかもしれない。
短絡的だろう。
思い込みがいかんとかではなく、
固着(固定)してしまうことをいっているのだろうから。
>>256 >短絡的だろう。
どのレスに関しての発言かな?
>思い込みがいかんとかではなく、
>固着(固定)してしまうことをいっているのだろうから。
うん。kはそう言っている。
>>255 >人が死にたくなるときはどのようなときだろう。
>自分を振り返って思いつくことがあれば、何のために生きているかも見えてくるかもしれない。
単純なことだろう。生きたいから
そんな当たり前のことが、即座に出てこないのであれば
そいつはそれだけ自己を見失っているんだろう
死にたいって書いてある、言ってるようなもの、だ
そいつは誰だ?
>>258 >そんな当たり前のことが、即座に出てこないのであれば
>そいつはそれだけ自己を見失っているんだろう
きみのいうとおりだ。
そして、きみ以外はまだ何のために生きているかを見出していないか、ここに書き込んでいないかだ。
自分を見失っていないという人のほうが少数だろうと思ってこのスレをたてた。
>そいつは誰だ?
kを含めてほとんどの人がそのような状態になっているのではないかな。
きみは「生きたいから」生きていると言い切っているようだが、なぜ生きたいのか説明できるかな?
>きみ以外はまだ何のために生きているかを見出していないか、ここに書き込んでいないかだ。
そして?、きみ以外?
それを無理にでも捜させたいのか、あんたは?
見出せずとも生きていけるだろう。
見たところ物腰は柔らかげだが、つまりこのスレを見てる連中やその他の人達も
巻き込みたいようだな、意図とやらに。
人の書き込みを踏み台にして、あんたの意図で恣意的にさらっていこう
ということなら、冗談ではないな
>自分を見失っていないという人のほうが少数だろうと思ってこのスレをたてた。
前段の文意を汲めば、このスレの趣旨、あんたの意図(都合)に沿うよう希望してるのか?
>kを含めてほとんどの人がそのような状態になっているのではないかな。
そのような状態とは、自分が現在生きている姿は、そのままの自由な選択だとは
思えない、だろう。
それは主観的な思い入れがあるためにだろうが、どちらにしても自由、なお自由だ。
好きにすればいい。だが、思えないのであれば、本来の自己を見失っていることになるだろう
>きみは「生きたいから」生きていると言い切っているようだが、
ようではない。またか
言い切っているが。
>なぜ生きたいのか説明できるかな?
なぜ?生きたいからで、説明としては完結していると思えるが。
生きようとする意志だ。
>>260 >そして?、きみ以外?それを無理にでも捜させたいのか、あんたは?
無理にでもなく、探させたくもないよ。
>見出せずとも生きていけるだろう。
間違いない。(by・・・)
>見たところ物腰は柔らかげだが、つまりこのスレを見てる連中やその他の人達も
>巻き込みたいようだな、意図とやらに。
そうだね。
>人の書き込みを踏み台にして、あんたの意図で恣意的にさらっていこうということなら、冗談ではないな
ならば書き込まないほうが賢明かと思うよ。冗談になっているね。
>前段の文意を汲めば、このスレの趣旨、あんたの意図(都合)に沿うよう希望してるのか?
そうだよ。
>またか 言い切っているが。
また?きみはエヌかい?
>なぜ?生きたいからで、説明としては完結していると思えるが。生きようとする意志だ。
きみが思うのは自由だけど、みんながそんな簡単に完結して納得しているならそのような疑問が
大昔から今に至るまで人を悩ますはずもないだろう。
きみは死にたくなったことがないのかな?
>>261 >ならば書き込まないほうが賢明かと思うよ。冗談になっているね。
一等に、俯瞰して賢くいられるほど、御歳を召してはおられないのでね。
>そうだよ。
確認した。あんたとは、相容れないな
>そのような疑問が大昔から今に至るまで人を悩ますはずもないだろう。
普遍的妥当な価値、命題だと、もっともらしく見せ、
己の願望や都合を手段として正当化する、それがあんたの表現か。
>きみは死にたくなったことがないのかな?
あるさ。死にたいは生きたいだ、違うか?
人って一度こり固まったアタマを柔らかくするのってホント難儀するみたいね
ここのカキコしてる人たち見てて本当そう思う。ま・彼らが本気出してこの程度
ならって話ではあるんですけどね。なんかの実験中かもしれんし。
kさん、お疲れ様です。カッコいいです好きです。ホモじゃないですけど。
kさんは人の知性に大きな可能性を見出してるのかな?
私は殆ど見切りをつけてしまいましたが。。
kさんの素晴らしさは文章の中だけに在らずです。ある文章を見て、これが
分かってるって事は、あの事も分かってるかもしれない等の思いを巡らしていく
程度の知能を有し、かつ本質的な議論を交わす上で捨てなければならない最低限
の思い込みを捨てていくことができる人なら、それなりには推測できると思う。
でもそれができてる人は少ないように見える。だからそれが可能な私はある意味
幸せものとも言え、またkさんの思考と恐らく同じ様な思考ができるという点で
私は自分に限界の無い、いわゆる天才への道が開かれている事を確信できるの
です。そしてkさんは今の私が認識できる範囲のkさんであって本当のkさんは
さらに奥行きがあるということも理解しているつもりです。
そして、残念ながら私からは皆さんがとても薄っぺらく見えます。
まぁ、この文章だけ読んでもkサン以外は殆ど良く理解できないとは思います
がね。
もっと程度の高い議論ができるのになぁと、袖で鼻水を拭きながら思いますた。
最後が意味不明ですがそれもまたオイしいでしょう
>>262 >>ならば書き込まないほうが賢明かと思うよ。冗談になっているね。
>一等に、俯瞰して賢くいられるほど、御歳を召してはおられないのでね。
それを適切なこたえとするには補足が必要ではないかな?
きみがこのスレでkをどうにかしたいという気持ちがあるように見えるので、それを説明
しないと意味不明で終わってしまうね。
>確認した。あんたとは、相容れないな
きみは読んでいないのかもしれないが、意図があることは何度も書いているし、意図があって
それを希望しないほうがどうかしていると思うよ。
また、相容れないかどうかはきみが決めることでご自由だが、ここに記す意味はなんだろうね?
kにそれを知らせたい?エヌという名前で何度も書いていたはずだね。だから知っているよ。
>普遍的妥当な価値、命題だと、もっともらしく見せ、
>己の願望や都合を手段として正当化する、それがあんたの表現か。
それは感嘆文なのか疑問文なのかが不明かな。
いずれにせよkの表現方法に対する批判だろうね。それを書くことできみはどうしたいんだろうか?
自分をよく見つめてごらん。
きみのしていることはなんだろう。自分の文章をよく読んでごらん。きみはなにがしたいんだろう。
>あるさ。死にたいは生きたいだ、違うか?
一般的に違うという判断だと思うよ。きみ日本語の使い方間違えて覚えていないかな?
死にたいは、死にたい気持ちということだよ。生きたいは生きようとする気持ちだね。
大丈夫かな?
>>263-264 >なんかの実験中かもしれんし。
そうだね。そうであってくれると嬉しい。
>kさんは人の知性に大きな可能性を見出してるのかな?
知性に限定はしていないけど、可能性は見出しているよ。
>そして、残念ながら私からは皆さんがとても薄っぺらく見えます。
それはしかたないね。そう見えるものはそう見えるからね。
掲示板に書き込んだことは何度も読み返すことができる。
また、書き込む際に思考を巡らせて意図を持ち作戦を立てて文章にしている。
そういうことを理解していないかのような人がいるのは事実だね。
きみはよく理解しているようだから頼みたいことがある。
きみが薄っぺらくみえる事実をkはとてもよく理解する。
でもそれはこちらから見てそのように見えるのだし、相手はそのような状態にあるのが事実であり
ずっとそのままとは限らない。
馬鹿は状態であっていつまでもそうであり続けるかどうかは本人次第。
きっかけがあれば変わるかもしれない。そのきっかけをきみは意図的に与えることができるん
じゃないかな?試してみるのも一興だと思うよ。
気が向いたらこれからも書き込んで欲しいな。
267 :
エヌ ◆XEvUT1ciAM :04/05/23 23:46
〉K
名無し相手にしてなんで俺と思い込む?
オマエ呆?
思い込み激しすぎるぞ。
>>198 >>「今まで私を支配していたものが見えた!」
>>「今まで私が自分で決めてきたことは、私が決めたことじゃない!」
>これらはいままでkが書いてきたことと真っ向から対立する内容にみえる。
>しかし否定する根拠は皆無だし、きみがそう気づいた事実が大切だろう。
>できたら詳しくその感覚を教えて欲しいな。
堂堂巡りになってしまいそうですが、
上記のような私に理解を与えてくれたものの一つが、クリシュナムルティの
「私は仮にはある。しかし、実体としての私はない。」という言葉です。
そして唯識思想もその一つです。
>>197の表現を少し変えてみます。
「未那識が見えた!」
「今まで私が決めてきたことは、阿頼耶識と未那識からなされた所業にすぎない!」
これだと、少しは狂人の域を出たでしょうか?
>>199-200 >ここで書いていることは、基本的に主体=自分という認識が前提にある。
>これは多くの人の共通認識的実感かと思ってそうしている。
そうなのですよね。
kさんと私では重きをおいているところが少し違っているのですよね。
というか、私の考え方が変わってしまったと言ったほうが適切かもしれません。
>人それぞれ認識の仕方が異なる。何を好むか、何を欲しているかこれらも異なるだろう。
>ここで話していることは、それらに関して自分自身(と認識しているなにか)に問い掛ける作業
>から得られることの有益さといえるかもしれない。
>生誕して後、自分と関わった記憶にある全てに渡って検証を試みても
>人は自分の気持ちが大事 人は自分の気持ちを大切にしている
>ということが当てはまるように見える。
おっしゃる通りだと思います。
では、その「自分の気持ちを大事にせしめているものは何」でしょうか?
それを見つめられたことはありますか?
>>1 >思考を止めてしまい、自動的・反射的な言動をとっていることを見つめる
>ことで自分がわかるかもしれない。
私が行き着いたところは、「空」だったのですよね・・・。
>>201 >こうであるべきと考えている決まりは単なる決め事であり、実体すらない。
>では一体何のために生きているのかという話になる。
>動物として生存していることを認識しつつ、それに関して考えたらどうだろう。
世の中では人の命の重さが説かれています。
その一方で私の頭の中では昔からこんな想像もめぐらせていました。
「私は○○学校の中の一人で、
○○市の人の中の一人で、
××地方の人の中の一人で、
日本人の中の一人で、
地球に住んでいる何十億という人の中の一人で、
その地球は太陽系の中の一つの惑星で、
太陽系は銀河系の一部で、
銀河系みたいなものは数えきれないほどある。
私が死んでも宇宙にはなんの影響もない」
こんな事を考えていたのですが、死を選択しようとしたことは一度もありません。
「私って、何なんだろう・・?」
と考える程度です。
「何のために生きているか」
別のスレでも書いたとおり、
「私」は宇宙の安定に向かう力の一つの表れに過ぎないと思います。
安定を求めた結果、生命体という形に行き着いたのであり、
ただ安定に向かっているだけだと思います。
申し訳ありませんが、
「私には実体がない」=「空」
が、私の考え方の基本になってしまったので、
それを抜きにして、存在や実体の話をすることは、
私にはとても困難です。
272 :
考える名無しさん:04/05/24 00:16
>>270 あなたは宇宙に影響を与えたいのですか?
それこそ無意味なことです。
どう考えても、自分自身の為に生きてるとしか言えないのです。
宇宙の安定とは何を指してるのか分かりませんが、
あなたに、それだけの力があるのですか?
または、みんなが団結すれば宇宙を安定させられるのですか?
そんな話は聞いたこともありませんが。
某107はなかなか面白そうな人間だな。
でも、kとそれ以外の人は硬いねぇ。もっと文章をよく読みましょう。
仮に、彼が何かを思い込んでるような発言をしたときにも、彼はワザと
そうする事で何かを楽しんでるのかもしれないな、等の事を考慮する事も
忘れないほうが、その人の本質を理解しようとする際には役立つだろうと
私は考えます。
人は意識的にも無意識的にも平気で論理矛盾を起こす生き物であるという事を
常に忘れることなく、私は人を観察していこうと思っています。
>>273 見てるだけか、自己満足の極まれりだね。
自己しかいないからkよりたちが悪そうだw
貴重なサンプルデータ、どうもありがとうございました。
では。
∵∴∵∴∵∴∵∴/ ̄∵∴∵∴∵∴∴∴∵∴∵∴∴∵∴∴∵∴∵∴ノ
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∵∴/ \ / ヽ∴| ● |∴∵∵∴∴∵∴∵∴ ∵ノ
∵/ \ \ l | _/∴∵∴∴∵∴∵∴∵丿
覗き見することしかできない夫馬裕明か
しかしゴキブリの生態を描いたものとしてはとてもシュールでよくできているなw
このスレのタイトルは「自分を見つめていく」だが、ソクラテスが啓示を受けたと伝えられる
アポロ神殿の標語が「汝を知れ!」だ。
このスレにも、読んでいると真実は含まれていると思えるが、腑に落ちない。
動機はそんなものだ。
>>265 >それを適切なこたえとするには補足が必要ではないかな?
色々ある。
>きみがこのスレでkをどうにかしたいという気持ちがあるように見えるので、
そんなものはない。あるのは、あんたの中にだろう
>それを説明しないと意味不明で終わってしまうね。
見えるを、事実として強調しているが、
あんたが分かるといって、納得し満足するのはそんなものだろう。
>意図があって
>それを希望しないほうがどうかしていると思うよ。
言質はとった。
自らを共有しないもの、異にするものに対する不寛容さが伺えるだろうか。
では、知性を罠にして、追い求めるものを利用する
自らの思想が倣岸な高みへと昇っていくのを喜びとしているものは、どうかな?
>また、相容れないかどうかはきみが決めることでご自由だが、ここに記す意味はなんだろうね?
このスレで自作自演している立ち位置を示す、だろう。
>それは感嘆文なのか疑問文なのかが不明かな。
>それを書くことできみはどうしたいんだろうか?
それがどうかしたのか?
>自分をよく見つめてごらん。
見上げてごらん、夜空の星を。
あんたはなにを見るのだろう。あんたは何を願うのだろう。
>一般的に違うという判断だと思うよ。きみ日本語の使い方間違えて覚えていないかな?
これも、あんたらしいな。どうかな?
>死にたいは、死にたい気持ちということだよ。生きたいは生きようとする気持ちだね。
付け加えよう、死にたいって言っているのは、生きたいと言っているのと。
>大丈夫かな?
説教臭いのは歳のせいかな?
>>267 >名無し相手にしてなんで俺と思い込む?
思い込みは利用するんだよ。きみが読んでいることが確認できたね。
>オマエ呆?
間違いない!
>思い込み激しすぎるぞ。
激しい思い込みは目標達成の元。カオルのおすすめだね。
>>268 >「今まで私が決めてきたことは、阿頼耶識と未那識からなされた所業にすぎない!」
出来たらもう少し無知な人間にも理解できるように書いてくれるとありがたいな。
>これだと、少しは狂人の域を出たでしょうか?
kがきみを狂人ととらえたことはないよ。
>>269 >では、その「自分の気持ちを大事にせしめているものは何」でしょうか?
自分とする主体を認識するものだね。
>それを見つめられたことはありますか?
いつも見つめるようにしているよ。
>>270 >ただ安定に向かっているだけだと思います。
うん。そのような記述があったね。
ただ安定に向かっていることが事実だとして、きみはどうするのかな?
われわれは今いる状況を利用して生きるか、状況に縛られて生きるか選択は自由だと思う。
きみは「ただ」生きているのかな?
>>271 >申し訳ありませんが、「私には実体がない」=「空」が、私の考え方の基本になって
>しまったので、それを抜きにして、存在や実体の話をすることは、私にはとても困難です。
前述のように、実体がないことは間違いないと思うよ。
だからその話を根底にして話をしようよ。
まずはきみの「空」という認識に関してよく理解できるような説明をして欲しいな。
できたら一般論的な共通認識ではなく、きみが感じることを君なりに説明して欲しいんだけど
>>272 >あなたは宇宙に影響を与えたいのですか?それこそ無意味なことです。
宇宙のとらえ方にもよるね。われわれも宇宙の一部というのは事実だから。
>どう考えても、自分自身の為に生きてるとしか言えないのです。
これは真理だね。
>宇宙の安定とは何を指してるのか分かりませんが
うん。安定のとらえ方でいろいろ考えられるだろうな。
>>273 >仮に、彼が何かを思い込んでるような発言をしたときにも、彼はワザと
>そうする事で何かを楽しんでるのかもしれないな、等の事を考慮する事も
>忘れないほうが、その人の本質を理解しようとする際には役立つだろうと
>私は考えます。
その通りだね。そしてそれは自分のため。気づいていない人が多いね。
>人は意識的にも無意識的にも平気で論理矛盾を起こす生き物であるという事を
>常に忘れることなく、私は人を観察していこうと思っています。
うん。人との折り合いをつける上でとても重要なことだと思う。
>>274 >見てるだけか、自己満足の極まれりだね。
「自己満足もここに極まれり」か「自己満足の極み」の方が通りがいいようだよ。
>自己しかいないからkよりたちが悪そうだw
「自己しかいないから」の意味が不明だけど、kのたちが悪いことは前提のようだね。
たちの悪さを説明して欲しいな。また、きみはkと比べてどうなんだろうね。
>>275 >貴重なサンプルデータ、どうもありがとうございました。
どういたしまして。
>>276 ?どらちゃん?
>>277 >覗き見することしかできない夫馬裕明か
お知り合い?
>しかしゴキブリの生態を描いたものとしてはとてもシュールでよくできているなw
そりゃあシュールだね。ドラえもんにしか見えんよ。
ケン・ウィルバーもクリシュナムルティもニーチェも知らない。
前スレも過去ログ倉庫になくて見れない。こんなんでもレスいい?
とりあえず
>>55-58 別に取り立てて凄い事が書いてあるわけでもなし、
(この言葉使っていいのかわからないけど)「あたりまえ」が書いてあるだけな気がする。
>・「気づき・気づく」
> 自分で規定した思い込みや決め付けによる反射的な反応に流されずに、遭遇した事象を素の状態
>でとらえてなんらかの発見をすること、または行為。
ここは、
自分で規定した思い込みや決め付けによる反射的な反応に流されずに、遭遇した事象を素の状態
でとらえること、または行為。
の方がいいんじゃない?括弧内の言葉も変わるだろうけど。
>>278 >このスレにも、読んでいると真実は含まれていると思えるが、腑に落ちない。動機はそんなものだ。
もう一声欲しいところだね。腑に落ちないからどうしたいの?
>>それを適切なこたえとするには補足が必要ではないかな?
>色々ある。
具体的にどうぞ。
>>きみがこのスレでkをどうにかしたいという気持ちがあるように見えるので、
>そんなものはない。あるのは、あんたの中にだろう
kの中には「このスレでkをどうにかしたいという気持ち」は、はっきりしているよ。
喜びを得たい。そして実際に得ている。
kがきいているのは、きみがここに書き込む理由として「kをどうにかしたい気持ち」がないなら
なぜ挑発的な書き方で反感を煽ろうとしているのかがよくわからないのできいたんだよ。
>見えるを、事実として強調しているが、
>あんたが分かるといって、納得し満足するのはそんなものだろう。
そうだね。きみは違うの?君にとっての事実とは何なのかな?
>>78 のスレに行ったけど、途中から(そのつもりはないんだろうけど)宗教家の匂いが
し始めたから読むのやめた。ここも100くらいまでしか読んでない。
とりあえずkの言いたいことって
>>1でいいの?
つづき
>自らを共有しないもの、異にするものに対する不寛容さが伺えるだろうか。
自らを共有するものは自分だけだと思うよ。シャムの双生児のような人のことじゃないでしょ。
「異にするものに対する不寛容さ」を細かく説明して欲しいな。
寛容というのをきみはどのようにとらえているのだろう。
>では、知性を罠にして、追い求めるものを利用する
>自らの思想が倣岸な高みへと昇っていくのを喜びとしているものは、どうかな?
どうだろうね。
人は自分の喜びのためにしか動きたくないから、そのようなものとしかいえないんだけど。
>>また、相容れないかどうかはきみが決めることでご自由だが、ここに記す意味はなんだろうね?
>このスレで自作自演している立ち位置を示す、だろう。
これもよく意味がわからない。気が向いたら細かく教えて欲しいな。
>>279 >>それは感嘆文なのか疑問文なのかが不明かな。それを書くことできみはどうしたいんだろうか?
>それがどうかしたのか?
きいているのはkだね。書いた意図を知りたいと思ったんだよ。
>見上げてごらん、夜空の星を。あんたはなにを見るのだろう。あんたは何を願うのだろう。
夜空の星が見える状況なら、それなりに星や雲や月なども見えるかもしれないね。
願う気持ちと願いたいことがあれば、それを願うと思うよ。
>これも、あんたらしいな。どうかな?
書いたとおりkは間違えていると思うよ。きみはどうかな?
>>死にたいは、死にたい気持ちということだよ。生きたいは生きようとする気持ちだね。
>付け加えよう、死にたいって言っているのは、生きたいと言っているのと。
違うと思うけど。きみがそう思う根拠を教えて欲しいな。
>説教臭いのは歳のせいかな?
kにきいているのかな?説教臭いときみが感じたんだろうか。それが「歳のせい」と判断
したことをkに確認しているのかな?
説教臭くしているつもりはないし、歳のせいかどうかは不明だけど、そういう解釈も成り立つと思うよ。
>>290 >ケン・ウィルバーもクリシュナムルティもニーチェも知らない。
kも知らないんだよ。
>前スレも過去ログ倉庫になくて見れない。こんなんでもレスいい?
そのようだね。
ここは何でもいいんだよ。
>(この言葉使っていいのかわからないけど)「あたりまえ」が書いてあるだけな気がする。
いいかどうかは自分で決めるようだね。
>>58に書いたよ。
そして当たり前のことばかりを書いているんだよ。でも読んでいくと気づいていない人が多い
ことがわかると思うよ。
>の方がいいんじゃない?
そうかもしれないけど、kに納得させたいなら理由を書いて欲しいな。それが納得のいく
ものであれば納得するかもしれない。
きみの提案はkの文から「発見」を削除したものだけど、気づき=発見ともいえるくらい
発見は重要なキーワードなので外したほうが「いい」理由がわからない。
>>292 >とりあえずkの言いたいことって
>>1でいいの?
とりあえずそうだね。
でもあくまでもとりあえずだ。
そうでなければスレ立てて長々と書き込む必要もない。
第一の目的は多くの人に思考を柔軟にしてもらいたいということ。
その方法はさまざまあるけど、自分を見つめることが最も効果的と考えて提案している。
むろん賛同できない人はご自由に。
第二の目的は自分中心に思考して実践することで他との折り合いをつけるテクニックを
提示して、考えてもらいたいということ。
現時点でも全員が自分中心で思考していることに気づかないと第二の目的は理解不能だ
と思うので、とりあえずこのスレに思考が自由な人がいろいろ書き込んでくれるように
なってから。
断っておくと、当然第二の目的も提示してみれば当たり前のことだよ。特別なことを
書くつもりはない。
気が向いたら書き込んでね。
>>295 >いいかどうかは自分で決めるようだね。
>>58に書いたよ。
まぁ、そうなんだけど、「あたりまえ」って最終兵器的な感じで、使うとそこで
思考停止しちゃう気がするから。一応、断りして書いた。
>そして当たり前のことばかりを書いているんだよ。でも読んでいくと
>気づいていない人が多いことがわかると思うよ。
読んでいけばわかるけど、読む前からわかってたことだから。
>そうかもしれないけど、kに納得させたいなら理由を書いて欲しいな。
とりあえず、納得させたいとかいう気持ち・姿勢はない。またそういうものが嫌い。
こういう意見もあったりするけど、どうでしょ?みたいな軽い感じでとってもらえばいい。
>>295-296 >きみの提案はkの文から「発見」を削除したものだけど、気づき=発見ともいえるくらい
>発見は重要なキーワードなので外したほうが「いい」理由がわからない。
「気づき・気づく」に異論はないし、上の気づき=発見云々にも問題はない。
こっちが下手に「気づき・気づく」の文をいじったのが悪かったみたい。
「発見」を削除した文は私の物事を見るときのおおよその姿勢という感じで、
ただ私が勝手に反応してしまっただけととっておいてください。
>そうでなければスレ立てて長々と書き込む必要もない。
そりゃそうだけど、おそろしくまどろっこしいなぁと。
>>296 >第一の目的
には別に言うことはないな。
>〜してもらいたい
はわかるけど、難しいというより無理だからなぁ。
>第二の目的
私なりの、ここにあてはまるかなぁというモデルは、こんな感じかな。
(´−`).。oO(これが僕の意見。)
(`・ω・´).。oO(これは俺の異見。)
(´−`).。oO(ふーん。)
(`・ω・´).。oO(ふーん。)
(´−`).。oO(じゃ、またね。)
(`・ω・´).。oO(またね。)
これでわかる?
また気が向いたら来ます。じゃ、またね。
300 :
馬並みキグナス:04/05/27 19:49
はっきし言って、私は人前で感動する話をするのが得意でした。
と言うのも私は世代や男女ごとに、感動させるには、どういう話の内容
や話し方をするのが効果的かを調べ、それを実践して彼らの感想心の振幅を
操作し、彼らにとって未知の琴の音を聞かせる事で、さも私が感動話の泰斗
であるように見せかける、という事が得意だったからです。
このスレを拝見し、自分を見つめなおしていく内に私は、自分が
感動話の泰斗と思い込んでいた事にまず気付きました。
泰斗と思い込む事が、奢り高ぶることに繋がらずに素直に自分の感動話力の
向上に繋がるのであれば、それは私にとっては好ましい事だと思いました。
しかし、次の気付きが私の全てを変えました。
・・・・・・・。
kさん、貴方が私のような、自分を見つめなおし始めの頃、かつての私のような
感動話を人に言って聞かせる時や、そうせざるを得ないとき、心が痛むというか
複雑な気持ちになりませんでしたか・・・?
今の私は、感動話の泰斗になりたいという気持ちと、勧善懲悪という感動話には
欠かせないと思われるものを本当に奨励して
いいのだろうか?という気持ちの間にいます。
自分の気持ちに従って前者を選んでみても、善というものが本当にあるのだと
信じていた頃のような、最高の気分で語る事は、恐らくもうできないのでは
ないかと感じています・・・
あなたはどのような方法で、今の私のような状態を抜け出したのでしょうか?
kよ、私の書いた文章に対してkの主観で感想を述べよ。しかも長文で。
私は、悟りを良き状態とは認識していない。
また全ての生命が最後にそのようにあるべきだとは全く認識していない。
この点で私はいかなる過去の祖師たちとも全く異質な認識を有している。
歴史上の祖師たちの誰もが、悟りの状態を絶対幸福として称賛し、
その為の何かを世間に対して行ってきた。
だが私の観察によれば、それは誰にでも起きるものでは断じてなく、
また単なる努力の量によって起きるのでもなく、人類のほんの一部の者に
しか起きないと断言できる。そしてそれが起きた結果として、それが他人
や社会に何か平和的で創造的な結果をもたらすなどとは認識していない。
それは、本人ただ一人の安楽な死を保証するのみである。
そして、悟りはそれが本当に顕在化しなければならないような時には、
自発的に生まれるものである。
又それは一般の人々や瞑想者には全く不要な出来事である。
また、それは一般の人に「ここへ来なさい」と言えるような理想状態では
ないと私は痛感している。それは我々のような、特殊な心理的病魔に侵さ
れてしまった者にとっての最後の麻酔のようなものであるとすら私は認識
している。確かにそれは静けさと安らぎに満ちているが、その為に、人間
が支払うべき代償はあまりにも高くつくものとなる。それは「魂を捨てる」
という事ですらあり、感情ある生き物にとっては耐えがたいものとなる。
悟りが本当に必要とされるのは、修行僧でもなく、宗教家でもなく、愛や
幸せを求める人間でもなく、瞑想者でもなく、自己放棄という自己満足の
為に人々につくそうとする者でもなく、芸術家でもなく、病人でもなく、
セラピストでもない。それが本当に必要なのはたった2種類の人達だ。
それは『真実を求め過ぎた狂人たち』と『妥協なき哲学者』のみである。
定義の問題はもちろん片付けなければならない。
が、私は敢えて言う。「kの好きなように定義してください」
私はkが悟りを、いかに定義するのかそっちの方が興味があるとも言える。
>>301-302(天才さん)
おい!
それって…『あの人』の言葉じゃないか!
頼むから止めておくれよ…
正常な人には『何を言っているのか意味不明』って思われるのが関の山なんだからさ。
それにkに『悟り』系の話しても無駄だよ。
自分の言っている『気付き』がイコール『悟り』なんて考えてる人間なんだからさ。
『悟りたい』スレで何回『違う!』と言った事か…
(当該スレで『17』や『25』がk)
だから文中にある
>悟りを良き状態とは認識していない
>それが他人や社会に何か平和的で創造的な結果をもたらすなどとは認識していない
>特殊な心理的病魔に侵されてしまった者にとっての最後の麻酔のようなものである
は『理解不能』だと思うよ。
彼の言う『気付き』が『悟り』なら『良き状態とは認識していない』なんて事言われる筈が無いのだからね(笑)
>もう一声欲しいところだね。腑に落ちないからどうしたいの?
あんたは、欲しいだろう。俺は腑に落ちないから、書き込みをした。
>具体的にどうぞ。
あんたの知るところではない。
>喜びを得たい。そして実際に得ている。
人間、欲が先立てば自滅だろう。
>なぜ挑発的な書き方で反感を煽ろうとしているのかがよくわからないのできいたんだよ。
自己中で厨房かね。釣られ煽り、ここは2ちゃんねるだが?
>きみは違うの?君にとっての事実とは何なのかな?
違うな。ありのまま、そのままに見えたことだ。
>自らを共有するものは自分だけだと思うよ。シャムの双生児のような人のことじゃないでしょ。
>「異にするものに対する不寛容さ」を細かく説明して欲しいな。
あんたが納得し満足するように、懇切丁寧に説明して欲しいか、途方もなさを感じるな。
>寛容というのをきみはどのようにとらえているのだろう。
辞書に書かれているのと、同じようにだ。
>人は自分の喜びのためにしか動きたくないから、そのようなものとしかいえないんだけど。
あんたがな。
>これもよく意味がわからない。気が向いたら細かく教えて欲しいな。
そんな気はない。
>きいているのはkだね。書いた意図を知りたいと思ったんだよ。
そんなものはない。これが答えだ。あんたは納得し満足できないのだろうが。
>書いたとおりkは間違えていると思うよ。きみはどうかな?
思っていない。なぜなら
>違うと思うけど。きみがそう思う根拠を教えて欲しいな。
自分が大嫌でしょうがない香具師ならまだしも、それは嘘だ。
本当に死にたいのなら、死んでいるだろう。
>kにきいているのかな?kに確認しているのかな?
ついでだ。特に意味はない
久しぶりにまともなkakikoがきたかと思ったが、
301はコピペだったのか。
それにしても301と302の落差がはげしい。
>>305(Nさん)
そそ。
あの
>>301は単なるコピペ。
>私が書いた
などと発言してるが、実は貼り付けただけ。
よくもまぁ、んな事言えますなぁ…
恥知らずが(嘲笑)
>ハルカさん
>彼の言う『気付き』が『悟り』なら『良き状態とは認識していない』なんて
>事言われる筈が無いのだからね(笑)
そうかもしれないが、私は違うと考える。
ちょうどいい例があった。
>>300の
>善というものが本当にあるのだと信じていた頃のような、最高の気分で
>語る事は、恐らくもうできないのではないかと感じています・・・
彼はまだレベルが低いが、『自分を見つめる』事で『知ってしまって』
人生が絶望に変わり、廃人のようになる者も多いだろう。
だがそれさえも、思い込みのテクニックを駆使し絶望を希望に変えることが
できるよとkは言いたいのかもしれない。
もしそうだとしたら、私は聞きたい。kがどのようにして絶望から抜け出した
のかを。もちろんkには
>>301の質問にも長文で答えてほしい。
それとハルカさん、私はもう一人の天才である貴方には相手にしてもらえない
と思ったからkに絡んでいる。
貴方は私の相手をしてくれるのかね?
>>307(天才さん)
私が天才な訳無いだろーが(笑)
それは兎も角、書く内容によっては相手するよ。
それと
>>301の
>私の書いた文章
は訂正して謝罪しときなさいよ。
あの文はアナタが書いたんじゃない。
あくまでも『あの人』が書いたんだから。
正しくは
>私がコピペした文章
だからね。
>>306 >恥知らずが(嘲笑)
とか言ってるけど、あんたは「いーおー」止まりナだけなんじゃないの?
例えば、水と『全ての記憶』の本当の関連性について説明できる?
大切なのは真実を知ったあとでさえも、人間的な生活を楽しめるかどうか
だよ。というか「愛」を楽しめるかどうか、かな私は。
>>309(超天才さん)
…相手する気が凄まじく萎えたのだが。
正直言って。
自分が何故『恥知らず』と嘲笑されたのかも解らないのかね?
そんな愚か者は
>>308の下段を読め!(再度嘲笑)
迷うものは幸いだ 悟りは彼とともにある
苦しむものは幸いだ 幸福は彼とともにある
絶望するものは幸いだ 自由は彼とともにある
>>297 >こういう意見もあったりするけど、どうでしょ?みたいな軽い感じでとってもらえばいい。
そうかい。それならきみの希望通りにとっていると思うよ。
>>298 >「発見」を削除した文は私の物事を見るときのおおよその姿勢という感じで、
>ただ私が勝手に反応してしまっただけととっておいてください。
了解。
>そりゃそうだけど、おそろしくまどろっこしいなぁと。
その通りなんだね。気長に考えてよ。
>>299 >はわかるけど、難しいというより無理だからなぁ。
可能性は低いだろうけど無理と決めた時点で無理になるので、そう思わないで楽しんで
働きかけているよ。
>これでわかる?
うん。きみは素晴らしいと思うよ。
>また気が向いたら来ます。じゃ、またね。
またね。いつでもどうぞ。
>>300 >心が痛むというか複雑な気持ちになりませんでしたか・・・?
なったよ。
kが教師を辞めた理由の一つは、きみのその辛さと通じるところがあるようだ。
>という気持ちの間にいます。
辛そうだね。感動話の泰斗とは具体的にどんな状態なんだろうか?講演とかしたいのかな。
あの人は感動話の大家だという他人の評価が欲しいのかな。
善悪のとらえ方で悩んでいるようだね。これはなかなか難しいよ。だって絶対的なものはないからね。
勧善懲悪となると善悪を決めないと話にならないしね。
奨励していいかどうかは、きみが何をしたいかによるんじゃないかな?
感動話をして相手を感動させるのに必要だと判断したら、奨励することが必要だね。
でも人を感動させるために、必ずしも勧善懲悪の奨励が必要とは限らないと思うよ。
人が感動する状態は気持ちが揺れ動くことだとしたら、いろいろな方法が考えられると思うよ。
つづき
>あなたはどのような方法で、今の私のような状態を抜け出したのでしょうか?
価値観の多様化をよく理解した。
善悪は結局自分が決めていることをよく理解した。
人の気持ちは絶対にわからないことをよく理解した。
でも、人の気持ちはこちらの都合でどのようにでも解釈可能だし、操作も表面上は容易であること
をよく理解した。
人の気持ちを操作することはかなり面白いが、それがうわべだけのことで人の気持ちは
結局わからないことに気づくたびに虚しくなることをよく理解した。
自分の純粋な喜び(不利益があまりない)がそこにないことをよく理解した。
そして、作戦としていままでと全く同じことがストレスがほとんどない状態でできることを知った。
きみの気持ちと努力次第でいかようにも変わると思うよ。
>>301 >kよ、私の書いた文章に対してkの主観で感想を述べよ。しかも長文で。
なぜ命令文?しかも長文という縛り付きなのかい。いやだな。
きみが引用した文は信仰する人のいる、あるところでは有名な人の文だね。
対話という形でなければ真理を伝えることは極めて困難だと思うよ。だって質問が出るだろ。
kから見たら突っ込みどころ満載の文章に関する感想は、かなりよくないイメージを与える
ことになるよ。ということで感想にかえさせていただきます。
>>302 >が、私は敢えて言う。「kの好きなように定義してください」
いつもそうしてるよ。
>私はkが悟りを、いかに定義するのかそっちの方が興味があるとも言える。
ならばそう書いたほうが無難だったね。
定義は人によるし、どのようなものもあり。
悟ったという人に定義付けしてもらうのが筋だと思うよ。
そんな人がいればの話だけど。なにやら凄いことという感じがするようだからね。
気づき続けたらそんな感じになるかもしれないよ。
>>303 >頼むから止めておくれよ…
>正常な人には『何を言っているのか意味不明』って思われるのが関の山なんだからさ。
正常な人(?)にそう「思われる」から頼んでまでやめさせたいんだね。
人がどう思おうがその人の自由だし、人の気持ちはきみにはわからないことだと思うよ。
心配性なのかな?
>それにkに『悟り』系の話しても無駄だよ。
本当に心配なんだね。
>自分の言っている『気付き』がイコール『悟り』なんて考えてる人間なんだからさ。
きみは理解力というか記憶力に欠けるようだね。「気づき続けること」だよ。
>『悟りたい』スレで何回『違う!』と言った事か…
さあ?何回かな。きみは罵倒して嘲笑していたね。こちらの質問は笑い飛ばすんだったね。
>だから文中にある は『理解不能』だと思うよ。
そうだね。
>彼の言う『気付き』が『悟り』なら『良き状態とは認識していない』なんて事言われる筈が無いのだからね(笑)
それこそ意味不明だね。
>>304 >あんたは、欲しいだろう。俺は腑に落ちないから、書き込みをした。
そうだね。
>あんたの知るところではない。
だからきいているんだね。
>人間、欲が先立てば自滅だろう。
違うと思うよ。
>自己中で厨房かね。釣られ煽り、ここは2ちゃんねるだが?
そうだね。
>違うな。ありのまま、そのままに見えたことだ。
同じようだね。
>あんたが納得し満足するように、懇切丁寧に説明して欲しいか、途方もなさを感じるな。
そうだね。気が向いたらどうぞ。
>辞書に書かれているのと、同じようにだ。
なるほど。
つづき
>あんたがな。
へ〜。きみは違うということかい?
>そんな気はない。
ならしかたないね。
>そんなものはない。これが答えだ。あんたは納得し満足できないのだろうが。
そうだね。自分を見つめていないのかな?きみのしていることはなんだろうね。
>本当に死にたいのなら、死んでいるだろう。
きみは状況を限定したね。死にたいといって死んだ人をきみは知らないのかい?
kは何人も知っているよ。
きみの気がすむように書き込んでいることに気づかないのかな?
>>319(k氏)
あのさ。
『自分を見つめて』とか言ってるわりには…
馬鹿かい?
いいか。
人が『死にたい』と言うのは『生きたい』の裏返しなんだ。
『本当は死にたくない。頼むから助けて』って想いが深層にあるからこそ『死にたい』って言葉に成るんだよ。
じゃあ例を挙げよう。
【重病で快復の見込みもなく死を待つだけの人が言う『死にたい』】
この人は『病による苦痛と不自由になった身体』から逃れたい(=健康体に戻りたい=普通に生きていたい)のにさ。
逃れられない(=快復の見込みがない=生きてる限り苦痛が続く=普通には生きていられない)という『現実』を突きつけられた絶望の中にいるんだ。
だから『(普通に生きたい。でも、それは不可能だからいっその事)死にたい』という言葉に成るの。
本当に心底『生きるのが嫌な人』は。
『死にたい=〜したいという願望=未来の肯定』ではなく『生きていたくない=〜したくないという願望=現在及び未来の否定』という言葉に成るか、誰にも何も言わず遺書さえも残さず独りで死ぬか…
いずれにせよ、kが『表層的にしか言葉を捉えていない』事は『間違いない!』(笑)訳だね。
>>305 >久しぶりにまともなkakikoがきたかと思ったが、301はコピペだったのか。
あれのどこを「まともなkakiko」と判断するのかが気になるね。
きみのはまともなの?
>それにしても301と302の落差がはげしい。
ほんとにね。
>>306 >恥知らずが(嘲笑)
確かにね。でもみんな似たり寄ったりだと思うよ。kもきみも。
>>307 >彼はまだレベルが低いが、『自分を見つめる』事で『知ってしまって』
>人生が絶望に変わり、廃人のようになる者も多いだろう。
中にはそういう人もいるかもしれない。でもそれはよほど幸せ感を持って何かを思い込んだ状態
が前提だろうね。
また、レベルに関してはみんな同じようなもんだと思うよ。
>だがそれさえも、思い込みのテクニックを駆使し絶望を希望に変えることが
>できるよとkは言いたいのかもしれない。
その通りだね。
>もしそうだとしたら、私は聞きたい。kがどのようにして絶望から抜け出した
>のかを。もちろんkには
>>301の質問にも長文で答えてほしい。
長文がきみにとって重要なのかな?
絶望から抜け出すには希望を見出す他ないよ。
君自身の具体的な体験を書いてくれたほうが話が早いような気もするね。
>貴方は私の相手をしてくれるのかね?
訊くだけ野暮だと思うよ。
みんな気が向かなければ相手はしない。kがしていることはいわゆる普通のことではないと思うよ。
全てのレスに喜びを覚えながらレスをしているわけだけど、この辺のテクニックにきみは
興味があるかもしれないね。これはあくまでも一つの技術でありその気になれば誰にでもできるよ。
ハルカは出来ないのかしないのかわからないけど、過去を顧みる限りしていない事実があるね。
>>308 >私が天才な訳無いだろーが(笑)
それはわからない。少なくとも造語を生み出す才と我儘な演出の才は確認済み。
>それは兎も角、書く内容によっては相手するよ。
具体的に書いてあげたらどうかな。かなり限定しているようだからね。
>は訂正して謝罪しときなさいよ。
随分とお節介だね。きみの指摘でみんなよ〜くわかったと思うよ。
>>309 >大切なのは真実を知ったあとでさえも、人間的な生活を楽しめるかどうかだよ。
なるほど。
真実とはよほど人間的な生活を楽しむのに不向きな内容ということかな。
思い込みは成育過程の体験によるので人それぞれのはずだけど、やはり社会的に生活するための
利便性を優先的に選択するあまり、多くの人にとって自分の本意を納得しないまま社会の規範に
合わせているようだね。
>というか「愛」を楽しめるかどうか、かな私は。
できたらきみのとらえている「愛」を説明して欲しいな。
>>310 >…相手する気が凄まじく萎えたのだが。正直言って。
少しはがんばれば?
>自分が何故『恥知らず』と嘲笑されたのかも解らないのかね?
違う人かもよ。
>そんな愚か者は
>>308の下段を読め!(再度嘲笑)
うわ〜。天に唾するが如き行為なり〜。
>>320 >(k氏)
なぜ「さん」ではなく「氏」?
>あのさ。『自分を見つめて』とか言ってるわりには…馬鹿かい?
きみも分からず屋の演出ばかりだね。馬鹿だよ。きみは何度も決め付けていたと思うよ。
>人が『死にたい』と言うのは『生きたい』の裏返しなんだ。
>『本当は死にたくない。頼むから助けて』って想いが深層にあるからこそ『死にたい』って言葉に成るんだよ。
そういう場合もあるだろうね。でも決め付けるのはどうかな。きみはみんなの気持ちがわかるつもり
なんだろうけど、人それぞれなんだよ。
つづき
>じゃあ例を挙げよう。
なにが「じゃあ」なのかよくわからないけど、きみの主張は例を挙げてもらうまでもなく
よく理解しているよ。そういう限定した状況なら、きみの主張どおりである可能性が高い
だろうね。
>>304はなんら限定していないけど、きみの例のような限定をしているかもしてないね。
そう思って
>>309には「限定したね」と書いたんだよ。
そしてそれは「本当に死にたいのなら、死んでいるだろう。」というレスに返した。
>誰にも何も言わず遺書さえも残さず独りで死ぬか…
とあるけど、「死にたい」と人に訴えた後死んだ人を知っているよ、という意味のレス
なんだけど、きみ大丈夫かな?
鬱状態の人が口癖のように「死にたい」といい、その後実際に自殺した例を幾つか知っているということだよ。
きみはそういう例を知らないのかい?
やりとりの内容を把握せずに突っ込むことできみは馬鹿な状態になるよ。
つづき
>いずれにせよ、kが『表層的にしか言葉を捉えていない』事は『間違いない!』(笑)訳だね。
きみがこのスレをよく読んでいることは「間違いない!」から窺えるが、鬼の首でもとった
かのようなそのレスはきみの墓穴を掘る行為になっていないかな?
話をする上では前提が必要になることが多い。
この場合は
「本当に死にたいのなら、死んでいるだろう。」
に対して
「きみは状況を限定したね。死にたいといって死んだ人をきみは知らないのかい?
kは何人も知っているよ。」
というレスだね。前提条件は示されていない。だから解釈は無限にある。そしてkのレスは
なんらおかしいところはないと思うよ。
きみは
>>304の「死にたい」とうことばに自分なりの思惑を付加して考えたんじゃないかな?
死にたいが生きたいの裏返しで、死にもしないくせに大騒ぎしている生存願望の強い人のセリフ
と決めつけたいのかい?
そういう場合もあるけど、そうでない場合もあると思うよ。
しっかりしたらどうかな。ここに書き込んでいるんだから、逃げずにこたえてごらん。
>いずれにせよ、kが『表層的にしか言葉を捉えていない』事は『間違いない!』(笑)訳だね。
としたきみの根拠は「間違いない!」かな?
>>329(k氏)
それが『表層的な言葉しか見てない』というんだよ。
鬱病患者が何だって?
言っておくが、私も『知ってしまった』直後数ヶ月は完全な『鬱』だったんだよ。
しかも『何故かやる気が湧かない』とかの『軽度の鬱』じゃない。
『生きる気力もなく、食事や睡眠等の日常さえも満足に出来ない』ほどの『重度の鬱』になったからね。
暫くしたら『軽度の鬱』になったけど、それも数ヶ月は続いたよ。
だから、鬱病患者の気持ちはアナタはに言われずとも解ってる。
彼ら鬱病患者の言う『死にたい』は『生きたい』の裏返しなんだよ。
『生きたい』から『生に執着している』からこそ『鬱』に成るんだ。
『自分を受け入れない世間』に怒りを覚えるが『思った通りに生きられない自分が原因だ』として『悪いのは自分だ』と自己嫌悪に陥るからこそ『鬱』に成るんだ。
自分に『鬱病』経験が無いなら無いで構わないがね…
それならば、ちょっとは精神医学を学んでから物を言え!
この痴れ者が!
>>331 気持ちは察するが、きみのレスは適切ではない。表層的にみているのは君の方だと思うよ。
>言っておくが、私も『知ってしまった』直後数ヶ月は完全な『鬱』だったんだよ。
そうかい。気の毒なことだ。それがどうかしたのかな?あまり関係ないと思うよ。
kは鬱病と診断された人が自殺して亡くなったという例をあげた。
それは
「本当に死にたいのなら、死んでいるだろう。」
という言葉を受けて書いた。鬱病に関して論じたわけではない。しっかりしなよ。
それを理解しないきみは大きな勘違いをしてここにいることになるね。
>彼ら鬱病患者の言う『死にたい』は『生きたい』の裏返しなんだよ。
そうだろうね。でも実際に死んだ人がいる。
>それならば、ちょっとは精神医学を学んでから物を言え!
状況を仮定した上でなおかつ憶測で決め付け、高圧的に命令するわけだね。自分を見つめてほしいな。
>この痴れ者が!
きみのいうとおりだろうけど、その発言できみが受けるストレスは大丈夫かな?
>それが『表層的な言葉しか見てない』というんだよ。
根拠が不確定だね。いつものきみの作戦だろうか。
逃げずにこたえたらどうかな?
事実関係を整理してから考えてごらん。
>いずれにせよ、kが『表層的にしか言葉を捉えていない』事は『間違いない!』(笑)訳だね。
としたきみの根拠は「間違いない!」かな?
>>331(k氏)
…あぁ、なるほど。
自分が『勘違いして脊髄反射でレスした』って事を言ってるのか。
元々
>>262で
>死にたいは生きたいだ、違うか?
と『心理的状態に言及している』のに対し、k氏が
>>265で
>死にたいは、死にたい気持ちということだよ
と『言葉を表層的に理解しただけ』の浅薄な発言をしている(ここで既に食い違っている)
更に
>>279で
>付け加えよう、死にたいって言っているのは、生きたいと言っているのと
と『もっと心理的状態に言及しろよ』と言われているのに、当のk氏は
>>294で
>違うと思うけど
と『表層理解のみ』を基盤としてキッパリ否定しているじゃないか。
親切にもその勘違いを
>>304で
>自分が大嫌でしょうがない香具師ならまだしも、それは嘘だ。本当に死にたいのなら、死んでいるだろう
として『心理的状態を忘れるなよ』と指摘してくれているのに、それを受け入れないで『表層理解のみ』に囚われてるのはk氏だろう?
ここまで詳細に言わんと解らんか?
とりあえず300くらいからペロッと読んでみたけど、
ここってkを静かに罵倒するスレって認識でいいの?
>>320 >>331 のハルカ氏ヘ。
鬱病つながりで少し。
概ね同意なんだけど、
>人が『死にたい』と言うのは『生きたい』の裏返しなんだ。
>『本当は死にたくない。頼むから助けて』って想いが深層にあるからこそ
>『死にたい』って言葉に成るんだよ。
こういうのって『生きたい』みたいな積極的なものの書き方でなくて『生きていてもいい』
くらいの表現であった方が『死にたい』と言う人にとってはありがたいと思うんですけど、
どうでしょう?
>>334(おはようございましたさん)
うん。
言わんとする事は理解出来るんですけどね。
ただ、あの『生きたい』という『積極的』表現はね。
表層意識に上らない『深層意識』と言うかな…むしろ『生存本能』と言った方が近いかも。
兎に角、そういう『生への執着』があるからこそ。
『死にたくない』『生きていたい』という想いが根本にあるからこそ。
逆説として『死にたい』という言葉か出てくるんだよ、と言いたかった訳です。
言葉足らずでしたね、すいません(謝)
>>334(おはようございましたさん)
うん。
言わんとする事は理解出来るんですけどね。
ただ、あの『生きたい』という『積極的』表現はね。
表層意識に上らない『深層意識』と言うかな…むしろ『生存本能』と言った方が近いかも。
兎に角、そういう『生への執着』があるからこそ。
『死にたくない』『生きていたい』という想いが根本にあるからこそ。
逆説として『死にたい』という言葉か出てくるんだよ、と言いたかった訳です。
言葉足らずでしたね、すいません(謝)
>>334(おはようございましたさん)
うん。
言わんとする事は理解出来るんですけどね。
ただ、あの『生きたい』という『積極的』表現はね。
表層意識に上らない『深層意識』と言うかな…むしろ『生存本能』と言った方が近いかも。
兎に角、そういう『生への執着』があるからこそ。
『死にたくない』『生きていたい』という想いが根本にあるからこそ。
逆説として『死にたい』という言葉か出てくるんだよ、と言いたかった訳です。
言葉足らずでしたね、すいません(謝)
>>334(おはようございましたさん)
うん。
言わんとする事は理解出来るんですけどね。
ただ、あの『生きたい』という『積極的』表現はね。
表層意識に上らない『深層意識』と言うかな…むしろ『生存本能』と言った方が近いかも。
兎に角、そういう『生への執着』があるからこそ。
『死にたくない』『生きていたい』という想いが根本にあるからこそ。
逆説として『死にたい』という言葉か出てくるんだよ、と言いたかった訳です。
言葉足らずでしたね、すいません(謝)
>>334(おはようございましたさん)
うん。
言わんとする事は理解出来るんですけどね。
ただ、あの『生きたい』という『積極的』表現はね。
表層意識に上らない『深層意識』と言うかな…むしろ『生存本能』と言った方が近いかも。
兎に角、そういう『生への執着』があるからこそ。
『死にたくない』『生きていたい』という想いが根本にあるからこそ。
逆説として『死にたい』という言葉か出てくるんだよ、と言いたかった訳です。
言葉足らずでしたね、すいません(謝)
何か調子悪い…
連投スマソ… m(_ _)m
>>335-339のどれかへ
いえいえ、こちらこそ。大体わかってましたけど一応ってことでレスしました。
それでは。
>>318-
>>319 >だからきいているんだね。
一応、謝っておく。迂闊なことはいえないのでね
>人間、欲が先立てば自滅だろう。
>違うと思うよ。
本気でそう思っているようだな。
>違うな。ありのまま、そのままに見えたことだ。
>同じようだね。
もし仮に、薄っぺらく見えたとしても事実だとはいわないということだ。
同じではない。
>人は自分の喜びのためにしか動きたくないから、そのようなものとしかいえないんだけど。
>へ〜。きみは違うということかい?
あんたは、結局は自己満足でしかないと言いたいのだろう。あんたの言っていることは
単に欲求の満足を意味しているのでしかない。
>そんなものはない。これが答えだ。あんたは納得し満足できないのだろうが。
>そうだね。自分を見つめていないのかな?きみのしていることはなんだろうね。
意図やそれら目的概念は、人間の範疇・カテゴリーの中にしかない。
自然をよく見てみることだ。あらゆる事象が相互依存に、すべての物事が関係し合って生まれている。
>本当に死にたいのなら、死んでいるだろう。
>きみは状況を限定したね。死にたいといって死んだ人をきみは知らないのかい?
>kは何人も知っているよ。
実際に会ったことはない。沈黙で以って返したいが・・。
ただね、k。やっぱり死にたいは生きたいだよ。本当は一緒に生きたかったんだと思う。
>きみの気がすむように書き込んでいることに気づかないのかな?
そのように見えるだけだということを、いつ気付くのだろう。
>ハルカへ
遊んでいるのならいいのだけど、ハルカやエヌさんがマジになる相手じゃないと思うよ。
もったいないっていうか、わたしみたいなノリの方がkさんの本性とよく話せると思うけどな。
kさんの株を上げたいならべつだけど・・・そうじゃないでしょ?(笑)
ROMの人とかのまちがった"思い込み"に利用されてしまうよ。
ふつうの人の相手はふつうの人をめざすあたしがちょうどいいと思います。(^_^;)
じゃ、またねー。
>カオルさん
そんな線引きしないでよ。
kことは、ほとんど放置状態にしてます。
言っても、聞こえないだろうしネ。
しかし、その自分をみつめたというわりには、その内容が大変乏しい。
それだから、まれにレスを返すぐらいかな。
そういえば、気になるのが、なぜかカオルさんには丁寧な言葉でレスを返すのはなぜなんだろう?
気味が悪いくらいバカがつくほど丁寧なことだね。
あれは、何を意図してのことなんだろう?
それにボクもふつうの人ですけど。。。
いや、ボクほどふつうの人はなかなかいないかも。
特別を求めないからね。
345 :
考える名無しさん:04/05/29 08:55
相手が自分より下だと思い込む事は私もよくする行為なんですが、
それはあくまで、ある限定されたカテゴリーの中だけの話って事
は皆さんよく御存知なんですよね?決して、私のほうがあの人より
人間として上だなんて事は思ってないですよね?それが【常識】というもの
ですよね?
俗に言う「悟り」や「解脱」に関して、私は少しだけ勉強した事があります。
ハルカさんやエヌさんの書き込みは、浅薄な知識と経験の私から見ると、まるで
素晴らしい一冊の本を読んでいるかのような気持ちになる事がしばしばあります
kさんがここで言っている話を聞くだけだと、ハルカさんやエヌさんとは
「その分野」に限り、雲泥の差があるように思えます。
間違いだったら指摘してほしいのですが、私は俗に言う「解脱」とは
累代の輪廻から解き放たれ、その最後の生をほぼ誰にも影響を与える事無く
安らかにまっとうする事ができた人の事を指す言葉だと思っています。
「解脱」に到達するまで苦しみぬける人は少ないと思います。
多くの人が私のように、ファッション感覚みたいな感じで「その分野」に興味
を持ち、そして少しの絶望と「やはり私は富やお金や人望を得たい!」のような
そこで「知った何か」を無理矢理塗りつぶすかのような強いエゴを持ち、日々の
暮らしに埋没していくという事をやっているように思えます。
ですが、そういった人たちの中にも
>>300の方と同じ様な、真実による絶望と
エゴによる希望との狭間で葛藤している人も少なくはないんじゃないかという
のが私の見立てです。
kさんが、ここで言っている事やその目的というのは、
>>300の方と同じ様な
気持ちを持った人に「その人にとっての絶望・希望とうまく折り合いをつける
にはどうすればいいかを対話をもって考えていく」事でもあると思います。
そして、そういう中庸が必要な人は少なくはなく、またその人達が自分に満足
できる人生を送れたのなら、それは素晴らしい事だと思います。
その「中庸」の事を、本人や他の誰かが「悟り」等と読んだとしても、誰も
否定する事はできないと思います。
346 :
考える名無しさん:04/05/29 08:56
一般的でもあり、世界共通でもありそうな「悟りや解脱」と、多くの人が
楽になれそうな「中庸の悟り」それぞれが、好きなように選ぶ事でそれぞれ
が満足できるのであれば、それにこしたことはなく、そもそも異種のものを
定義付けすることなく同列に論じようとするのが間違っているのではないか
と私は思います。
偉そうなこと言ってすいません。。。。
>>333 >
>>331(k氏)
それはきみのレスだよ。しっかりね。
>ここまで詳細に言わんと解らんか?
きみの解釈の詳細は容易に推測可能だよ。だからそういわなくても理解している。
こっちの質問にこたえてごらん。
きみは言葉に付帯する雰囲気を読み取ることには長けているつもりだろうが、書かれている
事実認識を誤って書き込んでいると思うけど。
348 :
考える名無しさん:04/05/29 09:37
一般的な「悟りや解脱」と最強の「悟りや解脱」は似て非なるものという
ことも知らないようだな。
カオルはこのスレが、何者かによって、にわかに操作されはじめている事
に気付いたようだな。馬鹿かと思っていたがなかなか賢いな。
>>334 >ここってkを静かに罵倒するスレって認識でいいの?
そうきみが解釈するには理由があるんだろうな。ご自由にどうぞ。
>>340 >何か調子悪い…連投スマソ… m(_ _)m
失敗は誰にでもある。がんばれ。
>>342 >一応、謝っておく。迂闊なことはいえないのでね
なぜ?名無しのきみが何を気にしているのかな?
>本気でそう思っているようだな。
そうだね。だっていろいろな場合があるからね。
>もし仮に、薄っぺらく見えたとしても事実だとはいわないということだ。同じではない。
そうだね。だから同じようだと思うよ。
>あんたは、結局は自己満足でしかないと言いたいのだろう。
そうだよ。
>あんたの言っていることは単に欲求の満足を意味しているのでしかない。
そうでもないと思うよ。
>意図やそれら目的概念は、人間の範疇・カテゴリーの中にしかない。
>自然をよく見てみることだ。あらゆる事象が相互依存に、すべての物事が関係し合って生まれている。
そのとおりだね。
>実際に会ったことはない。沈黙で以って返したいが・・。
そうか。kは今も死にたいといっている人と関わっている。話をすることは重要なようだよ。
>ただね、k。やっぱり死にたいは生きたいだよ。本当は一緒に生きたかったんだと思う。
そうかもしれないね。でも人の気持ちはわからないんだよ。そういう人に死なれるととても辛い気持ちになる。
力になれないのかと自分を責める人もいる。でも与えられるのはきっかけ。自分をどうにかするのは
本人にしか出来ないことかもしれない。
>そのように見えるだけだということを、いつ気付くのだろう。
ず〜と気づいているよ。
そんなに悟りの定義がほしいか?そら。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
数 名称 内的状態 二次思考の 主体感覚 意識の集束場
有無
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
0・・無または闇・・意識消失・・・なし・・・・なし・・・・・頭頂の少し前
1・・無主体・・・・歓喜または・・なし・・・・なし・・・・・頭上の空間
神秘体験
2・・無心・・・・・無思考で・・・なし・・・・意識の・・・・頭頂部
感覚を知覚 主体感
3・・無雑念・・・・一次思考・・・なし・・・・意識の・・・・頭頂付近
のみ観照 主体感
____________________________________
4・・混乱・・・・・連想と妄想・・あり・・・・自我の主体・・眉間
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【解説】
■ここでは、ゼロから4までの数字を対応させ、ゼロを例外として、
数字が小さいほどに、純化された状態にあると定義する。
そして「1」の状態のみを、無明庵では「悟り」と定義している。
「2」の状態は、かなりマシな状態にすぎないが、悟りではない。
「3」の状態も、最悪ではなく、マシという程度のもの。
「4」の状態は、悟りからいえば「論外」。ここはただの精神錯乱であるが、
通常、ほとんどすべての人間は、ここに属すると思ってよい。。
■体験できる出来ないは別として、最も「頭」で理解しやすいのは
「2」の「無心」の状態である。
それ故に、「2」で止まっているだけに過ぎない導師や
「2」に満足してしまっている禅師を悟っていると勘違いして、
多くの愚者たちはそこに集まる。
「2」の状態とは、「完全な無思考が継続している場合」である。
たとえば、外部の音などを、ただ聴いているだけで、
一切の思考はそこにない、という状態が、
何十分も「途切れずに続く場合」を言う。
すなわち、この状態それ自体が、
やはり普通ではめったに継続して起き得ないという事実からも、
なんらかの、特殊な働きかけを意識に対してなさないと、
この状態は生まれなかったり、
または生じても、ものの数分も継続しないで、
普通の思考状態に戻ってしまう。
だが、ここの「2」を悟りと、大きな勘違いをして、
「わしは、きれいさっぱり、すっからかんだ、からっぽだ」とか、
「行為になりきる」とか、あげくには「無だ」のと言い始める。
また、そこの弟子たちが必死こいて恒久化をしようとしているのも
この「無心」の状態である。
■ところで、口先で「無心」という言うのは、実に簡単だが、
皆さんは、黙って座ってみて、
全く思考のひとつも頭をよぎることなく、
そのまま数分間その状態を維持できるかやってみればよい。
そのような点で、この「2」の状態は、
通常の意識状態に比較したら、
遥かに正気ではあるが、ただし、たとえ、
これが死ぬまで、途切れずに継続したとしても
それは、大悟ではないのである。
が、しかし、いわゆる世の中の老師のほとんどは、
仮に100歩譲って彼らが「何かの体験」を通過していた
としても、ここにあぐらをかいたまま、
一歩も動けなくなっており、しかも、それを
悟った、などと、世間に吹聴することになる。
>>343 >遊んでいるのならいいのだけど、ハルカやエヌさんがマジになる相手じゃないと思
うよ。
マジで?
>もったいないっていうか、わたしみたいなノリの方がkさんの本性とよく話せると
思うけどな。
もったいないんだね。
きみのノリではkの本性とはよく話せないと思うよ。
本性に近いのはこちら
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1071198952/l50 ご自由に。
>kさんの株を上げたいならべつだけど・・・そうじゃないでしょ?(笑)
ほんとにね。でもきみも加担しているようだけど。
>ROMの人とかのまちがった"思い込み"に利用されてしまうよ。
まちがった思い込み?きみ、本当に大丈夫?
■死人禅の行法は、
この「2」の無心のレベルをいとも簡単に経験させやすい
システムとなっているため、この「2」だけを体験したいなら、
現存するいかなる体系よりも短時間で済むだろう。
厳密な意味において、
「あるがままに」というのは、この2未満では起き得ない、
という点からも、世間やネットの掲示板に氾濫している
ほとんどの「あるがまま信仰」なるものは、
この「2」とは、似ても似つかないものである。
■ちなみに、余談ながら、
本当の「禅問答」「公案」というものは、
「4」の状態の思考や先入観の混乱の中にいる者に対して、
わけのわからん、問いかけごっこをして、
思考を「一時的に遮断させる」がごとき、
そんな「オモチャ」のようなものではない。
真の禅問答とは、まさに「2」の停滞の中にいる者を
「1」に飛躍させ得るような問いの事を言うのである。
仮に座禅や瞑想などで、ただ、何もかも無思考で
ただ知覚だけしている無心の状態が続いたとしても、
あるいはまた、そのままずっと座禅を死ぬまで続けたとしても、
決して、それが「1」に至ることはない。
■ちなみに、3の「無雑念」というのは、
思考はあるが、雑念はないという状態である。
つまり、「一次思考」の明滅は意識に観照されたままだが、
そこから、連想というものは起きない。
思考は単に通過するだけという状態が、
座禅中、全く途切れずに続くことである。
■「2」の場合には、そもそも思考それ自体がなく、
ただ五感の知覚状態そのものだけがあるのに対して、
この「3」では、その意識からの観察の対象が、
頭の中に明滅する断片的な思考となっている。
■「3」は、その純度は「2」よりも低いが、
かろうじて、思考に同化していない状態。
■そして、「3」の状態以上のレベルでは、
「私」という自覚はそこにはない。
これ故に、「3」または、とりわけ「2」を一瞥として
経験した場合、その者は、
「無我」とか「自分はない」という事を言い出すことになる。
だが、それ自体は構造的に間違っているわけではない。
なぜならば、「2」や「3」の状態は、
自我意識を、知覚の主体としているかぎりは
絶対に発生しないものだからである。
>【大悟 と 偽の悟り との違い】
■さて、それでは、ここから問題の核心部へと入ろう。
では、「2」の無心では、一体何が知覚の主体なのだろう?
「4」の状態は、まったくの論外であるが、
しかし、ほとんどすべての人達は、
この「4」での「自分」という主体の「枠」の中に、
知覚したいろいろな経験を積め込もうとし、
かつまた、何かを語る時にも、その小さな自分という
非常に包容性のない「枠」の中からものを言う。
余談だが、ネットに存在する掲示板などでは、
すくなくともこの「最悪の4」の状態ではないという者は、
私は、「竹の間掲示板」でも、僅かに2人ほどしか見たことがない。
他掲示板では、皆無である。
■これが意味するものは、前述の図表を見てもわかるように、
無明庵の体系とその定義においては、
「頭頂部の中枢」が、起動しているかいないかが、
「まとも」で、「少しはマシな人間」であるかそうでないかを
決定づけている、ということである。
■さて、では、一体何が「2」から「1」へのギャップなのか?
「2」の状態では、「私」という感覚はすでにない。
だが、そこには、あきらかに「主体感」があるのである。
黙って座っていれば、「3」の状態であれば、思考はただ流れ、
さらに「2」であれば、思考すらそこにはなく、知覚だけが流れる。
しかし、「2」では、人はそこに「意識の存在」を感じる。
つまり、「4」で感じるような、自分という狭くて、重くて、
いままでに、数々の苦しみを生んできた「枠」であった
「自我の境界線」はないのだが、
それでも人は、自分ではなくとも、
【意識が「在る」】という中心的な感覚を持っている。
その「在る」までもが消え、しかも、それは
ゼロ「0」の無意識状態ではない。
この状態こそが、「1」の「悟り」と定義されるのである。
■「2」の状態では、ひとつの一例として、
さこでは、音などは「ただ聞える」。 そこには、「音の知覚」しかない。
しかし、1の状態では、 音に「なってしまう」、と、「喩えること」
が出来るだろう。 波ひとつない、透明な水面に、
月が映っているのが「2」の無心の状態だとすれば、 「1」は、
水面そのもものすら消えてしまい、 月しか、そこにない状態である。
■この状態は、言葉による描写が非常に困難であるために、
めったに、この問題を堂々と語った者はいない。
>>344 >そんな線引きしないでよ。
彼女の自由だけどね。
>kことは、ほとんど放置状態にしてます。言っても、聞こえないだろうしネ。
まあ、掲示板だしね。読んでこたえてはいるよ。放置状態にしているきみが聞こえて
いないんじゃないかな。
>そういえば、気になるのが、なぜかカオルさんには丁寧な言葉でレスを返すのはなぜなんだろう?
そういう疑問を晴らすには行為の主体に尋ねる方が有効だね。
>あれは、何を意図してのことなんだろう?
さて?
>いや、ボクほどふつうの人はなかなかいないかも。特別を求めないからね。
凄い根拠だね。
>>345 >皆さんよく御存知なんですよね?
知識はあるかもしれないね。
>決して、私のほうがあの人より人間として上だなんて事は思ってないですよね?
きみの作戦はよく使われるものだけど、抑制を意図しているならなかなかそのやり方では
難しいと思うよ。
kを卑下することで相対的に自分がそれよりましに見せたつもりになり、なおかつ謙遜を
見せることで謙虚さをアピールする作戦をしている人が何名かいるようだね。
自由な思考をしている人には愚行に見えているかもしれないし、している本人たちは自分の
行為を客観的に分析していないかのようだ。
そのようなものなんだよ。そしてそのようなものでしかない。価値は自分でつけられるね。
>それが【常識】というものですよね?
そうかもしれないし、違うかもしれない。
>その「中庸」の事を、本人や他の誰かが「悟り」等と読んだとしても、誰も
>否定する事はできないと思います。
確かにその通りだね。でもそれはきみの決めたカテゴリー内の話だ。
分類は幾通りもある。彼らがしているのは分類と論理の構築。きみも同様かな?
人の気持ちはわからない。だから働きかけたかったら必死に作戦を練る必要がある。
人を助けるのは結局その人自身。他人が出来るのはきっかけを与えること。
それをどう受け取るかは受け取る人による。でも、どう受け取らせるかは作戦である程度は
操作可能。
がんばれ。
>>346 >一般的でもあり、世界共通でもありそうな「悟りや解脱」
イメージ先行のようだね。諸外国ではどうだろうね。
>そもそも異種のものを定義付けすることなく同列に論じようとするのが間違っている
>のではないかと私は思います。
そうだね。でも論じていないし、見方によっては全て同列だともいえるよ。
>偉そうなこと言ってすいません。。。。
そんなことをいったらkは偉そうなことばかり書いているから謝り続けることになる。
書きたくなったらどんどん書いて欲しいな。
>>351-353 >>355-358 ご苦労さん。
きみの書いてくれた定義は無明庵のものということだね。
それに関してコメントすると怒り狂った演出で罵倒をする人がいることを知った上で
書いたのかな?
さて分類4(おそらく「最悪の4」)のkからの質問。
きみはどの分類なのかな?
きみの教えてくれた定義は分類1の状態になった人の話を参考にしているのかな?
1を目指す理由は何?
気が向いたら教えて欲しいな。
>>348 >一般的な「悟りや解脱」と最強の「悟りや解脱」は似て非なるものということも知らないようだな。
最強は高田もヒクソンも謳っていたね。要は作戦だという気づきを与えてくれたよ。
>カオルはこのスレが、何者かによって、にわかに操作されはじめている事に気付いたようだな。
へ〜そうなのかい。凄いね。何者だろう。
>馬鹿かと思っていたがなかなか賢いな。
馬鹿は状態だからね。そう見えても次の瞬間賢く見えたりもするんだね。
>>362 k
>それに関してコメントすると怒り狂った演出で罵倒をする人がいることを
>知った上で 書いたのかな
うん。俺には何となくだけど
>カオルはこのスレが、何者かによって、にわかに操作されはじめている事に
>気付いたようだな
の意味がわかる気がするのよ。で、俺自身がその人(達)の意図を真に把握できた
と思えるためには、あるちょっとした仕掛けが必要だと感じたわけ。
その仕掛けというのが、
>>351-353 >>355-358。
で、俺がなぜその人(達)が反応する前にネタばらししてるかと言うと、これも
作戦。詳細と根拠は後で語れたらと思ってる。
kのスレを1から読み始めて、いろんな細かい事に気付くようになった。
そして今回のような実に巧妙なからくり(端から見るとそうではないように
見えるかもしれないけど)にまで気付けたっぽい事に一人で喜んでいる。←(バカ)
当然、その人(達)は俺のレスも予測済みだと思うけど、俺もその人(達)がこの
レスを読んでどういう反応をしてくるのか、ある程度予測済み。
さあ、どうでるか。
>>364 なにやら面白そうだね。
人の気持ちはわからない。
でも予測はいくらでも可能だし、とても面白いね。
彼らは決め付けることを、それによるストレスを明確には自覚していないようだ。
>さあ、どうでるか。
うん。なにしろ肩透かしと貶すことが得意だからね。どか〜ンと来るか、しら〜か。
醜態はもう十分だから、違う展開を期待したいところだね。
366 :
考える名無しさん:04/05/29 17:53
>ハルカさん
私、極論を持ち出して思考してみました。
高次元の生命たちは最終的にみんな自殺してしまったのでしょう?
だけど、より極論を持ち出して考えてみると、みんなが解脱してしまうと
どうなるのか?という疑問が沸いてくるのだけども。
そりゃあ、今の私たちが想像もつかないくらい凄いんでしょうよ。
高次元の生命たちってのは。ならば、それらは「赤信号をみんなで渡る」
みたいな行為をしたとしても、また、それができると思うんですよ。
すると、宇宙ってのはその本質を保てなくなるから・・・
どう思います?
367 :
考える名無しさん:04/05/29 18:20
>>366 ばか!お前本当にばかだな!
極論を持ち出して思考する事は大いに結構な事だが、書き込みする時まで
極論で書くやつがあるか!自分がそう思うにいたる経緯を第三者的に見て
ある程度把握できるように書けよ!
兎さんも万能じゃないんだよ!しかも彼女は角は有っても普通の兎じゃない
んだから書き方には注意しろ!まじ冷める。
>>366 そう訊くきみには返答が推測できないのかな?
このスレが荒れるのは構わないけど、きみの目的がそれでないなら適切な場で適切な
問いかけをすることも考えたらどうかな。
>>367 そういうことだね。
>自分がそう思うにいたる経緯を第三者的に見てある程度把握できるように書けよ!
これは対話を理想的に成立させる重要な要素だ。
多くの人が怠っているね。
もうよい、お前達。
鷹は遥か上空から獲物を発見し、狙いを定め、そして必ず仕留める。
私の目は既にハルカを捉えている。彼女は私との対話を拒むことはできない。
お前達は、私がハルカという獲物を確実に仕留める為に利用させられていた
に過ぎないのだ。全ては、私の掌の上のできごと。
>>1よ、君がこのスレを立ち上げ、ここまで発展してきたのは、何の為だと
感じておる?全てはこの私とハルカが対話を始める為だけ、それだけにこの
スレの全目的が集約されているのだよ。君にはとても感謝しているよ。
>>1よ、私の思考形態はきわめて「深い森」に近い。君には理解できるだろ
うね?
最後の究極の1点、それは私とハルカの邂逅により実現される。
なんだかすごいことになってきたね。
>>369 の人が言ってる事が事実だとすると、すごいよね。
こういう風に気付かれずに仕組まれつつ進んでいるスレって他にも
あるのかもしれないね。
いろんな見方や考え方があるんだなぁという感じ。
>>369 >もうよい、お前達。
あらあら。
>
>>1よ、君がこのスレを立ち上げ、ここまで発展してきたのは、何の為だと感じておる?
自分の喜びのためだよ。
>全てはこの私とハルカが対話を始める為だけ、それだけにこのスレの全目的が集約されているのだよ。
きみにとってはそうなのかな?
きみにしろハルカにしろエヌにしろkと対話しないつもりならご自分でスレ立てて論じ合ったら
いかがかな?
>君にはとても感謝しているよ。
そうかい。
>>>1よ、私の思考形態はきわめて「深い森」に近い。君には理解できるだろうね?
説明してくれたら理解するよ。
>最後の究極の1点、それは私とハルカの邂逅により実現される。
「究極」とか好きそうだねハルカも。
>>370 >なんだかすごいことになってきたね。
そうだね。盛り上げるだけあげておいて、尻すぼみは哀しいからがんばって欲しいところだよ。
>>371 >の人が言ってる事が事実だとすると、すごいよね。
そうだね。いずれにせよその人がそう思うのは事実だよ。
>いろんな見方や考え方があるんだなぁという感じ。
うん。とらえ方でいかようにも変わる。
したいようにすることで自分の得になるね。後は折り合いのつけ方だと思うよ。
>きみにしろハルカにしろエヌにしろkと対話しないつもりならご自分でスレ
>立てて論じ合ったら いかがかな?
ksann、kさん、この一連の流れには人の思い込みを見事に利用した
家具師がいて、その人を観察する事はこのスレの要点を学ぶ事でも
ありますよね?
>>374 >その人を観察する事はこのスレの要点を学ぶ事でもありますよね?
なぜきみがそう思うのか説明して欲しいな。
とりあえずきみがそうとらえるなら要点が学べるかもしれない。
そしてそれがきみにとって有意義であれば学ぶ価値もでるね。
このスレで繰り返している発言は全て実践し続けることで理解できること。
自分が何をどうしたいのかが明確であれば、なにをするかがわかるだろう。
どうしたらいいかを考えるなら、どうしたいかをまず考えたらどうかなという提案がこのスレの
要点ともいえるね。
自分がどうしたいかは自分に聞かないとわからないと思うよ。
376 :
考える名無しさん:04/05/30 13:26
>>369はラプラスの悪魔だね。
ハルカ姉さん早く来ないかなぁ
377 :
考える名無しさん:04/05/30 13:32
>>375 >なぜきみがそう思うのか説明して欲しいな。
だって、彼はある種洗脳に成功してたってことしょ?
だったら、彼の洗脳技術と洗脳される側の心理を観測すれば
他人や自分を洗脳したい時に洗脳できて、洗脳されたくない時には
回避できる。自己自律ってそういうことしょ?
ksannの言ってる事ってそういうことしょ?
古典物理学の王≒ラプラスの悪魔≒鷹さん、
ハルカ=細木数子、
と考えても差し障りありませんね?
>>376 >ラプラスの悪魔だね。ハルカ姉さん早く来ないかなぁ
知り合い?そう期待されると来辛いかもしれないよ。
>>377 >だって、彼はある種洗脳に成功してたってことしょ?
きみがそうとらえるのは自由だね。
>自己自律ってそういうことしょ?
それはSのスレタイだね。
>ksannの言ってる事ってそういうことしょ?
きみがそうとらえたことは否定しようがないけど、
>>375に要点は書いたよ。
>>378 :空手バカ一ッ星 :04/05/30 13:44
>古典物理学の王≒ラプラスの悪魔≒鷹さん、ハルカ=細木数子、と考えても差し障りありませんね?
どなたにお尋ね?
どこのスレにも言えることだが、優秀な逸材は一度注目されると
粘着質の人間に「まとわりつかれる」ってわけだ。
それが嫌なならば「名無し」でいくか、「能ある鷹」でいくかしなきゃな。
危機管理も自己管理の内。
まぁ俺には縁の無い話(笑)
kしゃんはお笑いの人ですか?
何気に面白いんですけど
>このスレで繰り返している発言は全て実践し続けることで理解できること
机上の空論じゃ駄目ですか?
わたしはOKだと自己の体験知からそう思ってますけど。
383 :
サラリーマン:04/05/30 14:30
kさんは結婚して子供もいる22歳くらいの女性と付き合った事はありますか。
僕もそれくらいの年齢です。
今のkさんが思うに、その女性と付き合う事で僕が社会的な成功(自分を見つめた
のです)を修める(漢字合ってます?)妨げになると思いますか?
正直に語ってくれるとありがたいです。
>>380 その通りだね。
>>381 >kしゃんはお笑いの人ですか?
ハルカにはそう呼ばれたこともあるよ。
>>382 >机上の空論じゃ駄目ですか?
きみにとって駄目かどうかはkが決めることでもないと思うよ。
>わたしはOKだと自己の体験知からそう思ってますけど。
なら問題ないね。
>>383 >kさんは結婚して子供もいる22歳くらいの女性と付き合った事はありますか。
ないよ。子どものいる女性と付き合った経験と22歳くらいの女性と付き合った経験はある。
>今のkさんが思うに、その女性と付き合う事で僕が社会的な成功(自分を見つめた
>のです)を修める(漢字合ってます?)妨げになると思いますか?
もっと具体的に書いてくれないとなんともいえないと思うよ。
きみが社会的な成功を何に見出しているのかわからないけど、その女性との付き合い
がその妨げになるかどうかはきみ次第じゃないかな。
本気で質問したいなら細かく具体的に説明して欲しい。
kさんが認めたコテハン、あるいは名無しのレスは
どんなのがありますか。
それを見て勉強しようしてますので。
kさんの心を覗きたいのです
>>385 全て認めているよ。全員に(k宛てでない場合は控えているけど)レスを返しているはず。
>kさんの心を覗きたいのです
構わないけど理解不能かもしれないよ。それから今日はこれにて終了。
売り言葉に買い言葉ですか?
こんなに好きなのに。。。
388 :
考える名無しさん:04/05/30 15:24
ちょっと散歩してこい
一人で考えてみな
らじゃ。
>k
>それから今日はこれにて終了
家族サービスか。頑張ってるな。
>>387 >売り言葉に買い言葉ですか?
そうでもないと思うよ。
>>354にあるスレの方が心を覗けるかもしれない。
>こんなに好きなのに。。。
「なのに。。。」何?
>>377を見る限りきみがkの主旨に関してkの意図とは異なる解釈をしているように見えるよ。
「自己自律」という語彙は一度もこのスレッド上に出てきていないね。
なぜ使ったのかな?きみがkのことをどれほど好きかは知らないが、kに気に入られたいという
願望が見えにくい状態のそれであることは間違いないようだよ。
>>388 >ちょっと散歩してこい一人で考えてみな
素晴らしいアドバイスだね。
>>389 >らじゃ。
素直だね。
>>390 >家族サービスか。頑張ってるな。
まあね。日曜は3時で仕事終了なんだよ。その後買い物して、預かってもらっている
子どもと犬を連れに行くんだ。
>その後買い物して、預かってもらっている 子どもと犬を連れに行くんだ。
素敵。kの日常が垣間見えるだけで、ぐっと親近感が増すね。
>>242 kさん
>前スレの702に気が向いた人に立てていただけたらと呼びかけています。
>あなたは読んでいませんか?
>〜
>「どちらにもたてられなかった旨理解されていますか?」
>「わたしの責任もあるということでしょうか。」
わたしが覗いたときには、もう哲板に立てられていました。
わたしのいいたいのは「気が向いた人」というなら、もう少し気長に待たれるか
「ぜひお願いします」と依頼されたらよかったのでは、ということです。
もう少し待ってくれたら、わたしが立ててあげたのだしw、某107さんとかも
「気が向いた人」になってくれたかもしれないのだし…そういうこです。
「心/宗教板」に立てられたスレなんですから、わざわざ「板違いスレ」として
哲板に立てることはないと思いました。Part3は「心/宗教板」でお願いします。
>>243 kさん
>「あなたの主観は常に変化可能にお見受けしますが、いかがでしょうか?」
>これに関してはスルーでしょうか。
わたしがスルーしているのはね、あなたが相手を揶揄するような仕方で
ご自分の主張(というか世間の常識)への同意を押し付けてくるからです。
事実、スルーしたらこうやってしつこくからんでくるじゃない?(苦笑)
スルーされたら、スルーされたということなのだから、ほっておけません?
それがどうしてもわたしに訊ねたい質問なのなら、その理由とお気持ちを
明確にされてから、(わたしに)お願いしてくださいね。(^.^)
人間の心身は、つねに変化していますし、変化させることも可能です。
つねに変化してしまうということの不安から、人間は変化しないもの、
絶対の何か、普遍的な事柄に感心したり関心が向くのではないですか。
>>244 kさん
「この世はすべてそのように思い込みによって決まりが成立しています。」
「あなたはそのことを本当に理解しているのでしょうか。」
>もスルーでしょうか。
わたしはあなたとは別の考え方や視点を提示しているかもしれません。
けれどそれは、あなたのいう真理(当り前のこと)を否定するものではないです。
そのことを、まず前提においてくださいね。(^.^)
わたしたちは、1+1=2、であると取り決めます。
1+1=5、1+1=(^.^)、でもかまわないのにです。
人間には、無秩序から秩序へ、不確定性から確定性への志向性が観察されます。
この志向性は、秩序を自己形成していく生物としての自己組織化能力とも連関
するのかもしれませんね。
1+1=2、は「仮説」として「真」なのです。
わたしたちは、なにかしらの「真」の仮説(前提、公理)のもとからしか
出発(認識)することができないのです。
わたしたちの決めごと(思い込み)は、不確実性にたいする
相補性としての虚構(virtual reality)なのかもしれません。
ニーチェのいうように「世界がひとつの解釈であり寓話」なのだとしたら
おそらく世界に「ア・プリオリな秩序」はなく、慣習や道徳のような規範も
論理のような言語の法則も、混沌のなかへ溶解してしまうものなのでしょう。
そうやってわたしたちは、<わたし>の、そして<生>の無根拠性にも
やがて気づくことになってしまうのでしょう。
ある面でそれは、「生の解放」「生の躍動」をもたらすこともあるのでしょう。
けれど遅かれ早かれ、ニヒリズムを招来することになるのではないでしょうか。
なぜなら、わたしたちが一切の価値の選択から自由になることは難しいからです。
たとえば、科学技術の発展にみられる現代人の前進する力(進歩主義への信奉)も
そこに象徴されている心性は、自己と世界の不確実性や無根拠性にたいしての
不安やむなしさを克服するための「信」によるあくなき抵抗なのかもしれません。
たとえ科学技術によって自己の「有限性」(物理的な死)を克服できたとしても
わたしたちから不安やむなしさが消えてなくなることはないのでしょうから。
「それともあなたが所属した小中高全てのクラスという意味でしょうか?」
>これに関してはいかがですか?
生徒に任されてのものは中学からでした。
わたしは中卒なので経験はこれだけです。
>>一緒にやりたいというわたしの気持ちを心から本気で伝えました。
>相手の方の「やりたくない気持ち」があるのにあなたの「やりたい気持ち」を
>優先させるのはなぜですか?
嫌々やらされるよりも一緒になって楽しくやれる方が良いと思ったからです。
>それが参加したくない人にとって「いい」理由を教えてください。
わたしが決めることではありません。わたしはお願いするだけです。
やった結果の「いい、わるい」もわたしに決められることではないです。
わたしにできることは「やって良かった」と言ってもらえるように
がんばることだけです。
>そうなる可能性があるというだけで、それを実現させるにはテクニックが必要です。
>理解されていますか? へたを打つと多くの場合お粋なお世話と受け取られます。
あなたの想定するテクニックがどのようなものなのかわからないので
あなたの思うテクニックが必要なのかどうか、わたしにはわかりません。
とにかく結果的には「やって良かった」って言ってもらえました。
わたしは相手に「やれる」きっかけは与えたかもしれないけれど
「やって良かった」は、その人が自分でつくりだしたものです。
わたしは、いつも相手に恵まれていたと思うし感謝もしています。
>>247 kさん
>肯定ということでしょうか。
肯定でも否定でもなく、そのあいだを生きていくことの肯定かな。
>また、あなたはわたしが「思い込みはよくない、止めよう!!」
>といった呼びかけをしているかのような誤解をされていませんか?
あなたの戦術では、人によってはそのようにとらえてしまう可能性も
否定できないと思います。
わたしはあなたが「思い込みはよくない、止めよう!!」といって
いないことは知っています。
>「つまり根拠がないということですか?」
>はスルーでしょうか?
根拠がない、と決め付けることはしません。
もちろん、根拠があるということもできません。
問い続けること、真理を探究することが、哲学することだと思っています。
今まであなたとしてきた会話は、主に日常レベルでの応答と思ってください。
このスレが「哲板」に移ってきてからは、少しずつ哲板に合わせた話しを
しているつもりです。あなたもその辺ヨロシクです!
あなたのおっしゃっている「解釈の多様性」「価値の相対性」は
哲板においては、つねに議論の前提にされていることを了解してくださいね。
>>248 kさん
>仮定の話にしても、あなたが「いないけど」と言い切るような状況ではなく、
>もっと身近でわかりやすい例でお願いします。
たとえ話しとしては十分な内容だと思いますので、お願いされません。(笑)
「いないけど」というのは、わたしの友人や「今は」ということです。
過去には、たくさんいたと思いますよ。無自覚な人が。
>>249 kさん
>あなたは大変な仕事をしていますか?
「大変」の基準を、あなたが提示してくれますか?
その上で答えるかどうか考えます。
>そのことでだれかに感謝されたいですか?
大変かどうかはおいて
自分の行為にたいして承認を得たいという気持ちはあります。
>全ての人が大変な仕事をしているかもしれませんよ。
>そういう意味では全ての人に感謝した方が良いということでしょうか?
体力、知的能力、やる気・・・は人によってさまざまです。
マザーテレサの仕事をわたしたちは「すごいなぁー」と思うけど
もしかしたら彼女にとっては大変でもなんでもなかったのかもしれません。
つねに自分の仕事から喜びと満足を得られていたから
周囲から感謝されることに気恥ずかしさを感じていたかもしれませんね。
きっと彼女は神さまや周囲の人々にいつも感謝していたのではないでしょうか。
すべての人々を受け入れて、そして感謝することができたらいいですね。(^.^)
>そういう意味では「いない」ということですね。
知り合いはいませんけれど、尊敬する人はいますし、
感謝する気持ちもあります。ホームページを読んだりして
その人の思想や政治家としてのビジョンや実績を知ることは
あなたの解釈では「ご存知」になるのかどうかは知りませんけど。(笑)
>そのようなことが学べる場所で少しお勉強されたらいかがでしょう。
ここで政治・思想のお話しをしたり、お勉強をするのは板ちがいなんです。
あなたに「お勉強されたらいかがでしょう」といわれる筋合いもないです。
ここが政治・思想板なら、いくらでも議論の相手をしてさしあげますよ。
ともかくも「ごめんなさい」には、そういう意図があるんです。
あなたなら"察して"いただけると思ったのですが・・・得意なんでしょ?
>>250 kさん
>>>あなたにとっては信じてもらうことが重要なのでしょうか。
>>>わたしは、信じるかどうかはその人の自由だと思います。
>>信じてもらうことが大切と思うことと
>>信じてもらえるかどうかは別問題です。
>そうです。知っています。
>あなたは論点をずらしてわたしの質問をはぐらかされているように見えますよ。
「論点をずらして」とか「質問をはぐらかして」とか
言う前に、まずご自分の文章についての反省をされて
そのことをわたしに示すのが道理なのではないですか?
そのあとで、あらためて質問すればいいのです。
「そうです。知っています。」は言い訳です。
知っているなら最初から論理矛盾しない文章を書けば済むことです。
とにかくその妙なプライドと皮肉は改めた方が良いと思いますよ。(^.^)
>>ただ思ったことをわたしは書いてるのです。
>ただ思っただけではないと思います。
>書く意志があったから書かれたことと思います。
>ご自分を良く見つめていただきたいところです。
あなたこそご自分を見つめてください。
思いついたことを書くのは「書く意思」によってです。
あなたが指摘するべきは「書く意思」の有無ではなくて
それを書くことには、何かしらの「意図」があったのではないか、
ということなのではないですか?
>>そんな言い方しなくたっていいと思います。
>もちろんそうですが、とりたてて問題があるとも思えません。
問題があるといっているのは、わたしです。
それにたいして「もちろんそうです」とお認めになられるのなら
「とりたてて問題があるとも思えません。」は、相手に失礼だと思いますよ。
>>あの程度のことで「無責任」とか「言い逃れ」とか大袈裟だと思います。
>どの程度なら大げさとお考えにならないのでしょう?
>果たしてあなたのお考えになる「責任」とはどのようなシチュエーションにおいて起こること
>なのですか?
「無責任」とか「言い逃れ」とかいっているのは、あなたなのですから
まず、あなたが「無責任」とか「言い逃れ」とかまで言って追求する
必要性のある問題であることを示してください。
>>251 kさん
>それはあなたの願望ですか?
そうですね。あなたに強制はしませんけど。
>でもあなたの内的宇宙ではそれで問題ないのかもしれませんが、多くの人との関わりあい
>の中ではいろいろなことが起こると思いますよ。
>努力するかどうかは当事者の問題です。
わたしの「許してね」にたいして「失礼な!」と受け取ってしまうような
(あなたが例に挙げたような)人がいるかもしれないことを、わたしは否定してないです。
ただわたしは、そのような自尊心を有した人にまで気は遣いたくないです。
もしも同じような状況で「失礼な!」と言われたら、あぁこの人とは付き合えないなって
思うでしょうね。けれど、その人に「失礼な!」と思われないように努力することは
ないと思いますし、その人の妙なプライド(=大人物かんちがい症候群)の矮小さを
指摘することもないと思います。kさんのように「自分をよく見つめたらどうかな?」
なんていう大きなお世話もしないと思います。(笑)
>>344 エヌさん
>しかし、その自分をみつめたというわりには、その内容が大変乏しい。
最初はわざとそうしてるのかなと思ったけれどそうでもないみたい。
エヌさんとわたしの議論を批評したことがあるじゃない。
あの的外れっぷりには大笑いしました。
エヌさんとわたしのあいだでは十分すぎるほど通じているのにね。(笑)
>気になるのが、なぜかカオルさんには丁寧な言葉でレスを返すのはなぜなんだろう?
>気味が悪いくらいバカがつくほど丁寧なことだね。
内容は皮肉と揶揄ばかりだけどね。本性だから仕方ないけど。(笑)
>あれは、何を意図してのことなんだろう?
わたしが希望したからじゃない?
希望通りではないけど。(笑)
>特別を求めないからね。
だから、ふつうじゃないじゃない?(^.^)
kさん的の個人主義では、誰もがはじめから
「世界に一つだけの花」として特別らしいけど。(笑)
正直、吐き気のする詩ですね。特別な個人カオルとしては。あはは。
>>348さん
>カオルはこのスレが、何者かによって、にわかに操作されはじめている事
>に気付いたようだな。馬鹿かと思っていたがなかなか賢いな。
そんなに大袈裟なことではないと思うよ。
kさんの妙なプライドと支配欲がそう感じさせるのではないでしょうか?
「自分をよく見つめること」で気づけたらいいのになって思ってますけど。(笑)
>>354 kさん
>マジで?
うん、マジ。
>きみのノリではkの本性とはよく話せないと思うよ。
隠し切れないところが面白いのよ。
>でもきみも加担しているようだけど。
そうだよ。わたしのあなたへの好意です。
>本当に大丈夫?
ご心配なく。(^.^)
>>364さん
>レスを読んでどういう反応をしてくるのか、ある程度予測済み。
>さあ、どうでるか。
kさんの態度そのままだね。
作戦、予測済み・・・高みから見下ろしてるつもりの滑稽さ。
ずいぶんな皮肉ですね。(笑)
きっとROMの人が一番高みから見物して楽しんでるんだと思います。
なーんだかんだ言ってもkが独り言書いてるの見るのが一番おもろいだよ。
前スレの初めの方とか。でもkは独り言は嫌いなんだよなー。残念無念阿藤海。
前スレの>1〜>400くらいまでが一番好きだった。
kと同じくらいのレベルの人多かったし。
k、過去スレ持ってる?持ってないなら貼り付けようか?
カオルは気付いてるから書き込みしなかったのかも。
自分のレスがこのスレの人たちに歓迎されてない事が。
だから話題沸騰中の時には遠慮をしていた・・・
そして誰もいなくなったのを確認して、今なら人に与える不快感を最小限
に抑える事ができるだろうと判断して書き込んだ。
クセはあるけど、いいやつかもね。漠然と眺めるだけじゃただの卯材うんちく女
って感じだけど、そんなとこまで考えてるなんて健気よね。
だからこそ、気になるね。
彼女にとって、そんな思いまでしてなぜkと話そうとするのか。
彼女の場合はプライドを守るためという可能性は高そうだけど
本当にそうだろうか。
彼女はいったい何をこのスレやkに見出しているのだろう