新渡戸稲造『武士道』より 「約10年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏の歓待を受け、そのもとで数日 を過ごしたが、ある日の散歩の際、私共の話題が宗教の問題に向いた。『あなたのお国の 学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか』と、この尊敬すべき教授が質問した。 『有りません』と私が答へるや否や、彼は打驚いて突然歩を留め、『宗教なし!』どうし て道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れ得ない。当時 この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。と言うのは、私が少年時代 に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、正邪善悪の観念を形 成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだものは 武士道であることをようやく見出したのである」(矢内原忠雄訳) 新渡戸氏はこの質問を突きつけられて「武士道」という答えを見つけましたが、 現代日本のわれわれは、どう考え、どう答えればいいでしょうか。 なお、このスレッドは、「なぜ日本人は信仰を持たないのだろう?」の 流れを汲むものですが、次スレではありません。あしからず。
|┃三 人 _________ |┃ (_ ) / |┃ ≡ (__) < 2ゲット! ____.|ミ\__( ・∀・) \ |┃=__ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |┃ ≡ ) 人 \ ガラッ
3 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 16:18
>>1 道徳は崩壊しました。GHQは無責任にもキリスト教伝導を
放棄しました。お寺のお坊さんがたはお金儲けに夢中です(実は
赤字)。こう言うときにおこるのは宗教改革とナショナリズムな
のですが、ナショナリズムはおいといて宗教改革をおこそうと企
てた教派があります。草加よりも後、、そうオウム真理教なので
す。幸福の科学などの手ぬるい新興宗教では手遅れということに
気付いていたのでしょう。オウムは消えてしまいましたが、しか
し、あきらめることはありません。日本経済は破綻します。その
とき日本人は再び道徳を取り戻すでしょう。へっへっへw
4 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 16:23
>>3 テポドンの一発が飛んでくるだけじゃダメなの?
5 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 16:29
やっぱり教育勅語しかないぴょん。
7 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 16:47
>>5 いや、宗教心持ってる日本人は道徳あるよ。
昔クラスでいじめとめてたヤツの家にいったら
祭壇があった。あ〜、なるほどと思ったんだけ
ど。
8 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 16:48
>>7 なるほど、その苛められッ子はお前なわけね( ´,_ゝ`)プッ
9 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 16:49
>>8 なるほど、その苛めっ子はお前なわけね( ´,_ゝ`)プッ
10 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 16:50
11 :
そよん君 ◆TP08jznOkY :03/09/07 16:52
そ よ ん
12 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 17:15
13 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 17:22
アリエール 驚きの白さ
14 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 19:15
キリスト教を日本人全員に宣教すること。に一票。
16 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 19:59
17 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 20:06
18 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 20:29
昔のヒッピーを復活させて天下とらせること、に一票w
19 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 20:42
>>1 >新渡戸氏はこの質問を突きつけられて「武士道」という答えを見つけま
>したが、現代日本のわれわれは、どう考え、どう答えればいいでしょうか。
マジスレするけど、そりゃたぶんアメリカっぽい価値観に移るだろうな。
っていうかもう移ってるか。たとえば「夢のために生きる」っていう価値観。
これってアメリカン・ベンジャーの考え方から来たものじゃない?
昔の武将みたいに「世のため、俺が天下取る」んじゃなくて極めて利己的に
「自分のために、夢をつかむ」みたいな。まるで一人一人がなんかの芝居
(ロールプレイング)するかのように「死」を非合理の領域として生活
から追放するアメリカニズムの固まりのように見える。これにアメリカから
キリスト教を抜き取ったような日本の無神論でやってるからまるで「死ぬ
までの時間つぶし」みたいな感じで夢に命を賭けようなんて気概もないく
せに夢とか希望とかごちゃごちゃいう矛盾社会になってるんだと思う。
現代日本において個人の居場所もないし価値観もバラバラ、もしくはなし。
虚しさで荒廃してる社会に援助交際とか少年犯罪とかあふれてもしかたな
いと思う。信仰なくして道徳はありえんという西欧人に新渡戸は信仰じゃく
ても価値観(Bushido)によって代用できると考えたらしいけど、その
価値感さえないんだから道徳なんかありえない。
道徳教育は必要ありません。 自らを省みず、善行を行う人に対する薬物治療を禁止しなさい。
21 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 20:57
22 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 21:18
24 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 02:52
25 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 03:12
>>24 人権教育って道徳教育ジャーン。
なんで公共のルールを教える事が戦争になるんダヨー。
ふざけんな日教組。
26 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 04:11
>>25 道徳教育実施→修身復活→軍国主義化→戦争勃発
27 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 07:07
>>26 もちろん宗教教育ももってのほかだろうな。
というか日教組の教育自体宗教みたいなもんだが。
28 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 10:59
>>1 文化の違いだ。納得したな。よってこのスレは糸冬 了。
29 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 11:26
30 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 11:56
>>29 文化の違いでも正しいぞ。それが完全な回答とは言えないが一つの答えではある。
ベルギーの文化はよーしらんが、多分、宗教と道徳がひとまとめになってたんだろ。
日本は宗教は宗教、道徳は道徳と別にしてたわけだし。
今はどうだか知らないけどな。
31 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 11:59
>>30 別じゃないし。儒教(朱子学、陽明学)は宗教か道徳かなんか区別ないし。
聖典を教育勅語にした天皇一神教だって道徳と宗教別じゃないじゃん。
今、どっちもないわけです。どうしましょう。
32 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 12:08
33 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 12:16
家庭教育では、論語と聖書が手頃かな。
34 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 13:39
>>31 儒教は宗教じゃなくて思想・哲学の分野だろ。
天皇一神教ってあーた・・・
思うに日本の場合、宗教が前面に道徳を確立したっていうのはないんじゃないかな。
百姓が仏さんナマンダブがメインの時代で、それが道徳に自然とそうなったと思われ。
キリスト教みたいに、「神様マンセー」=道徳と強制したわけじゃないし。
禅宗が主流になったのも武士が「この禅宗すごいよー」との流れでメインになったんだし。
・・・・・・・間違ってないよな。多分。
>>33 いや、戦争論と君主論と韓非子と孫子だな。
35 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 13:41
>>34 >>いや、戦争論と君主論と韓非子と孫子だな。
これのどこがギャグになっているのか説明して。
36 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 13:59
>>34 どういうこっちゃ。人の持ってる「道徳」を実践しなさいと
いうのが宗教だぞ?「道徳心になんてシタガワネーよ。俺は欲望の
おもむくままに生きるんじゃー。やりたいようにやるんじゃー」
というのを、「いや道徳心に従った行動をとらないとだめですよん」
というのが宗教。
37 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 14:56
>>35 え?ギャグじゃないっすよ。マジに決まってるじゃないか。
>>36 その道徳が宗教によって
「これが道徳じゃ!ワレら、これ破ったら指の2・3本はのうなると思えよ。」
と決めているのが西洋じゃないかな。
日本の場合、宗教によって道徳が決められたというより、自然な流れでそうなったんじゃ
ないかと思うわけよ。
38 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 20:03
39 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 20:30
アメリカって一応キリスト教が盛んだが 日本よりも凶悪犯罪が多いのはどう説明つけるのか…
40 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 20:48
修身復活賛成 戦争反対
41 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 13:26
>>1 >信仰なしに道徳教育はありうるか
あるわけない。
42 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 13:35
>アメリカって一応キリスト教が盛んだが >日本よりも凶悪犯罪が多いのはどう説明つけるのか… アメリカはピューリタンやプロテスタントが基本になってる国。 最近の(でもないか)アメリカ人の荒廃は、宗教的倫理感が失われてきたため。 ま、それはプロテスタント的に自由を求めた結果でもあるため、皮肉ではある。 日本でもにたようなもので、従来あった日本人共通の「世間」のような倫理観が失われたため 注意をしたら逆に襲われたとか、電車でタバコを吸い出すとか、今までは考えられないようなことが起こっている。 少年犯罪の凶悪化はその世間の倫理観の欠如した社会の土台の上で、子供が孤立しているから。 ヒキコモリの急増も、それと全く違うような問題ではなく、つながりがある。 おれ個人としては、あるていどでも宗教による宗教的倫理感確立が必要と思う。 まさか、国家神道による「教育勅語」で倫理観を作るなんて、ありえないだろ? なら宗教しかない。
43 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 13:44
>>39 ところによっては、性に対しては日本よりも遙かに潔癖。
44 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 13:44
教育勅語が出来た経緯として、
>その後自国の学問の見直しの気運も高まり、道徳教育問題の解決も本格的になった。
>そして井上毅と、同郷の元田永孚によって起草作業が始まり、
>井上は宗教上の争いを引き起こす原因となる「天を敬い、神を尊ぶ」のような言葉を
>使用しないことなどを原則とし、一八九 ○(明治二十三)年十月三十日の発布に至った。
http://www.sun-inet.or.jp/~hba7615n/tyokugo03.htm とあるらしい。
道徳と宗教が別に出来るかいなかは別として、
宗教間の波風の立ちにくい道徳として目指されたのが、教育勅語と修身なんだよね。
もちろんそれは無信仰と言う立場も俺はふくめられると思う。
だから、キリスト教者や仏教者が注釈書書いてたりする。
教育勅語も完全に政治的圧力でつぶれたのだし、
「神は何か」と言う点だけすっとばしてしまえば
汎宗教の道徳と言うのは作り得るとは思う。
45 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 13:48
>>42 国家神道による教育勅語ってあーた、
教育勅語読んだことあるのか?
神だの天だのなんて一言もでてないぞ。
その点配慮して作られたのだから。
明治天皇の個人崇拝がダメだと言うのなら、
孔子孟子も孔子廟とかあるし
46 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 13:53
バカだなあ。 じゃあお前は、画一的に道徳教育をされたいか? 宗教は、まだ多様だ。 教育勅語だけなら使える代物っていっても、この教育勅語を子供に教えるのは、それ自体が宗教的なんだぜ? だったら、はじめから宗教してろ。 いまさらき国家から教えを請う時代か? 明治時代以降は近代化のために多少の国家統制と国家主導の近代化は必要だったけどよ。 そこんとこ考えナ。
47 :
とりあえず貼っとく.勅語の中身は一部だけだけど。 :03/09/09 13:58
!、_`'''''-- 、:: :: ,,,,-ー'___,,,,,- 、 i ノ| ! なんと! 明治大帝猊下が
>>900 getなされました!
i ~'ー-- 、ヽi. iヽ __,,-'___,,,,,,,,__ i /`i.i.! おまえら全員ひれ伏してください。おながいします
i<"弋~゙゙>.i゙ .:゙:::゙<´弋~ノ,-''´ i ! i. i.i!帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ
i `'ー゙'´´.,i :::::: `'ー''゙´ .::;ヽ! i ノ i
>>3 お前たち臣民は、父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦まじく、
i i ::::: :::::::.. .::;;;;;;;;;゙i,゙i i
>>4 友人とは信頼しあい、礼儀を守り、自らは身を慎み、人々には博愛の心で親切にし、
.i, ,;i :_,,::::. ::::::.. ;;;;;;;;;;;!,,,,,,/.
>>5 学業に励み、仕事を身につけ、さらに知識をひろめ才能を磨き、人格を高め、
. i i. ヽ:: ::::. ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,i
>>6 進んで公共の利益の増進を図り、社会のためになる仕事をし、いつも憲法を大事にし、
i. ヽi!i,__i!!!''゙ ::;;;;;;;::::::;;;;;;;;;;;,i
>>7 法律を守り、ひとたび国家の一大事となれば、正義にかなった勇気を奮い起こし、
i / ,-、 `'-,, ::::;;;;;;;;;;,i
>>8 国家・公共のために身を捧げることで、天地と共に窮まりない、
i/ /"''"ヽ `'-, :::::;;;;;;;;;;i 、
>>9-1000 天皇を戴く日本国の国運が栄えることを助けなければならない。
全文はこっち
http://www.sun-inet.or.jp/~hba7615n/tyokugo06.htm >>46 原則はどこでも適応できると言うものはありえると思うが。
道徳を子供に教えるのがそれ自体が宗教的なのなら、それでも多いに結構。
そもそも、宗教してろって、別に宗教間の対立を無理に起こす形でやる必要もなかろう。
48 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 14:00
>国家神道による教育勅語ってあーた、 >教育勅語読んだことあるのか? 国家神道は、明治以降だけだ。 それ以前は国家神道とはいえない。 教育勅語はキリスト教をモデルにしてある。 それが神道のオリジナルな教義でないことは、言わずもがなだろ? ただ、教育勅語だけなんて現実に使えない。 宗教だってな、神を信じるがゆえにその教えを守るんだろうが? じゃあなんのために、子供は教育勅語を守るんだ? おれだったら、嫌だね。 ただ、意味も理由もなくそれを守らされるのは。 法律を守りなさいって、警察は言う。 しかし、それだけで、警察のいないとこで、まじめに守るか? 教育勅語だって、天皇崇拝っていう信じるもの(信じさせられる対象)がなかったら、使えないよ。
49 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 14:03
>>46 あと、国は「なにもしない」んじゃなくて「国の安全と繁栄のために」は当然、教育はするし、インフラを整えるが。
義務教育は国家が運営してるだろ。
「国家から教えを請う時代か」と言うのなら、近代以前と比べれば今の方がそうなんだがね。
もっともそれと言論統制は別の問題。
>>48 ルール、マナーは常に警察による刑罰によって守られてるのかね。
それとも、教育勅語をみて、意味や理由が感じられないとでも?
50 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 14:14
>ルール、マナーは常に警察による刑罰によって守られてるのかね。 >それとも、教育勅語をみて、意味や理由が感じられないとでも? だからさ、教育勅語の内容が常識的かどうか、納得できるかどうかじゃなくて、 なぜ?その教えを信じ守るのか?ってこと。 人間が必ず「正しいこと」は守るというなら、もっと管理しやすい動物だよ。 でも「悪いこと」をする奴は、それを「悪いこと」と知っていてもやるし。 「正しいこと」を聞かされたからといって、それを無思考的に「正しいことをしよう」と思えるか? 教育勅語のいくら「正しいこと」が並べてあっても、教えられる当人がそれだけでそれを守るわけがないだろ? それを守る「動機づけ」が希薄すぎるんだよ。 だから使えないって言ってるの。 じゃあ、人間は「正しいこと」であれば行動すると言うなら、目の前でタバコのポイ捨てをしている人間を注意できない人間は何? 電車で騒いでいる子供に注意できない大人は何? 「正しいこと」なら人間は簡単にするんですか? べつに宗教でいいじゃん。 神や仏の教えを信じようよ。 簡単じゃん。 「なぜそう行動するのか?」 「神の教えだから」
51 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 14:20
>>50 常識的か納得できるかが一番肝心なんだし、それで納得し得るのなら統一的な神という存在を仮定する必然性は無い。
統一的な神を仮定するというのは当然紛争を招く原因だというのはわかるよね。
後、教育勅語だろうが、宗教を信仰してる人間だろうが、罪を行うことは行う。
あんたご飯食ってるよね。殺生だよ、それ。
そもそも、納得し得ることに「神は本当にいれるのか」って要素をいれる方がよっぽどそこまでする動機付けが困難だが。
#俺は物質的には明らかに存在しないという立場だ。
「統一的な宗教」の元に道徳を決めるのがこんなんだから、「汎宗教的な道徳」として教育勅語を作りろうとしたし、
俺はその立場に賛同する。
52 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 14:24
そもそも、「言われてる内容が」納得できるというのと、 「神という仮定を信じること」を納得するかでは、明らかに前者の方が納得させやすいのではないか? ましてや後者は「その神はどんなものだ」と言うのを統一するのかがもはや不可能と言う状態で。
53 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 14:54
ある倫理学の先生が言ってたことだけど、「道徳」と「しつけ」とは違うんだって。 一般には混同されているような気がする。 「しつけ」というのは、ある団体の「しきたり」を守らせるということで、一つ 一つの「しきたり」は理由を問われない。「道徳」というのは、その人の主義に 忠実だということで、他人に気に入られるかどうかは関係しない。戦争中に、 「非国民だ!」と非難されても反戦主義を貫く人は、「道徳的」かもしれない。 それで、「しつけ」が一番行き届いている組織というのは...暴力団なんだって。 宗教道徳というのは、「しつけ」に共通した部分があるよね。理屈なしに、○○ は救世主だ、と決めつけるところがあるから。「キサマは神に逆らうのか」という 論理は、「キサマは国家に逆らうのか」、「キサマは親分に逆らうのか」と発想的 にはさほど変わらない。
54 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 15:06
>そもそも、「言われてる内容が」納得できるというのと、 >「神という仮定を信じること」を納得するかでは、明らかに前者の方が納得させやすいのではないか? 言われている内容が納得できるかが倫理的教育に使用できるか否かなら、 それは、その「教育勅語」の内容が正しい・守るべき・守ろうと思うような前提の、人間性が形成されてなければ、無意味。 (とくに子供が)なぜ、(道徳的規範にする)教育勅語に触れるその内容が納得できるか信じられるかってことを、 教えられる前から、そういう能力があるんだ?その道徳的価値判断を与えるために「道徳教育」として教育勅語なり宗教なりの議論をしているんだろ? じゃあ、なぜ、子供が、「教育勅語」を読んで納得できるなんて前提が作られているんだ? 「なぜ人間を殺してはいけないのですか?」 こんな質問がでるのは、親の(たとえ押し付けだとしても)教育や社会的常識のある人間の質問ではありえない。 こういうような大人には考えも付かないようなことを疑問に感じる子供に、 「人間を殺してはいけません」と教育勅語でもなんでもいいけど、教えて、 それだけでその子供は納得して、その道徳的規範を守るようになるか? その「人間を殺してはいけない」ということを聞いただけで、納得できる子供は、 それ以前に、他の場でなんとなく見につけていたからであって、そうでない(良い意味でも悪い意味でも)純粋な子供は 納得なんかしない。 そこが教育勅語の使えないところ。 中途半端に宗教的で中途半端に無宗教的。 ただのHOWTO本だ。
子供を「しつける」というのは、要するに、社会のしきたりに忠実に行動 させて、口うるさい連中からいじめられないように自己防衛する、という ことだけじゃないか。ファーストフードへ行けば、アルバイトの女の子が かわいい笑顔を「いらっしゃいませ」って出迎えてくれるけど、彼女たち がそう「しつけられて」いるだけなら、何とも味気ないものを感じる。 「しつけ」はいつでも「偽善」と紙一重だ。犬が餌ほしさに芸するのと 原理的には変わらない。
56 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 15:18
>>54 んで、あんたは宗教を信じることを納得できるなんて前提でやってるのだ?
その意味で言うのなら宗教を信じるための人間性が形成されていなければ無意味じゃないか?
で、言われてる内容で納得させるのと、神と言う仮定で納得させるのと、どちらが簡単?
あと、宗教による道徳は「宗教によってでないとならない」と言うのであれば、
使う前に「統一的な神」と言うのを踏まえないとならない、例えて言うのなら英語で書かれたHOWTO本だと思うのだが。
57 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 15:24
>>56 論理のすりかえしてるだけで、なんの反論にもなってない。
58 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 15:29
>>57 どこかすりかえしてるか言わないとそれはただの負け惜しみ。
で、おれは「内容を元に説得するのと」、「神と言う前提を踏まえさせてからやるのと」
どちらが簡単だと問うているのだが。
あんたは神という前提を信じるのは簡単だとか思ってるようだが、俺は唯一神思想は他者の排除につながって来た
歴史があるの知ってるから(バアル=ベルゼブブ、イシュタル=アスタロテなんかしってるよね)
間違っても信仰する気はない。
言われた内容に内容に賛同、非賛同はするだろうが。
59 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 15:34
>>57 もうひとつ、神と言う前提の元によってのみしか道徳を勝たれないと言うのは
神と言う仮定が一体どういうものかという無駄な軋轢を生かね無いというのはわかる?
Aという神を信じてる奴の理屈はBという神を信じてる奴には通じない。例え同じ中身を言ってたとしてもね。
無駄なことこの上ない。
60 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 15:40
61 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 15:47
>>55 ちょっとずれるかも知れないが、
それは味気ないけど、不快にもならんよね。
たまにすごい愛想の悪いアルバイトなんかいたりするから。
「そう思えば不快にならない」と言うのを押しつけるというのには意味があると思う。
お客さんが心地よくすごせるようにするための。
ただ、そこに「神への信仰」をいれての指導だったらどうする?
オーナーがキリスト教で、バイトがイスラム教だったら
「キリスト教の神の名のもと、客人を善くもてなせ」なんてのは、
仮にイスラムが「客人を善くもてなせ」という思想があったとしても、通じるもんじゃないよね。って感じです。
いくつかの生きていく上の原則を「押しつける」のは必要だとおもうが、
そこで、余計なものも付け加えて事態をややこしくするのに何か意味があるのかと。
>>60 >>54 >>57 かな?
そうなら言うけど、そいつに信仰心を植え付けて来なよ。
63 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 16:06
>>59 神でも世間の目でも、なんでもいいけどさ、
自分とは別個の何かが監視しているという感覚がないと、
自分の言動を律するのは難しいと思うぞ。
64 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 16:18
>>63 まあ、その辺には同意だな。
だから、俺も信仰心はある意味である。しかしながら、
「道徳を語るときに神を前提にする必要は必ずしもないし、
むしろ、それを期待すると神について異なる見解を持つ相手にその理屈は通じない」
って感じのことを言いたかったし。
あと、教育勅語は国家神道による物だと言うのに突っ込みをいれたかったってのもある
まあ、思想の押しつけのことを宗教と言うのであれば、教育勅語は宗教には違いないが、
汎宗教の立場に立てるようにしてつくったものでもあり、神だの天だのとかは使ってないと。
神は物質的には無いという立場だとは言ったが、
存在すると仮定した方が社会的には有意義である場合があるとは思ってる。
付喪神(別名勿体無いおばけ)とか。
65 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 16:23
>>63 ちょっと言いたいことぼやけたかも。
あそこで無駄だと言ったのは
「神の仮定無しで語れる道徳もあるのに、神という仮定をわざわざつけてややこしくしてどうする。
ややこしくすることが無駄だ」と。
66 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 18:19
人がルールを守るのは、所属集団から追放されないため。 道で痰を吐き散らし、泥酔して騒いでも家族からも同僚からもとがめられない人は、 そういった行いを反省無く繰り返す。 家族や職場がまともである人は、そんなことはしない。知られたら避けられるからね。 ヤー公はヤー公なみに振る舞っても仲間にとがめられもしないし、避けられもしないが、 普通の人は避けられるからやらない。 良い育ちの価値はそこにある。所属集団(=家族や地域)の基準が厳しいから、 自然と振る舞いも正しくなる。良い家の子供は公共の建物の中で走り回って騒ぐことは 許されないが、そうでない家の子供は図書館の中で騒いでも親は怒らない。
>>66 禿同
「道徳」=「ルールを守る」というのは、単なる誤解だよ。「しつけ」=「ルール
を守る」は正しいけど。
>>63-64 人が「外から見られている」という感覚も、「道徳」じゃなくて「しつけ」だよ。
その視線が神様だろうが、監視カメラだろうが、同じこと。
「道徳」というのは、仮に神様が居眠りしていたとしても、「自分がいけないと
思うことは、自分の名にかけてやらない」という決意のことだ。「外から見られて
いるからやる」のは「しつけ」で、「外から見られていなくてもやる」のが「道徳」。
68 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 18:54
少女売春している小中学生と 少女買春している大人連中に 真の道徳を教えてたもれ。 なに?少女売春買春は不道徳ではない? 時代も変われば・・・・か。 むずかしい世の中だよ。ほんと。
ちょっと補足ね。 >良い家の子供は公共の建物の中で走り回って騒ぐことは 許されないが、 >そうでない家の子供は図書館の中で騒いでも親は怒らない。 は正しいけど、それは「よくしつけられた犬」と何ら変わらない。 子供も犬も「しつける」ことは簡単にできる。しかし、「道徳」を持たせる ことができるのは子供だけ。しかも非常に難しくて、手間も時間もかかるし、 結局は子供の自主性に任せる他ない。教育で手っ取り早くやるのは、どれも これも「しつけ」=犬の訓練みたいなものだ。
70 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 18:58
つまりあれだ、道徳とは人の内側からのもので、しつけとは外側からのもの。 なるほどねえ。 そういえば、イエスキリストも外側からのものを重視し荒廃したユダヤ教を否定し、 人の内側からの愛を求め、キリスト教が発展(ryu
71 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:01
小学生のガキに毎月何万もの服やアクセサリーを買ってやるバブル世代の親。 どんな躾をしてるんだろね〜。 躾なんてしてるんだろかね〜。 勘違い親も、多いね〜。
72 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:02
ルールを守れない人間は、大人でも子供でもまず犬と同じように訓練するべし。 道徳の最終目的はルールを守ることを正当化することにある。 つまり無条件にルールを守れる人間には道徳はいらん。
73 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:03
お寺でお経を読ませたり、教会で聖書を朗読させること。 聖書やお経には人生に必要な知恵や哲学が詰め込まれてるから 無意識のうちに、子供に良い影響が、あるかもね〜。
74 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:06
>ルールを守れない人間は、大人でも子供でもまず犬と同じように訓練するべし。 >道徳の最終目的はルールを守ることを正当化することにある。 >つまり無条件にルールを守れる人間には道徳はいらん。 まず、赤信号で横断歩道を歩くのやめようか。 それから、ゴミを道端に捨てるのをやめようか。 ついでに、公金の着服をやめようかw
75 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:13
>>74 わざわざ道路にゴミを捨てる人は、いないよ(そうするのは「人」じゃない生物でつw)
道徳もルールも時代に合わせて変動するが、その時点で(ヤー公やスラム住民などではなく、一定
以上の階層の間で)守るべきであると定まっていることがルールであり、ルールを採用して守ることを選択し、
それを正しいこととして掲げるのが道徳である。
「なんでこれこれのことをしないといけないのぉ〜〜〜」という人間が居た場合、子供なら
一発叱って従わせる。大人ならいろいろな道徳体系を学ばせて、どれかで納得して従うなら
それで良し。従わないなら法で裁いて従わせる。それが教育であり、社会である。
ルールはその時の状況に合わせてできるものだから、永遠に不変のルールというのが
ないのは当然。昭和初期の良家の未婚の女子は婚外子を作ったりしないのがルールであり、
もし未婚で婚外子を作ったのが発覚したら子供は始末して娘を幽閉するのは、道徳だった。
しかし今そのような事情で娘を監禁したら、娘は親を訴えることができる(判決がどう出るかは
知らんが)。娘を監禁したのは親の道徳であり、娘が親を訴えることができるののもまたルールである。
76 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:19
んで、どんな人の道徳を採用するかが社会の行く先を決める。いまは庶民でも下の下の者共の感覚を つかむバラエティ番組で社会を汚染する一派がお元気だけど、あれではね。
77 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:22
無理。 しかし良い悪い抜きに天皇を急に骨抜きの存在にされたから 日本人にはまだまだ道徳教育を確立できてない。 対応しきれない。時間かかる。 普遍的に尊敬される存在がない社会には 普遍的に尊敬される人物は存在しにくい。
>>70 イエスはこう言っているよね。「安息日は人のためにあるので、安息日のために
人がいるのではない」。「しつけ」というのは、「社会のために人を矯正する」
ことで、結局は「社会のために人がいる」という論理から出ているんだよね。
ここの議論もほとんどが「道徳」と「しつけ」を混同した意見ばかり。いかに
現代人が「社会のために人がいる」という価値観を当然として生きているかって
ことだな。
79 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:54
社会のために生きない人間はその社会にいることはできない。 社会より自分を優先する人は、当然の結果として社会から排斥される。 自分より社会を優先する人は、社会に生きる権利がある。
80 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 19:56
何らかの集団から恩恵を受けたければその集団に奉仕することは必須条件である。 例外は家族の中の乳児だが、幼児になれば一定のしつけを受け入れて家族のルールに 従うことが必要だが、権利のないものには義務もないのでしつけに従わないからといって 家族から幼児・児童を排斥することは間違いである。
おまえら頭大丈夫ですか? お前が勝手に、「こうこうこうすれば道徳は育つ」って言うけど。 お前がそう思って実行するのと、お隣さんがお前の思うように躾をすることは繋がりがないな。 じゃあ、どうやってその「躾の仕方。子供の道徳教育。社会との健全なかかわり方」を広めるんですか? 実際に。 布教でもしますか?w
82 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:07
>>78 は「欧米式の」個人主義を思い描いているのだと思うが、欧米式のはキリスト教会の
徹底的な自己否定の教えと、自分の選択のために家族を巻き込んでのたれ死んでも
決して文句を言わない軍人式の厳しさがあってこそなりたったもの。いまはほとんどの
教会がリベラルだし、イエスの愛と救済を全面に掲げるのが最近の風潮で、自己否定と自己犠牲を
説かないからカトリック教会に通っていてさえももあんまりぴんと来ないと思う。
日本はお上に従いお上のせいにする甘えがあるし、欧米も教会がだんだん力を失ってきた上
キリスト教原理主義が破壊活動をするから自己否定の教えがもう力を持ってない。そのせいで
いまの欧米の荒廃がある。
手に入ったら、カトリックの「キリストにならいて」を読んで見。キリスト教がいかに厳しい自己否定を
求めるものかよく分かる。自分の甘えに完全にとどめを刺して魂を神に捧げる厳しさと、完全に
自分のやったことの結果を引き受けるがあってこその個人主義です。
83 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:08
>>81 は荒れ放題のご近所でも平気かな?理屈は言わずにお隣に厳しく怒鳴り込む実行派は
立派だが、なんにでも文句しか言わない怠け者はそれこそ躾られないといけないね。
84 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:09
ついでに書くが、私はカトリックでもプロテスタントでもありません。
85 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:11
>>81 それぞれの家族の姿が地域のレベルを決める。怠け者が増えれば汚い地域になるし、
きちんとした家庭が多ければ周囲をはばかるから誰でもあまり手抜きはしないものです。
そこが日本人の良いところ。だから、自分がまず実践しなきゃ意味ないし、きっちり実践してれば
それでいい。
86 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:14
仏教は人間の成長に良いと思いますよ。 仏教に神はないですし。 万人に仏性があるといいますし。 キリスト教やイスラム教は神を信じる必要があるけど。 仏教は人間による人間のための宗教だと思う。 その仏教の土壌のある日本ならさほど難しくもないかと。 座禅なんかは子供にとって良い躾になると思いますよ。 幼稚園なんかは仏教系やキリスト教系があるから、宗教とのかかわりはあるよね。 私なんか、食事の前は必ずみんなで、仏様にむかって「いただきます」言って感謝させられました。 そういう関わりを小学校や中学校でもあると、子供の精神的な成長の助けにはなると思いますね。
87 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:17
>>79-80 それは正しい。しかし、だんだんと人間が「社会の道具」になってしまい、
本来重要な「道徳」がマヒしてくるんだ。そして、最後には「これは会社
のためだ」、「これは将軍様のためだ」などという理屈をつけて、自分の
「道徳」を投げ捨ててしまい、忠実な「しつけのよい犬」を演じるように
なるんだ。
89 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:17
逆に、自分が怠けて手抜きをするのは、地域への破壊活動。悪い見本が増えるとそちらに 引きずられるのは人の性で、引きずられていては道徳は育たない。 アメリカでスラム地域のカトリック系の私立学校の評価が高いのは、自分のやり方を主張せず ルールに従うことを求める自己否定の考え方を教育にしっかりと反映しているから。 子供一人一人の道徳に訴えて良い振る舞いを求めるやり方は、良い地域では自主独立の精神や 健全な判断に基づく道徳を大いに育てすばらしい結果を生んでいるが、貧困地域ではまず道徳心 そのものが家庭で養われていないので道徳心に訴えようがなく、学校の激しい荒廃を産み、読み書き計算の 教育さえままならなくなった。 そのために政府が貧困家庭に資金援助して子供達がカトリック学校に通えるようにはからった制度が あったが、政教分離に反するとの判決が出て中止された。 政教分離は守られたが、子供達の教育を受ける権利や一定の規律のある社会で生きる権利はどうなったか。
90 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:21
まあなんだかんだいっても、日本人の土台には仏教的価値観が根付いてるのね。 仏教について少しでも知った人ならどんなところがそう言われる理由かはわかると思うけど。
91 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:23
将軍様の国のようになるという心配はもっとも。 しかし、将軍様の国を作るには一つ条件がある。読み書きもできない貧困層を社会主義者が扇動しないと 独裁国家は作れず、教育を受ければ受けるほど独裁社会・社会主義国家を受け入れなくなることは 歴史が証明している。教育の過程で過去の社会主義国家の悲惨さを知るから。 歴史・公民の教育を普及させることが急務。日本は識字率世界一だし、まあ良い線を行っていると言える。 ただ高校と名の付く集団でもまともに教育を受けてない人間がいる。学校教師の質を上げ、下層の子供にも毎日 しっかり勉強する習慣をつけさせるのが大切である。 勉強は社会主義に扇動されない人間になるためにも大切だし、怠け癖をつけないためには毎日勉強と家事を させるのが一番。
92 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:27
子どものころから、勉強や家事のような「やりたくないこと」をきっちりとする習慣をつけないと 義務を果たす人間は作れないんじゃないかな。 自分の気分と、義務を果たすかどうかの間には、何の関係もない。すると決まったことについて 自分のその時の気分を反映させてしたりしなかったり、それでは社会は成り行きません。
93 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:33
そして、自分が所属する社会の義務を果たさないなら、その社会から恩恵を受ける権利がない。 義務を果たさないことがどれだけ大きな決断か、それを叩き込むのが教育でありしつけである。 主婦が正当な理由なしに家事をやめるのなら、夫から一銭の経済的利益も受けてはいけないし、 一家の長が正当な理由なしに家計に給料を入れるのをやめるのならば、夫として扱われる権利はない。 いまの社会は、給料を家計に入れなくなった夫と家事をやめた妻の家庭のようだ。子供は 義務の厳しさも、その厳しさから生まれる権利の尊さも学ぶことができない。 児童保護施設で育った子供が立派に義務を果たせるのは、自分が受け持ったぶんの仕事に 手を抜いたら食事の時間に食事が間に合わなかったり、洗濯が遅れて着る物がなくなったり する経験をしてるから。だからこの就職難でも雇われるんだよ。 子供2〜3人に親二人がついてる一般家庭の子供は、どうなのか。
94 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:36
社会奉仕。 聞こえはいい。 しかし、見方や場合によってはそれが窮屈な社会をつくる根源にもなっている。 その社会に貢献するという意味。 その定義や対象は、時と場合によって簡単にすり返られてしまう。 面倒だから例は挙げないけれど。 そしてその行動を正義とするような価値観や意見が強力になると、それに反する者は簡単に残酷に切り捨てられる。 それがあらゆる組織の消えない問題点。常に敏感たるべき問題点。 俺は宗教にも道徳にも社会貢献にも興味がない。 ただ、多様性のない画一的な集団や弱者や異意見を簡単に排除する社会は、明らかに不健全。 そんな社会や集団のなかで苦しんで生きることを求められるなら、 俺はいっそのこと、その集団から抜け出して、一人で(苦しんでも)生きたほうがましだ。 人間はそんな単純なものじゃねえ。 「社会奉仕は常識。社会奉仕を放棄すると言うことを許さない」と言うなら、 俺は、あえて言う、 「社会奉仕なんか絶対しねえ。一つ一つの行動に他人の指図なんか受けねえ。まだ死んだほうがマシだ。」 ってね。 これだから道徳や倫理を語る奴は、偽善的で嫌いなんだ。 お前ら、ある意味で宗教してるよそれ。
95 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:41
純粋培養すれば画一的になる 多様にすれば優も劣でる じゃあ、この中間を目指そう・・・なんていうのは机上の空論まるだし。
96 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:42
話は変わるけど、ニーチェの哲学ってまんま仏陀の哲学だよね。
97 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:48
アメリカの子供向けの話にこんなのがある。 親に叱られた女の子が夢を見る。夢の中の世界では何をしても良かったし、なんでも手に入った。 アイスクリームも食べ放題、読みたいマンガもお金を払わずに手に入れられる。 しかし家に帰ってみたら、家具もお気に入りのCDも全部盗まれていた。 んで女の子はルールに従うことの大切さを知る。 窮屈だが安全な社会。自由だがいつ強盗にあって撃ち殺されるか分からない社会。 自分が子供を持っていたら、どっちに住む? 立て膝で食事をできない、犬食いで食事をできない、これを窮屈に思うのはまともな食事の仕方を 教わったことがない人だけ。電車の中で靴下を脱いで前の座席に足を放り上げることができないからと いって窮屈がるのは、そんな振る舞いが身に付いた人だけ。まともな人は足がちぎれそうにだるくても そんなことをしようなんて考えつかない。他のことも同じ、きちんとしたやり方が身に付いていれば、 おかしなやり方をできないことを窮屈には思わない。 つまり一定のルールに従うことが窮屈なのは、その人が誤って学習した間違ったやり方がそう思わせている だけで、学習しなおせば窮屈さは解消される。
98 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:50
少女が売春するのはお金をくれる大人がいるから。 大人が少女を買春するのは少女が身体をくれるから。 問題ないね。 だれも迷惑していない。
99 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:51
窮屈なのが嫌だ、というのは夏は暑いのに裸で外を歩けないのはおかしいと言っているのと同じ。 明治〜昭和初期なら少し窮屈に思っても仕方なかったろうが、いまの日本のような手前勝手好き勝手、 やりたい放題し放題の状態が窮屈だというのは、どこかが根本的におかしい。 夏暑くても裸では外出しないし、冬寒くても布団をかぶってお客を応接しない程度の常識が身に付いているなら、 それを少し広げてみれば。
100 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:53
>>98 自分の娘が売春で捕まったら、みんなそう言えない。娘の売春と息子の万引きを
知るまではそういっていても、周囲に知られたらそういえない。
周囲に知られてもそういえる人は社会から恩恵を受けるにふさわしくないって事。
101 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 20:59
>窮屈だが安全な社会。自由だがいつ強盗にあって撃ち殺されるか分からない社会。 >自分が子供を持っていたら、どっちに住む? 「自分が子供を持っていたら」←このへんがせこいよねw 「窮屈だが安全な社会。」はこれ「自由が無いが安全な社会。」にするのがフェア。 こんな設問に答える必要すらないね。 こんな作為的で意図が見え見えな設問。 そのせっかくの頭の良さも回りまわって馬鹿にみえるw >つまり一定のルールに従うことが窮屈なのは、その人が誤って学習した間違ったやり方がそう思わせている >だけで、学習しなおせば窮屈さは解消される。 これ、「机上の空論」の実例ですかね。 バカも休み休みに言えよ。 こうすればこうなる、これがだめならじゃあこうする、するとこうなる・・・ 世の中こんなにうまく言ったら、100人中100人が幸せに暮らせるよ。 物事を体系化すれば論じやすくはなる、しかし正確な現実を離れることは明白。 俺に言わせれば議論のための議論をしているようなものだ。 アホらし。
102 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:01
>自分の娘が売春で捕まったら、みんなそう言えない。娘の売春と息子の万引きを >知るまではそういっていても、周囲に知られたらそういえない。 >周囲に知られてもそういえる人は社会から恩恵を受けるにふさわしくないって事。 捕まったら捕まったら捕まったら・・・・いつのまに じゃあ捕まらなかったらいいわけだよ、ね?
103 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:07
詐欺師の常套手段。
104 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:08
隣近所の人が自分と同じように振る舞ったら迷惑であるような振る舞いは、控える。 それだけでいいよ。深夜のカラオケはしない。深夜に爆音を立ててバイクを入庫しない。 マンションでは真夜中に子供をはね回らせない。それでよし。 しかし深夜にカラオケをするような人って、隣が同じようにしたら必ず怒鳴り込むんだよね。 あれは何なんだろう。
105 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:09
あと、上でも書かれてるけど下層階級のまねっこはしないもんだ。
106 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:11
>>102 絶対に捕まらないようにすることは不可能だからねぇ。
それに、貧乏下層階級でなきゃそんなことは考えないからね。
貧乏人の真似してると下層民になってしまうからやめといたほうがいいよ。
現在下層階級の一員なら、死んだ方がイイよ。貧乏でもまともな人はいるんだから、
そういう人に悪いでしょ。
107 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:13
下層階級の論理をたたき壊せ、下層階級の習慣を否定せよ、下層階級は自己否定せよ。 道徳は、自分より優れた人のやりかたを自分も採用すること。 すべてにおいて劣った下層階級は自己否定せよ。それによってしか善良な貧乏人を救うことは できない。善良な貧乏人を悩ませる下層階級を否定せよ。
108 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:13
労働力なら善良な貧乏人で十分。社会のウジである下層民を殲滅せよ。
109 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:23
>絶対に捕まらないようにすることは不可能だからねぇ。 絶対に捕まらないようにすることは不可能、なんてありえない。 捕まる人もいて捕まらない人もいる、これが正確な認識。 >それに、貧乏下層階級でなきゃそんなことは考えないからね。 >貧乏人の真似してると下層民になってしまうからやめといたほうがいいよ。 >現在下層階級の一員なら、死んだ方がイイよ。貧乏でもまともな人はいるんだから、 >そういう人に悪いでしょ。 なるほどね。 お前の頭のなかやリアルでの立場が目に浮かぶよ。 道徳や倫理や社会奉仕とはよく言ったもんだ。 お前に、よく言えたもんだ。 慈悲の影すら見えないね。お前には。 選民主義で慈悲の影すらないお前が、道徳?倫理?社会奉仕?非宗教による社会健全化? お前のような言うことや、お前のような思考回路をもつ官僚の指導に従うくらいなら、 キリスト教でも仏教でも、宗教に頼ったほうがよっぽど幸せになる可能性があるよ。
110 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:35
宗教は貧乏人や下層階級の人間のためにあるようなものだから上層階級の人間は宗教を否定したがる。 宗教って昔からそうだったんだろうね、権力者に反抗して反抗して殉職。
昔の人は神の言葉を正確に理解し、神の言葉を得ることが権力の基盤でした。
112 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:48
信仰は道徳の代わりは一切しない。 教祖によって神概念もちがうのにどうしてそれをまとめるの。 信仰を持ってる人間は道徳的にも立派と思うのは大間違い。
113 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:54
>教祖によって神概念もちがうのにどうしてそれをまとめるの。 まとめるって、何にまとめるのでしょう?なぜまとめるのでしょう? イスラム教徒とキリスト教徒とかをまとめて新しい何かをつくるのでしょうか? 戦前のように多種あるキリスト教団体を日本基督教団体として一つにまとめるということでしょうか? そもそも、神の違うとしても同じとしても、まとめることになんの意味があるのでしょう? 意味不明で、ございますな。
114 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:55
行い正しく勤勉な人と、人に寄りかかるくせに迷惑ばかりかける人間とを 「等しく尊い」とする価値観の方が問題。腐りかけた生肉も丁寧に調理された肉も分け隔て無く食べるのが、 手間をかけて料理してくれた人に対する健全な態度か?ゴミも貴重品も一緒に保管するのが正しい片づけか? 選民思想こそが正しい。
115 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:58
宗教に対する誤解、そこから生まれる衝突、これ不毛なり。 ステレオタイプであった自分を自覚し、そこからの脱却が急務。 イスラム原理主義信者のテロをもって、イスラムは邪悪だという間違いを犯す。 まさにステレオタイプ。
116 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 21:59
道徳って、世の中を愛想よく渡り歩くためのツールだろ?
117 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:00
宅間守とマザーテレサを同等に扱うのが正しいとするような価値観、それがまともか?
118 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:01
>>116 誘われてもストリップにも逝かず、エロ雑誌も読まない人ってあんまし
愛想良く渡り歩けないよ。
119 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:10
>>114 君のような人間がいてもいいと思う。
でも、君のような人間が「世間で規範とされ。尊敬される。」というなら、
俺はその世間を激しく問う。
その社会を疑う。
ましてやそういう人間が道徳や倫理や社会規範などを語る滑稽さ、これいかに。
人間を、腐った肉やゴミにたとえるなんてもってのほかだろ。
俺は宗教も道徳も社会道徳も社会貢献も興味がない。
ただ、君のような人間に対しては、君の人格と君という人間すべてを否定する。
今まで道徳語った奴が、こんどは選民主義まるだし。こんなバカがあるか。
君のような人間が国を作ることができれば、北朝鮮以上の上層人間を純粋培養し統制管理する独裁国家ができるだろうよ。
金正日さまさまだな。
120 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:13
>宅間守とマザーテレサを同等に扱うのが正しいとするような価値観、それがまともか? ↑これが宗教を知らずイメージだけで語るモデルでつ
121 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:27
宗教で道徳教育はできない。 異なる宗教によって考え方も求めるものも違う。 人を殺すのは悪い事だと教えられても、エホバでは 輸血はできない。輸血をしなかったせいで子供を殺しても 罪の意識はない。
122 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:35
>>121 君の挙げた例は、善悪の基準は宗教によって異なる、ということしか語って
いないんだが。
123 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:39
>>119 どんな人間でも人間だから尊い。私はこの考え方に反対する。赤ん坊ならどの赤ん坊も等しく
尊く、どの赤ん坊も決して虐待されるようなことがあってはならないし、最大限の反故と愛情を持って
守らなければならない。親がそうできないなら社会が全力で保護しなければならないし、その子を愛育できる
家庭があるならすみやかにそこに行けるように、税率を引き上げてでもはからわねばならない。
しかし、15を過ぎた人間にそれを適用するのは度を超した甘やかしであり、異常としか言いようがない。
お前は口で穢れたきれい事を並べているが、女子高生コンクリ詰め殺人事件を起こしたガキと自分の
家族が等しく尊いと本気で思うか。私はそんな価値観は絶対的に否定する。
腐った人間は腐った肉より一億倍劣っている。肉が腐るのは自然の働きだが、人間が腐るのは本人の
意志だから。環境が悪いからこうなったというのは弁護しすぎ。悪い環境でも立派な人間がいくらでも
出て這い上がっている。周囲の怠け者に侮辱されこづき回され、殴り倒されても立派に勉強して働いて
スラムを脱出する。そんな立派な人間をこづき回し、その人が必死に働き水でお腹をふくらせてためた
金を奪い取り、それで麻薬を買って遊ぶ人間が、立派な人間と同等に尊いと、理性があってなぜ言える。
124 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:41
>異なる宗教によって考え方も求めるものも違う。 違っても良いのでは? そもそも個人個人はすべてにおいて違いがあるわけで。 宗教教育のイメージとして、国として統一したものがあるのだろうか? >エホバでは輸血はできない そりゃ、問題ある宗教はある。 でもそれを国民を非宗教化すればそれで万事解決でもなかろうに。 同じ平和な共同体からも、狂人は現れる。 むしろ、非宗教化によって宗教的素養が無いためにオウムや幸福に犯されやすくなる。 清潔さは、よく後遺症として病の抗体を持たない。 それに、いちいち極論うざい。
125 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:42
>>123 俺は119じゃないが、誰もがヒドイと思うであろう例を挙げたって無駄だよ。
俺個人的にはどんな人間でも人間だから尊いとは思っていないがね。
126 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:43
>>123 おまえ、うるさい。
さっさと消えろよ。
127 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:44
立派な人間と悪人が、どこかある一点において等しい価値を持つ、これはこの世に存在すること自体が 信じられないような異常な教義だ。良い環境で育った小学生なら、そう信じているのは無知な無邪気さの 証であり、悪いことではない。しかし、12歳を過ぎてそのように信じ込むなど異常としか言いようがない。 宅間守と、宅間が殺した子供達とが命の価値の点で同じであると、殺された子供に向かって言えるか。 殺された子供の親に向かって、堂々と言って、心がとがめられる点がないのか。 本気なのか?
128 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:47
酒も賭け事もほどほどで、普通に働いてるお父さんと、酒乱の夫と、同じように尊いか。 自分がアル中の生活保護者と同等であると言って、自分自身に恥じないのか。 自分をそこまで貶めて粗末にし、自分の魂を自分の足で踏みにじるほどに自分を否定するような罪を 犯したなら、さっさと自首して刑務所逝ってこい。
129 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:48
>>127 バーカ。
内容が極論&的外れすぎて話す気すらない。
頭冷やせ。
130 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:48
優れた者は優れていて、普通の者は普通で、劣った者は劣った者であるとするのを恐れる根拠が一体 どこにある。どこにもないよ。
131 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:49
>>129 自分の親と子供に対して恥ずかしくないか?自分の振る舞いのせいでまともな
基準を受け入れられないなら、反省という言葉を思い出せ。
132 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:51
恥を知れ、恥を。親と子供の顔を思い出せ。この世で恩があると思える人の顔を思い出せ。 一人も思い出せないなら、それを忘恩という。猫でも恩は忘れないし、ハムスターでも飼い主の顔は 覚えている。それ以下であることが胸に突き刺さらないなら、胸から魂が抜けてるんだろう。
133 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:51
ペニスをヴァギナにピストンしている高校生とキュウリをアナルにピストンしている高校生は同じように尊いか。 自分のペニスとキュウリを同等に扱われ、自分自身に恥じないのか。 自分をそこまで貶めて粗末にし、自分の息子を足で踏みにじるほど自分を否定するような罪を 犯したなら、さっさと自首して刑務所逝ってこい。
134 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:53
このスレッドに来る人たちを見てると、道徳教育の必要性を感じるね。
135 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:55
人間すべてが等しく尊いと思うなら、お前らを宅間守のような人物と区別するものは何もない。 いったい何のためにそこまで自分を貶めるんだか。
136 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:56
137 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 22:57
宅間守を尊いとか尊くないとか言ってるの、ひとりだけじゃない? 妄想もここまでくると病気ですよ。
138 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 23:00
【信仰なしに道徳教育はありうるか 】
139 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 23:02
【あれるや】
140 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 23:07
【あやや】
141 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 23:13
道徳なんか、糞食らえ。信仰なんか、尿舐めれ。 倫理なんか、ゲロ飲め。国家も神も知るけっ。 偽善者どもが!てめぇらそんなにえらいのか! 憂国の士をきどってんじゃねえよ( ゚Д゚)ゴルァ
142 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 23:15
>>141 は自分の勤め先、住んでいる地域、出会う人にどのような影響を及ぼしているか。
>>142 よーーし結論ぶっこいてやるから耳かっぽじって聞け!
クリやら右翼やらも聞け。なんちゃって憂国の士ちゃまも聞いとけ。
この国がまともになる方法。少年犯罪をなくす方法。
それはだ、一度ぶっ壊れる事だ。飢えたらそのとき結束は増すし
国民共通の価値観が生まれる。それが天皇かキリスト教かあたらしい
学問的な主義かは知らん。
少年犯罪もいくところまでいかせろ。同情するな。少年法改善する
必要もない。何もする必要はない。残虐性の極みに逝くまで逝かせろ。
国民全員どっかでぶっ壊れてほしいと思ってるぜ。オウムやら赤軍みた
いなことを。ただ今の日本人にはそんなエネルギーないだろうが。
だから一回ぶっつぶれるまで、どうすることもできんつーことだ。
よってこんなスレは意味がない。
これが結論だ。偽善者ドモよ。
144 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 23:30
家族を愛さない人は恐ろしい。壊れた世界で家族が被害に遭うのを黙ってみている気ですか。
145 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 23:53
>>143 黙らっしゃい。あんたは似非リアリスト。かっこつけしぃーのこんちきだ。
ボケ。
146 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 23:57
147 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 00:07
モー娘以外は道徳にあらず
148 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 00:14
>>144 >家族を愛さない人は恐ろしい。壊れた世界で家族が被害に遭うのを黙ってみている気ですか。
しょうがないな。あきらめるしか。
149 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 00:24
10数年前の欲呆けバブル紳士が一月に利子だけで百万円近くの負債を出しながらアップアップしている、 生活もままならず、縋る思いで入ったのが◎○○の○人、話を聞いていると日常的価値観とはかけ離れた、 聖なる奇麗事ばかりだ、その自己認識の根底には、「私は時代に騙された可哀想な人」と言う観念がある。 ならば、その、かっての欲呆け紳士に金を返して貰えない銀行はもっと可哀想、その銀行に汗水納税の 税金を注入される善良納税者はもっともっと可哀想、何十倍も何百倍も可哀想。 その程度の信仰なんか説く奴は、少し清楚なファッション程度にしか捉えてはいない、努力もする様子が無い、 これを偽善者と呼ぶのだな、
150 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 00:28
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マルコ 2:17)
151 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 08:32
>>143 元長寿国であったアフガニスタンの末路を知ってるのかい?
ぶっつぶれたあの国が新たな共通の価値観が生まれたとでも?
あと、破壊されれば再生があると言うのは一面真理であるが、
それは目的のものを充たすための破壊であって、無意味な破壊によっては何も生まれん。
自分の思いとおりにならないからだだこねてるようにも一面見えるね。
「ぶっこわれること」は俺は何一つのぞんじゃいない。
だいたい、おのれの内面の問題が多々あろうに。
あと、偽善者と言う言葉をこの手の輩は喜々として使うが、
所詮他人が善だと「言うもの」を自分は悪だと思う以上の意味はない。
つまり、おれとあんたは見解が違うってだけの話でその言葉に何も意味が無いんよね。
「偽善者共が」なんて言葉だけで伝えられるのは「バーカバーカ」と同じだけのものよ。
152 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 09:03
>>104 >しかし深夜にカラオケをするような人って、隣が同じようにしたら必ず怒鳴り込むんだよね。
>あれは何なんだろう。
たしかに(w
そりゃ誰だって他人に対する過ちをするのは当然だから、ある程度は許すと言う感情が必要だし
なんて言うか、「同じことをやられたらどうなるんだろ」って知恵が無いんだよね。
昨日の夕方議論に参加してたが「神と言う仮定」をつけての道徳は事態をややこしくするだけだと思うが、
「先人がこう言ってる知恵」と言うのは子供達にきちんと教え込まさなければならないとは思う。
それは人間と人間が円滑に暮らすための知的財産である。
まあ、哲学、思想と言った方がいいし、その方が波風立たないが、
わざわざ波風立てる形でやって道徳をさらに形骸化、知的財産の無意味化をさせるのに
意味があるとは思えない。
そもそも、「善いこと」を言う人間の言葉自体は神と言う仮定の権威無しで
道徳、思想を語れたとは思うがね。
オウムも神と言う仮定を名のってはいるが、彼らの言葉に説得力はあるのかね?
キリストの言葉は神の前提無しじゃ説得力が無い言葉ばかりかね?
>>152 >「先人がこう言ってる知恵」と言うのは子供達にきちんと教え込まさなければならないとは思う。
禿同。生きる規範というか、「先人はこう生きたが、自分はどう生きようか」という
問いかけから「道徳」が自然に育ってくると思う。まあ、「道徳」に限らないけど。
昨日から、しつこく「道徳」と「しつけ」の違いにこだわり続けているんだけど、
「しつけ」というのは、禁止事項の羅列になりがちで、人間を育てるという推進力に
は結びつかないと思う。
学校教育でも、校則を守らせることばかりやってないで、ソクラテスなんかを読ませ
る方がいいと思う。規範なしに好き勝手に生きたって、「後悔しない人生を全うする」
確率はゼロに近い。
ちょっと訂正。 ソクラテスなんかを--->プラトンの『ソクラテスの弁明』あたりを
155 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 09:35
>あと、偽善者と言う言葉をこの手の輩は喜々として使うが、 >所詮他人が善だと「言うもの」を自分は悪だと思う以上の意味はない。 >つまり、おれとあんたは見解が違うってだけの話でその言葉に何も意味が無いんよね。 >「偽善者共が」なんて言葉だけで伝えられるのは「バーカバーカ」と同じだけのものよ。 飯を食べていれば各細胞に栄養が行き渡り、空気を吸っていれば生きている、ってことですね。 それならば動物と何も変わりませんね。
156 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 09:38
動物の群れにだってルールが存在するし、従わなかったら制裁される。動物の子供はルールに従うように しつけられる。どんなのでもね。 人間は良い家に生まれないとしつけをしてもらえないみたいだね。
157 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 09:42
>>156 そのいい家柄に生まれた人間が戦争をしているのでは。
158 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 11:30
おまえら、揚げ足の取り合いでどっちもどっちだな。 無宗教の家庭にだって道徳というかある程度の常識は教えているだろ。 逆に宗教マンセー家庭だって犯罪者を生み出してもいるしな。 信仰がないからといって道徳教育が行われていないとはいえないし、 信仰があるからといって道徳教育が完全だともいえない。 結局のところ、親の子に対する感覚と、子の親に対する感覚が問われる。 親が非常識ならば、子はそれに染まるか、それを反面教師にするか。 とりあえず、2chでダベっているようなやつが道徳なんてあるわけねえってこった。
159 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 11:35
>>155 俺はそれについて「偽善者」と言う言葉で何かを言った気になってる奴に対して、
「その言葉には見解が違う以上の意味は無く、論拠が無いと意味ない」と言ったのだけど。
「一度ぶっつぶれるまでどうしようもない」についてはアフガニスタンの例を出して
「無意味な破壊には何も生まれない」と述べたはずだが。
偽善者と言う言葉の意味について突っ込んでるところにそんなん書かれて
一瞬一体何を言ってるのかわからんかったのだが。
160 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 11:35
>>157 扇動されて戦争遂行に燃えたのはどういう階層ですか。
161 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 15:53
だからって、「教育勅語」はねえだろw 「教育勅語」&「大日本国憲法」は国家神道の教義であったことは疑う余地もないだろ。 じゃあ、仏教の教義でもキリスト教の教義でもいいじゃねえか。宗教色さえ抜けばいいんだろ? まあ、キリスト教国では信仰に関係なく聖書の教えが道徳になってるのは事実だけどね。 じゃあ、キリスト教の国が宗教色を抜いたイスラムの教義を採用するだろうか? そもそも、なんでそこまでして宗教色を抜きたがるんだろう? 世界では信仰を持つものが圧倒的マジョリティーで日本の中ではどちらかといえば無宗教がマジョリティだけど、 世界では無宗教というか無信仰は圧倒的マイノリティーだろ。 じゃあ、信仰を持つものが駄目人間か? 信仰のない日本人は駄目人間か? 信仰は生きる意味や希望を持つきっかけにはなる。 そういう宗教の特性は、今の日本人にもっとも必要な要素ではないだろうか?
162 :
名無しさん@3周年 :03/09/10 18:05
>>161 君は教育勅語を読んだことあるの?
で、読んだのならあなたは国家神道の教義と言うが、どこに神やら天やらの字が書いているのだね?
教育勅語&大日本国憲法は明治二十年頃のものなんだが、仏教寺院やキリスト教寺院を規制してたとでも?
宗教間の軋轢を生まないものとして天やら神やらの字を入れずに教育勅語は作られたのだが。
だいたい国家神道の定義とはなにかね。
俺の論について反論してると言うのなら言うが、抜くのは宗教色ではなくて「神と言う仮定」
それも道徳教育のばあいで、すなわち国の教育としてやる場合を俺は念頭においてる。
理由は「神と言う仮定を普遍的にかつ統一的に納得させなくてはならないから」
Aと言う神の言うことはBと言う神の言ってる信者には例え同じ物であっても通じない。
まず神と言う仮定を信じさせることが手間な上に、その神はどのようなものかと言うことで無駄な軋轢をうむし、
そこの無駄な紛争で勧進の道徳教育が出来なくなってるのが現在だと思う。
だまってキリストだろうが釈迦だろうが「過去の偉人の言」として教育したらいい。
そこに神と言う仮定を入れるから無宗教者や各宗教間での軋轢やら政教分離やらで道徳教育が出来なくなる。
163 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 02:23
教育勅語と大日本帝国憲法は戦前の国家神道の教義であるって、定義されてるんですが。。。
164 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 02:26
仏教の経典にはどれにも神を意味する言葉は書かれていませんね。
人が集団で暮らす場合、その集団内の人は同じその集団内の人を 殺してはいけないだとか、傷付けてはいけないという風に宗教 抜きでも自然とならないとおかしい。というのはそういう掟や 道徳を作っておかないと集団が分裂したり人数が少なくなったり して全体としてまとまりのない弱い集団になってしまうからだ。 弱い集団になると敵が来なくても自然環境に耐え切れなくて 滅びる。
166 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 06:14
>>163 誰がどのように定義したの?
国家神道の名前自体占領軍が戦後勝手につけた名前じゃないの。それ以前に国家神道なんて名前は無い。
問題は「神と言う物質的立証できない仮定」を前提にされ、しかもそれについて見解が違い紛争の種になるものでは、
普遍的な道徳教育には邪魔だと言うこと。
むしろ道徳の荒廃につながる。
>>164 うん。それでいいんじゃないの?
純粋に「人間と人間が生きる上での知恵」として存在している。
また、その知恵こそが教え込むべき物であって、余計な紛争を招く要素をいれるだけ百害あれど一理無し。
167 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 06:18
>>163 念のため言っておくけど、キリスト教イスラム教でも、教義自体は立派な知恵だとは考えてる。
十分「人と人とがともに生きる知恵」として神の名無でも通じるものだとは思う
だが、神云々いれた時点でキリストの神をいれたら、無宗教者やイスラムには受け入れがたいものに変容してしまうでしょ。
「神は本当にいるのか」と言う論争の餌になったりね。
168 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 06:33
あと、もうひとつ。
>>164 純粋に経典によるのなら問題ないが、一部新興エセ宗教なんかの
神でなくても「物質的に立証できない仮定」がどうにか作用するというのも
前提にするのも当然やめるべきだとは思っている。
シヴァによる世界破滅やらご先祖の霊証だとかそういうのも当然排除すべき。
169 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 08:34
170 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 09:43
>>167 >>念のため言っておくけど、キリスト教イスラム教でも、教義自体は立派な知恵だとは考えてる。
>>十分「人と人とがともに生きる知恵」として神の名無でも通じるものだとは思う
そんなんで道徳教育になるかな?
171 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 09:50
教育勅語・大日本帝国憲法 万歳 あの時代のほうがましか?
>>167 それは、「普遍性」という言葉で表現できるんじゃない? どんなドグマを持つ
人にも納得できるというのが、「道徳」の名にふさわしいもの。
「道徳」とは、「普遍性」に裏打ちされた価値観と言えるんじゃないかな。
[例1] 道端で行き倒れになっている人を助けた
仏教徒:「それは菩薩行です。南無〜」判定○
イスラム教徒:「アラーのお恵みを!」判定○
キリスト教徒:「まるでよきサマリア人の話のようで、うっとりする」判定○
無神論者:「世界のプロレタリアートよ、団結することはいいことだ」判定○
[例2] キリストこそが唯一の救世主である
仏教徒:「形あるものは滅びる。滅びるようなものに真理はない。喝〜!」判定×
イスラム教徒:「人間を崇拝するDQNは、逝っちゃってください」判定×
キリスト教徒:「へん、貴様らは死んだら地獄落ちだ!」判定○
無神論者:「現実の貧困に眼をつむって、好きなだけアヘンを吸ってろ!」判定×
普遍性から言うと、四対一で[例1]に軍配があがり、「道徳」の名にふさわしい。
167さんが言うように、宗教がはいると普遍性を失って「道徳」と呼べなくなる。
173 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 10:20
道徳と宗教は本質的に異なる。この点を誤解している宗教者が多い。 道徳とは、共同体としてしか生存できない人間が、長い時間をかけて 他者との係わり合いの中で現実生活において築き上げた共生のための 知恵。宗教、特に教祖宗教は、特定の教祖の、現実の人間を超越した 抽象的観念に基づくもの。一般に、教祖は生活者ではないから、宗教は 生活に基づく知恵とは言えない。その観念性の故に、共同生活の規範と しては筋違いであるばかりでなく、しばしば極めて有害である。 道徳における善は、自由意思に基づいて行う場合に初めて価値がある。 神、教祖、教典の命令によって行う善は、偽善に過ぎない。
174 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 10:35
>>173 >>一般に、教祖は生活者ではないから、
イエスは30まで大工だったけど?
175 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 10:44
>>174 聖書の中に、イエスの大工としての現実生活から生まれた知恵を
窺わせる言葉があれば教えて下さい。早くして宗教に嵌ってしまった
ため、思考が抽象化したのではないでしょうか。
>>171 教育勅語は天や神と言う言葉を廃してを廃して汎宗教的なものを目指したと言うもので。
その考え方はやはり今でも行かせるのではないかと。宗教、無神論者間の対立で道徳教育、先人の知恵の伝授が行えない現状では。
だいたい、同時代の他の国と比較して日本は悪い国だった?
>>172 そうですね「普遍性」と言う言葉を用いるとわかりやすいと思います。
ただ、「宗教がはいると」ではなく、「神の名をいれると」と言うことなんでつ。
宗教の言葉の定義自体もさまざまで「神と言う存在を信じる」と言うのなら私の言いたいのとあっているのですが
「あるひとの言ってることを信じる」と言うのを宗教の言葉の定義としてしまうと、
道徳は科学的根拠のあるものではなく、元をたどれば誰かが言った言葉なのですから、
そのひとの言うことを信じる時点で宗教性がはいるといえ、
道徳が存在し得なくなると言うことで、そこだけ揚げ足取りのようですが突っ込ませて下さい。
>>173 知恵の伝授が無いと、道徳、ここでは人と人とが円滑に暮らせるための知恵と定義しますが、
その方法が伝えられないとは思います。
また、道徳はある程度強制性、命令とも言い兼ねないものがあるということで、
経典の命令によって行う善は偽善だと言うのにはちょっと異論があります。
また、教祖自体が抽象的でなくても、宗教で言われていた教えを受け止めて、
支持した人間は生活者以外のなにものでもないと思いますし、
抽象的にしないと普遍的な理屈とはしえないとおもいます。
人を殺してはいけないってものすごい抽象的ですが、それによる善をなすのは筋違いだったり有害だったりしますか?
177 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 12:26
>>176 いずれにせよ、宗教を道徳の基礎にするのは誤まり。宗教はその極度の抽象性、
観念性、非人間性、伝播性、根拠の不在性の故に、生活者の自然の感情を制限・
変容する恐れが大きい。「人を殺してはいけない」ということは、共同体性の
認識と他者への憐れみの感情を基盤とすべきで、教祖や教典の命令によるべき
ではない。道徳による強制は、あくまで自然の感情や本能に基盤を有すること
が絶対に必要。さもないと、教祖や教典が「殺せ」と命じると、簡単に人を殺
すことになる。
>>176 >道徳は科学的根拠のあるものではなく、元をたどれば誰かが言った言葉なの
ですから、
う〜ん。道徳は別に、誰かから言い出すようなものじゃないと思いますけどね。
例えばですが、二人の人が談笑しながら食事を取っている。その状態で、
曲がりなりにも道徳が働いているわけで。正面むいて思いっきり鼻をかんだら
失礼だとか、相手が魚の骨を喉につまらせて、眼を白黒させていたら、すぐに
席を立って医者を呼ぶとか。
平和な談笑こそが、目的なわけですから、道徳とは空気のようなもの「あの人
と食事をすると気分がいい」とか、そういうものだと思います。天国はあなた方
の只中にある、というのもそういうイメージじゃないかな。
ところが、談笑する二人が政治とか宗教の話題になった途端、人が変わった
ように「ならず者」になる危険がある。それで、「道徳」もぶち壊しになる。
>>177 教祖経典を疑ってかかるのは当然のことだが、
非人間性、伝播性、根拠の不在を元に自然の感情を制限、変容って、
言いたいことわからんが、「しつけられた子供は自然の感情を制限、変容されたもの」なのか?
自然の感情や本能に従って取捨選択するのは当前として、
それを経典、教祖(と言うよりも過去良い発言をした偉人と言った方がいいか)から、
汲み取ってはならないと言うのは理解できない。
感情、本能に従うのであれど、知らない、思い付かないことは、学ばないと出来ないと思うが。
そして、意味のわからない子供達にはある程度押しつけとして思想を身に着けさせるのもやむを得ないって話で。
なぜ、それだけの知的財産を無視するのだ?と。
>>178 例えば論語より
>先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。
>[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、
>いかにも楽しいことだね。[同じ道について語り合えるから。]人が分かってくれなくても気にかけない、
>いかにも君主だね[凡人にはできないことだから。]」
これには「しっかり勉強しておさらいすれば、友人が遠いところからも尋ねて来て楽しい。話題もはずむ」
と言っているわけだけども、一度も友達が尋ねて来ないと直接的には導けない。
他者が言っているのを聞いて、新たな道徳を自分に身に着けられると言うのは当前あることだし、
むしろその方が多いのでは?
んで、政治はともかく、宗教は神と言う仮定がトラブルの原因となってるじゃない。
神の仮定と言う検証不可能なものだけ除いて、「過去徳があると言われた人がこう言っていた」とすれば、
共通の認識も見出せるだろうし、その元として宗教の経典から持ってきて何が悪いのだと。
なんだかんだ言って宗教の経典が神と言う前提無しでも
「人と人とが円滑にすごせるための知恵の宝庫」であると言うことには違いは無いと思うけど。
あ、上の奴は下の奴を和訳してたのを適当なページから持ってきたものです。 >子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎 >子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。 >朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。
>>179 経典に書いてあるかどうかじゃなくて、人間の五感を超える「形而上学」的なドグマ
が問題なんでは。その「学びて時にこれを習う」についても、一切、形而上学的
な仮定が含まれていない。孔子自身、「子は怪・力・乱・神を語らず」と形而上学
的妄想を否定している。釈迦もそうです。死後の世界があるかないか、そういう
問題には答えない、と突き放している。
ドグマを生み出す宗教と、そうでない宗教があるので、ユダヤ、キリスト、イスラム
の各宗はドグマ宗教です。自分達こそが神の啓示を受けている、という自負を
持っているから、ドグマにならざるをえない。それは、構造的な問題で、ある意味
で致命的なものです。
182 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 16:48
宗教・哲学を含む一切の人為的観念を取り去り、生物としての人間の自然の感情と 本能(善悪共に)を認識し、その健やかな育成を図る。その上に、共同体の意識 (他者の認識と思いやり}の網をかぶせる。他者への思いやり、憐れみ(利他)が なければ、自己を含む共同体が存続し得ないことを、理論的に認識する。その意味で 利他は究極の利己主義である。したがって、利他は人間の本能とも言える。
183 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 17:46
戦後の教育でいいのです。 日本は文明社会に不可欠な電力事情一つとっても安定していて間違いはあまり聞きません。 いろんな考えを持っている皆の意見を、アベレッジを取る如く、和を以ってして方向性を決定し、 子供じみた暴力の応酬も無く、一定の普遍価値で社会を比較的成功裏に動かしているのですから。 他の文明集積圏、例えばアメリカはアメリカで日本の体制・安定した成功例を羨んでいますし、 日本は日本で自分らは問題点ばかりで他が進んでいるとも思っていますし、人間というのは他人の 弁当が美味しく見えるものなのです。 信仰はしていいし、いろんな信仰はあってもいい、普遍価値はTVのアナウンサーが言動ではなく、 感じ取る態度だけでも伝わって来る。道徳教育は地域コミュニティー次元でも学べる客観的普遍価値立脚で 行うべき、
184 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 19:05
>だが、神云々いれた時点でキリストの神をいれたら、無宗教者やイスラムには受け入れがたいものに変容してしまうでしょ。 なんか根本的なところで、話がかみ合っていないと思う。 @一方は、道徳を政府や公務機関が制度や政策として、どうするかを。 A一方は、道徳というものを個人レベルで何を利用すべきかを。 ここが違ってる。 @のほうは、公の機関が国民の道徳教育をする場合、教育勅語・宗教のどちらを使用するべきかが論点になっていて、 その場合に、仮にキリスト教を利用するとしたら、イスラム教や仏教やその他宗教信者や無神論者には受け入れがたい、 と、言いたいのでしょう。 Aのほうは、国民個人が身の回りから道徳や躾や何かそういったものを人間の間に作りあげる場合に、 何を利用したらいいのかってことで、それで宗教の考え方や生き方を利用するのが良いのでは?ってことでしょう。 それだから、教育勅語を利用すると意見に対して賛成できないのは、それは宗教以上に「身近ではない」ものであるために、 国民個人が道徳や社会規律の規範として「教育勅語」を用いるのは、不適切だという反論だろう。 この、根本的な論点の違いが、いつまでも話が平行線の、原因。 さて
>>184 とりあえず、
>>181 当たりで俺は決着がついたものだとは思ってはいるのだが。
まあ、正直なところ「神と言う前提を抜いた上でも人と人との間の関係論で良いと思われるもの」は
公教育にせよ個人の道徳にせよ、各々の価値で受け入れればいいが、
そこで検証不可能なものをいれて話をややこしくすべきではないと言う形です。
(1)について言うのならば、教育勅語、宗教でののニ択論ではなく、
「人間の五感を越える者を扱わないと決めた思想、哲学(教育勅語、孔子、原始仏教)」と、
「人間の五感を越える者を扱い、それに従うことを求めた思想 哲学(キリスト、イスラム、新興宗教の仏教)」の2拓です。
その上で、後者は検証不可能なものであるから、無駄な軋轢を生む。とはたしかに言いました。
で、あなたの言う(2)って身近でないと言うだけ?もう一度言うけど、教育勅語読んだ?
言われてる中身はしごく身近なことについて言ってるんだけど。
現代日本において「神と言う仮定を信じてそれに従う」と言うことの方がよっぽど身近でないと思う。
「神やその代理人が言ったことを自らの生活に照らし合わせてどうか」と言うことには意味はあると思うけども。
186 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 20:01
>言われてる中身はしごく身近なことについて言ってるんだけど。 神は、メジャーな宗教の中では、非仏教だけ。 それに、中身はの問題じゃなく、その存在の問題。 あなたは、(神に従わせるような)宗教は日本人にとって身近ではない、と言いました。 それは、その宗教にあるような教えや教義を離れたところの話です。 内容が身近であれば良いのなら、教育勅語である必要すらないでしょう。 キリスト教徒・イスラム教徒・仏教徒、その他、にしても、それぞれの経典を読破し隅々まで理解している者は稀です。 それを理解しているのは、ほとんどぼ場合に聖職者だけ。 特に仏教徒となれば、古典的日本人的性格そのもののであるばかりか、 神への絶対的信頼も仏陀への絶対的信頼も求めてもいず、ましてやそれぞれ信者が「神や仏を崇めるために」信仰を持っているのではないでしょう。 ですから、教育勅語の内容がどうであるかは、また別問題でしょう? あなたは、日本人には宗教(という存在)は身近ではないと言いました。 そして私は、日本人には教育勅語(という存在)は身近ではないと言いました。 あなたは、教育勅語の中身は身近なものであるといいました。 わたしは、宗教にある教えは身近なものであるといいます。 (話はそれますが) 信仰とはなんでしょう? 狂信的信者とはどういう人をいうのでしょう? 私は、あなたのような人を「無宗教への狂信的信仰者」と呼びたいですね。
【教育勅語(口語訳)】 天皇ご自身がお考えになるに、天照大神以来の天皇の御始祖たちが 我が日本を建国するに際し、その規模は広大で、いつまでもその基 盤が揺らぐことのないようにされ、さらに、御先祖たちは身を慎み、 国民を大切にして、後の徳政のお手本を示された。天皇の臣民であ る日本国民は、いつの時代も忠孝を尽くし、国民が心を一つにして その美徳を発揮してきたこと、これこそが国体の最も優れた点であ り、教育の大もともここに根ざしていかなければならない。 お前たち臣民は、父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦まじく、 友人とは信頼しあい、礼儀を守り、自らは身を慎み、人々には博愛 の心で親切にし、学業に励み、仕事を身につけ、さらに知識をひろ め才能を磨き、人格を高め、進んで公共の利益の増進を図り、社会 のためになる仕事をし、いつも憲法を大事にし、法律を守り、ひと たび国家の一大事となれば、正義にかなった勇気を奮い起こし、国 家・公共のために身を捧げることで、天地と共に窮まりない、天皇 を戴く日本国の国運が栄えることを助けなければならない。これは、 単に天皇の忠良な臣民としての行動だけでなく、御先祖の残した美 風を継承することでもある。 この教えに従うことは、まさしく我が天皇の御始祖たちが残され たおさとしで、皇室の子孫も臣民も共に守るべきものであり、昔か ら今に至る何時の時代に実践しても間違いなく、我が国で実践して も外国で実践しても道理に反しない。自分は、臣民と共に、このこ とを自分自身によく言い聞かせ、その教えを守り、臣君一体となっ てその徳をより高めたいと願い望む。 明治二十三年十月三十日 御名御璽
188 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 20:14
非宗教的・非国家主義的・民主的・道徳的とは、言えないなぁ。
>>186 中身が身近であれば良いのなら、教育勅語である必要すらないでしょうと言うのはまさにそのとおり。
教育勅語を持ち出したのは「宗教上の争いを引き起こさないために天や神と言う言葉を使わずに説くのを目指した道徳」と
言う意味合いです。
その上で、身近なことについて説いたと言うのもありますしね。
キリストの教えであれ、「神やその代理人が言ったことを自らの生活に照らし合わせてどうか」と言うのには
意味があると言ったじゃないですか。
宗教にある教えは(神と言う仮定の存在を除けば)身近な物になり得ると言うのは同意してます。
神と言う仮定の存在は、その形が検証不可能なため見解が違っても結論は出せず、
それが道徳に必要なものとかしてしまえば無駄な紛争の原因となり、
本来の道徳教育に悪影響、かつ道徳の形骸化を招くとは言ってますが。
190 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 20:34
無神論者vs信仰者 イスラム教徒vsキリスト教徒 宗教反対論者vs宗教賛成論者 俺はこのスレに宗教紛争と同じスタイルの争いを見た。 結局人間とうい存在が不毛な争いを生む根本原因。 そこに信仰・不信仰どちらが争いを生むかという争いを行っても無意味。 ほら!またここに争いが・・・・
191 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 20:44
教育勅語って古事記の神話の内容が前提なんだぁ。 始めて知った。
192 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 20:52
とりあえず、道徳を打ち立てるためには2chをつぶさないと。 反社会的な目的のために使われすぎてるから。
>>191 古事記云々って、天皇の御始祖に天照大神が入ってるってそれだけの話じゃない。
一番肝心な二段落目にはほとんどかかってない。
>昔から今に至る何時の時代に実践しても間違いなく、我が国で実践して
>も外国で実践しても道理に反しない。
とも言ってるから、日本神道の神の範囲でしか成り立たないと言うものでもないし、
天皇もいっしょに教えを守らないとならないなとも述べてるし。
194 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 21:18
>天皇ご自身がお考えになるに、天照大神以来の天皇の御始祖たちが >我が日本を建国するに際し、その規模は広大で、いつまでもその基 >盤が揺らぐことのないようにされ、さらに、御先祖たちは身を慎み、 >国民を大切にして、後の徳政のお手本を示された。天皇の臣民であ >る日本国民は、いつの時代も忠孝を尽くし、国民が心を一つにして >その美徳を発揮してきたこと、これこそが国体の最も優れた点であ >り、教育の大もともここに根ざしていかなければならない。 結局、国の支配者が国の民に与えたものであってそれはそれぞれの宗教の神が 信徒たちに守らせようとする教えとほとんど違いがないな。 神道は日本の古来からの民族宗教と言われている。 今の天皇という存在のために神話を前提としている時点でそれは十分に宗教的。 >古事記云々って、天皇の御始祖に天照大神が入ってるってそれだけの話じゃない。 >一番肝心な二段落目にはほとんどかかってない。 天照大神が神道にとってどれだけの存在かを理解していれば、 こういう内容の教育勅語を宗教色がないとは、間違っても言えないよね。
>>194 宗教的を問題にしてるんじゃなくて、「神と言う仮定の存在無しに成り立つかどうか」を問題にしたはずだが。
神と言う仮定の存在を元にした宗教間、無神論者の対立は問題にしたが、
「宗教色」を問題にしたのはどこだ?
あ、宗教色を問題にしたと言う「俺の」カキコな。
197 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 21:39
>宗教的を問題にしてるんじゃなくて、「神と言う仮定の存在無しに成り立つかどうか」を問題にしたはずだが? 「神という仮定の存在無しに成り立つかどうか」であれば、 その時点で神道は除外対象になるだろ。 神道の神は一神教の神とは全く違うが、 神道にとって八百万の神、すべてに宿る神、山の神、川の神、海、太陽、すべてが(も)神だろう。 そして天皇、神話上、日本の誕生から今に至るまでの血の繋がり、天皇=神。 だからあの一時期だけ現人神とされていたのだろう。 その神の国日本に住む国民(臣民)に神の教え神の薦め、そしてそれに従う民。 そこには完璧に宗教が存在しているし、神も存在している上だ。 ましてや当時の時代状況、日本社会の状況を見れば、その「教育勅語」が日本人にどんな位置を占めていたかわかるだろ。 教育勅語は内容も存在も、宗教的だし神(伝説・神話そして当時存在した)を信仰したもの。
「神という仮定の存在無しに成り立つかどうか」であれば、 仏教は問題ないということになるけどね。
>>197 わかるだろわかるだろって、あんたの脳内完結じゃなくてその説明をしなよ。
で、教育勅語のどこに神の仮定をしなくてはなり立たない部分があるのかと聞いてるのだが。
神を信仰したと言う部分は「教育勅語の」どこだと聞いてるのだが。
>>197 を俺なりに解釈してみた。
197の脳内では宗教が存在している。神も存在してる。(3から8行目)
↓
ましてや、教育勅語は神の存在無しになり立たない。宗教的であり神を信仰したもの(9から10行目)
日本にはキリスト教が存在している。神も存在している。
↓、
ましてや、日本国憲法はヤハウエの存在無しになり立たない。日本国憲法は宗教的でありヤハウエを信仰したもの
なんて言うか、むちゃくちゃ。
201 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 22:00
天照大神は神ではないんですか? 天皇は神ではないんですか? ヤハウェはどこから持ち出したんですか? 教育勅語は、誰から誰に向けられて発せられたものですか? 無茶苦茶はお前だろw
>>201 天照大神は「天皇の始祖には」であり、どうなすべきかと言う教えにはかかっていない。
教育勅語には神であるから云々とはどこにもかいてないね。
臣民に対しての主と言う立場ではあるが「俺も肝に命じて、良い美風をつがなくてはならないな」と言ってる。
ヤハウエはそこに宗教があるからその時代にあったものは全て宗教原産だと言うあなたのむちゃくちゃな考え方を
指摘するために持ち出した。
教育勅語は天皇が国民に向かって発せられた。
だけども問題にしてるのは「神と言う仮定の存在なしにその道徳は意味を持つか」
孔子も釈迦も、教えとは別に神(超自然的存在)として祭られてますね。
203 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 22:07
教育勅語の口語文訳 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をお はじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を 合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとよ り日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国 の達成にあると信じます。 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、 夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全 ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、 さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や,秩序を守ることは勿論のこと、 非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。 そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私 達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにす ることでもあります。 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならない ところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりで なく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、 祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
>>203 さんくす、そっちの方がいいな。明治天皇コピペもそっちつかおか。
と言うか、漢文版の方、ちょっと今見直してみたら、天照大神の名前出てきてないね、、、。
「皇祖」とだけなってて。
205 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 22:20
国家神道を完全な意味での国教にして、宗教、道徳の全面にわたって国家が 方向づけ、国民を教化すべきであるとする、教育勅語構想主流派と、宗教道徳 は国家の政務とは次元を異にすると考え、国務上の詔書と区別した形式の、君 主の個人的著作とし、内容は宗教にわたらない道徳宣言とすることを要求した、 政教分離主義者との対立のなか、帝国憲法発布の翌年の、1890年10月、『教育勅 語』発布。 各学校に「下賜」され、つづいて全国の小学校に 天皇・皇后の「御真影」 が下 賜された 勅語文中の「皇祖」は神話上の天皇の祖先であり、宗教上の観念である 国家宗教と直結した教育を宣言した文書」それが教育勅語。 発足翌年には、小学校令で、祝祭日における御真影への最敬礼、教育勅語奉読な どの、国家神道儀礼が定められた。 御真影は、事実上、国家神道の最高の礼拝対象であり、神像であった。神聖な教 育勅語と御真影の取扱いと保管は、各学校の責任者にとって重大な任務となり、 学校の火災で、これらの聖物を守るために校長が焼死するなどのいたましい事 件も起こった。 国体の教義は、何よりもまず、神である天皇が統治する大日本帝国の神聖性の 主張であり、その根拠は、古代国家がつくりあげた『記・紀』の政治神話にあった。 神話は疑うことを許さない事実とされ、ここに発する世界に冠たる国体の優越 性への確信と、神に率いられる日本民族意識という選民意識が、排外的民族主義 の豊かな土壌となった。
207 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 22:22
>>203 原文からそこまで解釈を変えたらもはや教育勅語ではないよ
208 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 22:26
明治天皇の作った(ということになっている)教育勅語。 聖書を書いたのはキリストではなくコーランを書いたのはマホメットでもなく、 教育勅語を書いたのは実際は明治天皇ではない。
209 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 22:28
「祭る」という習慣の十八番は「神道」。
>>207 朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我ガ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ
世々其ノ美ヲ済セルハ此レ我ガ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦愛和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ
以テ知能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲を重シ国法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ
朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ
古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ皆其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治23年10月30日
御名御璽
とりあえず、一番の原文なんだが、どう解釈違う?
>>208 知ってるし。井上毅と、同郷の元田永孚らしいね。
むしろ、文面そのものよりも
「井上は宗教上の争いを引き起こす原因となる「天を敬い、神を尊ぶ」のような言葉を使用しないことなどを原則とし」
たの方が、このすれで持ち出した意味合いは強いんだけどね。
211 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 22:37
【宇宙的大天才のこの漏れから大提案!!】 法華経仏教の経典「法華経」を使ったらどうだろう? ドラゴンクエストの「さとりのしょ」とはまさにこれのこと。 悟れることまちがいなーし。 大丈夫だよ、絶対的な神への服従や仏陀への信仰は書かれてないから。 さー、「法華経」。
212 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 22:39
>勅語文中の「皇祖」は神話上の天皇の祖先であり、宗教上の観念である >国家宗教と直結した教育を宣言した文書」それが教育勅語。 >発足翌年には、小学校令で、祝祭日における御真影への最敬礼、教育勅語奉読な >どの、国家神道儀礼が定められた。
214 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 23:17
逆に、「教育勅語を国民の道徳に!」なんて語ってるのは何処のサイトみても右翼ばかりですよねw
215 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 23:20
216 :
名無しさん@3周年 :03/09/11 23:47
>>214 教育勅語を現代語訳したものを、「国民の道徳」と命名し、
全国の学校で教えるのはいいことだ。
しかしまあ、明治神宮に祭られている明治天皇の言葉の教育勅語を国民全員が従うことは不可能じゃないだろうか。 キリスト教徒やイスラム教徒や仏教徒が異教の教えに従うことができるだろうか。 海外でも通用する教えというなら、海外の非日本人がこの教育勅語を従えるだろうか? 教育勅語を宗教的なものだということは、まず認めるんだね? あとは神の部分。じゃあ国家神道の一部として作られた教育勅語、 例えひとつの神の存在を仮定にしないとしても、キリスト教徒や仏教徒やイスラム教徒やヒンドゥー教徒が その国家神道の一部として作られた教育勅語に従うことができるだろうか? 純粋日本人で葬式仏教と習慣神道をする人間なら、天皇や神道の色は気にならないかもしれない。 でも日本人でもキリスト教徒・仏教徒・イスラム教徒・等がいるわけで、 そういうほかの信仰を持つ人間にとっては、神道の一部になっていた教育勅語も、従うには 耐え難いのではないだろうか? 無宗教の日本人が「教育勅語は宗教とは無関係だ」と言っても、他の神に信仰を持つものにとってはやはり、 異教の神を祭る神道に属する教え「教育勅語」は受け入れが無いのではないか? 教育勅語を朗読するとき、天皇の写真に対して礼をしたまま写真を見ず、そのまま全員で教育勅語を朗読し、 終わると写真をしまう。こういう光景は右翼でも左翼でも誰でもテレビで見た人はいるだろうし、作り話か?
そもそも道徳や躾というものは、国家機関から与えられるものではない。 そうでもしなければ道徳の欠片も躾の不届きで社会が崩壊するなら、それだけの国民ってこと。 人間の人格や思想を自分たちで形成できない、ましてや国家機関や公の機関に頼るのでは、 そんな人間の集まった社会なんて、お終い。救いようがないですよ。 そんなだったら、宗教でもマニュアル本で地域住民間でも協力でもなんでもしたほうが、100倍まし。 鎖国明けの日本ならまだしも、世界でもトップレベルの科学技術や文化力を持つ日本人が、 道徳を国から教わる?冗談じゃない。舐められたもんだよホント。 だから、そのなかで、個人が宗教でも哲学でもマニュアル本でもなんでも利用するのは良い。 でも、教育勅語でも聖書でもコーランでもなんでもいいけど、それを画一的にすべての国民に守らせる・・みたいな、 ことには大反対なわけ。マトモなことが書いてあっても、身近なことが書いてあっても、非宗教的でも(教育勅語は宗教的だけど)、 (2度目)それを画一的に国民全員に発布して守らせる。しかも道徳や規律を。それに反対してるの。 幸い俺は、選民主義を全く持ち合わせていない。 間違って欲しくないのは、宅間守を許せるとかそういう意味じゃない。 親を殺されて黙っていられるとかそういういみじゃない。 でも俺は人の悪い所よりも良い所を見る。誰で本来良い奴だと思ってる。 皮肉にも、その「左翼で偏った・・HP」のように、君は選民主義者と自分を呼んだ。 君はただの「右翼」だ。 俺はただの「愛国者」だ。 この違い、わかるか? とにかく非宗教性や無神性で「教育勅語」健在論を続けるのは無理がありすぎる。
219 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 00:22
>>217 ということは、神概念及びその他一切の宗教色を取り去らない限り、道徳の確立は
不可能ということである。道徳と宗教の本質的相違は、前レスで述べたとおり。
私見では、教育勅語は、道徳の目的である、共同体の形成と維持に必要な形而下の
要素はすべてカバーしていると思うが。
220 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 00:31
221 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 00:37
222 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 00:42
>>218 民主主義においては、国家とは、国民がその生存のために組織したもの、若しくは
組織しなければならないもので、国民と対立する存在ではない筈だが。
223 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 00:47
教育勅語は儒教ベース。儒教は非宗教。 でも官尊民卑・男尊女卑ですよ。 下々はお上の言うことを聞け、ですよ。
224 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 04:57
チンコを崇める宗教を教えてください
225 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 05:58
>>224 他人に聞くより、自分でその宗教をつくれ
>>217 >>218 >(´-`).。oO(いや、まあ、いいんだけども、論点すっぽかしてただのコピペするのに何か意味あるのだろうか)
と書いたはずだけど。
論点を突っ込んでるはずなのに、適当なサイトのコピペをしてごまかすやつがいるんでね。
あと、
>>202 >ヤハウエはそこに宗教があるからその時代にあったものは全て宗教原産だと言うあなたのむちゃくちゃな考え方を
>指摘するために持ち出した。
とも書いたはずだし。
どこに「神や天への信仰」の部分が書いてあるのかと何度も聞いたはずだけど。
で、そこをごまかして「あの時代は国家神道だ!だからその時代に出来たものは全部宗教だ!信仰だ!」
とむちゃくちゃ言ってるのよね。あなたは。
あとね、国民国家は社会の安全と繁栄に責任をもつ。だから国による教育と言うものがある。
>>222 のいうとおりでもあるし、「だいたい、道徳の欠片も躾の不届きで社会が崩壊するなら、それだけの国民ってこと。」
なんて理屈はとおりません。それなら学校教育も成り立たないし、法律も必要ないね。
「万引きなんて良くあること、配慮してくれないと」なんてのを放置するのが国家とは思えませんけどね。
もう一つ突っ込みどころ、
相手にレッテル貼をするのを選民主義と読んでるようだけども、
>幸い俺は、選民主義を全く持ち合わせていない。
>君はただの「右翼」だ。
>俺はただの「愛国者」だ。
>この違い、わかるか?
、、、、、ここ笑うところですか?
まあ、内心に突っ込むのはたしかにあまり好きではないが「知恵を知恵として次世代に伝える」と言うのは何ら悪いことではないとは思うが。
>>219 宗教の定義にもよるけど、「何かをあがめる。」と言うのを宗教にしてしまうと、
いいこと言った人をあがめ出せばそのひとの発言を他の人に伝えることは出来ない。
まあ、「宗教色(個人崇拝も含む)無しでも道徳を確立できると一般的に言われた発言を伝える」と言うのなら同意だけど。
228 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 06:51
国民を完璧に統制しちまえば犯罪も起きないし馬鹿も生まれないから楽じゃん。
229 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 07:19
共産主義者の資本論崇拝は極めて宗教的とか憲法を崇める社民党を宗教的と言われます。
230 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 09:24
>>229 現実に還元できない単なる観念に、人命にも優先する最大の価値を認めるもの
はすべて(擬似)宗教。
>>227 「いいこと言ってる」と思った時が、宗教による洗脳の始まり。他人の言説は
常に現実に立脚して批判できる知性の強さを養うことが必要。
>>230 ????いいこと言ってて、それを受け止めるのが何が悪いのかわからんのだが。
それを洗脳だと呼ぶのなら洗脳でも別にいいだろう。
思考停止でなければね。
まあ、現実に立脚してるかどうかを基準にするのは大いに構わないが、
批判する必要が無いなと言うのにまで批判をする必要性も感じないし、
問題が無いと思っているのに宗教起源だからと
「いや、何かおかしいはずだ」と強迫観念に駆られるのが知性が強いとも思わない。
>>230 ああ、いいことを言った人の発言を他の人に伝えることは出来ないの部分にかかってるのかな。
儒教もこれまた宗教の定義次第では宗教と言えるけども、では、その教えは宗教だからと洗脳されてはならないのか?
233 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 11:10
宗教は大衆的であることを拒否する機会を与えてくれる。 活字はスポーツ新聞から、ニュースはワイドショーから。そのような生活の 大衆は、殲滅すべし。害悪だから。
234 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 11:45
神仏を信じない人は道徳心をもってないというのはおかしな話。 日本人がだらしない国民になったのは、戦後アメリカの自由な 気風を見境なく真似したお蔭。
235 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 11:50
236 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 13:47
>>234 現在の北朝鮮は?旧ソ連邦は?など、反論もあるが、
逆の反論もあるね。
中東諸国の問題など。
結論:道徳心と神仏への信仰心とは、関係がない。
237 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 14:10
>>236 そんな結論出したって、ラブレー氏の質問に答えたことにならないだろ。
238 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 14:12
>>237 ラブレー氏の質問に答えようとは思ってないからいいの。
239 :
名無しさん@3周年 :03/09/12 19:41
まず宗教とは何ぞや、という定義が食い違っているのに、道徳教育と信仰とを 論じたって始まるめぇ。神仏とかいうのが無きゃ宗教じゃない、というモンで もあるまぃ。
240 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 10:13
宗教とは、「現実界に還元できない単なる観念に、人命にも優先する最大の 価値を認めるもの。現実界とは、五感で知覚できる世界をいうが、人間の自然 の感情・本能を含む。」
道徳教育なら、「嘘をつくな」と教えなきゃいけない。 だが、「神が存在する」という嘘を前提に道徳を教えるとは 矛盾しないか?
242 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 10:48
宗教が史上そして現在も現実に行っている大量殺戮その他の紛争を 考えれば、宗教に倫理・道徳を論ずる資格は全くない。
結局、宗教を前提にした倫理なんて、「信じない奴は人間じゃない、殺してもいい」 って程度のレベルですからな。 むしろ、宗教を前提としないで語れるレベルの倫理しか語れない奴など無視していいっしょ。
244 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 13:56
そもそも嘘が悪い、なんてどうして言えるんだよ
>>241 シューキョーやっていないつもりらしいが、シューキョーやってる奴並かそれ
以上に批判能力がないな。
245 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 14:27
宗教同士で罵り合い、自分の宗教が一番と信じる人達が どうして道徳教育など出来るんですか。 信仰持ってる人達はがんこで融通のきかない人達が殆ど です。
246 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 14:32
優柔不断で躾道徳教育ができると思ってんのか?
247 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 14:44
戦前の日本人は何をしていたか。 赤子の間引き(凍死させる、餓死させる、くみ取り便所に放り込む、川に放り込む)、 人身売買、親捨て子捨て。 戦前の日本人と同じぐらい貧しい人々が現在どうしているか。同じようにしている。 貧乏人に倫理は関係ない。
248 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:00
宗教無しに道徳教育ができるって言う人は、試案を出せばいいじゃない?
249 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:05
>>245 >信仰持ってる人達はがんこで融通のきかない人達が殆ど
>です。
揚げ足取るようで悪いが、この意見もがんこで融通がきいていないんだが。
お互い様なんじゃないかな。
250 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:33
>宗教無しに道徳教育ができるって言う人は、試案を出せばいいじゃない? 教育勅語を小学生中学生全員に毎日朗読させて身体に叩き込む。 これがBESTだろ。
251 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:39
>日本人がだらしない国民になったのは、戦後アメリカの自由な >気風を見境なく真似したお蔭。 戦前は日本主義が浸透していて大人は国民服を着たり外国の文化をすべて禁止したり。 でもアメリカ外国文化を取り入れすぎたから日本人がだらしなくなったというのは的外れでは? それを望んで取り入れてきたのは日本人自身であって、すべてがアメリカの押し付けでもない。 結局は黒澤明を否定してスピルバーグを崇拝してきたんでしょう。 後になって外国で黒澤明の映画が賞を取ると日本人もその黒澤明監督を認めだすけど。
252 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:43
>宗教が史上そして現在も現実に行っている大量殺戮その他の紛争を >考えれば、宗教に倫理・道徳を論ずる資格は全くない。 でもEUやアメリカでは人と人がコミュニケーションを図るときはまず相手の宗教について注意や敬意を払うらしいですよ。 相手が宗教上食べてはいけないものやタブーに注意したり。 よくこういいますよね。 自国や自国の国旗に誇りを持つ人間は、他国の国旗や国家というものに、自国に対するのとおなじ「敬意と尊敬」を持つと。 それと同じように、信仰を持つ人間は他の宗教や宗派に対して敬意と尊敬の姿勢を持っているらしいです。
253 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:45
信仰を持つ人間同士でも諍いが絶えないように 信仰を持たない人間同士の諍いも絶えないならば どちらにも諍いの原因とはなりえない。
254 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:51
創価学会の信者って世界で何万人だっけか?
255 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:53
良スレなのか糞スレなのかはっきりせんスレだな。 ちょっと聞きたいのだが「倫理」っていう日本語明治以前 はあったのか?「文化」「宗教」「神」同様、和訳時にむ りやり訳された言葉なような気がするんだが・・・
256 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:54
道徳
257 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 16:58
「宗教」は明治維新後に和訳して作られた新しい言葉なのは事実だよね じゃあ、明治以前の日本では宗教ってなんだったんだろ・・・
258 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:08
>>255 「人の道」「お天道様に顔向けできる道」
259 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:10
>>253 アラブとイスラエル、カトリックとプロテスタントの例を挙げるまでもなく、
宗教間、宗派間の争いの方が遥かに多く、かつ執念深い。
2chの反宗教スレも、結局は宗教者に根負けして長続きしない。
>>255 「倫理学」とは、井上哲次郎による訳語だそうだ。
「倫理」は日本では「世間様」だったのではないかな。
260 :
sirou :03/09/13 17:17
261 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:20
ブッタは神ですか
262 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:24
仏教徒間の争いって聞かないね。 権力者と仏教徒との争いはあったようだけど。
263 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:26
インドでも仏教徒がイスラム教徒によって迫害された歴史はあっても、 その逆はないし。 仏教でいいじゃん。 仏教で。 般若心経を読めばいいじゃん。
264 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:27
>>262 中学校で日蓮宗のやったこと学ばなかったのか。
最低ランクの資料集にも書いてあったでそ。
265 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:27
>>262 おとなりの国では僧兵ぞうし殺しあってるけど。世界仰天映像
で腹に包丁指してビルから飛び降りる僧が・・・・・
266 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:29
>>262 創価学会と日蓮正宗との争いは、仏教としては異例でしょうか。
267 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:34
そんなことを言い出したら、無宗教者と無宗教上の争いにだっていえるのでは? それに、仏教は一神教の「神を異にするもの同士」の争いとは違うのでは? そもそも仏教には神はいないしね。 プロテスタントが現れたきっかけの「宗教改革」は争いの例に持ち出さないのに、 争いのほとんどない仏教から争いを持ち出そうとすると、その「宗教改革」系の対立を使う。 めちゃくちゃやなw
268 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:35
日本人が中国人を大量殺戮したのは天皇崇拝の神道信仰によるものでした。 宗教って、怖いですね♪
269 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:37
共産主義者が容赦なく人民を殺戮できたのは社会主義への盲目的な信仰なのです(w
270 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:38
なんだっけ。エローラ寺院ってすごいな。 仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教が同居した石窟寺院。 あれ見たとき鳥肌たった。スペインのキリスト教会か モスクかわからないような建物っていったんなんなん だろう。融合じゃないよねぇ。
271 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:40
プロテスタント教会よりカトリック教会のようがカッコイイよね。
272 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:40
冷戦は・・・・・・・・・・・・・・・・ 宗教戦争デスタ。
273 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:41
>>271 聖人崇拝があるあたり多神教っぽくて親しみやすいな。
マリア崇拝もいいと思うけど。
274 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:42
日本の奇跡的な高度成長とバブルの急激な崩壊とその後遺症は あの成長が永遠に続くにちがいないという根拠の無い信仰でした
275 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:43
宗教紛争は、専らユダヤ・キリスト教系一神教で、仏教ではほとんどない(日蓮宗系、 浄土真宗系を除き)。これは何故だろう。
276 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:48
社会主義革命運動って宗教かな? なんともいえないな。
277 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 17:56
278 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 18:09
与党と野党は宗教戦争。 学校のボスキャラ2人の扮装も宗教戦争。 夫婦喧嘩も宗教戦争。
279 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 18:12
兄弟喧嘩も宗教戦争。 おたがいの考え方の違いから生まれる争いは全て 宗教戦争。
280 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 18:26
>>275 ユダヤ・キリスト教も紛争ばっかりじゃない。
人々がいうほど多くない。
281 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 18:57
>>280 あなたは新聞もテレビも見てないの。ほとんど毎日殺し合いやってるではないか。
>>278 >>279 全く判っていないね。与党と野党、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩などは、宗教戦争のように
残虐な大量殺戮にはいたらない。これは何故かな?
282 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 19:01
>>281 >あなたは新聞もテレビも見てないの。ほとんど毎日殺し合いやって
>るではないか。
だって食い物がなくて飢え死にするじゃん。
「宗教」戦争を考えよう。殺した殺されたの恨みがどんどん増加して
いったさきの戦争。
283 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 19:11
>>281 >全く判っていないね。与党と野党、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩などは、宗教戦争のように
>残虐な大量殺戮にはいたらない。これは何故かな?
野党の方の一部は殺人おかしてますが。。っていうか超大量殺人。
だいたい個人のレベルなら殺したところで2〜3人だろ。ヤクザの紛争なら
もっといくだろうけど。
284 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 19:14
285 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 19:26
>>281 >兄弟喧嘩などは、宗教戦争のように
>残虐な大量殺戮にはいたらない。
あたりまえだろうが!!w
286 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 19:26
共産主義も、単なる観念を人命に優先する点で、(擬似}宗教。
287 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 19:30
は?観念?意味不明。信仰と観念はちがうしぃ。
288 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 19:31
人命を何より優先するのも、(擬似)宗教。 とくに人権思想。
289 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 19:39
290 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 20:27
人命を何よりも優先するのは最低最悪のカルト宗教。
291 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 20:34
292 :
名無しさん@3周年 :03/09/13 20:38
293 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 00:06
>>287 宗教は観念信仰だろう?
>>288 平和教、人権教、反戦教も宗教。だから平和、人権、反戦を唱えながら
殺し合う。観念信仰は人間にとって最も有害。
>>290 意味が判らん。人命を何よりも優先するのは、宗教ではなく、無神論で
ある。宗教者は、人命を自分の宗教に優先させるための理由付けが、絶対
に出来ない。
294 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 02:36
>>293 観念信仰( ´,_ゝ`)プッ
>人命を何よりも優先するのは、宗教ではなく、無神論で
>ある。
ふざけんな。ニライカナイ信仰の「命どぅ宝」が無神論のわけねぇだろうが。
世界の原住民信仰には生命を一番に考える信仰はたくさんある。神道の現世
主義もそうだし。
295 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 14:37
>288と>290は同じ事言ってるんだろ。
296 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:33
なあお前ら、 それで結局「仏教の平和性」を認めるわけだな? 仏教は、宗教改革ていどの争い(思想上の対立)しか思いつかないくせに。 そして宗教の残虐性の例としてはもっぱらキリスト教ユダヤ教イスラム教を利用する。 バカだろw
297 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:34
>>296 バカと言うかキ○ガイウヨ。どうしたって日本人は平和民族平和信仰と
思わせたいらしい。
298 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:37
日本で一番影響が大きいのは圧倒的に「仏教」。 でも西洋宗教を持ち出して、宗教の残虐性を語るバカ。 なあ、中国で大量殺戮したのは、国家神道の天皇崇拝という宗教が原因なんだろ? 天皇を崇拝するあまり、民衆をを殺戮したんだろ? それどころか、「天皇陛下のために、自分が死ぬ}ことを強制されたんだろ? そういえば、その(国家)神道という宗教で起こった残虐行為については触れないんだねw
299 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:39
>バカと言うかキ○ガイウヨ。どうしたって日本人は平和民族平和信仰と >思わせたいらしい。 事実だよ。 お前こそ、その色ついた眼鏡をはずしてみたら?w
300 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:40
>>298 天皇一神教については完成されたキリスト教らしい。
キリスト教は残虐と批判するくせに。むちゃくちゃだなぁ。
キ○ガイウヨはw
301 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:42
>天皇一神教については完成されたキリスト教らしい。 >キリスト教は残虐と批判するくせに。むちゃくちゃだなぁ。 >キ○ガイウヨはw バーカ。 国家神道は、キリスト教ですか? あれ?国家神道はいつからキリスト教になったんだ? じゃあ国家神道の教義に使われた「教育勅語」も宗教の教え。 キリスト教的な教えな、わけだw
302 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:44
キリスト教を残虐と言っているのは、俺か? ちがうなあ、俺は上のほうのレスで散々言っているのをみて、 じゃあ仏教は?って言ってるだけだもん。
303 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:46
>>301 当初キリスト教の変わりに天皇を用いたのは常識。
天皇をキリスト教徒にしようかという論議もでたほど。
教育勅語も帝国憲法もぜんぶパクリ。
304 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:50
国家神道は明らかに一神(キリスト)教を意識してる。 中学の時の学研のニューコースにも書いてある。
305 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:51
>>304 ああ、オマエの知識は厨房レベルってこったw
306 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:54
へー、へー、「教育勅語」はキリスト教の教えからのパクリかぁ。
307 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 15:59
>>306 教育勅語は忠君愛国(本当は愛国忠君が目的だった)のため儒教的
道徳をキリスト教徒の聖書のポジションにあてはめたパクリにパクリ
を重ねたもの。それだけにデキはいいけど。帝国憲法も国会もぜんぶ
パクリでーす。でもパクルだけでもすごいけどな。偉大なる明治維新。
308 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 16:39
なんか司馬遼太郎でもよんでハァハァしてろ、みたいな。
309 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 20:13
明治維新=偉大なるパクリか。 司馬が聞いたら ムッキィ!! ノ`⌒´)ノ ┫:・'.::・┻┻:・'.::・だな。
310 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 20:36
だーかーらー、信仰なくても道徳守れる人は持って生まれた類まれな人か 絶対の価値観もってる人だってー。
312 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 21:44
>司馬は幕末がメインテーマ 何言ってんだ?コイツ。 ダサ
313 :
名無しさん@3周年 :03/09/14 21:44
>>312 江戸と明治の違いもわからないなんて。。。同情する(ゲラ
314 :
名無しさん@3周年 :03/09/15 13:13
>>298 南京事件のこと言ってるのかも知れんが、当時全然騒がれてなくて、東京裁判のときに出てきて、
中国側が調査を拒否してるやつを論拠として何かを語るのに何か意味があるんだろうか。
(´-`).。oO(観念的に脳内の対象宗教を元に語って、煽りに反応してるから糞すれになってるな。)
315 :
名無しさん@3周年 :03/09/15 13:17
>>310 道徳と言っても幅が広いし、思い付かないものは道徳としていかせないと思うが。
知恵を知恵として、論として納得させられうるのは学ばせないと。
なぜ勉強が必要かの理由を言える?
(論語=儒教で言われてるのを上に書いてあるんだがね。それ無しで)
316 :
名無しさん@3周年 :03/09/15 19:07
>なぜ勉強が必要かの理由を言える? 高校生以下にとって、勉強する理由とは「大学へ入るため」。 これ、現実。 だから大学入学後の学生は、遊び呆けるようになる。 それが今の日本社会の現実。
甘い。いい大学に入ろうとするのはいい会社に入って いっぱい金儲けするためだ。 頭悪くて遊んでるヤシはまだ可愛い。 頭が良い(てゆーか勉強が出来るだけの)ヤシで大金持ちの御曹司や金の亡者や無神論者な 知識バカの方がどうしようもない。
318 :
名無しさん@3周年 :03/09/15 20:58
>いい大学に入ろうとするのはいい会社に入って >いっぱい金儲けするためだ。 いや違うね。 金儲け目的で大学入って勉強する奴なんて稀。 今の若者は希望がないとはよく言われるだろ。 その根本的な原因は、もっとも裕福な時代に生まれ育ったため、 先の未来にこれ以上の幸福が無いことを、ある意味悟ってしまったんだよ。 だから若い世代は、「今という瞬間」を謳歌する人間が多い。 定職に魅力を感じないフリーターの急増が何よりもの証拠。 大学入って必死に(金儲けのため?)勉強してるやつなんて稀。 とりあえず、親の希望する最低ラインに乗るために大学入っただけ。 そのために中学高校では必死に勉強する。
319 :
名無しさん@3周年 :03/09/15 21:33
>とりあえず、親の希望する最低ラインに乗るために ふーん。大学入っただけで最低ラインなんて 日本人の教育熱・出世願望は思ってたほどたいしたことないのかな。 戦後豊かになって、ローマ帝国末期みたいになったのかな? 日本人以上に学歴主義な韓国とかはどうなんだろう?
道徳って社会の中で形成されてゆくモノだと思います。 自分の道徳観は、振り返ってみると学校の先生、特に小学校の先生に教え られた部分が多い。家庭教育じゃなかった。 どうやって道徳観が形成されたのか考えてみると、本を読んでもらったこ とと、失敗を通してだと思う。「君たちはどう生きるか」なんか、小学生 時代に影響された。いじめに加わった事も、失敗として生きていて、中学 時代は、止める側にまわっていた。道徳教育自体は、別に信仰と関係なく できると思う。 ただ、大人になって、自分の行動にブレーキをかける人がいなくなった時 に、あれかこれかの選択に迫られた時、道徳的選択ができないのだと思い ます。
321 :
名無しさん@3周年 :03/09/15 22:53
>>316 んで、「知恵」として、
>先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。
>[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、
>いかにも楽しいことだね。[同じ道について語り合えるから。]人が分かってくれなくても気にかけない、
>いかにも君主だね[凡人にはできないことだから。]」
by論語
こういうことを教えると言うことは意味あることだと思うが?
こういうことは聞かないとわからないし、「大学にはいるため→大学は言ったら意味ないじゃん」と言う浅い勉強の理解で
おわってってしまうと思うが?
つーか、あんたが本気でそう思ってるのなら、えらいさみしい勉強観だねと俺は言うが。
自然に思い付くものだけで道徳は完成される。と言うことの反論として。
あんたが言ったんじゃないかも知れんけど。
322 :
名無しさん@3周年 :03/09/15 22:54
追加 (´-`).。oO(そもそも、人間の思想とかの勉強で言えば、宗教観、無神論の対立の罠に嵌まって、今の中学高校なんて何もやってないに等しいと思うがなぁ。)
323 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 03:07
>>322 理科では、無神論をしっかり教えている。動物としての人間を学べば、自ずから
道徳も習得できるのではないか。他の動物のほうが、本当の意味では人間よりも
「道徳的」だから。
>>323 理科は不可知論。無神論なんか習ってねえ。
326 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 09:22
>>325 理科の教科書には、「神」「宗教」「不可知」などという言葉は一℃も出てこない
と思うが。あくまで五感の知覚に基づく観測と実験による理科の学習は、無神論で
ある。宗教者のように観測装置を使っても五感で感知できない物質が実在するなどと
言い出すと、理科教育は破壊されてしまう。宗教者は無責任な発言をすべきではない。
327 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 09:32
328 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 09:46
>>323 中学高校の理科は自然科学で社会科学(人間関係)
なんて教えてません。社会と言い出すのならまだはなしはわかりそうだが。
そもそも無神論なんて教えてないし。淡々と自然科学を教えてるだけ。
領域がまるでちがう。
あんたが言ってるのは「国語に数字は存在しないから、算数は意味が無い」とか言ってるレベル。
論語から「勉強の異義」を持ちだしてきたんだが、理科からあんたこれ導きだせるの?
>>326 法律の存在を自然科学的に立証してみ。
それとも、法律が存在すると理科教育は破壊されるのか?
人と人とが生きる知恵、満足しながら生きる知恵と言うのはそもそも物質論ですらないし。
困ってる人を助けるべきと言うのは科学から「直接的に」導き出せるのかね。
329 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 09:46
>327 2chでムキになるお前も同類。あ、俺もか(・∀・)
330 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 09:48
>>326 じゃあキリスト教徒が多数を占める国には理科教育がないのかよ。
331 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 09:50
亜米利加の大学は有名どころの私立中心に全部ミッション系だ罠。
1行カキコでいちいちageるのやめてもらえます? マジで。
333 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 09:55
>>331 黒人系大学にはモスレム系もありまっす。一応多民族国家です。
334 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 09:57
>333 あんた嘘吐き。黒人系大学はだいたいがクリ系だろうが。 具体的にモスレム系黒人大学あげてみ?
335 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:02
>>333 論点にしてるのは
理科は「神」「宗教」「不可知」などと言う言葉を教えてる、よって無神論である。
と言うことだというのにたいし、
宗教と理科は共存してるってことだと思うが。
最近の新興エセ宗教に怪しい物質論や破滅論を言って金をせしめるう連中が折り、そいつらは害悪この上ないと思うが、
本来の先人が言った生きるための知恵とか言うのであれば、
神の名無でも人間関係の中で適応可能かは検証可能。
と言うか、本当にいいことかは判断できると言い替えても良し。
336 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:05
>>335 無神論と不可知論はちがいます。ぜんぜん違います。はっきり
申し上げまして真逆でございます。有神論も無神論も仮説。で
もどっちも一応「論」で列記とした学問でぇす。ばぁかじゃな
いの?
337 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:07
>>333 ブラック・ムスリム中心の大学があるのか??www
少数派だと思ってたが。そういえば新聞にブラック・
ムスリム(モスレム)の軍人のイラク戦争出兵の心境
の記事が出てたな。
338 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:09
理科は「神」「宗教」「不可知」などと言う言葉を教えてる、→理科は「神」「宗教」「不可知」などと言う言葉を教えてない
339 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:10
モハメド・アリもブラック・モスレム。宗教上の 理由からベトナム戦争出兵拒否したらしい(徴兵自体拒否)。 多いのかもね。
340 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:15
>>336 まあ、書き間違えたのはすまないが、
俺は「理科では無神論をしっかり教えてる。」「(無神論)でないと理科教育が破壊される」と言うのが
違うと言う指摘を行ったのだが。
怪しい物質論や終末論や霊魂が祟って不幸を招いてるとか言うのは害悪だがな。
物質論、自然科学論に回帰できない思想は意味が無いと言うのは違うと言う意味のことを述べたはずなんだが。
341 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:22
>>340 何が主張したいんだ??理科教育は無神論教育じゃないだろ?
といったらお前がからんできたと思うんだが・・・??
342 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:24
理科教育は不可知論教育。とりあえず思考せよ。 確認できるまでは未確認とせよ(UFOなど)。 ということで神はいないと決定するのはいわば カルト理科教育だな。日○組がらみのw。
343 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:39
神や仏よりもハートマン軍曹の方がまだマシだぜ。
344 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 10:40
神や仏よりも悪魔崇拝の方がまだマシだぜ。
345 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 11:57
346 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 11:59
??326は345じゃないのか??誰が誰だかよくわかんねぇー。
347 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 12:04
>>342 「確認できるまでは未確認とせよ」なら、神は永遠に未確認だろう。
それを宗教者が確認されたと主張するから、理科教育が破壊される。
348 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 12:14
>>347 未確認unconfirmed、不可知unknowable。
言っとき前のフェルマーはunconfirmed。
5÷0=解なし。
理科教育は共産国家以外は不可知論教育です。
神に関しては定義、想像自由です。我国の法律でも
思想・信仰の自由は定められています。
信仰者にして著名な科学者は数多くいます。
何か異論がありますか?
349 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 12:18
>>347 >それを宗教者が確認されたと主張するから、理科教育が破壊される。
どこのどんな宗派だYO(ワラ
普通一般の宗教が理科教育破壊することねぇよ。
「確認」じゃねーし。ワケワカメ。宗教=全てオウム
っていうあなたの脳の構造何とかしたら?
350 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 13:22
>>346 345だが、違う。
直近のもので言うのなら、321=322=328=335=338=340=345
おいらの立場を説明すると、道徳、とりあえず人間関係論とでも言った方がいいかも知れないが、
神の名無でも十分に語れるし(原始仏教、儒教、そして教育勅語「だけ」ではそれを目指した)、
普遍的な道徳を目指せば検証不可能な神と言う仮定をいれると無用な対立が生まれ、
むしろ、宗教間無神論者の対立で「人と人とが生きるための知恵」を次世代に繋げられないだろうとは思う。
かといって、なんも学ばないでも自然に賢人と言われた先人並の行動がとれるとは思えないけどね。
知恵は知恵として学ばないと。
351 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 13:52
>>350 うぎゃぁ。禿しく勘違いでした。すんまそ。
科学は無神論だー系の人かと思った。
352 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 17:42
>>350 >普遍的な道徳を目指せば検証不可能な神と言う仮定をいれる
>と無用な対立が生まれ、
観念論では神や自由意志を仮定しないと道徳はニヒリズムとエゴイズム
によってやぶれる、というような倫理学が展開されているが?
353 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 17:55
>>349 宗教 = すべてオウム
原理的にどこが違うのか、宗教の方は説明してくれ。現実界に還元できない単なる
観念に最大の価値を認め、教祖や教典を盲信するという点では違いがないのではないか。
自分の宗教と人命との二者択一を迫られた時に、人命を優先するとはっきり言い切った
宗教があるのか。
354 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 17:59
現実会に還元できる観念なぞありませんが何か? 何に価値や美を置くかは個人の自由ですが何か? 美に接してぞ生なり 死に接しての生なり の精神は 世界共通ですが何か? そもそも「価値」はすべて観念的ですがなにか? 生命(息をする事)を最大限に考慮するほうが異常心理。
355 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 18:05
あ、あと細かい事だけど「価値」は認めるものじゃなくて 見出すものですので。厳密に定義すると生命の概念は観念 なんですよ。
356 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 18:11
>>353 どうでもいいけど理科教育は不可知論教育だよ。
357 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 18:46
>>354 やっぱりオウムと変わらないじゃん。
>>356 観察や実験で形而下の人間や自然の原理を知ろうとすることが不可知論?
358 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 18:52
>>357 いいえ、オウムは思考停止を美徳のように信条としてます。
彼らは個人の信仰・思想の自由は認めません。「洗脳」と
言います。正常な信仰とは「仮定」していることを自覚しな
がらもなお信じる事です。疑う事(知性)を重要視する事です。
99%の疑いと1%の希望 という名言がぴったりくる信仰が
健全です。逆は洗脳。
>観察や実験で形而下の人間や自然の原理を知ろうとすることが不可知論?
↑の意見に参堂。(未確認〜
359 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 18:54
>>358 意見に参堂、じゃなくて常識なんですよ。
360 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 18:57
信徒の思考停止も、非信徒の偏見も、似たようなもんだ。
361 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 18:58
>>359 理科離れが進んでるちゅーこっちゃ。本気で無神論が科学で証明
できるとか言ってのんかな。
362 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 18:59
99%の疑いと、1%の希望じゃ、悲しいね。 私は別にカルトの信者じゃないけれど、 「我信仰する、故に我あり。」と言う考えの人て、少ないのかな?
363 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 19:44
364 :
名無しさん@3周年 :03/09/16 19:45
「葉隠」もいいぞ。
>>352 神を仮定しても思考停止にするか、あるいは一つの神以外の信仰を全て破壊でもしない限り
ニヒリズム(全批判主義とでも行ったらいいか。)の余地は生まれるでしょ。
批判の余地が無い状況と言うのは盲信以外にありえないんだから。
自由意志もそれに全面的に従うのはエゴイズムともいえる。
むしろ、その神と言う仮定が多種多様にあるために、Aと言う神の信者によって、Bと言う神が批判され、
BはAの神を批判して、無神論者は両方の神を批判して、、、と、ニヒリズムに陥ってるのが今。
神が正しいと言うから正しい→その神は本当に正しいのか→そこが疑わしいから、前提が崩れ、正しくないかも、と。
検証が出来ないのだから、批判しても反論はしようがないんだからね。
どんな状況でもニヒリズムに陥る人間はいるだろう。
だが、批判される=突っ込まれる余地が少ない方法を選ぶのが「道徳」を社会に浸透させるには得策だと思うが。
>>362 自分が信じるのはいいが、他人にも道徳を普及させる=お互いが住みやすい状況にするというには、
突っ込まれる余地を少なくして説いた方がいいと言うのは確かだとは思う。
366 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 01:54
オマエラ、宗教やってる奴が教祖や経典を信じているとでも思ってんの? 奴らが 信じているのは、選択した自分の判断だよ。
367 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 13:03
>>365 ところで、人間は日常生活でいちいち信仰的な価値観に照らして行動している
ものだろうか。ほとんどは無意識に「善悪」を決めているのじゃないか?
火事現場で、2階から見知らぬ母親が赤ん坊を抱えて泣き叫んで「受け止めて!」
と頼んだら、無意識に腕を差し出すだろう? あるいは、他人の子供が毒蛇を
触ろうとしているのを見たら、「危ない!」と声かけるだろう? それは無神論者
でも信仰者でも同じはずだ。そこで「ちょっと待て、今日は安息日だから、控え
よう」なんて「余計な判断」を下すのは、かえって偏狭な宗教者の方なんだよ。
Aの神とBの神のいずれが正しいか、なんて相対的な議論は、ニヒリズムに
到達するのは不可避だし、ニヒリズムの洗礼を受けて当然だと思う。そういう
偏狭な神など、地獄の犬に食われてしまえ、だ。しかし、あらゆる人造の神を
消し去っても、完全な虚無にはならないと思う。そこには、宗教などという偏狭
な世界よりもはるかに普遍的な「道徳」が残るはずだ。
368 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 13:13
【ニーチェ超人教】の信者が紛れ込んでますなw 【ニーチェ超人教】の信者が紛れ込んでますなw 【ニーチェ超人教】の信者が紛れ込んでますなw 【ニーチェ超人教】の信者が紛れ込んでますなw 【ニーチェ超人教】の信者が紛れ込んでますなw
369 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 18:00
>>367 名文である。宗教者も、反論できなくなると
>>368 のように感情的になって荒らす
ばかりでなく。
>>367 のような論理と深みのある文章を書く修練をしたほうがよい。
>>367 に対応する道徳は、さしずめ孔子・孟子の「仁」か。講談社現代新書の
「道徳を基礎づける」は名著。翻訳書だが、日本語のどんな哲学書よりも読みやすい。
370 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 18:44
2階から見知らぬ母親が「受け止めて」 と叫んで腕を差し出すのが道徳なんだろうか? ある人は一大事とばかりに腕を差し出すかも知れないが ある人は、人助け=金儲けと考える人も居るだろう。 すべての人が自分と同じ基準で善悪を判断してると思うあたりが ニヒリズムの洗礼を受けるべきと考えるが
371 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 18:57
>>367 の要約。
宗教を捨てても虚無主義に陥ることはない。
なぜなら、人間は生まれつき善だから。
372 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 19:21
誰かが誤爆したみたいだから持ってきたよ。
917 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/09/17 19:17
>>370 その瞬間に腕を差し伸べて子供を助ければ、後で欲が出て金を請求する
不心得者がいてもよいではないか。母親も感謝してお金を払うだろう。
要は、その瞬間に(神の命令などではなく)「無意識的に」腕を差し伸
べる行為が、守るべき人間の自然の感情・本能である。
373 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 19:21
ある人の本にこういうことが書いてあった。 共産主義は「性善説」、資本主義は「性悪説」に基づいているんだって。 共産主義が崩壊した理由は、人間の「性悪」の部分を見くびったこと で、「みんなの幸福のために」精出して働く人などほとんど稀で、それを 洗脳教育や刑罰で脅して服従させているうちに、北朝鮮みたいないびつ な帝国になっちまった。 >370 すぐにキレて、ナイフを振り回すような精神異常者は別として、健康人 ならば誰でも「考える閑がない時」には「性善」だと思うよ。「性悪」になる のは、いろいろなことを考えた後だ。考えれば考えるほど、どんどん悪く なっていく。それに、智恵をつければつけるほどね。
374 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 19:25
375 :
名無しさん@3周年 :03/09/17 19:49
確かに大馬鹿者の宗教家がほとんどだが、例外的に卓見した宗教家もいる。 人間は彼が回教徒であるかキリスト教徒であるか、ユダヤ教徒であるか バラモン教徒であるかによってではなく、ただ彼が人間であるその一事 をもって宗教的存在なのである。人間の内部には野獣的なものや悪魔的 なものがあると同時に、また神的なものも存在している。この神と人間に 一脈愛通ずるものがなくて、どうして宗教があり得ようか。 人は神のみを愛さなくてはならぬ。全ての人間を、全ての物を、神におい て、神を通して愛さねばならぬ。いや、寧ろ我々は、自分の子供、親類、 友人、全て善いもの、美しいもの、完全なものに対する我々の愛の心を、 神への愛として体験しなければならないのである。(12世紀のイスラム 神学者ガザ−リーの言葉)
自演厨がいるそうです。
377 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:12
ニーチェと仏陀の思想はかぶってるわけだが
378 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:14
自らを信じる「自信教」は道徳満載でありますが、何か? 教祖にコントロールされるようでは、とても正常とは思えません。
379 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:15
380 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:17
>>378 その自己をささえるアイデンティティ無き民のなんと多い事か。
そのアイデンティティにキリスト教徒だの仏教徒だのもってくる
方が正常でしょう。
381 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:22
>>380 どうして、他人にすがるの?
他人は裏切る。
何も言う事を聞いてくれない。
教祖は金だけを求める。
382 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:24
>>381 他人にすがってないよ。自分が何者かということ。
自分一人で生きていけるわけ無いし。〜として生きる
っていう目標っていうか、指針がないと練炭のほうに
気持ちが・・・・
383 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:26
自らを信じる「自信教」は素晴らしい。 自らが神であり、教祖であり、信徒である。 自らの道徳で人生を歩む事で、とても素晴らしい世界になる。
384 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:29
>>382 自分が何者って、自分は自分でしょう。
それ以外に何があるのですか?
何かにすがっても、それは助けてはくれない。
人間最後は一人消え逝く。
385 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:30
>>383 自分の生き方、逝き方w、は自分だけのちいさなオツムからは
出てこない。
道徳律は認めるけどね。
387 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:32
>>385 あなたはもっと外に出るべきだ。
引き篭もっていては駄目だ。
他人の汚さ、社会の汚さを知ることだ。
いつまでも幻想を追ってはいけない。
狂ってしまうぞ。
388 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:36
>>387 引きこもってはいません。ちゃんと仕事してます。今日は
親族の命日でお休みです。社会は汚い。人生は苦しいもの、
つらいもの、恥かしいもの。それでも生きなければならない。
そんなことは解っています。で、どうせ生きなければいかな
ければならないのなら、なにか指針をもったほうがいいと思っ
ているだけです。羅針盤無き航海がありえますか?
389 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:40
>>387 指針を神と言うものに求めてしまっうと言う事は、心に制限が出来る。
羅針盤は本当に必要か?
自分が海そのものになれば良い。
390 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:42
>>389 >自分が海そのものになれば良い。
意味がよくわからないので説明してください。
>>390 その答えは自分で探しなさい。
そうする事で自分を高める事が出来るから。
それはとても大切なことだ。
392 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:50
>>391 論理が破綻したからといって逃げるのはやめましょう。
393 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:52
>>392 haha...
そういう感覚を自分で引き出して感じる事が大切なのだ。
探求心こそが人間の生きる源。
説明を受けて楽をしようと思わないことだ。
395 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:55
>>394 見苦しいからやめましょう。もう一度あなた頭整理しましょう。
あなたは自分で生きてると思ってるわけ?
397 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 15:59
>>396 あなたが今日食べたものはあなたが作ったのですか?
399 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 16:09
横レスだが、「海そのもの」とは「人生・世界そのもの」の意味で、その中 で他者と係わり合いひたむきに生きることにより初めて悟ることがあるもの、 の意味ではないか。 初めから「人為的な」羅針盤を設定するのでは、「海(人生)そのもの」 は判らない。
400 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 16:09
>>398 いーえ。あなたは今日まで発展途上国からの搾取によって
養われてる豚ですw生かされている悪魔です。第2次大戦
の戦死者、その前の縄文〜江戸までの伝統の中に生まれた
小市民にすぎません。
401 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 16:10
>>399 アイデンティティ批判を展開なさるならそれもまた楽し。
元ヒッピーの方ですか?
402 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 16:13
ヒッピーはヒッピーっていうアイデンティティをもってるよ。 399は単バカ。海を漂流してるだけじゃ、一人ぼっちで飢え死に じゃねーか。それは遭難といいます。
403 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 16:43
アイデンテイテイってナンボのものか。
404 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 19:24
.......とアイデンティティを持ったことがないので、大切さがわからん人間は そのようにうそぶく。
405 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 19:35
......とアイデンティティを持っているのにそれに気付かず、その
大切さがわからん人間はそのようにうそぶく。
>>403
406 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 19:37
>>403 アイデンティティを知らない無知はそのようにうそぶく
徳って言葉自体儒教からきたものでしょ。 儒教教えてりゃいいじゃん。あほか。
408 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 19:45
409 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 19:48
徳は儒教以前からあるし。厨房は逝ってよし。
いくらアイデンテイテイなどと叫んでみても、それは歴史を含む他者の影響に よって形成されたに過ぎないという事実を認識せよ。人間は独りでは生存で きない。他者の認識が道徳の基礎である。
411 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 20:23
>>410 あたりまえじゃん。何言ってんだか。。頭狂ってる?w
412 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 20:25
即効でアイデンティティ調べてきたこと丸出し。
413 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 21:09
おまえら、信仰で道徳教育しようってのは間違えだぞ。 オウムの奴らがサリンまいたのも、奴らなりの道徳。 アメリカがイラクに居座っているのもキリスト教の道徳。 自爆テロをするのもイスラム原理主義の道徳。 良い事ねーだろが。 よく考えろ。
414 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 21:19
実際考えても良くワケわかめ酒。
415 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 22:15
>>413 どこの国でも自分たちの道徳を教えるものさ。
よその国から見て問題があっても、自国内で問題がなければOK。
ただ、君が挙げた例は道徳と呼べるかどうかはあやしいな。
417 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 01:30
418 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 01:32
っていうか、なんで自爆テロよくないのか説明してみろ。
419 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 01:57
420 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 02:04
421 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 02:18
422 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 02:20
>>420 理系がだめで文系3科目だけで私立大うけてしかも落ちて
今プーのアフォハケーン。
423 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 02:52
>>420 上智落とされたからっていつまでも根に持ってキリスト教に
逆恨みするのはやめろってww
424 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 02:55
前も誰かそれ言ってたな。コテハンつかってる人?<上智落とされて 逆恨み
漫F画太郎「道徳戦士超獣ギーガー」 雁屋哲 「野望の王国」 これ読ませとけば道徳教育はO.K.!
426 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 12:40
>>383 なんとなく、
>>385 の言ってることがわかってないようなので、おいらが代わりに。
先人は人とは何か、良く生きると言うことはどういうことか、についていろいろ考えて
それを残してくれている。
というか、地図がせっかくあるのに、地図をみるな、
地図は本当に必要か?自分が地図の元となる海になれば良いと言ってるように見えるが、
むしろ、海を探索する気の無い奴の地図は誤りだらけのように思えるし、
せっかく羅針盤があるのならみりゃいい。羅針盤を信じるかどうかは別問題。
別に神さん信じろとは思わないが、知恵は知恵として学ぶべきことが多いよ。
賛同するかどうかはまた別問題。
427 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 12:42
>>1 信仰はなくとも、信念と哲学があればありうる。
428 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 13:41
429 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 15:50
>>428 羅針盤の盲信は羅針盤の誤差を見分ける能力を無くすし、
異なる羅針盤使ってる奴との方向合わせができなくなる。
430 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 16:51
431 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 17:12
>>430 普通に思想について論じたのや道徳に良いって本を読んだらいいんじゃないの?
宗教問わず。
他分野の勉強するのと大して変わらんと思うけど。
いくらでも怪しいこと書いてる本は他分野でもいくらでもあるしね。
まあ、宗教関連はそういうのが多いのは否定はせんけども。
道徳「教育」と言うのでも、まあ、教師間でいいと思った
古典や書物を読ませたらいいと思うし。
あくまで先人が言った発想と言うものを自らに生かせるのなら生かそうとそれだけのこと。
432 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 17:18
433 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 17:30
>>432 自分が学ぶと言うのなら誰でもいいんじゃない?
ぱらぱらと読んでみてよさそうであれば。
一般的に有名な人の方がいい確立は高そうではあるけどね。
まあ、おいらが言いたいのは誰がいいかと言うのじゃなくて、
神学論争にニヒリズムが加わって、
肝心の道徳、思想までもが出来なくなってんじゃないのってことだし。
434 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 17:42
ニヒリズムと道徳は同居できんやろー。
ニヒリズムと狂気は同居できるがな。
436 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 22:28
>オウムの奴らがサリンまいたのも、奴らなりの道徳。 >アメリカがイラクに居座っているのもキリスト教の道徳。 >自爆テロをするのもイスラム原理主義の道徳。 これに付け加えるなら、 >天皇という現人神の国家神道のために中国人を殺戮し自分の命を犠牲にして天皇(神)へ捧げるのが道徳。 もありますな。 じゃあ、どおしよか? 人間止めますか?w
437 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 22:31
宗教なんかやってない人間の、少女買春する大人や幼児殺害少年や親子で殺しあう家族は、それが道徳ですかね? 雑誌の総エロ本化も、日本人的な道徳なんですかね? 人間止めますか? ハルマゲドン待ちますか?w
438 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 23:35
道徳なんかいらん。人間には信仰も科学もいらん。滅びればよろしい。
439 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 23:58
おまいらってフーコーとか読めてるの?
440 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 01:59
人間っちゅう存在自体、悪魔そのものなんだよなぁ。 そこで人間自分を抑えるために宗教っていうものを創造したんだ。 仏陀、エホバ、イエス、アッラー、マホメッド・・・・。 どの宗教にも共通しているものがあるよね。 人間ちゅうのは本来、悪魔・悪魔的な要素にまみれた存在。 どの宗教でもそういう要素を排除したり抑えたりして、人間自身を救う効用をもっている。 ギリシャ神話や神道などの多神教にしても、人間自身の不安や恐れを救うものとして作られたわけじゃないか。 そこで、それをすべて排除してしまうってことは、=人間が悪魔として不安や恐れの塊として再誕生させるっってことじゃないか? よく、宗教も神の仏も信じてないけど、常識的な倫理感や道徳は持ってるとか言う奴は、いる。 しかし、人間は知らず知らずのうちに、昔からの宗教の影響を成長する中で生活で受けているんだよ。 それが、宗教という形で見につけていないだけ。 もしその宗教的な道徳や倫理観の要素をすべて除いてしまえば、猿以下だ。 道路の真ん中で、人間はSEXしだすよ。 俺らが普段行動や思考の指針としてあるものは、宗教的な影響が、あちこちにあり、それが社会を作っている。
441 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:11
>>440 まず宗教と道徳・倫理は本質的に異なる。宗教は現実の人間を超越しよう
とするもの。道徳・宗教は、現実の人間が共同体として存続するための
生活の知恵。
あと、動物は、思想や宗教を原因として殺し合いなどしない。腹がすいた
時しか他の動物を襲わないし、同種の動物に対しては最小限の傷しか与え
ないという。動物の方が人間より本当の意味で「道徳的」。路上でセックス
するのは、ラブホでセックスするより果たしてより道徳的か?
442 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:14
>>441 >宗教は現実の人間を超越しようとするもの。
違わんか?自己のうちにあるものと思うが。
443 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:24
>あと、動物は、思想や宗教を原因として殺し合いなどしない。腹がすいた >時しか他の動物を襲わないし、同種の動物に対しては最小限の傷しか与え >ないという。 間違いだな。縄張り争いは人間の領土戦争かな。動物でも殺しあうよ。 あと腹減ってなくてもライバルの種の子供をかみ殺します。 猿でも一本の木の所有権をめぐっての争いは人間の思想の激突と 対して変わらない。猿に言葉がしゃべれれば宗教戦争だな。
444 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:30
>>433 生態学的にはそれは基本だけどゴリラと猿の関係に白人とその
他に分けてもいいのか?
445 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:34
ゴリラと猿の間に子供はできません。
446 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:40
キリスト教国のアメリカは、犯罪大国だね。
447 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:42
神でも仏でも他人でも社会にでもなく、 人間個人の価値判断を自分自身に委ねるということは、 それは「エゴ」になる。 人はよく「自分の価値判断で〜行動した。」と自信をもって言うが、 実際は、他者や従来自分の外に存在する「価値観」を参考にして行動したにすぎない。 もし自分自身の価値判断のみで行動すれば、容易に他人を傷つけ人間社会の維持はままならない。 しかも、それが他人を傷つけたことすら自分は理解できない。 それが純粋な個人の価値判断に任せた結果。純粋なエゴ。 だから、エホバ(ヤハウェ)は人間が自分で価値判断をした(知恵のみを食べた)ことを怒り、 仏は人間に他者との協調関係を求めた。エホバは人間を叱りつつも救いの手段を与えた。 結局、人間は一人では生きることはできない。 それは存在としての一人で生きることでも、そうだし。 価値判断においても同じ。
448 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:42
>>446 南部のキチとインテリと金持ちを除いて無神論国だけどね。米帝は。
449 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:48
>>446 SEX、ドラッグス、ロックンロール、も宗教です。
あいつら誇り持ってる。
450 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 02:57
(日本人)東洋人と西洋人の違い。 よく言われるのが個人主義と非個人主義。 日本は非個人主義で西洋は個人主義。 この違いは何から生まれたものなのか? それは、宗教の性質によるもの。 聖書には「言葉」の重要性が書かれている。 仏教では言葉は一つの表現方法で心理は心で体得するものとしている。 そういう宗教的影響によって、 日本では「言わずもがな」が常識に、 西洋では「言葉がすべて」が常識に、 仏教の日本ではは人間の内面からの真理追求と以心伝心が民衆に育ち、 キリスト教の西洋では神の言葉に従い言葉によって人と交流をするようになった。 東洋的なものと西洋的なものは、宗教からの影響によって枝分かれした。
451 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 03:02
>450 宗教よりむしろ風土のほうが影響あったと思われ。 キリスト教以前から西洋は合理主義。アジアは非合理主義。
452 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 03:06
453 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:03
日本の神道と、ギリシャ神話。 なぜか似てるけどね。 じゃあいつから西洋は合理主義で日本は非合理主義だったんだろう? むしろ、合理主義というかそれはもともと(大昔)世界共通だが、 仏教の誕生が東洋人を東洋人たらしくし、西洋人をキリスト教を選んだために人間の根底は変化せずただイエスキリストに従った。 と見るほうが現実的。 つまり、人間的には東洋の思想が進んでいるが、皮肉にも原始的な合理主義とキリスト教が融合して近代を産んだってことか。 だって、何千年も昔は、西洋人も東洋人も、やってることも考え方も同じようなもんだろうから。
454 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:09
自然風土だろう。土地によってぜんぜん考え方が違う。 世界宗教じゃない土着の信仰の民族見てもそう。ブードゥー教の民族 とネイティブ・アメリカンじゃちがうしね。 和辻哲郎じゃないけど風土が民族の特色を生んでると思うよ。 インドは仏教、ヒンドゥー教でも合理主義だし、キリスト教以前の ギリシャ哲学でも合理主義が確認されてるわけだし。
455 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:21
>>454 キリスト教以前のギリシャで合理主義があることが風土紀元説の根拠なら、
東洋の仏教や道教以前は非合理主義があったのですかね?
456 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:23
>>455 ですね。自然を画一的に支配するよりも自然に従順な非合理主義
や感覚主義的な民族がおおい多雨地域には多いようですね。
457 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:25
自然に対する信仰は西洋にもあったはずですが・・・
458 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:27
>>457 西洋にもというより世界中の宗教は自然崇拝が基です。
459 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:28
ゾロアスター教って知ってる? ユダヤ教キリスト教イスラム教仏教の土台の宗教。 なにもキリスト教の以前はユダヤ教しか宗教はなかったわけじゃないのよ? ユダヤ教以前にもすでにあったの。
460 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:29
ハムスターでも砂漠のハムスターと草原のハムスターじゃ習性が ちがうよ。
461 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:32
ミトラ教とかマニ教とかいった話じゃないんですが。 それ以前です。旧約よりむかーし。自然崇拝と死者崇拝が 信仰の基と言ってるんです。
462 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:45
まだやってんの?相対的っつってるじゃん?ヴァカじゃない?
463 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 04:55
単一論的な思考回路しかないんだろう。ほっとけ。って もう終わってるか・・。
464 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 09:41
>>447 宗教こそ特定の個人である教祖の自己判断ではないか?
多くの信者がそれを盲信する点でなお始末が悪い。
465 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 10:04
>>442 外なる神の実在を信じる宗教は、明らかに現実の人間を超越している。
特に、ユダヤ・キリスト一神教の神はそうである。だから人間に多くの
惨禍をもたらし続けている。
466 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:05
>>464 自己判断でも、それに賛同が得られたものが普遍的な道徳や思想となり得るし、
自分一人が良ければ言いと言う思想に比べればよっぽどまし。
教祖を信じるのが嫌なら、教祖がとっくに死んでるが、言葉は残ってるもの学べば。
社会的な利益がどの思想が大きいかと言えば
社会の最大利益を計る思想を自分で学ぶ>>社会の最大利益を計る思想を盲信する
>>>>>>>>>>>>>>>>自分さえ良ければ言いと言う思想で動く。
>>465 超越しているから災禍を呼ぶのではない。
まあ、超越してるものについて語るのは無意味な対立を呼ぶかも知れんが、
その対立には「超越するものが無い」と言うのも立派な対立の一候補
ちなみに、一神教の神はそうである、、、、と言うことは、他の宗教はどう考えてる?
とくに「人間を超越しているものについて語るのは意味が無い」
と言う立場の原始仏教や儒教、教育勅語の原文「のみ」について
467 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:08
外なる神のない共産主義の単位時間、単位人口あたりの殺戮数は宗教を 超越していると思われ。
468 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:10
宗教は内なる秩序を気付くものであって外なる神という概念ではない。 おまいら本当に聖書読んでるのか!?( ゚Д゚)ゴルァ
469 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:12
道徳教育ってーか、道徳が存在するのか?
470 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:15
>>469 君は法律の存在を自然科学的、物質的に証明できるのか?
人間が円滑に和やかにすごすための先人の知恵が道徳、と俺は思ってる。
その点で言うなら「あると考えれば社会の利益を最大化できるのならある」と
言えると思う。
471 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:22
道徳なんかみんな持ってるよ。知恵じゃないんだな。 道徳はもってても実践はしない。
472 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:24
>>470 つまりツールだろ。
で、道徳として一般的に流布しているもの(例えば殺すな犯るな盗むな)があるの
は分るが、それだけでは、バレなきゃ何してもえー、を否定できない。
もちろんバレようがバレまいが、巡り巡って自分が不利益を被らないように、世
で道徳と見なされている事項を守るということはあるだろう。しかしそれは道徳倫
理ではなくて知性の問題だろう。
473 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:30
>>472 そういう奴を軽蔑してやる。と言うツールがあるわけで。
自分達の共同体を守るために。
で、道徳倫理ではなく、知性の問題だと言うのならそのとおりで、
俺は君には「知性を持つのはいいことだ」とは言う。
言葉の定義の問題に過ぎないと思うしね。
ただ、君がいう知性は俺は道徳に含めて考えてる。
474 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 14:04
ようするに信仰を持てということか。 わかった。さがすよ。
475 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 14:11
>>474 そういうことだ。信仰なくして道徳はない。
476 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 14:13
だーかーらー、信仰じゃなくても何か決意とか信念とか 信じれるものがあればいいんだってー。
477 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 14:31
>>476 そう。信念や哲学があれば信仰を持つ必要はないと思う。
だって、信者じたい不道徳な人沢山いるじゃん。
織田無道もそうだし。ポール牧もそうだし。
信仰を持っておかしくなったオウムや白装束の集団ほか
いろいろいるからね。
478 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:10
>>477 >>そう。信念や哲学があれば信仰を持つ必要はないと思う。
それがフェミニズムやマルクス主義でも?
479 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:19
480 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:21
フェニミズムやマルクス主義でもいいと思うけどな。
481 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:22
482 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:23
>>478 何でもいいんですよ。特定の宗教を信仰しなくとも。
483 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:25
>>481 共産やナショナリズムや草加のような独善排他に陥りやすい
のはやめたほうがよいと思われ。エホもモルも福音派も。
484 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:27
>483 イスラム原理主義もなw
485 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:31
実践的無神論も独善排他に陥りやすいぞ。 個人主義や自己中心主義、国家主義、いろいろですが。
486 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:54
宗教やその他の観念論は、必然的に争いを生じやすい。プラトン、ユダヤ キリスト教、ヘーゲルと続く西欧観念論は、結局はマルクスを生み出した。 マルクス主義は唯物論と言われているが、事実は、実在し得ないユートピア 観念に最大の価値を認める、ヘーゲル直系の観念論。 動物としての人間の自然の感情と本能を基礎とした、観念抜きの道徳を確立 するしかない。物事を考えすぎるのはよくない。結局は生活者の常識か。
487 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:57
>>486 ムタクタなこと言ってるって自分で気付かない?
488 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 15:58
>>486 観念論?唯物論?
どっちも合理主義だろうがボケ!!!!!
489 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 16:05
ははは。じゃあ無神論も観念論になるのか。 おもしろすぎ。君。
490 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 16:07
自分の信じる信仰、信念、哲学のみが正しい、絶対と 思っているうちはまだまだ。
491 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 16:51
>>490 あっちをふらふら、こっちをふらふらしてるうちはまだまだ。
早く結婚して身を固めるがごとく、確固たる自己を持たないうち
は餓鬼。よって君は餓鬼。
492 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 17:23
490はたぶん童貞。
493 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 17:32
490はたぶん微積分苦手。
494 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 17:42
>>475 信仰なくして道徳ありえないって?
信仰などするから嘘ついたり、思い込みが激しく他人と
争いを起こしたり、自己中な人間が増える。
絶対的信念を持ってる信仰者は箸にも棒にもかからん。
>>494 子供じみた意見ですね。491のセリフをそのまま
あなたに言いたい。
496 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 18:01
>>494 餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。
餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。
消えてね。
497 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 18:03
餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。 餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。 餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。 餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。 餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。 餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。餓鬼は消えろ。
498 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 18:07
499 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 18:40
>信仰なくして道徳ありえないって? >信仰などするから嘘ついたり、思い込みが激しく他人と >争いを起こしたり、自己中な人間が増える。 >絶対的信念を持ってる信仰者は箸にも棒にもかからん。 へー、信仰もってる人は駄目人間で、信仰ない人間は全員が
500 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 19:09
501 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 19:10
>>491 10代で結婚することが確固たる自己を持つこと?
502 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:11
503 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:26
496や497は絶対信仰者ではないと思うがww
504 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:33
早く結婚すること=確固たる自己を持つこと は納得できない。
505 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:38
>>504 あのー、例えなんだと思うんですけど。
共産だの武士道だの夢だイエスだのコロコロ変えてばかりじゃないで
一通り経験したらいいかげん自分の思考をまとめろということだろう。
間違えだったら離婚もありだろうけど。
506 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:40
507 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:44
●● ●● ● ● ● ● ● ● / \ ● ● ● ● ● ● / \ ● ●● ●● ● ● ● _____ ● ● / ● ●●●●●● ● ヽ ● ● ● ● / ● ● ● ● / ● ● ● ● ● ● ● ● / ̄ ̄\ ● ● ● ● | | ● ● ● ● \ / ● ● ● ● / ● ● ● ● | ● ●●●●●●●●● ● ● ● ●
508 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:44
491だが俺の言ってる事と
>>505 の説明しているのは若干違う。
どこがちがうっつったら離婚は特別な事情が無い限りなしとい
うところだ。説明してくれたのはありがたかったが。キリスト
教の洗礼受けて翌月にはイスラム教徒などありえないだろう。
509 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:45
>506 はぁ?じゃねーよ。 比喩もわからんのかボケ!
510 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:51
506は現国の要約や読解ができなかったタイプだろうな。
511 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 20:53
入信=結婚 のたとえね。ちょっとわかりにくかったけど
>>504 のような読み方は・・・・・・・・(ワラ
512 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 21:21
この世に悟った人間など一人もいない。 信仰によって人は救われもするし、汚れもする。 昔の僧侶は同性愛だった人もいるし、そもそも 道徳という定義は何か。 信仰なしに道徳教育はありえる。
513 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 21:22
>>512 ●● ●●
● ● ● ● ● ● / \
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● ●● ●● ●
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● ●●●●●● ● ヽ
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● ● ●
514 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 21:26
>信仰なしに道徳教育はありえる。 だーかーだー、信仰じゃなくても何か信念とか夢とか 信じるものがあればいいんだってー。もうこれが 結論でいいじゃーーん。
515 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 21:31
だーかーだー、信仰だけが道徳教育ができるというのは間違いと いっているんじゃーん。
516 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 15:38
信念観念宗教信仰、どこで線引きするんだ? まさか神様とかいう、架空の存在を 持ち出すか否かか?
517 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 15:39
518 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 15:40
>>517 間接的であってもね。(仏壇やその宗教関連グッズを買わせる)
とる=宗教
とらない=信念・哲学
519 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 18:18
このスレ急にレベル低くなったね。「神様って本当にいるんですか?」 みたいなスレがないと、だめなんじゃないかな。 誰か、優しい人、スレ立ててあげて下さい。
520 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 18:22
>519 どういう理屈だよw
521 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 18:25
>>518 ウヨ・サヨは関連本を買わせるし、活動に金かかるよ。
522 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 19:05
ウヨ・サヨじゃなくても夢追い人は金貯まらないよ。貯めても夢のために 使うんだったら宗教どころの金じゃない。
523 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 19:32
>>522 お金が貯まらないではなく、
宗教はお布施や何かしらの理由をつけてお金をとるという
話。
524 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 19:46
宗教が金に汚いなら 非宗教は金に汚くないのか?所詮世の中金。それを忘れて宗教だけが金に汚いなど言語同断。じゃあ、神社のお賽銭を批判してから言え。おまえらは頭が無いのか。
525 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 19:49
>>524 金に汚いとも言っていない。
>>516 への答えであり
お金をとる=宗教
お金をとらない=信念・哲学
といったまでのこと。
それ以外はあなたの被害妄想。
526 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:02
宗教と哲学と信念を比較すること自体不毛。そもそも意味も役目も効用も違う。信念だあ?w何の話だ。哲学やその信念とやらは誰が金を取らないんだ?ニーチェか?頭悪
527 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:03
>>526 あなたは宗教で相当儲けていそうだな。
そうか、儲けるとは信じる者と書くな。(w
528 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:09
>>526 そんなことはない。宗教も哲学も科学も人間の営みの一部なの
だから、同じ人間という見地から、比較考察、批判の対象となる。
科学が一番ご利益があることは自明。
529 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:13
なにが宗教で儲けてそうだ。俺は理系の学生。こんなの常識だろ。坊さんに法事のお勤めたのめば金払うさそりゃ。お経も。義務の小学校通うにも、金はかかるんだよw
530 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:14
531 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:16
>>529 社会をもまだ知らない学生が偉そうな口たたくんじゃない。
社会経験もない学生に言われてもねえ。。。
532 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:25
人間を地位や立場で測り、話をするにもそれが妨げる。頭悪過ぎ。同じ発言でも60の壮年から言われると態度を一変か?wくだらね。
533 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:27
>>532 何故あなたは宗教にお金がかかるということに
異常に反応しているのですか?
534 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:28
>>532 とても理系の学生とは思えない発言ですね。
535 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:31
>>533 横レスだが、本当に異常にお金がかかる宗教が多いからではないか。
お金をかけて常識外れとなり、社会からは後ろ指を指されるということね。
536 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:34
理系の学生なら計算ばかりしてオタクみたいな奴なのか?すぐ人や物事を枠にはめようとするんだね。頭固すぎ。
537 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:40
科学=文明の理器は際限なくお金がかかるね。 車もあるサイクル内に買い替えないといけないし。
538 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 20:44
まあ、学生さんは黙ってな。 社会にでて10年経ったら話をきくよ。
539 :
名無しさん@3周年 :03/09/21 23:44
横ヤリ入れるようだけど、なんか社会人のほうがフィクションの世界で考えてるように見えますな
540 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 00:02
キリスト教大手や仏教大手がんばれ。
541 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 00:05
仏教は生理学、つまり人間のより良い生き方を追求したもの。
542 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 00:07
まあ、とにかく信仰なしても道徳教育はできるという結果。
543 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 00:18
絶え間なく紛争を起こしている宗教は、道徳を語る資格はない。 現実の人間を超越している宗教は、むしろ反道徳的である。人間の 本質に基づかない宗教などを道徳の基準とすると、必ず歪みを生じる。
544 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 01:00
そんなこと言ったら人間止めますと言うようなもの。
545 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 01:09
そもそも道徳は存在しない。
546 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 01:45
>>514 例えば君は習わずに科学の法則を学べるのかね?
学ぶべきものはある。宗教観と無神論の人間の範疇外の存在の論争で、
学ぶべき,人が円滑にまた心地よく生きるための知恵まで放棄してしまったのが今。
>>宗教は金に汚い
まあそういうのがおおいのは否定はせん。
先人達もその時点の宗教に幻滅して、いろいろ考えて新しいことを言って
またそれが後者に伝わってと言う連鎖が生まれて行ったな。
図書館にでも行って、やさしい先人の論の解説書でも呼んだら?著名なの。
>>543 現実の人間を超越してるのが反道徳的だと言う理由は?
「神はいない」と言う立場も絶え間ない紛争を起こしてるが。
道徳教育の立場からは
「どっちでもいいが、そんなくだらないところで道徳面としての価値も巻き込むな」
とはおもう。
547 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 02:07
『教育勅語』だね!
548 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 02:59
549 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 03:34
宗教をなくすということは人間やめるということだね。 ↑にも誰か書いてあるけどそのとおりだと思う。(自演じゃ ないよ)
550 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 03:39
いきつくところ日本には教育勅語しかないのか?(ワラ 聖書のほうがいいや。
551 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 03:44
個人的に アイヌ=神道<<教育勅語=聖書<<<<大乗仏典 だと勝手に好みで決めているのだが。
∧ ∧ / ヽ ./ .ヽ / `、 / ヽ /  ̄ ̄ ̄ ||||| \ . l -===- -===- | ..━━━━━━━| ||||| ノ .|━━━━━━━━ ミッ | < .| ャッ ヽ __ノ / ウチ \ /
553 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 06:47
アヘンで道徳などちゃんちゃらおかしいわ。
554 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 09:59
教育勅語より聖書と論語のくみわせのほうが良し。
555 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 10:09
>>554 >教育勅語より聖書と論語のくみわせのほうが良し。
聖書と論語のくみあわせ→すなわち教育勅語なのだがw
>>555 論語と聖書とは内容がまったく異なる。聖書は不用か参考程度。
557 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 11:37
聖書はサヨ的、論語はウヨ的でなのでその併用というのは?
558 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 11:44
559 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 12:16
>>558 けだし名言。でもワロタ。例のゴールデンルール一つとっても、聖書のは
押し付けがましい。
560 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 14:08
道徳は存在しない。在るのは個人のエゴイズム。道徳という名の押し付けエゴイズム。自己実現。
561 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 14:16
>>560 道徳は、自己を含む共同体維持のための手段だから、エゴイズムが根源。
しかしそれでも一向に構わないではないか。道徳(利他主義}は究極の
利己主義。
562 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 14:19
道徳を語る奴にろくな人間はいない。
563 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 14:22
モアイ像に名前を刻むのも中国人を殺すのも道徳。
564 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 15:58
>>561 アホ?エゴイズムを抑えるのが道徳。自己犠牲精神。
565 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 16:20
自己犠牲精神のどこに道徳があるのか
566 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 16:25
>565 エゴイズムが道徳?殺したかったら殺すのが道徳?
567 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 16:48
建前:倫理・道徳は、「人間が人間らしく生きるためのルール」を、個人が 自主的に作ること。他人に強制するものではない。 本音:「人間が人間らしく生きる」なんてことをされたら、会社の言いなり になって金儲けしてくれる社員がいなくなる。だから、会社に都合のよい ルールを全員に押し付けて、それを守ることを「道徳」にしてしまえ。 共同体維持のための道徳は、大なり小なり、「本音」のような動機で 作られたもので、贋物だ。
「本音」が一番よく現れたのが北朝鮮。みんな、決められたルールを守って いるから「道徳的」に見えるかもしれないが、実は強制されたルールを 守らされているだけで、「人間が人間らしく生きるためのルールを、個人が 自主的に」という目から見たら、これほど「非道徳的な国」もめずらしい。
569 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 16:54
>>566 そういうことじゃなくて、自己犠牲精神じたいが道徳なのかという疑問なわけだが。
オウム返しやって子供みたいなレス返して楽しいかい?
570 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 16:55
一人<<<<<<<共同体 魚や猿の群れを見てみろ。群れを大切にすることこそ 一番自然な姿だ。よって567のいう本音こそ正しい。守らねば ならない。
571 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 16:56
自己犠牲は道徳の極みであって同時に基本。
572 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 17:00
>>567 >建前:倫理・道徳は、「人間が人間らしく生きるためのルール」を、個人が
>自主的に作ること。他人に強制するものではない。
他人からの強制と個人の自主性どちらも大事です。
警察なくして道徳は有り得ず、また個人の信条なくしても、またありえません。
>>572 両方大切なんですが、実際には相反する場面がでてきます。たとえば、決められた
ルールが守れない住人が居るとして、ルールの強制というのを突き詰めれば、最後
は出て行けということになる。そういう時には、自主的に「他人の気持ちを尊重する」
というルールを持つ側が、寛容に徹して「折れる」しか解決方法がない。不公平かも
しれないが、そもそも「道徳」というのは、自分の利益不利益に関係なく、自分の
流儀を貫くというものですから、不公平にも耐えるしかありません。
「こんな不公平は許せん、彼を追い出せ」と主張することで、その人の道徳の内容
も暴かれてしまうのです。もちろん、道徳は強制ではないので、それがどうのこうの
言うべきではありませんが。
574 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 17:21
公共の福祉に反しているか反していないかの問題?
575 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 17:25
>>573 その点において暴かれて何が悪いのかわからんけど。
道徳はあくまで人と人とが円滑に、かつ心地よく生きるための知恵であり
最大人数最大幸福を充たすためのものだが、排除しか選択肢が無いのなら、それもやむを得ないだろう。
自衛のための戦争とも似てるね。平和を求めていたとしても、乱す奴がいる限りはそいつを排除しないと平和は訪れない。
理屈のために存在するのではなく、現に心地よくすごせるために存在すると俺は考えている。
576 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 17:33
そもそも、 >そもそも「道徳」というのは、自分の利益不利益に関係なく、自分の >流儀を貫くというものですから、不公平にも耐えるしかありません。 このへんが良くわからん。
577 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 17:35
「道徳」というのは、自分の利益不利益に関係なく、自分の 流儀を貫くというもの・・・・・・・・・・× 道徳はあくまで人と人とが円滑に、かつ心地よく生 きるための知恵であり・・・・・・・・・・○
579 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 17:39
滅私奉公はテロリストか。なるほど_φ( ̄ー ̄ )
>>579 うん?
爆弾テロだよ
捏造したね 579 は 証拠は残ったね
しかし 579 は なかなか感心だ ある人が言ったことに対し、対論を提示し 議論をふっかけた。 そうなりゃ、まぁ、次は、捏造という言葉を安くするか..
582 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 19:09
自分が殺されるのはいやだから人を殺さない。これが究極のエゴイズムである理由。 しかしその底には、人を殺すことが嫌、可哀想そうだという自然の感情がある。共同体 の維持のために人間に与えられた本能である。いずれにせよ、道徳の本質は綺麗事だけ でなく、自己の生存のために必要な技術。
>>577 道徳はあくまで人と人とが円滑に、かつ心地よく生
きるための知恵であり=社会慣習ないし「しつけ」です。
昔、小学校の道徳の教科書に「ごんぎつね」という童話が
載っていた。
ttp://www.saga-ed.go.jp/school/hirano-el/gongitune.html この物語を読んで、一体何を学ぶか。結局、人は他人のこと
を正しくは評価できないんだ、という問題提起です。「こうするべき」
という教条主義ではなくて、ひとりひとりへの問いかけです。
この物語から「人と人とは円滑に....」という結論が引き出せるのなら
いっぺん見せて欲しい。道徳とは、そんなご都合主義じゃありません。
道徳が社会慣習と同一視されていること自体が、道徳の崩壊を
意味している。
584 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 19:35
どうとく だう― 0 【道徳】 (1)ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。 (2)小・中学校において、道徳教育を行う教育課程。1958年(昭和33)から新設。 (3)〔もっぱら道と徳とを説くことから〕老子の学。
>>584 辞書や他人の言説に頼らないで、現実を直視して自分の頭で考えよう。
自分自身で定義を考えよう。それが2ch。誰かがどこかで「2chは日本の
実力」だと言ってたよ。少し褒め過ぎだが。
586 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 19:53
>>585 >「2chは日本の実力」
誉めてんじゃねーよ。けなしてんだよ。日本の実力なんざ2chレベル
だっつーダメの例にされてんだよ。っていうか道徳の定義は普通に
584だろうがよ。お前ら日本語崩れすぎ。
587 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 20:11
というかですね、今の時代に「道徳」なんて古臭い言葉 死語に近いと思うんですが。。たぶん正確な意味で使える のは40代以上のオッサンかと。普通の会話で「道徳」とい う言葉は使いませんよ。
588 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 20:14
>>583 ?
>そもそも「道徳」というのは、自分の利益不利益に関係なく、自分の
>流儀を貫くというものですから、不公平にも耐えるしかありません。
あんたのいう道徳の方がそれからはなれてると思うし、
あんたは「道徳は内に矛盾を秘めてる(自分の流儀を貫いて寛容になれない)」ってことを言いたかったのじゃないのか?
そんな御都合主義じゃない、社会慣習と同一視されてることが道徳の崩壊を意味している、あたりは、
何を論拠に言ってるのかさっぱりわからん。
だいたい、そのリンク元国語の教科書の転載だとかいてるし,
戦後は宗教観と無宗教の対立、および、戦前のもの全てを戦後に出来た言葉である「国家神道」と言う言葉に集結させて、
無意味な人間を超越する物の対立に終止させて思考停止させてると思ってるのだが。
589 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 20:17
>>582 自分が殺されるのが嫌だから殺さないんじゃない。
それは奇麗ごとで、その論理なら殺しても自分だけは殺さればいい、
または自分は殺されてもいいという場合もある。
自分が、じゃなくて社会(共同体)を守る為のものであってまったく
「個」のつけいるすきはない。
590 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 20:26
>>586 言葉の乱れは意思の疎通を阻害するが、言葉に囚われすぎるのも問題。
最近は「言葉狩り」が多すぎる。特に政界や司法界。言葉とは極めて
不完全なもので、複雑な現実をすべて表現できるものでは決してない
ことを自覚すべし。
591 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 20:27
>>586 言葉の乱れは意思の疎通を阻害するが、言葉に囚われすぎるのも問題。
最近は「言葉狩り」が多すぎる。特に政界や司法界。言葉とは極めて
不完全なもので、複雑な現実をすべて表現できるものでは決してない
ことを自覚すべし。
592 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 20:30
道徳なんか死語。定義も死んでる。どう定義しようが 2ちゃんねらの勝手だろうが!語源もくそもねーよボケ!
593 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 21:05
594 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 22:59
>568 :567 :03/09/22 16:53 >「本音」が一番よく現れたのが北朝鮮。みんな、決められたルールを守って >いるから「道徳的」に見えるかもしれないが、実は強制されたルールを >守らされているだけで、「人間が人間らしく生きるためのルールを、個人が >自主的に」という目から見たら、これほど「非道徳的な国」もめずらしい。 北朝鮮ではメディアで「日本は道徳のかけらも無い。大人が少女の下着を買う社会」と 言っているわけですが、 さて
595 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:25
キタ挑戦の価値観からすればキタ挑戦は道徳的なんだろう。
596 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:27
つまり信仰なしに道徳教育はありえるということ。 むしろ信仰があっては道徳教育の妨げになるということ。以上。
597 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:30
世の中アフォばっかりなので、アフォには信仰させて 自己秩序を気付かせて、機関銃持った警察にパトロールさせときゃいい。 なんか文句がある奴は処刑だ。ウハハ。
598 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:33
>>597 フセインは日本に亡命していたようです。
599 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:36
なるほど、ということはだ、 無宗教の人間の最も多くが占める国である日本は、世界で一番道徳的な国な、わけだ。 そして、先進国途上国の限らず、アメリカ・イギリス・イタリア・ドイツ……ブラジル・インド・イスラエル・キリスト教国もイスラム教国もその国の人間は「不道徳的」というわけだ。 なるほど なるほど へーへーへー
600 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:38
まぁ戦前と戦後の日本っつったら戦前の方が道徳的なわけだが・・
601 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:39
602 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:44
天皇という神を信仰していたからつか<道徳的
603 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 23:44
>>596 信仰があるからじゃなくて、「信仰があるから妨げになる」とかいって無駄な争いを招く人間がいるのが妨げになると。
605 :
名無しさん@3周年 :03/09/23 07:11
テロは道徳心の発露である。
606 :
名無しさん@3周年 :03/09/23 08:20
ここにもウヨウヨいる
607 :
名無しさん@3周年 :03/09/23 14:21
道徳と法律は、どちらも尊重しなければならないもの。信仰を持つ人も持た ない人も、常に検討し、チェックしなければならないもの。 でもこういう事言うと、宗教家に袋叩きにされそ。
608 :
名無しさん@3周年 :03/09/25 01:10
例えば、教育勅語が国家によって実用化されたとして、誰が何にどうチェックできるのだろう?
609 :
名無しさん@3周年 :03/09/25 01:13
君たちに本当の道徳を教えてあげよう。それは、自分がして欲しくないと思うことは、けっしてひとに行わないこと。これだけ!
>>610 でも、自分は殴られるの嫌いなんだけど
平手打ちするとよろこぶやつがいるんだよ。
でも考えたら確かにやめてやる方が道徳的だ(w
612 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 19:50
>>610 でもね、素晴らしい教えだから!と言って宗教に勧誘する人が
いるのですけど・・・。
614 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 14:07
誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。 コリント人への手紙(第T) 10章 12〜14節
615 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 14:09
現在、衆議院選挙の東京都八王子市(24区)で大変なことが起っています。 自民の萩生田候補+黒須市長+創価学会が結託して八王子市を創価市とする 案が進行中です。八王子市はもともと創価大学などがある学会の聖地 。 それを自公連立をタテに利益配分しようとしているのです。 萩生田候補は、黒須市長の秘書から市議、都議へと上がって来ました。 彼の支援者は各種利権団体です。 そして、黒須市長は親族の経営する 建築会社に公共工事を受注させるなど、黒い噂が絶えない人物です。 この2人が結託して利益の引き換えとして創価市化を進めています。 八王子市は約42万人都市、そして創価学会票は約4万です。 私は、特定の指示政党などもっていません。 ですから、誰に投票して なんてことは申しません。 でも、我が、八王子市が創価市になるのだけは 阻止したいのです。 自民党は萩生田候補の応援の為、小泉、安部、 そして石原慎太郎までを送り込んでいます。 そして、それを全面バックアップ しているのが公明党なんです。 もし、八王子に知人などいる場合は、この事実を 教えてあげて下さい。ほとんどの市民はこの事実を知らないのです。 1つの大都市で、信仰の自由が失われようとしているのです。
616 :
アカ狩り ◆oYEDEdEdRQ :03/11/05 20:21
良スレage
618 :
名無しさん@3周年 :03/11/15 20:28
だれにでも親切にし、皆に正しいことを行い、すべての人に対して 親切の精神を養いましょう。
619 :
名無しさん@3周年 :03/11/24 23:24
人間は何事にも厄介な物事にまず耐えて、 そうして慣れていくというのが人生のコツだよ。
620 :
名無しさん@3周年 :03/12/12 02:11
禿
621 :
名無しさん@3周年 :03/12/12 10:25
年寄りってある意味偉大だな。
多くの愚民がいるから世の中は間違った流れに行き易い。 多くの愚民をより良い方向へ導く為にあるのが宗教なのだと思う。 しかしそこで満足してはいけない、人は常に向上心を持ち続け、 心の成長を止めてはならない。 成長が止まるという事は現状に満足したという事、 満足したという事は、これぐらいでいいだろうという慢心の現われで傲慢である。 常に謙虚で自分は到らない存在だという事を認識して生きていかねばならない。 いくら努力したところで人は釈迦にもキリストにもなれない。 だからこそ、いつまでも努力し続ける姿勢を忘れてはならない。 慢心は傲慢を呼び、傲慢は不幸を呼ぶ。 この事を心に留め、生きていく必要がある。 もし努力さえすれば釈迦にもキリストにもなれると思ってる人がいるならば、 自分を良く見つめなおして、謙虚になりなさい。 そして他人を敬うという事を学びましょう。
623 :
名無しさん@3周年 :03/12/12 18:21
謙虚に他人を敬うって実行するのは難しいね。
624 :
名無しさん@3周年 :03/12/13 19:33
聖書を読まなくてはいけません
あぼーん
ちなみに人間は死んでも無にならないよ 世の中に無になるものなんてない 言い方を変えると物質が完全に消滅する事はない 例えば水。熱を加えたところで気化するだけ 人間も同じ 宇宙の物量は一定 人間も小石も一つ一つが宇宙で全てを合わせても宇宙 宇宙は変化しつづける ただそれだけこの世の全ての事象がそれにあたる 小石も人間も同じ宇宙 宗教は否定しない 人間の共食いを避けるため人間が人間の為に必ずつくるもの 今の道徳や法律の元にもなっている 宗教は必要だが所詮は人間にしか必要ないもの もしくは脳の発達した動物にだけ どうでも良い話だけどね
宇宙にはじまり・おわりはない 線で捉えず円で捉える 円には始点終点がない 宇宙には絶えず収縮の力が働きその反発として拡張がうまれる 収縮の臨界点を迎えれば爆発を起こし一気に拡張に転ずる 拡張の力が弱まれば収縮を始める それの繰り返し 何故円で捉えるか それは実世界で0から1が生まれる現象がなく同時に1が0になる現象がないゆえに 線という捉え方には矛盾が生じるからだ しかし円は実世界の中にも多数存在するゆえに現代科学では そう予測する事が自然だ 目の前の現象からのみ宇宙を知る事ができる 逆に目の前にありえない現象を勝手に持ち出してきて そこから宇宙を知る事はできない あいかわらずどうでもいい事だけどね ちなみに人間が滅びる前に科学を極める事が出来れば全知全能になれる 現代人の想像している神の条件を人間が手に入れることになる 神とは科学を極めた人間のことかもしれない ってマジでどうでもいい書いててつまんね
628 :
名無しさん@3周年 :04/02/21 10:37
寛容の仏教
629 :
名無しさん@3周年 :04/04/04 21:38
勤労ということを知らないで育った人間は不幸だと思います。 本当に勤労をしながら育った人の中には、人生に対する思いやりもあるし、 人生を素直に見つめる目もできてくるし、わが身に比べて人を見る立場にも なりうるわけで、それは大きな教育だと考えておるわけであります。
630 :
名無しさん@3周年 :04/04/04 21:54
自分は人間というのは釈迦やキリストの心境にも到達可能な存在だと考える。 自分が、ではなく誰もが、という意味で。 いつの日にかそうした時代が来るなら、素晴らしい事だと思う。
631 :
名無しさん@3周年 :04/04/05 02:29
する必要のないことをしなくなれば、 道徳教育が十分になされているという状態になる。 そのようなする必要がないことを「させられなく」なる ような状態にもって行くような教育ができればよい。 それは別に宗教という名前をつけなくてもよい。 このようなことができなければ宗教教育をしても して問題のある欧米諸国と同じになってしまう。 武士道も数多くのしなくても良いことをしなければ (させられなければ)ならないから×。
632 :
名無しさん@3周年 :04/04/25 16:44
福音は利己心と強欲を取り去り、寛大で、気高く、惜しみなく人に与える心を培ってくれます。
633 :
名無しさん@3周年 :04/04/25 16:45
>>540 > キリスト教大手や仏教大手がんばれ。
をー!!がんばるぞー!!
635 :
名無しさん@3周年 :04/04/25 23:28
神は人々を、迷い堕落した状態から贖われる。
636 :
名無しさん@3周年 :04/05/04 08:23
スレタイ見て、新渡戸稲造氏を連想した。
638 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 11:32 ID:DeHXcoxt
宗教なしで、道徳教育はムリ・・・
639 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 11:43 ID:1cnswVbS
崇高な人物は現代では出現を期待するのは無理。今は法にしたがうのみ。救いは宗教にしかない。名誉毀損に気をつけるように。
640 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 19:49 ID:iJFvDzhE
641 :
:04/06/05 19:58 ID:puC7FhEy
もし、神という概念がなかったら、我々はどうやって礼節を知る?
642 :
名無しさん@3周年 :04/06/05 20:03 ID:vD2+HgGq
現実にはあらゆる不道徳行為を行ってきた宗教に、道徳を語る資格はない。 宗教と道徳とは本質的に異なる。
じゃ、誰にそれを語る権利がある? 自民党に?w
・・・馬鹿なヤツ(ゲラ
645 :
天理教飛田分教会 :04/06/05 23:01 ID:qmWWCUdl
なんか天理教から分かれた「モラロジー研究所」とかいうのが 道徳教育(といっても社会人が主な対象)をやってへんかったかな? 書いてるものを読むと、「神様」が出てけーへんだけで内容がものすごく 天理教の言うてることと似ている。
高遠さん、モラだったとかでスレなかったっけ??? 天理だったのか。
五人組を復活させれば一発で道徳的になる。 五戸の内の一家族の誰かが犯罪を犯したら連帯責任で五戸とも処分するんだ。 隣の家の監視しあい、犯罪の芽を必死で摘み合うだろう。 近所付き合いが濃密になるから地域社会も復活するぞ。
648 :
名無しさん@3周年 :04/07/18 01:29 ID:z2xDWHgW
ギスギスした付き合いになりそう…
小中生の6割が「キレるかも」 「感動ない」過半数/「心の教育」空回り? 長崎県佐世保市の小六女児殺害事件をはじめ、新潟県三条市や富山県福光町など各地で児童生徒による殺傷事件が相次ぐ中、 約六割の小中学生が「いつか自分はキレるかもしれない」と考え、自分自身に否定的感情を強く抱いているとの調査結果を 民間の教育研究所が明らかにした。全国の公立小中学校の七割が「心の教育」を目標に掲げているが、同研究所は 「単なるお題目に終わっているのではないか」と警鐘を鳴らしている。(産経新聞)
650 :
名無しさん@3周年 :04/08/26 20:11 ID:DEa6Mxxg
651 :
名無しさん@3周年 :04/08/26 20:17 ID:Huq61EDW
仏教やキリスト教、イスラームや神道が子供の道徳教育に役に立つかね? 論語大学中庸でいいじゃん。 今の日本人には仁義礼智信の五徳のうち、礼と智しかないっていうぜ。
652 :
名無しさん@3周年 :04/08/26 20:22 ID:OhhlP3cR
>>649 単なるお題目唱えるだけの政党が与党に加わっているからしようがない。
自業自得じゃ。
キレやすい子供たちって 割と単純に運動ストレスなんじゃないかと思う。 週に何時間かの運動の時間を設けたら 幼稚園児たちがキレなくなったらしいから。 あと左脳社会の中にあって、左脳を休める時間を設けることかな? 思考は道具に過ぎないのに、思考を自分自身だと勘違いしない教育、とか。 だから、もっと体育や芸術の時間を増やしたら良いんじゃないかな〜なんて。 ま、本の受け売りですけど(^^;
655 :
名無しさん@3周年 :04/09/19 10:08:23 ID:6+svZETr
656 :
名無しさん@3周年 :04/10/14 02:50:13 ID:kNa+Xrag
だから俺の言うことを聞けってんだyO!
とりあえず2chに道徳はないねw
658 :
名無しさん@3周年 :04/11/11 21:53:49 ID:qHFdKn4H
宗教団体にも道徳ありません。以下WM。 >平成10年六月四日「週刊文春」より抜粋 宗教団体幹部が信仰心に付け込んでカネとカラダをほしいままにするという、 とんでもない事件がおきた。 伊豆山元気支部長だった芸名相原ひろし(33)。支部における集会等に際し 神事が降りたとの理由で他の会員に神社祈願をさせ、その間、特定の女性のみ 支部に残し、右女性に対し支部内において猥褻行為を行った。伊豆山神社に近い 支部内で夜ごとの酒盛りの後に、相原がいう。「00さんxxさん、伊豆山神社が 呼んでるから行ってきて」。部屋に残すのは若い女性信者ひとり.相原は囁く。 「パワーを上げる.陰と陽で円になり、魔がはいらなくなる」。 そしてレイプに及ぶのだ.「女性信者を両側に、川の字に雑魚寝して、御神業 だ」と言いながら、両側へ手を伸ばしてくることもありました。(被害にあった 女性)。 被害者は、十人に上る。精神に変調を来たし、今も通院中の女性もいるという。 俳優”幹部がセクハラとは言語道断ではないか。 この事件にも拘わらず、深見氏は何食わぬ顔で相原と「鞍馬天狗」と「やたがらす ブラザーズ結成コンサート」を上演、しかも「深見東州芸術・音楽活動の 歴史」2001年版に堂々と載せてるとは、開いた口もふさがらない。 あんたは一体何者だ。
659 :
名無しさん@3周年 :04/11/13 06:11:58 ID:u35lJGwX
660 :
名無しさん@3周年 :04/12/21 23:11:06 ID:UCxAy6Nn
武士道復活なくして日本復活なし!
661 :
名無しさん@3周年 :05/01/08 18:06:22 ID:hwtA0/mT
教育勅語でも悪くないが 「皇祖皇宗國ヲ肇ムル」「臣民」といった我田引水の部分は削除すべきだな 「父母ニ孝ニ」あたりからの文だけでいい。 教育勅語を採用したからといって援助交際が減るとも思えないけどね。
662 :
名無しさん@3周年 :05/01/08 19:37:06 ID:85NP5nCE
そら、採用だけじゃダメだよ。 徹底して浸透させなきゃ。
買春は違法になったので、教育勅語(「国法ニ遵ヒ」)に反するようになったわけだが、 道徳に法律を参照させるのはある意味反則だのう
人間の中には規則があると思います。 1.自分はこうあらねばならないという感情 2.自分はこうあらねばならないという理性 3.他人はこうあらねばならない 下に行くほど緩くなってくるものですね。 以下に自分の例をあげてみます。
1に入り2に入らない規則として、 他人に憎しみを抱かない・異性に性欲を抱かない というものがあります。 ちゃんと発散させて抑えているかぎり 悪いことではないと分かっているんですが、 それでもそんな自分を悪く思ってしまいます。 1,2に入り3に入らない規則として、 風俗店に行ったりしない 車が来ていなくても赤信号を渡らない というものがあります。 昔から売春が許されている米豪仏とかでなく 最近合法化された英独蘭が有名ですよね。 人生の価値を左右することだし口を出す気はありません。 危険が0なら信号無視も時間の節約になるでしょう。 でもやりません。
規則1は全体として整合性がないのですが多分一生変わらないと思います。 規則2は長年考えてきた結果で、確信はあります。 規則3は大きな閾値を持っています。 「〜は正しいことか」「〜は善か」はどの規則に基づくものでしょうか。 また、道徳や倫理とこれらの規則とはどういう関係にあるのでしょうか。 辞書を引いても今一つ判然としません。 長文になりましたが、皆さんの意見をお聞かせください。
667 :
根谷 蓮素 :05/01/10 21:31:20 ID:syOCWZNJ
>>666 明も暗も状況や立位置で変化するものです、線を引く事は難しいと思いますよ。
>道徳
例えるなら
「困っている人に手をかしてあげる」「落ちているゴミを拾い屑籠にいれる」
これらやこれらの延長線に在る「心の持ちよう」だと思います、難しい事ではありませんが
線を引く事は難しいですね。
強引ですが限定すると
<損得や利潤よりも優先されるべき心>
でしょうか
正しいことや善は場所や時代によって異なるものである以上、 はっきりした定義は不可能でしょう。ある場所、ある時代に おいてより多くの人が正しいとか善であると思えることが 正しいことであり、善なのでしょう。 むしろ、これは絶対に正しいとか善であるとか言ってしまう ことの方が遥かに危険でしょう。
あと、正しいことや善なることと損得や利潤は必ずしも 反することではなく、むしろ無関係なものだと考えた方が 健全でしょう。
670 :
名無しさん@3周年 :05/02/20 15:01:27 ID:ihe2//b5
信仰と道徳を切り離す場合と度合い、 リンクさせる場合と度合いの見極めを出来ることが 重要だと思う。 だから場合によっては信仰なくても道徳教育はありうると思う。
671 :
ありがとう宗教 :2005/03/21(月) 16:34:23 ID:yeVt1fTH
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
672 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/21(月) 17:13:48 ID:SMh7DGVi
信仰なしに道徳をどのように教え守らせようとするのか。 今後の教育は見物ですなw
673 :
名無しさん@3周年 :2005/03/28(月) 01:50:29 ID:Cui0CG55
信仰で道徳を教えるのは、いわばショートカットみたいな物 幼児には有効 しかし、それも考え物で 普通ある程度の年齢になれば行動>結果を予想する思考、思索が ケーススタディと知識の蓄積によって育てられるが、強い宗教的な 道徳、モラルにを刷り込みされ続けてきた場合、思考する力が 損なわれる事がある。
674 :
名無しさん@3周年 :2005/03/28(月) 02:30:00 ID:TCfGdx3C
未曾有の大災害で家族が死んだら、神の与えた試練ですっきりいくかしらね。
675 :
名無しさん@3周年 :2005/03/28(月) 06:02:06 ID:nQFznbDr
人間は三つの事で生きてます。良いおこない。良い悪いどちらでもない。悪いおこない。それは、人の心にどのようなキズを付けたかで決まる。それは必ず自分に帰るゆわゆる現着本人で有る 黙って見ている人も同じ悪いこと悪いと教えてあげること大事です。
676 :
名無しさん@3周年 :2005/03/28(月) 06:28:20 ID:sdytjTXi
>>675 悪いことが悪いと、マジで解らない奴がいるようなので、
我々がしっかりしなければいけないですね。
677 :
名無しさん@3周年 :2005/03/29(火) 19:33:36 ID:w1r20L99
age
678 :
名無しさん@3周年 :2005/06/02(木) 21:17:02 ID:Rse3EEPa
道徳ではなく常識を教えるべき
679 :
名無しさん@3周年 :2005/06/02(木) 21:20:26 ID:dU8SBOGz
宗教を教えると道徳がなぃなる。 報道されたキリスト教会は氷山の一角。警察の見せつけ逮捕です。
680 :
A :2005/06/06(月) 16:44:16 ID:QE6jqsq/
現代の仏教というのは南無妙法蓮華経ではないか。神道について学ぶことはいいことだと 思います。
681 :
名無しさん@3周年 :2005/06/06(月) 17:01:36 ID:p34KllML
要するに日本の中では神の座を人間らしさという理念がとって替わっただけだろ。 恥というのは、人間らしくない行動といういみで。 他人や社会から人間として認められない。 日本の中では神に愛されることより、他人に人間として認められることが大事で重要なんだろ。
682 :
ありがとう宗教 :2005/06/06(月) 18:45:29 ID:CaKhsFSO
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
683 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 17:58:11 ID:1Xxg124+
684 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 18:31:43 ID:L08rTG49
685 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 19:11:19 ID:Gx2Wk3P0
>>1 良スレだ!
取り敢えず、公的機関が、善悪の判断を植え付けることには、
全力で拒否させていただく。
国が個人の内面に干渉することが許されてはならない。
686 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 19:54:08 ID:/aU47ffh
道徳は、宗教が無くても、人間の他者との社会性の中で身に付くもの。 無人島で一人で暮らせば、道徳は無用となる。
>>686 その通り。現に無人島に一人、全裸で暮らしているおじさんがいる。
つまり「他人の存在が、罪の始まりなのである」
688 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 20:11:53 ID:/aU47ffh
他者と対峙したとき、まず思うのは、 「こいつは、俺を殺そうとしているのか?」 だろう。 そうでないことがわかれば、「隣人」として安心する。 さて、自分が飢えている時に、その隣人が、食べ物をいっぱいもっていたらどうか? 「食べ物をよこせ」と要求するだろう。 そのとき「嫌だ」と言われるかも知れない。 嫌だといったばかりに、その隣人は殺されるかもしれない。 だから少しだけ食料を別けてあげたとする。 このような、他者とのやりとりから「道徳」は生まれた。
689 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 20:14:11 ID:/aU47ffh
他者が、人間から、自然界の恵みまで拡張されたとき、
「神」という概念が生まれる。
すなわち、「道徳」なくして「神」は存在できない。
だから、
>>1 の命題の答えは、こうだ。
「信仰無しに道徳教育はありうる。」
信仰がなければ民主主義もなりたたん それに気づいた日本は天皇教というのもを発明 戦争に負けて天皇は人間宣言させられる 日本の民主主義あぼーん 信仰なしの世界など夢想にすぎない。 平和ぼけ。 といってみる
>>689 「信仰無しに道徳教育はありうる。」
然り。
だが底の浅いものになりはしないか、行き詰るのではないか。
692 :
220 :2005/08/17(水) 11:30:45 ID:tY5tK2R+
既存宗教は治安を悪くしている。 それは宗教が無法地帯だから自己改善能力が無いから・・・_| ̄|○
693 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 01:54:05 ID:hr+XV3QD
694 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 02:06:09 ID:FV7scB8b
教義>>>>>>>法律>>>道徳 教団での顔>>>>>>外での顔>>>家庭での顔
695 :
顕ショー :2005/08/25(木) 22:02:05 ID:bCpxvTj0
もう天皇を神ってのはおかしいよ。同じ人だろ。それより本当にいいことしてる人を尊敬しよ。
信仰がなくても道徳教育はできると思うよ。
人間には良心があるから。
悪いことしちゃったなと思ってモヤモヤすることない?
>>691 >だが底の浅いものになりはしないか、行き詰るのではないか。
同感。
道徳で正しい事を教えられたとして、
その通りできれば問題はないのかもしれないけれど、
できる? 私は道徳通りに生きれなくて行き詰まったな。
信仰による道徳教育なんて危険極まりないと思うがな。 聖書にしても、コーランにしても、原理主義に陥ってしまったら 辿り着くのは異教徒大虐殺ということになる。
>>697 >信仰による道徳教育なんて危険極まりないと思うがな。
なるほど。
信仰による道徳教育って「思想教育」?
699 :
220 :2005/09/04(日) 10:20:05 ID:8vGrPET+
「宗教は普遍的な真理を説くもの」と考えている信者の方も居るでしょうが、 宗派や民族に固執しない道徳教育の方がよっぽど普遍的な真理と説いていると言えるでしょう。
700 :
220 :2005/09/04(日) 10:21:05 ID:8vGrPET+
× 宗派や民族に固執しない道徳教育の方がよっぽど普遍的な真理と説いていると言えるでしょう。 ○ 宗派や民族に固執しない道徳教育の方がよっぽど普遍的な真理を説いていると言えるでしょう。
>>699 >宗派や民族に固執しない道徳教育の方がよっぽど普遍的な真理と説いていると言えるでしょう。
乙です
そして道徳教育の限界は
>>691 >だが底の浅いものになりはしないか、行き詰るのではないか。
↑じゃないかと思う。
道徳だけでは超えられない意識の壁があるような気もするな。
道徳の行き詰まりを超えるものが宗教にはあると思うけれど、
一歩間違えると「偏った思想」になりそうで怖い。
宗教の教義を道徳ですり合わせるとどうなるのだろう。 キリスト教には詳しくないけれど イエスの奇跡に目を向けてイエスの奇跡にすがるか イエスの愛に目を向けてイエスの愛を生きようとするのか では、教義を見る目に違いが出てくるのか、変わらないのか 人は自分が見たいものを見る傾向があるような気がする。
703 :
220 :2005/09/04(日) 12:49:25 ID:8vGrPET+
>>701 宗教的技法の道徳では、人と人の間に神が介在してきますが、
本来、道徳は人と人の間における事柄です。
現在の歴史教育は記憶中心になってしまってますが、
意義のある歴史教育とは過去の経験から多くの教訓を学ぶことです。
論理的に道徳を説明するよりも、歴史や故事を通して過去の経験から多くの教訓を学ぶようにすれば、
より現実味のある道徳教育が可能になると思います。
>>703 >論理的に道徳を説明するよりも、
そうですね。
理論的に道徳を説明しようとするから「行き詰る」のでしょうか。
>より現実味のある道徳教育が可能になると思います。
現実味のある、つまり実感・体験が重要ということではないでしょうか。
705 :
220 :2005/09/04(日) 16:21:34 ID:8vGrPET+
>>704 > 理論的に道徳を説明しようとするから「行き詰る」のでしょうか。
判り易く言うと理屈で説明するということです。
「○○だから、××してはいけません」みたいな
> 現実味のある、つまり実感・体験が重要ということではないでしょうか。
体験学習ができれば良いですが、ちょっと難しいのではないでしょうか?
実生活の場で実践できれば良いと思います。
>>実生活の場で実践できれば良いと思います。 そうですね。 どうしたら実践できるのか・・ですか。
宗教は実生活の場で信仰されていると考えていいのかな? 宗教が限りなく道徳に近いものであれば実践は可能でしょうか? そもそも道徳の本質は何でしょうか。 私は、心の奥そこにある自分の声、良心だと思ってきました。
708 :
220 :2005/09/07(水) 02:34:53 ID:RyQ6HdE4
>>707 > 宗教は実生活の場で信仰されていると考えていいのかな?
どういう意味でしょう?
> 宗教が限りなく道徳に近いものであれば実践は可能でしょうか?
メサイア・コンプレックスを上手く利用すれば可能だと思います。
> そもそも道徳の本質は何でしょうか。
> 私は、心の奥そこにある自分の声、良心だと思ってきました。
それと
「暮らし易い世の中になって欲しい」
「自分がその立場なら同じ事をして欲しい」
という理想や願望だと思います。
>>703 >歴史や故事を通して過去の経験から多くの教訓を学ぶようにすれば、
>より現実味のある道徳教育が可能になると思います。
全く同感ですね。
道を外れないようにするためには本を沢山読むべきだと言ったのは
孔子だったかな・・・
>>708 私は道徳どおりに生きれない自分と言うものを感じて、
どうしたら、
>「暮らし易い世の中になって欲しい」
>「自分がその立場なら同じ事をして欲しい」
こんな気持ちに嘘偽りなく心の底からなれて、そのために行動できるようになれるのか、
それが宗教に入った理由でもありました。
道徳では知識はついても、その知識を現実生きることって難しいというのが実感。
みんなが、「人のためにも」という気持ちをもって
そう生きることができれば・・餓えている人もなくなり、戦争もなくなり、
子供達の未来の可能性が開かれ・・るのではないかと思います。
そうなれたらいいですね。
信仰者たちに道徳心があれば、見習う人が多くなると思います。 信仰者たちは傲慢になっていませんか? 皆さん、そんなに道徳心がおありですか?
>>711 >皆さん、そんなに道徳心がおありですか?
「人には親切にしましょう」みたいなことを道徳の時間に習った。
「嘘をつかないで正直に」とか。
私はこんな気持ちも道徳心だと思います。
道徳心があるのかと聞かれましたが
人間ってみんな、こういう気持ち多かれ少なかれあるのでは?
信仰者が傲慢で、道徳心に欠けているの?
宗教していると、傲慢になるということ?
関わった信仰者が傲慢かつ不道徳だったので、傷ついた経験のある人と見た。
715 :
名無しさん@3周年 :2005/10/05(水) 11:55:48 ID:9ZuBOB4h
敗戦までの道徳は武士道を基本としていたとおもいます。戦後アメリカはこの武士道 の教育により強い軍隊が出来たと考え、今の教育基本法つくらせた。そもそも道徳は 各民族の長い歴史のなかで安全な社会を形成するための規則だと解釈しています。 なぜ武士道を武士でない町人まで武士道を受け入れたのでしょう。たしかに武士は 町人を支配できる立場ですが、町人は武士のたちふるまいにあこがれたのではないか と思います。何故人を簡単に殺す犯罪が多いのでしょうか、戦前銃刀法などの法はなく 刀などどこの家にもありましたし、小学生も小刀を筆箱へ入れて学校へ行って いました。学校では毎日誰かが殴りあいの喧嘩をしていましたが、決して刃物は使い ませんでした。命の大切さなど教えられたことはなどありません。社会は殺人事件 などたまにしか発生しません。人類が進歩すれば戦争もなくなり社会も安定し事件 も少なくなるはずでした。日本人は戦争だけは拒否しましたが、社会の安定は失い ました、これを道徳のせいにしています。たしかに道徳は滅茶苦茶です。 しかし道徳よりその民族の独立心がさきです。日本の安全をアメリカにまかせて いてはだめです。日本民族の道徳の規範を何にもとめるか、これからの課題です。
716 :
名無しさん@3周年 :2005/10/11(火) 21:00:55 ID:oIJ31+O+
私が以前読んだ道徳の本には、命の大切さなどというものは挙げていなかった。 道徳とは、例えば友情。溺れて命を落としそうな友人を自分の命を投げ捨てて 助けることが道徳である。もし、命が大切なのであれば、友人の命一つも自分の 命一つも同じ価値である。命をはって助ける必要などない、という考え方になって もおかしくないということになる。 こういう風に考えると、道徳がしっかりしていても戦争はおこる可能性がある。 愛する国を守る、愛する家族を守るという気持ちがあるからである。 でもやはり、出来ることなら戦争は避けたほうが良いに決まっている。 ただ、戦争を否定することが、国や家族を愛する気持ちを否定するように なっては決していけない。 首相の靖国参拝が問題になることが多いが、これなどは現在の日本人が 戦争のあった辛い時期を生きた先人への愛の気持ちを否定している典型 だと思う。
717 :
名無しさん@3周年 :2005/10/11(火) 21:58:41 ID:oIJ31+O+
716です。 訂正 ・・・否定するようになっては決していけない。 ↓ ・・・否定するようには決してなってはいけない。 ・・戦争のあった辛い時期を生きた先人への愛の気持ちを否定している ↓ ・・戦争のあった辛い時期を生きた先人の愛の気持ちを否定している
718 :
名無しさん@3周年 :2005/10/12(水) 23:15:14 ID:TSDgX0tT
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕 警視庁防犯課 二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
719 :
名無しさん@3周年 :2005/10/21(金) 04:43:25 ID:hS1RHl4f
キリスト教に対して道徳的な幻想を抱くのは素人。存在自体が非社会的な上に、人権侵害は日常茶飯事。支配か被支配の二つの概念しかない。キリスト教には普通に日本人が持っている「和」の概念は無い。
720 :
名無しさん@3周年 :2005/10/21(金) 18:43:32 ID:+Q6I2Thk
宗教がある世界は悪い世界。これは真にそうであります。
ほとんどの日本人は私利私欲の塊。 自分のことがすべてで、子どもや親まで平気で殺すような人もいる。 いわば自分教の信者だ。 欧米のようなまともな国ではこのような人はほとんどいない。 全能の神がいつも人間たちを見ており、悪を行うものを懲らしめるからである。 生前も、また死後も。 自分教の信者になるな。 善を行いなさい。
722 :
名無しさん@3周年 :2005/11/12(土) 11:19:33 ID:Osf6enlf
信仰とは、道徳である。
>>721 >善を行いなさい。
同感。
問題はなぜ、善を行えないのか。
皆さんは自分が望むように善を行える?
725 :
名無しさん@3周年 :2005/11/21(月) 12:48:27 ID:H+6x7HeE
全ての事物には反対のものがなければならない。(ニーファイU 2.11)
信仰に裏打ちされてこそ道徳は成り立ちうると思う。 一方、信仰なしの道徳は成り立たないだろう。 「道徳に裏打ちされた信仰」というのも本末転倒。
総長さんは信仰なしの道徳を道徳とは認めないのでしょうね。
信仰に裏打ちされた不道徳なら、よく分かるのですがね。 当事者たちに自覚がないから、言っても無駄でしょうが・・・。
信仰に裏打ちされた道徳なんて、信仰を持ってない人間や、信仰を異にする人間には通用しないわけだが。 信仰してる人は、みんなが同じ信仰を持てばいいと思ってるんだろうが、そんなの悪夢でしかないよな。
信仰に裏打ちされた道徳も結構だが、そういう道徳の持ち主たちが我等こそが世の道徳の権化 みたいな顔をするのはご勘弁願いたい。思い上がりも甚だしいからだ。
お祈りすれば道徳が身に付くなら苦労しないよね。
道徳観念の欠如したクリコテの存在はこれいかに?
>>727 というより、きわめて成り立ちにくいだろう。
そりゃ、信仰心が人一倍であっても道徳観念が希薄な香具師もたくさんいるのが現状だけど・・・
個人の資質の問題のような気もするが 信仰する宗教の教えをどう解釈するかも個人の資質 道徳の解釈も同じ 教義も道徳が、いくら素晴らしくホンモノで完璧だとしても それを扱う側の人間が自分の都合のよいように 解釈したらどうしようもない。
訂正 (誤)教義も道徳が、 (正)教義も道徳も
>>733 総長さん、どうすれば、個人の資質を向上できると思う?
何のための道徳ですか。
>>737 仏教の三学「戒・定・慧」について本にこのような記述がありました。
------------------------
この三は佛教修養の大眼目で、佛教の修養は戒なる道徳的修養から初まり、
定慧なる宗教的修養に終る。
道徳的に出発して宗教的に終るということでなくてはならぬと思つて居ればよい。
--------------------
「信仰」と声高に言わない人も 道徳的価値を受け入れることができる。 人間には信仰する本能があるという人もいるが、 仏性があるということではないだろうか。
740 :
名無しさん@3周年 :2006/01/20(金) 16:51:04 ID:y36nMfSI
学校で宗教教育をすることに 反対する新興宗教があるそうだ。 宗教教育をされたら 自分のところの宗教が間違った教えであることが 判明するとでもいうのか。
>>740 そういう了見の狭さが宗教の本質でもある。
742 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 12:19:03 ID:DpTyjQSU
保守
743 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 09:21:08 ID:dXaGOIeL
誰をも害しない相互利益は善、 他者の利益を害したりや意思を無視して、自分(たち) の利益を得るのは悪。 これだけで道徳や倫理のすべてを展開することができる。 宗教は道徳や倫理のために必要ない。
日本は誠実とか惻隠とか卑怯を憎む心、 忍耐、勇気、正義、名誉、恥という武士道精神のお陰で 世界でもっとも道徳の高い国でもある。
745 :
名無しさん@3周年 :2006/03/13(月) 10:19:12 ID:q1EDpxRh
家庭と学校で美的情緒を教えることが大事
746 :
名無しさん@3周年 :2006/03/13(月) 16:45:20 ID:+V7fR5MT
>>744 政治家の不逮捕特権。 どんな破廉恥極まりない悪いことをしても
永久追放されることなく、選挙に勝ちさえすれば数年で復職してますが
747 :
名無しさん@3周年 :2006/03/20(月) 23:50:34 ID:BAk+eU/v
748 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 17:09:32 ID:3UykH43H
こんな光景を日常的に見る子ども達は一体どう思うのだろうか。
750 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 19:47:09 ID:AeabkqIC
人が見ていないのをいいことに悪いことをしても、 必ずお天道様が罰してくれる。これは日本の昔からの決まりなんです。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕 警視庁防犯課 二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
752 :
名無しさん@3周年 :2006/04/29(土) 10:29:09 ID:KRq2xYKf
753 :
グラビアアイドル :2006/04/29(土) 10:44:23 ID:QcP3r6nt
しかし、その「武士道」とやらは、徳川政権下で作られた支配者にとって誠に都合の良い徳育であって、 そのようなものが現代で通用するだろうか。時代を超えた普遍性は無いと見ます。
754 :
名無しさん@3周年 :2006/04/29(土) 11:40:14 ID:Kk+MEBsQ
>>1 >>『あなたのお国の
>>学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか』
とっくの昔の、偏見にみちた質問。
宗教系の学校でなければ、欧米でも今は
宗教教育はない。
755 :
名無しさん@3周年 :2006/04/29(土) 13:37:08 ID:iUX5ubh5
やっぱ、教会の日曜学校!
756 :
名無しさん@3周年 :2006/04/29(土) 22:58:13 ID:ynZMXm3J
日本に必要なのは 「宗教的道徳」じゃなくて 「社会的道徳」だろう? 日本の社会的道徳はまさに 儒教、神道、仏教の3つをまぜこぜにしつつ 「武士道」も含めて成立してるんじゃない?ちなみに 法律もその観点に立っている物が多いし。(慣習の成文化された部分に) そしてそれが国際社会でも一定の理解と一部賞賛を受けることもあると。 わざわざそこでキリスト教的宗教道徳をあえて教えるのは 道徳教育という枠内においては必要性も必然性の無いことだと思う。
757 :
名無しさん@3周年 :2006/04/30(日) 00:22:59 ID:8rvigG2p
バレなければ何をやってもよい。 違法でなければ何をやってもよい。 ただし、廻り巡って自分が損するようなことはするべきではない。
758 :
名無しさん@3周年 :2006/04/30(日) 01:51:04 ID:QQr/YBBR
天の御父は人に選択の自由、自分自身で選び行動する能力をお授けになりました。 選択の自由があるので、人は「すべての人の偉大な仲保者を通じて自由と永遠の命を 選ぶことも、あるいは悪魔の束縛と死を選ぶことも自由」なのです。
>>744 過去のどの時点にもそんな社会は存在しないから
760 :
名無しさん@3周年 :2006/05/13(土) 13:38:12 ID:j7x/BuTO
クリスチャンが少ない日本では、倫理も道徳も乱れっぱなしです。
761 :
名無しさん@3周年 :2006/05/13(土) 14:13:55 ID:nSOeyW11
信仰を持たない者の考え方 悪いことした方が得 真面目に生きたら損
>>760 2ちゃん宗教板ではクリスチャンの倫理・道徳が乱れっぱなしですが・・・。
763 :
名無しさん@3周年 :2006/05/13(土) 23:35:35 ID:uzdyIHs0
武士道復活なくして日本復活なし!
764 :
名無しさん@3周年 :2006/05/20(土) 17:21:31 ID:1nMoXJko
766 :
名無しさん@3周年 :2006/05/20(土) 18:16:31 ID:7IPk5GXG
武士道などという、忠犬卑屈思考は市場の力 に対して、役だたず。 卑屈上下思考からいかに脱却するかが これからの日本がうまくいくかどうかを 決める。
767 :
名無しさん@3周年 :2006/05/20(土) 18:21:05 ID:CnBuaYDz
いってみりゃ、武士道は特定人間崇拝で、 それは金正日崇拝と同じ。先が見えているなあ。
単なるベストセラーの受け売りですよ。
>>766 >卑屈上下思考からいかに脱却するか
そのためにも、『武士道』は大切よね。
特に「名誉」を大切にする箇所から感じるものあるわ。
770 :
†††イエス・キリスト最後の言葉††† :2006/05/20(土) 22:32:10 ID:uH2tc/Ak
「神よ、神よ、何故私をお見捨てになったのですか?」 この言葉の意味するところがわかる人いますか?
771 :
現実教育 :2006/05/26(金) 08:22:39 ID:OAqOh9xa
【バカ社会が改善されないメカニズム】 それは、「知識・情報の詰め込み教育(安直バカ教育)」がそもそもの悪因な訳である。 つまり、もともと実力の何も無い肩書きだけのお偉方(空っぽバカ)どもが集まり、 国民の知能や能力を測るために「受験」や「偏差値」、「IQ」などといった『安直バカ基準』を設けた事が事の始まりな訳である。 その結果、一般の生徒や子供達、そしてろくでもない経験しか積んでいない(実際に何も成功した経験のない)バカ素人どもが、 ただ、上から強制的に知識だけを横並びで丸暗記させられ続けているため、 実際にはどれが本当に使える情報なのか、何が先ず優先事項なのか、 そして何がより有効的効果的な情報なのかなどがまるで分からない、判断出来ない、 更にはその知識・情報自体の持つ意味すらも何もわかっていない、という、まさにおバカな状態へと国民が陥った訳である。 そして、この状態(中身が空っぽな無の状態や、ろくでもない経験しかしていないマイナスの状態)では、仮にどんなに正しい情報を送っても(教育しても)、 全てをバカ知識・バカ情報との横並びとして捉えられてしまうため、全く無意味な訳である。 @教訓 『勉強とは、知識を横並びに詰め込む事ではなく、高いレベルに向かって良い経験をコツコツと積み重ねていく事』である。 つまり、『より高いレベルの経験を積み重ねていく事で、その高いレベルの経験に基づいて初めて、 現実に成り立つ高度な判断ができるようになる』という事である。 そしてそれ以外物理的にありえないのです。
772 :
名無しさん@3周年 :2006/05/26(金) 09:34:43 ID:xk4woBV9
>>770 そのままだとスレ違いなので、
もう少し思うところを説明頂くか、
いっそキリスト教質問箱か談話室へどうぞ。
773 :
名無しさん@3周年 :2006/05/26(金) 09:38:33 ID:xk4woBV9
>>771 「より高いレベルの経験」って具体的に何?
聖書がいいと思えばその受け売り、養老さんがいいと思えば同様、
藤原さんがいいと思えば同様、小林漫画家がいいと思えば同様。
そんな感じのレスって多いよね。
>>771 の続編、期待薄かもしれないが、着眼点は確かだと思う。
日本がこのまま宗教に目を瞑って教育するならいずれ崩壊する。 もう、再び天皇を現人神にして軍国主義に走る道しかない
776 :
名無しさん@3周年 :2006/05/26(金) 12:48:23 ID:6mgL7ZgY
信仰の有無とは別で、愛国心が強ければ良いのではないかと思います。
777 :
名無しさん@3周年 :2006/05/26(金) 12:57:54 ID:mSzTnkPj
武士道は信仰ではありません。 美学であったり、心の持ち方であったりするものです。 宗教は一公理を事実であると信仰し、その公理からえられる帰結を実行するものです。
778 :
名無しさん@3周年 :2006/05/26(金) 13:06:56 ID:xk4woBV9
>>777 なんだかキリスト教の臭いのする宗教定義ですね。
新渡戸稲造っていうと『武士道』となりがちだけど、『修養』のほうが、あたしは好きだよ。
>>1 ま、道徳だけでは説得力に欠けるきらいは確かにあるわな?
>>1 信仰無しの道徳は、いざとなると弱い。
状況や時代で、簡単に揺らぎ変わりやすい。
道徳は無いに越したことは無いけど、道徳を必要としない社会は存在しない、悪人はぜひとも存在しなければならない、と言う諦めですね?
>>1-782
784 :
名無しさん@3周年 :2006/06/17(土) 17:37:52 ID:qr0pkHkN
歴史学者のアーノルド・トインビーは古代ローマ帝国の 興亡を研究して、明解にこう言っています。 「一つの国が滅びるのは、戦争によってではない。 天変地異でもなければ、経済破綻によってでもない。 国民の道徳心が失われた時にその国は滅びる」と。
785 :
名無しさん@3周年 :2006/06/18(日) 19:50:45 ID:3QFWbdK/
>>782 ところが揺らがない道徳って、周囲からすると、はた迷惑だったりするわけで。
道徳はある程度、時代、状況で移り変わる方が自然じゃね。
786 :
名無しさん@3周年 :2006/06/18(日) 19:58:52 ID:Ne1lbvP2
>>777 禿げ同。
武士道を実践する時の心のエネルギーに注目。
ナルシシズムかエゴイズムの追及でしかない。
頭の弱い人々が武士道にたよろうとするんだな。
多分、藤原本に感動した人の受け売りですよ。
788 :
名無しさん@3周年 :
2006/06/18(日) 21:37:27 ID:3QFWbdK/ >>786 >頭の弱い人々が武士道にたよろうとするんだな。
わはは。おれと逆の考えだ。
>>777 だと、
>宗教は一公理を事実であると信仰し、その公理からえられる帰結を実行するものです。
でしょう。
具体的に言えば、「宗教は、あるのか無いのか証明不可能の神が、無理やり「存在する」と決めて、
そこからあれこれ理屈をつくる」ということでしょう。
つまり宗教の根本は、虚、嘘、空なのさ。
宗教は、「不合理なれど我信ず」みたいな多少トンデモ系が入ってないと信仰できんよ。
一方武士道は、自己の美意識なんでしょう。
我思うゆえに我アリで、自己が出発点。自己は神と異なり、一応実在するでしょう。
そうして内省することで、美意識を鍛えてゆく。
そういえば、昔の英海軍では「スマートであれ!」が決め事で、日本海軍もこれを見習ったそうだ。
常にスマートであれっていうのは武士道と通じると思うし、カッコいいし、理知的な雰囲気はある。