1 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :
何故神は完全な力を持っているにもかかわらず、
わたしのような信仰薄い人間をおつくりになったのでしょう?
あと、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官で語ったイワンの
「キリスト教批判」の弁解も聞かせてください。
つまり、「罪無き幼子が虐待され、殺されるという事実があるかぎり
神の存在を認めるわけにはいかない」というもの。
神の計画という答えが返ってくるかもしれないが、
もしそうなら、無邪気な子供に犠牲にしなくても
完全な神なら即座に計画を成就すればよいのでは?
2 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 16:34
無邪気な子供に犠牲にしなくても
→無邪気な子供を犠牲にしなくても
3 :
名無しさん@3周年:03/05/11 16:35
神の予定外のサタンが存在するからです。
4 :
名無しさん@3周年:03/05/11 16:37
哲っちゃん、新スレおめでとう。
>>2 「何故神は完全な力を持っているにもかかわらず、
わたしのような信仰薄い人間をおつくりになったのでしょう?」
自意識過剰の醜悪な顔が浮かんでくる。
あなたは蛆虫以下の存在です。さっさと首つって氏ね。
6 :
名無しさん@3周年:03/05/11 16:38
>>5 バッカも〜ん!!
哲っちゃんを誰だとおもってるんだぁ
7 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 16:39
>>3 それならば神が全知全能だという「前提」に矛盾が生じますね。
『聖書』よりもホメロスの『イーリアス』や神話のような
フィクションのほうがまだ真実に近いということになりますね。
9 :
名無しさん@3周年:03/05/11 16:41
>>1 それは被創造者の自由を尊重したからじゃないの?
10 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 16:41
宗教板といえども、やはり2ちゃんねるですね。
まともな人がいないのが残念です。
11 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 16:43
12 :
名無しさん@3周年:03/05/11 16:44
>>7 神は人間を自由に操る人形としてつくったのではない
人間に自由を与え成長させたかった
その過程で堕落する可能性はあった
13 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 16:46
>>9 自由を尊重するなら、キリスト教を信仰しないという自由もあるのだろうか?
神がもし「否」というのなら、
何故そういう自由まで許容したのだろう?
まあ、1が何を言っても神には勝てないわけだが・・
15 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 16:49
>>12 いや、だからね。何故堕落させる可能性をまで
創造したのだろう。「自由」をあたえるが、
「堕落」までは与えないようにはじめから創造すればいいんじゃないの?
16 :
名無しさん@3周年:03/05/11 16:54
>>15 神は堕落しないように戒めを与えている
完全に作ってしまった人形では神は愛することができないからだ
17 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 16:55
この問題が解決しないかぎり、
何を読んでも詭弁のように聞こえるな。
たぶん説教聞いても、天で薄ら笑ってる悪趣味な神しか想像できない。
18 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:00
>>16 だけど完全な神は人間を愛し得るんだよね。
完全な神は人間を自分に似たようにつくったらしいけど、
愛についてはあえて欠陥品につくったんだね。
愛が大切だと言いながら、真の愛に達することのできないおびただしい数の人間を
あえてつくったんだね。万能にもかかわらず。悪趣味だね。
19 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:02
>>16 >神は堕落しないように戒めを与えている
そんなまわりくどいやり方をせずとも、
最初から戒めを破る可能性を無くした状態で想像すればよかったんじゃないの?
20 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:03
神とはウンコなり。
21 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:04
うーむ
神が人を作ったんだとすると全世界の60億人
いや動物、虫、植物、その他たくさんの
・・・・書いててわけわかんなくなってきた;;
それは、神が我々に自由意志を与えたからです。
善と悪の二者択一の中で善を選び取る事に価値があるのです。
ICFスレの仔猫たんとでも対話してみれば。俺はいつもそっちにいるが。
23 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:04
隣人愛と神への愛です
25 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:06
愛ってなんれすか?
自己愛ではなく、アガペーです。
27 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:09
神は全知全能なり
って言葉がありますが、この言葉から
すべてを知る
すべてを持つ
すべてを出来る
深く考えていくと解ると思いますが
結果が出ません!
つまり!!
神とは存在しうるものであり
存在しないもの
しかし人間の思考の中にあり続けるもの。
最終的な結論としては人それぞれの思想に行き着くわけです!
28 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:09
>>22 自由意志と神の万能性とは矛盾しませんか?
つまり、わたしがいまどのようなことを意志し得るかということは
神にはわからないことになりますね。
神が「知り得ない」領域が発生してきますよね。万能性と矛盾します。
>>23 たとえば神が人間を愛するときのような愛(無条件の愛)です。
仔猫スレ
最近のICFは その21 原理の叫び篇
30 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:13
>>28 神から無条件の愛を受けてるとわかってるなら、もうそれで充分なんじゃない?
いったい何が不満なの?
31 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:13
>>27 つまり神とは人間の思考だと?
『聖書』に書いてあることとだいぶ違いますね。
32 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:13
神は全知だから未来の事も人が自由意志で行う事も全てわかっています。
あなたの考え方は結局、無神論的有神論にいきつくものです。
それは、グノーシス主義とも似て、人間を絶望に至らせます。
善と悪の中から、善を選び取ることに価値があり、すべてのことは決まっているわけではないのです。
34 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:16
>>30 神が人間を無条件に愛しているというのは、
キリスト教的な神が存在することが前提になっているので、
その前提が「ない」限り、確信には至り得ません。
だからこんなスレをたてたわけだが・・・
神は、人間との対話を求められた、その事はエデンの園の中で、庇護されてのみの
人間が、原罪を犯し「してはいけない」その事によって、神との対話の可能性を
作られた。
あなたが神という命題で対話を求めるこれが生じることこそ、神の完全性を示す。
36 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:18
ただの一般人である私にとってはこの程度の思想で
完璧と自負するわけですよ!
37 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:18
>>32 それでは創造の時点で人間が何を意志するのか分かっていたということになりますね。
それがはたして自由意志と呼べるだろうか。(ぷ
>>33 つまり神は万能ではないということでよろしいか?
38 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:19
>>34 なんだ。じゃあただのネタスレじゃないか。
自分の不甲斐なさを人のせいにしてみて楽しんでる悪趣味だよ。
あなたのような方の為に、主もさまざまな奇跡を行ったと思うのですが。
聖書を読んだ事はありますか。
41 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:22
人の知能で神の実態を捉えるのは不可能!
なぜなら神は無限に対し人は有限であるからである!
しかし何故、人は神をそこまでに追い求めるのか!?
・・・・うーん謎ですなぁ
一般的なクリスチャンでは、サタンの力に神が負けた
となっていますが、私は、それも神の範疇と思っています。
一般的なクリスチャンではないもので。
地獄の悪魔でさえ、堕落した人間の矯正のため、役立てられます
>>41 神の存在を、無意識に知り、神との対話を求めるからです。
所詮、神とは架空の存在。
人はそれを知っている、にもかかわらず
神の存在を否定しようとはしない。
人がどう思い、どう解くかは私の解する範疇ではありません。
それでも信じる人がいる限りこのスレは続くことでしょう。
45 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:30
愛、愛、と言ってる奴は気持ち悪い。
卑しいやつほど使う言葉。
46 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:30
>>35 詭弁ですね。
>>38 ネタスレじゃないですよ。
>>39 聖書を最近ちょっと読んで、違和感を感じたのでスレ立てたのですが、
明快な答えが返ってきません。
もっと曖昧性のなかでいい気持ちになるべきでしょうか。修行が足りないのでしょうか?
>>41 ここは無限とか有限とかいう言葉を普通に使えるからいいですね。
47 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:31
>>37 神は予知だけで自由意志に干渉しない、
人は自由に選び決めることが出来るのだから自由意志で行うと言える。
うーむ
俺もなんだかんだ言って
神が存在すると思っているんだろうなぁ
>>44 >所詮、神とは架空の存在。
その断定に、何の根拠もありません。
しかし、問いは続く、そして答える者も続く、これを止めることは
決して人間にはできない。
神の完璧さは、そこにあります。
このスレッドのみでなく、永遠に続く問いであり、そしてその問いは
むなしい呼びかけでないことに、気づかされる者も、果てしなく続きます。
50 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:34
>>42 そうですか・・・。
どういう風に役立つの?
ところで地獄とかほんとにあるのかな。
ダンテの創作じゃないのか?
>>44 哲学ではそれが常識ですね。
>>45 同意
>>46 詭弁が歴史となって続いているわけではないのです。
かみさま!
もし存在するんだったらこのスレになんか書き込んで!
そして、その存在を証明してくれ!
そうですか。でしたら、ICFへどうぞ。
http://bbs.icfforum.com/bbs/cbbs.cgi 一応、超党派ということになってます。
私もあそこでいろりろ素直に疑問をぶつけたら、みんな親切に教えてくれました。中には、必死で反論してくる人もいますが、
信じたいという姿勢なら、親切な人が、信じたくないという姿勢なら討論月のひとが応対してくれるでしょう。
私も聖書を読み始めた頃は、矛盾だらけでないか、と思ったものですが、読めば読むほど、味わいが出てきます。
ちなみに、あなたの疑問は、旧約ヨブ記を読んでみてください。
54 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:37
是非スピノザを研究して欲しい。
55 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:39
聖書とか神とかナントカとか、そんなもの為政者が世の中を巧く操作するために
仕立て上げた道具に過ぎないだろ。
そんなネタものにマジになってどうする。
地獄については、
というより、あなたは人間の霊性については、信じていないのでしょうか。
哲学やってれば、それなりの知識もあると思うのですが。
57 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 17:40
>>47 ぷぷ!!
予知ってどれぐらいの確率で当たるの?
>>49 神はいるともいえるし、いないともいえる。
答えなど永遠に出ない、ってこと?
それこそが神の計画であると。
↑こういうのがうさんくさい
58 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:44
>>57 100%
全て神が創られたのだから時間も含む、
神にとっては過去も未来も、今。
よし!
そろそろ、ここらで
多数決といきますか!
神はいるのか?
それともいないのか?
「どっち!」テンテンテーテンテンテンテン♪
>>57 >神はいないとも言えるし、いないともいえる。
答えを出すことが人間には出来る?
「言ってみることはできる」このことが重要だといっていない
問いを持たせ、対話を確かに求めている存在を、感じないかい?
そう問うている。
61 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:49
「神」とは、どういう性質を持つものと考えるのか?
「いる」とは、どういう状態を指すのか?
62 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:50
シュロの杖もった白装束の髭もじゃの爺ちゃん
63 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:53
神=完璧なもの
64 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:55
完璧なもの=無敵
65 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:56
無敵=敵が無い
完璧なもの=つまらないもの
67 :
名無しさん@3周年:03/05/11 17:57
無敵=俺
68 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:00
つまらないもの=おもしろくない
69 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:01
おもしろくない=クール
クール=冷酷
71 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:02
おもしろくない(おもしろくない奴)=糞野郎
72 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:04
冷酷=悪人
73 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:05
糞野郎=ALL
74 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 18:07
>>54 スピノザすきです。
神の幾何学的証明は見事でしたが、
確かキリスト教的な神じゃなかったですよね。
それに、カントの『純粋理性批判』によって
ほとんど神学要綱の信憑性が無くなりましたね。
現代ではもはや理性によっては神の確信を得ることができない時代なのかもしれない・・・。
>>56 霊性ってどういう意味かな。
>>60 その視点はキリスト教的ではないですよね。
>>60 そうかな?
君には何てきに属するとお思いかな?
76 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 18:10
>>53 いま手元にヨブ記がないので、(『世界の名著』12 聖書 しかもってない)
できれば概要を教えてもらえませんか?
神を信じたいのですが、信仰までには至りません。
表面ではそう思っているが、奥底ではそう思っていないとか??
78 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 18:16
>>75 何的というよりも、現象を可能にするような対象の存在を
無条件に受け入れることで、その対象Xを神とするような
安易な思想。というより、対話の地平をどのように捉えているのかが疑問ですね、
何的なんだろう?キルケゴールを連想しましたが…。ブーバーですか?
霊性とは、下世話に言えば、自分が死んだら、葬式どうしようとか、
7時半ころからやっている私は霊を見たとかなるし、
高尚にいえば、私は哲学は詳しくないが、ソクラテスとかプラトンとかなるのではないかと。
つまり、動物と違うということです。単に、大脳皮質を使って考えているだけではないということ。
ヨブ記
こんな感じです
1 ヨブ 38:31 あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。
2 ヨブ 38:32 あなたは十二宮をその時にしたがって/引き出すことができるか。北斗とその子星を導くことができるか。
3 ヨブ 38:33 あなたは天の法則を知っているか、/そのおきてを地に施すことができるか。
4 ヨブ 38:34 あなたは声を雲にあげ、/多くの水にあなたをおおわせることができるか。
5 ヨブ 38:35 あなたはいなずまをつかわして行かせ、/『われわれはここにいる』と、/あなたに言わせることができるか。
6 ヨブ 38:36 雲に知恵を置き、/霧に悟りを与えたのはだれか。
7 ヨブ 38:37 だれが知恵をもって雲を数えることができるか。だれが天の皮袋を傾けて、
8 ヨブ 38:38 ちりを一つに流れ合わさせ、/土くれを固まらせることができるか。
9 ヨブ 38:39 あなたはししのために食物を狩り、/子じしの食欲を満たすことができるか。
10 ヨブ 38:40 彼らがほら穴に伏し、/林のなかに待ち伏せする時、/あなたはこの事をなすことができるか。
11 ヨブ 38:41 からすの子が神に向かって呼ばわり、/食物がなくて、さまようとき、/からすにえさを与える者はだれか。
12 ヨブ 39:1 あなたは岩間のやぎが/子を産むときを知っているか。あなたは雌じかが子を産むのを見たことがあるか。
13 ヨブ 39:2 これらの妊娠の月を数えることができるか。これらが産む時を知っているか。
81 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 18:21
>>77 いや、聖書って信仰を強制してますよね。
それ以外は耳障りがよくて、肯ける部分がほとんどなのに、
それに至って、猛烈な嫌悪感を覚えるのです。
つまり、「無条件に信ぜよ」という絶対命令は
「確信」があろうがなかろうが絶対なんですよね。
しかも、確信に至らせるような説明がまったく抜け落ちた状態で
「信ぜよ」なんですから、「無理」となるわけです。
別に、強制されなくても、自分なりに納得すればいいかと。
まずは、福音書のイエスの生涯でも研究してみたら。
83 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:31
読まなきゃいいと思うんだが。
>>81 同情します。
無理なのに、振り切ることが出来ないのですか?
85 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 18:35
>>79 んー、霊魂ですか。わからないな。
現在思考しているという確信から「神」を導き出す。
デカルトはそうやって神の存在を証明したんですが・・・。
霊魂論について知ってる人降臨しないかな。
少し古典的過ぎる気がしないでもないでもないが。
>>80 ありがとうございます。
ですが難しいです、解説お願いします。
86 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:36
「嫌悪感」とか「無理」とか、ソンなもん知るかw
なんで説得してやらなきゃいけないんだよ
いやなら勉強なんかしなきゃいいだろ
87 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 18:41
>>82 イエスの生涯を研究することで、何か変わりますかね。
>>83 投げやりですね。
>>84 振りきるほど無価値だとも思えませんからね。
キリスト教的な神がほんとうなのか嘘なのかを
納得しないと気持ち悪いです。誰か納得させてくれませんか?
88 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 18:42
89 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:44
自分で考える事を何で放棄してたら
オウムのヘッドギアつけてる人と変わりませんよ
90 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 18:45
んじゃあ、やっぱりキリスト教はフィクションだったということで
終了しますかな。
91 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:48
お前を納得させる事も無理だろ
ずっと無理無理言ってろ
92 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:48
逃げやがったw
>>87 キリスト教的な神?キリスト教でもイスラム教でも神は一つ
ただ対話を人間に求めた存在ではある。
キリスト教は、キリストと呼ばれた存在が、愛を体現しているのだと
思うけど?
94 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:53
>>90 つーかキリスト教自体がローマ帝国乗っ取りのためにカルタゴの商人たちが
仕組んだ罠だろう。
神なんて歴史の偉大なるネタだよ。
95 :
名無しさん@3周年:03/05/11 18:58
(^^;
96 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 19:02
>>93 キリストの愛の体現とキリスト教は別ものだとわたしは思うけど。
キリストは人間ですからね。納得できるわけです。
昔やってた番組『知ってるつもり!?』のキリストの生涯を観てて
「納得できない!」ということはないわけです。
神に憧れ、神の使いとして世をよりよくしようとした一人の人間として
まったくなんの矛盾も感じない。
97 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:04
君がそう思うのは自由だ
それ以上話が広げようが無い。
98 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 19:06
>>94 じゃあネタを信じきってるクリスチャンたちは
間抜け野郎ですか?
ネタを国教にしてる国は蛹のようなものですか?
ネタで食ってきた教会は詐欺集団ですか?
99 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:08
100 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:08
そう思うのも君の自由だ
101 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:09
納得したか?無理?w
ローマ帝国はキリスト教で滅びたの?
103 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 19:12
ネタを食うのは寿司だけでたくさんだ!!
ばいばい!
104 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:16
逃亡w
また戻ってこいよw
105 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 19:22
ただいま
106 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:25
哲板さんへ
また無駄なことを始めてますな
2chのキリスト教徒に何を期待してるんだ?
よく考えて見て下さいな。
そもそも創造主であり、全知全能な「神」が存在したならば
一人残らず信じるもしくは信じないであろう。
信じる信じないの議論さえ無いだろう。
証明出来ないからこそ「神」にすがるんですよ
信じない者がいるからこそ、信じるものが存在するのです。
「神」を信じ生きていこうが信じず生きようが、結局「いつか死ぬ」って事ですよ。
この世に絶対and常住は無い
だから「あこがれる人々」が存在する。
107 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:29
狭い日本をこれだけ逃げまわる男も珍しいw
>>106 この世に絶対and常住は無い
それは、あっしの教えでござんす。
109 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:50
>>1 神が力を持っている、というより
「神==全霊の塊==全エネルギーの塊==全宇宙空間」
なのではないでしょうか。
そしておそらく、「信仰が浅い人間」がいる為に罪無き幼子が虐待されるのだと思いますが。
罪無き幼子が虐待される時、
私たちに起こる「悲しみ」や「苦しみ」という感情。
神はこれらを超越した存在、霊なのだと思います。
110 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 19:52
>>106 いや、だけどねぇ・・・。
それも絶対ではないんでしょ?
だいたいわたしが完全な無神論者に陥ることができない理由は二つあるんですよ。
ひとつは、「自然法則」の普遍性・緻密性、もうひとつは、「存在」。
たとえばですね、現代人のほとんどは神の不在を確信していますよね。
儀式はしていても、心から信じてはいないですよね。
それでも、自然の法則や存在(なにかがあるということ)を疑うわけにはいかないんですよね。
んで、それらがあるということはどういうことなんだろう、って考えると
神を考えざるを得ないんだよねぇ。でも神ってフィクションなんだよね。
不可解なんだよね
111 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 19:54
>>109 うーん、なんだかわかんない。
こじ付けなような感じがしますね。
根拠もなにもないですよね
112 :
名無しさん@3周年:03/05/11 19:57
だいたい引用が間違えてるんだからさ
イヴァンカラマーゾフは
神は認めるが、この世界は認められないって言ったはずだがねぇ
113 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 19:58
いまこうやってタイプしていてですね、
なにかが「存在」してるってことはわたしなりに確実なことだと捕えてます。
だれかが論理的にそれを否定したとしてもです、
まちがいなくわたしは存在を了解してますよ。
そこからその存在を可能にしてる存在(条件)というものに
思考を進めて行くとですね、それはあきらかにわたし以外のものなんです。
「もともと」在ったものを想定せざるを得ないんですね
114 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:01
聖書(旧約+新約)すべて読むのにどれくらい時間かかるんでしょうか?
最初のほう少し読んだんだけどチンプンカンプンでなんかおかしくなりそうです。
聖書よんでる人って意味分かってるんでしょうか。
115 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:01
4523 名無しになるもんっ♪ sage 2003/03/29(土) 20:45
(´Д⊂ヽ
4524 名無しになるもんっ♪ 2003/03/29(土) 20:45
・゚・(ノД`)・゚・。 ウワァァァァン
4525 名無しになるもんっ♪ sage 2003/03/29(土) 20:45
うあ゛ぁあ ・゚・(´Д⊂ヽ・゚・ あ゛ぁあぁ゛ああぁぁうあ゛ぁあ゛ぁぁ
4526 名無しになるもんっ♪ sage 2003/03/29(土) 20:45
。・ ゜。 。゜。
。・ ゜。 。゜ ・。
。・ ゜。 。゜ ・。
。・ ゜。 。゜ ・。
。・ ゜。 。゜ ・。
∴ ・(ノД`)・ ∴
4527 名無しになるもんっ♪ sage 2003/03/29(土) 20:45
うっわぁぁぁぁぁぁぁぁんん!!!!!(;´Д⊂)
4528 名無しになるもんっ♪ sage 2003/03/29(土) 20:45
さっきかえってきたばっかだから、さっぱりかんがいがわかねえ
116 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 20:02
>>112 神というより、キリスト教的な神ね。
大審門官の意図は、イワンがキリスト教的神を否定しておいて、
アリョーシャに救いを見出すということだと思いましたが。
117 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:06
イヴァンは神を認める、しかし
この世界を認めないと言ったんだがね
118 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:11
アリョーシャが反論してもう一度反論したのが
大審問官でしょう
でアリョーシャに救いを求めたかなあ?
119 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:31
キリスト教的「神」の条件は?
またそれ以外の「神」って?
読んでないか忘れてるか
どっちかだろ。この人が言ってるのは「反逆」の章で
そもそも大審問官じゃ無い。
ローマカトリックに対する批判になってるだろうが。
121 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:35
Are you hangry?
123 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:47
114ですけど誰もぼくの質問には答えてくれないのでしょうか
真面目に聞いているのですが
ちなみにぼくはクリスチャンじゃありません
124 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:48
たしかにこじ付けかもしれないっす。
俺もまだ神を見たわけじゃないし。
確かに何か根拠を見たいと思いますよね。
宇宙=神を意識していればいつか見せてくれると思いますよ。
というより与えてくれると思います。
もともとすべては宇宙=神から与えられている物なんですから。
この2chいう存在も
宇宙が誕生して何億年も時間が流れて
その中で地球とか人間が誕生して
その人間が20世紀になってITを開発して
それで発生したわけでしょ?
もし根本である宇宙=神の誕生がなければ、
この2chも存在してないのではないでしょか?
それだけ「宇宙=神」はBIGなんですよ。
125 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:50
追記。
124は>111
126 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:56
なんとなく、思ったのだが・・・
神は自分の姿を真似て人間を創った。
これは、人間がロボットを造るのに似ているな。
例えばだ、どんな命令にも服従するただの召使ロボットを造ろうとする奴もいる一方、自分の考えの下に動く「人工知能搭載」の「感情」を持つロボットやアンドロイドも造ろうと考える奴もいる。
前者が、神の命令に完璧に従い答える天使。
後者が、神が自分自身になぞらえた人間。
に似ている。
神と似たように創られただけあって、神と同じような事をするんだなア・・・と思う。
※変なビリーバーがいるので、一言追記するが、そうはいっても、別に神は宇宙人だとも、古代の科学者だとも言っているわけじゃないぞ。
それで、人工知能搭載・・・いわゆる「感情」をもち人間に似せて造ろうとするロボットをなぜ、造ろうとするのか・・・については、実は理由なんか良く分っていない。
「だって、造りたいじゃん」
「感情持った方が楽しいだろう?」
「人類の技術の発展の目標だから」
感情を持つより、持たない方が使うほうにとっては便利なはずだ。良く、「2001年宇宙の旅」が引き合いにだされるが、思考がおかしくなって人間に危害を及ぼすかもしれない。
んで、つまり何が言いたいかと言うと、
仮に「思考」まで「神様」と人間が一緒だとすると人間を創った理由は、
あ〜天使創ったのはいいけど、何でも従うYESマンばっかりでつまんねー、やっぱり、感情の起伏がある奴を創った方が楽しいかな〜
何でも出来る天使より、ジタバタ動いて、ちょっとぐらい、スネタ方が愛着わくかも。「出来の悪い奴ほど可愛い」っていうし。
と、こんなモノではないかな。完璧な世界より、不完全で流動的な世界の方が楽しいでしょう。
そうでもなければ、何でも出来る忠誠心あつき天使より、やたらと裏切り、平気で約束を破る人間を、優先して愛するなんてよく分らん。
・・・まあ、あくまでも単なる私見ですけど。
神様の御身心なんて、本人に聞かなければ分るわけは無いんですケドね。
127 :
名無しさん@3周年:03/05/11 20:58
>>124 じゃー今現代に存在するものすべて「神」そのものって事?
宇宙空間は今も尚すさまじい勢いで膨張している、という仮説がありますが、あなたはどう思います。
私はこの世に「絶対」「常住」「不変」な存在は無い、と思いますけど
>>114 召し、食べてきました。
小説聖書(徳間書店だったかな)、それも新約編から読むのがいいかと。
イエスの生き方がわかります。
>>87 全然変わると思いますよ。まさしく神だ、と。
ヨブ記については、宇宙の主宰者は神だ、スズメが飛ぶのを止めるのも、全てか神の承諾なしにはできない。ということ。
130 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:07
この世界を作って人間を作った物がいたとしよう。
そいつに対してどうして隷属しなくてはならないんだ。
そいつが正しいか悪いかなんかわかるわけがない。
旧約聖書のゴッドは悪魔そのものだろう。
本当の悪魔は圧倒的な力と絶対的な正義で屈服させるものを言うんだ。
>>110 神信じてるんなら、いいじゃないかな。
それを、論理的に証明できる人間なんて、いないよ。主イエスキリストの他に。
ただ、そこに書いてある超人的な事項を、聖書学的に検証できるかどうか、ということは残ると思うけどね。
ただ、聖書学にはまってしまうと、歴史的検証に終始してしまうので、時間がもったいないといえばもったいない。
でも、それしか、道はない、というなら、あなたに与えられた道というのは、それなんじゃないかな。
132 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:12
133 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:12
苦しむのが嫌ならその絶対的権力者に従えって事じゃないですか。
134 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:12
神なんていません、よって信仰する必要なし。
135 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:18
ワカンネーやつらだなー。おっちゃん今アルコールでイイ感じになったとこに、神が降りてきたから特別に教えちゃる。
おめー、神なんて特別人間だけ愛してるわけじゃねーの。なんたって造物主だから。
罪無き赤ん坊が病気や災害で死んじゃうのは、ウイルスも人間もテッポーの弾もガラスの破片も同じく愛されているからなの。
おめーらが飯食ってもばちが当たったことなんてねーだろ。日常ってことだよ。
136 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:23
実際に赤ん坊が病気や災害で死んだ人をみたことがありますか?
137 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 21:27
>>135 じゃあ、何故虐待で死んだ幼児は、
普通の幼児と同じように愛されなかったのですか?
それとも、愛されていたがゆえに虐待で死んだのですか?
それでも愛されていたことになりますかね。
138 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 21:31
>>117 キリスト教を痛烈に批判していますが?
>>118 求めていたでしょう。会話の節々にそれがうかがえます。
>>119 キリスト教が教える神です。
>>120 そうですね、反逆です。
>>124 宇宙=神なら納得できます。
しかしそれでは、倫理的な教えの一切が無意味になりますね。
139 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 21:36
>>126 人間を神に例えて、ロボットを人間に例えるのなら、
神の地位は恐ろしく引き下げられますね。
なんせ人間とロボットは同じ地上にいますからね。
>>129 神の承諾っていうところが、なんかひっかかるんだよね。
>>130 うむ。どうなんだろう?
宇宙=神であっても、倫理的な教えは無意味ではないですよ。
我々には、理不尽と思えることでも、神の摂理の前では、きちんとした意味があるということです。
それは、その人の霊的成長をするためには、最善のものなのです。
それを受け入れる事が信仰ということです。
141 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 21:41
>>131 聖書学ですか。専門的な仕事になりますね。
>>134 しかしいないとも思えないんだよな。
神の承諾については、いままで、自分の力だけで生きてきたと思っている人間にとって
当然、ひっかかりますよね。そこが哲学と宗教の違いだと思います。
神に承諾されていきているわけではないんだよ、と言いたい気持ちはよくわかります。
でも、人間てそんな偉いものなのかな。それこそ、神をも畏れぬ〜になってしまいます。
神の愛は海のように深いですが、同時に裁く神であることも忘れてはいけません。
143 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:43
天使に死後の世界や法則を作ってもらわないとやってられない。
人間は奴隷で滅びていないという事は何かの法則があるんじゃないですか。
神は悪魔になってしまったんじゃないですか。
144 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 21:47
>>140 宇宙=神だとすれば、わたしも宇宙の一部であり、わたしの成すことごとくは
神がしたのと同じことになりますね。
わたしがどんな行動をしようが、何を思おうが、すべて善なわけです。神が善ならばね。
んー、なんかこれが本当っぽいな。
145 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:47
お前ら、とりあえず神様がこの世かあの世にいること証明してください。
議論はそれから、ということで。
神は悪魔にはなっていません。
ただ、許容しているだけです。
なぜなら、善のないところに悪はなく、悪のないところに善はないからです。ビックバン以前にはプラスもマイナスもなかったことと同じです
善と悪から善を選び取る事が我々に期待されているのです。
147 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:51
あんた悪魔だろ。
>>144 そうです。ですから、我々は「神の子」と呼ばれています。
しかし、喩えですが、アダムが知恵(善悪の)木の実を食べたときから、
我々には、善悪を取捨選択できるようになってしまったのです。
そこから罪が始ってしまいました。
自由意志のない動物には、善悪はありません。我々には善悪があります。
ですから善を選ぶということが、霊性を高めるという事で、それが期待されているということです。
もし人類が滅びたら、神だけ残っちゃうよ。
神だけ残っても意味ないじゃん。
人間居ないから寂しいよ、きっと。自殺するよ、きっと。
151 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 21:56
>>142 信仰は、神ー人間
という主従関係を想定し、主である神から「命令」(通達)が来るという
構図を認めることからはじまるんですよね。
しかし、主である神が実際にその姿を表さず、体験にまで降りて来ない。
伝説や教義などでその影を辿るに留まるだけなので、
それが全くのフィクションであるという疑いが常に付きまとう。
神の城に実際入ってみたら、人間が巧妙に作り上げた
洗脳機械だったって可能性がある。統治のためのね。まさにカミュの城です。
152 :
名無しさん@3周年:03/05/11 21:58
>神が実際にその姿を表さず
イエスは神だよ。
罪のない子供といいますが、我々には、遠い先祖が犯してきた数々の遺伝的な悪もあります。
それについて、その子孫にその悪果の責任を取らせるというのは、ある意味公平です。
全ての人が、まったく罪のない状態で生まれてくるわけではありません。
私が悪魔かどうか、というより、いまこの世の中は悪魔に魅入られている人がほとんどで、
私も含め、本人にはまったくその自覚はありません。この世のすさんだ状態を見ればわかることです。
ただし、悪100%ではありません。われわれがそれに気付くことが大切です。
また、それはクリスチャンだからとか仏教徒だから無宗教だからという例外はありません。
霊性を高めるということは、その悪魔の支配から解放され、あらたな喜びを得ることなのです。
>>1 どうやら私は君と同じ悩みを抱えてるらしい。
神には否定的だけどかといって無神論を信じるほどの確信もない。
だけど、キリスト教ってのはひでえ宗教だよ。なにせ地獄が永遠なのだから。
仏教の地獄には限りがあるけど、キリスト教の地獄は永遠。永遠の拷問が続くという。
神に慈悲というものがあるならこんな発想は生まれないよ。
155 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 22:02
>>149 あなたの言う事が正しいとすると、意志はこの世のものではないということになるね。
でなければ、人間は基本的にこの世のものではないと。
つまり知恵を獲得した時点で神=宇宙から離れ、
宇宙から孤立した存在であるということが言えますね。
何故なら宇宙=神ならば、宇宙である人間は神なわけで、
悪をなすことが不可能なはずですからね。
>罪のない子供といいますが、我々には、遠い先祖が犯してきた数々の遺伝的な悪もあります。
>それについて、その子孫にその悪果の責任を取らせるというのは、ある意味公平です。
キチガイとしか思えない(w
その理屈でいくと、あんたがあんたの親から生まれたのはあんたの意思ではないのにあんたの罪だということだな。
その親から生まれたことを一生神に詫びながら生きろよ。
>>151 我々を、単に、恐れから信仰させるだけであれば、翼の生えた天使が、月1回位世界中を飛び回ることで十分です。
神は我々にそんなことを望んでいるわけではありません。
愛、隣人愛を神への畏敬の中で養うことが求められているのです。
私も、現在の教会が100%正しいなどというつもりはさらさらありません。
人間の仕業ですから。教会に抵抗があるなら、内村鑑三のような無教会主義もあります。
158 :
名無しさん@3周年:03/05/11 22:07
神は悪魔で人間は奴隷、天使に救ってもらうという事じゃないですか?
159 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 22:10
>>152 あなた見ましたか?
>>153 昨日と今日、ネットである牧師の説教をつづけて聴いたのですが、
あなたのようなこと言う人でした。
日本人の97%は地獄へ行くと言っていました。
悪魔に魅入られていると。
>>154 死後の苦しみを考えるから、完全な無神論に踏みきることができないんですよね。
死後が無ならば、なんでもできるのに。
>>155 そうです。肉体はこの世にありますが、それは霊性を高めるための道具でしかありません。
あの世のことをもっと考えるべきです。不可知の世界のことを。
宇宙から孤立したのではなく、宇宙の一部であり、それが神の意志だということです。
神は我々に、神と同一の愛そのものになることを期待しているのです。
私がキチガイかどうか、それは、この世をみればよくわかるでしょう。
憎しみ、近親相姦、レイプ、殺人、殺人ゲーム、このようなものが氾濫しているこの世の方がよほどキチガいじみているとおもいませんか。
早くしないと人生短いものだよ。
>死後が無ならば、なんでもできるのに。
そうでしょう。それが悪魔のおもうつぼです。
そんな世の中に住みたいですか。
地獄とはそんなところです。別に神が地獄に落とすわけではないですよ。
自分が行きたいから、行くところです。
地獄というのは定型なものではありません。その人の想念そのものなのです。
その人の想念が善であれば周りにいる人も暖かく、自分の想念が悪なら、周りの人も冷たい、その究極の冷たさが悪魔ということです。
自分の想念に合った世界に行く事が無慈悲なのではありません。公平です。裁きがないなら、人間はどんどん堕落していくことでしょう。
163 :
名無しさん@3周年:03/05/11 22:20
>あなた見ましたか?
キリストが生活された時代の人々はキリストを見た、
神は実際にその姿を表わしているだろ。
神など存在しない。そんなの考えるヒマあったら今を真剣に生きろ。
165 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 22:31
>>162 んー、何かこの世のこととあの世のことをごちゃごちゃに論じてらっしゃいますね。
あなたの言い分はこうですね。
この世の想念はそのままあの世で残って
悪い想念は悪く、善い想念は善い、残忍な者はあの世でも残忍に、
慈悲深い者はあの世でも慈悲深く、ってことですよね。
でもわたしにはこれらすべてが疑問なんですよね。
あの世ってこの世のように物質的な世界ではないんですよね。
となると、自分以外の他人ももちろん存在できない、というよりこの世のような
「存在」がない。どうやって慈悲深くできますか?
どうやって残忍さを表現できますか。一体何に嫉妬したり愛を持って眺めたり
するんですか。わたしたちはこの世ではある対象に向ってそれをしますが、
あの世では違うということですかね。
堅い話してても、ウンコしているときは
現実に戻ります。悲しいけどホント。
167 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 22:36
>>163 いまでいう麻原みたいなひとだったらどうです?
その信者の内の頭のいい連中が信憑性をもたせるために
伝説を何冊かに分けて照合させたかたちででっち上げ、
当時の客観的態度をとることが難しいひとたち、馬鹿で愚かで
善良だが信じやすい民衆を相手に詐欺まがいの奇跡を行い、
優れた文筆力をもった賢者の力を借りて政権を乗っ取ろうと企んでいたとすれば。
物質的ではないですが、想念の世界である意味、物質的です。
我々の物質だって、すべてはエネルギーなんですよ。おわかりですよね。
ただ、量子があるだけ。その量子だって、場所を特定できるわけではないんだそうです。
可視と思っていますが、不可視のものもたくさん存在しているわけです。
そうしたエネルギーや次元について、現代の物理学だってまだまだわからないことだらけなわけです。
あなた、夢を見ている時、そこに物質があるとおもいますか。大脳皮質の中で起こっている現象でしかないでしょう。
そとから見れば、人間の大脳があるだけ。でも、中では違う。
まあ、不可視の事をどれだけ信じれるか、なんでしょうね。中世の人に我々が行っている生活を見せたら宇宙人かと思いますよ。
人間の知識なんてそんなものです。
169 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 22:41
>>162 あと、最初の疑問も残ります。
もし宇宙=神ならば、この世とあの世とを分ける理由はなにか。
というより、この世の意味はなんだろう。
地獄へ落とすためのものでしょうか。
あるいは地獄と天国へ、愚かで迷いやすい人民を振り分けるためのものでしょうか?
そして、罪を犯しても悔いれば許されるということと矛盾はしないのでしょうか。
地獄へ落ちればその苦痛によって、大概は過去の過ちを悔いると思うのですがね。
170 :
名無しさん@3周年:03/05/11 22:46
>>167 キリストの12弟子のうちヨハネを除いた11人が確か殉教したと思う、
詐欺師ならわが身大事で逃げると思うが。
いや、地獄に落ちても悔い改めない人はくいあらためません。
ここが地獄だよ、なんてだれも言いませんから。死んだことがわからない人もいるくらいです。
現世でも我々は、神に試みられ、悪魔に誘惑されています。
でも、そんな簡単に悔い改めているわけではありません。なんども同じ過ちを犯すわけです。
悔い改めはそんな簡単なものではありません。あなたがそれを容易にできる人なら、すばらしい事です。
172 :
白猫 ◆cGXDKlZBcY :03/05/11 22:48
アダムとエバが神に背いて追放されて以来
人間は地上で暮らしているのでつから
神の国に帰るためにはこの地上にいる間に努力しなければいけない
173 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 22:49
>>168 厳密な話し、悪しき態度は悪しき習慣から生まれるんですよね。
体験から観念が生まれ、観念が行動となって、それがまた体験を生み出す
というループは肉体があればこそ可能になるんですよね。
夢は、活動していた間の体験や、また実際寝床のまわりで起こっている現象なんかが
つくりだしていてね。それはある意味肉体的なものです。
つまり、肉体的の能力であるところの感性や悟性なんかがもとになって生まれるものです。
あの世で夢を見るとしても、この世のようには到底いきませんよ?
>>171続き
現に、私もわかったような事を書いていますが、ネットやめて祈らなければなあ、というのは分かっているつもりなのですが、
全然できませんw。
ということで、もう寝ます。明日の夜また来て見ます。おやすみなさい。
175 :
名無しさん@3周年:03/05/11 22:55
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ
まじコイツ病気。
夢はひとつの喩えですが、想念の世界では、あの世でも我々は肉体を持ち、普通に生活しています。
その想念の世界を信じれるかどうかです。身近な例でいうと、幽霊話を信じれるかどうかです。
まあ、今日はもう寝ます。
人間は動物ですよ。裸になって自分を見てみろ。
まー、毛は少ないけど。
食って、寝て、糞して、働いて、年老いて死んでいきます。
178 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 23:00
>>170 いくら嘘っぱちでも人格に惚れたり、
あるいは雰囲気に呑まれて殉死するということはあります。
そういう例はあるでしょ。日本における天皇のようにね。
>>171 人間が悔いるのって、そのことである苦痛に見舞われたときに限りますね。
それで失敗したとか、痛手を負ったとか、恥じ入ったとか。
そこから被る不利益によって後悔するのであって、
もしそこから利益が生じるならば悔いる必要はないですよね。
疑問なんですが、クリスチャンは神を信仰するきっかけになった
自分の過ちや、愚かであった過去を悔いたりするのでしょうか。
そのおかげで神を知ったとしても?
むしろ彼を成長させた要因であって、必要なものだったんじゃないでしょうかね。
そういうとき、その体験を一体悪魔に魅入られたと考えるのか、神からの賜物だったのか、
どちらにとるんでしょうかね。そこに天国・地獄観・
あるいは悪魔・天使のこじ付けに当惑しないんでしょうかね。
179 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:01
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ
まじコイツ病気。
180 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 23:04
181 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:05
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ
まじコイツ病気。
182 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 23:07
183 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:07
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ
まじコイツ病気。
184 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:08
自分の世界に浸っているようでは真理は掴めません。
まっ、真理なんてもともとないけど。
186 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:11
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ
まじコイツ病気。
187 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 23:16
神とかなんとか言うけどさ、
平伏したいだけなんでしょ?
哲板住人さんへ はじめまして。
あなたは、[神=人知を超えた存在]を感じているわけですね?
それは、何かに支配されてるかもしれないとも感じてるのでしょうか?
かのアインシュタインも研究をしていくうちに人知を超えたものを感じてか
「宗教を信じる」といいました。
しかし、人知を超えたものを特徴付けて理解したいのにあなたは自分の中で
キリスト教をとってみるが矛盾を抱えてしまい。悶えているようです。
一通り、レスを読ませて頂きましたが、あなたはキリスト教が合わなそうです。
しかし、キリスト教がおかしい訳ではありません。
わたしは、その人知を超えた存在や自分の存在意義を理解する事が出来ている
境地、まあ悟りの境地に達している者が
土地柄に応じて、人に伝えるため、キリスト教や仏教やイスラム教といった
ように説法をしたのだとかんがえています。
そんな私は、仏教が自分に合っているらしく、超越的存在にたいして
神とは申しませんが信仰に疑問は抱いてません。
視野をもっと広げてみてはいかがでしょうか?
189 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:19
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ=kai ◆zLv9mbYx.Y
まじコイツ病気。
自分の意識で気が粘土のような感覚で感じられるようになったんですけど、
空間や物質も作れるような気がしてきました、神は誰でも神になれるように
人間を作ったって言葉を思い出して信じたくなりました。
苦行なんかしなくたってできるようになるようですよ。
キリストの福音の教えの通りに生活してたら感じられるようになりました.
妄想では人間がテレポートして殺しにかかってきてると感じています。
頭の中でも殺したりSEXのことを考えたりしてはいけないようです.
苦しみからはキリスト教を信じる前よりかなり解放されました。
キリスト教信じた方が良いですよ.
191 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:26
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ=kai ◆zLv9mbYx.Y
まじコイツ病気。
192 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:26
>つまり、「罪無き幼子が虐待され、殺されるという事実があるかぎり
>神の存在を認めるわけにはいかない」というもの。
>神の計画という答えが返ってくるかもしれないが、
>もしそうなら、無邪気な子供に犠牲にしなくても
>完全な神なら即座に計画を成就すればよいのでは?
それは信仰とは言わん。
そして、信仰は時代に応じて変わる。
ってか、地上は、本来の目的から離れすぎ。
が、それ自体を変というかどうかは、神にも分からない。
193 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:27
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ=kai ◆zLv9mbYx.Y
まじコイツ病気。
194 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 23:31
>>188 うん。
神秘体験でもあれば信じるかもしれないけど、いまのわたしにそのような体験はないので
頭でわかる範囲内の事じゃないと信じるわけにはいかないです。
聖書のなかでも、『伝道の書』はわりとしっくり来るんだけど、
「神」の一文字のせいで戸惑うのです。思い浮かべることができません。
仏教もいろいろありますね。どれを信仰してらっしゃいますか・
195 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:31
兄「おい、もっと開けよ。よく見えないだろ」
妹「これ以上はダメ。恥ずかしいもん」
兄「小学生のころはよく見せ合いっこしたろ」
妹「あのころはまだ子供だったから・・・。私もう中学生なんだよ」
兄「親父には見せたんだろ、オレにはダメだっていうのかよ!」
妹「だってパパは・・・」
兄「じれったいな。オレが開いてやるよ!」
妹「ダメ、お兄ちゃん、ああ・・・」
兄「すげぇ、小学生のときとは全然ちがう」
妹「やめて、そんなに開いたら全部見えちゃうよ・・・」
兄「なんか複雑になってる」
妹「あたりまえでしょ、中学生になって科目も増えてるんだから」
妹の通信簿を無理矢理見ようとする兄。
196 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:34
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ=kai ◆zLv9mbYx.Y
まじコイツ病気。
197 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 23:35
>>190 これは客観的に見てどういう状況なんだろう
>>192 信仰の対象を問題としているのですが。
神が罪なき幼子を犠牲にしているという事実。
地獄の41日間の真の内容sfsfsfsf
女子高校生が41日間渡って監禁され、計100人ぐらい(少しでもかかわった人を含めて)に強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。。(深くかかわったのは5,6人)
ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。
「なんでもするから家に帰して」という女の子に、自慰(オナニー)を強制され、
真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、強制され、手足を縛り、お尻の穴に花火を入れ爆発させ、膣やに直系3センチの鉄の棒を何度も強引に突っこみ、性器や尻の穴を完全に破壊する。
(途中、膣をタバコの灰皿代わりにされる)
重い鉄アレイを身体(裸体)になんども落とされ、瞼(まぶた)に熱いろうそくをたらされ、
手足を縛り、膣にマッチ棒(ライター)を入れられ、燃やされ、膣の中のや裸体をライターで火あぶり、苦しさのあまり何度も気絶する。(この時ストレスと恐怖のあまり髪が全部抜け落ちていく)しかし、犯人どもは哀れみの情など一切見せず、引き続き、陵辱、暴行を行う・。
大勢の男にかなり大量の精液を飲まされ(フェラチオで)、500ccの尿を飲まされた。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうである。
また女の子の悲鳴や激しいリンチの音は監禁されている部屋の中で音楽をボリュームいっぱいで流しているため、外に届かない。
その間の食事はほとんど牛乳1本。
恐ろしいころに、監禁されていることを知ってた人は計100以上いるが、誰も通報しない。(死体が発見されるまで)
そして最後はひどく殴られ失禁して)死んだ。(殺された)
死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体には髪がなくなっていた。
40日間の監禁で極度のストレスのあまり全部髪が抜け落ちた
死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。なお、死体は手足を縛られた状態であった。
wrwrw
以下の内容は「全く」誇張されておらず、「コンクリート詰め事件」で検索すればわかります。
これは「裁判記録」に書いてあったものをまとめたものです。ちなみに「裁判記録」はひどくて目もあてられない。
動物がもつ支配しようとする本能・力・権力に対抗して生まれてきたのが
権威だろ。神だろ。
200 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:37
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ=kai ◆zLv9mbYx.Y
まじコイツ病気。
201 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 23:39
__∧∧__ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\ (*゚ー゚) \ < 荒さないでね、厨房のみなさま☆
\/| ̄∪∪ ̄|\ \______________
\|____| しぃ☆
202 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:41
>>193 うぜえな、荒らすなよ。
てめえのキリスト教にケチつけられてるのがそんなにきにくわねーのか。
そのしつこさがキモイんだよ。
>>194 どれも否定はしてません。
むしろ、全部OKなのです。
ベースは密教ですよ。
204 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:42
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ=kai ◆zLv9mbYx.Y
まじコイツ病気。
支配しようとする事は本能ではないんじゃないですか。
スポーツも争い事ですね悪魔が真の信仰から背けようとしてるじゃないですか。
206 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/11 23:46
>>203 密教ですか、全部OKの世界観ですね。
神のカーニバルのような感じですが、
それでも頂点におわすのは大日如来なんですよね。
「信仰」できますか?
>205
メスには解りません。おそらく。
>>206 信仰できますよ!
でも心から確信には至ってません。
それは即悟りと認識しています。
しかしですね。信仰といえるのはお釈迦様です。
大日如来は信仰というと変です。
まあ、お釈迦様の教えを密教から理解すると実に
良いというのです。
209 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:55
読んでもいない本の引用したのが
バレちゃったから、
逆上しちゃったね・・w
210 :
名無しさん@3周年:03/05/11 23:55
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic はしろくろ=死後の世界信じないよ=kai ◆zLv9mbYx.Y
まじコイツ病気。
211 :
名無しさん@3周年:03/05/12 00:03
知ったかがバレた時どうします
@開き直る
A話しをそらす
B馬鹿にするなと逆切れする
C後日の復讐を誓う
D忘れて寝る
212 :
名無しさん@3周年:03/05/12 00:06
E強引に誤魔化す
おまえら、プライド捨てて小学校からやり直せ。
自分を見つめてみろ。というか、親を観察しろ。
214 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/12 00:15
>>208 釈迦ですか。彼も到底守れないような「戒律」を科していますね。
んー、信仰となると自分には難しいなあ。
ところで、十戒では一番目に他宗教の信仰を戒めていますね。
多くの宗教をつまみ食いするというのは、信仰を妨げる元になるんじゃないでしょうか?
誤解のもとになりませんか?
215 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/05/12 00:20
神なんて信じる必要ないし、信仰なんてやめておきましょう。
触らぬ神にたたりなしだよ。
>>214 その辺を密教はうまく理論づけています。
他の宗教によって、混乱をきたすのが妨げだと思います。
というのは、お釈迦様の説法は他とは一線を画してるので、
一見、話している事が矛盾してしまうのです。
深層では同じであるのだと思います。
217 :
名無しさん@3周年:03/05/12 00:24
ほら、いいお友達が来たよ
219 :
名無しさん@3周年:03/05/12 00:26
あずみちゃんの意見をよく聞いてがんばんなさいよ>>哲学
>>214 追加。
お釈迦様はその方があまりにも深く、信者には
あくまで悟りの一端しか説けませんでした。
それは、キリストもそうだと認識してます。
他の宗教といいますが、もっと範囲を狭めて、
お釈迦様の十大弟子で、アナンダというのがいました。
彼は、お釈迦様のそばに一番いたのに、修行の最終境地
の阿羅漢になったのは、釈尊の滅後でした。
その理由は、お釈迦様が人に応じて説法をしていたのですが、
それを全部聞いていたアナンダが混乱してたのです。
まあ参考までに。
222 :
名無しさん@3周年:03/05/12 00:35
永遠の神の国も、永遠の地獄も死の世界。
だからキリスト教は正しい。
ここがキリスト教の非常に優れた部分。
輪廻転生なんて矛盾したことを言ってるのとは違う。
>>222 お釈迦様は輪廻転生があるとはいってません。
224 :
哲学も面白いよ。:03/05/12 03:05
ヤバイ。宇宙ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
宇宙ヤバイ。
まず広い。もう広いなんてもんじゃない。超広い。
広いとかっても
「東京ドーム20個ぶんくらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ無限。スゲェ!なんか単位とか無いの。何坪とか何?fとかを超越してる。無限だし超広い。
しかも膨張してるらしい。ヤバイよ、膨張だよ。
だって普通は地球とか膨張しないじゃん。だって自分の部屋の廊下がだんだん伸びてったら困るじゃん。トイレとか超遠いとか困るっしょ。
通学路が伸びて、一年のときは徒歩10分だったのに、三年のときは自転車で二時間とか泣くっしょ。
だから地球とか膨張しない。話のわかるヤツだ。
けど宇宙はヤバイ。そんなの気にしない。膨張しまくり。最も遠くから到達する光とか観測してもよくわかんないくらい遠い。ヤバすぎ。
無限っていたけど、もしかしたら有限かもしんない。でも有限って事にすると
「じゃあ、宇宙の端の外側ってナニよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと超寒い。約1ケルビン。摂氏で言うと−272℃。ヤバイ。寒すぎ。バナナで釘打つ暇もなく死ぬ。怖い。
それに超何も無い。超ガラガラ。それに超のんびり。億年とか平気で出てくる。億年て。小学生でも言わねぇよ、最近。
なんつっても宇宙は馬力が凄い。無限とか平気だし。
うちらなんて無限とかたかだか積分計算で出てきただけで上手く扱えないから有限にしたり、fと置いてみたり、演算子使ったりするのに、
宇宙は全然平気。無限を無限のまま扱ってる。凄い。ヤバイ。
とにかく貴様ら、宇宙のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ宇宙に出て行ったハッブルとか超偉い。
もっとがんばれ。超がんばれ。
225 :
名無しさん@3周年:03/05/12 03:15
>>1 およびこういう類いの香具師が、荒らしではないと仮定して(荒死に近いと思うが)
いったい何が知りたいのだろう?
いつも思うのだが、他人がどう考えようがどうでもいいではないか?
あるものは神を信じ、あるものは神を信じない。
あるものは神の意図を疑い、あるものは神に全幅の信頼を寄せる。
あるものは「神が全能ならなぜ悪事や災いがこの世にあるか」と懐疑し
あるものは「神の御心は人間にははかり知れない」と受容する。
これ全て個人的な考え方であって、他人がどうのこうの言う事ではない。
論争することがいかに非生産的かつ時間の無駄か。
人は信じられないものは信じない。as simple as that!
こう言うと「じゃあブッシュは」とか言う香具師がきっと出てくるんだなあ。
思索と戦争の違いの分からん DQN がさ。
226 :
bloom:03/05/12 03:19
227 :
名無しさん@3周年:03/05/12 03:44
>>1 神は無数に存在し、正邪、階層がいくつもに分かれており特に日本に生まれた
人は、天照大神の御子であります。この世界においての人の役割は、それぞれ
無数の役割を担ってこの世に生を受け、その業をこなしてこの世を去っていくのです
最終的にこの世で生きている間に、磨かれた魂が昇華し神霊となったときに
この世への生まれ変わりは、できなくなるでしょう。
神は「隠し身」の短縮形でもあり、この世においては、神は隠れたる
存在であることは幽界での決まり事であります。ただ時たまに
神様とお話しできる方もいらっしゃいますが、基本的には、見えないし
聞こえない存在が、神なのです。
228 :
名無しさん@3周年:03/05/12 07:35
>わたしのような信仰薄い人間をおつくりになったのでしょう?
信仰あつくすればいいんでは?後は変えるこころですよ。
>>222 私は神の存在も死後の世界も信じてないけど
輪廻転生の矛盾したところって何?なにがどー矛盾してるの?
230 :
名無しさん@3周年:03/05/12 16:09
>>228 そんなもん本人の自己満足や思い込みに過ぎないじゃんw
実際、神がいなかったときのこと考えたことある?
231 :
名無しさん@3周年:03/05/12 16:12
>>225 一体、
>>1氏の何が荒らしなんだ??
あんたらみたいに「盲目的に」宗教を信じてる人間にとって
都合の悪い質問されるとこっちの信仰が薄れるから邪魔シナイデ!!!ってことなんだろうけど
この板は、宗教(しかもキリスト教)を信じてる人間の悩みや疑問は一切荒らしなのか?
それがイヤなら自分の信仰する宗教の教会やらサティアンなりに隔離されて一生生きるといいよ。
自分の信仰に都合の悪いものは全部見ないようにね。
232 :
名無しさん@3周年:03/05/12 16:13
神は偉大なり。
神は愛なり。
神は僕のパパ。
233 :
名無しさん@3周年:03/05/12 16:16
あー本当にあきれます、2ちゃんには!
心と宗教ぐらいには まともな人いると思いましたが
まったく駄目ですね、あきれて言葉もでません
人間というものは醜いですなあ
>>233 あら、他人を見下すあなたのほうがたいしたことないわよ
醜いわ
>何的というよりも、現象を可能にするような対象の存在を
>無条件に受け入れることで、その対象Xを神とするような
>安易な思想。というより、対話の地平をどのように捉えているのかが疑問ですね、
>何的なんだろう?キルケゴールを連想しましたが…。ブーバーですか?
落ちていたので、ブーバーに近いのかな?
>完全な神なら即座に計画を成就すればよいのでは?
完全さの定義を1さんは、どこかでしてましたっけ?
236 :
名無しさん@3周年:03/05/12 17:20
中世ならいざ知らず、人間の理性を捨ててまで信仰を強要するような神は、
現代人を救わないでしょう。本人は救われたと思い込んでいるかもしれないが、
単なる欲求不満の代償にすぎない。ガラスの家に住みながら、ダイヤモンドの
城に住んでいるんだと自分を誤魔化している。そのくせ、批判者が家に向かって
石を投げるたびに、首をすくめて神の助けを祈っている。彼は信仰者のようで、
実は自分も神も信じちゃいない。
237 :
名無しさん@3周年:03/05/12 17:38
ねむたいこと言うなや
>>1は
新潮文庫の「あとがき」しか読んでなかったから
引用を間違えたw。本屋に行って見てみなw
>釈迦ですか。彼も到底守れないような「戒律」を科していますね。
だそうで・・w
聖書も仏典もロクに読んでない事はマルわかり
>>238 迷える子羊を救うのが役目ではないですか。
>1.疑問なんですが、クリスチャンは神を信仰するきっかけになった
自分の過ちや、愚かであった過去を悔いたりするのでしょうか。
そのおかげで神を知ったとしても?
2.むしろ彼を成長させた要因であって、必要なものだったんじゃないでしょうかね。
3.そういうとき、その体験を一体悪魔に魅入られたと考えるのか、神からの賜物だったのか、
どちらにとるんでしょうかね。そこに天国・地獄観・あるいは悪魔・天使のこじ付けに当惑しないんでしょうかね。
あなた、なかなかいい事いうね。センスあるよ。ふつーのクリスチャンや私よりクリスチャンぽかったりして。w
1.そこまで、達観できているクリスチャンにネット上ではなかなか会った事がない。w
その時は、苦しさからの解放を求めていて、ああ、救われてよかった、と思うのが精一杯で、それは確かにあとになって思うのかもしれない。
2.おっしゃるとおり。神は我々に克服できない試練は与えないとある。
3.神は悪魔の上に立つお方であって、悪魔の誘惑も全て神の御心の範疇ということです。
ちなみに、最も重要な祈り「主の祈り」には、
「私たちを誘惑に陥らないように導き、私たちを悪から救ってください」とある。カト系聖書では誘惑、プロ系では試みとなっている。
神が悪魔を用いたということであれば、試みとなるし、悪魔だけに目をやれば誘惑となる。
私は当惑していないが、当惑しているクリスチャンもいるかも。この辺は、クリの間でも見解が分かれるかも。
>>161 早くしないと人生短いものだよ。
至言。私も最近よく思います。こんなネットばかりやってる場合じゃないなと。
祈らないと、と。私の霊性は、とんでもなくまだまだ低いものです。
あと、最初の質問にまともに答えていなかったかもしれませんが、
肉的な我々とすれば、尊属である幼い我が子がその命と絶たれることは、筆舌に尽くしがたい悲しみがあると思うのですが、
天国を中心に考えると、天国は、幼子が主役であると、主が言っている通り、汚れない形で天国にいるほうが幸せだという考え方もできます。
当事者からすれば、とてもそんな心境になれるはずもないのですが。それはやはりその親にとってのなんらかの試練なのでしょう。
ちなみに、主が誕生した時も、同令の幼子がみな殺されました。神の計画は我々の人智を超えたところにあるのでしょう。
俺が今、鼻くそをほじくってるのも奴らにしたら神の偉大な計画なんだろうな。
245 :
名無しさん@3周年:03/05/12 21:50
生まれてすぐ死んでなーんの苦しみも経験せずに
「永遠の天国」にいければそっちのほうが得じゃん。
それはそれで不平等なわけ。苦しみながら生きてかなきゃいけない人間のほうが辛いわけで
なんでそう不平等なのか教えてくれ。その違いは生まれる前にどういう基準で決まるのわけ?
それらは、すべて我々の遠祖が犯した罪によるものなのです。
例えば、戦国時代などに、残酷な殺され方をした一族があって、その一族は末代まで、お前のしそんをのろってやる、などといいますよね。
我々は、主にあって、悔い改めにより、そうした遺伝悪の連鎖から解放される必要があるのです。
はなくそをほじろうが、低俗な番組をみようが、すべて神の計画、我々の自由意志のもとにあるのです。
旧約から
エレミヤ 29:17 万軍の主はこう言われる。わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送り、腐って食べられない、いちじくのようにする。
4 エレミヤ 29:18 わたしは、剣、飢饉、疫病をもって、彼らを追い、全世界の国々の嫌悪の的とし、わたしが追いやる国々で、呪い、驚愕、物笑い、恥さらしとする。
5 エレミヤ 29:19 彼らがわたしの言葉に聞き従わなかったからである、と主は言われる。
わたしは、わたしの僕である預言者たちを通して、この言葉を繰り返し伝えたが、彼らは少しも聞こうとしなかった、と主は言われる。
*
神は愛の神だけでなく、同時に裁く神でもあるのです。
248 :
名無しさん@3周年:03/05/12 22:34
>>247 「俺様(預言者)の言うこと聞かないからバチがあたったんだ」
としか解釈できないな。
249 :
名無しさん@3周年:03/05/12 22:37
250 :
名無しさん@3周年:03/05/12 22:51
246、247さんは分かりやすくていいね。
そうです。それがモーセの十戒と言われるものです。聞いたこと位はあるでしょう。でもその教えは、人間の善として当たり前のものばかりです。
神は霊的に汚れることを忌み嫌うのです。
旧約から
1 出エジプト 20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
2 出エジプト 20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。
あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
3 出エジプト 20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
4 出エジプト 20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
5 出エジプト 20:13 殺してはならない。
6 出エジプト 20:14 姦淫してはならない。
7 出エジプト 20:15 盗んではならない。
8 出エジプト 20:16 隣人に関して偽証してはならない。
9 出エジプト 20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
10 出エジプト 20:18 民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。
民は見て恐れ、遠く離れて立ち、
11 出エジプト 20:19 モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。
わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」
>>231 何をアツくなってるのか分からんが、
邪魔してくれてもかまわんよ。
何を質問しようと個人の自由だ。
しかし欲しい回答は得られないと思うよ、と言ってるわけね。
だから非生産的なんですよ。
それだけのこと。
253 :
名無しさん@3周年:03/05/12 23:31
まあ、キリスト教徒が単細胞だってことはよくわかるよな。
考える能力がないからこんな宗教にハマれる。
254 :
金正日MkU改 ◆jQ8WLrG83U :03/05/12 23:36
キリスト教徒が単細胞なら
>>253(くろしろ)も同等の単細胞ですね。
私は彼等が信仰にはまるのは仕方がないことだと思っています。
少なくとも複数のトリップ付きコテを使って自作自演する精神病患者よりかマシだとおもいますよ(w
試みについて、旧約から
1 ゼカリヤ 13:8 この地のどこでもこうなる、と主は言われる。三分の二は死に絶え、三分の一が残る。
2 ゼカリヤ 13:9 この三分の一をわたしは火に入れ/銀を精錬するように精錬し/金を試すように試す。
彼がわが名を呼べば、わたしは彼に答え/「彼こそわたしの民」と言い/彼は、「主こそわたしの神」と答えるであろう。
3 ゼカリヤ 14:1 見よ、主の日が来る。かすめ取られたあなたのものが/あなたの中で分けられる日が。
256 :
名無しさん@3周年:03/05/12 23:41
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>421はくろしろ=髑髏仮面=紫陽花=スケープゴット=死後の世界信じないよ=哲板住民=kai
>>254 へ?くろしろって何者よ?
ちなみに私はずっと名無しで書き込んでるけど?
259 :
名無しさん@3周年:03/05/14 02:28
荒れるのはなぜ?
260 :
名無しさん@3周年:03/05/14 03:18
>259
1> がゴネてるから。所詮信仰なんてものは信じようと思って得られるもの
ではなく、向こうからやってくるものだと思うなあ。そうなれば神の存在なん
て議論する必要もなく明らかでしょう。
もちろんそこに行くまでが暗中模索で、人によって方法はさまざまだろうけ
ど、哲学的思索というのも方法の一つだろうね。その点で 1> はいいところ
突いてるんだけど、ちょっと勉強が足りないんじゃないかな。
古典的なところだと、ヘーゲルの「絶対精神の自己運動」とか「悪無限・真
無限」の議論は神観念を理解するうえで役に立つのでは? ヘーゲルは
もともと神学をやっていたわけだし。
261 :
名無しさん@3周年:03/05/14 07:25
>260
>所詮信仰なんてものは信じようと思って得られるものではなく、向こう
>からやってくるものだと思うなあ。
それもまた決めつけだと思うけど。「向こう」のことはこっちには全く手がかり
がないわけでしょう?(カントの二律背反)
1さんは、「理解できないこと」を正直に「理解できない」と言っているだけ
だけど、ここの多くの人は自分のドグマを無批判に1さんに押し付けいている
だけだと思う。ソクラテスも言っている、「自分が何も知らないという事実を
知っている人こそが本当の賢者なんだ」と。皆さんは、あまりにも「私は知って
いる」を連発しすぎだ。本当に「知っている」のか、真面目に考えたことが
あるんだろうか。ドグマの中からは、ドグマの正当性は導き出せないんだよ。
262 :
名無しさん@3周年:03/05/14 07:57
>ソクラテスも言っている、「自分が何も知らないという事実を
>知っている人こそが本当の賢者なんだ」
それと、何の関係があるっての?
>262
人間は、「神」のことはわからない。「神」が存在するかさえも。その分際で
神学を説き、「神」をすっかり人間好みの偶像に仕立て上げているということ
です。それがあらゆるドグマの正体です。
「自分は実は何も知らない(正確には、人間には「神」のことを理解するよう
な権限を与えられていない)」という事実を知る人は、いかなるドグマも盲信
することはないでしょう。
参考までに、カントの二律背反とは、以下の4つの命題は、「ある」と
しても「ない」としても矛盾が生じないから、どちらが正しいのか人間
には証明できないというものです。
「この世界に時間的・空間的限界はあるかないか」
「それ以上分割不可能な最小単位はあるかないか」
「自然因果律とは別の原因(自由)はあるかないか」
「必然的な存在者(神)はあるかないか」
265 :
名無しさん@3周年:03/05/14 08:55
>>264 では素粒子物理学はドグマであり、
ビッグバンやブラックホール理論はドグマであると?
>>261 そうそう、ここの連中は単に「自分が信じていること、信じたいこと」を
「知っている」と思い込んでるだけ。
267 :
名無しさん@3周年:03/05/14 12:35
>>1 宇宙の成り立ちや、生命の進化に思いを馳せるとき、ぼう然とし謙虚な気持ちになります。
でも私は、その驚異に卑小な「神の意志」なるもの根拠無くを介入させることは
その美しさ、素晴らしさをスポイルしてしまうように思います。
ストレートに言えば、神や宗教をもちだす必然はない。
あなたが神に懐疑的なのと同じですね。
宗教は一種の思考停止なのです。
その妄想に取りつかれている人たちに論理を語っても無駄だと思いますよ。
古くさい言葉をまたここで持ち出すなら「宗教は人生のアヘン」なのですから、
アヘンが必要な人もいるのでしょう。死後の世界を信じることが自我にとって必要なように。
私が祈るとすれば、それは科学者たちにです。
「どうか私が生きているうちに宇宙の謎を少しでも解明してください」
書き忘れましたが
「神」=「宇宙」というのをときどき見かけますが、
なぜ宇宙をありのまま、受け止めずに
神を介入させようとするのか、わけがわかりません。
「宇宙意志」ってなに?
269 :
名無しさん@3周年:03/05/14 12:38
神は人それぞれの心の中にいる。
>265
電子を「見た」人は居りません。見たとすれば、それは回折とか、光電効果と
いった「現象」です。「現象」から電子の存在を類推したのは「悟性」ですが、
本当に電子が存在するのかどうかは誰にもわかりません。
271 :
名無しさん@3周年:03/05/14 14:34
>261【その1】
カントの二律背反ですか。そういえばそんなのありましたね。「必然的な
存在者(神)はあるかないか」は証明できないから議論の対象にはしない
ということですよね。
ちょっと誤解されてしまったようですが、わたしも同じ考えですよ。260に、
>所詮信仰なんてものは信じようと思って得られるものではなく、向こうから
>やってくるものだと思うなあ。そうなれば神の存在なんて議論する必要もな
>く明らかでしょう。
と書きましたが、神の存在性を論証することによって信仰を得るのが「信じ
ようと思って得る」ということに含まれます。論証という、わたしたち自身の
行為によって力ずくで獲得するというイメージです。わたしは論証は必要
不可欠であるが、どんな論証もそれだけでは不十分だと思っています。
たとえばヘーゲルの「絶対精神の自己運動」も、現代ではマルクスによる
批判を抜きにしては語れませんよね。
だから議論だけを見ていると神の存在性が論証されたとは言いがたい、と
いうのがわたしの見方です。
>261 【その2】
しかし一方で、哲学者たちは異口同音に神の存在について語っているよう
にも思えます。たとえばソクラテスの「洞窟のたとえ」、スピノザの「エチカ」、
ヘーゲルの「絶対精神」などに接するとある一つの観念を得るわけです。
もちろんそれぞれの議論はまったく違いますから、「一つ」というのはおかし
いかもしれません。まあ、たんなる確信のようなものですから、議論の対象
にしないのであれば始めから分けておく必要はないだろう、という程度のも
のです。
で、その確信が「このわたしが存在する」ということと同じくらい明らかだとい
うことなのです。それがわたしにとっての「神は存在する」ということです。
この確信は論証されたものではありませんから、わたし自身の知恵による
ものだとは考えられません。したがってどこかからやってきたわけです。そ
れが信仰は「向こうからやってくる」ということの意味です。
信仰というと「ドグマの盲信」だとか「思考停止」だと思われるかもしれません
が、たんなる確信と考えれば、知性の働きを邪魔することはないと思います
よ。ただその確信が生まれるまでの暗中模索のなかで、何らかの哲学体系
とか宗教の教義を盲信してしまうことはあると思います。それはやはり問題
ですね。
>260
カント以降、神は「人間の側から要請されるもの」と言うしかなくなったと
思います。ヘーゲルのいう絶対精神は、「弁証法」の原理によって、試行錯誤
を繰り返しつつ客観性100%の世界に行き着くための原動力のようなものですか
ら、それを「世界秩序の法則」に置き換えてもそのまま成り立つでしょう。
そういう「神」がドグマでないのは納得できます。しかし、その「神」は少な
くともキリスト教で言うような「神」とは違うと思います(『精神現象学』の
入門書しか読んでいないので、誤解があったらスマソ)。
>この確信は論証されたものではありませんから、わたし自身の知恵による
>ものだとは考えられません。したがってどこかからやってきたわけです。
なるほど。私は、人間は神のイデアを持って生まれてきたと推測しています。
もちろん、神そのものが人間の内部にあるわけではありませんが、「これは
神からの命令だ」と確信できるようなもの(良心?)、聖書に書いてあるから
どうとか、権威ある公会議で決まったからどうとか、そういう一切の権威的
押し付けがないまま、「神の声だとわかる」という面があると思います。
福音書などを読んで、感動するのは、ヒュ−マニティを媒介として「神のイデ
ア」と共感するからなんではないか、と考えています。カントの道徳律に近い
考え方なんですけど。
哲学版の方がいるようですが、人間の論理性のみで神を理解しようとすることには、人間の奢りと限界があります。
私は、古代人の人智を超えた直観力の方を信頼します
275 :
名無しさん@3周年:03/05/14 19:33
>>274 私は、古代人の人智を超えた直観力の方を信頼します
古代人の迷信を信頼しないでね。
276 :
信仰してるけどね:03/05/14 19:45
1>の思索を深めてくれるのか 神
助けてくれるもの、有益なもの、意義を与えてくれるもの
信仰に意味があるのかもしれないと思うのは信仰
277 :
無神論者のような違うような:03/05/14 19:50
ぶっちゃけ、神を信仰してる人たち、人生捧げてその宗教の戒律守って
神なんかいないのが現実だったらどうするの。
どうしようもないけどさ。
278 :
名無しさん@3周年:03/05/14 20:29
>>277 もしいなかったら?
笑ってごまかしますが。
279 :
名無しさん@3周年:03/05/14 20:32
>>277 少なくとも弱肉強食に対する防波堤にはなったという自己満足に耽ります。
信仰というものは、人生を否定するものではなく、豊かにするものです。
思索的には、神はいないのでしょうが、本当の信仰というのは、人生を豊かにします。
かりにいなかったとしても、そんなことはありえないですが、人生は豊かになります。神は人間の必要により創造したというのでしょうが。
また、あの世での幸せにもつながります。
逆に、いないと断定したとしたら、
自暴的な生き方をします(クリスチャンでもそこからの回帰が多い)、そして人生に苦悩します。
あの世でも、煉獄や地獄が待っています。何もいいことないと思うのですが。
281 :
名無しさん@3周年:03/05/14 20:44
>>275 迷信ではなく、古代人は我々の想像を絶する感知力を備えていたと思っています。満天に広がる夜空と自分の身の不安定さ、人間の不可解性、中世から現代にかけての堕落した人間には想像を絶するものと思います。
>>281 近代の合理主義、功利主義などを持ち出しても、また、現代の堕落した人間の霊性などを基準に考えても全く意味のないことです。
哲学やっている人の話を聞いていると、未開の地のでかしこい原始人を想起させます。
その未開の地に文明人が行ったとして、その中の何人かが携帯電話やテレビやラジオ、4WDの車を見たとします。
それを見た彼らは、神を見たというでしょうが、
その原始人の集落でそれを見ていない賢者と言われている人たちは、きっとそれを否定するでしょう。
おまえは幻をみたのだ。おまえらは単純なバカだな。それは毒キノコ等の影響にちがいないと言って。
彼らは自分の目で見て、自分の頭で理解できることしか理解できないのです。
アインシュタインでも神の存在を信じているというのに。
285 :
名無しさん@3周年:03/05/14 21:07
>>284 アインシュタインでも神の存在を信じているというのに。
彼は有神論者でした。しかし、ユダヤ教の神も
キリスト教の神もイスラム教の神もシヴァの神も
信じていませんでした。その辺り、誤解なきように。
>>285 アインシュタインの神てどんな神、宇宙の創造神のこと?
精密機械を作っただけの神なのか、慈愛に満ちた神なのか。
慈愛に満ちた神なら、世界の神話によくある話かと思いますが。
288 :
名無しさん@3周年:03/05/14 21:29
もしも神がいたとしても、私には神の心を完全に理解する事は出来ない。
なぜなら、私は私であって、神ではないから。
だから、啓示の書といわれるものがあり、
イエスの降臨があるのです。
5年後、想像つきます。50年後、なんとなく分かります。
500年後はどうでしょう。 5000年後は? 5万年後は? 50億・・・。
そんな先のこと、知ったこっちゃない? もう居ませんから?
神に聞けばわかる? 神は、知って、いるのか?
宗教家さん、1時間待ってるんやけど。
>261
ヘーゲルの「絶対精神」は一般に、「自己にとっての他者を自己のうちに
媒介し、自己存在の契機となし、他者存在を自己のうちに包摂する在り
方」(『哲学・思想事典』岩波書店、1998年、「精神」の項)と定義されま
す。
ヘーゲルによると、「精神現象学」を始めから最後まで通読すると、絶対
者(神)に出会って絶対精神の境地に達するらしいですね。
で、ヘーゲルの絶対精神はキリスト教の神と違うのではないかというご
指摘ですが、わたしは少なくともヘーゲルの側からは同じものを目指し
ていたと思いますね。精神現象学では、最後のほうの絶対知のところで、
イエスが死んで神が聖霊として復活することによって絶対知が成立する
ということになっているようです。
知ったかぶりっ子の集まりはここでつか?
優しい人の集まりよん
キツイ連中だと
ここの
>>1なんて本当に馬鹿にされると思うわw
OK
眠ります、夜は。わたし、動物ですから。地球回ってます。昔から・・・。
たとえ、50億年後とか、気のとおくなるような先だとしても、霊魂は不滅です。また、だからおそろしいということもある。
そんな気の遠くなるような時間、永遠に苦しむとしたら、いったいどうなのか。
というか、時間の概念がおそらく現世とは違うと思う
>>291 何を待っているのかな。
298 :
名無しさん@3周年:03/05/15 00:30
>>297 そんなこと信じてる君が恐ろしい。
他人事ですが人生を無駄にしてるね
>261
>私は、人間は神のイデアを持って生まれてきたと推測しています。
個々の人間に良心がそなわるように、何らかの予定調和的な力が働いてい
るということでしょうか? わたしは人々が思いやりや良心をもって行動する
可能性を信じてはいますが、同時に人々にはそうしない自由もあると思って
います。だから個々の人間に神のイデアがそなわっていると仮定する必要
は感じません。にもかかわらず、わたしとしては自分と他人を同じように尊重
するという努力をしつづけていく以外にないわけです。それが神の存在を信
じるということだと理解しています。
またカントの定言命法は、普遍的な正しさがいくつもあるような状況では破綻
すると思います。法律の裁判や国際紛争などを見ると、普遍的な立場同士
で争うことがむしろ普通です。そうした場合、定言命法に従うと、どちらも自分
の立場が絶対に正しいと考えるようになる危険性があると思います。
>>298 キリスト教徒は「永遠の地獄」を信じてるからな。
いやはや、すごい神を信仰してるよ。
301 :
名無しさん@3周年:03/05/15 01:10
神って言葉は人間が自分が組み込まれた宇宙とか自然とかのシステムのことを意味するために作った言葉にすぎない。
信じるとか信じないとか、いるいないとか訳が分からない。
302 :
名無しさん@3周年:03/05/15 01:21
>>301 ちがうでしょ。
宇宙は「宇宙」で、「神」はまた別の意味ですよ。
「神は宇宙だ」とか「神は愛だ」とか「神はタオだ」といいだすと
神を「信じる」必然性がなくなります。
「これは宇宙の意志だ」っていうのは、「神」を「宇宙」にかえただけの
宗教的発言ですが。
そもそも、宗教って分かりやすく言うなら
その体系を論理的に理解するということではなく「信じる」という行為だから
客観的に否定も肯定もできないこと(つまり主観的であること)が対象になるわけだから
「宇宙とか自然とかのシステムのことを意味する」ってことのほうが
わけわかりません。この手の論理はいわゆる「ニューエイジ」という「宗教」だと思います。
まあ、矢追純一も宗教者ということですね。
303 :
名無しさん@3周年:03/05/15 01:22
ぶっちゃけ、神がいるかどうかは良くわかんないんだけど、
一つだけ確実に分かったことがある。
それは「神は存在する」とか言う人に質問し続けると
まったく支離滅裂のことを言い出して、実は相当頭おかしい
という事実を確実に露呈する、ということ。
これだけは確実に分かったよ。
人間は罪深きものであり神との深い断絶があります。
神から離別した状態、即ち罪を犯したため、人間は神を知ることも、
神の愛を体験することもできなくなるのです。宗教といった人間的な
良い行いや表面的な活動とも、思われる一環のことが、所謂、精神的
鍛錬(努力)というものと仮定されて行われます、がしかし、今日に
おける宗教に関する問題等をとりだたせば、そこに善悪がともに存在
するということは否めないでしょう。
305 :
名無しさん@3周年:03/05/15 01:44
>>1「罪無き幼子が虐待され、殺されるという事実があるかぎり
神の存在を認めるわけにはいかない」
幼児が虐待されるのは残酷で、罪のない子供が殺されるのは忍びない
それは間違いないが、それらはあくまで人間が見た感想
神の考えなどわかるはずもないが、人間と同じように神も同情するかな?
これから書く事はまったくの妄想で根拠のないたとえ話だが
虐待されて死んだ子供に前世というものがあって、前世でその子供は極悪人だったとしたら
その罪の禊ぎに現世に虐待され殺される運命として生まれてきたとしたら?
それが本人の魂が成長する為にどうしても必要な過程だとしたら?
人間の目で見りゃ人は死んだらそれまでだが、神の目から見たら違うかもしれんだろ
Q.E.D
神=システムじゃん。
わけわからんこと言うなよ。
つーかさ、じゃあ神って何?宇宙って何?宗教って?あんた誰?
論理的に証明してくれよ。
>>306 わけわかりませんか?
「神=システム」もさっぱりですが…
私が思うに
「神」とは、もともと火山を噴火させる「意志」であり、
作物を駄目にしたり、豊作にしたりする「意志」であったわけです。
つまり人間に制御できない「自然を擬人化したもの」で、
それらは別々の「意志」だったと思うのです。
そこには自然や宇宙に対する畏怖の念が込められていたと思います。
って、ほんとにこんなこと聞きたいのですか?
ちなみに宗教については302に書きましたが…
窪図化もシステムって言葉よくつかう
309 :
名無しさん@3周年:03/05/15 02:13
横レス
神=意志とすると
人の不幸を見て見ぬふりする神
戦争を無視する神
不幸や疫病の蔓延を無視する神達が居るってことになるんだよ
>>302 つまり意志がある神、人格があり裁量を下す神がいることになる
なんかよく分からないけどそれじゃあ神=システム、神様=システムの擬人化でいんじゃない。
311 :
名無しさん@3周年:03/05/15 02:15
>>309 信仰心篤い人たちに言わせれば「神の試練」ですね。
都合がいい解釈です。
ところで私が言いたかったのは「神」=「意志」ではなく
「神は意志を持った存在」ということです。
神の特徴のひとつです。
>>310 つまり「神」=「宇宙のシステム?(法則)」とかいうと
すなわち「宇宙が意志を持った存在だ」ということを主張していることになるわけです。
意志を持たない神はいないのです。
だから、「神」=「宇宙」は宗教的発言で、
つまり「信じるかどうか」ということになるわけです。
313 :
名無しさん@3周年:03/05/15 02:34
太極で神が意志を持っているかはわからないけど
神=法則ってのはなんとなくわかるけどな
リンゴが枝から離れ地に落ちるのも法則
種を蒔いて水をやれば花が咲くのも法則であり働きだよね
つまり神があの花を咲かせよう。と思って一々やってると考えるより
条件を満たせば結果が生じ、原因を作ればそれにそった結果が帰ってくる
それを神の働き、体現だと言っても特に不都合はなさそうだが
>>313 なんでそうなるのか、ちょっとわからない。
神に意志がなければ、神って何?
主体が無いのと一緒では?
もし宇宙の法則に基づいて(大げさですが)、
花が咲くのなら、そこに「意志のない神」という概念の必然性はないのでは?
>>313 ちなみに、
理解はできないけど
そういうことを信じるのが宗教だと思いますよ。
316 :
名無しさん@3周年:03/05/15 02:53
いや、神に意志がないと言い切るつもりはないけど
少なくとも人間の目から見て神に意志が必要である理由がわからないんです
法則性のある宇宙が神で、その中で人間は好き勝手やって生きてるって考えたら
不条理だらけのこの世界も、妙にうまいことできてる(生態系バランス等)事象も納得いくような。
神がいるとして、花や人間は神が創ろうと思わなければできないだろうって話もわかる
まぁそこらへんは被創造物である人間には文字通り計り知れないわけだが。
でも俺の言ってることは矛盾してるのかな、神が居るというスタンスをとりつつその神に
意志がないと言ってるんだから、祈っても救ってくれないことになる。
302の言う神がキリスト教的な神なら俺はそんなヤツいないと思うけどな。
>つまり「神」=「宇宙のシステム?(法則)」とかいうと
>すなわち「宇宙が意志を持った存在だ」ということを主張していることになるわけです。
>意志を持たない神はいないのです。
なんでこうなるのかよく分からない。
それとえーとあなた、ここはどこで今はいつであなた誰?ってのを証明できるんですかね?
証明してください。
あとあんたシステムの擬人化の話してるだけだよ。
意志のある神ってのは神の擬人化なんですよ。
神が創った最悪なもの・・・。
黒人と白人。と 核。 ・・・核兵器は人間が作ったのか?
いわゆる神様はいないと思うが、20億年前だっけ、地球に生命誕生したの。
生命が誕生する環境がととのったこと、その偶然が極めて不思議。
俺はその最初の単細胞みたいな奴の末裔かと思うと。もちろん、生命自体も
不思議なものだが。
くやしいけど、宇宙の存在は認める。認めてやる。神の領域。
しかし、生命誕生の謎は解き明かされてほしい。理論じゃない方法で。
末裔として。そうは思いませんか?
無理なのか。遺伝子の突然変異とかあったのか?
板ちがいか?
321 :
名無しさん@3周年:03/05/15 11:17
>>317 301から読んでいくと分かると思いますが、
あなたの主張は
「神とは宇宙のシステムの別名である。したがって信じる信じないはわけわからん」
で、
私の主張は
「神と言う言葉を使うと言うことは、宇宙それ自身を意志を持つ存在としてるわけだから、
宇宙が意志を持つかどうかと言うことを「信じる」のは宗教である」
といってるわけです。
唯心論 対 唯物論みたいな論争をしたいわけではなく、
宗教と神の定義をしてるのです。あなたが「神」=「システム」と言うなら
「神」という言葉は必然性が無いのでは?宇宙を語るのに神を語ることは宗教です。
宇宙を語るなら宇宙それ自身に語らせてください。
ということを繰り返してるつもりですが、説明が下手なら許してね。
しかし
「それとえーとあなた、ここはどこで今はいつであなた誰?ってのを証明できるんですかね?
証明してください」っていうのは、あまりにも幼稚な議論展開ではありませんか?
なんだか、議論がかみ合わないので
第三者の方が判定してください。
よろしく
>301さん、302さん
要するに、「現象」の裏に何者かの意志ないし必然性を認めるかどうかという
話ですよね。しかし、人間は「現象」しか理解できないのですから、たとえば
サイコロを振って見て、統計的にランダムな結果という結論が得られたとした
ら、「偶然と思われるが、もしかすると意思が巧妙に隠されているかもしれな
い」と言うしかない。神云々の話は「英知界」の話なので、「現象界」に
生きるわれわれにはいかんともし難い。
後は、個人の「要請」に従って、「この世の出来事はすべて偶然だ」あるいは
「この世の出来事には、神の意志が働いている(が、統計では見破れないほど
巧妙に隠されている」と信じればよいかと思いますデス。
>>323 必然性を認めるかどうかは別にして
宇宙に意志と信じることもまた宗教だと言ってるのですが…
>324
確かに、「宇宙が意志を持つ」というのは信仰に属しますね。人間がいかに
考えても結論が出ない命題だから。ただ、カントが言うように「嘘を付くこと
が完全悪」だとしたら、神さまは絶対にうそをつかない。だから、宇宙法則
(神の行為)と神の意図は完全に一致していて、矛盾はないだろうと私は推測
します。そうなると、「現象」に現れるものすべてが「神の意志」だという
ことになる。たとえ、人間の眼からは偶然に見えても、「神の意志」が偶然
として「現象界」には現れていることになる...ような気がするなあ。
というわけで、301さんと302さんの論理の矛盾は新しい命題として昇華され
ますた。
328 :
名無しさん@3周年:03/05/15 16:58
age
329 :
名無しさん@3周年:03/05/15 17:06
sage
330 :
名無しさん@3周年:03/05/15 17:54
宇宙の摂理を、神と称すこともでき、神と称さないこともできる。
または悪魔と称することもでき、悪魔と称さないこともできる。
または、神と悪魔という光と影と称することもでき、称さないこともできる。
「ある」・・そして「ない」・・のである。
こうして人類は頭をかかえながら地球上をはいまわっている。
自らが築いた概念の中を・・。
意味の中を・・。
331 :
名無しさん@3周年:03/05/15 17:57
神なんてハナからいねえんだよ。
人間がつくった幻想だ。
そんなくだらねえもんに踊らされるヒマがあったら今を必死で生きろ。
332 :
机龍之介 ◆6T0K39W8N2 :03/05/15 18:00
ロムしちょりまふ。
よろしうに・・
333 :
名無しさん@3周年:03/05/15 18:27
>>331 必死で生きてる人間が宗教にすがりついてる印象があるなあ。
彼らは宗教なかったら生きてられないんじゃないのかな。
334 :
名無しさん@3周年:03/05/15 18:32
>>333神と宗教は一度切り離してみるのも良いかもしれませんね。
神=システムで神様=システムの擬人化ってオレは何べんもいってんじゃん。
神が人間だなんてだれもしんじてねーよオメ−はバカでくそだ。
妖精とか妖怪とかサンタさんとかといっしょのメルヘンなんだよゴミ野郎。
あとおまえさー宗教は思考停止とか言う理由でだめとかいってんだろ。
だからさ思考停止しないでおまえは誰なのかおれに証明してくれよ。
>>289 だから、啓示の書といわれるものがあり、イエスの降臨があるのです。
降臨した覚えはありませんが。
338 :
名無しさん@3周年:03/05/15 19:24
>>336 横からすまん。なんだか熱いね、窪塚は。
あんたは、どんなつもりで「神」って言葉を使ってんのさ。
302が気にしてるのはそこかもよ?
「おまえは誰なのかおれに証明」って意味不明だろ?
「おまえの存在をおれに証明」のつもりか?
339 :
名無しさん@3周年:03/05/15 19:24
340 :
名無しさん@3周年:03/05/15 19:26
>>334「宗教は人生のアヘンである」
違います。
宗教は人生の清涼飲料水です♪
神=システムっていってんだよこの文盲。
「おまえは誰なのかおれに証明」ってどこが意味不明なんだよ説明しろよ。
「おまえの存在をおれに証明」でもいーから証明すりゃいーんですよ。
>>341 302じゃないんで、相手が違うかも知れんが、
「神=システム」なら「神」っていう使い古された概念を持ち出す必要はないだろ?
ほんと、窪塚はおつむが弱いな。
「おまえは誰なのかおれに証明」は「証明」の言葉の使い方を間違えてるんだよ。
ばか。そめて「説明」にしろ。このばか。
「おまえの存在をおれに証明」して欲しかったら、偉そうにしないで
お願いしてみろ。
ごめんなさい文盲さん。
>「神=システム」なら「神」っていう使い古された概念を持ち出す必要はないだろ?
何でこうなるのか説明してください。
証明と説明がどう間違っているのかおしえてください。
あなたの存在を僕に証明してください、おねがいします。
>>343 きみは神は宇宙の仕組みそのものだから、その存在を信じるとか信じないとか
いうのはナンセンスである。ということを主張しているように思われる。
違うか?
確かに「宇宙のしくみ」そのものは現前しているわけだから信仰の対象ではない。
302が言うように「神が意志ある存在」であれば、信仰の対象となる。
しかし、窪塚は「神=システム(これは宇宙の仕組みや法則のことを言ってんだろ?)」
つまり、「宇宙のしくみそのものが意志を持つのだ」という意味になってしまう。
だが、窪塚の話を読んでると、どうやらこいつは
「神=システム」だから信仰の対処としての神様は存在していない。といっているらしい。
・その前提となる「神=システム」が正しいのか?
・「神」という言葉の定義をしたのか?こいつは?
という疑問は残るが、そのへんは個人の信仰の問題なので置いといて、
神=システムといった場合、ほかの人が持つ神のイメージに影響されてしまう。
つまり、ほかの人が見たら「宇宙こそ全知全能の存在である」と
主張しているように受け取ると思わんか?
つまり「神=システムだから云々」というのは、このままでは論理的に成立しないのではないか?
「神」という概念をただ拡張しようとしているように思ってしまう。
言葉遊びでしかない。
なんかわかりにくくなったな。わるい。
とにかく「神=システム」といっても現実の宗教はそうではないだろ。
現実の宗教で別の意味に使われてる言葉を、無理やり当てはめようとするなって
ことだな。とりあえず
>>343 「証明と説明の違い」は自分で調べろよ。
「あなたの存在を僕に証明してください」ってのは
唯心論と唯物論の論争になってもしょうがないだろうから
「自己が存在するためには他者の存在が必要だ」という話でいいかね?
これなら簡単だから。
まずAが存在するためには、AをAとして認識する必要があるね?
もしそうでなければ、「A=すべて」、もしくは「A=無」であって
いずれにしてもAは存在しないよね。
AをAと認識するためには非Aが必要になる。「Aは非Aでないもの」である。
非Aが存在してはじめて、AはAとして存在することになる。
こんな説明で分かるか?おい
わかんなかったら、もっと説明のうまいやつにしてもらえ。
でも、なんども「おまえの存在をおれに証明しろ」っていってろってことは
なんかあるの?秘密兵器が?
346 :
名無しさん@3周年:03/05/15 21:07
>>344 「一神教のゴッド」というのが先にあって、それを現在の現実に当てはめると
「ゴッド=システム」というのが出てくることは順当だ。
だから人間の世界の認識が変わればゴッドの認識も変わってくる。
宇宙のしくみそのものが意志を持つことは屁理屈でどうにでも
理由がつけられる。
物理法則がゴッドの意思だとか。
>>346 ちゃんと読んでるのかよ?めんどうくせーな。
今話してるのは「宇宙の意志」があめかどうかなんてことではなくて
宇宙に意志があるなら、それは信仰の対象で
そうでなければ信仰の対象じゃないだろってことなんだよ。
>>346 補足するとさ、
「一神教の神」っていうのは全知全能の神であるから
(そうだよな?)
宇宙そのものが神の支配下にあるわけだよ。
神が宇宙を作ったわけだから。
だから、宇宙は神の意志を体現してることにはなるけど
「神=システム」にはならない。少なくともキリスト教ではね。
君はホントに文章がながくてわかりずらいよなー。
だからさ神に意志があるなんてメルヘンなんだってば。
現実の宗教は神=システムっていってるよ、つーかそれが宗教ってもんだ。
神って言葉にはもともとシステムっていみしかないよ。
神がシステムじゃないっていってる君にむりがある。
証明と説明が違うって言い出したのはおまえだろうがおまえが調べろや。
説明しろなんていってねーよ証明しろっていってんだよ。
頭のよわさ自慢してんのかよ白痴。
>>349 窪塚君は中学生か高校生くらいですか?
ほんとに自分で分かって書いてますか?
おつむだいじょぶですかあー?
352 :
名無しさん@3周年:03/05/15 21:40
353 :
名無しさん@3周年:03/05/15 21:41
今日はカレーだ
354 :
名無しさん@3周年:03/05/15 21:41
ループしちゃったよ
355 :
名無しさん@3周年:03/05/15 21:45
>>352 このスレの639は窪塚ですか?
それとも、これはやってんの?
356 :
名無しさん@3周年:03/05/15 21:50
同じ日本人とはとても思えないくらい
窪塚君とは議論がかみあってませんね
357 :
名無しさん@3周年:03/05/15 22:03
>>347 だから宇宙の仕組みの意思なんて、色々な理由で説明できる。
ものがそのまままっすぐ進もうとするのも意思なんだよ。
重力加速度をおよそGに定めたのも意思だと捉えられる。
それを否定するのもしないのも自由だろう。
つまり「宇宙の意志」のあるかないかを論ずることは無意味なことで
十分信仰の対象になりうる。
358 :
名無しさん@3周年:03/05/15 22:09
>>357 だから
「宇宙の意志」の有無を論じてるのではない!
宇宙に意志があるとすれば、それは信仰の対象だし
ないとするなら信仰の対象ではないだろうってことだよ。
>>301が発端だから。ちゃんと読んでくれ。
ですから、レスの前後関係よくわかりませんが、
神=宇宙のしすてむ=神の意志=宗教=降臨=イエスキリスト
ということです
5W1Hしってる?
昨日から言ってますが、直感といってるでしょ。
そういう事いってるから、信じれないんですよ。
宇宙のしすてむ=イエスキリスト
は完全に否定できる。
>>362 なぜ。それならどうして古今の思想家が聖書とかかわりあってるの。
もっと勉強してください。
へ?キリスト教が世界の主流だからだろ、そりゃ。
キリスト教国がどんだけあると思ってんだ。
アホですか?
365 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/16 10:23
>>216 まあ、宗教いろいろかじってみて比較検討する作業ってのは
必要な事かもね。ある意味。
>>222 じゃあ一体この世界はなんぞやって話しだね。もうちょっと説明きぼう。
>>225 他人がどう考えようがどうでもいい、ってのは確かにそうだが
ここでの問いはわたしが神をどう捕えるかという問いであって
その答えを探す作業のひとつとして他者との対話を利用しているだけ。
>>227 >無数の役割を担ってこの世に生を受け、その業をこなしてこの世を去っていくのです
悪いけどこういうのはもう物語りとしてしか見れないんだよね。
>>228 信仰を厚くできない種類の人間なんで、なんとかしてくれ。
>>235 神の完全さってのは、全知全能と同義。
>>236 同意
>>238 一応、反逆と大審門官だけこのスレを立てた直後に読み返したよ。
その前にも読んでいたけど、大分前だったからな。
聖書や仏典は特に詳しく読んでいません、というのは前にも書いたはず。
>>240 >神は悪魔の上に立つお方であって、悪魔の誘惑も全て神の御心の範疇ということです
>神が悪魔を用いたということであれば、試みとなるし、悪魔だけに目をやれば誘惑となる。
それを本当に教会でおしえているとすれば、それだけでもうこじ付けだってことが
ばればれになるね。だって、悪をすれば地獄へ行くんでしょ。その悪をうながしているのは神のつかわした悪魔なんだよね。とすれば、もし悪魔に誘惑されて負けた人間がいたとすれば、その人間を地獄へ追いやったのは神ということになるよねえ。
レスの続きは今夜にでもします。
366 :
名無しさん@3周年:03/05/16 12:11
>>363 それは、自分の虫のいい願望にとって都合のいいことが書いてあるからでしょう。
「人間は、自分の願望を事実だと誤認するものである」by F.ベーコン
心理学でも立証されているよ。
>301さん
ちと、ビミョーな話なんだけど、たとえば神が意図を持っているとして、
その意図が「絶対公平にするために、すべてサイコロを振って決める」
という場合には、信仰の対象になるんだろうか。
結果は、すべての現象が偶然に起こるわけだから、神に意図があるか
どうかは見分けがつかない。しかも、神の意志は絶対公平で、かつ決心
は堅いから、信仰しようがするまいがエコヒイキはありえない(一切の
御利益はおあずけだ!)。こういう情況で信仰がありうるかどうか。
おじさんとしては、こっちの方に興味がある。
>>365 それは神を体験するしかないですね。言葉では本当に説明できないし
こんなにいいことを言ってるのに・・と思うこともありますからね。
369 :
omnipresence:03/05/16 14:52
神の偏在の根拠の一つとして引用されるのが詩篇139篇【指揮者によって。
ダビデの詩。賛歌。】です。
(Psalms 139:1-24) 【その1】
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いていてくださる。
その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。
どこに行けば
あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
(Psalms 139:1-24) 【その2】
わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」
闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち
闇も、光も、変わるところがない。
あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって
驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか
わたしの魂はよく知っている。
秘められたところでわたしは造られ
深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。
あなたの御計らいは
わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
数えようとしても、砂の粒より多く
その果てを極めたと思っても
わたしはなお、あなたの中にいる。
(Psalms 139:1-24) 【その3】
どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。わたしを離れよ、流血を謀る者。
主よ、あなたを憎む者をわたしも憎み
あなたに立ち向かう者を忌むべきものとし
激しい憎しみをもって彼らを憎み
彼らをわたしの敵とします。
神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。
御覧ください
わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしを
とこしえの道に導いてください。
〔新共同訳〕
>>367 えーとよく分からないんですけど色々考えても所詮自分なんて自然の歯車の一部の部品なんだしっていうのが信仰(?)じゃないかと。
でまあそんなことは誰でも知ってる訳だけど、それで世の中良くしようとか思うけどどうやったら良くなるのか分からないとか思って(?)。
えーそれでマニュアルというか何と言うか信仰をもって善良にだったり、ダークな部分を認めないからだめなんだとか全体を優先とか、
全体は個人に奉仕とかそういうのを信じて疑わないから(?)まあけんかしてんじゃないんですか??
374 :
名無しさん@3周年:03/05/16 19:56
>それは、自分の虫のいい願望にとって都合のいいことが書いてあるからでしょう。
>「人間は、自分の願望を事実だと誤認するものである」by F.ベーコン
>心理学でも立証されているよ。
全くその通り。「生まれ変りがあってほしい」と思ってる奴はヒンドゥー系の宗教にはまってるし
聖書に書いてあることが自分に都合よければ信じるし。
あと、奇跡とか癒しとか捏造でも簡単に信じるタイプはどの宗教にも騙される。
375 :
名無しさん@3周年:03/05/17 02:20
(Psalms 139:1-24) 【その2】
わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」
闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち
闇も、光も、変わるところがない。
あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって
驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか
わたしの魂はよく知っている。
秘められたところでわたしは造られ
深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。
あなたの御計らいは
わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
数えようとしても、砂の粒より多く
その果てを極めたと思っても
わたしはなお、あなたの中にいる。
376 :
名無しさん@3周年:03/05/17 02:22
コピペうざい。馬鹿か?
377 :
名無しさん@3周年:03/05/17 05:12
>375
>夜も昼も共に光を放ち
>闇も、光も、変わるところがない。
ここらへんがジーンときますね。勝手な思い込みですが・・・
378 :
名無しさん@3周年:03/05/17 05:56
神が人間を創った。そして人間は宗教を作った。
つまり、神>人間>宗教
宗教で神は語れない。
379 :
名無しさん@3周年:03/05/17 06:11
愚か者メ
380 :
名無しさん@3周年:03/05/17 06:15
>>378 神と人との関係の蓄積が文化となったものが宗教だと思うよ。
宗教に従うのは愚か。でも神に従うことは、私は辞めない。
神様がいないとしたら、
逆に、「神様がいる」という事は許されるんじゃないですか?
ダメですか?
382 :
名無しさん@3周年:03/05/17 07:49
神を騙る無かれ。
神の言葉を語るものは全てが魔物である。
383 :
名無しさん@3周年:03/05/17 09:54
でも聖書って人間が書いたものなんだけどね。全知全能も偏在もすべて人間の言い出したことなのにね。
神≫イエス≫弟子≫信徒
≫法王、教皇≫神父、牧師≫我々一般人民
系統上、どこまでの人に(神ならぬ人の身に)神の真意、望まれた事が理解しえるのだろうか。
いや、あくまでも神様がいてはるって前提での話なんだけどね。
384 :
名無しさん@3周年:03/05/17 10:08
現在の自分が理解出来る範囲の物で物事埋め合わせする必要無し。
385 :
名無しさん@3周年:03/05/17 15:09
>>375 キリスト教の詩って凄く言ってること綺麗なんだけど前イコン描いてるひとが
イコンは芸術ではないって言ってたが「バッハのマタイ受難曲」や「アヴェマリア」も
同じように芸術では無いのかな?キレイだよね。凄く!
386 :
名無しさん@3周年:03/05/17 15:21
>385
おれはキリスト教徒じゃないけど、旧約聖書や新約聖書が文学としてもす
ばらしいことは認めざるを得ないね。仏教もけっこうがんばってるんだけど
なあ。漢文だったり、古文だったり、とにかく古臭くていまいちなんだよね。
387 :
名無しさん@3周年:03/05/17 16:17
キリスト教徒では無いけれども、キリスト教美術は美しくて好きですね。
イコンも芸術だと思いますよ、ぼくは。
388 :
名無しさん@3周年:03/05/17 16:40
>>386 いや、それは西欧文化にどっぷり漬かってるからだぞ。
>388
そうかもしれない。中国語でもやり始めようかな。
390 :
名無しさん@3周年:03/05/17 17:21
391 :
名無しさん@3周年:03/05/18 04:34
【無神論の方法―実存主義】
無神論とは、神の存在と活動を否定する立場です。神を信じるあまり、
家庭を破壊し、社会を破壊し、自分を破壊してしまう人にどう対処した
らいいのでしょうか。
実存主義はかけがえのない個々の人間を重視します。「実存」は一般
に、個的で具体的なあり方をした有限な人間の主体的存在形態と定
義されますが、要するに「このわたし」を意味します。実存主義は必ず
しも無神論ではありませんが、生活のすべてを神に捧げてしまおうと
する人に対して、ちょっと待て、君が君自身の人生を選びとるという観
点から見てそれは正しいのか、と問いかける力があります。
実存主義は20世紀を代表する哲学の一つで、さまざまな人によって
論じられてきました。ヤスパース、ハイデガー、サルトルなどがその例
です。キルケゴールを含めてもいいかもしれません。
例えばハイデガーは、人間はつねにこれまでの自分を受けとめながら
次にどうするかを考えるというあり方をしていて、どんな状況でも、いま
ある人生の制約のもとで新たな人生を選びとっているのだと説きます
(まあ、これはわたしの理解ですから、多少間違ってるかもしれませんが)。
これをカルト信者にあてはめると、信者が「不信心者は悪魔にそそのか
されているのであり、どうせ最後の審判のあと地獄の業火に焼かれるん
だから無視しておけばいい」などと考えているのに対し、「お前はそうやっ
て自分の人生を選びとっているんだよ」と主体性の自覚を促すという対
処法が考えられます。
392 :
名無しさん@3周年:03/05/18 04:34
宗教は人間にとって害である。人間の本来の人間性や人間らしさ
というものは動物的で残酷な悪魔的なものでありその悪魔性からは
誰も逃れることができない。しかし、知的生物である人間はそれを
回避逃避すべく、宗教を生み出した。(悪魔的要素を隠すためにね)
宗教への信仰心という悪はむしろ善でありとまどわず行動すべき。
しかし、いまこそ、宗教が世界を支配する前にその宗教を叩き潰す
べき。
>392
宗教が世界を支配するなんて、近代化の進んだ先進諸国では考えられな
いことだよ。先進諸国の社会の一部に巣食うカルトと、近代化できずに混
迷する途上国の伝統宗教(イスラム教など)が不安定要因になっているこ
とは認めるが。
394 :
名無しさん@3周年:03/05/18 04:42
宗教は人間にとって害である。人間の本来の人間性や人間らしさ
というものは動物的で残酷な悪魔的なものでありその悪魔性からは
誰も逃れることができない。しかし、知的生物である人間はそれを
回避逃避すべく、宗教を生み出した。(悪魔的要素を隠すためにね)
宗教への信仰心という悪はむしろ善でありとまどわず行動すべき。
しかし、いまこそ、宗教が世界を支配する前にその宗教を消滅させる
べき。
395 :
名無しさん@3周年:03/05/18 06:21
≫384は思考を放棄したってことか?
396 :
名無しさん@3周年:03/05/18 06:21
>>393 馬鹿じゃないの。今も宗教が世界を支配してるんだよ。
お前のような奴は支配されるだけだがな。
ブッシュは、キリスト教を使ってすべての宗教を破壊する。キリスト教も、
なぜならば、聖マラキの予言によると、キリスト教はあと3代のローマ法王で、終わる。
そのあと、自ら神となり世界を統一するつもりでしょう。
>>397 クリントンが、ユダヤ教を使ってすべての宗教を破壊しようとしたようにか。
400 :
名無しさん@3周年:03/05/18 15:35
>399
人間が主体であるとしても、超能力を求めるのはいかがなものか。
家族とか、友人とか、すでにあるものを大事にしながら、一歩一歩前進し
ていくのが人生ではないだろうか。
>>392 >>394 あんたの言ってることも宗教じゃん。
悪魔崇拝だよ。
やめてくんない?激しく萎えるんだよ。
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< かみさまかみさま!
\_/ \_________
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∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< かみさまかみさまかみさま!
かみさま〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
無神論は人間にとって害である。人間の本来の人間性や人間らしさ
というものは霊的で善良な神的なものでありその神性からは
誰も逃れることができない。しかし、肉的生物でもある人間はそこから
逃避すべく、無神論を生み出した。(神的要素を隠すためにね)
いまこそ、無神論が世界を支配する前にその無神論を消滅させる
べき。
川|川川 川
‖川 | | | ー ー|| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 | |ー□--□l <無神論は人間にとって害である…と
川川| | \ J/|| \_______________
川川‖ | ロ|/| カタカタカタ
川川|‖\|__|l|l _____
/川川川__/川川 | | ̄ ̄\ \
| 川川| |/川l__,| | | ̄ ̄|
| \_|__|_|、__| | |__|
| \____|つ |__|__/ / <<392,394,403
| | | | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
| | ̄
>>1君、心配いらないよ、信仰は選ばれたものだけがすることだから。
君は本を読んだり思索に耽っていればよい。
もし、誰かに伝道されているなら、疑問はその人に聞いてみればいい。
その人を通して、神様が答えてくれるでしょう。
406 :
名無しさん@3周年:03/05/19 10:10
>>403 仮に、無神論が有害なものだとしても、近代的合理主義が出てきた段階で、いずれ
は無神論に行き着くことは予測できた。すべての事実を、神から(実際には媒介
者である教会から)教えてもらうまでもなく、誰でも実験すれば真理がわかる。
自分の足で歩ける分野が見つかったのだから、とことん歩き尽くしてみようと
人間は考え、結果的に科学的体系ができあがった。私は、これは人間の理性の
勝利であって、神の側から見ても好ましい進歩だったと思う。
しかし、科学は個人を無力化した。いまや個人を支えるのは神の手ではなくて、
意図をもたない偶然性と、厳格なる物理法則しか残らなかったから。だから、
たとえ無神論の時代が来ても、神を求める心はなくならない。ただ、科学が
出現する前の状態、迷信の濫用で教会が個人を支配するような状態には二度と
戻らないだろう(たまに退行現象で、そういう先祖がえりをしている人を見かけ
るが)。21世紀に求められる宗教とは、科学と古い迷信宗教の対立を昇華した
ものでなければならない。自由意志や理性を否定するような、時代遅れの宗教
は、百害あって一利なしである。
407 :
名無しさん@3周年:03/05/19 13:41
哲板さんに同感。誰か納得のいく答え出してくれ。
神お感じさせてくれよ。
>>407 わたしは仏派ですが。(w
神や仏は、イメージできないから作られた造語であります。
言葉や像にしたほうが理解しやすいでしょう!
あなたが自分をとことん追及してみましょう。そうしたら、あたまで
理解できない事があると思います。 たとえば
この体の細胞は、どうして今も動いているのだろう?急に細胞は停止しないの?
このような疑問は現代科学によって、いろいろと解明しています。
原因はなんだろうと!綿密な計算で宇宙だっていけるようになった。
しかし、天気は正確には予測できない。
医学だって進歩して、延命が出来るようになった。
しかし、「人間必ず死ぬ」
この人知の及ばない現実を感じてください!
>>406 百害も一利も両方あるの。勝手に一利も無いと決めつけるから
エスカレートしてカルト化するんじゃないか。お前さんの存在自身が
百害あって一利なしなんだとおもう。
神を捜し求めなさい。そうすれば
神が現れます。
理性は勝利ではない。
私は理性と理性との間に決して相容れる事の無い壁が
存在する事を知っている。
理性による争いの方が神による争いより苛酷である事を
私は知っている。
だが、恐らく理性を信じる者達は、
お互いに相容れない他人の理性を指して
宗教と言うレッテルを貼り続けることを止めないだろう。
誰でもいい、私に理性による勝利が存在しない事の証明を
発言しない権利を下さい。
さらに哲板さんへ。
(つづき)
その人知を超えた何かの存在を感じて(頭で理解するために)
運命か、偶然か、この世に実際自分が存在している事を考えましょう。
「うーん。不思議だ」 あなたはどうして存在しているの?
そして、なにはともあれ、生かされてる事を感じる。
だって、自分の意思でこの世に現れたんじゃないもん。
それで、生かされてる事に対する感謝(生きるって貴重だなと思い)を
神や仏に感謝する生き方が信仰だと思うよ!
つまり、なんでも出来ると思い上がらない事。
ただし、世間では「神」はこの世を作ったとか、自分に利益を与えるとか
「全知全能」だから、本来想像すらできないはずなのに、いろいろ、
この世の理由付けをしている。
そういう神をわざわざ信じる事は無いです。
だから、利益を授ける「神」ではなく、そういう固定観念を押し付けない
「仏」を私は支持しています。
仏は、心のあり方をふらふらさせないための象徴。
だから、沢山の仏がいます。どれが、一番の仏とかないんです。
>>412 哲板さんから、「密教の大日如来は?」と質問が来そうですが、
大日如来は、その様々な仏で、どれが優れてるんだ?
という問題の解決になります。
すべては、真理そのもの(大日如来)が理解できる形になった為に
化身となった姿と位置づけるのです。
もっと言うと、この世はすべて大日如来の現れ。つまり、
無機質でも、大日如来の化身であって、すべて真理だと。
世の中に、本来優劣はない、すべてが清浄であるんと考えるんです。
この世にいらないものは無い。ということなんです。
まあ殺人者になった人でも元は人間。環境が環境なら善人にもなれた。
414 :
名無しさん@3周年:03/05/19 15:45
小尾 信弥(東大教授・宇宙物理)
ほんとうにおもしろいんですね。実に不思議で、
やはり自然というものは神様が造ったんじやないかと、
ときどき思わされてしまうんですよ。・・・
自然界というのは実に不思議で究極的には神が見えるような気がします。
「殺人者になった人でも元は人間。環境が環境なら善人にもなれた。」
こんなのまやかしで
「善人になった人でも元は人間。環境が環境なら殺人者にもなれた。」
>>411 決して相容れない価値観の違いは、それは仕方ないでしょう!
あなたが体を痛めたら、あなたが一番しってるんですもん。
とどのつまり、生きながらにして、生きる意味を見出す。
自分なりに、死に対する解決をする事ができれば、良いのです。
結局人は人、自分は自分。本来優劣もありません。
宗教に自分をすべて依存をして、個性が無くなったら
その時点で理性の押し付けがあるでしょう!
宗教は、自分という問題の参考書であれば。いろいろあるさ。
真理を備えた理性は、
あいての主張も認めることができる。
まあ、問題の別解みたいなもんです。
イエスと仏陀が対峙をしたら、「あなたの考え方もあります」と
いうでしょう。それを否定するから、差別があるんです。
>>415 そうです。あらゆる言い方ができます。
善人が成仏できるなら、悪人は当然成仏できるの思想がありますしね。
418 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/19 16:05
>>242 神は生とか死にまったくこだわってないってことか。では何に?愛?
>>245 もし神を知ることができるのなら生きていたほうがいいでしょう。神もそれをお望みのはずです。
>>246 輪廻か。いろんな考え方があるな。輪廻についてはよくわからん、なにか立証できるようなものがあるの?
>>247 愛するも、裁くも、その対象は人間じゃないですか。その人間をおつくりになったのも神ならば、すべては神ご自身が愛するような対象に創られていなければ矛盾ではないですか?神が愛ならばの話しですが。
>>251 神が創造するにおいて完全ならば、人間的に劣った主人が奴隷に向ってするように、わざわざ戒めをつくって守らせる必要はなかったでしょう。
419 :
名無しさん@3周年:03/05/19 16:19
>>416 価値観を超越した断絶が数学的に存在するのです。
420 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/19 16:22
>>260 >所詮信仰なんてものは信じようと思って得られるもの
>ではなく、向こうからやってくるものだと思うなあ。
同意です。これにつきるでしょうね。
ヘーゲル読んでみます。
>>261 わからないことが、わからないなりにむこうからやってくるってことはある。
こちらがもっている疑問符を打ち消すようなもの、それがなんなのかは、わからないが。一目ぼれみたいなもんかな。
>>263 正直、キリスト教はいきすぎだと思う。あまりにも構築しすぎていて、
本来指し示すに留めるべきドグマを詭弁にしている。
>>267 同意。
>>268 このスレは一応キリスト教批判によって神の信仰を確立するということが目的なので。
宇宙意志なんて言葉つかったかな。
421 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/19 16:32
>>237 >「神の声だとわかる」という面があると思います。
そういう体験があるなら聞かせて欲しいです。
>>274 同意します。
>>276 実際に神の体験がないと真の信仰は得られにくいと思いますがね。
>>280 功利的な信仰というのは、どうなんでしょう。いいのかな、それでも。
>>284 精神に、ある普遍性をもった真の信仰を持てるのなら、疑うよりすぐれているでしょうね。
>>288 私―神 の主従関係なのか 私=神 と同一なのか。私=宇宙=神なのか。
キリスト教だと1番目かな。
422 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/05/19 16:36
レスのつづきは、今夜にでもします。
>1
この世に不信心な者や悪をなす者がいるのはなぜか? それはあなたの信仰
を高めるためだ、とキリスト教は説いているように思う。その根拠の一つは、旧
約聖書のヨブ記の冒頭の部分である。
【ヨブ記より その1】(Job 1:1-12)〔新共同訳〕
ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生き
ていた。七人の息子と三人の娘を持ち、 羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、
雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の
富豪であった。息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人
の姉妹も招いて食事をすることにしていた。この宴会が一巡りするごとに、ヨブ
は息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえを
ささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったから
である。ヨブはいつもこのようにした。
【ヨブ記より その2】(Job 1:1-12)〔新共同訳〕
ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。
主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」
「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」
とサタンは答えた。
主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほど
の者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。 あなたは彼と
その一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて
祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの
辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを
呪うにちがいありません。」
主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにして
みるがよい。ただし彼には、手を出すな。」
サタンは主のもとから出て行った。
425 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:04
サタンの朝食は、
和食ですか洋食ですか。
426 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:32
>>423-424 残念ながら反駁せざるを得ない。
神がこれでもかと恵みを増やし、押し入れるほどに幸福でこの世を満たして
くれたならば、人間はすぐにも神に感謝して神を褒め称えようから。
なぜならイエスが奇跡を起こして病気を治したとき人々はどうしたか読めば
わかる。いまでも新興宗教のありがたみはやはり病気治しの奇跡だ。
またイエスが水をぶどう酒に変えたときに人々は驚いたが、死人が生きかえった
ときにはおおいに驚いただけでなくまさに神の力にひれ伏した。
人々は突然に身に余る幸福を棚からボタ餅で受けたときにこそ、神を実感し、
容易に信じることのできる神をほめ称え、そしてこの世界が神のものだったと
感謝するのである。しかし不幸しかない世界がなぜ神の証明になるのか?
全く不明というほかはない。
427 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:36
428 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:38
神話は語っている。創世記にはそれが書かれている。
人は楽園を去って地上で労働しなければ幸福に浴せない身の上となったと
されているが、この意味はこうである。
神は無限の力があるので、天国では無限の幸福で満たされている。しかし
地上は神が幸福をもたらさない世界であるので、人は幸福の元である神の
無限の力に浴することができない。結果人間は有限の価値を分捕り求め合う
他はない労働という有限価値の争奪戦をして仮想幸福を構築して幸せを
仮想的に与え合い、また奪い合うことでしか生きられない運命になった。
だから地上では決して争いが止むこともなければ、幸せが誰にでも無限に
いや増しに増し加えられるということも決してない場所である。そこでは
神の恵みはほとんど、いや全くないに等しい状態となった。
429 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:43
>>428 聖典コピペ厨ウザイよ。
ヴァカですか?
430 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:43
だからそこでは神はもともと人を幸福にしないし、人は神を感じることは
できないのである。
神はいないべきという所以である。
だが、イエスが奇跡を起こして無限の幸福をもたらす神がいることを証明
しようとしたことに、彼が神の子といわれる真の意味があるのだ。彼は
神を地上で示そうとしたからである。彼は神がいること、その結果人々が
労働によらず、無限の幸福に浴することができることを証しようとしたのだ。
431 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:48
神がいることを証するためには、地上を幸福で満たさなければだめである。
それができてこそ、人々は世界が神のものであることを知ることができる。
なぜならそれこそが神の証明であり、そしてそれこそが神がともにあることを
示す唯一の理由となるからである。それができなければ世界には神の恵みはない。
そして神への感謝もあり得ない。そして地上はあくまでも悪と人の有限の力の
戦いのための場所でしかないことを今日も明日も明後日も自覚して生きるほかは
ない場所となる。つまりそれが故にこそ、いまでも有限価値の争奪戦による
仮想的有限価値の支配する本質的に不幸だけの世界はこうしてあるのである。
432 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:50
地上を幸福で満たしても神の存在の証明にはなりません。
そんなことも分かりませんか?
それとも聖典は絶対ですか?
そういうのを洗脳というのですよ。
433 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:54
この世界はそうしてずっとこの後もこのまま続くだろう。神の証明のないまま
世界は仮想幸福の価値を追い求めて悪を具現しながら突き進むのだ。
戦争も消えることはないし、その大元である仮想価値の奪い合いも決して
絶えることもない。
なぜならそれがすなわち神の本質的な価値が現れない世界を体現している
からだ。仮想価値への妄信と憧憬によってしか贖われない世界の不幸は、
神の現れない地上の意味そのものである。 そこに決して神はいない。
434 :
名無しさん@3周年:03/05/19 21:56
>>433 原文:
この世界はそうしてずっとこの後もこのまま続くだろう。神の証明のないまま
省略
神の現れない地上の意味そのものである。 そこに決して神はいない。
訳文:
私デムパです。
435 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:04
だが信仰者は神を信じると公言して憚(はばか)らない。
彼が信じるものとは、奇跡を起こし、神と具現しようとしたイエスを神の子とまさしく
信じ、そこに神の証明があると信じるということであった。
そしてその信仰から神が恵みを施して地上に神の幸福の経路が開けると信じるのである。
それが神の証明になるのだと。そこに神がいることを証するかもしれない可能性が残され
ているのかもしれない。 それが成功してくれればいますぐにでも神は存在する言える
のであるが。 ではまた以上
436 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:06
>>435 自分の意見を短く簡潔に書けるようになるまで戻ってくるな。
437 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:08
>>436 自分が何も主張できないからといって、決して焼かないことね。
438 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:09
439 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:10
>>436 とにかくだ、我が電波を受けよ!!
これだけだろ。
440 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:12
コピペかどうかなんてわかるわけ?全然論理がないわ。
そんなことよりあんたがましな話すれば?
441 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:12
>>439 だよねぇ。
他の書き込み全て無視したデムパ長文はさすがにウザすぎ。
442 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:14
>>440 あれ、コピペじゃないの???
だとしたらリアル電波じゃん。
他の書込み完全無視してあの長文をシコシコ生成してるようじゃマジで頭ヤバイよ。
443 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:14
言ってることは尤も至極、同意納得至極だね>長文殿
444 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:16
>神がいることを証するためには、地上を幸福で満たさなければだめである。
>それができてこそ、人々は世界が神のものであることを知ることができる。
の二文なんて電波最大出力って感じだな。
445 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:17
愚者は賢者を愚か者というもの。
446 :
名無しさん@3周年:03/05/19 22:18
>>445 同意。
電波は健常者を電波というからな。
白装束が警察に「もっと勉強してください」と言ってたな。
447 :
名無しさん@3周年:03/05/19 23:15
>1は信仰というものをどう捕らえているんだろうか?
揺らぐことの無い硬い信仰?
揺らいだり疑いを感じたりしてもそれから目を離せないんなら
心の底では信仰してるんじゃないかいな。
疑いや不安を安心して受けれれば委員だと思うが。
448 :
名無しさん@3周年:03/05/20 08:55
>>446 白装束の「勉強」=「洗脳」だからなあ。本当のところは、「勉強」というのは
懐疑の塊になって真実にぶつかっていく姿勢を言うので、懐疑を放棄する
「洗脳」とは180度違うものだ。「懐疑なき勉強」=「洗脳」。
>>447 > 揺らいだり疑いを感じたりしてもそれから目を離せないんなら
>心の底では信仰してるんじゃないかいな。
「救われたいという願望」があるということだけで、救われるという
確信ではないと思うよ。それは、一般の信仰者についても同じ。自分が
持つ懐疑は一生ついてまわる。一時的に誤魔化しても、臨終の場では
大きな後悔になって甦ってくる。「果たして、本当に自分は信じていた
んだろうか。何なんだ、この底なしの恐怖は。」
>>449 確信をもてないものをこそ救うのが宗教では?
という根拠の無い確信をもっているんだが。
後、懐疑があるからこそ一生信仰していくんだと思う。
451 :
名無しさん@3周年:03/05/20 11:35
>>448 懐疑を放棄するのが洗脳なら、労働する事の本質は洗脳なのだとも言える。
人間は自然な状態で洗脳状態に置かれていると?
452 :
名無しさん@3周年:03/05/20 13:36
「原因と結果の法則」のために、幼児が犠牲になるんであって、
神様が、幼児を苦しめてるわけではないでしょう。
神様は、「原因と結果の法則」で苦しんでいる、まさにその幼児を
救おうとされているんではないでしょうか。
神様の御計画とは、神様を中心として、世界の人々がみんな仲良く
暮らすことだと思います。もし、この世界の人々を、神様のご意志に
従うロボットのようなものとしておつくりになったとしたら、
ご計画が実現したときに、何の感動があるでしょうか?
つまり、自由意志を持った人間が、痛い目にあいながら学習して、
神様の御心を知り、それにしたがって生きていくことにこそ、
意味があると思うのです。
幼児が因果の犠牲になっていることを知り、そのようなことに
ならないように、神様の御心にそった生き方をしていくように
努力されたらどうでしょうか?
http://www.shinreikyo.or.jp/
>>450 >後、懐疑があるからこそ一生信仰していくんだと思う。
禿同だけど、自分でも見え見えの自己欺瞞では、全く役に立たないと思う。ある
程度、全人格的に信じてもいいと感じるくらいの根拠がないとね。
>>451 >労働する事の本質は洗脳なのだとも言える。
それも自己欺瞞(洗脳)のひとつでしょう。日常に埋没する人間は、ほとんど
がこのパターンだと思います。ハイデッガーの「日常態」ですね。
ちょっと補足です。ハイデッガーは、日常の人間は「道具」として扱われて
いると言いました。「道具」の目的を達成することが最優先されますから、
兵士なら「人を殺すのはいけないことじゃないか」という自分で考える前に
「殺人の道具」として自動的に行動することを求められる。また、そうする
ことで兵士は「自分が殺した」のでなく、「社会の道具として機能を果たした」
と良心の呵責を逃れることができます。これは一種の洗脳です。
本来、人間は「道具」とは直接関係ありません(私が生まれたのは、○○を
するためだ、という人は居ない)。大抵は、他人から押し付けられて「道具」
にされてしまうのです。
>>453 僕の場合だと自分では自分を救えないという確信と
その教えの歴史とそれを担ってきた人たちが根拠かな。
救済型の信仰の場合その確信が無いと無理なんじゃないかと。
自分で自分を救える確信があるなら信仰をするにしても
違う形があるしね。
道具といえば自他を救うために
自分みたいなものまで再利用されてる感じか(W
>>455 >救済型の信仰の場合その確信が無いと無理なんじゃないかと。
これは禿同。しかし、たとえ他人が救済されたとしても、自分が救済されると
いう保証はないと思うよ。
それと、「自分で自分を救おう」という信仰の場合には、志なかばで野垂れ
死に、という手が残っている。最初から「救ってくれ」と頼んで腰を上げない
人よりは、「納得した」死に方ができると思うんだけどね。私の経験では、
「自分で救おう」という自律性がないような救済思想は虚しいだけ。これは、
仏教でも同じ。「他力本願」というのは「易行門」なんて言うけど、門から
入るのが簡単なだけで、実際に救われる人はごく稀だ。まだ「自力救済」の
方が救われる確率が高い。
もうひとつの道は、最初から救済をあてにせず、自分が死ぬ時点を頭に焼き付け
つつ、毎日を精一杯生きる「実存主義」。ハイデッガーなんか、いいよ。これに、
最後の最後に野垂れ死にしたとき、神にすがるような「救済思想」を組み合わ
せたものが、恐らく「最強」の宗教と言えるんじゃないかな。
>>456 自力のほうが確率高いとは思うけど
それをする気力がもてないからなあ
というような自分だから他力(そしてループ)
まあ救済は神仏に任せたんで
欲望と当てにならない自分の良心のバランスを
自分でとりながら生きていけるんだと思う。
それと虚しさを感じたら
それを見せてくれるのも神仏だと考えてる
大概の宗教では神仏は真実を照らし出す光にたとえられてるしね
>>456 それってまさにお釈迦様が言ってる事では。
わたしは坊主であるけど、浄土教ではないのですけど、意見をば。
世間で受け止められてる「他力本願」はやはり世間のキリスト教みたいに
神か仏が救ってくれるから、自分を他に委ねてしまう生き方ですよね?
それは、あなた達の言うとおり、イケナイコトですよね。
世間では、そう言われてるけど、わたしは
自分ひとりの力で生きているのでは無い!という事の自覚に適している
と考えてます。 「生かされてる」と謙虚な気持ちを持つ事です。
しかし、生かされてるからと言って、生かしてくれる存在にすべてを
委ねるのが間違いなんですよね。自分の人生なんだから、自分で
考えなきゃイケナイ。例え、操られた存在だとしても、自分で考える
力があるのだから、自分を放棄してはいけない。
しかしながら、自分しか見つめなくて、エゴに走ってはいけない。
だから、他を見つめる。まあ人の意見に耳を傾けて
自分の哲学(根拠のアル考え)を作っていかなくてはなりませんね。
近頃は「他力本願=自分放棄」の傾向が強いから、そう思うなら
仏説から、遠のいてるなと思いました。
近頃の「カルト」といわれるのは、科学の発展が影響を及ぼしていると
思います。人は遺伝子の操作まで出来るようになりました。
つまり、人間は神に近づいているし、やがて自然をコントロールできる
みたいな思想の傾向があります。すると、それは思い上がったエゴが
うまれ、科学という信仰で人を牽制していく。
本人はそれで良いが、一般人はどうか?
日本にシステムを考えると、↑の方で人間が「道具」といわれてますよう
に他に預けきった生活が染み付いている。
だから、自分の目標が無く、安易に「カルト」に入信してしまう。
カルト集団のトップ&科学の最前線の人は「自分」を持っているが
それ以外の人は道具でしかない。
つまり、道具でない人間は悪玉ともいえる存在が多いのも事実。
はやく、道具の実態から気づかないと破滅が待ってると思います。
「実存主義」は同意です。
ただし、科学を信じる生き方だけが「実存」だと思われると、
「他力本願」みたいに問題が出ると思います。
宗教がイケナイと思われる現代。実は、科学の発展も一種の宗教
ともいえるのではと思いました。
ちなみに「道具」であったとは
何か大きな変化に気づくものであり、
宗教板であれは変だと文句を言っている人は洗脳されてたのを
気づいたわけであり、もっと早く気づく事もできる。
洗脳は、とらわれなので、大きな変化ではなくとも気づける
のが悟りだと思う。
つまり、「あるがまま」に物をみるという事ですよね。
461 :
名無しさん@3周年:03/05/21 01:40
信仰というのは、理論ではないし、ましてや洗脳で得るものでもない。
信仰は恋愛のようなもの。説明はできない。気分だ。
462 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/05/21 01:50
まあマターリと。(藁)いきませう。
463 :
名無しさん@3周年:03/05/21 02:09
1の理論は、無条件である重要事項を認めている、完全な詭弁だ。
1を説得しようとしての意見にも、この種の詭弁が含まれている。
糞理論が大多数だ。サタンの真の深みも知らない幼児同様。
それで、責任を全能の存在になすりつけようとする。
要するに、甘えん坊なんだよ君たちは。
でもねえ、463さんのおっしゃられることももっともですがね。
サタンがもとは気のいいただの人間だったというのが確か基督教聖書に書かれていたでしょう?
それならばいっぽうで悪魔となり、犠牲となり、他方で信仰を認められて救われる、という一方的な構図はどうなんですかねえ。
予定説だって人間の力では変えられない、というところが基本ですし、そもそも宗教改革の時にそれが神学論争の原因にもなったでしょう?
ならば救うか救わないか、悪魔になるかならないか、といった基準はいったい何処から出てくるんでしょうかねえ。
神のみぞしる、という事で、それを信じるだけで信心に結びつくんですかねえ。
信仰って神からいただくものだから
なんともいえないなー。
もらえるのは、バカ(俺)優先だから
喜ぶべきか悲しむべきか。神からバカ認定書もらって断らなかったんだから
多分バカなんだろう。
いや、優先ってのは俺がそう思い込んでるだけ。
>>464 俺がこんなところで核心の部分を露呈していいのかどうかわからない。
また、書いたところで、その真実を知らなければ、何も変わらない。
468 :
このスレを潰すことにしますた:03/05/21 02:46
同じIDでも連続しないとあぼーんされないよん。
ましにはなるが・・・デメリットの方が大きいぞ。
デメリットはなんでしょう?
前にもかいたぞ。
書き込みが減るだけでメリットよりデメリットの方が
多くなると思われるし・・・この板にIDの必要性が感じられない。
板をよくしたいなら他に方法はいくらでもある。
何からどう書こうかよくわからない。説得できるという自信もない。
まずは、創造が神に意思よってなされたという誤解から解くべきなのかな。
宇宙はビックバンからはじまったとされて、ビッグバンは神が起こしたと、
いう漠然としたイメージがあるかもしれないが、これがウソなんですよ。
ビックバン(のようなもの)があるとして、それは悪魔によるもの。
創造されたもの、宇宙・人間・自然といったものは、すべて悪魔。
救われることは絶対にない。
一方で救われ、他方で救われないというのが間違っていて、
すべて創造されたものは、救われないのです。
470 :
このスレを潰すことにしますた:03/05/21 03:01
ヽ
つ わ あ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ あ ぁ ぁ あ あ あ あ ぁ ぁ
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>1
仏教では「神」は存在しない。
「仏」とは内なる生命に内在する最高の生命状態を意味します。
「仏」とはどこか外部に居るのではありません。「自己の生命に在るのです」。
また、人の人生には因果が存在します。仏教では現在、過去、未来と三世の生
命感を説いています。いわゆる「輪廻思想」です。
つまり、今の自分の人生は過去世の因の結果です。
ここで客観的に幸、不幸な人生が生じます。
現世で過去の宿命に立ち向かい、幸福な人生を築きあげる為に「仏教思想」が
あるのです。
なるほど「輪廻思想」はある意味説得力がありますね。
罪無き幼子が虐待され殺されるのは、その子の魂の過去世が原因だと。
過去世でひどい罪を犯したから、そうなったと。
でもその輪廻転生をずっとたどっていった根本は何?
474 :
名無しさん@3周年:03/05/21 03:16
>>472 そんなことも分からないのですか?
幸福とは幸福感のことではなく、不幸を思考の埒外に追いやり、現状を幸福と認知する意識操作のことです。
どうやらあなたは騙されやすそうですからすぐ幸福になれそうですね。
475 :
このスレを潰すことにしますた:03/05/21 03:16
ヽ
つ わ あ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ あ ぁ ぁ あ あ あ あ ぁ ぁ
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意識操作って自分の意識ですか?
他者はどこにいるんですか?
477 :
名無しさん@3周年:03/05/21 03:18
>>469 あなたの意見は結局、真理を含んでいようがいまいが
創造神を信仰している人にとっては、どうしても
絶対拒絶をされるだけになり、言ってよいものか躊躇してるご様子。
批判めいてしまうと、問題になりますが
わたしはこうにも考えるぐらいの気持ちで話してください。
聞く耳を持つ人だっていますよ。
>>477 そうですか。なんというか、嬉しいです。
でも、聞く耳を持つものに対しても、絶望を与えるだけかもしれない。
余計な責任を負わせるだけかもしれない。
だから真実を知っている人は、沈黙するんだな。
ケチってるわけじゃない。
まさに知らぬが仏だよ。
<<神を信じたいのですが、信仰までには至りません。>>
↑ 世の中こんな状態の奴らが一番幸せ
>>471 それは仏教思想という思想。神は信仰でかかわるもの。
幸福求めるのは人情だけど、現状を幸福だと認識しろって言う
独裁者はいるけど、じぶんでやっちまうんだから恐れ入りました。
溺れてる人を見ても過去世のせいだから受け入れろって言うのか
まだ死んでないという現状を有難いと思えよ〜って意識操作を
薦めるのか関心あるな。
輪廻思想があると、
物事の理解に非常につじつまが合います。
仏教思想と申しますが、なんとお釈迦様は輪廻があるとはいってません。
しかし、無いと否定はしておりまん。
これは何故か?よくよく考える必要があります。
一ついえることは、輪廻を信じる事は悟りに向かっているようで
実は、悟りには至れないからくりです。
しかし、生きるとは必ずしも悟る事ではありません。
481 :
名無しさん@3周年:03/05/21 03:43
>>478 わたしは聞いてみたい人いんですよ。
それに、そのさわりの部分の話がとても私よりの考えなので。
少なくとも、私は真理を求める僧侶ですから。
482 :
名無しさん@3周年:03/05/21 03:44
輪廻思想でつじつまが合うってのは、世の中の不条理を、
時間的になが〜くして、過去世という検証しようのないものに押し付けて、
納得した気になってるだけのものだろ。
聖書にも愚者は口数が多いことでわかるってなこと書いてあったな。
>>483 そう其のとおりです。
輪廻思想はこじつけるのに非常にうまくいく話です。
仏教は後になって、利用したのです。
しかし、気づいてる人は気づいているんです。あれ?って
>>484 そうですね。
思ってる事を簡潔に言葉にできません。
賢者であれば、効果的に話せるのに。
賢者ってたぶん賢いから自分より偉大な賢者がいると思って
「私はとても言えません」って言うかもな。
ちゅーことは俺は間違いなく賢者じゃないってこったな(w
ほんとは少し賢いと思ってるんだけど(www
「宇宙は神が創造した、地球も人間も神が創った。神は全知全能だから。」
「じゃあ何で【理想的】な世界を作らなかったの?全能じゃないの?」
という議論が、信仰の手前にはあるわけだ・・・
確かに神がなければ創造もまた起きない。
しかし、神のみが創造の原因だと思わないで欲しい。
神は完全なんだから、わざわざ宇宙を作る必要はないんです。
創造の根本原因は、想像しにくいと思うけど、「無」です。
簡潔に言うと、宇宙の創造はなかった、ということです。
ただ「無」そのものの力によって、展開するように展開した。
というだけです。しかし、神がそこに全く関わらないというわけでもないから
ややこしい。というか、むしろ創造のすべてに神は関わっている。
「じゃあやっぱり、世界の不条理は神の責任だ。いや、神はそもそも存在しない」
と思ったら、また元にもどっていて、こっちの言うことは判っていない。
宇宙に意思(GOD)が存在すると思うほうが嫌だね。
宇宙は自然だよ。
オナニーをしたいのですが、射精までには至りません。
何故神は完全な力を持っているにもかかわらず、
わたしのようなチンコ細い人間をおつくりになったのでしょう?
>>490 チンコ細い人間に創られたのは神の完全な力です。
いちいち神に文句言わないでテクニックを磨きましょう。
492 :
ローマ教皇パウルス六世 :03/05/21 07:45
ローマ教皇パウルス六世
私たちにとって女性とは美の反映、個々の女性の美しさを超え出た美の反映である。
それは善のしるし、私たちにとって無限ともいえる善のしるしである。
私たちにとって女性とは処女の清らかさの理想像であり、人間の心に
もっとも気高い道徳的な洗練された感情を呼び起こしてくれる存在である。
私たちにとって女性とは一つのイメージを素直に担う存在である。
それゆえに、歌い、祈り、憧れ啜り泣きながら、
ごく自然に清純で哀しみに満ちた唯一の至高の姿に近づいていくのである。
つまり誰よりも祝福に満ちたあの女性の象徴、キリストの処女の母、
マリアになるべく運命付けられているのである。
493 :
名無しさん@3周年:03/05/21 08:14
>>489 宇宙は自然だとか、意志がある。というのは
宇宙は安心か、それとも不安か。という問題と関わるからね。
周囲の呻き声に耳を塞いで安心安心。って言っているような安心が私も好き。
呻き声なんて聞いても美しくないし、嫌だね。
そういう生き方を肯定するかどうかは別として。
>>457 >それをする気力がもてないからなあというような自分だから他力(そしてループ)
盤珪禅師の法話を読んで感動したことがありますけど、何かの折りに
「我」がひょいと顔を出す。そいつの頭をポカンとやって引っ込める
だけで、大抵の苦が消滅すると思います。こういうのは個人の能力と
は関係ありません。
やる気が起こらないのは、まだ追い詰められていないからですが、ただ
ひとつ自分の人生で確実なことは「死ぬ」ということだけだと認識すれ
ば、そんな悠長では居られないと思います。
>>458-460 確か、カントの言葉だったと思いますが、人間の尊厳とは「いかなる人も
他人の道具として扱われないこと」だと思います。今の社会が違います。
みんなが道具にされてしまい、「本当の自分」を失っている。気付いたら、
賞味期間切れで墓穴行きです。
現代の若者が、宗教、それも依存性の強い(マゾ的と言うとわかりやすい?)
カルト的宗教に惹かれるのは、ひとつは道具に仕立てられることへの反発と、
無条件に甘えさせてもらえる時代への回帰願望が原因だと思います。
年々、子育ての情熱を失う親が増えている。放置された子供は、その
空虚さを「神」に求めようとする。
一方で、仏教の世界ではすでに「他力本願」の仏のベールは剥ぎ取られて
しまっています。阿弥陀如来の四十八誓願は、史実ではなくて、大乗
仏教徒の願いが込められた創作であることが今やはっきりしている。
もはや、いかなる「神話」に逃げ込む余地もなくなってしまい、現代人
はかつてなかったほとまでに孤独なのです。
嘘がばれることを承知で、「神話」に埋没するよりも、釈尊の原点に
戻って「ひとりサイのように進め」の自力主義へ向かった方が、救われる
確率は高いだろうと思います。
496 :
名無しさん@3周年:03/05/21 09:42
>>488 うんうん。
わたしと同意見です。あくまで一意見という事で
遠慮なく、深いところまで、もっと聞きたいですね。
それと、仏教からそれを学んだのか聞きたいです。
わたしは仏教から、そう思うようになったのですから。
>>495 448さん
どうやら、似た考えをお持ちですね。
他力本願が受け入れられないのは
当時のニーズに合っていただけで、大乗非仏説をしらないで
そのまま受け入れられただけしょう。
残念ながら大乗非仏説を知り、「うそじゃん」で終わってしまっている。
実は、創作者の真意を知らなければ、意味が無いのですよね。
その真意をあやふやにした教団の付けが今あるようです。
「他力本願」を「本当の自分」に一部の人しか繋げられてなかった
んですね。 だから、理想でいえば、仏教の原点に返るだけでなく、
今の時代のニーズにうまく方便しなきゃなりません。
でも、かなり難しい。一歩間違えるとカルトになるからです。
真理から外れないには、真理をしらねば。
世界を探せば、可能にする才能を持ったものがいるものを。
現代の剣道の状況に似ています。
才能の差は努力し尽くしたところにあると思いますから。
>>494 う〜ん ただ一人歩むために他力は必要なんだけど
後どんな願いをこめてその願いが作られ
その後の人たちがその願いの中に何を見てきたか
その願いが何を与えてきたかを考えると
感動するけどなあ。
根性なしに仏のといた生き方を実現させる
いい教えだと思うんだが。
>>496 私の場合は、実生活の人間関係に疲れてしまって、哲学書に活路を見出し、
ハイデッガーなど読み始めました。そのうち、禅などにも興味が広まった次第
で、宗教はズブの素人です。
>>497 >残念ながら大乗非仏説を知り、「うそじゃん」で終わってしまっている。
>実は、創作者の真意を知らなければ、意味が無いのですよね。
禿同です。
>仏教の原点に返るだけでなく、
>今の時代のニーズにうまく方便しなきゃなりません。
そうですね。特に、あまり超人的な存在を持ち出すべきじゃないですよね。
この世の悪の根元は、自分の外に救いを求めようとする依存心にあると
思います。会社に依存する人は、企業犯罪に手を染め、宗教に依存する人は
理性を捨てて盲目状態になってしまう。真理をあるがままに知れば、依存心
もまた消えるのだと思います。アル中患者が治癒すれば、アルコール抜きでも
不安を感じなくなるような感じです。不安が消えても「神仏」が必要ならば、
それを信じればいいと思います。
>>498 おっしゃる意味はわかりますよ。私も他力本願は大好きで、「妙好人」に
はまっていた時代があります。しかし、彼等は本当に「救われてしまって」
いるので、すでに「彼岸の人」になっています。「救われる、救われない」
の二元対立を超越してしまっています。しかし、彼と自分とは違う。
彼の救いは自分の救いではない。これは厳然たる事実だと思います。
>>452 君、典型的な新興宗教にハマってるよ・・・(笑)。
とっとと目を覚まさないと。
503 :
名無しさん@3周年:03/05/21 19:47
>>499 大乗が非釈迦説と知っていたら、
親鸞たちだって、西方浄土云々とは
言わなかっただろうね、たしかに。
だから喋ってることぜんぶ嘘っぱちなんだよ、
浄土宗も浄土真宗も。
>>496 仏教に、神とか宇宙とか創造の教説があるとは、正直驚く。
仏教のどういう教えなんですか?密教とか?
私のは、キリスト教と印哲です。
印哲は、はっきりいって「電波」が強い。(笑)
でも、そのなかには優れた考え方が多数ある。
創造の中でアヴィディア(英知にそむくもの)の役割を重視するのも特徴だ。
505 :
名無しさん@3周年:03/05/21 20:25
ジョージ・ギャラップ(統計学者)
私は統計学的に神を証明することができるといえます。
たとえば、人間の体について考えてみてください。
一人の体のすべての機能が造られるためには、
どのくらいの偶然が重ならなくてはならないのでしょうか。
これを計算すると、統計的に見て奇怪なほどの偶然が必要となります。
506 :
名無しさん@3周年:03/05/21 21:22
変人ていくら名前を変えても、すぐわかるからおもしろいなあw
507 :
名無しさん@3周年:03/05/21 22:03
>>1 やはり人間に自由意志があるからじゃないかな。
何をやってもいいけど必ず責任はとってもらう、というのが、
神の定めた掟なんじゃないかな。
その責任というのが、因果応報じゃないかな。
信じる必要は無いんだよ
行じていくことは裏で信じているからこそ行じるわけだ
とにかく行をやっているということは信じている所があるからやるわけで
まったく信じてなければ行もまったくやることがないだろう
行はやっていくだけで現実が変わっていくのがわかるから
それが信仰に結びつく
それが還元されて行の動機となる・・・このサイクルによって信仰が深められる
信じる必要はないただ行をするだけ
>>501 あの人たちまでになることも救いでしょうけど。
救い、悟り、というものを見失わず
まっすぐでなくてもいいから不退転に目指していける
そういう出発点にどう考えても目指しそうに無い自分が立った。
この立ち上がりを喚起させたもの、その歩みを続けさせるもの
それも(ほんとはこれこそがといいたいけど)救いだと思うけど。
2ちゃんねらー仏教関係者は
無紳論を語る時だけ元気になる
>483
輪廻についてですが、仏教では人生を左右するものに、意識、無意識があると
まず説いています。意識はその名の通り、私たちの5感によって影響されるも
のです。
無意識は現代、かなり研究がされている、いわゆる潜在意識ですね。まあ、ひらたく言えば心理学の領域です。しかし、これより更に深く根本的に人生を左
右するものとして「生命論」を展開しているのが仏教です。どーしても変えら
れない、なぜいつもこうなってしまうのか?といった経験をだれしもお持ちだ
と思いますが、それが「宿業」と言われるものです。
しかし、この「宿業」は決して悲観するものではありません。その宿業をプラ
スの方向に転換していくのが仏教なのです。過去を検証する必要もありませ
ん。今が一番大事なのです。現実世界を変えていくことが大事なのです。
512 :
名無しさん@3周年:03/05/22 01:41
「宇宙はぬるぽが創造した、地球も人間もぬるぽが創った。ぬるぽは全知全能だから。」
「じゃあ何で【ぬるぽ】な世界を作らなかったの?ぬるぽじゃないの?」
という議論が、ぬるぽの手前にはあるわけだ・・・
確かにぬるぽがなければ創造もまた起きない。
しかし、ぬるぽのみが創造の原因だと思わないで欲しい。
ぬるぽは完全なんだから、わざわざぬるぽを作る必要はないんです。
創造の根本原因は、想像しにくいと思うけど、「ぬるぽ」です。
簡潔に言うと、宇宙の創造はぬるぽ、ということです。
ただ「ぬるぽ」そのものの力によって、展開するように展開した。
というだけです。しかし、ぬるぽがそこに全く関わらないというわけでもないから
ややこしい。というか、むしろ創造のすべてにぬるぽは関わっている。
「じゃあやっぱり、世界の不条理はぬるぽの責任だ。いや、ぬるぽはそもそも存在しない」
と思ったら、また元にもどっていて、ぬるぽの言うことは判っていない。
513 :
何か臭うスレだな:03/05/22 01:44
620 名前:骨のある奴がいないよ〜腰抜けばかりだよ〜 本日の投稿:03/05/21 02:22
___
|...:.::......|
| 金....|
| 正...:|
| 日:..:|
,,,. | M::..| ,'"';,
、''゙゙;、). |...::::.:::..| 、''゙゙;、),、
゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙
‖ `i二二二!´ ‖
昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌
| ̄:|_|;;;l"二二゙゙l;;|_| ̄:|
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 ̄|三|三三|三三三三|三三|三| ̄
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あのさ・・偉そうな事言うようだけど
ドストエフスキーの小説を語るなら、まずドストエフスキー読んでからにしてくれよ。
それが最低条件じゃないの。
このスレ見てると、
2ちゃんていかに知ったかぶりしてる連中が多いかって
呆れたよ。
カラマーゾフの兄弟を問題にするなら、ちゃんと読んで。
そうすればここの>>1みたいなスレは立てなかったってすぐに解ったでしょうよ。
レベル低すぎ。て、そんなものかもしれないけどさー。
>>504 沈黙したくなるあなたへ
あなたは鋭い方です。そうです。わたしの思想の中心は密教です。
しかし、その真意にはお釈迦様の思想が眠っています。
お釈迦様は、プロ使用の教えとアマ使用の教えの2種類を説かれています。
まず、これをごっちゃにすると、世間で批難されている仏教になります。
あまり世間では知られていません。
そして、そのプロ使用の教えを理解する事がわたしの要です。
一例「神々ならびに世人は、非我なるものを我と思いなし、名称と形態に
執着している。そしてこれこそ真実であると思う。」
この言葉は信じられないほど、奥が深いです。
これは、神の存在を認めていながら、否定しているのです。
この言葉が出るのは、我、無我、苦、執着、無常、空、縁起などのの関連性を
理解して初めて、真意に触れられます。(あくまでも触れる)
あなたに尋ねます。「この世は幻」と言うと、あなたの主張にぴったり
来ませんか?あなた以外の人は、言葉どおりに理解しないでください。
>515
仏教は万人の為の法です。
プロもアマもありません。
聖俗の区別もありません。
故に密教はありません。
517 :
bloom:03/05/22 03:17
>>514 カラマーゾフなんか、ハクつけるために持ってきただけですよ
無視してください
読んでないことはないと思いますけど、
長いですし、いろんな話とごっちゃになったりするでしょう
>>515 揚げ足取りになったらスマソ。
>お釈迦様は、プロ使用の教えとアマ使用の教えの2種類を説かれています。
それで、プロ使用(仕様?)の教え=密教、という主張なら間違いです。
密教の根本経典である大日経は、他の大乗教典(法華経や浄土三部経など)
とは違って「如是我聞」で始まっておらず、経を説いているとされるのは
釈迦ではなくて、密教修行者である「金剛サッタ」です。
>>516 >>519 誤解です。説明が難しいのでご了承を。
もっと言うと、了義の教え(プロ)と未了義の教え(アマ)。
密教は未了義の教えである。
つまり、了義の教えを区別してアプローチしないと未了義の
密教の教えは単なる「うそ」になってしまう。
わたしの言ってる事が伝わらなかった事が、世間で区別がつけられて
いないという事のまさに表れなのですが。
ちょっとまとめてみました。
了義…確定した教え(哲学)
未了義…インドの土着の信仰を考えとり、聴く耳を持ってもらう
為に、一般の人に説いた仏教。
521 :
K=496:03/05/22 10:24
つかいわけも、飽きたので統一します。
ちなみに「使用」は変換ミスです。お許しを!
密教は、間違いなく、釈尊の了義を踏まえた上での創作であります。
密教は、伝説では「金剛サッタ」が説きました。
そうです。お釈迦様は密教は説いてません。
しかし、内容は了義を心の底から理解した者が作りました。
密教の完成度をみると悟ったものが考えたとおもわれます。
未了義の教えは、天台宗やら、法華宗やら、現代のほとんどです。
浄土教は、すこし、未了義にし過ぎた感がありますが。。。
さらに複雑ですが、了義はいわば真理そのものと捕らえるかも
しれませんが、了義は心の底から理解して、初めて「真理」です。
頭で理解するのと、心の底から理解するのでは違いますのであしからず。
>>516 万人に理解をしてもらうためにはどうするかを
考えてみてください。
方便とはなんなのか。
「ウソも方便」は仏教では完全なる間違いです。
ウソは方便になりません。
仏教からすれば、密教は邪教だろ。
524 :
名無しさん@3周年:03/05/22 23:00
神は、人類が神無き文明を築く事も容認する寛大さを持っているんだな。
>>523 うーん。どの辺をもってそうおっしゃるのか、わかりませんが
キリスト教をも尊重する良い教えなんだけどなあ。
まあ、残念です。
ところで、対機説法のできぬわたしの密教話はおいて置いて、
>>504 448さん
あなたの真理の話の続きを聞かせてください。
526 :
名無しさん@3周年:03/05/23 00:29
>>515 そうだね・・・「この世は幻」
まぁ、印哲でも「マーヤ」なんて言葉は結構有名ですね。
>非我なるものを我と思いなし、名称と形態に執着している。
そうだな。世の中の人がもっと真我を知れば、不安や混乱は
なくなるのですが。でも、これはあまりにも難しすぎる。
まずは、心を円熟させることが必要だ。
そのためにも、様々な宗教や信仰体系がある。
いや、それだけではない。私たちが経験してきた歴史、
その中にあるドラマ。これらすべての目的でもある。
非我ならざる我・・・この探求に終わりはないと思っていいだろう。
しかし、始まりは、絶望と虚無の腐海である。これは確かだ。
我々は、このとんでもない絶望からの救いの途上にある。
これはゲームではない。
失敗すれば、この世の悲劇など足元にも及ばない永遠の煉獄に
再び閉じ込められるだけだ。
>525
>キリスト教をも尊重する良い教えなんだけどなあ。
仏教は寛容の精神であるが、反面、かなり厳しい面も持っている。
一番宿業が思いのは「誤った宗教を保つこと」である。
しかも本物に近ければ近い程、宿業が思い。
また、悪に対しては徹底的に戦わなければならい。といった精神もあります。
もちろん、戦うといっても暴力を振るうと言う意味ではありません。
マハト・マガンジー、ネルソ・ンマンデラの行動こそ、仏法者の姿であるよう
に思います。
彼らの行動はまさに菩薩行です。
「神」について自分の頭で考え抜く姿勢を保っている
>>1の姿勢が、
折れには好感が持てる。
「神」に対するイメージも、人によって千差万別だね(w
言語の恣意性の現れだね。
>>525 多分、人違いだと思います。そちらの投稿者は488さんですね。
>>529 ご指摘のとおりでございます。
488さん。続きのお話を良かったらお願いしたいです。
>>526 同感です。我の表現を変えると、人間はどこまで、視野を狭くする固定概念
から抜け出せて、視野を広く持てるかと考えてます。
>この探求に終わりはないと思っていいだろう。
頭のどこかで不可能だろうと思っては無我を目指すのに足かせになって
しまうのも現実。固定観念とは強敵ですね。
531 :
名無しさん@3周年:03/05/23 11:30
>>528 お前の目は節穴か?自分で全く考えてないよ。
全部どっかで聴いたような話ばっかり
>>527 ※長いので読む気があった読んでください。
まあ、キリスト教を例に取りますが、良い教えであると素直に認める
感じですね。
しかし、その教えを、全くの固定概念で「こうだ」と決め付ける
風潮が強まると、みなが自分を失ってしまいます。
これは、人に依存してしまってるんですよね。
【数学】で例えますと、
ある問題(世の中の疑問)に対して、ある人(模範の解答は聖者)の作っ
た解答を丸覚えしてはいけないということです。(教えを無条件で信じて
しまう。) 中には、間違った解答がある(解釈の間違い)。
そうでは無くて、どの様に解答が導き出されるかを理論的に理解をする
(哲学をもつ)のが必要です。
ここで、解答は一通りしかないのかと言ったら、別解もあります。
自分の理解できる方を選びましょう! 混乱しなければ両方も可です。
密教では、別解を認め、尊重している。また、誤答においても
自分で考えたのであって、決して無駄ではない。人だから間違いはある。
>悪に対しては徹底的に戦わなければならい。
悪を誤答とすると、解答を×にするだけ=真っ向否定
徹底的に戦う→解答に至るまでの途中経過を同じ目線で考える。
こんな感じで考えてます。
キリスト教自体は良くて、もし信仰する者が歪んでいたら、
真っ向否定ではなく、認めるところは認めた上でと言うのを主張します。
別解も、完全解答しか認めない最たるは戦争な気がしてならない。
まあ、自分の解答が誤答なのかも知れませんが。
また、正解をしなければいけないとも思わない。
正解を求める姿勢を尊重すべきだと思います。
533 :
名無しさん@3周年:03/05/23 11:54
ガンジーが仏法者の姿?
梵我一如
535 :
名無しさん@3周年:03/05/23 13:15
カミュの「ペスト」が参考になる。
536 :
名無しさん@3周年:03/05/23 13:26
何の?
>>531 どっかで聴いた事がある様な話でも、自分の信仰を吐露しているだけの姿勢よりは、
はるかにいいと思う。
ちなみに、もしホントに出来るのなら、
どこでも聴いた事が無い話を聞かせてみてよ(w
538 :
名無しさん@3周年:03/05/23 20:26
大乗経典は求道者の作品。
福音書はペテン師の作品。
539 :
名無しさん@3周年:03/05/23 20:59
540 :
名無しさん@3周年:03/05/23 22:57
>>537 正直すまんかった、とろしたんできえるW
>1、神もいいけどそれに興味を持つ自分に興味を
>> 537 何がはるかに良いんだよ?仮におまえの例え通り
自分の信仰を吐露してる人間が居たとして
そこに至るまでの道のりは、人それぞれだからおもしろいだろう。
しかし
聞きかじりの、しかも間違った引用の雑学知識を並べて
利口ぶりたいだけのアホなら意味が無い。
子供が怪獣の名前を沢山覚えて威張ってるのと変わりゃしねえよ
542 :
名無しさん@3周年:03/05/24 02:16
>>530 まさか、続きをリクエストされるとは思わなかった。
そうですね。何から書けばいいんだろうか?
問題なのは「神はなぜ悪に寛容なのか」
という問いに対する答えですよね・・・
こういう問いに対しては、思考が時間と空間のみに縛られていては、
決して納得する解答を得ることはできないな。はっきりいって難問です。
いわゆるカルマの法則といわれる、過去世の罪に対する罰という考え方も、
原因に対する結果という時空内に縛られた考えであり、決定的な解答ではない。
神が全能ならば、どんな人間が負っている罪も、即解消できるはずだからである。
また、世界と人間の創造が、神の娯楽のために行われたという考えも、間違っている。
神が「気晴らし」のために人間を創造し、人形を操るように、
人間が苦痛と歓喜の間を揺れ動くのを見て楽しんでいるというわけでは、ないだろう。
543 :
名無しさん@3周年:03/05/24 02:17
人間に自由意志を持たせるため。という考えは一理ある。
しかし、神が全知全能ならば、人間の行動を予測できるはずで、
予測できるのなら、自由意志などあるのか?という問いにつながる。
また、ひどい犯罪を犯すことを許可するようなことをなぜするのか
ということになり、はじめの問いにもどってしまう。
こんなひどい結果を味わわなければいけないのなら、
むしろ自由意志などいらないではないか?
じゃあ結局、全知全能というのが疑わしい。もしくは、神は非常に
冷淡であると結論されてしまう。そして信仰は冷めてしまうのである。
以上は、このスレの問題の総集編みたいになったが、
人間が宇宙で果たすべき機能についても考えないといけない。
人間に課せられている使命について。
それから、全知全能の超越的なその真の姿と、内部矛盾について。
倫理法則の絶対的定義が何ものに拠るのかの論証。
人間とその倫理法則の接点である魂に課せられる修正について。
・・・
頭がイタイ
>>542-543 レスありがとうございました。
矛盾と信仰の現実について、よくよく考える必要性がありますね。
謙虚になると、神を信じる信じないというのは環境によるところがある
と思います。
もし環境が環境なら、神を信じる派だったかもしれない。
しかし、どっちでもそこには一つの真理があるはずです。
理論で説き伏せて、世界から神を無くすは不可能です。
だから、どちらも説明できる何かがあるとも思っています。
それは、自分の使命とも、本当のじぶんらしさとかに
繋がって行くと考えてます。
人を拒否(場合によっては他者を陥れる)によって
自分の存在をみつけるのではないといった考えです。
貴殿の答えが分かったら、それは悟りに思います。
お互い、生きているうちに解けるといいですね。
我々は謂わば、家の中に自分の限界を感じ家出をしたようなものですね。
世界は広い。しかし、わざわざ旅をする必要がないというのが持論です。
一度旅に出たらその家にはもう二度と戻れません。
(仮の宿り) そうか、それが出家か。
あまりにも当たり前だけど。世を捨てる事だとばかり考えていました。
仏教からするとキリスト教は外道。
厳密にいえば宗教には値しない。
まあ、よくできた「道徳」と捉えられる。
>>545 そりゃ逆じゃ。馬鹿にするのもいいかげんにしろ。
仏教に正式な経典はあるのか?
キリスト教のように系統立てて理路整然としたものが皆無だろう。
人間の倫理、生活、政治、思想に全体をおおうものが宗教だろうが。
547 :
αντιΧΡΙΣΤΟΣ:03/05/25 20:00
>546
仏教を良く理解して下さい。
仏教の方が全てにおいて理路整然としていますが。
>人間の倫理、生活、政治、思想に全体をおおうものが宗教だろうが。
まさにそれが仏教でしょう。
あのアインシュタインもキリスト教信者でした。
しかし、晩年、仏教と出会い仏教を信じていたのは有名な話しです。
その他、現代の科学の最先端をいく学者は皆、仏教に関心をもっています。
何故か?
549 :
名無しさん@3周年:03/05/25 20:20
キリスト教の補足に使えるから
>>458 興味深い話ですね。
縁起の話とか、物理の世界から検討してもなるほどと
思うところがありますからね。
553 :
鼻毛将軍 ξ:03/05/26 01:28
>>532 (横レススマ祖)
>どの様に解答が導き出されるかを理論的に理解をする(哲学をもつ)のが必要です。
この部分は禿同ですけど、宗教上の真理は、数学と根本的に違いますよ。1+1=2
と主張する派と、1+1=3と主張する派の討論なら、客観的事実に関してだから
すぐ決着が付くけど、宗教は主観的事実の話ですからね。この場合には、「自分
は○○の経験をして、△△という考えに到った」という自分の足跡を述べるに
留まります。他人の足跡についても耳を傾けて、お互いに自分達の真実につい
て考えてみる。共感する部分もあり、どうしても理解不能な部分もある。絶対
に完全一致はないでしょう。理性は、「あらわになった現象」に対して解釈を
するだけだから、万人の経験を踏まえた上でないと「絶対的真理」には到達
できない。だから、他人との対話が不可欠なのです。
だから、宗教の世界に正解など何もないのです。別解だらけだと言ってもよい。
キリスト教の教義が、理性的な人から見て「胡散臭く」感じる点は、主観的な
事実でしかない「魂の救い」を、さも客観的事実であるかのようにすりかえて、
しかもその結論に至った自分の体験や思考の足跡に口を閉ざしてしまうから
です。この辺は、キルケゴールが非常に精緻な考察をやっていますね。
この点についてのキリスト教批判:
キリスト教徒が語れることは、「自分はかつて××にような原罪に苦しんで、
滅びの淵に居たが、○○のような経験をして、イエスキリストによって救われた
という確信を得た」という、足跡のみです。キリスト教で実際に救われた人の
み語るが良い。救われるだろう、救われるに違いない、救われると聖書に書い
てある、なんて語るなかれ。救われる「自分」とは、今、ここに生きている
「自分」であって、その「自分」以外にどこに救うべき「自分」があるでしょう?
キリスト教徒の人に、ためしに質問してみてください、「あなたが苦しんで
いる原罪というのは、具体的にどういう罪なのですか」と。大抵の場合は
答えられずに逃げていってしまうでしょう。罪に対してすら、人のいいなり
になっているだけで、自覚がないのです。救いに自覚がないのは当然です。
いわば、「子供銀行」の名義で作成された借用書(聖書)をふりかざして、
「俺は億万長者だ!」と、ひとりほくそえんでいるようなものです。正真正銘
の億万長者なら、そんな借用書じゃなくて、心の金庫の扉を打ち開き、黄金の
山がうなっているを見せてくれるでしょう。
仏教が優れている点は、浄土宗など一部を除いて、現世での救済を説き、禅
籍などにその足跡を克明に記していることです。仏教の根本の教えは、理性に
反するいかなるドグマも土台にしていないので(誤解する人が多いですが、
因果応報や輪廻転生など、非理性的なドグマなしでも仏教思想は成立します)、
誰にでも受け入れられ、誰にでも実行して、その恩恵を自覚することができ
ます。仏教は、宗教というより、むしろ哲学や心理カウンセリングに近いと
思います。
築地市場勤務ですが、人目を盗んでまぐろとやりました。
もう死んでるせいもあるけど、まぐろって、ほんとまぐろでした。
557 :
名無しさん@3周年:03/05/26 15:33
借用書よりも確かに見えないもので彼ら(俺も)を救えるんですか?
>>557 借用書よりも、自分自身の心が不確かであるとでも?
人間は、自分が体験したこと以上には理解できないものです。自分の体験は、
かけがえのない大切なものです。聖書を読むのだって、自分の体験したこと
以上は読み取れません。
559 :
名無しさん@3周年:03/05/26 20:26
>>546 仏教に正式な経典はあるのか?
何を馬鹿なことを。岩波文庫『スッタニパータ』あたりから
読み始めてごらん。
正式な経典
権威に頼るしかないのか、喪前ら
561 :
名無しさん@3周年:03/05/26 20:46
>>558 自分の心がそんなに確かだと思ってるんなら信仰せんでしょ
ただ信仰するものが確かだと思ってるのは自分だけど
仏教は哲学だそうです
仏教関係者はキチンと税金をちゃんと払いましょう
563 :
名無しさん@3周年:03/05/27 00:29
>>554 横レスどうもです。
>宗教上の真理は、数学と根本的に違いますよ。1+1=2
>と主張する派と、1+1=3と主張する派の討論なら、客観的事実に関してだから
>すぐ決着が付くけど、宗教は主観的事実の話ですからね。
数学でも、結果があるのに、過程が見つからない問題があるんです。
問題と結果があるのに証明できない事がですよ。
それに、理想をいえば宗教は客観的にもメスをいれないと駄目です。
数学ですぐ決着がつく理由は、皆の者が数学の約束事に賛成してるからです。
さらにそれでも、理解を出来ない人がいるのにも注目してください。
つまり、理解をしないで答えを覚える事は主観にも繋がる。
ちなみに仏教は客観的に理解を示さないといけません。
565 :
名無しさん@3周年:03/05/27 01:24
この点についての仏教批判:
仏教徒が語れることは、「自分はかつて××にような矛盾に苦しんで、
滅びの淵に居たが、○○のような経験をして、ブッダによって悟れた
という確信を得た」という、足跡のみです。仏教で実際に悟れた人の
み語るが良い。悟れるだろう、悟れるに違いない、悟れると仏典に書い
てある、なんて語るなかれ。悟れる「自分」とは、今、ここに生きている
「自分」であって、その「自分」以外にどこに悟るべき「自分」があるでしょう?
仏教徒の人に、ためしに質問してみてください、「あなたが苦しんで
いる矛盾というのは、具体的にどういう矛盾なのですか」と。大抵の場合は
答えられずに逃げていってしまうでしょう。念仏に対してすら、人のいいなり
になっているだけで、自覚がないのです。悟りに自覚がないのは当然です。
いわば、「子供銀行」の名義で作成された借用書(仏典)をふりかざして、
「俺は億万長者だ!」と、ひとりほくそえんでいるようなものです。正真正銘
の億万長者なら、そんな借用書じゃなくて、心の金庫の扉を打ち開き、黄金の
山がうなっているを見せてくれるでしょう。
キリスト教が優れている点は、グノーシス派など一部を除いて、現世での救済を説き、
アメリカなどにその足跡を克明に記していることです。キリスト教の根本の教えは、理性に
反するいかなるドグマも土台にしていないので(誤解する人が多いですが、
天地創造や洪水伝説など、非理性的なドグマなしでもキリスト教思想は成立します)、
誰にでも受け入れられ、誰にでも実行して、その恩恵を自覚することができ
ます。キリスト教は、宗教というより、むしろ哲学や心理カウンセリングに近いと
思います。
(続き)
>宗教の世界に正解など何もないのです。別解だらけだと言ってもよい。
まず、この世に真理があり、それを正解とします。
お釈迦様は真理を悟ったのですが、その法というのは非常に奥が深くて
自分で体験しないと理解をできないし、真理そのものは言葉では不可能だ。
みたいな事をおっしゃいました。
ゆえに、様々な対機説法(人に応じて話す)が試みられました。
つまり、おしゃか様がヒントを出して、誘導する形です。
結局答え(悟り)は自分で解決し、体験に至るのです。
あなたの言ってる事は、臨死体験をして得た人Aに対して、誰かが
「それは、こういう仕組みだから、輪廻転生するかしないかの
まさに三途の川のようなところだよ。」
と言われて、納得した。
それを聞いた人Bが「輪廻転生があるんだ」というようなものです。
自分で体験した事に対して、他人が全く同じに感じる事はない。
なぜなら、自分が刃物で刺されたら、その痛みの程度は自分しか
わからない。他人が本当に分かるのは「痛い」だけである。
つまりAは仲間がいて、じゃれ合っているだけである。
臨死体験をしたそれは何だったのかは解決してない。
またBはただ信じてるだけである。
さらに続きです。
>万人の経験を踏まえた上でないと「絶対的真理」には到達
>できない。だから、他人との対話が不可欠なのです。
似た意見の人の言う事を信じるというのでなく、
人の意見に耳をかし、あくまで、自分の視野を広げるもの。
解決するのは自分。だから、お釈迦様の例をとると、
あくまできっかけに過ぎないのです。
ひとの言う事を全部鵜呑みに信じるだけでは決して真理に至れません。
そして、いまここにキリストも仏陀であったとの私の意見を付け加えさせて
いただきます。真理は言葉では直接表わせないので、様々な
説法の形をとっていたという考えです。
>>555 448さん
>仏教の根本の教えは、理性に
>反するいかなるドグマも土台にしていないので(誤解する人が多いですが、
>因果応報や輪廻転生など、非理性的なドグマなしでも仏教思想は成立します)
>誰にでも受け入れられ、誰にでも実行して、その恩恵を自覚することができ
>ます。
それを知っているなら、何故、キリスト教全般を批判するのですか?
その批判の内容は日本仏教にもいえることだ。
本当に根本の教えを分かってるなら、イエスの言った事に関しては、フォローを
入れるべきだと思います。
日本仏教だが、いったいどれだけの坊さんがお釈迦様の了義の話を理解して
いるのだろうか?
ちなみに根本の教えには「了義」と「未了義」がありますが
ご存知でしょうか?まあ了義を説いたのが仏教の優れてる点ですけど。
>仏教は、宗教というより、むしろ哲学や心理カウンセリングに近いと
>思います。
かなり同感です。
569 :
名無しさん@3周年:03/05/27 02:09
あなた真言宗じゃなかたけ?
>568
>>仏教は、宗教というより、むしろ哲学や心理カウンセリングに近いと
>>思います
全然違います。
571 :
名無しさん@3周年:03/05/27 02:42
Kって真言宗の僧侶??
真言宗の坊さんが「仏教は哲学」っていうのが
理解しがたいわ
572 :
名無しさん@3周年:03/05/27 03:03
キリスト者はイエスの教えを行動に移そう。
「心を尽くし思いを尽くし精神を尽くして主なる神を愛しなさい。隣人も自分のように愛しなさい」
神を愛するとはどういう意味か。イエスは次のように説かれた。
「このような小さき者たちの一人にしたことは私にしたことなのです」
神を愛するとは自ら行いもしないことを神頼みして祈ることではない。
小さき隣人に小さき愛の行為を行うことです。あなたはしていますか?
「このような小さき者たちの一人にしたことは私にしたことなのです」
この言葉は審判のときにあなた方一人一人が主からかけられる言葉です。
それは恐ろしい瞬間です。何もしなかった人には。
さあ、今日から心を入れ替えて、行動に移しましょう。
あなたにもできることがあります。
どんな人にもできることがあります。
一例を示せば、孤独なお年寄りや病人の話し相手になってあげることも。
そこから次の段階がわかってきます。まずは行動に移しましょう。
573 :
αντιΧΡΙΣΤΟΣ:03/05/27 03:33
キリスト教徒は神の命令に従うべきです。
モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、かれらにこう言った。
「女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、この女たちがバラムにそそのかされ、イスラエルの人々を
ヤーヴェに背かせて引き起こしたもので、そのためにヤーヴェの共同体に災いが下ったではないか。直ちに、
子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、
男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」
574 :
名無しさん@3周年:03/05/27 04:57
>>573 これこれ。悪魔よ。何を血迷うておる。お前一人が従っておれw
モーセは神のお告げをそう解釈したってことだな。
モーセの通訳能力に責任があるってことだな。
イエスの通訳能力のほうが100倍素敵だ。w
モーゼは誤訳したんちゃう?(w
575 :
名無しさん@3周年:03/05/27 05:16
良スレですね
しかし残念ながら
私には話が難しすぎて良く分かりません
皆さんがんばってください
そうそう
神なら2、3日前に前橋で見かけた気がします
それでは…
576 :
名無しさん@3周年:03/05/27 05:37
>>Kさん
たぶん、失礼ながらあなたはキリスト教の教義、特に使徒信条についてご存知
ないのだろうと思います。イエスが「仏陀」であったかどうか別として、彼は
釈迦と同じく覚者だったと思います。しかし、生前のイエスが説いた教えは
ほとんど顧みられることがなく、「復活のキリスト」だけが一人歩きしてし
まった。こういう情況を把握してから、私の主張をお読みいただければ、疑義
の大半は解消するでしょう。
>>572 イエスと釈迦の説く「仁慈」は非常に似ています。イエスは、神の支配
を説きました。「明日には炉に投げ込まれる花ですら...ましては人間
達にはよくしてくださらないはずがない」というのは、神を仮に立てた
立場での「運命への絶対信頼」です。釈迦は、「諸法無我」を説きました。
すべての存在について「我」はかりそめにすぎず、お互いに支えあって
共存している。「彼」あっての「我」で、隣人を愛さずに自分だけを
愛することは無意味である。
神を置いて「トップダウン」で説くか、現実世界の協調関係という現象
から「ボトムアップ」で説くかの違いがありますが、説いている内容は
「隣人を自分自らのように(仏教的には、自分の一部として)愛せよ」
で一致しています。
ところが、
>審判のときにあなた方一人一人が主からかけられる言葉です。
>それは恐ろしい瞬間です。
という賞罰を持ち出すと、イエスや釈迦の仁慈から離れてしまいます。
この場合、隣人愛は「点数稼ぎ」に堕落してしまい、「隣人を自分の
利益の道具として愛しなさい」という商売感覚が働いている。
これは信仰ではなくて、単なる取引です。
>>Kさん(さっきの補足)
キリスト教の使徒信条は以下の通りです。
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、 死にて葬られ、よみにくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまえり、
かしこより来たりて、生ける者と死にし者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。
ここには、生前のイエスが説いた仁慈の教えが完全に抜け落ちています。
580 :
名無しさん@3周年:03/05/27 11:53
俺は小さい頃は神も仏も信じていた。
親がそこそこ人並みに信仰心があったからかも知れない。
漠然と信じていた。
今の俺は神も仏も信じない。
その存在自体はいるかも知れないくらいの感覚でどうでもいいことだが、平たく言えば
「信用できない」
こいつらのせいではないかも知れない。この世がかくも無残で残酷なのは。
こいつらのせいではないかも知れない。今日もどこかで誰かが自殺するのは。
だが、俺は神も仏も見守っているなどというたわごとは信じなくなった。
見守っているんじゃない、「見ている」だけなんだと。
全知全能のくせに力を出し惜しみするのか。
あまねく世俗を救うのならばさっさとしやがれ。
いつまで寝ているのか。
人間に可能性を求めているつもりか?偉そうに。
おまえらはそうやって、いつまでも見ているだけしか脳がないのか?
俺は最近では悪魔の方がまだマシだと思っている。あいつらは魂と引き換えなら願い事OKな
ギブアンドテイクなまっとうな取引をしてくれる。
俺はいつしかデーモニストになった。もう、神など信じない。
いや、はじめから神なんていなかったんだよな・・・・・きっと・・・・・・・
>>580 うん、うん。気持ちはよく理解できます。私も若い頃はそのように感じ
つつ、社会の不正を糾弾しながら生きていたから。
だけど、それは「社会」という枠組みの外から見ていたから、言わば
気楽に批判できたんだと思う。今は、「社会」の仕組みにどっぷり浸
かって、半分社会と一体化しているものだから、否定一筋には考えら
れなくなってきた。
資本主義は、自分の利益を最高価値とするから、エゴのぶつかり合い
は避けられないけど、その割に皆が「助け合って」生きているという気
がする。サラ金は悪徳だ、と非難する人がいるが、銀行から見放された
零細企業の社長に、倒産リスク覚悟で貸してくれるのはサラ金しかいな
い。世の中のどんなものでも、見る角度で「善」にも「悪」にもなる
ものだと思う。893だって、かつては「合法的犯罪」の犠牲になって
泣き寝入りするしかない庶民に代わって、制裁を加えてくれるという
「善」の面があった。今の、不良債権垂れ流しの銀行に比べたら、893
の方がずっとマトモな稼業をやっていたと思う。
罪もない人が死ぬのは、極悪非道と感じるけど、よく考えたら「死」に
も「善」がある。誰も死なないで済むとしたら、どんどん人口が増えて
食糧難になり、永遠の飢餓に苦しむことになる。かえって「死ねないな
んて、ヘビの生殺しで残酷だ」と神を呪いだすんじゃないかな。
>>577-579 448さん
ご丁寧にありがとうございます。
>キリスト教の教義、特に使徒信条についてご存知
>ないのだろうと思います
失礼ではありません(笑)。無知でございます。
元々わたしは、教義に対して否定をしてるのではありません。
仏陀でも、覚者でもよろしいのですが、
私の考える事はイエスさんやお釈迦様は、説法する庶民に対して
人知を超えているので、その人々にあった話し方をされていた。
説法は、一人一人適した内容があり、土着の信仰などが影響しまして
一見「神がいる」「神はいない」と対立をしているように見えますが
その土地の人に応じただけで、真理の面からみると、
優劣もなにも無いし、間違っては無いと考えたのです。
つまり、真理を失い一人歩きをしたものが本当の邪教と思います。
人に応じて話したのだから、その内容を馬鹿正直に討論をしたら
対立をするのは必然だと思うのです。
>>448さん
>釈迦は、「諸法無我」を説きました。
>すべての存在について「我」はかりそめにすぎず、お互いに支えあ
>って 共存している。「彼」あっての「我」で、隣人を愛さずに自分
>だけを 愛することは無意味である。
わたしから見ますと、この解釈は人に応じて話した内容です。
自分なら、もっと深く考察しております。
「何故すべてに我はないのか?それは人間が我を作り出している
のです。その我は何が原因か?それは世の中を有と無で観察をし
ているからです。」
都合上抽象的に言ってしまいましてが、わたしは、諸法無我である根拠
をもっと論理的に理解しています。
そして、隣人を愛す事の理論は密教の理論から、賛成できます。
なるほど…であるならば、つじつまが合う。てな感じです。
584 :
名無しさん@3周年:03/05/28 00:06
文章が長い
>>569 >>571 私が仏教を哲学と言って、何を矛盾した事を!!!
と思われましたね?
そうです。密教は哲学ではありません。
密教は「欲をそいで、解脱を図る」という一般的な方法は限界があると
の考えをもとに、「一般的な人間が欲を無くすのは不可能に近い
それだったら、どうしても無くなってしまう欲を利用しよう」と
編み出された秘法でございます。
仏教(ここではお釈迦様の哲学)はどうしても、欲が存在して、実感をする
事が出来ない。だから、実感をするために欲を利用して意識改革を期待する
(たとえば、【空】を頭で分かっても、世間が空に思えない。)
つまり、一般の人でも悟る事が出来るように編み出されたのです。
この編み出す過程ですが、お釈迦様の哲学を無視する事はできません。
むしろ、お釈迦様の哲学を踏まえてなければいけません。
だから、一見「仏教は哲学」というと批判されると思われますが
根本に哲学があるのです。 その哲学はあまりにも難解。
だから、その便宜上の教えとして、日本のように様々な宗派があるんです。
真理から、はずれてなければ、すべて仏教です。
>>585 訂正です。
× どうしても無くなってしまう欲
○ どうしても無くならない欲
588 :
名無しさん@3周年:03/05/28 00:27
ああ三宝印の範囲内ってわけね
>585
仏教は哲学ではありません。
哲学は根本の生命につて何も説いていません。
そこが大きく違うと思います。
>根本に哲学があるのです。その哲学はあまりにも難解。
言いたいことは分かりますが、根本に哲学があるのではなく、根本に
生命論があるのです。
>>589 >哲学は根本の生命につて何も説いていません。
それは、このように出来ましたという事が真理ではないからです。
それをいう事は、空の思想を逆に行ってしまう事ですから。
生命と考える人間自体の根本まで進んでるからです。
ゆえに、難解なのです。
哲学…ものごとの根本原理を理性の力で考える事で
はなかったですか?
それと、仏教には了義と未了義があるのはご存知ですか?
わたしは、了義の話をしているのですが。
591 :
名無しさん@3周年:03/05/28 07:45
祈り、苦行、儀式などの実践がなく、
話し合いとか理性だけの議論じゃ、
生命の根本とか、神の存在の確信などありえない。
>>580のような奴は、神の定義を誤っている天然ボケというよりは、
堅固さを持たない実力のない魂だってことだ。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
>Kさん
あなたの論点は、すべて「密教の教義が真理」という前提で語られたものだと
思います。しかし、「密教の教義」といっても、人間が生まれつき持って生まれた
(哲学的にはア・プリオリな)真理ではありませんから、誰かが自分にはわか
らない宗教用語を使って「彼の真理」を語るのを聞き、それを「自分の真理」
と比較して「彼の真理とは、かくかくしかじかであるに違いない」と推測して
いるだけです。だから、「間違いだらけの常識」を振り回しているだけかも
しれない。誰も保証はできない。真理がもし「人智を超えている」のならば、
人間が真理そのものズバリを知っているわけがないからです。
私は、人間である以上は、人智を超えた智恵など使えっこないのだから、
「私の理解は人智を超えている」なんて大風呂敷を広げるよりも、人智を尽くして
「自分が理解できるのは、この程度である」と告白する方が誠意ある態度だと
思います。自分の理解は不完全なもので、他人からの不完全な理解に耳を傾け
ることで、不完全さを少しずつ取り除いていくしかない。
カントの『純粋理性批判』を読んでから、私はいかなる種類の「人智を超えた」
真理をも捨てて顧みない勇気を持つ決心がつきました。そんなものは、「空華」
にすぎません。
>>589さんの「根本の生命」というのは、おそらく法華経でいう
「いのちの大本」のことでしょうが、自分の体系の中でそれを掴むのでなけれ
ば、単なる「思い込み」にすぎません。イタリアへ行ったことがない人が、
「ベネチアのサンマルコ広場で飲む午後のエクスプレッソは最高だ(そう
だ)」と雑誌の記事を鵜呑みにして話しても、空虚なだけです。
日本人なら、今朝、出掛けに飲んだネスカフェのほろ苦い味を語るべきです。
なぜなら、語るべき真理は現実をおいてないからです。ネスカフェではカッコ
がつかないと沈黙する人は、まだ真理に立ち向かう資格ができていない証拠
です。
あんたバカァ?
どっから引っぱってきたのかしらないけどねぇ、
神様の言葉はその時その人に必要な事を言ってんのよ?
なんで今あたし達がモーセが言われたように行動しないといけないわけぇ?
あんたって、ほんっとに、バカよねぇ、もう。
でも誰かがアンタを殺すように神様から命令されてるかもしれないわね!!!
それからね、勘違いしないで。
神様は生きてるのよ。あんた祈ったことないでしょ?
初詣で賽銭箱の前でパンパンやるようなのじゃないわよ、もちろん!
クリスチャンはあんた達みたいに本に書いてあることに
盲目的に従うロボットじゃないの!!
595 :
名無しさん@3周年:03/05/28 23:09
>>593 うのみにしてエスプレッソマシーンを買って大満足ならいいんでないすか?
鵜呑みにすることの危険性のレベルを把握すれば
人智を超えたといったところで言葉で伝えてる範囲だし
ちなみにエスプレッソは上手いですよ
仏教が単なる哲学なら宗教法人として認可を受けて
優遇税制の恩恵を受けるって権利はないし
大半の人が仏教は宗教だと同意すると思う
>>595 >ちなみにエスプレッソは上手いですよ
うんうん。私もデロンギのメーカー持っていて、豆はILLYと決めてます。
もう他のは飲めないネ。だけど、私が最初に「イタリア人労働者の特権とは、
エスプレッソを楽しむことだ、と言われるくらいにイタリアのエスプレッソ
は奥が深い」という話を本で読んだ時と、その後、なかなか美味く入らずに
苦労してからと、豆も入れ方も自分のベストを極めた今とでは、「エスプレッソ」
という言葉が持つ意味は全く違います。経験とともに、言葉が豊かになって
いく。
>人智を超えたといったところで言葉で伝えてる範囲だし
本当は、人智の限界=神との境界線で考えなくてはいけません。人智は十分に
尽くしておかなければ。人智や自分の経験をないがしろにして、勝手に想像し
たって、真理とは程遠いでしょう。
598 :
名無しさん@3周年:03/05/29 18:25
>>594 それからね、勘違いしないで。神様は生きてるのよ。
当た棒よ。飯も食うしな。茶は伊藤園の「お〜い、お茶」だ。悪いか?
生きている? 生物?
誰かしりません?
天気予報は誰が予想してるの?人間それとも神様? 時々外れるよね。
>>593 448さん こんばんはレスが遅くなりました。ごめんなさい
それで、早速ですが、誤解でございます(笑)
すべて「密教の教義が真理」が前提ではなく、
すべて「お釈迦様の教義は真理」が前提のつもりでございます。
密教は
>>585のように、客観的には万人が【空】を観察できるように、
編み出されたものだと、理解しております。
密教は、世間の欲を無くし、悟りを得るという従来の方法には限界が
あると考え、どうしても残ってしまう欲を逆手に取ったのだと思います。
さて、わたしは時々「大日如来」の話を出しましたが、これは、理解できない
ものの存在の置き換えですから、大日如来を神と捕らえるのは間違いです。
そういう有の存在では申してません。無でもございませんが
もし、そういう言葉を使わないならそれで説明は可能です。
さて、密教の教義が真理であるか無いかは、これが本当に悟る為に意味あるのか
無いのかだと思います。本当にこれで悟れると思うのは信仰です。
たとえ密教が真理でなくても、関係の無い話をしているつもりです。
それと真理についてですが、わたしは理性の力の範囲でしか申してないつもり
です。論理的に考えて、納得したところで話しております。
お釈迦様の「縁起」の話を否定的にみたり、科学から見てみたり、
否定の要素が見当たらないが正直なところですね。
理論的には理解し、心の底から実感できたら、悟りです。
続き
それと、自分の納得できないのは信じる事はないと考えてます。
たとえば、神。
全知全能であるという神。世界を創造したと言われたりしますが、
何故、人智を超えた存在なのに、「世界を創造した」とか
われわれが想像出来るのか?と思います。
それと、神秘体験により「神」を信じてる方はよろしいのですが
自分しか分からない神秘体験を人が聞いて信じてるのは、丸々信じるのは
変だと思います。 もし、神秘体験を言葉で人に伝えられるなら、
神秘体験は人智内の事象です。
つまり、全知全能の神を人智内で理解できるのでしょう。
全知全能を人智内で理解を…?
お釈迦様の「自分をより所にしなさい」はなるほどと思います。
>>596 しっかり読んでください。
>>555でのお釈迦様の教えを持って哲学と言ってるだけで
日本の仏教は紛れも無く宗教です。
もし、あなたが釈迦の教えは正しいかとたずね、
自分が釈迦の教えは正しいと考えたなら、釈迦の教えは正しいと答えるであろう。
しかし、私はそうしない。
そうとは考えない。
それとは異なるとも考えない。
そうではないとも考えない。
そうではないのではないとも考えない。
>603
キリスト教については良く知りませんので、何とも言えませんが、
少なくとも、仏教は宇宙(生命)の法則を説いたもの。
なので、私たちが信じる信じないは関係ないんですよね。
なので、キリスト教やイスラム教もその法則からみれば正誤の判断ができるこ
とになります。
まあ、その法則を信じなければ意味はないとお思いになるでしょうが。
607 :
ふぁんだ君 ◆qWq9dVeBlk :03/05/29 22:36
神のみぞ知る・・・ということになるのですかねσ(・◇・)
その信憑性を知るためには今までの歴史を調べるしかないですね(^◇^)
幼子が殺されてそれが神の計画ならそれによって何か間接的にでも
よい結果が残されるはずですよね。
反対にこのように前提条件(?)を決めないと
話の筋さえつかめないことになりますよ★
全ては事実が証明するものだと思われ(=◇=)
キリスト教は大丈夫かな・・・…o(;-_-;)oドキドキ♪
>>604 仏教には哲学的な経典も「ある」という事ですよね
仏教は生粋の哲学とは違うと思います
>>604 過去レス読んだんですがね。
あなたの言ってる事と印象が違うんですよね。
>仏教が優れている点は、浄土宗など一部を除いて、現世での救済を説き、禅
籍などにその足跡を克明に記していることです。仏教の根本の教えは、理性に
反するいかなるドグマも土台にしていないので(誤解する人が多いですが、
因果応報や輪廻転生など、非理性的なドグマなしでも仏教思想は成立します)、
誰にでも受け入れられ、誰にでも実行して、その恩恵を自覚することができ
ます。仏教は、宗教というより、むしろ哲学や心理カウンセリングに近いと
思います。
一部を除いてじゃないですよね
むしろ釈迦の教えが残されてる地域のほうが珍しいはずです
610 :
名無しさん@3周年:03/05/30 01:41
あげ
611 :
名無しさん@3周年:03/05/30 01:46
たしかにillyはうまいですね(笑)ダークロースト派です
その美味さが難しいのになおかつ簡単そうに見える
単純なことの繰り返しなのに日々変化を実感できる
このあたりが凡人にはつぼかと
また真理がややこしすぎたら目指すことさえ閉じてしまう
ミリ単位にしか進まなくてもそれを実感できれば
御の字だと思います
うちもでろんぎです(笑)
>>608 そうですね生粋ではありません。
当時は、お釈迦様が2種類のお話をされました。
難しくて分からない人には、くだけて話すしかないですよね。
ですから、そちらの人にとっては、確実に宗教です。
とにかく、お釈迦様の哲学の凄さに圧倒されたのです。
ただ聞いただけでは理解できず、説明を受けても納得できず
自分で考えに考えて理解に至る。
>>609 自分で納得してるだけでした。
正確には、わたしはその文(
>>555)の一部をもって、同感しました。
完全に同意ではありません。かなり同感です。
そこは、
「仏教の根本の教えは、理性に 反するいかなるドグマも土台にして
いないので(誤解する人が多いですが、 因果応報や輪廻転生など、
非理性的なドグマなしでも仏教思想は成立します)、
仏教は、宗教というより、むしろ哲学や心理カウンセリングに近いと
思います。」
ここの辺に同意しました。
私としては、
>一部を除いてじゃないですよね
>むしろ釈迦の教えが残されてる地域のほうが珍しいはずです
現在の仏教はすべて、お釈迦様のその哲学を踏まえて、出来たもので
あるというのです。
で、その文中の一部の…ですが、ちょいと、お釈迦様の哲学から
沿わないんではと思うのです。いや、聞かなかった事にして下さい。
>>605 そうですね。
話は、聞くだけ聞いて、最終的には、色眼鏡なしで自分で判断を
しないといけませんね。
人の言う事を鵜呑みにし続けたら、単に洗脳ですもん。
でも、場合によっては、人の言うことを信じ続ける事がその人にとって
最善であったりします。
環境に応じて「正しいよ」と言う事もありだと思います。
>>606 むずかしいところですよね。
実際は、正誤の判断をする側が、色眼鏡無しに自分の考えが
出来ているのか?
そして、間違っている所を相手がどれだけ聞く耳を持って聞いて
くれるか、自覚してもらえるか。
あいての価値観を尊重しないといけませんから、難しいですね。
616 :
名無しさん@3周年:03/05/30 03:54
ところで、無邪気なおこちゃま愛護者の
>>1はどこいったんだ?
>615
しかし、法華経には宗教の正しい見分け方、が説かれていますが。
>あいての価値観を尊重しないといけませんから、難しいですね。
その価値観、文化、お国柄によって
ずばっと「その宗教は間違っている!」と相手にうむをも言わせず
説き伏せる方法と、相手の価値観を尊重し「なるほど、あなたの言うこと
も正しいですが、更に素晴らしい法があります」と化導する方法と
2種ありますが。
>>602-603 お釈迦さん自身が、「自分が発見したこの道は、決して自分の創見ではなく、
古仏が辿った道を再発見しただけである」という趣旨のことをコメントしていま
すね。だから、金剛サッタが「大日如来」という架空の存在を持ち出して「古道」
を説いたとしても、別に矛盾ではないと思います。仏教は「誰が説いたか」で
はなくて「どういう内容を説いたか」が重要ですので、そういう意味では哲学
に近いと思います(誰が説こうと、真理は真理、という客観的立場)。これと
比べるとキリスト教は偏狭で、どうしても「エホバ、イエス、マリア...」と
いう固有名詞がついて回る。反論覚悟で言えば、「大人になりきっていない
宗教」という感じです。世間知らずの子供が「うちの父ちゃんと母ちゃんは
世界一だ〜い!」と威張っている状態。それが悪いとは言いませんが、真理が
客観化されていないから、独善に陥っている。
それに、仏教では、ちょうど建設現場の足場みたいに、最初は「空」やら「一
念三千」やら「多即一、一即多」など組み立てて悟りの補助としますが、一旦
建物が完成すれば、跡形もなく片付けられてしまう。足を折った人が本当に
治癒するのは、足の存在を忘れるときなのですが、キリスト教はいつまでも
救いの杖にすがっているイメージがあります。杖が必要なうちは、完全治癒
とは言えません。
>>611 >その美味さが難しいのになおかつ簡単そうに見える
>単純なことの繰り返しなのに日々変化を実感できる
うーむ、そこまで考えて飲んでなかったなア...
>>606 >仏教は宇宙(生命)の法則を説いたもの。
「生命」という言葉が誤解を生んでいると思います。「調和」の方が
まだわかりやすいのでは。上の方で「神は生きている」という表現も
ありましたが、一般の「生きている」=「生物的な生命を保っている」
と違う意味で使う場合には、それなりの「定義」を与えるべきと思いま
す。対話は、相手が自分の意見を理解してくれることが不可欠だから、
「自分語」を振り回しても仕方がないでしょう。
>ずばっと「その宗教は間違っている!」と相手にうむをも言わせず
>説き伏せる方法
それができるのは、「自分の真理は、万人の真理と一致している」と
盲信している人だけです。だから、この場では対話の余地がないんじゃ
ないでしょうか。
620 :
名無しさん@3周年:03/05/30 12:42
仏教は哲学に近いと言うなら
「税金をキチンと払え」と言うべきだと思いますよ
そういうのを二枚舌と言うのです
>>620 実際のところ、仏教は哲学だ、と断言する人の方が少数派でしょうね。
それに、法人税の問題は社会規則の話で、このスレの主題(神を信じたいが
信仰に至らない)と関連がないと思います。
622 :
名無しさん@3周年:03/05/30 13:04
そういう言い方はすごくズルイと思うんですよ。
現実には、ほとんど居そうにない考えの人をクローズアップしている
623 :
名無しさん@3周年:03/05/30 13:11
仏教は哲学だという強い信念を持っている人なら
社会規則だから・・・ってそんな風に取りますかね?
いつから哲学は直感(思い付き)でものを考える奴らのものになったんだ?
>>617 法華経は仏教の文学作品です。
作者の意図を読み取らねばなりません。教典に出てたから
では問題が生じます。やはり、方便の類です。
信じるのと理解するのは違います。
もし、みんなが法華経の土俵にいるなら、それで良いと思います。
それと、最近は明らかにおかしいのに聴く耳をもってくれない人達が
います。そういう人には、それの教えがすべてなので、一見同調した
ように見せて、おかしな点を追求する。
これは効果的です。
真っ向否定で素直に非を認めてくれるなら、それにこした事はありませんね。
もし状況を見誤り、我と我との衝突に発展したら悲しいですね。
>>618 ふと思ったのですが、仏教のアプローチの仕方が違うだけみたいです。
あたなたは「どういう内容を説いたか」の共通性。
わたしは、「出発点はあくまでお釈迦様」であるとおもいます。
他は同感できます。
>>620 >>622 >>623 哲学に近いと言うのは、本来の仏教を考えたところの表現で
あり、日本の、輪廻転生ととりいれたり、極楽浄土の思想で
あったりする現実は、どう見積もっても「宗教」であります。
わたしが申したいのは、世間では
仏教が「直感(思い付き)でものを考える奴ら」
と思われていますが、お釈迦様は思いつきで言ったのではなく
たしかな哲学をお持ちになっていた事のアピールです。
それと、いかに現代でそのお釈迦様の哲学に目を向けず
一人歩きをしている宗教が多いのかを知って欲しかったのです。
その問題のある宗教は、根本にお釈迦様の哲学が存在するか
がまさに問題だとおもいます。
私的な簡単な見破り方は、
その宗教の人達がある人に絶対帰依していたら、まず違うと思います。
>>620 あとスレ違いになって申し訳ないのですが、
税金化をすると、生活をする事が出来なくなるお寺が存在します。
これは、儲かってるお寺しかみていない自分勝手な意見だと思います。
あくどく、お金儲けに走っている所だけを考えるなら
話はわかりますが。
それと、生活が大変な人は生きるのに精一杯で、修行が全然できません。
>>622-623 具体的に言えば、阿弥陀如来の「実在性」は、浄土三部経の冒頭にある
「如是我聞」の4文字に集約されていて、お釈迦様の超人的な神通力を
担保にしていることになります。しかし、浄土三部経の成立年代が、
紀元後2世紀であることを知っている私には、少なくとも、阿弥陀如来
の実在を文字通り信じる気にはならない。しかし、実際には本気で実在
の阿弥陀如来を拝んでいる人もいるでしょう。
一見、不合理であっても、その人の自由意志を尊重するのが「宗教の自由」
ですから、私の独断で「阿弥陀如来など実在しないんだから、税金を
払え」なんて独善的なことは主張できません。社会制度である以上、
ファジーさが残るのはやむをえないと思いますが。
630 :
名無しさん@3周年:03/05/30 14:48
プロレスファンと同じ種類の人間だな。おまえら。
631 :
名無しさん@3周年:03/05/30 15:01
>>628 生きていくのは、みんな大変でしょ。
仏教が哲学だと思うなら、税金を払うというのは当然だと思います
632 :
名無しさん@3周年:03/05/30 17:54
>630
その心は? 宗教を語ると熱くなる、かな。
633 :
名無しさん@3周年:03/05/30 18:21
法華経は仏教とは矛盾するので、後代の創作の部分が含まれているように思う。
大体大乗仏教自体釈迦の入滅後500年後ぐらいにナーガルージュなという人が興した新興宗教だし、
634 :
名無しさん@3周年:03/05/30 23:06
如是我聞 の担保も心強い(?)けど
本願の目指す世界に参加する事のほうが強いかなと
確かに杖は怪我が治ったら要らなくなるけど
見渡せば同じくつまづいたり怪我した人はいるだろうから
もったいないからとっておこうかなと
635 :
名無しさん@3周年:03/05/31 01:15
プロレスと宗教といえば、ジャイアント馬場か?
カリスマ性あったよな。ほんと
636 :
名無しさん@3周年:03/05/31 01:35
>>628 スレ違いって言うけどね
スレタイ読んだんだけど。どう見ても仏教のスレとは思えないんだが
そもそも
なんで、あなたは大日如来や密教の話をしてるんです?
>>631 よく読んでください。
根本に哲学があると主張しているのですよ。
まあ、その根本の部分だけで、成り立っているなら
確かに税金を払うのはアリだと思います。
あと、哲学と認められたとして、税金を払う事になったら、
認められるぐらいだから、小学校などで仏教の授業を義務教育に入れて欲しい。
それだったら、わたしとしては嬉しいです。
638 :
名無しさん@3周年:03/05/31 01:53
>637
密教の近代化というのは、やはり哲学に近づくことを意味するのですか?
密教については不勉強なのですが、呪文を唱えたり、ヨーガをしたりする
のでしょうか?もしそうだとすると、それを哲学と言うのは無理があるような
気がします。
>>633 ナーガールジュナは当時の誤った思想を打破した功労者だと思います。
大乗仏教の動きは、その誤った思想を信じている信者を
目覚めさせた凄い動きだと思います。
また、法華経は言葉をそのまま、鵜呑みにすると仏教と矛盾してる
ように思いますが、創作者の真意を考えますと、結構深いのです。
わたしとしては、意味の隠されたフィクションと考えてます。
640 :
名無しさん@3周年:03/05/31 02:08
「良く読め」て言われると私がまるで読み違えたみたいだがw
三宝印の範囲内って事かって、それは確か聴きかえしましたよ。
641 :
名無しさん@3周年:03/05/31 02:19
「仏教は哲学に近い」て言うなら、税金ぐらい払えと言ってるわけ。
仏教には哲学的側面と宗教的面があり、
宗教的側面の方がむしろ多いと判断してる人
「仏教は宗教に近い。あるいは宗教である」
こういう考えてる人が
宗教法人になるならわかるわけ。
そうすると仏教が哲学に近いなんて考えてる仏教関係者
は現実にはむしろ例外に近いですね。
日
>>638 密教はあくまでも宗教であり、哲学にはなりません。
根本にお釈迦様の哲学を踏まえているのです。
しかし、密教は人間の性質を考えて作られているようで、
自分をより所にする為の心を作るのに適していると思います。
観想というのを大切にしておりますので、哲学にはもっとも
遠いいかもしれません。
とにかく世の中の仏教はお釈迦様を抜きに語れないと言う事です。
>>640 まあ三宝印の範囲内です。
さて、がんばって言いたい事をまとめてみます。
【A】根本の仏教 [1.出家者向け(哲学) 2.在家者向け(方便)]
↓
土着の信仰など、方便を取る
(教えを残す為に輪廻転生などを取り入れたり)
↓
大乗仏教(仏の存在を用いて、イメージしやすくする)
↓
【B】現代の仏教
大雑把すぎますが、Aでは哲学といっています。
実際活動しているのBでは、宗教でしょう!
わたしの「仏教は哲学」の話は、このAについて言及しています。
だから、密教を哲学とは申してません。
>>636 たとえば、神と密教の大日如来との違いは
一応関係あるとおもいますが。
しかし、神と税金はスレ違いです。
645 :
名無しさん@3周年:03/05/31 04:56
>642
あなたの言う”お釈迦様の哲学”というのは、われわれの言葉では言いあ
らわすことのできないものですよね。
>567
>キリストも仏陀であった
という発想も、そこから出てくるわけですよね。
それはあまりにも独断的ではありませんか? あなたのいう”お釈迦様の
哲学”というのは中身がないものです。せいぜいスローガン、よくてもイメー
ジにすぎないのではないですか?
そういったものに”哲学”という名前をつけるのはミスリーディングだと思い
ます。
哲学にせよ、科学にせよ、言葉による構築とそれに対する批判という厳しい
条件のもとで発展してきました。所詮形のあるもの、語られたものですから、
偏った立場であることはまぬがれませんし、それゆえ批判も可能なわけで
す。しかしあえて言葉によってすべてを言いあらわそうとしてきました。
わたしは”哲学”をそういうものだと理解していますので、あなたが”お釈迦
様の哲学”という言葉を使うのには違和感を感じます。 密教として、語りえ
ない世界を大切にするのならば、ことさら言葉の世界に出てくる必要はな
いのではないですか?
646 :
名無しさん@3周年:03/05/31 11:35
>>644 税金の問題っていう言い方するけれど、そうじゃなくて・・。
これ信念の問題にかなり関わってくると思うんですよ。
「お金」っていうのは。
仏教でもキリスト教でも。
仮に仏教は哲学だと主張してる人が居るとして
だけど宗教法人の優遇税制だけはしっかり受けているんだったら
それは変だなて思いますよ
キリスト教の神と
大日如来や密教との関係は真言宗の人にとては大事だと思うんですけど
>>645 あっ。確かに哲学の内容を何も触れてないから「中身が無い」と
言われるのは当然ですね。 良い指摘でございます。
哲学というだけあって、言葉をもって表現してますよ!
しかし、その理解はいろんな方法で説明されないと、訳がわかりません。
わたしなりの解釈の一端を↓の9ぐらいからカキコさせて頂いたので
良かったら覘いて下さい。
「キリストは本当に立派な人だったの?」
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1050914032/l50 お釈迦様は言葉の限界を知り、真理の一端ですが言葉で表しました。
その言葉の部分が哲学と申しております。真理すべては表わせていません。
ちなみに、悟りは言葉で表す事ができませんが、言葉で表現しないと
示す事ができません。
>キリストも仏陀であった
これは、キリストを否定的な目で見ないでみた場合に導かれたのです。
仏教の「人に応じて話す」がヒントです。
当然ですが、どこにも、キリストが仏陀とは経典には書かれてません。
仮定に主観(キリストを否定しない)がはいっていますので証明できません。
推測ですので、わたしの一意見です。
「そういう発想かあ」ぐらいで留めてもらうのが適当です。
なんせ、自分以外の宗教を拒絶する傾向が世の中にはありますから。
例えば、人をいじめて、自分の価値を見出す考えは邪道だとおもいます。
>>646 >仮に仏教は哲学だと主張してる人
→日本の仏教は宗教だ。
→真理を言葉で表わしてる仏教(お釈迦様の教え)は哲学だ。
でございます。
ふと思ったのですが「真理=哲学としてあらわされた言葉」と
勘違いをしてませんか?
649 :
名無しさん@3周年:03/05/31 13:26
私の方が「勘違い」してるんですか?
>ふと思ったのですが「真理=哲学としてあらわされた言葉」と
勘違いをしてませんか?
意味がわかりませんが。何を何と勘違いしてるんですか。
・・・「仏教」は哲学に近い。
これは、すごくいいかげんで曖昧な発言ですよね?
>>649 >「真理=哲学としてあらわされた言葉」
わたしが「仏教は真理を哲学で説いている」といってると
勘違いしていませんか?と言う事です。
>「仏教」は哲学に近い。
>>643をみてください。お釈迦様は2種類の
教えを説かれました。2は哲学でなくて宗教性の意味合いが
かなり強いです。
1だけに限って、「仏教は哲学」と言ったのです。
1,2で言うと、「仏教は哲学に近い」
現代…「とてもじゃないけど、哲学とは言えない。」
お釈迦様の時代は、仏像も文字も無かったのです。
仏像の存在をとっても宗教性たっぷりですね。
最初から、三宝印の範囲内て感じで話してましたよね。
これは後から読むことになったが
「だけど飽くまで密教は宗教」だそうで。
そういう考えの人はいるね。
で、ややこしいんで、過去レス読み直して見ましょうか。
568 :K :03/05/27 02:02
>>555 448さん
日本仏教だが、いったいどれだけの坊さんがお釈迦様の了義の話を理解して
いるのだろうか?
ちなみに根本の教えには「了義」と「未了義」がありますが
ご存知でしょうか?まあ了義を説いたのが仏教の優れてる点ですけど。
>仏教は、宗教というより、むしろ哲学や心理カウンセリングに近いと
>思います。
かなり同感です。
途中までは、そう言う人が居るんだろうなと思っていた。
・・・最後にどうして同感したんです?
結論の部分で間違えてるわけ。
「仏教」て言葉は範囲があまりにも広すぎる。
「浄土宗など一部を除いては」「仏教は哲学に近い」だなんて。
日本の話しだか、急に世界の話になったんだかわかりませんがw
「そんな断定は間違っています」と反対する所でしょう。
652 :
638=645:03/05/31 14:50
>647
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1050914032/9 これはなかなかよい文章ですね。ふだん気づいていないことに気づかされ
たような気がします。
上記のスレであなたが示された釈尊の哲学の一部とは、
(1)諸行無常、諸法無我、涅槃寂静など(レス番号14)
(2)世界を作ったような、永遠不変の絶対的な存在は無い(レス番号25,51,97)
(3)人間一人一人、自分自身が一番尊い(レス番号47)
などですね。しかしあなたが”お釈迦様の哲学”とおっしゃる場合には、それ
以上のものが含まれています。というのは、あなたは釈尊が語ったとされる
ことのほかに、”真理”というものを説いておられ、その”真理”と釈尊の言説
は一体であるとされているからです。
あなたのおっしゃる”真理”とは本来、釈尊の言説の解釈にすぎず、それは
あなたのお考えとして尊重されるべきものではありますが、と同時に一つの
考えであるにすぎません。
もともと釈尊の言説の一解釈にすぎなかったものが、”真理”として釈尊の
言説をその一部に含むような地位にまつりあげられ、さらにその”真理”の
立場から、キリストはブッダであったという見通しが語られる。
もしそうだとしたら、それはおかしなことではありませんか?
653 :
名無しさん@3周年:03/05/31 14:59
>>650 これ読んでも勘違いの話しに関しては
もうひとつ意味がわかりませんわ
654 :
名無しさん@3周年:03/05/31 20:24
>>652 …キリストはブッダであったという見通しが語られる。
ブッダは歴史の中に実在しました。しかし、イエスが
キリストであったかどうか、歴史的にはまったく
証明がありません。そこのところをしっかり押さえて
話して下さい。
655 :
名無しさん@3周年:03/05/31 20:32
>654
ブッダとは確か”覚者”という程度の意味ですよ。人物の名前ではないと
思います。
656 :
名無しさん@3周年:03/05/31 20:46
ブッダというのは「水星」の意味があります。
占星術的には水星は、理知の象徴。
そこから、賢い人=ブッダになったんだと思います。
657 :
名無しさん@3周年:03/05/31 21:04
>>655 「キリスト」も「救世者」程度の意味で特定の人物を指す言葉じゃないな。
動詞語根budhは、気付く・目覚める・他の意味。
ゴータマ・シッダッタ
ガウタマ・シッダールタ
659 :
名無しさん@3周年:03/05/31 21:14
>ブッダは歴史の中に実在しました
これも突っ込まれそうな発言だな
660 :
名無しさん@3周年:03/05/31 21:24
シャカ族の王子
ゴータマ・シッダルタ
>>652 わざわざ読んでくださって幸いです。
>、あなたは釈尊が語ったとされる
>ことのほかに、”真理”というものを説いて
すいません。どの辺のお話か教えて下さい。
>、”真理”として釈尊の
>言説をその一部に含むような地位にまつりあげられ
ええとですね。かつてお釈迦様の哲学を否定的に見ようとした
のですが、穴がないんですよ。
仏陀であったと認めざるを得ないのが個人の見解でもあり、
その哲学について、現代も通用していると思います。
真理を得たというのも否定できないといいますか
真理を得てないとそんな話できるか!って感じでございます。
>>653 うーん。困りました。
わたしとしては、何の前触れも無く
「仏教は哲学」と言われたら、違うと言いますが。
それは関係無い話ですか?
663 :
638=645:03/05/31 22:27
>661
(1)釈尊のいわゆる哲学とは別に、あなたが”真理”なるものを説いている
というわたしの見方について。
わたしがそう思ったのは、一例を挙げれば、以下の書き込みによります。
>647
>お釈迦様は言葉の限界を知り、真理の一端ですが言葉で表しました。
>その言葉の部分が哲学と申しております。真理すべては表わせていません。
>ちなみに、悟りは言葉で表す事ができませんが、言葉で表現しないと
>示す事ができません。
釈尊の考えについてはその言葉が残っているだけです。後世に残されたわ
れわれはその言葉に接して、そこから何かを読み取ろうとするわけです。わ
れわれはもちろん正しい解釈を目指しているわけですが、と同時に人によっ
て解釈が異なりうることも知っています。
上に引用した文章のなかで、「真理」や「悟り」ということが言われていますが、
それはいったいどこから来たのでしょうか。
釈尊の言葉から来たのであれば、それは一つの解釈にすぎません。その場
合、ある言説から一つの解釈をみちびきだし、そのあとでその解釈の立場に
立って、解釈の元になった言説は、実はこの解釈の一端を言葉で表したもの
である、と主張するのはいかにも破廉恥な行為だと思います。
そこでわたしは「真理」や「悟り」というのはあなた自身から来た、と理解したの
です。
(2)釈尊が説いた教えは今日でも貴重だと、わたしも思います。
664 :
名無しさん@3周年:03/05/31 22:38
万一絶対無二の真理があったとしても、それを言語によって知りえるわけがないのだから、議論すること自体が無意味なんじゃないの。
>>663 >上に引用した文章のなかで、「真理」や「悟り」ということが言われていますが、
>それはいったいどこから来たのでしょうか。
簡単に言ってる「真理」はおしゃか様の到達した法(この世のあり方)
という事です。
「悟り」は到達したというところです。
>釈尊の言葉から来たのであれば、それは一つの解釈にすぎません。
>その場合、ある言説から一つの解釈をみちびきだし、そのあとで
>その解釈の立場に立って、解釈の元になった言説は、
>実はこの×解釈←【真理】の一端を言葉で表したもの
>である、と主張するのはいかにも破廉恥な行為だと思います
ええっと。まだ哲学のごく一部しか触れてないので、存じてないご様子
ですが、
「実は…」のくだりは実はお釈迦様がおっしゃってたとの
意味合いですよ。わたしの独断では無く。
お釈迦様が言葉に限界を感じたと申したのは、根拠があって
「到達した法(この世のありかた)は論理的思考の範囲を
越えている」とおっしゃいました。
自分で学んで行くうちに、「なるほど、頭で理解をしたところで
心から確信が出来ない。」と納得しました。
>>664 おっしゃるとおりです。
しかし、明らかに間違ってる事に関しては修正するのが必要です。
言語での教えは、真理に至る為のいわばヒントと思ってます。
>>665 追加です。
それと、冷静に考えて、もし真理が言葉で表わせたら
言葉を知らない赤ん坊も理解できると思います。
また、自分が怪我をして、どのくらい痛いかを言葉で
人に伝えても正確には分かりません。
その人と体を交換できれば別ですが。言葉の限界です。
668 :
名無しさん@3周年:03/05/31 23:22
赤ん坊を引き合いに出す時点で教義から外れているのでは?
言葉をしらない=知能が発達していない=進化諭を肯定する事になる
>>688 つまり、言葉も人によって理解度が違うのです。
ちがうのなら、言葉を知っていようが知っていまいが変わらないと思います。
例えば、ある香水を一方で「臭いイヤ」他方で「ええのぉ」。
わざわざ言葉で表わさないでも、本人なりの感じ方があります。
670 :
638=645:03/06/01 00:50
>665
最後に一つだけ質問させてください。
あなたは
>647
で言われている釈尊の到達した「真理」を知っているか、または釈尊の到達
した「悟り」に到達しているのですか?
671 :
名無しさん@3周年:03/06/01 01:32
そういえば武者小路実篤の小説に「真理先生」というのがあったな。
内容は・・・ すっかり忘れてしまったが。(役に立たないな・・・)
>670 【その1】
>665
>「実は…」のくだりは実はお釈迦様がおっしゃってたとの意味合いですよ。
>わたしの独断では無く。
そうですか。それはわたしの誤解でした。すると、わたしが引用させていた
だいた書き込みは、
>647
>お釈迦様は言葉の限界を知り、真理の一端ですが言葉で表しました。
>その言葉の部分が哲学と申しております。真理すべては表わせていません。
>ちなみに、悟りは言葉で表す事ができませんが、言葉で表現しないと
>示す事ができません。
ですが、その真意は、
お釈迦様は「言葉の限界を知り、真理の一端にすぎないと思いつつ言葉で表
した」とおっしゃいました。わたしはその「言葉」の部分が哲学だと思う。お釈迦
様は「真理のすべては表していない」とおっしゃったのです。云々。
ということですね。
釈尊が「真理」だとか「悟り」だと言っていたもののうち、言葉として表されたも
のは不十分ながら残りましたが、釈尊の頭の中にあるにすぎなかったものは
釈尊の死とともに失われてしまいました。
673 :
638=645 670の訂正:03/06/01 03:06
>670 【その2】
あなたの頭の中にある「真理」というのは、かつて釈尊の頭の中にあった
「真理」と同じものなのですか?
全てのログを読んでいないので恐縮ですが
自分が習った事から、いくつかの質問に答えようと思います。
まず罪も無い幼児が殺されているのに万能であるはずの神はなぜ幼児を救わないのか?
(これはキリスト教の中でも様々な回答があると思います。僕は主にモルモン教を習っているのでモルモン教としての回答です)
人間はなぜこの世に生まれるのか?
全ての人間は生前に神により魂を作られ(つまり神が父)、その後その人間が
神と天国で暮らすには適切であるかを試すために肉体を与えられ地上に生まれます。
地上に生まれた時、全ての記憶はなくなり、全ての人間が全く同じ選択肢を与えられます。
ここでの選択肢とは職業や、富を得るチャンスなどの事ではなく
肉体の死後、神に認められる人生を送れるか、送れないかという事です。
つまり、重要な事は死後であり、現在の人生はこの後のための過程でしかありません。
幼くして命を失った子供たちは、肉体を与えられたというだけで神と暮らす事ができるチャンスを手にしたわけです。
ちなみに神が全知全能ならば、私たちの未来、行動もすべてが分かるはずであるということについて。
実は神は偉大な力を持っていても全能ではありません。
なぜなら私たち全員が神になれる機会を与えられているからです。
死後、神に裁かれ、神と暮らす事を許された一部の人たちはその後、星を与えられ、その星に自分の世界を築く事が出来るとされています。つまり私たちは神になれるのです。
その時に私たちは同時に偉大な力も与えられますが、未来は分かりません。ただ導く事や“予測”をする事は出来ます。
神は人間に選択のチャンスを与え、神を信じるか、サタンを信じるかを選ばせます。神は様々な使いをよこし(キリストなど)人々を導こうとします。
しかし、サタンの力は時に神より強いので(一度神はサタンと戦い負けた)世界が暗黒へ向かう事もあります。
その時、もう一度キリストが舞い下りるとされています。
ちなみに僕は無神論者で、深い知識があるわけでもないので
細かい間違いはあるかもしれませんが、大きく見ればこのような考えが
モルモン教の教えであると思います。
長文失礼しました。
675 :
名無しさん@3周年:03/06/01 04:04
>674
死後神になって星を与えられることもある、という点は注意を引きますね。
そういう話ははじめて聞きました。
676 :
名無しさん@3周年:03/06/01 06:27
>全ての人間は生前に神により魂を作られ(つまり神が父)
ばかばかしすぎ。魂をつくったのが神ならその魂に責任はないじゃんか。
壊れた時計をつくっておいて、時計のせいにするのか?
時計をつくった技術者が悪いだろうが。
しかも、死後のテストだって「簡単な人」と「難しい人」に分かれるよ。
ほどほどに幸福でほどほどに逆境があって信仰を保てる環境にいる人は天国にもいけるし、得だと思うが?
>>666 馬鹿太モン
相手を間違ってるといえるってことは、唯一無二の真実をおんしがしっとらんといえんことだろう。
そりゃ、うぬぼれじゃろう。
>>672 誤解が解けて幸いです。
それと、ただ伝えられただけでなく、自分を知る勉強にもなりましたよ。
感謝でございます。
横レスになりますが...
「唯一絶対の真理」なんてないと思いますよ。あったとしても、絶対に証明
不可能。他のすべての「偽の真理」を論破しない限り、それは証明できない
し、「真理」はその人の体験と表裏一体のものだが、「すべての人の経験を
私は知っている」という人などいないから、誰もその資格を持たない。
それに、「真理」とはもともと普遍的なもので、誰が口にしても真理は真理の
はずです。そこに「エホバ」とか「イエス」みたいな固有名詞が入ってくる
わけがない。キリスト教の最大の欠陥は、もともとユダヤというローカルルール
の枠組みをそのままひきずって、世界宗教にのし上がろうとしていることです。
しかし、一方では「他人が嫌がることをしてはならない」という黄金律が
あって、ほとんど世界中の民族で真理と認められている。だから、人間ができる
こととしては、そういう一番客観性があるものを起点にして、他人と対話する
ことで経験の違いを乗り越えて、その議論に参加した全員が納得できるような
「仮の真理」として積み上げていくことだけです。哲学がまさにそのアプローチ
を取っているし、仏教はキリスト教に比べれば、よほど客観性のあるものに
洗練されているので、哲学に近いと申し上げました。
私は、「大日如来」なんて実在しないと思います。ただ、その虚像は、ある
客観的事実を指し示している。だから、「大日如来」を信仰の対象にすれば、
偶像崇拝になるが、その指の先にある「月」をちゃんと見つめれば、客観的
事実に到達する。固有名詞で表現されたものは、すべて偶像にすぎないと
思います。
私見ですが、密教の功績とは、それまで死後に託されていた阿弥陀如来の
救いを、即身成仏という形で普遍化したことです。それまで西の果てに
しかなかった極楽浄土が、実は無数の支店を作って、個人の心の中で営業
をしていた。いわゆる「本覚思想」の究極の姿のひとつが密教であろうと
思います。さらに、「大日如来」という虚像をも消し去ったのが禅だと
考えています。ところが、禅というのは、形の上では釈迦自身に戻るこ
とになるので、釈迦は最初から客観的だった、後世の仏教徒達は主観性
を持ち込むことで教えを汚しただけだった、禅の出現によってようやく
その病弊が取り除かれた、という見方もできます。
キリスト教においては、エックハルトやヤコブ・ベーメらが、「本覚
思想」に近い線を打ち出して客観化を推し進めようとしましたが、残念
ながら「神の救済の独占」を享受する教会当局によって握りつぶされた。
>>670 >>673 638=645さん
>あなたの頭の中にある「真理」というのは、かつて釈尊の頭の中に
>あった 「真理」と同じものなのですか?
わたしには私なりにしか、理解をしておりません。
レベルで申したら、石ころレベルです。
しかし、その石はダイヤの原石だと思っています。
どんどん磨くにつれて、輝いていく。
はたから見たら、悟りは輝きの方ですが、その途中段階があります。
いきなり輝くわけではありません。ダイヤと認定されれば
悟りであると言えましょう。
そして、ダイヤはいろいろあります。
お釈迦様は理性の範囲で、理論的な範囲でお話をされました。
それは、現代の研究をもって、勉強をされれば理解できると思います。
わたしはあくまでこの範囲を持ってお話をしております。
(続き)
さて、ダイヤと石ころの間は何ものでしょう?
人間は本来特徴の無いものに特徴(言葉など)を見出して、
喜怒哀楽を持ちます。
その本来の特徴のない世界で申せば、お釈迦様の真理はお釈迦様自身
をもってしても、同じでないであります。とどまる事がありません。
真理はあるわけでもないわけでもないのです。
では、分かりやすく、わざと特徴付けをして考えますと
「議論の余地がまったく無い完璧な状態」であれば真理を得たです。
「あるがままにものを見る事ができる状態ともいえます。」
哲学を理論的に理解が出来たのならば、どなたもダイヤの原石です。
また、哲学から入る事だけがダイヤの原石ではないと思います。
とどのつまり、特徴づけの囚われから、解放すればいいのですから。
しかしながら、現代の人は知識至上主義であるので哲学から入らねば
不可能に近いと思います。
結論としては、突き詰めると、みんながダイヤの原石であると思います。
>>679 そうですね。
>>682-683をみてください。
しかし、一つ申しますと、
>他のすべての「偽の真理」を論破しない限り、それは証明できない
論破するしないは関係なく、そもそも人に証明するものではありません。
真理は、言葉で表わせないが(他に証明する)、示す事ができるだけです。
685 :
名無しさん@3周年:03/06/02 10:08
神様が人間を作ったのなら、その作られた人間に自分を作った神のことが
わかる筈がありません。
「真理の基準は現実に合致しているという点にある。」(ルカーチ)
>>684 >突き詰めると、みんながダイヤの原石であると思います。
主観的な「ダイヤの原石」が、ただのガラス玉にすぎない可能性はないですか?
客観的批判を経ない、主観的真実とは、結局のところ「思い込み」にすぎない
のでは。
>「議論の余地がまったく無い完璧な状態」であれば真理を得たです。
については、同意します。しかし、「議論」とは「他人との対話」であって、
少なくとも他人と対話が成立するだけの客観性を前提にしています。また、
他人から否定を受けて、自分の真理を修正する用意があるのだから、やはり
客観性を目指しています。
だから、他人の批判に耐えて客観性を勝ち得たものは「ダイヤの原石」に違い
ないが、そうでないものは単なるガラス玉である可能性が残る、と言うべき
なのではないでしょうか。
「真理」を持つ人は、他人にそれを語る義務を持ちます。語ることによって、
他人に理解され、承認を受けることで初めて「真理」になるからです。
>>685 人間に、自分を作った神のことがわかるならば、神様が人間を作ったのではありません。
>>680 >密教の功績とは…
>「大日如来」という虚像をも消し去ったのが禅だと
>考えています。
あなたは、思い違いをしています。
密教寺院を見てください。大日如来をご本尊にしているところは
あまりありません。秘仏程度ならよくあると思いますが。
というのは、大元の大日如来の理解できる姿を取ったの仏が
阿弥陀如来や、不動如王、観音様…でありまして。
一般には、特徴をつけ難く信仰の対象に適してないのです。
つまり、空の最たる仏だと思います。
(続き)
>ところが、禅というのは、形の上では釈迦自身に戻るこ
>とになるので、釈迦は最初から客観的だった、後世の仏教徒達は
>主観性 を持ち込むことで教えを汚しただけだった、禅の出現によって
>ようやく その病弊が取り除かれた、という見方もできます。
実は、お釈迦様の教義に矛盾する部分があります。
しかし、2CHといえども、内容に関しては勘弁してください。
ちなみに、禅定は密教でも、仏教において重要で基本をなします。
ただ密教では禅定をするにあたって、無にしがたい欲の現実を受け止め。
(ごく一部の人しか出来ないから)どうしても持ってしまう主観性を
否定せず、利用したやり方です。
大日如来の思想は、人間がどうしても、特徴付けをしてしまう現実を
受け止めて、極力「空」に近づけた素晴らしい仏だと思います。
人は特徴づけ無いと理解できません。特徴のつけすぎが苦の原因です。
お言葉ですが、表面上だけで密教を見る方法は、
お釈迦様の哲学を全く含んでいない方法です。
ただ信じきるなら、文句はいいませんが、批判をするなら
しっかり、勉強をしてからにしていただきたいと思います。
ご立腹でございます。
わたしも最初はなんて胡散臭いとこに…と思ったのですが、
お釈迦様の教義を理解していくと、ここで良かったと思いました。
もし、どのような方便をもって密教が生まれたのか、理解された
上での発言なら、私も一緒に考えて生きたいとは思います。
でも禅宗は世界では仏教で一番評価が高いし、素晴らしいと思いますよ。
世界的では無く、私の世界から見るとですから
>>686 >主観的な「ダイヤの原石」が、ただのガラス玉にすぎない
>可能性はないですか?
>客観的批判を経ない、主観的真実とは、結局のところ「思い込み」
>にすぎない のでは。
もしかしたら、ガラス球かもしれない。しかし、ガラス球の人も
機会を得て、ある人から話を聞き、思い違いというガラス球が
一転して、ダイヤの原石と変わるのである。
そう考えますと、もとから、ダイヤだったというわたしの主張です。
>>686 ご指摘ありがとうございます。冷や汗。
×「議論の余地がまったく無い完璧な状態」
○「疑論の余地がまったく無い完璧な状態」
ここでの疑論と称していますのは、「ああでもないし、こうでもないし」
と言った意味合いです。
>>688 私の父方の実家は真言宗の檀家で、私も法事の時などに、十三仏真言やら、
光明真言などを唱えた経験があります。しかし、檀家の人からすれば、大日
如来も薬師如来も地蔵菩薩も、「信仰」の対象になっているわけですよね。
お坊さんは、絶対に「大日如来は、特徴が付けがたいから、一般の信者が
崇拝するのにふさわしくない。だから、いろいろと偶像を作ったんだ」という
事情説明などしません。では、一心に唱えた真言は「どこへ」届くのでしょう
か。結局のところ、檀家を騙しているということになりませんか?
694 :
名無しさん@3周年:03/06/02 12:29
>>448 氏戻ってきたんですね
禅宗の人も、多分税金払ってはいないと思いますが。
哲学に近いとそれがあなたの信念ならば税金をはらえと言わないのは変ですよ。
これに関して解答は貰ってません。
掲示板で掲示板で議論してる時だけ、哲学だ言い張る人がよく居ますが。
ひょっとしたら、そういう人かもしれないわけだし
こういう意味に於いては哲学だ、
ああい言う意味においては哲学でしたとか
そういう事を言い出すともうキリが無いというか、
で全体として包括的に判断する時
あなたの脳内仏教ではなくて
現実の仏教は哲学ではないと思いますよ。
695 :
名無しさん@3周年:03/06/02 12:32
「他人のイヤがる事を人にしてはならない」
これはドコの仏典で釈迦がしゃべってるんでしょうか。
見た感じ、儒教的な印象を受けますが。
>Kさん
率直にお伺いしますが、Kさんは如来、菩薩、天部の神々の「実在」を
信じておられるのですか?
697 :
女性にお勧め:03/06/02 12:32
>>694 私は、仏教は哲学に近いと主張し、その根拠を具体的に述べました。
1)釈迦の教えは、超越者の仮定のように主観的な根拠なしに成り立つ。
2)実際、ポストモダニズム哲学には、仏教思想が取り込まれつつある。
3)真理とは普遍的でなくてはならず、固有名詞から自由でなくては
ならない。実際、仏教においても「本覚思想」など、客観性へと歩んで
きている。
それに対するあなたの反論は、「現実の仏教は哲学ではない」という
ことですから、その証拠を示していただければよい話です。
前にも言いましたが、税金を払うべきかどうかは、社会制度の話だから、
別問題です。
699 :
名無しさん@3周年:03/06/02 12:43
因縁とか因果とかそういうものの実在は認めるわけですか?
それとも、それはただの例え?
>>695 確か『法句経』にあったと思います。今、手元にないので確認不可能です
が。
701 :
名無しさん@3周年:03/06/02 12:52
「社会制度の問題だから別問題だ」とは
そもそも思ってないんです、どうしてそんな風に断定されるんですか?
仏教界の人が「信者」さんを集めて、金も払ってると思うんだけど
それは哲学の勉強したいから集まってるんじゃないですよ
優遇税制を受けて、利益とかを求めて手を合わせたりしてる人の方が
ほとんどで、あなたの言ってる事は
現実とかけはなれた「仏教」ですよ
そんなものどこにあるんです?
702 :
名無しさん@3周年:03/06/02 12:57
すごく立派な哲学でも
税金払う時だけ「宗教です」っていうのは
そんな・・・哲学あります?
>>701 だから、「現実の仏教は哲学ではない」という証拠を示してください。
>>701 法律で「宗教」と認可されている事実と、「本当に仏教は宗教なのか、
哲学なんじゃないのか」という主張とは別ものです。もし、あなたが
「法律で認可されているからやっぱり宗教じゃないの」と主張される
のなら、「では、法律の言うことがいつでも正しいことを証明してくだ
さい」と要求するしかありません。結局、議論は仏教を離れて、法律の
是非にすりかわるだけです。
705 :
名無しさん@3周年:03/06/02 13:07
>>701 に書いてある事でも充分証拠になっていると思いますよ
706 :
名無しさん@3周年:03/06/02 13:12
>>704 あのー。そもそも
じゃ、どうして多くの仏教関係者が法律として認可を求めるんです?
税金が誤魔化せて都合が良いから
「これはまた別問題だ。宗教として届け出てやろう」って
それこそあなたの言うように「別問題だ」と判断したわけかね?
707 :
名無しさん@3周年:03/06/02 13:34
法律の是非なんて関係ないですよ
だって強制加入じゃないんだもんw
「宗教ではない、哲学だ」と考えている方ならば
税金払えば済むと思いますよw
>>706 私は、その可能性は否定しません。仏教が伝来した6世紀から、すでに
仏教は呪術として国家に受け入れられたのです。徳川時代になってから
は、政治支配を強化するための手段として檀家制度ができた。民衆は、
○○如来といった偶像を崇拝することで、仏教を支持したでしょうし、
それが葬式というしきたりとして残っているのが今の仏教だというのは
誰にも否定できないでしょう。だから、1400年以上も仏教は「誤解」
されてきたという見方ができるかもしれない。
仏教は哲学として釈迦に説かれ、哲学であるべきだったかもしれないが、
哲学にはなりきれなかった。だから、その弊害のひとつとして、宗教
法人の認可もある、という捉え方は正しいと思いますよ。
ただ、私が議論しているのは、その前の段階「仏教は哲学として釈迦に
説かれ、哲学であるべきだった」という部分についてなのです(まだ、
完全に承認されていないし...)。別問題というのは、「まだその問題を
論じる段階ではない」という意味です。
709 :
名無しさん@3周年:03/06/02 14:00
宗教法人になることに違和感感じてない、
坊さんがほとんどだろうと思ってますけどね
「仏教」て言葉を釈迦の初期の仏典に限定してるようにも
見えますが。
、仏教には哲学的な1面があるっていうのは
わかる。つまり部分的にみればって事
>>693 448さん
>私の父方の実家は真言宗の檀家で、私も法事の時などに、十三仏真言やら、
>光明真言などを唱えた経験があります。しかし、檀家の人からすれば、大日
>如来も薬師如来も地蔵菩薩も、「信仰」の対象になっているわけですよね。
>お坊さんは、絶対に「大日如来は、特徴が付けがたいから、一般の信者が
>崇拝するのにふさわしくない。だから、いろいろと偶像を作ったんだ」という
>事情説明などしません。では、一心に唱えた真言は「どこへ」届くのでしょう
>か。結局のところ、檀家を騙しているということになりませんか?
それでは、お釈迦様の待機説法を思い出してみましょう!
人に応じて、お話をされました。哲学は理解されにくいからです。
仏教とは、心を作るものですね?
何も勉強をなさらない方へは、そういった、仏像といった存在を持って
分かりやすく、イメージをつくるという方法が取られました。
真言を一心にお唱えするというのは、そのものにとって、心をつくることに
なるのです。あなたの心に届きます。
ところで、大日如来の事情を話すと、一般のかたには、「いないんだ」
と理解されてしまいます。そうではなくて、いない事もないのです。
有と無でものを考えてしまう方たちには、理解できなく混乱をさせるだけです。
現実的に申しますと、真言を一心にお唱えする事により、自分が生かされている
という謙虚な気持ちと一人で生きているのでは無い認識。そして、自分の存在を
作っていく事ができます。
つまり、自分の存在とは苦難に遭遇したとしましょう!
自分には仏がついていると感じる事が出来るなら、動揺しにくくなるでしょう!
まして、苦難に遭い、動揺をしているのを利用して騙されるないような
自分を見失う事のなく強い自分を構築していけるでしょう!
不安感にかられ、人に依存していしまうからいけないのです。
>>693 >>696 空の思想をもてない方への方法ですから、だましているわけでは
ありません。神は利益を与えるかもしれませんが、仏は利益を
あたえません。だから、「天国につれてってください、お願いします」
しか、祈らないなら、意味が無いわけです。
>>696 こちらの回答を忘れました。
>如来、菩薩、天部の神々の「実在」を
>信じておられるのですか?
信じるというのはありません。一種の流れの中に、あえて特徴付ければ
神とかなるわけですし。
ただ、不変なものがないのに特徴付けるのが得意な人間です。
私としては、すべては大日如来の現われの方が頭の中がすっきりします。
どうしても人は特徴付けてしまうので、何かでしめさないとなりません。
それを、最低限の特徴づけをし、本来の「縁起」を実感していく方法が
あると思います。
わたしは、大日如来と申しますか、心の中で確信めいたものがあるのですが、
理論的ではありません。その事は自分の問題なので、他人に話すべきでは
ありませんが、それが信仰でしょう!
>>709 さらにいえば、あくまでも哲学を含んでいるに過ぎない。
仏教は言葉を越えた世界を有していますし。そこが要です。
税金がどうのこうのおっしゃりますが、国が儲かってんだから、
払えときめるなら、それはそれで世の流れでは良いでしょう!
しかし、そうおっしゃる方たちが、お釈迦様の哲学と
現代の日本仏教に触れてから、検討してください。
>「仏教」て言葉を釈迦の初期の仏典に限定してる
そこの話をずっとしているのですが。(とくに了義に限って)
現代の仏教が哲学とは申しておりません。含んでるだけ。
初めから、部分的な話ですよ。
714 :
名無しさん@3周年:03/06/02 17:40
Kさんの話しは、まだ、まあ解るんですよw
>税金がどうのこうのおっしゃりますが、国が儲かってんだから、
払えときめるなら、それはそれで世の流れでは良いでしょう!
しかし、そうおっしゃる方たちが、お釈迦様の哲学と
現代の日本仏教に触れてから、検討してください。
これはおっしゃる意味がわかりません。
誰でも知ってる通り国は今税収に困っていて、
儲かってるどころか借金だらけですが。
「仏教は部分的に哲学だ」と「仏教は哲学に近い」とでは
まっるきり違いますしね。
715 :
名無しさん@3周年:03/06/02 20:13
>>700 読み返してみたんですがねー。
法句経にはそんな言葉どこにも見当たりませんけどねえ・・。
「怨みに報いるに怨みを以ってしてはならない」
これがかろうじて割かし近い言葉ですか。
だけど復讐の禁止ですよね?これ。キリが無いから止めとけみたいな。
だけど例えに出してる言葉が仏典のどこにあるのか
当の本人が知らないてのも、変な話ですがね・・。
よく考えて見たら
仏教の哲学的部分を代表してる言葉とも
思えませんねw
>>714 ああ、わたしに向けての言葉ではありませんでしたか。
それと、分かりずらい文章でごめんなさい。
「国が儲かってる」は
「国が【寺が】儲かってる」
で、世間で儲かっているお寺をさして、税金を払え!って事でした。
なんだか分からんが、証明しろとかほざく人間は、放置しろ
>>715 わたしが代わりに思った事を言います。
>「他人のイヤがる事を人にしてはならない」
他人がイヤだと言う事をする。これが本人のためになるならば
良いのですが、
恨みというのは、相手の為にならない事ですよね?
むしろ、相手を絶対否定をして、陥れたいという事です。
これは、有名な「天上天下唯我独尊」を考えると良いでしょう!
「自分自身が一番尊い。」それは、みんなにも当てはまる事です。
だから、他人を否定して、自分の存在感を出すのではなく、
他人を尊重した上で自分の存在感を出したいものです。
また他人を否定するのは、そこに我(エゴ)があります。
絶対否定をする側には、強烈な我があります。
自然に即すならば、我ほど不自然なものはございません。
「我」と「自分自身を持つ」と言うのは、違います。
区別が今ひとつという方は、よく考えて欲しいと思います。
720 :
638=645:03/06/02 22:18
>678
>682-683 レスサンクス。以下の二つのご意見をうかがって、あなたのお立場
に対するわたしの疑念はほとんど晴れました。
>712
>わたしは、大日如来と申しますか、心の中で確信めいたものがあるのですが、
>理論的ではありません。その事は自分の問題なので、他人に話すべきでは
>ありませんが、それが信仰でしょう!
>682
>そして、ダイヤ〔悟った人、あるいは悟りでしょうか〕はいろいろあります。
しかし一つ気になることがあります。
>682
>ダイヤと認定されれば悟りであると言えましょう。
あなたの確信が本物であるか偽物であるかを誰かが判定するのですか?もし
そうだとすれば、そうした判定をおこなう人はいったいどこからその権限を譲り
受けているのでしょうか?
>>719 「他人のいやがることを人にしてはならない」
これどー見ても論語ですよ。
似たような言葉は捜せば、どっかから出てくるかも知れませんが。
あなたの言ってるのはかなり飛躍的と言うか、少し強引な解釈に依る
無理やりな弁護だと思いますね。
>天上天下唯我独尊
有名な言葉だけど、これ自体否定する人が多いと思いますし
仏教が哲学に近いと語てる
>>448 が証拠として
なんで論語を持ち出したのか謎ですがねw
723 :
名無しさん@3周年:03/06/02 23:22
あげ
724 :
名無しさん@3周年:03/06/03 00:40
仏陀は神や自分を崇めよとは言ってないわけで、それだけで哲学的と言えるんじゃないの?
725 :
名無しさん@3周年:03/06/03 00:47
>724
哲学的って、ギリシア哲学と共通点があるということ?
神と自然法則を混同する、これ、非常に多い誤解。
神が生きていると言う発言に対する反応からよくわかる。
一種の偶像崇拝。自然も創造物であって神ではない。
神は生きてるの、何度も言うけど。
ねたんだり、ブチ切れたり、前言撤回したりしますが、何か?
>726
つーか、すでにブチ切れそうになってたりする?
728 :
名無しさん@3周年:03/06/03 01:07
>>726 >自然も創造物であって、神ではない
理由は?自然よりも神秘的なものがありますか?全ての宗教の教典をもって
しても、木の葉一枚の神秘さえ解き明かせないではないか。
>>724 ー正しく悟った仏の説かれた理法をはっきりと知っている人を尊敬して仕えよ
ウダーナヴァルガ
730 :
名無しさん@3周年:03/06/03 01:29
>>729 崇めるのとは違うと思うね。
賢者に尊敬して仕えるのはいつでもそう。
731 :
名無しさん@3周年:03/06/03 01:39
>>730 この句には続きがあるよ
ーバラモンが火の祭りに仕えるように、仕えろとあるよ。
732 :
名無しさん@3周年:03/06/03 01:40
「火の祭り」っていうのは宗教的な行為としか思えないけどねえ
733 :
名無しさん@3周年:03/06/03 01:50
あげ
734 :
名無しさん@3周年:03/06/03 01:57
>>726 架空の「神概念」の崇拝よりも、偶像崇拝のほうがより人間的。
人間は形のあるものにより心の安らぎを得る。観念はむしろ心を
狂わせる。自然が神でないというのなら、貴方の神の形を見せて
下さい。「観念」は実在しない。
735 :
名無しさん@3周年:03/06/03 02:04
崇めるーこの上もないものとして尊敬し敬うこと
って辞書に出てますよ
736 :
名無しさん@3周年:03/06/03 02:17
偉い学者は尊敬しますが、仕えなくてもいいんじゃないですかw
>732
自然も神じゃねえだろ。
738 :
名無しさん@3周年:03/06/03 02:49
>>735 「崇める」と「尊敬する」の間には、宗教的にはやはり差があると思いますねえ。
火神アグニは、人間により行なわれる祭式と、天の神々との媒介をなす重要な働きを持つ。
>>738 私はほとんど無いと思いますね
「バラモンが火の祭りに仕えるように」っていうんだから
神様を崇めるようにっていうのと同じだと思いますよ
宗教的なぐらいに尊敬して敬うって言うのを、
崇めるいうんだと思うから
741 :
名無しさん@3周年:03/06/03 08:30
神々もブッダの元にひざまずいてる
わけだからむしろ神様より上だって
仏典は主張してるみたいなものじゃないの?
>>721-722 う〜ん。原典が見つからないので、なんとも答えられませんが、私のノートに
よれば原文は「他人の幸せを、自ら望んで捜し求めなさい」となっています。
表現的には確かに「己所不欲、勿施於人」(論語)の裏返しですね。
>>724,
>>729 釈迦が出た時代背景を考慮すべきだと思います。バラモン教では、火の供養など
をすることで悪運から逃れて、来世にはよい境涯に生まれてくると信じられて
いました。一言で言えば、「御利益信仰」です。御利益の内容が、来世まで延長
されただけで、超越者に媚びることでエゴを満たすという動機は変わらない。
ところが、釈迦はバラモン教に対抗して仏教を立てました。それは、「信仰」
の原動力がエゴである限り、ますます「苦」の種を増やすことにしかならない
からです。アル中の患者が、アルコールでは物足りなくなったら、今度はもっ
と強力な麻薬を与えるようなものです。本当の治療とは、「依存心」を無くす
ことで、そのためには一度はアルコールから離れなくてはなりません。
多くの信仰者は、無意識のうちに「依存心」にすがっています。だから、仏教
ですらバラモン教みたいな御利益信仰になってしまった。密教の護摩なども、
その悪影響のひとつです。Kさんの「待機説法」の言い分はもっともとは思い
ますが、「苦しかろう」という慈悲心で、アル中患者にアルコールを出す行為
は無責任だと思います。この線引きをあいまいにしているうちに、治療施設
なのか、酒場なのか、自分でもわからなくなったというのが今の寺なのでは
ないでしょうか。
(続き)
うっかり、本論が抜けてしまいました。『法句経』ですら、釈迦の話を
耳にした弟子たちの主観が混じっているので、「来世にはよいところに
生まれる」とか、「来世は長者になる」などの非合理な記述(なぜなら、
仏教は、「よいところ」とか「長者になる」とかいう執着からの解放を
説いているから、根本的に矛盾しています)があったとしても、とりあ
えずは保留した上で、純粋に哲学的に彼の言葉を吟味する必要があると
思います。
>>743 >密教の護摩なども、
>その悪影響のひとつです。
ええっと、現世利益(げんぜりやく)はなんであるか?
護摩とはいったいどういう目的があるのか、理解されてないご様子です。
表面でしか見て頂けない。寂しい限りでございます。
大乗非仏説を本当に知っている人なら、そんな言い方は決して
出来ないと思うんですけど。
746 :
名無しさん@3周年:03/06/03 09:26
>>744 初期の仏典見ても、宗教的な部分ってかなりあるのがすぐわかる。
バラモン教の改革したわけだから
だけど哲学的だなって感じは確かにありますよね。
で・・宗教的な要素があるのは
弟子の主観が混じってるせいっだ・・・って言うのはちょと無理無いですか?
747 :
名無しさん@3周年:03/06/03 09:41
依存心あるのが、いけないみたいな言い方だけど
別にいけなくはないでしょ。
麻薬とかアル中とかw
どうしてそんな見方しか出来ないのか不思議でしょうがないですよ
神仏に手を合わしてる姿とか見て「いいな」て思いますよ
>>747 わたしもそう考えています。
例えば、神を信仰するなら、中途半端でなければ良いと言う事です。
だから、私はキリスト教でも認めています。
しかし、神の名の元で人に依存する生き方は危険であり、阻止せねばいけないと
思います。
この前、ある占い師に騙された人がいらっしゃいました。本人が
騙されたとおもわず、もし占い師にした行為で自分の人生が充実して
いれば、それはそれで良かったと思います。
しかし、自分が死ぬ前に騙されている事に気づき、自分のおろかさに
自分自身を失ってしまいました。
夢なら覚めないでというのはなかなか…
>>745 >現世利益(げんぜりやく)はなんであるか?護摩とはいったいどういう目的が
>あるのか
説明責任はあなたの側にあるのではないでしょうか。立場を明確にしないまま、
「誰も彼もどうせ、私の考えなんかわかっちゃいない」なんて言っていても
しようがないでしょう。何だか、Kさんは現代の仏教を代表した態度を取られて
いるように見えてきた。説明責任を果たしていないのに、「それは違う」と
しか言っていない。これでは、対話にはならんですよ。
>>746 >・・宗教的な要素があるのは弟子の主観が混じってるせいっだ・・・って言う
>のはちょと無理無いですか?
まあ、仮説ですから、無理は承知しています。
>>747 依存心というのは、ある目的を達することができないので、別のものを求めて
自分を誤魔化すという心理です。確かに神仏に手を合わす姿は「いいな」と
思える部分もあるが、現世で叶えられなかった願望を、来世に托するような
「神経症的な信仰」ならば、自己欺瞞にすぎないと思います。この種の信仰は
麻薬にそっくりです。麻薬を使っても、現実問題は解決しない。ただ、解決さ
れたかのように本人が錯覚するだけです。麻薬が切れれば、本人は絶望に突き
落とされる。こんなものまで「いいな」なんて、あなたも思われないでしょう?
「本覚思想」とは、凡人の中に仏の存在を認めることですから、仏が
自分の外の仏(の偶像)に向かって、火の供養をすること自体がナンセン
スです。釈迦が言っていることは、「自分以外の存在に依存せず、自分
のみを頼りにしてサイのように進め」ということです。
神仏に手を合わすのだって、自分の外の神仏ではなくて、自分も他人も
森羅万象すべてが神仏の現れとして、「神仏が神仏に手を合わす」という
のが「本覚思想」の合掌であるはずです。その時、○○如来という固有
名詞は消えうせて、真に客観的な信仰が得られます。依存心は、自分の
仏性の否定と同じですから(仏ならば、いかなるものには依存しないは
ず)、真の(客観的な)信仰とは相容れません。
752 :
名無しさん@3周年:03/06/03 12:00
なんかもう無茶苦茶な事、言ってますね
無理がある仮説どころか・・。根拠の無いこじつけですよ
あなたの発言内容は根拠の無い、やたら強引な断定が目立つ
自己欺瞞とか神経症だとか・・・誰のことなんだろう?w
宗教は阿片だてマルクスでしたっけ?
依存するなといいながら、自分は釈迦に依存してるみたいな。
麻薬に似てるていうのはマルクスか誰か言った事で。
753 :
名無しさん@3周年:03/06/03 12:08
愛する人と会うな
愛しない人とも会うな
こんなもん無理ですよ
だから他力とかそういう考えが生まれてきてるわけでしょう?
>>752 そうですね、マルクスがそう言った。では、あなたがマルクスを反駁
すればいいのでは? 「根拠のないこじつけ」という根拠を示すのが
当然だと思いますけど。
>>753 同意できる部分はあります。しかし、「こんなもん無理ですよ」という言葉
を口にできるのは、自分が全力で立ち向かって、跳ね返された経験を持った
上での話です。他力に頼るには、自力を出し尽くさないと意味がない。
聖書にある「放蕩息子」や、法華経の「金持ちの息子」のたとえ話は、
実際に自分が何年も世界中をほっつき歩いた後でないと「理解」できな
いだろうと思います。実際のところ、私ごときが「他力」だの「自力」
だのの言葉を「さもわかっているかのように」使っていること自体、
恥ずべきことかもしれない。
756 :
名無しさん@3周年:03/06/03 12:23
ちょっともう馬鹿馬鹿しいんですが・・・
マルクスの言った事が正しい事とは限らないって
それだけの話しじゃないんですか?
757 :
名無しさん@3周年:03/06/03 12:27
>>755えー?それは
一遍、全力でやってみてから言えって事w?
>>756 マルクスは、ちゃんと彼なりの根拠を示していますし、容易に反駁され
なかったから、ちゃんと「名著」として今でも書店に並んでいる。それに、
客観性を持たない宗教が、腐敗して民衆支配の手段になってしまうこと
は、ヘーゲルが200年前に『精神現象学』で指摘していることです。
>>757 そういうこと。パウロや親鸞は、「私」とは違うんだから、他人のふん
どしで横着な相撲を取らず、自分で経験しろってこと。
>>756(補足)
それに、あなたの論理をそのままひっくり返すと
「あなたの言った事もまた正しいとは限らない」ということを認める
しかない。言った人間が「マルクス」か「あなた」かで結論が違うよう
な仮説は客観性に欠けています。
761 :
名無しさん@3周年:03/06/03 12:36
他人のフンドシで相撲を取るなか・・w
おれは原始人から始めなきゃいけねえのかよw
根拠が無いって言ってるのは、
「宗教は阿片」て言葉に言ったんじゃないし。
名著だって間違いぐらいありますがな
そんな事勧められても。その気は無いです
実戦は君に任せるw
>>761 宗教を求める心には、内容はともあれ、現実に対する不満があると思います。
しかし、その不満は個人ごとに違うんですよね。だから、宗教による救い
もまた、個人の体験をベースにするしかない。ところが、聖典には個人
の体験などひとつも書いていない。
> 名著だって間違いぐらいありますがな
万人が納得できるものが真理だとすれば、この世に真理なんてものは
ないでしょう。ただ、名著は「真面目に耳を傾けるだけ客観性のある
意見が書いてある」ので、自分が考えるときの参考にはなるでしょう。
アホや
764 :
名無しさん@3周年:03/06/03 14:03
マルクス主義は客観的に見て間違ってたことは確かでしょう。
>>764 そうとは限りません。理念は正しかったが、政治的な実現に失敗したとも考え
られる。具体的には官僚組織の腐敗を見落とした。労働者が賃金の代償として
労働を売るという考え方は、普遍の真理だと思います。
大切なことは、マルクス主義を否定することではなくて、矛盾点を解決する
ことができる「新マルクス主義」のあり方を考えることです。これは、資本主義
についても同じことです。そして、究極的には「資本主義 対 マルクス主義」
のような対立は解消されるでしょう。
身近なところで、貯金の利息なんてどうですか? 金利が1%の時、100万円
貯金すれば年に1万円、1億貯金すれば年に100万円が手に入ります。だから
貧富の差は開く一方です。預け入れ金額が1000万円を超えたら、金利は
ますます有利になります。金持ちは、外貨預金や不動産、ゴールドなどに
分散投資するからリスク回避できる。累進課税を除けば、資本主義は
あからさまに金持ち優遇の世の中を作り上げている。保険金殺人だって、
「金は人間の命よりも重い」という価値判断をする人間が増えている
から起こるのです。
貧富の差は、かならずモラルハザードと犯罪増加を招きます。資本主義
も修正しなければ、必ず破綻する運命を迎えます。功利主義は、全体の
生活レベルを上げるのには最適の政治理念ですが、全員が十分に豊かに
なると、貧富の差から「嫉み」がたちまち現れてくる。貧者が大人しい
のは、富者に生命線を握られている「奴隷状態」に限定されます。
ごく一握りのスーパー億万長者と、大部分の「嫉む者たち」で作る社会
が理想的だとは、私には到底考えられません。
767 :
名無しさん@3周年:03/06/03 15:42
>>765 >>766 出ましたね。マルクス教カルト信者が。「理念」が根本的に間違っていた
からこそ、すべての共産主義国家が悲惨な結果を招いた。中国は経済的に
資本主義を取り入れてから、かろうじて生きかえった。
労働を売ることによって、その労働者自身を含めた人間社会の維持が初めて
可能になっているではないか。資本主義社会において労働を売ることは、労
働を奪われることではない。また、労働意欲は、人間の本能であり、いかな
る意味においても罪悪視・抑制すべきものではない。
資本主義社会においては、金持ちとはそれだけ社会に貢献した功労者ではな
いか。また、資本家が利潤を売るための自らの労働、心労、リスク負担はど
う考える?一般労働者の比ではない。人間は生まれつき不平等な存在。狂った
平等感で、真実の平等や社会の維持と進歩を妨げてはならない。
人間性についての無知と浅慮に基づくマルクスの観念論は、人類に計り知れない
弊害をもたらしたという事実を直視すべき。言い訳はもう沢山だ。
768 :
名無しさん@3周年:03/06/03 15:44
別に愛する人とも愛しない人とも会ってもいいんですよ。執着しなければ。
>>767 「労働の適正価格」というのがあいまいだと思いますけど。たとえば、
バブル期には銀行がメクラ融資した挙句に、法外な給与所得を懐にした
が、それ相応のリスク責任を取っていませんよ。経営が行き詰まって、
年収3割カット...こんなの、一般企業なら常識です。バブルという
泡踊りは、少数の人間が引き起こしたお祭騒ぎであるにも関わらず、その
ツケは、一般国民が支払っている。不良債権処理に使われているのは
税金で、バブル期には高騰する土地価格に翻弄され、なんとかローンを
支払い続けようと涙ぐましい努力を続ける真面目な国民を尻目に、不労
所得で肥え太った企業には債権放棄ですか。彼等が社会貢献したなどと
どこを指して言っているのですか?
こんな社会システムが不平等と見えないなら、あなたは人の心を忘れて
ますよ。
私は(現)マルクス主義の悪平等がいいとは思わないし、人類の発展には
競争主義の導入が必要だと考えています。しかし、いかなるルールも不平等
であってはならない。今の資本主義では功利主義の悪い点ばかりが目立って
しまう。企業レベルや国家レベルで利益が最大化されるだけで、地球
全体の利益につながっていない。21世紀は食糧危機の時代になるでしょう。
世界中で砂漠化が進んでいるのに、作られているのは人間用の食糧で
なくて家畜の餌だ。食糧のまま食えば3人は養えるのに、家畜にして食えば
1人しか養えない。しかも、それを食っているのは、世界平均の2倍も
カロリーを摂取しているアメリカ人だ。高い値段で取引されるという
理由だけで、牛は丸々と肥え太り、人間はガリガリに痩せている。
なんともおかしな世界です。
牛肉食じゃ全世界を賄えない。二酸化炭素も膨大だ。
そうなんです。功利主義(資本主義)だけで、地球環境や、地球全体の
利権がちゃんと守られるんだろうか。その辺に疑問を感じます。CO2排出
権の取引などは、ある程度、功利主義と環境保護を両立してくれるで
しょうけど、高額の金を出して牛肉をたらふく食う国民と、牛肉を食い
たくても食えない国民の間の差別はなくなりません(牛肉食では全世界
を賄えないのだから、食いはぐれが出る)。
結局、「自分が牛肉を食うよりかは、世界のどこかで8-10人が腹いっぱ
い食えた方がいい」という価値観を持つ人間が先進国に増えるしか解決
策がないと思います。しかし、どう考えても功利主義とは両立しないん
ですよね。
とにかく、被害者の顔が見えない「経済ゲーム」では、人権的な抑止力
は期待できません。
774 :
名無しさん@3周年:03/06/03 18:18
>448さんへ
バブルの発生も、社会主義に洗脳された官僚の地価抑制政策が原因です。
金持ちを悪としたからです。銀行も社会主義的政策の犠牲者でしょう。
今は大変な時代だが、過去の時代や共産主義国に比べればはるかにマシです。
戦時中は、生活物資はほとんどなく、食べ物も重湯やおかゆでした。デパート
やコンビニの豊富な商品を見るにつけ、良き時代、良き国に生まれたことの
感謝の念で一杯です。
人間は足りるを知らなければ、次々と不満が生じてきます。
牛肉ばかり食べている人間は間違いなく早死にします。
改革を唱える前に、現状のプラスと改革によるマイナスとを充分に比較検討する
必要があります。
775 :
名無しさん@3周年:03/06/03 18:29
>>1 キリストが傍らにいれば死が救いとなるため
終わり
776 :
名無しさん@3周年:03/06/03 18:30
ここいつのまに政治議論のスレになったんだろう?
仏教やら密教やらのスレで違う話すると荒らしとかいうわりに、他のスレでは平気でスレ違いすんのなw
778 :
名無しさん@3周年:03/06/03 18:35
>>774 > バブルの発生も、社会主義に洗脳された官僚の地価抑制政策が原因です。
>金持ちを悪としたからです。銀行も社会主義的政策の犠牲者でしょう。
それは同意します。ただ、官僚のトップの給料は高いから(天下りを
含めると)、腐敗社会主義なんじゃないでしょうか。マルクスなら唾棄
すると思います。
>今は大変な時代だが、過去の時代や共産主義国に比べればはるかにマシです。
これも同意です。バブルまでは順調だった気がしますね...。過労死が
出始めてからおかしくなりました。人間がスペアが利く会社の部品に
なってしまいました。
> 牛肉ばかり食べている人間は間違いなく早死にします。
そういう手がありますね...。
> 改革を唱える前に、現状のプラスと改革によるマイナスとを充分に
>比較検討する必要があります。
禿同です。相手をノックアウトしないで(あるいは共倒れになる前に)
喧嘩を終わらせるには、こちらからガードを外すしか手がありません。
だから、最初はとことん叩かれまくる。それが怖いから誰も手出しでき
ない。しかし、大なり小なりそういう犠牲が必要だと思います(「囚人
のジレンマ」と同じ原理ですね...)。
>>777 アホめ。社会正義を語れない奴が、エゴで宗教を語ってきたから、宗教が
腐敗してしまったんじゃないか。エゴイストは逝ってよし。
781 :
名無しさん@3周年:03/06/03 18:48
もういいよ、君の演説は
>>781 私を黙らせても、傍らの石が叫びだすだろう!
と言ってみるテスト
>>779-780が表示されてないが、NGワードか?
「蓮」とか「K」とか「448」とかNGワードにしてるんだが(w
784 :
名無しさん@3周年:03/06/03 19:12
ここはしどい磯ターネットですね!!!
785 :
名無しさん@3周年:03/06/03 19:20
架空の「神」を語るよりも、現実の「政治」を語るほうが面白いね。
マルクスは「宗教は阿片」と言ったそうだが、宗教者に社会主義者が
多いのは何故でしょうか?
麻薬を悪と考えるのは現代人の感覚
だからよー架空じゃねーんだよー何度言ってもわかんねーなー
架空なのはよー神についての認識が間違ってるだけなんだよー
そりゃ対象を間違った認識して話してたらそら架空だわなー
宗教者に社会主義者が多い?
なんだそらクイズ100人にききましたででもやってたんかい?
おっと年がバレルか?
みよーとしなきゃよーみえねーんだよーなんでもよー
目があいててもよーぼーっとしてちゃ見えねえんだよー
>>785 神は現状を黙認するばかりで、自分の手を汚さないからね。
というよりか、人間が行動を起こすのを忍耐強く待っているのだと
思う。だから、本当の信仰者は、その神の意図を理解して、社会貢献に
奔走する。マザーテレサとか、田中正造みたいに。
私も宗教的信念からものを書くと、必ず「マルキスト」の罵倒を受けます。
功利主義の恥部をついている点は、宗教家も社会主義者も同じなのです
が(ついでに「理想的社会」を目指して行動する点も)、現体制にアグラ
を書いているエゴイストからは同じように見える。しかし、これは私見
ですが、社会主義者の批判の裏には「ルサンチマン」=富める者への
怨恨があると思います。だから、社会主義者が権力を握ると、今度は
自分が特権を握ろうとする。だから、(腐敗した)社会主義者から見ると、
宗教者は「帝国主義者」」に見えると思います。
というわけで、宗教者は社会主義者からも資本主義者からも敵視される
のです。
789 :
名無しさん@3周年:03/06/03 19:51
アホのハダカ踊りが始まったようです
790 :
名無しさん@3周年:03/06/03 20:44
>>786 仏教では悪だろうな。
単なる快楽の追求だからな。
791 :
名無しさん@3周年:03/06/03 22:01
>>749 448さん
>説明責任はあなたの側にあるのではないでしょうか。
>立場を明確にしないまま、「誰も彼もどうせ、私の考えなんか
>わかっちゃいない」なんて言っていてもしようがないでしょう。
>何だか、Kさんは現代の仏教を代表した態度を取られているように見えてきた。
>説明責任を果たしていないのに、「それは違う」としか言っていない。
>これでは、対話にはならんですよ。
わたしはがっかりしました。 あなたを評価していたのに。
まさかあなたが「キリストは本当に立派な人だったの?」
の441さんだとは。あれほど、表面上で見て欲しくないと申したのに
主観による真っ向否定は良くないと、あの時、あれほど申したでしょう!
そうでなければ、一生懸命、現世利益とは…と説明したでしょう。
納得していただけるまで、私の話を聞いて欲しかったです。
そのレスまでは、出来るだけ解説をしたつもりです。
わたしは、素直に、「どういう事?」
と聞いて下されば、非礼を詫びたでしょう。
つまり試したんですよ。あの時の私の言葉に聴く耳を立てて下さったか
それとも拒否しただけなのか。
>Kさんは現代の仏教を代表した態度
客観的に申しますと、あなたの方がそっちよりです。
わたしは、他の宗派の教義の良さを認めるし、キリストさん
も尊敬に値すると思っています。
現代の仏教は自分の所しか認めない傾向があるのです。
あの時の強い人、もし、あなたが変われば、是非お話を続けたいものです。
793 :
名無しさん@3周年:03/06/04 00:36
>>792 …キリストさんも尊敬に値すると思っています。
キリストは尊敬に値しません。架空のキャラクターだからです。
イエスは実在しましたが、キリストは実在していません。(福音書は作り話です)
>>793 匿名掲示板だからって調子に乗ってんなよお前。
同じ事をよ、どっかの牧師でも神父でもクリスチャンにでも言ってみろよ。
あ?できんのかよ、この夜郎自大!
795 :
名無しさん@3周年:03/06/04 01:17
・・・・・
>>794 もしキミがクリスチャンなら
悔 い 改 め よ !
>>795 クリスチャンじゃないので悔い改めません。
ついに発覚、2chでレスを消す方法。
解析により、ついに管理人コマンド割り出しに成功した模様。
鯖が認識するとそのスレッドナンバーがあぼーんされる。
以下方法。
名前に『山崎渉』、メールに『ds8g15EG8h1r9R9g9d7E』。←暗号化されたパスワード
本文に、
command dell レスナンバー(ここに消したいレスナンバー記入)
end
こう記入して書き込み。
山崎って言う人はどうやらcgiなんかの管理人さんの本名らしい。
おそらく早急な対策が打たれると思うので、消したいレスがある人は急げ。
delete の省略形 del の L が2つ。 dell になってる。
これは DELL コンピューターを支配(command)したいという
メッセージか・・・
command dell 1
end
800 :
名無しさん@3周年:03/06/04 03:01
依存心による自己欺瞞で生きてきた人が
死ぬ間際、真実に気づき生と死とに恐怖する
そんなにいけないことでしょうか?
少なくとも最後に気づきます。
逆に真理を目指して生きてきたという人が
死ぬ間際になっても過去のあまりの積み重ねのために
自分の自己欺瞞に気づかず
真理を生きてきたという自己欺瞞を抱いて死んでいく
どっちもどっちに思えます
信じることで人は人らしく生きていられる。
まちがっていてもそれも人らしく生き抜いた証。
802 :
名無しさん@3周年:03/06/04 04:16
>>801 やまなし
おちなし
いみなし
おめでと〜\(^o^)/
803 :
ミカエル大林剛法:03/06/04 05:39
793の方の、おしゃっやたことを、言って怒るようでは、
まともな聖職者じゃありませぬ...
804 :
638=645:03/06/04 06:20
>792
もしよろしければ、わたしが >720 でさせていただいた以下の質問に対して
回答をいただけるとありがたいです。
>682
>ダイヤと認定されれば悟りであると言えましょう。
あなたの確信が本物であるか偽物であるかを誰かが判定するのですか?もし
そうだとすれば、そうした判定をおこなう人はいったいどこからその権限を譲り
受けているのでしょうか?
【ハイデガーによる真理の定義について】
ハイデガーは「真であること(真理)とは、見いだしながら=在ること」で
あるとしました(ハイデガー・桑木務訳『存在と時間(中)』岩波文庫、p.
175)。「見いだす」とは、ハイデガーによれば、すでにあるものに気づく
という意味のようですから、真理とは気づいていることであり、真とは気
づくこと、偽とは気づかないことと理解してもいいと思います。
ハイデガーの議論をまとめると、人は、自分はいずれ死んで腐ると自覚
すると、いつものように、あるいは他人と同じように考え・行動するのをや
めて、自分が投げ込まれている状況ないし世界を自分のものとして引き
受けつつ、どのような生き方を選び取るかを真剣に考えるようになり、そ
のなかで自分を含めておよそこの世に存在するものの存在に気づくよう
になる、ということだと思います。
内容の是非はともかく、ハイデガーのいう真理とは、言葉によって語られ
たものがその対象と一致しているかという意味での認識論的な真理では
なく、存在するものの存在(≒世界の実相?)に気づいたかという意味で
の存在論的な真理について言っているわけです。
806 :
638=645 (2/2):03/06/04 06:24
ハイデガーによる真理の定義はけっこう役に立つのではないか、とわたし
は思います。というのも、このスレでは真理について、
お釈迦様は真理を悟ったのですが、その法というのは非常に奥が深くて
自分で体験しないと理解をできないし、真理そのものは言葉では不可能だ。
みたいな事をおっしゃいました。(>566 名前:K)
ということが言われているわけですけれども、「言葉では表せない」という
言い方がかえって誤解を招いているように思われるからです。
真理を「気づいていること」と定義すれば、それは個人の体験にほかなりま
せんから、客観性や普遍性を要求されることはありませんし、その内容を
言葉で説明することには意味がありません。むしろ気づくに至った過程を述
懐すればいいわけです。また人それぞれ気づくに至るまでの過程は異なり
うるのですから、他人にとっての真理を尊重するのも当然です。そして人に
向けて説かれたことが真であるか偽であるかは、それを聞いた人が気づい
たか、気づかなかったかで決まる。
まだ未熟な考えですが、こういう考え方もあるのではないでしょうか?
807 :
名無しさん@3周年:03/06/04 06:34
>>804 横レスですが、
誰が判定する?
とは正邪を人智に含める事を前提としていますね。
808 :
名無しさん@3周年:03/06/04 08:08
「真理とは、現実に合致するという点である。」(ルカーチ)
主観的なものや観念的なものは、真理ではない。釈迦の言う真理は、
現実上の根拠がなく主観的なものだから、真理ではない。
>>806 個人の体験が異なる以上、個人によって真理の中味が異なるというのは禿同
です。他人の体験に耳を傾けて「たいへんだったねえ」と涙を流したとしても、
その涙のしおからさは決して同じとは言えませんしね。ただ、可能態(こう
あってほしいと願う自分の姿)を実現するには、行動を通じて客観化しなく
てはならず、涙のしおからさの違いというのも、行動を起こした時にそれが
暴露されてしまうと思います。そういう意味で、
>>808のルカーチの主張も
また正しい。
主観的世界と客観的世界というのは、お互いに影響を及ぼしあっているという
のが真相で(世界の飢餓の情況を知り、自分も救済に乗り出そうと決心する。
行動することで、自分の実存を勝ち取る。)、客観的世界との関わりを拒絶す
る主観主義は単なる「引きこもり」ないしは「盲信者」、逆に主観的世界を
否定して客観主義に走るのは「人間を道具としてしか捉えられない、日常態
に埋没して自己を失った可哀想な人々」になってしまうと思います。
>>792 あなたが自分を騙しているのでなければ、もう何も答えてもらわなくても結構
です。ひとつだけ忠告させてもらえば、仏教の「現世利益」に対する私の疑問
に弁明しない限り、このレスを読む人は仏教に胡散臭いイメージを持ったまま
になるでしょう。それに、論理的な問いに対して、感情的な答えに終始する
態度は、「議論を避けている」というマイナスイメージを与えるだけで、かえ
って逆効果だと思います。あなたには、沈黙を守るという手もあったのに...。
>>803 俺は聖職者どころかクリスチャンでもない。
だがな、クリスチャンはなぜ怒っちゃいけないのか?
聖書を読んだ事ないのか?
神もイエスも誰でも、ブチ切れまくりじゃないか?
いつも静かに微笑んでるのがクリスチャンなんて、
何も知らない奴が勝手に決め付けてるだけだよ!!!
813 :
名無しさん@3周年:03/06/04 09:35
ハイデガーか。
一言で言えば「不要なものなら存在しないはず」
ってことだが。
814 :
名無しでスマン:03/06/04 11:00
う〜ん、仏教を語るのはともかく、仏教徒ならば、信頼のおける師弟関係でもない限り
他人を試すなんていうことは慎むと思われます。まして何処の誰かも知らない人にはね。
しかし、ひとつ心得ておいて欲しい事があるです。同じ仏教でも、ご存知のように様々
な宗派、学派があり、更にここでも僧侶から、学者、修行者、独学の人もいることでし
ょう。それぞれが、それぞれの立場で言いたい事をただ書き込んでいるんですよ。
第三者が、横やりを入れて申し訳ありませんが、ここで「特定の誰か」が語っている事
が、そのままその宗教の本質なんだというような思いは抱かないで欲しいです。
>>804 638=645さん
>あなたの確信が本物であるか偽物であるかを誰かが判定するのですか?
>もしそうだとすれば、そうした判定をおこなう人はいったいどこから
>その権限を譲り受けているのでしょうか?
レスに気づいていませんでした。申し訳ないです。
判定は本人がするものです。
他人が認める悟りは真理を示している段階です。
さて、「悟りを認定する」ですが、例えば、粗を探すが、何も批判をする余地が
無く、完敗(;_;)となったときに、信仰になりえます。
悟ってるとは、他者が認めただけであって、悟りの内容は厳密には本人しか
知りえないものです。
つまり、ダイヤであるかないかは、「ああでもない、こうでもないと言った
疑念の余地がいっさい無くなれば」(=寂静)自分だけの境地でしょう!
だから、わたしが視野を広げて学んで言った結果、確信が否定に変わるとき
ガラスであるといえるかもしれませんし、逆にそれに気づいたらこそ、
初めてダイヤの原石になるといえるかもしれません。
とにかく、「お釈迦様の哲学を理解する事がダイヤの原石」とは、理性の範囲の
話で考察すると、おかしい所が無いという完敗さに現れた表現です。
だから、実際に理解する事をやってみて、ダイヤの原石であるのを実感して
欲しいというのです。
ちなみに、指摘を受けるが、我を張って、意固地なのに寂静になっているのは
良くはないと思いますが、死ぬまでそれを通せば凄いなと思います。
>>804 続きです
自分がダイヤである。まあ、評価を自分自身でする事ですが、
現代的に考えて見ました。
会社に入ったときに、人の評価を気にして、周りに流されるのは
輝いてみえません。
ダイヤとは自分で決めるように、自分が自分を評価できる姿
が自然だといえます。
やりたい仕事を一心に求めて、転職をたくさんされる方がいますが、
家族が不安で困るとは言え、自分に納得した生き方が出来るのは
素敵だなあと思います。
>>815 横レスで失礼ですが、ちょっと気になったもので。
「ダイヤの原石」かどうかわかるのは、実際に「ダイヤの原石」を見たことが
ある人に限られるのではないでしょうか。釘で引っ掻いたら傷がついた。本物
の「ダイヤの原石」の堅さを知っている人なら、即座に「贋物だ」とわかりま
す。しかし、「ダイヤの原石」を見たことがない人は、ガラス玉もダイヤも
見分けがつかないではありませんか。
ガラス玉は経験の範囲内だが、ダイヤは経験外だとしたら、人間は経験内から
ベストなものとしてガラス玉を選ぶことは許されるが、「未知のダイヤ」を
選ぶことはできない。645さんの指摘はそこだと思います。
ついでにもう一点。
>「ああでもない、こうでもないと言った疑念の余地がいっさい無くなれば」
>(=寂静)
というのはよくわかるのですが、疑念が個人に留まるだけでは不十分だと思い
ます。他人から見ても理解可能なもの、つまり客観性があるものでないと。
マインドコントロールされた人は、他人からの批判を無意識にブロックして
しまいます。自分では「疑念がない真理」だと思い込んでいるが、他人はそう
思っていない、というのがカルト信者が抱える最大の問題です。
昼になったのに、眼をつむって「暗いから、まだ夜だ!」と答える場合、
果たして昼なのか夜なのか...。暗示で人を救えばよいのなら、テープに
「修行するぞ!」と吹き込んで洗脳し、疑惑さえ浮かばないようにしてしま
えばいいことになるし、ロボトミー手術で「悩みの中枢」を取り除けばいいと
いう結論にもなります。Kさんの論点は、そういう危険と紙一重です。
(補足)
自分が持っている透明な玉は「ダイヤの原石」だと考えたとします。
それが本当かどうかは、別の透明の玉とぶつけて傷がつくかどうか調べ
ればいい。傷がつけば、それは世間では「ガラス」と呼ばれるもので、
あなたが「ダイヤの原石」と呼んでいるだけなんですよ、ということが
はっきりする。
だから、「ダイヤの原石」であることを証明するには、他人との傷つけ
合い(悪い表現ですが)が不可欠です。他人からの批判がない主観世界
で「どこから眺めても、これはダイヤの原石だ」と自己満足にひたって
いても、それは「ダイヤの原石」とは言えない。もちろん、傷ついてい
ないのだから違うとも言えません。これはある意味では自己放棄です。
「ひきこもり」は、誇大妄想で膨らんだ「自我理想」が外界から傷つけ
られるのを恐れて、外部との接触を拒絶します。心理的には全く同じです。
>>805-806 ハイデガーさん恥ずかしながら、知りませんでした。
「悟りは気づく事ですか。」まったく同感です。
よい話をありがとうございます。
>言葉によって語られたものがその対象と一致しているか
>という意味での認識論的な真理ではなく
自分で納得してるのでお話しますが、お釈迦様のおっしゃった
「見たとおりの事が外にあると思ってはいけない」
つまり、見たとおりの事というのは、人間がものを言葉にするように
本来特徴のないものに特徴をつける事です。
つまり、どうしても特徴付けて考えないと考えられないのです。
まず、そういった洗脳を解き放ち、その上で
>気づくに至った過程を述懐すればいいわけです。(引用)
↑が良い方法だと思います。
>客観性や普遍性を要求されることはありませんし
客観性には、具体例を挙げます。「ES」という映画をみて欲しいのですが
「気づかない」とは、非常に視野が狭い考え方をしています。
この映画では、自分が実験の場に立ち、視野が狭くなって、自分の狂気に
気づかない人間が描かれています。客観的見ることをしないと真と偽の判断が
出来なくなるのです。その極端な話でした。
視野の拡大によって、詐欺師や危ないカルト集団に騙されない、
しっかりとした自分を持つ事に繋がると思います。
それにしても、未熟と謙遜しながら、ハイデガーの主張を考えたり、
わたしの主張に耳を貸し、その上で、自分なりに納得する行為は
すぐに人のいう事を鵜呑みにせず、たいへん視野が広いと思います。
いい忘れましたが、あなたがおっしゃるとおり、
「気づく至った過程を述懐」をするだけで済む人もいると思います。
1を聞いて10を知るみたいな人はいますからね。
820 :
名無しさん@3周年:03/06/04 14:12
とりあえずKと448と638=645は新スレ建てろや。
仏教徒の恥晒し。
>>818 >別の透明の玉とぶつけて傷がつくかどうか調べ
>ればいい。
うーん。以前から、申してる内容ですが
ぶつける(=真っ向否定)で壊れてしまう玉もあるでしょう。
真っ向否定は衝撃が強すぎます。
しかし、お互いがダイヤの原石であれば、衝撃に耐えられます。
その場合は真っ向否定もありでしょう。
衝撃に耐えられない人の為にも、傷がついている事を
気づかせてあげる方法はいいとおもいます。
あくまでも、ダイヤの原石に変えてあげなきゃなりませんが。
あなたは、真理は示す事ぐらいが妥当なのに、現そう(真っ向否定)と
するやり方ですよ。
>そういう危険と紙一重です。
これは、客観的なものの見方が出来れば、問題ないのです。
主観は囚われ。もし、わたしの視野が狭くなれば
ガラス玉になってしまいます。
面白い事にお釈迦様の教義からも外れてしまう。
ちなみに、「客観的に見る=ぶつける」だけとは思いません。
そして、ダイヤになったときは、そもそも、間違いの可能性とか
そういう次元では無いと思います。
ダイヤかどうかは、他人からはわからない。
でも原石なら、示すレベルだから、議論していいですね。
>>820 我らはむしろ熱心な仏教徒の方じゃないですか?
しかし、話が深くて、このスレと全くの別物と感じておられる様子です。
そう感じさせてごめんなさい。
信仰とは?について重要な話です。
>>810 448さん
>論理的な問いに対して、感情的な答えに終始する態度は、
問いでは無く一方的な主観的な批難でありました。
感情的に思われている。わたしが投げかけた疑問はあなたの論理が
主観ではないか?という事です。
>「議論を避けている」というマイナスイメージを与えるだけで、
>かえって逆効果だと思います。
お釈迦様の教義を知り、素晴らしいという結論に至ったといって
いるのに、それを聞いて来ないばかりか、一方的な批判。
>あなたには、沈黙を守るという手もあったのに...。
あなたの一方的さ認めることになり、固定観念で思い込み
主観的な事を嫌うあなたの矛盾に気づかせられない。
だから、それに気づけば、新スレをたてて、聞いて欲しいとおもいます。
ちなみに、お釈迦様のとった行動も、真っ向否定ONLYでは
ありませんでした。
地球上の人間が全てゲダツしたり救済されたりしたあかつきには、
この世から感情というものはなくなり、
人々は朝から晩まで無表情で冷静に議論しているのでしょうね。
825 :
名無しさん@3周年:03/06/04 16:25
>>824 議論さえしない。
人々はただ佇む、全く同じ形をした石のようになる。均一な静止した世界。
826 :
名無しさん@3周年:03/06/04 16:36
822 名前:K :03/06/04 14:44
>>820 我らはむしろ熱心な仏教徒の方じゃないですか?
しかし、話が深くて、このスレと全くの別物と感じておられる様子です。
そう感じさせてごめんなさい。
こんなこと平気でよー言えるわw
あ、俺悪魔なんだけどさ。ちょっと言わせてくれ。
おまえらもヒマだよな。ホント。この世に神なんているわけねえだろ?宗教は悪魔が作ったんだぜ?
アーマゲドンで神が勝ったなんて言ってるが、実はアレ、ウソ。
ホント、いやマジでマジで。正直ウソついてスマンかった。
だって、悪魔が神サマのフリしてりゃおまえら支配するなんて造作もねえじゃん。
おまえら、いい子ちゃんぶっていたいわけだし。
神が勝ってたら、もっと楽園だって。いやマジでマジで。それこそ”ぱらいそ”YO?
だってよ、てめえの分身みたいなモンこさえたわけだから、ある程度パーペキでないとダメじゃん?
今の世の中みりゃわかんだろ?道路にはこ汚ねえホームレスやチーマーが寝転んでたり、
戦争はいつまでたっても終わんなかったり、母親がカッとなって自分の娘を殴り殺したり、
息子がバットで父親の頭を殴り殺したり、上司はDQNだったり、レストランに入ったらガキが
うるさくわめいているのに親は注意しねえDQNだったり、あげればキリがねえだろ。
みんなこの世界は悪魔が作ったんだって。神なんてずーっとずーっと前に死んじまったさ。
今は神様は角煮か虹板しか存在しねえんだよ。
んで、おめーら人間は「神様に作られたナイスイケメン」と思い込んでるわけだ。
笑うの通り越して、ちょっぴり哀れに思ったんで、とりあえず秘密をちょこっとだけバラしてやったぜ。
感謝しろよ。大魔王サマには内緒だ。
829 :
名無しさん@3周年:03/06/04 16:46
まあまあ
三バカ大将の寄り合い所なんですから
>>828 角煮、虹板って何?神様に会いたいんで教えて。
>>830 ごめん。書き方まちがえちゃった。両方とも同じじゃねえか・・・
半角、虹板が正解。
最近は神様じゃなくて蓮の花の邪神が降臨されているようなので、素人にはおすすめできない。
まあ、双葉でマターリとネトラン厨か阿部さんでも相手した方がいいってこった。
「いわゆる宗教家の多くは神は宇宙の外に立ちてしかもこの宇宙を支配する
偉大なる人間のごときものと考えている。しかしかくのごとき神の考えは
はなはだ幼稚であって、ただに今日の学問知識を衝突するばかりでなく、
宗教上においてもかくのごとき神とわれわれ人間とは内心における親密なる
一致を得ることはできぬと考える。(中略)
しからばわれわれの直接経験の事実上においていかに神の存在を求むること
ができるか。時間空間の間に束縛せられたる小さきわれわれの胸の中にも
無限の力が潜んでいる。(中略)
人心の無限に自在なる活動は直ちに神そのものを証明するのである。」
(『善の研究』)
神は存在する。しかし、迷信家が主張するような「神様」は、人間の都合で
作り出した贋物です。
833 :
名無しさん@3周年:03/06/04 17:35
人間が神を作り出すのは間違い。
人間が神を感じるのが正解。
834 :
名無しさん@3周年:03/06/04 17:55
>>833 人間の観念の産物である神を感じるだけなのでは。
物理法則が神の働きの現れだとしたら、物理法則を知ることを通じて神
を感じることができます。しかし、物理法則に関心のない人にはその神
の内容は理解できない。
心理学的には、人間が主観的に持っている神の正体は、一家の中で権力
をふるっている父親が誇大化したものです。だから、原始的な神は皆、
厳格な父親として描かれている。ユダヤ教なんかその代表です。
砂漠の民と農耕民族では、思い描く神の姿が全く違います。本来、超越
者というのは唯一不二の存在じゃないといけないのに。人間の観念が
勝手な神を感じている証拠です。
836 :
名無しさん@3周年:03/06/04 18:44
>>835 その人にとって超越者は唯一無二でも、5人集まれば唯一無二が5つ集まるのは
理解できるよね。
837 :
名無しさん@3周年:03/06/04 19:21
その五つの唯一不二は、集まったり減ったりする性質のものではないんですよ。
幾ら足しても、幾ら引いてもいつも「一」これですね。
この「一」は、特定された何者のものでもないんですよ。私のもの。あなたの
もの。こういうものじゃないんだね。
俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの。
それでは、5人が自分の超越者を擁立して争うしかないから、5人が全員納得
するような共通の「神」を作り上げていくのです。それでも、民族性とか環境
の影響は残る。物理法則を通じて感じる神がすぐれているのは、民族性や環境
の影響から解放されているから、より客観性のある「神」に落ち着くことです。
「特殊性から普遍性」というのは、人間の理性が強く望むことであると同時に、
理性で判断できる唯一の「真理の価値判断」です。Aさんには正しいがBさんに
は正しくない、とか、時々正しいが違うこともある、という特殊なものより、
誰もが納得できて、いつでも正しいものの方が真理として価値があります。
840 :
名無しさん@3周年:03/06/04 19:41
>>839 話し合って神を決めるなんて聞いたこと無い。
多数を説得して一つに統一して、認めないものは打ち滅ぼす。
不幸なことに、キリスト教では多数決で教義の正統性を決めたり、異端を
弾圧して打ち滅ぼしたりしましたが、21世紀の宗教はそれでは通用しない
と思います。AさんとBさんの意見が違う部分を修正して、最終的にAさん
もBさんも納得のいくような形を作り出します。批判を謙虚に取り入れる
ことで、真理はどんどん洗練されていくのです。
> 話し合って神を決めるなんて聞いたこと無い。
そうなんですけど、「どの神が本物か」については話し合いでしか解決
できません。21世紀の宗教はそうでなければ人を救えません。
842 :
名無しさん@3周年:03/06/04 20:11
>>841 それって共産主義に通ずるものがあるな。
均一な死の世界を望むのか。
843 :
名無しさん@3周年:03/06/04 20:23
>>841 宗教の本質上、宗教間の話し合いはほとんど不可能。自分の神を人間の
生命より優先するから。同じ宗教内の宗派間でも同じ。
844 :
名無しさん@3周年:03/06/04 21:05
>>841 あなたの言ってることは単に、どんな宗教も超越するような宗教を
こしらえて、それで他宗教を滅ぼして民衆を統一してしまおうという行為では?
845 :
名無しさん@3周年:03/06/04 21:40
神をここに連れてこい。
それしかない。
頭の中にいる奴、頭割って取り出せ。
心の中にいる奴、胸開いて取り出せ。
ひとが死ぬ直前に神が現れても遅い。手遅れ。
848 :
名無しさん@3周年:03/06/04 22:17
神のことを持ち出すよりも、もっと以前に解決しなきゃならない問題が山積みしてる
んじゃないかな。別に神の存在の是非なんて、差し迫った問題ではないと思うし。
21世紀の宗教というものが、どういうもを言っているのか分かりませんが、話し合
いでできることは、今のところ違いを認め合うので精一杯じゃないかな。
私は、かりに神が私を殺そうとしたとしても私は生きようとします。
全知全能の神であっても闘います。みんなそうです。
850 :
名無しさん@3周年:03/06/04 22:31
>>843 はぁ?それこそオレ定義の宗教だね。
宗教を定義する前に優先を定義しなさい。
いきものは生ききていることが全てです。
それ以上の問題はありません。
それ以下の問題は>848山積みです。
852 :
名無しさん@3周年:03/06/04 22:36
この住人も、アホが沢山w
853 :
名無しさん@3周年:03/06/04 22:38
神は現世にはいません
854 :
638=645:03/06/04 23:09
【448 さんへ】
>809
>客観的世界との関わりを拒絶する主観主義は単なる「引きこもり」ないしは
>「盲信者」〔以下略〕
>809
>世界の飢餓の情況を知り、自分も救済に乗り出そうと決心する。行動するこ
>とで、自分の実存を勝ち取る。
ドイツはこの数年間に比類のない変革をとげた―――しかしそれはすべて頭
の中で起こったことである、というマルクスとエンゲルスの批判を思い出しま
す(『ドイツ・イデオロギー』第1部・フォイエルバハ、冒頭)。
あなたのいう客観性というのは現実性ということではないかと思います。たし
かにわたしの言っていることは行動的なことではありませんね。「議員に陳情
するから署名を集めよう」とか、「法案のたたき台を作ったんだけどチェックし
てくれる?」というような話は一切出てきません。
存在論的な真理や悟りといった、いわばものの見方に磨きをかけることに熱
中するあまり、行動することを忘れるとしたら、それは慎まなければなりませ
んね。
【Kさんへ その1】
>815-816 レスサンクス。あなたの回答を読んで、悟りというものは、ほんと
うの悟りを謙虚に求める気持ち(それが信ずるということだと思いますが)と
セットになって、はじめて正常に機能していく―――つまりだだ一回の悟り
を何か不動のもののように考えて、自ら恃むようなところがあってはならな
い、と自戒しました。
>819
>客観性には、具体例を挙げます。「ES」という映画をみて欲しい〔以下略〕
あなたのいう客観性とは、悟りという個人的な体験が自分にとって真実であ
ることはともかくとして、それが他人との間でどういう意味を持つのか―――
悟りというのは所詮お前の独断ではないかという他人の視点からの批判に
どう答えていくか、ということではないかと思います。
そうだとすると、具体的なたとえ話をするのも一つの方法ですね。「ES」を
ぜひ観てみたいと思います。
856 :
638=645:03/06/04 23:14
【Kさんへ その2】
ただ、わたしが >806 で「客観性や普遍性を要求されることはありません」
と書いたときの「客観性」とは、認識論的な真理に対してふつう要求される
ところの、客観的な事実(現象)との一致とか、人々のあいだで行われる自
由な批判に耐えうること、という意味のつもりでした。
存在論的な真理は、認識論的な真理とは真偽の基準が違うので、認識論
的な意味での客観性や普遍性とは違うものさしで見なければならないと思
ったのです。
わたしは悟り(存在論的な真理)というものは自分にとっては真実である一
方で、どこまでいっても独断であり、確かなものではないと思います。他人
に気のきいた話をすることができて、それが他人の悟りにつながったとして
も、それによって自分の悟りが確かなものになるわけではありません。む
しろ自分の悟りを確かなものにしたいという自分のこだわりに気づくべきだ
とおもいます。
その意味で、悟りについて「客観性」という言葉を使うことは、あたかも悟り
が認識論的な真理にそなわっているような確かさを獲得しうるかのような誤
解を自分に対しても、他人に対しても与えることになるのではないかと危惧
します。
857 :
638=645:03/06/04 23:17
【存在論的な真理とキリスト教】
アウグスティヌスは、神の存在を信じて理性による内省を深めていくと、自
分は万能でありたいという心理状態に変化が生じ、神の三位一体的な似像
である永遠不変の真理を自分のなかに直観するのだと論じたように思われ
ます。
わたしはキリスト教のことをあまりよく知らないのですが、アウグスティヌス
が理性にもとづく直観をつうじて神に出会ったことと、ハイデガーが哲学的
思索によって存在に気づいたこと(>805-806 名前:638=645)の間には、方
法上の共通点があるように思えます。
>>826 それは自分を持って生きてるからです。
あなたにも、自分自身を評価できる。自分をより、好きになれるような
良い教えに(宗教でなくてもいい)出会えますように。
>>829 それって、良い響きです。
やっぱ馬鹿になった方が人生たのしいです。
859 :
名無しさん@3周年:03/06/04 23:51
860 :
名無しさん@3周年:03/06/04 23:53
>>855-856 総括しますと、よく理解してくださいました。
>あなたのいう客観性とは…これが他人との間でどういう意味を持つのか―――
わたくし、勘違いをしていました。あなたの解説でやっと気づきました。
>>806で真理の話をしているのに
わたしは、「悟りに向かう」事の話をしていました。
「客観性や普遍性…」同意です。
>悟りというのは所詮お前の独断ではないかという他人の視点からの批判に
>どう答えていくか、ということではないかと思います。
わたしのせいで混乱させてしまってすみません。
「悟り」→「悟りに向かっている」とお考え下さい。
「悟り」は理性での質問(普遍性)にも理性で分かるように返せる
ものでしょうし。筋道をたてて質問をしたのに、筋道でかえして
くれないのは、寂静ではないですし。
悟りに向かう際、他人がもし肯定してくれて、だれも批判もしてくれない時も、
やはり、独断ではないかと考える必要もありますね。
だから、悟りの境地は、客観性を通り越して、ありのままに見える
と申したほうが良いですね。
862 :
638=645:03/06/05 06:01
>861 【Kさんへ】
>悟りに向かう際、他人がもし肯定してくれて、だれも批判もしてくれない時
>も、やはり、独断ではないかと考える必要もありますね。
>だから、悟りの境地は、客観性を通り越して、ありのままに見えると申した
>ほうが良いですね。
まさに至言ですね。参りました(笑)。あなたのおっしゃる「悟りに向かう」と
いう言葉を、わたしは信仰を得て、何かに気づこうとして努力している状態
と理解しました。
>>842 最終形は必ずしも「均一」にはならないと思います。遺伝機構を見ても、世界は
均一化(クローン)ではなくて、多様性に向かっているのは明らかです。しかし、
「多の集まり」では共存できないから、「多即一」でないといけない。そこに
仏教思想の叡智が生きてくるのだと思います。
>>843 現宗教も「人を殺すなかれ」とは説いているのです。だから、神の名の元に
殺人を肯定するようなものは自己矛盾していて、真っ先に淘汰するべきです。
それがなぜ生き残っているかと言えば、客観性を無視して、自分の主観をよし
とする傲慢さが宗教界にまかり通っているからです。
>>844 で、統一したあとどうするのですか? 民衆なんて実在しません。民衆という
のは、支配者の視点が混じった概念です。人間は家畜ではないのだから、支配
されないでも、ちゃんと自律的に共存できると私は信じています。
>>854 イエスも釈迦も、知的遊戯として宗教を始めたわけではなくて、社会的な
面からの差し迫った必要性があったと思います。イエスなどは、あまりに
社会運動と密接になったために、政治支配者(および、それと癒着して
いた宗教支配者)から抹殺されてしまいました。
「信仰さえあれば山でも動く」というのをただ有り難がって信じるのが
信仰の本質ならば、「さあ、山よ、今すぐ動いて腐敗した支配者達を
押し潰せ。イエスの言う地上天国を実現せよ。」とだけ、アゴで命じて
いればよいでしょう。しかし、神は一切手出しはしない。それは人間が
試行錯誤しながら気長にやっていくべき仕事だからです。神を担ぎ出して
仕事をサボる言い訳をする位なら、無神論に徹した方がマシです。
私に言わせれば、現実社会への働きがない宗教など、塩味を失った塩に
すぎません。客観性の裏づけがない宗教など、犬にでも食われてしまえ、
です。
865 :
名無しさん@3周年:03/06/05 09:19
俺、いつも減量に失敗しているボクサーなんだけどさ、こう見えてもクリスチャン。
こないだも神の名の下に、悩める子羊な俺は彼女がシスターなんで、悩みを打ち明けて
ついでに一パツ。
もうね、すげーよ。さすがキリスト。ピチピチのシスターとヤれるなんて、思わなかった。
俺の知り合いに左利きのやっぱりボクサーなクリスチャンがいるんだけどさ。
あいつも、毎週涙を流しまくって、神の名の下に女の気を引いてもうヤりまくり。
さらに俺の知り合いにマジシャンみたいなドロボウ二人組がいるんだけどさ。
そいつら毎週、神の御加護の下で高価な品物を物色してるんだ。すげーよな。
クリスチャンやってると女にも金にも不自由しないからマジおすすめ。
おまえらもウソだと思うなら試してみろよ。
866 :
動画直リン:03/06/05 09:19
>>865 それも神のみわざです。しかし今後どうなるかわかりませんが。
>>862 ご理解のとおりです。
ところであれは、あなたとの対話で生まれました。
愚者の一言ですが、思ってても言葉に出来ない事があると実感します。
また少し気づきました。感謝致します。
なにか、筋道を立てて考えたりしますと、結局、お釈迦様の言葉に
たどり着くのは不思議です。
それと、ダイヤのお話は、勝手に出てきたわたしの思い付きですので、
仏教でこんな話があるとは思わないで下さい。
869 :
名無しさん@3周年:03/06/05 10:49
俺、いつもおしょうさんに叱られてばかりの坊主なんだけどさ、こう見えなくても仏教徒。
こないだも将軍サマに呼ばれて、御仏のお力で屏風の中の虎を退治したばかり。
もうね、すげーよ。さすが釈尊。渡れない橋なんてないね。イヤほんとに。
俺の知り合いに長髪の坊主がいてさ、そいつ空手や骨法もやっててケンカ駆け込み寺と
周りの人からは慕われ、周りのヤクザからは恐れられて、おまけに女子高生までファンが
いて、もうかなり極楽浄土な感じ。
さらに俺の知り合いに手からビームみたいなもん出したりして、悪霊やら魔王やらを退治
する拝み屋やってる奴がいるんだけどさ。そいつなんて、毎週毎週、女のヌードを拝めて
しかもやっぱり女子高生と一つ屋根の下で暮らしてるんだ。すげーよな。
仏教徒やってると金にはちょっぴり不自由するかも知れないけど、女には不自由しないから
マジおすすめ。
おまえらもウソだと思うなら試してみろよ。
870 :
名無しさん@3周年:03/06/05 10:55
俺、いつも海外でネゴシエーションやってる交渉人なんだけどさ、こう見えなくてもイスラム教を
たしなんだことあるんだ。
こないだも変なテロ組織に呼ばれて、信仰心を試すために腕を切ったりしたばかり。
もうね、すげーよ。さすがアッラー。次の週には腕のキズが完治してるんだぜ。マジでマジで。
俺の知り合いに超一流のスナイパーがいてさ、そいつ仕事の時に怪しまれないようにするため
イスラムの教えに従って、休息をとったため見張りの兵士にバレなくてすんだんだ。
さらに俺の知り合いにジハードジハード言ってるヤシがいるんだけどさ。
巨乳の姉ちゃんが周りにたくさんいるんで、もうウハウハらしい。すげーよな。
イスラム教徒やってると金と女はともかくとして、ほとんど不死身だからマジおすすめ。
おまえらもウソだと思うなら試してみろよ。
871 :
名無しさん@3周年:03/06/05 11:21
専用ブラウザつかって●もってると???もID表示してくれるんだよ。
凄いなこのスレの自作自演は。
872 :
名無しさん@3周年:03/06/05 11:23
>さらに俺の知り合いに手からビームみたいなもん出したりして、悪霊やら魔王やらを退治
>する拝み屋やってる奴がいるんだけどさ。そいつなんて、毎週毎週、女のヌードを拝めて
>しかもやっぱり女子高生と一つ屋根の下で暮らしてるんだ。すげーよな。
元ネタ教えてくれ(*´д`*)ハァハァ
874 :
名無しさん@3周年:03/06/05 13:35
875 :
638=645:03/06/05 22:41
>868
>思ってても言葉に出来ない事があると実感します。
同感です。あなたとの対話がなければ、わたしは悟りというものを真理とい
う言葉を使って考えてみることはしなかったと思います。感謝します。
>それと、ダイヤのお話は、勝手に出てきたわたしの思い付きですので、仏
>教でこんな話があるとは思わないで下さい。
そのうち仏教ではこれだ、といわれるほどの有名な法話になるかもしれま
せんよ。
今日は早く寝ます。誰か文句ありますか。
877 :
名無しさん@3周年:03/06/07 20:46
>>876 文句があります。誰かを救ってから寝なさい。
878 :
名無しさん@3周年:03/06/07 23:45
877がすくわれました
イスラム教は、旧約聖書をコーランに次ぐ聖典としているし、旧約聖書の
唯一神ヤハウェを主としているから、基は旧約聖書信仰(ユダヤ教・モーセの十戒・
トーラーを厳守)から派生したといえる。
キリスト教も、イエス自身が何度も旧約聖書を引用してヤハウェの教えを説いているので、ある意味では
派生したといえるが、イエスは自身の「神の子・十字架刑・復活」という道を知悉していた事実がある。
おまけに旧約聖書(イザヤ書など)にはイエスに関する預言が350あり、全て実現しているという不思議。
さらに、ユダヤ教徒が律法主義に陥り、偽善的になり、イエスを十字架に追いやり、
終末までキリストを受け入れないことまでも啓示預言されているという神秘。
イエスは、偽善のエリート・ユダヤ律法学者・パリサイ人などをとりわけ忌み嫌った。
たとえば、安息日に病人を癒したイエスに向かって、
ユダヤ教徒が、「安息日に働くべからずと律法にはありますが…」と質した。
イエスは、「もし自分の子供が井戸に落ちたら、安息日だという理由で助けないだろうか」と
こたえた。また十字架にかかる幾日か前に弟子たちに新しい戒めを与えた。(ヨハネ福音書15章から)
要約すれば…「主を信じ、互いに愛し合う」これが律法を完成させる最も重要な戒め。
豚肉を食べてもいい。ヒゲを剃ってもいい。救いにユダヤ人・異邦人・身分の差・性差などは全く関係ない。
もちろん未だに厳格なユダヤ教徒はイエスを認めようとしない。救い主は別にいると考えているが…。
これらを考えると、キリスト教は単にユダヤ教から派生したのではなく、聖書の啓示・預言通りに
発展したものだといえる。キリスト教は、ユダヤ教よりも大きく、世界的かつ最大の教え。
なぜなら、信仰よりも愛を上位に置いているから。新約聖書はそれを断言する。つまりイエスが
自ら示した
「一人でも多くの人間を救うべく絶対者が十字架に架かる」
ここに初めて愛・赦し・謙遜・一致が生まれた次第。
ひとり彼のおかげで人類に希望が生まれたという背景はガチ。
880 :
名無しさん@3周年:03/06/07 23:54
>>879 だけど日本はまったく関係無いんだけど。
つーかキリスト教による被害のほうが多かった。
881 :
名無しさん@3周年:03/06/08 00:05
人の開放されたいという思いが強いほどに
強く捉えてしまう
キリスト教会うますぎ
とりあえず、何故宗教とか入って、狂い出す人が多いのかについて、みんなの意見を聞きたいのだが、よろしいですか?
883 :
名無しさん@3周年:03/06/08 00:23
>>882 >何故宗教とかに入って、狂い出す人が多いか
本当の知性(批判力)がないから。
884 :
名無しさん@3周年:03/06/08 00:25
>>882 それは外部の人がみたら狂ったように見える人もいるかもしれないが、
強く信仰することに価値を見出す人もいることも尊重するべし。
885 :
名無しさん@3周年:03/06/08 00:37
狂う寸前の人が入り失敗するから
メンヘルになればやくちゅうだし
入らんかったら自殺
>>883 確かに、マクロ的に考えれば、何が正しくて、何が正しくないのかなんて絶対なものなんぞないと思う。そこを自分の糞みたいな脳細胞フル開店させて、決断する。
禿げどう。
>>884 確かに価値はひとそれぞれだと思うが、なぜ頭にバグがおこるのか?が知りたい。
なんかの精神的な抵抗があるのかね?
885
そう鴨
889 :
名無しさん@3周年:03/06/08 00:56
>>887 それはあなたの価値観。
あなたの価値観だと熱心に信仰してる人が悪霊に見えるかもしれないが、
だからと言って見下してはいけない。
890 :
名無しさん@3周年:03/06/08 01:10
心の拠り所のようなものは激しく主観的なものだからね。
他者にどうこう言うことではないかもね。
891 :
名無しさん@3周年:03/06/08 01:37
>>889 >>890 人間は共同体として生存しているのだから、偏りが許容範囲を超えると、
周囲に迷惑をかけるし、本人も不幸。主観のみでは生きられないことを
自覚すべし。
892 :
名無しさん@3周年:03/06/08 01:40
主観のみでは生きられないか・・・
信仰は主観のみになることなのか。ふむ。
共同体が同じ主観にならない限り幸せになれない?
893 :
名無しさん@3周年:03/06/08 01:47
894 :
名無しさん@3周年:03/06/08 01:52
つまんねえんだよ、おまえら
895 :
名無しさん@3周年:03/06/08 01:56
>>893 幸せとは、「自分の主観」が周りを埋め尽くすこと。
896 :
名無しさん@3周年:03/06/08 01:57
>>895 横レスすまんがそれはかなりつまらん世の中のような気がするな・・・
898 :
哲板住民 ◆8OHUrY3.ic :03/06/09 05:16
呆れていませんよ。
白熱した議論が展開しているので、
観客席側にまわって興味深く拝見しております。
>895
確かにそうかもしれないが、現実世界で起こっていることは、「主観」と「客観」
の対立で、しかも歩み寄るのはいつでも「主観」の方です。だから、現実世界
=「主観を諦める」と同義。
人間は、自分勝手な存在だから、「自分がこうあって欲しい」というのをつい
事実と誤認してしまう。サンタクロースが居て欲しい、よかろう。子供の間は
な。現実は「この世界はお前を中心に回転しているのではない」という厳正な
事実を「客観的事実」を通じて糾弾してくる。それに耐えられた者だけが大人
と呼ぶにふさわしい。
自分勝手な神仏をこしらえてそれに依存するのは、ただの未成熟者だ。
>>892 すべての人の「主観」が一致すると、それは「客観」と同じことになる。
だから、自分の「主観」を他人の批判に曝して、誰もが納得できるものに
鍛えていけば、いつかはそれが実現する。
それ以外の方法、宗教的ドグマなどで一方的に「主観」を押し付ければ、
確かに統一はできるかもしれないけど、皆が精神的奴隷になることと
同じだ。奴隷になって安心する「群畜」の民は居るかもしれないが、
私は御免だね。
901 :
名無しさん@3周年:03/06/09 08:58
客観が存在する条件:
コスモポリタンの作る料理も絵画も映画も、如何なる美も醜も、
民族主義的なそれよりも上回っている事。
だが現実にはそういう事実は無い。
故に客観は存在しない。
902 :
名無しさん@3周年:03/06/09 08:59
903 :
名無しさん@3周年:03/06/09 08:59
納豆は客観的においしいけどね。
904 :
名無しさん@3周年:03/06/09 09:01
905 :
名無しさん@3周年:03/06/09 09:03
>>901 ようは押し付けたほうが勝ちですか。
そういえば、最近は欧米だけの価値観が善とされてきてるなあ。
日本的価値観を重視せよと言うとナショナリズムだなんていわれて排除させられる。
906 :
名無しさん@3周年:03/06/09 09:07
2chで客観を追求して、結果没落して行った芸術家は数知れず。
♪メーテル〜又一つ〜星が消えるよ〜
>>901 民族主義が生み出した「真善美」は、何千年もの年月を費やして作られたもの
だから、ここ数十年に生み出されたものが太刀打ちできないのは当然でしょう。
また、「民族主義的」という見方が表面的にすぎると思うぞ。
音楽で言えば、ショパンコンクールに優勝するのは、欧米人だけじゃなくて、
東南アジアや南アフリカからも出ている。ショパンの音楽の内容は、彼の
スラブ民族的な精神と関連はあるものの、民族主義を超えでた普遍的なもの
だと思うよ。映画だって、『千と千尋』なんかは、世界中に受け入れられてい
るし。世界経済のグローバル化を見ても、民族主義はもはや風前の灯火だよ。
欧州も通貨を統合したし、フランス人はスペイン産のオレンジを食卓に並べ、
イタリア人はフランス産の電気を使ってテレビを見ている。日本人なんか、
食糧の面から言えば、遠の昔にアイデンティティを失っている。
909 :
名無しさん@3周年:03/06/09 09:21
いずれにしても、主観を磨いて客観になると言うのは、
単なるマインドコントロールに過ぎないと思うよ。
910 :
名無しさん@3周年:03/06/09 09:35
>>907 ショパンコンクールは西欧の音楽を競ってるだけジャン。
なんだかなあ。的外れ退場。
>909
そうかな。あなたは有名店で食べたりしない?「あそこはとても美味いらしい」
という噂を信じて。私の経験では、たいていは信頼に足る場合が多いよ。人に
よって好き嫌いはあるだろうけど、たとえば同じパスタなら、誰が味わっても
美味いパスタというのはあると思う。もし、味覚障害の人が来て「こんなもの
美味くない」と言ったら、それは主観的事実として、大多数の健常者の意見と
同等の重みで扱わなければいけないんだろうか。
一見、主観に見えても、その中に客観性というのが必ずあると思うよ。
912 :
名無しさん@3周年:03/06/09 09:38
ここのスレタイにある種の謙虚さを感じる
913 :
名無しさん@3周年:03/06/09 09:38
>>907 宮崎駿が鼎談に参加している
「時代の箱船」を今読み返して見ているけど、
パヤオ自身は…う〜ん。一体どんな人なんだ(笑
914 :
909=913:03/06/09 09:46
あ、名前入れ忘れた。ごめんなさい。
ええと、味の素(グルタミン酸ナトリウム)を、
結構な額のお金を支払ってレストランに出してもらったけれど、
結局二年程のうちになんとなく無くなったってかいてある。
915 :
909=913:03/06/09 09:59
914はヨーロッパのレストランね。
味の素が旨味成分であると言うのは客観的なんだけど、
結局アジア地域のようには普及しなかったみたい。
>>914-915 食習慣や気候も関係すると思うよ。ファーストフードの味付けに慣れて
しまうと、本物を食べても美味いと感じられないとか。こういう場合、
ファーストフードを食べなれている人と、普段から天然の味に慣れている
人では、味の素に対する評価は違うよね。だけど、「どちらも主観的
事実」だと片付けらないように思うよ。どんなものでも「本物と贋物」
の区別が厳然としてあるような気がする。たとえば、同じ意見でも経験
が豊富な人の意見の方が重みがあるよね。
サムシング・グレードの存在を信じて信仰はしなくてもいいのでは。
諸富さんが書いた講談社現代新書(?)の”トランスパーソナル心理学”を読めばよいのでは。
918 :
名無しさん@3周年:03/06/09 12:03
>>1 人間が神のことを理解出来ないのは、例えていうと、幼稚園児が大学生の考えを
理解出来ないのと似ていると思います。
沢山勉強し、経験を積み、少しずつ分かって来る。これが大切。
神は愛です。たとえ立ち直れないような不幸に見舞われたとしても(そのような
環境に生まれたとしても)、神から愛を頂いているのです。 不幸ばかりを
探すのはやめてみましょう。
神を信じ、あの世の存在を信じれば、目先の利益や楽することばかり考えること
をしなくなり、本当の意味で自分のための人生を送れる・・・と考えます。
>918
趣旨には同意ですが、
>>1さんは自分のことを「信仰薄い者」と言っているだけ
で、不幸を探しているわけではないと思います。現実を見れば、何の罪もない
幼児が殺されているのは本当のことです。現実を見据えた上で、それでも
「神は愛である」と、しかも自分が「経験を積む」ことでわかる、それはもう
大したものだと言う他はありません。
「神を信じ、あの世の存在を信じる」ということが、本当に経験から得られる
ならば、の話ですけどね...。そこに矛盾を感じるのは私だけかな?
少なくとも、この週末にやっていた「地球がもし100人の村だったら」に登場する
極貧の子供達の姿を見て「神よ、あなたの判断は正しいです。彼等を懲らしめて
いただいて感謝します!」なんて風には考えませんね。神が見殺しにするなら、
自分で何かできることをやりたいと考えます。ましてや、宗教の内紛が原因で
戦争している場合には、その宗教の指導者が手をこまねいている不正を暴き
あげたい衝動に駆られる。キリスト教も、イスラム教もね。「神の名におい
て」殺人を犯すような奴は、サイテ−ですよ。そんな奴らは...人間じゃねえ、
叩き切ってやる...(古くてスマソ)
>>919 448さんへ。
ご指摘ありがとうございます。
1さんが不幸を探してるわけではないとのご指摘はその通りです。
私が間違っておりました。
勉強して、経験を積む事で、神が愛だとわかる・・・・という趣旨では
ありません。あくまで、神の考えを多少なりとも推し量ることが出来る
ようになって行く・・・という趣旨です。ただし、人間心では神のお考えの
全てを理解することは不可能だと思います。
神が愛です。と申しましたのは、多くの宗教で大体は言われていることと
私が勝手に思い込んでるからです。(大体において間違いなかろう・・という
浅はかな考えです。)
確かに、世界の中には本当に惨い環境に置かれている方々も多くいらっしゃる
と思います。 が、神が万能だからといって、魔法のように解決してしまえば
人間の成長を妨げることになります。この場合、輪廻転生をあるものと考えて
おります。現在の自分は、今まで(幾転生繰り返してきたことと考えてください)
の行いの結果によるもので、既に自分で選んできたことなのです。全ての結果には
原因があります。そしてそれは、全て自己責任ということです。
死んでしまえばそれで終わり・・と考えるなら、やりきれないものがあります。
誰彼かまわず責任を押し付けないと気が済まないのは良くわかります。
でもそんな心の状態ではとっても寂しいと思いませんか?
ですから、愛である神を信じることが、自分にとってよりよき人生を生きる
ためである・・・・といえると考えます。
922 :
名無しさん@3周年:03/06/09 15:45
>>921 神の愛は正義です。
神はイラクを滅ぼせと言いました。
あなたもイラクへフセイン一族を殺しに行きなさい。
>>921 輪廻転生の思想もまた、人間が想像で作り上げたものである可能性があるし、
輪廻転生を仮定すると、苦しむ他人を見殺しにすることこそ慈悲だという
責任放棄の考え方に直結します。
私も「神は愛である」は正しいと思いますが、実は「愛を通じてしか人間は
神を知ることができない」というのが実情に近いと思います。人間の親子関係
が愛で支えられるように、神との関係も愛が絆になるでしょう。ただ、人間が
目に見えない、しかも何も言わない神を愛するのは困難で、唯一「隣人」に
対する愛を通じてのみ、人間は神を愛することができるのだと思います。
だから、人間の「原罪」とは、世界中の隣人が苦しむことを放置して顧みない
ことで、彼等を見殺しにしている限り、その人がいくら神に祈ろうと、教会の
礼拝を欠かさず続けようと、はるばる巡礼の旅に出ようと、神を愛するどころ
か、ないがしろにしているのだと思います。
だから、「神を愛すれば」の前に「世界中の隣人を愛すれば」というのが先行
するべきで、そこだけ補えば、私もまたあなたとほぼ同じ意見です。「隣人」
を愛するのに神を仮定する必要はありません。無神論者でも「隣人」への愛
を通じて神を愛することができます。
924 :
名無しさん@3周年:03/06/09 16:39
神=人類最大の妄想
>>923 448さんへ。
448さんの愛についての考え方、興味深く拝見致しました。
「愛を通じてしか人間は神を知ることができない」というのは全く仰る通り
だと思います。愛を知っている人は、神をも知っている・・・と言って良い
と思います。
ただ、輪廻転生の考えについては異論あります。
人生7,80年だけで、因縁論(原因・結果の法則)を語るのは無理があると
思うからです。一生のうちで、さんざん悪事を働き死ぬまで世間に知られこと
なく善人のふりをして一生を終える人もかなりおられます。 この悪事を働いた
という原因の結果は、死んでからあの世で思い知ることになるということです。
善行の結果もこの世のうちに現れなくても、来世に確かに現れます。
だからこそ、心を正し、良き行いをするべく努力も出来るのではないでしょうか?
926 :
名無しさん@3周年:03/06/09 17:15
愛だ愛だと、歯が浮くような身の無い言葉を連発するのは、実社会では
恥ずかしいことだぞ。
>>925 輪廻転生の根本は「功利主義」、つまり損得計算です。この世の借金はそのまま
来世に引き継がれるということですから。もし、その考え方が正しいとするな
ら、この世の経済と同じく「ゼロサム・ゲーム」になります。つまり、全人類
について積まれた善行と積まれた悪行がバランスして、すべての人が幸福に
なれない。この世が善人ばかりになり、困っている人がいなくなると、善行で
点数を稼ぐことができない...これは、どうにもおかしな話です。
実は、カントが「道徳律」について詳しい考察をしていて、一言で言えば、
功利主義と道徳は絶対に両立しないのです。もともと、道徳も信仰も、自分の
得になるからではなく、たとえ損になることでも自分の義を貫き通すという
行動原理のものですから、輪廻転生を持ち出したら、即「堕落」してしまうの
です。「お陰信仰」がビジネスであって、信仰ではないのと同じ位に、輪廻
転生を仮定した宗教はビジネスであって、宗教とは呼べないのです。
>>1さんへ
本当の神について知りたいなら、たちばな出版「神霊界」「人類が生まれた秘密をあかす」深見東州著
などをおすすめします。
929 :
名無しさん@3周年:03/06/09 18:38
>>926 「愛」とは本来、「仏教用語」です、意味は「してはならないこと」
だそうです、理由は「本人も気付かないうちに見返りを求めてしまう」
からだそうです
>>926 愛を連発すれば愛を実践している気がするんだよ。
そんなわけないのにね。
>>927 ゼロサム・ゲームにはならないと思います。
全ての事柄について、原因と結果がある・・・と申し上げました。
善行ばっかりの世の中なら、天国と同じであると言うことです。
善と悪はバランスで成り立っているわけではありません。
神の愛を拒否している人がいるだけです。
すなわち、神を妬んでいる人がいると言うことです。
自分の理解の及ばないものに対して、自分より優れているものに対して
素直にその存在を認めることの出来ぬ傲慢な人がいるのです。
しかし、だからといって神はそういう人を否定することはせず、改心
するのを暖かく見守っておられる。 全ての人は神がつくられた神の分身
だからです。
932 :
名無しさん@3周年:03/06/09 19:07
>>931 「全ての人は神がつくられた神の分身だからです。」
まるで自分が神になったような傲慢なことをいう人だな。
>>931 >全ての人は神がつくられた神の分身だからです。
う〜ん。最終的な結論としてはよいとして(客観性をとことん突き詰める
と、各人の中に神を見出すという結論しかありえなくなるので)、要する
にどういう経験を積めば「人間は神の分身だ」という真実がわかると
思いますか? いくら高尚な宗教真理であっても、それが実生活の中
の経験として客観化されないかぎり、結局は妄想のひとつにすぎない
と私は思います。
>>933 どういう経験を積めば「人間は神の分身だ」という事実がわかるのか?
難しいですね。
各人の中に神を見出す・・・・というのは大体わかります。
もし自分が神の分身であったら、どういう行いをなすか・・・という
ところから始めても良いのではないでしょうか?
道徳を良く修め、心正して、より多くの人へ愛を与えようと言う風に
必然的になるのではないでしょうか?
万が一、自分が神の分身であるのが妄想だとしても、この妄想は
自分に多くの幸福をもたらすのではないでしょうか?
具体的に言いますと、もし、世界中の人が神の分身だとしたら、困っている
人を助けないのは神をないがしろにすることになります。それこそ、
四六時中人助けに奔走しなければ嘘でしょう。その奔走ぶりは「人は神
の分身である」という確度に比例しなければおかしい。また、奔走する
ことが、ますます「人は神の分身である」という確信を強めるのでなけ
ればおかしい。確信が強まらないのに、無理に自分に言い聞かせて奔走
するのは、自己欺瞞にすぎないからです。
そうすると、他人のために奔走することが「人は神の分身である」という
自覚を生み出すというのでなければなりません。それが具体的にどういう
種類の体験なのか、というところが大問題です。
宗教者の人に言わせれば、人道主義や倫理と、宗教とは別次元のものだ
そうです。私に言わせれば、それこそが自己欺瞞の最たるもので、宗教
を形而上学の世界に追いやって、そこで形而上学の金貨を数えて悦に入る
ばかりで、現実世界に何の働きかけもしない、無責任主義でしかありま
せん。
だから、私は人類愛から神が出てこなければ嘘だと思っています。ただ、
どのように出て来るのかがまだはっきりしないのです。
>918
漏れが確認するとしたら、神と同じ事をすると思う。
938 :
名無しさん@3周年:03/06/09 19:45
>>935 >万が一、自分が神の分身であるのが妄想だとしても、この妄想は
>自分に多くの幸福をもたらすのではないでしょうか?
う〜ん、どうだろうね。思考に客観性が全く無くなる危険性がある。
ブッシュやフセインも神の意志を遂行してたのだろう。
自分が正しいと思ったことは絶対ではないわけで。
人を助けるとどうなるの?
>>938 しかし、神の分身なのが、自分だけじゃなくて、敵さんもそうだ、と
いうことになると、ブッシュやフセインのような悪行はできそうにあり
ません。現実世界への効用という面から見たら、サイコーです!
しかし、客観的な説明がなされていない。
941 :
名無しさん@3周年:03/06/09 20:07
>>933 あなたは、現実の人間や自然は一体誰が造ったのだと思いますか?
神が造ったとすれば、神の顕現、神そのものであるのが当然でしょう。
現実の人間や自然を超えた神など、造られた人間のちっぽけな脳で何
万年考えても判るわけない。それに、現実の人間と自然の構造と機能の
複雑さと神秘は、人間が書いた宗教のすべての教典を集めても、解き明
かせるものではありません。現実の人間と自然を超越した神などと思考
しようとすることは、神に対する不遜、傲慢、冒涜の態度であり、神に
最も遠いことだと思いませんか?
>>941 それでも神を無視して無理矢理考えているのが科学ですよね。
そして何で存在するのかという根本的なところが決して解らない。
943 :
名無しさん@3周年:03/06/09 20:18
>>941 この世が造物主によって作られたのか、それともこの世は元からあったの
かを、人間の理性で判断することはできません(カントの二律背反)。
だから、造物主によって作られたというのは仮説にすぎません。だから、
人間の分際でできることは、「神については何もわからない」と白状
することしかない。それでも、神を求めようとするなら、それは人間の
理性に許された判断に限られます。私に言わせれば、神を求めるのは
人間の理性です。それが不遜、傲慢、冒涜になるのなら、理性を捨て
去って、うつろな目でヨダレを垂らしながら白痴の真似事をする方が、
冒涜にならないとでも?せっかく人間に作ったのに、動物に退化しよう
っていうんだから、神様も浮かばれませんぜ。
>>942 あなたは、「四角い三角」って見たことありますか?
神様ってそういう存在なのですよ。人間の理性を超えるというのは、
そういうことです。あなたは神様を勘違いされているようだ。あなたが
想像している「それ」は、神様ではない。うけあってもいい。
946 :
名無しさん@3周年:03/06/09 20:29
>>945 あなたの考えてる神は神で無い。太鼓判を押す。
>>945 科学にくわしいとそうなると思うんだけど。
>>944 たしかに「理性では」解らないでしょうね。
948 :
名無しさん@3周年:03/06/09 20:37
>>942 科学は、不遜にも神など思考せず、造られたままの現実の人間と自然のみに
ひたむきに取り組んできた結果、まさに奇跡とも言うべき進歩をもたらし
ました。造物主の御心にかなっていたからです。宗教は、神を思考するという
不可能・不遜の態度を取ったため、神の怒りに触れ、数千年間何の進歩もない
ばかりでなく、絶え間なく争いと殺戮を続けている。宗教と科学とでは、どち
らが「宗教的」であるかは明らかである。
「根本的なとこと」とは具体的には一体なんですか?造られた脳で考えて判る
ことですか?神秘に満ちた現実の人間と自然とが存在していること自体が根本
的なことではないのか?人間の思考能力を超えたことを思考することは無駄・
無意味であり、神に反している。
>>948 「根本」
たとえば、物質。水分子はなぜH2Oなんでしょうか?
我々は何故痛みを感じるのでしょうか?
なぜ目に見える物と見えない物があるのでしょうか?
「思考」
神に反するなら、あなたは何をそんなに考えているのですか?
>>944 そうですね。理性のみで思考するのはここらが限界だと思います。
この後は悟性が必要でしょう。
科学者エジソンも、偉大なる発明にはインスピレーションの助けが
あった・・・と語っていたとか聞いたことがあります。
具体的な声ではなくとも、天の声、心の声を聞いた人は多いはず。
悪いことを囁くインスピレーションもあるでしょう。
そういうものに騙されないためにも、良く勉強し考えを練っていく
必要があると思います。
ひょっとして、最終的には神と同じように進化するようになってるのかも
しれません・・・。でも、それはそれ相応の努力をすればこそでは
ないでしょうか? 努力はしないけど神の正体を見たい・・・・なんて
思うことこそ“傲慢”になるように思います。
951 :
名無しさん@3周年:03/06/09 20:48
>>923 あなたはすばらしい。
ぜひ東京の駅前を周ってごみ拾いをしなさい。
誰も見向きもせず感謝されない善行を実践すべきです。
>>951 そうですね。成功者ははじめのころにやったことで殆どの人が口をそろえて
「トイレ掃除をした」といいます。
953 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:02
>>944 動物も人間と同じく被造物であり、生命を持っている。動物は人間と違って
宗教や思想などの単なる脳内観念で殺し合ったりしない。どちらが立派か?
カントなどの観念論哲学をあり難がる必要はない。現実的根拠は何もなく、
砂上の楼閣である。せいぜい、生活者が日常無意識に考え行動している現象を
難しい言葉で言い替えただけ。それでも、現実の生活者の万分の一も把握でき
ているわけではない。
根拠のない観念にまみれた宗教や思想を棄てて、造られたままの動物としての
人間の自然の感情・本能に立ち帰ることが、先ず必要なのでは。さもなければ
人間は思想と宗教で遠からず自滅する。その兆候は既に現れている。
954 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:03
>>952 いやずーっと誰も感謝されない見返りのない善行をしないと駄目だよ。
そういう成功者の戯言ではだめ。
言葉でいい気になるなら、実践してみろ。
一生、毎日毎日東京の各駅前のごみを拾う。すばらしいことでしょう。
>>923氏のように立派なことを言う人は、自分にまったく利益の無いことをすべき。
私は感謝されたり認められたりしたいから毎日ごみ拾いだけするのは嫌だ。
貴重な時間も無駄になる。
毎日毎日時間を潰してごみ拾いをするのは苦行だ。
それも一生つづけるなんて。
それに表彰されちゃ駄目だぞ。名無しでがんばるのだ。
>>954 ことばは選んで使った方がいいぞ。反対のことを言っている。
956 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:16
>>949 「根本」
人間にはいくら考えても判らないことがあることは判っています。例えば、
何故人間や自然が存在しているか、など。あなたには判りますか?
「思考」
だから、現実の人間と自然のみを考えるべきだと言っている。「神」という
言葉を使ったのは、考えても判らないものの例えに過ぎない。
>>956 「根本」
神が作ったから自然は存在する。生まれてきたいから人間は生まれてきたというしかありません。
「思考」
だったら霊的な知識で考えればいい。神は霊的な存在だから、霊の知識で考えればいいじゃないか。
>>954 良いこというね。
おれは自分の為にならんことはいやだな。
自分で納得して死んで行くつもりだね。
自分にウソついて、奉仕なんてまっぴら。
かといって、人を不幸にして、自分の為をやってたら
心の底で気持ち悪いから、けっきょく自分の為にならんな。
まあ、他人がみんな自分に思えるなら、それもいいけどな!
959 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:25
>>957 「霊的」って一体何?脳内観念と違うの?それも神を思考していることでは
ないのか?
>>958 逆。人の益になることをすれば自分に返って来るって言うじゃないか。
我々が神の子と言うことは奥底では神と同じと言うことだ。
心はむかついても、奥底は嬉しいんだ。神が慈悲ある存在なら、良いことをすれば
報いるのは当然だろう。
たとえば、あなたが誰かより上の立場にいるとしよう。望み通りに動いてくれるのを
文句も言わずつづけてくれたら、いつかはお礼をしたくなるだろう?
962 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:31
>>960 だから君はつまらないゴミ拾いやドブさらいをしていなさい。
口だけじゃだめだよ。
口だけなら立派な人と見られたいだけのドキュンだよ。
無言でやり給え。それとも人にさせるだけ?
私はもっと大きな正義に向かって邁進するから(笑
963 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:31
>>961 超常現象は、ペテンか精神異常の結果であると証明されている筈だが。
>>962 べつに人にやらせないよ。漏れの言うことを聞く人間は存在しないから。
大きな正義とはなんだ?
966 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:40
>>928の
「神霊界」深見東州著の本など読んではいけません。
ワールドメイトという認可されてない宗教団体の教祖が書いた
本で、現在元会員を含む数々の訴訟をかかえています。
きれいごとを言ってるだけで、本音は入会や救霊を受ける
ように仕向けることです。深見氏もトイレ掃除をしたと自慢
してました。こんなとこで布教しないでください。
>>965 大きな正義とは巨悪を叩き潰すことだ。
そして多くの民衆を救う。
正義を人に説くのは好きだけど、毎日ゴミ拾いは真っ平だね。
>>966 深見東州はよこしまな心を持たないようにしているらしいですけどね。
970 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:48
>>964 この情報過多の時代に、情報を選ばなければ生きて行けないよ。
情報選択の基準は、それが現実と合致しているか否かということ。
架空の事実に基づく情報は無益有害。人間は現実界に存在している
ことを忘れるな。
「真理の基準は、現実に合致している点にある。」(ルカーチ)
>>970 霊的な存在もしかり。ルカーチの言葉は霊的な物にだけ当てはまらないと言うのかな?
972 :
く〜 ◆sXokcR7xS. :03/06/09 21:51
帰ってきたら、、、、
キモイぞ鮮明!
うげえ、吐き気が、、、、
とてもぜんぶにこたえられないがつるこ評として
つるこもはじめからあんなズベコウではなかったが、
階段下の狭い部屋に押し込められ
毎晩のようにセンセーに強姦同然に犯され続け
そこでの自分を見出すためかなり呻吟したのだろう
そのうちに子羊の婚姻だなどといわれてみんなにおだてられながら
幹部の衆前でのセンセーとの性交にもなれてきて
はじめはただ痛かっただけのお勤めにも喜びを見出してきたのにもかかわらず
「おまえは子供を作る機械だ」とのつめたいお言葉にも耐え、
崔元福センセーとの3人性生活にも慣れてきたら
そのことを称してレアとラケルの問題も勝利したといわれ
何がなんだかわけもわからずにその勝利を幹部家庭にもといわれ
また別の男女同伴の性生活をしているうちに
その裏表の虚飾のせかいでの身辺着飾りの虚飾にもこだわり
金銭に麻痺して来たころ子供の教育も虚飾の教育しかできずに
こんどは母子協助を霊の子供に該当する幹部男子に施すようになり
実の子供にも・・・・
973 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:53
>>969 立派です。
私も巨悪を二度と立てないようにしてから赦す事にします。
976 :
名無しさん@3周年:03/06/09 22:05
>>974 見えない、聞こえない、触れない、匂いも味もない。確認しました。
あなたも確認して下さい。
私も背後霊を感じました。
977です。
霊ではないがおとといのことを話しましょう。
近所の中央図書館に行ったときのこと。思いつくままに本のある場所をコンピュータで調べて
見に行くのを繰り返しました。ひとつ「推理」に関する本を探すとなぜか児童書コーナーに行ってしまいました。
そこで周囲の気が一変しましたね。子供がパワーが有り余っていると言うが、そのパワーから来る
気が充満していましたね。大人のそばでは全く感じないのに、子供の集合の中にいるとそれを良く感じました。
入ったとたんにはっきりと解りました。それを説明は出来ません。しかし、気功で弾力のあるタイプの気を出すように
そこにあることが解ったのです。
980 :
名無しさん@3周年:03/06/09 23:35
>>977 あなたが霊の実在を確認したのなら、人類の歴史始まって以来の大発見。
どんな形してたか?明日の新聞を楽しみにしてるよ。とりあえず檻に入れ
といてくれ。
>>980 霊の実在を確認した人なんか腐るほどいるじゃないか。
何をムキになってるの?
檻にいれろだって、( ´,_ゝ`)プッ
983 :
名無しさん@3周年:03/06/10 00:19
>>981 >>982 霊が確認されたなら世紀の大ニュースなのに、新聞で読んだ覚えは
一度もありませんが。
折角捕まえたのに、檻に入れとかないと逃げるだろ。どんな顔してる
のかな。詳細な報告キボーン。
>>951 誰も彼もがゴミ拾いし始めたら、社会が停滞します。自分の職業を通じて「隣人」
に奉仕すればよいのです。
>>953 同族を殺しあうのは人間だけだからね。人間は、生まれつき本能が壊れた動物
なのさ。だから、理性を捨てたら動物以下だ。もちろん、生存も不可能。
>>958 960さんのフォローの通り、「他人の中に神を認める」ということは、「他人の
ために奔走する」のではなくて、「自分(の一部)のために奔走する」という
ことになる。その時に損得勘定も、人と神の対立(そもそも、神が存在するか
どうかについて議論の余地があること自体、人と神が断絶している証拠)も
消えうせる。うまく言い表せないけど、人道主義と神とは不可離ということに
なると思う。神仏の方ばかり見て、現実を黙認する信仰者よりも、無神論に
徹して人道主義を貫き、社会正義の実現に奔走する革命家の方が、はるかに
神に近いと思う。「神」は隣人を通してでないと姿を現さず、「神」を見る
ことになるのは後者に限られるから。
高名な科学者の「神見体験」というのは、象徴的だと思う。彼等は、物理法則の
玄妙さの中に「神」を見るのだけど、科学的精神とは「自分の主観(独断、偏見、
希望的観測)を一切排して、現実をあるがままに見て、客観的真実を見出す」
ということだから、はじめから「神ありき」ではない。
「神ありき」ではないのに、結果的に「神に出会ってしまった」のだから、
これこそが本物と言うべきです。宗教者のように、はじめに「神ありき」で
スタートした場合には、科学の批判的精神を嫌悪する。しかし、それは自分
の信仰が批判に耐えられないほど脆弱で、深層意識では「本当に神が存在する
かどうかわかるものか」という疑惑を持っていることを示している。もし、
強固な確信があるなら、科学的批判など屁の河童のはずだから。
988 :
名無しさん@3周年:03/06/10 10:40
こんにちは。哲板さん、もういないのかな?
あのさ、宗教と哲学の違いのこととか言及されてますが、
哲板さんの書くこと考えてることを読むと、もうキリスト教もキリストも神も
論理とかばっかりを気にして、それはいくらあなたが「キリスト教を信じたい」
といっても無理な話です。
キリストを只の人間なんて平気で定義づけてしまったりもうその時点でキリスト教信じようとしてない
じゃないですか!
結局あなたの中で、この宗教は哲学的にしか考えられないんですよ。
まあ宗教的な家庭で育ってない人にとってこういう風に深く考えちゃうことは
ありがちですが、もし神を本当に信じたいなら、ただ信じればいいんじゃないんですか。
幼い子どもが飢えや爆弾や虐待やらなんやらで死んでいるのはアダムとイブがリンゴを食べたからです。
神様は私たちに選ぶ権利を与えて下さったんです。その最初の権利を踏みにじったのが
アダムとイブですが、神様は私たち人間が何億回悪い判断を下しても
まだ選ぶ権利を与え続けてくれているんですよ。
あと、罪のない子どもは天国に行くので大丈夫です。
神は本当に大愛の存在ですよ。
第二次世界大戦であれほどむちゃくちゃなことをしたのに、戦争放棄させて頂いた。
当時は気付かなかっただろう。でもしばらく経てばハッとするときがくる。
その時が来たからこそ反省して命を大切にするようになった。
990 :
名無しさん@3周年:03/06/10 11:46
>>990 その通りwara
人間は痛い目に遭わないと行動を改めない
自分で行動を変えようと心理の本でさんざん言っているのにやった人はいない。
だけど、神は出来るだけ痛い目に遭うことから守ろうとしている。
親と似たような心境だと思われ。でも肉親よりは出来た心をしているはず。
話は聞いてくれるし、どうすれば喜ぶか知っているし。
992 :
名無しさん@3周年:03/06/10 11:54
993 :
名無しさん@3周年:03/06/10 11:57
>>988 プッ 選ぶ権利?笑わせてくれる。
アダムとイブ?いたかどうかもわからんもんを引き合いに出すとは。イタイイタイ。
何にせよ、幼い子供が飢えやら貧困やら虐待やら爆弾やらで苦しんでいるのは事実。
そしてそれを救えるのは、結局、同じ時間軸の中にいる人間だけ。
で、そういうと、おまえらは「そういう人間とめぐり合わせたのも神の御業なのです」
などと言うんだよな。
おまえらみたいのを社畜じゃなくて神畜っていうんだよ。
天国へ行ったこともないくせによくもまあ、罪のない子供は逝けるなんて言えるもんだ。
最初から苦しむような環境に生まれさせたことに対しては何も言わないのか。
>>989 プッ 戦争放棄させて頂いた?笑止。
戦争を回避するのも人間の知恵なら、それを止めたのも人間の知恵によるもの。
で、そういうと、おまえらは「そういう知恵を人間に与えたのも神の御業なのです」
などと言うんだよな。
おまえらみたいなのを(ry
人は何度でも同じ過ちを繰り返す。そしてそれを修正するのも人間だ。
神が何かしたと思ったら大間違いのコンコンチキだぜー。
>>993 >最初から苦しむような環境に生まれさせたことに対しては何も言わないのか。
自分でそれを選んだからね。
>プッ 戦争放棄させて頂いた?笑止。
たしかに人間のおつむを通して戦争回避を考えた。
そういうことではなく、人間は賢いけど、それをあまり強調すると傲慢になる。
だから傲慢にならないための言い回しだと思ってくれ。
995 :
名無しさん@3周年:03/06/10 12:06
現世の救いが本来の救いではないってこと。
刈り入れの日を待て
このスレは続くのですか?
>>913 人間の生命がこの世限りであることを明確に証明することが出来るので
あれば、不運な境遇に生まれた人は本当に不幸です。
しかし、輪廻転生していることを信じ、全てが自己責任のもと成り立って
いることを理解すれば人間の努力の余地があると思います。
この世限りの命である・・・と思うことはあらゆる不幸からの脱却を
放棄する考え方であると思います。
998 :
名無しさん@3周年:03/06/10 12:27
自分自身の救いを求めれば求めるほど、救いは遠ざかる。神は自己中心主義
者は決して救わない。あるがままと他者への想いの中にのみ、本当の救いは
ある。来世のことなど、充分に現世を生きた後に、死の間際に考えるべき
こと。未だ早すぎ。
「未だよく生を知らず。いずくんぞ死を知らんや」(孔子)
この運動に関わったために人生を棒にふった人達が大勢いる。私たちカトリック者は
指をくわえて見ているだけでいいのだろうか。疑問である。とにかく、山本恭子は長
崎大司教の指示にさえまったく従わないのである。ところで、私が取材の過程で
入手した衝撃的な実話をひとつ紹介しよう。1988年の2月21日、当時19才だった
田中緑さん(仮名)は、山本恭子のコミュニティーに関わったおかげで、その数日前
から突如「悪魔が見える!悪魔が見える!」と叫びはじめ、同日(21日)午後、奄美
大島の自宅の風呂場でついに自殺したのである。これについては複数名の証言
を得、裏付けも取った。そのほかにも沖縄の18才の少女が海岸で焼身自殺をし
たりしており、そのほかにも変死、病死などたくさんある。この件は山本恭子自身
もはっきりと認めている。
さらに脱会者の訴えによれば、山本恭子はその奄美大島の自殺した女の子に
「犠牲の霊魂だから耐えろ」と、言い、しかも、「13日の日には地獄の門が閉まるから、
13日に死ねば誰でも天国に行ける」などと放言していたという。とにかく、このようなリト
ル・ベブル運動のようなカルト集団はほっとくわけにはいかない。これ以上、犠牲者が
続発する前に何らかの手を打つべきである。カトリック教会はこのための調査委員会
を早急に設置すべきであろう。
引用元
江原 錠治 著
リトル・ペブルの運動への警告 P23-26
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