1 :
名無しさん@1周年:
はーい。前スレ終わったみたいなので新スレ立てましたー。
思う存分法論してくださいねー。
漏れ今酔っぱらってるんで、恒例の前スレ案内できませーん。
その気のある椰子やってちょうだい。
2 :
名無しさん@1周年:02/11/04 02:20
3 :
名無しさん@1周年:02/11/04 02:22
4 :
名無しさん@1周年:02/11/04 02:25
5 :
名無しさん@1周年:02/11/04 02:26
6 :
名無しさん@1周年:02/11/04 02:29
7 :
名無しさん@1周年:02/11/04 02:32
8 :
名無しさん@1周年:02/11/04 10:44
こんなヤツがスレ立てたって荒れるだけなんだが。。。
ノータリンが立てたスレは無条件で削除できないもんかねぇ~
11 :
名無しさん@一周年:02/11/04 12:43
安芸挙げ揚げ阿外亜夏唖下ぁgeァ解
12 :
名無しさん@1周年:02/11/04 12:55
13 :
名無しさん@1周年:02/11/04 14:39
このスレはロックだ。
14 :
名無しさん@1周年:02/11/04 15:11
いや、パンクだね。
ANARCHYだよ。
15 :
名無しさん@1周:02/11/04 18:08
hitomi よ、幸せに。 についての研究考察
前スレ終了付近に登場した「hitomi よ、幸せに。」氏はきわめて不可解だ。
その発言
「おい、あんた、勝手に人のこと、取り違えんなよ・・・
オレは、幹部でも子牛でも、またな、「必死」なんかじゃねーよ。」
といいつつ、
「960はM野さんじゃねーな。子牛だろーが。
おおよそ、見当はついている。」
と会の内部でなければ知りえない発言。「さん」に注意。
「あなた(元s改印氏)の主張は、459さんと新人太郎さんの論争で、
破られているのです。
まだ、あの論争で論破された本質をつかんでおられないようで、
残念です。」とジャンヌを読んだ人とは思えぬ発言をするゴジラ氏の
発言を擁護し、
「漏れも、あんたと同意見だな。
これでこそ、かつて己の全てをかけたs会だよ。」と親s宣言。
結論。
hitomi よ、幸せに。は親鸞会工作員で
おそらくM野であろう。
16 :
名無しさん@1周年:02/11/04 19:00
すれ違いかもしれないが・・・前スレで下のカキコしたのも
同一人物か?あるいは、単なるHNが同じだけか?
こっちのほうが先だろう。
よくみると、下は hitomiのあとに、半角スペースがあるが、
(hitomi[ ]よ、幸せに。)終了付近のはないね。
628 :hitomi よ、幸せに。 :02/11/01 00:54
おいおい、s会の原液子牛でも、幹部会員さんたち、
なんとか反論してくれ。
s会にもどろーと漏れはしてるんだ。
たのむから、反論くらいしてくれ。
かつての勢いはどうしたんだ?
>>15 誰が発言しているか、考えているヒマがあったら、
正しい親鸞聖人の教えはこうだ!
と明らかにしてはどうですか。
18 :
名無しさん@1周:02/11/04 19:12
>>17 あなたこそ明らかにされたらいかがでしょうか。
だって真実を明らかにされる親鸞会の「一学徒」なんでしょう??
ひさしぶりさん、でてこないようだから
かわりに答えたら?
19 :
名無しさん@1周:02/11/04 19:52
>まったくよ、漏れはな、元sで元幹部だったが、
>敗残者とか便所の蛆虫とかって言われながらも漏れは、s会の
>ことを曲解している意見に対しては、反論してきたぜ。
>幹部が豪奢な生活してるだぁ??
>こんなクソなレスは、バカ同然丸だしだったが・・・な。
>こういう、おめでたい椰子もいるってこった。
>まぁ、そのうち戻ったからよ、待ってて暮れや。
>戻ったら、会則に従うぜ。
>喧嘩うる椰子やいつでも売ってこい!!
このひとも脱会者のようだったけど親sバリバリの人。
あなた、そんなに教義がただしいと確信しているなら、
どうして辞められたのですか?
ちょっと説明していたもらえますか?
s会の教えが正しいと思っているようだけど
なにが原因でこのような親sの
熱血の人が辞めたのだろう?
やはり活動についていけなかったから?
ザイセの取立てが厳しすぎた?
人間関係?
不倫とかですか?
どうせ匿名ですからぜひ告白キボンヌ。
いくらここで会を擁護していようと
活動についていけずに逃げ出したことには変わりありません。
所詮負け犬。
負け犬のくせに会員気取りなのだから
かえって脱会者よりたちが悪い。
都合がよすぎるんですよ、このバカは。
敗残兵は敗残兵らしくしてなさい。
21 :
名無しさん@1周年:02/11/04 20:41
まぁまぁ、みなさん。
このスレは、法論スレですよ。
マターリスレ内容をここですると、法論が
ごまかされてしまうような気がします。
22 :
名無しさん@1周年:02/11/04 20:44
>>19 ただ、s会子牛を煽っているだけでしょ。
つーか、原液改印でさえ、批判者がたくさん
いるってのに、外部の人間が本気で擁護している
と思うの?(w
皮肉っているんでしょう。
23 :
hitomi ファンだ!:02/11/04 20:59
漏れも、hitomi 大好きだけど、あんま、
HNに使わないで欲しいですね。
hitomi が汚される気分。
そーいや、「なぜ射きる」で浜崎なんかの歌詞も
使われているそうですけど、まさか、我らが歌姫
hitomi の歌詞も使われているんでしょうか?
読む気おきないんで。
あ、いや、漏れも、
>>23 のようにカキコしておきながら、自分で
HN使ってました。バカ丸出しですね。
スマソ。
会議は原液さん方、報恩講情報きぼんぬ。
25 :
名無しさん@1周年:02/11/04 21:12
26 :
名無しさん@1周年:02/11/04 21:53
>>19 >戻ったら、会則に従うぜ。
戻ったら会則通り、幹部子牛のM晴の命令を遵守し、諸善万行に励んで下さい。
M晴と近江の湖が君を待っている。
27 :
名無しさん@1周年:02/11/04 21:55
M春さんの事件って、事実なんですか?
まさかね。
28 :
名無しさん@1周年:02/11/04 22:18
>>27 H島光が夫のもとへ異動になったこと、K堀弁護士の対応、
M晴のずる休み、
これらの事実から見て、確定と思われ。
だれか証拠画像をうpしていたら、●完全確定だったのだが。
29 :
名無しさん@1周年:02/11/04 23:26
>>28 そういえば、最近M春事件のネタが見えなくなって
ましたね。
報恩講を控えての、減益の策謀だったのでしょうか・・・。
30 :
ひさしぶりさんのファン:02/11/04 23:38
ひさしぶりさーーーーんん!!
♪かえってこいよ~
♪かえってこいよ~
♪かえってこ~いよ~~
またあなたの鋭い破邪の剣の切れ味をみたいです。
31 :
名無しさん@1周年:02/11/04 23:50
2chのカキコの不始末で、叱責を
受けられているんではないでしょうか。
と拝察いたします。
32 :
名無しさん@1周年:02/11/04 23:53
>>28 「しんらん会に向かって1000の花束」スレ以降って、
原液子牛の人の、すっごい発言とかあって、
楽しかったなぁ。。
33 :
名無しさん@1周年:02/11/04 23:55
明日辺りから、報恩講に初めて参詣した人たちが、、
「しんらん会」で検索するでしょう・
で、ここ見るでしょうね。
34 :
名無しさん@1周年:02/11/05 00:11
前スレのゴジラ氏に質問です。
あなたは親鸞会が作成したHPである、
「ジャンヌから親鸞会に都合のいい部分だけ」
抜き出したものからできている「しろもの」でもって
新人太郎が勝利を収めたと断定しておられますね。
あなたジャンヌの過去ログ「新人太郎関連部分」をみんな読んだの?
それでも新人太郎が勝利を収めたと
ほ ん き で
思っていらっしゃるのですか???
35 :
名無しさん@1周年:02/11/05 00:14
>>34 あとさ、家族の絆 から始まったんでなかったっけ??
嘘つきでいつも始まるの?
36 :
名無しさん@1周年:02/11/05 00:16
原液子牛っぽい人がいるから、この際だ、
聞いてみよう。
前にあった、ビデオ子牛とか、光クラブの
メンバーさんたちはお元気ですか?
まさか、突然のリストラにあったりはしてない
ですよね。
減益らってちゃんとこのスレまでついて来れているのか?
なんか前スレとつながってないから、ここで盛り上がってると
「前スレ終わったと思ってたのにお前らまたこんなとこでゴチャゴチャ言ってんのか!」
とか訳分かんない事言って入ってきそうだ・・・
38 :
名無しさん@1周年:02/11/05 00:38
s会って、なんでいつも正体隠して、アプローチすんの?
サークル勧誘はなんとなく分かるよ。いまどき、いきなり仏教って
言われたら、引くこと多いもんね。
でもさ、そんな重要な法論なのに、なんで、新人さんを装って
仕掛けてくるわけ?
素朴な疑問なんだけどね。
39 :
名無しさん@1周年:02/11/05 00:40
報恩講の看板が赤でなんとなく北をイメージさせたのは
昨今のブームを意識してたのか?(藁
40 :
名無しさん@1周年:02/11/05 00:49
>>39 え?! 報恩講に行って帰ってこられた方ですか?
それ、面白いですね。
燃える赤って、ところでしょうね。
財政が赤なのかな?(w
41 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:02
新人ですけど・・・
42 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:03
う~ん・・・
というのが正直なところです。
43 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:10
s会の原液で、教学に自身のある方たち、
今、ジャンヌをご覧になればお分かりのように、
役者がそろった、という感じです。
顔を出されてみてはいかがですか?
怖いんですか?
44 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:10
>>42 あなた、新人さん?
よおーく過去ログなどみて
s会が正しい親鸞聖人のみ教えを本当に教えているかどうかを
みきわめなさいね。
これらにかかれていることはまあ、7割以上はほんとうです。
すぐに入会して合宿いったりしたらだめですよ。
よーく観察してください。
45 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:13
ジャンヌで法論してみてください。
ソウソウたるメンバーがそろってます。
s会も、今度は、教学課(部?)という責任ある
肩書きをもって、カキコミしてくださいね。
負けるのが怖いんですか?
46 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:43
「仏教と言われたらみんな退くから」正体を隠す、って言うけど
なら仏教なり宗教なりのイメージを良くするよう努めるのが先だろ
方便うんぬんからは程遠い話。
結局ダミーサークル勧誘でイメージ悪くしてるのは自分たちなんだよ
それを経典とか親鸞の言葉を無理矢理関連付けて正当化してたのが
前スレのひさしぶりとかいう椰子だろ
47 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:47
親鸞会に向かって1000の心のタネ より一応
533 :現役孔子 :02/08/24 18:12
学生の人たちのかきこみてると幼稚でかわいすぎ
これまで青年部や一般支部でやってきた孔子が自分の
名誉といい報告するためとM晴をおそれてさせたアニメの
抱え込まみや強引かつ執拗な募財のやりかたを君たち知ら
ないんだよね。
実際 アニメなんか40万本売れたとかいってるけど
3分の2以上は患部の抱え込みか、もちだし(つまり30奥以上)
製本堂の100奥縁のごほうしゃ集めのあいだに全国で
数百人の会員がやめた。
おおくの人の仏縁たたききってまで強引にすすめられた
ことはこんな限りじゃない。
かわいいにもほどがあるんだよ君たち。そのていど(20000)
でさわげるなんて。
48 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:48
536 :現役師部長 :02/08/24 18:29
M晴は毎年5000満園以上金あつめてた。
座談会とかやりまくってたでしょ
国際ふぉらむーでは400満園ぬすんだらしい。
20000園は若いわたしたちには少なくない金額だが
彼にははした金のようだ。
537 :名無しさん@1周年 :02/08/24 18:33
>>533 あのさ。余計なお世話かもしんないけどさ。
そういう傲慢な態度が嫌われるんだよ。
2万円だとしてもお金のない彼らにとって深刻な問題
なんだよ。
そういうこといってっと君も叩かれるよ。
538 :現役師部長 :02/08/24 18:51
そうです現役孔子はみんなこんな感覚でーす
「ごほうしゃ20000円?あなたこのあいだ退職金
もらったはずでしょ???0がひとつ少ないんじゃない??」
みたいな
539 :現役孔子 :02/08/24 18:55
>>537 会員のごほうしゃの穴うめまくうてきて
S会からの借金がえしにいそがしくて
結婚もできず、家からも勘当
されたままの漏れにもちょっとだけ
「見え」張らせてくれよ
49 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:48
522 :名無しさん@1周年 :02/08/24 12:37
弁誤士「あのテープを見た限りではハッキリしない部分が多いと
思うので、日付・時間・場所の特定をしたい。あなたの
分かる範囲で場面ごとに詳しく教えてもらえないだろうか?」
飼い員「分かりました。しかし、撮影した人に聞くのが一番早いの
ではないですか?撮影者はまだ分からないのですか?」
弁誤士「分からないですね。あなたに画像やテープを送った人
に聞きたいですが、名前は出してくれるなというのでは・・・
あのテープ、興信所か探偵の撮ったものではないですよ。
私には分かる。あれは素人の撮ったものです。本当に撮影
した人に心あたりはないですか?撮影状況が分からなけれ
ば、私も先生にどうご報告してよいやら・・・・・」
飼い員「そうですか。ではメールを確認して日付・時間・場所につ
いては後ほど私の知る範囲でお知らせします。」
弁誤士「あなたはテープや画像を何十人という飼い員さんに送った
そうですが、事実ですか?この件について先生にお詫びの手
紙などは出されましたか?」
飼い員「はい。送りました。お手紙は先月の本部ご法話のお礼状し
か出していませんが。」
弁誤士「なぜそうしたのですか?送ってくれと頼まれたのですか?
重大なことだと自覚していましたか?軽い気持ちで深い考え
なしにやったのですか?先生だけにお知らせするならよいので
す。先生にご報告もせず、陰で多数の会員に噂を広めるの
は面白半分にやってるとされても仕方がないですよ。」
飼い員「本会でこのような浄財の浪費が行われていることを警鐘する
つもりで送りました。頼まれた場合もあり、こちらから送った
場合もあります。真剣な気持ちで行いました。」
50 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:49
523 :名無しさん@1周年 :02/08/24 12:43
弁誤士「なぜ先生に直接申し上げないのですか?
あなたにはお子さんがおられないので、親の気持ちという
ものが分かられないのかもしれません。」
飼い員「はあ?」
弁誤士「自分の子供が変なことやってると噂されたら親はどう思うで
しょうか?常識的に考えれば分かるでしょう?先生は深い考えな
しにやっとることだろうと仰っていますが、これは先生に対する反
逆ですよ。犯罪なんですよ。本会にいまだかつてなかった犯罪で
す。このテープの内容が事実であったとしても犯罪になるんで
す。そういう自覚はありましたか?」
飼い員「いえ、ありませんね。名誉毀損になるわけですか?多数の人
に広めたら犯罪になるというのは。不況局長に対する行為が
なぜ先生への攻撃と同じになるのですか?失礼ですが意味が
よく分かりませんね・・・。で、このテープの内容についてはどうです
か?先生は何か仰っておられるのですか?」
弁誤士「・・・・・・。私は先生から調べなさいとご指示を受けています。テ
ープもメールも結果はすべてご報告しています。常識で分かります
よね?先生がどのようなお気持ちか!」
飼い員「それで犯罪とまで仰るなら、私は何らかの処分を受けるのでしょ
うか?」
弁誤士「それは先生のご判断です。私には分かりません。しかし、自覚は
ないにしろ、あなたのやった行為は犯罪ですから、今後もあなたが先
生のご教導に従いこの道進ませていただきたいと思っているなら、行
動を考えられた方がいいですね。こんなことは今まで本会でなかった
ことなので私にもどうなるか分かりません。」
飼い員「何か直接の先生のお言葉があったのですか?」
弁誤士「・・・・・・・」
51 :
名無しさん@1周年:02/11/05 01:51
524 :名無しさん@1周年 :02/08/24 12:45
飼い員「テープ内容の真偽については問題にされてないのですか?」
弁誤士「もちろんそれも問題ですよ。だから私は先生からご依頼を受けて調べ
ているのではないですか!それで日付・時間・場所を知りたいと言っ
ているんです。でもこんな犯罪でそこまで話が行きませんよ。全く次
元の違う話なんですから。テープ内容が事実であっても、そのこと自
体は犯罪でも何でもありません。しかし、あなたのやってることは
明らかな犯罪なのですから。」
飼い員「・・・・・・・」
52 :
名無しさん@1周年:02/11/05 02:29
>>47-51 マルチコピペしなくてもいいんじゃない? わざわざスレを別立てにしてる
んだから。
このネタは、マターリスレ向きでしょう、やはり。
53 :
名無しさん@1周年:02/11/05 08:17
親鸞聖人は善を(積極的に)勧められたか否か?ということについて。
親鸞聖人のみ教えは「雑行」を捨てよということで、「雑行」には
「五雑行」と「諸善万行」があります。
「諸善万行」はお釈迦様の勧められる善です。だから、因果の道理から、
善はやらなくてはなりませんし、またやらねば信心決定できません。
しかし、聖人は何故善を捨てよといわれるかというと、
善そのものの行いを捨てるのではなく、自分のやった善を後生の一大事の
解決の役に立てようとする心を捨てよと言われたのです。
だから、善はやめよと言われたのでなく、むしろ
諸善万行ことごとく 至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり (浄土和讃)
の和讃を根拠に善は後生の一大事解決の勝縁ですよとおっしゃっています。
ただ、GHSの工面の強要や一連の浄財使い込みは「善」とはとても言えませんがね(w
ここは法論スレなので、教学的なことをカキコしておきました。
私は反sでも親sでもありませんが、荒らしなど卑怯な手を使わず、
両者とも正々堂々と互いの論理で戦ってください。罵倒合戦も辞めましょうね。
>>34 >あなたジャンヌの過去ログ「新人太郎関連部分」をみんな読んだの?
>それでも新人太郎が勝利を収めたと
>ほ ん き で
>思っていらっしゃるのですか???
信じられないことを言われる人が、あるものですね。
当然でしょう。
その前を読んでも、まったく論争の決着には変わりありません。
それよりも、あの論争を読んで、いまだに
新人太郎さんの圧勝にケチをつけようとする人がいるとは
信じがたいことです。
もし、ほんきであなたが、そうでないと言い張りたいのならば、
459さんの代わりに、新人太郎さんの質問に答えては
どうでしょうか。
そうでない限り、あなたの主張を認める人は誰もいないでしょう。
56 :
名無しさん@1周年:02/11/05 17:43
>>38 真実を説いてると
ほ ん き で
思ってるなら、正体かくす必要ないのにね。
「私達は親鸞聖人のみ教えをお伝えしているものです。」
と堂々とATすればいいのに。
>>55 そんなに偉そうに国語読解力の欠如を豪語するよりも、ご無沙汰の
ひさしぶりさんの代わりに、元s改印さんや祭り大好き!!さんの
質問に答えてはどうでしょうか。
そうでない限り、あなたの主張を認める人は誰もいないでしょう。
浄土諸派 高森教信者逝ってよし。
58 :
名無しさん@1周年:02/11/05 20:51
>>57 >>55みたいな香具師が、知性の欠如から犬鉄の差別発言に笑うんですよ。
59 :
世親(てんじん)菩薩:02/11/05 22:48
「謗法罪(ほうぼうざい)」について
今日も今日とて、世親菩薩の名に恥(は)ずかしくない、文を書きましょう。
「顕正(けんしょう)新聞 第687号」より
「インターネットで、他を非難中傷(ひなんちゅうしょう)し、喜んでいる輩(やから)がいる。
闇夜の辻斬り強盗のごとく、自分の正体を隠(かく)し、悪口雑言の限りを尽(つ)くす。
どうせばれはしないだろうと、心の中の怒りや、ねたみそねみの醜い愚痴を、ありったけぶちまける。欺瞞(ぎまん)、捏造(ねつぞう)、歪曲(わいきょく)、針小棒大、誤解曲解、何でもありだ。
60 :
名無しさん@一周年:02/11/05 23:06
>>59 この大それた畏れおおいHN、
そして創造性のまったく伺えない内容。
あなかしこ。あなかしこ。
63 :
名無しさん@1周年:02/11/06 02:26
おい、K谷、コンプレックスの塊よ。
なにもできない、ただのタコ。
64 :
名無しさん@1周年:02/11/06 06:43
>>55 新人太郎は、459さんの「念仏成仏是真宗万行諸善是仮門」の説明に、明確な返答をしていない。
>私は貴方の教えられた「念仏のみで助かる」「南無阿弥陀仏を心得る」とは、どう言うことで
しょうか、と尋ねてきました。
それについてこの度、御文章の言葉を沢山抜き出されて、「これで分からなければ私の力の及ぶ
ところでない」と見放されました。
どこが私の問いに該当するのかと、挙げられた御文章を繰り返し丹念に拝読しましたが、残念ながら、
「だから念仏のみで助かるのだなぁ」とも「南無阿弥陀仏を心得るとは、こんなことであったのか」とも、
納得できるところを見いだすことはできませんでした。
面倒でしょうが、該当するところを示して素人にも分かるような言葉で答えて頂けないでしょうか。
よろしくお願いします。
※ついでにもう一つ、お聞きしたいことがあります。
ここで話がすりかわってしまった。
65 :
名無しさん@1周年:02/11/06 12:22
K谷さん、以前、貴方がわたしの大学の担当子牛であったとき、
ご縁の遠ざかった元Sさんに関して、
「せっかく積んだ宿善が水の泡になってしまう」と
確かにおっしゃいました。
これが、s会の公式見解なのでしょうか?
それとも、あなたが異端なのでしょうか?
(言った記憶がないと逃げられるのも一手かもしれませんが。)
また、その教学的な根拠をお教えいただければ幸甚です。
よろしくお願いします。
また、他の子牛のみなさんはどう思われますか?
66 :
K谷子牛へ公開質問:02/11/06 12:23
それとも、あなたが異端なのでしょうか?
(言った記憶がないと逃げられるのも一手かもしれませんが。)
また、その教学的な根拠をお教えいただければ幸甚です。
よろしくお願いします。
また、他の子牛のみなさんはどう思われますか?
67 :
K谷子牛へ公開質問:02/11/06 12:24
K谷さん、以前、貴方がわたしの大学の担当子牛であったとき、
ご縁の遠ざかった元Sさんに関して、
「せっかく積んだ宿善が水の泡になってしまう」と
確かにおっしゃいました。
これが、s会の公式見解なのでしょうか?
それとも、あなたが異端なのでしょうか?
(言った記憶がないと逃げられるのも一手かもしれませんが。)
また、その教学的な根拠をお教えいただければ幸甚です。
よろしくお願いします。
また、他の子牛のみなさんはどう思われますか?
65,66はアップミスです、無駄レスすまそ。
68 :
名無しさん@1周年:02/11/06 12:28
>>64 >新人太郎は、459さんの「念仏成仏是真宗万行諸善是仮門」の説明に、
>明確な返答をしていない。
また信じがたい非難ですね。
459さんが自分で根拠として提示した御文なのに、
新人太郎さんの質問に、まともに答えられず
逃げ回っているのではありませんか。
>ここで話がすりかわってしまった。
あなたはまだ、この論争の本質がわかっておられないようですね。
論点はピタリと定まり、微塵の狂いもありませんよ。
http://homepage2.nifty.com/shinran/ もう一度、読まれてはいかがですか?
>>70 わかりやすくいうと、
お 前 は ア フ ォ だ
と言ってるの。アフォのお前にもわかるように説明したったぞ。
もう意味不明とは言わさん。
72 :
名無しさん@1周年:02/11/06 21:03
前スレ終わってからこっちは急につまらなくなったな
結局前スレで減益は本の丸写しコピペして終わりか・・・
73 :
名無しさん@1周年:02/11/06 22:09
ジャンヌに行け行けって煽っている人がいるけど、
しばらく舞台がジャンヌに移るのかもね、本当に。
>>73 ジャンヌ行けではなく
ジャンヌに来い、なんだろうなぁ…
75 :
祭り大好き!!:02/11/06 22:56
>>55>>69 結論から言わせてもらうと新人太郎氏の論は、独自の仏教の一派として立てるなら兎も角
、浄土真宗と称するには、あまりに伝統から逸脱し過ぎだと思います。それは、特に、10
月18日付けの『雑行の諸善も、その行体は変わりませんが、「往生の役に立てようとする
自力の心でやる諸善」は「雑行」として嫌われ「捨てよ」と言われます。その自力の心が、
他力の心に切り替えられて、広大な仏恩に感泣し動かされる諸善は、報恩行となるのでしょう。』
の部分に集約されていると思います。先ず、諸善万行が報恩行というのからしてあまり聞かない
説です。真宗の報恩行は、一般に称名となっています(これにも近年、信楽師などから、覚師の
オリジナル思想で親鸞思想にあらずという批判があるが、煩を避けてここでは触れません。)。報恩
行にちては、伝統宗乗のおいても色々煩瑣な議論があるが、真実法である名号法が、五念門に相発し、
五念をもって報恩行とする「五念相発説」と、名号法の相発を称名に限り、称名と前三後一を助業に
分かつ五正行をもって報恩行と規定する「五念非相発説」とに分かれます。このうち、「五念相発説」の
中にも、五正行を以ってその体は廃せられず、五念に摂せられるとする説もあります。いずれの説でも、
報恩の五念・五正とも一心体具で、それが、衆生の三業に相発する(一心等流)報恩行とするか、一心が
三業に相発するのではなく一心に催されて起こるとするかの違いですね。一心とは、言うまでもなく仏心
です。また、いずれにせよ、諸善万行が報恩行というのはあまり聞きません。破邪顕正が、五正行でいう讃
嘆正行だという等の独自の解釈によるものか?はたまた、近代の俗諦観流出説の影響か???
76 :
祭り大好き!!:02/11/06 23:19
>>75の続きと訂正
誤り 俗諦観流出説
正解 俗諦流出説
万歩譲ってその独自解釈を認めるにせよ、真宗における「正行」の所修の行体は、能修の
心相の如何(つまりは自力か他力か)によって行体が自・他力に分かれます。なんとなれ
ば、他力の行体は、仏智証得の行体ですから自力の行体とはその体も異なります。従って
「雑行」として廃せられる自力諸行や三心は、行体そのものが廃せられている(捨て物)と
いうことです。「凡夫自力の心行をおさへて仏智証の行体といふ、いはれなき事。」(『改邪抄』)
と覚師が御指南されていることでもおわかりでしょう。報恩行が信前・信後でも行体が同じだという
のは真宗伝統からいって異端的な説であることがおわかりでしょう。
77 :
祭り大好き!!:02/11/07 00:07
>>76の続きと訂正
『改邪抄』の引用部分で訂正 誤り 仏智証の行体
正解 仏智証得の行体
もし、自力諸善や信前の称名が、行体そのものは、信前・信後変らず、他力信をいただく
勝縁として真宗では、廃されるどころか勧められているとすれば、「善本・徳本の名号を
えらびて万善諸行の少善をさしおく」(『三経往生文類』)「自余の善行はこれ善と名づく
といへども、もし念仏にくらぶればまったく比較にあらざるなり。」(『化身土巻』)など
の所修の行に約しての数々の御教導から言えば、諸善とは比較にならないくらいに自力の称名
が勧められてないとおかしいと思います。開門五種の場合は、他の諸善と念仏は、等価だという
のでしょうか??? 何故、万行随一の念仏と呼ばれるのでしょうか????
最後は質問スタイルになってしまいましたが、ゴジラ氏でもどなたでもいいですが、私は新人太郎
氏の説はおかしいと思いますので反論あれば伺いたいです。
>>77 ゴジラじゃないけどいいのかな?
s会の驚愕には
もっとも宿善を厚くする方法として
1、熱心な聴聞
2、五正行の実践(分りやすくお勤めとも言われる)
3、六度万行の実践
とあります
念仏は五正行の中の称名正行ですから諸善よりもすばらしいという事は明白ですね
おじゃましました
79 :
名無しさん@1周年:02/11/07 00:35
>>77 >諸善とは比較にならないくらいに
>>78 比較してるジャンw
横やりスマソ
>>78 その割には、s会ってあまり2を勧めてないように
感じるね。
:或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかされて、行を怠り
:侍る事、いかゞして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の
:醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。
念仏の行が信心決定の近道なら楽でいいなと。
勿論、念仏も唱えられない私でありました、という一念で
決定を迎えるんだろうけど、s会は念仏をあまり勧めていないよう
思われるのはどうしてか?
破邪顕正とかGHSもいいけど、どうしても聖道門チックな
臭いがする。 それらを積極的にしてる(であろう)専任講師は
だれも決定者がいないし、これでいいとはとても思えないのだが。
81 :
名無しさん@1周年:02/11/07 02:16
s会で信心決定したものがほぼ居ない、と書いたものだが、
今だにこれは事実だと思うけど、なんか反論してる香具師が
いるなあ、その割にはなんら具体的な所は出ていないけど。
そもそも、蓮如上人の「信心の沙汰をいくたびもせよ」とか
それに類する御文章についてはどう考えているんだろう。
信心の沙汰をすれば、当然「信/不信」を話題にせざるを得ないから
s会で決定者がいないなんてことは明白だと思うのだが。
それとも、s会では「信/不信」の問題をあえて避けて(藁
信心の沙汰をするんだろうか?そんなことないよね。
別に、Kの廻し者じゃないよ。
82 :
名無しさん@1周年:02/11/07 10:51
>>80 ってsのやってることって聖道門自力の仏教でしょ?
恋愛禁止とか不飲酒とかって。
83 :
名無しさん@1周年:02/11/07 11:12
s会はせいぜい19願で、20願にもいっていない信仰の幼稚園ということ
あいにく、前スレが読めないので書き込みできません。
>>75
>諸善万行が報恩行というのはあまり聞きません。
これ、あなたが聞かないだけですよ。
>>76
> 行体そのものが廃せられている。
聞法、五正行も廃されている、ということでしょうか?
>>77
>万行随一の念仏と呼ばれるのでしょうか?
「諸善の中でも」特に優れた功徳であるからです。
「万行超過の念仏」は「諸善とは比べものにならない」という意味です。
>>78
> 五正行の中の称名正行ですから諸善よりも
五正行も諸善なんですよ。
>>81
>具体的な所は出ていないけど。
人の信心を「認定する」ことはないですね。
前スレが読めるようになったらまた詳しく書きたいと思います。
85 :
祭り大好き!!:02/11/07 19:21
>>84 ひさしぶりさん、ひさしぶりですW
>これ、あなたが聞かないだけですよ。
ほう、五念五正の外に六波羅蜜や十波羅蜜などの諸善万行を報恩行とする説は、そんなに
有名でしたか??? どなたの説でしょうか?? ひさしぶり氏が全面信用しているかに
見える杉師や、山辺・赤沼両師は、そうした説なんですか????
>聞法、五正行も廃されている、ということでしょうか?
そうですね。能修の心相が自力の執心である限り所廃の行ですね。祖師が勧めてられるのは、
他力の聞法、五正行です。廃せられるというのは、仏教でいう「善根」としては、廃せられて
いるという意味ですよ。
>「諸善の中でも」特に優れた功徳であるからです。
ひさしぶり氏流の信前・信後で所修の行体は、不変で信前にも廃するどころか勧められなければ
ならないという主張(違ってたら反論キボン)からすれば、(自力の)念仏が、余善より特に勧
められなければならないということになるのですか????
前スレ、HTML化されたら元s改印さん等の分と一緒に回答お願いします。
86 :
名無しさん@1周年:02/11/07 19:50
おい、誰か減益で驚愕に自信あるやついないのか?
ジャンヌ掲示板で雪輝(ゆっキー?)さんが苦境にたたされてるぞ!
誰か助け舟出してやれよ!
>>75-77 祭大好き!!さんへ
あなたの主張を理解するために質問しますが、
○諸善に入らない破邪顕正があり得るのですか?
○獲信に修善は障害になるから、諸善をやめたほうがいい、
ということですか?
○獲信された親鸞聖人や蓮如上人が、仏法を懸命に伝えられたのは、
報恩行ではないのですか?
失礼ですが、あなたの文章は難解なので、かみ砕いて書いて
もらえないでしょうか。
88 :
名無しさん@1周年:02/11/07 20:30
>>86 放っておきなさい。
ただのザツダンだから。
生産性ゼロでしょう。
89 :
世親(てんじん)菩薩:02/11/07 21:08
>>59のつづき
昔は便所の落書きで済(す)んだが、今は、多くの好奇(こうき)の目にさらされ、
尾ひれがついて、とんでもないうわさにもなる。
「火の無いところに煙は立たない」はずだが、ネット社会では、火の無いところに放火して、
煽(あお)り立てる者までいる。
たとえだれかは分からずとも、無責任な誹謗中傷の報(むく)いは、自業自得で本人が、
受けていかねばならない。
>>84 >五正行も諸善なんですよ。
後生の一大事の解決の為に阿弥陀仏に向かってする行為は
すべて宿善になると言う事なんでしょう?
だから念仏行も、諸善万行もその体は善と言う事ですよね?
あそこで言われていることはすべての本質は善だと言う事ではなく
その善にも念仏のように80億劫の罪を除く(とは言っても私たちの罪悪は消えることはありませんが)
ものもあれば普通に諸善といわれるものもあるわけです
できればその違いを詳しく教えていただきたいものです
可能ですか?
これは信前はどのように求めていけばいいかということですから
いくら懐疑派とは言えども軽い気持ちで書いているわけではありません
あしからず
ちょっと別に書きたいことがあったのですが
先ほどから頭痛か激しいのでそろそろ休ませていただきます
では失礼します
○諸善に入らない破邪顕正があり得るのですか?
教学的には真実の仏法をお伝えするのは確かに諸善。
しかし、真実なら堂々と「私達は親鸞聖人のみ教えを伝える者です。」
と名乗ればいい。ダミーサークルを騙る必要はない。
ダミーを騙るのは十悪の一つの「妄語」
○獲信に修善は障害になるから、諸善をやめたほうがいい、
ということですか?
>>53は私が原液時代教学講義で高森先生から聞かせていただいたこと。
参照にせよ。
○獲信された親鸞聖人や蓮如上人が、仏法を懸命に伝えられたのは、
報恩行ではないのですか?
報恩行じゃないんですか?
ただ、sのような狡猾なやり方で同行は集めてないし、GHSを集めない。
以上です。何か?
92 :
名無しさん@1周年:02/11/07 22:03
>>84 >>具体的な所は出ていないけど。
>
>人の信心を「認定する」ことはないですね。
確かに、弥陀と私間の問題だから他人がとやかく言う事ではないと
あと、他人が判定できる者ではないと。これは理解できるけど、
じゃ、信心の沙汰の場において(昔風に言うと「講」ですか)
獲信の有無は語らないんですか?という話をしています。
もし、その場で語られているのなら決定者が何人かいたと
いう話を聞いてもおかしくなさそうですが、、皆目そういう話は
聞きませんので、s会で決定者はいない、もしくはほぼ居ない、
というのが結論だと思うのですが。
それとも、「牛を盗んでも念仏者のふりをするな」と?
そんな時代でもないでしょう。まさか信心と三業とは
関係がないので、居るけどみんな黙ってる、とか
そんな事は考えにくいのですが・・・
93 :
祭り大好き!!:02/11/07 23:27
>>87 ①あなたの破邪顕正の定義は何ですか?? 「破邪顕正」は、三論宗ですが、『涅槃経』の「仏法
中怨」の意味で使っているとしても聖道門ですね。ですから五正行に「讃嘆正行」に入れる説は
、私はあまり聞かないですけどね。答えとしては、聖道門の機類を対告衆とした菩薩行たる諸善万行
には当然入りますね。
②獲信のために、何をやった方はいい、とか何をやめた方がいい、などと計らうのが自力疑心です。
障害なんてのは、各人の宿業ですから仏様の外わかるはずがありません。しかしあくまで私見ですが、
(仏道修行として)自力諸行に励むことは、自力の執心を募る故、他力信の世界へ転入させていたく
には障りになる場合が多いように思います。
③聖人は、上野国で三部経読誦を中止されたように、五念五正なかでも称名を報恩行として行じておら
れたと思います。とくに伝道(これはミッションの和訳ですから相応しくないか? )を報恩行として
謳われてはいなかったように思いますが。
>>84 前スレの終わりのほうで、元s改印さんが提言された「ジャンヌでじっくりやりませんか」のお誘いは、読まれて
ないのですね?? ひさしぶり氏としては、この提言に同意されますか? それとも拒絶なさいますか?
94 :
名無しさん@1周年:02/11/07 23:54
>>93 前スレの終わりの方はひさしぶりは報恩講参詣の為見れないのでは?
報恩講が終わって、家についたらdat落ちしてたということではないの?
95 :
たとえば・・・:02/11/08 00:47
呆戦・・・仁義なき親鸞会法論 Vol.2 より
897 :祭り大好き!! :02/11/02 17:14
>>879 ①>そうです。というのは、「穏彰の義」じゃない、にYESなのか「穏彰の義」である
にYESかどっちでしょうか?? 日本語の疑問文に対する答えは難しいですね。
②>自力ではないか・・・ 合点というのは、世間的な言葉ですから、前に出したアルバイト
するなんてのと同じで「一代諸教の信」などと言われるような仏教的な意味での「自力」と
違うと思いますが如何???
③権化の在家のお話ではないでしょう?? そんな方はわれわれとは違いすぎますからね。
われわれ実凡の在家のお話をしていたんじゃ???
④自力の方便に「私が」執着しているのが、いらぬ智慧だということですよ。
⑤聖道門は、教行とわれわれの機根が相応していない(凡夫には実践できない=食べたら死ぬ)が、
定散諸善は、教行とわれわれの機根とが相応している(実践できる)ということでよろしい
でしょうか?? しかし、定散諸善を実際にできる人はいなかったんじゃないでしょうか???
『大経・五悪段』については、先ず質問
>>612(リンク先間違ってますスマソ)に答えて下さい。
⑥あれ、先に「説法しないことは謗法で云々」とか言ってたのは、ひさしぶり氏では?
まあとまれ、「謗法だ」どうだのの「罪の沙汰」は、ひさしぶりさんはされてないということで
よろしいでしょうか???
96 :
たとえば・・・2:02/11/08 00:47
899 :祭り大好き!! :02/11/02 18:15
>>895 ①仏教本来の意味での「知る」ことは、われわれにはできませんから、われわれの求道
を六度万行だの宿善だのということはおこがましいのでは???ということ。自力信も
本来の自力の三心(至誠心、深心、廻向発願心)を決定しているような行者はなかなかい
ないと思い」ます。
②「説法しないこと」が直ちに謗法ではないということでよろしいですね??
③仏様の方便に従う=如説修行は仏教の「善」ではないのでしょうか???
④他力の往生を望んでいる人は、「雑行しよう」とは思ってないのに、雑行の
体である「諸善万行」ができると思っているのですか???
97 :
たとえば・・・3:02/11/08 00:48
905 :祭り大好き!! :02/11/02 18:49
>>896 ①「戒」体は、三学六度の元で「諸善」を含むでしょうが、われわれのような、
悪逆で到底、三学の器でない者が、実機を知るためにさせられる諸善が、「汎
爾に戒を保つ」と言えるのでしょうか???とお尋ねしているのですが。言え
なければ宿善になるとも言えないと解してよろしいでしょうか???
②ですから、「助業を傍らにして、正定業の弘願念仏を勧められた」というのは、
「まずもろもろの雑行をさしおきて、一向に弥陀如来をたのみたてまつりて、
《中略》 一心にもっぱら弥陀に帰命せば、如来は光明をもってその
身を摂取して捨てたまわふべからず。これすなわちわれらが一念の信心決定した
るすがたなり。」(『御文章・一帖十三』)ということで、他力一念の信を獲る
(獲ったうえの称名)を勧めてられるのではないのでしょうか??? 信を獲る
=雑行を捨てる 以外のことを祖師方は勧めておられないと思いますが如何??
だから祖師方にとって「善の勧め」とは、「雑行(諸善)をさしおいて(傍らにして)、
無上清浄善の南無阿弥陀仏の他力信心をいただく」ことのお勧めの外は無いのではない
でしょうか???親鸞聖人は、信後のお念仏のほかに何を勧められていたというのです
か???
98 :
たとえば・・・4:02/11/08 00:48
906 :祭り大好き!! :02/11/02 19:41
>>896 ③仏様のお心を親鸞聖人が推察された部分ですから、元より腐った頭ではわかりません。
仏覚は、念弥陀三昧に依らねば、といわれるのはその通りでしょう。時空を越えた世界
のことですから、「発願のとき」も「行じたまひし時」も「本願成就・十劫正覚の時」
も「衆生尽き、涅槃尽き虚空尽きる時」もまさに同時に「今日今時、『私一人』の一念
の信心決定したるすがた」でしょう。しかし、ひさしぶり氏が、三信釈の御文をもっ
て、聖道自力の証果を得た方や、定散諸機の化土往生人の実在を否定されるのは、い
ささか無理があるのではないでしょうか??? 信楽釈でも自力の「最勝の淨信獲得」
「無量光明土=実報土」への自力往生を否定されているだけで、化土往生を否定されて
いるわけではないし、ここでの痛烈な罪悪の様も親鸞聖人の内観の世界であり、一般
論を評論家的に述べられた御文ではないし、阿弥陀様から御覧になられた衆生の性得
の機は大小聖の凡も変らないでしょうが・・・。「機の真実」も自分でわかるものでは
なく全て利他真実の廻施の一心しかないのですから。
99 :
たとえば・・・4:02/11/08 00:49
912 :元s改印 :02/11/02 22:11
SはS価学会の意味との意見がありましたので元s改印にしました。
しばらくぶりに戻ってみるとスレが大進行していて
驚きでした。ひさしぶりさんお返事ありがとうございます。
レス遅れてすみませんでしたが、
私もお返事申し上げますのでよろしく。
>>900 >なお、今後は2chにおいて法論が禁止されます。
>法論はジャンヌでお願いします。
なぜですか?ジャンヌだとひさしぶりさんが書き込まない
可能性があります。
それは、私が以前ジャンヌでやろうと申し出たならばひさしぶりさんは
それならば書き込まないと公言していたからです。
私はこれから書き込む予定のひさしぶりさんのお返事が
ききたいのですが?
私はまた教学・法論的スレがあればそちらで続けたいのですが?
このスレの製作者は続きを作るといえれてましたよね。
どうなんでしょうか?
祭り大好き!! はご意見いかがでしょうか?
100 :
たとえば・・・5:02/11/08 00:50
914 :元s改印 :02/11/02 23:02
>>808 >会で「雑行をしなさい。雑修をしなさい」と教えられたことはない
>(略)諸 善 を し な さ い」ですね。
親鸞会の主張する論点「浄土真宗は諸善万行を勧めている」
の誤謬を示していきます。
まず諸善について。
親鸞会は仏教で言う善、出世間善と世間善の区別を知りません。
そのため「善の勧めがあるか否か」など平気で論点にするのですね。
六度万行は出世間善です。ところが、親鸞会は大沼教学の影響か、
六度万行を世間善に落として教えています。布施が親切、持戒が言行一致
忍辱が忍耐、智慧が修養といった調子です。
諸善万行とは六度万行であり、これは六波羅蜜で本来出世間善です。
親鸞会は聴聞、五正行、六度万行の実践を勧めます。
結論から申しますと、浄土真宗における出世間善は五正行のみです。
とりわけ念仏の一行を勧めました。そして他の諸善万行を廃したのが
聖人と法然上人のみ教えです。親鸞会は諸善万行は宿善になるからやりなさい
と主張していますが、これが大間違いなのです。法然上人は選択集のどこにも
宿善について仰せではありませんし、聖人のいわれた宿善も決して
親鸞会のいう意味ではありません。
聖人と法然上人は諸善万行の体までを廃されました。
浄土門では機教一致しない為、諸善万行は出世間善として捨てよ
といわれたのです。
これに対して他の浄土宗は「自余の浄土宗は諸々の雑行を許す」で、
雑行=諸善を許します。
(つづく)
101 :
たとえば・・・6:02/11/08 00:50
915 :元s改印 :02/11/02 23:15
>>914 真宗において廃立が肝要とされます。
(出世間善の意味における)諸善は廃するために説いて念仏は立てる
為に説かれたのです。諸善は修行するなと廃するために説かれたのです。
真宗の門においては、いくたびも廃立を先とせり。「廃」というは
捨なりと釈す、聖道門の「此土の人聖得果」「己身の弥陀」「唯心の浄土」
等の凡夫不堪の自力の修道を捨てよとなり。「立」というはすなわち
「弥陀他力の信をもって凡夫の信とし、弥陀他力の行をもって凡夫の行とし、
弥陀他力の作業をもって凡夫報土に往生する正業として、此の穢界をすてて
彼の浄刹に往生せよ」としつらひたまふをもって真宗とす。
(改邪抄)
102 :
たとえば・・・7:02/11/08 00:51
916 :元s改印 :02/11/02 23:34
>>915 (続き)
真諦門において浄土真宗は、諸善は廃止なさいとするのです。
では聖人は信後に法施はされていないのか?
もちろんされておられます。しかしそれは報謝であり報恩行であり
信心決定を目的とするものではありません。
法然上人は選択集にこのように仰せです。
「明らかに知んぬ。諸行を廃してただ念仏を用いるが故に一向という。
もししからずば、一向の言、最ももって消しがたきか。」
「故に知んぬ。諸行は機にあらず、時を失す。念仏往生は機に当り、
時を得たり。感応あに唐捐せんや(感応をむなしく捨てることはない)。
まさに知るべし。随他の前には、しばらく定散の門を開くといへども、
随自の後には、還って定散の門を閉づ。ひとたび開いて以後、永く
閉ぢざるは、ただ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意
ここにあり、行者まさに知るべし。」
法然上人ははっきりと余善(諸善万行)を廃されています。(つづく)
103 :
たとえば・・・8:02/11/08 00:51
917 :祭り大好き!! :02/11/02 23:34
>>906訂正
誤り 大小聖の凡
正解 大小聖と凡
>>912-913 元s改印さんの御意見に全面的に同意いたします。
>>909-910 再び横レススマソ。往生の巳今当と宿善の問題は、伝統宗乗では、今日、道振の『真宗
佛性弁講述』以来の「無自性仏性説」で「宿善自力説」「宿善捨て物説」(親鸞会説は
これに近いか?)に陥らなくても、ほぼ解決するのではないか??万法を、縁起の発動す
るその性無自性空の衆縁所生とし、衆生性得の機の多元性も各機各別の妄情も、阿弥陀
様の全分他力の増上縁も万法が因縁所生で千変万化するすがたと解すれば、その根拠を
失うことなく説明できると思います。
104 :
たとえば・・・9:02/11/08 00:52
918 :元s改印 :02/11/02 23:50
>>916 法然上人はこのように善導大師一師に依り、廃立の義をとられました。
しかし聖道門の弾圧厳しく、聖道門の非難をかわすために
諸善を許す教えを説くものがあらわれました。
諸善を許す教えを説くという点では親鸞会の元祖にあたります。
ご存知、西山派の祖、善恵房証空です。西山派の行観の私記にあります。
「在るとき、西山上人(善恵房証空)、元祖(法然上人)に対して、
唯だ廃立のみを談じたまふときには、功徳善根を排斥する邪見に陥る
ものあらん、之を制せんが為に、再往傍正の諸行を勧めたまひては
如何と問ひしとき、元祖は「止みなん止みなん」とのたまひし」
善恵房証空は法然上人のいいつけに背き、法をネジマげ、
再往の義を説いてしまいました。
念仏弾圧が激しくなり、比叡山の法師たちは浄土門を批判したときに
「師匠の法然房は、諸行の首を斬り、弟子の善恵房は諸行を生け捕りに
す」といったのは有名な話ですね。
当時の法然上人による教団は、「諸行の首を斬」った、つまり自力
の修行をやめよと否定されたが故に弾圧されたのです。
では、祖師聖人はどのような見解であったのでしょう。
(つづく)
105 :
たとえば・・・10:02/11/08 00:54
923 :元s改印 :02/11/03 00:39
>>919 観経にのたまはく、「極重の悪人、他の方便さらになし、
ただ弥陀を称じて、極楽にしょうずることを得」とのたまへり。(行巻)
文殊の法は常に爾なり。法王は唯一法なり。
一切無礙人は一道より生死を出づ。(行巻)
(文殊菩薩よ、他力本願の一法は自然法爾の道理であるから、ただ計いを
離れて信じたてまつるばかりである。三世諸仏の本師法王である阿弥陀如来は
ただ六字の名号ひとつをもって、衆生をすくいなされる。そして一切の諸仏は
みな阿弥陀如来の正覚の一道によて生死を離れて証覚を開かれた。)
凡夫はただ名号に専心して、解脱の門に入るべきであると仰せですね。
次に、聖人が余行を体まで廃している根拠を示します。
おほよそこの三輩のなかにおのおの菩提心等の余善を説くといへども、
上の本願にのぞむには、もはら弥陀の名号を称念せしむるにあり。
かるがゆえに「一向専念」といへり。一向のことば、二三向に対する
義なり。もし念仏のほかに余善を修せば、一向の義に背くべきものなり。
(西方指南抄上巻)
最後の一文にご注目下さい。そして最後が、聖人が(以外にも)唯一
法然上人の選択集から教行信証に引用された、例のご文です。
夫れ速やかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法の中、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。
浄土門に入らんと欲はば、正雑二行の中、しばらく諸々の雑行をなげすてて、選んで正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、正・助二業の中、なお助業を傍らにして、選んで正定を専らにすべし。
「正定業」とは、即ち佛の御名を称ずるなり。
(教行信証行巻)(つづく)
106 :
たとえば・・・11:02/11/08 00:54
924 :元s改印 :02/11/03 00:45
>>920 諸善万行ことごとく至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の善とならぬはなかりけり
(浄土和讃)
親鸞会がよく間違って解釈する有名なご文ですね。
正しい解釈は、
定散の諸善万行は、もともと方便の自力の行にすぎない。
しかし阿弥陀如来が第19願に、これらの諸善も至心に発願する
ならば、浄土に迎えると誓われているが、しかしこれらはかりに許された
方便の善にすぎないのである。
それゆえ19願の信仰をはやく捨てなさいといわれたご文ですね。
107 :
たとえば・・・12:02/11/08 00:55
927 :元s改印 :02/11/03 00:57
>>924 至心信楽欲生と十方衆生を方便し
衆生の仮門ひらきてぞ現前人前と願じける(浄土和讃)
臨終現前の願により釈迦は諸善をことごとく
観経一部にあらわして定散諸機をすすめけり(浄土和讃)
これらのご和讃は、諸善万行が方便である、という根拠としては
十分な根拠といえます。しかし、諸善をすすめる根拠とはいえません。
なぜなら「極重の悪人、他の方便さらになし、
ただ弥陀を称じて、極楽に生ずることを得」とあるからです。
われわれには念仏以外の方便は存在しないことを明言されています。
聖人は、そのことを化土巻にも仰せです。
観経の定散諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励しためへり。濁世の道俗、
善く自ら己が能を思慮せよ。知るべし。」
浄土真宗としては、方便としてただ「念仏」しか勧められていないのです。
それゆえ親鸞会がよく諸善の勧めの根拠として示す以上の3浄土和讃は、
ただ19願の意味を説明なされたものにしか過ぎないのです。
108 :
たとえば・・・12:02/11/08 00:55
930 :元s改印 :02/11/03 01:23
>>927 真仮を知らざるによりて如来広大の恩徳を迷失す(真仏土巻)
念仏成仏これ真宗 万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして自然の浄土をえぞ知らぬ(浄土和讃)
聖人は仮を廃して真をたてよ、と廃立を説かれました。
しかし、親鸞会はこのご文を仮より真に入る、と解釈するのです。
諸善万行をするなかで、善ができない自分、罪悪が知らされてくる
と親鸞会は解しています。
そもそも19願の要門はなぜ「要門」というのか?
阿難尊者は、観経において
「此の法の要、当に云如が受持すべき」といわれてますが、
ここから要門のお言葉が出ています。要とは「かなめ」ということで、
釈尊は聖道門を説いてこられたが、定散二善の教えは、それを弘願に
渡す要となる教えとなるために、要門と名づけられているのです。
これを受けて釈尊はなんといわれたか。
「汝、好くこの語を持て。この語を持てとは、即ち無量寿仏の名を持て
となり」とおっしゃって、定散二善の要門の教えを捨てて、念仏一門を
末代のわれわれ凡夫のために付属せられたのです。
それゆえ善導大師は定散二善を要門と教えられて念仏を弘願と
いわれたのですね。
ところが親鸞会はこの「要門の要は必要の要である」という。
ひさしぶりさん、もし「要門の要は必要の要である」というご意見なら
その根拠を示していただけますか?
109 :
たとえば・・・14:02/11/08 00:56
(ミス:108は たとえば・・・13)
931 :元s改印 :02/11/03 01:39
>>930(つづき)
雑行に執着する信前の人間の心のなか、それは阿弥陀如来の無条件の
救いをはねのけて心なのですね。阿弥陀仏の広大なお慈悲に暗いのです。
それにもかかわらず、諸善を勧めるということは、
無条件の救いに対して条件あり、と教えていることになってしまいます。
諸行をしろ、と教えることは、この大慈悲心を理解することから遠ざかって
しまう道です。
阿弥陀仏との間に垣根をつくりなさいと指導していることになまります。
真心徹到するひとは金剛心なりければ三品の懺悔するひとと
ひとしと宗師はのたまへり(高僧和讃)
真心は親鸞会では「真実信心」だと説明いたしますが、これは
阿弥陀仏の真実大慈悲心のことを意味します。
なぜなら、このご和讃の草案には徹到に対して「いたり、とおる」と
注意書きされているからです。
「いたり、とおる」ものは弥陀の大慈悲心です。善導大師は
「学仏大悲心」と教えられますが、仏教を学ぶとは仏の大慈悲を学ぶと
いうことであり、その大慈悲は願成就のご名号におさまっているのですが
それを素直に受け取れずに、雑行ばかり励み、逃げ回っているのが
われわれ凡夫の姿なのです。
(つづく)
110 :
たとえば・・・15:02/11/08 00:58
932 :元s改印 :02/11/03 01:41
>>931 訂正スマン
誤・・・阿弥陀仏との間に垣根をつくりなさいと指導していることになまります。
正・・・阿弥陀仏との間に垣根をつくりなさいと指導していることになります。
111 :
たとえば・・・15:02/11/08 00:58
933 :元s改印 :02/11/03 02:28
>>931 (つづき)
三願転入のご文ですが、親鸞聖人の比叡山時代にただひとつ明らかに
なっているのは「堂僧として常行三昧の修行」をなさっていたことです。
常行三昧とは般舟三昧経に基づく修行でありすでに源信和尚のみ教えに
従われ、すでに真門に回入されていたのでしょう。前に述べましたように
「久しく」「離れ」「永く」とありますように、聖人は「要門に励みなさい」
という見解とは対極の見解でおられることは明らかです。
諸派においてこのご文の解釈は様々ではありますが、「真門を嘆じられた」
という点では親鸞会以外では一致しています。このご文から、諸善をすすめる
根拠とするのはきわめておかしいと言わざるをえません。
浄土真宗では、出世間善は、ご正行、とりわけ念仏の一行のみを勧めて
他の諸善万行を廃されたのです。諸善万行は聖道門における修行です。
かの舎利弗尊者が、目玉をくれと乞われて、結局くりぬいて与えたところ
それを「生臭い」と難じられて足で踏み潰され、一瞬起きた怒りの心で
もって功徳が台無しになったという話がありました。
この話は布施がいかに大変な難行であるかを示したものですが、
親鸞会のかたがたはほんとうに諸善にそのような覚悟で立ち向かおうと
されているのですか?
大体団体で実行するビデオ頒布、勧誘などが本当に出世間善としての
諸善だとお考えなのですか?
ひさしぶりさんは「諸善は往生の助けにならない」と主張します。
一方では「(出世間善としての)諸善を捨てよ、やめよ」というのはまちがいである
と主張します。それゆえ、
「諸善をたのむ自力のこころが廃るまで、
(出世間善としての)諸善をはげまなければならない」
という論理になると思うのですが、もしそうならばそのように
しめしてあるお聖教の根拠を示してください。
112 :
たとえば・・・16:02/11/08 00:59
934 :元s改印 :02/11/03 02:51
>>933 (つづき)すでに多きの方が指摘なされてあり、今更とも思われるの
でありますが、以上述べてきたように親鸞会の教義のなかでも
最もきわだっているのは「(出世間善としての)諸善を許した」ことです。
「自余の浄土宗はもろもろの雑行を許す」
そうです。親鸞会の教義は特殊な宿善論と、三願転入の特殊な解釈
「まず要門から入って諸善に励みなさい」と勧める結果、浄土宗の
西山派に近い教義となっているのです。
法然上人のみ教えを背いた結果、証空は法然や聖人ほどの被害には遭
いませんでした。そして西山派として主流派となっていきます。
「(出世間善としての)諸善を許した」浄土門が仏教でないとは
私は申しません。
しかし「(出世間善としての)諸善を許した」親鸞会の教義は
法然上人と親鸞聖人が流罪に遭っても遵守せられた
「(出世間善としての)諸善を許さない」浄土真宗では断じて
ありません。速やかに会の名称を改めていただきたいものです。
もろもろの雑行を許し諸行の往生を談ずる義、遠くは善導和尚の解釈に
背き、近くは源空聖人の本意にかなひ難きものをや。(浄土真要抄本)
113 :
たとえば・・・17:02/11/08 01:00
935 :元s改印 :02/11/03 03:22
>>934 (つづき)
親鸞聖人が19願や20願の「仮」の説明をされるのは「真」の
反顕として説明されていることを理解すべきでしょう。
いやしくも浄土真宗の看板をあげている宗教団体ならば
「諸善をがんばりましょう」という教えは俗諦で留めておくべきでは
ないでしょうか。俗諦とはどういうことかといえば、
仏教は因果の道理を説く教え。道徳的にも良い事(世間善)をしましょう。
これならば私は大賛成です。ところが親鸞会はなんと出世間善と世間善を
ごちゃまぜのいっしょくたにしている。六度万行を(今はどうなのか知らないが)
かつては俗諦(親切とか言行一致とか)で教えていました。
そして、一転して宿善になるから出世間善として励めといいます。
真諦では、諸善万行は廃しているのであり、俗諦において道徳を摂すると
理解すべきなのでしょう。雑行は、確かに最後は心(信罪福心)=自力の
執心が問題となり、諸善をあてにする心が廃った一念で他力となり、
雑行はしなくなります。そして因果の道理を深信するゆえに信後は
自然に廃悪修善できる理屈になるわけです。
「心を正すためには体から入れ」ではないでしょうか。
諸善に専念していてどうして一向専念できるのですか?
よくよくお考えください。
ひさしぶりさん、聴聞のないときには、
1)強引な財施や法施など諸善を実行すること、
2)聴聞の復習とか、聴聞の内容を思い出すこと、お聖教を拝読すること
ことのどちらを優先されるべきだとお考えですか?
114 :
たとえば・・・17:02/11/08 01:00
936 :元s改印 :02/11/03 03:34
>>890 >信前・信後を問わず、すべての人に「諸善」を勧められるのであって、
>「雑行」を勧められるのではありません。
大間違い。あなたは出世間善と世間善の区別を知りません。
937 :元s改印 :02/11/03 03:48
>>804 >たとえば外道のものが
五逆罪を作り、因果を撥無し、大乗を誹謗し、四重を破し、
空しく信施を食へる者、この中に堕つ(往生要集)
大妄語戒を平然と破るものは四重の罪で無間地獄ゆきと観仏三昧経で
いわれています。勧誘するときに平然と信心決定しているとか
言って高徳者のようにふる舞い、特定の結果を期待することは
外道ではないのですか?
115 :
たとえば・・・18:02/11/08 01:01
938 :元s改印 :02/11/03 03:51
>>805 せっかくお答えをいただいたのですが、肝心のお答えがまだですので
よろしくお願いいただけますか?これです。
その善が雑行でないというのなら聖人が化土巻に仰せの回心・回向の
善でないという聖教上の根拠を述べて下さい。
939 :元s改印 :02/11/03 03:55
>>807 >定散諸善は弘願からみたら五正行であり、異類の助行であり報謝の行です。
>大いにやらねばなりません。
「定散諸善は弘願からみたら五正行であり」この部分は納得できません。
聖教の根拠を示してください。なぜなら定散諸善の体を廃したのが
浄土真宗であるからです。
116 :
たとえば・・・19:02/11/08 01:02
940 :元s改印 :02/11/03 04:01
>>808 >信前にはどうしたらいいんでしょう。
もちろん第一に聴聞ですね。
そして「夫れ速やかに生死を離れんと欲はば」のご文にあるように
出世間善は廃しなければなりません。
これが浄土真宗の教えです。
117 :
たとえば・・・20:02/11/08 01:02
118 :
たとえば・・・番外:02/11/08 01:06
勝手にコピペすまそ。
こうした方が議論が続いて良いかと愚考しました
次第です。
以前、小生の初歩的な質問に丁寧にお返事頂きま
した御礼のつもりです。
勝手なコピペ、ご迷惑ならスマソです。
漏れはないはずです。それでは。
119 :
名無しさん@1周年:02/11/08 01:23
議論の中心である三氏へ
なお、元レスが分からないという場合、
その番号をご提示くだされば、一日中に
過去ログよりコピペカキコいたします。
120 :
名無しさん@1周年:02/11/08 01:24
「たとえば・・・」は、
真実が知りたい一仏教徒です。
それでは。
121 :
ひさしぶり1:02/11/08 19:46
元s改印さん へ
これはあなたが大好きな2chのSAさんが過去に
根拠として示した文ですよ。よく読みなさい。
利井鮮妙さん
この方は西本願寺の勧学の方で、近世の人である。師を肥後の僧亮師と美濃の行照師に
師事し、傍ら善譲師に教えを受けたという。この方に学んだ人で有名な方では中井玄道
さんがある。この方ゆかりのお寺のホームページがあり、そこから師の著作を取得可能
である。
今は、信仰清話(明治四十五年出版)から抜粋
方便法と真宗
「前段略
方便法は暫用還廃の法で、真実法の前には還って廃せられるべきものなれば、廃すべき
ものを暫くでも立つれば、廃立を本とする真宗の教義が潰れる。そこで若し無宿善の機
と認める時は、目前に見る所の善悪因果の道理を説きて、因果応報を信ぜしめ、真実法
を信じる器を作る様にする外はない。」
122 :
ひさしぶり2:02/11/08 19:47
「そこで若し無宿善の機と認める時は、目前に見る所の善悪因果の道理を説きて、
因果応報を信ぜしめ、真実法を信じる器を作る様にする外はない。」
宿善の機と無宿善のどちらが多いか。
「往き易くしてひとなし」の大経のお言葉や「真なる者は甚だもって難く
実なる者は甚だもって希なり」(化土巻)をあげるまでもなく
漸機や無宿善が多いのは明かでしょう。
私は修善を報土往生の因として「立てた」ことは一度もない。
「善悪因果の道理を説きて、因果応報を信ぜしめ」とは
廃悪修善のことですよ。これは要門です。
「真実法を信じる器を作る」のが俗諦である理由はありません。
「諸善は微々たるものだが宿善になるという点に異論はな
いのですよ。」(SA氏)
あなたの、よく引用している、SA氏に見解を聞いてこられた
方がよいのではないですか。
あなたがSA氏の文の引用をならべられるだけなら
あなたと論議をかわす必要もなさそうですね。
この論理展開はもう見あきていますので。
わたしでなくても誰かがそのうち破邪することでしょう。
123 :
名無しさん@1周年:02/11/08 20:00
もろもろの雑行を許し諸行の往生を談ずる義、遠くは善導和尚の解釈に
背き、近くは源空聖人の本意にかなひ難きものをや。(浄土真要抄本)
>>118 ご親切にありがとうございました。
これでひさしぶりさんもスッキリお答えしやすくなったことでしょう。
おっと、現に答えられている最中のようですね。
>>121 ひさしぶりさんレスありがとうございます。
あなたの文章はしばしば主語に欠いていてわかりにくいのですが。。
大体2chのSAさんではなくジャンヌのSAさんでは?
>過去に根拠として示した文ですよ。
これはなんの根拠ですか???
当方の文章が故意としか思えないようにあなたによってゆがめられる
ことが度々ですが、原文に忠実なご引用、よろしくお願いいたします。
>この論理展開はもう見あきていますので。
そう逃げずにぜひお答えになっていただきたいものです。
125 :
名無しさん@1周年:02/11/08 22:03
額勇武長さんは、応えられないの?
いつまでたっても、人任せだね(w
教学力ないから仕方ないか・・・。
126 :
名無しさん@1周年:02/11/08 22:09
マザコンなんですよ、彼は。
そういや復活してなかったか?>SA
128 :
ひさしぶり:02/11/08 22:57
>>124
ほんとだね。ジャンヌのSAさんですね。
あなたが引用を認められるのなら話は簡単。
>>808
>出世間善は五正行のみです。
化土巻では要門にあげられています。
選択集では「助正」で同類異類の助行として諸善をわけておられます。
>>923
>念仏のほかに。
>>927
>唯称弥陀
弘願ですね。
>>924
>ただ弥陀を称じて
これが弘願です。
>>930
>「いたり、とおる」ものは弥陀の大慈悲心です。
あたりまえでしょう。真実信心イコール弥陀の大慈悲心ですから。
二度手間だから答えたくない、って言ってるの。
会を非難したいひとつで他人の文章を盗んで来てるんだから。
わけわからずに。
五雑行の話はもういいのですか?程度が知れるよ。真宗辞典でもみたらどうですか?
>>805ってどんな文章でしょうか?
129 :
名無しさん@1周年:02/11/08 22:58
>>128 現代●●掲示板はいいよね。いっていい?
130 :
ひさしぶり:02/11/08 22:59
>>124
>これはなんの根拠ですか???
過去ログもっているんでしょ。
読めばいいじゃん。
コピーしてるくせに。
131 :
名無しさん@1周年:02/11/08 23:24
>二度手間だから答えたくない、って言ってるの。
そもそもご本人の許可も得ましたし、理解しやすい文章を引用することは
何ら恥ずべきことであると考えておりません。
大体121のあの答えはなんですか?
どこが根拠になているというのですか?
できれば親鸞聖人や法然上人のご文、あるいはひさしぶりさんの大好きな
(違ってたらスマン)蓮如上人のご文で答えて頂きたいのですがね。
それより、この板は懐疑現役さんもたくさん見ているようだから
親切にお答えなさるのがいままでのひさしぶりさんのあり方だと思うし
真実をいつでも開顕される親鸞学徒の心意気ってもんじゃないのですか?
そんな逃げの発言ばかりおっしゃっていると懐疑現役さんがたに
ひさしぶりさんは質問に答えられず逃げている、と思われちゃいますよ。
>>131 追加
131の書き込みは名無しさんになっておりますが、
作者は元s改印です。
失礼しました。
133 :
ひさしぶり:02/11/08 23:31
何の質問かわかるところだけとりあえずお答えします。
>>897
>定散諸善は、教行とわれわれの機根とが相応している
していません。
>説法しないことは謗法で云々。
「説き方の話ではない」と前置きしてあります。
>、「謗法だ」どうだのの「罪の沙汰」は、
「妄語云々」ということにお答えしただけです。
>>905
>三学の器でない者が
信前のもので実機を知っている者はありません。
>「善の勧め」とは、「雑行(諸善)をさしおいて(傍らにして)、
無上清浄善の南無阿弥陀仏の他力信心をいただく」ことのお勧めの外は無いのではない
でしょうか???
そうですが?ぼーっとしてるのもさしおかねばなりません。
>>899
>仏様の方便に従う=如説修行は仏教の「善」ではないのでしょうか???
違います。方便に従うとは弘願に入ることです。
>>906
>。「機の真実」も自分でわかるものではなく
だから「器ではない」ということは信前には知るひとはいません。
「信前に自分が逆悪の機だと知っているひとがいるか、いないか」どう思いますか?
質問じゃないから答えなくてもいいですよ。「質問するな」って怒られても困るし。
>>112
>もろもろの雑行を許し。
「念仏称えているから助かるだろう」と思っているのも雑行雑修ですが、これは許すのですか?
134 :
名無しさん@一周年:02/11/08 23:38
>>121-122 >>124 そうですね。引用は、正確にお願いしたいですね。それにSAさんが、何時何の根拠
として出されているかを書かれないと元s改印さんあてのメールではないし(それだ
としてもおかしいが)、無意味でしょう。s会の信者さんは、しばしば前後の文脈無視
される場合が多いように私も思います。引用の利井師の文も文脈が、どうも不明ですが、
引用されてる部分だけ読む限り「方便法」=「暫用還廃の法」(=要門・真門ですね。)
を「立てる」ことと、「善悪因果の道理を教え・・・」以下のこととは、異なることで、「
方便法」を「立てる」こと自体を「真宗の教義が潰れる」として否定されているように、
思えるのですが、前後の文脈は、どうなってるんでしょうね???「報土往生の因として
立てる」ことの否定には読めないんですが・・・。「光明寺の和尚のいはく、『しかるに
娑婆の化主(釈尊)、その請によるがゆゑに、すなはち広く浄土の要門を開く。安楽の能
人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰す。その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これ
なり。・・・・(中略)・・・・この二行を廻して往生を求願せよとなり。弘願といふは・・
・・(後略)」(『化身土文類』)をみても、十九願の願文からみても、自力の発菩提心や自
力の至心発願無しの単なる調機の為に善悪因果の道理を説くことが、「浄土の要門」=方便法
を勧めることにはならないのではないでしょうか???? 八万四千の法門=要門説(『一念
多念証文』)を取るにせよ、解脱を願う「発菩提心」の無い(これは、聖道門ですね。)因果
応報を説くことは要門を勧めることにはならないのでは????
>>128 >五雑行の話はもういいのですか?
ひさしぶりさん、これ、どうなってますか?
よろしければ教えていただけますか?
ひさしぶりさんは「諸善は往生の助けにならない」と主張します。
一方では「(出世間善としての)諸善を捨てよ、やめよ」というのはまちがいである
と主張します。それゆえ、
「諸善をたのむ自力のこころが廃るまで、
(出世間善としての)諸善をはげまなければならない」
という論理になると思うのですが、もしそうならばそのように
しめしてあるお聖教の根拠を示してください。
136 :
前スレよりコピペ:02/11/08 23:44
>>128 ひさしぶりさんへ
>>805ってどんな文章でしょうか?
805 :ひさしぶり7 :02/11/01 23:13
>>485
>その『大経』の極意は、本願成就文じゃないのですか???
>>563
>その善が雑行でないというのなら。
>>571
>信心決定するのに必要な教えは「仏願の生起本末を聞くこと」ではない
のですか?だから、「衆生往生の因行は願成就の御名号である」という見解を否定
されているように誤解されるのですよ。
真宗では「仏法は聴聞に極まる」ですよね。
「称名に極まる」とは言いません。これは、私達が救われるのは
「聞其名号」の願成就文の御教えだからです。
前にも書きましたように、信心決定するために必要な行は
何一つありません。念仏さえも信後の報謝行であり、自力は
一切間に合わない、役に立たない、捨てものであるというのが
聖人一流の御教えです。
「聞即信」の「聞」が仏願の生起本末を聞くということであり、それまで
は善知識から阿弥陀仏の御こころを聴かせていただくのが「聴」です。
137 :
ひさしぶり:02/11/08 23:54
>>131
>どこが根拠になているというのですか?
「諸善自体を廃されている」という裏で「諸善は(微々たる)宿善になる」というひとを
支持しているあなたの心のすわりはどこにあるのだろう?
ただ非難のための非難なら、あなたが謗法するだけだから論議せぬほうがよろしい。
ジャンヌではその話がでるはずだから、あなたのように五雑行程度の理解もない
ものと話するのは適当ではないのでは?と申し上げたまで。
>>807 >「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」の
お言葉から破邪顕正が勧められます。
信前にやれば(破邪顕正は)雑行であり捨て物です。
>>808 会で「雑行をしなさい、雑修をしなさい」と教えられた事はないですね。
これは両者ともあなたのご発言ですが、
一方では会では「破邪顕正」を勧めているという。これは文意から
明らかに信後の報謝行として勧められたのですよね。
信前のものは「雑行=破邪顕正」をしなさいと教えられた事はない
ということですね??
>>137 あなたが本当に五雑行を理解されておられるのならば
ずっとあなたが答えておられないこの問いにはやく答えてください。
>>563 その善とはいったい何ですか?
信前のものが後生の一大事の解決のためにやろうとしている善
ではないのですか?
その善が雑行でないというのなら聖人が化土巻に仰せの
回心・回向の善でないという根拠を述べて下さい。
>>137 あなたは「諸善」と一くくりにしておられるが、
これもまじめに相手の書かれたものを読まれていない
ことからくる誤謬です。
「諸善自体を廃されている」の諸善は、出世間善(解脱するための行道)。
「諸善は(微々たる)宿善になる」の諸善は世間善。
いいかげんに都合よく改ざんする性癖はおやめなさい。
人格疑われますよ。
ひさしぶさん、あなたがまだ答えられていない質問です。
親鸞聖人が信前に宿善をあつくしようとして諸善にはげまれた、
と主張されるならば、それほど大事な文証を親鸞聖人のおことばで
示してください。
あなたはいまだに答えられていません。
142 :
祭り大好き!!:02/11/09 00:16
>>134訂正
名無しになってしまいましたが、私「祭り大好き!!」ですたスマソ。
>>133 ①ということは、定散諸善は、機に相応してないわれわれが行ずるとと、自他に苦果
をもたらす(食べたら死ぬ)因になると解してよろしいでしょうか???
②③説き方の話でないことは了解。そうすると謗法である枝末煩悩の「疑い」は、阿弥陀様
の「お許しの機」ですからわれわれ人間の沙汰すべきことでないということでよろしいですね??
④では三学の器でないという実機を知らない(実際は三学の器でない)者がさせられる諸善は、
「汎爾に戒を保つ」と言えるのでしょうか???
⑤「ぼーっとしている」ことを救いに役立てようとする心=「ぼーっとしていれば救われる」
という心はその通りさしおかねばなりませんね。
⑥あなたは、今弘願に入られていますか?? 入られてなければ「方便に従ってない」という
ことでよろしいですね???
⑦機実は私が知る、知らないとに関らず事実ですよね???
>>822 >「要門に励みなさい」と指導したことはないですね。
>「善をしなさい」ですね。
この善は回心・回向の善ではないのですか?
はい、いいえでお答えください。
>>822 >化土往生は方便です。
なんですか?これは?
どうしてこれが「一切衆生 必堕無間」
を否定する根拠になるというのですか?
あなたは化土往生を否定する見解と理解して
よろしいか?
>>879 >聖道の修行を凡夫にすすめれば死んでしまいますね。
本当ですね。
あなたの会の歴史が証明していますね。
>ひさしぶりさん、
あなたは
「諸善と信心決定は良い関係である」と
おっしゃいました。
そのように主張なさるからにはきっと根拠があるのでしょうね。
諸善と信心決定は良い関係であるからおおいにやりなさい、
というお聖教上の根拠をお示しください。
>>144 訂正スマン
×・・・どうしてこれが「一切衆生 必堕無間」を否定する根拠
○・・・どうしてこれが「一切衆生 必堕無間」の根拠
>>122 >「真実法を信じる器を作る」のが俗諦である理由はありません。
その主張自体は通らないとはあえていわない。
しかしそのように主張することは、すでにあなたの奉ずる
仏教なるものが浄土真宗でないことを意味している。
そうでないといわれるのならそのような主張
「真実法を信じる器を作る」
を親鸞聖人か法然上人のご文からあげてみなさい。
149 :
名無しさん@1周年:02/11/09 00:55
>>140 >「諸善自体を廃されている」の諸善は、出世間善(解脱するための行道)。
>「諸善は(微々たる)宿善になる」の諸善は世間善。
元s改印さん、これはちょっと、勇み足じゃないかな…。過去世の出世間行も善
根=宿善ということになるだろうし、今生で浄土往生行を目指す浄土他流の行も、
宿善は宿善ということになるのでは? 真宗ではそれをすべて他力回向をもとに
照育と釈するので、自力行は廃されるわけだけど。
>>122 もし念仏のほかに余善を修せば、一向の義に背くべきものなり。
(西方指南抄上巻)
ひさしぶりさん、このご文は出世間善としての諸善を廃された意味
以外にどのように解釈されるというのですか?
151 :
ひさしぶり:02/11/09 01:14
>>136
ありがとう
>>138
>雑行=破邪顕正
そうではないですね。
>>139
>その善とはいったい何ですか?
質問がわかりません。
>>140
>「諸善は(微々たる)宿善になる」の諸善は世間善。
そういう話ではないですよ。SAさんが言っているのは
宿善の量的な話です。自分がわかってないんじゃないの。
>>141
>あなたはいまだに答えられていません
回答済み。唯信抄文意の御文に関してはあなたの反論を聞いていません。
152 :
ひさしぶり:02/11/09 01:14
>>142
>、自他に苦果をもたらす
いいえ、阿弥陀仏の19願ですから苦果はもたらしません。
できないのを知っておられて建てられた願です。
>沙汰すべきことでないということでよろしいですね
信前の者は三業以外の沙汰はできません。
>汎爾に戒を保つ」と言えるのでしょうか
雑毒でありますが、それしか人間にはありません。
>今弘願に入られていますか?? 入られてなければ「方便に従ってない」という
ことでよろしいですね???
>知る、知らないとに関らず事実
はい
>>149 ご教示ありがとうございました。
言葉がたりませんでしたね。回心・回向の善を廃するのが
真宗の義であると申し上げるつもりでした。
過去世の出世間行も照育という義によればおっしゃるとおり
善根=宿善といえますね。
どれほど諸善に励んでも照育が少なければ宿善は期待しがたいと申し
上げたかったのです。余善に専念していて一向専念できるはずが
ありませんから。
以上、謹んで上記のように訂正申し上げます。
本日はここまでにしておきます。
154 :
ひさしぶり:02/11/09 01:45
>>143
>この善は回心・回向の善ではないのですか?
違います。信心決定しなさい。報謝行をしなさいと言っているのです。
信前の者にいうことは「信心決定しなさい」ということしかありません。
>>145
>歴史が証明していますね。
あなたは「会の活動が原因で人が死んだ」ということを
言っているのですか?イエスかノーか。
>>144
上機の方のことを論ずれば戯論になります。
「二種深信のない信後のひとはいるか、どうか」でよろしいんじゃないですか?
>>146
唯信抄文意の御文で回答済み。
>>148
>親鸞聖人か法然上人のご文からあげてみなさい。
宿善について「口伝抄」のお言葉を以前にあげております。
155 :
ひさしぶり:02/11/09 01:45
>>150
>念仏のほかに
これが弘願である、といっています。
「経家によりて師釈をひらくに雑行の中の雑行雑心 雑行専心 専行雑心
また正行の中の専修専心 専修雑心 雑修雑心はこれみな辺地胎宮ケ慢界の
業因なるがゆえに極楽に生ずといえども三宝を見たてまつらず、仏心の光明は
余の雑業の行者を照摂せざるなり」(化土巻)
正行といえど自力であるかぎりは捨て物であり余善です。
行自体を廃されたと強弁されるなら当然五正行の行も信前は廃さねばなりません。
当然、要門自力の念仏もです。
156 :
名無しさん@1周年:02/11/09 10:46
>>155、
なんつーか、ものすげー詭弁だな。。。
157 :
祭り大好き!!:02/11/09 18:01
>>152 ①あれっ、以前には(前スレ450参照)、聖道門の『法華経』も、当然「できない」のは、
分かっておられたのに「在家」にも説かれたというのは取り下げということでよろしいでしょ
うか?? 聖道門は「できる」として「できる」機類に説かれたということですね?? しか
し、聖道門の機類も実在せずに実際に「できる」機類は実在しないと言われていたような???
それと「できない」ということは、要門は「機教不相応」ということでよろしいでしょうか???
②信前の者は、「三業の(罪の)沙汰をせよ。」或いは、「した方が良い」の意味でしょうか??
だとすれば、その根拠は何か???教えてください。
③「汎爾に戒を保つ」と言えるか言えないか? を聞いてるんですけど。雑毒で三学非器の者は、
「汎爾に戒を保つ」とは言えない(=宿善とはいえない)という見解と解してよろしいでしょう
か????
④-1 弘願には入られてないと解してよろしいか???前スレ294の>私は仏様の方便に従っ
ただけですが・・・は「取り下げ訂正」ということでよろしいでしょうか????
④-2 われわれが、三学非器であるというのは、われわれが、知る知らぬとに関わりなく、厳然
たる事実であるということでよろしいでしょうか????
158 :
祭り大好き!!:02/11/09 18:06
>>157 訂正 ①誤り ・・・「在家」にも説かれたというのは
正解 ・・・「在家」にも説かれたと主張されてましたが、この説は
159 :
祭り大好き!!:02/11/09 18:22
>>122 あれっ! 無宿善の機に要門を勧めるのは、無宿善の機の前において正雑二行の沙汰
をすることになるのではないのでしょうか???? (s会が特に好きそうなw)『
御文章 三帖・十二』の「手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、もって
のほかの当流の掟にあひそむけり。」ということになるのではないでしょうか????
160 :
名無しさん@1周年:02/11/09 18:53
>>157 >①あれっ、以前には(前スレ450参照)、聖道門の『法華経』も、当然「できない」のは、
450 :ひさしぶり3 :02/10/29 22:18
あと「法を説くことは在家のすることではない」ということ
に関して反証をあげておきましょう。
自力の出世本懐経は法華経ですが(これにも異論が
あるようならまた後ほど)、当然弘教、解説は説かれています。
「若し人一の悪言を以って、『在家』、出家の、法華経
を読誦する者を毀・(きし)せん、其の罪甚だ重し。」
「薬王、多く人有って、『在家』、出家の、菩薩の
道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し、読誦し、
書持し、 供養すること得ること能わずんば、当に知る
べし。是の人は、未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。
若し是の経典 を聞くこと得ること有らん者は、
乃ち能善く菩薩の道を行ずるなり。」(法華経)
「難信難解第一の法華経」でさえ出家のためだけ
ではなく「在家」にも説かれているのです。
当然「できない」のは分かっておられたのに
釈尊は説かれたのです。
「機にあわない法をとけば善でも悪因になる」というのが
いかにでたらめか、これだけでもわかるでしょう。
161 :
前スレ引用:02/11/09 18:55
>>157 >④-1 弘願には入られてないと解してよろしいか???前スレ294の>私は仏様の方便に従っ
ただけですが・・・は「取り下げ訂正」ということでよろしいでしょうか????
294 :ひさしぶり5 :02/10/23 03:13
>>193
>何故「物を分別し」が「(真如・無為法の)真実の法を知る」の意味
になるのかも再度お尋ねします。
誰がこんなこと言った?「知る」という言葉は必ずしも信後のこと
を意味しない根拠は先に出したとおり。
>>198
>「18願の誘引する方便」といってみたり、
「諸行往生の方法(方便)」といってみたり・・・。
ひとの言葉尻のケチつけるのがすきだねえ。
「定善の観法が極楽浄土を見る方便」という使い方を
「山辺師赤沼師」もしているからケチつけてみたら?
衆生の取る方法が仏さまの導きとは違うということ
ですかね。私は仏様の方便に従っただけですが
あなたはほかのことしたのですか?
162 :
祭り大好き!!:02/11/09 18:55
>>157訂正
①に加筆。 「機教不相応」の教門なら、「機教相応するをまた称して「是」となす。
ゆゑに如是」(『序文義』)の教門とは言えないということでよろしいでしょうか???
163 :
前スレ引用:02/11/09 18:56
164 :
祭り大好き!!:02/11/09 18:59
165 :
名無しさん@1周年:02/11/09 23:29
ジャンヌに出てくる「はははのは」氏って
ひさしぶり氏とよく似た横柄な答え方をするが
同一人物なのかな??
166 :
名無しさん@1周年:02/11/09 23:49
>>165、
さあどうだろ。熱心な減益にはs会的人格パターンがコピーされるんじゃ
ないの。そっちの方が怖いが(w。
167 :
名無しさん@1周年:02/11/10 01:15
>>165 「法戦に勝つためのマニュアル」に基づくらしいです。このマニュアルは
回腸先生自らの作?らしくごく一部の幹部しか持っていないらしい。
極秘入手したので特別公開しましょう。
1)相手を早くから罵倒、無知、愚痴呼ばわりしてダメージを与えるべし。
2)相手の意見は内容を相手が気が付かないように微妙にすり替えつつ、
教学に無知なギャラリーがみたときに最後にはあたかも相手がとんでもない意見を
主張しているかのように思う風にもっていくべし。たとえ相手が気が付いて軌道修正
したとしても何度でも相手が嫌になって舞台から去るまでまで繰り返すべし。
3)相手を油断させるべし。はじめは教えを請うように殊勝に振る舞い、
次第に偉そうな態度に出て、相手を動揺させ、最後には大上段に振る
舞い相手を罵倒せよ。最後には初心者に教え諭すように終わるべし。
4)負けそうになったら伝家の宝刀、「一念の水際」にもちこむべし。そしてさも自分が
信心決定しているかのようにふるまい、「未信のあなたには所詮わからない境地なの
です」とかいってなにか教文を引用しなさい。そしてカンラカラカラと高笑いすべし。
部外者にはあなたが勝ったようにみえることでしょう。
5)敗色が濃くなってきたら相手に下品でもなんでも良いのでショック発言を
浴びせて相手に討論を続行する気力を失わせるべし。
6)何しろ真実を開顕しているのですから負けは断じてゆるされません。卑怯といわれ
ようと嘘つきと呼ばれようと、聖使命のまえにはみな方便となるのです。決して罪悪感
を感じる必要はありません。なんといわれようが相手を罵倒して討論の場からひきずり
おろすべし。「無知なギャラリーがざっと見た時にあなたが勝ったようにみえること」
これが肝要であることを肝に銘ずるべし。
7)専任子牛が法論で負けたら粛清の対象になるべし。どんなに相手に非難され
ようとも、どんな手段を弄してでも最低引き分けに持ち込みなさい。負けたならば
s会の和を破った事になり、五逆罪です。そして法謗の大罪を犯した事にもなります。
むろん処分は除名です。以上。
>>167 これ、マジですか?
それとも会員の言動から帰納して考えたものですか?
169 :
名無しさん@1周年:02/11/10 01:31
>>167 元sだが、これはありえないと漏れは思う。
あくまで、私見。
170 :
名無しさん@1周年:02/11/10 01:45
会長先生が、ギャラリーなんて言葉使われると思う?
ガセでしょ、これは。
でも、内容はその通りだなw
>>167 もしこんな文書があれば、
s会の詐欺性を主張して裁判でも勝てるかもしれないという代物だな
167オモシレー!
少なくとも今やっている事はそんな空気が流れているよなぁ?
ざっと見たときの「見所」によっても違うと思うけど。
新人太郎とか抜粋するとそうなるみたいだし。
漏れは教学≒0だけどここでの議論はざっと見
拮抗もしくはひさしぶりやや不利に見える。
着眼点の問題かもしれんが、質問のいくつかをやり過ごしたり
話のすり替えを行ったりしてる疑惑があるのでね。
いや、祭り大好きとか
>>167とか承知してて、それが出来ないように
布石してるのかも。だとしたらイイ!なぁ
174 :
名無しさん@1周年:02/11/10 03:22
>>173 459氏も議論のすり替えを徹底的に防ごうとしたのに
何回も最初の問題点から動かないように頑張ったのに
防ぎきれなかった・・・
詭弁の力たるや恐ろしい。
>>167 インタビューでおなじみ(???)、名無しさん@1周年です。
みなさ~ん、お騒がせしてすみませんでしたm(_ _)m。
>>170 >ガセでしょ、これは。
その通りっす。ジョークでした。
インタビューは無視されたけどこれは反響があったからうれしい(w
176 :
名無しさん@1周年:02/11/11 00:33
s会のみなさん、法論負けたんですか?
認めるなら、そういう発言くらいしなさい。
顕正新聞の
>外道邪教、群賊悪獣、悪僧たちも、教義安心の法論では、
>とても真実に太刀打ちできないのは承知しているようだ。
> だからせいぜい、根拠の無いデマを飛ばすのが関の山。
>聞法の敗残者も、愚痴を言い散らして去っていくのみ。
177 :
名無しさん@1周年:02/11/11 00:33
太刀打ちできないのはどっちさ(w
178 :
名無しさん@1周年:02/11/11 01:18
s会原液子牛のみなさん、11月末の教学講義で
世間善と出世間善の違いを質問してみてください。
お願いします。
179 :
ひさしぶり:02/11/11 20:59
質問を省略せずに書いていただけますか?
質問がわからないと解答できません。こっちが質問しちゃいけないと言ってるのだから、
それぐらいはやりなさいよ。
>>157
>聖道門は「できる」として「できる」機類に説かれたということですね??
違います。
>要門は「機教不相応」
「修諸功徳で助かる」というのが「機教不相応」であることを
知らされるのが要門です。
>「した方が良い」
それしかできない、ということです。
> 戒を保つ
人間は、そういう戒の保ちかたしかできないのです。
「宿善になる」といっています。
>「取り下げ訂正」
なんで取り下げなんですか。こんなところで答える必要ないことだよね。
君たちは顕正新聞読んでても「会には信心決定したひとがいない」って言って
いるひとたちでしょ。私が「信心決定した」といっても
「してない」といっても嘘かホントかもわからないひとたちじゃない。谷口みたい
に弁論で「信心決定したー」ってさけべば信じるのか
い?バカみたい。私は御法座会場で何人も
真実信心のひととあいさつかわすけれど君たちには見えないのは御縁がない
からでしょう。懐疑会員と言っているひとたちは自分の御縁のうすさを恥じなさい。
> 三学非器
逆謗であるといっています。
> 掟
無宿善には説いてはいけない、ということから考えるとここに
書き込みするのもやめたほうがいいのかもしれないですね。
>>167
こんな誹謗中傷ばっかりだからね。ジョークじゃないよ、ただの中傷、悪口。
180 :
名無しさん@1周年:02/11/11 21:23
なんかさあ、s会の人達って辞めた人のことを敗残者とか堕落者とかいうけどさあ
あんたらアニメとか売りまくってる割には自分たちが比叡山の聖道門の僧侶みたいなこと
言ってるって分かってるのかなあ。
こんなこと言うと「じゃあお前が親鸞聖人か」とか思いっきり予測できるチョー頭悪い
反論してくると思うけど・・・、別に山を逃げ出した無名の修行僧でもいいよ。
そういうものに対して聖道門の人間がとった態度に対して
親鸞聖人は何とおっしゃっているのか、もう一度良く思い出してみては如何?
181 :
祭り大好き!!:02/11/11 23:06
>>179 ①>質問を省略せずに書いていただけますか?
さて、何のことでようか?? あなたの回答のうちの該当部分を(上のように)引用
せよ。の意味か??はたまた加筆訂正した部分のことでしょうか??? それと質問
してはいけないといっているのではなくて私が先に質問しているのですから先に質問
に回答してください。と言ってるんですけど・・・。未回答の質問もかなりありますね。
②>違います
聖道門は、例の喩えで言えば、われわれ凡夫が食べたら死ぬということは、食べても死なない
機類の実在が前提だと思ったのですが違いますか?? 一切衆生ができない(食べたら死ぬ)
ということでしょうか??? だとすれば、十九願は、われわれができないのを知っておられて
立てられた願だから、できないけれど食べても死なないが(
>>152参照)、聖道門もできないこ
とを知っておられながら説かれたにも関わらず一切衆生が食べたら死ぬということでしょうか???
そうすると一体誰の為何の為に聖道門は説かれたのでしょうか????
③>知らされるのが要門です。
「修諸功徳で助かる」というのは、前スレ895の「自力諸善で往生しようとしている」と同じことと
解してよろしいでしょうか??? そうするとこれ(「修諸功徳で助かる」)は、要門ではないという
ことでしょうか??? だとすれば何門でしょうか???? それともやはり要門でしょうか???
その場合だと、『「要門で助かる」というのが「機教不相応」であること知らされるのが要門です。』
ということになるのでやはり要門は「機教不相応」ということでよろしいでしょうか????
>>128 この質問はまだお答えをいただいておりませんので宜しくお願いします。
わたしは要門の要は「かなめ」という意味であることを根拠をもって
既に申しました。親鸞会はこの「要門の要は必要の要である」という
解釈であることは同意なされたのでしょうか?。
ひさしぶりさん、もし「要門の要は必要の要である」というご意見ならば
その根拠を示していただけますか?
>>135 これもおそらくお答えいただいていないとおもうのですが?
よろしく御願いします。
183 :
祭り大好き!!:02/11/11 23:33
>>179の続き
④>それしかできない、ということです。
ほう、「謗法罪」だの「五逆罪」だのとの「罪の沙汰」は、われわれが本能的に
していることでしょうか???? でなければ、「したほうが良い」のでなけれ
ばする必要ないのでは????
⑤>人間は、そういう戒の保ちかたしかできないのです。
>宿善になるといっています。
「そういう戒の保ちかた」というのは、
>>152によると『「雑毒である=清浄でない」戒
の保ちかた』の意と解してよろしいか?? だとすると前スレ815の『「清浄に戒有る者」
は汎爾に戒を保つ汎爾の宿善』という解釈は採らないと解してよろしいでしょうか???
そうすると、「宿善になる」の根拠は何でしょうか????
>>133 >「念仏称えているから助かるだろう」と思っているのも雑行雑修ですが、
これは許すのですか?
どうやら「自余の浄土宗はもろもろの雑行を許す」という見解は
認められるようですね。ついでにs会も、もろもろの雑行を許す」
とはいわれないのですか?親鸞聖人は善導大師、法然上人が教えら
れた正定業と助業からなる五正行をさらに専修、雑修に分けられました。
雑修とは正定業と助業を兼行して修行する立場です。
聖人は雑修をさらに専心と雑心に分けられたと、以前申し上げました。
雑行雑修を許すことは雑行のなかの雑行雑心、雑行専心、専行雑心、
雑修雑心、すべて辺地胎宮、懈鬘界の業因であるが故に化土往生を
勧めることのなって浄土真宗でなくなってしまいます。
しかし、一向に弥陀に専念すれば雑行雑修の自力の心は廃ります。
専修のひとをほむるには千無一失とおしえたり
雑修のひとをきらふには万不一生とのべたまふ(高僧和讃)
こころはひとつにあらねども雑行雑修これにたり
浄土の行にあらぬをばひとへに雑行となづけたり(高僧和讃)
>>154 了解致しました。親鸞聖人も法然上人も「真実法を信じる器を作る」
教えは教えられないということですね。
>>151 >>138>雑行=破邪顕正>そうではないですね。
せっかくお答え頂いたのですが、「そうではないですね」のお返事では
よくあなたのおっしゃりたいことが理解できません。改めて伺います。
あなたは「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」のお言葉
から破邪顕正が勧められ、信前にやれば(破邪顕正は)雑行であり捨て物
です、と一方では主張される。しかしもう一方では会では「雑行をしなさい、
雑修をしなさいと教えられた事はない」と主張されました。
ですから信前のものに対して「雑行=破邪顕正」をしなさいと教えられた事
はないのですか、と問うたのです。
「そうではないですね」というお答えはあなたが信前のものに
「破邪顕正」を勧めるように教えていないと理解してよろしいですか?
>>151>>質問がわかりません。
失礼致しました。これです。
>「善をしなさい、光に向かいなさい、そうしないと信仰は進みませんよ」
とはいつも教えていただきます
というあなたの主張に対して次の質問をおたずねしたのです。
その「善」とは一体何ですか?
信前のものが後生の一大事の解決のためにやろうとしている善ではないのですか?
その善が雑行でないというのなら聖人が化土巻に仰せの回心・回向の善でない
という根拠を述べて下さい。
>>151回答済み。唯信抄文意の御文に関してはあなたの反論を聞いていません。
この唯信抄文意のご文は一般にはs会とは異なり遠宿善としてとらえられて
いるのではないでしょうか。遠宿善とは弘願他力の法に疎遠な機類が、微小の
善から聖道門の教法を修行するまでを総じていい、ついには浄土門に帰入すべ
き因縁になるものをいいます。末灯抄14を拝読いたしましてもそのように解釈
されますね。それとこのご文はあなたのいわれる「諸善と信心決定は良い関係
であるからおおいに諸善をやりなさい」といわれる根拠としても弱いのではな
いでしょうか?以前申し上げましたように、「大菩提心起こせども自力かなわ
で流転せり」で「過去世において自力の修善がことごとく出世間のためには役
に立たなかった」のですから。また近宿善とは、たとえば観経定善義に善導大
師がいわれる「此の人過去にすでにかつて此の法を修習し、今重ねて聞くこと
を得て即ち歓喜を生ず」といわれる通りです。
「知識は人を高ぶらせるが、愛は造りあげられる」ってどうゆう意味??
>>154 >>>「要門に励みなさい」と指導したことはないですね。「善をしなさい」ですね。
>>この善は回心・回向の善ではないのですか?
>違います。信心決定しなさい。報謝行をしなさいと言っているのです。
信前のものには報謝行はできませんよね。あなたの主張は信前のものに対して
「諸善をしなさい」と勧める見解ですか?そうではないのですか?はっきり
させて下さい。あなたの会では宿善になると称して信前のものに宿善をあつく
するために「諸善をしなさい」とすすめているのではなかったのですか???
>あなたは「会の活動が原因で人が死んだ」ということを言っているのですか?
イエスかノーか。
自因自果の仏教のみ教えからすれば、「会の活動が原因」というのは誤り。
しかし、会の活動が「人が死んだ」縁になった、という見解です。あなたは
>>295(前スレ)において
>定散二善のできる者など、おりません
と言われました。また、
>やればできると思っているものにはやらせてみてできないことを知らさせる善巧方便です
とも言われました。一見もっともらしく聞こえますね。
しかし、結局あなたも「破邪顕正や財施」の聖道門の散善を如説修行できる者は
いないという見解であることになりませんか?もちろん信前において破邪顕正は
あなたがたのいわれる報謝行とはなりえませんよね。会の活動が縁になって命を
落とされた方々は、自力で仏の方便に従える機根であったとあなたは主張される
のでしょうか?
>上機の方のことを論ずれば戯論になります。
>「二種深信のない信後のひとはいるか、どうか」でよろしいんじゃないですか?
報の浄土の往生はおほからずとぞあらはせる
化土にむまる衆生をばすくなからずとおしへたり(高僧和讃)
>「すくなからず」の方々はみな上機を意味するという解釈でよろしいですか?
189 :
NB@むかついたんで思わずカキコ。 ◆MqZut9KezY :02/11/11 23:48
>>180 同意。>179のカキコを見る限り、個人的には急速に興味を失っちゃったね。
「信心」で人を裁くたあー。レスの流れはよく知らないけど
終わってるよ。恥ずかしいね。もう、なんつーか。三願について
とやかく言う以前の問題と思う。恥を知ってほしい。マジで。
こんなのがs会とやらのプロパーなのか???買い被ってたよ。
190 :
祭り大好き!!:02/11/12 00:21
>>179の続き
⑥>なんで取り下げなんですか
これは、失礼しました。
>>152の「はい」は、
>>142の「弘願に入られてますか?」の部分に対する
ものということですね?つまり「弘願=他力信に入っている」ということでよろしいですね??
あと、これは誰に対するレスなんでしょうか?? 私は「会には信心決定したひとがいない」などと
一度も言ってないんですけど・・・。それについては、私は親鸞会とはご縁も薄くわからないとしか
言い様がありません。知らない固有名詞(谷口さん)出されてああだこうだ言われても全く何のこと
だかわかりません。それと私は、懐疑会員でもありませんし、人たちとか、君たちって何の集団を指し
て言われているのでしょうか????
⑦>逆謗であるといっています。
逆謗であり当然「戒・定・慧」の三学の器でないわれわれが、どんな保ちかたであれ、そもそも「戒を
保つこと」ができるのでしょうか????
⑧>書き込みするのもやめたほうがいいのかもしれないですね。
蓮如上人の言われる通り「無宿善の機」に勧化するのは「もってのほか」ということでよろしいですね???
191 :
名無しさん@1周年:02/11/12 00:21
ひさしぶりさん
>>179 >>自分の御縁のうすさを恥じなさい。
頂いている御縁を恥じろなんて、とんでもないことをいいよるのう。
あんた、御縁を自分の力だと思ってるからそんな発言をするんじゃ。
ひとを罵倒してばかりでなく、もっと真面目に聴聞しなさい。
何となく祭り大好きサイド有利かなぁ…
ここがポイントかなという所があるんだけど、それを言うと
逆手に取られそうなのでだんまり(w
193 :
名無しさん@1周年:02/11/12 00:30
ひさしぶり氏の発言がほとんどなくなってきました。
最初の勢いは何処へ行ったのでしょうか。
>書き込みするのもやめたほうがいいのかもしれないですね。
>こんな誹謗中傷ばっかりだからね。ジョークじゃないよ、ただの中傷、悪口。
退却準備と思われる発言。
まるで出国した北朝鮮の2人のよう・・・
>>350(旧スレ、スマン)
ひさしぶりさん、親鸞会では後生の一大事の解決は人生の目的である、
と説いています。そして後生の一大事とは「一切衆生 必堕無間」のこと
であるといいますね。一方親鸞聖人は、こう仰います。
横超とは易行道之教なり。
欣求をもって本となす、何をもっての故に、
願力に由りて生死を厭捨せしむるの故なり。(愚禿抄 上巻)
そして聖人は、厭離穢土は聖道門の教えである、と言われます。
源信僧都はたしかに厭離穢土 欣求浄土と厭離穢土を先に説かれておられますが、
それは僧都が聖道門のご出身であられたからでしょう。あなたの会における
「後生の一大事の解決は人生の目的である」という教え方は
「欣求をもって本となす」教え方と矛盾しない、という見解でしょうか?
195 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 00:56
愛欲をもつてのゆゑにすなはち欲界あり。
攀厭禅定をもつてのゆゑにすなはち色・無色界あり。この三界はみなこれ有漏
なり。邪道の所生なり。長く大夢に寝ねて出でんとねがうを知ることなし。この
ゆゑに大悲心を興したまへり。「願はくはわれ成仏せんに、無上の正見道をも
つて清浄の土を起して三界を出さん」と。@論註
ぎゃくほう?むしゅくぜん?知らんね。んなもん。ひさしぶりさん。あんた知ってるのか?
>自分の御縁のうすさを恥じなさい。
あんたねえ。なんで、会員が会に懐疑点抱くかわかってんの?
s会の組織があまりにもちゃらんぽらんだからだよ。
上層部が浄財使い込みの上不倫していて、それでもって、
幹部仔牛は尊いから尊敬せよだあ?
そりゃ、誰だって疑問点懐くわ。
教学以前の問題だよ。それって。
あんたの人間性と知性の欠如にも問題あるがな。
>>179
197 :
名無しさん@1周年:02/11/12 01:07
おー、久々のキレるNBさんだー。いいねえー。
ご遠慮なく、もっと発言してください。
198 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 01:14
あああ、度重なるご歓迎涙でそうです。
>>194 源信僧都には『往生極楽偈』もありますよね。
ありゃあ。まぎれもなく欣求が先だと思います。
199 :
名無しさん@1周年:02/11/12 01:15
いや私はNBさんファンなのです(w。
200 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 01:18
なんまんだなんまんだ。
>>198 NBさん、ご教示ありがとうございました。
わたしもあなたのファンですのでぜひもっと登場して頂きたいものです。
202 :
前スレ引用・・・:02/11/12 01:19
>>194 元s改印さん、旧スレからの引用を所望されてるんですか?
えーと、前スレ・前々スレの、350発言は、それらしいもの
ではないのですが、よろしいのでしょうか・・・。
必要となさらないなら、本カキコに対するレスは結構ですよ。
ちなみに、前スレ350:祭り大好き!! さんの発言
前々スレ350:一茶さんの発言 です。
203 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 01:21
重ねてありがとうございます。ドキュですけど、よろしくお願いします。
>>202 いつもご親切にありがとうございます。
おはずかしながら、仰る通りですね。
すみません、自分で調べてみます。
205 :
名無しさん@1周年:02/11/12 01:27
>>203、
どこが「ドキュ」やねん(w。
真宗学的にも、いっぺんガツンとかましたってください。あんまりおかしい
ことを言ってますから。
>>203 レスありがとうございました。
NB さんがドキュなんて、誰も思っていないと思いますが(笑)。
では、私はそろそろ寝ます。みなさんお休みなさい。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
207 :
名無しさん@1周年:02/11/12 01:40
>>204 いえいえ、とんでもございません。
いつも、勉強させて頂いております。それでは。
208 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 01:48
いえいえ、このスレの他のコテハンさんのほうが、よっぽど真宗学を勉強なさってると思います。
こっちはお念仏を使って人をバカにするような人間に一言なりとも噛み付かずにはおれないだけで。
まあ、それについてはみなさん同じなんだろうと思いますけど。ようやく、そのへんが少しわかって
きたような気がします。
はい、ぼくも今日は落ちますわ。でも少なくとも、ひさしぶりさんとやらだけは
絶対叩きたい。小一時間問い詰めたい。実は過去スレ保存してないんでいまいち
流れが分かってないんですけど、またどなたかご協力お願いします。
おやすみなさい。
210 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 03:33
いま、このスレだけでもと思って読み返してみてますけど
まあ、なんつうか。
信前・信後の判定は一体「誰」がするんでしょうか。
いや、s会の教義がいまいち分からんもので。。。
もしかして凡夫の「自覚症状」みたいなものとして判定できるものなのですか?
実はつい最近s会の人とリアル世界でお話する機会があったんですけど
昔のやり方(教学?)と今は違う。みたいなお話ではっきりできなかったんで、
確認したいのですけど。
211 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 03:42
ああ、いや、「歓喜正因」とかそういうことを聞きたいのじゃないんですけど。
まあ、初歩的な質問でスマソ。
212 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 08:30
うーーーん。書き方悪かったね。
ひさしぶりさんをはじめs会の方にお伺いします。
信前・信後の判定は一体「誰or何」がするんでしょうか。
マジではっきりしたとこを聞きたいっす。
213 :
名無しさん@1周年:02/11/12 08:45
86歳の母です。
親鸞を尊敬していたのですがいつの間にか入信してしまいました。
もう年なのに何時間もかけて富山へ行きます。
身体のことも心配です。
この宗教を信じて安らかにいられるのかどうかわかりませんが
信じている人は幸せですか?
214 :
ひさしぶり:02/11/12 08:57
ためしてみようかな。
「あなたたちのためにならないと思いますので、同じ主旨の書き込みなら
今後返答いたしません。」
「嫌気がさしました。」
「あんまりお答えする気持ちが起きません。」
たっぷり批難してやってください。
215 :
名無しさん@1周年:02/11/12 10:48
おーい、ひさしぶりよ。お前のこと言われてるぞ。
196 :懐疑原液 :02/11/12 01:03
>自分の御縁のうすさを恥じなさい。
あんたねえ。なんで、会員が会に懐疑点抱くかわかってんの?
s会の組織があまりにもちゃらんぽらんだからだよ。
上層部が浄財使い込みの上不倫していて、それでもって、
幹部仔牛は尊いから尊敬せよだあ?
そりゃ、誰だって疑問点懐くわ。
教学以前の問題だよ。それって。
あんたの人間性と知性の欠如にも問題あるがな。
>>179
216 :
名無しさん@1周年:02/11/12 11:05
>>214は別人ですよね・・・。
そう信じたい。間違ってもs学徒がこんなこと発言しない「はず」ですもん。
217 :
名無しさん@1周年:02/11/12 12:01
>>211、
ああ、秘事法門ではないですよ(私は元ですが)。
「凡夫の自覚症状」が決めることになっています(w。その「自覚症状」が
なぜか(つーか当たり前だけど)、会ではとても稀少ですがね。
218 :
名無しさん@1周年:02/11/12 14:56
ひさしぶりさんへ
貴方、その人に対して答えるときの態度改めた方がいいと思います。
ここのスレッドは多くの現役(バリバリ、懐疑共)も見ています。
貴方が親鸞学徒としてあるまじき態度を取れば、彼らの仏縁にも関わってくるんですよ。
貴方は本当に現役の親鸞学徒ですか?そのわりには我利我利の態度がありありと伝わるのですが・・・。
何よりも人の仏縁を大切にするのが親鸞学徒だと高森先生から教えて頂きましたので、
ここまで、書かれて貴方が態度を改めないのなら、貴方は似非だということが証明されます。
一懐疑現役より
219 :
NB ◆MqZut9KezY :02/11/12 15:22
>>214 ぼくに向けたレスじゃないのかもしれないけど、一応。
ひさしぶりさんを「叩く」だのなんだのと、恐ろしい言葉を
使ってしまったことは、反省してます。ごめんなさい。
お詫びします。
ぼくが揚げ足をとっていちゃもんをつけてるように
感じられたならば、少なくともぼくの意識としては
揚げ足をとって喜ぶ/貶めるつもりはありませんよ。
だから、こっちのほうに誤解があるならば、そうと指摘して
くれりゃあ、ぼくもありがたい。
まんざら誤解でもないのならば、「ためす」なんて、
それこそいらぬ誤解のタネだと思うんだけど。
>>217 おお、ありがとうございます。
なんか、、やっぱマジっすか!って感じでますます分からなくなってきました。
本願寺派的にも、古典的な(笑)s会関連の話題ではあるんですが。
歓喜って、一体何なんでしょうね。
>179でひさしぶりさんのいう「信心決定」って、一部日蓮系宗教団体がやかましくいう
「現証」に関する言い方とそっくりに見えちゃうんですけど。
信を得ても、喜ぶのも頭が下がるのも如来と善智識の前だけだとするなら、なんだかなあ。
そんなふうに感じてしまいますね。
まあ、やっぱり、しばらくROMに戻ります。みなさまありがとうございます。
>>219 私も本派だが、「信心で人を裁く」ことは本派の一部でも行われているから、
叩くなら、そっちの方が先だろうと思った。
で、その一派が採用している教義と親鸞会の教義とは、類似している部分が
ある。言動まで似通っているのが、興味深い。
親鸞会は浄土真宗の異義分類では、一念覚知と知識帰命だろう。歓喜正因
ではない。秘事でもない。
獲信は「自覚」だと言われているけれど、ハッキリしたそれが「真実信」かどうか
は、善知識が判定する。善知識の承認がなければ、偽の獲信と見なされる。
だから、判定者は唯一絶対の善知識でなければならないし、当然、無謬の存在
だ。これによって「破邪顕正」も親鸞会は「正」でありそれ以外は「邪」と機械的に
設定できる。ちなみに、大乗仏教の菩薩行は自利利他円満でなければならない
から、「破邪顕正」は対論者を怒らせてもいけないし、自分が怒りを抱いてもいけ
ない。すべて清浄におこなわなければ、布施波羅蜜のひとつ法施にならない。
法施ではない行為を法施と騙るのは、仏法を盗み取る悪行だ。
親鸞会の方々に申し上げたいのだが、親鸞聖人は「信罪福心」を放棄せよ、と
書かれている。「信罪福心」は、世俗向けに改変された「因果の道理」のことだ。
善因善果・悪因悪果・自業自得。これを信じる心を手放せと言われている。この
ことをどう考えますか? 因果発無の外道説だと否定する?
221 :
元s改印 :02/11/12 19:47
>>220 罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは
疑心の善人なるゆえに 方便化土にとまるなり (正像末和讃)
にありますよね。『教行信証』ではどうなんだろ?
>>214 ひさしぶりさんのファンであった私としてはこのようなご発言はショックです。
親鸞学徒として無上仏の大慈悲を体現なされる会長先生のお叫びをお伝えしなくては
と日々思っていますがいかんせん教学がまだありません。
ぜひ法謗の輩や聞法の敗残者たちを破邪の利剣でたたきのめしてください。
224 :
名無しさん@1周年:02/11/12 22:02
>>214 ひさしぶりさん。あまり親鸞学徒の品格を貶めるような発言しないで下さいな。
>>223のような、真面目な現役の仏縁に関わってきますよ。
225 :
名無しさん@1周年:02/11/12 22:07
>>224 揚げ足を取るわけじゃないけど、223さんの
「ぜひ法謗の輩や聞法の敗残者たちを破邪の利剣でたたきのめしてくだ
さい」というのも、あまり「親鸞学徒の品格」を感じないけど(w。
>>225 同意。
彼らにとっちゃ相当邪魔みたいね、漏れたちのことが。
227 :
名無しさん@1周年:02/11/12 22:19
つーか、分かったぞ。
>>214のひさしぶり氏は、論理的に応答しようとせず、教学的根拠も挙げようと
もしない現役さんたちに対してうんざりした、ジャンヌでの猫はいだら
け氏(SA氏)の発言を、文脈無視してコピペしている。
つまり
>>223-224etcは、一種のサクラじゃないか。しばらくこういう声を集めて
おいて、転じて猫はいだらけ氏非難にもっていこうって腹じゃないか。
猫はいだらけさんのこの発言が正当かどうかは、ジャンヌで上に上がっている
スレを見て、個々人が判断してください。漏れは、うんざりするのが当たり前
だと思っている。
>>225 そうだね。親鸞学徒ってもともと人としての品格が劣ってるのか(w
ちなみに私サクラじゃありません。懐疑現役です。
229 :
名無しさん@1周年:02/11/12 22:27
>>228 そりゃ失礼しました。223さんは名無しで書き込まれてたから、ちがう
かもなとは思ってました。「現役A」さんは、ちと臭う(邪推だったら
ゴメン)。
230 :
名無しさん@1周年:02/11/12 22:28
失敬、224さんのマチガイ。
231 :
名無しさん@1周年:02/11/12 23:26
ひさしぶりさんは、
本会的な立場でみれば、「呆戦1」において
捨てぜりふ、すなわち自らの敗北を認めて口をつぐんでしまった
わけですね。始めの勢いは何処へやら・・・
で、よろしいか。
232 :
名無しさん@1周年:02/11/13 00:28
漏れは古い会員だけど
NBさんが「叩きたくなる」気持ちになった理由には非常に
共感できる。ひさしぶり氏のような
「お念仏を使って人をバカにするような」人間が許せなかったのだし、
仏様の広大難思のご縁を謗っているように思われたのでしょう。
でも、思いなおされて「名利の大船」の煩悩に負けないで
あのようにお詫びなされている。なかなかまねできないことだよ。
誰かさんとちがって、非常に真摯なお人柄をひしひしと感じるね。
おそらくs会バリバリ現役は、「慰安人がなにいっているのだ」とか、
見下げているのではないのでしょうか?そして「あんたはだめだ、漏れは正しい」と
主張することが廃立と思っているのでしょうね。
いくら真実を明らかにしようとしても他人を見下げて罵倒していては
(漏れも今回はひさしぶりの負けとは思うが)真実は伝わらないよ。
漏れも、「他人のふりみてわがふり直せ」を肝に銘じたい。
まぁ214は偽であるということにしつつ
続行?
いや、このまま書き込み停止したらそれはそれで面白いけど(w
ひさしぶり氏の対応に過去の自分を見たのは私だけではあるまい。
げに恐ろしきはカルトの呪縛かな。俺も未だに「かくあらねばならない」的
思考をしていることがある。目的を遂行するためにはいかなる手段も正当化
されると考えがちな自分がいる。本当に怖いことだ。
今では貴重な仏縁を結んでいただいた高森先生を恨みに思う心はないが、
会としてのあり方にはやはり大いに疑問を抱く。獲信しても過ちを犯す
凡夫の本質は何一つ変わらないことを改めて知らされます。自戒を込めて
カキコしてます。
235 :
名無しさん@一周年:02/11/13 22:35
今日は静かでつね
>>222 化身土文類の要門釈の引文などではないかと。
できれば、親鸞会の教学に詳しい方に、弘願門での「因果の道理」を説明して
もらえると嬉しいのですけれど。たとえば、如来の善行の果徳を「私」に施与する
ことができるのはなぜか、とか。これ、自業自得の原則に反していますよね。
238 :
名無しさん@1周年:02/11/14 01:15
>>237 詳しくはないけど。書き逃げになるかな?(w
それは、因果の道理を超越する、と現役時代、教学講義で
お聞きしましたよ。
弥陀の大願業力だけが、因果の道理を超越している、という
ことだったと思います。
唯一の 他因自果 ということでした。
>>238 なるほど。レス、ありがとうございました。
でも、その説明では駄目だと思います。
浄土真宗(弘願門)は仏教ではないと宣言しているようなものですから。
240 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:56
>>239 では、どのように説明すればよろしいのでしょうか?
よろしかったら、お教えください。
241 :
名無しさん@1周年:02/11/14 19:51
>>236 昨日はマタ-リスレが荒れてたからね・・・。
242 :
ひさしぶり1:02/11/14 20:02
>>227 >論理的に応答しようとせず、教学的根拠も挙げようと
もしない
>>214 この発言は教学的根拠をあげて発言していたひとに
対して、論議を打ちきりにしたSA氏の発言だよ。
2chにはジャンヌファンが多いからどういう批難が
出るのか拝見させていただきました。
茶畑というひとも都合悪くなると
自分から論議を打ちきりにしていましたね。
2chの教学的背景なんてこんなもんだということ
ですよ。
>うんざりするのが当たり前。
ふーん。発言は正当ということですね。
自分たちは何言っても正当。
恥しらずの恥かかずですな。
243 :
ひさしぶり2:02/11/14 20:03
>>157
>聖道門は「できる」として「できる」機類に説かれたということですね??
質問が意味不明なので見当をつけて答えさせていただきますが、
すこしわかりやすく文章を書いていただけないでしょうか?
あっちこっち参照しながらお答えしてていますが、なんで
こういうことになるのかよくわかりません。
私の書いた文章が矛盾しているということなら並べて引用されれば
いいんじゃないですか?
「三世諸仏 念弥陀三昧 成等正覚」(般舟経)
三世諸仏といえど阿弥陀仏のお力によらねば成仏はできない
のです。
弥勒菩薩とて同じ。51位の等覚から仏覚にいたるには自力の
正体である根本無明を阿弥陀仏のお力で破っていただくしか
ないのです。
では自力の修行で仏覚を獲られた上機の菩薩方は何なのか
といえば、阿弥陀仏の浄土から出られた還相の菩薩方で
あります。
未だ報土往生したことのない衆生が自力で成仏できることは
ありません。
「十方のもろもろの刹土における衆生と菩薩の中の法報身と
化身とおよび変化とはみな無量寿の極楽界中より出ず」(リョウ伽経)
244 :
ひさしぶり3:02/11/14 20:04
釈尊とて例外ではありません。
「われわれこの界の衆生をすすめんがために無勝荘厳の浄土より
行きつもどりつ八千遍」(梵網経)
十方諸仏にとって阿弥陀仏は本師本仏であり、諸仏の使命は
阿弥陀仏の本願を説くことのみにあるのです。
聖道仏教はそのための方便にすぎません。
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(教行信証)
法華経などの自力聖道で成仏できる者はいないのですから
「できる者のために説かれた」というのはあやまりであり
「法華経を信受できぬ者のためには如来の余の深法を教えよ」と
言われた釈尊の深意をうかがえば「深法」である大経に
導くための方便であることは明かです。
「信に知んぬ、聖道の諸教は在世正法の為にして、全く
像末法滅の時機にあらず、すでに時を失し機に乖けばなり」(化土巻)
聖道の諸教は阿弥陀仏の本願へ導くための方便という意味では
「要門」ですが「すでに時を失し機に乖」くと聖人は仰って
19願20願の浄土の方便願とは別に扱っておられます。
「然るに正真の教意によりて古徳の伝説をひらき
聖道浄土の真仮を顕開して、邪偽異執の外教を教誡し
如来涅槃の時代を勘決して、正像末法の旨際を開示す」(化土巻)
245 :
ひさしぶり4:02/11/14 20:06
19願の修諸功徳を、聖道教での修善と同じだから
末法の人間にはすすめられていないと解しておられる人が
あるようだが、間違いです。
諸善萬行を六つにわけて教えられたのが六度万行で
あるから物柄は同じであって、人間は善悪の判断はするし、
末法在家の人間でも布施もするし精進もする。
ただ、聖道門ではこの修善を間断なく続けて
さとりの52位の階段を上っていかねばならず
その間は、少なくとも不退転位である初歓喜地までは
一瞬も気をゆるめることはできない。
数十年読経を続けた功徳でも、一瞬の瞋恚が焼き払って
しまいます。
それに対して「善本を修し、清浄に戒を保」った
宿善は阿弥陀仏の光明によって結ばせて
いただいた御縁ですから後退する事はありません。
246 :
ひさしぶり5:02/11/14 20:07
人間の中でも荒い煩悩の少ない上機の人もおられれば
下劣の機もあり心の純粋さの程度がある。仏様の目から
ご覧になれば、総じてこれらの善は雑毒であるから
「真実の善」とは言われない。
有漏なのに本人は「清浄に戒を保」っているつもりですから
人間の立場に立って「清浄に戒を保てる者」と言われている
だけで「清浄の心なし」が実機であります。
祖師聖人は、出家して聖道の修行をしているひとの善は真実で
末法在家の人間のする善は虚仮である、という見方は
されていない。「おおよそ大小聖人、一切善人」(化土巻)であり
「願力成就の報土には 自力の心行いたらねば
大小聖人みなながら 如来の弘誓に乗ずなり」(高僧和讃)
といわれ、世間で「高僧、聖人といわれているひとも
弥陀の弘誓によらねば助からない」という立場は一貫している。
「無漏の善ができる人間がいる」「自力で仏覚を成就できる人間がいる」
という見方は「唯説弥陀本願海」と「唯」の一字の重さがわからない
者であり、真仮の区別がつかない者である。
人間のする善は有漏善であり、涅槃を得る役にはたたない道徳善です。
247 :
ひさしぶり6:02/11/14 20:08
>>182
>もし「要門の要は必要の要である」というご意見ならば
その根拠を示していただけますか?
私には「かなめであっても必要でない」という状態が
想像できませんが。
どういう状態か御説明願えますか。
>>184 >雑行雑修を許すことは雑行のなかの雑行雑心、雑行専心、専行雑心、
雑修雑心、すべて辺地胎宮、懈鬘界の業因であるが故に化土往生を
勧めることのなって浄土真宗でなくなってしまいます。
「経家によりて師釈をひらくに雑行の中の雑行雑心 雑行専心 専行雑心
また正行の中の専修専心 専修雑心 雑修雑心はこれみな辺地胎宮ケ慢界の
業因なるがゆえに極楽に生ずといえども三宝を見たてまつらず、仏心の光明は
余の雑業の行者を照摂せざるなり」(化土巻)
なんで「正行の中の専修専心 専修雑心 雑修雑心は(これみな辺地胎宮ケ慢界の
業因なるがゆえに)」の御文を、わざと除いて根拠にするのでしょう?
248 :
ひさしぶり7:02/11/14 20:09
>>140
>いいかげんに都合よく改ざんする性癖はおやめなさい。
人格疑われますよ。
この言葉をそのまま、あなたにおかえしします。
>親鸞聖人も法然上人も「真実法を信じる器を作る」
教えは教えられないということですね。
すごい曲解だねえ。
報謝の行をするように教えているのに信前のものが実際にやっている
のが雑行だからといって、教えているひとが「雑行をすすめている」と
批難しているのだろう。
諸善の行自体を廃さねばならないというなら
信前のものが御法座の場で聴聞しているのは、
定善の観法をしようとしている姿と同じだぞ。
実際にやっていることは雑行雑修だからやめさせなさい。
お勤めしているのは雑修だからやめさせなさい。
それとも聴聞やお勤めまであなたたちのいう「道徳」だとでも言うのかい?
249 :
ひさしぶり8:02/11/14 20:10
選択集には、基本的に念仏を自力他力に
分けられなかった法然上人でさえ(弘願の)念仏に
対して、前三後一の助業は同類の助行と言い、
それ以外の異類の助行と一緒に、念仏以外の
「余行」つまり「諸善」の中のひとつとして教えられている。
念仏に自力他力をはっきり分けて教えられた親鸞聖人は
「五専修」の中に「専名」をあげられた上で「正行の中の専修専心
専修雑心 雑修雑心はこれみな辺地胎宮ケ慢界の業因なるがゆえに
極楽に生ずといえども三宝を見たてまつらず、仏心の光明は
余の雑業の行者を照摂せざるなり」と言われているのだ。
たとえ称名念仏といえど、自力で修するかぎりは捨てるべき
辺地胎宮ケ慢界の業因でしかありえない。
正行というのは「一心に専らこの観経弥陀経無量寿経を
読誦す。一心にかの国のニ報荘厳を専注し思想し観察し
憶念す。若し礼せば、即ち一心に専らかの仏を礼す。若し
口称せば即ち一心に専らかの仏を称す。若し讃歎供養せば
即ち一心に専ら讃歎供養す。是を名づけて正と為す」(散善義)
「一心に専ら」が必ず付けられているのがわかりますか?
「一心」は他力の信心ですよ。
一心でないものは形は正行であっても心が諸善にかかっている
から「雑ざり物」で「雑行」ですよ。「雑」に三義あって
「雑摂の義」というのがある、ということぐらいは知っていますよね。
250 :
ひさしぶり9:02/11/14 20:12
信前の者は正行をやっているつもりでも雑行になっているんです。
行体も止めるということなら聴聞もお勤めもできません。
他力の信心をいただけば「一心に専ら」になりますから
お勤めをすれば正行でありますし、御恩報謝であります。
それ以外の諸善は異類の助業といわれています。
行体自身に疎雑の義があるならなんで助業に
なるのですか、なるはずがないでしょう。
251 :
ひさしぶり10:02/11/14 20:13
御一代記聞書にはひとに酒を与え物を与えることも仏法を聞かすためで
あれば報謝とせられていますし、「仏法の方へはいかほど物を入れても
あかぬ道理なり、報謝にもなるべし」とも言われています。
御文章一帖目五通には「このうれしさのあまりには師匠坊主の在所へも
あゆみをはこび、こころさしをもいたすべきものなり」とあります。
「御消息集」には「仏の御恩をおほしめさんに御報恩のために御念仏
こころにいれまうして、世の中安穏なれ仏法ひろまれと、おほしめすべし
とぞおぼえそうろう」とありますように、世間に順応して国家社会の
安寧幸福をすすめることも感恩の上にはみな報謝になります。
「善が仏意にかなう」という意味もありますが、世の安穏の仕事は
仏法の弘通を助ける大悲伝普化の一端になりますので報恩と
なるのです。これらの感恩の所作はことごとく信徳の発現であって
念仏の延長広大です。諸善が報謝になるというのはそういう意味
です。だから会で勧められている諸善というのはこういう善です。
「山の中で六度万行しなさい」というのが無いのは当然です。
(もちろん感恩からそういうことをする理由があれば報謝になる
のは当然です。)(還相の方たちはそうなのかもしれません。
これは私見)
252 :
ひさしぶり11:02/11/14 20:15
>専修のひとをほむるには千無一失とおしえたり
善導大師は念仏以外の余行を雑行と言われ、それを修している
人を雑修と言われたのです。また「正行をやっているひと」を専修と言われ
ました。
それに対して親鸞聖人は正行をやっている者の中にも、雑行をやる気は
ないがさればといって自力も捨てきれず五正行を並べ修して助かろう
としている者を雑修といわれている。
この御和讃の専修はその意で使われているお言葉です。
雑修の十三失の前9失が19願の行者の失とされ
後4失を20願の行者の失とされているのもそういう
理由からです。
253 :
ひさしぶり12:02/11/14 20:20
>>188
>信前のものには報謝行はできませんよね。
そうです。「信心決定しなさい」というのは
自力を捨てられない者に「自力を捨てなさい」と言って
いるのです。
信前の者には往生のたしになることは何にも
できません。自力の念仏も役にはたちません。
「他力の念仏は往生すべし、自力の念仏は全く
往生すべからず」(念仏往生要義抄)の法然上人の
「全く往生すべからず」というお言葉をよく味わいなさい。
>化土にむまる衆生をばすくなからずとおしへたり
「来迎あるべしといえるは方便の説なり。このゆえに
高祖善導和尚の解釈にも、弥陀如来は娑婆に来りたもう、と
見えたるところもあり、また浄土は動きたまわず、と見えたる釈
もあり。然れども当流の意は、来るといえるはみな方便なりと
心得うべし」(浄土真要抄)
化土往生は方便と心得なさい、との仰せです。
254 :
ひさしぶり13:02/11/14 20:21
>>215
>そりゃ、誰だって疑問点懐くわ。
正直言って「つまらん話」だ。
自分が癌になって、治せる医者が一人しかいなかったら
どんなに酒飲みだろうが、ぐーたらしたろくでなしだろうが
問題になるのは「治せる腕をもっているか、否か」の一点しか
ない。どんなに人が良さそうな医者でも腕のない者ものには
医者としての価値はない。
仏法者としての価値は「真実を開顕できるか否か」の一点だけ
なんだよ。
ましてや、聞きがたい「一念の信心のいわれ」を会で聴聞させて
いただきながら、わけのわからないうわさに同調して
中傷を繰り返すものなど恩知らずも甚だしい。
ハッキリ言って怒りの心しか出てこないね。あなたたちに
「あるまじき態度」と言われて結構。
私は、どうしてもあなたたちほど寛容にはなれないんだよ。
255 :
ひさしぶり14:02/11/14 20:24
>>217
>「凡夫の自覚症状」が決めることになっています
これは間違いですね。
「ニ種深信の有無以外に判定基準はない」と何度もお聞きして
います。ニ種深信は三業にも現れますが、三業からニ種深信の
有無を判断することはできません。
>>220
>自分が怒りを抱いてもいけない。
できないことでしょうね。努力はしていますが。
256 :
名無しさん@1周年:02/11/14 21:06
ひさしぶりさんにレクチャー。
この掲示板は、>>半角数字
で自動リンクされます。>>(<-半角)半角数字です。
というわけで、今度から引用する際にはそういうふうに
書いてください。
257 :
名無しさん@1周年:02/11/14 21:10
>>254 >どんなに酒飲みだろうが、ぐーたらしたろくでなしだろうが
>問題になるのは「治せる腕をもっているか、否か」の一点しか
>ない。どんなに人が良さそうな医者でも腕のない者ものには
>医者としての価値はない。
ただ、人間は人を見るからね。そこまで”達観”出来るかどうか。
「本質とは違う事だからくだらない」と感じるか「こんな事やってる
人間はその言ってる事も信用できない」と感じるかどうかだね。
ノーマルな人は後者だろうね。だから、戒律を求められている
(子牛学院でもそうでしょ?)んだろうけど、それも「くだらない」
のかね?
258 :
元s会の犬:02/11/14 21:24
>>254は完璧に論理のすり替えだな。
>ましてや、聞きがたい「一念の信心のいわれ」を会で聴聞させて
>いただきながら、わけのわからないうわさに同調して
>中傷を繰り返すものなど恩知らずも甚だしい。
ふーん、そう。あれだけ証拠のビデオまででていて、
断固としてそういえる証拠でもあるの?
あくまで自分にとって都合の悪い面は頑固なまでに隠匿し、
恩とか云々のみを強調するって、戦前の日本や北朝鮮と一緒。
天皇や総統を生き神として、彼らは何やっても黙認。
彼らにとって都合の悪い情報は揉み消し。それじゃ会員も怒るよ。
いいか、アフォのひさしぶり。会員は犬ちゃうんや。人間なんや。
あんたらは尊い仏法か一念の謂れか何といてるか知らんけどな、
あんたら仏法説く者がちゃんとせんと一般会員にだけ仔牛を尊敬せよなんて、
厚かましいったら甚だしい。自分ら(たぶんひさしぶりはsの仔牛やろうから)
がまずちゃんとしてから、人に命令せいや。
まあ因果の道理は真実なんやったら、将来s会はどんな目に遭うかは、
s会仔牛であるあんたらが一番わかってることやろうからな。
259 :
元s会の犬:02/11/14 21:30
>正直言って「つまらん話」だ。
>自分が癌になって、治せる医者が一人しかいなかったら
>どんなに酒飲みだろうが、ぐーたらしたろくでなしだろうが
>問題になるのは「治せる腕をもっているか、否か」の一点しか
>ない。どんなに人が良さそうな医者でも腕のない者ものには
>医者としての価値はない。
ひでえ話だな。
s会しか病気治せる医者がいないから、s会の幹部は浄財使い込んで不倫しても不問でいいってか?
なんか、この考えって聖道門自力の仏教やな。自分さえ快楽を求めればそれでいいっていう考え。
実はs会って砂上の楼閣じゃないの?
真実の仏法で会員を騙して幹部のみが得する足の裏三法行と一緒じゃないの?
我々の言ってることが全くの出鱈目なら、もっと事務的に冷静に対処できるはずやもん。
261 :
名無しさん@1周年:02/11/14 22:17
>>240 >この発言は教学的根拠をあげて発言していたひとに
>対して、論議を打ちきりにしたSA氏の発言だよ。
>茶畑というひとも都合悪くなると
>自分から論議を打ちきりにしていましたね。
ひさしぶり氏には、本当にこう見えているんだろうなあ・・・。
263 :
名無しさん@1周年:02/11/14 22:44
>>254 いいこと言うね。
切り拓く力があるか、ないかだよな。
役に立たない偽善はいらんってことだよな。
見直したよ。
264 :
祭り大好き!!:02/11/14 23:30
>>243 私が「できる」機類の実在を聞いていますのは、涅槃の因縁たる無漏善(=勝義善)を善根
として修することが「できる」機類のことなんですけど・・・。何だかひさしぶり氏の話だ
と仏教は全て頓教オンリーみたいになってきますね。実際は、二乗の三生・四生。六十・百劫(
『倶舎論』等)や、菩薩乗の三祇百劫の漸教があるわけで、親鸞聖人も『二巻抄』に小乗や聖道
権教を挙げられ「法相等、歴劫修行の教なり。」といわれてますね。聖道実教の即身成仏・即心是
仏は勿論、権教でも大乗である以上、単純に「三十四心絶結」というわけではなく、「無住処涅槃」
が菩薩の理想とされ、頓教といっても『華厳』の「見聞生・解行生・証入生」の三生得道に見られる
ように段階があります。アビダルマでは、第二生に無漏智の用たる順決択分が生起する(『倶舎論巻
二十三』等)とされるように、聖道の機類にとって自力修行の因縁として無漏善=勝義善は、当然含
まれるのではないでしょうか??? 自力で成仏=妙覚に至れないことが、何故、聖道自力の全ての
勝義諦における善根の否定になるのでしょうか??? 弥勒菩薩みたいな(自力)の等覚の菩薩は、
等覚~妙覚こそ他力の念弥陀三昧に依られたのですが、等覚に至る善根は、われわれと違い「できた」
のではないでしょうか????
265 :
祭り大好き!!:02/11/15 00:01
>>244 『化身土文類』の「まことに知んぬ、聖道の諸教は、在世・正法のためにして・・・」は、
その後の「浄土真宗は、在世・正法・・・」と対になってますね。「浄土真宗」というのは、
直前の「三願転入」の御文の末尾の方に「至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をひろうて、
恒常に不可思議の徳海を称念す。」とありますようにあきらかに弘願を指していらっしゃい
ますね。聖道門を時機不相応と廃して、十九・二十の方便願を勧めてられるとは思えないの
ですが如何か????
266 :
祭り大好き!!:02/11/15 00:25
>>245-246 ですから、ここで言われる聖道門の六度万行は、涅槃法の善=勝義諦の善=無漏善では
なくて人間のする道徳善だという根拠は何でしょうか??? それに仏教は、一切衆生
を対機としているのでは?? 人界は、あくまで十界・六道の一つですよね。
それと「清浄に戒を保つ」というのは、聖道門ではない或いは聖道門は含まないの意で
しょうか??? だとすれば、その根拠は何でしょうか???? 阿弥陀様の調熟の光明
の照育には、聖道門は入らないということでしょうか??? だとすればその根拠は???
267 :
どなたかお教えください:02/11/15 01:01
237 :名無しさん@1周年 :02/11/14 01:04
>>222 化身土文類の要門釈の引文などではないかと。
できれば、親鸞会の教学に詳しい方に、弘願門での「因果の道理」を説明して
もらえると嬉しいのですけれど。たとえば、如来の善行の果徳を「私」に施与する
ことができるのはなぜか、とか。これ、自業自得の原則に反していますよね。
238 :名無しさん@1周年 :02/11/14 01:15
>>237 詳しくはないけど。書き逃げになるかな?(w
それは、因果の道理を超越する、と現役時代、教学講義で
お聞きしましたよ。
弥陀の大願業力だけが、因果の道理を超越している、という
ことだったと思います。
唯一の 他因自果 ということでした。
239 :名無しさん@1周年 :02/11/14 02:13
>>238 なるほど。レス、ありがとうございました。
でも、その説明では駄目だと思います。
浄土真宗(弘願門)は仏教ではないと宣言しているようなものですから。
240 :名無しさん@1周年 :02/11/14 13:56
>>239 では、どのように説明すればよろしいのでしょうか?
よろしかったら、お教えください。
268 :
祭り大好き!!:02/11/15 01:08
>>244に補足
「若し衆生ありて信受せざれば、当に如来の余の深法の中において、示し教え利し
喜ばすべし。」(岩波文庫、坂本日深先生・岩本裕先生訳注版『妙法蓮華経・嘱
累品第二十二も読み下し)「若し衆生有って信受せざらん者には、当に如来の余の
深法の中に於て示教利喜すべし。」(国訳大蔵経、清水高梁山先生訳版の読み下し)
に於ける「余の深法」は、伝統的には天台四教でいう、円教を除く、蔵・通・別の三経
を指すという解釈が一般的で、近代でも『アーガマ』や、最初期の大乗(『般若系』)
を指すと解され、『無量寿経』を指すという解釈はあまり聞かないがどなたの説でしょ
うか??? また、サンスクリット本やチベット訳、『正法華』『妙法華』等の異訳で
は、該当部分は、「余の経説」の意ではなく、「法華経の経説を示し教え」の意となっ
ています。
269 :
祭り大好き!!:02/11/15 01:24
270 :
祭り大好き!!:02/11/15 01:57
>>248 >それとも聴聞やお勤めまであなたたちのいう「道徳」だととでも言うのかい?
横レススマソ。それにしても「あなたたち」って誰々なんだろうね??
われわれの聴聞や、お勤めは、「道徳」だといってるのじゃなくて、「(出世の)自力の
善根(=宿善)」ではないっていってるんですけど。行体が、信前・信後では異なるという
ことについては前に(
>>76-77 >>85)に述べてるんですけど。
271 :
祭り大好き!!:02/11/15 02:08
>>268 訂正 誤り 『正法華』『妙法華』等の異訳
正解 『正法華』『添品妙法華』等の異訳
272 :
名無しさん@1周年:02/11/15 06:56
頑張れ、ひさしぶり。
273 :
名無しさん@1周年:02/11/15 16:04
┌┬┬┬┐
―――┴┴┴┴┴―――――、
/.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ || __________
/. ∧// ∧ ∧| || ||| || /
[/____(゜_//[ ].゜Д゜,,) ||___||| || < w部=ひさしぶりを迎えに来ました!
||_. * _|_| ̄ ̄ ∪|.|. |ヽ. _|| \__________
lO|o―o|O゜.|二二 小|.|杉 精神病院 ||
| ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|_____|_l⌒l_||
274 :
祭り大好き!!:02/11/15 16:31
>>268訂正
誤り 清水高梁山先生
正解 清水梁山先生
275 :
祭り大好き!!:02/11/15 17:06
>>244に補足
ここでいう「余の深法」が、『無量寿経』である根拠として、おそらくひさしぶり氏は、同経の
『若し「深法」を聞きて歓喜信楽し、疑惑を生ぜずして、乃至一念、かの仏を念じたてまつりて
、至誠心をもってその国に生れんと願ぜん。」を考えておられるかと思うが(違ってたら反論
キボン)、これでは、『無量寿経』のみが「余の深法」との経証にはなりません。
『為佛弟子禮敬如来 具啓人尊所生成道 名姓種族知見「深法」 成無上道比丘静處』(『長阿含経第一』)
『従禅定中来 為人才明 達解「深法」 讃歎妙義 開悟愚蒙』(『輪転五道罪福報応経』)
『先以此園施諸外道 後見佛 又聞「深法」 恨不以園得施如来』(『大般若等無量衆経』)
『巳舎利養名聞 法無所、望 度「深法」法忍得無畏力過諸魔事』(『摩訶般若波羅蜜経・序品第一』)etc
これらからわかるように、やはり通説の如く、『アーガマ』や『般若』系の初期大乗経典を指している
と解するのが妥当ではないでしょうか????
276 :
祭り大好き!!:02/11/15 17:41
>>244に更なる補足
ここで挙げておられる『梵網経』は、勿論、パーリ五部の冒頭の『梵網経』(『ブラーマジャーラ・スッタ』)の
ことではなく北伝の『梵網経』のことですね(『安心決定抄』に意が引かれてるから当然か)? 伝教大師に
より提唱され、鎌倉仏教の思想的母体ともなった「大乗菩薩戒壇の独立」の典拠なのを初め、「獅子身中の虫」
(なんかs会の現状思わせますねw)の典拠でもあり、また中陰の初七日など七日毎の「追善供養」の典拠
でもあり、色々と日本仏教に大影響与えた経典ですね。この経は、天台大師以来、『華厳経』の結経とされ教主は、
ル舎那佛です。従ってここで言う「浄土」は、「蓮華胎蔵世界」のことですね。真宗の伝統宗乗では、『華厳経』
に関する論でもある『浄土論』の意を受けて、これを「極楽浄土」と解してますが、一般仏教界には通じないのでは
ないでしょうか?? 尚、この経典は、今日では中国撰述の可能性の強い「疑経」とされてますね。現代では、京大
の船山徹先生がこの問題の研究では定評あります。
277 :
祭り大好き!!:02/11/15 17:47
>>276訂正
誤り 船山徹先生
正解 船山徹先生
>>264訂正
誤り 「三十四心絶結」
正解 「三十四心断結」
スマソ。
278 :
名無しさん@1周年:02/11/15 20:02
S会擁護派の海員よ以下の実際に行われた行為について
教義的にどのような根拠があって、正当化できるか
やってみよ。
前回の製本堂のGHS集めの祭、M晴れの異常な
金集めで、S会全体で1000人が除籍になってるんだぞ。
なんのためのS会だ!
どれほど執拗で異常で滅茶苦茶なGHSかき集め(予約
用紙を無理やり書き直させる)が行われた知ってるのか!
もし一人一人の仏縁のためというのが本当ならば
M晴は全員にわびて仏縁を再度結んでいただくよう
当然努力すべきではないか。
それを、敗残者呼ばわりして自分は巨大な建物でふんぞり
返るのか
279 :
名無しさん@1周年:02/11/15 20:03
同じくS会弁護者よ以下の教義的根拠を挙げてみよ。
そもそも製本堂は本当にそんな巨額な金が必要なのか。
全員が同じ空間で聞法できる空間、といのはわかる
だが、なぜ急に7階手建てになったんだ。以前は
3階だったはず。3階建てならばすでに納入されている
GHSだけでたつではないか。なんのための、だれの
ための7階建てだ。それなのに先生のお部屋の7階が
このままではできないから申し訳ないのでGHSさせ
ていただきましょうだと?馬鹿もやすみ休みいえよM晴
お前がふんぞり返って威張るための豪華な7階建てなんか
必要ねえだろ。今納入されているGHSだけで、みんなの
聞法の空間と先生の部屋はできるんだよ。
いいかげんにしろ、繰り返すが一体、なんのための誰のための
製本堂なんだ!!!!!!!
280 :
名無しさん@1周年:02/11/15 20:04
机上の空論を続けるS会の馬鹿ども、以下の点どう考えるか
答えてみよ
問題の本質は、父親がそういう医者であるのをいいことに
自分はそんな腕も知識も技術もなにもないくせに滅茶苦茶な
治療して次々と患者殺したり、それをねたに女あさったり
さらに最悪なのはその誤診というか殺人行為を組織ぐるみで
もみけしていることだろ。
お前みたいなガキにはわからねえだろうけどナあ。
281 :
名無しさん@1周年:02/11/15 20:07
S会支持者ども、教義が正しいという前提のもと、以下のような
体質で多くの人間をこの世から地獄へ落としているが、その
教義的な正当性をここで述べてみよ。
製本堂をはじめとするGHS集めがM晴のもとで行われた場合、
行使も患部海員もみな、自分の名誉と指摘をのがれて自分の
保身を図るために影でめちゃくちゃで異常で執拗な金集めを
おっぱじめるというS会の歴史的な異常体質の異常集団と
なりはてる。
M晴は患部行使をどなりつけ、いじめぬき、私的をしまくっ
て恥をかかせ、周りの行使にも動物的恐怖を味わわせ、金集めに
追い立てる。
この異常で錯綜した人間性はそのまま他の行使や患部海員を同じ
色に染め上げている。
行使や患部海員のキチガイじみたいわゆる思考停止状態というか、
感覚まひ状態というか、自分のことしか考えていない我利我利の
あふぉどもの集まりであるということは、だれも否定できない
事実であろう。
先生は幾度となくこの狂い切った体質をただそうとされたが
結局変わらなかった。
M晴が更迭されればこの体質が大きく変わり本当に一人一人
の仏縁のための団体に生まれ変わるのではないかとの期待が
あったが、M晴再降臨、反逆者一掃の処置によりもとにもど
ってしまった。
多くの患部は「また始まった、S会のキチガイじみた金集めが」
とか「また行使連中が仏縁より自分の保身と出世のために目を
血走らせ始めた」とあきれ返っている。
ひさしぶりさん、おひさしぶりですね。
またおつきあい頂いてありがとうございます。
>>253 >信前の者には往生のたしになることは何にもできません。
>自力の念仏も役にはたちません。
おっしゃる通り、自力の念仏は往生の役に立ちませんね。しかしあなたの会では
宿善になると称して、つまり後生の一大事を解決する目的で諸善(出世間善)
を修することを信前のものに勧めていますよね。自力の念仏は往生の役に立た
ないが諸善は獲信と「良い関係」であるから修しなさいとでもいうのでしょうか?
すでに挙げた選択集のご文で、「すみやかに生死を離れんとおもはば」の主体は
信後に限るのですか?違いますよね。
この法然上人のご文を存覚上人が解説なされてこうおっしゃってます。
「自余の一切の行は、往生のために定まれるたねにあらず」と聞こえたり。
しかれば決定往生の志あらん人は、念仏の一行を専らにして専修専念・一向一心
なるべきこと、祖師の解釈甚だ明らかなるものをや。(浄土真要抄)
「往生の志あらん人」はあなたの解釈でいう信後のひとに限るとでもいうので
しょうか?一体どこに出世間善としての諸善を勧めていますか?おしえて下さい。
「祖師の解釈は甚だ明らか」であると仰せですよ。祖師もこうおっしゃっておられ
ますね。
「正行を修せんとおもわば、正業・助業ふたつのなかに助業をさしおくベしとなり。」
「えらびて正定の業を二心なく修すべしとなり。」
「正定の業因はすなはちこれ佛名を称するなり。」(尊号真像銘文)
聖人のみ教えに諸善(出世間善)はあるか?断じてありません。
宿善を積もうとして諸善を修しようとするその心がすでに本願に背いた自力の心である
からです。
>>253 >化土往生は方便と心得なさい、との仰せです。
浄土真宗は十八願の報土往生を勧めるみ教えであることを最初に確認しておきます。
しかし、「聖人が化土の存在を否定された」というあなたの見解については賛同しか
ねます。あなたは浄土真要抄のご文を根拠として化土の存在を否定する見解のようで
すが、存覚上人の用いられている「方便」の字義は「もっとも方便に止まらずして
真実をもとむべし。如何に況んや来迎は不定の益なり」(浄土真要抄)
と、化土往生よりも報土往生を願うべきであることをご勧化なさっているのであって
化土の存在を否定された根拠にはならないのではないでしょうか?
行者の各々の自力のはからひにては、懈鬘辺地の往生・胎生疑城の浄土までぞ往生
せらるることにてあるべき」とぞ承りたりし。(末灯抄)
このように親鸞聖人は化土の存在を否定されていません。また、存覚上人も、
「十九の願をたのみて諸行を修する人は、来迎の益を得て化土へ往生すべし。
化土というは即ち胎生なり。」
「されば辺地に生まるる者は、五百歳の間佛をも見たてまらず、法をも聞かず、
諸佛にも歴事せず。」
「諸行と念仏とその因同じからざれば、胎生と化生と勝劣はるかにことなるベし。」
「答えて曰く、(略)これを胎生といふなり。是れ疑惑の者の生ずるところなり。」
「十九の願をたのみて諸行を修する人は、来迎の益を得て化土へ往生すべし。化土と
いうは即ち胎生なり。」(いずれも浄土真要抄)
明らかにこれらは化土の存在を否定する見解とは言えませんね。
>>249 >たとえ称名念仏といえど、自力で修するかぎりは捨てるべき
このご見解も意味不明ですね。他力の念仏を勧めているのが浄土真宗である
ことは今更いうまでもないことですが。このご見解は「信前のものは念仏称
えてはいけない」、という意味も含むようにも解せられるのですが如何でしょ
うか?自力で称する称名念仏は捨てるべきであるが、信前の者が修するビデオ
や書籍の行商や勧誘などの(親鸞会でいう意味の)六度万行ならば捨てなくて
もいいという意味でしょうか?お答えください。
>>248 >すごい曲解だねえ。
そう思われるのならば、「信前の者における聴聞は結局諸善を行じているの
と同じである」という説などくどくど説明する必要はないから親鸞聖人また
は法然上人のご文から、あなたの主張する「真実法を信じる器を作る」教え
を早く示してください。
>聴聞やお勤めまであなたたちのいう「道徳」だとでも言うのかい?
いつ道徳などと私がいいました?それこそ「すごい曲解だねえ。」あるいは
「いいかげんに都合よく改ざんする性癖はおやめなさい。」と言いたい。
われわれの聴聞やお勤めは自力の出世間善ではありません。ちなみに「仏願
の生起本末を聞く」ことが成就文のみ教えですから信前の者の聴聞は勧めら
れます。祭り大好き!!さんも
>>76に改邪抄を引用なさってきわめて理解し
やすく説明なさってていますが、自力の諸善万行は行体ともに廃せられるの
が真宗の教えであり、「報恩行が信前・信後とも行体が同じ」という説は真
宗では明確に否定されます。ひさしぶりさんはこの「真宗の教え」に対して
どのように反論されるというのでしょうか?
>>247 >なんで「正行の中の専修専心 専修雑心 雑修雑心は(これみな辺地胎宮ケ慢界の
>業因なるがゆえに)」の御文を、わざと除いて根拠にするのでしょう?
別に何ら特別の意図はありませんが何か?この部分は能修の心相から雑行雑修を
分けて説明なされた箇所ですね。単にお返事しようとしたときにうっかりその
部分が抜けてしまっただけに過ぎません。聖教はきちんと引用せよ、という御教示
であると理解致します。今後は気を引き締めてきちんと引用いたしますのでご容赦
下さい。ところで抜けた部分である「これみな辺地胎宮ケ慢界の業因なるがゆえに」
は、「かるがゆえに極楽に生ずと言えども、三宝を見たてまつらず」と続きますね。
>>253に対する小生の返答として、聖人が「辺地胎宮ケ慢界」の存在を否定しておら
れない根拠のひとつとして、改めて提示いたしたいと思います。
念のため申しておきますが、聖人は化土の存在を認めておられますが、化土往生は勧め
ておられず、報土往生を勧めておられる、と申しているのです。そして「専修」とは
弘願他力の行ですね。浄土の行でなく、宿善になると称して諸善に心をかけているように
教えられている信前の者が、なぜ一向専念して「専修」の行ができるようになるかを
もっとわかりやすく説明していただけませんか?
ところで今は知りませんが昔の「教学短冊」なるものは「わざと除いて根拠」にした
ところはなかったですかねえ?小生の思い過ごしですかねえ?何ならいくつか例を挙げ
てもいいのですがねえ?
たとえば法然上人の一枚起聖請文なは、全部覚えてしかる可きであると思うのですが。
なぜ途中でちょん切ってしまったのでしょうねえ?わざわざ某宗教団体の某氏の死因が
「まる焦げになって焼け死ぬ」(うろ覚え)などを暗記する暇があるのならば、このご文
こそ全部暗記するべきだと思うのですがねえ。(つづく)
287 :
名無しさん@1周年:02/11/15 20:34
元sさんって「ひさしぶり」みたいなキティにまともに接するいい人だなあ。
>>285 (つづき)ちなみに教学短冊における一枚起聖請文の続きは
「但三心四修と申事の候は 皆決定して 南無阿弥陀仏にて往生するそと思ふ内に籠り候也
此外におくふかき事を存せは 二尊の あはれみにはつれ 本願にもれ候へし 念仏を信せん
人は たとひ一代の法を 能々学すとも 一文不知の愚とんの身になして 尼入道の無ちのとも
からに同しして ちしゃのふるまいをせすして 只一かうに念仏すへし 為証以両手印 浄土宗の
安心起行此一紙に至極せり 源空か所存此外に全く別義を存せす 滅後の邪義をふせかんか
為めに所存を記し畢」です。
ここの部分をなぜ親鸞会が「教学短冊」から「わざと除いて根拠」にしたのについて、小生は
理由があると思っております。今回は時間が足りなかったためまたの機会に書き込みしたいと
思います。
>>267 >では、どのように説明すればよろしいのでしょうか?
>よろしかったら、お教えください。
横レススマン。
そのご疑問は「大原問答」にて法然上人がすでにあきらかになさっておられると
思われます。一度ご参照ください。何でしたら又の機会ですみませんが引用させて
いただきます。
>>288 訂正スマン
正・・・一枚起聖請文
誤・・・一枚起請文
>>287 いえいえ、とんでもない。
冷静になろうと努めてはいるのですが、すでにご承知のように
しばしば煩悩(とくにシンニ)によって支配された文章になっており
お恥ずかしい限りです。
291 :
238=240=267:02/11/15 21:36
>>289 お忙しいところ、ご丁寧に有難うございます。
まずは、自分で調べてみますね。
取り急ぎ御礼まで。
>>287 同意。祭り大好き!!さんにせよ、すごいですね。
わるいけど、ひさしぶりさんは勝ち負けなんかよりもなぜ、
ここまで真摯に付き合ってくれるのかを考えるべきじゃないかと。
少なくともぼくの目からは、すでにひさしぶりさん終わってますよ。
でも、それでなんの問題もないと思うんだけど。
違ってたら直せばいいじゃーん。
なぜ、なぜ?念仏喜ぶ同行の間において「負け」を喜べぬ?
人に負けて信をとるなり。ってね。ちょっと違うかもしれないけど。
s会の人間(特に子牛ら)にとって「負け」は全てのアイデンティティの
崩壊を意味するから。
294 :
名無しさん@1周年:02/11/15 22:25
ひさしぶりさんにも、いいところはあると思うよ。
この議論の中心である三方に拍手したいです。
こころから。
295 :
名無しさん@1周年:02/11/15 22:28
ひさしぶりさん、頑張ってください。
またまた、インターネット喫茶(きっさ)に、来(き)ています。
朝、夜、勤行(おつとめ)をしている、親鸞会(しんらんかい)会員です。
総合スレ17が、終わりのようなので、コピー、ペーストさしていただきます。
御指摘がありましたので、推敲しました。
「死について」
5歳の時のことです。
はじめて、人間は、死んでゆかなければならない事を知りました。
そうして、家族にきいたのです。
「そんなのもが、あるのならなんとかしなくていいの?」と
その答えは、
「みんな死ぬんだから心配しなくていいのよ」
でありました。
そのとき、私は、色々悩んだのでした。
「他人のことを言っているのではない。自分自身の、死のことを言っているのだ」
「私が、馬鹿なのか。それとも、私のまわりの人々が、馬鹿なのか」
「それは、私にとって、最大関心事でありました」
「そんなもの(死)が、未来に待ち構えているなら、何故、慌てふためいて、死に物狂いになって、死を解決しようとは、しないのだろうか」
「まわりを見渡しても、誰一人として、さあ一大事と「死」を解決しようとする人はいない」
「この人たちは、馬鹿ではなかろうかと」
「それとも、そんなことを考える私が馬鹿なのか」
さらに、
「いやいや どこかに必ず「死」の解決方法はある。そして
今度こそは、どんな事をしても、なんとしてでも「死」を解決しなくてはならない」
「今度こそは、怠(なま)けてはならない」
あれから、数十年がすぎましたが、今もあの決意にかわりありません。
301 :
名無しさん@1周年:02/11/16 00:02
嵐は無視。
302 :
名無しさん@1周年:02/11/16 00:05
>>292 禿しく同意。
「ひさしぶり」の暴論とも言える論理にも顔色一つ変えることなく、
討論している「元s改印」氏と「祭り大好き」氏はすごいと思う。
これこそ本当の布施行ではないか。
(内心心の中はこいつ馬鹿かと思っているのだと思うが・・・)
ところでNB氏は
>>254をどう思われますか?
次のレスに私の考えを示すから、貴方の意見をぜひ聞かせて頂きたい。
303 :
名無しさん@1周年:02/11/16 00:06
>>254のようなことを煽りとか元を怒らせようとしてでなく、
心の奥からマジでそう思って発言している「ひさしぶり」の人間性を疑う。
>自分が癌になって、治せる医者が一人しかいなかったら
>どんなに酒飲みだろうが、ぐーたらしたろくでなしだろうが
>問題になるのは「治せる腕をもっているか、否か」の一点しか
>ない。どんなに人が良さそうな医者でも腕のない者ものには
>医者としての価値はない。
これがもし正論としてまかりとおるなら、
その医者がこいつは気に食わんからということで人を殺しても許されるという理論が成り立ってしまう。
例え、人を治す腕があったとしても医療ミスで人を殺してしまえば一緒。
人殺しはどんな理由をもってしても人殺しであり、正当化されうる余地はない。
s会(M晴)のしていることは「恐喝・詐欺」という犯罪であり、
それはたとえ「真実の仏法を説く」という理由をもってしても正当化できんのは自明の理である。
ていうか、一般常識人なら普通わかることだろう。
それでは、私は、おねむの時間になりましたので、皆様ごゆるりと会話を
お楽しみください。
ごきげんよう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
305 :
名無しさん@1周年:02/11/16 00:09
>>304 どうでもいいけど、スレ荒らさないように。
>>296 >朝、夜、勤行(おつとめ)をしている、親鸞会(しんらんかい)会員です。
海員ってみんなお勤めしてる?
俺もはまっていたときはしてたが、だんだんしなくなってたな。
もちろん、してるような顔はしてたけど。
まじで、みんな朝晩やってるのだろうか?
こればっかりはわかんないからね~
308 :
(TДT) :02/11/16 00:27
ふ~~~~ん。
クダラン前フリだな
309 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/16 00:34
310 :
名無しさん@1周年:02/11/16 01:07
>>301 おれも嵐は無視、ってのが定説だとは判ってるんだけど
あの人、突っ込み所が多すぎる
あの嵐っぽい菩薩ちゃんは
一体何がやりたいのでしょうか?
312 :
名無しさん@1周年:02/11/16 02:09
>>311 スレ荒らしたかったんでしょ。ただそれだけ。ばかまつこーたと同じ。
しかも、本人にスレ荒らしの自覚のない困ったチャン。
313 :
名無しさん@1周年:02/11/16 07:57
>>312 淋しいんだろうね
相手になってほしいんだろう
だけどこんなことをやればやるほどs会の立場が危うくするのがわかっていない
典型的なs誨淫だろうね
ばかまつも同じだろうね
勤行(おつとめ)終了いたしました。
使用時間 15分3秒でありました。
ストップウオッチを押す。
仏壇(中原三法堂で求める。約7万円)に灯明と線香をあげる。
真宗宗歌
正信偈
御文章
親鸞会会員聖則
親鸞会会員常訓
を音読する。
ストップウオッチを押す。
たつたの 15分3秒
隣近所に住人がいる時は、黙読ですよ。
遅れましたが
おはようございます
今日も一日良い日でありますように
318 :
名無しさん@1周年:02/11/16 09:17
>>317 どうでもいいけどその名前やめてくれませんか?
あなたにとって七高僧は善知識のおひとりではないのか?
「師をおろかに思うものは」謗法のものではないのですか?
あなた、もし他人が「親鸞聖人」とか「高○顕徹」などのHN使用しても
なんとも感じないのですか?
あなた、あまりに無神経すぎませんか?
319 :
NB ◆YIoCB90ZbI :02/11/16 11:19
>>302 もしかして、
>自分が癌になって、治せる医者が一人しかいなかったら
という、現実離れした喩えを真宗教義の上で普遍化するために
s会の教義解釈があるんだとするなら、「正直言って「つまらん話」だ。」
カルトだね。と思いますね(w
「あなたは病気だ。治せるのは私だけだ」なんて、、、。どこの教祖様?
で、上のたとえを我が身の上に納得できないと弥陀の救いからもれると。
冗談じゃない。詭弁っすね。
それこそ、宿善あって、こうして今ここで信心の沙汰をしてることだろうに。
松影の暗きも月の光かな。ってねえ。その上で師の恩も知られてくるものだと
思いますよね。
私事で恐縮ですけど、
「お朝事出るのがつらい日もあるけど仏法に我が身をひたせの仰せのことを
思ってお朝事に身を運ぶんです」とおっしゃった方があって、
ぼくの解釈とはまるっきり違ったんでびっくりしました。
いや、ほんと、得手に法を聞くものだなあ。と思いまして。いえ、ぼくのことです。
で、今日も「我が身をひたす」ことと心得てお朝事に出させてもらいました。
うれしいなと。(w
こういうのって、s会的にはダメなんでしょうかね。
せっかく組織も人も若いんだから、本願寺派とかが逆立ちしたって
できないすばらしいことも沢山できるでしょうに。もったいない。
それで親鸞会が栄えて本願寺派が滅ぶなら、ぼくとしては本望です。マジで。
>>自分が癌になって、治せる医者が一人しかいなかったら
>
>という、現実離れした喩えを真宗教義の上で普遍化するために
>s会の教義解釈があるんだとするなら、「正直言って「つまらん話」だ。」
>カルトだね。と思いますね(w
>「あなたは病気だ。治せるのは私だけだ」なんて、、、。どこの教祖様?
>
>で、上のたとえを我が身の上に納得できないと弥陀の救いからもれると。
>冗談じゃない。詭弁っすね。
>それこそ、宿善あって、こうして今ここで信心の沙汰をしてることだろうに。
私、実は現役s会員ですけども、s会仔牛(と思われる)「ひさしぶり」よりも、
貴方の論理のほうがずっとわかりやすく、またまともだと思います。
特に、医者のたとえって「s会はカルトです。」て自ら認めてるものですものね。
私、教学は幼稚園なみですから「ひさしぶり」かアンチ「ひさしぶり」かどちらが正しいかわかりませんが、
「ひさしぶり」はここの発言みているとその人間性に欠陥があるような気がしてなりません。
s会の仔牛ってこんなんばっかりかと思うとショックですね。
私、「ひさしぶり」にその傲慢な態度を直せといったにもかかわらず、
改まるどころか逆切れする始末。こんなんでは、あの組織は滅亡あるのみです。
もっと「ひさしぶり」には自利利他の菩薩行を実践して頂きたいです。
わざわざ、人を不愉快にさせるような発言は自損損他ですね。
私に任せなさい。
322 :
ある通行人:02/11/16 15:47
>自分が癌になって、治せる医者が一人しかいなかったら
一つ聞いていい?
この治せる医者って誰を指すの?
もし、T森だったらこれは間違いなく善智識だのみの異安心だよ
それを分かって言っているんですか?
それともとうとう正体をあらわしたのか、どちらですか?
ひさしぶりさん
どちらにせよあなたの信仰があわらになったということではないですか
もしあなたが幹部仔牛で、うわさどおりW部氏であれば大いに問題発言(粛清規約に引っかかる)ですし
そうでなくてもs会の教義の是非を問われる重大な発言ですよ
今後の展開に目をはなせませんね
323 :
ある通行人:02/11/16 15:50
W部のあとだけに氏がついていたのはいつもの癖で・・・
別に彼の犬とかというわけではありませんので
誤解を避けるために一言付け足します
>>89 のつづき
ましてそれが、仏法にむかえば、謗法(ほうぼう)の大罪。最(もっと)も恐ろしい無間業(むけんごう)の重罪だ。
「善知識(ぜんぢしき)をおろかに思い、師をそしる者をば、謗法の者と申すなり」
と、親鸞聖人(しんらんしょうにん)は「末灯鈔(まっとうしょう)」に仰せである。
325 :
名無しさん@1周年:02/11/16 21:44
ひさしぶり、はカルトっぽい。
本人は意識してないだろうし、会に居るとこういう香具師は
多いのでノーマルだと思っているのだろうが、やはり、こういう
世間にその調子のままで出てくると「やっぱおかしいな」と
言うのが際だつ。
326 :
名無しさん@1周年:02/11/16 23:02
むかし、W部を震え上がらせた孟子三十年(だっけ?)さん、降臨ギボンヌ
327 :
名無しさん@1周年:02/11/16 23:31
>>326 彼は影のHITMANによって粛清されました。もはやこの世にいません。
おそるべし。W部
えっ!?マジですか?あれだけW部の後生を案じての諌めを仇で返しおったか。
つくづく縁手掛かりのないヤツじゃのぉ。ロベスピエールW部を刺せるのは、
ルネヴァンダール渡辺しかおらんのか??
329 :
名無しさん@1周年:02/11/17 00:25
>>289 有難うございます。
数冊、法然上人に関する本を読んでみましたが、自分ではそれと思われる
文章に出会うことができませんでした。
次の「大原問答時説法の御詞」のお言葉について軽く触れられたおりましたが・・・。
よろしかったら、お薦めの書籍などご紹介下されば幸甚です。
大原問答時説法の御詞
上人、天台真言華嚴法相三論等の顯密に付きて、凡夫の初心より佛果の
極位に至るまで、修行の方軌、機法の相貌、具に述説の後、
「これらの深法みな義理功妙にして利益最勝なり。機法相応せば、得益
踵をめぐらすべからず、取證如反掌の金言まことなり。全く疑所なし。
ただ源空がごとき頑魯の類ひは、さらにその器にあらず。しかる間源空
發心の後、聖道門の諸宗に付きてひろく出離の道をとぶらふに、彼も
難く是も難し。これすなはち代下り人愚かにして機教背ける故なり。
このほか有智無智を論ぜず、持戒破戒を選ばず、時機相応して順次に生
死を離るべき要法は、ただこれ淨土の一門、念佛の一行なりとて、一日
一夜の間、法藏比丘の昔より弥陀如來の今に至るまで、本願の趣き、
往生の道に暗からず、理を極め詞を尽くしてただこれ涯分の自證を述ぶ
るなり。全くその法器の受用をさまたげんとにはあらず」
とのたまひければ、座主より始めて満座の衆みな信伏して、一人として
疑ひなし。
法然上人と明恵上人の生き方・思想を対比的に論じている
良書を読むご縁になりました。
少し驚いたのは、日本の聖道門の代表者(でいいんですよね?
自信ないので・・・)と思っていた明恵上人が、人間的な「愛」
に対してその全てを否定する態度をとられていなかった、という
ことです。
だいぶ、考えさせられました、
聖道門と普段口にしている自分が、実は、聖道門について何も
知らないのだなぁ・・・と。
その著者の考えも当然入っているのでしょうが、
聖道門というのは、「愛」の全てを否定していないのでしょうか?
それとも、「明恵上人において」ということなのでしょうかね?
私が自分で勉強してきた(s会現役時・脱会後)浄土真宗では、
「愛」を完全に否定しているように思っているのです。
倉田百三などの戯曲を読むとそうでもない、という見方もできますが。
求道者(聞法者)が、道を進む上で、「愛」が邪魔になるものだと
思ってきたのですが、真宗でも、有効な縁として考えられるのでしょう
かね?
少なくとも、s会では、完全否定でした。
聖道門についても、自分で「知る」ことが大事だと思いましたね。
それと、元s改印さんには、以前も私の基本的な質問に
ご丁寧にお答えいただきましたことがあり、感謝申し上げ
ます。
それと、横道それた話題を出してしまい、
みなさん、スマソです。
それでは。
334 :
第十一回孟子:02/11/17 00:51
>>327 人を勝手に殺さないでくれ。私は健在だ。常にM晴の
動向を近くで監視している。
M晴に告ぐ
貴様の復活によりまた以前のようにひたすら海員から
金をむさぼり多くの仏縁を叩ききる、おぞましきS会
が復活してしまったことを大変遺憾に思う。
お前はこの世から地獄にオチネバわからないというこ
ともよくわかった。
だが、武士の情け今年一杯待ってやる。もしお前が
態度を改め、立場をすて、貴様が仏縁を叩ききった
かたがたにわびを入れないならば、来年の初めに
お前に、ある、強烈な鉄槌を下す。
貴様は来年中にはブタ箱に入っていることになる。
よいか、これは冗談でも脅しでもない。
天に向かってはいたつばは、自分にふりかかってく
る。自分が撒いた恐ろしい種まきの結果をブタ箱の
中で、存分にかりとるがいい。
覚悟せよ
335 :
名無しさん@1周年:02/11/17 01:09
今のs会については分かりませんが、自分が在籍していた
頃のs会は(自分の中では)良かったと思います。
336 :
名無しさん@1周年:02/11/17 01:31
>>334 期待してます。
ぜひM晴に因果の道理(悪因悪果)を身をもって体験させてやって下さい。
337 :
hitomi っ!=329:02/11/17 01:40
>>
>>335 まぁ、私もそう思いますけどね・・・。
いい時期に辞めたのかもしれません。
シャクティパット!シャクティパット!キャッキャッ
医者の例え聞いてたらこんなデムパが飛んできますた。
339 :
名無しさん@1周年:02/11/17 01:52
>>338 あれほどキティな理論は珍しいからね。
まさにカルトの典型の理論だよ。NBさんの言うように。
340 :
名無しさん@1周年:02/11/17 03:10
>>334 いいね。
蜜春がもしKにパクられたらお付きの子牛どもはどう動くかな。
それでも、蜜春マンせーでいくか。蜜春を獅子身中の虫として
追い出す(クーデター)か。西と東にわかれて関ヶ原の合戦するか。
戦争好きの会長としてはリアルで見られて結構面白いんじゃないかな。
自分に反旗を翻すってのは、基地の会の彼ぐらいだしね。(w
341 :
名無しさん@1周年:02/11/17 03:13
ひさしぶりさん、どしたの?
頑張ってください!
342 :
名無しさん@1周年:02/11/17 08:52
ひさしぶりはK玉と対策会議の最中です。再登場までしばらくお待ちください。
よりグレードアップしたカルトな理論を展開して行きますのでお楽しみに。
343 :
名無しさん@1周年:02/11/17 10:29
S会は仏教を教義としている団体と本当にいえるのだろうか
という疑問がしばしわく。なぜなら金のない人間は見下す。上層部
ほどGHSしない。そして下々のものどもは金を運んでくるのが
あたりまえ、金運んでこなければありったけの侮蔑を与える。
一人一人の仏縁のためにある仏教教団ならばこれはあるまじき
体質ではないか。
弱いものをさらに叩く。強いものはふんぞり返る。その根拠は
「大きな虫を生かすために、小さな虫を殺さねばならない」
という先生の言葉だろうが、完全に聞き間違っているぞ
ばか行使ども。小さな虫を踏みにじり、さらに苦しめ、後生どころか
この世から地獄にたたきおとす、そして何もいえなくなるまでいびり
相手が反抗できないと知ると捨てて逃げるし、反抗してくると徹底的に
つぶしにかかる。腐りきったお前らの行為はもはや仏法者では
ない。聖人のもっとも嫌われた外道、権力者とまったく同じではな
いか。
344 :
名無しさん@1周年:02/11/17 10:31
その根本にM晴問題がある。
奴はまったく仏教がわかっていない。また人の幸せを思う心
など微塵もない。ただ、自分の欲望の赴くままにいきてる
だけ。こんなあふぉが権力を握ると下の人間がどれほど悲惨
になるかという人類の歴史をあまりにも、鮮やかに
(スケールはかなり小さいが)証明してしまっている。
心ある人たちはこのM晴の実態をいやというほど知っていた
ので、なんとか封じ込め実権のないかざりのような
(いわゆる本願寺の法主のような)立場に追い込もうとしたが
まんまとW部らの謀議により一気にM晴降臨と相成ってしまった。
その結果、もっとも悲惨を味わい、苦しむのは無力で、何も
知らない末端の海員である。
今回の製本堂GHSの異常な金集めは、M晴降臨の罪が早くも
現れてきた実害である。
これから、奴の異常な性格がS会を一層異常集団にかえ、さらに
だれもブレーキをかけるものがいなくなったため、暴走を始める
であろう。
W部よ貴様、S会の中心にふんぞり返って、反逆者をK新聞で
なでぎりにして気持ちいいだろうがお前の下には何百、何千という
仏縁叩ききられた人たちの怨念が渦巻いているとおもえ。
M晴は今年中に反省の態度を示さない場合必ず沈める。
次は貴様だ、覚悟しろ。
345 :
名無しさん@1周年:02/11/17 10:32
ヒットマンの選定に入りますた。
>>329 小生も残念ながら大原問答の当該部分を原文でみつけることはできませんでした。
藤本治師が「無の道 念仏の真髄」(春秋社)にて大原問答を訳されて示されて
います。それゆえ彼の味わいが含まれるかもしれませんが、「他力往生が因果の
道理に反するのではないか?」という論難に対して上人が返答される箇所を示します。
(原文はまたの機会ということで・・・すみませんでした。)
11・顕真が三度問うた。
「念仏すれば、他力で往生ができるという理屈がまだ十分に分からない。
罪悪の凡夫が仏の願力のお陰で清浄な浄土に往生ができるなら、それは他作自受、
自分は働かないで、他人の働きのお陰を受けることになる。
これでは因果の道理にかなわないではないか。」(つづく)
>>346(つづき)
法然はこれにこたえていう。
「宇宙の真如とか法性というものは、姿、形がなく無相のものであるから、
自というものもなく、他というものもなく、因もなければ果もない。因も
果もない処で、無理に因果の法を議論するとすれば、自他のない処で自分の
積んだ因縁で、感果があるならば、他人の積んだ因縁によって、自分に感果
がないとはいえないではないか。あの縁覚聖人(摩訶迦葉)は、花の散り葉
の落ちる無常を因縁として、煩悩を断ち、悟りを得られたという。無心の草木
でさえ、悟りを開く因縁となる。まして阿弥陀仏の本願の加護を受けて、往生
の手引をして下さる因縁に恵まれて、極楽に往生できないというはずがない。
聖道門の人でも、賢明に修行して、因縁に恵まれると、仏の加護があるはずで
ある。しかしこの聖道門では自力の強い修行が必要で、他力の加護が弱いのである。
浄土門であっても、三心を起こして、念仏を申しても、悪事をして妄念が止まら
なければ、その修行者の自力は極めて弱い。それに反して、仏の願力が弱く、
悪事を行わず、妄念も起こすことなくして、念仏を申せば、必ず往生することが
できるのは、本願である南無阿弥陀仏の名号の力が強く、修行者の自力の功徳が弱い
からである。こういうわけで、これを他力往生というのである。これはまた因果の道理
の理に背かず、他人の働きで、自分がその報いを受ける他作自受とはならず、他力と
自力とは、そのどちらが強いか、どちらが弱いかで分別するのである。」
以上です。
>>288(つづき)
スレの流れからズレて唐突ですみませんが、一枚起請文のつづきです。
まず、親鸞会が短冊で示さなかった部分を小生の独断で訳します
(解釈の誤りございましたら宜しくご教示ください)
(私釈)しかしながら、念仏を称する心のありさまとして三心、態度としての四修があるが、
それもすべて皆「南無阿弥陀仏と称えて必ず往生するぞ」と思う心のなかに自ずから備わる
のである。そして、この外にもっと深い意味があるなどと私が思っているとしたならば、
私自身が阿弥陀仏と釈迦仏の二尊のお慈悲のみ心にはずれ、仏の本願にかなわないことに
なってしまう。それゆえ今述べた以外には「おくふかき事」がないことを釈迦弥陀にお誓い
申し上げるのである。(18願の)念仏往生を確信している人は、たとえ釈尊一代の教えを
深く学んだ人であっても、何も知らない愚かな人や、教えを深く学んだことのない尼や入道
などと同じように無知の輩と同じ身であるとわきまえて、自分が何でも知っているというよう
な振る舞いをせずに、ただ一向に念仏を称えなさい。ここに私の両手のひらを押して、浄土宗
における信心と念仏行については、この一枚の紙に書き記したことのなかに一切が述べられて
ある。源空の所信は、ここに書かれている以外に全く別の意味はない。私の死後に、私の所信
と異なった考えが打ち立てられるのを防ぐ為に、所信をはっきりと記しておくのである。
>>349 三心は観経「上品上生」から出たもので、至誠心、深心、回向発願心ですね。
また、四修とは、善導大師の往生礼讃を根拠とし、恭敬修(つつしみ敬う心をもつ)、
無余修(余の行を交えずひたすら称念する)、無間修(絶え間なく行を続ける)、
長時修(命を終えるまで長時間修する)とありますが、もとは倶舎論や諸の大乗の
論に由来しており、「聖者や菩薩が無量の時間をかけて、瞬時も休むことなく、
六波羅蜜等の修行に励み、それを余すところなく完成しようとする修行法」であり
ますが、これらは皆「決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞ」と思う中に籠っている
と上人は仰せです。六波羅蜜は六度万行ですね。これは散善です。
選択集の「釈尊、定散の諸行を付属したまわず、ただ念仏をもって阿難に付属したもうの文」に、
「およそ散善の十一人、皆貴しといえども、しかもその中においてこの四箇の行は当世の人、
殊に欲する所の行なり。これ等の行を以て、殆んど念仏を抑う。つらつら『経』の意を尋ねれば、
この諸行を以て付属し流通せず。ただ念仏の一行を以てすなわち後世に付属し流通せしむ。
まさに知るべし、釈尊諸行を付属したまわざる所以は、すなわちこれ弥陀の本願に非ざるが故なり。」
散善を修することは「殆んど念仏を抑う」と仰せですね。
ひさしぶりさん、この部分についてあなたはどのような見解を示されるのか教えてください。
>>349(つづき)
そして釈尊は「弥陀の本願に非ざるが故」に散善は阿難尊者に付属せられなかった。
「およそこの『経』の中にすでに広く定散の諸行を説くといえども、すなわち定散を
以て阿難に付属して後世に流通せしめずして、ただ念仏三昧の一行を以てすなわち阿難
に付属して遐代に流通せしむ。」(選択集)
では、なぜわざわざ釈尊は散善や定善を説かれたのか。上人は自問自答しておられます。
「問うて曰く、もし爾らば何が故ぞ直に本願念仏の行を説かずして、煩わしく非本願の
定散諸善を説くや。答えて曰く、本願念仏の行は『巻経』中に委くすでにこれを説く。
故に重ねて説かざるのみ。また定散を説くことは、念仏の予善に超過することを顕さんが
為なり。もし定散無くば、何ぞ念仏特り秀でたることを顕さん。例せば法華の三説の上に
秀でたるがごとし。もし三説無くんば何ぞ法華の第一なることを顕さん。故に今定散は
廃の為にしかも説き、念仏三昧は立せんが為にしかも説く。」(選択集)
本願念仏はすでに大経で説かれているから観経で繰り返して説くことをしていないだけである。
観経のなかで定散善を説かれたのは、「念仏の予善に超過することを顕」わすためであり、
「定散という比較の対象が無ければ、念仏の絶対優位は示せない」ことを法華経を喩えとして
挙げられて説明されています。「諸行」は念仏の絶対的価値を示す為に、説かれたと解釈されますね。
もちろん上人はあくまで修行者の選択的行為としておっしゃっておられることを忘れてはならないと
思います。あくまでも、「凡夫」には本願念仏しかないと主張されているのでしょう。
そして世間には自分が凡夫であることを認めない人々のほうが大多数でしょう。
それゆえ親鸞会のような、出世間善としての諸善を認めるような救済論理も存在しうるのでしょう。
しかし、その論理は真宗の論理ではない。
(つづく)
>>351(つづき)
親鸞会が後生の一大事の解決のために、宿善になるからといって励むことを勧める六度万行。
釈尊はこの「散善」を勧めるためではなくて「廃の為に」説いていると仰せですね。そして
「隨他の前には暫く定散の門を開くといえども、隨自の後には還って定散の門を閉づ。」(選択集)
諸行は観経の真意ではなかったと仰せですね。この閉じられた定散の門とは方便の19願、20願のこと
ではないのですか?他にどのように解釈されるというのですか?
最後に、この一枚起請文のなかには「諸善の勧め」はまったく出てきませんね。そのようなことを主張
することは上人がいわれる「おくふかき事」にならないのでしょうか?
「浄土真宗の教えに(出世間善としての)諸善が含まれる」と主張することは、「私の死後に、私の
所信と異なった考えが打ち立てた」ことにならないのですか?
それとも親鸞聖人と法然上人は教え方がちがうのだからこのようなご文は根拠にならないとおっしゃる
のでしたらご持論を展開していただけますか?
353 :
名無しさん@1周年:02/11/17 14:29
観念の遊戯の議論を繰り返しているS会擁護派の楽聖君たちよ
よく知っておきな、S会行使患部どもの問題は、真剣に仏教聞
き求めている、やめたくない。聞きたいという人たちの心に土足で
乗っかり、徹底的にその人から奪えるものすべてを奪うという点にある。
楽聖諸君よ古参海員は皆、行使のこのような性癖は熟知
しているので、自分の仏縁は皆自分で守っているのだよ。
そうしなければ、2~3年でありったけしぼられて、
ハイジンのようにされたあげく、裏切り者呼ばわりされて
すてられるだけ。
これがS会の実態。楽聖のうちはそのわずかな部分しか
見えてこないから、ひさしぶり、のような無邪気なあふぉ
が暴言をはける。
行使とのかけひき、これは自分の仏縁を守るためには
絶対に必要なこと。よく知っておきな
とこうとしている教義が正しくとも、行為や人格や方法まで
保証はされていない。それどころか自分は正しいという
前提のもと、他人の人生を徹底的に破壊し尽くすのだよ
平気で。しかも反論すれば、大罪悪人呼ばわりし、謗り
侮辱し、見せしめにする。
仏教の教義のどこにこのような行為を正当化できる根拠が
あるのだ。
答えてみよW部
>>346 教えて頂きまして有難うございます。
わざわざ該当箇所をカキコくださり、申し訳なく思います。
御礼申し上げます。
それでは。失礼しました。
355 :
名無しさん@1周年:02/11/17 17:19
∫
∧,,∧ ∬
ミ,,゜Д゜ノ,っ━~ ひさしぶりはまだ言葉遊びのオナニーを続ける気かね(藁
_と~,,, ~,,,ノ_
.ミ,,,/~), .|
 ̄ ̄ ̄ .し'J ̄ ̄|
356 :
名無しさん@1周年:02/11/17 23:51
ちょいと聞きたい、みなさんは
1.親鸞聖人の教え≠s会の教え=会の体質
なのか
2.親鸞聖人の教え=s会の教え≠会の体質
なのか
俺は1だと思うけど、2を支持する理由ってなんでしょう?
確かにs会的な教え方は一般のウケはいいとおもうが
2元的な教えがカルト子牛の温床にもなっている訳だし
357 :
名無しさん@1周年:02/11/18 01:23
>>356 親鸞聖人もお聖教のよみかえをしたりして独創的な解釈をしておられる。
「外に賢善精進の・・・」なんか確か、そう。
推測だけど、驚愕通会員でどうもオリジナルとちがうな、と思っても、
百年に一度の善知識ならば、多少現代風アレンジということで
親鸞聖人の教え≠s会の教え
であっても許されるとおもってるんでは?
358 :
名無しさん@1周年:02/11/18 01:54
359 :
名無しさん@1周年:02/11/18 01:59
百年に一度の善知識=高森先生(現会長さん)
百年に一度の善知識No2=m春先生(次期会長さん)
ということでいいでしょうか?
360 :
名無しさん@1周年:02/11/18 02:41
しかし(文脈外れてるが・・・)、ジャヌソの茶畑氏は
明晰な方だね。s会にも、こういう人が大半を占めれば
いいのだろうけど。。。
>>356 3 親鸞聖人の教え≠親鸞会の教え≠会の体質
を支持します。
362 :
名無しさん@1周年:02/11/18 19:46
>>357 やっぱり諸善の勧めって現代風アレンジだったのですか?
たしかに本願寺とはっきり違う教えかただし、
人を集める「売り」にはなるだろうね。
あくまでも一過性に、だけど。
いまの親鸞会はGHSの話ばっかりだ。
363 :
名無しさん@1周年:02/11/18 21:24
>>362 それはM晴体制完全復活したからだよ。基本的にあのバカは金集めしか
頭にない。なにせ若いころヌード写真を仔牛や改印に売り歩いていたほど
だからね。それでバイクや車も買えたんだよ。GHS集めるだけ集めて、
M春一派が女連れて雲隠れする可能性大。気を付けましょう。
364 :
ひさしぶり1:02/11/18 21:34
>>181 「修諸功徳で助かる」というのは、前スレ895の「自力諸善で往生しようとしている」と同じことと
解してよろしいでしょうか??? そうするとこれ(「修諸功徳で助かる」)は、要門ではないという
ことでしょうか??? だとすれば何門でしょうか???? それともやはり要門でしょうか???
その場合だと、『「要門で助かる」というのが「機教不相応」であること知らされるのが要門です。』
ということになるのでやはり要門は「機教不相応」ということでよろしいでしょうか????
「功徳を修しなさい」というのが要門(おしえ)です。
できる人は助かりますが、できない人は助かりません。
できない人には「できないままで救う」という18願に導く方便が19願
要門であります。
>解してよろしいでしょうか???
>だとすれば何門でしょうか????
>それともやはり要門でしょうか???
>ということになるのでやはり要門は「機教不相応」ということでよろしいでしょうか????
わざと判り難くされているわけでもないんでしょうが
少し文章の書き方を検討されることをお勧めいたします。
どれが主文なんでしょうか?
全部が質問だとした場合は一つの項目にいれるのは
適当ではないですね。
「だとすれば」「ということになるので」というあなたの推論と
私の発言をまぜて話されるのも混乱の元だと思います。
基本的な質問の形をとっていただければありがたいと
思います。
365 :
ひさしぶり2:02/11/18 21:37
>>264 >涅槃の因縁たる無漏善(=勝義善)を善根
として修することが「できる」機類
>自力で成仏=妙覚に至れないことが、何故、聖道自力の全ての
勝義諦における善根の否定になるのでしょうか???
仏教の最終目的は「成仏」です。成仏に至ることのできぬ善根
でありますから、自力の善を「真実の善」とは言わない、と
言っております。
無漏善は「涅槃を得るのに役に立つ善」ですね。
ある程度のさとりは得ることができるが仏覚には
至れないのであれば涅槃を得るのに役立つとは
言えないでしょう。
>>265 >聖道門を時機不相応と廃して、十九・二十の方便願を勧めてられるとは思えないの
ですが如何か????
「聖道権仮の方便に衆生ひさしくとどまりて
諸有に流転の身とぞなる 悲願の一乗帰命せよ」(浄土和讃)
聖道門も19願も方便であるがゆえにとどまってはならぬことには
変わり有りません。
366 :
ひさしぶり3:02/11/18 21:38
「智慧と方便は是れ菩薩の父母なり、若し智慧と方便に依らずば
菩薩の法すなわち成就せざることを知るべし」(証巻)
「然るに、方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より
如来利他の信心に通入するぞ、と教えおきます祖師聖人の
御釈を拝見せざるにや」(改邪抄)
しかし智慧と方便に依らねば平生業成はできませんし
方便からしか真実へ入ることはできないというのが聖人一流の
御教えです。
「行者一心に道を求めんとき、常に当に時と方便とを観察すべし。
若し時を得ず方便無くんば、是を名けて失と為す、利と名けず」(化土巻)
法を求めるときは、時期と方便とをよく選びなさい、
時期にあわず方便がなければ目的達成はできません、との仰せです。
「信に知んぬ、聖道の諸教は、在世正法の為にして
全く像末法滅の時機に非ず、すでに時を失し機に乖けば
なり」(化土巻)
「末法五濁の衆生は 聖道の修行せしむとも
ひとりも証をえじとこそ 教主世尊はときたまえ」(高僧和讃)
聖道門の方便は「在世正法の為」の方便であり、末法の
衆生が救われる道ではない、との仰せです。
367 :
ひさしぶり4:02/11/18 21:39
「ここを以て釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し
阿弥陀如来、本、誓願を発して普く諸有海を化したもう」(化土巻)
「至心発願欲生と 十方衆生を方便し 衆善の仮門ひらきてぞ
現其人前と願じける」(浄土和讃)
「せっかく九十五種の邪道を出て、仏門に入っていても
真実に入る者は甚だ少なく、虚仮に止まるものの甚だ多いことを
憐れみたもうて、釈尊は観経の福徳功徳を修める法門を説きあらわして
一切衆生を真実に誘引し、それは本をたどれば阿弥陀仏が19願を
おこして一切衆生を化導したもうたのである」との仰せです。
「半満権実」の釈尊一代教と、福徳蔵である19願観経の修善は
あきらかに違うことの文証です。
方便という言葉は同じであっても聖道門は「在世正法の為」であり
福徳蔵19願の方便は「十方衆生を方便」された要門であります。
368 :
ひさしぶり5:02/11/18 21:40
>>266 >聖道門の六度万行は、涅槃法の善=勝義諦の善=無漏善では
なくて人間のする道徳善だという根拠は何でしょうか???
自力で仏覚を成就することができない、ということですから
有漏善である、と言っております。
>>269 >未回答の質門(かなりありますが)
>はやく回答お願いいたします
類似の質問がかなり多いのでまとめてお答えしていると
思いますが。
>>183の④などは質問の意味が不明ですね。
>「罪の沙汰」は、われわれが本能的に
していることでしょうか???? 」
「合点」の件もそうですが、類推や私の言ったことに
自分の言葉に混ぜて質問する、この類の質問が多いのですね。
「本能的」や「合点」という言葉はあなたが使った言葉ですし、
どういうニュアンスであなたが使っているのか、私には
わかりません。
それに対して私が見解を言うのは不適当でしょう。
「本能的」であると言いたいならあなたが根拠をあげる
のが筋であろうか、と思います。
369 :
ひさしぶり6:02/11/18 21:41
>>270 >行体が、信前・信後では異なるということについては
>「凡夫自力の心行をおさへて仏智証得の行体といふ、いはれなき事。」(『改邪抄』)
そうですね。言葉が間違っていました。
信後の行体は名号ですから行体は異なります。
修される物柄は行相になります。
修善という行相が嫌われるなら信後も嫌われている
はずですね。
>>77 >諸善とは比較にならないくらいに自力の称名
が勧められてないとおかしいと思います。
20願で勧められている念仏は他力なんですよ。
ただ、称えているのが定機散機なので機の失で
自力になっているのです。
信前の者は「助正間雑し」(化土巻)ているので「20願の行者のつもり」
のひとはいても「20願の行者」と言うのはどこにもおりません。
それは「19願の行者」も同じ。「19願の願意にそえるだけの修善」を
している者はいませんので、「19願の行者」もどこにもおりません。
「行者のつもり」のひとばかり。
370 :
ひさしぶり6:02/11/18 21:42
>>85 >廃せられるというのは、仏教でいう「善根」としては、廃せられて
いるという意味ですよ。
人間の善が涅槃にはいる善根にはならない、とはかねてから
私が言っていることであります。
>われわれの聴聞や、お勤めは、「道徳」だといってるのじゃなくて、「(出世の)自力の
善根(=宿善)」ではないっていってるんですけど。
信前の者にすすめられていますか、いませんか?
>>275 >これでは、『無量寿経』のみが「余の深法」との経証にはなりません。
そうですね。
祖師聖人が「それ真実の教を顕さば、すなわち大無量寿経
是なり」(教巻)といわれているからですよ。
法華経が自力の最大一との観点から、その経から送る
「深法」は大経しかありません。
371 :
ひさしぶり8:02/11/18 21:43
>>276 >『浄土論』の意を受けて、これを「極楽浄土」と解してますが
詳しいですねえ。学者さんですねえ。
浄土論の意を受けているのなら、よろしんじゃないですか?
>>282 >後生の一大事を解決する目的で諸善(出世間善)
を修することを信前のものに勧めていますよね。自力の念仏は往生の役に立た
ないが諸善は獲信と「良い関係」であるから修しなさいとでもいうのでしょうか?
諸善も自力の念仏も往生(獲信)には役にたちません。
聴聞ちゃんとしているひとはいつも聞いています。
>諸善を修しようとするその心がすでに本願に背いた自力の心である
そのとおり。要門自力の念仏も含めてね。
372 :
ひさしぶり9:02/11/18 21:44
>>283 >親鸞聖人は化土の存在を否定されていません。
19願20願の願意に相応するひとは化土往生できますよ。
でもだれがいるんですか?
>>284 >「信前のものは念仏称えてはいけない」、という意味も
含むようにも解せられるのですが如何でしょうか?
修善も念仏もしてください。宿善になります。
ただし、自力でするかぎり、どちらも捨てものです。
>>285 >自力の諸善万行は行体ともに廃せられるの
が真宗の教えであり、「報恩行が信前・信後とも行体が同じ」という説
言葉の使い方が私も間違ってましたが、
あなたも間違ってます。
行体というのは信後は名号で行相は称名念仏と
その他の助行です。心相は他力の信心。
修善は行相ですね、行体とは言いません。
行体は異なります。行相は同じであって問題はありません。
373 :
ひさしぶり10:02/11/18 21:45
>>286 >別に何ら特別の意図はありませんが何か?
「正行の中の専修専心 専修雑心 雑修雑心は(これみな辺地胎宮ケ慢界の
業因なるがゆえに)」の御文を「自力の念仏はよろしいが諸善はダメ」という
あなたがどう解釈されているのか、お聞きしたかったのであげた御文です。
あっさり省いて引用されたので不思議に思いました。
わたしの勘違いでしょうか?
>そして「専修」とは弘願他力の行ですね。
「専修についてニ種有り、一には唯仏名を称す、ニには
五専有り。この行業について専心あり雑心あり。五専とは
一には専礼、ニには専読、三には専観、四には専名、
五には専讃嘆、是を五専修と名く。専修その言は一にして
其の意惟異なり。即ち是れ定専修なり、復散専修なり」(化土巻)
自力の専修と他力の専修があるという聖人の仰せです。
善導大師や法然上人は「専修」とは他力の意味で使っておられるので
聖人もそういう使い方をされているところもあります。
374 :
ひさしぶり11:02/11/18 21:46
>全部覚えてしかる可きであると思うのですが。
そのとおりですね。ただあそこの「問題」としては
「一枚起請文の信心をあらわされた部分はどこか」という
ことであげられた御文だったと記憶しています。
全文をあげてしまうと答えにならないでしょうね。
>>346-
>>351 ながながと御苦労さまです。
「念仏」と言われているのは「他力の念仏」である、とは
何回も私は言っていることです。
自力の念仏も修善も往生には役に立ちません、とも
何度も言っております。
自力の念仏で往生できると教えられたところは
ありますでしょうか?
375 :
ひさしぶり12:02/11/18 21:47
>>258 >あんたらは尊い仏法か一念の謂れか何といてるか知らんけどな
「医者のたとえ」がそんなに反響を呼ぶとは思わなかったよ。
まあ、上のこの言葉があなたたちのすべてを表しているんじゃ
ないの?
「何といてるんか知らん」知らんかったら、医者の手術は殺人に
見えてしかたないね。
「本師源空いまさずばこのたびむなしく過ぎなまし」親鸞聖人が
カルトなら私もカルトでかまわんよ。
講師がこんなでたらめな掲示板に書きこみするわけないじゃ
ないか。
>>260 >お万個した事が重要であり、
豊田商事の会長が昔海員であったことが重要なわけだ
自分もしたかった、ということね。
376 :
ひさしぶり13:02/11/18 21:48
あんたらのやってることが「お万個したりしたひと」や、
「豊田商事の会長」と同じに見えるのはなんでかなあ。
この掲示板「つまらん人のあつまり」やなあ、と思う。
うちの会社の社長は、仏とも法とも知らん者だし
昔は随分悪いこともやったらしい、愛人もいたらしい。
嫌ってるひともいっぱいいるけどね、仕事はこの人の
右に出るひとはいないんだよ。だからね、4000時間
働かされてもついていくんだよ。何千人も社員をかかえて
やってることは立派だと思う。
それに比べて、ひとの中傷ばかりして何の真実も明かに
できない。
あんたらはつまらん人間だよ。
悪口言って辞めるやつもいっぱいいるよ。
辞めたいやつはやめればいいじゃんか。価値がわからん
のだから。
仏法も同じ。「みんなに聞いてもらいたい」と思う心が
ある反面、「無宿善力及ばず」。
「何といてるか知らん」なんて輩は縁がないんだよ。
377 :
名無しさん@1周年:02/11/18 21:50
でた、ひさしぶりの暴言が・・・。
378 :
名無しさん@1周年:02/11/18 21:52
>>お万個した事が重要であり、
>豊田商事の会長が昔海員であったことが重要なわけだ
>
>自分もしたかった、ということね。
>>375>>376 すごい理論のすり替えだな。
もう、君よく頑張った。感動した。もういいよ。早くくたばってね。ウザイから。
379 :
名無しさん@1周年:02/11/18 22:14
>>376 >仏法も同じ。「みんなに聞いてもらいたい」と思う心が
一連のレスを見てると、本当にそんな心があるのか疑問だ。
仏法を利用して人を見下したいだけのように見えて仕方ない。
少なくとも、法論スレのひさしぶり氏の発言を見て
「仏教聞いてみようかな」と思う香具師はいないと思われ。
380 :
名無しさん@1周年:02/11/18 22:33
>>379 すなわち、「ひさしぶり」の発言は皆の仏縁を遠ざけているわけですな。
そのことを自覚しろよ、ひさしぶりっ。
381 :
名無しさん@1周年:02/11/18 22:37
>>376 その「お万個したりした人」ってのはM春のことなんだがなあ。
豊田商事の会長って元海員やろが。
M春と元海員と同じに見えるってどういうこと?
両方とも「つまらん人」ってことが言いたいのか?
382 :
ある通行人:02/11/18 22:39
ひさしぶりさん、やっぱり私の質問には答えてくれないんですね
やっぱり都合の悪いことには答えてもらえないようですね
そんなことではどれだけの事を書いていても、「結局は善智識だのみなんでしょ」
ってな感じになっちゃいますよ
うっかり書いてしまったぐらい書いてあってもいいと思うんですがね
どうっスか?
383 :
ある通行人:02/11/18 22:41
一応何を言いたいか分かるようにコピッときます
322 名前:ある通行人 投稿日:02/11/16 15:47
>自分が癌になって、治せる医者が一人しかいなかったら
一つ聞いていい?
この治せる医者って誰を指すの?
もし、T森だったらこれは間違いなく善智識だのみの異安心だよ
それを分かって言っているんですか?
それともとうとう正体をあらわしたのか、どちらですか?
ひさしぶりさん
どちらにせよあなたの信仰があわらになったということではないですか
もしあなたが幹部仔牛で、うわさどおりW部氏であれば大いに問題発言(粛清規約に引っかかる)ですし
そうでなくてもs会の教義の是非を問われる重大な発言ですよ
今後の展開に目をはなせませんね
384 :
名無しさん@1周年:02/11/18 22:42
>>376 ひさしぶりさん、
あなたが「善知識頼みの異安心」だということはよくわかった。
もう、いいよ。ご苦労様。
もはや意地と我慢で引くに引けず続けてるんだろうけど、
あなたが登場すればするほどs会のイメージはどんどん
堕ちていくんだよ。
誰かとバトンタッチしたほうがs会のためだよ。
385 :
名無しさん@1周年:02/11/18 22:50
>>376 >うちの会社の社長は、仏とも法とも知らん者だし
>昔は随分悪いこともやったらしい、愛人もいたらしい。
この社長ってひょっとしてM春では?
と考え込んだのは漏れだけなんだろうか?
386 :
元s会の犬:02/11/18 22:51
>
>>258 >>あんたらは尊い仏法か一念の謂れか何といてるか知らんけどな
>
>「医者のたとえ」がそんなに反響を呼ぶとは思わなかったよ。
>まあ、上のこの言葉があなたたちのすべてを表しているんじゃ
>ないの?
>「何といてるんか知らん」知らんかったら、医者の手術は殺人に
>見えてしかたないね。
>「本師源空いまさずばこのたびむなしく過ぎなまし」親鸞聖人が
>カルトなら私もカルトでかまわんよ。
>講師がこんなでたらめな掲示板に書きこみするわけないじゃ
>ないか。
わざわざ、ご丁寧にレス返してくれてありがとう(w
医者の例えは普通の感覚では出鱈目だから、反響よんだんだということを自覚してんの?
別に「何といてるかわからん」から「仏法」=「殺人」などと言った覚えは俺にあらへんがな。
要は、仏法を説いているからえらいんやという偉そうな態度が今のsを腐敗させてるちゅうこといいたいの。
m晴が浄財つこうて邪淫行為してても、あんたはm晴尊敬できんのか?
できるんやったら、m晴が氏ねいうたら氏ぬんか?
できるいうんやったら氏んでみ。それぐらいsを信頼してるんやったら尊敬したるわ。
ま、あんたみたいな口だけの男にはできんと思うがな(w。
所詮、s会もいづれ顛倒するもの。丸太や板切れと同じやな。
387 :
名無しさん@1周年:02/11/18 23:30
>>386 赤の他人だけど久しぶり氏の意図するところを推測で書くね
>「何といてるんか知らん」知らんかったら、医者の手術は殺人に
>見えてしかたないね。
通常、人の身体を刃物で切り裂くと、死に至るから殺人だよね。
医者の手術ってのも、血がいっぱい流れるし、
傍目にみるととんでもないことをしてるように見えるかもしれない。
それと同じように、会の指導というのは傍目には無茶なように見えても、
それは医者が患者を直すように、適切な方向に導いているのだ。
と言いたいのだと思いますよ。
388 :
元s会の犬:02/11/18 23:35
>傍目にみるととんでもないことをしてるように見えるかもしれない。
>>387 傍目にみなくてもとんでもないことしてますけどね。
M晴の邪淫行為と仏縁の関係の正当性を知りたいですね。
自分は欲望のままに生きていて、部下(下僕)には無茶させるのはどう考えてもおかしい。
指導が適切ならまず指導するものが実行せよといいたいですね。
389 :
祭り大好き!!:02/11/18 23:46
>>364 >「功徳を修しなさい」というのが要門(おしえ)です。
>できる人は助かりますが、できない人は助かりません。
要門は、(功徳を修することが)できない人にとって「機教不相応」と解してよろしいですね???
できない人は、「できないままで救う」という御本願(十八願)に導かれるから、結局「助かる」の意
でしょうか??そうだとして、できない人は、要門に入る(功徳を修する)ことすらできませんね????
要門は、「功徳を修する」ことすらできない機の為に勧められているのでしょうか。そうではないでしょう。
要門に入る(功徳を修する)ことができて、尚且つその功徳を廻向して、報土往生を願う機類に対して、化
土往生の方便に導かれているのではないでしょうか????
>どれが主文なんでしょうか?
悪文スマソ。
>>181の「修諸功徳で助かる」というのが、要門なのか否かが不明の
為両方の回答(「要門でない。」と「要門である。」)を想定して質問しました。
390 :
名無しさん@1周年:02/11/18 23:56
>>388 >傍目にみなくてもとんでもないことしてますけどね。
漏れはひさしぶりじゃないが、
漏れの主観として同感です
391 :
名無しさん@1周年:02/11/19 00:00
>>387 ライフスペースの某も似た様な事言ってましたな
鼻から蛆虫が見えても病気が治ってる過程だと・・・
たとえ医者が手術を殺人呼ばわりされても、ひさしぶりみたいな態度はとらんよ
モノ言うのはキッチリ病気を治した後ですよね。
392 :
祭り大好き!!:02/11/19 00:06
>>365>>368 「今、四地の中に、既に無漏の菩提分法を得しつつあるをもって彼いい便ち永に滅しぬ」
(『成唯識論・巻九』)
「諸々の菩薩(十地の菩薩の事)は、究竟して、清浄なる三身(法身・受用身・変化身)を得、
是無分別にして最上なる自在を得。」(『摂大乗論・巻下』)etc
十地より上の等覚の菩薩に至るまでに弥勒菩薩の修された自力の善根が、「涅槃を得るのに役立たない」
世間の道徳善だと言われる根拠は何でしょうか???? 経論上では考えにくいですが(例・上記)。
道徳善で「等覚」を証得できるのでしょうか??? できるとすればその根拠は????
393 :
名無しさん@1周年:02/11/19 00:19
392とか読んでいると、
祭り大好き!! 氏は真宗学だけでなくあらゆる仏教学に
通じているようだ。
ひさしぶり氏もs会のなかでは驚愕通なのだろうが、
いかんせん、レベルが違いすぎる。
とうてい太刀打ちできるはずがないのは明らかだ。
その証拠にs会淫も子牛も誰も助け舟さえだせない。
最近ゴジラなどの外野陣もめっきりおとなしい。
394 :
祭り大好き!!:02/11/19 00:25
>>369 信前・後で「報恩行」の行体が「変らない」という信心太郎氏の説は誤りということで
よろしいですね???
後、行相というのは、能修の心相と不離のものということでよろしいですね?? まさか三
業がばらばらということはないですよね。(自力の心相と不離の)行相は、嫌われていると
いうことでよろしいでしょうか????
395 :
祭り大好き!!:02/11/19 00:59
>>394 訂正 誤り 信心太郎氏
正解 新人太郎氏
>>370 >信前の者にすすめめられていますか、いませんか?
「宿善」になるとしては、すすめられていませんね。あくまで「御本願の生起本末を
聞く」が、すすめられるわけです。もちろんこれは自力ではできません。他力ですが
、他力を聞かせていただくつもりで尚自力に留まる方が多いのが現実ですが、それ
(自力に留まること)は、廃されるべきでそのことを方便としてすすめるのは本末転倒
ですね。
>深法は「大経」しかありません。
ここで、「余の深法の中において、示教利喜すべし」と言われるのは、円教への調機の為
に余経を示し教えよの意、と解されてると思うのですが・・・。従って、伝統教学的には、
円教を除く偏教を指すと解され、近代では、紀元前100年~紀元後150年頃の成立と
される『法華経』より前の『アーガマ』や『最初期の大乗経典』と解されてると思うので
すが。何故、『法華経』より送るの意と解されるのでしょうか??? その根拠は???
明朝は仕事だし、おねむだから今日はここまで。つづきは又(無常だからわからないが)。
396 :
名無しさん@1周年:02/11/19 02:34
「方便だからやりなさい」ってなんか変
方便が方便だと気づかれたら意味ないんでは?
タネのばれた手品見てるようなもん
それこそ自作自演みたいになってしまう・・・
397 :
NB ◆YIoCB90ZbI :02/11/19 03:16
ひさしぶりさん。
宗学の研鑽は仏徳讃嘆であるか仏恩報謝であるか、それ以外にはないでしょうね。
それを知る上でのみ、「信前」の研鑽も宗学の歩みとなることでしょう。
「破邪顕正」のための宗学研鑽などもってのほかです。
末法の世では仏教相似の外道が菩薩の法を乱すってねえ。
たとえて言えば、止まっている自転車を倒れぬように支えておくための道理と
走っている自転車が倒れない道理はまったく違うもんです。
自転車が走ることを知っている人間は自転車が自然に牽かれてまっすぐ安定することも
知っているし、自然に牽かれるがゆえに傾いても倒れない道理も知ってるもんです。
さらに、止まっている自転車がどんなに横向きに倒れていようともそれによって心配に
なったりはせんもんです。
398 :
NB ◆YIoCB90ZbI :02/11/19 03:17
お念仏が智慧なきものの救いであるということが、あなたにはどんなふうに聞こえて
いるんだろう。お念仏が十方衆生を救うみ教えであるということが、あなたにはどん
なふうに聞こえているんだろうか。
この娑婆で、仏教用語を一切知らずに、しかも歴史上現れたどんな有徳の高僧など
足元にもおよばぬほどに、もちろん元祖・宗祖の智慧や学識など足元にもおよばぬほどに、
仏教の真髄、精髄を語りつくされたお方がお一人だけいらっしゃった。
他ならぬ釈尊その方です。
梵天の勧請したまえるはすなわち、信楽受持難中之難無過斯難のゆえなれば。
しかるに釈尊、菩提樹下の金剛の宝座を立ちたまいてより御一代、対機のご説法したまえるは
すなわち、機を選ばぬみ法のゆえなれば。
399 :
NB ◆YIoCB90ZbI :02/11/19 03:17
お念仏こそは、甚深の仏教用語を一切必要とすることなく、及び煩瑣な外道の説を
一切用いることなく釈尊の求道そのままを歩み、また同時に釈尊の悟りそのままを
歩み、乃至、釈尊の大般涅槃そのままを得るための無上最勝威徳広大etc,etc,etc,
まああ、とにかく、説くとも尽きじの善巧大功徳方便力回向成就の真言です。
五劫思惟の大慈大悲のご本願、まことに、まことなるかな。
この大功徳を我が身に受け、我が灯火とできることの尊さ、うれしさ、ありがたさ。
ひさしぶりさん。あなたいただいておりますか?
宗祖聖人、のたまわく。
如来興世の正説、奇特最勝の妙典、一乗究竟の極説、速疾円融の金言、
十方称讃の誠言、時機純熟の真教なりと。
あえて誤解を恐れずに言うならば、「信心決定」が云々なんて、まったくもって、
ちゃーーーんちゃらおかしい。おかしすぎ。小一時間腹を抱えて笑っちゃう。
ってなもんだ。
で、何が言いたいかというと、ここであなたがさんざん叩かれている暴言云々を
軽く見ているなら、大間違いですよ。そこにこそ、あなたの「信」が正しく映し
出されているんですから。
まさしく如来大悲のご催促と思うべきでしょうね。骨を砕きても謝すべし。
またのたまわく。聞思して遅慮することなかれと。
必死に真剣に求めりゃ求めたものであるほど、19・20はまさに身を切られる
ほどに手離せないものではありますけどね。邪見驕慢の凡夫の悲しさですね。
まあ、やんわりと詭弁を指摘しといたにも関わらず、
詭弁のオンパレードで返されちゃったから、
無理っぽいのかもねえ。ぼくなんかじゃ。ああ、寝よ。
おはようございます。
「過去は、追ってはならぬ。未来は、待ってはならぬ。ただ一瞬の現在だけ強く生きなければならない」 釈尊
南無阿弥陀仏。 南無阿弥陀仏。
402 :
名無しさん@1周年:02/11/19 20:03
>>376 >だからね、4000時間 働かされてもついていくんだよ。
大変ですね
そんなに働いて、なおかつ活動にもがんばるなんてまさに親鸞学徒の鏡ですね
でもちょっと大げさすぎやしませんか?
4000時間も働いているのによくそんな時間に
あんなに長い文章が書き込めましたね?
それとも仕事をサボっての書き込みですか?
週六日働くとして一日16時間働いてようやく4000時間くらいじゃないですか?
朝8時から夜中の12時まで仕事だよ・・・
すごいねぇ
本当にお騒がせな人だね
まー、どうでもいいか
403 :
祭り大好き!!:02/11/19 20:28
>>369に補足
「わたくしに問ひていはく、『経』(大教)にただ、『特留此経止住百歳』といひて、まったくいまだ
『特留念仏止住百歳』といはず。しかるにいま何ぞ『特留念仏』といふや。答えていはく、この経の詮
ずるところまったく念仏にあり。その旨前に見えたり。再び出すにあたはず。善導・懐感・慧心等の意
またかくのごとし。しかればすなはちこの経の『止住』は、すなはち念仏の止住なり。しかる所以は、
この経に菩提心の言ありといへども、その行相を説かず。また持戒の言ありといへども、いまだ持戒の
行相を説かず。しかるに菩提心の行相を説くこと広く『菩提心経』等にあり。かの経先に滅しなば、菩提
心の行何によりてかこれを修せん。また持戒の行相を説くこと広く大小の戒律にあり。かの戒律先に滅し
なば、持戒の行何によりてかこれを修せん。自余の諸行これに准じて知るべし。」(『選択集・特留章』)
諸善の「行相」が、われわれに勧められているなら、親鸞聖人の教えは、末法万年、経道滅尽後、特留止住
百歳の教えではないといわれるのでしょうか????
404 :
祭り大好き!!:02/11/19 21:03
>>369に補足
「行相」が「心相」と不離である根拠は、
「阿頼耶識は、因縁力の故に生ずる時、内に種子と有根身とを変為し、外に器を変為す。即ち
、所変を以って自らの所縁と為し、「行相」は之に杖て起こることを得るなり。」(『成唯識論』)
>>365>>368に補足
前にも述べましたが、世親菩薩は、二乗の三生の菩提道のうち、第二生において、無漏智の用たる
順決択分(加行位)が生起すると言われ(『倶舎論』)、また、第七地(遠行地)までは、有漏善
と無漏善が、混じって起こるが、第八地(不動地)以上は、心は、無漏・無相・無功用になると言わ
れて(『唯識三十頌』)いるのですけど、『浄土論』以外の世親菩薩の論は認めておられないという
ことでしょうか??? しかし、『浄土論』もこの「七地以前有漏無漏雑起・八地以上純無漏相続」が
前提になっていることも前にも述べましたね。『浄土論』も真実の論ではないということでしょうか????
405 :
祭り大好き!!:02/11/19 21:41
>>366-367 「半満・権実の法門に入るといへども」というは、われわれのことでしょうか??? これは
いうまでのなく聖道門の法門に入っているということですよね。われわれが、聖道門に入って
いるでしょうか??? よしんば過去世にその御縁があったにしても、無仏・無法の今は、退転
状態なのは、間違いないですよね??? それどころか「外道の相善は菩薩の法を乱る。」(『論註』)
といわれる外道の善(これが、有漏善ですね。)すらできない一善もないわれわれは、九十五種の邪道
以前の状態ではないでしょうか????
「実なるものははなはだもって希なり。」ということは、親鸞聖人的には、聖道実教に希ながら「実なるもの」
がいる(いた)と言われているわけであり、ひさしびり氏説とは反対に自力での成道を認められていたと解せなく
もないですね。自力での成道を理論的に認めるか否かについても伝統宗乗上では、学派によって説が分かれている
ようですが・・・。
406 :
祭り大好き!!:02/11/19 22:13
>>366-367の続き
聖道門の法門の初門にして前提は、「発菩提心」であることは、多くの諸経論に説かれる
ところです。例としては、『華厳経・入法界品』『妙法蓮華経・提婆達多品』『大日経・入真言門住心品』『菩提資糧論』
『十住毘婆沙論・発菩提心品』『発菩提心論』etc
「発菩提心」は、「自性清浄心」とも捉えられ(『般若経群』)、また「度衆生心」ともされますね。こんなとてつもないこと
が入門の前提である聖道門に入られて修行したにも関わらず、真実の悟りに至り得ない上根上機の方を、釈尊は「福徳蔵」で以って
「発菩提心」「修諸功徳」「至心発願」の要門によって浄土門に誘引され阿弥陀仏はその本の誓願をおこして、あらゆる機類を洩れなく
弘願の真佛土=実報土へ導かれる為の方便のお働きをされているの意ではないでしょうか????
407 :
祭り大好き!!:02/11/19 22:40
>>405の訂正
誤り ひさしびり氏
正解 ひさしぶり氏 失礼いたしました。
>>368 「罪の沙汰」が、「本能的」か?と疑問に思いましたのは、ひさしぶり氏が、
>>179で
「それしかできない、ということです。」と言われてますので、てっきり、食欲と
か色欲みたいにわれわれがせずにおれない所為かな?と思ったのですが、違うのですか?
では、「それしかできない」とはどういうことでしょうか???信前の者が、三業の「罪
の沙汰」をしなければならない、とかしたほうが良い、ということがなければ、全くする
必要がないのでは????
408 :
名無しさん@1周年:02/11/19 22:49
>>402 たしかに
4000時間も社員を働かせて平気な社長が「人格者」なのだろうか?
たとえ業務上止むを得ない理由でそうなったとしても
非常識な過酷労働であることを理解しているはずの「人格者」の社長は
辞めた人を非難するだろうか?
また、自分の社員が辞めた社員のことを馬鹿にしているような発言を
その「人格者」の社長が聞いたとき、悪口を言う社員に対してどんな評価を下すだろうか?
409 :
祭り大好き!!:02/11/19 23:29
>>366に補足
>もし時を得ず方便無くんば、・・・
もし時を得ざれば方便なし。との読み下しもありますね。ここでの時機(時期)相応
の方便は、後の「今の時の衆生を計るに、すなはち仏、世を去りたなひてのちの第四の五百
年に当たれり。まさしくこれ懺悔し、福を修し、仏の名号を称すべき時のものなり。」で仏
の名号を称すであることはあきらかですね。前の「福を修す」は、第四の五百年の「多造塔
寺堅固」(『大集経・月造分』)の時代ですから、懺悔堅固のことで、ここで引用の『安楽集』
の時代には、末法の初めとされていたようですが、親鸞聖人時代は、第五の五百年を以って、
「末法の初め」(永承七年、西暦1052年)とされていたようです。今日の考古学のよるブッダ
の実年代とは合いませんんが、親鸞聖人も佛滅年代について、両説紹介されてますが、大体は、鎌倉
時代の通念に従い『周書異記』の「周の穆王五十二年説」を採られていたようです。日蓮聖人の場合
、しばしば「末法の初め」が教学上問題となるようですが、親鸞聖人の場合、あまり教条主義的に考える
必要無いと思います。『安楽集』時代は、像法時代で「懺悔すること堅固」でしたが、第五の五百歳の「白
法隠滞」「闘諍堅固」の時代は、「末法一万年には、衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅せん。」ですから、
特留止住の「名号を称す」しかないですよね(
>>403参照)????
410 :
祭り大好き!!:02/11/19 23:48
>>409訂正
誤り 仏、世を去りたなひて
正解 仏、世を去りたまひて
誤り 『大集経・月造分』
正解 『大集経・月蔵分』
>>369 >20願で勧められているのは念仏は他力なんですよ。
仰る通りです。では19願で本当に勧められているのも、望本願の実義より言えば他力弘願念仏で
顕説の諸善は、行体・行相ともに「捨て物」ということでよろしいですね???
411 :
祭り大好き!!:02/11/20 00:06
>>410訂正
誤り >20願で勧めれれているのは念仏は他力なんですよ。
正解 >20願で勧められている念仏は他力なんですよ。
スマソ。
412 :
名無しさん@1周年:02/11/20 00:07
ひさしぶりはまた、驚愕についてのアドバイスをもらいに行っているんじゃないかな
どう考えても彼の見解じゃないだろう
だから、自分の考えを言おうとするとてんで見当違いの方向に行って
自分の信仰のお粗末さをさらけ出してしまう
そこをつかれてもうダウン寸前ってか
>>240 亀レスでごめんね。出張してたです。
弘願門で因果の理法を構成できなれば駄目という意味です。
例外は認められないということです。釈尊は、当然、阿弥陀如来の本願を使って
の他力浄土門など想定できるわけはなかったのです。当然、特例は因果の理法
にはありません。因果の理法を説くのであれば、他力浄土門で他因他果の特例で
ない説明をしなればなりません。
で、この説明はできます。が、親鸞会教義では説明できません。だから、仏教で
はないと言っています。親鸞会でなくても、弘願門を仏教の因縁果で特例を使わず
に説明できなければ、駄目です。
みなさんは、仮門にこだわりすぎだと思います。方便という語は、肯定的にも否
定的にも使えますから。大切なのは、浄土真宗では弘願門で、これが仏教の縁起
説を逸脱していたら、論じるに足りません。
私、出張が多くてなかなかレスできません。ごめんね。親鸞会が独自の教義が
正統な仏教だと思うなら、堂々と主張すればいいです。仮門はすべて聖道門の理
論で構成されているので、そちらの知識は絶対に必要ですよ。
申し訳ない、単純に、釈尊の因果の理法には特例は認められていない
と言えばいいのだった。ごめんね。で、親鸞の他力浄土門は釈尊の因果
の理法で説明できる、と。
415 :
名無しさん@1周年:02/11/20 01:54
いわゆる破邪顕正(実際は未信の者が大部分)よりも、
口でお念仏(自力でも)唱える方が宿善になります。
これは間違いない。
で、220でもあるのですが、「怒る」ことを排除できなくて「破邪顕正」を
やろうとしても、ひさしぶりさん、あなたには「怒る」業しか残りませんよ。
だって、怒った時点で法施は消滅していますから。あなたは三毒のひと
つ「シン」を繁盛させただけです。これを「否定」することができなければ、
これまてのことを逆縁にして獲信に結びつけることはできません。あなた
はあなたのやってきたこと、やっていることを、今ここで仏教的に全否定
すれば、獲信への道が開けます。辛いでしょうが、それだけの勇気を持
ってください。少なくとも考慮してみてください。捨てるというのは、そうい
うことです。
417 :
240=415:02/11/20 01:59
>>413 ご多忙の中、有難うございます。
仏教の縁起説をもう少し勉強してみます。
でも、こうして、仏教に触れる機会が少しでも増えるという
環境のなんと、ありがたいことでしょう。
お礼申し上げます。それでは。
>口でお念仏(自力でも)唱える方が宿善になります。
もちろん、宿善開発したら他力の世界に生かされるから、
他力のお念仏になります。
>口でお念仏(自力でも)唱える方が宿善になります。
なんか、トートロジー的な言い方になってしまっている
部分があるね。不正確でスマソです。
420 :
415 訂正:02/11/20 02:11
未信の者は、破邪顕正よりも、
お念仏を唱える方が宿善になります。
これは間違いない。
421 :
名無しさん@1周年:02/11/20 02:31
未信の者は、GHSや破邪顕正よりも、
お念仏を唱える方が宿善になります。
これは間違いない。
>>55 について
英語のことわざに
Tomorrow never comes.
「明日という日は決してやってこない」
と言うのがあります。
同じように、
Yesterday never comes.
だから、幸せになるためには、今やるべき事を今やる。
光にむかって進みましょう。
南無阿弥陀仏。 南無阿弥陀仏。
>>324 について
英語のことわざに
Tomorrow never comes.
「明日という日は決してやってこない」
と言うのがあります。
同じように、
Yesterday never comes.
だから、幸せになるためには、今やるべき事を今やる。
光にむかって進みましょう。
南無阿弥陀仏。 南無阿弥陀仏。
おはようございます。
>>422 のカキコは誤爆です、すいません。
425 :
祭り大好き!!:02/11/20 07:26
>>365>>368に更なる補足
世親菩薩(ここでは、旧訳=菩提流支三蔵訳だから天親菩薩だが)、また「(八地以上の菩薩を指して)
此の菩薩の不動地を得て身口意の業の所作は皆能く一切の仏法を集起す・・・」(『十地経論』)などと
も書かれてますね。ここへも折角、世親菩薩様も見えれているようだしw、いかがでしょうかね???
426 :
(・∀・):02/11/20 15:57
「家畑売ってどこすみゃあいい?アパートに住まいすりゃあいいんですよ」
高森先生は座談会で仰有いました。
w部さん、先生のお言葉通り持ち家を売ってアパート住まいしてくださいね。
427 :
祭り大好き!!:02/11/20 17:36
>>369に更なる補足。
>>404に挙げた「行相」は、心所の認識作用の義で、ここでいう「行」とは、原語が異なるの
ではないか?との疑念が予想されますが、それなら、ここで言われる「行相」のサンスクリット
表記をお願いします。「行」の義が、上記論部と別義であったとしても、「体用」に対する
「性相」は、本来、唯識系で多く使用され(摂論系の『大乗義章巻一・巻三』参照)、「性」(本質)
に対する「相」は、諸法の縁起的な有り方を言いますので、何れにせよ、「心作用」を離れた概念では
ありえないと思いますが如何でしょうか????
>>365 >聖道門も19願も方便であるがゆえにとどまってはならぬことには変わり有りません。
そうおっしゃるわりには「諸善をしなさい」と勧めるのですね。
諸善は廃するために説かれたのです、と私はすでに法然上人のご文で示しました。また、
「もし念仏のほかに余善を修せば、一向の義に背くべきものなり。」(西方指南抄上巻)
「凡夫不堪の自力の修道を捨てよとなり。」(改邪抄)。
「明らかに知んぬ。諸行を廃してただ念仏を用いるが故に一向という。
もししからずば、一向の言、最ももって消しがたきか。」(選択集)。
などなどのご文でも明白ですね。しかしあなたは「真実法を信じる器を作る」
ために「諸善をしなさい」と教えるのが真宗の教えであるといわれる。
それゆえ以前から答えていただけない質問にお答え下さい。
ひさしぶりさんは「諸善は往生の助けにならない」と主張します。一方では
「(出世間善としての)諸善を捨てよ、やめよ」というのはまちがいである
と主張します。それゆえ、「諸善をたのむ自力のこころが廃るまで、(出世
間善としての)諸善をはげまなければならない」という論理になると思うの
ですが、もしそうならばそのようにしめしてあるお聖教の根拠を示してくだ
さい。
>>365 >聖道門も19願も方便であるがゆえにとどまってはならぬことには変わり有りません。
そうおっしゃるわりには「諸善をしなさい」と勧めるのですね。
諸善は廃するために説かれたのです、と私はすでに法然上人のご文で示しました。また、
「もし念仏のほかに余善を修せば、一向の義に背くべきものなり。」(西方指南抄上巻)
「凡夫不堪の自力の修道を捨てよとなり。」(改邪抄)。
「明らかに知んぬ。諸行を廃してただ念仏を用いるが故に一向という。
もししからずば、一向の言、最ももって消しがたきか。」(選択集)。
などなどのご文でも明白ですね。しかしあなたは「真実法を信じる器を作る」
ために「諸善をしなさい」と教えるのが真宗の教えであるといわれる。
それゆえ以前から答えていただけない質問にお答え下さい。
ひさしぶりさんは「諸善は往生の助けにならない」と主張します。一方では
「(出世間善としての)諸善を捨てよ、やめよ」というのはまちがいである
と主張します。それゆえ、「諸善をたのむ自力のこころが廃るまで、(出世
間善としての)諸善をはげまなければならない」という論理になると思うの
ですが、もしそうならばそのようにしめしてあるお聖教の根拠を示してくだ
さい。
>>253 >化土往生は方便と心得なさい、との仰せです。
あなたが化土を否定する根拠は「化土は方便です」の繰り返しばかりですね。
「真に仮の仏土の業因千差なれば、土復まさに千差なるべし。これを方便化身・
化土と名く。」(真仏土巻)
どうも親鸞聖人化土を否定しておられないようですね。
一方で、「彼の仏国は即ちこれ畢竟成仏の道路、無上の方便なり」(証巻)
と言われてますが、あなたは安楽仏国も方便として否定なさるのでしょうか?
>>372 >19願20願の願意に相応するひとは化土往生できますよ。でもだれがいるんですか?
報の浄土の往生はおほからずとぞあらわせる
化土にむまるる衆生をばすくなからずとおしへたり(高僧和讃)
「すくなからず」は間違いである、というご見解と理解してよろしいですか?
>修善も念仏もしてください。宿善になります。
我々は無上迅速の機です。
信前のものにとってどちらがより宿善になるとお考えですか?
ご見解を教えて下さい。
>>122 >「真実法を信じる器を作る」のが俗諦である理由はありません。
これが真諦であるというのなら、法然上人か親鸞聖人がどこかに教えられてい
るのではないのでしょうか?という問いに対して、あなたは依然として根拠を
示しておられませんね。すでに示しましたように法然上人は一枚起請文において
「それゆえ今述べた以外には「おくふかき事」がないことを釈迦弥陀にお誓い申
し上げるのである。」
とおっしゃいましたがあなたのおっしゃる「真諦」の部分は一枚起請文には含ま
れていないということでよろしいでしょうか?もし含まれるとおっしゃるのでし
たら一枚起請文において「真実法を信じる器を作る」の部分をお示し頂きたいです。
ちなみに法然上人は「散善を修することは『殆んど念仏を抑う』」と仰せであり、
あなたと対極のご見解でいらっしゃることを再確認させていただきます。親鸞聖人は
「末代の教行、専ら此れを修すべし、濁世の目足、必ず斯を勤むべし」(浄土文類聚抄)
といわれていますが、文脈から「此れ」とは本願の嘉号のことですね。本願の生起本末を
聞信する以外に「真実法を信じる器を作る」教えも浄土真宗に含まれる、というあなたの
主張は通らないことは明らかですね。ちなみに自力の発菩提心や自力の至心発願のない、
単なる調機の為に善悪因果の道理を説くことが、方便としての「浄土の要門」を勧めること
にはならないという点は了承されておられるものと再確認させていただきます。
432 :
名無しさん@1周年:02/11/20 21:11
GHSの心がけ。
GHSは決して無茶してはいけません。
しかし、無理しなければなりません。
GHSは仏法でいうところの財施。
財施もど真剣にしなければ、横の道が進めません。
それこそ、火の中をかき分けてでもしなければなりません。
即ち、自分の命をかけてしなければならないのです。
そういうことで、会員はそれこそ家を売っても、
臓器売ってもしなければなりません。
こうして命がけでした財施が功徳となるのです・・・。
By M晴
>>374 >自力の念仏で往生できると教えられたところはありますでしょうか?
ピントが大きくはずれたご返答ですね。まあ、そのようにずれたお答えを
続けられるお気持ちは理解できないこともありませんがね。あなたの会では
宿善になると称して出世間善としての諸善を勧めています。たとえば、
>>808(前スレ;スマン)において、次のように言われました。
>会で「雑行をしなさい。雑修をしなさい」と教えられたことはない(略)
>諸善をしなさい」ですね。
この諸善は道徳善なのですか?違いますよね。ところで私の書いたもののなかで
「(要門)自力の念仏で往生できる」と述べた個所はありましたか?
私の書いたものを正しく引用せず「曲解したしろもの」を相手の意見としてしまう
あなたのやり方には本当にあきれてしまいます。
>>346~
>>351は諸善を法然上人が廃した根拠としてお示ししたつもりだったのです
がどうも全然読まれていないようですね。
以下、質問部分を整理してお示ししますのでお答えいただけますか?
1)「隨自の後には還って定散の門を閉づ。」(選択集)この閉じられた定散の
門とはあなたのお好きな方便の19願、20願のことではないのですか?
2)法然上人は散善を修することは「殆んど念仏を抑う」と仰せですが、この
部分について「散善を修すること」を勧められるあなたはどのような見解を示
されるのか教えてください。
3)「故に今定散は廃の為にしかも説き」(選択集)このご文によって、浄土
真宗の法門は、親鸞会独自の解釈である「仮より真に入る」見解は否定され、
「仮を廃して真に入る」ことはきわめて明白でありますね。
さらに何か主張がございましたらしたらおっしゃって頂けますか?
4)一枚起請文のなかには「諸善の勧め」はまったく出てきませんが、そのよう
なことを主張することは上人がいわれる「おくふかき事」があると主張している
ことににならないのでしょうか?ご見解をお示し下さい。
>>372 >言葉の使い方が私も間違ってましたが、あなたも間違ってます。
ひとの書いたものはきちんと読んで下さい。
私は新人太郎氏の主張する「報恩行が信前・信後とも行体が同じ」という説
を提示したのですから、間違っているのは新人太郎氏の説ですよね。ですから
誤・・・言葉の使い方が私も間違ってましたが、あなたも間違ってます。
正解・・言葉の使い方が私も間違ってましたが、新人太郎氏も間違ってます。
ということになるのでは?
>>373 「自力の念仏はよろしいが」とおっしゃいますが、
そのように私は述べたつもりはないのです。
どこに述べられているのか具体的に指摘して下さい。
そして、「よろしい」とはどのような意味でしょうか?
大変に誤解を招くご表現でありますので具体的に説明して下さい。
>自力の専修と他力の専修があるという聖人の仰せです
この点はおっしゃる通りですね。ご教示ありがとうございます。
このご文においては「唯仏称名」は20願自力の念仏であり「五専修」
も自力ですね。このご文に関連して、
信前のものが聴聞のないときには、
1)聴聞の復習とか、聴聞の内容を思い出すこと、お聖教を拝読すること
2)財施や法施など諸善を実行すること
優先順位はどのようになるとお考えですか?お答えください。
訂正スマン
>>429 >>428 同じ内容を二重にかきこんでしまいました。
謹んでお詫び申しあげます。
436 :
名無しさん@1周年:02/11/20 21:47
19願の諸善の一つにGHSを考えているんだろうけど、精一杯精一杯といって、
どんどんGHSしても、それくらいで、自力間に合わなかったって知らされる
はずないでしょ。 自分の心みれば散乱しまくりだから、19願じゃダメって
わかるじゃん。これって、頭だけじゃなくて、体でもわかっているという
ことでしょ。だから、20願のお念仏を唱えて助かろうというようになるん
でしょうに。
○○○万円GHSするのと、念仏一遍唱えるのでは、どちらが、自分の宿善が
より厚くなると思っているのだろうか?(がいしゅつだね、スマソ)
437 :
名無しさん@1周年:02/11/20 22:09
>>432 その命がけでした在世が不倫のホテル代と飛行機代に
化けているから会員も浮かばれないんだよ。
By 2chネラー
>>430 訂正スマン
誤・・・無上迅速の機
正解・・無常迅速の機
>>397~399
s会の外部のお方、特にNBさんからのコメントをいただくと、小生が
予想もしない切り口でご説明いただくので大変新鮮に味わわせて
頂いております。この場をお借りしてお礼申し上げます。
また、自分がしらずしらずs会的思考法に染まっていることを発見する
ことがあり、とても助かっています。
若いときにs会に入ることは真っ白な画用紙に極彩色で絵を描いたような
ものだとどなたかおっしゃっていましたが、本当にそうですね。
「破邪顕正」が「三論宗」だと頭ではわかっていても、書き込むときはついうっかり
「涅槃経に説かれた破邪顕正」などと書いてしまうのもその一例です。涅槃経に
「破邪顕正」ということばなど全く出てこないのに。
以上、以前に「破邪顕正、これは涅槃経ですね」のように書いた事が複数回あり、
その言い訳でありました。
滞ってきた…のは形勢が傾いたということか?
>>441 ↓世親(てんじん)菩薩はカキコするなよ。
>>437 信心決定の近道はどんだけGHSしているかによってのみ決まります。
だから、皆さんも車売ってでも、家売ってでも、売春してでも金を作って、
GHSがんがって光に向かって進ませて頂きましょう。
なに?ワシ。ワシは信心決定しているから皆のGHSから功労賞として、
少しばかり頂戴するんだよ。
442 :
祭り大好き!!:02/11/21 18:31
>>427の訂正・補足
浄影寺慧遠大師は、正確には、地論宗(
>>425で挙げた『十地経論』を宗とする)南道派ですね。しかし結局
南道派・北道派共に摂論・華厳に吸収されていきますからね。まあ同じ唯識・如来蔵系には違いないと思い
ます。
>>438 同意ですね。NBさんとか、239さんのような専門家の方にも是非参加いただいて、らしい切り口で教義について
教えていただけたらと思います。
443 :
ゴジラさんへ:02/11/21 19:34
>あなたの主張は、459さんと新人太郎さんの論争で、
>破られているのです。
>まだ、あの論争で論破された本質をつかんでおられないようで、
>残念です。再度、しっかり読まれることをお勧めします。
>
http://homepage2.nifty.com/shinran/ >「お前はすでに死んでいる」状態ですよ。(古くてスマン)
ゴジラさんどうしたの?
新人太郎氏の説はついにひさしぶり氏も否定せざるをえなくなったようですね。
祭り大好き氏に論破されてぐうの音もでないということですか?
ゴジラさんは「すでに死んでいる」状態ですか?
生きていましたらなにかコメントをキボンヌ。
444 :
名無しさん@1周年:02/11/21 19:46
祭り大好き氏って真宗学にかなり精通しておられますね。
一体どういう人ですか?本願寺関係?それとも元s会員?
この調子で「ひさしぶり」のクソヤロウを叩きのめして下さい。
>>443 風邪をひいて寝込んでいました。失礼。
しばらく見ていないうちに、だいぶん進んでしまって、
見落としがあれば、ご容赦ください。
○世間善と出世間善、道徳倫理の善と仏法の善とに分けて、
話がなされているようですが、
どこでどう分けられるのか、教えてもらえないでしょうか。
祭大好きさんでも、元s改員さんでも、お願いします。
ついでにもう一つ。
○問題は、「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
ですから、浄土真宗の祖師、親鸞聖人のお言葉で、
「諸善を捨てよ、やめよ」
と教えられたお言葉をあげてください。
蓮如上人のお言葉でも結構です。
>>429 元s改印さんへ。
そのあなたの疑問については、前スレに
なぜ答えぬさんが、長文を載せて答えていたでしょう。
あなたは読まれたのですか。
448 :
ひさしぶり1:02/11/21 21:40
>>389 >要門は、(功徳を修することが)できない人にとって
「機教不相応」と解してよろしいですね???
「機教不相応」と言う言葉もあなたがもちだされた
言葉ですが、どう言う意味でしょうか?
「19願では救われない」という意味ならそうですが
「19願が十方衆生に対して説かれた方便ではない」
という意味なら間違いですね。
>>389 >「修諸功徳で助かる」というのが、要門なのか否かが不明.
「要門仮門というは即ち無量寿仏観経一部に説きたまえる
定善散善是なり」(唯信抄文意)との仰せです。
449 :
ひさしぶり2:02/11/21 21:43
>>392 >弥勒菩薩の修された自力の善根が、「涅槃を得るのに役立たない」
世間の道徳善だと言われる根拠は何でしょうか????
「自力では成仏できない」という根拠は先に提示しました。
大経の、弥勒菩薩も「五道展転」すると言う根拠も提示ずみです。
「弥勒菩薩所問本願経」の御文で大経の御文を否定することは
できません。
涅槃を得ることができないのに無漏善だと言われる理由は
どこにあるのですか?
>>394 >信心太郎氏の説.
残念ながら、どういう説か読んでないのでお答えできません。
何についてのお話なんでしょうか?
450 :
ひさしぶり3:02/11/21 21:44
>>395 >円教への調機の為
に余経を示し教えよの意、と解されてると思うのですが・・・
あなたも根拠をあげて話しましょうよ。
「要門仮門というは即ち無量寿仏観経一部に説きたまえる
定善散善是なり」(唯信抄文意)
聖道の方便ではありますが、法華経も要門でありますので
18願に送る方便という立場から申し上げました。
法華経で成仏できたひとは釈尊御在世からいままであるのですか?
>>397 >「破邪顕正」のための宗学研鑽などもってのほかです。
私は破邪顕正というのは「自分が念仏を称え人にも
勧めて称えていただくこと」だと思っていますが
「もってのほか」ですか??
451 :
ひさしぶり4:02/11/21 21:46
>お念仏こそは、甚深の仏教用語を一切必要とすることなく
ほんとにそう思っているのなら、念仏を讃嘆する声がもっと
大きくてもよろしいかと思いますが、なんでみんな
ほそぼそと喜んでいる(のか?)人ばっかりなんですかねえ。
YAHOOの掲示板の宗教欄なんかには念仏を誹謗してる
他宗のものが書きこみしていても何にも反応がないのは
なんでかねえ。「お念仏が尊い」というあなたたちの
言葉はむなしいですよ。
>>402 >週六日働くとして
4000時間働いているときに休みなんかあるわけないでしょうが。
おかげさまで今はもっと楽してるよ。
452 :
ひさしぶり5:02/11/21 21:47
>>403 >諸善の「行相」が、われわれに勧められているなら
あなたは「弘願」をすすめられているということで
納得してたんじゃないんですか?
>>404 混乱しますので、これについては先の質問に答えていただいて
からお答えしたいと思います。
>信前・後で「報恩行」の行体が「変らない」という信心太郎氏の説
どこにこの発言があるのか教えていただけないですか?
>>405 >自力での成道を認められていたと.
>>406 地球上でどなたが仏覚を得られたのでしょうか?
「この経では仏覚は得られない」と言って説かれた経典は
ないですよね。
453 :
名無しさん@1周年:02/11/21 21:48
さあ、ひさしぶりの暴言がはじまった・・・。
454 :
ひさしぶり6:02/11/21 21:48
>>407 >「それしかできない」とはどういうことでしょうか???
字のとおりですが。
>>408 >「人格者」なのだろうか?
そんな話はしておりません。
>>410 >顕説の諸善は、行体・行相ともに「捨て物」ということでよろしいですね???
「捨てる」って諸善はもともと往生の行ではないでしょう。
真宗で諸善を往生の行と教えられたお言葉があるのですか?
455 :
ひさしぶり7:02/11/21 21:49
>>433 >諸善を法然上人が廃した根拠としてお示ししたつもりだったのです
要門自力の念仏が諸善に入ることに関してあなたは
わざとなにも見解を述べられませんね。
自分が諸善をすすめながら、人が諸善をすすめるのを見て
「雑行をすすめている」と批難するのはおかしい、と言っている
のです。
自力は捨てものだから、自力の所作は捨てて「念仏を称えよ」となる
のが行行相対だが、その念仏はあくまで「弘願の念仏」である、
と何回も言っています。
自力他力を分ける真仮廃立では信前に自分の善根とするかぎりは
念仏といえど捨てものであり、信後には諸善といえど御恩報謝の行に
なる。「諸善行」が一念ですたりますか?一念ですたるのは自力ですよ。
全然あなたのあげる御文は根拠になっておりません。
1、2「定散の門と閉ず」=「諸善では往生できません」=
「仮を廃して」との説明済み
3「廃の為にしかも説き」あなたの言い方では「廃のために
説かず」になりませんか?
4「一枚起請文のなかには「諸善の勧め」はまったく出てきませんが」
自力の念仏も出てきませんが。
456 :
ひさしぶり8:02/11/21 21:50
>>434 >新人太郎氏の主張する「報恩行が信前・信後とも行体が同じ」という説
どこにかいてあるのか御示しください。
>1)聴聞の復習とか、聴聞の内容を思い出すこと、お聖教を拝読すること
2)財施や法施など諸善を実行すること
優先順位はどのようになるとお考えですか?お答えください。
法施と聴聞の復習は別物ではありません。
あなたは法施と念仏は別なんですか?
457 :
名無しさん@1周年:02/11/21 21:52
頭に血を上らせながらキーを打っているひさしぶりの様子が目に見えるようにわかる。
458 :
ある通行人:02/11/21 22:21
ひさしぶりさん、わっぱり私の質問には無視を決め込むんですね
もう一つのどうでもいいことには答えてくれたのに・・・
このスレを見ている原液さん
仔牛や患部の善智識だのみの異安心と思われる発言には気を付けてください
T森先生への純粋な思いにつけこんで無理難題ふっかけてきますよ
そしてあらゆる問題をすりかえられて説得されてしまいます
こんな事言っていたらやっぱり粛清かな?
459 :
名無しさん@1周年:02/11/21 22:53
GHSと念仏を口で唱えることはどちらが宿善になる
のでしょうか?
素朴な疑問なんだけど。。。
460 :
祭り大好き!!:02/11/21 22:55
>>448 >どういう意味でしょうか?
対する「機教相応」は、お聖教の言葉であることは(『序文義』『化身土文類』など)は、ご存知ですよね?「機」
も「教」も「相応」も仏教用語です。この場合、「教えと機が一致しない」の意ですね。
親鸞聖人の、『序文義』を引用されている「機教相応せるを称して是とす。」といわれているのは、「三経の真実
は、選択本願を宗とするなり。また三経の方便は、すなはちこれ諸々の善根を修するを要とするなり。」ですから、
真実の「宗」たる(=真宗)弘願が「機教相応せる」といわれているのは、あきらかではないでしょうか???
>との仰せです。
要門であるとのお答えですね。
461 :
仏縁2年目:02/11/21 23:02
ここにレスするのは初めてですが、
GHSってGHS額が多いほど信心決定に近づくんですか?
ある仔牛がそんなこと言ってたのですが・・・。
462 :
NB ◆YIoCB90ZbI :02/11/21 23:08
元s改印さん。祭り大好き!! さん。ありがとうございます。
老若男女やら賢い愚かやら、なんやらかんやらを超えて育てあえるからこそ
御同行御同朋ですよね。個人的には本願寺の人間と親鸞会の人も御同行御同朋
といただき育てあえるべきものと固く信ずるのですけど。
ぼくの方こそ教えていただくことが多くて、教義の上で教えて差し上げられる
ようなものなど持ってませんけど「らしい切り口」でなんとかがんばって
時々レスさせていただきますね。なんまんだなんまんだ。
463 :
NB ◆YIoCB90ZbI :02/11/21 23:08
で、
>>450-451のひさしぶりさん。レスありがとうございます。
>「自分が念仏を称え人にも勧めて称えていただくこと」
なら何もそんな言葉を使わんでも、仏徳賛嘆・仏恩報謝
で十分ですね。「自信教人信」の理解がそんなのだとしても。
それとね、s会の「破邪顕正」って、どうやら破邪「即」顕正。
じゃないようですね。破邪の論理と顕正すべき論理が違ってるんだ。
で、これって、いわゆるマインドコントロールってやつっぽい
やり方なんだけど。。どうよ?
で、
>>451と、ここは2ちゃんで、そして現にぼくは2ちゃんの
他宗のスレでも目に付いた限りは、いわれない念仏の誹謗に対して
抗議してますが何か?そういやニュー速+でもやったなあ。
なぜ、ここでやっほーなんて持ってくるのか?(謎
それとも、あるいはぼくに
「2ちゃんとヤッホのスレとトピを全て読み尽くした男」になれと!?
ってか、ネタにマジレスの気分っすね(w
もういっぺん、頭の中整理したほうがいいと思うよ。わるいっすけど。
「ほんとにそう思っているのなら」と「念仏を讃嘆する声がもっと
大きくてもよろしいかと思いますが」がどう結びつくのか意味不明。
ってか、ネタ捏造の始まり。
まあ、悪気があってのことじゃないと思いますんで、激しく説明きぼーーん。
464 :
名無しさん@1周年:02/11/21 23:10
465 :
名無しさん@1周年:02/11/21 23:14
> それとね、s会の「破邪顕正」って、どうやら破邪「即」顕正。
> じゃないようですね。破邪の論理と顕正すべき論理が違ってるんだ。
> で、これって、いわゆるマインドコントロールってやつっぽい
> やり方なんだけど。。どうよ?
あははは、まったくおっしゃる通り、、、なんだけど、たぶんこの意味は
分からんでしょうなあ、ひさしぶり氏には。
466 :
祭り大好き!!:02/11/21 23:37
>>449 >無漏善だといわれる理由はどこにあるのですか?
先ず、
>>392>>404>>425に答えてもらえませんか??? 弥陀法に対しては、菩薩乗も含め二五有(『法華文句』)が、
有為たることを免れませんが、聖道門では、諸経論に成仏以前の二乗三乗の証果(~等覚)が説かれています。仏教上の
自利利他の修行の得果であるのに世間の道徳善だといわれる根拠は何でしょうか??? 諸経論の記述は『大経』を
除いて事実でないという解釈なのでしょうか??? それと聖淨二門の関係と自力での成道を理論上認めるか否かに
ついては、伝統宗乗上も解釈が分かれています。石泉などは、聖道浄土両実教の得道を教に約しては認めてますね。
衆生の実践面から愚者を正意、聖者を傍意としています。存覚上人の教学もそれに近いですね(『法華問答』『決智抄』)。
467 :
祭り大好き!!:02/11/22 00:00
>>449の続き
>何についてのお話なんでしょうか?
>>75を参照してください。新人太郎氏の説は(昨年だったか?10月18日付け)、『雑行の
諸善も、その行体は変わりませんが、「往生の役に立てようとする自力の心でやる諸善」は「雑行」
として嫌われ「捨てよ」と言われます。その自力の心が他力の心に切り替えられて広大な仏恩に感泣
し動かされる諸善は、報恩行となるのでしょう。』です。この説は「誤り」ということでよろしいでしょうか????
468 :
祭り大好き!!:02/11/22 00:30
>>450 >あなたも根拠をあげて話ましょうよ。
龍樹菩薩は、「示教利喜」を釈されたなかで『利すとは、未だ善法の味を得ざるが故に、心
退没するを、為に法を説いて、引導して出でしめ、「汝は因時に於いて果を求めることなかれ、
汝は今勤苦すといへども、果報出づる時は大いに利益を得」と。其の心をして利ならしむるが
故に利と名づく。喜とは、其の所行に随って、而も之を讃歎すれば、其の心をして喜ばしむ。
若し布施を楽しむ者に、布施を讃ずれば、則ち喜ぶが故に喜と名づく。」(『大智度論・巻五十四』)
と言われておりますように、法華経への調機の為の方便教化の次第と解釈されてます。
いや、でも、ひさしぶりさんもすごいですよね。
これだけ色々と叩かれてもがんばるんだから。
並大抵じゃできない。
s会にも、守るべき「真実」があるんだろうなと、
それだけはほんと、尊重したいですね。
471 :
名無しさん@1周年:02/11/22 00:57
>>459 「GHS」と口で唱える以上の功徳はありません。
472 :
祭り大好き!!:02/11/22 01:09
>>450>>452 >あなたも根拠を・・・
あと、『嘱累品』は、三段分科でいえば『法華本門の流通分』ですけど、「流通分」で自経でない経の流通
を勧めることがあるのでしょうか????特に『嘱累品』は、「嘱累流通」といわれる「流通分」の大事たる
「法華経の付嘱」が説かれている品の一つなんですが。
>法華経で成仏できたひと・・・
>地球上でどなたが・・・
お経の説は地球上の話、釈尊在世からいままでの話ばかりではなく三世十方のお話ですよね???
そうでなければ、『法華経』の(特に『如来寿量品第十六』)の説相とか『大日経』の説相
なんか説明できないのではないでしょうか???? 第一『大経』の説相も説明つかないと
思うのですが如何???
473 :
祭り大好き!!:02/11/22 01:27
>>454 >字のとおりですが。
「それしかできない」けど「する必要はない」と解してよろしいでしょうか???
>「捨てる」って・・・
「宿善」にはならないってことですよ。
474 :
祭り大好き!!:02/11/22 01:46
>>452 >あなたは「弘願」・・・
諸善の「行相」はわれわれには勧められていないということでよろしいですね。
>どこにこの発言
おあつらえむきにw
>>443氏がリンク先貼ってくれてますよ。
475 :
祭り大好き!!:02/11/22 07:23
>>468に補足
『大智度論・巻五十四』は、直接には、『大品般若経・天王品第二十七』の「過去の諸菩薩
及び諸々の弟子は諸々の菩薩の為に六波羅蜜を説いて示教利喜す。」の註釈ですが、これが
、「余の深法」=「般若経群」の根拠の一つであるとともに、文面からも随機随縁の方便に
よる説法次第の意であることがわかります。同論は、『法華経』の影響も強く、インド撰述説
(ナーガールジュナの真作説)を採る場合、インドに於ける『法華経』の成立時期の推定
根拠の一つにもなっている程で「一念三千論」など天台教学の重要概念の多くが同論に依
っています。
476 :
ひさしぶり:02/11/22 08:39
>>458 > 私の質問には無視を決め込むんですね
医者は誰ですかってことですか?
阿弥陀仏にきまってるじゃないですか。
善知識は「阿弥陀仏に帰命せよ」と教えてくださる方です。
「善知識だのみ」というのは知識をたのんで阿弥陀仏をたのまない人です。
阿弥陀仏をたのんでも善知識に信順しないひとはいないでしょう。
お答えしたつもりですが、御和讃ではわかりませんでしたか?
477 :
ひさしぶり:02/11/22 08:43
>>472 >「法華経の付嘱」が説かれている品の一つなんですが
だからどうなのかみなさんにもわかりやすく書いてください。
> 第一『大経』の説相も説明つかない
わかりやすくお願いいたします。
地球上で法華経で成仏したひとはいない、ということでよろしいか?
478 :
ひさしぶり:02/11/22 08:45
>>474 > 諸善の「行相」はわれわれには勧められていない
方便である、と申しております。
>リンク先貼ってくれてますよ。
どの言葉かを示してください。
479 :
ひさしぶり:02/11/22 08:49
>>466 >弥陀法に対しては、菩薩乗も含め二五有(『法華文句』)が、
有為たることを免れません.
そういうことでよろしいかと思います。
481 :
名無しさん@1周年:02/11/22 11:17
>>476 でも、あんたの答え方みてると一向専念高森顕徹
あるいは一向専念親鸞会のような気がしてならない。
482 :
名無しさん@1周年:02/11/22 11:46
人それぞれにあった求め方、聞き方を聖人は
お認め下さるはずですし、阿弥陀様もお導き下さる
はずですよね。 軍隊のような環境なんて・・・。
483 :
祭り大好き!!:02/11/22 18:16
>>468(
>>450に対して)の補足
『大品般若経』(『摩訶般若波羅蜜経』)は、序品に「深法」と説かれていることは、前に
(
>>275)述べましたね。
484 :
祭り大好き!!:02/11/22 18:44
>>449に補足
「漏」というのは、煩悩の異名ですよね。「生死の中に流転せしめ、有頂天より無間獄に至る。
彼の相続は、六瘡門(六根)に於いて、泄るる過窮まり無きが故に、名づけて漏と為す。」
(『倶舎論・巻二十』)
また、同論には、「極速なるは、三生にして、まさに解脱を得べし。謂く、初生に順解脱分を起こし
、第二生に順決択分(無漏智のはたらきがある)を起こし、第三生に聖に入りて、乃至、解脱を得す
るものなり。」
「諸の無漏の道を総じて、名づけて流と為す。此れを因として涅槃に趣くに由るが故に。預の言は、最初
に、至得することを顕さんが為なり。」(『倶舎論・巻二十三』)として、声聞乗の初果たる「預流果」に
於いてさえ、涅槃の因たる無漏善を生起するとあります。最後品の「元品の無明」断破(=仏覚)までは、無
漏善が生起しないという「経論」上の根拠は何でようか????
485 :
祭り大好き!!:02/11/22 18:58
>>477 >だからどうなのか・・・
ちゃんと
>>472を読まれれば、わかると思います。「余経」の流通が勧められる筈ない
ということです。
>地球上で・・・
『法華経』成立以後となるとわかりませんが、大乗勃興より大分前の「初期仏教」では、
阿羅漢=仏だったようだし、「過去七仏」の経説もあることですから、おられたんじゃない
でしょうかね??
>>478 >方便である・・・
末法五濁のわれわれのような泥凡夫に勧められた方便ではないということでよろしいでしょうか???
>どの言葉か・・・
>>467参照してください。
>>445 真宗において出世間善と世間善の分別があることはすでに覚師が改邪抄で
「世、出世の二法について得分せよといふ名目を用いまじき事」などにお
いて示されておりますね。出世間善とは釈尊が一代で説かれた八万四千の
法門において釈尊が勧められた「行」のすべてを指していると私は認識し
ております。釈尊が経典を説かれた目的は出世間=解脱=成仏であるから
です。そして仏教は対機説法でありますから、教も膨大となりますね。
それゆえ根拠を示しなさい、といわれたいのでしょうが膨大すぎてとても
お示しできません。ただし、代表選手をあげよといわれるのでしたら、
大乗の菩薩行である「六波羅蜜(六度万行)」があげられると思います。
s会でいわれる「六度万行」は、s会において「獲信と良い関係であるか
らやりなさい」「宿善になるから励みなさい」と指導されているのですか
ら出世間善として指導されていると理解しております。一方で世間善とは
覚師が「五常」と名付けているような世間一般の倫理、道徳の属する善行
を示していると考えます。それゆえ仏典に釈尊が説かれている行であるか
否かが出世間善と世間善の分かれ目ではないでしょうか?
>>446 「雑行とは正助を除きて已外を悉く雑行と名づく。此れすなわち横出、漸行、
定散、三福、三輩、九品、自力仮門なり。」(化土巻)とあります。
出世間善としての諸善万行は「此れすなわち」以下に包含されますから雑行で
すね。一方で「愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を捨てて本願に帰す」(化土巻)
とありますから親鸞聖人みずから雑行であるところの「出世間善としての諸善万行」
を捨てた、と仰せですね。尊号真像銘文にも「しばらくもろもろの雑行をなげすてて
さしおくべしとなり」と仰せです。蓮師については「聖人一流の章」をあげれば充分
でしょう。以上でご不満ならば祭り大好き!!さんが
>>77にあげられていますので
そちらもご参照下さい。
>>447 大体は読ましていただいたのですが、疑問点が次から次から生じきたために全く
理解できませんでした。先ず、次の疑問にお答えいただければ少しは理解できる
のかもしれません。
そもそもたとえば『七仏通戒偈』「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」
はあらゆる仏教に共通した教えである、といわれますね。しかしそれが
教行信証のどこに出ているのだ、といわれても困ります(もし実際にありましたら
スマン。譬が悪いです。)小生は親鸞聖人が教行信証を執筆なされた御目的において、
明恵、解脱上人などによる「選択集」に対する論難に対する弁護、という意味合いが
強いと理解しているので、教行信証は選択集と対になった書物とすらみなしています。
つまりちょうど仏教が『七仏通戒偈』を前提としているように教行信証の教えは聖人が
大勢至菩薩のご化身と尊崇された法然上人が書かれた「選択集」を前提としている、と
いうことです。あなたはそう考えないのでしたらご持論を展開して下さい。
(つづく)
>>489(つづき)
「選択集」には
「問うて曰く、何が故ぞ定散の諸行を以て付属流通せざるや。(中略)定散の諸行は
本願に非ざるが故にこれを付属せず。(中略)問うて曰く、もし爾らば何が故ぞ直に
本願念仏の行を説かずして、煩わしく非本願の定散諸善を説くや。答えて曰く、本願
念仏の行は『巻経』中に委くすでにこれを説く。故に重ねて説かざるのみ。また定散
を説くことは、念仏の予善に超過することを顕さんが為なり。もし定散無くば、何ぞ
念仏特り秀でたることを顕さん。(中略)故に今定散は廃の為にしかも説き、念仏三
昧は立せんが為にしかも説く。」(選択集)とあります。
一方で「なぜ答えぬ」さんは、
「『観経』の、定散二善三福九品の、み教えも、本願寺サンには、善を廃し、悪をす
すめた文証としか、見えないらしい。“定散二善が、韋提希の獲信に無関係”と、す
るならば、“説かれた目的はなんのため”と、反問したい。」
と言われます。これは一体どうしたことだろうか?
(つづく)
>>489(つづき)
「なぜ答えぬ」氏は、「選択集」をお読みでないのだろうか?
あえて無視しておられるのでしょうか?
ハッキリと法然上人は「定散は廃の為にしかも説き」と言われていますが、
この矛盾点についてご説明頂きたいです。そして、「善を廃し」は正確では
ありませんね。「出世間善としての諸善を廃し」ですね。そしてどうして
「出世間善としての諸善を廃し」=「悪の勧め」と短絡的に論理が飛躍する
のか全く理解に苦しみます。この二点について、よろしくご教示下さい。
もうひとつ。
“汝は、修善をすすめる弥陀仏の、十九の願を、お忘れか。定散二善をすすめ
た観経の、釈迦の教説を知らざるや”と。
これはなんでしょうか?「釈尊定散の諸行を附属せず、ただ念仏を以て阿難に
付属したまうの文 」このタイトルすら御存知ないのですか?それとも法然上人
のご見解、それゆえ聖人のご見解を否定されておられるのでしょうか?
s会は、「定散二善」を付属した、という新説を主張するということでしょうか?
「およそこの『経』の中にすでに広く定散の諸行を説くといえども、すなわち定散
を以て阿難に付属して後世に流通せしめずして、ただ念仏三昧の一行を以てすなわ
ち阿難に付属して遐代に流通せしむ。」(選択集)
ゴジラさん、あなたは「後世」の衆生ではないのですか?
>>455 あなたはどうも私が「自力の念仏が獲信の因縁となる」と主張して
いるように仕向けたいようですが、そのようなことは申した事もなく、
私は仏願の生起本末を聞くこと、自力を廃して仏心をいただくひとつ
であると何度も繰り返して申しております。
ただし、あなたがたの主張される「宿善」の論理ならば、聴聞のない
ときには財施などの諸善に励むよりも念仏を称えるほうがはるかに宿
善になるのではないかとは考えておりますがいかがなものでしょう。
尊号真像銘文にも
「尋常の時より信なからむ人は、日頃の称念の功によりて、(中略)
願力摂し往生を得るものもあるべしとなり」とありますね。
「功」とは宿善ではないのですか?
あなたがたの主張される「宿善」の論理では諸善も念仏も等価という
ことですか?
>自力の念仏もがでてきませんが
法然上人が念仏に自力、他力あり、と分けておっしゃっていますか?
あなたの単なる解釈でないといわれるのならば法然上人が念仏に自力、
他力あり、と分けられている箇所をご指摘いただけますか?
>「廃のために説かず」になりませんか?
意味不明。
>>456 >法施と聴聞の復習は別物ではありません。
財施に関してはどうなのですか?
「やはり別物ではありません」ですか?
念仏は超善で別格ですよね。世間善のまねごとならばまだしも、(六度万行としての)
法施などは、わたしごときの泥凡夫にはまねごとすらも行じられません。
(法施を行じえたとして)たとえ微細な善果(s会の論理でいう宿善?)
が得られたとしても招来する悪果は途方も無いことでしょうね。
>>486 返信有難うございました。
あなたの主張を確認させて頂きます。
○善には、「出世間善」と「世間善」とがあり、
真宗では、世間善は勧めるが、「出世間善は捨てよ、やめよ」
と教える。
以上でよろしいですか。
494 :
祭り大好き!!:02/11/22 22:08
>>484訂正
誤り 何でようか????
正解 何でしょうか????
495 :
ひさしぶり1:02/11/22 23:53
>>472 「凡そ八万四千の法門はみなこれ浄土の方便の
善なり、これを要門という、これを仮門と名づけたり。
乃至。この要門仮門よりもろもろの衆生を勧めこしらえて
本願一乗円融無碍真実功徳大宝海に教えすすめ入れたもう
が故によろづの自力の善業をば方便の門と申すなり」
(一念多念証文)
法華経と言えど一切の自力の諸経はすべてのひとを
阿弥陀仏の本願に導くための方便である、との仰せです。
それ故に法華経から送る「深法」は大経しかないのです。
「如来、無蓋の大悲を以て三界をコウ哀す。
世に出興する所以は道教を光センし、群萌をすくい
恵むに真実の利を以てせんと欲してなり」(大経)
「真実の利と申すは弥陀の誓願を申すなり、然れば諸仏の
世世に出でたまう故は、弥陀の願力を説きて、よろずの
衆生をめぐみすくわんと思し召すを本懐とせんとしたもうがゆえに
真実の利とは申すなり」(一念多念証文)
釈尊を含めて、諸仏方が世に興出された目的は
道教である自力の教で衆生を導き「真実の利」で
ある阿弥陀仏の本願によって真実の救いにあわせる
ためであった、との仰せです。
496 :
元s改印 :02/11/22 23:56
>>493 さっそくのお返事ありがとうございました。
仕事が不規則でレスも不規則になりますのでご了承ください。
しかし、私の書いたものはなんにもコメントなしで、いきなり法論モード
ですか。。。ひょっとして元新人太郎さんですか?
覚師も法論などするな、とおっしゃってますよね。(誤解釈なら破邪キボンヌ)
いきさつは煩悩の発露でしたが、今では私はひさしぶりさんや祭り大好きさんや
NBさんなどから教えを乞うているつもりですよ。別に私は仏教学通でもないし
459さんのように親切でもないですから、その点は、はじめにお断りしておきます。
で、コメントをいただけたらお返事しましょうかね。といおうと思ったのですが
お答えします。
>以上でよろしいですか。
返事:よろしくないです。
497 :
ひさしぶり2:02/11/22 23:56
「智土論にのたまわく 如来は無上法皇なり
菩薩は法臣としたまいて 尊重すべきは如来なり
一切菩薩ののたまわく われら因地にありしとき
無量劫をへめぐりて 萬行諸善を修せしかど
恩愛はなはだたちがたく 生死はなはだつきがたし
念仏三昧行じてぞ 罪障滅し度脱せし」(高僧和讃)
「一切の菩薩は、諸善を修しても生死の輪廻から出離
できなかった」との仰せです。
「如来」に対して「一切の菩薩」と言われていますから
高位の菩薩方も含まれることは明かであります。
当然、弥勒菩薩も含まれますから「五道を展転する」
と釈尊は言われているのです。
報土からの還相の菩薩以外には自力で出離できる者は
おりません。
弥勒菩薩でさえ出離できないのに誰ができるというのですか?
498 :
ひさしぶり3:02/11/22 23:57
「仏教の目的が成仏以外にある」というひとは
仏教徒ではありませんから論外です。
「成仏」という最終目的を果たせない自力の諸善を
「無漏善」とは言えません。
「無漏善」という言葉を使われた御聖教もありますが、
聖道仏教の立場に立ってのことであり方便であることは
前述したとおりであります。
499 :
ひさしぶり4:02/11/22 23:58
要門には時機を逸した聖道の方便とは別の浄土の方便が
あります。
「この要門というは即ち無量寿仏観経一部に説きたまえる
定善散善是なり。定善は十三観なり、散善は三福九品の
諸善なり。これみな浄土方便の要門なり」(一念多念証文)
「ここを以て釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し
阿弥陀如来、本、誓願を発して普く諸有海を化したもう」(化土巻)
「至心発願欲生と 十方衆生を方便し 衆善の仮門ひらきてぞ
現其人前と願じける」(浄土和讃)
「諸有海を化」し「十方衆生を方便」するのが19願福徳蔵です。
この方便には機の区別はありません。
500 :
ひさしぶり5:02/11/22 23:59
「釈迦は要門ひらきつつ 定散諸機をこしらえて
正雑ニ行方便し ひとえに専修をすすめしむ」
(高僧和讃)
「ひそかに観経の三心往生を按ずれば、是れ則ち諸機自力各別
の三心なり、大経の三信に帰せんが為なり、諸機を勧誘して三信に
通入せしめんと欲ふなり」(愚禿抄)
専修は「弘願」です。
「要門ひらく」=「定散諸機をこしらえる」=「正雑ニ行方便する」
=「ひとえに専修をすすめる」です。
愚禿抄のお言葉で明かであります。
501 :
ひさしぶり6:02/11/23 00:00
「観経の三心を獲て『後に』大経の三信心を獲るを一心を獲るとは
いうなり。乃至。観経の三心は定散諸機の自力の心なり。
定散のニ善を回して大経の三信を得んとねがう方便の深心と
至誠心と知るべし」(唯信抄文意)
「方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より如来利他の
信心に通入するぞ、と教えおきます祖師聖人の御釈を拝見せざる
にや」(改邪抄)
観経の三心を経た『後に』、つまり要門を通って獲るのが
真実の信心である、との仰せです。
観経の三心とは、上機菩薩の心ではなく「凡夫発起の
三心」である、とも仰っておられます。
502 :
ひさしぶり7:02/11/23 00:02
「凡夫がそんなこころになれるものではない」という者に
対しては、蓮如上人が「浅ましい」とお叱りであります。
「前前住上人仰られ候、信決定の人をみて、あのごとく
ならではと思えばなるぞと、仰られ候。あのごとくになりて
こそと思いすつること、浅ましき事なり。仏法には、
身をすててのぞみ求る心より、信をば得ることなりと。」
(御一代記聞書194)
「のぞみ求める心から真実信心が獲られるのだ」との仰せです。
法然上人も「助正」に「下輩の中にまた発心あり、
また念仏あり」(選択集)と菩提心の必要なことを説かれています。
503 :
ひさしぶり8:02/11/23 00:03
方便というのは暫間廃用の法でありますから、留まることなく
真実へ通入するべき道であります。ただし信前の者には
真実がわからないのですから方便も方便とはわかりません。
「真仮を知らざるによりて如来広大の恩徳を迷失す」(化土巻)
「蓮如上人仰せられ候。方便を悪しということは有間じきなり。
方便を以て真実をあらわす廃立の義、よくよくしるべし。
弥陀釈迦善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなる
由、仰られ候と。」(御一代記聞書176)
真実のわからぬ信前の者に「方便を以って真実をあらわすのが
廃立である」との仰せです。
方便は自分の力で捨てられるものではありません。
「方便を捨てた」その時が「真実に入った」時なのですから。
「弥陀釈迦善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなる」
のお言葉とおり自力で方便を捨てることはできないのです。
「善をするのを止めて」雑行を捨てたつもりになっているのは
ただ教えの光を遠ざけて日陰いるに過ぎません。
504 :
ひさしぶり9:02/11/23 00:04
「善をするのを止めて念仏を称えているのが20願」のように
思っているひともいますが、20願は「助正間雑」してはならないの
です。祖師聖人は「真門結釈」に「悲しいかな、垢障の凡愚、
無際よりこのかた、助正間雑し」と20願の願意には相応できない
ことを明かにしておられます。
「善もできない、念仏も称えきれない」のなら化土へは行けません。
仏語を疑うのは三途の業です。化土へ行けなければ行くところは
地獄しかありません。
505 :
ひさしぶり10:02/11/23 00:05
「専修のひとをほむるには 千無一失とおしえたり
雑修のひとをきらうには 万不一生とのべたもう
報の浄土の往生は おほからずとあらわせる
化土にむまるる衆生をば すくなからずとおしえたり」
(高僧和讃)
「化土にむまるる衆生をば すくなからずとおしえたり」を
根拠として化土往生にすがっているひとは
「雑修のひとをきらうには 万不一生とのべたもう」をなんと
読んでいるのでしょうか。
「専修」は「弘願」です。「雑修のものは一万人いても
一人も浄土へはいけないぞ」との仰せです。
化土へ生まれることができるなら五百歳のときを経て
かならず報土に生まれることができます。万不一生では
ありません。
報土に対して化土は方便であり
「化土にむまるる衆生をば すくなからずとおしえたり」は
「真実に入らず方便に留まる者が多い」ことを言われたのは
明かではありませんか。
506 :
NB ◆YIoCB90ZbI :02/11/23 00:07
つうか、s会側の人は議論の仕方も知らんのかね。
まさしく「護邪隠正」だ。
「呆論」って、うまいこと名づけたね(感心
>>496 ×善には、「出世間善」と「世間善」とがあり、真宗では、
世間善は勧めるが、「出世間善は捨てよ、やめよ」と教える。
○善には、「出世間善」と「世間善」とがあり、真宗では、
世間善は廃していないが、「自力の出世間善は捨てよ、やめよ」と教える。
「勧める」と「廃していない」ことが同じでないことはおわかりですよね。
わたしもあなたをまねて作成してみました。
あなたの主張を確認します。
○s会では信前のものに「出世間善」である自力の諸善万行が勧められている。
それは自力の諸善万行は宿善となり、獲信とよい関係であるからである。
以上でよろしいですか。
508 :
ひさしぶり:02/11/23 00:15
>>484 >涅槃の因たる無漏善を生起するとあります。
涅槃の因であるなら仏覚が獲られない、というのはおかしくありませんか?
御説明ください。
509 :
ひさしぶり:02/11/23 00:20
>>485 >「余経」の流通が勧められる筈ない
大経は別です。
> 泥凡夫に勧められた方便ではない
泥凡夫も十方衆生に入っております。
>467参照してください。
どこに行体という言葉があるのですか?
510 :
ひさしぶり:02/11/23 00:24
>>491 >聴聞のない
ときには財施などの諸善に励むよりも念仏を称えるほうがはるかに宿
善になるのではないかとは考えておりますがいかがなものでしょう。
これは「諸善はだめだが念仏はよろしい」ということとどうちがうのか
御説明願いたい。あなたは「諸善はだめ」と言っているんでしょ?
511 :
名無しさん@1周年:02/11/23 00:26
ひさしぶりって煽りで発言しているのか、本気で発言してるのか、
たまによくわからんときがあるが・・・。漏れだけか?
512 :
ひさしぶり:02/11/23 00:28
>>491 >念仏は超善で別格ですよね。
万行超過の念仏のことでしょうか?
20願の念仏を称えるひとがどこにいるんですか?
513 :
ひさしぶり:02/11/23 00:31
>>491 >法然上人が念仏に自力、
他力あり、と分けられている箇所をご指摘いただけますか?
「自力の念仏は全く往生すべからず」のお言葉は根拠として先に
あげさせていただきました。
514 :
ひさしぶり:02/11/23 00:35
>>491 >「廃のために説かず」になりませんか?
意味不明。
>>503参照してください。
蓮如上人仰せられ候。方便を悪しということは有間じきなり。
方便を以て真実をあらわす廃立の義、よくよくしるべし。
弥陀釈迦善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなる
由、仰られ候と。」(御一代記聞書176)
真実のわからぬ信前の者に「方便を以って真実をあらわすのが
廃立である」との仰せです。
方便を説かねば真実はあらわせない、廃立にはならない、との仰せです。
515 :
ひさしぶり:02/11/23 00:43
>>492 >財施に関してはどうなのですか?
法座の開催のための財施なんだから同じです。
この世に金のかからんことなんかなにかあるのですか?
お金も時間もかかりますよ。
こんな書き込みするのも時間けずってるんだから。
時間はただじゃないですよ。
ひさしぶりさん、
>>194 もお返事お待ちしています。
よろしくお願いいたします。
>>496訂正
誤:
>今では私はひさしぶりさんや祭り大好きさんや
>NBさんなどから教えを乞うているつもりですよ。
ちょっと失言でした(笑)。
正解:
「今では私は祭り大好きさんやNBさんなどから教えを
乞うているつもりですよ。ひさしぶりさんは、時々小生の知らない
ことも教えてはいただいていますが、s会の現在の教義では
やはり真宗とはいえない、ということは知っていただきたいです。」
どうも失礼いたしました。
518 :
NB ◆YIoCB90ZbI :02/11/23 01:24
>>476 >医者は誰ですかってことですか?
>阿弥陀仏にきまってるじゃないですか。
>>254をもう一回読んでみて、そんな言い方ができるのか?
うその上塗りってやつだね。
一事が万事で、
>>514とかみたいに変な目的のために
小賢しくお聖教のご文を引っ張ってほしくないね。
学者の論文じゃあるまいし、聖句の引用には恐れと慎みを感じてほしい。
祖師方の深智深慈に等しいとでも思っているんだろうか?
何を護りたい?くだらんエゴか?
たとえ独特のものであったとしても教義を護ろうとされるなら、こんなことは
言いたくないけど、どう好意的に見ようとしてもそうは見えないね。
519 :
祭り大好き!!:02/11/23 01:44
>>508 ひさしぶりさん、遂に爆発って感じですね。どのレス宛かわからないのが、多いですが、
とりあえずはっきりしたものに・・・。
>御説明ください。
階位五十二位、円教の四十二品無明断破は、菩提道ですよね。つまりは、其々の位が涅槃の
因位ですよね。仏果でなくとも聖位へ至るには、無漏善が因となります。道徳善では、仏教
の「悟り」を開くことはできません。元品の無明を断ずるのは、他力のみばかりでなく、菩薩乗の果
徳も他力のみという解釈なんでしょうか??? それなら、その根拠は??? それと真宗でも教に
約しては、自力成道を認める説があると言いましたよね。
520 :
祭り大好き!!:02/11/23 02:01
>>509 >大経は別です。
ちゃんと「経・論・釈」で根拠挙げてもらえますか?
>泥凡夫も十方衆生に入ってます。
もちろん入ってますよ。でも十九願所被の機にわれわれが入ってますか???
浄土門といってもわれわれ泥凡夫ばかりでなく、十九願所被の機も洩らさず
十方衆生を洩らさず真仏土に誘引する為の御方便ですよ。
>どこに行体という言葉があるのですか?
>>467『雑行の諸善もその行体は変りませんが・・・』
521 :
祭り大好き!!:02/11/23 02:22
>>502 誰宛か分かりませんが。
>菩提心が必要なことを説かれています。
『選択集・三輩章』のこの御文は、「なんぞ余行を捨ててただ念仏といふや。答へて
いはく、これに三の意あり。」として①「初めの義はすなはちこれ廃立のために説く」
②「次の義はすなはち助正のためにとく」(この中に『下輩の中に、また発心あり、
また念仏あり』が出てきます。)③「後の義はすなはちこれ傍正のために説く」の三義
の説明のあと、結論として、「ただしこれらの三義は殿(ここでは、優劣の意味)知り難し
。請ふ、もろもろの学者、取捨心にあり。いまもし善導によらば、初め(廃立)をもって正
とするのみ。」となっていることでわかりますように②の助正は、正意でないということで
すよ。
522 :
祭り大好き!!:02/11/23 02:29
523 :
名無しさん@1周年:02/11/23 06:59
>>521 >法然上人も(略)菩提心の必要なことを説かれています。
ひさしぶり氏、こんな誰でも知っていることを堂々と否定しちゃっていいの?
法然上人が菩提心を否定なされたことから浄土宗が聖道門から大迫害を
受けたことすらひさしぶり氏は知らなかったんだ。。。。。
ちょっとひさしぶり氏を過大評価しすぎていたよ。
で、その菩提心が名号に含まれることを教行信証で聖人は示され、
師匠の法然上人を弁護されたのですな。
↓参照
http://www.byakuran.co.jp/y1/yume.myoue.htm 「(明恵は、)法然が菩提心を不必要と言ったこと。念仏宗以外の宗教を群賊呼ばわり
した事に反発し「邪を砕く論」を出します。法然も明恵も共に切実に本物の宗教を本物
の信心を乞い求めてのことです。」
とありますよ。
525 :
名無しさん@1周年:02/11/23 07:14
みてるとひさしぶりは「方便」という言葉が好きだねえ
でも
なんか「方便」というのを言葉の意味を宙に浮かすために使っているようだ。
526 :
ある通行人:02/11/23 09:35
>>476 あなたの言われることはある意味模範解答でしょうね
しかし私はあなたの書かれた文章が何故そのような答えにつながるのかがまったく理解できません
ひさしぶりさんは本当に日本人ですか?
日本語読解力が極端に低いわけではないでしょう?
それとも頭ではこういう事が正しい(>476)と分かっているのに
実際に口に出したら(カキコしたら)あんなおかしな発言になるんですかね
あなた方の好きな言い回しで言えば、『言い訳のための言い訳』ってな感じですね
もう少しまともな(人間的な)返事がいただけるかと思っていましたががっかりです
自分で自分の首をしめていることが分からないわけではないだろうに・・・
まあ、これでs会の善智識だのみ(実際にはs会のはほかのとは違いますけどね)かどうかという
疑問も今後、会が正常になるためには必要な課題となったわけですね
善智識をだしにいろいろと強要するのは自粛するかもしれないしね
では、ひさしぶりさん、いいわけまっています
527 :
名無しさん@1周年:02/11/23 10:50
>>515 >こんな書き込みするのも時間けずってるんだから。
みなさ~ん、おなじみ、インタビューのじかんで~す。
ひさしぶりさん、本音で語っていただけますか?
では、どうぞ。
「こんなに忙しいおれさまが、てめえら雑魚らのために
おれ様の貴重な時間を削って書き込みしてやっているのに、
うだうだいってるんじゃねえよ、たわけらが。
絶対無二のおれさまの犬鉄先生の悪口いうやつあ、許せねえんだよ
善智識はさとりの全因縁なんだよ。
善智識だのみでなにが悪いのや。
だいたいなあ、こんなに書いて説明してやってるのに、
少しは感謝しろよ、この俺様に、このボケどもが。」
528 :
祭り大好き!!:02/11/23 11:19
>>508に補足
因縁が揃わなければ、果は生じませんから、聖道の機類の方が、涅槃の因は、あっても
最後品の無明を断じて仏果に至るには、他力という増上縁に依らなければならないとして
も何らおかしくないのではないですか??? 勿論、われわれみたいな自力門と機根が相応
してない泥凡夫には涅槃の因を自力で生起することは無理ですが。
>>509に補足
われわれが、十九願所被の機類なら、何故十九願には、御本願みたいに「唯除五逆誹謗正法」
の「抑止門」がないのですか??? 悪人正機の御本願と異なり、十九願所被の機類は、未だ
造らざる悪業を抑止する必要がない(五逆謗法罪を犯す可能性が低い)上機だからではないのですか????
529 :
祭り大好き!!:02/11/23 11:57
>>502に補足
法然上人が自力の「発菩提心」を勧めておられたなら、全く
>>523氏の仰る通りに
明恵上人があれほど「菩提心を撥無する過」があるとして法然上人を批判されるは
ずないと思います。
>>501-502 『唯信抄文意』のこの御文は、(方便の)「観経の三心」を得ても「大経の三信心」
(真実の一心)を欠けば(いただかなければ)真の報土へ生まれることはできないと
仰っているのは前後の文脈よりあきらかではないですか??? 誰も先ず前提とか条件
として「観経の三心」を得なければ、真実の一心をいただけないの意ではありませんよ。
「観経の三心をえてのちに」は、後の「雑行雑修して定散、散機の人、他力の信心かけた
るゆゑに、多生コウ劫をへて他力の一心をえてのちに真実報土へ生まれるべき」から言えば
多生コウ劫をへて後という意味でしょう。「至誠心」「深心」「廻向発願心」の「観経の三
心」なんか字を見ただけで自分にあるかないかわかると思うのですが・・・。それに蓮如上人
が言われた「信決定の人を見てあのごとくならではと思う」のは、「観経の三心」を得ること
だと言われるならその根拠は何でしょうか????
>>527 まあまあ、ひさしぶりはたぶん会の中でも
DQN子牛の仲間入りもできず
かといって普通の会員から人望があるわけでもない
ちゅーとはんぱな香具師なんでは
531 :
祭り大好き!!:02/11/23 14:02
>>529(
>>502に補足)の続き
『唯信抄文意』の御文の続きは「べきゆゑに、すなはち生まれずといふなり(この御文は
、そもそも善導大師の『若少一心即不得生』を釈され、『少は欠くるといふ、少なしと
いふ。一心欠けぬれば生まれずといふなり』に続く御文です。)。若し胎生、辺地に生まれ
ても五百歳をへ、あるいは億千万衆の中には、ときにまれに一人、真の報土へすすむとみえ
たり。三信をえんことをよくよくこころえ願ふべきものなり。」です。自力の功徳成就して
化土往生がかなったとして五百歳をへ、其の中に希に真の報土へ進む機があるというとんでも
なく時間がかかる難行です。親鸞聖人は、そんな難行・漸教の「『観経の三心』を獲て後に『
大経の三信』を得る」ことを勧めておられるのでしょうか??? 一筋に、易行・頓教の真実
の一心=弘願門に入ることをお勧めなのではないのですか????
532 :
祭り大好き!!:02/11/23 15:09
>>495 >法華経から送る「深法」・・・
ですから、そのあまり聞かない説はどなたの説ですか??? 伝統教学では、その「余
の深法」の方を方便の偏教(蔵・通・別)として、法華一乗の円教を信じられない機類に
方便に示教利喜して、円教に入るよう調機すると解しているし、近代仏教学では、法華経
成立前の経典と解したり、原典に余経の意がないことから、羅什三蔵の誤訳または創作と
いう説(羅什三蔵は、多くの前科持ちw。上記の伝・龍樹菩薩造『大智度論』にも真宗所
依の伝・龍樹菩薩造『十住毘婆舎論』にも三蔵の創作説もある。)があることも前にもちら
っと触れました。
533 :
祭り大好き!!:02/11/23 15:43
>>497-498 >>519>>528参照。あと、たびたび挙げた世親(天親)菩薩の論は、正傍ともに
依用してないということでよろしいですね???
>>501に補足
>上機菩薩の心でなく・・・
仏教では、凡夫の言葉は、色々使われる場面により異なります。十信位前のことだったり、
地前の菩薩のことだったり、更に仏様に対しては、地上・等覚の菩薩でも凡夫ですね。お父さん
の前では、長男もいつまでも子供であるようなものです。この覚師の御文は、自力と比較して
他力の仏智を区別しておられるのですから、凡夫の幅を最大限引っ張ってられるのではないで
しょうか??? われわれみたいな泥凡夫は、二乗・菩薩の眷属ですらないでしょう。
534 :
祭り大好き!!:02/11/23 16:15
>>495>>499 「おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門
と名づけたり。この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善
・散善これなり。定善は十三観これなり、散善は三幅九品の諸善なり。これみな浄土方便の要
門なり。」(『一念多念証文』)
たびたびこの御文を引用されながら、何故かフル引用がないですねw。この御文でみると、聖
道の方便(八万四千の法門)と浄土方便の要門の区別が無いみたいなんですけど。観経一部に
説かれた定善・散善の浄土方便の要門は、聖道門と異なり末法万年のわれわれと時機が合致した
教えというお聖教の言葉はどれでしょうか???? 十方衆生については、
>>405-406>>520>>528 参照。
ひさしぶり氏は会の現状から目を背けたいがために
ここでの法論に没頭されているのです。
>>507 元s改印さんへ。返信有難うございました。
○善には、「出世間善」と「世間善」とがあり、真宗では、
世間善は廃していないが、「自力の出世間善は捨てよ、やめよ」と教える。
以上のように答えて頂きました。
あなたの主張では、善に世間善と出世間善とがあるとのことですが、
2つの善の違いを教えてください。
あなたの質問に答えるためにも、よろしくお願いします。
538 :
祭り大好き!!:02/11/24 13:06
>>532訂正
誤り 『十住毘婆舎論』
正解 『十住毘婆沙論』
>>534訂正
誤り 「・・・定善は十三観これなり・・・」
正解 「・・・定善は十三観なり・・・」
>>503 >>510 「顕」というは、経家は、一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示
し、自利の一心を励まして、難思往生を勧む。(化土巻)
夫れ濁世の道俗、速に圓修至徳の真門に入りて、難思往生を願うベし。(化土巻)
経家(釈尊)は「一切諸行の少善」つまり要門を嫌貶して、自利の一心を励まして、
つまり自力でもよいから、真門の自力の念仏を方便として勧められたと仰せですね。
聖人は、信前の「濁世の道俗」要門に留まっておらずに速やかに真門の難思往生を
願いなさいと仰せですね。これらは弘願に入るために、方便として一心不乱の自力
の念仏を勧められた箇所でもあります。そして「自利の一心を励まして」自力の念仏
を称えているものに対して、「専修にして而して雑心なる者は大慶喜心を獲ず」と
真門結釈において難思往生を離れて弘願に転入することを勧められたのでしょう。
ここでの専修は自力ですね。そして自利の一心を励ます20願の行者は果遂の誓いが
あるゆえに他力によって真如の門に転入させていただくのですね。
定散自力の称名は果遂の誓いに帰してこそ
おしえざれども自然に真如の門に転入する(浄土和讃)
>>504 >仏語を疑うのは三途の業ですね。
この仏語を疑うのは三途の業ではないのですか?
「菩薩処胎経」の第二に説かく、西方此の閻浮提を去ること十二億那由他に
懈慢界あり。乃至。意を発する衆生、阿弥陀仏国に生ぜんと欲する者、皆深
く懈慢国土に著して、前進んで阿弥陀仏国に生ずること能はず。億千万衆、
時に一人有りて、能く阿弥陀仏国に生ず」と云々。(化土巻)
>>505 >「雑修のひとをきらふには万不一生とのべたまう」をなんと読んでいるのでしょうか。
あなたのあげた二つのご和讃を矛盾無く説明するためには、万不一生を「報土往生」
と解釈する以外ありえないとおもうのですがいかがでしょうか?
あなたのいわれる「化土へ生まれることができるなら五百歳のときをへてかならず
報土に生まれることができる」説は、化土往生の勧めのようにも聞こえるのですが?
親鸞聖人はこのようなルートでの報土往生の勧めは決してなされませんでした。
ですから万不一生とは「一人として報土往生できない」の意で有り、五百年先のこ
とを言われたものではないことは明らかです。
私は親鸞聖人のお勧めは断じて化土往生ではなく本願の報土往生であることを改めて
強調したいと思います。
しかし、聖人は決して化土の存在を否定されてはいませんね。
>>512 >万行超過の念仏のことでしょうか?
光明寺の和尚のいわく、「自余の衆行は是れ善となづくと雖も、もし念仏に比ぶ
れば全く比校にあらざるなり」(化土巻)
また大師は観念法門に「散善九品の機類が、諸倶に回心して浄土の証果を得よ」
と仰せですが、この文が諸行を捨てて念仏に帰することを示しているのは明らか
ですね。ただしその念仏を執して自分の善根とする故に報土に往生できないわけ
ですね。釈尊は定善散善二門の益を説かれましたが、弥陀の本願からみれば、
その正意は十方衆生に、一向専念して弥陀の名号を称えさせることにあるので
しょう。ちがうのですか?
543 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/11/25 20:35
>>539:元s改印
そうそう。僕の見解と同じだ。思わず嬉しくなりました。
<ハナシ ノ ジャマ シテ ゴメン>
>>514 >方便を説かなければ真実は著せない。廃立にならない、との仰せです。
夫れ濁世の道俗、速に圓修至徳の真門に入りて、難思往生を願うベし。(化土巻)
「要門の方便」に留まらずに、信前の者は速やかに「方便の真門」に入りなさいと
教えられています。
>>543 いえいえ、どうも渡海さんにほめられるなんて
予想もしていませんでした。
渡海さんも他人をほめられることもあるのですね(失礼)。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
私ははじめは煩悩のままに書き込んでおりましたが
今では本当の親鸞聖人のみ教えを正しく教学的に理解したいと思ってます。
それゆえ怠惰のわが身をむち打って皆さんに教えていただいています。
明らかにちがうご見解がございましたらご指摘いただければ幸甚です。
私にはここに書き込んでおられるs会会員のように「守るもの」はござ
いませんので。
>>537 私が前回示したものは誤解を招く可能性があるので訂正します。
それは法然上人が出世間善と世間善の違いをご教示なさった箇所を今まで見逃していたからです。
そのご文は「釈尊定散の諸行を附属せず、ただ念仏を以て阿難に付属したまうの文」にあります。
「次に散善に付いて二有り。一には三福、二には九品。初めに三福とは『経』に曰く、「一には
父母に孝養し、師長に奉事し、慈心にして殺さず十善業を修す。二には三帰を受持し、衆戒を具足
して威儀を犯さず。三には菩提心を発し深く因果を信じ、大乗を読誦し、行者を勧進す。」
已上経文。
孝養父母とは、これに付いて二有り。一には世間の孝養、二には出世の孝養なり。
世間の孝養とは『孝経』等に説くがごとし。出世の孝養とは律の中の生縁奉事の法のごとし。
奉事師長とはこれに付いてまた二有り。一には世間の師長、二には出世の師長なり。
世間の師とは、仁義礼智信等を教えるの師なり。出世の師とは、聖道浄土の二門等を教えるの
師なり。」(選択集)
(つづく)
547 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/11/25 20:53
>>545 >どうも渡海さんにほめられるなんて
いやいや。誉めてるんじゃないのよ。嬉しくなっちゃったんです。
親鸞の主張の核心の一つは、539のあの部分にあると僕も思ってたんです。ズバリ
と仰っているんで、思わず嬉しくなりました。
>>546(つづき)
「世間善」とは、たとえば孝養については『孝経』(孔子の作といわれるが作者不明)
に説かれている「身体髪膚これを父母にうく。敢えて毀損せざるを孝のはじめとし、
身を立てて道を行ない、名を後世に揚げて以て父母を顕すは孝の終わりなり」で示され
るような倫理道徳ですね。これなどは「出世間善」とは考えにくいですが、回心・回向
の善になりうるところからすれば散善なのでしょう。しかし『孝経』を如実に修行して
解脱=成仏=出世間をはかる修行者がいるとは考えにくいですね。
また、「出世間善」の孝養とは大正大蔵経第四十巻140頁「四分律行事抄勧下道俗化方篇
中第二生縁奉事法」を参照して下さい。要するに戒を如実に守ることですね。
次に奉事師長ですが、世間の仁義礼智信等を教える先生に仕えることが「世間法」における
奉事師長であり、「出世間善」の奉事師長とは「聖道浄土の二門等を教えるの師」に仕える
ことですね。そしてその次に「たとい余の行無しといえども孝養奉事を以て往生の業とす。」
とありますから文脈からは世間善も出世間善も回心・回向の善になりうるようですね
(解釈が違ってましたらどなたか破邪してください)。
次に三福のひとつ深信因果についても世間善と出世間があるようです。
「善深信因果とは、これに付いて二有り。一には世間の因果、二には出世の因果なり。
世間の因果とはすなわち六道の因果なり。『正法念経』に説くがごとし。
出世の因果とは、すなわち四聖の因果なり。諸の大小乗経に説くがごとし。(中略)
然ればすなわち深信因果の言遍く一代を該羅せり。諸の往生を求めん人たとい余の行
無しといえども、深信因果を以て往生の業と為すべし。」 (つづく)
>>548(つづき)
世間善の因果は十二因縁流転のありさまを詳説する『正法念経』(大正大蔵経第九巻)
に説かれている出世間の因果については仏、菩薩、声聞、縁覚の四聖がどのようにして
悟りを開いたか、その因果ですね。そしてこの場合も文脈からは世間善の「因果の道理
の深信」も出世間善の「因果の道理の深信」も回心・回向の善になりうるようですね
(解釈が違ってましたらどなたか破邪してください)。
そして私が以前示したご文です。
「およそ散善の十一人、皆貴しといえども、しかもその中においてこの四箇の行は当世の人、
殊に欲する所の行なり。これ等の行を以て、殆んど念仏を抑う。」
散善誰もが実践したくなる行であるが、これを法然上人は往生の行としては勧められなかった。
「つらつら『経』の意を尋ねれば、この諸行を以て付属し流通せず。ただ念仏の一行を以て
すなわち後世に付属し流通せしむ。まさに知るべし、釈尊諸行を付属したまわざる所以は、
すなわちこれ弥陀の本願に非ざるが故なり。また念仏を付属したまう所以は、すなわちこれ弥陀
の本願なるが故なり。今また善導和尚諸行を廃して念仏に帰せしむる所以は、すなわち弥陀の
本願たるの上、またこれ釈尊付属の行なればなり。故に知んぬ。諸行は機に非ず、時を失えり。
念仏往生は機に当り、時を得たり。感応あに唐捐ならんや。まさに知るべし。」
きわめて明快です。法然上人は散善を往生行としては廃せられ、念仏を勧められたのです。
(つづく)
>>549(つづき)
以上の法然上人のご見解から、「真宗においては世間善と出世間善がある。」
これは正しいのでしょう。
大乗仏教において出世間善は「菩薩行」である、というのが私の見解です。菩薩行に自力、他力があります。
自力の菩薩行のなかには六度万行が含まれます。一向専念無量寿仏のために他力の菩薩行である五正行
を勧められた。それゆえ余善を廃し、という意味は「往生の行」としては余行をまじえずに念仏行を勧められ、
「往生の行」としては余行を「すてよ」ということであります。
あくまでも、わが身が凡夫であると知らされた末法五濁の凡夫に対してこのように説かれています。
散善が実行できるとうぬぼれている衆生は、このようなご教示があるにもかかわらず、やはり散善
(たとえば財施、勧誘など)を往生行として励むのでしょう。
s会では六度万行が「必堕無間」=「後生の一大事」を解決するための宿善になり、獲信とよい関係
にあるとみなすのですからs会の教学では六度万行を出世間善とみなしているのですよね?
それゆえ訂正:
×‥‥‥善には、「出世間善」と「世間善」とがあり、真宗では、
世間善は廃していないが、「自力の出世間善は捨てよ、やめよ」と教える。
○‥‥‥「真宗において出世間善、世間善がある。出世間善、世間善は信前においてはともに
散善であり雑行であるから、往生の行としては廃され、他力の菩薩行である五正行を勧められた。」
これならば誤解は生じにくいと思うのですが。。。
ゴジラさん、いかがなものでしょうか?
551 :
ある通行人:02/11/25 21:17
昨日の驚愕講義で一つ疑問になったことを書いてみます
回りくどいようですが、539で元s改印さんが書かれたようなことです
どなたかよければ教えていただきたく思います
親鸞聖人のみ教えは三願転入だと教えていただきましたが
最近、何の先入観もなしで御聖教を拝読させていただいていると色々と感じることがあります
三願転入のご文とはまず、『19願を出た』というところから始まっています
しかし、まず『修諸功徳の願』と言われる19願の教えの通り善をしなさいと教えるのがs会驚愕です
18願の世界に出るための求道なのか
19願を出るために19願を実践する(させている)のか
<意味の違いを汲み取ってくださいね>
私自身もう一度読み直してみようと思いますがよろしければこれについての意見を聞かせてもらってもいいですか
よろしくお願いします
>>551 >19願を出るために19願を実践する(させている)のか
ただ今あまり時間がございませんので一言だけ申し上げます。
このようなs会の見解も浄土系の仏教の教義に属するのかもしれません。
しかし、法然上人、親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗は、
私が申したり、祭り大好き!!さんがおっしゃておられるように
「往生行としての諸善を廃し、十八願の弘願念仏を勧める」教えです。
ですからs会の現在の教義では真宗ではないと何度も申し上げているのです。
553 :
ある通行人:02/11/25 22:02
>>552 早速お返事をいただいてありがとうございます
あと、これはたいしたことではないのかもしれませんが
19願は『現其人前』とあるのに対して
20願には『不果遂者』とあります
さらに三願転入のご文の最後にも『果遂の誓良に由あるかな』と締めくくられています
昨日の驚愕講義で19願を捨てるところから親鸞聖人の拓かれた求道の道が始まるのではないか
と強く感じているのですが、ひさしぶりさん、ゴジラさんをはじめ皆さんに聞いてみたいと思います
お忙しいのは重々承知しておりますがよろしくお願いします
>>551 もしかしたら、あんまり関係なく聞こえるかもしれませんが。。
身をすてておのおのと同座するをば、聖人の仰せにも、四海の信心の
人はみな兄弟と仰せられたれば、われもその御ことばのごとくなり。
@『御一代記聞書』
「身をすてておのおのと同座する」
の仰せの重さを思い知るべきなんだと思います。
得手に聞いてあなどっていると痛い目にあいますね。
上がり上がりて落ち場を知らぬものなり。ってねえ。
19はともかく、20の怖さといったら、そりゃもう。
積めば積むほど身がすたらなくなりますからねえ。
「親鸞学徒」の罠ですね。
555 :
名無しさん@1周年:02/11/25 23:15
>>555 待て、流れを読め
自分が荒らしになりたくなければ
557 :
名無しさん@1周年:02/11/25 23:39
>>556 そうか、でもあのHNみるとムカッと来るんでね。
最近は香具師は受け入れられてるのか?
HN見た瞬間否定するのも
あれですがな。
>>546 補足:
「奉事師長とはこれに付いてまた二有り。一には世間の師長、二には出世の師長なり。
世間の師とは、仁義礼智信等を教えるの師なり。出世の師とは、聖道浄土の二門等を教えるの
師なり。」
このご文のあとに続くご文は、
「たとい余の行無しといえども孝養奉事を以て往生の業とす。」です。
このご文」がないと550は意味不明になるかもしれません。
『孝経』は仏典ではありませんが、この続くご文において「孝養奉事」が
世間善を含むのか否かはあきらかではありません。
しかし、信前のものが世間善の「孝養奉事」を回心・回向の善とする
可能性はありうると考え、散善のひとつとみなしたのです。
信前の散善は雑行です。雑行は往生行としては「すてもの」です。
それゆえ550のようになりました。
>>542 訂正
×・・・この文が諸行を捨てて念仏に帰することを示しているのは
明らかですね。
○・・・この文が諸行を捨てて念仏に帰することを勧められたことを
意味しているのは明らかですね。
元s改印さんへ。
○「真宗において出世間善、世間善がある。出世間善、世間善は
信前においてはともに散善であり雑行であるから、往生の行としては
廃され、他力の菩薩行である五正行を勧められた。」
あなたは主張を上のように訂正されました。
そこで確認致します。
○あなたが善には世間善と出世間善とがあると
言われるから、お尋ねしたのですが、
結局、世間善と出世間善と二つの善といっても、
明確に分けられるものではない。
これでよろしいでしょうか。
○すると、あなたの主張は、
「一切の善をするな、捨てよ、と勧めるのが浄土真宗だ」
ということでしょうか。
驚くべき主張ですが、確認させて頂きます。
562 :
祭り大好き!!:02/11/26 18:48
>>548 元s改印さん、散善として特に例えば外典の『孝経』の「孝養」が勧められる根拠は、前にも出
てきた『梵網経』の「十重四十八軽戒」の「孝を名づけて戒となす」に起因するかもしれ
ませんね。このように中国思想色が強いことが同経が偽経とされる根拠でもありますが(
そう言えばこの経も羅什三蔵訳とされてますね。今日では否定されたますけどね。)
563 :
名無しさん@1周年:02/11/26 18:54
>>561 なんでそうなんねん!
あんたが確認するときいっつもヘンテコリンになるな。
頭悪すぎだよ。
564 :
祭り大好き!!:02/11/26 19:01
>>245-246 ひさしぶり氏の主張によるとわれわれに獲信の為の「宿善になる」として勧められているらしい
「清浄に戒を有つ」ですが、その「戒」は、何か? 大乗戒の「三帰戒」?「三聚楽戒」?「十
重禁戒」?「四十八軽戒」? それとも小乗(「上座部仏教に対するこの蔑称は今日は使いません
が、ここでは歴史的用法です。)戒の「五戒」?「八戒」?「十戒」?「比丘の二百五十戒律」?
「比丘尼の五百(または、三百四十八)戒」? どれでしょうか????
565 :
名無しさん@1周年:02/11/26 19:20
> 驚くべき主張ですが、確認させて頂きます。
驚くべき事は、M晴が一連の事態を棚にあげたまま、
要職に留まり、諸善万行の実践を純粋君達に、堂々と指導している事です。
仏教を説くっていう事は大変な事だって聞いたけれど、そんな大事な件については
驚きもしないし、確認もしないんだね。
まあ、他板だと「釣り師」か「質の悪い燃料」ってとこっすね。
ゴジラさん。シムシティーを荒らすのががお似合いってこった。
567 :
祭り大好き!!:02/11/26 19:42
>>245-246 在家だから「三帰戒」かとも思いますが、その場合比丘に帰依して「受戒」の儀礼も厳格
に規定だれていますが、s会はどうなんでしょうか???「法施」などの諸善を強調して
いるところみると「止悪」「修善」「利他」の「三聚淨戒」(『瑜伽師地論・菩薩地戒律品』
・大正蔵三十巻)でしょうか??? やはり大乗戒を代表する上記の「十重四十八軽戒」も
この「三聚淨戒」を基本としているようですね。しかし、確かs会の諸善の勧めの根拠は、
「七仏教戒」だったと思いますが(違ってれば反論キボン)、大乗戒の経典上の根拠たる『梵
網経』には、「而菩薩於是悪人前七仏教戒者。犯軽垢罪」(「大正蔵二十四巻壱千九頁」)と
説かれており、われわれみたいな無仏・無法の悪人の前で、「七仏通戒」を説けば戒を犯すこと
になると書かれています。上の「若仏子。不得為利養故於未受菩薩戒者前若外道悪人前説明此千
仏戒。」の意を受けているとしても、利養の心無く真の慈悲が無くては戒を持つどころか、犯す
ことになるわけですね。ここでの悪人というのは「菩薩戒」未受戒の全ての衆生です「凡未受
菩薩戒者。皆曰悪人。」(『菩薩戒義疏』大正蔵四十巻五七九頁)われわれ皆悪人ではないので
しょうか??? 教えを受ける資格すら無いのに他人に教えて戒を持つことができるのでしょうか????
>>567 若仏子。不得為利養故於未受菩薩戒者前若外道悪人前説明此千仏戒
は、もしは仏子。利養のためのゆえに菩薩戒をいまだ受けざる者。もしは外道、
悪人の前でこの千仏戒を説明することを得ざれ。
で、いいでしょうか。
569 :
祭り大好き!!:02/11/26 19:56
>>564訂正
誤り 「三聚楽戒」
正解 「三聚淨戒」
誤り 「比丘の二百五十戒律」
正解 「比丘の二百五十戒」
>>567訂正
誤り 『・菩薩地戒律品』
正解 『・菩薩地戒品』
>>245-246に補足
そいうえば
>>266の回答も未だでしたね。
570 :
名無しさん@1周年:02/11/26 19:59
まず、M春に諸善万行をさせるのが先決だよ。
571 :
祭り大好き!!:02/11/26 20:05
>>567訂正
誤り 「利養の心無く」
正解 「利養の心が有って」
>>568 いやいやNBさんみたいな専門家に問われると赤面してしまいますね。これからもわかりやすく
読み下しなり解説なんかして(勿論、間違いはビシバシ指摘して)くださると有り難いです。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。(「有り難い」の言葉が出るとパブロフの犬みたいにお念仏様が
出てくださりますww)南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
専門家だなんて、それこそこっちのほうが赤面まっさお。です。
まあ、でも、乗ってくると漢文で思考しちゃいますねよねえ。
なんまんだぶなんまんだぶ。なんまんだぶなんまんだぶ。
いえ、こちらこそ間違いはバシバシ指摘してくださいませ。
マジでお願い申し上げます。
ああ、今ちょっと、酔ってるんで。文章へんです。すまそです。
574 :
祭り大好き!!:02/11/26 20:14
>>568 早速ですが、NB先生。この「利養の為のゆえに」は「菩薩戒律を未だ受けてない者」に
かかってるんでしょうかね??? それなら訂正致します。私の言いたいことは変りません。
ああ、つか、
>>568の読み下しも間違ってました。たはは。
576 :
名無しさん@1周年:02/11/26 20:17
一つ聞きたい
観無量寿経で、浄土に生まれたいと言うイダイケ夫人に対してお釈迦様は
なにをされたか?
それは、説法をするための寺院建立の約束だったか?
それとも、たくさんのご報謝の要求だったか?
そこらへんもはっきりさせたうえでの議論があるとうれしいね
577 :
祭り大好き!!:02/11/26 20:20
>>575 有難うございます。NBさんもなかなかお酒好きと見えますね(私も同類w)。
これからもよろしくお願いします。
>>574 もしは仏子、利養のためのゆえに、菩薩戒をいまだ受けざる者の前において、(あるいは)
もしは外道、悪人の前で、この千仏戒を説明することを得ざれ。
に、訂正します。どうでしょうか?単純ミスですまそです。
いつか、いっしょ、飲みたいですね。なんまんだ。なんまんだ(w
絶対きっと、ありがたい。うれしい。
こうして文字の上で拝見するだけでもうれしいものを、拝見拝眉。なんまんだ。
っすね!!
580 :
ひさしぶり1:02/11/26 23:13
>>519 >どのレス宛かわからないのが、多いですが.
あなたもどれが質問かわからないのが多いですから
まとめてお答えしてもよろしいかと思いますが。
>>484 >涅槃の因たる無漏善
>>519 >其々の位が涅槃の因位ですよね。
「涅槃の因位」というのは「自力で仏覚を得ることが
できる」という聖道門の教えが前提ですね。
「仏覚は阿弥陀仏のお力でなければ得られない」根拠は
提示済みです。
「涅槃の因であるなら仏覚が獲られない、というのはおかしく
ありませんか?御説明ください。」という問の答えにはなっていません。
私は「自力で涅槃を得ることができないから、人間の善を
無漏善とは言わないのだ」と回答済みです。
「仏覚を得られない自力の善を何故あなたは無漏善というのか」
お答えください。
581 :
ひさしぶり2:02/11/26 23:15
>>520 >十九願所被の機にわれわれが入ってますか???
観経自力の三心は「凡夫発起の三心」である根拠は提示済みです。
「至心発願欲生と 十方衆生を方便し 衆善の仮門ひらきてぞ
現其人前と願じける」(浄土和讃)という
「十九願の方便が十方衆生に対する方便である」という根拠も
何度もあげています。
あなたは「善はできないから凡夫に対する教えではない」と言われますが
そう言われたお聖教の根拠をあげてお話ください。
「あなたの考えや解釈」は根拠にはなりません。
>>533 >仏教では、凡夫の言葉は、色々使われる場面により異なります。
「煩悩成就の凡夫」と後で言い換えておられます。
582 :
ひさしぶり3:02/11/26 23:16
>>520 >『雑行も諸善もその行体は変りませんが・・・』
今日、新人太郎さんの文章を初めて拝見しました。
すごいひとですね。
「雑行も諸善もその行体は変りません」(新人太郎さん)
私は「信前信後で(往生の)行体は違います」と言いました。
何の問題もありません。
何で私が、新人太郎さんの見解を否定しないといけないんですか?
>>521 >②の助正は、正意でないということですよ。
では前三後一の助行も「正意ではない」ということで
よろしいか?
583 :
ひさしぶり4:02/11/26 23:17
>>523 >法然上人が菩提心を否定なされたことから浄土宗が
これも「修善」と同じことですね。
祖師聖人は「菩提心」を「他力の信心」とされました。
自力は捨てものです。
では唯信抄文意の
「過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまひし所にして
『自力の大菩提心』をおこしき、恒沙の善根を修せしめしによりて
今大願業力にまうあうことを得たり」と言う御文は「自力の
大菩提心」と「大願業力にまうあうこと」とは関係ない、と
言われたのでしょうか、関係あるといわれたのでしょうか。
19願にも「発菩提心」がありますね。
19願と18願は関係ありますか、ないですか?
「ひそかに観経の三心往生を按ずれば、是れ則ち諸機自力各別
の三心なり、大経の三信に帰せんが為なり、諸機を勧誘して三信に
通入せしめんと欲ふなり」(愚禿抄)
「諸機自力各別の三心」であって、上機劣機に限らず
「諸機を勧誘する」ための19願であるから
「関係がある」という祖師聖人の仰せであります。
584 :
ひさしぶり5:02/11/26 23:18
>>526 >文章が何故そのような答えにつながるのかがまったく理解できません
「善知識たのみ」と正意の信心の違いがわからなければ理解できない
でしょうね。
>>529 >「観経の三心をえてのちに」は、.....
多生コウ劫をへて後という意味でしょう。
文意がわかりません。
観経の三心は関係ない、という意味でしょうか、
関係あるという意味ですか?
>、(方便の)「観経の三心」を得ても「大経の三信心」
(真実の一心)を欠けば(いただかなければ)真の報土へ生まれることはできないと
仰っている
その「観経の三心」が「凡夫発起の三心である」と仰っている
という根拠としてあげたのです。
あなたは「観経の三心は凡夫の心ではない」という見解
ということでよろしいですね?
585 :
ひさしぶり6:02/11/26 23:19
>「至誠心」「深心」「廻向発願心」の「観経の三
心」なんか字を見ただけで自分にあるかないかわかると思うのですが・・・。
私は信前の者には実機はわからないと思います。
あなたは「信前の者に実機が判る」という見解ということでよろしい
ですね?
>「信決定の人を見てあのごとくならではと思う」のは。
あなたが「九十五種の邪道以前の状態ではないでしょうか」
(
>>405)といわれたので出した御文です。
邪道以前では浅ましいかぎりではありませんか?
聞法心は起こしていただかないと。
「九十五種世をけがす 唯仏一道清くます」ですよ。
「聞く心も無かった」と知らされるのは信後です。
真実信心を獲れば、逆悪の身そのままが
「真の仏弟子」にさせていただいた喜びでいっぱい
です。
586 :
ひさしぶり7:02/11/26 23:20
>>531 >一筋に、易行・頓教の真実の一心=弘願門に入ることを.
あなたは「要門を経ずに弘願にはいることができる」
という見解であるということでよろしいですか?
私は「要門を通らずに弘願に入ることはできない」と思って
おります。
>>534 「凡夫」については解答ずみ。
>>528みたいにいろいろあなたの解釈を言わないで
「19願の方便から劣機は除く」と言われたお言葉を
あげてお話ください。
>>541 >聖人は決して化土の存在を否定されてはいませんね。
私は、19願20願の願意に沿える人は化土へ行けます、
と言っております。
何が言いたいのでしょうか?自分が化土へ行けるとでも?
587 :
ひさしぶり8:02/11/26 23:21
>>524 >諸行を捨てて念仏に帰することを示しているのは明らか
ですね。
「諸善をしなかったら念仏に一向になれる」ということを
言いたいのでしたら間違いですね。
自力で諸善を捨てることはできません。
>「要門の方便」に留まらずに、信前の者は速やかに「方便の真門」に入りなさいと
教えられています。
あなたが20願の願意に沿える、ということですか?
>>553 >19願を捨てるところから
後世に不審の立った者は自力回向の善や自力の念仏を捨てる
ことはできません。全部切り捨てられて生まれるのです。
因果の道理をよく聞いてください。
588 :
名無しさん@1周年:02/11/26 23:26
>>582 今日、新人太郎さんの文章を初めて拝見しました。
うそつけ!よくいうわ。
このスレによく登場するs会香具師はうそつきばっか。
ひさしぶりさん。大分、前にちょっと書いた者なんですけれど、あなたは化身土往生
だと思っているのですか、みたいな相手の傲慢を咎めるような言い回しはみっともな
いですよ。私がどこにいくのかはわかない、それは如来が心配することだというのが、
浄土真宗なのですから。
如来は本願で真実土に往生させようと誓われている。それに対しては、疑心あること
なしなのだから、こんな私をどうやって仏道成就させるかは、如来のおはたらきに全面
依存です。あなたがどこに往くかも如来が心配されることです。あなたがどれだけ「破
邪顕正」したつもりになろうと、如来の邪魔にはなっても助力にはなりません。
ひさしぶりさんは、もしかすると、親鸞会の教義が体系として理解できていないのでは
ありませんか? 理解しろと言っているわけではなくて、理解できないところ、矛盾してい
るところは、どんどん追求すべきです。それで破綻するような教義であれば、たとえ、親
鸞聖人が作ったと言われるものであっても捨ててしまえばいいじゃないですか。
これこそが大乗仏教なのだ(大乗の至極なり)、と胸を張って言えないなら、やめた方
がいいです。
590 :
名無しさん@1周年:02/11/27 19:47
>>566 意味不明。
わかる言葉で書きましょう。
>>563 どこがどうへんてこりんなのでしょうか。
頭の悪い私にもわかるように、教えてください。
592 :
祭り大好き!!:02/11/27 20:51
>>580 >お答えください。
>>528に回答済みですよ。御名号も、われわれに大信として廻向されて初めてわれわれの涅槃の
真因として発働しますが、衆生往生の因法としては、厳然と十劫昔よりあるのと同じです。
593 :
名無しさん@1周年:02/11/27 21:06
つーか仏教徒が出世間と世間のちがいを人に聞くかってレベルの
話なんだけど、ゴジラさん(w。
594 :
祭り大好き!!:02/11/27 21:09
>>581 >お聖教えの根拠をあげてお話ください。
「いままた、善導和尚、諸行を廃して念仏に帰す所以は、すなはち弥陀の本願たる上、
またこれ釈尊の付属の行なり。ゆえに知りぬ、諸行は機にあらず、時を失す。念仏往生
は機に当たり、時を得たり。」(『選択集・念仏付属章』)
時機に当たらない「諸行」とは、「この要門というは、すなはち『無量寿観経』一部に
説きたまへる定善・散善」(『一念多念証文』)=十九願のことではないのでしょうか????
595 :
祭り大好き!!:02/11/27 21:32
>>594の訂正と補足
誤り 『無量寿観経』
正解 『無量寿仏観経』
補足
予想される回答「十九願の定散諸善の要門は、往生行として勧められているの
ではなく、獲信と良い関係にある行として宿善になるから勧められている」だと
したら、同じくすべてのひとを御本願に導くための要門(
>>495>>499参照)で
ある聖道門は、獲信と良い関係にある時機を逸したが、十九願の諸行は、その
時機に当たっているというお聖教の根拠をあげてお話ください。
596 :
祭り大好き!!:02/11/27 21:56
>>582 >>369 >>372で言われるように、信前と行体が異なり名号が行体である「信後の称名念仏とその他の助行」と、
新人太郎氏が、同じ10月18日付けで言われている「同じ『諸善』が、信前・信後で雑行ともなり、報恩行ともな
るのでしょう。
『雑行』と『諸善』の違いは、行体にあるのではなく、それを行う心の違いではありませんか。」の信後の
(信前と行体に違いがない)報謝行とは、全く異なるということでよろしいでしょうか????
597 :
祭り大好き!!:02/11/27 22:36
>>582続き
>では前三後一の助行も「正意でない」ということで
>よろしいか?
その通りですよ。「専修について二種あり。一つにはただ仏名を称す、二つには五専あり。
この行業について専心あり雑心あり。五専とは、一つには専礼、二つには専読、三つには
専観、四つには専称、五つには、専讃歎なり。これを五専修と名づく。
(中略) 専心とは、五正行をもっぱらにして二心なき
がゆゑに専心といふ。
(中略) また正行のなかの専修専心・専修雑心・雑修雑心は、
これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。ゆゑに極楽に生ずといへども三宝見たてまつらず。」(『化身土文類』)
「三経の大綱、顕彰隠密ありといへども、信心を彰して能入となす。」(『化身土文類』)
穏彰の「弘願念仏」こそが正意ですよ。
598 :
祭り大好き!!:02/11/27 23:00
>>583 横レススマソ。
>上機劣機に限らず
「『便往生』とは、すなはちこれ諸機各別の業因果成の土なり、胎宮・辺地・懈慢界、
双樹林下往生なり、また難思往生なりと、知るべし。」(『二巻抄』=『愚禿抄』下巻末尾)
ここで勧誘されている諸機=十九・二十願の願意に沿へて、化土往生できる人は上機なんじゃ(
>>586参照)????
599 :
祭り大好き!!:02/11/27 23:22
>>584 >関係あるという意味ですか?
「観経の三心を得ること」を勧める文意ではないと言ってるのです。従って、われわれが、「大
経の三信=他力信心」をいただく前提条件としては、われわれには「観経の三心」は関係ないです。
「『観経の三心は定散二機の心なり、定散二善を廻して、『大経』の三信をえんとねがふ方便の深心
と至誠心としるべし。」ですから、われわれに先ず定散二機にならなければ、真実信心(『大経』の
三信)がえられないという文がどこかにあるのでしょうか????
600 :
祭り大好き!!:02/11/27 23:41
>>584>>581 >「観経の三心」が「凡夫発起の三心ではない」という見解・・・
われわれみたいな、荒い底下の凡夫の心ではないでしょう。凡夫といっても五十二位の
菩薩のなかでも、十信位までを「外凡」、地前を「内凡」といいますね。二乗では、
見道位以前の四善根位を「内凡」、三賢位を「外凡」とし、それ以前のわれわれのよ
うな荒い凡夫は「底下の凡夫」ですよ。
>「煩悩成就の凡夫」と言い換えておられます。
これは、「いまきこゆる邪義」のいかがわしい見聞の一部じゃないですかw
601 :
祭り大好き!!:02/11/28 00:15
>>585 >あなたは「信前に者に実機が判る」という見解・・・
いいや、違います。「罪悪生死の実機」がわからなくても、自分が、仏様や菩薩様
と同じ境涯ではないことくらいはわかりますよ。
>>586 >あなたは「要門を経ずに弘願にはいることができる」という見解
今世においてはYESですね。過去世については、記憶が無いのでわかりません。しかし、
法の偉大さで考えますと三世に於いて、必ずしも時系列的ではなくとも三願転入を経て仏様
の御育てを受けてきたとしか思えませんね。三世に渡る三願転入で考えますと、生因三願の
「十方衆生」も当分の与釈で言えば三願に同じですが、跨節・奪釈の義で言えば、第十八願
独り「万機普益・而為凡正所被」の願で、方便二願は「随縁・随業・随機」の願となりますね。
一つには、「抑止門」の存在。二つには、聞名字のみが、「四十一願~四十八願」→菩薩乗・「三十六願」
→人・天「三十五願」→女人「三十四願」→衆生。と凡聖善悪摂取の利益だからです。これは、前にひ
さしぶり氏もあげておられた勧学の利井師の説です。
602 :
祭り大好き!!:02/11/28 00:35
>>586に補足
伝統宗乗に於きましても、本願直入を今世に限り認める立場と、三世に亘って認める
立場があるみたいですね。三世に亘る本願直入なんかは、三乗家の「五性各別説」を
思い起こさせますね。何れにせよ「本願直入の機類」を認める説が通説ないし多数説
みたいです。特に石泉・義山両師系の学轍がその代表説みたいですね。どの説により
ましてもお救いは、他力の弥陀廻向法ですから「三願転入」を獲信という目的達成の
為の手段とすれば異端とされるようですね。
>>562 法然上人が「外典の『孝経』の孝養が散善に属する」とされていた根拠に
ついて『梵網経』を挙げていただき、疑問点が解決いたしました。
ご教示まことに有難うございました。
祭り大好き!!さんの底なしと思われる教学力には感嘆し、とても頼もしく
思っております。今後とも、ビシバシご教示いただきたいと存じます。
NBさんも最近よく書き込みなされて、まことにうれしく頂いております。
もしこれを見ていらしたならば、今後ともよろしくご遠慮なくご教示願い
たい、と改めて申し上げたいです。
>>583 >>法然上人が菩提心を否定なされたことから浄土宗が
>これも「修善」と同じことですね。
横レススマン。
これは法然上人が「修善」を否定なされたとあなたが主張されていると
理解してよろしいのでしょうか?お答えください。
>>502 >法然上人も「助正」に「下輩の中にまた発心あり、また念仏あり」(選択集)
>と菩提心の必要なことを説かれています。
横レススマン。
あなたは、法然上人が菩提心を否定された、という通説を大胆にも覆されました。
それについて補足意見を申します。善導大師にも独自の解釈の菩提心があって明恵
上人の「サイ邪輪」は大師の菩提心を一般の菩提心と一つであると見ているのです
が法然上人は「唯善導一師は心を発さずしてまた往生を得ることを許す」と断じて、
浄土へ向かう往相面においては、発菩提心などの諸行を否定されて、ただ念仏のみを
勧めたのですね。ただこの菩提心の否定は往相に限ったものであり、「逆修説法」の
なかに「若し善導の意は、自ら先づ浄土に生じて菩薩の大悲願行を満足して後、還っ
て生死に入って遍く衆生を度せんと欲す、すなわちこの心を以って菩提心となづく」
とありますが、これは還相面における菩提心を述べられたもので、あなたの意見は
いよいよ異端とみなされる次第です。
>>586 >何が言いたいのでしょうか?自分が化土へ行けるとでも?
どなたかご親切な方があなたの心配をされていましたが、読まれましたでしょうか?
「私がどこにいくのかはわからない、それは如来が心配することだというのが、
浄土真宗なのですから。」有難いおことばですね。「あなたがどれだけ「破邪顕正」
したつもりになろうと、如来の邪魔にはなっても助力にはなりません。」よくよく
お味わいください。
ところで「あなたの解釈や考えは根拠になりません。」これはあなた自身がおっしゃ
っていることです。あなたはどんな理屈を述べようと、あなたは仏語を否定されてい
るのですから、それに対するご返答は他の仏語以外にはありえないでしょう。
改めてお尋ねします。「化土は存在しない」と示されている仏語をお示しください。
大経でも化土が説かれていますが、否定されていました???
>>587 >>「要門の方便」に留まらずに、信前の者は速やかに「方便の真門」に入りなさいと
教えられています。
>あなたが20願の願意に沿える、ということですか?
あなたの思考方法が最近わかってきました。論理的に破綻した時の奥の手が
「あなたが20願の願意に沿える、ということですか?」「自分が化土へ行けるとでも?」
という「直接の相手攻撃発言」で煙幕を張るということですね。
今までの同様の煙幕発言をいま一度調べてみることに致します。
「顕」というは、経家は、一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、
自利の一心を励まして、難思往生を勧む。(化土巻)
夫れ濁世の道俗、速に圓修至徳の真門に入りて、難思往生を願うベし。(化土巻)
「要門の方便に留まらずに、信前の者は速やかに方便の真門に入りなさいと教え
られています。」この見解を認めるということでよろしいですか?
いつ「自力回向の善や自力の念仏」を自力で捨てられると申しましたか?
>>194はまだお返事いただいてません。よろしくお願いいたします。
>>561 ゴジラさんへ。
私の書いたものをさっぱりお読みになってないようですから、もう一度お読みになって
出直すことをお勧めします。私のようなものはいくら誹謗されても面の皮が厚いので
なんとも構いませんが、
「今また善導和尚諸行を廃して念仏に帰せしむる所以は、すなわち弥陀の本願たるの上、
またこれ釈尊付属の行なればなり。故に知んぬ。諸行は機に非ず、時を失えり。念仏往生
は機に当り、時を得たり。感応あに唐捐ならんや。まさに知るべし。」(選択集)
「諸行を廃して」と確かに記されていますね。
諸行を廃された善導大師、法然上人を誹謗することは慎んでいただきたいですね。
私は雑行を廃し、とは申しましたが善を廃し、とは申していません。
すぐに相手の主張を、曲解した「全く別のしろもの」に変造して、大げさに騒ぎ立て
るのはあなたがたの会の伝統のようですが、そんなまともでないことばかり繰り返し
ていても会の印象は悪化するばかりでしょう。どなたかも指摘されたように、破邪の
ための教学ならやめられたほうがいいのではないですか?
わたしも限られた時間は有効に使いたいと願っています。
>>605 訂正スマン
最重要ポイントを訂正いたします。
×・・・「唯善導一師は心を発さずしてまた往生を得ることを許す」
○・・・「唯善導一師は菩提心を発さずしてまた往生を得ることを許す」
610 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/11/28 17:54
>>557 議論が退屈になってきたので横入りで一言。
>あのHNみるとムカッと来るんでね。
あのHNとは、渡海 難のことか?。嬉しいね。ムカッと来る人がいると聞けば、
発言してきた甲斐があったというもんだ。少しは社会に役に立っている。僕は、相手
がムカッと来ると思って言ってるんだ。ムカッとさせるつもりで発言して相手がムカ
ッとしなければ、言ってる方は詰まらんものだ(笑)。
僕はあんたらに期待しているんだ。今は大いにムカッとしてくれ。ムカッとすれば、
あんたらに不快感が残る。胸に楔が入るだろう。打ち込んだ楔が腐って膿となり、時
間と共にやがて醗酵してくれることを期待する。膿の中には、白血球が作るたくさん
の薬が含まれる。
あんたらにムカッとさせてくれるような人は、現代じゃ、渡海 難しかおらんだろ
う。僕はあんたらにとって、貴重な存在だ。大いにムカッとするといい。
>最近は香具師は受け入れられてるのか?
喜んでくれ。渡海 難はどこに行っても嫌われ者だ(笑)。
<ギロン ノ オジャマシマシタ>
>>561 元s改印さん、返信有難うございました。
「オレの主張を曲解している」と息巻いておいでですが、
あなたの主張を理解するために質問しているのです。
あなたが、「真宗において出世間善、世間善がある。出世間善、世間善は
信前においてはともに散善であり雑行であるから、往生の行としては
廃され、他力の菩薩行である五正行を勧められた。」
と言われるから、
結局、世間善と出世間善と二つの善といっても、
明確に分けられるものではないということですか?
それなら、あなたの主張は
「一切の善をするな、捨てよ、と勧めるのが浄土真宗だ」
ということでしょうか、とお尋ねしたのです。
もし違うならば、どこがどう曲解なのか、みんなに分かる言葉で
お答えください。
目的は、親鸞聖人の正しい教えを明らかにするため以外にありません
から、お互い、時間をムダにせずにいきましょう。
なお、自分の主張が、何を意味しているか、よく吟味されることを
お勧めします。
やべー渡海は
ジブンカラブチコワシニスルヒトデシタカ
そしてよく読んでないのが
大怪獣は自分の言いたい事だけ言って
相手説明は読み飛ばしているのかな?
全部読んでる誰か説明キボンヌ
613 :
名無しさん@1周年:02/11/28 19:35
難しい言葉を羅列するのは、自分でも自分の言ってることが
わけわかんないからだろ。
元sだの、ひさしぶりだの、祭だの、ありゃ、何言ってんだ?
614 :
名無しさん@1周年:02/11/28 20:12
んなこと言ったって。ここは法論スレなんだからさー。
615 :
名無しさん@1周年:02/11/28 21:02
まあs会の香具師らの議論の持っていき方は昔から変わってないというか
>>607 >あなたの思考方法が最近わかってきました。論理的に破綻した時の奥の手が
>「あなたが20願の願意に沿える、ということですか?」「自分が化土へ行けるとでも?」
の下段ように「こいつ、自分がそんないいもんだと思ってやがる、とんでもない自惚れバカだw」
と相手を決め付けるように持っていくか
>>611 > 「一切の善をするな、捨てよ、と勧めるのが浄土真宗だ」
のように「善をするななどと言うとんでもない基地外がいるぞw」
というふうに持っていくか
そのほか、馬鹿者、悪人、怠け者、敗残者、人間失格・・・
などの劣等のレッテルを、「ハッキリ言わない方法」で相手に刷り込む
のがs会のマインドコントロールの主な手段だよな。
616 :
名無しさん@1周年:02/11/28 22:17
>>615 ここの議論とは関係無い、の一言で
返す事ができそうでつから無問題
618 :
名無しさん@1周年:02/11/29 21:10
>>615 >> 「一切の善をするな、捨てよ、と勧めるのが浄土真宗だ」
でも、「行体も廃されている」云々と論じている元某氏や祭某氏は、
とどのつまりは、善をやめろ、するな、と言っているんですよ。
難しい言葉を並べているから、煙にまかれているだけで。
悪人製造の教えを広める輩、といわれて当然でしょう。
悪を認め、善をやめよというのが浄土真宗ですか?
619 :
名無しさん@1周年:02/11/29 21:39
天知る、地知る、我知る という言葉がある。
僅かなつり銭を得したと思う感覚は、その人の徳性を傷つけるという。
道徳的宗教的教養の足りない人物だと思う。
部下を誤魔化すような人物に尤もらしい顔をして、仏教の話なんか説いてほしくないね。
悪を黙認することこそ、悪を認め、善をやめよということじゃないんだろうか?
620 :
祭り大好き!!:02/11/29 21:54
>>581に補足
法然上人は、「諸行は機にあらず、時を失す」(『選択集』)
「第十九の願は諸行之人を引入して念仏之願(十八願)に帰せしめむとなり。」(『十七条説法』)
一往(当分)を云えば諸行往生の願である十九願は、再往(跨節)の実義では、時機を逸した諸行の行者を御本願
に誘引する為の願だとお示しなのは明らかですね。
621 :
ひさしぶり1:02/11/29 22:01
>>592 >回答済みですよ。
>>528 >聖道の機類の方が、涅槃の因は、あっても
最後品の無明を断じて仏果に至るには、
他力という増上縁に依らなければならないとして
も何らおかしくないのではないですか???
「還来生死輪転家 決以疑情為所止」(教行信証)
「流転輪廻のきわなきは疑情のさわりにしくぞなき」(御和讃)
「流転輪廻を繰り返すのは煩悩が原因ではなく
疑情ひとつが原因なのだ」と教えられたのが祖師聖人です。
重ねてお聞きします。
「涅槃に入れぬ原因である根本無明を立つことのできない
人間の善を、なぜ『涅槃の因となる善』という意味を持つ
『無漏善』だというのかお答えください。」
>厳然と十劫昔よりあるのと同じです.
なにが同じかさっぱりわかりません。
他の方で誰かわかる人があれば解説してください。
622 :
ひさしぶり2:02/11/29 22:02
>>594 >時機に当たらない「諸行」とは、「この要門というは、すなはち『無量寿観経』一部に
説きたまへる定善・散善」(『一念多念証文』)=十九願のことではないのでしょうか
法然上人の御教えについて言うならば19願は18願の念仏所得の利益とされて
観経を19願開説の経とは見ておられません。
前にも言いましたように、法然上人は、基本的には念仏に自力他力を
分けて教えておられませんし、願に真仮を立てておられません。
「一願建立門」と「五願別開」という違いがあるのです。
だから「19願観経の方便」という言葉自体がないのです。
当然それは「違う事を教えられた」のではなく、法然上人の御教えを
聞きながら、間違えた者がいたために法然上人の御心を開いて
教えられた「開合」の意味であります。
それゆえにここでは法然上人の御文は根拠になりません。
私が法然上人のお言葉を上げることがあるのはあくまで
傍証であります。本証あっての傍証ですので、かならず
親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の御文もあげているはず
です。
623 :
ひさしぶり3:02/11/29 22:03
あなたが親鸞聖人のお言葉を根拠にあげられないということならば
それは親鸞聖人の御教えではない、ということです。
あなたが「法然上人と親鸞聖人の御教えが違う」というなら
いまの話題とは別に論議してもかまいません。
重ねてお聞きします。
「善はできないから、19願観経の方便は凡夫に対する教え
ではない」と言われた親鸞聖人(当然、覚如上人、蓮如上人
も含めております)のお言葉をあげてください。
>>595 >十九願の諸行は、その
時機に当たっているというお聖教の根拠をあげてお話ください。
「十方衆生を方便し」と言うお言葉は何度もあげています。
まさか「十方」だから「方角であって時じゃない」
なんて馬鹿なことはいわないよねえ。
624 :
ひさしぶり4:02/11/29 22:04
>>596 >『雑行』と『諸善』の違いは、行体にあるのではなく、それを行う心の違いではありませんか。」の信後の
(信前と行体に違いがない)報謝行とは、全く異なるということでよろしいでしょうか????
ひとつ確認しておきたいのですが、「信後の称名は『大行』ですが往生の功はあるのですか、ないのですか?」
あなたの見解をお聞かせください。
あなたの見解がどうあれ、次回に回答させていただきます。
答えがわかっているなら、私にこんな質問はしないだろうと思って、私は、あなたに質問しているんです。
わからないなら、答えなくてもいいですよ。
625 :
ひさしぶり5:02/11/29 22:05
>>597 >>では前三後一の助行も「正意でない」ということで
>>よろしいか?
>その通りですよ。
「正意でない」というのは「弘願でない」という意味ならそのとおり
ですが、「間違い、誤り」ということならたいへんなことですね。
「助正」は解釈として「あやまり」ということですか、「誤り」では
ないということですか?
>>599 >われわれには「観経の三心」は関係ないです。
「関係ない」といわれた親鸞聖人の御文をあげてください、
と何度もお願いしております。
あなたは親鸞聖人ではないでしょう?
626 :
ひさしぶり6:02/11/29 22:06
>>600 >>「煩悩成就の凡夫」と言い換えておられます。
>これは、「いまきこゆる邪義」のいかがわしい見聞の一部じゃないですかw
その後にまた「凡夫の迷心において金剛に類同すべきいわれなし」と
「煩悩成就の凡夫」を「凡夫」と言い換えておられるじゃないですか。
一節のはじめの「凡夫」が上機であとが「劣機の凡夫」なんて
勝手な解釈するなよ。
「十方衆生」と書いてあるけど「上機の菩薩だけ」というのも
あなたの勝手な解釈じゃないか。聖人の根拠をあげなさい。
>>601 >「罪悪生死の実機」がわからなくても.
「一善も無し」とは判らない、ということでよろしいですね。
>三願転入を経て仏様
の御育てを受けてきたとしか思えませんね
三世にわたれば「要門」は必ず通っている、ということでよろしいかと
思います。
627 :
ひさしぶり7:02/11/29 22:09
>>602 >お救いは、他力の弥陀廻向法ですから
これはどういう意味でしょう?
「教えすすめることは必要ない」ということですか、
「必要だ」ということですか?
私は「必要だ」とお聞きしています。
>>604 >「修善」を否定なされたとあなたが
「自力を否定された」と言っています。
どうしても行を否定したいのですねえ。
世間善もやめたらどうですか?「修善」でしょ?
>>606 >「化土は存在しない」と示されている仏語をお示しください。
私がどこにそんなことをいいましたか?御示しください。
628 :
ひさしぶり8:02/11/29 22:10
>>194 >願力に由りて生死を厭捨せしむる
「往生一定」のお話の方が多いと思いますよ。
会のお話は聴聞されていないのでしょ?
>>607 >「要門の方便に留まらずに、信前の者は速やかに方便の真門に入りなさいと教え
られています。」この見解を認めるということでよろしいですか?
何の異論もありません。
あなたも「信前で念仏を称えている人が20願の行者だということ
ではない」ということでよろしいですか?
629 :
祭り大好き!!:02/11/29 23:19
>>621 非難の為の非難は止めてください。因と縁がそろわなければ果は生じないというのが、
仏教じゃないんですか??? 涅槃の因はあっても(聖者の場合)、元品の無明を断
ずる縁が無ければ、仏果は成就しませんがその場合、(涅槃の)因が無いというわけ
ではないですよね?? 因だけで果が成就するなら衆生往生の因法たる御名号が成就
した十劫前にわれわれの往生という果も成就する理屈になるので例としてあげさせて
いただいたんですが何か????
それと、『楞伽経』や、『十住毘婆沙論』に龍樹菩薩は、自力で不退転位であるある
「阿惟越致地」=「初歓喜地」に入られたとあるのも事実でないというのでしょうか???
不退位に入れば、真の頓教たる浄土の真宗に比べれば時間はかかっても妙覚に至ること
は決定しているのだから「涅槃の因」は、生起しているということではないのでしょうか????
それに聖位である不退位に道徳善でどうやって至れるというのでしょうか??? それに菩薩道
は悟界であって迷界の人間界とは違いますよ。何故、機類を人間に限って言われるのでしょうか????
630 :
祭り大好き!!:02/11/30 00:02
>>622-623 >>620にあげました、「第十九の願は諸行之人・・・」の諸行は、『観経』の諸行とは、
別だということでしょうか??? 法然上人が、一願建立門で以って、十九願は十八願
の念仏所得の利益と釈された意を、それに対する誤解に基づく批判が多かったので、五
願別開・顕彰隠密の義でよりわかりやすく開合して教えられたのが親鸞聖人でしょう。前に元s
改印さんも言われていたように、『選択集』に対する当時の批判、とりわけ明恵上人の
批判を意識して書かれたのが『御本典』だとされますね。親鸞聖人と法然上人の御教えが、
同じだからこそ法然上人説が=親鸞聖人説として根拠になるにじゃないでしょうか????
631 :
名無しさん@1周年:02/11/30 00:07
>>618 >でも、「行体も廃されている」云々と論じている元某氏や祭某氏は、
>とどのつまりは、善をやめろ、するな、と言っているんですよ。
「意識して」善をする事はない、って事じゃないの?
極楽往生の因ではないから。それよりも、念仏とか聴聞が
大切だと。別に、善をするな=悪をせよって事じゃないだろう。
>悪を認め、善をやめよというのが浄土真宗ですか?
なんで、こうまで極端に解釈するのだろうか?
633 :
名無しさん@1周年:02/11/30 00:27
>>618 615 :名無しさん@1周年 :02/11/28 21:02
まあs会の香具師らの議論の持っていき方は昔から変わってないというか
「こいつ、自分がそんないいもんだと思ってやがる、とんでもない自惚れバカだw」
と相手を決め付けるように持っていくか
>悪人製造の教えを広める輩、といわれて当然でしょう。
>悪を認め、善をやめよというのが浄土真宗ですか?
のように「とんでもない基地外がいるぞw」
というふうに持っていくか
634 :
名無しさん@1周年:02/11/30 00:47
>>618 >でも、「行体も廃されている」云々と論じている元某氏や祭某氏は、
>とどのつまりは、善をやめろ、するな、と言っているんですよ。
浄土真宗は、浄土諸宗や聖道門のように、実機がサッパリ知らされていない者
に対して諸善をすすめる教えじゃないんじゃよ。
実機がサッパリ知らされていない者に対しては名号の功徳を説くだけなのじゃ。
諸善を説くのは他流。
名号の功徳を説くことによって衆生は誘引されていくんじゃ。
そして調熟され、「久しく要門を離れた」ところまでいたった者に対しては、
諸善じゃ助からぬ、自力の念仏でも助からぬ、
あんたが助かるには名号受け取るしかない、と教える教えが真宗の至極なんじゃよ。
どうじゃな、真宗が諸善や自力の念仏を雑行として廃したことをもって
「悪を勧める教え」などという輩は全然わかっていないことが明白じゃろう。
真宗では認められた方便は他力のねんぶつ、南無阿弥陀仏、これだけ。
諸善を勧めた時点で、方便は他力のねんぶつ以外にある、と宣言していることになる。
諸善を勧めた時点で、「私は実機が知らされてません」と宣言していることになる。
諸善を勧めた時点で、弥陀の名号の大功徳に泥を塗ることになる。
諸善を勧めた時点で、真宗としては邪義となる、というわけじゃな。
635 :
祭り大好き!!:02/11/30 00:49
>>622-623 >>625 >親鸞聖人のお言葉をあげてください。
>「関係ない」といわれた親鸞聖人・・・
善導大師が、「至誠心」を釈されて「誠とは実なり。一切衆生の身口意所修の解行、かならず
すべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮
を懐くことを得ざれ。(中略)不善の三業は、かならずすべからく真実心のうちになすべし。
内外明闇をえらばず、みな真実なるべし。ゆゑに至誠心と名づく。」とされたのを、親鸞聖人は、
「誠とは実なり、一切衆生、身口意業に修するところの解行、かならず真実心のうちになしたまへる
をもちゐんことを明かさんと欲す。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり。」(『愚禿抄』)
「またもし善の三業を起こさば、かならず真実心のうちになしたまへるをもちゐて内外明闇をえらばず、
みな真実をもちゐるがゆゑに至誠心と名づく。」(『信文類』)等と読みかえられて「観経の三心」は、われわれが起こす
(起こせる、起こさなければならない)心でなく他力廻向の阿弥陀様の仏心の意であることをあきらかにされてます。
蓮如上人といえば、『御文章一帖・十三』と違い、観経顕説の義で、三経が異なると、教導された箇所は何処ですか???
という問いにも一向に答えてもらえませんね。
636 :
祭り大好き!!:02/11/30 01:23
>>624 行信論の「大行論」については、「能行説」「所行説」「折衷説」があるうちで、
私は、「折衷説」が一番妥当性が高いと思いますので、大行は法体大行であるけれども、
衆生の報恩称名もまた、法体全顕の故に行と名づけ、往生の功力ある本行の中に摂せれている。
従って称名行そのものに、往生の功力があるのではなく法体に契当する相を顕すだけだと思います。
637 :
祭り大好き!!:02/11/30 02:05
>>625 >「助正」は解釈として・・・
法然上人自らが「初め(廃立)をもって正となすのみ。」と言われているのですからね。自明でしょう??
「正意」というのは、この場合「随自意」の意味でしょう。 従って説かれた本意という意味ですよ。
これに対して「正意でない」というのは、「随他意」でしょう。つまりは、本意ではないという意味に
なりますね。「間違い、誤り」の意なら方便権化は、全て「間違い、誤り」になってしまいますね。
>「正意]でないというのは「弘願」でないという意味ならそのとおり
三義(廃立・助正・傍正)を比較校量して「廃立」が正意という文ですから、「正意でない=弘願でない」
はおかしいのでは??? それだと「廃立」=「弘願」と言ってることになりますけど。
638 :
祭り大好き!!:02/11/30 02:31
>>626 「いまきこゆる邪義=煩悩成就の凡夫の妄心をおさへて金剛心といひ・・・」の言わば、
本覚論的・造悪無碍的な主張に対して、仏教の原則論から、自力と他力(の仏智)との
本質的な相違を説かれて批判されているのですから、「他力の智慧」に対する「自力」の幅を最大限
に拡張した方が説得的だと思うのですが如何???
>「一善もなし」とは判らない・・・
そうですね。でも事実ですよね??
>三世にわたれば
三世のことはわかりませんね。法徳から言えば過去世来に亘る照育があったとしかいえ
ないということです。三願転入については、必ずしも時系列的な親鸞聖人の体験の
表明ではなく方便仮門に留まる機類も必ず本願に帰入させるという他力のお力を仮
に三段階で表現しているのだという解釈もありますね。
639 :
祭り大好き!!:02/11/30 02:56
>>627 >「必要」ということですか?
「三願転入」を獲信の手段として教える人は異端視されているといってるんですよ。
>>623に補足
>19願観経の方便は凡夫に対する教えでない・・・
ひさしぶり氏がずっと前にあげてられた「第十八願は、
別願のなかの別願と顕開したまへり。『観経』の定散の
諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。
濁世の道俗、よくみずからおのれが能を思量せよとなり。」(『化身土文類』)
もそうですね。
640 :
名無しさん@1周年:02/11/30 17:56
>>561 >○すると、あなたの主張は、
>「一切の善をするな、捨てよ、と勧めるのが浄土真宗だ」
>ということでしょうか。
> 驚くべき主張ですが、確認させて頂きます。
横スレ失礼します
一向専念無量寿仏をすすめながら
善をしなさいと勧められるのはどういうことなんでしょうか?
一向専念無量寿仏には善も含まれるということでしょうか?
よろしくお願いします
641 :
祭り大好き!!:02/12/01 11:59
>>635訂正
誤り 「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり。」
正解 「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐ければなり。」
642 :
祭り大好き!!:02/12/01 15:27
>>639訂正
誤り「第十八願は別願のなかの別願と・・・」
正解「第十八の願は別願のなかの別願なりと・・・」
643 :
名無しさん@1周年:02/12/01 19:09
253 名前: ななし@読んで3 投稿日: 2001/07/20(金) 00:36
・・・つづき・・・
彼は、私から手渡されていた恩師(伊藤康善師)の入信体験記「仏敵」にかじりついて、
無常観、罪悪観をつき進めて、ついに獲信したようでありました。
上記の話が事実ならば、怪鳥を生み出したのは伊藤師(仏敵)という事になる。
現在、伊藤師(仏敵)を否定しているとしたならば、怪鳥が説く話の本質(真偽)が、
改めて総括して、問われる必要があるのではないか?
(会員は、家を売って財施をしたり、しているのだから。)
いずれにしても、自分を導いた法然上人を尊敬した親鸞聖人とは、異質の姿勢に感じられる。
644 :
名無しさん@1周年:02/12/01 23:22
>>634 「善を実行しましょう」
と勧めている人に、
「そんなことを勧めるのは間違いだ」
と善の勧めを否定するということは、
悪を容認し、悪を勧めていることだと、
いまだにわかりませんか。
よく考えてみて下さい。
一例をあげましょう。
たとえば、精神的にも肉体的にも困窮している人を見て、
「手助けしよう」と勧めている人に、
「そんなことを勧めるものではない」
と善のすすめを否定することは、
そんな人を見捨ててしまえ、と悪を認め、勧めることに
なりはしませんか。
こんな単純明快なことさえ気づかないとは、驚きです。
645 :
名無しさん@1周年:02/12/01 23:46
「善を実行しましょう」の具体的実行内容ですが。
↓
布施をして施して損ということは絶対にないです。家も田んぼも畑も
全部売って仏法に布施をしてでも絶対に損はないです。明日からどこ
で住まいすりゃ? アパートへ入りゃいいんです。絶対に損はない。だ
から喜んでさせてもらわなければならないことなんですから「喜捨」
と言われるんですが。
646 :
名無しさん@1周年:02/12/01 23:56
644>>
のような意見が出るから、s会は聖道門だとか、せいぜい19願だといわれるんだ。
647 :
名無しさん@1周年:02/12/02 01:12
>>644 それは
「<往生のために>善を実行しましょう」と言う部分の
<往生のために>の部分を意図的に省略し、
あたかも
「<あらゆる>善を実行しましょう」ということを否定しているかの
ように錯覚させるための、あからさまな<詭弁>
ということが未だに分かりませんか?
>>647自己レス
<あらゆる>は<人助けのために>と書いたほうが良かったかな。
>>647-648 うーん、これでもまだ
じゃあ、「往生のために悪をしろと教えるのか?」
などと言ってくるのだろうか?
親鸞聖人が往生のために教えられたことは、善でも悪でもなく
念仏(信心)だよね。
これでもまだ
「念仏も善だ!」とか言ってくるのだろうか。更に自力だ他力だという泥沼に・・・
ああ、頭痛い。
たとえば本願寺派だといろいろな災害のたびに募金活動とか
してますし、同和問題の取り組みやら「社会を明るくする運動」
なんてのまで、草の根レベルだと砂漠緑化だとか、いろいろに
熱心で持続的な活動がありますが、s会はそういう方面は
どうなん?
651 :
名無しさん@1周年:02/12/02 07:53
>>650 そんな活動などはしていませんね。
かれらのいう善とは、
狭い意味の法施=勧誘してs会に入会させること
ザイセ=GHS=s会に金を貢ぐこと
この二つで会員はアップアップで、
とても他の善を心がける精神的余裕はないですたい。
たてまえ(善をすすめていると称している)と、
実際(選民思想、独善的)の違いってやつ。
652 :
名無しさん@1周年:02/12/02 08:00
>>644 >たとえば、精神的にも肉体的にも困窮している人を見て、
>「手助けしよう」と勧めている人に、
>「そんなことを勧めるものではない」
>と善のすすめを否定することは、
>そんな人を見捨ててしまえ、と悪を認め、勧めることに
>なりはしませんか。
こんな程度の理解で、堂々と書き込みしている神経。
しかも
>こんな単純明快なことさえ気づかないとは、驚きです。
だってさ。
あんたの喩え、全然適切じゃないよ。
仏法をなんだとおもっているんだ。あんたのつまらん喩えによって、
あんたが法というものをいかに軽く考えているのかわかる。
法を謗っているのと同じだ。
653 :
名無しさん@1周年:02/12/02 08:25
>>646 あなたのような人を外道と言われるのです。
654 :
名無しさん@1周年:02/12/02 20:24
>>652 では、あなたは、
たとえば、精神的にも肉体的にも困窮している人を見て、
「手助けしよう」と勧めている人に対して、
「おおいにやりなさい」
と言われるのですか。
それとも「やめよ」と言われるのですか。
どちらですか。
655 :
名無しさん@1周年:02/12/02 20:55
俺は652ではないが
>>654 じゃあためしに、「おおいにやりなさい」だと答えたらどうなん?
「ほらやっぱり善を勧めるのは正しい」と言いたいわけ?
じゃあs会は
精神的にも肉体的にも困窮している人を見て、
「手助けしよう」と勧めて
いるのですか?
>>655なんて言うと
「貧窮を救いたもう」とかいうどっかの聖教の言葉と
単なる「生活困窮者」とをごっちゃにするような
言い回しをしてくるのだろうか?
もういやだ、こんな議論。
657 :
名無しさん@1周年:02/12/02 21:04
>>654 漏れは652でないけど。。。横レスしてみる。
あなたの質問は禅問答と同じ。
歯でくいしばって高い高い木の枝にかろうじてぶら下がっている人間に
無常に驚いてた人が尋ねた。「私に後生を助かる法をお説きください」と。
法を説こうとすれば木から落ちて死んでしまう。
説かなければ法施を行じているといえなくなる。
あんたも知ってるよな、こういう手の禅問答。
あなたはどう答えるのよ?
また、シャーリープトラ尊者が布施行を行じているとき、
ある者に「あなたのその綺麗な目玉をほどこしてくれ」といわれた。
あなた、素直にはい、と差し上げられるか?嫌だと断るか?
あなたはどう答えるのよ?
まあ、あなたの質問だが、いかにも親鸞会らしいというか。
精神的に肉体的に困窮、というのはもっと具体的でないと答えられないね。
後生に驚いているか、否か、とか、飢え死にしそうなのか、
精神的に、というのは「精神」を病んでいる、という意味なのか
いろいろケースが考えられ、わからんからね。
あなたは求法太子の決死の覚悟の心境など一度も経験した事無いから
そんなにあっさり、相手を言い負かせるためだけのくだらない質問が
できるんだよな。
あんた学生だろう?
学生は観念の遊戯がすきだから(w。
s会の議論は
だれもが「こちらが正しい」と選ぶような問いを発しておいて
相手が常識的に「正しい」答えを選んだら、こう返してやろう。
という意図がミエミエのものが多いよね。
「はい・いいえ」でお答えください。とかいうのも多用するけど
「はい」といったらこう言ってやろう。
「いいえ」と言ってきたらこう言ってやろう
という、相手の手を2つに絞ってどちらにも罠をかけようというのがミエミエw。
659 :
名無しさん@1周年:02/12/02 21:31
善を勧めているわりにはあまり実行していないようですな・・・
660 :
名無しさん@1周年:02/12/02 21:35
>>659 俺もそう思うね。
たとえば、ホームレス向けの炊き出しとかはキリスト系の
人が多いよ。仏教系がやってる話はあまり聞かないし、
S会がやってるなんて聞いた事もない。「善をする」
んじゃなかったのか?もっとも、S会に取って最善は
「真実を勧める」ことだからそれはしてるんだろうけど、
んじゃ次善というかその他の善はしなくていいのかな?
661 :
名無しさん@1周年:02/12/02 23:01
>>660 真実を勧めることが善ならば、アニメ(高いよ、1本15000円ナリ)を売って勧めるんではなく、ダビングしてばらまいたほうがいいのではないかな?
赤字は免れないが、そうしたほうが「善を勧める」の実行になるのではないかな?
「善を勧める」って言葉だけを勧めるのではなくて、ぜひ実行して勧めてみておくんなまし。
>>658 ワロタ。YES・NOのチャートでもって最終的に性格なんかをA~Dタイプとかに分けるアレ?
ただこの場合はどんなコースをたどってもたった一つの「結論」しか用意
されていないという罠。つか、そこにたどり着くまでしつこくYES・NOを
繰り返すと。途中でいやになっちゃったらすなわち「逃げた・負けた」と。
なんか、眼からうろこがおちました(w
>>651さん。「善のすすめ」問答も実態を教えていただくと底が知れますねぇ(w
663 :
名無しさん@1周年:02/12/02 23:50
>>654 この簡潔な、書き込みからして作者はゴジラちゃんだろうね。
自説を披露するという危険な橋は渡らず、
ただ相手をやりこめたいことだけが見え見えの、はい、いいえ?質問形式。
相手が罠に落ちるのをひたすらまっているのだ罠。
まあ、s会得意の古典的論争スタイルではある。
なんだか盛り上がっているようですが、お邪魔してすみません。
仕事に追われてなかなか書き込めなくてすみませんでしたが、
ひさしぶりさんにレスです。
>>583 >>法然上人が菩提心を否定されたことから浄土宗が
>祖師聖人は「菩提心」を他力の信心とされました。自力は捨てものです
あなたの主張を確認するためにお尋ねします。
あなたは選択集における「菩提心」の語の義は、すべて「他力の信心」という
意味に解釈しておられるのですか?
>>628 >あなたも「信前で念仏を称えている人が20願の行者だということ
>ではない」ということでよろしいですか?
祖師聖人は、「宗祖御筆蹟集」の「九願文」において
「この願(二十願)は自力の念仏のもの、ついに生まれしめんとなり」
といわれますから二十願は自力の念仏です。そして、
定散自力の称名は果遂のちかいに帰してこそ
おしえざれども自然に真如の門に転入する(浄土和讃)
このご和讃の左訓に、「自力の心にて名号を称えたるをば、つひにはたしとげむ
と誓いたまふなり」(原片仮名文・真蹟文・親鸞全集・和讃編41)
とあります。自力計度の心の残存する、雑行雑修の称名念仏をしている人でも、
称名の一行を選び取り、ひたすら称名念仏するという二十願真門に回入するならば、
それがいかに自執の心の残存する自力の称名念仏であっても、願力自然のはたらきの
おかげで必ず弘願に転入できると述べられたのです。
果遂とは、「ついには必ず目的に至らしめる」という意味ですね。
>>372 >修善も念仏もしてください。宿善になります。
>>371 >諸善も自力の念仏も往生(獲信)には役にたちません。
真宗は決して悪を勧めているのでもないし、他の法門を否定しているわけでは
ありません。仏教は対機説法です。「速やかに生死を離れんと欲」している無
常迅速の凡夫に対して、「速やかに雑行を捨てよ」を勧めるのが真宗の教えな
のです。そのように思わない(実機を知らされていない)善人様は結局、他の
法門で説かれている諸善を励むことになる、ということです。そして「他の法
門で説かれている諸善(破邪顕正など)を励む」教えは断じて真宗の教えでは
なく、聖道門または他流の教えである、と申しているのです。
むしろ往生行として諸善を勧め、行ずる教えは法然上人を断罪し、異議を称えた
華厳宗の明恵上人の主張に近い教えです。信前のものが六度万行を修し、
(たとえば宿善になると思って)それを往生の役に立てようとする姿は、自力の
六度万行に執着している姿そのものです。六度万行(六波羅蜜)のなかでは般若
波羅蜜が重要であると言われます。布施などの他の五つの徳目が波羅蜜になるには、
般若波羅蜜の「無執着の智慧」に裏付けられて六度万行が実行されるときに限ります。
しかし凡夫の行なう布施は「無執着の智慧」を伴っていないために「不浄の布施」です。
さらに法施や財施への執着によって、布施行の本質である「三輪清浄」に到達すること
は困難であるどころか念仏の大功徳から離れていくことになります。
(つづく)
>>666(つづき)
だから親鸞聖人は
「経家は、一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして、
難思往生を勧む。」(化土巻)
といわれ、最終目的であるところの弘願の他力念仏を頂く為に、自利の一心を励ますことを
勧め、諸善に執着する心を廃する難思往生のご方便を勧められたのです。
法然上人も
「『観経』の意、初めには広く、定散の行を説いて普く衆機に逗し、後には定散二善を廃して、
念仏の一行に帰せしむ。」
「上来定散両門の益を説くといえども、仏の本願に望むれば、意衆生をして一向に専ら弥陀仏の
名を称せしむるに在り。」
と、定善と散善は衆生をしてそれを修さしめるために説かれたのではないと仰せです。また、
「すなわち今は前の布施持戒乃至孝養父母等の諸行を選捨して専称仏号を選取す。」
「もし念仏の外にまた余行を加えばすなわち一向に非ず。」
「およそ散善の十一人、皆貴しといえども、しかもその中においてこの四箇の行(註:持戒、
発菩提心、解第一義、読誦大乗のこと)は当世の人、殊に欲する所の行なり。これ等の行を以て、
ほとほと念仏を抑う。つらつら『経』の意を尋ねれば、この諸行を以て付属し流通せず。
ただ念仏の一行を以てすなわち後世に付属し流通せしむ。」(いづれも選択集)
と仰せになり、「散善を修すること」自体が「ほとほと念仏を抑う」と仰せです。
このような法然上人のご教示があるのにもかかわらず、19願に「十方衆生発菩提心」とあるから
といって「まず要門から入りなさい」と自力の諸善を勧めるs会の化風は、自力に執着しなさい、
といっているのと何ら変わらず、親鸞聖人と法然上人の御心に反するのは明らかです。
(つづく)
>>668(つづき)
蓮師も
「まずもろもろの雑行をさしおきて、一向に弥陀如来をたのみたてまつりて」(『御文章一帖十三通)
と(自力諸善を含む)雑行をさしおきなさい、と仰せですね。また、
大師聖人の御相承は専ら「大経」にあり。「観経」所説の深信因果の語をとらんこと、強ち甘心すべからず
(決して満足できるものではない)。(中略)。其の故は彼の経の深信因果は三福業の随一なり。
彼の三福の業はまた人天有漏の業なり。なかんづくに深信因果の道理によらば、あに凡夫往生の望を遂げんや。
(改邪抄)
三福の業(散善)は泥凡夫にとっては「人天有漏の業」であり、煩悩を助長する行為であると仰せですね。
そして「深信因果の道理」によれば凡夫は浄土に生まれる望みを達することができないと覚師もご教示です。
祭り大好き!!さんも、
>>93(仏道修行として)自力諸行に励むことは、自力の執心を募る故、他力信の世界へ転入させていたくには
障りになる場合が多いように思います。
といわれていますが全く同感で覚師のご教示通りですね。
>>668 布施、調意、戒、忍、精進、是の如き三昧と、智慧とを上たりと為ん。
吾誓いて佛を得んに、普くこの願を行じて、一切の恐懼に、為に大安を作さん。(大経讃仏偈)
法蔵菩薩の五劫思惟の願と、兆載永劫のご修行によって完成せられたご名号には六度万行の大功徳
が収まっています。それゆえひとたび阿弥陀如来から信心がご回向されて名号を頂けば、布施行は
凡夫の行ずる虚仮雑毒の善ではなく、願力自然の働きによって真の六度万行が行じられるようにな
ります。よって、「早く信をとれ」と蓮師がハッキリご教示なされる真宗は「雑毒の善を修すること」
よりも「真実の善を修すること」を凡夫に対してハッキリ勧める、という意味において「真宗は善を
勧める教えである」ことがハッキリする次第です。
恒沙塵数の如来は万行の諸善きらひつつ
名号不思議の信心をひとしくひとにすすめしむ(浄土和讃)
このような祖師がたのハッキリしたご勧化にもかかわらずご自分が凡夫と思われない方々が、
宿善になると称して往生行としての、聖道門の諸善万行の難行を引き続き実践していただく
ことについては、私はもはや何も申し上げることはございません。
ただし、ご自分が「凡夫なのではないか?」と思われる方は速やかに祖師がたのご勧化に
信順して雑行を廃していただくことが肝要でしょう。
>>627 >>「化土は存在しない」と示されている仏語をお示しください。
>私がどこにそんなことをいいましたか?御示しください。
「化土は存在しない」という見解は正しくない、という主張であると
判断いたします。
ではs会がしばしば引用される「一切衆生 必堕無間」は
認められない、とする私の見解にご同意いただけたと解釈して
よろしいのでしょうか?
>>628 >>願力に由りて生死を厭捨せしむる
>「往生一定」のお話の方が多いと思いますよ。
あなたのご主張を理解するために確認させていただきます。
あなたの会における「後生の一大事の解決は人生の目的である」という教え方は
「欣求をもって本となす」教え方と矛盾しない、という見解であると理解してもよい
ということでしょうか?
それとも、以前(昔昔ですが)私も「全国に伝えよう!後生の一大事の解決を!」
などとみんなで連呼したものでしたが、現在は
1)後生の一大事は「一切衆生 必堕無間」のことではない?
2)人生の目的=後生の一大事の解決と教えていない?
という意味でしょうか?
ご説明いただけますか?
>>622(横レススマソ。)
わたしは、以前
>>455においてあなたが
>>「一枚起請文のなかには「諸善の勧め」はまったく出てきませんが」
>自力の念仏も出てきませんが。
といわれたので、
>>513において私が、
>法然上人が念仏に自力、他力あり、と分けられている箇所をご指摘いただけますか?
とお尋ねしたところ、
>「自力の念仏は全く往生すべからず」のお言葉は根拠として先にあげさせていただきました。
とお答えになりました。そこで「法然上人が念仏に自力、他力あり、と分けられている」と
いう見解をひさしぶりさんが主張なさったと思いました。しかし、
>法然上人は、基本的には念仏に自力他力を分けて教えておられませんし
ともあなたはおっしゃいます。
1)法然上人の「自力の念仏は全く往生すべからず」のお言葉はどこにあげられたのですか?
お手数ですが教えていただけますか?
2)「『自力の念仏は全く往生すべからず』のお言葉がある」という主張と
「法然上人は、基本的には念仏に自力他力を分けて教えておられませんし」と
いう主張は矛盾しないのですか?
673 :
名無しさん@1周年:02/12/03 07:21
a. 彼は、私から手渡されていた恩師(伊藤康善師)の入信体験記「仏敵」にかじりついて、
無常観、罪悪観をつき進めて、ついに獲信したようでありました。
↓
A. ○「信心決定」は一念(「あっ」という間もない一瞬)で起こる。
○「信心決定」して救われたことは、ハッキリと自覚できる。
aによって超短期間にAが生み出された。にもかかわらず、会長はAを生み出す為に
aを否定し会長自身が獲信前にしていない諸善万行を勧め、幹部講師達は諸善万行を
何十年と続けています。
それは何故なのでしょうか?
674 :
名無しさん@1周年:02/12/03 12:54
>>655 議論はいやだ、などと逃げずに、
まじめに答えてみたらどうですか。
あなたは善を勧めますか、それともやめよと止めますか。
親鸞会では、当然、善を勧めています。
因果の道理に立脚する仏教において、善を捨てよなどという
外道のような浅ましい言葉が出るはずがありません。
もし、「善を捨てよ」と親鸞聖人が修善を廃されたと
思っているとしたら、それは聞き誤りをしているからです。
675 :
名無しさん@1周年:02/12/03 12:59
>>657 修善を廃せよ、などと外道よりも浅ましい自説を高言しているから、
問いを設定しているのです。
とてつもない善が可能かどうかを尋ねているのではないのです。
あなたは善の実行を勧めることを、止めるのですか。
善はおおいにやりなさいと、勧めるのですか。
雑行を捨てよ、とは、善をすてよ、やめよ、ということですか?
676 :
名無しさん@1周年:02/12/03 13:45
>>674-675 横レスだけど、あなたはまず、仏教における「善」の概念がどういうもの
か、ちゃんと調べるべき。そして「善」を定義したうえで問うべきだ。
故意かどうか知らないが、日常語における善と混同してこういう「質問」を
作るのは、はたから見ていてアホらしいの一言につきる。
親鸞会員って、ホントに仏教を知らないんだなとしか思えない。
677 :
名無しさん@1周年:02/12/03 20:39
そんなに諸善がしたい輩がいるんならやったらいいんじゃない?
できると思ってるんならやれば~
そんでもってそれで獲信できたら実証済みということであらためておおいに主張してくれ。
あんたらの言ってことって信憑性がないんだよなあ。
口だけだもんなあ
どうか実証してみてくれたまえ
678 :
名無しさん@1周年:02/12/03 21:24
>>675 676さんが言いたい事を言ってくれたのでそれに関しては言及しませんが
そこまで言うからにはこちらの質問に答えれるだろうね
親鸞聖人のみ教えは一向専念無量寿仏につきます
これはs会でも教えられているとおりです
では、その一向専念無量寿仏を勧めるという事と諸善を勧めるということは同義なんでしょうか?
もしそうなら、なぜそうなのか分かるように教えてもらえませんか
もしHNを書けと言うのであれば次回から書かせてもらいます
というわけでヨロシクね
>>674 あなたは私がどういう答えをすれば満足するのでしょうか。
「いや、あなたの言うとおり、まいった。s会は素晴らしい。是非入会させてくれ!」
といえばようやくちゃんと答えたことにしてくれるんでしょうか?
ところで今度は、「<こんな>議論はいや」の<こんな>を省略して
議論は何であっても嫌であるかのように錯覚させる詭弁。
それと、これまでの議論の経緯を無視して同じ質問を繰り返す。
という2つの詭弁を追加してきましたねw
返答できないのかな?
ひさしぶりとかゴジラとかという奴らでも別の人でもいいから答えてくれよ
同じなら同じ、違うなら違うで分かるように教えてよ
お願いね
681 :
ひさしぶり1:02/12/04 21:13
>>629 >非難の為の非難は止めてください。
「涅槃に入れぬ原因である根本無明を立つことのできない
人間の善を、なぜ『涅槃の因となる善』という意味を持つ
『無漏善』だというのかお答えください。」
これが何故「非難の為の非難」になるのでしょう?
>不退位に入れば、真の頓教たる浄土の真宗に比べれば時間はかかっても妙覚に至ること
は決定しているのだから「涅槃の因」は、生起しているということではないのでしょうか????
これが「聖道門の方便」だ、と言っているのです。
682 :
ひさしぶり2:02/12/04 21:14
「微塵界の有情、煩悩海に流転し、生死海に漂没して
真実の回向心無く、清浄の回向心無し。
この故に如来一切苦悩の群生海をコウ哀して、菩薩の行を
行じたまいしとき、三業の所修、乃至一念一刹那も回向心を
首となして大悲心を成就することを得たまえり」(信巻)
「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日今時に
至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮テン偽
にして真実の心無し」(信巻)
十方衆生に清浄の善のできるものは一人もいない、
自力回向のできないものであるから阿弥陀仏は
名号を回向するために完成してくだされたのだ
、との仰せです。
「上、海徳初最如来より、乃至今時の釈迦諸仏皆
弘誓に乗じて悲智ならべ行ず」(法事讃)とは
「十劫の昔までだけではなく、最初の仏から今日の仏に
至るまで皆弥陀の本願に乗じて自分も正覚を獲て、
衆生も済度される」との仰せです。
683 :
ひさしぶり3:02/12/04 21:16
「三世諸仏 念弥陀三昧 成等正覚」(般舟経)
「十方のもろもろの刹土における衆生と菩薩の中の法報身と
化身とおよび変化とはみな無量寿の極楽界中より出ず」(リョウ伽経)
前にもあげましたが「一切の仏は弥陀の浄土から出現された
のであって、三世の諸仏は弥陀念仏によって成仏された」との仰せです。
「願力成就の報土には 『自力の心行いたらねば』大小聖人
みなながら 如来の弘誓に乗ずなり」(高僧和讃)
自力で阿弥陀仏の報土に入れる者はいない、との仰せです。
「大乗はニ乗三乗あることなし。ニ乗三乗は一乗にいらしめんとなり。
一乗はすなわち第一義乗なり。唯これ誓願一仏乗なり」(行巻)
「弘願(名号法)のみが真実であり、それ以外は弘願にいらしめんとする
方便である」との仰せです。
「名号」が「涅槃の因」でありそれ以外に真の成仏の法は
ありません。
報土に入れる(成仏できる、涅槃に入れる)善根を修することの
できる機類はありません。
弘願以外はすべてが方便なのです。
684 :
ひさしぶり4:02/12/04 21:17
>>630 >、「第十九の願は諸行之人・・・」の諸行は、『観経』の諸行とは、
別だということでしょうか???
法然上人はじめ七高僧の御文をどう解釈するかは
親鸞聖人にお聞きするしかありません。
あなたが勝手に解釈したことと親鸞聖人の御文を比べることは
できないのです。「根拠にならない」とはそういうことです。
法然上人は、基本的に、願に真仮を立てておられません。
観経を19願開説の経という教え方をされておられないのですから
19願観経の方便についての根拠にはならないのです。
もともとは善導大師の釈相釈意から出たことですから、そういう
お言葉もあるでしょうが、親鸞聖人はその真意を明かにされた
のですから、それについてあなたが法然上人のお言葉をあげて
解釈するのは出過ぎたまねというしかありません。
685 :
ひさしぶり5:02/12/04 21:18
親鸞聖人は、愚禿抄にも聖道教と浄土の要門は分けておられ
ます。教行信証にも「この願(19願)の行信によりて『浄土の
要門』方便権仮を顕開す」(化土巻)と19願20願の解説を
されたあとに「聖道の諸教は、乃至、時を失し機にそむけば
なり」と別に解釈されています。
あなたが、法然上人の一文を解釈した自分の見解をもって、
親鸞聖人の解釈を覆すことなど許されることではありません。
根拠をあげるなら親鸞聖人のお言葉や覚如上人、蓮如上人
のお言葉をあげるべきでしょう。
686 :
ひさしぶり6:02/12/04 21:19
>>635 >至誠心と名づく。」(『信文類』)等と読みかえられて
「観経の三心」は、われわれが起こす(起こせる、起こさなければ
ならない)心でなく他力廻向の阿弥陀様の仏心の意であること
をあきらかにされてます。
「観経の三心を獲て『後に』大経の三信心を獲るを一心を獲るとは
いうなり。乃至。観経の三心は定散諸機の自力の心なり。
定散のニ善を回して大経の三信を得んとねがう方便の深心と
至誠心と知るべし」(唯信抄文意)
「方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より如来利他の
信心に通入するぞ、と教えおきます祖師聖人の御釈を拝見せざる
にや」(改邪抄)
これは信後の「大経の三信心」であり「如来利他の信心」であります。
信前の信心について言われたお言葉ではありませんので
根拠にはなりません。
また「信心が起こせる、起こせない」ではなく「方便の相手」についての
話でありますのでその根拠について提示願います。
重ねてお聞きします。
「善はできないから、19願観経の方便は凡夫に対する教え
ではない」と言われた親鸞聖人(当然、覚如上人、蓮如上人
も含めております)のお言葉をあげてください。
687 :
ひさしぶり7:02/12/04 21:21
>観経顕説の義で、三経が異なると、教導された箇所は何処ですか???
何の質問か忘れましたが。
「ニ経の三心、顕の義によれば異なり、彰の義によれば一なり」(化土巻)
でよろしいですか?
>>636 >称名行そのものに、往生の功力があるのではなく法体に契当する相を顕すだけだと思います。
私よりよく知っておられるますね。
往生の行体は名号であります。往生の功は行じられる名号にあるのであって、報恩の所作には
往生の功はありません。報恩行の体は諸善ですし、雑行といわれる信前の修善の行体も同じ
です。どちらにも往生の功はありません。どちらも往生の行体ではありません。
よく知っておられるなら「能所不ニ」ということも御存知でしょう。
「信前信後の行体が違う」という言葉は不正確で問題をややこしくしていませんか?
688 :
ひさしぶり8:02/12/04 21:23
>>638 >>「一善もなし」とは判らない・・・
そうですね。でも事実ですよね??
「善ができる」と思っているから機の深信が
ないのではないですか?
真実がわからないのが信前の姿ですから
方便を建てられたのです。
689 :
ひさしぶり9:02/12/04 21:24
>>639 >>602 >お救いは、他力の弥陀廻向法ですから
これはどういう意味でしょう?
「教えすすめることは必要ない」ということですか、
「必要だ」ということですか?
私は「必要だ」とお聞きしています。
>「三願転入」を獲信の手段として教える人は異端視されているといってるんですよ。
誰も「三願転入」の話はしていません。「お救いは、他力の弥陀廻向法ですから」
とあなたが仰ったので「教える必要があるのか、ないのか」
、お聞きしています。
690 :
ひさしぶり10:02/12/04 21:25
>「第十八願は、
別願のなかの別願と顕開したまへり。『観経』の定散の
諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。
濁世の道俗、よくみずからおのれが能を思量せよとなり。」(『化身土文類』)
「唯称弥陀」は弘誓です。信前の方便ではありませんので
根拠にはなりません。
「弘誓のみが真実であり自力は捨てもの」ということで話しているのでは
ないのです。「19願の方便の相手はだれか」ということですね。
私は「十方衆生」と書いてあるから「十方衆生」であるといっているのに
あなたは「善のできる人だけ」と言っているから根拠を求めているの
です。よく読んで答えてください。
691 :
ひさしぶり11:02/12/04 21:26
>>664 >選択集における「菩提心」の語の義は
選択集をすべて読んだわけではありませんので
知りません。
前述したとおり、親鸞聖人のお言葉に関してのみ
お答えするのが適当かと思います。
>>665 >二十願真門に回入するならば
誰が20願の願意に相応できるのか、
何回かお聞きしていると思いますが。
>>666 >(実機を知らされていない)善人様
信前で善人様でないひとはいるのですか?
692 :
ひさしぶり12:02/12/04 21:27
>>670 >「一切衆生 必堕無間」は
認められない、とする私の見解にご同意いただけたと解釈して
よろしいのでしょうか?
誰が化土へ行けるのか、とも何回かお聞きしていると
思いますが。
>>671 >「欣求をもって本となす」教え方と矛盾しない
これってどういうことなんでしょうか?よくわかりません。
厭離穢土を先に言うとだめなんですか?
「往生要集」は厭離穢土がさきにきていますが
だめということですか?
693 :
ひさしぶり13:02/12/04 21:28
>>672 >1)法然上人の「自力の念仏は全く往生すべからず」のお言葉はどこにあげられたのですか?
お手数ですが教えていただけますか?
念仏往生要義抄(和語燈)です。
2)「『自力の念仏は全く往生すべからず』のお言葉がある」という主張と
「法然上人は、基本的には念仏に自力他力を分けて教えておられませんし」と
いう主張は矛盾しないのですか?
「基本的に」と言っております。
694 :
ひさしぶり13:02/12/04 21:30
>>678 >その一向専念無量寿仏を勧めるという事と
諸善を勧めるということは同義なんでしょうか?
「一向専念無量寿仏を勧める」というのは「信心決定を勧める」ということ
と同義で、真実であり、目的です。
「諸善を勧める」というのは方便であり、仮であり、手段です。
また、いろいろ言われそうですね。
ちょっと遅レスになるのは勘弁してください。
695 :
名無しさん@1周年:02/12/04 23:16
>>692 元s改印とひさしぶり、両者に聞きたい。(他の人でもいいけど)
化土ってあるのかないのか?
浄土真宗は100点(極楽)取れなければ0点(地獄)なのか?
化土のあるなし、逝く人のあるなしについて、
教典の根拠を示して教えてください。
ここのところ、結構重要だと思うが。
697 :
名無しさん@1周年:02/12/05 10:47
>>673 のAの結果が生まれたという話が真実であれば、aの因と縁をなぜ
否定するのでしょうか?
698 :
名無しさん@1周年:02/12/05 19:44
>>695 あれ?親鸞会て化土認めてなかったっけ?
1)一生懸命求めたものは臨終に観音菩薩の説法がきける。と聞いたけど。
これって臨終来迎を待っているんだから化土往生だよね。
2)活動中に死亡したものに対して
会は臨終に間に合って往生したといってるけどこれも化土往生だよね。
だって平生業成でないから臨終来迎だよね?それとも単に死者に対して
未信なら地獄ゆきっていえないからそういっているだけなの?
誰か説明キボンヌ。
699 :
祭り大好き!!:02/12/05 21:02
>>681-682 非難の為の非難といいますのは、因があっても縁が揃わなければ果は成就しないので、単に
仏果が生じないだけで涅槃の因まで無いとするのは根拠が無いのでは?という
>>528>>592>>629 を一貫して無視し続けるからです。これについて解答お願いします。
「三心釈」については、浄土門の立場から真実信心を釈されたもので自力では、実報土往生はできな
いということがテーマですから直ちに聖道の証果まで(仏果については議論があるが)否定してない
と思われます。聖人も「仏を除きて以還は、智行いまだ満たず。それ学地にありて、正習の二障ありて
いまだ残らざるによって、果願いまだ円かならず。これらの凡聖は、たとひ諸仏の教意を測量すれども、
いまだ決了することあたはず。平章することありといへども、・・・」(『信文類』)
と七地以下の無漏有漏交雑の有学地の菩薩についてもわれわれ底下の凡夫と異なり、仏教を測量し、平章
(明らかにする)ことができると言われているし、「菩薩に二種あり。一つには実義、二つには、仮名なり」
(『信文類』)と言われ菩薩乗の実在を認められてます。
700 :
祭り大好き!!:02/12/05 21:18
>>681-682続き
親鸞聖人他浄土真宗の祖師方は、われわれの機根に約しては、聖道無得道を言われたが、教に約しては、
聖淨ともに権実に判釈され聖道実教が成仏教たることそのものは否定されてません(『愚禿抄』・存覚上人
の『法華問答』『決智抄』など)。ましてや、二乗・三乗などの聖道の機類の実在まで否定されてはおりません。
聖道の機類が実在すれとなれば、自力で不退位に至った菩薩は涅槃の因を決定していることになるのではないでしょうか???
蓮如上人も「それ、諸宗のこころまちまちにして、いづれも釈迦一代の説教なれば、まことにこれ殊勝の法なり。
もっとも如説にこれを修行せんひとは、成仏得道すべきことさらに疑いなし。しかるに末代このごろの衆生は、機根最劣に
して如説に修行せん人まれなる時節なり。」(『御文章 三帖・二』)と言われ機に約しての得道は否定されてますが、教に
約しての聖道得道は否定されてません。
701 :
名無しさん@1周年:02/12/05 21:18
>>698 うむ、1)と2)は俺も聞いた。
けど、それだと0点か100点かの教えとは言えない罠。
「どうせ極楽往生は無理だけど、(これだけやったのだから)
化土往生ぐらいいけるやろ」と考えて活動なり聴聞
してる人が大半なのでは?それって良いことなのか?
よくわかんないが。
>>694 早速のお返事ありがとうございます
今後は『三燈兵』と名のらせて頂きますね
その前にいくつか確認したいことがあります
まず、あなたの書き込みはあなたの味わいと理解すればよろしいのですか?
それともs会の見解?
まさか、そんなものではなくて親鸞聖人のみ教えそのものだと言われればすごいですけど
まあ、これに関しては問題があれば聞き流していただいても構いません
ですがこちらは意見を聞かせてください
最近嵐まがいの減益らしいのがいるので一つはっきりさせたく思います
あなたが『方便であり、仮であり、手段です』と言われ勧められた諸善には
かなり広い意味になりますが世間一般で良いことだからやりなさいよ
と言われる善も含まれると言うことになるのですか?
”ことごとく”往生浄土の方便の善になるといわれた”ことごとく”の範囲はどのくらいなのですか?
もし以前にこのような質問に答えておられるようでしたら申し訳ありませんがもう一度お願いします
とりあえずこれを答えていただいたうえで私の見解を展開させていただこうと思います
お忙しいとは思いますがよろしくお願いします
703 :
祭り大好き!!:02/12/05 22:05
>>683 「大乗は二乗三乗あることなし。二乗三乗は一乗にいらしめんとなり」(『行文類』)
は、「当に知るべし。諸仏は方便力の故に一仏乗において、分別して三と説きたまう
なり。」(『妙法蓮華経・譬喩品第三』)の御意から、一仏乗に誓願一乗を配当された
もので二乗・三乗の方便の差別を会して真実の一仏乗に誘引するの意で、二乗と三乗の差別
(二乗無得道・菩薩乗得道)は方便であり、一仏乗が真実の義(開三顕一)を言われているの
ですから、二乗・三乗の聖道の機類の実在まで否定されているのではありません。
それと御引用の『般舟三昧経』の「三世諸仏 念弥陀三昧 成等正覚」は何処にあるでしょうか??
私の記憶では、善導大師が経意を取られたもので経文そのものではなかったような・・・。『行品第二』
でしょうか??『四事品第三』でしょうか?? それとも『擁護品第八』でしょうか??よければ「大正
大蔵経」の頁数で教えて頂けたら幸甚です。宜しくお願いします。この『般舟三昧経』は紀元前一世紀成立
の最初期の大乗経典の一つ(初期インド浄土教経典)ですのでまあいいとして『楞伽経』となると無著・
世親菩薩より後に時代(五世紀後半)の成立とも言われ引用の「一切の仏は・・・」の直前には、「種々の
者は分別して迷惑の相を取る、これを依他起と名づけ・・・・諸縁の法和合して名相を分別す、而もコレラは
、皆不生なり、是を則ち円成実性と名づく。」などとあるように発展した唯識や浄土教の影響を受けた経典で
あることは、今日あきらかですから現代に弥陀本仏説の根拠とされるのは如何なものかと思います。
704 :
祭り大好き!!:02/12/05 22:47
>>684 法然上人等七高僧のお聖教は、s会では、傍依のお聖教とされていると解してよろしいでしょうか????
>>685 前にも言いましたが、「聖道の諸教は・・・」に相対した箇所は後の「浄土真宗は在世・正法・像末・法滅
・濁悪・・・」ですから、時機不相応の聖道門に対して弘願門(浄土真宗)を勧めれれていて、『観経』の
方便を勧められているとは読めないのですが・・・。それに十九・二十願さらには十八願(「願海」・「真宗
の簡用」・「不可思議の徳海」)を解説された後ですよね。聖人が「真宗」と言われる場合、真実の「弘願門」
を指されているのは明らかですよね(「ここをもって三経の真実は、選択本願をもって宗とするなり。三経の
方便は、すなはちこれもろもろの善根を修するを要とするなり。」『化身土文類』)。それに「『門余』といふ
は、『門』はすなはち八万四千の仮門なり。『余』はすなはち本願一乗海なり。」(『化身土文類』)「おほよ
そ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門というふ。これを仮門と名づけたり。この要門
・仮門といふは、すなはち『無量寿佛観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。」(『一念多念証文』)と
言われることからわかるように、聖道の方便は時機不相応だから代って浄土の方便(定善・散善)は時機相応だから
と勧められてるとは読めないですね。仮門は全て廃捨して弘願を勧められてるののですよ。
705 :
祭り大好き!!:02/12/05 23:00
>>685の補足
>あなたが、法然上人の一文を解釈した自分の見解をもって、
「諸行は機にあらず、時を失す。」「はじめ(廃立)をもって正となすのみ」(『選択集』)
「第十九の願は諸行之人を引入して念仏之願(十八願)に帰せしめむとなり。」
これらは、私の解釈ではなく法然上人の御文そのものですが何か??
706 :
祭り大好き!!:02/12/05 23:07
>>686 何度も言ってますけど誰もが「観経の三心を得た後」でなければ「大経の三信」を得られない
と書かれた箇所をあげてください。
>>687 >>635を再読してください。蓮如上人の根拠をお聞きしています。
707 :
祭り大好き!!:02/12/06 00:00
>>687 報恩行の諸善というのは、五正行と解してよろしいでしょうか? それとも異類の助業も含める
のでしょうか?? 俗諦門も含めるのでしょうか?? 報恩称名は、名号法の相發行と解している
のでしょうか?? 又、前三後一の三業行を報恩行とする場合、その拠点は、真実金剛心より催される
と解する他ないでしょう。その真実信に催された前三後一と、信前の他力を体得してなくて五正行を
往生因として執する機情の修する諸善とは心相の自他力に関わらずその体が同じという意味でしょうか??
だとすると信後報恩行としての前三後一の行体は、行者の心相の自他力と無関係で「仏智証得の行体」ではなく
「凡夫自力の心行」ということになりますね。そうすると真実信に催された前三後一も自力執心の前三後一も
ともに「凡夫自力の心行」ということになり、結局、真実金剛信に催されるか否かは、関係ないということになります
ね。そうなると信前は雑行」信後は「報恩行」に変わるというのは矛盾するのではないでしょうか???
708 :
祭り大好き!!:02/12/06 00:14
>>686 >方便を建てられたのです。
そう、その方便が無他方便の御本願(弘願)ですね。
>>687 >「教える必要があるのか・ないのか」
ひさしぶり氏の立場はわかりませんが、少なくとも私は、お坊さんでもないし、教える側では
なく教えられる側ですから、教える側について云々する資格はありません。お救いは、他力の弥陀
廻向というのは読んで字の如く阿弥陀様のひとり働きということです。
709 :
祭り大好き!!:02/12/06 00:21
何年か前の冬、瀬戸内出身の先生に冬の日本海をご案内させていただいたことが
ありました。
波浪逆巻く日本海をごらんになって「法の深信だね。」とおっしゃられたのが
いまだに耳にこびりついてます。「機の深信」は瀬戸内海・太平洋との由。
なんまんだぶ。なんまんだぶ。
711 :
祭り大好き!!:02/12/06 00:58
>>690 >>686 「『観経』(意)に、『極重の悪人は、他に方便なし。ただ仏を称念して、極楽に
生ずることを得』と。」(『往生要集』巻下・念仏証拠文)と言われるのは、何時
のことなのでしょうか?? 現在只今のことではないのでしょうか???未来のことですか??
大乗仏教は「現在有体・過未無体」ではないのでしょうか??? 「三世実有」が正しいというの
でしょうか???『観経』の方便以外に 「十方衆生」=「一切衆生」に当分の得道を勧めているのは、
浄土門以外では、沢山ありますよ。『法華経・法師品』に「一念随喜の衆生全て」に成仏の記別を与えら
れてるのを初め、例えば「若末世一切衆生能捨諸欲及憎愛 永断輪廻 勤救如来円覚境界於清浄心 便得
開悟」「若諸末世一切衆生欲汎如来大円覚海 先当發願勤断二障。」(『大方広円覚修多羅了義経』㍽蔵第十七巻)
これなんか「末世」の「一切衆生」にお勧めですね。当分(一往)は、「十方衆生」が対機の御方便も、跨説(再往)
、真実義からみれば、「定散諸機」摂機の願であるという勧学の利井師の解説は以前も紹介しました(
>>601参照)。
712 :
祭り大好き!!:02/12/06 01:28
>>690 >>686に補足
まあ、往生因三願は、往生因ということでとくに「十方衆生」となっているんですが、
御本願の扇を開けば、三願・四十八願・八万法蔵になるし、八万法蔵・四十八願・三
願の扇を閉じれば御本願になるということでしょう。あと、『信文類』の「二者深信」
の御文に続けて、「また、決定して深く、釈迦仏この『観経』に三福九品・定散二善を
説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしむと信ず。また決定して、『
弥陀経』のなかに、十方恒沙の諸仏、一切凡夫を証勧して決定して生ずることを得と深信
するなり。」の御文でわかるように、「三願転入」の御方便が知らされるのは、他力の決定
深信つまりは仏心の御廻向の相(すがた)ですよね。
>>710 NBさん、御懐かしいですw。が、今宵はもうオネムなので失礼させていただきます。今後もよろしく
お願いします。 居眠り念仏~~。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>676 「親鸞会員は、仏教を知らない」と高言するからには、
よほど仏教にお詳しい方でしょう。
「日常語における善と混同して・・・」
とあなたは、善に複数あり、それを分けられると主張されたい
ようですが、それらの善の違いを明確にしてください。
この問いに関しては、元s改印さんも逃げてしまわれたので、
仏教にお詳しいあなたでも結構。
善の中に違いがあるのならば、どこがどう違うのか、
明らかにしてください。それが筋でしょう。
それを明らかにせずに、善を勧める親鸞会を非難するだけでは、
「善をやめよ」と言う外道といわれても仕方ないでしょう。
返事をお待ちしています。
>>678 あなたもひょっとして、「善をやることはいらん」
と主張される方ですか。
>>655 あなたの発言は、失礼ですが意味がよく分かりません。
言い訳なのか泣き言なのか、それとも反論なのでしょうか
修善を排斥するのが、親鸞聖人の教えですか。
本気で「善をやめよ」などと、あなたは人に勧めるのですか。
これが問われているのですよ。
なぜこんなことが、問われるのかといえば、
あなたが修善を勧める親鸞会を間違っていると批判される
からではありませんか。
お尋ねします。
善に励もうとしている人に、あなたは、
「そんなことやる必要はない。修善は捨てよ」
と言われるのですか。どうですか?
>>714 何の為の善は必要ないと言ってほしいのでしょうか?
本部御法話が近いからといって突然現れてその言い草は
あまりにもひどいのではないかと思いますがいかがですか?
それにくらべてこれまで色々暴言もありましたがひさしぶりさんはまだ紳士ですね
世間一般に良い結果を得る為にやりなさいよと言われることすらも止めよ
と言っているように理解されるのでしたら一度病院へ行かれた方がよろしいかと思います
そこでこの行為も方便の善と言われるのですかと聞いているんです
分かっていただけましたか?
717 :
ひさしぶり:02/12/06 21:53
>>699 >仏果が生じないだけで涅槃の因まで無いとするのは根拠が無いのでは?
自力の善根を涅槃の因とするのはおかしいのでは?とお答えしたと思います。
「涅槃に入れぬ原因である根本無明を立つことのできない
人間の善を、なぜ『涅槃の因となる善』という意味を持つ
『無漏善』だというのかお答えください。」というのにも
答えてください。
> 聖道の証果まで(仏果については議論があるが)否定してない.
仏道の目的が、仏覚以外の聖道の証果をもって成就する、と言われるなら
これ以上お話することはないように思います。
718 :
ひさしぶり:02/12/06 21:53
>>700 >機に約しての得道は否定されてます.
そのとおりですね。
「もっとも如説にこれを修行せんひと」とは誰なのでしょう?
「一切菩薩ののたまわく 乃至 恩愛はなはだたちがたく」とは聖人のお言葉です。
>>703 >善導大師が経意を取られたもので経文そのものではなかったような・・・。
>発展した唯識や浄土教の影響を受けた経典で
あることは、今日あきらかですから
善導大師が言われたのならそれでよいではありませんか?
学者さんが好きなら、大乗非仏説なんかも好きなんでしょうねえ。
あなたは学者さんを信じているわけですね、私は親鸞聖人を信じて
いる者なので見解が違って当然でしたな、はやはや。
719 :
ひさしぶり:02/12/06 21:55
>>704 >傍依のお聖教とされている
>「 法然上人はじめ七高僧の御文をどう解釈するかは
親鸞聖人にお聞きするしかありません。」
これが「傍依のお聖教とされている」ということですか?
あなたが自分で七高僧方の書かれたものを読み切れる、ということですね。
何様なんでしょうか。
>私の解釈ではなく
「十九願観経の方便について言われた根拠」としてあなたが出したんでしょう。
「諸行は機にあらず、時を失す。」これは「諸行」について言われたことです。
「第十九の願は諸行之人を引入して念仏之願(十八願)に帰せしめむとなり。」これは十九願について
いわれたこと。
どこに「十九願観経の方便」について言われているのですか?
あなたの解釈以外のなにものでもありません。
重ねてお聞きします。
「善はできないから、19願観経の方便は凡夫に対する教え
ではない」と言われた親鸞聖人(当然、覚如上人、蓮如上人
も含めております)のお言葉をあげてください。
720 :
ひさしぶり:02/12/06 21:56
>>706 >「観経の三心を獲て『後に』大経の三信心を獲るを一心を獲るとは
いうなり。」
>誰もが「観経の三心を得た後」でなければ「大経の三信」を得られない
と書かれた箇所をあげてください。
だだこねてるみたいでみっともないよ。
「一心を獲るというのは、観経の三心を獲た後に大経の三信を獲ることをいうのだ」
との仰せです。また「唯信抄文意の、この文は、定散の善ができるひとに書かれた」と
いう切り刻み解釈ですか?
>>707 >「凡夫自力の心行」ということになりますね。
こんなでたらめな推論ばっかりですね。
信後に自力なんてありませんし、信前に往生の行はありませんよ。
あなたの読んでいる本にこんなでたらめが書いてあるのですか?
物知りで感心したのに「まるうつし」しただけ?
721 :
ひさしぶり:02/12/06 21:58
>>708 >教えられる側ですから
だから「教えられる必要があるのですか、ないのですか?」も同じですよ。
>>711 >『観経』の方便以外に 「十方衆生」=「一切衆生」に当分の得道を勧めているのは、浄土門以外では、沢山ありますよ。『法華経・法師品』に
浄土門以外は関係ありません。時機を逸しています。
ではまた来週。
722 :
名無しさん@1周年:02/12/06 23:00
>>713、
> 善の中に違いがあるのならば、どこがどう違うのか、
> 明らかにしてください。それが筋でしょう。
イヤです(爆。こんなことは仏教の常識です。般若をきちんと学べば
分かります。手間を惜しんではなりません。
一つだけ言っておきます。六度万行のうち布施のみを重視するのには
根拠がありません。親鸞会は六度万行のほかのものをすべて世俗諦に
落として軽く扱っているのに、どうして財施・法施ばかりが
異様に肥大化するんでしょうかね。六度万行の重視を言うのであれば、
いちばん重要なのは最後の般若波羅密のはずです。こんなことは
般若教典群以来、仏教の基礎中の基礎ですし、世俗諦と真諦の関係を
六度万行でどう開くかも、人に聞くなんて、もぅちゃんちゃらおかしい。
723 :
祭り大好き!!:02/12/06 23:19
>>717 >答えてください。
仏教の因果律というのは、倶舎・唯識などをみればわかるように、大変複雑ですよ。単純に涅槃の因と仏果
だけが単体で存在するわけじゃないでしょう。「無漏善」というのは、出世間の涅槃法においてひろく、
善因となる(「自他が」涅槃を得るのに役立つ)善根のことですから(『大毘婆沙論』もつともこの論では
「勝義善」といいます。『成唯識論』など参照)、当然に聖位である菩薩の位(初地以上)の自他に対する善根は、
無漏善が生起していることになりますよ。弥勒菩薩の等覚なら尚更ですね。「無住処涅槃」「願って悪趣に生ずる」
が菩薩の理想であることは何度か言いました(前スレであげた『法華経』法師品の御文にもありましたね。)。元品
の無明を破し実報土へ至る親鸞聖人的には「涅槃の真因」だけが、無漏善というわけではないですよ。どうも「真・仮・偽」判
の「仮」というのは「嘘・事実でないこと」と誤解されているのでは? 親鸞聖人は、名号法以外の無漏善を否定されていたわ
けではありません。「不動地」以上の菩薩は、漏(煩悩)の現行は無くなるので(種子も完全に無くなるのが仏果)、後三地と
いわれて無学であり無分別の智が働きますので「無漏の菩薩」とされます。親鸞聖人が名を一字いただかれた世親菩薩の論は、
『浄土論』も含めて、この説を前提にしていることも前に述べました。
724 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/12/06 23:26
>>715 >修善を排斥するのが、親鸞聖人の教えですか。
そんな訳ないだろう。親鸞会と反親鸞会との論争は、見ちゃおられん。どうなっ
てるの?
修善を排斥しろと親鸞が教えてるかって?。そんな訳ないだろう。どうしてそん
な発想が湧いてくるんだい?。
いいことをしないといかん。悪いことしちゃいかん。そんなことは人として当た
り前のことじゃないのか。そんな当たり前のことまで、あんたらは宗教から今更ら教わらないと判断できないのか。いいことはしなさいよ。悪いことしちゃいかん。
そんなことは、三歳の子でも分かってるぞ。
学校には学則があるだろう。企業にも社員規則がある。地方公共団体には条例が
あり、国には国法がある。あんたらは、その上宗教からも、「いいことをしなさ
い。悪いことをしちゃいかん」と重ねて教えて貰わないとならんのか。
現代の宗教の役目は何よ?。いいことをしなさい。悪いことをしちゃいかん。そ
んなことを教えることか?。国法を破れば、国法で裁かれる。学校には退学処分が
ある。企業には解雇もある。ルールを破れば社会から多くの指弾を受けるだろう。
会社のルールを破れば解雇され、学則を破れば退学を迫られる。それでも、欲し
い物は手に入らん。嫌な奴とは会わねばならん。愛すると人とは別れが来る。世の
中でおよそ苦の種にならんものはない。一寸先は闇だ。法を破らにゃなんこともあ
る。ルールを破らにゃならんこともある。破れば持ち場持ち場で、人は制裁を受け
るだろう。
725 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/12/06 23:29
ルールを破る人を制裁することは大事だが、制裁される人にも一寸の安らぎは必
要なんだ。国・社会・職場・家族から排除されれば、人は行き場がない。いいこと
はせにゃならん。悪いことはしちゃいかん。でも、いいことができない人、悪いこ
とをしてしまった人にも、息が抜けるところが必要なんだ。
いいことはせにゃならん。悪いことはしちゃいかん。それでも浄土真宗は、いこ
とができない。悪いことをしてしう人にも、息が抜けるところを提供しようという
ところに、宗教的な使命を持ってるんだ。
浄土真宗はいいことを推奨しない。いいことを推奨しないということをもって、
悪いことも排除しない。悪いことをした人には国が制裁を加える。企業・学校が制
裁を加える。それなら、もうそれで十分じゃないか。国が制裁を加え、企業・学校
が制裁を加えた人に、宗教までが重ねて制裁を加える必要があるか?。いいことは、
国が推奨する。企業・学校が推奨してくれる。だったら、宗教までが重ねて推奨す
るには及ばないだろう。これによって浄土真宗は、立つ瀬の無い人にも立つ瀬を与
えているのさ。驕り高ぶる者には、冷静になるチャンスを与えている。
善は推奨しないし、排除もしない。だから悪も推奨しないし、排除もしない。そ
んなことは国法、社員規則・学則で決めればいい。浄土真宗は、善悪を越えて念仏
申せと教える。念仏申す人の中に加われと教える。念仏申す人の中は、善人でも悪
人でも誰が入ってもいいんだ。善の推奨はない。排除もない。悪の弾劾もない。推
奨もない。
浄土真宗は、国・企業・学校・地域社会という、一定の価値観で人を縛る社会か
ら独立し、善悪の尺度を超えてひたすら自分と向き合える場を提供する。それが念
仏者の世界、極楽浄土なんだろう。
726 :
祭り大好き!!:02/12/06 23:42
>>718 >そのとおりですね。
教に約しては、聖道門の得道を否定されてないということでよろしいですね?
>誰なのでしょう?
私でないことはあきらかですから、それだけで十分です。上機の方の沙汰は戯論
だとひさしぶり氏も言われてましたね。
>大乗非仏説なんかも・・・
私は、大乗仏説を支持していますけど・・・。ただし元s改印さんも言われてましたけど、
「発展仏教」を前提にしてますけどね。それに今日日の学者で、素朴な意味での「大乗非仏説」
の人なんかいないのでは?
727 :
名無しさん@1周年:02/12/07 00:07
>>722 要するに、「六度万行のイロハもわかってないのが親鸞会教学である」
というご意見のようですね。
>>724 >>725 要するに、浄土真宗は善も悪も超越している、ということですね。
親鸞会は善と悪に異様にこだわりすぎて本質を見失っている、
ということかな?
そういえば、歎異抄にもありましたね。
「本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきが
故に、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきが故に」
728 :
祭り大好き!!:02/12/07 00:48
>>719 >親鸞聖人にお聞きするしかありません。
親鸞聖人の説と法然聖人の説は、同じといただいていますけど違いますか? それと
傍依のお聖教えか?とお尋ねしましたのは、法然上人の御文の引用が、「傍証」などと
言われてましたのでそのように疑問に思ったのです。普通は「正所依のお聖教」の引用
を「傍証」とは言いませんからね。
>どこに「十九願観経の方便」・・・
親鸞聖人と同じ「三経三願」の名目がでてこなければ、根拠にならないのですか? 同意
であれば名目が違っても問題ないでしょう。「諸行は機にあらず時を失す。」の
諸行は釈迦付属でない「『観経』の方便」のことであることは問題なしですよね。同じ章で
「定散の諸行は本願にあらず。」ともいわれてます。その「『観経』の方便」を十九願に配当され
て法然上人の真意をよりわかりやすくされたのが親鸞聖人ですねよね。ですから「十九願観経の方便」
のことで何も問題ないでしょう。それと「第十九の願は諸行之人を引入して念仏之願に帰せしめむとなり。」
(『十七条説法』)は、、ひさしぶり氏も以前いわれてた「三願転入」は、法然上人の教えを受け継いだ
ものを証明する「「三願転入」の萌芽説とされているのですけど。ここでいう諸行は、「観経の方便」と
は異なるというのは何故?
>お言葉をあげてください。
あとで詳しく引用しますが・・・「『観経』の三心は定散二機の心なり」(『唯信抄文意』)同抄には他に
「『汝若不能念』(『観経』)といふは、五逆・十悪の罪人、不浄説法のもの、やまひのくるしみにとじられて
、こころに弥陀を念じたてまつらずは、ただ口に南無阿弥陀仏をとなへよとすすめる御のりなり。これは、称名
を本願と誓ひたまへることをあらわさんとなり。」と観経の方便を「善のできない凡夫」の為に実義(弘願)で
真意を顕された御文ですね。
729 :
祭り大好き!!:02/12/07 01:38
>>720 「『具三心者必生彼国』(『観経』)といふは、三心を具すればかならずかの国に生まるとなり。しかれば善導は、
『具此三心 必得往生也 若少一心即不得生』(『礼讃』)とのたまへり。『具三心』といふは、三つの心を具すべし
となり。『必得往生』といふは、『必』はかならずといふ、『得』はうるというふ、うるといふは往生をうるとなり。
『若少一心』といふは、『若』はもしといふ、ごとしといふ、『少』はかくるといふ、すくなしといふ。一心かけぬれば
生まれずといふなり。一心かくるといふは信心のかくるなり、信心かくといふは、本願真実の三信心のかくるなり。
『観経』の三心をえてのちに、『大経』の三信心をうるを一心をうるとは申すなり。このゆゑに『大経』の三信心をえざるを
ば一心かくると申すなり。この一心かけぬれば真の報土へ生まれずといふなり。『観経』の三心は定散二機の心なり、定散二
善を廻して、『大経』の三信をえんとねがふ方便の深心と至誠心としるべし。真実の三信心をえざれば、『即不生』といふなり。
『即』はすなはちといふ、『不得生』といふは、生るることをえずといふなり。三信かけぬるゆゑに報土に生れずとなり。雑行
雑修して定機・散機の人、他力の信心かけたるゆゑに、多生コウ劫をへて他力の一心をえてのちに真実報土へ生るべきゆゑに、すな
はち生れずといふなり。もし胎生・辺地に生れても五百歳をへ、あるいは億千万衆のなかには、ときにまれに一人、真の報土へすす
むとみへたり。三信をえんことをよくよくこころへねがふべきなり。」(『唯信抄文意』)
わかりやすい御文なのでよく読んでいただいたら御意は自明でしょう。今から「多生コウ劫をへて」のお勧めではなく、今「他力の信心」
を得ることのお勧めですよね。
730 :
祭り大好き!!:02/12/07 02:15
>>720の二
>こんなでたらめな・・・
信後の報恩行は、「自力なんてありません」ので、能修の心相が自力執心である信前の「雑行」(凡夫自力の心行)
とは所修の行体が異なり他力の「仏智証得の行体」であるということでよろしいですね。そうすると信後の「報恩行
の諸善」と信前の「雑行」とは、「行体」が変らないとする「新人太郎氏説」は、ひさしぶり氏的には、やはり「誤り」
ということでよろしいですね。
731 :
祭り大好き!!:02/12/07 02:35
>>721 >だから「教えられる・・・
私の場合は、色んな方に教えていただいてお育てしていただいた御仏縁ですね。他の方の
ことは全くわかりません。
>浄土門以外は・・・
「十九願観経の方便」と同じ「仮門」として聖道門の例をあげさせていただいたのですが。
方便権仮門の場合、当分には「十方衆生」の往生教・成仏教であっても、望本願の実義からみれば、
摂機の方便であり、十八願ひとり真の「十方衆生」対機の往生即成仏教ということです。
732 :
ある通行人:02/12/07 07:43
>>730 横スレ失礼します
>「新人太郎氏説」は、ひさしぶり氏的には、やはり「誤り」
新人太郎氏、もしくは新人太郎氏を背後で操って知恵を与えていた人物は
数年前の驚愕講義である暴言、と言うか今の学生の活動からは信じれない発言がありました
何でも、以前聴聞や驚愕講義で我々が聞いたことは正しく聞けていないから
一言一句正しく書き取ったつもりでいても間違っているそうです
だから聴聞録なんかをあてにするのは止めて捨てなさいと言う発言がありました
それは一座一座の聴聞を真剣にしなさいという事だと反論がきそうですが
少なくとも、以前にこれは間違いだったかなと思うことは善智識と言う肩書きで秘密裏に変更するみたいです
最近も似たようなことがありましたね
だからひさしぶり氏のこれもありなのでは(藁
733 :
名無しさん@1周年:02/12/07 09:14
『善智識と言う肩書き』
K光会に所属し、獲信したと称する人々の一人だったんだろうが、
たまたま僧侶であった関係で、独自に集まりを運営していたんだろう。
会員で布教の巧い者がいて、教勢が拡大するにつれて
「善智識」という言葉の与えるイメージは重くなり、
特別な存在になったという可能性も高いのではないか?
734 :
名無しさん@1周年:02/12/07 09:48
まあこのスレでの収穫は
「親鸞聖人の教えに善の進めはあるか・ないか」という
それぞれの主張の正誤を分ける判定基準であると思われていた問いが
実は大いなる詭弁の毒を含んでいたと言うことが明るみになったと言うことか。
三燈兵さんへ
私の発言で「ひどい発言」や「暴言」がありましたら、
具体的に指摘してください。
「世間一般に良い結果を得る為にやりなさいよと言われることすらも
止めよと言っているように理解されるのでしたら一度病院へ
行かれた方がよろしいかと思います」
ならば、あなたはどんな善をやめよと言われ、
どんな善を勧められるのか、善の違いを尋ねているのです。
それをせずに、修善を勧める親鸞会を間違いだ、と言うだけでは、
悪を容認する主張と言われても、当然でしょう。
「そこでこの行為も方便の善と言われるのですかと聞いているんです」
失礼ですが意味が分かりません。
>>727、
>要するに、「六度万行のイロハもわかってないのが親鸞会教学である」
>というご意見のようですね。
はい、そういうご意見です(W。あたしゃ元s改印さんや祭り大好きさんの
ような親切心や辛抱強さを持ち合わせてないので、またはそこまで
物好きではないので(爆、こんな初歩の話を丁寧に解説しようって気は
スマヌが起こらんなぁ。自分で勉強すればすむことでしょう。
世俗諦として六度万行を勧めているなら、布施だけが突出するのはおか
しいし、すべての六度を真諦として勧めれば、諸行往生になってしまいます。
こんなの、ちょっと考えればすぐ分かりますよね。
「親鸞聖人は善を勧めてないのか」なんて息巻いてるけど、そもそも、ここで
論点になっている諸善が、「諸行」と言われるのがどうしてかということ
すら、親鸞会の方は理解されていないらしい。仏教の基本が抜けてまから、
「論戦」のし甲斐がないです。親切な方々にお任せします。
>>735 >悪を容認する主張と言われても、当然でしょう。
つまりそれがs会のねらい、巧妙な罠という事で
>>735 ・・・・・・
あきれてものも言えません
ものすごい先入観で話をしているんですね
まあ、何を言ってもまともな議論にならないとは思いますが
>あなたはどんな善をやめよと言われ、
>どんな善を勧められるのか、善の違いを尋ねているのです
ちなみに私は善を止めよとは言っていませんが
自分の考えから少しでもずれた意見や質問がくるとすべて誤りと受け取るあなた
には私の質問がわからないようですね
ようするに、世間一般でよい結果を得る為にやりなさいと言われることもすべて
を方便の善と言われ獲信とよい関係にあるのですかと聞いているんです
それがあなたが悪を容認する主張と勘違いして言ったことに対する答えです
これで分からなければ、小学校一年、おっと今なら幼稚園から日本語の勉強をしなおしたほうが良いですね
大体自分の手の内を見せずに相手を非難するのが親鸞、じゃなくてs会のやり方なんですか?
739 :
名無しさん@1周年:02/12/07 23:38
>>737 >つまりそれがs会のねらい、巧妙な罠という事で
巧妙か?(w
無茶苦茶なぐらい非常識に強引なだけなような
740 :
名無しさん@1周年:02/12/08 06:31
>>733 特別な存在=コ・ト・バ には、錯覚・魔力があるからね。
741 :
名無しさん@1周年:02/12/08 11:32
>>735 横レス失礼。
>修善を勧める親鸞会を間違いだ、と言うだけでは
修善を宿善になるからといって勧める親鸞会
ということでしょう。
>>738 親鸞会で教えていることは、著書その他に書かれています。
非難したいのならば、よく親鸞会の主張を知ってからに
されたらよかろう。
明らかでないのは、あなたの主張です。
あなたは、一体、親鸞聖人の教えをどう勧め、教えているのですか。
これが正しい親鸞聖人の教えだ、と誰にでも正邪がわかるように、
ハッキリ主張されたらよかろう。
そんな気がなく、ただ非難のために非難しているだけなら、
さっさと退散すべきでしょう。
>>742 うーん、なんかすごいケンカ腰になってしまったみたいだね
主張って、別にあーだこうだ言ったわけじゃなくてどのように教えられているんですか?
ってな感じで質問しただけなんだけどね
元々はね
ちなみにあなたの言われるところの『ご著書』はこれまで何十回と読んだことがありますが
私の質問したところに関しては、まあ、私の読解力不足なのかもしれませんがわからなかったんですよ
だから現役で、なおかつその教えをよく分かっているであろうあなたに教えてもらおうと聞いているんですよ
>>742 つづき
>明らかでないのは、あなたの主張です。
>あなたは、一体、親鸞聖人の教えをどう勧め、教えているのですか。
>これが正しい親鸞聖人の教えだ、と誰にでも正邪がわかるように、
>ハッキリ主張されたらよかろう
わが身の後生の一大事の解決のために正しく理解したいと言うのではだめなんですか?
渋長に聞けと言われるでしょうが、どうせこのようなことを聞いてもごまかされて逃げられるだけ(経験あり)なので
ここで質問させていただいたんです
「先生、もしくは上司に聞かないと」と言われて結局うやむやにされるだけなので、ここなら確実に聞けるかなって
一連のことから推察するに私の質問したものは、「取るに足らないどうでもいいもの」か、
あなた個人レベルの見解では「答えてはならない何か」を含んだものかもしれないと言うことでしょうか?
>そんな気がなく、ただ非難のために非難しているだけなら、
>さっさと退散すべきでしょう
質問はしていますが教えは非難はしていないと思いますが・・・
あなた個人の人間性に関しては否定しませんがね
まあ、このようなことを書くこと自体が教えの非難と言われるのであれば自粛しますけどね
あと、ちなみに私は現役ですよ(藁
745 :
名無しさん@1周年:02/12/10 00:20
>>742 あんたもろくすっぽ人の質問にも答える気がないんなら
さっさと退散したら?(藁
746 :
名無しさん@1周年:02/12/10 09:51
>>742 >親鸞会で教えていることは、著書その他に書かれています。
ジャンヌに挙げられた大沼氏の文章の感想を訊かせてもらえませんか?
ひさしぶりさん、出張、忘年会などが重なりレス遅れまして失礼いたしました。
>>692 >厭離穢土を先に言うとだめなんですか?
「あとさき」ではなく、「厭離穢土、欣求浄土のどちらをもって本となすか」どうか
を問題にしています。それは愚禿抄において「厭離穢土を本となせば聖道門自力であ
る」と聖人が仰せであるからです。小生は「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強
調する見解は厭離穢土をもって本となす聖道門自力ではないか、と理解しております
が違うのですか?
>>「往生要集」は厭離穢土がさきにきていますがだめということですか?
小生の見解としては源信僧都が聖道門のご出身であり、天台宗に籍をおかれておられた
関係でまずは聖道門の方々をご勧化なさろうとされたから厭離穢土を先に説かれたので
はないかと理解しておりましたが、畏れ多くも「源信僧都はだめではないのか」と心配
なされるあなたのご不審はNBさんが既にご教示済みですから御安心ください。
>>198
>>504 >20願は「助正間雑」してはならないのです。
あなたの主張を確認したいので質問に答えていただけますか?
1)「助正間雑」していない行者は、既に20願の行者ではなくて弘願の念仏行者では
ないのですか?
2)あなたのいわれる「20願の行者」とは「要門を捨てて真門にはいり、難思往生を
めざして修行している行者」のことではなく、「20願を充足して臨終来迎して化土往
生した行者」という意味なのでしょうか?
3)ひさしぶりさんは末灯抄で説かれる「他力のなかの自力の人々」は存在しないと
いう見解でしょうか?
>>122 >「真実法を信じる器を作る」のが俗諦である理由はありません。
改めて確認させて頂きます。要するに、あなたは「真実法を信じる器を作る」
教えが浄土真宗の真諦であると主張しているということでよろしいのですね。
>>691 >>二十願真門に回入するならば
>誰が20願の願意に相応できるのか、何回かお聞きしていると思いますが。
三願転入のご文をご参照下さい。
「愚禿釈の鸞、(中略)真門に回入して、偏に難思往生の心を発しき。」
親鸞聖人は自らのご求道を振り返られ、「二十願真門に回入」された、と
告白しておられます。
私は「誰が20願の願意に相応できるのか」の話はしておりませんが何か?
ただ、私は信前のものは速やかに要門の信仰を捨てて弘願の他力信心を獲なさい、
と教示なされているのが真宗の教えであり、そのご方便として半自力半他力の真
門を説かれたのだと味わっておりますが。
>>503 >「善をするのを止めて」雑行を捨てたつもりになっているのは
>>504 >>「善をするのを止めて念仏を称えているのが20願」のように思っているが
般若の智慧を欠落した泥凡夫が実践する「善もどき」(どころか事実上造悪となってしまう
行為)をもって、宿善になると考え、即ち往生とよい関係であるとみなして「善の実行」を
勧めることが阿弥陀如来の「一向専念しなさい」という御心に反していることに早く気がつ
くべきでしょう。六度万行の実践とは自利利他の実践です。自利利他を実践するためには
「我がはからい」を離れて自己が常に無我になっていなければなりません。これは無我に
なることを目指す義ではなく、必須の条件でしょう。だから難行苦行であると申しているの
です。浄土真宗における無我とは自他の対立を越えて、自他一如の法界に目覚めて弥陀の智慧
を頂くということでしょう。あなたは善を勧めないというのならボーとしていればいいのかと
言われます。しかしたとえボーとしていたとしても人間は暴風シ雨の様に悪を犯してしまいます。
ですから聴聞による脚下照顧が大事なのでしょう。(つづく)
>>751(つづき)
蛇蝎奸詐のこころにて自力修善はかなふまじ
如来の回向をたのまでは無漸無愧にてはてぞせん(愚禿悲歎述懐和讃)
「とんでもないしろもの」である蛇蝎奸詐のこころをもっては自力の修善が「かなわぬ」から、
一刻も早く如来の回向を「たのま」なくては報土往生できないと聖人がご教示なされておられ
ます。そして(たとえば宿善になると称して自力修善に励んでいる)信前の者に対して有り難く
も仰せになったお言葉です。親鸞聖人が「回心・回向の善と仰せになった」自力の執心を募って
実践不能の難行苦行の六度万行に貴重な無常の時間を浪費する暇があるならば一刻も早く一向専
念して弥陀の名号を頂きなさい、というのが真宗のみ教えでしょう。
s会は真諦としての「(雑毒)善の実践」を会員に対して強く勧めていますが、会に対する財施
と、会への勧誘、聴聞に連れてくることが事実上諸善の実践の中心であり、ノルマ化していてい
るようです。しかし真宗では聖人がこれだけ懇ろに「雑行を捨てなさい」とご教示なされている
以上、「自らが身をよしと思う心」(唯信抄文意)がなければ実行できない自力の修善を勧める
のではなく、俗諦としての「廃悪」を勧めるのが本当ではないのでしょうか。(つづく)
753 :
名無しさん@1周年:02/12/10 19:43
口をはさんじゃいますが、
仏教はそもそもお釈迦様が説かれたものですよね。
そして、親鸞上人もお釈迦様の教えをそのまま聞き、伝えてこられたわけで。
高森先生も親鸞上人の教えをそのまま現代の私たちに伝えているわけですよね。
それならなぜ、お釈迦様を一番、尊敬しないのですか?
見ていると親鸞上人と高森先生が一番、押し出されているように思います。
なぜですか?
お釈迦様の教えと親鸞上人、高森先生の教えには違いがあるからですか?
>>753(つづき)
悪人正機を誤解して他宗、他流のものが「真宗は悪を勧める教えなのか」と非難される
のと同様に、あなたがたがいみじくも親鸞聖人のご真意を理解できずに同様に非難した
ことに対して聖人はすでに「廃悪」の勧めで御説明されています。
その根拠は末灯抄(15、20、21)に詳しく出ていますので今回はここでは挙げません。
s会において「廃悪」はあまり強調されていないと批判されても仕方がありませんね。
その証拠に十悪の「悪口」や「妄語」を慚愧の心も感じずに平気で発言できるようです。
「妄語」については何度か実例を申し上げました。このスレッドはまさにs会現役さん
がたの発する「悪口」や「妄語」の具体例の展示場のようでいくらでも示すことができ
ますね。文書で示しなさい、といわれるのでしたら、「法戦」シリーズから挙げてもい
いのですがね。この出版物においては議論と直接関連が無く、相手をただ誹謗中傷する
だけの「悪口」が頻出していました。廃悪についてのあなたの見解をお示しいただきたい
と思っているのですが、いかがなものでしょうか?
756 :
名無しさん@1周年:02/12/10 20:00
誰か、親鸞会の方、教えてくれませんか?
なぜ仏法はお釈迦様が起源であるのに、それを伝えた親鸞上人、高森先生のほうをより尊敬しているのですか?
>>753 横レスになるかもしれませんが、私の見解を申します。
親鸞聖人は
「如来世に興出したまう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんとなり」とおおせです。
お釈迦さまは地球上に出現された人類の中ではもっとも尊いおかたです。
浄土真宗は仏教(=釈尊のみ教え)であるのでその見解は当然でしょう。しかし、
そのもっとも尊いお釈迦様は、ただ「阿弥陀如来のご本願」を説かれるために
地球上に出現なされた、と聖人はいわれます。
聖人は過去の大菩薩方、論師がたのご教示を相承なされて
そのご教示とおりに身をもって追体験なされ、われわれ末代の泥凡夫に対して
もっとも解り易くご教示くだされました。ですから釈尊も親鸞聖人もその出世のご本懐は
「自力を捨てて弥陀の他力に帰しなさい」ただひとつでしょう。
唯一絶対の善智識が存在する、などと主張してその唯一絶対の善智識の聴聞を
しなければ信心決定できないと主張している見解は「善智識だのみ」といわれても
しかたがないでしょうね。
>>692 >誰が化土へ行けるのか、とも何回かお聞きしていると思いますが。
仏、慈氏に告げたまわく、「若し衆生有りて、疑惑の心をもって諸々の功徳を修め、彼の
国に生まれんと願じ、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了せず、
此の諸智に於て疑惑して信ぜず、然もなお罪福を信じ、善本を修習して、その国に生まれん
と願わん。此の諸々の衆生、彼の宮殿に生まれて、寿五百歳、常に仏を見ず、経法を聞かず、
菩薩・声聞の聖衆を見ず。この故にこれを胎生といふ。(中略)當に知るべし。此の人は宿
世の時、智慧有ることなし、疑惑の致す所なり。(大経下巻)
釈迦、弥陀の二尊は真実経である大経にこのように化土と化土に生まれる衆生とその因果を
説かれています。私は誰が化土にいけるか、を問題にしているのではありません。
「一切衆生必堕無間」というご教示がもしあるのならばその仏語と、大経下巻の上記の仏語
は矛盾するのではないか、と問うているのです。それゆえ「化土に往生できる衆生は存在し
ない」または「一切衆生必堕無間」またはそれらを意味する仏語を示して下さい、と申して
いるのです。
759 :
名無しさん@1周年:02/12/10 20:11
>>757 わざわざレスしてくれてうれしいのですが・・。
今ひとつ、私の質問に答えてくれていないようです。
なぜ阿弥陀仏の本願を一番先に説かれたお釈迦様を会の名前にしないのですか?
なぜ親鸞上人になるのですか?
よく会員の方が、親鸞上人の教えーー云々を言いますが、正確に言うと、お釈迦様の教え・・・
といったほうがいいのではないのでしょうか?
>>759 小生は、過去に「浄土真宗親鸞会」の「浄土真宗」は不適切ではないのか、
とさえ書いことがあるものですから、あなたのご疑問にお答えするには適任な
立場とはいえませんね。
きっと現役さんが答えてくれることでしょうね。
「正確に言うと、お釈迦様の教え・・・といったほうがいいのではないので
しょうか?」おっしゃるとおりですね。
しかし仏教と申しましても無数の法門があります。
みな「縁起の法」を説き、目的は「解脱」です。
その無数の法門を区別するための「浄土真宗」であり、親鸞聖人のみ教えです。
だから無数の法門のなかでわたしのようなものにさえもっとも適した法門を
ご教示なされた親鸞聖人を仰がずにはおれません。
ただしその教の解釈はさまざまですから、このようなスレも立てられているのですが。
761 :
名無しさん@1周年:02/12/10 20:33
>>760 ご丁寧にありがとう。
私は仏法そのものにはとても関心があるし、親鸞上人の功績も日本の仏教史上において
やはり特筆されるものだとは思います。
ただ、やはり、仏教は一つであると思うし、各宗派が独自に名前を名乗る背景には、やはりどこかでお釈迦様がインドでとかれたものと
違う部分があるのではと思ってしまいます。
このことは親鸞会に限らない事ですが。
お釈迦様がいなければ、親鸞上人の教えもなかったわけですから・・・。
762 :
名無しさん@1周年:02/12/10 20:41
>>761 横スレ失礼します
これに関しては、私はs会の意見と同じなのでそれを言いますね
とは言ったものの、お釈迦様の教えと言うよりは
阿弥陀仏の教えと言った方がより正確なのではないかと思いますけどね(藁
阿弥陀仏の本願一つを説かれたのがお釈迦様ですが、元はと言えばそれは阿弥陀仏のお言葉と言うわけです
それを私たちにもわかるようにと、お釈迦様が説かれたのが本願成就文です
その本願成就文を噛み砕いて教えられたのが教行信証であり、親鸞聖人だという事です
元は阿弥陀仏のお約束ですが、それを私達に一番身近なところで分かるように教えて下されたのが
親鸞聖人ですから親鸞聖人のみ教え=仏教と言っても差し支えないと思います
まあ、その親鸞聖人のみ教えを現代の言葉で正しく伝えられるのがT森先生と言われていますけどね
誰が言ったんだなんて非難はなしね
『平成の善智識』と言われているんだからそういうことでしょう
それに関してはあなたの判断に任せます
>>756 ○お釈迦様よりも親鸞聖人を尊敬している、というのは
適切ではありません。
そのように教えられたこともなければ、思ったこともありません。
お釈迦様よりも、親鸞聖人のほうが、私たちにとって親しい、
身近である、と言うべきでしょう。
○親鸞聖人の教えは、釈尊の教え以外にありません。
親鸞会で教えていることは、親鸞聖人のみ教え以外にはありません。
あまり重要な問いではないと思いますが、以上のことだけは、
言っておきたいと思います。
三燈兵さんへ
あなたが現役で、後生の一大事の解決のために
聞きたいのならば、誠心誠意、支部長に聞かれるがよいでしょう。
こんなところで質問される気持ちがわかりません。
このサイトに顔を出している「親鸞会は間違いだ」と非難する
人たちと意見を同じにするのなら、あなたが、
正しい親鸞聖人の教えはこうだ、と明確にされたらよかろう。
767 :
名無しさん@1周年:02/12/11 00:26
ゴジラこと、ひさしぶり、またの名を新人太郎
正体がわかったぞ
768 :
ひさしぶり1:02/12/11 18:27
>>723 >「無漏善」というのは、出世間の涅槃法においてひろく、
善因となる(「自他が」涅槃を得るのに役立つ)善根のことです
だから「無漏善を重ねる出世の法」で「出世できないのは
何故ですか?」とお聞きしています。
「因となる」と「役立つ」では随分違いませんか?
「役立つ」なら「縁」もはいるのでは?
「おおよそ如来の教法はもとより無ニなり。ただ一乗の法のみ
あり、八萬四千の法門を説けるは衆生の根機にしたがえるなり。
されば実相円融の法と指方立相の教と、しばらくことなるがゆえに
、文にあらわれて一法とはいわざれども、実には仏智一乗のほかには
さらに余法なし。このまなこをもてみるときは『法華の文文句句みな
念仏なりと知らるるなり』」(決智抄)
諸菩薩の「自力修行の善根が因で、念仏三昧が縁」ならば
果である仏果は違って当たり前。それが聖道門ですよ。
「名号を因として光明を縁としてしか仏果は得られない」から
法華の修行で得られる仏果も名号法で得られる仏果も同じ
でありますから、『法華の文文句句みな念仏なりと知らるるなり』
になるんです。
769 :
ひさしぶり2:02/12/11 18:29
>「不動地」以上の菩薩は、漏(煩悩)の現行は無くなるので
(種子も完全に無くなるのが仏果)、後三地といわれて無学であり
無分別の智が働きますので「無漏の菩薩」とされます。
こういうことは聖人が言われたことではないので論議にするべき
ではないと思うのですが、私見として言わせていただけば
「不動地」以上の菩薩にも法執はあります。所知障うち第七識
と倶なるものは或伏或起の状態にあり仏果まで永伏することは
できません。法執に発する根本煩悩枝末煩悩は残っているんです。
無漏善ができるのは無漏種子があるからです。
無漏種子は有漏種子の識活動からできることはありませんから
この道を進むときにはアラヤ識に先天的に無漏種子をもっていなければ
なりません。無漏種子を持っていれば多生永劫の修行を重ねれば
仏果は得られるのですから、一切の菩薩方が「恩愛はなはだ断ちがたく」
と嘆かれる理由はなくなります。
770 :
ひさしぶり3:02/12/11 18:30
>教に約しては、聖道門の得道を否定されてないということでよろしいですね?
否定も何も釈尊の説かれた方便ですから。「方便というのは嘘ではない」とは
あなたも言っているじゃないですか。
機に相応しないので名号法でしか成仏できない、と言ったまでです。
>上機の方の沙汰は戯論だと
私達は祖師聖人の御教えに従って聞き求めればよろしいのです。
祖師聖人は「大小聖人みなながら」と仰っておられます。
「上機の方は別」とは言っておられませんね。
771 :
ひさしぶり4:02/12/11 18:31
>>728 >ここでいう諸行は、「観経の方便」と
は異なるというのは何故?
「十七条説法」という出典がわかりませんので
上人のお言葉のままに理解して答えさせていただきます。
法然上人は観経を廃立で見ておられます。
基本的に念仏に自力、他力を分けておられないので
観経に説かれている「廃すべき諸善」は、自力の念仏と他力の
念仏以外のすべての善です。
これは善導大師の釈相廃立の立場で解されたものです。
この諸善念仏廃立は諸師に対する対抗上説かれたのです。
親鸞聖人は善導大師の釈意隠顕の立場で観経を解釈されて
います。これは自他力廃立です。
「観経の定散諸善」には散善の念仏も入れておられます。
772 :
ひさしぶり5:02/12/11 18:32
>親鸞聖人の説と法然聖人の説は、同じといただいていますけど
私は法然上人の真意を明かにされたのが親鸞聖人だといただいて
います。法然上人が「信心正因 称名報恩」と言われていますか?
念仏諸善廃立で説かれている法然上人のお言葉と真仮廃立で
説かれている親鸞聖人のお言葉を混ぜて解釈すると
「(自力の念仏を含めた)諸善は時機を逸している」ことになりますね。
あなたはそういう見解だということでよろしいですか?
「自力の念仏は他力の念仏を抑えるから行自体廃さねばならない」と
いう見解ということでよろしいですか?
773 :
ひさしぶり6:02/12/11 18:33
>>728 >「『観経』の三心は定散二機の心なり」(『唯信抄文意』)
「ひそかに『観経』の三心往生を按ずれば、これすなわち
諸機各別の三心なり」(愚禿抄)
「三経の中に『観経』の至誠深心等の三心をば、凡夫の
おこすところの自力の三心ぞと定め、『大経』所説の至心
信楽欲生等の三信をば、他力より授けらるるところの仏智
と分けられたり」(改邪抄)
定機散機に限らず自力の諸機各別の心であることは
明かです。
>>729 >今「他力の信心」を得ることのお勧めですよね。
はいはい。そういうことを話しているのではないのです。
774 :
ひさしぶり7:02/12/11 18:34
>>730 >能修の心相が自力執心である信前の「雑行」(凡夫自力の心行)
とは所修の行体が異なり他力の「仏智証得の行体」であるということでよろしいですね
残念ながら、よろしくありません。
前回に「報恩行には往生の功はない」と言うことは確認済みですね。
行体が「他力の仏智証得の行体」ならば往生の功があるはずですが?
あなたの見解は変更ということでよろしいですか?
やっぱり本の丸写しかな?
>>731 >他の方のことは全くわかりません。
では「教えすすめる必要があるかどうか、親鸞聖人はどう言われているか
は知らない」ということでよろしいですね。
775 :
ひさしぶり8:02/12/11 18:35
>>704 >、時機不相応の聖道門に対して弘願門(浄土真宗)を勧めれれていて、『観経』の
方便を勧められているとは読めないのですが・・・。
「浄土の方便と聖道門の諸教は別に書かれてある」と私は言ったのです。
「愚禿抄」にも「難行聖道の実教、浄土本願真実の教
聖道権教、浄土の要門」と聖道門と浄土の要門は区別されています。
>「おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。
これを要門というふ。これを仮門と名づけたり。この要門・仮門といふは、
すなはち『無量寿佛観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。」(『一念多念証文』)
これは「聖道の諸教も観経の定散ニ善も要門である」といわれたお言葉ですね。
「要門は時機を逸している」というお言葉ではありません。
>仮門は全て廃捨して弘願を勧められてるののですよ。
話がごちゃまぜですね。
「弘願は信前にはわからない、知ることはできない」というのは
あなたが言ったことでしょう?
「方便をもって真実をあらわす廃立の義、よくよく知るべし」という
お言葉をよく読んでください。
方便がなければ真実をあらわすことはできない、それが廃立だ
との仰せですよ。
776 :
ひさしぶり9:02/12/11 18:36
>>747 >「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強
調する見解は厭離穢土をもって本となす聖道門自力ではないか
どこまで強調したら「本となす」ことになると判断されるのか
基準をお聞かせください。
まさか言ってはいけない、ということではないと思いますが。
欣求をもって本となす、何をもっての故に、
願力に由りて生死を厭捨せしむるの故なり。(愚禿抄 上巻)
このお言葉からは「願力に由りて生死を厭捨せしむる」のが
「欣求をもって本となす」ことだと解されますが、
「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強調すると聖道門になる
という根拠はどこにありますか?
777 :
ひさしぶり10:02/12/11 18:37
>>748 >1)「助正間雑」していない行者は、既に20願の行者ではなくて弘願の念仏行者では
>ないのですか?
20願は自力の唯称仏名です。
>2)あなたのいわれる「20願の行者」とは「要門を捨てて真門にはいり、難思往生を
>めざして修行している行者」のことではなく、「20願を充足して臨終来迎して化土往
>生した行者」という意味なのでしょうか?
行者というのは「行をしている者」です。20願の願意を満たして化土往生できる人です。
>3)ひさしぶりさんは末灯抄で説かれる「他力のなかの自力の人々」は存在しないと
>いう見解でしょうか?
どういう意味でしょうか?定心念仏の人が20願ということですか?
質問の意味がわかりかねます。
778 :
ひさしぶり11:02/12/11 18:39
>>750 >「二十願真門に回入」された、と告白しておられます。
これは20願の願意に相応した、という意味だと
あなたは解釈している、ということですか?
>>751 >聴聞による脚下照顧が大事なのでしょう。
「聞法は善ではない」ということでよろしいか?
>>752 >実践不能の難行苦行の六度万行
「六度万行」と言う言葉について誤解があるようなので一言。
「六度」というのは「六波羅蜜」のことで「布施、持戒、忍辱、精進
禅定、智慧」を意味しますが、「六度万行」というときは
「六波羅蜜」はすべての善の根本なので、
開けば万行、閉じれば六度になり諸善万行を意味します。
とくに浄土門では念仏以外のすべての善行を意味しており
聖道門でいう六波羅蜜十波羅蜜とは意味が違います。
この六度万行を「親切」などの言葉で表現することを
「出世善を世間善におとしめた」などと批難しているひとも
ありますが、現代語の表現としては「なさけぶかさ」等の
表現例を中村元先生も採用しておられたことから考えても
的外れの批判としか言えないでしょう。
779 :
ひさしぶり12:02/12/11 18:40
>>486 >「六度万行」は、s会において「獲信と良い関係であるか
らやりなさい」「宿善になるから励みなさい」と指導されているのですか
ら出世間善として指導されていると理解しております。
すべてはこれですね。
「宿善」がわからないから、「出世間善として指導されていると理解しております」
なんて勝手なこといえるのでしょう。
誰が「善を積めば往生できる」と言いましたか?
勝手な理解としかいいようがありません。
780 :
ひさしぶり13:02/12/11 18:43
>真宗では聖人がこれだけ懇ろに「雑行を捨てなさい」とご教示なされている
以上、「自らが身をよしと思う心」(唯信抄文意)がなければ実行できない
自力の修善
「自力というはわが身をたのみわが心をたのむ
わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむ人なり」(一念多念文意)
自力のある間は善根をたのまないことはありえません。
倫理道徳の善をしても「してやった」というこころは離れませんし
浄土往生を願うひとならば「これだけやっているから化土ぐらい
はいけるだろう」と計らうこころが必ずあるのです。
781 :
ひさしぶり14:02/12/11 18:44
「如来とまうすは諸仏をまうすなり。乃至。真実の利とまうすは、
弥陀の誓願をまうすなり。しかれば諸仏の世にいでたまうゆえは
弥陀の願力をときて、よろずの衆生をめぐみすくわんとおぼしめすを
本懐とせんとしたまうがゆえに真実の利とはもうすなり。しかれば
これ諸仏出世の直説とまうすなり」(一念多念証文)
「修善をすれば自力に執することになる」なら
「弥陀の本願を説くことを出世の本懐とされた諸仏方が
何故、廃悪修善を説かれたのですか?
善導大師も「上、海徳初最如来より、乃至今時の釈迦諸仏皆
弘誓に乗じて悲智ならべ行ず」(法事讃)と仰って
「十劫の昔までだけではなく、最初の仏から今日の仏に
至るまで皆弥陀の本願に乗じて自分も正覚を獲て、
衆生も済度される」との仰せです。
本願の邪魔になる修善をなぜ説かれたのですか?
「諸善が念仏を抑える」というのは「自力のある間は
他力になれない」ということです。
信後も人間の善はありますから。
782 :
ひさしぶり14:02/12/11 18:45
>>758 >私は誰が化土にいけるか、を問題にしているのではありません。
化土を問題にされたのはあなたですよ。
信巻にあるように「一切の群生海」が「真実の心なし」で疑情をもって
いれば19願20願に相応しないかぎり、地獄行きですよね。
本願寺も「反論文」に「信心を獲なければ地獄行きであることは
いうまでもない」という文意で認めていたと思いますが。
783 :
名無しさん@1周年:02/12/11 18:47
親鸞自体が仏教の落第生で、「私はただの馬鹿でハゲなオヤジです」
と言ってたのだから、そんなものを拝むほうがおかしいんだよ。
784 :
名無しさん@1周年:02/12/11 18:52
北朝鮮見てキズカナイッすか?????
アノ親子クリソツジャン!!!
785 :
祭り大好き!!:02/12/11 23:03
>>768 「役に立つ」は、善因縁となるということですから縁も入るのでは? 諸菩薩の御廻向を
受けることなども含まれると思います。「功徳」になるということですね。
>果である仏果は違って当たり前。それが聖道門です。
えっ!! それは、聖道門の何という教えですか?? 諸機各別の自力修行が因ならば、得道の遅速
に差別はありますが、仏果がそれぞれ違うというのは初耳です。
ここで引用されている『決智抄』の御文こそ約教の場合の「聖淨一致」を言われた御文ですね。
>>703 でも言いましたが、「一仏乗」は、「浄土門」も親鸞聖人云われる「聖道実教」(法華、華厳、真言、仏心等)
共通での教えですよ。「法華の文々句々みな念仏なりと知らるるなり」は、われわれが、浄土門で仏智を
いただいた時に知らされるということで、別に存覚上人は教に約しての聖道実教の得道を否定されてるわけでは
ないですよ。
786 :
祭り大好き!!:02/12/12 00:17
>>769 私見ということですから、質問してもあんまし意味ないかもわかりませんが、一切の菩薩乗が、
無始来、本有の無漏種子の依付のない「無性有情」=「一闡提」であるということでしょうか? あまり
聞かない説ですね。無漏種子には二乗・菩薩定性の三乗の場合、それぞれ「灰身滅智」「菩薩乗=仏乗」
の各別があり、これに不定性の四種を加え、無性の果報たる人・天も加えて五性の差別を説いている。
そのうち、菩薩定性は成仏し、二乗・菩薩の不定性は、廻心至大乗の後成仏するが、二乗の定性と二乗のみ
の不定は、二乗の無漏種子しか無い為に、不成仏で「無余涅槃」=「灰身滅智」入寂の果に入るが、無性有
情は無漏種子の依付が無く人・天の果報しか無いというのが、「五性各別説」ですが、これを否定したのが、
「一仏乗」で親鸞聖人もこの立場であると前に言われてましたね(
>>683)。
>>768で言われる果報が異なる
聖道門というのはもしかして親鸞聖人が権教とされる三乗差別の(二乗不成)のこの説のことでしょうか?
しかし、これでも仏果が異なるとはありませんね。無始来の「無漏種子」を持たない人・天の果報のみの実質、
無性有情の菩薩乗?が、我執を断じ、不動地に至り、「無漏相続」となることは有り得ませんので、不動地とい
う果報あるいは、十地という聖道の果報が実在しないということでしょうか?? しかし、親鸞聖人はどこにも
そんなことはいわれてないと思いますが・・・。
787 :
祭り大好き!!:02/12/12 01:27
>>771-772 「釈相廃立・釈意隠顕」というのは、善導大師の廃立釈の当相の釈文の意味に隠顕があり、親鸞聖人は、
その密意をとられたということでよろしいですか? 念仏諸善廃立と真仮廃立は別ではないでしょう。
寧ろ、念仏・諸善廃立ではっきりしなかった真と仮(自力と他力)を親鸞聖人は廃立されたわけで、法然
上人が善導大師の当面の正・雑廃立(五正行)から釈意の「称名正定業義」を鮮明にされたのを受けられ、
さらに法然上人の念仏・諸善廃立から、真意の「信心為本」を鮮明にされたわけですね。しかし、念仏に真・仮
あること明らかにするだけでなく諸行との関係もあきらかにされたのには、善導大師と法然上人の釈相の相違に
対する聖道門諸師の批判が背景にあったわけです。同時代の明恵上人も(『摧邪輪』他参照)少し後の日蓮聖人も
(『守護国家論』他参照)法然上人が善導大師の教えからも背いていると批判されています。『興福寺奏上文』を
起草されたといわれる解脱上人の上足・良遍僧都もこれこそ善導大師の本意として『善導大意』を表されています。
そこで法然上人が当面『観経』一巻を竪に経末の付属持名の念仏為宗より逆見され、順見の定散諸善の観仏為宗を
廃されたのを、横に三経を三願に配当して裁かれ顕には、随他の要門定散仮門、真門自力称名をとくとも、隠には、
随自弘願念仏が説かれているとし、観小二経(特に法然上人の釈された『観経』)の文々句々に廃立ならざることの
無いことを示されたのです。
788 :
祭り大好き!!:02/12/12 02:43
>>771-772続き
従って親鸞聖人は、善導大師や法然上人の真意(他力弘願念仏)をあきらかにする為に、釈意の隠密
の意をとられたのですから、顕説では、散善の一つである念仏が、実は付属持名の念仏であり、それは選択
本願の弘願念仏であること。顕説では、自力念仏であるが、実は、他力本願の念仏であること
をあきらかにされたのですから、親鸞聖人は、法然上人が諸善に対して廃立された念仏の真意が、弘願念仏
であるとされているのですから『観経』の念仏(付属持名)は、実義でいえば他力の念仏です。『大経』は、
法実・機権。『観経』は、法権・機実ですから顕義の権仮の法相を廃捨されているのであって、実義の念仏
を廃されているのでは勿論ないし、『観経』における念仏は、諸行に相対したものですから、その真義は、他力
念仏ですが、念仏自体の自・他力は、ここ要門での権・実廃立では判りにくいですが。親鸞聖人は、当面の十九
願のところで「これによりて方便の願(十九願)を案ずるに、仮あり真あり」と方便願と真実願の差別上ではなく、
方便願の当位で真・仮廃立され、「またこの『経』(観経)に真実あり。これすなはち金剛の真心を開きて、摂取
不捨を顕さんと欲す。しかれば濁世能化の釈迦善逝、至心信楽の願を宣説したまふ。報土の真因は信楽を正とするが
ゆゑなり。」(『化身土文類』)と十九願『観経』の方便の真意は、十八願弘願念仏であることをあきらかにされて
います。親鸞聖人の教化は、機実(五逆の悪人)に法実(十八願の南無阿弥陀仏)を勧められたものであることもあ
きらかです。機実は釈尊の言明です。私が知る知らぬとに関わりません。機実を知らぬものの為に要門を勧められた
のではありません。仮門の方便としての摂機・調機の用はお認めですが、われわれに勧められたのは、選択本願のお
六字(南無阿弥陀仏)ただ一つです。
789 :
祭り大好き!!:02/12/12 03:11
>>770 「大聖おのおのもろともに、凡愚底下のつみびとを」とも言われてますね。凡愚底下のつみびとである
自分にしか関心ないですね。
>>773 『改邪抄』の凡夫の三心は、仏智と相対したものですから、底下の凡夫の意というより、仏に対する自力
総体の意だと思われます。仏に対しては一切衆生が凡夫です。地前の菩薩も凡夫というのも何度か言いましたね。
>はいはい、そういうこと・・・
どういうことでしょうか?
790 :
祭り大好き!!:02/12/12 04:10
>>774 先ず、あなたの大行論と報恩説についての見解が不明ですね。「能所不二」などといわれている
ところみると豊前説に近いのな? それに五念非相発説だし。私は、報恩行は、法体大行の法体
に契当する相を持し、法体を顕現する故に法体大行に摂せれれるが、衆生の能行を以って「往生
行」たる大行とするのではないという説に一番妥当性を感じると述べました。この説も能所即所
行ですから「能所不二」説は同じですね。能所不二なら行体は一つですね。称名と前三後一は違う
というのでしょうか? 他力であれば、行者の能行は、往生行ではないが、所行は、法体であるか
行体は「仏智証得の行体」=往生の行体となりますね。ですから能行も所行に摂せられて法体の徳相
を顕すことになります。まあ、これは称名の話ですが、五正門を報恩行とする説でも他力に催される
行である限り原理は同じでしょう。他力でありながら行体が、法体大行(御名号)でない行とは何で
しょうか?
791 :
祭り大好き!!:02/12/12 04:49
>>790訂正
誤り 五正門 誤り 法体であるか 誤り 能所即所行
正解 五正行 正解 法体であるから 正解 能行即所行
>>775 >方便がなければ真実をあらわすことができない・・・・
だからこそ、仏様が方便をもってあらわしてくださった真実にいま入らせていただけるのじゃないですか?
>区別されています。
だから、どこにいまから、「観経の方便」に入ることをお勧めでしょうか?因みに先哲のお一人は、「観経方便
の願功に始終の二転があり、始転に約していえば、聖道の機類を引いて浄土の要門に入らしむることで、終転に約し
ていえば、すでに要門に入った機を弘願真実に通入せしめる。」とお示しですね。
>>774 >では「教えすすめ・・・
親鸞聖人はどう言われてますか?
ふわ~! テツマン終了! 今日休みでよかった。昼まで寝ます。おやすみなさい。
792 :
祭り大好き!!:02/12/12 08:13
>>769に補足
寝付けなくなったのでw補足します。ここで言われてる「能遍計第八識説」(法執・所知障が、
八識まで残る)は、スティラマティの説(『大乗中観釈論』『中辺分別論復註』他)ですから、
「五性各別説」は、「能遍計第六・七識説」のダルマパーラの説(『成唯識論』)ですから、一緒
にするのはおかしいという指摘がありそうですが、この説でも我執・煩悩障は、第六・七識で退治
されうる能遍計なので不動地の菩薩は、煩悩障は、伏(現行)・断(種子)・捨(習気)しており、
無漏種子の現行なしには考えられないでしょう。その無漏種子につきましては、唯新薫、唯本有の両説
に折衷説があり、ダルマパーラの折衷説が通説とされています。無始来の聞薫習の種子の増上縁によ
り阿頼耶識に基ずく世界は転依され、聞薫習の種子の漸増が、阿頼耶識の漸現を導くという漸教の世
界ですから、無始来の聞薫習を認めるには、無始来の本有の無漏種子をある程度認めなければ、無始来
の菩提道が、無因で生起したことになりますからね。ここに「行仏性」の根拠を置かざるを得ません。念仏
者としては、法界遠流の正法の当体に弥陀法を置きたいところですが、精々「理仏性」ということになりますね。
天台でいうところの「正因仏性」ですね。了縁二性は(唯識でいう理仏性は)、阿弥陀様の場合、真実の仏智と
因位の万行に当たりますから、漸教とはなりませんね。ですからやはり菩薩乗においては、無始来の本有の無漏
種子を認めないと矛盾するわけです。
、
793 :
祭り大好き!!:02/12/12 08:16
>>792訂正
誤り (唯識でいう理仏性は)
正解 (唯識でいう行仏性は)
794 :
祭り大好き!!:02/12/12 08:22
>>793訂正
誤り 了縁二性
正解 (了・縁)因二仏性
795 :
ひさしぶり:02/12/12 12:56
質問は短いのに長ったらしい文章ばっかり続くのは
言い訳していると思うひとがいても仕方ないですね。
>>731 > 他の方のことは全くわかりません。
すべてはこの一言で終わっているのではないですか?
あなたがどう信じていようと勝手かもしれないが
「他の方」にも説かれている聖人の御教えは「全くわかりません」では
何を書いても無責任な論説であると判断されても仕方ないでしょうね。
>>765 ゴジラさん
はあー、あなたに聞いたのがそもその間違いでした
人の書き込みをまったく読まれていないようですね
あなたは自分では何も答えることができないくせにえらそうにいうだけの仔牛の一人なのか
それとも、それらの仔牛を裏で操っている患部上司なのか
まあ、渋長に絶大な信頼を寄せている人なのかもしれませんがね
どちらにせよ、私の質問の回答はしていただけないということだけ分かりました
だから、渋長からの報告の中に私の名前が出てくることはないですよ
待っていても無駄です
まあ、できれば、あなたにはこんなところでしか質問できないような会になってしまったことと
その下位にいる末端誨淫の気持ちを汲み取るぐらいのふところの広さを願いたいものです
まあ、戯言として聞き流してくれても構いませんが
797 :
祭り大好き!!:02/12/12 22:46
>>792訂正
誤り 阿頼耶識の漸現
正解 阿頼耶識の漸減
誤り 法界遠流
正解 法界等流
>>795 >質問は短いのに・・・
読まれる方の見方はいろいろでしょうね。
>すべては・・・
他の方がどうして仏縁をいただいたか(いただいてないか)は全くわからないのは事実ですからね。
798 :
祭り大好き!!:02/12/12 22:58
元s改印さん及び他の方(どなたでも)お願い。
元s改印さん、いつも勉強させていただいております。今後もよろしくお願い致します。
さて、私は明日から、数日間旅行に出ます。その間は、ROMることも難しいと思います。
その間に倉庫落ちしていたらログされたりされておりましたら、お構いなければ、ご協力
お願いしたいです。誠に勝手で我儘なお願いで恐縮至極です。今のペースなら大丈夫っぽいで
すけど何しろここに限らずs会関連スレは、終了が迫るとQマークでも出るのかw、途端に
ハイスパ(プロレス用語しかも元隠語スマソ)になる傾向ありますからね。重ねて宜しく
お願い致します。
799 :
名無しさん@1周年:02/12/12 23:20
>>795 漏れにして見れば
・ダミーサークル勧誘
・M貼事件
・無理矢理な製本同GHS
上のどれか一つでもs会は終わってると思うけどな。
カルトと判断されても仕方がない。
800 :
名無しさん@1周年:02/12/12 23:42
800
801 :
一懐疑現役:02/12/12 23:49
私思うんですが・・・。
s会のバリバリ現役さんは、法論の際s会の書籍に根拠を求めよなど
s会の中に根拠を求めようとしてるんですね。
これって、相撲で勝負しようとしている武蔵丸にプロレスの技をかけるボブサップみたいなものです。
教学聖典に法論の根拠になるものはという問いにしっかり「一切経」と解答があるじゃないですか。
なぜ、一切経に根拠を求めよとならないのですか?なぜs会書籍を根拠にとなるのですか?
これって、繰り返しいいますがリングで相撲をせよというのと同じですよ。
相撲をするなら正々堂々と土俵でしましょうよ。
>>798 祭り大好き!! さん、こんばんは。
こちらこそ宜しくお願い申し上げます。
ご丁寧にご挨拶いただきましたが恐縮しております。
「いつも勉強させていただいております」のは寧ろ私の方でありますので。
今後とも祭り大好き!! さんの足をひっぱりそうな気配がありましたら
容赦なくご教示いただければ幸甚です。
ご旅行中におけるスレの「ハイスパ」進行に備え、
まめにロムるように心がけますのでご安心ください。
それではお気をつけてご旅行ください。
ひさしぶりさん、もしこのレスをお読みでしたら、
現在レス作成中でありますのでいましばらくお待ちください。
いやあ、ひさしぶり氏いいですね。
親鸞会を必死に守ろうという気迫が伝わってきますよね。
彼は根が素朴で何事にも一生懸命な男なのです。
精神年齢の低さは大目に見てやってくださいね。
>>778 >「聞法は善ではない」ということでよろしいか?
然るに、「経」に聞と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無
し。是を聞と曰うなり。(信巻)
「横超」とは、即ち願成就一実円満之真教・真宗是れなり。(中略)一念須臾の
頃、速やかに疾く無上正真道を超証す、故に「横超」と曰ふなり。(信巻)
浄土真宗の至極は願成就文ですね。それゆえ親鸞聖人は「聞其名号」を勧められ
ています。聖人の見解は聞即信でこれは他力の信心です。「聞」は他力であるゆ
えに自力の諸善万行ではありません。自力が廃らなければ名号=仏心を受け取る
ことはできません。
>>778 >「六度万行」と言う言葉について誤解があるようなので一言。
>現代語の表現としては「なさけぶかさ」等の表現例を中村元先生も採用
あなたの教学体系では中村元先生はよろしいようですね。ところで中村先生は
初期(原始)仏教がご専門と思ってましたが、私の記憶違いでしたっけ?
「慈悲に聖道、浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、
かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、き
わめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈
大悲をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。」(歎異抄)
聖人は龍樹菩薩や曇鸞大師の三種の慈悲(衆生縁、法縁、無縁)を熟知されて
いたにもかかわらず、慈悲を二種に分けられたご真意が本当にわかっておられ
るのですか?
1)あなたが採用される中村先生説「なさけぶかさ」は聖道の慈悲ですか?
浄土の慈悲ですか?お答え下さい。
>>805(つづき)
大乗仏教がご専門の三枝先生は中村先生との共著でこう言われてます。
「六ハラミツとその全体を統括する般若ハラミツという完結された形に整備されて
ここにはじめて大乗を宣言する般若経が登場した、という粗筋が素描される。」
どなたか親切なおかたが既にご指摘されていましたが、六ハラミツのなかでは般若
ハラミツが最も重要であるのは大乗仏教のイロハですよね。
2)s会においてはなぜ勧誘と財施に代表される布施のみを異常に突出させて勧め
ているのかその理由がありましたらご説明ください?。そして、
「更に、各ハラミツの説明に、般若ハラミツによる裏づけが明確に論述されている。
夫れならば、般若ハラミツとは何か。それは、般若すなわち智慧のハラミツ(完成)
であり、また般若により、般若を内容とし、般若に基づくハラミツ(到彼岸)であっ
て、その般若とは次に述べる空の思想であり、それの徹底が般若ハラミツにほかなら
ない。そしてこの般若ハラミツが、布施ハラミツ以下のそれぞれにあまねく浸透し、
たとえば単なる布施を大乗の布施ハラミツたらしめる。」
失礼ながらあなたの日本語読解力については少々疑問をもたざるをえませんので、こ
の部分を要約いたします。あなたのおっしゃる「なさけぶかさ」で象徴される単
なる布施は般若の智慧=空の徹底がなければ布施行たりえない、布施行として成立し
ないということが書かれてあります。(つづく)
>>806(つづき)
さらに、
「ここにあげた空の思想は(中略)『こころにとどめつつも、とらわれるということがない』
『とらわれない』『無執着』と解される」
「したがって、たとえば布施は、(中略)『空』の思想の徹底した般若ハラミツに裏づけられ
ると、右の三つ(施者と受者と施物)はいづれも『空』であり、執着は消えて、施者においては、
布施した相手の受者に対しても、布施した施物にも、いっさいとらわれない、というあり方の布施
ハラミツが実現される。」
3)ひさしぶりさん、『空』の思想によって裏づけられて徹底した三輪清浄でなければ布施ハラミ
ツは実現しない、という文意ではないのですか?あなたの解釈はちがうのですか?
>浄土門では念仏以外のすべての善行を意味しており
4)あなたがこのように主張されるのならば、どの学者の説なのか根拠を具体的に
示すべきではないのですか?私は世間で認められている学者の根拠を示しましたが、
あなたは示せないということでしょうか?あなたは「オレの見解は本願寺でも認め
られている」などと何度も言われますが、「本願寺で認められている」という意味
が理解できません。以前誰か(たしか祭り大好き!!さん)が皮肉っておられまし
たが本願寺では金太郎飴のように切り口がみな同じ主張なのですか?到底理解でき
ない主張ですが。「あなたはどちらの方でしょうか?」「本願寺のほうから来まし
た」(笑)という問答同様あまりに根拠が曖昧過ぎです。
>>776 >>「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強調する見解は厭離穢土を
もって本となす聖道門自力ではないか
>どこまで強調したら「本となす」ことになると判断されるのか基準
s会では「一切衆生必堕無間=後生の一大事」をきわめて強調する見解
であることは明々白々であることは、あなた以外会員は大半が認められ
ると思っております。あなたの見解はs会の見解とは異なっているもの
と理解させていただきます。
>「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強調すると聖道門になるという根拠はどこに
竪出とは難行道の教なり、厭離を以って本と為す、自力之心なるが故也。(愚禿抄下巻)
まあ、「強調とはどこまでをいうのだ、その境界線を言え」、などとまた返されるので
しょうが念のためお尋ねします。
「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強調する見解こそが「厭離」ではないのでしょうか?
蛇足ですが、あなたのあげられたご根拠は愚禿抄上巻には見つかりませんでしたが。
>>782 「もし胎生辺地に生まれても五百歳を経、あるいは億千万衆のなかに時にまれに
一人まことの報土にすすむとは見えたり。」(唯信抄文意)
「一切衆生必堕無間=後生の一大事」説の反証をもうひとつあげておきました。
今までもお聖教から根拠を種々あげてきましたがこれだけ反証をあげればもう充分
だと思うのですが。あなたのお好きな山辺・赤沼師も「阿弥陀仏の浄土に生まれん
とする人々の中に、此国(懈慢界)に貪着して進むことのできないものが甚だ多い
というてある。」とあるのですが。
>>777 >質問の意味がわかりかねます。
真実に二種あり。(中略)二つには利他真実なり。易行道、浄土門、横超、如来の
誓願・他力なり。横出、他力のなかの自力なり・定散諸行なり。(愚禿抄)
「横出」は、正雑・定散・他力のなかの之自力の菩提心なり。(信巻)
要弘相対において横出の当益はありえないということでしょうか?
>>777 善導大師は、「仏教多門にして八万四なり。正しく衆生の機不同なるが為なり。
安身常住の處をもとめんとおもわば、先ず要行を求めて真門に入れ、と」
(化土巻、般舟讚引用)と仰せです。」
先ず、「安身常住の處をもとめんとおもわば」から、この御文は信前のもののた
めにご教示なされた御教えであることを確認しておきます。まさかひさしぶりさん
は「要行」の義を要門の意味である、などとは解釈されませんよね。
もちろん「要行」とは「念仏の一道」という義でしょう。無常迅速の機は、要門な
どに迷っておらずに弘願という大目的を達するために速やかに方便の真門にはいり
なさい、と懇ろにお諭しですね。真門にはいれば果遂の誓いゆえに弘願に転入させる、
とのお誓いなのですから。20願の意に添えるものは存在しないとか、
「20願は助正間雑してはならない」といって「まず要門から入りましょう」と要門
を勧めるのは真宗とは言えない、と申しているのです。
>>782 >化土を問題にされたのはあなたですよ。
相変わらずひとの書いたものをきちんと読まれておらず残念です。もう一度お尋ねし
ます。「一切衆生必堕無間」というご教示がもしあるのならばその仏語と、
>>758に
引用した大経下巻の仏語は矛盾するのではないか、と問うています。
それゆえ「化土に往生できる衆生は存在しない」または「一切衆生必堕無間」または
それらを意味する仏語を示して下さい。
>>781 >「弥陀の本願を説くことを出世の本懐とされた諸仏方が何故、廃悪修善を説かれた
その問いに対してはすでに法然上人が明瞭にお答えです。
念のため親鸞聖人のご文もあげておきます。
「何が故ぞ直に本願念仏の行を説かずして、煩わしく非本願の定散諸善を説くや。
答えて曰く、本願念仏の行は『巻経』中に委くすでにこれを説く。故に重ねて説
かざるのみ。また定散を説くことは、念仏の予善に超過することを顕さんが為なり。
もし定散無くば、何ぞ念仏特り秀でたることを顕さん(中略)故に今定散は廃の為に
しかも説き、念仏三昧は立せんが為にしかも説く。)(選択集)
すでにお答えしたように、弘願の念仏が廃悪修善の散善に「超過することを顕さんが
為」に説かれたのです。そして、釈尊も廃悪修善の散善は讚歎しておられません。
「上の三輩の中に菩提心等の余行を挙ぐといえども、釈迦すなわち余行を讃歎せず、ただ
念仏において、讃歎して無上功徳と云う。(中略)また上に余行諸善を挙ぐといえども、
釈迦選択して、ただ念仏の一法を留む)(選択集)
「初めの義は、すなわちこれ廃立の為に説く。謂く諸行は廃の為に説き、念仏は立の為に説く。
次の義は、(中略)。後の義は、(中略)。今もし善導に依らば、初めを以て正と為すのみ。」(選択集)
「諸行は廃の為に説かれた」と仰せの法然上人のご真意をご相承なされた聖人は次のように諸仏方が
少善根少福徳の諸善万行を貶斥なされたとご教示ですね。
恒河塵数の如来は万行の諸善きらひつつ
名号不思議の信心をひとしくひとにすすめしむ(浄土和讃)
■◇■y-~~~皆の衆!歪覇王様にひれ伏せ!
>>810 訂正
誤・・・それらを意味する仏語を示して下さい。
正・・・それらを意味する仏語の典拠を示して下さい。
814 :
ある通行人:02/12/14 08:14
>>810 横スレ失礼します
>「一切衆生必堕無間」または それらを意味する仏語を示して下さい
ある仔牛が言っていたことですが、T森師も、『一切衆生必堕無間』なる根拠はないと言っているそうです
ですが、一切経の結論から言えば『一切衆生必堕無間』と言っても過言ではないとの事らしい
だからどれだけ探しても、「このお経のここにある」なんて返事は期待できないかと思いますよ
ですが、観経に『一切衆生応堕無間』という文があるのは確かですけどね
あと、異訳本の19願のところに、大経19願の『菩提心』を『アノクタラサンミャク三菩提心』とあったんですが、
その心を起こして諸善をできる人だけが化土にいけると言うことなのではないかと思いますが
今は時間がないので異訳本については後で書きますね
しかし、まあ、観経のみ教え=19願と言うことは、上記の二つをふまえると
19願の教えとは『まことの菩提心を起こし、諸善を修めて化土に生まれることのできない一切の衆生は
必ず地獄におちる』という事でしょうか?
なんか聖道門みたいな教えですね
ですが、観経には『廃観立称』と締めくくられていますね
ここが分かれ目ではないのでしょうか
私見では、ここが、親鸞聖人をして「論主の解義を仰ぎ・・・」と言われた三願転入のご文につながると思うのですが
如何なものでしょうか?
815 :
名無しさん@1周年:02/12/14 09:04
>ですが、観経に『一切衆生応堕無間』という文があるのは確かですけどね
探してみたけど見つかりません。どこにありますか?
816 :
ある通行人:02/12/14 10:03
>>815 ごめん勘違いだった
『応堕地獄』だった
下品中生のところに
『かくの如くの罪人、悪業を持ってのゆえに応に地獄に堕すべし』とあります
失礼しました
間違いを正していただいてありがとうございました
でも『一切衆生』ではないですね
確かなんて書いて本当にすみませんでした
でも、仔牛の中でこれを知っている人はこれを『必堕無間』と同義に捉えている人が多いのは確かですがね
そのように言われたことがありますので
誰かとは言いませんけどね
となると、一切衆生必堕無間に相当する根拠はいったいどこにあるのやら
次回から根拠に当たる事を書き込む際には細心の注意を払うようにします
では
817 :
ある通行人:02/12/14 10:28
>>816 もしかしたら、下品下生に
『悪道に堕し、多劫に経歴して、苦をうくることきわまりなし』
とあるのがそうなるかもね
どちらにせよ善(仏になるための因)を修する事ができない我々は悪道に堕す事は間違いないでしょう
そこで、仏果を証するために自力の修行をすれば助かるというのが聖道門ですよね
しかし自力を捨てさせる(善のできないものだと言うことを知らしめる)ために善をせよと言うのがs会の言う親鸞聖人のみ教えということですか
しかし、善ができないものだと言うことが知らされた時が救われた時というのであれば20願は必要ないのでは?
20願に入ると自動的に一念に至るのか?
そうなると18願と20願はつながっていることになるし
果遂の誓いといってもそういうものではないでしょう
うーん、どう考えても20願を通る必要がないような気がしますが
一切の善が間に合わなかったと知らされた時=称えた念仏がひとつも間に合わなかったと知らされた時なんですよね
どういうことなのか教えてください???
>>814 >ある仔牛が言っていたことですが、T森師も、『一切衆生必堕無間』なる根拠はないと言っているそうです
>ですが、一切経の結論から言えば『一切衆生必堕無間』と言っても過言ではないとの事らしい
もしそうなら、自分の解釈をさもお釈迦さまが言ってたかのごとく教えるという
大反則を会長自ら犯していると言うことになるが・・・
しかもそこは、s会の教えの中核部分の1つでもある訳だし。
>>818 言葉よりも意味が大事なことを知らないのですか。
蓮如上人が
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして
無間地獄に堕在すべきものなり」
と『御文章』に言われているのも、大反則ですか?
>>801 親鸞会の書籍に根拠を求めよ、とは、
「親鸞会では、こう教えているではないか」
と非難をしたいならば、ちゃんと書いてあることを根拠に
言いなさいという意味でしょう。
親鸞会の主張をろくに知らずに、非難する人があるので、
批判したいならば、相手の主張をよく読んでからにすべきだと
言われているのですよ。
>>796 三燈兵さんへ
私なら疑問があれば、担当の講師の方にお尋ねしますよ。
当然でしょう。
目的がほかにあるのなら別ですが、
出世の本懐を果たしたいあなたなら、そうすべきでしょう。
>>821 ゴジラさん、御忠告ありがとうございます
しかし、それをするには一つ重大な問題があるんですよ
それは、私の渋長やその他、仔牛と言う人たちを信用できないと言うことです
別に、最近の不倫がどうとか、浄財の使い込みがどうとか言うことで、というわけではなくて
なんと言うか、本能的というか、入会当時から求道による質問は、自分で解決してきましたし
(中には座談会の質問に書いたこともありましたが)
教学的な質問は以前にうやむやにされたことにより、自分で親鸞聖人の書かれたものを読んで解決してきました
さらに言えば仔牛の方の難しいことは避けようとする保守的な姿勢に聞こうと言う気がまったくしません
でも、どうしても私の中だけでは結論が出ないこともありますのでここで聞きたいと思って書かせていただいたんです
>私なら疑問があれば、担当の講師の方にお尋ねしますよ。
>当然でしょう
その当然のことをしたくなくなるような窮屈な環境にあるんですよね
実は・・・
それだけでなく本気で求道をしている人なら聞きたいと思いますがそのように見える人がいないんですよね
自惚れといわれるかもしれませんが、私の目にはそのように映ります
だから誰がなんと言おうと聞こうと聞く気がしないんですよ
だからお願いしますよ
おい、おまえら
■永遠の命■を欲しくないか?
詳しくはこのサイトに載っているぜ。
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm 石原の隠し子 関連スレ
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/mayor/1032166274/l50 おれのにも書けよ!
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/musicnews/1038739531/l50 おれのダチもヨロシクな。
http://music.2ch.net/test/read.cgi/classical/1037874647/l50 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■,,,,,,,,,,,,,
824 :
名無しさん@1周年:02/12/14 19:49
お釈迦さまは、マーヤ婦人の脇の下から生まれてきた。
しかも生まれてすぐに七歩歩いて、天上天下唯我独尊といった。
と教典に書いてあるという。
これが現実の話だったら、お釈迦さまって何者なんだろう。
教典の解釈って色々あるけれど、何が正しいんでしょうか?
825 :
名無しさん@1周年:02/12/14 22:22
さあってと
真摯な求道者さんの疑問に対して
ゴジラはどう答えるのか楽しみじゃわい。
826 :
名無しさん@1周年:02/12/14 22:26
>>824 あのう、どうでもいい横レスなんですが。
実際に新生児が七歩歩くことはありえないことじゃないそうですよ。
そして反射として片手を上げることは、しばしば見られるらしいです。
827 :
名無しさん@1周年:02/12/14 23:24
門外漢なのでよく判らんが、キリスト教と称する教団でも聖書解釈に色々あって、
ヨハネの黙示録という新約聖書の一節を、文字導理に解釈して神(善)と悪魔(悪)との
最終戦争(ハルマゲドン)だという怪尺をしている震工宗教があるという。
既成教団などの伝統的な解釈からは、異端とされているそうだけれどね。
その教団の信者は、「聖書に書いてあることであるから絶対の真理」だということでハルマゲドンに
生き残るために、懸命に崩死活動をしているそうだよ。
オットロシイ~。
828 :
名無しさん@1周年:02/12/14 23:36
>>821 >私なら疑問があれば、担当の講師の方にお尋ねしますよ。
>当然でしょう。
これって私は善知識だのみの異安心をやってますよという宣言に聞こえるのは俺だけか?
親鸞学徒という人たちは犬鉄は勿論、どんなDQN仔牛でも盲目的に尊敬するからな。
その仔牛の人間性や行動は度外視して。(たとえ浄財使い込んで部下と御万個していてもな)
結局、善知識だのみの異安心の集団ってわけだな。s会は。
>>820 >親鸞会の書籍に根拠を求めよ、とは、
>「親鸞会では、こう教えているではないか」
>と非難をしたいならば、ちゃんと書いてあることを根拠に
>言いなさいという意味でしょう。
それはあとから取ってつけた屁理屈です。
そういう部分もありますが、親鸞聖人のみ教えの根拠をs会の書籍に求めよと言ってました。
そのとき
「なんで聖人の御著書に求めよじゃないの?」
って不思議に思ったのをはっきり覚えてますもん。
>>822 なにやらおかしな日本語がありましたので一部書き直します
>私なら疑問があれば、担当の講師の方にお尋ねしますよ。
>当然でしょう
その当然のことをしたくなくなるような窮屈な環境にあるんですよね
実は・・・
それだけでなく、本気で求道をしている人からなら仔牛、誨淫問わず素直に聞きたいと思いますが
そのように見える人がいないんですよね
渋長はもちろんのことですが、もしかしたら知らないだけかもしれませんが私の周りにもです
こんなことを言うと自惚れといわれるかもしれません
しかし、私の目にはそのように映ります
だから誰がなんと言おうと聞く気がしないんですよ
ですからお願いします
そうそう、一生懸命仏法を説けば生活の不安はなくなるんですよね
先日の弁論に出られた仔牛の方はそれを実践されたようでしたね
しかしほとんどはその逆をしているように感じるんですが・・・
それも信用できない理由の一つであります
なにやら愚痴を並べているようで、書いている私自身が嫌になってきました
とりあえずは今回はここまでということで
832 :
名無しさん@1周年:02/12/16 00:05
>>831 >そうそう、一生懸命仏法を説けば生活の不安はなくなるんですよね
先日の弁論に出られた仔牛の方はそれを実践されたようでしたね
よかったら、その弁論の簡単な内容、教えてもらえないでしょうか?
よろしくです。
マターリスレの方が適切なら、そちらに、書いていただくと、
ありがたいです。
s会は、相手のいうことをハナから聞いておらず、
(聞いた振りはしているが)
ただ、自分の主張を押しつけているだけ。
自分の頭で正誤を考えようとしないで、自分が正しいと
思いこんで議論を推し進めるからやっかいなんだよ。
もっとも、まともに議論する気はないが。
>>831 三燈兵さんへ
以下は、私の経験です。
参考になれば幸いです。
私もよく疑問に思ったことを先輩、講師の方に質問してきました。
高森先生の座談会に質問を提出し、お答え頂いたこともありました。
いずれも、丁寧に答えて頂きましたが、
中にはスッキリしないものもありました。
ところが、それらの疑問は、重ねて聞法していくと、ある時、
「ああ、それで、あの時このように答えられたのか」
と知らされることがよくありました。
また、「我ながら、つまらぬことを疑問に思ったものだ」とか、
「これは自分の信仰がお粗末だからスッキリしないのだ」
と知らされ反省させられることも、しばしばでした。
疑問を持って求道することは、漫然と聞き流すより、よほど
よいことでありましょう。
だからといって、「自分の疑問に答えてくれない」という
不満によって、罪を造ったり、尊い仏縁を粗末にすることは、
あってはならぬことでしょう。
「私の思いこそ絶対正しいのだ」
と思っている、「私」をよくよく教えて頂き、
進ませて頂くのが大切だと思います。
堅実にご縁を求めていかれることを念じます。
>>833 そんな弱音を吐かずに、自ら、親鸞聖人の正しい教えは
こうだ、と叫んだらいかがですか。親鸞会に負けずに。
>>828 「これって私は善知識だのみの異安心をやってますよという宣言に
聞こえるのは俺だけか?」
と言われますが、あなただけでしょう。
または、よほど日本語に暗いお方ならそうかもしれません。
デマを盲目的に信じ、デマに絶対服従しているヒマな時間は、
そろそろ終わりにされたらいかがでしょうか。
837 :
名無しさん@1周年:
>>836 漏れは828ではないが
「これって私は善知識だのみの異安心をやってますよという宣言に聞こえ」ますね。
漏れは浄財使い込んで知らん顔で口笛吹いているm春には相談したくないね。
ゴジラくんよ、あんたm春事件をデマとかいってにぎりつぶそうと
するやつらの手先だろう?
林ますみ被告じゃないがw)、状況証拠は完璧にそろっているんだよ。
ねむたいこといってるんじゃないよ。
デマなんかじゃないことは冷静になって考えれば明白。