原始佛教 U

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952仙人:02/10/24 15:41
>>951
>>世界が夢幻だと理解しても、世界が夢幻だと理解する自己は夢幻ではな
>>いのか?自己も無くなって初めて空ではないか、と言っているのですよ。

もちろん、その通りだ。夢の中に自分は無い。
これが仏の言う『非我(無我)』なんだ。そのように考えない者を『身見』と言うんだ。

>>夢幻と理解する段階ではまだ二元対立の意識から免れていませんね。そこをさ
>>らに超えるのが空ではないかな。
>>つまり実在と非実在の区別すら無くなるところです

そうではなく、幻夢ではない物質の世界は存在しないんだ。それが半永久の世界
である無色界と呼ばれる世界なんだ。ところが無色界といえども幻夢の世界だ。
だから、解脱した世界という世界すなわち、実相の世界というものはどんな世界か
は仏に聞いても『無記』なんだ。
953ベロ ◆eOod7XM/js :02/10/25 00:40
仙人さんは
>十不善業を犯すことの恐ろしさが、解らなければいけない。
>『十不善業』は戒律だから犯さないようにしよう。というのではダメだ。
>阿含経の説を理解すれば、十不善業の否が応でも恐ろしさを実感する。
とおっしゃい、「不妄語戒」を例に出されていますが、僕が聞きたいのは
仙人さん自身は「嘘」をついていないのですか?と言う事です。恐ろしさを
理解すれば、この現代日本でホントに嘘をつかなくとも生きて行けるんですか?
954仙人:02/10/25 08:40
>>953
>>僕が聞きたいのは仙人さん自身は「嘘」をついていないのですか?と言う事です。
>>恐ろしさを理解すれば、この現代日本でホントに嘘をつかなくとも生きて行けるんで
>>すか?

仙人はどうかと聞かれると困るが、妄語は嘘をつくかつかないかの二つに一つではな
いんだ。それぞれ段階がある。

1.詐欺
  これは最も罪の重い嘘だ。
2.何の利もないのに嘘をつく。
  例えば人に道を聞かれた場合にでたらめを教える場合。
3.自我意識のために嘘をつく。
4.言い訳のために嘘をつく。 
5.子供を喜ばせるために嘘をつく。
  例えばサンタクロースがくる。など。

1〜3はやめることができるだろう。
しかし、4はなかなかやめられない。会社を一日休んでしまい、ついつい、風邪を引い
たので休みましたと嘘をつく。など。しかし、阿含経の内容を理解すれば、これも最小
限に抑えられ、もし嘘をついてしまっても二三日は後悔するだろう。
5は嘘のうちに入らないと思う。
まあこんなところだ。
955仙人:02/10/25 08:46
追加
3.自我意識のために嘘をつく。
  競争心のために嘘をつく。自慢話のために嘘をつく。など。
956バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 10:24
>>955 仙人さん、般若心経は(根本仏教、阿含仏教にくらべて)とても難しいですね。

>>行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

(深く、深い)、「般若波羅蜜多」を行じて、、五蘊皆空と照らし見て。

>>是故空中。無苦集滅道。無智亦無得。

五蘊空なるが故に、五蘊のなかには、智慧も悟りも無い。

>>以無所得故。〜 依般若波羅蜜多故。〜 究竟涅槃。

五蘊の中には悟りが無いが故に、般若波羅蜜多に依りて、涅槃を究竟す。

故に知るべし。「般若波羅蜜多」こそが、「是無等等呪」。

>>羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。


957バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 10:27
深く「般若波羅蜜多」を行じ、五蘊皆空と照見し。
「般若波羅蜜多」に依りて、涅槃を究竟す。

これが要約でしょうか?


958バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 10:34
>>947 仙人さん、
>>深く「般若波羅蜜多」を行じ、五蘊皆空と照見し。
>>「般若波羅蜜多」に依りて、涅槃を究竟す。

これが要約として、具体的にはどういうことなのでしょうか?

>>ある僧侶が『わしは瞑想により空を体得した』なんて大嘘つくから、

>>『四禅により智慧を得る』と書いてあるからなんだ。この場合の智慧
>>は三明・六神通のことなんだよ。

五蘊を超える行、色受想行識の枠外の行。
仏陀の教えのうちで、ヒト(類)には理解し難い教えの行。
「三明・六通」のことなのか、それ以外のものなのか?


959名無しさん@1周年:02/10/25 10:41
>>以無所得故。〜 依般若波羅蜜多故。〜 究竟涅槃。
五蘊の中には悟りが無いが故に、般若波羅蜜多に依りて、涅槃を究竟す。

これはすごい超訳(跳躍)だね。

おれたちは、きみたちは「五蘊の内」の行をしてはいないか!?
960仙人:02/10/25 12:44
>>957
>>深く「般若波羅蜜多」を行じ、五蘊皆空と照見し。
>>「般若波羅蜜多」に依りて、涅槃を究竟す。

>>これが要約でしょうか?

確かにバウ君のいう通りなんだ。
『空』の会得は阿含経の出発点であり、『空』の会得は阿含経の結論でもあるん
だ。

先ず、空を論理的に理解する。しかし、この段階では恐怖や不安、怒りは取れな
い。そこで阿含経を理解する。早い話が、阿含経は空の段階的な説明なんだ。こ
の世は『空』だから『十二因縁』が働く・・・・・・・とね。

阿含経が完全に浸透すれば、空の完全な会得となる。
すると一切の思考は停止する。これが『無想定』だ。
ここではじめて、『無色無受想行識』『無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽』
と言うことができるようになるんだ。
961仙人:02/10/25 13:06
>>958
>>五蘊を超える行、色受想行識の枠外の行。
>>仏陀の教えのうちで、ヒト(類)には理解し難い教えの行。
>>「三明・六通」のことなのか、それ以外のものなのか?

人間の死後の世界では、誰でも六神通をもっているんだ。
仙人は前に死後の世界では意思が言葉となっていると言ったよな。
死後では互いに人の意思がわかるんだ。

この世でそれを会得すれば、これが『他心通智』と呼ばれている六神通の一つなんだ。だから、この世で六神通が得られると言うことは、半分死んでいるんだ。
それで座禅をしていると時として死者と間違われることがある。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ある村人たちが歩いていると比丘が死んでいた。
可哀想なので、木を集めて、火葬にした。
そして、村へ帰ったのだが、その村で火葬にした比丘が歩いていたので
村人たちは非常に驚いた。(阿含経)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
こんな話もあるんだ。
962バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 19:03
>>961
菩提薩。依般若波羅蜜多故。
心無礙 無礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。

こうあるから。もう少し楽しげなものではと思うのですが。
五蘊(利口)では分からない仏陀の智慧。→これを求めて根本仏教に帰る?
963バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 19:20
三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。

故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。
是無等等呪。能除一切苦。真実不虚。

故説般若波羅蜜多呪。即説呪日。
羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。

般若心経。

それとも
「羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。」という
マントラに秘密が隠されているのであろうか?



964名無しさん@1周年:02/10/25 19:45
即説呪日→即説呪曰
965仙人:02/10/25 19:52
>>962
>>菩提薩。依般若波羅蜜多故。
>>心無礙 無礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。

>>こうあるから。もう少し楽しげなものではと思うのですが。
>>五蘊(利口)では分からない仏陀の智慧。→これを求めて根本仏教に帰る?

バウ君の言っていることは今一つわからんなー。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
菩薩は般若波羅蜜多によって
心に引っ掛かりが無くなり、引っ掛かりがないから、一切の逆さまな妄想から離
れ、涅槃を究めた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これが楽しげなこと?
966仙人:02/10/25 19:55
>>963
>>それとも
>>「羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。」という
>>マントラに秘密が隠されているのであろうか?

何を探しているの?
967バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 20:20
>>966
仙人さんこんばんは。たぶんね、仏教には「行」が必要だと思う。
私は「行」はしているけどね。(でも、とても足りない)。

行深般若波羅蜜多→得阿耨多羅三藐三菩提。が必要なんだよね。
その秘密はどこにあるのかと。本を読んでいるだけじゃ、当然だめだと思う。

968仙人:02/10/25 20:28
>>967
阿含経→行深般若波羅蜜多→得阿耨多羅三藐三菩提。
だよ。
969バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 23:14
>>968 仙人さん、

「般若波羅蜜多」は「是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪」だよ。
つまり、マントラ、真言。

しかも、「能除一切苦。真実不虚」

そして般若波羅蜜多呪とは何かと問われれば、即説呪日(それは)

「羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。」


970名無しさん@1周年:02/10/25 23:26
でも、とても足りない
971バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 23:31
"gate gate paragate parasamgate bodhi svaha"

「すべての彼の岸に行った人たちよ。菩提は幸いなり。」

キリスト教でいうと「天にいますわれらの父よ、アーメン」←あってる?
972バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 23:32
サンスクリット?。どなたか解説お願いします。
973バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 23:47
仙人さんもご存知のように、如来の死後は「無記」。この世には、
あまたと言うか無数の如来が過去に出現されたわけで、その死後は無記、
という事は、たぶん「無」ではない。その存在が虚空に満ちていると
考えてもおかしくないかも。その如来様達に呼びかける。

"gate gate paragate parasamgate bodhi svaha"

「すべての彼の岸に行った人たちよ。菩提は幸いなり。」

すると、心無礙。無礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃

974名無しさん@1周年:02/10/25 23:48
「羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。」
の部分は意訳でなくて音訳されてるって聞いたことあるよ
975バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/25 23:57
>>974
「羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。」は
"gate gate paragate parasamgate bodhi svaha"の音訳なんだけど、
もちろん、その言葉自体の意味もある。

平川章博士の訳は(孫引き引用;引用元;般若心経瞑想法;平川出版)

行った者よ、行った者よ、彼岸に行った者よ、凡て彼岸に行った者よ、
悟った者よ、幸福なれ

976バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 00:00
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶
ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボジ ソワカ
977バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 00:02
>>975
「悟った者よ、幸福なれ」は、ちょっとおかしいと思うんだ。だって、如来が
幸福なのは決まり切った事。「菩提は幸いなり」じゃないかと思うんだけど、
サンスクリットが皆目分からない悲しさ、、。
978名無しさん@1周年:02/10/26 00:08
>>254 赤房ねえ。それじゃあ大先輩ですね。うちの母が「お護摩で赤房のお袈裟
落とした。もう貰えない」と嘆いていました。
そこまで行った方がどうしてなんでしょうね。阿含宗流に言うと中途挫折の因縁が
強いのでしょうか?
979名無しさん@1周年:02/10/26 00:08
>>254
「『密教・超能力の秘密』などで、神秘世界を見極めたいと考えて」

超能力はほしいと思ったことはないです。普通に暮らせれば良いです。

でも霊障で家中苦しみぬいていたし。特に夕暮れから夜が辛いんですよね。
あの辛さがなくなっただけでも幸せです。解脱供養の様子は霊感が強いのか
「手に取るように」ではないのですが、おおむねわかります。

「哲学は死の練習」「瞑想も死の練習?」とか言いますが、霊障も有る意味
死の練習ですね。筆舌に尽くし難いくらい辛いです。
980バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 00:12
>>978 >>979 また、密門会氏の荒らしが始まった。厭なヒトだね。
小さなこの世の事など、どうでも良いと思うけど。大事な菩提の話を
しているのにね。(せっかくのスレッドが読みにくくなる)
981名無しさん@1周年:02/10/26 00:13
>>136
サンサーラさん、はじめまして。
「大脳新皮質は霊性の場の活動に対して、激しく反発し、激しく牙をむく」

本当にその通りですね。驚きました。たぶん普段は知的で冷静な方たち
だろうに、汚い罵りことばを恥ずかしげもなく投げつけるのだから。
まあ、こういうアノニマスボードで良かったですよ。またよろしくお願いいたします。

しかし、ご本人もどうしてご自分がこんなに激しく反応するのか、
理解されてないのでしょうね。

982バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/26 00:16
たぶん、1000まで荒らすのでしょう。じゃあ、寝よう。
仙人さんのご意見は、次のスレッドでお願いしますね。
983名無しさん@1周年:02/10/26 00:17
>>435 雪山童女さん、はじめまして。
十二因縁の、最初の段階が、霊魂の段階だというのは
面白い発想だと思いますよ。

専門家のご意見をお聞きしたいけど、誰もいないみたい。
電波男さんは打ち負かされて去ったし。



984名無しさん@1周年:02/10/26 00:26
>>443 サンサーラさん、雪山女さん、十二因縁の五蘊以前が、
霊魂と言うのはちょっとした着想だと思う。五蘊がないのだから
当然、意生身(いしょうしん)ですよね。

電波先生なんかは当然霊魂は否定されているんでしょうね?

985ベロ ◆eOod7XM/js :02/10/26 02:57
↓次スレ「原始仏教V」です、みなさん移動しましょう。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1035423266/
986名無しさん@1周年:02/10/26 03:07
>>952
>しかし、『そうか、これは夢か。じゃあA君はいないんだ、ただ俺が一人で怒ってい
>るだけか。』ここまで考えることが出来たときに空を悟ったことになる。

じゃあこれは空を悟った事にはなりませんね。だってまだ俺と言っているのだから。
それに幻夢の反対(実在)=物質とは誰も言っていないので、あなたのはやとちりですね。
実在とは実存、真実存在です。
さらに言うならすべてが幻夢なら、すべてが実在、ということと同じではないのかな。
だってそうなった時は幻夢というのも実在というのも意味は無いだろうから。
987仙人:02/10/26 07:53
>>986
>>さらに言うならすべてが幻夢なら、すべてが実在、ということと同じではないのか
>>な。だってそうなった時は幻夢というのも実在というのも意味は無いだろうから。

とんでもない。この世が『幻夢』か『実在』かでは大きな差が生じる。
もし、この世が実在なら「縁起」は働かないんだ。つまり、どんなに悪い思考を持っ
ていても、不幸(苦)は起きないんだ。
ところが、この世が幻夢だと、まったく違ってくる。悪い思考は不幸(苦)に変わるん
だよ。その原理は『悪い思考は悪い夢を造る』というものだ。これが『縁起の法』な
んだよ。
988名無しさん@1周年:02/10/26 09:13
仙さんのは中論というより唯識の考え方じゃないの?
989ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 09:33
>254 :バウ ◆6XpyDQkkJ2 :02/10/04 21:10
>994 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss :02/10/04 21:00
>>本尊?本当に馬鹿ですね。阿含経典に依拠するならば本尊など関係ないことは
>>何度も言ってきた。

>これが、仏教カルト。

バウがカルトです。

「本尊」という用語を「阿含経からの出典」を指し示せず、「引用の抜書き」コピペもせず、
漠然と自分が「阿含シュー」に属している事を根拠に、著書で書かれた用語の出典も分からず、
自分の思い込みから「阿含キョー」から「ホンゾン」だと言い張って人に嘘を言っている所が。

嘘付き阿含シューの例祭(月一度の集まり)の法話で、
「空」を「シューニャ」だの「ゼロ」だの語っていたが、
少女向け占い雑誌には「空」を「アカシャ」と書いている。
(’92年の運勢 エルフィン1月号 第一付録p3)
阿含シューは巷の女の子にまでバカにされそうな宗教用語の誤用なのである。
だから世間様に阿ホウ宗とウワサされるのである。

「偶像崇拝」や「メシア」や「聖霊と火の洗礼」の定義も出鱈目で、
他宗教の事をロクスッポ勉強せず、他人の受け売りで、他人の社交儀礼上のヨイショの嘘や誤解・誤読や言い間違いを、
正しい事として説法する所を見れば分かるだろう。思いつきとコジツケであるという事を。
出典も明かせないほど勉強していないという事を。
990ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 10:02
★ブッダのカルマ論 浅野信著 たま出版 p45−46 
第2章 釈尊の霊魂観  第2節 中有・幽霊・健達婆 
(健達婆の達の字は門構えですが変換上「達」にしています)

すなわち、甲斐氏は仏教の輪廻説を神秘的輪廻説と哲学的輪廻説とに二分した上で、
次のように説明している。
「先(ま)づ神秘的輪廻説というのは、
有情の生死流転を神秘的に説明せんと試みたものであって、
たとえば中阿含第三十七阿摂想経(Assalayana sutta M.N.93)においては、
『茲(ここ)に父母(ぶも)会合す。母、時節調適なり。健達婆趣入す。
斯(か)くの如く三事相寄りて、受胎(gabbhassa avakkanti)初めて生ず』 
とある。之(これ)に相当する漢訳に香陰とあるのは 
巴利文(パーリ語)の健達婆に相当するものであるが、 
此(こ)の外之と同類のものを求むるならば、 
先ずディヴィヤーバダーナ(Divyavadana)一・四四〇には
『然(しか)れども三事現前して男子や女子を生ず。何等(なんら)をか三となす。
父母相執着(しゅうじゃく)して合会をなす。母健康なり。時節調適なり健達婆趣入す。
斯くの如き三事現前することによりて、男子又は女子を生ずるなり』
とあり、漢訳の根本一切有部毘奈耶皮革事上の之(これ)と相当する文には、
中有(ちゅうう)現前すとあり(第一頁相当の文)同じく、
薬事第十三(五寒四十葉左)には『貪愛現前す』とあるから、
茲に健達婆(Gandharva)にも自ら三種の意義があるわけである。 
991ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 10:04
★ブッダのカルマ論 浅野信著 たま出版 p46−47 
第2章 釈尊の霊魂観  第2節 中有・幽霊・健達婆 

即ち香陰、中有及び貪愛とは之である。
先ず香陰というのは此の健達婆をば分解して初めの香(Gandha 健達)の意味を取り、
更に此が一有情より他の有情に至る中間の存在であるという意味から、
中有(Antarabhavah)の五陰そのものであるから香陰といったものであって、 
倶舎論第九には『一切の中有皆五根を具す』とあるから 
やはり人間の眼では見えないが一種の存在という意味で五陰の陰の字を用いたものである。 
次ぎに香とは倶舎論第九にも、食香とありて、
長行には『欲界中有の身、段食に資せらるるや否や。
段食に資せらるといえども然(しか)も細(さい)にして[鹿:蟲]に有らず其の細とは何ぞ。
謂(いわ)く唯(た)だ香気なり。斯(か)に由(よ)るが故に健達婆の名を得』
と説明してある。(中略)ベッテリング氏も其(そ)の辞書に之(これ)を 
『一の新しい身体を選定する以前の人間の死後の霊魂(Seele)と解しておる。
・・・・・・さればオールデンベルグ氏も此の健達婆を有情の本質(Wesenskeim)と解し 
或(あるい)は"Lebewesen"と解して、一有情の死後より他の有情に至り、 
受胎の時母体(Garbha)に趣入するものであるといっておる。』 
(「仏教に於ける輪廻説の起源」一一ニ〜一一四頁) 
右において、甲斐氏は阿含、ニカーヤも引用しつつ、 
それらの概念について説明していることが読み取れるが、
さらに氏は哲学的輪廻説を説明し、最後に両者をまとめ、阿含、ニカーヤ中に 
すでにそれらの概念があったことを指摘する。 
(このことは釈尊が すでにそれらの概念について言及していたことを暗示する。) 
そのことを左に引用し、みてみたい。 
992ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 10:04
★ブッダのカルマ論 浅野信著 たま出版 p47−48 
第2章 釈尊の霊魂観  第2節 中有・幽霊・健達婆 

「哲学的輪廻説というは・・・・・・ 
唯々仏陀の根本教説である十二因縁中の識(Vijuana)に重きをおき、 
否識を中心として之を其の本体として輪廻を語るものである・・・・・・ 
尼可耶(ニカーヤ)や阿含経には 
たとえ仏説と尼可耶教との[催:戴]然たる区別(けじめ)は認められ無くとも、 
主観客観の認識論的関係に説かれた仏説は 
しばしば、識を以って輪廻の主体とする輪廻説に転換しつつあるのである。 
故に、長阿含経第十巻、大縁方便経(D.N.]X.Mlaha-nidana-suttanta)には、
『名色に依(よ)って、識あり』といい又『識によりて名色あり』といい 
『阿難陀よ、若(も)し識が名色に安住を得なかったならば 
未来に於(おい)て生老死苦の生起を認むべきや』といっている。 
又同二十一に『阿難陀よ。若しも、識が母体に入らなかったならば 
名色は母体に於(おい)て増長するであろうか』といって居る。 
此等(これら)の句は識名色の認識的相互関係を示すものでなくして、 
識を輪廻の主体と考えねば到底説明の出来ないものである。 
・・・・・・其の外(ほか)増一尼可耶三、七六、一には 
『阿難陀よ。其の故に、業は田なり。識は種子なり。渇愛は肥料(Sneha)なり。 
無明に蓋(おお)われ、渇愛に縛(ばく)せられたる衆生(しゅじょう)の識(Vinnana)は 
下界(Hinahbatu)に停止す。斯(か)くして後(のち)有(う)生ず。 
阿難陀よ。かくして有(Bhava)あり』と、下界とは欲界の義である。 
即ち業は異熟果を生ぜしめる田であり、 
渇愛の肥料によりて種子なる識は増長発展して後(のち)有(う)を生ずるのであるから、 
正しく識を以って名色より初まり老死に至る、十二因縁的生活の根本、 
換言すれば輪廻の主体と考えて居た事は明らかである。」 <以下略>
(同右、一一八〜一ニ一頁)
993ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 10:05
★ブッダの瞑想 須田道輝 柏樹社 p83−85 
第四章 心の集中法  1 三十八種の行法 

「そのとき正師は、その者の所行を観察して、三十八行を授く」(分別行処品第七)
(サーリープッタ(舎利弗)尊者の仏陀への訪問の話。)
三十八行は三十八行処(ぎょうしょ)ともいい、南伝では業処(ごっしょ)と訳されています。
行処とは、禅定を修習するとき、それに心を集中するものを意味します。 
十一切入(じゅういっさいにゅう) 
 地・水・火・風(四大)・青・黄・赤・白(四色)・空処・識処 
十不浄想 
 肉体が腐敗して白骨化するまでの観想 
十念 
 仏・法・僧・戒・施・天・死・身・数息・寂々 
四無量心(しむりょうしん) 
 慈・悲・喜・捨 
観四大 食不浄想 無所有処 非非想処 
・・・・・・
ここでは四色のうち一色と空処(限定虚空)の観法、
十念のうち念仏の観法と念数息ねんすうそく(安般あんぱん)とを取り上げ・・・
・・・『解脱道論』『清浄道論』は最高の価値をもつものです。
994ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 10:05
★ブッダの瞑想 須田道輝 柏樹社 p114−115 
第五章 安般法(アーナーパーナ)  1 出入の息を観る 

「念安般(ねんあんぱん)とはなにか。
安とは入であり、般とは出を意味する。出入りにおいて念ずるものである。
かの念は随念(ずいねん)・正念(しょうねん)である」(行門品第四) 
安般(anapanaアーナーパーナ)の安(ana アーナ)は入息を意味し、 
般(apana アパーナ)は出息を意味します。これを一般には数息観(すそくかん)といい、
息を数えて心を静寂に導くものとして、仏陀時代から修習されている行法でした。
禅宗系統でも、・・・・・・瞑想の基本的観法(かんぽう)です。
・・・・・・経典にもかなり詳細に説かれています。
 雑阿含経 第二九 安般品(あんばんぼん) 
 南伝相応部 第一〇 入出息相応 
 南伝中部 第一一八 入出息念経 
・・・阿難陀は・・・不浄観を修習した弟子が自殺したことを正直に話しました。 
それから初心の弟子たちには不浄観ではなく、・・・・・・安般法を開示されたといいます。
995ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 10:41
>ブッダのカルマ論 浅野信著 たま出版 
>ブッダの瞑想 須田道輝 柏樹社 

ご著書とかいうキリヤマ本ではない事は確かですからね。平河出版とか阿含宗?宗務局出版局の著書でもありません。
彼等が阿ゴン宗の本尊供養とか財施に関係なく 独自で勉強した結果ですから。
私は2chで紹介で貢献ですが。

彼等のような阿含経や修道論に関する仏教の実践の逸材が 阿ゴン宗の会員には居ないわけです。
居てもいずれは退会して 独自に勉強し修行し大成していくわけです。
996ベロ ◇eOod7XM/js:02/10/26 10:45
↓次スレ「原始仏教V」です、みなさん移動しましょう。
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997ベロ ◇eOod7XM/js:02/10/26 10:46
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998ベロ ◇eOod7XM/js:02/10/26 10:47
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999ベロ ◇eOod7XM/js:02/10/26 10:49
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1000ベロ ◇eOod7XM/js:02/10/26 10:50
1000!
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。