1 :
名無しさん@1周年:
どのような団体なのでしょうか?
サイトを拝見しましたが理解には至りませんでした。
信仰の是非ではなく、どのような団体なのか
ご存じの方がおみえになりましたら宜しくお願いします。
2 :
名無しさん@1周年:02/09/05 18:34
2GET
3 :
名無しさん@1周年:02/09/05 18:36
どんな神様仏様でも大切にして、家族も大切にして、天皇マンセーで、
ええと、ええと、要するに、右翼。
というか、糞スレ立てんな!質問箱で聞けばイイダロ。
4 :
名無しさん@1周年:02/09/05 19:53
生長の家はきわめて保守的な団体です。
したがって、左翼から見れば右翼に見えることでしょう。
影響を受けている人たちには
鳩山・三木・福田などの歴代総理
財界では京セラの稲森氏
芸能界では歌舞伎の人間国宝先代の片岡仁左右衛門
文学では山岡荘八、晩年の三島由紀夫
歌手では竹内まりあ・・・など
今は日本よりブラジルに拡がっていて、前々回の
ワールドカップのカナリア軍団は生長の家のお守りをつけて
参戦した。有森祐子さんの首にかかっていたのも、そのお守り
まっ
まともな人が認知している宗教団体とも言えるね。
これが外から眺めた見解です。
6 :
名無しさん@1周年:02/09/12 21:43
○創価学会
研ナオコ(歌手)沢たまき(歌手)山本リンダ(歌手)
雪村いずみ(歌手)朝比奈マリア(タレント)内海圭子(タレント)
内藤やす子(歌手)島田歌穂(歌手)朱里エイコ(歌手)
田中美奈子(歌手)相田翔子・鈴木早智子(歌手・元Wink)
千堂あきほ(タレント)安室奈美恵(歌手)谷山浩子(歌手)
安則まみ.Sボーカル)岸本加世子(女優)泉ピン子(女優)
中島朋子(女優)杉田かおる(女優)白川和子(女優)
原田知世(女優)墨田ユキ(女優)松あきら(政治家)
中島唱子(女優)天地真理(タレント)久本雅美姉妹(タレント)
海原しおり(タレント)柴田理恵(タレント)小川菜摘(タレント)
高田恭子(歌手)松本秋子(ダウンタウン松本人志の母)
田村正和(俳優)加藤茶・仲本工事(ドリフターズ)
愛川欽也(タレント)所ジョージ(タレント)
田代まさし・桑野信義(ラッツアンドスター)神田利則(タレント)
木根尚登・宇都宮隆(元TMN)橋本章司・八島唱一(ハウンドドッグ)
小柳昌法(リンドバーグ)浅岡雄也(FIELD OF VIEW)
澤戸啓・古賀いずみ(カズン)大森隆司(サザンオールスターズ)
上田正樹(歌手)森本尚幸(BORO)
高橋ジョージ(THE虎舞竜、他メンバーのほとんど)
佐藤竹善・西村智彦・藤田千章(シングライクトーキング)
アルベルト城間(ディアマンテス、他メンバーも)
加藤高道(狩人、もう一人も)村田英雄(歌手)細川たかし(歌手)
平尾昌晃(作曲家)内山田洋(クールファイブ)三船敏郎(俳優)
7 :
名無しさん@1周年:02/09/12 21:43
○創価学会
坂上二郎(俳優)飯野おさみ(俳優、なべおさみ)
市川右近(歌舞伎俳優)彦麻呂(タレント)
林家こん平・こぶ平・いっ平(落語家)小松方正(俳優)
トミーズ雅(タレント)田中義一(タレント)
畑正憲(ムツゴロウ王国)
愛甲猛・門倉健・山本和範・西村徳文(プロ野球選手)
栗山秀樹(野球解説者)旭道山(政治家)水戸泉(大相撲力士)
武秀親方・尾車親方(大相撲)八巻健二(極真空手)
小林浩美・谷福美(ゴルファー)
青島文明・長谷川健太(サッカー、他奈良橋・野口等)
佐伯美香(バレーボール)谷津嘉章・ライオネス飛鳥・長与千種・
ダイナマイト関西・ジャガー横田(プロレスラー)安田冨男(騎手)
スザンヌ・ヴェガ(歌手)ティナ=ターナー(歌手)
スティービー=ワンダー(歌手)
ハーピー=ハンコック(ミュージシャン)
ジョージ=チャキリス(俳優)ロベルト=バッジョ(サッカー)
チョウ=ユンファ(俳優)宮本輝(作家)
8 :
名無しさん@1周年:02/09/12 21:45
日本の宗教の現状 聖教新聞社 ‘82
生長の家破折
一、釈尊の教えも、キリスト教も他宗派も、その究極の真理は同じである。究極の真理を
生長の家が説くというのですが、これは、まったくの暴論といわざるをえません。宗
教には淫祠邪教の類から民族宗教、高等宗教まで高低浅深の差別があることは宗教
のイロハです。
一、教祖・谷口雅春の本を読み、あるいはもっているだけでも功徳がある、ということで
すが、これほど人を小バカにした話はありません。――その因果関係いかん?いくら
理屈をつけてみても、狙いは明らかでしょう。
一、物質は本来無いのである。また、病気になるのは恨み、憎しみ、怒りなどをいだき心
が病んでいるからである。怒りや憎しみのない心を出していけば、病気も不幸も無く
なる――というのですが、一体、病気は心の問題だけでかたづくのでしょうか。ウィ
ルス、ビールスといった病原菌は存在しないとでもいうのですか。
また、怒りや憎しみの心を完全に無くすことは不可能でしょう。そのためには心そ
のものを無くすこと以外にないではありませんか。
9 :
名無しさん@1周年:02/09/12 21:47
「人間革命」に出てくる多仁山岸治という人は谷口雅春の仮名です。
10 :
名無しさん@1周年:02/09/15 03:17
10ゲトー
11 :
名無しさん@1周年:02/09/15 16:41
田代まさしはやっぱり創価学会だったのか
あわれなもんだな。
12 :
名無しさん@1周年:02/09/15 20:31
人間・神の子、罪本来なし
生長の家の教義は「唯神実相哲学」(ゆいしんじっそうてつがく)とも呼ばれ、
その中心思想は「タテの真理」と「ヨコの真理」に大別できます。「タテの真理」
とは、人間は本来、神の最高の自己顕現であり、如来であり、無限の生命、無限
の知恵、無限の愛、その他すべての善徳に満ち満ちた久遠不滅の存在であり、
これが人間の実相(本当のすがた)であるということです。従って人間の原罪を
否定し、罪の存在を否定します。そしてキリストだけでなく、すべての人間が
神の子であることを認めます。
■環境は心の影
「ヨコの真理」とは、現象界(現実の世界)は唯心所現の世界であり、心に従
って自由自在に、貧でも、富でも、健康でも、不健康でも、不幸でも、幸福でも
現すことができるということです。従って真理を知り、実相の完全さを信じてこ
れを観ずるなら、一切の不幸や病は消えて、完全な至福の世界が顕現することを
明らかにし、そのための原理を「心の法則」として解明しています。
■万教帰一
また「タテの真理」「ヨコの真理」とともに重要なのは、「万教帰一」の真理
です。すべての正しい宗教は本来、唯一の神(創造神)から発したものであり、
時代や地域によってさまざまな宗教として真理が説かれましたが、それらはすべ
て本源の神の救いの光線であり、すべての正しい宗教は、その根本において一つ
です。これを理論的に明らかにするだけでなく、それぞれの宗教が、その始まり
において持っていたみずみずしい力を復活させ、現代に生きた真理として蘇生さ
せています。
13 :
名無しさん@1周年:02/09/15 20:32
>すべての正しい宗教は・・・
という前提があったのですね。誤解していました。
まひもひ団に入りませんか?
15 :
名無しさん@1周年:02/09/25 00:37
生長の家はアメリカの手先
で、日本の世論をアメリカの利益に沿うように誘導しようと日夜奮闘をしている素晴らしい宗教ですw
16 :
名無しさん@1周年:02/09/28 10:08
右翼団体が洗脳と脱税のために宗教団体を名乗ってるだけでしょ
大本教以来の伝統
生長の家の確信犯的脱税は有名だよね
18 :
名無しさん@1周年:02/10/03 00:22
大本教の後継者にして日本を米国に売った売国奴です
生長に関する批判って、ある程度は事実があるだろうけれど、
ちょっと保守的だって事からサヨクの人による誹謗中傷の割合いが
かなり高い気もする。もっとも最近は副総裁が左らしいけど。
20 :
名無しさん@1周年:02/10/06 23:55
大本教が大東亜戦争時に米国に内通していた証拠は出揃ってきてるんだけど…
まあ、生長みたいな大本カルト信者はそう言う宗教こそ愛国だと信じてオナニーしてるんだね
21 :
名無しさん@1周年:02/10/10 16:17
皇室の人たちが来る所に日の丸振っているおばさん連中にも生長の家会員多数います。今じゃ皇室ヲタクのオバはん組織
23 :
名無しさん@1周年:02/10/10 20:35
>智也さんにとって、それまで施設を訴えることなど思いもよらなかった。
>だが、佐々木さんに紹介された弁護士らに体験を語るうち、提訴を決意した。
ここが不思議だ・・・。左翼弁護士に利用されてしまったのか。
どちらにしても、気の毒な話だ。
24 :
名無しさん@1周年:02/10/14 14:01
米国スパイ生長必死w
>>20 ああ、必死だね。
生長の家だったり、読売だったり、いそがしいことで(笑)。
26 :
名無しさん@1周年:02/10/14 14:17
27 :
名無しさん@1周年:02/10/18 18:04
>>25 生長の家の機関紙が読売だよ
信者必死だなW
生長の家は本を読めば病気が治るそうだ・・・ほんまかいな・・・
30 :
名無しさん@1周年:02/10/20 22:06
生長の家の教えでは、病気は本来ありません。
生長の家の信者で病気が治らない人は、信仰が足りないのです。
病気が治った人は、生長の家の正しい教えを実践したから治ったのです。
生長の家では病気はないって言ってるんで、もともとないものだから治りようがないとごまかす。
白光真宏会では病気はあると認めて、消えゆく姿であると言ってごまかす。
真光とか手かざし教では病気は霊が災いしているから手かざししろと言ってごまかす。
大本に敵対しているのが生長の家。
で、米国スパイはどっちかというとかの山本五十六。
やつは糞だった。
医者は高額な機器を使って検査ばかりして高い薬品ばかり投与して儲ける。何を信じればいいんだ?
36 :
名無しさん@1周年:02/10/21 13:45
(ノ*゜▽゜*)<神戸地方裁判所の正面大通りに、山口組の本部ビルがある。
山口組本部ビルの隣りは、宗教団体「生長の家」神戸支部のビルだ。
しかも元々、生長の家発足はこの建物から始まった。
なんだかひどいいいようだな。、
病気が祈るだけで治るというのはねーだろうな。
しかし、なにもしなくてもなおる病気は五〇〇〇〇とある。
しかし、題目を唱えるだけで幸福になれるというのもあんまりあわんないんじゃないか?
そお点、生長の家は、何に対しても二言めには「感謝」「ありがとうございます。」
だから、ま、害はねーんじゃねーか?
38 :
名無しさん@1周年:02/10/22 18:26
3代目は世界宗教にしようと目論んでるようだが、信者の方はついていけてないみたいだな。
39 :
名無しさん@1周年:02/10/22 19:35
生長の人の話って選民思想プンプンで、聞いてる方が恥ずかしくなる
折れは、練成会なるもんに逝ったことあるが、
いずれもとんずらしちまった。
あげく本部にいって横になっとったら、やかましゅうおごられた!
ま、折れも悪かったけどな。
しかし、いわゆる選民思想という感じはなかったと思うのだが………
足の裏診断とか手かざし教団よりは人畜無害、薬にも毒にもなりません
たしかにそうだな。
理想はめちゃくちゃ高かったようだったな。
迷いは仮の姿だったかな?
練成会から逃げたけど、とくにおとがめもなかったから、どっかの宗教よりはずっといい。
練成会に逝ったことはないが、身内に信者がいるので、会うたびに話
を聞かされる。
44 :
名無しさん@1周年:02/10/22 21:13
病気はないと祈ってみたところで、風邪一つ治らん。
むしろ、祈ることによって、益々、病気を凝視し悪化する。
45 :
名無しさん@1周年:02/10/22 22:02
病気はないんだったら医者はやっとれんだろうんな。
しかし、病気を凝視することによって悪化するようなことはどうか?
それでは、今さかんに行われている癌の告知はいったいどうなる?
きちんと向き合うには時間がかかるのだ。
風邪程度はそのうちなんとなく治るからそうなんじゃないか?
46 :
名無しさん@1周年:02/10/22 22:25
祈りでエイズを治してみろ。
そしたら信じるよ。
なるほどなー
AIDSかー。無理だろうな==
あれは、予防が大事なんじゃないかな?
いずれにせよ発症したらほんとに祈るしかないんじゃ!?
48 :
名無しさん@1周年:02/10/22 22:39
まあ、究極の宗教的真理として、肉体も病気もないというのは理解できる。
だから現世でも病気はないのだというのは、折れにとっては途中の段階をすっ
飛ばし過ぎという感じがするんだけど。
我々は、死んだらただの有機体だからな。
死ぬことに対する恐怖が根底にあるわけだろうから、そこをうまく利用するのが
言葉は悪いが、宗教だろうか。
結局人を動かすのは、恐怖みたいだな。
核、戦争、サリン、テロ、エイズ。
風邪は死なないから研究もすすまんのか?
50 :
名無しさん@1周年:02/10/22 23:09
しかし、生長の家では病気は全て迷いの影として起こると
言われているが、ウィルス性の疾患にかかった者が、別に
心の迷いを解かなくても、ワクチン等で簡単に治るのを、
どう説明するのだろうか?それでも心のなかに病気の根が
潜在しているから神想観で根絶しろとでも言うのだろうか?
51 :
名無しさん@1周年:02/10/22 23:10
人間の本質を単なる肉体とみるか
人間の本質を魂(生命)と観るか
それをどのように解いているかを知ることが
鍵になるね。
もう少し本を読んでから書き込みたいね(笑)
52 :
名無しさん@1周年:02/10/22 23:14
魂とか生命って言われてもなぁ。
所詮、観念でしか理解してないでしょう?
53 :
名無しさん@1周年:02/10/22 23:26
で、生長の家の皆さんは、病気になったらどうしてるわけ?
54 :
名無しさん@1周年:02/10/22 23:27
腹が減ったり、喉が渇いたりする『肉体』が魂の宿る肉体だよねえ。
目に見える肉体よりも内臓が健康に生きている肉体が魂を持った肉体だよ。
魂がなきゃ肉体なんて意味ないジャン!人間の本質は魂でしょ?そこに
肉体が伴うから主観的にも客観的にも意味のあるものとして認識されるし
相互作用が始まる。魂のない奴は、食われるのを待つ唯の死体みたいなもん。
とか、書きこんでいる自分はキリスト教でして・・・
場違いなレスすみませんでした。スレタイよく見ておりませんでした。_(._.)_
56 :
名無しさん@1周年:02/10/22 23:32
生長の家の皆さんは病気にはならないでしょう(w
病気と認めた時点で負け。
あくまで病気でないと言い張る(w
そーいや、ちょっとした親戚で
昭和天皇が崩御された!とき、
「天皇陛下は死なないと思ってた」
とのたまった生長の家信者がおった。
皇居の前でずいぶんと生長の家信者がお祈りもしとったな。
あれってそういうことなの?
58 :
名無しさん@1周年:02/10/24 08:44
>>54 「目に見える肉体」と、「内臓が健康に生きている肉体」の違いってなに?
今時血液検査、エコー、CT、MRIなどで内臓が健康かどうかわかるじゃない。
内臓が一体何をさしてるのかよくわからんけど、内臓が健康なら、
魂がやどるんかい?
そもそも目に見える肉体ってなに?皮膚のことかな?
ちなみに生長の家では、どう考えとるんじゃ?
生長の家は宗教哲学だから哲学を学んで病気が治ったなんてもともと信じられる内容ではない。生活習慣病じゃなくエイズとかの伝染病は薬を飲まないと治らないよ
>58
宗教に医療の常識は通用しませんよ。病は気からっていうのが生長の家の論理
61 :
名無しさん@1周年:02/10/24 10:42
51 :名無しさん@1周年 :02/10/22 23:10
人間の本質を単なる肉体とみるか
人間の本質を魂(生命)と観るか
それをどのように解いているかを知ることが
鍵になるね。
だから、このときの魂は、健康でないと宿らないと教えるわけかな?
キリシタンは、健康な肉体にこそ魂が宿るとのたまっとるわけで
生長の家でもやっぱりそうなのか?
病人はただただ責められて、信心が足らんとかいわれるだけ?
そんなん、一時期話題になったライフスペースとかいうのとかわんないじゃん。
62 :
名無しさん@1周年:02/10/24 11:31
>>51さんのいうように、鍵になってる部分が、生長の家では
人間の本質を魂(肉体は心の影)ととらえてるのだから、
魂(心)を先に持ってくるのがいいんじゃないかな?
心が整えば自然に肉体も環境も整うと。
肉体が整えば心が整うのでは、肉体(物質)の方が主になってしまう。
病気になったからといって信心が足りないと責められることはないでしょう。
せいぜい、本当の人間は肉体ではなく魂で、魂には病気もなく死もない。と
説くのでは?まぁ魂に病気がないのは当たり前だけど。
本当の人間を魂と認識しただけで、気が楽になる病人もいるでしょう?
63 :
名無しさん@1周年:02/10/24 12:03
なーるほど
そうですな。
しかし、魂に病気がないのが当たり前なら、
「心が整う」ということ自体おかしいんじゃないかな?
だって心(魂)は病気しないわけだからな。
ちゅうことは、生長の家自体おおきな矛盾のなかに存在してしまうが、
64 :
名無しさん@1周年:02/10/24 12:09
62さんとほぼ同じ意見だが
肉体は生命の(魂の)道具にすぎないとも解いているね。
その道具を使って魂を生長させる
道具が古くなればそれを取り替えて次生に生まれ変わる
道具は大切に扱うのは当たり前だから
心の調律をして健康に生活する。
このように教えられているのだが・・・
誤解が多いのでびっくりだね。ライフスペースかよ(爆)
65 :
名無しさん@1周年:02/10/24 12:22
おーなるほど。大いなる誤解だったわけね
スマソ
64さんは信者(という言い方も変かもしれんが)さんかな?
おしえちくり
魂を生長させて、心を調律し、「健康に」生活するのはいいけど、
この健康って、魂の健康じゃないのかな?
スレッド立ってるから過去ログ読めって、
>>1。
ま、アレ見てまだ「良い教団」と思えるかどうかはかなり疑問だが。
おいらは信者ではなく信徒だよ(笑)まっ用語の違いだけどね。
魂=心・・って単純には考えないんですよ。
心には、顕在意識もあるし潜在意識もあるもんね。
あるいは理念なんていう言葉もあって難しいものですからね。
おいら的には、
現象に表れた肉体は意味のあるものだから大切に使いながら
人生学校を歩んでいきたいですね。
魂の健康ってあんまりピンとこないなぁー。
あと、
生長の家では、病気になったら自分自身の心を省みて
恨みや嫉妬や憎悪の感情がなかったかを反省して
あたりまえに病院に行き、お薬をもらい感謝して服用します。
内面からの治療と化学的治療の二つがそろえば快復は早いですね。
薬を飲むななどと指導を受けたことは一度もおいらはないね。
68 :
名無しさん@1周年:02/10/24 14:02
>>64 あ〜なるほど。
以下の文章を書いてる間に
>>67の書き込みが・・・(w
魂は肉体に依存しない、肉体に影響の無い(病気も死もない元々健康とか不健康とかの概念がない)もの。
心は肉体の持つ意識でコントロールできるもので、人間の心の持ち方はいくらでも変えられるし、
心の持ち方次第で肉体に変化が現れる。
だから肉体に影響があるのは心の方で魂は別格、と考えると自分的につじつまはあうけどなんか変か。
そもそも魂がなんだかわかってなければ心と分離もくそもないわな。スマソ。
生長の家では魂をどう説いているのか知りたい。なんかわけわからん文章で申し訳ない・・・・
と自分なりに考えたわけですが、実際(w どうなんでしょう
69 :
名無しさん@1周年:02/10/24 14:20
そういう精神的な話だけなら、良い宗教なんだけどね。
そこに政治問題が絡んでくるから、折れは引いてしまうんだよ。
70 :
名無したん ◆jbl6actWF. :02/10/24 14:23
谷口先生の著作を拝読したが、それほど悪いことは書いてないと思われ。
生命の実相の二巻で、アシジのフランシスコは間違っていると論じたのには、
かなりひいたけれども、こういう見方もあるのかとおもたよ。
宗教的行事に参加せず、人生論として読むぶんには、悪くはないとおもた。
71 :
名無しさん@1周年:02/10/24 14:29
入会せずに本だけ読む。これが正解かな。
72 :
名無しさん@1周年:02/10/24 18:08
>>67 >>68 そうなんですか。
お二人(?)の意見が非常によく似ているところをみると
生長の家ではそのように考えるということかな。
魂と心とをわけてみるわけですな。
それにしても魂ってのは、自分が修行が足らんのか全くみえてこんですたい。
心と肉体とは非常に密接である。というのはわかる。けど、心の健康とは
肉体の健康と必ずしも一致はしないという気もするが?
あと、病気になったら、自分自身を省みて。いろいろ反省するのは、
とってもいいことだと思う。そんな機会を与えられることって少ないからな。
しかし、なにか思い当たることがある!と、いうことは、その現象として体の変調があるんだ
とかんがえていいのかな?
73 :
名無しさん@1周年:02/10/24 19:26
宗教によって解釈は違うんでしょうけど、人間の意識の一番奥には、すべてを
悟っている部分があって、そこを魂とよんでいるのではないでしょうか。真我
とかアートマンと言う表現もありますね。
心(感情)が病気の原因になるというのは、生長の家だけじゃなく東洋思想では
ごく一般的な考えだと思います。
正しい指導者について、自分の性格を直せば、体にも効果が出るのは実感できま
すよ。ただ、正しい指導者に出会うのはなかなか難しいんですが・・・
74 :
名無しさん@1周年:02/10/24 19:50
>>72 >心と肉体とは非常に密接である。というのはわかる。けど、心の健康とは
肉体の健康と必ずしも一致はしないという気もするが?
ああ、精神的にとても安定していて人間ができた人でも病気にかかるって
ことですか?生まれてきた以上、いろんな経験をして魂を向上させるとした
ら、見た目どんなにマイナスなことでもその人に必要な事なんじゃないかなぁ・・・
塞翁が馬ってことで!
75 :
名無したん ◆jbl6actWF. :02/10/24 19:56
>>74 難病で手足の自由が効かない人が、手だけ組んで、世界のために祈りを
捧げていたとする。これなんて、肉体は不健康の極みでも、魂は最高に
健康だと思われ。
76 :
名無しさん@1周年:02/10/24 19:56
なんと!精神的に安定している人ってのが、心の健康なの?
そいつは盲点だった。
いや、恨みや嫉妬や憎悪がないような状態だと書いてあったからな。
ようは、生まれながらにして病気をもった子供がたくさんいるじゃないか。
子供にどんな嫉妬があると思う?誰を恨むと思う?
>>74 うつ病の人には人格円満でまじめでよく出来た人多いよ。
とても頑丈な人でも風邪引いたりすることあるのと同じだ。
78 :
名無しさん@1周年:02/10/24 20:05
生長のイエうざすぎ!!
義母が毎日恩着せがましく
「私は毎日アンタタチの為に寒露の呆卯を
読経してる」とかって。
79 :
名無しさん@1周年:02/10/24 20:29
>>78 「かんろのほうう」かな?
そーか板でも婚約者が喪家だった!とかいうスレがあったな。
ちゃんとしってから結婚すべきじゃねーか?
うざいといって、なんか特別に被害を被ったんか?
勝手に祈らせとけば、ええんちゃうんかい
80 :
名無しさん@1周年:02/10/24 21:05
>>76 > いや、恨みや嫉妬や憎悪がないような状態だと書いてあったからな。
そういう感情がないことを、精神的に安定していると言うんじゃないかな。
口で言うほど生やさしくはないんだけどね。
> ようは、生まれながらにして病気をもった子供がたくさんいるじゃないか。
前世のカルマとか、あるいは特別な目的があってそうなるんだと思うんだけど、
生長の家では、そこまでは説いてないのかな。
81 :
名無しさん@1周年:02/10/24 21:19
>>80 >前世のカルマとか、あるいは特別な目的があってそうなるんだと思うんだけど
生長の家では後者を取ってると思う。人間は目的(使命)を持って生まれてくるから。
前世のカルマとか説く宗教もあるけど、それなら端的に言えばバチが当たったんだ!
っていってることで、なんか反発を感じる。
82 :
名無しさん@1周年:02/10/24 21:29
>>80 いやいや失礼。
ちと言葉が足らなかったかな?
精神的に安定してるってのは、てっきり、躁鬱病だとか分裂病だとか、
もっといえば、いわゆるヒステリーとかそういうのかと思ったんだよ。
確かに今はやりの心療内科とかでいわゆる心身症というやつがあるから、
だから、肉体とのあいだに関連があるというのは分かるというたわけ。
前世のカルマって何?魂のかな?魂に病気はないしそのへんは、うまく説明するのは無理か。
83 :
名無しさん@1周年:02/10/24 21:32
カルマっていうのは、自分を見る鏡みたいなもので、自分の内面を探求するには
すごくありがたいものだよ。
84 :
名無しさん@1周年:02/10/24 21:32
>>81 よー言うた!!
そうなんじゃよ。結局な。
産まれたそのときから罪をせおっとるかのようじゃないか。
特別な目的ってのもなんだかこじつけに聞こえる。
具体的にといってもなんとも言い様がないんだろうけど、
なんか、例えばこんな とかある?
85 :
名無しさん@1周年:02/10/24 21:34
カルマ=業と理解してたんだけど違ってましたか?
もっと詳しく説明して欲しいです。お願いします。
86 :
名無しさん@1周年:02/10/24 21:43
カルマとはなんぞや?
広辞苑では 「業」、ネットで検索したら、「課題」「罪」
これで自分の内面を探究できるんか?
ちっともありがたくないんだけど。
>>86 説明が飛躍しすぎたか。
カルマとは、簡単に説明すると、人に対してしたことが、自分にも起こ
るっていうこと。
たとえば、誰かに刃物で刺されたとする。それは、現世か前世で自分も
誰かを刃物で刺したことがあるからだ、という考え。
そういうことが起こると「俺はある状況になると、人を刺すような性格
があるんだな。それはどういう状況だろう。」という風に探求してゆけ
るわけだ。
まあ、不幸な出来事が起きてる人にそんなこと言っても、普通は怒られる
だけだから、ここまで出来る人は少ないかもしれないけどね。
88 :
名無しさん@1周年:02/10/24 21:58
因果応報ですね
89 :
名無しさん@1周年:02/10/24 22:11
カルマの探求をするなら、自分のだけにしときましょう。
他人様のを追及すると、鬼とか薄情者とか言われます。
90 :
名無しさん@1周年:02/10/24 22:15
なんだか自作自演っぽいけど・・・・
そもそも前世とかを信頼できないからなんとも胃炎が、
この間、電車でおやじに痴漢された、っつたら、自分もいつ痴漢行為をするとも知れん
ってことになるのかな?
思いもかけず、かっこいい人にさそわれたら、
自分もいつ人をさそうかもしれんってことになるのかな?
だいたいそんなに、わるいことばっかりおこるものなの?
92 :
名無しさん@1周年:02/10/24 23:22
>>91 カルマはいいこともわるいことも両方含むけど、普通解決したいと思うのは、
悪いことの方でしょ。かっこいい人にさそわれたら、楽しめばいいだけで。
まあ、あまり神経質にならなくてもいいと思うけどね。
93 :
名無しさん@1周年:02/10/24 23:32
因果応報ということなら、いい事をすればいい事が返ってくるわけで
悪いことばかりじゃないでしょう。
でもこれは天に唾を吐けば〜って奴と同じで大抵の人は似たような事を
子供の時に親に言われてるでしょう。
ただ、それを過去世からの因縁因果(悪い方を特に)で説いたのがカルマ
の法則と思っている。
しかしそれを言っちゃえば、現世は過去世で犯した罪を償う為に生きて
いることになってしまい、なんか厭世感が漂ってしまう。
それじゃまったく悪いところの探求にしかならないじゃない。
人間生きていくためには自分の悪いところも知らなきゃいけないかもしれないけど
自分のいいところもしっとかなきゃやってられないんじゃない?
因果応報って結果があってその原因があとでわかるってことなのかな?
それとも、原因があるから結果があるのかな?
95 :
名無しさん@1周年:02/10/24 23:50
まあ、不幸なことも全部ひっくるめて、自分の人生を肯定できるかどうか。
カルマを受け入れるポイントは、そこかな。
96 :
名無しさん@1周年:02/10/24 23:55
>>93 おーそうだよ
だから、なあんとなく暗い感じになってしまうわけよ。
もっといえば、今がよければそれでいい、みたいな今の風潮はどうなる?
現世では楽しんで、来世でくるしみゃいいじゃないかってことになんないかな?
これは、生長の家の教えに反してんじゃないか?
97 :
名無しさん@1周年:02/10/25 00:02
>>94 たしかに、自分を愛することが基本だけどね。
愛しい自分のために悪いところを直す。そういう考えが出来て、初めて
実行出来ることではあるね。厳しくつらい道なのは確か。
だから、誰にでも強制出来る事ではないかもしれない。
原因のあとに結果がある。
おいらの学んだ範囲で答えてみますよ。ちょっと自信はないけどね(笑)
カルマという言葉は使わないが、身口意の三業と言う言葉を使うね。
あれ、漢字あってたやろかぁー。
行いによる業。言葉による業。思いによる業。
だったかなぁー。
それらの結果はすぐに現れる場合と後生にまで持ち越す場合があり
「三時業」あるいは「三種の業報」と言うらしいね。
業と言っても善業もあるし悪業もある。
良いことをすれば善業がつまれ悪いことをすれば悪業となる
このあたりは仏教の教えと変わらんと思うね。
業は種みたいなものだから、すぐには現れないのかな。
「小善をつみなさい」とよく指導されますね。
悪いことをすれば悪い種、良いことをすれば良い種を蒔くわけ
でもね、悪い業は懺悔と良き行いで消えていくらしい。
闇に光が射し込むようにね(微笑)一安心。
原因があるから結果がある、ってのは必ずそうなのか?
それは我々が勝手にいってるだけで実際にそうかってことになるわけよ。
そりゃあとで無理やりこじつけたってことはないのかな?
>>98 えー話や!!
それがホントなら実にいい宗教だな。
というか、実に分かり易い。
あとは常識に照らして、いいことと悪いことを判断すりゃいいのかな?
あ、でもやっぱり原因ありきってことか・・・・
101 :
64ですよ:02/10/25 00:17
あとさ、おいらの聞きかじったことだけど・・・
人の運命ってね、
過去世の行い(業)・現世の行い・今を生きる努力
こんなふうに聞きましたね。違ってたかなぁー
過去の業だけで運命が決まるわけではないそうで
おいらは・・・一安心。
でも、しっかり今を生きなきゃね努力努力だね。
102 :
64ですよ:02/10/25 00:24
99さん
>そりゃあとで無理やりこじつけたってことはないのかな?
おいらもそう考えたことあるよ。
でも最近はね、これは先人の知恵の集積のような気がするよ。
仏教の教えは何千年も人の心を導いてきたからね。勝てないよ(笑)
103 :
名無しさん@1周年:02/10/25 08:51
過去世の業だけできまるわけじゃないっつっても、やっぱり、関係してるじゃないか。
自分がいままで生きてきたその分の過去なら、まだいいけど、
それは、いわゆる現世の行いということになるんじゃろ。
折れ的には、今をしっかり生きなきゃならん。いうところは、大賛成なんだが。
104 :
名無しさん@1周年:02/10/25 08:58
因果応報って、宗教的には実にクリアーカットに説明できるからいいんだと思っとった
実際には、そうでない、もしくは原因がはっきりしない、原因が違っているなどの
問題があるとおもうのね。
だから、あとでのこじつけの原因というのがあるんじゃねーかとおもとるわけ。
105 :
名無しさん@1周年:02/10/25 11:48
でもカルマとかならまだいいぞ。自業自得だから。
もっと嫌なのは「親の因果が子に報い」って奴。
自分の報いなら自分に返してくれよ!
まぁせいぜい子の為に襟を正して生きていきなさいってこった。
106 :
名無しさん@1周年:02/10/25 11:54
そうさな。
生長の家では、そげなことはいわんじゃろ?
産まれ来る子供には全く罪はない。純真無垢ってやつかな?
しかし、その子供にしても、前世のカルマで云々となってくるなら、
これが本当に自業自得といえるのか?
107 :
名無しさん@1周年:02/10/25 14:35
「ありのままの自分を認める」とか、「すべての人、事、物に感謝しなさい」
とか現代の問題点について説かれた気がします。聞いた範囲だけど・・
あ、あと両親に感謝という事、先祖供養か(w
前世からの問題とかは聞いたことがなかった。
カルマとか因果とか、自分の罪ばかり見つめるようで私は嫌いですが、
今現在の置かれている状況そのものが前世からの因果でできているとすれば
この状況をありのまま受け入れて、いつも感謝している状態でいれば、悪い因
果は断ち切れるんじゃないでしょうか。
つまり前世の悪い因果は力まずとも自然に清算していっていると。
そりゃ、色々問題も出てくるでしょうが、その人が必ず乗り越えられる問題しか
起きないそうで。だから人生投げないで一生懸命生きましょう(w
きっとなにも前世の因果で悲惨な状況が次々と起こるとか、生まれつきの障害
に一生苦しめられるとかそんな救いようがない話じゃないと思う。
前に「知ってるつもり」に出てきた障害をもった人は、ものすごく悟っていて宗教家
のようだったし、自分の境遇に感謝してた。誰だったか忘れたけど(w
だって修行して魂を高める為に生まれて来たのに、罪ばかり見つめて自分を責めて
辛い、苦しいで向上するとも思えない。お釈迦さまだって「苦行は悟りの因ならず」
っていってるし・・・確か・・・なんか殆どうろ覚えでスマソ
108 :
名無しさん@1周年:02/10/25 14:42
冊子がポストに入ってた事あるが
「医者もさじを投げたガンに、入会して祈ったら不思議と治りました」
とかのワハハ体験談が満載ですた。
お前、その医師も信者なんじゃないかと。
夏休みとかになると、信者の子供をかき集めて観光バスに詰め込んで
どっかに連れていく場面を見かけますた。
宗教でガンが治るなら、医者は商売あがったりだし、ノーベル賞もんだよ
109 :
名無しさん@1周年:02/10/25 16:27
宗教でガンが治るんじゃないだろよ
宗教で心が調律されて本来の免疫力や自己治癒力が発現されて
その結果、ナチュラルキラー細胞やらがガンの増殖を防いだり
時として、驚くべき結果も現れると言うことは不可能ではないね。
宗教は心の持ち方を指導する・・・大いに結構なことだな。
祈れば治ったなぁーんて単純なこと書いてあるのは見たこともないね。
何年何月号のなんページかな
興味ある人は今度じっくり読んでみればわかるよ。
精神身体科学って分野でノーベル賞もありえるね。
110 :
名無しさん@1周年:02/10/25 16:45
信仰したことの一つの結果としてガンが治ったに過ぎない。
ガンを治す為に信仰しているのは本末転倒。
111 :
名無しさん@1周年:02/10/25 16:55
医者が信者で、実際は大した病気じゃないのに
重病だと言ってたら(略
いや、確かにがん細胞の自然消失ってあるのはあるよな。
しかしな、そんなにあるもんじゃねーよな。
ついでにいや、病気によっちゃ、薬をやめるだけでも治っちまう病気だってあるんだし。
それを難病だというんじゃねーのか?
生長の家って理想世界だとか、勝手にその辺の家に配ったりするもんなのか?
そいつは初めてきいたぞ?
それともうちの近くにはいないのかな?
113 :
名無しさん@1周年:02/10/25 17:30
>>112 ずばり近くにいないだけでしょう。
勝手にって・・・・ポストにいれるだけで、ピンポン鳴らしてちょっとお話を・・・なんて
のはないので良心的なほうじゃないかな。昔からよく入ってますよ?いつもじゃ
ないけど。
何がはいっとるん?
それって実はただ単に余ってしょうがないからってことかな?
64ですよ さんは最近現れないなー。
それなりに誠実に答えてくれて、よかったのになー。
宗教法人ってのは
あくまでどんな人にも自分らの考えを広め、それ以外のことを目的としないんだろ。
116 :
名無しさん@1周年:02/10/25 20:50
>>114 シロハトと光の泉。
あまったのかもしれない。○月号というのがその月とあってないのが多い。
なーるほどなー
やっぱそうか。あまっとんだろうな。
で、その冊子を読んでみたりすることはあるんかいな?
興味もねーってか?
でもまー、ここに書いてあることをみる限りでは、
政治的背景は別にすれば、その精神は悪くない感じはあるのだが
118 :
64ですよ:02/10/26 00:18
今帰ってきました。横田めぐみさんの子供さんも
政治に巻き込まれ気の毒な限りですね。まさに駆け引きの道具
ちぐはぐな会見をみれば観るほど彼女が気の毒に思えました。
そんな報道をみてからここを覗くと
ただで本の入るポストがあり、表現が自由であり、おいらは甘えすぎていた
かなとおもいます。
北朝鮮の様々な様子を知るに連れ
日本の自由で豊かなことに感謝していたかな、反省します。
政治はそれぞれ主張を譲れなくて妥協という結果に終わりますね。
今求められていることは、
国境や思想や宗教を越えた、おなじ大きな大きな生命の子供達
という一点に戻れるかどうかと言う事かも知れませんね。
そうさな。
要は、生長の家でいうところの「神の子」ってことかな。
この考えだけだったら受け入れない理由はないんだろうな。
そもそも政治というか、外交も含めて、駆け引きなんだろうから、
それそのものを批判するのは、どうだろうか・・・・
120 :
名無しさん@1周年:02/10/26 11:02
金正日将軍様も神の子だと思いますか? ⇒生長の家の信徒の方々
121 :
名無しさん@1周年:02/10/26 11:15
いくら神話を読んでもなおらないとか、谷口自身が事業に失敗して大穴をあけたとか、
自分の一人娘が結婚に失敗して二度目のムコをもらったとか、「心のまま」説一本やりで
は始末にこまることがたくさんある。そこでこじつけたり、ごまかしたり、まだ信心がた
りないと高飛車にでたりするのだが、それでも説明にこまると、はかり知れない複雑な霊
界の構造を持ち出さなければならなくなる。生長の家では肉体を離れた先祖の霊の存在を
認めてその供養に「甘露の法雨」を上げさせるし、自己や家庭の業(ごう)とか因縁とか
も説く。だから、谷口が出版事業のほかは、みな失敗するのは彼の業のせいだなどと、信
者に評判される。
122 :
名無しさん@1周年:02/10/26 11:17
生長の家の本部講師といえば数もすくなく、教団の幹部級だが、その一人に、元キリス
ト教牧師の杉浦慶一という人がいた。彼は家ダニ事件で名高く、谷口もよく自慢話にして
いた。
家ダニ事件というのはこうだ。杉浦が浜松の自宅で日曜学校をやっていたとき、家ダニ
が無数にふえて閉口した。薬を使うのは可愛想でできなかったというから、用事を預かる
のに消毒やハエの始末をどうしていたのか気になる。それはともかく、閉口しているとき
に「生命の実相」を読んで感心した。生長の家の思想の根本には、「天地一切のものと和
解せよ。……和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。……」(大調和の
神示)というのがある。そこで、神想観をして家ダニを拝し、「家ダニさん、家ダニさん」
と呼びかけた。つまり、家ダニには六畳の間を専用にあげるから、他の室には入らないで
くれ、と協定を申し入れた。するとフシギ!家ダニは、「ゾロゾロとその六畳間に納まっ
た……」
家ダニがそこで何を吸って生きていたのか知らないが、この童話風の体験談のおかげで、
杉浦は本部講師にバッテキされた。
杉浦講師は、その後、結核菌との和解をこころみて失敗し、ついに病死した。生長の
家としては大きな痛手だが、谷口はそれを弁解して、杉浦は「本当に和解するとは互い
に処を得るということだ」という点を忘れて、結核菌の不当な侵入を許したからだ、と
いっている。だが、結核菌としては人間の肺にこそ最良の処を得るのだろう。もしも杉
浦がまちがった考えでいたのなら、谷口はなぜ教えてやらなかったか。気が付いて注意
を与えようと思ったがかけちがって会えずにいるうちに、杉浦は死んだ。谷口は「私は
後で後悔したんですけれどね、そういう機会に恵まれなかったのであります」と平然と
言ってすましている。(「聖使命」九五号)心が変われば世界が変わるなどと大きなこ
とを言いながら、人命にかかわる忠告の機会さえ「恵まれ」なければ作れないらしい。
123 :
名無しさん@1周年:02/10/26 11:22
精神病理学者小田晋先生のパトロン?
124 :
名無しさん@1周年:02/10/26 11:50
結局、生長の家がまともになったのは、谷口雅春氏が死んでからですか?
125 :
名無しさん@1周年:02/10/26 12:19
組織を拡大しようとすると矛盾も色々出て来るんですね。
旦那にハイと言え、という教えのわりに、
旦那が止めろ、というのを聞かないで信仰している人が
沢山います。というより旦那に内緒でやるように勧められ
る人が多いような気がします。
これも??どうなんでしょうか、信徒の方。
・・・生長の家には好意をもってるんですが。
67 :64ですよ :02/10/24 13:48
おいらは信者ではなく信徒だよ(笑)まっ用語の違いだけどね。
魂=心・・って単純には考えないんですよ。
心には、顕在意識もあるし潜在意識もあるもんね。
あるいは理念なんていう言葉もあって難しいものですからね。
おいら的には、
現象に表れた肉体は意味のあるものだから大切に使いながら
人生学校を歩んでいきたいですね。
魂の健康ってあんまりピンとこないなぁー。
あと、
生長の家では、病気になったら自分自身の心を省みて
恨みや嫉妬や憎悪の感情がなかったかを反省して
あたりまえに病院に行き、お薬をもらい感謝して服用します。
内面からの治療と化学的治療の二つがそろえば快復は早いですね。
薬を飲むななどと指導を受けたことは一度もおいらはないね。
ということみたいだけど・・・・
結核菌と和解するのは、どうだろうか?
明らかに治療法が確立していて、しかも治療が効果あるんだから
それを自慢げに言われるのは、ちと飛躍しすぎって感じだな。
そもそも生長の家は、キリスト教に似てるような感じもするんだけど
127 :
名無しさん@1周年:02/10/26 14:05
万教帰一なので、いろんな宗教の要素を持ってるのでは?
むしろ神道の要素をベースにしているように思える。
生長の家がまともになったのは政治活動を辞めたからで右翼的な人間は組織活動がつまらなくなって消えました、崇教真光とか右翼的なとこで活動しているのでしょう。生長の家はすっかり婦人団体化しましたけど
なるほどなー。神道が基本となってるってこたぁ皇室が大事だと。しかし、政教分離とかいいながら昔は生政連とかあったよな。今はぜんぜんなくなったということかな?
130 :
名無しさん@1周年:02/10/26 18:04
折れの知り合いの信者は「先代旧事本記」というのを一所懸命研究してるらしい
んだが、何が書いてあるの?
131 :
名無しさん@1周年:02/10/26 18:39
で、結局なんかわからんってことかな?
それとも生長の家とはかんけーないのかな?
どーなのよ。政治とはもう一線をかくしとるんかいな?
133 :
名無しさん@1周年:02/10/26 20:05
何故メール欄が「ちゃん」から「ちよん」に?
レス見る限りでは本当の信徒さんは
64ですよさんしかいないみたいだから
待つしかないのではないでしょうか。
生長の家は真偽はべつにして古事記・日本書紀を第一に考えています。
お!すばらしい。よくぞ気付かれました。
PCがつなげないとこで携帯でやっとんじゃよ。
因みに、別のスレでは「・」さんもそうかとおもっとったんだけどなー
お忙しいかな
136 :
名無しさん@1周年:02/10/27 08:50
別スレではアクエリアンという人もいますね。
人によって教義の理解にかなり差があるように見えますが。
ところで、「・」さんと「:」さんと「/」さんて同一人物?
137 :
名無しさん@1周年:02/10/27 20:36
心因性の病気は本体界に働きをかければ直るのであり、何も生長の家でなければなら
ないということはない。従って病気が直ったからといってその教えが絶対だと思って
はならない。重要なことは何故直ったかと科学的に究明することである。
138 :
名無しさん@1周年:02/10/27 20:36
◆◆◆◆◆◆◆ 強制連行なんて無かった、ダマされた日本人 ◆◆◆◆
1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は
日本政府が朝鮮人の来日を取締まっていた昭和10年までに渡来したものが全体の
53.7%と半分以上になる。
昭和11〜15年はまだ民間の自由募集の期間であり、次の16〜19年の中でも「国民
徴用令」による徴集は19年の9月以降の僅か4ヵ月間であるから、単純に計算しても、
この期間に徴用された者は16〜19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人ほど
にすぎない。そこに次項「昭和20年9月1日以前」 の679名を加えた概算1889人ほど
が、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になる。仮に「官あっせん」を徴用
の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月〜19年8月の来日者
の推計数を全部加えても約1万1300人ほどである。従って、昭和20年8月終戦当時の
在日朝鮮人の全人口が約210万人ほどであったから、何れにしても当時の在日全体
の僅か0.5%以下にしかすぎない事になる。(2002年現在の在日人口は約63万人)
当然これは正式な徴用としての徴集であるし、日本人も全く同じ条件であった訳で、
それが強制連行などではなかった事など説明するまでもない。この推定は、昭和16
〜19年間の月間来日数を均等として計算したものであるが、実際には、関釜連絡船
の運航は終戦が近くなるにつれ次第に困難になりつつあったから、19年後半からの
来日徴用者も減少しているはずであり、どんなに徴用の概念を広く解釈しても、終戦
当時の在日全体の0.5%を超えるような事など有り得ないし、その僅かな徴用者達
さえも実際には戦後まもなく帰国してしまった者がほとんどなのである。
更に、大正時代からの白丁などの被差別階級の大量の密航者や、朝鮮戦争時に
受け入れた大量の難民や密航者もこれに加えると、今残っているほぼ全ての在日
が徴用とは全く関係の無い、単に自主来日した人達ばかりであるという事が分かる。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/
139 :
名無しさん@1周年:02/10/27 20:38
最近彼は「生命の実相」七十四頁に於て述べた。
「生長の家は病気を治す目的を以て出現した」
との前言を翻えして
「生長の家は病気を治すが主でなく、心を治すのが主だ、しかも心が治ると病気は自
然に治る」
と彼一流の巧みなカムフラージュをきめ込んでいるが、この三段論法、結局結果に
於て何等変るところがないのである。けだしこの頃の新聞はこのようなインチキ極る
「生長の家」の公告を営業本位の立場からか殆んど絶え間なく掲げるのである。ここ
まで来れば新聞の功罪もも早や問う必要がない。(完)
140 :
名無しさん@1周年:02/10/27 20:39
急性肺炎や急性コレラや天然痘のときは谷口の本を何万冊よんでも無効でしょう。
141 :
名無しさん@1周年:02/10/27 20:52
もし「ひとのみち」の「お振り替え」が詐欺だとすれば「生長の家」の「神想観」は
果して詐欺でないといえるであろうか。
A 前橋のある養蜂家が「生長の家」に入って「神のお送りになったこの世界は無限供
給であって、必ずよき成績が上がるものだと信じていると、去年の倍ほどの成績を上げ
ることができたし、先日ヒョウがふって桑の葉がいためつけられたときにも、自分の畑
だけは別に損害もこうむらなかった」
B 五十嵐某は、隣の工場から出火し、おりあしく風下だったが「自分は「生長の家」
だから、火事に焼けるなどということはない」といってゆうゆうとしていると、とた
んに風向きが変わって風上になった。
C 某の孫がエキリにかかったとき「天地いっさいのものと和解せよ」という教えに
従って「バイキンよ、おまえといえども生命である。生命は神からきたものであり、
われわれもまた生命であって神からきたものである。さればなんじとわれとは神に
おいて兄弟ではないか。なんじ兄弟なるバイキンよ、わたしらは決して殺菌剤を使
ったり、注射したりしておまえを殺そうとはしないから、おまえもこの子供を殺さ
ないでくれ」と和議を申し込むと、たちまち熱は下がって快癒したという。
これに似た「実例」は「生命の実相」をはじめ「生長の家」発行の文献のなかから
無数に拾い出すことができる。これが、もし事実だとすれば今日までに、人類が築
きあげてきた科学も文明も、根こそぎくつがえってしまいそうな一大驚異だが、も
しそうでないとすれば、人心を惑わすこと、これほどはなはだしきはなく、まさに
詐欺以上である。
142 :
名無しさん@1周年:02/10/27 20:52
かかる「奇跡」が事実ありうるものならば、日本の悩みのたねである「農村更正」問
題もたちまち解消するのであろうし、莫大な費用をかけて消防設備をする必要もなくな
る。だいいち、医者も病院も不用になり、人間は無病息災でいつまでも生きていること
になる。
このすばらしい奇跡の恩恵に浴するにはどうすればよいかといえば、谷口雅春の著書
を読むなり、話を聞くなりして「われの置き換え」をすればよいというのだから笑わせ
る。こんなバカげたことを書いた書物が公然と出版され、それを信じるものがつぎつぎ
に出てくるのだから、この世に詐欺師が後を絶たないわけだ。
実際人間に、そういう能力が神から与えられているのなら、人類が発生して何千万年
もの間、とっくにそれに気がついて、もっと違った文明を建設していたにちがいない。
またこれまで谷口以外にもそれを悟って、この思想を普及するものも出たにちがいない。
そしてその思想がほんとに正しいものならば、いまごろは全人類がその思想によって動
いていたろう。
これに反してこの思想は、人類始まって以来谷口にして初めて悟りえたものとすれば、
それこそ谷口は神に近い存在だということになる。ところが、この「類似神」は決して
万能でないのである。わたしたちは自分の身辺に「生長の家」に入って、病気が治らな
かったばかりでなく、そのために医療をおろそかにして生命を失った実例を無数に知っ
ている。
143 :
名無しさん@1周年:02/10/27 21:41
生長の家が取るに足らないニセモノである根拠の要点
@日本が勝利する預言の神示を出したのに現実には負けた
A敗戦後に戦時中に出した「日本勝利」の神示をまちがい
だったといって否定する神示を出した
和解したとたんに熱が下がったというのは、科学的に有り得ることだろ。
熱なんて上がったり下がったりするもんだろ。
だから、祈ることによって時間かせぎして自然に軽快することだって充分ある。
だからそれを頭から否定するのはいかがか?
64ですよ さんは、薬を普通にのむと言うとったが、これはよそ行きの言葉かな
145 :
名無しさん@1周年:02/10/27 22:16
エイズのときは谷口の本を何万冊よんでも無効でしょう。
146 :
名無しさん@1周年:02/10/27 22:18
心因性の病気は本体界に働きをかければ直るのであり、何も生長の家でなければなら
ないということはない。従って病気が直ったからといってその教えが絶対だと思って
はならない。重要なことは何故直ったかと科学的に究明することである。
だからな、有り得ると言うただけなんだけど、科学的にな。
折れは信徒じゃねーから最初から疑ってかかっとる。
前にも書いたがエイズは、予防が全てなんじゃねーか。エイズウイルスと和解できるはずないからな。だから今必死に研究してんだろうからな
科学というのは、再現可能な現象しか対象にしない。
バイキンと和解したから病気が治る、というのは再現可能な現象とは思えない。
つまり、科学的とは言えないんじゃないかな。
ただし、科学の対象にならない(再現可能でない)からありえない、とは折れは
思わないけどね。
おっしゃるとおり一般には科学は再現性がないといけないといわれるよな。
ほいじゃ人類学は科学ではないのか?再現性なぞあるか?
折れが言ったのは、自然軽快のことで、解りやすいのは風邪だよ。まさか風邪は病院にいかなきゃ治らないなんておもわないだろ
150 :
名無しさん@1周年:02/10/28 00:01
しかし一方で病無しといいながら他方では病は心の陰なんて
言うのはどう言うものかね。
折れは、信徒じゃねーからここで知り得ただけでまだよく分からんのだが、
魂(心とは違う絶対的なもんみたい)の話のようだな。
その病云々は。で、魂が病気になることはないのに、魂を生長させと云ってるわけよ。
どーもそのへんは理解しがたいものなんだけどな。
いずれにせよ、そろそろ休みもあけるから、64ですよ さん他信徒があらわれるのを
まつしかねーのかな?
152 :
名無しさん@1周年:02/10/28 09:57
>>151 うあ〜〜〜なんか私のレスを参考にされてるようですね。(汗
そのような感じで書き込みましたが、私は信徒ではないんですよ。
魂とかいうと、普通存在を認めるか云々でもめますが、ここは
存在を認めている所からスタートできるので、嬉しくてちょっと持論
を書かせてもらったんです。
親類が昔やってたんで生長の家には興味があり、
魂をどう定義づけているのかも知りたかった。
誤解させて申し訳ない。信徒の方にも迷惑をかけますね。
以降ロムに回ります。許してください。
でもここは信徒でなくても、同じ疑問を持つ一般人が語り合える
オープンな雰囲気でとても好きでした。
できれば本当の信徒さんに分かりやすく説明してもらえればと
思ったんですが・・・・ちゃんさんごめんなさい、64さんが出てくるのを
一緒に待ちましょう。
うんぎゅー
さいでしたか。
おっしゃる通り、ここでは、信徒の人もその宗教的基盤に立ち返って
レスしてくれるので、どっかみたいにただの誹謗中傷に終止しない
ってとこが、いいんすよ。
本来なら、自分で教化部にでも行けって感じかもしれんけどなー。
いまいち敷居が高いのね、まだ
154 :
名無しさん@1周年:02/10/28 10:56
■人間・神の子、罪本来なし
生長の家の教義は「唯神実相哲学」(ゆいしんじっそうてつがく)とも
呼ばれ、その中心思想は「タテの真理」と「ヨコの真理」に大別できます。
「タテの真理」とは、人間は本来、神の最高の自己顕現であり、如来であり、
無限の生命、無限の知恵、無限の愛、その他すべての善徳に満ち満ちた久遠
不滅の存在であり、これが人間の実相(本当のすがた)であるということで
す。従って人間の原罪を否定し、罪の存在を否定します。そしてキリストだ
けでなく、すべての人間が神の子であることを認めます。
■環境は心の影
「ヨコの真理」とは、現象界(現実の世界)は唯心所現の世界であり、
心に従って自由自在に、貧でも、富でも、健康でも、不健康でも、不幸でも、
幸福でも現すことができるということです。
155 :
64ですよ:02/10/28 11:14
おひさしぶりです(笑)
いやはや、すっかりわたしに振られているとはトホホです。
さてと、154に生長の家のホムペから一部切り取ってみました。
実相と現象
縦と横
この考え方を理解していないと、現象の世界のことを説いているのか
それとも、ココでは実相の世界のことを説いているのかゴチャゴチャになり
わかぁーんなあーい
てなことになります。おいらもさぁーぱり最初はわかりませんでした。
でもね、「神想観」という行を縁あって教えてもらい
少しずつ理解していきましたね。
うーーんしたがって文章化して理解してもらうには・・・
雅春先生の本を何冊か真剣に読む以外にないかな・・・という
アドバイスしかおいらにはできませんね。
あと、おいらの言った魂とは 神=大生命 人=生命(大生命のひとつの現れ)
生命=魂 魂の本源=神 といった感じでとらえた場合の魂でした。
156 :
64ですよ:02/10/28 13:28
>金正日将軍様も神の子だと思いますか? ⇒生長の家の信徒の方々
そういえばこんな問いかけ(笑)がありましたね
生命の実相という観点からみれば彼は神の子となりますし
現象の肉体人間としてみれば、「この独裁者ヤロー」となります(爆)
彼の本当の魂は・・・のはずですが、現象の彼は闇に覆われています。
・・・はね
さすがのおいらも「すばらしい魂」とはかけなかったよ。修行中!
157 :
名無しさん@1周年:02/10/28 18:07
64ですよさん、正直ですね。
谷口雅春先生なら、金正日に対しても、神性を見、感謝されたでしょうか?
>>145 本を読んで『理解』しただけじゃダメでち
『理解』しただけじゃなくて『自覚』しなくっちゃダメでち
「心が変われば世界が変わる」のでち
小生も聖経読んだり祈ったりしても解決出来ない問題あったでち
小生父親の事憎んでいたでち
父親と和解した時に願望かなったでちよ。
159 :
名無しさん@1周年:02/10/28 19:09
右系日本人は、韓国、朝鮮、中国と和解した時に願望かなうですか?
160 :
名無しさん@1周年:02/10/28 19:11
左系日本人は、日の丸、君が代、天皇と和解したときに願望かなうですか?
161 :
名無しさん@1周年:02/10/28 19:19
生長の家=アメリカの手先=統一教会
162 :
名無しさん@1周年:02/10/28 19:31
ま、宗教が政治に口出ししすぎると、こんな評価されてしまうわけですね。
163 :
64ですよ:02/10/28 19:50
>谷口雅春先生なら、金正日に対しても、神性を見、感謝されたでしょうか?
おそらく、實相顕現を祈られたでしょう。感謝???何にでしょうか
あと、右か左とかその人の立つ位置で変わるものには答えようもないね
願望???何じゃろかそれ(笑)
161の人て他にも書き込んでたけど・・・大丈夫ですかぁー
一度心療内科でカウンセリングを受けた方が良さそうですね。
ちなみに、おいらは統一協会は大嫌いです。宗教の面汚しだ!!
164 :
名無しさん@1周年:02/10/28 20:09
「植芝先生、合気道で一番強い技は何でしょうか?」
「自分を殺しに来た相手と友達になることだよ。」
165 :
64ですよ:02/10/28 21:55
植芝先生!
修行をし直します!
>>155 魂は、タテの真理の一つであるのかな?
で、生命は大生命の一つのあらわれってどういうことかな?
あらわれってことは、ここでヨコの真理に突入ってことかな?
で、ここで生命=魂になっちまうのはなぜ?
魂には、罪もなにもないって話じゃなかった?
ん?じつは、現象の世界じゃなくて実相の世界になるのかな?
いったいどっち?
少なくとも、魂は、実相の世界ということになるんじゃなかろうかと推察するが、
話のながれからは、そうともいえんな。
167 :
名無しさん@1周年:02/10/28 22:54
縦と横をどうやって使い分けりゃいいんだろ?
168 :
名無しさん@1周年:02/10/28 23:05
例えばですねぇ、病気になった時にですねー、自分の心が間違っていた
と反省して誰かと和解するのが良いのか、神ノ子に病無しを自覚するの
が良いのかですぅ。
169 :
名無しさん@1周年:02/10/28 23:24
困った時には斜の真理を適用
170 :
名無しさん@1周年:02/10/28 23:33
>>168 それは難しい問題だが、その時の気分で使い分けるのが一番。
ん!
タテとヨコ
これって使い分けるものなのか?
それじゃ因果応報にあってないじゃないか。
結果からその原因を探しちゃいけねーんだろ。だったら、使い分けるということ自体
おかしいことになるようなきがすっぞ。
だから、折れは、
>>166で思ったように書いたんだが、
>>161 って確かに外でも見かけたな。
どうでもいいけど。
生長の家なんて論外!
174 :
名無しさん@1周年:02/10/29 00:37
縦と横はその人の自覚の程度に従って使い分けるものだと思います。
皆よく考えるでち
「大調和の神示」読んでみるでち
そこに書いてあるでち
「神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ」と書いてあるでち
争いやマイナスの念があると神様と波長が合わないでち
URLでもメールのアドレスでも一字違うだけで届かないでちよ。
自覚じゃと?程度じゃと?
ますますわからんぞ。現象の世界と実相の世界を使い分けるってどうやって?
だって、現象では、心の持ちようっていうわけだろ。
実相では、何も悪いことなぞないんだろ?
どうやっても使い分けることができないけどな。
それとも、修行でそれが出来るようになんのかな?
177 :
名無しさん@1周年:02/10/29 00:54
178 :
名無しさん@1周年:02/10/29 01:04
皆さんは生長の家の教えが正しいという前提で話をされていますが
まずそこから疑う必要があるのではないでしょうか?
179 :
名無しさん@1周年:02/10/29 01:09
>>176さんの言っている意味がよくわからないのですが
180 :
名無しさん@1周年:02/10/29 01:18
要するに横の真理なんて要らないだよ。
横の真理はレベルの低い魂を諭すための方便。
↑
まあココでグダグダ言ってないでやっぱり練成行くでち
議論したってしょうがないでち、練成行って勉強するべし
182 :
名無しさん@1周年:02/10/29 01:24
183 :
名無しさん@1周年:02/10/29 01:40
横の真理が諸悪の根源
185 :
名無しさん@1周年:02/10/29 01:48
谷口雅春
「読者、誌友は書籍代だけ払って、薬代は要らない。誌友は株式会社に出資して、
聖典の出版でもうけ、配当を受ける。無論、私も損はしない。印税を受ける。
共存共栄の生活がそこに生まれる」
薬代は要らないってまじ?
やはりそこに物的な利害関係があるからですね。その講師がたとえ教えの正しからぬこと
を知ったとしても、良心の指図にしたがってすぐ手を切れるかどうか、それはわかりませ
んよ。
昭和30年代に生長の家長老、幹部信徒が数多く教団を離れていった。
190 :
名無しさん@1周年:02/10/29 06:21
>「神霊界」1919年(大正八年)一月一五日号
>対話 光なき国 谷口正治
>佛霊の三。
>大日如来様が佛界(このよ)を主宰された昔がどんなに恋しいだろう大日如来様は
>毎朝あの夫婦岩の間から御神体をお顕し下さった。そして恵深い光を私達の身体の
>上に降そそぐ雨のように甘露のように注いで下さった。そうして私達は生気を得た
>のだ。もう私達には生気の源はない。私達には太陽はない。私達には光はない。
大本教時代からすでに「甘露」「雨」など法華経の言葉を使っていた。
>>178 >>180 確かにそうじゃあるよな。正しい教えなのかどうかはわからんが、
少なくとも信徒は、それを信じているのだから、話を聞いて考えるのは自分でええやないの?
どういう考え方をしとるんかを知ろうとしとるんじゃが。
そこで、ここまで見てきたら、魂には、差別なぞないということが大前提としてあるように感じておる。
だから、レベルの低い「魂」ってその言葉自体、生長の家では存在するのかな?
176でした。
192 :
名無しさん@1周年:02/10/29 09:36
193 :
名無しさん@1周年:02/10/29 10:10
~國日本への愛國心を語らねば、生長の家の教えとは言えぬぞ。
>>192 さしあたって、政治的背景についてはおいておこうというわけですがな。
愛國心は、だれでもそれがたとえ共産党であれ、もっているでしょう。
ようはその方法論だとおもとります。
それはいいとして、精神論的にはいかがか?
195 :
名無しさん@1周年:02/10/29 12:50
自分には愛国心があるかのように臆面もなく言う人って、精神的には幼い感じが
しますね。
愛国心すらないといっているのはいかがですか?
自分が生きてる国ですよ?
自分の親が生きてる国ですよ?
自分の先祖が必死になって守ってきた国ですよ。
そんなことにすら気付くことができないやつから
「精神的に幼い感じがします」とかいわれてもな。
白けてるのがかっこいいと考える時代はもう終わったんですよ
197 :
名無しさん@1周年:02/10/29 17:32
愛国心だけが生長の家の教えの真髄です。
198 :
名無しさん@1周年:02/10/29 17:47
秘すれば花なり秘せずは花なるべからず
愛国心も同様
>>197>>198 んーー。
つまり、それは、別に前面に出すべきものでないとお考えなのですな。
折れは、生長の家に限らずみんな持ってんじゃねーかって言ったわけだろ。
ついでにいやー、普通に生活しとってわざわざそんなこと貴様のいい方によれば、「臆面もなく」いうわけないだろ。
そこに真髄があるんだったら、生長の家としてやるこたー別にねーんじゃねーか。
生長の家の人は自分のいってることが正しいと思いこんでいて
人の意見を素直に聞こうともしないで、話半分で口をはさんでくる。
あと自分で向上しているつもりかもしれないけど、
話してるこっちとしてはイライラします。
どっちかっていうと社会悪だよ。
本人が気付いてないのが、タチが悪い。
そうか?
それほどでもないようなきがするぞ。
折れは、もちろん信徒じゃねーけど。
ここでのレスを読む限り、社会悪というほどのことはないと思うが。
話半分で口はさんでくるってのは思い当たるふしがある。
そーいや彼は信徒だった
203 :
名無しさん@1周年:02/10/29 22:03
みなさんそろそろ生長の家の全てを盲目的に信じるのは
止めたほうが良いですよ。
盲目的に信じとるやつを信徒というんだろ。
そうじゃないからここでいろいろ好き勝手に質問しとるのだが
なかなか信徒くんが現れてくれんから、ちと悲しいのだけど
205 :
64ですよ:02/10/30 00:11
なんだかなぁー
頻繁にみることが出来なくて久しぶりに覗いてみると・・・
おいらも悲しくなります。
どこかの団体と違って反社会的な活動をしていないのに
意図的な書き込みがあって悲しいやらアホらしくなるやらです。
さらに、名無しばかりで誰が誰やらわからん事をいいことに
お調子に乗ってデタラメ言いたい放題・・・結局ここはそんなもんか
って悲しくなります。
オウムや統一のせいで宗教アレルギーになってい人が多いことは理解
しますが、本の一つも読まないで一方的に判断するのは幼稚な批判者
と思います。
また、自分で調べたことも実はないのに、あの世にいってしまった
昔の評論家の絶版になったような文章を張り付ける「盲目的」な
批判者は哀れなものです。
まあ、こう嘆いていても所詮Aチャンネルと言えばすむかも知れませんが
そんな中でも、まともなやり取りをしてみたいと思ったおいらは
アホだたのでしょうか。
204さんの様な人と冗談っぽく話し合いたかったのです。
盲目的という発言をする人がいますが
あなたこそ盲目的な批判者になっていないか振り返ってはいかがでしょう。
確かにご婦人の中には盲目的なと思われる(誤解を招く)方も散見されますが、
どんな場面でもその様な方はおられる訳で、信仰をもった人たちをすべて
盲目的と表現することは間違っていると思います。
宗教や神への信仰を全て否定する唯物論者である共産主義者であるのなら
みずからはっきり自分の主義主張を語り名前をなのって(匿名でも)の
発言を切に希望します。
スミマセン、酒を飲んで帰ってきたので・・・ちょいと理性が退化した
発言をしました。お許しを・・・おい誰にゆうとるんか・・・トホホ
206 :
64ですよ:02/10/30 00:20
立ち向かう人の姿は鏡なり・・・
こんな格言があります。
200さん、いかがでしょうか。
207 :
64ですよ:02/10/30 00:24
もちろん、おいらも同じです。
反省しながら生きていますよ。
208 :
名無しさん@1周年:02/10/30 00:43
我は神ノ子を潜在意識の奥深くまで叩き込めって自己暗示だろ。
209 :
64ですよ:02/10/30 00:58
自己暗示って悪いものと思いこんでないかい?
スポーツ選手は少なからず、オレは勝つと暗示して
試合に臨むよ。
どこかと違って我は悪魔の子なりって暗示するより
イインジャアナイカイ(笑)
どこかって・・・
統一協会は自分は悪魔の血統だって暗示してるんだそうだ
最悪だね。
「新潮45」1993年5月号 島田裕巳
「生長の家」御利益盛衰記
生長の家の創始者である谷口雅春が、ダスキンの鈴木清市が強く影響を受けた西田天香
の一燈園を訪れたのは大正十年の八月頃のことであった。当時の一燈園はまだ鹿ヵ谷
にあったが、『懺悔の生活』の出版により来訪者が増えた時期であった。一燈園の機関
誌である『光』九月号の「一燈園だより」には、「宗教家としては大本教にあつて色々
深い研究と体験を重ねてゐられる谷口正治さんがきて呉て矢張托鉢をまでして五日間
共祷された」と記されている。谷口の本名は正治で、当時はまだ本名の方を使っていた
谷口は、大本教の中にあって、清貧、篤信の生活を貫いたキリスト教の聖人フランシ
スに自らをなぞらえ、「大本教のフランシス」と称していた。一枚の着物しか持たず、
その上を縄一本結ぶだけの姿をして、水行や断食などの修行に専心し、菜食主義を実践
していた。そういった谷口にとって、「他を凌いでならば生きまい、許されてならば
生きよう」として、無我の奉仕の生活をモットーとする一燈園の生活や西田の思想には
強く魅かれるところがあった。しかし、谷口を一燈園に向かわせたのは、大本教の信仰
への疑問であった。
当時は、第一次大戦後の社会矛盾と不安を背景として、天理教、金光教、そして大本
教が急速に勢力を伸ばしていた時代だった。大本教は、「鎮魂帰神」と呼ばれる神がか
りの方法によって霊界との交流をはかり、そこから神のお告げを引き出してくることを
特徴としていた。そして、これまで鬼門とされる艮(東北)の方角に崇神として押し込
められてきた金神が、大本教の本部のある綾部に現れて最後の審判を行い、理想の世界
である「ミロクの世」が始まるという終末論的な予言を広めていた。しかも、その日を
大正十一年五月五日と明言していた。
この予言には、キリストの再臨と、仏教における弥勒菩薩下生の考え方とが反映され
ていたが、谷口も大本教の道場で「基督再臨論」を毎日講義し、多数の信者を集めてい
た。しかし、谷口にとっては、自己の過去の罪業が最後の審判の時までに浄まっている
かどうかに自信が持てなかった。そこから、谷口の信仰は揺らぎ始めたのである。
谷口は、大本教でその文才が認められ、機関誌の編集や聖典である『大本神論』の編
纂作業に当たり、大本教の霊学の体系化にも力を注ぐ。そして、大正九年には、『皇道
霊学講話』という、彼としては最初の書物を東京の新光社から出版している。それでも、
個人の罪の問題に強く関心を持っていた谷口には、神による最後の審判を強調する大本
教の路線には違和感があった。彼が一燈園に出向いたのも、大本教で得られないものを
西田のもとで学ぼうとしたからだが、その行動は、大本教のリーダーであった出口王仁
三郎の気にさわる。それからまもなく出版された出口の著作『霊界物語』には「鰐口蛇
冬(わにぐちまがふゆ)が一等厭へ行つて云々」という記事が霊界の出来事として記さ
れていた。
「お前は実相そのものだ」
時の政府は、世の終わりを説き、急成長をとげていた大本教に警戒心を強め、教団の
調査を行っていたが、大正十年の二月十二日早朝、不敬罪ならびに新聞紙法違反の容疑
で大本教の本部などを家宅捜索した。いわゆる「第一次大本事件」である。谷口は逮捕
を免れたが、出口王仁三郎は中心人物として獄につながれた。
出口が勾留の執行停止で出獄中、『霊界物語』の口述を始め、谷口はその筆記に当た
るが、大本教への信仰に疑問を持つようになっていた彼には、その仕事は苦痛以外のな
にものでもなかった。さらに、大阪の控訴院から大本教の開祖である出口なおが神がか
りで記した「お筆先」と、それを出口王仁三郎が漢字混じりに書き直したものとを比較
対照し、不敬罪に該当する箇所がないかを調査する作業を依頼され、谷口はお筆先をす
べて読むこととなった。
彼はその作業を通して、教団の発表した予言にくいちがいがあり、前年の予言のうち
で当たったものだけが機関誌に掲載されていることを知った。さらには、お筆先の中に、
「天は天照皇大神宮、地は出口の血すじで治めるぞよ」といったことばを発見し、出口
の家を天皇に代わる地上の権力者にしようとする神からの啓示に決定的な疑問を感じる。
こうして、谷口は、大本教の中で結ばれた夫人の輝子とともに脱退の決意を固める。す
でに最後の審判が起こると予言された大正十一年五月五日は、何事もなく過ぎてしまっ
ていた。
谷口夫妻が大本を去ったのは、大正十一年十月のことだった。その前日の夜には、教
団の血気にはやる青年たち数名が谷口を襲撃しようとして、まちがって別の人間に重傷
を負わすという事件もあった。
谷口は、いったんは神戸に戻るが、著述家になることをめざして上京し、浅草の職人
の家の二階に間借りして、『聖道へ』と題された二冊目の本を書き上げる。これも新光
社から出版されたが、こわれて西田天香が序文を寄せていた。西田は谷口について、
「著者は、私の見るところでは、最も大きく疑つて、最も鋭く且正しく考へをおひよせ
てゆく人のやうである」と評していた。このことばは西田自身の生き方にも通じるもの
があり、彼は大本教という一宗教の枠にはまりきらなかった谷口に共感するところが少
なくなかったように思われる。
しかし、『聖道へ』における谷口には、まだ迷いがあった。彼は、西田だけではなく、
倉田や武者小路、あるいは大正九年に『死線を超えて』というベストセラーを出して労
働運動に入っていった賀川豊彦や、百姓愛生活を提唱した江渡狄嶺などの思想を取り上
げ、その検討と批判を行なってはいたが、彼独自の思想を切り開いていたとはいえなか
った。谷口は、本来の理想的な「無想不二なる世界」と、現実に存在する「差別の世界」
とを区別するまでにはいたっていたが、二つの世界の間には決定的な断絶があり、理想
と現実とのギャップを克服する手だてを見いだしてはいなかった。したがって、彼の信
仰は消極的なものにとどまり、毎日が「憂鬱で身体は常に不健康」であったという。
谷口は、自らの思想を確立するために、続けて『神を審判く』という長編小説を執筆
し、大正十二年の八月末には本ができあがった。ところが、書店に配布されるちょうど
その日に関東大震災が起こり、本は灰燼に帰してしまった。他に、二編の長編小説の原
稿を出版社に預けていたが、それもまた焼失してしまったのだった。
輝子はそのとき子供を身ごもっていたが、十月に郷里の高岡で女児を出産し、十二月
に夫婦で神戸に戻って、養父母の家に同居している。しかし、育児をめぐって養父母と
対立し、谷口は神戸の三宮にあったヴァキューム・オイル会社に翻訳係として雇われ、
経済的な自立を実現し、養父母と別れて阪神沿線の住吉村に居を構える。そこで、彼の
根本的な思想である「実相論」を確立するにいたる宗教的な悟りを経験したのだ。
谷口は、出勤前に近くにあった本住吉神社に参拝するのを日課にしていた。ある日彼
は、仏典の中の「色即是空」ということばを思い浮かべながら静座して合掌瞑目してい
た。すると、どこからともなく大波のような低く、威圧するような声が聞こえ、その声
は「物質はない!」というのだった。つづけて谷口が「空即是色」のことばを思い浮か
べると、また声が、「無より一切を生ず」といった答えを返してきた。こうして、谷口
の疑問は次々に解消されていった。
彼は、この問答を通して、彼自身がそのコントロールに苦労してきた心が実在せず、
心の代わりに実相があり、その実相が神であることを悟る。谷口がそこに真理を見いだ
したと感じると、「お前は実相そのものだ」という天使たちが自分を讃える声が聞こえ
てきたという。
谷口は、自らの悟りを広く伝えるために雑誌の刊行を考える。そして、会社に勤務す
るかたわら旺盛な執筆活動を開始し、一燈園の『光』、倉田百三の『生活者』、それに
『新時代』といった雑誌に文章を発表する。昭和三年には、宗教について話し合うため
の「求道者の会」の結成を呼びかけ、自宅でも京阪神方面の賛同者を集めて会を開いた。
正治から雅春へと改名したのも、この頃であった。
谷口は新しい雑誌を創刊し、運動を進めていくには、資金も時間的余裕も欠けている
と考えていたが、例の声は彼に「今起て!」と呼びかけてきた。決して彼は無力ではな
く、力も与えてあるというのだ。そして、彼が「実相はそうでも、現象の自分は……」
と、戸惑いを見せると、彼の頭の中で、「現象は無い!無いものに引っかかるな。無い
ものは無いのだ。知れ!実相のみがあるのだ。お前は実相だ、釈迦だ、基督だ、無限だ、
無尽蔵だ!」という声が鳴り響いてきたという。
谷口は、こうした自らの内なる声に促され、雑誌『生長の家』創刊号を刊行する。昭
和四年の大晦日に一千部の雑誌が刷り上がった。彼は、正月早々、「求道者の会」に賛
同した仲間を中心に、『生長の家』を無料で進呈していく。生長の家の運動の目的は、
「心の法則を研究しその法則を実際生活に応用して、人生の幸福を支配するために実際
運動を行ふ」こととされ、ここに生長の家という新しい宗教運動が誕生したのだった。
これぞ「バブル宗教」のルーツ
生長の家の宗教運動としての特徴は、雑誌の出版を主体としているところにあった。
それは、谷口が中退したとはいえ、早稲田大学に学び、英語の思想書を読む力を身に
つけ、文才に恵まれていたからこそ可能な方法だった。それ以前の天理教や大本教の
場合、教祖は無学な女性であり、彼女たちは神がかりの状態の中で神のことばを書き
記した。谷口の入信した大本教の場合には、霊学を学んだ開祖の女婿である出口王仁
三郎が、なおのお筆先を漢字に改め、教義の体系化を進めることによって、教養のある
人間を信者にしていったが、限界があることは明らかだった。
谷口は、その教養を生かして、仏教やキリスト教の思想を自らの教えの中に取り込み、
彼が世界の本来のあり方としてとらえた実相の世界を説いていった。実相の世界は、す
べてが調和した完全円満の神の世界とされ、現象の世界に生きる人間の「念のレンズ」
が歪み、その結果、神の世界と人間の世界とに不一致が生じているのだと解説された。
谷口は、「汝ら天地一切のものと和解せよ」と説き、迷いという念のレンズの曇りがな
くなれば、地上にも神の世界が現れるとしたのだった。
念のレンズの曇りをとるための方法として開発されたのが、「神想観」であった。そ
れは、神との一体感を深めるために、合掌正座して行う生長の家独特の祈りであったが、
その方法自体は決して難しいものではなかった。そして、雑誌の『生長の家』は、「雑
誌の形をした聖書」であるとされ、雑誌を講読する誌友の間では「神誌」と呼ばれるよ
うになるが、その神誌を読んで、谷口の説く実相の世界について学ぶための組織として
各地に支部が作られていった。
ただし、神誌と呼ばれたのは、その内容面によるだけではなかった。『生長の家』の
雑誌を読んだだけで病気が直ったという手紙が多数谷口のもとへ寄せられたのである。
谷口は、こうした反響に対して、すべての病いは心の影、つまりは想念の曇りによるも
ので、病気は本来実在するものではないと説いた。『生長の家』を読み、病いは本来な
いものという実相を知ったなら病気は消しとんでしまう。本を読めば必ず病気が直ると
まで言われるようになり、雑誌の誌上にも、本を読んで病気が直ったという誌友からの
手紙が載せられるようになっていく。
こうして、生長の家は半面では現世利益的な側面を強調するようになっていくが、そ
れはあくまで実相という本質に気づいたことの証しとしてとらえられていた。他の宗教
とはちがって、特殊な祈祷などを行うことがなかったために、この時代の生長の家は哲
学的でインテリ向きの宗教という印象が強かった。
昭和八年には、生長の家の芸術運動を推進するために、『生長の家』の姉妹誌として、
『生命の藝術』誌が創刊された。この雑誌には、山根八春、伊東種、片岡環、そして松
本竣介といった画家や彫刻家が加わっていた。
一九三〇年代から四〇年代に活躍して、四八年に三十六歳の若さで亡くなった知性派
の画家・松本竣介については、最近宇佐美承による評伝(『求道の画家 松本竣介』中
公新書)が刊行されたが、松本は父や兄の勧めもあって、熱心な生長の家の信者になり、
兄とともに『生命の藝術』の編集に携わった。モダンな都会の絵が得意だった松本と、
従来の土着的な宗教を脱したインテリ向きの生長の家とはたしかに相性はよかった。松
本は、『生長の家』の表紙の絵も描いている。
しかし、三年ほど信者を続けた松本は、生長の家を離れる。彼は、生長の家を通して
結ばれた妻の禎子に対して、「谷口先生は神様になって遠くへいってしまわれた」と語
っていた。彼の父も、谷口の言行不一致に怒りをあらわにしていたが、松本は谷口に別
離の手紙を書く。松本親子が反発を感じたのは、生長の家が哲学を説く思想団体から次
第に現世利益を強調する宗教団体へ変質していこうとしていたからである。
昭和九年の夏、谷口夫妻は神戸から東京に移り、自分たちの運動を「人類光明化運動」
と名付け、その主体となる組織として「株式会社光明思想普及会」を結成していた。そ
して、最初の事業として、昭和十年一月から『生長の家』の合本である聖典『生命の実
相』全集普及版全十巻の刊行を開始する。
『生命の実相』は、光明思想普及会の支部を通して希望者に配布するシステムがとら
れたが、その宣伝広告が全国の主要新聞に全三段あるいは全五段ぬきで、毎月数回にわ
たって掲載された。書籍の紹介だけではなく、谷口の教えや病気治癒の事例までが載せ
られていた。この奇抜で大胆な宣伝活動には、十七万二千円という巨費が投じられたが、
そのかいあって『生命の実相』の第一巻だけで五万三千部も頒布されたという。
当然、これだけの宣伝を行えば、社会から注目を集めるだけではなく、批判も覚悟し
なければならない。ジャーナリストの大宅壮一は、その年の十月に「『生長の家』を解
剖する」という批判記事を『日本評論』に寄稿している。大宅は、『生命の実相』を読
みさえすれば、万病が直り、すべての危険が避けられ、就職は絶対確実で、貧乏が向こ
うから逃げていくというほど素晴らしい誇大広告がかつて新聞紙上に現れたことがあっ
ただろうかと皮肉り、生長の家の出版物に載せられた「面白そうな話」や「愉快な例」
をあげている。
217 :
名無しさん@1周年:02/10/30 04:59
太田某は、顔を剃ると必ずカミソリで一箇所は傷を作っていたが、生長の家に入って
からちっとも顔を切らなくなった。
五十嵐某は、隣の工場から出火し、折悪しく風下だったが、「自分は生長の家だから
火事に焼けるなどということはない」といって悠々としていると、途端に風向きが変わ
って風上になった。
家ダニに困っている家で、神想観をして立ち去るように命じたが、去らない。そこで、
「家タニだって住む所が必要なのだ」と反省して、家中の畳をはいで六畳一室に積み重
ね、「この室をあなた方のすみ家に提供しますから、これからどうぞこの部屋から出な
いで下さい」と言って、また神想観をすると、それ以来家ダニは絶対に人間を刺さなく
なり六畳の部屋に列を作って生活している。
松本父子が、谷口に愛想をつかした気持ちもわかる。大宅は、生長の家の根本思想は、
素朴で原子的な唯心論にあり、「病いは気から」という俗説を盲滅法に普遍化し、それ
を神秘化して宗教に仕立てあげ、徹底した商品化をめざしていると分析する。そして、
宗教の専門家が谷口の教えは出鱈目だと批評しても、生長の家の「お得意先」は宗教の
アマチュアであり、正確な知識はかえって商売の邪魔になると鋭い指摘を行っていたの
だった。
新聞を使っての大宣伝や大宅の批評に接した読者は、かの幸福の科学を連想するであ
ろうが、その主宰者である大川隆法の父親はかつて生長の家の信者であった。実際、幸
福の科学では、谷口の霊が降って語ったとされる霊言集を何冊か刊行している。「バブ
ル宗教」のルーツは、生長の家にあったのである。
ヤオハンあっての「生長の家」
谷口が、大本教に入信し、西田天香に教えをこい、そして神の声に押されるようにし
て『生長の家』の雑誌を発刊するようになるまでは、彼自身が悩みを抱え、そこから抜
け出る道を模索していた。彼は仏典や聖書をひもとき、さらにはアメリカに生まれた新
しい宗教運動であるクリスチャン・サイエンスやニュー・ソートの流れをくむ思想を学
ぶこともあった。その時代の谷口は、哲学的に自己の人間としてのあり方を深く極めよ
うとしており、その苦闘が文章にも現れていた。
しかし、雑誌『生長の家』が刊行され、大宣伝の効果もあって、多くの読者を獲得し
ていくと、谷口の姿勢も変化していく。彼は、各地の誌友たちの間をまわって、誌友会
や講演会を開いていったが、そういった場に集まってきた人間が望んでいたのは、難解
な哲学ではなく、現実の社会でよりよく生きるための具体的な方法であり、彼もそうい
った読者の期待に答えなければならなかったからである。
たとえば谷口は、経済の問題についても、マルクスの唯物史観に対抗する思想として
唯心史観を強調した。神は、富を無尽蔵に生み出す「無限供給者」としてとらえられ、
近代の経済組織は万一の時を恐れて節約にはげむ人間の恐怖心にもとづくもので、その
ために富が一部の人間に蓄積され、十分に流通しなくなったのだと説いた。その恐怖心
さえなくせば、神によって十分な財が与えられるというのである。
今日でさえ、消費の動向に、消費者の側の心理的要因が働いているという分析がなさ
れている以上、谷口の唯心史観にも見るべきものはある。確かに、十分な財が保証され
ているのであれば、富に執着し、それをためこんでおく必要もない。しかし、神が富を
無尽蔵に生み出していくという保証はない。無限供給者としての神の存在を科学的に証
明することはできず、それはあくまで信仰の次元にとどまっている。谷口の提唱する唯
心史観は、信じることによってしか成立しない思想だったのである。
しかし、神の世界を、すべてが満ち足りた理想世界としてとらえ、そこに到達するた
めには心の持ち方さえ変えればいいという教えは、その前提や有効性を証明できないに
しても、広く大衆の心をとらえる可能性を持っていた。だからこそ、「万病が直り、す
べての危険が避けられ、就職は絶対確実で、貧乏が向こうから逃げていく」という宣伝
文句に魅かれて、『生長の家』の読者は急増したのである。こうして、松本父子の思い
に反して、生長の家は、「大衆宗教」としての道を歩み始める。講演会につめかけてき
た大衆を前にして自らの思想を語った谷口は、一人の求道者から宗教団体の教祖へと変
貌していたのだ。
生長の家では、『生長の家』の創刊号の発行日として奥付に記された三月一日を「立
教の記念日」としているが、その創立五十周年を期して『生長の家五十年史』という八
百頁を越える教団史を刊行している。その前半の部分では、谷口の心の揺れが詳しく語
られ、その点で教団の外の人間の興味を魅くのだが、光明思想普及会が結成されてから
は、松本が評したように、「谷口先生は神様になって遠くへいってしまわれた」ようで、
彼の内面的な苦悩は語られなくなり、その分退屈なものになっていく。
谷口は、自らの思想を「唯心実相論」と呼び、そこに高邁な哲学が表現されていると
考えていたが、大衆が受け入れたのは、大宅壮一が言うように、素朴で原始的な唯心論
でしかなかった。本気で家ダニに神想観を試みるには、理性はむしろ邪魔だった。しか
し、素朴で原始的な唯心論は、他の宗教団体においても説かれており、生長の家が独自
性を打ち出すためには、別種の主張を展開する必要があった。特に、その教えの根本に
ある「実相」に具体性を与え、それを信仰の対象へと考えていかなければならなかった。
谷口の悟りの中で、「実相は神である」とされたが、その神を目に見えるものとして、
大衆に示さなければならなかったのである。
昭和十五年、宗教団体法が施行され、生長の家が宗教結社として認められると、谷口
は天皇信仰を強く打ち出す。「すべて宗教は、天皇より発するなり。大日如来も、釈迦
牟尼仏も、イエスキリストも、天皇より発する也。ただ一つの光源より七色の虹が発す
る如きなり。各宗の本尊のみを礼拝して、天皇を礼拝せざるは、虹のみを礼拝して、太
陽を知らざる徒なり」と、すべての宗教を天皇への信仰によって統合しようとした。哲
学的な概念としての実相は、天皇という実体を与えられたのである。
谷口は、早くから万教帰一を説いてきたが、戦争への道を進んでいた当時の日本の社
会において、神道をすべての宗教を超越した国家の祭祀とする国家神道の体制が確立さ
れていく中で、すべての宗教が帰一する先を天皇へと求めることは、時代の流れにそう
ものであった。谷口は、天皇信仰を核にすえることによって、生長の家の存在意義を社
会に向けて強くアピールしようと試みたのである。
大東亜戦争が勃発すると、谷口はそれが「聖戦」であることを主張し、中国軍を撃滅
するために「念波」を送ることを呼びかけた。さらには、米英との和解を断固退け、
「国体の本義」の内容が手ぬるいとして、文部大臣を誌上で叱ったりもした。しかし、
あまりに過激な天皇信仰の主張は、体制側に好まれなかった。しかも、戦時体制のもと
で、印刷用紙が不足したことが、雑誌を核にして運動を展開してきた生長の家にとって
は決定的な痛手となった。昭和十九年には、雑誌も単行本もいっさい発行できなくなっ
てしまったのである。
221 :
名無しさん@1周年:02/10/30 05:26
その意味では、終戦は、雑誌の復刊を可能にし、雑誌を通しての活動を再開させるこ
とができたという点で、生長の家にとっては好ましいことだった。谷口は、「日本は決
して負けたのではない」「ニセ物の日本の戦いは終わった」といい、国体が滅びたので
はないことを強調する一方で、生長の家の教えの中に「本来戦い無し」のことばがある
ことを根拠に、生長の家が平和主義を説いていたことを主張した。しかし、昭和二十年
十一月に日本の復興をめざして社会事業団を設立し、天皇制の護持を唱えて全国精神主
義連盟を結成したものの、谷口が戦時中の言論活動が超国家主義であったとして公職追
放されたため、事業や運動は思うようには進まなかった。
しかし、国際情勢の変化は、生長の家に新たな活躍の機会を与える。東西の冷戦によ
って、日本の国内でも、六〇年安保などをめぐって、保守と革新、右翼と左翼の対立が
激化すると、生長の家の天皇崇拝や国家主義、さらには家制度の復活などの主張は、社
会的に影響力を持つようになった。生長の家は、明治憲法復元、紀元節復活、日の丸擁
護、優生保護法改正などの主張を展開し、保守的な階層に食い込んでいった。戦前に教
育を受け、戦後の民主主義の社会に違和感を持つ人間にとって、生長の家の主張は自分
たちの考えを代弁するものとして受け入れられた。戦後の生長の家は、百万人を超える
大教団へと成長していく。だが、時代はさらに変転する。谷口は、昭和六十年に亡くな
り、彼が崇拝の対象とした昭和天皇も亡くなった。また、ベルリンの壁やソ連の崩壊に
よって、谷口が戦後において戦い続けた共産主義の脅威も過去のものとなっていった。
222 :
名無しさん@1周年:02/10/30 05:27
そういった事態の変化は、生長の家に大きな打撃を与えた。天皇信仰や反左翼の政治運
動が衰退すれば、生長の家の存在意義も薄れていかざるをえない。昨年、二代目の総裁・
谷口清超の長男である雅宣が、一般青年向けの雑誌『理想世界』で、大東亜戦争を侵略
と認め、聖戦論を否定する見解を発表して、教団の中で議論が巻き起こった。生長の家
の教団自体が、天皇主義の右翼的な教団という旧来のイメージから脱皮しようとしてい
るのだ。
ヤオハンが話題にならなければ、最近、生長の家が注目されることはほとんどない。
ヤオハンにしても、物事を前向きに考える光明思想を個人の生きる支えや社員の勤労意
欲を高めるために利用しているだけで、ヤオハンが拡大しても、生長の家の信仰の拡大
に結びつくわけではない。
生長の家の本部は、原宿の駅のすぐ近くにある。本部の建物の入口の上には、生前の
谷口をほうふつとさせる聖者の像が飾られている。しかし、原宿を訪れる若者たちに、
生長の家の教えは時代遅れのものとしか感じられない。むしろ、その超楽観主義の教え
は、ヤオハンがマーケットの拡大をめざしている中国を中心とした、アジアの人々にと
って必要なのかもしれない。彼らはまだ無限供給者としての神を求めているからである。
223 :
名無しさん@1周年:02/10/30 05:28
《求道の画家 松本竣介 ひたむきの三十六年》(中公新書)
宇佐美承著 中央公論社一九九二年発行
恋に破れ、靉光のもとへ通うようになって三年たった一九三六年(昭和十一年)、竣介
は二十三歳で新たな恋を実らせた。相手は東京山の手の大学教授の娘で松本禎子といい、
半年年下だった。仲をとりもったのは「生長の家」で、それは竣介を思う身内の心情と関
係あってのことだった。
父佐藤勝身はもともと、霊と肉のはざまで自分を苛む人だった。少年のころ、教会に出
入りしてまもなく洗礼を受けたのに、おこりくる肉欲のために聖書のことばが守りきれず、
受洗者名簿から名前を消してもらった。その後は信仰を捨てたことで以前にもまして苦し
みつづけ、結婚してふたりの男の子に恵まれてからやっと救われた。
勝身にとって子は宝だったから、長男の彬が大病をわずらったときも心配でいたたまれ
ず、聖書を読みかえしてみた。それでもキリスト教の信仰にもどれずにいたところへ、竣
介が生死のはざまをさ迷いはじめたのだから、藁にもすがる思いで日蓮宗の行者に救いを
求め、わが子が命をとりとめたときは奇跡をみたと思った。
それからというものは竣介の聴力の回復と幸福だけをねがい、団扇太鼓を叩きつづけて
とうとう破ってしまうほどの熱心な信者になったばかりか、奥義を極めようとして経典に
読みふけり、高僧を訪ねて教えを請うた。しかし、法華経の教義はむずかしくて歯がたた
ず、またも悩んでいたとき生長の家の信者の癌が治ったときき、雑誌『生長の家』を読ん
でみたところ、たちどころに法華経と聖書が同時に理解できた思いがした。生長の家はあ
らゆる宗教を超越すると宣言し、神を生命だとしていた。勝身はさっそくその団体の支部
を盛岡につくり、創始者谷口雅春を神戸の郊外から招いた。
224 :
名無しさん@1周年:02/10/30 05:28
それは竣介が故郷を出てからしばらくしてのことで、この団体はまだ揺籃期にあったが、
その後みるみるうちに発展していき、竣介上京五年後の一九三四年には本拠を東京に移し
て正式に教団を名のり、普及のための出版会社「光明思想普及会」をつくった。勝身は経
営する銀行が別の銀行に吸収されたのを機にその会社の常務取締役に就任して故郷をあと
にし、谷口との共著『法華経解譯』を出版したりもした。すべてはわが子の幸せを願って
のことで、心の彷徨の末にここにたどりついたのだった。
弟思いの彬も、勝身に勧められて熱心な信者になった。彬にはハツカダイコンのあだ名
があって、上京してしばらくは少し左翼だったけれど、唯物論がいまひとつしっくりこず、
これを越えた何かを求めていたところ雑誌『生長の家』を読んでたちまち共鳴した。やが
て谷口にあって講師団の一員になり、谷口から芸術雑誌『生命の藝術』を発刊する話をも
ちだされると、これは弟にもってこいの仕事だと思ってひきうけ、竣介を誘った。
竣介は理を通す青年だったから、なかなかうんといわなかった。以前に父の勧めで『日
蓮上人傳』を読んだときも「日蓮は釈迦一仏に還れといって法華経を説いたのに、一派を
おこしたのはおかしい」といっていた。こんど勧められるままに谷口の著書を読んだとき
も「ぼくは宮澤賢治がすきだ。宗教はきらいだ」といっていた。それなのに、三年かかり
はしたが結局はそこの雑誌の編集を担当することになったのだから、内に何かの変化がお
こったのだ。
あのころマルクス主義は先端の思想だったから、それに従わなかった以上、つぎに別の
ものを求めねばならぬとさぞかし思ったことだろう。そんなときに谷口の「事物の本質は、
目に見えぬ生命の流れ」という、マルクス主義と正反対のことばを突きつけられ、三年間
拒否しつづけたあげく、やっとそこに心の拠りどころをみつけた。自分は理の勝った男だ
と知っていたうえで、その理を通すマルクス主義に失望し、改めて自分をみつめなおした
のだった。
225 :
名無しさん@1周年:02/10/30 05:29
こうして兄とともに『生命の藝術』を編集しはじめたのだが、一九三三年の初秋、その
雑誌の第二号に信仰告白の文章を書いた。「谷口先生、父、兄及び、過ぎし日にさゝぐ」
と前置きして……若者は辞書のなかに真実がかくされていると思っているが知識は決して
自由を与えてくれない……叡智をともなわない知識は動力のない機関と同じだ……知識と
真理がちがうことがいまわかった……これまで愚かだったために大きな代償を払わなけれ
ばならなかった……と書きつづけたあと「私は肉体の自由と、青春を剥奪される事によつ
て、かすかに神の息吹きに接する事を知つた」と告白し、谷口の文章をひきながら、「あ
らゆるものゝ姿が無限に生長してゐる生命の顕れである事を知る時、小さな知識を固執す
る事をしない」と書いて生長の家の思想に共鳴していることを鮮明にした。
このように共鳴したうえで、そこの芸術雑誌を編集し、筆を執ることは歓びであった。
『線』のときもそうだったが竣介は、絵を描くことにおとらず文章を書くことや編集する
ことに情熱を感じていた。日々模索する自分を表現するには文章は絵と同じくらい有効だ
し、二つは一つにならねばならぬとさえ思っていたからだ。そしてその仕事の場で松本禎
子に出あった。
しばらくしてふたりは生長の家をはなれた。そのころ竣介は禎子に「谷口先生は神様に
なって遠くへいってしまわれた」といっていた。それは生長の家が思想・教養の団体から
宗教団体へと様がわりしていく過程におこっていたことだろう。竣介のことだからこんな
控えめな物言いをしたのだが、宮澤賢治の「雨ニモマメズ」の詩の横に「賢治が好きだ。
宗教は嫌ひだ」と書いていた。このあとにも、自分たちで出しはじめた雑誌『雑記帳』に
「実際教団といふものや、出版界の表裏を見てゐると我慢ならないものがあるんだ」と書
いたのだから、もっと激しい批判をもっていたろう。
生長の家は佐藤、松本両家の人びとがぞっこん惚れて近づいたころからしばらくして、
教団と、普及のための出版会社をわけ、聖典『生命の実相』の販売に力を入れるなどして
急速に発展していったのだが、その間に谷口はカリスマ性をもってきて現世利益を説くこ
とが多くなっていったし、幹部のなかに内紛もおきていたのだ。
226 :
名無しさん@1周年:02/10/30 05:29
竣介と恒は相談した。恒もすでに嫌気がさしていて、結局竣介が谷口に別離の手紙を書
くことになった。竣介は画業に専念するために去るのだと書いたが、いっぽうで、これま
で育ての親のつもりで接しておりましたのに、と前置きしたうえで教団と谷口を批判する
ことも忘れなかった。谷口からきびしい叱責の返事がきたが、決意は変らず最後の仕事と
して『生命の藝術』(昭和十一年十月号最終号)に「狐になつたアルカム」という寓話を
書いた。宮澤賢治の語り口を借りながら教団と谷口を批判したもので、つぎのような話だ
った。
舞台となったイートラム国は、そのころの共産主義者が夢みていたユートピアを思わせ
た。文化と科学がとことん進歩して病気も貧乏も絶えたが、人民の精神はしだいに衰えて
いく。そこで指導者が道士アルカムを招く。アルカムの導きでイートラム国の人民が理想
の人類になろうとしたその矢先、アルカムは全国民との問答の最中にとんでもないことを
口走ってしまって面目を失い、野ぎつねの正体をあらわす……。
竣介と前後して勝身も彬も恒も生長の家を去った。勝身は思い入れの激しい人だったか
ら「先生は驚くべき言行不一致だ。乱離骨灰、それでいてなんら恥じるところがない」と
怒り狂っていた。
でも生長の家での三年間は、竣介にはむだではなかった。プロレタリア美術家同盟の唯
物論に満足できずにいたときこの思想に触れ、頼った。そこの芸術雑誌を編集しながら本
を読み、文章を書き、絵を描いていくうちに自分を深め、つぎなるステップにそなえた。
つまりこの三年間は、合理追求という竣介の一生から外れた道ではあったけれど、その道
にも一里塚があったことはたしかだ。 竣介たちが去ったあと生長の家は『生命の藝術』
を廃刊して新雑誌『いのち』に切り替えたが、それは「時局に即応した」方針をとるため
だった。いっぽう竣介は『雑記帳』でその“時局”を激しく批判することになる。
227 :
名無しさん@1周年:02/10/30 05:59
『現代の新興宗教』著者戸川猪佐武 発行所株式会社太陽 昭51年12月
生長の家雑然たる宗教の百貨店
異色の教団である。まず教祖を総裁と呼ぶ。その総裁・谷口雅春は二百四十万の信者の心
の親分であろう。だが生長の家王国は安泰か
三島由紀夫が惚れた谷口総裁
私ごとから書きはじめるのは、多少、気がひけるが――ごく最近、私のワイフが古い書
類のたぐいを整理しているとき、三島由紀夫の名刺を発見した。それが、私の手もとにあ
るのについては、ちょっとした経緯がある。
私がまだ政治記者だった昭和三十四、五年ごろ、ある出版社の知人から、「三島さんが、
政治家の秘書のことを書くので、それについて話を聞かせてやってほしい」という依頼を
受けた。会った場所の記憶は定かでないが、とにかく私は彼に会った。やがて、その本が
出版され、私は寄贈を受けた。この本の間に、私宛に礼の言葉を記した三島の名刺が、挟
まれていた。これが、古い書類の間から、出てきたのである。
その後、私は三島とは、たった一度しか会っていない。あるホテルで、私も泊り込んで
の仕事があったとき、そのエレベーターで偶然に行き会ったのである。
「いま、芝居の仕事やらなにやらで、忙しいさなかです」と、そんなことを、彼は挨拶が
わりにしゃべった。それが、昭和四十四年だった。私はたまたま「占領憲法下の日本」と
いう本を――筆者には失礼な話だが、ところどころを読んだあとであった。
実は、この筆者に失礼――と書いたその筆者が、「生長の家」総裁の谷口雅春であった。
そして、この本に、三島由紀夫が一文を寄せていたのである。なんとも、私ごとの話の枕
が長くなってしまったが、この三島の一文をイントロダクションとして、生長の家を論じ
てみようというわけである。
228 :
名無しさん@1周年:02/10/30 05:59
「……生長の家の信仰を抱く二、三の学生が私の自衛隊体験入隊に加わったので、親し
く接する機会を得た。かれらは皆、明るく、真摯で、正直で、人柄がよく、しかも闘志
にみちみちた、現代稀にみる青年ばかりであった。そして『もし日本に共産革命が起き
たら、君らはどうする?』という私の問いに、『そのときは、僕らは生きていません』
という、最もいさぎよい、もっともさわやかな言葉が返ってきた。それだけの覚悟を持
ち、しかもこういう明るさを持った青年たちはどうして生まれたのだろうか。
……現代の汚れた常識人は、そんな青年は物語の中にしか、いる筈がないと笑うであ
ろう。又、敗戦後に生まれた現代青年が、無視し、あるいは避けてとおる天皇の問題に
ついても、この人たちは、率直な、実に自然な受容の態度を示していた。天皇は日本民
族の存立と自立の自明の前提として理解されていた……」
私は、三島その人が、なぜ、どうして“右傾化”して、ああした最期を遂げたのか、
その精神過程の分析をする気は、毛頭ない。ただ、彼とともに市ガ谷の自衛隊に乗り
込んだ「楯の会」の小賀、古賀両青年が、生長の家の信者であったという事実――
これに注目するのである。
こうして、三島を感嘆せしめ、また彼と行を一にする青年を生み出した生長の家
――そこに関心をもたないわけにはいかないのだ。その主宰者たる谷口雅春という人
物に対してもである。ところで三島は例の一文に、「私はどうしても、師(谷口)の
おどろくべき影響力と感化力、世代の差を乗り超えた思想と精神の力を認めざるを得
なかった」と、谷口について記している。
229 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:00
生長の家が現在、政界にも大きな作用力をもっていることは、あとに詳述するとして、
――これを母体に、参議院に出ている著名な政治家に玉置和郎がいる。玉置は、谷口に
ついて、こう語っている。
「こわい人ですね。この世の中で、私にはこわい人なんかいない。とくに政界ではね、
前総理の田中角栄さんも、私が一番尊敬する福田赳夫先生も、こわい人という感じはも
ちませんよ。しかし、谷口先生はこわい。どこがこわいと言うんではないんですな。全
身から溢れる雰囲気ですな。私は谷口先生と話をするときは、『気をつけ!』です。お
目にかかるときは、水をかぶって肌着を着替え、先生の前に出る……」
この玉置は、いうまでもなく自民党右派の青嵐会のリーダーである。ニュー・ライト
の三木首相に対して、たえず批判、攻撃を加えている。
さらに付け加えると、社会党委員長の浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢少年も、一時期、
生長の家のメンバーだったと聞いている。
こうみてくると、生長の家なるものは、宗教団体のなかの最右翼という輪郭が、おの
ずと浮かび上がってくる。
早大英文科卒の変わりダネ
再び、私ごとになって恐縮だが――昭和十年から十一年ごろにかけて、奇妙で不思議
な新聞広告が、しばしば私の眼をとらえた。「生命の実相」「生長の家」という雑誌の
宣伝であった。当時、私はまだ小学校の五、六年生だった。
そのころの新聞広告は、すべて野暮ったくできていた。そのなかで、この「生命の実
相」の広告は、なにやら不可解な文章が詰まっていて、いっそう野暮ったく映ったもの
である。というより、その文字が子供心には、なにか異様に、よくいえば神秘的に、わ
るくいえば恐ろしい感じで迫ってきた。「生命の実相……というのは、なんだろうか?」
と、私はおやじに訊いたことがある。「ああ、谷口雅春の生長の家だ。その本だよ」と、
おやじは答えた。
230 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:01
谷口雅春という名前を、私が知ったのはこのときである。「谷口……というのは、早稲
田の英文にいてね、変わった人物だったらしい」――そうおやじは説明しはじめた。そ
のとき、おやじは通俗小説などを書いて、なりわいを立てていた関係から、ある程度知
っていたのだろう。「西条八十、直木三十五、細田民樹、青野季吉、坪田譲治、木村毅、
細田源吉といった連中と、早稲田の英文科で同期だったそうだ。おれより、一年上とい
うことになる。西条、細田、坪田みな当時からつき合っていたが、谷口というのは知ら
なかったな。が、英文を出ながら、宗教を始めたんだから、変わり種だよ」と話したも
のである。
もちろん子供の私に正確にわかろうはずはなかった。だが、奇妙で不思議な広告につ
いては、得心がいったような気になった。
そのころの生長の家については、いま刊行されている「幸福への招待」(入会者用パ
ンフレット)が、このように記している。「……立教は昭和五年、創始者・谷口雅春総
裁が個人雑誌“生長の家”を創刊された年とされています。
この“生長の家”誌が刊行されると、それを読むだけで、重症の病気が治ったり、暗
い消極的な性格が一変したり、家庭生活が調和するというようなことが、次々に起りま
した。
そして当時としては、常識を破るそれらの奇跡によって、人生苦を解決した人々(誌
友)が歓び集って、ひとつの組織がつくられました……」
この組織が、生長の家という団体になった――というわけである。ここに書かれてい
ることでわかるように、生長の家は創立からある時期まで、みずからは“超宗教”とい
い、“宗教団体”とは規定していなかった。“教化団体”と称していた。会員は“信者”
ではなく、“誌友”であった。宗教法人法にもとづいて、“宗教団体”“宗教法人”に
なったのは、昭和十四年(一九三九)である。
231 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:01
その生長の家がスタートし、新聞広告を打ちはじめた昭和十年、「話」という雑誌が、
「生長の家」論を掲載した。すでに、生長の家そのものが、世間の注目を集め、話題に
なっていたので、取り上げたにちがいない。筆者は大林比左男――いずれだれかのペン
ネームだろうが、タイトルは「資本金百万円の宗教株式会社。生長の家とはどんな宗教
か」というのであった。
「近頃、『東京日日』『読売』を始め、都下の大新聞に『生命の実相』とか、『生命の
芸術』『生長の家』とか言った三段ブッコ抜きの大広告が現れてきた。『生長の家』と
は、彼らに言わしむれば、『光明思想普及会』である。又その普及発行するところの月
刊雑誌でもある。更に資本金百万円と称する『見真道場』なる、心霊療法宣伝出版会社
のことでもある。
『生長の家』の創立者を谷口雅春と呼ぶ。彼は現在、渋谷の隠田に本部を兼ねた住所を
持っている。隠田と言えば、記憶のよい読者は直ちに『伏魔御殿』と言って、多数の名
士を巻き込んでいた稀代の淫祠邪教があった所であることを、思い浮べられるだろう。
谷口は、今年四十三歳になる。早大英文科を卒業してから……発心する所あって西田
天香氏の一燈園に入り……次ぎには大本教に参じたのである。然し元来、彼はクリスチ
ャンであると見ている人が多い。
最後に彼の落着いた魂の憩いの場所は心霊術である。……新しく始めたのが、『生長
の家』運動である。
232 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:02
元来『生長の家』は断じて宗教とは言えない。一定の教義などないのである。第一に
『万教一致』と称して、超宗教を主張している。『仏教、キリスト教、神道はもちろん、
その他の如何なる宗教に対しても偏った見解は持ちません。それ等凡ての宗教の信者の
方は、全部生長の家にお入り下さい』と宣言しているのだ。兎に角、『生長の家』の本
をお読みなさいと忠告する。ここに彼らの抜け目ない所がある。
徹底的に読者層を拡大しようと思いついたのが、彼の超宗教主義と解すべきだろう。
金光教信者にも、ひとのみち教団のものにも、あらゆる人間に『生命の実相』を買わせ
ようと言うのだ。
『生命の実相』の中には、キリストの奇跡やら、釈迦の説法やら、孔子、老子、谷口先
生等が渾然と盛られ、牛肉のコマ切れの様に切り売りされている。
彼は政策上、自分が教祖であるとは決して言わぬ。『病気は本来、人間自らの心の迷
いや恐怖で勝手に造り出したものである』と説く。
では、『生長の家』の療法では、どんなあらたかな霊顕が現れているか。他のインチ
キ宗教の治療法と異って、飽くまでも『本を読むこと』一点張りであり、相手の智能に
よっている。
月刊『生長の家』では、主として彼自身及び信者の体験を載せているところから、奇
跡も余程現実味を帯びている。
頭は正に宗教の如く、尾は心霊療法であり、胴は資本金百万円の出版株式会社である。
しかもこの全身は、一度、谷口雅春の呼吸がかかるや、不可思議な運動を開始する……」
ざっと、そんな要旨の論調で、生長の家を論評している。
その皮肉の底部には、生長の家を淫祠邪教視し、また谷口を達者な商売人視している
トーンが、横溢している。
233 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:21
恋愛と情事が語る宗教的なかげ
こうして昭和初期に発生し、発展した当時の生長の家には、三島由紀夫、玉置和郎た
ちの言葉や行動にみられるような、また、今日の生長の家の種々の運動にあらわれてい
るような、一種の日本主義、愛国主義的な思想はまったく存在していない。その初期、
創成期と、現在との変化は、どのようにして、なぜ起ったのか?――ここが興味あると
ころだが、この変化をさぐるためには、谷口雅春その人の人生歴程を知る必要があるで
あろう。
谷口は、日清戦争の前年―明治二十六年(一八九三)の生まれである。生家は、神戸
の六甲山の裏山にあったそう豊かではない農家、谷口家で、彼はそこの次男として、生
を受けた。四歳のとき、叔父の家にもらわれた。零細企業者であったが、生家より恵ま
れていた。雅春――幼名は正治、“雅春”は大本教時代から使用――は、大阪の市岡中
学にすすむことができた。
「負けるのが不快だから、勝負事はきらい」(自伝「神示を受くる迄」「生命の実相」)
というシンのつよい少年であった。「文章世界」などを愛読、田山花袋の「人生は無理
想、無解決」という思想に共感を覚え、それを文章にして貼り出し、教頭に、「不穏な
思想だ」と叱られたという。「今なら、左傾とか赤とかいわれる私であった」(自伝)
と、谷口自身、述懐している。
早稲田の英文科に入ったのは、俗世間的な出世がいやで、哲学的な人生に徹したかっ
たからであった。
それだけに、ショウペンハウエルの厭世的哲学、オスカー・ワイルドの耽美主義に、
みずから内向的に立てこもって、周囲との交際は持たなかった。
それでも、彼の青春の血は抑えがたく、夏休みの帰省中に、近所の房江という十七歳
の少女にラブレターを送った。「人生に美の一片を寄与するために」(自伝)という意
識だった。
234 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:22
だから、イエスかノーかの返事ももらわずに東京に戻るつもりだったのが、房江は汽
車に乗り込んできて、東京の下宿まで来てしまった。
房江は、沖仲仕の娘で、酌婦に出されていた。失敗があって、家に帰っていたところ
だった。そんな境涯の女だけに、雅春から離れようとしなかった。雅春は、トルストイ
の「復活」を心に描いた。房江の過去を憐み、許す、また社会の歪んだモラルから守る
という意識だった。
すでに、雅春は、みずからの恋愛についてさえ、宗教的なジャスティファイを行うま
でに、宗教に近づきつつあったといえよう。
しかし、この一件が、養家に知られ、仕送りが断たれて、生活に窮することとなった。
沖仲仕だった房江の両親は、「房江を台湾に売る」といい出した。
「駆け落ちして!」という房江に、雅春は「人生は実力だから、もう一度、学校に帰り
たい」というしらけた返事をした。房江は「ではさよなら、ご出世なさい」と、涙を隠
しての愛想づかしの言葉を投げかけて、去って行った。
自伝によると、「おれは卑怯だ」と思う反面、「厄介払いができた」という思いだった。
「憐憫愛というようなものは、地上の人間を生かすものではない」という考えを持つに
至ったと述べている。なんとも、醒めた心理である。このようなものが、実は谷口の成
功につながっていたといえるかもしれない。
谷口は、大阪の紡績会社の労働者として、日給五十銭で働いた。栄進を望んで、商工
学校の夜学に通った。翻訳のアルバイトで稼いだ。このあがりで、谷口は遊郭に通い、
高尾という女と馴染みになった。一方、上役の姪・お紋とも関係をもった。そのような
三角関係に谷口は「美」を見いだしたというのだが、このあたりはワイルドの耽美派的
である。
235 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:22
ところが、谷口は高尾から性病を感染させられていた。それが、お紋にうつりはしな
かったかと、極度の神経衰弱におちいった。「これは心の眼を閉じて、実相を見ないで
いる自分の心の象徴……であることには気がつかなかった」と、あとで自伝で述べてい
る。催眠術家の三好霊峰の治療をうけたものの病気はなおらず、結局は医者の手術に委
ねなければならなかった。
お紋に対しては、彼女が気づかないうちに癒してやる神術はないか――と、心霊療法
などを漁った。
「よい妙案もないので、私はばい菌の伝染という思想を否定しだしました」「こうして
一種の哲学の陰に隠れて、自己の内なる霊の呵責を、できるだけ軽減しようとしました」
(入信の経路)という。
すべてを哲学的、宗教的、形而上的に、心の問題に還元するあたり、――そのあたり
に、生長の家の教義が、すでに芽生えている。この時期の谷口は弱気な内向的な人間で
あったといえよう。それゆえになおその心理が宗教的な方向に向いていったのにちがい
ない。
この三角関係は、お紋から「両親に結婚を申し込んでくれ」と迫られ、そのとおりに
すると、果して彼女の両親から断られ、一方の高尾も、商売女のことだから、向うから
去って行って、すべて清算がついた。
しかし、生活はきびしかった。谷口は「霊的に人と社会を救済するような職業」があ
ると考えて、太霊道、健全哲学、渡辺式心霊療法、耳根円通法などを、遍歴して歩くこ
とになる。
あたかも、大正初期で、国民文庫刊行会から出された「国訳大蔵経」を谷口は読み耽
った。「三界(世界)は心から生ずる」ということが、彼をとらえた。ここにのちの生
長の家の原理が生まれるのである。
236 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:23
ついで彼は、雑誌「彗星」に載っていた「魂返しの鎮魂法」なるものに興味を抱き、
大本教に入信することになる。大正六年(一九一七)ごろである。そこでは、海軍機
関学校教官だった浅野和三郎の指導で、集団神がかりが演出されていた。「心霊は実
在する」と、谷口は信じた。
大本教では、文才を買われ「神霊界」の編集にたずさわった。大本教は、発展をつ
づけていた。お筆先の言葉で、この世の「建てかえ」は大正十一年三月が五月かとい
うことで、信者は興奮状態におかれていた。谷口も、その日の神のさばきを想像して
心身を震わせた一人であった。
この時期、谷口は大本教本部にいた加藤新子、江守輝子と関係をもっていた。長い
間ずるずるの状態だったが、「身をひく」と輝子が切り出したとき、谷口は新子との
関係を断って、輝子と結婚する決心がついた。出口王仁三郎も列席して、式を挙げた。
大本教が第一次の弾圧を受けたのは、大正十年(一九二一)であった。狂信的な興奮
は、いっそう高まって、信者は「建てかえ」の日を待った。しかし――その日がおと
ずれたにもかかわらず、何事の異変も、奇跡も起こらなかった。
谷口は、大本教を去った。父が亡くなったこともあって、彼は剃髪し、西田天香の
一燈園に入る。光明祈願、無相の図など天香の教えが、のちに生長の家に投影する。
物質はなく実相があると悟って
やがて谷口は夫人とともに上京して、浅草の小島町に間借り生活をはじめた。谷口
は、そのころ盛んになりつつあた宗教文学、人生論に、その興味と関心を集中させた。
倉田百三、西田天香、武者小路実篤、賀川豊彦、石丸悟平、江原小弥太、有島武郎た
ちの書くものを渉漁した。
三十歳になったとき、谷口は宗教的人生論ともいうべき「聖道へ」という一編をもの
にして評判をかちえた。それは、彼の一転機を画するものとして、その後「生命の実
相」に再録をされている。
つづいて谷口は「神を審判く」という小説を書いた。当時の彼は、「神が人間の悪
を創造しながら、人間を裁くのは不条理」と、キリスト教そのものを衝き、賀川豊彦
のキリスト経社会主義にも限界があるとして、批判した。大本教にも攻撃を加えた。
親鸞の真宗は、封建的消極性があると叩いた。
237 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:23
谷口自身は、そのころ流行したオイケン、ベルグソンの「生の哲学」に馴染み、「救い
というものは、もっと積極的で明るいものでなくてはならない」という思想を抱いた。
その後、大本教を離れた浅野が上京し、本郷に「心霊科学研究会」をつくると、谷口は
その機関誌の編集を引き受けた。このころ、谷口は夫婦とも健康がすぐれず、いろいろな
療法をこころみ、菜食主義をとっていた。
大正十二年(一九二三)の関東大震災のために、谷口は浅野と大阪に出て、「心霊界」
を発行した。そうしたなかで、娘の恵美子が重病にかかってしまった。金がないため、や
むなく自己流の触手療法をこころみたが、これが予想外に効果あった。
谷口は、浅野からの報酬が少なく、その貧しさの苦しみに悩みつづけた。そのうち、
ホームズというアメリカ人の「心の創造活動の法則」という本を入手、その一節にあった
「不幸は自分の心が招く」という言葉に、ひどく共感を覚えた。
また、フロイトの精神分析を、大槻憲二が日本に紹介したのにも、谷口は惹かれた。
やがて時代は、昭和四年の大恐慌時代に移る。その絶望的な混乱のなかで、谷口は、
「物質はない」「実相がある」という神示を受けたという。ここに至るまでに、谷口は、
「如何にせば、運命を支配し得るか」などという作品を出版し、逐次、みずからの宗教
思想の体系をつくりつつあったが、神示以後、彼はそれをさらに体系づけた。
それで昭和五年、三月号を創刊号として、「生長の家」の出版を開始したのである。
その巻頭の言葉は、「蛇に睨まれた蛙のような恐怖心が、就職、入学の試験の失敗や病気、
軍備を生む」「生長の家の仕事は、心の法則を研究し、その法則を実際生活に応用して、
人生の幸福を支配するために、実際運動を行なう」というのであった。
これは好評を得て、早くも六月には最初の支部ができた。「支部長は、カタフィジカル・
ヒーリングの形而上的治療を修得する」ものとし、「求道に熱心な支部長を求む」という
拡張活動をくりひろげた。
238 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:24
雑誌の基礎がたしかなものになると、谷口は「生長の家」誌のバックナンバー集「生命
の実相」を予約出版して大いに当てた。東京に進出してきたのは、昭和九年(一九三四)
の夏であった。谷口は、「読者、誌友は書籍代だけ払って、薬代は要らない。誌友は株式
会社に出資して、聖典の出版でもうけ、配当を受ける。無論、私も損はしない。印税を受
ける。共存共栄の生活がそこに生まれる」――そう考えていた。
宗教団体の形はとらないで、株式会社「光明思想普及会」として、「生命の実相」「生
長の家」を刊行した。
昭和十年ごろは、大新聞に広告を打ち、誌友三万を獲得し、「生命の実相」は八〇万部
を売り上げた。会社の配当は最高三割、平均一割という好成績であった。払込み資本は、
はじめ二十五万円だったのが、百万円に達した。十二年(一九三七)に、日華事変が勃発
して、日本が軍国主義時代に突入したあと――たいていの宗教団体もその存続をはかるた
めに、カーキ色を帯びはじめたが、谷口はより果敢、積極的だった。
「軍の進むところ、宇宙の経綸が廻る」といい、念波の一斉祈願で敵軍を圧倒するとも称
し、光明念波連盟を結成した。さらに、「“国体の本義”(文部省発行、国民教化の本)
は、天皇の絶対化が生ぬるい」と、文相に公開状を送った。
天理教に負けじとばかり、大陸にも進出、満州光明思想普及会をつくり、谷口みずから
も二度ほど、講演におもむいた。
「非常時に労働争議を停止させ、反戦思想を抑圧するのに、光明思想は最も効果的」と、
「生長の家」(十七年十月号)で論ずるほど―谷口の思想は激烈に右に寄った。
政界進出と愛国主義の旗印
二十年(一九四五)八月、敗戦の衝撃はどの宗教団体にとっても、大衝撃であった。
平和と自由、民主主義への転換、対応に、苦慮しなければならなかった。谷口は、その
十一月に、「いまや自由を得た。生長の家ほど、平和愛好の教えはない」と宣言した。
しかし、ここで見逃せないことは、これを機会として、谷口の言動に、二点の特色が
現われてくることである。
239 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:36
一つは、他の宗教団体にさきがけて、政界進出を発想し、その実践のスタートを切った
ことである。
もう一つは、それが歴然となるまでには、多少の時間を必要とするが、自由、民主主義、
あるいは社会、共産主義などの戦後思潮に対して、日本主義、愛国主義の“居直り”姿勢
をみせたことである。
戦後の宗教界をみると、おおむねは戦争協力への懺悔、反省をこめ、もっとも平和的な
見栄えのする福祉事業を志向している。もちろん生長の家も、その例外ではなく、孤児収
容施設、無痛分娩産院の開設などを実現、企画している。
としても、谷口がエネルギーを傾けたのは、政界進出であった。これは実は、創価学会、
立正佼成会にさきがけるものである。二十年に、“国家再建”をスローガンとして結成し
た“生教倶楽部”が、政界進出への第一歩になっている。
これを母胎として、谷口みずから、二十一年(一九四六)の戦後初の総選挙に、京都を
選挙区として、打って出ようとした。しかし、彼自身の追放、当落への懸念から、思いと
どまった。
しかし、二十二年(一九四七)の第一回参議院選挙には、谷口は身代わり的に、生長の
家の教育部長の矢野酉雄を出馬させた。矢野は、九万六九二六票で当選した。矢野自身は、
参院の在外同胞引揚特別委員長として、主としてソ連が抑留している邦人の帰還問題に働
いた。
谷口自身は、予想のとおり、追放令にかかったが、二十六年、追放解除のあと、彼の政
治活動は、本格化するに至るのである。
二十八年一月には、生長の家参与会なるものをつくり、三月にはそのなかに政治結社選
挙対策委員会を設け、中林政吉を委員長にすえた。
そのうえで、その年四月の参院選に、生長の家北海道連合会会長、世界聖典普及会理事
の前野与三吉(前・旭川市長)を、全国区から出馬させた。
ただしこれは、一五万八四七二票で次点であった。
谷口はこれにめげなかった。かえって、政治勢力としての拡大強化を期して、二十九年
(一九五四)八月には、はじめて全国代表者会議をひらき、組織的布教活動の強力な展開
を指示した。
240 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:37
それにしても、谷口がなぜこのように、政治進出、議席獲得に執念を燃やすのか――
それには、彼なりの理念があった。
「今日の民主議会政治形態においては、選挙は政治活動をおこなうための最も重要なる一
つの手段である。議会に代表者を送らないかぎり、いかにすぐれた政策を掲げても、実現
をみるには至らない」
「現実の政治は、力の関係で成立する。そのためには、選挙に勝つ力をつくること、それ
には会員を拡大し、それを組織化することがポイントになる。数は力である」というのが、
それである。
究極的には、「数なる力によって、年来の主張である“日本の実相顕現”をはかる」こ
とが、谷口及び生長の家の目的であった。
三十三年(一九五八)に至ると、生長の家は第七回教化支部長会議をひらき、本部に中
央国家対策委員会、全県に地方対策委員会を発足させることを決議した。中央政界はもち
ろん、地方自治体政治への進出を狙ってのことであった。
生長の家政治連合の怪物ぶり
このあたりから、実は、谷口の居直り的日本主義、愛国主義が発現しはじめるのである。
日の丸掲揚運動がスタートを切ったのも、この三十三年である。これは商工会議所に、国
旗を掲揚させることに、まず成功をおさめてから、着々と賛同者を集め、三十五年(一九
六〇)には、日の丸擁護会をスタートさせた。これが、全国日の丸連合会に発展し、会長
に元首相の吉田茂をすえるに至るのは、三十八年(一九六三)のことである。
この三十八年の前年――三十七年(一九六二)二月に、谷口は第十三回生長の家全国代
表者会議を召集し、さらにつよく政界進出を訴えた。
「宗教は数多いが、万教帰一だから、根本は同じである。それではなぜ、生長の家が出現
したのか。生長の家の神は住吉大神である。
その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土に、この時期に現われたもうたのか、そこ
が、非常に大切なところである。住吉大神は天照大神のご誕生の直前に現われた。最後の
宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神を現わせたもうたのである。
241 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:37
天照大神のご誕生とは、日本の実相の誕生ということである。天照大神の光が、宇宙に
天照らすべく、天皇陛下の御稜威を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うというと
ころに、生長の家出現の本当の意義がある。したがって、個人の救いにとどまらず、宗教
的自覚をおしすすめて、国家の成仏、宇宙の成仏というところにまで、行かなければなら
ない。そのひとつが政治活動なのである」
果たして、この三十七年の参院選に、はじめての本格的公認候補を、全国区に出馬させ
ることになった。先に登場した玉置和郎である。このときの玉置――生長の家の政策は、
「祝祭日に、全国民が日の丸を掲揚する」「“君が代”を国家として、学校で教える」
「明治憲法の復元、あるいは天皇を元首とする憲法改正の実現」「優生保護法の改正」
「二月十一日を建国記念日として制定する」という五項目であった。
しかし、このときの参院選では、玉置は三〇万一八二二票で惜敗してしまった。これは
会員が、宗教団体の政治活動になじまなかったことと、新興宗教そのものやさらに右寄り
イデアへの国民感情的な反発があったせいであったろう。それで逆に、谷口はよりいっそ
う、政治活動にエネルギーを傾けた。
三十八年四月の統一地方選挙では、都道府県会、市区町村会議員候補に、生長の家幹部、
誌友を推薦した。知事、市長候補についても、推薦制をとった。この結果、生長の家が推
薦した候補のうち、知事十二名、県議百名が当選した。八〇パーセントの当選率であった。
この年の十二月におこなわれた衆議院総選挙でも、生長の家は、さきの“五大政策”を
約束した候補者――もちろん自民党ないし保守系無所属を、推薦するという方法をとった。
推薦者は百七十八名に及んだ。当選したものは、百五十七名であった。
いうまでもなく、これらの人たちの当選は自民党、個人の組織、地盤などによるところ
が大きく、ひとり生長の家の力で当選したわけではない。としても生長の家の会員の票、
運動がものをいったことも、事実であった。
242 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:38
これで谷口も、生長の家も、選挙への自信をふかめ、さらに意欲を燃やすことになる。
そのあらわれが、三十九年(一九五九)八月に結成された“政治結社=生長の家政治連合”
である。生政連結成は、二万余の人間を両国の日大講堂に集めておこなわれた。当時、
自民党幹事長だった三木武夫も出席して、祝辞を述べている。生政連の主なスローガンは、
「我らは“生命の実相”の原理にのっとり、祖国救済のために、一丸となって堅く団結し、
行動を共にする」「我らは屈辱に満ちた現憲法を排し、自主憲法の制定に向って、国民運
動を展開する」「我らの代表を、国会並びに地方自治体に送り、政界を浄化しよう」「我
らは生命尊重運動を強力に推進し、優生保護法を改正しよう」「我らは偏向教育を是正し
て、イデオロギーに取りつかれた教育界を刷新し、日本人としての自覚ある青年を育成し
よう」
この生政連は、四十年(一九六五)の参院選全国区で、こんどは玉置を当選にまで押し
上げた。八五万四四七三票で、第三位というみごとな成績であった。その他、例によって、
生政連推薦の形で、地方区の自民党公認を十七名推して、十三名を当選させている。津島
文治、谷村真治、松野孝一、伊藤五郎、石原幹市郎、広瀬久忠、木村睦男、藤田正明、増
原恵吉、三木与吉郎、剣木享弘、柳田桃太郎、西郷吉之助――たちである。
この参院選を機に、生政連は“金波羅華選士”という制度を設けた。この不思議な選士
は、活動熱心な人たちで、月額千円の会費納入と、五名以上の生政連会員の獲得を義務づ
けられ、目的達成者に金波羅華のバッジを贈る――というものであった。
このシステムで、さらに生政連は、勢力を伸ばした。
整然と票をとる団結の組織
こうした経過をへて、生長の家は、その右寄りイデオロギーをいよいよ鮮明に、また政
界に票田としての力をもちはじめたわけだがそれを端的に象徴したのが、四十三年(一九
六八)の“倉石発言”問題であった。
243 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:38
この事件は、日本漁船が韓国海軍に拿捕されたとき、ときの佐藤栄作内閣の農相倉石忠
雄が、記者団にオフレコで語った談話が発端になっている。倉石は、「日米安保条約で、
日本はアメリカの妾みたいなものだ。核兵器ぐらいもつような再軍備がなければ、力ある
外交はできない」といった趣旨のことをしゃべったのである。オフレコの約束であったに
かかわらず、共同通信の記者が、これを原稿にして、ローカル紙に流した。
それを、一部の地方新聞が掲載したのを、野党が取り上げて「閣僚の憲法違反発言」と
して追及しはじめたのである。「倉石が辞任しないかぎり、予算審議には応じない」と、
国会を三週間ほど、空転状態に追い込んだ。
このとき、生長の家の政治結社たる生政連は、「倉石発言支持」「自主憲法制定のキャ
ンペーン」を決定し、素早い反応をみせた。街頭運動から、ハガキ、電報作戦までくりひ
ろげた。また、会員千数百名が、国会に請願デモをかけた。しかし、この倉石問題は、佐
藤首相の“トカゲのしっぽ切り”第一号で、倉石が辞任ということで、幕を閉じた。
このあと、倉石は親分の福田赳夫――当時幹事長とともに、生長の家の本部をおとずれ
て、感謝の意を表明している。とくに福田は、このとき、「現憲法は、改正を考えるべき
だ。生長の家のような団体が、もう二つ三つあれば、日本は絶対に心配はないのだが……」
と、生長の家を礼賛したというのである。
谷口たるもの、大いに感奮興起せざるをえない。この年の参院選では、生政連は現役の
重宗雄三(のち参院議長・故人)と、新人の玉置猛夫の二人(ともに党籍は自民党)を、
公認候補として擁立した。重宗は八八万二〇三六票で第五位、玉置は六二万七八九七票で
第二十一位――ともに当選した。
生長の家は、やがて自民党の衆議院候補にも力を貸し、大きな発言力をもつに至ったの
である。ことに、オールド・ライト勢力に対する作用力は急速に膨張を遂げた。
244 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:38
ところで、現在、生長の家はどれほどの実勢力をもっているのか?文部省の「宗教年鑑」
によると、会員数は二百四十万人――ということになっている。生長の家の本部総裁室・
企画情報部長・情報宣伝部長の大峡儷三は、この数字をまっこうから否定する。
「本当のところは、百三十五万票でしょう」という。“人”といわないで、“票”という
ところが、政治づいていて面白い。しかも、文部省調査より、ぐんと少ない数字をいうと
ころが、“谷口雅春”的でもある。
「なにしろ立正佼成会など、ずいぶんと多いようなことをいってますが、百十万票ほどで
したからな」
つまり、四十九年(一九七三)の参院選全国区の票のことをいっているのだ。
「得票数をみるのが、一番正確で、信憑性ある信者数の把握の仕方です」と、コメントを
加えた。
しかし、会員数はとにかくとして、本部には三百五十人、練成道場には二百五十人の職
員が働いている。付属、外部事業団としては、世界聖典普及協会、生長の家社会事業団、
新教育者連盟、日本教文社、生長の家政治連合と、財団法人やら株式会社、政治結社を擁
しているのである。
このうち普及協会、教文社は、事業法人として独立採算制をとっているが、あとは寄付
によって運営されている。聖使命栄える会(会員八十万人)というのが存在していて、月
額二百円、四百円、一千円のランクで、それに応じた会費を納入、これが主な財源である。
それと、他宗団と異なっているところは、谷口総裁と、その女婿清超副総裁の講演収入
がある。全国五十九ヵ所に区分された教区に、年一回以上講演に出かけるのだが、これは
入場者から最低千円の聴講料をとるのである。聴講者は、一回で一万人前後というのだか
らそれだけでも、莫大な収入になる。
この資金力もまた、票の力とあわせて、たいへんなパワーになっているわけだ。
245 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:51
先見者、谷口氏が狙うもの
おそらく、すでに十分に気づかれていると思うのだが、生長の家はどこか他の宗教団体
とは異なっている。
「その教義からして変わっている」と見て、大宅壮一は、「宗教の百貨店」と評したこと
がある。さきの昭和十年発行の「話」が指摘しているように、キリストあり釈迦あり、孔
子、老子あるの感がある。谷口の所説をもってすれば「それが万教帰一」という論理にな
るのだろうが――あるとき谷口は、側近にこういったという。
「デパートなら、デパートでもいい。デパートというところは、よい商品が集まっている。
その伝でいうなら、生長の家には、各宗教の真髄だけが結集されていることになる。私は
神のラッパ吹きでいい」
生長の家の幹部連も、そのあたりは割り切っている。
「いかなる宗教も、帰するところは一つ。ああでもない、こうでもないといっていたので
は、宗教戦争も同然で、人類の救いなどとてもできませんよ」
そのせいか、生長の家本部は、抹香くさい印象は全然ない。岸田日出刀の設計にかかる
その本部(渋谷)に入ると、むしろ政党本部にきたような雰囲気さえある。これは、谷口
が、「神は無限である。人間の悟性に内在するもの」といって、神殿らしいものをつくら
なかったからであろう。
それにしても、宗教法人である以上、その規定の“ご神体”がなくてはならない。強い
ていうならば、信仰の対象らしきご本尊は、昭和二十四年(一九四九)に、谷口が書いた
“実相”という二字の掛軸――本部礼拝堂の正面に掛かっているそれである。
谷口みずからは、自分がシャーマン視されることを嫌っている。神であることを否定し
ている。いきおい、その行事も、氏自身の著書「甘露の法雨」なるものを、参集した人た
ちが、声をあわせて読むだけのことである。それも、二十分程度で読みおわるもので、聖
書や経文とは違っている。
246 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:51
このような他の既成、新興宗教のいずれとも異なっていることの根源は――実は谷口雅
春その人の人間性によっているというべきであろう。
谷口は戦前のある時期、“生長の家経済連盟”を提唱したことがある。執務時間を平等
に分配すれば、失業者がなくなると同時に、就業時間の短縮ができる――ということが狙
いで、この経済連盟を企画したのだ。このあたりは、よくいえば戦後今日の週五日、一日
七時間制などを、先駆的に予見したといえそうだが、反面、谷口その人のなかに、経済の
算盤を弾く才があることの証拠であるかもしれない。
事実、生長の家を、教化団体、誌友制度という形で、隆盛にみちびいたなどは、経済的
才覚がなければ、でき得べきことではなかったといえそうである。
戦後に至って、谷口は、無痛分娩の産院設置を計画したことがある。二十二年(一九四
七)十一月号「生長の家」のなかで、「二月怱々、建物(多摩療養所)の一部に、まず無
痛分娩産院を開設することになり、高知の徳久克巳博士が来任することに決定しています。
闇から闇へ葬らるべき嬰児の生命の救済も行うことになっています」と書いている。
ところが、当時の占領軍司令部は、「宗教で無痛分娩するなど聞いたことがない。アメ
リカでは、麻酔剤の注射、子宮口の開口する注射で行なっている。医学は医学、宗教は宗
教、それをゴッチャにやることは許されない」と、許可を与えなかった。
考えてみれば、今日、常識になっている無痛分娩の知識を、谷口がどこから仕入れたか
わからないが、多分に先見性があったことはたしかである。
さらに、宗教団体としての政治進出においても、谷口が先駆的であったことに、間違い
はない。
そうした谷口が、二十六、七年ごろから、急速かつ鮮烈に、生長の家を日本主義、愛国
主義のカラーに染めはじめ、日の丸擁護、君が代斉唱、天皇元首を核とした憲法改正の行
動を起こしはじめたのは、どういうわけなのか。
これは、世間的には逆コースに映るが、谷口の内部では先駆的、先見的なものとして組
み立てられているのだろうか。
247 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:52
あるいは、これらのことはすべて、大宅壮一がいうように、よいと思えるものは、なんで
も並べるというデパート的発想にもとづいてのこと――といえるかもしれない。しかし、
私は、子供のころ新聞広告をみて、その眼と心理に映った印象――ある種の異様さを、谷
口正春という人物に感ずるよりほかないのである。
成長の限界に挑む妙手はあるか
ところで、その生長の家は、いま、ある限界ないしは分岐点にきているように思われる。
現在、生長の家が熱心にすすめているのは、「妊娠中絶は、一種の殺人行為」(「白鳩」
誌・三十三年十二月号、谷口雅春箴言)という発想のもとに展開している中絶禁止、優生
保護法の改正である。
運動の主体は、「母と胎児の命を守る会」である。
見方によっては、カトリック的な思想で、ここにも「よいものは採る」という百貨店的
発想がみられるが、この運動は国民啓蒙的な域を出ず、谷口が考える政治運動へとはつな
がらなかった。
事実、昭和四十九年の参院選では生政連会長の田中忠雄、それと同会の秘蔵っ子・村上
正邦(当時幹事長)の二人を押したてて、同選挙に臨んだが、結果は田中忠雄五五万六八
九票(五十七位)、村上正邦五五万二八五四票(五十六位・次次点)という結果になって
しまった。
生長の家の大峡(前出)は当時の選挙参謀。敗因について、投票率が高かったため、
ボーダーラインが上がったのだと説明していたが誌友の選挙への関心が薄らいできたこと
は否めない事実であろう。
248 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:52
過去の選挙をかえりみると、四十四年の参院選全国区では、重宗雄三、玉置猛夫の二人
を立てて当選させているとしても、これは重宗個人が明電舎の関係票と、ネームバリュー
で集めた票があったからのことで、生長の家だけの力ではなかった。
四十七年のそれでは、玉置和郎と、鹿島俊夫、横山ふくの三人を推薦し、玉置と鹿島の
二人を当選させているが、鹿島は歯科医師会がメーンの基盤であった。プラス・アルファ
として、生長の家の票を活かして、当選できたのだ。
落選した横山ふくは、主要基盤の助産婦会が弱く、しかもそれをカバーするだけの生長
の家の票がなかったのが、落ちた原因であった。
したがって、四十九年の場合、生長の家票だけでは、田中、村上二人の当選は難しいと
みられていた。
それをあえて、二人出馬させたのは、「自民党はたよりにならない。生長の家出身の議
員をもちたい」という一心からだった――と聞くが、やはり生長の家票オンリーでは、無
理だったわけである。
内部のあるものは、「生長の家は、両親が入っていても、子供は入っていない――とい
う状況だ。それは、若い人たちをひきつける魅力を失いはじめたせいではないか」と憂慮
する。そうした傾向がつよまれば、こんごますます、二人の候補を当選させる可能性は薄
くなる。
249 :
名無しさん@1周年:02/10/30 06:52
いずれにしても、五十二年は参院選の年である。それを生長の家がいかに闘い、どのよ
うな結果をみせるか。二人落選という場面を再び演出すれば、そこに生長の家の政治勢力
としての限界が、当然見えてくることになるのだ。
それに、田中、村上を立候補させるに当たって、生長の家理事の菊池藤吉出馬説があっ
たのを、政治的事情から菊地をはずしたという経緯もあった。派閥抗争、内紛とはいわな
いまでも、内部的にある亀裂が生じはじめているようにも見られるのである。
加えて、長崎別格本山の建立に対しても、一部幹部の専断で決定されたこと、五千円の
カンパにたよっていること、その建立の必要が疑問視されていることなど、内部の批判も
ある。
さらに、昨年末、「生長の家・聖使命栄える会全国組織」が結成されたものの、それこ
そ宗教・経済一致で成功した八百半デパートはじめ、宗教組織を販売組織に利用する金儲
け主義が見え透いているという声も、うちがわには起こっている。
それらを谷口雅春総裁八十一歳が、よく捌き切れるかどうか。世襲制によって、そのあ
とをつぐ清超副総裁が、よくこなし得るかどうか――こうみてくると、生長の家は、限界、
分岐点にさしかかりつつあるといわざるを得ないものがある。
250 :
名無しさん@1周年:02/10/30 07:09
兎に角、『生長の家』の本をお読みなさいと忠告する。ここに彼らの抜け目ない所がある。
兎に角、『生長の家』の本をお読みなさいと忠告する。ここに彼らの抜け目ない所がある。
兎に角、『生長の家』の本をお読みなさいと忠告する。ここに彼らの抜け目ない所がある。
兎に角、『生長の家』の本をお読みなさいと忠告する。ここに彼らの抜け目ない所がある。
251 :
名無しさん@1周年:02/10/30 10:53
>>210-249 面白かったです。
読むと分かるのは、かなり理論的で、筋が通ってる
宗教じゃないですか?いや宗教じゃない印象。
谷口正春氏自身も、普通の苦悩する人間と言う感じで
完全無欠な教祖という感じでもないですね。
釈迦の生まれ変わりだの、尊師だのとあがめられてる
どっかの宗教よりはいい。
内部批判があるということは洗脳されてないということ
ですね。政治的というのが嫌われてるんでしょうか。
政治に目をつけるのはなかなかじゃないですか。
売国奴政治家だの、マスコミや新聞を批判している2ち
ゃんねらーも、2ちゃんるから立候補者を出せ、
とかよく言ってるじゃないですか。
本気で世の中変えようと思ったら、政治に関わろうと
するのは当然じゃないですか?
なげーな・・・
>>205 折りが204を書いたのは、まだ昨日だったぜ。
わずか半日でこんなにすすむかいな?
何にしてもよー、政治に関わろうとしたらかのそーかにはかてねーからな、教義だとかの精神論を楽しくやんねーとな。
しかし、ここにはだれーもこねーな。
折れだけかよ。
こーなったら、一人で書き続けてみるかな……
254 :
名無したん ◆jbl6actWF. :02/10/31 08:22
カキコしないだけで、漏れも読んでいますが。
異教だけど、教典のつくりこみとか、右翼思想との関係とか、すこぶる興味が
あるので。
255 :
名無しさん@1周年:02/10/31 09:06
谷口雅春は聖人か俗物か?
そういう意味では興味深い人物ですね。
256 :
名無しさん@1周年:02/10/31 09:08
おお、まだ行きますか。152でもう書き込まない宣言を
したんですが、疑問はまだまだあって未練があるので
復活させていただきます。
私もちゃんさんの「魂に差別はあるのか」という疑問は
是非知りたい。
ついでに向上するとしたら行き着く先はどうなるのか。
そいでもって魂に絶対数はあるのか?
これさえ納得できれば未練はないんですが・・・・
信徒さんに限らず、こう思う、という意見でもあればお聞き
したいのです。
それにしても64さんはもうこないのかな〜
257 :
名無しさん@1周年:02/10/31 09:34
>>256 生長の家とは関係ありませんが「神との対話」という本をお勧めします。
内容を一言で言うと、生長の家 − ナショナリズム、って感じです(w
読みやすいし、特定の思想宗教へ偏りがないので、気に入ってます。
258 :
名無しさん@1周年:02/10/31 10:04
>>257 どうもありがとうございます。題名からして興味を持って
しまいますね。
さっそく週末にでも本屋で探してみます。
おー、皆のもの!
なんだかちと懐かしくて涙がでてくるぞよ。
64ですよさんは、酒のんでその勢いでカキコしてからというもの
ちとお疲れになってらっしゃるかな?
というか、こんな真っ昼間からここにいるのは、やっぱ折れくらい?
まーいい。
いいたいことをどんどんぶちまけよう。
64ですよさんは、結構誠意をもって解答してくれます。
って折れが宣伝してもな………
260 :
名無しさん@1周年:02/10/31 11:56
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| おまえらも |
∩_∩ | |
(´ー`) < 暇な奴ら |
( ) | |
| | | | だなぁ |
(___)__) \_____/
宗教年鑑(文化庁)
生長の家 信者数
平成9 87万5192人(平成8年12月31日現在)
平成10 87万2925人(平成9年12月31日現在)
平成11 86万2507人(平成10年12月31日現在)
平成12 85万7600人(平成11年12月31日現在)
平成13 85万0435人(平成12年12月31日現在)最新版
平成10年の1年で1万人以上の人が脱会している・・
263 :
名無しさん@1周年:02/10/31 12:39
FRIDAY1988年5月20日号
コツ然と「220万人」が消えたミステリー
『生長の家』信者が1年で「300万」→「80万」へ
第3次宗教ブームのはずが「宗教年鑑」へ信者数を激減申告した巨大教団から
「不信の声」が
2億1千355万人――これが文部省に届け出された各宗教団体の信者数の
合計である。なぜが日本の総人口の1.7倍強にもなるが、「宗教団体は入信
する者は信者として加算するが、脱落者を直ちに信者から除くことは少ない」
(宗教年鑑)などの理由から、そういうことになるのだそうである。
ところがこの宗教界の「水増しの常識」に大異変が起こった。新興宗教教団
『生長の家』の「公称信者数」が、この1年間で300万人台から80万人に
一挙に激減したのだ。
「驚きましたね。確かに3年前に教祖の谷口雅春総裁(享年91歳)が死んだ
後、信者が離れていったとは聞いていましたが、それにしても220万人も
減らして発表するとは。天理教やPL教団の信者数に匹敵する数ですからね」
(宗教評論家・清水雅人氏)
巨大教団まるまる一つ分の信者がコツ然と消えたのだから、専門家も驚きを
隠さない。
264 :
名無しさん@1周年:02/10/31 12:39
第3次宗教ブームといわれる今、一体なぜこんな「発表」が行われたのか。
教団側の説明によれば、「これまでは6種類の月刊誌の発行部数を信者数と
していたのですが、それをやめて素直に“聖使命会員”の数を信者数として
届け出ることにした」(広報担当者)という。つまり「水増し」をやめたと
いうわけだが、この説明だけでは何が何だかわからない。
カギはやはり「教祖の死去」にありそうだ。
2代目を襲った谷口清超総裁(68・初代の女婿)は、東大文学部心理学科を
卒業したインテリで、学究肌。信者の間では「話が難しくてつまらない」と
いう声もあった。教祖の個人的魅力に惹かれて教団に入った人たちが、去って
いったといわれる。この実数減に加え、教団の方針変更もあったという。
「これまでは、自民党に対して圧力をかけるために信者数を誇示する必要が
あった。それが、谷口雅春氏の死後、政治活動から全面撤退する方針を打ち出し、
選挙にはかかわらないことにしたため必要なくなった」(政治記者)
連休中の5月1〜3日に、『生長の家』は、日本武道館(東京・九段)を
借りきって全国大会を開いた。『白鳩会』の組織は信者数を飛躍的に伸ばして
きたが、その生みの親である教祖の未亡人、谷口輝子さん(享年92歳)も
この4月に亡くなった。「これからどうなるんでしょう。会員の数も少し
減らし過ぎじゃないでしょうか」と、信者の間でも戸惑いは広がっている。
265 :
名無しさん@1周年:02/10/31 12:55
>>240 「数は力」という生長教祖の指示で信者の水増しやってた。
266 :
名無しさん@1周年:02/10/31 13:15
>>244 >ところで、現在、生長の家はどれほどの実勢力をもっているのか?文部省の「宗教年鑑」
によると、会員数は二百四十万人――ということになっている。生長の家の本部総裁室・
企画情報部長・情報宣伝部長の大峡儷三は、この数字をまっこうから否定する。
「本当のところは、百三十五万票でしょう」という。“人”といわないで、“票”という
ところが、政治づいていて面白い。しかも、文部省調査より、ぐんと少ない数字をいうと
ころが、“谷口雅春”的でもある。
300万人ていってたけど本当は80万人だった。
ん?故意に多く見積もってたの?少なく見積もってたの?
どっち?
それにしても分かりやすい教団だなぁ(w
268 :
名無しさん@1周年:02/10/31 13:30
実数信者80万人(票)なのに135万票とか240万票とか300万票とか
あるわけないでしょ。
>>267
269 :
名無しさん@1周年:02/10/31 13:41
いや、そうじゃなくて
>>265の
>「数は力」という生長教祖の指示で信者の水増しやってた。
というのと
>>266の
>文部省調査より、ぐんと少ない数字をいうところが、“谷口雅春”的でもある。
というのがつながらなかった。
∩
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( ´Д`)//< 先生!誰もこなくてさびしいです!!
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271 :
名無しさん@1周年:02/10/31 21:33
生長の家の教えの真髄は弱肉強食です。
何事においても死に物狂いで常に世界一いや宇宙一になりなさい
ということです。
272 :
名無しさん@1周年:02/10/31 21:59
( ´Д`)/ 先生!<<271が異次元の世界の事について語ってます!
273 :
名無しさん@1周年:02/10/31 22:13
274 :
名無しさん@1周年:02/10/31 22:27
(リンクの張り方間違ってた・・・鬱)
>>273 生命の実相ってどういうものか解説して欲しい。
どっかに折れの名をかたる不届きものがおるようだな。
それともたまたまいっしょ?
273は、信徒くん?
しばらく忙しくてこれなかったけど、間をずっととばして、
現象と、実相という話だったよな。
タテの真理とヨコの真理って話がでてたけど、
>>154 >>155 そのへんのことかな?
276 :
名無しさん@1周年:02/11/01 12:00
「宗教年鑑」(文化庁)
生長の家 信者数
昭和57 367万6144人(昭和56年12月31日現在)
昭和61 300万9558人(昭和60年12月31日現在)
昭和62 80万4875人(昭和61年12月31日現在)
平成8 87万6732人(平成7年12月31日現在)
平成9 87万5192人(平成8年12月31日現在)
平成10 87万2925人(平成9年12月31日現在)
平成11 86万2507人(平成10年12月31日現在)
平成12 85万7600人(平成11年12月31日現在)
平成13 85万0435人(平成12年12月31日現在)最新版
信者激減、みんなどんどんやめていく
近年減少傾向に歯止めがかからない
これがいったい何を物語っているのか
277 :
名無しさん@1周年:02/11/01 12:05
昭和62年の激減は何なんだ?
要するにバブル時代の開始期だが。
一体この数字が何を意味するんか、よくわからんけど、
べらぼーに多く見積もるよっかええやないの。
単純に減ったんだろ。政治活動の関係かなんか?
しかし,H7以降はほぼ横ばいにみえるが、
279 :
名無しさん@1周年:02/11/01 12:17
2万6000人以上脱会
280 :
名無しさん@1周年:02/11/01 12:40
>>278 政治活動っていっても上にズラズラ張ってあるの
読んだら2代目総裁になってから撤退したって書
いてある。(そこで数字が変わったと。)
でも今現在政治的なところが嫌だという人がいる。
どっちなんだろう?
まだ政治に関わってるのかな?
でも別に悪いことじゃないと思いますが。
>>279 大量に脱会してるとの事ですが、逆に言えば入るも
辞めるも自由って事ですね。
カルトのような宗教だったら愛想つかして辞めるの
なんて大変ですからね。しかも大量に。
入って、嫌になったら抜けるっての自由でいいじゃん。
どうでもいいから縦の真理と横の真理について解説
してください。
281 :
名無しさん@1周年:02/11/01 12:55
園頭広周
「矛盾に気づいて脱会する信者もかなりの数にのぼっている。」
282 :
名無しさん@1周年:02/11/01 13:13
理想と現実ってことかな?
教義の中に矛盾があるのかな?
283 :
名無しさん@1周年:02/11/01 13:21
衰退の家
284 :
名無しさん@1周年:02/11/01 13:22
右肩さがりの家
>>280 折れは、政治活動に関してどうこう思わないし、それによって信徒の数が
どうこうということにもあまり興味ないのね。
いうとおり、その教義について考えてみているだけなのだ。
あたしゃ信徒にあらずなので。
286 :
64ですよ:02/11/01 15:28
紅葉見物に行って来ましたよ。残念ながらモミジはまだ
青々しておりました(泣笑)
生命の實相・・・・とは宇宙の真理、かみ砕けば神と万物との関係
えっ、かみ砕かれていないってぇ(笑)じゃあ取りあえず神と人との
関係が解りやすいかもしれませんなぁー
「神は光源にして人間は神よりいでたる光なり」
完全なる神の他に何もない世界が実相世界・・・・
唯神實相論・・・ただ光のみの世界
迷いの心によって仮に現れているのが現象世界
諸行無常ってやつかなぁー。實相論からみれば夢幻の世界。
287 :
名無しさん@1周年:02/11/01 17:16
>>286 風流でいいですねぇ。こちらは紅葉どころか寒風
吹きすさんでますよ(w
生命の実相とやらは難しいですね!
言葉に表す方は簡単でも思い浮かべれない・・・
宇宙の真理という言葉がでてきたんで、思い出し
ましたが、昔信徒さんに「神様と言うのはどうも抵抗が
ある」と言うと「じゃぁ宇宙の法則といえばいい、この世の
すべてが法則からなっていて云々・・」
それで生長の家は人間や世界を法則で説いている
んだと思ったわけです。
法則が理解できれば少しは生き易くなるかと。
288 :
名無しさん@1周年:02/11/01 21:27
実相と現象を区別するのは間違っています。
289 :
名無しさん@1周年:02/11/01 22:19
ほんと間違ってますよね。
288さん偉い!
あなたは天才!
290 :
名無しさん@1周年:02/11/02 00:01
成るほど、そうかもしれませんね。
分けて考えるのは凡人かもしれません。
本当に何もかもわかった人にとっては、どちらも同じ
次元上に感じてしまうのかも。
しかし凡人には理解できないので、便宜上分けたの
かもしれない。
実際、五感で感じている世界しか認識しない現実の
人間がその感覚を感じるのは至難の技でしょう。
291 :
名無しさん@1周年:02/11/02 00:28
64さんも来ないことだし私はもう寝ます。
みなさんお休みなさい。
この世が私の心の中が実現する世界ならばみなさん
の幸せをお祈りしながら寝ましょう。
世の中の人々が本当に幸せに生きていくことは私に
とっても幸せです。私が願えば叶うのでしょうか。
そんじゃみなさんおやすみなさい!
292 :
名無しさん@1周年:02/11/02 00:33
それを凡人でも分かるようにしてくれるのが
宗教ですから
そこまで連れていってくれないのなら、大衆は迷うだけですね。
なんだかずいぶんいい感じだにゃー
実相の世界と現象って分けて考えるん?
折れがここでなーんとなく思ってたんは、タテの真理とかいって、両者はつながっているけど別けて考えないと理解しにくいってことだったけど。一歩進むと、そんな考えになるってことなの?
しかも実相の世界は光だけだとか言うとったな。それが一緒って言うてもなー
294 :
名無しさん@1周年:02/11/02 08:31
考えるんじゃない、感じるんだ。
悟れるかどうかは神霊の協力しだいですね。
本人の知識はまったく関係ありません。
後から理なんていくらでもついてきますよ。
295 :
名無しさん@1周年:02/11/02 10:43
>>294 あ〜確かに。逆に知識が理解のじゃまをしていることは
ありますね。理屈をこねまわして逃しているような・・・
実相の世界云々もそうでしょうが、普通の生活上でもそ
ういう事はよくあります。
ところで神霊というのは何者ですか?
神さまではないですよね? 守護霊とかそういうもの
ですか?随分徳の高そうな霊ですね。
296 :
名無しさん@1周年:02/11/02 19:55
>>257さん、「神との対話」買ってきました。
3巻まででているのですね。とりあえず1巻だけ買って
すぐ、耐え切れず車の中で読んでしまいました。
まだ30ページも読んでないのですがのっけからカウン
ターパンチ食らった気分です。特に神の啓示や祈りの
パラドックス部分は鳥肌たってしまいました。
今から続きを読みます。この本と縁を結ばせていただい
て本当に感謝します。ありがとう!
>>294 折れは、ものすごく俗物なもんで申し訳無いとおもうのだが。
実相の世界ちゅうのんは、可視化することは出来ないわけだろ。
ずぶの素人に感じろといっても、ほとんどの人間には無理じゃねーのか?
少なくとも折れには全く知識が無い(んなこというなら勉強してから来いいっていうつっこみしてるやつもおるかもしれんが)から
自分で考えてかってにカキコしとるのだけど。
本にするというのは、感じることになるのか?
>>296 お気に召していただけて、私も嬉しいです。
299 :
64ですよ:02/11/04 20:33
いやはや最近めっきり冷え込んできましたね。
ついに本日灯油をストーブに入れてスイッチを入れましたよ。
294さんって生長の家ですかねぇー近いようですが(笑)
神霊って生長の家ではあまり使わない(頻繁には)のですが・・・
實相の世界は見るのではなく観るのですよ。心の目でね。
座禅ってあるじゃないですか。無念無想・・むーむーむー
って端座瞑目の行、あれも練習・修行で「無」を感得するんでよね
生長の家では、そらにその「無」の門から竜宮世界・實相世界にはいる
行を「神想観」として実修するんですよ。
これも、かなり練習が必要ですね。
おいらなんか、最初は綺麗な女の子ばかり思い浮かんで困りました(笑)
でもね、ちゃんと呼吸法と唱える言葉を繰り返している内に
なんだ、力まなくてもここがこのまま實相世界なんだーって
気がついてらくーになていくんですよ。
さて、八時半になったので今日も竜宮に遊びに行きます
全国青年練成会行きました、綺麗な女のこいっぱいいて實相円満でした。
でも綺麗な人は奥さんばかりでした。雅春師も昔はけっこう俗物だったようだ
302 :
名無しさん@1周年:02/11/05 00:20
いいなぁ
拉致被害者の蓮池兄と若いときの教祖雅春師はそっくりです。あの迫力は雅春師が生まれ変わって抗議(講義)してるようだ
304 :
名無しさん@1周年:02/11/05 16:34
80 :旧版「生命の実相」の”削除”・改訂について :02/11/03 13:43
谷口雅春は、1977年に刊行した『国のいのち人のいのち――天皇・国家および
自己存在の原点』の「はしがき」に、つぎのように書いている。
「生長の家が愛国運動の中心として活躍していることは今や周知のことだが、それは
決して近年に始まったことではない。そもそも生長の家の発祥が、兵庫県の住吉村
八甲田に住んでいた私が、毎朝からだを禊してから近くの本住吉神社にお参りし、
日本国の隆昌と皇室の弥栄のために祈っていたとき、霊感を頂いたところにあるので
ある。そして昭和八年、東京における第一回講演会の演題が『中心(すめろぎ)に
帰一する道』であり、東京に本部道場が開設されて最初の十日間の講習会で連日
『古事記』『日本書紀』に基づく日本の話をし、現世利益・病気治しの話を第一義に
期待し求めて来た受講者が驚嘆したものである。
戦時中は『皇軍必勝・必勝生還』を宣揚し、戦後占領下も、自らは追放下にありな
がら、聖経『甘露の法雨』巻頭の神示に『皇恩に感謝せよ』の一句を堂々と唱導して
来た。その後も、国民総自覚運動や文書を以て一貫して、日本の実相、天皇の実相
顕現を唱導し推進して来た」
上記の一文は、一九七六年秋の天皇在位五十年奉祝行事の盛りあげに成功して、
右翼運動の中軸の位置を確立した生長の家の、“天皇国家”の理念が、その創立以来、
一貫したものであることを力説しようとしたものである。しかも、これだけの短い
文章のなかにも、谷口の時流に便乗的な姿勢がよく出ている。
305 :
名無しさん@1周年:02/11/05 16:34
81 :旧版「生命の実相」の”削除”・改訂について :02/11/03 13:43
「昭和八年、東京における第一回講演会」というのは、一九三三年一月八日、東京・
雑司ヶ谷の「友の家会館」で、約七十名の聴衆におこなった「大生長の家論」と題す
る講演のことである。(ちなみにこの前後に出された生長の家の大神による神示には
「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)「自然流通の神示」(昭和八年一月二十五日)
「至上者の自覚の神示」(昭和八年三月十六日)「本当の信仰に就いての神示」
(昭和八年八月五日)「霊魂進化の神示」(昭和八年九月十五日)が出されており、
この後敗戦までの約十二年の間神示は出ていない。)この時の講演が『生長の家』
第四輯第三号に「中心に帰一する道」と題して発表され、『生命の実相』第六巻
(一九三五初版)の冒頭第一章に収められていた。
ところが、戦後、刊行された『生命の実相』では、これが大幅に削除、改訂された
うえに、「古典に現われたる宇宙構造の中心理念」と改題されて、新版では第十二巻
第四章に収められている。どういう部分が削除され、あるいは手直しされているのか。
旧版では、生長の家とは「縦横無限の宇宙」であるとして、つぎのように図示され
ていた。
縦−時間、陽、高、火、男、夫、生。
生長の家 家(国家)――高天原――瑞穂国
横−空間、陰、原、水、女、婦、長。
新版では上の図の「家(国家)――高天原――瑞穂国」が、スッポリと抜けている。
旧版では「一切の国々さへも『生長の家』へ包容されねばならない・・・・・・此の大宇宙
全体が『瑞穂の国』即ち日本の国であり、それがまた『生長の家』なのであります』
といっていた。そして「天皇こそ・・・・・・一切万象を支配する中心者である」といい、
天皇を中心とする日本の国体こそ最高の実相の世界の顕現であり、「世界を統一統治
する使命の有った民族だ」として、日本帝国主義の世界侵略の合理化を、つぎのよう
に試みていた。
306 :
名無しさん@1周年:02/11/05 16:34
82 :旧版「生命の実相」の”削除”・改訂について :02/11/03 13:44
「勤労階級が資本家に搾られるのは、資本家の搾取する部分もありますが、必ずしも
資本家そのものの為だけに搾られるのではなく、外国と云ふものがあるが為に、その
貿易を成立たして一国の経済を維持する上から搾られる部分もある・・・・・・この弊害を
防ぐためには、世界の国境を抹消し、各国の対立を無くして全世界を一国にしなけれ
ばならない。・・・・・・」
「此の各国の国境を抹消して全世界を一国に変改して了ふと云ふ大運動が現在世界に
二つある・・・・・・一つは露西亜から始まってゐる第三インターナショナルの運動で・・・・・・
もう一つは、日本より始まってゐる大日本世界運動があります。・・・・・・全世界を統一
する中心となるべき民族はどの民族であるかと云いますと、それは日本民族である。」
しかしながら「各国がみずから眼覚めて一つの中心者に国境を献上するやうになれ
ば問題はないのでありますが、なかなか自ら進んで一つの中心者に国境を捧げると云
うことは期待出来ないのでありますから、中心の方から建御雷之男神(軍の神)の実力
を用ひて国境を解消する運動を進めることも必要なのであります。」
「満州のやうにシベリアのやうに土地も広く、埋蔵された富源も多いが、開発する為
の人口が足りないと云ふやうな所へ、人口過剰の日本人その他が移住してその富源を
開発してくれることは人類全体の喜びだ・・・・・・全人類の幸福のために大日本世界国家
を造るべく国境抹消運動をして武力行使がやむを得ず必要になって来るのでありまし
て満州等へ日本が兵を用いてゐるのもその運動の一端であります」
「・・・満州事変に対しては昭和六年十二月より協力一致、一定の時間を期し、北支の
光明化に祈念の精神波動を送り、二月よりは上海を始め全支那の光明化祈願を念送した
・・・・・・(『生命の実相』旧版第三巻)」
「・・・銃後の吾らの為し得る援助は形に見えない援軍を送って日本兵が一人にして十人
百人の敵軍に相対しても傷つかないやうにすることであります。
(『生命の実相』旧版第三巻)」
307 :
名無しさん@1周年:02/11/05 16:34
83 :旧版「生命の実相」の”削除”・改訂について :02/11/03 13:44
「(『生命の実相』新版第三巻)それは病院医院等の不快な建築に費される莫大な費用
がもっと有用な費用に転換出来ることになる。日本全国の医院病院の数を半減して国民
が一層健康になることを得るならば、貧乏の原因の一つは病気と医療費でありますから、
その経費を振り向けるだけで、日本の貧民の大半は救うことができるのであります。」
旧版では、「貧乏の原因、云々」以下は、つぎのようになっていた。
「(『生命の実相』旧版第二巻)その経費を振り向けるだけで、吾らは此の国家多事
の時に際して数百台の飛行機隊を作ることが出来るのであります。更に『生長の家』の
説く人間無病の真理が普及して薬剤の製造費広告費等を不要に帰せしめることが出来る
ならば実に驚くべき国富の増進を得るに到るのであります」
このような露骨な武力侵略の“教義化”は、戦後の版では、さすがに削除され、「宇宙
というものが一つの神から造られているということ・・・・・・がわかってきますと、人類は
自然と仲よくなり・・・・・・夫婦の一体観が深まって夫婦は根本的に仲よくなれる」として、
「夫唱婦和の原理」なるものに置きかえられた。しかし、さきに述べたように一九七〇
年代後半、天皇主義の反動化の波が高まり、我に利あり、とみた谷口は、ふたたび戦前
からの一貫性を説くにいたったわけである。
308 :
名無しさん@1周年:02/11/05 16:35
84 :旧版「生命の実相」の”削除”・改訂について :02/11/03 13:44
全世界を統一する中心が日本民族だという議論は、当時、「八紘一宇」のスローガンで
いわれたものであるが、これは、統一教会=国際勝共連合の「全世界の文明は韓国を中
心に吸収融合される」「すべての民族は韓国語を使用するようになる」という、韓国中
心思想を想起させる。かつて韓国中心主義の統一教会=国際勝共連合と天皇中心主義の
生長の家が、一見、対立する理念をもちながら、ともに結びつき、共同行動をとりつつ、
日本の軍国主義化、ファシズム化をねらっていた。こうした動きに、谷口雅春が“お墨
付き”をあたえている。
「最近・・・・・・好いお手紙を頂いた・・・・・・『・・・・・・地球上の凡ゆる所に於いて人類に甚
大な害毒を流しつつある共産主義者を撲滅して、地球上に神の国を実現する為強烈なる
活動を続けて居ります“勝共連合”の団体が福岡にもありまして、約十年程前から大幹
部を自宅に呼び、生長の家の教へを説き聞かせたり、御著書を読ませたり致しまして、
天皇を中心とする日本を護る正しい運動を展開するやう指導に努めて居りましたところ、
最近では生長の家の真理をよく理解し、今回長崎で九州ブロック大会が開かれる機会に、
九州各県の最高幹部が二十四名、龍宮住吉本宮に参拝し、聖者谷口総裁先生の御尊顔を
拝したいと申入れて来て居りますので、誠に恐縮至極な御願ひで御座いますが、今後導
師先生の御心を体して日本護持の大使命遂行の一翼を担って頂きます為、寸時でも御拝
顔の栄を賜りますれば誠に幸甚に存じます。参拝致しますのは九州管区長等二十四名で
御座います・・・・・・』「原理運動」とも称する勝共連合は生長の家と類似の教義をもって
ゐたが朝鮮の文鮮明と称する予言者を八紘一宇の世界の中心者とする運動だったので私
たちは今まで協力できなかったが、S(上記の手紙の筆者)さんのやうな正しい説得で、
日本中心の運動にすることが出来れば協力してもよいのである」
(『生長の家』一九七九年八月号)
309 :
名無しさん@1周年:02/11/05 16:35
生長の家の戦争観15年戦争(大東亜戦争)に対するスタンスの変遷
15年戦争勃発〜大東亜戦争終戦少し前まで
“肯定的”
↓
谷口雅春氏GHQから公職追放解除される昭和26、27年ごろまで
“否定的”
↓
谷口雅春氏昭和26、27年ごろから再び
“肯定的”
↓
谷口清超氏、雅宣氏
“否定的”
もはや生長の家の主張の破綻は修復不能。
310 :
名無しさん@1周年:02/11/05 22:34
久々にのぞいて見れば、またまた面白いのがズラズラと。
大東亜戦争について今は否定的なのですか?
ならば、うよさよで分ければさよになるのだろうか。
実際、このスレだかよそのスレだかで現在の総裁は左翼
だとの書き込みがあったような気がしますが。
その割りに左翼を罵倒する書き込みがあれば、職業右翼
=生長の家という単純な図式が出来上がってますね。
現在生長の家が左翼ならばそういう短絡的な解釈は出来
上がらないのではないでしょうか?
生長の家が一貫性がないとすれば煽る方にも一貫性が
ないようで・・・
257さん「神との対話」面白かったですよ。2巻を買う前に
今現在の自分の考えと照らし合わせて感慨にふけってま
すよ。ふけり過ぎて現実生活がままなりませんよ?
311 :
名無しさん@1周年:02/11/06 02:15
神ノ子の自覚を自己暗示にまで堕落させたのには遺憾です。
312 :
名無しさん@1周年:02/11/06 08:50
>>310 お互い生長の家とは関係なさそうなので、激しくスレ違いかもしれませんが・・・
> ならば、うよさよで分ければさよになるのだろうか。
そんな面倒なことは、インテリさん同士に任せておいて、私は近づかないように
してます。
> ふけり過ぎて現実生活がままなりませんよ?
それぐらいインパクトのある本ですよね。これほど常識というものが根底から
揺さぶられるような衝撃を感じた本は、他にはありませんでした。
でもまあ、現実生活こそ魂を磨く最良の舞台なんでしょうね。
>>312 おっしゃるとおりです(w
もはやこの期に及んで・・・といったところでしょうか。
そんなわけで、おかげさまで私自身の求めた答えは与えられた
ようなのでこれにて退散いたします。お世話になりました。
寒くなってきたのでお体に気をつけてください。
314 :
名無しさん@1周年:02/11/11 01:40
私も「神との対話」読ませていただきました。
生命の実相で行き詰まっていたところ、非常に参考になるところが
多かったです。
315 :
名無しさん@1周年:02/11/13 18:04
生長の家が取るに足らないニセモノである根拠の要点
@生長の家の大神(自称キリストの霊)が神の世界から谷口雅春に預言を出したのに外れた。
A預言が外れたあとでその預言はまちがいだったという神示を生長の家の大神(自称キリストの霊)
が神の世界から谷口雅春に出した。
従って生長の家の信仰にもとづいて物を語ることはバカげている。
316 :
名無しさん@1周年:02/11/13 18:38
自分は生命の実相40巻ひととおり読んで2つ得たものがあった。
ひとつは、次に何を読んだらいいのか、みえてきたこと。
この本は、宗教のカタログのようなところがあり、わかりやすくて初心者には良い。
もうひとつは、これは第7巻を読んだときだが、かなり癒された。
たとえると、「魂が光のシャワーを浴びて透明に戻る」とでも言えばいいのかな。
人生で八方ふさがりの時だっただけに力になった。
逆にいやだなと思ったのは、3つあった。
ひとつは、「病はない」が徹底しすぎてる。これはうけいれられなかった。
ふたつは、宣伝臭が強すぎる。「全部読まないと意味ない」みたいな
みっつは、我田引水が強すぎる。「すべての正しい教えは同じである(うんうん)」
「だから私を信じなさい(ぉぃぉぃ)」という感じ。
宗教が、本物か偽物かはどうでもいい。自分の人生に役立つかどうか。
役立つように活用するだけだと思う。鰯の頭だって、信心できるんだから。
こころがすっきりして、生きる気持ちがわいてきて、みんなの幸せを増やして
あげられる生き方ができるようになったら、それで良いと思う。
「 宗論は どっちが負けても 釈迦の恥 」
317 :
名無しさん@1周年:02/11/13 18:41
谷口は、宗教家という要素が半分、あとの半分はジャーナリスト、
作家、コピーライターのような気がする。
中身が深いか浅いかは別として、概念をわかりやすくなまなましく
伝えるのがうまい。体制迎合して底割れする浅さもあると思うが
まあ、ご愛敬ととらえたらどうなんだろう。
これで商売する訳じゃないんだから、別に目くじら立てる必要も
ないと思う。
318 :
名無しさん@1周年:02/11/13 18:44
ぼくには本物か偽物かを判別するだけの力はないけれど、
判別する必要があるかどうかを判別するメタ判別の力はあると思う。
人生は忙しいんだから、これでいいんじゃないかな。
319 :
名無しさん@1周年:02/11/13 19:44
315ってさぁ
同じ事何回もカキコして粘着だね、大丈夫?
ところでさ、預言、預言ってカキコしてるけどさ
預言と予言の違いわかって書いてるのかな。
どちらにしても
生長の家は予言に頼るような宗教じゃないと思うよ
どこでどうそんなに屈折しちゃったんだろう。心配だ(笑)
320 :
名無しさん@1周年:02/11/13 22:53
>>315 全知全能完全無欠を望む方がどうかしている。
教祖が自分のことをどういおうが、教祖は人間だ。
同じ人間として見たときに、彼に拾うべき哲学があれば、彼のその部分とのみ
つきあえばいいだけの話。
また、全知全能完全無欠ではないことを証明したからと言って、
それが無知無能完全欠落の証明になっていないのも事実。
どの部分に反応するかによって、その人間の品性が決まる。
君は谷口を論じる形で自らを論じてしまっているのだ。
もっと自分を大切にした生き方をしたらどうなんだろうか。
321 :
名無しさん@1周年:02/11/13 22:56
宗教というのは理屈で知ろうとすればするほど混乱する。
見分け方は簡単。「いい木か悪い木かは、その実をみればわかる」
どんなに立派そうな論理でも、やってることがろくでもなければ、
それは悪い宗教であり、逆に何も語ってないようでも、立派に
その背中が布教していることもある。
それから、どこか一つ良いところを見つけたら、そこの部分とつきあうように
考えるのが短い人生では得策。あら探しをしたところで、時間の無駄。
322 :
名無しさん@1周年:02/11/13 22:58
あら探しをしていると、肝心のよい部分が目に入らなくなる。
あら探しをすることによって、自分の頭の良さを証明している
つもりかもしれないが、その行為自体が、一番頭の悪い処世術だ。
頭の悪さ、悪い頭の使い方をしていることを証明している。
早く気がつけ。
323 :
名無しさん@1周年:02/11/13 23:57
320さんという久々の良識人が
現れましたね。曰く
見分け方は簡単。「いい木か悪い木かは、その実をみればわかる」
この見方こそカルトなのか、まともな宗教なのかを見分ける鍵でしょうね。
324 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:21
>>319 >ところでさ、預言、預言ってカキコしてるけどさ
>預言と予言の違いわかって書いてるのかな。
このような無知な反論が出てくるのは何も
わかっていない証拠ですな。
>生長の家は予言に頼るような宗教じゃないと思うよ
だったら神示など出さなければいいではないか。
>>320 >全知全能完全無欠を望む方がどうかしている。
>教祖が自分のことをどういおうが、教祖は人間だ。
>同じ人間として見たときに、彼に拾うべき哲学があれば、彼のその部分とのみ
>つきあえばいいだけの話。
だから神示など出すから非難しているのだ。預言することができないのに
預言したから悪いといっているのだ。谷口雅春から拾うべき哲学など何もない。
325 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:22
>>312 >宗教というのは理屈で知ろうとすればするほど混乱する。
>見分け方は簡単。「いい木か悪い木かは、その実をみればわかる」
>どんなに立派そうな論理でも、やってることがろくでもなければ、
>それは悪い宗教であり、逆に何も語ってないようでも、立派に
>その背中が布教していることもある。
自他一体の神示(報恩行に就いての神示)
「一人の男子が縁あつて一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、
それを円く結んでやるのが道である。」(昭和七年二月四日神示)
326 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:23
58 名前: ma-tan 02/07/21 19:19
生長の家を論じるとき、信者ではなく本部側の人材がどういう人物が
集まっているのかを見れば、その組織の本質が見えて来る。
その意味で現在の生長の家の教団の幹部がどういう人物がいて、どういう
生き方をしているかを列記すると結論は述べなくても自明となる気がします。
この意味で、現教団の幹部の人物について色々聞かせてくださいませんか?
例えば、「生長の家の教えに触れると家族が幸せになる」という
有名な言葉があるけど、それじゃー、現在の総裁の家族がみんな幸せか?
といえば、実に悲惨な状況です。こういう事実そのものを見れば
「・・・みんな幸せになる」なんてのが実にいいかげんで本家そのものが
見せ掛けだけで偽者ということが露呈していると思うんですが。
例をあげれば・・・・
教祖の雅春の妻である輝子さんが離婚経験者、そして雅春負債の一人娘の
恵美子さんもまた離婚経験者、さらには現総裁の清超夫婦の長女もまた
離婚経験者。どうして3代にわたって皆さん離婚をするのでしょう?
このこと一つとっても「幸福に。。。」にはほど遠い。
それだけではない、現総裁の末っ子なんかは青年会の会長をやってるけど
若い頃、暴走運転をして大事故を起こし、同乗していた女性を死亡
させていたりする。その事故を現総裁が金を積んで示談にしもみ消したなんて
のは有名な話だし、その後刑務所に入ったのだが、こんなことも
「生長の家の教えに触れると家族がみんな幸せに・・・」とどう考えても
乖離してるしなー。現総裁の法的な意味での子供に2人も刑務所務めを
した人物が居るけど、まったくこういったことも屁理屈をそのまま信じて
疑うことさえしない信者のバカさ加減は半端じゃ無いきがしますが
いかがでしょう??
327 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:29
76 名前: 雅宣くん 02/08/04 16:40
なんか貴康君が刑務所に入ったことを勘違いしてるようだけど
実際は2度大きな事故を起こしていて、そのうちの一回が
「過失致死」だから同乗の女性を死亡させている。その人がどうして
「北海道で4人の子供に囲まれて・・・」ってなるんだい?
北海道は黄泉の国かね?
そもそも、なぜ貴康君が事故を起こした当時、暴走族に加わって
いたなど、生活が荒れていたかご存知ないのかい?
愛情溢れる幸せな家庭に育っていれば、暴走なんてことを繰り返して
親に反発なんかしないでしょ?その反発されたのが現総裁夫婦の
清超、恵美子でしょ?子育てもまともにできない親のサンプルが。
だから「言ってることと中身が違う!」って言うんだよ。
離婚のことも「その後幸せならいいじゃないか!」だって?
あんたよっぽどおめでたい人だねー
そもそも、「一つの魂が半身となってこの世に生まれてくる、それが
元の一つになろうとして出会い結婚する」というようなことが
結婚の意味なんでしょ? だったら離婚してもその後幸せなら・・・
なんてあほなことを口にするご都合主義をおかしいと思わないのかね?
その後幸せ・・なんて関係ないの。
勿論、私のように、成長の家のようなアホな洗脳を受けていない人間は
離婚もまたよし、再婚もまたよし・・とは思っているけどね。
突っ込まれるのは「そもそも結婚とは・・・こうである!」なんて
借り物の言葉で言い切るから、あとで困るんでしょ!
でも、おかしいのは「その後幸せならいいんじゃないの!」なんてことを
言っても羞恥心で顔が赤くならないというその神経だよなー
328 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:30
教祖 佐木秋夫 青木書店 1955年12月25日発行
美しい生活か、聖者のような生活か、どちらにしても「自分の血と肉で人生に戯曲
を書く」のでなければたえられない(谷口正治「入信の経路」大本発行『神霊界』
一九一九・二・一五号所収)。だがそれはどこまでも「戯曲」なので、自分の基本的
な生活まで棒にふる決心をしたわけではない。そんな気分で夏休に帰省したとき、
近所に住む房江という一七歳の貧しい女につけ文をした――「美しい恋愛感情」を
わき立たせて、人生に美の一片を寄与するために(「自伝」)。そしてその結果を
待たずに――自分の自尊心を拒絶されるという危険をさらすことなしに――東京に
たつつもりだった。ところが意外にも、房江は彼の汽車に乗りこみ、東京の下宿まで
ついてきてしまった。「やむをえず」、一週間だけ同棲して別れる話にしたが、運命
は、というよりも現実は、そんな「自由」を許さなかった。房江は沖仲仕の娘で、
「おしゃく」にやられている間に、ちょっとしたことで「前科者」になって、家に
帰っていたのだった。たわむれの恋の夢だけ見てそのまま身を引くような女ではなか
った。
「人生の上に戯曲を書く快感を貪る」(「入信の経路」)彼の心には、あわれな少女
を「社会の偏強な道徳感」から守ってやるという満足と、その底には、傷つきやすい
自尊心をおびやかされることなく何の負担も感ぜずに自分の理想を実演できるという
喜びがあった。トルストイの『復活』を思い出しながら、自分は房江を「許す」こと
で神に近づいていると信じた。房江への感情が恋愛でなくて憐憫であることを確かめ
るために、近所の一〇歳の少女を「ほんとうの恋人」にしたてて登場させた。しかし
一方ではこのひめごとが養家に知れることを恐れて、いつもびくびくしているのだった。
329 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:31
養母は、やがてこのことを知ると、はたして、家名を汚すと激怒して、仕送りを止
めてしまった。それまでは学校の特待生で学費が浮くので、それで二人が暮らしてい
た。いまや房江だけが頼りだった。学校は中退の形になり(一九一四)、しばらく神戸
の房江の家に厄介になったりしながら、むなしく職探しに歩き、ついに何度か死を思う
までに追いつめられた。
房江は全身で生活にとりくみ、両親の前をつくろって、何とか才覚を働かせていた。
しかし、ついに手がつまって、彼にみつぐために親のものを盗んだりしはじめた。
両親も怒って、房江を台湾に売るといいだした。
房江としては、もはやかけおちを迫るほかはなかった。だがこのときすでに、生活
の現実にうちのめされた正治のほうでは、手を切ることを望んでいた。ただ、自分から
それを言い出すことをしないだけだった。いまかけおちを迫る房江に対して、彼の答え
は「人生は実力だからもういちど学校に帰りたい」ということだった。そのコトバを聞
くや、房江は「では出世なさいませ、さようなら」と痛烈なコトバを残して(「自伝」)
地獄の方へ走りさった。
「自伝」の筆者は、こうしてうまく厄介ばらいをした自分が卑怯だったことは認める
が、ふしぎにも、反省はそこで止まり、「憐憫愛というようなものは地上の人間を生か
すものではない」という人生訓の発見で、問題を打ち切っている。
房江と切れたことをみやげに、養母からまた学費をもらって大学に帰ろうと望んだが、
やはり拒絶されてしまった。やむをえず、友人の紹介で大阪の紡績会社の労働者になっ
た。日給五〇銭で一〇時間勤務。つらい生活だったが、ここで堅実な生活を築こうと
努力をはじめた。自分も今ではほとんどプロレタリアなのだが、努力の方向は労働者
の立場からでなく、個人的な昇進に向けられた。せっせと商工学校の夜学に通い、翻訳
の内職をみつけたので、その金で大阪高工に入ろうと試みた。だが、これは成功しなか
った。
330 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:31
ふたたび彼は「官能の世界」に落ちこんでいった。内職で得る金で高尾と呼ぶ遊女の
もとに通い、そのかたわら、お紋(仮名)という上役の姪と関係した。社会を呪いな
がら(「入信の経路」)、こういう不健康な三角関係にこそ特別の「美」がある、と
いうのだった。この場合にも、自分は高尾を憐んでいるのだと思いこむことを忘れな
かった。
ところが、こんな生活のなかから、まことに彼らしいやり方で、神秘的な病気なおし
への道が開けることになり、これが彼の将来を決定してしまった。
「娼婦は私に病気を感染していたし」、それが上役の姪にうつりはしなかったかと、
心配でたまらなくなった(「入信の経路」)。これは道義上の問題であるとともに、
クビの問題でもあった。医学書をあさったが、かえって病気への恐怖がつのるばかり
で、とうとうひどい神経衰弱になり、眠られぬ夜がつづいた。まぶしくて太陽を見る
こともできなくなった――「これは心の眼を閉じて実相の光を見ないでいる自分の心
の象徴であるということには気がつかなかった」と、彼は「自伝」で注釈している。
大阪の名高い催眠術家の三好霊峰の治療を受けたが、催眠術にはかからなかった。
ついにびっこを引くまでになって、けっきょく、医者に「手術」をしてもらった。
自分の病気はなおったようだが、お紋のほうはどうしようもない。そこで、相手に
気づかれないうちに癒してしまうような「神術もがな」というので、心霊療法などを
熱心にあさりはじめた。もちろん、いくら心霊療法を試みても、安心は得られない。
ついに、またもや彼一流の気やすめがはじまる――「よい妙案もないので、私はばい
菌の伝染という思想を否定しだしました」。「こうして一種の哲学の陰にかくれて、
自己の内なる霊の呵責をできるだけ軽減しようとしました」(「入信の経路」)。
331 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:31
不安がこうじて、いよいよたえがたくなったとき、その不安を打ち消す適当な口実
を見つけ出して、自分自身をなっとくさせる。そのためには、伝染の明白な事実を
無視して、伝染というのは思想(考えかた)にすぎないと断定する。自分でそう思い
こむ。ここまで行ければ、奇蹟の宗教をつくることもできるだろう。彼はいま、追い
つめられて神経衰弱になり、これまで何回か見てきたような自己防衛のはたらきがさ
らに一歩を進めて、そういう段階にまで近づいてきたらしい。
だが、そこへ行くまでに、彼はもういちど労働者の立場に近づく。彼は「女の愛か
ら労働者に対する愛に還って」いった。
例の病気が一段落したとき、急に明石の工場に転勤になったことが、生活を建てな
おす機会を与えた。高尾は彼の病気のときまごころを見せてくれたので、「憐憫」は
心からの愛に変ったが、そのうちにだんだん離れがちになっていった。そういうとき
に、彼の職場は機械の保全係から現場監督にかわって、一二時間、一週間交代の徹夜
業という殺人的な労働の中に身をおいていた。第一次大戦の初期のことで(一九一
五)、こういう労働強化の上に紡績資本は莫大な利潤をあげていた。中堅幹部たちも、
生産は二の次で個人の利益と保身とに専念していた。ところが、過重労働にあえぐ
少女たちを見かねて、彼が手伝おうとすると、かえって烟たがられた。
332 :
名無しさん@1周年:02/11/14 13:32
監督という自分の地位を彼はつくづく反省させられるのだった。「富豪の手先になっ
て労働者を虐め、富の分配をいっそう不公平ならしめつつ、給料をもらう生活!ああ、
何という醜い生活でしょう」(「入信の経路」)。彼は仕事を意識的にサボリ
(「自伝」)、現場の暴露小説を書いて業界紙に投書した。そしてついに、些細なこ
とから工場長と激論して、工場をやめてしまった。
「搾取する監視役」のほかに仕事がないのなら「もう生活しないでもいいのだ」
(「自伝」)。いまや彼は「汚れた社会組織から自由になった」。だが、労働者の
苦しみは彼の行動によって少しでも減りはしない。たたかいは工場のなかでつづいて
いる。
このとき、つごうよく、高尾は彼から去っていった。お紋は、親にあてて正式に
結婚を申しこんでくれと頼んできた。そのとおりにすると、はたして断られた。
三角関係の相手は、こうして、二人とも自発的に――彼の責任でなく――去っていっ
てくれた。
房江の場合といい、今度のことといい、「美を味わって」その後始末になると、い
つもこうして自己を保全した。婦人に対する彼のこのような根本的な態度には、表面
上の近代的な飾りつけにもかかわらず、封建的な考えかたが強く現われている。
333 :
名無しさん@1周年:02/11/14 14:00
生命の実相19巻自叙伝編より
その胎児は、その夜から三日目にとうとう、手当の甲斐もなく完全に流産してしまった。
私(谷口雅春)が学校から帰って来ると、胎児はもう小さな茶色の素焼の土器の中に
はいっていた。『これが貴方(谷口雅春)の子供です。可哀相にもうこんな姿になりましたの。』
と房江は疲れた顔に淋しい表情を湛えながら言った。
三
朝の太陽と共に、私の描いた美しい夢は覚めた。妓楼の部屋の中には何も美しいものはなかったし、
生気のない頽廃した現実の女部屋には興味索然たるものがあった。私は逃げ出すように妓楼を出て、
素知らぬ顔で工場へ出勤した。しかし夕方になると私の心はまたしても夢の世界へ憧れ出した。
火を見ると飛び込みたくなる夏の蟲のように私はまたフラフラと昨日の妓楼へ引き付けられた。
現実世界の無興味を逃避するために夢の世界へ逃れて行くのであった。翌朝、気がついて見ると
私の身体に意外にも変な感じがするのであった。私は彼女に病気を感染されたのだと思った。私は
一寸幻滅を感じた。彼女は処女であるといったが、やっぱり処女ではなかったのだ。
四
一方、私の感染されたと思う病気は治らないで益々悪くなっていくようであった。初めは姑息な治療法
を行っていたが、仕舞いには専門医にかかった。もう治ったと思っては治療をやめると、一週間もすると
また悪性の症状が復活してきた。
>322
こうやってここに書き込みをしているあなたこそ
あなた自身が批判するあらさがしをやっていることに
なるではありませんか。
早く気がつけ。
>>ところでさ、預言、預言ってカキコしてるけどさ
>>預言と予言の違いわかって書いてるのかな。
>このような無知な反論が出てくるのは何も
>わかっていない証拠ですな。
答えられないあなたは人を無知という資格はありません。
あなたは生長の家を予言的宗教と思っておられるようですが
それは間違いです。
したがって、あなたの発言は全て間違っています。
もう終わりにした方が、恥をかかなくてすみますよ。
なお、個人名を書き込み誹謗中傷することは犯罪です。
しかも、あなたの書き込みには大変な事実誤認があります。
管理人様へ
ここでの書き込みによって訴訟が起こる可能性が出てきましたので
326/327の発言者のログを保存してくださるよう切にお願いします。
336 :
名無しさん@1周年:02/11/15 10:18
(´-`).。oO(子供の論理だな・・・・)
母 「○○ちゃん、どうして学校いかないの?お勉強できなくなるわよ。」
○○「だって、先生ったら最近離婚したし、子供は不良なんだよ。」
「そんな人から教えられることなんて何もないよ。」
先生に何を求めてるんだ?信徒の皆さんはそこをわかってるだけ大人だね。
337 :
名無しさん@1周年:02/11/15 10:21
∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
< きゃ〜っ!!! >
< 先生〜っ!!また@@@が逃げて、何処かに迷惑かけてます!
< >
 ̄|/∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
| ̄ ̄ ̄|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 口口 精神病院 .口口. |
| 口口 ___ 口口. |
| 口口口 | | | ..口口口..|
338 :
名無しさん@1周年:02/11/15 17:39
「五大教祖の実像ー霊友、佼成、PL,メシヤ、生長の内幕」
この項鈴木宗憲・金沢経大教授 宗教学 他に「現代宗教論」など
1970年日米安保再改定をめざして今年76歳の「生長の家」総裁谷口雅春氏は忙しい。
外郭団体である「生政連」(生長の家政治連合会・会長田中忠雄)を運動中核体
として、青年会(会長良本峯夫)・それに属する大学生の生学連(書記長高村信夫・
国学院大学生)・生高連(泉中央育成部長、藤島教化部長)などの青年組織を
動員して安保支持運動を盛り上げている。
すでに「生政連」では昨年来「金波羅華選士之証」(金色の蓮華・谷口総裁は
その花芯は天皇制であり、日本国の中心であり、実相の中核と考えている。
したがって現行憲法の無効を宣言し、帝国憲法に復元しようとするもので、生長の
家の信者は、その聖なる使命をおびた戦士というわけ)を渡して会員獲得に勤め、
愛国戦士の養成につとえてきた。
7月13日には東京神宮前の東郷記念会館で「赤色帝国主義に抗議する集会ー囚われた
る欧州諸国民の週間日本大会」が生長の家、国際勝共連合、世界反共連盟日本支部、
三五教、道徳科学研究所、アジア・キリスト教護教反共連盟、欧州の囚われたる
諸国民の週間日本友の会、北方領域回復期成連盟の共催による国民集会を開いている。
「会場は「共産主義は間違っている」というタスキをかけた国際勝共連盟の青年たち
と、生長の家の青年会員が中心となって埋められた」と「聖使命」8月号は報じている。
339 :
名無しさん@1周年:02/11/15 17:40
今回の安保に対する総裁の具体的態度決定の遅れは、大正昭和前期と今日との間に
状況進展のテンポの差があるからではなかろうか。肝心の自民党さえ安保のビジョンを
かくりつしていない。ところが、大状況にあわせた青年・学生達の運動は遠慮なし
に前進していこうとする。さすがの谷口雅春総裁の回転の速い頭のスピードをもって
しても、生政連の行動について明確な基本方針が出せぬのではなかろうか。
逆に言えば谷口総裁ですら、自分が生み出した青年たちや、右翼団体の組織力に
規制されているために、暴走されたり、逸脱されたら困るので、昔のように高らかに
ラッパを吹き鳴らすことができないのではなかろうか。もちろん、総裁が体力的にも
衰えを見せたことは争えない。しかしいずれにしても谷口総裁の保身の姿勢が見られる。
しかし谷口総裁の慎重な保身の姿勢にもかかわらず、府県段階での安保堅持県民会議
などでは、生長の家の信者が指導権を握り、自民党の陽動作戦を展開しつつある。
例えば8月31日、革新系知事、市長で知られる京都会館で、「祖国を守る京都府民会議」
(議長木俣秋水市議)が開かれた。これには自民党、生長の家、国際勝共連合、
新日本協議会、郷友連盟、隊友会、全京都愛国運動協議会など反共右翼団体が参加して、
「安保堅持」「北方領土返還」「府知事の椅子を容共勢力から奪還せよ」と市内デモ行
進している。
また注目すべきは70年安保に新しく顔を出した国際勝共連合(会長笹川良一)である。
これは、韓国系の文鮮明を教祖とする「原理研究会」が仮面を脱いだものだが、
8月9日、船田試案の「自衛隊20万人では心もとないから、100万人の郷土防衛隊・・・」
に賛同して、「民間人も武器を持って共産主義に対抗せよと主張している」と噂される
反共団体である。
340 :
名無しさん@1周年:02/11/15 17:41
谷口総裁は、社会変革に対しても自ら参加しようとしない。戦後、鳩山一郎首相
にかけ、日ソの接近に対してはソ連を持ち上げ、鳩山首相がなくなると、また反ソ
論をぶち、目下、重宗参議院議長にかけている。
「万教帰一」の習合性(いろいろの宗教が同じところに落ち着くこと)は、権力構造
に接近し、これと迎合し、これを介して政治を動かすという正確を、本質的に持っている
のかもしれない。
谷口総裁の論理でいくと、1951年9月8日、対日講和条約以来、吉田茂、鳩山一郎、
石橋湛山、岸信介、池田勇人、佐藤栄作と十数年間にわたる保守党選出の歴代総理は
悉く無能であり、亡国の徒と言わねばならない。。さらにこの空白の時間は、憲法98条
の最高法規の条項が失効し、現行の法律命令詔勅などの一切の法体系も無効となる。
1960年安保闘争の際、社会党浅沼委員長が山口二矢という当時17歳の少年テロリスト
に暗殺された。この山口二矢の愛読書が谷口雅春総裁の書物であったので、筆者は
「仮にテロ教唆でないにしても、道義的責任をどうとるか」と激しく論難したことがある。
これに対して谷口総裁は
「他人の書物を勝手によみ、誤読してテロ行為をなしたとしても、責任をとるべき
筋合いは無い。名誉毀損という法律もあるから、気をつけて物を言え」
という誤読の一本槍で山口二矢を突き放した。
しかし私は「現行憲法を否定すれば、それに準拠する法体系が悉く無効になり、アナ
キーの状態になる」と論難した。
ところが谷口総裁の最近の書物には、「その期間中、慣習法として一応の法秩序が
存するのだ」と書かれてある。
いうまでもなく新興宗教の歴史は浅い。したがって教義体系も整っていない。それな
のに大衆は新興宗教に群がり集まる。教義体系の不備を補ってあまりあるのは、教祖の
魅力である。教祖たちは、下積みの苦労を経てきた人ばかりで、学歴も小学校卒業
から、満足に小学校を卒業できなかったものも多く、生長の家の谷口雅春の早稲田大学
中退という学歴は異例的存在である。
341 :
名無しさん@1周年:02/11/15 17:42
その谷口雅春も、貧困時代、病気にかかった娘を医者にかけるだけの余裕がなく、
窮余の策として触手療法を試み、、宗教的開眼を得たという悲惨な経歴を持っている。
信者たちは、不幸だと思っている自分たち以上に教祖が惨憺たる生活を送り、しかも、
乗り越えてきた人であることを知って、親しみの念を覚えるとともに、希望のシンボル
として神格化していく。
立正佼成会に限らず、他の新興宗教でも教祖の政治的イデオロギーは、末端の信者の
政治意識に強い影響力を及ぼす。教祖たちの政治的イデオロギーは保守的であり、
選挙に際して推薦候補が決められるが、自民党・民社党系候補が推されている。
教祖の支配が貫徹している新興教団では、信者の政党支持の自由にブレーキをかけると
いう側面がある。
五教団の教祖中、政治志向が一番強いのは生長の家の谷口雅春である。明治憲法の
復元を企図する谷口は、信者に国家主義的イデオロギーを注入するだけでなく、
非信者大衆にも文書で呼びかけ、同教団の信者は街頭行動にも乗り出し、国粋主義の
普及・宣伝を行っている。生長の家では昭和39年に生長の家政治連合を発足させ、
自民党候補を推している。
立正佼成会に限らず、他の新興宗教でも教祖の政治的イデオロギーは、末端の信者の
政治意識に強い影響力を及ぼす。教祖たちの政治的イデオロギーは保守的であり、
選挙に際して推薦候補が決められるが、自民党・民社党系候補が推されている。
教祖の支配が貫徹している新興教団では、信者の政党支持の自由にブレーキをかけると
いう側面がある。
五教団の教祖中、政治志向が一番強いのは生長の家の谷口雅春である。明治憲法の
復元を企図する谷口は、信者に国家主義的イデオロギーを注入するだけでなく、
非信者大衆にも文書で呼びかけ、同教団の信者は街頭行動にも乗り出し、国粋主義の
普及・宣伝を行っている。生長の家では昭和39年に生長の家政治連合を発足させ、
自民党候補を推している。
342 :
名無しさん@1周年:02/11/15 17:42
戦前の日本は国家神道体制を確立し、現人神である天皇の神聖をおかす恐れのある
宗教に弾圧を加えた。新興宗教の教祖たちは異端視され、弾圧をこうむったが、
生長の家の谷口雅春、霊友会の小谷キミ、久保角太郎は、弾圧をこうむらなかった
例外的教祖である。
谷口雅春は、時勢を先取りする能力にたけ、ファシズムを支持し、
念波で敵軍を圧倒するため、光明念波連盟を結成するなど、呪術を駆使してまで戦争協力
を行った。
霊友会は祖先供養を強調することで、古い家制度を全面肯定し、天皇制モラルの
強化に一役買い、ファシズムの時代に適応した。
これに反して、立正佼成会、世界救世教、PL教団の教祖たちはいずれも弾圧を受け、
教団は壊滅寸前の危機にさらされた。
新興宗教の教祖たちの政治姿勢は受動的であり、保守的であるが、こうした苦い
経験を経ているため”信教の自由”をおかすような事態については強い拒絶反応を
示す。国家神道体制の再現をもくろむ靖国神社護持法案に新日本宗教団体連合加盟
教団は強力な反対運動を展開し、ついに廃案化させることに成功している。
343 :
名無しさん@1周年:02/11/15 17:49
>>335 >あなたは生長の家を予言的宗教と思っておられるようですが
>それは間違いです。
>したがって、あなたの発言は全て間違っています。
どこが全て間違いなのか説明してからいいなさい。
344 :
pypシリーズ:02/11/15 18:22
345 :
名無しさん@1周年:02/11/15 18:24
佐藤勝身
「先生(谷口雅春)は驚くべき言行不一致だ。乱離骨灰(らりこっぱい)、それでいてなんら恥じるところがない」
346 :
名無しさん@1周年:02/11/16 00:24
恥は、ない。恥は心の迷いです。
迷いは無明、暗闇です。
暗闇は、あるのではなく光がないだけです。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう
347 :
名無しさん@1周年:02/11/16 14:28
>>335 >あなたは生長の家を予言的宗教と思っておられるようですが
>それは間違いです。
>したがって、あなたの発言は全て間違っています。
完成の灯台の神示
『生長の家』は今かの黙示録が【預言】した『完成の灯台』として人類の前に臨むのである。
預言って書いてあるじゃん
「予言」も「預言」も未来のことを予告することでその中で預言は神に関することをさす。
勝身は思い入れの激しい人だったから「先生は驚くべき言行不一致だ。
乱離骨灰、それでいてなんら恥じるところがない」と怒り狂っていた。
350 :
名無しさん@1周年:02/11/20 07:14
352 :
名無しさん@1周年:02/11/21 20:01
>>348 予言と預言はちがう。
予言者は未来のことを伝える者。
預言者は神の言葉を預かった者。
>>352 >予言者は未来のことを伝える者。
>預言者は神の言葉を預かった者。
預言も予言も未来のことを述べるという点では同じ。聖書読んだことないの?
広辞林(三省堂)
よげん【予言・預言】
@事前におしはかって言うこと(ことば)。
A神秘な霊感に打たれて未来を予測していうこと(ことば)。
国語大辞典(小学館)
よげん【予言・預言】
あらかじめ推測していうこと。未来の物事を前もって判断していうこと。
また、そのことば。かねごと。
355 :
名無しさん@1周年:02/11/26 06:38
部落の利権団体だろ?
356 :
名無しさん@1周年:02/12/01 23:07
谷口雅春が在日だったら笑える
357 :
名無しさん@1周年:02/12/07 17:48
358 :
名無しさん@1周年:02/12/07 20:33
すみません。
357の間違いです。
361 :
名無しさん@1周年:02/12/07 21:55
362 :
ER ◆DB9onrpoGQ :02/12/08 07:50
363 :
名無しさん@1周年:02/12/09 00:20
谷口教祖の孫娘は、元.楯の会出身の男性と結婚。
その男性は三島事件の時、三島と森田必勝の介錯をした人物。
刑に服して生長の家の活動に戻った時に結ばれたとか。
実際に接した人の話では、その辺の右翼より好漢らしい。
364 :
名無しさん@1周年:02/12/10 19:34
あ、そう。
366 :
名無しさん@1周年:02/12/16 21:55
あるネット関連会社の社長は、「いずれにしても2ちゃんねるは
資金が底をつけば終わり。あまり知られていないことだが、
2ちゃんねる内部関係者によると今、大手通信会社系が調査費名目で資金提供している。
だが、それが止まれば続けてはいけないだろう」と証言する。
2ちゃんねるが判決によって力を失った場合、資金提供の打ち切りも予想される。
http://ascii24.com/news/reading/causebooks/2002/07/01/636911-000.html 以下、別の記事のキャッシュ
http://memo2ch.tripod.co.jp/article.html 2ちゃんねるに近いあるインターネット関連会社の社長は、2ちゃんねるの幹部から得
た話として証言する。「2ちゃんねるは、運営者や幹部などがそれぞれ別々に会社を
作りカネの流れを見え難くしているが、実際の資金源は複数の大手通信会社系からの
調査費名目のカネ。月額で計約700万円と言い、年間にすれば1億円近く。額はともあ
れ、これは通信会社系的には、ぼう大なトラフィックを調査すると言う表向きの理由
が一応は立つ。自社系に都合の悪い書き込みがされた時に優先的に削除してもらうこ
とも期待している」と前置きし「通信会社系の削除の期待も含めて、2ちゃんねるは
総会屋と同じになっている」と言うのだ。
その具体的な理由として社長は、こう話す。「2ちゃんねるはボランティアの削除人
が書き込みをチェックして、好ましくない書き込みを一所懸命削除している、という
ことになっているが、あれはウソ。削除人には給料が支払われ、その給料の原資と
なっているのが、まずいことを書き込まれた企業が削除要求とともに渡す裏金。これ
はまさに、総会屋の構図そのものだ。これまで裁判になっているのは金額で折り合え
なかったり、裏金を出さない強い態度の企業とだけだ」
368 :
名無しさん@1周年:03/01/04 18:56
地域差別を煽る部落民のカルト組織です
(^^)
370 :
名無しさん@3周年:03/01/28 20:14
私はここの説法をきいてトラウマになってしまいました。
逝って(以下ry)
371 :
名無しさん@3周年:03/03/05 23:44
あげ
372 :
名無しさん@3周年:03/03/12 23:07
麻薬密売組織です
(^^;)
374 :
名無しさん@3周年:03/04/01 22:10
売国奴には間違いないだろう
375 :
名無しさん@3周年:03/04/06 11:24
読売新聞社と文藝春秋社を機関紙とする拝米団体
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
378 :
20年前の誌友:03/05/04 02:44
私は20年ほど前に生長の家の誌友だったことがあり、その当時中学生から高校生
の間それこそ、むさぼる様に「生命の実相」や「理想世界」、「生長の家」などの
機関紙を読んだものです。その間不思議ことは生長の家の立教の原点であり、権威
の象徴であるはずの生長の家の大神の神示の原文が紹介されたことが無いという
ことです。生長の家の信者のかたでどなたか見たことがある人がいらっしゃるので
しょうか。大本神諭や日月神示のように少なくとも原文が公開されていれば、少な
くともその啓示が心霊現象によるものであると思われますが、原文が公開されない
のでは谷口雅春に正しい神がかりがあったかどうか判断できません。
生長の家信者の人たちは何を根拠に谷口雅春にかかった霊が正しい神であると判断
しているのでしょうか。天理・中山ミキ教祖様のお筆先に「だんだんと見えん事をば
言て置いて先で見えたらこれが神やで」というのがありますが、先の大戦において
日本が戦争に勝つような神示をだしておいて、戦争賛美を煽るだけ煽って、負けたら
言い訳するような馬鹿神でははまるで、自ら邪神邪霊の憑霊であると証明している
ようなものではないのですか。獄中につながれていた共産主義者のほうがまだ先見性
があったというものです。
神の預言(予言)とその成就こそは正しき神の証明です。キリスト教の聖書にも
さまざまな場面で、神の預言とその成就がなされています。
生長の家の神が今まで一度でも未来のことを予言してそれが成就したことがあるの
でしょうか。
379 :
名無しさん@3周年:03/05/04 05:16
「すべての人間は神の子である。一つも例外はない。」
っていうのが中心教義だから、
神がかりがどうしたとかは、どうでもよいことなのです。
380 :
20年前の誌友:03/05/04 16:31
「すべての人間が神の子である。」という教義があるからといって正しい宗教で
あるかどうかは判りません。口先だけならどんな立派なことも言えるし、「生命の
実相」に書くだけならどんな立派なことでも書けるのです。悪魔は最大の神学者で
す。一応もっともらしい事を言って善人をだまそうとするものです。
オウム真理教や法の華など教祖自身が犯罪行為を起こしたような邪教でさへ、
「わがグルは最高の悟りを得た」、「この教えこそ最高だ。」といって人々に近づ
いていったのではないのですか。自ら私どもの宗教は邪教ですよと言って近づい
てくるような邪教は存在しないでしょう。
この世は玉石混交です。正しい宗教もあれば邪教もあります。それ故にこそ各
宗教宗派の正邪をきちんと判別することが重要なのです。生長の家が正しい宗教
かどうかを判断するために判断材料として神示の原文を見てみたいといっているの
です。また私が「神の予言とその成就」について言うのも本来神懸りがあった時は
さにわと言って懸かってきた霊が正神か邪神かを判断する人間が必要となりますが
、誰も谷口雅春に懸かった霊をきちんと「さにわ」したと言う話を聞きません。
それで天理教祖さまがお示しになったように正神の証として「生長の神が今まで
一度でも未来の事を予言してそれが成就したことがあるのでしょうか。」と質問し
ているのです。おそらく一度も無いでしょう。
そもそも人間神の子の真理と谷口雅春の戦争賛美の姿勢には矛盾があると思いま
せんか。宗教家とは本来神の愛と非暴力を説くべきものではないのですか。大慈大悲
にまします神様が神の子である人間同士が殺し合いをする戦争を望むはずがありま
せん。私は生長の家教祖谷口雅春は神の名をかたる宗教ペテン師であり、宗教家と
して完全な偽者であると思います。
381 :
名無しさん@3周年:03/05/06 03:09
予言を的中させることによって自らの正当性を証明するような宗教家は、
三流以下でしかない。
イエスキリストも釈迦も、そんなことはしなかった。
谷口雅春の場合、病気直しなどで奇跡を数多く起こしている。
382 :
20年前の誌友:03/05/07 00:36
予言を的中させる宗教家が三流以下なら予言をはずした谷口雅春は五流以下と
いったところでしょうか。
私は「キリスト教の聖書にもさまざまな場面で、預言とその成就がなされていま
す」と書きました。新約聖書をお持ちなら1ページめをあけてください。
マタイによる福音書 第1章 22−23
すべてこれらのことが起こったのは、主が預言者によって言われたことの成就
するためである。すなわち、
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと
呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。
新約聖書の最初のページから神の預言とその成就がでてきます。私の書いたこと
のどこがまちがっているのでしょうか。キリスト教も三流以下の宗教ということで
しょうか。
それと、お釈迦様のことを言うなら仏教における戒律の第一位は不殺生戒ですが、
日本の侵略戦争を賛美した谷口雅春はこの戒律に反していると思いませんか、戦争
は最大の殺人行為です。生長の家は万教帰一などといってすべての宗教の根本の
真理はひとつであり、その真理を説いているように主張しています。
しかし仏教の不殺生の教えと侵略戦争を賛美し、積極的に協力したことの整合性
をどのように説明するのでしょうか。
それから谷口雅春の病気治しの話ですが、生長の家に限らず新興宗教団体には
病気治しのおかげ話など、どこにでもはいて捨てるほどありますので、宗教の正邪
の判断材料にはまったくなりません。
383 :
名無しさん@3周年:03/05/07 01:19
>新約聖書の最初のページから神の預言とその成就がでてきます。私の書いたこと
>のどこがまちがっているのでしょうか。
でも、それって、別にイエス自身が予言したという話ではないですよね。
イエス自身は、予言なんてやってないでしょ!
384 :
動画直リン:03/05/07 01:19
385 :
20年前の誌友:03/05/07 14:40
マタイによる福音書 第26章 34
イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは
三度わたしを知らないと言うだろう」。
このペテロに対して言われたイエスの言葉は予言だと思うのですが?
マルコによる福音書 第8章 31−32
それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに
捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教え
はじめ、しかもあからさまに、この事を話された。
イエスは自らの受難と復活をあらかじめ予言していますが?
ヨハネの黙示録 第1章 1
イエス・キリストの黙示。この黙示は、神がすぐにも起こるべきことをその
僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが御使いをつかわして、
僕ヨハネに伝えられたものである。
ヨハネ黙示録にはイエス・キリストの黙示であると宣言されています。黙示録は
予言書である思いますが?
結論! 人は皆、美しいもの・気持ちいいもの・美味しいもの・楽しいもの・楽なもの等が好きである。
人は皆、下心をいつも持っている。 生きている限り恨み・憎み・ひがみ等は消えない。
387 :
名無しさん@3周年:03/05/08 01:08
だからこそ、生長の家。
上を見て歩こう。
もっともっと気高く生きよう。
もっとも気高いことしか何も思うまい。
もっとも気高いことしか何も為すまい。
人のためになろう。
人を愛そう。
388 :
名無しさん@3周年:03/05/08 12:20
>もっとも気高いことしか何も思うまい。
>もっとも気高いことしか何も為すまい。
質問です。
生長の家の人はオ○ニーはしないのですか?
389 :
名無しさん@3周年:03/05/08 22:06
age
390 :
名無しさん@3周年:03/05/09 03:30
回答です。
する人としない人がいます。
391 :
名無しさん@3周年:03/05/09 04:24
神と仏は別物であって、人間であれば拝んで感謝は、神であり仏はほっとけば
いいのです。従って成長の家の教えは基本から間違っており、改めなければ
いけないでしょうね。
392 :
名無しさん@3周年:03/05/09 04:43
生長の家では、神だけでなく、あらゆる人間、天地一切のものに対し、
拝んで感謝するのです。もちろん、仏もその対象になります。
したがって、拝んで感謝する対象としては、
神と仏を区別する必然性はないでしょう。
393 :
名無しさん@3周年:03/05/09 05:01
>>392 区別しなければなりません。何でもかんでも拝んで良いという物
ではないでしょう。全ての物に対して感謝する気持ちは同意するが
だからといって、全てを拝んでしまうところに基本的な間違いが
存在する。拝むというのは清浄である正しき神のみを拝まなければ
意味がないのです。
そこの所をきちんと、分けておかないと正しい祈りではありませんし
神にも通じません。従って神でも仏でも拝んでしまうと言うのは一見
正しいように思えますが、全く間違った祈りであるといわざるを
得ないのであります。
394 :
名無しさん@3周年:03/05/09 09:36
>回答です。
>する人としない人がいます。
する人は、オ○ニーしてても、目を輝かせて、「私は神の子だ」と
言っているわけですね。すごい神の子がいたものです。
オ○ニーした手で、みんなで手をつないで輪になって、なんたら行進曲なんて
歌ってると思うと、ウエーッって感じです。
女子青年はまさかそんな事をやってるなんて思わないで手をつないでいるの
だろうなぁ。真実を教えてあげたい。
395 :
名無しさん@3周年:03/05/09 23:50
男はね、誰でもチン○掴んで小便をたれます。
そんな現象に引っかかっていたら
お前のように迷いの坩堝にはまります。
拝んで感謝するのは、実相に対してです。
現象ではない。
396 :
名無しさん@3周年:03/05/10 07:20
お前もおれの実相を拝め
おれはそんな教えやってないから、お前の事、拝みません。
神の子神の子っていうけど、会ったことのないオレに
対してお前っていう、お前はたいしたことないなぁ。
早く神の子になれよ。キャハハ
397 :
名無しさん@3周年:03/05/10 07:24
ちなみに小便をするときに、○○さわるのと
オ○ニーするのは別の話です。
小便するときに触るのは当たり前でしょう。
一緒にされては困ります。
本当はどうでもいいから、コメントはいりません。
398 :
名無しさん@3周年:03/05/16 16:37
十善戒
不殺生(ふせっしょう)殺さない
不偸盗(ふちゅうとう)盗まない
不邪淫(ふじゃいん)邪淫しない
不妄語(ふもうご)嘘をつかない
不綺語(ふきご)お世辞をいわない
不悪口(ふあっく)悪口をいわない
不両舌(ふりょうぜつ)二枚舌をつかわない
不慳貪(ふけんどん)欲張らない
不瞋恚(ふしんに)怒らない
不邪見(ふじゃけん)不正な考えをしない
399 :
名無しさん@3周年:03/05/17 07:47
断言します! 神も仏も先祖霊も存在しませんよ。
「人は神の子である」←神なんていません。
いくら毎日、老けないでねと神様に拝んでみても、人は一日一日、歳を取って
老けてゆき、やがて化け物のような醜い老婆・老人へと変化して死んでゆきます。
400 :
名無しさん@3周年:03/05/18 01:47
>>399 それだけのために生きてたらむなしくないの?
神については、漏れはそれを感知する能力者を直接知ってる。
神社には「そういう存在」がいるそうな。
もっともこの団体でいう神とは違うと思うけどね。
たぶん、氏神と産土神の違いだと思う。
仏についてはお釈迦さまが語った世界観の中の存在だからなあ。
それこそ「ブッダの境地」に立たないと理解できないんじゃないか?
>>399は自分をどの程度だと思っているんだ?(笑
「完成した音楽」が一瞬で閃く、という境地の音楽家もいるそうだ。
人間の能力はまだまだ未知数さ。
先祖霊についてはわからん。
402 :
名無しさん@3周年:03/05/18 10:31
神頼みほど無駄な事は無い! 神様崇拝ほど愚かな事は無い!
頼む事とか崇拝する事とかと、感謝する事とは別なり!
崇拝はしないけど、感謝はします。
403 :
名無しさん@3周年:03/05/25 11:00
>>376 産経は読売みたいに2面ぶち抜きで広告を載せたりしないだろう
age
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 生長の家はうんこ!!! |
|________|
∧∧ ||
( ^∀^)|| クソスレ〜♪
/ づΦ
406 :
名無しさん@3周年:03/06/06 17:18
406get
預言が当たったかどうかで生長の家の神示そのものを
否定しようとしている方にひとこと。
どの宗教でも占いでも、よく言われることだけど、
運命は決定していない。
良くも悪くも、変えていくのはその当事者だ。
・・・といったら、言い訳ジャン。というあなた。
視野が狭すぎ、進歩なし。
人類の運命、民族の運命、個人の運命もしかり。
人類は過去、多々愚かな事をしてきた。
バカだなァで終わらせるか、そこから何かを学んで先に進むか。
今生きている自分たち、人間しだい。
>>393 392に関して補足しましょう。
神様(宇宙生命)は、すべてをお創りになったのです。
キリストも釈迦も、あなたも。
光も闇も、善も悪も。
物事をよーく観察してみてください。
人間知により、善に見えたり悪に見えたり、
赤く見えたり青く見えたりしているだけなのです。
その奥をみつめてみてください。
その物事の存在意義に気付くことができるでしょう。
あなたは、感謝と拝むことは区別しなくてはと言っているのかな?
全ての事象の奥に、神の命を感じ取ることができれば
自ずと拝みたくなるのでは?
・・・一神教のキリスト教系の人たちには、理解しにくいらしいけどね。
>>402 あなたは生長の家の方?
神様を崇拝するのは嫌なのかもしれないけれど
神様に対する感謝まで忘れたら本末転倒かも。
まァ、神様どこ?と聞かれても見せてあげれないけど。
要注意宗教の見分け方
破壊的カルトはグル−プの本当の目的を隠している。
破壊的カルトは、メンバ−たちに自分は特別なのだと感じさせるように仕向けている。
教祖(リーダー)は霊能力のあるように見せかけて、信用させる。
「会費が安い」「必ず幸せになる」など、甘いことばで近よる。
水子の霊障などで恐怖心をあおって洗脳し多額の供養料を自発的に払わせようとする。
グループのために違法行為を行う。
信者に嘘の情報を与える。
脱会者を攻撃する。
人の善意を利用する。
ベネッセ表現読解国語辞典 Benesse
しんり【真理】
@いつどんな場合にも妥当する普遍的な知識・認識。また、正しい道理。
◎不変の真理を探求する。◎彼のことばは一面の真理を表している。
A[論理学]
ア ある命題(=一つの判断の内容を言語や記号で表したもの)
が論理の法則に合っていて、矛盾がないこと。
イ ある命題が現実の事物・事態と一致すること。
新潮国語辞典第二版 新潮社版
シンリ【真理】
@ほんとうのこと。真実の道理。
A時代・地域にかかわらず普遍妥当である知識。
B[哲]ある考えが事実に一致していること。
新選国語辞典第八版 小学館
しんり【真理】
@ほんとうの道理。
A論理の法則にかなった正しい知識。判断。
Bどこででも、いつでも通用する妥当な知識・認識。「――の探求」
また、命題が法則にかない矛盾がないこと。真。
あげ
413 :
20年前の誌友:03/06/14 02:18
私が学生時代に買いためていた生長の家の機関紙はほとんど捨ててしまったが、
生長の家が邪教である証拠として一冊だけ手元に残してある。その中で谷口雅春は
次のように言っている。
「多くの国民に、何の啓蒙もせずに、直下に「明治憲法復原」などと称えたので
は、われわれの憲法復原運動についてくる人は極めて少なく、何の力にもならない
から、先ず占領憲法を不満に思っている゛改正勢力゛を味方につけて結集すること
が必要であり、これらの人々がかく憲法改正の必要を切実に求めても、現行憲法が
生きているとして、その憲法改正条項で改正しようとするならば、現在及びちかき
将来の情勢では所定の国会の議席三分の二以上の改正賛成を得ることが不可能であ
る、この壁につき当たる時、「改正勢力」を一転して、「国会の審議無用」の現憲
法無効・帝国憲法復原宣言にまで転向させる――その地均しとして「改正勢力を結
集し」ておき、その人数を増加しておき、帝国憲法復原宣言が出たときに、国民の
大多数がそれに対して抵抗的騒擾を起こさないで、平和裡に復原が出来るように
基礎固めを着々なさねばならぬ」
『理想世界』誌より
414 :
20年前の誌友:03/06/14 02:43
すなわち谷口はクーデターによって日本国憲法を廃止し、戦前の大日本帝国憲法
を復活せよと主張しているのである。まさに狂人というべきである。少なくとも
宗教家が言うべきことではないであろう。
悪魔は明るく公正で平等な世の中を嫌い、差別や抑圧があり戦争のある世の中を
好むものである。谷口雅春が邪神邪霊の憑霊者であるとするならば、多くの戦争が
あり信仰の自由さえまともに守られなかった非民主的な戦前の国家体制を復活させ
ようとするのも当然のことであろう。
415 :
20年前の誌友:03/06/15 11:40
預言が当たったかどうかで生長の家の神示そのものを
否定しようとしている方にひとこと。
どの宗教でも占いでも、よく言われることだけど、
運命は決定していない。
良くも悪くも、変えていくのはその当事者だ。
・・・といったら、言い訳ジャン。というあなた。
視野が狭すぎ、進歩なし。
まったく言い訳にもなっていない。谷口雅春の皇軍必勝の神示が外れたのは単に
谷口に懸かった霊が正神ではなく、邪神邪霊であったというだけの事。
谷口とは違って大本・出口王仁三郎教祖、ほんみち・大西愛冶郎教祖などは日本の
敗戦を的確に予言しています。またこれらの教祖は谷口とは違って戦争に対して
極めて否定的な態度をとられています。大本教は戦前、国家より大弾圧を受け出口
教祖はじめ多くの幹部、信徒が獄中にとらわれの身となりました。しかし出口教祖
は弾圧は教団を戦争に協力させない為の神様のお仕組みであると言っています。
出口教祖の言われるように真実、神様の経綸によってこの世に出現した教団ならば
神様が戦争の手伝いなどさせるはずがないのです。
谷口雅春が軍部の尻馬にのって皇軍必勝を唱え、戦争を賛美し積極的に協力した
のは、生長の家が神様の経綸ではなく悪魔の経綸によってこの世に出現した邪教
教団であることの明白な証拠です。
>>415 レスありがとうございます。
皇軍必勝の神示ははずれたのですね。
そして後になって、あの軍は皇軍ではなかったと言い訳しているわけですね。
あなたは、私より詳しいようなので教えていただきたいのですが
中心帰一という思想は、生長の家独特のものなのでしょうか?
他の神道系の団体はどうなのでしょうか?
太陽を中心とした秩序のように真の平和には真の中心が必要だ。
と言った思想から一連の出来事があったと言うところですが・・・
その時!!が、その時ではなかったわけですが。
真の平和のために、今何が必要だと思われますか?
<憲法復元運動>について、誤解をされている方も少なくないようなので
掘り下げてみますね。
>>413この文章によると、
<谷口氏はタダ祈るだけでなく具体的な行動について言及されています。
<占領憲法を不満に思っている勢力を味方につけよ。ということです。
ここから、谷口氏は占領憲法を不満に思っているわけではないが
<憲法復元>のためには・・・と言うところが本来の目的ということになります。
なぜ、<憲法復元>が必要なのか。
戦後の教育は、ご存知のとうり敗戦ショックの影響で、戦前の日本を全て
否定することからスタートしています。あなたは、微々たる疑問も感じませんか?
戦前の日本人は、憲法のせいで戦争好きになってしまったのですか?
憲法のせいで、軍部が独走してしまったのですか?
戦前の日本は、本当に非民主的な国家体制だったのですか?
なにか大切なものを忘れて、平和を論じていませんか?
418 :
20年前の誌友:03/06/16 21:17
私は中学生の時家庭に配られていた『白鳩』誌をきっかけに、すっかり生長の家に
はまってしまい、一時は谷口雅春をキリストや釈迦にも比すべき大宗教家であると
崇拝していたものです。しかし少しずつ谷口の戦争賛美の姿勢や明治憲法復原など
といった右翼的な主張に違和感を感じ始め、「人間は神の子」の真理と谷口の主張
との整合性に悩むようになりました。
このような時、谷口と同じように「人は神の子、神の宮」の真理を唱えながらも
戦争に対してまったく正反対の立場をとられていた大本・出口王仁三郎教祖、ほん
みち・大西愛冶郎教祖の存在は私にとっては大きな喜びであり、救いとなりました。
これらの教祖の伝記を読み、私は「人間は神の子」の真理と戦争賛美や明治憲法
復原といった右翼的な主張が何の関係も無いことを確信することができました。
そして谷口雅春が単なる宗教ペテン師に過ぎないと確信いたしました。
出口教祖はマッカーサーの戦後改革についても肯定的な評価をしており、次の様
に言っています。
「世界を一軒の家にたとえると、日本は家の中の神床にあたる。ところがその神床
が非常に汚れ塵埃がたまっているので掃除せねばならぬが、日本の神床を日本人自
身にやらせると、血で血を洗う騒ぎをくり返すばかりでできはせぬ。そこで神は、
マ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。」
谷口雅春が言う明治憲法の復原などはせっかく神様が掃除した日本をもとの汚れ
た状態に返せと言っているのと同じ事で、神様のお仕組みをしらぬ馬鹿者の暴言で
しかないのである。
419 :
20年前の誌友:03/06/16 21:32
さらに出口教祖は先の大戦について次のようなことも言っています。
「これは悪魔と悪魔の戦争やから加担する必要は無い」
「神界に百八十一階級あるが、邪神にも百八十一階級ある。いま戦争をやっている
のは邪神の、十二、三階級のものが指導者になってやっておるのだ」
宗教界において積極的に戦争を賛美し、協力した谷口雅春も当然、邪神邪霊が
憑依していたのです。
420 :
名無しさん@3周年:03/06/16 21:37
>>20年前の誌友さん
そうですね、マ元帥の存在も意味のあったことなのでしょうね。
大本教祖との別れ道にも大きな意味合いがあったのでしょう。
今後、日本はどのような方向に進んでいくのだと思われますか?
また、真の指導者は、だれだとお考えですか?
>>418 日本は世界の神床・・・の部分が過激に一人歩きしているのかも
しれませんね。
日本の天皇は神の直系の子孫であり、何千年か前には世界を統治しており、
再び世界を統治する運命にあると。日本の人々は、天皇の名のもとに行わ
れることは何であっても、たとえそれが不誠実でも暴力的なことであって
も、それは天国の栄光を勝ち取るためのものであると、教えられてきまし
た。第二次世界大戦中、日本人のパイロットは、この確信に従って軍艦に
飛行機で体当たり攻撃を行いました。多くののカルトは、手かざし等のテ
クニックを使って、疑いを持たない人々を引き入れ、日本人の優位性を示
す計画を達成しようとして始まったのです。信念を受け入れてしまってい
ます。
>>423さん
手かざし当のテクニックを使い、日本人の優位性を示す計画の目的は何だと
考えられますか。
そして、そのカルトの利益とは?分派してしまった理由とは?
425 :
名無しさん@3周年:03/06/24 13:10
age
426 :
20年前の誌友:03/06/28 13:24
私が谷口雅春に対して絶対に許せないと思っていることのひとつは谷口が戦後、
「大東亜戦争はアジア解放の為の戦争である」と主張していたことである。しかし
谷口は戦争中、アジアの解放など主張してはいない。
谷口の主張していたことはあくまでも日本の天皇による全世界の武力統一である。
すなわち天皇は天孫ニニギノ命の直系の子孫であって現人神であり、現人神である
天皇は全世界を統一する崇高な使命がある。この崇高な八紘一宇の理想を理解しな
い他国民は武力をもって征服されても当然である。戦争が起こるのは天皇による
全世界の統一の理想を理解しない他国民が悪いのである。
以上に述べたような超国家主義こそ谷口の戦争中に主張していたことであって
アジアの解放など主張してはいないのである。これらのことは戦時中出版された
旧版の『生命の実相』にははっきりと書かれている。私は学生時代、図書館に
いって書庫の中から旧版の『生命の実相』を出してもらって、この目で確認して
いるのではっきりと断言できる。
アジア諸国から見れば谷口雅春こそ日本の対アジア侵略の張本人のような人間
であって谷口が戦後、宗教家でありながら戦争犯罪人として裁かれ、追放処分に
あったのも当然のことであろう。
427 :
20年前の誌友:03/06/28 13:49
さらに谷口の許しがたいことは旧版の『生命の実相』に書かれていた超国家主義的
な部分が戦後出版された『生命の実相』つまり私が実際に中学、高校時代のわずか
な小遣いから無理して購入していた本からはきれいさっぱり消えてしまっているの
である。
旧版の『生命の実相』のままだと谷口がアジアの解放ではなく、アジアの侵略を
主張していたのがバレバレなので都合が悪かったのであろう。
自らが聖典と位置付けている『生命の実相』ですら自分の都合によって平気で
書き換えるのであるからそのご都合主義には本当にあきれ果てるほかは無い。
以上述べたことも私が谷口はとんでもない宗教ペテン師だと確信した理由の一つ
である。
現役の生長の家信者・誌友の皆さん、一つの信仰を選ぶということは人の一生を
左右することです。単に『理想世界』誌にご縁があったからなどといった簡単な
ことで一つの宗教を信じ込んでしまうことは危険です。その教団が歴史のなかで
どのようなことを主張してきたかきちんと検証した上で信仰すべき宗教を選択いた
しましょう。
少なくとも旧版と新版の『生命の実相』を読み比べてからにいたしましょう。
ご親切からのアドバイスであると信じて読んでみます。
私の目的は、あくまでも真実を求めることですから。
あなたは大変勉強されているようで、結局どこに行き着いたのですか。
幸福への道はみつかりましたか。
429 :
20年前の誌友:03/07/04 02:40
>親切からのアドバイスであると信じて読んでみます。
>私の目的は、あくまでも真実を求めることですから。
私には何一つ悪意はありません。谷口雅春という宗教ペテン師に騙されていた被害
者の一人としてご忠告申し上げたくて過去の経験を書いているだけです。あなたが
新旧の『生命の実相』を読み比べれば私の言っていることが真実だとわかるでしょう。
私の学生時代はまだ教祖の谷口が存命で、生長の家の右翼政治活動が非常に活発
でした。谷口の明治憲法復原等の馬鹿げた主張のせいで、どれだけ多くのまじめな
学生が洗脳されその人生を狂わされたかわかりません。谷口の死後、教団は右翼政治
活動から手を引いたようですが、その当時谷口の言うことを信じて右翼活動をして
いた人たちは二階に上げられて梯子をはずされたようなものです。教団は彼らの人生
を狂わせたことにどのように責任をとったというのでしょうか。
また、生長の家の右翼的な主張や活動を実際に行っていた信者を見て、私は正しい
宗教のもつ愛と献身の精神など彼らから微塵も感じることはできませんでした。生長
の家の右翼学生の姿を実際に見たことも生長の家が邪教であると確信した理由の一つ
です。
430 :
20年前の誌友:03/07/04 03:06
私が一番最初に書き込みをしたときに、「生長の家の信者の人で生長の家の大神
の神示の原文を実際に見た人はいるのでしょうか」と質問しました。しかしどなた
からも実際に見たことがあるという返事をいただけていません。
私は生長の家の大神の神示というものは本当は邪神邪霊の憑霊によるものか、
もしくは谷口雅春が早稲田大学文学部中退の文才でもって人為的にデッチあげた
ものかのいずれかであると思っています。おそらく以上の理由により、活字の形
でしか発表出来ないのでしょう。
正しい神様の御神示であるというなら、大本・出口なお開祖様のお筆先の様に
正々堂々と原文を公開してほしいものです。
右翼運動のことなどは、私はおぼろげな記憶しかないのですが、当時の
左翼運動のことなどを考えると、当時の価値観崩壊などは、憂うべき事実
としてあったのではないでしょうか。
それにしても、梯子をはずすような行為はいけませんよね。
戦前戦後の混乱を考えると、コノ教義はタブー視されているのかもしれませんが
人類の歴史として長い目で見たときに、コノ教義は事実なのかもしれないと
信じるならば、まじめに行じる信者のためにもはっきりとした見解を教団は
発表するべきですよね。
それが谷口雅春先生の生長の家なのでしょうから。
もしそこに継承者が疑いを持っているのならば、継承者とはいえない。
いいとこどりの新派を起こせばいいんですよ。
反省して進化するのは悪いことではありませんから。
ただ、真実がどこにあるのかわたしにはわかりません。
432 :
名無しさん@3周年:03/07/05 07:41
右翼団体の青年組織が組織的な書き込みを行っていることはひろゆきも認めている。
過去、某女子大サイトにリンクした左翼叩きスレッドを2ch中に乱立させたのは
生長の家信者であることが、宗教板の生長の家スレの過去ログで確認されている。
韓国叩きスレでしばしば引用される、日韓併合と植民地支配を近代化論の立場から正当化するサイトの
歴史観が、生長の家の主張する歴史観ときわめて似ているという識者の指摘がある。
また、日韓併合と植民地支配を近代化論の立場から正当化するサイトの多くが、韓国以上に
日本国内の「反日左翼」に対する病的な敵視を特徴としている。
韓国とは対照的に、彼らが礼賛する台湾に対する認識が、生長の家の熱心な信者である蔡焜燦の
「台湾人と日本精神」、および、蔡がすべてを手引きして小林よしのりに書かせたといわれる
「台湾論」の、誤った記述に依拠している。
社民叩き、朝日叩き、中国韓国叩き、日教組叩き、市民団体叩き、および、「大東亜戦争」肯定、
靖国公式参拝推進、石原慎太郎待望論、台湾礼賛を目的とするそれぞれのスレで、上記の認識が
通奏低音として存在する。いわゆる、2chの神道系による政治的「板」買い取り不明事件である。
女子高生に小バカにされて右翼団体や宗教に抱かれるような落ちこぼれが増加しているらしい。
昨年、「歴史教科書の採択が日教組に妨害された証拠」とする内容のスレが乱立したが、
日本青年協議会(生長の家系右翼団体)サイトの、表からリンクされていない画像ページを引用していた。
433 :
名無しさん@3周年:03/07/05 19:56
>>431 >人類の歴史として長い目で見たときに、コノ教義は事実なのかもしれないと信じるならば
生長の家の大神は神界にいて黙示録で預言されたのが生長の家だなどと言っておきながら
15年後のことも預言できず間違えてしまう。ということはこの教義は永遠普遍の真理で
はなく非真理だということ。人類の歴史として長い目で見たときに時間が経てばボロボロ
にくずれ去ってしまうものです。現に言っていることがコロコロ変わっていますから。
昭和19年以前の本を全部復刻させて出版すればみんなどんどんやめていく
のではないでしょうか。
予言のことを言うとそうなのかもしれないけど、他の神示もいちがいに
否定はできないでしょう。
ひっかかって、それ以上踏み込めない人は私から見るとある意味勿体ない。
まあ、自分と馬の合うところでもっといいところがあったのならおめでとう。
436 :
名無しさん@3周年:03/07/08 00:05
>>432 雅春の生長の家を信じながら右翼思想を持っている者はエセ右翼。
437 :
名無しさん@3周年:03/07/08 02:39
>>435 予言がインチキの神示だということが分かれば、
他の神示もインチキだということが分かるだろう。
谷口雅春の神示はもっともらしいものであっても、
それは、それは神からの神示ではなくて、谷口
雅春が神示らしく作ったものに過ぎない。
>>435 「預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの
名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語る
ならば、その預言者は死なねばならない。あなたは心の
中で、『どうして我々は、その言葉が主の語られた言葉で
はないということを知りうるだろうか』と言うであろう。その
預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、
実現しなければ、それは主が語られたものではない。
預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。」
(『申命記』18章20節−22節、新共同訳)
>>438 ゴメン、お言葉ですけど
>そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。
実現しているんですけど。あなたが体験していないだけ。
主の祝福を私は日々感じているんですけど。
440 :
名無しさん@3周年:03/07/08 11:08
>>439 >実現しているんですけど。あなたが体験していないだけ。
第二次大戦で日本がアメリカに勝つ言っていた神示が、
実現したのでしょうか??
>>440さん
>>435をもう一度読んでください。
>>441 米国に対する日本必勝の神示が実現しなかったのだから、
その神示はインチキ。他の神示も推して知るべし。
谷口雅春が、自分の考えたことを神示としてデッチあげた
だけの話でしょう。
>>442
実際に起きた奇跡等は知らないし、意味もないと思ってるんでしょ。
444 :
名無しさん@3周年:03/07/10 18:52
445 :
名無しさん@3周年:03/07/10 19:03
>>443 病気を直したりする奇跡は、動物霊でもやるし、未来のことを言って
それが実現しないのは、低級霊の神示の証明。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
447 :
名無しさん@3周年:03/07/15 17:05
>>445 高級霊のいるところ、知ってたら教えてください。
448 :
名無しさん@3周年:03/07/17 17:13
いいところもあるんだろうけど、
間違った予言で世の中引っ掻き回しちゃう危険もあるんなら、
あんまり広まって欲しくはないな。
しかし、低級霊とやらの影響をきっちり排除できる技術くらい無いのかね。
449 :
名無しさん@3周年:03/07/24 00:03
仏教の恣意的解釈といい、右翼思想といい、もう谷口雅春にはうんざりです。
いい加減にしてほしいです。
普及誌とか生命の実相とかの表玄関を読んでいただけでは生長の家のメチャクチャ加減さには気付くことができません。
神示集や仏典解釈などのコアな雅春本を読んでみればそのことが明白にわかります。
そのことがわからない人はすでに生長の家や本覚思想的仏教、右翼思想に洗脳されている人です。
ガチガチの天皇中心主義でつか?
451 :
名無しさん@3周年:03/07/25 17:40
>>449 同意します。
ここで生長の家擁護している人は物的利害関係のある人だと思います。
でもそれ以外の人はさすがに洗脳とけてきていると思います。
戦前の本を読んでから戦後の本を読むといかに嘘で塗り固められているか
いかにメチャクチャなこと言っているかがよくわかります。
昭和19年以前の本を入手して読みましょう。それが近道です。
452 :
名無しさん@3周年:03/07/30 02:44
451さん
昭和19年以前の本て、どんなのがありますか?
近所の子2人私とで英語教室に通っていたが
授業お前に成長の家のすばらしさ筆居て30分語り
その後変な聖句(?)みたいなのを全員で読まされた。
怪しすぎて双方の親が止めさせた。
>>453 ガクブル・・・。英語教室の生徒を洗脳する気なのか?
ごめん、何かめっちゃ誤字脱字多くて自分で鬱になったよ・・・。
縦7cm弱、横3cm弱のケースに入った、蛇腹みたいな
(お経とかでよくあるあれね)「甘露の法雨」とか書かれた
やつを一人一人に渡され、授業の前に「歌神招」とか言う
のを唱えさせられる。
で、成長の家の教えのすばらしさみたいなのをずっと語られ
その英語塾のトイレにはずらりと成長の家の教えを書いた紙が
御札のように何枚も貼られていて子供心に非常に怖かった。
授業は二の次って感じで、50後半くらいのおばちゃんが英語を
教えてくれてたんだけど、あの白装束の集団のニュースを見た時は
もしかしてあの英語塾のおばちゃん?!、と本気で思った。
違ってたけど。
うん、生長の家って気持ち悪いね。
教えとか同じこと何回もくどいし、正にトラウマ宗教だね。
457 :
20年前の誌友:03/08/01 02:15
「生長の家が中国で布教」の掲示板が消えているようですが、どこへいったので
しょうか。過去ログ倉庫を見てみても探し方が下手なのか見つけることが出来ま
せん。あの掲示板には生長の家のエセ神示の問題点がうまくまとめられていたと
思います。生長の家に関心がある方は一度、読まれたらよいと思います。掲示板
の行き先がわかる方お教えください。
459 :
名無しさん@3周年:03/08/12 08:12
右翼=テロリスト
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
462 :
名無しさん@3周年:03/08/20 09:19
谷口雅春先生は、昭和二十七年の『生長する青年』(現『理想世界』誌)十月号に
「霊の選士としての青年の使命」と題する御文章に、大東亜戦争の意義について
次のように書かれている。
「日本は大東亜民族の解放の旗幟(きし)をかかげて戦ったのである。そして
日本は侵略国として色々の汚辱を蒙ったけれども、それは恰もキリストが十字
架に釘(はりつけ)けられたのと同じことである。「人を救いてみずからを救
い得ざる者よ」と当時のユダヤ人は十字架上のキリストを嘲笑したけれども、
この汚辱ある刑罰の中に彼は全人類を解放したのである。それと同じく、日本
は「侵略国」と云う汚名の下に侮辱され、戦争犯罪人と称して裁判にかけられ
、上衣を奪われて十字架上にのぼったキリストのように領土の十分の四を奪わ
れたけれども、その犠牲によって、東洋民族は自己の内部に、西欧民族と同様
に尊ぶべき人権が、尊ぶべき「神性」が宿っていることを自覚することを得た
のである。それまでは多くの東洋民族はみずからの無自覚によって自縄自縛し
ていたために白色民族の支配下に土地はその植民地となり、人間は奴隷の如き
生活を送っていたのである。日本の蹶起(けっき)のために多くの東洋民族は
目覚めた。西洋民族と同じように彼らも神が平等に造った神の子であり、「何
でも出来るぞ」という自覚を得たのだ。かくて東洋民族は続々として白色民族
の桎梏から解放されて独立したのである。 」
本気かよ!
463 :
名無しさん@3周年:03/08/21 18:03
亜
464 :
名無しさん@3周年:03/08/29 10:16
あ
467 :
名無しさん@3周年:03/09/01 07:49
a
468 :
名無しさん@3周年:03/09/01 11:04
創価、統一共々と逝ってよし>>生長
469 :
名無しさん@3周年:03/09/01 11:31
天皇絶対論
皇軍必勝
大日本帝国憲法へ回帰
470 :
名無しさん@3周年:03/09/01 14:13
「生長」って植物の場合に使う言葉だよね。動物の場合は「成長」。
植物人間が集まってるのかな。
無意識にこういう言葉を選択してしまうのがどうしてか、タニグチ先生はフロイトやユングをさかんに剽窃してるし、信者の皆さんは、よくおわかりのはずです。
そういえば、「集合的無意識」を「集団的無意識」と言い換えているのにも、かなりのこだわりを感じる。これは、意識の深層で…w
↑成って終わるのではなく、無限に伸びるの意。
472 :
名無しさん@3周年:03/09/01 18:07
↑意味を後から捏造するのは常套手段。まず、意識の深層から浮かび上がった要素を考えるべき。
473 :
名無しさん@3周年:03/09/01 19:23
金集めの旨さでは「rkk>>生長」だな。
rkkが月会費100円なのに生長は十一会員なんかしてまで集めても
rkk教会200超>>生長教化部数だからな。
生長の弱点はお金集めの下手さだな。
機関紙なんか見ると「参篭費いくら」とか書き過ぎなんだよ。
什一会員なんか行き過ぎだよ。
475 :
名無しさん@3周年:03/09/03 08:41
原宿が右翼に襲撃された事件の経緯をご存知のかた、教えてください。
(・∀・)イジョウ、ジザクジエンデシタ!
479 :
名無しさん@3周年:03/09/14 07:10
霊界通信者A=講習会荒らし屋
目的はなんだ。金か?カレーか?
____________
( ・∀・) | | ガッ /全然ありがたくねぇよ!!
と ) | | < 偽善者クン!!
Y /ノ 人 _____________
/ ) < >__Λ∩
_/し' //. V`Д´)/
>>478 意味もないのに感謝するなよ!
(_フ彡 / 気持ち悪い。
よって生○の家は糞。
私は以前、生長の家練成道場でお世話になった。
そこでいろんな奇跡を見たし、やっぱ雅春せんせはすごい。
私自身救われたし、難病が治ったり、アトピーが10日間で治ったり。
そういう奇跡的なのって実際にその場にいないとわからないでしょーが。
著作でも理屈でも、なぜ奇跡が起きるのかは
ある程度理解出来るとは思う。
それが洗脳テクニックって言われれば、ある意味正しい。
・・・全ては縁だと思う。
縁がなければ、人にも巡り合えないし、思想も教えも。
雅宣さんが表面に立つようになって、道場にも行く気がしない。
私は今では信徒じゃないけど信奉者程度かな。
死んだら、勝手かもしれないけど
生長の家で永代供養して貰おうって思う。
来世もこの教えに出会いたいから。
483 :
名無しさん@3周年:03/09/23 09:17
>雅宣さんが表面に立つようになって、道場にも行く気がしない。
どこが不満ですか。教えてください。
484 :
20年前の誌友:03/10/11 13:39
>>462 この文章は私も「理想世界」で読んだことがあるが本当に悪質な文章であると思う。
前にも書いたが谷口は戦争中は日本の天皇による全世界の武力統一を主張していた
侵略主義の張本人のような人間である。
雑誌「生長の家」にも「今後は、内地はほかの宗教にまかしてでも、折角皇軍が
血を流したあとの大陸南洋等々だけは、本当に純粋な日本人を教育して送りたい。」
などと書いて日本の占領地に執着していた。
そんな人間が日本が戦争に負けると手のひらを返したようにアジア解放の為の戦争
だったと言い始めるのである。宗教ペテン師の面目躍如といえる。
結局のところ谷口は大東亜戦争はアジア解放の戦争だったと主張することで何とか
自分自身の戦争責任をごまかそうとしているのである。
>>481 生長の家の洗脳がなかなか解けないのはやはり病気治し等のお陰話、奇跡話がある
からであろう。しかしその様なお陰話で一つの宗教を信じ込んでしまうことはやはり
危険である。私は書店でオウム真理教の本を立ち読みしたことがあるが、阪神大震災
の時尊師のお陰で助かった等のお陰話、奇跡話のオンパレードである。オウムの様な
邪教でさえ、お陰話、奇跡話はある。
他の人も指摘されているように「神の預言(予言)とその成就」こそ正しき神の証明
であると言わざるを得ない。
ここも根拠の無い奇跡の話で人を釣ってるし、
やっぱり生長の家って悪い宗教なんだね。
コワッ・・・・・。
486 :
名無しさん@3周年:03/10/11 18:58
おまえら宗教ごときを怖がってんじゃねえ。
怖いのはいかれた事をしでかす人間だろ
いかれた奴はどっかの信徒だろうが無宗教だろうが無茶苦茶するぜ
487 :
20年前の誌友:03/10/16 00:26
そもそも生長の家のように皇軍必勝の似非神示を出して侵略戦争を賛美し、これに
瀬極的に協力した霊統すなわち戦前の天皇制国家を守護した側の霊統と天皇制国家
から弾圧されしたがって何らの戦争責任もなく日本の敗戦を的確に予言していた
ほんみち、大本などの霊統の彼我いずれの側が正しかったか。
それは1945年8月15日の大日本帝国の完全敗北によって天下万民に
488 :
20年前の誌友:03/10/16 00:45
>>487つづき
あまりにも明白に示されているのである。
つまり皇軍必勝を唱えていた生長の家が邪神邪霊の霊統であり、日本の敗戦を的確
に予言していたほんみち、大本などの霊統が正神の霊統であったということである。
×瀬極的→○積極的
感謝行って皆さん知っていますか?鬱になる位『ありがとう云々』と
お経読みながら、オトーさーん! おかーさーん。なんて涙流しながらやっているんです・・・・・・・・。
ヴァァァァァー激しくキ・モ・イ!!!
意味の無い感謝を人に押し付けるのはやめろ!!
だから偽善者って言われるんだYO!!> 生長の家
493 :
名無しさん@3周年:03/11/01 23:29
>>485 ガンとか大きい病気にかかったりしたら、
耐え難い恐怖感から逃避するために
藁にでもすがる気持ちで眉唾物の話で信じてしまうんでしょうねぇ
496 :
名無しさん@3周年:03/12/06 14:24
ウヨ
497 :
名無しさん@あへっ:03/12/29 07:10
奇麗事すぎるのよぉ〜自分たちに都合の悪いことは知らんふりだしね
私なんか主人の暴力と浮気で家の中めちゃくちゃになって
子供も精神的に不安定になってその心が非常に弱ってるとき個人指導なるものに逝ったのよ
その時の講師の言葉・・(確か多蚊太という人だったな)
「あんたが悪い!ご主人様に感謝して何でもハイしなさい!」だってさ。
その時の私は心が弱ってたので感謝してハイしたわよ
その結果骨折と警察が介入するような暴力なにったよ
DV被害者(ドメスティックバイオレンス)は主人に殴られる自分が悪いと
思ってるからそこを「あたなは悪くない」と教えなきゃいけない、夫の言うこと何でも
言うこと聞いてたら暴力は増す、それが常識だと
警察にも弁護士にも公共DV相談所にも言われたわよ
あんたが悪い!と言われて私はショックでカウンセリングに通い
抜け出すのに何年もかかったわよ、ここの講師もこのも宗教おかしいよ
多蚊多センセあなたのおかげでトラウマになり生長の家が大嫌いになりました
でも生長の家が嫌いになったのでヨカタ。
498 :
名無しさん@3周年:03/12/29 08:28
本来 神なんていないんだが、他の宗教やるくらいなら
生長の家はいいよ。
499 :
名無しさん@3周年:03/12/29 10:05
いいかな?妻の浮気も夫が悪い、夫の浮気も妻が悪い
病気は行いが悪いからとか業とか?
自分を責める宗教か?
講師や教区長の中には言葉が悪くてふんぞりかえってる人もいるよ
お金もかかるしね
プラス思考の考え方はいいけど押し付けがましいんだよね
私は脱会したよ
500 :
名無しさん@3周年:04/01/05 19:28
「クサイモノニハフタヲシロ」を呪文にしている
ありがとう狂の一種です。
生長の家もやってることはありがとう狂そのものなんだから
まじで逝ってよしだね。
逝ってよしなんか使ってる香具師がまだ居たのか……
503 :
名無しさん@3周年:04/02/29 15:07
>>499 〜が悪いなんて言わないけど、神は悪い物は造らないから「悪」は本来ナイのでつ。
>お金かかるしね
月々400円のどこが高いのか?
今時400円じゃCDも買えないよ。
504 :
名無しさん@3周年:04/02/29 15:12
>>481 漏れも練成行って3日でたばこ止められました、別に苦しくも無かったでつ
酒癖悪いの指摘されてたので酒も週1回になりました
漏れから見たら、酒やたばこ止めるのに止めれなくて苦しんでる人がいると言うこと信じられないでつ。
ネット依存症も平日は自粛出来るようになりました。
505 :
名無しさん@3周年:04/02/29 15:28
>>503 本人が、月々400円でも高いバッタモンだと思うから
高いんだろ?
多寡にかかわらず安かろう悪かろうじゃねぇ・・・
506 :
名無しさん@3周年:04/02/29 18:02
507 :
名無しさん@3周年:04/03/07 16:50
508 :
20年前の誌友 :04/03/07 17:46
以前、ほんみちの大西愛冶郎教祖が日本の敗戦を的確に予言し戦争中も「人間神の子」の
真理を貫かれ、戦争に対して反対の立場を取られていた事を紹介させて頂きました。私自身は
ほんみちの道人ではありませんが、ほんみち教祖の伝記である『天啓者の宗教ほんみち』と言う
本は生長の家の洗脳が解けるきっかけを私に与えてくれた本です。私にとってはいわば恩人の
ような本ですので再度紹介させてください。以下、引用します。
『天啓者の宗教ほんみち』P241〜242
昭和二十年八月一五日、日本はポツダム宣言を受け入れて、連合国に無条件降伏をし、一五年に
及ぶ長い戦いに終止符をうった。この日は「隠れほんみち」として戦時下の苦難の時代を生抜いて
きた道人にとって、天啓者・大西愛冶郎の予言・警告の正しさが、はっきりと立証された日である。
うれし泣きする者、あるいは教えの正しさを再認識する者など、道人たちは日本の必勝を信じこま
されていた大多数の日本人とは違った反応を示した。
見えてから説いてかかるは世界並み 見えん先から説いておくぞや
だんだんと見えん事をばゆておいて 先で見えたらこれが神やで
此の世をはじめた神のゆう事に 千に一つも違う事なし
『御筆先』の教歌のとおりであった。道人たちは自らの信仰に改めて誇りを抱き、光明を
見いだしたのである。
以上
この本のなかで紹介されている教歌
「だんだんと見えん事をばゆておいて 先で見えたらこれが神やで」
に示されているように神の予言とその成就こそ、神様が老若男女いかなる人にもその実在をわかり
安く証明される為の手段であると思います。ほんみち教祖と違って谷口雅春が皇軍必勝の偽神示を
出してその予言がはずれたことは掲示板上でもたびたび指摘されています。谷口雅春と言う人間が
完全な偽預言者であると言うことは昭和二十年八月一五日の日本の敗戦によってあまりにも明確に
証明されています。
509 :
20年前の誌友:04/03/07 17:50
また、ほんみち教団では日本の敗戦のみならずその後の民主改革についても予言されていました。
以下、引用します。
『天啓者の宗教ほんみち』P246〜247
十分の道といえば、世界からつけに来る。世界からろくじという道をつけに来る。
明治二一年三月九日の『御指図』からの一節だが、「ほんみち」の解釈によれば「十分の道」と
は、国家が信教の自由を認めるようになることであるという。また「ろくじという道」とは、人間
に貴賎の別などがなくなる状態のことであるという。なお「ろくじ」とは関西地方の方言で「平坦
な土地」をさしていう言葉である。この『御指図』の解釈を『ほんみち概観』から引用してみよう。
・・終戦後、信仰の自由は保証され、天皇は昭和二一年の元旦の詔書によって人間宣言を為し、
憲法の改正により政権を失い、主権在民となり、華族、士族等、所謂貴族は廃止され、国会も
貴族院を参議院に改められたことは、普く人の知る処である。
これは誰がそうさせたのであるか。事件の取調べ係り官等は、
「お前等は成るのであって、するのではないと言うが、皆お前等がするのではないか。」
と、しつこく詰問して止まなかったのであるが、ほんみち人の働きによって前述の如き事実が
生じたかどうか。当時のほんみちは、当局より禁止解散を命ぜられ、信徒の集合すら厳禁され
て居たのである。其の間に、日本帝国は、米英等の如き大国に宣戦を布告し、大東亜戦争に突
入し、敗戦の結果、連合国の占領治下に置かれ、其の総司令官たるマッカーサー元帥の占領に
よって前述の如き結果を見たのである。これは単に、マ元帥個人の意思と言うよりも連合国一
一ヵ国の意思と見るべきであって、前記の御指図通り、十分の道も、ろくじと言う道も、皆世
界即ち連合国からつけに来たのである。
こうした事態を迎えるようになったのは神の思わくどおりの進行結果であり、道人たちは、天啓
者によって事前に予告されていたのである。このような事態にたちいたることを予想できず、国家
権力に追随してきた他の宗教団体、とりわけ天理教は敗戦を迎えて苦境にたたされた。
以上
510 :
20年前の誌友:04/03/07 17:52
本のなかで国家権力に追随してきた宗教団体として天理教の名前があげられていますが、これは
ほんみちが天理教の分派教団であるからです。国家権力に追随してきた宗教団体に生長の家も含ま
れるのは言うまでもありません。本の中で書かれているように戦後のマッカーサーによる民主改革
こそ神様の思わくでありました。谷口雅春はこの神様の思わくを全く理解せず、明治憲法の復元を
となえ、戦前の国家体制の復活を企んでいました。この点からも谷口が神の言葉を伝える預言者で
はなく完全な偽預言者であったということがわかると思います。
511 :
名無しさん@3周年:04/03/08 00:12
あげ
512 :
名無しさん@3周年:04/03/08 16:07
以前まで講習会に何度も行ってたが納得いかなかった。
しかしシルバーバーチの霊訓を呼んですべてが理解できた。
所詮、生長の家も利益を目的としたそこら辺の宗教と同じだ。
生長の家の教義に納得が行かない人はシルバーバーチの霊訓をみ読んでるといい。
これほど完璧な真理は存在しない、とわかるはずだろうから。
513 :
名無しさん@3周年:04/03/09 00:28
生長の家はかつて愛国運動の中心でした。
しかし初代センセが死んだあと、2代目の入り婿は日本青年協議会を追放し、
カルト教団化していきました。
更に国民運動に密かに参加する善良な教徒にたいしても酷い仕打ちを行っています。
3代目の糞にいたってはその左翼ぶりは西本願寺並みの醜悪さです。
その証拠に老台北こと蔡焜燦氏が日本と台湾の絆を書いたすばらしい本
「台湾人と日本精神」を絶版にしました。
つまりこいつは支那ごときの恫喝に乗って台湾人の自由への叫びを封じたのです。
このようなくさったカルトは即刻解散させるべきです。
514 :
名無しさん@3周年:04/03/09 13:41
515 :
名無しさん@3周年:04/03/21 01:35
生長の家の勧誘はしつこい。千葉県真砂の志賀万里子
本当にしつこい。
516 :
名無しさん@3周年:04/03/21 17:38
人ごとだが、個人名出していいのか?
しつこいのは、確かだが。
517 :
名無しさん@3周年:04/03/23 21:55
個人名は頂けませんね。
通報しますた
新宗教教団・人物事典 発行所 弘文堂
谷口雅春(生長の家)旧名・正治。明治二六年(一八九三)一一月二十二日〜昭和六〇年(一九八五)
六月十七日
【出生】谷口音吉・つまの次男。兵庫県八部郡烏原村(現、神戸市)生。
【教団での呼称】尊師
【略歴】兄一人妹四人の次男に生まれるが、四歳のとき叔母にもらわれ、石津又一郎、谷口きぬ夫婦
の養嗣子となる。市岡中学時代より文学者を志し、早稲田大学英文科に進学。入学当初は厭世哲学に
浸るが、やがて耽美主義的な恋愛感情へのあこがれから故郷の近所の娘房江にラブレターを出し、同
棲する。この同棲によって養父母からの仕送りが途断え、生活に行き詰まって大学を中退。その後房
江と別れた谷口は大阪の摂津紡績に勤めるが、工場労働に嫌気がさし辞職。そのころから心霊治法や
催眠術に関心を持っていたが、『彗星』という雑誌で読んだ皇道大本(現、大本)の世界建て替え説
に興味を引かれ、綾部を訪れる。大本で文才を認められ、機関誌の編集を任されるようになり、そこ
で知り合った江守輝子と大正九年(一九二〇)に結婚。綾部では「大本のフランシス」と称し、一着
の衣服に一本の縄を締め、求道者的生活を送る。その間一燈園の西田天香とも接するが、満たされ
ず、大本への不信も芽ばえ、大正一一年著述に専念すべく上京。そこで『聖道へ』『神を審判く』を
著し、生活が軌道に乗りかけた矢先、大正一二年、関東大震災に遭う。
妻の実家の高岡に避難し、そこで娘の恵美子が誕生。翌年神戸の養父母宅に身を寄せて、浅野和三郎
の心霊科学研究会を手伝う。しかし無報酬で清貧に甘んじる奉仕生活は養父母から歓迎されず、さら
に娘の病気を医者にみせる金もない無力感にさいなまれ、ある夜夢で神と対話する。「物質はない」
と聞かされた谷口は、それまでの清貧生活が逆に物質に捉われた生活であったと反省する。このこ
ろホルムスの「神は人間が思考するとおりのものをわれらに与える」という哲学に触れた谷口は、
奉仕生活と家庭生活の板ばさみを脱する手だてをそこに見出す。そして職業がすでに与えられてい
ることを念じたところ、バキュームオイル会社に翻訳係として就職が決まり、妻子とともに阪神沿
線の住吉村に移転する。ここがのちに生長の家の発生の地となる。ホルムスの哲学以後心をいかに
コントロールするかに思いをはせていたあるとき、静座合掌瞑目していると、突然威圧するような
声で「物質はない。実相がある。実相とは神である」と聞え、目の前に日の出のような光が燦爛と
満ちあふれたとされる。ついに神を見出し、不滅の生命としての自分を見出したと感じた谷口は、
この悟りの喜びを人類に伝えたい思いにつき動かされる。昭和四年(一九二九)「今起て」との声
に執筆を開始し、翌年三月一日『生長の家』誌を創刊する。これを機に現在生長の家の聖経とよば
れる「甘露の法雨」を初めとする詩がつぎつぎと霊感によって書きとめられていったとされる。
七年に『生長の家』の合本『生命の実相』を出版し、昭和九年には教勢発展のために上京し、株式
会社光明思想普及会を設立する。
一〇年には新聞広告を掲載したことや、『主婦之友』が生長の家の紹介記事を載せたこともあり、
機関誌の発行部数は急速に増加する。こうして『光の泉』『白鳩』『いのち』らの機関誌がつぎ
つぎと創刊され、文書伝道と講習会による布教という生長の家の基本姿勢が確立される。大二次
世界大戦が始まるや谷口は「価値実現のための戦争」と称し、皇軍必勝をスローガンにするが敗
戦となる。昭和二三年にはGHQより公職追放の指定を受ける。この間二一年に宗教法人生長の家
が設立され、同年娘の恵美子がのちの二代目総裁荒地清超と結婚する。二七年以降谷口の関心は
個人の救済から国家の救済に向かったとされ、日の丸掲揚運動や明治憲法復元改正運動にみられ
るような右傾化を強める。昭和三五年の日米安保改定問題の際には『日の丸か赤旗か?』という
パンフレットを出版し、配布活動を行う。三八年谷口夫婦は初めてハワイ、北米、中南米、ヨー
ロッパと七ヶ月にわたる海外布教を行い、以後四七年、四八年にも北米、南米での講演を行う。
この間昭和三九年には政治活動の足がかりとして生長の家政治連合を発足させ、四二年には優生
保護法改廃期成同盟を結成する。昭和三〇年代から四〇年代にかけての学生運動に対して谷口は
戦後教育の歪みが日本国憲法に起因するものと考え、つぎつぎに憲法、国家に関する著作を著す。
五〇年谷口は住居を長崎に移し、龍宮住吉本宮の建立をめざす。谷口によれば、住吉本宮は世界
浄化・鎮護国家を目的として住吉大神を勧請・顕斎するものとされ、昭和五三年には長崎を生長
の家総本山としている。谷口の遺稿は死の約二ヶ月前に書かれた『碧巖録終講の辞』とされてい
るが、その中で谷口は「それでは“左様なら!!”とニッコリ笑って、皆様とお別れ致しませう」
と述べている。一〇日間程度食事を摂らなくなった後、昭和六〇年六月十七日九一歳で死去。
『新興宗教 教祖のウラの裏がわかる本』
早川和廣著 ぴいぷる社 1988年11月25日発行
第二章 問題だらけの六大新興宗教の教祖たち
ただ一人孤立する谷口清超・生長の家
戦後、急成長を遂げた新興宗教の中でも、生長の家は、現在、脚光を浴びている新宗教
教団と共通する部分が多い。
それは、創価学会、立正佼成会などが集団のパワーで、あるいは強引な布教活動によっ
て勢力を伸ばしていった中で、書物を中心に新聞、ラジオ、テレビなど、常に新しいマス
コミ・メディアを利用。宗教宣伝によって、教勢を拡大していったことと、宗教をビジネ
スとした先駆者であったからである。
だが、その生長の家も、昭和六十年六月十七日、教祖・谷口雅春総裁が九十一歳の生涯
を閉じたことで、大きな転機を迎えている。それを象徴しているのが、毎年、文部省に届
け出る信者数の大幅な減少であろう。
もともと生長の家は昭和五年、谷口が三十八歳のとき「生命の実相」を世に問い、夫人
と二人で始めたもので、十四年には宗教法人に発展、創価学会の急成長が始まった三十年
代初期には、信者数百三十万人の大教団に成長。最盛期には公称三百三十万人を誇ってい
た巨大教団である。
昭和六十一年版の『宗教年鑑』でも、生長の家の信者数は、三百万九千五百五十八人と
なっているのだが、それが、この五月に発表された六十二年版では、なんと八十万四千八
百七十五人と、わずか一年間で、二百二十万人の信者が消えた計算になるのだ。この二百
二十万という数字は、天理教、PL教団などの大教団に匹敵する信者数である。
その結果、これまでは創価学会、立正佼成会に次ぐ巨大新興宗教教団だった生長の家は、
公称信者数に限れば、大教団から並みの教団になってしまったのだ。
宗教団体の公称信者数が、当てにならないのは、いまに始まったことではないが、いっ
たい生長の家に何が起こったのだろうか。
教団側の説明では、これまでは教団で発行している六種類の月刊誌の発行部数を信者数
として発表していたのだが、そうした数え方をやめて、単純に「聖使命会」の会員数を信
者数として届け出た結果だという。
この聖使命会というのは、教団の布教機関のことで、その会員ということは、要するに
会費を納めている生長の家信者である。
それにしても、なぜ、宗教界の慣例を無視して、あえて“水増し”をやめてしまったの
か。“水増し”が常識という世界だけに、正しいはずの発表が、かえって、さまざまな憶
測を呼んでしまったのだ。
教祖の女婿として結婚、二代目を継いだ谷口清超・現総裁は、東大心理学科を卒業した
エリートで、宗教指導者というよりは学究肌の人物だけに、「話が難しくて、面白みに欠
ける」という信者たちの声もあった。
実際、生長の家にとっては、教祖があまりに大きな存在であっただけに、教祖の死後、
そのカリスマ的魅力にひかれて入った信者たちが離れていったことも確かであった。
しかも、教祖の死後、二代目こそ清超だが、教団の実権は教祖未亡人と清超夫人の二人
が握るのではないかといわれていた中で、清超総裁は教団の基本方針を変更。そのもっと
も大きなものが、政治の世界からの全面撤退だったのだ。
政治に影響力を持つということは、逆の見方をすれば、政治家が金と票目当てに群がる
ということにほかならないが、影響力を発揮するためには信者数が多いに越したことはな
いのである。
もともと、生長の家は立正佼成会とともに深く日本の政界と関わってきた宗教団体の一
つであり、特に自主憲法制定を掲げ、靖国神社国家護持問題を積極的に推進。仏所護念会
や世界救世教などとともに“右派宗教”の代表的な存在であった。
そして、政界に隠然たる力を持っていた宗教政治研究会(宗政研)の設立に、もっとも
寄与した教団であった。
そのため、生長の家といえば必ず、宗政研の会長だった玉置和郎(自民)の名前が上げ
られたのである。しかし、生長の家をバックにした玉置が、昭和六十二年一月、亡くなっ
たこともあって、生長の家は急速に政治の世界から、距離をおくようになったのである。
その結果、選挙にも関わらないことにしたため、公称信者数にこだわる必要などなくな
ったというわけである。
だが、だからといって、信者数の水増しをやめるというのは、おそらく二代目の性格的
なことが影響しているのであろう。
そして、政治からの撤退は、二代目なりの生長の家の軌道修正なのかもしれない。いわ
ば、汚れた生長の家を、宗教本来の姿に引きもどそうという二代目なりの試みというわけだ。
というのも、現在の新宗教の元祖的な存在であるだけに、生長の家の歴史は広告戦略、近
代化といえばカッコイイが、要するに宗教のビジネス化に成功した軌跡であり、政治との関
わりもまた、同じところから出発しているからである。
『新興宗教のウラがわかる本 カネと権力と醜聞にうごめく教祖たち』
著者 段勲 政界往来社 1986
教団運営に後顧の憂いを残したカリスマ教祖 生長の家・故谷口雅春総裁
総本山建設に二百億円投じた“出版宗教”
長崎県・大村湾をのぞむ西彼町の「生長の家」総本山を訪ねた宗教ジャーナリストが、小高
い山に登り、上から同教団の全景をカメラに撮ろうとした。同道した教団職員に、
「ところで、生長の家の敷地はどこからどこまでですか」
と、尋ねた。するとその職員は、涼しい顔をしてこう答えたそうである。
「はい。あなたの目で眺められる範囲が全部そうです」――。
国鉄・長崎駅から大村湾県立公園に面した国道二〇六号線をバスでひた走るこ
と約七十分。西彼町を突き抜ける国道横に朱塗りの大鳥居がドカンと見えてくる。
「住吉本宮」の看板が中央に据えられた高さ二十二メートルの大鳥居は、なんで
も日本で二番目に大きいものだという。
この大鳥居を玄関口にして、山を切り開いて建てられたのが生長の家総本山で
ある。教団の発表によると総面積が約百万坪(三百三十万平方メートル)。西彼
町全体の面積が約六千九百五十平方メートルだから、生長の家総本山は、その約
二十一分の一を占めることになる。
生長の家本部は東京都渋谷区神宮前(現在)に置かれているが、昭和五十年、
約二百億円の巨費を投じてこの長崎に総本山を建設した。
公称信者数は三百三万人(『宗教年鑑』五十九年度版=文化庁編)で、久保継
成率いる「霊友会」の三百十万人とほぼ同規模の勢力である。ただし、同規模と
はいえ久保継成の場合は、初代会長の伯母・小谷喜美から受け継いだ跡取りだが、
生長の家は故谷口雅春(六十年六月十七日、享年九十一歳の大往生)が一代で築い
たものだ。
谷口雅春は、新興宗教の教祖の中で、カリスマ的要素を持った最後の人物といわれた。
生前、谷口の思想が左、右とクルックルッと変わった。そんな谷口の性格に反発を感じ
て、生長の家と別れた何人かの幹部もいたが、創設以来、過半世紀の間にこれといった
組織分裂も内紛もなく、まずは順風な組織運営であった。そのカリスマ指導者である谷
口の生涯をしばらく追ってみることにしよう。なぜなら谷口の足跡は即、教団「生長の
家」の歴史でもあるからだ。
谷口雅春は明治二十六年十一月、兵庫県八部郡で農業を営む父・音吉、母・うまの次
男坊として生まれている。四歳のときに、音吉の妹のところに養子に出された。大阪市
立春日出尋常高等小学校を首席で卒業したというから頭は切れたらしい。
明治四十四年に、早稲田大学高等予科(文科)に入学。大正一年に、早稲田大学文学
部英文科乙組に進学した。早大時代の同窓生に作家の直木三十五、詩人の西條八十、文
芸評論家の青野季吉、評論家の木村毅といったメンバーがいた。
大正三年に早稲田を中退。理由はつまびらかではないが、このころ、何度かの恋に破
れた文学青年で、中退の原因も女性ではなかったか、ともいわれている。大学を去った
後、摂津紡績(現在のユニチカ)に入社するが、ほどなくして退社。そして七年、京都
府綾部の大本(通称、大本教)を訪ねて入信した。谷口が宗教と最初に関わったのがこ
の大本であった。大本では教祖の出口王仁三郎に文才が認められ、同教団の本などを書
いていたという。
昭和四年十二月に雑誌「生長の家」創刊号(定価三十銭)を印刷。その巻頭の言葉は、
「蛇に睨まれた蛙のような恐怖心が就職、入学試験の失敗や病気、軍備を生む」
というものであった。そして翌五年、「生長の家」の名称で宣布を開始するのである。
昭和五年といえば、創価学会の前身「創価教育学会」が開創された年でもあった。
谷口の「生長の家」の布教は、すでに結婚していた輝子夫人とたった二人で、雑誌
「生長の家」を売り歩くことから始まったのだ。そのために生長の家は、“出版宗教”
などともやゆされている。
海外布教に精を出した谷口雅春
教団「生長の家」の教義基本になった谷口雅春著の『生命の実相』第一巻が出版された
のは昭和七年である。十一年に教化団体「生長の家」を設立。同年、婦人部組織である
「白鳩会」を結成している。そして二十一年九月に宗教法人令に基づき、宗教法人・生長
の家が設立された。
三十九年に政治結社「生長の家政治連合」を発足させ、翌年の四十年七月、参院選全国
区に初めて玉置和郎(現・衆院議員)を推せんし、第三位で当選させている。
また、「生長の家」は海外布教にも熱心で、早くも昭和二十五年には教団幹部をハワイ、
アメリカ本土に派遣。三十年にはハワイに駐在員を置いた。また、谷口自身、戦後、三度
にわたって海外に出ている。一回目は昭和三十八年三月、ハワイを振り出しに、ニューヨ
ークなどアメリカの主要都市を回ってメキシコ、ブラジルに向い、ロンドン、ジュネーブ、
パリなど、約半年間世界中を回って海外会員の激励に奔走している。二回目は四十七年、
やはり、アメリカ、メキシコなどに二ヵ月間滞在。そして、三度目も四十八年にアメリカ、
メキシコなどを回った。
現在、生長の家の海外会員数は約百万人ともいわれ、韓国、中華民国、シンガポール、
スリランカ。イギリス、西ドイツ、オーストラリア、ガーナ。アメリカではハワイ、ロサ
ンゼルス。カナダのバンクーバー、トロント。ほか、ブラジルなど、世界主要都市を中心
に伝道本部、会館を置いている。
また、谷口は自筆の個人雑誌を販売し、読ませることからスタートした教団だけに、谷
口自身、晩年まで本を書き続け、作家も顔負けの多くの著書を残している。
代表的なものでは、『生命の実相』全二十巻。同書の発行部数は今日までで千六百万部
に達し、さらに英語、ポルトガル語、スペイン語、ドイツ語、韓国語、中国語の六カ国語
に翻訳されているという。ほか、『真理』全十巻。『谷口雅春選集』『新選谷口雅春選集』
『新選谷口雅春法話集』『谷口雅春童話集』。かたわら教団の定期刊行物である「生長の
家」「白鳩」「光の泉」「精神科学」「理想世界」などの月刊雑誌や、新聞「聖使命」な
どに著作を発表してきた。
大宅壮一全集 第十三巻
谷口雅春
大組織の宗教百貨店
世界旅行で私が得た大きな収穫の一つは、MRA(道徳再武装運動)というものの正体が非
常によくわかったことである。戦後日本人で外国へ行ったものの中で、“MRAの招待”とい
うのが大きなパーセンテージを占めている。その中でも国会議員、地方議員、知事、市長
などの公用族が多い。しかし比率からいってもっとも多いのは革新政党の議員や労組の幹
部である。かれらはわれもわれもとMRAの大会に出かけて行って何を得たであろうか。
スイスのコーというところに、MRAの夏期練成道場がある。これは、“道場”といって
も戦時中の日本にあったような殺風景なものでなくて、すばらしく豪しゃなホテルである。
世界一景色のいいところにある最高級のホテルで、世界の珍味を集めた料理を食って、
“チェンジ”する、すなわち心を入れかえるのである。階級闘争や有色人種運動の指導者が、
資本家や白人に対する憎しみを捨てるのである。近ごろの流行語でいえば“洗脳”だ。
中国では、革命に協力しない反動分子を“思想改造所”という監獄に入れて“洗脳”を行って
いるが、MRAでは、ありったけのぜいたくをさせることによって同じ目的を達しようというの
である。ただしその手段が全然逆であるとともに、チェインジさせる方向も正反対である。
これに要する莫大な費用はどこから出ているのかわからないが、これを思いついたブックマン
という男はタダものではない。一種の精神運動であって宗教ではないといっているが、あらゆる
宗教がその中に取り入れられていて、やっていることは宗教とほとんど変わりはない。ブックマ
ン自身も、見るからに“教祖”そのものである。これが“洋行”好きな日本人、特に議員族の
盲点をついたのだ。
この種のカクテル宗教は、世界的な流行と見えて、ほかにもまだたくさんある。階級的、
民族的対立の激化、既成宗教の動脈硬化と宗教的エゴイズムにあいそをつかした人々が、
こういった超宗派的宗教にひきつけられるのであろう。
日本にもこれに似たものがいくつか生まれた。例えば昭和の初めに広池千九郎の始めた
“モラロジー”(道徳科学)などがその代表的なもので、これは釈迦、キリスト、孔子な
どのエキスをすべて調合した複合ビタミン剤のような形で売り出し、一時は大きな道場を
もって大いに繁盛したものである。彼は大正六年の東大政治科出身で、当時の新興宗教界
ではインテリであったが、いつのまにか時代おくれになってしまった。
これに代わって登場したのが谷口雅春の“生長の家”である。広池は天理中学の校長を
しているうちに宗教企業の妙味を知り、経営のコツを学んで、新しい一派を開いたのだが、
谷口は大本教の出身である。広池は官学出で、漢学臭が強かったのに反し、谷口は早大英
文科中退で、文学的教養があり、英語はもっとも得意とするところである。この間亡くな
ったメシア教の岡田茂吉も大本教出身であるが、このほうは美術学校中退だけあって、美
術趣味というよりも骨董臭味が抜けなかった。
文筆的表現力という点からいうと、もともと小説家志望で、これまでに小説も書いてい
る谷口にかなうものは、この国の“神々の世界”には見当たらない。それに谷口は、かつ
て神霊学時代を現出した浅野和三郎の高弟であり、クリスチャン・サイエンスやフロイド
の精神分析なども、自分に都合のいいところは巧みに摂取している。それどころが、マル
クスさえも薬味のように取り入れている。“生長の家”営業案内みたいなパンフレットに
よると、「“生長の家”を『宗教百貨店』といい、ある人は『抜粋』といいます。百貨店
には一流の商品がならんでいて、市井の小売店よりも優良品がそろっていますように、そ
こには真理なる生粋の優良真理を抜粋して陳列してあるのであります」ということになる。
自ら“百貨店”であることを認め、他の宗教を専門店、いや“市井の小売店”扱いしてい
るのである。
こうしてこの“宗教百貨店”は大いに繁盛し、“信徒”すなわち常顧客は約百三十万、
“講師”すなわちセールスマンは本部五十七名、地方二千余名、“道場”すなわち支店
は二十九か所(外国三か所)、“誌友相愛会”すなわち特約店は約二千か所(外国九十
か所)という膨大なる組織をもつに至ったのである。
昨年東京都渋谷区隠田にできあがった“教団本部”すなわち総本社は、敷地約四万平
方メートル、地階とも七階から成る“生長の家独創様式”の建物延坪四千三百平方メー
トル、大小約八十室、総経費約三億と号している。このほかに数多くの外郭組織をもっ
ているが、それについては後でふれることにする。
いったいこのような組織がいかにしてつくられたのであろうか。その創立者で、今も
この組織の独裁的支配者である谷口雅春とは、果たしていかなる人物であろうか。見た
ところいかにも柔和で、女学校の校長といった感じであるが、現代日本の生んだ大きな
“怪物”の一人であることに変わりはない。
大本教の聖フランシス
谷口雅春、本名は正治といって、神戸市外烏原村(後に貯水池となって消えた)で音
吉の次男として、明治二十六年十一月二十二日、旧暦の十五日朝、満月が沈みかかった
ころ、「太陽と月の二つの光に照らされつつ、護られつつ生まれた。」こういう太閤秀
吉みたいな伝記をあつかましくも自分で書いている。
四歳のときに叔母の家へ養子にもらわれて、大阪の小学校に通った。小学校で算術の
点数が悪かったのは「計数の概念と施与の概念を混同した」。すなわち先生を喜ばせる
ために、試験の答案に数字の水増しをして出したからだという。このこじつけの才能が、
後年彼の書く“御文章”に一貫しているともいえる。
市岡中学では死んだ直木三十五の一年上級であった。そのころ谷口はやせていたが、腕
相撲は強く、手のひらが人一倍大きかった。恥ずかしくもあったが「この手は天下を握る
手だ」と思ってうれしくなったという。
作文は級中第一をもって自認していたが、日々の感想緑を「ペン尖」と題して自分の教
室の入り口に臆面もなく額縁に入れて提示してしかられた。このころすでに中学生として
珍しい表現欲と表現の才能を持っていたことは確かだ。
中学を終えて大学の科目を選ぶにあたり、養父母は医者になれといったが、早大の文科
に入ってガッカリさせた。しかしかれは後年医術がいやし得ない病人をなおすようになっ
たのだから、医者以上の医者になったのだといっている。
早大では青野季吉、西条八十、木村毅、直木三十五などと同級であったが、彼は首席で
特待生になったことをたびたび書いている。当時の同級生の話では、谷口は英語のよくで
きたことは事実だが、そのころの文科の学生は自然主義にかぶれて、学校の勉強に力を入
れるものが少なかったからである。
谷口自身も、田山花袋の“無理想無解決”という自然主義理論の影響をうける一方、オ
スカー・ワイルドやダヌンツィオの芸術至上主義に共鳴し、美を善悪以上に重んじるとい
う当時の風潮に巻き込まれた。その結果、偶然会った「女の胸のカンバスに“恋”という
絵を描いて去れば、宇宙に感情のデリケートな線で描かれた美術が一つふえる」という考
えから、大阪の養家の近所に住む少女にラブレターを書いた。ところが、その少女は貧し
い家の養女で、芸者見習中に朋輩の衣類を盗んで刑をうけた前科者で、東京の彼の下宿に
押しかけてきた。一周間という初めの約束がのびのびになって、ついに女は妊娠し、流産
した。このことが養家に知れて学費はこなくなった。
女は、芸者に身を売って彼に貢ごうと決意したこともあるが、彼は大学をやめて、二人
で神戸の女の養家にころがりこんだ。とどのつまり、女は台湾芸者に売られて行って、彼
は五十銭の日給で紡績会社の職工となって自活した。
まもなく外国雑誌の記事を翻訳する内職が見つかって、収入がグンとふえた。そのころ
彼は二人の女と同時に関係したが、一人は彼のつとめている会社の上役のめいで、もう一
人は娼妓であった。この娼妓の源氏名は、仙台侯をふったのと同じ“高尾”で、谷口以外
の男の膚にふれぬという心願を立てて、たいへんな評判になったという。
しかし彼のほうは、この女から病毒をうつされてひどく煩悶し、神経衰弱になった。そ
して当時有名だった催眠術師三好霊峰のもとに通うとともに、心霊術の書物をあさり出し
た。心霊術となると、その大本山は大本教で、浅野和三郎が主となってこれを指導してい
た。もともとそういった方面に興味と素質をもっていた谷口は、水の低きにつくがごとく、
大本教に吸いつけられていったのである。
そのころの綾部は、大本教の“世界建替説”で沸き返り、これを真にうけたものが全国
からワンサと押しかけていた。明治二十五年に書かれた教祖出口なおのお筆先によると、
その“建替”は明治五十五年すなわち大正十一年五月五日に起こるというのである。その
ときがくれば、日本対全世界の大戦争が起り、敵の空襲や天変地異で日本の大部分は灰じ
んとなるが、綾部を中心とする四十キロ四方はこれを“下津磐根”とする一枚岩の上にあ
るから絶対安全地帯である。その審判の日に焼き滅ぼされないために、一日も早く神さま
のご用をしなければならぬというのだ。
この審判が終わって大本教が世界を統一した後に生まれた新秩序のもとで、出口家は代
々祭祀長、浅野家は代々政務長となるものと予定されていた。そのほか、イギリスやアメ
リカの“太守”に任ぜられるものの下馬評まで行われていたくらいだ。当時大本教では大
阪の大正日日新聞を買収したが、建替後はどうせ通用せぬ金だからと信者の有力者を説き
伏せて保証人とし、借用証書を入れて、支払い期は建替予定日の大正十一年以後にしたの
である。
こうした空気に包まれている大本教の中に入った谷口は、たちまちその才能を認められ
て頭角をあらわした。大本教の機関誌『神霊界』に投書したのが動機となって、その編集
陣に参加し、まもなく編集長となった。彼の文名は大いに上がり、浅野和三郎の『大正維
新の真相』の向こうを張って『皇道霊学講話』を書くところまで行った。さらに彼の筆は
「建替を予言した大本教の筆先と、仏説弥勒下生経や、聖書の基督再臨論とを対照させて、
その世界建替説に一層確実らしい傍証を与えた」のである。
そのころの彼は、ただ一枚の着物しかなく、その上に一本の縄の帯を締めて、みずから
“大本教のフランシス”と称していた。また「私が執筆している光景を横合から霊眼で見
ていて、私と異る霊人が筆をとっている有様をありありと見たという人もあった」と自分
で書いているところを見ると、彼も大まじめでこの建替説を信じ、バスに乗り遅れまいと
真剣に努力していたのかもしれない。
出口王仁三郎の著書に『霊界物語』というのがある。これは全百四十四巻(ただし八十
二巻まで出たときに検挙されて中絶)という膨大なものだが、内容は出口の精神分裂症的
頭脳から出た妄想を筆記したにすぎない。谷口もその筆記者の一人に選ばれた。つまり王
仁三郎の祐筆に抜てきされたのである。
しかしこれまでの彼の経歴を見てもわかるように、谷口は女にもてる、いや、“女難”
の傾向がある。しかもたいてい相手は複数である。大本教においても、同時に二人の女が
いた。一人は高等女学校教諭をやめて大本教にやってきたという教団きってのインテリ女
性で『霊界物語』の筆記者でもあった。谷口よりも十五歳も年上の“処女”で、王仁三郎
から“因縁のあるミタマ”だといいよられたのをけって、谷口を慕った。もう一人は十八
歳で、大阪の商家の息子と結婚したが、良人が放蕩者で逃げ出してきたという文学少女で
ある。(この種の宗教にくる女はこういう型が多い)
『新興宗教を告発する 信者を嵌める欲望の神々(だまされた信者たちの生き地獄の実態
と怒りの声!宗教の隠れ蓑を着て信者から金をしぼり取る欺瞞教団の手口が歴然!)』
青年書館 著者田中一京 1987年発行
第五章 教団の実態に失望し裏切られ嫌気がさした
『生長の家』
組織の閉鎖性と信者の犠牲の上に成り立っている教団の金権体質を見せられ失望した
これは現在神奈川県横須賀市に住む元生長の家青年部長のTさん(二十八歳)が、教義
と信者の行動や考え方の矛盾、及び教団内部の軋轢やその実態について、一信者としての
教団に対する失望や不満について語ってくれた事例である。
☆
――なぜ匿名にする必要があるのですか。まず、その理由から聞かせてください。
「現在、私の両親と妹、それに親戚の者が熱心に生長の家の信者として信心しているから
です。地方では信者同士の結束が強くて、私が教会のことを喋れば必ず残っている者が白
い目で見られますし、村八分にされるおそれがあるからです。都会では考えられないこと
ですが、田舎では隣近所の連帯意識がものすごく強くて、私の出身地と名前がわかれば皆
に迷惑がかかると思うからです」
――生長の家の教義ではすべてのものと和解せよといっていますし、他人に対する施愛が
すべてだと教えているのではないのですか。
「谷口先生の教えは確かにそのとおりです。しかし、それが一つの目標(信仰)に向かっ
ているときはいいのですが、やはり組織の中には閉鎖的な部分があって、外部から攻撃さ
れるような事態が発生すると、お互いに仲間意識というか、組織を守ろうとして、あれこ
れ圧力をかけてくるわけです。まあ一種の防衛本能というやつが働き排他的になるわけです」
――具体的には誰からどんな圧力がかかってきますか。
「直接には会員から教会に対して、あるいは他の会員に感謝する心がないなどと嫌味を言
われ、それは親兄弟の責任だと周囲から責められます。会員の感情としては、裏切り者の
家族だというようなしこりをいつまでも持ち続けるわけです。私の友人の家族でやはりそ
んな目に遭って、地元にいられなくなった人も私は現実に見て知っています。どの宗教で
も同じだと思いますが、その組織の中に入ると外から見るのとは大分様子が違います。そ
れは教会の教えを忠実に守ろうとする会員の熱心さから、そういうふうに閉鎖的になるの
でしょうが……」
――では、あなたが生長の家の信者になった動機と退会した理由を聞かせてください。
「母が生長の家の熱心な信者だったことと、妹の病気が治る、いや治してくれると聞いた
こと、それに父が事業に失敗したことなどが重なったものですから、それで入会したんで
す。また、私が退会しようと思ったのは、父が事業に失敗したことで家の状態が最悪だっ
たとき、その苦しい生活の中から母がなけなしの金を教会へ持っていくし、次から次に教
会の本を買わなければならない、そんな状態が続いていたものですから、なぜ金に困って
いる者から平気で金を取るのか、それが宗教の本質だったのかと疑問を持ったからです。
それに妹の病気も全然よくならなかったから……」
――信者の方は毎月どれくらいのお金を生長の家へ納めるのですか。
「生長の家には“聖使命会”という会員の布教機関がありますが、この会に所属する会員
は必ず本部に毎月会費を納めなければなりません。そしてこの会員にもランクがついてい
て、家族会員が月額一口百円、護持会員が月額四百円以上、什一会員が月額千円以上、特
志会員が月額一万円以上と一応最低の基準が決められており、これより多く納める分につ
いてはいくらでもかまわないのです。
そのほか練成会に出席すると、いろんな行事毎に五千円ぐらいから二万五千円くらい奉
納しなければならず、必要以上にいくらでも金がかかります。ですが毎月必要な金額は人
によってそれぞれ異なります。私の場合は三千円本部に納めていましたが、母は二万円か
ら三万円くらい本部へ持って行ってたようです。
あと必要な金というと『聖使命』という新聞や『白鳩』『理想世界』などの本を毎月四、
五千円分買わされていたんです。多分本部に問い合わせてもそんなに金はかからないとか、
信者の方に強制はしていないなどと返事するでしょう。ですが信者の立場からするとそれ
を断るわけにはいかず、いくら生活が苦しいといっても、信心に必要なものですから買わ
ないわけにはいきません。そうした雰囲気が生長の家の内部にはあるし、仮に信者が困っ
ているからといって、いちいち金を返すようなことはしません。取りっ放しのもらいっ放
しです」
《求道の画家 松本竣介 ひたむきの三十六年》(中公新書)
宇佐美承著 中央公論社一九九二年発行
恋に破れ、靉光のもとへ通うようになって三年たった一九三六年(昭和十一年)、竣介
は二十三歳で新たな恋を実らせた。相手は東京山の手の大学教授の娘で松本禎子といい、
半年年下だった。仲をとりもったのは「生長の家」で、それは竣介を思う身内の心情と関
係あってのことだった。
父佐藤勝身はもともと、霊と肉のはざまで自分を苛む人だった。少年のころ、教会に出
入りしてまもなく洗礼を受けたのに、おこりくる肉欲のために聖書のことばが守りきれず、
受洗者名簿から名前を消してもらった。その後は信仰を捨てたことで以前にもまして苦し
みつづけ、結婚してふたりの男の子に恵まれてからやっと救われた。
勝身にとって子は宝だったから、長男の彬が大病をわずらったときも心配でいたたまれ
ず、聖書を読みかえしてみた。それでもキリスト教の信仰にもどれずにいたところへ、竣
介が生死のはざまをさ迷いはじめたのだから、藁にもすがる思いで日蓮宗の行者に救いを
求め、わが子が命をとりとめたときは奇跡をみたと思った。
それからというものは竣介の聴力の回復と幸福だけをねがい、団扇太鼓を叩きつづけて
とうとう破ってしまうほどの熱心な信者になったばかりか、奥義を極めようとして経典に
読みふけり、高僧を訪ねて教えを請うた。しかし、法華経の教義はむずかしくて歯がたた
ず、またも悩んでいたとき生長の家の信者の癌が治ったときき、雑誌『生長の家』を読ん
でみたところ、たちどころに法華経と聖書が同時に理解できた思いがした。生長の家はあ
らゆる宗教を超越すると宣言し、神を生命だとしていた。勝身はさっそくその団体の支部
を盛岡につくり、創始者谷口雅春を神戸の郊外から招いた。
それは竣介が故郷を出てからしばらくしてのことで、この団体はまだ揺籃期にあったが、
その後みるみるうちに発展していき、竣介上京五年後の一九三四年には本拠を東京に移し
て正式に教団を名のり、普及のための出版会社「光明思想普及会」をつくった。勝身は経
営する銀行が別の銀行に吸収されたのを機にその会社の常務取締役に就任して故郷をあと
にし、谷口との共著『法華経解譯』を出版したりもした。すべてはわが子の幸せを願って
のことで、心の彷徨の末にここにたどりついたのだった。
弟思いの彬も、勝身に勧められて熱心な信者になった。彬にはハツカダイコンのあだ名
があって、上京してしばらくは少し左翼だったけれど、唯物論がいまひとつしっくりこず、
これを越えた何かを求めていたところ雑誌『生長の家』を読んでたちまち共鳴した。やが
て谷口にあって講師団の一員になり、谷口から芸術雑誌『生命の藝術』を発刊する話をも
ちだされると、これは弟にもってこいの仕事だと思ってひきうけ、竣介を誘った。
竣介は理を通す青年だったから、なかなかうんといわなかった。以前に父の勧めで『日
蓮上人傳』を読んだときも「日蓮は釈迦一仏に還れといって法華経を説いたのに、一派を
おこしたのはおかしい」といっていた。こんど勧められるままに谷口の著書を読んだとき
も「ぼくは宮澤賢治がすきだ。宗教はきらいだ」といっていた。それなのに、三年かかり
はしたが結局はそこの雑誌の編集を担当することになったのだから、内に何かの変化がお
こったのだ。
あのころマルクス主義は先端の思想だったから、それに従わなかった以上、つぎに別の
ものを求めねばならぬとさぞかし思ったことだろう。そんなときに谷口の「事物の本質は、
目に見えぬ生命の流れ」という、マルクス主義と正反対のことばを突きつけられ、三年間
拒否しつづけたあげく、やっとそこに心の拠りどころをみつけた。自分は理の勝った男だ
と知っていたうえで、その理を通すマルクス主義に失望し、改めて自分をみつめなおした
のだった。
こうして兄とともに『生命の藝術』を編集しはじめたのだが、一九三三年の初秋、その
雑誌の第二号に信仰告白の文章を書いた。「谷口先生、父、兄及び、過ぎし日にさゝぐ」
と前置きして……若者は辞書のなかに真実がかくされていると思っているが知識は決して
自由を与えてくれない……叡智をともなわない知識は動力のない機関と同じだ……知識と
真理がちがうことがいまわかった……これまで愚かだったために大きな代償を払わなけれ
ばならなかった……と書きつづけたあと「私は肉体の自由と、青春を剥奪される事によつ
て、かすかに神の息吹きに接する事を知つた」と告白し、谷口の文章をひきながら、「あ
らゆるものゝ姿が無限に生長してゐる生命の顕れである事を知る時、小さな知識を固執す
る事をしない」と書いて生長の家の思想に共鳴していることを鮮明にした。
このように共鳴したうえで、そこの芸術雑誌を編集し、筆を執ることは歓びであった。
『線』のときもそうだったが竣介は、絵を描くことにおとらず文章を書くことや編集する
ことに情熱を感じていた。日々模索する自分を表現するには文章は絵と同じくらい有効だ
し、二つは一つにならねばならぬとさえ思っていたからだ。そしてその仕事の場で松本禎
子に出あった。
しばらくしてふたりは生長の家をはなれた。そのころ竣介は禎子に「谷口先生は神様に
なって遠くへいってしまわれた」といっていた。それは生長の家が思想・教養の団体から
宗教団体へと様がわりしていく過程におこっていたことだろう。竣介のことだからこんな
控えめな物言いをしたのだが、宮澤賢治の「雨ニモマメズ」の詩の横に「賢治が好きだ。
宗教は嫌ひだ」と書いていた。このあとにも、自分たちで出しはじめた雑誌『雑記帳』に
「実際教団といふものや、出版界の表裏を見てゐると我慢ならないものがあるんだ」と書
いたのだから、もっと激しい批判をもっていたろう。
生長の家は佐藤、松本両家の人びとがぞっこん惚れて近づいたころからしばらくして、
教団と、普及のための出版会社をわけ、聖典『生命の実相』の販売に力を入れるなどして
急速に発展していったのだが、その間に谷口はカリスマ性をもってきて現世利益を説くこ
とが多くなっていったし、幹部のなかに内紛もおきていたのだ。
竣介と恒は相談した。恒もすでに嫌気がさしていて、結局竣介が谷口に別離の手紙を書
くことになった。竣介は画業に専念するために去るのだと書いたが、いっぽうで、これま
で育ての親のつもりで接しておりましたのに、と前置きしたうえで教団と谷口を批判する
ことも忘れなかった。谷口からきびしい叱責の返事がきたが、決意は変らず最後の仕事と
して『生命の藝術』(昭和十一年十月号最終号)に「狐になつたアルカム」という寓話を
書いた。宮澤賢治の語り口を借りながら教団と谷口を批判したもので、つぎのような話だ
った。
舞台となったイートラム国は、そのころの共産主義者が夢みていたユートピアを思わせ
た。文化と科学がとことん進歩して病気も貧乏も絶えたが、人民の精神はしだいに衰えて
いく。そこで指導者が道士アルカムを招く。アルカムの導きでイートラム国の人民が理想
の人類になろうとしたその矢先、アルカムは全国民との問答の最中にとんでもないことを
口走ってしまって面目を失い、野ぎつねの正体をあらわす……。
竣介と前後して勝身も彬も恒も生長の家を去った。勝身は思い入れの激しい人だったか
ら「先生は驚くべき言行不一致だ。乱離骨灰、それでいてなんら恥じるところがない」と
怒り狂っていた。
でも生長の家での三年間は、竣介にはむだではなかった。プロレタリア美術家同盟の唯
物論に満足できずにいたときこの思想に触れ、頼った。そこの芸術雑誌を編集しながら本
を読み、文章を書き、絵を描いていくうちに自分を深め、つぎなるステップにそなえた。
つまりこの三年間は、合理追求という竣介の一生から外れた道ではあったけれど、その道
にも一里塚があったことはたしかだ。 竣介たちが去ったあと生長の家は『生命の藝術』
を廃刊して新雑誌『いのち』に切り替えたが、それは「時局に即応した」方針をとるため
だった。いっぽう竣介は『雑記帳』でその“時局”を激しく批判することになる。
教祖 佐木秋夫 青木書店 1955年12月25日発行
美しい生活か、聖者のような生活か、どちらにしても「自分の血と肉で人生に戯曲
を書く」のでなければたえられない(谷口正治「入信の経路」大本発行『神霊界』
一九一九・二・一五号所収)。だがそれはどこまでも「戯曲」なので、自分の基本的
な生活まで棒にふる決心をしたわけではない。そんな気分で夏休に帰省したとき、
近所に住む房江という一七歳の貧しい女につけ文をした――「美しい恋愛感情」を
わき立たせて、人生に美の一片を寄与するために(「自伝」)。そしてその結果を
待たずに――自分の自尊心を拒絶されるという危険をさらすことなしに――東京に
たつつもりだった。ところが意外にも、房江は彼の汽車に乗りこみ、東京の下宿まで
ついてきてしまった。「やむをえず」、一週間だけ同棲して別れる話にしたが、運命
は、というよりも現実は、そんな「自由」を許さなかった。房江は沖仲仕の娘で、
「おしゃく」にやられている間に、ちょっとしたことで「前科者」になって、家に
帰っていたのだった。たわむれの恋の夢だけ見てそのまま身を引くような女ではなか
った。
「人生の上に戯曲を書く快感を貪る」(「入信の経路」)彼の心には、あわれな少女
を「社会の偏強な道徳感」から守ってやるという満足と、その底には、傷つきやすい
自尊心をおびやかされることなく何の負担も感ぜずに自分の理想を実演できるという
喜びがあった。トルストイの『復活』を思い出しながら、自分は房江を「許す」こと
で神に近づいていると信じた。房江への感情が恋愛でなくて憐憫であることを確かめ
るために、近所の一〇歳の少女を「ほんとうの恋人」にしたてて登場させた。しかし
一方ではこのひめごとが養家に知れることを恐れて、いつもびくびくしているのだった。
養母は、やがてこのことを知ると、はたして、家名を汚すと激怒して、仕送りを止
めてしまった。それまでは学校の特待生で学費が浮くので、それで二人が暮らしてい
た。いまや房江だけが頼りだった。学校は中退の形になり(一九一四)、しばらく神戸
の房江の家に厄介になったりしながら、むなしく職探しに歩き、ついに何度か死を思う
までに追いつめられた。
房江は全身で生活にとりくみ、両親の前をつくろって、何とか才覚を働かせていた。
しかし、ついに手がつまって、彼にみつぐために親のものを盗んだりしはじめた。
両親も怒って、房江を台湾に売るといいだした。
房江としては、もはやかけおちを迫るほかはなかった。だがこのときすでに、生活
の現実にうちのめされた正治のほうでは、手を切ることを望んでいた。ただ、自分から
それを言い出すことをしないだけだった。いまかけおちを迫る房江に対して、彼の答え
は「人生は実力だからもういちど学校に帰りたい」ということだった。そのコトバを聞
くや、房江は「では出世なさいませ、さようなら」と痛烈なコトバを残して(「自伝」)
地獄の方へ走りさった。
「自伝」の筆者は、こうしてうまく厄介ばらいをした自分が卑怯だったことは認める
が、ふしぎにも、反省はそこで止まり、「憐憫愛というようなものは地上の人間を生か
すものではない」という人生訓の発見で、問題を打ち切っている。
房江と切れたことをみやげに、養母からまた学費をもらって大学に帰ろうと望んだが、
やはり拒絶されてしまった。やむをえず、友人の紹介で大阪の紡績会社の労働者になっ
た。日給五〇銭で一〇時間勤務。つらい生活だったが、ここで堅実な生活を築こうと
努力をはじめた。自分も今ではほとんどプロレタリアなのだが、努力の方向は労働者
の立場からでなく、個人的な昇進に向けられた。せっせと商工学校の夜学に通い、翻訳
の内職をみつけたので、その金で大阪高工に入ろうと試みた。だが、これは成功しなか
った。
ふたたび彼は「官能の世界」に落ちこんでいった。内職で得る金で高尾と呼ぶ遊女の
もとに通い、そのかたわら、お紋(仮名)という上役の姪と関係した。社会を呪いな
がら(「入信の経路」)、こういう不健康な三角関係にこそ特別の「美」がある、と
いうのだった。この場合にも、自分は高尾を憐んでいるのだと思いこむことを忘れな
かった。
ところが、こんな生活のなかから、まことに彼らしいやり方で、神秘的な病気なおし
への道が開けることになり、これが彼の将来を決定してしまった。
「娼婦は私に病気を感染していたし」、それが上役の姪にうつりはしなかったかと、
心配でたまらなくなった(「入信の経路」)。これは道義上の問題であるとともに、
クビの問題でもあった。医学書をあさったが、かえって病気への恐怖がつのるばかり
で、とうとうひどい神経衰弱になり、眠られぬ夜がつづいた。まぶしくて太陽を見る
こともできなくなった――「これは心の眼を閉じて実相の光を見ないでいる自分の心
の象徴であるということには気がつかなかった」と、彼は「自伝」で注釈している。
大阪の名高い催眠術家の三好霊峰の治療を受けたが、催眠術にはかからなかった。
ついにびっこを引くまでになって、けっきょく、医者に「手術」をしてもらった。
自分の病気はなおったようだが、お紋のほうはどうしようもない。そこで、相手に
気づかれないうちに癒してしまうような「神術もがな」というので、心霊療法などを
熱心にあさりはじめた。もちろん、いくら心霊療法を試みても、安心は得られない。
ついに、またもや彼一流の気やすめがはじまる――「よい妙案もないので、私はばい
菌の伝染という思想を否定しだしました」。「こうして一種の哲学の陰にかくれて、
自己の内なる霊の呵責をできるだけ軽減しようとしました」(「入信の経路」)。
不安がこうじて、いよいよたえがたくなったとき、その不安を打ち消す適当な口実
を見つけ出して、自分自身をなっとくさせる。そのためには、伝染の明白な事実を
無視して、伝染というのは思想(考えかた)にすぎないと断定する。自分でそう思い
こむ。ここまで行ければ、奇蹟の宗教をつくることもできるだろう。彼はいま、追い
つめられて神経衰弱になり、これまで何回か見てきたような自己防衛のはたらきがさ
らに一歩を進めて、そういう段階にまで近づいてきたらしい。
だが、そこへ行くまでに、彼はもういちど労働者の立場に近づく。彼は「女の愛か
ら労働者に対する愛に還って」いった。
例の病気が一段落したとき、急に明石の工場に転勤になったことが、生活を建てな
おす機会を与えた。高尾は彼の病気のときまごころを見せてくれたので、「憐憫」は
心からの愛に変ったが、そのうちにだんだん離れがちになっていった。そういうとき
に、彼の職場は機械の保全係から現場監督にかわって、一二時間、一週間交代の徹夜
業という殺人的な労働の中に身をおいていた。第一次大戦の初期のことで(一九一
五)、こういう労働強化の上に紡績資本は莫大な利潤をあげていた。中堅幹部たちも、
生産は二の次で個人の利益と保身とに専念していた。ところが、過重労働にあえぐ
少女たちを見かねて、彼が手伝おうとすると、かえって烟たがられた。
監督という自分の地位を彼はつくづく反省させられるのだった。「富豪の手先になっ
て労働者を虐め、富の分配をいっそう不公平ならしめつつ、給料をもらう生活!ああ、
何という醜い生活でしょう」(「入信の経路」)。彼は仕事を意識的にサボリ
(「自伝」)、現場の暴露小説を書いて業界紙に投書した。そしてついに、些細なこ
とから工場長と激論して、工場をやめてしまった。
「搾取する監視役」のほかに仕事がないのなら「もう生活しないでもいいのだ」
(「自伝」)。いまや彼は「汚れた社会組織から自由になった」。だが、労働者の
苦しみは彼の行動によって少しでも減りはしない。たたかいは工場のなかでつづいて
いる。
このとき、つごうよく、高尾は彼から去っていった。お紋は、親にあてて正式に
結婚を申しこんでくれと頼んできた。そのとおりにすると、はたして断られた。
三角関係の相手は、こうして、二人とも自発的に――彼の責任でなく――去っていっ
てくれた。
房江の場合といい、今度のことといい、「美を味わって」その後始末になると、い
つもこうして自己を保全した。婦人に対する彼のこのような根本的な態度には、表面
上の近代的な飾りつけにもかかわらず、封建的な考えかたが強く現われている。
故谷口教祖は、古代インドの時代のアサンジャであったと高橋信次師は言い残した。
昭和四十八年、国際正法協会会長園頭広周師が信次師の教える正法に帰依して、過
去世が舎利弗であったことを思い出した時、信次師は「園頭さん、あなたは生長の家
の谷口雅春教祖がインドの時のアサンジャであったことを思い出していますね」と突
然告げた。古代インドの釈迦の時代に、舎利弗(園頭広周師)と大日蓮(ニューヨー
ク在住の大谷氏)は、ナーランダで生まれた無二の親友だった。初め二人はナーラン
ダにいたバラモン教主のアサンジャの弟子だった。アサンジャの教えに納得できなか
った舎利弗(舎利子、幼名ウパテッサ、改名シャーリープトラ)は二百数十人の弟子
を引き連れ、大目連(幼名コリータ、改名マーハーモンガラナー)は百数十人の弟子
を引き連れ釈迦に帰依した。二人が釈迦に帰依したことを知ったアサンジャは激怒し
て舎利弗と大目連に破門という処置を下した。二人はアサンジャの非難を甘んじて受
け二人が去った後にアサンジャは血を吐いて亡くなってしまう。このようないきさつ
を信次師は指摘し次のように言った。「園頭さん、あの生長の家の谷口清超という人
は二人目ですね。谷口教祖の一人娘の恵美子という人が最初の結婚に失敗したのはな
ぜか理由を知っていますか。あれは、生長の家をこれ以上大きくしてはならないとい
う天上界からの警告だったのです。それを終戦後、生長の家をこのように大きくした
原因は、園頭さん、あなたの責任だから、谷口さんに手紙を書きなさい」と命じた。
園頭師は次のように言う。
「清超氏夫人恵美子氏は最初北海道の青年と結婚され、ほどなく離婚になった。
「生長の家」では「夫が悪いのは妻が悪いからである。妻が夫の実相を見ないか
らだ。どんな悪い夫であっても、妻が夫の実相を見れば離婚にはならず、夫婦は
円満になるのである。」と、説いているのであるが、そう説いている教祖の娘が、
夫の実相を見ず、また谷口教祖は自分の娘を擁護して、その婿であった人の批判
を月刊『生長の家』に公表された。この問題があった頃、私はまだ鹿児島の生長
の家の一会員であり、どうも教えていることと実際とは違うという矛盾を感じた
ものであった。終戦直後の混乱で、生長の家がどういう方針を立てていいのか、
まだ迷っていた昭和二十七年、私が谷口教祖に直接手紙を書いて、その中に、
生長の家の大方針はかくの如くすべきである、と書いた。それによって立てられ
た方針が今でもそのまま方針となって生長の家は発展してきたのであるから、高
橋先生はそのように命ぜられたわけである。」、と。
またある時、信次師は次のように言った。
「園頭さん、生長の家の谷口雅春教祖の奥さんに憑いているのは古い白狐ですよ。
だから、生長の家が金に汚なくなったのです。伏見稲荷を祭っていますね。あれが
いけなかったのです。生長の家は、古狐が輝子夫人を支配して、輝子夫人の言いな
りに動いている。それで生長の家はだめになったのですよ」
また、園頭広周師は言う。
「金を要求する宗教は動物霊に憑依されているとは高橋信次先生が講演の都度言わ
れていた。私が生長の家をやめた理由の一つに、会員には「生長の家大神・住吉大
神」を信ぜよと言っておきながら、自らは「伏見稲荷」を祭っておられた。私が生
長の家を辞める時にこのことを指摘したので、隠しきれなくなって京都の宇治に
「末一稲荷」と称して祭られることになった。」、と。
話は飛ぶが、生長の家の日本教文社発行、J・クレンショー著、訳者谷口清超
『天と地を結ぶ電話』初版昭和三十年がある。同じく『アガシャの霊界通信上下』
初版平成四年・正法出版社園頭広周監修もある。園頭師は昭和三十年にこの本を初
めて読んで、この本に書かれていることは正しいと信じた。昭和四十八年、信次師
が園頭師に「あなたはロスアンゼルスにあるアガシャ教会のことを知っていますね。
あのリチャード・ゼナーを指導したアガシャの指導霊というのは我々の仲間ですよ」
と言った時、園頭師は「それは自分が過去世で学んだものであり、それが正しいと
信じた理由が理解できた。そして、生長の家の教義である〃肉体なし物質なし〃と
〃無限供給の法則〃などが間違っていると知ったのは、この生長の家が出している
『天と地を結ぶ電話』を読んでからであった」と書いている。
また、生長の家では「無限の供給がある」と祈れば必ず「無限の供給がある」という
ことを一つの教義としているが、生長の家の教えの欠陥は、「足ることを知ったら安
らかな心」で祈るということを教えていないことにある。だから生長の家の信者が熱
心であるのは、信仰によって心をきれいにするのではなくて、自分の飽くなき欲望を
達成したいということで一生懸命に時間をかけて祈っている人が多いのである。私は
それを「信仰を利用した欲望肥大症」と名付けていた。生長の家が教えている「無限
供給の祈り」というのは間違っているのである。このことは、アガシャが、得られる
べくもないものを、得られるかの如く説く宗教家に注意せよ」と、警告しているのは
そのことである。」、と。こう園頭師は述べているが、生長の家の教義と、生長の家
が出版した『天と地を結ぶ電話』の中で説かれていることが相反すると言うのである。
ttp://www.shoho.com/newpage117.htm
谷口雅春著『谷口雅春選集』潮文閣 昭和16年(1941年)発行
皇軍の倫理
一
皇軍は国民戦線でもなければ人民戦線でもない。政府軍でもなければ国民軍でも
ない。だから政府が代っても皇軍は微動だもするものではない。皇軍はすめらみこと
の軍である。天皇に直属し天皇の統帥し給うところである。天皇のみことばの進軍が
皇軍である。皇軍の進むところ世界がそのままに実相楽土となって運転するのである。
本来世界に『軍』は一つだけあるべきで、これが宇宙の運転を司っているのである。
だから『軍』は宇宙をあらわす象形たるワ冠の中に車を書き、その『軍』の進むところ
宇宙の経綸がめぐるのであるから、『軍』に『進む』という意味のしんにゅうをかけて
『運』と読む。『軍』の進むところ宇宙の経綸が運(めぐ)るのである。『軍』の進むところ
敵があったり戦争があったりするように思うのは間違である。『軍』のすすむところ天運
が循環し、既にある内在の実相(大調和の世界)が実現するのである。されば宇宙には
すめらみことの軍が唯一つあるべきが本当である。ことばはただ一つ存在する中心に
帰一し、統一せしめられながら進軍するのである。然るに今世界にはすめらみことの
軍でないところの各国の国軍、又は政府軍が存在する。これは似而非(にてひ)なる
軍であって本来は非存在なる仮存在の軍である。かくて仮存在である軍が対立し、軍
が一つではないが故にすめらみことの軍のすすむとき摩擦を生じ軋轢を生ずる。軍
ならざる非存在が軍なるが如き装いをして皇軍に刃向うが故に、軍ならざる者が非存在
なる本来の姿に立帰る。これを敵軍の敗戦といい、敵軍の武装解除という。
二
『軍』は天之御中主大神が伊邪那岐・伊邪那美の大神に宇宙をこれによりて創造生成
(つくりかため)せよとて言依(ことよ)さし給えるときに授け給いし、天瓊矛(あめのぬぼ
こ)の表現である。天地を貫き通す一大鉾であるが故に、天瓊矛というのである。
矛であるから剣の鉾先をもってその象徴とするけれども、これは敵なき剣である。その
矛より滴り落つるところの水火凝(しほこ)りて自凝島(おのころじま)となるのである。
これは国を生み出す天地創造の矛であり、剣であって敵を倒すための矛ではない。
これがすめらみことの軍の本体である。然るに本来あるべからざる軍が、軍の仮面を
装うて、皇軍に刃向う如き有様で出現するから、それが自壊するために一時戦争の姿
が顕れるのである。
であるから、皇軍の進軍せるあと必ず王道楽土が出現するのである。王道楽土と暫く
支那の言葉をもって表現するけれども、満州の如く、冀東の如く、皇軍が匪賊を掃蕩
せるあとは、必ず、日本なる中心国に帰一せるところの実相楽土が現実に出現するの
である。その国の住民の生活は支那軍閥に蹂躪せられていた時代とは比べ物になら
ないほどに幸福である。その地には軍はただ一つすめらみことの軍即ち皇軍があるば
かりである。皇軍に対立して他の似而非なる国軍や閥軍や政府軍が存在権を主張して
いる限り、やがては光の前にニセ物が消滅するが如く、軍ならざる他の国軍が消滅する
ための自壊過程なる戦争が起るであろう。皇軍がそれを滅ぼすのではない。中心は
一つであり、世界における軍は、すめらみことの軍のみ唯一であるべきであるから、
他はおのずから自壊してしまうのである。
三
天地に満つる法(のり)の法輪を根本法輪という。根本法輪とは天地に満つるコトバの
広がりが輪状をなして広がり行き、球状宇宙をなし、蓮華蔵世界の形をなすのをいうの
である。その言葉の瓊矛を指しおろして掻き廻し宇宙が一中心に貫かれつつ回転せる
姿が『軍』の字である。世界は、『軍』によって立ち、軍によって運行する。『軍』とは法輪
の転ずる姿である。
されば勅諭には『我が国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある』と仰せられて
ある。皇軍は政府軍でも軍閥の軍でもない。すめらみことの軍である。世界を治(しろ)
しめし給うところのすめらみことの、み言(ことば)の延長が『軍』である、されば『朕』は
汝等軍人の大元帥なるぞ、されば朕は汝等を股肱と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎて
ぞ、その親しみは特に深かるべき』と勅諭に重ねて仰せられてあるのである。皇軍は
天皇の統率したまうところの股肱である。股肱は本体の延長であるから、皇軍は天皇
のみことのりの御延長と観るべきである。しかして天皇は宇宙の主宰神にして同時
に皇祖にましますところの天照大御神より地上統治の全権を委ねられ給いし方であらせ
られるから、地上における天照大御神の代表神位にましますのが、天皇であらせられ
る。その天皇が天照大御神の代表神位として現実世界の統治完成に是非必要なる、
天瓊矛たるが皇軍であるのである。だから勅諭には『夫れ兵馬の大権は、朕が統(す)
ぶる所なれば、其司司をこそ臣下には任すなれ、其大綱は朕親ら之れをとり、肯(あえ)
て臣下に委ぬべきものにあらず』と仰せ給うてあるのである。
三
天地に満つる法(のり)の法輪を根本法輪という。根本法輪とは天地に満つるコトバの
広がりが輪状をなして広がり行き、球状宇宙をなし、蓮華蔵世界の形をなすのをいうの
である。その言葉の瓊矛を指しおろして掻き廻し宇宙が一中心に貫かれつつ回転せる
姿が『軍』の字である。世界は、『軍』によって立ち、軍によって運行する。『軍』とは法輪
の転ずる姿である。
されば勅諭には『我が国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある』と仰せられて
ある。皇軍は政府軍でも軍閥の軍でもない。すめらみことの軍である。世界を治(しろ)
しめし給うところのすめらみことの、み言(ことば)の延長が『軍』である、されば『朕』は
汝等軍人の大元帥なるぞ、されば朕は汝等を股肱と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎて
ぞ、その親しみは特に深かるべき』と勅諭に重ねて仰せられてあるのである。皇軍は
天皇の統率したまうところの股肱である。股肱は本体の延長であるから、皇軍は天皇
のみことのりの御延長と観るべきである。しかして天皇は宇宙の主宰神にして同時
に皇祖にましますところの天照大御神より地上統治の全権を委ねられ給いし方であらせ
られるから、地上における天照大御神の代表神位にましますのが、天皇であらせられ
る。その天皇が天照大御神の代表神位として現実世界の統治完成に是非必要なる、
天瓊矛たるが皇軍であるのである。だから勅諭には『夫れ兵馬の大権は、朕が統(す)
ぶる所なれば、其司司をこそ臣下には任すなれ、其大綱は朕親ら之れをとり、肯(あえ)
て臣下に委ぬべきものにあらず』と仰せ給うてあるのである。
皇軍は宇宙創造生成化育完成の天瓊矛であるから天地の続く限り永遠に続くもので
ある。宇宙の中心にあって回転している大法輪が『軍』であるから、『軍』が確立しな
ければ宇宙が完全に成り立たぬのである。『軍』は法輪の鳴り立つ姿であり、『軍』の
うえに宇宙が支えられて回転する姿である。他国の軍は、各国相対立するが為に、
競い立ち争い立つための『軍』であるから、他国の『軍』はその軍備が拡張せられるに
従って戦争の危険は増す。しかるに日本の軍はすめらみことの大法輪の発現である
天瓊矛であるから、日本の軍はその軍備が完全になればなるほど、世界の国民は
皇軍の前に敬礼してその行いが正しくなり、悪を行うものが一人もいなくなるのである。
やがて理想世界が出現し、各国の軍備はやがて廃され、各国と各国とを境する国境
はやがてなくなり、世界が一国になって国々の軍を構える時が無くなろうとも、皇軍のみ
はすめらみことの宇宙創造の股肱として、永遠に存在するのである。
四
各国の軍隊は互に各国分立対立せる場合、自国を防衛するために存在するのである
から、防衛の必要がなくなれば廃止さるべきであるのは当然であるが、対立なくして自立
している皇軍は永遠の存在である。皇位には皇軍を伴い、皇位のあるところ皇軍が附随す
る。それは股肱であり延長であるからである。だから皇位の存する所に三種の神器は必ず
附随する。三種の神器中の『御剣』は『皇軍』をあらわしたものであって、皇位の存する
ところに必ず『御剣』があり、皇軍がいるのである。皇軍は勅諭に示し給うた通り
『すめらみことの股肱』である。真理に背き神意にもとり、すめらみことの中心に帰順せざ
る一切の迷妄(この迷妄あればこそ世界が不幸に喘いでいるのである)を破壊するとこ
ろの、迷妄破壊の神力の発動である。皇軍あるによって世界は初めて迷妄と真理とを
明快に裁断し得るのである。
五
草薙の神剣をもって象徴さるる皇軍は未だ嘗て侵略の戦争をしたことがないのであ
る。本来、宇宙にはただ一つ皇軍のみあるべきであって、更に他の軍はないが故に、
大国主命の軍、長膸彦の軍などというが如き軍は仮相軍であって本来存在しない軍で
あるが故に、皇軍の前には何等存在権を云すことが出来ないのである。手引岩を
手端にさげて来るとというほどに勇猛な建御名方神といえども若葦を取りひしぐ如く投
げ討つ事が出来るのが皇軍の威力である。皇軍に向うところ敵なく、若し刃向えば
それは虚妄仮相の姿であるから忽ち撃滅されるのである。
撃滅するのも、敵国を苦しめるためではない。敵国を大平和裡に幸福に実相楽土
そのままの世界に生活せしめんがためである。皇軍に敗れてその土地の住民が不幸
になった実例は未だ嘗てないのである。台湾でも満州でも青島でも皇軍の威力の及ぶ
ところ、その土地の住民は安寧に幸福に生活し得るのである。若しこれらの土地より
皇軍を退去せしめたならば、現在の楽土は忽ち支那軍閥その他の迷妄仮相の徒の
劫掠するところとなり、地獄が現じ、修羅場が現ずるのである。かくの如く、皇軍は
すめらみことの股肱として中心神位の擁護のための神軍であり、天軍であり、天使で
あるから、未だ嘗て利己的目的に兵を動かしたことはない。
すべて世界平和のために人類の幸福のためにのみ、すめらみことの軍隊は進軍する
のである。しかして皇軍の進軍のあるところ、必ずその後より平和は生れ、その地の住民
は幸福生活を送り得るようになるのである。
六
かくの如く皇軍は天祖の宇宙創造生成化育の武器たる天瓊矛の顕現であり、創世
(はじめ)にコトバありのコトバの進軍であり、宇宙根本の大法輪の顕現であり、その大
法輪なるコトバは皇軍に対しては勅諭をもって示されているのである。だから、皇軍は
形の上から見るならば一個々々の将士であり、それが編隊されて部隊となり総隊となり
旅団となり師団となっているけれども、それは形の上のことであって、皇軍の内容は畏
くもすめらみことの勅諭であるのである。勅諭にはすめらみことの大御心が充ち満ちて
いて、その勅諭のミコトバ、ミコトノリ、ミココロが皇軍の本質であるのである。その大御
心、大御敕の表現が皇軍として表現されているのである。だから皇軍軍人は召集され
て陸海兵役に服するとき勅諭を謹録せる軍隊手帳を身につけるのは、勅諭を自分の
腹の中に入れることであり、外形は一個の人間であるが、内容は勅諭の心となり勅諭
と一体になって生きるのである。だから陸海軍人はすめらみことのミコトノリの延長とし
て世界平和宇宙創造生成化育のことを言依させられし、すめらみことの股肱となり
天軍となり、神軍となり、天使となり、天瓊矛として世界秩序完成のために働くのであ
る。だから皇軍の行動は列国の賞嘆するが如く、謹厳であって、他国の軍隊に往々あ
るが如き掠奪を行うなどのことは決してないのである。神定の天軍としてただ世界の
平和と幸福とのために奉仕するのである。
かくの如く皇軍は、形は軍隊であり、その内容は勅諭であるが、その表示は軍旗をも
って代表せられる。軍旗は、ここにすめらみことの軍隊ありの表示としてすめらみことより
親授遊ばさるるのであるから、軍旗は神旗であり天皇の軍すなわち天皇の大神敕
(おおみことのり)の延長として、皇軍の将士自体に対しても、また対外的にも臨むので
ある。だから、軍旗の進むところ、天皇の大御敕の進軍であり、大真理の進軍であり
大法輪の進軍である。だから皇軍の将士は軍旗の前に肉体の生命を捨てることを鴻毛
の軽きに比するのは当然である。大真理の大御敕に融合することによって個我を没し
去るのである。大法輪、大生命に召されて行くことによって個生命を没し去るのである。
だから応召将士を送る時にも『万歳!』である。軍旗の前に個生命を捨てる時にも
『万歳!』である。凱旋して帰来する将士を歓迎する時にも『万歳!』である。『万歳』
とは『久遠の生命』ということである。『久遠の生命』とは天皇の大御敕であり、大真理で
あり、大生命であり、大法輪である――この大なる真理と一つになっているとき、肉体
は死するも生くるも共に万歳なのである。
七
皇軍の本質は宇宙創造の天瓊矛であり、その表示は軍旗を以って代表せられるが、
ひとりひとりの軍人はすめらみことの股肱である。股肱であるが故に一糸乱れざるとこ
ろの軍旗の下に活動するのである。軍紀は軍のノリである。何故軍にノリがあるかと
いうと、軍はすめらみことの大法輪であり、法はそれ自体に法(のり)であるから、軍
はそれ自体の中に紀(のり)を蔵するのである。皇軍の軍紀は他律的に権力者より
隷属者に押し付けられたる規則ではない。他国の軍隊の軍紀は権力者が統制の便宜
のために隷属者に押し付けた規則であるが皇軍の軍紀はそれとは全く異るのである。
一人一人の軍人に勅諭の示し給う如く畏くもすめらみことの股肱であるが故に決して
隷属者ではないのである。軍人が上官に絶対服従するのは上官に隷属するからでは
ない。圧迫による隷属ならば必ずや反発が生ずるのであるが、軍人は上官の命令
(コトバ)の中に、すめらみことのミコトバを視、みずからもすめらみことの股肱たる軍人
として自律的にどこまでも絶対にそれに服従せずにはいられないのである。ここに
皇軍の軍紀に絶対服従が徹底的に行われ、決して何らの反動を視ず何らの反発を
も見ないのである。『上官の命を承わること実は直に朕が命を承る義なりと心得よ』と
勅諭に仰せ給いしは決して規則を押し付けられる意味で仰せ給うたのではなく、皇軍の
本質上、軍人はすめらみことの股肱であり、宇宙の創化の大法輪を形成するところの
一つ一つの法輪であるが故に、その自然の本質として自律的にみずから進んで上官
に服従することを明瞭に大神敕の上に表現し給うたのであると拝し奉るべきである。
八
世界に軍は一つあるのが世界の理想形態であり、その唯一つの軍とは皇軍であり、
その唯一つの軍に統一せられずして各国互いに軍を擁して対抗している限り永久平和
の世界は来らず、永久幸福の人類世界は来らないのは当然のことである。およそ、
大は太陽系統から、小は物質分子の電子構造に至るまで、その中心は一つであること
によってのみ完全に統制がとれているのである。人間にも動物にも頭首は一つであり、
樹木の幹も一つである。地球上だけに頭首たるべき主権者が複数にあるのは、世界
秩序がまだ本物になっていないからである。だから世界秩序は現在の状態が次第に
崩壊して、世界はただ全世界一軍の理想に近付いて来るに相違ないのである。
全世界一軍の理想に近付くといっても、決して外国が自発的にその軍備を撤廃して、
ただ皇軍ひとつに世界の大法輪の中心統制を委すということにはまだ中々ならない
であろうから、ここに皇軍の威力を示さねばならぬ時期が来るのである。皇軍は威
力を示すといっても平和を楽しむその土地の住民に威嚇をあたえるのではない。皇
軍にまさる軍なきことを他の虚妄仮相の各国対立の軍に知らしめて、ついに軍とい
っては世界に『皇軍』のみあれば他に軍隊の必要なきことを知らしむるに到らしめ、
延いては地球上にただ一つの頭首があるべき宇宙理想に基いて一君万民の宇宙の実
相を実現せしむるに至らしめる働きが、この皇軍の使命であるのである。世界には
ただ皇軍のみが真の唯一の軍であり、他の軍隊は悉く虚妄仮相の似而非なる軍なる
ことをここに繰返して置く。
戦争の倫理的意義
私は『大自然が催し、大自然がはかろうて自分をその境遇にまで追い寄せた現在
の生活』を百パーセント完全に生きることが、生長の家の生き方であるといった。
この意味において『戦争』というものが吾々に課せられた場合には(現に課せられ
ているのであるが)それを完全に戦い抜くことが生長の家の生き方でなければなら
ないのである。今与えられた環境から飛出すところの出家道は、否応の選択が働く
のであるから、戦争というものは魂の修養にならないというような価値判断が作用
(はたら)いて、戦争忌避や、敗戦主義に捉えられるおそれがあるが、生長の家で
は出征する人にとっては戦場が直に魂の修養の道場となり、戦争が直に吾々の魂を
練るところの公案となるのである。
多くの人たちは戦争の悲惨な方面ばかり見ていて、その道徳的、宗教的意義を理
解しない。そして動もすれば戦争を忌避するのであるが、戦争は実に真剣な、否応
なしに左右をいわずに、ただひたすらに至上命令に従うところの激しき宗教的行事
なのである。しかも同時に、肉体の『無』を理屈でなしに実証するところの行事であ
る。かの天華の修行に天華の教祖渡辺薫美が修行者たる一婦人に課したところの
『千仭の谷へ、今跳べ!』の必至命令の如く、否やの選択を許さぬ絶対命令と同じこ
とである。『爆弾を抱いて、そのまま敵のトーチカに跳び込め!』これに対して、軍人
はただ『ハイ』と答えて跳び込むのである。宗教の修行においては、たとひ教祖の命
令通り跳び込まなくとも、『修行が足りない、まだ心境がそこまで達していない』位で
許されるだけに、それは修行の『型』をやっているだけである。また、そのその命令者
が教祖という個人である。しかし戦争においては否応はない、言葉通り肉体の生命
が放棄せられる。そして軍隊の命令者は天皇(すめらみこと)であって、肉体の放棄
と共に天皇の大御命令(おおみいのち)に帰一するのである。肉体の無と、大生命
への帰一とが、同時に完全融合して行われるところの最高の宗教的行事が戦争なの
である。戦争が地上に時として出て来るのは地上に生れた霊魂進化の一過程とし
て、それが戦地に赴くべき勇士たちにとっては耐え得られるところの最高の宗教的
行事であるからだと観じられる。
理念(かみのコトバ)の為の戦争のみ神聖戦争である
利権のための戦争は、利己主義の戦争であるが、理念(かみのコトバ)の為の戦争
は神聖戦争である。物質の人間の食物のためと、物質の国土のために戦うと考える
が如きは、この神聖なる戦争を利己主義の戦争だと思い違わすところの迷妄である
のである。吾々が戦争を是認しても好いのは、そんな利権の問題ではない。肉体な
る仮相の人間の私意を否定して、まっしぐらに天皇(すめらみこと)の御命令(おおみ
いのち)に帰一するところの一つの神聖なる宗教的行事として尊いのである。現象界
の理屈が整然と立ち、戦争に従事するのが利権擁護の為になるから天皇の御命令
に従うというのであれば、現象界の理屈や、利権というものと天皇の御命令とを相対
的に対立せしめ奉ることになって、若しその戦争が現象界の理屈(現象界の理屈は
どうにでも附けられるものであって、日本政府のいう所と、南京政府のいう所と、英国
政府等々のいうところとは必ずしも一致しない。)に合う場合は好いが合わぬ場合が
出て来たり、利権々々といって戦っていても、戦争の伴う犠牲の方が、得られる利権
よりも多いことになったりするならば、畏れ多いことながら、戦争せよと仰せ遊ばされ
る御命令に背き奉っても好いという様な不届者を生ずるようになるかも知れないので
ある。渡辺天華教祖の『この絶壁から跳べ!』という命令ですらも、跳んだらどういう
利権が得られるとか、千仭の絶壁から跳ぶということが現象界の理屈に合うから跳ぶ
というのは、本当の生命は把握せられぬ、現象界の理屈を絶し、利害を絶して、ただ
至上命令に従うというところに、そこに無我の極の極の、至上命令への帰一があり、
個我解脱の歓びがあり、死んでも好いという本当の自覚が出来る――それは形では
死に跳び込むように見えるが、実はより大なる宇宙生命に帰一することであるからで
ある。
「創価学会・立正佼成会 新興宗教の内幕」 三一書房 1979年発行
「生長の家は、戦争中に急成長した。その理由は、軍閥の長老辻村楠造陸軍中将を理
事長の椅子にすえ、天皇制賛美と戦争遂行に奔走するなど、積極的に国策に協力した
ことにある。満州にも進出し、「日の丸の進む所、どのような奥地にも進出していっ
た」とすらいわれたが、敗戦と同時に素早く教義を平和讃美、自由愛好に切りかえて
教勢を維持。その後国家神道復活の動きが激しくなるや、再び天皇崇拝と神道色を濃
厚にして、いまや右派系教団の中心的存在に返り咲いている。」
「まず、生長の家という教団の政治的特質を理解していただかなければならないが、
この教団の最大の特色は、その強烈なタカ派性、右派的思想性にある。靖国神社国営
化推進運動の中心的役割を担っていることは、すでに述べた通りである。生長の家は、
戦争遂行に協力した反省から戦後一時、平和、自由の賛美に方向転換した。アメリカ
で発達した精神分析、心身医学等を、積極的に教義にとりいれたりもした。しかし、
占領末期になると、朝鮮戦争の勃発を契機に、政治の反動化の波にのって再び、天皇
崇拝と国家主義を復活し、神道色を濃くしていった。さらに、一九六〇年の安保問題
を境にして、国家主義的傾向をますます露骨にしてきたのである。」
「現代日本の宗教問題」 朝日選書 1979年発行
<生長の家>
一九三〇(昭和五)年、大本教から分れた谷口雅春が開教した。既成の宗教思想、
観念論哲学、フロイト主義などを折衷したシンクレティズムの宗教で、出版物を
大々的に発行して誌友(信者)を獲得した。その教義は、宇宙を「生命の実相」で
あるとし、徹底した精神主義による内面の不安と現実の諸矛盾の解消を説いた。生長
の家の近代的なスタイルは、ファシズム下の知識層、棒給生活者層を広範にひきつけ、
谷口は天皇中心主義を鼓吹して戦争に協力した。敗戦後は戦争中の露骨な戦争讃美
を平和礼賛に切り換え人生苦の克服をよびかけた。朝鮮戦争勃発後、政治の反動化が
進むとともに、反共、天皇崇拝、排外的民族主義に立つ活発な運動を展開し、神道的
右翼的色彩を強くした。
「教祖」佐木秋夫 青木書店 1955年発行
中国への侵略と太平洋戦争のあいだ、生長の家の戦争協力はいちじるしく、そのた
めに谷口は戦後追放を受ける。彼は『古事記』講義などで日本の国体こそ「実相の世
界の顕現」で最高完全の組織であり、この国家が拡がることは実相の顕現がひろがる
ことにほかならず、「軍の進むところ宇宙の経綸が廻る」と論じて、「念波」の一斉
祈願で敵軍を圧迫するための光明念波連盟を結成したりした。どの教団でも戦争協力
がはげしかったが、なかでも谷口は最もファッショ的な『国体の本義』の天皇絶対化
がてぬるいといって文部大臣に公開状を送ったり、「戦費無限循環法」と称して軍事
紙幣の発行を建策したりした。インフレと共に生長していく生長の家では、いつもこ
の積極的インフレ支持論を唱えている。
女性の髪型にまで干渉を加えながら、その「大和撫子」を家庭から引き出して職場
動員しなければならない――そういう時に「花嫁学校」がはやったが、彼もいち早く
「家庭光明寮」を設けた。
大陸進出も顕著で、満州光明思想普及会というものができてきた。満鉄社員などの
あいだにかなりひろがっていた一燈園は、なかなか熱っぽいがいささか消極的だとい
って、生長の家を歓迎する面もあり、大連あたりで、一〇〇〇人もの聴講者を集めた
という。谷口自身、大陸に二回の講演旅行をやっている(一九四二、四四)。
工場への積極的な進出ぶりは特に注目しなければならない。中小経営のばあいが多
いが「ふしぎに能率があがり、病気欠勤が減り、消耗品やオシャカが減り、工員が移
動しない」などの効能があげられる。東京の日清紡では各室に『生長の家』誌を備え
て効果をあげたという。その効果とは何を意味するか。「非常時に労働争議を停止せ
しめ、反戦思想を抑圧」するのに「最も効果のあるのは光明思想である」(『生長の
家』一九三七・一〇、巻頭)。
「教祖」佐木秋夫 青木書店 1955年発行
戦後の“民主化”から
――逆コースをさらに通って「社会主義へ?」――
戦争の末期には、あれほど協力した生長の家も、用紙がとまり労働者をとられて、
一時は会社を日本興農社と変えて開拓などをやらなければならなかった。
敗戦後、会社は日本教文社として再出発(一九四六)、生長の家もはじめて法的に
既成宗教と平等の宗教団体(宗教法人「生長の家教団」)となった。谷口は追放に
なったが、ひとり娘の恵美子の二度目の婿に心理学科出身の荒地清超を迎えて教主と
し、形を整えた。雅春は教祖で、表面上は教団や会社の運営の外にあるが、「ワン・
マン独走」を自認している。著述や講演にきわめて多忙で、酒・煙草もとらず、活動
的な毎日を送っている。
敗戦の秋に、彼は「今や自由をえたり」と宣言し(『生長の家』四五・一一)、
「生長の家の教ほど平和愛好の教はない」のに、政府や軍の「用いるところとならず
して」敗戦を迎えてしまった。国民として戦争への「協力は当然」だが、行きすぎの
あったのは「仮面愛国者の恫喝を防ぐため、やむなく」やったことだ、と弁明した
(同一二)。追放になると(一九四八)、アメリカからハードマン博士というのをま
ねいて全国各地で講演をやらせた(一九四九)。この博士は二世などの追放解除請求
署名を多数あつめてもってきた。『甘露の法雨』の英訳をお守りにして助かった二世
などがいたのだという。しかし、解除工作は成功しなかった。
逆コースがはじまると、再軍備には「戸締り論」で賛成し、天皇の護持を強調し、
水爆問題では、反対の社会活動も結構だが、長崎では信者が奇跡的に助かった、など
といって、その政治的認識は、保守的傾向の中・小経営者にありがちのタイプを示し
てきた。それが最近は、社会主義や共産主義について理解を示すかのようなコトバも
しきりになってきた。しかし、それは理解というよりも、ごく初歩的な無理解あるい
は曲解というに近い。
「現代の新興宗教」戸川猪佐武 株式会社太陽 1976年発行
十二年(一九三七)に、日華事変が勃発 して、日本が軍国主義時代に突入したあと
――たいていの宗教団体もその存続をはかるた めに、カーキ色を帯びはじめたが、
谷口はより果敢、積極的だった。 「軍の進むところ、宇宙の経綸が廻る」といい、
念波の一斉祈願で敵軍を圧倒するとも称し、光明念波連盟を結成した。さらに、
「“国体の本義”(文部省発行、国民教化の本)は、天皇の絶対化が生ぬるい」と、
文相に公開状を送った。 天理教に負けじとばかり、大陸にも進出、満州光明思想
普及会をつくり、谷口みずからも二度ほど、講演におもむいた。
「非常時に労働争議を停止させ、反戦思想を抑圧するのに、光明思想は最も効果的」
と、 「生長の家」(十七年十月号)で論ずるほど―谷口の思想は激烈に右に寄った。
政界進出と愛国主義の旗印
二十年(一九四五)八月、敗戦の衝撃はどの宗教団体にとっても、大衝撃であった。
平和と自由、民主主義への転換、対応に、苦慮しなければならなかった。谷口は、その
十一月に、「いまや自由を得た。生長の家ほど、平和愛好の教えはない」と宣言した。
しかし、ここで見逃せないことは、これを機会として、谷口の言動に、二点の特色が
現われてくることである。
一つは、他の宗教団体にさきがけて、政界進出を発想し、その実践のスタートを切
った ことである。
もう一つは、それが歴然となるまでには、多少の時間を必要とするが、自由、民主
主義、 あるいは社会、共産主義などの戦後思潮に対して、日本主義、愛国主義の
“居直り”姿勢 をみせたことである。
「黒い宗教 その実態と悪の構図」石井岩重 AA出版株式会社1984年発行
ここで私がいいたいのは、谷口の一貫して変わらない体制順応主義、権力への迎合
ぶりである。昭和12年に日華事変が勃発して、日本が軍国主義時代に突入して行っ
たあとほとんどの宗教団体はその存続をはかるために、カーキ色を帯びはじめたが、
谷口はより急進的だった。国家が広がることは“実相”がひろがることで、「軍の
進むところ宇宙の経綸が廻る」と“念波”の一斉祈願で敵軍を圧迫するため、「光
明念波連盟」を結成し、天皇絶対化の度合が手ぬるいと文部大臣に公開状を送り、
谷口自身、満州を講演旅行して歩いた (「生長の家」『中公』二十九年十月号)。
「非常時に労働争議を停止させ、反戦思想を抑圧する」のに「最も効果のあるのは
光明思想である」(「生長の家」十七年十月号)と、 いやはや大変なタカ派ぶりで
ある。それはそれでかまわないし、ファシストなどというつもりはない。ところが、
である。敗戦後の谷口の態度はどう変わったか。「今や自由を得た。生長の家ほど、
平和愛好の教えはない」とこうだ。この臆面のなさはどうだ。恥ずかしくないので
あろうか。そして、それまでの国家主義的な色彩を極力払しょくし、急激にキリス
ト教的なものを強くうちだしている。それにもかかわらず、戦後しばらくして、追
放組が解除されて権力の座にカムバックするようになると、とたんにまた、日本主義、
愛国主義、反共主義をうちだしたのだ。このような節操のない人物をはたして信用し
ていいものだろうか。私が「生長の家」に対して抱く不信感は、以上のようなことに
強く裏打ちされている。
週刊文春1985年7月4日号
生長の家といえば、公称信者数三百万人を擁する新興宗教の雄だが、その創立者・
谷口雅春総裁が、このほど亡くなった。享年九十一の大往生である。
大正六年に大本教に入信。機関誌の編集にあたったが、大正十一年大本教を去った。
昭和四年、「物質はない、実相はある」との神示を受け、翌年個人雑誌「生長の家」
を創刊。人生苦の解決と病気快癒の体験で評判になり、多数の読者を獲得した。
昭和十年ごろには朝日新聞の第一面に大々的に広告を打ったので、年配の方なら、
ご記憶のムキもあるかも知れない。戦時中は天皇中心主義、軍国主義を鼓吹して信者
を増やしたが、終戦後は一転して自由と平和を唱える。講和後は再び右傾化。帝国
憲法への復帰、国家神道の復活、堕胎禁止を訴えた。戦後の右翼運動に、谷口氏は
精神的な支柱になったようで、山口二矢青年も、谷口氏の著作を読んでいた。
また三島由紀夫にも影響を与え、三島と共に市ヶ谷の自衛隊に突入した「楯の会」
の古賀、小賀の両青年は、生長の家の信者だった。さて、この谷口雅春氏をどう評価
するか。また生長の家の今後の路線は?「あの人は文学青年でしたから、初期の
ころの著作は大変ロマンチックで文章もうまかった。文学青年の段階でとまっていれ
ば評価できるんですが、その後ウルトラ国家主義路線を打ち出して来た。過激な右翼
青年を輩出した危険で有害な人だと思います。そういう路線は、私が考える本来の
宗教とはなじまない。普遍性を持ち得ないから民族宗教にとどまり、世界宗教たり
得ない。大きな路線変更はないと思いますが、教勢拡大のためには、ウルトラ国家
主義では布教しにくいので、やや手直しをするのではないでしょうか」
(宗教評論家・梅原正紀氏)
週刊文春1985年7月4日号
「終戦直後は社会党支持だった。考え方がくるくる変わるのが生長の家です。大宅壮一
が生長の家をデパート宗教と評しましたけど、仏教でもない、神道でもない、
キリスト教でもない。晩年は神道です。思想的にも左右にゆれる人なんですよ。
『君子は豹変する』と自分でも言っていますし。宗教界における清水幾太郎でしょう」
(宗教ジャーナリスト・清水雅人氏)
元「生長の家」幹部で現在は正法会という宗教法人の会長の園頭広周氏の見方は、
手きびしい。「だいたい、生長の家の教義はあいまいなんです。『生命の実相』のは
じめに『神殿はいらない』と書いてあるのに、宇治、長崎に神殿を作りました。
『賽銭の多寡によって人間が救われる、救われない、ということはない』とも書いて
あるのに、賽銭の多寡で評価が変わってるし、本を何冊売ったかで変わる。
私はそういう点を追及したんですが、意見を言う者はみんな辞めさせられたんです。
茶坊主が側近で機嫌をとってるんです。そういう連中の意見が組織を動かしている
のが現状です」
<事件後、王仁三郎が小山昇弁護士にたずねている。「お前、今度の大本事件の
意義はわかっているか」「一向、わかりません。実につまらぬ目にあわされたも
のでございますね」「そうじゃない。大事な神の経綸なのじゃ。この大本は、今
度の戦争にぜんぜん関係がなかったという証拠を神がお残し下さったのじゃ。戦
争の時には戦争に協力し、平和の時には平和を説くというような矛盾した宗教団
体では、世界平和の礎(いしずえ)にはならん。しかし、日本が戦争している時
に、日本の土地に生まれた者が戦争に協力せぬでは、国家も社会も承知せぬ。そ
れでは世界恒久平和という神の目的がつぶれますから、戦争に協力できぬ処へお
引き上げになったのが、今度の大本事件の一番大きな意義だ。これは大事なこと
だよ」>(『出口なお・王仁三郎の予言・確言』出口和明著・光書房)
出口王仁三郎
「その方(谷口雅春)は霊界物語の筆写までやつたぢやないか。直接の教示を受けながら、
分からぬとはさても困つた盲だな。駄目だ。二つ目には研究研究と口癖のやうに申す
が、お前のいふ研究は犬に灸だ。ワンワン吠え猛るばかりが能だ
お前は霊界の消息を洩らしたる仏教に対し尊敬帰依の心を捨て、なまじひに研究などと
申してかかるから、何にもつかめないのだ。霊界の幽遠微妙なる真理が、物質界の法則を
基礎として幾万年研究するとも解決のつく道理がない。しばらく理智を捨て、意志を専ら
として研究すれば、神の愛、仏の善、および信と真との光明がさして来るのだ。仏教がつ
まらないなどと感ずるのは、いはゆるお前の精神がつまらないからだ。仏の清きお姿がお
前の曇つた鏡に映らないからだ
人間の分際として仏の御精神を理解しようとするのが間違ひだ。仏は慈悲そのものだ、
至仁至愛の意味が分れば一切の経文が分つたのだ」
浅野和三郎
「あれ(谷口雅春)はわたしのもとの弟子だが、逆用したわけだね。民衆を迷わすという
ことです。やっているのは、般若経だろうがなんだろうがけっこうなものだという一つの
暗示によって左右されれば、それで統一ができてきますから治りますよ。なんでもいいの
だ。気合いをかけるのも同じだ。私には通知せず、こそこそやっている」
今井楳軒
「谷口には一時二柱の守護神の外に六柱、都合八柱の神々が守護し給うていたが、今日で
は既に一柱の守護神も見受けられない。今や神人は彼谷口の邪心と浅間しい野望に愛想を
つかしたのだ」
佐藤勝身
「先生(谷口雅春)は驚くべき言行不一致だ。乱離骨灰、それでいてなんら恥じるところ
がない」
五井昌久
「生長の家の教えのような過ちを、皆さんは二度としてはいけない!」
週刊現代1985年7月6日号
新興宗教「生長の家」の創設者、谷口雅春総裁が亡くなった。九十一歳という高齢であっ
た。長崎県西彼町の同教団総本山をたずねてみると、祭務部幹部が涙まじりに、「私たち
は、もうみんなふぬけです。総裁先生が亡くなられたことで虚脱状態、信徒は生きる気力
すら失った感じなのです。いったい、これから先、生長の家はどうなるのでしょう。
真っ暗ですよ……」と語っていた。
村上重良氏は「宗教者、教祖として多くの強味をもっていた谷口さんだが、弱点もたしか
にあった。とくに晩年は自分の理想どおりにいかなかったのではないか。
彼は文学青年から宗教に入った人、明治のロマンチシズムが底流にはある。天皇絶対の
明治憲法を美化して考えていたが、これなど戦後の日本文化の流れとは明らかにズレてい
ますね。教団の幹部との間でも、少しずつズレが生じてきた気もする。明治憲法の美化で
は、いかにも古色蒼然ですからね」
また小野泰博氏も、「谷口さんは神道中心のナショナリズムが強い人だった。宗教家とし
て一人ひとりの心を立て直そう、世の中を変えていくためには政治家を作り出さねばダメ
だ、と彼が“世直しと政治”を密接に結びつけて考えたのも事実です。果たしてこの考え
が彼自身の理想どおりにいったかどうか。結果はノウでしょう」
政治路線でいえば、靖国神社護持をふくむウルトラタカ派的な志向である。
果たして今後はどうなのか。宗教評論家梅原正紀氏は、早くも「生長の家」の変化を予測
している。
「谷口氏個人の主義主張はともかく、教団としては政治的なウルトラタカ派路線は軌道修
正されるでしょう。憲法改正をいうと信者が伸びないとなれば、信者獲得のためにタカの
ツメを切らねばならないことも考えられますから。生長の家政治連盟も二年前に解散状態
なのです。」
週刊現代1985年7月6日号
谷口雅春氏亡きあと「生長の家」にどんな変化が起きるのだろうか。次期総裁には雅春
・輝子夫妻の娘ムコ、谷口清超氏が既に決定している。輝子未亡人はさしずめゴッドマザ
ー的存在である。ちなみに輝子さんは大正九年、大本教の出版局長、今井楳軒氏の媒酌に
よって雅春氏と結婚した人。もちろん当時は大本教の信者だった女性だ。
宗教ジャーナリスト清水雅人氏が予想する――。
「清超氏は初代が生存中から教団の実務、運営を担っていたのだから、いますぐにお家
騒動のような紛争にはならないだろうが、心配なのは雅春氏には強烈なカリスマ性があっ
たことですね。カリスマ性まで二代目が“代役”できるかとなると、それはできない。
これまでの運営でも生長の家では白鳩会の力が絶大だった。白鳩会の実務は清超氏がやっ
てきたのだが、実は初代夫妻の娘、恵美子さんが実権をもっている。つまり背後にいる
ゴッドマザー輝子さん=恵美子さんと連る“女権教団”の色彩がつよいのです」
さらに元教団幹部で現在は「正法会」会長園頭広周氏はこうまでいうのだ。
「生長の家は教義で祭壇はいらない、お賽銭もいらないとしているが、大本殿建築で献
金にランクはつけたし、立教の原点からみて疑問や矛盾をかかえているのです。
矛盾に気づいて脱会する信者もかなりの数にのぼっている。つい最近も鹿児島の信者に
“反乱”があったし、本部への反感はいまなおくすぶり続けています。宗教産業に堕して
いるという批判ですね」
週刊ポスト昭和五十六年九月二十五日号
●宗教法人とは何か!六大教団の真意を問う直撃アンケート
Q解散する際、財産処分はどのようにして行なうのか
A
○創価学会
役員会を開いて、その議決にまかせることになります
○天理教
すべて国に帰属する、というふうに決まっています
○立正佼成会
決まった処分方法はありません。ですからその場合は、裁判所に処分をまかせること
になります
○PL教団
すべて会員に帰属することになっており、その処分方法は役員を交えた理事会で決議
します
○生長の家
すべて国に帰属することになっています
○霊友会
考えてません。そもそも解散なんて考えたことがありません
575 :
名無しさん@3周年:04/04/15 02:22
Q教主は一日何時間、宗教活動を行なうのか
A
○創価学会
睡眠、食事といったプライベートな時間を省いた、ほとんどの時間を宗教活動に費や
しています
○天理教
食事をしたり、リラックスしたり、という時間を省いたほとんどの時間を宗教活動に
費やしています
○立正佼成会
会長の一挙手一投足が、宗教活動ですからね、宗教抜きの時間なんて考えられません。
たとえば、ゴルフの時でも説教しながら回っているんです。二十四時間すべてが、宗
教活動です
○PL教団
二十四時間奉仕する、という自覚に立って活動しています
○生長の家
総裁先生の存在そのものが、宗教活動ですから、二十四時間です。総裁先生が、どこ
かで見ているのではないか、という気持ちが、すべての信者を正しい方へと、絶えず
導いているのですから一分一秒の休みもなく宗教活動をしてることになります
○霊友会
久保継成会長が、おっしゃるには十二時間ぐらいとのことです
Qなぜ教主は、無報酬ではないのか、また報酬の額はいくらか
A
○創価学会
専従役員として学会の業務に携わっているからです。金額に関しては、特にお答えし
ていません
○天理教
いわゆる報酬というものはありません。ただ、地方の教会で講演した際に教会から出
される“御礼”(謝礼)で生活をしています。金額に関してはわかりません
○立正佼成会
霞を食って生きているわけじゃないんですからね、報酬は当然でしょう。また、報酬
の額ですが、そこまで協力する義務もないと思いますね
○PL教団
無報酬では食っていけないでしょう。昔なら托鉢で生活できたでしょうが、今の世の
中では無理です。また、金額は平均的生活にみあう程度です
○生長の家
わたしどもの総裁先生は無報酬です。先生は本をたくさんお書きですから、その印税
で生活されています
○霊友会
同じく会長がおっしゃるには、もらわないと生活ができない、とのことです。また、
金額は月額八十五万円です
Q宗教者も生活を考えるべきだと思うか
A
○創価学会
そもそも信仰と生活は密接なもの。切り離して考えられるものではありません。信心
即生活です
○天理教
考える必要はないと思います。天理教の教えには「貧に落ちきれ」という言葉もある
くらいです。また、生活のことに心を裂かれていたのでは十分な活動もできません
○立正佼成会
宗教者といえど、子どもの教育も地域との付き合いもある。生活を考えて当然でしょ
う。生活を考えないで、やっていける方法があるなら教えてもらいたいですよ。
○PL教団
昔と今とでは、時代が違いますからね、考えて当然だと思います。托鉢ではやってい
けませんよ。
○生長の家
日本人の大半が中流意識を持っているといわれる現在、そういう人達にも理解できる
宗教でないと意味ないと思います。それには生活を考えたうえでの布教が当然です
○霊友会
会長は、考えるべきだ、といっています
Q教主は、信者を救うために、財産・身分をなげうつこともあるか
A
○創価学会
信者を蘇生させるためには、信仰の次元において最大の努力をつくしたい、と考えて
います
○天理教
事と次第によってはありえます。しかし、大切なことは、誠真実の教えを説くことです
○立正佼成会
会長は、人類のために、すでにすべてをなげうっています
○PL教団
教団を作る時点で、信者のためにすべてを捧げてあります
○生長の家
そもそも総裁先生は、個人財産を全く持っていませんから……。ただ、お体は日本国
民のためにすでになげうっています
○霊友会
会長がおっしゃるには、ありません、とのことです
Q宗教とは何か
A
○創価学会
生命の尊厳に基づいて、全体平和の確立を説いているものです
○天理教
よふき(陽気の意)ぐらしを目標とし、誠真実の教えに従い生きていくことです
○立正佼成会
物の見方を、自己中心から相手中心に変えることです。そして、全体のために
なることであれば、小我を捨てて行動する。みんなのために働くということです
○PL教団
神に因ったあり方を、教祖の悟りに基づいて教義教理として関与しているもの
○生長の家
人間は神の子であるという理解を深めることです
○霊友会
会長がおっしゃるには、自己変革、とのことです
『宗教悪をくじく』 昭和十二年三月二日発行 野依秀市
「生長の家」の人間観批判
我が「浄土眞宗」において「罪悪深の重凡夫」とか、「小慈小悲もなき身」とかい
うのがいけないというのである。
『「生命の実相」の解説』の中には
『「生長の家」は人類を讃嘆し讃美するために生れたのです。今の世界にはあまりに
人類を侮辱する言葉が多すぎる。新聞を見ると人殺しや、夫婦喧嘩や泥棒の記事は大袈
裟に出ていて、親孝行をしたというようなことは小さく出ている。夫婦仲が好いなどと
いうことは少しも出ていない。善い事は言葉に現わさないで、悪いことばかり大袈裟に
書いてある。――これは言葉の力で人類を暗黒化しようという働きも同然であります。
この人類暗黒化運動に反抗して決然起ったのが『生長の家』の人類光明化運動なのです』
と言っている。
これは一応もっともなことであって、新聞が兎角善いことよりも悪いことの方を余計
に掲げる傾向のあるのは事実である。
人間には、善いことをするのは当然である、悪いことをするのは好ましくない、とい
う心理があるので、それがやがて新聞の上にも現われるのであって、一面からいえば、
それはそういう悪い真似をしたくない、こういう悪いこともあるということを知って、
注意するようになると考えられる。したがって、それは人間のありのままの姿を書いた
のであって、何も人類を侮辱するものではない。
しかるにこれを「言葉の力で人類を暗黒化しようという働きも同然であります」とい
っているのは、実に思わざるの甚だしきものである。
こうした社会の実相を知らせなければ、それに対する対策も考えられないか
ら、夫婦喧嘩や人殺しや泥棒などという好ましからぬ記事が出るのも無意義なことでは
ない。
衛生思想が発達して社会から病気を少くし、人類の寿命を長くするというのも、ここ
に黴菌がいる、こういうものを食ってはならぬ、ということを知らせればこそ衛生思想
が普及し、人類の保健が保たれるのではないか。
こういう意味からいって、人間の悪い方面は言わずに、善い方面ばかりをいうことは
不具であって、それでは人間の真実の姿を知らせることは出来ないことになる。人間を
改善することも不可能になってくる。
「生長の家」がこういう方面のことを非難して「人類暗黒化運動に反抗して決然起った
のが『生長の家』の人類光明化運動なのです」といっているのは全く見当違いであって、
それは単に独りよがりに過ぎないものである。
この「罪悪深重の凡夫」ということは偽らざる人間の事実である。もとより一面におい
ては人間如何にも麗しい心持になる時もあるけれども、その反面においては実に見苦し
く親にも兄弟にも妻女にも言われないような恥ずかしい心持の起る時もありはしない
か。私にはしばしばそうした心持が起って来る。勿論親鸞聖人にもあったのである。
道徳心の低い時にはそうした自己の醜い姿、罪悪というものに気がつかないが、
道徳心がだんだん向上して来るにしたがって、道徳の標準が違って来るから、自己の
浅ましい心、醜い姿というものが自然に分って来るわけである。そうすると、なるほ
ど自分は「罪悪深重の凡夫」であったということに思わず知らず気づくのである。
たとえていうならば、百万円の財産を目標として働いている者が、千円や二千円
儲けたのでは殆ど問題にならぬ。それも二十代から百万円を志望して、その時既に
千円、二千円という儲けた金があるのならば、まだ先も長いし、これからだという
気持にもなろうが、その百万円の志望者が五十歳、六十歳、七十歳になって一万か
二万の金を儲けたのではいうに足らないから、金持ちになったような気持はしない。
それと同じように、道徳心の低いものは自分の罪悪に気がつかない。浅ましい姿が
分らない。そういうものに向って「罪悪深重の凡夫」などというと、一体自分の何処
が悪いのか、親鸞聖人はやたらに火宅無常の世界だとか、凡夫の迷心だとか、小慈小
悲もなき身とか余計なことをいったものだ、という気が起って来るものである。
私もかつて信仰に入る前にはそういう気持が起ったことがある。いやに悲観たらし
く「火宅無常の世界」などということが癪に触ってならなかった時代もあったが、信仰
に入って後に反省して見ると、なるほど罪悪深重の凡夫であるということがつくづく
感じられた。
そして又、地獄行の凡夫であるなぞ言われたりすると、地獄なんかあってたまるも
んかと思った時代もあったが、真に自己の罪悪がわかるようになると、地獄があると
かないとかそんな馬鹿なことが言えるものか、それよりも、自分自身が地獄へ行かねば
ならぬ人間ではないかということが分って来るのである。そこには、もう地獄の有無
なんか問題にならぬのである。
我々の罪悪感、我々の信仰ぶりを「生長の家」の谷口氏はどう思われるであろうか。
もう一度考え直してもらいたいものだと思う。
生長の家批判 危険な天皇への帰一 松田勝承 S54年3月発行
私の論駁の対象は、天皇制、神格化した天皇であり、天皇個人ではないということ、
従って、三島由紀夫氏のいうような理念としての天皇、あるいは政治に関与する天皇
には断固として反対するが、他の宗教と同じ資格に於ける「天皇教」の廃止を主張す
るものではない。
「お母様!!
愈々私達女性も、学徒看護隊として出動出来ますことを、心から喜んで居ります。
お母様も喜んで下さい。
私は、『皇国は……』の信念に燃え、生き伸びて来ました。軍部と協力して働くの
は、何時の日かと待って居りました。愈々それが私達に報いられたのです。何と私達
は幸福でしよう。大君に帰一し奉るに当って、私達はもっともいい機会を与えられま
した。今働かねば何時働きますか。しっかりやる心算で居ります。」
これは、一ひめゆり学徒の遺書であるが、ここに、<大君に帰一し奉る>とあるよ
うに、彼女らにとっての本尊は天皇であった。
私は、ひめゆりの学徒らが自分達の理想、主義、主張のために身命を投げうったそ
のこと自体を責める気はない。むしろ一種の敬意を表せざるにはおれない。問題は、
身命を賭すべき対象、すなわち本尊が何であるかということである。昔の武士のよう
に忠義のため、あるいは名誉、恥のため命を投げるか。あるいは正義、真理のため命
を投げるか、おのおの身命を投ずる対象によって、その結果は異なってくる。
仏教には本尊を治罰するという言葉がある。日蓮はこのことについて次のように述
べている。
「蘇悉地経に云く、『本尊を治罰すること、鬼魁を治するが如し』等云云。文の心
は、経文の如く所願を成ぜんが為に、数年が間法を修行するに成就せざれば、本尊を
或は縛り、或は打ちなんどせよと説かれて候。相応和尚の不動明王を縛りけるは、
此の経文を見たりけるか。此は他事には似るべからず。日本国の一切の善人は、或は
戒を持ち、或は布施を行じ、或は父母等の孝養のために寺塔を建立し、或は成仏得道
の為に妻子を養ふべき財を止めて、諸僧に供養をなし候に、諸僧謗法の者たる故に、
謀反の者を知らずして宿したるが如く、不幸の者に契りをなせるが如く、今生には災
難を招き、後生も悪道に堕ち候べきを扶けんとする身なり。而るを日本国の守護の善
神等彼等に興して、正法の敵となる故に、此を責むるは経文の如し道理に任せたり。」
(諌暁八幡抄)
命を与えるということほど最高の奉仕はない。そのことは、日蓮、キリスト等の聖
人が口をそろえて言っている。今次大戦に於て、沖縄は、天皇のためにといって、約
三分の一の尊き命を犠牲にしている。しかるにその結果はどうか。大田昌秀氏が「醜
い日本人」でのべているように、あたかも幸徳秋水の予言の如くである。故に、沖縄
にとって、本尊を治罰するとは、本尊としての天皇を治罰するということにほかなら
ない。
生長の家総裁谷口雅春は、戦時中の軍国主義への協力を反省することなく、むしろ
A級戦犯であったことを誇るが如く、天皇の御本質についてと題し、次のように説いて
いる。「天皇への帰一の道すなわち忠なり、忠は天皇より出でて天皇に帰るなり。天
皇は一なり。ハジメなり。一切のもの天皇より流れ出て天皇に帰るなり。わが『忠』、
わたくしの『忠』、我輩の『忠』などと云ひて、『我』を鼻にかける『忠』はニセモ
ノなり。私なきが『忠』なり。
天皇は天照大御神と一体なり。天照大御神は、天之御中主神と一体なり。斯くして
天皇はすべての渾てにまします。『忠』の本源は天之御中主神の『御中』の理念より
発して再び天之御中主神に復帰するなり。天皇を仰ぎ、天皇に帰一し、私なきが『忠』
なり。わが『忠』と誇るとき、もうそれは『忠』にあらず、『我』となるなり。……
わたくしの『生命』を愛護する勿れ。『生命』が尊きは天皇の大御いのちの流れで
あり、岐れであるが故に尊きなり。寸時も、『天皇のみたまのふゆ』なることを忘るべ
からず。『天皇のみたまのふゆ』なることを忘れるとき、人は悪逆無道の迷妄の徒と
なるなり。」
以上の言葉を繰返し、繰返し朗読し黙読し、朗読し黙読せられよ。必ずインスピレ
ーション的に愛国心が涌き出て、日本精神が泉み出で、日本に生を受けたありがたさ
がわかって来るにちがいないのである。(続占領憲法下の日本)
この言葉が、一老人の懐古趣味より出たのであればたいして問題はない。問題は、
三島由紀夫氏に代表されるこのような反動思想の持主が現在の日本にもまだ少なくな
いという事実である。歴史は繰返す。その元凶を根絶しない限り。
天皇とは何か。天照大御神とは何か。日蓮仏教はこの問題にどう答えるか。
世間では、田中智学等の軍部の追従者の歪曲解釈のために、誤解されている傾向があ
るが、日蓮は決して天皇追従者ではなかった。
日蓮にとって、天皇、あるいは天照大神とは、寿量の仏に従うべき存在であり。
天照大神は日本という小国の守護神であり、天皇は印度、中国等の王と同じく日本とい
う国の一王にすぎない。神国王御書には次のようにある。
「仏と申すは三界の国主たる大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・
諸王の師なり、主なり、親なり、三界の諸王は皆此の釈迦仏より分ち給ひいて、諸国
の総領別等の主となし給へり。」
「神と申すは又国国の国主等の崩去し給へるを生身の如くあがめ給ふ。これ又国王
国人の為の父母なり、主君なり、師匠なり。」
また、日眼女造立釈迦仏供養の事には次のように書いている。
「――天照大神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば教主釈尊は天の一
月、諸仏菩薩等は万水に浮べる影なり。」
従って、天照大神・八幡大菩薩等の諸天善神は、日本国を、そして法華経の行者を
守護すべき義務があり、天皇は人民をよく統治し、守るべき義務がある。(ただし
人王は百代にかぎられる)故に、これに反すれば治罰が加えられるのである。このこ
とについて、日蓮はさらに次のように述べている。
「日蓮天に向って声を挙げて申さぐ、法華経の序品を拝見し奉れば、梵釈と日月と
四天と竜王と阿修羅と二界八番の衆と無量の国土の諸人と、集会し給ひたりし時、
已今当に第一の説を聞きし時、我とも雪山童子の如く身を供養し、薬王菩薩の如く臂
をも焼かんと思ひしに、教主釈尊・多宝・十方の諸仏の御前にして、『今仏前に於
て自ら誓言を説け』諌暁し給ひしかば、幸に順風を得て、『世尊の勅の如く当に具に
奉行すべし』と、二処三会の衆一同に大音声を放ちて、誓ひ給ひしは如何があるべき。』
(神国王御書)
「或る経の中に、『仏此の世界と他方の世界との梵・釈・日月・四天・竜神等を集
めて、我が正像末の持戒破戒無戒等の弟子等を、第六天の魔王・悪鬼神等が、人王人
民の身に入りて悩乱せんを、見ながら聞きならが治罰せずして須更も過すならば、必ず
梵釈等の使をして、四天王に仰せ付けて治罰を加ふべし。若し氏神治罰を加えずば、
梵釈・四天王も守護神に治罰を加ふべし。
梵釈又かくの如し。梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし。若し
然らずば、三世の諸仏の出世に漏れ、永く梵釈等の位を失ひいて、無限大城に沈むべし』
と、釈迦・多宝・十方の諸仏の御前にして、起請を書き置かれたり。今之を安ずるに、
日本小国の王となり神となり給ふは、小乗には三賢の菩薩、大乗には十信、法華には
名字。五品には菩薩なり。何なる氏神ありて無尽の功徳を修すとも、法華経の名字を
聞かず、一念三千の観法を守護せずんば、退位の菩薩と成りて、永く無間大城に沈み
候べし。」(諌暁八幡抄)
従って、いにしえの約束に反し、我々を守護しない場合には、天皇、八幡大菩薩、
天照大神であろうとも責めてさしつかえない。日蓮はそのことを実行している。
「さて十二日の夜、武蔵守殿の御預りにて、夜半に及んで頸を切らんとす。鎌倉を
出でしに、若宮の小路に打ち出で、四方に兵者打包みてありしかども、日蓮云く、
各々騒がせ給ふな、別の事はなし。八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて、馬より
さし下りて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か、和気清麿が頸を刎ね
られんとせし時は、長一丈の月と顕はれさせ給ひ、伝教大師の法華経を講じさせ給ひ
し時は、紫の袈裟を御布施に授けさせ給ひき。今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。
其の上身に一分の過ちなし、日本国の一切衆生の法華経を謗して、無間大城に堕つべ
きを助けんが為に申す法門なり。又大蒙古国より此の国を責むるならば、天照太神・
正八幡とても安穏におはすべきか。其の上釈迦仏法華経を説き給ひしかば、多宝仏十
方の諸仏菩薩集まりて、日と日と、月と月と、星と星と、鏡と鏡とを並べたるが如く
なりし時、無量の諸天竝びに天笠・漢土・日本国等の善神聖人集まりたりし時、各々
法華経の行者に疎略なるまじき由の誓状まいらせよと責められしかば、一一に御誓状
を立てられしぞかし。さるにては日蓮が申すまでもなし。急ぎ急ぎこそ誓状の宿願を
遂げさせ給ふべきに、何に此の処には落ち合せ給はぬぞと高高と申す。
さて最後には日蓮の今夜頸切られて霊山浄土へ参りてあらん時は、まず天照太神・
正八幡こそ起請を用ひぬ神にて候ひけれど、さしきりて教主釈尊に申上げ候はんずる
ぞ、痛しとおぼさば急ぎ急ぎ御計らひあるべしとてまた馬に乗りぬ。」
(種種御振舞御書)
天照太神等の諸天善神、ならびに天皇は、われわれを守護せんがためにあるといえ
ば、それでは天皇制の存在を認めているのではないかと思われるかも知れない。しか
し、日蓮は天皇による国の統治は百代に限られるとし、現代に於ける天皇制を否定し
ている。
「国主をたづぬれば、神世十二代は天神七代地神五代なり、天神七代の第一は国常
立尊乃至・第七代は伊装諾尊男なり、伊装冊尊妻なり、地神五代の第一は天照太神、
伊勢太神宮日の神是なりいざなぎいざなみの御女なり、乃至第五は彦波歛武顱鷲草葦
不合尊・此の神は第四のひこほの御子なり、母は竜の女なり。已上地神五代・已上十
二代は神世なり、人王は大体百代なるべきか」(神国王御書)
第百代の天皇とは一三九二年に即位された後小松天皇である。従って天皇制は後小
松天皇で終るべきであった。何故なら百代以後は諸天善神の守護が及ばないからであ
る。
また百代の王でも諸天善神の守護は正直の王、よき政治を行なう王に限られる。
「平城天皇の御宇に、八幡大菩薩の御託宣に云く、『我はこれ日本の鎮守八幡大菩
薩なり。百王を守護せん誓願あり』等云云。今云く、人王八十一・二代隠岐の法王、
三・四・五の諸王已に破られ畢んぬ。残んの二十余代も今捨て畢んぬ。已に此の願破
るるが如し。日蓮料簡して云く、百王を守護せんといふは、正直の王百人を守護せん
と誓ひ給ふ、八幡の御誓願に云く、『正直の人の頂を以て栖と為し、詔曲の人の心を
以て亭とせず』等云云。」(諌暁八幡抄)
一三九二年といえば、末法に入っている。日蓮は末法の世について次のように述べ
ている。
「末代の有様を仏の説かせ給ひて候には、濁世には聖人も居し難し。大火の中の石
の如し。且らくはこらふるやうなれども終には焼け摧けて灰となる、賢人も五常は口
に説いて、身には振舞い難しと見えて候ぞ。」(四条抄)
「常さまには世末になり候へば聖人賢人も皆隠れ、只讒人侫人和讒曲理の者のみこ
そ国には充満すべしと見えて候へば水少くなれば池さわがしく、風吹けば大海静かな
らず、代末になり候へば早魃疫癘大雨大風吹き重なり候へば、広き心も狭くなり、道
心ある人も邪見になるとこそ見えて候へ。されば他人はさて置きぬ、父母と夫妻と兄
弟と諍ふこと、猟師と鹿と猫と鼠と鷹と雉との如しと見えて候。」(兵衛志殿御書)
生長の家の谷口雅春のような天皇を戦前のように、国家の元首にもってゆこうとす
る時代錯誤的考えは、天皇を敬うといえどもかえって天皇を亡ぼす結果になるといえ
る。何故ならもし谷口雅春の主張するように、明治憲法を復活させるならば、日本は
再び軍国主義の道を歩み、亡国は必定となるからである。そして天皇は、隠岐の法王
あるいは安徳天皇のような運命を余儀なくされることになろう。そのこと妙法の明鏡
に照らし疑いない。
国民の多くを、中でも沖縄においては県民の約三分の一を犠牲にし、また再び同じ
道を繰り返そうとするならば、寿量の仏これを許さず、日本の守護神天照太神、八幡
大菩薩もろとも天皇に天誅を加えるでろう。
「今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して、天火に焼かれ給ひぬるか。例せば秦
の始皇の先祖襄王と申せし王、神となりて始皇等を守護し給ひし程に、秦の始皇大慢
をなして三皇五帝の墳典を焼き、三聖の孝経等を失ひしかば、沛公と申す人、剣をも
て大蛇を切り死しぬ、秦公の氏神是なり。
其の後秦代程なく亡び候ひぬ。此も亦斯の如し、安芸国巌島の大明神は平家の氏神
なり。平家を驕らせし失口、伊勢太神宮。八幡等に神打ちに打失はれて、其の後平家
程なく亡び候ひぬ」(諌暁八幡抄)
従って、天皇に現憲法で規定されている以上の権利を与えてはならないことは明白
である。
またそのことは、自民党反動勢力にもいえよう。すなはち、戦前、戦中の日本軍国
主義の犯した誤りを反省することなく、日本国憲法をおしつけ憲法といい、憲法改悪、
軍国主義復活という道を歩むならば、あたかも秦の始皇帝の大慢を恕り、沛公という
人が始皇の氏神である大蛇を切り殺したように、憂国の士は黙っていないであろう。
もし憂国の士これをなさねば、寿量の仏外国の士に申しつけ、そのことを果たさせる
であろう。
「梵釈等の使をして四天王に仰せつけて治罰を加うべし、若し氏神・治罰を加えず
ば梵釈・四天等も守護神治罰を加うべし梵釈又かくのごとし、」(諌暁八幡抄)
日本の天皇は谷口雅春が主張するように、絶対的では決してない。日蓮はこのこと
について、次のように述べている。
「八幡大菩薩は応神天王・小国の王なり、阿闍世王は摩竭大国の大王なり、天と人
と王と民との勝劣なり、而れども阿闍世王・猶釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給い
ぬ、八幡大菩薩いかでか其の科を脱るべき、去ぬる文永十一年に大蒙古よりよせて日
本国の兵を多くほろぼすのみならず八幡の宮殿すでにやかれぬ、其の時何ぞ彼の国の
兵を罰し給はざるや、まさに知るべし彼の国の大王は此の国の神に勝れたる事あきら
けし。」(諌暁八幡抄)
まさに、大二次世界大戦の結果はこの言葉どおりなっている。
ああ、仏眼恐るべし、真に平和を望むならば妙法に帰依し、謗法を責むべし。その
ことがもっとも平和への近道であることは明瞭である。
沖縄の人達が、久米島で起ったスパイ容疑による虐殺事件の犯人と思われる鹿山氏をす
るどく責めているが、しかし最も責めらるべきは鹿山氏をあのような残虐行為に走らせ
た戦争の元凶帝国主義であり、これに便乗させられた皇民化思想ではないか。極悪人
はほかにいる。あくなき搾取で巨万の富をなし、金のためなら何でもやりかねない資本
家、死の商人達、明治憲法を復活させ、再軍備をもくろみ、皇民化思想の普及に奔走し
ている谷口雅春等の反動思想家達である。鹿山氏はその枝葉にすぎない。見方によって
は戦争犠牲者ともいえる。従って、戦争を本当に拒絶したければ、謗法の者を責め、源
を絶つべしである。
生長の家が沖縄問題について、どのように考えているかごらんにいれよう。
「―ところが沖縄は、実際に日本がアメリカに対して宣戦布告をしハワイの真珠湾
に先制攻撃を加え、アメリカに非常な損害を与えて、ついに日本は敗れた結果、戦勝国
なるアメリカが東洋の安定を得る必要なる拠点として、日本に領土の潜在主権をみとめ
ながら、必要なる期間、施政権をもっているというだけであって、アメリカは日本が戦
争中に彼に与えたる損害に対して賠償金ひとつ要求しないで、旧敵国に対して寛容にも
ガリオア資金という名で食糧を供給し、エロア資金という名で産業復興資金を貸してく
れたので、その結果、日本人の一千万人は餓死するはずであったのが死を免れ、経済復
興めざましてく、神武景気、天之岩戸景気、イザナミ景気、昭和元禄と、なかばその繁
栄の弊害を自嘲するような掛け声まできかれるほどに復興して来たのである。」(谷口
雅春著「占領憲法下の日本」)
この沖縄不在の本土エゴイズムまるだしの言葉には天照太神、八幡大菩薩すら目をそ
むけざるを得ないであろう。何故なら八幡の御誓願に「正直の人の頂を以て栖と為し、
詔曲の人の心を以て亭ず」とあるからである。これらの言葉を平気でなす人を詔曲の心
の人といわずして、どこに心詔曲の人があろうか。
更に谷口雅春は、沖縄はなぜ祖国復帰を願うかと題し、次のように述べる。
「『戦争がどんなにあっても祖国がほしい、国家がほしい』というのが民族感情なの
である。沖縄県民たちは大東亜戦争で、日本国家の一部であったが故に、艦砲射撃や、
空爆や、火焔放射器などの攻撃を受け、地形が変更し、山野がことごとく坊主になるほ
どいためつけられ、幾十万という同胞がそのために戦死したのであるけれども、そのよ
うな被害を受けつつも『日本という祖国国家があったのでこの被害を受けたのだから、
もう国家はいらぬ』などという沖縄県民はひとりもいないのであって、日本国家に復帰
することを無上の願いとしているのである。国家を求める民族感情は『個人の利害』を
越えた深い民族の魂の底から発する叫びなのである。」(続占領憲法下の日本)
592 :
名無しさん@3周年:04/04/15 04:11
ここに、いわゆる沖縄の心を知らない典型がある。沖縄県民が望んだのは日本国憲法
下への復帰であって、天皇制国家、明治憲法下への復帰ではない。谷口雅春は、再び沖
縄の青少年にひめゆりの学徒らと同じ遺書を書かせるつもりなのか。沖縄の復帰運動の
理念は基本的人権の回復、反戦平和にある。明治憲法を復活させ、再び絶対的天皇制国
家にでもなれば、これらが実現できるとでもいうのか。何が人間神の子だ、何が人間仏
の子だ。
見よ、骨肉あいはむ凄惨な渡嘉敷島の集団自決を。見よ、久米島における悲惨なスパ
イ容疑処刑事件を。見よ、今尚、天を見あげ、戦犯をのろうている白骨(シャレコーベ)
を。思え、あとかたもなく消え去った貴重な文化財を。ああ、筆舌につくし難いこの惨
禍、これでもなお皇軍を復活させるつもりか。
まさに第六天の魔王谷口雅春の身に入りて善師を悪師となす。「毒気侵入失本心故」
「悪鬼入其身」とはこのことか。
三島由紀夫氏は、谷口雅春著「占領憲法下の日本」に<本書に寄せる>という一文を
書き、次のように述べている。
「つい先頃も、『生長の家』の信仰を抱く二三の学生が私の自衛隊入隊の群に加はっ
たので、親しく接する機会を得た。かれらは皆、明るく、真摯で、正直で、人柄がよく、
しかも闘志にみちみちた、現代稀に見る好青年ばかりであった。
そして、『もし日本に共産革命が起きたら、君らはどうする?』という私の問に、
『そのときは僕らは生きてゐません』といふ、最もいさぎよい、もっともさわやかな言
葉が帰ってきた。これだけの覚悟を持ち、しかもかういふ明るさを持った青年たちはど
うして生れたのだろうか、と私は愕いた。現代の汚れた常識人は、そんな青年は物語り
の中にしかゐる筈がないと笑ふであろう。又、敗戦後に生れた現代青年が、無視し、あ
るいは避けてとほる天皇の問題についても、この人たちは、素直な、実に自然な受容の
態度を示してゐた。天皇は日本民族の存立と自立の自明の前提として理解されていた。」
戦争によって崩壊したはずの絶対的天皇主義は、それに変わるべき有力な思想の不在と
いう戦後の状況も手伝って、二〇前後の思想的に空白状態の純粋な青年達に影響を与えて
いる。物質文明に毒された現在の状況にあきたらず、精神の充足を求め、マルクス主義、
あるいは創価学会へと走る。そしてこれらへ進むことの出来ない多感な青年達が久坂や
高杉、竜馬等の維新の志士の至情、熱血にひかれ右翼へと走ることは、理解できないこ
とではない。しかし吉田松陰や坂本竜馬等の考えていたことは、腐敗した保守勢力である
幕府を倒し、新しい日本を築こうということにほかならなかった。それは、当時でいえば
明らかに革新的な考えである。
あの時代には尊王倒幕は正しかったかも知れない。しかし現在、天皇中心国家を唱うる
は歴史の逆行をこころみようとするものであり、反動のそしりを免れないであろう。
我々の究極の目標は、仏教で教える四徳波羅密の実現にある。四徳波羅密とは次の四つ
の願望をいう。
一、常波羅密―常住不滅の生命を欣求する。
二、楽波羅密―無苦安楽の生命を欣求する。
三、我波羅密―自主自由の立場を欣求する。
四、浄波羅密―清浄平安の楽土を欣求する。
天皇中心の国家でもって、これらの四つの目標が実現できるであろうか。歴史が示して
いるように答は否である。これらの理想を実現できる方法は、末法濁悪という現代の世で
はただ一つ、すなわち全ての人のもっている妙法蓮華経、すなわち第九識すなわち慈悲、
智慧、尊厳を開出することのできる仏教の三大秘法である。絶対的天皇主義にはこのよう
な方法、哲理はない。従って不可能である。
乙です。
595 :
名無しさん@3周年:04/04/17 12:34
そなでれぇムズカシこと言わんでも
「ありがとうございまーす」さえ唱えていればイイですよ。
それが楽だもんで、全て丸くおさまりますですよ。合掌
まぁ、
>>595まで達観できれば、南無阿弥陀仏といっしょで
無害っちゃー無害だけどね
597 :
名無しさん@3周年:04/04/17 21:52
だだ、感謝の言葉を冒涜してるとこが許せないが奈。
世の中には「ありがとう」の頭の取れた能天気な奴に解決出来ないことがいっぱいある。
大宅壮一全集 (昭和十一年十一月)
奇抜な新手を発明したのは、例の「生長の家」である。一読直ちに万病の治る「聖典」を
売り出す一方、こういう世にもありがたい書物を出版する会社に投資すれば最低年三割、
うまくいけば五割以上の配当を神さまが保証してくださると説いて、盛んに広告して本を
売ると同時に、その出版会社の株をも売りつけようという、世界にもまれな珍宗教であり
珍企業である。これがまた外観はすばらしい発展ぶりで、わたしが同社の加藤常務から直
接きいたところによると、去年は二割の配当をした。資本も二十五万円から一躍百二十五
万円に増資したというが、実際は果してもうかっているのか損しているのかわからない。
教団に浄財を喜捨するのは昔のこと、いまは反対に宗教でもうけようとする信者が多く
なった。それが実際はもうけるどころか、喜捨以上の大損をするのが普通であるが、とに
かく何か実際的なご利益がありそうに見えないと近ごろの信者は寄ってこない。
「生長の家」は株式投資の形式で信者に出資させ、その利益を配当するという建て前だが、
これはやはり加入者に利益を配当するという生命保険の“相互組織”と同じ手である。
大宅壮一全集 (『経済マガジン』昭和十四年六月)
その株式組織の宗教として近ごろめざましい活躍ぶりを示しているのは、例の「生長の家」
である。これは元神戸の一サラリーマンだった谷口雅春の個人雑誌を支持経営するために
生まれた株式組織の発展したもので、昭和九年の九月、同志二百六十三名によって、資本
金二十五万円で光明思想普及会を設立、十年に入って別に百万円の新会社をつくり両者合
併して現在は資本総額百二十五万円、四分の一払い込みになっている。社長は元陸軍主計
総監辻村楠造、常務は元盛岡銀行にいた佐藤勝身、谷口はその顧問格だが、夫婦で約七千
株をもち、最大の株主である。
最初、「神様」は最低三割、うまくいけば五割の配当を保証すると言われたそうで、
一昨年は二割の配当をした。ところが、あの企業がそんな利益の上がるはずはなく、たこ配
くさいと言われ、非難が起こり、当局の目も光ったので、昨年度下半期は利益八千八百二十円、
法定積み立金その他を控除した残り七千八百十二円、年五分の配当をしたそうだ。
それにしても「本来物質はない」という思想を宣伝して、こんな利益が上がったのは、注目
すべき現象である。全国千数百名の株主兼信者が信仰と欲得と二道かけて、血眼になって新し
い信者を獲得した結果だということだが、なるほどうまいことを考えたものだ。谷口という男
は企業家としても相当なもので、一般起業家は彼について大いに学ぶべきである。
大宅壮一全集 (『東京日日新聞』昭和二十四年一月)
新興神さま総まくり
新興宗教に病気治療はつきものであるが、この種の神さまたちはすべて信者に向かっ
ては、どんな病気でも必ず治るという。それで治ったものは、自然に治った場合でも、
神さまのご利益だと思い込んで吹聴する。治らないものはまだ信仰が足りないからだと
あきらめる。易者の場合とちょうど同じである。
そのために手おくれになって生命を失うものが続出し、当局の取り調べをうけた場合、
かららの言い逃れはたいてい決まっている。このとおり治ったという実例があるだけで、
それ以上のことは責任がおえないというのだ。縁日でガマの油を売る香具師が、感謝状
をたくさん並べながら口上を言うのと同じ手口である。
この手口で大宣伝をして成功したのが例の「有田ドラッグ」であり、書物を売って大
もうけをしたのが谷口雅春の「生長の家」である。とくに後者の場合は、新興宗教そっく
りの組織を国的につくって、谷口は教祖然とかまえていたのであるが、当局が取り締まろ
うとしても「光明全思想普及会」は宗教ではなくて出版屋であり、谷口は著者にすぎない
という。そこで「誇大広告」のゆえをもって数回罰金を課しただけであるが、その金額は
もうけにくらべると問題にならないので、相変わらず続けていたのである。そして戦争中
は弾圧を恐れて軍部に便乗しすぎたために、戦後谷口は追放となり、近ごろあまり彼の本
も売れてないようだ。
新宗教事典 弘文堂
森渓川『厳正批判 生長の家の正体』昭11
福井昌雄『「生長の家」の批判』新興出版社、昭12
松風『蛇教「生長の家」を斬る』六香堂、昭13
野依秀市『<生長の家>を裁く』秀文閣書房、昭16
稲垣最三『新興宗教の批判 生長の家批判』永田文昌堂、昭28
【複数教団】(教団名は略称)
仏教社会学院編『新興類似宗教批判』大東出版社(PL、生長、天理、他)、昭11
島影 盟、広木勇郎『現代人の観たる類似宗教の真相』大東出版社(大本、PL、天理、生長、他)、昭11
高津正道『邪教新論』北斗書房(PL、大本、天理、金光、生長、他)、昭11
中村古峽『迷信に陥るまで=類似宗教の心理学的批判』大東出版社(天理、大本、PL、生長、他)、昭11
野依秀市『宗教悪を摧く』秀文閣書房(PL、生長、他)、昭12
稲垣最三『新興宗教と仏教の真理』永田文昌堂(生長、他)、昭28
戸川猪佐武『現代の新興宗教』太陽(佼成、霊友、天理、生長、救世、PL、弁天、創価)、昭51
石井岩重『黒い宗教 その実態と悪の構図』AA出版(方舟、阿含、創価、佼成、生長、他)、昭59
『黒い宗教 その実態と悪の構図』石井岩重著AA出版株式会社1984年3月1日発行
摩可不思議なゴッタ煮宗教・生長の家 いまも変わらぬ“インチキ”手口
「生長の家」といえば、早くからその辛らつな批判者として知られる評論家がいる。
大宅壮一である。たとえば、次のような文章をみてもらいたい。
「生長の家」の教義即ち営業項目は、各新聞に絶えず広告されているから、ここに
改めて説明するまでもないが、一口に言うと、そこから発行されている『生命の実
相』と題する全十巻の『生長の家聖典全集』を読みさえすれば万病はたちどころに
治り、すべての危険は避けられ、就職は絶対確実、貧乏は向うから逃げてゆくし、
求めるものは全て与えられるというのである。これほど素晴らしい「誇大広告」が
かつて新聞紙上に現れたことがあるだろうか。いや、これはそのいおうとするとこ
ろを率直に述べたのであって、実際はそうはっきりとはいっていない。
『「生長の家」へ来られたり、「生長の家」の聖典をお読みになったりしますと、
あまり病気がよく治りますので、「生長の家」は病気を治すところだと思っておら
れる方があります。ところが「生長の家」は決して病気を治さないのであります。
病気を心から放さしめるところなのであります。病気というものを心に握っていて
「この病気を治してくれ」というんでしたら、そう言う方はお医者へお出になるの
がいいのであります。「生長の家」は病気を治すところではなく、病気を放すとこ
ろで、よく似ているようですが「治す」と「放す」とでは無限の相違があります。』
この文章を読むと、夜店の詰将棋を思い出す。かりにうまくひっかかって損をしても、
どこからも突っこんでくる余地が無いようにできている。従来のあらゆる宗教、あらゆ
る神霊術、あらゆる健康法の中で、これくらい霊験あらたかなものは無い。しかもその
修得法は実に簡単で、谷口雅春という男の書いた『聖典』を読みさえすればいいのだか
ら、どんなにあつかましい香具師だって、これには顔負けするに違いない。そしてその
宣伝口上が、大道ではなくて、 天下の大新聞の紙上や公会堂その他において為されて
いるのである。
この大宅壮一の文章は、昭和10年10月号の『日本評論』紙上において、「『生長
の家』を解剖する」と題して発表されたものである。昭和10年というと、「生長の家」
もまだ創始されたばかりで、『東京日日新聞』『読売新聞』をはじめとする都下の大新
聞に大々的に広告を打ち始めた年でもあった。
大宅壮一は当初からこの新興宗教にはウサン臭さを感じていたらしく、同じ文章の最
後にはこんなふうにしめくくっている。
「現代のインチキとナンセンスのエキスみたいな『生長の家』が、毎週一流新聞紙上で
堂々と広告され、そのファンが特にインテリ層の間に相当多いということは、今日の社
会や文化に対する一つの皮肉なアンチテーゼとして甚だ興味がある。現在の支配階級は、
かかる珍説邪教まで援用して、それ自身を防護しなければならないのだろうか」
実際、大宅が指摘する「夜店の詰将棋」、「あつかましい香具師」ばりの口上は、「生
長の家」のいまも変わらぬ手口として毎度おなじみのものである。
Aは隣の工場から出荷し、折悪しく風下だったが、「自分は“生長の家”だから、火事に
焼けるなどということは無い」といって悠々としていると、とたんに風向きが変わって風
上になった。
誌友の集まりの席で、ある青年が「先生、近眼というのは一体どういう心のあらわれなん
でしょうか」と質問すると、谷口が「近眼はチカメだ!」と大声で答えた。その一語で青
年は悟ったと見え、翌日からたちまち眼鏡は不要になった。彼が「近眼はチカメだ」とい
ったのは、人間の実相を知らないことだという意味だったのである。
Bの孫が疫痢にかかったとき、「天地一切のものと和解せよ」という教えにしたがって、
「バイキンよ、おまえといえども生命である。生命は神からきたものであり。われわれ
もまた生命であって神からきたものである。さすれば汝とわれと神において兄弟ではな
いか、汝兄弟なるバイキンよ、私たちは決して殺菌剤を使ったり、注射したりしておま
えを殺そうとはしないから、おまえもこの子供を殺さないでくれ」と和議を申し込むと、
たちまち熱が下がって、子供は快癒した。
何でも屋のゴッタ煮宗教
この手の“実例”は「生長の家」が発行するおびただしい出版物の中からいくらでも拾
い出すことができる。まるでむかしの縁日のガマの油うりだ。ガマの油うりが、治ったと
いう人の“礼状を”店頭にたくさん並べているのと同じ手口で、“さあ、効果てき面なの
はこの通り、買った(入信しろ)、買った(入信しろ)”というわけだ。
さらに“礼状”よりも効果的なのは、本人の口から直接語らせること。そのために、
「生長の家青年会全国大会」とか「生長の家白鳩会全国大会」などといった大会が、毎年
日本武道館あたりで開催されることになる。ここでもむろん、「私はこうして病気が治っ
た」「奇跡が起った」式の口上オンパレードが繰り広げられる。
谷口雅春総裁も、こうした言い方が得意だ――。
「病気を心に描けば病気来る。病床に横たわりて病気を常に描きながら、病気の癒ゆるこ
とを願うは、火を握りつつ冷たきを願うが如し」
中曽根首相が原爆症の患者にむかって、「病は気から」という名言をはき、世間のひん
しゅくを買ったのはまだ記憶に新しいところだ。この谷口雅春も何やら難しいことを言っ
ているが、要するに「病は気から」という“常識”をこねくりまわしているだけ。
つまり、「生長の家」の本を読み、入信すれば、病院も薬も要らなくなるというのであ
る。脱税王の算術医者の営業を妨害するのは、多いに結構なことだが、反面、「生長の家」
をあてにして医者にかかるのが遅れ、生命を失ったなんてケースは本当に無いのだろうか。
そういう人達は間違っても“礼状”なんて送りはしないから、皆目わからないのだが。
病気だけではない。「生長の家」に入ると校内暴力、家庭不和、離婚――などというも
のは、一切この世からなくなるというのだ。前述の全国大会ではこういった体験談も語ら
れることになる。
たとえば、私も一度聞いたことがあるが、谷口雅春の妻、輝子の語り口なども、谷口流
の香具師めいた口上はいかんなく発揮され、なめらかだ。
「私の夫は煙草も喫まなければ、お酒も呑まない。息子は放蕩息子でもないし、孫も円満
な家庭を築いている。本当に素晴らしい両親があって、そのまま何も申し上げることがな
く、ただ感謝のみの日々を送らせていただいております。ありがとうございます」
なんのことはない、自分の孫娘は一度離婚を経験して、二度目の結婚ではないか。離婚
は罪悪、などというものではない。
だいたい「生長の家」が宗教とよべるしろものであろうか。一定の教義など無いのであ
る。『生命の実相』の中には、キリストの奇跡やら、釈迦の説法やら、孔子、老子、谷口
センセイ等が渾然とゴッタ煮されている。仏教もあれば、キリスト教もあり、神道もあれ
ば、儒教もあるという調子なのだ。ポイントがどこにあるのかまったくわからない。
ところが、これも彼ら「生長の家」にかかると、「万教帰一」ということになるのだそ
うだ。「たとえば月がありますね。これを山から見るのと海から見るのと、街中から見る
のとではそれぞれ位置が違うわけですから、同じ月でもずいぶん違って見えてくるわけで
す。ところが、月は一つしかないんであって、どこから見ようと月には変わりないんです。
つまり、“万教帰一”というのも、これと同じことなんです。真理はひとつしかないとい
うことで、それはどの角度からつかんでも、真理は真理だということなんですね」
『生長の家』信者 29才)
どうにも「生長の家」の信者というのは、誰も彼もが口上が達者で、うまくいいくるめ
られてしまうが、要するに超宗教を主張しているわけである。『仏教、キリスト教、神道
はもちろん、その他のいかなる宗教に対しても偏った見解は持ちません。それら全ての宗
教の信者の方は、全部「生長の家」にお入りください』と宣言しているのだ。
これを評して、「宗教百貨店」という名言をはいたのは大宅壮一であった。ところが、
谷口はさっそくそれをも援用して、「生長の家」の営業案内みたいなパンフレットに、
「『生長の家』を「宗教百貨店」といい、ある人は「抜粋」といいます。百貨店には一流
の商品がならんでいて、市井の小売店よりも優良品がそろっていますように、そこには真
理なる生粋の優良真理を抜粋して陳列してあるのであります」と書く商売気を持ち合わせ
る。ここで“市井の小売店”あつかいしているのが、他の宗教であることは明白だ。した
たかな商売人なのだ。
迷惑この上も無い「大本殿」
大宅壮一はまた、谷口のそういう商売人的な資質をいち早く見抜いていたようで、「生
長の家」を“宗教株式会社”とも評している。
「かくてこの“宗教百貨店”は大いに繁昌し、“信徒”すなわち常顧客は約130万人、
“講師”すなわちセールスマンは本部57名、地方2000余名、“道場”すなわち支店
は29ヶ所(外国3ヶ所)、“誌友相愛会”すなわち特約店は約2000ヶ所(外国90
ヵ所)という膨大なる組織を持つに到ったのである。
昨年(注・昭和29年)東京都渋谷区隠田に出来上った“教団本部”すなわち総本社は、
敷地約12000坪、地階共7階よりなる“生長の家独創様式”の建物延坪1300坪、
大小約80室、総経費約3億円と号している」(「文藝春秋」昭和30年6月号)
と昭和30年に書いた大宅壮一が、現在の「生長の家」の隆盛を見たら一体なんと言うだ
ろうか。
1982年の「宗教年鑑」(文化庁)によると、『生長の家』の信者数は367万61
44人。これは新興宗教の中では、創価学会の1657万8916人、立正佼成会の53
0万8241人に次ぐ3番目の数字だ。何よりもその財産がすごい。
昭和53年には、長崎県西彼杵郡西彼町喰場郷は200億円かけたと言われる「生長の
家大本殿」(いわゆる総本山=聖地だ)を作っているのである。その敷地は教団発表でな
んと100万坪(330万平方メートル、国土地理院調べでは153万7000平方メー
トル)あって、後楽園球場のざっと60倍。西彼町全体で6950万平方メートルだから、
実にその約20分の1をも占めている。
この“聖地”は長崎空港から車で約1時間半。大村湾側だが、外からみえるのは、国道
沿いにある日本で二番目に大きいという高さ22メートルの朱塗りの大鳥居だけ。ここは
リアス式海岸が美しい西彼杵半島も先端に近いところだが、その大鳥居からは山を切り開
いて道が伸びている。両脇には石柱がズラーッと連なり、石の一つ一つには寄付をした信
者の名が刻まれている。
道をたどって行くと、やがて視界が開けて境内地に出る。手前には筋目の無いヒノキ材
をふんだんに使ったタタミ千畳敷きの広間がある。延べ面積3470平方メートルのでか
い拝殿、境内には朱塗りの龍宮住吉本宮、銅板ぶきの鎮護国家出龍宮顕斎殿などが威風堂
々と立っている。さらにタイコ橋が二つかかり、金竜湖と大きく名づけられた池などがし
つらえてある。だが、全体的に見て神社仏閣のしっとりとした落ち着きはなく、ケバケバ
しい感じは否めない。
地元での評判も決してよくはないようだ。「あれだけ広大な面積を所有しながら、地元
とは一切接触していませんからね。まるで治外法権のようになっていますよ。信者がきて
も、地元に金を落としていかないんですよ。町としては悪評紛々ですね」と言うのは、私
の友人である事情通の宗教ジャーナリストだ。「生長の家」が買い占めるまでは、この地
はほとんどが民有地だったそうで、町所有地はわずか約35万平方メートルにすぎなかっ
たという。先の友人の宗教ジャーナリスト氏はこう続ける。「町役場によると、それも当
時3500万円で売ったと言うことです。ご存知のように、宗教法人の所有財産は固定資
産税の対象になりませんからね。町にとっては、税収面からいうと、土地を買われるとい
うのは歓迎すべからざることなんですよ。わずかに大村湾に面している谷口の家(宅地)と、
境内地以外の土地、約約6400平方メートル(1940坪)があって課税できるんです
が、それにしても『生長の家』からとれる固定資産税は年に85万円にすぎないんです」
地元民にとっては図体ばかり大きくて、何のゴリヤクもない無用の長物に我が物顔にのさ
ばられているわけで、迷惑この上ないといったところだ。
聞きしにまさる“儲け”ぶり
では、これほどの贅を尽くした“聖域”を作るために教団がかけたと言われる200億
円は、どうして捻出したのであろうか。
これには「生長の家」でいうところの“献資”があって、50年2月から始まって、龍
宮住吉本宮、鎮護国家出龍宮顕斎殿(拝殿)の落成を祝う大祭が開催される昭和53年1
1月22日まで50億円になったという。また、玉垣(献資者の名を刻んだ柵用の石柱)
分は2万4000本分以上が集まったとも聞いている。「玉垣の相場は、親柱が7万円、
子柱が3万円です。献資の相場は、県単位のノルマがあるんですね。本部からの割り当て
目標があって、地方講師(中堅)クラスで10万円、大きな商店主や中小企業の経営者で
7、80万円から100万円と言われています。一般は1万円くらいですか。決して強制
ではなく、信者それぞれのできる範囲で、ということなんですが、新殿祭当日の受付には
『100万以上献資者』コーナーが合ったりして、多額出資者が特別扱いを受けている様
子はありありでしたけどね」(前出・事情通の宗教ジャーナリスト)
それと何よりも忘れてならないのは、「生長の家」には近代的な集金システムといえる
会費制が確立されているということだ。それもコンピューターで処理されているという。
宗教とコンピューター、実に面白い組み合わせではないか。
それはともかく、会費は三本柱で、@教団運営の中心である聖使命会からの会費A機関
誌の配布、普及を担当する(財)世界聖典普及協会の誌友会費B生政連(生長の家政治連
合)の維持会費――からなっている。
聖使命会とは「生長の家」の布教機関。会費は月毎に収めることになるが、額によって
五ランクに分けられる。a家族会員(月額一口100円)b護持会員(400円以上)
c什一会員(千円以上)d特志会員(1万円以上)e名誉会員(10万円以上)の五段階だ。
宗教株式会社たるゆえんは、社員(信徒)教育も徹底しており、その一つであるモチ
ベーション(動機づけ)もしっかりなされているということだ。つまり、会社(教団)の
利益をあげるための社員(信徒)への“えさ”も随時用意されており、特志会員には色
紙と記章、名誉会員にはやはり名誉記章が送られるというふうに、収める額によって待
遇に差がある仕組みになっている。まさに“信心も金しだい”というわけである。
現在の聖使命会の会員は約74万人と聞く。これで1人当たり月額1000円で計算
しても、年鑑約90億円が転がり込む勘定になる。大体、私にいわせれば、会費などと
いえば体裁がいいが、これはどう考えたってヤクザの上納金と同じだ。
さて、社員教育で思い出したが、“「生長の家」株式会社”の社員(信徒)教育の場
になっているのが、全国六ヶ所にある練成道場。ここで行われる練成会も、「生長の家」
本部の大きな財源になっている。期間は3日から10日間にも及び、奉納金は1人1日
2500円以上と決められているからだ。一種の旅館業である。
さらに大きな資金源となっているのは、言わずと知れた出版物の売上である。
教団の関連会社・(株)日本教文社の発行、(財)世界聖典普及協会の頒布になる機
関誌六誌(『生長の家』『白鳩』『理想世界』など)の誌友会費が年間約60億円に上る
と推定されている。信者になれば、これらの機関誌が毎月数十冊、買わされるハメにな
る。そのうえ、谷口雅春の『生命の実相』全40巻やその他の単行本もいやおうなく押
し付けられることになる。これらの本代だけで、月に最低4,5万円を教団に納めてい
る信者はザラだという。ちなみに「生長の家」には「出版宗教」という異名もある。
聞きしに勝るもうけっぷりではないか。ただ、驚いてばかりいられないのは、なおか
つその上に宗教法人であることによって、税制優遇されているということである。一体
その分の負担がどこにかかってくるかといったら、それは紛れもなく一般国民なのであ
る。早くから「生長の家」を「宗教株式会社」として、谷口雅春の達者な商人ぶりを喝
破していた評論家・大宅壮一が生きてこの現状をみたら、なんと評していただろうか。
それを聞けないのは返す返すも残念なことである。
体制順応主義の谷口雅春
総裁谷口雅春は本名を正治といって、明治26年、神戸市島原村(後に貯水池となって
消えた)で、音吉の次男として生まれている。市岡中学を経て明治45年、早稲田大学英
文予科に入学。同期には西条八十、直木三十五、細田民樹、青野季吉、坪田譲治、細田源
吉らがいて、仲間と同様、田山花袋らの自然主義や、オスカーワイルドやダヌンツイオの
芸術至上主義にかぶれていたという。
その後の略歴をざっと見ると、早稲田大学英文予科では終始主席を通したが、本科入学
後、日ならずして、退学帰郷、某紡績工場に入社したが工場長と衝突して辞職。大本教本
部に入り、さらに西田天香の一燈園を経て、大正13年、神示を受けて「生長の家」を創
始、以来、積極的かつ能率的布教によって、150万人の誌友を有する大教団の教祖とな
った。戦後、追放を受けて教団の地位を女婿の谷口清超に譲り、現在は開祖。
『自伝』によると、「生長の家」を創始するまで、谷口には素人娘や芸者などとの入り交
った女性関係があり、それが為に早稲田大学を退学になり、大本教へ入るきっかけになっ
たとあるが、多分にまゆつばな気がしないでもない。わざと女性関係のダメな部分をドラ
マチックに書いて見せているフシがあるのだ。そのうえで反省し、神を発見したといえば、
信者にとってはなんとも親しみやすい教祖に思えるわけで、どうにも演出くさい。ともあ
れ、『自伝』でいくと、大本教へ入るきっかけになったのは、娼妓から病毒をうつされた
ことからだったという。そのため、彼はひどく煩悶し、神経衰弱になった。そして当時有
名だった催眠術師・三好霊峰のもとへ通うことになる。同時に心霊術の書物を漁り出した。
心霊術となるとその大本山は大本教。というわけで、谷口がもともとそういった方面に興
味をもっていたこともあって、ごく当然のように大本教へ入ることになったのである。こ
うして大本教へ入り、“大本教のフランシス”とまで称していた谷口は、出口王仁三郎の
著書『霊界物語』(全百四十四巻)の筆記者の一人にも抜擢されている。
だが、そこで待っていたものは、またもや女性問題である。同じ大本教の女性二人とで
きてしまい、その一人が「18歳で大阪の商家の息子と結婚したが、良人が放蕩ものでに
げだしてきたという文学少女」江守輝子であった。どちらをとるかの選択をせまられた谷
口は、輝子の方と結婚する。現在の妻・谷口輝子である。
二人は転々と貧乏生活をつづけ、大いに金を儲けようと決意する。「個人雑誌という形
で好きなことを書いて、一定のファンを獲得し、これを少しずつ増やしていくことだった」
(『自伝』)
かくて昭和5年3月号を創刊号として、三十銭の雑誌『生長の家』は出版されたのであ
る。その巻頭の言葉は、『蛇に睨まれた蛙のような恐怖心が、就職、入学の試験の失敗や
病気、軍備を生む』『生長の家の仕事は、心の法則を研究し、その法則を実際生活に応用
して、人生の幸福を支配するために、実際運動を行う』というのであった。
こうしてはじめた個人雑誌『生長の家』は、しだいに“生長”していき、“誌友”とい
う信者も急増していった。昭和9年9月には、資本金25万円の株式会社光明思想普及会
として新しく発足するに至るのである。谷口は、「読者、誌友は書籍代だけ払って、薬代
はいら無い。誌友は株式会社に出資して、聖典の出版でもうけ、配当を受ける。むろん、
私も損はしない。印税を受ける。共存共栄の生活がそこに生まれる」――こう考えていた
のだ。株式化すると共に、たちまち驚異的な発展をとげ、翌年には別に100万円の新会
社をつくり、合併した。当時(昭和9年)の125万円はいまの金にしてどのくらいになる
のかちょっと見当もつかないが、とにかく莫大なものには違いない。そうなると、あとは
もう大隆盛に向かって一直線である。さて、ここで私がいいたいのは、谷口の一貫して変
わらない体制順応主義、権力への迎合ぶりである。
『大宅壮一全集』(蒼洋社)
「生長の家」の谷口雅春は、早稲田大学英文科出身で、死んだ直木三十五、宮島新三郎、
青野季吉、木村毅などと同級生で、学生時代から『新潮』に投書して、しばしば一等に
当選していた。たまたま愛人ができて、黙っていればいいのに自分でわざわざ文書にし
たためて、それを学校に申告したため、諭旨退学になったという変わりものである。も
ともとクリスチャンだったが、震災後焼け出されて関西に落ちのび、神戸の商館に勤め
る傍ら、一燈園や大本教に入ったり、浅野和三郎の日本心霊協会に出入りしたり、倉田
百三の『生活者』という雑誌に寄稿したりしているうちに、個人雑誌を発行し、その思
想を商品化するために百二十五万円の会社をつくってくれるだけのファンを獲得したの
だから相当なものである。しかし彼の書いたものをみると、一昔前の武者小路や倉田と
同じ系統であることは一目瞭然である。つまり武者小路のユートピア「新しき村」が失
敗して、谷口の出版宗教「光明思想普及会」がインフレ景気にのして成功したわけだ。
また彼の片腕として、総編集長として、「生長の家」の宣伝広告を一手でやってのけ
ている佐藤彬も文学青年で、プロ文化運動華やかなりしころ『戦旗』にも関係のあった
男である。彼の父佐藤勝身は、先年疑獄を起こして破産した盛岡の金田一財閥にいた人
で、現に「生長の家」の常務取締役である。(昭和十年)
『大宅壮一全集』(蒼洋社)
新興宗教の自壊作用
新興宗教の最新型であり最珍型である「生長の家」は、物質もなければ肉体もない、従
って病気もないと、ないないづくしを説いた書物を売るための出版会社だが、それが資
本金二十五万円でさえ多すぎるのにさらに百万円も増資し、しかも年二割の配当をして
いるということを知ったとき、わたしはあすこの専務に会っていろいろききただした後、
いまにきっとモリス金融式のインチキが暴露して、出資者はあわを食うだろうと警告し
ておいたが、幸か不幸かこの予言は的中して、すでに幹部の多くが検挙された。彼らは
この出版会社のほかに、日本理財協会というモリス式の金もうけ団体を組織し、月に二、
三割も配当するという誇大広告によって一般から十五万円集めたが、検挙されたとき現
金は七万円しかなかったという。
すでにその前からこの出版宗教は、その内的矛盾を暴露している。彼らが「聖典」と
して装丁その他もバイブルをそっくりまねている谷口聖人のお筆先も、だんだんタネぎ
れになり、マンネリズム化する一方、誇大広告で罰金を課せられたりして思うように宣
伝ができなくなり、売れ行きがとみに衰えてきた。反対に組織の方はますます大きくな
り、費用はかさむばかりである。こうなると経営困難に陥るのは当然で、冗員を整理し
ようとしても相手が失業インテリだからがんとして動かない。無理に追い出せないこと
もないが、そうすればきっと彼らは幹部や組織の弱点を暴露するにちがいない。
そのうちに例の「二・二六事件」や、それに刺激された救世軍の青年将校の幹部排撃
などの影響を受けて、「生長の家」でも青年分子が結束して、幹部独裁反対、経営機構
の改革、従業員の待遇改善を要求した。「物質は本来ない」はずだが、安い給料でやっ
ていけないという現実はそれでごまかすわけにはいかない。
この珍争議は、幹部が折れてどうにか解決したものの、この矛盾はちっとも解消しな
い。そこへ最近の検挙だ。やがてこの珍宗教も泡沫会社のごとくはかなく消えて行くで
あろうことは明らかである。(昭和十一年八月)
『現代の新興宗教』著者戸川猪佐武 発行所株式会社太陽 昭51年12月
生長の家雑然たる宗教の百貨店
異色の教団である。まず教祖を総裁と呼ぶ。その総裁・谷口雅春は二百四十万の信者の心
の親分であろう。だが生長の家王国は安泰か
三島由紀夫が惚れた谷口総裁
私ごとから書きはじめるのは、多少、気がひけるが――ごく最近、私のワイフが古い書
類のたぐいを整理しているとき、三島由紀夫の名刺を発見した。それが、私の手もとにあ
るのについては、ちょっとした経緯がある。
私がまだ政治記者だった昭和三十四、五年ごろ、ある出版社の知人から、「三島さんが、
政治家の秘書のことを書くので、それについて話を聞かせてやってほしい」という依頼を
受けた。会った場所の記憶は定かでないが、とにかく私は彼に会った。やがて、その本が
出版され、私は寄贈を受けた。この本の間に、私宛に礼の言葉を記した三島の名刺が、挟
まれていた。これが、古い書類の間から、出てきたのである。
その後、私は三島とは、たった一度しか会っていない。あるホテルで、私も泊り込んで
の仕事があったとき、そのエレベーターで偶然に行き会ったのである。
「いま、芝居の仕事やらなにやらで、忙しいさなかです」と、そんなことを、彼は挨拶が
わりにしゃべった。それが、昭和四十四年だった。私はたまたま「占領憲法下の日本」と
いう本を――筆者には失礼な話だが、ところどころを読んだあとであった。
実は、この筆者に失礼――と書いたその筆者が、「生長の家」総裁の谷口雅春であった。
そして、この本に、三島由紀夫が一文を寄せていたのである。なんとも、私ごとの話の枕
が長くなってしまったが、この三島の一文をイントロダクションとして、生長の家を論じ
てみようというわけである。
「……生長の家の信仰を抱く二、三の学生が私の自衛隊体験入隊に加わったので、親し
く接する機会を得た。かれらは皆、明るく、真摯で、正直で、人柄がよく、しかも闘志
にみちみちた、現代稀にみる青年ばかりであった。そして『もし日本に共産革命が起き
たら、君らはどうする?』という私の問いに、『そのときは、僕らは生きていません』
という、最もいさぎよい、もっともさわやかな言葉が返ってきた。それだけの覚悟を持
ち、しかもこういう明るさを持った青年たちはどうして生まれたのだろうか。
……現代の汚れた常識人は、そんな青年は物語の中にしか、いる筈がないと笑うであ
ろう。又、敗戦後に生まれた現代青年が、無視し、あるいは避けてとおる天皇の問題に
ついても、この人たちは、率直な、実に自然な受容の態度を示していた。天皇は日本民
族の存立と自立の自明の前提として理解されていた……」
私は、三島その人が、なぜ、どうして“右傾化”して、ああした最期を遂げたのか、
その精神過程の分析をする気は、毛頭ない。ただ、彼とともに市ガ谷の自衛隊に乗り
込んだ「楯の会」の小賀、古賀両青年が、生長の家の信者であったという事実――
これに注目するのである。
こうして、三島を感嘆せしめ、また彼と行を一にする青年を生み出した生長の家
――そこに関心をもたないわけにはいかないのだ。その主宰者たる谷口雅春という人
物に対してもである。ところで三島は例の一文に、「私はどうしても、師(谷口)の
おどろくべき影響力と感化力、世代の差を乗り超えた思想と精神の力を認めざるを得
なかった」と、谷口について記している。
生長の家が現在、政界にも大きな作用力をもっていることは、あとに詳述するとして、
――これを母体に、参議院に出ている著名な政治家に玉置和郎がいる。玉置は、谷口に
ついて、こう語っている。
「こわい人ですね。この世の中で、私にはこわい人なんかいない。とくに政界ではね、
前総理の田中角栄さんも、私が一番尊敬する福田赳夫先生も、こわい人という感じはも
ちませんよ。しかし、谷口先生はこわい。どこがこわいと言うんではないんですな。全
身から溢れる雰囲気ですな。私は谷口先生と話をするときは、『気をつけ!』です。お
目にかかるときは、水をかぶって肌着を着替え、先生の前に出る……」
この玉置は、いうまでもなく自民党右派の青嵐会のリーダーである。ニュー・ライト
の三木首相に対して、たえず批判、攻撃を加えている。
さらに付け加えると、社会党委員長の浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢少年も、一時期、
生長の家のメンバーだったと聞いている。
こうみてくると、生長の家なるものは、宗教団体のなかの最右翼という輪郭が、おの
ずと浮かび上がってくる。
早大英文科卒の変わりダネ
再び、私ごとになって恐縮だが――昭和十年から十一年ごろにかけて、奇妙で不思議
な新聞広告が、しばしば私の眼をとらえた。「生命の実相」「生長の家」という雑誌の
宣伝であった。当時、私はまだ小学校の五、六年生だった。
そのころの新聞広告は、すべて野暮ったくできていた。そのなかで、この「生命の実
相」の広告は、なにやら不可解な文章が詰まっていて、いっそう野暮ったく映ったもの
である。というより、その文字が子供心には、なにか異様に、よくいえば神秘的に、わ
るくいえば恐ろしい感じで迫ってきた。「生命の実相……というのは、なんだろうか?」
と、私はおやじに訊いたことがある。「ああ、谷口雅春の生長の家だ。その本だよ」と、
おやじは答えた。
谷口雅春という名前を、私が知ったのはこのときである。「谷口……というのは、早稲
田の英文にいてね、変わった人物だったらしい」――そうおやじは説明しはじめた。そ
のとき、おやじは通俗小説などを書いて、なりわいを立てていた関係から、ある程度知
っていたのだろう。「西条八十、直木三十五、細田民樹、青野季吉、坪田譲治、木村毅、
細田源吉といった連中と、早稲田の英文科で同期だったそうだ。おれより、一年上とい
うことになる。西条、細田、坪田みな当時からつき合っていたが、谷口というのは知ら
なかったな。が、英文を出ながら、宗教を始めたんだから、変わり種だよ」と話したも
のである。
もちろん子供の私に正確にわかろうはずはなかった。だが、奇妙で不思議な広告につ
いては、得心がいったような気になった。
そのころの生長の家については、いま刊行されている「幸福への招待」(入会者用パ
ンフレット)が、このように記している。「……立教は昭和五年、創始者・谷口雅春総
裁が個人雑誌“生長の家”を創刊された年とされています。
この“生長の家”誌が刊行されると、それを読むだけで、重症の病気が治ったり、暗
い消極的な性格が一変したり、家庭生活が調和するというようなことが、次々に起りま
した。
そして当時としては、常識を破るそれらの奇跡によって、人生苦を解決した人々(誌
友)が歓び集って、ひとつの組織がつくられました……」
この組織が、生長の家という団体になった――というわけである。ここに書かれてい
ることでわかるように、生長の家は創立からある時期まで、みずからは“超宗教”とい
い、“宗教団体”とは規定していなかった。“教化団体”と称していた。会員は“信者”
ではなく、“誌友”であった。宗教法人法にもとづいて、“宗教団体”“宗教法人”に
なったのは、昭和十四年(一九三九)である。
その生長の家がスタートし、新聞広告を打ちはじめた昭和十年、「話」という雑誌が、
「生長の家」論を掲載した。すでに、生長の家そのものが、世間の注目を集め、話題に
なっていたので、取り上げたにちがいない。筆者は大林比左男――いずれだれかのペン
ネームだろうが、タイトルは「資本金百万円の宗教株式会社。生長の家とはどんな宗教
か」というのであった。
「近頃、『東京日日』『読売』を始め、都下の大新聞に『生命の実相』とか、『生命の
芸術』『生長の家』とか言った三段ブッコ抜きの大広告が現れてきた。『生長の家』と
は、彼らに言わしむれば、『光明思想普及会』である。又その普及発行するところの月
刊雑誌でもある。更に資本金百万円と称する『見真道場』なる、心霊療法宣伝出版会社
のことでもある。
『生長の家』の創立者を谷口雅春と呼ぶ。彼は現在、渋谷の隠田に本部を兼ねた住所を
持っている。隠田と言えば、記憶のよい読者は直ちに『伏魔御殿』と言って、多数の名
士を巻き込んでいた稀代の淫祠邪教があった所であることを、思い浮べられるだろう。
谷口は、今年四十三歳になる。早大英文科を卒業してから……発心する所あって西田
天香氏の一燈園に入り……次ぎには大本教に参じたのである。然し元来、彼はクリスチ
ャンであると見ている人が多い。
最後に彼の落着いた魂の憩いの場所は心霊術である。……新しく始めたのが、『生長
の家』運動である。
元来『生長の家』は断じて宗教とは言えない。一定の教義などないのである。第一に
『万教一致』と称して、超宗教を主張している。『仏教、キリスト教、神道はもちろん、
その他の如何なる宗教に対しても偏った見解は持ちません。それ等凡ての宗教の信者の
方は、全部生長の家にお入り下さい』と宣言しているのだ。兎に角、『生長の家』の本
をお読みなさいと忠告する。ここに彼らの抜け目ない所がある。
徹底的に読者層を拡大しようと思いついたのが、彼の超宗教主義と解すべきだろう。
金光教信者にも、ひとのみち教団のものにも、あらゆる人間に『生命の実相』を買わせ
ようと言うのだ。
『生命の実相』の中には、キリストの奇跡やら、釈迦の説法やら、孔子、老子、谷口先
生等が渾然と盛られ、牛肉のコマ切れの様に切り売りされている。
彼は政策上、自分が教祖であるとは決して言わぬ。『病気は本来、人間自らの心の迷
いや恐怖で勝手に造り出したものである』と説く。
では、『生長の家』の療法では、どんなあらたかな霊顕が現れているか。他のインチ
キ宗教の治療法と異って、飽くまでも『本を読むこと』一点張りであり、相手の智能に
よっている。
月刊『生長の家』では、主として彼自身及び信者の体験を載せているところから、奇
跡も余程現実味を帯びている。
頭は正に宗教の如く、尾は心霊療法であり、胴は資本金百万円の出版株式会社である。
しかもこの全身は、一度、谷口雅春の呼吸がかかるや、不可思議な運動を開始する……」
ざっと、そんな要旨の論調で、生長の家を論評している。
その皮肉の底部には、生長の家を淫祠邪教視し、また谷口を達者な商売人視している
トーンが、横溢している。
恋愛と情事が語る宗教的なかげ
こうして昭和初期に発生し、発展した当時の生長の家には、三島由紀夫、玉置和郎た
ちの言葉や行動にみられるような、また、今日の生長の家の種々の運動にあらわれてい
るような、一種の日本主義、愛国主義的な思想はまったく存在していない。その初期、
創成期と、現在との変化は、どのようにして、なぜ起ったのか?――ここが興味あると
ころだが、この変化をさぐるためには、谷口雅春その人の人生歴程を知る必要があるで
あろう。
谷口は、日清戦争の前年―明治二十六年(一八九三)の生まれである。生家は、神戸
の六甲山の裏山にあったそう豊かではない農家、谷口家で、彼はそこの次男として、生
を受けた。四歳のとき、叔父の家にもらわれた。零細企業者であったが、生家より恵ま
れていた。雅春――幼名は正治、“雅春”は大本教時代から使用――は、大阪の市岡中
学にすすむことができた。
「負けるのが不快だから、勝負事はきらい」(自伝「神示を受くる迄」「生命の実相」)
というシンのつよい少年であった。「文章世界」などを愛読、田山花袋の「人生は無理
想、無解決」という思想に共感を覚え、それを文章にして貼り出し、教頭に、「不穏な
思想だ」と叱られたという。「今なら、左傾とか赤とかいわれる私であった」(自伝)
と、谷口自身、述懐している。
早稲田の英文科に入ったのは、俗世間的な出世がいやで、哲学的な人生に徹したかっ
たからであった。
それだけに、ショウペンハウエルの厭世的哲学、オスカー・ワイルドの耽美主義に、
みずから内向的に立てこもって、周囲との交際は持たなかった。
それでも、彼の青春の血は抑えがたく、夏休みの帰省中に、近所の房江という十七歳
の少女にラブレターを送った。「人生に美の一片を寄与するために」(自伝)という意
識だった。
だから、イエスかノーかの返事ももらわずに東京に戻るつもりだったのが、房江は汽
車に乗り込んできて、東京の下宿まで来てしまった。
房江は、沖仲仕の娘で、酌婦に出されていた。失敗があって、家に帰っていたところ
だった。そんな境涯の女だけに、雅春から離れようとしなかった。雅春は、トルストイ
の「復活」を心に描いた。房江の過去を憐み、許す、また社会の歪んだモラルから守る
という意識だった。
すでに、雅春は、みずからの恋愛についてさえ、宗教的なジャスティファイを行うま
でに、宗教に近づきつつあったといえよう。
しかし、この一件が、養家に知られ、仕送りが断たれて、生活に窮することとなった。
沖仲仕だった房江の両親は、「房江を台湾に売る」といい出した。
「駆け落ちして!」という房江に、雅春は「人生は実力だから、もう一度、学校に帰り
たい」というしらけた返事をした。房江は「ではさよなら、ご出世なさい」と、涙を隠
しての愛想づかしの言葉を投げかけて、去って行った。
自伝によると、「おれは卑怯だ」と思う反面、「厄介払いができた」という思いだった。
「憐憫愛というようなものは、地上の人間を生かすものではない」という考えを持つに
至ったと述べている。なんとも、醒めた心理である。このようなものが、実は谷口の成
功につながっていたといえるかもしれない。
谷口は、大阪の紡績会社の労働者として、日給五十銭で働いた。栄進を望んで、商工
学校の夜学に通った。翻訳のアルバイトで稼いだ。このあがりで、谷口は遊郭に通い、
高尾という女と馴染みになった。一方、上役の姪・お紋とも関係をもった。そのような
三角関係に谷口は「美」を見いだしたというのだが、このあたりはワイルドの耽美派的
である。
ところが、谷口は高尾から性病を感染させられていた。それが、お紋にうつりはしな
かったかと、極度の神経衰弱におちいった。「これは心の眼を閉じて、実相を見ないで
いる自分の心の象徴……であることには気がつかなかった」と、あとで自伝で述べてい
る。催眠術家の三好霊峰の治療をうけたものの病気はなおらず、結局は医者の手術に委
ねなければならなかった。
お紋に対しては、彼女が気づかないうちに癒してやる神術はないか――と、心霊療法
などを漁った。
「よい妙案もないので、私はばい菌の伝染という思想を否定しだしました」「こうして
一種の哲学の陰に隠れて、自己の内なる霊の呵責を、できるだけ軽減しようとしました」
(入信の経路)という。
すべてを哲学的、宗教的、形而上的に、心の問題に還元するあたり、――そのあたり
に、生長の家の教義が、すでに芽生えている。この時期の谷口は弱気な内向的な人間で
あったといえよう。それゆえになおその心理が宗教的な方向に向いていったのにちがい
ない。
この三角関係は、お紋から「両親に結婚を申し込んでくれ」と迫られ、そのとおりに
すると、果して彼女の両親から断られ、一方の高尾も、商売女のことだから、向うから
去って行って、すべて清算がついた。
しかし、生活はきびしかった。谷口は「霊的に人と社会を救済するような職業」があ
ると考えて、太霊道、健全哲学、渡辺式心霊療法、耳根円通法などを、遍歴して歩くこ
とになる。
あたかも、大正初期で、国民文庫刊行会から出された「国訳大蔵経」を谷口は読み耽
った。「三界(世界)は心から生ずる」ということが、彼をとらえた。ここにのちの生
長の家の原理が生まれるのである。
ついで彼は、雑誌「彗星」に載っていた「魂返しの鎮魂法」なるものに興味を抱き、
大本教に入信することになる。大正六年(一九一七)ごろである。そこでは、海軍機
関学校教官だった浅野和三郎の指導で、集団神がかりが演出されていた。「心霊は実
在する」と、谷口は信じた。
大本教では、文才を買われ「神霊界」の編集にたずさわった。大本教は、発展をつ
づけていた。お筆先の言葉で、この世の「建てかえ」は大正十一年三月が五月かとい
うことで、信者は興奮状態におかれていた。谷口も、その日の神のさばきを想像して
心身を震わせた一人であった。
この時期、谷口は大本教本部にいた加藤新子、江守輝子と関係をもっていた。長い
間ずるずるの状態だったが、「身をひく」と輝子が切り出したとき、谷口は新子との
関係を断って、輝子と結婚する決心がついた。出口王仁三郎も列席して、式を挙げた。
大本教が第一次の弾圧を受けたのは、大正十年(一九二一)であった。狂信的な興奮
は、いっそう高まって、信者は「建てかえ」の日を待った。しかし――その日がおと
ずれたにもかかわらず、何事の異変も、奇跡も起こらなかった。
谷口は、大本教を去った。父が亡くなったこともあって、彼は剃髪し、西田天香の
一燈園に入る。光明祈願、無相の図など天香の教えが、のちに生長の家に投影する。
物質はなく実相があると悟って
やがて谷口は夫人とともに上京して、浅草の小島町に間借り生活をはじめた。谷口
は、そのころ盛んになりつつあた宗教文学、人生論に、その興味と関心を集中させた。
倉田百三、西田天香、武者小路実篤、賀川豊彦、石丸悟平、江原小弥太、有島武郎た
ちの書くものを渉漁した。
三十歳になったとき、谷口は宗教的人生論ともいうべき「聖道へ」という一編をもの
にして評判をかちえた。それは、彼の一転機を画するものとして、その後「生命の実
相」に再録をされている。
つづいて谷口は「神を審判く」という小説を書いた。当時の彼は、「神が人間の悪
を創造しながら、人間を裁くのは不条理」と、キリスト教そのものを衝き、賀川豊彦
のキリスト経社会主義にも限界があるとして、批判した。大本教にも攻撃を加えた。
親鸞の真宗は、封建的消極性があると叩いた。
谷口自身は、そのころ流行したオイケン、ベルグソンの「生の哲学」に馴染み、「救い
というものは、もっと積極的で明るいものでなくてはならない」という思想を抱いた。
その後、大本教を離れた浅野が上京し、本郷に「心霊科学研究会」をつくると、谷口は
その機関誌の編集を引き受けた。このころ、谷口は夫婦とも健康がすぐれず、いろいろな
療法をこころみ、菜食主義をとっていた。
大正十二年(一九二三)の関東大震災のために、谷口は浅野と大阪に出て、「心霊界」
を発行した。そうしたなかで、娘の恵美子が重病にかかってしまった。金がないため、や
むなく自己流の触手療法をこころみたが、これが予想外に効果あった。
谷口は、浅野からの報酬が少なく、その貧しさの苦しみに悩みつづけた。そのうち、
ホームズというアメリカ人の「心の創造活動の法則」という本を入手、その一節にあった
「不幸は自分の心が招く」という言葉に、ひどく共感を覚えた。
また、フロイトの精神分析を、大槻憲二が日本に紹介したのにも、谷口は惹かれた。
やがて時代は、昭和四年の大恐慌時代に移る。その絶望的な混乱のなかで、谷口は、
「物質はない」「実相がある」という神示を受けたという。ここに至るまでに、谷口は、
「如何にせば、運命を支配し得るか」などという作品を出版し、逐次、みずからの宗教
思想の体系をつくりつつあったが、神示以後、彼はそれをさらに体系づけた。
それで昭和五年、三月号を創刊号として、「生長の家」の出版を開始したのである。
その巻頭の言葉は、「蛇に睨まれた蛙のような恐怖心が、就職、入学の試験の失敗や病気、
軍備を生む」「生長の家の仕事は、心の法則を研究し、その法則を実際生活に応用して、
人生の幸福を支配するために、実際運動を行なう」というのであった。
これは好評を得て、早くも六月には最初の支部ができた。「支部長は、カタフィジカル・
ヒーリングの形而上的治療を修得する」ものとし、「求道に熱心な支部長を求む」という
拡張活動をくりひろげた。
雑誌の基礎がたしかなものになると、谷口は「生長の家」誌のバックナンバー集「生命
の実相」を予約出版して大いに当てた。東京に進出してきたのは、昭和九年(一九三四)
の夏であった。谷口は、「読者、誌友は書籍代だけ払って、薬代は要らない。誌友は株式
会社に出資して、聖典の出版でもうけ、配当を受ける。無論、私も損はしない。印税を受
ける。共存共栄の生活がそこに生まれる」――そう考えていた。
宗教団体の形はとらないで、株式会社「光明思想普及会」として、「生命の実相」「生
長の家」を刊行した。
昭和十年ごろは、大新聞に広告を打ち、誌友三万を獲得し、「生命の実相」は八〇万部
を売り上げた。会社の配当は最高三割、平均一割という好成績であった。払込み資本は、
はじめ二十五万円だったのが、百万円に達した。十二年(一九三七)に、日華事変が勃発
して、日本が軍国主義時代に突入したあと――たいていの宗教団体もその存続をはかるた
めに、カーキ色を帯びはじめたが、谷口はより果敢、積極的だった。
「軍の進むところ、宇宙の経綸が廻る」といい、念波の一斉祈願で敵軍を圧倒するとも称
し、光明念波連盟を結成した。さらに、「“国体の本義”(文部省発行、国民教化の本)
は、天皇の絶対化が生ぬるい」と、文相に公開状を送った。
天理教に負けじとばかり、大陸にも進出、満州光明思想普及会をつくり、谷口みずから
も二度ほど、講演におもむいた。
「非常時に労働争議を停止させ、反戦思想を抑圧するのに、光明思想は最も効果的」と、
「生長の家」(十七年十月号)で論ずるほど―谷口の思想は激烈に右に寄った。
政界進出と愛国主義の旗印
二十年(一九四五)八月、敗戦の衝撃はどの宗教団体にとっても、大衝撃であった。
平和と自由、民主主義への転換、対応に、苦慮しなければならなかった。谷口は、その
十一月に、「いまや自由を得た。生長の家ほど、平和愛好の教えはない」と宣言した。
しかし、ここで見逃せないことは、これを機会として、谷口の言動に、二点の特色が
現われてくることである。
一つは、他の宗教団体にさきがけて、政界進出を発想し、その実践のスタートを切った
ことである。
もう一つは、それが歴然となるまでには、多少の時間を必要とするが、自由、民主主義、
あるいは社会、共産主義などの戦後思潮に対して、日本主義、愛国主義の“居直り”姿勢
をみせたことである。
戦後の宗教界をみると、おおむねは戦争協力への懺悔、反省をこめ、もっとも平和的な
見栄えのする福祉事業を志向している。もちろん生長の家も、その例外ではなく、孤児収
容施設、無痛分娩産院の開設などを実現、企画している。
としても、谷口がエネルギーを傾けたのは、政界進出であった。これは実は、創価学会、
立正佼成会にさきがけるものである。二十年に、“国家再建”をスローガンとして結成し
た“生教倶楽部”が、政界進出への第一歩になっている。
これを母胎として、谷口みずから、二十一年(一九四六)の戦後初の総選挙に、京都を
選挙区として、打って出ようとした。しかし、彼自身の追放、当落への懸念から、思いと
どまった。
しかし、二十二年(一九四七)の第一回参議院選挙には、谷口は身代わり的に、生長の
家の教育部長の矢野酉雄を出馬させた。矢野は、九万六九二六票で当選した。矢野自身は、
参院の在外同胞引揚特別委員長として、主としてソ連が抑留している邦人の帰還問題に働
いた。
谷口自身は、予想のとおり、追放令にかかったが、二十六年、追放解除のあと、彼の政
治活動は、本格化するに至るのである。
二十八年一月には、生長の家参与会なるものをつくり、三月にはそのなかに政治結社選
挙対策委員会を設け、中林政吉を委員長にすえた。
そのうえで、その年四月の参院選に、生長の家北海道連合会会長、世界聖典普及会理事
の前野与三吉(前・旭川市長)を、全国区から出馬させた。
ただしこれは、一五万八四七二票で次点であった。
谷口はこれにめげなかった。かえって、政治勢力としての拡大強化を期して、二十九年
(一九五四)八月には、はじめて全国代表者会議をひらき、組織的布教活動の強力な展開
を指示した。
それにしても、谷口がなぜこのように、政治進出、議席獲得に執念を燃やすのか――
それには、彼なりの理念があった。
「今日の民主議会政治形態においては、選挙は政治活動をおこなうための最も重要なる一
つの手段である。議会に代表者を送らないかぎり、いかにすぐれた政策を掲げても、実現
をみるには至らない」
「現実の政治は、力の関係で成立する。そのためには、選挙に勝つ力をつくること、それ
には会員を拡大し、それを組織化することがポイントになる。数は力である」というのが、
それである。
究極的には、「数なる力によって、年来の主張である“日本の実相顕現”をはかる」こ
とが、谷口及び生長の家の目的であった。
三十三年(一九五八)に至ると、生長の家は第七回教化支部長会議をひらき、本部に中
央国家対策委員会、全県に地方対策委員会を発足させることを決議した。中央政界はもち
ろん、地方自治体政治への進出を狙ってのことであった。
生長の家政治連合の怪物ぶり
このあたりから、実は、谷口の居直り的日本主義、愛国主義が発現しはじめるのである。
日の丸掲揚運動がスタートを切ったのも、この三十三年である。これは商工会議所に、国
旗を掲揚させることに、まず成功をおさめてから、着々と賛同者を集め、三十五年(一九
六〇)には、日の丸擁護会をスタートさせた。これが、全国日の丸連合会に発展し、会長
に元首相の吉田茂をすえるに至るのは、三十八年(一九六三)のことである。
この三十八年の前年――三十七年(一九六二)二月に、谷口は第十三回生長の家全国代
表者会議を召集し、さらにつよく政界進出を訴えた。
「宗教は数多いが、万教帰一だから、根本は同じである。それではなぜ、生長の家が出現
したのか。生長の家の神は住吉大神である。
その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土に、この時期に現われたもうたのか、そこ
が、非常に大切なところである。住吉大神は天照大神のご誕生の直前に現われた。最後の
宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神を現わせたもうたのである。
天照大神のご誕生とは、日本の実相の誕生ということである。天照大神の光が、宇宙に
天照らすべく、天皇陛下の御稜威を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うというと
ころに、生長の家出現の本当の意義がある。したがって、個人の救いにとどまらず、宗教
的自覚をおしすすめて、国家の成仏、宇宙の成仏というところにまで、行かなければなら
ない。そのひとつが政治活動なのである」
果たして、この三十七年の参院選に、はじめての本格的公認候補を、全国区に出馬させ
ることになった。先に登場した玉置和郎である。このときの玉置――生長の家の政策は、
「祝祭日に、全国民が日の丸を掲揚する」「“君が代”を国家として、学校で教える」
「明治憲法の復元、あるいは天皇を元首とする憲法改正の実現」「優生保護法の改正」
「二月十一日を建国記念日として制定する」という五項目であった。
しかし、このときの参院選では、玉置は三〇万一八二二票で惜敗してしまった。これは
会員が、宗教団体の政治活動になじまなかったことと、新興宗教そのものやさらに右寄り
イデアへの国民感情的な反発があったせいであったろう。それで逆に、谷口はよりいっそ
う、政治活動にエネルギーを傾けた。
三十八年四月の統一地方選挙では、都道府県会、市区町村会議員候補に、生長の家幹部、
誌友を推薦した。知事、市長候補についても、推薦制をとった。この結果、生長の家が推
薦した候補のうち、知事十二名、県議百名が当選した。八〇パーセントの当選率であった。
この年の十二月におこなわれた衆議院総選挙でも、生長の家は、さきの“五大政策”を
約束した候補者――もちろん自民党ないし保守系無所属を、推薦するという方法をとった。
推薦者は百七十八名に及んだ。当選したものは、百五十七名であった。
いうまでもなく、これらの人たちの当選は自民党、個人の組織、地盤などによるところ
が大きく、ひとり生長の家の力で当選したわけではない。としても生長の家の会員の票、
運動がものをいったことも、事実であった。
これで谷口も、生長の家も、選挙への自信をふかめ、さらに意欲を燃やすことになる。
そのあらわれが、三十九年(一九五九)八月に結成された“政治結社=生長の家政治連合”
である。生政連結成は、二万余の人間を両国の日大講堂に集めておこなわれた。当時、
自民党幹事長だった三木武夫も出席して、祝辞を述べている。生政連の主なスローガンは、
「我らは“生命の実相”の原理にのっとり、祖国救済のために、一丸となって堅く団結し、
行動を共にする」「我らは屈辱に満ちた現憲法を排し、自主憲法の制定に向って、国民運
動を展開する」「我らの代表を、国会並びに地方自治体に送り、政界を浄化しよう」「我
らは生命尊重運動を強力に推進し、優生保護法を改正しよう」「我らは偏向教育を是正し
て、イデオロギーに取りつかれた教育界を刷新し、日本人としての自覚ある青年を育成し
よう」
この生政連は、四十年(一九六五)の参院選全国区で、こんどは玉置を当選にまで押し
上げた。八五万四四七三票で、第三位というみごとな成績であった。その他、例によって、
生政連推薦の形で、地方区の自民党公認を十七名推して、十三名を当選させている。津島
文治、谷村真治、松野孝一、伊藤五郎、石原幹市郎、広瀬久忠、木村睦男、藤田正明、増
原恵吉、三木与吉郎、剣木享弘、柳田桃太郎、西郷吉之助――たちである。
この参院選を機に、生政連は“金波羅華選士”という制度を設けた。この不思議な選士
は、活動熱心な人たちで、月額千円の会費納入と、五名以上の生政連会員の獲得を義務づ
けられ、目的達成者に金波羅華のバッジを贈る――というものであった。
このシステムで、さらに生政連は、勢力を伸ばした。
整然と票をとる団結の組織
こうした経過をへて、生長の家は、その右寄りイデオロギーをいよいよ鮮明に、また政
界に票田としての力をもちはじめたわけだがそれを端的に象徴したのが、四十三年(一九
六八)の“倉石発言”問題であった。
この事件は、日本漁船が韓国海軍に拿捕されたとき、ときの佐藤栄作内閣の農相倉石忠
雄が、記者団にオフレコで語った談話が発端になっている。倉石は、「日米安保条約で、
日本はアメリカの妾みたいなものだ。核兵器ぐらいもつような再軍備がなければ、力ある
外交はできない」といった趣旨のことをしゃべったのである。オフレコの約束であったに
かかわらず、共同通信の記者が、これを原稿にして、ローカル紙に流した。
それを、一部の地方新聞が掲載したのを、野党が取り上げて「閣僚の憲法違反発言」と
して追及しはじめたのである。「倉石が辞任しないかぎり、予算審議には応じない」と、
国会を三週間ほど、空転状態に追い込んだ。
このとき、生長の家の政治結社たる生政連は、「倉石発言支持」「自主憲法制定のキャ
ンペーン」を決定し、素早い反応をみせた。街頭運動から、ハガキ、電報作戦までくりひ
ろげた。また、会員千数百名が、国会に請願デモをかけた。しかし、この倉石問題は、佐
藤首相の“トカゲのしっぽ切り”第一号で、倉石が辞任ということで、幕を閉じた。
このあと、倉石は親分の福田赳夫――当時幹事長とともに、生長の家の本部をおとずれ
て、感謝の意を表明している。とくに福田は、このとき、「現憲法は、改正を考えるべき
だ。生長の家のような団体が、もう二つ三つあれば、日本は絶対に心配はないのだが……」
と、生長の家を礼賛したというのである。
谷口たるもの、大いに感奮興起せざるをえない。この年の参院選では、生政連は現役の
重宗雄三(のち参院議長・故人)と、新人の玉置猛夫の二人(ともに党籍は自民党)を、
公認候補として擁立した。重宗は八八万二〇三六票で第五位、玉置は六二万七八九七票で
第二十一位――ともに当選した。
生長の家は、やがて自民党の衆議院候補にも力を貸し、大きな発言力をもつに至ったの
である。ことに、オールド・ライト勢力に対する作用力は急速に膨張を遂げた。
ところで、現在、生長の家はどれほどの実勢力をもっているのか?文部省の「宗教年鑑」
によると、会員数は二百四十万人――ということになっている。生長の家の本部総裁室・
企画情報部長・情報宣伝部長の大峡儷三は、この数字をまっこうから否定する。
「本当のところは、百三十五万票でしょう」という。“人”といわないで、“票”という
ところが、政治づいていて面白い。しかも、文部省調査より、ぐんと少ない数字をいうと
ころが、“谷口雅春”的でもある。
「なにしろ立正佼成会など、ずいぶんと多いようなことをいってますが、百十万票ほどで
したからな」
つまり、四十九年(一九七三)の参院選全国区の票のことをいっているのだ。
「得票数をみるのが、一番正確で、信憑性ある信者数の把握の仕方です」と、コメントを
加えた。
しかし、会員数はとにかくとして、本部には三百五十人、練成道場には二百五十人の職
員が働いている。付属、外部事業団としては、世界聖典普及協会、生長の家社会事業団、
新教育者連盟、日本教文社、生長の家政治連合と、財団法人やら株式会社、政治結社を擁
しているのである。
このうち普及協会、教文社は、事業法人として独立採算制をとっているが、あとは寄付
によって運営されている。聖使命栄える会(会員八十万人)というのが存在していて、月
額二百円、四百円、一千円のランクで、それに応じた会費を納入、これが主な財源である。
それと、他宗団と異なっているところは、谷口総裁と、その女婿清超副総裁の講演収入
がある。全国五十九ヵ所に区分された教区に、年一回以上講演に出かけるのだが、これは
入場者から最低千円の聴講料をとるのである。聴講者は、一回で一万人前後というのだか
らそれだけでも、莫大な収入になる。
この資金力もまた、票の力とあわせて、たいへんなパワーになっているわけだ。
先見者、谷口氏が狙うもの
おそらく、すでに十分に気づかれていると思うのだが、生長の家はどこか他の宗教団体
とは異なっている。
「その教義からして変わっている」と見て、大宅壮一は、「宗教の百貨店」と評したこと
がある。さきの昭和十年発行の「話」が指摘しているように、キリストあり釈迦あり、孔
子、老子あるの感がある。谷口の所説をもってすれば「それが万教帰一」という論理にな
るのだろうが――あるとき谷口は、側近にこういったという。
「デパートなら、デパートでもいい。デパートというところは、よい商品が集まっている。
その伝でいうなら、生長の家には、各宗教の真髄だけが結集されていることになる。私は
神のラッパ吹きでいい」
生長の家の幹部連も、そのあたりは割り切っている。
「いかなる宗教も、帰するところは一つ。ああでもない、こうでもないといっていたので
は、宗教戦争も同然で、人類の救いなどとてもできませんよ」
そのせいか、生長の家本部は、抹香くさい印象は全然ない。岸田日出刀の設計にかかる
その本部(渋谷)に入ると、むしろ政党本部にきたような雰囲気さえある。これは、谷口
が、「神は無限である。人間の悟性に内在するもの」といって、神殿らしいものをつくら
なかったからであろう。
それにしても、宗教法人である以上、その規定の“ご神体”がなくてはならない。強い
ていうならば、信仰の対象らしきご本尊は、昭和二十四年(一九四九)に、谷口が書いた
“実相”という二字の掛軸――本部礼拝堂の正面に掛かっているそれである。
谷口みずからは、自分がシャーマン視されることを嫌っている。神であることを否定し
ている。いきおい、その行事も、氏自身の著書「甘露の法雨」なるものを、参集した人た
ちが、声をあわせて読むだけのことである。それも、二十分程度で読みおわるもので、聖
書や経文とは違っている。
このような他の既成、新興宗教のいずれとも異なっていることの根源は――実は谷口雅
春その人の人間性によっているというべきであろう。
谷口は戦前のある時期、“生長の家経済連盟”を提唱したことがある。執務時間を平等
に分配すれば、失業者がなくなると同時に、就業時間の短縮ができる――ということが狙
いで、この経済連盟を企画したのだ。このあたりは、よくいえば戦後今日の週五日、一日
七時間制などを、先駆的に予見したといえそうだが、反面、谷口その人のなかに、経済の
算盤を弾く才があることの証拠であるかもしれない。
事実、生長の家を、教化団体、誌友制度という形で、隆盛にみちびいたなどは、経済的
才覚がなければ、でき得べきことではなかったといえそうである。
戦後に至って、谷口は、無痛分娩の産院設置を計画したことがある。二十二年(一九四
七)十一月号「生長の家」のなかで、「二月怱々、建物(多摩療養所)の一部に、まず無
痛分娩産院を開設することになり、高知の徳久克巳博士が来任することに決定しています。
闇から闇へ葬らるべき嬰児の生命の救済も行うことになっています」と書いている。
ところが、当時の占領軍司令部は、「宗教で無痛分娩するなど聞いたことがない。アメ
リカでは、麻酔剤の注射、子宮口の開口する注射で行なっている。医学は医学、宗教は宗
教、それをゴッチャにやることは許されない」と、許可を与えなかった。
考えてみれば、今日、常識になっている無痛分娩の知識を、谷口がどこから仕入れたか
わからないが、多分に先見性があったことはたしかである。
さらに、宗教団体としての政治進出においても、谷口が先駆的であったことに、間違い
はない。
そうした谷口が、二十六、七年ごろから、急速かつ鮮烈に、生長の家を日本主義、愛国
主義のカラーに染めはじめ、日の丸擁護、君が代斉唱、天皇元首を核とした憲法改正の行
動を起こしはじめたのは、どういうわけなのか。
これは、世間的には逆コースに映るが、谷口の内部では先駆的、先見的なものとして組
み立てられているのだろうか。
あるいは、これらのことはすべて、大宅壮一がいうように、よいと思えるものは、なんで
も並べるというデパート的発想にもとづいてのこと――といえるかもしれない。しかし、
私は、子供のころ新聞広告をみて、その眼と心理に映った印象――ある種の異様さを、谷
口正春という人物に感ずるよりほかないのである。
あの・・・荒らされてるんですかココ?
大宅壮一全集 第四巻
「生長の家」を解剖する
T
近頃金持ちの文学青年で、雑誌を出したり自費出版をしたりするものがよくあるが、い
つかわたしたちの間で、果たして金力でもって文壇に出られるかどうか、それにはどれく
らいの金をどういうふうに使えばいいか、ということが問題になった。するとこういう方
面にかけては天才的な奇知を示す某君がいった。
「それには、まず朝日とか日日とかいったような大新聞のある面を指定して、それに広告
料を払って自分の作品を連載するのである。予告も新聞社式に記事広告として出し、当代
一流の画家に頼んでさし絵を書かせる。もちろんどこかすみっこに小さく広告と書いてあ
るから、いやそれがなくとも一部の読者はそのからくりを見抜くだろうが、大部分の読者
は新しい連載小説だと思ってそれを読み出す。どんなおもしろくない小説でも、何十万何
百万という読者の何パーセントかはそれに興味をもつにちがいない。後にそれが広告だと
いうことがわかっても、それまでに読者の心を完全につかんでしまえばなんでもない。万
一その作品が少しでも当たったとなると、新聞にとっては広告収入という点を離れても、
必要なものになってくる。そうすれば、きっと他の新聞が、うんと広告料を割り引きして、
受け方いかんによっては、無料でも出すといってくるにちがいない。そうでなくても、
A新聞に連載していたものが、『明日からこの続きはB新聞に出ます』という予告を出され
たりすると、A新聞にとっては打撃だからあるいはB新聞以上の好条件を提出するかもしれ
ない。そしてこの間のタクチックを巧妙にやってのければ、ついには一人前の作家として
遇せられ、最初に投資した広告料くらいはすぐ回収できるにちがいない」
果たしてそう注文通りにいくかどうかは疑問だが、これは現在の新聞というものの文化
的並びに反文化的機能をうまく風刺した一つの寓話とみるべきであろう。読者すなわち学
問を意味する今日の社会では、活字というものに対して拝物教的な超批判的な態度を無意
識のうちに示しているものが多い。ジャーナリズムは二十世紀の宗教であり、活字はその
神であるとさえいえないこともないくらいである。
この心理を巧みに利用しているのが、現在の広告術である。今日の新聞の広告面を冷静
に批判すれば、そのなかになんらかの詐欺的要素を含んでいないものが果して何パーセン
トあるかといいたくなる。その詐欺性の進歩がすなわち広告術の進歩であり、詐欺性の含
有量の大なるものほどすぐれた広告なのである。いつか某一流出版社の犯罪科学全集の広
告に「文雄、居所知らせ」といったような形式の欺瞞的な広告が出ていたが、あれなどは
それ自体一つの近代的犯罪の見本と見られないことはない。
この方法を宗教的宣伝に応用して、最高のすばらしい成功を収めつつあるのが、問題の
「生長の家」である。近ごろは宗教もせちがらくなり教義や営業方針を合理化し、広告宣
伝法を近代化する必要に迫られて、各宗各派ともそれを実行しているが、各一流新聞に毎
週全三段、五段の大広告を出している「生長の家」は、この点でたしかにトップをきって
いる。これは一流新聞のもっている“権威”を巧妙に利用したものであって、宗教による
ジャーナリズム利用の域を脱し、ジャーナリズムの利用そのものを母胎として、もっとも
アップ・ツー・デートの一つの宗教をつくり出したものといえるであろう。
U
「生長の家」の教義すなわち営業項目は、各新聞に絶えず広告されているから、ここに
改めて説明するまでもないが、一口にいうと、そこから発行されている「生命の実相」と
題する全十巻の『生長の家聖典全集』を読みさえすれば万病はたちどころに治り、すべて
の危険は避けられ、就職は、絶対確実、貧乏は向こうから逃げていくし、求めるものはす
べて与えられるというのである。これほどすばらしい“誇大広告”がかつて新聞紙上に現
われたことがあるだろうか。いやこれはそのいおうとするところを率直にのべたのであっ
て、実際はそうはっきりとはいっていない。
「『生長の家』へ来られたり、『生長の家』の聖典をお読みになったりしますと、あま
り病気がよく治りますので、『生長の家』は病気を治すところだと思っておられる方があ
ります。ところが『生長の家』は決して病気を治さないのであります。病気を心から放さ
しめるところなのであります。病気というものを心に握っていて『この病気を治してくれ』
というんでしたら、そういう方はお医者へおいでになるのがよいのであります。『生長の
家』は病気を治すところではなく、病気を放すところでよく、似ているようですが『治す』
と『放す』とでは無限の相異があります」
この文章を読むと、夜店の詰め将棋を思い出す。かりにうまくひかかって損をしても、
どこからも突っこんでくる余地がないようにできている。従来のあらゆる宗教、あらゆる神
霊術、あらゆる健康法のなかで、これくらい霊験あらたかなものはない。しかもその修得法
は実に簡単で、谷口雅春という男の書いた「聖典」を読みさえすればいいのだから、どんな
にあつかましい香具師だって、これには顔負けするにちがいない。そしてその宣伝口上が、
大道でなくて、天下の大新聞の紙上や公会堂その他においてなされているのである。
やはりそこから出ている『生命の教育』という雑誌の最近号を見ると、彼が日比谷公会堂
でした講演筆記が出ている。そのなかからおもしろそうなのを拾って紹介しよう。
A 前橋のある養蚕家が『生長の家』に入って、「神のお送りになったこの世界は無限供給
であって必ずよき成績が上がるものだと信じていると、去年の倍ほどの成績を上げることが
できたし、先日ヒョウが降って桑の葉がいためられたときにも、自分の畑だけは別に損害も
こうむらなかった」
B 太田某は、「顔をそると必ずカミソリで一か所は顔に傷をつけてしまうのが、『生長
の家』に入ってから、ちっとも顔を切らなくなった」
C 五十嵐某は、隣の工場から出火し、おりあしく風下だったが、「自分は生長の家だから
火事に焼けるなどということはない」といってゆうゆうとしていると、とたんに風向きが変
わって風上になった。
これがもし事実だとすれば、農林省の「農村更正」もくそもあったものでないし消防署
なども全然要らなくなる。まるでキリシタンバテレンの法みたいである。しかもこのとき
の講演にさいしては、“文部省秘書課の阿部義謙氏”が前座を勤めているんだから、いわ
ば文部省公認の説である。阿部氏はどういう資格で前座を勤められたのか知らないが、い
ずれにしても谷口氏の講演の内容に対しては責任の一半を負うべきではあるまいか。
これに似た愉快な例は、生命の家社から出版されているパンフレットのなかに無数にあ
げられている。
D 某の家に「家ダニ」がいて困るので、さっそく「神想観」をして立ち去るように命じた
が、去らない。そこで「家ダニだって住む所が必要なのだ」と反省して、家じゅうの畳をは
いで六畳一室に積み重ね、「この室をあなた方のすみ家に提供しますから、これからどうぞ
この部屋から出ないでください」といって、また「神想観」をすると、それ以来家ダニは絶
対に人間を刺さなくなり、六畳の室には列をつくって生活しているという。
E 某の孫がエキリにかかったとき、「天地いっさいのものと和解せよ」という教えにしたが
って、「バイキンよ、おまえといえども生命である。生命は神から来たものであり、われわれ
もまた生命であって神から来たものである。すればなんじとわれわれとは神において兄弟では
ないか、なんじ兄弟なるバイキンよ、わたしらは決して殺菌剤を使ったり、注射を使ったりし
ておまえを殺そうとはしないから、おまえもこの子供を殺さないでくれ」と和議を申し込むと、
たちまち熱は下がって快癒したという。
F 誌友の集まりの席で、ある青年が「先生、近眼というのはいったいどういう心の現れなんで
しょうか」と質問すると、谷口が「近眼はチカメだ!」と大声で答えた。その一語で青年は悟っ
たとみえ、翌日からたちまち眼鏡が不用になった。彼が「近眼はチカメだ」といったのは、人間
の実相を知らないことだという意味だったのである。
こういうナンセンスで紙面を埋めるのはもったいないからもう一つだけでよそう。ある男が、
南京虫のように人を刺す虫を神はなぜつくったのかと聞くと、谷口の答がふるっている。
「南京虫に刺されるのは、われわれが他を刺す心をいくぶんでも持っているから、それ
が反映して南京虫がわれわれを刺すのです。われわれの霊魂がもっと進歩して、他を刺す
心がなくなったら、南京虫もわれわれを刺すことがなくなるでしょう」
その男は、せめて赤ん坊だけは南京虫に食わせたくないと思って、「神想観」をして、
「わたしは食われても良いから赤ん坊だけは食われないようにしてください」と祈ると、
両親は盛んに食われるが、赤ん坊はほほに二か所食われただけである。
これを谷口が批評して、「祈りがきかれたのでしょう。しかし自分だけは刺されても
よいなどと念じないで、『この家は人間の住み家であって、南京虫のすみかではない』
というふうに念ずれば、子供はもちろん両親も刺されなくなる」といっている。なんと
便利重宝な教えではないか。この教え、わずか二円や三円で手に入るんだから、安いど
ころの話ではない、買わないやつは底ぬけのあほうだ。さあ買いたまえ、買いたまえ。
V
「生長の家」の根本思想は、明らかに極めて素朴な、原始的な唯心論である。いや、
唯心論などといえるほど哲学的でもない。昔からよく「病は気から」という考え方をめ
くらめっぽうに普遍し、それを神秘化して、一つの宗教めいたものにデッチあげるとと
もに、こんどは逆にそれを徹底的に商品化しようとしているのである。
しかし自分では決して宗教ではないといっている。宗教の名乗りをあげると、取り締
まりが厳重なうえに他の宗教の信者を引き寄せることが困難である。自分のほうで得意
を限定するようなバカな商人はいないはずだ。
「何物にもかたよらぬ中心に座す生活でありますから、他の宗教に対しても、かたよっ
た見解をもたないのであります。何宗派の人でも毛ぎらいするということがない。キリス
ト教の人はキリスト教そのままでよい、しかしもっと深く入れ、そこにほんとうのキリス
ト教『生長の家』がある。仏教そのままでよい、しかしもっと深く入り込め、そこにほん
とうの仏教『生長の家』がある。神道の人も神道そのままでよい、しかしもっと深く真理
に入れ、そこにほんとうの神ながらの道『生長の家』があるというのであります。すべて
の教え、宗門は皆正しい。宗門は宗門でそのままでよいから、いつまでも門にとどまって
いないでもっと奥まで入れ、そこに『生長の家』があって、すべての宗教を一堂に和解せ
しめているというのが、われわれの主張なのであります」
これは新しい宗教運動に共通した特色で、既成宗教が何千年、何百年もかかって固めて
いる地盤へ割り込んでゆくには、いちおう超宗派を標榜しないと損である。「ひとのみち」
でも、クリスチャンだって仏教信者だってかまわないといっているし、友松円諦の「真理
運動」も、仏教範囲内においてではあるが、超宗派を標榜している。この点においても、
「生長の家」はいちばん徹底しているわけだ。
従って仏教ないしキリスト教の専門家的な立場からみれば、谷口の書くことがでたらめで、
例えば越智道順氏がそれを批評して、「業の輪廻無明論、仏性の本体論といったものがいた
るところに飛び出し、怪しくも採用されている。特にそれが、近代科学によって証明されて
いるのだが、仏教者は失礼ながらそれに徹するもの少なしと気炎をあげているあたり、やや
児戯の観がある。氏の博引傍証は、ときに博学を示すつもりであっても、かえって反対の結
果を招くことがある。
氏の仏教に対した偏したる引用のかぎりではこの反対の結果を招くことがある。氏の仏教
に対した偏したる引用のかぎりではこの反対の結果を招くものが多い」とのべている。キ
リスト教の専門家からも、やはり同様の非難を浴びているが、そんなことはどうだってい
いのである。彼のお得意先はそういう専門家ではなくて、宗教のアマチュアである。その
アマチュアにわからせ、感心させる程度の知識を示せばじゅうぶんだ。ちょうど夜店で法
律相談の本を売る香具師が、紋つきの羽織を着て、生かじりの法律を振り回すようなもの
で、それ以上の正確な知識は、正確であればあるほどかえって商売のじゃまになる。
つぎに谷口は、自分の書いたものを自ら“聖典”と呼びながら、“教祖”として名乗り
をあげることをいちおう辞退している。この点は「大本教」や「ひとのみち」の教祖たち
よりは“謙譲”で、またいくぶんインテリ向きであるわけだ。
「自分は教祖ではない。ただ皆といっしょに『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら
その教えのごとく生き行かんと努力せる一人の求道者にすぎない。『生長の家』とは人間
がつけた名前ではなく神がつけたものであり、タカマガハラであり、日本精神の源泉であり、
『生命の実相』も自分が書くのではなく、神が書かせるものである」
かくまで、大きく出てしかもそれは宗教ではなく、自分は教祖でないというところなど
相当なものであることがわかるだろう。
W
「生長の家」の開祖谷口雅春は、神戸在鳥原村の産、当年四十三歳で、早稲田大学英文科を
半途退学した。死んだ直木三十五は彼と同級だというが、そういえばこの二人にはどこか相通
ずる点がないでもない。
早大退学後、神戸の外国商館につとめて、機械書類の翻訳係をしていた。もともとクリ
スチャンだったが、宗教的偏執者だったとみえて、西田天香の一燈園に入ったり、大本教
に入ったり、浅野和三郎の日本心霊協会に出入りしたりして、類似宗教の手ほどきを受け
た。例の「神想観」というのもそこから仕入れたもので、かえってもとのほうでは、「あ
れはわたしのもとの弟子だが、逆用したわけだね。民衆を迷わすということです。やって
いるのは、般若経だろうがなんだろうがけっこうなものだという一つの暗示によって左右
されれば、それで統一ができてきますから治りますよ。なんでもいいのだ。気合いをかけ
るのも同じだ。私には通知せず、こそこそやっている」とこぼしている。
さて谷口は、商館に勤める傍ら、『生命の家』という個人雑誌を出し、倉田百三の『生
活者』という雑誌に寄稿したりしていた。彼の文章や、用語の癖や、彼のつくったという
「実相を観ずる歌」などをみれば、一昔前の武者小路や倉田と同じ系統であることが一目
瞭然である。甘ったるい言葉で人をひきつける妙な魅力をそなえている点も、彼らである。
ところが、ある日のこと、突然彼は大本教の神がかりのような体験をしたという。
「わたしが会社で翻訳などに熱中しているときに、突然その機械に関係のない一つの言
葉がわたしの頭に浮かぶ、それをどうしても書かずにいられないで、走り書きで書きとめ
ておく。まったく実際問題とのなんの関係もなく、真理の言葉が天から降るようにわたし
の頭にポッカリ湧いてくるのだから、これを天界からくる霊感的言葉だと信ぜずにはいら
れないのである。これはわたしという思想のラジオ的受信機に天界から放送された思想の
宝玉的結晶である。その放送は、わたしが道を歩いているときにも、突然私の頭にひらめ
くように降ってくることもある」
機械の翻訳をしている最中に神がかりになったというのは、天理教のおみき婆さんや大
本教のおなを婆さんの場合とちがって、非常にモダンである。それに彼はなんといっても
天下の早稲田大学に籍をおいたインテリである。いまから考えてみると、直木がやはり同
級の鷲尾浩などとともにドストエフスキーか何かの全集計画に夢中になっていたのもちょ
うどそのころだ。後に谷口が出版屋の名目で新宗教をつくった、いや事実は逆で、新宗教
の名目で出版屋を始めたのも、決して偶然ではない。
とにかく彼のファンがその後ぼつぼつ増えて、出版屋で食ってゆける見込みがついてきた
らしい。そこでついに翻訳係の職を棒に振って昭和九年九月上京、同志二百六十三名に謀
り、資本金二十五万円の株式組織で光明思想普及会というものをつくって、彼の著書『生
命の実相』の出版を始めたのである。この不景気に一サラリーマンの腕で二十五万円の金
を集めることができたのだから、この一事をもってしても彼はありふれたセンチな宗教青
年でないことがわかる。
その後まもなくこの株式会社は七十五万円に増資し、続いて百万円になった。その新株
一万二千がたちまち満株になったというから、まったく軍需そこのけのすごい景気である。
しかし出版業者としては、いまのところまだ二流以下である。『生命の実相』全集十巻
のほかに『生長の家』『生命の芸術』『生命の教育』などの月刊雑誌を出しているが、こ
れだけの仕事でそんな莫大な資本が要るとは考えられない。別に原宿駅付近に「見真道場」
を建てるというが、その規模は「ひとのみち」本部などとは比べものにならないから、
十万とはかかるまい。
株式への配当は、「三割は確実に、運よくば四割、五割もすると、神様はおっしゃる」
そうだが、いまのところではあれだけの大宣伝をしたのでは、いくら売れたところで収支つ
ぐなうところまではゆくまいというのが、玄人筋の定評である。従ってあの誇大広告は、読者
をつるよりはむしろ出資者を刺激することが目的であるかのような気がする。とにかく単純な
出版企業としてみても、健全なやり方ではない。
X
ところが、いっさいの科学を無視して、このモダン・キリシタンバテレンを当局がいっ
こう取り締まらないばかりか、文部省の役人が講演の前座を勤めたりして、むしろ奨励
している感があるのはなにゆえであるか。
その答は、いたって簡単明瞭で、大いに“思想善導”に役立つからである。ことに左
翼青年の転換には六〇六号的効果があると、その機関誌のいたるところで宣伝これ勤め
ている。第一、その荒唐無稽な唯心論そのものが、マルキシズムのまったく俗悪な反対
物である点において、従来の不徹底な修正論の断然上位にくらいしている。
「就職難が突破できないとか、冗員淘汰で首になるとかいいますけれども、それは皆、
心の問題であります。人間は現実に富む前に、まず心が富まねばなりません。近代の経
済組織は、節約しなければ万一のために困ることが起こるという人間の恐怖心が原動力
となって築かれたと見るのであります。この恐怖心がもとになって富が一部に蓄積され
有無相通ずる流通が完全に行なわれないために貧富の懸隔がますますはげしくなり資本
家が無資本家を脅かすようになったのであります。だから不完全な経済組織を改造する
には、何も制度そのものに斧鉞を加えるには及ばない。人間の心からこの恐怖心を取り
去り、財をわれわれは蓄積しないでも、われわれの生活になくてはならぬものは必ず神
が与えたもうという大信念を人間に与えるようにすればよいので、こうすれば財がある
一か所にかたよってあるという奇形はなくなって、全体の人間に平等に富が循環するよ
うになるというのであります」
前記の越智道順氏がこれを批評して、「富の私有を指摘せずにそれを恐怖心におきかえ、
富の所有関係を無視して財の循環のみを説かんとしている」といっているのは正しい。だが、
氏などの「真理運動」も、これと同質の役割を演じていないといえるであろうか。
つぎに「生長の家」の医療法であるが、そしてそれがいかに非科学的なナンセンスであ
るかは明瞭であるが、現在の営利本位のブルジョア医業(あえて医学とはいわない)のす
べてが、果たしてこれと厳密に対立しうるほどじゅうぶんに科学的であるかどうかは疑問
である。医者にかかったがために、かえって病気が長びいたなどという実例はざらにある。
それを意識的にやっている医師も少なくないという。現に無免許医がよく検挙されるが、
彼らは“博士”の看板をかかげ、ほんものの医者を多く助手に使い、りっぱに開業してゆ
けるのだから、決して「生長の家」だけを笑えないわけだ。
したがって現代のインチキとナンセンスのエキスみたいな「生長の家」が、毎週一流新
聞紙上で堂々と広告され、そのファンが特にインテリ層の間に相当多いということは、
今日の社会や文化に対する一つの皮肉なアンチテーゼとしてはなはだ興味がある。現在の
支配階級は、かかる珍説邪教まで援用して、それ自身を防護しなければならないのであろうか。
(昭和十年十月)
『真相』昭和三十一年 真相版「谷口雅春の実相」
「生命の実相」七〇〇万部をはじめ、出版にラジオに、マスコミ宗教ナンバー・ワンをほ
こる生長の家が、政治と宗教を直結する新体制をとなえて、憲法改悪、ファッショ推進に
一役を買って出ている。そのカラクリと実力のほどは?
宗教的政治結社へ進出
「昭和三十一年度は、生長の家の提唱せる日本宗教界を打って一丸とする宗教的政治結社
が、いよいよ政界方面に進出するときであります。」七万の「聖使命ボサツ」に呼びかけ
る年頭のアイサツで、生長の家の谷口雅春教祖は、こんなこわいみたいな御託宣をたまわ
った。(「聖使命」一月一日号)
政治結社の目的は、平和推進とか選挙粛正とか政界浄化とかいうのではない。まぎれも
ない憲法改正。信者のなかには、憲法擁護の人たちもすくなくない。教団が一方的に政治
に深入りするのはどんなものかとの批判もだいぶある。それを谷口は強引に押し切って断
言している。
「私はここに、信徒諸賢が、宗教の政治進出に危惧をいだくことなく、衆智を集め、衆
力を結集して、憲法を正しき姿に返すことに協力せられたいのであります。」
生長の家の信者は一五〇万と自称している。その二割が生きているとしても三〇万。聖
使命ボサツというのは信者の中の活動的分子で、月に一〇〇円か二〇〇円の会費を納める
という新しい制度。七万人ほど登録されたうちの五万人ほどが、きちんと会費を納めてい
る。
三〇万人の信者として、そのうちの何万人が教祖の政治的号令に従うかはわからないが、
憲法が守りおうせるか、天皇制軍国主義憲法に改悪されるかの激しいツバぜりあいには貴
重な力であることはまちがいない。
そのうえ、教団新体制で固められた青年会などの活ぱつな宣伝活動も考えられる。その
新体制の実権はあとで御紹介に及ぶが、あれやこれやをつきまぜてみると、ことはなかな
か重大なのではあるまいか。
だが、気になるのは、宗教界を打って一丸とする政治結社などという大見得だ。まさか
生長の家あたりの音頭で打って一丸とされるほど人のいい宗教界でもあるまい。谷口は既
成教団はもとより、新興宗教のあいだでも、ごう慢で人づきあいが悪いというのでハナつ
まみになっている。しかし、その時々の御主人サマの顔色をいち早く読みとって御先棒を
担ぎ出すことでは、谷口は名人の部に属する。その敏感さと巧妙な立ち廻りのおかげで、
戦争中に弾圧も受けずにのしてきた。そういう彼が、黒幕筋からの宗教的政治結社進出の
第一ヒントをす早く解いて御先棒をかつぎ出したのだとすると、油断がならないというわ
けだ。
アメリカ筋からさんざ尻を叩かれながらやっと難航の保守合同が実を結び、吉田時代か
ら御題目にあがっていた「二大政党対立」の形が一応できてきたときに、西本願寺では藤
島総長一派が竜谷懇話会という政治結社を作ってノロシをあげた。これはたちまち世論の
猛烈な批判を招き、宗門内でも大阪や東京で続々反対の火の手があがる始末に、注に浮い
たままもたついている。しかし、問題の創価学会は、すでに二七万世帯を獲得したといわ
れて、今や関西方面で大いに進出している。
合同保守党から民主政党へと支持が大きく動いていく勢はとても防ぎきれない。そこで
両者の中間に宗教的政治結社を設けて、右に流れる票を途中でくいとめるプールにしよう
という構想は、いかにもどこかで作られそうなことだ。
実相の教えの実相
では、谷口の実相の教えとは、いったいどんなものだろうか。
本を読んでその通りの療法を実行する、などという面倒なことではない。「生長の家」
の誌友になって、毎号出ている谷口雅春の判りやすい肩のこらない文章を、スラスラ読ん
でいきさえすればいい。それでひとりでに病気が消えていく、というのである。モノを読
むのが好きなサラリーマン、学生、商店主、家庭婦人たちにとっては、そんな便利な安上
りなことはない。
そういうアラタカな雑誌だから、生長の家ではそれを「神誌」と呼んでいる。「神誌を
大切にいたしましょう」というので、一冊分四〇円なりの特製カバーも売り出している。
雑誌の値段も四〇円。八〇ページほど。昭和五年に同人雑誌のようにして創刊されてから
今年で第三六輻。誌友すなわち固定読者の数は現在十三万ほどある。これがつまり生長の
家教団の信徒というわけである。
神誌が何号かたまると、谷口先生が毎号ビッシリ書きまくった原稿も相当の量になる。
それをまとめて単行本にしたのが「生命の実相」。読めばこれまた自然にスラスラと病気
がなおることはいうまでもない。だから、これを「聖典」と呼ぶ。聖典「生命の実相」も
次第に巻を重ねて二〇巻に達したので、それで一応完結ということにして、その後の分は
聖典「真理」に納めることにした。これがすでに第六巻まで出ている。
谷口雅春という人は実に筆まめで、そのほかにもさかんに書く。神誌のほかに月刊雑誌
が婦人向の「白鳩」、青年向の「理想世界」(昨年までの「生長」の改題)、普及用の
「光の泉」、精神分析などに関するやや専門がかったものを載せる「精神科学」、英文の
「生長の家」と五種類ある。さらに、月三回刊の新聞「聖使命」をはじめ、地方的な新聞
などもいろいろある。それらの刊行物を倦むことを知らないように執筆、そのほかに書き
おろしの著書、共著、翻訳がある。三〇年間に出した単行本が一三〇冊以上、全部を四〇
〇字詰原稿用紙に換算するとじつに九万枚をこえるという。
さすがに古い信者たちはモタレ気味で、谷口先生のものは何を見ても同じことが書いて
あると批判的だが、それにしても、よくタネが尽きないものだ。
内容は仏教やキリスト教、とくにクリスチャン・サイエンス式の諸書を引用したり、や
さしく谷口流に解釈したもの、精神分析関係のもの、心霊術関係のもので、人生、社会、
教育を論じ、体験を語り、もちろん霊験談もたくさんとりいれている。
全部が借りものと引用のゴタまぜではないかと非難されるが、自分のほうから先手を打
って、生長の家こそ生粋よりぬきの優良真理を陳列した宗教百貨店だ、すべての宗教は根
本は一つなのだから、それらの万教を寄せ集めて現代の衆生に最もアピールするように調
合して万教帰一の超宗教をつくりあげてあるのだ、どこが悪い、と開きなおっている。な
るほど宗教思想はその宗派の専売ではないのだから、広くあさればそれだけでもタネ切れ
る心配はない。
心を変えれば世界も
では、読めばそのまま病気もなおるという谷口の思想とはどんなものなのか。
人間はまず心に思って、それによって行動し創造するではないか。それでも判るように
心こそ主人、精神こそ肉体の支配者である。いや、本当に存在するのは心だけで、物はそ
の影にすぎない。スクリーンに映じる万象が、実は存在せずフイルム面のしみの影にすぎ
ないのと同じこと。この真理をさとって精神が肉体の束縛を離れれば、フイルム面のしみ
は消えて、スクリーン一杯に精神の光明が輝やく。肉体すでに無し、ゆえに病気も無い。
病気は本来ないとさっとたとき、すなわち病気はなおっている……
要するに、ゴテゴテの観念論をまんが化したような教えにすぎないのだが、物質に対す
る観念の優位を説くためには、どんな観念論哲学でも、観念論を説いているどんな宗教の
教義でも、自由に借りてこられるわけで、唯物論をしっかりつかまず、哲学的な考えにな
れてもいない一般の読書層としては、谷口の巧みな話術に抵抗することはむづかしい。
どんな観念論者でも、めくらが気をとりなおして悲しみを超越することと、実際に目が
再生することとは別だ、ということを知っている。ところが谷口の「大真理」によると、
目をはやすもなくすも心のまま、ということになる。さすがに、アラジンのフシギなラン
プとはちがう、などと言うときもあるが、その一方では、信者が艦長や機関長をしている
艦には爆弾があたらなかったとか、経文の「甘露の法雨」という生長の家の経文を身につ
けていた二世は弾丸をまぬがれたとか、信者の家だけ焼け残ったとか、原爆の被害を受け
た平田みさ子という婦人が入信したら指が動くようになったとか、顔の傷あとが消えたと
か言い出す。
いくら神話を読んでもなおらないとか、谷口自身が事業に失敗して大穴をあけたとか、
自分の一人娘が結婚に失敗して二度目のムコをもらったとか、「心のまま」説一本やりで
は始末にこまることがたくさんある。そこでこじつけたり、ごまかしたり、まだ信心がた
りないと高飛車にでたりするのだが、それでも説明にこまると、はかり知れない複雑な霊
界の構造を持ち出さなければならなくなる。生長の家では肉体を離れた先祖の霊の存在を
認めてその供養に「甘露の法雨」を上げさせるし、自己や家庭の業(ごう)とか因縁とか
も説く。だから、谷口が出版事業のほかは、みな失敗するのは彼の業のせいだなどと、信
者に評判される。
一昨年、和歌山県で生長の家の地方講師が差別待遇を受けるのは本人の業のせいだと解
説して大問題を起こしたが、業とか因縁とか霊たちのはたらきとかいうことを言い出した
ら、どんな横車でも押せる一方では、何が何やらおさまりがつかなくなってしまう。
信者のほうでは、なおりたい安心したいの一心から、とかく善意に解釈してくれるのだ
が、読書層であるからには、科学的な説明に対する要求もそれだけ強い。そこでかつぎ出
されるのが精神分析学、心霊学、精神身体医学(サイコソマチックス)のたぐい。
こういう武器で科学的らしい感じを与えることにつとめているが、疑い深いインテリ分
子には、霊媒を使った「心霊現象」を見せて降参させる。むかし谷口が放蕩のはてに失業
して大本教にころげこんだとき、鎮魂帰神の神がかりの様子を見てなるほどと感心したと
いうが、今の青年には心霊術でいくわけだ。こういうお膳立ての上に、さらに、神想観と
いって静座のようなヨーガ式の座禅のような行とか、音楽とか、集団行事とか、さまざま
な小道具もととのえて、何となくもっともらしい空気にまきこんでしまうわけである。
家ダニさん、家ダニさん
生長の家の本部講師といえば数もすくなく、教団の幹部級だが、その一人に、元キリス
ト教牧師の杉浦慶一という人がいた。彼は家ダニ事件で名高く、谷口もよく自慢話にして
いた。
家ダニ事件というのはこうだ。杉浦が浜松の自宅で日曜学校をやっていたとき、家ダニ
が無数にふえて閉口した。薬を使うのは可愛想でできなかったというから、用事を預かる
のに消毒やハエの始末をどうしていたのか気になる。それはともかく、閉口しているとき
に「生命の実相」を読んで感心した。生長の家の思想の根本には、「天地一切のものと和
解せよ。……和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。……」(大調和の
神示)というのがある。そこで、神想観をして家ダニを拝し、「家ダニさん、家ダニさん」
と呼びかけた。つまり、家ダニには六畳の間を専用にあげるから、他の室には入らないで
くれ、と協定を申し入れた。するとフシギ!家ダニは、「ゾロゾロとその六畳間に納まっ
た……」
家ダニがそこで何を吸って生きていたのか知らないが、この童話風の体験談のおかげで、
杉浦は本部講師にバッテキされた。
この「和解」の教えは、キリスト教の「なんじの敵を愛せよ」の教えとよくにている。
労働者よ、資本家と和解してストをやるな、警官を拝め、ただしアカとは手を握るな。
戦時中に彼は中国軍を撃滅するために「念波」を送ることを呼びかけ、米英との和解を
断乎しりぞけ、「国体の本義」がまだ手ぬるいといって神誌の誌上で文部大臣を叱った。
戦後、彼は追放されたが、アメリカには大いに和解精神をさしむける。ところがソ、中
に対してはどうか。口先では鳩山の公約に合わせて「ソ連、中共も拝め」などというが、
実際には毛ぎらいの態度を固め、ことごとに侵略国とか警察国とか悪口をふりまいて敵
対感情をあおっている。
杉浦講師は、その後、結核菌との和解をこころみて失敗し、ついに病死した。生長の
家としては大きな痛手だが、谷口はそれを弁解して、杉浦は「本当に和解するとは互い
に処を得るということだ」という点を忘れて、結核菌の不当な侵入を許したからだ、と
いっている。だが、結核菌としては人間の肺にこそ最良の処を得るのだろう。もしも杉
浦がまちがった考えでいたのなら、谷口はなぜ教えてやらなかったか。気が付いて注意
を与えようと思ったがかけちがって会えずにいるうちに、杉浦は死んだ。谷口は「私は
後で後悔したんですけれどね、そういう機会に恵まれなかったのであります」と平然と
言ってすましている。(「聖使命」九五号)心が変われば世界が変わるなどと大きなこ
とを言いながら、人命にかかわる忠告の機会さえ「恵まれ」なければ作れないらしい。
ともかく、「和解」と「処を得る」との二つの原則を使いわけ、都合によって和解もさ
せればケンカもさせる。人のいい誌友たちは、あらゆる圧力と和解した気になってあき
らめ的な満足を見出し、「処を得ない」中国やアメリカの青年と闘って死んでいった。
新体制の実相
谷口はもともとアメリカのホームズの「心の創造活動の法則」という本を読んで、それ
を骨子に、大本教で学んだものや仏教用語などをまぜあわせて自分の教理をととのえた。
おなじみのクリスチャン・サイエンスなどによくにているので、アメリカにも二世の信者
がいた。戦後にはそのアメリカとのつながりが大いにのびるかと思ったがそれほどでもな
かった。しかし長い地盤にモノを言わせ、新興宗教ブームに乗り、メシヤ教やPL教団と肩
を並べてきた。その勢いで三億円の費用と三年の年月を費して建てたのが、東京原宿の本
部会館。人類光明化運動の中心として国際的宗教交流の場所にも使うというだけあって、
新興宗教の建築の中では一番設備が整っている。
しかし、生長の家は「誰にも損はかけない、会費や献金はとらない株式会社式な経営」
を看板にしてきただけに、大本部会館建設は荷が勝ちすぎた。信者のサラリーマン、商
店主などは、メシヤ教やPL教団にくらべて献金の実力は少々落ちる。デフレの波は押し
寄せる。設備費はかかるし維持費も相当。谷口が青くなって、廊下はじゅうたん無しで
もいいではないか、などとやり出す始末。
幹部の中では谷田国太郎が事業的手腕家のピカ一といわれた。彼が考え出したのが、
マスコミ宗教を現在の段階に合わせた放送への進出。その一方、宝蔵農産という会社を
作って宇治でバクタモンという肥料促進剤のようなものを製作し、保全経済ばりの竜宮
宝蔵会という組織も作った。もちろん出版が中心で、これは日本教文社というのを作っ
て今ではかなりの収益をあげている。
本部会館で宗教放送をもくろんだが、これは失敗。それでも、国際放送、日本短波、
宗教放送と、谷田を中心に大いに力を入れ、光学社というメーカーを作って、短波用受
信機はこちらでと用意のいいところを見せた。
ところが国際放送は流れ、宗教放送も不振で、代表で出ていた田口が事務局の争議団に
つるしあげられる始末。
本部会館建設の借金は残り、昭和二十八年には宇治に七万五千坪の別格本山敷地を買い
こんでしまった。そこへ、福岡の「いのちのゆにわ会館」の工事(一億八千万円)が金も
ないのに進み出した。これは百貨店、映画館、食堂、商店などの総合ビルで、完成したら
九州の布教費はその利潤で十分だと、谷口が大自慢だったもの。それが、工事費が払えず
中途で休止となり、その苦境の最中に谷田は昨年の一月に急逝した。結局、谷口は莫大な
負債をかかえて大いにあわて、信者の信望を失なう、というハメになった。
このままで行けば生長どころかジリ貧になって、激動する時勢に落伍してしまうは見え
ている。そこで大いに奮起して退勢をもりかえそうというのが、いわゆる新体制。
聖使命ボサツというのは、この新体制の一翼で、月に一〇〇円または二〇〇円の会費を
納める。本代のほかは取らぬといばっていた生長の家としてはまさに画期的な制度。谷口
はこの聖使命ボサツたちの自筆の名札を本部神前にそなえ、聖使命ボサツ讃偈という御経
のようなものを上げる。その文句にも、「挺身、致心、献資の徳功は最上、最尊、甚深徴
妙」と念が押してある。
生長するもの、しぼむもの
新体制は一昨年の秋から出発した。その要領は、教祖の谷口雅春はできるだけ引込んで、
ムコ養子の清超教主を売り出す。教団の運営面(特に財政面)は聖使命ボサツを中心に信
徒にわたす。谷口自身はもっぱら半切と原稿を書く。半切は「いのちのゆにわ献金」すな
わち福岡の大穴埋めに三千円以上の献金をした人に進呈するためで、一万五千枚を書く予
定。すでに六千枚書いた。谷口雅春が地方講習で得る献金が教団の大きな財源だったが、
それがなくなる対策である。
生長の家の信者とは神誌の誌友で、末端では誌友相愛会という班を作っている。これと
白鳩会(婦人会)および青年会の三者をがっしりと組ませて、隣保班の結成、班長や世話
の決定、早朝神想観の励行、新誌友獲得の具体計画、講習会などの行事の計画参会者のは
あく、グループ活動等をやっている。
新体制を推進するものはけっきょくは教団青年で、いまのところ、青年たちは新体制の
夢に張りきっている。神童会という子どもグループで人形しばいや紙芝居の奉仕をしたり、
選使行動隊を作って農村に入りこんだり、なかでも、創価学会が町工場などに多く入りこ
んでいるのに対して、大経営の中に職場グループを築く運動と、新教連(新教育連盟)を
拡大する運動とが、特に注目される。前者はすでに川崎重工、藤永田造船、近江絹糸、飯
野舞鶴造船、三洋電機、帝国製麻、正織興業、三菱商事などに数十名から百名以上のグル
ープを作っている。会社の部長とか課長とかが先頭に立って、御用的色彩の強いのが多い。
なお大阪の労音協(うたごえ運動に対抗する組織)も生長の家関係の東端山文仁(関西電
力重役)が指導してきた。後者は「生命の教育」などというニールとファッショをつきま
ぜたような谷口式教育論を押し立て、東京学芸大の木下学長を会長に会員四千名を目指し
ている。
だが、この青年たちが、憲法改悪、海外派兵の反動的な反民族的な政治方向を押しつけ
られても、谷口先生のさしずのままに挺身、致心できるかどうか。昨年ごろから雅春と清
超の親子はそろってマルクス主義批判に大わらわとなり、反共宣伝にこれつとめてきた。
東京青年会の機関紙「光雲」の昨年一月号では鳩山と安藤をしきりに持ちあげ、鳩山と雅
春と共著の社会党批判のパンフレット「危機に立つ日本」を青年たちを動員して学園や職
場に違反スレスレの線までバラマカせるなどした。しかし、そのマルキシズム批判は低調
そのもので、知的な青年の読むにたえるものではない。特に厄介なのは、希望の星である
はずの清超「皇太子」が、雅春以上に単純な事大主義者、権力主義者で、心ある教団青年
たちのまゆをしかめさせていることだ。
元左社の落選参議院候補松田順三が、昨年あたりからしきりに本部に出入りしている。
これが憲法改正論や参院選挙とどう結びつくのか。まことに奇々怪々といわねばならない。
青年たちはそんな上層でのやりとりには関係なく、結局は正しい方向に生長していくにち
がいない。前回の選挙で北海道から立候補した生長の家北海道連合会長、前旭川市長前田
与三吉はみごとに落選した。谷口雅春も、生長の家に集る信者も、この教訓をもう一度十
分にかみしめてみる必要があるだろう。
大宅壮一全集 第十三巻
谷口はこの若いほうの女と結婚したが、それが現在の谷口夫人輝子である。二人は亀岡
で結婚式をあげたが、これには王仁三郎教主も参列している。だが、待望の“建替”の行
われる直前に、出口教主以下幹部が不敬罪で検挙され、谷口の家も家宅捜索をうけた。教
主らは起訴されたが、“建替”は結局行われずじまいだった。谷口の心が大本教から離れ
出したのもそのころである。『懺悔の生活』の著者というよりも、倉田百三の『出家とそ
の弟子』に出てくる親鸞上人のモデルとして有名になった西田天香の主宰する『一燈園』
に出入りし、まもなく大本教から完全に足を洗ってしまった。
「手紙布教」で出発
しかし一燈園にいてもどうにもならぬので、谷口夫婦は東京に出た。一時『東亜公論』
というインチキ雑誌の手伝いをして生活したが『聖道へ』と題する宗教随筆の書きおろし
ものを出版してその印税で一息ついた。これが好評だったので自身ができて、やはり大本
教を去った浅野和三郎の「心霊科学研究会」の手伝いをするかたわら『神を審判く』とい
う小説を書き上げた。これも本になったが、印税をうけとる直前に関東大震災が起こり、
焼け出されて夫人の郷里高岡へ避難した。
それから大阪へ移り、これまた同地に移ってきた浅野の仕事を手伝ったが、浅野は彼に
報酬を全然出さなかった。谷口夫婦は生まれたばかりの赤ん坊とともに養家の厄介になっ
ていたが、無知な養母がかれらの留守に、赤ん坊を抱いたり、不消化物を与えたりするの
で、家庭不和で困ったけれど、別居するだけの収入がなかった。
そのころ浅野の見つけた霊媒に、後藤道明というのがいた。第四次元の世界に出入りし
て何でもとってくるというので評判だった。一日その実験を行ったところ、霊媒はふらり
と町へ出て、まもなく「四次元の世界で神さまからカリフォルニアの梨をもらった」とい
ってきた。だが、後で調べたところによると、この梨は元アメリカ産だったが、当時岡山
でもできて、南京町で売っていたのである。
しかし、このインチキな霊媒は座談が巧みで(霊媒というのはたいていそうだが)、こ
んなことをいった。
「今のいわゆる善人というものは皆貧乏ばかりしていて、自分が貧乏しているから人を
助ける力もなし、自分も苦しい、人も苦しい、これを善中の悪といいます」
みずから“善人”だと思っている谷口は、この言葉に痛く打たれた。谷口の言葉を借り
ていえば「清貧の無力状態をひしひしと感じ」「豚には人糞を与え、貴婦人には真珠を与
える」ようにならなければウソだということに気がついた。言葉を換えれば、これから奮
起一番、大いに金をもうけようと決意したのである。そのころの著述『信仰革命』の中で、
彼はこの“転機”について大いに論じている。彼の“信仰革命”というのは、実は信仰の
名による金もうけ開業の宣言にほかならない。大正十三年四月のことである。
幸い新聞の職業紹介欄で“高級翻訳係”の口を見つけ、百七十円の月収にありついた。
なるほど金というのものは、もうけようと思えばもうかるものだ、という彼の根本原理が
実証されたことにもなる。それに金は少しでももうかりだすと、いくらでももうけたくな
るものである。
金をもうけるといっても、彼としては文筆によるほかはない。それもこれまでの経験か
らいって、たまに単行本を出すくらいでは生活が安定しない。個人雑誌という形で好きな
ことを書いて、一定のファンを獲得し、これを少しずつでもふやしていくことを考えるの
が、いちばん確実で永続性のある方法だと考えた。
問題はその資金である。毎月の給料の一部を積み立ててある額に達したときに、勤めを
やめて始めるか、それとも五十五歳になって停年でやめたときに退職手当てで出すか、大
いに迷ったという。ところが、ある日、一家そろって買物に出た留守に空巣に入られて、
衣類をゴッソリ盗まれたとき「今起て!」という声が彼の頭にどこからともなくきこえて
きたというからおもしろい。
彼が個人雑誌を思いついたのは、初めから手持ちのファンが若干あったからである。大
本教にいたころ彼は“手紙布教”という役を担当していた。これは各種の名簿によって、
これはと思う人物に目星をつけ、あなたのこれまでの生涯の中で興味のある話があったら、
世間に発表したいと思うから知らせてほしいという手紙を出す。少しでも地位のできた人
間は、だれでも自分の過去を語りたい欲望をもっているものだから、感激してすぐ返事を
よこす。するとまた折り返し、彼の書いてきたものに対する感想を書いて送る――といっ
たような方法で、文通を行っているうちに、相手をうまくおびきよせて信者にしてしまう
のである。男では軍人、女では未亡人がいちばんこの手にかかりやすい。
谷口は大本教でこれを長くやっていて、そのコツをよくつかんでいるし、大本教の信者
を横取りして、谷口個人のファンにしてしまったものも少なくない。これは従来属してい
た宗教から独立して一派を開くものがいつも使う手である。
大本教全盛時代の信者には、退役軍人が多かった。谷口の“生長の家”も、初期の幹部
には軍人が多い。新興宗教ばかりでなく、伊藤斗福の保全経済会も、地方の支店長級に多
く旧軍人を採用した。職業軍人は社会人としては盲点が多く、その社会的地位に比して経
済的に恵まれていないが、うまく使えば利用価値が大いにあるからだ。この点で新興宗教
も保全経済会も、目のつけ所に変わりがない。
発展する宗教株式会社
こうして一サラリーマンのヘソクリで細々と始めた個人雑誌『生長の家』は、しだいに、
“生長”して行って、昭和九年九月には、資本金二十五万円の株式会社光明思想普及会と
して新しく発足するところまで行ったのである。株式化するとともに、たちまち驚異的な
発展を遂げ、翌年には別に百万円の新会社をつくり、旧社と合併した。当時の百二十五万
円は、今の金にすれば四百倍として五億円である。このときの社長は元陸軍主計総監辻村
楠造である。谷口夫婦は七千株をもち、最大の株主として実権をにぎっているが、顧問格
で、社長に古手の軍人をもってきたところは、当時の社会情勢と照らし合わせて、彼の深
謀遠慮がうかがわれる。
この会社は、最低三割、うまく行けば五割の配当を保証するという“神示”があったと
いうので、全国の株主兼信者が欲と信仰の二道かけて、血眼になって新しい信者を獲得し
たものだ。一般企業家も、谷口のこの方面の手腕に学ぶべきであろう。
ところで、これほど人気を博したこの宗教企業株式会社が売り出している商品、すなわ
ち、“光明思想”とは何か。ニュートンが物体落下の諸現象を統一し、そこにある法則を
発見して“地球の引力”と名づけたように、彼は「よき宗教のすべてに貫いて存在すると
ころの“人間救済の原理”を発見」して、これに“生命の実相”なる名称を与えたのだと
いう。
だが、実際問題としてそれはいったい、どういうご利益があるのか。同じころにできて
驚異的な発展をとげた「ひとのみち」(今日の「PL教団」)は、教祖が郵便配達夫あがり
なので、振替口座から“お振替”なるものを思いつき、これを根本教義としたが、もっと
教養のある谷口は、“神想観”なるものを説いている。
A 五十嵐某は、隣の工場から出火し、おりあしく風下だったが、「自分は“生長の家”
だから火事に焼けるなどということはない」といってゆうゆうとしていると、とたんに
風向きが変わって風上になった。
B 前橋のある養蚕家が“生長の家”に入って、「神のお送りになったこの世界は無限
供給であって必ずよき成績が上がるものだ」と信じていると、去年の倍ほどの成績を
上げることができたし、先日ひょうが降って桑の葉がいためつけられたときにも、自分
の畑だけは別に損害はなかった
C 某の孫がエキリにかかったとき、「天地一切のものと和解せよ」という教えにした
がって、バイキンよ、お前といえども生命である。生命は神からきたものであり、わ
れわれもまた生命であって神からきたものである。されば汝とわれと神において兄弟
ではないか、汝兄弟なるバイキンよ、私たちは決して殺菌剤を使ったり、注射したり
してお前を殺そうとはしないから、お前もこの子供を殺さないでくれ」と和議を申し
込むと、たちまち熱が下がって子供は快癒した。
こういう“実例”は、初期に出た『生命の実相』その他の宣伝物からいくらでも拾
いだすことができる。この本を読んだだけで、万事この調子で行くとすれば、こんな
便利重宝なものはない。保全経済会に入って月二割の配当をうけるよりもはるかに有
利である。日本じゅうが“生長の家”に入れば、病院も薬も、消防も警察も、すっか
り要らなくなる。
この時代に有田音松という男(汚職代議士有田二郎の父)の有田ドラッグ商会で、
これに似たような新聞広告をデカデカと出したものだ。谷口にしても有田にしても、
かれらの売り出している書物や薬で、果してだれの病気でも確実に治るかと問いつ
めると、決して保証するとはいわない。ただ“治ったという実例”がこのとおりあ
るだけで、実際治ったとしても何で治ったのかわからない。縁日のガマの油売りが、
店頭に治ったという人の“礼状”をたくさんならべているのと同じ手口である。
特に谷口の場合などは、明らかに医療の妨害である。“生長の家”をあてにして医者に
かかるのをおくれたために生命を失ったものがどれだけあるかわからぬが、そんなのは決
して“礼状”をよこさない。といって直接患者にふれるわけでないから、医師法違反で検
挙することもできないし、宗教法で取り締まろうとすれば、“生長の家は単なる出版会社
で、宗教法人ではない(戦後はもはや大丈夫と見たか、宗教法人に加わった)”といって
逃げた。結局、当局としては、“誇大広告”として罰金刑を課するほかはなかった。戦前
は“生長の家”も“有田ドラッグ”同様に、何度も罰金刑の対象になったはずである。
大コンツェルンの全貌
しかし、事業は膨張する一方で、各種の外郭組織ができて、宗教思想一手販売ならびに
その付帯事業を包含した一大コンツェルンと化し、その資本総額はどれくらいになるか、
ちょっと見当がつかないくらいだ。その中の主なものを洗ってみると、左のとおりである。
“生長の家”が宗教法人となるとともに、出版は株式会社日本教文社、販売は財団法人世
界聖典普及協会、印刷製本は合資会社光明社というふうに、性根を異にした三組織の分業
になっている。これは主として税金操作の必要からきたものと見られている。
宇治市にある宇治科学研究所では、バクタモンと称する“微生物農剤”をつくっている。
これはメシア教の「無肥料増産」の向こうをはったもので、某元海軍中将の手になったも
のを買いとったのだという。石原莞爾元中将を教祖のごとくいただいている農民の下で、
酵素(皇祖に通ず)肥料というのが、一時全国的に流行したが、これと同系統に属するも
のらしい。そのほかシクロX・Yと称する健康美容剤も研究中とある。これらを一手で販売
しているのが宝蔵農産株式会社で、全国に三十余の子会社をもち、信者間の購買組合のよ
うな役割を果たしている。
また財団法人生長の家社会事業団は、保育園、助産所などを経営するとともに、谷口の
著書を英訳したり、文化科学部において、電波による教育資料の研究などを行っている。
これはパチンコみたいな機械を使って、ボタンを押すと、電気が流れて針が動く。これで
信仰の度がわかるそうだから、いわば“信仰メーター”である。
この文化科学研究所では、普通のラジオ、テープ・レコーダー、スライドなども研究し
ているが、その製品を売っているのが「株式会社光音社」である。
福岡市には、“いのちの力には”の神示に基づき、「株式会社力には」なるものをつく
った。これは五階建てのビルで、その中に各種の商店をはじめ劇場その他の大衆娯楽場が
設けられている。
月刊雑誌は『生長の家』をはじめ、婦人向けの『白鳩』、青年向けの『生長』、少年お
よび低い大衆向けの『光の泉』、心霊学や精神分析研究の『精神科学』、在外二世および
外人向けの『英文生長の家』の六種類が出ている。
単行本は、谷口の『生命の実相』二十巻が通算七百万部を売って“日本のバイブル”と
称している。そのほか教義、教育、生活に関する単行本やパンフレット類が何百種といっ
て発行されている。
“一個の労働者”谷口
これまで新聞社や雑誌社で何度も私と彼との対談を計画したが、彼のほうで応じてこな
かった。しかし最近私は、“生長の家”の本部に足を運んで、彼の説教をきいた。
信者は老若男女合わせて約千人ばかり集まったが、どっちかというと女のほうが多い。
演壇の中央には“実相”と書いた大きな額がかかっている。これがいわばご神体であろう。
その下に大きなツヅラがおいてあって、その前の机の上に巻物箱がのっている。その中に
入っているお経みたいなものを谷口が教育勅語のように押し頂いてから読むのである。
彼は当年六十二歳だが、頭髪は黒々として、顔にツヤがあり、気味が悪いほど若々しい。
話すことは書いているものとほとんど変わりがないが、話の中に時事問題を取り入れるこ
とがうまい。ユーモアがあってよく笑わせるが、セックスの問題を大胆に取り上げる。そ
れがまた非常にうけているようだ。古谷綱武の離婚事件などもさっそくもち出して、古谷
は月収三十万円で彼より多いが、決して幸福ではないといったようなことをいうのである。
谷口にいわせると、彼は“一個の労働者”である。たくさんな雑誌に毎月書かねばなら
ぬし、月のうち半分は講習会のために地方巡業をしなければならぬ。彼の書いたものの著
作権は社会事業団の所有になっていて、印税は彼のふところに入ってこない。全国に八十
いくつの別荘もあるが、彼の名前にはなっていない。かように「資本主義の中にありなが
ら共生主義でもあり、無所有主義でもあり、自由自在の境地」だといっている。
だが、これらの別荘は、だれでも使えるわけではない。彼が行くと「いちばんよいフト
ン、いちばんよい食器を出して、いちばんよいごちそうをしてくださる」のである。送り
迎えにも最新型のビューイックが彼専用に使われている。おそらく彼もしくはその家族の
名義になっている財産は莫大なものだと思うが、仮にそんなものが全然なかったとしても、
日本人としての最上の生活がいつも待ちうけている点で、一流会社の社長も及ぶところで
はない。
そればかりではない。彼にサービスする男女はすべて信者で、彼を心のよりどころとし
て、神としてあがめているのである。これはいくら金を出しても買えないものだ。“神さ
ま業”は一度味をしめたらやめられない点はここにある。別に積極的に悪いことをしなく
ても、人間の無知と盲点の存するかぎり、その上にアグラをかいておればいいのである。
一方で出て行くものがある代わりに、新しいカモもぞくぞくやってくる。
最近の最上のカモは何といっても鳩山一郎である。谷口の説によれば、鳩山が脳溢血で
倒れたのは、吉田茂に対する悪感情から、「心の内圧が昂進して高血圧となった」からで、
一時自由党に復帰したのは、「天地一切のものと和解せよ」という“生長の家”の教えを
うけ、さらに「吉田をあがめよ。その敵に対して目にて目をつぐなうは旧約の教えであっ
て、その敵を愛し拝むようにするとき、貴下の病気は速やかに快復に向かう」という谷口
の手紙に従ったからだということになっている。さらに鳩山内閣を成立せしめたものは、
“生長の家”信者の「熱心なる神想観」の結果だという。そこで谷口と鳩山の共著で、
『危機に立つ日本』と題するパンフレットまで出ていて、鳩山は“生長の家”の宣伝に
百パーセント利用されている。
谷口のことを“生長の家”の信者の間では、“昭和の弘法大師”と呼び、彼もそれを
ねらっているそうだが、実は弘法大師自身もこの種の“怪物”であったかもしれぬ。
『新興宗教のウラがわかる本 カネと権力と醜聞にうごめく教祖たち』
著者 段勲 政界往来社 1986
出版教団といわれるだけあって、定期刊行物も数多く、あわせて谷口著なる単行本もま
た膨大な量である。教団・婦人部組織の「白鳩会」会員が筆者に声を秘めてこう訴えたこ
とがあった。「機関誌は現在、月刊誌で六冊出ているでしょうか。それに新聞ですよね。
月刊誌は全部は読みませんけど、ほとんどは定期講読しております。このほか、毎月のよ
うに単行本を買わされるんです。創価学会さんの場合も本の押し付けがすごいと聞いてま
すけど、生長の家だって同じです。もともと生長の家は、本を売った代金によって教団を
維持してきたのですから、しょうがありませんけどね。あんまり読みたくない本でも、先
輩から勧められますと、教団内には拒否できないような雰囲気があるんです」
生長の家の財源は、この出版物の販売で得る年間数十億円の収入と、ほか財源の柱とし
ては、「聖使命会」会員による会費がある。
聖使命会とは、昭和二十九年四月に発足した教団の布教機関である。会員数は約七十四
万人といわれているが、聖使命会であるそれら会員が月々の会費を本部に納めるわけであ
る。会費のランクも次ぎのような五段階に分けられているのだ。
@家族会員(月額一口百円)、A護持会員(同四百円以上)、B什一会員(同千円以上)
C特志会員(同一万円以上)、D名誉会員(同十万円以上)――。また、十万円
以上の名誉会員には、名誉記章を贈ったり、一万円以上の特志会員には、やはり記章と色
紙などが贈られる。こういう差別待遇を施すことによって、会員の心情をくすぐり、名誉
記章が貰えるように早く一番上のランクにあがりなさい、ということであろう。
では、聖使命会員が月々に本部に納める会費の総額はいかほどになるのか。五段階の真
ん中をとって、会員一人当たり千円にすると、会員数が七十四万人であるから、七億四千
万円である。一年で八十八億八千万円だ。むろんこれは非課税だから、本部が丸ごと使え
ることになる。
出版物の販売及び聖使命会会費のほかに、生長の家の収入源として、練成会場で行われ
る練成会がある。この参加者は“奉納金”を本部に出さなければいけない。
現在、練成道場は全国に北から「本部練成道場」、「富士河口練成道場」、「宇治別格
本山」、「松蔭練成道場」、「ゆには練成道場」それに「総本山・龍宮住吉本宮練成会」
の六ヵ所である。
筆者の手元に、生長の家総本山内にある「龍宮住吉本宮練成会」の案内パンフレットが
ある。
“住吉大神との荘厳なる出会いの練成会であなたの運命は浄化され永遠の神性が甦る!!”
と、アピールされ、練成会の月別行事、日程、奉納金額が紹介されている。練成会の行事
名と奉納金額は、「龍宮住吉本宮練成会」(奉納金、全期二万五千円以上、一日二千五百
円以上)、団体参拝練成会(奉納金一万円以上)、長寿ホーム練成会(奉納金一万二千五
百円以上)、境内地献労練成会(奉納金、随意)、栄える練成会(奉納金七千円以上)、母
親練成会(奉納金六千円以上)の六種類に分かれている。
ところで、会員が練成道場に宿泊(期間は三日から十日間程度)してどんなことをする
のか。
案内パンフレットによると、教義の勉強が中心で、本部があらかじめ用意したテキスト
で学習を進めるのである。
そのテキストの中には“私の日本憲法論”なんていうのもあり、生長の家らしい特色が
現われている。
奉納金提示価格に“以上”がある意味
さて問題である。
奉納金とは神仏に献上する金のこと。つまり神仏は、いくら出せとは請求しないから、
出す本人たちの気持ち、真心のお金でいいわけである。ところが、このパンフには奉納
金と明記され、しかも、その下にハッキリと価格が提示されている。
なぜこれが問題かというと、税務当局の判断いかんによっては、課税対象になりかね
ないからだ。奉納金であれば、宗教法人の“本来の事業”ということで非課税になる。
しかし、価格を明記して会員から徴収し、食事付きで寝泊りさせていれば、会員が支払う
“奉納金”は、“宿泊及び食事代”との要素が多分に強くなるからだ。つまり、旅館の対
象にされかねないのだ。さて、税務当局はどのような判断をみせているのだろうか。
教団側は、あくまで「奉納金」であると主張したいようだ。だが、それは百歩譲ったと
しても、この価格の提示のあり方に関して、ひとつしこりが残る。いったい、奉納金の提
示価格が、○○円以上という“以上”の意味はどういうことなのだろうか。
宗教法人は、周知の通り、公益法人であって、営利を目的にした団体ではない。そのた
めに非課税という恩恵もあるのだ。奉納金額が明示されるだけでも鼻持ちならないのに、
“以上”まで付けてある。わざわざ“以上”を付けた意味を自己流に解釈すれば、教団側が、
“会員の皆さん、提示価格以上のお金を出してください。この提示価格は原価で、これ以
上貰わないと教団は儲からないんです”と、泣き事を言っているようにも思えるのだ。
税金といえば、生長の家が二百億円も投入して総本山を建設し、職員ともども西彼町に引
っ越してきたとき、町はほくそえんだ。押し寄せるおおぜいの会員が町に金を落としてくれ
る、と。ところが、期待はみごとにはずれた。会員は、町中を素通りして山中の総本山に入
ると、もう外には出て来ないからだ。
しかも、前述した通り、生長の家は西彼町総面積の約二十一分の一もの土地を占めてい
るが、なにぶん宗教法人のために固定資産税はゼロ、したがって、生長の家から町が広大
な土地を持っていかれただけで、そこにはなんの見返りも生じないのだ。会員は町に金を
落とさないし、町にとっては踏んだり蹴ったりである。
ただ、谷口雅春が住まいとしていた宅地、約六千四百平方メートル部分から、わずかな
固定資産税(年約九十万円)がとれるだけであるという。
税問題はこれくらいにして、ここらで生長の家の組織形成について見てみよう。
生長の家は、総裁を頭に副総裁、理事長、そして、その下に十五人ばかりの理事がいる。
下部組織には、まず、生長の家は婦人の力で持っているといわれる婦人組織の「生長の家
白鳩会」。ほか「生長の家青年会」、「生長の家栄える会」。さらに、関連団体として
「宗教法人・生長の家宇治別格本山」、「(財)生長の家社会事業団」、「(財)新教育
者連盟」、「(株)日本教文社」、「(財)世界聖典普及協会」、「合資会社・光明社」
などがある。
そして、谷内雅春亡き後、生長の家の頂点に立ったのが、谷口清超二代目総裁である。
谷口清超新総裁は旧姓を荒地といい、山口県萩市生まれの六十五歳。昭和十六年、東
大文学部心理学科を卒業した学究肌の人物で、生長の家には卒業した年に入信している。
昭和二十一年十一月、当時、谷口雅春の秘書室長(文化企画部長兼任)を務めていた
清超が谷口の娘・恵美子と結婚。二人の出会いは、清超が生長の家関係の出版社でエマ
ーソンの翻訳などの仕事を手伝っていたとき、といわれる。が、もう一方の説である、
谷口雅春が清超の才能を認め、娘・恵美子の養嗣子に迎えた、の方に信ぴょう性があるようだ。
清超は、谷口の娘・恵美子と結婚後は、総裁の片腕的な活動を展開する。昭和三十一
一月、沖縄訪問をはじめ、同年六月にハワイ、アメリカ、ブラジルを訪問。四十五年七
月、ブラジル。四十九年七月、ガーナ。五十二年七月、メキシコ、再びブラジル、アメ
リカ、ハワイ、など海外を飛び回り、海外生長の家会員の布教指導に熱を入れている。
著書もこれまで『谷口清超宗教論集』『谷口清超人生論集』など多数で、家庭におい
ては二男二女の父親だ。また、清超の長女・佳世子は、三島事件で自衛隊に突入した
「楯の会」の古賀浩靖と結婚している。
ところで、東大卒のエリートという申し分のない学究肌の清超だが、公称三百三万人
の宗教組織の長として適任なのかどうか。
多難が予想される谷口清超の船出
谷口清超は文学青年ということだが、新しもの好きで、パソコンやワープロなども使
いこなすという。性格も良いということだが、三百三万人の大組織を動かすには、性格
が良いだけでは務まらない。ある程度のカリスマ性が要求されるのだ。
まして、先代・谷口雅春はカリスマの塊みたいな人間で、その性格が組織をぐいぐい
と引っぱってきた会員にもまた、それが総裁の魅力にもなっていた。だが清超には、そ
れが欠けているというのだ。
六十年六月、先代・谷口総裁が他界したとき、多くの会員たちは、
“虚脱状態”
になったという。創始者が亡くなり、沈みかけている組織を、清超はどこまで盛り上げ
ることができるのか。また、その力量はあるのか。
「それと、もうひとつ心配ごとがあります」
というのは、出版物を押し付けられて苦労しますと言っていた前出「白鳩会」の会員で
ある。心配ごとの中味はこうである。
生長の家は、出版宗教と呼称されるほか、他の教団からは“生長の家は白鳩会で支えら
れている”と評価されるほど、教団内における白鳩会の存在が幅をきかしている。
その白鳩会の総裁を長年、先代の谷口雅春夫人の輝子が務め、同会の実権を握ってきた。
また、輝子同様、清超夫人の恵美子もしろ鳩かいには相応の影響力を持っている。恵美子
は『飛べ!!平和の白鳩』(共著)の著書も持っているほどだ。教団内には一時期、二代目
総裁に恵美子を、との話しが出たこともあったらしい。
先の「白鳩会」会員が口を開く。
「雅春先生がお亡くなりになったでしょう。いくら白鳩会が強いといっても、雅春先生の
前では子供みたいなものです。その先生が亡くなって、白鳩会を押さえる人がいなくなっ
たんです。清超先生には、まだそのお力はないでしょうしね。そうしますと、白鳩会がど
んどん頭角を現わして、その頂点に輝子夫人、恵美子夫人がいるとなりますと、清超先生
の存在価値はますます薄くなってまいります。
総裁という教団の看板が消えているようでは、組織は必ず乱れてくると思うんですよね」
生長の家二代目総裁・谷口清超の船出はどうやら多難の雲行きである――。
「神霊界」復刻版1986年発行 出版者大日本修斎会
「神霊界」1919年(大正八年)二月一五日号
入信の経路参綾の動機 谷口正治
私はメエテルリンクの静穏閑雅な愛に充ちたような思索が好きであったと同時に
オスカーワイルドのような華爛な美装に充ちた生活も厭わしいものとは思いません
でした。唯厭わしいのは善でも美でもない平板単調劣悪な生活でした。『俺は美し
ゅう生きている』という感じか、あるいは『俺は聖者のように生きている』という
高い満足かどちらかがなければ生きたとは思われないのでもがいていましたしかし
ながら、どうかすると貴族的な芸術的な美的生活というものは善なる生活と背反す
るものであります。『色彩の感覚すら善悪を超越する』とワイルドはいっています
通りです。他人は筆で物語を紙に描くであろうが、私は私の肉と血とで人生に戯曲
を描こうと思った時、私はある前科ある女と物語を作っていました。初犯は朋輩と
協力して姉芸者の情夫を殺そうとした未遂で、第二犯は『お七吉三』が見たいため
の窃盗犯でした。全く理性のないような、情熱ばかりのような、その点がひどく私
を魅惑しました。私は心に既に脚色をもっていて人生の上に戯曲を描く快感を貪り
ながら、ある暑中休暇の数日を故郷で暮したまま、急いでその女と再び東京へ旅立
ちました。私の人生の戯曲は第五幕が脚色通りに来て愁嘆な別離の場は悲しげに幕
がとじました。しかし戯曲は終っても人生は続いていました。彼女は私に別れとも
ながっていたし、私はすべての善の感情の源泉である憐憫の感情の纒縛の中にいて
いましたもが真とに美しい生活とは想像的同情に充ちた生活ではないか。憐れな者を
虐げてその者の苦しさを『よう酌みとらぬような』似而非芸術的生活が何になる?
愚劣な実に醜い生活である!オスカーワイルドのような美のために美を求めた快楽
主義者も獄中にあって始めて『他のために苦しむのがどんなに楽しいか』を知った
のである。彼は基督の『敵を愛せよ』という聖訓を『愛は憎みよりも美しいから』
と注釈している。然り善であると同時に美しい生活は愛の生活より他にはない。
私は彼女の愛護者となろうではないか。愛がどんなに美しいかということを人生に
示そうではないか。愛は他を聖化するに相違ない。たとえ相手が前科者であろうと
も。誰も相手にしない憐れな罪人を愛するのは甚麼に楽しいか。改心したい罪人
でありながら、社会が偏強で許しのないために罪を重ねる人々がこの世に甚麼に多
いだろう。私が彼女を愛し続けるのは彼女一人の救済のためではなくその様な不合理
な社会に対する第一戦を挑むのである。『万人を許し得る事によってのみ人は神に
近付き得る』私はそう考えていました。
私は早稲田の文科でその頃特待生でしたから、授業料免除なのを幸い一人の学資で
二人で暮していました。その中に故郷にその事が知れたので、一人分の学資さえも
来なくなりました。私は故郷へ書を送りました。
『私は人を愛すな許すなという事には断じて従う事は出来ません彼女は罪人である
から私は彼女を憐まずにはいられません。私だけが彼女を愛し得る唯一人です。
もし私が彼女を愛し許さなかったら彼女は再び堕落するでしょう』
舞妓上りの前科者に関係した堕落した一個の青年=が私でしたしかし私は考えて
自ら慰めていました。小間使に関係した華族の若様から一口にいってしまえば何の
価値もないけれどもトルストイの『復活』の主人公を誰れが敬意を払わずにいられ
ようと。大本の霊統の問題が正しく理解されていたなら他に正しい善美な生活が見
出せていたでしょうに、ともかくもその時は真面目にそう考えて社会の偏強な道徳
観に戦を挑んでいました。
生活は日に日に窮迫して来ます。社会から非常な迫害を受けて、飲まず食わずで
震えながら路宿した事も数日ありました。カタストロフィーはいよいよ来ました。
彼女は彼女の親の財産を持出して私に貢いだしたために、その親は彼女を私に秘密
で台湾へ売ってしまいました。
私はその後ある紡績工場の工場管理者の一員となった側ら、小さい文芸雑誌を大阪
で発行してこう書いていました。『天上の火は終に地上に移すべからざるものである
か。真の憐愍は遂に現実し能わざる空想的の産物か。自分は官能と技巧との生活より
憐愍の生活に移り行った。しかしてその生活は遂に破れた。そうだ霊魂の享楽に疲れ
たものには官能の享楽の他はない。肉は霊を癒す…………』と。如何に私がその頃
霊肉の間に、美と善との間に迷っていたか。そして現代の地上の生活を白眼視してい
たかはこの抜粋を見ても解るでしょう。
憐愍の現実化に失敗して現代社会に呪詛の第一声を上げた私は、人生を戯曲化する
事ばかり考える耽美主義者になろうとしていました。この新らしい人生の戯曲に恋愛
の三角システムをなしたのは、私と、私の仮宿する上役の妹とそうして殊更に私がそ
う考えることを望んでいた所のあたかも鳩を救うと同時に秀鷹をも禿せんがために全
身を犠牲の秤にかけた仏陀にも等しく、他の幸福のために自分の幸福を売った娼婦と
でした。
初心な少女が恋人に捨てられて自殺する戯曲がホフマンスタールだかシユニツツラー
だかのものにあってその頃読みましたが、少女を象徴として表わされたる人間に内在
する美が悲劇のプロツトを通して濃厚に蒸留されているように感じました。美酒のよ
うな人間内在の美は平俗な場合においてよりも悲劇の場面において高調して表われま
す。人は美的鑑賞の生活が過度に増長して来る場合には、実人生に悲劇を作為して
残虐から滲み出る人間の内部的美味をさえ貪ろうと致します。しかし翻って自己の内
なるものの教にひざまずく時、私は私の恋愛の欺瞞的脚色が贖罪の道も絶れたる陋劣
な事だと思われる日がありました。
娼婦は私に病気を感染していたし、私はその病気が上役の妹に感染しなかった僥倖を
望んでいました。私は彼女の様子や言葉の端々まで観察しました。私は彼女が病気を
はずかしがって隠しているんだろうと想像しました。私は彼女に尋ねて見ました。
彼女は答えませんでした。生ながら腐れ行く肉体の潰爛の恐ろしさ。それは実に言葉
で頒つことも慰められることも出来ない、純粋な孤独をもって忍ばねばならぬ恐怖だ
と考えました。相手が治療されている事を知らずに治る神術もがなと考えていました。
催眠術を研究したり医学書を漁ったりしました。
よい明案もないので私は黴菌の伝染という思想を否定し出しました。伝染病といえ
ども各自に特発するのであって決して伝染するのではない。その病気の発生するに適
する状態即ち適度の温度と湿気と場所とそしてその人の道徳的状態に従って発生した
り発生しなかったりするのである。医学も最初の病原菌発生は何に依るかを答えられ
ない。こう私は一種の哲学の蔭に隠れて自己の内なる霊の呵責を出来るだけ軽減しよ
うとしていました。
到底私は道徳家でした。耽美生活で少し行くと直ぐに行き詰って内なる霊の呵責に
後もどりばかりさせられるのです。しかしいわばそうさせられていたので、耽美生活
も人生の戯曲化もなかったら病気もなかったし、従って神変不可思議な神術を求める
必要もなかったし大本に近付くことが出来なかったかもしれません。
その後その上役の妹は家事の都合でその家にいなくなりましたが、私の病気が重く
なって困っていると、以前の娼婦が自花を付けて見舞に来てくれたりなどしましたの
で仮構的な愛が真実の情愛に変化して、私はその女を本当に恋いるようになりました。
前科ある女を愛していた時の、貧しきもの憫れなものに対する熱愛が私の心に再び
戻って来ました。私はこの社会的地位からいえば気の毒な軽蔑されている者の上に、
敬虔な愛情を心から捧げる事を喜びとしていました。が私は病気の快復すると同時に
明石へ転任を命ぜられました。
私は明石から時々彼女に会いに行ったし、給料の大部分は彼女のために使って彼女
が一日も早く苦界から釈放されることを望んでいました。
彼女は約束の年期よりも早く借金を払ってしまいました。しかし彼女はもう私に叛
いていました。私は苦しかった。しかし私はこう彼女に書いていました。
『愛が叛いた心で受けられたという事は、それが一層敬虔な愛情で報いられたに
較べれば悲しい事に違いありません。しかし私が冷たく愛したために当然貴女に冷た
く報いられたと考えるよりは幸福です。何故なら私は自責せられないからです』
何者かを常に愛せずにはいられないような私は、女の愛から労働者に対する愛に遷
って往きました。定められた忍従の時間を、それがあたかも替え難い運命であるべき
かのように、懶惰な監督者や資本主の頤使の下に、謙遜に立働いている彼等を見ると
暴君に対する反抗と弱者に対する哀憐の感情に驅られずにはいられませんでした。
彼等は彼等の労働が貧しき人を裕にすることのない代りに、益々富の分配を不公平に
するのを知らないもののように働いていました。理は最低賃金を以って最良品を最も
多く生産する事のために職工を管督する役目なのです。私は彼等を監督するよりも労働
の負担を軽減したい欲望にかられて、時々油と垢に混れながら労働します。しかし
それは彼等の労働の負担を減じなかった代りに彼等に煙たい思いをさせました。私は
自分の役目から幾度も逃出したくなりました。富豪の手先となって労働者を虐め、
富の分配を一層不公平ならしめつつ給料を貰う生活―、ああ何という醜い生活でしょう。
私はある織物新聞に資本家と監督者に対する辛辣な風刺に充ちた創作を載せました。
工場の実際が暴露されると会社の人達は周章てたり私を罵ったり憎んだりしました。
私は私が会社にいる事が誰の幸福でもないのに、その役目に噛り付いているのは、
唯私がその日その日の食事を得るためであるのは卑怯な虚偽であると考えて会社を止め
ました。もうどんな資本家に使われる事も嫌でした。私は汚れた社会組織から全然自由
になりました。しかし如何に汚れた社会組織であるにせよ、生きている以上は何か職
を求めて食べねばなりませんでした。
私は前に研究した催眠術を思出しました。何か霊的に人と社会とを救済するような
職業―、太霊道、健全哲学や、渡辺式心霊療法やそして木原氏の耳根円通法や、いろ
いろの精神霊法を研究していると、ある日松江から『彗星』という雑誌を送ってくれ
ました。それによって永い間不満足に思っていた社会組織が根底から立替えられる皇道
大本なるものを初めて知ったのです。私はその雑誌の御礼に彗星社へ『心霊療法の
骨子』と題する原稿を送りました。それは私がほとんどすべての心霊療法を研究して
見た粽結でした。神という観念も宇宙の大霊という所まで進んでいたし、従来神界が
未完成であったという大本の思想にも少く接近して『人間は不幸があるのは神に不幸
があるのである』とそれには書いていました。所が彗星社の岡田射雁氏からの返事に
『時節到来の節には早速掲載致すべく候えどもその時節なるものの何日到来するかは
明言致し難く』と大本式の面白い文句でした。ところがその原稿は直ぐ翌月即ち九月
号の『彗星』誌に皇道大本の記事と相対する頁に載せられていました。それが動機で
参綾の時節が来たのでした。そして私は綾部で初めて、自分の内なるものの審判に恥
じない生活を見出しましたそれは実に各人の働きが人類の喜びであるような生活でし
た。過去を振返って見ますとすべてが大本へ入る前の予備試練のように考えられます。
日本評論(昭和十二年一月)
「生長の家」盛衰記 笠木耕二
一、
無数にちかい新興類似宗教の中で、もっとも頭角をあらわして世の注目を惹いた
「皇道大本教」が不逞不遜のかどで哀れ壊滅の悲運に遭い、つづいて「教育勅語」や
人倫道徳を売り物にした「ひとのみち」教祖が皮肉にも自らの桃色事件で検挙されて
も、今様穏田の生神様谷口雅春だけは未だに無難でいるばかりか、このごろは鳥なき
里の蝙蝠のようにいよいよ図に乗ってノホホンをきめ込んでいるかに見える。加うる
に家付の大番頭を以って自任する前陸軍主計総監辻村楠造は「生長の家の出現は釈迦
キリストの再来だ、否寧ろそれ以上の出現であると思う。釈迦キリスト老子乃至孔子
は世界の大聖人と称せられてその発見されたところも真理であるけれども、爾来二千
余年乃至二千五百年余を経て実続のみるべきものなく、却って堕降に堕降を続けて今
日のごとき大勢を馴致している。その際谷口先生の現われたるは真に救済の主たるを
思う。」
と熱狂的賛辞を並べ、無我愛運動の伊藤証信(後に谷口とケンカ別れした)また、
「爾来私は『生命の実相』及び『生長の家』を読みつづけて居りますが、読めば読む
ほど共鳴共感を強くし、且教えられ、啓発されるところ頗る多く(中略)筆者谷口氏
の魂は現に神仏の霊を以って満たされているかのごとく感ぜざるを得ない」
と生神様谷口のために大変な提灯の持ちようである。だが果して「生長の家」及び
谷口雅春は彼等のいう如き内容を具えたものであろうか。