754 :
総合失調症:02/08/30 01:10
あげ
755 :
阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/08/30 01:10
あぼーん
あぼーん
758 :
総合失調症:02/08/30 01:15
3.
759 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 01:15
よー痴さんへ
まあ、よー痴さんがどんなにヌマエビ氏の投稿をコピペしても
どこを読んだって阿含宗の詐欺性についての記述ですので
どんどんコピペしてこのスレを終了してくれてもいいですよ。
760 :
総合失調症:02/08/30 01:17
プロテスタントでも地獄の存在認めてはるはずやが。
変なお人や。
761 :
総合失調症:02/08/30 01:17
同
762 :
総合失調症:02/08/30 01:18
大学はまだ夏休み中だぞ。
763 :
総合失調症:02/08/30 01:19
のように色々やってもおりますのでご興味ある方はお立ちよりのほど
764 :
名無しさん@1周年:02/08/30 01:20
言うのは良くないけど、否認できなかった
とても痛かった 二度と行かない
765 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 01:21
766 :
通り掛かり:02/08/30 01:22
767 :
総合出張症:02/08/30 01:24
768 :
通り掛かり:02/08/30 01:24
自律神経失調の事ね。低血圧?
769 :
総合出張症:02/08/30 01:27
ここはちょっと今取りこんでいるみたいで
すね。今度また来ます。僕でもでもでも種
う教できますか。もうだいたい直ったので
すが。自律神経の方は調子良いです。。。
770 :
総合出張症:02/08/30 01:29
横の幅は20文字にそろえたら良いですか。
上のコメントは19文字になってしまいまし
た失礼しました、しました、しました、、。
771 :
名無しさん@1周年:02/08/30 01:33
>>770 大丈夫かおまえ、不眠症か?オレもそうだけど。
飲みすぎるなよ。酒は不眠症には効かんぞ。
772 :
総合失調症:02/08/30 01:39
>>771 1234567891011121314151617181920
ありがとう、あしたまたこのじかんにきます。夜はあまりよく眠れな
いので、外に出てパソコン喫茶に来ています。もう返らないとしから
773 :
名無しさん@1周年:02/08/30 01:41
>>
774 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 01:43
775 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 01:43
776 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 01:56
777 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:12
「桐山氏は阿闍梨か?」 16-1.信者の争奪戦
北野師との対立が始まった一番の理由は、信者の取り合いです。
当時の観音慈恵会の信者は、桐山氏の師匠である北野師の所にも出入りしている
人たちがかなりいました。
念力の護摩や超能力などの密教ブームに乗って売り出し中の桐山氏にしてみれば、
北野師からは学ぶものは何もないばかりか、信者を引き抜く商売仇です。
信者の引き抜きに腹を立てながらも、北野師と公式に絶縁ができなかったのは、
照真秘流があまりに弱みだったからです。
長年に渡り、照真秘流を看板にしていたのに、1975年の復刻の広告で、真言宗の
秘伝ではないことがばれて、信者に言い訳を繕う必要に迫られました。
桐山氏にとってこのピンチはチャンスでした。
言い訳を構築することになれば桐山氏の得意分野です。
北野師をかばうために沈黙していたなどと自分を正当化し、全責任を北野師に押
しつけて、一気に北野師との関係を断ち切ることで、教団を守ろうとしました。
照真秘流という宗教的な大義名分を表書きにして、実際には、信者の取り合いで
もめていた北野師と縁を切るのに利用したのです。
778 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:13
「桐山氏は阿闍梨か?」 16-2.信者の争奪戦
桐山氏には、照真秘流の元ネタがばれたことは大した問題ではありませんでした。
宗教的な中身など、桐山氏の手の内で誰にも見えないのだから、彼の詭弁をもっ
てすれば、信者をだまし続けることは簡単です。
後に、照真秘流などから寄せ集めた雑多な密教にすぎない内容を、阿含密教と称
して、あたかも釈迦仏教であるかのようにすり替えた特異能力の持ち主です。
照真秘流が何者だろうが、ばれようが、桐山氏には大した問題ではありません。
桐山氏にとって深刻なのは、信者の数です。
信者の数は教団の勢力であり、金銭と直結します。
大教団を作り、伽藍の中で聖者としてかしずかれ君臨することが夢である桐山
氏にしてみれば、北野師は師匠どころか、邪魔者でしかありませんでした。
北野師との決裂は一見、照真秘流という宗教上の争いのようにみえながら、水面
下では、数年前から信者の奪い合いという泥仕合が始まっていたのです。
779 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:14
「桐山氏は阿闍梨か?」 17-1.信者よりも教団
両者の激しい誹謗中傷合戦が始まると、信者の取り合いが表面化します。
北野師側は報復として桐山氏の前科を暴露しました。
両者の中傷合戦は当時「宗教を現代に問う」を連載していた毎日新聞にまで取り
上げられました。
桐山氏は、北野師と二股をかけている信者をスパイさせて、行かないように言う
など、教団を守るために必死でした。
透視能力があるのなら、スパイなど使う必要もなかったでしょう。
桐山氏は口癖のように「信者が一人もいなくなっても、自分一人で托鉢から始め
ればいい」といいます。
解脱した自分は何ものにも執着しないというお得意のポーズです。
これが本心で、自分に自信があれば、信者を引き留める必要などありません。
確かに桐山氏は信者個人には執着がありません。
役に立たないとか、桐山氏の気に入らない信者は、職員でも先達でも、何のため
らいもなく切り捨てられ、きれいに忘れさられます。
執着しているのは数としての信者であり、誰であるかはどうでもいいことです。
百人がやめても、無知な百人が入信すれば桐山氏には同じことです。
780 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:15
「桐山氏は阿闍梨か?」 17-2.信者よりも教団
桐山氏が執着しているのは自分の教団です。
教団の構成要員である駒としての信者がほしいだけです。
信者を守りたいのではなく、自分の教団を守りたかったのです。
自分が築き上げたという自負心と強い執着のある教団が、かつての師匠によって、
土台を揺さぶられていると危機感をつのらせていました。
北野師が実際に信者を引き抜いていたかどうかは問題ではありません。
実際に教団が危機に陥っていたかどうかではなく、攻撃を受けると、程度にかか
わらず、桐山氏の頭の中では警報が鳴り続け、止まらなくなるのです。
教団への妄想的な危機感が、北野師を攻撃し、前科をばらされるという、返り血
をあびるような愚かな選択をさせたのでしょう。
桐山氏は自分や私有物である教団が攻撃されていると感じると、冷静さや度胸を
失い、こっけいなまでにヒステリックな反応を示すのが常だからです。
781 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:16
「桐山氏は阿闍梨か?」 18-1.教団の守りは無能無策
観音慈恵会は桐山氏の私有物であり、彼は創業の社長ですから、会社を乗っ取ら
れるなど、プライドにかけて許されることではありません。
桐山氏はこういう時には過剰なまでの防衛反応を示します。
ある時、幹部信者が組織運営をもっと自分たちに任せてほしいと申し出ると、桐
山氏は「出て行くのはキサマらだ!」とどなりつけたことを自慢していました。
幹部信者たちは、桐山氏の一貫しない運営を正常化しようとしただけでしょう。
だが、桐山氏はこれを教団の乗っ取りと受け取り、過剰反応したのです。
透視能力があるはずなのに、幹部たちの気持ちも透視できず、しかも、何年も後
になって、どなりつけて追い出したことを自慢しました。
教団に強い執着を持っている割には、教団の守りは見事なまでに無策です。
桐山氏は攻撃が主体なので、好対照に、守りはまるで無能です。
適当な手だてが思いつかないという知性の問題だけでなく、桐山氏は攻撃を受け
ると頭に血が上って、冷静さを失ってしまうからです。
782 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:16
「桐山氏は阿闍梨か?」 18-2.教団の守りは無能無策
1980年代末にオウム真理教が阿含宗の信者の引き抜きを始めて、実際信者が流れ
ても、具体的な対策が何もとれませんでした。
オウム信者が道場の前でチラシ配りしたので、職員がどなりつけて追い返したの
を法話で自慢していました。
どなりつけ、それをまた自慢するのですから、チンピラ程度です。
桐山氏は、守りが無能だと自覚することはなく、自分は完璧な知恵者だとかたく
信じて、今もどなりつけています。
しかし、弱みまで握られているかつての師匠では、桐山氏の唯一の防衛策である
どなりつけることは通用しません。
仏陀の智慧を自認する桐山氏のとった防衛策とは、北野師に全責任を押しつける
ことであり、結果、前科をばらされるという彼にとっては最悪の結末でした。
前科を暴露されて霊障物語を作り、嘘の上にさらに虚の話を作り上げることにな
ったのですから、この防衛策はその意味でも最悪であったと言えます。
783 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:17
「桐山氏は阿闍梨か?」 19. キツネとタヌキの師匠と弟子
北野師は桐山氏の師匠だけあって、決別すると、桐山氏の創作である千座行を大
白身千座因縁解脱法として、金剛院派の中にちゃっかり取り入れています。
北野師の、何のツテもない高野山にいきなり桐山氏を連れて行く度胸のよさや、
他人の本を切り売りするだけの照真秘流など、今日の桐山氏を彷彿とさせます。
弟子は、照真秘流を権威に自作の千座行の伝説を信者に宣伝しておきながら、嘘
がばれると、師匠に全責任を転嫁して、口をぬぐってしまいました。
宗教詐欺師の師匠と弟子をはるかに超えて、キツネとタヌキの化かし合いです。
二人はまるで双子のようによく似ていました。
桐山氏はよく「因が縁を呼ぶ」と言います。
簡単に言えば、類は友を呼ぶ、レベルの似た者が集まるという意味です。
嘘の多い桐山氏の教えですが、北野師との関係においては、この教えが正しいこ
とを身をもって示しています。
北野師と公式に決裂した1975年、「変身の原理」が角川書店から再刊されたこと
もあり、信者が増加していました。
反面、超能力開発が空宣伝であることに気づいたり、桐山氏の前科を知ってやめ
る信者もたくさんいました。
北野師からの信者の引き抜きはあっても、出入りが激しいことが幸いして、致命
的な打撃にはなりませんでした。
むしろ、阿含宗の立宗や、北野師がばらした前科を逆手に霊障物語を作り上げ、
教団を発展させたと言ってもいいでしょう。
桐山氏の希望どおり、百人がやめても、何も知らない百人が入信しました。
観音慈恵会は知名度が低かったので、だませる一般人が多数存在したからです。
784 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:18
「桐山氏は阿闍梨か?」 20.唯一の師から何を学んだか
桐山氏が北野師から最もよく学んだことは、宗教そのものではなさそうです。
信者をいかにうまくだますか、いかに外部の権威を利用するか、北野師の大胆で
ズボラな手法を桐山氏は実によく学び、後に実行しました。
北野師は照真秘流の本から盗用したにすぎないのに、自分こそは秘法の継承者で
あるように自称していました。
桐山氏も、他人の書いた本を丸ごと密教占星術奥伝と称して、伝法会で金をとっ
て信者に講義しました。
北野師は「渡印入蔵沙門」と称して、チベットで一年八ヶ月修行したなどと、パ
ンチェン・ラマの名前まで出して宣伝しています。
桐山氏はチベット仏教から寄付によって法位法号をもらうなど、ダライ・ラマな
どの権威をたくみに利用しています。
北野師は「小乗と大乗と金剛乗である現代は、まさに応用仏教でなければならぬ」
と書いています。
桐山氏の「阿含宗は北伝、南伝、東伝を合わせた完全仏教」とそっくりです。
あちらこちらからの宗教を切り張りし、寄せ集めて、師匠は「応用仏教」、弟子は
「完全仏教」と称しているのです。
北野師が応用仏教を書いたのは1974年頃、桐山氏の完全仏教は1995年頃ですか
ら、決別から二十年たっても、弟子は師の教えを忘れませんでした。
桐山氏が最も学びたいと思っていた宗教詐欺を、彼自身を教材にして実行してみ
せる、すばらしい師匠についていたのです。
北野師は、自分の教えた宗教詐欺を見事に開花させてみせるすばらしい素質を持
った弟子に恵まれました。
785 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:19
「桐山氏は阿闍梨か?」 21-1.詐欺を見抜けなかった超能力
北野師の照真秘流にだまされた件は、桐山氏の自己宣伝の実態を知る上で重要な
ことが含まれています。
それは、長年、桐山氏が北野師の正体も照真秘流の中身もまるで見抜くことがで
きないままであったという点です。
桐山氏が求聞持法を成就した時期は明らかにされておらず、著書では「四十歳を
こえていた」とありますから、1961(昭和36)年以降になります。
1971(昭和46)年に「変身の原理」で世にデビューしたとき、すでに5つの超人的
能力を獲得したと書いています。
ところが、「変身の原理」の著者略歴には金剛院派の副管長という肩書きと、北野
師に師事したことが書いてあります。
桐山氏が金剛院派の副管長を降りたのは1972年で、北野師に師事していたこと
を本に書かなくなったのもこの後です。
これらの著者略歴は、超能力を獲得したはずの後も、北野師の詐欺行為を見抜く
ことができずにいたことの証拠です。
786 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:20
「桐山氏は阿闍梨か?」 21-2.詐欺を見抜けなかった超能力
桐山氏の獲得したという5つ超人的能力の一つ目に、
「事物の明確な認識と予知および正確な選択力」
とあります。
北野師や照真秘流に対する明確な認識はどうしたのでしょう。
後で嘘だとわかって大騒ぎになることは予知できなかったのでしょうか。
この一例だけでも、桐山氏が自己宣伝した5つの超人的能力など、いかに根拠の
ない思いこみにすぎないかが、はっきりとわかります。
ただし、「正確な選択力」だけはあったかもしれません。
宗教的な詐欺に長けた北野師を、生涯唯一人の師匠として選択したのは、桐山氏
にとってはたしかに「正確な選択力」でした。
787 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:20
「桐山氏は阿闍梨か?」 22.北野師の僧歴
ケンカ別れした北野師が、桐山氏に有利な証言をするはずがありません。
北野師が「潅頂していない」と言っても、信用できるどうかわかりません。
つまり、桐山氏は北野師から伝法潅頂を受けた可能性も残っています。
そこで、北野師の経歴をもう一度見直してみましょう。
北野師の真言宗金剛院派の本覚寺は、元は浄土宗の寺でした。
北野師は浄土宗の僧侶でした。
戦後、彼は本覚寺を勝手に真言宗金剛院派と改めました。
真言宗金剛院派といっても、北野師がそう名乗っているだけで、高野山真言宗と
は関係のない、真言宗系の新興宗教にすぎません。
北野師が浄土宗の僧侶であることは確認されていますから、正式な僧籍をもった
僧侶です。
だが、浄土宗の僧侶だからといって、真言宗の伝法潅頂をする資格はありません。
北野師はいつ誰から伝法潅頂を受けて阿闍梨になったのでしょうか。
北野師の「照真秘流教伝書」には、初版の著者に「金剛仏子晴弘」とあります。
「金剛仏子晴弘」とは、北野師の師匠で浦野耕牛氏のことです。
浦野氏は真言宗を名乗っていますから、彼から北野師は伝法潅頂を受けたのでし
ょう。
桐山氏が北野師から伝法潅頂を受けたとしても、北野師が本当に阿闍梨かどうか、
さらにはその師匠の浦野氏が阿闍梨かどうかが問題です。
真言宗では法脈が大事で、その前の一人でも正式でない者がいれば、以後、すべ
ては資格がなくなります。
浦野氏とはどのような人物なのでしょうか。
浦野氏は、戦後、脱税目的に作られた皇道治教の教祖の一人でした。
788 :
名無しさん@1周年 :02/08/30 02:23
「桐山氏は阿闍梨か?」 23.宗教詐欺師の法脈
皇道治教は、宗教法人を悪用して、脱税することを目的にしたフランチャイズ方
式の宗教で、浦野氏は教祖の一人でした。
皇道治教が検挙され始めると、浦野氏は自分の教団を真言宗高野山大師教と、あ
たかも伝統宗教の一派であるかのように名前を変えてすりぬけました。
北野師の真言宗金剛院派、桐山氏の真言宗大日山金剛華寺と同様に、真言宗高野
山大師教は高野山真言宗とは何の関係もない新興宗教です。
浦野氏は戦時中は憲兵だったといいますから、僧侶ではありません。
戦後、食うために皇道治教で一旗揚げようとしたのでしょう。
正式の僧侶なら、戦後、雨後の竹の子のように出現した新興宗教の中から、わざ
わざ脱税目的のいかがわしい宗教を選ぶ必要はありません。
金剛仏子晴弘こと浦野氏は、管長、大僧正を名乗り、易者をしていたそうです。
桐山氏も「金剛靖雄」を名乗り、管長であり、自前で大僧正を名乗り、占いの本
を出し、真言宗を権威に使い、僧侶の資格がないなど、浦野氏とよく似ています。
偶然とはいえ、セイコウとセイユウと名前まで似ています。
北野師の著作の奥付を信じるなら、照真秘流を最初に盗用したのは、北野師では
なく、浦野氏であることになります。
北野師は脱税目的の宗教団体で、このような人物を師として仰いで、指導を受け
たのです。
こうしてみると、北野師と桐山氏という双子の宗教詐欺師という図式ではなく、
浦野氏から三代に渡る宗教詐欺師の系譜であることがわかります。
「千座行教典」の法脈の系図には、大日如来から始まり、「・・、晴弘、恵宝、靖
雄」と続いています。
789 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/30 02:58
790 :
名無しさん@1周年:02/08/30 10:01
>>772 総合失調症さんこんにちは。かわったHNですね。
ここはごらんの通り、嵐がひどいので相談は無理かもしれませんね。
でも、荒らしは午前0時から午前3時までと決まっていますので、
そのほかの時間でしたら相談できますよ。
たぶん、夜の夜中にわざわざパソコン喫茶まで行って荒らし行為を
されているんでしょうね。IPなど証拠が残るのが嫌なのでしょう。
でも、嵐の内容と録音が全く一緒だったらどうなるのかな?
791 :
名無しさん@1周年:02/08/30 10:04
>>772 総合失調症さん、それと、次数は一行20字じゃなくても良いです。
むしろ、行にでこぼこがあったほうが自然なので、一行ごとに、字数を変え
た方が良いですよ。字数を揃えていると、かえって誤解されます。
792 :
名無しさん@1周年:02/08/30 10:05
ハンドル名変えました。だけど、私のコメントが見つからないよ。
どの当たりだったのでしょうか?
794 :
名無しさん@1周年:02/08/30 11:00
796 :
名無しさん@1周年 :02/09/14 23:53
よー痴さんの嫌がらせ大量コピペも阿梵していただきましたので、
スレもすっきりしたところでヌマエビ氏の投稿を再開します。
797 :
名無しさん@1周年 :02/09/14 23:53
「桐山氏は阿闍梨か?」 24.阿闍梨ではありえない
北野師は浄土宗の僧侶ではあるが、真言宗の阿闍梨ではありません。
北野師は桐山氏に伝法潅頂する資格そのものがないことになります。
つまり、仮に北野師から伝法潅頂を受けたとしても、桐山氏は真言宗の正式な阿
闍梨ではありえません。
桐山氏が北野師から伝法潅頂を受けたとすれば、証明書があるはずです。
伝法潅頂を疑われたら、証明書を見せれば済んでしまうことです。
だが、仮にあったとしても、桐山氏は出すことはできません。
資格のない北野師が出した証明書では、桐山氏が自称・阿闍梨であることを文書
で証明するようなものだからです。
桐山氏が阿闍梨であるかどうかは、簡単にまとめれば次のようになります。
第一に、伝法潅頂を授けてもらったという北野師も、証明師の大原師も否定して
いるのですから、桐山氏は阿闍梨ではありません。
第二に、仮に、北野師が実際には伝法潅頂をしていながら、嘘をついても、北野
師が自称阿闍梨では伝法潅頂自体が無効です。
偽医者の作った偽の国家試験に合格した偽医者のようなのものです。
真言宗が法脈を重視している限り、桐山氏はどこをどうひっくりかえしても、真
言宗の僧侶の資格はないし、阿闍梨ではありません。
桐山氏は、僧籍詐称には沈黙し、批判を無視し、その代わり、発展途上国などか
ら金で法位を買い取りました。
だが、外国からいくら法位を購入しても、阿闍梨を詐称していることの帳消しに
はなりません。
取得するのにさして難しくなかった僧籍すらも詐称し、大僧正も自称する桐山氏
の宗教心とはいったいどのようなものなのでしょう。
798 :
名無しさん@1周年 :02/09/14 23:55
「桐山氏は僧侶か?」 25.資格もないのに行法を教える
桐山氏は阿含宗を立宗し、宗祖になっています。
真言宗ではないのだから、真言宗の僧侶である必要はないという見方もあります。
桐山氏が真言宗の行法を利用していないのなら、この理屈は成り立ちます。
だが、桐山氏は阿含宗の伝法会で信者に対して、金をとって真言宗の行法を伝授
しています。
伝法内容も真っ先にあげられているのが四度加行、つまり如意輪法、金剛界法、
胎蔵界法、不動法、不動護摩という真言宗からもってきた行法です。
伝法会の神髄は合同講義だと桐山氏はいいますが、合同講義とは例祭での話と同
じようなホラ話、自慢話の羅列にすぎません。
伝法会の売り物が四度加行であることは明らかです。
真言宗の僧侶の資格のない桐山氏が、信者に真言宗の行法を伝授するというのは
問題にされて当然です。
いかに国家資格ではないとはいえ、仮にも仏に仕える者が、阿闍梨であると偽っ
て伝授するのは、信者ばかりでなく、仏に対する詐欺行為です。
桐山氏は、どこに出しても恥ずかしくない由緒正しい真言宗の行法であると信者
たちに告げています。
小田慈舟大僧正から伝授された三宝院流憲深方という正統な権威と法脈のある行
法であることたびたび強調します。
この点はどうでしょうか。
799 :
名無しさん@1周年 :02/09/14 23:57
「桐山氏は阿闍梨か?」 26.小田師からの伝法
桐山氏は阿含宗の行法が小田慈舟師からの直伝である証拠として、小田師からの
伝法の際の録音テープを伝法会で信者に聞かせています。
著書には、1972年に小田師から伝法を受けた時だという写真を載せています。
小田師からの伝法は、マスコミの調査と桐山氏の本からを合わせると、次の3度
になります。
1970(昭和45)年8月、護国寺での小田師の講義で、未入壇の疑いで途中から退席
させられる。
1970(昭和45)年11月、広島にある小田師の城福寺で如意宝珠法を伝授される。
1972(昭和47)年、観音慈恵会京都道場で、金剛界法、胎蔵界法を伝授される。
後の2つが本当にあったかどうか、疑問視する声もあります。
800 :
名無しさん@1周年 :02/09/14 23:58
他の僧侶たちの面前で退席させられた桐山氏が、そのわずか3ヶ月後に、同じ小
田師から伝法を受けたとは考えにくいことも事実です。
堂々と思いこみで嘘を本に書いてしまう桐山氏の話では、録音テープや写真とい
う証拠を示されても、どこまで信用していいのか疑問が残ります。
小田師の生前には沈黙し、亡くなってから、死人に口なしとばかりに、本に公表
している点も、桐山氏らしいやり口です。
しかし、ここでは桐山氏の話をとりあえずそのままにしておくことにします。
なぜなら、小田師もまた他の多くの人と同様に、桐山氏にだまされた可能性があ
るからです。
桐山氏への批判本を初めて書いた真言宗の織田隆行師は、その著書のなかで、小
田師が桐山氏について次のように述べたと伝えています。
「彼の正体は後でよくわかり問題にしておらない」
つまり、最初は桐山氏の正体がわからず、小田師は桐山氏に何らかの伝法をし、
その後、正体を知り、付き合いをやめたともとれる発言です。
これは桐山氏の性格を考えるとありえない話ではありません。
801 :
名無しさん@1周年 :02/09/14 23:58
「桐山氏は阿闍梨か?」 27.小田師をだます
桐山氏は、1970年8月の護国寺での小田師の講義で、阿闍梨の資格を疑われて、
途中で退席させられています。
桐山氏の性格からすれば「今にみておれ」という気持ちだったでしょう。
桐山氏は、僧籍詐称の代わりに外国から法位を購入したように、身から出た錆を
反省するのではなく、話をそらして、別な形で取り返すのが得意です。
言葉巧みに小田師に近づき、取り入ることに成功したのでしょう。
桐山氏は、自分が大物だという印象を与えるのが得意です。
多くの人がこのハッタリに引っかかり、信者になりました。
桐山氏と最初会って話をすると、たいていの人は、何か大人物なのではないかと
いう印象を持つようです。
桐山氏の伝法潅頂の証明師であることを否定した大原師でさえ、
「受けた感じでは熱心な求道者であるなー位でした」
と、桐山氏の第一印象が決して悪くなかったことを述べています。
阿闍梨の資格を正式にとるという普通の解決方法を桐山氏は選びませんでした。
自分を拒絶した小田師本人から伝授を受けるという、自分の溜飲を下げるための
方法を選びました。
まじめな小田師を、海千山千の桐山氏が手玉にとるくらい訳のないことです。
要するに、小田師もまた桐山氏にだまされたのです。
桐山氏は得意満面で、1971年の「変身の原理」から1974年の「説法六十心1」
までの本の経歴に「小田慈舟大僧正に師事」と書いています。
師事というと、まるで弟子として長年仕え、真言宗のすべての行法を伝授された
ような言い方です。
自己申告を信じても、たった二度、それも阿闍梨であるかのように師をだまして
伝法を受けたことが、桐山氏の手にかかると師事したことになるのです。
802 :
名無しさん@1周年 :02/09/15 00:00
「桐山氏は阿闍梨か?」 28.求聞持脳には学習効果なし
小田師の護国寺での講義で、伝法潅頂を疑われて追い返されるという恥をかいた
ら、同じまちがいを繰り返さないようにするのが普通の人です。
犬猫でも、一度痛い思いをすれば、次からは気をつけるものです。
だが、5つの超人的能力を持つ桐山氏には犬猫程度の学習効果は通用しません。
護国寺でのことは限られた僧侶たちの前での話ですから、時間がたてば、当時、
名もない桐山氏のことなど忘れてくれたでしょう。
そこで正式な阿闍梨になっておけば、以後、恥をかかずに済んだはずです。
ところが、桐山氏はこのような簡単な軌道修正すらせずに、いきなり阿闍梨とし
て本を出してしまいました。
本にまで書けば、今度は世間から阿闍梨を疑われます。
本を出す一年ほど前、大恥をかいて、軌道を修正するチャンスがありながら、桐
山氏はこれを生かすどころか、わざわざスネの傷を公表し、広げました。
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名無しさん@1周年 :
ここには桐山氏の、普通の人にはない独特の心癖が如実に現れています。
普通の人なら、阿闍梨でないことを反省して、今後、こんなことで恥をかかない
ように、正式に伝法潅頂を受けるという当たり前のことをするでしょう。
ところが、桐山氏は、自分を反省し、阿闍梨の資格を取るのではなく、小田師に
取り入り、伝法を受けることで、阿闍梨の問題をすり替えてしまったのです。
小田師から由緒正しい法脈の伝法を受けても、どんな奥伝や秘伝を伝授されても、
阿闍梨でないことの問題は何も解決されません。
両者がまったく別な問題であることは小学生でもわかります。
ところが、桐山氏は、小田師から伝法を受けると、すっかり有頂天になり、阿闍
梨の問題が解決したような錯覚に陥り、堂々と本にまで書いてしまったのです。
自分ですり替えをしていながら、元の問題が解決できたと本人が信じ込み、問題
そのものを忘れてしまうのは、桐山氏の人生の随所に見られる独特の心癖です。