和尚ラジニーシ・ムーブメント

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952貴方の中の仏陀:03/02/04 19:27
ルナッチ、本の引用ではないよ。

953ルナっち:03/02/04 19:30
え?ほんとに?じゃああなた自身が書いてるの?
954名無しさん@3周年:03/02/04 19:38
>>951
それは分かるよ
だが>>949の私のレスは誤りでないよ(w
955?M?u^?I`???I`?§?E´:03/02/04 19:41
真実を見る事。
真実が見られる時、概に真実はそこに会って、
見る目を持たなかっただけだと、解る。
その目は、学識の集積を通じては、達成されるはずがない。
せいぜい、自己欺瞞に他ならないものを作り出すだけだ。
本当に知らずして、人は、エゴの満足を得るかもしれない、、
私は、知っているという、、。
これが「私は解っている」と、思うのは、無知ゆえだと、
言われるゆえんだ。
なぜだろう、、、?
人が本当に知る時、「わたしはいない」こと。
その知る事のみがある。
そこには、知るものも、知られるものもないんだよ。
この、二元性を見る事は、
全てを投げ打ち、自分が、空になる時に起る。

ルナッチ、、瞑想、真実は、議論の中には、ないんだよ。
生きる事、実践だ。

始めて、このサイトに来て、もう来る事はないと思うけど、
あなた方への、贈り物として、、。
瞑想は、、生きる事、。
956u:03/02/04 19:43
子供には刺はありません。そこには中心というものがないからです。
その中心がエゴです。子供も無垢です。それは、存在の本質の一部です。
しかし、これは比喩であって、あなたは単なる子供になる訳では勿論ない。
必要があれば、いつでもライオンに成れる。そこを通って来たのであるから
当然です。
個人とは、個と全体の両方を知った人です。個性と全体性を含んだ人のことです。
どちらか一方ではなく、モラリストでもなく、完全無欠の聖者でもない。
普通の人のことを指します。
957名無しさん@3周年:03/02/04 19:44

>>955はMacユーザーである事が判明しました。
958ルナっち:03/02/04 19:47
Macユーザーさんありがとう。
959名無しさん@3周年:03/02/04 19:49

子供が無垢であるという意見には賛成できない。
彼らの中では既に条件付けが始まっている。
もうすでに子供の時点から歯車は、ずれ始めている。
いうなれば、大人はたくさんの子供の精神の集合体のような物だ。
真実を見い出すというのは子供に戻る事ではない。
本当の意味での大人、成人として存在する事。

我々の殆どは、醜く大きくなった子供でしかない。
960867:03/02/04 20:03
>955
>ルナッチ、、瞑想、真実は、議論の中には、ないんだよ。
>生きる事、実践だ。

 お前は大きな勘違いをしている。
議論も必要なんだ。こうやって噛み付いていったらお前は
にげるだろう。
 そうやって清涼飲料水ばっかしのんでちゃだめだよ。
濁りも何もかのひっくるめて、飲み込んでそれで
消化してみな。蓮の花ってしってるだろ。
961ルナっち:03/02/04 20:08
>お前はにげるだろう。

いやあ、そこまでへたれじゃないっす。でもこういうレスがあると嬉しく思いますね。
962名無しさん@3周年:03/02/04 20:48
>>960-961
これ
会話成立してますか?
963u:03/02/04 20:48
さて、このスレの最後に(もう後はないだろうし)私がここへ来た理由を述べておこう。

私はあなたがたに超人を説かない為に来た。
私は常人を携えて来た。
さあ、ここから何かを持っていけ、と私は言う。
私は、理解した後も、どんな理想も、どんな美徳も、どんな道徳も自分に
押し付けずにいた。
そして、他人からの、どんな投影も、どんな期待にも、答えずに自分自身でいた。
私は私であるところものもを全て受け入れ、それに良しと言った。
私は、下品で、粗雑で、卑猥で、軽率で、短気で、ある全ての私である性質を
好んだ。ああ、これこそが私であるところものだ、と。
そうだ、これが、ゾルバでいること、だ。
私は目覚めた後も、大人しいブッダでいることを拒否した。
人々の期待に答え、人々に愛され、敬われる人格になることを拒否した。
そして、私は私を丸ごと受け入れた。
これこそが、Oshoのビジョンである、ゾルバ・ザ・ブッダである。

Oshoの真の弟子、その真髄とは、これである。
芸術家だの、環境派だの、自然派だの、瞑想家だの、信奉者だの、
そんなものは、Oshoの真の弟子ではない。彼らは間違えて、Oshoのとこへ
来ただけである。
この、アムリット・シャルマが象徴している性質、ゾルバ・ザ・ブッダだけが、
真のOshoの弟子であり、告知であり、香りであり、炎なのである。
そして、私は告知者としてかつて死んだ。今回来たのは、その死にぞこないである。
964名無しさん@3周年:03/02/04 21:03
堕ちたグル−−多国籍宗教のバビロン、ヒューミルン著
965名無しさん@3周年:03/02/04 21:19
>>963

要するにあんたは、死に損ないのOsho信奉者ってとこだな。
まあ俺は別にサニヤシンじゃないし、なろうとも思わないが。

966u:03/02/04 21:24
信奉者はこう願う。
「ああ、私を救って下さい。私のカルマや人格を浄化してください」
私はこう祈る。
「もし、全体に意志や知性があるのなら、その意のままに任せましょう」

前者が信仰であり、後者が信頼である。
こころが愚かでちっぽけなら、それは愚かでちっぽけなのだ!
変りようがないのだ。そんなものに何が願えるのか?
そんなものが何を願おうが、願いが叶おうが、その願いはあなたを愚かさへ導く。
そう知って、全てを諦め、全てを託すこと、これ以外何もない。
何かある、と思っているのは愚か者だけである。
967名無しさん@3周年:03/02/04 21:25
>>964
ニューミルン:70年代にオショウの『秘書』のボディガードを していた人。
アメリカにオショウが移ったら、オショウの秘書が変わって、彼はボディガードとして オショウの近くにいることが無くなった。
彼はオショウのボディガードという、すごい地位を手にいれているつもりだったので、結構ヤケニなった。
まあ、新しい秘書も政治的な人だったので、彼をいじめたのはあり得る。

本を書くに当たって、オショウの反対勢力からナニガシカを受け取ったという噂もある。
本を読んでみると、愛と怨みと両方とも出て来るのがおかしい。
大好きな人にふられて、怨みを回りにぶちまけてる人って感じ。
968u:03/02/04 21:27
>子供が無垢であるという意見には賛成できない。

そんな話をしているわけではないが、思い出した。
ラクダ>ライオン>おさなご
でした。確か。

969u:03/02/04 21:31
>要するにあんたは、

要するにあんたは
要するにあんたは
要するにあんたは

そうやって、あんたは自分自身を見ることを拒否しているだけ。
要するにあんたは病患者=イタイイタイ病患者
970名無しさん@3周年:03/02/04 21:42
>>966
どちらも『信』ということだな?
971名無しさん@3周年:03/02/04 21:44
>要するにあんたは病患者=イタイイタイ病患者

イタイイタイ病患者ヘの差別発言と受け取っていいか?
972名無しさん@3周年:03/02/04 21:49
わたしはわたしは病でつ
973名無しさん@3周年:03/02/04 21:56
>そうやって、あんたは
あんたは病患者ですか?(w
974S:03/02/04 22:31
痛みの中心

痛みは『感じたくない』と思われているので、拒絶されて否定されて、
その上に気持のいい投影を作ってごまかそうとされる。
劣等感は優越感でごまかされ、罪悪感は偽善でごまかされ、弱い気分は強い気分でごまかされる。

実際に痛みを感じてみると、すぐに痛みが消えて行くとが多い。
どうして、その回りに大伽藍を作る必要があったのか、不思議に思うことが多い。

痛みを心理的に捉えようとするのは、結構浅いアプローチ。
それより深いのは、エナジーとして捉えようとする。
『どんな色?』『どんな感触?』『どんな音?』『もし、名前があるとしたら』『もしメッセージがあるとしたら』
って、感じに より『感覚』に近い部分で見てみると 今ここにいたまま見ることが出来る。
むしろ、そのように見ていると、自分が今ここに戻って来るのが分かる。

975S:03/02/04 22:36
ああ、大切な事を忘れていた。
痛みの中心には 失われていた 本来の顔の一部が隠されています。
痛みが消えるだけじゃないです。
痛みは、『本来の顔の一部が閉じ込められている痛み』とも言えます。

弱さの痛みの中心には本来の強さが、
劣等感/優越感の中心には、自分にくつろく事が、
罪悪感/偽善の中心には、…、以下略。
976名無しさん@3周年:03/02/04 23:21
>s
2ch中毒の痛みはどうしたら取れる?
977S:03/02/04 23:29
『2ch中毒の痛み』の中心を見つけてそれと一緒にいること。
痛みを取り除こうとしないこと。
2ch中毒になっている中の人と遊んで下さい。

自分が相手をして上げるまで、2chに相手をしてもらう中毒から逃れるのは難しいのでは。。。

試してみて、レポートをお待ちしてます。(まだ、人体実験中なもので)。
978名無しさん@3周年:03/02/04 23:38
Sさんって冴えてるねえ。こういう人もいるんだとホッとするよ。
979u:03/02/05 00:14
2ちゃんねるっていうところは、まあ、場末のバーみたいなところさ。
ってまた名文書くとすぐコピペされるかな?
皆、酔っ払っている。臭い輩も居る。完全にテイメイしちゃってて、自分で何言ってのか
解らない香具師も多い。そういった香具師は、これは脅しではないが、往生際が
悪くて、死んでもやっぱりこういった世界をグルグル回ることになる。これは確実。
だって、今の自分が未来の自分を作るんだぜ。
これを馬鹿は死んでも治らない、と言うのである。
しかし、私のような椰子は、乳と蜜が流れる清らかな里などを求めない。
私は柔和な聖者など真っ平ゴメンである。娑婆のど真ん中で、酔った椰子達と
酔っ払って遊ぶ方がよっぽど面白いのである。
ここを良しとしれば、一体どこに恐いところがあろうか?
解脱とは、こういうことです、なんちて、これはガセネタ。かな?
980名無しさん@3周年:03/02/05 00:23
>要するにあんたは、
要するにあんたは
要するにあんたは
要するにあんたは
要するにあんたは、
要するにあんたは
要するにあんたは
要するにあんたは
要するにあんたは、
要するにあんたは
要するにあんたは
要するにあんたはその程度にしか目覚めてないって事だ。

981976:03/02/05 01:04
>977 :S
>『2ch中毒の痛み』の中心を見つけてそれと一緒にいること。
>痛みを取り除こうとしないこと。
>2ch中毒になっている中の人と遊んで下さい。
 
痛みの中心は仕事ができなくなったこと。
 さらにその中心には、つぎの事実がある。
 自分の仕事はPCさわること。しかも納期が長く、時間の拘束がない。
 でいつも2chあくせす可能なこと。
これが中心のもんだい。
2ch中毒の人と遊んでちゃ、痛みはなくならないようなきがする。


>自分が相手をして上げるまで、2chに相手をしてもらう中毒から逃れるのは難しいのでは。。。
じつは、自分はむしろ相手をしてあげるのがすきで、
人生相談なんかいっちょまえにしています。
 相談するのこれがはじめて。
982976:03/02/05 01:18
>2ちゃんねるっていうところは、まあ、場末のバーみたいなところさ。

神様は場末がお好きです。
983名無しさん@3周年:03/02/05 01:21
生の目的/動き

[生の目的は何でしょうという質問に対する応答]

あなたは、機械の一部だけが動いている状態にある。それを時計だとしよう。
秒針は動いているが、時針も分針も動かない。

そんな時計を見て、その目的がわかるだろうか。そこに動きはある。
一部は動いている。
だが、全体が動かないかぎり、そして調和のなかで動かないかぎり、そこに歌は生まれない。

だが、だれもがそのような状態にある。
あなたは手足を動かすが、ダンスにはならない。
あなたはうるさく音をたてるが、歌にはならない。
ダンス、歌、そして生きることの意義は、全体が調和のなかで動くときに、はじめて体験される。

そのとき、あなたは 「生の目的は何でしょう」などという質問はしない。
あなたは自ら答えを見いだす。

(Osho "From Ignorance to Innocence" #23)
984名無しさん@3周年:03/02/05 01:23
























985名無しさん@3周年:03/02/05 01:34
人間の眠り/絶望/道の始まり
[パタンジャリのヨガ・スートラに関するコメンタリー]

われわれは深い眠りのなかで幻を見て生きている。
希望、未来、明日という幻。
人は、その現在の状態では、自己欺瞞なしでは生きていけない。

ニーチェが言うには、人は真実と共には生きられない。
夢、幻、嘘なしには生きられない。ニーチェの言うことは本当だ。
人間は、その現在の状態では、自己欺瞞なしでは生きていけない。
これを深く理解する必要がある。
これを理解しないかぎり、ヨガと呼ばれる探求の道に入ることはできない。

マインドを深く理解する必要がある。
嘘を必要とするマインド、幻を必要とするマインド、リアルなものには直面できないマインド、夢を欲しがるマインドを。
人は夜にだけ夢を見るのではない。
目をあけているときでさえ、あなたは夢を見ている。[……]

現在というのは、多くの場合、地獄を意味する。
この地獄を我慢できるのは、未来に希望を投げかけているからだ。
明日を夢見ているから、今日を生きられる。明日には何かいいことが起こる、楽園の扉が開くかもしれないと、あなたは思っている。
それが今日起こることはない。
だが、その明日がやってきて、明日が今日になったとき、あなたのマインドは、そのまた先のことを考えている。
あなたはいつも、自分がいるところの先を見ている。
夢を見ているというのは、まさにそういうことだ。
あなたは、現実と結ばれていない。
いまここに、身近にあるものに触れていない。あなたはよそにいる。自分の先回りをしている。[……]
986名無しさん@3周年:03/02/05 01:37
このようなマインドは、ヨガの道に入れない。
ヨガとは、真実を知るためのメソッド、夢を見ない精神に到達するためのメソッドだ。
ヨガは、いまここに在るための科学だ。
ヨガは、未来に想いをはせるのをやめる覚悟ができたということ、希望を捨てる用意がある、自分の存在の先回りをすることをやめる準備ができたという意味だ。
ヨガとは、ありのままの現実に直面することだ。

だから、自分のマインドに飽き飽きした人だけが、ヨガの道に入れる。
自分のマインドを使って何かが得られると、まだ期待しているならば、ヨガは、あなたに向いていない。
全面的な不満が必要だ。
未来に想いをめぐらせるこのマインドは無益なこと、希望しつづけるこのマインドは馬鹿げていること、
それによって人はどこにも行き着けないことを、はっきりと悟ることが必要だ。
それはあなたの目を閉ざしてきた、あなたに麻酔をかけてきた。
それのおかげで、あなたは現実を見ないでいられた。それはあなたを現実から護ってきた。[……]

マインドは麻薬だ。マインドは真の世界に敵対する。
だから、自分のマインド、自分の存在の有様、自分のこれまでの生き方に完全に幻滅し、
それらを無条件に落とさないかぎり、道には入れない。
987名無しさん@3周年:03/02/05 01:41
多くの人々が興味は持つが、道に入る者はわずかだ。
あなたの興味というのは、マインドの興味かもしれない。
今度はヨガを試してみたら、何かが手に入るかもしれないと期待している。
そこには、達成に向けての欲望があるかもしれない。
ヨガを通じて完璧な人間になる、完璧な存在となって至福を体験するといった。[……]
そんな理由でヨガに興味を持っているならば、あなたと、ヨガの道の間には接点はない。
あなたは、完全に逆の方向に動きたがっている。

ヨガとは、「もはや希望はない、もはや未来は無意味だ、もはや欲しいものはない。
だが、私には、ありのままの現実を知る覚悟がある。
物事がどうなりうるかとか、どうあるべきかとかには興味がない。
私は、ありのままの現実に興味がある」という宣言だ。
リアルなもの、真の世界の体験だけが、人を解放するのだから。[……]

完全に絶望しなさい。未来と希望を捨てなさい。
これは難しい。リアルなものと向かい合うには勇気がいる。
だが、どんな人間にも、たまにはそうした絶望が訪れる。
完全な絶望、完全な無意味さを感じるときがある。
自分がしているすべてのことは無益であり、
どんなに奮闘してもどこにもたどり着かないことを知ったとき、突然、希望は失せる。未来は消える。
そのときはじめて、あなたは真の世界に対面する。

(Osho "Yoga - The Alpha and the Omega" Vol. 1 #1)

[参考]
Ravi Ravindra 著 "Heart without Measure - Work with Madame Salzmann"(Shaila Press) によれば、
マダム・ド・サルツマンは、この講話録を読み、感銘の意を表明した。

988名無しさん@3周年:03/02/05 01:46
注意の分割 ――コインの両面を見る

生は、対立する両極の間に起こる。
だが、マインド[自動機械としての頭]は、片方の極にしか注目しない。
マインドは、片方に注目し、それがすべてだと思う。
たとえば、「私はこの人を愛している。単純に愛している。どうしてこの人を憎めるだろう。
私が愛するとき、それは純粋な愛であって、憎しみは不可能だ」と考える。
頭の考えることは論理的のようだが、じつは誤っている。
愛が憎しみを可能にする。憎めるのは、愛するからだ。

それはコインの両面だ。
あなたは片面を見て、逆の面を無視するが、逆の面はつねにそこに控えている。
あなたが左に動くとき、あなたは右に戻るための力を蓄えている。

物事の両面を見たなら、マインドはどうなるのか。そのときマインドは存続できない。[……]

生の非論理性、対立と矛盾を通じて発展する生の様相を目にしたら、あなたはマインドを捨てざるをえない。
マインドは単純な説明を求めるが、生に、そのような説明は通用しない。

(Osho "The Book of Nothing" #8)
989名無しさん@3周年:03/02/05 01:56
エゴ想起の危険性

[受動的に見守るという瞑想の技法よりも自己想起のほうが簡単だと言う質問者に対しての応答]
それは簡単に見える。
それが簡単に見えるのは、あなたが自己想起を試すとき、それは真の自己想起ではないからだ。
それはエゴ想起になってしまう。それだから簡単に見える。
あなたは真の自己と偽りの自己の区別を知らない。
偽りの自己とは、エゴであり、それはとても微妙で狡猾だから、あらゆる方法で、真の自己のふりをする。[……]

何人かの人は、自己想起を通じて到達した。
ゲオルギー・グルジェフは、自己想起のメソッドを使った。
だが、彼の弟子のひとりとして光明を得ていないことに注意しなさい。

グルジェフは完璧なマスターだった。
だが、真の自己とエゴとは、あまりにも混同されやすいというのが問題だ。
あなたが真の自己だと思い込んでいるのは、九十九パーセントの確率で、エゴにすぎない。
このメソッドを試みるなら、自分のエゴを破壊してくれる師が絶対に必要だ。
容赦ない師が必要だ。
師があなたのエゴを破壊しないかぎり、自己想起の試みは、あなたを光明に導くのではなく、
存在のより暗い境地へと、あなたを導いていく。

(Osho "The Sword and the Lotus" #10)

990名無しさん@3周年:03/02/05 01:58
[参考――グルジェフの著作より]
私は、次のことに気づき、人々と会う機会を重ねるにつれ、さらにこれを確信するようになった。
それは、私の思想について何らかの知識を得て、関心を持つに至ったあらゆる男女、
なかでも特に、私の思想に基づくものとされる何らかの試みの実践をすでに始めている人々の精神には、
何か「まずい」ことが起きているということ、人を観察する方法を多少なりとも知っていれば、
どんなふつうの人でも気づくような、確実に「完全にまずいこと」が起きているということである。

(『生は「私が存在する」ときにのみリアルである』 アメリカでの講話のイントロダクション)

……いわゆる「自己観察」の問題、これに関する知識の概要を教わることは、
真実をこれから学ぼうとして努力する、どんな人にとっても欠かせないことではあるが、
これが人間の精神の重心となってしまうと、それは、私が遠い昔に確認および立証したとおり、
いまここにいるあなたがたのなかに私が見ているような、大いに気の毒な結果をもたらさずにはいない。

(『生は「私が存在する」ときにのみリアルである』 アメリカでの第二の講話)

991S:03/02/05 02:04
もうすぐ 終わっちゃいそうだけど、どうするの?
992名無しさん@3周年:03/02/05 02:07
次スレが欲しけりゃ、立てればいいじゃん。
993名無しさん@3周年:03/02/05 02:15
師があなたのエゴを破壊する?

バッカじゃねーの。


994名無しさん@3周年:03/02/05 02:17
ラジニーシは、マインドへの寄り道だね。
995名無しさん@3周年:03/02/05 02:34
995
996リアルタイム:03/02/05 02:59
さあみんな。ダイナミックの時間だ。
そこのグルジェフ亀ageも一緒にやってけ。
997名無しさん@3周年:03/02/05 03:13

ダイナミックなんて知らん。
998S:03/02/05 03:19
999S:03/02/05 03:20
1000をげっとすると いいことあるの?
1000名無しさん@3周年:03/02/05 03:21
ダイナミック
10011001
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