東京都台東区浅草雷門に総合本部のある宗教法人GLAに関心が
おありのみなさん、こんにちは。梅仙人です。
私は元GLA信者で、高橋佳子・信次親子を、昭和の終わりのこ
ろまで盲信してた人間です。今年のはじめまで「169!」さんの
たてている「高橋佳子のGLA・TL人間学を考える1〜7」のス
レッドで色々とGLAで見聞経験したことを暴露してきました。
特に「スレッド4〜5」の「無名仙人」「梅仙人」は私です。
「スレッド7」(下記)で、元GLA信者のマンガ家「みやわき
心太郎」氏が、「まんだらけ」の精神世界チャンネルというテレビ
で色々とGLAのことについて語ってくれたようです。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1012926757/l50 しかし、彼は高橋佳子は信じちゃいないが信次は信次ているよう
です。申し訳ないが、このスレッドはその信次を信次られなくなる
かもしれないような、彼の著書における矛盾と誤断を暴露するスレ
ッドとして立てました。
ここ2ちゃんで、あまり歓迎されずバカにされる可能性の高い固
定ハンドルでスレッドを立てたのは、まったくの私の趣味です。気
にしないでください。
「心の発見」の「まちがいの発見」1
信次の代表的な著作「心の発見」3部作をチェックしましょうか。
娘・高橋佳子の「真創世記」3部作といい「人間の絆」3部作
といい、この親子は「3部作」が大好きなようです。
まず、この「心の発見」は、最初「縁生の舟」というサザエさん
のおかあさんみたいな名前で出版されたのですが、昭和46年、や
はり宗教大好きな「経済界」主幹の佐藤正忠氏のところから、「心
の発見・神理編」「科学編」「現証編」の順番で「第1刷」が発行
されました。(現在は古本屋でしか入手できない版)
それで、それは佳子に代替わりするのと前後して「三宝出版」に
版権がひきつがれ「改訂新版」として今にいたるわけです。この
「経済界」版と「三宝」版では、本文にはまったく変わりはありま
せん。カバーと奥付などの「出版社サイドの体裁の変更」だけです。
ただし、「経済界」版の「神理編」つまり、「心の発見」の最初
の本のカバーのそでには、こんな「注意書き」があります。
「*本編はSF的興味心だけで読まれると危険です」
霊的現象をあつかっているので、好奇心で読むとヤバイことにな
るよ、と「DANGER」表記がされてあるわけだ。おれなら、そんな危
険を読者に与えるかもしれない本は出版しないがね。
もちろん、現在も発売中の「三宝」版には、そんな「警告」はカ
バーのどこにもない。いいのか?そんな「危険表示」していた本を
そのまま発売し続けて。30年前には「この本は好奇心で読むと危
険です」と警告がついていた。それが「心の発見・神理編」なのだ。
3 :
名無しさん@1周年:02/03/18 12:54
3ゲット
4 :
梅仙人>3おめでとさん:02/03/18 13:16
「心の発見」の「まちがいの発見」2
さて「興味本位で読むと危険です」とわざわざことわり書きいり
で発行された「心の発見・神理編」だが、この本の危険性について
の検証はひとまず、置いておく。
本の奥付にしたがえば、「神理編」は1971年1月15日、「科学編」
は同年5月10日、「現証編」はおくれて1973年4月20日発行という事
になってます。
さて、おたちあい。信次がなぜ「霊道」を開き「さとりを求める」
ようになったか、「神理編」でも「現証」でも、そのプロセスが子
供時代の思い出話からはじまって、いろいろ書かれている。
だが、同一の思い出話・回顧談のはずが、「神理編」と2年後の
「現証編」とでは異なっている。私は読み比べて気づいてしまった
のだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」3
両書とも、信次は「10歳くらいのとき、心臓が停止して幽体離
脱する現象に、半年あまりみまわれる。そこから「もうひとりの自
分」の正体への探求がはじまる」とある。
それで、少年信次は、近くの神社に毎朝毎晩おまいりして、神様
にお願いする行為をはじめる。
「神理編」21ページ
「村はずれの小さな白山神社という社に、雨の日も風の日も、雪の
日も欠かさず日参し、朝夕六時の2回、社の掃除と瞑想にふけり、
祈願したものである。10歳から13歳の3年間、それは続いた」
10歳で、ほんとにこんなことを3年間もやったとは信じられな
いし、「神社で朝晩、毎日瞑想にふける10歳児」なんて、考えた
だけでも気持ち悪い。
それはともかく、この「神社参りは3年間」と「神理編」では書
いてあるわけだ。
ところが、「現証編」ではこの「神社日参の期間」がことなって
いる。どう書いてあるか。
「現証編」14〜15ページ
「いつのまにか、この社が私の家のようになり、私は勉強道具を持
ちこんで勉強するようなこともあった。2年過ぎ、3年すぎた冬の
ある夕方・・・(中略)・・4年、5年とお参りは続いたが、神と
の対話は何の返事ももたらさなかった」
3年間だった「神社日参」が、ここでは5年以上になっている。
どちらが本当なのか、あるいはどちらも「でっちあげ」ではないの
か。3年ではなく「3回」、5年ではなく「5日間」だったのでは
ないのか。
「心の発見」の「まちがいの発見」4
この程度で驚いてはいけません。まだまだ「神理編」と「現証編」
との間には、説明不能な食い違いがある。
「神理編」35ページ
「1968年2月5日午前1時のことであった。私はローソクに火を点じ、
心の調和をはかり、1日の反省と感謝の心で禅定にはいっていた。
すると2センチくらいの高さだった炎が・・・たちまち22センチ
くらいの高さになった・・・炎は・・・次第に蓮の華に似てきた
・・・家族も従業員も、ただあっけにとられて見守っている。やが
て、私の前に肉体的先祖と称する14代前の先祖が名乗りでてきた
・・・その先祖は、私に語りはじめた・・・」
つまり1968年2月5日1時に瞑想したら、ロウソクの炎が大きく蓮
の華の形になるという奇跡現象がおこり、いあわせた妻と従業員も
びっくりした。その上、信次のご先祖さまが霊体で姿をあらわして
語りかけてきた・・・というわけだ。
しかし、同じ現象が「現証編」ではこう書かれている。
「現証編」52〜53ページ
「2月3日午前1時のことであった。突然、燈明の高さが25センチ
になった。本来なら3センチのものがである・・・今度はそれが蓮
の華に変化し・・・私は、妻や弟を起こしてこの現実を確認させた
・・・ただぼうぜんとこの現象に注目をするのみであった」
日付と炎の大きさの描写、たちあった人間の描写がちがう。しか
も、ここでは「先祖の霊」は登場しない。
それらしき霊が登場するのは、「現証編」では、このあと「7月
3日」である。
「2月5日」と「2月3日」の日付の不可解。だが、不可解なこと
はまだ続くのだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」5
信次が、指導霊ワンツースリーと守護霊フワイ・シン・フワイ・シ
ンフォとまみえる問題の日のくだりである。
「神理編」39〜40ページ
「1968年7月6日。私は・・・「もうひとりの自分」をようやく発
見できる段階にきた。あるとき義弟から「ぜひ私にも(霊的)現象
を見せてくれ」という希望があった。義弟は・・・小さいときから
神仏の話は、私からずっと聞いてきたので、私の研究についても別
に否定することもなかった」
そんなわけで、「協力的で霊的問題に肯定的」な義弟を霊媒にし
て「光を入れる」と、外国語をしゃべりだした。義弟は理系で語学
は不得手であったが、霊媒状態で語る外国語はちがっていた。
「しかし、しゃべっている外国語の発音は、全く正確であった。し
ゃべっているのは紀元前1300年前、エジプトに生まれたワンツース
リー(通称)と名乗る指導霊で・・・・」
おかしな話である。信次は古代エジプトの紀元前1300年代の言葉
をどうやって、「発音はまったく正確であった」と判断したのだろ
うか?専門の学者がいあわせたのか、信次がその方面のエキスパー
トだったのか? 不可解な話である。いったい、どんな規準で「全
く正確」などと断じたのか。その根拠は、どこにも明示されてはい
ない。
信次は、「紀元前1300年前の古代エジプト語の発音を正確にヒア
リングできた」ということになる。これが本当なら、大変な考古学
上の大発見、大功績となるが、いまだかつて信次や関係者の異言や
言葉が考古学者をいうならせて、学術的成果を上げたという話を
きかない。
しょせんは、「全く正確な発音のはずである」という域を出ない。
「心の発見」の「まちがいの発見」6
この「義弟に光を入れてしゃべらせる」日のことが「現証編」で
は、どう書かれているか。(53〜54ページ)
「7月3日のことであった。私の義弟はおよそ霊的な話に耳をかた
むける人間ではなく・・・その話ももちろん信じることはなかった。
彼もいろいろな霊的現象を目撃したが、「私には信じられない」と
常に否定の立場にいた。しかし、「もしほんとうなら私にもできる
だろうか」ということで・・・深夜、実験することにした」
あれれ?「神理編」では義弟さんは、「協力的で霊的問題に肯定
的」だったはずだぞ。それがなんで、「現証編」では同一人物なの
に「常に否定の立場にいた」などと書かれるのか。それに、またも
日付がちがう。前者は7月5日、後者は7月3日。義弟の性格と日
付、いったいどっちが本当なのか。それとも、どっちもでっちあげ
なのか。
そうして深夜の実験をして「午前1時、光を入れる」と、義弟の
口から「昔の侍の声が出てきて語りだしたのだった」
これが「神理編」での「2月5日」に現れたという「14代前のご
先祖」のことだろう。「神理編」では「霊体」で現れたのを、あた
かも「霊視」したかのように書いているが、「現証編」では義弟
に寄り付かせてしゃべらせるという形になっている。
さらに、「神理編」では「7月5日」におこったはずの「指導霊
ワンツースリー」との邂逅は、「現証編」では「7月3日」でさえ
なく「7月7日」になっているのだ。
真冬の2月はじめに起こったことと、夏の暑い盛りにおこった、
奇跡的霊現象をとりちがえるなど考えられない。だが、その考えら
れないことが、平然と書いてある。
これほどの「神理編」と「現証編」との「相違・食い違い」を
いったいGLAは、どう説明してくれるというのだろうか。これは
どちらかがつくり話か、あるいはどちらも「創作」であるとみなす
のが、一番自然ではないだろうか。
9 :
ワンツースリー:02/03/18 20:22
「指導霊ワンツースリー」とは固有名詞のつもりだったのだろうか?
それとも、指導霊の順番(1、2、3)を指したのだろうか?
10 :
名無しさん@1周年:02/03/18 21:22
>>9 ワンツースリーは単にプロレスのカウントに由来するのでは?
3億6千5百年前に地球に来たという数字だって365日からでしょ?
11 :
名無しさん@1周年:02/03/18 22:15
3億6千5百万年前って石炭紀のはじめくらいかな?
だったら当時の化石に「空とぶ円盤」が大量に発掘されてもいいんでは。
一応恒星間宇宙船だろう。少なくともゴキブリが化石になってるぐらいだから、
それより、当時の人造物の方が強度はありそう(特に金属加工物とか)
「空とぶ円盤」の化石キボンヌ!
【祝電】
梅仙人さん、お久しぶりです。
新スレッド設立おめでとうございます。
このスレッドが、末永く発展していくことを祈念しております。
>ワレワレハカミノヒカリヲウケテイマス。ケレドモ、エコウヘンショウ、
以下、省略(笑
GLA会員各位におかれては、長女である現教祖高橋佳子が、法の継承者
として、信次氏の法灯を受け継いでいると認識していると思われます。
よって、会員の方々には、すでにGLAスレッドもある上に、さらにこの
スレッドを立てるということはスレッド乱立ではないかと考えられる向きも
あるかと思います。
しかし、高橋信次氏は単にGLAの尊崇対象としてあるばかりではなく、
GLAからの分派団体や元会員が設立した諸団体から、単なる一宗教団体の
開祖という立場を超えて広く信仰の対象とされています。
(GLA関西本部[別団体]、高橋信次先生の法を学ぶ会、等)
また、「高橋信次」スレッドとも差別化されているため、重複スレッドで
あるとはいえません。
むしろ我が国の新新宗教の宗教者として広く知られている高橋信次
関連のスレッドが、この心と宗教板で論じられることが今まで少なかったと
言ってもよいでしょう。
今のところ、「心の発見」の神理編と現証編で相反する記述は、ざっと3点ですね。
どう考えようとも、高橋信次さんがウソをついていたことにしかなりませんね。
★少年時代に高橋信次氏が白山神社に日参した期間の相違
>>4-5 「神理編」p21 「現証編」p14〜15
★ろうそくの火が蓮の花の形に変化したという霊的現象
>>6 〜日付・炎の大きさの描写・たちあった人間の描写の差異・先祖の霊の
登場についての言及の有無
「神理編」35ページ 「現証編」52〜53ページ
(「神理編」で言及のあった先祖の霊らしき霊が登場するのは、
「現証編」では、このあと「7月3日」である。)
★信次氏が義弟に光を入れて霊媒としてしゃべらせた件についての相違
>>7-8 〜日付の相違・霊的現象に対する義弟の姿勢
[他に、信次氏は古代エジプト語を解していたか]
「神理編」39〜40ページ 「現証編」53〜54ページ
「心の発見」の「まちがいの発見」7
義弟を霊媒に、信次の前に「指導霊ワンツースリー(以後123)」
と「守護霊フワイ・シン・フワイ・シンフォ(以後フワイ)」が
現れた日付や、その後の状態を検証しよう。
「神理編」40〜41ページ
「7月6日の夜・・・123と名乗る指導霊で、なまりのある日本語
だったが・・・義弟の口を通して、私が考えていることと同じ理論
をしゃべるのである・・・不明な問題についてももっともわかりや
すく説明した。私はそれを聞いていて、まったく疑問を持つことが
不可能であった」
先述の「古代エジプト語のまったく正確な発音」といい「疑問を
持つことが全く不可能」とか「まったく・・・ない」という言い方
は「思考停止」の最たるもので、信次自身の霊現象に対する懐疑心
のなさは驚嘆に値する。
このあと、守護霊フワイが現れて、「7月9日」に「悟達強制宣
告」をおこなう。いわく「7月9日から三日間ですべての方針を正
せ」ときた。それで、苦労してなんとか「悟り」をえることに成功
する。
ただし、そこまでには「わずか4日で8キロもやせた・・・食事
ものどを通らず、家庭は凍結したような環境に変わってしまった」
ほど悩み苦しみ、追い詰められもした。
なんにせよ、「神理編」における最終的「悟達の日付」は「7月
9日から3日目」の「7月11日」ということになる。
「心の発見」の「まちがいの発見」8
これが「現証編」ではどうか。
まず、「7月3日から食事がのどを通らない状態となった」(61
ページ)とあり、「神理編」の「7月9日から4日間で8キロやせ
た」という記述と矛盾する。
フワイたちが現れたのが「7月7日」、「悟達強制宣告」は「7
月8日」「今日から3日間の猶予を与えるから悟れ。宇宙のどこへ
逃げても死んでもつかまえてやるから、覚悟して悟れるようにしろ」
(65ページ)といわれる。
そして悩みぬいたあげく「ついに最後の三日目の12日がきた」
(65ページ)とある。ちょっと待て。「12日が3日目」ならば、
「悟達強制宣告」は、さかのぼって「7月10日」でなければなら
ない。
「悟達強制宣告」が「7月8日」なら、3日目は「7月10日」と
書くべきところだ。
「神理編」と「現証編」の相違のみならず、同一の本の中での、こ
の日数計算のつじつまのあわなさはなんなのか?
果たして事実上の「立教日」といっていい、高橋信次の「大悟覚
醒の日付」は、「神理編」の「7月11日」が正しいのか。それと
も「現証編」での「7月10日」が正しいのか。はたまた「7月の
12日」なのか。
いったいどれを信じればいいのだろうか。こんなに大事な、信次
にとって、「人生最大のエポックメイキングな日付」が、なぜこん
なにぞんざいな書き方しかされないのか。
そんなに大事な日なら、こんないいかげんな記憶にはならないの
が普通ではないか。やはり、これは「でっちあげ」なのだろうか。
>>1 >「169!」さんのたてている「高橋佳子のGLA・TL人間学を
>考える1〜7」のスレッドで色々とGLAで見聞経験したことを〜
こちらで説明するのもなんですが、GLA・TLスレッドのほうは、最初の
スレッドのレス数が増えていき、そろそろ新しいスレッドを、という空気が出て
きたときに、やはり信者さんが新しいスレッドを立てるのは抵抗があるだろうと
いうことで私が手を挙げたという経過があります。ですから、一部の人が
私が立ち上げたかのように理解しているようですが、それは違います。
本来、GLA会員と批判者双方のためのスレッドです。
18 :
ワンツースリー:02/03/20 01:22
☆そして誰も見ていなかった☆
会長 先生のことでそのほかに特に印象に残っているのは、物質化現象という
ことがありましたね。
佐藤 四十三年の十月ごろ、先生から電話がかかってきたんでさっそく伺い
ましたところ、先生の前に座ると、何か誇大の経文を先生が唱えられ
ました。眼鏡を取るように言われたんで、眼鏡を取って、目をつぶっ
って手を合わせていました。そして、目をつぶったまま、手をだした
んです。そうしたら、熱いんです。見たら、手の上に観音像。それは
先生の口からでてきましたね。
会長 そのときはびっくりしましたね。はじめの頃は、そのエネルギーの動
きが私たちにはわからなかったんですが、あるときにずっと見ていま
したら、あたりに分散しているエネルギーが集中して行って、その集
中したエネルギーが渦になっているんですね。そして、物質化現象が
起こると、起こった後のエネルギーがブワーっと、またもとに戻って
いく。すごい動きなんです。まるで棒で雲をかき混ぜて、エネルギー
を起こしているような、そんな感じがするんですよね。
村上 それが物質化現象の原理なんですね。
関 それから金の物質化現象ということがありましたね。昭和四十五年、
藤枝で初めての研修会が行われたとき、私も含めて前列に五人くらい
並べさせられて、手を合わせて、私たちは目を閉じていたんですね。
そうしたら、信次先生がなにかをなさって、頭の上にバラバラと砂が
振りかけられるように私には思ったんです。キリスト教では水で洗礼
するけど、GLAでは砂で洗礼するのかなと。(笑い)そのうちに周
りが動き回って、身体が押されるんです。人が頭をさわりますし、目
を閉じていられなくて目をあけて、みんなに「何ですか」と聞いたら
、「金よ金!」と大騒ぎ。そういう状態でした。
GLA誌1992年4月号 P78〜79より抜粋
会長:高橋一栄 佐藤:佐藤要 村上:村上有恒 関:関芳郎
訂正 誇大の経文→古代の経文
似たようなもんだ。案外、最初の方が正しいのかもしれん。
>ウソLAさん
興味深い記事ですね。「目をつぶっていた」のに、なぜ「仏像が信次先生の口から
でた」と断定できたんでしょう。みんなで「手をあわせて目を閉じていた」のに、な
んで「金が空中から降り注いだ」と断言できるんでしょうか。
ちなみに、会長・一栄は信次の未亡人、佐藤、村上、関の3名は信次時代からのGLA
の最古参幹部たちです。「共謀してウソを掲載する」こともやろうと思えばできる立場
にある。「神理を奉ずる宗教法人だから正直でウソなどひとつもない」という先入見で
信者になる人は入信しますが、会員のみなさん、悪いことはいいません。そういう善意
の色メガネは捨てることです。
>15
>「わずか4日で8キロもやせた・・・」
と神理編では書いているが、本当に大の健康な成人男子が、いくら4日間のまず
食わずだとしても、「体重8キロ」もやせられるものだろうか。医学的にありうる
ことなのだろうか。特にダイエットをしたり、なんらかの理由で激やせしたとして
も、4日たったら「8キロ減量」なんてありうるのだろうか。
それで、「悟り」をもとめて高野山修行僧をたずねたり、上野寛永寺住職に、炎
天下、相談しにいったり、タクシーに乗って浅草から千葉中山寺までいっって、電車
で戻ってきたり、などの行動が、「4日で8キロ減るほどの肉体状況」でとれるもの
だろうか?
あまりにも「不自然」である。この話の「元」になる「事実」はあったのかもしれ
ないが、ものすごい「脚色・つけたし・ウソ」があるのではないか。疑惑は深まるば
かりである。
信次の大悟前の8キロの体重減の疑惑
いろいろ調べてみたが、大病で起きあがれず、脱水症状にでもなっていないかぎり、
「4日間で8キロの減量」は無理のようである。相当きついダイエットでも「4日間
で5キロ」が「健康を害さない限度」のようである。「8キロ」になると、最短でも
「1ヶ月」もっと長ければ「3ヶ月」あるいはそれ以上、個人によってはかかるよう
だ。
つまり、医学的に「4日間の間、ほとんどのまずくわずで、あちこちに出かけて
複数の人に悩み事を相談して歩いた」結果として「体重8キロ減った」ということ
はありえないことのようである。
ありていにいえば「ウソ」である。これが「3キロ」だったら信憑性がある。だが
「8キロ」はない。重篤の病人で脱水症状なしには、こんなに減るわけがない。すな
わち、信次はここでも「まったくのでたらめ」か「ウソとしかいえない誇張」をした
ということになる。
「悟りを得た」人物が、なぜ自著で、こんな明白なウソを書けるのだろうか。
>22の補足
>それで、「悟り」をもとめて高野山修行僧をたずねたり、上野寛永寺住職に、炎
>天下、相談しにいったり、タクシーに乗って浅草から千葉中山寺までいって、電車
>で戻ってきたり(神理編41ページ。現証編66〜69ページ)
*信次の大悟直前の「4日間で8キロの体重減」は本当か?
気になるので「神理編」と「現証編」で、それに関係する箇所を、もうすこし
調べてみよう。
守護霊フワイに「3日間で悟りを開け」と命じられて苦悩した信次は、
「私の悩みはなみたいていではなかった。特に神仏をまつらないにもかかわらず、
また祈る場所にも時間にも関係なく霊的現象がおこった。私はわずか4日で8キロ
グラムもやせてしまった」(神理編41ページ)
しかし、「現証編」(66ページから69ページ)では、悩み苦しみ、あちこちまわ
ったことが、神理編の記述よりくわしく書いてはあるものの、「祈る場所にも時間
にも関係なく霊的現象がおこった」などとは1行も書かれていない。また、「体重8
キロ減」についてもまったく触れられていない。これはいったいどうしたことだろ
うか。
この「悩み苦しんだ3日間(あるいは4日間)」のことを、「現証編」ではくわしい
経過をともなって書いている。「神理編」では「祈る場所にも時間にも関係なく霊的現象
がおこった」とあるが「現証編」での「霊的現象」といえば、上野寛永寺住職の古宇田老師
の手の痛みを、信次が「神に祈って5分間で治した」ことぐらいである。
「現証編」では「神理編」よりも、くわしく「苦悩をもって歩いた経過」のレポートが
なされているのに、なぜか神理編の「ところかまわずの霊的現象の発現」については、
「体重8キロ減」と同様、なにも書かれていないのである。いかにもこれは不自然だ。
*信次の大悟直前の「4日間で8キロの体重減」は本当か? (2)
先にあげた「神理編」の書き方だと「精神的苦悩と霊現象になやまされて」体重が重病人
にもないほど減ったかのように描かれている。これが本当なら、たいへんな「事件」ではな
いか。それが、より詳細な「現証編」の記述から、すっぽり抜け落ちているのはなぜなのか。
たぶん、都合が悪くなったのだろう。だから「神理編」の2年後に出た「現証編」では
触れなかったのではないか。そう思うしかないようだ。
この「苦悩の3日間」に起こった「神理編」でいうところの「ところかまわずの霊的現象」
の数々を、ぜひ古参幹部や未亡人のGLA会長高橋一栄にきいてみたいものである。
ましてや、信次は「神理編」で「家庭は凍結したかのようになった」と書いているの
だから、それが事実なら、妻・高橋一栄は記憶しているはずだ。果たして妻一栄は、夫が
3日間で8キロも激ヤセして、とても心配しなかったのだろうか。
「現証編」では、3日目の期限に、覚悟をきめた信次に、妻の温かいはげましの言葉が
あったと書かれている。だが、普通じゃないやせ方をしている夫なのに、温かいはげまし
など与えている場合ではなかったはずだ。たいていの場合、即、入院である。相談相手を
探して寺をたずねまわるより、入院する方が先決のはずだ。
8キロの体重減は、きわめて異常な事態でしか起こり得ないからだ。
このように、またも「不自然」な食い違いや、普通ではない記述の矛盾が生じている。一体
何が本当なのか、何が実際にあったことなのか、調べれば調べるほど、わからなくなって
くる。
27 :
名無しさん@1周年:02/03/20 14:12
>>26 まともに調べてもわからないよ。
ほとんどが妄想なのだから。
詳細の検証ではなくグローバルに教団、教祖を
検討した方がいいと思います。
>27
そういう調べ方もあるが、いきなり「全体像」をやるには、まだ基本的データが
足りないんだ。しばらくは「こまかい事実の検証」でいって、それらをまとめあ
た上で、「総合的結論」を出してゆく方法論をとっているんだ。
それと「ほとんどが妄想」というが、第三者や、まだGLA妄信病が残ってる人
たちには「どれとどれが妄想で、どれが残りわずかな事実か」を教えてあげなく
ちゃいけないしね。
「グローバル」とおっしゃる意味がよくわからない。もしよければ、27さんが考
える「グローバルな検証方法」の一例を、教えてもらえませんか。あとで参考に
して、その方法もやってみましょう。
>>15-16「心の発見」の「まちがいの発見」
>こんなに大事な、信次にとって、「人生最大のエポックメイキングな日付」が、
>なぜこんなにぞんざいな書き方しかされないのか。
高橋信次氏は誠実で愚直な人柄であるというイメージがあるが、これでは
自分の誕生日も覚えていないのと変わりませんね、やっぱり。
★義弟を霊媒に信次の前に「指導霊ワンツースリー」と「守護霊フワイ・シン・
フワイ・シンフォ」が現れた日付やその後の高橋信次の状態
〜フワイが信次に悟達強制宣告した日付と、信次が悟達した日付が、「神理編」と
「現証編」では、異なっている。また、「現証編」のなかだけでさえ記述に矛盾がある。
・「神理編」 p40〜41
7/9 フワイが信次に悟達強制宣告=「7月9日から三日間ですべての方針を正せ」
7/11悟達成功
〜「わずか4日で8キロもやせた・・・食事ものどを通らず、」
・「現証編」
7/3 「7月3日から食事がのどを通らない状態となった」(p61)
7/8 フワイによる悟達強制宣告=「今日から3日間の猶予を与えるから悟れ。」(p65)
(7/10 悟達の日であるはず)
7/12 「ついに最後の三日目の12日がきた」 (p65)
→これでは「悟達強制宣告」は7/10になってしまう
>169!さん
毎回、きりのいい所で、わかりやすくまとめていただき、ありがとうございます。
「心の発見」の「まちがいの発見」9
「神理編」と「現証編」の「いったいどうなっているんだ」といい
たくなる相違は、信次のこの「大悟得道」の件に関してまだある。
まず、信次の悟達する瞬間と直後の描写を見ていただこう。
「神理編」43ページ
「暖かい心を取り戻すために、私はようやく義弟を支配している
(指導霊)123と対決することを決心した・・・私はすでに結果
をおそれぬ安らぎの境地に達していた。そのとき、
「おまえはついに自分自身の使命を知ることができた・・・しっかり
と自分の使命を果たしなさい」
と123は、私の心の中をすっかり読みとっていた」
ここでは、信次に「よく自覚した。使命を果たせ」と告げたのは
「義弟の肉体にかかって、その口を借りた指導霊123」であると
いう点をまず記憶していただきたい。
では「現証編」ではどうか(71ページ)
「家に帰り妻に「今から123やシンフォーと対決をして、もし悪魔
ならば善に変えてやろうと思う」と語った。
すると、私の心の中からシンフォーの声がした。それは
「今のような心を忘れるな・・・執着を捨てた心というものは・・・
中道を心のものさしとした、自らの智慧と勇気と努力の中から生まれ
るのだ」と語り出した。
ああ、やはり私の心を知っていると、私は思った・・・この現象は
、あやまりもなく義弟と同様な現象であり・・・言葉はシンフォーの
なまりのあるそれであった」
この記述だと、「大悟」したことを認めてくれたのは「シンフォー」
であり、しかも義弟を介さず、信次自身の「胸の奥から声がきこえた」
ことになる。しかも、そのシンフォーは「使命を果たせ」なんてこと
はいっていない。
「心の発見」の「まちがいの発見」10
この「大悟直後の状態」に関する、「神理編」と「現証編」との間
の、ウソのようなちがいはなんだろうか。
悟達に成功した信次に対して語りかけたのは、義弟にかかった「指導
霊123」なのか、信次の胸の奥からの「守護霊シンフォの声」なのか。
もし両方起こったのなら、「123からは義弟を通じて、かくかく
しかじかのメッセージをもらい、シンフォーからは私自身の心を通じ
て言葉が与えられた」と、どちらの本にも記せるはずである。
しかも「神理編」では、この大悟ののち「義弟から123が出ること
はなく、直接、123からもフワイからも私に通信されるようになった」
(44ページ)と書かれている。
ということは「シンフォーの声が胸の奥から語りかける」前に、
「現証編」でもまず「義弟の口を借りて語る123の言葉」のシーンが
なければおかしいことになる。
ところが、ごらんのとおり、「現証編」では「123」が義弟の口を
借りて「使命宣告」したことなど、まったく書かれていない。
あたかも、最初から「フワイ」の「胸奥からの声」が、まず信次
の悟達を認めたかのように記されている。
さらに変なのは、「神理編」では、いま紹介したように、信次の
悟達以降、「義弟を霊媒とすることなく、自分で直接メッセージを
受け取れるようになった」と書かれているのに、「現証編」ではそ
れと異なる「後日談」が書いてある。(72・74ページ)
シンフォーの「心の中からの声」のあと、「義弟が帰ってきた
・・・123が義弟の口を通じて・・・シンフォーがいった言葉と同じ
ことを伝えたのであった」
「その後、義弟にはアインシュタイン博士の霊が出、極微の世界と
極大の世界について、その関連をしばらく説明し、不変的な問題に
ついて説明されていった」
「七月末ころまで義弟を通して語っていた、次元のことなる世界
からの通信は、使命の一段階が終わったのか、送られてはこなく
なった・・・代わって・・・私に対しての教えも、指導霊や守護
霊たちから、直接おこなわれるようになった」(74〜75ページ)
「心の発見」の「まちがいの発見」11
このように、信次の悟達以後も20日あまり、義弟の「霊媒行
為」は続いたのだ。「神理編」の記述と、どちらが正しいのか、
おかしな記述の食い違いだ。
それにしても、義弟さんとは、いったいどんなお方なのだろうか。
「霊的なことには否定的」だったのに、いざ「光をいれられ」て
霊媒になるや、義兄・信次のほとんど専属霊媒として、アルバート
・アインシュタイン博士までよりつかせてしまう。
ところが「神理編」には、アインシュタイン博士の「霊界から
の神理講座」については何も書かれていない。アインシュタイン
の「ア」の字もない。これは「現証編」になって、いきなりわきだ
したエピソードである。(この「アインシュタインの霊の出現」の
検証については後述する)
こうして調べると、どうも「123」も「フワイ」も「悟達」も
すべては、信次の妄想か創作ということになりそうである。このよう
な「自著」間での記憶や体験談の食い違いは、ただの記憶違いや勘ち
がいなどでは、とうてい説明しきれるものではない。
「神理編」と「現証編」との間には2年の歳月しか経っていないのだ。
極端な記憶ちがいや記憶の劣化がおこるわけもない。この二つの著作
の間のちがいを、なぜ今までだれも指摘しなかったのか、不思議で
ならない。
そして、こんなでたらめな印象を与える著作を、信次も三宝出版
もGLAも、だれひとり気づかなかった。どう考えても彼らが「悟達」
や「神理」を口にする資格があるとは信じられない。もちろん、娘
の高橋佳子が、自分を「神理の正師」と信者たちに思わせているなど、
おこがましいにも程があるのではないだろうか。
>>30 :梅仙人 さん
いえいえ、どうも、恐縮です。さしでがましいかなとも思っていたの
ですが、やはりなかば無意識の内に、梅仙人さんの文章を精読
することを拒否してしまうかたも多いだろうと思い、そういったかたたちの
ことも念頭において、要約などしてみました。
>>22-26 体重減のこの話題を、些細なことだと思いたがっている人たちも
きっと多いんでしょうね。
★信次の大悟直前の「4日間で8キロの体重減」は本当か?
(神理編41ページ)
>守護霊フワイに「3日間で悟りを開け」と命じられて苦悩した信次は、
>「私の悩みはなみたいていではなかった。特に神仏をまつらないにも
>かかわらず、また祈る場所にも時間にも関係なく霊的現象がおこった。
>私はわずか4日で8キログラムもやせてしまった」
*そもそも、健康な成人男子が、いくら4日間のまず食わずだとしても、8キロも
やせるということが医学的にありうるのか。
→重篤の大病で起きあがれず脱水症状にでもならない限りありえないようだ。
*「悟り」をもとめて高野山修行僧をたずねたり、上野寛永寺住職に、炎天下、
相談しにいったり、タクシーに乗って浅草から千葉中山寺までいって、電車で
戻ってきたり、(神理編 p41 現証編 p66〜69)などの行動が、「4日で8キロ
減るほどの肉体状況」でとれるものだろうか?
(続き)
*「現証編」では、3日目の期限に、覚悟をきめた信次に、妻高橋一栄(現GLA
会長)の温かいはげましの言葉があったと書かれている。だが8キロの体重減と
いうきわめて異常な事態に温かいはげましなど与えている場合ではなかった
はずだ。なぜ、即刻入院させなかったのか。
*「現証編」では、高橋信次が悩み苦しみあちこち相談にまわった3日間(ある
いは4日間)のことが、「神理編」よりもくわしい経過を伴って記述。(p66-69)
---「神理編」では「精神的苦悩と霊現象になやまされて」体重が重病人にも
ないほど減ったかのように描かれている。このようなたいへんな事件が、より
詳細な「現証編」の記述からすっぽり抜け落ちているのはなぜか。
---「現証編」(p66-69)で、「祈る場所にも時間にも関係なく霊的現象がおこった」
(神理編)件について、ほとんど触れられていない不自然さはどう解釈したらよいか。
[叙述は、上野寛永寺住職の手の痛みを信次が「神に祈って5分間で治した」
ことぐらい。]
「心の発見」の「まちがいの発見」12
先述したように「現証編」では、大悟とげた信次に対して、義弟
に憑依した「アインシュタイン博士」が「神理の講義」をしたとあ
る(74ページ)。その発言をぬきだし、下記に列記しよう。
「自然の法則こそが人間の在り方を教えている」
「疑問と解答の結果、神理に到達して行くのだ」
「神理は神の意志であり心だ」
「自分の心と神の心とが調和されたときに、本当の神の子としての
自覚が生まれるのだ」
「調和はみずからの正しい基準に則した心と行ないの積み重ねのな
かに完成されてゆくものだ」
「思うことは善と悪の原因を構成するから、すでに心の世界で現象
化されるのだ」
「行為は二次的現象である」
これのどこがノーベル賞受賞の天才物理学者のことばなのだろう
か。アインシュタインではなく、高橋信次自身の考えを、アインシ
ュタインに仮託してしゃべっているだけではないか。
アインシュタインは1955年に物故しているから、この記述がなさ
れた1973年には、死後18年経過している。生前のアインシュタイン
は、自分が主導した原爆開発が軍拡につながった責任を痛感して
核廃絶平和運動を展開しつづけて生涯を終えた。
自分の研究がもとで、ヒロシマ・ナガサキ市民が大量死し、水爆
戦争の恐怖を生んだ責任に苦しんだ。その苦しみのあまり、「来世
があるなら、今度はただの大工にうまれかわってきたい」と嘆いた
ほどだ。
もし、本物のアインシュタインの霊なら、「平和と核廃絶」につ
いて講釈したはずだと思う。それは博士の「宿願」だったのだから、
死んでも、すぐに忘れられるものではないだろう。
それなのに、ここでは「核」にも「戦争」にも「平和」にも触れ
ていない。まったくアインシュタインと共通する要素がないのだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」13
実は、「神理編」と連続して1971年に出された「心の発見・科学
編」では、「神理を科学的に解説する」ということで、さまざまな
物理学の公式や理論物理学の方面から「神理」の実在を解説してい
る。
その中には、もちろんアインシュタインの公式「E=MC二乗」も
出てくる。しかし、「科学編」すべてを通じて、「この神理はアイ
ンシュタインの霊による講釈である」という説明はひとつもない。
「科学編」ではアインシュタインの霊の介在を示すものは何もない
のである。
それなのに、その2年近くあとに発行された「現証編」では、上
述のような「体験談・アインシュタインの霊の講釈」が、いきなり
飛び出すのである。
もし、本当に1968年7月の時点で「アインシュタイン霊の講釈」
があったのなら、当然、1971年4月発行の「科学編」にも喜んで
掲載されていなくてはならないはずだ。
それが1行もない。アインシュタインの公式についてくわしい
解説を信次がほどこしているにもかかわらず、である。
つまり、このエピソードは、でっちあげの可能性が濃厚なのだ。
この「アインシュタインの霊」はにせものであり、昭和43年
7月に出現したというのも、「つくり話」だと思った方が、正し
いようである。
>22・35
>浅草から千葉中山寺までいって
を「上野寛永寺から千葉中山寺までいって」に訂正。
当時、信次の住所は大森の自宅である。のちにGLA総合本部を置くことになる浅草
の八起ビルは、このときまだ建設途上にあった。
なお、「現証編」によれば、「中山寺から電車で2時間かけて帰宅した」と書いて
あるから、ますますもって8キロ体重減は疑わしい。
>38
修正・「心の発見・科学編」は、1971年5月発行
信次の教え
「現証編」153ページ
「不自然なものを信じてはならない。不自然なものには必ず疑問を持ち、解答を得て
いけば、迷いから脱出することができる」
どの面さげてというか、大嘘つきが、こんなことをよくいえたものである。信次は
「大ウソつきの大偽善者」である。それを、この後も、著作分析で継続してゆく。
>この後も、著作分析で継続してゆく
暇な奴やなー。
ゴーストライター使ってるんだから細部の間違いやズレは当然あち
こちあるわいな。それを一々指摘してもしゃーないやん。お前、教
えの目的や方向性の部分は意図的に論じてへんけどなんでやねん?
論じててもお前の勝手な解釈をくわえてるだけやから、だーれも相
手にして変やないか。どうも自覚がなさそうやなー。
梅仙人よ、お前自身がはまっとる「教義」をあきらかにせえや(ワラ
みんなに分析されて「大ウソつきの大偽善者」と言われっぞ。
>ゴーストライター使ってるんだから細部の間違いやズレは当然あち
>こちあるわいな。
根拠は?ソースは?思い込み発言か?
>42
人にもの聞くのなら名を名乗りなはれ。アホかいな。
それから君付けはやめてもらいたい。
えらっそうだから(ワラ
44 :
三角耳のモナーファン:02/03/22 00:30
僕の所属は右翼系ね。
反GLAで反高橋信次、反高橋佳子です。
45 :
三角耳のモナーファン:02/03/22 00:34
あれ、このスレでなかったわ。
根拠なしの言い訳のようだね。
なんで言い訳せなならんのよ。
君に教えても反高橋信次、反高橋佳子プロパガ
ンダに利用されるだけだからね。
でもなんで右翼が反高橋信次、反高橋佳子なの?
48 :
名無しさん@1周年:02/03/22 01:32
上のは>46ね。スマソ。
49 :
GLAにつけるクスリ:02/03/22 02:11
>>41 高橋信次のほうもゴーストライター使ってたの?
これは初耳ですが・・!?
>松仙人
やっと出てきたか、信次シンパ。絶滅して剥製にされ、上野の屋台で捨て値
で売られているかと思ったぞ(笑)。絶滅危惧種として、このスレッドでは大事
な「age」要員として迎えてやるから、まあ、このスレッドが上位にいつもある
ように、今後も協力してくれたまえ。
>>41 の投稿は、「これ以上、著作分析をしてもらっては、たいへんに困るのよ」と
いう本音を吐露したものなのね。
それから、「ゴーストライターが書いたんだから食い違いがある」なんて、もの
書きの世界について「しろうと」なのが丸出しだ。誰が書こうと、誤植がないよう
に「校正」つーもんがあるのよ。それに、ゴーストが書いたのを、著者名義人が、
かならず最後に「目を通してチェックする」のが普通なの。
だから、今まで開陳した「心の発見」の食い違いやウソとしか思えない記述は、
「信次がこれを本にしてよし、とオーケー出して出版された」というのは、本に
なって出ている以上、明白なのよ。おわかりかな?
信次の文章を、現在の皆和会会長・堀田和成氏が、新聞記者だったので書いて
いたというのは、おれだって知ってるよ。それが何か?常識ある人間なら「4日間
で8キロ減った」なんて書くわけない。
これは、ゴーストも著者名義人も、どちらもよほどのバカかウソつきであること
を、証明しているだけですよ。
>松仙人くん
高橋信次は「心の発見・科学編」71ページでこう明言しています。
「正法の生活をしている人々は、悪夢も見ないし、朝の目覚めはすがすがしい。常に
心は平和で、諸現象にとらわれることなく、安らぎのある生活をしている」
私のかきこみを見て、心が動揺しているようでは、とても「正法信者」とは
いえませんね。
>諸現象にとらわれることなく、安らぎのある生活をしている
の「諸現象」の中には「ウソをついて心の痛みを感じる」現象もふくまれてるんで
しょう。なんにせよ、ウソをついても平気でいられるというのは、安らぎといえば
安らぎでしょうね。でも、その報いで、こうして元信者だった人間に足元から切り
崩されることになるんですよ、と鬼籍の信次にいってやりたい。
>47
>でもなんで右翼が反高橋信次、反高橋佳子なの?
信次は、エルランティーを名乗ったとき、講演の中で「自分は天上界で、昭和天皇
に生まれ変わる魂によびかけて、すまないが今度うまれかわって、天皇の役目をや
ってくれないかと命じた」と明言しているぞ。
つまり信次は、その晩年、自分は「天皇よりえらい」「天皇になる魂さえ選択でき
る存在」だと、聴衆の前で断言したのだ。右翼ならば、「天皇陛下よりえらいのは、
天照皇大神や、イザナギ・イザナミ両神より前の天津神」なのは常識だ。
つまり、晩年の信次は「釈迦の生まれ変わり」どころか「天照皇大神」と同列か、
それ以上の「神」であると宣言したに等しいのだ。右翼が、この「天皇よりえらい」
と僭称する教祖を非難するのは当然のことだ。
また、信次は、「かつて3億年以上前に、別の惑星からエル・ランティーの命令で、
ミカエルを団長とする植民団6千万人が、地球に下りてきた。彼らはみな神のごとき
調和された人々だった。彼らが地球に降下してきたことをさして<天孫降臨>という」
と講演でも機関誌でも明言している。
いずれ出てくるが、「心の発見」でも散見される「天孫降臨」は、同じようなこと
をいっている。
しかし、本来の「天孫降臨」とは、そういうものではない。古事記・日本書記を読め
ばわかるが、「天照皇大神の命令で、地上を統治するために、高天原から皇室のご先祖
の神様が、おともの神々とともに地上に降臨せられた。その子孫が現皇室であり日本国
民」ということで、「皇室と日本人の祖先神話」が「天孫降臨」なのだ。
以上でおわかりであろうが、「自分は天皇よりえらい」「皇室の祖先神話を剽窃して、
自分に都合のいい解釈をほどこし、人々を惑わした」という2点によって、十分に不敬
である。
追記:
「天孫」とは「高天原(高度な神霊世界)から降りてきた天皇家の祖先神」という
ことであって、「別の惑星から地球に降りてきた人々」などではない。そのことは
はっきりと、ここでいっておく。
*高橋信次の「天孫降臨」について
信次は、すでに「心の発見・現証編」(159ページ)でこう書いている。
「人類が、この地上界に、肉体舟を持って他の天体から天孫降臨したのは、今から二億
年前くらいで、当時の人口は約6千万近くであったようだ・・・人類は特殊な宇宙船で
調和された地球という名のそれぞれの環境に適応した体質を持ってきたのである。茶色、
白色、黒色の皮膚を持った人間たちに、神は生活の場を与えたというわけだ・・・。
天孫降臨民族は、この地球という場所に、ユートピアを築き、豊かな神の子としての魂
をつくりあげるためにきた」(信次の指導霊が、そう語ったそうである)
このように、本来の「天孫降臨」の神話とは、まるでちがう「自己流解釈」をほどこ
して断言しているのだ。
「現証編」は1973年4月発行だから、そのほぼ3年後の死期まじかには、上記「2億年前
くらい」が、いつのまにか「3億6千5百年前」にさかのぼり、「他の天体」の名前も、
「ベータ星」とか「エルベータ」とか、よりくわしくなってくる。
だったら、なぜ1973年の時点で「3億年前にベータ星から人類の祖先はやってきた」と
信次の指導霊は教えてくれなかったのだろうか。
ここでも「でたらめの追記・ウソの上塗りがなされた」と考えてよいだろう。
>三角耳のモナーファンさんへ
こういう不敬教祖がいるので、ほかの右翼のみなさんも応援キボンヌ。
>>41 >>50 確かに、ゴーストライターが高橋信次氏から請け負って書いたのであれば、
著書間での記述に矛盾が生じないように、細心の注意を払うはずです。
ですから、矛盾に満ち満ちた記述であふれている神理篇・科学篇・現証篇は、
そのことをもって、逆に間違いなく高橋信次の手によるものであるということに
なります。
58 :
名無しさん@1周年:02/03/22 10:58
高橋信次スレッドと重複ですので、どちらか削除(スレッドストップ)願います。
59 :
三角耳のモナーファン:02/03/22 11:05
>>47 >でもなんで右翼が反高橋信次、反高橋佳子なの?
貴殿は部落解放系の人ですが?
高橋信次をアボーンでもいいんだけどね。
>>58 あなたは、いったい誰ですか。
このスレッドは、高橋信次の著作の矛盾点を指摘することに
特化したスレッドになっているので重複スレッドではありません。
なお、
>>13もご覧下さい。
あなたが、もしGLA関係者であるのならば、少しは恥を知りなさいと
言っておきます。
>58
人にものを頼むときには「名無し」でもいいと、GLAでは基本的礼儀を軽視して
もいいと、いっているのかね。
>どちらか削除(スレッドストップ)願います。
なんという無礼者だ。「どちらか」じゃなくて、本音は「どちらも」だろう。
ストップしてほしかったら、GLA会員かいなかぐらい教えるのが筋だろ。
そうかそうか、おれのこのスレッドは、そんなに信次信者にはやばいか。ますます
やる気が出てきたぞ。
64 :
名無しさん@1周年:02/03/22 11:18
>>63 一度削除されたからやきになってるね
さあてもう一度頼みにいくかな・・・
>>31-33 「心の発見」の「まちがいの発見」〜信次の悟達する瞬間と直後の描写
■「神理編」p43での記述
信次:指導霊123との対決を決意
↓
(信次がすでに悟りの境地にあると、信次の心中の状態を看破した)
義弟の肉体にかかってその口を借りた指導霊123 →信次に告げる
>「おまえはついに自分自身の使命を知ることができた・・・しっかり
>と自分の使命を果たしなさい」
■「現証編」p71での記述
信次:123やシンフォーとの対決を決意
↓
(信次がすでに悟りの境地にあると、信次の心中の状態を看破した)
シンフォー →信次に告げる 「私の心の中からシンフォーの声がした。」
>「今のような心を忘れるな・・・執着を捨てた心というものは・・・」
[>この現象は、あやまりもなく義弟と同様な現象で
あり・・・言葉はシンフォーのなまりのあるそれであった]
(続き)
*「神理編」では、この大悟ののち「義弟から123が出ることはなく、
直接、123からもフワイからも私に通信されるようになった」(p44)とある。
ということはシンフォーの語りかけ前に、「現証編」でもまず義弟の口を
借りて語る123のシーンがなければおかしいが、そのような記述は全くない。
*「神理編」(p44)
=【大悟7/11の後は、123からもフワイからも直接通信されるようになる】
>「義弟から123が出ることはなく、直接、123からもフワイからも私に通信されるようになった」
*「現証編」(p72・74)
=【大悟の後も、義弟の霊媒行為による信次への通信が7月末ころまで続く】
シンフォーの「心の中からの声」のあとも、
>「義弟が帰ってきた・・・123が義弟の口を通じて・・・シンフォーがいった言葉と同じ
>ことを伝えたのであった」
>「その後、義弟にはアインシュタイン博士の霊が出、〜」
>「七月末ころまで義弟を通して語っていた、次元のことなる世界からの通信は、使命の
>一段階が終わったのか、送られてはこなくなった・・・代わって・・・私に対しての教えも、
>指導霊や守護霊たちから、直接おこなわれるようになった」(74〜75ページ)
67 :
三角耳のモナーファン:02/03/22 11:41
梅仙人さんへ
>>56 >>53の資料できる限り集められませんか。特に下記に関するところ。
>信次は、エルランティーを名乗ったとき、講演の中で「自分は天上界で、昭和天皇
>に生まれ変わる魂によびかけて、すまないが今度うまれかわって、天皇の役目をや
>ってくれないかと命じた」と明言しているぞ。
>>22-28 神理篇より
>さらに、炎天の中を、千葉中山寺に私の足は向いた。(p42)
>「今晩はお祝いをする。しっかりと悔いのない人生を送るよう生活してください。」
>そういわれて、家族一同ささやかに新生一家のために祝いをした。(p44)
夏の7月に3〜4日で8キロやせても、十分に体力があったようです。
>64
「やき」ってなんだ?
1度削除されたって、いつのことだ? なんか、わけわかんない人だね、
あなたも。「高橋信次スレッド」だって、1月30日に「削除依頼」がだ
されてるようだが、未だに削除されてないじゃないか。
無駄な労力をついやすまえに、よく「正法」にのっとって「反省」しな
さい。
>>37-38 「心の発見」の「まちがいの発見」12 13
「現証編」では、大悟をとげた信次に対して、義弟に憑依したアインシュタイン
博士が「神理の講義」をしたとある(74ページ)
しかし
Tその内容を見てもノーベル賞受賞の天才物理学者としての要素が
およそ見受けられない。
Uアインシュタインは生前、自分が主導した原爆開発が軍拡につながった責任を
痛感して「平和と核廃絶」を宿願としていた。本物のアインシュタインの霊なら
「平和と核廃絶」についても講釈があってしかるべきだが触れられていない。
「科学編」(1971/5月発刊)の中には、アインシュタインの公式「E=MC二乗」が
出てくるが、同書すべてを通じて、「この神理はアインシュタインの霊による講釈で
ある」という説明はひとつもない。
もし、本当に1968年7月の時点で「アインシュタイン霊の講釈」があったのなら、
当然、アインシュタインの公式についてくわしい解説をほどこしている「科学編」にも
それが掲載されているはずだが、そのような事実はない。
それなのに、その2年近くあとに発行された「現証編」では、「体験談・
アインシュタインの霊の講釈」が、述べられている。
71 :
名無しさん@1周年:02/03/22 11:53
>昭和天皇に生まれ変わる魂によびかけて
昭和天皇に生まれ変わる魂という前提からして間違っているでしょう。
高橋信次は霊や魂の基本をまったく理解していないと考えるべきでしょう。
【虚偽の発言をすることに抵抗のない高橋信次】
「光の求道者 誰も書かなかった高橋信次」 菅原秀 明窓出版 1995
第3章 高橋信次はどういう人だったのか
p141-142
昭和四十七年秋の熊本での講習会のあと、一栄さんは高橋信次を叱っていた。
「あなたはちゃんと大学に行っているのに、どうして、いつも小学校しか出ていないと言う
のですか。自分は無学だなどと、どうしてウソを言うのですか。私は、あなたのそうい
うところがきらいです」
高橋信次はたばこを、ゆっくりとくゆらしながら、
「だって、ウソも方便(ほうべん)と言うだろう」
ととぼけていた。
「ウソと方便は違います。八正道(はちしょうどう)を説いているあなたが、そういう態
度でいいのですか。」
ほほえましい場面を見てしまった私は、
「先生やられてますね」
とニヤニヤ近寄った。
(続き)
「ぼくは、うそつきですかね?」
「確かに、うそつきです。でも、奥さんは正直な人ですね。うらやましいな」
「うるさいだけですよ。でも、ぼくは大学へ行っているけど、ちゃんと出ていないんですよ」
「じゃあ、ドロップアウトですか?」
「いや、苦学生だったんですよ」
また、一栄さんがやってきた。
「あなた、若い人にウソを教えないで下さいね」
「わかった、わかった」
74 :
名無しさん@1周年:02/03/22 11:58
一般的には
「教師というものは、1人1人の生徒を守るためには、
平気でウソをつく」(坂本金八、2002/3/21の放送から)
GLA・TLの場合は、
「先生というものは、○○○を守るためには、平気でウソをつく」
>169!さん
貴重な引用をありがとうございます。
なるほど。信次には「八正道」を説くようになってからも「ウソ」を平気でつい
ていたことになりますね。
すると、信次のウソを非難した一栄さんのご意志にも、このスレッドの内容はか
なっているわけだ。ますます、やる気が出てきました。
76 :
バカな教団関係者発見:02/03/22 17:39
77 :
名無しさん@1周年:02/03/22 18:05
>>76 海王星君、フサエル君、松仙人君らの仕業でしょう。
梅仙人くん
シンパだとか動揺しているとか、ワシャ知らんよ(ワラ
相変わらず自分勝手な解釈入れとるな。出版事情も少
なくとも君程度には知っとるよ。
人が仕事しとる間に…
暇だな。勝手にやりなはれ。
でも人の批判する前に自分の「教義」は言っておけよ。
>78
決して暇ではないのだが、「勝手にやりなはれ」とおっしゃるので、よろこんで
勝手にやらせてもらいます。別にきみのために立てたスレッドじゃなし。「梅仙人
がはまってる教義」ってなんのこと? GLA以外の特定宗教にはまっているから
GLAを敵視するという、きみの発想こそ「新宗教盲信者」の発想だ。
いたくもない腹をさぐるなよ。GLA信者(三宝出版の人間か?)くん。
80 :
名無しさん@1周年:02/03/22 19:35
>そうかそうか、おれのこのスレッドは、そんなに信次信者に
>はやばいか。ますますやる気が出てきたぞ。
無視されとる(9割9分)か、茶々入れられとる(1分)だけちゃうん?
81 :
名無しさん@1周年:02/03/22 19:39
>梅仙人くん
ワシのことを根拠もなしに「GLA信者」と断ずる
君の発想こそ「新宗教盲信者」の発想とちがうんか?(ワラ
*信次の「大悟直前に4日間で体重8キロ減った」件につき
本職の医者の知人にきいてみましたが、「それだけの期間で、それだけ減るというのは、
かなりな水分の減量があったわけで、それが本当なら、ふらふらになっているはずだ。普通
体重というのは、減らそうと思ってもなかなか減らせるものではなく、全体重に比して、い
くら飲まず食わずでも、それほど減るものではない。しかし、この場合はいくらなんでも
水くらいは飲んだだろうから、多分に誇張されていると見た方がよい」
とのことでした。
本物のお医者さんが「信次の記述は誇張だ」とおっしゃっているわけです。
83 :
>>78 :松仙人さんへ:02/03/22 23:21
>>78 :松仙人
>でも人の批判する前に自分の「教義」は言っておけよ。
松仙人さんがこの質問をする前提としている松仙人さんの「教義」は何なの?
僕は右翼の立場で質問してます。
三角耳のモナーフアン
問 ウソと方便、お世辞について説明してください。世間ではこの両者を適当に
使い分け迷ってしまいます。
ウソは自己保存です。自分の都合からでてくるものです。方便とは、一時の手段
であり、そうしたほうがいい、と客観的にみて判断されたときに使われます。
ウソも方便と、よくいわれますが、方便を使う場合は、相手の心を察して、相手
を生かすときにして欲しいものです。自分の欲得で方便を使っていますと、方便
だか、ウソだか区別がつかなくなってきます。
「心の対話」より抜粋 高橋信次著 三宝出版
教祖自らウソと方便の区別がつかなくなっていたらしい。気の毒になぁ。(笑)
http://fruit.gaiax.com/www/fruit/a/t/artist/links.html 【空想虚言症】
Phantastic Pseudology
架空のことを細部にわたって、いかにも真実らしく語る。
■主な症状
(1)空想し物語るうちに白分の嘘を真実と思い込む。
(2)空想された架空の立場、役割に心から成りきって行動する。
(3)現実との矛盾に直面すると、比較的容易に改変する点が妄想とは違う。
■原因
記億、知覚に障害はなく、主に願望に基づいて空想する。劣悪な環境や生い立ちを否定しようとして虚言者となることもある。両親が適切な注意を与えないことにより症状が固定化し、虚言が他人に信じられることにより発展する。
■日本では?
特別多い、最近増えたということはない。
http://www.so-net.ne.jp/stress/rika/yougo/data.html#11 11.空想虚言症
抑圧
フロイトによって明らかにされた防御方法のひとつ。受け入れられない記憶や感情を意識から追い出してしまう。その行き場が無意識。抑圧された内容は,神経症症状の元となることがある。
フロイト
オーストラリアの精神分析学の創始者。精神科医・花村誠一氏はその仕事を ”夢や日常生活の不合理(言い誤り,もの忘れ等々)を合理的に説明する手立てとして,無意識的なものの象徴学説をうち立てた”と要約するが,私はこの言い方が最も品格を感じ,好きだ。
白昼夢
満足の快感を得られる表象を幻想の中で再生したい,という快感原則は、空想の産物である白昼夢の中で最もよく満たされる。
二次加工機能
無意識の内容はある加工を受けて夢となるが,夢から覚めてさらに本人により第二次加工を受けた上で思い出され,語られることになる。
空想虚言症
デルブリュックにより命名された,架空の作り話を真実と思い込むことがあるのが特徴。
86 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:29
「新復活」1
非常に美しい自然の、緑に包まれた環境の中で、東北の研修会が
行われることを、心からお祝い申し上げます。
今日の演題は、「新復活」。
ちょうど現在、東京地方には、創世記時代の映画が来ております。
しかし、人類は、緑に包まれた、
しかも、神の光に満たされた、地球という環境に、
今から三億六千五百有余年前、
はじめて、ベーター星という星より、
神より与えられた、新しい緑に包まれたこの地球上に、
人類は、最初にしるしたのであります。
その当時、ベーター星は調和され、私達は新しい新天地を求めて、
最も調和された、この地球という環境を選んだのであります。
その当時、最初に、「反重力光子宇宙船」という、
いまでいう「UFO」。
それに乗りまして、最初、地球上の人類は、
神の光によって満たされた天使であるところの「エルランティ」、
この「エルランティ」という方が中心になりまして、
「エルランティ」は、直接神の光を受けているところの
「真のメシア」であります。
そして、「エルランティ」の光の直系として、
皆様、光は七色に分かれます。
七色のプリズムということを想像いたしまして、
まったく同じように、神の光は、ここから、七色の光に分かれます。
この七色の光の方向を決めている方が、
「ミカエル」という方であります。
「ミカ」と言います。「ミカ」といわれる天使です。
神の直系です。神の光の直系です。
87 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:30
「新復活」2
そして、このスリットを通し、「神は光なり」、
その光の、六人の光の線が、このスリットを通して、
霊子線がつながっております。
この中に、それぞれのスリットを通して、七人の天使がおります。
このスリットを通して、七人の天使がおります。
これが「ガブリ」、この方が「ウリエル」、「サリエル」、「パヌエル」、
それから、全部で六人。
この七大天使というのが、実は、新しい新天地を求めて来た時の、
最初の光の大天使達です。
そして、この下に、それぞれ何億何十億という
魂の霊子線があります。
さらにまた、「エルランティ」の光の天使の分霊といたしまして、
「カンターレ」というのがおります。
さらに、「アガシャ」、「モーセ」、一方において、ガブリエル、
ガブリの系統に、マホメットがいます。
そして、第一艇団が、「エルランティ」を中心にして、
「ミカエル」に、「ラファエル」、「ガブリエル」、
「ウリエル」、「サリエル」、
この七大天使が中心にして、現代のエジプト、ナイル渓谷の東部にある
「エルカンタラー」という所に着地いたしました。
その場所が、一番最初の「エデンの園」です。
約六千人のベーター人が、全部、この地球上に降りてまいりました。
それぞれ、七大天使は、「ラファエル」をはじめ、
文芸や芸術、政治経済、あるいは、立法、科学、
あらゆる担当をして、総括的に、ミカエルが
中心になって、エデンの園をつくりあげました。
88 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:31
「新復活」3
そして、その当時は、同じベーター星の人間であっても、
皆さんの肉体と全く変わっておりません。
風土、気候、一切、地球上と変わっておりません。
魂と肉体、今、皆さんの持っている肉体は、あくまでも「物質」であり、
人生航路を渡っていくための「舟」にしか過ぎません。
その船頭さんである「魂」、このものとは、完全に分離する
ことができました。
当時の人々は、「心」と、即ち、「魂」と肉体と完全に分離する
ことができました。
そのために、天上の世界とコンタクトでき、人間の心は調和され、
物にこだわることなく、全てが調和された世界でありました。
そのようなエデンの園に、やがて、第二艇団が、
地上界に移ってまいりました。
その時、「エルランティ」は、天上の世界に帰りました。
これが、天上界、地球上の創世記です。
地球の創世記は、三億六千数百年前に、最初の七大天使が、
この地上界に来、
約六千人の人類が、エデンの園をつくり、
第二艇団が地上界に着地し、生活するようになって、
立法を犯す人々が出てまいりました。
そのために、その責任者であるところの「ミカエル」は、
規律を破るところの民に対して、一部分「エルカンターラ」から
移しまして、
「そなた達は、神の子としての己れ自身を再確認するために、
もう一度、自分の思念と行為、行っていることと、思っていることを
修正していらっしゃい」と、その場所から多くの人々が位置をかえました。
89 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:32
「新復活」4
その人々が、後、エデンの園との連絡を絶ち、
やがて、天上界との連絡を絶ち、ついに、天上の世界に帰ることなく、
地獄の世界を作り出してしまいました。
当時は、地獄は存在していなかったのです。
それが、「アダムとエバ」の、後、物語に変わってしまったのです。
そのために、創世記の映画とはちょっと違いますけれども、
私は、この肉体をもって、天上の世界に行って、
現実にその姿を見て来たのです。
皆さん自身は、なぜ三億数千年前のことが分かるんだろう?と
疑問を持つでしょう。
疑問など持つ必要はないのです。
皆さんの心の中には、「過去、現在、未来は一点なり。」
皆さんの肉体を支配しているところの、潜在されている
「90%の意識」の中には、長い長い転生輪廻におけるところの
一切の記録を持っております。
そのために、「過去、現在、未来は一点なり。」
皆さんの心の中に、今、存在しているのです。
皆さんの現在は、過去、現在を集約した現在そのものの姿なのです。
ただ、肉体を持ってしまったために、自分が分からないだけなのです。
その心を正し、真の神の子としての道を己自身が生活に
生かしていったならば、その実体を知ることができます。
それだけに、最も粗悪な、光の集中固体化したところの、
地球上の肉体を持ってしまうと、人間は皆盲目になり、
それがために、「物がすべてだ」、「地位がすべてだ」、
情欲にかられ、神の子としての本性を失ってしまったのです。
90 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:33
「新復活」5
しかし、皆さんの心の中には、偉大なるところの「智慧」が、
誰しもが存在し、持っているのです。
それが、生まれて現在までの間に、思ったり行なったりする、
正しい基準を失ってしまったために、心をスモッグにおおわれ、
神の光を自からして遮り、
ただ分からなくなっているだけなのです。
それゆえに、我々の物理学上におけるところの、
「時間」と「空間」は不確定です。
しかもまた、心の面におけるところの時間は、
過去、現在、未来は、現在をして、「一点」であるというのです。
皆さんの心の中には、そのようにはっきりした偉大なる智慧が
存在しております。
それを調べあげて行く結果において、三億数千年前のエデンの園は、
すでに、人類がこの地上界へ出て来て、第二梯団移住の時に、
エデンの園は、一部分の物質欲に駆られた人々によって、
道を間違えてしまったのです。
91 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:36
「新復活」6
そして、「エルランティ」をはじめとして、やがて、
七大天使は、この地上界を後にします。
そして、多くの遺産をこの地上界に残し、
後の世の人々が、その偉大なる残した、地上界の遺産を、
どのようにして活用するかを、
私達は、天上の世界において、暖かく見守ってまいりました。
しかし、物に溺れ、肉に溺れ、情欲に溺れた、
一部分のエデンの園から離れた人達を救済するために、
天上の世界より、「ルシフェル」という天使を出しました。
ところが、たとえ天使なりといえども、
地上の不安定な肉体を持ってしまうと、
手足をもがれたと同じごとく、
生まれた環境や教育や思想や習慣を通す中に己の本性を忘れ、
ついに、「ルシフェル」は、「サタン」という名前に、
その環境に生まれている間に、彼は自分の地位と名誉の虜になり、
ついに、天上の世界と交信を絶ち、この地上界を去る時、
天上の世界に帰ることなく、地獄の世界へ還ってしまったのです。
その「サタン」は、現代は地獄の帝王になっております。
これが最初の地獄界の実態です。
92 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:38
「新復活」7
こうして、多くの天使達は、天上の世界から、この地上界の動きを観察し、
神の子に戻すために、多くの光の天使たちを、この地上界に送りました。
やく、「エルランティ」自身は、後「アガシャー」という方を、
光の分霊です。この方を送ります。
さらにまた、「カンターレー」という方を送ります。
後の「ゴーダマ・ブッタ」です。
「ゴーダマ・ブッタ」。
天上界では「カンターレー」と言っています。
お釈迦様とは言ってません。
ゴーダマ・ブッタ。
アガシャーは、イマニエル、イエス・キリスト。
モーセはモーセです。
さらにまた、イエスが、ゴーダマ・ブッタが生まれるときには、
ガブリエルという方は、主として伝達の係をし、通信関係の責任者です。
ゴーダマ・ブッタがインドに生まれるときには、
ガブリエルのグループの方がゴーダマの生まれることを、
ゴーダマの両親に通信を送ります。
「アシタバ」という仙人です。
あるいはまた、「アガシャー」である「イマネール」に対しては、
また、「ガブリエル」は、ミカエルの命令によって、
受胎の告知に出ていきます。
モーセが生まれて、当時の王に、その命令によって、
多くの人々が殺されます。
彼は、葦船に流されていく途中、七大天使は、
サタンより守るために、彼が拾われるまで、彼の成長を楽しみます。
それぞれ、こうして「メシヤ」というのを送り出したのです。
これは、すべて、神の心である「法」を説くために、
出てきているのです。
93 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:40
「新復活」8
特に、モーゼの時代というのは、サタンの跳梁が厳しく、世は混乱し、
人間は、本当に、底辺の人々は自由にはなりません。
人を殺すなんてことはヘッチャラです。
そのために、モーゼというメシヤを出して、社会の人心を、
正しい法によって導かなくてはならない。
その時に、「エルランティ」は、「ヤーヴェ」という名前で、
彼を指導します。
「ヤハヴェ」という名前で、モーゼを指導します。
それが「十戒」です。
汝をイスラエルのカナンの地に導きしは我、ヤハヴェなり。
汝、偶像を祭って祈ることなかれ。汝の主はヤハヴェなり。
汝、近隣を愛せ。近隣のために偽りの証をすることなかれ。
これが「十戒」です。
それは丁度、シナイ半島の岩壁に、「ヤハヴェ」が現証として、
その当時、現証として現わしたのが、
「セラビム」というのがおります。
「セラビム」という諸天善神です。
現代もおります。
この「セラビム」や他の天使たちに命令し、あるいは、
その目的を果すために、それぞれの指令を、天上の世界から、
命令を出します。
聖書の中には「エロヒム」と書いてあります。
この「エロヒム」という者は「エルヒム」というのです。
これは、聖書の間違いです。
「エルヒム」、この「エルヒム」と名乗るのは、
七大天使がほとんど名乗るのです。
それは、エルランティの命令による使徒的な立場に立って、
「エルヒム」として名乗ってそれぞれの指令を出します。
94 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:42
「新復活」9
しかし、今から三千百五十年前、「ヤハベェ」の真実の教えは、
いつのまにか、サタンの喰いものになり、
「汝、偶像を祭って祈ることなかれ」といえども、
余りにも、霊的な、奇跡的な現象が一杯現われるために、
モーゼは、その偉大性をたたえて、ついに、お祭りをしてしまったのです。
そして、ヤギの生き血、あるいはまた、羊の生き血をあげるようになって
しまいました。
それは、サタンの命によって、彼は、動かされてしまったのです。
「ヤハヴェ」はそのようなことは一つも言いません。
あくまでも、「十戒」というものを中心にして、人間の生きる
最低の道を説いていったのです。
混乱した世相、主を名乗りながらして、サタンに利用されて
しまったのです。
95 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:44
「新復活」10
そのために、すでに、「モーゼ」が亡くなられて二百年にして、
間違った思想は、どんどん出てしまいました。
そのために、天上の世界より、「ミカエル」であるところの、
ミカエルの分身を地上界へ送りました。
「エリヤ」です。
今から、二千八百七十三年前、「エリヤ」を、この地上界である、
イスラエルの北部に、農夫の子として肉体を持たせ、
彼の心を揺さぶり、
ヤハヴェは、つぎつぎと指令を出して、
当時のイスラエルの間違った神々、
これを、世の中から抹消する命令を出します。
アハブという王は、最も悪辣で、皆さんが知っている「アスラー」
という奴、アシュラー、争いばっかりやる神様、地獄霊です。
この悪霊を祭らしたり、いろいろな偶像を祭らせる。
仔羊を生け贄するならまだいいが、自分の子供まで生け贄させるような
間違った教えをするようになります。
こういう教えに対して、エリヤは疑問を持ち、「ヤハヴェ」の教えとは
全く違う。
十戒とは全く違う。
そして、彼は、ついに立ち上がり、その王と対決するようになります。
しかし、当時は、約四百数十人もの予言者たちが、エリヤの前に
立ちはだかっております。
そのために、ヤハヴェは、「今から三年間、もう雨は降らせん。
イスラエルの地に雨は降らせん、それを王に言ってこい」
と言うところが、
王様にしてみれば、「お前は国賊だ、イスラエルの国賊だ」
と言って、追放をくらいます。
それでも、彼の心を揺さぶって、ヤーヴェは次々と指令を出していきます。
96 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:45
「新復活」11
これは実は、このあいだ、エリヤが、私に、原稿用紙で約百五十ページ近く、
当時の模様を、全部語り、現象を見せてやりました。
その現象の一端として、5月の、ちょうど、7、8日頃、
東京には大きな雷が落ちました。
それは、その時の百分の一だそうです。
今後は、そういうことはどんどん起こります。
そして、アハブをやっつけてしまった訳です。
そういうように、「ヤーヴェ」は大きな現象を与えました。
多くの予言者達が輩出して、間違った教えを再び元に戻そうと
したけれども、どうにもならなくなって、
今から約二千年前に、再び、「アガシャー」であるところの
「インマニエル」をこの地上界に送りました。
その時は、「ヤハヴェ」とはいいません。
「エホバ」と言って名乗ったのです。
「エホバ」。
神ではありません。神の命を受けた最高責任者です。
そして、イエスに人間の愛を説き、間違ったユダヤ教を修正するために、
この地上界へ送り出したのです。
ヤーヴェは、「六日間働いて一日を、聖日となし、
自分の一週間の間違った過去を振り返り、心を修正し、
二度と同じ間違いを犯さない」という聖日を設けたにもかかわらず、
後の司祭者達は、「その七日目の一日は、仕事はしてはいかん。
人と会ってもいかん、動物に食糧をやってもいかん」
というようになってしまいました。
このように、ユダヤ教は大きく歪みを作り出してしまったのです。
そのものを修正するために出したのが、後の「インマニエル」、
「イエス・キリスト」です。
しかし、彼もやがてサタンの餌食になって十字架に架かってしまいました。
97 :
名無しさん@1周年 :02/03/23 00:47
98 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:47
「新復活」12
さらにまた、変えられてしまったために、
「ミカエル」の分身であるところの天使、魂の兄弟を、
この地上界へ送ります。
この方が「マーチン・ルッテル」です。
さらに、フランスからは、「ガブリエル」であるところの
「カルビン」を出して、宗教改革に出したのです。
一方において、仏教の方は、「ゴーダマ・ブッダ」が悟りを開き、
道を説く過程において、この「ミカエル」の説いた、
その過去世である、今から三千五百年前の、
あのギリシャにおいて説いた「アポロ」の教え、
「アポロ」、この「アポロ」の教えは、やがて東の国、
インドに伝わってゆくであろう。
そのインドに伝わってゆくその神理を、やがてメシアである
ゴーダマ・ブッダという方が生まれて、それを悟り、
道を説くであろう。
このようにして、東の方には「カンターレ」を出したのです。
これが後の仏教ですね。
ところが、いつの間にか仏教も化石化して、お経をあげれば救われるよう
になってしまったのです。
「南無阿弥陀仏」
「南無妙法蓮華経」
それで救われた人は、一人もいないのです。
99 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:51
「新復活」13
「南無阿弥陀仏」というのも、ゴーダマ・ブッダが、かつて、
ラジャグリハという町の郊外のベルベーナにおる時に、
ビンビサラーと言われる王様がおります。
その奥さんが幽閉されます。
コッサラーと言われるイダケダという婦人です。
アジャスターという倅に幽閉され、
子供自身が、何んとか仏教を知って欲しいと思ったけれども、
ゴーダマ・ブッダの従兄弟であるところの、
同じ王子で、王子として出家された方がおります。
デーダバと言います。
その方にそそのかされて、お母さんと父さんを幽閉し、
お父さんは死んでしまいます。
お母さん自身は、最後の望みとして、
「仏陀から何か一つ話を聞きたい。
私は何もいらないから、仏陀から真の話を聞きたい。
お母さんの一生のお願いだから」と言って、
牢獄に入りながら、お母さんの願いだけをいれて
仏陀の話を聞かせたのです。
それが「阿弥陀経」と言うのです。
100 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:52
「新復活」14
この「阿弥陀経」と言うのは、「西方浄土」
インドから西方といいますと、現代のイスラエルからエジプト方面。
この「アガシャー」の過去世の中には、転生の過程を通して、
「アミー」と言われる方もおります。
その「アミー」という名前は、最初は「アモン」と言った
ファラオです。魂の系列です。
そのアモンが、エジプトに行って「アーメン」に変わり、
ソロモンに行って「アミー」に変わり、
それから、ギリシャに渡って「アミ」という名前に変わって、
インドに行って「陀仏」が入って「アミダブツ(阿弥陀仏)」に
なったのです。
そして、その西方浄土に「アミー」と言われる偉大なる指導者が
おって、そこに浄土があるんだよ。
あなたは今、自分の子供に幽閉されているけれども、
自分の子供を恨んではいけません。
あなたは、厳しい環境の中にあっても、子供の罪を許してあげなさい。
やがて、あなたはこの地上界を去らなければならない。
その時に、あなたは阿弥陀の浄土に帰ることが出来るのです、
と言う「阿弥陀経」を説法したのです。
101 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:54
「新復活」15
これが阿弥陀経。
ところが、日本へ来たら「南無阿弥陀仏」、拝めば救われる。
馬鹿げた話です。
これは、インドの言葉だから通用するんです。
「南無阿弥陀仏」というのは、これはインドの言葉が中国に渡り、
日本へ来たから、丁度うまくいっているんです。
これを直訳したら「阿弥陀様の法に帰依する」ということです。
「ナモ・アミ・ダボ」っていうんです。
「阿弥陀という悟られた方に帰依する」
それを、仏壇やお墓やお寺に行って「ナムアミダブ・ナムアミダブ…」
そりゃ、語呂はいいやね、確かに。
ところが、日本語に直訳したら「阿弥陀様に帰依します。
阿弥陀様に帰依します。」って何百回言ってもやらないんだね。
そしたら、阿弥陀様は、皆さん何んて言いますか。
「お前、帰依すんならやってくれよ」って言いますよ。
そのように、仏教も化石化したんです。
上記の「新復活」は、信次の晩年のもっともおわりごろの「講演テープ」を文字
に起こしたものだね。たしか、このテープか、前後の講演テープに「ある霊に昭和
天皇になるように命じた」としゃべっているのがあるはずだ。残念ながらそのテープ
のタイトルを忘れた。
103 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:56
「新復活」16
最近は、又はやりでね「南無妙法蓮華経」
法蓮華経というのは、いつの間にか、「南無」をつけたら
もっと良いんじゃないかと、日蓮さん、考えちゃって。
そしたら、一千万人近くの人間が、「南無妙法蓮華経」を、
まあ、2時間も3時間もやっていますね。
あれも、馬鹿げた話ですよ。
あれで、救われた人はいないんです。
「南無妙法蓮華経」というものも、本来、ゴーダマ・シッタルタ、
釈迦牟尼仏がインドの地において、ガンガーの流れを通し、
無学文盲の人々に対して、方便として説いたものです。
「諸々の衆生よ、比丘、比丘尼たちよ、あの汚いドブ沼の中でも、
美しい蓮の花が咲くであろう。
ときに、そなたたち、比丘、比丘尼たちよ。
サロモン、サマナーたちよ。
そなたたちの体を見てみなさい。
目が疲れれば、目糞が出て来るだろう。汗、大小便。
あのドブ沼より汚いそなたたちの肉体である。
しかれども、そなたたちの心が、宇宙の真理を知って生活をしたならば、
あの蓮の花と同じように、調和された境地に、
安らぎを得ることができるのだ」と説いたのが法華経なのです。
それを分からないで、「法華経に帰依します。法華経に帰依します。」
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、」
最近は、もっと速くやればいいと、「ナミョホレンゲキョ、ナミョホレンゲキョ」
馬鹿げた話です。気違いです。
いわんや「汝、偶像を祭って祈ることなかれ」です。
人間の印刷物を、いくら拝んだところで、救われる道はないのです。
我々は、旧来の陋習を破らなければいけません。
もし、神が必要ならば、皆さんが、この地上界に生まれて来た時に、
持たしてよこしました。
曼陀羅をみんなブラ下げてよこしました。
男性のブラ下げて来ているのは、違うじゃないですか。
このように、仏教ですら、分からなくなってしまったのです。
>101
「ナモ・アミ・ダボ」ではない。私が聞いたテープでは、「ナーモ・アーミ・ダボティン」
といってたぞ。
105 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:57
「新復活」17
こうして太陽霊団というのは、光の直系として、
「エル・ランティ」を中心に、
「エル・ランティ」は、その時代その時代によって、
ある時は「ヤハヴェ」を名乗り、
ある時は「エホバ」を名乗り、
ある時はまた「梵天」を名乗り、
また、さらにマホメットの時には「アラー」を名乗りました。
人類は、皆兄弟であり、同じ太陽の下に生活しているのです。
宗教は一つなのです。
ガンガーの流れも、ヨルダン川の流れも、いまだかつて、
方向は変えていないのです。
時代の新旧によって、道は変わらないのです。
今、私たちは、「マホメット」や「モーセ」や「イエス」や
「ゴーダマ」の説いたものを、一つにするために、
私達は肉体を持っているのです。
皆様は、その選ばれた民なのです。
そして、自らの心を開いた時に、あらゆる国々の転生を体験し、
その心の中に、その神理が、皆記録されているのです。
それを甦らせた時に、今、私の言っていることが
分かるようになるのです。
106 :
名無しさん@1周年:02/03/23 00:58
「新復活」18
神は己の心の中にあり、己の嘘のつけない善我なる心こそ
「神」なのです。
神は形づくった中にあるのではないのです。
皆さんの心の中にあるのです。
次元の違った世界なのです。
そこから皆さんは、今、肉体を持って、今、生きているのです。
その肉体を持ってしまうと、私達は、目や、耳や、口や、
心の中に思ういろいろな想念、こういうようなものによって、
本当のものが見られなくなってしまったのです。
皆さんは、「真の自分の姿」を見ることは出来ないのです。
ただ、肉の姿しか皆さんは鏡で見ることは出来ないのです。
しかし、皆さんは、誰しもが「本当の自分」があるのです。
「本当の自分」を見るように、私は教えているのです。
それは「心」です。
「魂」です。
皆さんの今、思っている「思う根源」です。
それは「不変なもの」なのです。
皆さんの肉体は、今、自分のものだと思っておっても、
それはただの「錯覚」なのです。
いつの日か朽ち果て、我々はこの地球上の塵に変わってしまうのです。
肉体を支配している皆さんの「魂」は、永遠なのです。
ただ、それを形づくられて、私達は生きていくに最低必要なものとして、
五官が与えられているだけなのです。
しかし、「真の五官」は、皆さんの心の中にあるのです。
心の眼です。心の耳です。そしてまた、心のすべての機能は、
皆さんは、すべて所有しているのです。
それを自分が開発した時に、真に永遠の自分自身を知ることが
できるのです。
107 :
名無しさん@1周年:02/03/23 01:01
「新復活」19
私達は、今、この地上界がすべてだと思っておってはいけません。
皆さんの、この人生の五十年や百年は、幻の如く、線香花火のような、
ほんの「一瞬」にしか過ぎないのです。
そして、我々の眼前に現われるところの物質や諸現象は「幻」です。
永遠のものではないのです。
朽ち果ててゆくのです。
形を変えていくのです。
しかし、皆様の心の中に体験された偉大なる智慧は、不変です。
この地上界を去る時に、何一つ、皆様は持って帰ることは
できないのです。
また、生まれて来た時に、何一つ持って来た人は、
誰もいないのです。
我々は、こうして五官に惑わされ、物質的光景の中で、
物に溺れ、苦悩を自らして作り出しているのです。
その盲目の中から、人間というものの価値観を知っていくのです。
手探りの中から。
そして、自らして心の安らぎを得、正しい普遍的な神理を、
己の心と行ないの物差しとして生活をしていった時に、
真の己を知ることができるのです。
これが「悟り」です。
「悟り」というのは、「己自身の心を知ること」です。
己の心を知った時に初めて、「人生の目的と使命」を知ることができるのです。
それは他力ではありません。自力です。
神は、すべての物を皆さんのために用意し、与えてあるのです。
太陽をはじめとして、生活できる一切の動物、植物、鉱物すべて、
神は皆様に与えてあるのです。
それを取らないだけなのです。取り方が分からないだけなのです。
何を欲するというのでしょうか。物質や経済は無常なものです。
108 :
名無しさん@1周年:02/03/23 01:02
「新復活」20
しかし、現代のように高度化した社会生活の中において、
真の人間の幸せを得ようとするならば、まず、最も大事なことは、
「健全なる精神」、「心」です。
その次に「肉体」です。
その次に、生きるための「経済」です。
経済は衣・食・住です。
この五つの大調和があって、初めてユートピアが出来るのです。
それが、真の道です。
ところが、いつか人間は、その道を外し、エゴに変わり、
すべて皆兄弟だという道を外して、エゴの方に走り、自己保存に走って
しまったのです。
皆さんは、同じ太陽の下で、すべてが皆平等なのです。
今、皆様から、自分の地位と名誉と財産を差っ引いたものを想像して下さい。
何が残りますか?
それが今の皆さん「自分自身」なのです。
地位や名誉や財産は、永遠のものではありません
真の皆さんは、それを差っ引っいたものです。
この世を去るときの真の姿なのです。
109 :
名無しさん@1周年:02/03/23 01:04
「新復活」21
こうして私達は、過日、天上の世界におきまして、会議をやりました。
私の隣りには、「インマネール」、「イエス・キリスト」が
おりまして、司会をやり、
その隣りには、「ゴーダマ・ブッタ」、「カンターレ」がおります。
その隣りには、「ガブリエル」、「サリエル」、「ウリエル」、
こちら側には「モーセ」。
さらに又、光の天使約十人ばかり。
そして、地球上の状況を、次々と報告して来ます。
心を失い、権力の座について、人間の自由を剥奪しているところの
ソビエトは、モスクワを中心として食糧危機は、彼等が自覚するまで
続きます。
北朝鮮もまた同じです。
中華人民共和国の北部も同じです。
アフリカの西部海岸も同じです。
一方において、中南米のパラグアイも同じです。
サタンの跳梁を許しているのです。
そのような心の人達の曇りは、神の光を遮り、自からして、
天変地異を造り出しているのです。
更に、イタリーの北部からベイルートにかけても同じです。
宗教の、同じ「ヤハヴェ」の教えであるその神理を曲解して、
それぞれの道を歩んでおります。
また、同じ現象が起って参ります。
日本は、食糧危機は、心ある人が出て来ているためにありません。
こうして、天変地変は、次々と起ってまいります。
それは、気候異変は、天上の世界の、神の光の届かない所に
起るのだということを、知って欲しいのです。
やがて、北朝鮮は破産をします。
日本は、戦後わずか30年間で、世界のトップに成ったというのも、
それだけの偉大なる魂達だからなのです。
一つ間違えたらまた、逆の方向へ進んでいきます。
それは危険なことです。
皆さん自身の進むべき道は、「真の道」、
普遍的な己自身の心に嘘のつけない善我なる心を真として
生活を知ったとき、道は開かれていくのです。
それが神理です。
110 :
名無しさん@1周年:02/03/23 01:05
「新復活」22
今後、大きな現象が起ってまいります。
間違った宗教家達は、私によってつぶされていきます。
どのような宗教家であろうとも、間違った宗教家達は、
私達の霊的な力によって現象化されていきます。
信じようと、信じざるにかかわらず、それは事実です。
後5年です。皆さん、見ておって下さい。
「地震」も「雷」も、自由自在です。
それだけに、今、私達は、その受け入れ体制を
しておかなければなりません。
日本ばかりではありません。
やがて、私は中近東へ行きます。
そして、真の道を、彼等は知るでしょう。
それは、地球の「最終ユートピア」のために、
私達は、今肉体を持っているのです。
そのために、自分の生活の場は、自分の生活として。
今度の光の天使は、全部事業をやりながら出てきております。
宗教でなど飯は喰いません。それが本当です。
神は一銭の、人間から金などいらないのです。
太陽はただです。
神の心です。
これが神理です。
私は実業家として、後4年、5年の後においては、
その面においても、世界でも知らん人がなくなるでしょう。
当然なことです。
それが道です。
イエスの時代や、あるいはゴーダマの時代ならばそれで
良かったのです。
現代の時代は、それではだめなのです。
111 :
名無しさん@1周年:02/03/23 01:07
「新復活」23
教祖や、その取り巻きが優雅な生活をするために、
宗教があるのではないのです。
真の宗教とは、宇宙の、人間として生きる道を教えているのです。
そして、人間に生きる喜びを与える道なのです。
これが神理なのです。
神は人間の造ったものを欲しません。
大事なのは、美しい一人の人間の心が欲しいのです。
道は、やがて開かれていきます。
我々の前途は、光明に満たされます。
そして、その人達は救われていきます。
やがて、地上界の人々の、一人一人の心が調和されてきた時に、
我々の肉体先祖は、その姿を見て、
「俺達の時代とは違う。なぜ俺達は、この厳しい環境にいるのだ。」
難しいお経ではなく、
皆さん自身の日常生活一つ一つの想念と行為の光が、
やがて、地獄の世界を救っていくのです。
「最終ユートピア」は、地獄のなくなる時です。
サタンは、私が、今、一生懸命に「新復活」という本を書いております。
モーゼの十戒をはじめとして、間違った宗教を修正しているために、
やっきになって、私のために攻撃をしてきます。
しかし、たとえ「ルシフェル」、「サタン」なりといえども、
私のかつての弟子です。
彼は、やがて私の軍門に下るでしょう。
知らないから地獄に落ちているのです。
彼等も救われるでしょう。
私は命がけです。
112 :
名無しさん@1周年:02/03/23 01:08
「新復活」24
それは、皆さん一人一人が、自覚された時に、
皆さんの周辺の肉体を持っているところの先祖達も
救われていくのです。
坊主の難しいお経によって、救われるのではないのです。
お経の意味がわかって生活しているような人なら、
天上界へ行きます。
ゴーダマ・ブッタは、決して死んだ人間を成仏させるために
坊主をつくったのではないのです。
生きている人間をどのように導き、人間の心を指導するために、
この地上界へ出てきたのです。
地獄に落ちるというのは、人のせいではなく、
自分の思念と行為の間違いそのものが、
自分の行動によって地獄に落ちたのです。
天上の世界がピラミッドのように高くあれば、
逆に又、地獄の世界は逆ピラミッドとして存在しているのです。
この地球は、その中間的環境にあるのです。
そのために、皆さん自身が、善を思えば、善の行為をすれば、
天上の世界へ、悪の行為をすれば地獄の世界へ、
彼等はいつでも待っております。
113 :
名無しさん@1周年:02/03/23 01:09
「新復活」25
それだけに、正しい心、正しい法、この道を己自身のものとして、
生活をしなかったならば、人間は救われないのです。
しかし、皆さんの心の中には、誰しもが、神の子としての
「真の愛の心」を持っているのです。
なぜならば、すべて皆さんは、天上の世界から約束されて、
この地上界へ出て来たのです。
還るときに、「あれもしよう。」「これもしよう。」ではなく、
今の一秒一秒、一日一生の己自身の完成が、
皆さんをより大きい、広い豊かなものにしていくのです。
今、厳しい経済的環境にあろうとも、悲観することはないのです。
今、その厳しい環境の中で、今、皆さんは、自らの魂を、
学習するために、今その体験をしているのです。
たとえ、経済的に恵まれていようとも、
その環境に安住するものではないのです。
恵まれているならば、それを大事にし、気の毒な人達に、
真の愛の行為を、無所得のままにしてやることなのです。
これが道なのです。
114 :
名無しさん@1周年:02/03/23 01:10
「新復活」26
皆様は、皆兄弟なのです。
生まれの環境が違おうとも、神の子として、
すべて太陽の下に兄弟なのです。
他人ではないのです。
「袖すり合うも他生の縁」といいます。
まことにその通りです。
皆さんが、目覚め、自からを自覚した時に、
皆様は神の子としての道を、
己自身がして実行していくのです。
今、私がしゃべっているこの言葉は、皆さんの心の中にすべて
記録されていきます。
そして、この地上界を去ったときに、
真実であるかないかを、皆さんは、自らして分かるのです。
その時に救われるのです。
生きている中に、自らを作ることです。
道は永遠に続きます。
今、この世限りではありません。
やがて、我々はあの世に還ります。
そして、また、いつの日か地上界か、
あるいはまた、他の天体に出てくるのです。
皆さんは自らに目覚めなさい!
自らの「心」を開きなさい!
小さな自分を捨てなさい!
偉大なる「神の光」に目覚めなさい!
それは「愛」です!
それ以外にないということです。
この研修会を通し、自分の心を裸にして、
神の「己自身の本性」に目覚めて下さい。
永い時間どうも有り難うございました。
115 :
名無しさん@1周年 :02/03/23 01:11
うそつきの言葉いくらのせてもムダ。ぜんぶうそと妄想。
【虚偽の発言をすることに抵抗のない高橋信次】
「光の求道者 誰も書かなかった高橋信次」 菅原秀 明窓出版 1995
第3章 高橋信次はどういう人だったのか
p141-142
昭和四十七年秋の熊本での講習会のあと、一栄さんは高橋信次を叱っていた。
「あなたはちゃんと大学に行っているのに、どうして、いつも小学校しか出ていないと言う
のですか。自分は無学だなどと、どうしてウソを言うのですか。私は、あなたのそうい
うところがきらいです」
高橋信次はたばこを、ゆっくりとくゆらしながら、
「だって、ウソも方便(ほうべん)と言うだろう」
ととぼけていた。
「ウソと方便は違います。八正道(はちしょうどう)を説いているあなたが、そういう態
度でいいのですか。」
ほほえましい場面を見てしまった私は、
「先生やられてますね」
とニヤニヤ近寄った。
「ぼくは、うそつきですかね?」
「確かに、うそつきです。でも、奥さんは正直な人ですね。うらやましいな」
「うるさいだけですよ。でも、ぼくは大学へ行っているけど、ちゃんと出ていないんですよ」
「じゃあ、ドロップアウトですか?」
「いや、苦学生だったんですよ」
また、一栄さんがやってきた。
「あなた、若い人にウソを教えないで下さいね」
「わかった、わかった」
上記の「高橋信次の講演」は本物です。みなさん、ログとるように。
高橋信次のもと高弟だった園頭氏のサイトに、上述の「新復活」と続く講演の全
テープ起こしが記録されています。必見です。(下記紹介文・URL参照)
「1976(昭和51年)6月4日〜5日、岩手の盛岡で東北研修会が開催された。
演題が4日は「新復活」、5日は「太陽系の天使達」で、お釈迦様が説法をされた
ときのように光の化身となって昇華されるような迫力の講演であった。数時間にも
及ぶが、将来、音声データの圧縮が劇的な進歩をとげれば、インターネット上で
公開される時も来よう。くしくも高橋師はコンピューター端末機器会社の経営者で
あった」
http://www.shoho.com/newpage17.htm
しかし、上記の園頭氏サイトの講演記録は、名無しさん提供の新復活と
くらべると、「都合の悪いところは削除・構成」してあるようです。
もちろん、名無しさんの方が原音に近いと仮定してですが。
たとえば一例。
*名無しさん提供(新復活22)
信じようと、信じざるにかかわらず、それは事実です。 後5年です。皆さん、見ておって下さい
*園頭さんサイト
信じようと、信じまいとそれは事実です。皆さん、見ておって下さい。
つまり「5年後」の一句があったとすれば、それを園頭氏サイドが削除して
「口をぬぐった」ということになります。師の予言がはずれて、さぞ都合が悪く
なったのでしょうね。
高弟からして、こういう「こすいつじつま合わせ」をやるんです。師の信次が
輪をかけたウソツキ、ご都合主義人間だったことは、容易に推測できます。
ご紹介した園頭さんのサイトにおける信次の発言記録等は、そのへんを割り引いて
お読みになればよろしいかと。
119 :
名無しさん@1周年:02/03/23 11:10
>ぜんぶうそと妄想。
初代が「うそと妄想」を平気で言っていたので、
2代目も憚ることなく真創世記のあとがきを書いたのでしょう。
初代の血と地と知が、2代目に流れ込んでいるのだから当然でしょう。
園頭サイトの「こすい削除」まためっけ!
*名無しさん提供「新復活」(22)
>私は実業家として、後4年、5年の後においては、その面においても、
>世界でも知らん人がなくなるでしょう。
*園頭サイトの同一箇所
>私は実業家として、その面に於ても、世界でも、知らない人がなくなるでしょう。
「後4年、5年の後においては」が削られている。2箇所もあると、これはもう致命的
ではないでしょうか。これは師の発言における「事実の隠蔽」ではないか。弟子が、こ
んなことをやっていいのか。
園頭出てこいと、生きていたら、いってやりたい。それとも、だれかを霊媒にして呼び
出そうか(笑)。
園頭氏存命中に、講演会のテキスト化が行われたか、園頭氏死後に弟子が
行ったのかはともかく、事実の隠蔽とは言語道断ですね。
そういえば、
>>120のあと4,5年云々はビデオでも聞いたことがあったような。
してみると、
>>86以降の一連の「新復活」講演会の大量コピペは、このスレッドの
流れをそぐものであるが、貴重な資料であるといえます。
まあ、私には、教団職員か誰かGLA関係者がこのスレッドを撹乱するために
書き込んだのだろう、としか推測できませんが、さていかがでしょうか?
何はともあれ、ご苦労なことでございます。
何か良からぬ意図をもった大量書き込みならば、全く無駄です。
それは、過去に狂信者がやってきて失敗しています。
>169!さん
「事実の隠蔽」という言語道断さでは、高橋一栄・佳子や現在のGLAの
信次時代からの関だの谷口だの久水だのも「同罪」でしょう。彼らは、園頭
と同様、「あと5年でまちがった宗教は、信次とGLAの霊能者によってつ
ぶれる」「信次は中近東へいって正法を広める」「あと4、5年で実業家と
しての高橋信次を、世界中の人間が知るようになる」という「予言」を「熟知」
していたはずで、それが「はずれたこと」も「熟知」してるわけですから。
佳子がミカエルとして立ったとき、「あと5年で、世界じゅうに人々がミカ
エルにひれふす」と宣言したのも、この父・信次の「予言」ゆえだったのですな。
いずれにせよ、佳子も一栄も関だの谷口だの久水だのも、「信次がウソツキ」
であることを、知っていたし、今もそれを「隠蔽」しつづけているわけですから、
「同じ穴のウソツキむじな」であることは、ほぼ確実なようです。
高橋信次著書間の記述におよそ整合性がないことを指摘するということは、
GLAにとっては致命的なことです。もう返答の使用がありませんから。
家族や友人が、「佳子先生、佳子先生」と盲信者になってしまった者の脱会を
促すためには、これ以上ない助けとなるでしょう。
信者となってしまった家族がいるGLAの集会場に、「心の原点」を三冊持って
乗り込んでいけば、そこに居合わせた信者は、誰一人まともな返答ができない
からです。
また、まともに真理を追及する気のある会員ならば、プロジェクトや集いの場
などで、当然このスレッドの存在を紹介して、他の会員たちと一緒に考えようと
するはずです。
いつまでも、自分の中に疑問があることをごまかしながら、感動的な美談に涙する
という娯楽に夢中になっているだけならば、それは自分自身と家族の人生に対して
無責任でしょう。
会員の皆さんには、本当の「私が変わります」宣言をしてほしいと思います。
124 :
名無しさん@1周年:02/03/23 13:33
園頭教団に高橋信次の生まれ変わりと言われていた子供が現れたので、
実業家として4年、5年後を隠蔽する必要があったのでしょう。
また、5年後では、簡単に事実として検証されてしまうので、千年共同体なる
主張をするようになったのでしょう。
*「新復活」の大量投稿から見る、信次の予言(22)
「今後、大きな現象が起ってまいります。間違った宗教家達は、私によって
つぶされていきます。どのような宗教家であろうとも、間違った宗教家達は、
私達の霊的な力によって現象化(減少化?)されていきます。
信じようと、信じざるにかかわらず、それは事実です。後5年です。皆さん、
見ておって下さい。「地震」も「雷」も、自由自在です。
それだけに、今、私達は、その受け入れ体制をしておかなければなりません。
日本ばかりではありません。やがて、私は中近東へ行きます。
そして、真の道を、彼等は知るでしょう。
私は実業家として、後4年、5年の後においては、その面においても、世界
でも知らん人がなくなるでしょう。当然なことです。それが道です」
この5年後の1981年に、上記予言は何一つ成就されなかった。この講演
の20日後に信次が「死去」したからだ。
三宝出版の信次の著作の裏カバーには、信次の顔写真とともに、「1976年、
みずからの予言どうりの生涯を終えた」とある。妻一栄も「結婚直前に48歳で
死ぬと予言していた」と機関誌などで発表しているが、何十年も前に48歳で死ぬ
と予知していた人が、なんで死の20日前の講演で「4、5年後」のことまで予言
したのだろうか?
あるいは、それは「霊となっても、事業をやり遂げる」という意味だったのだ
ろうか。しかし、肉体で生きていようと霊となって存在しようと、この1976年6/4
の「予言」が「まったく大はずれした」ことだけは、厳然たる事実である。
高橋信次の実弟・興和氏もGLA幹部であるし、結局「高橋一族とその郎党と
してのGLA幹部連」は「虚偽隠蔽の共謀集団」といっても過言ではなかろう。
上の(22)は、「新復活」投稿の22番目という意味です。
>梅仙人さん
このスレッドは現在高橋信次氏の著書の矛盾点を追及しているわけですが、
今後、著書の矛盾について反論できない信奉者が、話題を違う方向にすり
替えようとしてくるでしょう。
曰く、「では、あなたが信じているのは、どいういうことなのか。どういう
立場で高橋信次を否定しているのか」・・・・
梅仙人さんの依って立つ立場など、高橋信次の著書それ自体とは
何の関係もありません。
著書と著書をつき合わせて、その矛盾点が明らかになれば、それでよいことです。
そういえば、高橋信次は、生前よく、「過去・現在・未来は一点なり」と主張し
ていました。
これでは「過去・現在・未来は、ウソばっかり」と言い換えなきゃなりませんね。
あと「如来は、三世(過去世・現世・来世)を見通すもの」ともいっていましたが、
「三世をウソつき通すもの」といった方がよいでしょう。
129 :
名無しさん@1周年:02/03/23 15:06
>著書と著書をつき合わせて、その矛盾点が明らかになれば、それでよいことです。
一番簡単な攻撃方法だね。
でも彼らには有効でしょう。
「心の発見」の「まちがいの発見」14
大悟とげた信次は、いわゆる「霊道現象」まっしぐらで、自分や義弟だけでなく
妹や妻まで巻きこみ、「守護霊・指導霊」現象を起こしてゆく。その大筋は「神理
編」「現証編」とも同じだが、やはり日付や霊の現れ方など、冷静に検討してゆく
と、いろいろおかしな点が出てくる。
まず、「フワイの正体がイエス・キリスト、123の正体がモーゼ」と判明した時期
が、ふたつの著書では異なっている。また、同時にこの二人の姿を「霊視」できる
ようになった時期についても、不明瞭さが残る。
「神理編」では前述したように、1968年7月6日夜、義弟の口から「123と名乗る
霊が現れ」「紀元前1300年前の古代エジプト語を全く正確な発音でしゃべった」
とある。「守護霊フワイ」についても同様だ。(40ページ)
この時点では、どちらも「正体」がはっきりしない。
ところが、同年九月十九日に妹にかかった「聖観世音菩薩」の現象の説明に入る
前に、いきなりこんな「正体」の説明が入る。
「神理編」46ページ
「123は、上段階、光の指導霊で2M以上の大男である。頭には王冠、腕にも金環を
はめたBC1300年代のエジプトのスタイルであった。本名はモーゼと呼ばれている」
「フワイは、髪が首まであり、あごひげをはやした身長1M78Cほどの方で、やは
り、上段階、光の大指導霊で、1世紀にイスラエルに活躍した人である。イエス・キ
リストの分身の名であった」
このあと、九月十九日の妹の霊現象に入る。しかし、この「守護霊と指導霊」の
正体が、いつわかったのか。それまで義弟によりつかせるほかなかった存在が、いつ
から霊視できるようになったかについては、日付も背景も何もかかれていない。
ただ、いきなり「正体はこうだ。姿形はこうだ」という説明があるだけであり、
その後につづくページでは、そのことが「既製事実」として扱われ、どんどん話が
進んでゆくのだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」15
順当に考えるならば「九月十九日」以前にわかったのだろうと、想像することしか
できない。すでに「九月十九日」には、妹にかかる観世音菩薩の姿を、信次は霊視
して描写している。
ところが、その2年後に書かれた「現証編」では、このあたりの描写がぐっと
こまかくなってくる。
「アインシュタインの霊」が現れたあと、8月に入って、「123」や「フワイ」から
「神理の講義」を受ける。まだ「守護霊・指導霊」の正体はわからない。霊視できる
かどうかも書かれていない。読者としては、「信次の胸の奥から声がしているのだ
ろう」と想像するしかない。(P75-77)
次に、78ページ。妹に観世音菩薩がかかった。ここでも信次は霊視で、その姿を
描写している。その日付は「九月十八日」と書かれている。「神理編」では「九月
十九日」なのに、である。
この「妹にかかった観世音菩薩」については、後述することにして、信次がいつ
「守護霊・指導霊の正体」がわかり、また「霊視できるようになったか」を調べよ
う。
8月以降、守護霊フワイが信次の口を通して語ったことを、まとめるように要請
される。それの骨子が完成したとき(といっても、いつその骨子を書き始めたのか
日付がないのでわからない)
それを、「古代エジプトのスタイルをした大男の123」が大粒の涙を流して聞き入
り、声をつまらせて、「指導霊としての役目は終わった」と述懐する。そして、
そのそばにいた「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」の霊が、「123」をさして
「こちらの方はBC130年(ママ)ごろ、エジプトで活躍されたモーゼと申され
る方です」と紹介し、フワイのことも「BC32年(ママ)イスラエルに生まれた
イエス・キリストである」という。
いつかはわからない、この「時点」では、すでに信次には「守護霊・指導霊」を
霊視する能力があったことになる。(P89-91)
「心の発見」の「まちがいの発見」16
この記述のあと、「1968年10月30日」の日付で、再度、同じエピソードが語られ
る。より詳しいだけで、流れはほとんど変わらない。なぜ、こんな二重な書き方を
したのかわからないが、とにかく「守護霊・指導霊」が、その正体を、信次に言明
した日付は「10月30日」である。そのとき、「霊媒」になって「123」の言葉を告げ
たのは、信次の妻(一栄)である。
霊媒によりつかせても、信次は「123」と「フワイ」が涙を流し、目頭をおさえて
いるという感動的な場面を「霊視」している。「後光が大きくなった」とか「それ
は、とてもこの世の光景ではなかった」と書いている。
さて、ここで「混乱」が起こる。先に私は、
>「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」の霊が、「123」をさして
>「こちらの方はBC130年(ママ)ごろ、エジプトで活躍されたモーゼと申され
>る方です」と紹介し、フワイのことも「BC32年(ママ)イスラエルに生まれた
>イエス・キリストである」という。
と書いた。P89-91のことだ。
ところが、P95では、「信次にモーゼとイエスであることをはじめて告げたのは、
123自身であり、それをうながし催促したのは、イエス・キリストのかっこうをした
フワイである」と書いてある。「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」の霊など、
どこにも出てこないのだ。
「現証編」P95
「シンフォーは123に何かうながしている。しばらくたってから123は、
「私、エジプトで生まれたモーゼと呼ばれていたもの。ここにいる人、フワイ、
二千年前、イスラエルで生まれたイエスといわれた人・・・今、はじめて本当の
名前、伝える」
私(信次)には本当に信じられない疑問がよぎった。あまりにもそれは驚きであ
ったから」
一体、「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶の霊」は、どうなったのだ?
「心の発見」の「まちがいの発見」17
このたった5ページしかちがわない間に、何があったのか。「守護霊・指導霊」
との「感激の対面」という、素晴らしいシーンが、なぜこのように「つじつまの合わ
ない混乱」にみまわれているのだろうか。
信次に、「123」「フワイ」の正体を教えてくれたのは、だれなのだ。若草色の
法服を着たチャイニーズの霊なのか、あるいは「123」なのか。だれか、はっきり
させてくれ。
これは、信次の「創作ミス」であろう。ひとつの話にまとめそこねて、二重記述
になっただけでなく、「没になったアイディア」も削除しそこねたと考えれば、納得
がゆく。
そして、これはさらに疑問なことなのだが、結局、「いつから、信次は自他の
守護霊・指導霊を見られるようになったのか」という点に関しては、最後までわか
らずじまいなのだ。
信次は、いったいいつから「霊視」ができるようになったのか。その時期がまる
でわからない。本当に見えていたのかどうかも、わからない。著書に書いていない
以上、確かに「霊視ができていた」とは断言できない。
「大悟の日付」も「守護指導霊との邂逅の記憶」もさだかでない者の「霊視」など、
どれほどの信頼がおけようか。ましてや「悟りを得た」など、笑止である。
134 :
名無しさん@1周年:02/03/23 18:19
スレ賛同揚げ。
「心の発見」の「まちがいの発見」18
14で、信次が「神理編」の41ページで、いきなり「フワイ=イエス、123=モーセ」
と書き出したと記述したが、その前にある文章を見落としていた。
信次は、なぜ123とフワイの正体がわかり、その姿を霊視できるようになったか、そ
の理由を、ごく簡単にこう書いている。
「仏教もキリスト教も学ばなかった私に、いつのまにか、その神理が自然と解明されて
ゆき、当時の模様がわかるようになった」
つまり、だれにいわれるともなく、霊の素性やその生前の背景や姿などが「自然」に
わかった、といっているのだ。
ということは、「だれに教えられるともなくわかった」ということだ。そうすると、
「現証編」で出てきた「若葉色の中国風の法服を着た僧侶の霊」や「フワイにうながされ
て、自分たちの正体をカミングアウトした123」というストーリイは、あとででっちあげ
たもの、ということになる。
「自然にわかった」というのと「霊本人に教えられた」というのとでは、まったく状況が
ことなることは、だれが見ても明白だ。
まったく、ヘタな小説にもならないような、でたらめな「守護霊・指導霊との対面劇」
である。信次の中途ハンパな「創作」が生み出した、妄想劇であることが、これではっき
りした。
*自分の死期を予言したというのは本当か?
「神理編」31ページで、信次はこう書いている。
「1953年に私は許婚の女性(一栄)に、自分の将来について48歳までのことを予言し」
とある。一栄は後年、「48歳で死ぬけどいいか?ときかれて面食らった」と述べてい
ることから、この予言は「死期」を告げたものであることはまちがいないだろう。
そうすると、前にもあげたが1976.6.4のまさに48歳の「新復活」講演(22)の
「5年後に実業家として世界じゅうで、だれも知らないものがいなくなる」という
予言と矛盾が生じる。
48歳で死ぬとわかっている人が、なぜ5年後の自分を予言したのだろうか。ウソ
とわかって講演したのなら、最後までウソつきであったということになる。
137 :
GLAにつけるクスリ:02/03/24 02:42
>137さん
・高橋信次講演集
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1016693533 のご紹介を感謝。さっそく、そこで説かれた信次の予言を見ましょう。
42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/03/21(木) 21:53
「正法の流転」15
>我々は、今、この地上界に最終ユートピアを築かんがために、
>肉体を持ち、今から五年、十年先は、多くの同士達が、
>あらゆる国々から集まり、真実のものを、皆悟って行きます。
46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2002/03/21(木) 22:02
「正法の流転」19
>やがて間違った宗教は、わたくしの正法の前に、
>次々と屈服して行きます。
この信次の晩年の予言が大はずれしたことは、いうまでもありません。10年後の
1986年にも、世界じゅうの人々は正法にも真実のものに気づくこともなく、さらに、
それから15年以上、たっちゃいました。どんな宗教もGLAに屈伏していませんし、
むしろ梅仙人の追及に対して、GLA信者やGLA自体が屈伏させられる日も近いの
ではないでしょうか。
>>130-135 130 :「心の発見」の「まちがいの発見」14
131 :「心の発見」の「まちがいの発見」15
〜フワイ・シン・フワイ・シンフォーと123の正体をいつ誰が明かしたかの記述の相違
また、この二人の姿を高橋信次が「霊視」できるようになった時期も明瞭な記述がない
「神理編」(1971年刊)(40ページ)
1968/7/6 義弟の口から指導霊123と守護霊フワイが出現。
この時点で両者の正体は不明。
↓
「神理編」(46ページ)
・123=モーゼ 、フワイ=イエス・キリストの分身
この正体の説明のあと、同年9/19の妹にかかった「聖観世音菩薩」の現象の
記述が続く。
*123とフワイの正体がいつわかったのか、それまで義弟によりつかせる他
なかった存在が霊視できるようになった日付も背景も描かれていない。
妹にかかる観世音菩薩の姿を信次は霊視できていることから考えると、
それ以前にわかったのだろうと想像するのが順当。
--------------------------------------------------------
「現証編」(1973年刊)(P75-77)
8月に入って123やフワイから神理の講義を受ける。
--123とフワイの正体は不明。二人を霊視できるかどうかの記述もなし。
--「信次の胸の奥から声がしているのだろう」と想像するしかない。
↓
「現証編」(P78)
9/18 妹に観世音菩薩がかかった。(信次はその姿を霊視している。)
(「神理編」では9/19。日付の相違あり)
(続き)
「現証篇」(P89-91)
守護霊フワイが信次の口を通して語ったことをまとめるように、8月以降
要請される。それの骨子が完成したとき(=いつかは不明)
それを、「古代エジプトのスタイルをした大男の123」が大粒の涙を流して
聞き入る。そのそばにいた「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」の
霊が、123とフワイの正体を明かす。
[この時点では、すでに信次には霊視能力があったことになる。]
132 :「心の発見」の「まちがいの発見」16
133 :「心の発見」の「まちがいの発見」17
「現証篇」p95 〜 p89-91の記述と同じエピソードが二重記述
1968/10/30
123自身が、123とフワイの正体を信次にはじめて明かした。(妻一栄が霊媒)
注目--「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」の霊は登場すらしていない
[この時点では、すでに信次は123の姿もフワイの姿も霊視できた。]
135 :「心の発見」の「まちがいの発見」18
「神理編」(P46)いきなり「フワイ=イエス、123=モーセ」と正体を書き出している。
↓
その前にある文章で、信次は、なぜ二人の正体がわかり、その姿を霊視できる
ようになったかの理由をごく簡単に記述。
>「仏教もキリスト教も学ばなかった私に、いつのまにか、その神理が自然と
>解明されてゆき、当時の模様がわかるようになった」
=だれにいわれるともなく、霊の素性やその生前の背景や姿などが「自然」に
わかった、といっている。
↓
つまり、「現証編」での、僧侶の霊や123に告げられたという記述は虚偽になる。
>>131梅仙人さん 「心の発見」の「まちがいの発見」15
著書「現証篇」では「九月十八日-妹に出た観世音菩薩」 と表題はなっていますが
>翌十九日の夕方にも、また間違いなくそれが、妹の後ろに見えた。
>私は妹を呼び〜 (p79)
霊媒にして、18日にも目にしたインドスタイルの女性すなわち観世音菩薩を19日に
妹にかからせて、語らせています。(それ=観世音菩薩)
よって、妹の肉体を借りて観世音菩薩が語った日に関しては、「神理篇」
「現証篇」とも共通しています。両書ともに、9/19ということなので、これに関しては
双方に矛盾がなく訂正が必要ということになります。
>「九月十八日-妹に出た観世音菩薩」 という表現がまぎらわしいんですが。
>169!さん
>「九月十八日-妹に出た観世音菩薩」(現証編)
のことですが、「神理編」では、あたかも「九月十九日」にはじめて現れたかのように、
書いているわけです。厳密には「妹に観世音菩薩を名乗る霊がかかった日」は「十九日」
ですから、たしかに矛盾はありません。
もっともインドスタイルの「観音さま」を「霊視」し、自分の妹に憑依したと書いた
時点で、まっとうな人間としては「アウト」ですから、何日であろうと「ウソ」に変わり
はないですね(苦笑)。
>梅仙人さん
>>142-143 >>「九月十八日-妹に出た観世音菩薩」(現証編)
>のことですが、「神理編」では、あたかも「九月十九日」にはじめて
>現れたかのように、書いているわけです。
改めて神理篇を読み直してみましたが、全くそのとおりです。
観世音菩薩が前日の18日に現れていたという風には全く読めません。
[付記]
と、ここで書き込みが終えたいところですが、またもや見つけた
矛盾を加えねばなりません。
神理篇・現証篇ともに、この場面では、霊体である女性が妹の
肉体に入る描写がなされています。
神理篇のほうでは、「美しいインドのスタイルをした、仏像に似て光り
輝いている女性が二人、私の眼前に立った。」(p47)と記述されています。
「薄紅色の絹織物を着け」(p47)ともあります。このうちの一人が妹に入ったわけです。
(続き)
ところが、「現証篇」ですが、「インドスタイルの女性」が最初から二人いた
などとは特に明記されていません。二人いたと言い張れば、そう読めないことも
ないが、一人だと思って読むのが自然な描写になっています。
一方で、妹の肉体を出たあとの観世音菩薩の横に、「その隣には、
キリスト者のような、灰色の長い古代のスタイルをした外人の女性」(p80)が
いたとの描写があります。
結局のところ、霊体の女性はいったい何人いたのでしょうか、キリスト者スタイルの
女性を含めて入れて二人いたのか、それとも三人なのか、いや、インドスタイルの
女性一人が途中からどこかでキリスト者スタイルの衣服に着替えたのか(笑・・・
少なくとも神理篇には三人いたという記述はありません。
・・・と、ここでとめようと思ったのですが、今度は
妹が観音様の膝の上で過ごした(何のことやらわかりませんが)期間が
両書で違っています。
さらには、妹が過去世でアトランティスに出ていた時代も・・・。
まだまだ他にもとめどなく続くのでしょう。
いったい何ゆえに、このような虚偽が明白な著書が、立て続けに発刊
されてしまったか。何だか、だんだんと馬鹿馬鹿しくなってきました。
こんな齟齬に満ち満ちている著書を信じる人間を、10万人も作り出そうと
いうのですから、GLAは世の中をバカにしています。反社会的な団体です。
明らかにつじつまの合わない不自然なものを、会員は、神理だなどと
称して伝道し続けるべきではないと思います。
これには、GLA会員の皆さんも異存はないでしょう。
もし、このスレッドで提示されている疑義を無視して、布教活動を強行する
ならば、それこそ良心のかけらすらないと言えるでしょう。
少なくとも疑問が解消されないうちは、GLA著書の配布・紹介を含めた
一切の布教はさし控えておくべきです。
まずは、信頼できる家族で非会員の方と話し合われる場を持つのがよいと思います。
147 :
名無しさん@1周年:02/03/26 07:24
スレ賛同揚げ。
148 :
会員の抗弁を予想:02/03/26 08:26
ささいな日時の間違いよりも、教えの中身が大切なのです。
149 :
名無しさん@1周年:02/03/26 08:37
高橋信次は発言が本当なら偉人、聖人だが違うとなると
トンデモない愚人、狂人になるという極端な立場の人ですね。
この差に驚くばかりです。
150 :
名無しさん@1周年:02/03/26 17:35
スレ賛同揚げ。
「心の発見」の「まちがいの発見」19
さて、この先、妹や妻に守護霊や過去世が、いよいよ登場するのだが、その前に
「神理編」と「現証編」の顕著かつありうべからざる不一致の一例を、今度は「過
去世証言」の中から、最初に摘出しておこう。
信次の妹の過去世のひとつ「紀元前4千年にエジプトで生まれたアシカ・ミヨタ
ーという女性」は、「神理編」では出生地についてこう語る。
「私はバラーという農村に村娘として生まれたのでございます」(49ページ)
ところが、「現証編」(100ページ)では、同じ人物がこう語っているのだ。
「私は、エジプトの片田舎カパリで生まれた村娘のアシカ・ミヨターでございます」
霊道(霊的感覚)が開いて、過去世の意識が、次々と浮上する中で、動くはずの
ない「過去世記憶」の中の「出生地の名前」が、まるで異なるものだというのは、
理解しがたい。
ということは、この「アシカ・ミヨター」なる過去世人格がウソをいっているか、
あるいは信次の妹自身がウソをついているか、どちらかであるとしか考えられない。
age
153 :
◆LqBgPfUY :02/03/29 12:19
>153
「法の継承」なんていいかたは、やめてくれないか。これまでの信次の著作や講演
記録から、信次の説いたことが「真理」ではないことはあきらかだろう。ここは、
信次の著作の矛盾を指摘するスレッドだ。
「法の継承者」云々をいいたいなら、高橋信次スレッドでやってもらえないか。ウソ
つき教祖の「法」の継承なら「謬法の継承」と言い直すべきだ。そう思わんかね?
信次については、今のところ、その著作自体の矛盾やあやまちやウソを指摘するだ
けで、とどめている。しばらく、彼の著作関係にしぼって投稿してもらいたい。
155 :
名無しさん@1周年:02/03/29 18:08
このスレを立ち上げてくれた、梅仙人様に感謝します。
このように細部(しかし本質的にかかわる事)の矛盾を挙げていただくことにより、いかに著作がルーズなものであるかが分かります。
私が、これらの著作を読んだのは昭和50年代の前半、学生当時です。幸いGLAと接触することはありませんでしたが、友人や後輩と、これらの内容について随分議論をしたのを思い出します。
いくつかの分派が現れ、娘のケイコがテレビのコメンテーターとして(異様な表情を見せながら、憑かれたように)人生について語るのを見るに及び、これらの本は廃棄してしまいました。
常にある種の薄気味悪さが拭えませんでした。
あれから二十数年、この高橋信次の著作は、大きな罪を犯してきたと思います。
次から次へと現れるエセ・スピリチュアリズムに若者を追いやる役割も果たしてきた。
悪しき雛形となった。
「無意識」に与える影響も大きい。
これが真理だ、と受け取らない者であっても、真理とはこれに近いものではないのか、と感じる妄想の苗床を形作った。
かなり深刻な問題を含んでいると思います。
ほんとうは誰かがクリア・キーを押さねばなりません。
各人が自分のアタマで考えて、自分を決めて行かねばなりません。
その意味で、各スレの梅仙人さんの書き込み、そしてこのスレは有意義だと思います。
細部の整合性は、極めて大事なことです。
ご苦労様です。
156 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:08
>>151 >「私はバラーという農村に村娘として生まれたのでございます」(49ページ)
> ところが、「現証編」(100ページ)では、同じ人物がこう語っているのだ。
>「私は、エジプトの片田舎カパリで生まれた村娘のアシカ・ミヨターでございます」
> ということは、この「アシカ・ミヨター」なる過去世人格がウソをいっているか、
>あるいは信次の妹自身がウソをついているか、どちらかであるとしか考えられない。
GLAの教義によれば、人間は何回でも転生輪廻するから、
複数の過去世を有することになっているのでは。
157 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:19
>>5 >「神理編」21ページ
>「村はずれの小さな白山神社という社に、雨の日も風の日も、雪の
>日も欠かさず日参し、朝夕六時の2回、社の掃除と瞑想にふけり、
>祈願したものである。10歳から13歳の3年間、それは続いた」
3年間続いたのは、「朝夕六時の2回、社の掃除と瞑想にふけり、
祈願した」という行為であって、単なる「お参り」にとどまるもので
はない。
> 「現証編」14〜15ページ
>「いつのまにか、この社が私の家のようになり、私は勉強道具を持
>ちこんで勉強するようなこともあった。2年過ぎ、3年すぎた冬の
>ある夕方・・・(中略)・・4年、5年とお参りは続いたが、神と
>の対話は何の返事ももたらさなかった」
4年、5年続いたのは「お参り」の行為である。よって、何の矛盾
も無い。
158 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:19
>>6 「神理編」35ページおよび「現証編」52〜53ページに掲げられている
事実は「同一の事実」に関するものと思われる。日付の間違いは単なる
勘違いの域を出ないものである。
159 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:20
>>7 > 信次は、「紀元前1300年前の古代エジプト語の発音を正確にヒア
>リングできた」ということになる。これが本当なら、大変な考古学
>上の大発見、大功績となるが、……
> しょせんは、「全く正確な発音のはずである」という域を出ない。
「人間は転生輪廻の記憶を開くことができる」という前提が正しい
のであれば、特におかしな所は無い。この「前提」自体を問題視して
いるのであれば、「人間は転生輪廻の記憶を開くことなどできない」
ということを論ずる必要があるだろう。
160 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:22
>>7 > 神仏の話は、私からずっと聞いてきたので、私の研究についても別
>に否定することもなかった
「私の研究」とは、「神仏のこと、人生のこと、を探求すること」
を指しているのか「霊道現象」を指しているのか解らない。
が解る。
>>8 > あれれ?「神理編」では義弟さんは、「協力的で霊的問題に肯定
>的」だったはずだぞ。
オレが持っている「神理編」には、義弟が「霊道現象」について肯定的
であるとは書かれていない。
神仏のこと、人生のこと、を探求することに肯定的であるが、GLAの
「霊道」に批判的な人間はいくらでもいるだろう。
161 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:23
>>8 > さらに、「神理編」では「7月5日」におこったはずの「指導霊
>ワンツースリー」との邂逅は、「現証編」では「7月3日」でさえ
>なく「7月7日」になっているのだ。
単なる勘違いの域を出ないものだろう。
162 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:25
>>8 > そうして深夜の実験をして「午前1時、光を入れる」と、義弟の
>口から「昔の侍の声が出てきて語りだしたのだった」
> これが「神理編」での「2月5日」に現れたという「14代前のご
>先祖」のことだろう。
これは、単なる憶測だな。
> 真冬の2月はじめに起こったことと、夏の暑い盛りにおこった、
>奇跡的霊現象をとりちがえるなど考えられない。だが、その考えら
>れないことが、平然と書いてある。
要するに、上の「憶測」が誤っていたということだ。
163 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:26
>>15-16 > 果たして事実上の「立教日」といっていい、高橋信次の「大悟覚
>醒の日付」は、「神理編」の「7月11日」が正しいのか。それと
>も「現証編」での「7月10日」が正しいのか。はたまた「7月の
>12日」なのか。
日付の勘違いなど下らない話だ。
164 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:28
>>23 > つまり、医学的に「4日間の間、ほとんどのまずくわずで、あちこちに出かけて
>複数の人に悩み事を相談して歩いた」結果として「体重8キロ減った」ということ
>はありえないことのようである。
医学で説明できないことなど、いくらでもあるだろう。
165 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:28
>>25 >「現証編」では「神理編」よりも、くわしく「苦悩をもって歩いた経過」のレポートが
>なされているのに、なぜか神理編の「ところかまわずの霊的現象の発現」については、
>「体重8キロ減」と同様、なにも書かれていないのである。いかにもこれは不自然だ。
何が不自然なのかさっぱり解らん。
著者が同一であるとは言え、別の本だろう。
166 :
名無しさん@1周年:02/03/29 22:31
このスレは、こんなカキコが延々と続くのか。
オレにはついていけん。
ある意味で梅仙人に敬服するわ。
>166
ついてこれないなら、ついてくるな。あっちへいってろ。わたしは、今後もこの
スレを続けるのだ。そんな毛虫程度の脳みそで、おれの検証に反論しようという
のか。延々どころか万里の長城ほども続けたいくらいだ。
反証は受けてたつが、半畳なら、崖下へ突き落とす。いまのおまえの反証は反証
になってない。このスレでうかつな反論をすると、ギャラリーの笑い者になるぞ。
目に見えない人々の嘲笑覚悟なら、それもよかろう。
ロードローラーにおしつぶされた空き缶のようになってもいいなら、投稿をつづけ
るがよい。事実は事実、その重みは変えられないぞ。
>>156-166 :名無しさん@1周年
>>158 >日付の間違いは単なる勘違いの域を出ないものである。
>>161 >単なる勘違いの域を出ないものだろう。
>>163 >日付の勘違いなど下らない話だ。
当スレッドは、日付の間違いが高橋信次の単なる勘違いではないことを
指摘しているスレッドになっております。
>156-166は、著書間の記述の矛盾に直面した場合に、高橋信次ドグマ信奉者
と思われる方が、いかにして葛藤を回避しようとするのかその在りようが
窺がわれる点で非常に興味深い書き込みと思われます。
>GLA信者の方・高橋信次信者の方へ
後から読み返して自分でもすっきりしない反論なら、しない方がましと
いうものです。ご自分が惨めになるだけだからです。
矛盾を指摘した者に対する悪感情が、実は、矛盾そのものや矛盾を説いた者に
対する悪感情であるかもしれないことに向き合う必要があります。
170 :
◆LqBgPfUY :02/03/30 08:46
日記でもつけてなくては、数年前のことだって、正確に覚えてないだろう。
過去世なんて、何言おうが、事実に反しようが、うろ覚えのうろ覚え。
逆に言うと、正確にありありと思い出せたのであれば、過去世ではない。
高橋信次の現象は過去世の証明ではないってことだろ。
171 :
名無しさん@1周年:02/03/30 15:10
age
【 1〜 50を振り返る ---◆「心の発見」の「まちがいの発見」1-13 (梅仙人さん投稿) 】
(51以降のリンクも一部貼っています)
●「心の発見」の「まちがいの発見」1
>>2 *「心の発見」は、最初「縁生の舟」という名前で出版
*S46「経済界」から、心の発見「神理編」「科学編」「現証編」順で第1刷発行。
*その後「三宝出版」に版権がひきつがれ「改訂新版」として今にいたる。
*まったく同一内容だが、「経済界」版の「神理編」のカバーのそでには、
「*本編はSF的興味心だけで読まれると危険です」との注意書きがある。
しかし、現在発売中の「三宝」版にはその警告がない。
●「心の発見」の「まちがいの発見」2-6
>>4-8 →[レジュメ]
>>14 同 2 〜3部作「神理篇」「科学篇」「現証篇」間での記述の矛盾を考えたい
同 3 〜少年時代に高橋信次氏が白山神社に日参した期間の相違
同 4 〜ろうそくの火が蓮の花の形に変化したという霊的現象
同 5 〜信次氏が義弟に光を入れて霊媒としてしゃべらせた件についての相違
同 6 〜信次氏が義弟に光を入れて霊媒としてしゃべらせた件についての相違
レス → >9 :ワンツースリー さん >10 >11 (
>>9-11)
●「心の発見」の「まちがいの発見」7-8
>>15-16 →[レジュメ]
>>29 〜義弟を霊媒に信次の前に「指導霊ワンツースリー」と「守護霊フワイ・
シン・フワイ・シンフォ」が現れた日付と、その後の高橋信次の状態
○
>>22-26 >>39 >>82 →[22-26のレジュメ]
>>35-36 22 〜 >>「わずか4日で8キロもやせた・・・」と神理編では書いているが
23 〜 信次の大悟前の8キロの体重減の疑惑
24 〜 22の補足
25 〜 *信次の大悟直前の「4日間で8キロの体重減」は本当か?
26 〜 *信次の大悟直前の「4日間で8キロの体重減」は本当か? (2)
39 〜 >22 >35 >38の訂正及び補足
82 〜*信次の「大悟直前に4日間で体重8キロ減った」件につき
-- 医師も信次の発言を医学的に否定
→レス
>>68 :169!
●「心の発見」の「まちがいの発見」9-11
>>31-33 →[レジュメ]
>>65-66 〜信次の悟達する瞬間と直後の描写--信次に悟ったことを伝えたのは、123と
シンフォーのどちらが正しいのか
●「心の発見」の「まちがいの発見」12-13
>>37-38 →[レジュメ]
>>70 〜アインシュタインの理論も解説してある「科学篇」('71)では、68年時点で出現
した彼の霊の講義についての言及がなぜか一切ない。「現証篇」('73)ではある。
>>39 〜 >22 >35 >38の訂正及び補足
○
>>41 :松仙人 さん 〜高橋信次はゴーストライターを使っていたのか
>ゴーストライター使ってるんだから細部の間違いやズレは当然あちこち
>あるわいな。それを一々指摘してもしゃーないやん。お前、教えの目的や
>方向性の部分は意図的に論じてへんけどなんでやねん?
レス→
>>42-43 >>46-48 >>49 :GLAにつけるクスリ さん
>>50-52 梅仙人さん
〜信次の文章を、現在の皆和会会長堀田和成氏が書いていた
>>57 :169!
〜ゴーストライターであれば、逆に矛盾が生じないように細心の注意を払う
------------------------------------------------
>>13 :169! 〜単にGLA一団体のみにとどまらず信仰されている高橋信次
>>17 :169! 〜GLA・TLスレッドを169!が立ててきた経緯
>>18 :ワンツースリーさん 〜「正法」サイトからの引用〜高橋信次の出生について
>>19-20 :ウソLA さん 【☆そして誰も見ていなかった☆】
資料:GLA誌92年4月号 P78-79 --信次氏の物質化現象に関する幹部発言
→レス
>>21 :梅仙人 さん
>>27 :名無しさん@1周年 〜GLAを検証する方法論 →レス
>>28 :梅仙人 さん
>>40 :梅仙人さん :不自然なものを信じるなという信次の教え「現証編」p153
以上
>>168 >当スレッドは、日付の間違いが高橋信次の単なる勘違いではないことを
>指摘しているスレッドになっております。
おいらも、つい最近まで「1988年に起こったこと」と思い込んで
いたことが、実は「1989年」だった、と気づいてあわてたばっかし(笑)。
178 :
名無しさん@1周年 :02/03/30 20:03
幸福の科学でも霊魂の証明はできていないね。
現実世界に光の存在、神や天使や悪魔が重なって見えるのは、
シャルルボネ症候群の幻覚として、世界中にいっぱいいる。
幻覚だと自覚しない人が霊能者をやっている。霊視などめずらしい
現象ではない。
臨死体験で、幽体、霊体が体から抜け出し、光の体験をしたり、
先に死んだ父母・友人にあったりしたり、神仏を見たりするのは
側頭葉のある部分の働きであることが解明されている。
普通は肉体が死を意識するとその部分が働くらしいが、日常的に働いて
いる人は、瞑想状態で霊界探訪的な経験ができ、霊能者をやっている。
当然、故人や神仏が語りかけるという経験もできるので、霊言など
めずらしい現象ではない。
重要なのは、臨死でない死後の世界は肉体の滅失後だから、臨死
体験とは異なるということ。
夢や臨死体験で死者や神仏を垣間見るのは、あくまで生きている側の
記憶に基づいているから。
よって、死後の世界を色々議論するのは、実益がないし、証明できない。
179 :
名無しさん@1周年 :02/03/30 20:04
GLAの高橋信次や大川隆法の霊体験といっても、別に霊魂の存在を
証明していないことが、はっきりしている。記憶の産物。
そうすると、霊魂の実在を確証できる現象は「ない」ことになる。
よって、永遠不滅の霊魂など「無記」としておくしかない。
当然、神仏の存在は霊魂の存在とは関係ない話。死に直面したとき、不安を
和らげるために、神仏や故人の記憶を保存しておくために側頭葉の一部を
人間は使っているのかもしれない。
不安や苦悩を和らげるためにどういう記憶を持つのがベストか、それが
宗教上の神話や方便として色々と探求されてきたのではないか?
大川隆法を仏陀だとして依存することによって、不安や苦悩が和らぐのが
信者なんだから、それは信者の勝手。大川隆法が釈迦の生まれ変わりか
どうかは証明できていないし、古代インド語の読み書きでも思い出せた
なら証明になるかもしれないが、大川隆法は読み書きはできていない。
よって、すべて信者の勝手。不安や苦悩が和らぐなら信じていればいいだけ。
180 :
名無しさん@1周年:02/03/30 20:51
>>179 この場合も自称とか私説と断るべきであろう。
それでも信じる者は勝手だが。
181 :
名無しさん@1周年 :02/03/30 23:54
>>180 なんで科学的研究の成果が自称や私説なんだ?
あほ?
183 :
マジカルパス:02/03/31 00:18
政木和三という方が高橋信次さんと同じようなことを説いているのですがそれもうそなのでしょうか。
>181&182
高橋信次の著作の真偽を検討するのが、このスレの目的。大川主宰が、信次の
著作のどの辺に大きな影響を受けたか(もっといえばパクッたか)、ちょっと
言及することにもなろうから、乞うご期待。
科学的かどうかは、未解決だ。信次の「心の発見・科学編」がほんとに科学的
かどうかの検証もまだ終っていないのだから。
>マジカルパスさん
政木さんも信次の影響を受けていたと聞いたことがあります。そうだと
するなら、彼の主張の多く(発明をいっぱいしたという実績の部分ではな
い)の「奇跡体験談」は、誇張やウソが多いと見ても仕方ないと思います
ね。
186 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 00:28
>>182 大川隆法を高橋信次に置き換えたら同じことだろ。
同じ詐欺宗教ってことなんだよ。
187 :
マジカルパス:02/03/31 00:29
>梅仙人様
了解いたしました。
188 :
◆LqBgPfUY :02/03/31 11:00
>>55 :梅仙人 :02/03/22 09:24
>「現証編」は1973年4月発行だから、そのほぼ3年後の死期まじかには、上記「2億年前
>くらい」が、いつのまにか「3億6千5百年前」にさかのぼり、「他の天体」の名前も、
>「ベータ星」とか「エルベータ」とか、よりくわしくなってくる。
ミカエルの現象では、3億4千6百年前のはず。
300004600年前と確かに山形講演では言っているよね。
189 :
◆LqBgPfUY :02/03/31 11:15
190 :
◆LqBgPfUY :02/03/31 11:17
300004600年前 300006500年前 なら約3億年前と
言っておけばいいものを。。。
191 :
名無しさん@1周年:02/03/31 14:24
1年は365日です。
それから3億6千5百年がきたと思う。
なにしろ妄想の数字だからね。
>>53-55 高橋信次の主張する天孫降臨
@エルランティーを名乗った晩年の講演での発言
>「自分は天上界で、昭和天皇に生まれ変わる魂によびかけて、すまない
>が今度うまれかわって、天皇の役目をやってくれないかと命じた」
A講演や機関誌での発言
>「かつて3億年以上前に、別の惑星からエル・ランティーの命令で、ミカエルを
>団長とする植民団6千万人が、地球に下りてきた。(中略)彼らが地球に降下
>してきたことをさして<天孫降臨>という」
B「心の発見」で散見される「天孫降臨」でも同様の主張。
・本来の「天孫降臨」とは、皇室と日本人の祖先神話のことである。
・天孫降臨を剽窃して都合のいい解釈をほどこし人々を惑わしたと言える。
「心の発見・現証編」(1973) p159 (信次の指導霊が語った)
>人類が、この地上界に、肉体舟を持って他の天体から天孫降臨したのは、
>今から二億年前くらいで、当時の人口は約6千万近くであったようだ・・・
>人類は特殊な宇宙船で調和された地球という名のそれぞれの環境に適応
>した体質を持ってきたのである。
1973年からほぼ3年後の死期間近の主張
@ 「2億年前くらい」 → 「3億6千5百年前」
A 「他の天体」 → 「ベータ星」、「エルベータ」
>なぜ1973年の時点で「3億年前にベータ星から人類の祖先はやってきた」と
>信次の指導霊は教えてくれなかったのだろうか。
【 51〜115を振り返る 】
*51-52・82(梅仙人さん) と57・65-66・68・70(169!) は【1〜50を振り返る】
●高橋信次の天孫降臨 (梅仙人さん)
>>53-55 →[レジュメ]
>>192-193 →
>>56 梅仙人さん
→レス
>>67三角耳のモナーファンさん /
>>71 ★資料 【虚偽の発言をすることに抵抗のない高橋信次】
>>72-73 :169!
「光の求道者 誰も書かなかった高橋信次」 菅原秀 明窓出版 1995より
〜八正道を説く高橋信次の学歴詐称(1972時点)の言及
→レス
>>74 /
>>75 梅仙人さん
★資料 空想虚言症の症状 (リンクあり)
>>85 :ウソLA さん
>(1)空想し物語るうちに白分の嘘を真実と思い込む。
>(2)空想された架空の立場、役割に心から成りきって行動する。
>(3)現実との矛盾に直面すると、比較的容易に改変する点が妄想とは違う。
>(中略)劣悪な環境や生い立ちを否定しようとして虚言者となることもある。
>(中略)虚言が他人に信じられることにより発展する。
★資料 高橋信次東北講演会 「新復活」 (岩手・盛岡) 1976/6/4
>>86-114(除く97、102、104) →レス
>>102 >>104 梅仙人さん
>人類は、緑に包まれた、しかも、神の光に満たされた、地球という環境に、今から
>三億六千五百有余年前、はじめて、ベーター星という星より、神より与えられた、
>新しい緑に包まれたこの地球上に、人類は、最初にしるしたのであります。
----------------------------------------------------------
*本スレッドに削除依頼が出される 58 60-64 69 76-77
>>78-81 >>83 *「心の対話」三宝出版 より抜粋 〜 ウソと方便・お世辞
>>84 ウソLA さん
以上
>>194の訂正
【51〜85の全発言者リスト】 → 【51〜115の全発言者リスト】
537 :梅仙人 :02/04/02 01:38
最近、特に思うことが有る。
「高橋信次を死にいたらしめた病名はなんなのか」
なぜ、死因となった病名をGLAは、高橋一族は発表しないのか。なぜ、あたか
も「消耗死」したかのように、記録を残しつづけるのか。
たとえば、美肌・健康食品で有名になった故「鈴木その子」さんの死因は、「大腸
癌」だという説が流れたが、関係者は「肺炎」で通した。なぜなら、「大腸癌」とは
「不摂生や不健康な食生活を続けた人がなる癌」といわれているからだ。もし、健康
食品の販売会社を経営する「その子」サイドが、それを認めたら、商売にさしつかえ
ることおびただしいからだ。
同様に、GLAにも「信次の死因」を明言できない「理由」があると思う。なぜ、
未亡人一栄も長女佳子も、関も谷口も実弟興和も、そのことについて、なにも語ら
ないのか。
信次の「死因となった病名」を知りたいものである。たぶん、何かの「癌」の類
ではなかったかと、推測したりはするのだが。
*なぜ高橋信次の「死因と病名」はあきらかにされなかったか(1)
信次の死因と病名は、彼の死後に写真集を出したり、あるいは生前の思い出を本に
した元弟子たちの著作、また娘・佳子の真創世記にも、ほとんど書かれていない。
これはなぜだろうか。考えてみると、とても不自然だ。健康だった人間が理由も
なく、働きざかりの48歳で急死するなど、普通では考えられない。もし、GLAの
活動と会社経営とで消耗しきって死亡したのなら「過労死」と書いてもよさそうな
ものだが、そういう死因もまったく書かれていない。
「自己の予言のとおり、とにかく死んだのだ」という印象を、強化する方向でしか
信次の死については書かれていない。すでにGLAの75年12月当時のことを書いた
機関誌では、信次が病院に入院していたことをレポートしている。
なんらかの病気になっていて、入院が必要だったことがわかる。そこで心配して
お見舞いにいった弟子たちに、のちの「ミカエル佳子」への伏線と思われる「白銀
の翼をもった偉大な天使が病室に立って挨拶した」という現象があったことを告げ
ている。
おそらく、それも「娘に権力移譲するための伏線の演技」だと思われる。その時点
で、すでに高橋信次は「娘を二代目にする」決意を固めていた。すなわち、信次は、
死の半年前に「二代目佳子」を、弟子たちに徹底するための準備作業に入っていた
と推察できる。
後継者を必死に求めて探しているうちに、ひょんなことから実の娘が、その後継者
であることがわかったという「ミカエル伝説」は、最初から「やらせ」であろうと、
私は考えている。
48歳で死ぬという予感と、現実にそれを証明する「病気」のために、信次の焦り
は相当なものがあっただろう。もともとウソつきな人間が、焦りまくったのだ。ウソ
だろうとヤラセだろうと演技だろうと、もうどうせ死ぬんだから、なんでもござれの
やけくそ状態だったろう。
だからこそ、一世一代の1976.6月の「エルランティー」講演となったわけだ。
*なぜ高橋信次の「死因と病名」はあきらかにされなかったか(2)
さて、今回、「心の発見・神理編」「同・現証編」を精読するにおよび、なぜ教団
や信次の遺族が、その死因と病名を発表しないのか、原因が推定できたので発表する。
結論からいえば、「信次が病死したという事実」を、遺族や教団は「隠蔽」したの
だと思われる。「信次の病死」は、信次がそれまで著作に書いてきたことと矛盾する
現象(あるいは、信次自身の主張の正しさと信頼性を毀損する現象)だからだ。
「心の発見」から、病気についての信次の「見解」を、抜書きしてみよう。
「神理編」
P162「病苦や心の苦しみの生活は、地獄の生活である」
(注:地獄界や悪霊の影響を受けて病気になるという意味)
P184「すべての不幸の原因はおのれ自身にあり、生活の不調和がもたらしたもの
であり、責任はほかにはない」(注:調和されていれば神仏が守護してくれる)
P221「暗い心は地縛霊や不調和な地獄霊に支配されて、事故、病気、家庭不和など、
安らぎのない生活を送るようになってしまう」
P222「虚偽の生活、体力の限界を超えた生活をしていると不調和な霊に憑依されて
原因不明と称する日調和な現象にみまわれる」
P236「(悪霊が生きた人間の)オーラの暗い箇所に住所を決めて憑依している所
が、病気になっているのである」
P237「病気の八○%近くは憑依霊の仕業が多い」
「現証編」
P114「病気(が死因)の人々は、その病気を持ったまま(あの世へ)帰ってゆく」
P175「病気で苦しんで死んだものたちは、そのまま病気を(死後世界にまで)
持ちこんで同じ苦しみをしている場合が多い」
以上が、信次の生前の「病気観」だったわけだ。こういう人間が、いざ「病気に
かかって死んだ」となったら、信者はなんと思うだろうか。
*なぜ高橋信次の「死因と病名」はあきらかにされなかったか(3)
「病気は心の不調和が原因で、憑依霊と悪霊にやられた結果。病死すると、死後も
その病気で苦しみつづけることになる。心が調和されていさえすれば、病気もなく
神仏にまもられる」と、自信をもって断言していた人間その人が「病気になって死
んだ」なら、世間はなんと思うだろうか。
信次が病気で死んだという「事実」が公表されれば、「信次は悪霊にやられて
病気になって死んだ。ゆえに、死後も病苦に悩まされる。神仏にまもられていなか
った」ということになってしまう。
これは悟りを開いて、釈迦の前世を持ち、イエス・モーセと守護・指導霊の関係
にある「偉大なエルランティー」の死に様としては、まことにまずい事態なわけだ。
ましてや、予言していた48歳の死が「病死」では、「最初から悪霊に憑依され
て病気になって、肉体酷使の不調和生活のあげくの死が、はじめから決められてい
た」ことになる。
これは「解脱大悟」したと自称して、「神理・正法」の教祖となった人物にとって
は、大変に不都合なことであったろう。
ゆえに、GLAと信次の遺族らは、信次の「病死」をひた隠しにした、と推定で
きる。つまり、信次の死のときから、ずっとGLAも佳子も「隠し事」と「ウソ」
を信者にさとられないよう、姑息な姿勢をとりつづけてきたのだ。
開祖の死因すら隠蔽し、自分たちに不都合なことは、ぜんぶ臭いものにふたで
通してきた。それが「GLA」であり「高橋佳子」ら信次関係者の真の姿である。
あるいは「病死のことは伏せておけ」というのが、信次の「遺言」だった可能性
も、ないとはいえまい。
(修正1件)
>P222「虚偽の生活、体力の限界を超えた生活をしていると不調和な霊に憑依されて
>原因不明と称する日調和な現象にみまわれる」
「日調和」は「不調和」と書こうとしてタッチミスしたもの。
>>15-16 > なんにせよ、「神理編」における最終的「悟達の日付」は「7月
>9日から3日目」の「7月11日」ということになる。
> そして悩みぬいたあげく「ついに最後の三日目の12日がきた」
>(65ページ)とある。ちょっと待て。「12日が3日目」ならば、
>「悟達強制宣告」は、さかのぼって「7月10日」でなければなら
> ない。
梅仙人よ。
お前に一つ、どうしても頼みたいことがある。
もう一度小学校に逝き直してくれ。
9+3=11か?
12−3=10か?
こんな計算もできないのか。
悲しすぎるぞ。
>>203 ワラタ
とにかく梅仙人と169はウザくてたまらん
この粘着ぶりは明らかに異常だから、精神科にみてもらったほうがいい
>>203 落ち着いてください。
もう一度梅仙人さんの書き込みを読み直しましょう。
あなたのほうが、世の中の笑いものになっています。
私も、今までの信者の無数の妄言を読んできましたが、これほどの
書き込みもめずらしいです。
169がオロオロしてるよ(w
>203
>>205 > あなたのほうが、世の中の笑いものになっています。
キミも小学校に逝き直したまえ。
オレを笑い物にするのはそれからでも遅すぎないだろう。
高橋信次のあげあしとって 嬉々としてた梅仙人と169
みっともないね(w
>203>204>206>208>209
無意味なつっこみはするな。佳子の足の親指の爪垢野郎。いつの書きこみの話を
してる。頭がどーかしてんじゃないのか。おれの大量の指摘に対して、なんだ、そ
の微弱で貧弱なつっこみは。しかも、不正確でまちがってる。
おい、佳子の指紋の間にはさまった奴隷バクテリア野郎、信次の死因をGLAが、
いまだに公表していない理由を説明しやがれ。
おまえが、こんなばかなことばっか書くから、それがおれの信次批判のやる気を
どんどん燃え立たせてくれるんだよ。おれの相手をするより、佳子の自宅へでもい
って、 おさんどんでもやりながら、寝室のカーペットにおちた毛でもガムテープ
ではがして掃除しておれ。佳子の入った風呂の残り湯でももらって、飲用するなり
浴槽にまぜるなりしておれ。
この佳子スレイブが、きいた風な口をききやがると、鞭をぶっくらわすぞ。
余計なちゃちゃをいれるGLA信者ども。おれの怒りの火に油をそそぐな。
こっちはすでに、「心の発見・神理編」「現象編」のチェックを完了した。
これから、それを順次発表してゆく。逃げるなら今のうちだぞ。ついでに
いっておくが、信次の「神理」が、信次のオリジナルではないことを証明する
準備も進めている。覚悟しておけ。
バーカ!ついにボロがでたな(w
この程度のつっこみでオタオタする人間に
人の批判なんてする資格ゼロ(w
人のことより自分の人間性を考えたら?
>>210-211 梅仙人よ。
読んでいてお前が本当に憐れに思えてくるよ。
お前の発言を一番茶化しているのはお前自身なのだよ。
>>210-211 自分を批判する奴は全部GLA会員だと思ってるのか…
憐れだなぁ‥ホントに
梅仙人って ひょっとして自分の書き込みが
何か意義があることだとおもってたのかなぁ(プ
キモ〜い(w
216 :
名無しさん@1周年:02/04/03 14:41
晒しあげ
あぼーん
やっぱりGLAって、この程度だったな。ま、臆病なザコは、まとめて佃煮にする
ことにして、続きをやろう。しかし、この蕪雑な「悪意の表現」なんとかならんかね。
169!さん、佳子の目クソ耳クソ、信次の遺骨の骨壷のフタの裏に巣をはる地蜘蛛
どもは、この程度のことしかできないんですね。やれやれ。GLAでなくとも信次シ
ンパや佳子シンパだろ。
おれがこれからやることに、真剣にびびってるのがよく伝わってくる。はあ、わかり
やすい連中だ。おれの道はまちがっていない。うん、ますますやる気が出てきたぞい。
219 :
名無しさん@1周年:02/04/03 18:19
169=梅仙人
220 :
名無しさん:02/04/03 18:21
人間の思考はすべて脳細胞で行われます。脳細胞が傷つくと、正常な思考、
若しくは思考そのものができなくなります。どんなに偉い宗教家でも、その脳
をメスでちょっと傷つけてやれば、その人の想念からは「神」の存在などは
吹っ飛んでしまうでしょう。人間・自然、本当に不思議なものです。きっと
誰かが造ったのでしょう。しかし、その造られた脳で造った人のことをうん
ぬんできると考えることは、思いあがり、不遜ではないか。いくら考えて
みても、お釈迦様の手のひらの上で走り回っている孫悟空と同じです。
なにも判る訳がない。それよりも、造られた人間の自然の感情(愛、同情、
怒り、そして憎しみ、嫉妬さえも)大切にするのが、むしろ造物主の意思に
添うものではないか。
また、宗教の人は、神を普遍的な存在と考えているが、そうであれば何故
宗教毎に神が異なり、憎み合い、果ては殺し合いまでするのか。普遍的でも
何でもない。
さらに又、歴史上、大規模な殺戮はほとんどすべて宗教が原因である、という
極めて重大な実害がある。
人間社会では、五感によって感じられて始めて物が存在する。五感で感じられ
ない物が存在するなどといっていると、人間社会は一瞬にして崩壊する。列車
も止まれば、飛行機も落ちる。精神医学では、通常人の五感で感じられない
ものが存在する、見える、聞こえることを「妄想」という。
自然科学が発達しない時代には、人間は宗教に頼らざるを得なかったことに
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
221 :
名無しさん@1周年:02/04/03 18:52
>>220 梅仙人って マジで精神病?
>おれがこれからやることに、真剣にびびってるのがよく伝わってくる
ってまじめにそう思ってるみたい
かわいそうに‥
>203>204>206>208>209>212-217
上記の投稿をした人間の品性下劣・大脳皮質腐敗状況が、よくわかったので、
答えよう。
>「7月9日から3日目」の「7月11日」ということになる。
これは「7月9日を第1日目として、第2日目は7月10日、第3日目は7月11日」
ということだ。「9+3=11」という意味にとる「>203>204>206>208>209>212-217」
の方がいかれてる。
>「12日が3日目」ならば、「悟達強制宣告」は、さかのぼって「7月10日」
これも同じ。「3日目が12日なら、2日目は11日、1日目は10日」となる。
>12−3=10か?
などとたずねる「>203>204>206>208>209>212-217」こそ、算数ができないどう
しようもない劣等生である。
こうしてGLAシンパというのは、「正しいデータ」をも「まちがったデータ」
の印象を与えて崩そうという、姑息で卑劣でオマヌケなことしかできないことが、
また実証されたわけだ。
「白を黒といいくるめる」のは、詐欺師やヤクザの世界のことだけかと思ったのだ
が、GLAシンパの世界でも通用するとかんちがいしてる人間屑が、「>203>204
>206>208>209>212-217」というわけ。驚くべきドキュソというほかはない。
>221
やめろ。今度は人を精神病あつかいして、そういうイメージでこのスレや
私の信憑性を落とそうとしてるのか。無駄なことだ。これまでの書きこみと
これからの書きこみと、継続してゆくデータの列記が、ことの真実を明らか
にするのだ。
私が精神異常かどうかは、>220よ、おまえではなく、ROMの人々が判断
することだ。「信次佳子を擁護する者、梅仙人に反対する者はGLA信者」と
判断することと、「佳子信次を批判する者は精神異常者」と断ずるものと、世間
はいったい、どちらを「ノーマル」と思うか、よく考えるがいい。
224 :
名無しさん@1周年:02/04/03 19:16
どうして「自分を批判する人=GLA関係と 短絡的に考えるかな…
梅仙人の書き込みがキモいから
みんな煽るんだろう?
自分を省みるということが出来ないんだな(w
>224
では、きさまが「GLA関係者ではない」という「証拠」はあるか?
あるなら出して見ろ。
226 :
名無しさん@1周年:02/04/03 19:19
狂ってる(w
>224
それと、「GLA関係者」ではないのなら、なぜこのスレッドの興味を
もったか、投稿する気になったか、教えてくれんかな。おれに個人的な
恨みがあるとか、ものごとには「理由」があるだろう。煽る気なら、ほか
に煽りがいのあるスレはいくらでもあるのだが、よりによって、なぜここを
選んだのかな?
なあ、そりゃあ、ここまで下品で下劣でクズなことをやっておいて「GLA
会員でござい」とはいえないよなあ。いえば、GLAに悪印象を与えることに
なるもんなあ。
とにかく、上記の質問の答えろよな、ここまで荒らし投稿したんだからよ。
228 :
名無しさん@1周年:02/04/03 19:25
ここは2chだぞ
証拠だせなんて意味ない事 書き込むから
精神病っていわれるんだyo
しかし梅仙人て 品性まったくないな(w
>226
おれが狂ってる証拠を教えてくれ。それをもとに症状をメモして病院にいって
診断してもらってもいいぞ。おれが「狂っている」と証明できる「客観的データ」
をここに、みんなにわかる形で書いてくれないか。
1行で書き逃げなどするな。狂人よばわりには「根拠」がなけりゃならんぞ。信次
の「エルランティー」説、佳子の「ミカエル大天使」説の異常性をさしおいて、人
をきちがいよばわりとは、どっちがホントのキチガイだ?
230 :
◆LqBgPfUY :02/04/03 20:02
全部228の自作自演って言われても、
否定できないだろう。
2chだからと言って、匿名に頼ってる限り、
納得は得られないと思うが。
>>127 :169! :02/03/23 13:43
>梅仙人さんの依って立つ立場など、高橋信次の著書それ自体とは
>何の関係もありません。
>著書と著書をつき合わせて、その矛盾点が明らかになれば、それでよいことです。
>>222 梅仙人さん
私は、この
>>203さんの書き込みを読んで、さらに深刻に受け止めました。
梅仙人さんの主張が不当なものである印象を与えようとしているには、
あまりにも稚拙です。その後の書き込みから判断しても、本当に
梅仙人さんの書き込みが矛盾していると思い込んでいるようです。
そもそも
>>203 >12−3=10か?
>こんな計算もできないのか。
>悲しすぎるぞ。
とは、
>>15-16で梅仙人さんが、高橋信次氏に対して指摘していること、まさに
そのものです。
盲信・狂信の状態になると、平易な文章を読んでも、ここまで認識が歪んで
しまうのかと、カルト教団のおそろしさを改めて思い知りました。
まさしく、一般社会に対して脅威です。
あげ
梅仙人マンセー!
234 :
名無しさん@1周年:02/04/04 00:05
梅仙人さんが高橋信次の著作に怒りを感じるのは分かる。
あの本が、どれほど多くの人間を迷いに導いたことか。
支持あげ。
>>231-232 こんなカキコにレスすること自体、情けなくなるが。
7月9日から1日経過すれば、7月10日になる。
7月9日から2日経過すれば、7月11日になる。
7月9日から3日経過すれば、7月12日になる。
だから、「9+3=12」なのだ。理解できたかな?
>235
おまえは、「満年令」と「かぞえ年」の区別もつかんだろう。その程度の「日数
の数え方」しかできんのか。もう1度、「心の発見」をよく読み返せ。そうすれば
わかる。おまえのような押し入れの敷居にたまったホコリみたいなやつを相手に
する暇はもうないんだ。
237 :
名無しさん@1周年:02/04/04 01:28
こんな馬鹿に説明すること自体、情けなくなるが。
7月9日から1日目は「当日」則ち7月9日になる。
7月9日から2日目は「明日」則ち7月10日になる。
7月9日から3日目は「明後日」則ち7月11日になる。
だから、3日目は「7 月11日」でよいのだ。
理解できるかな?>三日坊主くん
こんな妨害電波野郎は無視して続けて下さい>梅仙人さん
暇やのー、梅仙人くん。
久しぶりにきたら、またわけわからんことゆーとるな(w
9割9分に無視、1分にからかわれとる実体
はよ悟れYO。
239 :
名無しさん@1周年:02/04/04 02:11
あせってカッとなっとるし、からかわれとる相手をみんな
根拠もなくGLAの信者にしてしもとるから、キティーあつか
いされとるんや。
客観的データもくそもないがな。
240 :
名無しさん@1周年:02/04/04 02:34
さあて、稚拙な梅仙人くんのむちゃくちゃぶり、皆さんわかって
いると思いますが、指摘しておきますぞ。たまには書いとかな、
ワシの書き込み文がずいぶんと上の方にいってしもとるがな(w
>本職の医者の知人にきいてみましたが…
>本物のお医者さんが…とおっしゃっているわけです。
82でこのキティーくんはこんなことを言っておりますが、どこに
「客観的データ」が「みんなにわかる形で」書いてくれているので
しょうか?自分勝手に言うとるだけです。
そのくせ、229では「根拠」だとか、
>おれが「狂っている」と証明できる「客観的データ」
>をここに、みんなにわかる形で書いてくれないか。
とか相手にいっちょまえに要求しておりますが、自分自身はそん
なものどこにも提示しておりません。
このような自己矛盾に満ちた、根拠のない、ええかげんな書き込み
を延々と繰り返しています。ただそれだけのことですわ。
だから9割9分から無視、1分の人から茶々入れされるしかありまへんのや。
241 :
名無しさん@1周年:02/04/04 02:57
GLAに関心があって、でも信者でない人間は、平井和正の愛読者に
多数存在する。そして佐々木君紀=梅仙人が大嫌いという人間も
多い(私も)。
あの、平井和正を矮小化して退屈にした作風に嫌悪感。
新宗教批判も平井和正が「解禁」したので、安心して暴走を始めた
という感じがする。2chであるのをいいことに書き散らす、一応プロの
作家とは思えないほどの下品な文章は、平井さんが嫌った「ガチャ文ライター」
の文章そっくり。
平井さんの「懺悔」には苦渋に満ちた抑制がうかがえるのだけど、
佐々木の文にはただの私怨しか感じられないのよ。
>>235 >おまえは、「満年令」と「かぞえ年」の区別もつかんだろう。その程度の「日数
>の数え方」しかできんのか。
「期日」の決定方法は、民法138〜143条に書いてある。
お前は知らないだろうが、日本の社会はこれで動いているのだよ。
お前は条文を読める程度の知能を持ち合わせているかい?
まあ、一度読んでみることだな。
>>210 > おい、佳子の指紋の間にはさまった奴隷バクテリア野郎、信次の死因をGLAが、
>いまだに公表していない理由を説明しやがれ。
死因は、当時の新聞の訃報欄に載っている。
また、当時、三宝出版から発行された本にも載っている。
詳細は自分で調べな。
243 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 14:29
梅仙人さん
◆LqBgPfUYという珍がKKスレに乱入してKKスレを荒らしています。
GLA関係者だろ。名無しで書くな。とやりたい放題です。
異常にプライドが高く場の雰囲気を読むことも出来ず被害妄想満載で
どうしようもない状態です。
梅仙人さんからなにかいってやってください。
KKスレ住人より
梅仙人さん (レス不要)
梅仙人さんは、しばらく書いているうちに、舌がよく回るようになると
いうのか、饒舌になってくるような気がします。
>>240 >9割9分から無視、1分の人から茶々入れされるしかありまへんのや。
書き込みの多寡をもって、無視されているかどうかはわかりません。
しかし、茶々を入れられている可能性は、感じます。
高みの見物をしている人には、梅仙人さんの書かざるを得ないという情動を
みて、茶々を入れたくなる人もいるでしょう。
また、「神理」に背いた敗残者(=先に抜け駆けして、不自然なものを信仰し
つづける苦しみから脱出した者)が気に食わないという人も、いることでしょう。
批判者を煽っている人も、また苦しんでいるのかもしれません。
あれこれ応酬が続いて、いかにも2ちゃんねる的になるのを意図している人も
いるかもしれませんので、ただただ淡々と書き込んでいただけたらと思います。
>死因は、当時の新聞の訃報欄に載っている。
>また、当時、三宝出版から発行された本にも載っている。
ほお、そういうものがあったら、ここに転載してくれ。根拠のないデータは信用
できない。人に探せという前に、自分でいいだした人間が、ちゃんと載せてみろ。
その上で、その「死因」が本当にそうかどうか、検討しよう。
>>245 >ほお、そういうものがあったら、ここに転載してくれ。根拠のないデータは信用
>できない。人に探せという前に、自分でいいだした人間が、ちゃんと載せてみろ。
>その上で、その「死因」が本当にそうかどうか、検討しよう。
調査はお前の仕事だろうが。
>>198-201のような発言をする前に、少なくとも図書館に行って当時の新聞の
訃報欄を調査するのは当然の事だ。お前は、そうゆう当然の手続を踏むことも
なく、ただ「自分が知らない」という事実に基づいて他人を誹謗する人間なのだ。
お前がオレを信用しようが信用しまいが知ったことか。
オレの
>>242の発言がネタだと主張したいなら存分にやれや。
247 :
もう誰も梅仙人を信用しない あっ最初からか(ワラ:02/04/04 17:15
>>245 >人に探せという前に、自分でいいだした人間が、ちゃんと載せてみろ
疑っている主体は他の誰でもない、梅仙人自身である。疑っている本人
が事実関係を調べればよい。なにが「その上で検討しよう」だ(オオワラヒ
「根拠のないデータは信用できない」という言葉は梅仙人自身がかみし
めてみるべきだ。他の人からも揶揄されていることだが、根拠のない書
き込みがじつに多いからね。
文章力も理解力も品性もないやつだね。
248 :
名無しさん@1周年:02/04/04 17:21
梅仙人さん
ラベルが低すぎるよー ラベルがー
「心の発見」の「まちがいの発見」20
1968年9月19日に「神理編」P47には「美しいインドのスタイルの仏像に似て
光り輝いている女性が二人、私の眼前に立った」とある。その一方の女性霊が信次
の妹に入りたい(憑りつきたい)という。
そして、妹の心を調和させると、こんな現象が起こる。
「妹の体が椅子から浮き上がったようになり、私はあわてて、その両肩に手をかけ
ておさえた」(P47)
まるでオウムの「尊師」のように「浮遊しかけた」というのだ。この現象につい
ては「現証編」には書かれていない。
また、「神理編」では、その場に現れたのは、「インドスタイルの女性霊二人」
なのに、「現証編」では、「インドのサリースタイルをした美しい女性霊」P78と
「キリスト者のような、灰色の長い古代のスタイルをした外人の女性霊」P80の二
人になっている。
インド女性霊のうち「神理編」でかかれた「もう一人」はどこへいってしまった
のか? いつ「キリスト者のような女性霊」に変身したのか。ここでも「つくり話」
の証拠が見出される。
続いて、「神理編」では、その妹に入った女性霊は、妹の口を通して「聖観世音
菩薩でございます」と名乗る。「現証編」でも「聖」がぬけた「観世音菩薩」とい
っている。なぜ「聖」の字がぬけたのか説明はなく、それも不自然な感じだ。
問題は、「観世音菩薩」というのは「個人の名前に由来する菩薩名」ではなく、
「すべてを見通す偉大な叡智をもった菩薩」という「一般名」である。それなのに
自分を「観世音菩薩」と、あたかも個人名のように名乗るのは、おかしい。
また、「菩薩」ともあろうものが、自分を「すべてを見通す偉大な叡智をもった
菩薩でございます」などと名乗る、謙虚さのかけらもない発言をするはずがない。
「心の発見」の「まちがいの発見」21
さらに、「観世音菩薩」はインドの言葉では「アボロキティーシュバラ」と呼ば
れる。
信次自身が、悟った人のことを「アボロキティーシュバラ」と、著書や講演会で
説明している。つまり、この妹にかかった女性霊は「私はアボロキティーシュバラ
です」といったのだ。要するに「私は観音様よ」と微笑されたというわけだ。
GLA信者でも「アボロキティーシュバラ」が「個人名」だなどとはいうまい。
仏教では、如来菩薩は数あれど、「阿弥陀」「釈迦」「文殊」「弥勒」の各如来
菩薩をのぞくと、実在した釈迦の弟子たちや古代インド人の個人名には、その名は
由来しないのだ。
それとも信次は、「観世音菩薩」と「アボロキティーシュバラ」を「別物」だと
思い込んでいたのだろうか。だとしたら、噴飯ものの仏教知識であり、仏教批判を
する資格はない。
すなわち、この妹にかかって告げた「自称観音菩薩の女性霊」は仏教知識にとぼ
しく、自分の名前を適当にでっちあげた「憑依霊」か、あるいは「信次とその妹に
よる自作自演」または「著者信次の筆によるフィクション」か、どれかであるとし
か考えられない。
さらに、「妹はこの夜から、観音様の膝の上で一週間近く過ごしたようである」
と「神理編」P47にはあるのに、「現証編」P87にはこうある。
「この日(9/19)を境に、妹は3日間、大きな観音様の膝の上でぐっすりと眠った
そうである」
どちらが事実なのか?「一週間すごした」のか「三日間、ぐっすり眠ったのか」
この食い違いがなぜ起こったのか、わからないが、いちじるしく記述の信頼性を
失わせているのは確かだ。
251 :
梅仙人って:02/04/04 17:36
あーいえばこーいう
人を見下して悦にいる
自分の落ち度を指摘されると すぐカッとなって他人を罵倒する
信次のいう悪霊に憑依される人 そのまんまだな
なるほどGLAを攻撃するわけだ
252 :
名無しさん@1周年:02/04/04 17:59
>251さん
彼の文章をよーく読むと、人を見下すほどの理解力や文章力はあ
りません(ワラ
たしかに「あーいえばこーいう」のですが、所詮は浅いです。
ただの粘着の厨房です。彼は、人からの指摘にうまく答えられ
ずに都合が悪くなると、信次氏の揚げ足をとる書き込みを幾つ
もして、逃避する傾向を有しております。
本当は哀れな人間なのかもしれません。
253 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:05
>>252 確かに頭は悪いみたいだな
すぐ上にある
>>250だって
>「一週間すごした」のか「三日間、ぐっすり眠ったのか」
この食い違いがなぜ起こったのか
という事だって
三日寝た上、一週間すごしたのかもしれないし
ただ、くだらない難癖つけてるだけにしか見えないよ
本人はいたって真剣みたいだし
哀れだと思う事には 同意
つーかマジでおつむがやられてるように見える
>
255 :
名無しさん@1周年:02/04/04 18:20
249や250の書き込みも、彼の低俗な論理や思考の浅薄さによって、
無意味なものになってしまっている。そして、本人はそれに気がつ
かない。いや、逃避している。
「無視されている」とか意味がないと指摘されても、粘着梅仙人
は「お前ら、俺の書き込みに動揺しているんだろ?」「批判され
ればされるほど俺は燃えるんだ」と、とんちんかんなことを言い
続ける。
屁の突っ張りにもならないのに、自意識過剰も良いところである。
このカキコも彼の低俗な自意識過剰にドライブをかけてしまう可能
性があるし、相手にするのもばからしいので、これで漏れは逝くこ
とにする。
>>251=
>>252 いたづらはいやずら
別人ですよ。
疑うのなら、梅仙人流に言いますが、「誰にでもわかる
ような根拠を示せ」「動揺しているな、動揺」「そんな
カキコ、されればされるだけ俺は燃える」(ワラ
記述の誤りとかじゃなくって
信次の説いた説そのものには反論がないのかな?
例えば信次は「人間は助け合って生きるのが正しい」って言ってるけど
それは間違いだ!人間は憎み合って生きるべきだ!
って言ってみるとかさ
>>249-250 これにはさすがにびっくりしたわ。
「観世音菩薩」=「アボロキティーシュバラ」だとさ。
それなら、全国に沢山ある「観音像」は「アボロキティーシュバラ像」
ということになるな。これら観音像は特定の如来・菩薩の像ではなく、抽象
的な「悟った人」の像なのかい?
それとも、「特定の如来・菩薩の像」を総称して「観音像」と呼んでいる
のかい?そうだとすると、「観音像」は「大日如来像」だったり「薬師如来像」
だったりするわけだ。
おそれいったね。
それじゃ、浅草の「観音様」は一体誰なんだい?
259 :
◆LqBgPfUY :02/04/04 18:53
いんちき霊能力を取り去ると、昔から言われている
道徳だけが残る。だから、GLAの必要性を感じなくなった。
>>259 ん〜
今のGLAについては知らないし、興味もないんだけど
信次の霊能力が100%いんちきだって
誰か具体的に証明した人がいたの?
>>257 >記述の誤りとかじゃなくって
>信次の説いた説そのものには反論がないのかな?
皆が思っていることだけど、梅仙人には
それを言っちゃーおしまいよ(藁
あの人,後が続かない...
262 :
名無しさん@1周年:02/04/04 20:07
>>210 >この佳子スレイブが、きいた風な口をききやがると、鞭をぶっくらわすぞ。
梅仙人氏のこのフレイズは刑法上の問題があります。
弁護士に相談することにします。
仏典も聖書も読んだことないはずなのに、、、
さて次に「わが神よ、わが神よ、なんぞ我を見捨て給いし、、、」
とあります。十字架上のイエスは、息絶える寸前、こう大声でいったとマタイ伝には
記されています。ところが、ルカ伝二十三章では、「父よ、わが霊をみ手にゆだぬ」
といっています。いったい、どちらが本当なのでしょう。
イエスは、事前に、十字架も、復活も知っています。ユダが自分をパリサイ人に売る
こと、ペテロが虚言を吐くことも知っていたのです。
新約聖書にしろ、仏典にしろ、いろいろな人の手によって書かれてきました。聖書は
イエスの手によったものではありません。とすると書く人の気根なり、心のあり方に
よって大分表現が違ってきますし、間違いもあるでしょう。さらには、これを訳す人
の心構えによっても変わってきます。
マタイ伝、ルカ伝、どちらも本当だ、という見方もあって、それなりに統一した解釈
をくだしている人もあるようですが、イエスのこの時の言葉は、
「神よ、人々を見捨て給うな、そのなす所をしらざればなり」と、いうことです。
聖書にしろ、仏典にしろ、文字にとらわれると、その真意を見失ってしまいます。全
体の大意で、それが、本物か偽物かの判断がつくようにしたいものです。
高橋信次著 心の対話第一版 p113〜114より 三宝出版刊
ちなみに1976年2月のパンフレット「道しるべ」には、こう書いてある。
「GLAには、手を合わせる対象物や、偶像崇拝はいっさいありません。」
教祖を無批判に崇めるのは、人物崇拝、つまりは偶像崇拝と同じことだとは思わ
んかね>盲信者集団
>>263 そらまぁそうだな
言ってる事は正論だと思うけど
誰に対する、どういう意図のレスなのか
さっぱりわからん
265 :
名無しさん@1周年:02/04/04 21:17
>>264 彼、日本語がますます崩壊してきてますね(藁
266 :
GLAにつけるクスリ:02/04/04 21:27
(息抜きですよ)
グラ「GLAには、手を合わせる対象物や、偶像崇拝はいっさいありません。」
スポック「非論理的ですね。じゃあ、宗教法人登録の資格審査はどうやってパスしたのですか?」
グラ「適当な仏像みたいなものを持ってきて、ご本尊にしました」
スポック「非論理的ですね。ご本尊があるじゃありませんか?」
グラ「審査の役人を返したら壊して捨てました」
スポック「非論理的ですね。捨てた瞬間に、どうして宗教法人の登録も抹消しないのです?」
>>266 その話は聞いたことがある(w
信次にとっちゃ宗教法人だろうが財団法人だろうが
どっちでも良かったのを
星洋子が賛成したんで宗教法人になったとか…
観音寺の村上和尚さんは反対だったとか…
(うろ覚えなんで間違ってたらごめんよ)
まぁ どっちでもいいけどな(w
>>262 それは梅仙人さんの品性の問題ではなくて、脅迫に相当するか
という問題ですね。
そういえば、その後、「梅仙人」の名前での書き込みが消えま
したが。
269 :
名無しさん@1周年:02/04/04 23:23
>>241 >一応プロの
作家とは思えないほどの下品な文章は、
>佐々木の文にはただの私怨しか感じられないのよ。
残念だが、下品・私怨は、そのとおりだと思う。
でも、動機が私怨だろうと正義だろうと2chで問われるべきこととは
思えない。また、下品な言葉遣いではあるが、本来の批判は、
文献をきちんと引用して論理的にやってるので大目に見てあげる
べきではなかろうか。
>>269 えっ! 梅仙人ってプロの作家だったの?
知らんかった
>文献をきちんと引用して論理的にやってるので大目に見てあげる
べきではなかろうか。
オレにはとても論理的だと思えないんだが…
271 :
名無しさん@1周年:02/04/04 23:42
>>269 >下品な言葉遣いではあるが、本来の批判は、文献をきちんと引用
>して論理的にやってるので大目に見てあげるべきではなかろうか。
違うでしょう?彼は信次氏のあげあし取りみたいな表層的なことし
かやっていないじゃないの。信次氏の教えの目的とか内容の本質部
分に対する批判なんて全然やってないわよ。著書の中の、数字など
の不整合点に異常な執着をみせ、あおり立てているだけじゃないの。
みんな彼のそういう性格をよく見ていると思うよ。だから、みんな
無視してるのよ。
273 :
名無しさん@1周年:02/04/04 23:51
>>262 プロの作家だからこそ、彼の言動がもし法を逸脱するものである
ならば、法的責任を取らせるべきだと思いますね。友人の弁護士
に私も聞いてみますね。
それに下品で低劣なのは
言葉遣いじゃなくて 本人の人間性そのものなんでは?
まあ俺なんか最初の書き込みで「信者め!」と言われてとても
恐縮したよ(w
276 :
名無しさん@1周年:02/04/05 00:00
なぜ、GLAは、大物教祖に人気があるの?
277 :
名無しさん@1周年:02/04/05 00:01
池田大作がバックアップしてるから。
>>210の「この佳子スレイブが、きいた風な口をききやがると、
鞭をぶっくらわすぞ」という梅仙人氏発言は、暴力の行使の可
能性をはっきりと示していますね。前後の文脈から判断して、
「冗談」では通用しないでしょう。
えーと、わたし法学部卒ね。
279 :
名無しさん@1周年:02/04/05 00:22
>>259 : ◆LqBgPfUY :02/04/04 18:53
>いんちき霊能力を取り去ると、昔から言われている
>道徳だけが残る。だから、GLAの必要性を感じなくなった。
道徳はカルトには説けない。カルトが道徳を説くことは許されん。
道徳とは共同体の正義。正義とは共同体の権威によって与えられる。
天皇陛下万歳
280 :
名無しさん@1周年:02/04/05 00:23
北一輝先生万歳
281 :
名無しさん@1周年:02/04/05 00:29
>>278 書込みの相手にどうやって暴力行使が可能なわけ?
因にぼく中卒ね。
>>217 :あぼーん :あぼーん
>あぼーん
荒らしている方の投稿が、早速、削除されているようです。
関係のない書き込みをしてスレッドを荒らすことは、
やめてくださるようお願いします。
>169
あんた何で梅仙人の太鼓持ちやってんの?
全然主体性見えないしさ
客観的に見たら すげー気持ち悪いんだけど
>法学部卒の方
ネット上で匿名の相手にどういう方法とれば暴力措置をとれるのか教えてくれない。
いつも君達の書込み楽しませて貰ってるよ。電波君達の発想は愉快だね(藁。
>>251 は典型的な盲信者のようだ。
>信次のいう悪霊に憑依される人 そのまんまだな
>なるほどGLAを攻撃するわけだ
悪霊に憑依される人=GLAを攻撃する
カルトに洗脳されてる人間でなければ、とうてい口にできない台詞だよな。
286 :
名無しさん@1周年:02/04/05 01:02
>>281 簡単に言うとね、「暴力を行使するぞ」と相手に発言しただけで犯
罪になるケースがあるのよ。告訴されれば。発言内容は文章として
消えずに残っていますからね。それに、法に触れるかどうかを判断
するのは貴方ではなく裁判官ですよ。希望的観測を私に対して言っ
てもはじまりませんよ。
電波君達の発想=梅仙人の発想ってこと?
288 :
名無しさん@1周年:02/04/05 01:07
>カルトに洗脳されてる人間でなければ、とうてい口にできない台詞だよな。
梅仙人流返し方。「勝手なことほざくな!誰もがわかるような根拠だせ」(藁
>>270-271 え〜っと、もうちょっと弁護してみると、この2ch上では、
彼は高橋氏の著作各種の矛盾を明らかにすることで、
高橋氏のいい加減さ、偽善性を明らかにしようとしてると思います。
この方法論を採る限り、
>>271氏の言う「信次氏の教えの
目的とか内容の本質部分に対する批判」には成り難いのは
止むを得ないです。おそらく、271氏は梅仙人氏の思想、宗教観から
GLAおよび高橋信次氏の教義の批判をすることを期待してるのでしょうが、
それとは方法論が違うということでしょうね。
あ、あと 事実の記述に対しては、それが霊能などの事実であろうと、
「数字などの不整合点」があれば指摘されても仕方ないですよ。
高橋氏を弁護したいならば、不整合があって当然と納得するのでなく、
一見不整合であるが、両著作の記述はこれこれの理由で実は
整合的なのだと梅仙人氏を論破してあげたらどうですか?
そうしたら、梅仙人氏も「あっしが間違っておりやした〜♪」と
恐れ入るのではないだろうか。
>>250 >どちらが事実なのか?「一週間すごした」のか「三日間、
ぐっすり眠ったのか」
その批判として
>>251にて
>三日寝た上、一週間すごしたのかもしれないし
普通は、「三日寝た上、一週間すごした」ならば、
合計して「10日過ごした」と書くと思うのだが…。
290 :
名無しさん@1周年:02/04/05 01:34
>>268 >彼は高橋氏の著作各種の矛盾を明らかにすることで、高橋氏
>のいい加減さ、偽善性を明らかにしようとしてると思います。
271です。何言ってるのかしら。それなら、このスレのタイトル
「高橋信次・矛盾と誤断の軌跡」をもっと絞るべきじゃないの。
こんな大きなタイトルをあげてしまっているから、梅仙人さんの
主張が本質的じゃなくて些末なあげあし取りだと思われるんでし
ょう。それに対して彼は全く有効に反論できてないと言ってるの。
反論どころか彼のは煽りじゃないのよ。「方法論の違い」じゃなく
て能力の有無ではないかしらね?
>高橋氏を弁護したいならば
私は高橋氏擁護ではないですよ。
活発な議論にご参加のみなさまに感謝。スレをあげることにご協力をいただいて
助かります。とくに>269&289さんは、私の目的をよくわかっていらっしゃるよう
で、ありがたいです。
反論された方が正しい場合は、私ももちろん、まちがいを認めて訂正しますよ。
当然じゃないですか。むしろ、そういう「指摘」を待ってるんですがね。どうでも
いい「指摘」や「個人攻撃」「中傷的投稿」ばかりで、うんざりなんですよ。
「死因」の記事についてだって、納得できる書きこみがあれば、「私の誤解でした」
ってあやまるつもりだったのに、「てめえで調べやがれ、ふん」ですからね。あやま
らせたいなら、その資料を素直に投稿した方がいいですよ。
こっちとしては、提出された資料を検討した結果、当方の誤解ならあやまりますよ。
単純な「私怨」などと「中傷」はやめてほしいですね。
なぜ、こちらが「私怨をもたざるをえなくなったか」の理由もたずねずに、「私怨は
いけない。だめだ」とやるところが、硬直してるっていうんですよ。
そういう柔軟性のない頭だから、いつまでたっても高橋親子の盲信の呪縛から抜けだ
せないんですよ。
「心の発見」の「まちがいの発見」22
この9月19日から、信次の妹(星洋子・神理編P52参照)は「心眼が開かれ霊
視がきくようになってしまった」(神理編P47)。その結果、悪霊も守護指導霊も
見えるようになり、過去世を思い出してゆく。
(この星洋子さんは、それまで創価学会で10年間も熱心に仏法をまなんでいたそ
うである。神理編P48にそうかいてある)
星洋子の「過去世」は、釈迦時代のインド、イエス時代のイスラエル、仏教隆盛
期の中国、はてはアトランティスなどについて語られている。そのため「妹はヘブ
ライ語、インドのマガダ語、中国語など、いろいろな言葉で話すようになり」
(P47-48)とある。
まずよみがえったのは「アトランティス時代」のことだ。
「私は、紀元前七千年ごろ、アトランティス帝国で生まれ、名前はフォロリヤーと
いう女性でございました・・・・アガシャー大王様の下で神の教えを学び」
(神理編P48)
つまり、今から9千年前の「アトランティス人」だったということだ。
ところが、同じ妹の霊現象と過去世記憶のくだりで、信次は「現証編」にこう書
いている。
「今から1万2千年前、アトランティス時代には、フェロリアという女性で、アガ
シャー大王のもとで神に仕えた人であった」(P82)
フォロリアー(神理編P89ではフォローリア)とフェロリアは、発音のちがいで
許容範囲としても、同一人物について、かたや「9千年前」、かたや「1万2千年前」
とは、食違いにもほどがある。妹とのうちあわせに「食違い」があったのだろうか?
293 :
名無しさん@1周年:02/04/05 01:38
また始まりました。梅仙人の逃避行が(オオワラヒ
「心の発見」の「まちがいの発見」23
この「フォロリアー」は、「紀元前4千年ごろ、女性としてエジプトに生まれ
・・・名はアシカ・ミヨターと申します・・・バラーという農村に村娘として生まれ
たのでございます」(神理編P49)と次の転生をあかした。
そして、その時代に「クラリオ」というイエス・キリストの分身の人物と出会った
記憶を開陳している。もちろん、「神理編」を通して「クラリオ」は、このアシカ・
ミヨターの思い出話の中に登場するだけで、「クラリオの霊体」が現れたり、だれ
かに乗り移ってしゃべり出すなどということはない。
これが「現証編」ではどう変わるか。
「三日間、観音様の膝の上で眠った」という記述のあとから、いきなり「クラリオ」
の霊体が登場するのである。
「私(信次)の前に、古代エジプトのスタイルをしたクラリオと呼ばれる光の天使
が立った。そのとき妹は「ああ、なつかしいクラリオ様。私は村娘アシカ・ミヨター
でございます・・・」と、いつのまにか古代エジプト語で・・・BC4千年も前の
過去世を思いだし・・・」(P81)
アシカ・ミヨター意識の星洋子が、クラリオの霊と対話までしているのだ。
同書P99でも同様の記述がくりかえされる。
「この方は、今から4千年ほど前に・・・多くの人に神を道を教え救済したクラリオ
と呼ばれた・・・光の大指導霊」とある。
「神理編」と「P81」では「紀元前4千年」のはずなのに、2千年が減って「今から
4千年前」になってしまっている。
P101にも、信次はこう書いている。
「私のそばに立っている光りの大指導霊クラリオは、今から4千年も前に肉体を持っ
た方である」
「神理編」と異なるばかりか、「現証編」の同一著書内で、「紀元前4千年」と「今
から4千年前」との混同がおこなわれている。これはもう「乱脈」といってよい。
295 :
名無しさん@1周年:02/04/05 01:40
GLAって信徒として集めた人からカネを吸い取るだけの目的の団体でしょう。
296 :
名無しさん@1周年:02/04/05 01:41
210 :梅仙人 :02/04/03 13:12
>203>204>206>208>209
無意味なつっこみはするな。佳子の足の親指の爪垢野郎。いつの書きこみの話を
してる。頭がどーかしてんじゃないのか。おれの大量の指摘に対して、なんだ、そ
の微弱で貧弱なつっこみは。しかも、不正確でまちがってる。
おい、佳子の指紋の間にはさまった奴隷バクテリア野郎、信次の死因をGLAが、
いまだに公表していない理由を説明しやがれ。
おまえが、こんなばかなことばっか書くから、それがおれの信次批判のやる気を
どんどん燃え立たせてくれるんだよ。おれの相手をするより、佳子の自宅へでもい
って、 おさんどんでもやりながら、寝室のカーペットにおちた毛でもガムテープ
ではがして掃除しておれ。佳子の入った風呂の残り湯でももらって、飲用するなり
浴槽にまぜるなりしておれ。
この佳子スレイブが、きいた風な口をききやがると、鞭をぶっくらわすぞ。
おもしろい反応だ。
211 :梅仙人 :02/04/03 13:18
余計なちゃちゃをいれるGLA信者ども。おれの怒りの火に油をそそぐな。
こっちはすでに、「心の発見・神理編」「現象編」のチェックを完了した。
これから、それを順次発表してゆく。逃げるなら今のうちだぞ。ついでに
いっておくが、信次の「神理」が、信次のオリジナルではないことを証明する
準備も進めている。覚悟しておけ。
この書きこみがGLA盲信者を、いたく刺激したと見える。「信次のオリジ
ナル性を否定されたら大変だあ」と潜在的にあわてふためいているのだろう。
自分もそうだったからわかる。信じきっていたものが、「ニセモノ」とわかる
のは辛いしな。
わかったら奈落の底におちたような気がするし。
だが、その「奈落の底」も。数年がかりではいあがれば「錯覚だった」と
わかるんだが、それは盲信者諸君の「次のステップ」ということで。
298 :
名無しさん@1周年:02/04/05 01:49
平井さんとこの彼ってこんな暴力的なこと言う人間だったか?
>柔軟性のない頭だから、いつまでたっても高橋親
>子の盲信の呪縛から抜けだせないんですよ。
でも相変わらず証拠もなくきめつけてるよ(w
299 :
名無しさん@1周年:02/04/05 01:52
>この書きこみがGLA盲信者を、いたく刺激したと見える
またナルシスト的反応かよ...
遊ばれてるだけと違うのですか?
違うのなら根拠を示せ(w
>296
そーか、そーか、その程度の罵倒が、そんなに気になるか。おぼっちゃん
(おじょうちゃん)やのお。こわいか、びびったか、なーに、ほんとにやる
わけないだろ、だって、おれ、きみの住所も素性もなんにも知らないよ。
「鞭をぶっくらわす」が「(言葉の)鞭をぶっくらわす」という意味なのを
わかんなかったのか? やれやれ。それに、これが裁判になるほどの「罵倒」
なら、いいよ、「削除要請」してくれてもいいよ。あー、めんどくさい。
なぁ梅仙人さんよ ちょっと聞きたいんだけど
あんた
>信次の「神理」が、信次のオリジナルではないことを証明する
準備も進めている。覚悟しておけ。
って言ってるよね?
なんで信次の真理がオリジナルでなければオレ等が困ると思うわけ?
だいたい信次が「俺がオリジナルだ!」って言った事あんの?
信次は誰でも自然から法を学べるし、
法は自分だけのものじゃないって言ってなかったか?
>299
ナルシストでもなんでもいーですよ。私は、自分がどうしても発表しておかなけ
れば、と思うことを書いているだけですからね。GLAの盲信者にあそばれても
いーですよ。そうでない人たち、これからGLAにだまされるかもしれない人たち
に注意をうながし「防波堤」になるのが目的ですから、盲信者諸君はテキトーに、
このスレをあげるために協力してください。
私の矛盾指摘の投稿にまともに反論せず、私への個人攻撃や「中傷」投稿をくり
かえせばくりかえすほど、GLA信者全体への心証が悪化して新入会員確保不能に
直結することを、十分に配慮して投稿された方がよいかと。
>301
信次の盲信者の意見としてはそうだろう。
だからいってるだろう。信者じゃない、まちがえて信者になってしまうかも
しれない人たちのためにやってると。盲信者の中でも、何かの拍子に盲信から
さめるかもしれない人たちもいるだろうから、その人たちのためにもやってる
のさ。
やっぱり、開祖教祖が「うそつき」というのはいかんですよ。「もうGLA
でウソと真実をまぜて教義にするのはやめてくれ」ということですよ。
>なんで信次の真理がオリジナルでなければオレ等が困ると思うわけ?
>だいたい信次が「俺がオリジナルだ!」って言った事あんの?
そうだなあ、私がその「オリジナリティー否定論文」を発表してから、何
もGLAや入会者数に変化がなければ、きっときみが正しいということにな
るんだろうな。
結論は、いずれわかるさ。あわてなさんな。
なんかそれって答えになってないぞ
俺は信次がオリジナルであろうとなかろうと
いっこうに気にせんのだが
あんたはなんでそこにこだわるのか聞いてるんだよ
オレはGLAとは関係持ってないし(本とかは買ったよ)
今のGLAがどうなろうが興味ないんだが…
答えないのか…
もういい 寝る
海王星が251に転生。
>>290 >このスレのタイトル
「高橋信次・矛盾と誤断の軌跡」をもっと絞るべきじゃないの。
あらためて確認しましたが、
>>1にて
>彼の著書における矛盾と誤断を暴露するスレ
ッドとして立てました。
と書いてあります。
「著書における」と、わざわざ断ってあります。
ふ〜、これで290さんも納得してくれただろう。 (^^)
そもそも、教理問答になってないからといって、著作上の
記述の矛盾を指摘することが非難に値するわけがないし…
>些末なあげあし取りだと思われるんでし
ょう。それに対して彼は全く有効に反論できてないと言ってるの。
揚げ足を取る=人の言った言葉じりや、ちょっとした言いまちがいを
とらえて、おおげさに批評したりする。(新明解国語辞典)
矛盾の指摘が「揚足取り」に過ぎないと証明すればいいのに。
例えば、
>>249にて
> また、「神理編」では、その場に現れたのは、「インドスタイルの女性霊二人」
なのに、「現証編」では、「インドのサリースタイルをした美しい女性霊」P78と
「キリスト者のような、灰色の長い古代のスタイルをした外人の女性霊」P80の二
人になっている。
これは「ちょっとした言いまちがい」=揚足だろうか…。
う〜ん、悩んでしまう。 (^0^)
論文を発表
>305
信次がオリジナルでなくとも困らないきみは、私のこのスレを読まなくともよい。
少なくとも、信次の言説が「オリジナル」と信じて入信した人たちや、佳子の言説
を「オリジナル」と信じて、その「信じたオリジナル性」ゆえに、信じるキモチを保
っている人々も、ずいぶんいると思うがね。
きみのように「教祖の教義のオリジナリティー」にこだわらない寛容な人たちは、
信者の中でも少数派だと思うが、きっときみはその少数派なんだろう。末永くGLA
シンパでいてください。止めやしませんから。
でもさ、きみが「普遍の神理はオリジナリティーを問われない」といったってよ、
「アガシャー」や「クラリオ」や「作用反作用の法則」「光の天使」「類は友を呼ぶ
法則」だのの「用語」が、そっくり書かれた外国の著作があって、それを信次が大悟
するはるか前に、のちに信次の高弟になる人物が翻訳して日本に紹介してる、という
事実がある。
いいかね、「光の天使」「アガシャー」「クラリオ」「作用反作用の法則」「類は
友を呼ぶ」という、いいまわしも概念も、信次の「オリジナル」ではないのだよ。信次
が「学んでぱくって刺激を受ける」に足る過去に、それは翻訳されて日本にあった。
それらの事実を、いずれ公表してあげるから、それを読んでから反論してください。
>306(251)
答えてやったぞ。目をさましておきろ、このクズ野郎。起きないなら、そのまま
醗酵してコヤシになれ。
312 :
名無しさん@1周年:02/04/05 06:19
>>262 >弁護士に相談することにします。
青山弁護士ですか?
313 :
ペテンGLAは消えろ:02/04/05 06:35
カルトGLAは消えろ。
こんな教団は必要無い。。。
きえろ!(*゚▽゚)ノ ))))))))))炎))))))★
きえた!!!(≧◇≦)
315 :
名無しさん@1周年:02/04/05 08:22
梅仙人さん、もう少し、冷静な対応を。
「魔境」に落ちたら、彼らの思うツボだよ。
このスレの価値はとても大きい。
私は、随時保存している。
「小さな」日付のミスを「高級霊」、それも極め付けの「霊」がするはずがないのだ。
いかにルーズだったことか・・・・。
通常の人間なら、読者のためにも、記述内容の整合性に気配りをするはずだ。
それが混乱を与えないための、良心というものだ。
「うっかり」では済まされないよ。
書かれている本質的内容が「高度」であればあるほど。
そんなわけで、落ち着いてほしい。
煽りには一々丁寧に対応する必要はないと思う。
それに、読む側としても、保管したものをワープロソフトに移記した後、くだらぬ煽りなど、削除する。
いや、リアルタイムで、心の目では削除してる。
だから、粛々と進めてほしい。
>梅仙人
忘れているようだから、コピペしておいてやるわ
258 :203 :02/04/04 18:50
>>249-250 これにはさすがにびっくりしたわ。
「観世音菩薩」=「アボロキティーシュバラ」だとさ。
それなら、全国に沢山ある「観音像」は「アボロキティーシュバラ像」
ということになるな。これら観音像は特定の如来・菩薩の像ではなく、抽象
的な「悟った人」の像なのかい?
それとも、「特定の如来・菩薩の像」を総称して「観音像」と呼んでいる
のかい?そうだとすると、「観音像」は「大日如来像」だったり「薬師如来像」
だったりするわけだ。
おそれいったね。
それじゃ、浅草の「観音様」は一体誰なんだい?
>>292 > フォロリアー(神理編P89ではフォローリア)とフェロリアは、発音のちがいで
>許容範囲としても、同一人物について、かたや「9千年前」、かたや「1万2千年前」
>とは、食違いにもほどがある。妹とのうちあわせに「食違い」があったのだろうか?
1万2千年前に「フェロリア」として生まれ、
9千年前に「フォロリアー」として生まれたのだろう。
>>294 >「この方は、今から4千年ほど前に・・・多くの人に神を道を教え救済したクラリオ
>と呼ばれた・・・光の大指導霊」とある。
>「神理編」と「P81」では「紀元前4千年」のはずなのに、2千年が減って「今から
>4千年前」になってしまっている。
「紀元前4千年」と「今から4千年前」の両方に転生したのだろう。
319 :
◆LqBgPfUY :02/04/05 12:05
補助仮説ごっこ
>315さん
ご忠告、いたみいります。ええ、必要なところだけコピペしてくださると
助かります。
「煽り」に乗るのも、私の半ば「趣味」のようなものです。怒りで生きる気力
をかきたてられます(笑)。いってみれば、芯のつかれる信次の著作検証の
息抜きみたいなものですし、どこまで「悪口のわざ」を磨けるか「言語能力の
鍛錬」にもなります。
人間て、怒ると「語彙力」が急激にアップするんです。これはいいストレッチ
とストレス解消になります。人をやりこめることほど、ストレス解消はないで
しょう。われながら、やな性格(笑)。
ああ、おれって、なんて意地悪でやな人間なんだろう(笑)。
こういうことを書くと、また茶々いれる連中が、あーだこーだといってくる
でしょうが、気にしないことです。私はまじめなところもあれば、ふまじめな
ところもある。善人なところもあれば悪人なところもある。
恋人に愛の言葉をささやいて、昇天させるような言葉もいえれば、相手をこな
ごなにする罵倒もいえる。人を殺す言葉も生かす言葉も、傷つける言葉も癒す
言葉も、どちらも書けます。
321 :
GLAの答弁を予想:02/04/05 12:40
現代仏教は塵と埃にまみれており、仏陀の心を伝えていません。
GLAの解釈が仏教の解釈と異なるということは、むしろ自然なことです。
観世音菩薩はそもそも固有名詞ですが、鳩摩羅什が「アボロキティーシュバラ」
の訳として勝手に「観世音菩薩」をあてはめたため、混乱が生じているのです。
起きたぞ(w
>それらの事実を、いずれ公表してあげるから、それを読んでから反論してください。
って言っておきながら 返答が無いと
>答えてやったぞ。目をさましておきろ、このクズ野郎。起きないなら、そのまま
醗酵してコヤシになれ。
なんという矛盾(w
何度もオレはGLAとは無関係だっていってるのに
無理やりGLAシンパって言ってるし
もう支離滅裂(w
やはりこういう人を 悪霊に憑かれた人と言うんだろう
323 :
名無しさん@1周年:02/04/05 12:55
海王星の転生くん、おそよう。
言動パターンは相変わらずだね。
>>320 ∧_∧あんな事言ってるよ
( ´_ ゝ`) ∧_∧
/ \/ )( ´,_ゝ`)プッ
/ \___// \
__ .| | / /\_ _ \ \_____
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(__ノ \ \__) \
||\ \ .||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| || || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
海王星って誰?
そういえば、真創世記に「マリア観音」という霊が出てきて、
マリア様から「マリア」の名をもらい、観音様から「観音」の
名をもらったから「マリア観音」と名乗っているとか言ってなかった?
(本が手元にないため、うろ覚えだが)
観世音菩薩が固有名詞であるということについて、GLAの主張は
一貫しているな。
「心の発見」の「まちがいの発見」24
しかも、先にも指摘したように、アシカ・ミヨターの出生地の記憶さえ、異なって
いる。
「私は、エジプトの片田舎カパリで生まれた村娘のアシカ・ミヨターでございます」
(P100)
「バラーという農村に村娘として生まれたのでございます」(神理編P48)
「紀元前4千年」と「今から4千年前」、「クラリオの霊の立会いの有無」、アシカ
・ミヨターの出生地は「バラー」か「カパリ」か。思いつきで書いたことなので、整
合性がとれなくなった結果としか思えない食違いだ。
ここまで見ただけでも、信次とその妹が演じた「過去世記憶」には、これだけの
記述と内容の不一致がある。
ついでにいえば、紀元前4千年だかBC2千年だか知らないが、「アシカ・ミヨター」
などという、古代エジプト人の人名が、存在しうるのかどうか、調べて確認したものは
一人もいない。
「アシカ・ミヨター」が「姓名」ならば、これは古代史・民衆史の常識に反する。なぜ
なら、(日本でも江戸時代までそうだが、)庶民に「苗字がない」というのは、当り前
なのだ。アシカだかトドだかオットセイだか知らないが、古代エジプト人の農民で
「苗字」があったとは信じがたい。
それに通例、名前というものは、土地の名前か、その国の王侯や神々、偉人、先祖
に由来するものが多く、「アシカ」も「ミヨター」も、「エジプト的」ではない響きの
名だ。エジプト文明は世界で有数の、歴史的文化・風俗の変化のとぼしい文明なのを考
えると、この名前の女性が実在した可能性は、きわめて低いだろう。
「心の発見」の「まちがいの発見」25
このような「記憶ちがい・ずれ」「でっちあげっぽい」傾向の強い「過去世記憶」で
はあるが、星洋子の前世の紹介は、まだ続く。
「アシカ・ミヨター」の次は「紀元前6世紀、中インドのマガダ国」に「ガランダ」と
いう父の末娘「カリナ」として生まれ、釈迦の弟子になった。神理編にはそう書かれて
いる(P50-51)。
ところが、「現証編」にはこうある。
「BC560年頃、マガダ国、ガランダ村の長者の息女カリナという名家で生まれ」
(P82)になっており、「父の名」が「村の名」に、氏素性も「長者・名家」と変え
られ、ずっと見栄えのするものになっている。またも「おかしな変更」だ。
しかも「ガランダ」が「ガランダ長者」なる地名由来の名前なら、マガダ国のカリ
ナは、「苗字なしの地名由来の個人名」という「古代庶民の常識」にしたがっている。
それなのに、カリナよりもはるかに古い「アシカ・ミヨター」には、なぜ苗字がある
のか? 矛盾はここでも露呈される。
さらに「神理編」では、「続いて2世紀に、イスラエルに生まれ、サフィという名で、
夫マグガリスとともに、キリスト教伝道のために、一生を送った」(P52)とある。
しかも、このサフィは「私のご本体でございます星洋子の守護霊」と名乗り、星洋子の
指導霊は「マグガリス」や「クラリオ様」「イエス様」なのだと告げる。
兄信次は「釈迦の生まれかわり」「守護霊はイエスの分身フワイ」「指導霊はモーゼ」
妹洋子の「指導霊はイエスの分身クラリオやイエス自身」という「すごい兄妹」である。
なぜ、信次の指導霊を「イエス自身」がおこなわず、妹の方にまわっているのか、不思
議ではある。それに、兄妹にイエスとその分身が3人もかかっているとは、どんな因縁
がイエスとの間にあるのだろうか。やはり不思議である。
「心の発見」の「まちがいの発見」26
「サフィ」などという名は、紀元2世紀のイスラエル人では、聞いたことの無い名前だ。
新旧約聖書や聖書辞典で調べてみても「サフィ」などという名前は出てこない。イスラ
エル人は、たいてい聖書の人物名などから名前をとる。そこにない名前でも、なんらか
の「ヘブライ語らしさ」はとどめていなければならない。
だいたい、名前の末尾が「フィ」などという音になるケースは、私も相当にくわしく
イエス時代の聖書やイスラエル史や生活誌を調べているが、見たことがない。マグガリ
スはギリシャ人風の名前なので、ありえる話だが、それにしても2世紀といえば、すで
にイスラエルという国家がなくなった直後なのだ。イエスが死んでから1世紀もたって
いる。「カリナ」の生前記憶には、仏弟子の名前などが詳しく書いてあるのに、「サフ
ィ」の生前については、パウロやペテロ、十二使徒の名前さえ出てこないのは、どうし
たわけか。
「サフィ」がいかなる「伝道」をしたか、信次の著作にはまったく書かれていない。釈
迦の弟子としての「カリナ」の「修行と伝道」については、相当にくわしく「2ページ」
近く記述しているのにもかかわらずだ。それより新しい転生人格の「サフィ」の生前に
ついては、なぜ「2行」しか書かれていないのか。
その点で見ても、「サフィ」という名前は「アシカ・ミヨター」と同様に違和感が強
い名だ。ここでも「でっちあげ」臭さが濃厚に漂う。
330 :
名無しさん@1周年 :02/04/05 14:10
荒らされた分、のしつけてお返しします。
文句は◆LqBgPfUY へどうぞ。
荒らされた分だけ今後も続行します。
815 名前: ◆LqBgPfUY 投稿日:02/04/01 23:31
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1016418753/l50 高橋信次・矛盾と誤断の軌跡
で、元ネタを批判すれば?
818 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/04/01 23:45
>>815 kkが悪いのは高橋信次のせいにしたいのか?
悪けりゃパクらなきゃよかったんだよ。
それを最初は高橋信次の名前を利用して信者集めをしておいて
都合が悪くなると「裏側の霊人たちに撹乱された」なんて言って
罪をなすりつける。
恩義も仁義もないのかよ。
819 名前: ◆LqBgPfUY 投稿日:02/04/01 23:48
>>818 さっそくGLA関係者のお出ましですか。
GLAの説がすべてフィクションだとしたら、KKは成立しないよ。
元の説を断てば、自然と虚偽がわかるということだよ。
820 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/04/01 23:50
>>818 >>819 おまえらうざい
331 :
名無しさん@1周年 :02/04/05 14:10
858 名前: ◆LqBgPfUY 投稿日:02/04/02 07:58
20代前半で死んだ俺の友人が夢の中に出てきたが
白髪かなり増えてたよ。
だからといって、KKが言うような霊界があるとは言えないが。
859 名前: ◆LqBgPfUY 投稿日:02/04/02 08:00
>>820 名無しの文句は無視されるだけだからやめなよ。
863 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/04/02 09:50
>>815 >>819 >>858 >>859 アンチGLAはうざいんだよ
宣伝はもうやめろや
興味ある奴はかってにみるだろ
884 名前: ◆LqBgPfUY 投稿日:02/04/02 13:41
>>863 どうもGLA関係者は、他教団のスレッドに関与したがるんだが。
何か戦略でも持っているのか?
KK批判 即 GLA批判が方針です。
332 :
名無しさん@1周年 :02/04/05 14:13
今日はこのへんで止めときますが
これの10倍くらいあります。
◆LqBgPfUYという荒らしに非常に迷惑しているので
何らかの対策を練ってください。
885 名前:863 投稿日:02/04/02 13:54
>>884 俺はKK批判者だ。
GLAのことはGLAスレでやれって言ってんだよ。
当然高橋信次など大川と同類のイカサマ野郎だと思っている。
おまえの方針など知るか!
887 名前: ◆LqBgPfUY 投稿日:02/04/02 16:10
>>885 名無しの言うことは、いちいち信用できないな。
本当にGLA関係者でないのかな?
よいこを放置していた理由は?
888 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/04/02 16:48
>>887 あんたいい加減うざいよ。
kkスレで何やってんの?
889 名前:名無しさん@1周年 投稿日:02/04/02 16:50
自分は
>>885じゃないけど
>>887の言い草にはムカムカする(ワラ
>名無しの言うことは、いちいち信用できないな。
なんか坊ちゃんみたいなこと言ってるな(ワラ
コテハンだろうがトリップ付けようが、所詮仮面にすぎないのに、
自分だけは正々堂々やってるつもりで名無しを批判するのかよ?
偉そうにしやがって、痛い奴だな。
>本当にGLA関係者でないのかな?
「当然高橋信次など大川と同類のイカサマ野郎だと思っている。」と発言しているのに
まだそう決め付けるのか。すごい疑心暗鬼・・・
>よいこを放置
放置なんてされてたか?KK狂信者以外からも結構叩かれてただろ。
大体、掲示板で誰かのカキコを強制的に阻止する手段なんてないのに
バッカじゃねーの。
>「サフィ」などという名は、紀元2世紀のイスラエル人では、聞いたことの無い名前だ。
>新旧約聖書や聖書辞典で調べてみても「サフィ」などという名前は出てこない。
紀元2世紀に生まれた人間が新旧約聖書に出てくるわけなかろうが。
なおKKスレには宗教アレルギーの人間が非常に多く
高橋信次などのカルトの教祖にはまったく興味がありません。
私もKKに家庭崩壊させられて以来の宗教アレルギー、反KKです。
よってGLA信者ではありませんのであしからず。
335 :
名無しさん@1周年:02/04/05 14:33
>>332 >>334さん
>今日はこのへんで止めときますがこれの10倍くらいあります。
>◆LqBgPfUYという荒らしに非常に迷惑しているので何らかの対策を練ってください。
>私もKKに家庭崩壊させられて以来の宗教アレルギー、反KKです。
>よってGLA信者ではありませんのであしからず。
過去のGLA関連スレッドのログをご覧になっていただくとわかりますが、
GLAによって、あなたと同様に家庭がばらばらになってしまった方がいます。
カルトに警鐘をならす意味で、幸福の科学関連スレッドの存在をあなたは
大切に考えていると思います。
そして、それはGLA関連スレッドで批判している者も同様です。
そこのところをご配慮ください。
そもそも、◆LqBgPfUYさんという方は、ごくごく最近こちらのほうに現れた方です。
それを、突然対策をとってくれと言われても、困ってしまいます。
2ちゃんねる管理者にご相談されるとよいのではないでしょうか。
>>337 同感ですが、KKスレの住人がいくら文句をいっても
彼は聞こうとしません。
反GLAの固定の方の意見でないかぎり効果がないようですので
被害をしめしたうえでこちらで対処をおねがいしているわけです。
とにかく彼を説得してみてください。
それでもだめなら最後の手段です。
「祈りの道」 高橋佳子著 p64−65
>嫌いな相手を否定したいという衝動が消えない人へ。
>その衝動は、実はあなた自身の葛藤をあらわしているのではないでしょうか。
>許せなくなるのは、あなたが違和感を感じている、まさにその嫌いな部分を自分も
>持っているからなのです。
>自分が出すまいとしているものを、そのまま出している人を見るから、嫌だと思う
>のです。あなたが嫌いなところはどうでしょう。そして自分にも同じものがあること
>を認めることが大切ではないでしょうか。
>ぜひもう一度、「嫌い」という想いを見つめてください。
高橋佳子信者におかれましては、「祈りの道」を読んでから祈り心で
書き込まれたほうが、批判者をうならせる冷静な書き込みができるのでは。
340 :
名無しさん@1周年:02/04/05 15:35
>>338 >それでもだめなら最後の手段です。
いいから、さっさと最後の手段をとりな。
341 :
名無しさん@1周年:02/04/05 15:40
>>322 >
>何度もオレはGLAとは無関係だっていってるのに
>無理やりGLAシンパって言ってるし
>もう支離滅裂(w
貴殿のホームページを紹介してくれ。
内容で判断するよ。GLAは嘘つき、妄想だから信用できん。
オレ よくわからないんだけどKKって何?
このスレに関係あることなの?
教えてクンですまん
>>341 オレ ホームページ持ってない
なぜみんなGLAに関係づけたがるのか
よくわからん
信次に興味があってもGLAに関係してない奴なんて
いっぱいいるんじゃないか?
(オレのまわりだけかもしれんけど…)
344 :
名無しさん@1周年:02/04/05 16:53
ははぁ なるほど
教えてくれてありがとう
たしか昔 信次の霊言集を出したよね
当時立ち読みして、「なんじゃこりゃ!?」と思った記憶がある
あまり興味ないから
よく知らないんだけど…
346 :
◆LqBgPfUY :02/04/05 17:16
高橋信次=GLAだろう?
高橋信次に興味があって、GLAには関係ないとは言えないね。
347 :
◆5l1GLRtY :02/04/05 17:31
テスト
348 :
◆5l1GLRtY :02/04/05 17:35
>>346 高橋信次の著作に興味あって
現状のGLAに興味ないってあるだろ。
信次=GLA?
そうなのか?
オレは友人に進められて信次の本を読んだが
友人が「GLAは今メチャメチャになっちゃったから 関わらない方がいいらしい」
って言われて、素直にGLAと関係しないできたんだが…
そんなに変か?
桂子の真創生なんとかって本も少し読んだが
ばかばかしくて途中でやめた
「ミカエル宣言」とかなんとか、噂程度には知ってるが
それはGLAに関係してる事になるのか?
350 :
◆5l1GLRtY :02/04/05 17:49
>>349 例えば内村鑑三の著作には興味があるが
キリスト教無教会派には興味がないようなもんだね。
>>350 すまん
その例えの人、全然知らないから
そうだって言えないんだけど
なんとなく そんなようなもんだと思うよ(w
それから東京のGLAでは扱ってないから
関西GLAから 信次のビデオやカセットテープを
通販で買った事があるくらいかな…
「心の発見」の「まちがいの発見」27
「心の発見」を通じた傾向だが、釈迦時代の前世記憶は、信次や関係者のものを問わ
ず、人物名、地名、年代、履歴、行動描写が、かなりくわしく書いてある。「神理編」
P50-52など総計40ページにおよぶ分量だ。
ところが、イエス時代のことについては、総計しても2ページ以下の記述しかない。
「現証編」でも、似たようなものだ。巻末「資料」の「N・T子さんの転生輪廻」で
やっと、それらしいことが「霊言」として語られているものを除けば、本文中には、
イエス時代のことがまったくといっていいほど書かれていない。
モーセにいたっては、「神理編」(P54)で「123(モーゼ)は、さらにエジプトか
らイスラエルに脱出するときのことや、十戒の成り立ちを説明してくれた」、「現証編」
では「モーセは奴隷の子であった」(P287)という記述があるだけで、123が「私、古
代エジプト生まれのモーセ、これほんと」と、たどたどしく「自己紹介」する以外に、
なんの前世記憶も当時の状況も語られていない。まとめても1ページ以下であろう。
イエスの分身霊が守護霊をし、モーセが指導霊なら、なぜ「釈迦時代:イエス時代:
モーセ時代」の「過去世情報の比率」が「40:2:1」(本文のみ)という極端な偏向
を生じるのか。これは「過去世情報の比率」ではなく「現世で信次や関係者が学習した
量の比率」と見た方が自然であろう。
>>352 それってデータの検証とかじゃなくって
梅仙人の『感想文』じゃないのか?
どうしてもオレには そう見えるんだが…
354 :
会員NO3:02/04/05 19:17
「天と地を結ぶ電話」日本教文社刊 J・クレンショー著 昭和30年初版
「アガシャの霊界通信」正法出版社刊(上記のリメーク版)
上記の本には、アモン、光の大指導霊の用語が出てきます。
紹介者の園頭氏は、KKとの名誉毀損裁判にも勝訴しました。
355 :
名無しさん@1周年:02/04/05 19:34
251よ。
無意味なレス数稼ぎ。
おまえ、どうみても海王星だな。
キター(´∀` )(∀` )(` )( )( ゚)( ゚д)( ゚д゚)ゾォォォーーーー
357 :
◆LqBgPfUY :02/04/05 20:09
やはり、海王星君が、KKスレッドから転載してるんだな。
転載で、スレッドをつぶす策略とみた。
(´−`).。oO(うれしいな・・・)
海王星って誰なんだ?
マジでわからんのだが…
まぁ2chなら騙りは自由自在だから
反論しても無意味なんだろうな
オレに書き込みが似てるんなら 見てみたい気もするが
>>357◆LqBgPfUY さん
海王星さんは、251さんのような文章は書けないでしょう。
書いている内容も文体も全く違います。
【 1〜 50の全発言者リスト】
>>172 【51〜115の全発言者リスト】
>>194 >>197 【1〜50を振り返る ---◆「心の発見」の「まちがいの発見」1-13 】
>>173-176 【51〜115を振り返る 】
>>195-196 ----------------------------------
【116〜200の全発言者リスト】
・当該内容と関係しない書き込みには>、>>なし。
「名無しさん@1周年」、梅仙人さんには>>なし。
●梅仙人 さん
>116-118 >120 >122 >125-126 >128 >130-133
>135-136 >138 >143 >151 >154 >167 >184
185 >198-200 (198 :梅仙人>高橋信次スレから引用 さん)
●GLAにつけるクスリ さん
>>137 ● ◆LqBgPfUY さん
>>153 >>170 >>188-190 ●マジカルパス さん 183 187
●169!
>>121 >>123 >>127 >>139-142 >>144-146 152
>>168-169 >>172-176 >>192-197 ◇木毎イ山人 さん 177
○名無しさん@1周年
>115 >119 >124 >129 134 147 >149 150 >155-166 171 >178-182 >186 >191
○会員の抗弁を予想 さん
>>148 以上
★GLA信者の方・高橋信次信者の方へ
>>123 >>146 >>169 123 :169!
>まともに真理を追及する気のある会員ならば、プロジェクトや集いの場
>などで、当然このスレッドの存在を紹介して、他の会員たちと一緒に考えようと
>するはずです。
146 :169!
>もし、このスレッドで提示されている疑義を無視して、布教活動を強行する
>ならば、それこそ良心のかけらすらないと言えるでしょう。
>少なくとも疑問が解消されないうちは、GLA著書の配布・紹介を含めた
>一切の布教はさし控えておくべきです。
169 :169!
>後から読み返して自分でもすっきりしない反論なら、しない方がましと
>いうものです。ご自分が惨めになるだけだからです。
>矛盾を指摘した者に対する悪感情が、実は、矛盾そのものや矛盾を説いた者に
>対する悪感情であるかもしれないことに向き合う必要があります。
● 「心の発見」の「まちがいの発見」14-18 >130-133 >135 (
>>130-135)
→レジュメ
>>139-141 :169!
*フワイ・シン・フワイ・シンフォーと123の正体を、いつ誰が明かしたかの記述に相違点。
--正体を明かしたのは123自身か、僧侶の霊か
*また、この二人の姿を高橋信次が霊視できるようになった時期も、明瞭な記述がない
131へのレス→
>>142 :169!
〜「現証篇」では「九月十八日-妹に出た観世音菩薩」 と表題はなっているが
18日にも目にした観世音菩薩を妹を霊媒にして19日に語らせているので、
妹を霊媒にして観世音菩薩が語った日に関しては、「神理篇」 「現証篇」
ともに同一日付で矛盾がない。
142へのレス→
>>143 :梅仙人さん 〜厳密にはたしかに矛盾はない。
>「神理編」では、あたかも「九月十九日」にはじめて現れたかのように、
>書いている
143へのレス→
>>144 :169!
★神理篇と現証編のさらなる矛盾
>>144-145 (169!)
*高橋信次の妹の周りには、霊体の女性は何人いたのか
「神理篇」
「美しいインドのスタイルをした、仏像に似て光り輝いている女性が二人、
私の眼前に立った。」(p47)
「現証篇」
「インドスタイルの女性」が最初から二人いたとは読めない描写になっている。
(つまり、一人) 一方で、「その隣には、キリスト者のような、灰色の長い古代の
スタイルをした外人の女性」(p80)と神理編にはない描写がある。
*高橋信次の妹が観音の膝の上で過ごした期間の記述も異なる
*高橋信次の妹が過去世でアトランティスに出ていた時代も異なる
*
>>127 :169! 〜反論と、話題のすり替え
>梅仙人さんの依って立つ立場など、高橋信次の著書それ自体とは何の関係もありません。
>著書と著書をつき合わせて、その矛盾点が明らかになれば、それでよいことです。
→
>>129 :名無しさん@1周年
*
>>128 :梅仙人 さん >高橋信次は、生前よく、「過去・現在・未来は一点なり」と主張していました。
*
>>148 :会員の抗弁を予想 さん >ささいな日時の間違いよりも、教えの中身が大切なのです。
*
>>149 :名無しさん@1周年 〜その主張の真贋により、高橋信次は評価が極端に変わる
*
>>153-154 GLA関西と長尾弘氏も、高橋信次の「法」を継承しているのか
(153 : ◆LqBgPfUY さん レス→154 :梅仙人 さん)
*「このように細部(しかし本質的にかかわる事)の矛盾を挙げていただく
ことにより、いかに著作がルーズなものであるかが分かります。」
〜似非スピリチュアリズムに若者を追いやる温床を作った著書
>>155 (155 :名無しさん@1周年 ) *高橋佳子氏がテレビ出演していたそうです。
*
>>170「正確にありありと思い出せたのであれば、過去世ではない。」 ◆LqBgPfUY さん
*
>>178-179 :名無しさん@1周年
形而上的な認識のできないことについては証明のしようがないので、議論にはなじまない。
レス→>180-182 >186 :名無しさん@1周年 >184 :梅仙人 (
>>178-186)
★
>>53-55のレジュメ 高橋信次の主張する天孫降臨と、その主張の変化 169!
>>192-193 ● 「心の発見」の「まちがいの発見」19 梅仙人さん
>>151 〜信次の妹の過去世のひとつである「紀元前4千年にエジプトで生まれた
アシカ・ミヨターという女性」の発言が、「神理篇」と「現証篇」で異なっている。
「神理編」p49
「私はバラーという農村に村娘として生まれたのでございます」
「現証編」p100
「私は、エジプトの片田舎カパリで生まれた村娘のアシカ・ミヨターでございます」
★なぜ、GLAは信次の死因について語らないのかを推測してみる
>>198-200梅仙人さん
198 :「高橋信次を死にいたらしめた病名はなんなのか」
>なぜ、死因となった病名をGLAは、高橋一族は発表しないのか。
>なぜ、あたかも「消耗死」したかのように、記録を残しつづけるのか。
199-200 :*なぜ高橋信次の「死因と病名」はあきらかにされなかったか(1)(2)
>「信次の病死」は、信次がそれまで著作に書いてきたことと矛盾する
>現象(あるいは、信次自身の主張の正しさと信頼性を毀損する現象)だからだ。
>「神理編」
>P162「病苦や心の苦しみの生活は、地獄の生活である」
>(注:地獄界や悪霊の影響を受けて病気になるという意味)
>P184「すべての不幸の原因はおのれ自身にあり、生活の不調和がもたらしたもの
>であり、責任はほかにはない」(注:調和されていれば神仏が守護してくれる)
>P221「暗い心は地縛霊や不調和な地獄霊に支配されて、事故、病気、家庭不和など、
>安らぎのない生活を送るようになってしまう」
------------------------------------------------------
以上
「心の発見」の「まちがいの発見」28
星洋子さんの「転生の記憶」はまだ続く。
「神理編」P52-53にはこうある。
「五世紀に、中国の広東に、林蒋という女性として生まれ・・・父は中蒋と申しまし
て、インドのときはガランダと呼ばれた方・・・弟は吾蒋といい、ともに仏教によって
人々を救ったのでございます。このときに、私の弟子たちの中から観音さまといわれる
人が出たのでございます」
これも見逃せない問題と矛盾をかかえた「霊言」だ。
まず、「私たちの中から観音さまといわれる人が出た」とある。「観音」が「個人名」
ではないことは、先に記した。この「弟子の観音」が、星洋子に最初にかかった「聖観
世音菩薩」だとすると、星洋子は「観音様以上の存在」になってしまう。
また、守護霊は「サフィ」、指導霊は「イエスとその分身」「マクガリス」だという
記述を信じるならば、この「聖観世音菩薩」は、なんのために、どんな関係があって、
星洋子にかかって「霊道」を開いたりしたのだろう。
これまでの信次の書き方だと、守護霊でも指導霊でもないのに、直接に体に入って過
去世を語るのは「本体本人の過去世」だから、「聖観世音菩薩」は「星洋子自身の分身
ではない本人自体の過去世」ということになる。
星洋子が「聖観世音菩薩」の生まれ変わりなら、「本体の転生の中国人・林蒋」も、
「聖観世音菩薩」の生まれ変わりだ。とするなら、「林蒋の弟子の観音さま」とはだれ
のことなのだろうか。
「心の発見」の「まちがいの発見」29
自分自身が、自分自身の弟子として、魂を分割して五世紀に生まれていたとでもいう
のだろうか。「観音菩薩の弟子の観音菩薩」という「混乱」がここにも出てくる。しか
も「インド時代のカリナ=聖観世音菩薩」と書いてあれば、まだ理屈が通らないでも
ないのだが、そんなことはひとことも書いていない。
この「聖観世音菩薩」だけが、いつどんなときに肉体を持ち、どんな国にどんな宗教
下に活動したか、プロフィールが全くない。この人物だけ、妙に浮いているのである。
はっきりいって「身元不明」な「浮遊観音」なのだ。
これは、「聖観世音菩薩の霊」が「つくり話」である証拠のひとつになりそうだ。
信次本人も、書いているうちにつじつまが合わなくなり、混乱していたのだろう。少な
くとも「ちゃんとした文章を書こう」という「誠意」があったら、こんな混乱は予防
できたはずだ。
この混乱の原因は、ひとえに信次が「観世音菩薩も、釈迦や弥勒のように過去のイン
ドで実在していた人物を起源にしている」と「勘違い」したことによる。自称「釈迦
の生まれ変わり」の人物が、どうして自分の弟子だった人間とそうでないものとを区別
できなかったのだろう。彼の「釈迦の記憶」も相当に怪しいといわざるをえない。
「心の発見」の「まちがいの発見」30
さらに「林蒋」の「霊言」が、先の言葉に続いて語る。
「父は七世紀に弘法と呼ばれて日本に生まれ、弟は日蓮として生まれたのでございます」
信次自身も「神理編」P142で書いている。
「弘法大師のインド時代は・・・ガランダ長者という方である」
「日蓮は、五世紀の中国時代に、吾蒋という名で・・・さらに十二世紀、肉体をもって
法華経を説かれた方である」
つまり、林蒋の父「中蒋=来世の弘法大師空海」弟「吾蒋=来世の日蓮上人」という
とんでもない発言が飛び出したのだ。空海の前世と日蓮の前世がわかったとあっては、
真言宗も日蓮宗も、ほってはおけない問題であろう。もし、これが本当ならば。
しかし、その後、両教派が、この星洋子の「霊言」を問題視したということはきかな
い。きかないのも当然で、「現証編」では「中蒋=来世の弘法大師空海」弟「吾蒋=
来世の日蓮上人」のことなど、どこにも書いていない。
上述の饒舌な「林蒋の霊言」に比して、たったこれだけしか書いていない。
「五世紀ごろには林蒋という名前で中国に生まれ、多くの病める衆生を済度したという」
(P82)
日蓮・空海どころか、林蒋の父や弟のこと、弟子の観音にさえ、まったく触れてい
ない。
さらに問題なのは、弘法大師が「七世紀に生まれた」というくだりだ。空海は史実と
しては「宝亀5年(774年)香川県屏風浦の佐伯家に誕生」が通説である。「七世紀」
どころか「八世紀後半」だ。
これらの基本的な史実認識のまちがいは、この後もまだまだ続く。こんな不正確な
情報しか与えてくれない「霊言」など、どこが信じるに値しよう?
374 :
◆LqBgPfUY :02/04/06 11:50
霊言はフィクションで決まりだね。
375 :
名無しさん@1周年:02/04/06 14:42
> これまでの信次の書き方だと、守護霊でも指導霊でもないのに、直接に体に入って過
>去世を語るのは「本体本人の過去世」だから、「聖観世音菩薩」は「星洋子自身の分身
>ではない本人自体の過去世」ということになる。
すごい妄想だな。こんなことを言うのはお前だけだろう。
「心の発見」の「まちがいの発見」30の補足
信次は、日蓮の生年を「12世紀」としているが、史実は「貞応元年(1222)」
に今の千葉県安房郡天津小湊町に出生している。つまり「13世紀」生まれの人間な
のだ。
信次の指摘は、空海、日蓮、ともにまちがっている。彼や彼の関係者の「霊言」は、
このように「現実の史実」というだれでも調べることのできる出来事についても、ま
るで不正確である。
生まれた年さえ、正確に記せない人間に、「史実には書かれなかった前世記憶」が
ひもとけるわけがない。
377 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 14:58
これGLAの間違いHP作ったほうがいいのでは?
資料的価値あると思うし。
つくづく、ネットというものは有り難い。
20年以上前に、ネットがあったら、俺は、このような幼稚なミスだらけの本にハマらないで済んだことだろう。
当時、学生時代、こういった矛盾点に気づかずに読んでいた俺もアホだったものだ。
平安仏教、鎌倉仏教等についてのアウトラインは知ってただけに・・。
反省及び感謝揚げ。
>377
同感。だれかつくってもらえませんか。こちらは多忙で、そこまで手がまわ
らないのです。
これまで書いたもの(高橋信次スレや佳子スレの投稿分もふくめ)を、引用
転載してのHPづくりは、どんどんやってくださってかまいません。もちろ
ん今後の私の投稿も追加してくださってかまいません。
もちろん、同じ内容のHPが複数の人たちで複数の批判サイトになっても
ぜんぜんかまいません。
私に、いちいちことわる必要はないので、私の書いているGLA批判の投稿
についてはサイトをつくりたい有志の方々におまかせいたします。できれば、
元GLA会員の方でがっかりした方であれば、説得力十分でOKでしょう。
>だれかつくってもらえませんか。こちらは多忙で、そこまで手がまわ
>らないのです。
梅仙人ってそんなに忙しいのかい?
ヒマ人の標本のようにしか見えないが。
お前のカキコをお前のHPに貼りつければ済む話だろうが。
「心の発見」の「まちがいの発見」31
信次が1968年7月以降、妹や妻や義弟などを「霊道者」にしたように、彼の
知人友人たちも、「光を入れられて前世記憶がよみがえった」としてGLAに参
入していった。
しかし、その友人たちに発現した「過去世」を説明する信次の筆は、あきらか
なるまちがいばかりをつむいでゆく。
中学生時分からの友人の佐藤氏を、信次は「プルナートラヤー・ヤニプトラー」
だと説明する。
「プルナー(トラヤー)は、今から2626年前に、インド西岸・・・に生まれ
た・・・あるとき彼は商売の途中・・・ゴーダマのことを聞き・・・弟子になっ
たのである。彼は仏法をさとり、ゴーダマと同年輩の人だったが、説法が上手な
方であったようである」(神理編P58)
「プルナー=佐藤」は、インドでBC658(1968-2626)年に生まれ、材木商人
と香木売りの商人だったとき、釈迦の弟子になったわけだ。
しかし、大きな問題がある。現在、史実としての釈迦の生没年は明瞭ではない
く、諸説あるが「前565〜前486年説」「前465〜前386年説」などが有力とされて
いる。「BC463年頃」とする説もある。
もっとも古い「BC565」に釈迦が生まれたとして、釈迦が35歳で大悟したな
ら、(史実検証ではそういう説)弟子をとれるのは、早くても「BC530」以後
でなければならない。
すると、BC658生まれのプルナー君がはれて弟子になれるのは、128歳
の超人的高齢者になったときということになる。こんな高齢者が古代社会で商売
できたのだろうか?
「心の発見」の「まちがいの発見」32
また、同じ「神理編」P65にも、妻一栄のインド時代の前世「マイトレーヤー」
が「今から2607年前に生まれた」といっている。「弟子になったのは21歳
のとき(P74)」とするなら、生まれは「BC639年」、釈迦に出会ったのは
「BC618年」ということになるのだ。前述史料によれば、「BC565」まで釈迦
は生まれていない。
そして、驚くことには信次は同じP74で、「BC618年の記憶」であるはずなの
に、こう告げる。
「ガランさん(マイトレーヤー)は、今から2586年も前の記憶を、意識の中
よりひもといて、当時の模様を昨日のことのように語るのであった」
「2586年前=BC598年」である。「BC618年」より20年さかのぼ
ることになる。これは、「BC639」と「BC618」をとりちがえた信次が、まち
がって「マイトレーヤーと釈迦の出会いの年」を逆算してしまったとしか考えら
れない。
もっと問題なのは、でたらめながらも釈迦の弟子たちの生年が書いてあるのに、
釈迦本人の生年が「心の発見」のどこにも書いていない。これはどういうことな
のだろうか? なぜ「釈迦の生まれ変り」が「釈迦の正確な生没年」を指定しな
いのか。
それがないがゆえに、私は既存の史料をもとに考察せざるをえないのだ。
まったく信次のでたらめな記述には、言語道断というべきものがある。
誰かが自分のHPを作るとなると、実名が漏れる危険が高くなる。
そんなアホなHPを作れば、それこそHPの管理人の人格が疑われるだろう。
そのような危険を他人に負わせるのかい?
お前は、自分から実名を晒したのだから、もう失うものは何も無いのだ。
お前のファンにもじっくり読んでもらえや。
ちなみに、ここが梅仙人のHPね。(知らない人のために)
http://www.mars.dti.ne.jp/~amon/
384 :
◆LqBgPfUY :02/04/06 19:23
名無しで煽ってもなんだかな〜
385 :
名無しさん@1周年:02/04/06 19:33
もう十分梅仙人の人格は疑われてます。人格というよりおつむの
回転の悪さが際立っているけど。表現力や論理力が致命的に欠落
してます。
ここでの品性の悪さと自分のHPとをリンクさせたくないんじゃな
いの?
性根がせこい・・・
386 :
名無しさん@1周年:02/04/06 19:38
>384
煽っているのは梅毒人のほう。平井さんとこの若僧だろ?
梅毒人っていうHN使っても、実質的に名無しと変わらないよ〜
>>382 梅仙人よ。頼むから小学校に逝き直してくれ。
お前は
>>4で
> 本の奥付にしたがえば、「神理編」は1971年1月15日、「科学編」
>は同年5月10日、「現証編」はおくれて1973年4月20日発行という事
>になってます。
と書いただろう。どうゆう計算の仕方をすれば
「2586年前=BC598年」になるのだ???
388 :
◆LqBgPfUY :02/04/06 19:45
ポストイットに矛盾点をメモして、
図書館の信次・佳子本にはさんでおく。
389 :
◆LqBgPfUY :02/04/06 20:11
エルのホームページ
http://www.eldesu.com/top/ 研修から
>わかったように言う人は嘘ですよ。
>宇宙即我と言った人がおるが、あんな嘘ですよ。
>ほとんどわかってなかったんだね。
>それを聞いた後の人が、その言葉に酔ってしまってね。
エルランティ田池も言うときゃ言ってるね。
390 :
◆LqBgPfUY :02/04/06 20:17
http://www.nmt.ne.jp/~chokyuji/ >行事案内
>正法の講演会
>朽木丈人先生の「心の原点」講演会を、随時開催しております。
>次回は平成14年4月14日(日)午後2時〜の予定です。
>神理を学ぶ著作集
> 書名 著者 出版社
>佛の道 朽木丈人 ひかり出版社
>佛の教え 朽木丈人 ひかり出版社
>佛のてのひら 朽木丈人 ひかり出版社
>心の発見
>(神理篇,現証篇,科学篇) 高橋信次 三宝出版
>心の原点 高橋信次 三宝出版
>心の指針 高橋信次 三宝出版
>人間・釈迦
>(1,2,3,4) 高橋信次 三宝出版
朽木丈人氏も三宝出版の本を使った講演会はやめるべきでしょう。
>387
教えてあげよう。「2586年前」と信次が書いたのは、たしかに1971年
だろう。しかし、この霊道現象による告白は、「1968年9月」におこなわれ
ているとみなし、「1968-2586=BC598年」としたのだがね。ここの差が
そんなに気になるのに、どーして信次のこれまでの「多数のまちがい」につ
いては言及しないのか、きみの心理にはとても困惑させられる。
重箱の隅をつついても、何も出てきやしないよ。自分で「心の発見」を読む
ことで、私の投稿のまちがってないことを、確認されるがよろしい。
「心の発見」の「まちがいの発見」33
話を「プルナー=佐藤」に戻す。このプルナーは中インドなどの諸国で商売を
したと、信次は「神理編」p58で書いている。
しかし、先にあげた記述に続けて、こう書いてある。
「特に中インドのバッチ共和国にいって、仏教流布のため活躍された」
紀元前7世紀にインドに「共和制」など存在したわけがない。「共和国」と
名を冠する国が現れたのは近代以後であって、こんな時期に「共和国」など、
地球上には存在しなかった。
紀元前2〜3世紀に、ローマの共和制はあったが、それとて「共和国」と呼ば
れたわけではない。実質上の「共和制」は、イタリアのヴェネチアなどにも、
中世から存在したが、これとてヨーロッパのごく一部の話である。少なくとも
ローマ東国境より以東に、紀元前に「共和国」が存在したなどといったら、学生
さえ鼻で笑うだろう。
インドがようやく「共和国」になったのは「西暦1950年」、今から52年
前のことだ。もし、「バッチ国」が本当に「共和国」だったとしたら、それは
インド史に大書されるべきことがらであろう。
現代でも「バッチ共和国」などという名前の国家は存在しないのだ。いったい
どこから、こんな「共和制国家」の名前を思いついたのだろうか?
394 :
名無しさん@1周年:02/04/06 20:52
厨房を啓蒙する良いスレだ。
梅毒人、なんだか必死だね(オオワラヒ
396 :
名無しさん@1周年:02/04/06 22:10
GLA側は大必死(クソワラヒ
397 :
名無しさん@1周年 :02/04/06 22:17
つうか今時GLAなんて入信する奴がいること自体が
信じられんなあ。
キチガイGLA信者がいくら妨害しようが
ダメなもんはダメだよ。
妨害工作バレバレでもやらざるをえない(藁
哀れなモンだよ。カルトの狂信者どもは(藁
根拠もなくまた決めつけているよ(藁
知能低いなー。平井さんとこの若僧は。
399 :
名無しさん@1周年:02/04/07 00:43
GLA
妨害工作
カルトの狂信者ども・・・
プッ、梅毒人氏は何を言ってるのやら。
個人にからかわれているだけだろ(オオワラヒ
210 :梅仙人 :02/04/03 13:12
>203>204>206>208>209
無意味なつっこみはするな。佳子の足の親指の爪垢野郎。いつの書きこみの話を
してる。頭がどーかしてんじゃないのか。おれの大量の指摘に対して、なんだ、そ
の微弱で貧弱なつっこみは。しかも、不正確でまちがってる。
おい、佳子の指紋の間にはさまった奴隷バクテリア野郎、信次の死因をGLAが、
いまだに公表していない理由を説明しやがれ。
おまえが、こんなばかなことばっか書くから、それがおれの信次批判のやる気を
どんどん燃え立たせてくれるんだよ。おれの相手をするより、佳子の自宅へでもい
って、 おさんどんでもやりながら、寝室のカーペットにおちた毛でもガムテープ
ではがして掃除しておれ。佳子の入った風呂の残り湯でももらって、飲用するなり
浴槽にまぜるなりしておれ。
この佳子スレイブが、きいた風な口をききやがると、鞭をぶっくらわすぞ。
【資料】
「祈りのみち」 高橋佳子著 三宝出版 1994 p58-59
他人(ひと)を責めたくなるとき
>思い描いていた未来が目の前で崩れ出すとき
>あってはならない失敗が目の前で起こっているとき
>私たちは、そんな事態をなかなか認め難く受け入れられないものです。
>
>そしてそのときの圧迫と不安が
>犯人探しを始めさせることがあります。
>その圧迫に耐え難くて
>誰かにそのすべてを押し付けたくなってしまうのではないでしょうか。
>無性に他人(ひと)を責めたくなっているとしたら
>それはあなたが目の前の事態を
>しっかりと受けとめかねているということなのです。
>たとえ冷静なつもりでも
>気が動転してしまっているということなのです。
>>382 検証:紀元0年は、存在しないが、計算の都合、無視すると、
神理編の今=1968年として、×年前が西暦何年か計算すると、
1968年-×年=-BC年 となる。とすると、
2607年前=BC639年 0歳 ガラン=マイトレーヤ誕生
2586年前=BC618年 21歳 ガランが釈迦と出会う。
2566年前=BC598年 41歳 (オバサンになる? (^^) )
よって、信次氏の計算で正しい。…はずなのだが。
ちなみにBC598年は、BC618年より20年遡るのではなく、
20年後になります。
BC=紀元前は、数字が大きいほど過去になるわけですから。
「心の発見」の「まちがいの発見」32補足
信次はプルナーが、「釈迦と同年輩」と書き、「ゴーダマが去る二年前に79
歳でなくなった」と「神理編」P58で書いている。また同P76では、「マイトレー
ヤーは、ゴーダマが81歳でなくなったとき、62歳だった」とある。
ということは、マイトレーヤーより、釈迦は21歳年長だったことになる。
「神理編」における釈迦の生年は、マイトレーヤーの生まれが「BC639」だから、
21年をさかのぼって「BC660年」だ。しかし、既存の史料や説では「釈迦が紀元
前7世紀中葉に生誕した」というのは聞かないが。せいぜいが「BC5〜6世紀」の
範囲に絞られている。
「プルナー」と「釈迦」が「同年輩」という根拠も、歴史的な事実によるので
はなく、単に「信次と佐藤氏が、中学時代の同級生だったから」という事実の
ひきうつしであろう。要するに、「過去世関係」も「思いつき」の可能性が高
いのではないだろうか。
修正:
>マイトレーヤーより、釈迦は21歳年長だったことになる。
ではなく、19歳年長、のまちがい。
したがって、釈迦の生年は、「BC658年」である。信次の「釈迦生誕BC658説」
を証明する考古学的証拠はあるのだろうか?
405 :
名無しさん@1周年:02/04/07 08:07
>>400 それは、確かに言い過ぎではあるが、ロムってた者としては、さほど気にしてない。
本質的な内容にしか興味がないもんで、不問に付したい。
梅仙人さんも、論旨の展開にエネルギーを注いでくれたらありがたい。
406 :
◆LqBgPfUY :02/04/07 09:49
祈りの道を引用するとは、やはり関係者?
>>405 :名無しさん@1周年
GLA批判者を犯罪者のように言い立てて、心証を悪くしようとする
狂信者のいつものパターンなんでしょうね。
>>407 本スレッドにも既に沢山サンプルあり。これもある意味貴重なデータかも。
409 :
通りすがり:02/04/07 17:04
>GLA批判者を犯罪者のように言い立てて
>これもある意味貴重なデータかも
う〜ん。何もしていないというならともかく、梅仙人さんの問題になって
いる発言は文章としてちゃんと残っていますから。このスレが倉庫に入っ
た後も残るはずです。
「犯罪者」になるかどうかは今後の状況(法的な)次第なんじゃない?
>>405 ここでは405さんがどう感じるかではなく、彼の発言が向け
られた人たちが恐怖を感じたかどうかが問題なのでは?
正義感ぶってた人が犯罪者になるかどうか問われるというのは、
今の国会に似ている気が.....
411 :
名無しさん@1周年:02/04/07 18:20
>>407 それはきっとこのように突っ込まれますよ。
梅仙人をからかう者を何の根拠もないのにGLA信者と決めつけて、
心証を悪くしようとする狂信者のいつものパターンなんでしょうね
412 :
名無しさん@1周年:02/04/07 18:22
>>411 本スレッドにも既に沢山サンプルあり。これもある意味梅仙人の
価値のないデータかも。
http://www2.nsknet.or.jp/~t-mitsu/osyakasama.htmlより 釈迦族出身の聖者。釈迦、釈尊ともいい、ゴーダマ・
ブッダと称する。仏教の開祖。ヒマラヤ山脈の麓のカ
ピラ城主スッドーダナ王を父、マーヤ夫人を母として
ルンビニーで生まれた。名をシッダ太子という。誕生
は4月8日と伝えられ、生年には紀元前463年、前
560年、前624年などの諸説がある。
-----------------------------------------------
これほど諸説に開きがあれば、釈迦の生年を検証する
こと自体無意味だろう。
しかし、このスレは梅仙人およびそのシンパの知能を検証する
には意味がありそうだ。
>>391 >君は中学のお勉強からやり直す必要がありそうですね。
>ヒントあげるから次の問題に正解だせたら、こちらにおいで。
>
>ヒント
>数学的に紀元「0年」が存在したなら、1971 - 2586 = -597(BC597)になります。
>しかし、A.D.もB.C.も「1年」からはじまるのですよ。
お前、何言ってんだ????
1971 - 2586 = -615 だろうが。
梅仙人とお手手つないで小学校に逝けや
>>392 :梅仙人
>教えてあげよう。「2586年前」と信次が書いたのは、たしかに1971年
>だろう。しかし、この霊道現象による告白は、「1968年9月」におこなわれ
>ているとみなし、「1968-2586=BC598年」としたのだがね。ここの差が
>そんなに気になるのに、どーして信次のこれまでの「多数のまちがい」につ
>いては言及しないのか、きみの心理にはとても困惑させられる。
ここまで言っても解らんのか?????????
だから、オレにケチつける前に小学校に逝けと言っとるだろうが。
心配するな。同級生(
>>391)もいるぞ。
1968−2586=−618
従って、1968年の2586年前は、BC619年になる。
執筆時期が1969年なら、2586年前は、BC618年になる。
何もおかしくはあるまい。
416 :
◆LqBgPfUY :02/04/07 21:40
BC7世紀は珍しい説と思うが。
417 :
◆LqBgPfUY :02/04/07 21:56
やはり、高橋信次の説は、どっかの説に依存しているようだね。
生誕年にせよ、(貴族)共和制にせよ。
>415
なるほど、それは私の計算ミスだった。逆算の仕方をまちがえたのだ。
これからも、もしかするとまちがえるかもしれんので、ご指摘をよろしく。信次
のように、本にしっぱなし、書きっぱなしはしないよ。
私の投稿の記録をとっている方へ。
指摘のとおり、1箇所、計算ミスがありましたので、それを修正します。
「心の発見」の「まちがいの発見」32
「心の発見」の「まちがいの発見」32補足
の前の投稿を削除し、下記のものにさしかえてください。
「心の発見」の「まちがいの発見」32(修正)
また、同じ「神理編」P65にも、妻一栄のインド時代の前世「マイトレーヤー」
が「今から2607年前に生まれた」といっている。「弟子になったのは21歳
のとき(P74)」とするなら、生まれは「BC639年」、釈迦に出会ったのは
「BC618年」ということになるのだ。前述史料によれば、「BC565」まで釈迦
は生まれていない。
信次はプルナーが、「釈迦と同年輩」と書き、「ゴーダマが去る二年前に79
歳でなくなった」と「神理編」P58で書いている。また同P76では、「マイトレー
ヤーは、ゴーダマが81歳でなくなったとき、62歳だった」とある。
ということは、マイトレーヤーより、釈迦は19歳年長だったことになる。
「神理編」における釈迦の生年は、マイトレーヤーの生まれが「BC639」だから、
19年をさかのぼって「BC658年」だ。しかし、既存の史料や説では「釈迦が紀元
前7世紀中葉に生誕した」というのは聞かないが。せいぜいが「BC5〜6世紀」の
範囲に絞られている。
「心の発見」の「まちがいの発見」32補足(修正)
とくに問題なのは、でたらめながらも釈迦の弟子たちの生年が書いてあるのに、
釈迦本人の生年が、上記のもの以外には、「心の発見」のどこにも書いていない。
直接に「今から何千何百年何十年前に生まれた」という書き方はないのだ。
これはどういうことなのだろうか? なぜ「釈迦の生まれ変り」が「釈迦の正
確な生没年」を指定しないのか。前世記憶が正しいなら、ちゃんと指摘して読者
に提供すべきであろう。
それがないがゆえに、私は既存の史料をもとに考察せざるをえないのだ。
まったく信次のでたらめな記述には、言語道断というべきものがある。
「プルナー」と「釈迦」が「同年輩」という根拠も、歴史的な事実によるので
はなく、単に「信次と佐藤氏が、中学時代の同級生だったから」という事実の
ひきうつしであろう。要するに、「過去世関係」も「思いつき」の可能性が高
いのではないだろうか。
「心の発見」の「まちがいの発見」34
佐藤氏の友人の小柴氏も、信次によって「前世がわかった」ひとりである。
仏陀の弟子の「スブティー」という中インドの商人だそうだ。(神理編P59)
このスブティーが、紀元4世紀に中国に転生し、「大黒天」として、もっぱら
「神理を説く光の天使に経済協力をなされた方である。大黒天としての諸天善神
は、相当数おられる。仏教的な名ではあるが、実在界でこのように呼ばれている」
(神理編P59)
ここで「大黒天」の説明をしないと、この記述がどんなにおかしいか、おわか
りいただけないと思う。
「大黒天」は、もともとヒンドゥー教の神で、「マハーカーラ=破壊と暗黒の神」
である。それを漢字に訳して「大黒天」という。「マハー=大」「カーラ=黒、
闇」であり、決して、仏教起源でも、中国発祥の神でもない。
ましてや、インドのシバ神の「暗黒面」を象徴する神だから「実在界=天上界」
よりは「地獄界」「魔界」の方が、ぴったりくる神である。
だから、中国に「大黒天」という名の個人として生まれるなど、ありえない事
なのだ。「大黒天」は人間でもなければ、「光の天使」でもない「破壊と暗黒の
魔神」である。
(下記URL参照)
http://www.ffortune.net/spirit/tera/hotoke/daikoku.htm http://www.terra.dti.ne.jp/~tousenji/daikokusamatoha.html
「心の発見」の「まちがいの発見」35
マハーカーラは人の血肉をいけにえに、願いをかなえる魔神でもあり、それが
中国にわたってから「戦闘神」「台所神」として、次第に「善神」の側面が加え
られていった。
9世紀はじめに日本に、密教とともに「大黒天」信仰も渡ってきたが、信次や
「小柴=スブティー」がいうような「経済援助の福の神」となったのは、日本に
渡来してからである。
日本の総鎮守たる出雲大社の神である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」
の「大国(だいこく)」と混同され、習合の結果、こんにちなじみぶかい福福し
い「大黒様」が生まれたのだ。
「マハーカーラ=大黒天」が、「小柴=大黒天」であるはずがない。ヒンドゥー
起源の神だから「スブティー=マハーカーラ」すら成立しない。
大黒天が「財運招福」の神となったのは「9世紀以後の日本」においてであっ
て、「4世紀の中国」でではないのだ。
しかも、「大黒天」が今日の大黒天らしくなったのがいつであれ、「大黒天が
同じ名を名乗る人間に転生する」など、ありえない話だ。
423 :
◆LqBgPfUY :02/04/08 08:42
大黒天の話は質問スレッドで見て確かめたことがあるが、
梅仙人氏の指摘のとおりだったよ。
釈迦BC7世紀生誕説は、セイロンなど南伝の説。大黒天は日本の説。
高橋信次の説は、一貫性がないと思われるが。
「心の発見」の「まちがいの発見」36
仮に、「小柴=大黒天」が「役割」の名だとすると、「4世紀の中国人」とし
ての個人の「人名」は、いったいどこへいったのだろうか。これまで、あんなに
ひとりひとりの名をくわしく説明してきたのに、ここへきてあの「聖観音」の
ように「正体不明」になるのは変だ。
>仏教的な名ではあるが、実在界でこのように呼ばれている
という書き方からすると、「ヒンドゥー起源」の大黒天の本来の姿を、信次が
知らなかったことになるのだ。「中国仏教」で「厨房の神」とされていたことさ
え、知らなかったのではなかろうか。
もともと仏教的でない大黒天が、「実在界」で「マハーカーラ=大暗黒神」と
呼ばれて、そういう役目の霊人がたくさんいて、人間として転生してくるという
のも解せない。
「大黒天」はその素性がなんであれ、「神」なのであって「人間」「霊人」では
ないのだ。しかも、大黒天を、現在の日本で本尊の脇侍として仏壇にまつってい
るのは「日蓮宗」だけであり、「諸天善神」という言いかたで、「仏法を護る神
々=諸天(天部)」を表現しているのも「日蓮宗」なのである。
ウソだと思うなら、大手検索エンジンで「諸天善神」をキイワードに検索をし
てみればよい。ヒットしたサイトの多くが、「日蓮宗」関係のサイトだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」37
信次は、「心の発見」の随所で「自分は仏教もキリスト教も学んだことはない」
と書いているが、この「日蓮宗」的要素は、「転生の記憶・潜在意識の智慧」など
ではないと思える。
なぜなら、「神理編」P32-33にかけて、「姉夫婦が、創価学会の日蓮正宗に狂信
的な信仰をよせ、ほとんどの兄弟たちが、信者となって教学を学んでいった」と
あり、「当然、多くの信者たちは私の家にも折伏にきた」と述べている。
すると、なんらかの形で信次は「聞きかじり程度」かもしれないが、「日蓮宗」
の教学に触れているわけだ。少なくとも折伏しにきた信者や兄弟(信次の兄弟は
十人もいるのだ)たちと「論争」したことはまちがいない。
先述した妹の「星洋子」も10年来の熱心な「日蓮正宗」の信徒だとあった。
つまり、信次が「ほとんど仏教を学んだことがない」という言いかた自体が、嘘
ということになる。少なくとも「折伏しにきた学会員と論争し、兄弟たちの入信
のすすめを受けるうちに、日蓮正宗の教学の一部を知ることができた。ほかの宗派
のことはわからない」と書くのが親切というものであろう。
「心の発見」の「まちがいの発見」38
「神理編」には、信次の宗教に対する姿勢としてこうある。
「宗教に関してはほとんど学んだことがなく」P9
「従来の宗教関係を求めることなく、それらの書籍を読むこともなく」P26
だが、次のページでは
「その頃、私は他の宗教への遍歴もしていた」P27
とあるのだから、記述に一貫性がない。
さらには、「私のような仏教をまったく知らない人間(P140)」などと平気で
書いているのだ。
兄弟じゅうが創価学会員となって折伏しにくる環境なのに、「宗教はほとんど
知らない」では通らないだろう。信次自身が信者になったか、あるいはシンパと
なった可能性さえ疑われる。
「大黒天」「諸天善神」そして「正法」ということばも、日蓮正宗では当り前の
用語として使われている。
それとも、信次にとって「日蓮正宗」「創価学会」は「宗教」「仏教」ではな
かったのだろうか。
>梅仙人
お前の「高橋信次のクソ集め」を手伝うつもりなど毛頭ないが、オレも
クソを一つ拾ったので、お前に進呈してやろう。オレにとっては無価値だが、
お前にとっては、ずいぶん価値があるんだろう?
「誰も書かなかった高橋信次」 菅原 秀 より抜粋(P 244〜)
私の見たところ高橋信次は言葉や言語についてかなりいいかげん
なところがあった。
例えば、講演ではいつも、
「私の仕事であるエレクトロニスクの世界では」
と間違って言っていた。
仏教用語でも、「ゴーダマ・シッタルター」とか「アボロキティ・シュバラー」
など。あるいは日本語になっている用語も「しきしんふじ」とか「てんしょうりんね」
とか「しょうほう」という風にいいかげんであった。
それぞれ正しくは「ゴータマ・シッダールタ」「アヴァロキティ・シュヴァラ」
「しきしんふに」「りんねてんしょう」「しょうぼう」である。
彼の説法の迫力がすごいので、あまり気にならなかったのではあるが、
「ゴーダマ」というのと「エレクトロニスク」というのはとても気になって
仕方がなかった。
村上和尚は、
「高橋先生はお釈迦さまの生まれ変わりです」と言っていたが、釈迦が自分
の名前を間違うだろうか。サンスクリット表記をローマ字に直すとGAUTAMA
であり、インド・ヨーロッパ系の言語すべてが、日本語表記をすれば、
「ゴータマ」または「ガウタマ」としか書きようがない発音をしている。
英語で言えば、「ボトム」を「ボドム」、「ストーン」を「スドーン」と
言うような違和感を感じる。
あれあれ?検索エンジンで「ゴーダマ」を検索すると、いっぱい
出てくるぞ。もしかすると、高橋信次以前に日本では釈尊が「ゴーダマ」
と呼ばれていたかもしれん。
確かに「ゴータマ」よりも「ゴーダマ」の方が日本語として響きがよ
さそうだからな。
そうすると、高橋信次が釈尊を「ゴーダマ」と呼んだのは、当時の言葉
の記憶ではなく、現代の日本人の誤った読み方に引きずられた可能性があ
るぞ。梅仙人よ、検証してみろや。お前の「クソコレクション」の中でも、
かなりの「大グソ」になりそうだぞ。
「心の発見」の「まちがいの発見」39
この「スブティー=大黒天」については、「現証編」でも書かれている。
「五世紀ごろ、中国の南支で大黒天と呼ばれていた人である」P104
あれ、「4世紀」ではなかったのか。いつのまにか「5世紀ごろ」に変わって
いるではないか。まあ、4世紀生まれの5世紀死去ということで大目にみてあげ
よう。しかし、「南支」というのは「南支那=中国南部」のことだから「中国の
南支」というのは、どうも変な言葉づかいなのだが、先を急ごう。
このように「神理編」では、「小柴=4〜5世紀の中国人の大黒天」と決定
しているわけだ。ところが、この先の同書P109-111にかけて、ことなる大黒さま
の由来が登場する。
まず「埼玉県の日向親子」が「心眼」を得た結果、「聖観世音菩薩(星洋子の
守護霊?)」がたびたび夜中に眼前に現れた。それは信次によれば、「聖観世音
菩薩の分身で平安時代に生まれた白菊さんという方」だそうである。信憑性のま
るでない説明だ。星洋子のまわりは、守護霊、大忙しである。
その「白菊さん」のほかに、この親子の眼前に「大黒天」も「たびたび姿を見
せている」のだそうだ。それで、この「大黒天」の正体は、「スダッターという
インド時代神理を説く方々に対して、良く面倒を見られた方」で、現世では日向
親子の亡き父だという。
「心の発見」の「まちがいの発見」40
そのあと、こう続くのだ。
「中国時代、五世紀に、やはり天台上人に経済的な援助をされた方が、スダッタ
ーの分身で、大黒天と呼ばれ、たびたび姿を見せているのである」P110
天台上人とは天台山を中国に開いた「天台智」のこと。すると「小柴氏の中
国人の前世」は「日向(父)の前世」の分身なのか?「スブティー=スダッター」
なのか? すると、小柴と日向(父)の関係は、なんなのだ? 本体と分身か、
分身と分身か・・・こんがらがってくる。
このような読者への混乱をまきちらしたまま、信次はまたも告げる。
「正法流布に協力してくださった人々は、ほとんど大黒天と仏教では呼んでいる」
(P110-111)
ちょっと待て、おっさん。それは「仏教全体」ではなく「日蓮宗」の中での事だ
ろう。しかも、大黒天は「援助」というよりは「仏法の守護神」としてまつられ
ているんだぞ。「ほとんどの仏教では大黒天と呼んでいる」なんて「ウソ」をま
ことしやかに書かれては困る。
すると「小柴」も「日向(父)」も前世は、ともに「大黒天」だったのか。
「大黒天」は「正法ボランティア」のことなのか。それが「仏教の常識」だと?
ふざけるのにもほどがある。
まったく、ものすごい無神経さだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」41
まずもって、これほど「大黒天への無知と誤解」が明白になると、「神理編」
での信次のその後の記述にとって、非常にまずいことになる。
それというのも、P140-141にこうあるからだ。
「伝教大師の過去世が・・・天台山を開かれた天台智という僧侶であった」
「また、私(信次)の守護霊は、不空三蔵がつとめている以上、伝教大師の
消息については非常にくわしい」P141
伝教大師とは、9世紀に日本の天台宗・比叡山延暦寺を開いた「最澄」の
ことだ。
なぜ、これが「大黒天」と関係があるのかというと、この「最澄」こそ、
西暦805〜6年に、「厨房神としての大黒天信仰」をはじめて日本にもた
らした人物なのである。
したがって、守護霊や過去世経由で「伝教大師については非常にくわしい」
はずの信次が、これまで述べたような「大黒天に関する無知と誤解」を展開
するとは、なんとしても理解できないのだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」42
さて、ここで「私の守護霊は不空三蔵」と信次が書いたことに注目しよう。
ここから不空が「フワイ・シン・フワイ・シンフォー」であるとみなすことは、
決して不自然ではない。
「神理編」P140にも、こうあるからだ。
「私の守護霊をしている方は中国に生まれた僧侶で、5世紀から6世紀の頃、
仏教を学び実践された人」として、この守護霊に「法華経のお題目について
教えてもらった」と述べている。
P40に「私の守護霊は、中国において4世紀ごろに肉体をもって生活していた
フワイ・シン・フワイ・シンフォーと呼ばれている方であった」ともある。
ここでもすでに「4世紀」と「5〜6世紀」の食違いが生じている。
もっと問題なのは、「不空三蔵」師は、「西暦705年生〜774死去」という
史実があるのだ。「4世紀」でも「5〜6世紀」の人でもない。
「5〜6世紀」の人といえば、先述した「天台智」の生涯がそれに該当す
るのだが・・・。
すると、この「守護霊・不空」と「守護霊フワイ」は「別物」なのか?
そんなことは1行も書いていないぞ。順当に読めば、どう見ても「フワイの
本名は不空」としか解釈できない。
「心の発見」の「まちがいの発見」43
ここで、今度は一度はおさまっていたはずの「信次の守護霊問題」がまたぞろ
もちあがってくる。
以下の記述は、「フワイとその正体」について、「神理編」「現証編」に書
かれたことである。
「神理編」46ページ
「フワイは、髪が首まであり、あごひげをはやした身長1M78Cほどの方で、
やはり、上段階、光の大指導霊で、1世紀にイスラエルに活躍した人である。
イエス・キリストの分身の名であった」(現証編P92にも同一描写あり)
「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」の霊が、フワイのことを「BC32年
(ママ)イスラエルに生まれたイエス・キリストである」という。
(「現証編」P90)
「123」の言として、「現証編」P95にも、こうある。
「私、エジプトで生まれたモーゼと呼ばれていたもの。ここにいる人、フワイ、
二千年前、イスラエルで生まれたイエスといわれた人」
すると、信次の守護霊は「イエス・キリスト本人」なのか、「イエスの分身」
なのか。はたまた「不空三蔵」なのか「無名の5世紀の中国の僧侶」なのか。
あるいは、「若葉色の中国風の法衣をつけた僧侶」なのか。
「守護霊フワイのイメージ」が「キリスト」のイメージと「中国密教僧」のイ
メージと、二つに分裂してしまうのだ。少なくとも「フワイ」という存在は
「イエス」「その分身」がともに名乗っていたことになる。
だが、信次はそんな断り書きは、一つも入れていない。
「心の発見」の「まちがいの発見」44
もし、整合性をとろうとするなら、信次の守護霊は「イエス本人」「イエス
分身」「不空三蔵」「無名の5世紀の中国の僧侶」と「4人いて交替で守護霊
をした」とみるほかはなくなる。
しかし、信次自身は、この「守護霊のイメージ」の分裂については、やはり
何もコメントしていない。いいわけも修正もとりつくろいも、不整合の理由の
説明も一切ないのだ。
これだけのイメージの分裂と一貫性のなさから、判断できるのは、これらが
すべて「信次の妄想と想像によるでっちあげ」であるという可能性の高さだ。
しかも、でたらめで思いつくかぎりのことを、口からでまかせでしゃべる虚言
癖の要素の強い「でっちあげ」だ。
「心の発見」の「まちがいの発見」44補足
史実にしたがうなら「不空三蔵」は「フワイ」でも「中国生まれの僧侶」でもない。
不空は、父がインドのバラモン、母がサマルカンド(西域=中央アジア)の出身で、
母のもとで生まれ、長じてインドにおもむき密教をおさめ、それを中国に伝道すると
ともに帰化した。だから「中国生まれ」ではない。
すると、「守護霊フワイ」とは、いったいだれなのか? フワイというのは先の
123と同じく仮称であろうから、本名がなくてはならない。
だが、それが「不空三蔵」でないとすると、いったいだれなのか?指導霊はモーセ
なのに、フワイ=イエスの中国へ転生したときの名前は、なんというのだろうか。
またも、「名無しの浮遊人物」が浮き上がってしまう。
今度は、信次の守護霊である。もう目も当たられないボロばかりである。
>梅仙人
お前なあ……
フワイ・シン・フワイ・シンフォー=不空三蔵
というような主張をしたいのなら、例えば「不空三蔵」の中国語
読みが「フワイ・シン・フワイ・シンフォー」であるとの調査
結果ぐらい出さんかい。
それが無いと、全部お前の妄想にしか見えんぞ。
それにしても、>>427-
>>428に何かコメントでも無いのかい?
お前が喜ぶと思って「大クソ」になりそうな「クソ」を献呈したのだが、
気に入ってもらえなかったのかな?それなら、何が気に入らないのか教え
てくれ。お前が気に入るような「クソ」を見つけたら、また献呈してやるぞ。
>437
うるさいやつだな。資料提供はありがたいが、せかすな。その辺はちゃんと
考えてる。中国語を知ってる友人に会う機会があったら聴いてみるつもりだ。
忙しいので先を急いでいるといったろうが。
>それが無いと、全部お前の妄想にしか見えんぞ。
の「全部」とは、どれの「全部」のことなのだ?今まで投稿したことの全部
か? それとも「不空三蔵」に関する投稿すべてか?
そういう風に結局、「梅仙人=妄想家」とあたかも印象付けようとするかの
ように見える態度が「気にくわん」。これでいいだろ。
「心の発見」の「まちがいの発見」44補足(その2)
「現証編」にこんなことが書いてある。
「私の守護霊のひとりに、七世紀、中国に生まれた不空三蔵とよばれていた僧侶が
そばにきていた」P251
またも「七世紀」と不空三蔵の生涯の世紀をまちがえている。史実は「八世紀」だ
し、「中国生まれ」でもないのは先述した。「守護霊のひとり」ということは、イエス
の本体、分身、不空、無名僧侶、若草色の法衣の僧侶は、みな別々の「守護霊」なのか。
いずれにせよ、ここまでくると、どれもこれも「デタラメのウソっぱち」と思わざる
をえない。こんないいかげんな史実を無視した「過去世記憶」も「守護霊」も、ほんもの
であるはずがないのである。
441 :
◆LqBgPfUY :02/04/09 08:25
高橋信次が自然と自己に無意識に刷り込んでいったばらばらの
仏教・キリスト教の知識を、霊が語るがごとくそのまま表現
しているだけなんだろうな。
相互に矛盾する説でも、霊が語る形式にすると有難いんだろうな。
442 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 08:29
>>441 そんなこと高橋の本読んだ瞬間に気づけよ、、、
443 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 08:32
大体釈迦は無霊魂説を説いたのに
高橋のような妄想仏教に騙される奴がいることが信じられん、、、
444 :
◆LqBgPfUY :02/04/09 08:41
名無しでレスするなっちゅーの。
意味ねーだろ。
445 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 08:43
446 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 08:45
GLAはまっちゃうような奴は原始仏教勉強したほうがいいな。
447 :
◆LqBgPfUY :02/04/09 08:57
理由を言わないところが、関係者にそっくりだが。
448 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 09:07
449 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 09:17
まあ原始仏教の基本的な概念を勉強すれば
GLAなどの妄想仏教に騙される阿呆は世から消えるよ。
>449
同感。原始キリスト教、ユダヤ教についても同じ。宗教的なことがらへの無知に
つけこんで信者をひきこんでいるという非難を、高橋親子やGLAが受けても仕方
ないと思う。しっかりと勉強して自分で確かめれば、避けられる。
だが、「神理編」には、あとでくわしく書くが「輪廻転生の実証をする専門家や
学者が、GLAには集まってきている」というくだりもあったりして、それをまと
もに信じたら、無知な人間や若者はいっぱつでのめりこむよ。
451 :
◆LqBgPfUY :02/04/09 12:58
諸法無我と永遠不変の真我は矛盾してるだろう。しかし、如来の永遠性はどうなる?
ジャータカから都合のいい所を抜き出せば、何とでも言えるけどね。
452 :
名無しさん@1周年 :02/04/09 14:50
>諸法無我と永遠不変の真我は矛盾してるだろう。しかし、如来の永遠性はどうなる?
>ジャータカから都合のいい所を抜き出せば、何とでも言えるけどね。
こんなこと言ってるからGLAなぞに騙される、、、
永遠不変の真我という空想上の概念を明確に否定したのが釈迦だよ、、、
>>425-426 :梅仙人さん 「心の発見」の「まちがいの発見」37-38
**関連資料**
『現代日本の新宗教 情報化社会における神々の再生』 沼田健哉 創元社 1988
現代新宗教におけるカリスマの生と死 -高橋信次とGLAの研究-
(二)教祖とGLAの歴史
p96-97
復員後、地方から上京した信次は、苦学しながら大学入試の認定試験を通過し、
その後大学で学んだ。彼は、主として日大工学部電気学科で学んだが、一時期東大にも
通って勉強したといわれる。しかし、卒論がやや規格はずれであったため教授の不評を
買い、卒業資格を得ることができなかったようである。電気工学の外にも、物理学・天文学・
医学・化学なども学び、それが後のGLAの教理の形成に大きく関係している。
彼は、日常生活において神仏の話しを多くしたために、学友に「変り者の予言者」など
と呼ばれ、異常者扱いをされたりもした。しかし、一方では、試験の山の予測もきわめて
上手であったなどの理由により、「神様」もしくは「仏様」とも呼ばれていたという。仏教や
キリスト教の本はあまり読まなかったようであるが、現在のオカルト雑誌『ムー』に相当
する雑誌を読み、『天と地とを結ぶ電話』などの霊的な本を読んでいた。
(転載続き)
信次は、「もう一人の私」を求め続け、なんでも自分の眼で見、聞きし、神秘の世界に
関する探求を止めなかった。彼は、禅定して瞑想に耽ってみたり、僧侶にいろいろ
質問したり、キリスト教の教会へ行ってその説教を聞いたりもした。しかし、いずれにも
納得がいかず、しだいに既成宗教に失望していった。実弟の興和(昭和十六年三月
二十一日生まれ、中央大学中退)と世界真光文明教団を見学に行ったこともあり、
多くの新宗教教団を探訪したようであるが、やはり、そのいずれにも満足できなかった
ようである。
心霊科学にも関心をもち、小田秀人らと親交があり、氏の主宰する「菊花会」の会員
でもあったようである。(9) 二人の関係が、どのようなものであったかいまだ明らかで
はないが、心霊科学から多くのものを吸収し理解の手がかりとしたと思われる。
事業の方に関しては、働きながら大学で学んでいた信次は、二五歳の時、電気
関係の仕事をするため小さな工場を借りて、独立自営の第一歩を踏み出した。その後
二回事業に失敗したが、そのうち一回は、当時平和相互銀行の頭取であった小宮山
英蔵に助けられて再興した。上野の地下道で四日ほど過すという経験までしたが、や
がてコンピュータ端末機器を製造する高電工業株式会社を設立し、同社および八起ビル
管理株式会社の社長を兼ねるに至った。
p125 注
(9)小田秀人・田宮馨 『対談四次元の不思議』潮文社、一九七三年、一八九-一九〇頁。
-------------------------------------------
以上、転載了
>>450 > だが、「神理編」には、あとでくわしく書くが「輪廻転生の実証をする専門家や
>学者が、GLAには集まってきている」というくだりもあったりして、それをまと
>もに信じたら、無知な人間や若者はいっぱつでのめりこむよ。
お前、30年前の本を引っ張り出してきて何言っとるんだ?
当時は必要だったろうが、「輪廻転生の実証」など今のGLAでは
話題にも上らんぞ。
輪廻転生を当然の前提として「如何に生きるか」が問題なのだ。
現在、霊道現象は「輪廻転生の実証」のためには行われていない。
人生のテーマを発見し、深めるために、過去世あるいは天上界の記憶
が開かれるのだ。
そんな30年前の隠しておきたい事を引っ張り出さんでくれよ。
「輪廻転生の実証」をやって自慢してきた過去なんか今のGLAでは 隠蔽し
てるんだからさ。
輪廻転生を当然の前提として「如何に生きるか」という問題に差し換えるこ
とに躍起なのだ。
現在、霊道現象が「輪廻転生の実証」にはならないし、実際できない。
人生のテーマを発見し、深めるためなら、過去世あるいは天上界の記憶なん
か要るわけねえだろ。
>>455 名前:名無しさん@1周年 :02/04/09 23:07
>お前、30年前の本を引っ張り出してきて何言っとるんだ?
>輪廻転生を当然の前提として「如何に生きるか」が問題なのだ。
「如何に生きるか」
〜まず、狂信的な個人崇拝から脱し、口のきき方を覚えることでしょうね。
458 :
名無しさん@1周年:02/04/10 02:31
>>453 >卒論がやや規格はずれであったため教授の不評を買い
これって、もしや「神的エネルギーは下はアメーバから上は大宇宙まで」とかいう論文のことかな?
後日、否定していた教授が自説のように発表し直したって「真創世記」には書いてあったような気が…。
459 :
◆LqBgPfUY :02/04/10 08:25
東大に神学部はないだろ。
>>455 >>456 信次の言説が過去のものだというなら、なぜ現在も三宝出版は「心の発見」を
発売しつづけているのか。しかも、私が指摘したまちがいや矛盾やでたらめをひ
とつも訂正することなく発行しているのか、説明してくれないか。
最新の「神理編」は「平成12年5月30日 第35版」だ。この35版に、
これまであげた、まちがいや矛盾の数々がそっくりのこって掲載されている。
しかも、毎月のGLA誌には、佳子の連載のあとに、かならず信次の「心の
発見」「心の原点」などの著作から引用した文章を見開きで載せているではない
か。
なによりも、信次の著作を読んでGLAに入会する人間がいる以上「30年前
のこと」で済むわけがなかろう。三宝出版の裏表紙には、ちゃんとこう書いてある。
「連絡先:03-3843-7941」
これがGLAの番号だ。約20年前、私もこの番号に電話したことで、はじめて
GLAに接触したのだ。
少なくとも、三宝出版から34年前とまったく同じものが、「重版」されて出版
され、書店にならんでいる以上「隠蔽しておきたい」などといういいわけが、通用
するわけがない。
「隠蔽」というなら、信次の著作を絶版にし、信次の本を読んだ者が新入会員とし
て入らないようにしてから、いうべきことではないのかね。
ちなみに、最新版「心の発見・神理編(平成12年5月30日 第35版)」は
先月、私がGLA東京地方本部に直接おもむいて購入したことを、申し添えておく。
また、34年前の初版の「同・神理編」の所有しているが、この「初版」と「35版」
間で、本文のちがいや修正はまったくない。私の指摘箇所も、同一ページ、同一行で
確認できることから、「34年間、まったく訂正なしで重版しつづけてきた」という
事実が浮き彫りになったことも、申し添えておく。
三宝出版では、こういう風に、ちゃんと「高橋信次著作集」の一環として、「心
の発見」三部作を、矛盾だらけまちがいだらけのまま売っている。これのどこが、
「過去のこと」なのだろうか。
>心の発見(全三巻)
>高橋信次 著
>真実なるものは、理に叶い、歴史的にも証明され、現実に現われとしてもとらえ
>得るものでなければならない。
>本書は、その観点から、心の存在と、人の生きるべき道を誰にもわかり易く書き
>著したものである。
http://www.sampoh.co.jp/st/hakken.html
>梅仙人
> なによりも、信次の著作を読んでGLAに入会する人間がいる以上「30年前
>のこと」で済むわけがなかろう。
おお!それは大変だな。
GLAに対して、本を廃刊にすべきことを申し入れてみたらどうだ?
しかし、お前が何を言っても多分出版をやめないだろうし、改版もしないだろう。
だが、何も心配いらない。お前は自分が磨いてきたクソ力を発揮すればいいのだ。
ここで集めたクソと平井からもらったクソを固めて、暴露本を出版するのだ。
それによって廃刊に追い込めばいいだけだ。
464 :
◆LqBgPfUY :02/04/11 19:13
名無しの関係者の妄想
465 :
あなたも3分でミカエル:02/04/12 08:56
>>463 本のタイトルは「あなたも3分でミカエルになれる本」というのがいい。
「神魔百科事典」より
http://sinma.hotspace.jp/dic/devil_dic.htm http://sinma.hotspace.jp/dic/angel_m.htm#ma (天使・悪魔マ行)
>ミカエル(Michael)
>キリスト教4大天使の1人で、大天使長。元はカルデア人の神だった。イスラエル民族
>の守護天使で、後にキリスト教会の保護聖者とされる。名前は「神のごとき者」を意味
>する。魔王サタンを倒し、キリスト教では最も偉大な天使とされる。サタンの双子の
>兄弟という説あり。死者の魂の善悪を計るという役目もある。イスラム教ではミーカ
>ールと呼ばれる。
やっぱり、「3億年以上前」から「ミカエルと呼ばれてた」という信次の話は、大
ウソだったということですな。もちろん、佳子は最初からミカエルなんぞではない。
ほんとにミカエルだったら「カルデア(現イラン・イラク南部)」時代にどんな崇拝
のされかたwpしてたか、説明してみろや、といってやりたい。
>415>463
>>437 >それが無いと、全部お前の妄想にしか見えんぞ。
の「妄想」が、何を意味するか、きいてるんだが、なぜ答えてくれんのかね。答え
られるわけはないよな、おれを貶めることが目的なんだから。正面からの質問に答え
ないのが、その証拠だ。
468 :
◆uUZPFLgI :02/04/13 11:52
本音の言ってることは、本音だろうね。
会員の言ってることと違うから。
過去世を思い出して、人生のテーマを根拠づけていると
会員は主張していたからね。
【書き込み201-300に見る、批判者に対する人格攻撃および論点のすり替え等の事例】
梅仙人さんを煽っているのが全てGLA信者もしくは高橋信次信奉者であるか
はともかく、201-300における批判者に対する一連の人格攻撃・荒し書き込みには
興味深いものがあります。その事例をまとめてコメントを加えました。
T 著書に整合性が欠けていて矛盾しているという指摘を、それは単なる揚げ足に
すぎないと、誤って認識する。
>>209 >高橋信次のあげあしとって嬉々としてた梅仙人と169みっともないね(w
>>271 >>下品な言葉遣いではあるが、本来の批判は、文献をきちんと引用
>>して論理的にやってるので大目に見てあげるべきではなかろうか。
>違うでしょう?彼は信次氏のあげあし取りみたいな表層的なことし
>かやっていないじゃないの。信次氏の教えの目的とか内容の本質部
>分に対する批判なんて全然やってないわよ。著書の中の、数字など
>の不整合点に異常な執着をみせ、あおり立てているだけじゃないの。
同様の発言
>>290 >>彼は高橋氏の著作各種の矛盾を明らかにすることで、高橋氏
>>のいい加減さ、偽善性を明らかにしようとしてると思います。
>それなら、このスレのタイトル
>「高橋信次・矛盾と誤断の軌跡」をもっと絞るべきじゃないの。
>こんな大きなタイトルをあげてしまっているから、梅仙人さんの
>主張が本質的じゃなくて些末なあげあし取りだと思われるんでし
>ょう。それに対して彼は全く有効に反論できてないと言ってるの。
>反論どころか彼のは煽りじゃないのよ。
発言290に関して:
梅仙人さんは、
>>1において、
>彼の著書における矛盾と誤断を暴露するスレッドとして立てました。
と、論じていく対象を、明らかにしています。よって発言290は全くの言いが
かりと言えます。
U批判内容についての反論ではなく、批判者の人間性の攻撃に論点をすりかえる。
十全で完璧な人間性を備えていなければ批判をする資格はないという論法で
いけば、GLA信者には、高橋佳子氏を批判することも、また疑問を持つこと
すら、許されないことになる。
>>212 >この程度のつっこみでオタオタする人間に人の批判
>なんてする資格ゼロ(w 人のことより自分の人間性を考えたら?
同様の事例
>>251 (具体的な落ち度の記述無し。)
V 自分がGLA信者ではないとは言わなかったことに注目。
梅仙人さん
>>225-227に対するレス →
>>228 >ここは2chだぞ 証拠だせなんて意味ない事 書き込むから
>精神病っていわれるんだyo
W 著書からの具体的な引用・データを用いていない批判のみを引き合いに
(つまり、著書からの引用を用いた数多くの発言への反論は一切せず)、だから
批判者の主張は、客観的データがない「稚拙」「根拠のない」ものだと貶めている。
>>240 同様の事例
>>247 >「根拠のないデータは信用できない」という言葉は梅仙人自身がかみし
>めてみるべきだ。他の人からも揶揄されていることだが、根拠のない書
>き込みがじつに多いからね。
X高橋信次を批判する行為を、「逃避している」とみなす認識の歪み
>>252 >彼は、人からの指摘にうまく答えられずに都合が悪くなると、信次氏の
>揚げ足をとる書き込みを幾つもして、逃避する傾向を有しております。
>>255 >249や250の書き込みも、彼の低俗な論理や思考の浅薄さによって、
>無意味なものになってしまっている。そして、本人はそれに気がつ
>かない。いや、逃避している。
同様の事例
>>293
「心の発見」の「まちがいの発見」45
「神理編」P61以降では、1968年10月23日になって、9月19日に「聖観世
音菩薩」とともに出現した、もうひとりの「美しいインドスタイルをした霊人の女性」
が、やっとその正体を告げる。
「わたしはミロクと申します。ほんとうにしばらくでございます」P62
このとき、霊人ミロクは、霊視状態の信次に「あなたの奥様の守護霊でございま
す」と告げる。もちろん、妻の一栄は、このことを知らない。
そこで、信次は妻の体に、守護霊が入りたがっていると判断し、こう告げる。
「今日から1週間、午前1時から午前2時まで、屋上に出て今までの人生を良く反省
して、心の調和をはかりなさい」
「・・・午前1時ともなると、心を調和するには絶好の場所である。1時間の反省的
な瞑想は、光に覆われて妻の心は浄化されてゆく」(P63〜64)
ここまで読めば、読者は、当然「じゃあ、1週間後に守護霊が霊がかりするんだな」
と思うだろう。
ところがである。この「1週間の反省」のあとに続くくだりを、信次はこう書いて
いるのだ。
「10月23日の夜、私が調和の光を与えたところ、遂に妻の意識を守護霊が支配し、
優しい日本語で語り始めたのである」P64
10月23日の1週間後が10月23日というのは、どういうことなのか?信次が
わざわざ命じた1週間の瞑想のあとだからこそ、「遂に妻の意識を守護霊が支配し」
と表現したのだろう。本当なら「10月29〜30日」と書くべきところだ。
この日付のまちがいは、何に由来するのか。これも信次のフィクションであるが故
の書きまちがいの一例であろう。
「心の発見」の「まちがいの発見」46
では、同じことを「現証編」ではどう書いているか。
まず、「インドスタイルの美人の霊人の女性」が霊体で現れる日付がちがう。
「10月17日・・・私はその日、妻のそばにも印度スタイルの美しい女性が立って
いるのを見た」P84
しかし、信次はそこでは「神理編」のような「私はミロクでございます」などとい
う「あいさつ」は、その霊体の女性からは受けていない。ただ、見ているだけである。
しかも、妻にはこういうだけである。
「私は妻に「おまえも屋上へ出て今までの人生を反省して心の調和をはかってみ
たら」といった、妻は素直に夜11時ごろから2時間ほど心の統一を計り、心の曇り
を晴らした」P84
つまり、信次は妻に「1週間、反省しなさい」などとは、「現証編」では命じてい
ないのだ。しかも「神理編」では「毎日午前1時から2時までの1時間」が「瞑想の
時間」と指定しているのに、同じことについて、「現証編」では「夜11時ごろから
2時間」に変わってしまっている。瞑想しなさいと命じたのは、おまえだろうが、と
突っ込みたくなる一貫性のなさである。
「そして10月23日の夜であった。古代印度スタイルの女性が・・・「私の出番の
ようです。おほほほ」とその人は笑って立っているのだ。私が「妻の肉体を支配
してくださいますか」というと・・・「はい、私はマイトレーヤーと呼ばれた印度の時
代ゴーダマ様のお弟子でございました」と・・・感激のあまりか、大粒の涙を流し
・・・挨拶するのだった」P85
「心の発見」の「まちがいの発見」47
おかしなことに、「神理編」では消えてしまった「妻の瞑想1週間」が、「現証編」
ではなぜか「10月17日〜23日」という形で「存在」している。しかも、信次が「1
週間の瞑想」を命じていないのに、である。
また、「神理編」と「現証編」では、日付こそ同じ「10月23日」であるものの、
上述したように、「ミロク」の現れ方がちがう。はじめて挨拶して名乗った時点が
異なっているのだ。
「神理編」では、霊人みずからが、「私はミロクで、あなたの妻の守護霊です」
と、妻に霊がかりする前に名乗るのに、「現証編」では、妻の肉体にかかって
から、妻の口を借りて、はじめてその霊人が名乗りをあげたことになっている。
ここから、生まれる疑惑は、妻一栄に守護霊ミロクが出たとかのエピソードは
全部、信次のつくり話だということだ。実際には、妻のあずかり知らない所で
でっちあげられたエピソードであろう。
娘をありもしない「ミカエル」にしたてたウソツキ男である。妻を、本人の了承も
ことわりもなく、ミロク菩薩にしてしまうなど、造作もなかろう。
ウソをつくことに良心の痛みを感じない人種だと思えば、これまでの矛盾と
誤りとでたらめの理由に、すべて説明がつくのではないだろうか。
477 :
◆uUZPFLgI :02/04/14 07:39
2chに登場した会員諸氏は、三宝出版のブースに
このスレッドのコピーを持参し、質問するのが宜しいかと。
478 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:27
高橋信次講演「正法の流転」1
去年に続いて、この場所で、皆さんと共に、神理の勉強を
することができましたことを嬉しく思っております。
本日の講演の演題は、「正法の流転」といいましょうか、
神理がどのように伝わってきたのか。
そして、現在どうあるのか。
この問題について、語ってみたいと思います。
ちょうど今から、三億四千数百年前、私達は、地球上よりはるか離れた、
数億光年先の、最も調和された「ベーター星」という星より脱出し、
円盤に乗りまして、年若き、調和された、緑に包まれた地球上に、
円盤に乗ってまいりました。
それは、現在のアフリカ。ずーと、北の方になる所のエジプト。
「エルカンターレ」という所です。
ナイル川の三角州より、少しスエズ運河に近づいたところ。
その場所が、最初の「エデンの園」でありました。
その当時、「エルランティ」といわれる天上界の責任者は、
7人の大天使達を連れて来ました。
そのときに、「ミカ」、「ガブリ」、「ラファイ」、このような人達、
「ルシェル」。
彼らが地上の世界において調和されたユートピアを
造られた当時は、その功績を讃えて、「カブリエル」、
「エル」の字を全部与えました。
「ラファエル」、あるいはまた、「ミカエル」。
「エル」というのは「神の光」、「神の心」そのものであります。
その大天使達は、全部神の光を受ける、パワトロンというものを、
全部つけておりました。
479 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:28
高橋信次講演「正法の流転」2
そして、当時は、人々の心も、既に調和されておりましたために、
天上の世界と自由に交渉をもち、肉体を持ちながらして、
全てのことを見通し、未来のことまで分かっておりました。
その当時、一部分の船団でまいりました中から、
「エデンの園」において、規律を乱す者たちがありました。
その一部分の人々は、その責任者であるところの、「ミカ」によって、
他の場所で、よく反省し、自らを作り直すために、
彼らはその場所を離れました。
しかし、彼らは、ついに、音信不通になり、これが、
後においての伝説となる「エバ」の問題です。
我々の「正法」は、最初において、この地上界に、
法の種は蒔かれて行きました。
時代が進むと同時に、我々の肉体を持った子孫を主体とし、
自我が芽生えるとともに、既に、地上界と天上の世界の交渉は絶たれ、
その間において、大きく7回の天変地変を体験しております。
この地上界において、ルミジア大陸にしても、ムー大陸にしても、
アトランティス大陸にしても、代表的な大きな天変地変を、
人類は体験して来ております。
アトランティス大陸の当時においては、イエス・キリストの前身である
ところの、「アガシャー」が、失われた人々の心に、偉大なる人間の道、
「愛、慈悲の道」を説いていきました。
しかし、彼は、当時の魔女狩りにあって、多くの仲間を引き連れて、
再び、現在のナイル渓谷に逃げてまいり、七十数カ国の元首を集めて、
一つの帝国を作り上げました。
そこでユートピアを造って行ったのです。
480 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:29
高橋信次講演「正法の流転」3
その当時は、まだ人間の心の偉大性を知り、人々はその道を遵奉し、
調和された社会を作ろうとして努力し、多くの文明を築いて行きました。
しかし、人間は、その文明の栄えるに従って、ますます、物に溺れ、
地位や名誉に溺れ、完全なる「神の子の本性」を失ってしまったのです。
そのために、今から三千五百年ばかり前、現在のギリシャに、
「アポロ」という光の天使「ミカエル」を出したのです。
「ミカエル」は、「アポロ」となり、やがて自らを悟り、
人間の人生における目的と使命というものを、
多くの衆生に教えて行きます。
そして、ギリシャのエーゲ文明を造り出していったのです。
「アポロ」の教えは、やがて東洋に伝わり、バラモンとなり、
現在のインドに伝わって行きます。
必ず、光の大指導霊達が、この地上界に肉体を持つときには、
次々と、次にバトンをタッチする人達を予言して帰らなければなりません。
そのために、天上の世界から、やがて、東の国にゴーダマ・ブッタが
生まれることをアポロは予言して、この世を去って行きます。
481 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:30
高橋信次講演「正法の流転」4
既に、千年の歴史を過ぎ、その教えは再び化石化され、
一部分の人間の独占するところとなり、ゴーダマ・ブッタは、
また、その道を説くようになります。
一方において、今から三千百五十数年前は、あのエジプトにおいて、
「モーセ」を送り込みます。
時のファラオは、その権力によって、「モーセ」の多くの仲間達を
滅ぼそうとします。
彼は、天の命により、その使命を遂行すべく、イスラエルの民を、
カナンの地に導くために、天上の世界の「ヤハヴェ」によって
導かれて行きます。
当時の信仰は、やはり同じように、間違った、多くの他力信仰がありました。
そのために、真の道というものは、「十戒」として、あのシナイ半島の山に、
モーゼ達の前で現象を見せたのです。
「汝、偶像を崇拝することなかれ。
汝をカナンの地に導きしは、我ヤハヴェなり。
この地上界にあるもの一切全て、神と祭る事なかれ。
その本質は、その力は、全てヤハヴェなり。」
そのようにして道は説かれて行きます。
482 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:32
高橋信次講演「正法の流転」5
混乱した家庭環境、一つの歪みを直す上においても、
「汝ら、両親に対して孝養をつくすべし」
人間として、この地上界に生まれた以上は、両親の縁生と
いうものによってこそ、今、肉体があります。
現代の世相においては、親は勝手に生んだのだ
というような間違った考え方をしています。
天上の世界において、皆さん自身が、両親の縁を、
いかにして頂いたかということを知ったならば、
無所得のままで皆様を育ててくれた現在の両親に対し、
育てた親に対して、我々は、報恩の感謝が足りないはずです。
親孝行することは当然なこと。
そのように、道を外して行くと、当時の世相も同じように、
親子の間における断絶があったのであります。
そのために、「汝ら両親に対して孝養をつくすべし」、
十戒のなかに入れたわけです。
「汝らみだりに姦淫する事なかれ」
この世の中における男女というものが、お互いに、
愛より混乱を引き起こして行きます。
そしてまた、全て独占しようとします。
皆さん自身の肉体は、自分であって、自分でないのです。
今の肉体を、我のものとしても、皆さんは、所詮、これは一時、
借り物にしかすぎないのです。
それなのに、いわんや、相手を独占することは不可能です。
その独占の中から、嫉妬が生み、嫉妬心が恨みを生み、
その恨みから、闘争と破壊が生まれてくるのです。
縁生によって、夫婦になる以上は、その中に、真の相助け、相補いあう
ところの真実のものがなかったならば、それは道を外して行くものです。
それゆえに、「汝みだりに姦淫するべからず」
483 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:33
高橋信次講演「正法の流転」6
同時にまた、「近隣を愛せよ」
「近隣に偽りの証をすることなかれ」
やもすると私たちの日常生活の中において、相手を中傷します。
その中傷から、ストレートに、その人に話が行けばいいが、
また、己自身の心に第三者から入れば、また、その言葉が
大きく跳ね返ってまいります。
それゆえに、私たちは、他人を中傷する前に、己自身をよく振り返り、
善意なる第三者の立場に立って、自分を見つめてみることが
大事だということを忘れてはいけません。
さらにまた、我々自身が、日常生活を通し、真に「内なる神」、
皆さんの嘘のつけない「善我なる心」、「己」を信ずることです。
己の「善我なる心」に、勇気を持って行動をすることです。
このようにして、十にわたるところの項目を、当時の衆生に、
ヤハヴェは、モーゼの前に現象化して見せたのです。
484 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:34
高橋信次講演「正法の流転」7
我々が、永遠の生命とし、また、ゴーダマ・ブッタは、
インドの地において、道を説き、化石化したアポロの教えを、
バラモンを修正するために。
たとえ、王侯貴族に生まれようとも、
人間におけるところの苦しみや悲しみ、無常なものを、
いかにして克服するか、生老病死という苦しみから解脱するためには
どのようにしたらいいのか。
ゴーダマ・シッタルタは、6年間も山中において己自身を見つめます。
しかし、その中から、何も得られなかったのです。
ネランジャラ川のほとりにおいて、今日も一日過ぎて行く。
朝まだ来、霧の中から、
「弦の音は強く締めれば切れてしまう。
弦の音は弱くては音色が弱い。
弦の音は中程に締めて音色がよい。
弦に合わせて歌えや歌え。
弦に合わせて踊れや踊れ。」という、
ただ、その民謡の中から、6年間の苦悩が、
一挙に解決への道へと進んでいったのです。
皆さんが、ギターを弾くときに、ギターのあの弦を、
締めすぎても音色が悪いはずです。音楽にはなりません。
逆に、弱く締めたならば、なお、音楽にはなりません。
調和された中程にこそ、真実の道が、真実のメロディーが
奏でられるはずです。
ゴーダマは、その中から、初めて、カピラ・バーストにおける優雅な生活、
思うようになる蝶よ花よの生活の中から、真実の道を悟り得ることは
できなかった。
一方において、6年間山中において、厳しい肉体行にも、
己自身を悟り得ることができなかった。
この両方の極端を捨て、真に合掌の姿に己自身を戻したときに、
彼は、初めて道を知ったのです。
「中道」という偏らない道を悟り得たのです。
485 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:35
高橋信次講演「正法の流転」8
自らの自分で、人生を通し、36年間の、
生まれたその環境や教育や思想や習慣を通し、
心の中の垢を、一つ一つ落とすにしたがって、
苦悩から解脱していったのです。
1週間、あのピパラの木の下で、己自身をしっかりと見つめたとき、
彼は、死にもの狂いで、このままこの世を去ろうとしたときに、
初めて、一切の執着は除かれ、自分の目の前が、いつの日か、
真っ暗な夜でありながらして、大宇宙の姿に変わって行きます。
宇宙即我の境地になったのです。
いつも、手を合わして拝んでいた明けの明星が、
今朝に限って、自分の膝元に。
当時のガヤダナの山は、遙か向こうにあったのにもかかわらず、
自分の膝元の中にあります。
自分が大宇宙の姿になったときに、初めて、
これこそ真の仏の境地であることを、彼は悟って行きます。
「もうこのままでこの地上界を去ろう。
このような深遠の神理を、人々に説いたところで誰が分かるであろう。」
ゴーダマ・シッタルタは、命を絶ってこの世を去ろうと考えたのです。
そのときに、イエスキリストの前の生命「アガシャー」、「アモン」が来て、
「そなたは、よくここまで悟ってくれた。
そなたはこれだけの偉大なる力を、
病める多くの衆生を救うために生まれてきたのだ。
そなたは、この道を大衆に広めなければならん。」
また、「ミカエル」が来、いろいろの人達は、
「バフラマン」、「梵天」として彼の前に姿を現し、
迷える衆生に真の道を説くことを説いていったのです。
486 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:37
高橋信次講演「正法の流転」9
ブッタは、初めて腰を上げます。
城の「警護」として出てきたところの、5人の弟子達も、
すっかり、彼にあきられ、彼らはとおに、ゴーダマの側を
離れてしまいました。
しかし、離れることによって、自分自身の心も、また引き締まります。
生か死かの厳しい体験を、自らして、一切の執着をとるための、
よき触媒となったわけです。
人間の無常ということを知って行くのです。
彼は、このようにして己自身の心というものの、
静寂な姿を知ります。
心を落ち着け、さて、当時の梵天、今でいう光の大指導霊達が、
姿を見せて、色々教えてくれたこと、一体誰から説いて行けばいいだろう。
一人しかいないです、山の中。
そのとき、頭にひらめいたのが、
「そうだ、バックーバの弟子達がいる。
アララカラマの弟子がいる。」
アララカラマには、既に300人からの弟子達がおります。
しかも、アララカラマからは、在世中に、
その跡取りとして頼まれたことがあります。
それだけに親しい人達がおります。
「そうだ、あのアララカラマから道を説いて行こう。」としたのです。
その瞬間、アララカラマは、その前に現れます。
「ゴーダマ・ブッタ、よく悟られました。
わたしは、既に、一週間前この地上界を去ってしまいました。
わたしの弟子達は、今わたしの修行所にはおりません。」
心の窓が開いておりますから、全部分かってしまいます。
彼は、いろいろ考えます。
「そうだ、わしを捨てて行ったあの5人のクシャトリヤ、侍達、
この者達から道を説いて行こう。」として、彼は御神輿を上げます。
487 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:38
高橋信次講演「正法の流転」10
道すがら、色々な人に説くけれど、意味が分かりません。
ミガダヤという地に、幾日もかかって到達したとき、
初めてそこで、5人のクシャトリヤ達に道を説き、
はじめて、アラハンの境地に到達して行きます。
アサジをはじめとし、あるいはまた、彼らの「道を学ぼうとする心」は、
ブッタとて同じことです。
ついに、ブッタの道を彼らは知り、自分の心の窓を開いて行きます。
そして、自分自身の転生の異言が出てきたのです。
当時の古代インドの言葉しか知らないのに、違う国の言葉が出てきます。
そして、自分は、かつて、今ここに居るところのブッタの
前の弟子であったことを彼らは悟っていくのです。
このようにして、ブッタの教えというものは、
「人間の言うことを正しく聞きなさい。
正しく見なさい。偏ってはいけない。
正しく語りなさい。
正しく思いなさい。
正しく念じなさい。
正しく仕事をしなさい。」
八正道という道が説かれていったのです。
自分自身の心を、正しく反省し、間違いを修正して行く、
正道の道を説かれていきました。
45年間、ブッタの教えは、多くの人々の心を救い、
間違った宗教を、修正して行きます。
「やがて、この神理は、マンデアディシャを渡り、さらにまた、
ケントマティー、ジャブドーバーに広まって行くであろう」。
彼は、予言をして、この地上界を去っていったのです。
中国に渡り、ブッタの説かれたものは難しく展開され、
皆さん自身も知っている難しい経文に変わりました。
経文の中に、我々は真実があっても、その意味を理解することは、
非常に困難になってしまいました。
488 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:39
高橋信次講演「正法の流転」11
一方、今から2千年前、私たちの世界から、
「イエスキリスト」をこの世に送ります。
マリアが受胎の時には、「ミカエル」と「ガブリエル」が
予告に行きます。
多くの天使達に通知をし、予言者達に、「イエスキリスト」の
生まれることを通告していきます。
やがて、メシア降臨する時期が来ます。
メシアが降臨すれば、ゴーダマの時も、あるいはまた、
イスラエルの時代においても、同じように、サタンの跳梁は、
これを覆すことができなくなってくるのです。
人間の心の隅に食い込んでまいります。
「正法」というものが、多くの人々の心にされて行くと、
彼らの住む場所がなくなって行くために、
彼らは挑戦をしてくるのです。
しかし、たとえサタンなりといえども、彼らも皆、神の子なのです。
彼らは、その道が分からないために、彼らは、自らをして、
泥沼の悪魔の世界に、自分自身を売っているだけなのです。
彼らの本性も、必ず目覚めるときがまいります。
もう、既に私たちの現代でも、サタンの手下達は、
続々と、我々を目がけてきております。
そして、我々の正法の、先を阻もうとしております。
しかし、彼らも、やがてその、愚かさを知って行きます。
彼らも、自分自身を悟れば、やはり、彼らも天使であったのです。
かつて、「アール・エルランティ」が、この地上界に肉体を持ったとき、
「ルシエル」という大天使も、この地上界へ肉体を持ちました。
彼は、後に「サタン」という名前で、この地上界に、
肉体を再び持ちましたとき、自らの自我の芽生えにより、
心を悪魔に売り、今は、彼は地獄の帝王になっております。
489 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:41
高橋信次講演「正法の流転」12
それは皆さん自身の心の中を混乱させているところの、「帝王」も、
かつては、我が弟子であったということです。
しかし、彼らは今生において救われなけれりゃなりません。
なぜならば、地球という所を縁として、彼らは地獄に堕ちたのです。
天上界を縁として、地獄へ堕ちたのではないのです。
私は、今、三億四千数百年ぶりに、今、肉体をもっております。
彼らを、また、我々によって救わなければならないのです。
道は、開かれたのです。
私たちは、自覚をしたのです。
そして、長い転生の中から、
自ら偉大な魂の価値を知り得たのです。
皆さんは、今、あらゆる光の天使達の築き上げてきたところの「正法」を、
そして、長い歴史の中に、塵と埃にまみれたところの「神理」を、
その塵掃いに出てきているのです。
しかも、皆さん自身が日本人として生まれていることは、
「選ばれた魂」であるということを、自らして自覚しなければいけません。
皆さんの内なる魂は、皆偉大なる魂達なのです。
その偉大なる魂が、物に溺れ、情欲に溺れてはいけません。
自らを正しなさい。
自らを自覚しなさい。
皆さんが目覚めたときに、偉大なる神の光明によって、
皆さんは自らを悟り得るのです。
そして、今何をすべきかということを、
内なる魂の叫びとなって、
皆さんの心の中に、芽生えてくるのです。
今、その時期が来たのです。
490 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:42
高橋信次講演「正法の流転」13
偉大なる、皆さんは、魂の持ち主なのです。
かつて、「イエス」の当時、「モーゼ」の当時、
選ばれたイスラエルの民と同じ様に、
今、私たちの中に、選ばれた日本人として、
世界の、地球上の代表者として、
皆さんは、日本人として生まれているのです。
我々の霊団は、それぞれ、「一団」となって、
それぞれの国に転生を重ね、
今、「東の国」に来ているのです。
そして、化石化した「神理」を、再び光明に満たすために、
失われた心を、我々は取り戻すために、
そして、物質と経済の奴隷になり果てて、
真の人間の使命を忘れたところの人間に、
偉大なる魂を、価値観を呼び起こさせるために、
価値の転換をさせるために、
私たちは、今、肉体を持っているのです。
皆さんは、立ち上がらなくてはいけません。
そして、我らの説いている道を信じなさい。
その道を実行しなさい。
そのときに、皆さんの心は、神の光によって満たされて行くのです。
偉大なる、魂の目覚めなのです。
そして、我々はまず、この地球上に、
光明を、灯火を、心の中に灯してやらなけりゃいけないのです。
そのときに、皆さんの心の中から、その事実を自覚して行くのです。
そのためには、生まれて現在までの自分自身の心の歪みを直すことです。
491 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:43
高橋信次講演「正法の流転」14
たとえ、現在、厳しい環境に生まれていようとも、
それはまた、この地上界における一つ魂の修行の場であり、
その環境を通して、自分自身が、魂の学習をしているということを、
皆さんは知らなくてはいけません。
優雅な環境に生まれている人達は、その優雅の中から、
より自分自身を見つめ、惨めな人々に、愛の手を差しのべてやる
ところの慈悲の心が必要なのです。
そのときに、皆さんの心は、光明によって満たされて行きます。
我々の心の中に、作り続けたところのスモッグは、
自らの責任において払うことです。
人に対し、恨みや妬みや誹りや怒りや愚痴、
このようなものも、全て自ら発するところの不調和な想念なのです。
我々は、虚栄心を捨てなければいけません。
こんなものは愚かしいものです。
人間は、全て神の名のもとにおいて平等なのです。
太陽は、全て貧乏人金持ちに関わらず、
全て平等に熱、光のエネルギーを与えております。
神の心は、そのように寛大であり、全てが調和です。
それだけに、私たちは自らを正さななければいけません。
そのときに、道は開かれて行くのです。
我々は、本来、国境などは、人間のエゴが造り出したものなのです。
間違った思想は、人間の心の価値観が失われたときから、
いつの間にか、造り出されていったのです。
今の、マルクス主義にしても、資本主義にしても、
このイデオロギーは、全て人間自身が、間違った、
心を失った時から、そのようなものに偏り、
現代のような世相を造り出してしまったのです。
我々は、物質文明の奴隷になってはいけないのです。
物質文明を駆使し、魂を、より豊かにするための一つの道具で
なくてはならないのです。
我々はその奴隷から自らを解放することです。
492 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:45
高橋信次講演「正法の流転」15
そして、我々は、今に生きていることを感謝することです。
足ることを忘れ去ったときから、愚痴と不満が出てくるのです。
そのために、我々は、働く環境に感謝の心を持たなければいけません。
感謝の心は、我々は、報恩として報いねばなりません。
感謝と報恩は輪廻しているのです。
自然界が輪廻するように、全てのものは輪廻しております。
原因と結果、全て輪廻しているのです。
今、悪い結果が生ずれば、悪い原因があるから結果が生じているのです。
その原因を追究することが、また、己自身を前進させて行くことになります。
こうして、私たちは、今道が開かれ、自分自身を、
もう一度、しっかりと見つめ直してみてください。
思想というものは、一つ狂えば人間の心まで腐らせてしまいます。
イデオロギーは、真の人間を幸せにする道ではないのです。
皆さんの内なる、己の善我なる心を信じたとき、それを実行したとき、
道は開かれて行くのです。
そのときに、真の文明が訪れてくるのです。
我々は、今、この地上界に最終ユートピアを築かんがために、
肉体を持ち、今から五年、十年先は、多くの同士達が、
あらゆる国々から集まり、真実のものを、皆悟って行きます。
そのときに、人類は皆兄弟だ、全ての富は人類のためだ、
不平等であってはならないことを悟って行きます。
経済問題に関しても、経済方面も、今のような間違った思想から、
新しい思想が生まれ、人類全て平等のうえに立ったものが生まれて
まいります。
芸術は芸術として、その面において前進をして行きます。
493 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:46
高橋信次講演「正法の流転」16
「正法」は、このように、長い歴史を体験し、繰り返し、
その都度その都度、メシア達の出たものに対し、
そのメシアが、説かれたものが、いつの日か化石化され、
人間が利用し、分からなくなったときに、
次のまた、宗教改革者を出しております。
あるいは、社会思想の改革に出しております。
社会思想におけるところの「オーギュスト・コント」にしても、
「ハーバート・スペンサー」にしても、
「ヘーゲル」にしても「マルクス」にしても、
当時の思想というものを、正しい方向にもって行くために
出したところの天使達なのです。
それぞれ、専門専門の指導者達を、この地上界に送り、
人間の生きる道に正しい方向付けをするのが、
天上界のそのような仕組みを、ちゃんと、
私たちは実行してきているのです。
過去において、15世紀におけるところの、
「レオナルド・ダ・ビンチ」にしても、「ラファエロ」にしても、
このような人達は、七大天使の一人です。
彼らは、盲目の人々に絵を通し、
天上の世界の真実を知らしめようとし、
多くの人々にその道を説き明かしていったものなのです。
それ故に、不滅の芸術です。
494 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:48
高橋信次講演「正法の流転」17
皆さん自身の心の中にも、あらゆる国々の転生を重ね、
今あるのです。
皆さんは、過去現在を集約した一点なのです。
今、自分の過去を知ろうとするなら、今の自分を知りなさい。
己自身の器を知ったときに、過去何をしたか自らして答えが
出てくるはずです。
過去やらなかったならば、現在より、自分自身を作り上げて
行くことです。
それ以外に道は開かれないのです。
皆さんは、己自身をしっかりと見つめ。
「真のメシア」というのはこの地球ばかりではありません。
既に、M37、地球からはるか離れた、M37に真のメシアが降臨し、
既に悟られました。
我々と交信を始めております。
M26からも、やがて通信が来るようになるでしょう。
今、我々は、この地球ばかりではない、宇宙一つになるために、
「真のメシア」は、この宇宙に、数人現在出ております。
そして、太陽界からも、我々が、このようにして出てきております。
そして、多くの人々は、やがて、真実の法則に基づいた宇宙と
いうものの環境が整って行くのです。
一人一人の心に、調和と安らぎの道が開かれたときに、
真実の宗教というものは、万古不滅であり、そして、
誰をもが、これに中傷することのできない真実のものなのです。
そして、皆さん自身の心の中にも、
ある時には、エジプトの地においてモーゼの教えを、
ある時には、インドの地においてゴーダマ・ブッタの教えを、
ある時には、イスラエルの地においてイエス・キリストの教えを、
あるいは、中国において難しい仏教哲学を、
皆さんは、それぞれ転生の課程において、みな学んでいるのです。
495 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:49
高橋信次講演「正法の流転」18
皆さんの心の中には、その偉大なる仏智があるのです。
その仏智をひも解いたときに、皆さんは、偉大なる「己自身の智慧」
を発見することができるのです。
そのためには、まず自分自身の間違った思想や、間違った行為を
直すことです。
それは、「中道」という偏らない物差しを通して、
善意なるところの第三者の立場に立って、己自身を、
しっかりと見つめてみることです。
見つめたときに、自分の誤りが出てまいります。
その誤りを修正し、心の曇りを晴らしていったときには、
自ら神の光によって満たされ、皆さんは、内なる自分自身の
真実のものを発見して行きます。
その物差しに当てはめれば、どのようなことがあろうとも、
真実のものは真実として、自分自身が理解できるようになって行きます。
そのときに、皆さんは、真に、今、私が、このように皆さんの前で
力説していることが、いったい誰であるかを、
皆さんは自分の心の眼で、私を確認することができるのです。
496 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:51
高橋信次講演「正法の流転」19
やがて間違った宗教は、わたくしの正法の前に、
次々と屈服して行きます。
彼らは、間違った思想家達も、そのように現象化されて行きます
モーゼの時より、エリアの時より、もっと大きな現象が、
皆さんの前へ起こってきます。
私たちの仲間が、その準備態勢が整ったときに。
信じようと信じざるに関わらず、真の正しい道が何であるかを、
大衆は、それによって知らざるを得なくなるのです。
皆さんは自覚することです。
そのときの準備のために、自己を完成しておくことです。
いかなる正法の前にはだかるところの、魔が我々の前に邪魔をしようとも、
我々は、それを完全に支配して行きます。
我々は、真実だからです。
皆さん自身も、そのための準備のために、自己の確立をすることです。
自己の確立は、毎日の生活の中から行われるのです。
研修会に来ている時だけではありません。
一秒一秒の思うこと行うことからです。
こうして、私たちは、まず、自己をしっかりと見つめ、
そのとき、皆さん一人一人の心の中に、
「安らぎ」という真の「調和の心」が芽生えてまいります。
「正法」というのは、そのように、ナイル川の流れは、
かつて、四千数百年前も四億数千年前も、さらにまた、
ガンガーの流れが、二千五百数十年前も、あるいはまた、
ヨルダン川の川が、二千年前も、ちっとも変わっておりません。
「正法」は、人によって変えられたのです。
「神理」は変わらないのです。
497 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:52
高橋信次講演「正法の流転」20
それだけに、「正法」は難しいところにあるのではないのです。
既に、皆さんの内なる心の中に芽生えているのです。
己自身の嘘のつけないところの「善我なる心」そのものです。
それを分析していくと、偏らない「中道」になるのです。
そのままに、自分を生かして行くことです。
そして今、わたくしの話していることは、
皆さんの心の中に、次々と記憶されていきます。
その記憶されたものは、否定しようとしまいにかかわらず、
この地上界を去るときに、全て記憶されております。
そのときに分かります。
しかし、それを生かすことです。
生かして智慧にすることです。
いくら聞いて、知識が豊かになっても、智慧にならなかったならば、
絵に描いたぼた餅にすぎません。
智慧にするためには、「勇気」と「努力」と「知恵」が必要です。
「実行」が必要です。
我々は、今が修行です。
一秒一秒が修行です。
思うこと行うことを、常に正すことです。
「中道」という偏らないものの考え方です。
そして、人々のために、真に奉仕することです。
自分の私利私欲を貪るのではなく、多くの衆生のために、
皆兄弟であることを忘れてはならない。
顔、一人一人が違っても、神の子の名の下において、
全て兄弟であるということを忘れてはいけません。
その中から、我々は真の「愛」が芽生えてくるのです。
498 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:54
高橋信次講演「正法の流転」21
肉体を持てば、生まれた環境が違えば、
別のように思うけれども、
今、私たちは「地球号」という宇宙船に乗っているところの、
「同時代の同期生」なのです。
同じ仲間たちなのです。
そして、我々は、やがて、地球を調和し、
また、他の天体に、私たちは移行して行きます。
我々のこの太陽系も、十惑星から成り立ち、
三億数千万、三十数億、それだけの範囲を通し、
惑星集団、衛星集団から成り立っております。
我々は、今、その地球の中の、一「地球号」という惑星の中に、
住んでいるのです。
そのもの同士が、お互いに、争いと闘争を繰り返してはいけません。
そしてまた、地球には、月以外の衛星が飛んでおります。
それも、やがて発見されるでしょう。
そして、私たちは、今、太陽系の中の新しい惑星を、
天文学者たちは発見してゆきます。
そして、十惑星の事実を知って行くでしょう。
まだ、そこまで、はっきりしたことが分かっておりません。
しかし、その事実を知っています。
そして、我々は、やがてまた、地球を調和し、
他の天体に帰らなきゃいけません。
そのためには、地球自身が調和し、
後光が出てこなけりゃならないのです。
499 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:55
高橋信次講演「正法の流転」22
皆さん、一人一人の心の調和が、即、その人を調和し、
その家庭が調和されれば、家から光が出てきます。
また、国の人々が調和されれば、その国から光が出てまいります。
天上の世界から全て解ります。
そして、地球から、全て調和されたときには、地球から
綺麗な後光が出てきます。
そのときに、初めて、人類は他の天体に脱出する事ができる環境が
整って行くのです。
より文明は高度化され、今のような、非常に危険な乗り物ではなく、
もっと安定な、反重力場の、新しい乗り物が、
光によって操作できる乗り物が完成されて行きます。
そして、私たちは、また、他の天体と交渉を持つように
なって行くのです。
マンガでもSFでもありません。
これ真実です。
皆さん自身もそのように、まず、そのためには自己を確立
しなかったらいけません。
ソビエトが、人工衛星を、ソユーズ何号か飛ばしても、ちっとも成功
していないのはなぜでしょう。
彼らに「心」がないからです。
「神」を信じていないからなのです。
彼らは、唯物論者です。
ソビエト共産党と同盟のためにという間違いが、
神の加護を得られないのです。
アメリカのアポロ12号以降は、全部成功しているのは何でしょう。
彼らは、全世界人類のために、自らの命を賭してやっています。
これが、神の光を仰いでいるのです。
そのために、アメリカの飛行船が旅立つときには、光の天使達が、
みな防衛して行くのです。
やがて、その事実も、皆さんの前で、はっきりするときが来るでしょう。
500 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:57
高橋信次講演「正法の流転」23
「神は光なり。」
その光によって満たされていくからなのです。
人間は、「真の心」を失われたときから、
「真実の道」が分からなくなってしまうのです。
皆さん自身も、毎日の生活に心を失われ、
物に溺れたときから、己を失って行くのです。
自分を取り戻しなさい。
自分の日々の生活の中から軌道修正をすることです。
それが「正法」です。
そして、自分が歩むべき道の軌道が修正されたら、
間違い無く、その軌道を、正しく歩んで行くことです。
このようにして、「心」と言うものは、みなさん自身の
見えないところにあります。
しかし、心眼の目で見れば、皆さん一人一人の心には形もあるのです。
メクラには分かりません。
皆さん自身の鏡に写っている姿は、自分の姿ではないのです。
自分の真の姿を見た人は、皆さん、この中にはおりません。
真の姿は、偉大なる神の光によって満たされているのです。
皆さんの心です。
魂です。
皆さんは自らを知りなさい。
自らを信じなさい。
そして、自分自身が「正法」を知ったら実行しなさい。
そのときに、皆さんの道は開かれて行くのです。
それには、まず、このような環境を選び、毎日の生活の基本線を
自分自身が知り、人生の物差しをしっかり持つことです。
そして、お互いに、人間として生きる道を、より調和された、助け合い、
補い合うところの生活環境を整えて行くことが大事です。
501 :
名無しさん@1周年:02/04/14 11:58
「正法の流転」24
この中には、勤めている人もいるでしょう。
経営者もいるでしょう。
それぞれが、闘争と破壊の中に、前進はないのです。
闘争と破壊は、やがてお互いの首を絞めて行くことです。
原因が悪いからです。
もう、このような時代ではないのです。
目覚めなければいけません。
手を取り合い、助け合い、そして、全て人間は平等だという、
大きな思想の上に立って、助け合って行くことです。
人生は、わずか六十年、七十年、線香花火のような幻のような一生です。
現に、皆さん自身が、それぞれ人生を体験し、
過去を振り返ってご覧なさい。
「過去現在未来は一点なり」
過去現在未来は一点です。
それの連続体なのです。
過去何億万年といえども、自分自身の心を調和すりゃ、
ついこの間のように、皆さんの自分自身の心には
記憶されているのです。
GLAに来ると、二千年三千年って、
大分でかいことを言うようだけれども、
皆さんの心の中には、全て記憶されているのです。
その記録が蘇ったときに、一体、「時間」とは何でしょう。
「空間」とは一体何でしょう。
「時間」と「空間」は不確定です。
絶対的なものではないのです。
502 :
名無しさん@1周年:02/04/14 12:00
高橋信次講演「正法の流転」25
現に、私たちは大阪から東京まで行くのに、
昔は8時間も9時間もかかってた。
それが新幹線はわずか3時間です。
さらに、飛行機で行ったら40何分です。
一体、「時間」と「空間」はどうなるのでしょうか、その人にとって。
人工衛星は、地球の周りを1日に24回も5回も回ります。
そしたら、彼らは24日間過ぎたのでしょうか。
じゃあ、「時間」と「空間」は一体どうなるのでしょうか。
我々は、1日は24時間、大体定まっております。
1年は、365日四分の一。
しかし、「時間」と「空間」は人間自身が、都合上単位を
付けたにしか過ぎないはずです。
このようにして、「時間」と「空間」は不確定なものなのです。
過去を振り返ってみても、自分がその過去自身を、思い出したならば、
その人には、もう過去は存在してないのです。
一点なのです。
「過去現在未来は一点なり」
そして、我々自身が、この世に日常生活をし、
あらゆるものにあたる、そのもの自身も無常なものであり、
皆さん自身の肉体は、あたかも肉体ありと思っておっても、
この肉体そのものも無常なものであり、
本来、肉体というものはないのです。
なぜならば、光の集中固体化した、最も不安定な振動によって
作られているのであり、やがて、
私たちの体も分解されてしまうのです。
自分だと思っておっても、そのものと別れなければならないのです。
物質も、また同じです。
503 :
名無しさん@1周年:02/04/14 12:01
高橋信次講演「正法の流転」26
しかし、皆さん自身の世界にある、真のものは、不変です。
真の色(しき)は不変です。
真の心(しん)は不変です。
変わらないのです。
永遠に、我々と共にあるのです。
皆さんの心の世界にあるのです。
今、私たちは、現物はこうして見ても、真に写っているものは、
ただの陽炎にしか過ぎないのです。
その陽炎に惑わされ、真実の如く、自分のものの如く、
錯覚を起こしているだけです。
そのような無常なものから、自らを解放することです。
足る事を知り、日々の生活の中により調和された、
生きる喜びを知る事です。
このようにして、「正法」というものは、
長い歴史の中に、その人々の知と意によって難しくされ、
真実のものから遠ざかってしまいました。
その結果が、皆さんご存じのように、
難しいお経を上げることが信仰になり、
皆さん自身も「南無阿弥陀仏」「南無妙宝蓮華経」
「天にまします我らの神よ、我に御名を崇められたまえ」。
一生懸命拝んだはずです。
本当に拝んで、人間は幸せになるのですか?
拝むことによって、幸せになるのではありません。
神は、全てのものを皆さんに与えております。
皆さんの生きられる全ての環境を、神は与えてあるのです。
それ以上、何が必要ですか。あとは欲でしょう。
それは、自らの努力によって、道を開いて行く以外に道はないのです。
504 :
名無しさん@1周年:02/04/14 12:03
高橋信次講演「正法の流転」27
神は、全てのものを、私たちに与えてあります。
今後は、自分自身の努力により、そして、自分自身が
それを取るための自力が必要です。
正しく心を整え、調和されたとき、その道に努力しておったならば、
黙っていても、またそれだけの力が与えられてゆくのです。
物は与えられてゆくのです。
努力もせずに、ただ、お祈りすれば、「南無妙宝蓮華経」を、
一日に4時間も5時間も、日本人は、相当拝んでる人がいるが、
そのロスを生産に向けたら、皆さん、どのくらい上がると思いますか。
馬鹿みたいなことをやっております。
「汝、偶像を祭って祈るなかれ。」
神理です。
「曼荼羅」にしても「仏像」にしても、これ全て偶像です。
己自身の心の中に「曼荼羅」を持つことです。
「神理」という。その「神理」を自らして実行することです。
我々は、祈る対象物は、形にあるのではありません。
505 :
名無しさん@1周年:02/04/14 12:04
高橋信次講演「正法の流転」28
かつて、今から、2870数年前、モーゼの教えは化石化され、
そして、間違った宗教が、時の王侯貴族が信仰し、
天上界から、「エリヤ」を送り出します。
「エリヤ」は、光の大天使です。
彼は、「ミカエル」といわれる方です。
彼を、この地上界に送って、間違いを正します。
そして、その間違いを、修正させるとき、彼は、単独一人の中で、
450人の間違った宗教家たちを前にして、
「バールの神」を打ち破って行きます。
今後も、そのような事が起こります。
彼は、「バールの神」との対決をした時に、
3年数ヶ月間、雨を降らなくさせました。
天上の世界でヤハヴェによって、コントロールすることは簡単です。
そして、ヨルダン川まで潮干してしまいました。
それを通告させます。
しかし、そのとき、王様は「そなたは、イスラエルの敵である」
と言って彼を追放します。
彼は逃げまどいます。
生活も大変困りますが、彼は心の中に常に、
ヤハヴェの言葉を信じております。
「そなたの食料は、ヨルダン川の支流おいて、このように、
岸辺に待っておれ」。
鳥によって魚を持たしてやり、ミカンを持たしてやり、
あるいはまた、色々な食べ物を送り彼の飢えを、
小鳥達がみな手伝って、生活の環境を整えてあげます。
このように、天上の世界から、次々と協力をしながら、
彼の、間違った宗教団体を潰すための方法をとりました。
506 :
名無しさん@1周年:02/04/14 12:06
高橋信次講演「正法の流転」29
そしてある時に、「ヤハヴェ」の命により、
「エリヤ」は自ら、やがて雨が降ってくることを予告します。
そして、彼は山に登り、一心に、
「自分のような力のないものに、このようなことはできない。
何とか、わたくしにこの力を与えてください」。
彼は一生懸命に「ヤハヴェ」に祈ります。
その時、焚き火を焚いているところに、
火の玉が「ピシャッ」と光ると同時に落っこちます。
その瞬間において、バールの党は全滅してしまいます。
四百数十人の人達は、ある者は感電死し、
ある者は大衆から殺されて、完全に自滅してしまいました。
「正法」というのは、最終段階はそこまでゆくのです。
しかし、私たちは、人間の犠牲を出してそこまでやってはいけません。
犠牲を出さずに、「真の道」を、人間に目覚めさせるための
実践力と行動力が必要になってきます。
皆さんは、そのためにも、その準備に自己を確立して欲しいのです。
今、私たちの道は開かれたのです。
皆さんは、その道を今歩んでいるのです。
そして、世界は一つ、人類は皆兄弟だという偉大なる使命を持って、
「俺達はやってきたんだ。やってきました。」
この地上界を去って、あの世に帰ったときに、
堂々と帰れるような自分になって欲しいのです。
裏切り者が出てもいいのです。
我々はあの世に帰ってから話し合います。
今、生きているうちに自らを完成しなさい。
そして、自分自身が、真に人間として生きる道を完成していったときに、
内なる心は、その事実を皆さんの心の中から説明するでしょう。
507 :
名無しさん@1周年:02/04/14 12:08
高橋信次講演「正法の流転」30
「神理」は、こうして永遠に灯されていきます。
そして、我々は、今、仏教も、キリスト教も、
あるいはまた、モーゼの教えたユダヤ教も、
あるいはまた、マホメットの教えた回教も、
真は、また一つなのです。
全てが、「エルランティ」といわれる天上界の指導に
よって作られたものなのです。
今、私たちは、それを一つにするために出てきているのです。
そのためには容易ではありません。
大きな「現象」を、「奇跡」を、大衆の前に見せて行きます。
今までは、私の体から金が出ました。
そんなちっぽけなことじゃありません。
今後は、もっと大きなことが起こります。
信じなくてもいいのです。
目の前でやります。
そのようになって行きます。
そして、我々の道は、だんだんと、厳しくとも開かれて行くのです。
皆さんは、そのための準備を、自らして作り出してください。
その時に道は開かれて行きます。
今、このような事実を、もう一度、私でなく、
天上界の人から語ってもらいます。
(続いて「現 証」)
(・Д°)(・Д°)(・Д°)
( ´D`)つ)´Д`)( ´D`)つ)´Д`)
ヽ(´▽`)ノヽ(´▽`)ノヽ(´▽`)ノヽ(´▽`)ノヽ(´▽`)ノ
ヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノ
>>478-
>>507 の正法の流転講演、これまで私が指摘したことがらを前提にごらんになると、実に
明確に、信次という人物の偽善性・虚構性があきらかになします。
私のこのスレッドは、まだまだ続きます。お楽しみに。これでも、信次の著作の
いいかげんさの指摘は、「心の発見・神理編・現証編」全ページの半分から三分の
一程度ですから。
510 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:41
高橋信次講演「心の中に内在された英智」1
ただいま、ご紹介に預かりました高橋信次であります。
冷たい北風も止み、暖かい南風とともに、
大地は、非常に、黒土とともに陽炎があがり、
大地の中から、新芽が出てまいりました。
そして、桜の花は、今を盛りとしております。
サクランボは、やがて、実を結び、葉桜となって行くでしょう。
我々の人生も、また、同じように、青春は一時にして、
我々の人生は、「無常なもの」です。
我々は、物に溺れ、たとえ、人生が70年たりといえども、
長い長い転生輪廻からしたならば、
一瞬の線香花火のようなものであります。
しかし、私達は、この「地球上」という場に出てしまいますと、
生まれた「環境」や「教育」や「思想」や「習慣」や、
また、自分自身が体験した「知識」の中から、
「本当の自分」を忘れてしまいます。
その結果、ついに、物に溺れ、「本質」、「価値観」と
いうものの「自分自身の道」を忘れてしまうものなのです。
皆さんは、はたして人生というものが何だろうか。
人間の幸せ、一体何なんでしょうか。
人間の苦しみ、この苦しみから、人間は逃れるためには、
どうしたらいいのでしょうか。
お金でしょうか。
自分の欲望が満たされることによって、本当に、
その欲望を満たして、幸せになれるのでしょうか。
これは、疑問だと思います。
511 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:42
高橋信次講演「心の中に内在された英智」2
しかし、桜の花は、瞬間にして、私達の目の前から
消え去って行くように、皆さんは、やがて、
老いて、好むと好まざるにかかわらず、この世を去って行くのです。
他人事のように思っているけれども、やがて、
我々は、いつの日か、この地上界を去らなくてはならないのです。
ということは、この地球上に生まれてきた以上は、
何かの「目的と使命」があるはずです。
「人生の目的と使命」というものは、本来、皆さん自身の心の中に、
全て記憶されているのです。
皆さん自身の心の中に記憶されているところの体験が、
我々は、生まれてきた瞬間に、ほとんどの人々は、
潜在してしまったために、忘れているだけなのです。
皆さんの心の中のスモッグ、そのスモッグとは、
皆さんが、自分自身の心の中で、思ったこと行ったこと、
恨んだり、妬んだり、そしったり、怒ったり、
そのような自己を中心とした心のあり方、
これによって、スモッグを作り、自分の、「本当の自分」を忘れて
しまったために、自分の心の中の記憶を蘇らせることができないのです。
そのスモッグを取り除いたならば、皆さんは、「永遠の生命」として、
人生の目的と使命というものを知ることができるのです。
512 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:42
高橋信次講演「心の中に内在された英智」3
しかし、私達は、あまりにも、文明という虚飾の中に、
「本当の自分」を忘れ去ってしまったために、
ややもすると、肉体船の五感煩悩という、「物質」、「経済」や、
「地位」や「名誉」という、虚像に迷わされてしまっているのです。
今、皆様から「地位」と「名誉」と「お金」。
このようなものを、差っ引いて、残されたものは、
一体何が残るでしょう。
それが、今の「自分自身」です。
この世を去るときに、いかに財産があろうとも、
地位があろうとも、名誉があろうとも、
何も持って帰ることはできません。
それを差っ引いた姿、そのものが自分の姿なのです。
我々は、その自分自身の姿を、もう一度振り返って見たときに、
「人生の目的と使命」というものが分かってくるのです。
我々は、この地球上の生活ばかりが「人生」ではありません。
盲目の人間は、「人生はこの世限りだ。」と錯覚を起こしているのです。
「永遠の生命」として、心のスモッグを除いたときに、
皆さんの心の中には、「永遠の転生輪廻」が記録されているのです。
それゆえに、私達の知識は、ビデオテープや、
あるいは、テープレコーダーを発明しました。
今、私の講演したものを、皆さんは、また、家に帰って、
ビデオやテープによって聞くことができます。
それと同じように、皆さんの心の中には、同じように、
全てのことが記憶されておるのです。
その偉大なる心の智慧を、人間は誰も持っているのです。
513 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:43
高橋信次講演「心の中に内在された英智」4
しかし、「物」として持っているのではありません。
しかし、それは「実在」なのです。
「物」として持っているものは、「永遠」のものではありません。
「心の中に存在しているもの」は、「永遠」なのです。
「形ある物」は、崩れます。
「心にあるもの」は、「永遠」なのです。
今、我々が、この「地球上」という場に、肉体を持っております。
しかし、その以前も、かつて、肉体を持ったことがあるのです。
しかし、その証拠は、と言えば、皆さん自身の心のテープレコーダーを
紐解いたときに、やはり、そのテープレコーダーの中に、
「永遠の生命としての過去」を持っているからです。
そして、やがて、いつの日か、この地上界を去り、
「永遠の生命」として、我々は、また、「あの世」に帰り、
この地上界か、また他の天体に、永遠の転生を繰り返している
のが、万物の霊長としての生命なのです。
しかし、我々は、神の子として、その使命を果たさなかったならば、
我々の魂の進化の度合いによって、この地上界は、
地獄と極楽の接点にあります。
この地上界にありながらして、恨みや妬みやそしりや怒りの心の
ままでおれば、そのまま、地獄の世界の生活が連続して行きます。
そのまま、人類は、いつの日か、神の造らなかった地獄の世界を
造り出してしまったのです。
人々の心の中に、相互不信の、自己保存の、不調和な世界を
造り出してしまったのです。
それが、この地上界にまで、混乱と混迷を造り出してしまいました。
514 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:44
高橋信次講演「心の中に内在された英智」5
しかし、神の創りだしたところの普遍的な神理は全て
調和されておったのです。
自然界をご覧なさい。
動物も植物も鉱物も、全てが、お互いに、
相互関係の中に安定しております。
決して、不調和にはなっておりません。
植物は鉱物の力を借り、動物の力を借りて、成長しております。
動物は、逆にまた、植物や鉱物の力を借りて、調和されております。
しかもまた、太陽のエネルギーを吸収して、
動物も、植物も、調和されております。
万物の霊長である人類は、その慈悲の下に、生存が可能なはずです。
ところが、その万物の霊長が、「自分さえ良ければいい。」という
自己保存が許されていいはずがありません。
ところが、「自己保存」の最も強いのが万物の霊長です。
それでいいでしょうか。
相助け合い、補い合うところの相互の協力が、
本当の神の子の道のはずです。
お互いに愛し合う姿が、助け合う姿が、本当の道のはずです。
人間は、もう一度、冷静に神の子としての道に、
我々は、考え直さなければならない時が来てるはずです。
515 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:45
高橋信次講演「心の中に内在された英智」6
宗教は、一体どうでしょう。
宗教は、「他力本願化」し、「偶像」を崇拝し、
祈れば救われるようになっております。
信仰は、祈ることによって、救われるものではありません。
なぜならば、神は、すべてのものを人間に与えてあります。
動物、植物、鉱物、人間の生きる環境、すべて神は与えてあります。
それなのに、何が欲しいのでしょう。
人間は、神が与えている慈悲に対し、「愛」という行為をすることを
神は望んでいるのです。
ところが、「行為」がないのです。
親は、無所得のままに、子供を、愛によって育てています。
ところが、最近の子供は、「生んだんだから、育てるのは当然だ。」
「憲法で決まっているではないか。育てるのは当然だ。」と言ってます。
そうではありません。
天上の世界において、親子というものも、
すべてが約束によって決められているのです。
生んでもらったことに対する感謝の心は、
無所得のままの「愛」によって育てられているのです。
それに対して、愛の行為は「報恩」という、自分自身が、
「親孝行」という行為がないことによって、道は開かれないのです。
そのようなことを言えば、日教組は「反動」だといいます。
ナンセンスです。
「感謝」と「報恩」は輪廻しているのです。
輪廻は、科学ばかりが輪廻ではありません。
516 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:49
高橋信次講演「心の中に内在された英智」7
人間の「道」は、すべて「原因があれば結果」、「作用があれば反作用」です。
こうして、「愛」の道も、慈悲、愛のように「行為」がない所に道はないのです。
現代の宗教の一方通行、間違った信仰は、「偶像」を崇拝させて、
そしてまた、「罰があたる。」と言います。
自分が、無所得のままに、育てている子供が、
その子供に、なぜ親が不幸にさせますか。
盲目の人生を歩んでいるところの子供に、なぜ親が不幸にさせるでしょうか。
皆さん、そんな「神」を信じてはいけません。
神は、盲目の人生を歩んでいる人間に、罰など与えないのです。
もし、罰があたったとしたならば、その人の「思っていること」と
「行っていること」が、偏った考え方、偏った生活、
ここに罰があったのです。
自らして作り出したのです。
そのような人々は、正しい中道の道を逸脱したために、
自らして、作り出したのです。
神が罰をあてたのではないのです。
そのために、信仰というものも、「触らぬ神に祟りなし」です。
むしろ、「間違った信仰」はしないことです。
517 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:50
高橋信次講演「心の中に内在された英智」8
真の「信仰」は、「己自身に嘘のつけない善我なる心」を
信ずることです。
皆さんは、自分の心に嘘はつけません。
己の「嘘のつけない善我なる心」を信ずることです。
神は己の「善我」なる「心の中」にあるのです。
人には嘘をつけます。
それは「偽りの我」です。
その「偽りの我」に、苦悩が生ずるのです。
「自己さえ良ければいい。」という自己保存の心が、
苦悩を作って行くのです。
これが、すべての混乱を作りだしていくのです。
「真の信仰」は、己の「善我なる心」。
人間の心の中には「偽我」と、「偽りの我」と「善我なる心」が
あります。
その「善我なる心」こそ、人間誰をも持っているのです。
この「善我なる心」は、勇気と智恵と努力と実行力が必要です。
それに目覚めたときに、人々の心の道は開かれて行くのです。
現代のキリスト教にしても、仏教にしても、
仏典の奴隷や、あるいは聖書の奴隷になってはいけないのです。
むしろ、皆さん自身の、「長い転生輪廻の心」の中に記憶されている
ところのテープレコーダーの中には、「真実」が記録されております。
仏典や、あるいはまた聖書の中には、
途中の権力や人々の知や意によって書き加えられた間違いが
一杯あります。
皆さんの心を、そのスモッグを取り除いたときに、
皆さんの内なる心の中から、真実なる「仏典」と「聖書」が
蘇ってくるのです。
そのスモッグの取り除き方を私は説いているのです。
518 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:51
高橋信次講演「心の中に内在された英智」9
真実の「師」は、己の「善我なる心の中」にあるのです。
真実の「主」は、己の心のスモッグを除いた
「善我なる心」の中にあるのです。
「神」は金によって買えるものではありません。
いわんや、「曼陀羅」や「偶像」の中にあるのではありません。
いわんや、「お守り」の中にあるのではありません。
内なる皆さんの心の中にあるのです。
神社や仏閣や、教会の中にあるのではありません。
皆さんの「内なる心の中」にあるのです。
一番身近の「皆さんの心の中」にあるのです。
それを信ずることです。
それが本当の「信心」です。
眼を閉じてご覧なさい。
嘘のつけない自分の心は、「内なる神」に通じているのです。
難しくはないのです。
そして、自分の心を、生まれて現在まで、「思ったこと行ったこと」を、
一つ一つ、「嘘のつけない自分の心」で、全部チェックしてご覧なさい。
年をとるにしたがって多くなります。
その間違いを修正してご覧なさい。
正直に。
その結果、それが、すべてオープンになったとき、
皆さんは自分を知ります。
東京のスモッグも、大阪のスモッグも、人間が作っているのです。
「南無妙法蓮華経」では、取れません。
自分自身が、出さないようにすればいいのです。
その時、皆さんの「心のスモッグ」は除かれます。
519 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:52
高橋信次講演「心の中に内在された英智」10
除かれれば、黙っておっても、「神の光」によって
満たされて行くのです。
満たされたときに、皆さんは偉大なる、
自らして「内なる神」の声を聞くことができるのです。
山の中に入って、滝に打たれ、耳元で、いかに神の声を聞いたからと言い、
「これが神だ」と錯覚してもナンセンスです。
もし、神の声を聞いたとしたならば、その人が、
真に神と同じ心の状態であるかないかは、
己が一番良く知っているはずです。
「並四球」という昔、ラジオがありました。
これは、おそらく、NHKや文化放送や、
周波数の非常に低いラジオ電波しかキャッチできません。
それで、遠くの短波を入れようとしても無理です。
ところが、「オールウェーブ」になりますと、地球の裏まで聞こえます。
最近の「ダイオード」を使いますと、電源を入れれば、
すぐに地球の裏まで聞こえてきます。
そのように、心の綺麗な人達は、
あの世の信号が、すぐにキャッチができます。
「ちょっと待っててください。神様拝んでから。」
「一つ般若心経拝んでから。」
「神様の前へいって蝋燭付けてから、拝んでからやってみましょう。」
そんなんナンセンスです。
皆さんそんなものを信じてはいけません。
520 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:53
高橋信次講演「心の中に内在された英智」11
神は己の「心の中」にあるのです。
まず、皆さんの心の中にある道は、偏らない「中道の道」です。
「合掌」ということを、皆さん、しているでしょう。
真の信仰という、「合掌」ということは手を合わせます。
「合掌」というのは、自分の身体の極端、両極端を離れ、
「中道」ということ。
自分のものの考え方、行い。
こういう両極端を捨てて中道へ戻すということ。
これを「合掌」といいます。
いくら形だけ「合掌」しても、思っていること行っていることを、
中道に戻さなかったならば、「合掌」にはなりません。
「合掌」しながら、人を恨み妬みそしり怒りしておったら、
これは糞くらえです。
そういうことは止めることです。
また、人を中傷してはいけません。
中傷するなら、まず、自分自身がよく反省してみることです。
人を中傷する前に、自分を、よく正してみることです。
さらにまた、皆さんは「塩を上げて清める」と言います。
塩も同じです。
塩もよく分析してみてください。
「NaCl」といっています。
「NaCl」というのは、「塩化ナトリウム」と「HCl塩酸」です。
こりゃ、両方結びついて、ちょうど、両極端のものを取り払って、
ちょうど、中和すると、「NaCl」という塩化ナトリウムになる。
調和です。
水をあげる。神様が水が欲しいはずがないんです。
これもやはり「調和」です。
521 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:55
高橋信次講演「心の中に内在された英智」12
人間の身体も、また、水がなければなりません。
「H2O」です。極端なものの、水素と酸素、
これが調和すると、最も安定した水になります。
自然は、そのように教えており、人間の身体に
なくてはならないもの。
この地球の組成も、また、同じようになっております。
すべて、このように、神に上げるというものは、
「水」、「塩」、「合掌」一つ見ても、
「中道」、「中和」、自然に、我々にそのように教えています。
科学的に分析しても、全く非の打ち所はありません。
「偏ってはいけない。」ということを教えているのです。
そうすると、常に、我々は、
「善意な第三者の立場に立って、自分を見よ。」
ということです。
皆さん自身は、「自分が主役になってはいかん。」ということ。
常に、「自分を、善意な第三者に立って自分を見よ。」ということです。
そうしていれば、間違いはないのです。
人から、言うことを聞く。
自分の悪口を言われて即座に、「カーッ」と頭に来たら、
もう、毒を食っているのです。
もう、その人は、心にスモッグを作っているのです。
いくら、神様拝んだって無駄です。
いわんや、日本の神様の中には、相手を恨む神様まで居ます。
祈ろうとしてね。
ナンセンスです。
「人を祈らば穴二つ」
作用があれば反作用は、倍になって返って来ます。
皆さん、そのようなものを信じてはいけません。
自らを苦しめることになるのです。
真の信仰というものはそのようなものではありません。
522 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:56
高橋信次講演「心の中に内在された英智」13
真に、己自身を救うことのできるものは、「慈愛」、
「慈悲」と「愛」以外にはないのです。
そして、いかなる「魔」から己自身を救うことのできるものも、
人に慈愛を施す以外に、己を救う道がないということです。
そして、我々は、今こうやって、「地球号」という宇宙船の中に、
38億の人間が一緒に住んでおります。
しかし、「地球号」の中に住んでいる人類は、皆兄弟なのです。
人類は、すべて兄弟なのです。
たとえ、皮膚の色が違おうとも、人類は皆一つ、神の子です。
皆兄弟です。
国境も、長い歴史の中に、人間の「エゴ」が作り出してしまったのです。
すべて神の身体です。
そして、我々は、この地球という環境を、
万物の霊長である神の子が、地球という環境を通し、
盲目の中から、より豊かな魂、心を作ると同時に、
この地球の環境を、人間の心と心の調和のとれたユートピアを造り、
始めて、我々の使命が終わるのです。
闘争と破壊のない、人間同士が、信頼し、愛し合えるところの、
調和のとれたユートピアができるというのが、
人類に課せられたところの大きな使命なのです。
いうなれば、80兆70兆からなるところの、
皆さんの肉体細胞の、一つ一つの調和を図る、
一つの皆さんは、唾液にしかすぎないのです。
この地球から見たならば、皆さんは、
自分の食べ物を消化するツバキにしか過ぎないのです。
唾液のようなものです。
その唾液が、勝手なことをしたら、どういうことになります。
523 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:57
高橋信次講演「心の中に内在された英智」14
そのように、万物の霊長である人類が、
お互いに、人種の偏見を持ち、
闘争と破壊をしたならば、やはり、混乱を引き起こしていくのです。
そして、やがて、不調和をきたせば、
その分野は、自らして自滅をして行きます。
過去、人類は、7回の大きな天変地変を繰り返して来ております。
今から数億年前、人類は、地球から数億光年離れた
「ベーター星」といわれる小宇宙から、
この地球という惑星に、神から与えられて、降りてきたものです。
そして、その当時は、緑に包まれたユートピア、調和されておりました。
しかし、子孫ができ、「我」が生ずると同時に、
だんだんと、ユートピアは崩れ去り、天上の世界と交渉を、
コンタクトができなくなってしまいました。
そして、何億年か過ぎて、いくたびかの光の大指導霊の下に、
犠牲が出、今は、ようやく、それぞれの最終ユートピアへの道を
歩んできております。
そして、地球一つ一つから出ている光の線は、
天上界に、すべてコンタクトされております。
皆さん一人一人からも、みんな「心の光」は、
次元を越えて、全部コンタクトされております。
そして、地獄界も、最初の頃はありませんでした。
年とともに、闘争と破壊の歴史は繰り返され、
地獄界は、今は超満員です。
そして、人間は、栄耀栄華にひたり、人間の本質を忘れ、
物に溺れ、情欲に溺れ、混乱と混迷の中に、
「人生の目的と使命」を忘れ去っているのです。
524 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:58
高橋信次講演「心の中に内在された英智」15
しかし、人間は、今、立ち上がるときです。
そうでないと、大変なことになります。
自滅します。
それ以外に、道はないのです。
しかし、地球がユートピアにならないと、
皆さんの使命は、何回もまた、地球上の転生を、
繰り返して行かなければならないという羽目になります。
しかし、やがて、この中にも、また、外国からも、
心の窓の開く人達が、どんどんと出てまいります。
そして、その人達の中から、過去におけるところの体験を、
目覚めてまいります。
その人達の中から火の手が上がって来ます。
あと5年経ちます。
そういう人達は、やがて、自分の心の窓を開き、自覚し始めます。
私たちは、まだ、外に出て講演を始め、4年と6ヶ月です。
こうして、大講演会が始まったのは、ほんのまだ僅かです。
あと5年経ちますと、あらゆる所で、大きな現象が起こり始めます。
そして、「まさか自分が」と思っている人達が、
スモッグを除いたとき、心の中の、
あらゆる現象が起こり始めます。
信じようと信じざるに関わらず、自分の過去における
テープレコーダーが紐解かれたときに、どうしょうもなくなります。
「今生限りだ」と思っていたらとんでもない。
時間と空間は、不確定です。
過去現在未来は一点です。
「永遠の生命」として、我々は、2千年3千年先の意識が
紐解かれてくるのです。
525 :
名無しさん@1周年:02/04/14 18:59
高橋信次講演「心の中に内在された英智」16
こうして、人間の生命の実体が、もっと解明されて行きます。
そして、お経をあげる、お経を書くことが、あたかもお坊さんや、
あるいは、それが、道のごとく思っている人達は、ナンセンスです。
そうではなく、それを「行うこと」に意義のあることを、
皆自覚し始めます。
本当の「信心」は、「自らの豊かな心を作ること」
だということに気が付いて行きます。
そして、お互いに、人間同士、皆神の子だということに
自覚して行くのです。
永遠の生命として、今、生かされているのだという、
「己の魂の偉大性」を、自らの魂が、自覚し始めるのです。
そして、今の生きている価値を知っていくのです。
皆さんは、皆「偉大なる魂」なのです。
あらゆる長い転生の中に、それぞれの体験を踏んできている
ところの魂達なのです。
それは、皆さんの魂の体験が、すべて心の中に記憶されている
ことが、私には分かります。
そのように、「永遠の転生」を、自らして紐解き始めて行くのです。
今までの人生を振り返って、その間違いを修正したときに、
自らの価値を知っていくのです。
それには、惰性から、自分の軌道を修正することです。
勇気が要ります。
その軌道を修正するための勇気が要るのです。
それ以外に道はありません。
生ぬるいことでは、脱皮できません。
勇気を持って、自分の軌道を修正することです。
正しい方向に。
526 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:01
高橋信次講演「心の中に内在された英智」17
そのためには、まず、自分自身が、
「人の言うことを、正しく聞いているだろうか」ということです。
何でも、自分の都合主義に聞いているだろうか。
自分を中心に聞いているだろうか。
これでは駄目です。
相手の気持ちになって、聞いているかということです。
善意な第三者の立場に立って聞いているかということです。
そのためには、まず「善意な第三者」。
従業員なら、自分が従業員の立場になって、聞いているかということです。
経営者なら、経営者として従業員の立場に、
従業員は、また経営者の立場に立って、
自分自身が、体験を踏んで見るか、
あるいは、妻は夫の、夫は妻の妻の立場に立ち、
それぞれ、自分自身が、立場を、それぞれ変えて、
「善意な第三者」の立場に角度を変えて。
物を見るにしてもまた同じ。
眼は不確定なものです。
やはり、正しく見ることが大事です。
それと、よく私たちの心の中で思うこと。
思うことぐらい自由にしたらいいだろうと言うけれども、
思うということは、すべて皆さんの心に記録されておるのです。
思うということは、心に、一寸狂い無く記録されております。
皆さんが、この地上界を去る時に、やがて好むと好まざるに関わらず、
自分自身のテープレコーダーを、ひっくり返して見るようになります。
その思ったことは、すべて自分が検討します。
検討しない人達は、ストレートで地獄へ行きます。
何百年か後に、それを思い出します。
そして、自分の思ったことは、全くすべて、
忘れていようが、思い出させられます。
527 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:02
高橋信次講演「心の中に内在された英智」18
それゆえに、思うということも、正しく思わなければいけません。
「思うぐらい自由だろう、人に解らないだろう。」と言うけれども、
思うことを、やはり、正しく思わなければいけないということです。
思うことから、行為が始まるからです。
思うことから正さなければいけないのです。
それゆえに、「思念」という「思い念ずる」ということも、
「正しく思念」しなければいけないというのです。
こうして、我々は、まず、「善意な第三者」の立場に立って、
自分を振り返って、よく反省してみること。
皆さんは、1日を通して、少なくとも1時間ぐらいは、
しっかりと、自分自身を振り返ってみること。
朝から寝るまで、今日自分のしたこと、思ったこと振り返って、
自分を見ることです。
正しいことをしたならば、明日もしよう。
間違っていることなら、これを勇気を持って、
これを、修正することです。
少なくとも、1月間、皆さんがそれをやってみてください。
その結果、皆さんの心の中は晴れ渡って行きます。
それができないために、肉体的な不調和というものも、
案外、皆さんの目に見えない所から、
不調和な地獄の霊達にコンタクトされて、
肉体的な不調和をきたしたり、
精神的な問題の不調和は、全部、悪霊が来ているということを
知らなければいけません。
精神的な問題は、99.99%は「悪霊」です。
地獄霊が来ているのです。
私たちにはこの目で見えるのです。
それゆえに、それは自らの心が作り出しているということを
知らなくてはいけません。
528 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:03
高橋信次講演「心の中に内在された英智」19
それゆえに、この中にも、そのようなものに侵されている
気の毒な人達もいます。
心がフワフワし、自分が不安定で、どうしようもならない人も
来ております。
その人達は、親を恨み、自分を呪っている人もいます。
哀れです。
人に転嫁するのではありません。
自らの生活行為の中から、作り出してしまった性格なのです。
こうして、自分の心がいかに大事であるか。
人のせいではない。
「今、苦しんでいるのは、他人ではなく自分だ」ということに
気が付かなければいけないのです。
今、病気をし、悲しんでいる、苦しんでいるのは、他人ではないのです。
自分だということに気が付きなさい。
それ以外に、自分が気が付かなかったなら、救われないのです。
我々は、病気であろうが、苦しみであろうが、悲しみであろうが、
その悲しみの根は、どこにあるのか。
それは、自分が苦しんでいるのです。
他人ではないのです。
その原因があるから、苦しんでいるのです。
その根を絶ち除くことなのです。
その根を除かない限り、人間は、苦しみから解放できないのです。
我々は、その道を説いているのです。
原因があるからこそ、結果があるのです。
その根を除くことです。
道は、その根を除いたときに、開かれて行くのです。
529 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:04
高橋信次講演「心の中に内在された英智」20
こうして、心の中の「道」は、いずれにしても、他人ではなく自分。
なぜならば、肉体の支配者は、己自身の心の帝王であるということです。
己自身の肉体の支配者は、他人ではなく、己自身の心の帝王である
ということです。
他人ではありません。
それゆえに、己は己自身だ、己の魂は、己の魂の責任において、
小宇宙の支配者であるということです。
他人は、入り込むことはできないのです。
人の心の中に、他人は、入り込むことはできないのです。
もし、入り込んだとしたならば、これは、入り込まれた人が悪いのです。
そこで、間違った宗教家達、間違った指導者達、思想家達。
この罪は、許されないのです。
間違った思想や、間違った宗教家達が、
人々に、間違ったことを教えたならば、その罪は、大変な罪に及びます。
その罪は、自らして償わなければなりません。
人間の心の中に、間違った思想を説いて、
間違ったことを、恐怖心を与えたならば、
その罪は、無限地獄にも匹敵してゆくのです。
「天知る地知る人知る。」
やがて、自分に降りかかって来るものなのです。
それゆえに、皆さん自身の心の管理は、他人ではなく、
自分だということを知りなさい。
自分の心の王国の帝王は、己自身だということ。
その帝王が、苦しんでいるならば、
その帝王の苦しみは、その根を取り除くための、
その根を、その原因を追求し、根を取り除く、
自分自身の責任においてやることです。
ということです。
530 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:05
高橋信次講演「心の中に内在された英智」21
こうして、我々は、この世を、やがて去って・・。
ややもすると、ある仏教家の話によると、
「ちょうど大海の中に入って、生命は一つになっちゃうんだ」
なんていうようなことを言っておりますけども、
そんな馬鹿なことはありません。
大海の中に行っても、ナイル川から、あるいはまた、
ガンジス川から流れた水は、この「H2O」の個性は、
一つも失っておりません。
それぞれ、みんな経歴を持っております。
人間の生命も、宇宙意識の中に一体になっても、
みんな個性を持っております。
皆さんも、この地上界を去っても、「永遠の個性」を持っております。
どこで何をし、こういう体験をし、そして、また、
どこどこでこういう体験をし、というみんな個性を持っています。
決して、別物ではありません。
故事来歴は、全部持っております。
全部忘れ去ることはありません。
ただし、この地上界を、不調和な生活をして、
道を外して、無意識状態で、この地上界を去った場合は分かりません。
50年、100年ぐらいは、そういう体験を踏んでいる生命はあります。
しかし、地獄に落ちて、やがて、100年か200年、
この地上界の時間ですが、自分に自覚して、
「ああ、地獄に落ちてたんだ。」
厳しい体験を踏んで、やがて、天上界へ行って
「馬鹿なことをしたもんだ」「よーし、今度はまじめにやろう」
なんてうまいことを言って、天上界へ行って
「今度こそ地獄へ落ちまい」て、また、うまこと言って、
地上界へ出てきて、また、間違っちゃうのも出てくるわけです。
531 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:07
高橋信次講演「心の中に内在された英智」22
ですから、この地上界へ出てくると、めくら同然、盲目同然。
なぜならば、この地上界という場は、次元が違うのです。
皆さん自身の肉体も、実は、光の集中された物なのです。
最も不安定な、光の集中された固体化された物なのです。
振動数の粗悪な、この地球という物質的な世界は、神の体なのです。
それゆえに、こういう場に出るということは、
どうしても、神の体は、肉体を持って出なければ、調和できないのです。
二元性のものなのです。
どうしても出なきゃならないのです。
それゆえに、我々は、この地球上という場、
地球ばかりじゃありません。他の天体もあります。
そうして、一定の周期を通し、我々はこういう場に、
出てこなければならない、いわば、神の子としての宿命なのです。
そうして、我々は、この場に出てしまうと、意識の世界から、
この地球という場に出てしまうと、いったんは、全部潜在してしまいます。
ちょうど、水から・・・・・。
皆さんは、水をご覧なさい。この水、氷を、上からストンと落とします。
あの世から、この地上界に生まれて、お母さんの腹の中に入ります。
ちょうど、次元の違ったとこから、皆さんの意識が、
物質的な肉体に入ってくる瞬間は、いったんは潜在して、空気に触れて、
十月十日経って触れると、同時に、ドカーンと、
いったんは全部潜在してしまいます。
成長するに従って、徐々に表面に出てくるのは、
10%ぐらい。
氷の水と同じです。
皆さんの意識、今、「出た出た。」といっても、
10%ぐらいしか出ていないのです。
ですから、盲目手探りです。
532 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:08
高橋信次講演「心の中に内在された英智」23
心の窓を開いてりゃ別問題です。
表面がはっきりと出てきたところで、大したことないんです。
ですから、皆さんは天上界におる、この中にも、
いっぱい天上界から来ている人達がいます。
ま、地獄霊もいっぱい来ています。この中には。
天上界から来ている皆さんの場合は、みんな分かっています。
地獄界の人達というのは、これは、もう暗中模索です。
このように、このほとんどが、潜在してしまいますから、
ゼロから出発なんです。
そこで、皆さんの内、その全部潜在・・・100%潜在して
表面に出てくる。
最初、赤ちゃんは、一番最初に、「本能の領域」が出てきます。
「本能の領域」が出てきまして、本能的に、お母さんのオッパイを
しゃぶるようになります。
そして、そのうちに、泣きわめいて、「感情」が出るようになります。
「理性」が一番最後です。
ちょっと、この「知性」が出るようになります。
「想念」が作用するようになって。
そして、出てきたところで僅か10%です。
こうして、人間の心の作用というのは、非常に、
肉体を持ってしまうと、全く「ボンクラ」になってしまうわけです。
たとえ、如来であろうが、たとえば、イエスキリストが生まれたって
同じです。
「ボンクラ」です。
あの世から見ておれば、みんな、それが分かります。
盲目同然。
手探りで悟って行くのです。
533 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:09
高橋信次講演「心の中に内在された英智」24
インドの「ゴーダマ・シッタルダ」釈迦牟尼仏が、生まれても同じです。
やはり、同じように、ゴーダマ・シッタルダが、29歳で悩み苦しみ、
家族を捨て、山の中に入って、6年間も苦しみ、悩み、
その結果、最後は、始めて、「生老病死」、
その苦しみから解脱するためには、どうしたらいいだろう。
結局、彼は、ついに、「チュダリア・チュダータ」といわれる方から
「弦の音は、強く締めれば切れてしまう。
弦の音は、弱くては音色が悪い。
弦の音は、中程締めて音色が良い。
弦に合わせて、歌えや歌え。
弦に合わせて、踊れや踊れ。」
この民謡を聞いて、悟ってしまったわけです。
自分が、城の中におって、優雅な生活をしておった。
あの生活でも悟れなかった。
山中において、厳しい生活、厳しい肉体行、これでも悟れなかった。
あの弦と同じように、あの弦の締め具合によって、
調和された音色というもの、自分の修行、自分の心のあり方。
そうだ、自分自身の人生を通し、36年間の思ったこと、行ったこと、
この一つ一つの、ものの考え方、行ったことを、
あの弦と同じように、考え方を修正しない限り、こりゃ悟れない。
そこで、「八正道」というものを、インドのお釈迦様は知ったわけです。
それを知って、修正した結果、心のスモッグを除いたわけです。
それが、正しく聞き、正しく見、正しく語り、正しく思い、正しく念じ、
そして、正しく反省し、振り返って自分を見、正しく自分が仕事をし、
正しく禅定をし、こうして、八正道というものが解っていったわけです。
お釈迦様ですら、肉体を持てば、36年間もかかって、
はじめて悟って行くわけです。
534 :
名無しさん@1周年:02/04/14 19:10
高橋信次講演「心の中に内在された英智」25
それが、いつの間にか、ゴーダマ・ブッタの悟られた道も、
2千5百有余年、海を渡って、日本へ来たら、
お経をあげればいいんだ。南無阿弥陀仏拝めば救われるんだ。
仏像拝めば救われるんだ。
馬鹿みたいなものになりました。
最近は、お坊さんも、お経を上げて、「引導渡す。」と言っていながら
「あの世なんか無いんだよ。」なんて言っているんですから、
ナンセンスです。
もう、そのようになってしまったわけですね。
ですから、皆さん、本当に、皆さん自身は、
自分の「善我なる嘘のつけない心」を信ずることです。
その通りの勇気ある生活をしたら、道は開かれて行く、ということです。
それ以外に、自分を救う道はありません。
「善我なる嘘のつけない自分の心」は、「善意なる第三者の立場」で、
自分の思うことと行うことを、勇気を持って実行せよ、ということです。
そんな難しい哲学用語の中にあるのではありません。
それを、実行してみることです。
どうも、長い時間ありがとうございました。
535 :
◆uUZPFLgI :02/04/14 21:28
海王星君の宣伝反対!
せっかく長々と引用してくださったので、指摘してあげましょう。
>524 :名無しさん@1周年 :02/04/14 18:58
>高橋信次講演「心の中に内在された英智」15
>私たちは、まだ、外に出て講演を始め、4年と6ヶ月です。
>こうして、大講演会が始まったのは、ほんのまだ僅かです。
>あと5年経ちますと、あらゆる所で、大きな現象が起こり始めます。
この講演も1976年ぐらいのものですから、「5年後」の予言がはずれたことは、
いうまでもありません。
みなさんも、これまでの私の信次の著作のでたらめを指摘した文章と、この信次
の講演を読み比べて、高橋信次という人がいかにウソつきで、いかに偽善者で、いか
に「ウソをつき、でたらめ予言をすることに罪悪感をもたない、羞恥心の欠如した
人間」であるか、よく検証いたしましょう。読み比べれば、一目瞭然ですよ。
「心の発見」の「まちがいの発見」48
とにかく「神理編」では、10月23日に、信次の妻一栄が霊道を開いて「守護
霊がかり」になる。そこで、彼女は、やはり守護霊複数説としか思えない発言を
するのだ。
「私は、ミロク菩薩と呼ばれているものでございます。今日までは日本人として
生まれている友達の守護霊や指導霊をしておりましたが、ご本人の心の目が開かれ
ましたので、私が守護霊をつとめさせていただきます。私は本体の分身、十五世紀
、中国に生まれたガランという名の女性でございます」P65
ここでも「守護霊・指導霊の定義と位置付け」の混乱が見られる。
守護霊は「ミロク」なのか「ガラン」なのか。「本体」なのか「分身」なのか、
他人の守護霊や指導霊もできるなら、このガランやミロクが、本当に一栄固有の
守護霊である証拠は、どこにもない。
信次の別の著作では「守護霊=本人の潜在意識」ということが書いてあり、交換
可能なものだとは書いていなかったように記憶する。
つまり、「守護霊=本人の魂・潜在意識」と説明しながら、もう一方では「他人
の魂・潜在意識」にもなれるという、「個人の霊魂の固有性をみずから破壊する説」
を述べているのだ。
これは、信次が「守護霊・指導霊・本人の霊魂」の三者を、「同一」とも「別物」
とも指摘していないことから、「場合によって同一にも別物にも説明できる便利な
方便」として用いているのがわかる。
「方便=ウソ」である。要するに、信次のいう「霊魂・守護霊・指導霊」の説明や
記述は、「都合によって意味や定義付けが、ころころ変わるでたらめ」なのである。
その証拠に、「現証編」では、同じ一栄覚醒の10月23日、「守護霊」として
現れるのは「マイトレーヤ=ミロク」のみであり、「ガラン」はその「ガ」の字さ
え現れない。「現証編」から、まったく姿を消している。最初からいなかったかの
ような扱いだ。(P133 1行目以降参照)
おそらくは、「神理編」でかかれた「ガランのウソ」を、一栄にとがめられて、
「現証編」では削除したのではないかと、推測したくなる。
「心の発見」の「まちがいの発見」49
一栄の「守護霊」の「ガラン=ミロク」は、「マイトレーヤ時代」の思い出を
語るのだが、そこでもひっかかりができる。
まず、「マイトレーヤー」こと「ミロク」は、通説では「男性」ではなかった
か?少なくとも「女弟子」だったという記録は、見たおぼえがない。
「弥勒仏」「未来仏」「マイトレーヤ」は、仏性としては性別を超えてはいるも
のの、釈迦時代に「比丘尼」だったとは、どこにも書かれていない。
信次が、一栄の前世の「女性」として「マイトレーヤ」を書いたのは、何らの
根拠も有さない「思いつき」のようである。
しかも、「神理編」P73には「ミロクとは慈悲と調和という意味である」と信次
は書いているが、「マイトレーヤ」に「慈悲」「いつくしみ」「友情」という意味
はあっても「調和」という意味はない。よけいなウソを「つけたし」しているのだ。
さらに「でたらめ」を。マイトレーヤ21歳当時、120歳以上になる伯父
「ヴァヴァリー」が、現在「阿シュク如来」と呼ばれ、大変に高度な「大指導霊」
になっていると、「神理編」P76でも「現証編」P135でも書いてあるのだ。
では、正しい「阿シュク如来」について、下記URLから知識を得ていただきたい。
http://www.wombat.or.jp/~jyofukuji/asyuku.html http://www.raylandnet.com/buddhirs/list_1.html ヴァヴァリーなんて、どこにも出てきません。つまり、信次が「マイトレーヤが
伯父ヴァヴァリーの代わりに、17人の男女とともに、釈迦に弟子入りするために
危険な旅をした」という、「神理編」の記述自体が、「信次のつくり話」なのだ。
それなのに、信次は「神理編」P76は、こう書いている。
「ババリーは現在も実在界におられ、上段階光の大指導霊で、仏教的には阿シュク
如来といわれているお方である。たびたび妻の指導霊として、私の家にこられるこ
とがある」
いもしない「如来」が、どうやってくるのだろうか。本当に来たというのであれ
ば、それは「妄想」であるし、来ていないのを「来た」と書くなら、それは「ウソ」
「でっちあげ」である。
「心の発見」の「まちがいの発見」50
この「作り話」路線から推察するに、信次の「人間釈迦1〜4」も、全編これ
「フィクション」「デッチアゲ」「小説」であって、「史実や魂の記憶」なんぞ
では、まったくない、ということになりそうである。
「心の発見」の「まちがいの発見」50 補足
ところで、「神理編」P74に、なぞの1行がある。
「守護霊ガラン」が「マイトレーヤ時代の記憶」を語っているくだりで、こう
いうのがある。
「ガランさんは・・・意識をひもといて、当時の模様を昨日のように語るので
あった」
ここまではいい。次の行にこうくるのだ。
「妻の守護霊は、私の筆を支配して流れるように筆を運ばせる」
すると、これは「信次の肉体に、妻の守護霊がかかって、自動書記で書かせ
ている」ということなのか。では、「意識をひもとく」ガランさんが、ガラン
さん本人であることを、いったいだれが証明できるのか? 妻、一栄に、信次
に筆をとらせて、マイトレーヤ時代を書かせている「意識」が、彼女の守護霊
なのを、客観的に確認するすべはあるのだろうか。
これまでは、信次の記憶やテープやビデオでの録音、口述筆記の整理などの
形で、書いていたと思っていたのに、なぜかいきなり「実は守護霊がかりの
自動書記」と来る。
そうすると、「他人の過去世の記憶」は、「神理編」に関するかぎりは、みな
「守護霊が信次の体を借りて自動書記したもの」ということになる。すると、今
までの、色色な守護霊や指導霊・過去世記憶の数々のまちがいや矛盾も、すべて
発言者の責任に帰することになる。
すなわち、すべてのまちがいは、信次や信次の拾遺の人間の、守護霊・指導霊
・潜在意識から出たことになる。
つまり、信次もその周囲の人間の「霊がかり」も「過去世記憶」も、まったく
信頼性にかけた「口からでまかせ」であることが、これでまた証明されたといえ
よう。
もちろん、「現証編」では、この「自動書記説」はまったくふれられていない。
541 :
演技名人の高橋一族:02/04/17 13:21
本当にクズ一家と思う。
「心の発見」の「まちがいの発見」42〜44につき 補足1
「不空三蔵」と「フワイ」は「別者」であると、「科学編」にあった。
ご参考までに、記しておく。どうせ、思いつきのでたらめだが。
「五人の分身」というくだりだ。P194-196
・イエスキリストの生命
本体 イエス・キリスト 紀元前32年 イスラエル
分身
(1)クラリオ BC4000年ごろ エジプト
(2)マグガリス AD200年ごろ イスラエル
(3)フォワイ・シン・フォワイ・シンフォ
AD400年ごろ
(4)バロイン AD1500年ごろ イギリス
(5)マグネチオ BC2000年ごろ エジプト
・釈迦牟尼仏(ゴーダマ・シッタルダー)の生命。
「本体がゴーダマ・シッタルダーで、分身は不空三蔵、天台智ギ、伝教(最澄)、
空教、木戸孝允」
「心の発見」の「まちがいの発見」42〜44につき 補足2
ほお、「マグガリス」とは、信次の妹の「星洋子」のAD2世紀の意識にして
守護霊の「サフィ」の夫でしたな。星洋子の守護霊は、指導霊は夫やイエスの霊
がやってるといっていたが、こういうことだったのか。
しかし、身内同志の過去世で「守護霊・指導霊の交換が自由自在」というのは、
あまりにも「造りすぎ」でないかい。それに、イエスの本体や分身が夫や指導霊
になるほどの女性が、この21世紀現代で「GLAの布教活動に邁進している」
とも「幹部になって活躍している」ともきかないが、どうなっているのだ。
今世は「布教はお休み」か?
おまけに、これまでも指摘したが、「イエスの誕生はBC32年」というのは、
史実性のないまちがった説だ。クラリオの生年も、BC4000年だったり、今
から4000年だったりして、「現証編」の中で矛盾の記述があることは話した。
この「科学編」は、「現証編」より2年近く前に発行されている。
また、信次は生前、「本体と分身は、あたかも核の周りをまわる電子のように、
輪廻転生には一定の周期がある」と説明していた。
この「イエスの生命」「釈迦の生命」に、「周期」があるかどうかたしかめよう。
簡単な算数の問題だ。
「心の発見」の「まちがいの発見」42〜44につき 補足3
「イエスの生命」(古い順)クラリオ6000年前 マグネチオ4000年前
イエス本体2032年前、マグガリス1800年前、フワイ1600年前、
バロイン500年前。
<転生間隔 2000年間 2032年間 約200年間 200年間 1100
年間 周期比率 20:20:2:2:11>
「釈迦の生命」( )内は生年
ゴーダマ・シッタルダ(BC658年)、天台智ギ(AD538)、不空三蔵
(AD705)、伝教(最澄AD767年)、空教(不明)、木戸孝允(桂小五郎
AD1833) 高橋信次(AD1928)
<転生間隔 1196年間 167年間 62年間 不明(仮に中間をとると)
500年間 500年間 95年間 周期比率 12:1.7:0.6:50:50:10)
ところが、「科学編」では「現在、マグネチオがフィリピンに転生している」と
書いている。心霊手術で有名になった「トニーAntonio Tony Agpaoa」だ。後年、
インチキではないかと騒がれた。彼の生年は「1932〜1982」である。
すると、マグネチオ自身の転生周期は約4000年間となり、バロインとの間隔
は「約530年」となる。
すると、イエスの本体分身周期は「20:20:2:2:11:5」となる。
釈迦の場合は、「12:1.7:0.6:50:50:10」だ。
これらの間隔を「周期」と果たして呼べるのであろうか。「マグネチオ=トニー」
にいたっては、「転生の順番」すらないことがわかるではないか。
つまり、「転生に規則性あり」とする信次の説は、自身の著作の内容からする
かぎり、まったく証明されていないのだ。おまけに「空教」については、「科学編」
に登場するのみで、「神理編」にも「現証編」にも、まったく記載がない。最初から
「いない人間」をでっちあげて、それから忘れてしまったのだろう。木戸について
も同様である。
つまり、信次の「魂の周期的転生説」もでたらめならば、その「証拠」として
あげた「実在、あるいは実在していたと主張する歴史的人物・無名人物」の存在
自体も、信次が「自説の虚構の都合にあわせて、ほしいままに選択、捏造したもの」
と見てさしつかえなかろう。
「心の発見」の「まちがいの発見」42〜44につき 補足4
この「でたらめ転生説」を見ていて、はたと思ったが、なぜ「釈迦の生まれ変わり」
を自称した信次の娘の佳子が「ミカエルの生まれ変わり」を演じねばならなかったか
がわかったような気がする。
順当にゆくなら「イエス本体の生まれ変わり=佳子」で十分だったはずだが、「トニ
ー」がいたので、それができなかったというわけだ。本当は「イエスの転生人格」になり
たかった佳子だが、あにはからんや「イエスの分身=トニー」が現世にいたので、さすが
に「本体と分身が同時に転生してきた」とはいえず、やむなく「ミカエル」の方に選択
を変えたということなのだろう。
いずれにせよ、「魂の記憶」なんぞではなく、「せこい人知の計算の産物」が「ミカエ
ル佳子」説だったのだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」42〜44につき 補足5
英国人「バロイン」15世紀は、詩人の「バイロン」の誤植ではないかと思って
いた時期もあったが、バイロンは19世紀の人間だから異なる。しかも、「バイロン」
さんは、英国人にけっこういるが、「バロイン」とは、なんとも聞き慣れない名前で
はないか。
キリストの分身「マグネチオ」にいたっては、なんか磁石っぽい人名で、ほんとに
4000年前の古代エジプトに、そんな名前があったのかいな、といいたい。なにしろ、
「空教」同様、「マグネチオ」くんは、「神理編」でも「現証編」でもまったく登場
しないのだ。アシカ・ミヨター、クラリオ、ともに↓のHPの王名表などで類推して
みれば、「ありそうもない、思いつきの人名」の可能性の高いことがわかろう。
http://www.asahi-net.or.jp/~ue4k-ngt/phe/phrh.html
「心の発見」の「まちがいの発見」51
こうして、信次は妹や妻、同級生などを、次々に「偉大な転生の記憶の持ち主」
として紹介していくのだが、これが芋づる式に、外部に広がり出す。
「神理編」でも「現証編」でも、「1968年の九月ごろから」それははじまる。
信次の守護霊・指導霊の正体や、妻一栄の守護霊がだれか、はっきりわかった
のが、10月下旬ぐらいだから、計算が合わない。だが、こういう矛盾のでた
らめさは、今まで多数あげておいたので、この程度の指摘でおさえて先へ進もう。
転機は「大島屋」という八丁堀の店のおかみと、その家族に会うことで起こっ
た。
おかみの名は「五十嵐松子」さん(「現証編」ではIさん)、その妹の名は夏栗
夫人「現証編」ではNT子さん)、二人とも信次の説法をきき、指導を受けるう
ちに、初対面からたった一時間で霊道を開き、信次や一栄や星洋子の「金色のオ
ーラにつつまれた姿」を霊視できるようになったのだという。
「神理編」では、松子さんは一時間で霊道が開き、それまで曲がらなかった足が、
信次が「光を入れる」ことで治ったとある。(P83-84)
「神理編」では、夏栗夫人は1965年5月に、1世紀にエジプトに生まれたキリ
スト教徒のひとり、指導霊「フリティー」に目覚めたとある。(P85)
ところが「現証編」では同一の事柄について、「1967年5月」になっている。
(P107)誤植というには、あまりにもおそまつだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」52
この夏栗徳子というご夫人、信次兄妹・夫妻にも増して、強力な「前世記憶の
ラインナップ」を1969年5月以来、「フリティー」の協力で次々と展開する。
ざっと見て、下記の時代と国家・人名にまたがる。
BC1万年 アトランティス
BC7000年 アトランティス(ファウリヤリー)
4000年前 南米(現在のペルー。このとき仕えた王の名が、リエント・アル・
クラウド。夏栗のこの時代の名は「センツェラー・アル・カントーラー」という。
当時の言葉で、「カンターレー=太陽」「ハーレ=心」だそうである(P93)。
「幸福の科学」の大川隆法が、みずからの魂の名を「エル・カンターレー」とした
のは、この「神理編」P93の記述からの盗用であることは明らかである)
BC不明 エジプト(フェリカ)
BC600 インド(ワイヤリス・スタティー。釈迦の弟子)
AD1世紀 エジプト(セテリヤ。12使徒ペテロの弟子)
1450年前 チベット(AD519年・夏栗の本体・タタクリ)
だが、なぜか「現証編」では、これらの経歴が、本文にまったくといっていい程
のっていない。巻末資料に、N・T子の輪廻転生の証明として、「釈迦時代」「ペテ
ロの弟子時代」「タタクリ時代」「15世紀ベトナム女性」の記憶が、異言ととも
に記載されているだけだ。
問題は、この「タタクリ」の「神理編」における「自己紹介発言」だ。これによ
って、夏栗夫人の過去世記憶のすべてに「信憑性」がおけなくなるのである。
「心の発見」の「まちがいの発見」53
「神理編」で、夏栗夫人の過去世チベット人男性の意識「タタクリ」は、「発音
の正しい流暢なチベット語」でこう語る。
「私は、今から1450年前、チベットの貧農に生まれた夏栗徳子の本体タタクリ
でございます。子供の頃から仏教に興味を持ち、ヒマラヤで肉体行をしたラマ僧で
ございます」(P96)
この発言があった1969年から1450年、さかのぼると、西暦519年に
タタクリは生まれたことになる。それから、大人になっていくプロセスで、肉体
行をして「ラマ僧」になったのが、二十歳や三十歳だと仮定して、西暦550年
ごろには、「ラマ僧」だったと推定できる。
ところが、このタタクリの発言は、下記の史実から「まったくのウソ」なのが
判明するのだ。
チベット(吐蕃)に、「ラマ教(チベット仏教のニンマ派)」を創始したのは、
インドの僧「パドマ=サンバヴァ」で、それは紀元770年頃のことである。タ
タクリが存命したと思われる510年から600年ごろには「ラマ教」は存在し
なかった。
したがって「ラマ僧」もこの地上には一人もいなかったのだ。タタクリが西暦
500年代に「ラマ僧」だったというのは、史実に照らしてみれば、ありえない
話なのだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」54
さらに、この「タタクリ」は、ご丁寧に中国にいって天台智ギの教えを学び、
当時、遣隋使できていた「小野妹子」に心服し、日本に渡って帰化したのだという。
(P96-97)
小野妹子が、隋におもむいたのは、西暦607年のこと。タタクリが本当に彼と
出会ったのなら、タタクリは88歳の高齢者で、危険な日本への渡航を決意した事
になる。これまた、真実味のないつくり話である。
このあとも、タタクリは8世紀中国に「トワンテン・フォワンテン」という名前
で転生する。このときも、やはり天台山で密教を学び、当時、伝教大師最澄が、
日本から留学してきたので、やはり彼についていって、日本の比叡山で法華経の
講義をしたのだそうである。
あきれたことに、あまりにも、同様パターンすぎる。まったく真実性が感じられ
ない。
それに、毎度のことながら、タタクリの「発音の正しい流暢なチベット語」を、
信次は何を証拠に、そう断じたのだろうか。何をもって「正しい発音」とし、どの
ようないいまわしを根拠に「流暢」と判じたのか、それらについての説明は、いつ
ものごとく一片もない。
このように「夏栗夫人」の「過去世」がでたらめであることが証明された。他
の人の「転生記憶」も、でまかせやハッタリやあてずっぽうの「思いつき」に過
ぎないのだ。
裏2ちゃんねるに高橋信次の極秘情報をUPしました。
★☆★裏2ちゃんねるへの入り方1.書き込みの名前の欄に
http://fusianasan.2ch.net/ と入力します。
2.E-mail欄に、25歳以下なら low 26〜35歳は middle 36歳以上は hight と入力します。
(年齢別調査。)
3.本文にIDとパスワードの guest guest を入れて、書込みボタンを押します。
4.メッセージが「確認終了いたしました。ありがとうございます。」に変わればばOK
5.サーバーが重いと2chに戻ってくるけど、まあ30分以内であれば何回かやれば大丈夫。
6.家庭の電話回線よりも、企業や学校の専用回線からの方がサーバートラフィックの
都合上つながる確立が高いです。
(注意!)全て半角で入力してください!!
http://fusianasan.2ch.net/←は、管理者専用の為「直リン」で飛んでも
「サーバーが見つかりません」になります。入り口は「表2ch」のCGIだけです。
つまり、この掲示板から上記の操作を実行してください。
7.裏2ちゃんねるの内容については違法性、反社会的な内容を多く含んでおりますので
ご自身で確認してください。サイトの内容についての質問はご遠慮願います。
8.裏はアクセス過多になりやすいので表から誘導すると向こうの住人が怒ります。
表から来た事は秘密。
>>551 :名無しさん@1周年
【注意!】
551で書かれてあることを実行すると、書き込み者のIP(パソコンの発信元の
住所のようなもの)が表示されてしまいます。
個人情報が漏れてしまいます。注意してください。
>他の人のホスト名・IPを見ることはできませんが、自分のを表示することはできます。
>名前欄に「fusianasan」「mokorikomo」といれるだけです。
> 一部の掲示板ではメール欄に「0(半角のゼロ)」をいれてもメールリンクで表示されます。
だそうです。
http://www.2ch.net/guide/
554 :
名無しさん@1周年:02/04/19 06:50
>>551 またも
カルトGLA、高電社員の仕業か。
彼らの本性がわかるね。
555 :
名無しさん@1周年:02/04/19 07:03
551=554
>551
GLAよ、なにをやろうと、私が証明した「高橋信次のウソ」はくつがえせない。
教団の心証を、これ以上悪くするのはやめろ。こっちも、手心を加えようと少しは
仏心もあるのだが、卑劣なことを続けるなら、情けも飛ぶぞ。鬼になってもいいん
だな?
日本の法廷理念では、「自身が矛盾する者は許されない」のだそうだ。
これは「法学部」の学生なら、だれでも知ってるという。信次の自著の虚偽
が「犯罪」で「告訴」の対象となるなら、信次も佳子もGLAも三宝出版も
まちがいなく「敗訴」する。それだけは確実だ。
仮に、私のこのスレッドや他の関係スレッドでの投稿を証拠に、GLAと
三宝出版を訴え、裁判にかける動きがあったとしても、梅仙人の責任では一切
ないので、ご承知ください。訴えられれば、かならず負ける。法廷理念が保証
してくれる。
>>556 ぷぷぷぷ
梅仙人よ
クソ集めの鬼になれ
徹底的にやるのだ
>559
ワラっていられるのも、いまのうちだぞ、よいこ。
「よいこ」という人は、名前は聞いたことはあるんですが・・・・
まあ、とにかく誰にせよ、551のようなあくどいことは止めてほしいです。
562 :
名無しさん@1周年:02/04/19 18:02
>>555 ならカルトGLA、高電社員の仕業100%だろ。
これは余計な「邪推」だから、記録しなくてもいいが、信次が次々と霊道を開か
せた「大島屋」のおかみ姉妹と信次は、そもそもどういう関係で、そういう師弟
関係になるきっかけを得たのであろうか?
これまで信次が「霊道を開いて高いクラスの守護・指導霊に導かれている」と設定
した相手は、自分、妹、妻、同級生、その友人たちと、「大事な相手」に限られてい
る。
特に「夏栗夫人」の過去世の紹介の仕方は、信次の妹や妻以上である。
信次にとって、「夏栗夫人」は、単なる「知人友人」だったのだろうか。これ以上
はいえないが、信次の「夏栗夫人」への「こだわり」がすけて見えるような気がする
のだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」55
さて、「神理編」では「タタクリ」が肉体を持っていた時代を、
「1450年前」と書いている。紀元519年なのはすでに記した(P96)
ところが「現証編」の「資料-転生輪廻の実証」では、あきらかに夏栗
夫人である「NT子」さんの「異言=過去世言語」の翻訳文に、こう書いて
あるのだ。
「5世紀にチベットにおいて男性として肉体を持ち、名前をタタクリと申し」
(P316)
519年は「6世紀」である。もうすでにお気づきになられた方もいらっ
しゃるかと思うが、信次は「世紀」の数え方を、よくまちがえているようだ。
つまり「500年代=5世紀」というまちがった数え方だ。
これでいくと、信次存命時は「1900年代」だから「19世紀」という
ことになり、「20世紀」と呼ばれていたことに疑問を持たなかったのだろ
うか。
この信次の「世紀のまちがい」から、タタクリの発言とされる異言の内容も、
信次の知と意の産物である可能性が、非常に高いといえよう。
いや、それよりも、このような恥ずかしいミスが連発されているのに、それ
を見逃して活字化し続けている「三宝出版」編集部の「能力」というものに、
疑問を抱かざるをえないではないか。
565 :
nanasi:02/04/21 16:02
梅千人は、なぜ高橋信二氏をそんなに憎むんだ。
よかったらはなしてくれ。
だから
人間が作った宗教
いんちきなんです
>565
人に質問するまえに、HNや人名は正しく表記しましょうね、Pu。
「心の発見」の「まちがいの発見」56
<信次の除霊リスト「心の発見」に掲載分>
「神理編」P230
信次の友人に右肩痛。(肩に竜吉という「憑依霊」がいた。憑依霊を星洋子
に入れて「対話」し「除霊」)
「科学編」P212
50代女性(手から電気が出て人を治療する)動物霊にやられた。
「現証編」
「福島の造り酒屋の36歳の夫人」P203-212
足腰しびれて動かない(腰に大蛇二重、頭に白狐。説得除霊。竜王と信次
の守護霊が天上界へ連れてゆく)
「千葉の○○教団の闘士、30歳前のOL風」P218-227
(腰に大蛇二巻き。説得除霊。竜王が天上界へ連れてゆく)
「神奈川の49歳夫人」P240-260
肩こり神経痛、頭重、耳鳴り。15年、病院を転々。(肩に白い狐ポン吉。
稲荷大明神まで、不空三蔵に連れていってもらう。3ヶ月後、魔王パアピアス
・マラー)と新しい白狐が再憑依。それを説得、除霊)
「30代の青年」P302-309
ノイローゼ(白髪の老婆が憑依。説得、天上界へいかせる)
「心の発見」の「まちがいの発見」57
以上の除霊リストを見ると、色色な特徴が見てとれる。
信次の別の著書「悪霊T・U」も同様だろうが、6件のうち4件は「女性」。
「被暗示性」が高いのが女性だ。つまり「悪霊ごっこ」をやると「悪霊に憑依
された自分を、無意識に演じてしまう傾向」が強い。催眠術にかかりやすいと
いうことだ。
そうでなくとも、最初から信次を「霊能者」と見ているのだ。すでに「霊能
者」と遭うと認識した段階で、「霊がかりになる」ことを潜在的に期待してい
る人々ということもできる。
憑依霊の名前は「竜吉」「ポン吉」と個性がないし、似ている名前で、いか
にもとってつけたようだ。
また、「憑依の実例」が「腰に大蛇二重巻き」だの「狐がついてる」だの、
これもとってつけたようだ。「除霊ごっこ」の形で「精神的ストレスの発散」
「カタルシス」をやったから治った場合の方が多いのではないか。
まともな霊能者や占い師なら、「霊障かもしれない」と相談に来る人間の内
八割は「霊障とは関係のない別の原因による症状」ということを知っており、
適した医者などを、相談者に紹介してくれる。
信次のように、やらんでもいい「異言ごっこ」「霊道ごっこ」で、かえって
危険な「心霊治療師もどき」をやるなど、はっきりいって言語道断である。
この著書での事例で「除霊」された人々が、信次亡きあとにどうなったか、
追跡調査でもしてみたいところだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」59
ごらんになったとおり、信次がいったような「竜王・稲荷大明神」の「仏教
における意味」など、どこにもありません。「現証編」P207の説明は、ぜんぶ
「証拠のない」「信次のつくりごと」です。なんの根拠もありません。
もちろん、前述した「大黒天」もふくめて、信次の「諸天善神」の意味づけ
は、ぜんぶ信次の「想像の産物」にしか過ぎません。すなわち、信次の著書に
ある「如来・菩薩・諸天善神・神界・霊界・幽界・地獄界」などの「実在界」
についての「意味づけ」「解説」も、その大部分が「信次の想像」によるもの
で、なんの実証性も持たないことが、これでわかります。
信次の「実在界」の世界観は、決して「真実の姿」「実相」なのではなく、
信次の「創作」の部分が大きいということを、はっきりと認識した方がいい
ですね。
ここまで書けばわかるかと思いますが、信次が「光のドームを通って実在
界」へ行ったというような「霊的体験談」も、「想像による創作」「妄想に
よる錯覚」とした方がよい場合も多く、それを信じても一利ない「ホラ話」
であろうと思われます。
「心の発見」の「まちがいの発見」60
信次は、よく悪霊の「魔王」のことを「パアピアス・マラー」とか「パピ
アス・マーラー」と呼んでいる。それでは、この「マラー」とは、どんな語源
なのか調べてみた。
その結果は、次のようなものであり、「マーラ」が通常の呼び名で、作曲家
ではあるまいし、「マーラー」と伸ばしては読まない。男性器を俗語で「マラ」
というのも、この「マーラ」が語源だからだ。
>「マーラ」はサンスクリット語。仏教では代表的な魔物で、「殺す者」「生命
>を奪う者」という意味がある。漢字では魔、魔羅、悪魔などと表し、もともと魔
>という漢字は、このマーラを漢訳したもの。意味を表す「鬼」、発音を表す「麻」
>を加えて作られた。意味は「魔中の魔」「魔物」がマーラ。
> 仏典には、しばしばパーピーマーをつけて、マーラ・パーピーマーと表現され
>る。パーピーマーには「悪」とか「悪しき者」という意味があるので、マーラ
>の「魔」とあわせて、「悪魔」となる。「悪魔」の語は、本来は西洋の「サタン」
>や「デビル」を表す漢字ではなく、マーラを表す。
「パーピアス」ではなく「パーピーマー」ではないか。何かの本を斜め読みした
信次が誤解して、そう呼んでしまったのだろうか。それとも、パーピーマーから
ヒントを得てつくったのか。
「心の発見」の「まちがいの発見」61
「現証編」P256の「除霊」のシーンにやりとりがこうある。
「(信次)『おまえはパアピアス・マラー』
(そのあと異言で語るが、そこでもパアピアス・マラーと呼んでいる)
この魔王は、パアピアスという名前なのだ。
私がそう言い終わったとたん、魔王は、
『俺は魔王様だ。魔王、魔王だ・・・』と叫んだ」
「パアピアス」が「パーピーマー」のまちがいなら「パーピーマー=悪者」と
いう意味だから、「魔王」の「名前」などではない。先述した「竜吉」「ポン
吉」などの「名前」と同じようにいうのはまちがいだろう。この相違ひとつ見て
も、信次の「異言」「現象」と、「説明」がかみ合っていないのがわかる。
かみ合っていないのに、魔王ともあろうものが「つっこみ」ひとついれない
のはおかしい。人間の弱みにつけこんで見逃さないのが「魔物」の習性のはずだ。
この「除霊劇」も、どうも「患者側の自己暗示につけこんだ誘導尋問」くさい。
もし本当の悪霊なら「おれは、そんな名前じゃねー。クズ野郎!」と罵倒する位
の内容があってもおかしくない。「魔王=極悪マフィア以上」の恐怖をもたらして
も変ではない。
悪霊・魔王なら、映画「エクソシスト」のモデルになった実在の憑依現象にあっ
たような、極端な猛悪さ、下品さ、おぞましさがあるはずだ。インド亜大陸の「魔
王」が、こんなマイルドなわけはない。
つまり、信次のオハコであったはずの「悪霊・魔王」の除霊も、その実態は信次
や憑依されたという相手の「知と意」を前提にした「自己暗示劇」である可能性
が高いのではないだろうか。
「心の発見」の「まちがいの発見」62
信次は医学的にも適当なでたらめをいっているようだ。
現証編P260
「たとえばアイ・バンクに預託してある眼球を使ってくださいという提供者の愛と
慈悲、患者も本当にありがとうございますという感謝の心、なんとか治してやり
たいという医者の愛情、こうしたものがあれば、互いに拒絶反応も起きないもの
である」
おーい、だれか専門のお医者さんで、こんなことをまともに信じる人いますか。
たしかに病気やけがは「気の持ちよう」って側面は大きいが、だからといって「愛」
や「慈悲」「感謝」の念があれば、「生体拒否反応はなくなる」というのは、いい
過ぎだろう。なんの根拠があって、こんなことをいうのだ。そういう実例が多数確認
されているとでもいうのか。
まったく、信次という男は、大法螺吹きもいいところだ。
「心の発見」の「まちがいの発見」63
それに信次の起こした「高電工業」って医学用機器を製作して販売してる
んだろう。その社長が、こんな基礎医学に反することを著作に載せていいの
か?
愛や慈悲は大事だが、「眼球移植も愛があれば、拒否反応がでない」という
のは、でたらめだ。それじゃあ、「臓器移植も愛があれば、生体拒否反応を
打ち消せる」というのか? もしそれが本当なら、医学的な大発見だよ。
そんな大発見が、1968年以来、どこかに報道されてるか? 私は聞いたこと
がないよ。
なんで、こんなウソを堂々と書いて本にするのか。まったく神経を疑うほか
はない。
「高電工業」
http://www.koden.co.jp/ 高電工業は、こういう会社です。業務内容をクリックしてチェックしてください。
こういう会社の創設者が、「拒絶反応は愛で防げる」なんていっちゃあ、会社自体
の存在の意味がなくなるでしょ?
「心の発見」の「まちがいの発見」64
信次が「天上界」へ行ったという話も、相当に眉唾であると思わざるをえない一
例をご紹介しよう。
「現証編」P108
「1968年11月24日。午前1時」に反省瞑想しているうちに、信次は「安らぎの
ある光明の世界」へ幽体離脱していった。そこへ「私の指導霊123が迎えに来た」
とある。そして、「万国の人々が、何万となく整然として並んでいた」その前で
「指導霊の指示にしたがって物質と生命という題で1時間半ほど講演をした・・・
生まれて初めての講演であり、私はただ驚いていた。・・・講演が終わると共に
万雷の拍手をあびたのである---私が肉体に戻るとともに、震度3ほどの地震が
あった・・・妻は『今、あなたの講演を聞いていました・・・』
(妻だけでなく、霊道を開いた弟子たちやその守護霊たちも、「すべて」幽体離脱
して信次の講演を天界の現場で聞いたという)信じられない事実が起こったのであ
る」P111
同書では、すでに10月30日の時点で「123=モーセ」とわかったのだから、「123
が迎えにきた」はおかしい。「指導霊モーセ」と書くべきだ。意識が肉体に戻ると
震度3の地震が起こったというが、昭和43年11月24日の深夜2:30以降に地震が
あったかどうか、気象台にたづねてみよう。
これが本当だとすると、信次は「霊的次元で講演会」を「指導霊の指示」で「何万
もの世界各国の群衆を前に」なしとげたのだから、肉体での講演会を何百人を前に
やろうが、もはやへっちゃらのはずである。
「心の発見」の「まちがいの発見」65
ところが、実際はこうなのだ。
「1969年4月・・・(GLAの前身「神理の会」の発会式講演では)私もすっかり
あがってしまい、何を話しているのかよくわからなかった」
そこで、「私の指導霊123は、約1時間半、仏教の歴史的変遷ということで代弁し
てくれたものであった・・・私は大衆の前でしゃべることはまことに苦手で、初めて
の講演では汗びっしょりであった」(P140)
なぜ、天界で万人単位の万国の聴衆を前に「初講演」できた人間が、せいぜい百
名や二百名の聴衆を前に「あがって、汗びっしょり」になるのか。まことに不自然
だ。しかも、またも「指導霊123」と呼び、しかも「モーセ」たる「123」が「十戒」
をさしおいて「仏教の歴史」について語るなど、どう考えても変である。
しかも、講演時間はどちらも「1時間半」、どうも合いすぎるのである。
この不自然さを払拭できる可能性の一番高いのは、「天上界での初講演」とそれに
まつわる「地震」「妻や弟子の霊道者たちも講演会を霊体で聞いた」というエピソー
ド」が「ぜんぶウソ」ということだ。
「123」も架空なら「天界の講演」も空想かでっちあげ。もちろん、神理の会の初講
演に「123に代弁してもらった」というのも「ウソ」と思われる。
579 :
名無しさん@1周年:02/04/28 12:57
高橋信次講演「太陽系の天使達」1
お早ようございます。
今、皆さんがあげました「心行」を、
ちょうど、私は、「昭和43年」の「11月」の「22日」に完成致しました。
そして、「23日」の夜、午前1時、
今で申しますと、「菩薩界」という所へ行きまして、
初めて、「物質と生命」という講演をやりました。
その時の司会が、「モーセ」です。
その前に、「ミカエル」が講演やりまして、約1時間半。
ですから、23日の午前2時30分は、ちょうど、地球上に、大きな地震、
震度3の地震がありました。
それは、禅定のまま、私、行きましたものですから、
側に寝ておった家内が、「今、お父さんの講演を聞いておった。」
ということでした。
そして、過日、やはり、天上界において、色々と、
70年前の、この地上界へ出てくる時の模様。
それから、「心行」というものの成り立ちを、色々と、本になって、
現代は、「ミカエル大天使」が持っておりますが、
その中をめくってみまして、自分で驚いてしまったんです。
「我、見聞し、正法に帰依することを得たり。」という、最初の出だしが、
「我、正道に目覚め、正法流布のために、一命を投げ出す。」という出だしから、
最後が、「禅定三昧の境地に到達せん。」全く同じです。
そして、書いてあるものは、「地球的」に書いて、私の、のはありましたが、
天上界のものは「宇宙的」でした。
「我、正道に目覚め、今から正法を広めん。」
「我、見聞し、正法に帰依することを得たり。」
これを見て、ほんのわずかしか違っていないということ。
ですから、やはり「書かせられておった」と言うことですね。
現代も、「ミカエル」という大天使が、
ちょうど、この位の「厚い本」にして、私自身が出てくる前の計画一切、
現在も書かれている本、将来も出す本、それに記録されてありました。
580 :
名無しさん@1周年:02/04/28 12:59
高橋信次講演「太陽系の天使達」2
実は、それは、私ばかりではなく、皆さん自身の「心」というものを、
紐解いていけば、おそらく「計画書」があるはずです。
それに、気が付かないだけです。
それに、我々は、色々な人生の苦しみを通して、忘れてしまったんです。
そのためには、まず、自分の心の中で、思っていることや、
毎日、生活していること、これの「正しい物差し」、「フィルター」、
このようなものを、しっかり持つ、これが「正法」です。
このフィルターを、「思ったり」、「行ったりする」ことについて、
一つ一つ、その「フィルター」にかけて、「正しい」、「良いもの」だけを、
自分のものにしていく。
それが、うまくできた時に、皆さんは、「本当の自分」を知ることができます。
人生は、一度だけではありません。
皆さんが、この「地上界」に出て来て、親が教えなくとも、
お母さんのおっぱいを吸います。
これは、前に生きていた証拠です。
人は、これを称して「本能」と言っています。
ところが、その生まれたばかりの赤ちゃんは、
非常に綺麗で、心が。
毒を食べておりません。
どんなに貧しい環境であろうとも、どんな経済的に恵まれておようとも、
その赤ちゃんからは、綺麗な後光が出ています。
そのために、わずか2週間、3週間位で、一人で笑っています。
ところが、「心の目」で、私達が見ますと、赤ちゃんの「魂の兄弟」や
あるいはまた、「守護霊」や「指導霊達」が、
「よかったね。しっかりやるんだよ。
今度生まれた所は、君にとって厳しいかもしらんよ。大丈夫かい。」
と言ったら、「まかしときなよ。約束通りちゃんとやるよ。」
と、笑っているのです。
そして、成長するにしたがって、「環境」や「教育」や「思想」や
「習慣」の中から、そんなことは、もう、とっくに忘れてしまうんですね。
それを、今度、天上の世界から見ている「魂の兄弟」や、
「指導霊」や「守護霊」は、一体どう思うでしょうか。
581 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:01
高橋信次講演「太陽系の天使達」3
皆さんは、あたかも、自分一人の意思で生活しているがごとく、
錯覚しているだけです。
すべて、天上の世界からコントロールされているんです。
コントロールされているにもかかわらず、肉体を持ったその「個性」は、
ある程度、勝手なことをやります。
「操り人形」です。
天上の世界で操っているのが、「あ、うまくやっているな」と、
最初のうちは。
そのうちに、自分の意思が働き出すと、
「あー、まー、また、パチンコ屋に入ちゃったな。
また、36番出ないと、わめいているな。」(笑)
「あー、また、おかしな所へ行きだしたぞ。」
そして、悩むわけですね。
天上の世界の悩みは、地上界へ出ている魂の兄弟や、
あるいは友達、こういう人達ですね。
まず、5歳、6歳ぐらいのうちは、そんなに心配しません。
もの心つき、10歳、15歳、特に、中学時代から大学、
それから、一部分の人は、社会に出てから、
おかしいことをやり出すわけです。
「毒」を喰い始める訳です。
それまでに一杯、喰っちまうのもいるんですけれども。
582 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:01
高橋信次講演「太陽系の天使達」4
最近は、早ければ、小学校の3年か、4年のうちに、
もう、おかしくなり始めるのがいます。
「鍵っ子」ちゅうのですね。
親子の対話がなくなってしまう。
そして、自分自身は、親との対話がないから、
自分なりの、ものの判断で、生活をしだす。
「ノイローゼ」です。
そうなりますと、そういうお子さんにも、
側に、「不調和な霊」が来ております。
「その者」の「意識」に支配されるから、
生きている人と話しするのも嫌になっちゃう。
「対人恐怖症」になる。
だんだん、心の丸い豊かな心が小さくなる。
暗くなる。
そして、孤独になっていきます。
その頃から、親は、「どうも、うちの子供はおかしいな。
最近、親の言うことを聞かない。」
また、「ガチッ」とやるわけですね。
子供は、だんだん、また、小さくなる。
「こんな子供に誰がした。」なんてね。
子供自身は、自分で作って、自分で苦しんでいながら、
他人のせいにする。
親不孝をするようになっていくわけです。
もちろん、その家庭において、「反抗期」という、
人間の一つの成長する過程における生活的変化がありますけれども、
それが、「憑依的現象」として現われてくる場合が多いわけです。
583 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:03
高橋信次講演「太陽系の天使達」5
心の暗い人々には、その心の暗い分野に、その暗さに比例した「悪霊」。
この地球上というのは、ちょうど、「ピラミッド」と、
「逆ピラミッド」の中間にあるんです。
すなわち、天上の世界と、地獄の世界の、ちょうど中間的な世界が、
「物質の世界」です。
それだけに、非常に「敏感」です。
ところが、皆さん自身が、肉体を持ってしまうと、「鈍感」になります。
分かんなくなる。
皆さんの、この眼の見える世界なんていうものは、
ほんの小さいもの。
七色の虹の世界、4000オングストロームから、
7000オングストロームの周波数の位置しか、
皆さんは見ることはできない。
現に、虹の両極端は、「紫色」と「赤色」です。
赤色からは、「赤外線」に入っていきますね。
「赤外線」からは、「電波」に入っていきます。
これも見えない。
それから、紫色からは、「紫外線」に入っていきます。
「紫外線」から「熱線」に入っていく。
これも見えない。
ですから、人間の眼が、どんなに良いと言ったとこで、
ほんのわずかな世界しか、見ることは出来ないわけです。
いわんや、嗅覚にしても同じです。
聴覚、ここの耳の聞こえる範囲にしても、大したことありません。
しかし、私は、聴えます。
あの世のことまで、見えます。
心の耳、心の眼、心の鼻、心の「本当のもの」を持っていれば、
そのように「自由自在」、「観自在」というようになるのです。
584 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:03
高橋信次講演「太陽系の天使達」6
「人ごと」ではない。
皆さんも、その力をもっているんだが、ただ、
ちょっとだけ、「鈍感」になっているだけなのです。
その「鈍感」の理由というのは、日常生活の中で、
人を恨んだり、妬んだり、そしったり、また、グチを言ったりね。
自分と言うものの心の中が、まろやかでない。
そして、「イライラ」している。
それが、みんな「スモッグ」になってしまうわけです。
夕べは、大分、風を吹かせました。
それは、なるべくならば、今日は、雨が降ってもらいたくないものですから。
そのように、「スモッグ」を払うには、
それなりの「作用」を起さなければなりません。
それが、皆さんの場合は、「反省」ですね。
「反省」ということは、まず「正しいフィルター」を持って、
自分の「思ったこと」「行ったこと」を一つ一つ、振り返って見る。
人間なるがゆえに、間違いも犯す。
また、間違いも、自分自身の「心」を豊かにする、
一つの「菩提」であるということ。
たとえ、間違えたからといって、「自分はだめなんだ。」て言って、
自分を小さくしてはいけない。
皆さんの、今ある環境は、皆さんの魂を、より豊かにする
一つの「学習の場」であるとしたならば、
小さなことにこだわる必要はないのです。
失敗も、また、成功の元です。
「過ちは改むるに憚ることなかれ」という諺があります。
まことに、その通りです。
そして、それを土台にして、より自分の豊かなものにし、
「同じ間違いを犯さない」というようにしていくことが大事です。
585 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:05
高橋信次講演「太陽系の天使達」7
そうして今、皆さんは、こうやって、「原子肉体」を持っているけれども、
そこに、・・・こちらから「2番目の絵」があります。
皆さんは、「もう一つの肉体」を持っております。
誰れもです。
この中でも、「後光」の出ている人もおります。
頭の毛がなくて、電気によって光っているのは、「後光」じゃありません。
これは「誤解」の方です。(笑)
ま、本来は、頭の毛があろうと、なかろうと、
心が綺麗で、太陽のように、美しい、丸やかな心で、慈悲深い、
そして、自分というものを、常に、自分だけではない、
相手もいるんだ。
常に、「調和」ということに心掛けて、
「正法」の生活をしている人達は、綺麗な「後光」が出ております。
この「後光」が、あの世に帰るときの、皆さんの「肉体」なのです。
今、ちょっとヘタな絵ですけど、書いてみましよう。
・・・こうやって、今、禅定している人のことを考えますね。
そういたしますと、皆さんの「心」は、ちょうど、胸のあたりにあります。
胸のあたりに、綺麗に丸くなっている人と、
ハート型になっている人と、
歪みをつくっている人とあります。
そして、このように丸くなっている人達の心の中には、
・・・この「心の絵」がありますね。
「智性」と「本能」と「感情」と「理性」と「想念」。
これを大きく分けますと、このようになっております。
ちょうど、「風船玉」のようになっております。
そして、心の中の機能というものは、「ピシッ」となっているわけですね。
これは、もう一人一人あります。
586 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:06
高橋信次講演「太陽系の天使達」8
あるいは、こうやって見ますと、前の方には、
綺麗な「ピンク色の光」が出ている人もいます。
「ピンク色の光」が出ている人は何かというと、
「目下恋愛中」と、こういうわけです。
それと、一定の年頃を過ぎても、ピンク色になっている人もいます。
こういうのは、困りますね〜。(笑)
そこで、今度は、心が、この丸くなっている人達というのは、
体からも、綺麗な「後光」が出ております。
このように、「光」が出ております。
ダルマさんのような、「光」が出ております。
こういう「光」が出ております。
柔らかい金色の「光」です。
この「光」の出ている人達は、まず、心は、100パーセント綺麗だと。
夜、寝ても、地獄へ行かない人です。
夜、寝てから、追い駆けられたり、怖い所へ行ったり、
もう、おどおどしているのは、まず、その前の日、
寝る前、あんまり良いことしていない人達です。
ですから、「心」がこうやって、丸く、「感情」も「智性」も
「理性」も、「想念」も、みんな丸く豊かであると、
そういう地獄の世界は行かないわけですね。
ですから、夕べ、夢を見て、「どうも怖かった。」という人は、
あんまり、心が丸くなかったという証拠ですね。
何か心配事がある。
何か、何か、ある場合ですね。
さらにまた、この「心」というものは、
今までは、「形がないんだ」なんて思っていたけれども、
とんでもないことでね。
587 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:07
高橋信次講演「太陽系の天使達」9
私、ある講演をした時に、九州の方でした。
「心なんかあるものか。」と、「人間は、すべて頭で判断するんだ。」
というわけですね。
確かに、頭で判断するんです。
だから、「心は、頭にあるんだ。」というわけですね。
それも、一流大学の、有名な、一流のお医者さんで、
精神学科では、日本で一番という人ですよ。
その先生が、「頭がおかしくなったんですよ。それを治すためには、
大脳をこのようにしなけりゃいかんよ。」
ということを、滔々と、僕の前で言ったわけです。
そこで、「先生、心というものは、どこにあるんですか。」と聞いたら、
「そりゃ、君、頭にあるんだよ。」
「ハー」と思ったんです。
その時に、それを説明したわけですね。
「じゃ、先生は、嬉しい時、悲しい時に、こみ上がってくるのは、
頭からこみ上って来ますか。」と言ったら、
「そりゃ、君、ここだよ。」
「じゃ、こっちから、こみ上ってくるものは何ですか?」ったら
「それが分かりゃ、ノーベル賞だ。」(笑)
もう、そこまできたら、もう話にならないんですね。
そうして、光の方の「肉体」、こちらの方の見えないところの
「神の光」によって満たされているために、
心に「スモッグ」がないから、後光が出て来て、
実は、これが本当の「肉体」なんです。
皆さんの、あの世に還る「舟」なんです。
そして、そちらにも、ちゃんと大脳も、全部あるんです。
ですから、今、皆さんのある脳細胞は、これは、ただ、
受信と送信をする一つの「機能」にしか過ぎないのです。
588 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:08
高橋信次講演「太陽系の天使達」10
耳で聞きます。
聞いた聴覚神経は、皆さんの脳細胞の聴覚の、
聴覚の一つの「ものを聞く機能」、それを、
信号を、もうひとつ違う次元の方に送る「装置」
にしか過ぎないのです。
ですから、今、物を見ますね。
「赤」って見たものは、視覚神経の「赤」しか見られないのです。
その「赤」自身を判読しているものは、英語であろうが、
ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、日本語であろうが、
言葉が違うだけで、「赤」には変わらない。
「赤」は、「レッド」と言えば、「レッド」なんです。
ですから、脳細胞は、250億あります。
この250億の中に、それぞれの一つの分野が、
神経繊維の一つは、一方通行です。
そして、それが記憶しているわけです。
ですから、世界各国、「赤」は「赤」なのですね。
ただ、言葉が違うだけです。
ですから、本当に記憶しているのは、
「光の方の肉体」が記憶しているのです。
ですから、皆さんが、夜寝て、夢を見ている時に、
自分の肉体を、自分が見ていることがあるでしょう。
・・・どうでしょう?
自分の肉体は、今、寝ているんです。
そして、寝ている肉体の、また、もう一つの肉体が活動しているのを、
自分が、また見てますね。
そういう経験のある人、手をあげて下さい。
・・・それは、皆さんの「光子体」の方の、こちらの「光子体」、
「光の肉体」、「光子体」の、本当の「舟頭さん」、
その「舟頭さん」が見ているのです。
それが、皆さんの真の「真我」な自分です。
589 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:09
高橋信次講演「太陽系の天使達」11
ですから、私達の、今のこの「肉体」というものは、
本当に、皆さん、この世を去っていく時に、
「よくもまあ、こんな舟に乗っていたものだな。」と、
「よく、こんなのに乗ってた」と思いますよ。
なにしろ、私ら、天上界で、よく会議があります。
肉体を持っているのは、私だけですから、まず「みにくい」ですよ。
そして、僕が一番、年寄りなんです。
自分は、若いつもりでいるのだけれども、
相手側の方は皆、26、7。
ミカエルが30位。28、9か30位。
イエス様が36、7か40歳位ですか。
それですから、「肌の色」が違うんですね。
握手したならば、こちらは石と握手されてるようなもので、
相手の方は「ロイヤルゼリー」か何か入った、
何ともいえない、もう違うんですよ。
そして、女性の方は、菩薩界におられる人達なんか
「ミス・ユニバース」みたいでね、みんな美人です。
目を覚した途端、また、がっかりしちゃうわけです。(笑)
ですから、この地上界の皆さん、少し位顔がまずいからたって、
「ガッカリ」することはありません。
いずれ、天上界へ帰れば、みんな美人だってゆうことですから。
我々のように、ニキビの噴火した跡なんか一つもありませんから。
これは、「光子体」の方の肉体、みんな美人ですね。
もう、女の方なんか、本当に、ほとんど美人です。
590 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:10
高橋信次講演「太陽系の天使達」12
ま、我々は・・・、
「地獄界」、は別ですよ。
地獄界へ行ったら、例えば、魔王の近辺におるのなんかね、
美人のような顔をしているけれども、心が、ころっと変わった瞬間に、
もう、口は裂けちまってね、そりゃ、もう、まともには見られませんよ。
「鬼婆」なんて、まだ可愛い方です。
おっそろしい顔です。
もう、「がい骨」のような姿にもなってしまうしね。
地獄界はまた、別の世界です。
こりゃ、「ミス・ブス」なんてもんじゃない。(笑)
表面がきれいだから、と思ったら、とんでもない話。
ちょうど、過日、私の家を訪問してきました「アステリア」という
魔王のね、「サタン」の姪が来まして。
それは、私の持っている「法輪」をパーンと投げましたら、
そこに引っかかって来たのを、皆んなの前に見せて、
「この通りだよ。」と言って、手の中に踊っていたもんですから、
「ポンッ」と投げて、そのまま寝ちゃったら、
夜寝ている最中に、成長しちゃいましてね。
私のフトンの中に入って来たんです。
591 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:11
高橋信次講演「太陽系の天使達」13
アレッ、こんな女の人が、なんで、僕のフトンの中に、入ってくるの。
それで、しかし、ちょうど、「あんまさん」にかかっていたものですから、
「なんで、お前は、こんな所に入ってくるか!出なさい!」
と言ったわけです。
ところが、「あんまさん」は見えないですからね。
メクラだしね。
「私は何もしてません。」と言うですね。(笑)
それは、そうでしょうね。
本人は、ビックリしちやうわけです。
こっちの方は見えちゃうし、むこうは見えないんですから。
「いや、あんたじゃなくて、今、外人のものすごい美人の女の人が、
私の隣りへ、いや、お見舞いに来た」といって、
「お見舞いに来たのに、何で布団の中に、入るか!」と言って、
「出れ!」と、言ったんだと言ったんです。
「ハア、そうですか、私は、そんなつもりではなくて、
私は、何か悪い気がしまして。」
「いや、それは、ちょっと違うんだ。」と、そんなことがありました。
それは、もう、外国の映画女優の、ものすごく綺麗な女に似ていますね。
それでも、いったん、彼女が、「心」をガラッと変えたら、
もう、悪党、鬼婆です。
口元は切れるは、もう、まともに見られません。
それが、地獄界の実態ですね。
592 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:12
高橋信次講演「太陽系の天使達」14
天上界は、そんなことありません。
「怒り」もありません。
そしてまた、天上の世界の、今度は、心の調和されている
「エル・ランティ」という方になりますと、
ここに、「パワトロン」というのを持っています。
頭に、ちゃんと「パワトロン」というのを付けています。
これ「パワトロン」といいます。
「パワトロン」と言って、「神の光」を、ストレートで受けている光ですね。
この「パワトロン」から、光が「ピューッ」と、こうやって出ているわけです。
ですから、見ておりますと、頭からも、身体からも、
光が出てきておりますから、「光の化身」だと思えばいいですね。
そうして、この「パワトロン」と、
その人の、「エル・ランティ」の心の所と、まったく同じ位置、
大体、80センチから70センチ位のところに「玉」があります。
・・・このようになっております。
これが「ドーム」です。
そして、この「ドーム」からも「光」が出ています。
柔らかい「金色の光」です。
こういう光が出ております。
「大きな光」ですね。
そして、この「パワトロン」の光が、このように発射していると同時に、
ここに、今度は、「魂の分霊」ですね。
「光の分霊」である、「イエス様」、「モーゼ様」、「カンターレ」、
この意識が入っております。
・・・これから、70センチ位ですね。この頭の上から。
そして、例えば、私が、イエス様の当時の話をしますと、
例えば、・・・これがイエス様だとすると、今度、これがクルクルッと回りまして、
こちらの人の、私の身体の中に入ってくるから、
今度、イエス様の顔になっちゃうわけですね。
お釈迦様の、今度、話をしますと、こちらが出て、
今度、お釈迦様の意識が入って、その当時の意識が、
身体の中に入ってくるから、今度、お釈迦様の顔になっちゃうわけです。
593 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:14
高橋信次講演「太陽系の天使達」15
ですから、普通、私が、講演を、全国して歩いとって、
「あの方は、お釈迦様の生まれ変わりだ。」と言う人が出てくるわけですね。
見えちゃうから。
インドの時、私、「耳たぼ」なんか、こんなに小さいのに、
こうなってくるわけですね。
眼のほうが、ずーっと、こうやって細くなってきちゃう。
ですから、見とって、皆んなビックリしてしまうわけです。
そうすると、その人達にとっては、「お釈迦様」に見えちゃうわけですね。
これは、「光の分霊」って言うわけです。
「エル・ランティ」の「光の分霊」。
この「光の分霊」というのが、個性を持っておりますから、
そうやって出て来ますね。
ところが、いつのまにか、「お釈迦様」や、「モーゼ」や、「イエス様」や、
あるいはまた、もっと、下の方の段階におるところの回教、
こういうのを、「メシヤ」というわけですね。
この「メシヤ」を拝むようになっちゃったわけです。
「メシヤ信仰」になってしまった。
これは、大きな間違いですね。
「メシヤ」の説くのは、「神の心」である「法」を説きに来ているわけです。
「人間は、このようにしなけりゃいけないんだ。」
「メシヤを信仰」ではなく、「メシヤ」は信じることです。
「メシヤの言葉」を信ずることです。
そうして、その言葉が「法」なのです。
その法を「行ずる」ことです。
これが、本当の「信仰」なのですね。
ですから、本来は、「メシヤ信仰」であってはならない。
594 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:15
高橋信次講演「太陽系の天使達」16
仏教では、「お釈迦様」は、絶対ですね。
だから、いつのまにか「オシャカ」なんて言葉が出来ちゃうわけです。
それは、困りますね。
お釈迦様の説かれた「法」、その「法」を生活の中に生かすということです。
そうして、自分自身が、その説かれた、悟られた「メシヤ」のような
「豊かな心」になるということ。
「イエス・キリスト」を拝んじまって、
何んでも「イエス様、イエス様、イエス様」。
迷惑ですね。
「イエス様」は、一人しかいないんだから。
世界中の人が、「イエス様」を呼んだらどういうことになるでしょう。
そこで、「エル・ランティ」であるところの「ヤハヴェ」は、
「汝ら、みだりにヤハヴェの名前を呼ぶことなかれ。」
と言っていますね。
それなんです。
一人なんですから、呼ばれとったら、しようがないんですね。
皆さんだってそうでしょう。
仕事をしておって、その仕事が、その途中において、何回も呼ばれると、
「うるせえなあ」ということにならね。
これは、同じです。
我々は、ややもすると、次元の違う世界を呼べば、
何んでもやってくれると思っているが、とんでもない事です。
ですから、一番大事なことは、「メシヤ」の説く、「法」というものを、
「実行」するということ、これが大事ですね。
595 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:16
高橋信次講演「太陽系の天使達」17
そして、この「エル・ランティ」は、「光」そのものです。
天上の世界に行くと、「光」そのものの「化身」です。
・・・と言って、神ではありません。
神は、また、別に、こちらにあるわけです。
いまだかつて、地球上に「神だ」なんて言って、
出て来た人は、まあ、こりゃ、100%「嘘」です。
どんな者だって、神様になんかなれないんです。
「神」は一つです。
宇宙には、一つです。
こういう、「エル・ランティ」と同じような人達が、
宇宙に、「真のメシヤ」という方がおりますね。
ついに、過日は、「M37」という星があります。
「M37」に出ている「メシヤ」が悟りました。
その「M37」の「メシヤ」は、ついに、自分自身を悟ったというのが、
太陽系の中の、「軌道修正コントロールセンター」というのがあります。
太陽系の、この軌道を修正する「コントロールセンター」が、
次元の違ったあの世にあります。
その中心の心臓部に、「伝達」があるわけです。
で、宇宙的ですね。
そして、そこの、それぞれ出ている「真のメシア」達が悟ると、
みんな連絡がくるわけです。
そして、その「真のメシヤ」が、地上界に出て、
それぞれの惑星の地上界に出て、
みんな互いに連絡がとれるようになって、
真の調和が完成されたとき、
そのメシヤが、「神」になるのです。
大変なことですね。
596 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:17
高橋信次講演「太陽系の天使達」18
今、「M26」。
この「太陽系」。
それぞれに出て来ておりますね。
今、出て来ているのは、「太陽系」で、1人、悟っております。
「M37」で悟っております。
「M27」、「M26」、出ております。
この「M」というのは「メシヤ」という意味で、つけたようですね。
我々の出て来たところの「ベーター星」というのも、
調和されている世界、「ユートピア」です。
その、皆さんも出て来た所ですね。
ところが、今は、我々が住んでいるのは、
自分の住んでいる地球だけだ、と思っているだけなのだ。
かつて、皆さんは、三億六千数百年前には、
その「ベーター星」という所から、移住民族として、地球上へ来たわけです。
そして、その間、何回も転生輪廻して。
まあ、ほとんど皆さんは、地獄へは行かなかったと、思いますけれども。
まあ、今、いるわけですね。
そして、「自分」というものを知るようになっていくわけです。
で、それは、何んのために、「現象の世界」に出て来るかというと、
これは「色心不二」と言いまして、皆さんが「肉体」と「魂」を
持っているように、神の身体も、また、「物質」と、また「心」から
成り立っているわけです。
神の体の「地球」という細胞を、地球という細胞を、
「神の子」である人々の「心」と「心」の調和によって、
はじめて、地球は、円満に調和されていくんです。
それが、神の子である地球の中の細胞の一部分が、
お互いに、争い、闘争を繰り返される。
すなわち、皆さんの「ツバキ」ですね、「唾液」のようなもの、皆さんは。
地球の消化する、「唾液」のようなもの。
その「唾液」の中にバイ菌入ったら、どういうことになるでしょう。
消化不良を起こしちゃいますね。同じです。
597 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:18
高橋信次講演「太陽系の天使達」19
ですから、地球の住んでいる人達の、「心のまずい人達」が多ければ、
「不調和な人達」、すなわち、「法を間違えた人達」ね。
この人達が多ければ、その分野に、「天変地変」が起るんです。
「神の光」を、その分野失ってしまうからです。
「地獄」が多くなれば、そのような現象が起りますね。
だから、恐ろしいことですね。
ですから、心が綺麗な人達が集まれば、その集まっただけ、
その環境は、調和されて、「光明」に満たされるわけです。
それは、「事業」だって同じですよ。
「家庭」だって同じです。
ですから、家の中が、どうも不幸が続いているっていう人が、
こん中にも、何人か来ておりますねえ。
自動車事故で亡くなっちゃったとか、
私は、こんなに一生懸命に拝んでるのに、なんで不幸なんだろう、
というのは、何か「原因」あるんですね。
思っていること、行ってる性格を通して、何か原因あるんですね。
夫婦の関係、子供の関係、その「原因」が、それを除かない限りは、
そっからは、光明は満たされないわけです。
「その原因は、どういうところにあるのか。」
「それをどのように除けばいいのか。」
ということを、私達は教えているわけです。
ところが、普通、宗教は、そうじゃなくて、
不幸があると、「お前さんとこの先祖が浮かばれないんだよ。
一生懸命、お経をあげれば、治るんだよ。」と、
馬鹿なことを言っている。
また、それを信ずる。
「溺れる者は、藁をも掴みます」からね。
598 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:20
高橋信次講演「太陽系の天使達」20
「その原因は、どこにあるか」ということ、
その原因の「根」を、どのように取り除くか、ということ。
これにに努力しない。
出た結果に翻弄されちまってね。
ますます、深まりにはいって行く。
だから、神様、拝めば拝むほど、不幸になっていくわけです。
ですから、宗教家、お坊さんとか、あるいは、神主さんとか、
宣教師とかいう人達のね、神様を扱っている人達、
偶像を拝んでいる人達の家庭をご覧なさい。
混乱してますよ。
「あんなに信仰深い人がなんでだろう。」と、こう思うんですね。
そういうのは、本当の「信仰」じゃない。
みんな、兄弟が、円満で仲良く、お互いに助け合っているのが、
本当の「信仰」なんです。
ですから、家の中で、色々、まずい問題も起ったりするのは、
俺達の「考え方」、「生活のあり方」に何か間違っているんだと、
「正しい法則」を踏み外しているんだ。
「先祖」がどうではないんだよ。
今、苦しんでいるのは、「自分達」です。
それを、その「根っこ」を考えることです。
そうして、それを直すことですね。
そうすると、治っていきますね。
ここにも、そういう人が何人も来ています。
ですから、その時は、拝むんじゃなくて、
私達の「考え方」、「生活の在り方」、「物の考え方」、
こういうものの「修正」、その「チャンス」を与えているわけですね。
それで、その「根っこ」は、どこにあるか、
その原因は、どこにあるか。
その「悪い面」を取り除かない限りダメ。
599 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:21
高橋信次講演「太陽系の天使達」21
それをただ、先祖のせいにして、先祖を拝めば治るんだと、
それじゃ、先祖に、良い戒名をあげようじゃないかと言ってね。
そこに、パックリ待っているのが、「パックリ屋」ですよ。
そして、戒名の良いのをあげて、救われるなんて、馬鹿みたい。
まず、皆さんね。
「戒名」、どんな良いものをあげたって、「地獄」は「地獄」ですよ。
「なんとか院殿なんとか大居士」というのが、ちょうど、何年か前に死にましてね。
その方が、東急の副社長をやっておりまして、
「私の親分出してくれ。」って、言うもんだから、
すっかり、「後藤慶太」だと思ったんです。
そうしたところが、違うんですね。
「元総理」ですよ。
「わしじゃ〜」って、出て来ましてね。
喉から声が出ないわけですよね。
ガンで切って、死んだ総理ですから。
それが、地獄にいるんだから、どうしようもならないじゃないですか。
名前みたら、「院殿大居士」ですよ。
そしたら、「わしゃ、そんな名前は勝手につけたんで、俺には関係ねえ。」
って、「高野山へ行って聞いてくれ。」って。
高野山へ行ったら、そのお墓がありましたよ。
そういうものなのです。
皆さん名前じゃない。
「冥途の沙汰も金次第」なんてナンセンス。
一銭の金がなくたって、「天上界」へ行けるよ。
そういうことを知って下さい。
絶対に「戒名」なんか、どんなに良いの付けたって、
地獄へ落ちる者は、落ちるんです。
名前なんか、どうでもいいです。
地獄へ行って、「戒名」名乗っているのなんか、一人もいないから。
600 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:22
高橋信次講演「太陽系の天使達」22
これは、日本人の、色々ね、「都合」がございまして。
ま、「戒名」というものでね。
「戒名」っていうのは、本来はね、生きているうちにつけるもんなんです。
昔のお坊さん達はね、自分の「寺子屋」みたいな所に連れてきてね、
「正法」をよく教え、仏教を教えて、「あー、あなたは大分よく勉強し、
生活も変わって来ましたな。じゃ、この辺で、今までの名前を変えて、
じゃ、“居士”という名前を与えましょう。」
「ありがとうございます。おかげ様で、私も、心が和みました。」
そうしてなったものですね。
それが、そうじゃなくて、日本は、死んで、しばらくたってからね、
お金持って行ってから、「戒名」付けるんですよね。
死んでいる人が、分かるわけねえじゃないですか。
「あなた、どなたさん?」ったら、自分の本名を言うんです。
「なんだ、あなたは、大院殿大居士じゃないの?」
「そんなの俺知らねえよ。」なんて。
同じですね。
だから、「冥途の沙汰は、金次第」じゃないんですよ。
それは、都合の悪い人が、そう言ったんでね。
だから、皆さんは、「戒名」なんちゅうもんは、本来はいらないんです。
生きているうちに、自分の「心」と「行い」を直して、
「よっしゃ」と、今までの名前を捨てて、
新たに、生まれ変わったつもりで、人生をやり直すんだと言って、
名前を変えるんだったら、大いにやりなさい。
死んでから貰うんだったら、そんなのはいらないんです。
生きているうちに、自分の心を改造してね、
生活を改めて、名前貰う。
これが本当のものですね。
601 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:23
高橋信次講演「太陽系の天使達」23
これは、インドの当時、最初、ブッダの弟子に、
「シャーリー・プトラ」という男がおります。
彼は「ウパティッサ」という名前でね。
どうも、「ウパティッサ」と言うんじや、
うだつがあがらねえんじゃないか、と言う所から、
お前は、良くやるから、お母さんの名前のね、
「シャーリー」というお母さんの名前のね、
お母さん、なかなか陰徳のある方だ、
ひとつ、その名前を貰ったらどうだ。
心を、心身を改めて、「シャーリー・プトラ」という名前に
したら良いと言って、「戒名」を変えていったのですね。
あるいはまた、「コリーター」なんて、名前がありまして。
「何度もこりても、困るから、なんとしろ。」
お前の名前を、ひとつ、この際、心も綺麗になったことだから、
「モンガラナー」と言う名前にしよう、と言って、
「マーハー・モンガラナー」という名前に変わりました。
これは「大目連」ですね。
それ、生きているうちです。
死んでから、いくら、良いもの貰ったって、
どうにもしようがないじゃないですか。
最近、日本人、そういうの好きになりましてね。
死んでから、一杯貰うのがいいんじゃないか、と。
最近は、結婚にまで、影響しましてね。
お墓行って来て、戒名見て、この家の先祖は、
あまり良いのじゃないからダメだなんてね。
馬鹿みたいなこと言ってる。
「院殿大居士がねえから、結婚の対象にならんよ」なんて。
もう、そこまで来たらもう、「悪霊」ですね。
ですから、皆さんは、そんなもんじゃないんです。
602 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:25
高橋信次講演「太陽系の天使達」24
その点は、クリスチャンの皆さんの場合はね、
生きているうちに、自分の心を入れ変えて、
マリアに近い、マリア様のような気持ちになりたいなんて、
「マリア」なんて最初付けてみたり、
色々な人の名前。
ま、GLAの中に、自分のお子さんに「イサク」なんてね、
自分は、せめて、できないから、せめて、イサクくらいになって欲しい
なんてね。
お付けになられている方もいます。
ご立派ですよ。
そりゃ、生きてるうちに付けるんだから。
死んでから、日本人は付けるのじゃないもんね。こりゃ。
クリスチャンの方が、はるかに御立派です。
生きているうちに変えるんだから、「ものの考え方」を。
ところが、仏教は、死んでから変える。
死んでから変わるわけ、ないじゃない。
だから、そんなものに、皆さんは、心奪われてはいけません。
だから、「GLA」のお坊さんは、そんなことしませんよ。
別に、来ても、「院殿ください。」ちゅたら、
「そうですか、まあ、院で“いん”じゃないですか。」ということで。(笑)
そんなことでやってますね。
ですから、商売繁盛しちゃうわけです。今度は。
仕事が忙しくなっちまう。
あそこ行きゃ、天上界へ行けるっていうわけになるからね、
葬式多くなっちゃう。
603 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:27
高橋信次講演「太陽系の天使達」25
本当は、お坊さん、「葬式専門」じゃ困るんですよ。
生きている人を救うことでね。
死んだ人は、もうしようがないんだ、これは。
ところが、日本は、「お坊さん」イコール
「生きている人」関係ないんだな。
だから、お寺さんが、入院している患者さんをお見舞いに行きますと、
「縁起が悪いや」。
そうじゃなく、病院に入院して、今、死ぬか、生きるかという人に、
「お前さん、あの世があるんだよ」と、
「いつまでも執着を持っているな。」と、
「財産持ってたら、もうこの際、皆捨てちまえ」と、
「子供達に、皆分けてあげなさい」と、
教えてやりゃあ、良いんだよね。本当は。
ところが、お坊さんが行ったら、
「縁起が悪いや」、「あいつは、死ぬんじゃねえか」、なんてね。
僕が、ちょうど、この間、「坊主」になって、船に乗っとったら、
「あ、今日は、坊主と一緒じゃ、こりゃ、魚一匹釣れねえや」なんてね。(笑)
だから、坊さんは「縁起が悪い」ことになっちゃってんだ。
私も、一応、心を改めて、自分の頭の毛を、
ひとつ、形の方からやってみようと思いましてね、
ま、色々こう検討の結果ね、頭を三分刈りにしてみたわけです。
そうしたところが、「坊主と一緒じゃ、こりゃ魚も釣れねえや」なんてね。(笑)
こりゃ、不思議なものです。
604 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:29
高橋信次講演「太陽系の天使達」26
ですから、本来は、坊さんは、生きている人を救うんです。
インドの、本当のお釈迦様の本当の教えはね、お弟子さん達。
ブッダが亡くなる時にね、「アナン」という方に、
「アナン」が、ブッダが亡くなったら、どうしたらいいでしょうか、
私達は「よんどころ」がありませんと、彼はブッダの枕辺で泣きました。
その時、ブッダが、「何を言うか」と、「わしが説いた45年間の法を、
お前達の心にあろう。お前達は、その法をたよりとして、人々を救うことなんだ」
と、「そして、私の亡骸は、在家の者が処理する。」と、
「おまえ達は、生きている人間を救うことなんだ。」と教えているんだね。
それが、何か、死んだ人を救えるようにね、坊さん、変わったんだなあ、こりゃ。
こりゃ、もうだめです。
その坊さんが、「見えて」、「聞えて」、「話せた」ら、なお、良いんだけど。
「見えて、聞えて、話せない」のが、「引導を渡す」というから、
どうしようもならない。
どういうわけですか。
私達は、死んだら、
「ああ、こいつ地獄へ行くぞ、こら、お前ちょっと待て」と。
605 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:30
高橋信次講演「太陽系の天使達」27
こないだ、ある人が亡なりましてね、ショック喰いました。私。
行って見たら、「無意識界」にいるわけですね。
事業やっとるもんですから。
「それ!」、ちゅうわけで、すぐ行きまして、
「あなた、どうしたんですか」っちゅったら、
「私しゃ、便所でこんなことになっちゃった。」、
便所におったまま、ステンと逝っちゃったわけですね。
「予告なし」ですよ。
大抵の場合なら、報告があって、何日頃死にますてこと、あるんですがね。
元気なもんだから、こっちは、すっかり元気だと思っていた。
そしたら、朝になったら、電話きまして、「亡くなった。」っちゅうから、
「エーッ!」って、そして、私が、パーッと、もう行きましたところが、
「無意識界」、自分の肉体から離れて、自分で意識ないわけですね。
「あなた、どうしました。」と。
「いや、私は、お便所におる間までは、分かったけれども、
後は分かんなくなっちゃった。」と。
「しっかりして下さいよ」と。
「あなたは、こんなに早く、逝くなんて思わなかった。」
それで、イエス様、イエス・キリスト。
「イエス様、すぐ行って、協力してくれ」って、
すぐ、魂を揺さぶりましてね。
今、修養所におります。
労働組合につるし上げられ、家庭の中から反発されてね。
精神的に「よんどころ」なく、心悩んでいる時に、
そういう一つの死を迎えたわけです。
だから、恐ろしいですね。
ですから、「無常」です。
人間は、いつ、この世を去るか分からないんです。
606 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:31
高橋信次講演「太陽系の天使達」28
ですから、皆さんの場合も、自分の「心」は、
いつでも、「準備体制」は、整えておかねばいけない。
これが私が言う「一日一生」ですね。
明日、生きとったら、また、一生懸命にやろう。
今、若いからって、分からないんだから。
それで、また、なんというと、しめっぽくなるから、
まあまあ、明日も生きていることにして、頑張るわけです。
そうして、希望を持ちながらね。
そうして、死んだ、生きたってものは、区別つけられる人は少いですよ。
あー、俺、今、死ぬんだなんてね。
そういう人は、ご立派ですよ。
でも、GLAの人達の中には、死ぬことが分かってりゃ、親孝行する人もいます。
ある人は、2日前に、もう分かりましてね。
「わしゃ、もう、あと2日だよ。」と
「皆さん、どうも、長い間、本当にすまんかったね。
本当は、もちょっと、生きたいんだけれども、
どうも、もうだめなんだよ。
あと2日後に、この世を帰るけど、ま、ひとつ、よろしく頼んまさ。
せっかく、家も作ったから、GLAで、ぜひ使って下さい。
家内も、寂しいようですし、今度、また、生まれて来た時は、
正しく「自分」を知って、生きます。
しかし、今生は、本当に楽しくありました。
ありがとうございました。」
って帰って行った人、一杯いますよ。
607 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:32
高橋信次講演「太陽系の天使達」29
「硬直」なんか、全然しません。
生きている時よか、もっと綺麗になっていくわね。
これが、本当の「成仏」ですよ。
もう、こうやって硬くなるのは、みんなダメ。
ですから、皆さん、死んだ時、みんな見てね、亡くなった人見て、
「硬く」なったら、「こりゃ、地獄だな」って思って下さい。
その時は、「ちょっと、あなた、ここにおりなさい」と。
「あなたは、今、この地上界を去るんです。執着を捨てなさい。
今、あなたの肉体は滅びるのです。
あなたは、今、新しい「肉体」を持つんです。
いつまでも、そんなことをやっとったら、あなた地獄です。」
「死」というのは、大変な「行事」なんですよ。
「地獄霊」が、皆、来ますからね。
「モーゼ」の時など、「モーゼ」の肉体を、「サタン」が欲しくてね。
そして、引き取りに来たんです。
その時に、「ミカエル」を中心とした「七大天使」が、
「モーゼ」の死体をカバーしましてね、その死体を渡さなかった。
その死体を渡しちゃったら、「モーゼ」、また、生き返って、
「サタン」になっちゃうんです。
それで、皆さん死んだ後、よくね「魔よけ」っと言って、
刀をあげてるでしょう。
あれは、そういう習わしなんですよ。
復活されちゃうから、おかしくね。
悪霊がおれば。
だから、そのように教えて、それが本当の「引導」ですね。
608 :
名無しさん@1周年:02/04/28 13:36
高橋信次講演「太陽系の天使達」30
ところが、最近のお坊さんなんか、
「あの世なんかあるもんか」。
現に、僕んとこに言って来ている「大僧正」ちゅうのがいるからね。
そっで、檀家を、何百人も、何百軒も、持っていて、
「あの世なんか、あるもんか、GLAで言っているのなんか、
ありゃ気違いだ」なんてね。
そのうちに、お灸すえに行こうと思ってるんですがね。(笑)
GLAのお坊さんとこ、大分、いじめているからね。
皆んなの前でやっつけられるもんですからね。
こりゃ、毎日新聞にも、大分出ました。
あの世なんかなくてね、「引導」渡しとったら、詐欺師じゃないですか。
「あの世」なんか、なかったらねえ、お経なんか、
あげるこたぁないじゃないですか。
だけど、ま、「こりゃ商売だから」って、言っているっていうから、
ま、そのうちにお灸すえに行きます。
「あの世」があることを教えにね。
また、その檀家からも、GLAへだいぶ来ているわけです。
不思議なもんですね、これは。
それも、ま、世の中ね、なかなか「悪党坊主」ですよ。
でも、私が出たら、一番恐ろしいんじゃないでしょうかね。
そういうもので、皆さん、自分の「心」が大事なのです。
肉体から、サーッと離れると、地獄へなんか、行きませんよね。
そこで、また、ここで、今度、地獄のね、あの〜話になって来たから、
ま、神様が出てくる人がおりますから・・・。
・・・その人、ちょっと出て来て下さい。
「怖いかな?」
「ちょっとは良いな。ちょっとは良いじゃないですか。」
「あなた、何か信仰しているの?」
「あ、“大権現”をやってるの?」
「キリスト教?」
「その前は、“大権現”ちゅのを拝んでいたわけ。家で。」
・・・(引き続き、「悪霊に憑依された人の現象」に入る。)
610 :
名無しさん@1周年:02/04/29 09:48
age
「心の発見」の「まちがいの発見」65補足
高橋信次の「神理の会」の発会式の「聴衆」の人数は、古参信者たちの回顧(GLA
誌1992年4月号)によれば、「約80名」(1969年4月8日)だそうである。
天上界で「世界各国の数万人」を相手に、堂々の初講演できた人間が、どうして現世
の80名の前で、「あがって汗みずく」になるのであろうか?
「心の発見」の「まちがいの発見」66
ちょうど、いい具合に、私が分析した<「心の発見」の「まちがいの発見」64>と
矛盾する内容の「講演」がだれかさんによって貼られたので、それを指摘しておこう。
>高橋信次講演「太陽系の天使達」1
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1016418753/579 >今、皆さんがあげました「心行」を、ちょうど、私は、「昭和43年」の「11月」
>の「22日」に完成致しました。そして、「23日」の夜、午前1時、今で申します
>と、「菩薩界」という所へ行きまして、初めて、「物質と生命」という講演をやりま
>した。その時の司会が、「モーセ」です。その前に、「ミカエル」が講演やりまし
>て、約1時間半。ですから、23日の午前2時30分は、ちょうど、地球上に、大き
>な地震、震度3の地震がありました。それは、禅定のまま、私、行きましたものです
>から、側に寝ておった家内が、「今、お父さんの講演を聞いておった。」ということ
>でした。
<「心の発見」の「まちがいの発見」64>
「現証編」P108
「1968年11月24日。午前1時」に反省瞑想しているうちに、信次は「安らぎの
ある光明の世界」へ幽体離脱していった。そこへ「私の指導霊123が迎えに来た」
とある。そして、「万国の人々が、何万となく整然として並んでいた」その前で
「指導霊の指示にしたがって物質と生命という題で1時間半ほど講演をした・・・
生まれて初めての講演であり、私はただ驚いていた。・・・講演が終わると共に
万雷の拍手をあびたのである---私が肉体に戻るとともに、震度3ほどの地震が
あった・・・妻は『今、あなたの講演を聞いていました・・・』
(妻だけでなく、霊道を開いた弟子たちやその守護霊たちも、「すべて」幽体離脱
して信次の講演を天界の現場で聞いたという)信じられない事実が起こったのであ
る」P111
「心の発見」の「まちがいの発見」67
<高橋信次講演「太陽系の天使達」1>と<「心の発見」の「まちがいの発見」64>
を、よく読み比べてほしい。11月24日ではなく11月23日、しかも「モーセが
司会」だの「ミカエルが講演した」だのは、「現証編」には1行も書いていない。
著書と講演との間にも、このような「矛盾」があり「追加挿話」がなされる。
「ミカエル=佳子」を定着させるために、過去の自分の著作を「改ざん」をおこない、
それを講演会で披露したというわけだ。つまり「モーセ」「ミカエル講演」も、1968
年11月下旬には無かったことなのに、講演会の場ででっちあげたとしか考えられない。
「現証編」では「信次だけが1時間半の講演」をやったのであって、「ミカエルの
講演」こみではない。しかも、1968年11月23日に「心行が完成した」など
とは、「心の発見」にも「心行」が巻末に載っている「心の原点」にも、全く書いて
いない。おそらく、この講演会で初めて語ったことだろう。
それに佳子の「真創世記・地獄編」では、信次は晩年になってはじめて「ミカエル」
大天使の存在を知ったことになっているから、1968年11月時点で「ミカエルが講演した」
と認識できるわけがない。
つまり、この信次の講演の内容は、自分の著書とも、娘の回顧談とも矛盾するもので
あるわけだ。なんとも、とりつくろいようも弁護のしようもない「まちがい」である。
こんな人間が「最高指導霊エル・ランティ」などであるものか。
講演会の基本的なまちがいの指摘をしておこう。
><高橋信次講演「太陽系の天使達」18>
>今、「M26」。この「太陽系」。それぞれに出て来ておりますね。今、出て来て
>いるのは、「太陽系」で、1人、悟っております。「M37」で悟っております。
>「M27」、「M26」、出ております。この「M」というのは「メシヤ」という
>意味で、つけたようですね。
まず天体関係で「M**」というときは、「銀河・星雲・星団名」についていうので
あって、個々の「惑星」に「M**」というようなナンバーをふることはない。
また、この「M」は「シャルル・メシエ」というフランスの天文学者が「銀河・
星雲・星団カタログ」を作成したとき、それにふった番号であって「メシアという
意味でつけた」などということはありません。
くわしくは、下記URLをごらんください。天文学に興味がある人達の間では、
「M**」といえば「メシエ**(番)星雲」というのは常識です。
http://www.edugeo.miyazaki-u.ac.jp/earth/edu/opening.html
616 :
◆uUZPFLgI :02/05/01 08:47
よいこのコピペ荒らしは禁止。
こぴぺ貼ったよいこは撤退すべき。
コピペすればするほど、あら捜しをされて、信次のくだらなさが、もっと暴露され
ることに、いーかげん気づいてほしいな。
619 :
名無しさん@1周年:02/05/02 23:22
>梅仙人様
このスレは非常に、非常に興味深く拝見させてもらってます。
実は梅仙人さんにお礼が言いたくて。
今まで、高橋信次の本って、世間では正しいのか嘘なのかうやむやにされた
まま売られ続けてきたでしょ?誰かがはっきり、「あれは妄想です」と
大声で発言しなくちゃいけなかったんですよ。
そういう私自身も、入信こそしませんでしたが、高校時代に高橋の著作を
読みふけった時期がありまして、おかげで自分の正常な人生観をずいぶん
狂わされてしまったと感じています。
私も、声を大にして言いたい。あれは悪書です!
いつまでもなあなあで書店や図書館に並べさせておいては、今度は私たちの
子供たちがあの本を読んでおかしくなってしまいます。
梅仙人様、はっきり言ってこのスレを単行本にして何万部でも売り出したい
気持ちですよ。低俗な荒らしに負けないで、頑張ってください。
620 :
名無しさん@1周年:02/05/03 00:43
高橋氏の遺稿「新・復活」が刊行されなかったのは
ナゼ?
伝えられているところでは、当時の幹部の批判が
書かれていたからという事らしいが。
「新復活」は、園頭サイトでの記述では「佳子がミカエルではないことを、信次
が書いている」という内容だったので、佳子が封印したと書いてあったような。
「人間釈迦」は、歴史ドラマなどと同様、フィクションを
ちりばめたものだと思う。
>619さん
お礼が遅れましたが。ご声援に感謝いたします。
そろそろ「心の発見」の検証は、終盤ですが、その後には「高橋信次の著作の
オリジナリティのなさ」を証明する企画『高橋信次のパク理の原点」を開始いた
します。ご期待ください。
624 :
名無しさん@1周年:02/05/09 00:38
これは興味ある。
自分も「大自然の波動と生命」に関して
ちーとばかりパクリじゃないの?
というところをハケーンしたよん。
「悪霊よいこ」ごと高橋信次スレッド消されたね。
626 :
天竺ネズミ:02/05/11 21:41
佐藤正忠の著書、「信仰は力なり」にこんな記述がある。
高橋信次といっても、社会的にはまったく無名であった。
謄写版のような形で、一冊、本を出していたが、専門家にしてみると、読むに耐え
ないシロモノであった。
「こんな本、ダメですよ。もっと本格的なものを出さないと……」
と私が言うと、
「よろしくお願いしますよ」
と言ってきた。
私も本気になって、高橋の著書の出版にふみ切った。かくて出版したのが『縁生の
舟』の三巻であった。
高橋は、もともとが技術屋なので、文章が苦手であった。そのため、もっぱら口述
筆記に頼った。そして印刷したものを高橋に渡していく。高橋は、それに朱を入れて
いく。そうして、一巻、二巻、三巻と売り出して、遂にベストセラーになっていくの
であった。
『縁生の舟』は後に改題し、今では『心の発見』となっている。
(中略)
そのうち高橋は、文章を書く技術を修得していった。それは句読点のない、だらだ
らとした長ったらしい文章だったが、いつか口述をやめ、自分で書くようになってい
った。
627 :
天竺ネズミ:02/05/11 21:43
まあ、要するに高橋信次も初期の書籍については娘の佳子同様
ゴーストライターをつかっていたわけですな。
こんにちわ、梅仙人様。掲示版大変感動しました。しかしギャグ調の文章構成なので、伝えたい事が薄く感じます。もっと多く真相を知りたいデ書き込み引きつずき御願いします
最近のGLA批判も聞きたいです
>>623 :梅仙人 さん
>「高橋信次の著作のオリジナリティのなさ」を証明する企画
>『高橋信次のパク理の原点」を開始いたします。ご期待ください。
これは、より難しいテーマですね。
「それは偶然同じになっているだけです。」なんて信者の方が言いそうです。
>>624さんが言及されている「大自然の波動と生命」、気になります。
624さんにも期待・・・・
631 :
名無しさん@1周年:02/05/12 22:08
トラトラジオンジオンチトフルモ トオチャソウトチャソウホンミアン
ジオンプラトアミアミ ミトラホンホントラツ トオライタチプララソト
チタチトアミホン
さて、ここで一応の締めに入る前に、今はhtml化待ちの「高橋信次」スレッドに
昨年末より記載した「心の発見・現証編のあやまち」シリーズ1〜20を、ここに
再掲する。連続投稿できないので、数日かけてご紹介する。まだ、お読みでない方
は、コピペのご準備をどうぞ。
「心の発見・現証編」のあやまち1
「心の発見・現証編」(高橋信次著・三宝出版)より
昭和43年7月より、信次には「ワンツスリー(以下123とする)」
(実は十戒で有名なモーゼ)という指導霊と「フワイ・シン・フワイ
・シンフォー(以下フワイとする)」(実はイエス・キリスト)と
いう指導霊が、霊媒にした弟の体にかかって現れ、悟達をせまると
いう事件が起こる。
そして9月、信次の霊視の中で123のことを、フワイはこう紹介する。
(P90〜91)
「こちらの方は、BC百三十年ごろ、エジプトで活躍されたモーゼと
いう方です」(発言A)
そしてフワイの方も「紀元前三ニ年にイスラエルに生まれたイエス
・キリスト」だという。(記述B)
フワイは「おまえにイエスだのモーゼだのといえば、聖書やユダヤ
経や十戒を読みあさり、塵と埃にまみれた現代版をそのまま暗記して
しまうことを恐れたからだ」(発言C)と語る。
それに対して、信次は「なるほど、私の性格ならおそらく聖書や
十戒をよみあさったことであろう」(記述D)
「心の発見・現証編」のあやまち2
さて、この信次の人生の大転換を決定づけた「123」「フワイ」の
両名の「事実性」を、発言・記述にしたがって確認しよう。
まず発言A「BC百三十年ごろ」はあきらかにまちがいである。
現在の定説では「紀元前1250年ごろ」である。「BC130年頃」
は「ハスモン王朝時代」であって、どう考えてもモーゼの時代ではない。
ダビデ王・ソロモン王の時代から見ても、千年も新しい時代にあたる
のだ。「出エジプト」が起こるわけがない。
ユダヤ人だったイエスともあろうものが、こんな基本的なまちがい
をするわけがない。ゆえに「フワイ」はイエスを名乗る「ニセモノ」
である。
記述B「紀元前32年」もまちがい。現在は「紀元前4年」ごろと
されている。もっとも生まれの早い想定でも「BC7年ごろ」であ
って「BC32年」ではありえない。前32年は、まだヘロデが王に
なってから5年後ぐらいである。乳児のイエスが父母に抱かれてエジ
プトに逃れて、ヘロデがまもなく死んだという新約の記述を正しい
とすれば、明白な矛盾をきたす。ヘロデ大王の死はBC4年と「ユダ
ヤ戦記」などの記録に残っている。
このフワイの説明もまちがいだ。イエスならば、こんなミスをいお
うはずがない。
「心の発見・現証編」のあやまち3
発言C「聖書やユダヤ経や十戒」とはおかしな表現である。なぜなら、
「ユダヤ経」典とは「聖書」の事であり、「十戒」とは「聖書」の中の
「出エジプト記」の中の記述をいうものであって文書の名ではない。
つまり「聖書=ユダヤ経>出エジプト(十戒)」であって、これらは
すべて「聖書」もしくは「旧約聖書」という一語で説明できるものであ
って、あたかも別々の文書のごとく表現されるものではない。
フワイがイエスなら、本当はこういうべきだ。「聖書、とくに出エジ
プト記など」と。このフワイがイエスの霊であるなどとは、信じられない。
「ユダヤ経」を「タルムード」ではないかといわれる向きもあろう。
「タルムード」自体は日本では昭和43年時点で、信次が読んで参考に
できるような出版物は皆無であったはずだから、それはありえない。
記述Dでも「聖書」と「十戒」を別々のものと認識している、信次自身
の勘違いがある。この信次の勘違いと、発言Cのフワイの勘違いの同一性
はなんとしたことだろう。フワイは、信次の守護霊である。なぜ信次の
勘違いを訂正せず、同じまちがいをくりかえすのか。それでも「守護霊」
であろうか?
「心の発見・現証編」のあやまち4
イエスは聖書(旧約)に通じて、その全文を暗記していた「ラビ」で
あったし、当時のパリサイ人たちも同じく旧約聖書を全部暗記していた
律法学者だったから、彼らと激しくやりあって舌戦をくりひろげた彼が、
いくら二千年後の日本語をあやつるからといって、このようなまちがい
をするはずがない。
上記のAからDまでの「あやまり」は、すべて基本的な「信次のかん
ちがい」に依拠していて、「フワイ=イエス・キリスト」と証明する根
拠とはなりえない。
この「フワイ」はにせものであり、本当のイエスではないし、それを
信じてしまった信次は大きなミスを犯した。
もっと悪くいうなら「すべてがでっちあげ」「過剰脚色」「やらせ」
の可能性すらある。H13.12.17
「心の発見・現証編」のあやまち5
P194「(霊媒や自分にかかったりした霊は)威張りくさることは絶対にない
ということを知るべきだ。優しい安らぎのある言葉で、絶対に如来だ菩薩だ、
いわんや○○の神だなどとはいわないものである」(記述E)
P196「宗教指導者が、神だの仏だのとみずから名乗ったときは、すでに正道
をはずれているのである。(記述F)
上記2件とも、それ自体は正しいことをいっている。
ところが、この基準にしたがうと、次のような矛盾が生じる。
1:まず、信次自身が「釈迦つまり仏の生まれ変わり=仏」と主張した点。また
ユダヤ教徒やキリスト教徒にとっては、仏教での「仏・菩薩」に匹敵する人物
の「モーゼ」「キリスト」が「自分の指導霊」として出現したと述べたこと。
2:上述の「123」(自称モーゼ)が、初めて信次の前に弟の体を借りて現れた時、
「私は上上の上の上の上の上に立つ神だ。おまえたちは、この男にひれふして私
のいうことを聞くがよい」そんな意味のことをいい、私(信次)に対してはもっ
とも厳しく叱るのだった・・・(P57〜58)。
発音だけきくと「神神の神の神の神の神に立つ神」といったともとれる。この
ような高飛車さは、記述Eにあきらかに反する。また、この高飛車さは娘・佳子が
77年当時ミカエルを名乗ったとき「5年後に全人類がミカエルの前にひれふす」
と宣言した傲慢さとも通じるものがある。
「心の発見・現証編」のあやまち6
3:P79(信次の妹にかかった彼女の守護霊・前世がこう発言)
「私は観世音菩薩と呼ばれているものでございます。しばらくでございます」
4:P85(信次の妻=GLA会長高橋一栄にかかった彼女の守護霊・前世がこう発言)
「私はマイトレーヤと呼ばれたインドの時代、ゴーダマ様のお弟子でございました」
「観世音菩薩」とは俗に言う「観音さま」であって、個人名ではない。それなのに
なぜ前世が観音だったと名乗れるのか。マイトレーヤもいわゆる「ミロク」であって
高橋一栄がそうならば、とっくに「ミロク下生」で、この世は仏国土になっていなけ
ばならない。
自分と自分の妻や妹は「仏」「観音」「ミロク菩薩」と名乗ってもいいのだろうか。
それは記述Eに明確に反することではないか。「自分や自分と関係ある人間は別だ」
という「条件つき」の「基準」だったのだろうか。そうとしか思えない。自分のこと
を棚上げにして、会員に説教をたれる佳子の姿勢を見ていても、そのあやまりは糺さ
れることなく、信次から佳子に受け継がれている。
それから信次がよくいった「アボロキティー・シュバラ(観自在菩薩)」と「観音」
が同じものであることを思えば、信次の宗教知識の不正確に、さまざまな惑わしの霊
どもがとりついて、だまくらかし続けたといえよう。
したがって記述Fによるなら、信次は最初から「正道をはずれていた」ことになる。
「心の発見・現証編」のあやまち7
霊媒にかかった霊が正しい霊なら、いばりくさることなど絶対にない、という
記述Eに抵触する例を補足しておく。
やはり「123」のあとに「フワイ」が初めて弟の体に入ったときのことだ。聞き
取りにくく、長い名前だったので、信次はニ、三回くりかえして名前を聞いた。
それに対する、信次の「守護霊フワイ」の答えはこうだった。
「この馬鹿者め、おまえのような愚か者と語るのはやめだ。馬鹿者め」(発言G)
と中国人が文法を度外視して片言の日本語を使うような言葉で私(信次)を叱った。
それはとりつくしまもない状態だった(P60)
しかし、前世でイエスだった霊が、このような叱責をするのは解せない。しかも、
その後、中国に僧として生まれて、中国風「イエス・キリスト霊」として立ったと
いうのは、先述のあまりにも不正確な聖書知識・ユダヤの年代認識とあわせると、
まことに不自然かつ異様である。
「心の発見・現証編」のあやまち8
さらには、本文をよく読むと「フワイことイエスは信次の守護霊」と書いてある。
ならば、信次の潜在意識と同通する存在なのだから、ますますもって不正確な知識
は致命的だ。顕在意識の信次に正しい知識をさずけない「守護霊」とは、いかなる
存在なのだろうか。
そのくせ、このフワイは信次が昼間に何をしていたか、こまかく信次の行状を言い
当てて、いいわけをゆるさない正確さでやりこめている。つまりこの「守護霊フワイ」
は「信次の顕在意識が経験・記憶した情報に通じている」だけではないか。
「守護霊フワイ」自身は、「実在界」からきた「光の天使」であり、「実在界と現世
の間の輪廻転生の真実」を、信次にこまごまと教えて「神理」の解説をしたという。
だが、それとて、それまで信次が「少年時代の幽体離脱の経験の理由」「もう一人
の自分」を、30年以上ももとめて色々と学んだことの「集積データ」を盗用し
アレンジすればできないことではない。
少なくとも、「守護霊」の力や直接的介入がなくとも、いずれ信次は「神理」に
目覚めて、説法できるだけの知的蓄積は、そのときすでにあったはずだ。その証拠に、
日本大学だか東大大学院だかの卒論が「神的生命は大は宇宙、小は微生物まで」とい
うものだったと書いてある。
「心の発見・現証編」のあやまち9
信次はまた「1954年12月結婚。このころから不思議な現象が起こりだし、予言がほと
んど的中し、それ以来、20年間、神仏のことが話題にのぼらない日はなかった。それ
は執念のように心のなかを占領していた」(記述H/P48-49)ということも書いてある。
信次は、このように宗教(仏教関係が中心だろう)や神仏・自然科学について、相当
に勉強したと思われる。「守護霊」を名乗ったものが、それをデータベースにして勝手
にひとつの理屈を構築するなど、造作もなかろう。なにしろ、相手は人間の記憶をのぞ
きこんで読むことのできる霊的存在なのだ。
「神理」という教義の構築に、信次自身の経験と学習に依拠しない、「守護霊自身の独
自の発想・知識」はどれだけあったのか、かなり疑わしい。
「心の発見・現証編」のあやまち10
信次は、「123は、正しい人生のありかたと、神の子の証について私に本を書くことを
指示したものであった」とも書いている(P75)。聖書知識の確かでない「イエス」霊
の友人である「モーゼ」霊に命じられて、『心の原点』をはじめとする著作群を世に
問うことにしたのだという。
信次自身は、「霊感・ひらめき」は「守護霊・指導霊」の賜物と信じていたようだが、
別に「守護霊・指導霊」が名乗り出て面前に現れずとも、「インスピレーション」なら
誰にでもある。
また、信次自身が、さまざまな宗教団体やそこから出版された著作群と接触し、知識
を蓄積していった可能性もあるのではないかと私は思う。「神仏への執念のような関心」
を30年以上も持ちつづけた人間が、さまざまな宗教団体の門をたたかなかったなど、
考えられるだろうか?
ただ、娘の佳子が「真創世記地獄編を天上界の命令で10日間で書いた」という大ウソ
をついている以上、上記の信次の出版の経緯も、どこまで信じていい話かわからない。
ウソのつき方を父親から学んだという言い方も、まったくできないとは言いきれまい。
「心の発見・現証編」のあやまち11
この「フワイことイエス・キリスト」の「守護霊」にはまだまだ疑問がある。
たとえば、信次は自分の守護霊を、先述した妻や妹にとりつかせて、「同一
の守護霊であることを証明する実験」をしている。
すでに、私の中で守護霊の存在は動かしがたい事実であった。また私の守護霊が、妻
や妹の意識を支配しても、まったく同じ結果が出てくるというのだから、否定はできな
ことであった。(記述I)P89.
これは容易ならぬ記述である。人間の顕在意識と霊的世界の住人の交通は、たいてい
は「同じレベルものどうしの交通」「似たものどうし」「類は友を呼ぶ」の場合が多い。
憑依する場合でも似たりよったりの霊が憑くのである。
とするならば、信次も妻・一栄も妹・由里子も「イエス・キリストと同類であるが
ゆえに、その支配を受けることができた」ということになってしまうのだ。
また「守護霊」が「別の肉体を持つ人間を支配する」などということがありうるだろ
うか。あるとすれば「とりつく相手を変えることができる憑依霊」だろう。つまり、
「フワイ」は「守護霊」ではなく「憑依霊」である事こそ、「動かしがたい事実」なの
ではないか。「憑依霊フワイ」にしてみれば、いつでも取りついて惑わせる人間が、
グループで現れたのだから、笑いが止まらなかったことだったろう。
「心の発見・現証編」のあやまち12
子供のころの「幽体離脱」体験の日々から「もうひとりの自分」を、30年以上に
わたって求めてきた信次だが、それが「霊的盗賊・詐欺師」を、おのれに呼びこむ結果
となってしまったことは皮肉としかいいようがない。邪推をたくましくするならば、
子供のころのその話も、守護霊との会話もぜんぶ創作で、本当は彼の予言や病気治しの
能力だけが事実だったという可能性もある。
「霊能力」はあったが、それを「理由づける理論」「説明する根拠」がなかった。その
ために創作されたのが「神理」だった可能性もある。こうした「宗教的あとづけ」の例
は珍しいことではない。
>「心の発見・現証編」のあやまち11 修正
>妹・由里子
ではなく「妹・洋子」が正しい。
「心の発見・現証編」のあやまち13
次の引用は、同書の巻末附録。信次が「光をいれて心を開いた」人物の異言によって、
前世の証明をしたものである。
なお、以下の異言の言葉と、その後に続く対訳とおぼしき日本語については「意訳」「要
約」「編集」などの手を加えたという注意書きは一切ない。したがって、異言の言葉を日本
語として、「高橋信次が、そのまま訳した」とみなして検証にあたる。
以下を読んで私の解説と対照して目を通せば、この高橋信次による「翻訳」がいかにず
さんであり、いいかげんなものかおわかりいただけようと思う。(異言・翻訳番号と異言中
の*No『』および<解説>は私が挿入したもの。原文中にはない)
資料「転生輪廻の実証」P310〜328
N・T子さんの転生輪廻
昭和45年12月 八起(GLA総合本部ビル)にて
リパ リッシオラ セヌア タルアダ クロアヤッセモラナシー フォアラーソー フ
リティー。
ラッセ ダラヌー トゥアティ アラセグレア パワー セヌトゥアラー セドゥトゥ
アティー レグリアラオトゥー。ナウ リバリッセオ トゥレバシー ウァラ フワラー
ラバセヌ トゥアラー ゼドラーティー。リブリヤセヌ タウティー アラスクォルボー
フェイセイ デルイーティー。ラウ リボーティアラーオス クォラバー セトゥラ
*1 『イスラエル』ウアリ クナォウトゥ アリー パッソー。ダートゥリ ポッセレ
エトゥラル オッスルトゥルヤ エテレヤセイ トゥーラトゥ *2『アウセイ クライ
ストゥ』 ウアトゥー。ナーリ グーハッビーセー N・T オーティレパッソー ウラ
バソビア ウアタール プラヤッソーフォアー。(異言A)
私はN・T子の指導霊フリティーでございます。私はかつて二千年ほど前、エジプトに
おいて肉体を持った男性でございます。私は実在界より正法を証明する使命を戴いて、こ
の女性の意識と調和をはかり、いろいろと指導しております。(翻訳A)
「心の発見・現証編」のあやまち14
<解説A>
まず、これは何語なのだろうか? 二千年前のどの地方の言葉であるか、まず説明する
のが筋だろう。
翻訳では「エジプトに生まれ」となっているが、異言Aでは、地名らしきものは*1『イ
スラエル』しかないようだ。エジプト生まれでエジプト古代語を話すのならば「ケメト」
という名称で呼ばねばならない。「エジプト」という呼び方は、ギリシャ人の呼び方だ。
しかし、ここには「ケメト」も「エジプト」もない。いったいどこからもってきた翻訳地
名なのだろうか。
翻訳Bではイエスと出会ってキリスト教に帰依したむねが書いてあるから、この言語は
ギリシャ語かヘブライ語(アラム語)でなくてはならない。ヘブライ語ならば、旧約時代
のエジプトをヘブライ人は「ミツライム」と呼んでいたから、せめてその単語くらいはあ
ってもよさそうだが、それもない。いったい何語なのか?
「フリティー」と「N・T(夏栗徳子)」の間にだいぶ語数があるから、これは「意訳・
要約」したとも思えるが、それにしても何語であるかもわからず、和文から異言に向かっ
て類推できる要素が極端に少ない。なぜ、「逐語訳」ではないのだろうか。できなかった
のか? ならば、この「翻訳A」の信頼度、また信次の異言翻訳能力レベルにはおおいに
疑問が生じる。
「心の発見・現証編」のあやまち15
この異言Aと翻訳Aとの間で、一致する単語は「フリティー」「N・T」しかない。*2
『アウセイ クライストゥ』はたぶん翻訳されなかった単語と思われるが、翻訳Bと関係
があるとすれば「イエス・キリスト」とも読める。しかし、この読み方は、なまりのある
英語などのヨーロッパ言語を思わせる。ギリシャ語なら「クリストス」と読むべきだし、
ヘブライ語(アラム語)なら「イエス」の部分は「ィエホシュア」と読まねばならないし、
「キリスト」は「マーシャー」である。
もし「イスラエル」を「エジプト」と訳したのだとしたら、それは信次の顕在意識の無
知を証明するものである。「イスラエルはエジプトの一地方」と認識していたのだろう。守
護霊が「イエス・キリスト」にしては、あまりにもお粗末である。少なくとも、この信次
の翻訳には「イエス・キリスト」は、まったく協力してくれなかったようである。もちろ
ん、この翻訳Aの信憑性ははなはだしく低いといわざるをえない。
「心の発見・現証編」のあやまち16
ラトゥ ラッセバリニッシュ フアラー スクォラバリアラー ウォーティア スクォ
ラ ナッセテトゥラリー ウォーロースクォ アールバー ティニッシュフアー。ナウ
リバリシー アラウーティ エルクラヤルワー トラセヌーパワー レッセドォラ ウ
トゥー。(異言B)
私はその当時、大衆から税金を取り立てて生活をしておりました。ある時、商用の途中
でイエス様より、いろいろなお話をお聞きし、自分の間違いを知って郷里に掃り、自分の
生活を改め、後にイエス様が実在界にお帰りになりましてからは、ペテロ様の補佐役と
してキリスト教の伝道をし、所々方々を歩きました。(翻訳B)
<解説B>
これも翻訳から異言に向かう一致がまったくない。「大衆から税金をとりたてて生活」と
いうことは、イエス在世当時にユダヤで同胞に憎まれた「取税人」だとわかる。12使徒
のひとりマタイもそうだ。ということは、この異言の主は「ユダヤ=ヘブライ人」という
ことになる。
異言Aから類推しても「イスラエル生まれのイスラエル人」でなければならない。とな
れば、「イエス様」は「ラビ・ィエホシュア」または「ラブニ・ィエホシュア」以外には考
えられない。「ペテロ」も「岩」を意味するギリシャ語だから、当時のユダヤの言葉では「ケ
パ(ケファ)」である。しかし、異言Bに両者と比定しうる単語は見当たらない。
ゆえに、イエスとペテロであることを証明するギリシャ語かヘブライ語の単語の見つか
らない異言Bが翻訳Bであることを証明する要素は何もない。すなわち「でたらめ」の可
能性大である。なぜなら、異言Aと翻訳Aでは「フリティー」「N・T」の人名が、せめて
もの「一致点」として存在するのに、翻訳Bではそれすらないからだ。
固有名詞や人名すら一致しない「翻訳」を「翻訳」と呼べるのだろうか。
「心の発見・現証編」のあやまち17
ターリバリ オストゥー ドゥアティア アウルストゥル バーニッシュ フアラー
セバーティニ スルードゥアティア ワールクラウォー。ナウティー アッセブティ
ー オッラッサダルクラヤーソー フォアラーナートゥワリ パッソーフー リドゥラー
トゥー。(異言C)
その頃、アラビア人、エジプト人、パリサイ人、ガリラヤ人など、皆それぞれの人種が、
いろいろと人種的な偏見のもとに自分達の部族が最高であるというような対立の激しい時
代でございまして、戦争で勝った国は、相手の人種をすべて奴隷として扱い、それはそれ
はむごたらしいものでございました。イエス様はその頃、実在界より使命をもって、この
人種差別をなくすよう、博愛・隣人愛を説かれたのでございます。(翻訳C)
<解説C>
これまた、ギリシャ語でもヘブライ語でも翻訳した文と一致する固有名詞が、まったく
見いだせない。「アラビア」「エジプト」「パリサイ(ペールシームまたはハベーリーム)」
「ガリラヤ」は、みな地名と固有名詞だから、これとにかよった単語がなければならない
のに、ひとつもない。もちろん、「イエス様」を意味する単語もない。
さらに致命的なのは、アラビアとエジプトは「国名」なのに対し、「パリサイ」は「ユダ
ヤ人中の宗教の派のひとつ」であり、「ガリラヤ」は「イスラエルの北部地方の名前」なの
だ。つまり「パリサイ人」「ガリラヤ人」とは「人種・民族名」ではないのである。
日本人にわかりやすくいえば、この翻訳Cの人種名のつもりでならべた単語は、「中国人、
韓国人、日蓮宗門徒、関西人など」と表現したにひとしいのだ。これらを「皆それぞれの
人種」などとあらわす珍妙さは類を見ないものだ。
「心の発見・現証編」のあやまち18
ほんもののイエス・キリストの意識が「守護・指導」しているなら、当時のユダヤ社会
における「国名」「宗派名」「地方名」を混同するなど、絶対にありえない。
つまり、この翻訳は、信次が持てる乏しい聖書知識を総動員して、「あてずっぽうにでっ
ちあげた」と見る方が自然である。百歩ゆずって、信次の翻訳が正しくて、異言の主の言
を直訳したとしても、この異言の主は「イスラエル人」でもなければキリストの弟子でも
ない。イエス在世当時の常識すら知らないものが、なんでキリストから直接に話しを聞け
た弟子であろうか。
また、イエスが「人種差別」をなくすために生まれてきたように書いてあるが、それも
正確ではない。キリストは最初は「ユダヤ人」のためにのみ活動していたし、「世界布教」
をはっきり語るようになったのは「復活後」である。「山上の垂訓」が「民族差別撤廃を
目的として語られた」などと、だれが信じられようか?
いずれにせよ、キリストの意識が指導しているとは、とても信じられない内容である。
「心の発見・現証編」のあやまち19
<解説総論>
上記のことより、この「資料」全体の信頼性はきわめて低く「輪廻転生の実証」には、
まるでなっていないということがいえよう。異言も何語かわからず、翻訳もデタラメであ
てずっぽうでは、何をどう証明できようか。
信次の守護霊がイエスなどではなく、異言を翻訳する能力もないことが証明されただけ
ではないか。信次の異言解釈がでたらめであれば、彼の異言とその解説は、みな思いこみ
や想像の産物としかいいようがない。私が経験した「過去世記憶をまったくともなわない
異言体験」と大差ないではないか。いな、むしろ、「でっちあげ翻訳」という妄想がともな
う分だけよけいにたちが悪い。
あるいは、異言ABCを「天使語」「天上界」の言葉ではないかという説もあるかもしれ
ない。だが、同書でこのあとに続く、同じN・Tという人の、釈迦時代の弟子の前世記憶
の異言は、意味不明ながらも言語としてことなる発音様式になっている。やはり「思い出
した過去世当時の言葉をしゃべっている」と見るのが自然だ。もちろん、それが本当に「釈
迦在世当時の言葉」かどうか、証明することは不可能だし、そのように翻訳した文も正し
いとはとてもいえないだろう。
「心の発見・現証編」のあやまち20(補足)
信次は同書P309に、「神理編で中国と中国地方をまちがえました」とおわびを
載せている。ところが、その「注」の直前で参照資料の紹介としてこんな文を小型
活字で載せている。
(新約聖書・使徒行法伝第二章、仏典スタニパター、華厳教十地品参照)
これは2箇所まちがっている。「使徒行法伝」ではなく「使徒行伝」
「華厳教」ではなく「華厳経」である。きわめて初歩的なミスというか勘違いである。
あやまるはしからミスを犯す。いったい守護霊、指導霊は何をしているのだろうか。
>266 神理篇だと「紀元前約1300年」だね。
「出エジプトは紀元前百三十年」と書いたこの「現証編」より先に出版された「神理編」
の方が正しいというのも、おかしな話しである。今まであげたさまざまな矛盾やまちが
いからいっても、「誤植」とか「校正ミス」ではすまされまい。
信次自身が、「現証編」のP153にこう書いているのだから。
「不自然なものを信じてはならない。不自然なものには必ず疑問を持ち、解答を得て
ゆけば、迷いから脱出することができる」
あげ
654 :
名無しさん@1周年:02/05/18 00:49
おもろい
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
禍 裸裸裸裸裸裸 悪悪悪悪悪悪悪 訝 訝 訝
禍禍禍禍禍禍禍 悪 訝
禍 禍 裸裸裸裸裸裸裸 悪 訝訝訝訝訝訝訝
禍 禍 裸 悪 悪 訝 訝
禍 禍 裸 悪 悪 訝 訝
禍 禍 裸 悪 訝
禍 禍 裸 悪 訝
禍 禍 裸 悪 訝
禍 禍 裸 悪 訝
禁 禁 死
禁禁禁禁禁 禁禁禁禁禁 死
禁禁禁 禁禁禁 死
禁 禁 禁 禁 禁 禁 死
禁 禁 禁 禁 禁 禁 死 死
禁禁禁禁禁禁禁禁禁 死 死死死死死
死 死
禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁 死 死
禁 死 死
禁 禁 禁 死 死
禁 禁 禁 死 死
禁 禁禁 禁 死死死死死死死死死死死死
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>655
カラアゲ禁止って、おまえも投稿してスレッドを、あげてくれてるじゃねーかよ(笑)
∧_∧ ノノノノ -___
(;・∀・) (゚∈゚ ) ─_____ ______ ̄
( >>1 ) 丿\ノ⌒\ ____ ___
| | | 彡/\ /ヽミ __ ___
(__)_) ./∨\ノ\ =_
.//.\/ヽミ ≡=-
ミ丿 -__ ̄___________
(⌒\ ノノノノ
\ヽ( ゚∋゚)
(m ⌒\
ノ / /
( ∧ ∧
ミヘ丿 ∩∀・;)
(ヽ_ノゝ _ノ
丿 ,;⌒⌒i.
ノノノノ⌒ヽ ( ;;;;;) ______
(゚∈゚ ) ミ) ,,:;;;) | |
/⌒\/( ) ヽ| |/ |;,ノ | 樹海 |
( ミ ∨∨ | / .,i |______|
ノ / | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
( \/ヽ ,,,丶, | |,,,;. ;i, ‖ヽ
\ ) ) .. ,, ´ヽ (,, ‖丿.,,,
/// ,, ,, .. ´ヽ ‖,,, ..,
`ヾ ヽミ ,, .、 ヽ .. ヽ丶,.ヽ ‖
最近、高橋信次宣伝本がどこぞの誰か(ニューエージ系か?)が出していたが、
隠れ信次ファン相手に出版するほうもするほうだが、買うほうも買うほうだと
思った。
新宿紀伊国屋で信次本の隣に並んでいるのを見かけたよ。
>>656 :梅仙人 さん
しかし、GLA関連スレッドは、各種電波に祟られていますねえ。
でも、まあ、GLA・TLスレッドも回を重ねて8まで来たし、そして
梅仙人さんのたてたこのスレッドもあるし、ネットの環境があって、
一般的な注意深さのある人であれば、もうGLAには入会しないでしょう。
また、休眠会員も増えてくるものと思われます。
ただ、一方で、それでも頑固に盲信・狂信してGLAにしがみつく人たちも
いるわけで、「教団の先鋭化」というものが懸念されるでしょう。
両刃の剣というのですね。
GLA関連スレッドにも、以前のように人のよさそうな書き込みのGLA会員の
かたたちは、来なくなりました。そして、替わりに悪意と憎しみのあふれる
書き込みばかりが増えてきました。何やら、象徴的です。
169!さん
どんなカルトもそうなんですが、「うわべは愛、中身は憎悪」ってのは多い
んじゃないでしょうか。キリストはそういう「偽善者」を「白く塗りたる墓」と
形容しました。墓石は白くきれいだが、その下には腐敗した死骸が埋まっている
という寸法です。
日本神話では、こういう憎悪と怨恨と狂信にまみれた連中の魂は「黄泉の国」
へゆくことになってます。なんにせよ、ここまでスレッドが立って、内情暴露
されてるんですから、もう会員増は無理ですね。
優良スレ 普通 クソスレ
┝━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┥
88彡ミ8。 /)
8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
|(| ∩ ∩|| / / <ココ!
从ゝ__▽_.从 /
/||_、_|| /
/ (___)
\(ミl_,_(
/. _ \
/_ / \ _.〉
/ / / /
(二/ (二)
663 :
名無しさん@1周年:02/05/19 15:20
高橋信次講演「心と肉体の法則」1 (1976年1月「関西新年講演会」)
今までは、上がってくるとき、必ず、1回は、バンドを上の方へ上げなければ、
ずり落ちてしまうような「不細工」だったんですが、
え〜、この度からは、そういう姿が、見られなくなると思います。
長い間、どうも、ご迷惑かけまして、すみませんでした。(会場笑)
え〜、ちょうど、・・・私は、「48歳」の「9月」、
それから、原因不明の「現象」に襲われることを、
「7年」ぐらい前から預言しておりました。
その筋書き通りに、「現象」が起こってまいりまして、
「豚」のように太っていたのが、本当の「スタンダード」の「標準型」に
なりまして、洋服の方も、「ブラサンコ」しているのを買っても、
十分間に合うようになりました。
非常に、経済的です。
その理由というのは、7年近く、人々に説いてきたのは、
「心の偉大性」を説いてまいりました。
身をもって、「心」から、さらに、この地上界において、
「人生航路の乗り船」というものの価値、
「色心不二」と言いましょうか、
「色即是空」と言いましょうか、
そのような「色(しき)」の問題を勉強してまいりました。
「格子なき牢獄」の中で、身動きもできない、その中で、
「自分」というものを見つめてまいりました。
体が健康なものですから、その中に、やはり、
「自由がない」というのは、大変なことです。
ところが、医学的の面で、どんなに、科学の粋を集めて検査しても、
所詮、あちらの方の仕組みでやられているのですから、
分かるはずがありません。
┌───────────
│なぁ、最近の糞スレの多さときたらどうよ?
└──────v────┌──────────
.│残業手当 出るのかな
.└────v──────
/\ /⌒\ /⌒\ /\
/ /\ / /'⌒'ヽ /'⌒'ヽ \ /\ |
| / \( (● ,,●) (●,, ●) )/ |: |
ヽ | \ ヽ冊< >冊/ ./ |: /
ヽ| / 彡 ⌒ヽ /⌒ ミミ \ 〆
| r|::| \ ヽ / / |::|入| |
イ |::| ミ7 ̄ | |√7ミ |::| ト |
ハ_V |:|\ | |./|:| V_.ハ |
| V_ノ\ /|_V | |
N i. N N .i N ∧|∧
VN. i |、ヘV λヘ、| i .NV /⌒ ヽ)
W/V V\W | | |
>>1 ( 、 ∪
|| |
∪∪