616 :
◆uUZPFLgI :02/05/01 08:47
よいこのコピペ荒らしは禁止。
こぴぺ貼ったよいこは撤退すべき。
コピペすればするほど、あら捜しをされて、信次のくだらなさが、もっと暴露され
ることに、いーかげん気づいてほしいな。
619 :
名無しさん@1周年:02/05/02 23:22
>梅仙人様
このスレは非常に、非常に興味深く拝見させてもらってます。
実は梅仙人さんにお礼が言いたくて。
今まで、高橋信次の本って、世間では正しいのか嘘なのかうやむやにされた
まま売られ続けてきたでしょ?誰かがはっきり、「あれは妄想です」と
大声で発言しなくちゃいけなかったんですよ。
そういう私自身も、入信こそしませんでしたが、高校時代に高橋の著作を
読みふけった時期がありまして、おかげで自分の正常な人生観をずいぶん
狂わされてしまったと感じています。
私も、声を大にして言いたい。あれは悪書です!
いつまでもなあなあで書店や図書館に並べさせておいては、今度は私たちの
子供たちがあの本を読んでおかしくなってしまいます。
梅仙人様、はっきり言ってこのスレを単行本にして何万部でも売り出したい
気持ちですよ。低俗な荒らしに負けないで、頑張ってください。
620 :
名無しさん@1周年:02/05/03 00:43
高橋氏の遺稿「新・復活」が刊行されなかったのは
ナゼ?
伝えられているところでは、当時の幹部の批判が
書かれていたからという事らしいが。
「新復活」は、園頭サイトでの記述では「佳子がミカエルではないことを、信次
が書いている」という内容だったので、佳子が封印したと書いてあったような。
「人間釈迦」は、歴史ドラマなどと同様、フィクションを
ちりばめたものだと思う。
>619さん
お礼が遅れましたが。ご声援に感謝いたします。
そろそろ「心の発見」の検証は、終盤ですが、その後には「高橋信次の著作の
オリジナリティのなさ」を証明する企画『高橋信次のパク理の原点」を開始いた
します。ご期待ください。
624 :
名無しさん@1周年:02/05/09 00:38
これは興味ある。
自分も「大自然の波動と生命」に関して
ちーとばかりパクリじゃないの?
というところをハケーンしたよん。
「悪霊よいこ」ごと高橋信次スレッド消されたね。
626 :
天竺ネズミ:02/05/11 21:41
佐藤正忠の著書、「信仰は力なり」にこんな記述がある。
高橋信次といっても、社会的にはまったく無名であった。
謄写版のような形で、一冊、本を出していたが、専門家にしてみると、読むに耐え
ないシロモノであった。
「こんな本、ダメですよ。もっと本格的なものを出さないと……」
と私が言うと、
「よろしくお願いしますよ」
と言ってきた。
私も本気になって、高橋の著書の出版にふみ切った。かくて出版したのが『縁生の
舟』の三巻であった。
高橋は、もともとが技術屋なので、文章が苦手であった。そのため、もっぱら口述
筆記に頼った。そして印刷したものを高橋に渡していく。高橋は、それに朱を入れて
いく。そうして、一巻、二巻、三巻と売り出して、遂にベストセラーになっていくの
であった。
『縁生の舟』は後に改題し、今では『心の発見』となっている。
(中略)
そのうち高橋は、文章を書く技術を修得していった。それは句読点のない、だらだ
らとした長ったらしい文章だったが、いつか口述をやめ、自分で書くようになってい
った。
627 :
天竺ネズミ:02/05/11 21:43
まあ、要するに高橋信次も初期の書籍については娘の佳子同様
ゴーストライターをつかっていたわけですな。
こんにちわ、梅仙人様。掲示版大変感動しました。しかしギャグ調の文章構成なので、伝えたい事が薄く感じます。もっと多く真相を知りたいデ書き込み引きつずき御願いします
最近のGLA批判も聞きたいです
>>623 :梅仙人 さん
>「高橋信次の著作のオリジナリティのなさ」を証明する企画
>『高橋信次のパク理の原点」を開始いたします。ご期待ください。
これは、より難しいテーマですね。
「それは偶然同じになっているだけです。」なんて信者の方が言いそうです。
>>624さんが言及されている「大自然の波動と生命」、気になります。
624さんにも期待・・・・
631 :
名無しさん@1周年:02/05/12 22:08
トラトラジオンジオンチトフルモ トオチャソウトチャソウホンミアン
ジオンプラトアミアミ ミトラホンホントラツ トオライタチプララソト
チタチトアミホン
さて、ここで一応の締めに入る前に、今はhtml化待ちの「高橋信次」スレッドに
昨年末より記載した「心の発見・現証編のあやまち」シリーズ1〜20を、ここに
再掲する。連続投稿できないので、数日かけてご紹介する。まだ、お読みでない方
は、コピペのご準備をどうぞ。
「心の発見・現証編」のあやまち1
「心の発見・現証編」(高橋信次著・三宝出版)より
昭和43年7月より、信次には「ワンツスリー(以下123とする)」
(実は十戒で有名なモーゼ)という指導霊と「フワイ・シン・フワイ
・シンフォー(以下フワイとする)」(実はイエス・キリスト)と
いう指導霊が、霊媒にした弟の体にかかって現れ、悟達をせまると
いう事件が起こる。
そして9月、信次の霊視の中で123のことを、フワイはこう紹介する。
(P90〜91)
「こちらの方は、BC百三十年ごろ、エジプトで活躍されたモーゼと
いう方です」(発言A)
そしてフワイの方も「紀元前三ニ年にイスラエルに生まれたイエス
・キリスト」だという。(記述B)
フワイは「おまえにイエスだのモーゼだのといえば、聖書やユダヤ
経や十戒を読みあさり、塵と埃にまみれた現代版をそのまま暗記して
しまうことを恐れたからだ」(発言C)と語る。
それに対して、信次は「なるほど、私の性格ならおそらく聖書や
十戒をよみあさったことであろう」(記述D)
「心の発見・現証編」のあやまち2
さて、この信次の人生の大転換を決定づけた「123」「フワイ」の
両名の「事実性」を、発言・記述にしたがって確認しよう。
まず発言A「BC百三十年ごろ」はあきらかにまちがいである。
現在の定説では「紀元前1250年ごろ」である。「BC130年頃」
は「ハスモン王朝時代」であって、どう考えてもモーゼの時代ではない。
ダビデ王・ソロモン王の時代から見ても、千年も新しい時代にあたる
のだ。「出エジプト」が起こるわけがない。
ユダヤ人だったイエスともあろうものが、こんな基本的なまちがい
をするわけがない。ゆえに「フワイ」はイエスを名乗る「ニセモノ」
である。
記述B「紀元前32年」もまちがい。現在は「紀元前4年」ごろと
されている。もっとも生まれの早い想定でも「BC7年ごろ」であ
って「BC32年」ではありえない。前32年は、まだヘロデが王に
なってから5年後ぐらいである。乳児のイエスが父母に抱かれてエジ
プトに逃れて、ヘロデがまもなく死んだという新約の記述を正しい
とすれば、明白な矛盾をきたす。ヘロデ大王の死はBC4年と「ユダ
ヤ戦記」などの記録に残っている。
このフワイの説明もまちがいだ。イエスならば、こんなミスをいお
うはずがない。
「心の発見・現証編」のあやまち3
発言C「聖書やユダヤ経や十戒」とはおかしな表現である。なぜなら、
「ユダヤ経」典とは「聖書」の事であり、「十戒」とは「聖書」の中の
「出エジプト記」の中の記述をいうものであって文書の名ではない。
つまり「聖書=ユダヤ経>出エジプト(十戒)」であって、これらは
すべて「聖書」もしくは「旧約聖書」という一語で説明できるものであ
って、あたかも別々の文書のごとく表現されるものではない。
フワイがイエスなら、本当はこういうべきだ。「聖書、とくに出エジ
プト記など」と。このフワイがイエスの霊であるなどとは、信じられない。
「ユダヤ経」を「タルムード」ではないかといわれる向きもあろう。
「タルムード」自体は日本では昭和43年時点で、信次が読んで参考に
できるような出版物は皆無であったはずだから、それはありえない。
記述Dでも「聖書」と「十戒」を別々のものと認識している、信次自身
の勘違いがある。この信次の勘違いと、発言Cのフワイの勘違いの同一性
はなんとしたことだろう。フワイは、信次の守護霊である。なぜ信次の
勘違いを訂正せず、同じまちがいをくりかえすのか。それでも「守護霊」
であろうか?
「心の発見・現証編」のあやまち4
イエスは聖書(旧約)に通じて、その全文を暗記していた「ラビ」で
あったし、当時のパリサイ人たちも同じく旧約聖書を全部暗記していた
律法学者だったから、彼らと激しくやりあって舌戦をくりひろげた彼が、
いくら二千年後の日本語をあやつるからといって、このようなまちがい
をするはずがない。
上記のAからDまでの「あやまり」は、すべて基本的な「信次のかん
ちがい」に依拠していて、「フワイ=イエス・キリスト」と証明する根
拠とはなりえない。
この「フワイ」はにせものであり、本当のイエスではないし、それを
信じてしまった信次は大きなミスを犯した。
もっと悪くいうなら「すべてがでっちあげ」「過剰脚色」「やらせ」
の可能性すらある。H13.12.17
「心の発見・現証編」のあやまち5
P194「(霊媒や自分にかかったりした霊は)威張りくさることは絶対にない
ということを知るべきだ。優しい安らぎのある言葉で、絶対に如来だ菩薩だ、
いわんや○○の神だなどとはいわないものである」(記述E)
P196「宗教指導者が、神だの仏だのとみずから名乗ったときは、すでに正道
をはずれているのである。(記述F)
上記2件とも、それ自体は正しいことをいっている。
ところが、この基準にしたがうと、次のような矛盾が生じる。
1:まず、信次自身が「釈迦つまり仏の生まれ変わり=仏」と主張した点。また
ユダヤ教徒やキリスト教徒にとっては、仏教での「仏・菩薩」に匹敵する人物
の「モーゼ」「キリスト」が「自分の指導霊」として出現したと述べたこと。
2:上述の「123」(自称モーゼ)が、初めて信次の前に弟の体を借りて現れた時、
「私は上上の上の上の上の上に立つ神だ。おまえたちは、この男にひれふして私
のいうことを聞くがよい」そんな意味のことをいい、私(信次)に対してはもっ
とも厳しく叱るのだった・・・(P57〜58)。
発音だけきくと「神神の神の神の神の神に立つ神」といったともとれる。この
ような高飛車さは、記述Eにあきらかに反する。また、この高飛車さは娘・佳子が
77年当時ミカエルを名乗ったとき「5年後に全人類がミカエルの前にひれふす」
と宣言した傲慢さとも通じるものがある。
「心の発見・現証編」のあやまち6
3:P79(信次の妹にかかった彼女の守護霊・前世がこう発言)
「私は観世音菩薩と呼ばれているものでございます。しばらくでございます」
4:P85(信次の妻=GLA会長高橋一栄にかかった彼女の守護霊・前世がこう発言)
「私はマイトレーヤと呼ばれたインドの時代、ゴーダマ様のお弟子でございました」
「観世音菩薩」とは俗に言う「観音さま」であって、個人名ではない。それなのに
なぜ前世が観音だったと名乗れるのか。マイトレーヤもいわゆる「ミロク」であって
高橋一栄がそうならば、とっくに「ミロク下生」で、この世は仏国土になっていなけ
ばならない。
自分と自分の妻や妹は「仏」「観音」「ミロク菩薩」と名乗ってもいいのだろうか。
それは記述Eに明確に反することではないか。「自分や自分と関係ある人間は別だ」
という「条件つき」の「基準」だったのだろうか。そうとしか思えない。自分のこと
を棚上げにして、会員に説教をたれる佳子の姿勢を見ていても、そのあやまりは糺さ
れることなく、信次から佳子に受け継がれている。
それから信次がよくいった「アボロキティー・シュバラ(観自在菩薩)」と「観音」
が同じものであることを思えば、信次の宗教知識の不正確に、さまざまな惑わしの霊
どもがとりついて、だまくらかし続けたといえよう。
したがって記述Fによるなら、信次は最初から「正道をはずれていた」ことになる。
「心の発見・現証編」のあやまち7
霊媒にかかった霊が正しい霊なら、いばりくさることなど絶対にない、という
記述Eに抵触する例を補足しておく。
やはり「123」のあとに「フワイ」が初めて弟の体に入ったときのことだ。聞き
取りにくく、長い名前だったので、信次はニ、三回くりかえして名前を聞いた。
それに対する、信次の「守護霊フワイ」の答えはこうだった。
「この馬鹿者め、おまえのような愚か者と語るのはやめだ。馬鹿者め」(発言G)
と中国人が文法を度外視して片言の日本語を使うような言葉で私(信次)を叱った。
それはとりつくしまもない状態だった(P60)
しかし、前世でイエスだった霊が、このような叱責をするのは解せない。しかも、
その後、中国に僧として生まれて、中国風「イエス・キリスト霊」として立ったと
いうのは、先述のあまりにも不正確な聖書知識・ユダヤの年代認識とあわせると、
まことに不自然かつ異様である。
「心の発見・現証編」のあやまち8
さらには、本文をよく読むと「フワイことイエスは信次の守護霊」と書いてある。
ならば、信次の潜在意識と同通する存在なのだから、ますますもって不正確な知識
は致命的だ。顕在意識の信次に正しい知識をさずけない「守護霊」とは、いかなる
存在なのだろうか。
そのくせ、このフワイは信次が昼間に何をしていたか、こまかく信次の行状を言い
当てて、いいわけをゆるさない正確さでやりこめている。つまりこの「守護霊フワイ」
は「信次の顕在意識が経験・記憶した情報に通じている」だけではないか。
「守護霊フワイ」自身は、「実在界」からきた「光の天使」であり、「実在界と現世
の間の輪廻転生の真実」を、信次にこまごまと教えて「神理」の解説をしたという。
だが、それとて、それまで信次が「少年時代の幽体離脱の経験の理由」「もう一人
の自分」を、30年以上ももとめて色々と学んだことの「集積データ」を盗用し
アレンジすればできないことではない。
少なくとも、「守護霊」の力や直接的介入がなくとも、いずれ信次は「神理」に
目覚めて、説法できるだけの知的蓄積は、そのときすでにあったはずだ。その証拠に、
日本大学だか東大大学院だかの卒論が「神的生命は大は宇宙、小は微生物まで」とい
うものだったと書いてある。
「心の発見・現証編」のあやまち9
信次はまた「1954年12月結婚。このころから不思議な現象が起こりだし、予言がほと
んど的中し、それ以来、20年間、神仏のことが話題にのぼらない日はなかった。それ
は執念のように心のなかを占領していた」(記述H/P48-49)ということも書いてある。
信次は、このように宗教(仏教関係が中心だろう)や神仏・自然科学について、相当
に勉強したと思われる。「守護霊」を名乗ったものが、それをデータベースにして勝手
にひとつの理屈を構築するなど、造作もなかろう。なにしろ、相手は人間の記憶をのぞ
きこんで読むことのできる霊的存在なのだ。
「神理」という教義の構築に、信次自身の経験と学習に依拠しない、「守護霊自身の独
自の発想・知識」はどれだけあったのか、かなり疑わしい。
「心の発見・現証編」のあやまち10
信次は、「123は、正しい人生のありかたと、神の子の証について私に本を書くことを
指示したものであった」とも書いている(P75)。聖書知識の確かでない「イエス」霊
の友人である「モーゼ」霊に命じられて、『心の原点』をはじめとする著作群を世に
問うことにしたのだという。
信次自身は、「霊感・ひらめき」は「守護霊・指導霊」の賜物と信じていたようだが、
別に「守護霊・指導霊」が名乗り出て面前に現れずとも、「インスピレーション」なら
誰にでもある。
また、信次自身が、さまざまな宗教団体やそこから出版された著作群と接触し、知識
を蓄積していった可能性もあるのではないかと私は思う。「神仏への執念のような関心」
を30年以上も持ちつづけた人間が、さまざまな宗教団体の門をたたかなかったなど、
考えられるだろうか?
ただ、娘の佳子が「真創世記地獄編を天上界の命令で10日間で書いた」という大ウソ
をついている以上、上記の信次の出版の経緯も、どこまで信じていい話かわからない。
ウソのつき方を父親から学んだという言い方も、まったくできないとは言いきれまい。
「心の発見・現証編」のあやまち11
この「フワイことイエス・キリスト」の「守護霊」にはまだまだ疑問がある。
たとえば、信次は自分の守護霊を、先述した妻や妹にとりつかせて、「同一
の守護霊であることを証明する実験」をしている。
すでに、私の中で守護霊の存在は動かしがたい事実であった。また私の守護霊が、妻
や妹の意識を支配しても、まったく同じ結果が出てくるというのだから、否定はできな
ことであった。(記述I)P89.
これは容易ならぬ記述である。人間の顕在意識と霊的世界の住人の交通は、たいてい
は「同じレベルものどうしの交通」「似たものどうし」「類は友を呼ぶ」の場合が多い。
憑依する場合でも似たりよったりの霊が憑くのである。
とするならば、信次も妻・一栄も妹・由里子も「イエス・キリストと同類であるが
ゆえに、その支配を受けることができた」ということになってしまうのだ。
また「守護霊」が「別の肉体を持つ人間を支配する」などということがありうるだろ
うか。あるとすれば「とりつく相手を変えることができる憑依霊」だろう。つまり、
「フワイ」は「守護霊」ではなく「憑依霊」である事こそ、「動かしがたい事実」なの
ではないか。「憑依霊フワイ」にしてみれば、いつでも取りついて惑わせる人間が、
グループで現れたのだから、笑いが止まらなかったことだったろう。
「心の発見・現証編」のあやまち12
子供のころの「幽体離脱」体験の日々から「もうひとりの自分」を、30年以上に
わたって求めてきた信次だが、それが「霊的盗賊・詐欺師」を、おのれに呼びこむ結果
となってしまったことは皮肉としかいいようがない。邪推をたくましくするならば、
子供のころのその話も、守護霊との会話もぜんぶ創作で、本当は彼の予言や病気治しの
能力だけが事実だったという可能性もある。
「霊能力」はあったが、それを「理由づける理論」「説明する根拠」がなかった。その
ために創作されたのが「神理」だった可能性もある。こうした「宗教的あとづけ」の例
は珍しいことではない。
>「心の発見・現証編」のあやまち11 修正
>妹・由里子
ではなく「妹・洋子」が正しい。
「心の発見・現証編」のあやまち13
次の引用は、同書の巻末附録。信次が「光をいれて心を開いた」人物の異言によって、
前世の証明をしたものである。
なお、以下の異言の言葉と、その後に続く対訳とおぼしき日本語については「意訳」「要
約」「編集」などの手を加えたという注意書きは一切ない。したがって、異言の言葉を日本
語として、「高橋信次が、そのまま訳した」とみなして検証にあたる。
以下を読んで私の解説と対照して目を通せば、この高橋信次による「翻訳」がいかにず
さんであり、いいかげんなものかおわかりいただけようと思う。(異言・翻訳番号と異言中
の*No『』および<解説>は私が挿入したもの。原文中にはない)
資料「転生輪廻の実証」P310〜328
N・T子さんの転生輪廻
昭和45年12月 八起(GLA総合本部ビル)にて
リパ リッシオラ セヌア タルアダ クロアヤッセモラナシー フォアラーソー フ
リティー。
ラッセ ダラヌー トゥアティ アラセグレア パワー セヌトゥアラー セドゥトゥ
アティー レグリアラオトゥー。ナウ リバリッセオ トゥレバシー ウァラ フワラー
ラバセヌ トゥアラー ゼドラーティー。リブリヤセヌ タウティー アラスクォルボー
フェイセイ デルイーティー。ラウ リボーティアラーオス クォラバー セトゥラ
*1 『イスラエル』ウアリ クナォウトゥ アリー パッソー。ダートゥリ ポッセレ
エトゥラル オッスルトゥルヤ エテレヤセイ トゥーラトゥ *2『アウセイ クライ
ストゥ』 ウアトゥー。ナーリ グーハッビーセー N・T オーティレパッソー ウラ
バソビア ウアタール プラヤッソーフォアー。(異言A)
私はN・T子の指導霊フリティーでございます。私はかつて二千年ほど前、エジプトに
おいて肉体を持った男性でございます。私は実在界より正法を証明する使命を戴いて、こ
の女性の意識と調和をはかり、いろいろと指導しております。(翻訳A)
「心の発見・現証編」のあやまち14
<解説A>
まず、これは何語なのだろうか? 二千年前のどの地方の言葉であるか、まず説明する
のが筋だろう。
翻訳では「エジプトに生まれ」となっているが、異言Aでは、地名らしきものは*1『イ
スラエル』しかないようだ。エジプト生まれでエジプト古代語を話すのならば「ケメト」
という名称で呼ばねばならない。「エジプト」という呼び方は、ギリシャ人の呼び方だ。
しかし、ここには「ケメト」も「エジプト」もない。いったいどこからもってきた翻訳地
名なのだろうか。
翻訳Bではイエスと出会ってキリスト教に帰依したむねが書いてあるから、この言語は
ギリシャ語かヘブライ語(アラム語)でなくてはならない。ヘブライ語ならば、旧約時代
のエジプトをヘブライ人は「ミツライム」と呼んでいたから、せめてその単語くらいはあ
ってもよさそうだが、それもない。いったい何語なのか?
「フリティー」と「N・T(夏栗徳子)」の間にだいぶ語数があるから、これは「意訳・
要約」したとも思えるが、それにしても何語であるかもわからず、和文から異言に向かっ
て類推できる要素が極端に少ない。なぜ、「逐語訳」ではないのだろうか。できなかった
のか? ならば、この「翻訳A」の信頼度、また信次の異言翻訳能力レベルにはおおいに
疑問が生じる。
「心の発見・現証編」のあやまち15
この異言Aと翻訳Aとの間で、一致する単語は「フリティー」「N・T」しかない。*2
『アウセイ クライストゥ』はたぶん翻訳されなかった単語と思われるが、翻訳Bと関係
があるとすれば「イエス・キリスト」とも読める。しかし、この読み方は、なまりのある
英語などのヨーロッパ言語を思わせる。ギリシャ語なら「クリストス」と読むべきだし、
ヘブライ語(アラム語)なら「イエス」の部分は「ィエホシュア」と読まねばならないし、
「キリスト」は「マーシャー」である。
もし「イスラエル」を「エジプト」と訳したのだとしたら、それは信次の顕在意識の無
知を証明するものである。「イスラエルはエジプトの一地方」と認識していたのだろう。守
護霊が「イエス・キリスト」にしては、あまりにもお粗末である。少なくとも、この信次
の翻訳には「イエス・キリスト」は、まったく協力してくれなかったようである。もちろ
ん、この翻訳Aの信憑性ははなはだしく低いといわざるをえない。
「心の発見・現証編」のあやまち16
ラトゥ ラッセバリニッシュ フアラー スクォラバリアラー ウォーティア スクォ
ラ ナッセテトゥラリー ウォーロースクォ アールバー ティニッシュフアー。ナウ
リバリシー アラウーティ エルクラヤルワー トラセヌーパワー レッセドォラ ウ
トゥー。(異言B)
私はその当時、大衆から税金を取り立てて生活をしておりました。ある時、商用の途中
でイエス様より、いろいろなお話をお聞きし、自分の間違いを知って郷里に掃り、自分の
生活を改め、後にイエス様が実在界にお帰りになりましてからは、ペテロ様の補佐役と
してキリスト教の伝道をし、所々方々を歩きました。(翻訳B)
<解説B>
これも翻訳から異言に向かう一致がまったくない。「大衆から税金をとりたてて生活」と
いうことは、イエス在世当時にユダヤで同胞に憎まれた「取税人」だとわかる。12使徒
のひとりマタイもそうだ。ということは、この異言の主は「ユダヤ=ヘブライ人」という
ことになる。
異言Aから類推しても「イスラエル生まれのイスラエル人」でなければならない。とな
れば、「イエス様」は「ラビ・ィエホシュア」または「ラブニ・ィエホシュア」以外には考
えられない。「ペテロ」も「岩」を意味するギリシャ語だから、当時のユダヤの言葉では「ケ
パ(ケファ)」である。しかし、異言Bに両者と比定しうる単語は見当たらない。
ゆえに、イエスとペテロであることを証明するギリシャ語かヘブライ語の単語の見つか
らない異言Bが翻訳Bであることを証明する要素は何もない。すなわち「でたらめ」の可
能性大である。なぜなら、異言Aと翻訳Aでは「フリティー」「N・T」の人名が、せめて
もの「一致点」として存在するのに、翻訳Bではそれすらないからだ。
固有名詞や人名すら一致しない「翻訳」を「翻訳」と呼べるのだろうか。
「心の発見・現証編」のあやまち17
ターリバリ オストゥー ドゥアティア アウルストゥル バーニッシュ フアラー
セバーティニ スルードゥアティア ワールクラウォー。ナウティー アッセブティ
ー オッラッサダルクラヤーソー フォアラーナートゥワリ パッソーフー リドゥラー
トゥー。(異言C)
その頃、アラビア人、エジプト人、パリサイ人、ガリラヤ人など、皆それぞれの人種が、
いろいろと人種的な偏見のもとに自分達の部族が最高であるというような対立の激しい時
代でございまして、戦争で勝った国は、相手の人種をすべて奴隷として扱い、それはそれ
はむごたらしいものでございました。イエス様はその頃、実在界より使命をもって、この
人種差別をなくすよう、博愛・隣人愛を説かれたのでございます。(翻訳C)
<解説C>
これまた、ギリシャ語でもヘブライ語でも翻訳した文と一致する固有名詞が、まったく
見いだせない。「アラビア」「エジプト」「パリサイ(ペールシームまたはハベーリーム)」
「ガリラヤ」は、みな地名と固有名詞だから、これとにかよった単語がなければならない
のに、ひとつもない。もちろん、「イエス様」を意味する単語もない。
さらに致命的なのは、アラビアとエジプトは「国名」なのに対し、「パリサイ」は「ユダ
ヤ人中の宗教の派のひとつ」であり、「ガリラヤ」は「イスラエルの北部地方の名前」なの
だ。つまり「パリサイ人」「ガリラヤ人」とは「人種・民族名」ではないのである。
日本人にわかりやすくいえば、この翻訳Cの人種名のつもりでならべた単語は、「中国人、
韓国人、日蓮宗門徒、関西人など」と表現したにひとしいのだ。これらを「皆それぞれの
人種」などとあらわす珍妙さは類を見ないものだ。
「心の発見・現証編」のあやまち18
ほんもののイエス・キリストの意識が「守護・指導」しているなら、当時のユダヤ社会
における「国名」「宗派名」「地方名」を混同するなど、絶対にありえない。
つまり、この翻訳は、信次が持てる乏しい聖書知識を総動員して、「あてずっぽうにでっ
ちあげた」と見る方が自然である。百歩ゆずって、信次の翻訳が正しくて、異言の主の言
を直訳したとしても、この異言の主は「イスラエル人」でもなければキリストの弟子でも
ない。イエス在世当時の常識すら知らないものが、なんでキリストから直接に話しを聞け
た弟子であろうか。
また、イエスが「人種差別」をなくすために生まれてきたように書いてあるが、それも
正確ではない。キリストは最初は「ユダヤ人」のためにのみ活動していたし、「世界布教」
をはっきり語るようになったのは「復活後」である。「山上の垂訓」が「民族差別撤廃を
目的として語られた」などと、だれが信じられようか?
いずれにせよ、キリストの意識が指導しているとは、とても信じられない内容である。
「心の発見・現証編」のあやまち19
<解説総論>
上記のことより、この「資料」全体の信頼性はきわめて低く「輪廻転生の実証」には、
まるでなっていないということがいえよう。異言も何語かわからず、翻訳もデタラメであ
てずっぽうでは、何をどう証明できようか。
信次の守護霊がイエスなどではなく、異言を翻訳する能力もないことが証明されただけ
ではないか。信次の異言解釈がでたらめであれば、彼の異言とその解説は、みな思いこみ
や想像の産物としかいいようがない。私が経験した「過去世記憶をまったくともなわない
異言体験」と大差ないではないか。いな、むしろ、「でっちあげ翻訳」という妄想がともな
う分だけよけいにたちが悪い。
あるいは、異言ABCを「天使語」「天上界」の言葉ではないかという説もあるかもしれ
ない。だが、同書でこのあとに続く、同じN・Tという人の、釈迦時代の弟子の前世記憶
の異言は、意味不明ながらも言語としてことなる発音様式になっている。やはり「思い出
した過去世当時の言葉をしゃべっている」と見るのが自然だ。もちろん、それが本当に「釈
迦在世当時の言葉」かどうか、証明することは不可能だし、そのように翻訳した文も正し
いとはとてもいえないだろう。
「心の発見・現証編」のあやまち20(補足)
信次は同書P309に、「神理編で中国と中国地方をまちがえました」とおわびを
載せている。ところが、その「注」の直前で参照資料の紹介としてこんな文を小型
活字で載せている。
(新約聖書・使徒行法伝第二章、仏典スタニパター、華厳教十地品参照)
これは2箇所まちがっている。「使徒行法伝」ではなく「使徒行伝」
「華厳教」ではなく「華厳経」である。きわめて初歩的なミスというか勘違いである。
あやまるはしからミスを犯す。いったい守護霊、指導霊は何をしているのだろうか。
>266 神理篇だと「紀元前約1300年」だね。
「出エジプトは紀元前百三十年」と書いたこの「現証編」より先に出版された「神理編」
の方が正しいというのも、おかしな話しである。今まであげたさまざまな矛盾やまちが
いからいっても、「誤植」とか「校正ミス」ではすまされまい。
信次自身が、「現証編」のP153にこう書いているのだから。
「不自然なものを信じてはならない。不自然なものには必ず疑問を持ち、解答を得て
ゆけば、迷いから脱出することができる」
あげ
654 :
名無しさん@1周年:02/05/18 00:49
おもろい
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禍 裸裸裸裸裸裸 悪悪悪悪悪悪悪 訝 訝 訝
禍禍禍禍禍禍禍 悪 訝
禍 禍 裸裸裸裸裸裸裸 悪 訝訝訝訝訝訝訝
禍 禍 裸 悪 悪 訝 訝
禍 禍 裸 悪 悪 訝 訝
禍 禍 裸 悪 訝
禍 禍 裸 悪 訝
禍 禍 裸 悪 訝
禍 禍 裸 悪 訝
禁 禁 死
禁禁禁禁禁 禁禁禁禁禁 死
禁禁禁 禁禁禁 死
禁 禁 禁 禁 禁 禁 死
禁 禁 禁 禁 禁 禁 死 死
禁禁禁禁禁禁禁禁禁 死 死死死死死
死 死
禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁 死 死
禁 死 死
禁 禁 禁 死 死
禁 禁 禁 死 死
禁 禁禁 禁 死死死死死死死死死死死死
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>655
カラアゲ禁止って、おまえも投稿してスレッドを、あげてくれてるじゃねーかよ(笑)
∧_∧ ノノノノ -___
(;・∀・) (゚∈゚ ) ─_____ ______ ̄
( >>1 ) 丿\ノ⌒\ ____ ___
| | | 彡/\ /ヽミ __ ___
(__)_) ./∨\ノ\ =_
.//.\/ヽミ ≡=-
ミ丿 -__ ̄___________
(⌒\ ノノノノ
\ヽ( ゚∋゚)
(m ⌒\
ノ / /
( ∧ ∧
ミヘ丿 ∩∀・;)
(ヽ_ノゝ _ノ
丿 ,;⌒⌒i.
ノノノノ⌒ヽ ( ;;;;;) ______
(゚∈゚ ) ミ) ,,:;;;) | |
/⌒\/( ) ヽ| |/ |;,ノ | 樹海 |
( ミ ∨∨ | / .,i |______|
ノ / | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
( \/ヽ ,,,丶, | |,,,;. ;i, ‖ヽ
\ ) ) .. ,, ´ヽ (,, ‖丿.,,,
/// ,, ,, .. ´ヽ ‖,,, ..,
`ヾ ヽミ ,, .、 ヽ .. ヽ丶,.ヽ ‖
最近、高橋信次宣伝本がどこぞの誰か(ニューエージ系か?)が出していたが、
隠れ信次ファン相手に出版するほうもするほうだが、買うほうも買うほうだと
思った。
新宿紀伊国屋で信次本の隣に並んでいるのを見かけたよ。
>>656 :梅仙人 さん
しかし、GLA関連スレッドは、各種電波に祟られていますねえ。
でも、まあ、GLA・TLスレッドも回を重ねて8まで来たし、そして
梅仙人さんのたてたこのスレッドもあるし、ネットの環境があって、
一般的な注意深さのある人であれば、もうGLAには入会しないでしょう。
また、休眠会員も増えてくるものと思われます。
ただ、一方で、それでも頑固に盲信・狂信してGLAにしがみつく人たちも
いるわけで、「教団の先鋭化」というものが懸念されるでしょう。
両刃の剣というのですね。
GLA関連スレッドにも、以前のように人のよさそうな書き込みのGLA会員の
かたたちは、来なくなりました。そして、替わりに悪意と憎しみのあふれる
書き込みばかりが増えてきました。何やら、象徴的です。
169!さん
どんなカルトもそうなんですが、「うわべは愛、中身は憎悪」ってのは多い
んじゃないでしょうか。キリストはそういう「偽善者」を「白く塗りたる墓」と
形容しました。墓石は白くきれいだが、その下には腐敗した死骸が埋まっている
という寸法です。
日本神話では、こういう憎悪と怨恨と狂信にまみれた連中の魂は「黄泉の国」
へゆくことになってます。なんにせよ、ここまでスレッドが立って、内情暴露
されてるんですから、もう会員増は無理ですね。
優良スレ 普通 クソスレ
┝━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┥
88彡ミ8。 /)
8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
|(| ∩ ∩|| / / <ココ!
从ゝ__▽_.从 /
/||_、_|| /
/ (___)
\(ミl_,_(
/. _ \
/_ / \ _.〉
/ / / /
(二/ (二)
663 :
名無しさん@1周年:02/05/19 15:20
高橋信次講演「心と肉体の法則」1 (1976年1月「関西新年講演会」)
今までは、上がってくるとき、必ず、1回は、バンドを上の方へ上げなければ、
ずり落ちてしまうような「不細工」だったんですが、
え〜、この度からは、そういう姿が、見られなくなると思います。
長い間、どうも、ご迷惑かけまして、すみませんでした。(会場笑)
え〜、ちょうど、・・・私は、「48歳」の「9月」、
それから、原因不明の「現象」に襲われることを、
「7年」ぐらい前から預言しておりました。
その筋書き通りに、「現象」が起こってまいりまして、
「豚」のように太っていたのが、本当の「スタンダード」の「標準型」に
なりまして、洋服の方も、「ブラサンコ」しているのを買っても、
十分間に合うようになりました。
非常に、経済的です。
その理由というのは、7年近く、人々に説いてきたのは、
「心の偉大性」を説いてまいりました。
身をもって、「心」から、さらに、この地上界において、
「人生航路の乗り船」というものの価値、
「色心不二」と言いましょうか、
「色即是空」と言いましょうか、
そのような「色(しき)」の問題を勉強してまいりました。
「格子なき牢獄」の中で、身動きもできない、その中で、
「自分」というものを見つめてまいりました。
体が健康なものですから、その中に、やはり、
「自由がない」というのは、大変なことです。
ところが、医学的の面で、どんなに、科学の粋を集めて検査しても、
所詮、あちらの方の仕組みでやられているのですから、
分かるはずがありません。
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│なぁ、最近の糞スレの多さときたらどうよ?
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.│残業手当 出るのかな
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| / \( (● ,,●) (●,, ●) )/ |: |
ヽ | \ ヽ冊< >冊/ ./ |: /
ヽ| / 彡 ⌒ヽ /⌒ ミミ \ 〆
| r|::| \ ヽ / / |::|入| |
イ |::| ミ7 ̄ | |√7ミ |::| ト |
ハ_V |:|\ | |./|:| V_.ハ |
| V_ノ\ /|_V | |
N i. N N .i N ∧|∧
VN. i |、ヘV λヘ、| i .NV /⌒ ヽ)
W/V V\W | | |
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