神はいない

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11 ◆7P44pfbg
真剣な気持ちです。
神はいないと思います。
まずいつだって世界は無言です。
何があっても。
どんなに苦しんでも。
どんな不条理な悲劇に対する訴えにも、
いつでも無言。

次に例え神がいたとしても、今さらという感じです。
今までこんなに苦しんだのに、今さら神が現れたとして
それだけで、過去の不毛な時間が救われるでしょうか?
だからもし神が私の目のまえに現れたら、私は殺します。
絶対に。
それだけのために私は生きてると言ってもいいほど。
絶対に殺します。

というわけで、神なんて私にはいません。
2名無しさん@1周年:01/10/12 01:06
同意。
3名無しさん@1周年:01/10/12 01:09
神はえこひいきをしません。
41 ◆7P44pfbg :01/10/12 01:11
ここに本当に神とか宗教心についてわかっている
人はいるのかな。
5名無しさん@1周年 :01/10/12 01:12
こんな不条理な世の中だから「神はいない」っていうのも
なんだかねー。
6名無しさん@1周年:01/10/12 01:13
>いつでも無言。

それが神たるゆえん。
71 ◆7P44pfbg :01/10/12 01:15
>>5
そんな単純な意味じゃありません。
神はある意味います。
それは憎悪の対象として。
だから神は殺されるべき存在としているだけ。
8名無しさん@1周年:01/10/12 01:16
神は愛する者を苦しめる。
9名無しさん@1周年:01/10/12 01:18
神は単に時間を進め、物理法則を司るだけです。
困ってる人を助ける事などしません。
101 ◆7P44pfbg :01/10/12 01:21
>>9
そうですか、そういう「神」がいるなら、
そういうものを殺すことこそ私の指名だと思います。
119:01/10/12 01:22
>>9
そういう意味で、神は平等。
どんな人にも。
129:01/10/12 01:24
>>10
物理法則を変える事など、人の力では無理だと思いますよ。
131 ◆7P44pfbg :01/10/12 01:27
>>12
私は神をそんな生ぬるい意味で捉えていません。
私は殺したいと思っている神は。
14  :01/10/12 01:27
神は本当に人を救ってくれないの?
それじゃあこの先は絶望。
私を守ってくれるものがないから。
151 ◆7P44pfbg :01/10/12 01:29
神が私を救いにきたら、私はその時神を殺します。
169:01/10/12 01:30
物理法則は誰に対しても平等です。
17名無しさん@1周年:01/10/12 01:31
あなたが苦しもうと、なにしようと神の責任ではなく貴方自身の責任です。

だって、本当に神様なんていないんだから。
181 ◆7P44pfbg :01/10/12 01:32
>>17
そうだね。
だけど、私は神はいないというより、殺したい神がいます。
憎悪の対象として、信仰心とは正反対の意味で。
だから「神はいない」以上に、神はいません。
19名無しさん@1周年:01/10/12 01:37
カルトに騙されたの?
20名無しさん@1周年:01/10/12 01:40
事故にでもあって、身体障害者になったんか?
21名無しさん@1周年:01/10/12 01:41
殺したい神の名前、教えてちょ♪
22  :01/10/12 01:42
この世に生まれたのはただの偶然の事なんでしょうか?
そんな虚しい世界なら私は生きていたくない。
231 ◆7P44pfbg :01/10/12 01:42
>>19-20
違うけど。
カルトなんかじゃありません。
事故でもありません。

普通の生活の中の結論が憎悪でした。
24名無しさん@1周年:01/10/12 01:45
>>22
虚しいとか虚しくないと思うのは人間だから。
25名無しさん@1周年:01/10/12 01:46
ほうほう、んで何を一番憎悪してるの?
26  :01/10/12 01:47
神が自分に何もしてくれないなら
生きてても嬉しくない。
27名無しさん@1周年:01/10/12 01:52
自灯明・法灯明
281 ◆7P44pfbg :01/10/12 01:54
>>25
神。
29名無しさん@1周年:01/10/12 01:57
>>28
殺したいと思う前、「神」はどんな存在だと思ってたの?
30名無しさん@1周年:01/10/12 01:59
神と言っても色々あるよね?
例えば、神とGODは違う。
日本語の神は(元々は)「優れた人、敬うべき人」という意味。
31名無しさん@1周年:01/10/12 02:19
空の鳥を見よ、まきも、刈りも、倉に納めもせぬに、
天の父はそれを養われる。
あなたたちは鳥よりもはるかに優れた者ではないか。マテオ6.26
必要な物を与えて下さり助けてくれる神に感謝。
32ガメラ:01/10/12 02:19
>>1
また駄スレだ。
神は自分(達)に利益(喜び・生き甲斐等)を与えてくれる概念だ。
しいて言えば自分の中に居る。
さらに言えば、宇宙が神だ。
とても宗教的…。
33名無しさん@1周年:01/10/12 11:14
 人の訴えに耳を傾け、その祈りをかなえるような神、あるいは自分
と対立する人を「罪」と決め付け滅ぼしてくれるような神は「いない」
だろう。それは人の欲望が作り出した幻想だからね。
34名無しさん@1周年:01/10/12 12:21
>>22 自殺願望者? 
35ニーチェ:01/10/12 12:37
>>1
神は死んだ。
36名無しさん@1周年:01/10/12 13:38
神はいる。いるから「神」という名前がついている。
37暇つぶしに:01/10/12 14:20
こんな本もあるよ。

  「なぜ私だけが苦しむのか」 --現代のヨブ記 --
     H.S.クシュナー 著
     斎藤武   訳
岩波書店 同時代ライブラリー349

            
38富士山教教祖:01/10/12 14:29
物理的にはいないよ。そして概念としての神も、もう必要ない。
しかし宗教というものは本当に始末が悪い。人は平気で殺すし、わけがわからんね。
なんなの?
39ななし:01/10/12 14:33
>>1

アハハ!
神があなたみたいなちっぽけな存在に殺されるくらいの存在ならば、
いっその事殺されてしまった方がいいね!

まあ、そんな事はありえないから。

それよりも、神をうらむぐらい不幸な自分を何とかしたら良いと思います。
幸福感を感じられる状況になれば、神様でなくても、周囲の人達や全ての
ものに対して感謝の心が自然と湧き出てくると思いますから。
今は精一杯、神の不在を主張し、神を恨むことです。飽きるまで。
その先に、あなただけの新しい発見があるかもしれない。
それは何か、わからないが。
40ななし:01/10/12 14:37
>>1

もう一言。
でも、これは言えると思う。
「簡単に信じるよりも、むしろ激しく疑った方がいい。」
懐疑し尽くしてし尽くして、その末に自分なりの「何か」を見つける事
が大事ではないか、と思う。短絡的に人の主張や教えを信じるよりも。

だから、精一杯神を恨むあなたの態度は素晴らしい!と称賛したい。
41  :01/10/12 14:53
うちもすごいと思うよ。
神を憎むなんて怖くてできない。
4237:01/10/12 16:25
>>18
>>23
「憎悪」、というのがリアルだね。他人を憎むことは人間ならあっておかしくない
と思う。ただ、「神を憎む」と言うあたりが興味深い。神とは人の心の中にある
何かだと思うんだが、あなたが「いない」と言う時、それはそう思いたいだけなの
じゃないか? つまり愛情の裏返しとしての憎しみではないの? だから、あなた
に必要なのは自分の置かれた状況をしっかり受け止めることではないかと思うんです。
「神を殺す」ということは、自分に利益、喜びをもたらさない大きな存在が邪魔だ、
ってことだね? しかし、あなたが考えるその存在は、果たして何を象徴している
んだろうか? 多くの人が認める権威だろうか? いやもっと心の深いところでの
拠り所のようにも思える。神を信じることを欺瞞だと考えるなら、それに代わる心の
支えはどこにあるのか? ただ日々を感情にまかせて暮らすしかないのだろうか?
そういうところを一度話してください。と言ってもネット上では無理か。とにかく
自分の心のことを大切に考えてみることを勧めます。
43名無しさん@1周年:01/10/13 13:20
>>1
もういいの?
44トイレで、かみはいる:01/10/13 14:16
私がカルト宗教にはまってたとき、わが守護神様が、他人を通じて警告をしてくれた。神はあなたを一寸たりとも、あなたからめを、離していませんよ
45名無しさん@1周年:01/10/13 14:22
>>36 バーチャルアイドルにも名前くらい付いているよ。
46半角住人:01/10/17 02:56
半角板にいってみなYO!
毎晩どこかのスレで神とたたえられる奴がいるよ!
47名無しさん@1周年:01/10/28 08:01
あの板なくなったな。
48名無しさん@1周年:01/10/28 16:45
神よりも先祖という気がしますが。
49名無しさん@1周年:01/10/28 17:56
>>32に同意。
神は観念だと思う。
だから殺そうと思えば殺せる。
もし本当に神がいるとしたら、あなたに殺せるとは思えない。
宇宙が神だとしたら、あなたは神の一部。
50名無しさん@1周年:01/10/28 22:37
神はヒクソン・グレイシーより強い。
まずはヒクソン・グレーシーを殺してからにしてください。
51名無しさん@1周年:01/10/28 22:45
子どもの頃、日本昔話見ていて、
神様って、人間がどうやって生きたかをじっくり見ていて
死後の裁きをするもんなんだなーって思ったなぁ
この世は訓練の場って感覚
だから、苦しいときの神頼みな人には神様はいないとしか思えないんだなって思った
52名無しさん@1周年:01/10/28 23:01
>>1
聖書を読んで下さい 
53名無しさん@1周年:01/10/28 23:17
>>1 さんの 「神を殺したい」って思う心さえ
神から、来てるのかもしれない。
そう思うと、神ってほんと、愛憎深い。
神の意志は人間には理解出来ないよ。
欲しいものがいつでも、与えられるとは限りません。
54名無しさん@1周年:01/10/28 23:24
それでも神(のようなもの)を待ちつづける>>1
55ちゃー:01/10/28 23:32
>>1
あんたやおいらは幸せだと思う
もし中東なんかで生まれてたら神様の存在を疑うより先に
敬虔なるアラーの下僕だったろうね

まあ 憎しみは愛することの表裏一体と
昔の安っぽいドラマで言ってたから
もっとよく考えてみると 愛しているのかもよ
56 :01/10/29 00:28
>>1
俺は神の存在には否定的な方だが、そこまで憎めるもんかね?
なんか自分の不遇を無理やり神に押し付けて、責任逃れしてるだけに見えるんだけど。
それに各人の思想の中に存在してれば、それで良いんじゃないの?
要はあんたが頭の中で神様殺したら、それで完結されるんじゃないのかって事。
頼むから俺達まで巻き添えにしないでね。
57名無しさん@1周年:01/10/30 00:37
俺は神なんてもう必要ないよ。
この決断をして強くなれた。
58名無しさん@1周年:01/10/30 00:41
まぁ確かに1の憎み様も理解しきれないが
56の頭の中で〜したら完結されるんじゃないかってのもどうかと。
それで片付くんだったら世の中平和だよ。
59名無しさん@1周年:01/10/31 19:50
神がいるとも、いないとも証明できない。
だから、「神は分からない」だろ?
60名無しさん@1周年:01/10/31 20:57
神は偉大だ
61名無しさん@1周年:01/10/31 21:00
俺はいない
6256:01/10/31 23:21
>>58
スマソ。ちょっと表現の仕方が悪かったかな。
要は「神の存在は自身の頭の中で整理ができれば良いんじゃないの?」という事なのだ。

>>59
神に限らず、宗教って政治と同じ様な物ではなかろうか。
人々を統治する手段の一つだろう。
でも「わからない」という表現は、確かにそうだな。
63名無しさん@1周年:01/10/31 23:27
個々の頭の中で整理ができてればいいと言うのなら
勧誘されたり騙されて怒る奴やら、狂ったように勧誘して迷惑かける奴やら
いなくなってとても助かるんだが。
6456=62:01/10/31 23:44
>>63
同感。
俺にとってはありがたくも何とも無い疫病神を押付けるなっての。
最近、逝け堕訣先生の所に勧誘されて困ってるし。
65:01/11/09 23:01
ここぐらいは真面目な広場と思って参りました。
皆さんおもしろいです。人間ってそうやって人を憎んだり愛したり困らせたり・・・。
「神」はいる、と思います。常にここにいる、と思います。どんなときでも。
例え、ボコボコにされて冷たい川に突き落とされてもです。例え、最愛の人を亡くした時もです。
今、自分が体験していることは何か理解はできません。でも、それは自分が「引き寄せた」、
あるいは自分が「体験してみたい」ことなのだと、深い所の魂ははっきり理解しております。
66名無しさん@1周年:01/11/14 00:23
>>65
お前、めでたい奴やな。
67LUPIN:01/11/14 00:33
>66
たしかに。
つらいとき
「神なんているもんか、この野郎」って
私は何度思ったことか・…。
68名無しさん@1周年:01/11/14 00:39
>>67
その思い方自体が。。。(笑い)
69神に会わせろ!:01/11/21 17:32
神ねえ・・・
ホントにいるのかあ???
長年クリスチャンやってるが、最近どうも神なんていないような気がしてならない。

祈るだけ無駄。祈っても無駄。
神がいたとしても、どうも「やる気」がなそうな。。。
感謝しろと言われても。。。

屁ぇこいて寝よっと。
70:01/11/26 19:22
仏じゃだめ?(笑)
71名無しさん@1周年:01/11/27 13:04
少なくとも物理攻撃は効かなそうだな、神には。
その辺どーするよ、>>1
72名無しさん@1周年:01/11/27 18:25
>>1
激しく同意
73YAIKO:01/11/27 18:30
神様はいない

だって祈ったもん 想いが届きますようにって祈ったもん・・・
74名無しさん@1周年:01/11/28 17:06
>>1さんが憎んでる神って・・・・・・・もしかして八頭神様?
75愚か者!:01/11/28 20:06
詩篇 14:1より

愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。
彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。
76名無しさん@1周年:01/11/28 20:25
>>75
あのさあ、もうちょっと言葉というものがどのように人に伝わるか、考えなよ・・
「神はいない」と思っている人は当然聖書というものに権威を見ないのだから、
その「詩篇」の言葉を読んでも、「まあいかにも聖書にありそうな言葉だけどね。」
と思うだけに決まってるでしょ?

無信仰者に対するそういう態度は、結局何を言っていることにもならない。
そんなことだからキリスト教徒は馬鹿にされるんだよ。
77愚か者!:01/11/28 20:39
>>76
マタイ 13:14,15より

あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。
それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、
悔い改めていやされることがないためである。
78名無しさん@1周年:01/11/28 20:45
悔い改めよ。天の国は近づいた。
79名無しさん@1周年:01/11/28 20:45
↑をいをい 懲りない奴だなあ(笑)
8076:01/11/28 20:47
>>77
あなたは無信仰の人に正しい教えを伝えようとしているのではない。
ただ聖書の言葉に甘えて自分が優越感に浸ろうとしているのに過ぎない。
そのような態度でいる限り神の恵みは決して与えられないことを強く信じます。
すれ違いですみません。
81名無しさん@1周年:01/11/28 20:47
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
82名無しさん@1周年:01/11/28 20:52
↑まだいってるよ(笑)よっぽどくやしいらしい(笑)
83名無しさん@1周年:01/11/28 20:52
心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
84名無しさん@1周年:01/11/28 20:55
はいはい(笑)
85名無しさん@1周年:01/11/28 20:57
>>83
祈りたいのなら、人々から離れて祈りな。
86名無しさん@1周年:01/11/28 21:01
>>85
マタイ 10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
87名無しさん@1周年:01/11/28 21:02
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
人々が、あなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。
88名無しさん@1周年:01/11/28 21:04
光だよ、光。
89名無しさん@1周年:01/11/28 21:05
あなたがたは世の光である。
山の上にある町は、隠れることができない。
また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。
そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
90名無しさん@1周年:01/11/28 21:07
>>83の続き
喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
91名無しさん@1周年:01/11/28 21:09
おまえ神ってキリスト教の専売だと思ってんのか? おまえ馬鹿だろ?
92名無しさん@1周年:01/11/28 21:13
 神を真に愛し信頼する人が居るという事実は、信仰や愛を燃え立たせます。
実際に世の中までも動かしてしまうほどの力になります。
 ただ、そういう事実は本人とそれに関わった人にしかわからないものです。
夫婦の愛と同じように、「愛」は命がけで、「愛」は秘められたものなのです。
【施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。】
こういう面も愛の一面だと思います。愛の道は誰にでも開かれたものですが
と同時に他のなにものも及ばないほどに個人的なものでもあるのです。
誰もが人に愛される、という経験がありますように・・・ 主の平和!
93名無しさん@1周年:01/11/28 21:13
>>91
そら一神教だし。
94名無しさん@1周年:01/11/28 21:17
しかし暇なんだなぁ・・・・俺もだけど(笑)
95名無しさん@1周年:01/11/28 21:20
>>91
では、旧約聖書から。
詩篇 23
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。
96名無しさん@1周年:01/11/28 21:22
著作権どうなってるの?(笑)
97名無しさん@1周年:01/11/28 21:23
なるほど・・・信者が増えないわけだ
98名無しさん@1周年:01/11/28 21:23
そんな指摘は、2chではご法度。
99名無しさん@1周年:01/11/28 21:29
♪いつも喜んでいなさい
100名無しさん@1周年:01/11/28 21:29
主の平和がありますように。
101愚か者!ばか者!:01/11/28 21:32
マタイ 5:22より

しかし、わたしはあなたがたに言う。
兄弟に対して怒る者は、
だれでも裁判を受けねばならない。
兄弟にむかって愚か者と言う者は、
議会に引きわたされるであろう。
また、ばか者と言う者は、
地獄の火に投げ込まれるであろう。
102名無しさん@1周年:01/11/28 21:37
↑自分で自分の首締めるなよ(笑)
103100:01/11/28 21:39
>>101
予想通り。
>>102のような突っ込みが来ると思った。(笑)
その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。
家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。
104名無しさん@1周年:01/11/28 21:45
で?何が言いたいのかな?(笑)
105名無しさん@1周年:01/11/28 21:46
「神はいない」か。
この言葉を発すること自体、そもそも矛盾してるねー。
106100:01/11/28 21:51
>>104
>>103のコメントはあんさんへのコメントではありません。
単なる>>101さんへのレスです。
10775=77=101:01/11/28 21:53
ごめんなさい。
実はキリスト教を貶めるために活動している者なんです。
私のような者には裁きが下りますように・・・。

ユダの手紙より

「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、
自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。
彼らは分派をつくる者、肉に属する者、
御霊を持たない者たちである。
彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、
実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、
自分の恥をあわにして出す海の荒波、さまよう星である。
彼らには、まっくらなやみが永久に用意されている。
108名無しさん@1周年:01/11/28 21:56
聖書は信者向けに書かれた本だから、信仰のない者が読んでも
あまり意味はない。
109名無しさん@1周年:01/11/28 22:09
>>108
その通りかもね。
せいぜい我々は、「天の国は近づいた」とか、「平和があるように」ぐらいのことしかいえません。
気が向いたら、お近くの教会へ。
110愚か者!:01/11/28 22:10
101=107は私ではありません。
私はキリストに従って日夜誠実に努力している一信徒です。

テモテ第二 3:13の御言葉が身にしみます。

いったい、キリスト・イエスにあって信心深く
生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、
悪から悪へと落ちていく。
>>108
他のどんな本が

● 世界の美術、文学、音楽の最高傑作の多くに影響を与え、
   同時に法律にも大きな影響を及ぼしてきたでしょうか

● 何千年もの間、人間の手によって繰り返し写本されな
   がらも生き延び、書かれた時と基本的には同じ状態で
   現代まで伝わっているでしょうか

● 翻訳のためなら進んで苦難を受け、死の危険をも冒す
   ほど、ある人々の無私の精神を鼓舞してきたでしょ
   うか

● 2、100以上の言語に翻訳され、人類の90%余りが入手
   できるようになったでしょうか

● 何世紀もたたなければ発見できなかったような科学
   的な真理を述べているでしょうか

● より良い生き方ができるよう、あらゆる人種、民族、
   国籍の人々を助ける、時代を超越した原則を収めて
   いるでしょうか

● 的中したことが歴史的事実によって証明される、
   あいまいではない予言を収めているでしょうか

そのような書物には、調べるだけの価値があるのではな
いでしょうか
112名無しさん@1周年:01/11/28 22:20
>>111
なのに、世界は相変わらず暴力に溢れ、平和ではありません。
この事実は聖書がいかに無力かを物語っていると思われますが、
いかが?
113名無しさん@1周年:01/11/28 22:25
>>112
やめとけ
エホバの証人の思うつぼだ
114名無しさん@1周年:01/11/28 22:27
聖書に従わない人がいけないんです
115名無しさん@1周年:01/11/28 22:28
>>113
エホバが出てきたら進化論。
116ばか者ども:01/11/28 22:29
肉体って何? 脳って何?
魂があるならば、こんなもんいらんやろ。
117名無しさん@1周年:01/11/28 22:32
知識より知恵
118ショーコー:01/11/28 22:33
私が神だ。
119名無しさん@1周年:01/11/28 22:37
管理人だ。
120名無しさん@1周年:01/11/28 22:39
>>111
ごもっともな点もありますが、
「聖書はすべての人のための書物です」と言われれば、少し違いますね。
聖書は、教会が受け継いできた伝承です。
聖書が今日のように、私たちが書店などで手軽に購入でき、
「世界のベストセラー」や「全ての人のための書物」とか言われるようになったのは、
活版印刷の技術が出来て後のことです。
それまで、聖書は手書きの写本によって、教会で受け継がれてきました。
勿論、手書きによる写本の聖書は、極めて貴重であるため、信者個人で所有されるのは稀なことです。
そのような貴重な写本は、普段は教会の祭壇に上に安置かれ、大切に保管され、
祭儀や祈りの時に教会で読まれるものでした。
そして、司祭の説教などを通して信者は聖書の内容を理解し、
また家庭において語り伝えられるものでした。
>>112
そのように思われるのは実にもっともなことです。古代
の神の僕たちも同じことを感じました。

「主よ、いつまで、わたしが叫んでもあなたは聴いてく
ださらず、わたしがあなたに、『暴虐です!』と叫んで
も、あなたは救ってくださらないのですか。どうしてあ
なたはわたしに罪悪を見させ、どうしてあなたは不当な
ものを眺めておられるのですか」―ハバクク 1:2,3。

あなたもこれまでの人生で、『もし神が存在するのなら、
苦しみを許しておられるのはなぜか』と問いかけたこと
があるかもしれません。ある人々はその説明を試みよう
として神の存在を否定します。そのような結論は現実的
でしょうか。納得のゆく答えはあるのでしょうか。

エホバの証人は、そうした疑問に対する満足のゆく答えを
聖書から指し示しています。どうぞ以下のサイトをご覧に
なってご自身でお確かめになってください。

「苦しみや不正がこれほど多いのはなぜですか」
http://www.watchtower.org/languages/japanese/library/pr/index.htm?article=article_06.htm

「エホバの証人: ものみの塔協会の公式ウェブサイト」
http://www.watchtower.org/languages/japanese/
122聖書の偽りの友:01/11/28 22:59
>>120
歴史的に見て、キリスト教世界は、聖書を信じ、かつ
その守り手である、と公言してきました。しかし実際
のところ、彼らは聖書を一般の人々から遠ざけておこ
うと努めました。

ラテン語が日常語としては廃れた時、聖書を一般の人々
の使っている言葉に翻訳することを非として積極的に反
対したのは、自らクリスチャンと称える人々、すなわち
教皇グレゴリウス7世(1073-1085年)や教皇インノケン
ティウス3世(1198-1216年)でした。ローマ・カトリッ
ク教会が1229年にフランスのトゥールーズで開いた会議
では、教会の権威に反対する意見を封じ込めようとして、
平信徒は一般の人々の言葉に訳された聖書のどの書も所
有してはならないという布告が出されました。その布告
を施行するために異端審問という強硬な手段が用いられ
ました。

これら宗教上の権威者たちは、聖書を滅ぼし去ろうとし
ていたわけではありません。聖書をいわば化石のように
し、ごくわずかな人しか読めない言葉のままにしておこ
うとしたのです。こうしてそれら権威者たちは、自分た
ちが異端とみなすもの、しかし実際には自分たちの権威
に対する挑戦となるものを阻止することを願ったのです。
もしこれがそのとおりになっていたなら、聖書はただ知
的好奇心を満たすだけの物となり、一般の人々の生活に
感化を及ぼすものとなることはほとんど、あるいは全く
なかったことでしょう。

ティンダル、モファット、ジャドソンといった人たちが、
見も知らぬ人々のため、場合によっては文字言語を持た
ない人々のために何年も労苦し、時には命の危険を冒し
てまで1冊の書物の翻訳に当たったのはなぜでしょうか。
彼らは聖書が神の言葉であり、聖書は人々に、そうです、
すべての人々に、それらの人々自身の言語で“語る”べ
きであると信じていたのです。
123名無しさん@1周年:01/11/28 23:23
どうぞ、お近くの教会へ。

ローマ・カトリック教会
ヴァチカン法王庁
http://www.vatican.va/
カトリック中央協議会
http://www02.so-net.ne.jp/~catholic/Jpn.htm

ギリシャ・オーソドックス教会
コンスタンチノープル総主教庁
http://www.patriarchate.org/
聖自治日本正教会
http://www2.gol.com/users/ocj/index.hml.htm

東方諸教会
コプト正教会
http://pharos.bu.edu/cn/
アルメニア教会
http://www.armenianchurch.org/index.jsp
エチオピア教会
http://www.eotc.faithweb.com/

プロテスタント諸教会
日本ルーテル教団(ルター派)
http://www.jlc.or.jp/
日本基督教団(長老派)
http://kohara.theo.doshisha.ac.jp/church/kyodan/kyodan.html
日本聖公会(英国国教会)
http://nskk.org/index.html
日本キリスト改革派教会(改革派)
http://www.rcj-net.org/

その他
ものみの塔聖書冊子協会
http://www.watchtower.org/
末日聖徒イエス・キリスト教会
http://www.ldsworld.com/
世界基督教統一神霊協会
http://www.tongil.or.kr/
124名無しさん@1周年:01/11/28 23:28
>>121
終末がくるくると散々煽っておきながら、思いっ切りはずした
件について、納得のいく答えが欲しいです。
125名無しさん@1周年:01/11/28 23:29
キリスト教で世界は救えません。
トランスパーソナル心理学ならいけそう。
126名無しさん@1周年:01/11/28 23:42
>>122
正教会ではそうではありません。
各州や国に教会を置き、
聖書も各州や国の言葉に訳されています。
また各々の教会は他の教会に権限を及ぼすことはできません。
それは、第2回全地公会で定められています。
ローマ教皇はローマ教会の主教に過ぎませんでした。
127kav:01/11/28 23:50
俺様かな?
週末? 忙しいなー
終末の予定はいっぱいだな・・・
いわゆる1000王関連の終末だと・・・
生まれ年か逝去年かで35年位誤差が生じるかと・・・
・・太陽極大期と大いに関連が・・・
ロシアの学者が次の極大期かも・・と言ってたな・
去年まで 世界中で地震とかかなりの数だったような・・
それが 次にはパワーアップ と いうこと
128聖書の偽りの友(2):01/11/28 23:51
>>126
聖書を一般の人々から遠ざけておこうと努めたのは、
ローマ・カトリック教会だけではありませんでした。
19世紀初期に、サンクトペテルブルク神学校の教授パブ
スキーは、マタイ福音書をギリシャ語からロシア語に翻
訳しました。クリスチャン・ギリシャ語聖書中の他の書
もロシア語に翻訳され、パブスキーはその主幹を務めま
した。それらの書は数多く頒布されました。しかしそれ
も、教会指導部の策動に乗せられたツァー(皇帝)が
1826年にロシア聖書協会をロシア正教会“最高教会会議”
の管轄下に置くまでのことでした。正教会は同協会の運
営を事実上禁止したのです。同じころ、ロシア正教会の
掌院(宣教師)マカリオスも、ヘブライ語聖書をヘブラ
イ語からロシア語に翻訳しました。二人はどちらも、そ
のような努力のゆえに罰せられ、その翻訳聖書は教会の
文書館に保管されました。教会は聖書を古スラブ語訳に
とどめておくことに決めていました。当時そのスラブ語
は、一般の人々には読むことも理解することもできませ
んでした。
129名無しさん@1周年:01/11/28 23:59
自己満足はだめ、だめ。
130名無しさん@1周年:01/11/29 00:01
神はそこにもここにもあそこにもいるよ。
131名無しさん@1周年:01/11/29 00:06
2chにもいるしな。
132名無しさん@1周年:01/11/29 00:13
>>122
> 教会の権威に反対する意見を封じ込めようとして、
> 平信徒は一般の人々の言葉に訳された聖書のどの書も所
> 有してはならないという布告が出されました。
また、教会の権威に反対する意見を封じ込める目的で、
平信徒が一般の人々の言葉に翻訳するのを禁じたわけではありません。
聖書が誤って翻訳されるのを避けるためです。
例えば、旧約聖書の主の御名を「エホバ」という訳は間違いです。
ヘブライ語には子音しか表す文字しかありません。
そこで、主の御名を敬うために、主の御名を唱えることが出来なかったため、
本来「ヤーヴェ」と発音するであろう母音の伝承が不明になりました。
そこで近代の翻訳で、代名詞の主「アドナイ」の母音を主の御名の子音に代用し
「エホバ」という発音されるようになりました。
従って、「エホバ」は、事実無根の誤った翻訳です。
133名無しさん@1周年:01/11/29 00:23
そのように聖書の翻訳や解釈に慎重になるのは当然です。使徒ペトロは全教会への手紙にこうの述べています。
ペテロ 1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。
ペテロ 3:16 彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。
勿論、この文章の中で「聖書」とは旧約聖書のことを指すのでしょうが。
134名無しさん@1周年:01/11/29 00:26
神様いてほしい。
135名無しさん@1周年:01/11/29 00:27
執着するのは、だめ、だめ。
136kav:01/11/29 00:27
ナンカシテクレルノカー????
マズ オカネガホシイナー・・・
ヨロシクドウゾ
137名無しさん@1周年:01/11/29 00:30
おやすみ…
138YAIKO:01/11/29 00:30
ビルも道路も世界もひと思いに壊れてもいい
だってその方があなたを見つけやすいでしょう?
神様はいない
だって祈ったもん
想いが届きますようにって祈ったもん・・

Darlin', Darlin' ここに来て 見えるでしょう 私が
Darlin', Darlin' あの日の事 忘れてもいいから
Darlin', Darlin' もしかして私の思い過ごしかな?

ほら あなたが歩いてきた
いつものように視線を落とさないで
何にもしなけりゃ何にもなんない
自分の心にフィルターはいらない

Darlin', Darlin', can I come close to you?
and can I talk to you?
Darlin', Darlin', can I hope you love me?
but if you say NO! I will love you.

(ダーリンダリーン、隣にいってもいいかなぁ。
そして話しかけてもいい?
ダーリンダーリン、あなたが私を愛してくれるように願ってもいい?
でも、もし“ダメ!”って言ったってあなたの事愛しちゃうでしょうけど)


『My Sweet Darlin'』 矢井田 瞳
>>132
大抵の名は一つの言語から別の言語へ移し変えられると、
ある程度変化します。イエスの名はヘブライ語で多分
エーシューアと発音されたと考えられますが、霊感を受
けて聖書を書いた人たちは、イエスの名のギリシャ語の
形であるイエースースをためらうことなく用いました。
他の大抵の言語でもその発音は少しずつ異なっています
が、わたしたちは自国語で普通に用いられている形を自
由に用います。聖書のほかの名についても同様のことが
言えます。では、どうすればあらゆる名の中でも最も重
要な名を持っておられる方に対して正しく敬意を示すこ
とができますか。その元の正確な発音が分からないから、
その名を絶対に口にしないように、あるいは書かないよ
うにすれば、敬意を表わせるのでしょうか。それとも、
自分たちの言語で普通に行なわれている発音を用いたり、
それをつづったりするとともに、その名を所有する方を
ほめたり、その崇拝者として、その方を敬う仕方で振る
舞うほうが、敬意を示せるでしょうか。

イザヤ 12:4: 「あなた方はエホバに感謝せよ! そのみ
名を呼び求めよ。もろもろの民の中にその行ないを知ら
せよ。そのみ名の高く上げられることを語り告げよ」。
140  :01/11/29 00:35
神死ね。
神ムカツク!マジ消えてくれよ神。
お前の存在のせいでとんでもねえ宗教団体がわんさかでてくるんだ!
神に祈ったって何にも救われねーよ。お前自分勝手すぎんだよ!
かならず殺すからな!神よ。
141名無しさん@1周年:01/11/29 00:39
>>140
あんたみたいなのに殺されるのは神じゃないよ(w
アホか。。
142名無しさん@1周年:01/11/29 00:47
おれは神殺したよ すわりしょんべんで命乞いしたな(笑)
143kav:01/11/29 00:48
天国への切符購入希望か???
高いぞー 金持ってるのか?
死ぬときには金を持っていってはならない・・しかし・・
立法の定めに従い 働き 倹約し 最低でも総収入の十分の一
俺様に収めなければならない・・・
だいたい お前は契約者かい?
契約外の運命は・・JAP天皇にでも聞きな 代表だろ
ソドム、ゴモラか ヒロシマ、ナガサキか
・・・・・・・・・・・
俺様は自由主義者だから・・・
契約外も自由だよ・・・・
ところで死ねって どの神? JAP天皇系?
きがあうじゃないか!!
144名無しさん@1周年:01/11/29 00:50
>>139
> わたしたちは自国語で普通に用いられている形を自
> 由に用います。
それは、結構なことだと思います。
しかし、翻訳する際には、「イエス」の音訳以外に、意訳も必要になります。
即ち、原文の語彙の理解も必要です。
翻訳の際、不明な事柄は明らかにしてから訳さなければなりません。
しかし実際は、既知の事柄は限られています。その既知の事柄は伝承です。
ユダヤから受け継いでいる、私たち神の民が、
主の御名を「エホバ」と音訳せねばならないというのは伝承に反します。
一時的に、誤って「エホバ」と音訳するのは止むおえませんが(例えば文語訳のように)
それを強いるのは、「イエス」をアラム語で発音することを強いるのと同じことにになります。
145聖書の偽りの友(3):01/11/29 00:52
>>133
カトリック教会は何世紀にもわたって、聖書を人々の日
常語に翻訳する責務を怠ってきました。16世紀のプロテ
スタントの反抗の後、ローマ・カトリック教会自体も、
聖書をヨーロッパの日常諸言語に翻訳して出版しないわ
けにはいかなくなりましたが、それでもなお、聖書より
も伝統を重視しています。

ですから、現在カトリック教会は同教会の会員が聖書を
読むことを許し、「少なくとも1時間半、聖書を読み続
けるなら」全贖宥を与えることさえしていながら、聖書
を読むことを必要不可欠なものとは見ていません。フラ
ンスのカトリック聖書辞典はその理由を説明し、こう述
べています。「伝統は信仰に関する教え全体が人類に達
するための最も標準的な経路である。新約聖書を使うよ
うになったのは後のことである。聖書には信仰のすべて
が保管されているのではない。したがって聖書の使用は
不可欠なことではない」。

カトリック教会は、「神のおきてを捨て置いて、人間の
伝統を堅く守」ることを強く非難されたイエスの言葉に
留意しているのでしょうか。―マルコ 7:9。
146名無しさん@1周年:01/11/29 00:54
>>145
> カトリック教会は何世紀にもわたって、聖書を人々の日
> 常語に翻訳する責務を怠ってきました。
怠っているだけでした。
教理とりて禁じていたのではありません。
慎重であっただけです。
147名無しさん@1周年:01/11/29 00:55
>>146訂正
教理として禁じていたのではありません。
148名無しさん@1周年:01/11/29 00:59
慎重に人々を弾圧していたのね・・・
149名無しさん@1周年:01/11/29 01:00
そういう細かい話題で誤魔化すのよそうよ(笑)
150kav:01/11/29 01:02
昔の人のことより自分の心配の方が大事じゃないかな?
俺様のまえに 昔の人が何かうまくやっていたとも思えない・・・
>>144
一般に、ヘブライ語学者は、「ヤハウェ」を最も適切な
発音として支持しています。とはいえ、この問題に関す
る学者の意見は決して一致を見ておらず、中にはさらに、
「ヤフワ」、「ヤフーア」、「エフーア」など他の発音
を支持する人もいます。確実な発音は今のところ分から
ないのですから、提案されている他のどれかの発音を支
持して、よく知られている「エホバ」という形を捨てる
べき理由があるとは思えません。

聖書に記されている神のみ名を、「ヤハウェ」と発音し
ようと、「エホバ」と発音しようと、神のみ名を用いる
のは正しいことです。間違いは、神のお名前を用いない
ところにあります。なぜなら、神のみ名を用いない人た
ちは、「み名のための民」として神が取り出される者と
はみなされないからです。(使徒 15:14)わたしたちは
神のみ名を知るだけでなく、地上におられた時にイエス
がなさったように、他の人々の前で神のみ名を賛美しな
ければなりません。―マタイ 6:9。ヨハネ 17:6,26。
152名無しさん@1周年:01/11/29 01:03

キチガイ宗教チャンピオンの【ローマカトリック】
           vs
期待の新キチガイ宗教【エホバの証人(ものみの塔)】

新旧のキチガイ宗教のタイトルマッチだのう。(プッ
153名無しさん@1周年:01/11/29 01:14
>>151
> 一般に、ヘブライ語学者は、「ヤハウェ」を最も適切な
> 発音として支持しています。
支持している人がいるだけです。
だからと言って、その人たちの支持に従い、
「ヤハヴェ」という発音を典礼の中での朗読や、
祈りの中で強制しているわけではありません。
154名無しさん@1周年:01/11/29 01:16
いいねえ こういう誤魔化し方って基本だよねえ
155名無しさん@1周年:01/11/29 01:22
これこれ仏罰が恐ろしゅうはないようじゃのう この罰当たり者どもめが
156名無しさん@1周年:01/11/29 01:23
>>154
まあ、とりあえず、飽きるまでやらせてあげよう。読んでてそれなりに面白いし。
あ、これは気にしないでね。>聖書の話してる人達。
157kav:01/11/29 01:26
ぶつのかー???
無にしてくれるわい!!
あー これで 怖くなくなった
だって 無になるんだもん・・・
ま わかんねーだろうな
158名無しさん@1周年:01/11/29 01:26
>>155
どうして仏罰が下るの?
誰が誰を罰するの?
159名無しさん@1周年:01/11/29 01:38
>>145
> 伝統は信仰に関する教え全体が人類に達
> するための最も標準的な経路である。新約聖書を使うよ
> うになったのは後のことである。聖書には信仰のすべて
> が保管されているのではない。したがって聖書の使用は
> 不可欠なことではない。
そのとおりです。聖書の使用は不可欠なことではありません。
聖書は伝承の一部だからです。聖書が先にあるのではなく、福音が先にあったのです。
新約聖書が正典とされたのは、紀元397年カルタゴ地方会議以降です。
つまり、教会で用いられていた様ざまな書物の中で、偽典と正典と区別したのは教会であり、
その伝承によって今日の私たちが誠の神感書物を選ぶことが可能となるのです。
また他にも、聖書の翻訳の際の新教における誤謬があります。
ウエストミンスター信仰告白などに従う旧約の正典の定め方は、
紀元90年に行われたラビ(ユダヤ教の教師)たちのヤブナ会議に基づくものです。
即ち、新約以降のユダヤ教の伝承に従うことになります。
このような歴史的背景を知らなかった一部の新教の神学者たちは、
「セプトア・ギンタ」(七十人訳聖書)に含まれていたにも関わらず、
ヤブナ会議で除外された故にヘブライ語原典が無かったため、
それを正典から除いたのです。
この事実は、クムラン遺跡の死海写本の発掘で明らかにされました。
160名無しさん@1周年:01/11/29 01:48
>>159
だね。プロテスタントは旧約外典を無視できないはずなのに、
多くはいまだに知らんぷり。
>>153
それでは、神のみ名を単に「主」と訳出している現代の
聖書翻訳についてはどう思われますか。少数の翻訳は神
のみ名を置き換えた部分の「主」を太字にして目立たせ
る配慮を払っていますが、他の多くの聖書はそうではあ
りません。

あなたは、次の二つの訳文のうちどちらがより分かりや
すいと思われますか?

「わが主に賜った主の御言葉。『わたしの右の座に就く
がよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう』」。
―詩編 110:1; 新共同訳。

「わたしの主に対するエホバのお告げはこうです。『わ
たしがあなたの敵をあなたの足台として置くまでは、わ
たしの右に座していよ』」。―詩編 110:1; 新世界訳。

また、次の二つの訳文のうちどちらがより自然だと思わ
れますか?

「わたしは主、これがわたしの名」。―イザヤ 42:8; 新
共同訳。

「わたしはエホバである。それがわたしの名である」。
―イザヤ 42:8; 新世界訳。

もう一度イエスの名を取り上げましょう。イエスはナザ
レで育ちましたが、イエスの家族や友人が日常の会話の
中でイエスをどのように呼んでいたか、あなたはご存じ
ですか。恐らくエーシューアといった名であったと思わ
れますが、真実のところ、だれにも確かなことは分かり
ません。イエスでなかったことは明らかです。それでは、
わたしたちのほとんどが、いや事実上わたしたちのすべ
てがそのもともとの発音を実際には知らないので、イエ
スという名を用いるのをやめるべきでしょうか。聖書に
あるその名をすべて取り除いて、「師」や「仲介者」と
いった単なる称号で置き換えるのはイエスに敬意を示す
ことでしょうか。神のみ名についても、それと同様のこ
とが言えます。
>>159
聖書に外典の書物を含めるべきだという主張は当を得て
いるでしょうか。

第一に、セプトゥアギンタ訳の原本は残存していないの
で、外典の書が元々その翻訳に含められていたと断言す
ることはできません。外典の書物の多く、恐らくほとん
どはセプトゥアギンタ訳の翻訳開始(西暦前280年ごろ)
の後に書かれたことが認められており、それゆえにその
翻訳者団が翻訳のために選んだ当初の目録には含まれて
いなかったものと考えられます。ですから、それらはせ
いぜいこの訳業に対して付加的な位置を占めていたにす
ぎません。

さらに、アレクサンドリアにいたギリシャ語を話すユダ
ヤ人は最終的にはそれら外典の書物をギリシャ語セプトゥ
アギンタ訳に挿入し、神聖な書物の拡大された正典の一
部とみなしたとしても、それらは決してエルサレムすな
わちパレスチナの正典の中に入れられたことはなく、せ
いぜい二次的な書物とみなされたにすぎず、神から出た
ものとはみなされませんでした。そのため、ユダヤ人の
ヤムニア会議(西暦90年ごろ)で、それらの書物はすべ
てヘブライ語正典から明確に除外されました。

この点に関するユダヤ人の見解に正しく考慮を払うべき
ことは、使徒パウロがローマ 3章1,2節ではっきり述べて
います。「では、ユダヤ人の勝ったところは何ですか。
また、割礼の益は何ですか。あらゆる点で非常に多くあ
ります。まず第一に、彼らが神の神聖な宣言を託された
ことです」。
西暦初頭数世紀の指導的な聖書学者や“教父”たちが、
概して外典を低い地位に置いていることも見過ごしては
ならない点です。西暦3世紀初めのオリゲネスは、注意
深い研究の後、これらの書物と真の正典の書との間に区
別を設けました。初期教会の「最も優れたヘブライ語学
者」と言われ、西暦405年にラテン語ウルガタ訳を完成
したヒエロニムスは、これら外典の書物に関してはっき
り否定的な立場を取りました。事実彼は、正典ではない
という意味で「アポクリファ」という語を明確にこれら
の書物に関して用いた最初の人でした。

これら付加的な書物を正典に組み入れようとする傾向は、
おもにアウグスティヌス(西暦354-430年)によって始
められました。もっとも、彼自身は後期の著作において、
ヘブライ語正典の書とそれら“外部の書”との間に明確
な相違を認めました。しかし、カトリック教会はアウグ
スティヌスの導きに従い、西暦397年のカルタゴ公会議
で定めた聖なる書の正典の中にそれら付加的な書物を加
えました。しかし、ローマ・カトリック教会がそれらの
追加を聖書の目録に入れることを明確に確認したのは、
それよりずっと後代、西暦1546年のトレント公会議にお
いてでした。これは、教会内においてさえこれらの書物
に関して依然意見の対立があったために必要とされた処
置でした。

たとえば、ローマ・カトリック教会の司祭また学者であっ
たジョン・ウィクリフ(14世紀)は、それらの書物には
「信ずる根拠がない」と言明しています。ドミニコ会の
枢機卿カイェターヌス(西暦1469-1534年)も、真のヘ
ブライ語正典の書と外典の書物とを区別しています。
164名無しさん@1周年:01/11/29 12:50
>>161
> それでは、神のみ名を単に「主」と訳出している現代の
> 聖書翻訳についてはどう思われますか。少数の翻訳は神
> のみ名を置き換えた部分の「主」を太字にして目立たせ
> る配慮を払っていますが、他の多くの聖書はそうではあ
> りません。
それは、ペテロ 1:20やペテロ 3:16のように、自力で聖書を完全に理解することを必要とはしていませんので、
深くは考えません。

> あなたは、次の二つの訳文のうちどちらがより分かりや
> すいと思われますか?

> 「わが主に賜った主の御言葉。『わたしの右の座に就く
> がよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう』」。
> ―詩編 110:1; 新共同訳。
>
> 「わたしの主に対するエホバのお告げはこうです。『わ
> たしがあなたの敵をあなたの足台として置くまでは、わ
> たしの右に座していよ』」。―詩編 110:1; 新世界訳。
新世界訳聖書の方が分かり易いですね。
しかし、新共同訳でも専門の方に聞けば正確に理解できます。
即ち、翻訳の便宜上「エホバ」という名詞を用いているということでしょうか。
もしそうでなければ、以下のような逆のことが言えます。
「エホバ」が神の固有名詞であることを知らない人であれば、
新共同訳でも新改訳でも新世界訳でも理解できません。
即ち、聖書はすべての人のための書物ではなく、エホバの名を知っている人のための書物になりますね。
165名無しさん@1周年:01/11/29 13:23
>>162
> ユダヤ人の
> ヤムニア会議(西暦90年ごろ)で、それらの書物はすべ
> てヘブライ語正典から明確に除外されました。
この時点で、新約以降のユダヤの伝承に従うことになります。

> 第一に、セプトゥアギンタ訳の原本は残存していないの
> で、外典の書が元々その翻訳に含められていたと断言す
> ることはできません。
それは、マソラ本文にも言えることです。
> 外典の書物の多く、恐らくほとん
> どはセプトゥアギンタ訳の翻訳開始(西暦前280年ごろ)
> の後に書かれたことが認められており、それゆえにその
> 翻訳者団が翻訳のために選んだ当初の目録には含まれて
> いなかったものと考えられます。
セプトゥアギンタ訳の翻訳開始の後であることが事実であっても、
キリスト教の教会固有の書物の選び方でなけらばなりません。
また、何時書物になったかが重要ではなく、何時の伝承が書物になったかが重要なのです。
あなた方が外典と言っている書物は、旧約時代の伝承です。

>>163
> 事実彼は、正典ではない
> という意味で「アポクリファ」という語を明確にこれら
> の書物に関して用いた最初の人でした。
「アポクリファ」とは、隠された書物という意味であって、霊感書物から除く意味ではありません。
尚、正教会では「アポクリファ」として区別せず、他の旧約書物の中に入れられています。
また、正典の中でも権威の差異はあります。我々の正典の中で最も権威付けられているのは4福音書です。
モーセ五書などと比較すれば、アポクリファよりも権威があるはずです。
166名無しさん@1周年:01/11/29 14:09
>>163
> 「信ずる根拠がない」と言明しています。
「信じられない根拠がある」と言明したわけじゃないでしょ。
「信ずる根拠がない」などという言明は、聖書や伝承、歴史的根拠など一般的に言えることです。
情報には劣化というものがつき物です。
例えば、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書において、
イエスキリストは、受難に向かう前に弟子たちと共に過越しの食事をしたことになっています。
マタイ 26:19 弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。
マルコ 14:16 弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
ルカ 22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
それであなた方の教会では、無発酵パンを用いられるわけですよね。
しかし、ヨハネ福音書では、
ヨハネ福  19:14 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、
となっています。
カトリック教会では無発酵パン、正教会では発酵パンを用いていますが、何れも聖書を根拠にしているのではなく、
伝承に従って発酵パンか無発酵パンを選んでいます。
従って、聖書を読むことは必要不可欠とするのは、
新教が作り出した独自の命題です。
167名無しさん@1周年:01/11/29 14:13
まぁ聖書のみって立場に無理があるのは、今や常識なわけで。
168名無しさん@1周年:01/11/29 16:35
>>161
> イエスの家族や友人が日常の会話の
> 中でイエスをどのように呼んでいたか、あなたはご存じ
> ですか。恐らくエーシューアといった名であったと思わ
> れますが、真実のところ、だれにも確かなことは分かり
> ません。
揚げ足を取る積りはないですが、ヘブライ語の「エーシューア」
ではなく、アラム語の「イエーシュ」が近いはずですね。
しかし、原文はギリシャ語ですから、原文に近い音訳「イエズス」か「イイスス」にする方が合理的だと思います。
マタイ 27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マルコ 15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
との区別がつかなくなります。ヘブライ語の「エロイ」かアラム語「エリ」かは音訳で区別できますね。
切羽詰まったときに、母国語のアラム語を叫んだのか、そうではなくヘブライ語を叫んだのか、
印象が随分変わります。
もし、主の御名を音訳で区別したいと思いなら、「エホバ」ではなく「ヤハヴェ」の方が合理的だと思います。
それが困難であれば、初めから音訳など試みる動機など必要ないと思います
169名無しさん@1周年:01/11/29 18:13
ネタ切れ?(笑)
170根本的理由:01/11/29 18:17
>>139 >>151 >>161-163の方へ。
翻訳に対して慎重になるのはね、聖書を独自解釈が現れて、
もし誤謬が生じた場合、
>>124 >>127
のような指摘を受けたり、分裂が生じるのを防ぐためです。
171名無しさん@1周年:01/11/29 21:19
で、結論として神はいないということを論証したのです。
ながながと失礼しました。
172名無しさん@1周年:01/11/29 21:22
神はいないというより、聖書は人間が書いたものというか。
173名無しさん@1周年:01/11/29 21:51
>>172
人間が書いたから、霊感書物では無いなんて言うのは、
エ保証や原理の理屈。
人間が書いたけれども、その書物は神様に聖別されているというのが、
使徒継承教会の理屈。
>>173
>人間が書いたから、霊感書物では無いなんて言うのは、
>エ保証や原理の理屈。

これは誤りです。エホバの証人は、聖書が人間によって
記されたとはいえ、筆記者たちは神の聖霊によって導か
れていたゆえに、実際には神の著作であることを強調し
てきました。それゆえに、他の多くの宗教よりも聖書の
原則を固守しているという評価を得ています。

「聖書全体は神の霊感を受けたもので、教え、戒め、物
事を正し、義にそって訓育するのに有益です」―テモテ
第二 3:16。

「なぜなら、あなた方はまずこのことを知っているから
です。つまり、聖書の預言はどれも個人的な解釈からは
出ていないということです。預言はどんな時にも人間の
意志によってもたらされたものではなく、人が聖霊に導
かれつつ、神によって語ったものだからです」―ペテロ
第二 1:20,21。
175名無しさん@1周年:01/11/29 22:34
>>174
だから、教会の人間が書いたんだから、
教会の人間が読むと言うのが第一目的なんだって。
>>162の自発言より
) ユダヤ人のヤムニア会議(西暦90年ごろ)で、それらの
) 書物はすべてヘブライ語正典から明確に除外されました。

>>165より
> この時点で、新約以降のユダヤの伝承に従うことになります。

>>162の自発言より
) それら[外典の書物]は決してエルサレムすなわちパレス
) チナの正典の中に入れられたことはなく、せいぜい二次
) 的な書物とみなされたにすぎず、神から出たものとはみ
) なされませんでした。

ヤムニア会議はこの姿勢を再確認したに過ぎません。

さらに、次の点に関してはどう思われまたでしょうか。

>>162の自発言より
) この点に関するユダヤ人の見解に正しく考慮を払うべき
) ことは、使徒パウロがローマ 3章1,2節ではっきり述べて
) います。「では、ユダヤ人の勝ったところは何ですか。
) また、割礼の益は何ですか。あらゆる点で非常に多くあ
) ります。まず第一に、彼らが神の神聖な宣言を託された
) ことです」。
>>163の自発言より
) 初期教会の「最も優れたヘブライ語学者」と言われ、西
) 暦405年にラテン語ウルガタ訳を完成したヒエロニムス
) は、これら外典の書物に関してはっきり否定的な立場を
) 取りました。事実彼は、正典ではないという意味で「ア
) ポクリファ」という語を明確にこれらの書物に関して用
) いた最初の人でした。

>>165より
> 「アポクリファ」とは、隠された書物という意味であっ
> て、霊感書物から除く意味ではありません。

ラエタという名の婦人にその人の娘の教育に関して書き
送った際、ヒエロニムスはこう助言しています。「彼女
に外典の書はどれも避けさせるように。それを読みたい
というのであれば、その教理が真実であるからではなく、
その驚くべき物語に対する敬意のゆえに読むように。そ
れらは作者とされている人たちが実際に書いたものでは
ないこと、それらには多くの間違った要素があること、
また、泥の中に金を探すには多くの熟練が必要なことを
認識させなさい」―「書簡選集」、CVII。
178名無しさん@1周年:01/11/29 22:38
神は空気みたいなもので、あるのが当たり前
なのでなかなか気付きにくいんだけど、不幸な
事やヤバイ事、悲しい事があるとついつい祈ってしまうん
だけど、喉元過ぎればまた、
「神はいない。」というんだよね。
179>>174:01/11/29 22:38
いくら苦し紛れでも根拠の無い嘘話はいかんな(笑)
180名無しさん@1周年:01/11/29 22:48
>>178
困ったときの神頼み。私に言わせりゃ、それこそ正しい態度だよ。
181名無しさん@1周年:01/11/29 22:50
>>174 >>176-177さん。
>>122 >>128 >>145 のレスで、使徒継承教会の財産である聖書の扱いで、
不合理であった点を指摘していただきました。
そして、あなたの聖書の翻訳活動の利点も示してもらいました。
それはそれで誠に参考になりますね。

でもね、わたしは単に聖書はあくまで教会が受け継いできた財産ですから、
教会のための書物だって言いたかっただけ。
別にね、教会外の人に読まれることを禁じるつもりは無いの。
読む義務は無いと言っているだけ。
なぜなら、聖書の代わりになる物は沢山ありますから。
それが、生きた人間、特に聖職者の神感による言葉です。
これまでのレスを読む限り、
これについて、あなたは殊に何も文句があるようには思えませんが。
182名無しさん@1周年:01/11/29 22:54
>>180
>困ったときの神頼み。私に言わせりゃ、それこそ正しい態度だよ。
あーそー。
あんたの神はその程度なのね。
あんたの好きなときに呼び出せる、家政婦さんみたいな部下。
あんた未満の神。紙より薄ソ〜。
183名無しさん@1周年:01/11/29 22:55
神は全能である。ゆえに神は存在することができる。
184聖書の矛盾?:01/11/29 22:55
>>166
この当時は過ぎ越しの日とその後の無酵母パンの祭りを
含む全期間が「過ぎ越し」と呼ばれることがあったこと
を考慮に入れるなら、共観福音書とヨハネ福音書の記述
が決して矛盾してはいないことを理解できます。

ヨハネ 19章14節で、使徒ヨハネはこう述べています。
「さて、それは過ぎ越しの準備の日であり、[昼間の]第
六時[午前11時から正午の間]ごろであった」。言うまで
もなく、これは過ぎ越しの食事の後のことであり、その
食事は前の晩に終わっていました。

イエスが裁判を受けて亡くなられた日は、その翌日に始
まった7日間の無酵母パンの祭りのための準備の日であっ
たという意味で、「過ぎ越しの準備の日」であったと見
ることができます。暦の上で両者は密接な関係にあった
ため、祭り全体がそれ自体「過ぎ越し」という表現に包
含されることが少なくありませんでした。また、ニサン
14日の翌日はいつも安息日であったことに加え、西暦33
年にはニサン15日が通常の安息日となったので、その日
は「大いなる」もしくは二重の意味の安息日となってい
ました。
185名無しさん@1周年:01/11/29 22:59
聖書を引用することによって「神はいない」ということ命題の正しさを
証明をさせて戴いています。長くて申し訳ありません。
186kahu:01/11/29 23:03
本当にわからないやつが多いな
どの神だと聞いているんだよ?
神殺しなら俺様が得意なようなんだけど・・・
消しに消しまくって・・残るは・・JAP天皇系、無神論?、
今の無神論の国は儒教で関わっちゃうから・・ほぼ除外
ということは・・JAP天皇系だけじゃないか
あと 俺様もかい
ところで殺す殺すと書いてるのは1かな?
・・あんまり欲かいちゃだめだよ・・丸裸で生まれてきたんだろ・・
ちなみに 俺様系一神教では逃げるものに祝福と恵みがもたらされます
187あはは:01/11/29 23:06
「神はいない」って
その、いない神って、どんな神なんでしょうね?
188名無しさん@1周年:01/11/29 23:09
176 :外典は霊感を受けた聖書の一部か(3) :01/11/29 22:36
> ヤムニア会議はこの姿勢を再確認したに過ぎません。
再確認とおっしゃいましたが、
その再確認の前提となる確認は何時行われたのでしょうか。
そのような確認がヤムニア会議以前に、旧約時代のユダヤの共同体の中で、
どのように信条一致させる公な出来事があったのでしょうか。

さらに、次の点に関してはどう思われまたでしょうか。
>>162の自発言より
> 彼らが神の神聖な宣言を託されたことです。
と過去形になっていますね。他の訳の聖書でも過去形になっていました。
従って、新約以降のユダヤ人の決定をさしているとは思えません。
189イザヤのまじレス:01/11/29 23:11
不幸だから神はいないと思うのか
いや 神がいないから不幸なのでは
ないか。
わたしもしばしば神を見失う。しかし
神に愛される自分でありたいと思う。

競争原理と能力主義からしばし離れて
みてはどうか。愛が見えてくるかも。
190名無しさん@1周年:01/11/29 23:18
いやあ がんばってるねえ 基本をおさえた誤魔化し技だな(笑)
>>188
>その再確認の前提となる確認は何時行われたのでしょうか。
>そのような確認がヤムニア会議以前に、旧約時代のユダヤの共同体の中で、
>どのように信条一致させる公な出来事があったのでしょうか。

>>162の自発言より
) それら[外典の書物]は決してエルサレムすなわちパレス
) チナの正典の中に入れられたことはなく、せいぜい二次
) 的な書物とみなされたにすぎず、神から出たものとはみ
) なされませんでした。

外典の書物は中央のエルサレムにおいて正典とみなされ
たことはありませんでした。それはヤムニア会議以前から
変わっていません。
192名無しさん@1周年:01/11/29 23:22
>>177
ただ訳したヒエロニムスが助言しただけですね。
教会が決めたことではありません。
「アポクリファ」という名前の由来がヒエロニムスにあったとしても、
それを定義(その語彙の意味を決める)するのは教会です。
193名無しさん@1周年:01/11/29 23:23
>>184
復活祭の日は、毎年日にちが違うがあれは
ニサン(過ぎ越し)の月で最初の新月から何日目って
決めてるからっしょ。
ミサのパンが種無しパンなのはそういう理由だろ?
というのは、今でもユダヤ教徒はエジプトでの過ぎ越しの記念として
「お父さん、どうして今日、僕たちは種無しパンとヨモギを
食べるのですか?」と毎年同じことを聞くんだ。
キリストは「このパンはわたしのからだである。わたしの記念として
これを行え。」と仰った。
当時のユダヤ教徒なら、「あ。過ぎ越しだ。」とピンと来たんだよ。
今の時代の日本人なんかの異邦人よりね。
過ぎ越しっていうのは、エジプトに下した神の怒りを子羊の血を家に
塗ったイスラエルの民だけは過ぎ越せた事件の記念。
おいら達カトリックは、来るべき裁きの日や怒りの日の
主の過ぎ越しの記念を祝ってるんだ。
神のあわれみによって、だよ。
全知全能の神と普段から通信(?なんて言ったらいいのか
わからんが)するのが肝要。
>>181
> わたしは単に聖書はあくまで教会が受け継いできた財産ですから、
> 教会のための書物だって言いたかっただけ。

「わたしが闇の中で告げることを、光の中で言いなさい。
また、ささやかれて聞くことを、屋上から宣べ伝えなさ
い」。(マタイ 10:27)イエスは、できるだけ多くの人
々と神についての知識を分かち合うことを熱烈に願いま
した。イエスにとって聖書の知識は、どこか遠くに隠さ
れるのではなく、人々の前で公に証されるべきものでし
た。

実際、カトリックの1985年教会会議の報告には、次のよ
うに記されています。

「教会には、畏敬をもって神の言葉を聞き、信仰をもっ
てそれをふれ告げる使命がある。(「デイ・ベルブム 1」
[と比較せよ])」。「福音宣明の業は、司教のみならず
司祭や執事にとっても、実際、すべてのクリスチャンに
とって第一の務めである」。「福音宣明の業は証言によっ
て行なわれる。その証言は言葉だけでなく、人の生き方
によって行なわれる」。

誠実なカトリック教徒の方には、是非このことについて
考えていただきたいと思います。今日、本当の意味で神
とキリストの証人として行動しているのはだれでしょう
か。今日、言葉においても振る舞いにおいても、生活の
あらゆる分野で福音宣明を行なっているのはだれでしょ
うか。今日、犠牲をいとわず、命や自由を奪われても、
キリストによる神の王国の支配という福音、すなわち、
良いたよりをふれ告げているのはだれでしょうか。その
音信を伝えるために定期的にあなたの家に訪れるのはだ
れですか。あなたの属する教会の司祭ですか。それとも、
エホバの証人ですか。(イザヤ 43:10,12、使徒 1:8と比
較してください。)
195あはは:01/11/29 23:34
どんな神がいないのよ?
教えて?
196名無しさん@1周年:01/11/29 23:34
>>184
> ヨハネ 19章14節で、使徒ヨハネはこう述べています。
> 「さて、それは過ぎ越しの準備の日であり、[昼間の]第
> 六時[午前11時から正午の間]ごろであった」。言うまで
> もなく、これは過ぎ越しの食事の後のことであり、その
> 食事は前の晩に終わっていました。
それなら、
ヨハネ福  18:28 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。
汚れないで過越の食事をするためである。
の後、イエスは再び一時開放されて、ユダの裏切りの予告をし、過越の食事をして、また捕まるわけ?
>>192
> ただ訳したヒエロニムスが助言しただけですね。
> 教会が決めたことではありません。

>>163で示した事実の後半部分についてはいかがですか。
証拠が示すように、カトリックの内部でも長いあいだ意
見の対立が見られました。

西暦1546年のトレント公会議において、西暦397年のカ
ルタゴ公会議で承認されていた書物のうち、「マナセの
祈り」、「エスドラス第一書」、「エスドラス第二書」
を除外したことにも注目できます。
198聖書の矛盾?(2):01/11/29 23:42
>>196
ヨハネ18章28節にはこう書かれています。「彼ら自身は
総督の官邸内に入らなかった。身を汚さずに過ぎ越しの
食事をしようとしてであった」。それらのユダヤ人は、
異邦人の住まいに入るのは身を汚すことであると考えま
した。(使徒 10:28)しかし、ここに述べられているの
は「早朝」の出来事ですから、過ぎ越しの食事が行なわ
れた後でした。先に述べた点として、この当時は過ぎ越
しの日とその後の無酵母パンの祭りを含む全期間が「過
ぎ越し」と呼ばれることがありました。この事実に照ら
して、アルフレッド・エダーシェイムは次のような説明
を行なっています。すなわち、過ぎ越しの日には自発的
な平和の捧げ物がささげられ、翌日、つまり無酵母パン
の祭りの最初の日であるニサン15日には、義務として課
された別の捧げ物がささげられた。もしピラトの裁きの
広間で身を汚してしまうなら食べることはできなくなる
とユダヤ人が恐れたのは、この第2の捧げ物のことであっ
た、という説明です。―「神殿」、1874年、186、187ペ
ージ。
199名無しさん@1周年:01/11/29 23:45
>>194
プロテスタントっぽい発言だね。

>今日、本当の意味で神とキリストの証人として
>行動しているのはだれでしょうか。

この発言に対して「はい、それは、私です。」と
言える人っておりますのん?
まぁ、あなたは別でしょうけど。
あたしは「すみません。」としかいえんけど。
200名無しさん@1周年:01/11/29 23:47
>>194 :聖書はすべての人のための書物です(2) :01/11/29 23:29
> 「わたしが闇の中で告げることを、光の中で言いなさい。
> また、ささやかれて聞くことを、屋上から宣べ伝えなさ
> い」。(マタイ 10:27)イエスは、できるだけ多くの人
> 々と神についての知識を分かち合うことを熱烈に願いま
> した。イエスにとって聖書の知識は、どこか遠くに隠さ
> れるのではなく、人々の前で公に証されるべきものでし
> た。
ごもっともです。けど、イエスは宣べ伝える手段を聖書に限定してませんね。

> 「教会には、畏敬をもって神の言葉を聞き、信仰をもっ
> てそれをふれ告げる使命がある。(「デイ・ベルブム 1」
> [と比較せよ])」。「福音宣明の業は、司教のみならず
> 司祭や執事にとっても、実際、すべてのクリスチャンに
> とって第一の務めである」。「福音宣明の業は証言によっ
> て行なわれる。その証言は言葉だけでなく、人の生き方
> によって行なわれる」。
ごもっとも。これ以降、近代聖書学も発展したんじゃないでしょうか。

> 誠実なカトリック教徒の方には、是非このことについて
> 考えていただきたいと思います。今日、本当の意味で神
> とキリストの証人として行動しているのはだれでしょう
> か。今日、言葉においても振る舞いにおいても、生活の
> あらゆる分野で福音宣明を行なっているのはだれでしょ
> うか。今日、犠牲をいとわず、命や自由を奪われても、
> キリストによる神の王国の支配という福音、すなわち、
> 良いたよりをふれ告げているのはだれでしょうか。その
> 音信を伝えるために定期的にあなたの家に訪れるのはだ
> れですか。あなたの属する教会の司祭ですか。それとも、
> エホバの証人ですか。(イザヤ 43:10,12、使徒 1:8と比
> 較してください。)
私たちの書物に敬意を抱いていただくのは、それはそれで光栄です。
しかし、私たちにとって聖書とは、福音を正しく宣べ伝えるためにあると考えており、
聖書を宣べ伝えるために、福音があるとは考えてはいません。
201名無しさん@1周年:01/11/29 23:49
過ぎ越しのまつりが数日間に渡ってたら
いけないの?
202名無しさん@1周年:01/11/29 23:53
>>197
>>163で示した事実の後半部分についてはいかがですか。
> 証拠が示すように、カトリックの内部でも長いあいだ意
> 見の対立が見られました。
議論があったことは認めます。議論しなければ決定もありません。

> 西暦1546年のトレント公会議において、西暦397年のカ
> ルタゴ公会議で承認されていた書物のうち、「マナセの
> 祈り」、「エスドラス第一書」、「エスドラス第二書」
> を除外したことにも注目できます。
ご指摘の通り、これらは外典ですね。
私たちの伝承でそう決めたことです。
203名無しさん@1周年:01/11/29 23:55
議論で決めたのはいいけど、その議論での決定が絶対だと言い切れる
根拠はあるんですか?
204名無しさん@1周年:01/11/30 00:01
それを言っちゃあおしまいよ(藁
205nameless:01/11/30 00:02
>>1
途中のあれこれの説教は読む気も起こらないので
1にのみレス

「神はいない」…ってそんな当たり前のこと
いちいちリキんで言うな。
「いや、いる。」って言って欲しくてスレ立てたと思われるぞ あんた
206名無しさん@1周年:01/11/30 00:02
>>39,40が(・∀・)イイ!!
いまだに聖書引用してる奴寒い。
口頭で伝えられる言葉は、時間の経過と共に意味がゆが
められるかもしれず、あまり信頼できるとは言えません。
しかし、神の霊感による永久的な文書であれば、間違い
の入り込むおそれははるかに少なくなります。また、本
であれば、様々な言語に翻訳することが出来ます。創造
者が情報を与えるためにそのような方法を使われたとい
うのは、筋の通ったことではないでしょうか。

諸教会は、十字架に崇敬の念を示すような慣行が、「神
聖な伝統」の一部である、としています。これは、「偶
像礼拝から逃げ去りなさい」という聖書の言葉と明らか
に矛盾します。(コリント第一 10:14)伝統が神の言葉
と矛盾するなら、神を愛する人々は伝統を退けます。神
の言葉と矛盾する伝統が救いにとって不可欠であるとは、
聖書のどこにも述べられていません。

聖書と人間の伝統の間の矛盾は、今に始まったものでは
ありません。霊感による旧約聖書の完成以降、ユダヤ人
たちは口頭による多くの伝統を付け加え、後にそれを文
字にしたためました。それらの伝統が往々にして聖書と
矛盾したため、イエスは彼らにこう言われました。「あ
なた方も自分たちの伝統のゆえに神のおきてを踏み越え
ているのはどうしてですか。……あなた方は、自分たち
の伝統のゆえに神の言葉を無にしています」。イエスは
次の言葉を彼らに当てはめました。「彼らがわたしを崇
拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理
として教えるからである」。(マタイ 15:1-6,9)イエ
スはご自分の教えの中でそのような伝統を一度も引き合
いに出すことなく、文字に記された、霊感による神の言
葉に訴えました。―マタイ 4:4-10。ルカ 10:26。

聖書には欠けたところがあるとか、不完全で霊感を受け
ていない人間の不安定な考えにも頼る必要があると言う
のは、神の力を否定することです。確かに、全能の神は、
1冊の本を著すことができます。そして、神のおきてを
破らせるよう人々を導いている人間の伝統に頼らなくて
よいように、その本を著してくださいました。そのため、
神の言葉には、「書かれている事柄を越えてはならない」
と記されています。(コリント第一 4:6)本当に神を愛
する人々はその諭しを守ります。
208名無しさん@1周年:01/11/30 00:17
>>198
それは、大変参考になりました。
過越祭の後の無発酵のパンを食する期間を「除酵祭」という名前しか知りませんでした。
しかし、使徒ヨハネがそういうつもりで、「過越祭」という語彙を用いたかどうかは不明ですね。
仮に、あなたの説明通りだったとしても、聖書のみからの情報では不明な事柄です。
あなた方の教会の習慣(我々でいう聖伝)が偶々、聖書以外に根拠が見つかったというだけのことです。
日曜日を聖別することと同様にね。
209名無しさん@1周年:01/11/30 00:27
>神の霊感による永久的な文書であれば、間違い
>の入り込むおそれははるかに少なくなります。
けど、石に書いた言葉はある意味死んだ言葉、ではなかったっけ?
210名無しさん@1周年:01/11/30 00:28
>>207
> 口頭で伝えられる言葉は、時間の経過と共に意味がゆが
> められるかもしれず、あまり信頼できるとは言えません。
それは、旧約の伝承においても同じことですね。
> しかし、神の霊感による永久的な文書であれば、間違い
> の入り込むおそれははるかに少なくなります。
ですから、神感で執り行われた教会の諸会議の決定次第ドキュメント化しています。
> また、本であれば、様々な言語に翻訳することが出来ます。創造
> 者が情報を与えるためにそのような方法を使われたとい
> うのは、筋の通ったことではないでしょうか。
本になるまで情報、また写本される際の情報伝播、本になった霊感書物をそうでない書物と区別するとき、
聖霊の導きを頼りにするしかないですね。
>>208
使徒パウロが述べたように、「キリストは律法の終わり
であり」(ロマ 10:4)、その結果、クリスチャンは
「律法から解かれ」ました。(ロマ 7:6)「安息日」に
関する制度も、キリスト・イエスの犠牲によって、律法
の他の部分と共に終了しました。クリスチャンが、安息
日にせよ他のどんな日にせよ、「どの日もほかのすべて
の日と同じである」とみなしても、他の人から裁かれる
心配がないのはそのためです。(ロマ 14:4-6)そのよ
うなわけで、エホバの証人は「日曜日を聖別すること」
はしません。
212名無しさん@1周年:01/11/30 00:32
>>207
> 諸教会は、十字架に崇敬の念を示すような慣行が、「神
> 聖な伝統」の一部である、としています。これは、「偶
> 像礼拝から逃げ去りなさい」という聖書の言葉と明らか
> に矛盾します。(コリント第一 10:14)伝統が神の言葉
> と矛盾するなら、神を愛する人々は伝統を退けます。神
> の言葉と矛盾する伝統が救いにとって不可欠であるとは、
> 聖書のどこにも述べられていません。
その諸教会と、「偶像」の定義の仕方が違うだけです。
私たちも、偶像礼拝は禁じています。
213名無しさん@1周年:01/11/30 00:34
聖霊の働きなんて言い出したらもう何でもありだよね。
214名無しさん@1周年:01/11/30 00:36
>>211
もしそれを根拠にするなら、偶像礼拝に関する律法は、新約では無効なんですか?
215名無しさん@1周年:01/11/30 00:38
>>213
エ保証みたいに、何でも駄目になるよりまし。
216212:01/11/30 00:38
スマソ。また明日ね。
おやすみなさい。
217名無しさん@1周年:01/11/30 00:39
>>211
なんだ。エホバの証人か・・・。
218諸教会の偶像崇拝:01/11/30 00:47
>>212
初期クリスチャンは像に身をかがめることはしませんで
した。使徒パウロは、「あなたがた(は)偶像を捨てて
……生けるまことの神に仕えるようになった」と書き送
りました。(テサロニケ第一 1:9)ところが、ローマ皇
帝コンスタンティヌスのいわゆる改宗の後、多くの異教
の習わしが“クリスチャン”の間に導入されました。十
字架はその一つです。「コンスタンティヌスの時代以降、
十字架を象徴として用いることはキリスト教世界全体に
広まり、程なくして様々な形の敬意がそれに示されるよ
うになった」―「聖像」、エドウィン・ビーバン。

13世紀のローマ・カトリックの“聖人”、トマス・アクィ
ナスは「像への崇敬」を説明してこう述べました。「キ
リストの像に対しても、キリストご自身に対しても、同
一の畏敬の念が示されなければならない。……十字架は、
キリストに対する礼拝と同じようにして、つまりラトリ
ア[崇拝の最高形態を定義したカトリック用語]の礼拝を
もって礼拝されており、それゆえ我々は、まさに磔刑に
されたキリストご自身に対するように、十字架に語りか
け、祈願する」。

今日、キリスト教世界の諸教会の多くは、十字架、聖像
や画像、マリア像など、偶像で満ちあふれています。さ
らに、教会に通う多くの人は、それらの像の前で身をか
がめ、ひざまずき、十字を切るよう教えられています。
それとは対照的に、真のクリスチャンは「偶像礼拝から
逃げ去(る)」よう命じられています。(コリント第一
10:14)真のクリスチャンは、目に見える物体の助けを
借りて神を崇拝しようとはしません。―ヨハネ 4:24。
219名無しさん@1周年:01/11/30 01:06
なんだか クリスチャンの 信仰告白
いや知識自慢合戦の場になってるね。

それにしても基督教徒って、誰がどう言っているとか
誰がどう書いたとか、ばかりだねえ。
220名無しさん@1周年:01/11/30 01:19
基督教は文書の宗教だから
221名無しさん@1周年:01/11/30 01:21
>>218
書いてて恥かしくない?
偶像崇拝の本質知ってる?
というより、本物の偶像崇拝なんて見たことないくせに
えらそーに言うもんじゃないよ。
カトリックの御像、御絵はイエスの御受難の写真みたいな
もんだ。
あんた、家族の写真、一枚も持ってないのか?
222221:01/11/30 01:34
それに、
初期キリスト教を罵倒、嘲笑するために、
古代ローマ人が十字架に磔にされた御子をロバに変えた
落書きの遺跡は有名だよ。
223名無しさん@1周年:01/11/30 01:40
>>221
コピペに反応するのはやめなよ。

ところで「本物の偶像崇拝」ってなに?いやまぢで。
たとえば仏教で護摩を修するのは、偶像崇拝になるの?
224名無しさん@1周年:01/11/30 01:45
>おいら達カトリックは、来るべき裁きの日や怒りの日の
>主の過ぎ越しの記念を祝ってるんだ。
>神のあわれみによって、だよ。
補足。
古代イスラエル人はエジプトの奴隷状態からの解放を、
キリスト教は罪の隷属からの解放を祝うんだよ。
憐れみぶかい神の御恵みによって。
225名無しさん@1周年:01/11/30 01:52
>>223
おいらの見た偶像崇拝は凄かった。
弾痕信仰。場所は言わんが日本だ。
そこら中に地面から石の弾痕が生えていた。
本殿に入ると無数の木彫りの弾痕が置いていた。
巨大な弾痕もあった。それに触るといいんだそうだ。
主に婦人病や子宝授けを祈願して、叶えられたら
男が弾痕のかたちを彫って、奉納。
女が奉納すると、嫉妬するらしい。
女神だからだとさ。

護摩が偶像崇拝にあたるかどうかは知らんが
魔術の類で、NGだよ。
226名無しさん@1周年:01/11/30 02:24
神は死んだ(byニーチェ)
227名無しさん@1周年:01/11/30 02:26
ニィーチェは狂った
228名無しさん@1周年:01/11/30 08:21
お客様は神様です
229名無しさん@1周年:01/11/30 13:07
>>218
> 初期クリスチャンは像に身をかがめることはしませんで
> した。使徒パウロは、「あなたがた(は)偶像を捨てて
> ……生けるまことの神に仕えるようになった」と書き送
> りました。(テサロニケ第一 1:9)
だから、私は言いましたね。
「偶像」の定義があなた方のとは違うのだって。水掛け論になるだけ。
> ところが、ローマ皇
> 帝コンスタンティヌスのいわゆる改宗の後、多くの異教
> の習わしが“クリスチャン”の間に導入されました。十
> 字架はその一つです。「コンスタンティヌスの時代以降、
> 十字架を象徴として用いることはキリスト教世界全体に
> 広まり、程なくして様々な形の敬意がそれに示されるよ
> うになった」―「聖像」、エドウィン・ビーバン。
それが、歴史的事実かどうかはしりませんが、ローマ帝国の国教化を理由にしてどうするのでしょうか。
国教化はローマ帝国の専売特許ではありません。国境化といえばアルメニア教会の方が古いんです。
カルケドン全地公会で分離してしまいましたが。彼らの教会でも聖像を崇敬します。
230名無しさん@1周年:01/11/30 13:08
>>218
> リストの像に対しても、キリストご自身に対しても、同
> 一の畏敬の念が示されなければならない。
ここまでは、我々も認めます。神に聖とされている被造物に畏敬の念を持つのは当然です。
聖書にあるヘブライ語動詞「ヤーレー」は、恐怖の感情、災いの予感以外に、神に対する畏敬や畏怖の念で用いられています。
出エジプト 14:31 イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。
詩篇 112:1 ハレルヤ。いかに幸いなことか/主を畏れる人/主の戒めを深く愛する人は。
詩篇 86:11 主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように/一筋の心をわたしにお与えください。
上に示したこれらの箇所で、「畏れる」や「畏れ敬う」と訳されている語彙が「ヤーレー」です。
この「ヤーレー」という動詞は更に神が聖とした被造物に対しても用いられます。
レビ記 19:3 父と母とを敬いなさい。わたしの安息日を守りなさい。わたしはあなたたちの神、主である。
レビ記 26:2 あなたたちはわたしの安息の日を守り、わたしの聖所を敬いなさい。わたしは主である。
これらの箇所で「敬いなさい」と訳されているのは「ヤーレー」という動詞です。
従って聖書においても、神が聖別した被造物に対する畏敬や畏怖の伴う特別な尊敬を表す箇所が存在します。
231名無しさん@1周年:01/11/30 13:09
>>218
> ……十字架は、
> キリストに対する礼拝と同じようにして、つまりラトリ
> ア[崇拝の最高形態を定義したカトリック用語]の礼拝を
> もって礼拝されており、それゆえ我々は、まさに磔刑に
> されたキリストご自身に対するように、十字架に語りか
> け、祈願する」。
あくまで聖人の著書なので絶対的な信頼性を認めているわけではありません。
私たちの教会で定める正統教理において、聖像は崇敬(ドゥリア)、正教会では敬拝と言い、
礼拝とは区別しています。
> コリント第一10:14
勿論、偶像礼拝は避けています。例えば>>228のようなことは。
232名無しさん@1周年:01/11/30 13:49
>>211
もう一度訊ねます。
安息日について、もしそれを根拠にするなら、偶像礼拝に関する律法は、新約では無効なんですか?
233名無しさん@1周年:01/11/30 14:26
>>232補足
ローマ 14:6「日を重んじる人は、主のために重んじます。食べる人は、主のために食べます。」
主のために、日を重んじること自体は否定してはいませんね。
あなた方も、主のために食べるために、肉は血を絞って食べ、輸血を拒否されるのではないのでしょうか。
ローマ 10:4は、キリストは律法を完成させるという意味です。
ローマ 7:6「その支配(律法)から解かれています。」
もしこれを根拠に律法を守らなくてもいいと言えるのなら、
偶像礼拝に関する律法も同様ということになるのでしょうか。
>>232>>233
エホバの証人も、多くの国で習慣になっている、週に
1度の世俗の仕事を休む日の価値を認めています。その日
があるおかげで、証人たちは家族で一緒に過ごしたり気
分転換を図ったりする時間を持つことができます。そし
て何よりも、クリスチャンの他の活動を推し進めるため
の時間となります。

しかし、クリスチャンには、割礼や安息日を守る義務は
課せられていません。このことを理解していた何名もの
教会教父たち、特にアウグスティヌスは、安息日はユダ
ヤ人だけのために設けられた一時的な取り決めである、
と正しく言明しました。新約聖書中の説明、つまり安息
日はイエスの犠牲によって廃止された律法契約の肝要な
部分である旨を受け入れていたのです。―ローマ 6:14;
7:6; 10:4。ガラテア 3:10-14,24,25。

安息日に関しては>>211もご参照ください。

一方、偶像崇拝に関しては、新約聖書中でも幾度も警告
されています。「淫行の者、偶像を礼拝する者、姦淫を
する者……はいずれも神の王国を受け継がないのです」
―コリント第一 6:9-10; 10:14。ガラテア 5:19-21。ヨ
ハネ第一5:21。啓示 21:8。

血を取り入れることに関しても同様です。「偶像によっ
て汚された物と淫行と絞め殺されたものと血を避け(な
さい)」―使徒 15:20。
235名無しさん@1周年:01/11/30 16:19
>>234
> エホバの証人も、多くの国で習慣になっている、週に
> 1度の世俗の仕事を休む日の価値を認めています。その日
> があるおかげで、証人たちは家族で一緒に過ごしたり気
> 分転換を図ったりする時間を持つことができます。そし
> て何よりも、クリスチャンの他の活動を推し進めるため
> の時間となります。
> しかし、クリスチャンには、割礼や安息日を守る義務は
> 課せられていません。
我々も、安息日は義務というより、教会によって聖別するものであると考えています。

> このことを理解していた何名もの
> 教会教父たち、特にアウグスティヌスは、安息日はユダ
> ヤ人だけのために設けられた一時的な取り決めである、
> と正しく言明しました。新約聖書中の説明、つまり安息
> 日はイエスの犠牲によって廃止された律法契約の肝要な
> 部分である旨を受け入れていたのです。
ということは、あなた方は、教会の教父たちの伝承を認められてるんですね。

> 安息日に関しては>>211もご参照ください。
>>232>>233では、>>211で挙げられた聖書の箇所について訊ねています。

> 一方、偶像崇拝に関しては、新約聖書中でも幾度も警告
> されています。
これは誠にその通りです。偶像礼拝の戒めは我々も認めています。

> 血を取り入れることに関しても同様です。「偶像によっ
> て汚された物と淫行と絞め殺されたものと血を避け(な
> さい)」―使徒 15:20。
あなた方の伝承では使徒 15:20によって守られているわけですね。
それなら、1コリント 11:3-16の典礼集会にいける女性のかぶり物は守られているのですか。
また、聖餐式と同様、キリストが命じた、
ヨハネ福 13:14 ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
を行っておられるのですか。
236名無しさん@1周年:01/11/30 17:17
>>235
> あなた方の伝承では使徒 15:20によって守られているわ
> けですね。
> それなら、1コリント 11:3-16の典礼集会にいける女性
> のかぶり物は守られているのですか。

クリスチャンの女性が特定の場合に頭を覆うものを着け
ることは、神の定めた頭の権の取り決めに対する敬意を
示す証拠となります。キリストは神権的な頭の権を尊重
しておられます。一例として、夫がいるところで、自分
自身と他の人たちのために声を出して祈ったり、正式の
聖書研究を司会して教えたりするなら、たとえ夫が妻と
信仰を共にしていなくても、頭を覆うものを着けるべき
だと考えるのは道理に適ったことと言えます。

> また、聖餐式と同様、キリストが命じた、
> ヨハネ福 13:14 ところで、主であり、師であるわたしが
> あなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに
> 足を洗い合わなければならない。
> を行っておられるのですか。

ぜひ文脈をご覧になることをお勧めします。そうするな
ら、イエスが足を洗われたのは儀式を制定するためでは
なく、弟子たちに教訓を与え、『模範を示す』ためだっ
たことが理解できるでしょう。それは、どんなに卑しい、
あるいはつまらない務めであっても、偏見を持たずに喜
んで奉仕するということなのです。

わたしたちは、キリストの警告と模範に従い、人間の伝
承や形式主義のとりこにならないよう注意深くありたい
と願っています。―マル 7:1-13。
237名無しさん@1周年:01/11/30 17:27
236 :名無しさん@1周年 :01/11/30 17:17
> >>235
> > あなた方の伝承では使徒 15:20によって守られているわ
> > けですね。
> > それなら、1コリント 11:3-16の典礼集会にいける女性
> > のかぶり物は守られているのですか。
>
> クリスチャンの女性が特定の場合に頭を覆うものを着け
> ることは、神の定めた頭の権の取り決めに対する敬意を
> 示す証拠となります。キリストは神権的な頭の権を尊重
> しておられます。一例として、夫がいるところで、自分
> 自身と他の人たちのために声を出して祈ったり、正式の
> 聖書研究を司会して教えたりするなら、たとえ夫が妻と
> 信仰を共にしていなくても、頭を覆うものを着けるべき
> だと考えるのは道理に適ったことと言えます。
つまり、それは義務になっているのですか?
それとも、私たちのように、どちらでも良いことになっているのですか?
聖書では義務付けていますが、
私たちは、伝承に従ってどちらでもよいということになっていますが。

> ぜひ文脈をご覧になることをお勧めします。そうするな
> ら、イエスが足を洗われたのは儀式を制定するためでは
> なく、弟子たちに教訓を与え、『模範を示す』ためだっ
> たことが理解できるでしょう。それは、どんなに卑しい、
> あるいはつまらない務めであっても、偏見を持たずに喜
> んで奉仕するということなのです。
> わたしたちは、キリストの警告と模範に従い、人間の伝
> 承や形式主義のとりこにならないよう注意深くありたい
> と願っています。―マル 7:1-13。
それなら、聖餐も形式的に行ってはならないことになるのですか?
あなた方は、集いの度に聖餐式ではなく、食事を行っているのですね。
238名無しさん@1周年:01/11/30 17:47
>>237補足
というか、私たちのように形式的に洗足式としてぬるま湯をかけるだけというのではなく、
本当に石鹸等を使ってゴシゴシ洗えばいいのではないのでしょうか。
239名無しさん@1周年:01/11/30 17:48
引用が長すぎる。
240名無しさん@1周年:01/11/30 18:05
>>238更に補足。
過越の食事も客に対する足洗いの礼儀も、同じユダヤの習慣でした。
もし、足洗いを形式というなら、聖餐も形式になってしまいます。
逆に、足洗いをゴシゴシ丁寧に洗うなら、聖餐も食事としてしっかりと栄養バランスよく頂くべきです。
私たちは聖伝によって、聖餐だけ重んじ、足洗いを省いております。
241240:01/11/30 18:12
>>239
ごめんね。
結構、適当に書き込んでるもんですから。
どうせ、エ保証の方しか読まないでしょし。
242聖餐式:01/11/30 18:21
>>237
「第二バチカン公会議文書」にはこう記されています。
「我らの救い主は裏切られた夜、最後の晩さんに際して、
その御体と御血による聖体の犠牲を制定された。それは、
十字架の犠牲を……永続させ(るためであった)」。

イエスご自身は、「わたしを記念するためにこれを行な
いなさい」と言われました。(ルカ 22:19; コリント第
一 11:24)イエスは、最後の晩さんの際にご自分が行なっ
たのはご自身の犠牲のことだったとか、弟子たちはその
犠牲を再現させなければならないなどとは言われません
でした。

ヘブライ 9:25-28: 「キリストは、年ごとにほかのもの
の血を携えて聖所に入る[ユダヤ人の]大祭司とは異なり、
幾度もご自分をささげることはありません。…しかし今、
ただ一度だけ…ご自分をいけにえとしてささげて、罪を
取り除くためにお現われになったのです。…一度だけ…
ご自分をささげられたのです」。

また、キリスト教世界はミサを頻繁に、極端な場合は毎
日行なうことによって、イエスが意図されたことから外
れてしまい、それをありふれた行事にしてしまっていま
す。

カトリック教会は、信徒の特別の義務には日曜日や聖日
ごとにミサにあずかることが含まれていると教えていま
す。イエスはご自分の死の記念式をどれほど頻繁に行な
うべきかについては特に述べられませんでした。それで
も、ユダヤ人の過ぎ越しの当日に記念式を制定され、弟
子たちの間ではキリストの死の記念式がその過ぎ越しに
取って代わりました。過ぎ越しはニサン14日に祝われた
年に一度の行事でした。ユダヤ人のさまざまな祭りはす
べて年に一度行なわれました。

こうしたことを踏まえて、エホバの証人は年に一度、ユ
ダヤ歴のニサン14日に、キリストの死を思い出す簡素で
品位ある式を催します。
243名無しさん@1周年:01/11/30 18:45
>>242
> イエスご自身は、「わたしを記念するためにこれを行な
> いなさい」と言われました。(ルカ 22:19; コリント第
> 一 11:24)イエスは、最後の晩さんの際にご自分が行なっ
> たのはご自身の犠牲のことだったとか、弟子たちはその
> 犠牲を再現させなければならないなどとは言われません
> でした。
それは、私たちの伝承による解釈ですからし仕方がありません。

> ヘブライ 9:25-28: 「キリストは、年ごとにほかのもの
> の血を携えて聖所に入る[ユダヤ人の]大祭司とは異なり、
> 幾度もご自分をささげることはありません。…しかし今、
> ただ一度だけ…ご自分をいけにえとしてささげて、罪を
> 取り除くためにお現われになったのです。…一度だけ…
> ご自分をささげられたのです」。
ミサの犠牲がゴルゴタの犠牲を表すというだけであり、
ミサの犠牲とゴルゴタの犠牲とは区別しています。

> また、キリスト教世界はミサを頻繁に、極端な場合は毎
> 日行なうことによって、イエスが意図されたことから外
> れてしまい、それをありふれた行事にしてしまっていま
> す。
使徒 2:42-47では毎日行われていたとあります。

> こうしたことを踏まえて、エホバの証人は年に一度、ユ
> ダヤ歴のニサン14日に、キリストの死を思い出す簡素で
> 品位ある式を催します。
足洗いを行わない理由の答えになっていません。
それは、過越祭を行う理由に過ぎません。
また、過越の日を守って、何故土曜の安息日を守らないのでしょうか。
イエスを記念するようにとは書いてあっても、この日(過越の日)を記念するようにとは書いてありません。
安息日がどうでもよければ、過越祭の日をニサン14日にする必要もないはずです。
イエスの記念を行えば充分だと思いますが。
244名無しさん@1周年:01/11/30 19:04
また、
>>237の自発言
> つまり、それは義務になっているのですか?
> それとも、私たちのように、どちらでも良いことになっているのですか?
> 聖書では義務付けていますが、
> 私たちは、伝承に従ってどちらでもよいということになっていますが。
はどうなのでしょうか?
出来ればで結構ですので、お答えください。
245名無しさん@1周年:01/11/30 19:25
しかしあれだな キリスト教関係者って「神」というと自分が呼ばれたような気になるらしいな(笑)
246dendo.:01/11/30 20:00
ずっとこのスレはニーチェスレなんだと思ってた……(w

>>241
元エホ証もいますよ:)
ってのはさておき、
私の記憶によればアウグスティヌスのほか
エウセビウス
テルトゥリアヌス
アレクサンドレイアのオリゲネス

などの教父たちが、エホ証の書籍に自説を裏付ける典拠として
あげられたことがあります。
エホ証は現代聖書学を拒否しているので、一般に、
各文書の筆者や書かれた場所については聖伝を採用することが多いようです。
また不確かな記憶ではエイレナイオスの名もあったように思います。
以上情報提供まで。
247名無しさん@1周年:01/11/30 20:05
>>242
エホ証止めたくなってきたでしょ。
248名無しさん@1周年:01/11/30 21:48
神は死んだ
249kaf:01/11/30 21:59
うーむ 腹も減るし、眠くもなるし・・いろいろあるし
今のとこピンピンしてるんだけど・・・アレも・・・・
神の中の神は生きてるなー
精神的にも死んではいないしね
いま いっぱい片思いしてるくらいだから・・・
ハァハァハァ・・・・・・・
250人間A:01/11/30 22:07
神がいるなら、いないと思う人にとってもいる。
いないのなら、いると思っている人にとってもいない。
例えば、空気はないと思っている人の周りにもあって
その人を生かしている。
人間の信念や認識には神の存在の真偽は左右されない。
251名無しさん@1周年:01/11/30 22:10
あのねえ みんな
誰かが神なんていないって言うと
どこかで神が一人死んじゃうんだよ・・・・・(笑)
252kaf:01/11/30 22:18
だから・・・
JAP天皇系以外は俺様がターミネート&デモリッシュしたよ
・・・糞がいようがいまいが俺様は在る
俺様は言論の自由を保障してる・・ 限度はあるが・・
・・参考に・・アメリカ・サイコゥ祭判例集で勉強してね
253人間A:01/11/30 22:21
仮に神が喜怒哀楽の感性を持つと定義して、
そのような神がいるかいないか?
神の喜怒哀楽を感じられない。
神の喜怒哀楽が分からない。
だからいないとはいえない。
隣に人がいてもその人の心の
喜怒哀楽は感じられないこと、
分からないことがよくある。
でも、その人に喜怒哀楽がないわけじゃない。
254名無しさん@1周年:01/11/30 22:21
>>251
あ。言った。
また、一人犠牲者が。
255kaf:01/11/30 22:40
草A>>? 使い方がよくわからない・・・記号のね・・
今 世の大半は俺様系一神教なんだけど・・・
・・関係ないとJAPが思ってるものでも関係あるから・・
・・でさー 俺様系では糞はただの奴隷なんだよね・・・
俺様に何かしてもらうなんてことは期待してもらっては困るんだよね
糞どもが俺様に奉仕するんだよ!!!!!!!
256名無しさん@1周年:01/11/30 22:54
こっちにも来てね。。

高橋信次、高橋佳子と高電工業(株)No.2
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1006473833&ls=50
257名無しさん@1周年:01/11/30 23:23
神はいますよ。この世界を造った一つ上の高位生命体です。
そしてその神を造ったのが、その神の一つ上の高位生命体です。
そして(以下略)。
要するに、人という種も神になれるということですな。
あ、因みに一番最初の神になるという行為をした生命体は、実は一番最後に神に造られた生命体の夢の中の存在っていうオチなんですけどね。
258名無しさん@1周年:01/12/01 12:57
神なんて もしいたら皆でまた殺しちゃおうぜ
神さまが死ぬ薬ってないのかな 殺神剤スプレー
259カルト決定!:01/12/01 13:13
>週に1度の世俗の仕事を休む日の価値を認めています。
>その日があるおかげで、証人たちは家族で一緒に過ごし
>たり気分転換を図ったりする時間を持つことができます。
すげーな。
週一度しか気分転換、家族団欒の時間をもてない宗教って・・・
260名無しさん@1周年:01/12/01 13:44
誰かが神なんていないっていうとねぇ・・・・・・(笑)
261名無しさん@1周年:01/12/01 17:37
神を殺す方法は、全世界の人が一斉のーでで自殺するしかないだろう。
262名無しさん@1周年:01/12/01 18:19
でも、死者の霊魂は自殺出来ないよ。
263  :01/12/01 20:50
ストレス溜まってるからブッ飛ばすぞゴルァ!!!
                   _ _     .'  , .. ∧_∧
          ∧  _ - ― = ̄  ̄`:, .∴ '     (神様)
         , -'' ̄    __――=', ・,‘ r⌒>  _/ /
        /   -―  ̄ ̄   ̄"'" .   ’ | y'⌒  ⌒i
       /   ノ                 |  /  ノ |
      /  , イ )                 , ー'  /´ヾ_ノ
      /   _, \               / ,  ノ
      |  / \  `、            / / /
      j  /  ヽ  |           / / ,'
    / ノ   {  |          /  /|  |
   / /     | (_         !、_/ /   〉
  `、_〉      ー‐‐`            |_/
264名無しさん@1周年:01/12/01 21:01
>>262
死者はもう死んでるんだよ。
265名無しさん@1周年:01/12/01 21:12
死んで神様さなるんでねえだか?
266祭りの神:01/12/01 21:34
2chの半角文字列で ID ???? にして
スレッド上げずに こっそり下のほうで
ロリコンの丸見えとか
貼ってはすぐに消す。
やり方はここでは教えないよ〜だ。
267名無しさん@1周年:01/12/01 21:43
俺が一番納得いかないのは、死後の世界での待遇が生前の行いで決まる
って所。しかも、それがほぼ未来永劫続くってんだから、俺に言わせり
ゃこんなのは無茶苦茶だね。死後の世界での待遇は、死後の世界での行
いによって決めろよ。そして、生前の幸福は、生前の行いによって決め
ろよ。まわりくどいことすんなよ、神さんよ〜。
268名無しさん@1周年:01/12/01 22:57
>>267
納得する必要ないよ。
そう言ってる人がいるってだけだし、宗教によって言ってる事違うんだから。
269名無しさん@1周年:01/12/02 00:09
死んだら肉塊になるだけ。
魂なんて無い。
神は死んだ。
270ヴァカが一名:01/12/02 01:41
現役エホ証交わりの部屋〜築きあげる会話をしよう〜
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1001492682/228-

229 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/28 23:05
>>228
いやー。最近は野外にあまり出ていないんですよ。
インターネット伝道ばかりに偏ってしまって・・・。
こちらのほうが産出的なように思います。
今月、メールでの研究が一件取り決まりました。

230 名前:ふいー 投稿日:01/11/29 03:05
カトリック信者の方を相手に伝道して来たところです。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1002816166/108-
取りあえず4時間を報告に含めることにします。
再訪問の数は少なく見積もっても5件にはなると思うのですが、どんなものでしょうか。

231 名前:つづき 投稿日:01/11/29 03:15
私が行なっているインターネット伝道は、協会の提案にあるように、出版物からの引用を中心に据えたものです。
このようにして聖書の真理を少しでも多くの人に伝えたいものです。
まだ2ちゃんねるではこの新しい型の宣教活動に参加しておられる方は少ないようですが、ぜひ皆さんもこの報いの多い活動を始められるよう強くお勧めします。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1006441638/
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1002231861/63-

237 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/30 15:25
さまざまなスレに真理の種をまいてきましたが、そろそろうみ疲れ始めました。
>>230が終わったらエホバの証人としての活動をネットでも実社会でもしばらくお休みしようと思います。
今月の報告は、家から一歩も出なかったにもかかわらず、73時間、再訪問233件、研究1件という実り多いものでした。
以下は訪問したサイトの一部です。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1006972352/l50
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1006885021/l50
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1001542461/l50
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1002494077/l50
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1003159154/l50
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1006154047/l50
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1002562299/l50
271名無しさん@1周年:01/12/02 11:51
↑大ネタだな
272capa:01/12/02 12:10
ヴァカが一つの名? ほう 知ってる奴もいるんだな・・
でも神の中の神の名 ヴァカは有名だから・・
なぜヴァカなのかは知らないだろ
俺様の名前関係を名乗るなど 呪われて地獄へ行きたいのかな?
273>272:01/12/02 12:29
((;゚Д゚)ガクガクブルブル
274caver:01/12/02 12:44
今の俺様って アウト オブ コントロール なんだよね
有能な部下?がサポートしているようなんだけど
273と同じ感じで・・間違って俺様の呪いを受けたくないようなんだな
とばっちり受けたくないみたい
まあ 罪のない奴はいないからなー
この世の糞すべてに有罪宣告が出てるようなものだし・・・
・・執行文書にサインするような感じかな・・・
それぞれ執行日が違うみたい・・・・・
即もいれば まだ?ということもある・・・・
・・これがヴァカの由来ではないが・・・
あとから意味がついてきた感じかな・・・・
実際はちがうぞ 糞からみればバカに見えるかもしれないがね
275:01/12/02 12:46
私は神ですが何か?
276kabu:01/12/02 12:55
俺様の奴隷になるか 逆らって消されるか 選べ
糞の中にも殺すという奴がいるようだ・・・
俺様は助けないよ・・・奴隷になるなら別だが・・・
名前は? わかると仕事が楽なようなんで・・・
名無神じゃ糞だな
277オオウソツキ教授:01/12/02 12:59
正直、ジョン・レノンは神を信じていたが
その後、その信仰を捨て、IMAGINEを書いた。
しかし、その詩の意味を知る日本人は少ない。
メロディだけで受け入れている。
詩の意味が明らかに分かる、アメリカでこの時期
リクエスト同時多発というのは
キリスト教の国でも実際の所、神などいないと
考えているヒトが多いからではないだろうか?
278>>1:01/12/02 13:16
あなたが神なのです!
279kabu:01/12/02 13:23
だからさー 主権者は俺様なの
天国がどうのといっても 糞どもにはないといっしょ
正解唄ってるね
天国に入れる奴は俺様が一方的に選ぶんだよ
まあ 俺様の発布した
肥溜めの糞完全クリーニング的十戒をくぐり抜けた奴もだが
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
I am the unti crist・・・・・・
牧者よ泣き叫べ あなた方のほふられる日がきたのである・・
ウンチ クライスト!? 祭司という意味だろ
・・で ジョンか・・俺様の声は少し似ているらしい
荒野で叫ぶ声がする
「俺様の道を備えよ! その道筋をまっすぐにせよ」
といわれたのはこの人のことか?
ほかの神の人と同じく 言いたいことを言って
暗殺されてるしね・・・・
資格は十分だな
280名無しさん@1周年:01/12/02 13:24
神 は お 前 の 本 性 だ !
281名無しさん@1周年:01/12/02 13:25
この板、どうしてこんなに面白いんだ?
282kabu:01/12/02 13:30
俺様の本性?
タイヘンタイで全てを所有して
常に権力を確認している・・・
糞をこねて遊ぶ・・・ナイナイ
283:01/12/02 13:49
私 こ そ 全 知 全 能 の 神 だ !
う ら や ま し い だ ろ う が ?
284kabu:01/12/02 13:52
だから 名前は?
名乗らない神はただの糞だよ
・・・いわゆるビョーキの症状だな・・・
思い込みだけで根拠を示せない・・・カワイソウニ
285F:01/12/02 13:55
神を殺せるわけないじゃん。
神を殺せるのは神だけだ。
286:01/12/02 14:19
わ た し の 名 は kabu だ !
287kabu:01/12/02 14:24
根拠は?
意味もできれば・・
288kabu:01/12/02 14:52
どうしたんだ? 回答が無いぞ!
俺様も今日はもう時間がないから・・・
一つ教えようkabuではユダヤが伝える神の名の文字
y=ヨッド にはあてはまらない
によって 糞が言うところの神の名がkabuでは
神ではなく ただのビョーキの糞
289kav:01/12/02 14:55
そうそう ユダヤの伝承にないということは
今の時代 かなり不利だな
ほかの連中は俺様が消したからな・・・・
290名無しさん@1周年:01/12/02 14:59
とりあえず、標本もないからな
291名無しさん@1周年:01/12/02 15:05
kabu は、神ではなく ただのビョーキの糞
ということでよろしいか? >>kabu
292kav:01/12/02 15:10
標本?
いるだろ JAPなんかついこの間まで神だといってた連中が
まだ 代表だろ JAP天皇のことだよ
標本取りに行けば?
俺様も見た目は普通の人だよ
だって 俺様に似せて糞どもを造ったんだから
ただし 能力は大きく違うね 
293kav:01/12/02 15:12
俺様が神の中の神の本当の名前がkabuといったらね
俺様はそんなことはいってはいないよ
294:01/12/02 15:14
普段から人間と接していて、とても不思議に思うことがあります。
どうして人間たちは、誰かが死ぬと涙を流すのでしょうか?
どうしても理解できません。
まるで、泣き叫べば自分が死から逃れられるとでも思っているようです。
295kav:01/12/02 15:18
な!! なんなんだ
ビョーキの症状が亢進して 崩壊した神格?になりきったのか
296名無しさん@1周年:01/12/02 15:52
>>270 :ヴァカが一名 :01/12/02 01:41
見落としたレスがありました。

>>191 :外典は霊感を受けた聖書の一部か(5) :01/11/29 23:18
> >>188
> >その再確認の前提となる確認は何時行われたのでしょうか。
> >そのような確認がヤムニア会議以前に、旧約時代のユダヤの共同体の中で、
> >どのように信条一致させる公な出来事があったのでしょうか。
>
> >>162の自発言より
> ) それら[外典の書物]は決してエルサレムすなわちパレス
> ) チナの正典の中に入れられたことはなく、せいぜい二次
> ) 的な書物とみなされたにすぎず、神から出たものとはみ
> ) なされませんでした。
>
> 外典の書物は中央のエルサレムにおいて正典とみなされ
> たことはありませんでした。
その根拠を訊いているのです。答えになっていません。

> それはヤムニア会議以前から
> 変わっていません。
それは、全くの間違いです。そもそも、イエスの時代において、
ユダヤの共同体において既に多くの分派がありました。
新約以降は、更に「ナザレの分派」、すなわち私たちが新たな分派が生じることになります。
またイエスの時代のサドカイ派は、ダビデ直系であることを自負する保守派でした。
そのためにトーラー(モーセ五書)しか認めず、復活を認めなかったのです。
そこで、イエスと復活に関する問答がありました。
聖書には、イエスはモーセ五書の「柴の箇所」から復活を立証する箇所があります。
ですから、ユダヤ教において正典の定め方は、分派各々によって異なっていたのです。
また、クムラン洞窟で発見された「死海文書」は、ヤブナ会議以前にあったユダヤ戦争の頃に、
クムラン教団というユダヤのある一派が隠したものとされています。
この「死海文書」には、マソラ本文以外に偽典や外典が含まれており、「アポクリファ」の一部も存在しています。
すなわち、「それはヤムニア会議以前から変わっていません。」というのは全く宛てにならないことなのです。
ですから、私たち教会は、私たち教会固有の正典の定め方を認める以外、何の信頼性もないのです。
ヤブナ会議で定められたマソラ本文は、あくまで今日のユダヤ教徒固有の正典なのです。
297名無しさん@1周年:01/12/02 16:22
誰かが死んで涙を流すのは、寂しいからであって死から逃れたいが為ではありません。
298名無しさん@1周年:01/12/02 17:07
神とやらがいても都合の悪い奴はいないが
いないと都合の悪い奴はいっぱいいるということかな(w
299:01/12/02 17:08
誰かが死んで笑みを浮かべるのは、嬉しいからであって生から逃れたいが為ではありません。
300名無しさん@1周年:01/12/02 17:36
>>298
むしろ逆。
神がいると都合の悪い奴はいるが、
いないと都合の悪い奴はいない。
賭けの論理+α
わかるかな?
301名無しさん@1周年:01/12/02 18:40
どんな神がいない、というのですか?

教えて?
302名無しさん@1周年:01/12/03 07:18
>>301
全知全能の愛に富む偽ることのできない神がいないのです。
303名無しさん@1周年:01/12/04 14:47
死んだら肉塊になるだけ。
魂なんて無い。
全ての存在は偶然。
目的も理由も無い。
神は死んだ。
304名無しさん@1周年:01/12/04 17:34
1君へ。可哀想にどうしたの ?。君はまだ生きていたの。とっくにいなくなって
いたと思ってたのに。未だ神を信じて生きていたんだね。君の心の中にはいつも
神が住んでいるんだね。でなければ、1のようなレス上げないものね。君はもう
とっくに自殺していたと思っていたよ。神様のおかげて生きていたんだね。
死にきれなかったんだね。いいんだよ、ムリしなくてもね。生きていてもいいか
らね。ただクソだけはなめないでね人の前で。なめてもいいけど、誰もいないと
きになめて、他人に迷惑かけるんではないよ。ウジムシのように生きていてもい
いんだよ。人目に見えない、クソツボのなかならいいよ。だから、もうまともな
ところに出てこないでね。これからわね。わかったぁ・・ウジムシ君たち。
305名無しさん@1周年:01/12/04 20:12
>>303
> 神は死んだ。

ふ〜ん。以前は生きてたんだ。
306名無しさん@1周年:01/12/05 04:19
>>305
ニーチェの言葉を引用してるんだろうが。
それくらいわかれよな。

これだから教養の無い奴は・・・
307名無しさん@1周年:01/12/05 04:23
その程度で教養ってのもハズカイ話だな
308名無しさん@1周年:01/12/05 04:53
>>307
その程度の教養さえ無い方がもっと『ハズカイ』(藁
309名無しさん@1周年:01/12/05 05:12
ニヒリズムからアナーキズムに突っ走れ。
バクーニン万歳。そのへんの通行人をオルグして
明日にでも蜂起せよ。

     (・∀・)ハズカイ !!

新たな2ちゃんねる用語の誕生か!?
311:01/12/05 05:38
>>1は正しい!!!!
と同時に非常に素晴らしい宣誓を自分自身に対して行った。

その行為を続けていくにつれ、いつの日にか
その自分の「絶対に」という思いそのものと、その思いの対象となる「神」が、
「相対」と認識できるだろう。

1には、真の絶対とはなんだろうと、ドアをノックしたり、壁をすり抜けたり、
もしくは気にしないで乗り越えたり、自分の内側に於いて肯定的否定をし続けて
欲しいとは言わない。

 
312名無しさん@1周年:01/12/05 05:39
なんですか
313名無しさん@1周年:01/12/05 10:48
age
314名無しさん@1周年:01/12/05 11:38
(・∀・)ハズカイ !! イイ !!
315名無しさん@1周年:01/12/05 13:34
まったく、ハズカイ奴らだ!!
316名無しさん:01/12/05 17:02
神がどうのこうの言う時点で、どうでもよいと思われ。
その前に、この世を支配している悪魔を抹殺する方が先だと思うが...
神の仮面を被った、狂った悪魔を。
317名無しさん@1周年:01/12/05 23:07
>>306
> これだから教養の無い奴は・・・

そういう誤魔化し方しないで、ちゃんと反論しようね。
318名無しさん@1周年:01/12/06 01:10
そらいないべ
誰か神がいるなんていってるのか?
319名無しさん@1周年:01/12/06 01:13
神がいようがいまいが宗教が力を持っているのは間違いないわけで。
>>317
(・∀・)ハズカイ !
321名無しさん@1周年:01/12/06 16:19
>>306の突っ込みのほうが恥ずかしいと思うが。
>>321
(・∀・)ハズカイ !
323名無しさん@1周年:01/12/06 16:30
ニーチェの言葉を引用するのはいいが、その意味を理解してるのか
あやしいものだ。
324名無しさん@1周年:01/12/06 16:31
>>317
反論というのは、対象になる論があって初めてできるもんだ。

>>305のどこにどう反論しろというんだ・・・(藁
325名無しさん@1周年:01/12/06 20:35
>>324
> >>305のどこにどう反論しろというんだ・・・(藁

反論の余地すらないつっこみだったわけだな。
3261の母より:01/12/06 20:36
ごめんなさい。1は精神病棟を抜け出して、いつも2チャンネルで同じことを繰り
返しているのですよ。今見つけて連れ帰りますから、本心で答えないでくださいね。
1には、何を言っても分からない、分裂症なものですから、気になさらないでね。
327名無しさん@1周年:01/12/07 13:16
↑精神を病んでますな。
328ハズカシー:01/12/08 13:28
>327
ハズカシー。
>>328
(・∀・)ハズカイ !
を推奨。
330名無しさん@1周年:01/12/08 17:54
>>329
いいっ!
331名無しさん@1周年:01/12/08 21:48
あ、ごめん。いつも神といっしょ。とても幸せ。
ああ、素晴らしい人生。こころからありがとうございます。ありがとうございます。
こんなに幸せでいいのでしようか。ただ、ただ、有り難く、ありがとうござます、
としか言いようのない人生です。ありがとうござます。
このような、素晴らしい人生があるということをただ一言いいたかっただけです。
失礼致しました。
332名無しさん@1周年:01/12/12 02:51
宇宙は冷たくなりながら永遠に膨張し続けるんだよ!
魂も糞も残らねえんだよ!
残るのは星の残骸と冷たく暗い暗黒空間だけなんだよ!

自分の存在が無になってしまうのが怖くて宗教が発達したんだよ!
絶対的な救いを求めて神という存在を創り上げたに過ぎないんだよ!
そんな基本的なことすら解からねえ馬鹿が宗教にかぶれたり洗脳されたりするんだよ!

人生にだって意味なんて無いんだよ!
生命の根源的プログラムである種の保存にしても、最終的には宇宙が完全に冷えて
虚無の空間になってしまうのが解かっていれば、意味の無い事に気付くだろう!
333vuk:01/12/12 03:02
多次元って 知ってる? 多時元もある・・
この宇宙もあれば あの宇宙もある・・・
タダシ 誰でもが行き来はできるわけではない・・・・
確かに 時間も曲がりはするが限度はある・・・
334名無しさん@1周年:01/12/12 10:26
そんな事より、ちょいと聞いてくれよ。あんま関係ないんだけどさ。
昨日、ダーマの神殿行ったんです。ダーマの神殿。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、フォズ大神官います、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、フォズ大神官如きで普段来てないダーマの神殿に来てんじゃねーよ、ボケが。
ガキだよ、ガキ。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人でダーマの神殿か。おめでてーな。
よーしパパわらわせしになっちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、小さなメダルやるからその席空けろと。
ダーマの神殿ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
警備の魔法戦士といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、賢者になりたい、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、賢者なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、賢者になりたい、だ。
お前は本当に賢者になりたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、賢者って言いたいだけちゃうんかと。
転職通の俺から言わせてもらえば今、転職通の間での最新流行はやっぱり、
まものハンター、これだね。
とうぞく+ひつじかい。これが通の転職。
まものハンターってのはねらったえものはのがさない。そん代わりMPが少なめ。
で、それにドラゴラム。これ最強。
しかしこれを頼むと次から神官にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、アミットまんじゅうでも食ってなさいってこった。
335名無しさん@1周年:01/12/12 10:44
宇宙は永遠に膨張するかもしれないし
収縮し始めて最後には火の玉に戻るかもしれない
ダークマターの正確な質量がまだ現代の科学では正確に算出できないため
どちらになるかは分かっていない
336名無しさん@1周年:01/12/12 10:50
そんなことより、この宇宙が実際に存在しているのかを問いたい。
問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
337名無しさん@1周年:01/12/12 10:54
哲学板へどうぞ
338名無しさん@1周年:01/12/12 11:02
やっぱ、バカはしんでもなおらないわ。
世の末の人間、若者の姿がここにあります。
食えるってことは、逆に恐ろしいことですね。
こんど生まれてくるときは、フリィリピンの貧民街か、
アフガンに生まれてくるように今、傲慢な者にインプットしておきました。
339vuk:01/12/12 11:21
糞の中でも優秀な 草レベルの最新の研究では この宇宙は開いている
ということは 全てエネジーヲ失った状態でサブくなる・・とのこと
まあ この 宇宙のはなしだが・・・・・
サブくなる=スレッド動かない
開く=板の住人がいなくなる  ワカリヤスイカナ
ホカノ ウチュウ=ほかのチャンネル
340 ◆GA9BCNoI :01/12/12 20:06
で どれくらい時間を曲げられるか?
曲がりといっても 歪だから 意外な結果かもね・・・
341 :01/12/12 20:35
キリスト教チックな、絶対者として人格のある神なんて有り得ないと思うんですが…。
342 ◆GA9BCNoI :01/12/12 20:43
糞どもは 常に 俺様はここにいますと 口先で言う
ところで >>341のいう「絶対者」の条件はなんだろう?
343名無しさん@1周年:01/12/12 20:49
時間を大切に。
344 ◆GA9BCNoI :01/12/12 20:55
いいこと 書くね
345名無しさん@1周年:01/12/12 21:13
神を信じ時間を無駄にする人々のなんと哀れなことか。
346名無しさん@1周年:01/12/12 21:21
余計なお世話ですよ。お節介というもんだ
347 ◆GA9BCNoI :01/12/12 21:25
この世の 糞の はかないことは 何に比べられようか・・・
しょせん つかの間の出来事に過ぎない・・
ただ 周りに存在するものの意味を知れば
俺様を探すことは 決して無駄なことではない
348*:01/12/12 21:40
◆GA9BCNoIさんへ。
かなり境地が深いとお見受けいたしました。
私には探せばさがすほど、絶対者としての
「神」がわかりません。

なんかレスお願い致します。
349ハズカイ人:01/12/12 21:41
>>1
神は、貴方に自分を憎悪させる気持ちさえ植え付ける。
私も、自分自身という部分を探したいものだ。
350 ◆GA9BCNoI :01/12/12 21:48
俺様とは何か??
見た目は 普通の人と変わらないな〜
ところで>>348>>341かな?
あなたの「絶対者」のイメージはなにかな?
351 ◆GA9BCNoI :01/12/12 22:26
オラオラ ドーシタンダ ゴルァ
352 ◆GA9BCNoI :01/12/12 22:39
ナンダ ゴルァァアアアア!!!!
周りで 変なスレ 上げたてしてんじゃねーよ
直接 キナさ〜い
353348:01/12/12 22:44
レス有難う御座います!!!!
ちなみに自分は>>341ではなく、>>311です。
[絶対]が全くわかりません。イメージさえ浮かびません。
絶対者の「者」や人の姿をした「神」はもう論外です。
自分でそれを体得および理解したいです。まあ死んでも無理だと思いますが。
>>342のご意見に激しく同意しました。きっと究極を体得なさってるのではと、、
354348:01/12/12 22:59
>>352
変なスレ?私ではありません。その意見は激しく否定いたします。
355 ◆GA9BCNoI :01/12/12 23:08
ア!ソ!
自分でわからないものを説明しろといってもね
糞どもの頭の中身など知りたくは無いし
で? 何を体得、理解したいのかな??? 論外があるんなら論内は?
>>342の言葉は いないという意味じゃないいだよね
まるで逆 ここに いるよ〜ん ということだ
ま 周りで いるいるといってる連中も いないという連中もほぼ同じだがね
いないと思っても かまわないんじゃないかな ?大差はないよ
だから 気にしないでいたほうがいいね お勧めするよ
ほんと 差などないよ
356348:01/12/12 23:18
なーるほど!!

そこのところの二元論にバリバリとらわれてました!!
素晴らしいお答え有難う御座いました!!
357:01/12/12 23:21
結局、1って個人的な「苦しい時の神頼み」で
神が黙ってるから怒ってるんだな。
「俺がこんなに悲惨な目にあってるのに〜」ってな感じか・・
なんか・・・・子供だね〜(藁
仏教的に言うと「他力本願」ってやつだな。
358348:01/12/12 23:25
ていうかこのスレにつられて書きコしたこと自体が。。。

ていうかそのおかげで気づきを得たというわけでもなく、
気づきを得ていないというわけでもないのかも。

正に人生の縮図の酔うなカキコ体験。
359名無しさん@1周年:01/12/12 23:29
こいつら確信犯か?
本物だったら・・・イタすぎる・・・
360 ◆GA9BCNoI :01/12/12 23:32
そうそう 宗教関係者には不可知論というのがあるそーだ
糞の大まかな理論としては 二元ではなく三元あるようだな
361名無しさん@1周年:01/12/12 23:39
>>360
なあ、ネタだろ?
全部ネタなんだろ?
ネタだと言ってくれーっ!
(コノママデハ ワライジニ シテシマウ…)
362348:01/12/13 01:01
我が師匠に無礼な!!
全部本物本気のオナーニであるぞ!!
363ぶんせんめいです:01/12/14 00:12
神はいないというバカがこの板にいます。
私、文がいるではないですか。毎日日本の若者をただ働きさせて、金を稼がせて
いるのは、私、神の力によります。
神がいないという人は、統一教会にいらっしゃーいな。
364 :01/12/14 12:35
>>357
お前の一体どこが、何を理解してる大人なんだ?
それは1の意見から主観的要素を除いた、客観的問いかけに対する答えにはなってない。
単なる1への侮辱だ。このスレのテーマとは無関係で、そういった意味で無意味だ。
1が何も理解してない子供なら、お前は他の猿のケツの赤さを見て笑う猿だよ。一番マヌケでダサい。
365名無しさん@1周年:01/12/14 13:22
とりあえず、ヨブ記でも読んどけ。1のような問いは何千年も前からあるんだよ。
366名無しさん@1周年:01/12/14 13:23
>>1俺には、神がいる。
367名無しさん@1周年:01/12/14 13:26
1よ、
お前よりも不幸な目に会い続けながら、
それでも神への信仰を捨てずに頑張っている者は
この世の中に五万といるぞ。

「腰に帯して男らしくせよ!」byヨブ記
368名無しさん@1周年:01/12/14 20:33
ばかどもめ!おれが神だ!
369名無しさん@1周年:01/12/14 21:03
だから役に立たないんだって・・・神なんぞ・・・
370名無しさん@1周年:01/12/15 02:46
>>367
> お前よりも不幸な目に会い続けながら、
> それでも神への信仰を捨てずに頑張っている者は
> この世の中に五万といるぞ。

ふ〜ん。神って役立たずなんだ。
371名無しさん@1周年:01/12/16 02:04
そもそも「神」を定義できないんだから、
その存在を論ずる事に、あまり意義を見出せない。
絶対的価値としての「神」の存在は、
既にニーチェによって語られてるから別問題って事で。
372名無しさん@1周年:01/12/17 01:23
あれじゃないか?非物質的実体がどうとかっていう話じゃないのか?
373西園伸二:01/12/20 18:20
神は存在する.....

それは俺だ!!
俺ォ崇めろ!!
俺ォ敬え!!

待ってるぜ!!
http://piza2.2ch.net/test/read.cgi/yume/1007748438/
374名無しさん@1周年
がんばれ・・・