東方諸正教会(オリエンタル・オーソドクス)

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1ぷちとまと
 非メルキト派スレが落ちてしまったようなので,復活させます。

 スレ内容は,東方の古典的な諸教会のうち,イースタン(グリーク)
・オーソドクスといわれる教派を除いた諸教派についての何でもあり
です。(コプト正教,アビシニア正教,アルメニア正教,アッシリア
正教,マロン派,トマス派等々・・・・)


 (旧来の慣行・典礼を保ったまま)カトリックに戻ったユニア諸教会
について,また,上記諸教派とイースタン・オーソドクス,カトリック,
プロテスタント等との交流等についての書き込みも歓迎です。
2 :01/10/02 19:27

でもさぁ、なんでそんな教会に興味もつの?
落穂拾いかなんかの趣味?
3ぷちとまと:01/10/02 22:00
>2

 一つはうちの教会(イースンタン・オーソドクス)と正統性でタメをはれるかもし
れないから。(カトリックは一旦承認し(全地公会議無しでの)非改定を認めたのに
それを付加したフィリオクェ問題があるからマケでも,)そもそも公会議段階で分裂
している(諸教会)とすると,公会議議決を以って相手を非難できにくいでしょ。

 第二は,キリスト教の本質とは何かを知りたい,という欲求ですね。ギリシャ正教
もカトリックもプロテスタントも,古代の公会議の諸議決とギリシァ・ローマ思想と
の上に,ビザンツやロシアやラティンやゲルマンの心性から生み出された変容の結果
でしょう。それとは異なる経緯・変容を遂げていったキリスト教諸派を知ることで,
よりキリスト教の多様な諸可能性と,それらに内在する本質とを知ることに迫れるの
ではないか,と考えています。

 第三には,第二の成果を前提として,日本に於けるキリスト教布教・現代=日本的
キリスト教構築の指針を得たい,という事です。これまでの日本に於けるキリスト教
の大半は,(1)欧米キリスト教の無批判な受容,もしくは(2)安易な神道等との
融合(海老名弾正などはこの可能性が高い)のいずれかでした。しかし,同じ(正統
な)キリスト教が,ギリシァ文化とローマ文化とエジプト文化とシリア文化とインド
文化と(等々)の上で,しかじかまでは多様であり得た,ということを知ることは,
日本においてここまでの変容は充分正統であり得る,という事を知る手がかりだ,と
考えています。
4名無しさん@1周年:01/10/02 22:32

東方正教会が正統というのはいまいち分からない。
王様が同時に教会のトップというのはすでに
ローマ国教ということでしょ。どういう意味で正統
なんだ?


キリスト教の本質という言い方にまやかしがある気がする。
この場合は原型といったほうが適切だろう。そして、原型の特定
より、なぜ変容されていったのかを知る方がより大事な気がする。
アフリカや中東で細々と受け継がれているキリスト教は
いわば受けなかったキリスト教だ。はやりの言葉でいえば負け組。
こことカトリックの共通点をさぐり、本質と名づけるより、
カトリックとエホバの共通点を探る方が適切ではないか。
なぜなら、その方が支持されている、生きているキリスト教
だからだ。絶滅しかけた希少昆虫を採集して、昆虫の本質が
分かるとは思えない。原型は想像できるだろうが。
5ぷちとまと:01/10/03 00:18
東方正教会が正統というのはいまいち分からない。
王様が同時に教会のトップというのはすでに
ローマ国教ということでしょ。どういう意味で正統
なんだ?
6ぷちとまと:01/10/03 00:30
>>3

>東方正教会が正統というのはいまいち分からない。

>王様が同時に教会のトップというのはすでに ローマ国教ということで
>しょ。

 王様,って,元首(プリンケプス)もしくは皇帝(イムペラトール)の
事ですよね?「ローマ国教」と書かれていることからすると。

 先ず,建前上は元首・皇帝が教会のトップであった,と言えるか否か
は,(統一)ローマ帝国・東ローマ(ビザンティン)帝国を通じて,微妙
です。
 総主教の実質的な人事権を元首・皇帝は握っていたものの,あくまで教
会の長は総主教を中心とした公会議だからです。(但し,コンスタンティヌ
スの様に,未キリスト教徒でありながら,公会議を主催・司会したりできた
りした事があったのは事実ですが。)

>どういう意味で正統なんだ?

 五大総主教座を含む当時の大部分の教会・聖職者によって支持された
公会議の決定をそのまま遵守している,という意味に於いてです。

 「再び全地公会議が持たれたその場においてでない限り,この信条に
改変・付加をなしてはならない」という公会議決定をともに一旦は承認し
た,西方総大主教座(教皇)即ちカトリック教会は,後に,ニケア・コ
ンスタンティノポリス信条に,「聖霊は父より出て」に「(父及び)<<
子より(filioque)※>>出て」と付加しました。この故に,西方は正統とは
言えない,というのが,先に私が書いた内容です。

※filio 「息子」の意味のラテン語名詞の格変化
 que  「そして(and)」の意味のラテン語
7名無しさん@1周年:01/10/03 00:38
>>ぷちとまとさん

じゃあ、カトリックは異端なのですか?
(正教徒からは当然の前提?未信者なもんで。。)

ぷちとまとさんのあげる、3番書き込みの三番目の視点には非常に興味があります。
仏教も、日本の仏教とインドのそれ、どころか中国のそれとも大いに違うところがあるんですし。
8マリア:01/10/03 02:33
カトリック内の非メルキト派は、
レバノン・カトリックセンターに載っているようね。
http://www.opuslibani.org.lb/indexe.html

ここのリンクからは、カトリック外の非メルキト派にリンクしているわね。
面白いわね。

誰かが絶滅寸前といっているけど、とんでもない。全く健在よ。
日本の全キリスト教会の信徒数より大きな教会は、たくさんあるらしいわよ。

それはそうと、東方の聖座と非メルキト派の聖座の関係はどうなのかしら?
西方と東方の聖座のような、対立があるイメージがないのだけど。
9dendo.:01/10/03 03:43
ぷちとまとさんスレたてありがとうございます。
>(旧来の慣行・典礼を保ったまま)カトリックに戻ったユニア諸教会

これってカルデア・カトリック等々のことですか?
前に統計資料を調べていたらカトリックの項に
中東の諸教会が挙げられていて興味はもったけど
とっかかりがなくてほったらかしてあったのでふと。

数の問題は 8 でマリアさんのいうとおり。
むしろ日本のキリスト教のほうが統計をみれば衰退していると
いってもいいくらい。

ぷちとまとさんの問題設定は面白いんだけど 2 は整理しすぎの
ような気も。公会議の決定や(異端とされたものも含めて)教父
神学自体が、我々が今日よく知っているものはギリシャ思想の
影響下にあり、カトリックにしても東方正教会にしても
それを同じ路線の上で発展継承させていったと見るべきでは
ないだろか。

その限りでは古代異端(テキストが少ないので難しいですが)
の研究のほうがより重要なんじゃないかと思います。むろん、
布教を考えた 3 の問題設定からすると、「生き残れた」
思想を研究することも重要だろうと思うのですが。

このスレでは古代異端は視野には入れないの?
104:01/10/03 18:04
>総主教の実質的な人事権を元首・皇帝は握っていたものの,あくまで教
>会の長は総主教を中心とした公会議だからです。(但し,コンスタンティヌ
>スの様に,未キリスト教徒でありながら,公会議を主催・司会したりできた
>りした事があったのは事実ですが。)

やっぱり王様が支配してるわけじゃん。

>>どういう意味で正統なんだ?
> 五大総主教座を含む当時の大部分の教会・聖職者によって支持された
>公会議の決定をそのまま遵守している,という意味に於いてです。

つまり所詮それは公会議以後の正統、つまりローマ帝国国教と
して正統というにすぎんだろう。
あなたにはキリスト教が国教化した時点で決定的に変化した、
もとの古代教会のものとは似ても似つかぬものになったという
視点はないのかね。
あなたの考えでは国教としてのキリスト教が正統、本質という
ことになる。

だいたい、本質としての原型があり、それがそれぞれ変容していて、
それらを満遍なく見比べれば、キリスト教の本質が分かるという考え方が
おかしい。
宗教を生物の進化、多様化と同一視しているのはいかがなものだろう。
犬という生き物がいて、ポチと名乗っていた。白人はこの犬を
殺して、ワニを飼いポチと名づけた。黒人はポチを殺してバナナを
育て、これをポチと名づけた、ということだってありうる。
共通なのは名前だけで、犬の本質はとうに失われているという場合も
ある。この場合、犬とワニとバナナを比較してポチなる本質をつかめる
だろうか。
宗教の場合、名前は同じでも本質的に変化、異化している可能性があり、
共通なのはむしろ枝葉末節の性質、たとえば十字架を用いるという
ことだけだったりするのではないか。

重要なのはむしろ、本質などという概念を仮定することではなく、
どう変化したか、そしてそれはなぜなのかということだろう。
11マリア:01/10/03 19:07
東方正教会は、公会議の決定事項に忠実だからよって、正統。
カトリックは、変えてはならないという公会議決定事項の解釈を
変えているからわね。

ただし、皇帝の思想が必ずしも正統とはされないわけ。
イコンや聖像の否定に皇帝が走っても、
公会議は逆に皇帝を決定したからね。
昔は、公会議が至上主義だったのよ。

ここで挙げる教会は、
公会議の決定事項に反対して、離教した教会の流れ。
しかし、初期の伝統を保持している教会もあるわね。

コプト教会の、教皇選出方なんて、面白いわね。
上位二者決定までは、男性信者全員で直接選挙だからね。
その後、籤引きで決める。
12名無しさん@1周年:01/10/03 20:34
>イコンや聖像の否定に皇帝が走っても、
>公会議は逆に皇帝を決定したからね。

皇帝の方が正しいじゃないか。

>上位二者決定までは、男性信者全員で直接選挙だからね。

女には発言権ないんだよ。犬だよ、犬。

だいたい、おまえはマリアじゃなくて花子だろ。
13ぷちとまと:01/10/03 21:06
内容:
>>9
>(旧来の慣行・典礼を保ったまま)カトリックに戻ったユニア諸教会
>これってカルデア・カトリック等々のことですか?

 カルデア・カトリックもそうですし,他にもグリーク・オーソドックスの帰一教会
(ギリシァ・カトリックとも呼ばれる),マロン派カトリック,マラバール・カトリ
ック等々,山のように(東方教会の諸教派の数だけ?(笑)そんなことはないですね)
あります。


>ぷちとまとさんの問題設定は面白いんだけど 2 は整理しすぎのような気も。公会
>議の決定や(異端とされたものも含めて)教父神学自体が、我々が今日よく知ってい
>るものはギリシャ思想の影響下にあり、カトリックにしても東方正教会にしても
>それを同じ路線の上で発展継承させていったと見るべきではないだろか。

 おっしゃるとおりです。従って,引用文に続いて述べられていたような,古代の異
教的異端(と別称される人々・諸思想)の研究も重要だ,と考えています。

 但し,それらは決定的に「異端」のレッテルが貼られているので,少なくとも二つの
難点がそれらの研究成果のキリスト教への取り込みには存在します。
14ぷちとまと:01/10/03 21:07
 一つは,現在の主流派キリスト教教会・信徒へ,それらから得た学びを提示しても
,決定的な「異端」のレッテル故に,なかなかあるべき・受け入られるべきキリスト
教的な要素としてそれを評価してもらうことは難しいことです。

 他は,それ等もまた,キリスト教の淵源からの多様な可能的発展の成果である事は
確かであるとしても,今我々が受け継いできた<この>(<これらの>)キリスト教
にとってはかけ離れている部分が大きすぎる為に,自らの伝統とアイデンティティを
保持したままに,それらからの教訓を学ぶことが,オリエント諸教会からの教訓の学
びと比しても,格段に困難な(しかしそれもまたされてしかるべき)ことである点で
す。

>このスレでは古代異端は視野には入れないの?
 上記諸理由と,それまで視野に入れると議論の収拾がつかなくなりえるとの理由と
から,私としては古代の諸異端は別にスレを立てていただきたいのですが。(かつて
「二元論」で私自身古代の二元論的諸異端をゾロアスター教・マニ教・プラトニズム
と並んで論じるスレを立てた――でもすぐ沈没してしまった――ことはあります。)
15名無しさん@1周年:01/10/03 21:14

ま、なんでもいいけど昆虫採集続ければ。

あるいは雑誌『ムー』の乗りなんだろうか。
16ぷちとまと:01/10/03 21:18
>>4

>キリスト教の本質という言い方にまやかしがある気がする。この場合
>は原型といったほうが適切だろう。

 キリスト教の本質という言葉でいいたかった内容は,キリスト教とし
て継承されてきた諸流派の共有する性質,あるいは一見かけ離れている
ように見えてもある操作(過去からの変容という函数の逆函数のような
もの)を行うと共通に見出される性質,といったことです。


>原型の特定より、なぜ変容されていったのかを知る方がより大事な気が
>する。

 何故,また如何にして変容していったのか,を知ることはそれも大事
だ,と私は考えます。但し,上記の意味での共有性質を発見する事と何
れがより重要であるか,は私には一概にどちらとも言えません。

>アフリカや中東で細々と受け継がれているキリスト教はいわば受けなか
>ったキリスト教だ。はやりの言葉でいえば負け組。

 これについては>8でマリアさんがおっしゃっているとおりです。
 エホバの証人の全世界の総信徒数よりは信徒数の多い教会教派もある筈です。
17ぷちとまと:01/10/03 21:23
>>10
>やっぱり王様が支配してるわけじゃん。

 ローマ=東ローマ(ビザンティン)帝国の場合は,世俗の長は「王様」
ではなく,元首・皇帝なんです。この使い分けは守ってください。
18ぷちとまと:01/10/03 21:35
>>10

>つまり所詮それは公会議以後の正統、つまりローマ帝国国教として正>統というに
>すぎんだろう。

 私がこのスレで正統と呼んでいるところのものは,公会議以降の正統でしかない,
事は事実です。

 但し,私(を含めた日本のキリスト教徒のほとんど全員)にとって,自分がそして
自分達が受け入れたり継承した,その当のものである,という意味においての正統
(正しく統をついだ)ものは,公会議以降のキリスト教でしかないのです。

(プロテスタントですら,その大多数は,そのかなりの教理や慣行をそれ以前の西方
ローマ・カトリック教会のそれによっており,決して聖書唯一主義ではありません。)
19ぷちとまと:01/10/03 21:36
>あなたにはキリスト教が国教化した時点で決定的に変化した、もとの
>古代教会のものとは似ても似つかぬものになったという視点はないの
>かね。

 ありますよ。恐らく,初代キリスト教と国教化された時期以降のキリ
スト教との関係で,歴史学上最も蓋然性が高いのは<決定的に>変化し
た,という見解でしょう。

 それ以前に,そもそも,イェースースとイェルサレム教会,イェルサ
レム教会とパウロス,間にも決定的な変化があった蓋然性はきわめて高
いと(多くの人々同様)考えています。

 ただ,そのような観点とは別のアプローチ法から<も>キリスト教と
いう事象を考察してみたい(そして,或いは実益に結び付けたい)とい
う動機が私をしてこのスレを立たせている,というだけのことです。
20マリア:01/10/03 22:18
>>12あら、字の間違いね。悪かったわね。
いいえ、公会議の方が正しいのよ。
イコンや聖像の問題でも、公会議では皇帝の破壊運動は否決された。

アリウス派の説だったと思うけど、
皇帝が心を動かしたこともあったけど、公会議では否定されたしね。
その当時も、公会議に決定権があって、皇帝には決定権がなかった。
公会議は、不可謬とされてきたということよ。

女は犬という説は、どこにもないわね。
家庭での役割を、担うべきだと考えられているからね。

それから、どうしてあたしが花子なのかしら。
あなた、面白いわね(笑)
21名無しさん@1周年:01/10/03 22:27

決定的に変化している場合が多々あるのを
認めることと、そこに共有される本質を仮定する
のは矛盾だろう。

>但し,私(を含めた日本のキリスト教徒のほとんど全員)にとって,自分がそして
>自分達が受け入れたり継承した,その当のものである,という意味においての正統
>(正しく統をついだ)ものは,公会議以降のキリスト教でしかないのです。

なんでコプト教をありがたがる人が、日本のクリスチャンという
限定をわざわざつけるのかね。
なんでキリスト教の本質だのカトリックの変質だのいう人が、
ローマ帝国国教化以後に限るのかな。
矛盾だらけだ。やっぱり色々言ってるけど『ムー』の世界だ。
22ぷちとまと:01/10/03 22:59
>>21
>決定的に変化している場合が多々あるのを認めることと、そこに共有される本質を
>仮定するのは矛盾だろう。

 そのままでは矛盾ですね。

 実際,それだから,私はギリシァ正教やカトリックとコプト派やマロン派を等置・
並列していますが,それらと原始キリスト教と,またイェースースの思想とは並置し
ていないでしょう。

 前者と原始キリスト教と,原始キリスト教とイェースースの思想との間にはそれぞ
れ「決定的な断絶」がある,と私は考えています。
 但し,ギリシァ正教やカトリックとコプト派やマロン派などとの間にはそれと同種
の乃至はそれに匹敵する水準での「決定的断絶」は存在していない,と私は考えてい
ます。

 また,既に述べたように,F(x),G(x)という函数を考え(これを歴史的・文化
的土壌に於ける,置かれたものを変容させていく環境,とでも想定してください),x
は,そこに置かれ何らかの思想内容とします。

 ここで仮にFはギリシァ=ヘレニズム文化,Gはエティオピア文化としましょう。

 そのxに a(=初期キリスト教)を代入すると,F(a),G(a)がそれぞれ
えられます。
 このF(a)とG(a)が見かけ上極めて異なっていることは十分考えられます。
しかし,aの函数の値であり,それぞれにF,Gの逆函数を適用すれば同一の性質
aが得られる,という事はありえます。

 このアナロジーが示しているように,決定的に変化している(ようにある時点で
の現象のリサーチからは見える)複数の事象が,実はある意味で本質を共有してい
る,とか,実はドラスティックではあるにせよ決定的ではない変化であったのだ,
という可能性はある,と私は考えています。
23マリア:01/10/03 23:01
ぷちとまとさん、あたしの知る限り、
この典礼様式のカトリック教会はあるわね。

コプト教会・ゲエズ教会
シリア教会・シリア・マランカラ教会・マロン派教会
アルメニア教会
カルデア教会・シリア・マラバール教会

後、他にあるなら教えてね。

この中で、総大司教がいるのは、
コプト、シリア、マロン、アルメニア、カルデア教会で、
他の教会は、大司教が長ね。
24マリア:01/10/03 23:09
ただし、この大司教でも色々格があるみたい。
ロシア正教と対立中の、ウクライナ・カトリックと
シリア・マラバール教会は、特別な地位にあるらしいわ。
25名無しさん@1周年:01/10/04 06:21
ナマガミオンナって言い方ウザイ

無原罪の童貞聖マリアと言え

聖母マリアは被昇天の共同贖罪者
26名無しさん@1周年:01/10/04 07:47
ムゲンザイの方がウザイ。

ショウシンジョって読みや。
27ぷちとまと:01/10/04 11:00
>>25,26
 「生神女vs聖母」のマリア敬称問題は,カトすれか正教会すれ,もしくは新に
エキュメニズム・スレでもたててやってください。

 オリエンタル・オーソドクスの一部がイェースースの母マリアの敬称として,
テオトコスかその各国語訳を採用してはいるでしょうが,その日本語への定訳は
(教会公認のものとしては)未だ存在しないはずです。

※アッシリア正教会(ネストリオス派)は,未だに「テオトコス」は否認し「クリス
トトコス」を採用しているのでしょうか?
28名無しさん@1周年:01/10/04 16:48

結局自分が正教徒なんで、その範囲でやりたい、批判は受けたくない、
細かい知識を披露したいってことなんでしょ。
そうならそうと正直に言えばいいのに、キリスト教の本質だの正統だの
偉そうな名目をつけるから、ややこしくなるんだよ。
俺はこの範囲でやりたい、実はキリスト教の本質なんてどうでもいいん
でしょ。オナニズムなんですよ。だから雑誌『ムー』って言ってるんですよ。
いじめられっ子が古代空想の世界に逃げて、ここにはユートピアがある、
魔法がある、偉大な力が隠されているってね。
29dendo.:01/10/04 17:01
諸正統教会は教団として活動してる。「古代空想」もないもんだ。
地域的な広がりがない国民宗教というなら神道や日本仏教だって同じこと。
このスレの趣旨からは外れるけど
イスラム教徒に比べれば圧倒的に数は少ないけど、
現在でも東地中海世界を考える上でマロン派は無視できない。
それを幻想の一語で片付けるのはいかがなものか。

キリスト教の本質を西方的なものだけから考えてはキリスト教の性格自体を
見失なうということは、すでに19世紀西ヨーロッパでも指摘されている。
一宗教思想としてキリスト教を反省する際に東方的な要素をそれとして
取りだすということは重要な視座だと思うよ。
私自身は近代思想の研究者なので、このスレではたんなる賑やかし以上のことは
できないけど。
30ぷちとまと:01/10/04 20:06
>>28

>結局自分が正教徒なんで、その範囲でやりたい

 イースタン・オーソドクスの立場としては,オリエンタル・オーソドクスの諸教
会はそもそも異端なので,学ぶべきものは無い,彼らに対して我々にできることは
彼らを我々のもとに帰正(いわゆる改宗の宗派内版)させることだけだ,という事
になります。

 この立場は,彼らの諸教会からもさまざまなことを学べれば喜ばしい,とする私
の個人的立場(恐らく信徒としては不適切な立場です)とは,かなり距離があります。


>批判は受けたくない、

 筋のとおった批判は歓迎です。但し,それへの反論を,私もしますし,このスレ
の他の参加者がなさることも当然,可,です。


>細かい知識を披露したいってことなんでしょ。

 私はオリエンタル・オーソドクスの状況については,プロテスタント,カトリックに
比べ遥かに疎いので,どちらかというと「細かい知識を提供してもらいたい」のですが。

 その点,マリアさんありがとう。
 ついでに,グェズ教会について少し御説明願えませんでしょうか?
31ぷちとまと:01/10/04 20:08
>>29
dendoさん へ

>私自身は近代思想の研究者なので、このスレではたんなる賑やかし以上のことは
>できないけど。

 何が(あるいはその質問ではアイデンティティがフィックスされすぎる
なら何処のいつ頃が)御専門ですか?
32名無しさん@1周年:01/10/04 20:30
>キリスト教の本質を西方的なものだけから考えてはキリスト教の性格自体を
>見失なうということは、すでに19世紀西ヨーロッパでも指摘されている。

だから、それあんただけですって。
なんか書きたいのは分かるけど、誰も言ってないことに反論してもねぇ。。。
33名無しさん@1周年:01/10/04 20:37
> イースタン・オーソドクスの立場としては,オリエンタル・オーソドクスの諸教
>会はそもそも異端なので,学ぶべきものは無い,彼らに対して我々にできることは
>彼らを我々のもとに帰正(いわゆる改宗の宗派内版)させることだけだ,という事
>になります。

正統なるエヴァンゲリオンおたくは、新エヴァンゲリオンおたくに
対して、戦いを挑むわけですね。
私はセーラームーン派なもんで。

どっちにしろ、何を言ってもちゃんとした返答が返ってこないので、
このおたくいじめはつまんない。
34名無しさん@1周年:01/10/04 20:45
マリヤ崇敬は詭弁の上に成り立っている。
カトリック教会は詭弁の上に建つ教会である。
35考える名無しさん@1周年:01/10/04 21:32
>>34
んじゃ、アッシリア(カルデア)正教会だ!
36考える名無しさん@1周年:01/10/04 21:33
ナマガミオンナもないしね
37名無しさん@1周年:01/10/04 22:38
ショウシンジョ
38名無しさん@1周年:01/10/04 22:45
キシンジョ
39名無しさん@1周年:01/10/04 22:45
イキガミオンナ
40名無しさん@1周年:01/10/04 22:46
キシンオンナ
41名無しさん@1周年:01/10/04 22:49

イキガミジョ
42名無しさん@1周年:01/10/04 22:51
聖ウラジミールの名において荒しをやめよ!
43名無しさん@1周年:01/10/04 22:53
聖イオアンの名において荒しをやめよ!
44名無しさん@1周年:01/10/04 22:53
アカスリオンナ
45名無しさん@1周年:01/10/04 22:53
聖ピョートルの名において荒しをやめよ!
46名無しさん@1周年:01/10/04 22:59
 (11)聖名(洗礼名)
  カタコンベの墓標を見ますと,ある名に錨の絵が描かれていますがこれは「エルピス」(望)という名
の人の墓であったのでその名前を書く代わりに錨の絵を描いたのでしょう。 所によってはギリシア語の
「エルピス」の代わりに「スペス」いうラテン語で記されているのも有りました。 ギリシア教会では「ピステ
ス」(信),「エルピス」(望),「アガヒ」(愛),という聖名を用いていたもので,ロシアの「ウェラ」(信),「ナ
ヂェジュタ」(望),「リボフ」(愛)はこれらのギリシア語の聖名をその意味に従ってロシア語に訳したもの
なのです。 只「ソフィア」(知恵)という聖名だけはギリシア語をそのまま使っております。 そうしますと
日本では何故聖名をロシア語のまま使って日本語に訳して使わないのでしょうか? 例えば「ウェラ」を
信子,「リボフ」を愛子,というように。 勿論これには様々と神学上の関係があることでしょうが,ギリシ
ア語の聖名をロシア語に訳して使っているのですから,ロシア語の聖名を日本語に訳して使う事もでき
ないことは有りません。 ロシア語の中には,日本人の為には随分難しい名が有りますから,出来る事
ならば日本人の為には,日本語に訳した方がどれほど白身の本当の名前のようになるでしょう。 もし,
自分の聖名が満足に言えないほど難しいものならば,まるで借り物の名前の様な気がするでしょう。
聖名を日本語に訳して「信子」「愛子」等と呼び慣れるまでは何だか俗名さいと思う人が有るかも知れま
せん。 しかし「オリガ」という名(今では聖名となっている)は昔は俗名であって洗礼を受けて「エレナ」に
代わったのでありまずが,今ではその俗名を聖名にして呼んでいます。 また,「ウラジイミル」という名
も昔は俗名で聖名は「ワシリイ」であったのですが,現在では「ウラジイミル」という聖名として取り扱われ
ております。
47名無しさん@1周年:01/10/04 23:00
聖インノケンティと聖フェオドシイの名において荒しをやめよ!
48名無しさん@1周年:01/10/04 23:02
聞いたこともない聖人が出てる
49名無しさん@1周年:01/10/04 23:04
>>36->>50
50名無しさん@1周年:01/10/04 23:05
51名無しさん@1周年:01/10/04 23:14
カチューシャロケットの名において荒しをやめよ!
52名無しさん@1周年:01/10/04 23:15
T−34の名において荒しをやめよ!
53名無しさん@1周年:01/10/04 23:16
巫女ヤングレビッチの名において荒しをやめよ!
54名無しさん@1周年:01/10/04 23:18
セルゲイ ボンダルチュクの名において荒しをやめよ!
55名無しさん@1周年:01/10/04 23:19
イワンの馬鹿の名において荒しをやめよ!
56名無しさん@1周年:01/10/04 23:21
ウラジイミル イリイチ レーニンの名において荒しをやめよ!
57名無しさん@1周年:01/10/04 23:57
ウラディミル・イリイチ・ウリヤノフの名において荒らしを為せよ!
58名無しさん@1周年:01/10/05 00:17
ミハイル ティモフェビッチ カラシニコフの名によって荒しをやめよ!
http://www.bobtuley.com/kalashnikov.htm
59dendo.:01/10/05 00:50
>>31
ドイツ観念論のわりとマイナーなとこです。
純哲や宗教哲学ではありません。
これ以上書くと fix されるだろうから御勘弁。
60ROM:01/10/05 02:16
いい加減、穏当にスレ進行して欲しいんだけどな…。
単純に興味あるから話そうや、じゃダメなんかい?
(私はキリスト教徒じゃないんだけど)

ベツレヘムの聖誕教会に行ったら、コプト教、アルメニア正教、ギリシャ正教、カトリックと
いろいろ入り乱れてて素人目には(失礼)非常に面白かった。
コプト教などは非メルキト派と呼ぶのかな?
興味はあるけど調べようがわからないんで、おすすめの本などあったら教えて欲しい。
61ぷちとまと:01/10/05 13:50
>>60
 前代スレ(「非メルキト派について」)で,指摘されて既読であることを思い出し
たのが,

森安達也著,『キリスト教史V』,山川出版社,1978

です。ただし,この本の参照文献に上がっているものは,グリーク・オーソドクスが
主体で,それに古代の異端(小パウロ派,ボゴミル派等)が少々で,オリエンタル・
オーソドクスに関するものらしいものは見当たりません。

 また,日本で10年前位に,中近東の諸教会の彼らの立場を表明した本が,教文館
かどこかのキリスト教系出版社から出ています。
62ぷちとまと:01/10/05 14:37
>>59
 ドイツ観念論って,私全然わからないんですよ。教えてもらいたい・・・・

>わりとマイナーなとこです。

 ってことは,カント,フィヒテ,シェリング,ヘーゲルが外れ,宗教
哲学でないのだからシュライエルマッハーも外れますね〜

 カント〜フィヒテ間かな〜,ヘーゲル右派かな〜,わきゅわきゅ

 確かにそのレヴェルで個人名を出すとほぼ特定できちゃいますね(笑)

63ぷちとまと:01/10/05 14:40
純哲でない=メインの哲学分野でない,の意なら

ヘルダーとか!?
64dendo.:01/10/05 15:13
あ、メジャーにいれてもらってる。すごく嬉しい :)
そういやバーダーやってる人とかいますね。世の中には。
あれくらいでないとマイナーとはいわんのか。

カントをドイツ観念論にいれていいかはちと疑問。同時代はそう見ていただろうけど
ドイツ観念論に特有な絶対者の概念がカントにはないし、
カント自身も自分の哲学を観念論とは認めていないので。
カントをやる人は「批判哲学」という呼称を好むようですね。
本来の話題じゃないので sage。
65名無しさん@1周年:01/10/05 18:05

Im Namen des Mondes werde
ich dich bestrafen.
Ich stehe fuer Liebe und Gerechtigkeit.
Ich bin Sailormoon!

http://me.in-berlin.de/~neugier/Sailormoon/
66ぷちとまと:01/10/05 18:21
>>65

 月にかわっておしおきよっ!

(までは知っているけど)

 愛と正義のみかた,
 私はセイラー・ムーン

(とほぼ同義)
67ぷちとまと:01/10/05 18:27
>>64

>カントをドイツ観念論にいれていいかはちと疑問

 私も,カントは観念論には入れたくないです。理由は,Ding an sich
を立てるので,ある種の二元論的構図をなおも保持しているからです。

>ドイツ観念論に特有な絶対者の概念がカントにはないし、

 ドイツ観念論における絶対者とは何か,及びいかなる理由でドイツ観
念論にとって,それが不可欠であるのか,もう少し御説明いただけます
か?

>カントをやる人は「批判哲学」という呼称を好むようですね。

 カントの哲学的方法論が,批判哲学である事は確かですね。ただ批判哲学
であるか否かと,アイデアリスムスであるか否か,とは別個の問題であり,
批判哲学を貫いた結果,アイデアリスムス的な要素のみが哲学的正当性を具
有するものであるとして残される,という仮想的状況も可能なのではないで
すか?

 とりあえず,アラシさんがいないと,何かの話題でつないでおかないとス
レ沈没にいたりかねないのでage
68ぷちとまと:01/10/05 18:32
>>64

>あ、メジャーにいれてもらってる。すごく嬉しい :)

そりゃ,フィヒテ,シェリングは大物でしょう。
岩波文庫にも翻訳がある位の

>そういやバーダーやってる人とかいますね。世の中には。
エックハルトの影響を受けたネオ=スコラティスムスの人ですね。
何とか,頭の片隅にある名前です。
私みたいに,哲学史に無知な人間でも知っている名前のうちはマイナー
とはいえないでしょう(笑)
69マリア:01/10/05 18:45
http://www.catholic-forum.com/churches/kidanemehret/

ここがアメリカのゲエズ典礼のGe'z教会のホムペよ。
詳しい事は分からないわ。ごめんなさい。
70dendo.:01/10/06 00:57
アラシによってdat行きを免れる、というところに
「不完全なものもそれとして世界の完全性に寄与する」という一節をふと思いだしたり。

スレ違いなんでsageでいきますが
単純には das Absolute(絶対者、絶対的なもの)という述語の共有、
内容に則していえば
「自我」を観念の自己措定を「絶対者」として理解し、
さらには思惟(ひいては哲学)の端的なありようとして理解し、
かつそれが実践的・実在的な宗教や歴史の原理であるとすることが
ドイツ観念論を他の種類の(たとえばプラトンの)観念論とへだてる点だと考えています。

フィヒテ以降を特徴づける述語としては「自我」がありますが、
端的に観念的な「自我」よりも、
自我からさらにその観念性を排した端的な自己定立性としての「絶対者」のほうが
ドイツ観念論全体にとっては重要な概念だと考えています。
だいたいフィヒテでも後期(1803年ころから)では自我の語が出る頻度は
ずいぶん減っていくはずだし……
(確認しようと思ったら PhB が埋もれてて発掘できず。すみません)

絶対者が超越論的(=人的)自我なのか、それとも端的に神的自我として理解されるかは
哲学者によっても、また同じ哲学者でも時期によって異なるのでここでは割愛。
もっとも神的自我としての絶対者を論じる場合でも、
人間が思惟しうるのは人間が思惟する限りでの神でしかありえないわけだけど。

……大雑把だなあ。まあいいか。
71名無しさん@1周年:01/10/06 05:38
>>58
ローマ法王だって、そんなに勲章持ってないよ。
法王は、元ポーランド軍の三等兵で、ドイツが恐くて
敵前逃亡したらしいぞ。

ナチスなど恐れぬロシアは偉大だ。
72ぷちとまと:01/10/06 22:44
>>70
dendo.さん

 独逸観念論に於いては,絶対者は非人格的存在者なのですか?
 西洋思想史に於ける超越者というと,人格的存在として把握される場合が多いので
すが・・・・(その場合だとder Absoluteになりません? 独逸語の知識薄弱によって
誤解なら陳謝陳謝)


>絶対者が超越論的(=人的)自我なのか、それとも端的に神的自我として理解されるか

 独逸観念論の系譜においては,超越論的自我にして且つ神的自我(moi est soi)
的な発想は無いのでしょうか?
73名無しさん@1周年:01/10/06 23:23
あの、ちょっと流れを途切れさせるようですみません。
同志社大学教授 落合仁司氏の思想的なアプローチについて
どう思われますか?実は大学の学部で宗教哲学を専攻しようと
考えておりまして、彼の著書を読んで非常に面白く思ったのですが、
いまいち批判的に読むだけの能力が無く、また、あまり一般的に反応
がないようで・・・。批判点などがありましたらぜひ御指導ください。
74ぷちとまと:01/10/06 23:37
>あの、ちょっと流れを途切れさせるようですみません。
独逸観念論についてではないし,落合氏の議論はイースタン・オーソド
クスの神論についてだし,という点で,二重に途切れだけど・・・・

 落合氏の議論は,

東方神学の神論の構造が論理的に破綻していない可能性を,同型の構造
の存在を集合論の系において例示する事において示した

限りにおいて成功している。

 但し,両者が同型というだけでは,神論の論理的不整合による偽の可
能性を排除しただけである。
 つまり,現実に神がそのような構造をとっているか,或いは,現実に
神がそのような構造をとっていると東方諸教父が現に考えて来たか,に
ついては論じていない。
 分けても,前者については何ら検討が行われていない。
 したがって,仮に東方諸教父が,落合氏が展開したところの系に適合
するように思索していたとしても,彼らが論理的に適切に,且つ,真の
神とは何の関係も無い論理的系を,思索していた,したがって,東方神
学は,真の神とは無縁な虚構に過ぎない,という可能性を少しも排除す
るものではない。
75ぷちとまと:01/10/06 23:38
感想:おもしろかった

   『保守主義の社会理論』からあんな方向に転換するとは思いもよ
   らなかったけど。
7673:01/10/07 00:27
73です。ぷちとまとさん、どうもありがとうございました。
スレ違いだったみたいですね・・・。すみません。ほかに正教会
関連のスレッドがみつからなかったもので・・・。
 結局、一種のメタファー(あるいはメディア)として数学を使う、ということの
限界(数理神学という方法の限界)なのでしょうか。確かに、「系の類似性」ということ
以外に数学を使って「神」に関する推論を行う根拠はないように見受けられます。
 御意見、どうもありがとうございました。もしよろしければ、落合氏の理論
に関係する論文等、御存じだったら教えていただけませんか・・・?
77ぷちとまと:01/10/07 01:01
>スレ違いだったみたいですね・・・。すみません。ほかに正教会
>関連のスレッドがみつからなかったもので・・・。

げ,「東方正教会を考える」スレ,いつのまにか沈没していたのですか?
こちらは,信徒の交流の場としても貴重で,どなたかおっしゃるとことろの「落穂
拾い」ではないかったのですが・・・・


>「系の類似性」ということ以外に数学を使って「神」に関する推論を行う根拠はな
>いように見受けられます。

 但し,落合氏自身がお書きのように,爾来東方神学は非論理的との見解が主流を
しめていたという事情に対し,少なくとも数学と同レヴェルの論理的整合性をその
(公理にあたる諸テーゼの真偽はおくとして)演繹過程の産物としての命題系を作
り出していた,という事を立証した(もしくはするための重要な補題を解いた)と
いうだけでも,充分に評価に値する,と私は評価しています。

>落合氏の理論に関係する論文等、御存じだったら教えていただけませんか・・・?

 残念ながら存じません。お目にかかったときに尋ねても良いですが,それ
よりはむしろ,氏に直接質問の手紙を出すかアポをとってお会いなさったらいかが
ですか?
7873:01/10/07 01:11
73です。本当にありがとうございます。
そうですね。もう少し、私自身の勉強が進んで、きちんと御本人
と対話ができる準備ができたらぜひそうしたいです。私自身は東京
に住んでいますので、なかなかうまくいかないかもしれませんが。
79ぷちとまと:01/10/07 18:42
時々あげておかないと・・・・

なんたって他称「落穂拾い」スレ(苦笑
80ぷちとまと:01/10/08 17:27
また,アゲ
81名無しさん@1周年:01/10/09 00:15
典礼について教えて!
聖バシレイオスの典礼、聖クリュソストモス典礼ほか。
またはヒッポリュトスの奉献文についてや、さまざまな典礼書についても。
82dendo.:01/10/09 12:44
しばらく間があきましたが
>>72
初期シェリングにおける神(der Gott)は非人格的です。
また絶対者という概念には無制約性・無規定性が付随しますから
人格性の有無を問うことはこの問題設定においてはあまり意味がない。
「絶対的であること」が端的に問題なので、その意味でも中性名詞化するほうが
自然だといえます。
あんまり関係ないけど「永遠に女性的なるもの」も das Ewig-weibliche ですよね。

超越論的自我の規定根拠は絶対者に求められますから、
絶対者=神である場合には、自我の規定根拠はやはり神のうちにあるといえます。
この傾向は後期フィヒテに顕著であるように思いますが、
中期から後期のシェリングでも、人間の歴史を神の自己展開とみる思索があります。

>>77
すでに確認済だろうとは思いますが、落ちました。。
てっきり余所で再興されているものとばかり…
83名無しさん@1周年:01/10/09 20:58
名無しラスプーチン寄合いを込めて
84名無しさん@1周年:01/10/09 21:00
東方教会は弛んでいるから
オウムがロシアに蔓延った
カトに改宗しなさい
85ぷちとまと:01/10/10 12:32
>>84

そんなこといったら,西方教会は緩んでいたから

プロテスタントという<異端>が西欧に蔓延った
世俗主義が西欧に蔓延った
ムスリムも(移民の増加で)蔓延りつつある

等々いくらでもいえるでしょ

しかも,上記はメジャー宗教・思想潮流に限定で,オウム張りの少数カルトはカトリッ
ク圏にもいくつもあるらしいですよ。

いずれにせよ,当スレの本来の対象オリエンタル・オーソドクスの方々には,縁のな
い話。少なくとも,イラクやエティオピアでオウムが蔓延った,なんて話し聞いた事
ないから・・・・
86ぷちとまと:01/10/10 12:50
>>81
この話も東方諸正教会よりは東方正教会スレをたてなおして,やってい
ただくのが筋なのでしょうけど。

教会伝承では,典礼は
聖ヤコボス(イアコフ)の聖体礼儀:
      A.D.1c.に主の兄弟ヤコボス(イアコフ)が設定
      現在でも年一回イェルサレムの教会で使われているとか
聖大バシレイオス(バジル)の聖体礼儀
      A.D.4c.初頭にカッパドキアの教父バシレイオスが設定
      ヤコブのものを短くし,瞑想的祈りに重点をおいたとされ,
      12大祭等で使用されます。
イォーアンネース・クりュソストモス(金口イオアン)の聖体礼儀
      A.D.6.前半?コンスタンティノポリス総主教イォーアンネ
      ース・クリュソストモス(金の口)によって制定
      聖大バジルの聖体礼儀を短くしたもので,普通の祭日にはこ
      れが用いられる
グレゴリオス・ディアロゴス(問答者グレゴリイ)の聖体礼儀
      ローマの聖グレゴリウス大教皇ともされるグレゴリオスなる
      人によって制定されたものとされる。
      四旬節中の主日を除いた日の聖体礼儀に用いられる。
      予め聖変化しておいた聖体・聖血を用いるため,聖体礼儀中に
      聖変化がないのが特徴
      (西方学者の研究によるとかなり古い時期の礼拝の姿を留め
      ているそうです。)

他に
聖マルコス(聖マルコ)による聖体礼儀
      福音記者聖マルコスによって制定されたものとされる
      アレクサンドレイア総主教区で用いられている
などがあるそうです。

※但し,上記の中の由来や年代は,教会伝承によるもので,研究者の平均的
見解によると,制定者には信頼がおけず,制定年代もあるものは若干,他の
ものは大きく,時代が下がるであろう,とのことです。

「聖ヒュッポリュトスの使徒伝承」は西方典礼ですね
87ぷちとまと:01/10/10 13:46
>>82
dendoさん

>初期シェリングにおける神(der Gott)は非人格的です。
そうなのですか。
(西洋思潮からすると非主流的だけれど,一つの分岐思潮にのってますねという感じ
で,全くな未知・意外性への驚きはないです。新たな事を知った驚きはありますが。)

>また絶対者という概念には無制約性・無規定性が付随しますから
>人格性の有無を問うことはこの問題設定においてはあまり意味がない。
 無制約性・無規定性を持ちながら,人格的でもある,というのが,スコラ期の神
学におけるキリスト教の神概念でしたよね?(怪しげ)
 だとすると,ドイツ観念論においては,無規定性が付与される対象にはそもそも
人格性を問う事も(それがある規定を対象に付与する――即ち「神は人格的である/
無い」という規定を神=絶対者に与える)事になるから,その問い自体を拒否する,
という事でしょうか?
(もしそうだとすると,欧州中世哲学よりはよっぽど王道を歩んでいるような気が
する。少なくとも,受け入れやすいです。)

>超越論的自我の規定根拠は絶対者に求められますから、
(1)超越論的自我の規定根拠とはいかなる概念か、
(2)その自我と絶対者の関係(根拠規定)について少し敷衍して,
お教え願えませんでしょうか?

 素人にも解りやすい書物の御紹介でもうれしいです。
88名無しさん@1周年:01/10/10 18:11

安らかに眠れ。
89考える名無しさん:01/10/11 23:23
あげ
90名無しさん@1周年:01/10/11 23:43
考えたらすごいですよね。
カトみたいに新教に分派せずに2000年もやってきて・・
91dendo.:01/10/12 01:35
中世のとりわけ否定神学については私も同じような理解をもっています。
初期シェリングの場合、スピノザの影響が顕著なんですね。
スピノザの神は意志をもたず非人格的でかつ無限の様態を持つわけですが
スピノザの神概念におけるこの無限性が
初期シェリングでは非人格性として解される……と私は理解しています。
つまりここでは人格性はある種の有限性と解されていると考えられます。
この見方を裏付けるものとして
「神のうちなる有限性」として三一性における子の人性をシェリングが理論づけるようになる中期以降は、
シェリングもまた神の本来的な現象に人格性を認めるようになっていきます。
(ここでも非人格的な神表象の余地は残されているが、しかし歴史における過渡的なものとして理解される)。
92dendo. 2/3:01/10/12 01:35
自我の規定性(Bestimmungheit)ですが、
このドイツ観念論のターミノロジーでは
規定とはほぼ、有限的なものとしての定立/措定(setzen 置く)と同じ意味あいをもっています。
初期フィヒテでは超越論的自我と絶対者はほぼ等価な概念であり
自我の自己定立を根拠づける(可能にする)のが観念(知的直観)の絶対性であり
後者により注目するとき「絶対者」という用語が用いられる(この辺いささか不正確かも)
これに対して初期シェリングでは
絶対者はほぼ神(というよりは神的なもの)と同義であり、また
観念と自然の双方が絶対者の自己表出であると考えられます。
このとき自我は、絶対者が観念的なものとして自らを定立/表出したものであり
絶対者のうちに存立基盤を持つとともに
「絶対的に観念的なもの」としての自己規定性をも絶対者に負うといえます。
これに対してヘーゲルの『精神現象学』では、
精神の自己展開の終局が「神」/「絶対者」の把握におかれ
自己意識(自我)として自らを捉えていた精神が絶対者を認識するまでに高まり
本来のあり方を完成するという点で、
自我と絶対者は精神の異なる様態として共通の根を持つと考えてよいのではないかと思います。
93dendo. 3/3:01/10/12 01:36
ドイツ観念論全体を俯瞰するよい入門書がないのが正直悩ましいのですが
絶対者概念の展開に限っていえば大橋良介氏の『絶対者のゆくえ』が
比較的まとまっていてかつ前提知識なしでも読みやすいかと思います。
一冊でなくていいなら弘文堂の『講座・ドイツ観念論』でしょうか。

……超教派の神概念スレでも立てましょうか?
94ぷちとまと:01/10/12 18:13
>>91

>>93

ありがとうございました。

>……超教派の神概念スレでも立てましょうか?

立てていただきたくもあり,このスレの沈没を早めそうで危惧も感じつつ,です
(後者の恐れがなかったら,先ず先に,「東方正教会(イースタン・オーソドクス)」
スレを立ててます(苦笑)
95名無しさん@1周年:01/10/12 21:34

無理してあげるな。眠れ眠れ。
96ぷちとまと:01/10/14 09:27
定時あげ
97:01/10/14 12:02
ぷちとまとさんへ
私は、非メルキト派すれで、ちょっとだけ顔を出してました。
森安達也の『キリスト教史V』山川出版社の書名をあそこで出した者です。
それにしても、あなたは博識ですね。勉強になります。

>前者(東方正教やカトリックとコプト派やマロン派)と原始キリスト教と,
>原始キリスト教とイェースースの思想との間には
>それぞれ「決定的な断絶」がある,と私は考えています。
>但し,ギリシァ正教やカトリックとコプト派やマロン派などとの間には
>それと同種の乃至はそれに匹敵する水準での「決定的断絶」は
>存在していない,と私は考えています。

まったく同感です。

でも巷では、例えばエジプトを紹介するガイドブックや、旅行・滞在記で、
コプトを「原始キリスト教の一派」などと書く人って多いんですよね。
98:01/10/14 12:06
東方諸派について、「古代空想の世界」とかマイナーなものへの
興味のように考えて人もいるようですが、中東などに行けば、
イスラームに次ぐ宗教として社会で存在しており、
現役もいいところです。まったく普通の生きた宗教ですよ。
その国の中で政治に影響力を持つ教会もあります。
(マロン派はもちろん、エジプトのコプトも。
 エジプトにおけるコプトの政治的意味は、例えば
 日本での創価学会の政治的存在よりはるかに大きい)

わたしはキリスト教信者ではないが、仕事で中東を専門とし、
中東の文化を勉強するうちに、中東のキリスト教諸派にも
興味を持ちました。
エジプトには何年も暮らしたので、友人にコプティックは多いし、
教会を案内してもらったことも何度も。人口の約1割ですから。
というわけで、「ムー」でも古代趣味でもなく、
現代の興味の対象になるものです。
99 ななし〜:01/10/14 18:46
スレ祭立ち上げしたようで。新装開店おめでとう  >ぷちとさん

おころでイアコフ聖体礼儀は現役ですよ。
エルサレムの教会だけでやってる、ということではないようですよ。
詳細は私もよくわかなんが・・・
日本正教会では執行しませんが、日本人聖職者でギリシャで実際
司式した人もいるし、テキストも発売されています。
実際私もコピーもってるしくらいですから、そう珍しいものでも
ないのではないかな。
100ななし〜:01/10/14 18:55
ところで、No.1の
 「(旧来の慣行・典礼を保ったまま)カトリックに戻った
 ユニア諸教会について,」
ぷちとさんは、ローマカトリックの方だったんですか?
「移った」っていうんでしたら、歴史的事実でしょうけど。
101dendo.:01/10/14 19:25
本日某聖堂の聖体礼儀に参列してきました。
カトリックの典礼とは確かに違う印象を受けますね。
いろいろなことを感じましたが、
とりわけ礼拝行為がそれ自体端的に「祈り」であるということを改めて考えました。

たまたまふと思いたっていったのですが、
お堂自体にとって特別な日だったようで……
最初司祭さまと思っていた方は主教さまだったようでふ。(まぬけ)

日記つける場でもないのでこれくらいで。
あ、個人的には正教会スレは復活させたほうがよいのじゃないかと思います。
また〜りスレで他宗派の方でも dat 落ちを惜しまれていた方いらっしゃいますし。
本題じゃないので sage。
102名無しさん@1周年:01/10/15 18:35

『ムー』友達が2、3人出来てよかったな。
103ぷちとまと:01/10/16 21:17
>>102
ありがとう

でも、どっちかというと「アトランティス」仲間にしてほしい。
プラトン先生以来のご縁だから
104ぷちとまと:01/10/16 21:27
>>101

>ぷちとさんは、ローマカトリックの方だったんですか?
イースタン・オーソドクスです(一応)

>「移った」っていうんでしたら、歴史的事実でしょうけど。
うっかりですね。特に「帰一教会」なんて訳語が頭にちらついていたので・・・・
ゆるしてっ

>でも巷では、例えばエジプトを紹介するガイドブックや、旅行・滞在
>記で、コプトを「原始キリスト教の一派」などと書く人って多いんです
>よね。
 ちょっと、「原始」はひどいですね。イェルサレム使徒教会やエビオ
ン派を連想してしまう。パウロの伝道による異邦人教会が入るかどうか
危ないくらい昔の教会を、普通「原始キリスト教会」といい、それ以後
は「初代教会」ですものね。

 それに、イースタン・オーソドクスより古い形式を必ずしもそのまま
維持しているわけではなく、独自の発展をなしてい諸教会が大部分のよ
うですし。(アルメニアはかなり古式を残している、と聞いたことがあ
りますが、あくまで伝聞)

>東方諸派について、「古代空想の世界」とかマイナーなものへの興味の
>ように考えて人もいるようですが、中東などに行けば、イスラームに
>次ぐ宗教として社会で存在しており、現役もいいところです
 ま、日本に居住し生活しているものとしては、(中近東と生活やビジ
ネス上のかかわりがない限り)マイナーなものへの興味、という事にな
るのでしょうが・・・・
 でも、マイナーなものに興味を持っている人って、それぞれの分野を
足し合わせたら膨大な気がする(先の天皇の興味――相模湾のイシサン
ゴ等――だってすごくマイナー)
105ななし〜:01/10/17 01:31
東方正教スレ、まだ再立ち上げされてないみたいですので、
イアコフ聖体礼儀についての続き。

書いていて思い出しました。有志で聖イアコフの記憶日に
あわせて(もしくは近くの主日に)イアコフ聖体礼儀をやろう、
ということになり、準備してたんですわ。
祈祷書はギリシャ国正教会の発行のもので、当日にむけて
準備しとったんです。
結局、みんなの都合がつかず、実現できなかった・・・
もう何年も前のことです。
106ぷちとまと:01/10/17 22:06
定時あげ
107Nanacy:01/10/18 06:59
東方あげ
108名無しさん@1周年:01/10/18 17:29

やっぱりここ経営苦しいねぇ。
109ぷちとまと:01/10/18 20:55
>>108
苦しいですよ〜
でも,他に同種のスレないし
時にはカキコミに適切な情報が入る事もあるし
で,あげてます
110名無しさん@1周年:01/10/19 00:54
東方諸教会と東方正教会の違いが一般に知られていないことから
御苦労お察ししつつ拝見しています。
当方も勉強中の身故、新しく正教会スレ立ち上げたので、そちらもよろしく。
111名無しさん@1周年:01/10/19 18:35
正教会といえばボスニア戦争のときに問題になったよね。
例外はいろいろあるにせよ、キリスト教徒の場合クロアチアまでが
カトリックの勢力が強く、セルビア以降が正教徒の領分とされている。
マリア・テレサはどこ出身だっけ?あの人カトリックの修道女かなんか
知らんが魔女っぽいよね。
東ローマと西ローマの境界がこのへんにあったのでしょうか?
概して西ヨーロッパの人は正教会に対して、かなり強い敵意を持っている
ようだけど。あれはユダヤと同じだとか言うしね。

正教では祈るとき、司祭は信者の方を向いて祈るのか、それとも
イスラム教のように、信者とともに正面を向いて祈るのか。
112名無しさん@1周年:01/10/19 18:40

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< 「俺」に張り合って板を荒らしまくったオマエが言うな!!>>110
  (    )  \___________
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  (__)_)
113名無しさん@1周年:01/10/19 18:50
笑っていますが、言葉はキツイです>112
114110だが:01/10/19 20:37
「俺」って誰だ?見たことあるが覚えてない。どこの話だ?>>112
115ぷちとまと:01/10/20 13:05
>>111
>東ローマと西ローマの境界がこのへんにあったのでしょうか?
そうです。

>正教では祈るとき、司祭は信者の方を向いて祈るのか、それとも
>イスラム教のように、信者とともに正面を向いて祈るのか。
司祭・主教は,神に祈る時は信徒とともに正面を向いて祈り,
信徒に祝福する時は,信徒に対面する,
哺祭は,信徒に向かっても祈祷文を唱える,
という形式だ,と思います。
116名無しさん@1周年:01/10/20 16:00

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< 「俺」?オマエが醜態さらして遊んでた相手だよ。カスは逝ってよし >>110
  (    )  \___________
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  (__)_)
117名無しさん@1周年:01/10/20 16:06

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< 正教会、もっと歴史を>>110に勉強させたらんかい。タリンすぎ。
  (    )  \___________
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  (__)_)
118ぷちとまと:01/10/20 16:37
信徒が勉強なぞしなくても,
日々の祈りで神に向かい聖体礼儀で神に包まれ,聖餐で神を自らのものとする
それでよい

つー神側の客観主義が正教でしょう。
お勉強が大事なのはプロテスタント
119名無しさん@1周年:01/10/20 16:38

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< そーなのか? けど、>>110は歴史の勉強しろと他で遠吠えしてるぞい???
  (    )  \___________
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  (__)_)
120名無しさん@1周年:01/10/20 16:42

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< この知能的に悲惨なレスは正教会的じゃないみたいだな…
  (    )  \___________
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24 :名無しさん@1周年 :01/10/20 13:01
粘着23のジタバタぶりが笑える(ワラ
マジレスするならもうちょっと(もっとか)歴史を勉強してこようね。って厨房に言うのは酷か(嘲
121110:01/10/20 18:10
↑私は人様に勉強しろ、なんて(思っても)書かないよ。残念だったね、人違い。御苦労さまです。
122名無しさん@1周年:01/10/20 18:15
>118
お勉強が大事なプロテスタントは、長老派・改革派系。
実践が大事なのは、メソジスト系。
あんまり熱心に勉強しないのは、メソジスト系の中の、ホーリネス系。
社会実践を大事にするのは、メソジスト系の中の、救世軍。
それから、旧組合教会系(日本の場合)。
典礼を大事にするルター派。
以下略。
プロテスタントといってもいろいろあるよ。
123ちなみに:01/10/20 18:16
ここはどこのスレッド?誰と勘違いしてるのか、知りたいから教えて(はぁと)
124かぶった:01/10/20 18:17
123は121
125考える名無しさん:01/10/20 18:23
>>122
>あんまり熱心に勉強しないのは、メソジスト系の中の、ホーリネス系。
ホーリネスは,勉強したくてもするべき教理がしっかりできてないから(笑
今,日本のホーリネスでは教義の学問化にいそがしいらしい。
126名無しさん@1周年:01/10/20 18:24
   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< ほう、じゃあオマエがしっかり歴史の勉強をしろ!!わーたの?(藁藁 >>121
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24 :名無しさん@1周年 :01/10/20 13:01
粘着23のジタバタぶりが笑える(ワラ
マジレスするならもうちょっと(もっとか)歴史を勉強してこようね。って厨房に言うのは酷か(嘲
127122:01/10/20 18:26
>125
>今,日本のホーリネスでは教義の学問化にいそがしいらしい。
思わず吹き出してしまったぞ。
なるほど、このような話題は、正教会のスレでやると静かでいいのかもしれん。
  って、ごめんね>正教会の方々
128東方正教会スレッド立ち上げ主:01/10/20 18:34
>>126 だからわしは勉強中だと言ってるだろーが!何勘違いしてんだ?早くどこのスレ話かリンクしろ。めんどくさくて探すのもおっくうだ。以後正教会スレで吠えるように。迷惑だよ、とまとさんに。
129名無しさん@1周年:01/10/20 18:36
   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< うひょひょひょひょ〜〜 運が悪いね… >>128
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130Nanacy:01/10/20 23:34
115
>哺祭は,信徒に向かっても祈祷文を唱える,
>という形式だ,と思います。

すみませんが、これは何の祈祷のどの部分についてのことか
教えてください。頻繁に前を向いたり後ろを向いたりはしない、
と思いますが。
131ぷちとまと:01/10/21 21:35
ムー挙げ
132名無しさん@1周年:01/10/21 21:38
>>130
礼儀をわきまえたら、どうよ?
133Nanacy:01/10/22 12:29
132さん
あれえ、わからないことを教えてもらうのが礼儀知らずなの?
ぷちとまとさんは、意見には意見で返してくれるし、
解らないことへの質問にはちゃんと答えて教えてくれるよ。
それこそぷちとまとさんに失礼ですよ。
でも、ご意見として感謝して受け取っておきますね。
134ぷちとまと:01/10/22 15:32
>>133
 ナナシーさんの問いには,別人からの同趣旨の質問が兄弟すれの「東方正教会」の
方に先出しましたので,書いておきました。
 但し私も自信がなく,「あれはどーなんだろう?」という態度ですが。

 要するに連祷の最後に補祭さんが
「生神女マリアと諸聖人とを記憶して,互いに己の身並びに各々の身を以って,並びに
悉くの我等の生命をもって,クリストス,神に依託せん」という際,聖所の方を向い
ているように,見えているので,そう書いただけです。
135ぷちとまと:01/10/24 22:29
アトランティスあげ
136名無しさん@1周年:01/10/25 20:48
ムーさげ
137名無しさん@1周年:01/10/26 17:48
鯖移転記念&保全age
138ぷちとまと:01/10/26 23:32
レムリアあげ
139Nanacy:01/10/27 01:02
>134
了解しました。私の確認が不十分だったようです。
ありがとうございました。

感謝age
140ぷちとまと:01/10/29 16:26
パンゲアあげ
141ぷちとまと:01/10/29 16:28
>>132
バジルの日にイオアンやったりしたら礼儀をわきまえていない、んでしょーね
そんなことしたら主代さんにどつかれるよ>全神品
142Nanacy:01/10/30 07:11
アトランティスあげ
143Nanacy:01/10/30 07:12
あら、アトランティスはありました。
ウェーゲナーあげ。
144名無しさん@1周年:01/10/30 16:46
それだけ挙げてて、恥ずかしくない?
145名無しさん@1周年:01/10/30 16:47
しまった。sage書くの忘れた。
146マリア:01/10/30 18:52
単位説とは、どのような説だったかしら?
忘れたから、誰か教えて頂戴。
147名無しさん@1周年:01/10/30 19:09
おしえてちょだーイ
148名無しさん@1周年:01/10/30 20:29
事典でもひけよ、馬鹿。
149ぺけ:01/11/02 17:36
聖フィリッピの斎近いよ〜んage
150名無しさん@1周年:01/11/02 20:47
晩堂課 あげ
151名無しさん@1周年:01/11/02 21:07

閑古鳥さげ
152ぷちとまと:01/11/02 23:43
ゴンドワナあげ
153名無しさん@1周年:01/11/03 23:33
age
154名無しさん@1周年:01/11/05 17:10

消滅間近さげ
155名無しさん@1周年:01/11/05 18:40
復活あげ
156名無しさん@1周年:01/11/05 21:31
涅槃さげ
157名無しさん@1周年:01/11/06 02:02
メルキト派で検索してみたのですが、どうもこの言葉の意味がわかりません。
恐縮ですが、メルキト派ってどういう宗派でしょうか。
ご教示いただければ幸いです。
158うろおぼえのひと:01/11/06 02:10
カルケドン信経を受けいれた教会、より厳密には
いまの東方正教会(ギリシャ正教他)につらなっていく教会のこと。
メルキト派とは「皇帝派」というほど意味。
正教が東ローマ帝国の国教として保護されたことからこの名が付いた。

なおシリアにはメルキト派教会(Merkite)といわれるものがある、らしい。

識者の訂正きぼん。
159マリア:01/11/06 04:28
>>158メルキト・カトリック教会よ。
両性論のアンティオキア総主教区で、
ローマの首位を受け入れた総主教派の教会よ。
両性論派のアンティオキア総主教区の別名が、
この名称だったような気がするけど、どうだったかしら?

詳しくは、彼らもホムペを持ってるし調べてみてはどうかしら?
160マリア:01/11/06 04:33
>メルキト派とは「皇帝派」というほど意味。
>正教が東ローマ帝国の国教として
>保護されたことからこの名が付いた。
そうそう。これでいいのよ。あたしの間違えでした。
裏を返せば、単性論からの蔑称でもあるわね。この表現は確か。
161名無しさん@1周年:01/11/06 19:25

昆虫採集ののりだな。
162名無しさん@1周年:01/11/08 01:17
157です。レスどうも有難うございました。
メルキト=皇帝ですか。
メルキトって何語でしょうか。ギリシャ語?
163名無しさん@1周年:01/11/08 01:24
>>162
Merk シリア語で「王・皇帝」の意味。
ヘブライ語のメレク(「王」)と同根。
164名無しさん@1周年:01/11/08 01:26
めしぇく?
165マリア:01/11/10 00:31
上げておくわ。
166名無しさん@1周年:01/11/12 05:02
アリウス派=キリストは人間(エホバの証人も)
単性説(コプト教会、エチオピア教会)=キリストは神
という理解でよいですか?
そうすると、ネストリウス派は?
167うるおぼえ堕天使:01/11/12 05:22
>>166
両性二位格。コンスタンティノープル総大司教ネストリウスの主張。
キリストの中での「神性」と「人性」は一体ではない。

エフェソス公会議(AD431)で異端として問題になる。
カルケドン公会議(AD451)で最終的に異端として排斥。

もっと詳しくはマリアさん OR 正教会さんキボ〜ン
168うるおぼえ堕天使:01/11/12 05:25
>>167
パトリアルフの呼び方
総大司教(カトリック式)
総主教(正教会式)
169ぷちとまと:01/11/12 13:28
>>166
>単性説(コプト教会、エチオピア教会)=キリストは神
イエスが「人にして神」を単性説は否定するのではなく,人性は全く神性に溶け込んで
しまった,と考えるのではなかったでしょうか?
170名無しさん@1周年:01/11/16 00:13
157=162です。レスどうも有り難うございました。
160マリアさんと163さんのお答えを総合すると、単性説論者はシリア語を使ってたということかと思いますが、そうなのですか?
171マリア:01/11/16 18:02
>>167うーん、昔良く調べたのだけどね・・・。
最近記憶がいい加減だわ。

>>169確か、そうだったと思うわ。

>>170ええ。シリアの単性説教会は、
今でもシリア語の典礼を用いているはずよ。
他の単性説の教会も、それぞれの典礼に使う言語があるの。
例えば、コプト教会はコプト語、エチオピア教会はゲエズ語、
アルメニア教会はアルメニア語とかね。
アルメニア教会とシリア教会以外は、どの教会の典礼言語も、
一般市民が使うことの無い言語と成り果てている状態ね。
特に、コプト語・ゲエズ語は、もう既に話す人もないでしょう。
ゲエズ語は、他の言語の中で残っているそうだけれど・・・。

シリア語=アラム語方言も、アラビア語に圧迫されて
既に死期が迫りつつあるとも言われているわ。
172dendo.:01/11/16 18:51
>>171
シリア語はかなりやばいみたい。このままだと死語への道まっしぐら。
シリアでのキリスト教の最近の状況はこちらに詳しいので、どうぞ。

http://homepage2.nifty.com/bet-aramaye/syriac/taka.html
173名無しさん@1周年:01/11/17 00:33
>エチオピア教会はゲエズ語
アムハラ文字(ボブ・マーリーのアルバムジャケットに載ってた)を使うアムハラ語というのは、ゲエズ語とは違うのでしょうか?
それから、ヘブライ語、アラビア語、アラム語はセム語族ですよね。
コプト語とかゲエズ語もそうですか?やっぱり、三つの子音が語根となって、そこから色々変化するのですか?
174マリア:01/11/17 01:09
>>172確か、シリアのキリスト教徒は、
ほとんど日常会話はアラビア語らしいものね・・・。
でも、イスラム教徒とは敵対関係で無いらしいって聞いたわ。
イスラエルから自由を求めて逃げてきた
ユダヤ人のが言ってたわ。
日本で神社巡りばっかりやってる、変な人だったけどね・・・。

>>173アムハラ語は、ちょっと違うらしいわ。
確か、首都方言の一種だったと記憶するわ。
エチオピアも、色んな部族からなってるから。
ゲエズ語は古い言葉らしいわ。ハム語族よ。

コプトは、ギリシャ語の影響を受けた
エジプトの言葉と聞いたわ。
175名無しさん@1周年:01/11/17 02:54
173ですが、レス早・・・・ありがとうございます。
コプトもハム語族ですね。セム語族とどう違うのかわからないけど。
そういえば、少し前NHKの「地球に乾杯」だったかでコプトの山岳教会での儀礼を放送してました。
その前はサマリア教(あれ?パリサイ教だったっけ?)の信者の話をやっていたような気が。特殊な趣味のディレクターがいるのでしょう。
別の質問ですが、アリウス派とか、ネストリウス派とか、単性説とかと、グノーシスとの関係はどうなのでしょうか。
グノーシスは公会議以前のものだから、これら3つの立場が出てくる前に影響力を失った、だから関係ない、という理解でよろしいでしょうか?
176マリア:01/11/17 21:44
http://pharos.bu.edu/cn/
コプト正教会
177うるうる堕天使:01/11/17 21:50
↓これオモロイ
http://www.h2.dion.ne.jp/~coptic/
178マリア:01/11/17 22:27
http://www.eotc.faithweb.com/
エチオピア正教会
179ぐるぐる堕天使:01/11/17 23:58
>>176
コプトのイコンは何か独特の個性がある、ビザンチンイコンとはかなり違う趣。
180マリア:01/11/18 00:18
典礼でも、元々は地域差もあったかったから、
それはそれでいいんじゃないかしら?
ビザンチンイコンは、あくまでギリシャ人などのものだから。
181マリア:01/11/18 00:23
>>175サマリア教はあるわよ。
サマリア人は、今ではユダヤ教徒としては
認められているグループもあるらしいわ。
超正統派と聞くわね。
普通のユダヤ人にはついていけないそうよ。
182ぐるぐる堕天使 :01/11/18 00:25
>>180
アレクサンドリア典礼でしたね。
ギリシャのヨアンネスクリュソストモス聖体礼儀とは、違うのですね。
コプト聖歌も聞いたことがあるけど民族楽器をつかっていて、かなり土着な旋律でした。
183名無しさん@1周年:01/11/22 19:11
>>174
遅レスだけど、コプトは古エジプト語。なのでヒエログリフで書かれている
テキストはコプト語で書かれている。

ヘレニズム化の影響で語彙にはギリシャ語の影響もあるだろうし、教会語としてのコプト語にはギリシャ語由来のものもある
だろうけど。
シリア語、コプト語ともイスラム教の伝播とともに使われなくなり、
教会の典礼語として残るという似た歩みをたどっているのがなにやら興味深い気がする。
184名無しさん@1周年:01/11/22 19:33
185名無しさん@1周年:01/11/22 23:05
上にも書いてあったけど、東方諸教会とグノーシスの関係って、どうよ?
186マリア:01/11/22 23:34
>>180ええ。元々は各地それぞれの典礼や習慣が存在していて、
しかし、互いにそれを「主にあって一つ」と認め合っていたと聞いているわ。
だから、コプトやエチオピアの教会では、割礼を行うしね。
コプト教会では、手首だったかに刺青を入れる儀式もあったと記憶するわ。

ローマとコンスタンチノープルが典礼を統一し始めたのは、
互いの影響力の確保のためだったところもあるとも聞くわ。
後に、ローマは路線を修正して、各地の典礼と習慣を認めた。
ロシア正教会の下にも東シリア典礼(ネストリウス派と同じもの)の
教会があると聞いているわ。
他にも、ラテン典礼の教会があるという噂を聞いたことがあるわ。
2chで誰かが言っていた記憶があるわね。

>>183クレオパトラの王朝は、
ペルシア人の血が入ったギリシア人が祖だったと記憶するわ。
あなたの言っていることは、本当のことと思うわ。

>>184アルメニア使徒教会は、キリキアのカトリコスのページも
良かったと記憶するわ。確か三つ総主教区があって、
アルメニア本国と、コンスタンチノープル、
レバノンのキリキアにあるわね。
187Nanacy:01/11/24 01:02
>186

正教会の中にも、ラテン典礼の小教区と修道院が存在します。
188ラスプーチン:01/11/24 02:51
>>187
わ!興味あります。何処の正教会ですか?
AOCだったりして。
189ラスプーチン:01/11/24 03:04
>>187スレ違いになるので。レスはアチラのスレでキボ〜ン。
190マリア:01/11/24 05:21
フランスかしら?何となくそう思ったけど・・・。
191ななしさん:01/11/26 22:51
>>187
そうなのですか?
どういう由来で、ラティン典礼の教区があるのでしょうか?
確かに、教理的には不思議はないのでしょうが・・・・
192マリア:01/11/26 22:53
あっ、その話は東方正教会のスレッドでということよ。
193マターリ東方正教会はこちら:01/11/26 23:13
194名無しさん@1周年:01/11/26 23:18
あの聖書はなんとかならんのか。読みにくくて仕方がない。
つうか、いい加減翻訳かえろ。
195ラスプーチン:01/11/26 23:24
>>194
スレ違い。
日本正教会のスレのURLは>>193だよ。
196名無しさん@1周年:01/11/29 19:43
>>185
今生き残っているオリエンタル・オーソは,主にキリスト論で分裂したので,対グノ
ーシスという点では,イースタンと大同小異なのでは。

イースタンの神学自体がカトリックのグノーシスに対する関係よりは遥かに緊密だか
ら,その意味ではオリエンタルの神学もカトリックのそれよりはグノーシス的だろう
けど。

少なくとも,認識による救済などは唱えていないよ。
197ぷちとまと:01/12/01 21:16
二三、質問

(1)イスタンブールにおけるアルメニア正教総主教座教会の場所はどこでしょうか?
(2)アルメニア正教での降誕祭は新暦のいつになるのでしょうか?
(3)在トルコの正教会は、グレゴリオ暦・ユリウス暦のどちらに従っているのでしょうか?

上記三点、ご存知の方がいらっしゃいましたら、レスをください。
198マリア:01/12/01 22:11
>>197降誕祭は、主の公現と同じ日に祝うということだけ知ってるわ。
199マリア:01/12/01 22:17
それから、場所は多分アルメニア人地区と思うわ・・・。
トルコ政府は、アルメニア教会の決定を覆して、
今の総主教を立てたといわれているわね。
200dendo.:01/12/02 00:50
1) トルコのアルメニア正教の公式サイト
http://www.armenianpatriarchate.org.tr/tr/default.htm からメニューで
を見るかぎりでは、

Surp Asdvadzadzin Patriklik Kilisesi
arapnel Sok No 3, 34480 Kumkapi
�? Tel : (0212) 5162517, Fax : (0212) 5172614

のようです。
英語名称は Holy Mother-or-God Patriarchal Church です。
(これってアルメニア人地区なんですか?)
201dendo.:01/12/02 00:51
あ、やば。
電話番号削るの忘れた……
ぷちとまとさんが見るまえに、あぼーんされちゃうかな。
202ぷちとまと:01/12/02 01:16
>>199
>>201
マリアさん、dendoさん ダンケ

アボーンされるまえに、メモしました
203名無しさん@1周年:01/12/02 13:47
>>196
:名無しさん@1周年 :01/11/29 19:43
>>185
今生き残っているオリエンタル・オーソは,主にキリスト論で分裂したので,対グノ
ーシスという点では,イースタンと大同小異なのでは。

イースタンの神学自体がカトリックのグノーシスに対する関係よりは遥かに緊密だか
ら,その意味ではオリエンタルの神学もカトリックのそれよりはグノーシス的だろう
けど。
-----------------------------------------------------------
ご回答どうもありがとうございます。
グノーシスと似ている度では、
イースタン≒オリエンタル>>カトリック
と言うことでしょうか。
>イースタンの神学自体がカトリックのグノーシスに対する関係よりは遥かに緊密
ということは、たとえばどんなことでしょうか。
教えて君で申し訳ないですが、ご教示ください。
204名無しさん@1周年:01/12/04 22:10
>>200
大雑把な事しかいえないが
グノスティシズムの基本は,
a:創造者と被造物の関係を形相と質料の関係に近く把握する事
b:絶対者の下位に物質世界の創造神を設定する事
c:人間の罪と救済を、物質世界への抑留とそこから純粋な形相的世界への帰還と考える事
など。

正教では、bははっきり否定されるが、
cについては、罪とその解放を、律法違反とそれへの代価をもってのイエスの贖罪死
の面を強調する西方に比べ、キリストの黄泉くだりまでにいたっての全世界への神的
性質の再浸透を強調する点や、人間神化(セオーシス)など、グノーシスに類似した
面がある
aについても、罪を非存在み、神を純粋形相に見たがるなどグノーシスに類似した面は
多い

というか、正教の神学も我々が知るグノーシスも共に東方〜中近東のプラトニズム=
ネオ・プラトニズムの影響下で成立してきているので、ローマ法ベースで発展した
西方神学よりはどうしても、思考の枠組みに類似点が多いのではないか
205教えてチャンでスマソ2号:01/12/04 23:57
グノーシス主義の学問的定義は1966年にメッシナで開催された
「国際グノーシス学会」で採択されたメッシナ提案にまとめら現在もこれに
代わる新しい概念規定は成されていない。
メッシーナ規定 大貫教授による要約
(大貫隆 他編「グノーシス陰の精神史」岩波書店 刊 2001年p5.)

「「グノーシス主義」とは、
(1)超宇宙的な神的領域を可視的物質的宇宙と存在論的に対立させる反宇宙的二元論、
(2)超宇宙的な神的本質と人間に内在する本来的自己の間の同質性、および、
(3)この同質性の覚知をもたらす啓示、の三つを本質的な構成要素とする。
「グノーシス」という概念は救済の不可欠条件としてのこの覚知を特定的に
指して用いられる。かつ、この提案に言う「グノーシス主義」と「グノーシス」は
いずれも価値判断を含まない純粋に記述用の概念であって、時間的・空間的にも、
後二―三世紀の地中海世界東部から中近東世界に集中的に出現したグノーシス主義にだけ
限定されるものではなく、原理的には、一定の条件さえ整えば、それ以前にも以後にも、
他のどのような地域においても、生成し得るもの」
206名無しさん@1周年:01/12/05 00:06
じゃ禅もグノーシスだ
207ラスプーチン:01/12/05 00:10
瞑想を取り入れている教会があるけど、あれは現代版グノーシスといえるかもね。
208教えてチャンでスマソ2号:01/12/05 00:14
>>207
超越神との本来的合一を回復するつもりの瞑想ならかなりグノーシスっぽいですな
でも、グノーシスってのは「反宇宙論」つまり「宇宙は悪の権化たる創造神が造った
忌避すべき牢獄である」という宇宙論が不可欠なわけで、多分瞑想する連中はそういう
壮絶で破壊的な世界観は持っていないと思われ。むしろ彼らはニューエイジャーに分類されるでしょう
209ラスプーチン:01/12/05 00:18
そうですね。彼らはギリシア哲学的な二元論者というより、東洋的なニューエイジ系ですよね。
210名無しさん@1周年:01/12/05 00:23
シオランとか
ホルストマン
211名無しさん@1周年:01/12/05 18:11
>>206
 禅的な仏教はかなりグノーシス<的>とみられる側面をもっています。
 しかし,208が指摘しているような,デミウルゴスによる世界の創造とか,物質
世界の本源的悪性,従って超越者と物質世界の絶対的分別が存在しない※点で,グノー
シス思想そのものではない,といえるでしょう。

※空なり理なりは,色なり事なりに内在しつつ分別されている(即非)のであって,
両者がまったく別々に存在しているわけではないという事。
212マリア:01/12/05 18:24
神道なんて、何でも隠すし思い切りグノーシスかしら?
213教えてチャンでスマソ2号:01/12/05 23:52
>>212
秘教的=グノーシスとはなりませんよ。そうなったら真言密教もグノーシスという
事になりますが、真言密教なら宇宙=大日如来の仏身という事になり聖なるものとして
肯定されますよね。グノーシスはそうじゃない。グノーシスにとって宇宙はあっては
ならない過誤として生成した、出来そこないの存在なんですね。
そして神道の場合だと、自然=神々が遍満する場or神そのものでしょ。
ぜんぜんグノーシスにはなりませんよ。
214名無しさん@1周年:01/12/06 23:22
.
215名無しさん@1周年:01/12/06 23:26
教えてチャンでスマソ2号さん
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1003561529/914
のことちょっとだけ教えて。
出来ればここ以外のスレで。
216名無しさん@1周年:01/12/06 23:31
>>215
「出来ればここ以外のスレで。」
の「ここ」は、「東方諸正教会(オリエンタル・オーソドクス)」のこと。
217名無しさん@1周年:01/12/06 23:32
>>215
この問題むずかしいんですよ。ちょっと調査する時間いただけませんか?
218名無しさん@1周年:01/12/07 17:40
>>217
私なりに納得しましたので、お手数には及びません。
ありがとうございました。
219Nanacy:01/12/08 23:31
>215さん
引用の決議は、厳密に言うと「全地公会」の決定ではありません。
第五回、六回全地公会は、教会規則を決定していませんでしたが、
その欠を補うために、ユスティニアヌス2世皇帝の時招集された
トゥルロス公会で102条の規則が制定されたものです。
その重要性上、この公会は「第5・6公会」とよばれたり、その規則が
「第六公会規則」と呼ばれたりしました。
参列者も東方の主教が中心で、その規則も読めばわかるように、
主には東方の奉神礼、神品にかんする事項が中心ですが、会議には
パパ・セルギウスの使節も参列しており、また第七全地公会では
その規則を全地公会規則に匹敵する扱いをしており、全地公会では
ないものの、トゥルロス公会とその規則は、全地公会と同様に
正教会では重要視されています。
なお、ローマとコンスタンチノポリスの「同等」とは、主には
(特に東方諸教会間の)上訴権に関わる事項です。ローマの座が
第一の栄誉、コンスタンチノポリスの座がその次の栄誉、という
教会秩序は変更ありません。
220名無しさん@1周年