1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 12:07:21.31 ID:xUOqfD3E
3 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 12:07:38.71 ID:fOLEcoZZ
4 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 12:10:13.84 ID:HktVbAav
5 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 12:11:05.58 ID:UghV8Gfv
6 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 16:15:59.41 ID:he9JOoJa
age
7 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/01/31(火) 17:05:14.46 ID:53TCvROM
おんさらばたたがたはなまのきゃろみ
、orz
8 :
海野土左衛門:2012/01/31(火) 18:24:07.00 ID:50nK55il
前スレ
>>981 >「人間は救われない」とか「絶対否定」とか「絶対肯定」とか「高次の哲理」だとか
>そういったものから離れろっていうのが禅であり、仏教じゃないのか?
そのとおり。
「佛教とは何か?」と問われたら、「無」と答えれば済む話。
しかしそれじゃ意味不明だから「無」をクドクドと説明したのが中論。
死んだ後なんぞ、どうでもいいじゃねえか?
じゃあ、生きるということは何か意味でもあるのか?
そんなもんはない!!。無なんでつ。
このように徹しきれたとき、佛教本義の登竜門が開かれる。
まあ、人間というのは我欲というもんがあるから・・・
そこまで徹しきれるもんでもないがな(笑
9 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 18:43:17.29 ID:KPOlHHgS
>>8 >しかしそれじゃ意味不明だから「無」をクドクドと説明したのが中論。
分かったような口をきくな! バチが当たるぞ!
中論というのは、此岸と彼岸の境界に在る 「論理限界」 なのだ。
此岸から見たものはカント哲学にも表われているが、宗教体験がなければ
彼岸から見ることは出来ない。
>>8 なんだか無の解釈に差を感じるわ
生きるとは何かと問われたら「縁起」と答えるのが仏教じゃないか?
もしその答えが何もないという意味での無(「そんなものはない」)なら、
仏陀がしたことはすべて無価値だったってことになるが
ある意味正しいんだが、何もないという意味での無と、
無目的という意味の無(本質がない)では、意味が食い違うと思う
11 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 19:11:22.56 ID:xEIBy6I0
>>9 中村元博士は、「空は無の意味ではない」と声高に戒めている。仏教者に、空の
意味について、それほど誤解が多いということか。
あるとも言える
無いとも言える
それが
無と言わずゼロや点と言うべきや。
14 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 19:36:44.32 ID:xEIBy6I0
>>9 >宗教体験がなければ 彼岸から見ることは出来ない。
死なない限り、彼岸には渡れない。宗教体験も、「変性意識」と
いう、「此岸」における精神病理現象w。
仏教者は「無」という言葉を使わないほうがよい。今度は、無が
実体化してしまう。
釈迦が、軽薄にも「無我」などと言ったお陰で、大変な思想的混乱を
生じた。その誤りを「関係性」という概念で、換骨奪胎して是正したのが、
竜樹の類い稀な頭脳である。
また、「縁起」という言葉も、誤解を招く。「因果関係」として捉えようと
する者が出てくる。「因果関係」は「実体論」である。
15 :
海野土左衛門:2012/01/31(火) 19:41:11.04 ID:50nK55il
>>9 バチが当たるとか、そんな恐怖があったら書くことはできんよ(笑
>>10 中論にもあるように、本質とか本性なるものは何もない。
だから仮設としてしか成り立たない。
和合はしないから、仮和合という。
つまり、仮和合・仮設であって、論法上において成り立つだけ。
16 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 19:45:00.84 ID:xEIBy6I0
>>13 竜樹のいう「空」とは、「もろもろの存在は厳然たる実在であるが、それが
関係性という抽象概念によって構成されているので、執着すべき自性はない」
という意味。「無」などと言ったら、その相対概念である「有」が生じてしまう。
17 :
海野土左衛門:2012/01/31(火) 19:54:02.67 ID:50nK55il
>>16 あなたはニーチェが好きなようですから、ニーチェで例示すると・・
ニーチェというのはニヒリズムの極地ですね。
こんな虚しい人生などあるもんか?という山を越して・・・
虚しい人生であることを前提とし、
そこから「人生に意味」というのを考えることが出来るんんじゃないの?
佛教も同じことで、一端はリセットが重要なんです!!
それが「無」ですね。→いわゆる勝意締です。
リセットしてからが・・・本来の佛教に巡りあうことが出来る。
では、お休み。
18 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 19:56:41.20 ID:xEIBy6I0
>>15 >和合はしないから、仮和合という。
その通り。決して「和合」はしない、「ゆるゆる」の関係。
従って、生起も消滅もない。関係性が変化するだけ。
万物が「仮和合」なのだから、もはや「仮」という概念も無くなる。
その仮和合の世界が、唯一の世界である。仮設住宅に一生住んでいる
ようなものw。。
ニーチェは優しいぞ
愚民扱いしながら愚民を救おうとしている。
肉体が朽ち、肥料になり、植物が咲き、昆虫に食べられ、鳥の一部になり
また朽ち、・・・ 植物になり・・・
肉体はあるものであり
無いものでもある
21 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 20:02:36.79 ID:xEIBy6I0
>>17 人生には「意味」などない。ただひたむきに生きて死ぬだけ。それが人生の
意味である。
一昔前、生まれ変わりを信じて自殺した若者がいて、
江原啓之氏が矢面に立たされたことがあったけど
そのうち、「仏教では生きることに意味なんてないと言っている」
とか言い出す若者がいないとも限らんね
23 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 20:09:50.49 ID:xEIBy6I0
>>20 換言すれば、肉体を構成している原子の関係的集合が変化するだけ。
肉体が死んで灰になっても、その原子は消滅せず、自然界を循環する。
このことを、仏教的には「輪廻転生」、キリスト教的には「永遠の生命」
と言ってもよい。
24 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 20:12:43.17 ID:xEIBy6I0
>>22 生命の指示に従ってひたむきに「生きる」、という意味は残っている。
>>24 本能を謳歌する若者が出るかもしれんね
性本能や食欲や
ある若者に生きる意味について問うたら、
「そんなものはない、人が生きるのは快感の為だ」と答えたことがある
>>14 >宗教体験も、「変性意識」という、「此岸」における精神病理現象w。
自分が体験していないことはすべて 「変性意識」 で片付けるような輩は、
まだ宗教を知るレベルまで精神が発達していない証拠だな。もっと人生で
苦労をして出直しておいで!
>>23 >このことを、仏教的には「輪廻転生」、キリスト教的には「永遠の生命」
>と言ってもよい。
そんな理屈で安心(あんじん)が得られるのなら、三蔵法師も命懸けで天竺まで
行く必要はなかったのだよ。
物理的な意味の原子とか生物的な遺伝子もそれがあることがわかっただけで知り尽くされているわけでもないです。
そもそも宗教の書物は書いた人にそういった知識が無いのに人をうならせるものがあるので今も伝えられてるんだと思います
>>27 >そういった知識が無いのに人をうならせるものがある・・・
仏教学者で比較宗教学者でもあった坂東性純先生の研究によると、龍樹様の周りには、
「石のような堅いものも中は隙間だらけだ」 と言っている人が多かったらしい。龍樹様の周り
には 「さとり」 と同時に、種々の霊能力を持った弟子が多かったそうだ。つまり、現代物理学
の成果も一部の人々は霊能力によって知っていたらしい。
それはおそらく土が粒子状であり、土のかたまりが石であるため、
人間もおそらく小さい粒の集まりであろうと言うまったく物理的な原子に関する観点の原点。
その考えでいくと食い物を食って子供が大きくなることについてどのように考察しますか?
>>29 たんなる因果
それに対し縁を持ち込むのが因縁
>>26 太古の旅は命がけ
別段、命がけが凄い訳でも特別な訳でもない。
湯治に行くのだって山路で亡くなる事例は数知れず
峠の地蔵見りゃそんなの分かるだろうに
31 :
神も仏も名無しさん:2012/01/31(火) 23:28:15.50 ID:LmxSg82p
×仏教 議論スレッド
↓
○古代仏教 議論スレッド
32 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 00:21:45.71 ID:s3HOXIPO
>>26 宗教は、「生きるための努力」ではないから、「人生」とはいえない。
宗教を何十年やっても「人生経験」は積めない。単なる「お遊び」。
33 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 00:33:02.77 ID:92MJ7W3i
34 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 00:42:09.65 ID:92MJ7W3i
35 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 00:43:21.09 ID:s3HOXIPO
>>26 >三蔵法師も命懸けで天竺まで行く必要はなかったのだよ。
三蔵法師も、現代程度の科学知識が得られたら、経典の一万倍も百万倍も喜んだ
だろうw。
仏教徒だけの村があったら侵略されて滅亡するだけ。
仏教というのは煩悩に苦しみつつ身を粉にして護ってくれる人たちがいてこそ成り立つ、人間界の安楽や幸せの上澄みエキスをすするような宗教。
>>36 それを言ったら音楽家だって芸能人だってなんだってそうだろ
自衛隊だけの村以外は全滅するな
仏教徒が少ないからだな
これが敬虔なキリスト教の村、イスラム教の村なら猛反発を食らう。
数の論理ってだけですな。
39 :
海野土左衛門:2012/02/01(水) 08:49:28.09 ID:SzulC26/
>>21 >人生には「意味」などない。ただひたむきに生きて死ぬだけ。
>それが人生の意味である。
そのとおり。簡単に言えばそうなる。
人生とは儚く、また虚しいものなのだ。一切が皆苦である。
一切皆苦において救われる。
>>22 >そのうち、「仏教では生きることに意味なんてないと言っている」
>とか言い出す若者がいないとも限らんね
「人生に意味がないなら自殺するしかない」。
とか言ってる人間もおるようですが、これは佛教の「ぶ」の字も知らん
たわけた論説(笑
40 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 08:58:40.75 ID:2I0Kpuq9
>>39 「一切皆苦」という言葉は、やはり「誤り」でしょう。苦があるから、楽が
あり得るのだから。人間は、どんな苦しい生活の中でも、必ずささやかな楽
を見出そうとする。生きようとする。生きていること自体が、実は大いなる
喜びなのです。自殺者は「生きたいが、苦しみに耐えられないから」死ぬのです。
苦が一切ない世界は、苦のみの世界と全く同じ。「涅槃」とは、「地獄」の
別名です。
41 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 09:00:36.75 ID:2I0Kpuq9
釈迦も、一切皆苦を説くことに、人生の喜びを見出していたのですw。
42 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 09:10:23.33 ID:lUbhac2f
>>39 少なくとも名前変えて自分を讃えるような法螺吹き男の説く現状肯定論よりは、
一切皆苦が分かってると思うけどね
43 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 09:45:43.30 ID:/xofGJiD
>少なくとも名前変えて自分を讃えるような法螺吹き男の説く現状肯定論よりは、
>一切皆苦が分かってると思うけどね
どっわっはっはっはっは〜〜〜〜〜〜〜〜〜
確かに、確かにwwwwwww
6回で上がりの双六ゲーム
俺は、何回目なのかかな
45 :
海野土左衛門:2012/02/01(水) 10:38:54.77 ID:SzulC26/
>>40 「一切皆苦」とか「一切皆楽」とか、二項対立の論理整合性を考える必要性は全くない。
一切皆苦は、そのままで第一義空締です。
論理整合性を追及すると、法から離れる。
一切皆苦は、そのままで自らに感応するだけでいい。
(どう解釈するか?なんて考える必要性はないってこってす)
46 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/01(水) 10:41:15.48 ID:SzulC26/
>>40 「一切皆苦」とか「一切皆楽」とか、二項対立の論理整合性を考える必要性は全くない。
一切皆苦は、そのままで第一義空締です。
論理整合性を追及すると、法から離れる。
一切皆苦は、そのままで自らに感応するだけでいい。
(どう解釈するか?なんて考える必要性はないってこってす)
47 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 10:45:29.73 ID:/xofGJiD
きつねが、尻尾、踏んづけられて必死モードに入ってきたwww
生物は死と闘う存在。
全ては苦しい。たとえ麻薬をやろうが酒池肉林しようが、生きるという状態は宇宙や自然の世界ではかなり不安定でアクティブな現象。苦しいのだ。
諸法実相
50 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 11:24:02.16 ID:lUbhac2f
>>47 けつね、ちゃいます。たぬき、それも化かすのが下手な古狸だす。
ま、愛嬌はありまんな。
如来とは、全てを超越した世界で生まれ、全てを見下ろし、全てに不安、恐怖、絶望の感情を与える存在
如来を目で見ることはできない
触れることもできず、聞くこともできず、逃れることもできない
そして我々は誰一人として如来を地球上のどんな言語をもってしても表す術を知らない
この世の全ての感情、記憶、事象、行為を使っても、如来を知ることはできない
感じろ。ただこの瞬間を。
何も考えなくて良い
何も話さなくて良い
何も見なくて良い
何も聞かなくて良い
何も触れなくて良い
感じろ。ただ目の前に広がる世界を
如来を恐れてはいけない
如来が怖いからといって逃げていてはだめだ
その恐怖こそが自分の心の弱さであると気づけ
あなたが如来を恐れるのはあなたが如来に見られているから
如来は全てを知っている
この世を生きることの意味。人間の深層心理。未知への恐怖と期待の葛藤。
例えるならそれはイノセンス
純粋無垢な存在が全てを支配する・・・
私には到底辿り着けない存在・・・
それが・・・ 如来
如来が見事に具象化する。これは神々しい。語ることさえタブーとされる 如来がわが身体に満ち溢れる意識体として具象化された。
これは人類の恒久的なスピリチュアルな意識レベルの向上による影響が全宇宙に波及した結果であろう。 如来の汎神論的存在が見事に表現されている。
すべてであって一部である。無限であり、なおかつ0でもある。
きみのなかでたしかにそんざいするなにか。きみはいしきする。が、なにもないみようとするとみえない。めをとじるとみえる。
きみがうまれおちたそのときからこどものころのゆめににているのかもしれない。じゅんすいで、みゃくらくなく、しかしちからづよい。
そしてさびしげなこどものころのゆめに。 如来…それは、すべてでありなにものでもない
・・・如来 絶対的善であり相対的悪である二つの面は如来の一部にすぎないその全ての面を多角的に見つめよ、
其れ即ち如来也あるのでもなくないのでもなくすなわちあるのでもなくすなわちないのでもなく 如来でもなく 如来でないのでもなくあるでないからないでなくないでないからあるでもない
如来はひとつでもなく 如来はすべてでもなくひとつの如来はすべてでありすべての如来はひとつである
如来は人にあらず 如来は魚にあらず 如来は鳥にあらず 如来は光でなく 如来は影でなく 如来は同時にどちらでもないすべては如来の因果の中に・・・・
如来─ それは全てであり、無である。 如来─ それはある者にとっては神であり、ある者にとっては奴隷である。
如来─ それはある者にとっては啓示であり、ある者にとっては絶望である。 如来─ それは至る所に存在する。
石灰で引かれた校庭の消えかかったライン。初夏の風に揺れるカーテンの翳。道端に打ち捨てられ、誰にも見向きもされない自転車。学校帰りの子供達の嬌声。 如来─ それは至る所に存在し、
─そして何処にも無い
如来は如来で在り続けるからこそ如来である。
またその如来が如来でなくなる時、その如来は
本当の如来ではなくなり、如来としての存在ではなくなるのだ。
つまり如来とは如来で在り続けることが如来であるのだ。
そしてそのために如来があり、その結果如来は常に、常時如来であるのだ。
そしてこの瞬間が如来である事こそが本物の如来であり、
また生きている意味での如来であるのだ。
究極を思う 時空の限界
目の前の暗闇に 解き放つように
輝き 如来 過去を飛ばして
人は見つける それは 如来
如来は怖くない。
決して怖いものじゃない。
笑うのではない 感じるのだ
如来に願えばのぞみはかなう
如来よ、お前は私に何を望んでいるのか?
如来はやさしさ
そのやさしさが如来
一つ一つの如来が
力強く潜在的
如来は小宇宙
その時何かはじけたものは如来
この得体の知れない不安と恍惚は、
私達がこの世に生を受けた意味の全て、
魂の叫び、意識下に刷り込まれた燎原の空白
原初のカオス、・・・不安。安定。希望。絶望。
私達は誰一人として それを表現する言葉をしらない
でも私達は分かってる皆の中にある
如来は人それぞれであるからだ。
どこまでもつづく何よりも果てしない道
如来を貴方は既に知っている。
ただ知っていることを気づくことを恐れているだけなのだ。
そう、今の世界に慣れすぎているだけなのだ。
思うのだ、そう如来を、
そうして如来を受け入れ本当の自分を得るのだ。
そう、やっと気づいたようだが全ては如来なのだ。
全ては如来へ、そして如来は全てへ。
そう、今貴方が存在しているかのように如来も、
心を開放せよ、そうすれば貴方も真の如来へ・・・・
如来は真実だ
意識の虚無は真実だ
囚われ人は真実だ。
私達は洞窟に入った。それが真実。
なぜ死んだ赤子が横断歩道をわたったのか。
鶏にホッチキスで留められていたから。
それが真実。
如来は真実。
たえず如来に留意しないといけない。
如来は苦痛。それが真実。
如来は快楽。それが真実。
如来に戻りたい。それが真実。
戻らなければ気が狂う。それが真実。
如来如来如来如来如来それが真実。
如来如来如来如来如来如来如来
僕は怖い。それが真実。
如来如来如来如来如来如来如来
如来如来如来如来・・・
私は如来であり、この書き込みも如来 読んでいる君も如来である 如来は如来
57 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 14:46:10.02 ID:NHDkRU5f
>>48 それがまさに鬱病の病的心理。「苦」という言葉がいけない。「一切皆楽」
に変えても同じだから「楽」という言葉を使うべき。
人間は、どんなに苦しい生活においても、ささやかな楽を見出して生きようと
する。だから人類が今日まで存続し、ますます発展している。その原動力は、
生存本能(生命)である。
釈迦佛教の「苦」。キリスト教の「罪」。いずれも、現実上の根拠皆無な、
極めて悪質な信者勧誘手段である。
開祖の精神病から離脱して、無念無想で、己の生命の声のみに耳を傾けよ。
それが「悟り」への第一歩。
四苦八苦は認めない訳にはいかないよ。
>如来
確かに、おんなの口からでて来たけど
>>57 何言ってんだお前
頭悪いにもほどがあるぞ。
戦争が起きました これは楽
殺人事件がおきました これは楽
になるのかよw
61 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 14:54:15.51 ID:NHDkRU5f
>>58 ならば四楽八楽も認めない訳にはいかないだろう。すべての概念は「相対的」
である。苦という概念は、楽という概念の相対においてのみあり得る。
62 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 15:01:37.68 ID:NHDkRU5f
>>60 ならば、それらが起きない時は「楽」である。比率的には、「楽」のほうが
圧倒的に多い。戦争や殺人は、あくまで、希少な例外的事象。
だから、例外的な戦争・殺人に関わらず、人類は今日まで営々として存続し、
ますます発展を続けている。
原則と例外とを顛倒してはならない。それを俗に「本末転倒」と呼ぶ。
>>62 それじゃ一切じゃないよw
何言ってんだこの馬鹿は。
64 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/01(水) 15:15:42.39 ID:SzulC26/
>>57 >それがまさに鬱病の病的心理。「苦」という言葉がいけない。「一切皆楽」
>に変えても同じだから「楽」という言葉を使うべき。
横槍ですけど、そういうこととは違います。
一切皆苦であることを前提とするなら、苦集滅道は無意味になる。
つまり「苦」を滅することはなくなる。
これを般若心経では「無苦集滅道」と記してあるのです。
無苦集滅同は勝義締です。
この勝義締の前提となるのが、いわゆる一切皆苦ですね。
一切皆苦は四法印のひとつでありますから、佛教の根幹であることは言うまでもない。
一切皆苦でありますけど、仏様が救ってくれる訳ではない。
まあ、諦める他ないのであります。
産まれた限り、病気になり老い死ぬ。
キヒニートで親に養ってもらう身分でも、この現実からは逃れる事は出来んしね。
66 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 16:55:07.72 ID:fx3CspGI
67 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 18:09:46.30 ID:qKrQrLtH
>>64 >佛教の根幹であることは言うまでもない
大乗仏教では、必ずしもそうではない。「煩悩即菩提」「娑婆即寂光」。
岩波佛教辞典の「苦」の項目や、中論第24章を参照されたし。
>>65 だから、生きてる間はくよくよと「死」など考えず、「精一杯生きよ」と
いうことだよ。
大乗を根幹ってどういうこと?
>>64 >>57に陥ることは危険であるとは思うけど
四宝印を仏教の根幹って表現する事は適切ではないだろjk
仏教は広く大きくなりすぎたしな
仏教を仏教たらしめている特徴の一つってぐらいに緩く認識するほうがいいんじゃないか
原始仏教が根幹で大乗は枝だろ。
よくて接木の幹。
大乗が根幹ってこたーねーだろ。
さとってもいない者が、根幹だ枝だなどと言っても、何か意味があるの?
大乗から原始仏教が枝のように伸びたとおっしゃりたい?w
どんだけ歴史無視よ
>>72 隠居が言いたいのは、
クオリティの高い後発物は、オリジナルに取って代わることができる
ってこと。
老舗の和菓子屋的になら、
悪く言えば「乗っ取り」、よく言えば「新展開(新規開店)」。
とりあえず書くことがない
で、とりあえず
ティク・ナット・ハン「法華経の省察」をお薦めする次第である
良書です
取って代わるって発想が酷いなw
代わるってことは別物。
似て非なるもの。
過去の幹を否定することは新教だよ。
76 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 21:30:05.67 ID:qKrQrLtH
>>75 「佛教」という名称だけに執着して、「似て非なるもの」を原理的に分別
しないから、論議が混乱する。
少なくとも、日本の仏教は大乗仏教である。日本の仏教スレなら、大乗のみに
ついて語れば足りる。似て非なるものについていくら語っても無意味。
>>73 >クオリティの高い後発物は、オリジナルに取って代わることができる
>ってこと
世の中はみんなそうじゃないかw。さもなければ、「進歩」は皆無。
大乗は、「内容的」には、釈迦佛教とは似て非なるもので、そのコペルニクス的
転回である。
77 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 21:35:44.47 ID:qKrQrLtH
大乗佛教が発生せざるを得なかった「必然性」こそ、もっと深く考察すべきだろう。
>>76 大乗と仏教に分けるべきですな。
大乗は仏教と名乗らずに大乗ですと。
仏教の看板を下ろすべきだろう。
>>78 仏とは釈迦だけって言うなら、釈迦教と名乗ったら?
おいおいw
仏教と大乗教だろ
>>80 隠居相手に、このネタで粘りきった人を知りませんw
まあ、頑張ってくださいw
>>80 釈迦のみを崇拝するわけだろ?
それが釈迦の本当の言葉かもしてないっていう、原始経典ってのを根拠に。
だから釈迦教。
そもそも我々は古代インドの歴史を充分に知悉しているか?
答えはノーである
また、経典史学(文献学)にのっとり、これは釈迦教、これは大乗教などと
断定するのは危険である
その優劣を論じるなら、どちらがより利便性が高いかの問題となるが
それは原子力エネルギーに代置可能な、より安全でコスパが低く便利な新しい
永久エネルギーでなければならないという議論程度のものでしかない
要するに釈迦教と大乗教は分離独立してもさして問題にはならない
>>82 本家の看板名乗るのに本家は釈迦教なら
釈迦大乗って名乗ってない不思議。
頭悪いだろ。
大乗イコール釈迦
86 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 22:20:32.28 ID:qKrQrLtH
>>84 釈迦と大乗とは、思想的に、「似て非なるもの」だからだろ。
まるで「温泉饅頭の本家争い」だな。「本家」の名を冠したほうがよく売れる。
ところで、昔、「原始仏教スレ」という基地外みたいなスレがあったな。
あのスレはどうなったの。残党がこのスレに大挙して紛れ込んでいるのではないか。
>>86 お前さんの家系は長男が本家じゃなくて
分家が本家なんだなw 分家も本家もない有様すぎて糞ワロタ
>>86 原始仏教は、それはそれでやればいいと思う。
新興でありながら古神道を、さも本流のように語るようにねw
そのうち創価学会が本家だと言い出しそうな勢い過ぎて糞笑う
幼稚な発想だなw
91 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 22:37:51.40 ID:qKrQrLtH
>>89 変化を気にしないのが「諸行無常」ではなかったのかねw。
それとも釈迦は「俺の教えこそ常住だ」と言ったのかw。
まあ、「言行不一致」は、すべての宗教の開祖・教祖に共通だけどね。
じゃ、創価学会が仏教の本家になる日が来るんだなwwww
すげえすげええw
その発想の飛躍すげーなw
95 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 23:25:38.51 ID:tdzaqwnb
>>94 岩波佛教辞典には、大乗仏教の「系譜」もちゃんと書いてありますが。
Wikiの記事などではなく、大乗発生の「必然性」についての君たちの思考を
聞きたいのだよ。
やはり、釈迦佛教に決定的な欠陥があったからとしか、考えられない。
はいはい創価が本家ですよねw
97 :
神も仏も名無しさん:2012/02/01(水) 23:46:00.84 ID:Npxe/6tK
大状況はキリスト今日のコピー
98 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 00:02:55.71 ID:uo2yZkCt
ヤクザ稼業に、いい加減ないいヤクザ餅の御子守のほ〜〜〜チャンのいい気味は必要の〜〜〜〜〜 ろくでもないのが
ガソリンのヨコジマ流しの横上のいいとこきどりの、お茶ら毛のいい気味の御曹司の息子だったりするから〜〜〜儲けないのよ;;;女の子のいい気味に・・・・・
本当の事を言うと。。能天気に三菱の本社に就職してたとか〜〜〜言い触れ回れるのよ・・・・・ガソリンには不可欠な嫁能力のない蓋ゴンのいいザマみたいのを、嫁に出しては
いい事業も壊されて来たのよ・・・・・ツケは立派な御竜ほ〜〜〜〜〜に取って貰おうという事だね〜〜〜〜〜つけあがった男の子達に見下された
能力の低下の根源には。。仏教があるのかもしれないけど・・・・・ 朝鮮漬け(虐め)になった女の子は大変の〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
嫌味じゃなくて。。ホントの事よ・・・・・こ〜〜〜〜〜(もち。。人間離れしたこうめん修行)
文書なんて〜〜〜どうにでも〜〜〜なんのね〜〜〜〜〜
損失のお中元だった。。おゆるいお友達のために。。空費も抑え。。生活も外国並の
浪費の共同組合みたいになっちゃった人もいるのよ・・・・・いい気味の〜〜〜〜〜ジェラス〜〜〜〜〜虐め隊の鴨探しじゃないも〜〜〜〜〜
99 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 00:03:22.44 ID:uo2yZkCt
お遊戯(中古車の小島に見たの〜〜〜〜〜がつくような)のソウカのほうが。。よっぽどマシの〜〜〜〜〜 攻撃性の無いのうめん修行には
もったいない・・・・・人生修行の〜〜〜〜〜
闘争的な世渡りの達人にひっぱられるような。。お人良しの
ヤクザの行動魔になった。。親方の娘なんて〜〜〜〜〜 ツケに〜〜〜〜〜能タリンの
イカサマのうめんが。。セックスしなくなっても〜〜〜〜〜 自慢げに男の話しをする〜〜〜 ツケのアガリのジョウシュウのミコトも
つまんない〜〜〜〜〜 攻撃犯の意地悪の元になっちゃうのは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ほとほとの
アウトレイジの良いお子さん、、いい人生ね〜〜〜〜〜なんて
言われかねないこうめんに行動家の家持ちじ〜〜〜〜〜根性にさせられる〜〜〜〜〜
娘は娘、、御父さん・・・・・も〜〜〜〜〜
儲かりっぺだわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お子の事業の。。いい気味ね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
悔しい・・・
行動の(安達みたいの〜〜〜)大あほたち〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜^^^^^^〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まったくズラのサゲよ〜〜〜御姐さんのいい気味は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜の〜〜〜の〜〜〜の〜〜〜
くず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜^^^^^^〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
男の子も馬鹿ね・こげ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
大嘘つきが〜〜〜
全く盲点のいい晒しの邪魔の〜〜〜〜〜じ〜〜〜〜〜ん
大晒し者〜〜〜更屋〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
行動のジャンバーなんかに、ひっかかってくず・みたいのね〜〜〜
じ〜〜〜〜〜
喪〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人の心判らず。止めなかった子供たちのせいなのにね〜〜〜の〜〜〜〜〜
100 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 00:10:45.93 ID:uo2yZkCt
行動家が親きどりね〜〜〜金も出す島ないんでしょう・・・・・御忍びが泣くの〜〜〜
人生のラッキョの姉妹みたいな親父のいいザマ晒し〜〜〜つまんない嫁に食わせて貰っているんでしょうけど・・・・・つけあがった親じゃなければ〜〜〜親の金で
面倒見て貰えばいいのよ〜〜〜普通の
暮らし。。そういうものよ・自信があったら〜〜〜いい気味晒しに来なさい。そうかーーーーー饅頭。。
み〜〜〜ん・み〜〜〜ん・
カッコイイね〜〜〜みなさ〜〜〜〜〜ん
おうおうおう。
>>95 一説には出家主義が原因だっていうな
小乗仏教では出家して家族も捨てて、社会的責務も捨てて修行することが要求されたが、
後の大乗仏教では在家でも救われると言い出したんじゃなかったっけ?
今更になって大乗非仏説が追及されててワロタ
釈迦の直説のみを仏教と仮定するならばSn.の最古層のみに限定されてしまうだろ
富永が追及したように、結局どこからが加上されたものなのかを判断することは俺たちにはできねーんだから
ここまでは仏教でここからは仏教じゃないって線引きは不可能だろ常考
仏教を学ぶほどに、要するに俺が幼児期に考えてたことだったと悟った。
・寒いと思うから寒いんだよ
・怒ってる友達は考える力を失ったかわいそうな子
・ゴキブリは汚いという知識があるから益々気味が悪くなるんだよ
・話を徹底的に聞くことが出来れば必ず分かり合える
>>95 大乗発生は一般的には平岡説が受け入れられてるけど何年か前にフラワルナーが欠点指摘してたよね。
俺自信の考えだとアショーカ碑文に大乗的精神が多く登場してる点から国政としての仏教が大乗の出発点だったんじゃないかって唱えたい。
大乗仏教が発生する以前にマウリヤ朝が潰れてる問題はシラネ
話が違うだろw
原始仏教は仏教じゃない、大乗こそが仏教だって話だから
原始仏教が仏教じゃないなら、大乗は大乗教で仏教を名乗るべからずってことだw
原始仏教 = 仏教
大乗仏教 = 大乗教になるだろって話だろ
原始仏教はプータローの世迷いごと(心情的に)
大乗仏教は成熟した大人の仏教
なお、とある大乗経典に
「出家・在家の凡夫を遠ざけるべし」という一文がある
そういう意味で大乗は在家主義ではなく、もともとエリート主義だったことがわかる
>>106 > なお、とある大乗経典に
> 「出家・在家の凡夫を遠ざけるべし」という一文がある
それなんの経典のどのあたり?
日本の仏僧の低落ぶりをみてエリートと言いなさいよw
破戒僧ばかりだろw
109 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 11:13:51.55 ID:08FPevsJ
>>105 仏は沢山いるんだよ。釈迦だけではない。誤解しないように。
>>101 それも大いにあり得るが、思想的には、釈迦の個人崇拝から、その「象徴化」
にあるのではないか。平川先生の「仏塔崇拝説」が出てこないのはおかしいねw。
宗教は空疎な理想論でいいんだよ。
それを目指す姿勢そのものに効能がある。
だめだ
(`・ω・)いいのだ
113 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 11:39:02.83 ID:08FPevsJ
>>108 「破戒」とは、「開祖」だけに執着しないこと。それは「思想の進歩」とも言える。
>>109 原点を否定するってことは別の宗教になったってこと。
ユダヤ教から分かれたキリスト教のようにな。
だから仏教と大乗教と分けるべきだね。
仏教共産主義は確かにいい
今後の日本はそういう方向に向かえばいいな
なんて甘い妄想か・・・
>>109 一般に大乗・小乗といえば、救われる範囲の違いを指すんだけどな
それを言うなら仏教縁起主義ですな
怒ってはいけないというのはネックだな。
怒りはアドレナリンを出して学習能力を上げる効果がある。
先輩のシゴキとかが無いと自衛隊や宝塚は成り立たない。
あ、でも永平寺とかは体育会系なんだよなあ
「怒らないこと」なんて不可能事をいけしゃあしゃあと本にしてるヤツの気が知れん
人間は怒りや不条理に対する憎しみで成長する
怒るなというのは、例えて言えば
うんこがしたくなってもトイレに行かせてもらえず
「うんこするな」と命令されるようなもの
「うんこするな」と命令したヤツだってクソがしたくなればするだろう
誰だってパンツは汚したくないからな
>>118 アドレナリンは集中力も上がるけど、視野が狭くなるんだよな
彼を知り己を知れば百戦して殆うからずと言うが、
スペックだけ上がっても、他人や自分のパターンが読めなければ勝てない
昨今の情報化社会だと、記憶力や集中力より、
時代を先んじる感性のほうが益々重要になっていると思う
>>119 たしかに、彼の著作は理想論につきる所が多いよね。
けれども現代の人たちがそういった理想論を求めている風潮がどことなく有る気がする。
超訳の方はすごく理解しやすいんだけど元来の意味から離れてしまってそうで怖い感じはあるよね
苦諦を何一つ学ばずに滅諦しなさいって言うだけの宗教に比べればマシじゃないかな。
>>119 それはそれで、
「私はウンコしたいのである(゜ω゜)クワッ」
って力強く言えばいいんじゃね?
理不尽や攻撃を野放しにするのではなく、
純粋な事実や問題点を相手に訴えるのは怒りとは違うって書いてある気がする。
124 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 17:46:24.82 ID:GpWGwqer
>>95 >やはり、釈迦佛教に決定的な欠陥があったからとしか、考えられない。
勘違いもいい加減にしましょう!
原始佛教が小乗なのではない。
ゴータマの死後、これまでの伝統を護持してきた保守的長老派であった出家者グループが
125 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 18:00:16.52 ID:GpWGwqer
原始佛教が小乗なのではない。
ゴータマの死後、これまでの伝統を護持してきた保守的長老派であった出家者グループが
教団の堕落崩壊を恐れて在家への布教、及び教育指導を怠るようになっていき、
ただひたすら山野に篭って自己の解脱修行に専念するようになったことから、
その後に“小乗”(後の自称大乗グループによって)と嘲けられて呼ばれるようになったのです。
126 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 18:03:53.02 ID:GpWGwqer
自ら歩き一般大衆に教えを説き続けられた布教の生涯。
在家指導とその育成に大変ご熱心であったことは、ゴータマの姿の常識として知るべき。
アーガマ(伝承経典)を護持したまま山野に篭り続けた長老派に反旗を翻して、
在家信仰に主眼をおいた内容を盛り込んで経典を自作し、
127 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 18:26:48.90 ID:GpWGwqer
一般大衆の布教に走ったのが、今日の大乗仏教の出発点です。
これが仏舎利信仰集団とも合流して勢力を拡大していったのでしょう。
悪いのは当時の長老派(後の小乗と呼ばれたグループ)であって、
仏陀であられるゴータマご自身のせいではない。
128 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 18:41:57.80 ID:SnbTaqrN
>>126 >在家信仰に主眼をおいた内容を盛り込んで経典を自作し、
お気の毒だが、小乗・大乗を問わず、「釈迦自身の言葉」であると証明された
経典など「皆無」である。すべて、弟子の伝聞・解釈か自作。
「開祖に対する盲目的な個人崇拝」ではなく、あくまで「経典の内容」を重視
すべき。
自灯明の教えを釈迦が説いたとされる以上、釈迦の個人崇拝は成り立たないと思うけどな
釈迦を個人崇拝した途端、釈迦の教えに反するっていう矛盾になる
130 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 19:06:33.20 ID:GpWGwqer
>>106 >大乗仏教は成熟した大人の仏教
そういう意味など何処にも見出されない。
大乗には大乗としての勝れた部分はもちろんあるけれども、
仏教としての根幹から外れた部分や、勝手デタラメ(仏教の視点から見て)も大きい。
131 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 19:10:23.08 ID:GpWGwqer
ご都合主義のオリジナル教義が
大衆の中から選出された天才的な文学者らの手によって大量生産されたものが大乗経典です。
これが基本的な位置づけでしょう。
誰かが主張してるように「仏教」と「大乗教」という具合に大別、
明確化されるべきでしょう。
>>128 >>129 ちょっとそれはミスリードじゃね?
宝珠は原始仏教と小乗と大乗の区別と大乗の成立過程について述べているに過ぎず
釈迦崇拝も釈迦絶対視も匂わせてないよね。
133 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 19:12:46.07 ID:GpWGwqer
>>128 個人崇拝を熱心に指導したのが大乗でしょう!
崇拝がしやすいよう対象物(後に仏像となる)を制作し、
崇拝による功徳を高らかに謳いあげたのが大乗。
たくっ・・・歴史もシラン人だ!!
釈迦はともかく、有能な阿羅漢も百年もたてば人々を有効にサルベージする
能力というか、教団機能は消滅してしまうらしいね
1250人も阿羅漢がいたのに、彼らはなにをしていたんだろう
役立たずどもが・・・
そして誰も悟れなくなり大乗的欲求が民衆の間にみなぎるようになる
怒りと悲しみの矛先は、既存の仏教サンガへ向けられる
阿羅漢などもういない
誰も頼りにはならない
いっそ、自分がブッダになればいいと考えたに違いない
仏教は宗教やめるんか?
大乗経典を文学なんて認識をする人はだめだな
「お経」は「お経」である
経典誹謗罪は涅槃経によれば死刑に値する
それはともかく
釈迦教と大乗教が分離独立するのは大乗サイドにしてみれば
望むところである
釈迦教など大乗の敵ではないし
戦争になれば必ず皆殺しにしてくれよう
137 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 19:20:47.85 ID:nyOlXqHV
我が覇道の前にころがる障害物は異教徒ではなく
それは釈迦教という意味です
BYラオウ
139 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 19:30:03.25 ID:GpWGwqer
>>134 そういう数字(人数)は殆ど誇張ですね。
仏典の典型的な文学的表現法にしか過ぎません。
それは同意
141 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 19:39:32.48 ID:GpWGwqer
要するに、尊敬すべき聖者(行者)に対する尊崇の念から
最大限の賛辞として阿羅漢と呼称したものであって、
人数も誇張と見なされるべきでしょうね。
まっ、ちょっと冷めた見方で冷静に見なすとそうなる・・・。
142 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 20:16:35.14 ID:SnbTaqrN
>>133 >崇拝がしやすいよう対象物(後に仏像となる)を制作し
仏像は、具象物であり、「生身の釈迦」ではない。様々な異なった仏像がある。
そこには「釈迦個人の精神性への崇拝」からの離脱が見られる。「精神性による
呪縛」とは無縁である。
人間は具象物に100%依存しない限り生存できないのだから、具象物に接する
ことにより、初めて精神の安定と平安が得られる。「具象を欠く精神性」は、
むしろ人間の狂気を招く。ルターの「聖書のみ、信仰のみ」がどれほどの殺戮
を生み出したかを想起されたい。
具象物を崇めている限り、このような「精神性による狂気」は生じ得ない。
カトリックがプロテスタントよりも「人間」としては聊かましなのは、マリア
像の崇拝、多くの「聖人」、荘厳な「儀式」、壮大な「教会建築」などにより、
イエスの「精神性の狂気」を防止したからだと思う。
ちなみに、平川彰氏は、大乗の起源は「仏塔崇拝」であるとしていられるそうだ。
詳しい方、宜しく。
143 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 20:37:02.78 ID:SnbTaqrN
>>142の訂正
×「生身の釈迦」
○「釈迦の精神」
尊敬とはその対象がしばしば一般的な解釈や現実とはかけ離れた本人の妄想であることがある
日本仏教のどこが優れてるんだw
葬式仏教なんて儀式であって誰も尊敬の念を持たないだろ。
仏壇がなきゃ寺に出向かないだろ。
墓がなきゃ寄り付かないだろ。
豪華な袈裟に、豪華な寺、豪華な大仏
俗物の権化じゃないの。
仏教の教えをねじ曲げ、念仏で天国に行けるだのインチキ連発で集金。
大乗のどこが衆を救ってるんだよw
大乗が優れてるとか口が裂けてもいえんだろ。
146 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 20:43:51.95 ID:SnbTaqrN
>>144 仏像は、具象物、現実である。仏像に接して得られる感情そのものは、
妄想ではない。
真宗は大乗じゃないよ。自分1人が救われる。
還相って誤魔化してるけど、誰1人極楽で仏になって、人を救いに帰ってきたって話聞かないしw
149 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 21:30:36.81 ID:SnbTaqrN
>>147 禅宗にも、「自己の身体」という具象物があるから、「座る」という行為が
出来る。何も考えずにただ座っていろというのが、「只管打坐」。
>>142 貴方は何が言いたいんだ?
「釈迦の精神だけを崇拝するとルターよろしく暴走するから偶像とかつくって分散したほうが良い」
って言いたいことは分かったが。
それは133も128も関係ないよね?
キリスト教的な視座も良いと思うけど、比較するなら対象をもうちょっと勉強したほうがいいんじゃない?
>>149 (他にも幾つかポイントはあるが)、
だから禅宗は、お釈迦さんからの「異端ながらダイレクトな直系」なんだがなw
でも曹洞宗の道元はあれだけ大部な正法眼蔵をよく書けたな
それもかなり妄想全開で・・・
口が裂けても「ただ座っていろ」なんて言えた義理かよ
154 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 22:41:02.13 ID:GpWGwqer
>>136 >大乗経典を文学なんて認識をする人はだめだな
大衆受けする内容と作家の乗りで書かれた文学表現ですよ。
だから、このように大衆に受け入れられるのですよ。
155 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 22:48:15.64 ID:GpWGwqer
対して、自ら解脱した仏陀であられるゴータマの直説の経典とは、
その内容において雲泥の差がある。
----読めば分るでしょ。歴然とする。
いくら奇麗事とご利益を並べ立てたところで、
所詮は仏陀ではない人間の手による勝手な内容に過ぎない。
何の保証もない。それが大乗。
大乗だからといって一概に否定するのはどうかと思うけどな
157 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 22:55:49.10 ID:GpWGwqer
・・・・以上を、
基本的に理解した上で、そこからすべての話は始まるのですよ。
では、どうするの? て!
ゴータマ直説の経典って何?
そもそも仏陀が経典を書いたのか?
それから大乗経典はかなり高度な瞑想状態の意識レヴェルで書かれている
がゆえ、勝手な創作と決めつけるのはおかしい
あるいはゴータマを超える大聖者の著作であるやも知れぬ
それをあなたは・・・
いわゆる「原始仏典」だって大衆受けして今日ではあまりに手垢がつきすぎているきらいがある
あなたは古代インドの何を知っているのですか?
なにも知りはしない
大乗は人類に与えられた最後の希望なのです
159 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 23:10:14.43 ID:GpWGwqer
>>156 そう!
大乗の良き着眼点はもちろんあります。
根幹となる背柱にゴータマの教説(原始経典の教え)を置きつつ、
より現代に適した形式と在家社会の信仰生活を考慮する上において、
大乗の中から使える部分が沢山あることがより明確にわかるのでは?
160 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 23:21:45.73 ID:GpWGwqer
>>158 >大乗は人類に与えられた最後の希望なのです
フーム。
これが・・・(苦笑)。
まるで殆どキリスト教紛いの絶対他力を謳った信仰/一度の念仏だけで救われるとか?
あの観音経の説く在り得ない救済力(ご利益)が?
法華経に展開する超オカルト話のオンパレードが?
161 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 23:22:50.18 ID:SnbTaqrN
>>151 >だから禅宗は、お釈迦さんからの「異端ながらダイレクトな直系」なんだがなw
思想・内容的に、一体どこが直系?そうやって、どうしても釈迦に結び付けたく
なるのが、「精神性の狂気」なのだよ。
>>153 無念無想で座っていることにより、宗教観念に邪魔されずに 「生命の声」を
直接聴けたのだろう。
「眼横鼻直」のどこが妄想?そのまんまじゃんw。
162 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 23:24:20.70 ID:GpWGwqer
まっ、創作だから何でも書けます・・・
ありがたやありがたや。
163 :
神も仏も名無しさん:2012/02/03(金) 23:30:34.85 ID:SnbTaqrN
>>160 >法華経に展開する超オカルト話のオンパレードが?
オカルト性なら、神智学も負けてはいないねw。
残念ながらあなたの言う「大乗は創作」というのは
「原始仏典は釈迦の金口」同様
憶測の域を出ません
創作というならアーガマもやはりあきらかに創作です
学者でさえ古代インド及び大乗起源説において決定的なことは語れません
すべては歴史の靄の彼方です
それから大乗は在家信仰主義というのは明らかに誤りです
基本的に大乗でも出家がリーダー的役割をはたしていたのは経文をみれば明らかです
その経典名はあえて伏せておきますが・・・
創作だから何でも書けます
書けるものならかいてみなさい、書けるならですが・・・
165 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 23:36:40.09 ID:GpWGwqer
>>158 >がゆえ、勝手な創作と決めつけるのはおかしい
>あるいはゴータマを超える大聖者の著作であるやも知れぬ
ですから大乗というのは、
山野に篭って出てこない長老派(小乗)に対する反発心と、
対抗心で書かれた内容なんだと、これらを読めばすぐに判明するでしょう!!
ティク・ナット・ハンはいい事を言ってます
歴史的次元のブッダと
本源的次元のブッダ・・・つまり時間空間を超越した次元でのリアリティー
この本源的次元のブッダを読み解かなければ「法華経」は理解できません
それを「オカルト」と一笑に付すのは僭越な行為です
浅はかな行為です
しつこいようですが、「深い瞑想体験」がカギです
違います
「法華経」は小乗派と大乗派の融合
「一佛乗」(エーカヤーナ)を説いて
むしろ、大乗ではめずらしく小乗と呼ばれていた人々に対して
友好的です
そして、この和睦こそ「法華経」のメインとなる主張なのです
大唐西域記には、どのように述懐されてたっけかね・・・。
日本神話や聖書って信じる必要はない気がする。
「そんな感じのイメージで拝もうね」っていう話かなと。
170 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/04(土) 00:17:16.82 ID:lcSKpiM3
要するに、
「そんな大変な修行などせずとも大丈夫です」。
これが全体を通した大乗のコンセプトですよ。
まっ、本当にそれで済むならば有難い限りですが、
そうはいかないのは、明白です!!
大部分は修行しないで金儲けでしょ。
馬鹿でかい仏像作ったり、当時の技術の粋を集めた豪華絢爛な寺院建てたりで
どの辺が執着が無い修行僧なんでしょね。
肥え太った坊主が多いこと多いこと。
仏教の衣を被った別物ビジネスですな。
172 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 01:15:43.17 ID:rVhXefkK
>>125-126 宝珠愚者氏
>自ら歩き一般大衆に教えを説き続けられた布教の生涯。
>在家指導とその育成に大変ご熱心であったことは、ゴータマの姿の常識として知るべき。
釈尊の意識には出家・在家の別はまずほとんどなく、単に、ある人が、「悟り(四向四果)の機根がある」
という理由だけで、その人の所に自ら赴いて教化されたと、伝承からは読み取れます。
ですから、在家を軽んじていたわけではありませんが、特に熱心であったわけでもないはずです。
単に、その人の器(聖者としての素質)だけが問題であったのだと思います。
174 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/04(土) 01:40:47.46 ID:lcSKpiM3
175 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 01:50:31.01 ID:3BITNdGb
>>145 >俗物の権化じゃないの。
聖者であろうと俗物であろうと、「食って寝なければ生存できない」点では
何らの相違も無い。その俗性の中に聖性を見出しえたのが、大乗の凄さである。
釈迦には到底思い至れなかったこと。
聖性は、俗性(生存努力)の中においてのみ、存在し得る。
最近ではセックスありの結婚あり
近所の坊さんは当たり前のように刺身を食ってるっていう
どうなんだろうね
どうと言っても、悟る気がないのだから構わないでしょ。
178 :
てすと:2012/02/04(土) 02:31:54.75 ID:hQkHNcK7
ご隠居まだいたのか、、
仏教やったところで死は避けられないし、
死ぬまでの経済活動も避けられないし、
考え方で苦しみを取り除いたってただの誤魔化しだから、現実を直視して受け入れた方がいいぞ。
おまいらもう諦めなさいよ。
179 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 02:46:30.19 ID:PLUx9QKX
180 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 03:06:17.65 ID:rVhXefkK
修行僧、問う。
牛頭(ごず)、未だ(いまだ) 四祖に見え(まみえ)ざるとき、百鳥(多くの鳥) 花をふくみて供養す。
見(まみ)えてのち、なんとしてか 百鳥 花をふくみて供養せず。
師、曰く。
世に応じ、世に応ぜず。 』
のちに牛頭禅の祖となった法融禅師が 四祖に見(まみ)えない以前、修行がまだ完熟していない頃、坐禅をしていると多くの鳥が花をくわえて来て彼に供養し、その坐禅が見事だとして、これを讃歌していた。
ところが彼が四祖大師に見え、大悟してからは、これからこそ花供養と礼賛があってよさそうなのに、却ってそれが無くなったと言うことですが、kpれはなぜなのでしょうか、どういう仔細なのでしょうか。
世間に応じる と、 世間に応じない との違いだ。 』
○ 習う時は、まねる事から、入る。
学ぶは、まねぶ、まねる事だと言う。
そこから、おのれの独自のものを出していく。
師を超えなければ、ものにはならない。
つまり、誰もやったことがないもの、創った事が無いもの、新発見、新発明、だ。
それを主人公と言い、いまふうに言うと、主体性、あるいは自由と言うこと。
181 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 03:07:59.21 ID:3BITNdGb
>>166 >歴史的次元のブッダと
>本源的次元のブッダ・・・つまり時間空間を超越した次元でのリアリティー
>この本源的次元のブッダを読み解かなければ「法華経」は理解できません
私の「久遠実成の本仏」の解釈と同じことを言ってるな。佛教ど素人の私の
解釈も捨てたものではない。
ここの佛教の「専門家」たちは、平川さんの「仏塔崇拝起源説」のことも知らないのか。
大乗起信論くらいは読んだのか。
182 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 03:29:01.75 ID:PLUx9QKX
>>181 >大乗起信論くらいは読んだのか。
お前が言うな。
183 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 04:07:13.47 ID:8cB/UslZ
本来の仏教と
日本の世俗坊主主流派や仏教系新興宗教がいう仏教は
ベ ツ モ ノ
釈迦の名を騙ってるだけ
(直接的にしろ間接的にしても)
本物の教えも混じってるだろうが明らかに釈迦がしないだろうことをしている
184 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 04:17:54.80 ID:PLUx9QKX
「僧侶」の地位のまま肉食妻帯はね……。
肉食妻帯そのものを責める気はないが、そうするなら還俗して
別の形で寺院守っていこうよと言いたくなる。
>>177 悟りを重視しない仏僧など仏僧にあらず。
宗教ビジネスでしかない。
>>185 要するに、自分が考えた坊主の理想モデルから外れているのが許せないと。
>>186 仏僧は悟りの智慧を目指してるから尊敬されるんだろ
バットが振れないバッター
車が嫌いなレーサー
料理を作ったことがシェフに価値があるのか
>>187 自分の期待に応えない、期待外れだ価値がないと?
悟らなくて困るのは本人なんだし、べつに外野がどうこう言うことじゃないと思うが。
お墓の守衛、仏壇の管理人程度で甘んじたいんなら
それでもいんじゃね。
葬儀イベントで経を歌うだけの人でいたいならな。
190 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 09:37:31.61 ID:PVZelSyp
>>197 >仏僧は悟りの智慧を目指してるから尊敬されるんだろ
「悟りを目指したら悟れない」と道元も喝破している。
「尊敬されたい」などという煩悩を捨てることが先決だ。
宗教者も、生存のためのビジネスの一つに過ぎないことを自覚せよ。
社会に貢献しているのは葬式佛教のみ。「儀式による救い」の
意味を考えよ。
悟りは、生存努力の中においてのみ得られる。そうでない悟りは、
単なる「精神的オナニー」「自己満足」。他者や社会にとっては、
クソの役にも絶たない。従って、悟りもない。
191 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 09:58:53.74 ID:DadGJIaL
仏陀は、現実の荒波に揉まれながら悟りを開いたのに、現実から隔離された寺で修行して悟りを開けるのかな?
>>191 >現実の荒波に揉まれながら
>現実から隔離された寺で修行して
非常に重要な台詞ですね。
「 >荒波に揉まれ る」ということはどういうことでしょう?
「 >隔離され ていない」とは、どういうことでしょう?
大乗ムーブメントは、この部分にもあったかもしれません。
学究としては高度で緻密になったかもしれないが、そこに「世間との乖離」は生じていないか? と。
しかし、同時に問われねばなりません。
酒も女も博打も嗜み、より多く稼いで豊かになることを考え、
紆余曲折を重ねながら、俗人として生きることが、(その文で言う)「荒波にもまれる」ということなのか?と。
(勿論、世間的・辞書的にはそうです。俗世間で、俗人として生きるから、「それを“荒波にもまれる”と世間では表現」します。)
過去幾人もの僧侶が各地にいた。(特に、あるがままを是とする)禅の系譜は、
破天荒な、一見“世俗に塗れた”ライフスタイルに見えます。
(現にそのような古人もいた。また、禅でなくとも、親鸞などはその極と言えるでしょう。)
しかし、彼ら古尊宿は、「俗人として、俗的な生き方をするという意味での“荒波に揉まれながら”」だったのかどうか、を。
193 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 10:57:39.34 ID:8JnQuQOs
散々いわれてるが、やはり仏教と大乗仏教をもっと明確に区別化する必要があるよな。
別にどっちが優れているとかはなく、線引がどこかで必要だと思う。
現状だと誤解しか生まない。
ここですら誤解が生じてるんだし、一般人なんてヒドイもんだろうな。
194 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 11:18:19.87 ID:DadGJIaL
>>192 世間的・辞書的な意味合いで「揉まれる」と言いいました。
「隔離された寺」については、私の認識違いかもしれませんが、修行とは読経や座禅ではなく、寺の外での営みこそが修行なのではないかと思っている訳です。
現実世界は、様々な価値観を持った人々が存在し、互いに影響し合うバランスの取れた世界だと、私は思っています。
そして、様々な価値観があるからこそ、現実世界と自らが想像する世界との剥離が人々を悩ます原因になっているのではないか…と思います。
私は、悟りを開く前段階で「空」(儒教で言うところの中庸と同じ意味だと思っています)が必要だと思っています。
この「空」を得る為には、様々な価値観の存在する人々の中での営みが重要ではないかと考えています。
195 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 11:34:29.57 ID:vv3wRNOp
度々、繰り返される「大乗(というか、日本の現状仏教)批判」wwwwww
まあ、それがなされるのも、十分、理解できるのだがww
「目を血走らせて金儲けに夢中になり、夜は大酒くらってステーキ食って
愛人のところに泊まり込む」wwwwww
こんな坊主が「仏教徒は何事にも執着しないことが肝心。あるがままじゃ、
わっはっはっは〜〜〜。」 なんて吐かしたら、有難味もなにもあったもんじゃねえwww
出家者であるなら、せめて、妻帯だけはやめるべき というのが、凡夫である
おれの意見。 妻。娘、息子・・・・家族こそ、まさに最大の執着対象では?
逆に、自己の家族に対して、他人への視線と全く変わらぬ視線を向けるのであれば、
「父ちゃん」失格でしょ?wwww
「解脱」という方向性に進むのではなく、葬儀を中心とした文化の担い手として
つまり、「職業坊主」として、自己を位置づけていくなら、それも良しなのかもしれんがwww
(と言って、俺は、「悟りに執着して」また、「そういう道を歩んでいるという
自己に陶酔して」いる、『高尚な聖者』さま ってのも、大嫌いなんだがwwwwww)
日本の仏教者は、オウム問題が生まれたことにたいして
もっと危機感と当事者意識を持ってくれ
197 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 11:45:16.77 ID:bogEhQRw
つか、日本で言われてる大乗は、明治以降の禅宗・真宗の学者たちが自宗を正当化するために構築した変なイメージを持っているからおかしなことになるだよ。
例えば、在家主義とか易行とか。
実際はインドの大乗は、厳格な行者たちだったと思うよ。
シナの廬山の慧遠、天台智者大師、禅僧、日本の禅師と呼ばれた山で修行する人たち、
チベットだとニンマ、カギュなどの行者系ね。
そう考えると文献資料を用いず、厳密な考古学資料、碑文などの遺物のみからインド仏教を考察したショペンの見解と一致する。
つまり、大乗は時代が下がるまで痕跡をほとんど残していないので、中央でなく周辺で活動していたという説ね。
オイラが推測するに龍樹菩薩は、まさに遍歴の行者で僧院などに住んでいたのではないと思う。
弟子も多分、そうでマイナーに伝承されていたと思われる。
ところが、唯識が登場して状況が一変する。唯識は部派的な僧院仏教だから、
大乗も僧院化した。
これは、シナ・日本だと法相宗、チベットだとゲルク派がまさにそれ。
部派仏教的な教科書を勉強する形になってしまった。
これは、大乗というより部派と考えた方がしっくりくるように思う。
だから、スリランカ仏教とゲルク派は相性がいいでしょ。
平川仏塔説は、もはや誰も支持しない過去の説だよ。
行も、普賢行を行う分、より厳格な行だよ。少なくとも内面的にはそう。
ただし、方便が多様だから布施するだけでも、ダラニや誓願を唱えるだけもあり。
なんでも、ちょっとでもよい行為なら認められる。
大乗は、テーラワーダの内容を包括しながら、さらに多様な行と方便を説く。
見解は深く、行は広い。なにより菩提心に基づき一切智を目指して普賢行をする所に特徴があるよ。
そこらへん押さえないで大乗は、とか言っても意味がない。
>>194 ですから、
過去、幾人もの僧侶方が現れていらっしゃると思いますが、
彼らは、世俗の生活をしていましたか?ということです。
子を産み、育て、稼ぎ、悲喜こもごもを味わいながら、これが「僧侶の在り様である」として
生をまっとうした僧侶が(ゼロではないでしょうが)何人いらっしゃったか、ということです。
勿論、そのような形が不可能ではないでしょうが、それは、工事現場の真っ只中で試験を行なうようなものです。
音や光景、振動等にとらわれず、淡々と問題を解いていくことが可能ならば、それでも構わないでしょう。
ただ、順序がどうなるか?ということです。
工事現場で周囲を気にせず没頭できる境地を得ていなければ、問題は解けません。
しかし、問題を解かないことには、その境地に至れない。
日本仏教は、まさにそれをやろうとしているわけです。
「まず境地を得てから」ではなく、騒がしい中で境地を得ることを目指しているわけです。
(194の意図は、まさにここにあるのでしょう。そして、一般的にも又内部の者にも、
そのようなものと受け止められています。特に、禅宗、真宗に於いては・・・。)
そのことの是非は誰も言えないでしょう。時代・状況の要請は、それがベストであることを匂わせています。
しかし、だからといって、原初(及び近代以前)にそうであったわけではありませんし、
>>195で触れられているが如く、教えの根本部分に抵触している事実は隠蔽できません。
そこが、近現代大乗仏教の抱える課題点ではあるでしょう。
199 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 12:28:26.85 ID:bogEhQRw
>>教えの根本部分に抵触している事実は隠蔽できません。
>>そこが、近現代大乗仏教の抱える課題点ではあるでしょう。
そりゃ近代「日本」仏教の問題であって、
大乗仏教の問題じゃないよ。
ただの堕落です。
とりあえず平川と現状が理解できてねーやつは
佐々木閑が「インド仏教変移論」(大蔵出版)に丁寧に平川の考えにある問題点を説明してあるから読めばいいよ。
ちょっと古い本だと平川のほうで書かれてるから注意な
ま、一代からしてみれば、
ユルユルの現状を、同じ大乗として括られるのは、創価学会を仏教として括るくらい心外であろうなw
>>199 では問う。
『大乗仏教に於いて』、「世俗的生活」は、どこまでが許容範囲か?
或いは律の問題をどうするか?
それとも、日本仏教から「仏教」「大乗」の看板を下させるか?
下させられなければ日本から撤退するか?w
202 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/04(土) 13:10:21.98 ID:lcSKpiM3
それらの疑問を含めてすべては
「普賢行」が解決する(これについては自分で調べる事)
「普賢行」こそ大乗の根幹であり、最も崇高なる道である
だから、普賢行がすべての基準となる
「世俗的生活の許容範囲も、戒律も、そのほかあらゆる事象すべて」
普賢菩薩行こそ一切智者性への困難で果てしない道のりだが確かな道標たりうる
大乗の看板を外さねばならないのは、「普賢行」を忘れた者どもである
包丁が殺人に使われた場合、包丁や職人が責任を問われることはないだろうけど、
塾や学校で落ちこぼれの生徒が出た場合、
その責任は塾の講師や学校のシステムに還元されると思う
「あいつはやる気がなかったんだ」と言って責任転嫁することが許されるだろうか
堕落した仏教徒が出たとして、その責任は指導者や宗派のシステムに還元されるように思う
205 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 15:47:12.87 ID:bogEhQRw
>>201 そこは各自が決めること。なぜなら、現象が問題なのではなく動機が重要なのが大乗だから。
つまり、どんな現れでも、それが菩提心に基づいていれば大乗以外のなにものでもない。
逆に持戒清浄で三昧はもちろん、空性も悟っていてアルハット状態になっていても、
菩提心がなければ、大乗でない。それが大乗。形ではなく心の問題なんですよ。
その前提に立っても、日本仏教は厳しい状態であるには違いない。
いいたいのは、テーラワーダ的な形式主義で大乗を理解するなってことと、
日本仏教で大乗を代表させるなよ〜、ってことね。
>>203 普賢行=菩提心ね。
悟りなんてなくて
単なる良い人じゃないw
宗教である必要もなし。
>>205 そもそも菩提心自体に宗派による独自解釈や、歴史上の解釈の変化があると思うんだけど、違うのかな?
考えてみると南無阿弥陀仏の浄土宗あたりは大乗仏教かも怪しいものになってくるな。
菩提心によって救済する・乗せることを目的とするのではなく
菩提心によって救済される・乗っかることを目的としてるわけで。
言うなれば大乗員仏教?
法然その人は「選択本願念仏集」で事実上、大乗でも仏教徒でもなくなった
鎌倉時代に日蓮が謗法の邪鬼と呼び、こんなヤツがいるから日本は駄目なんだ
と激しく批判してる
「南無阿弥陀仏」と唱えるのはかまわないが、あれを大乗と勘違いされては
大乗教徒も迷惑
浄土系は腐れ大乗の典型的見本であり、大乗の風上にも置けない外道である
菩提心を捨ててるのだから
口先では浄土系も菩提心を口にするが、その解釈は阿諛曲折されたものでしかない
210 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 18:47:18.31 ID:BHZFPsFH
>>209 日連系には菩提心があるの?
南無妙法蓮華経唱えてるだけなのは、南無阿弥陀仏唱えてる連中とそう変わらない気がするがw
お互いには、唱題と称名念仏は全然違うと言い合ってるけどw
外から見たら大して変わらんw
日蓮系には菩提心があります
題目だけ唱えてるわけではないようです
社会活動の中での「菩薩道」の実践が重要だと小耳に彼らの話を聞きました
また日蓮教学は天台の一念三千・十界互具というやたら煩瑣な教義の上に
題目行を位置付けているようで、そうそう念仏のように単純ではないようです
いずれにせよ、エンゲージド・ブッディズムに最も近く可能性は
「いまだに未知」です
なま暖かい目で観察してやりましょう
ところで「菩提心」とは「あのお経ですね?」
あれは大乗究極法門です、みだりに口にすべきではありません
212 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 19:23:39.31 ID:BHZFPsFH
>>211 > 社会活動の中での「菩薩道」の実践が重要だと小耳に彼らの話を聞きました
具体的に何をやってるの?
> 題目行を位置付けているようで、そうそう念仏のように単純ではないようです
念仏も理論は単純ではないと思うが。理論知らなくても誰でも唱えられるから、無知な人が多いってだけンゲージド・ブッディズムに最も近く可能性は
> 「いまだに未知」です
> なま暖かい目で観察してやりましょう
いまだに未知って何百年かかってるんだよw
> ところで「菩提心」とは「あのお経ですね?」
> あれは大乗究極法門です、みだりに口にすべきではありません
ん?理屈は何でもいいからとにかく大声で宣伝して広めろ、広めることが大事だ、みたいなことじゃなかったか?w
一言だけ
あなたは物事のタイムスパンを非常にせっかちかつ短くとらえている
菩提心を起こしたのであるなら、不可説不可説転阿僧祇劫という
長いタイムスケールで物事を判断しなくてはなりません
菩薩の活動について疑念を抱いてはなりません
これが「視線を遠く、どっかりと構える」という某チベットの高僧の言葉の意味です
もっともわたしゃチベット仏教にはあまり関心がありませんが・・・
214 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 19:59:49.28 ID:bogEhQRw
>>207 そりゃ、学者の解釈でしょ。本質は同じ。説き方は様々だと信じるよ〜
>>209 オイラは逆だと思うよ。浄土系は大乗仏教。日蓮系は非仏教。
たしかに明恵上人が仰るように法然上人は普賢行を捨てた教えを説いたけど、
それは方便でしょ。
天台は大乗だと思うが、日蓮は非仏教でしょ。
あんなエゴイスティックで排他的な仏教はありえない。
>>212 本来、仏教は宣伝しない。
問われて説くものです。
そこらへんも日蓮系はおかしい。
215 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 20:00:40.11 ID:BHZFPsFH
>>213 > あなたは物事のタイムスパンを非常にせっかちかつ短くとらえている
死ぬまでに悟らないと意味ないから、そんな悠長なこと言ってられないよ。
浄土信仰の人たちは死んだ後で浄土で修行するつもりなのだろうけど、そんな保障はどこにもない。
148 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/02/03(金) 21:24:36.25 ID:Pos0a4UJ
真宗は大乗じゃないよ。自分1人が救われる。
還相って誤魔化してるけど、誰1人極楽で仏になって、人を救いに帰ってきたって話聞かないしw
217 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 20:13:18.39 ID:BHZFPsFH
>>216 > 還相って誤魔化してるけど、誰1人極楽で仏になって、人を救いに帰ってきたって話聞かないしw
それは反証にはならない。
次の仏(弥勒)が登場するのは56億7千万年後だし、極楽で仏になった人たちが救いにやってくるまでは
それ以上の時間がかかるんだろ。
地球終わってるぜw
真宗は菩薩行を否定し、仏に成って人を救済するとした。
畢竟、本人(当人)の納得次第なのさ。
「真摯に道を求めながらも、俗っぽくある自分」に対する納得があれば、
そこに安心(あんじん)が生起するだろうし、在家的仏教として仏法の顕現がそこに見られることになろう。
「真摯に道を求めながら、執著の根である故に俗性を極力排してゆく自分」でないと納得できないのであれば、
俗事と距離をとることで安心(あんじん)が生起するだろうし、出家仏教としての仏法の顕現がそこに見られることになろう。
ただ、厄介なのは、心だけが綺麗であればそれでいいのか?ということでもある。
律や学処が形式主義だという批判も、言い古されて久しいが、
対外的な『姿』というものについて、規定無しでよいだろうか・・。
>>205的な方向性は、形式を問わず、中身(心)を問うということであるが、
心を見究めるということが、瞬時に可能だろうか? 関係し合って存在する上で、
中身(心)の素晴らしさが知られる前段階の評価は存在しないだろうか?
そしてそれは、他の仲間の足を引っ張りはしないだろうか。
(菩提心として)内面にこそピントを合わせるべきことは尤もとしても、
その『姿』の具体性を各自が勝手に決めてよいものであるならば、
結局『何でもアリ』と変わるところはない。 戒(シーラ)とは、その程度のものであろうか・・。
『努力義務』という位置付けでよいものだろうか?
いわゆる太陽系について
現在の物理・科学によると中心はいわゆる太陽であるらしい
太陽を構成するものは主に水素でありそれが核融合しているらしい
そんでいわゆる地球には核融合で出来る水素より重い元素がたくさんあるので
数回太陽・恒星が生まれて消えた残骸が集まってできているらしい
その地球上で複数の某宗教が世界中にはびこっており
しばしば宇宙空間は海と比喩され他の惑星に行く話しを人間は多数描いている
いわゆる宇宙空間を航行する方法さえあれば実現は可能
惑星があったら地球みたいに作り変えるとか実際どうやるかは不明であるも
何となく説得力のある説も複数ある
そんな時代に仏教はどのように扱われているでしょうか?
>>219 長文お疲れ様。それ大乗じゃないよね。
ニューエイジ?原始仏教信奉者に多いそうだけどね。
222 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 21:24:02.07 ID:bogEhQRw
>>219 お、セブンしさしぶりだなあ。
そりゃ、戒定慧・聞思修などなどの伝承の型は重要ですよ。
それらがなければ道が歩めないのが、大多数でしょ。
ただ大乗は何かといえば、菩提心が根幹でしょ。
こんな古文があったりもするがなw
末世の比丘、形沙門に似て心に慚愧無く、身に法衣を着けて思い俗塵に染む。
口に経典を誦して、意に貪欲を憶い、昼は名利に耽り、夜は愛着に酔う。
外に持戒を表して内に密犯を為す。常に世路を営んで、永く出離を忘ず。偏に妄想を執して既に正智を擲つ。
一つには、道心堅固にして、須く見性を要すべし。
二つには、話頭を疑着して、生鉄を咬むが如くせよ。
三つには、長坐蒲団、脇、席に着くること莫れ。
四つには、常に仏祖の語を看て、常に自ら慚愧せよ。
五つには、戒体清浄にして、身心を穢すこと莫れ。
六つには、威儀寂浄にして、暴乱を恣にすること莫れ。
七つには、少語低声、戯笑を好むこと莫れ。
八つには、人の信ずる無しと雖も、人の謗りを受くること莫れ。
九つには、常に?箒を携えて堂舎の塵を掃え。
十には、道行倦むこと無うして、飽くまで飲食すること莫れ。
生死事大、光陰惜しむべし。無常迅速、時人を待たず。
人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。
此の身今生に向って度せずんば、更に何れの処に向ってか此の身を度せん。
224 :
神も仏も名無しさん:2012/02/04(土) 21:40:54.62 ID:bogEhQRw
箒は禅宗らしい、カルマ・ヨーガってかんじですが。
仰る通りで、耳が痛い。
225 :
神も仏も名無しさん:2012/02/05(日) 00:19:03.62 ID:TfMQvR4n
226 :
神も仏も名無しさん:2012/02/05(日) 18:58:34.13 ID:Dsn77Lrc
奉献時代に日本人を心の中まで支配しようと
半島から持ち込まれたこの宗教の本質は
依存心である
227 :
神も仏も名無しさん:2012/02/05(日) 19:10:34.04 ID:+XC20coD
生死事大、光陰惜しむべし。無常迅速、時人を待たず。
人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。
此の身今生に向って度せずんば、更に何れの処に向ってか此の身を度せん。
の文句なんだが
これと完全に同一ではないのだが、
鎌倉仏教のあたりの文献で同じような文句や言い回しを何度か見たことがあるのだが、
これって何か出典があるのだろうか?
無常迅速のあたりは四阿含の何処かで読んだ記憶あるんだけど、全部阿含あたりに出典を持つのだろうか?
228 :
神も仏も名無しさん:2012/02/05(日) 19:19:03.45 ID:Dsn77Lrc
長文は内容がなく
当事者が困惑してるのを証明してるだけである
この宗教の本質は 甘えである
229 :
神も仏も名無しさん:2012/02/06(月) 08:32:53.55 ID:jIapD+LN
>>228 「内容がある創唱宗教」など、どこにもない。すべて、開祖の精神病の
症状としての「妄想」。現実上の根拠は「皆無」。
そうすると昔の人はみんな精神病なんだなw
231 :
神も仏も名無しさん:2012/02/06(月) 09:39:41.64 ID:jIapD+LN
>>230 「開祖」といってるだろ。信者は、その開祖の精神病の感染による、痛ましい「犠牲者」。
精神病って感染するんだwww
頭悪すぎだろwww
何ウイルス?www
233 :
神も仏も名無しさん:2012/02/06(月) 11:05:55.43 ID:mBvp5qGp
彼はそれしか言えない残念な子だから。
>>232 「感応」はする。 それを「感染」と“表現”することは可能。
古今、お祓いという形式を持つ行為(儀式)は、
寧ろ、その「感応」を利用して事象の解決を図っているとも言える。
また、相承されているケースには、そういう側面があろうと思う。
また、臨床の精神科医が、患者の心象に引きずられて、
スケールダウンした形での似た症状に陥ることもある。或いは、助言等の声かけが、
患者の心象、感情等に呼応する形で為されてしまうとか。
参:「泡だつ妄想共同体」(野田正彰/春秋社/1993)
共依存も知らないで感染するとか、感応するとか言ってんのwww
頭悪すぎだから、精神病を語らないでww
236 :
神も仏も名無しさん:2012/02/06(月) 13:49:43.60 ID:2YUcLngS
>>233 >彼はそれしか言えない残念な子だから。
創唱宗教は、「煎じ詰めれば」、それ以外の何がある?
宗教やる前に、一般教養として、精神医学を身につけること。
237 :
神も仏も名無しさん:2012/02/06(月) 14:17:19.74 ID:2YUcLngS
>>235 宗教は、「共依存」ではなく、完全な「一方的依存」である。そこが違う。
239 :
神も仏も名無しさん:2012/02/06(月) 18:02:18.73 ID:2YUcLngS
>>238 釈迦が君たち信者に何を依存しているのかね。君たちが、ひたすら釈迦に
依存しているだけ。
>何を依存しているのかね
釈迦だって村娘に乳粥を施してもらっていなかったら、ひょっとすると
悟りを開く前に、飢えで野垂れ死にされてたかもしれないからな
>>239 どうやって釈迦に依存するんだよwww
文字に依存が精神感染とかwwww
>>239 もっと言うと、釈迦が初めて説法した相手である元従者の五比丘や、
アーナンダやサーリプッタといった、優秀で理解力のある弟子達がいなければ
今日までの仏法の伝承はないし、お釈迦様もすごい萎え顔のまま、誰にも語ることなく
ひっそりと入滅されていたかもしれない
大丈夫
文殊菩薩が出現するさ
245 :
神も仏も名無しさん:2012/02/07(火) 02:04:42.98 ID:R8LHhSJd
>>241 君たちは、釈迦の言葉(といわれるもの)に、「生身の釈迦」を求め、
感じて、「生理的」に依存する。従って、批判は一切できない。これが宗教の
「精神病理」。
釈迦がすべてを投げ捨てて依存したのは、スジャータの一杯の乳粥で
あったことを想起せよ。
人間の真理は、「究極の状況」においてのみ現われる。
246 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/02/07(火) 04:02:35.45 ID:GKhYixAh
陰気は相も変わらずだなぁ。(笑)
>245
「人間の真理」なんか無いぜ。
「究極の状況」での人の言動にパターンなんか見いだせねぇよ。
釈迦はスジャータちゃんの乳粥に依存してねぇし、「生理的依存」なら「精神病理」じゃねぇだろ?(笑)
宗教なんてのは、人の「生理的欲求」なんだから、極当然の心理作用だ。
原始人も墓に花をお供えしただろ?
自然な欲求なんだから、お前さんみたいに異常な欲求を持つ変態も居る訳だ。
(^。^)変態も既知外も居るから、「究極の状況」で現れる「人間の真理」なんか無ぇ訳。判る?(笑)
>>245 あんた馬鹿じゃないのww
日本仏教の破戒僧ぶりみてて批判は一切できないキリッだってさ
救いようがない馬鹿
儲けとして利用してるだけで依存なんてしてないのが実態だろw
究極の状況においてとか、スジャータの一杯の乳粥とかで、『輪廻から解脱できた!』と言う事で良いんじゃなイカ?
陰気(隠居?)先生の場合は
『批判したり否定したりするのが正しい姿勢なのである!』
と言う『心の働きに取り憑かれている』んじゃなイカ?
机先生とか海野土左衛門先生とか尿臭庵苦茶居士先生とかは
『すべて無だ!』
と言う『心の働きに取り憑かれている』んじゃなイカ?
251 :
神も仏も名無しさん:2012/02/07(火) 13:24:05.61 ID:MiF5MUJj
>>246 究極の飢餓状態にあるときは、乳粥一杯、パン一切れがすべてであるということ。
どんな乳粥でもパンでもよい。宗教や神などお呼びでない。生命の維持には
役立たずだからである。
「人はパンのみにて生きるにあらず」などと大口たたいたイエスも、究極の
飢餓状態になれば、一切れのパンに飛びついたであろう。
その肉体の維持には役立たずの特定の宗教開祖の「思想」に対して「生理的」
欲求を感じること自体が、生物としては異常。
何言ってんのこの馬鹿はw
>>245 論理メチャだなw 釈迦は教えを語っただけで、それを批判してはいけない
わけではないだろ、実際そんな決まりもないし 疑問があれば批判もありだし
必要でないと思えば聞き流したっていい 依存するしないは本人の自由だ
それに仏の教えが現在まで続いてこれたのも、弟子達の存在があってこそだ
そういう意味では、釈尊でさえ教えを守り受け継ぐためには、優秀で偉大な
弟子達の力が必要不可欠で、それに依存していたんだよ
もし初説法をした五比丘やその後の弟子達との出会いがなかったら、
釈迦も語ることを諦めてひっそりとこの世を去り、仏教もなかったかもしれない
あなたは単に「宗教は依存」言いたいだけやろww
254 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/02/07(火) 19:09:39.95 ID:vt5nE+bA
>251
何も喰わずに3日も過ぎると、ちょっとハイになり思考能力が低下するんだよ。
その後はソイツの意思次第で獣になる奴もいれば、そのまま笑って死ぬ奴もいる。
お前さんのは生命観も飢餓のイメージも宗教観も全部聞きかじりの妄想でしかないよ。
それと、宗教というのは、本来は自然発生して民族毎に継承されただけのシロモノだ。
ヤソなどの擬似宗教は別にして、死者に畏敬し世界に感嘆するのは、生理的欲求が僅かでも満たされた者には当然の感覚だ、タコ。
人という群生体が世界という幻想を共有出来ないコミュニティーなんか無ぇんだよ、ボケナス。
(^。^)おととい来やがれ、ポン助がwwww
Σ(゚Д゚;)
ショキョタソが難しいこと言ってる!
256 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/02/07(火) 19:31:21.69 ID:vt5nE+bA
>255
難しいというのは、大脳辺縁系と新皮質と古皮質の相互作用に於けるハードプロブレムやソフトプロブレムに対しての行者としての立ち位置や、呪術と論と行に対してのスタンスと世界との整合性についてや、今日の晩飯を何にするかといった事だろう?
>254は何も難しい事は言って無いぜ?
257 :
神も仏も名無しさん:2012/02/07(火) 19:40:04.37 ID:ngDBecBH
>>254 >宗教というのは、本来は自然発生して民族毎に継承されただけのシロモノだ
それは、「自然宗教」のこと。「創唱宗教」はすべて開祖の精神障害から発生し、
それが信者に感染して広まったもの。
創唱宗教の開祖たちを見てみ。すべて基地外じゃん。「自然的」な要素は皆無。
なお、死者を崇めるのは、人間の生物としての生存本能から発生する、自他の
死えの恐れという自然の感情から生じたもの。あくまで生者の生存本能を現われ
である。死者にはもはや関係ない。
死者を崇めない宗教もあるんだがwwww
自然発生しちゃうんだ 大変ね
その人物はそれほど頭は良くなかったが、誰に与えられたのか生まれつき声が大きかった。
内容はそれほどでもないがなぜか人々はそれに従った。内容の如何の問題ではなく
話し方で歴史に残る人物としてしばしば独裁者が上げられるがそういった類でもない。
260 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/02/07(火) 20:14:43.97 ID:vt5nE+bA
>257
おう、じゃぁ「宗教は精神病」ってのは撤回する訳だな?
お前さんの言う創唱宗教ってのは、ヤソも仏教もごっちゃにしてる様だが、ヤソは既存の民族宗教を適当にコラージュしただけの劣化宗教だし、仏教は古代インドの仙人思想という民族宗教のリメイクに過ぎないんだがな。
だいたい、精神病ってのは社会適応が出来ない精神的障害を言うだけの概念で、世界中のどの心理学者も、お前さんみたいな「生命としての本質から外れたのが精神病」だなんて与太は言わないぜ?(笑)
つーかさぁ、現代社会でお前さんの言う「自然」な事なんか何があるんだ?(笑)
古代の理想社会なんて夢見てんなら丘のオヤジと大差無ぇぜ?(笑)
261 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 00:21:47.82 ID:RRcq/sMx
>>260 「腹減った、眠い、ヤリタイ」。昔も今も変わらぬ「自然」。
そのためには他人を奴隷にしたり殺すことも辞さない。
263 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 00:51:24.42 ID:RRcq/sMx
>>262 それは、自然を離れた創唱宗教の仕業。
生存本能は、自他の死に対する恐れと嫌悪感という「自然の感情」を生じる。
根拠なし。
265 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 01:11:54.37 ID:J6uuIuft
ここでの議論ってすごく高尚な時も有るんだけど、
稚拙な時は本当に稚拙だよね。
思い込みだけで語られちゃうと、どうにもならないよな
思い込みに多いのは結論ありきで無理やりでっちあげるからね
文献を吟味すると結論はこうなったよ
ではなくて
求める結論でググったり妄想したらこんな文章になったよ
が根拠なし君のパターン
268 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/08(水) 08:49:44.06 ID:TxLyrr2O
>>250 >机先生とか海野土左衛門先生とか尿臭庵苦茶居士先生とかは
>『すべて無だ!』
>と言う『心の働きに取り憑かれている』んじゃなイカ?
「心の動き」というのが、意味が分かりませんが・・・
アナタのレスポンスを拝見しまして、山下清画伯を思いだしました。
画伯は風景をそのまま、心に瞬時に焼き付けるらしい。
これは発達障害の特徴です。
風景に電車が走っていたとしても、画伯には止まって見えるかと思います。
これは想像ですけど。
画伯の有名な作品に「花火」がありますけど、
画伯にはあの花火が一瞬に花開いた“瞬間”に立ち入ったのでしょう?
“その瞬間に立ちあう”これこそが無眼であり、またかつ瞬間なのであります。
心の動きは、全く私には理解し難いことであります。
「心の動き」など、不動ということで宜しいじゃないですか?
270 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 09:55:58.21 ID:p2zXbpnQ
>>264 変質者や宗教の狂信者を除き、死体を見て快感を感じる者はいない。
歴然たる根拠がある。
271 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 10:13:33.89 ID:p2zXbpnQ
>>269 開祖・教祖の言葉に取り憑かれているのが、宗教信者。
>>270 生物学者は狂信者なのかw
そもそも死とは必然だ
人は死を喰らい生を繋いでいる
死が生であり、生が死である
お前の食卓に並んでるもの全てが死
死は快楽でもあるのだよ、お坊ちゃん
273 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 10:33:49.93 ID:p2zXbpnQ
>>272 >死は快楽でもあるのだよ、お坊ちゃん
君は、変質者、サイコパスか。
仏教徒が精進料理を食べる理由を説明してくれ。
>>273 日本の仏教徒って精進食ってる比率なんて物凄く低いんだがww
じゃ、なんであんなに肥え太った坊主が多いのか教えてよw
275 :
神も仏も名無しさん:2012/02/08(水) 10:41:55.98 ID:p2zXbpnQ
>>274 たしかに、お坊さんって、逞しい、精力絶倫な感じの人が多いな。
お坊さんは、牛丼や血の滴るビフテキも食べるのだろうか。東南アジアの
お坊さんは如何?
>>275 おまえさんは精進料理食べてるの?
肉を食べて美味しいって唸ってる?w
なら歴然たる根拠って何さ
不殺生戒から肉食禁止って、よくよく考えてみれば短絡思考だよな。
精肉を再度殺せるわけじゃなし、米を作るのに殺生が行われないわけでもなし。
F1でターボ禁止になったようなもの。
フィギュアスケートの得点計算法が変えられたようなもの。
「お前等肉食ってんのかよ。それでよく不殺生なんて言えるなw プゲラw」
「 ( ´m`)プププ 肉食ってて身心が浄くなるわけないじゃん、解脱なんか無理無理w」
という外教の指摘に追従しただけ。
肉食禁止することの意味はそれほど大きくない。
輪廻なら身内を食ってることになるだろう。
南伝仏教なら布施された肉とか魚とか普通に食べてる
精進は北伝仏教だけ
そもそもなぜ肉食を禁止すべきだったかっていう事がわかってない。
物事の本質が理解できてないのに、知ったふりをして批評するから内容がカスになる。
固定観念に囚われた典型だね。
せめて批判するなら基礎ぐらい固めようよ()
282 :
てすと:2012/02/08(水) 23:07:25.55 ID:SPfHHcWW
別に肉だろうが魚だろうが好きなもん食えばいいだろ、、
君たちアホなんじゃないの、、
>>282 >別に肉だろうが魚だろうが好きなもん食えばいいだろ、、
君たちアホなんじゃないの、、
アホは、お前!!!
とんちんかんな書き込みするなや!!!ヴォケ!!!
>>263 >それは、自然を離れた創唱宗教の仕業。
無宗教の人だってする。
創唱宗教の仕業とは限らん。
本能がどうの語る人は、「ムカついたから殴った」っていう最近の若者と同レベルにならないよう注意する必要があると思う
286 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 07:39:29.58 ID:CEuTKaiK
>>285 それは多分に例外的で偶発的。創唱宗教のように、組織的・集団的・意図的
ではない。
287 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 08:13:58.76 ID:nZ8Tts2P
>>251 主キリストは四十日間の断食の後に、
サタンから誘惑されても退けましたけど?
テキトーな妄想を垂れ流さないでくださいよ。
その子は妄想狂の変な人だから
可哀想な子として接っしてあげて。
289 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 09:04:13.94 ID:CEuTKaiK
>>288 可哀想なのは、開祖で狂わされて思考停止に陥った、君ら宗教患者。
開祖に対しては、殺されても批判ができないw。
290 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 09:12:49.53 ID:O1cpRy24
可哀想だな、ほんと。
このネラ論理を繰り返して自分はおかしくないと言い聞かせてるんだろう。
早く自分こそ破綻しててどうしようもないことに気付くべきなんだが。
291 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 09:48:13.09 ID:nZ8Tts2P
>>289 霊魂の存在という現実を認識しているだけです。
創造主が実在するのもまた事実。
空想に陶酔しているわけではない。
292 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 12:21:03.81 ID:YeHXvUgh
こんなガキみたいな思想に陥ってしまうような人をも救い上げ、諭すべきなのが宗教者だよな
理念ではそうなんだけど、現実問題として遭遇してしまうと難しいよね
それを考えると過去の宗教者としての偉人達ってやっぱすっごいよね
293 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 13:10:57.49 ID:xGN4g5If
>>291 いずれも、宗教から「植え付けられた」妄想。宗教に嵌る前の自分を
思い出して欲しい。
294 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 13:17:07.24 ID:nZ8Tts2P
>>293 人生経験で裏打ちされているので、
洗脳や妄想感染とは違います。
信仰心ってつまるところ、自己の主観そのものだから、
他者の説得で変えるのは不可能です。
命を投げ出した殉教者も居るくらいだし。
295 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 13:24:51.29 ID:YeHXvUgh
いつのまにかテーマが仏教じゃなくなっている件
296 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 13:38:57.97 ID:xGN4g5If
>>295 すべての創唱宗教に共通な、最も重要なテーマ。
宗教を「生物としての人間」の見地から観察し、批判することが必要。
296の自分狂な宗教とさほど変わらない気もするがw
296の思考も他からの引用のように
宗教も他からの引用ってだけだろw
298 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 14:44:59.31 ID:7G/i2aeF
まず自分の発言を客観的な見地から観察し、批判する事が必要だろ
299 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 14:47:47.79 ID:08gmPp0P
一切皆空
記号化して考えりゃいいのさ
宗教 = β
生物 = θ
βをを「θとしての人間」の見地から観察し、批判することが必要。
一般化するってことはこれだ
で296は
βを「θとしての人間」の見地から観察し、批判することが必要。
β = ?
θ = ?
宗教と生物しか嵌められない視野の狭さを持っている。
自分に置き換えて ?に何かを入れてみなよ
悟らないと
客観的な見地から観察できんよ
己が現象の一部なのにどう観察できるんだ
302 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 16:33:31.25 ID:jNWgoy1t
>>300 宗教行為は一般に観察と対象化が可能。しかし、己の生命を以ってその生命を
対象化することは不可能。対象化も生命の機能であり(死者には不可能)、対
象化の主体と客体が同一だから、対象化は不可能でナンセンス。
>>301 悟りは、純主観的なもの。他人の悟りは、己の悟りではない。
釈迦がいくら我を否定しても、その否定は釈迦の我から発している。
>>302 >釈迦がいくら我を否定しても、その否定は釈迦の我から発している。
それは全然違うお。
それは悟性とか理性というものの「働き」であって、我から出るものとは違うずら。
お釈迦さんが食べた物を胃腸で消化するのも「働き」であって、お釈迦さんの我が
消化しているのではないことと同じだお。
304 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 17:02:41.49 ID:jNWgoy1t
>>303 釈迦が死ねば、即ち我が無くなれば、消化を初め、彼のすべての生命現象は
ストップするw。
305 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 18:48:30.96 ID:7G/i2aeF
とりあえず、こいつが我についての理解が乏しい事がわかった。
306 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 19:01:36.44 ID:oy3+GJ3/
>>305 君は、自分の我を理解できるのかねw。理解するのもされるのも「己の我」
だから、その理解の正確さの担保は皆無。「理解」にはならんw。
307 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 19:32:15.44 ID:7G/i2aeF
ここは仏教議論スレだろ?
我という概念を今まで仏教がどのように理解をしてきたのか
その点に対してお前は理解が乏しいといっているんだ。
何かを批判するときに、批判対象における最低限の基礎知識は抑えておけよ
恥ずかしいぞお前(笑)
>>306 >理解するのもされるのも「己の我」だから、・・・
そこが間違っているのだよ。 理解は理性・悟性の働きなの! 「我」 が理解するのではないのだよ。
それが分からないうちは <ミソクソの論理> にとどまって、宗教的精進も望めないよ。
309 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 20:13:12.56 ID:jSiQRdip
>>308 理解・悟性は「我」から発する。さもなければ、一体何処から発するのかw。
死者には、理解・悟性はない。
310 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 20:17:14.58 ID:jSiQRdip
>>307 佛教をはじめ、人間のすべての営みは「我(生命)」から発する。さもなければ、
一体何処から発生するのかねw。
>>309 >理解・悟性は「我」から発する。さもなければ、一体何処から発するのかw。
理解・悟性は脳の働きだよ。消化作用は胃腸の働き。
目の前に飛んで来た物をとっさによけるのは脊髄反射の作用だ。
>死者には、理解・悟性はない。
死んだこともないのに、どうして分かる? 死者の世界があるかも知れないのに・・。
>>310 >人間のすべての営みは「我(生命)」から発する。
「我」 と 「生命」 は全然別のものだよ。
「我」 は、言ってみれば幻影のようなもの。
理解したとか悟ったとか自分を自分で持ち上げたいならまだ理解していないし悟ってもいない。
分かっても分かったと言わないというルールもあるらしいですが、言語・名詞の意味するところの違いに
突っ込みを入れるのもヤボってもんです。
313 :
神も仏も名無しさん:2012/02/09(木) 20:44:25.05 ID:7G/i2aeF
314 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 10:10:26.40 ID:H7dDLfZh
>>311 >脊髄反射の作用だ。
死ねば、脊髄反射も生じない。脳も神経も、腐敗して大地に還るのみ。
>死者の世界があるかも知れないのに・
死者は、その世界をどうやって知覚するのか。
>「我」 は、言ってみれば幻影のようなもの。
と、考えているのも、我。
>>314 おまえの訳の分からぬ生命教とやらの教義を解説してみ
316 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 11:11:30.10 ID:3qntg7mc
>>315 教義などない。すべての宗教観念を廃棄して、己の生命の声に耳を傾けよ。
「すべての人間は、生命において等価・至上である」。これが全て。
生命の声って何さ
318 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 12:03:33.09 ID:EBPcf4Px
>>316 おまえのなかでの宗教の概念定義ってなんなん?
319 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 14:31:54.58 ID:bws1sGlQ
>>318 宗教:
「現実界に還元出来ない単なる観念に、最大の価値を認めること。
現実界とは、(必要な場合には観測装置を使用して)人間の五感で知覚できる
世界をいう」。
人間は、現実界に100%依存しなければ生存できず、生存できなければ
宗教もないから、宗教は出発点から誤っていることになる。
>>319 >現実界に還元出来ない単なる観念に、最大の価値を認めること。
おまえの生活に似てるなw
>>319 ようするにお前って只の唯物論者なん?
もしそうならば、おまえの言う所の「生命の声」なるものも観念上のモノにすぎず、
ほかの宗教と規定したものと一線を画す事はできないんじゃない?
322 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 15:09:09.76 ID:bws1sGlQ
>>321 現実界を成立させる五感による知覚は、生命(生命現象を現す肉体)からのみ
発生し、現実界を利用して生命を維持するのも生命の機能だから、生命は、
現実界の基盤でもある。
生存できなければ宗教もないのだから、生命は、宗教に先立ち、優先するもの。
宗教だけでなく、人間のすべての営みの最上位概念である。
「腹減った、眠い、ヤリタイ」というのは観念ではない。「それを否定すれば
死ぬ」という「生命の声」である。
「死後の世界の実在」など信じないから、唯物論者ではない。
仏教なら仏教の、教えを実践して結果を確かめたこともないのに、
どうして現実に何も還元できないと断言できるんだってばよ
>己の生命の声に耳を傾けよ。
では、そのために何をすればいいの?具体的な実践方法を教えてください
そして最終的な目的は?
仏教なら、瞑想などの修行に取り組み、苦しみのサイクルから脱して安寧を得る、
つまり「解脱」が最終目標だけど、あなたの生命の声教の具体的な方法と目標は、何?
325 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 15:13:05.04 ID:EBPcf4Px
>>322 昨日も、別のやつに言われてたけど、もうちょっと勉強したほうがいいんじゃない?
支離滅裂だよ。
326 :
てすと:2012/02/10(金) 16:28:02.53 ID:WAiNPX66
>>323 だからその解脱した仏教徒やらはどこにいるんだ?w
口だけじゃなく、解脱とやらを見せてみろよ。
大嘘付き野郎!
328 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 17:03:47.35 ID:xw3/qPfs
>>323 >では、そのために何をすればいいの?
何もする必要はない。一切の人為的・宗教的観念を去り、ひたすら、生命の指
示に従って生きればよい。それ以外に「目的」などない。生きること自体が目
的。
>>324 >生命の声ってなんなのさ
道元さんにでも聞いたら。「腹減った、眠い、ヤリタイ」「自他の生命が助かった
時の喜び」「2chに書き込みたい」。それが「生命の声」だ。
329 :
てすと:2012/02/10(金) 17:31:34.57 ID:czsMDsnh
ご隠居が正しい。
仏教徒なんて病気になれば泣きながら医者に行くくせにw
人間なんてただ生きていればいいんだよ。
劣等感の克服のために修行するなんてアホくさw
>>328 ふ〜ん・・。
で、道元さんは「欲望に従って」生きてたの?
酒かっくらって、女抱きまくって、美味い物食いまくって生きてたの?
そうであるならば、貴方の言う通りでしょうよw
(理趣経の件も結局、欲望に従って生きた僧侶の実例を挙げられぬままですね・・。)
331 :
てすと:2012/02/10(金) 17:38:35.73 ID:czsMDsnh
承認欲求を満たすために他の欲望を抑制し、
「我慢できるぼくちゃんって偉いでしょ?」と言われても同意できるかよw
まず働け、結婚して子供育てろ。
現実で何も得られないからって、仏教で自分を正当化するなんてみっともないぞw
332 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 17:43:11.78 ID:O8iQrlUm
>>330 生命の声は「欲望」だけじゃないよw。「他者の生命」のために、「欲望を抑える」
ことも語る。生命は、「独りでは維持できない」ことも知っている。
333 :
てすと:2012/02/10(金) 17:46:44.49 ID:czsMDsnh
お前らは欲望を抑えてるんじゃない、
勝ちとれなかった事を認めたくないだけ。
自分をごまかして慰めるなよ。
336 :
てすと:2012/02/10(金) 18:13:19.64 ID:czsMDsnh
>>335 うーん、経営者なんでばらつきあるけど2000ぐらいじゃね?経費枠と配当あるから実年収はよくわからん。
お前ら宗教なんて嵌ってないで少し頑張りなさいよ。
337 :
てすと:2012/02/10(金) 18:18:41.21 ID:czsMDsnh
学生ならたくさん勉強して就職先を決めなさい。
就職したら綺麗な嫁さんもらって家庭を築きなさい。
子供が育ったら老後はまったり好きな事でもしなさい。
宗教に時間とられたら人生勿体無いぞー。
http://kanz.jp/hanrei/detail/81982/ >>332 >>328 >道元さんにでも聞いたら。
>「腹減った、眠い、ヤリタイ」「自他の生命が助かった時の喜び」「2chに書き込みたい」。
>それが「生命の声」だ。
>>333 ん?
328は、「道元さんは(生理的欲求が)欲するままに従えと言った」 という文意になるわけだが、
道元さん自身はそれを実践してたのかな? と思って聞いただけだが?
その意味で、貴方の道元評はどうなるの?
道元は、生理的欲求(≒生命の声)に従っって生きた僧侶だったの?
それとも、生理的欲求を制御もしくは一部は排していた僧侶だったの?
どちらだと見做してるの?(後者ならば、勿論
>>331として批判対象であり、反社会的存在ということになるね。)
で、前者であれば、隠居の考え方と齟齬を生じることになる。
(
>>329からすれば、前者のような評価はしていないんだと思うけどw)
あ、余計なリンクが残ってたw 脳内削除よろしくwww
>>336 どんぶりかよw
申告方法教えてくんろ。
年商10億の起業家で分からんけど10億なんていわんし。
宗教は非課税ですが
342 :
てすと:2012/02/10(金) 18:47:28.98 ID:czsMDsnh
>>340 普通の株式会社だよ。決算は会計士がやる。
役員報酬は総会後に決定、その他収入あるときは年末調整ではなく確定申告。
聞かれたのは年収だから年商は教えないよ〜
なまぐさぼうずまるもうけ〜
344 :
てすと:2012/02/10(金) 18:54:40.64 ID:czsMDsnh
まあお前らにいいたいのは、もっとちゃんとしろって事。
瞑想だ解脱だ言ってる場合じゃねーだろ。
なんの解決にもならんぞ。
>>328 なんだ何もしなくていいんだ
じゃあ私は生命の声聞きながら、暇つぶしにワンピース読まんと
仏教書読んでポテチ食って、これからもガハハと笑って生きてくわ(>ω<)
>326
ミャンマーに阿羅漢聖者の御遺体が安置されてるらしいよ-坊さんに聞いてみられ
営利事業は課税されるよ。
寄付行為に関わる法人税が減免されるだけだぞ。
>>344 墓場まで金は持っていけない。
豊かさとは物資か?環境なのかい?
一冊の本、一つの夢、一つの思い出、一本の映画でさえも
人は幸せに気持ちになれる。
キミにとっての幸せとは何だい?
>>347 仏教って幸せにケチをつけられたからといって相手の幸せにケチつけちゃ駄目だろ。
どの生活レヴェルで満足できるか?ですね。自分がそうならないと分からないもんですが
350 :
てすと:2012/02/10(金) 19:08:05.91 ID:czsMDsnh
>>345 社会的義務を果たしながら趣味として仏教やるなら別にいんじゃないの?
個人の娯楽の範疇を超えて他者に承認を求めるのがせこいわ〜
>>347 俺は幸福欲求とか承認欲求から解脱してるから。君たちレベル低いんだよ。
>>350 幸福欲求なしに起業してるのですか。
どのようなNGOを企業でしょうか、参考までに教えてくださいな。
352 :
てすと:2012/02/10(金) 19:14:49.17 ID:czsMDsnh
>>359 君は本当に世間知らずだな〜。
自分の役割を果たしてるだけなんだが。
起業に偏見もってない?
俺は別に普通の人と変わらんよ。
>>350 一つ尋ねるが、自己の欲求と社会の法律が矛盾した場合、どちらを優先する?
幸福欲求がない企業って想像つかないので
世間知らずに教えてくれんかね
355 :
てすと:2012/02/10(金) 19:20:07.57 ID:czsMDsnh
>>354 法人っていうのは社会制度だから会社に欲求はないよ。
貨幣制度と同じで人が発明したもの。
>>355 法人に商業欲求がなくて企業活動が出来るのかい?
357 :
てすと:2012/02/10(金) 19:28:41.72 ID:czsMDsnh
>>353 その時の自己の欲求と法律を比較して取りたい方を取ればいんじゃない?
ユダヤ人にビザを発行してもいいし、
しなくてもいい。
一般論よりも、その瞬間の自分を信じて決断するよ。
>>357 法務局にある紙っぺらがどうやって商業欲求を持つんだよ。オカルトかよw
オレうどんとねぎと油揚げとおかゆ食ってたよ最近
では宗教にも欲求も社会的義務もないな
紙っぺらだから。
360 :
てすと:2012/02/10(金) 19:33:45.44 ID:czsMDsnh
休眠会社が夜中に法務局を抜け出して勝手に商売始めたら怖いわw
>>359 宗教法人にはないだろw
休眠宗教法人が布教始めるのかよw
頭大丈夫?
>>357 小利口な意見を求めてるわけじゃなくて、どうするのか聞きたいんだ。
他人が邪魔になり殺したくなった時にバレないなら殺す? やっぱり殺さない?
お経を読むこととお墓の管理。東京はやたらお寺が多い
363 :
てすと:2012/02/10(金) 19:37:12.74 ID:czsMDsnh
>>361 殺したくなった時に考えるに決まってるだろw
お前アホだろw
>>363 あぁ、答えられないほど自分を知らないんだ。レベル低いね。
承認欲求から解脱してるのに何で起業したの
366 :
てすと:2012/02/10(金) 19:45:17.20 ID:czsMDsnh
>>364 そういうお前は月でうさぎに会ったらなんて言うんだよw
>>365 なんで起業に承認欲求が必要なんだよw
アホやww
333 てすと sage New! 2012/02/10(金) 17:46:44.49 ID:czsMDsnh
お前らは欲望を抑えてるんじゃない、
勝ちとれなかった事を認めたくないだけ。
自分をごまかして慰めるなよ。
この欲求は何?
369 :
てすと:2012/02/10(金) 19:51:55.48 ID:czsMDsnh
>>367 何もされてないので殺したいと思えません〜
371 :
てすと:2012/02/10(金) 20:00:33.76 ID:czsMDsnh
>>368 この欲求ってどれよw
俺が書き込みした事自体の欲求?
文中の欲望のこと?
>>370 そんな褒めるなよ、、照れるぜw
>>371 なんでそんな文章書いてるのかなってさ。
その心理状態を知りたい訳さ。
何を連想し、何を思い、何を目的とし、何の為に書いたのか。
書くまでのプロセスの欲求は何かなと。
374 :
てすと:2012/02/10(金) 20:08:00.98 ID:czsMDsnh
>>372 解脱したから俺は釈迦のように振る舞えるのさ。
>>373 そう書き込むあなたの心のプロセスを観察したら?
>>374 解脱した人に興味津々
自称釈迦さんはどんなプロセスなのか教えてくださいな。
無欲は理想である誰も悪いことをしない世の中でしか成り立ちません
>>374 はいはい、今度は釈迦の威を借りて覚者宣言ですか。
レベル低すぎてどうでもいいわ〜。
378 :
てすと:2012/02/10(金) 20:20:29.46 ID:czsMDsnh
まあここ仏教スレなんで、仏教について何でも聞いてくれ。
宗教板のシャーリプトラと呼ばれた私が質問に答えよう。
379 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 20:22:11.46 ID:hE8bb9ZW
ボケたお年寄りやボケたお年寄りと同等の知能しかない人たち
騙 し て お金巻き上げて楽しいですか?
>>379 楽しいに決まってるだろ。でなきゃなんでやるんだよ。
381 :
てすと:2012/02/10(金) 20:24:16.93 ID:czsMDsnh
>>379 楽しいに決まってるだろ。
お金は使ってこそ意味があるんだよ。
皇帝のものは皇帝に返さないとね。
383 :
てすと:2012/02/10(金) 20:44:42.13 ID:czsMDsnh
>>381 被った記念。
自己の欲求と法律が矛盾した場合、
法律の罰則が強いほど抑止力が大きくなる。
人を殺したら死刑になる場合、自分が死んでもこいつを殺したいと思えば殺すし、自分の死と相手の死の交換が割に合わなければ殺さない。
あと殺す場合は抵抗される可能性もあり、自分が殺され、相手が生き延びるのは一番割に合わない。
よって殺さない確率が高い。
384 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 20:49:46.68 ID:jMX/ZFxO
仏教徒であれば人を殺したいという欲求自体を内観して消滅させるだろうな。
>>383 割だ抑止だと小難しいフリして述べてるが、
ようは「幸せになれそうな方」ってことだろ?
386 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 20:55:29.66 ID:jMX/ZFxO
仏教は別に煩悩を全否定していない
内観して煩悩をコントロールすることを勧めているのである
387 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 20:59:21.31 ID:jMX/ZFxO
人を殺したいという欲求が沸き上がった場合、その欲求を満たす事が関係者を真に幸福にするのかどうかを考えてから行動する事が大事である
少なくとも相手が殺されたくないと思っているのであれば
「生きとし生けるものの幸福」を願う仏教徒は
それが親の敵でも殺しはしまい。
388 :
てすと:2012/02/10(金) 21:01:08.36 ID:czsMDsnh
>>385 幸せの定義によるんじゃないの?
あなたにとって幸せって何なの?
ただ幸せとは何かと考えても人それぞれだし、俺はめんどくさいから俺にとって幸せとは何かを考えるのやめたけど。
あなたの定義が生存=幸せなら、生きること自体が幸福だから、俺が相手を殺して生き延びる事は幸福を追い求めてる事になるね。
あなたの主観次第なんじゃないの?
390 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 21:05:44.41 ID:jMX/ZFxO
しかし相手も生きる事を求めているのではないかな?
「生きとし生けるものの幸福」が「己の幸福」でもある仏教徒は相手の生きたいという意思も尊重するであろう。
>>388 幸せ、満足、充足、納得、利潤、表現は何でもいいが定義はそのへんだ。
採算を計ってより大きいほうを選ぶ小利口な生き方を否定しないが、興味もない。
392 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 21:14:24.70 ID:jMX/ZFxO
西洋哲学の系譜ではベンサムやミルがその辺を掘り下げて語っているよね
快楽の最大化が善であると言うテスト氏の主張は
功利主義思想の一部ではある
393 :
てすと:2012/02/10(金) 21:17:01.25 ID:czsMDsnh
>>390 だからそこで幸福という言葉の意味が変わってるんだよ。
>>391 だから他人の定義に興味ないと言ってばかりいないであなたの興味ある事を追い求めればいいじゃない。
人に話させて自分は話さないタイプは宗教板に多いけどそれだと匿名掲示板の意味ないし、あなたの興味をぶっちゃけたらいいんじゃないの?
394 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 21:17:20.81 ID:jMX/ZFxO
ただベンサムはもう少し掘り下げて「最大多数の最大幸福」こそ人間が実現すべき理想であると述べた。
これによると、ある人間を殺す事による関係者の快楽値が殺さない場合よりも上回るならば
殺してもいいことになるなw
生命の声教の教祖はいなくなったな
仏教徒に改宗ですか
396 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 21:21:06.08 ID:jMX/ZFxO
393
どう変わっているの?
君はいつも自分の主張を曖昧に語るので議論がしずらいんだよね
幸福とは欲求が満ちることだろ
そこで欲求とは何たるかを探るのが仏教だ
欲求の本質を知らずに欲求を追いかけるから
渇望が止まない
渇望の源泉を探すか、渇望に追われながら彷徨うか
そこだよ
>>393 興味がないのは採算を計れると思い上がった小利口にだ。
生ぬるい仏教もどきよりも現実的な利益追求のほうが採算取れるという意見は俺もそう思うが、
そういった採算を含めて興味がない。
ぶっちゃけ、もうてすとに興味がない。
399 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 21:29:52.61 ID:jMX/ZFxO
JSミルの名言「満足した豚(テスト)より、やせたお釈迦様になれ」
400 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 21:40:11.93 ID:jMX/ZFxO
最近知ったがミルって、机上の学問だけではなく
人妻との不倫に悩んだりする面もあったんだね
相手の旦那が死んでから
結婚したようだがね
その意味ではテストのような俗悪功利主義ではなく相手の幸福の事も考える立場であったんだろうね
401 :
てすと:2012/02/10(金) 22:02:52.32 ID:czsMDsnh
相手の幸福って、創価が良く言ってるよね。
402 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 22:12:41.79 ID:jMX/ZFxO
創価よりテストの方が信用性が高いとでも?
403 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 22:21:47.79 ID:jMX/ZFxO
ベンサム的視点から見てもテストのような経営者は国外追放した方がいいのではなかろうか
顧客の幸福を考えない企業って要するに詐欺商法でしょう
大丈夫!
幸福でありますように
405 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 04:32:04.15 ID:RJmClaGw
また痛いのが湧いてるな
407 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 09:51:06.56 ID:wC8JoBp8
私は、医学一般、現在は免疫学をやってるが、最も身近な具象物である「身体」
に宿る神秘と複雑さは、宗教など足元にも及ばない。未だ未解決の問題も多数
ある。誤りがあれば、身体という厳然として実在する現実により、一発で暴かれ、
是正される。
宗教者は、宗教などという、科学が存在しなかった古代人の妄想で、幼稚極まり
ない、人間にはクソの役にも立たないことに一度きりの人生の貴重な時間を浪
費することなく、身体(生命)という根源に迫る努力をすべきではないか。医
学はまだまだ人材が不足している。
408 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 10:27:31.82 ID:8raEoY8F
>>407 生命教だよな。「医学一般、現在は免疫学をやってる」んじゃなくて、
その概説書をかじって、その権威によって妄想してここで偉く見せたいだけだろ。
科学ってのは、どうなってるのかを記述し、体系づけ、応用するものだから、
道具としては有用でも、人がどう生きるべきかという意味は全く関与できないんだは。
だから見ろよ。遺伝子操作とか臓器移植、原子力とか道具・手段は進んだが、
それをどうすればいいかってことに科学が何か貢献したか?
どうすればいいかって時、判断の基準になるのは宗教なんだよ。
その点、倫理学の御大デレク・パーフィットも仏教の偉大さを認めてるんだが、
それが認められないヤツは、たいていお前さんみたいな近代とか科学の優越性を信仰しているだけ、
その信仰告白にしかオイラには見えないんだな。
>>407 医学に限らず、物理学だろうが宗教学だろうが、底が浅いものなんてないよ
無知だからそういう意見が出る
彼は免疫学的な生き方を推奨してるんだろw
そのくせ医学じゃ免疫機能を自己制御じゃなく
医学制御したがるのよね。
医学制御って免疫機能への反逆じゃないですか?
411 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 10:56:50.14 ID:FSt4zwL9
>>408 >道具としては有用でも、人がどう生きるべきかという意味は全く関与できないんだは
馬鹿ですか。生きている身体のことを知らないで、「どう生きるか」などと
いえるはずがなかろう。それこそ「妄想」。
412 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 11:14:49.36 ID:8raEoY8F
>>馬鹿ですか。生きている身体のことを知らないで、「どう生きるか」などと
>>いえるはずがなかろう。それこそ「妄想」。
何いってんだ? 「生きている身体のことを知」るってどういう意味で使ってる?
もし、それが西洋医学的に<生きている身体のことを知らないで、「どう生きるか」などといえるはずがなかろう>
という意味なら、それこそ「妄想」以外の何なんだ?
なぜなら、近代以前の人たちは西洋医学的に<生きている身体のことを知らないで、
「どう生きるか」などと>沢山言ってきたのが、所謂「歴史的な事実w」だからだ。
それだけじゃなく、この言い古されたレトリックは詭弁に他ならない。
xを知らずにも「どう生きるか」考えて行動しなくてはならない時、
そういう岐路に人は、しばしば立たされるだろう。
もちろん、xが役立つ時もある、役に立たない時もある。
知識や道具ってのは、そんなもんだ。
ところが愚かなヤツは知識や道具に振り回される。
これはハイデガーが指摘するまでもなく、東洋ではしばしば言われてきたことなんだが。
413 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 11:21:40.57 ID:FSt4zwL9
>>410 身体は「超超精密機械」だから、故障することもある。その故障を修理して、
本来の機能に復帰させるのが医学です。
>>413 本来? 本来とは免疫機能に任せることでは?
免疫機能に抗うことが本来?
故障? 心理的に故障に見えるだけで生理学では故障ではなく
DNAに書きこまれた正常な働きですが?
免疫機能として活動してるだけなのに何故故障?
医学板でお互いの無知を暴露してこい
ここは宗教板
416 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 13:02:56.22 ID:ungRms0F
まあ無神論である仏教に宗教批判の文脈で喧嘩を売るのは無理があるでしょ
417 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 16:26:33.62 ID:nfNiTMk1
お相撲さんに
レスラーがリングに上がって戦おうと言ってると同じ
ルールがまったく違う
419 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 19:12:37.85 ID:gOKd4f+P
>>416 釈迦佛教は、釈迦の精神病及び釈迦個人とその言葉(経典)への執着の点で、
キリスト教(一神教)に近い。
420 :
てすと:2012/02/11(土) 19:14:10.89 ID:adf1Qaqp
坊さんもアマチュア求道者も、病気になれば薬を飲むし病院いくし、手術になれば麻酔を打つだろう。
仏教は病気には無力である事を認めよ。
盲腸が仏教で治るか?
ごまかすな。嘘つくな。格好つけるんじゃない。
>>418 2500年前は相撲も総合だったのさ。
時代が変わったのに今だに相撲は総合で最強とか叫ぶアホがいるからじゃあ結果だしてみろよと。
421 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 19:19:30.17 ID:XG17P7UR
>>419 創唱宗教は創始者の言葉に依存する点が多いから
創唱宗教は全部キリスト教(一神教)に近いですよねw
釈迦仏教は人が作った物だから、作った人に依存するって点でキリスト教に似てますよねw
すごく鋭い指摘だと思います。
まるで物理学はアインシュタインに依存してる、みたいな論理だな
依存しているのは彼の主張した理論にであって、アインシュタインの人格じゃないだろうに
423 :
てすと:2012/02/11(土) 19:38:47.89 ID:adf1Qaqp
>>422 大乗を否定して原始仏教に流れる奴は釈迦依存で論理検証なんてしないから。
ご隠居の方がよっぽど法灯明を守ってる。
お釈迦さんって医療に効くよなんて
発言してる?
そんな経典見たことないけど。
なんだか変な発言が散見してるけどさ。
人の幸福感について説いてるが
キリスト教みたいにオカルトパワーで完治するよなんて言ってたか?
425 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 19:53:40.43 ID:gOKd4f+P
>>422 人格に依存すると、理論の批判が一切できなくなる。これを「宗教洗脳」と
呼ぶ。専ら、心理学的・精神医学的現象である。
自然科学では、すべての理論が批判の対象と成り得る。「人格依存」がない
からである。
仏教が学問の一分野だと知らないやつはいつの時代からタイムスリップしてきたんだよ
427 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 20:08:41.14 ID:nfNiTMk1
428 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 20:19:50.52 ID:8raEoY8F
>>416 生命教は自分の不満を正当化するために適当なデタラメを繰り返し述べてるだけだから。
>>426 おいおい、いつから仏教が学問、ヴィッセンシャフトとかサイエンスと呼ばれるものになったんだよ。
そりゃ、仏教じゃなくて仏教学だろ。
もっともスリランカ仏教は文献学になってるらしいけど
429 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 20:21:59.85 ID:ungRms0F
全ての坊さんが近代医学を全部受け入れているかどうか私は知りません。
中には「法力で癌を消す」人もいるかもしれませんね
知りませんけど。
>>428 仏教学は何を研究してると思ってるんだよ
まさか薬は医薬品で、薬学の一分野じゃないとでも言うのかい
431 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 20:42:37.57 ID:8raEoY8F
>>430 >>仏教が学問の一分野だと知らないやつはいつの時代からタイムスリップしてきたんだよ
「仏教が学問」って書いてるよな、「仏教学」にすり替えるなよ。
この短文で、しかもこの短時間にすり替えは無理だろ。
無意識ですり替えたんなら、自分の無能さを自覚して反省した方がいいぞ。
432 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 20:43:04.56 ID:ungRms0F
仏教は哲学です。
それ以上でも以下でもありません。
>>431 だから「何を研究してると思ってるんだ」って問いかけたんだろ
仏教は何という学問によって研究されているかって書けばいいのか?
阿呆か
>>432 >仏教は哲学です。
全然違うお。仏教は宗教だお。
宗教体験を伴わない哲学とは厳然と一線を画するものだお。
435 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 20:51:53.92 ID:8raEoY8F
>>432 ありえない。哲学をどういう意味で使ってるのか知らないが、
哲学的思惟・思想一切を寂滅に導くための道、
その道を仏が説いた教えが、仏教。
哲学や思想は、その道の中に含まれることはあっても、
哲学・思想そのものが仏教であることは絶対にありえないよ。
436 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 20:59:07.72 ID:8raEoY8F
>>433 どうしようもないな。
仏教は、2500年ぐらい前から続く解脱である戯論寂滅へ至るための道であって学問じゃない。
仏教学は300年ぐらい前から西洋で始まった仏教を文献学や考古学などの方法で研究する学問だ。
こんな簡単な区別もつかないで発言して、それを指摘されても気付かないのか、
認められないのか分からないが、どうしようもないヤツだ。
以後、スル〜するは。
仏教は苦しみについて研究し、これの解消に勤めるわけだから、
リスクアセスメントに主眼を置いた人生経営学じゃないかな。
>>436 だから、
>>430で答えたじゃねぇか
薬は医薬品だから薬学の一分野じゃありませんってんだろ?
だから、阿呆かって言ってるんだよ
439 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 21:07:17.90 ID:ungRms0F
釈迦に「宗教体験」などあったでしょうか?
そのようなものは自分の心が生み出した妄想に過ぎないと自覚した時
大いなる平安が訪れたのではないでしょうか
441 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 21:16:52.91 ID:8raEoY8F
442 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 21:53:36.25 ID:gOKd4f+P
>>441 >我々が今知覚している経験も全て妄想です。
大間違い。精神医学上、不特定多数人が同様に知覚している経験は「妄想」
とは言わない。
「宗教体験」は、不特定多数人の体験ではない。
>>438 アホは貴方でしょう?w
お釈迦さんが、【「学問」として】教えを説いていたのか?
ということだよ。
「学問かどうか」「宗教かどうか」なんてのは、後代からの後付けラベルでしかない。
お釈迦さんが説いたのは、あくまでも「苦の滅尽への道筋」(=「道」「法」)ってことだろ。
それくらい解れよ・・。
ID変えてまで必死すぎてワロタ
>>443 >原始仏教に流れるやつは論理検証なんてしない
>自然科学では、すべての理論が批判の対象と成り得る。
こういった批判に対して「仏教も学問として検証されている」っつっただけだろ
論理検証なんてしないの意味がよく解ったわw
>>445 だったら、ほぼ
>>436の通りじゃないですかw
438のような返し方でなく、436を補足改変する形でレスを入れれば良いこと。
(といっても、436のキャラを知っていなければ、敵対レスになってしまっても仕方ない面もあるけど・・w)
447 :
神も仏も名無しさん:2012/02/11(土) 23:57:36.51 ID:ungRms0F
ええ、我々の日常生活も「妄想」です。
でもそれって現代分析哲学でも言われている事であるし、釈迦の思想はあくまで哲学の範疇におさまるものだと思いますよ
448 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 00:02:36.83 ID:hgyOAbRS
442
不特定多数者が対象をどのように知覚しているかを客観的に把握することは出来ない。
我々は自分の主観を通してしか物事を認識出来ないからです
つまりそれぞれがある意味で「妄想」を見ているし、その妄想こそがそれぞれその人固有の現実なのです。
>>447 だからぁw
未来の我々は何とでも言えるし、仏教に「哲学」というラベルを貼ってもいいけど、
それは、未来の我々が、(思想の)整理整頓の爲に便宜的に区分したに過ぎないわけで。
必ずしも原点を押さえているわけではない、ってこと。
450 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 00:06:59.01 ID:hgyOAbRS
釈迦は宗教体験なるものを生み出しているのも自分の心であることに気が付いた時大いなる平安を得たはずです。
宇宙の創造者ブラフマーも破壊神シバも輪廻転生の観念も自分の心の産物なのである事がわかった時、あらゆる束縛から解放され、大いなる安らぎを得たはずです。
そうです。この宇宙を生み出しているのは自分の心なのです。
451 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 00:12:19.58 ID:hgyOAbRS
多くのインド人は神や輪廻転生を実在するものだと思っていました。
人間の貴賎も実在すると思っていました。
しかし釈迦は気がつきました。
これらは全て人間の心が生み出しているのだと。
それに気が付いた時、釈迦は楽になりました。
452 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 00:14:49.66 ID:hgyOAbRS
釈迦の悟りとはそれだけの話しです。
しかし多くの人々は自分の生み出した観念に苦しめられるだけの一生を送っているのですから
苦悩の原因が観念であることに気がつければ
楽になる訳です。
453 :
てすと:2012/02/12(日) 00:16:53.66 ID:RdEDT+mh
仏教で盲腸の苦しみが取り除けるものか。
ほんと原始君は馬鹿しかいない。
454 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 00:21:39.13 ID:hgyOAbRS
仏教と盲腸の手術は矛盾しないと思いますよ
それは仏教で料理が作れるのかみたいなナンセンスな命題だと思います。
>>453 (キャラ知ってるからツッコむのも野暮な気もするがw)
知ってて言ってるだろwww
原始仏教のどこに、仏教で盲腸が治ると書いてある?w
つか、『盲腸の苦しみ』って何?「痛み」? 「盲腸という症状にある境遇」?
因縁や縁起で考える分には仏教は全方位的に対処できると思うんだ。
途中でエンター押しちったw
いろいろ書くの面倒臭いから、参考に過去レスコピペ。
一晩拈提してみな。
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/99 99 神も仏も名無しさん 2010/05/25(火) 20:03:23 ID:k5kTLEOe
“苦”が、滅することのできるものだとして、
たとえば、事故で片足を失った者が、そのことで“苦”を感じていた時、
その時、そこでの「“苦”が滅せられる」とはどういうことか?
決して、新たに足が生えてきて、再び両足で歩けるようになることではあるまい。
「“片足を失ったということ”が(前世の(悪)業による)“苦なる果”」であったなら、
苦が滅せられた時、“片足を失ったという果(→前世の(悪)業による果)”も滅するのか?
そうではあるまい。“片足を失っているという事象”は何も変わらない。
“片足を失ったという果”は、あくまでも“片足を失ったという果”でしかない。
彼が感受している“苦”と、“片足を失っているという事象”は同じではない。
この時「その“苦”を滅する為にとられる方法」は、「“片足を失ったという果”の“因”を前世に求めること」ではない。
「“片足を失ったという果”を、《自身が(今)どのように受け止めているのか》《これからどのように受け止めてゆくのか》
を観察・考察する」所にこそあろう。
『私は、なぜ、“片足を失っているという事象”を“苦”と受け止めているのだろうか・・?』 と・・・。
仏教でも身体の病気は医者に診てもらえと教えているぞ
>>420 ミャンマーで大昔に亡くなられた阿羅漢聖者の御遺体が、解脱の現証として
腐敗の進行もなくそのままに安置されているという話をある比丘から聞いたことがある
のだが、それについてどう思う 医学的に検証可能?
459 :
てすと:2012/02/12(日) 00:30:07.44 ID:RdEDT+mh
だったら仏教で苦しみが取り除けるとか期待させるような嘘言うなw
人生は苦しいものだ。
ここまでは仏教でいいけど、それを解決出来るなんて無理だってw
諦めなさいw
体の苦しみと心の苦しみは別物だ 名と色ね
ミャンマーにあるという阿羅漢聖者の遺体の件についてもコメントしてくれ
461 :
てすと:2012/02/12(日) 00:47:13.88 ID:RdEDT+mh
>>457 片足を失った人を支える社会を作るしかないね。
人を救うのは共同体以外不可能でしょ。
まあ仏典に仏国土の記述はあるが、民主主義システムで仏国土を作るのは無理だろうね。
軍事空白地も地球上にないしね。
2500年前なら可能だったかもしれないが。
>>460 画像アップしてくれ。
463 :
てすと:2012/02/12(日) 00:54:47.82 ID:RdEDT+mh
まあ俺は宗教板で瞑想第一だから歯医者で麻酔かけなくても平気だけどね。
君たち口ばっかりで五蘊のコントロールも止観も出来ないじゃん。
野球ファンと野球選手が会話しても話かみ合わないよ。
>>463 >宗教板で瞑想第一だから
町内野球大会のホームラン王?
>>461 申し訳ないが僧侶からその存在を聞いただけで、
亡くなられた聖者の方の名前も忘れてしまったんだ
興味があれば調べるなりミャンマー出身の比丘に
たずねてみるなりしてくれ
466 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 01:01:59.48 ID:B042+/PV
阿羅漢っていまも出てるのか?
それとも当時の遺体がキリスト教聖人の不朽体みたいな塩梅で残ってるのか。
467 :
てすと:2012/02/12(日) 01:09:38.28 ID:RdEDT+mh
>>464 宗教板の連中は少年野球でヒットも打てないよ。
そのくせ球団のうんちくだけは口が達者なんだよね。
もっと練習しろっつうの。
>>467 練習しなくてどうにもならなくなるのは本人なのに、
てすとが文句を言いだす理屈がわかりません。
469 :
てすと:2012/02/12(日) 01:18:12.29 ID:RdEDT+mh
>>468 初心者ばかりじゃ俺がつまらないだろ!
仏典の議論よりも瞑想体験を語れ!
>>469 瞑想体験の話がしたいのか。
深く意識を落とした後に気が付くとチンコがギンギンになってることあるけど、あれは何なんだろうね?
469はカルトに嵌る傾向ありそう
てすとは悟った人のスレなり、該当スレ行くべきだろjk
仏教の議論よりもって、ここは仏教議論スレですしおすし
473 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 01:49:06.24 ID:ySCbHtA4
お!! また、てすとが来てるwwww
連荘かwwwww めずらしいなwwww プラス、セブンかwwww
最近、あまり見なかった常連が、そろってるwww
474 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 01:51:56.13 ID:ySCbHtA4
>てすとは悟った人のスレなり、該当スレ行くべきだろjk
鬼スレ来るか? てすとwwww
(最近の俺の見学スレwwww)
ただ、絡める奴は少ないぞwwww
475 :
てすと:2012/02/12(日) 02:01:12.72 ID:RdEDT+mh
>>474 なんかご隠居が原始くん達の相手で忙しくて遊んでくれんのよ、、
このスレしばらくみないうちに随分カルト化したねー。
不景気だからしゃあないけど。
今気付いた、大乗仏教って無能の頑張り屋を大量生産する粗悪なシステムだ。
救いたいことと実際に救えることは別って当たり前のことが抜けてる気がする。
在家×大乗の組み合わせは駄目だな。
477 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 02:49:40.10 ID:ySCbHtA4
>なんかご隠居が原始くん達の相手で忙しくて遊んでくれんのよ、、
隠居は、相変わらず元気だぞwwww
三分経ったら、頭の中リセットして、また、同じことを何度でも繰り返すwww
ある意味、すごい才能だwwwwwww
478 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 06:52:02.36 ID:5tfhkCtG
>>447 まあ、思うのは勝手だが、ここにそのように断定的に書くとなると話は違うでしょ。
分析哲学は、そんなに詳しくないがオイラが見る限り仏教の域に全く達してないよ。
主たる理由は二つ。
存在論的に有を前提としてること。
戒は倫理に相当するとして、定も慧もない。つまり、行がないこと。
後者は言い換えれば目的が全く違うということ。つまり、解脱を目的としてないことね。
この二つが大きすぎる違い。
予想できる反応としてカルナップやクワインは形而上学を拒否してるので、
上の存在論の問題は当たらないというものだけど。
それでも彼らは科学を根拠に実在論に立ってるでしょ。
それは現代論理学が当にそれ、実在論的形而上学を前提としている。
それと縁起・空の仏教は相容れないんだな。
一番、仏教に近いと思われるのはウィトゲンシュタインと日常言語学派、可能世界だと思うんだけど、
行がない。
まあ、オイラの哲学理解はたかが知れてるから、誤解を根拠を示して指摘してくれれば、
いくらでも訂正するよ。
それより、君の仏教理解に誤解があると思うんだが、どういうことを仏教だと思ってるわけ?
なんで仏教で盲腸が治るとか変な勘違いしてるヤツがいるんだ。
どの仏典に完治するよと書いてあるのか教えて欲しい
>>476 悟りを開けぬ者が先導する悟りの道は
コンパスが無い旅路と同じ。
凡人が杖で先導してもレミングスになるの自明じゃないの。
481 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 06:57:11.46 ID:5tfhkCtG
>>447 一応、いっとくけど、そりゃオイラとは別人だ。
オイラはスル〜すると言ったら、そいつと認定できる限り、
少なくとも一ヶ月はスル〜するぞ。
但し、その誤謬を誰かが信じそうな状況で、誰も指摘しない時は、その限りでない。
482 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 07:09:22.73 ID:5tfhkCtG
>>450-452 たまにそういう文献学者がいる。
その場合、なんで出家して戒定慧を行じるとあらゆる時代、あらゆる地域の伝統仏教は説くんだい?
君のような考えなら、たんに発想を転換すればいいだけだろう。
ちなみにそのような説は単なる推論説としてパーリ『梵網経』できっちり否定されるんですが。
次に最近分かったんだけど、禅宗でインド的神通信仰からの脱却した平常心が禅であるみたいな、
現状肯定論があるんだが、これとか完全な勘違いだから。
なぜなら、禅宗でそういう表現する時は、戒定慧まで行った人に対してで、
その空性の境地に対する執着を壊すために言ってる以外のなにものでもない。
その証拠に禅宗でそのようなことを言う人でもきっちり戒定を修めさせるでしょ。
少なくとも坐る、禅定に入るよね。
だから、凡夫の発想転換による現状肯定みたいな仏教の理解は、全くの誤解だから。
それをずっと言い続けてるのが、法螺吹き屋古狸左右衛門こと机、最近は土左衛門だっけ?
いずれにしろ誤解以外の何物でもないですから。
483 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 10:17:16.97 ID:1KFrBQgM
>>482 >それをずっと言い続けてるのが、法螺吹き屋古狸左右衛門こと机、最近は土左衛門だっけ?
>いずれにしろ誤解以外の何物でもないですから。
基本的にアナタは中論の研究が足りない。
もっと精査、探求すべきだろう。
先入観が中論解釈の妨げになっている。
いいか?
中論が有部を肯定したならば、そもそも中論の存在意義ってもんがなくなるだろ?
わざわざ何故龍樹は有部の神輿を担がねばならんの?
もし担ぐのなら・・・中論論書の価値など全くない!!
つぅことだよ(苦笑
484 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 10:58:28.55 ID:+tUcCMMR
>>482 >その空性の境地に対する執着を壊すために言ってる以外のなにものでもない。
君のその「釈迦個人に対する執着」を壊すことが先決。さもなければ「君の凡夫の現状
肯定」の典型である。
釈迦の「一切皆苦」は、彼の鬱病の症状による「大いなる誤解」に過ぎない
ことに、そろそろ気付かれたし。
485 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 11:00:22.60 ID:5tfhkCtG
>>483 いいかげんにしろ法螺吹き屋古狸左右衛門、なんど論破されても同じこと繰り返す。
オマエの中観理解なんか、中村元『龍樹』を適当に平常心現状肯定論で妄想しただけだろ。
輪廻を説けば有部だと思ってやがる。
まえにも説明したが、無転移の輪廻というのを『中論』『因縁心論』は説く。
これは有部の三世実有の輪廻説とは違うが、我々の知覚・経験程度のものとして輪廻を認めてるんだは。
それは『中論本頌』に明瞭だし、龍樹菩薩の諸論、諸中論註も一致する。
そして『勝義空性経』『稲竿経』なんとパーリの『清浄道論』とも一致する。
オマエの断見平常心現状肯定論に一致するものは全くない。
あるというなら、テキストを出して論証してみろよ。
毎回、出した途端に、そのあまりの読みの酷さにみんなに笑われていることをよく何度も忘れられるな。
しかも、最近は自演までしたのがバレて、もはや誰も信用しないだろう。
オイラが記憶する限り、自演は電波男とカラスのみだったのにな。
輪廻が無いといったら、唯の断見なのは通仏教で例外はもはや仏教ではない。
これはどうしようもないんだは。それが認められないなら、勝手に法螺吹き屋古狸左右衛門禅とか説いてくださいよ
仏教の八正道には正語ってのがあってだな
現実としてあるのか
架空としてあるのか
立証されぬものとしてあるのか
書物としてあるのか
在るから在るのか
在ると信じて在るのか
では書物として載っていれば
在り得るのか
書物として信じることで在りえているのか
神は在るのか、輪廻は在るのか
愛は在るのか
夢は在るのか
思い出は在るのか
恐怖は在るのか
在るから在るのか
信じているから在るのか
489 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 11:20:15.30 ID:+tUcCMMR
>>485 中村元が駄目なのなら、「大昔の注釈書」は一層駄目だろう。
「大昔の注釈書」を振り回すのは止めてくれ。あくまで「その時代の注釈書」に
過ぎない。そんなものは、「現代」においては何の価値も無い。時代は絶えず
進歩・変化しているのである。「諸行無常」。
490 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 11:27:10.52 ID:+tUcCMMR
>>485 君のは、典型的な「凡夫の、過去の現状の肯定」。「宗教洗脳」の典型。
忌むべき一神教と、何らの相違も無い。
491 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 11:39:09.79 ID:hgyOAbRS
輪廻の定義が何だかしらんが人間の意識は身体が滅んだら消滅する
諸行無常である
>>481 昨日まで仏教は精神病、生命の声が…とか言ってたのに、
仏教では…と教えますとか説明し出しちゃう理解も浅い一貫もしてない
いい加減な人なんだから、スルーするが吉よ
493 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 12:03:02.74 ID:+tUcCMMR
>>492 「『釈迦』佛教」が精神病だと言っている。竜樹・道元には、精神病の症状は
微塵も見当たらない。道元さんは、晩年にはボケられたが、これは生理的に
止むを得ないこと。
人類の発生以来変わらぬものは、肉体から発する「生命の声」のみ。
生命の声教
龍樹スレ作れば良いのにw
そろそろ食傷気味
495 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 12:18:17.54 ID:5tfhkCtG
>>492 ども。その「仏教は精神病、生命の声が…とか言」う人は生命教、隠居って呼ばれる人ね。
常連さんは、ほとんど相手にしてません。今の ID は+tUcCMMR
>>481 はアンカー先の方は生命教じゃないでしょ。
しかもアンカー間違ってた。
>>444 宛てね。
ついでながら、新しい方へ。ここは仏教議論スレなんで、
仏教がどういうことを言っているかテキストに基づいて議論するのが基本だと思います。
仏教が間違ってるとか、真実はどうだとか、オレは悟ってるからオレチャンの言うことを聞け、と言った方向はスレ違いかと。
なぜ、テキストに基づくかというと、テキストのみがその発言の妥当性を裏づけられるからです。
オレは悟ってるとか、見たとか、聞いたとかいったことは確認できないので、この場には相応しくないと思ってます。
>>495 真実を問わないのは真理の否定じゃないですか?
497 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 13:20:09.02 ID:1KFrBQgM
>>485 >毎回、出した途端に、そのあまりの読みの酷さにみんなに笑われていることをよく何度も忘れられるな。
では、皆様にまた笑って頂こう。
「前後裁断せり」、であっても、再生することがある。
闇夜に鳴くカラスがこれにあたる。
つまり、鳴かんと再生することはない。
>まえにも説明したが、無転移の輪廻というのを『中論』『因縁心論』は説く
因縁心論とは、こういうことなんだよ。
これで笑えたらようございますが、どうでしょうか?
498 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 13:46:06.83 ID:hgyOAbRS
生命の声に導かれ釈迦は悟りを開いた。
それでいいではないか。
499 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 14:59:44.83 ID:u0Nt+ipB
>>498 生命は、肉体に依存し、肉体のみに宿る。肉体は、超超精密機械だから、故障
することもある。故障した肉体から発する精神も故障していることがある。
これを「精神の病気」「無明」と呼ぶ。
釈迦は、己の生命を「無明」とした。無明である生命から発した声による悟り
も、無明である。健常者の悟りとは、そこが異なる。
500 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 15:15:09.05 ID:5tfhkCtG
>>496 真理を問えるのは仏教ではブッダだけなんで。
真理とか言い出すと、オレオレ悟りの自分語りが始まる。
それかたいてい疑似科学論議か、素朴実在論談義になるでしょ。
それにオイラは付き合ってられないってこと。
こういう
>>497 タヌキ芸にもね。
501 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 15:15:52.86 ID:u0Nt+ipB
>>499 釈迦は、己の生命を「無明」呼ばわりした時点で、既に精神が病んでいた。
生命が無明なら、その生命から発する如何なる「教え」も「精神」も無明であ
ることに思い至っていなかった。
病気とは、一切衆生(不特定多数人)の平均値からの有意の偏倚をいう。
一切衆生は、「生命は無明」「一切皆苦」などとは考えない。「命あっての
物だね」「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」という「悟り」に基づいて
生存努力を続けている。
502 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 15:24:52.04 ID:u0Nt+ipB
>>500 >真理を問えるのは仏教ではブッダだけなんで。
その根拠と理由は皆無。佛教は、ブッダだけではなく、「無数の人々」の思考の
積み重なりということを忘れているのではないか。まず「ブッダ個人に対する
執着と崇拝」を捨てることが、仏道の第一歩。
>>485 もしよければ無転移の輪廻説について詳しく教えてくれないだろうか?
説明が面倒だったら参照すべき論文かテキストでもいいです。
504 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 16:04:55.60 ID:1KFrBQgM
>>500 >こういう
>>497 タヌキ芸にもね。
佛教は笑ってるうちが“華”です。
笑いが止んで、そして沈黙の時がやがて訪れるであろう。
そして沈黙から地獄へと落とされる。
このどうにもならな落胆のうちに・・・やがて光明が射すであろう。
因縁はカラスによって今蘇る。
これは仮設の連続ではない。
縁において蘇っただけの話。
つまり、縁なくば蘇ることは全くない。
そういうことが中論に書いてある。
505 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 17:30:46.59 ID:FZdWIciR
>>503 輪廻については、中論27章「邪見の考察」できっちりと否定されている。
だから、釈迦佛教カルトは、中論には近寄らない。
どうして生き物を輪廻させようとしたのですか?
輪廻したその先には、何かあるのですか?目的みたいなものがあるのですか?
理由は分からないけど、昔から言われてるから、意味が分からなくても
多分そうなんじゃねーの?って思う事にしたわけですか?
みんなが言ってるから、そうなんじゃねーの?って。
意味も理由も分からないけど、そう認識してるわけですか?
508 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 17:42:01.73 ID:FZdWIciR
>>506 輪廻とは、来世という脅迫で脅し、解脱という甘言で信者を勧誘するための、
悪質な布教手段に過ぎない。だから、釈迦カルトがこぞって利用している。
科学が発達した現代では、問題にならない「嘘」「でっち上げ」である。
>>508 私はあなたのいう様な考え方をしているようです
何故、現代に置いても廃れないのか。
どうせ何かを鵜呑みにするなら、もっと説得力のある別な何かを探せば良いのに
と思ったけど、信仰してる人にとっては、どうでも・どれでも良さそうだなと、今思いました
>>508 だからw
輪廻を前提としない伝統仏教は、世界のどこにも存在しないのw
輪廻を排除した教義を、2500年間誰も構築できてないのw
脱輪廻の言説は、各僧侶が個人で発言してるだけなのw
桶?w
>>510 仏教=輪廻を前提とした話ですよね
それがどんな話だろうと、例え存在理由は分からなくとも、信じるに値する根拠がなければ
やはり信仰には至らない、と思って書き込みましが、あなたの意見を見て概ね納得しました
>>506 >どうして生き物を輪廻させようとしたのですか?
「 >させようと 」? (´・ω・`)
なぜこういう言い方を?
「生まれ変わる」「新たに(別の場所で)生を受ける」ってのは仏教の専売特許じゃないと思うが?
世界のあちこちの原始的思想に見られる傾向だと思うが?
「生き返り・甦り」と並んで、死後の自分達の在り様に対する想定としてはありふれたものと思うが?
>>507 そういう側面はあると思いますよ。 (「よみがえる」は「ヨミ-カエル」(黄泉-還る)だなんて説があるくらいにw)
ただ、深い禅定を修めた者には知り得る、とされているだけ。
当然、その言葉を信じるか信じないかでしかない。
>>509 >もっと説得力のある別な何かを
仏教の枠内でそれを為し得た人はいません。
現代科学等の知見とハイブリッドさせたとしても、新規に構築し直さなければなりません。
だから、伝統仏教に於いては(伝統諸宗派に於いても)輪廻排除の教義が成立していないわけです。
その意味でいけば、『仏教』であるためには、
貴方が「 >信仰してる人にとっては、どうでも・どれでも良さそうだなと 」と評したくなるような形で
【伝承を受け入れていく】ほかありません。
もし、新たに構築し得たとしても、それを『仏教』という看板で提示するには、
「摺り合わせ」にかなりの労力が必要かと思われます。(幾つかの神通も否定しなきゃなりませんしねw)
その刷り合わせが成立するまでは、同じ仏教として括るには強引さを要します。
513 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 18:24:22.05 ID:1KFrBQgM
>>506 佛教は、必ずしも輪廻転生を前提としない。
世俗締においては、輪廻転生を前提とする場合もあるが・・・
勝義締においては、輪廻転生は全く問題にもならんですね。
つまり簡単に説明すると、
アナタが幼少の頃にカラスの鳴き声を聞いて、
その鳴き声の記憶が、現在において“縁において”蘇ったとする。
昔のカラスと、現在のカラスは別ものだろ?
輪廻転生論というのは、これを“同一のカラス”と見なす
dでも論から成り立つ。
西洋哲学は、結局のところ「結論でるまじ」で長い年月を経て
それからニーチェが登場することになる。
佛教も結局のところ「結論でるまじ」から
原点回帰においてその解決を果たすのである。
その論書こそ中論であります。
>>512 輪廻の考え方に至った経緯を考えるとと、無念の内に死ぬ。理不尽に苦痛を受けながら
死ぬ人へ宛てた、救いの言葉。死の恐怖から開放する為
「これで終わるわけじゃない。次はきっと良い人生だ」
死に行く人に、もっと「良い」セリフを掛ける事ができるその時まで輪廻は現役ですね
>>513 wwwww
では世俗諦はどういうものだと?
隠居的な謂いとしての夢幻だと?
勝義諦しかない、と?(ならばなぜ世俗諦が要請されたのでしょう?w)
貴方は、五蘊を有して、どこにいらっしゃいますか?
世俗にはいらっしゃらないのですか?w
516 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 18:43:18.21 ID:1KFrBQgM
>>515 >では世俗諦はどういうものだと?
世俗締とは、一般慣習を優先する場合が多い。
例えば、
身内が亡くなった場合は「善い行いをしていたので極楽浄土は間違いないでしょう」。
とか言ったりする。
この場合は、世俗締においては正しい言い方であろうね?
人間というのは、基本的に優しい言い方をするもんだよ。
それが礼儀ってもんさ。
>>516 いやいやw
もはや、言葉だけの問題ではないでしょう?w
産婆さんが赤子を取り上げる。 この事象も礼儀ですか?w
518 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 18:52:23.42 ID:FZdWIciR
身体は、細胞によって構成されている。全身の細胞は、常に形成と消滅と繰り返して
いる。変わらないように見える全身の骨も、骨吸収と形成により「約2年ごとに
すべて入れ替わる」。生物は、生きている間は常に輪廻転生を繰り返している。
しかし、死ねば、細胞は壊死・腐敗し、その機能を停止するから、「死によって、
輪廻転生は終わる」。
519 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 18:54:11.05 ID:1KFrBQgM
>>517 産婆さんなんだから、赤子を取り上げるのが仕事なんじゃないの?
坊さんはお経を読むのが仕事なんだし、
それぞれに、自分のポジションをこなしていけば善きこと。
なんも迷うことはない。
>>518 終わるのは肉体が終わるだけでは?宗教では肉体と精神を分けて
考えているようだから、肉体が滅ぶ=全部無くなる は当てはまらないのでは?
521 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 19:02:12.71 ID:1KFrBQgM
>>520 佛教は「一如の法門」だから、肉体と精神は分けることができない。
色心不二(分別できない)です。
肉体と精神を分別する思想は、西洋哲学です。
しかしこの哲学も矛盾を抱えて現代に至ってます。
523 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 19:09:58.25 ID:FZdWIciR
>>520 精神は、肉体のみから発生し、外的状況に応じて肉体を維持するためのソフト。
死体には喜怒哀楽はない。放置すれば、腐敗して分解し、大地に帰るだけ。
生者の肉体としての思考器官で、死後のことを考えるのは、滑稽な矛盾。
生者の思考・感覚器官が機能しなくなるのが、死というものだから。
524 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 19:15:14.66 ID:1KFrBQgM
>>522 そもそも、世俗締と勝義締において関連できるものなど全くない。
勿論、中論にも世俗締は書かれている。
中論解釈において、もっとも大事なのが世俗締と勝義締の見極めなんだが、
縁起一代氏は、そもそもこの「見極め」だ出来ていない。
つまり、世俗締と勝義締がチャンポンw
机氏がこれを指摘しておったのですね。
まあ、これこそが中論解釈におけるキーポイントなんですがね。
525 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 19:27:50.86 ID:hgyOAbRS
世俗諦だの勝義諦だの
明確に定義出来ないならば議論しても仕方がないでしょ
>>523 うんうん。だから肉体はね
>生者の肉体としての思考器官で、死後のことを考えるのは、滑稽な矛盾。
これは、どうして滑稽なの?
言いたいのは、死んだら何もかも無くなって「無」になる!っていう物言いは
この世は神が創った!死んでも生まれ変わる!って言い切る事と、同じだよ
>>524 はあ?(゚∀゚)
生死なき勝義と、赤子を取り上げる産婆という世俗、
産婆が赤子を取り上げるというのは、「生」でしょう?w
そこに「生」はあるわけです。しかし、勝義に於いては「不生」なわけです。
言語に於いては
>>516を一旦受容しておきましょう。
さて、産婆が赤子を取り上げるという事象は、
礼儀としての、言語上の、「方便」ではないですよね?
だから
>>522とレスをしました。 524のようなことはお尋ねしておりませんが?w
528 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 19:42:15.79 ID:1KFrBQgM
>>527 >産婆が赤子を取り上げるというのは、「生」でしょう?w
なんだ、そういう意味なのか?
そもそも「生」を取り上げるなどと考えもしなかったよ。
>そこに「生」はあるわけです。しかし、勝義に於いては「不生」なわけです。
そもそも「そこに生がある」とか「そこに生がない」とか、
人間というものは、そんなに極端な考えをするものなのかね?
そういう思考が未だ分かりませんですね。
「生がある」つうなら、精子にも「生がある」んでしょ?
そういうふうに考えるもんかね?
じゃあ、勿体ないから精子を垂れ流すことはせんのですか?
随分難しいお題を頂いて、土左衛門も腐敗しそうです><
529 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 19:47:23.11 ID:1KFrBQgM
(つづき)
>勝義に於いては「不生」なわけです
そこから生じることはない。
つまり、生じる以前を前提とせねばならんから、
生じていない状態がなくてはならん。
生じていないなら、それは前提として、生じていることになる。
つまり「生じる」そのものが無限ループに陥る。
言語矛盾になる。
その意味の「不生」ですね。
530 :
神も仏も名無しさん:2012/02/12(日) 19:56:08.66 ID:5tfhkCtG
531 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/12(日) 20:04:40.82 ID:1KFrBQgM
>>530 >代わりにぐちゃぐちゃだけど、以下でも分かりますよ。
>上の仮設というのは、以下『勝義空性経』
またこれか(笑
机氏がさんざん論破したのに・・・
では、オチ
>>530 ありがとう、助かります。
読ませてもらいます。
>>528 ハァ?(゚∀゚)
>なんだ、そういう意味なのか?
じゃあ、どういう意味だと思ったんですかwww
>そもそも「生」を取り上げるなどと考えもしなかったよ。
ハァ?(゚∀゚) (めんどくさいので受精の段階云々とかは省きますがw)
「生」を取り上げるのではなく、赤子(と世間で呼ばれる何やら怪しげな存在)が、
女性器(と世間で呼ばれる肉体の部位)から出てくるのをサポートし、
出てき切った段階で様々な処置をして産んだ者に渡す・見せる
などといった一連の事象でしょう?w
ああw この場合の「生」は「生じる、誕生する、生成する、発生する」といった意味合いですよ。
もしかして、ラオウの台詞の如く「生涯」とか「人生」とか「生きていること」とかそういった意味だと思ったんですか?
それは説明不足を失礼しましたw
>随分難しいお題を頂いて、土左衛門も腐敗しそうです
貴方のレベルが、その辺までということです。 ノシ
赤子が「生まれている」のに本来は「不生」とは、
言語の問題ではない、ということです。 では何なのか? が中論の肝だと思いますがね・・・。
それとも、中論ってのは、単に「言語上の綾」を指摘した論書だということなんですかね?www
>>502 真実は理の表層
未だ解かれぬ理として存在しているのか
架空の上にあるテーマなのかに因って視点や視野が違ってくる。
存在しているものなのか
ファンタジーなのか
そこが最前提の輪廻の問題でしょう。
それによって
方便として用いるべきなのか
封印するべきなのか
活用するべきなのか
結果も変わってくる。
縁起や悟りは数千年立っても輝きがあるので仏教の偉大さを損なわないが
輪廻の概念は現代社会に合致してるとは言いがたい。
502→500 訂正
輪廻を否定する人は、死後、この自分という存在が
どのようになるとお考えなのか、説明お願いします
塵になり、塵が植物になり、植物が動物になり、岩になり、川になり、雨になり、雲になる
538 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 00:07:01.80 ID:2Y/Bvi+D
我即塵 塵即我
名ばかりをしばしこの世に残しつつ
身は帰り行く元の塵芥
人間はどうなる?この体が朽ちたら?自分と世界を認識している
この意識は?
540 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 00:10:47.10 ID:t6hqzc8O
>>530 最初のリンクを読んだが、中論の話に「因縁心論」を持ち出すのはおかしいと思う。
中論の頌は、それだけで独立した思想体系である。「因縁心論」が竜樹の作だとしても、
それは別の作品だから、竜樹の思想も変わることはあり得る。あくまで、中論27に
基づいて検証すべきであろう。意図的に釈迦の言葉に近づける必要はない。中論26は、
確かに、他の章とは矛盾する要素がある。
輪廻転生概念が大きな害悪を流していることを考えれば、たとえ経典に書かれていても
訂正するのが、現代人としての大人の取るべき態度であろう。
541 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 00:12:43.94 ID:2Y/Bvi+D
意識も解体消滅する
心身不二
542 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 00:16:42.64 ID:2Y/Bvi+D
逆に生きようという意志がある限り身体も復活する
子孫を残すという形でね
身体への執着が無い如来は子を残さない。
しかし世界の平安を願う意志は何千年という時空を越えて生きている
仏教という形で
意識は現身の悲鳴
悲鳴の集合体
湖面を羽ばたく鳥のようなもの
鳥が動くたびに湖面に波紋が広がる
波紋が意識であり、心の機微
いづれ鳥は羽ばたき去っていき
湖面に静寂が訪れる
544 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 00:22:09.16 ID:t6hqzc8O
>>542 子孫の意思が違っていたらどうする?w
紙に書かれた意思が残るのは、「転生」ではない。
>>541-542 消滅するのか復活するのか、どっち?
復活するのなら、それを輪廻というんじゃないの 輪廻とどう違うの
546 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 00:32:28.64 ID:2Y/Bvi+D
子孫の意志はここでは問題にしていない。
事実として身体に執着する意志は新たな身体を生み出すと指摘しているだけ。
>>546 >事実として身体に執着する意志は新たな身体を生み出すと指摘しているだけ。
それ輪廻じゃないっすか
548 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 00:43:49.03 ID:2Y/Bvi+D
身体が復活するだけの話し。
身体への執着が無い如来は子を残さないので
その身は二度と復活しない
もっとも子を残した時点では釈迦にも肉体への執着があった。この時の釈迦とその後の釈迦は別人
ラフーラは釈迦の血肉を受け継いでいる
しかしラフーラにも個性がある
釈迦とは別の道を行く自由もある
>>548 身体が復活するだけって、それってまんま輪廻の話ですよね?
全然輪廻の否定の論理にはなってないんだけど
人が死んでも縁起が残る
縁起が復活しうる
意識の復活ともいえる
551 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 00:54:46.18 ID:2Y/Bvi+D
ラフーラと釈迦は別人なので釈迦の人格が復活した訳ではないよ
ただ細胞レベルでのコピーが誕生したとは言える。
精神まで受け継いでいるかというと微妙
長い間一緒に暮らしていれば考え方などは似て来るだろうが
それでも同じ人ではない。
552 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:10:25.14 ID:2Y/Bvi+D
同じ人は二度と生まれて来ない。
釈迦は釈迦一代限り。
その身は塵となって消えた。
しかしその心は今も受け継がれている訳だが
別に魂が独自性をもって輪廻転生している訳ではなく情報として人々の心の中を転々としているだけの話し(それを輪廻転生と呼ぶかはその人の勝手)
ジャイアント馬場がプロレスファンの間で永遠だと言うのと同じ。
釈迦の人格そのものは肉体の消滅と共に消えた。
自分の論理を語るだけじゃなくて、出典と根拠を挙げてくれないと理解できないよ
>>550 意識が止滅することなく復活するのなら、それも輪廻じゃないですか
>>551 ほぼ大多数を占める凡夫の場合は?
コピーとして再び生まれてきてもそれも結局は輪廻
それだと結局は循環しているという話なのだから、
ぜんぜん輪廻の否定にはなってないよ
555 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:15:07.60 ID:t6hqzc8O
>>526 >言いたいのは、死んだら何もかも無くなって「無」になる!っていう物言いは
>この世は神が創った!死んでも生まれ変わる!って言い切る事と、同じだよ
そんなに「無」が恐いのなら、「原子として残る」と言っておきましょう。
人間を含め、万物は原子の関係的集合体。関係性のタイプの相違で、物質の
相違が生じる。死体が残した原子は自然界を循環するが、その新たな関係的
集合は、人体とは関係性のタイプが異なるから、死体が未だ生きていた時の
記憶器官、感覚器官は失われる。記憶が失われれば、同一性はなくなるから、
たとえ原子が生物として再集合しても、それはもはや「転生」とは言わない。
従って「転生」は、科学的には絶対にありえない。古代人の「死んでも生きたい」
という生存本能から生じた妄想。たとえクローン人間でも、記憶が違えば
同一性はなく、「転生」ではない。
意識も情報の集合体だよ
釈迦の情報であるから数千年もの旅路を耐えた
552の情報は数十年も残らない泡沫
畜生道のように消え失せよう
ジャイアント馬鹿も100年も残るまい
557 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:20:07.63 ID:2Y/Bvi+D
輪廻というのが繰り返しと言う意味ならば
子が親になり子が親になりというパターンは輪廻でしょうな
しかしその人の意識はその身と共に滅ぶ
558 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:24:03.28 ID:t6hqzc8O
>>556 1個人に過ぎない釈迦の思想が、自由意志を持つ多数の人間を2000年以上も
拘束するのは異常。「諸行無常」ではないのか。
やはり、精神医学的要素抜きでは、考えられないこと。
>>558 拘束とは笑止
真理でありえるから連綿と綴られる。
E = MC2 が世界を拘束すると表現するようなものだ。
理の中心で在り得ているから残るのだよ。
560 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:38:47.37 ID:t6hqzc8O
>>559 釈迦教徒は、現に、精神的に拘束されて、釈迦を批判したり、釈迦から一歩も
踏み出すことはできない。「精神的奴隷」の状態にある。
E=MC2は、万人が合意し、また批判の対象にできる。釈迦は、そうではない。
お前さんがしてるのは仏教批判ではないのか
しかもE=MC2は万人が合意はしていないよ
562 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:43:03.53 ID:2Y/Bvi+D
釈迦の思想は竜樹に批判されてさらなる発展を遂げたと君いつもいっとるがな。
563 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:47:17.16 ID:2Y/Bvi+D
ニュートン力学が新幹線やロケットの設計には重宝するように
釈迦の思想も少なくとも個人の救いには役に立つのだろうと思う
逆に日蓮の立正安国論の思想などはミクロレベルの救いには向かないように思う。
564 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:51:37.85 ID:t6hqzc8O
>>562 それは、竜樹の稀有の頭脳による。「空」の一語にヒントのヒントを得て、
それを換骨奪胎した。「発展」というより、内容的には「全く異なった思想」。
釈迦の、「世界を空と『観ぜよ』」では、竜樹の空は成立しない。「世界」と
いう「実体」を前提としているから。
565 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 01:59:11.54 ID:2Y/Bvi+D
空と観ぜないと空なる世界は見えないはずだぞ
「縁起」という観念があってはじめて人は縁起を認識する
世界とは観念であり
観念を越えた世界を想定するのは物自体の世界を構想したカントと同じ誤謬を犯している
物自体も所詮観念なのである
まず輪廻という言葉の定義をすり合わせましょう
輪廻(samsara)とは生死ともいい、迷いの凡夫の状態にある間は善悪の業報に
支配されて、善業を為した者はその報いとして天井や人間などの善趣(善道)に
生まれて福楽を受け、悪業を犯した者はその報いとして地獄、餓鬼、畜生などの
悪趣(悪道)に生まれて痛苦を受けるというように、右の五道または修羅(阿修羅)を加えた
六道に生死輪廻すること、とされる
涅槃とはnirvana(nibbana)の音訳であって寂とか寂滅とかも訳される。仏教以前にはこれを
不死(amrta,amata甘露)ともいった。生死輪廻を超えた理想の状態を指す。涅槃とは貪欲(むさぼり)
瞋恚(いかり)愚痴(おろかさ)などの一切の煩悩が滅尽したことであって、nir-va-ana(吹き消すこと)
すなわち一切の煩悩の火を吹き消すこと、または一切の煩悩の火が吹き消されている状態をいう。
すなわち最高の悟りの境地である。
(仏教要語の基礎知識 水野弘元)
567 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 02:07:36.04 ID:2Y/Bvi+D
縁起の世界もあくまで思想である
我々は思想という眼鏡を通してしか世界を認識出来ないのである
縁起の世界が世界の実体だと思ったら大間違いだ
それはあくまで人間の脳が生み出したイリュージョンに過ぎないのである
その証拠に人間が死ねば縁起の世界も消滅するではないか
>>567 お前は思想から産まれ思想として消えるのかい
569 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 02:12:50.99 ID:2Y/Bvi+D
最高の悟りとは六道輪廻や縁起の世界が自分が生み出した観念であることを知ることである
ここまで到達してはじめて大如来と言える
彼は縁起の思想からも自由である
570 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 02:17:08.63 ID:2Y/Bvi+D
逆、思想などより人間の方が上位なのである
縁起など妄想。
縁起も否定しないと縁起を実体として見る誤謬に陥る
縁起が実体じゃないなら飛行機も飛ばないなw
572 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 02:21:02.04 ID:2Y/Bvi+D
縁起を信じる人間は心穏やかではない
自分が犯した悪業が末代まで祟るとか
善業を積んだからいいことが起こるとか
何の根拠もないことを信じて一喜一憂することになる
一切は仮説なりと述べた釈迦は縁起など信じて無かった。
心にある牢獄
牢獄が虚構だよってことだろ、アフォか
574 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 02:31:33.54 ID:2Y/Bvi+D
飛行機はたまたま跳んででいるだけの話し。
何故飛行機が飛ぶかという完全な説明は未だ無い。
当時の人々はニュートン力学という系の中の説明を信じていただけだ。
全ては仮説であり「縁起」もまた移り変わる
ニュートンが考える縁起とアインシュタインが考える縁起は同じ現象を見ても違うはずである
完全な説明があるものなんてあるのかい。
576 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 02:40:13.62 ID:2Y/Bvi+D
あるわけが無い。だから縁起など信じては行けないのだ。
どうせそれは脳が生み出した虚構に過ぎないのだから。
ここまで悟って真の平安がある
ではおまえの話も信じてはいけないな。
龍樹も信じる訳にいかぬ。
よってお前さんの発言は無意味である。
縁起の語義
前章で述べた四法印の説を総合したものが縁起説である。縁起(pratitya-samutpada,
paticca-samuppada因縁)とは、「縁りて起こること」であって、「縁りて」とは
「条件によって」ということであり、「起こること」とは「起こる道理」である。
したがって縁起とは「種々の条件によって現象が起こる起こり方の原理」である。
縁起というのは「縁起の道理」のことであって、これを此縁性(idappaccayata
これに縁るということ、相依性)ともいう。現象の相互依存の関係を指す。
それは現象は無常であり、常に生滅変化するものであるが、その変化は無軌道的な
ものでなく、一定の条件のもとでは一定の動きかたをするものであるとして、
その動きの法則を縁起という。この法則は如来がこの世に出ても出なくても、それに関係なく、
法として定まり決定している此縁性のものであるとされる。
「これあればかれあり、これ生ずるが故にかれ生じず、これなければかれなし、
これ滅するが故にかれ滅す。」
579 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 02:55:48.19 ID:2Y/Bvi+D
そう、信じなくていいよ
君の発言も無意味である
だからお互いに自由なのだ。
580 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 02:57:14.29 ID:t6hqzc8O
>>566 その水野氏の輪廻の定義では、「悪業と善業の両方をなした者(すべての人間
がそうであろう)」の来世はどうなるのか、また「善・悪」は、誰がどうやって
判断するのかについての答えが無いから、定義として成立しない。
自由に使いたいから
579が自由に干渉しないで
虚構であるなら、その虚構の中に住んでいてください。
縁起も虚構なら干渉することも無意味。
582 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 03:06:10.73 ID:t6hqzc8O
釈迦は、「中道」を説いたが、中道では「道の両端」という実体を前提とする。
「八正道」は、何との相対において正しいのか、判然としない。「諸行無常」は、
「無常でない状態」の存在を前提とする。従って、いずれも「空」は成立しない。
竜樹は、「相互依存性・関係性・相対性」の概念により、これらの問題を一挙に
解決したのである。特に「中道」を「空」と解釈したことは、唸るしかない。
583 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 03:08:15.74 ID:2Y/Bvi+D
人は自分の行為に思い悩む。縁起を信じているからである
自分の行為によって何かよいこと悪いことが生じると信じているのである
しかしその良い悪いも自分の価値判断が生み出した虚構なのだから
本当は何も起きてないのである。
何も起きていないのに起きているかのように思う事を無明という
ここで十二因縁を引き出すのは勝手だが
それもまた無明である
釈迦が十二因縁を解いたのも方便である
十二因縁もまた仮の教えである
>>583 たずねたいのだが
何故、虚構をここに書いているだね。
585 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 03:13:32.04 ID:PRCiYp0D
ほら、テキストに基づかないと妄想の応酬になるでしょ。
586 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 03:17:24.40 ID:t6hqzc8O
>>565 世界も物質も、五感で知覚でき、また人間の生命の維持に直接関係するから、
「観念」ではなく、具象物(実在)である。竜樹の「空の原理」は、万物に
適用可能である。万物は、厳然たる実在であるが、原子の「関係的集合体」
であるので、原子の性質をそのまま現すものではなく、「関係性」という
抽象的観念の産物だから、「執着すべき自性はない」というだけの話である。
>>582 御隠居殿
>釈迦は、「中道」を説いたが、中道では「道の両端」という実体を前提とする。
幅のある道のその道端(路側帯)と中央(センターライン)という意味ではありませんよ。
中国思想の影響が決定的な場合、そのような中庸思想的思考回路で、中道を解釈することになります。
それは、仏教とは「全く」別個・無関係です。良しにつけ、悪しきにつけ。
中道というのは外道という言葉と対になる言葉で、外道であっても「道」は何らかの「道」です。
仏教の中道と、その目的地、到達地点が異なるという意味で、「中」「外」と識別されています。
外道の典型例として、五感的現実世界「のみ」をすべてとする唯物主義と、その反対に、精神的
世界「のみ」をすべてとする諸々の迷信的宗教が挙げられています。
>>571 >縁起が実体じゃないなら飛行機も飛ばないなw
↑当て付けているつもりか?w
その通り!
物質世界の科学ではどうかは知らんが…
精神世界の哲学では『飛行機も飛ばない』よ!
哲学の「ゼノンのパラドックス」では、『飛ぶ矢は、飛ばない。』ですからね!www
残念!www
飛行機が存在するのに飛ばないとは。
これは自動車か。
いや自動車も存在しないと。
590 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 03:29:15.46 ID:t6hqzc8O
>>578 >「これあればかれあり、これ生ずるが故にかれ生じず、これなければかれなし、
>これ滅するが故にかれ滅す。」
竜樹は、その釈迦の言葉を、中論1章で否定している。因果関係は、あくまで、
業報論を維持するためのもので、「因」と「果」は実体に過ぎない。一方、
竜樹の「関係性」は、生起も消滅も否定している。「関係性」という抽象観念には、
生起も消滅もない。ただ、関係の形式が変化するだけだからである。
そうですよ!
自動車も飛行機も存在を論破できますよ。www
んじゃな〜!www
592 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 03:38:08.35 ID:t6hqzc8O
一代氏は、あくまで中論27章の文言から、「輪廻転生」を立証すべきである。
竜樹の他の著作である「因縁心論」など持ち出されては、竜樹も迷惑であろう。
石飛氏も、釈迦の「業報論」を正当化するために、「因縁心論」を持ち出し、
さらに、竜樹の縁起・空も「因果関係」と解している。釈迦信者である石飛氏が、
竜樹も釈迦の言葉に引き寄せるための「意図的な、釈迦の正当化」である。
>>590 自分で書いた文章、自分でちゃんと理解できてる!?
その理論はしっかりと現実世界で成立、立証できますか?
そのような考え方が滅苦に役立つとは思えない
話題は古いが…ちと、質問!
生命の声教の人いる?
居ないならスルーしてもらっていいよ!
>>314 >死ねば、脊髄反射も生じない。脳も神経も、腐敗して大地に還るのみ。
脳死は人の死か?
人の死なら、↑の考えに対して臓器移植はどう説明するか?
教えて!
596 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 03:59:59.10 ID:t6hqzc8O
>>566 水野氏の「涅槃」の定義も、定義にはなっていない。煩悩は、生命を維持する
ための必須の心的作用。煩悩をなくしたら、生命は維持できない。生命が
なければ、涅槃も感受できない。
苦が一切存在しない涅槃は、楽も存在しない。楽は、苦との相対性においてのみ
存在し得るのだからである。楽のみの世界は、苦のみの世界と何らの相違も無い。
従って、涅槃は地獄の別名である。
仏教はあくまでも、この現実世界での自らの「滅苦」を目的とするもので
そのために、どのように真理を理解して実践すればいいのかというのを学ぶことだから
そのような解釈、考え方で、本当に滅苦を達成できるのかどうか、甚だ疑問だ
>>596 その考えが本当に現実世界で立証できることなのか
滅苦に役立つことなのかどうか
一度自分の胸に手を当てて、振り返って考え直してみて
自分は妄語を言っているのではないかどうかと
自分は妄語を言っているのではないか
浅学の知識で教えを曲解して語り、周囲の人を
混乱させ、苦しみを与えていないかどうか
一度再考してみてほしい
600 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/13(月) 04:56:31.35 ID:9rvPfD2N
>>533 >赤子が「生まれている」のに本来は「不生」とは、
>言語の問題ではない、ということです。
文脈からすると、アナタはたぶんセブン氏かとおもうのですが、
先ず大事なのは、世俗締と勝義締をキッチリ分別しましょうね(~_~;)
一代氏もこの世俗・勝義の分別がないからオカシな書き込みになる。
これと同じく、セブン氏にもこれがある。
赤子が生まれる(産まれる)というのは、世俗の話ですから
これは間違いなく「生まれる」でいいんですよ。
何故かというと、そもそも世俗締は「論理矛盾において成り立つ」もんなんですから。
しかし勝義締は、論理矛盾から解脱した本懐義のことでありますから、
この義における「生まれる」はまったく通用せんのです。
よって通用せんことを「不生」などと表記するんですね。
先ず基本である、世俗締・勝義締の教学から再考することをキボンヌします。
土左衛門氏の書き込みは勉強になるなぁ
論理的でわかりやすいわ
全然そうは思えんけど・・・
603 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 09:35:55.55 ID:PRCiYp0D
>>602 勝義は無、世俗は有。だから世の中気にしなければいい。
と単純明解だからでしょ。ひろさちや本とかカッパブックスみたいな本が売れるのと同じこと。
それで一時的平安がもたらされるなら、それもいいかもね。
だからといって自演してまで声高にオレチャンが正しいというのは見苦しい。
しかも仏教的にはただの断見だ。それは揺るがない。
勝義は無なんて断言するなら、それはただの戯論に他ならない。
なぜなら、xが無い。あるいは無限定に「無」としても論理的判断形式を免れてないのだから。
机のやり方は、明らかに『梵網経』で否定される推論による現状肯定以外のなにものでもない。
全くの非仏教、凡夫の妄想。
しかし、禅研究家も同じようなことを言っているから、情けない。
604 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 10:20:16.66 ID:2Y/Bvi+D
勝義は無、世俗は有
単純明快である
実際その通りなのだ
無を自覚して有の世界を楽しみなさい。
605 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 10:32:40.29 ID:PRCiYp0D
>>604 そう思うのは自由だ。しかしそれは仏教ではない。
そういうことをいうのは勘違いした現代日本の文献学者と禅宗の人の一部のみ。
その考えは寧ろ仏教は言うに及ばず、インドの諸宗教全てから最低の見解とされるローカーヤタに接近するよ。
もし、それが仏教だとここで言うなら、何を根拠とするか、明示しなければならないよ。
ここはそういうスレだから。
勝手に自分の思いを騙るスレでは本来ない。
そういう人はたくさんいるけど、なんど言っても聞かないんだからしょうがない。
さて、あなたはどっち?
606 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 10:41:10.56 ID:2Y/Bvi+D
インドの諸宗教の教理を根底から破壊してしまうのが仏教。
ゆえにインドでは仏教は広まらなかったのである。
真理ゆえに迫害されるのである
だって宗教なんて虚構であると言っているのだから迫害されるわな
607 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 10:49:28.98 ID:PRCiYp0D
なるほど、概説書から妄想するタイプね。以後判別できればスル〜するは。
「インドでは仏教は広まらなかったのである」というのは妄想以外の何物でもないでしょ。
なぜなら、インド各地にみられる遺跡、仏像、アショーカ王碑文から仏教がインドで流行したのは明らかなのだから。
608 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 11:00:43.60 ID:2Y/Bvi+D
ではひとつひとつ論証していこう。
命題1
世俗は有を前提としている。
世俗では社会が有るとして考える。
人間が有るとして考える。
宇宙が固定的に有るとして考える。
もし社会が無いように振る舞ったら大騒ぎであろう。裸で歩いたら文句を言われるだろう。
人の土地に住んだら文句を言われる
これが社会が有を前提にしているということである。
命題2
真理から見ると無である
しかし実際に社会というものを分析していくと
実体は無く、本人が有ると思っているだけであることに気が付く。
そうでないならばこれが社会であるというものをもってきなさい
それは人によって制度によって観念によって権力によってかりそめに成立する現象でしかない
それらの構成要素も分析していくと実は実体は無いものである
つまり有に対して無である。
無だが有である
有だが無である
これを空とする
空を生きるとは無である事を知りながら有の世界を生きる事である
>>606 仏教議論スレに書き込んでいるのに仏教の知識が浅い人って()
水野先生の仏教用語の基礎知識
平川先生の仏教史
が初心者にも優しくて便利ですよ^^
610 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 11:05:40.88 ID:2Y/Bvi+D
広まらなかったというか根付かなかったということ。
支配階級の利権を脅かす宗教でもあるので当たり前とも言える。
釈迦の思想とカースト制度は根本的に矛盾する
インドはそれを受け入れ切る度量は無かった。
611 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 11:08:40.05 ID:2Y/Bvi+D
君は文献学や日本の学者を仏教を知らぬ最低の輩と嘲笑しておきながら
いざとなるとそれに阿るのかね
612 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 11:09:29.24 ID:PRCiYp0D
>>609 無駄無駄、こんな有かつ無って四句分別の第三項を平気で書き込んだり、
言葉の意味を平気で変えちゃう人は、机や生命教などと同じでしょ。
何を言っても無駄と見切った。
613 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 11:17:57.91 ID:2Y/Bvi+D
文献も学者も空である。
そんなものはどこまでいっても「参考資料」でしかない
釈迦もしかり。
あらゆる現象が空であることは学者に聞かなくてもわかる事である
いや空ではないというならばその証拠をもってきなさい
学者とは単なる名前である。
有ると思うから有るだけで、無いと思えば無い。
無いかと思えば有ったりもする訳だ。
もし関係性を離れて存在するものがあるならば連れて来なさい。
コップは私がコップだと思うからコップなのである
人も私が人だと思うから人として存在するのである
614 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 11:20:14.02 ID:2Y/Bvi+D
「誰々の参考書にこう書いてある」は卒業したらどうだね
別にその参考書の著者が本当に悟っているかどうかは保証の限りではないのだからね
615 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/13(月) 11:24:48.72 ID:9rvPfD2N
>>603 >机のやり方は、明らかに『梵網経』で否定される推論による現状肯定以外のなにものでもない。
>全くの非仏教、凡夫の妄想。
世俗締では、どうしても越えられない壁に突き当たる。
佛教とは、この壁(大疑)に突き当たってからが本来の登竜門になる。
しかしながら、この壁に至るまでが難儀でありますね。
このことを机氏が指摘しておったのです。
で、アナタはこの壁に突き当たったのですか?
付き当たっておらんでしょ?
まあいいです。これ以上は語ることは遠慮しておきましょう。
大疑は作為ではない。瞬間における気づきでありますね。
ここからが勝義締への一歩です。
これを「百尺竿頭進一歩」、とか言ったりする。
617 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 11:44:19.06 ID:2Y/Bvi+D
もとより大して評価してないよ。
大昔に西嶋の中論をさらっと読んだ位
勝義世俗のニ諦も2ちゃんねるの書き込みで知ったくらいだ。
まあそれ真理だが真理と言っただけの話しで
竜樹という昔のおっさんがなんだろうが知った事じゃない
618 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 11:47:45.88 ID:2Y/Bvi+D
真理だから真理と言った〈修正
619 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/13(月) 12:03:11.20 ID:9rvPfD2N
>>603 >しかも仏教的にはただの断見だ。それは揺るがない。
断見とか、常見とか、その双方に論理矛盾がある。
>xが無い。あるいは無限定に「無」としても論理的判断形式を免れてないのだから。
語義自体に論理矛盾があるなら、そもそも論理判断形式に意味はない。
これが世俗締の限界です。
よって、どうしても佛教は勝義締がセット(世俗・勝義)でなければ無理です。
ここまで至って、そうしてやっと佛教と言えるんですね。
>>617 知ってた
会話したかっただけの寂しん棒だって。
621 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 12:16:31.56 ID:+Yum+rKp
>>616 釈迦からも卒業したらどうだい。
一旦、釈迦の洗脳を受けた者は、中論を本当に理解することは不可能になる。
竜樹はそれを知っていたから、中論では意図的に「釈迦マンセー」の言葉を
いれた。しかし、中論は、「釈迦を超えた」という竜樹の自負に溢れている
ことを読み取るべし。
釈迦教徒にとっては、実は中論が「邪魔」なのである。キリスト教徒にとって、
実旧約が邪魔なのと同じ。「原理的に異なっている」からである。新約一本
にすべしと主張する、キリスト教神学者もいる。
中論は、少なくとも「日本の仏教」の祖であり、竜樹の「空の思想」は、日本の
佛教の根幹である。
622 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 12:21:09.74 ID:+Yum+rKp
623 :
太陽:2012/02/13(月) 13:01:46.44 ID:tJQbhHCi
宗教団体がテレビや雑誌に宣伝をしているのに抵抗を感じます。
税金面で凄い優遇を受けながら宣伝に使うのは、「金じゃ無いよ心だよ」をうたい文句にしながら、ヤッパリ金が一番なのかと受け止めてしまいます。宣伝費は全て国が負担すれば、メディアの言論の自由は保てる気がしますが…アッ!課税したが早いですか?
624 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 13:35:58.99 ID:PRCiYp0D
まずはオレチャンたち、自分自身から卒業しようね。
話はそれから。ここではテキストに基づいてね。
625 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 14:10:52.12 ID:2Y/Bvi+D
俺チャンでいいのよ
君たちに欠けてるのは俺チャン性なの
釈迦や竜樹を有り難がる事で自分の目や判断力を信じられ無くなってるわけよ
釈迦や竜樹が貴方の人生を肩代わりしてくれますか?
貴方の人生の問題を解決するのは貴方自身
つまり俺チャンなんですよ
自分が認めたテキストと解釈しか認めないんじゃ、テキストも何もないだろうさ
627 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 14:29:04.07 ID:2Y/Bvi+D
だから君の解釈をちゃんと説明しなさい
竜樹も釈迦も死んでこの世に居ないのだから
628 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 14:42:59.10 ID:2Y/Bvi+D
だから勝義は無、世俗は有、総合して空と言ってるだろうが
根拠は「それが真理だから」
あらゆる現象で空で無いものをもってきなさい
629 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 14:45:41.00 ID:2Y/Bvi+D
あ、ごめん自己レスしちゃった(♯^^♯)
哀れだな
631 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 15:28:13.65 ID:2Y/Bvi+D
もう仏教はお腹いっぱいだ。
何かこう新しい見解を示す奴はいないのか
いまだに釈迦と竜樹におんぶにだっこでは情けない。
新しい見解を示すには「問題点」を見つける事が大事なのだ
その点まだご隠居はマシな部類。
仏教オタクどもは少しご隠居にカツを入れて貰った方がいいだろう
632 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/13(月) 15:56:16.74 ID:9rvPfD2N
>>624 少し簡単に説明しましょう。
正法眼蔵においても、賢者に向けられた記述が主ですが、
中には在家向けの記述もあって、この箇所は殆ど世俗締で書かれてます。
例えば三時業の箇所です。
アナタが指摘している中論の箇所ですが、これは正法眼蔵における
「在家向け」の箇所と同じよぉなもんです。
つまりですね、
中論がわざわざ愚者に向けられた世俗締を、本気に読むことはないです。
正法眼蔵では、親切にもこういう愚者向けの記述は
「流し読み程度でいい」と、注釈が入ってますが、
中論にはその注釈が入ってないだけです。
>話はそれから。ここではテキストに基づいてね
テキストと言っても、いろいろありますから十羽一絡げじゃどうにもなりませんですね><
633 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/13(月) 16:11:40.40 ID:9rvPfD2N
(つづき)
中論は部派仏教(有部)に向けられて書かれたものです。
ですから輪廻転生については部派はよくご存知ですので
龍樹はこの説明が割愛されているのはずです。
ところが輪廻転生の知識も殆どない愚者?(非仏教徒とか)には
先ずそこから始めなければなりません。
アナタが指摘している中論の箇所とは、そういう初心者向けの記述であります。
初心者には、先ず世俗締から入ります。
これは寄席でいったら前座の部分ですね><
こういうことで中論解釈の基本を捉えたらよございます。
634 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 17:09:16.91 ID:Vx/eYEzN
>>626 テキストも注釈書も、すべて「当時における」開祖や注釈者の俺ちゃん見解。
時代は常に変化しているのだから(諸行無常)、教義も注釈も諸行無常で
なければおかしい。大昔の経典や注釈書に執着するのは「愚の骨頂」。
635 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 17:26:52.81 ID:Vx/eYEzN
開祖こそ「俺ちゃん」の典型w。だから創唱宗教が発生した。
ただ、その精神の病故に、「生命」「真如としての衆生心」という根源に
思い至れなかった。
釈迦の精神病を克服し得たのが、竜樹や道元の偉大さである。
636 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 17:58:28.77 ID:2Y/Bvi+D
もし西洋が無ければ仏教徒は月に行けただろうか
「月は実在しない。人々の心の中にあるのじゃ」などという「ある意味真理」を語り自足する仏教徒では、何世紀経っても月に人を送る事はできなかたのではないかと思う。
いい意味でも悪い意味でもフロンティアスピリットがない草食系であるところが、仏教の問題点であろうかと思う。
今必要なのは、正義のためなら平気で悪党を抹殺できる
殺し屋の心を持つ
それでいて裏では恵まれない人々に多大な寄付をする
慈善家仏教徒か?
638 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 18:10:40.94 ID:2Y/Bvi+D
現代でも同じだが社会集団は個人の真の意味での活力を恐れる
「民間活力が大事」とかいう政治家は実際は民間活力を奪うような政策をしているものである
そして大衆も出来るだけ突出する人間がでないようおもんばかる
これはニーチェが批判した弱者の隣人愛と言って良い。
そして宗教も支配者や或は大衆の無意識の欲求心に従って変質する
つまり人畜無害な人間を作る教えになる訳である
西洋近代が今から見てもかなり成功したのは
「自由」の原理が導入されたからだろう
月に行くのも自由、世界の根源を知るのも自由
宗教に反する思想を発表するのも自由というものである。
これによって人類社会は飛躍的に発展した。
もっとも反面害悪もある
自由は必ずしも道徳的行為を伴うとは限らないからだ。
仏教議論じゃないのでスレ建てて一人でやってね
640 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 18:22:20.33 ID:2Y/Bvi+D
西洋近代の自由主義とは「他人に迷惑をかけない限り自由」というものだが、自由に行動すると多少迷惑はかかるものだ
織田信長など迷惑かけまくりだろう
また西洋人も異民族には原爆を落としたりして迷惑をかけまくりである
人々には進化し発展し幸せになる自由がある
それが人類一般の本質的な願いではないかと思う。
641 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 18:27:06.62 ID:2Y/Bvi+D
もちろん退化して腐る自由もあるが
それは生命が望むところではあるまい
どうも既存の宗教は退化して腐る事を目指すものである場合が多い。
642 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 18:42:28.89 ID:2Y/Bvi+D
恐らく、歴史的に仏教徒が月に行こうとも思わなかったのは仏教に内在する問題点だけではなく我が国の場合は徳川の鎖国政策と関係があるのではなかろうか
テンソクに代表されるように東洋では人民を矮小化しよう矮小化しようという力が働いているように思う。
東洋に置ける大聖人とされる孔子などは非凡な発想もなければ非凡な仁愛の持ち主とも思えぬ
愚痴っぽい爺さんだが
どうみても平均以下の愚人を持ち上げる事により
人民を愚民化する意図があったのではなかろうか
東洋では儒教が人類の発展の芽を根こそぎ潰したと思われる
さらに儒と同化した仏教がそれに拍車をかけた
儒教の古典を読んで思うのはこれに啓発されて
月に行きたいとか宇宙の起源を知りたいというような冒険心に満ちた発想は生まれないということである
若者の無限の成長を恐れる陰湿な年寄りの発想で書かれた書物と言える
643 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 18:57:51.58 ID:2Y/Bvi+D
まあ何と言うか孔子ってご隠居みたいな奴だと思うよw
大して能力もなく人の批判ばっかりしている
いわゆる「体制御用学者」だ。
毒にも薬にもならない上に権力へ媚びへつらうので体制に保護されやすい宗教な訳だ。
いまでいう産〇〇聞みたいな宗教と言っていいだろう
でも儒教の女に対する「三従の礼」は現代日本に必要な概念だと思う
女が生意気になりすぎて男が立たない社会
そんな社会が活性化されるわきゃない
少子化問題は女から自由を奪う以外解決方法はない
女にはあくまでも子供を産む道具でいてもらわないと
つまりは男尊女卑でこそ正しい社会秩序が保てるというわけだ
645 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 19:06:00.19 ID:2Y/Bvi+D
そうかな。
はっきり言って三従の礼で教育された女は詰まらん。
もしフジコちゃんがルパンに従順に従う女なら
ルパンはすぐ老け込んでしまうと思うぞ
ルパン大活躍の原動力は意のままにならぬフジコちゃんがあってのものだろう
ワルサーP38
647 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/13(月) 19:11:36.31 ID:9rvPfD2N
>>619のつづき
>断見とか、常見とか、その双方に論理矛盾がある。
断見・常見とは未来を予見する考えです。
ここで少々考えてほすいのですが、果たして未来とはやって来るのでしょうか?
未来とは「未だ来ない」から未来です。
「未だ来ない」ものは永遠に来ることはないのです。
「来るものは来ない」。→中論三時否定であります。
来るものが来ない。のであれば、断見も常見もその語義自体が論理矛盾になります。
釈尊の十無記がこれに該当いたします。
つまり釈尊の「無記」とは・・・答えることが出来ない。であります。
これを答えるものがあれば、それはヤコとか言います。
なにやらヤコが住み着いておるようですけど、
どうか眼が開くように祈るばかりです。
648 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 19:14:06.07 ID:2Y/Bvi+D
秩序が保たれると発展は無い。
大企業がカルテルを組むようなもので、巨大な官僚制が出来るだけだ。
ヘーゲルではないが
人生には矛盾が無いと駄目なのである
649 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/13(月) 19:32:30.55 ID:9rvPfD2N
(つづき)
つまり世俗締においては「無記」で限界があります。
もし無記で納得いかなければ、あとは勝義締しかないのです。
ようするに、どんなテキストを羅列しても限界だけは超えることはできません。
最終的には・・・
>まずはオレチャンたち、自分自身から卒業しようね。
>>624 そうです。
オレチャンになりますね。
自灯明、自分しかないです!!
不幸の時や困った時に役に立たないものは宗教でもなんでも必要ありません。
ましてや不幸につけ込むなどもってのほかです
651 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 20:48:18.36 ID:jJ312kvb
652 :
神も仏も名無しさん:2012/02/13(月) 20:56:30.44 ID:2Y/Bvi+D
宗教は「俺ちゃん」が増えて統制が効かなくなると困ると思った支配者が
俺ちゃんを封じ込める為に作ったと思って間違い無いだろう。
聞き分けのよい従順な人間を大量生産するための道具なのである。
「中二病」とか「俺ちゃん」という、社会的に馬鹿にされるような性質こそ
実は個人にとって最も大事なものなのである。
653 :
神も仏も名無しさん:2012/02/14(火) 07:33:06.69 ID:1HlCyLhV
やっぱパーリ『梵網経』は美しい。
オレチャンスキーは凡夫で現状肯定、自灯明という誤解解釈を好む。
カミスキーは聖者で三昧体験などを重視して現象/実在理論を好む。
エンギスキーが如来で戯論寂滅の境地、縁起・空・仮設を好む。
たいていの論理はここに収まっちゃうね。
もっとも大乗、禅宗、密教、本覚はその先を行くんだが、
これまた現状肯定理論や現象/実在理論で説明する人は唯の誤解に過ぎないことを、
この『梵網経』の記述は教えてくれます。
それらは縁起・空・仮設という基盤の上で解釈できなければ、唯の妄想なんだと。
654 :
神も仏も名無しさん:2012/02/14(火) 07:47:00.22 ID:/Zemq15l
古代人に洗脳された馬鹿がいるなW
655 :
神も仏も名無しさん:2012/02/14(火) 07:51:02.93 ID:/Zemq15l
俺ちゃん主義は現状肯定ではなく超越への契機であり
スーパー密教なのだよ
独り言楽しいのかな
オレチャンにしても、本物のオレチャンと偽者のオレチャンをどう見極めるかが大事なわけで
大事かどうかなんてフィクションなんでしょ
どうして必死なの
659 :
神も仏も名無しさん:2012/02/14(火) 11:29:52.24 ID:/Zemq15l
釈迦、イエス、アインシュタイン、ヒトラー、ビスマルク、信長、ピカソ
↑少なくともこいつらは天然俺ちゃん
660 :
神も仏も名無しさん:2012/02/14(火) 16:10:19.30 ID:3EpyHoRV
>>657 本物の俺ちゃんと偽物の俺ちゃんを見極めるのも俺ちゃんだから、意味なし。
俺ちゃんに最も遠いのが、開祖や経典を盲信し、それを一切批判できず、
その枠内から一歩も出られない自己喪失者。
釈迦と麻原を区別することには意味があると思うよ
662 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/14(火) 17:55:36.00 ID:d7psmEzg
>>660 >本物の俺ちゃんと偽物の俺ちゃんを見極めるのも俺ちゃんだから、意味なし。
モノホンのオレちゃんというのは、輪廻転生がどうとか・・こうとか
そういうことは一切語らんのと違いますか?
どうしてかと言うと、そういうことは一切分かっておるからです。
分かっておる者はそういうことは沈黙するんじゃないですか?
分かっておるのは、断見とか常見とか・・・そういうことの別な話ですよ。
断見・常見というのは世俗締の話ですから、
そういう世俗の話はそもそも沈黙するかとおもいますね。
オレちゃんにしか、そういうことは分からんのじゃないですか?
663 :
神も仏も名無しさん:2012/02/14(火) 18:07:10.87 ID:3EpyHoRV
>>661 釈迦信者にとっては、釈迦が本物でサイコー。麻原信者にとっては、麻原が
本物でサイコー。区別の意味はない。
664 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/14(火) 18:09:15.87 ID:d7psmEzg
テキスト読んだくらいでは、眼は開かんかとおもいます。
悩んで悩んで、そして苦しみぬかななけりゃ〜光明は見つけられないかと思います。
法はそういう苦における結果として導き出されるものですから。
つまり「疑」あるとこに法もあるのです。
これは佛教だけじゃないですよ。
なんにでも通じることです。ビジネスにしたってそうじゃないですか?
問題提起してからが解決の糸口になるのです。
問題のないとこに発展もないのです。
縁起も輪廻も教義も悟りも龍樹もフィクションなら
麻原も大して変わらない
龍樹=麻原と設定してもフィクションだからどうでもいい
生命教も仏教もどうでもいいはず
昔、ご縁があった真言宗の先生は、加持力を重視されてたな
真言密教では加持力があってあたりまえ
ないやつは密教の哲理を理解していない、ぐらいのノリだった
ああいった先生と比べると、最近の仏教徒は悪い意味で顕教的になった気がする
667 :
666:2012/02/14(火) 21:51:20.70 ID:tpEw0OOj
本物/偽者に対するレスね
668 :
神も仏も名無しさん:2012/02/14(火) 21:57:33.29 ID:nvLnjQVS
669 :
神も仏も名無しさん:2012/02/14(火) 23:19:07.68 ID:RX9nZQQq
>>665 >生命教も仏教もどうでもいいはず
生命は、すべての人間に生まれながらに宿り、宗教を含む人間のすべての営み
の根源であり、それらに優先する前提だから、どうでもよくはない。
いかなる人間も、生命の呪縛だけからは逃れることは出来ない。
自然を認識し、それを利用できるのも、生命の機能である。即ち、生命は、
自然(現実)を成立させる要因でもある。
釈迦もイエスも神仏概念も、生命から見ればその奴隷に過ぎない。
>>649 >つまり世俗締においては「無記」で限界があります。
もし無記で納得いかなければ、あとは勝義締しかないのです。
「無記」の意味が分かってない様に思われる。
>>604 >勝義は無、世俗は有
単純明快である
実際その通りなのだ
♪ちっがいますぅ〜♪
世俗諦が有無♪
勝義諦は(ー人ー)・・・♪
>>669 だから釈迦も似たようなことを、弟子達に言い残しているとされてるやん!
生命(諸行)は、すべての人間に生まれながらに宿り、宗教を含む人間のすべての営み(無常)
いかなる(一切)人間も、生命の呪縛(皆苦)だけからは逃れることは出来ない。
何を力んで仏教を否定して釈迦を軽んじるのかが分からん♪
669の名無しは、釈迦の手の平で暴れている孫悟空か!?w
669は外道なんです
机さん
674 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 01:49:14.46 ID:AwC/BUoH
>>672 生命の呪縛は、「苦」よりも、より多くの「楽」をもたらす。
だから人類は、現在まで生存し、ますます発展を続けている。
このことに気付かなかったのが、釈迦のビョーキの症状である。
>>664 >法はそういう苦における結果として導き出されるものですから。
『法』って…そんなに大層な話か?
要は物事の道理だろ?
社会生活を送っていても、筋の通らない事はみんな怒るやん♪
そんな難しい事じゃないやろ♪www
だから尊者ゴータマは、読み書きが出来なかったとされるシュードラ階級の人達に法を説いたとされるんやないのか?
僕の心の器が小さいせいか…貴方は自分から仏教を小難しく解釈して、その解釈が理解できない人を見下している様に見える時があるよ。
それとも、仏教をなにかと誤解しているのかな?w
676 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 01:58:50.70 ID:AwC/BUoH
>>673 外道とは「六師外道」のことが。それを言うなら、釈迦の思想は、その精神医学的
要素を除き、すべて六師外道からのパクリ。ジャイナ教からのパクリもある。
六師外道は、いずれも、当時の大思想家であった。
>>674 >生命の呪縛は、「苦」よりも、より多くの「楽」をもたらす。
「楽」をもたらす。のであれば、何故『呪縛』と言う表現を使ったのかが、訳わかめ♪www
貴方の意識の奥深くに、「苦」が有るから『呪縛』と言う表現を使ったのではないのですか?www
このことに気付かなかった貴方もビョーキの症状かもよ♪www
>このことに気付かなかったのが、釈迦のビョーキの症状である。
自分がそうだと、相手も同じに見えるからぬ♪www
>>677 >何故『呪縛』と言う表現を使ったのか
鋭いw
良いツッコミだと思います。
苦楽を併せ呑むのが、世俗の生き方です。そのこと自体に是非はありません。優劣もありません。
(寧ろ、人として誇るべきでしょう。)
しかし隠居は、その楽があるのは苦があるからと言いながら、
本音(深層心理)では、苦を否定要素と見ている(→そこから逃れようとしている)という自覚がないんですよね。
そこに気付ければ、今のような偏向した頑なさは消失するだろうと思うんだけどね・・。
679 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/15(水) 07:30:38.05 ID:zqFjwZKM
>>670 >「無記」の意味が分かってない様に思われる。
「無記」ですから、そもそも意味など無いんじゃないですか?
>要は物事の道理だろ?
道理というもんが、そんなに簡単なものであろうか?
簡単であるなら誰も迷うことが無いんじゃないですか?
>そんな難しい事じゃないやろ♪www
おそれいります。いろいろ御教示願いたいです。
>それとも、仏教をなにかと誤解しているのかな?w
わたしが何か勘違いしてるのですかね?
>>669 生命もフィクションなんだろw
同じやないけ
681 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 09:37:20.40 ID:vqjsThyg
>>わたしが何か勘違いしてるのですかね?
勘違も何も、自分で自演とかホラ吹いてること自覚してるよね?
682 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 09:42:47.46 ID:XZ/m2pzm
>>677 >「楽」をもたらす。のであれば、何故『呪縛』と言う表現を使ったのかが、
>訳わかめ♪
馬鹿ですか。「呪縛」が必ずしも「苦」ではない。君たちも、釈迦の思想に
呪縛されて、喜んでいるではないですかw。SMプレイというのもありますよw。
同じ呪縛されるなら、より高次元のものに呪縛されるほうがよい。
>>678 苦があるからこそ楽があり、楽があること苦がある。すべては相対的。
しかし、楽の比率が大きいからこそ、人類は今日まで生存を続けてきたのです。
人間は、どんな苦しい状況下でも、ささやかな楽を見出そうとする。難民キャンプ
の人々、特に子供たちが笑いさざめく姿を御覧なさい。そして人間は、苦との
闘いそのものの中に、実は大いなる喜びを見出しているのです。釈迦も例外では
なかったでしょう。
>>680 現実を認識して成立させるのが、生命の機能。生命が認識しなければ、現実もない。
人間は、その認識した現実の中でしか、一瞬も生存できない。
>>680 それ仏教じゃないから生命教スレでやりなよw
684 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 10:59:02.10 ID:XZ/m2pzm
>>683 釈迦佛教はともかく、大乗仏教は生命教だよ。釈迦個人は、生命の象徴化され
ている。
「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である」(中論22:16)
685 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 11:06:33.64 ID:QUxefrNk
>・・・・大乗仏教は生命教だよ。
隠居節、全開www
>>684 それは仏性の話だろ?
生命と生命現象は区別しないといかんと思う
688 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 13:39:55.71 ID:Z03Gxi7D
仏教における造物主って誰?
689 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 14:44:13.40 ID:XZ/m2pzm
>>687 生命現象は、肉体の隅々にまでくまなく現われているのだから、「生命」と
「生命現象を現す肉体」とを区別する必要はない。
691 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 16:08:23.83 ID:aydKSSvt
>>690 教祖は、各自の我(生命)。
「仏道とは、己にならうことなり」(by 道元)
他人の我は教祖なの?
>>689 釈迦牟尼仏は仏性を象徴することはあっても、色を象徴するものではないと思うが
>>4 それ、オリビア・ニュートンジョンの「ザナドゥ」と関係あるのか?
695 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/15(水) 17:18:37.43 ID:zqFjwZKM
>>681 やはり勘違いをしておったようですね。
申し訳ありませんです。
勝義締を語るのは、あまり宜しくない。
自粛しとうございます。
なんかカルト臭がするスレですね
人もお金も集められますから。うまくやれば
断定せずあいまいにしておいた方が勝手に思い込んで勝手にやってくれますから足もつきません
宗教勉強して、講談会を開いて金儲けでもするかな。
資本がかからなくていい。本は図書館で。
700 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 18:40:16.54 ID:nWfxKhcf
道元も俺ちゃんだったか。
釈迦の哲学の帰結としても最終的には俺ちゃんに行き着くはずだが
それではまずいと思った支配階級が経典に「仏道とは仏に全面依存することなり」などと都合良く改竄したのだろう
>>700 >支配階級が
大乗仏教を何も解ってないなw
702 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 18:45:36.35 ID:nWfxKhcf
この宇宙は俺ちゃんが作ったものである
俺ちゃんは俺ちゃんを通してしか世界を認識出来ないのだから当然
世界は俺ちゃんと共に生まれ、俺ちゃんと共に滅するのである
703 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/15(水) 18:46:32.49 ID:zqFjwZKM
そうですね。
机氏も去ったことだし、私もボツボツ消えるのが宜しいかもしれませんですね。
私が居たんでは、彼の世とか書き込みできませんからね。
彼の世のことも少しは書いた方がロマンがあるじゃないですか?
人生とはロマンです。
夢を彼の世に託すのも、あるいは人間の智慧なのかもしれませんです。
誰が何を書いても良いんですよ。ただ文章はしばしば悪意が無くとも誤解されることはありますが
俺ちゃんを韓国人に変えたら、ハングル板でデビューできるぞ。
教祖は、各自の我(生命)。
「仏道とは、己にならうことなり」(by 道元)
--
意味不明
頭悪すぎだろ。
707 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/15(水) 19:55:41.29 ID:zqFjwZKM
>>704 牡丹灯篭のお露さんは、あれはもしかしたらエロスの究極かもしれませんですね。
これと似た話があってですね、
ドストエフスキーの罪と罰では、わざわざ土葬された女を掘り起こして、
男が死姦する場面が描かれておってですね、
これをどう解釈するか?ということなんですね。
前者は、一応は怪談話ということで正解なんでしょう?
後者は、これは怪談話じゃないですよ(笑
何が真実であって、そして何が誤解なのか?
佛教とは、このカラクリを解き放すことにその本義があるのであろう!!
クソコテが暴れだしたら議論じゃなくて「僕私の真理観!」スレになるからダルいよな
なんつーか、クソコテ氏ね
709 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 20:49:30.97 ID:IPnMt5WR
>>708 釈迦佛教も、「俺ちゃん釈迦の真理観」に過ぎない。
>>709 経典から根拠挙げて、それをどう解釈するか挙げればいいのに
自分が到達した境地はどうだとかいってるってことが言いたいんだよ
なんつーか、クソコテ氏ね
711 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 20:57:46.65 ID:nWfxKhcf
「俺ちゃんの辞書に不可能という文字は無い」
By ナポレオン
「天上天下唯俺ちゃん独尊」
By 釈迦
「俺ちゃんが天に逆らおうとも、天が俺ちゃんに逆らう事は許さぬ」
by曹操
712 :
神も仏も名無しさん:2012/02/15(水) 23:16:26.80 ID:BYqaEX+p
ボケたお年寄りを騙してお金巻き上げて楽しいですかー?
ボケたお年寄りを騙してお金巻き上げて楽しいですかー?
ボケたお年寄りを騙してお金巻き上げて楽しいですかー?
ボケたお年寄りを騙してお金巻き上げて楽しいですかー?
声門乗──自転車
縁覚乗──バイク
菩薩乗──バス
声門──集団ツーリング
縁覚──バイク一人旅
菩薩──バスの運転手さん
善男善女──バスの乗客
菩薩道──バスの運転手養成講座
大乗仏教──この世発・涅槃行きのバス
浄土教──この世発・浄土経由・涅槃行きのバス
法華一乗──地面は実は、超巨大な動く歩道だった
715 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 00:34:34.02 ID:McslJ7DW
マイクベルナルドが薬物自殺だと。
法華一乗って本人にとっては余り救いになってないよな
菩薩の数が少ないのだろうか
隠居などに言わせればキリスト教に頼ったから悪い、薬物治療をすれば良かったとかいいそうだが
薬物でなんとかなるなら
なんとかなってる気がするよね
716 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 00:43:31.33 ID:McslJ7DW
結局、ベルナルドは救われて無い訳ですから
「生まれ変わっていつか菩薩に巡りあい救われる云々」は
仏教徒の自己満足でしかない訳だ。
ベルナルドからしたらそんなお伽話より今救ってくれだろう
しかし一時の栄光は永遠の救いとは全く関係ないものだな
むしろ過去の栄光ゆえに孤独感を感じるのかもしれない
薬物って救いにならないね
だって薬で自殺だもの。
718 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 01:50:31.26 ID:McslJ7DW
ご隠居理論だと苦があって楽があるということだが、死んでしまえば楽も苦もない。
つまり実在論はやはり一度否定する必要がある結婚しようがしまいが格闘技で勝とうが負けようが所詮現象に過ぎず
離婚しても結婚してもハッピーでなくてはいけない
719 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 01:57:08.92 ID:McslJ7DW
離婚とか結婚はあくまで「言語ゲーム」の一環に過ぎず、実体は無い。
勝ちも負けも同じ。
こう言う達観があれば
条件に左右されず毎日幸せに生きて行けるはずだ
せっかく日本に縁があったのだから京都の寺で座禅でも組んだらよかったのにな
720 :
てすと:2012/02/16(木) 02:11:01.26 ID:cpJ2T5iS
最近の言語ゲームは金も時間もかかるんで、簡単に染まるわけにもいかないのよね。
ここにいる連中だって仏教徒のくせに寺に行くより2chの方がいいって奴ばかりじゃん。
その方が正しいけど。
721 :
てすと:2012/02/16(木) 02:16:01.94 ID:cpJ2T5iS
でも貧乏人に貨幣の実体はないと説いたところでパンを食べなきゃ死ぬんだよね。
衣食足りて仏教を知るじゃないが、結局仏教なんて金持ち貴族の道楽だよ。
722 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 02:18:55.29 ID:McslJ7DW
ベルも日本人もどっちかというと金持ち貴族だろ
概ねパンでは救われない人達だよな
723 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 02:21:02.48 ID:McslJ7DW
パンで救われるならベルナルドは自殺してない。
成功する前より成功した後の方が大変なんだな
何故ならパンでは救われなくなってしまうからである
医療は意味がないな
薬で自殺だもの
肥満で死んだらカロリーに意味は無いとか言っちゃうんだろうなw
726 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 02:28:06.93 ID:McslJ7DW
結婚した後、幸せになれる人は稀ではないかと思う。
結婚する前は幸せそうなんだが
結婚した後は毎日不幸そうで欝病になっているカップルを何人も知っている。
結婚してしまったがゆえの不幸である
パンが満たされたゆえの不幸に似てるな
727 :
てすと:2012/02/16(木) 02:31:18.11 ID:cpJ2T5iS
安全と食料と医療が満たされているのに、精神的高みまで欲しがるのは欲張りで贅沢だよ。
ご隠居を擁護するわけじゃないが、ただ生きているだけでいいと思うんだけど。
仏教的には駄目なんかね。
728 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 02:45:53.76 ID:McslJ7DW
いやいやいや
衣食住が満たされているからそういう欲求が生まれる訳よ
統計によるとリタイアして目標を失った人間は三ヶ月で死ぬという話も聞いた事があるしな
まあ件の格闘家も可哀相だがまさに統計通りの結果になってしまったと言う事は言えるかもしれん
これで貧乏だったら捲土重来という目標が生まれたのかもしれんが
その意味では岸辺しろーの方が幸せかもしれん
729 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 02:53:34.04 ID:McslJ7DW
キリスト教で救われないのはベルが成功して金持ちになってたからだと思う。キリスト教はあくまで貧乏人の宗教なのである。
衣食満ちて仏教を知るが正しいならば
タイミング的にベルは仏教を知るべきだったのかもしれん
義務教育は意味がないな
ID:McslJ7DWみたいなキチガイが産まれるんだもの
別に精神的高みを目指しても良いよ!?♪。
生命教は意味がないな
自殺しちゃうんだもの
733 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 03:07:42.20 ID:McslJ7DW
別にベルナルドは生命教ではないだろ
経験なクリスチャンだったらしいぞ
ただ生きているだけでいいのだが、普通、人はそこまで達観していない訳で、「結婚生活が破綻した自分は駄目人間だ」とか思っちゃう訳ですよ
得にクリスチャンならば永遠の愛を神に誓ったりする訳でしょ
「諸行無常」が前提の仏教とはそこが違うんだよね
734 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 03:12:26.18 ID:McslJ7DW
諸行無常が前提だと、離婚しても子供が死んでも失業しても「諸行無常」なんだが、諸行無常という前提が無いと「なんでやねん」と文句を言いたくなってしまう訳だ。特に全知全能の神が存在することを前提にすると「なんでやねん×5」くらいになってしまうだろう
「その健やかなるときも、 病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
これを愛し、 これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「無理、諸行無常でお願いします」
嫌な結婚式だなぁ。
736 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 03:31:51.72 ID:McslJ7DW
結婚したが結婚してない
とかそう言う禅問答みたいな話が実は正しいんだよね
結婚をしたと信じると
それを維持しないと駄目だとか思ってしまうが
元々実在しないと達観すればどんな形になっても慌てる必要はない
嫁が逃げても追う必要すらない。追われなければ逃げることすらない。
なんて自由なのか
737 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 03:36:48.52 ID:McslJ7DW
言ってみたい。
神父「共に愛し合い助け合う事を誓いますか?」
俺「誓い‥ません」
神父「え?なんて」
俺「誓いません。ケースバイケースです」
嫁「離婚します」
そもそも聖書には「天にかけて誓うな」とはっきり書かれてるんだよな
キリスト教の結婚式はおかしいと前々から思ってた
また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
マタイ 5:33-34
739 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 07:43:04.34 ID:1PZy4WAn
>>733 生命教は己が信条なんやろw
キリスト教じゃ自殺は禁忌や。
生命教の信条、己に聞いて己で自殺したんなら
生命教の責任やないのw
なあ、頼むから生命教は自分のスレ立ててそっちでやれよ
生命教VSキリスト教なんて
お門違いも甚だしいじゃないか
それともアレか、スレタイすら読めないぐらいな池沼なのか
742 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 10:23:20.39 ID:2Awkp09q
>>739 どこが衝撃なんじゃ? 新しい所も今の所見えないぞ。
>>738 おもろい。諸注は問題にしてない。離婚問題にはなるみたい。
>>723 そう思う。現代日本で食えなくて自殺する人は少ないでしょう。
ほとんどの人が、神無きプロテスタンティズム、
つまり、有意義でなくてはならないという近代ノイローゼの結果、
意義探求ゲームに敗れて自殺するのだと思う。
743 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 12:08:58.50 ID:0R8XfH6O
>>741 >生命教VSキリスト教なんて
>お門違いも甚だしいじゃないか
佛教やってて、キリスト教を批判できないのはおかしい。対極的な宗教のはず
ではないか。それとも、釈迦佛教はキリスト教と親和性があるのか。
中村元氏は、激しい口調で一神教を批判しておられる。
大乗仏教は生命教である。
744 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 12:53:59.73 ID:McslJ7DW
釈迦のスタンスは孤独を前提としている
孤独を前提とするならば別れは苦痛ではない
孤独を前提とするならば離婚は苦痛ではない
孤独を前提とするならば理解されないことは苦痛ではない
孤独を前提とするならば師を失う事は苦痛ではない
孤独を前提とするならば弟子を失う事は苦痛ではない
745 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 12:58:15.86 ID:McslJ7DW
もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として歩む事が出来ないならば
国を捨てた王のように一人歩め
>>743 そ ん な 頭 で 大 丈 夫 か ?
別に仏教VSキリスト教だったらいいよ
でも大乗仏教=生命教は一部の極端な人々の解釈だろ?
真宗のスレで真宗はゾロアスターの一派であるからって理由で
ゾロアスターVSキリストをやるのはお門違いだろ?
そんな事もわからないのか?
ああ、池沼じゃなくてアスペでしたか。それなら触ってごめんね^^
747 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 13:42:25.32 ID:McslJ7DW
鎌倉仏教も始めは一部の極端な人の解釈だったんじゃないの?
極端な解釈によって真実が明らかになる場合もあるだろうし
どの解釈が正しいのかは
結局実践を通してみないとわからない
釈迦も道元もこの世にいない訳だから
748 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 13:52:47.58 ID:McslJ7DW
発句経をマジで実践すると「即身仏」になってしまう
そりゃ確かに自分の魂の中に篭っていれば
心は動揺しない
完全に自分のコントロールの中にいる
これが究極の至福かもしれないが
それっていわゆる「ヒキコモリ」以外のなにものでもない
749 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 13:59:51.42 ID:McslJ7DW
教団は食料援助の代わりに精神医療行為(カウンセリング)などをして身を立てていたのだろう
これは日本の仏教僧侶も同じでしょうな
北条泰時にも信長家康にもカウンセラー兼政治顧問みたいな仏教僧侶がいた。
つまりそう言う事だな。
得意な事で世俗に関わり
人を助け、尚且つ世俗を越える境地を楽しむ
これがいわゆる中道だろう
>>747 たしかに、実践を通してみないと何が正しいのかはわからないと思う。
それに、仏教には様々な解釈があっても良いと思う。
けれどもコイツは鎌倉仏教と違って経典にも依らず、実践も語らず、論理として破綻して、困ったら真理がどうのと宣う。
このような極端な主張をも仏教として包括するのはどうかって話なんだ。
751 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 14:04:21.01 ID:McslJ7DW
大乗仏教って全宗教を包括するのが理想じゃなかったっけ?
日本でも神仏習合があった訳だし、逆に大乗仏教のスタンスから生命教を包括したらいいのではないでしょうか
本人も生命教は大乗仏教だと言ってるしね
752 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 14:06:40.57 ID:McslJ7DW
実際、煩悩即菩提などという話になると生命全肯定の思想ではある訳で
生命教が仏教というのも一部の理はあると思います。
>>751 それを言い出したら仏教としての枠組みの必要性がなくなるよ。
754 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 14:09:37.83 ID:McslJ7DW
神仏習合の時もそういう意見はあったのではないでしょうか
枠組みが無用な論争や紛争を生むならば
枠組みを取っ払って再構築するのも知恵ではないでしょうか
糞も味噌も一緒にするフリーダムと寛容は違います
756 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 14:14:10.03 ID:McslJ7DW
実際空海などの密教と釈迦の仏教は全然違う訳で
現実に合わせてカスタマイズして行く必要もあったかと思います。
真言密教などは道教や儒教すらもその体系の中に組み込んでしまっている面もあるわけですからね
まず最初から大きな勘違いをしてる。
>大乗仏教は生命教である。
から解るとおり、生命教は大乗の一派であるというのではなく、
大乗は生命教の一部という形の包括関係で隠居は話をすすめてるわけよ。
生命教>>>>>[越えられない壁]>>>>大乗仏教>>>>その他宗教
という具合だから誰も相手にしてないわけで。
758 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 14:23:46.20 ID:McslJ7DW
仏教が教派主義になってしまうとますますその生命を失っしまうのではないでしょうか
釈迦仏も当時の哲学思想を総合した形跡がありますし
そろそろ仏教の再構築を再びしてもいい時期だと思います。
このごに及んで鎌倉時代や古代の文献のみを典拠とするならば
少なくとも現代人の救いにはなりがたい宗教になる。
ご隠居みたいな人間も出るべくして出たと言えましょう
759 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 14:26:20.69 ID:McslJ7DW
であるならば生命教は大乗仏教であるという論理形式で反論したらどうでしょう
究極的には真理は一つというところで落ち着くかと思います。
生命には本質と呼べるものがない(諸法無我)と言うのが仏教なのに、なぜ仏教だと思うんだろう
761 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 14:30:43.15 ID:McslJ7DW
諸法無我なれど諸法無我と認識しているのも生命であり生命なくして悟りもない。
ゆえに生命こそが最も大事だと言う結論になります。
>>759 法脈が無いのでそもそも仏教じゃありません。
>>761 生命があるからこそ病んで老いて苦しんで死ぬのだから、
生命こそが諸悪の根源にして最も価値の無いものという結論になる。
どうにでもこじつけ出来る程度の話。
764 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 14:44:29.66 ID:McslJ7DW
神道の神神も法脈がないのに仏教の守護神になっています
器が広い方が相手を理解し容れる事が出来る訳で
生命教は仏教の文脈で十分習合出来るのではないでしょうか
>>761 生命っていうか人間の脳による認識作用だろ?
それとも、昆虫や植物、動物の生命で諸法無我の認識が有り得るの?
>>764 生命教の御教祖様がそれを望んでないんだから。
あくまで生命教が至上、仏教はその遥か下と言ってる宗教をなんで習合せにゃならんの?
もう生命教スレ立ててそこに籠っちゃえばいいんじゃない?
768 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 15:00:13.35 ID:McslJ7DW
そもそも「何にも無い」という見解は邪見であり
生命も無いようで在る。在るようで無い、仮象にすぎす。仮象としてあると考えるのが仏教ではないでしょうか
>>764 新参の貴方にはわからないでしょうけど
無理ですw
細菌やミジンコも生命教なんだろw
771 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 15:04:54.69 ID:McslJ7DW
人間の脳による認識作用は生命現象として現れます。
要は全ては依存しているということです
その意味では生命のみを切り取って価値とするのは微妙な見解ではあると思います。
全て依存しているならば全宇宙が大事ということになりますからね
ネズミも魚も信徒かね
そらすごいわ
773 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 15:09:02.27 ID:McslJ7DW
ネズミや魚がいなければ食物連鎖が狂っちゃうんじゃないですか?
>>771 大事に感じるから大事にしているだけのことで、
理屈で大事を決めても仕方がない。
愛してない相手を命令だから愛しなさいと言うどこぞの宗教じゃあるまいし。
775 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 15:15:53.18 ID:McslJ7DW
大事に感じるから大事にするというのは「愛着」じゃないでしょうか
仏教ではそれが苦悩を生むと説いていると思いますが
>>775 命大事が生命教でしょ? ほら、仏教じゃない。
777 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 15:33:53.50 ID:McslJ7DW
命大事は感情ではなく知恵ではありませんか?
釈迦が自己を護れといったのは愛着でしょうか?
>>777 少なくとも生命教の命大事は隠居個人の感情によるものです。
釈迦を引き合いにだすまでもなく、ただの愛着です。
隠居の言い分は、一見(つーか一聞w)、
ミンスのばら撒き4Kや、他の様々な施策・マニフェスト同様、
耳当たりの良い、心地好い、現状肯定の台詞だからね。
幾つかの発言を総合して俯瞰してみてみない限り、その歪さには気付けませんよw
ここ暫くは同じことしか発言してないので、新しくスレを覗いた方は騙されてしまうのでしょう。
まるで、「近代仏教学こそが釈尊の真意だ!」或いは「岩波文庫青(中村解釈)に基づく原始仏教こそが仏教だ!」
或いは、「本覚思想批判こそ仏教だ!」という流れに乗せられる、学部一年生みたいなもんです。
780 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 15:55:20.06 ID:momrif5D
今、春秋社の「シリーズ大乗仏教」の第一巻「大乗仏教とは何か」を読み始めたが、
大乗発生時の議論と似ているのではないか。
小乗は「釈迦個人とその言葉に対するあくなき執着」。大乗は、その「執着」
から解脱したもの。
大乗の発生は「必然的」であった。
大乗に執着しとるやないの
782 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 16:08:15.29 ID:momrif5D
>>781 すべての人間は、生命に対する執着ゆえに発生し、生存する。むしろ、生命が
人間に執着している。生物である以上、生命に対する執着からだけは逃れる
ことは出来ない。執着から逃れようとするのも、また生命の機能だから。
釈迦個人に対する執着は、釈迦の精神病の感染以外の何物でもない。
783 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 16:08:37.03 ID:McslJ7DW
我々の文化とは言語に規定される訳で、鎌倉時代に生まれた言葉で思考すると生活パターンや思考も鎌倉時代みたくなってしまう訳で「生命」という現代人が共有して使っている言葉に置き換えないと仏教は現代に生き返らないのではないかと思う訳です
そういう意味で生命という言葉を使った方がいいんじゃないかなと思うんですね
大乗の発生は必然にしても、そんな単純なものではないと思うけどな
例えばインドでは布施の意識があるが、日本や中国でそんなものがあったかは疑わしい
すると、出家した人しか悟れず、何の見返りもない小乗に誰がお金を払うかといった生活費/維持費/活動費の問題もあるでしょ
探せばいくらでも小乗の限界と呼べるものはあるわけで
一概に釈迦個人云々言うのはどうだろうか
小乗「ワシが解脱するまでの時間稼ぎに生活費を寄越すのじゃ! これは喜捨といって云々かんぬん」
在家「・・・・・・え?」
大乗「解脱した際には救いに戻ってくるから生活費頂戴ね」
在家「おk」
現代的な視点からするとこうだからな。
現代
大乗「お前ら地獄に落ちるから有難いご本尊買え、これで天国行けるで」
在家「怖えええええ、免罪符の代わりに財産捨てます」
787 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 16:19:11.47 ID:momrif5D
>>784 やはり「釈迦個人とその言葉に対する執着」だと思うよ。詳しくは、前掲書を
読み終えてから。竜樹等によって「新たに意味づけられた縁起や中道(前掲書)」
の影響が、極めて大きいと思う。
と龍樹とやらに執着してるおっさんが言ってます
>>787 そりゃあ教科書的な本に「衆生に対する付加価値をつけないと生活していけなかった」とは口が割けても書けないだろうさ
歴史の必然は必然、けど派閥争いもあったというし、そんな単純なものではないと思うけどな
一切衆生を済度するという菩提心を持って悟り解脱に至るとは言ってるが、
解脱したあとにまだ菩提心を抱えて救いに戻ってくるとは限りませんというのが
大乗のいやらしさというかなんというかw
791 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 16:32:29.29 ID:momrif5D
>>790 いくら釈迦に執着してみても、日本は大乗仏教の国。否なら、国外で出てもらう
しかないw。
792 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 16:34:31.02 ID:McslJ7DW
別に日本は大乗仏教の国ではないぞ
日本は神道の国とされて潰されかけた戦前の事を忘れたのか?
793 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 16:38:41.82 ID:momrif5D
794 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 16:38:53.09 ID:2Awkp09q
McslJ7DW がどういうスタンスか分からないけど、
生命教ってのは、
>>780 で
>>春秋社の「シリーズ大乗仏教」の第一巻「大乗仏教とは何か」を読み始めたが、
って言ってても読む意味が一般とは違う。
一般に読むってのは相手の意図・論旨を汲み取って何が述べられているかを読むものだが、
生命教の読むってのは、自分が使える言葉を単に拾ってるに過ぎない。
その著者の意図なんて関係ない。断章取義・我田引水の典型なんだよ。
こういう人の言うことをまともに相手にすべきと思うならアナタも相手にされない人になるでしょう。
795 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 16:42:18.13 ID:momrif5D
>>794 本や他人の言説は「批判的に」読むもの。君たちのように、本に「読まれたら」
オシマイ。
>>783 wwwww
言葉の言い換えで済むなら、ここまで拗れてやいませんよw
797 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 17:51:27.09 ID:McslJ7DW
何にせよ
自分の思想を練り上げていく事が大事なのはその通り。
釈迦に依存すれば釈迦の傀儡になる
権力者に依存すれば奴隷になる
自分中心が正しい。
最初に読むものは解釈が加えられたものではなく
本来そのままの物のほうがいいですね。
799 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 18:23:27.04 ID:CfsIVdIO
>>796 すべての経典には、既に、弟子により解釈が加えられ、また誤りもあるのだから、
あまり意味が無い。
要は、現実に照合して、己の知性を以って「批判的」に読むこと。
800 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 18:27:49.22 ID:CfsIVdIO
あまり言葉やrepresentationについて論じると、迷路にはまり込む。論じるのも、
言葉によってだから。
言語は、古代人が、その生存に必要な「具象物」を指示・特定することから
発生したものであることを、忘れてはならない。つまり、指差しや手まねが、
始原的な言語なのである。現代人は、言語を使いすぎて、却って言語の海に
溺れている。
読むにあたっても字が読める人も少ないとかいろいろあるので今の基準は捨てるべき。
つまり今その言葉が意味するところをイメージすると誤解が生じます
20年前に文学哲学を読んだからこれまでと今の困難を乗り越えられているのか?
もしくは遠回りして無駄なことをしているのかよくわかりません。
804 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 18:39:54.63 ID:CfsIVdIO
>>902 佛教も、始原に立ち返って、言語を使わず身体動作だけで表現したらどうか。
例えば「悟り」や「解脱」を、手まねで表現したらw。身体や具象物で表現でき
ないものは、単なる観念だけで、実質はない、ということ。即ち「妄想」。
子供のころはオトナと言うものは物事を知っていてすごい存在であるようなイメージがありましたが
この歳になってそんな知識は必ずしも生きるためには必要ではないし、大人の現実を見てある意味絶望
多くの人は自分から読もう・知ろうとしない限り義務教育で芥川さんの蜘蛛の糸を読む程度で
いざ死を目の前にしてやっと般若シンキョウとか読み始めるわけですし、宗教で国をまとめる時代でもないし
英語を知っていれば世界中の人と交流することが出来るしこれからどうなるのかよくわからんです。
>>795 >本や他人の言説は「批判的に」読むもの。君たちのように、本に「読まれたら」
オシマイ。
ここの人達は、生命教を主張する貴方に批判的な意見を言いますよ!www
それに貴方は、批判されること前提に書き込みしている事になりますよね!?
と言うことは・・・
生命教ってインチキ・ポンチキって自分で言っているみたいなものなんでが・・・
まだ、このスレで自分の意見(生命教)を展開するつもりなのか?www
迷惑な話だぜ!!!WWW
意味の無い批判・誹謗中傷・とりあえず全否定することはとても簡単なことなので
そういった思考を取るとバカになりますよ。
>>808 アタナの話自体が整合性のとれてないおかしな話であることを自覚したほうがいいと思います。
もし、御自身が論理的で整合性のとれた主張をしていて、
意味のない批判、誹謗中傷、とりあえずの全否定をしておらず、
周りが理解してくれないだけで自分が正しい事を言っていると考えているのならば、
もしかしたら統合失調症の疑いがあります。
一度、最寄りの精神科に診断を受けることをお勧めします。
僕の書き込みは、初めに疑問を投げかける質問や自分の考えから始めるんだが…
811 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 22:36:05.49 ID:McslJ7DW
まあいいや
心について語ろうぜ
その方がいいんじゃないかね
812 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 22:44:25.48 ID:2Awkp09q
そんな妄想語ってどうすんの。
それなら、哲学とかお話スレでやればいいんじゃね。
813 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 22:49:42.07 ID:McslJ7DW
心を無視して経典を語るのは医者か人体を無視して文献を語るのに近いんじゃないかね
文献の正しさは現物(この場合心)によって確かめられる訳でしょ
>>811 せめて仏教と心の関係についてとか、仏教の文字を入れようぜ
815 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 22:51:38.80 ID:McslJ7DW
人体を無視して医学を語る、ね。
現物の心を無視して仏教を語るのは言語道断である
816 :
てすと:2012/02/16(木) 22:52:19.89 ID:cpJ2T5iS
生きてるだけで充分幸せ。
仏教や悟りを知らないで死んで行く人は何億もいるんだし、仏教を知った人間が特別なわけないでしょ。
趣味として仏教やるなら楽しいのわかるけど、他人を見下しちゃ〜駄目よ。
817 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 22:53:31.40 ID:McslJ7DW
仏教を入れないから公平だと思うんだよ
困っている人が必要としているのはその効果なんだから
仏教というブランドはこの際どうでもいい
>>813 達磨さんが慧可に対して何て言ったか調べてごらんw
>>817 スレタイを「議論スレッド」にしろ、と?w
馬鹿じゃね?
819 :
てすと:2012/02/16(木) 23:00:37.52 ID:cpJ2T5iS
>>817 本当に困ってたら仏教やってる場合じゃないよ。
暇で困ってるだけだから仏教は暇潰しとしては効果あるんじゃないの?
このスレが証拠。
医者も治せなくて死にそうな人に効果あるのは大乗の念仏とかじゃない?
820 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 23:02:56.29 ID:2Awkp09q
>>817 よそでやればいいんじゃね。
ここはあくまでも仏教っていう限定があるスレだぜ。
公平とか即効性とか出されてもね。
そういう常識的なことなら政治とか経済とか、福祉、倫理などなどを語ればいいんじゃね。
スレ違い、スレ違い。
821 :
てすと:2012/02/16(木) 23:14:16.23 ID:cpJ2T5iS
>>820 つまり仏教は非常識って事ですね。
あなた悟ってるね。
822 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 23:17:49.67 ID:R9KP0dFK
仏教は滅びるべし。いったん滅びた方がいいだろう。
そのまま死んでしまうならそれもよし。
823 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 23:19:43.69 ID:2Awkp09q
>>821 あいかわらず、ネラ的なセコイ発想ですな
>>821 そ。
隠居や机節が常識的感性。 だから、それはそれで尊重されるべき世俗の在り様さ。
けど、「仏教はちょっと毛色が違いますよ。(寧ろ逆の価値観ですよ)」ということだ。
梵天が土下座しなかったら、「どうせ解りゃしないんだしwww」と、お釈迦さんは菩提樹下に座ったままだったかもしれない。
(禅の流儀で言えば、「余計なことをしてくれた。そのまま座っておればいいものを・・・」 とも言えるがなw)
825 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 23:24:11.10 ID:McslJ7DW
ボンテンもわからないことがボンクラの君になんでわかるんだよ
826 :
てすと:2012/02/16(木) 23:52:06.74 ID:cpJ2T5iS
>>824 その毛色の違いが楽しいのはわかるよ。
でも最近は常識人にうまい切り返しが出来る仏教マニアが減った気がする。
サブプライム以降、宗教板住人も余裕ないしな〜。。。
827 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 23:59:54.18 ID:McslJ7DW
サブプライム以降むしろ資産が五倍になりました。
828 :
てすと:2012/02/17(金) 00:04:13.75 ID:cpJ2T5iS
>>827 だからあなたには宗教が必要なんでしょ。
無難に禅でもやっとけば?
ジョブズも曹洞宗だし。
829 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:04:32.35 ID:MmfFMx27
今、前述した春秋社シリーズ大乗仏教の巻1「大乗仏教とは何か」を読んでいるが
(この本は、教科書的記述などではなく、最新の論文集である)、平川彰先生って
偉い学者なのだね。彼の大乗起源説は否定されたなどとセブンさんが言ったが、「仏塔
崇拝起源説」は現在も否定されてはいない。「在家集団起源説」が否定された
だけである。
私は彼の中論24:10の「世俗的なことにもとづかなければ」を、「考え抜かれた
訳」として高く評価していた。「言語習慣」などという言葉は、梵英辞典の理解
不足に基づく誤訳。
但し、平川先生も、大乗発生の思想的機序については思い至っていないようだ。
やはり、「釈迦一仏」から、「すべての人間の生命」への発展のようだ。
宗教ど素人の私の意見も、あながち大きく外れてはいない。「仏塔崇拝」は、
「釈迦個人の、すべての人間の生命への象徴化」である。「仏塔崇拝」とは、
その「象徴化」のことであると思う。釈迦ではなく、「仏塔」を崇めている
のだから。
830 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:06:27.65 ID:Ebn6Mxmy
空海は『吽字義』の中で「悟りは心の真実の常恒なる実体である‥心のほかにさとりがあるのではない‥心の内がそのまま認識の対象なのである」
と言っている。
こう言う見解を見ると「心などどうでもいい」とは言えないのではないですかね
831 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:14:49.63 ID:MmfFMx27
>>830 その心が、「肉体」のみから発し、「肉体」と生死を共にするものであることを、
忘れてはならない。従って、「心=肉体=生命」である。
832 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:17:19.95 ID:Ebn6Mxmy
「あらゆる存在は心がつくりだしたものである」
私も私の心が作り出したものであり実体は無い。
刹那に現れ刹那に消える無常なものである
ということを知っている私はある意味既に悟ってると思うんですけど。
要するに世界とは私自身が画いた曼陀羅に過ぎない訳です。
833 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:21:21.42 ID:MmfFMx27
若人欲了知三世一切仏応観法界性切唯心造
>>832 まあ、お前は俺の想像物なんだけどね。
NPCがあんま調子のるなよ☆
あ、一文字抜けたw
837 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:32:02.63 ID:Ebn6Mxmy
消えるというか変化するという表現の方がいいかな
「マヌケがw」と書き込まれただけでも心は微妙に変化するだろう
ということは真言によって心を強固にしたりなんだりという行は一応合理性はある訳です。
838 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:37:32.47 ID:Ebn6Mxmy
ユングがやってた曼陀羅制作も多少意味があると思う。(心の状態を把握するという意味で)
絵画が無意識の表現ならばそれは各人の宇宙を表しているはず
悟りの表現としての曼陀羅を制作しているうちに悟るというということもあるんじゃないかな
実際チベット密教ではそう言う修行もあるというしね
839 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:39:43.55 ID:Ebn6Mxmy
高校生の頃ユングにかぶれてテストの答案用紙に曼陀羅を書いて提出したものだ。
今考えると不気味な学生だったな
840 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:39:53.41 ID:MmfFMx27
>>837 心の前に、まず肉体が変化していることを忘れるな。アドレナリンの上昇、
心臓の鼓動の増加、等。
心と肉体とを分離したら、人間が破壊される。
心とは、状況に応じて肉体を維持するための「手段」に過ぎない。
本末を顛倒してはならない。
841 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:46:20.86 ID:Ebn6Mxmy
しかし心が落ち着けばアドレナリンの分泌も止まるし血圧も正常になることを忘れては行けない。
心と肉体は相互依存しているのだ
842 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 01:54:02.25 ID:Ebn6Mxmy
どっちかというと釈迦仏教の方が徹底的に物理主義なんだよね
釈迦仏教では心を全く重視しない
肉体にのみ集中せよという立場だ
「842を読んで、一代が朝一からフルスロットルで反論する」
に1000ルピー
844 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 02:16:26.80 ID:MmfFMx27
>>842 同意。「生老病死」は、すべて「肉体」の苦。
古代人は、すべて「肉体の維持」に精一杯で、心など考えている余裕は
なかったはず。衣食住が足りた現代人のような「甘ったれ」ではなかった。
845 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 02:20:29.30 ID:Ebn6Mxmy
いや釈迦教団は毎日座禅に興じている訳で十分「甘ったれ」だと思うぞw
別に古代人って現代人が思っているほど貧しい生活してないと思う。
人口も少なかったしね
インドは日本と違って気候も暖かいし
座禅組んでいる余裕があったのだろう
846 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 02:50:16.04 ID:IAD474d4
>>845 当時の北インドは穀物や農作物が豊富で、貧しくはなかったようだが、
午前中だけ食事が許され、一日一食の出家生活というのは、当時もきついものだったようです。
「顔色悪く、力が出なくなり、病気になったりしないのか」と人々から聞かれる場面が経典にあります。
修行をしっかりし、心を制し、身体を整えておれば、一食で十分だそうです。
煩悩の強い人は、あれころつまらないことで悩んで脳がカロリーを余分に消費するから、腹が減るのでしょう。
847 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 03:05:33.79 ID:Ebn6Mxmy
俺も某寺で一時期一日10時間座禅してたが一日一食だったよ
死ぬ程苦しいって訳ではないな
三日くらいで慣れる
848 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 03:15:21.73 ID:IAD474d4
>>847 座禅してるだけならね。
しかし釈尊当時は、一箇所に留まっているわけではなく、雨安居以外は、長距離を移動しまくっていたし、
色々な作務があり、結構忙しく動いてたみたいだ。雨安居の期間だけは静かに瞑想していたみたいだけど。
849 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 04:21:18.38 ID:2noI2ioP
う〜〜〜〜〜〜ん、スレが進行してるのは良いが、内容が・・・・・ww
最近、仏典の記述、仏説に関する話が乏しいなw
850 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 06:26:53.42 ID:somYHesm
>>845 座禅する前には、十分に食って寝ておかなければならない。座禅後も同様w。
座禅は、精神労働ではなく、肉体労働。心を使ったら悟れない。これが只管打坐。
いずれにせよ、衣食住が前提。
851 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 06:44:09.34 ID:somYHesm
>>849 「大乗仏教の思想的発生原因」という問題は、内容的には最高のレベル。
仏典の枝葉末節の言葉の解釈だけでは、回答は出せない。
852 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 06:53:45.82 ID:somYHesm
>>849 原始仏典の記述や仏説の言葉をつついて、一体何が得られるのか。俺ちゃん釈迦の
妄想だけ。
853 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 07:35:32.39 ID:FuppSzeU
>>849 まあ、自分語りしたい人が多いようですから、
そういうのをスル〜して待てばいいだけでしょう。
しかし、自分語りしたいなら、仏教を絡めなければいいのにね。
854 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 07:58:04.88 ID:somYHesm
>>853 最も自分語りしたのが、釈迦とイエスw。何故、スルーできないの?w
おかしいではないですか。
>>853 正解は
仏教を差し込むだけ相手してくれるから
カマってちゃんが仏教フレーズ足してるだけ。
じゃあさ、心相続における非得の必要性についてでも話そうぜ!
ぶっちゃけ俺は非得なんて準備しなくてよかったと思うんだけどどーよ
857 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 08:20:58.97 ID:Ebn6Mxmy
非得ってなんすか?
「俺って専門用語使えるちゃん」ですか
それは釈迦が強く戒めた態度。
書き込む人がみな仏教大学を出ている訳ではないので仏教徒なら可能な限り人々にわかりやすく話す工夫をすべきです
858 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 10:32:06.30 ID:FuppSzeU
>>856 ヴァイシェーシカの流行を受けて、要素還元論で法体系を構築しようとした有部が、
論理的要請から導入した概念だと思う。
そもそも要素還元論で法体系を構築しようという方向が縁起から逸脱してると思う。
ちなみに机が『中論』は有部批判みたいなこと言ってたけど、そりゃ中村『龍樹』の受け売りでしょ。
『中論』は、そんなセコイ視野で書かれてないつーの。
単純にいうと『梵網経』に説かれる六十二見を不生縁起と生滅縁起によって戯論寂滅に導いたもの。
簡潔な記述のなかに豊潤な仏説を凝縮していて圧巻です。
859 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 13:37:05.31 ID:/zDcHWH/
大乗の「煩悩即菩提」とかキリスト教の「神成(テオシス)」とか宗教者がわざわざ
誤解されかねない危ない言い回しを使うのはなぜなんだろう。
860 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 16:19:21.24 ID:somYHesm
>>858 要するに、なんとかして、中論→上座部→釈迦と繋げたいだけでしょ。
それが釈迦による「洗脳」なのですよ。原理的な発展を見抜くべきでしょう。
>>859 どこに誤解がある?「思想的改善・発展」ではないの?
861 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 16:23:01.98 ID:UKAakqPn
他の人なら説明してあげてもいいけど、貴方はひとの話を聞こうとは思ってないでしょ?
この子は放置するのがいいよ
863 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 17:05:20.46 ID:somYHesm
>>861 図星だから反論できないのでしょうw。議論者は、常に、反論の予測と、それに
対する対応策も考えた上で、見解を述べるべし。
それじゃ
スレが過疎化しコテハンだけの馴れ合いの場
になるね
865 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 17:57:49.48 ID:TM9MSdXE
上部座仏教が大乗仏教に何が劣るのか教えて下さい
866 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 18:04:16.49 ID:Ebn6Mxmy
まあ自分の見解に自身が無い奴はわざと難解な専門用語を使って議論をけむにまくものさ
一生かけて誰しもが理解出来る一般大衆の話し言葉で布教をしたと言われる釈迦も歎いているだろう
867 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 19:51:19.89 ID:FuppSzeU
>>865 一切有情のために一切智を求めて菩提心を起こし普賢行をしないことです。
868 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/17(金) 20:04:07.92 ID:gottBse9
>>858 >ちなみに机が『中論』は有部批判みたいなこと言ってたけど、そりゃ中村『龍樹』の受け売りでしょ。
>『中論』は、そんなセコイ視野で書かれてないつーの。
中論というのは、簡単に言えば勝義締が書かれている。
勝義締というのは「月指す指」とか言って、
一応は論書にするには不可能と考えられていた。
龍樹が、不可能を可能にしたところが中論の存在意義!
ところで、一代氏は常見派だと解釈してますが(机氏は断見派なのか?)
そもそも常見とか断見てぇのは世俗締なんじゃないですか?
何で勝義締(勝義は中論参照)で解釈せんのですか?
ではオチ
> 何で勝義締(勝義は中論参照)で解釈せんのですか?
↑ 中論参照で解釈するのが嫌だから、中論参照で解釈しないんじゃなイカ?
870 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 20:55:47.46 ID:fk1WaHDf
人間は、「自然(現実)」に対する100%の依存と、「生存努力」とがなければ、
生存できない。生存できなければ、一切は無である。
従って、この2要素から離れた思想は、いかに精緻なものであろうとも、「人間」の
思想としては無意味である。
↑ 『現実である!』と思い込んでいる、この世から解脱する為に仏教があるんじゃなイカ?
>>871 解脱したら、「この世」から居なくなっちゃうの? (´・ω・`)
中国もチベットと戦ってましたが、共産党とか独裁政治はことごとく宗教を排除しようとしますから
非常にまずいことがあるんでしょ。
> 解脱したら、「この世」から居なくなっちゃうの? (´・ω・`)
↑ 解脱したら、「この世」から居なくなっちゃうんじゃなイカ?
>>874 じゃあ、35歳以降のお釈迦さんは解脱してなかったの?
他の弟子達も解脱してなかったの?
じゃあ、彼らはいつ解脱したの?それとも解脱してないの? (´・ω・`)
☆ ウィキペディア参照 ☆
涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。
しかし、ニルヴァーナの字義は「吹き消すこと」「吹き消した状態」であり、
すなわち煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態を指すのが本義である。
その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された。また、涅槃は如来の死そのものを指す。
涅槃仏などはまさに、死を描写したものである。
「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」という意味で涅槃寂静といわれる。
釈迦が入滅(死去)してからは、涅槃の語にさまざまな意味づけがおこなわれた。
1.有余涅槃・無余涅槃とわけるもの
2.灰身滅智、身心都滅とするもの
3.善や浄の極致とするもの
4.苦がなくなった状態とするもの
などである。
涅槃を有余と無余との二種に区別する際の有余涅槃は、
釈迦が三十五歳で成道して八十歳で入滅するまでの間の「さとり」の姿を言う。
無余涅槃は八十歳で入滅した後の「さとり」の姿とみるのである。
この場合の、「余」とは「身体」のこととみて、
身体のある間の「さとり」、身体のなくなった「さとり」とわける。
有余涅槃・無余涅槃は、パーリ語の sa-upādisesa-nibbāna, anupādisesa-nibbāna で、
このうち、「余」にあたるウパーディセーサ(upādisesa)は、
「生命として燃えるべき薪」「存在としてよりかかるべきもの」を意味する。
仏弟子たちは有余無余を、釈迦の生涯の上に見た。
釈迦の入滅こそ、輪廻転生の苦からの完全な解脱であると、仏弟子たちは見たのである。
>>875 有餘涅槃(肉体を伴った解脱)と無餘涅槃(肉体を伴わない解脱)がごっちゃになってしまってると思われる。
昔の目的地は無餘涅槃(肉体を伴わない解脱)
お釈迦様の三十五歳以降は有餘涅槃(肉体を伴う解脱)
無餘涅槃になったら「この世」からいなくなっちゃうって感じ
◎有余涅槃・無余涅槃とわけるもの
↑ これを肯定的に捉え考える解釈で良いんじゃなイカ?
>>877-878 涅槃の話じゃないでしょ? 解脱の話でしょ?
>>871は、 『 >この世から 』『 >解脱する 』 と言ってるよ? (´・ω・`)
有餘涅槃 → 肉体を伴った解脱
無餘涅槃 → 肉体を伴わない解脱
↑ 涅槃と解脱は関係があるんじゃなイカ?
881 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 23:50:18.47 ID:WOsrcwM3
>>871 すべての動物は、生まれると同時に、教えられもしないのに「現実界」を識別
し、生きようとする。
現実界とは何かがわからないのは、宗教患者だけ。
> すべての動物は、生まれると同時に、教えられもしないのに「現実界」を識別し、生きようとする
> 現実界とは何かがわからない
↑ 『現実の世界が実在している!』と言う妄執の念に取り憑かれているんじゃなイカ?
>>880 有余解脱(肉体を伴った解脱)、無余解脱(肉体を伴わない解脱)
という概念は(「解脱」に、そのような区別は)存在しなかったと思いますが?
どこかにそのような事例がありますか?
また、仮にその両者の概念が存在するとしたなら、
両者はそれぞれどのようなこととなりましょうか?
(→特に後者は、どういうことでしょうか?
『肉体無き解脱』? 『肉体とは別の解脱』(つまり、心的な側面のみの解脱)?
なかなか想定がし難いところであります。)
また、871は、一体どちらの意味で仰ったのでしょうか?
☆ ウィキペディア参照 ☆
◎有余涅槃・無余涅槃とわけるもの
涅槃を有余と無余との二種に区別する際の有余涅槃は、
釈迦が三十五歳で成道して八十歳で入滅するまでの間の「さとり」の姿を言う。
無余涅槃は八十歳で入滅した後の「さとり」の姿とみるのである。
この場合の、「余」とは「身体」のこととみて、
身体のある間の「さとり」、身体のなくなった「さとり」とわける。
− − −
↑ ウィキペディアには
『身体のある間の「さとり」、身体のなくなった「さとり」とわける。』と書いてあるけど?
>>883 おまえは仏教をちゃんと勉強したのか?
お前がしている投げかけはすべて恥ずかしいものだ。
ここは議論スレだ。最低限の前提があるとした上で会話が進められる。
その前提が欠如していたら話し合いにもなりはしない。
巷には仏教の概説書が多く出回っているが、
山口の仏教学序説、水野の仏教用語の基礎知識、バユットーの仏法
いずれのスタンダードな概説書にもその二種の涅槃については書いてある。
それに初心者であるならば、疑問が湧いたら岩波仏教辞典は最低限引けよ
岩波にも当然のように書いてある
それに君が今している質問の答えはすでにウィキペディアの引用でも示されている。
質問に対する回答ぐらい熟読しろよカス
>>884 だからw
それは「涅槃」のことであって「解脱」のことではないでしょう?
文脈に於いて同義として用いられるケースがあるだけで、必ずしも両語が同義であることを意味しない。
883に答えてくださいよ。
888 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 01:01:01.49 ID:i9f5SuyK
>>882 >↑ 『現実の世界が実在している!』と言う妄執の念に取り憑かれているんじゃなイカ?
すべての人間は、そして恐らくはすべての他の動物も、五感の知覚によって
現実界か否かを判断する。例えば、目の前に見える大地が若し実在しないと
すれば、一瞬にして奈落の底である。
このようにして、「五感の知覚」+「生命の維持への直接の影響」が、現実界成立の
ための要件となる。
生まれたばかりの赤ん坊は、教えられもしないのに、母親のオッパイにしゃぶりつき、
生存しようとする。このオッパイは果たして現実か、などと迷うことはない。
少し角度を変えてみましょうか・・w
>>885 >>871には、仏の教えは 『 >この世から 』『 >解脱する 』ことにある とあります。
貴方も同意見ですか?
ちなみに871さんはオカルティックに解脱や涅槃を捉えていらっしゃって、
どちらかといえば宝珠サイドなんですけどね・・。
(つまり、解脱だろうが涅槃だろうが、それらの語によって示される彼らが言う【『肉体なき』救済】は、
梵我一如に極度に近似しているわけです。
そうすると、871の台詞の意味合いが、ガラッと変わってくるわけですw)
>
>>871は、一体どちらの意味で仰ったのでしょうか?
順番としては
有余涅槃に到達する為の禅定(瞑想)によって
有余涅槃に到達して入滅した場合は無余涅槃となる
と言う事で良いんじゃなイカ?
>>890 871を、どう捻くり回したらそのような意味になるのでしょう?
とてもじゃありませんが、「言外の含み」というレベルを超えています。
(そもそも、871では「涅槃」なぞ一言も言っていないじゃありませんかw
それなのに、後の説明はすべて「涅槃」の説明であり「解脱」の説明は一つもない。
説明を省略できるような同義ではないのですよ?)
☆ ウィキペディア参照 ☆
オカルト(occult)
occulereの過去分詞「occulta」(隠されたもの)を語源とする。
目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。
そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。
ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論者の立場等により見解が異なる。
− − −
(現代科学)物理学は『目で見たり、触れて感じたりすることのできないもの』を取り扱っているらしいので
(現代科学)物理学は『オカルト』であるらしい
>>892 はいはいw すいませんでしたね。 訂正しますよ・・。(んとに手のかかる子だw)
>ちなみに871さんは仏教ではない考え方で仏教を考えようとしていらっしゃって、
>どちらかといえば宝珠サイドなんですけどね・・。
これなら宜しいでしょう?www
894 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 01:36:49.80 ID:PJ+g+qF9
>>892 付言すれば、貴方のそうした態度
(―自説を羅列するのみで、他者の意見・指摘・批判を聞かない・無視する、或いははぐらかす―)は、
隠居同様愚劣極まりないということを自覚してほしいものです・・・。 orz
>>889 申し訳ない、ミスリードしていた。
釈迦が悟った時に解脱できてるならばすぐ輪廻から脱出できてなきゃおかしい、
という揚げ足取りの主張だとばかりに見てしまっていた。
理解が足りてない恥ずかしいのは俺の方だった。
☆ ウィキペディア参照 ☆
◎有余涅槃・無余涅槃とわけるもの
涅槃を有余と無余との二種に区別する際の有余涅槃は、
釈迦が三十五歳で成道して八十歳で入滅するまでの間の「さとり」の姿を言う。
無余涅槃は八十歳で入滅した後の「さとり」の姿とみるのである。
この場合の、「余」とは「身体」のこととみて、
身体のある間の「さとり」、身体のなくなった「さとり」とわける。
− − −
解脱について
解脱とはこの世の世俗的な束縛からの解放であり、自由な境地を獲得したことである。
心解脱 - 精神的には既に解脱していても、肉体的にはどうにもならない束縛を持っている場合をいう。例えば釈尊の成道後の伝道生活の如きである。
身解脱 - 完全に肉体的な束縛を離れているのをいう。
− − −
身体のある間の「さとり」−心解脱
身体のなくなった「さとり」−身解脱
− − −
↑ ウィキペディアには涅槃と解脱の関連性が書いてあるけど?
>悟った時に解脱できてるならばすぐ輪廻から脱出できてなきゃおかし
私もわからん なにが輪廻するんだろう魂の存在はブッタは否定したらしいが
唯識では心だが
実は釈迦の哲学ゾンビが残っただけなのです、とか?
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出版社: サンガ (2009/07)
901 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 05:08:46.13 ID:gFDuk1LV
しかし何で「一世界一仏」なんて原則があるんだ。
902 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 06:59:06.05 ID:8WAhTBxO
>>898 何がと考えるなら、心でも意識でも心相続でも魂でもなんと呼んでもいいよ。
しかし、それは仮設、本質は無我・空。
これは我々が、自分とか私と呼んでいることと同じだと気付こう。
自分とか私と呼ばれても、それは仮設、本質は無我・空。
全く同じ。これが納得できないと仏教に入門できてないよ。
もっとも、部派仏教や唯識などは理解できないから、
あのような解釈体系を構築してしまったのだから、それほど特殊なことではありません。
心に自由意志なんて実は無くて、
外側の刺激という原因を受けた結果でしょ。
思考もそれらを受けた内的な乱反射
心を含めた世界の全ての出来事は、全世界ひっくるめた一つの因果関係の連鎖の系。必然。
その因果関係の系を構成する、一瞬一瞬の素粒子のような因果関係の要素が
『常に変転すること瀑流の如く』流れている
904 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 08:34:30.15 ID:8WAhTBxO
>>903 それは原子実在論に基づく決定論、あるいは運命論だよね。
初期値が決まってれば、あとは必然的に決定されるというような。
仏教はそうは考えない。諸有情の各意識は限定された条件の中で、選択していくと考える。
往々にして意識の反応は機械的だけど、そうでない時もある。
だから、縁起はあらゆる面で偉大な考え方なんだよ。
心迷えば法華に転ぜられ
心悟れば法華を転ず
誦(じゅ)すること久しくとも己を明めざれば
義のために讐家(しゅうけ)となる
無念の念はすなわち正にして
有念の念は邪となる
有と無をともに計らわざれば
とこしえに白牛車(びゃくごしゃ)に御せん
906 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 08:55:41.16 ID:dLQ7YLvD
>>904 「縁起=因果関係」なら、バラモン教の「業報論」としてとっくにあったもの。
釈迦のは、そのパクリに過ぎない。少しも「偉大」ではない。
仏教的考えであるか、っていわれると、なんだかこの考えは
唯物論的なように思われるのかもしれないけど、ちょっと違うような
限定された条件の中で、選択していく、その「選択」は何によってなされるか?
──自分の意志は実は、自分以外によって構成されたものであった。的な
自分・自分以外、内側外側と言った対立が、
実は内も外もない一連なりのこの世の出来事であった、に変化していく感じ。
この現実に存在する個物は、現実に存在するという時点で、
世界のあらゆるモノとの「縁」を持ってるとも言えるんじゃないかな
というか、他のものとの因果関係が全く存在しなかったら、もはや別宇宙にあるわけだし
華厳だっけか「「一即一切、一切即一」とか事事無碍法界だっけ。
「私」や「あなた」は、自分の意志で脳内の考えをまとめて書き込んでいる。
書き込んでいるように思えても、その実際は、このスレを読んだことを原因として、
自分の考えを発表してみたいといった意志が結果として生じたような
これなら少しは仏教的になったかな
908 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/18(土) 09:26:36.79 ID:476pewiW
>>890 涅槃というのは彼岸のことですね。
涅槃寂静=彼岸到達=勝義締=智慧の完成=解脱
これらはほぼ同義です。
智慧の完成ですから、当然有余において完成する訳ですけど、
無余(つまり死後)においては完成されたも同じです。
つまり迷いの無い状態ですから。
亡くなった方を敬意の意味において「彼岸に逝った」とか比喩する場合はこの意味です。
まあつまりですね、彼岸到達は死んでからでは遅すぎる。
なるべく早い段階(若いうち)に彼岸へ逝った方がいいかもしれません。
せっかく仏縁があるのですからね。
909 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 09:30:04.18 ID:dLQ7YLvD
>>904 外界からの刺激は多彩だから、選択しているように見えても、その多彩さに
適応しているに過ぎない。
無我なら、「選択する自分」などいないはず。
910 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 09:54:59.30 ID:8WAhTBxO
>>907 少しはね。しかし、縁起の本質は科学のような現象の記述・説明にあるのではなく、
現象・知覚・感受が無我・空で幻のようなものであることを悟る方法にあるんで、
そこが全く違うでしょ。
だから、こそ悟るための前提として行動基準としての戒や、
観法の前提となる透徹した意識観察のための精神集中である定・三昧・禅定が必要となるわけで、
たんなる観念とか思想ではないだは。
911 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 10:20:10.20 ID:dLQ7YLvD
>>910 そう悟るのは、「我」以外の一体誰?w。
>>911 んとに頭悪いなw
身口意の主体となる自己、我はあるのw
けど、それは「アートマン」じゃないのw
実に単純明快だと思うが?www そして、
《前者『身口意の主体となっている自己、我』も、
所縁によって、たまさかにそこに顕現している(≒五蘊)のであって、
なんら「『実体的』存在」ではない》
ということが、通仏教的に言われているわけで、そこを外れた仏教なぞ存在しないわけで、
そこに、「いやいや、根源的主体(≒真我)があるんだ!」などと言い出したら、もはや仏教では(縁起では)ないわけです。
御隠居の主張も、宝珠寄り(神智学寄り)でしかないのです。
911のような「有我」が、竜樹の中論(「空、縁起」)と齟齬を生じるということに
どうして気付けないんだろうね・・。
914 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 11:47:17.98 ID:8WAhTBxO
あの読み方じゃどうしようもないでしょ。
要するに「自分の思い」があって、それに合わせて適当になんか言ってるだけだから。
バラエティのタレントと同じ。
915 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 11:58:22.19 ID:FtYgmekD
>どうして気付けないんだろうね・・。
wwwww
そもそも、隠居は、竜樹の中論(「空、縁起」) が全くわかってないんだから
気づけるはずがないwwww
916 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 12:13:44.03 ID:FtYgmekD
それから、ちと質問ww
「心相続」・・・・これって、有部の真我的視点に対する批判(または補正)
によって出てきた視点だったと思うが? 唯識だったか?
これって、何か「基体設定」みたいのしてるのか?
どちらかと言えば、現象の連鎖、業の継承的な印象が強かったんだがw
一代が拒否反応を起こしているとこ見ると、「こころ」に何かしらの
「実体」を観る視点が基盤となってるわけかい?www
(例えば「種子」を実体と捉えるのか?)
それから、そのような「継承」に関して、詳細に述べている原始仏典というのは
あるのかな?w
917 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/18(土) 12:18:02.50 ID:476pewiW
>>869 >>何で勝義締(勝義は中論参照)で解釈せんのですか?
>↑ 中論参照で解釈するのが嫌だから、中論参照で解釈しないんじゃなイカ?
918 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/18(土) 12:23:27.44 ID:476pewiW
(つづき)
そうですね。
そこのとこは私にも分かりません。
別に中論マンセーじゃなくても良いんですよ。
人間というのは好みがありますから。
単純に、中論は批判書ですから「結論は書いてない」。
輪廻転生を肯定するとか・・・否定するとか・・・
そんなことは書いてない。
単純に、中論は批判書ですから「結論は書いてない」。
輪廻転生を肯定するとか・・・否定するとか・・・
そんなことは書いてない。
− − −
『 有ではない、だけど無でもない 』
↑ こんな感じで良いんじゃなイカ?
920 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/18(土) 12:57:26.98 ID:476pewiW
>>919 >『 有ではない、だけど無でもない 』
簡単に説明すると、
釈尊の眉間にチャクラ?があるだろ?
あれは「第三の眼」の象徴だから、
有でもなく無でもなく・・・第三の眼で解釈するのが良いんじゃなイカ。
第三の眼は、慧眼ともいう。
921 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 13:55:29.18 ID:8WAhTBxO
>>916 「心相続」の起源は知りません。
ただ輪廻するものが何かといえば、そんなものは無い、無我・空だというのが、勝義的説き方だけど、
仮設としては、記号はなんでもよく「心相続」「心」「意識」「魂」言い習わしに従って指示すればいいと。
ただ、その記号で指示されたものは実体ではない幻のような仮設されたものだということ。
そこが理解できずに不相応行の得・非得とか、種子、アーラヤ、不失法、消滅物などといった基体を
論理的要請から設定するのは縁起からの逸脱で、方便的な説き方だということですね。
「継承」というのは連続という意味ですね。それなら例えば、スッタニパータ728以下です。
ナーガセーナは炎の連続性のたとえをしてたな
923 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 14:18:38.26 ID:vQM84v3H
>>912 >《前者『身口意の主体となっている自己、我』も、
>所縁によって、たまさかにそこに顕現している(≒五蘊)のであって、
>なんら「『実体的』存在」ではない》
と考えているのは一体誰?いくら釈迦が足掻いても無駄だよw。
中論を理解していないのは、「空=幻」とか言っている人。
上部座仏教の本尊って釈迦牟尼だけなの?
阿弥陀とか大日とかいないの?
なんで?
>>923 >と考えているのは一体誰?
w
「誰」という問いそのものが、(その背景に)名称を想定したものであるわけだが、
名称は所詮名称、「ラベル」に過ぎないわけで、
(―我々は相似したものに同じラベルを貼って交流を図っているのであり、たまたま一致しているに過ぎないw―)、
そこには「○○」があるわけではなく、「○○」と指し示される「事象」があるだけなのです。
少なくとも、仏教に於ける勝義的見方はそうです。
この場合でいけば、(名称は鈴木さんだったり、アメリカ人だったり、或いは人間、だったり色々あるかもしれませんがw)、
『五蘊存在』が、境を感受し、想起し、思考するわけです。(何度もご説明致しました。)
そして、縁生偈にあるように、諸条件の上に、「“或る”五蘊」が生起し、存在しているわけです。滅していくわけです。
(ここで“或る”という箇所が表しているのが、
鈴木さんであったり、営業課長であったり、神奈川県民であったり、ネパール人であったり、山ちゃんであったり、
ジーパンであったりテキサスであったり、ルドルフであったりイッパイアッテナだったりするわけですw)
なんで怪しいウィキペディアを参照したがるの。
ウィキって誰でも編集できるのに。
>>926 釈迦主催の原作同人サークル、サンギャにはない
二次創作のオリキャラだから
930 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/18(土) 14:55:40.84 ID:476pewiW
>>925 肉眼を「世間を見る眼」だとすると、第三の眼は「仏眼」とも言われる。
「世間を見る眼」と同時に「仏眼において見る眼」
「世間を見る眼」→世俗締
「仏眼において見る眼」→勝義締
「勝義締は世俗締においてしか説示されない」。の意味は
世俗締の謎を解き明かせば、そのまま勝義締に悟入される。つうことです。
つまり世俗締には「大きな謎があり」これを「大疑」とか言ったりする。
世俗締の断見とか、常見とか・・・そこに疑門は無いのか?
それを説明したのが中論。
実体の無いもんを論理的整合性において説明するのは難しい。
論理的整合性→世俗締
★「勝義締は世俗締においてしか説示されない」。
★「勝義締は世俗締においてしか説示されない」。
★「勝義締は世俗締においてしか説示されない」。
931 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 15:00:50.92 ID:vQM84v3H
>927
そんな訳の判らないものなら、「生命」が最も相応しい。死者だけは、
考えることができないのだから。
「五蘊」も「空の思想」も、「生命」から発する。
釈迦の論理破綻は、とり繕いようがない。
> 上部座仏教の本尊って釈迦牟尼だけなの?阿弥陀とか大日とかいないの?なんで?
テーラワーダ(上座部)の人達の場合は
『阿弥陀とか大日とかは、誰かが、かってに作った架空の作り物である!』
と考えているからなんじゃなイカ?
>>929 オリキャラとかwww
が、大乗仏教を「同人誌グループ」の拡大&地位確立の動きと見る視点は面白いな。
934 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 15:18:59.66 ID:BRFwUAGR
>>932 というつつスリランカじゃ観音や普賢が信仰されてるっていう。
>>932 その通りw
誰も、会ったこと、見たこと、聞いたことがないから。
推論(というよりこの場合は想像・願望と言った方がいいが)に拠るのみだから。
少なくとも、上座部系の覚者方は、会ったことも見たことも聞いたこともないから伝承されていない。
また、お釈迦さんがそのような存在について語っていないから。
少なくとも、(上座部仏教徒にとっては過不足なく伝えられていると見做されている)パーリ三蔵には存在しないから。
これを、【境地が低いから】、諸々の仏の存在(それは法身の様々な現れ様としてであろうが)を
「見れないし、知らないし、認められ名い、受け入れられない」のだ、といった指摘・批判をすることは可能だが・・。
(現に一代は上座部をそのように評価しているわけだが・・w)
>>931 w
ならば、その文の中の「生命」がイコール「五蘊」であるに過ぎません。
(名称などどうでもよいのです。五蘊だろうが生命だろうがオッペケペーだろうがねw)
>死者だけは、考えることができないのだから。
当たり前でしょう?w どこの誰が、死者が思考する、などと言っているのでしょう?
夢でも見てるんじゃないですか?www
937 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2012/02/18(土) 16:00:31.34 ID:7ZoViaUW
アメリカが軍事目的で研究した”SHINTO”という洋書を取り寄せたのですが、
「太陽信仰」「地蔵信仰」「コミュニティーで神社を支える」という三つが柱だとされ、
今では10万の神社のうち2万人しか神職はおらず、5つの神社を一人で担当するのが
平均だそうだ。
国家の資金で支えることはもはやできないので、「初詣」の賽銭が重視される。
あとは「町内会」「崇敬会」「奉賛会」もコミュニティーの神社を支えている。
明治政府の庇護によって神社は資金力を確保したけど、敗戦と高度成長により、
8万の神社を統括する神社本庁は「皇室崇拝」を資金源にするようになっている。
日本人に「宗教」と「真摯な気持ち」は区別されており、年中行事があることから、
この神社本庁が皇室崇拝を資金源としていることを理解しないといけないのだ。
神社本庁を見るということは「2万人の神職とその家族の生活」をみるということだ。
それ以外にも「町内会」「奉賛会」「崇敬会」にまで広がりをもつものだ。
敗戦による打撃を受けた日本の神社の生き残りを決めたのは三名の論客だ。
葦津珍彦、柳田國男、折口信夫。
この三名が神道の生き残りを決定づける論陣を張った。
1915年に明治神宮ができた時に、多くの日本人は神道が「発明された」と受け止めているのだ。
神武天皇という話もこれを理解しないといけない。
廃仏毀釈というのがあったが、明治維新において、日本人は「純粋な国家」としての新たなスタートを
望んでおり、この時に、すべての寺が糞尿にまみれて破壊されている。
この時に、神道と仏教の明確な区別が生じている。
新国家の幕開けが神道の背景にあるのだ。
日本は明治維新において新国家としてのスタートをするにあたって「過去の批判」を行わなければならなかった。
それがまさに「仏教ブランド」だったのだ。
これが廃仏毀釈だった。
938 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 16:07:39.24 ID:vQM84v3H
>>936 釈迦は「無明」から「五蘊」が生じると言っている。「無明」は「生活作用
の発生源」と言っているから、「生命」以外にはありえない。従って、
「生命イコール五蘊」ではない。十二支縁起は、因果関係の繋がりを示す。
「因」と「果」とが同一なら、「因果関係」の意味はなくなる。
939 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 16:16:23.85 ID:vQM84v3H
釈迦も「無明(生命)」という「根源」を認めている。それをアートマンと
呼ぼうと、「生命」と呼ぼうと、「言葉の問題」に過ぎない。「根源」そのもの
は常住なのである。そうでなければ、話は始まらないw。死者には、一切が不可能
なのだから。
>>938-939 だからw
そんなことはどこにも言われてないのw
そんなことを言う学者もいないのw
中村さんもそんなことは言ってないのw
だから、貴方以外の全員から「妄想乙w」されてるわけです。
941 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 16:32:29.70 ID:vQM84v3H
>>940 釈迦は、「無明が根源だ」とちゃんと言ってるw。
>>941 w
仮にその言い方を肯ったとしても、「根源」には様々な内実がありませんか?w
「母体が子供を生むように、【そこから】発生してくる」という意味じゃありませんよ?w
或いはまた、受精卵が細胞分裂し、【そこから】発生する(≒それが成育・発展・進化する)という意味じゃありませんよ?w
たとえば、「諸悪の根源」という言い方があります。
此の時、或る対象Xから、様々な個別の悪(悪事)が【上記の如く】生じているのでしょうか?
違いますよね?w 物事の関係性、【構図として】根源であると言われているのです。
貴方が常々言うような、生命を根源とするということとは、根本的に次元を異にしているわけです。
日本語力がまだまだですね・・・。 頑張ってくださいw
943 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 17:25:23.09 ID:/TY055Lx
話しは変わるが人間の成長って何だろうな
思考パターンの変化だとすると、思考パターンの変化って、内発的に変化可能だよな
仏教で瞑想を重視するのもその為なんだろうしな
944 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 17:28:18.76 ID:WwxWGKDI
>>942 釈迦が、「無明」を「諸悪の根源」的な低次元において言ったのなら、命題には
普遍性はない。
また、貴方が、根源をも相対化しようとしているのなら、その相対化の主体は
誰(何)か、という難問が生じる。
死者には一切が不可能なのだから、「生命」という根源を認めない限り、
すべては「戯論」である。
946 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 17:35:20.22 ID:/TY055Lx
成長というと持続的変化を意味するように思うが、瞑想で得られるのは飛躍的変化だな。
A地点からB地点までテレポートするのに近い。
947 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 17:53:57.38 ID:/TY055Lx
瞑想している時は心の動きを観ている訳で
心の動き自体に介入することも出来る訳じゃないですか
言うなればプログラムに介入している訳だよね
深い瞑想をすればより根本的なプログラムを変える事が出来る。
特にそれをしなければ、外的影響によってプログラムが変化する訳でしょ
子供なら親との関係で
青年期なら彼女と関係だったり友達との関係
大人になれば上司や同僚、地域住民との関係
つまり社会によってプログラムを書き換えられる訳だ。これを一般には成長と呼んでいる。
>>947 一般に成長とは理想形に近づくこと、大きくなったり高度になったりの向上を意味してるもので、
どちらが上や下というものがない変化を成長とは呼ばないと思うよ。
変化の近因が内的であれ外的であれ瞑想であれ薬物であれ関係ないでしょ。
949 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 18:12:42.48 ID:/TY055Lx
では「理想状態」への飛躍的変化と持続的変化の違いと訂正しておく。
950 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 18:15:38.94 ID:/TY055Lx
外部要因でも飛躍的に変化することはあるから瞑想に限るとは言えないかもしれない。
まあ仏教徒が「外部」というものを認めるかどうか微妙だが
出会いもまた内的体験なのかもしれんしな
951 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 19:21:24.42 ID:pYcGD/Yf
共同体においては、「成長」とは、「他者の生命の等価・至上性」を自覚できる
能力の向上をいう。
瞑想による「自己満足」などは、成長とは言わない。他者にとっては、何の
関係もないこと。
字が読める一部の人しか知らないものでなくなったのがつい最近ですから
これからどうなるのかわかりませんね。
953 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 21:09:00.86 ID:/TY055Lx
さて。
出来るだけ「成長痛」を和らげる方法は無いだろうか。
勿論、物理的に痛みがある訳ではないのだから
本来情報的なレベルの問題のはずである
例えば新入社員が会社に入った。
何も出来ない。
それを出来るにする為には、様々な面での変革が必要である。
出来ないと言ったって
同じ人間のやることだから出来る訳である
勿論、その環境に適応することが必ずしも善い事とは限らないが
ではこの社員が独立を考えたとしよう
様々な「困難」を予想する訳だが或は「困難」という情報が困難を齎しているのであり、実際に困難は無いのかもしれない
「快感」を予想すれば全て快感である可能性はあるだろう
本来情報でしか無い訳だからね
起業したからといって物理的に骨折したりする訳ではないのだから
954 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 21:19:57.94 ID:/TY055Lx
あらゆる物事に対して快感を予想すれば快感を感じるはずである
というのも物理的なショックと違って精神的なショックは本来生命の危機とは何の関係もないからである。
会社を首になってもイノシシと衝突したのと違い命に何の別状も無い訳である
無知って怖いね・・・ (´・ω・`)
作られた困難を乗り越えて困難を与える側になると
他に行ってもあの思いをするぐらいなら我慢してここに居ようとか
いかにも安きに走る人が多いですよ。
957 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 22:13:54.44 ID:/TY055Lx
困難を与えられても
その困難って大概は情報的なものなので気にしなきゃ気にならない。
物理的に危害を加えられたら逃げるなり戦うなりしなきゃいかんけどね
でもまあ法治国家なのでよっぽどなことが無いと物理的に危害を加えられることは無い。
ということは基本的に毎日楽しくて良いということだよ
958 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 22:20:42.28 ID:/TY055Lx
社会生活の殆どは情報的なものなので命を取られることは無いから全て楽しめるはず。
失敗してもそれもまた情報的な失敗なので何の問題もない。
ただ交通事故とかには気をつけた方がいいかもな。
事故って怪我をしたらそれは物理的なものだから
多少はやばい。
それでもまあ足の一本無くなってもそれもまた情報的なものなので気にしなきゃ気にならないはず
再生医療も進んで来てるしね。
まあ極端な話し命を失ってもそれも情報的なものなので気にしなきゃなんてことはないとも言えるんだが
959 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 22:29:01.22 ID:/TY055Lx
脳からすれば死んだ時も「あ、死んだ」という情報的なものなはずだ。
それ以上でもそれ以下でも無いはずなので
命を失う事すらその程度の事だとすると
普段の日常生活で起きる出来事は全て何でもない事なのだ。
「命を取られる訳じゃないし命を取られたとしてもまあ大した事じゃないよなと思えば何事にも落ち着いて取り組めるのではないだろうか
>>958 平和ボケここに極まるだなw
日本以外はそんなに安全じゃねーよ。
961 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/19(日) 09:47:26.72 ID:2S54Abvq
>>930のつづき
>世間を見る眼」→世俗締
>「仏眼において見る眼」→勝義締
世俗締→善悪基準
勝義締→正道(つまり八正道)
善行善果で彼の世において、良いポジションに付ける訳ではない。
良いポジションに付けるのをキボンヌするとすれば、八正道しかない。
八正道は「良いポジション」を目指すものではない。
「良いポジション」は正道においては寂滅。
このように正道に近づけば近づく程に、世俗価値観が寂滅される方向性を有す。
八正道は中道。
中道は非常にバランスの良い状態で、バランスの良い状態というのは無機質。
生命は有機質であり、正道とすればアンバランスと言えよう。
中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法
四如意足(四神足) 四つの自在力
1).欲(すぐれた瞑想を得ようと願う)
2).精進(すぐれた瞑想を得ようと努力する)
3).念(すぐれた瞑想を得ようと心を集中する)
4).思惟(すぐれた瞑想を得ようと智慧をもって思惟観察する)
八正道
1).正見(正しい見解)
2).正思惟(正しい考え)
3).正語(正しい言葉)
4).正業(正しい行為)
5).正命(正しい生業)
6).正精進(正しい努力)
7).正念(正しい念慮、気づき)
8).正定(正しい集中)
− − −
↑ 四如意足も重要なんじゃなイカ?
963 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/19(日) 13:47:35.32 ID:2S54Abvq
>>962 > ↑ 四如意足も重要なんじゃなイカ?
「道筋」ってもんがあるだろう?
誰だって最初は世俗締から入る。
世俗締の十二縁起を先ずマスターして(順観)、
そこから逆観したりして寂滅を考察したりする。
こういった一連の十二縁起というのは、あくまでも世俗締とするのが
雑阿含経・第一義空経の見解だよ。この頃すでに空思想の萌芽があった。
中論はこの理論体系といっても良いんじゃないかな?
空思想だと十二縁起も批判的になる。
勿論、八正道にしても然り!!
「正しい」は、あくまでも世俗締における「正しい」の意味ではない。
正邪の分別のない「正しい」と解釈すべきであろう。
> 誰だって最初は世俗締から入る。
八正道
1).正見(正しい見解)
2).正思惟(正しい考え)
3).正語(正しい言葉)
4).正業(正しい行為)
5).正命(正しい生業)
6).正精進(正しい努力)
7).正念(正しい念慮、気づき)
8).正定(正しい集中)
八正道と四如意足は
深い関係がある
深い繋がりがあるんじゃなイカ?
965 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2012/02/19(日) 14:03:36.95 ID:Dt1HqcUD
966 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/19(日) 14:07:30.01 ID:2S54Abvq
>>964 >八正道と四如意足は深い関係がある 。深い繋がりがあるんじゃなイカ?
それは勿論「正しい」ことだよ。
ただし仏教は「中道」だから、「正しいに偏らず」を正道とすべきであろう。
「相対立するは結論でるまじ」。by正法眼蔵
邪見に囚われず、中道においてしか正法は解せず!!
967 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 16:23:25.63 ID:kNzajvMB
>>966 「正しい」を八回も繰り返しながら、「正しさ」の基準は判らなかった釈迦。
「真ん中とれば正しい」という訳ではない。釈迦のアンバランスな精神から
発生した、観念の遊戯に過ぎない。
968 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/19(日) 18:06:18.04 ID:2S54Abvq
>>967 >釈迦のアンバランスな精神から 発生した、観念の遊戯に過ぎない。
だったら、精神の発生する以前がバランスが良いんじゃないだろうか?
>>961参照してください。
>中道は非常にバランスの良い状態で、バランスの良い状態というのは無機質。
>生命は有機質であり、正道とすればアンバランスと言えよう。
昔はお店もないし食べ物も売ってませんから。
ついこの前まで日本もそうでした。
たらふく食ってひまをもてあましてやることもないので
宗教について考えるなんてつい最近のことです。
970 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 18:27:05.31 ID:xE7y1b9Q
>>967 そうじゃなくて、正しいと思って行動したのに実は間違っていた、
後悔し反省する、そして今度こそ正しいと思って行動する、
しかしそれも間違っていた、のような試行錯誤を込めたうえでの、
正しさではないのだろうか。
間違いも正解もない
それは空想だ。
宗教に分類される仏教でそのように善悪などについて定義されているだけで
そうでない人にとってみればそれはどうでもいいことであったり逆の意味であることもあると思います。
973 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 20:14:03.71 ID:Q58+IAW4
>>970 釈迦には、生存努力の体験はないのだから、試行錯誤もない。
だから八正道はナンセンス。「内容」がないから、全くつまらん。
「生命」を無明呼ばわりした点で、最初から倒錯した病的心理。真如としての
衆生心に、思い至っていない。
974 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 20:22:19.28 ID:Q58+IAW4
「真理」「真理」と叫び、ピラトから「真理とは何か」と突っ込まれて答え
られなかったイエスも同じ。ニーチェは、このピラトの問いこそ、聖書の
中で「唯一の価値ある言葉」と言っている。
人間の寿命は100年ですから同じものを読めば同じ答えにたどり着いた頃に死にますからね。
>>973 29歳で出家するわけだが、王子という身分から普通の人以上に、
正しさを求めて苦労し、試行錯誤したのではないかと思う。
正しさを求める気持ちの重要さが強調されているような気がする。
無明なのは人間の心であって、生命ではないですよ。
977 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 20:54:20.25 ID:Q58+IAW4
>>976 王子として贅沢三昧に暮らし、城門の外に一歩でた途端に人生の苦を知る。
あくまで「第三者」の立場。原爆の被害を受けなかった者が特に原爆反対
を唱えるサヨクと同じ。
978 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 20:58:33.48 ID:Q58+IAW4
>>976 心は、専ら、生命(肉体)のみから発する。従って「心=肉体(生命)」で
ある。死者には心はない。
死体にもいろいろあるけど死ぬところに立ち会う機会が多い人なら考えも違うはず
>>977 八正道は自分の正しさを知る教えではない。どうあがいても自分が
間違っていることを知るための教えだろうと思う。
八正道によって自分が根本的に間違っていることに気づく。
根本的な間違い、これが無明である。キリスト教では原罪という。
982 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 22:04:00.08 ID:xE7y1b9Q
>>978 生命と肉体を区別しなければならない。抜けた髪、切られた爪に生命はない。
腕や足が切断刺されても人は生きている。
983 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 22:14:54.08 ID:Q58+IAW4
釈迦は驚くべき長距離を歩き回って「生の苦」を説くことに、己の「生の喜び」
を見出した。本当に苦なら、引き篭もってふさいでいたはず。彼の教えの
「根本的誤り」が証明されている。
984 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 22:18:22.56 ID:Q58+IAW4
>>981 「諸行無常」なら、「正しい」とも「間違っている」とも言えないはず。
これも、釈迦の誤り。
986 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 22:28:36.69 ID:kShTN02A
>>982 それらの髪、爪、手足は、もはや成長せず腐敗する。生命システムから切断
されたからである。
>>973 >釈迦には、生存努力の体験はないのだから、試行錯誤もない。
何故、そう言いきれるのかが、訳わかめ!w
>だから八正道はナンセンス。「内容」がないから、全くつまらん。
八正道がナンセンスなら、貴方の主張は信仰ではなく哲学だな!
哲学板へどうぞ!
988 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 22:44:28.46 ID:kShTN02A
>>987 ナンセンスな対象をナンセンスではないとする信仰も、またナンセンスである。
989 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 22:47:59.26 ID:kShTN02A
>>987 釈迦は、「諸行無常」などと言いながら、何故「正しい」「正しい」と断定
したのか。言ってることが矛盾だらけ。
990 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 22:56:36.81 ID:kShTN02A
釈迦は、霊魂(精神)と身体との同一・非同一を「無記」としている。
釈迦が、精神と身体とを別個に論じる箇所が一箇所でもあったとしたら、
またまた、釈迦の矛盾。
991 :
てすと:2012/02/19(日) 23:05:34.69 ID:7QwXxCxM
生命とは分子結合の働きをそう呼んでいるにすぎない。
生命=物質同士の相互作用。
苦痛=脳に伝わる電気信号。
生命などはなく、物質と作用だけがある。
>>988 >ナンセンスな対象をナンセンスではないとする信仰も、またナンセンスである。
もうね、アボガド!w
宗教としての仏教やないな!
そら、話が噛み合わんはずや!w
このピーマン野郎の理解度がわかったわ!w
993 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 23:21:18.00 ID:kShTN02A
>>992 ナンセンスを「理解した」と思うのも、またナンセンス。「理解した」と
思った瞬間が、洗脳の瞬間である。
994 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 23:26:20.57 ID:kShTN02A
>>991 同じく分子結合でも、生きている生物の肉体は腐敗・分解せず、死体は必ず
腐敗・分解するのは、何故だと思うかw。
996 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 23:33:16.45 ID:kShTN02A
>>995 宗教の起源がアニムズムであることは、宗教学の定説。
997 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 23:40:45.14 ID:kShTN02A
宗教は、人間の生存の「手段」として発生した。それを、生存との関係を切断
して、生存の「目的」とする倒錯に陥ったのは、ひとえに、創唱宗教の開祖の
精神障害による。その精神障害が集団的一大感染をしたのが、創唱宗教である。
精神病は感染する(感応精神病)。
999 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 23:43:34.07 ID:kShTN02A
>>998 手段と目的との本末転倒は、手段ではなく退歩である。
1000 :
神も仏も名無しさん:2012/02/19(日) 23:49:27.27 ID:kShTN02A
1001 :
1001:
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