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名前はいらない :
2006/03/13(月) 08:02:39 ID:fHY39xuz 尾崎豊 6DAYS SOMEBODY BEEPS A KLAXON 誰かのクラクションが聞こえる〜 上映日:3月21日(火)、22日(水)、23日(木) 19:30開場 20:00開演 10代の若者の鬱屈したエネルギーを解放するかのように、心の叫びを表現した尾崎豊。 その歌の数々は若者から多大なる支持を受け、時代を超えた今なお強く音楽シーンに伝説として残されている。 没後14年…尾崎豊の命日4月25日を前に、未発表音源の視聴や、ライブフィルムを含む貴重な映像の上映などをお送りするスペシャルイベントが実現! かつて尾崎豊に胸を焦がしたリアルタイムのファン世代も、新しい尾崎豊ファンも、その音楽世界と言葉にもう一度触れてみよう。
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名前はいらない :2006/03/13(月) 08:05:14 ID:fHY39xuz
Part.1: 尾崎豊が10代最期に残した幻の音源が遂に甦る! 【視聴作品】 未発表の2作品の音源を、 オリジナルイメージ映像に合わせて上映。 ■「真空の中でも嵐は起こる」 ■「巨人の輪郭」 尾崎豊が10代の頃、1985年から1987年にかけて愛知のラジオ局「東海ラジオ」で 日曜日の深夜に放送されていたレギュラー番組「誰かのクラクション」。 その中で尾崎自身が書き綴り、朗読を行なっていた「詩」に、 オーケストラによるサウンドを加えて新しい作品に仕上げた、 最後のオリジナル作品がこの2作。 尾崎豊の描く言葉の世界を、オリジナルイメージ映像とともに体感してください。
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名前はいらない :2006/03/13(月) 08:05:57 ID:fHY39xuz
Part.2:未発表作品を含むライブ映像を特別上映。 【上映作品】 3作品のダイジェスト映像を日替りで上映。 ■「OZAKI・18」 1984年3月15日に新宿ルイードで行なわれたライブ映像。(デジタルリマスター版) ■「OZAKI・19」 1985年1月12日に)日本青年館で行なわれたライブ映像。(デジタルリマスター版) ■「OZAKI FILM ALIVE AT ARIAKE COLOSSEUM IN 1987 THE TWENTY-FIRST SUMMER」 1987年8月29日に行なわれた"TREES LINING A STREET”ツアーの有明コロシアムでのライブ映像。(未発表作品) その他、10代の尾崎豊を語るトークショー、未公開の尾崎豊パネル写真や直筆のイラストの展示、 尾崎豊オリジナルグッズの販売なども予定。 トークゲストの詳細は近日発表!
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名前はいらない :2006/03/13(月) 08:08:58 ID:fHY39xuz
・須藤晃(音楽プロデューサー デビューから現在まで尾崎豊の作品を手がける) 「尾崎豊は1965年生まれであるから、1992年の4月に急死していなければ、昨年40歳になっていたはずである。 しかし彼は26歳半ばで非業の死を遂げた。 若くして急逝したアーティストは神格化され、彼にまつわる様々な逸話が伝説のように語られることになってもおかしくはない。 ところが、むしろ逆の現象が起こったのである。 生前の彼は反抗する十代の旗手であるカリスマとして語られたことが多く、没後はその人間性を強く語られ始めたのである。 彼が歌に込めようとしていたこと、ライブパフォーマンスで観客に直接伝えようとしたエネルギーの根幹にあるもの、生きざまの核にある人生観などが、皮を一枚一枚はいでいくかのように語られ始めたのである。 そして、そのことで彼の存在感は薄らぐことなく、ますます大衆に愛され尊敬されたのである。」 以前尾崎豊について僕が書いた文章の抜粋である。 そしていま彼の10代の時の詩の朗読がオーケストレーションとのコラボで新たな作品として発表されようとしている。 そこに感じ取ってほしいものは、やはり一枚ずつ脱がされていった後に見え始める黄金色に輝く幹の美しさではないかと思う。 その幹はどこにもないものなのだと知る。 こうして尾崎豊を語り継ぐことが同じ時代にいた僕らの使命でもあると固く信じている。
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名前はいらない :2006/03/13(月) 08:11:10 ID:fHY39xuz
・加藤与佐雄(「誰かのクラクション」放送当時担当ディレクター) 「ラジオってイマジネーションの世界だと思うんです」 「だったらそれを具現化しようよ」 そんなやりとりがあって1985年10月、ラジオ番組「誰かのクラクション」は始まった。尾崎豊19才。 毎週1回午後9時頃から40Wの裸電球が一つ灯る薄暗いスタジオに入って尾崎は原稿を書き始める。 1時間位たって第1章が完成。 それを読んでスタッフはイメージがさらに膨らむように選曲をする。 その間に尾崎は第2章を書き上げるためにスタジオに入る…。 全ての素材が揃って尾崎がマイクの前で語り始めるのは午前1時か2時。 悩み苦しんだときは夜が白々と明けてくるまで。 尾崎にとって「誰かのクラクション」は自己表現の場として音楽と同じくらい重要な位置を占めていたのだろう。 30分の番組にこれほどの時間と集中力費やすことは通常のミュージシャン番組ではありえない。 呼吸する音が聞こえるほどの鬼気迫る緊張感の中一言一言が体中に染み渡る。 尾崎豊はラジオ番組で後生に語り継がれる作品を完成したのである。
あぼーん
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名前はいらない :2006/03/14(火) 04:53:24 ID:P+KEuAA5
尾崎の詩は確かにいいと思うけど でも日常生活はハチャメチャだから どうしようもない
>>8 おお、雑用係のおじさん頑張ってるな やっと仕事が見つかったのか
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名前はいらない :2006/03/15(水) 00:55:59 ID:0eN0wUpY
どこがいいんだ シャブ中の
11 :
名前はいらない :2006/03/15(水) 12:13:55 ID:nICTsewE
もうチケット取れた奴はいるのか?
12 :
名前はいらない :2006/03/16(木) 07:44:50 ID:sJT3ZuaI
行きたいけど今からでもチケット取れるのか?
13 :
名前はいらない :2006/03/17(金) 01:41:04 ID:ZShb0UqA
行儀良く真面目なんてクソ食らえと思った ↑この部分は苦しいな
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名前はいらない :
2006/03/23(木) 11:02:57 ID:iaSCmkBM 行ってきたよ でもイマイチだった 須藤さんのVTRは良かったけど