ゲーテルの不完全性定理★★

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
ある公理系に矛盾がなければ、その公理系から証明できない命題が
必ず存在するのはなでですか?
2考える名無しさん:2001/08/12(日) 17:18
どうなんでしょう
3考える名無しさん:2001/08/12(日) 23:30
ホフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」を読まれたい
4考える名無しさん:2001/08/12(日) 23:48
矛盾がなければ不完全で、完全ならば矛盾を持つ。
素晴らしい。
いかなるシステムでもこれが成立することを
証明する天才が出ないことを祈る。
5考える名無しさん:2001/08/12(日) 23:50
転がる石は苔むさず
ってことでしょうか?
6考える名無しさん:2001/08/12(日) 23:50
哲学の領域だね。
7考える名無しさん:2001/08/12(日) 23:56
引きこもりは自涜するってことでしょうか
8考える名無しさん:2001/08/13(月) 00:01
だいだいゲーテルじゃないよ
わざとでもうっかりでもないでしょう
そう思ってたんでしょ

今日、新宿紀伊国屋でゲーデル全集その一あった
ペーパーバック版のほうがかっこいいね
有隣社にはハードカバー版しかなっかった
9考える名無しさん:2001/08/13(月) 00:50
これと無知の知と神は死んだは厨房三種の神器
10考える名無しさん:2001/08/13(月) 14:43
難しいね
11考える名無しさん:2001/08/13(月) 15:19
>ゲーテル

で、お供は宅浪ってか(笑)
12ダグラス:2001/08/18(土) 06:51
ぼくのGEBの順番どう?

Aさん おれはGBEだな、絵はあまり興味ないもん
13考える名無しさん:2001/08/18(土) 07:15
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね         
14考える名無しさん:2001/08/18(土) 07:40
すぅいぬぇ
15考える名無しさん:2001/08/18(土) 08:13
>>1
矛盾がなければ、矛盾した式は証明できないからです。
ゲーデルの定理とは関係ありません。
16考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:55
死ね        
17考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:55
死ね死ね
18考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:55
死ね死ね死ね
19考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:55
死ね死ね死ね死ね
20考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:56
死ね死ね死ね死ね死ね     
21考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:56
死ね死ね死ね死ね死ね死ね    
22考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:56
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね         
23考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:56
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね     
24考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:56
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
25考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:56
           
26考える名無しさん:01/09/10 18:26
数学屋の出番
27考える名無しさん:01/09/10 18:52
あきらめろ
28哲学事始:01/09/10 19:12
ゲーデルて晩年は神秘主義に走りましたね。何でだろう?
29考える名無しさん:01/09/12 08:36
数学者って結構晩年神秘主義に走りがちじゃない?
数学が一種の神秘主義だからっていったら言い過ぎか
30考える名無しさん:01/09/12 09:49
結局誰もわからないということでよろしいですか?
31考える名無しさん:01/09/18 03:42
ゲーデルはプリンストンで殺されました。
言っちゃいけないことを逝ったんでしょうね。
政府の要請でデパート財団が動いたらしいですよ。
32考える名無しさん:01/09/26 23:52
きっちり理解してる奴なんて哲板にいるの?
33考える名無しさん:01/09/27 00:08
公理系「メッコール」には三つしか文がない。
一つは「文鮮明」、二つめは「ハッピーワールド」、三つめは「チョヂョン鉱泉水」
この公理系には公理が一つだけある。それは「文鮮明」。
また、この公理系には推論規則が一つだけある。
それは、
「文鮮明」→「ハッピーワールド」

公理系「メッコール」について以下の事柄が成立することは容易に確かめられる。
1.無矛盾である
2.すべての真なる文が証明可能である
34考える名無しさん:01/09/27 00:13
選択公理
35考える名無しさん:01/09/27 02:08
高橋 昌一郎ってどうよ?
36名無し:01/09/27 02:14
>>28
ゲーデルは「私には無限が見える」と言ってたらしいね。
しかし、それは精神を集中したときに限るが、と断りながら。

不完全性定理というのは結局、
「数学」自体をささえる根拠がない、ということではないか。
つまり、数学は純粋な形式であり、自らがそれ自体を吊り支える
ような存り方をしている。
だから、その外部に究極の根拠を求める必要性が生じるが、
ゲーデルは性急にもそれを直接、神性に求めようとした。
それに対し、柄谷は、そこに「社会性」をもってくるべきだと
主張している。
37考える名無しさん:01/09/27 02:21
>>36
社会性の詳しい解説キボン。
数学に社会性を持ってくるってこと?
38名無し:01/09/27 02:46
>>37
「社会性」というのは、日常つかわれるような意味ではなく、
マルクスが用いたような意味らしく、それは言うなれば
「唯物論性」と解釈してもいいかもしれない。
つまり、数学とは(ウィトゲンシュタインが主張したように)、
規則の集合であり、発明の束である、というような視点でとらえること
であり、それはすなわち、数学を一元論的に整然と秩序だった体系として
とらえるのではなく(それは神秘主義につながる)、
雑多な諸規則がテンデバラバラに寄り集まっているという視点で
とらえることといえるか。
39考える名無しさん:01/09/27 04:23
柄谷のゲーデル問題の提出はオソマツ(インチキというべきか)だ。
あれが無ければまだマシな哲学者だと思えたものを・・・
ソーカルが柄谷のゲーデル問題論を読んだらコイツモカーと云うだろう。
40ななし:01/09/27 19:13
柄谷は数学の基礎論をゲーデルまできっちりクリアしてる。
もともと数学者志望だし。
それに柄谷の場合、数学的な意匠を借りてきて自分の思想を糊塗するのと違い、
まさに数学そのものを思考の対象としてるのだから、
ソーカルが知の欺瞞でいうケースには当てはまらないのではないの。
41考える名無しさん:01/09/28 03:33
>>40
>数学者志望だし。

志望することは、その能力を保証しないと思うが。

>数学的な意匠を借りてきて自分の思想を糊塗するのと違い、

まさにそのものだと数学者達からは言われていたりするが。
42考える名無しさん :01/09/28 09:52
>>41
なるほど
43考える名無しさん:01/09/28 19:44
相対性理論(ニュートン力学を含む)、量子力学、不完全性定理、は人類史における
三大発見だと思う。

どうですか?
44考える名無しさん:01/09/28 19:47
>相対性理論(ニュートン力学を含む)

ずいぶんと乱暴だね。

無理に三つにしようとするからだと思いますが。
45考える名無しさん:01/09/28 21:11
人類史における三大発見じゃなくてただの素人(少なくともこの板に興味を示す)
に目立つ三大発見じゃないか?
46考える名無しさん:01/09/29 07:39
>>36
>数学は純粋な形式であり、自らがそれ自体を
>吊り支えるような存り方をしている。
>だから、その外部に究極の根拠を求める必要性が生じるが、
>ゲーデルは性急にもそれを直接、神性に求めようとした。

神性を求めるのは性急でもなんでもない。
実際、君自身「外部に究極の根拠を求める必要性」を
感じているじゃないか。それが「神を求める心」なのだ。

もっとも、神は求めても得られない。
結局全ては神の現れだと信じるしかないと
悟るほかはないのだ。
47プリゴジン:01/09/29 10:32
おれを忘れるな!
48まじレス:01/09/29 10:59
すべての公理系は
1.矛盾を孕んでいる
2.不完全である
のどちらかを満たすことが証明されてしまったから。
ここまで書けば1の言ってることが不思議でも何でもないということが分かるよね。
49考える名無しさん:01/09/29 12:05
だから選択公理って知ってるか?
50ななし:01/09/29 12:33
>>46
数学体系にとってその「外部に究極の根拠を求める必要性」が生じるのは、
その体系内部によってそれ自体の根拠を究極的に証明することは
不可能である(不完全性定理)からであり、ゲーデルやおれといった人間
主体がその必要性を感じるからというわけではない。

さらに、数学体系はその内部だけでは自己の根拠を示せないというとき、
そこから、内部の「ネガ」としての外部、つまり内部以外の何かが
あると推測するにとどまるのが順当な思考の手続きであるはずなのに、
その手続きを踏襲せずに直接「神」を求めるのはやはり性急であると
いってもいいと思うのだが。
51およびごし:01/09/29 14:20
ゲーデルの地元では「不完全性定理」は公式の研究として
数えられていないようですが、やっぱり
それを言っちゃお仕舞いということなんですか?
たとえば数学業界なんかでは。
52考える名無しさん:01/09/29 15:20
>>50

ああ、外部に求めるのは内部に求められないからといいたいわけか。
しかしながら、内だろうが外だろうが「究極の根拠」は求めるのだろう?
それは結局「神」を求めることと同じではないかね?

で、内部だけでは自己の根拠を示せないから、
内部の「ネガ」としての外部、つまり内部以外の
何かがあると推測するという手続きそのものが
実は「神の創造」ではないかね?

すなわちホントウに性急なのは、根拠があると
考えることではないかね?すなわち、きみも
ゲーデルと同等に性急ではないかね?
53考える名無しさん:01/09/29 15:41
ゲーデルの不完全性定理が成り立つのは、算術が展開できるような体系だけだぞ。
逆にいえば、算術が展開できないような(小さな)体系なら無矛盾が証明できる
(ゲーデルの完全性定理)

ココからは俺の推測だが、
ヒルベルトの形式化は 有限主義にのっとたもので、体系は有限個の公理系で構成されなくてはならない。
(確か 帰納法が使えないはず)
で、算術を展開できる=無限を扱う
なので、無限をうまく扱えないことが原因だと思う。

確か、メタ数学とか、無限個の公理系を認めた体系とかでは 無矛盾が証明できたはず。
(うる覚え)
54考える名無しさん:01/09/29 17:06
>>53
まず、算術が展開できないような体系では、
体系内で無矛盾性の記述ができない。

次に、体系内での無矛盾性証明の不能性は
自己言及に関わるものであって、無限は
直接は関係ない。
しかしながら、数学における無限を定義するに、
数学的帰納法などのある種の自己言及的な方法を
用いているわけだから、まったく無関係ではない。

最後に、自分より強力な公理系を使ってよいなら
数論の無矛盾性は証明できる。しかしながら、
その強力な公理系もまた、自身では無矛盾性証明
できないのであるから、単に問題の先送りに過ぎない。
55ななし:01/09/30 04:45
>>52
思考に忠実にしたがう限り「究極の根拠」を求める態度からは避けられないよ。
それは「論理」による必然的な要請なのだから。
しかし、そのとき「神」といった結論に逃げ込んでしまうならば、それは問題である。
だから、「根拠」を求める態度と、実際に「根拠」にすがりついてしまうことの間
には決定的な隔だりがあり、また、それらは峻別すべきである。

おそらくあなたが想定してるであろうニーチェ的なニヒリズム(世界を意味づけることの否定)
においても、自分がそこに属している意味体系(キリスト教文化)との知的格闘があったから
こそ、価値をもったのであって、はじめから意味や根拠などないというのならばそこには
何ももたらされない。
「根拠がない」ということが、もう一つの根拠として働いてしまうことに注意すべきである。
それは、きわめて低次の安定したレベルでの思考が戯れるに終始してしまうから。

ただ思考を享受するだけの人間ではなく、自ら思考する人間にとっては、
「根拠」を求める態度は不可避である。
だが、そのとき、論理的な段階を踏まずに、無媒介的に「結論」に飛びついて
しまうならば批判されるべきである。
56考える名無しさん:01/09/30 10:39
>>55
>思考に忠実にしたがう限り「究極の根拠」を求める態度からは避けられないよ。
>それは「論理」による必然的な要請なのだから。

それは”思考への忠誠”という神への信仰告白だね(笑)

いっておくが、私は神を信じることが悪いとはいっていない。
(もっとも信じるという意識的な行為は、私のいいたいこととは異なる。
 むしろ神の存在を感じているというべきであろうか?
 感じることに、いいも悪いもないだろう(笑))

実はニーチェ的ニヒリズムを展開するにも神への信仰が不可欠である。
世界を否定するには、まず否定されるべき世界が必要だからね(笑)

すなわちリアリズムとニヒリズムは、カタツムリの2つの角の争いの
ようなものだ。
タオイストなら、無いものは否定することもできないというだろう。
57ななし:01/09/30 16:59
>>56
「思考への忠実な態度」は額面どおりの意味で、それ以上でも以下でもない。
ましてや「神への信仰告白」と読み換えるのには無理があるというものである。
ソバ職人がソバづくりに誠意をみせるのと同様に、誠実に思考するまでである。

>神の存在を感じているというべきであろうか?
>感じることに、いいも悪いもないだろう(笑)

その「感じたこと」を吟味するのが思考あるいは哲学というものだろう。
あなたが「感じたこと」にもさらに根底的なレベルでその原因がある。
それを知らないのは、たんにそれを追求しようとしていないからだけである。
58厨哲:01/09/30 17:06
>>53
数学のすべてを記述しようとしたヒルベルト萌え。
わたしは難しいことはわからない厨房なのですが、
ゲーデル先生の不完全性定理とは
「わかんないことはわからない」と理解してますがどうでしょうか。
厨房向け不完全性定理の解説希望します。お願いします。
59考える名無しさん:01/09/30 19:19
>58
なぜ俺? 54さんの方が詳しいと思われ。(^^)

とりあえず,スマリヤン(Rymd M.Smullyan)あたりが有名と思われ。
えらくムズいが。

>54
命題理論って完全では?
60考える名無しさん:01/09/30 22:16
>>57
なぜ「神」という言葉に怖れを抱くのかな?
ああ、それじゃ「タオ」にしよう。それならどうだ?(笑)

ところで、感じたことを吟味したいなら、いくらでもしてかまわんが
だからといって究極の基礎なんて永遠に見つからんよ。
私は無駄なことはしない主義なのだ(笑)
61考える名無しさん:01/10/08 03:37
>>54
それはきちんと証明されるようなことなの?
62狗神:01/10/08 15:50
>>53
>確か、メタ数学とか、無限個の公理系を認めた体系とかでは 無矛盾が証明できたはず。
(うる覚え)

 1930年代、不完全性定理がでた直後に、ゲンチェンが自然数論の
無矛盾性を証明しちゃいました。でも、これは(記号列についての)
超限帰納法を認める証明で、その意味ではヒルベルトの規定した
「有限の立場」のガイドラインに違反している。だからゲンチェンの
証明と不完全性定理が矛盾するわけではない。
 ただ、個人的にはゲンチェンの証明は認めますね。だって、記号列
についての数学的帰納法を認めていいなら超限帰納法だって認めて
しかるべきだと思うから。

有限の立場、ゲンチェンの証明、超限帰納法については、
竹内外史『数学基礎論』(共立)に漏れなく解説されている。
63トロ:01/10/08 16:06
>>62

>ただ、個人的にはゲンチェンの証明は認めますね。
>だって、記号列についての数学的帰納法を認めていいなら
>超限帰納法だって認めてしかるべきだと思うから。

認めるのなら、なんで無矛盾性なんて証明するニャ?
64狗神:01/10/08 16:22
>>63
>認めるのなら、なんで無矛盾性なんて証明するニャ?

 一部の人(数学者)にとっては安心感の源となるでしょう。(笑

 ただ、わしが「認める」というのは、メタ数学の証明として
妥当と認めるということ。ちなみに、ゲーデルの不完全性定理も
ゲンチェンの証明も、ともにメタ数学(=証明論)での定理です。
ただ、前述したように、前者はヒルベルトのガイドラインに
したがっているが、後者はそれをちょっと逸脱しているわけで、
そこに多少の論争の余地があるだろう、と。

ま、不完全性定理を神聖視したい人にとっては、(あまり
知られていない)ゲンチェンの
証明は目の上のたんこぶかもしれない。
65トロ:01/10/08 17:13
>ただ、わしが「認める」というのは、
>メタ数学の証明として妥当と認めるということ。

メタ数学の無矛盾性も証明する必要があるニャ。
それをやるのがメタメタ数学だニャ。
で、そこで超々限帰納法を使うんだニャ。
なんか超々って、モー娘だニャ。
♪超々々 いい感じ 超々々々 いい感じ
ちなみにモー娘はよっすぃーが好きだニャ。
66考える名無しさん:01/10/14 12:55
リンク
数学と哲学って本質的には同じなんですか?@数学板
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi/math/1002821306
67考える名無しさん:01/10/17 20:32
リンク先オモロイです
68考える名無しさん
age