◆◇後期フッサール思想の根本問題◆◇

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1研究者1
フッサールの現象学に関するスレッドを幾つか覗いて見ましたが、
余りにレベルの低いものが多過ぎるので、敢えて現象学の研究者
を対象に、高次の議論が出来るようなスレッドを立てる事にします。

研究者の皆さん、どうぞ。
2考える名無しさん:2001/05/25(金) 00:11
お、らげっちが食いつきそうなネタ(w
3吾輩は名無しである:2001/05/25(金) 00:16
1が高次元な議論の契機を作ってくれることを期待している。
晩年の遺稿ではセックスに則して相互主観性が説かれるそうだ。
こいつと現象学のせいで哲学の進歩は100年は遅れることになった、とふと思う。
5名無しさん:2001/05/25(金) 02:17
メルロ・ポンティから見たらフッサールなどマルクスにとってのヘーゲルみたいなものだぜ
6考える名無しさん:2001/05/25(金) 03:55

>哲学の進歩は100年は遅れることになった

いまだに哲学が時系列に従って進歩しているとおもっているヴァカ発見!
7考える名無しさん:2001/05/25(金) 04:08
>>6

4ぢゃないが、痛い例又は反例をきぼーん。
ハァ?進歩しステップアップを期さぬ学問なんかやっても無駄だろ?
俺は常識中の常識をいってるはずだが
じゃぁ進歩も何もない哲学の意味をいってみろ。

ハァ?

>進歩しステップアップを期さぬ学問なんかやっても無駄だろ?

ってのが常識中の常識?

それって、

>すでに乗り越えられた思想なんて読む気しねーよ!

とほとんど同質なんじゃん?
10考える名無しさん:2001/05/25(金) 09:04
>8
哲学の意味ねぇ、、、
それにすら答えを簡潔に示せないとは、、
眠い、、、
11研究者1:2001/05/25(金) 10:27
矢張り後期フッサールに関する専門的な議論などは望めそうにありませんね。
まあそれはそれでいいのですが。

少し気になったのは、哲学の進歩云々という話ですが、周知のように、晩年の
フッサールは所謂「理性の目的論」を提唱していますね。

これは全近代哲学が、超越論的現象学としての最終形態に至るべく運命づけられて
いるという主張で、こうした考えは彼の明証理論の深化と密接に連関しています。
フッサールの著作を読めば、彼がある程度学問の「進歩」を認め、諸学の根本に
位置する哲学さえも、一つの「理念」に向かって進歩しているとみなしていたのは
明白です。

少し前には確か「アナレクタ・フッセリアーナ」所収の論文に、ダーウィン的な
進化論と、フッサールの目的論を対比する試みなどがありましたが、最近では
余り注目されていないようです。

ただ「理念」といっても、それは主観の能動的な働きである再活性化を通じて、
受動性の根底に存する起源的なものを、現前するものとして反覆するという側面が
があり、ある意味では、まったく歴史的な代物ではありません。
理性の目的論という言い方そのものに問題があるんでしょうね、多分。
12研究者1:2001/05/25(金) 10:35
それからセックスと相互主観性とを論ずる遺稿なんて見たことありませんね(笑
まあ男根と女陰とが二重感覚・・・まあいいや。

メルロ=ポンティの遺稿のことかな?
13研究者1:2001/05/25(金) 10:50
しかし、少なくとも哲学が、自然科学のようなものと並行的に
進歩するという考えは受け入れ難いものがあります。

そもそも思惟が進歩するとはどのような現象を指していうのでしょうか。

また、ある思想を「乗り越える」とはどういうことなのか。
乗り越えることを判断するのはある主体でなければなりませんが、
主体にそれだけの判断を下す能力があるかどうかは疑問です。
一度乗り越えられたと思われたていた思想が、亡霊の如く甦る事は
思想史に頻繁に見られる現象です。

思惟は、主観的な判断により裁定されるようなものではないし、
ましてや歴史の中で競合を繰り返し、洗練されていくようなものでは
ないと思いますが、どうでしょう。

まあ、これは私個人の(!)意見ですが。


「マルクス主義は死んだ」。しかし人は喪の作業を怠っているのではなかろうか。
そんなことでは成仏できずに、今に墓場から甦ってきますよ、多分。
14研究者1:2001/05/25(金) 10:52
>思惟は、主観的な判断により裁定されるようなものではないし、
>ましてや歴史の中で競合を繰り返し、洗練されていくようなものでは
>ないと思いますが、どうでしょう。

自分で言うのも何ですが、この辺り分かり難いかと。
15考える名無しさん:2001/05/25(金) 12:31
>研究者1さん
読んでみてすごい面白かったです。
真面目に哲学をやる気が出てきました。
でも、眠い、、、
16考える名無しさん:2001/05/25(金) 15:58
>>13
>「マルクス主義は死んだ」。しかし人は喪の作業を怠っているのではなかろうか。
そんなことでは成仏できずに、今に墓場から甦ってきますよ、多分。

デリダ先生そのネタで本を一冊書きました。
しかも「共産主義という妖怪」問題を
「ノエマ」も妖怪じみている(から興味深い)
という主張と結びつけようとしています。
いつもながらの言いっぱなしですが。
176=9:2001/05/25(金) 23:07

>研究者1さん
ゆうべは茶化してすいません。

>しかし、少なくとも哲学が、自然科学のようなものと並行的に
>進歩するという考えは受け入れ難いものがあります。

ぼくも、こういうことをいいたかったのですが、相手がらげくんだったので、つい。

>>12

らげくんが、

>晩年の遺稿ではセックスに則して相互主観性が説かれるそうだ。

と書いていたのを見て、ぼくも、メルロ・ポンティが「身体イメージ」のことを踏まえて
書くのならわかるんだけど、とおもいました。この論考は特定できますでしょうか?

まぁ、らげくんはこのスレには出てこないでしょうから、マターリと現象学談義しませう。
18研究者1:2001/05/26(土) 05:08
>>15

恐れ入ります。

>>16

『マルクスの亡霊ども』ですね。かなり前に読みました。
デリダの最近の著作には何も期待するところはありませんが、
この本は(前半部分だけ)なかなか面白かったと思います。
特にハムレットを持ってくる辺りは、流石はデリダと思いました。
ただ、後期ハイデッガー理解を踏まえての議論ですから、
ずぶの素人には大変分り難い議論になってましたね。

要するに、亡霊の物言いには、なにかねじれたものがある、
そういうことを懸命に言おうとしていたような記憶があります。
これは後期ラカンのセミネールでも取上げられました。
生憎海賊版らしく(?)私の手元にはありませんが。

「目庇効果」とかは完全にラカン的な概念なんでしょうね。
私は専門で無いので分りませんが。あと、「他者」のことを
しつこく言いますね、最近の彼は。「円環からはみ出るもの」
とか、絶対的他者とか、そんな感じで。他者とか言わずに、
はっきりと「女」と言えばいいのに(笑

彼によれば、マルクスは生涯亡霊に付き纏われた思想家だったそうな。
後半のマルクス論自体は私には詰らなかったですが、ブランショとかを
読む機会を与えてくれたので感謝。

The time is out of joint.
19研究者1:2001/05/26(土) 05:11
補足。あの本のテーマである「正義」、つまり時代錯誤的な、
関節の外れた(脱臼した)亡霊の時間の中で立ち現れてくる
という正義の議論ですが、あれは私には不可解でした。

最近のデリダはやけに「絶対的」なものを持ってきますが、
あれも前期のテクスト論なんかに見られる相対主義的思考の
反動なんでしょうね。

私からすれば、デリダは前期のフッサール研究だけで充分。

まあ、このスレは後期フッサール思想が対象なのでデリダは
ここまでということで。ああ、La carte postale にある
フロイトの「快楽原則の彼岸」解釈も捨て難いが・・・。
20研究者1:2001/05/26(土) 05:13
>>17

いやあ、茶化しても全然構いませんよ。

メルロ=ポンティにそんな遺稿はない筈です。
21考える名無しさん:2001/05/26(土) 07:19
臭ぇ〜スレだな。
22吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 07:33
だって厨房のオナニーなんだもーん。
23考える名無しさん:2001/05/26(土) 12:27
>そもそも思惟が進歩するとはどのような現象を指していうのでしょうか。

ゲシュタルト・チェンジのことでしょう。


24考える名無しさん:2001/05/26(土) 12:35
>>21 >>22

厨房は竹田青嗣の寒い入門書でも読んでいて下さいね。

>>23

ゲシュタルト・チェンジ?
25器官なき身体:2001/05/26(土) 17:07
権威主義的なのが、見逃せませんでした。
では、さようなら。
26考える名無しさん:2001/05/27(日) 02:17
1の(以下略

27こんな感じ?:2001/05/27(日) 04:56
研究室の読書生活に飽きがくる

研究室にあるネットで2チャンに繋ぐ

自分の専門である哲学の板を見つける

スレを立てる

待つ

レスなし

待つ

厨房の煽り

今更ながら厨房にフッサールは無理なことを悟る

(゚Д゚)サムー
28考える名無しさん:2001/05/27(日) 05:55
ロンリー学〜。
29考える名無しさん:2001/05/27(日) 06:15
↑それは前期。
30考える名無しさん:2001/05/27(日) 06:24
後期にも論理学に関する著作はあります。
31 :2001/05/27(日) 07:46
FTL
32        :2001/05/27(日) 07:50
新訳希望。
33考える名無しさん:2001/05/27(日) 08:14
このスレは研究者1氏の思惑とは反対に、厨房の巣窟となりました。

従いまして、以下ではスレの内容を大幅に変更し、厨房からのごく簡単な
フッサール現象学に関する質問に答えるスレになりました。

研究者の皆さん、厨房はフッサールの原書など一冊も読んでいないので
要注意です。彼らは新書や入門書をかじり読み、自分ではかなり現象学を
理解していると思い込んでいます。

こんな情けない連中を相手にするのは時間の無駄でしょうが、
昼食後の暇つぶしくらいにはなると思います。

最後に質問させて下さい。「還元」って何ですか?(←厨房
34研究者1 :2001/05/27(日) 08:28
自分でスレを立てておいて何ですが、詰らないので終了とさせて頂きます。

ちなみに文体からお分りのように、>>33 は私の自作自演です。

本でも読んで寝ます。バイバイ
35        :2001/05/27(日) 08:35
そうか。
36厨房その1:2001/05/27(日) 09:21
>33
理論や事実を直接観察可能な経験にすることかな?
1+1=2は当たり前ですよね。
そういうことね、、、
眠すぎる、、、
37研究者1:2001/05/27(日) 13:44
>>36

>理論や事実を直接観察可能な経験にすることかな

それは所謂「経験主義」の主張で、フッサールの還元とは少し違う
と思います。還元は飽く迄、学問的理論や事実的なものを括弧に括り、
それらが超越論的自我の調和を持った流れる体験の中で、如何に意味を
与え返され、充実されて行くか、という次元にまで遡ります。

ここでは超越論的経験が問題になっているのであって、普通の意味での
経験は想定されていません。従ってカント的な「先験的-経験的」という
区別も通用しません。

しかしイギリス経験論とフッサールとの関係は非常に重要。


>眠すぎる

春眠暁を覚えず。ですね。
38フッサール:2001/05/27(日) 13:55

   ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡< フッサ‐ルだぞゴルァ!!
  UU"""" U U    \___________

39考える名無しさん:2001/05/27(日) 14:20
見えるものが全てか
40ミ,,゚Д゚彡:2001/05/27(日) 15:13
   ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡<  モナー板で大人気!ギコフッサール様だぞ!ゴルァ!
  UU"""" U U    \___________


http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mona&key=985679986
41考える名無しさん:2001/05/27(日) 15:32
様か
42考える名無しさん:2001/05/27(日) 15:35
そういうきゃらなの!いけづなところがいいの
43考える名無しさん:2001/05/27(日) 15:43
人気には秘密あり
44考える名無しさん:2001/05/27(日) 16:36
現象学的還元の逝きついた先は、完全な還元は不可能である
という認識であった。おしまい。
45考える名無しさん:2001/05/27(日) 16:42
現象学の限界さ
46研究者1:2001/05/27(日) 17:09
>>44

その考えは間違ってるよ。誰に入れ知恵されたのかな?
現代思想の入門書にそう書いてあった?

還元は基本的に「完全-不完全」の範疇に収まるものではない。
晩年のフッサールが自ら認めているように、還元は反覆的なもので
あり、繰り返し遂行し続けなければならないのだ。つまり、ここでは
還元の「完全性」など何ら問題になってはいない。

確かに明証理論の中には、十全的明証があって、これは理念的存在で
あるのだが、忘れてはならんのが必当然的明証だ。そもそもこれがある
からこそ、還元というのも意味を持ってくる。

もし還元の完全性などを言い出したら、理念的なものはすべてその意味を
失うだろう。大体、後期フッサールが問題にしたのは、この理念的対象の
歴史なんだよ。分かった?
47考える名無しさん:2001/05/27(日) 17:11
エネルギー保存の法則に似ている
48研究者1:2001/05/27(日) 17:13
補足。

理念的対象の歴史の超越論的構成、と言えば分り易いだろう。
これがフッサールのいう歴史性だ。
49考える名無しさん:2001/05/27(日) 17:20
普通の論でないってことさ
50考える名無しさん:2001/05/27(日) 19:22
研究者というから少しは期待したのに。君、センスないね。
理念的対象への近接をはかるべく、還元をいくら繰り返しても、
その理念が間違っていたら、どうする? たんなる無駄な努力だろうが。
フッサールのいう理念とか歴史って、要するに理性とヨーロッパだろ。
なぜそれらに十全的明証があるといえる? ローカルでないといえる?
それこそ、現代思想の入門書にでも書いてある疑問だよ。
51研究者1 :2001/05/27(日) 20:03
理念が間違ってる、って君(汗
そんなこと書いてある入門書が本当にあるのか?
あったら即捨てた方がいいね。マジで。

形而上学的真理の中にルサンチマンを読み込むとか、
そういうニーチェ的な批判なら分かるけど、
理念は間違ったり間違わなかったりするものじゃないよ。
そりゃあ、君みたいに意気込んでフッサールの理性主義を
「無駄な努力」と断定することも可能だけど、ことはそんなに
単純じゃねえ。君、現代思想なら、その中にデリダのこと
なんか書いてあったはずだよな。

彼はフッサールのテクストに何を見つけた?
理念性の歴史を追っていく中で、自分の意図したものから
段々と逸れて行くフッサールを発見したんだよな。
脱構築はそれ自身のうちで既に始まっているというデリダの
言葉が引用されてなかったか? デリダはフッサールの中にだね、
超越論的領野としての「ドキュマン」と「エクリチュール」を
見出した。それで『グラマトロジー』では超越論的経験の領野
としての「アルシ-エクリチュール」を語り出す。
すべてフッサール研究の成果だよ。これ分かって言ってんの?

差異延期だって元はフッサールの反省理論に由来するんだよ。
当然還元もこれに深く関係してるよね。
それでもフッサールをヨーロッパ的理性の遺物として放擲するのが
君のやり方なの? あのね、十全的明証とかは、本当に「ある」かどうかが
問題じゃないんだよ。フッサールの「事実」と「本質」との可逆性を
考えて見ろよ。何度も言うがことはそんなに単純じゃないんだよ。

私のセンスは確かにないかも知れないが、そんな態度でフッサールを
読んでいるようでは、まず現代思想は理解できまいね。

頼むから入門書から早く卒業してくれ。
52判定協会:2001/05/27(日) 21:21
50 VS 研究者1

「何度も言うがことはそんなに単純じゃないんだよ。」

と、ほんとに「単純じゃない」ばかりを何度も言うばかりで、
なんら説得力無し。たとえば、

「十全的明証とかは、本当に「ある」かどうかが 問題じゃないんだよ。
フッサールの「事実」と「本質」との可逆性を 考えて見ろよ。」

なぜ「問題で無い」と、50の問いを封じることができるのか、
仮に「「事実」と「本質」との可逆性」を認めれば、
なぜ問題とならないのか、その「可逆性」自体、どう論証されるのか、
何の説明も無い。

相手をバカにするばかりで、誠実に答えようという姿勢すら感じられない。
センスが無い以前の、哲学をやるものの態度として欠けるものがあるように思える。

よって現在のところ、50の勝ち!
53研究者2:2001/05/27(日) 21:59
>>50

勝ち負けで何を判断しているのか私には分かりませんが、
研究者1さんの代わりに私が答えておきましょう。

フッサールは理念としての十全的明証を考える場合、志向的充実を
想定していました。それは受動的発生を、能動的に解明して行く過程です。
しかし我々は、まさにその受動性の中で、既に理念的なものを保持しています。
研究者1さんが言ってるのは、フッサールの晩年の草稿「幾何学の起源」のこと
でしょう。フッサールはそこで、幾何学の起源について考察しますが、幾何学と
言うのはガリレイにとっても、或いはそれ以前の古代ギリシアの哲学者にとっても、
既に存在していたものでした。そして現代に生きる我々も、まったく変わらない
理念性のうちで、幾何学を学習することができます。これも受動性の一種です。

しかしこうした事実では捉えられない「本質」としての幾何学の理念も、
それが受動性の中で立ち現れてくる限り、発生的起源を有しています。
それでフッサールは、1さんのいう「理念的対象の歴史の超越論的構成」を
問題にします。ここでいう理念性の歴史は、もちろん通常の意味での歴史的なもの
ではありません。それだから「歴史性」という概念が重要になってきます。
で、理念としての幾何学は、確かに本質的なものとして我々に現れてきますが、
それが充実されるのは、事実的なものと照らし合わせる限りです。
例えば具体的に直角三角形を直観したり、・・・という具合に。
つまり事実を規定するはずの「本質」が、逆に「事実」の側から規定されて行く
わけです。これが1さんのいう「可逆性」ですね。
フッサールの言葉で言うと、「形相的存在論」と「質料的存在論」との可逆性
です。これには本質直観の問題も絡んできますがそれはおいときます。

それでこうしてみると、理念があるかどうかは確かに問題にはなりません。
我々は既にそれが「ある」ところから受動的に出発するからです。
1さんが「問題で無い」と仰るのは、理念のあるなしは問題外だからです。
つまり、問題がそこから発生するところだからです。そういう意味では、
フッサールのいう理念的対象というのは、実に奇怪な概念なのです。

直後に可逆性に言及しているのは、理念が事実と混交し、互いに絡み合うこと
を言っているのだから、フッサールにおいては単純に理念を形而上学的真理と
して性格付けることはできない、ということでしょう。

>その「可逆性」自体、どう論証されるのか

論証というのをどういう意味で使っていますか。
論理学的な論証ですか。それともカントの用語法においてですか。

その辺りを明確にしないと1さんも答えようがないでしょう。

フッサールの思想を厨房さんたちに分かるように語るにはこれだけの分量が
いるのです。だから1さんも最初に「研究者の皆さん、どうぞ」と書いています。
折角期待していたのに、荒らされ気味で残念。
54考える名無しさん:2001/05/27(日) 22:00
要するに、僕はこんなに難しいことを研究して、えらいんだぞ〜、といいたいのか。藁)
55考える名無しさん:2001/05/27(日) 22:05
理念は必要です
56研究者2:2001/05/27(日) 22:06
上のレスは >>53 に対するものです。間違えました。

あと、研究者1さんが相手を馬鹿にして誠実に答えようとしない、
とか言われてますけど、>>50 のような書き方では私も答える気は
起こりませんね。それと自分の研究対象を「無駄な努力」をしている
人とか素人から言われたら普通気分を害されるでしょう。

そうでもないのかな。
57研究者2:2001/05/27(日) 22:08
>>54

ここは哲学板です。
でも、フッサールがそんなに「難しく」感じるのですか?
確かに奇妙な言い回しが多いですが、ヘーゲルよりは読みやすいですよ。
58考える名無しさん:2001/05/27(日) 22:08
どんなに卑下されても頑張りましょうよ
59考える名無しさん:2001/05/27(日) 22:23
51のいいたいことを簡単に要約しよう。
デリダはフッサールのテクストから様々な解釈を引き出した。
デリダは偉い。ゆえに、そのネタもとであるフッサールもまた偉い。
ついでに、そのフッサールを研究している俺様も偉い。
おまえら厨房とは別格なのだ。

こういうのを権威による正当化という。
なんにも考えてない証拠。
やっぱり、センスないにゃ。藁)
60考える名無しさん:2001/05/27(日) 22:50
>>59

「様々な解釈を引き出」すことが、「偉」さにつながるのはなぜか。
アンタがなぜ、「解釈を引き出」すことに「偉」さを感じるのか、そこを
分析しろや。

61吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 22:54
フッサールがテーマのスレにしては、妙に荒れるな。
62研究者1:2001/05/27(日) 23:07
>>59

あのね、きみ。

「権威権威」って、・・・君はそんなに君の頭脳では理解不可能なものを
「権威」という被害妄想で片付けてしまわないと気が済まないのかい。
そういうのを奴隷根性って言うんだよ。自分より高次元の者を見かけると、
何とかして自分のレベルにまで引き下げてやりたい、と思うわけだ。
しかし対抗する知識もセンスも身に付けていないから、仕方なしに
「権威」とか言い出すんだよね。哀れだよね。

あのね、そもそも哲学というものは、権威として祭り上げられている者の
否定から出発することが多いんだよ。権威を否定しつつ真理に至ろうとする
動きだね。だからその意味では、奴隷根性も不可避的に含まれる。
復讐心が入り込むわけだな、君のように。

しかし君と違うのは、そいつらが本当に何か重要な仕事をするということ
なんだ。権威に抗しつつね。大体、権威に抗するという態度自体、既に
権威に呑み込まれているんだよ。それを抜け出しつつまた呑み込まれる。
ラカンのいう「漏斗の時間」のような構造がここにはある。分かる?

俺がラカンの名を挙げたら、君は再びラカンの権威を傘に着て、自分では
何も考えていない、と喚き立てるのだろうけど、フロイトの権威を傘に
着た奴は誰だ。言っておくが俺はフッサールもデリダも信用しちゃいないよ。
つーか、妄信的な研究者ほど危険なものはない。宗教になっちゃうからね。

君もここにいるからには、哲学を少しでもかじってるんだろう。
それなら、・・・もう少し考えるべきところがあってもいいさ。
あと、俺は偉くないよ。ヽ(´ー`)ノ


>研究者2

補足感謝。私はやる気がないので後はお願いします。
無責任ですが・・・(´Д`;)
ただ、以下では厨房の書き込みにはレスしない方が良いと思われ。(←自戒
63考える名無しさん:2001/05/27(日) 23:28
ちょっとまて、AAはどうした?考える方々(w
64考える名無しさん:2001/05/27(日) 23:33
荒れるのは↑荒しがいるからさ!
65考える名無しさん:2001/05/27(日) 23:46
66判定協会:2001/05/27(日) 23:57
>勝ち負けで何を判断しているのか私には分かりませんが、

書いたものの説得力と、そこから感じられる姿勢。
貴方か「厨房さん」とか「素人」とか見下してる(と思われる)
我々から見ると、50さんの「その理念が間違っていたら、どうする? 」といった問いに、
「ああ、たしかに、そうだなあ」と感じるのが普通だろう。
それを、フッサールは「理念」という概念の扱いを、
こういうやり方でカッコにくくり、受動的に出発するしかないのか、
受動的に出発することができるのか、ということをキチンと答えなければならない。
51のような答え方では、59さんのような解釈が出てくるのも当然だろう。
長くなろうが、53のように、説明しようと努力したカキコが無く、
単にバカにしたような答弁じゃ、ソクラテスに答えるソフィストと同様。
よって、哲学をするものの態度からいって、50に対する51の答えは負け。という判定。
67判定協会:2001/05/27(日) 23:59
>あと、研究者1さんが相手を馬鹿にして誠実に答えようとしない、 とか言われてますけど、
>50 のような書き方では私も答える気は 起こりませんね。
>それと自分の研究対象を「無駄な努力」をしている 人とか素人から言われたら普通気分を害されるでしょう。

そもそも、ここは2chであり、50の書き方だけ非難するのは、場の空気が全く読めていない。
「私も答える気は起こりませんね。」では、51のような回答をしたことの弁護にはならない。
50の問いが失礼で書く気が無いのなら、そう書けばいいし、
専門家だけのスレだから素人の質問は受けないつもりなら、その旨を書けばいいし、
そもそも、50の問いが的外れだったら、きちんとそのことを書けばいい。
中途半端な、訳わかんない(59のような解釈を呼びかねない)51の回答が、
50の問いに劣るので、負けという判定。
(62において、そもそも、スレを立てた本人が、
「私はやる気がないので後はお願いします。
無責任ですが・・・(´Д`;) 」という発言があるので、
本人も無責任だという自覚はあると思われる)

いかなる場の在り方であろうと、少々、気分を害していようと、
対話を通じて相手を説得していこうというのが哲学の在り方ではないか。
第一、「素人から言われたら普通気分を害される」とか、
「フッサールの思想を厨房さんたちに分かるように語るにはこれだけの分量がいるのです。」なんて、
専門家集団の特権意識丸出しで、哲学を志すものとして恥かしくないのだろうか。
68判定協会:2001/05/28(月) 00:00
>論証というのをどういう意味で使っていますか。
>論理学的な論証ですか。それともカントの用語法においてですか。
>その辺りを明確にしないと1さんも答えようがないでしょう。

こんな瑣末な用語法の議論に何故に逃げ込もうとするのだろうか。
「論理学的な論証ですか。」って・・・
考えれば分ることを、素人をバカにするために言ってるとしか思えない。
カント流の超越論的な議論だろうが、論理的に誤謬の無い議論だろうが、
説得力のある回答が期待されているのは明らかだろう。
こんな返答ばかりしてるから、哲学を学んでいるものに対する偏見が生み出されるのではないだろうか。
>我々から見ると、50さんの「その理念が間違っていたら、どうする? 」といった問いに、
>「ああ、たしかに、そうだなあ」と感じるのが普通だろう。

 「我々」って誰や?氏ね。
70考える名無しさん:2001/05/28(月) 00:04
>加藤尚武

この人、現象学の専門家からは「寒い」と見なされてます。
院生でもこんな稚拙な読み方はしません。

研究者の方々の逆批判希望。
1もきもっ!!
いや〜最初から読み返したけど
こりゃ判定協会のほうが一理あるわ(氏ねはごめん)
理念を最初に設定しちゃうなんてたしかにセコいよね。
フッサールなんていまさらつついたところで何も出ないって思うんだけどね。
(フランス人は利用するところはせっせと摂取してるけど)
俺はよく分からんけど
結局「理念って何やねん、そりゃ形而上学的先入見だろゴルア」
っていったのがハイデガーじゃないの?
別スレのハイデガーと比較しても
1はずいぶんあきらめが早いってゆ〜か
最初から権威主義的(啓蒙的ではない)のは確かですわ。
研究云々より人間性を磨くべきだね
75考える名無しさん:2001/05/28(月) 00:27
(横レスごめん。)

傍から見ると、親切な研究者がわざわざ骨を折ってレスして
くれているのに、粘着で思慮の浅い素人が無理やりからんできて
議論をつぶそうとしているように見える。「判定協会」など
アホの骨頂。知恵がなくて言うことがないんだったら黙っておけや、このボケがっっ!!
俺が思うに
理念の超越論的構成というのは結局
反復の強制でしょ?
ようするに「理念!理念!」って同語反復することさ。
亡霊に関するデリダの説明だってそうだ。
いかなる時代、いかなる状況においても「想起されるべきものが存在する」と信じる精神構造
これは形而上学そのものであり、形而上学それ自体が権威主義的構造を持っている。
反復なんて概念はマガイモノなんだよ。
77>75:2001/05/28(月) 00:38
>親切な研究者がわざわざ骨を折ってレスしてくれている

バカだなぁ、こんな卑屈な態度に出るから、連中をつけあがらせるのさ。
だいたいさぁ、なんで専門研究者が、こんなところで専門の議論せにゃアカンの?
自慢したいんだろうって邪推されても仕方ないじゃん(ワラ
78考える名無しさん:2001/05/28(月) 00:38

「らげ」っていう人も、結局分かったようでなんにも分からない
言葉を吐く人だね。それっぽい言葉を並べれば、さも内容の深い
ことを述べているように思わせることができると信じている
ところがかなりイタい。本人はこういうときだけ妙にしかめっ面
をしているに違いないね。こんな子供だましな言葉遣いで騙される
人などほんの一握りの人々だけだということが分からないのかな?
79>77:2001/05/28(月) 00:47
>自慢したいんだろうって邪推

何を自慢したいんだか(藁)
80研究者1:2001/05/28(月) 00:59
>判定協会の人へ

判定協会さん、貴方、まんまと引っ掛りましたね。

研究者2の文体を良く御覧なさい。私のものとそっくりですね。(´ー`)
つまりですね、ここには研究者は一人しかいないということですよ。

まあそんなことはどうでもいいや。どうか怒らないで下さいね。

おかしいところだけ指摘しておくよ。これでも「親切」だと思ってくれよ。

まず全体的な評価だけど、俺はハッキリとこのスレがフッサール現象学の
研究者対象であることを冒頭で断っているよね。おまけに他のフッサール関連の
スレに嫌気が差して、専門的な議論のできる場を欲していることも書いている。
それは前提として分かっておいてくれよ。つまりだね、ここは専門家による
専門家のスレにしたかったわけだよ。単にそれだけの話。

でも厨房くんたちが(君も含めて)荒らしたり煽ったりするでしょ、それで
残念に思ったわけよ。まあ本来なら >>50 の質問なんか無視すべきなんだろうけど、
いい加減、頭に来るわな、厨房質問は他スレで書けばいいのに、センスねえとか
いきなり文句つけられてきたらね。2ちゃんねるの空気なら許されるのかな。
でも、もしそうだとしたら、俺の答え方も許されていいんじゃないかな (´ー`)

まあそれはいいとして、別に素人を見下しているじゃないんですよ。
入門書をかじり読みした程度で現象学を非難する連中を見下しているんです。
つまり、「知ったかぶり」する連中です。私の >>51 の書き込みを相当嫌ってる
ようですけど、あれは理解できませんでしたか、>>53 のように敷衍しないと。
確かに途中でうざくなったのは事実です。私は別に >>50 に対して説得したい
わけでもないし、ましてや現象学の解説もしたくありません。私はただ、
>>50 の物言いが余りに稚拙なのを戒めただけです。つまり、フッサール理解が
不充分だということを示したかっただけです。フッサール理論そのものの理解など
促してもしょうがないでしょ。

でも >>52 で貴方が、あたかも私が空論を振り回しているような言い方をしたので、
自分の言い分にはちゃんとした基礎があることを >>53 で示したまでです。
専門用語を使われると馬鹿にされたような感じになることは確かですよ。
でも、殊更フッサールは仕方ないんです。そういう意味では、フッサールは確かに
センスに欠けていた。同時代の人からも同じような非難がありました。

あと、貴方によれば、哲学は「対話を通じて相手を説得していこう」というもの
らしいですが、そもそも「対話」さえ成立しない地平を貴方はご存知ですか。
哲学は万人に必要なものじゃないと思いますよ。少なくともフッサールはね。
「権威」云々の書き込みは貴方の書き方と似ていますけど、その件については
>>62 を参照して下さいね。
81研究者1:2001/05/28(月) 01:00
あと気になったのは、

>こんな瑣末な用語法の議論に何故に逃げ込もうとするのだろうか

というもの。瑣末な用語法の議論は哲学において非常に重要なものです。
フッサール自身も表現手段としての言語の一意性を重要視しています。
徒な概念の混乱は詭弁を招きますから。

>「論理学的な論証ですか。」って・・・
>考えれば分ることを、素人をバカにするために言ってるとしか思えない。
>カント流の超越論的な議論だろうが、論理的に誤謬の無い議論だろうが、
>説得力のある回答が期待されているのは明らかだろう。

論証的 diskursiv というのはカント哲学の用語の一つです。
それだからこのことを念頭に置いて、先験的なものと経験的なものとの
感染を認めないカントの立場を想定していると思ったのです。
フッサールの「可逆性」の概念はここに密接に絡んで来ますから。
それに、貴方は「論証」という意味を単に「論理学の諸法則に矛盾しない
議論」と捉えているようですが、貴方は哲学の命題が論理学に規制される
という前提を何の疑いもなく行使していますよね。現象学者はそんな
自然的態度の思考には逆に慣れていないんです。それでなんでこの
文脈でいきなり「論証」などという言葉が現れるだろう、
理念的対象の超越論的構成が問題になっている時に、論理学の法則なんて
問題外に決まってるじゃないか、と思ったわけです。

誤解した私も悪いですが、それを悪意をもって受取った貴方も・・・
まあそれはいいです。

兎も角、このスレは趣旨を良く読んで下さい。
以後、議論の判定などは要りません。

長文失礼。
82研究者1:2001/05/28(月) 01:18
さて、これで厨房諸君も消えてくれるでしょう。

以下はフッサールの研究者同士の議論に限定されます。
厨房の荒らし煽りは不要です。

因みに私はヴィットゲンシュタインが専攻だったので、
研究者の皆さんの啓蒙を期待します。

初学者の質問はありですが、明らかに厨房の煽りと思われるものは
無視して下さい。彼等は自分の発言に対してレスがつく事に限りない
快感を覚えます。厨房をはびこらせないためにも、厨房の書き込みは
すべて無視しましょう。

では、以下より再開します。
すげぇ・・ホンモノのヴァカ厨房だよ1は。
入門書読んで現象学語る素人を批判しかけりゃ竹田スレで暴れればいいのにねぇ。
それに1のヴァカが根本的に間違っているのは
ここの誰も「フッサールの正しい理解」など要求してはいないということ。
素人さんがそんな要求するわけがない。まずは「現象学そのものの意義」を
かんたんに説明してもらうほうが先じゃないの?
それと1は専門用語の誤読をたしなめて悦に入っているようだが
それはようするに、フッサール的な専門コードに1が習熟しているに過ぎなくて
ここで「俺のほうが上」などとプライオリティを誇ることのほうがナンセンス。
習熟したって意味のないジャーゴンかもしれないしね(藁

84考える名無しさん:2001/05/28(月) 01:27
>>82
最下位しますって、みんなキミの自作自演なんでしょ?
わざわざこんなとこでオナニーされてもねぇ〜
キミの大事なジャポニカ学習帳にでも書いとけば?
それにしても・・1の意図的にしか見えない権威主義的なものいいから判断するに
多分遊びたいだけなのだろう。
86考える名無しさん:2001/05/28(月) 01:40

だがしかし、現象学ココまで語れる人材が最近居無いのも事実。
RAGEにしろ普通の厨房よかよっぽど相手にし甲斐があるだろ?
スレ潰さずにツッコミ所を選んで楽しめよ。
87研究者3:2001/05/28(月) 02:42
まずは私のところに匿名の人より以下のようなメールが来ました。

----------

拝啓 研究者3さま

RAGE君は知ったかぶりの典型です。何冊か入門書を立ち読みし、
意味もよく分からない癖に難しい言葉を乱用して、自分にはいかにも
学があるように見せ付けます。しかし専門家の目から見れば、明らかに
単なる厨房に過ぎないことはバレバレであるので、彼は自分の正体を
ばらしてしまう専門家を「権威主義的」と罵り、自己の安逸を確保します。

理念という言葉をとって見ても、研究者1さんの書き込みをまったく
理解していないのが素人の私にも痛いほど分かり、思わずこちらが
恥ずかしくなりました。

以下にRAGE君の厨房的書き込みを紹介しておきます。

----------

これより以下、メール送信者が引用したRAGEなる者の厨房文章と共に、
これに対する私自身の注釈を付す事にしよう。

>理念の超越論的構成というのは結局
>反復の強制でしょ?
>ようするに「理念!理念!」って同語反復することさ。
>亡霊に関するデリダの説明だってそうだ。
>いかなる時代、いかなる状況においても「想起されるべきものが存在する」と信じる精神構造
>これは形而上学そのものであり、形而上学それ自体が権威主義的構造を持っている。
>反復なんて概念はマガイモノなんだよ

活きのいい高校生が書きそうな文章です。
こういう類の連中は、大抵は早漏気味で、早急な射精を求めるのと同様に、
早急な結論を求めます。「結局は―である」という言い回しがそれです。
私はこのRAGEくんという人に、ビガーを薦めたい。
つまり、じっくりと熟慮する態度を養って貰いたい。

例えば「反覆」というのは同じものを繰り返すことではありません。
反覆は寧ろ、その漢字の意義が表しているように、逸れて行く運動です。
RAGEくんの言うように、「理念、理念」とは言うのですが、
なかなか射精に至らず、今度は前立腺を刺激し始めるようなものです。
起源としての理念は彼方に見える筈なのですが、決してそれには至り着く
ことができない。フッサールはこのことを充分に理解していました。
だから必当然的明証ということを言い出したりします。
これは説明が面倒なので省略させてね。
88研究者3:2001/05/28(月) 02:42
あと、デリダは何の本を読んだのか教えてくれませんか。
私の手元にはいま「マルクスの亡霊ども」しかありません。
デリダはしかし、そこで亡霊というものを「回帰するもの」
と特徴づけていますよね。しかもハイデッガーの継ぎ目の議論と
並行させつつ。しかも我々が亡霊と語ることの必要性を延々と説いています。
そこに「他者」があるかららしいです。回帰するものというのは、
何だか付き纏ってくるもののことです。我々はそれを厄払いします。
マルクス主義は終わった、と言って厄払いするように。
しかしそれが不可避的に回帰してくるんですよね、ねじれた時間構造の
中で。反覆というのはこういうときに起こるものです。
反覆は決して過去のある事象を現前において反覆することのみを意味しません。
反覆することのうちで、時間構造がねじれて行くんです。
分かりますか? 時間は元来、過去から未来に向かって進むものですけど、
反覆という行為はそのような時間構造を持っていないのです。
従って一度死んだ筈の過去の亡霊が、未来から突然甦るという事態が
発生するわけです。はっきり言ってこの辺り電波です。

また、「想起されるべきものが存在する」ということを、
形而上学批判として捉えるのは確かに一理あります。
それは根拠を想定しているのですからね。
しかし、例えばフッサールの地平志向性、この言葉が分り辛いのならば
ハイデッガーの世界内存在でもいいんですが、あのような「既に常に」
という構造は、形而上学的前提の突破口になったと思うんです。
我々が常に既に何者かを保有して「しまって」いるという構造は、
我々現存在の不可避的構造でしょう。それは或いは、形而上学的思考よりも
根源的なものを暴露しているのかも知れませんよ。

ハイデッガーの言う存在の真理を思惟する別の元初というものが
どういうものであるかは分かりませんが、そうした思惟が芽生えてきたのも、
前期におけるフッサールの影響があるのだと思うし、後年には志向性を
問題にしてますからね。

しかしいずれにしても、それらの言説はフッサールの理性主義を批判する
際の常套句で、現代思想の入門書をかじった人は異口同音にそう言います。
私もそのことは痛感しています。こりゃヤバイよ、と読書中に思います。
しかし、そうした常套句に踊らされないような、もっと実りある研究が
できるかも知れませんよ。私はフッサールを、我々の経験を入念細緻に
分析した点を評価しています。それは心理学的にも価値のある仕事だし、
社会学にも影響を与えました。

恐らく、RAGEくんは「厄払い」しているのです。

「フッサールは終わった」と。

長文失礼。

こんなに書けるのはあと数日だから今のうちに挑発した方がいいよ、みんな!
89考える名無しさん:2001/05/28(月) 02:47
>加藤尚武
>この人、現象学の専門家からは「寒い」と見なされてます。
>院生でもこんな稚拙な読み方はしません。

俺は学会でこの批判があった時、
誰一人有効な反論ができなかったって聞いたよ。
90>89:2001/05/28(月) 03:02
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/phaenomenologie.html

さっきからチラチラ読んでるけど、(リンクありがとう、ネムイネムイ)
おいらはヘーゲルも大嫌いだし、
学長先生本人も、あまり好きではないけど、
現象学の専門外で、もともと良いイメージを持ってなかった者からすると、
何気に説得力を感じるよなぁ。
昔、勉強会で、友人の現象学専攻のヤツに、みんなで、いちいちツッコんだ時のこと、
髣髴とさせられたよ。人間、ツッコミたくなるところは、同じようなトコロだねぇ。
専門家からみると、どんなモンなの?彼の論駁は。
91研究者3:2001/05/28(月) 03:04
>>89

ええ、それは本当ですか。先程一通り目を通しましたが、
確かに「寒い」と感じましたよ。

ウーン、もしかしたら、加藤氏の批判を聞いて、逆に
呆れ返って反論する気も起こらなかった、というやつじゃ
ないでしょうね。

もう長々と書く気力はないですが、例えば冒頭の文章など、
フッサールの「構成」の概念を微塵も理解していませんね。

>「物は意識によって形づくられる」という趣旨だと思う

これは痛いでしょう。こんなこと言う奴は電波ですよ。
構成という言葉を額面通り受取ったんですね、加藤くんは。
確かにフッサールは「創造」ということも考えていた時期が
ありましたが、「意識が物を形作る」なんて殆どSFの世界
ですね。

まあ本人も「フッサールは、ひとつの物語を作り上げたのである」
と言っていますが、貴方の解釈こそ物語でしょ、って言いたいです。

あと、この人は「直接的な所与」としての明証を否定したがって
いるけど、その根拠に証明不可能性を挙げていますね。
こりゃあ分析哲学系の奴がよくやるパターンですね。
証明は論理を用いて行われるものですが、フッサールのような
意識の原理研究にあっては論理学的諸学科を括弧に入れた上で
超越論的構成を分析するのだからその手の反論は意味をなさない。

「存在と時間」でハイデッガーが同様の趣旨を語っています。

ここには深い溝があるのだと思います。

まあ、加藤君なんてどうでもいいが。
92研究者3:2001/05/28(月) 03:13
もう寝る。限界だ。
9390:2001/05/28(月) 03:15
>フッサールのような 意識の原理研究にあっては論理学的諸学科を括弧に入れた上で
>超越論的構成を分析するのだからその手の反論は意味をなさない。

そうそう、これがあるから、ひっかかるんだよね、みんな。
議論の出発点として、共有できない点を、持ち出しすぎるんだよな。
だから、学長先生に、不本意にも頷いちゃう。(ワラ
94厨房2:2001/05/28(月) 03:41
>>研究者3さんへ(多分1と同じ人でしょ?)
あなたの博識はすごく伝わってきますし、語りあいたいという気持ちも分かりますが、
専門性が高すぎて無理だと思います。(哲学ではないですが、自分も経験あり。)
あと用語の説明は、たとえ平易な言葉で説明するのが難しくても努力するべきだと思います。
ここは2chであり、個人のHPではないので(あおり以外の)他者に配慮するのは
礼儀ではないでしょうか?(哲学専門の方に、単純に「礼儀」といってもうし分けないですが。)
せめてもうすこし専門性をおとせないでしょうか?
私は厨房ですのであまりわかりませんが、「還元」の議論には興味を覚えました。
95研究者3:2001/05/28(月) 03:43
最後に加藤君の言う「志向性」は、前期フッサールのものです。
我々が普通に「志向性」というとき、それは地平志向性を指します。
つーか、この人、明らかに「現象学の理念」と新田さんの解説書しか
読んでないよね。

フッサールの志向性が独創的なのは、それが意識の連綿とした性格を
露呈したということ。ブレンターノの教説から「意識は何物かについての
意識である」なんていまだに言ってる奴はやばい。「イデーン」以降の
フッサールのいう志向性は、意識が調和的な流れの中で、連綿とした
潜在野を持っているということ。つまり「地平」を持っているということ。

そしてこの地平は、受動的に発生するものであるから、そこで歴史が
問題になる。しかしこの歴史は、超-歴史的構造をもっている。
そういうのが歴史性と呼ばれる。超越論的構成はここに連関する。
また、この構成の分析が、超越論的経験であり、この辺りの思想が
フッサールの志向性の独創的なところだ。

地平は言っておくが人間の記憶の体積などではないぞ。
それだと事実的な歴史しか問題にならんから。
フッサールが問題にしたのは、事実的歴史学とは異なる歴史の
分析です。

加藤君。頼むからちゃんとフッサール読んでから批判しろ。
沢山言いたいことがあるが、本当に眠い。体壊すかも。

新田さんは寒くなって反論しなかっただけだと思う。
でも、新田さんの本には時々あれって感じの誤りがあるので要注意。

じゃ、寝ます。
9689:2001/05/28(月) 03:51
>>90-95
俺は単発レス。

で、加藤氏は新田氏と飲んでて意気投合したのに、
いきなりこの批判をやってのけたとか。新田氏は欠席だったらしいよ。

私は現象学不得手なのだけれど、
内的時間流ってのにひっかかる点がある。
危うさと凄さが共存してるみたいな。レヴィナスも論じてたみたいだね。
わかんない人だねぇ。
フッサールのいう超越論的に構成された歴史てのが
従来の事実的な歴史とは違うって言われても
実際に「歴史」っていう語を共有している以上、そこには馴れ合いの構図があるんだよ。
フツーの歴史とは違うんだよ!って差異を強調されても
「じゃぁどうちがうの」ってことを説明しないことには
チョーエツ的だろうがコーセイ的だろうが絵に描いた餅なんだよ。

結局1は「おまえらの現象学理解はおかしい」ってことしか言ってない。
事象そのものについては何ら踏み込んでいない。
それは1がフッサール的な専門コード内でのゲームに興じているだけだから。
相互主観性、内的時間意識、過ぎ去りつつ留まるといわれる体験流れ、等々を
そういう事象をこういっているのか平明に説明できない限り、権威主義と言われても仕方のないことなんだよ。
まぁいいや。批判のための批判が1の限界だろうし。ま、頑張ってね。
どういう事象をどういっているのか、だね。
99考える名無しさん:2001/05/28(月) 04:33
このスレ限定でらげ応援あげ
100高卒:2001/05/28(月) 04:54
研究者タン・・・かわいそう。
みんな苛めちゃダメだよ。

もう、戻れない。
信じてもいない「物語」に人生を費やす日々。
春の終わりに秋風が吹く。
涙なみだ・・・晴れ得ぬソラ。
101ヌッチョヌッチョ:2001/05/28(月) 06:49
>「リアルな存在者であれ、イデア的な存在者であれ、
>あらゆる種類の存在者そのものが、
><まさに能作によって構成される、超越論的主観性の形成物>として理解される」
>(フッサール『デカルト的省察』I、118)という文章を書く。
>「物は意識によって形づくられる」という趣旨だと思う。

「あらゆる種類の存在者そのものが、<能作によって構成される、
超越論的主観性の形成物>」

という文章を
「物は意識によって形作られる」

と要約することは具体的にどう間違ってるんですか?
102ヌッチョヌッチョ:2001/05/28(月) 06:58
>あと、この人は「直接的な所与」としての明証を否定したがって
>いるけど、その根拠に証明不可能性を挙げていますね。
>こりゃあ分析哲学系の奴がよくやるパターンですね。
>証明は論理を用いて行われるものですが、フッサールのような
>意識の原理研究にあっては論理学的諸学科を括弧に入れた上で
>超越論的構成を分析するのだからその手の反論は意味をなさない

それは、論理的な批判は意味をなさないという主張なんですか?
もしそうなら、その原理研究の分析結果の妥当性はどうやって判断するんですか?
論理学的諸学科を括弧に入れた上で超越論的攻勢を分析する
その分析の手法の中には、論理学的要素はまったくふくまれないんですか?
論理を括弧にくくったからといって、人が論理から自由になれるわけでは
ないですよね。
103ヌッチョヌッチョ:2001/05/28(月) 07:01
で結局加藤の
それが根源的であるとなぜ思うのうか。
という問いにはなんて答えるのですか?
104考える名無しさん:2001/05/28(月) 09:40
.............
Å Å
\( ・_・ )/

研究者1=2=3・・・・・まれに見る、さむい自作自演でんな。
105研究者4:2001/05/28(月) 12:58
皆さん、言葉遣いはもっと丁寧にお願いしますね。
研究者1、2、3の諸氏は怒って帰ってちゃいました。
最後に「馬鹿に付ける薬はねえなあ」とぼやいてましたよ。
(この三人は私の近所、というか部屋が隣り合わせなんですよ。)
可哀想だからああいう孤独な研究者はそっとしておいて下さいね。

私は所詮素人研究者(?)ですけど、皆さんがなかなか興味深い
質問をしているので代わりに答えておきますね。

まず、

>フツーの歴史とは違うんだよ!って差異を強調されても
>「じゃぁどうちがうの」ってことを説明しないことには
>チョーエツ的だろうがコーセイ的だろうが絵に描いた餅なんだよ

について。普通の歴史というのは、過去の事実に基づいて、
様々な判断を下したり検証を行ったりしますよね。
それはあくまで「過去の事実」に拘泥するんです。
たとえそこで事実の解釈が問題になるとしても、
やはり事実というものが優位にあるわけです。
それが「普通の」意味での歴史です。

ところが、フッサールのいう歴史は、事実的なものには
拘泥しません。現象学は一つの本質学であり、事実には
左右されないところの「本質」を目指すからです。
で、本質というのは事実的なものではありませんから、
いくら過去の事実をこねくり返しても徒労に終るだけです。
つまり、通常の歴史学とは異なる思考がここでは必要なんです。
それをフッサールは「歴史性」と呼びました。

歴史性というのは、我々が常に既に地平としての歴史を
担っているということです。我々は過去の事実を参照する
までもなく、様々な事象を一気に把握することが可能です。
例えば目の前にあるコップの一側面しか見ていないにも
拘らず、コップをまさにコップとして認識できます。
この際、前に見たコップを想起しつつ、今現前しているコップを
認識する人はまずいないでしょう。我々はそんな想起を行わず、
一気にコップそのものを認識できるのです。

そしてこの認識は、一側面である限り、私は様々な方向に
注意を向け、コップをより詳しく把握することができます。
しかしそれができるためには、あらかじめコップがコップとして
与えられなければなりませんでした。つまり、意識はそれ自身で、
既に何物かに対する意識であり、それは様々な「解明」を通じて
背後にある潜在性を顕在性のうちへともたらすことができるのです。
この過程が意味の充実というもので、意識のこうした構造が
志向性と呼ばれます。この辺はいいですね?

それで、実際に潜在性から顕在性へと至る過程はそんなに
重要じゃありません。フッサールが問題にしたのは、
寧ろそのような意識の潜在的構造がいかに成り立っているのか、
ということでした。これは勿論、事実的な思考ではなく、
まさに「超越論的」と名づけられるべき思考です。

というのも、先程も述べたように、我々の潜在野は決して
過去の諸事実に基づくのではないからで、過去の諸事実に
基づか「ない」歴史がここでは問題になるからです。
何故ここで「歴史」ということが言われるのか。
それは我々の意識の潜在的な部分も、ある発生を
有していなければならない(はずだ)からです。
しかしここでも、事実的な「起源」が問題になっている
のではありませんよ。あくまで超越論的発生が問題に
なっているんです。もっと言えば、いやはっきりと言えば、
「超越論的前史」が想定されているのです。
106研究者4:2001/05/28(月) 12:59
但しここからが難しいのですが、超越論的考察を進めて
行くと、どうしても起源に経験的なものを想定せざるを
得ない状況に陥ってくるんですね。
哲学の元初にしても、フッサールはそれを古代ギリシアに
求めるけれども、それは事実的思考の典型なんです。
この辺りはデリダの批判が有名で、ここにいわゆる
超越論的経験の領野が存在するというわけです。
これ以上は深入りしません。
この辺りに詳しい人がいらっしゃれば、私もいろいろと
質問したいのですが・・・。

これで歴史に関する部分の説明は終ります。
というか、こんなにフッサールの思想を優しく書いたものは
ほかにないですよ。これで理解できないのなら・・・
私はこれ以上簡略な説明はできません。

あと、反論する際は私の文章を注意深く読んで下さい。
初学者の人たちは完全に理解しようなんて思わないで、
まずは漠然としたイメージをつかんで下さいね。
また、よく文意の通じない箇所は引用してこの箇所が
分らないと言って下さいね。時間が許す限りお答えします >>94

あと、事象事象って連呼する人がいますけど、・・・
まあいいや。また次回。他の人にも答えなくちゃいけないから。
107研究者4:2001/05/28(月) 12:59
>>101 >>102 >>103

はい。力の及ぶ限りお答えしますね。
というか、どうしてここには私以外に現象学の研究者がいない
のだろう。まあいいか。

でもね、まずは上の歴史に関する私の書き込みをよく読んで
下さいね。貴方の指摘している問題にもそのことが関係して
きますから。はしょったりしちゃ駄目ですよ。

まずは加藤君の「デカルト的省察」の引用だけど、
(「フッセリアーナ」の頁付けになってるけど、この人、
明らかに読んでないね)、原文の括弧は「形成されたもの」だけ
に掛かっているので要注意。こういう不注意な引用には気をつけよう。
瑣末な問題という人もあるけど、括弧一つで解釈が大きく変わって
くることがあるんだよ。

でね、まず「構成」という言葉だけど、これは多くの人が誤解して
いるみたいだね。超越論的主観が客観を組み立てて行く、なんて
誰も思ってないよね。それは間違いだよ。構成とは、基本的に
志向的充実の中で、客観に「意味を与え返す」ことを言います。
確かにフッサールは紛らわしい言い方をしますけど、
少なくとも例えばビルを建設したりするみたいに、
主観が客観を建設して行く、などというものじゃないことは
分かってるよね。つーか、そんなこと言う奴は電波だよ。
サイババじゃん、それって。

フッサールはあくまでノエシス-ノエマの相関関係を唱えます。
これがそのまま意識の志向性の構造になってるのは分かるよね。
ノエシスというのは思念作用、ノエマというのは思念対象だよ。
それで意識の超越論的経験においては、両者の絡み合いが
分析されて行きます。つまり、ノエマというものが、ノエシスから
いかに意味を与え返されて行くのか、というのがそれです。
そういう働きが「構成」と呼ばれるので、決して「形作る」こと
ではありません。フッサール自身も、この辺りの誤解を懸念して、
わざわざ「形成物」という表現を括弧で括っています。

まあ、フッサールを例えばバークリーのような主観的観念論として
理解する人は多いですが、それは明らかに誤りです。
フッサールは確かに意識による構成を問題にしますが、
それはあくまで超越論的なものであり、決して経験的な主張では
ないからです。構成というのは、例えば存在信憑を停止した後の、
ノエシスの存在定立を言う場合でも、対象は中立変様の中に
きちんとぶらさがっていますよね。まさか主観がサイババみたいに
対象を形作るなんて考える哲学者はいないでしょう。多分。

フッサールがわざわざ「形成物」という言葉を使ったのは、
すべての意識対象が意味を充実されるべく存在しているからです。
つまり、志向性の考えを強調したかったからです。
「意識は何物かについての意識である」という前期の志向性の考えの
進展に伴うものです。加藤君は第一この辺りを無視している。

更に還元の思想がこの辺りに絡んでくる複雑さを理解できますか?
加藤君が考えている以上に、後期フッサールの思想は錯綜して
います。

それに、ぶっちゃげた話、あの程度の批判なら皆さんにもできるでしょ、
イヤまじで。できないとしても、フッサールを読んでいる大学生だって
笑いますよ、あんな痛い批判じゃ。

批判する前にフッサールをよく読むべきでしょうね。加藤君嫌いなの。
108研究者4:2001/05/28(月) 13:00
で、残りのものについてもちょっとだけ回答を。

>それは、論理的な批判は意味をなさないという主張なんですか?
>もしそうなら、その原理研究の分析結果の妥当性はどうやって判断するんですか?

原理研究は妥当性そのものを問題にするのです。だから、原理研究に
最終的な審判を下すものは存在しません。そこには原理に対する
飽くなき反覆が存在するのみです。大体、最終的な審判を想定する
こと自体・・・いろいろなものを前提しているのです。
原理研究の意味をよく考えて下さいね。

>その分析の手法の中には、論理学的要素はまったくふくまれないんですか?
>論理を括弧にくくったからといって、人が論理から自由になれるわけでは
>ないですよね。

論理学的要素は含まれます。言葉で語るのですから。
ただ、その論理を「中立」の状態に置き、それがいかに意味を持ってくるか
を考察するのです。論理という言葉の中に身を置きながら。
だからそれは非常に屈折した分析になります。
分析されるもののうちから、分析されるものを分析するからです。
これは原理研究に不可避的に付き纏うもので、ドイツ系の哲学と
英米哲学との大きな溝となっているものの一つです。
というか、そもそも還元の思想自体がそのことを示していますよね。

>それが根源的であるとなぜ思うのうか。
>という問いにはなんて答えるのですか?

根源的なものは他からの根拠付けを受け付けないから「根源」なんです。
加藤君の質問はその意味で不可解。例えば原本的に与える働きをする
直観の根源性を言う場合、それはそれ以上遡り得ないということで、
これはある主観が判断する事柄ではなく、事象の必然性がそうさせる
のです。「何故か」という問いが終局し、事象そのものが「ある」
ところ、それが根源的といわれます。明証というやつです。
それに「なぜ」というのは、原因か理由かを訊ねていますよね。
この辺り厳密な議論が必要です。

こんな感じでいいかな。
109研究者4:2001/05/28(月) 13:11
あ、あと「ヌッチョヌッチョ」くんは僕のスレをパクッて「前期思想」云々
というスレを立ててましたね。いけませんよ、そんなお子ちゃまのような
ことしたら (´ー`) ミテルヨン。でも、前期の思想も難しいですよね。

まあ、私は現在のところ後期だけに集中していますが、そろそろ
初期の数学関係の論文でもやろうかと考えてますよ。

ヌッチョヌッチョさんも気合入れて現象学の真髄に触れて下さいね。
110考える名無しさん:2001/05/28(月) 21:19
>フッサールのいう歴史は、事実的なものには
>拘泥しません。現象学は一つの本質学であり、事実には
>左右されないところの「本質」を目指すからです。

>超越論的考察を進めて行くと、
>どうしても起源に経験的なものを想定せざるを
>得ない状況に陥ってくるんですね。
>哲学の元初にしても、フッサールはそれを古代ギリシアに
>求めるけれども、それは事実的思考の典型なんです。

矛盾してるじゃん。
だいたい、事実に拘泥しない歴史なんて、語義矛盾でしょ。
フッサール・ヲタには面白いのかもしれないけど、
それ以上のものだとは思えない。いじょ。
111死刑囚。:2001/05/29(火) 02:35
>>1
わりと好意的に読んだけど、オレに言わせればまだまだ難しいなぁ

例えば110みたいな考えの人に、「事実─本質」の違いとか、コップの例で出た
超越論的な「意識の潜在的構造」を真剣に説明しようと思ったら、フッサール
の言葉は相当敷衍しないと使ってらんないよ、正直な所。
イデーンの第46節「内在的知覚〜」にそのあたりのことがあるけど、1は
「潜在野」って言ってる。で、「潜在野」ってフッサールの言葉? 造語?
造語ならたいしたモンだと思うけど、それでもその意味合いを理解できるヤツ
が何人いると思う?

オレなら、現象学のいう「認識」やら「歴史」を説明するのに、「内在─超越」
原理でもって、「認識」がその構成要素に分解可能だと錯覚させる、例えば
加藤みたいな考えを理を詰めて批判することから始める。批判すると言っても
それが間違っているわけでは無いことも。←ココ重要
そこいらへんのニュアンスの難しさを伝えるためには、「事実と本質の可逆性」
なんてぶっきらぼうな言い方ではとても通じないと思う。
幾らでも言い様はある筈。

ま、どういう理由でか「研究者」に限定したスレらしいんで、お呼びじゃないと思うが。
112研究者1:2001/05/29(火) 09:44
昨日は飲み会で相当飲んだのでちょっと体調が悪いです。
その癖、また飲んでます。死にそうなのに。
それじゃあ、あまり長くはできませんが、レスを少しだけ。

>>111

確かに仰る通りでしょう。でも、私にとってはあれが限界・・・かな?
それに私自身もフッサールを理解しているとは言い難い状況にありますから。

>「イデーン」云々

「イデーン」は今手元にないので詳しいことは言えませんが(今、私は
自分の家にいないので)、二章辺りで「庭」という表現を使っていた筈です。
それが私の言う「意識の潜在性」ですね。「内在-超越」の関係はまた別の
文脈で語られるものだったと思うが・・・この辺り記憶喪失。
長く引用して頂くと有難いです。

>潜在野

フッサールの「知覚野」という表現が気になって使ったのだと思います。
自分でもよく覚えていない。もしかしたらどこかでフッサールがポロッと
使っていたかも知れないけど、今は調べる気力が・・・
潜在的な広がりのことを指しているんだけど、難しいのかな。
私が説明するとみんなウンウンと頷いてくれるけど、あれは礼儀なのか (゚Д゚)

>オレなら、現象学のいう「認識」やら「歴史」を説明するのに、「内在─超越」
>原理でもって、「認識」がその構成要素に分解可能だと錯覚させる、例えば
>加藤みたいな考えを理を詰めて批判することから始める

始めて下さい。ちょうどネタが尽きてきたから次回はそれでやりましょう。

>そこいらへんのニュアンスの難しさを伝えるためには、「事実と本質の可逆性」
>なんてぶっきらぼうな言い方ではとても通じないと思う。
>幾らでも言い様はある筈。

ウン、ますます聞きたい。すぐに「イデーン」を何とかして入手するので、
貴方の議論を聞かせて下さい。というのも、上の書き込みだけでは具体的な
議論が想定し難いし、ぶっきらぼうでない言い方をぜひ聞いてみたいですから。
お願いします。逃げちゃ嫌よ。

>ま、どういう理由でか「研究者」に限定したスレらしいんで、お呼びじゃないと思うが。

いやいや、そんなことは気にしない。

頼んだよ。じゃね。今日は寝ますわ。
113研究者1=単なる怠け者の大学生:2001/05/29(火) 18:16
厨房は少しでも自分の理解不可能な言論を目にすると、まず自分の理解力の
なさを疑うのではなく、その言論そのものの否定に乗り出す傾向が強い。
特に現象学などの分野にはそれが顕著で、現象学で普通に用いられる言葉を
不用意に使用すると、「権威主義」という非難が飛んでくる。

自分に理解不可能で受け入れ難いものは、すべて「権威」という一語でもって
包括されてしまう。理解できないものを、理解しようという努力さえ見られない。
私は現象学の研究を始めた頃、「イデーン」の専門用語の連続に辟易していた。
ある現象学の専門家に教えを請うたが、その人の使用する言葉も難解だった。
しかし、私は難解であることに抵抗はなかったのである。

それは、難解なものが、日々の思索を続ける中で、徐々に氷解して行く体験を
何度かしたことがあり、自分が理解できないものを持っているということは、
それだけ可能性を秘めた未知のものを持っているということに繋がるからである。
だから現象学の研究家がどんなに難解な用語を用い、権威主義的に見えようと、
しつこくその用語の意味や用法を質問しまくった。

勿論、それでも全然分からない。概説本にも手を出したことはあるが、
余計に分からなくなった。だから仕方なくノートを取ったりいろいろなことを
やって、数年後、おぼろげながら研究家の言うこと、或いはフッサール自身の
言うことの意味が分かってきた。その時にならないと、前に教えて貰ったことは
何のことやら分からなかったのである。

恐らく、ここのスレで「難解だ、難解だ」と言っている人は、もう少し
自分の程度の低さを反省し、強靭に思索する能力を養う必要があると思う。
これにはある程度の時間が掛かる。多分、私もみんなと同じ位の年頃だから、
偉そうなことは到底言えないけど、自分が本物の馬鹿者であることは自覚している。
だから、ヘーゲルの「大論理学」でも、権威主義的などと罵ることはしない。
いつか挑戦してやろう、という野心を持つのみだ。
どのくらい、訳が分からぬのだろう、という期待を持ってね。
軟い飯ばかり食っていては歯が駄目になるのだ。

最後に、フッサール「研究」というのは、フッサールの研究のみで成り立つのでは
ない。フッサールの思索を理解する過程こそが自分の思索であり、それこそが
過去の哲学者との「対話」としての「哲学」なのだ。よく「自分で考えない」という
人を見かけるが、本当に「自分で考える」ということの意味を理解しているのだろうか。
自分はそんなに強固な存在だと思うのだろうか。

哲学は対話である。プラトンの対話篇にある通りだ。
対話を通じてしか、自分の思索も芽生えてこないし、対話を通じてこそ、
自分独特の思索が生まれるのである。

違うか。まあ、これは私の哲学論というか、厨房君たちへの手紙です。
あと、自分は怠け者だし全然勉強していないので、・・・
もうすぐしたら消えますね。じゃ。
114研究者1:2001/05/29(火) 18:44
しかし大学の哲学の授業は痛いのが多いね。
まあ、僕の行ってる大学って人には言えないドキュ大だから。
大きい図書館のある頭のいい大学生が羨ましいぜ、なあ。
これじゃ金がいくらあっても・・・。ちんこ。
115研究者1:2001/05/29(火) 18:46
ああ、時間がねえ、時間がねえ。
卒論なんか書きたくねえ。

皆さん、研究者1は実家に帰ります。コンガ共和国です。
116研究者1:2001/05/29(火) 18:50
大学生嫌いです。いい奴もいるけど、カントの演習の前に
マガジンという漫画雑誌を読んでいる奴がいて、授業が始まったら
即「純粋理性批判」を読み出すんです。

しかも、先験的演繹を語る最も難解な箇所の一つ。
大学生はみんな賢いね、オレ以外。
酔ってるな。ハッハッハッ。

つーか、素面で哲学なんかできるかよボケガ
プラトンの饗宴が哲学の理想のスタイルなんだよ。
117研究者1:2001/05/29(火) 18:55
今日は一日酔いが覚めそうにありません。

酒は飲み過ぎないようにしよう。
118考える名無しさん:2001/05/29(火) 20:24
>フッサールの現象学に関するスレッドを幾つか覗いて見ましたが、
>余りにレベルの低いものが多過ぎるので、敢えて現象学の研究者
>を対象に、高次の議論が出来るようなスレッドを立てる事にします。
>研究者の皆さん、どうぞ。


権威というのは信用であるのだから、
いちいち自分で検証する手間を省くためのものとして、
権威主義を否定するつもりは無いけど、
権威主義をそこまで否定するのなら、

「余りにレベルの低いものが多過ぎるので、」
「敢えて現象学の研究者を対象に」
「高次の議論が出来る」

をスレの元にしたのは、失敗だったね。
119考える名無しさん:2001/05/29(火) 21:44
いっとくけどさ、デリダを権威づけに持ち出したのは、
ほかでもない君よ。ボケ? ネタ?
どっちにしろ、冴えないね。
120考える名無しさん:2001/05/29(火) 21:51
夕方まで二日酔いが抜けねえのかよ。
ほどほどにしといたほうがいいぞ、肝臓強そうじゃないしな。
121・e・:2001/05/29(火) 21:58
ルサンチマンの典型のようなスレですね。
122考える名無しさん:2001/05/29(火) 22:10
お、 ・e・久々の登場。ハイデガー的見地からの、介入きぼーん。
123・e・:2001/05/29(火) 22:15
いや1さんは知識をひけらかすのがせいぜいだと思う、実際。
とくに上のあたりを読むと、馬脚があらわれているのがミエミエで
かえってツッコム余地のないほど興ざめ。
124・e・:2001/05/29(火) 22:18
フッサールが一般的に人気がないのは(笑)
このひと、あまりに原理的に問いすぎてかえって知的フットワークがきいてないってゆうか
ボキャブラリーが貧困なわけですよ、実は。
だから知識の過剰となれ合っている日本では、フランス風に触手を手当たり次第に広げた現象学のほうが
人気がある、というわけ。
125考える名無しさん:2001/05/29(火) 22:31
>上のあたりを読むと、馬脚があらわれているのがミエミエで

詳しく説明してくれい。
126・e・:2001/05/29(火) 22:35
だって語り口が興ざめじゃない?
127考える名無しさん:2001/05/29(火) 22:49
>>113は同感だけど結局「俺の話を聞いて」って感じになっちゃってる
128考える名無しさん:2001/05/30(水) 00:54
まあマターリ逝こうよ。
ここしばらく良質のスレが下がってたし、
ネタを提供してくれた1には、おれけっこう
感謝してるな。
129考える名無しさん:2001/05/30(水) 01:08

1さんは学部生なのかな。
学部で「研究者」を自称するのは無茶だと思うけど、
よく勉強してるようで関心したよ。
また見にくるからがんばってね。
130研究者1:2001/05/30(水) 03:34
皆さん、今日は。まだ飲んでます。二時間しか寝てないし。

上でちょこっと自分の身の上を明かしたら途端にこの書き込み・・・。
あのー、「知識をひけらかす」とか言ってる人がいるけど、私にひけらかす程の
知識があると錯覚する君達の方がヤバイよ。つーか、このスレでさえ、一種の
ネタであるし、自分は別スレのハイデガー先生のような方に教えを乞いたかっただけ。
学部生で来年始めて卒論書くような奴に衒学などできる訳がない筈。
その辺りを考慮しつつネタを暴露したのに、幾人かの人はそれさえも理解しない・・・。

>>123 >>124

>とくに上のあたりを読むと、馬脚があらわれているのがミエミエで

きちんと指摘して下さい。後学のためにいろいろ聞きたいので。
煽るだけで何も具体的なことを言わないのは、「権威主義」よりタチが
悪いと思われ。

>このひと、あまりに原理的に問いすぎてかえって知的フットワークがきいてないってゆうか

その辺り詳しい説明求む。どの辺りが原理的であるのか。
知的フットワークとは具体的にどのようなものなのか。
というのも、自分はフッサールが「原理的に問うている」とは全然思わないからです。
フッサールの語彙が貧困であるという意見は初めて聞きました。
誰と比較して貧困であるのですか。フランス現象学の連中ですか。
もしそうだとすれば、それは大変な誤解だと思います。
できれば、フッサールのどの著作のどの辺りがその貧困性を開示しているのか、
明確に指摘して頂けませんか。勿論、語彙一般の問題は、その人の哲学の根幹を
成すものだから、特定のテクストを指示するのは困難でしょう。
しかし語彙の貧困から、なぜ貴方の言われるような現象、例えば日本における
現象学の摂取の実情、或いは「知的フットワークの欠如」というものが
導かれ得るのか、この辺りの関係の詳細な説明をして頂けませんか。

また、ハイデッガーは最近よく読むようになりました。
個人的には Die Frage nach der Technik に見られるような科学技術批判に興味あり。
ハイデッガーに詳しい方(・e・ さん?)、質問させて頂きたいのですが・・・。

>>129

どうも。

>学部で「研究者」を自称するのは無茶だと思うけど

だからあれはネタなんです。研究者とか名乗ってたら私の先生に殺されますよ。
ただ、現象学関係の厨房を避けるためにそう書いたのみなんです。
一番最初の書き込みにしても、あれを額面通り受取る人がいるから困ります。

>>127

酔ってますから(笑
131研究者1:2001/05/30(水) 03:40
あ、あと、

>>121

>ルサンチマンの典型のようなスレですね

どの辺りが? 詳細な説明を求む。
このような低次元のスレで現れるルサンチマンというものは想像もつかないから。
132研究者1:2001/05/30(水) 03:49
あと、死刑囚さん、「イデーン」は数日中に送って貰うので、
議論を始めて頂けませんか。多分、フッサールの語彙が貧弱などと
思っている人にはいい薬になるのではなかろうか ( ´∀`)
133研究者1:2001/05/30(水) 04:06
補足。渡辺訳の「イデーンT」は余りお薦めできないかも。
原文と対照させて読んだことのある人は知っていると思うけど、
原文で三語のものが、訳文では二行に亙る長文に化けている。
懇切丁寧に説明を付加してくれているのだから有難いが、
これが延々と続くので時々うざくなる。

語彙が少ないと言ってる人は原書でフッサール読んだのかな。
できれば読んだテクストを教えて欲しい。
134初心者:2001/05/30(水) 04:09
>>132
しつもーーーん。
フッサールにおける明証理論とepocheとの関連に矛盾は存在しなのですか?
135考える名無しさん:2001/05/30(水) 04:12
>>133

でもフッサールの文章って、翻訳を脇に置いとかないと
俺にはまだまだ読めないなあ。
すげー悪文だと思う。
136考える名無しさん:2001/05/30(水) 09:12
・e・は煽りキャラだから相手にしない方がいいと思われ
137死刑囚。:2001/05/30(水) 13:59
結構1が叩かれているけど、好意的に解釈すれば、それなりにポイント
は押さえてはいるんだよ。文章がイヤミなだけで。

>ぶっきらぼうでない言い方をぜひ聞いてみたいですから。
>お願いします。逃げちゃ嫌よ。

「内在─超越」原理も、「潜在野」も、「事実と本質の違い」あるいは、その
「可逆性」についても、それらはすべて関係しているので、一度に説明する。

1はコップの例を出したが、フッサールは「イデーン」の第41節で机の例を
だして、同じことを言っている。難しい言葉だが、「志向的統一」という事態
を説明しているわけ。
「志向的統一」とは、コップの一部分を見ただけで、(それが茶碗の可能
性もある筈なのに)、コップであると認識する意識のはたらきのこと。
なぜ、そのようなはたらきをするかといえば、そこには認識する側に
「知」があらかじめ含まれているから(潜在野)。経験とかね。
フッサールは、これを「コギト─コギタチオ─コギターツム」という難解な
モデルを使って説明しているけれど、何のことはない、志向性の働きに
力点を置いて言えば「ヒュレ─ノエシス──ノエマ」になる。
で、「内在─超越」原理もこれに関係するの。
簡単に言うと、

内在──「原的な体験」に当たるもの──「コップ」の一部分だけを見て、
それがコップであると思うこと自体。トポス。「思うこと自体」てのがミソ。

超越──「構成された事象体験」──志向的統一によりコップであると
定義づけること。つーか定義づけられたもの。
138死刑囚。:2001/05/30(水) 13:59
ようするに「内在」は不可疑なわけ。
「ひょっとして、コップだと思わなかったかも知れない」
という事態はあり得ないから。
でも、「超越」は幾らでも疑える可能性がある。コップは脳内で作りだ
した幻に過ぎないとか。
つまり、「内在─超越」原理は、恣意性のあるなしに力点が置いてある。


「事実─本質」云々について。

現象学は本質学であるとフッサールは言う。
この辺りのことは「エポケー」「還元」「本質直観」という現象学独自の
方法論をきちんと理解する必要があるが、これも実は「内在─超越」原理
と深い関係がある。

「事実と本質が違う」というのは──そもそも事実などはありえないが──、
一般的に「事実」は可疑性が残る。つまり、われわれが事実といっている
ものはすべて「超越」なわけ。
一方、本質とはつまり、本質直観されたもののこと。かみ砕いていえば、
意味のこと。あるいは「感情」とか「知覚」とか、意識の自由にとって彼岸で
あるもののこと。不可疑なもののこと。
オレは現象学をメリット主義だと言っているけど、世の中に流布するあらゆる
価値観を、自分固有の価値観に捉え直すための方法が現象学で、その
出発点が「エポケー→還元→本質直感」という手法なわけです。
現象学は難解な用語を沢山使うけど、それは不幸なことで、普通の人が
そんなもんに拘る必要などまったく無いです。考え方のエッセンスを正確
に知ることの方が大事。その汎用性は凄まじいですから。
139死刑囚。:2001/05/30(水) 14:00
その意味では、1が難解な用語を並べ、「事実と本質の可逆性」とだけ
言って、それだけで理解せよと求めるのは無理がある。
ぶっきらぼう、と言ったのはそういうこと。

あとフッサールは語彙が貧弱というより、その逆で戸惑うことの方が多い。
それは決して美点とは言えない。自分の思考の速さに書くことが追いつか
ず、独自の速記法を編み出したような御仁だから。
何度もいうけど、そんなものに付き合ってたら、途中で溺れちまって、
読み終えるだけで何十年もかかるよ。←大袈裟じゃない。
140研究者1:2001/05/30(水) 14:04
>>134

はい。できるだけ分り易く説明しますね。

まず、明証というのは、基本的に事象が「ありのまま」把握される
ことを言います。対象が直観において、原本的に(オリギネールに)
与えられる場を「明証」という語で表すのです。
それは直観である限り、経験の際立った一様態であるとされます。
この辺りはフッサールの明証理論の基本的な理解です。

さて、これとエポケーとの関係ですが、フッサールがそもそも
エポケーなどと言い出したのは、伝統的な近世の認識論を、
超越論的認識論へと移行させるためでした。
伝統的認識論では、単純に「内在-超越」の関係を設定し、
両者の一致がいかにして可能なのかを問います。
内在としての自我は、超越的である自我の外部のものを、
いかにして認識するのか、という問題がそれです。

しかしフッサールに言わせれば、このような議論は自然主義的
態度に束縛されていて、常に与えられた世界を前提し、認識を
遂行する自我でさえも、世界内部の一存在者として把握されている
のです。だからいくら「内在-超越」の関係を考察して行っても、
両者をリンクさせるものは見つかりません。
何故なら、「内在-超越」という関係には、常に超越的なものが
素朴に前提されており、内在は飽く迄、超越的なものに汚染された
ものに過ぎず、もしこのような混交が生ずれば、両者はそもそもの
初めからして、区別された関係ではなくなってしまうからです。
(世界の捉え方が問いの中で既に前提されているのです。)


ところが、認識論的な概念である、経験における「明証」は、
内在-超越の関係を正しく設定することを要請するので、
伝統的認識論では、この「明証」を扱うことができないのです。
明証というのは、大雑把に言えば内在的なものと超越的なものとの
一致です。つまり、経験において経験されたものが、それ自体で
与えられるような経験です。

で、問題になっているのは、私の意識において明証体験として
現れるものが、いかに客観的な意味を持つことができるのか、
ということです。伝統的認識論の図式では、この問いに答える
ことはできません。「内在-超越」の関係が、正しく捉えられて
いないからです。フッサールはそこで、エポケーというものを
持ち出し、「内在-超越」の図式を正しく設定し直すのです。
エポケーを通じて得られた認識は、あらゆる世界妥当を控えた
あとに、根源的な領域としての超越論的主観性が立ち現れて
くるということでした。ここでは、伝統的認識論に見られるような、
世界の素朴な定立などはなく、純粋に「内在-超越」の関係が
立てられるのです。しかしここが肝腎なのですが、
フッサールはエポケーを通じて、超越論的次元を発見したのだから、
先の図式もそれに見合うものに変造されています。
それが「「内在的-超越論的-超越的」という、非常に重要な
捉え方です。つまり、伝統的論理学の「内在-超越」図式を
ジョイントするのが、第三の機構としての「超越論的」次元なんです。
これがフッサールのいう「超越論的」ということのそもそもの
意味です。

それでエポケーを通じて、このように認識論の構図が正しく
設定されたのだから(勿論、この図式も批判されてますが)、
所謂「明証理論」というのも、ここから初めて俎上に載せることが
できるようになるのです。ですから、明証とエポケーは矛盾する
どころか、非常に密接にして不可分の関係を有しているのです。

そしてこの第三のもの、私と世界とをジョイントするものとしての
超越論的次元が、志向性という意識の特性を通じて分析されて
行きます。そこで超越論的構成というのが問題になるのです。
その際、「超越」というのは、自我の内部で構成された存在意味の
ことを言います。

まあ、この辺りはまた別の問題になってきますし、質問には
充分答えたと思うので、また次回。
141研究者1:2001/05/30(水) 14:25
>死刑囚さん

>>134 の質問に答えた直後に目にしました。
丁度そこで「内在-超越」の問題を取扱ったので参照して下さい。

幾つか「変だなあ」と思ったものだけにレスしておきます。

>そこには認識する側に
>「知」があらかじめ含まれているから(潜在野)。経験とかね

最後の「経験とかね」は余計でしょう。もしこれが経験的領野の
産物だったら、フッサールの志向的分析は瓦解します。
「イデーン」ではまだ問題にされませんが、受動的発生を
考えてみて下さい。あれが経験的起源を有していたらおかしな
話になりませんか。


>内在──「原的な体験」に当たるもの──「コップ」の一部分だけを見て、
>それがコップであると思うこと自体。トポス。「思うこと自体」てのがミソ。

>超越──「構成された事象体験」──志向的統一によりコップであると
>定義づけること。つーか定義づけられたもの

これは明らかに私が >>134 の質問の答えに記した「内在的-超越論的-
超越的」の関係を無視していますね。「内在-超越」の二項関係では
捉えられないのが超越論的認識論なのに。「志向的統一」の意味を
再度熟考することを推奨します。


>オレは現象学をメリット主義だと言っているけど、世の中に流布するあらゆる
>価値観を、自分固有の価値観に捉え直すための方法が現象学で

これは現象学に対する通俗的理解。フッサールの価値論、つまり、「イデーンT」
の第四章あたり、また「経験と判断」の全体、相互主観性の問題を考慮すれば、
上のような言い方は決してできないはず。「異他なる(フレムト)もの」を
考察する後期のフッサールはどうなりますか。


>その出発点が「エポケー→還元→本質直感」という手法なわけです

ちょっと不安になってきた(笑)。死刑囚さん、もう一度「イデーン」を
よく読み直して下さい。私のことを「ぶっきらぼう」であると言いますが、
貴方の議論はフッサールを中途半端にしか理解していないようです。


>結構1が叩かれているけど、好意的に解釈すれば、それなりにポイント
>は押さえてはいるんだよ。

貴方・・・まず自分の理解を反省して下さい。頼むから ヽ[;゚Д゚;]ノ
142死刑囚。:2001/05/30(水) 15:59
>伝統的認識論では、単純に「内在-超越」の関係を設定し、
>両者の一致がいかにして可能なのかを問います。

フッサールはそういう意味で「内在─超越」という言葉を使っているのでは
ないですよ。140での文脈は好意的に読めば理解可能だが、言葉の使い方
がフッサールとはかなり違う。上の引用でいうなら

伝統的認識論では、単純に「主─客」の関係を設定し、
両者の一致がいかにして可能なのかを問います。

と言わなければフッサールの意図は伝わらない。(『現象学の理念』講義一)
フッサールの言う「内在」とは単なる主観内部の働きを意味している訳で
はなく、ノエマの意味を絶対的に充たす「原的に与えるはたらきをする
直観」(イデーン第24節)を意味している。そして、それが、「超越」と如何
に区別されるかが、オレに言わせれば恣意性にあるわけです。
フッサールに置いては「内在」という言葉も「超越」という言葉も、独自の意味で
使われているわけ。

1も超越的主観の重要性は分かっているようだけど、フッサールがいう
純粋自我とはまさにそのことで、それを「内在的-超越論的-超越的」と
並べて論じるやり方は「内在─超越」原理の文脈とはまったく違う。
フッサールが何処で「内在的-超越論的-超越的」などどというバカげた
図式を持ち出している?
143死刑囚。:2001/05/30(水) 16:00
>>オレは現象学をメリット主義だと言っているけど、世の中に流布するあらゆる
>>価値観を、自分固有の価値観に捉え直すための方法が現象学で

>これは現象学に対する通俗的理解。フッサールの価値論、つまり、「イデーンT」
>の第四章あたり、また「経験と判断」の全体、相互主観性の問題を考慮すれば、
>上のような言い方は決してできないはず。「異他なる(フレムト)もの」を
>考察する後期のフッサールはどうなりますか。

『デカルト的省察』でフッサールは「最初の他なるものは他我である」
といっている。その意味を正確に受け取らなければ間主観、相互主観は理解
できない。間主観性というのが、殆ど誤解に満ちた理解をされているため、
1の様な批判になる。
イデーンはともかく、相互主観性の問題を考慮したら、何故通俗的になるのか
聞きたい。「相互主観とは何なのか」でもいい。それをまず書いて貰おう。

>貴方の議論はフッサールを中途半端にしか理解していないようです。
上記の理由と共に、この理由も書いてくれなければ反論のしようがない。
「還元」「本質直観」とそれにいたる「エポケー」という手段は現象学
では最重要概念で「イデーン」はそのために書かれていると言っていい。
何処が中途半端なのか言って貰おう。
144死刑囚。:2001/05/30(水) 16:04
訂正

超越的主観の重要性
 ↓
超越論的主観の重要性
145考える名無しさん:2001/05/30(水) 16:55
>内在的-超越論的-超越的

仏の現象学研究で頻繁に出てくるよ
研究者の間じゃ常識と思われ
146考える名無しさん:2001/05/30(水) 18:44
>>145
死刑囚さんは研究者じゃないと御自分で言ってるし
フッサールについて仰っているのでは
147考える名無しさん:2001/05/30(水) 19:47
>そしてこの第三のもの、私と世界とをジョイントするものとしての
>超越論的次元が、志向性という意識の特性を通じて分析されて
>行きます。そこで超越論的構成というのが問題になるのです。

面白くなってきたでんな。
超越論的構成とはいかなるものか、
また、それは本当に伝統的哲学の問題圏からのブレイクスルーたりうるのか。
ここんとこ素人さんにも分かるように説明してちょ。
148初心者:2001/05/30(水) 20:09
>>140
う〜ん、やはり難しい。
内在的−超越論的−超越的
内在的=
意識が常に対象を必要とすること>志向性
ゆえに意志作用のうちにその志向されたものが内在しているとき?
超越論的=transzendentalでしたよね。
カント的な意味ではなく、意識の純粋領域だとすると
超越的なものへとの一致を試みるところってことですか?
そして超越論的構成とはその方法のことかな?

明証理論とepocheについての論理整合性はだいたい理解できたつもり?です。
149 :2001/05/31(木) 07:55
age
150死刑囚。:2001/05/31(木) 10:54
>>145>仏の現象学研究で頻繁に出てくるよ

フランスでは最近「哲学の死」ということが盛んに言われている。
G.ドゥルーズ、E.レビナス、J-F.リオタール等が次々と死んでフラ
ンスの「思弁哲学」の不毛性に、例えばエリック・アリエズなどは
「現象学の死」ということを言う。
もともと現象学はフランスで盛んに受け継がれているけれど、
注意して欲しいのは、フランスの現象学がイコール、フッサールの
思想とは言い難いということだ。あちらさんではフーコーも現象学者
だし、ドゥルーズもそうなのだ。
オレとしてはサルトルが現象学者というのにも不満がある。
まともなのはレビナスくらいだろう。ポンティーも怪しいものだと
個人的には思っている。

それはさておき、何が言いたいかと言うと、現象学というのはメチャメチャ
広い意味で使われているわけ。一般に現象学研究といってもその裾野
は広い。だからフランスの現象学研究と言われても雲を掴むようなもので、
君がいう「常識」がどういう「研究者」によるものなのかが、オレとしては
非常に疑わしいわけ。

日本にも現象学協会(?)があるが、あそこの会員というは別にフッサ
ールを研究しているわけじゃない(中にはいるだろうが)。心理学者
や社会学者もいれば建築関係、教育関係といったように、現象学的
な見方で具体的な問題を研究していると言った方がいい。

>>146
うん。研究者じゃ無いけど、現象学はかなり突っ込んで勉強したつもり。
昔、心理学をやってた関係で。
151研究者1:2001/05/31(木) 11:06
最初の数日間に飛ばし過ぎて少し疲れて来ました。
従って今日の議論は大雑把な点を指摘するのみで許して下さいね。

>死刑囚さん

まず、我々の基本的な見解の相違は、貴方が「イデーン」期の
フッサールに準拠しているということ、対して私は、後期或いは
晩年のフッサール思想から、中期を批判しつつ議論しているということ、
このことに由来すると思います。

私の言葉遣いが奇異に聞こえるのならば、それは貴方が、晩年の
未公刊の草稿群に微塵も眼を通していないことに基づくのだと思われます。
周知のように、フッサールの思想の変遷は非常に激しいもので、
彼は何等かの著作を公刊するたびに、幾度となく自分の思想を変貌させて
行きました。この変貌を周密に追跡しないで、例えば「イデーン」期の
フッサールのみに拘泥するとなると、フッサール理解に著しい困難を
招くことになります。

勿論、一時期の思想に沈潜し、そこからその人の全思想を汲み上げることも
可能でしょうが、ことフッサールにあっては、草稿群の分量が普通でなく、
これらの執拗な分析を手掛かりにしない限りは、基本的理解さえ覚束ない
状況にあるのです。フッセリアーナ中、公刊された著作の分量がどれだけの
ものであるか御存知ですか? 私の言葉遣いが、フッサール自身のように
見えないと仰いますが、まず貴方はフッサール自身のものを、本当に
よく読まれたのか、そのことを反省して下さい。更に「研究」というもの
は、フッサールの言葉を反覆するだけでことが済むのではなく、
飽く迄「批判的」でなければならないと思います。
耳慣れない語彙も、こうした批判から生まれたものなのだとすれば、
それなりの意義を有しているはずです。

で、具体的なところについては・・・

>フッサールが何処で「内在的-超越論的-超越的」などどというバカげた
>図式を持ち出している?

あのう・・・。フッサールはいつでもこのことを考えていましたよ・・・。
どうしても具体的な文章が見たいのであれば、「デカルト的省察」の
第四省察の後半を読んで下さい。じっくり読んで下さいね。
この辺りが分からないと、カントとフッサールとの差異、あるいは
ヒュームとフッサールとの差異が、全然分からなくなります。
近代的認識論の図式では、常に「内在-超越」の袋小路を、いかに
脱却するかが最大の問題点でした。それに対するカントの応答を
よく考え合せるべきでしょう。そうでないと、「超越論的」の意味は
おろか、「ア・プリオリ」「ア・ポステリオリ」の意味も不分明に
陥ります。

それから、気になったのは「バカげた図式」という表現ですが、
貴方は明らかにこの図式を理解していないにも拘らず、なにゆえに
馬鹿げたものと見なされるのでしょうか。自分に理解不可能なものを、
馬鹿げたものと呼ばれているのではないとは思いますが、・・・
その辺り、研究者としての資質が問われます。
まあ、研究者じゃないのであればいいのですが。
152研究者1:2001/05/31(木) 11:07
>『デカルト的省察』でフッサールは「最初の他なるものは他我である」
>といっている。その意味を正確に受け取らなければ間主観、相互主観は理解
>できない。間主観性というのが、殆ど誤解に満ちた理解をされているため、
>1の様な批判になる。

あのう・・・。貴方、やっぱり勉強し直すべきです。
私の言いたかったことを微塵も理解していないばかりか、勝手な誤解を
導き出して、更には「デカルト的省察」に対する怪しげな見解を
臆面もなく披瀝していますね。

貴方の仰るように、フッサール現象学では、まず最初に他者のいない
原初的な(プリモルディアル)な世界から出発し、次の段階で初めて
他者と遭遇するという構造になっているように「見えます」。
最初の他なるものは勿論他我ですが、優位にあるのは飽く迄自我という風に。
これが相互主観性に関する通俗的理解、更に言えば誤解であり、
残念なことに貴方の理解でもあるのです。
つまり、貴方は「殆ど誤解に満ちた理解をされている」などと嘯きながら、
自分が思い切り通俗的理解に拘束されていることを理解せず、逆に
それに反対する私に対して、訂正を促してくれる程の勢いです。
これは井の中の蛙大海を知らずと昔から申しまして、非常に恥ずかしい
行為なのでやめて下さい。

フッサールは相互主観性の議論を、もっとねじれたやり方で行います。
翻訳でパラパラと眼を通す程度では絶対に理解できない次元があります。
「論理学研究」第二巻の「表現と意味」以来、フッサールは常に
相互主観性の問題を意識しており、「対話」についての可能性を考えて
いました。「危機書」の中に「自己意識と他者意識は不可分である」という
言葉があるのを御存知ですか。
「最初の人間は他者であり、そこからして初めて、私自身は人間という
意味を得ることになる」。これは未公刊の草稿にある言葉(XV)。

私は以上の理解を前提に、

>オレは現象学をメリット主義だと言っているけど、世の中に流布するあらゆる
>価値観を、自分固有の価値観に捉え直すための方法が現象学で

という貴方の中学生が主張しそうな意見を批判したのです。

以上、貴方の説明が余りに舌足らずであったため、貴方の見解を誤解しつつ
議論を展開した可能性もありますので、もしそうなのだとすれば、

貴方は「最初の他なるものは他我である」という言葉の「意味を正確に
受け取」っているという御話なので、ぜひその辺のところお聞かせ下さい。
せめて私と同じとまでは言いませんが、舌足らずにならない程度の分量は
書いて下さい。それで「誤解された」と言われても、非の半分は貴方に
あることになりますよ。充分な説明をしなかったのだから。

>何処が中途半端なのか言って貰おう

私はまず、貴方のフッサール理解全体が「中途半端」と思います。
更に詳しく言えば、

>世の中に流布するあらゆる
>価値観を、自分固有の価値観に捉え直すための方法が現象学で、その
>出発点が「エポケー→還元→本質直感」という手法なわけです

これは痛いのです(笑)。私はもう、貴方に理性的な議論を求めることの
できない次元に到達しているのかも知れないくらい、痛いのです。
フッサールの価値論が、ノエシス-ノエマの相関関係の分析の後の方に
現れるのは有名な話で、ハイデッガーはこの「多層的」思考を「存在と
時間」で徹底批判しました。この辺りは御存知ですよね。
問題なのは、そのような価値の多層的構造を論じたのにも拘らず、
フッサールが同時に地平志向性や、世界地平、人間同士の地平を、
「常に既に」という構造として考えていたということなのです。
そうしてこれが相互主観性、或いは歴史性の議論と密接に
係わって来るということを貴方に示したのです。

しかし、貴方は勿論、そんなことを微塵も理解していないようです。
それゆえ私は貴方の理解を「中途半端」と呼ぶのです。

以上。
153研究者1:2001/05/31(木) 11:08
>>147 >>148

申し訳ないです。また次回。ちょっと飛ばし過ぎたので。
154考える名無しさん:2001/05/31(木) 19:02
フッサールの超越論的構成は、
カントの超越論と、どこがどのように違うのですか。
基本的に同じです。
研究者1さん、俺より才能あるよ(煽りの)。
こりゃ固定HN考えないとね!
157考える名無しさん:2001/06/01(金) 04:01
>>155
こらこら、そんなこといってまた恥をさらさないように。(藁
158考える名無しさん:2001/06/01(金) 04:23
カントとフッサールの超越論はぜんぜん違うだろ。
つうか、違わないと困るだろ。
フッサールが画期的だというからには。
159死刑囚。:2001/06/01(金) 05:15
おいおい、だんだん支離滅裂になってきたな(笑)
オレの「好意的」にも限度があるぞ。

>最初の他なるものは勿論他我ですが、優位にあるのは飽く迄自我という風に。
>これが相互主観性に関する通俗的理解、更に言えば誤解であり、
>残念なことに貴方の理解でもあるのです。

オレの理解を勝手に推測してくれてご苦労なことだが、そんなことは
一度も言っていないし、そんな理解はしていない。
オレは何故、間主観性を持ち出せば、「世の中に流布するあらゆる
価値観を、自分固有の価値観に捉え直すための方法が現象学である」
というオレの現象学理解が通俗的になるのかと聞いている。
で、
>「最初の人間は他者であり、そこからして初めて、私自身は人間という
>意味を得ることになる」。これは未公刊の草稿にある言葉(XV)。
>私は以上の理解を前提に、
とあるが、こういうのは理解と言わないと思うが、引用で良いのならオレも
楽だ。
オレの「間主観」理解の根幹は『デカルト的省察』の第49節、中公の
「世界の名著」P249上段の最終行から下段の7行目だから参照して
くれたまえ。
「同時に、しかもそれに動機づけられて」というのがミソだ。
でも、オレは誰かさんと違って難解な文献をそのまま挙げ連ねる
だけで事足れりとはしないので、自分の言葉に翻訳してやる。
つまり間主観とは、「他我を触媒とした主観」のことだ。
もっと簡単に言えば、「他我というフィルターを有した主観」のこった。
フッサールは自我という言葉をヘーキで使うが、これはフロイトとごっちゃ
になるのでオレは使わない。
君は誤読するのが趣味みたいだから、いちおー解説しておく。
もちろん「自己意識と他者意識が不可分」であるのはあたりまえ。
というよりは、他我を妥当して初めて自己意識が可能になる。
客観世界の妥当も、他我の妥当があって初めて可能になる。
「自己」と「主観」をごっちゃにするなよ。
それでだな。君の理解というか引用文を、オレは好意的に解釈す
るから良しとしてやる。で、なんでそれをもってするとオレの現象学
理解が通俗的になるわけ??
160死刑囚。:2001/06/01(金) 05:15
あのな、こわっぱ。「内在的─超越論的─超越的」という図式がバカげ
ているのはな……ああ、めんどくせぇ〜。>>142をもう一度読みたまえ。
フッサールが言う「内在」ってのは独特の意味があるんだよ。
オレは一貫して好意的にお前の文章を読んでいるから
意図していることはわかるけどな。「内在─超越」原理を伝統的認識論
として捉えるのは完全なる間違いなのよ。言語選択の。わかる?
も、もしかして「ノエシス─ノエマ」という図式も伝統的主客構造として捉
えているわけじゃないだろうな。まさかとは思うが。

>どうしても具体的な文章が見たいのであれば、「デカルト的省察」の
>第四省察の後半を読んで下さい。

面白いよ君は。あまりにもありがちな誤解だから嬉しくなる。
「内在的─超越論的─超越的」という馬鹿げた図式など出てこないのは
当然だが君が素直に誤読している箇所はわかったよ。
でも、P268の下段を読みな。
「あらゆる存在はそれが内在的と言われようと」というところ。
そこには内在も超越も「先験的主観性の領域内に属する」とあるだろ。
続けて、
「その二つの世界は連関しており」「具体的にも一つ」であると。
そして、「先験的主観性の外部というようなことは、そもそも無意味である」。

いいか。フッサールは、「内在」も「超越」も先験的主観性の内部にある
といっている。それなのに君は、伝統的認識論として「内在─超越」を
捉えている。アホかと。
しかもフッサールはまさにここで超越論的主観性の説明をしているわけ。
ようするに先験的主観性内部にある「内在─超越」原理そのものが、
超越論的なんだよ。

概念を説明しているんだなんて糞みたいな言い訳はするなよ。君の
概念なら好意的に解釈して「良し」としてるんだから。君の問題は
「内在」と「超越」の意味をまったく分かっていないところと、
「内在的─超越論的─超越的」なんて馬鹿げた図式を捏造して、
理解を惑わしていることなんだから。
頼むからちゃんと142をよんでくれ。
ついでに、フッサールが言う「超越」と「客観的世界」の意味の違いを
言ってみ。同じだと思ってんじゃねーだろーな。
161死刑囚。:2001/06/01(金) 05:16
>周知のように、フッサールの思想の変遷は非常に激しいもので、
>彼は何等かの著作を公刊するたびに、幾度となく自分の思想を変貌させて
>行きました。

木田元とかもそう言っているし、伝統的なフッサール理解だが、

>ことフッサールにあっては、草稿群の分量が普通でなく、
>これらの執拗な分析を手掛かりにしない限りは、基本的理解さえ覚束ない
>状況にあるのです。
とか
>フッサールは相互主観性の議論を、もっとねじれたやり方で行います。
>翻訳でパラパラと眼を通す程度では絶対に理解できない次元があります。

アホかと。
こういうのをハッタリというんだよ。
現象学は難解だと、伝統的に思われているが、これはまったくの不当。
誰かの陰謀としか考えられない。
現象学は誰にでも容易に理解できる考え方だし、誰でもそれを使うことが
出来るすぐれた道具だよ。
「現象学の理念」「イデーン」「デカルト的省察」「危機」
現象学の思考のエッセンスを掴むなら、これで十分。
それを通俗的と言いたければ言えばいいが、それなら、いったい哲学とは
何なんだ? 一部の頭脳明晰なものだけが、何年もかけてやっと読解でき
るもの? 「基本的理解さえ覚束ない」だと? 冗談も休み休み言え。
なんのための言葉だ。
君が「翻訳でパラパラと眼を通す程度では絶対に理解できない次元」に
達していて、なお且つ「基本的理解」をしているのなら、いっぺん君の指導
教授に、現象学徒が「言葉」を使わざるを得ないことのジレンマについて
質問してみたまえ。
オレがしきりに「好意的」といっている意味が分かるか?
そもそも現象学的思考を実践すれば、意見の対立など生まないんだよ。
それは常に解消へと向かう。実践という言葉を反芻しな。
162ヌッチョヌッチョ:2001/06/01(金) 07:39
>フッサールが言う「内在」ってのは独特の意味があるんだよ。
>オレは一貫して好意的にお前の文章を読んでいるから
>意図していることはわかるけどな。

そうなら、

>「内在─超越」原理を伝統的認識論
>として捉えるのは完全なる間違いなのよ。言語選択の。わかる?

という指摘はおかしいのではないのれすかあ?

 
>それなのに君は、伝統的認識論として「内在─超越」を
>捉えている。アホかと。
>しかもフッサールはまさにここで超越論的主観性の説明をしているわけ。
>ようするに先験的主観性内部にある「内在─超越」原理そのものが、
>超越論的なんだよ。

でも>>140で、研究者は

>その際、「超越」というのは、自我の内部で構成された存在意味の
>ことを言います。

とかいているのれすよ〜?
163ヌッチョヌッチョ:2001/06/01(金) 07:42
140で研究者は、伝統的認識論の「内在ー超越」の概念が
フッサールによって変更されていったということをかいているので
はないのれすかあ?
ちゃんと読んだのれすかあ?

>ようするに先験的主観性内部にある「内在─超越」原理そのものが、
>超越論的なんだよ。

>内在的─超越論的─超越的」なんて馬鹿げた図式を捏造して、
>理解を惑わしていることなんだから。

研究者が言っている、超越的というのは意識外部の物のことではないと思うのれすよ。
そして、超越論的といっているのは、おそらく
死刑囚のいっていた「認識する側に「知」があらかじめ含まれているから(潜在野)」
のことだと思うのれすよ。
研究者は、この潜在野が先験的かつ経験的(歴史的)とへんなことをいっているのれすよ。

>そもそも現象学的思考を実践すれば、意見の対立など生まないんだよ。

ほんとなのれすかあ?
でも研究者さんも、死刑囚さんも見事に対立していて、解消にむかってないのれす。
ということは二人とも、現象学的思考を実践していなのれす。
( ´D`)/ 
164ヌッチョヌッチョ:2001/06/01(金) 07:52
といっても他人の論争はどうでもいいのれす。
 ところで、ROMってるみなさん、研究者の言っていること理解できますかあ?
わたし、全然納得できないのれすけどねえ。

レスしてもらったところの再レスなのれす。

>少なくとも例えばビルを建設したりするみたいに、
>主観が客観を建設して行く、などというものじゃないことは
>分かってるよね。つーか、そんなこと言う奴は電波だよ。
>サイババじゃん、それって。

加藤が言っている物って、意識の外部にある物のことではなくて、
ノエシスーノエマのノエマのことだとおもいますけど。
だって、加藤は意識と反省意識との関係の問題をろんじてるのれすよ。
でも、ここはどうでもいいのれす。
実践中なんだろ?
いいもん見させてもらってるよ(笑

ただ潜在野が経験的かつ先験的(超越論的)というのは気になるなぁ。
経験的でないものが超越論的なのだから、一般的には。そうでなければ本末転倒だな〜
166考える名無し:2001/06/01(金) 07:55
>>165
君はいつまで生き恥をさらしつづけるのかい?(藁
167ヌッチョヌッチョ:2001/06/01(金) 07:57
>>それが根源的であるとなぜ思うのうか。
>>という問いにはなんて答えるのですか?

>根源的なものは他からの根拠付けを受け付けないから「根源」なんです。
>加藤君の質問はその意味で不可解。例えば原本的に与える働きをする
>直観の根源性を言う場合、それはそれ以上遡り得ないということで、
>これはある主観が判断する事柄ではなく、事象の必然性がそうさせる
>のです。「何故か」という問いが終局し、事象そのものが「ある」
>ところ、それが根源的といわれます。明証というやつです。
>それに「なぜ」というのは、原因か理由かを訊ねていますよね。
>この辺り厳密な議論が必要です。

 >他からの根拠付けを受け付けないから「根源」なんです
ってそれは根源の定義の説明ではないですか。
なぜ、それが根源的であると思うのかの、回答が、他から根拠付けをう
けないからだでは回答になってませんよ。

<これはある主観が判断する事柄ではなく、事象の必然性がそうさせる>
とか<事象そのものが「ある」ところ>
とか、全然説明になってないとおもいますが。
みんなは、この説明で納得できたのれすか?

>それに「なぜ」というのは、原因か理由かを訊ねていますよね。

それが根源的であると思う理由も存在しないのですかあ?
だったら、たんなる山勘なんですか?
結局フッサールの話だと、こういう用語上の共通了解を形成する作業がせいぜいで
ここから議論は進まないようになる・・
サルトルと現象学との出会いはしばしば劇的に説明されるけど
フランス人がそこにみたには、ひとつの学ではなく、結局ひとつの文筆上の「スタイル」ではないか
としばしば思う。要するに新しい文体、新たな意匠だ。
派手なフラ公が地味なフッサールの議論に満足するわけないしな〜
169考える名無し:2001/06/01(金) 08:04
>>168
君には御退場願いたいのだが?(ぷぷ
少なくとも
transzendentalを哲学辞典で調べてきたからこようね。
それでも不十分だが著作をよめというよりは暖かいでしょ。(藁
ごめんなさい、退場します。
171考える名無しさん:2001/06/01(金) 08:42
フッサールの内在―超越の図式や超越論的構成が、
伝統的認識論と違うといっても、
その違うということによって、なにか本質的に新しい展望が開けるのか。
このあたりが疑問。
テクストの解釈だけ争ってもね。
だから、なんやちゅーねん。
172考える名無しさん:2001/06/01(金) 12:06
しかし、確かに用語法の合意に達するのが難しそうだなあ。1は研究者として
アカデミックにやりたいというのなら、フッサールに関する研究史をひとまずは
開陳しつつ、その中で未公刊資料の解釈がどのような意味を持つのか、そして
現代においてそれに光を当てる理由はなんであるかを書かなくては、公刊資料に
対するそれらの位置が把握できないし、読み手を説得することもできない気がする。
173172:2001/06/01(金) 12:24
端的に1がここでフッサールの注釈をしたいというのであれば、別に止めは
しないが、死刑囚とかヌッチョとかが問うてるのは、注釈それ自体の正誤と
いうよりは、1が議論をフッサール研究という名の下に閉じようとすることに
対する批判だと思う。哲学の従来の問題に対して、フッサールがどう取り組み
どう答えたのか(1はこれを自明のものとしたいから研究者に限定しようとして
いるようだが)という底流と通じ合っていない議論は、フッサールを単に礼拝
する態度として受け取られてしまう危惧を持つのだが。
174172:2001/06/01(金) 12:35
まあ、1はフッセリアーナを参照し、研究している連中などここにいるわけが
ないと思っているし、本気でいると思っているなら終わってる。さっさと暇つ
ぶしはやめて、論文でもなんでも、再開しろよ。そこそこ、面白かったぞ。
175研究者1:2001/06/01(金) 13:52
昨日風邪を患ったようでイマイチ調子が悪いのですが、
論争(?)も順調に経過中のようですので、基本的な事柄に
限定してお応えしますね。なんかいつもそんなこと言っているような。

>死刑囚さん

まず、すべてを論ずる以前に、私のレスをきちんと読んで下さいね。

>オレの「好意的」にも限度があるぞ

荒らし煽りの蟠居する中で、「好意」などには興味ありません。
そんなものは早く捨てるべきです。

>つまり間主観とは、「他我を触媒とした主観」のことだ。
>もっと簡単に言えば、「他我というフィルターを有した主観」のこった。

恥ずかしい言い方はよして下さい。フッサールが相互主観性でそんなこと
を考えていたのなら、彼の思考は高校生レベルを越えてはいなかった、
ということになりますね。高校生レベルなのは貴方だけで結構です。
第一、貴方は「超越論的相互主観性」と「事実的相互主観性」との区別も
無視しているではありませんか。これが生活世界の問題と錯綜してくる
ところを全然考慮していないじゃありませんか。
それで私に相互主観性の蘊奥を語ろうとするなんて、私だったら
恥ずかしくてビルから飛び降りるかも知れませんよ。

貴方の哀れさ丸出しの意見には答える気力も起こりませんが、
答えないと文句を言われるかも知れないので、一応答えておきましょう。
まず、貴方の書き方から判断する限り、それは通俗的以前に、
万人の常識を反映したものに過ぎません。

他の「われ」を「触媒」にした「主観」。この辺り説明不足で意味不明です。
他我に触れられることで何故「主観」などというものが直接に得られるのか。
「他我というフィルター」を有することにより、何故「主観」が生ずるのか。

この辺りの問題を無視して、いきなり相互主観性の議論に持っていくところが、
貴方の中学生ぶりを余念なく発揮しているのです。
相互主観性の問題は、「ここから」生ずるものなのです。
貴方は問題以前の我々の常識を尤もらしく反芻したに過ぎず、その意味で
朝三暮四という言葉が最も適切なのです。

>君は誤読するのが趣味みたいだから、いちおー解説しておく。
>もちろん「自己意識と他者意識が不可分」であるのはあたりまえ。
>というよりは、他我を妥当して初めて自己意識が可能になる。
>客観世界の妥当も、他我の妥当があって初めて可能になる。
>「自己」と「主観」をごっちゃにするなよ。

まず、「誤読」に関しては、貴方の説明が舌足らずで、その上文章が
中学生並みに下手だということが主要な原因です。私に非はありません。

>というよりは、他我を妥当して初めて自己意識が可能になる。

あのう・・・。そんな常識的なことを言わんがために引用した言葉じゃ
ありません。その「妥当になる」過程はどうなりますか。それが
そもそも相互主観性の問題でしょう。私はその「問題」を提示したかっただけ。
それを「誤読」した貴方の方に問題があるのですよ。
それから「自己」と「主観」というのは別物ですが、貴方が両者をどのくらい
厳密に使い分けているのか教えて下さいね。というのも、フッサールはその辺り
さほど気にしていないからです。
176研究者1:2001/06/01(金) 13:52
それから「内在-超越論的-超越」の問題に関しては、貴方は明らかに
中期の図式の見かけだけに囚われ、これをまったく理解しようとしませんね。
そんなに難しかったですか。いい子だからそんなに駄々を捏ねないで、
素直に私の文章を読み、私の指定した箇所を読んで下さいね。

でも、貴方がこんなこと

>「内在的─超越論的─超越的」という馬鹿げた図式など出てこないのは

を言っている限りでは、馬鹿に教え諭すような状況ですね。
こんな図式をストレートにフッサール自身が指示する筈がないでしょう。
フッサールの文章の行間を読まないと駄目なんですよ。
国語の先生にそう言われませんでしたか。

それから、貴方の「デカルト的省察」に対する加藤君並みの理解を論難しなければ
なりません。まずですね、

「考えられる意味のすべて、考えられる存在のすべては、それが内在的であれ超越的であれ、
意味と存在とを構成するものとしての超越論的主観性の場の中に入って来る」

という箇所。フッサール自身がはっきりと、「内在」「超越」は、両者ともに「超越論的」
主観性の構成(これはつまり「超越論的」構成)に関係すると述べています。

更に、

「両者(内在と超越)は本質的に互いに連関しており、本質的に連関しているものはまた
具体的にも一つであり、超越論的主観性という唯一の絶対的てありながら具体的なものにおいて、
一つとなっている」

という箇所。ここではっきりとフッサールが、「内在」と「超越」とをジョイントするものとしての、
或いはそこにおいて「超越」と「内在」とが「本質的に連関する」ところの、「超越論的場」を
想定しています。皆さん、これではっきりしましたね、死刑囚さんが何も理解していないことを。
ここでフッサールは、はっきりと両者を本質的に連関させる第三の契機としての、
「超越論的なもの」を想定しています。
177研究者1:2001/06/01(金) 13:53
続けて、

「超越論的主観性が、可能な意味からなる全体であるとすれば、その外部というのはまさに
無意味である。更に言えば、どのような無意味も意味の一つの様態であって、見通すことが
できるということのなかで無意味性をもっているのだ。」

と言います。ここで Unsinn と言われているのは、超越論的主観性というものを無視して、
内在と超越とを連関させることは無意味である、ということです。つまり、両者の間には、
必ず「超越論的なもの」が第三項として介入せねばならない、という主張であります。
つまり、「超越論的」という契機がなくなってしまえば、「内在-超越」という関係は
意味を持たなくなる、ということです。だからフッサールにとっては、

「内在的-超越論的-超越的」

という図式のみが、超越論的認識論で有効になるのです。
つまり、超越論的主観性の介入しない、「内在-超越」という伝統的認識論の構図では、
そもそも認識論自体が成り立たないという主張です。

死刑囚さん、分かりましたか?
フッサールの字面ばかり読んでいるだけでは駄目ですよ。

>概念を説明しているんだなんて糞みたいな言い訳はするなよ

そんな言い訳誰がするんですか(笑)?
私はむしろ、ここまで完膚なまでに叩きのめされた貴方のその後の行動の方が心配です。
最初に大きく出過ぎましたね。学部生だからと言って舐めてたんですかね。
まあ、私が大学生なら、貴方は高校生なので、人生はまだまだこれからですよ。

>「内在的─超越論的─超越的」なんて馬鹿げた図式を捏造して、
>理解を惑わしていることなんだから

上の詳細なフッサール解釈を私が提示した限りは、もう何を言っても悪あがきにしかなりませんよ。
貴方がフッサールの超越論的哲学を根底から理解していないことはすでに暴露されましたから。

>現象学は難解だと、伝統的に思われているが、これはまったくの不当

痛いですね(笑)。分かってない奴に限ってそんなことを言うんです。

>それを通俗的と言いたければ言えばいいが、それなら、いったい哲学とは
>何なんだ?

こういうのを俗に「逃げ」と言います(笑)。いきなり一般論を持ち出して話題をすりかえる
テクニックです。


はい。長かったけど、これで死刑囚さんもいい加減に懲りるでしょう。
178研究者1:2001/06/01(金) 13:53
次はヌッチョヌッチョだよ。その名前、(゚∀゚)イイ!

というか、私のレスを的確に捉えているので付言することは何もないです。

だから質問の箇所だけ。

>ところで、ROMってるみなさん、研究者の言っていること理解できますかあ?
>わたし、全然納得できないのれすけどねえ

できるだけ分かり易く伝えています。難解な箇所は指摘して下さい。
フッサール自身がよく分からない書き方をすることが多いので。

>加藤が言っている物って、意識の外部にある物のことではなくて、
>ノエシスーノエマのノエマのことだとおもいますけど。
>だって、加藤は意識と反省意識との関係の問題をろんじてるのれすよ

そうですね。そうでなきゃ困ります。
ただ彼の書き方が余りに乱暴だから・・・。
意識と反省意識は非常に重要な箇所。いずれ問題にしましょうか。

あと、根源云々についても次回。
これはハイデッガーを援用しないと説明し難くなるかも。
179研究者1:2001/06/01(金) 13:54
次はRAGE AGAINST THE PHILOSOPHYです。

>ただ潜在野が経験的かつ先験的(超越論的)というのは気になるなぁ。
>経験的でないものが超越論的なのだから、一般的には。そうでなければ本末転倒だな〜

そう。貴方の言ってることは分かります。でも、フッサールはカントのように、
「超越論的」を「経験的」の反対の意味としては使っていません。
>>169 はこのことを辞書で調べてほしいと言っているのでしょう。)

だから現象学関係の文献では、「先験的」という訳語を採用しないのです。
カントの用法とは全然異なるところがあるのでこの辺り混乱しやすいのは確かです。
昔の邦訳で「先験的」と訳しているのがありますが、「先験的経験」なんて
矛盾してますからねえ。

>>172 >>173

時間の制約があり、フッサール研究史を開陳することは不可能です・・・。
ただ、貴方の仰ることはすべて正当な意見だと思います。

私が書き込みできるのはあと数日です。
皆さん、嘲弄したのならお早目に!
180研究者1:2001/06/01(金) 14:01

○「嘲弄したいのなら」
×「嘲弄したのなら」
181研究者1:2001/06/01(金) 14:53
>>172 >>173

いや、すべて正当というのは間違い。
182研究者1:2001/06/01(金) 15:44
>1が議論をフッサール研究という名の下に閉じようとすることに
>対する批判だと思う

そうとは思いません。私は後期フッサールを批判する形での議論を
望んだのですが、例えば死刑囚さんなどは議論以前にフッサールを
全然理解していないので、議論が可能な土俵さえも確保できない
有様なのです。

私は元来フッサールの思想は大変に古臭い側面を有しているものだと思うし、
真顔で信奉するつもりも全然ありません。できれば、後期フッサールの
根本問題を適切に捉え、その問題を厳密に検討し直し、フッサールと共に
哲学の謎に突き進もうと意図しただけです。

死刑囚さんの方が、ある意味でフッサールの物言いに簡単にだまされ、
議論を「イデーン」の中途半端な理解に閉じ込めようとしていると思います。

普通に哲学の議論を好むのだったら別スレを立てます。
このスレは飽く迄ネタとしての「後期フッサール」です。

>さっさと暇つぶしはやめて、論文でもなんでも、再開しろよ

大きなお世話です(笑
でもこれは真実。あと数日ですね。
183考える名無しさん:2001/06/01(金) 17:16
フッサール・ヲタが、ただ知識をひけらかしてるだけにしか見えない。
つまんないので、別スレきぼん。
184think about it!:2001/06/01(金) 17:52
>>182
いや、非常に面白かったよ。

>「超越論的主観性が、可能な意味からなる全体であるとすれば、その外部というのはまさに
無意味である。更に言えば、どのような無意味も意味の一つの様態であって、見通すことが
できるということのなかで無意味性をもっているのだ。」

と言います。ここで Unsinn と言われているのは、超越論的主観性というものを無視して、
内在と超越とを連関させることは無意味である、ということです。つまり、両者の間には、
必ず「超越論的なもの」が第三項として介入せねばならない、という主張であります。
つまり、「超越論的」という契機がなくなってしまえば、「内在-超越」という関係は
意味を持たなくなる

あなたの解釈はわかる気がします?が、超越論的主観によって内部のものがはじめて意味
づけされる。外部のものがまだ超越論的主観の対象下にないということでは?
なんか少しフッサールの文とずれている気がするのですが。気のせい?
185死刑囚。:2001/06/02(土) 03:47
>>163
「超越」というのは仰るとおり意識内部の働きであって、まさに
そう規定することで、フッサールは超越論的主観の説明をしている
んです。
だから、「内在─超越」構造を変容するとかしないとかは全然ナンセスな
議論で、「主観─客観」図式を「内在─超越」図式に変容したと言うのが
正しいんです。>>142を見てちょ。
超越論的という意味が分かっていれば細かな議論はオレもしたくないの
だが、1が一生懸命にオレをコケにしているので一応反論しているんス。

あと、現象学という方法では人の認識なり、価値観が、いったいどのような
根本動機でなされているかというサブレベルの地平が暴かれるんです。
また、現象学では「客観」なり「真理」なりは否定され、客観像や真理像の
成立原理を考えます。よって、現象学が何に役立つかと言えば、様々な
異論や価値評価が飛び交う社会で、それらの共通了解に至るための方法
を提示してくれるわけです。
だから、現象学的思考を実践すれば、対立する意見は常につねに解消に
向かうわけです。現象学は単なる学問ではなく、ある種の態度なんです。

>>171
いや、まったくその通りなんだけどさ。1が141でオレが言う
「内在─超越」原理をまったく理解していないみたいなこと
言うから、下らない反論をしてるんです。自分でもそれは分かってる。
現象学のエッセンスを理解していれば、オレとしてもどうでもいいこと。
186死刑囚。:2001/06/02(土) 03:48
>>175-177

お前みたいな頭でっかちが一番タチ悪いよ。

自分が何処を批判されているのかわかってる? それが分からない
から同じことを何度も繰り返してくるんだと思うが、頼むからオレが142で
言ったことを聞けって。汝が導師であり先達である者の声に耳を傾けよ。
いいか。
フッサールは伝統的認識である「主観─客観」構造の諸問題を解消する
ために、それを「内在─超越」という先験的主観性の内部構造として変容
させているんだよ。「内在」にも「超越」にも独特の意味があって、その原理
そのものが超越論的なの。
だのにお前は「内在─超越」図式そのものを変容させなくてはいけない
みたいなこと言ってる。それが誤解を招くって言ってんの。オレは現象学的
好意でもって理解可能だが、ロムしてるやつみんな誤解しちゃてんじゃねーか。
>>160でもあれだけ詳しく書いてやったのに、

>皆さん、これではっきりしましたね、死刑囚さんが何も理解していないことを。

……トホホ。何が「皆さん」だ。何が「はっきりした」だ。お前だけだっての。
冗談にしてもタチが悪い。だが、お前の腐れ根性だけは認めてやるよ。

お前は「第三の契機」って、バカみたいに、本当にバカみたいに繰り返
しているけれど、超越論的ということのニュアンスを本当に分かりたければ、
つまり、伝統的認識論の諸問題を現象学がどのように解いたかという
ことのニュアンスが分かりたければ、第一の契機、第二の契機、第三の
契機なんてアホみたいに並べて「ああ、なるほど第三の契機か」とかって
理解したつもりになるかも知れんが、そんな理解を「習い覚えて」も意味
ねーし、フッサールが超越論的と言う意味合いなんて分かるかっての。
イメージ出来るかっての。
特に初学者にとっては毒だよ、毒。分かった気になるだけ。
187死刑囚。:2001/06/02(土) 03:49
だいたいお前は、般教レベルの理解でターミノロジーを操ろうとするから、
こんなみっともないことになるんだよ。「エッセンス」としつこく言うが、お前
は現象学のエッセンス、つまり、伝統的認識論の諸問題を現象学がどの
ように解消したのかが、ちゃんとそのオツムの中に入っているのか?
入っているなら、日常会話レベルの話し言葉で説明できる筈だぞ。
間主観についても、オレが言うことに対して「寒い」とか「中学生レベル」
とか言うが、オレに言わせれば、そんな、お前が、非常に、「寒い」。

>それから「自己」と「主観」というのは別物ですが、貴方が両者をどのくらい
>厳密に使い分けているのか教えて下さいね。というのも、フッサールは
>その辺りさほど気にしていないからです。

オレは厳密に使い分けているが、それよりフッサールが気にしていないとは
どういうことだ? お前が寒いのはこういうとこだよ。フッサールの言葉使いは
たしかに誤解を招くが、

>フッサールの字面ばかり読んでいるだけでは駄目ですよ。この言葉、お前に送る。
お前は「未公刊の草稿群(!)」を読んでいるらしいが、そのまえに
『現象学の理念』を読め。基礎の基礎だが、一番大事だ。それをお前
はまったく理解していない。
【認識対象性─Erkenntnis von Gegenstandlichkeit】ってのご存じ?
いいか、基礎の基礎だぞ。フッサールの著作はすべてこれを前提にした
うえで書かれているから、いちいち文字面に拘ったりしないんだよ。
188死刑囚。:2001/06/02(土) 03:50
エッセンスの話に戻るけど、お前ってさ、現象学について誰かと議論
したり話し合ったことないんじゃない?
お前の文章よんでいて、ふと、そう思ったよ。
すごーく偉そうで、すごーく独我論的でいられるのは、お前が現象学に
ついて誰かと話し合ったりしたことがないんじゃないかって。

現象学的実践については無理解で、「言葉」を使う現象学徒という
ジレンマにも無関心。そうしていられるのは、お前が引きこもってシコシコ
と専門用語を「習い覚えて」いるだけで、悦に入っているんじゃないかって。

例えば現象学的心理学ってのがあって、それに基づいて間主観性という
ことの定義をオレなりに理解し、徹底して噛み砕き、誰にでも分かる言葉
で表したのが、うえで書いた定義だよ。もっと、もっと心理学的に簡単に
言えば、「人が欲しがるものを欲しがる意識の働き」と言ってもいい。

お前は「寒い」と感じるかも知れないが、感じるのはお前だから、暖かく
して寝ろと言うしかないが、この定義は大昔、さんざん議論して生みだ
し、それなりに妥当性があるとされた定義なんだよ。
少なくとも「独力」で編み出したもので、お前のように引きこもってシコシコ
と「習い覚えた」だけの概念じゃない。
お前にはもちっと「耳学問」を薦めるよ。

>私が書き込みできるのはあと数日です。
皆さん、嘲弄したいのならお早目に!

でた(笑)
ネットって便利だよな。
オレとしては、お前みたいな「本当の意味での厨房」は啓蒙しない
ことには腹の虫が収まらない。
いいぞ。ハンドル変えて出直してこい。幾らでも相手になってやる。
189死刑囚。:2001/06/02(土) 03:50
>おーる。

現象学は誰にでも理解可能で簡単明瞭な考え方であ〜る。
それを1は否定する。そんなオレを「寒い」と言い、「痛い」と言い、「無理解」だと言う。
何故、現象学が難解なのか?
その理由を1は、

>翻訳でパラパラと眼を通す程度では絶対に理解できない次元があります。

とか

>草稿群の分量が普通でなく、これらの執拗な分析を手掛かりにしない限り
>は、基本的理解さえ覚束ない

とか

>私の言葉遣いが奇異に聞こえるのならば、それは貴方が、晩年の
>未公刊の草稿群に微塵も眼を通していないことに基づくのだと思われます。

と、ハッタリをかまして、権威づける。それしか能がないからだ。
あるいは現象学のエッセンスを1が掴んでないからだ。

フッサールは確かに言い回しが酷くて、理解しがたい。それは認める。
『論研』などでは、一つの著作なのに言ってることが変わっているようにも
思える。(これは多分、オレの理解力のなさも一因)
しかし、現象学の思考のエッセンスは簡単明瞭なもので、それを頭において
フッサールを読めば、アラ不思議、案外サクサク読めるのである。
経験者が言うのだから間違いない。研究者でもないオレが。

>フッサール・ヲタが、ただ知識をひけらかしてるだけにしか見えない。

オレまでそう思われるのは凄く心外。竹田スレをみて欲しい。
死刑囚氏は
>現象学が何に役立つかと言えば、様々な
>異論や価値評価が飛び交う社会で、それらの共通了解に至るための方法
>を提示してくれるわけです。
とおっしゃってる。ここで俺は今一度「本質/事実」という古典的な対概念を問題にしたい。
俺はフッサールは決定的に本質的思考、すなわち主観の超越論的な「形式」を志向しているように思う。
そこでは事実、つまり形式から捨象されるような雑多な経験は脇へ置かれるはずだ。
一般的に言うなら、事実は二の次になる、と。ところが晩年のフッサールはこの序列が可逆的に逆転するような思考を始めた。
それは、それ自体が歴史性によって「濁らされている」相互主観性という問題だ。
形式化の果てに事実が現れた。この定式をラディカルな仕方で問うたのがハイデガーでありデリダなのは言うまでもない。
で、何がいいたいかというと、死刑囚氏は、事柄の事実把握、この場合歴史的に制約された或る集団なり世代なりが共通了解へといたるための
実践的ツールとして現象学を捉える。それは言わばフッサールの「応用」だ。
ところが研究者氏は、そういう応用へと誘惑されていない、つまりフッサール的な文脈を「侵犯」することなど想像すらしていない。
だから二人の対立は、結局事実が先が形式(本質)が先か、というイデオロギー的な対立になる可能性がある。
俺にはこれは、フッサール現象学をジミに紹介してきた立松グループ(笑)と
それの応用、つまりフッサールに準拠しつつもここからの逸脱を考えてきたメルロ・ポンティ型の現象学との党派的対立が
縮小再生産されているように思える。

話を折ってすいません。では続きをどうぞ。
191考える名無しさん:2001/06/02(土) 04:21
死刑囚が書いてるなら読むよ。
死刑囚氏の姿勢からしてさぁ、シュッツの現象学的社会学の話が出てきてもおかしくないんだけど。
193一ギャラリーの判断:2001/06/02(土) 04:48
第三者的に見ると、死刑囚。の言っていることはかなり痛いと思う。
というかせいぜい竹田セイジが言っていることの受け売りorそれに
ちょこっと自分の解釈を加えただけ(しかし自分にすごーく都合のいい解釈を)
駄弁があまりにも多いので惑わされるが、内容もたいしてない。
一方研究者は本職だけあって、フッサールを「ジカに」読んでいる
感じがする。ただし上のレスにもあるように、確かに瑣末な
フッサールのテクストの解釈論に堕している観がある。
ギャラリーとしては竹田セイジ流の現象学理解のどこが怪しくて
マチガッているのかを研究者に是非指摘してほしい。
こんなこと書くと、また死刑囚。がぎゃあぎゃあ騒ぎ出すと思うが。
そうかなぁ、長期的に見るなら
死刑囚氏のほうが見込みあると思うよ。
195考える名無しさん:2001/06/02(土) 05:29
>>193
同意。
まあ、とりあえず一番いたいのがRAGEなのは確定している。(藁
>>192は自分で書いてて恥ずかしくないのかな?
196考える名無しさん:2001/06/02(土) 05:34
>>193、195
このスレで煽りは無用、というより有害になると思われ、、、
197考える名無しさん:2001/06/02(土) 05:41
>>196
それならRAGEが最も有害でないのか?
誤解を生むような発言ばっかしてるぞ。
>>190
>ところが研究者氏は、そういう応用へと誘惑されていない、
つまりフッサール的な文脈を「侵犯」することなど想像すらしていない。

これは無用でなくて、もはや有害だろう。(藁

198196:2001/06/02(土) 05:46
>>197
えっ、「誰にとって」それが有害なんですか?
199197:2001/06/02(土) 05:55
>>198
本人にとって。(藁
というより、もちろんこのスレを読んでる人よ。なにげにここは
ROM率高いとみてるから。
200考える名無しさん:2001/06/02(土) 06:48
所詮、みんな知らないうちに権威主義者になってるんだよ。難しい言葉に憧れ、それを駆使する人をエライと思う。無条件に恐れいっちゃう。
そして、だんだん権威に寄り添うようになる。寄り添ってから、今度は権威を無視する人をバカにする。そうすれば自分がエラクなったように思えるから。哲学だけに限った話じゃないけど。なんか悲しい。
201考える名無しさん:2001/06/02(土) 07:12
死刑囚さんは心理学を補完するためにフッサール読んだからすれ違うんじゃん。
心理学と哲学じゃぜんぜんスタンス違うし。
心理学って経験科学だから、重箱の隅つついて解釈争う前に、
なによりもまず、心理現象という事実があるわけ。
事実から出発せざるをえないわけ。
この事実を解釈するための分析枠組みを現象学に求めているのだから、
フッサールの使えるところだけ使えばいいわけ。
おれとしては、このスタンス結構よくわかるよ。
一方で、研究者はフッサールの聖典解釈を問題にしている。
だから、事実に拘泥しない歴史とか、理念的対象の超越論的構成とか、
怪しげなこといっても、フッサール・ヲタの共通了解にとどまっている限り、
いたって平気。しかも、おれはこんなに聖典を読みこんでるんだぞ〜、という
自慢たらたらで、なにかと権威を持ち出すところが嫌味。
そもそも、フッサールを権威だと思い込んでること自体がイタイな。
世の中の圧倒的多数はフッサールなんて屁とも思っていないのだから。
そういう彼らに、いかにして現象学を有効な分析枠組みとしてアピールするか。
ここから出発しないと。
ついでに、研究者は学部の学生どころか、オヤジだと予想。
202考える名無しさん:2001/06/02(土) 07:23
>>196
うざいよ。ボケ。氏ね。
203考える名無しさん:2001/06/02(土) 08:26
>フッサールと共に 哲学の謎に突き進もうと意図しただけです。


研究者さん、後期フッサールの根本問題って何ですか?
誰にとっての問題なんですか?
204研究者1:2001/06/02(土) 10:28
皆さん、おはようございます。

私の知らない間に、喧嘩腰の皆さんが互いに応酬し合っていたようですね。
しかも「議論」と呼べる水準のものではなく、単に嘲弄し合うのが関の山。
しかしまあ、それだけこのスレが盛り上がっているということだから、
ある意味でいいことなのかも知れませんね ヽ(´ー`)ノ

それじゃあ、とりあえずレスしておきますね。


>死刑囚さん

貴方の厨房レベルの応答には、更に応答する必要は無いと思いますので、
無視させて頂きますね。ただ、「内在-超越」という言い回しは、
中世の哲学以来、認識論の常套句だったのです。

それをフッサールがそのまま反覆するということはあり得ません。
デカルトもカントもこの問題を考えていました。
例えばカントの先験的哲学においては、「超越的なもの」としての
物自体が予想される、という具合に。

これに対してフッサールは、志向性の分析を通じて、中世以来の「内在-超越」
図式には収まり切れない意識の構造を発見し、「内在的」「超越的」という
言い回しに、全く独自の理解を示したのです。それが「超越論的認識論」と
呼ばれるもので、単純に言えば、自我と世界との間には、志向性という、
意識の特性が不可避的に介入してくるという議論です。

例えば我々の意識の構造を、「内在-超越」の二項関係に還元する場合、
受動的発生などの事態はどう説明されるのでしょうか。
主観と客観とをリンクさせる第三のものが、この図式には欠けているのです。
それが「神の誠実」により補完されると考えたのがデカルト。
超越なんて認識不可能と考えたのがカント。
最後に超越論的な意識分析を通じて、両者は超越論的主観性の場において
補完されると考えたのがフッサール。

これは哲学史の常識の筈です。
フッサールは決してカントのように悟性のカテゴリーを想定したりはしません。
フッサールにおいては、超越論的なものと、経験的なものとが、一枚になって
繋がっているんです。それを可能にするのが「超越論的経験」の領野。
それが「内在-超越」を一枚のものとして繋げているんですね。

あと、貴方の現象学の一般論については、別に興味無いので別スレでも立てて
一人でやって下さい。私はそういう「評論的」態度は嫌いですから。
大体、現象学の基礎も分かってない人が現象学の何たるかを語るのは「寒い」
です。


>幾らでも相手になってやる

そんなに興奮しないで下さい (´ー`) エヘヘ
私は貴方なんかに相手をして貰いたいとは思いません。
もっと理性的に語ってくれる人が私の周りにはいますから。
あと、そんなこと言ってて恥ずかしくないですか(笑)?
厨房丸出しですよ、注意しないと。

>オレとしては、お前みたいな「本当の意味での厨房」は啓蒙しない
>ことには腹の虫が収まらない。

おお、有り難い御言葉です (´ー`)
ぜひ啓蒙して下さいね ワーイ
205研究者1:2001/06/02(土) 10:29
>RAGE

>フッサール的な文脈を「侵犯」することなど想像すらしていない

いや、これは違う。

私はフッサール現象学には実は余り興味ないです。
それよりも、その「逸脱」の方に興味があります。
しかし、このスレではそれを語る地平さえ見出せないのです。

また、「侵犯」というのは、常にフッサール自身のテクストの中で
始まっています。デリダの脱構築みたいに。

>一ギャラリーの判断

>確かに瑣末なフッサールのテクストの解釈論に堕している観がある

いやあ、でもテクストあっての哲学ですから。これを疎かにすることは
できません。勿論、「甚解」というのは感心しませんが、私程度の読みは
現象学の間では寧ろ「普通」というか「普通以下」です。
本格的な研究者は私レベルではないですね。

>ギャラリーとしては竹田セイジ流の現象学理解のどこが怪しくて
>マチガッているのかを研究者に是非指摘してほしい

竹田さんのものは書店で立ち読みしたことがあるだけで、実際に詳しく
読んだことはありません。そのときの印象が良くなかった ('ー'*)
できれば、その竹田さんの解釈を具体的に教えて頂きませんか。
206研究者1:2001/06/02(土) 10:29
>>201

>研究者はフッサールの聖典解釈を問題にしている

あははは。フッサールなんて最初から信用していません。
特にハイデッガーを読むようになってから(笑)。
私はむしろ、この程度のテクスト注釈で、皆さんがそういう反応をなさる
ことの方が驚異ですね。テクストを厳密に解釈するのはあらゆる学問の
基本。それなくして批判だけするようなのは私は嫌いです。

>なにかと権威を持ち出すところが嫌味

今月の末にレポートを5教科分も抱えている奴に「権威」なんてあるんでしょうか(笑)?
しかも全然畑違いの分野のもの。図書館行って火山灰の構造を調べなくちゃいけない。泣

>研究者は学部の学生どころか、オヤジだと予想

面白い。でも、残念ながらただの大学生ですね。
中国の古典が好きなのでオヤジ臭いところもありますが。
207研究者1:2001/06/02(土) 10:30
>>203

それをこのスレで考えましょう。
208203:2001/06/02(土) 11:02
研究者さんは、自身の後期フッサール研究を
何某かの有用性に結びつけようとは考えてないんですか?
研究自体が目的で閉じていて構わないですか。
何故に2ちゃんねるですか。

何日間かROMってますけど
テクスト解釈から全く論が発展する気配が無いです。
インタラクティブにフッサール解釈を進めていくより
自身の考えを書き連ねた方が効率が良いんじゃないかな。
「後期フッサールの根本問題」の内容、早く知りたいです。
209考える名無しさん:2001/06/02(土) 13:48
思惟が進歩するとはどういうことか。これでいこう。
フッサールを中心として、古今東西のあらゆる哲学を視野に置きつつ。
210考える名無しさん:2001/06/02(土) 16:52
研究者さんは最近のテキトウなところで理解した気になる人への
憤りを持っている人ではないでしょうか。死刑囚さんは議論(なってないって
言うんだろうな)の相手として一番手ごたえあるとおもうが戦略的に煽りと無視という
作戦らしい。いわゆるフッサールのおいしい説明はしないと決めているようだ。
はためにはおもしろいが学部生の演技がどこまでできるのかな?
211203:2001/06/02(土) 17:10
>>210
違うと思いますよ。
研究者さんは盛り上げるだけ盛り上げて、このスレに対する注目が集まったら
「後期フッサール思想の根本問題」をサクッと提示してくれる筈です。

「翻訳の羅列」と酷評される様なテクストを提示しているのも
研究者さんだからこそ出来得る、一級の客寄せパフォーマンスに違い在りません。
そろそろ本題を提示し、研究者さんのいう「哲学の謎に突き進む」という
深遠過ぎる振る舞いを実践して頂けると思います。
212考える名無しさん:2001/06/02(土) 17:46
>>203

なにひとりで仕切ってんだよ、ばーか
213考える名無しさん:2001/06/02(土) 17:49
どーでもいいから、はやく本題に入れや。
214考える名無しさん:2001/06/02(土) 18:31
>>213
なにひとりで仕切ってんだよ、ばーか
215死刑囚。:2001/06/03(日) 00:27
>哲学に激怒してる人
オレも怒ってるぜ。
それはさておき、ポンティーの身体論に対してオレは批判的です。
シュッツの社会学に対しては少し批判的です。
「生活世界」というとシュッツの方が有名になっちゃってるけど、
フッサールの「生活世界」とはかなりニュアンスが違うんだよね。
まあ、「現象学」って、しまいにゃ便利な代名詞と化すからね。
色んなヤツが使うよ。

>>191
「悲惨な1のいるスレ」に紛れ込んでしまいまひた。有り難いが、内容は無いです。

>>193
>ギャラリーとしては竹田セイジ流の現象学理解のどこが怪しくて
>マチガッているのかを研究者に是非指摘してほしい。

いいね。オレもマジでキボーン。
ぎゃあぎゃあ騒ぐかも知れないけど(笑)
あと、オレだってフッサールは当然「ジカに」読んでるよ。
竹田批判もしてる。だから「信者」とか言わないでネ。
でも、竹田を読んだ後では、凄くフッサールが読みやすくなったYO
竹田は未だにかなりの異端のようだけど、今に竹田現象学の正当性が広く理解
されると思うYO。でなきゃ『現象学入門』があんなに売れ続ける筈がないズラ。
君も「痛い」だなんて偉そうにしないで頂戴。偏見もなくして頂戴。
「内容がない」って、オレは内容のない議論をさせられている身の上相談。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう。
オレは少なくとも間主観性の自分なりのオリジナルな定義を出したよ。
1は超越論的主観性でもって伝統的認識論の諸問題を解消したということ
は習い覚えたみたいだけど、それだけ。その意味合いが分かっていないから、
簡単な言葉を使うオレを「寒い」というしか能がないんだYO。

でも、ギャラリーの意見は真摯に聞くよ。君がどうしてオレのことを「痛い」と
思うのかも理解できる。本当だよ。
ただ、それは掛け値なしに間違っているとオレは主張するよ。
216死刑囚。:2001/06/03(日) 00:28
>>200
確かに哲学に限った話じゃないね。悲しいというよりは、不愉快だけどね。
結局、スポイルされるのはてめぇ自身つーことに気づいて無いんだな。
それについては竹田さんが泣かせる文章をいっぱい書いてる。
権威主義、オレにもあるかも知れない。権威主義者の権化みたいなヤツを
相手にしているとはいえ、オレもチョット偉そうに書きすぎた。
君の文章、いや貴方様の文章、オレに対する批判と受け取る。

>>201
うん。オレには明確なモチーフがあって哲学を学び始めた。
そんなオレには、「問いと答え」が明確に分かる哲学以外興味ない。
というか思想として認めたくない。
幾ら「痛い」とか「寒い」とか言われても、オレは優れた哲学って
「問いと答え」が明確に分かるものだと思っている。
例えばニーチェに関しても、オレはフッサールと同じくらい「問いと答え」
が明確な哲学だと思っている。オレはニーチェの思想を一言で言える。
こんなこと書くと今度はニーチェ研究者に「痛い」と言われてしまうかも知れ
ないけどね。ホントに色んな読み方があるから。

昔ヤフーで、やたらニーチェに詳しいヤツと大喧嘩したことがある(笑)
オレがあまりにも簡単にニーチェの概念をまとめちゃったから、そいつが
オレをバカにするわけさ。
でも、オレは何の痛痒も感じなかった。ニーチェ解釈には自信があるし、
なによりその解釈を実践することがオレにとって凄くプラスになってるから
惑わされることがなかったわけ。ただ、そいつの言うことはこのスレの1より
は説得力があって、オレの方が先にチョットだけ譲歩したら、向こうもオレ
の言ってることを認めてくれた。お互いに人格攻撃したことを謝罪して、
相手の言わんとしていることを理解しようと努力した。まさに現象学的実践。
あれはいい議論だった。最後にはお互い涙を流して抱き合ったよ。

フッサール、ニーチェはともかく、ハイデガーに至っては、空恐ろしいこと
になるね。でもオレはハイデガーでさえその明確な「問いと答え」がオレの
中に(だけ?)はあって、後期ハイデカーの実在論へのケーレにも惑わされ
ない。それで、いいんだオレは。モチーフが充たされれば。

何のモチーフも無いヤツの哲学理解は、警戒するにこしたことは無い。
特に専門家は、それが仕事だからやっかいなんだ。学を伏魔殿のよう
にすることがモチーフになってるヤツが実際にいるんだ。文学の世界
なんか特にそうじゃん。
217死刑囚。:2001/06/03(日) 00:30
だからオレは今、哲学専門家以外の人が確固としたモチーフの元に、
知らず知らずのうちに編み出した思想というものに凄く興味がある。
そういうものって「本物」だから。
心理学の話になって恐縮だけど、例えば、心理学者ジェームズ・
ギブソンが編み出したアフォーダンス理論。アメリカで発達した認知
行動療法。心理学以外では、スタニスラフスキーの演技論など。
彼らはみんな現象学なんか知ってるわけないんだけど、そのエッセンス
を知らず知らずのうちに体得しちゃってるんだ。

ただ、彼らの理論を言葉にするとすごく「寒い」。
認知行動療法なんかは、ようするに「教育しろ」ってこと。
スタニスラフスキーの演技論は「役に生きろ」ってこと。
でも、みんなそれを「寒い」とは言わない。何故か?
彼らの理論はビックリするくらい効果的だからだ。
強迫神経症で何時間も手を洗わないと気が済まない人に対して、
認知行動療法では、その不合理性を愚直に説き、今日30分手を
洗ったのなら、明日は20分にしましょう。明後日は15分で止めましょう
というように誰にでも出来そうなことなんだ。そこにはフロイトのような
高尚で鮮やかな理論は微塵もないんだけど、「効く」んだな。

現在、ハリウッドで活躍している俳優がみんな体得している「アクター
ズ・メソッド」の基本にはスタニスラフスキーの「俳優修行」という著作が
ある。彼らの演技が生き生きとしているのは、理由がある。誰も「寒い」
なんて言わない。
ダスティン・ホフマンもアル・パチーノもロバート・デ・ニーロもみんな
この「アクターズ・メソッド」を体得している。
でも、日本では未だに演技に方法論などあるかという高尚な考えが
あるため、チャチな演技でチャチな映画をつくっているというわけ。
ここで詳しくは書けないけど、スタニスラフスキーの演技論は凄く
現象学的なものなわけ。
218死刑囚。:2001/06/03(日) 00:30
話がだいぶ飛躍したが、オレが言いたいのは要するに、モチーフの
伴わない思想は幾らでも伏魔殿になり得るし、逆に言えばモチーフ
さえしっかりしていれば、それがどれほど幼稚に聞こえようとも、フッサ
ールがいう絶対的与件性の領域から、自分なりの固有の価値観を創出
できるということ。

1のことなんかどうでもよくなって来たが、1は果たしてどのようなモチーフ
を持って哲学を学んでいるんだろうか?
それはさておき、

>貴方の厨房レベルの応答には、更に応答する必要は無いと思いますので、
>無視させて頂きますね。
とか
>現象学の基礎も分かってない人が現象学の何たるかを語るのは「寒い」
>です。

相も変わらずこういうことを書かれると、オレの理性もぶっ飛ぶ。
まるで、1が現象学に精通していて、オレがまったく理解していない
かのようだ。1がフッサールの文献解釈に精通していて、オレはその
応用を問題にしているという意見もある。
だが、1の文献解釈など、てんで話にならない。素人は誤魔化せても、
オレには通用しない。カントやデカルトの常識的な基礎知識を披露して
碩学者気取りだが、

>主観と客観とをリンクさせる第三のものが、この図式には欠けているのです

とか言っている。しかし、フッサールは主観と客観をリンクさせようなどとは
毛ほども思っていない。竹田青嗣流にいえば、「客観」を主観内部の「確信
成立」として捉え、それを客観像という概念に変容したのだ。
伝統的認識論の「主─客」構造を、主観内部の確信成立条件として捉える
ことで、伝統的認識論の諸問題を解消したんだ。
「主─客」図式を、志向性の観点で言えば「ノエシス─ノエマ」構造、
恣意性の観点から言えば「内在─超越」原理に変容させること自体を
──つまり、主観内部の妥当(確信)を作り上げる領域の全体──を
「超越論的主観性」というのだ。
フッサールはわりと「一致」という言葉を使うけど、ポイントを押さえて
いれば、その意味合いは分かる筈なんだ。

1は「超越論的」という言葉を習い覚えて分かっているつもりになっているが
(その意味合いをオレは好意的なれば理解できるが)、第三の契機なんて
誤解をまねく言い方で分かったつもりになっては困るし、そもそも1の言い
方では長年現象学に対する批判として出ている「真理主義」という批判
には答えられないのだ。
今回の1の文章はまさに「手妻の種明かし」だった。

長文を書いて失礼した。疲れた。以上。
219カンガルー名無しさん:2001/06/03(日) 00:47
>>201に禿げしく胴衣だ。「研究者」なるピエロくんは単なるネタであることを心よりいにょる。
220age:2001/06/03(日) 00:51
いやこのスレおもろいよ
221考える名無しさん:2001/06/03(日) 01:05
>>204

>私の知らない間に、喧嘩腰の皆さんが互いに応酬し合っていたようですね。
>しかも「議論」と呼べる水準のものではなく、単に嘲弄し合うのが関の山。

全部研究者自身のことだと思うがなー。おそらくギャグではなくて本気だろう。これはアブナイ。
222考える名無しさん:2001/06/03(日) 01:14
研究者さんの根本問題の提示が待たれる。
死刑囚さんの役に立たない思想はいらないというのは
根本問題だと思うけど、暇つぶしにはいいってことか。
223考える名無しさん:2001/06/03(日) 02:17
イチローは日本でプレーしていた頃、ある凡打で瞬間的にバッティングの「極意」を掴んだそうです。それが何かは素人には全く分かりませんし、イチローにも説明不能でしょう。いくら汗水たらして努力して練習しても、イチローと同じ極意を掴むのは不可能です。私にはイチローの極意が何なのかは全く理解できませんが、イチローはその極意を以って、私にベースボールの素晴らしさを理解させてくれる。

哲学研究にも、素人には理解しがたい極意があるようですね。その極意でもってどんなプレーをしたいんでしょうかね。
224考える名無しさん:2001/06/03(日) 02:35
死刑囚って長く書くわりには内容ないし面白くないよね
自分が実は竹田セイジしか読んでないことばらしてるしさ
書けば書くほど恥さらしてるのわかんないのかな
225考える名無しさん:2001/06/03(日) 02:45
>>224
 あなたは>>193
>ギャラリーとしては竹田セイジ流の現象学理解のどこが怪しくて
>マチガッているのかを研究者に是非指摘してほしい。
と書いた人ですね?でも研究者氏は>>205
>竹田さんのものは書店で立ち読みしたことがあるだけで、実際に詳しく
>読んだことはありません。そのときの印象が良くなかった ('ー'*)
>できれば、その竹田さんの解釈を具体的に教えて頂きませんか。
と言ってるので、あなたが是非それに答えて具体的に教えてください。
226考ェモン:2001/06/03(日) 02:56
224なんてぎゃあぎゃあ騒ぐことしかできない脳なし厨房だろ。ムリムリ>225
227考ェモン:2001/06/03(日) 03:00
研究者も似たようなモンだな。互いに厄介なところは相手にやらせようと頼りあってるサマが何とも笑わせてくれる(爆
228考える名無しさん:2001/06/03(日) 03:51
研究者さんは多忙を口実にして、
逃げ道を準備しだしたように見えるんだけどな。
229>226:2001/06/03(日) 05:06
いや、おれは一ギャラリーとして強く期待してるよ。おい224!がんばって死刑囚と竹田セイジを論破してくれ!有無をいわせぬ内容で圧倒してやってくれ!
230nanasisun:2001/06/03(日) 05:29
で。研究者は逃げたの?
231考える名無しさん:2001/06/03(日) 06:04
期待が高まってる感じなのでにんまりして書き込むかな?
232考える名無しさん:2001/06/03(日) 08:05

死刑囚。は辛気くさい哲学(原典研究?)なんてやめて、
哲学をネタ(あなたの言葉だとモチーフ?)にしてエッセイ
でも書けばいいのに。後半のアクターズ・メソッドやアフォー
ダンスの話は面白かったよ! しかしそうするとまさに竹田せいじ
みたいになるのかもしれないけど...
233考える名無しさん:2001/06/03(日) 11:02
にんまりして嘲弄だけしておしまい、ってんじゃないだろーなぁ
234研究者1:2001/06/03(日) 11:22
全国の哲学大好き高校生の皆さん、おはようございます。

大学生の「権威」のもとに、無知蒙昧の高校生諸君を叱咤激励する
ために現れました、下半身は常に全裸の「ピエロ」研究者1です。

皆さん、相変らず臭いレスばかり付けてますねえ (´ー`)
そんなことでは大学受験に失敗して浪人する羽目に陥りますよ。

さて、厨房くんの長文カキコは読むのも嫌なので無視します。
関係のない話は別スレ立ててやって下さいね。ウザイですから。

後期フッサールの根本問題を早く論じて欲しいという要望がありますので、
そちらの方を優先しましょう。

私が後期フッサールの根本問題と見なすものは、所謂「歴史性」Geschichtlichkeit
の問題です。フッサールにとって、歴史性とは「起源的なもの」と「理念的対象の
伝統」に関連するものであり、更に言えば、受け継がれるというプロセスと、この
プロセスの持続性として理解される、「伝統そのもの」に関連します。

理念的諸対象は、「歴史性の可能性」を保証するもの、換言すれば「歴史についての常に
相互主観的な意識」です。別の表現をすれば、歴史性は常にある「意味-歴史」であります。
そしてその「意味-歴史」としての歴史性は、言語・理念性・真理・生き生きした
現在にある人間存在、こうした諸問題に連関してきます。ちなみに「生き生きした
(lebendig)現在」は、フッサール時間論の最終到達点と見なされています。
後期フッサールの考えた様々な問題が、歴史性というものに収束されて行きます。
だから私は後期フッサールの根本問題を、「歴史性」であると考えるのです。

この辺りの事柄を要領よく理解するには、晩年の有名な草稿「幾何学の起源」を
参照しなければなりません。勿論、皆さんは瑣末なテクスト解釈がお嫌いのようなので、
一文一文を虱潰しに検証するということはやりませんが、テクスト解釈なしには
何も始まらないというのは真実です。これを疎かにすることはできない。

更に歴史性一般の問題を論ずる場合、超越論的論理学を視野に入れる必要があります。
これは論理学というよりも一種の「感性論」であり、知覚に関する詳細な分析を含みます。
(つまりカントの先験的論理学とはかなり違うものです。)

兎も角も、後期フッサールの根本問題を簡単に要約すると上のようになります。
これで何を言っているのかサッパリ分からない人は・・・どうすればいいんでしょう。汗
この辺り、分かり易く説明するのにも限度があって、逆に分かり易くするとかえって
分かり難くなります。ですから、サッパリ分からない人は、まず他スレで現象学の基本を
勉強した方がいいと思います。勿論、できるだけ噛み砕いて説明します。

使用するテクストは Husserliana Bd.VI, pp.365ff です。
Vom Ursprung der Geometrie というのはフィンクが勝手に付けたものです。
ちなみに原書では Beilage III, zu §9a となっています。ただの付録です。
この草稿は基本的にガリレイの自然科学を考察する際に書かれたものですが、
読んでみると分かるように、問題は幾何学の歴史性、或いは世界史一般の歴史性が
論じられています。つまり、この草稿は「危機書」の付録というよりは、
「超越論的論理学と形式的論理学」(以下FTL)の問題意識に通じています。
だから上でそのことに言及しました。

このテクスト解釈を通じて、フッサール自身の脱構築を発見したいと思います。
このスレに本格的に参加したい人は、最低限、木田元氏の邦訳で構わないので、
読んでおいて下さい。ここのところが箇所が分からない、という人は、
引用して示して下さい。私もあの草稿には悪戦苦闘していますが、
私なりの解釈で良かったら示すことができるかも知れませんから。
(原文ドイツ語での引用可。その際、Husserliana の頁付をお忘れなく。探すのが面倒なので。)

また、デリダのものは「権威主義」と言われるので基本的に使用しません。
フッサール自身の原文を批判するという形のみで進行します。

それでは、続きます。
235研究者1:2001/06/03(日) 11:26
上記の訂正

×ここのところが箇所が分からない
○ここのところの箇所が分からない
236考える名無しさん:2001/06/03(日) 11:56
まあ厨房自称研究者には厭味で逃げるのが精一杯だとは思ったが、案の定だったね。
237考える名無しさん:2001/06/03(日) 12:22
フッサールの歴史性の話はおれも訊きたい。
デリダの二番煎じでなければね。
つうか、このテーマでデリダを参照しないのはおかしいのでは。
デリダとは正反対のことを主張するということか。
238考える名無しさん:2001/06/03(日) 12:24
ダメだ。デリダを理解してない。
239考える名無しさん:2001/06/03(日) 12:26
理解してないから言及を避けたとおもわれ
240考える名無しさん:2001/06/03(日) 12:33
初めの方で言及してるよ
241考える名無しさん:2001/06/03(日) 14:10
ちぇんちぇい、「幾何学の起源」は一番手っ取り早いところで
『ヨーロッパ諸学の危機』の中公文庫に収録されているやつでよいですか?
木田ゲンの解説つきのやつ。
242考える名無しさん:2001/06/03(日) 15:18
にしても使えない奴だ。
243研究者1:2001/06/03(日) 16:55
上の厨房の煽りを見ていると、俄然、遣る気が失せました (。-_-。)

皆さんは、蝿です。

私が少しでも専門的な事柄に言及すると、丸で獲物にたかる蝿のように、
群れをなして攻撃してきます。

ツァラトゥストラは言いました。「貴方の孤独の中に逃れなさい」。

市中は貴方の高貴さを妬む蝿に溢れているから。・・・

私もそろそろ、この賑やかな市中を出て、山奥にひっそりと佇む、
自分の孤独な住居へと帰らなければならないようです。
その時間がきました。

そもそも、山から降りてきたのが間違いだったのでしょう。

自分はこれから、いろいろなことを学んで行こうと思います。
自分が怠け者で愚か者であることは痛いほど分かっているので。

孤独に帰ります。ただそれだけです。

さようなら。馬鹿厨房の蝿ども。ちゃんと勉強しろよ、ばーか


研究者1
244考える名無しさん:2001/06/03(日) 17:33
来るもの拒まず、逝くもの追わず

2ちゃんねる
245考える名無しさん:2001/06/03(日) 18:35
ちなみに、ツァラツゥストラは大衆と交わるために、
ふたたび山を下りてくるんだけどね。
研究者とやら、まだまだ青いぞ。
246考える名無しさん:2001/06/03(日) 19:29
悪いざっと目を通した感じ、この学生?には才能がない。勉強してもものにはなるまい。早めにおのれの限界を知るのも彼のためだ。
247考える名無しさん:2001/06/03(日) 19:59
>>240
あんな高校生の感想文レベルじゃ話にならんよ。
248>243:2001/06/03(日) 20:07
おいおい、マジかよ。この程度で尻尾巻いて逃げ出すのか?
249考える名無しさん:2001/06/03(日) 20:23
研究者2が又出てくるんじゃない
250歓待の掟:2001/06/03(日) 20:59
>>243
みんなが「蝿」なら
研究者1は「うんX」でしょうか?
251考える名無しさん:2001/06/03(日) 22:05
まあ、たぶんハエは1匹もしくは2匹で、
あとは一応まともなんだけどね。
ためしに、247とかに突っ込んでみれば?
ぶ〜んてか。藁)
252考える名無しさん:2001/06/03(日) 22:30
この際251が続けてくれ。われわれは飢えているのだ。
253納得:2001/06/03(日) 23:09
研究車カームバーック!!これぐらいで負けたら、君は一生ただのウン子だぞ!!
254考える名無しさん:2001/06/03(日) 23:41
>>252
 漏れも251vs247に期待。つっこめつっこめ251!
255考える名無しさん:2001/06/03(日) 23:54
>>ALL
みんな木田さんの訳本を読んで、自分も参加して
研究者を論破してやろうとは思わないのか?(笑い
256>255:2001/06/04(月) 00:04
木田さんの「危機」は愛読してまふ。楽しみにROMってるつもりだったのに、これからってときに肩透かしで大いにガックリ。つまんないね。
257考える名無しさん:2001/06/04(月) 01:12
>>184
 あなたの解釈はわかる気がします?が、超越論的主観によって内部のものがはじめて意味
 づけされる。外部のものがまだ超越論的主観の対象下にないということでは?
 なんか少しフッサールの文とずれている気がするのですが。気のせい?

「超越論的主観の対象化にない外部のもの」って何ですか?
258死刑囚。:2001/06/04(月) 01:21
後期フッサールの問題が「歴史性」と言われて、ああそうかと
腑に落ちた人っていますか?
前回オレは「問いと答え」と書いたが、「歴史性」という事態がその中で
どういう位置づけにあるのかが分からないと、理解出来ないよね。
後期フッサールの問題は「発生的現象学」というものなの。そのなかで
「歴史性」ということも出てくるんだけど、1にモチーフが無いから、木をみ
て森を見ずというか、光の当て方を自分が分かっちゃいない。自分が分か
らないものを人に伝えることは出来ない。
ま、1もせっかく現象学を勉強してるんだから、頑張って欲しいけどね。

>>223
イチローの打撃論は興味あるなぁ。
一流のスポーツ選手ってのは絶対何かあるね。
259考える名無しさん:2001/06/04(月) 01:23
うーん。研究者、期待してたんだけど
総スカン食らってるなあ。
無意味にペダンティックで攻撃的なのが
ダメだったんだろうか。
ネットって難しいね。
260184:2001/06/04(月) 01:25
自己の潜在野?にある直接認知外の対象です。
潜在的観念かな。あえていうと。
あんま、自信ないんでぜひここの人たちの意見を
お聞きしたいところです。
261中華だなあ:2001/06/04(月) 01:27
>>193>>224=251は死刑囚に突っ込んでくれよん。もうまともなやつはあんただけ。
262257:2001/06/04(月) 01:40
>>260
そうですか。そういうものをあらかじめ排除しておくのが、
現象学の立場だと思ってましたけど。
263184:2001/06/04(月) 01:52
>>262
いや、そのとおりなんでしょうけど、あの文だと意味付け
されてないものが無意味という風に解釈できませんか?
つまり、姿勢として排除とかではなくて。
う〜ん。素人が説明するのは無理かも。(藁
あんま気にしなくてよいですよ、何気なくおもったんで。
264223:2001/06/04(月) 02:02
>>258
台湾では小中学の歴史で台湾史を教えず、大陸の歴代皇帝の名前を暗記させらてたんだそうです。何人いるのか知りませんが、おそらく何百という数でしょう。それは大陸からの外来政権である国民党政府には価値があることなんだけど、もともと自分達を中国人だと思ってない台湾人には何の価値もない、無意味でしかない。多分研究者氏がやろうとしてるのは、何百人もの皇帝の名の暗記に挑むようなことなんでしょう。価値ある人にとっては価値あるのかも知れないが、一般人にはよく分からない。(笑)
265考える名無しさん:2001/06/04(月) 02:56
どこの掲示板に行けば死刑囚さんの文章が読めるの?
266考える名無しさん:2001/06/04(月) 02:57
ハイデッガーは『物への問い』で『純粋理性批判』を読みといて
いくのだけれど、その講議が「18世紀にいた一教授がかつて著した
一冊の本を知るに至ったというのではなく、我々は、今日我々を
担い規定している歴史的精神的な根本的立場のうちへと、数歩踏
み入ったことになる」のを目指しています。
なんて煽るからいかんのかな。
こんな引用にはしる自分も衒学趣味に堕ちているんですが、、、
267考える名無しさん:2001/06/04(月) 06:17
2ちゃんをばかにするのは簡単だ。高貴じゃないし、ハハ。
こういうところで自説をどう展開するかが高貴な研究者の挑戦的
意味合いがあると思うのだが。
2ちゃんのこの板につどう人は明らかに関心は持っているのだし、
ばかにできないと思うけど。
結局かぁー。
死刑囚さんのスタンス尊敬します。こういう人に身近にいてほしいと
思いました。
268考える名無しさん:2001/06/04(月) 06:26
しかしこの程度で逃げ出してしまうのなら、たとえ2ちゃんだろうと
スレたててもったいぶった態度でばからしいことならべるな!

269>265:2001/06/04(月) 06:46
昔、医者版で暴れてた>死刑囚

最近見つけたのはこれ
http://natto.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mass&key=989911805
270考える名無しさん:2001/06/04(月) 11:28
もう出て来れないね。おきのどく。
271名無しさん:2001/06/04(月) 12:06
ばいばい負け犬ちゃん。ねぐらの犬小屋から一生出てくんな。
272考える名無しさん:2001/06/04(月) 17:05
自称研究者1はバカだった、てことですね。
273考える名無しさん:2001/06/04(月) 17:10
昼はホントろくなレス付かないな。
274考える名無しさん:2001/06/04(月) 17:16
>研究者1
すれたたて、しかも多少なりとも煽った態度をしめしたんだし、
真面目にこのスレを見ている人も絶対いると思うから、
逃げたりせず、悪意の無い質問には答えるべき。
無理解を嘲笑するのは、自分自身を嘲っているに等しい。
このまま答えないままでは、あなたのフッサール解釈がどんない正しくても
あなた自身は哲学を論議する資格はないと思う。
DIALOGに対する敬意がなさ過ぎるよ。

275考える名無しさん:2001/06/04(月) 17:57
しかしこれでいなくなったら、最高におかしい退場だ。
ネットなのにねぇー。
真面目な人に違いない研究者さんは。

センス悪いかも。
276考える名無しさん:2001/06/04(月) 18:55
(なんかあまりにも不当な罵詈雑言もあるので、
 少し1さんを弁護しておきたい)

確かに不用意にスレを立てて、議論を先導しようとした
事は明らかにミス。特に2ちゃんには悪意に満ちた人間が
大勢いるので、高圧的に出られると物凄い反発に会うこと
は最初から目に見えていたはず。しかし1さんの議論は
明らかにある水準をクリアしているものだし、こんな所
(2ちゃん)ではなく、出るところに持っていけば
ちゃんと聞いてもらえるのかも。なんだかんだいって、
2ちゃんと現実社会との乖離は激しいし。よそのホーム
ページとここを見比べても一目瞭然じゃない。述べられて
いる意見の暴力性はよそとは比べものにならないよ。
どっちが“まとも”なのかの判断は決して間違わないほう
がいい。
どうも死刑囚。氏はいい歳をしたオッサンみたいだし、
若い1さんにはまだ輝かしい(?)未来があるのだから、
こんなことにはあまり気を取られずに自分の研究に没頭して
現実でいい論文や本を書いて出しておくれ。
277考える名無しさん:2001/06/04(月) 19:32
>>276
同意者1名。
それに時期も悪い。
278考える名無しさん:2001/06/04(月) 20:36
>>276
本気かい?2ちゃんが現実から乖離してるだって?
研究者の閉じた社会からは乖離してるか知らんが、良くも悪くも現実の厳しさを反映してるのが2ちゃんだぜ。
閉じた世界で自足できるならそれで構わんだろうが、現実社会からは永久に阻害され続けるだろうね。
279考える名無しさん:2001/06/04(月) 20:54
>>278
いや、そこじゃ無くてさ、、、
議論を潰すしか能が無いんかいって普通思うよ。
叩く事は聞いた後だって出来るんだから。
280考える名無しさん:2001/06/04(月) 21:08
つーか1は最初あんま誰もかまってくれないから散々自作自演して
ちょっと蠅?が寄ってきたからってすぐ退散するってのはナイーヴ過ぎ
281考える名無しさん:2001/06/04(月) 23:28
>>279
議論に対しても耐性ないんじゃない?「内在的―超越論的―超越的」という図式を死刑囚。にちょっと批判されたぐらいでブチ切れ、「無視させて頂きます」なんて宣言してるようじゃ幼すぎるよ。本当に内容で勝負したいなら逃げずに答えにゃあ説得性がない。煽り叩き厨房と何が違うと言われても仕方なかんべえ。
282考える名無しさん:2001/06/04(月) 23:38
1へのつっこみはこのくらいにしよう。
逝ってしまった人のことを突っ込みすぎるのはよくない。
弔おう。
283考える名無しさん:2001/06/05(火) 00:10
フッサールだって逝っちゃった人だが突っ込んじゃ悪いのか?
284>238:2001/06/05(火) 00:50
フッセル先生と1とじゃ格がちがうでしょ。1はしょせん身の程知らずのガキなんだから、許してやれよってことでしょう。
285考える名無しさん:2001/06/05(火) 01:20
私的には死刑囚さんの文章が読めてありがたかったです。スレを立ててくださった1さんに感謝。
286考える名無しさん:2001/06/05(火) 14:14
いろいろ愛憎入り混じったレスポンスが多いけど、
結局今後の議論の展開に皆さん、罵詈雑言浴びせている人含めて、
期待しているように感じる。僕も。
発言をなんやかやでこんなに待ちどおしくされているのは、
2ちゃんでもそうないのではないかな。
煽り発言なんかよりよっぽど意味ある発言をしてきたのだから、
がんばってでておいでよ、研究者さん!

287研究者4:2001/06/05(火) 23:46
皆さん、初めまして。

研究者1〜3の住むアパートの二階に住んでおります、
研究者4と申す者です。

以後、このスレは研究者1に代わり私が仕切らせて頂きます。
宜しくお願いします。
288研究者4:2001/06/05(火) 23:48
荒らし煽りが出た時点で、このスレは自動的に終了します。

純粋に >>234 に関する議論のみに限定します。

分かったか、クソ厨房ども。
289研究者4:2001/06/05(火) 23:55
>>281

ブチ切れたのは死刑囚のオッサンの方です。
1は懇切丁寧に死刑囚の過ちを >>140 >>141 >>151 >>152
>>175 >>176 177 >>204 等のレスで詳細に分析しています。
しかもかなり冷静に対応していたのは事実です。
スレの流れを読めば、切れていたのは死刑囚のオッサンだと
言うことは誰の目にも明らかでしょう。
290考える名無しさん:2001/06/05(火) 23:57
やっぱし出てきた(w
291研究者4:2001/06/05(火) 23:59
>>238 >>247

感想文ではない、貴方自身のデリダ解釈を披瀝して頂けませんか。
私の手元にはデリダの著作が現在数冊ありますが、生憎フランス語が
苦手なので貴方にいろいろとお聴きしたいこともあります。
尻尾を巻いて逃げるのなら逃げてよし、デリダ解釈を披瀝する
自信があるのなら、以下にその旨、つまり「逃げない」という
書き込みをお願いします。何もなかった場合は、尻尾を巻いて
逃走したものと見なします。
292研究者4:2001/06/06(水) 00:01
>>290

このような「一行スレ」も荒らし煽り行為として解釈されます。
このスレを永く愛好されたい方は、このような行為は控えるべき
でしょう。
 _――― _  
            ―          \/ ̄―_
         /                    \
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    /   /    /                 \  \
   /   /     /                   \  ヽ
  |   /  /                           ヽ  ヽ
  |  /  /       |    |                   ヽ ヽ
 |  /  /     | | |  |      |   |         ヽ |
 | /  /      | |  |  |      |   | |   \       |
  | |  /    / | ヽ |  |      |  | || ヽ   ヽ       |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ||       /___|| |  |   |  |   |___ヽ ヽ      |   |
  |  |    / ヽ__  |  |   | |  /__ノ  ヽ ヽ     |   <   研究者が氏んでも
   |   |  /ヽ/|○o|`  | |   | // ´|○o|\ノ |  ヽ   |    |     
   |  | /  |   | o/   | | | /    | o/ ′/|   |   |     |   代わりはいるもの
   |  |   | ` ̄ ̄      |      ` ̄ ̄   / |   |  |     |  
    |  |  | |                    /ノ |  |  |/     \_____________
    | | |  | |\        /|           /|  || |
     |  | | | Г         く |          ∠  | / /| |
        |  | |\        ´          / |/ / ||
         | | |\        −ー      ∠ / ノ  |
        \|\|\               / / /
              |\           /| //
             |  \         /  |
              |    \    /    |
             /        ̄        |
294研究者4:2001/06/06(水) 00:03
ちなみに皆さんを「蝿」と見なした研究者1は、「う○こ」として
突っ込まれることを書いている以前から気づいていました。
295研究者4:2001/06/06(水) 00:05
>>293

スレ終了です。せめてユイだったら良かったのに。

残念。
       ―         ―
         /              \
       /                  \
     /  /    /          \  \
    /  /     /             \  ヽ
   |  /  /                  ヽ  ヽ
   | /  /     |              ヽ  |
  | /  /     | | |     |       ヽ  |
  |/  /      | |  |  |    | \        |
   | | /    /  | |  |  | | ヽ  ヽ      |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ||      /__ || |  | | | /__ヽ ヽ    |   |
   | |   / ヽ__ |  | | | /__ノ ヽ ヽ   |  < 心を開かなければ
    |  | /ヽ/|゚ o|` | | | // ´|゚ o|\ノ| ヽ   |    |
    | |  |   ` ̄    |    ` ̄  / |  |  |    | 哲学板は動かないわ。
     || | ||\             / |  | |     |
      | || |Г     〈|      ∠ | / | |     \__________
       | | |\           / |/ /||
        | | \     ̄    ∠ / ノ
        \|\| \      / |//
             |\   /   |
             |    ̄     |
             /         |
297研究者4:2001/06/06(水) 00:09
>>296

心なんて開いてどうする。君がヤラせてくれるとでも
言うのかね。無責任なことを言っちゃいかん。
298研究者4:2001/06/06(水) 00:12
では、御約束通り、終了です。

299考える名無しさん:2001/06/06(水) 00:21
バイバイ
300考える名無し:2001/06/06(水) 01:23
なんだよ、RAGEあらすなよ!これからって時に。
誰もおまえなんか呼んでね〜だろ!
このスレで生き恥さらしたからって、
研究者にやつあたりすんなよな。(藁
>>297
たのむ〜、研究者戻ってきてくれ。
権威的だろうがなんだろうが、どうでもいいから
君の話が聞きたい。
あおりに負けんないでくれ。

301考える名無しさん:2001/06/06(水) 01:39
研究者って、2ch初心者なのだろうか。
これくらいで臍を曲げてるようじゃ2chでは
生きてゆけないような気がするんだが。

知識量から言って学部生ではなく院生以上のレベルだと
思ってたが、このナイーブさを考えると
ひょっとしたら学部生かもしれんな。
302研究者5:2001/06/06(水) 02:22
皆さん、初めまして。

研究者1の親戚の、研究者5と申します (゚Д゚) マタカヨ。

今度は真面目に復活です。

まずは心の優しい人に対するレスからです。

>>300

戻って来ました。
ちなみに私は、皆さんが勘違いなさっているように、
権威的でも何でもありません。むしろここで私を潰そうと
目論んでいる人達の方が、権威主義的に若造を威圧しようと
しているのではありませんか。

私は常に低姿勢で話しているつもりです。
先輩方の有益な意見を聞きたいといつも飢えているのです。
ただ、頭の悪い先輩とか、権威主義的な大人は嫌いです。

>>301

臍は曲げていません。上のやつはネタです。

>>276

頑張ります。応援感謝。

また、議論を潰す人は現実の世界にも沢山います。

先日、ハイデッガーの「存在と時間」の演習で、飛んでもない
馬鹿先輩(四年生)がいました。その演習では、「存在と時間」の
決められた箇所を、各自資料を持参して発表しなければならないのです。
その先輩は、ハイデッガーの「死の分析」を論じなければならないのに、
教室の全員に競馬新聞を配布し、馬の「死」について、だらだらと語りました。

勿論、頭にきたので、論戦を挑みました。
私はハイデッガーの死の分析を長々と語ったのですが、先輩はそれらを
悉く無視して、「それで?」と発するのみ。

私は辟易しました。教室のみんなも同じです。
こんな人間は地獄の火に焼かれて死なねばなりません。
2ちゃんで煽っている連中は、差し詰めこの馬鹿先輩と同類項なのでしょう。

>>286

頑張る必要はないですが、応援感謝です。


さて、このスレはここからが本番です。

私から論を立てると非難が集中しますので、皆さんの方から始めて下さい。

無責任とでも何でも言いやがれ、この高卒共が (●`ε´●)

注記。以後 sage 進行で行きましょう。荒らし煽り対策です。
303286:2001/06/06(水) 04:01
やめろやめろ。自分にやさしい言葉だけ受け入れて、
煽りのなかにさえ含まれるそれは批判になっていない、
議論に答えていないという行間が読み取れないのなら、
読む気に耐えない。

君にがいなくてもフッサールは理解可能だよ。
きみはエポケーだ。さいなら。
304286:2001/06/06(水) 04:05
死刑囚さん、もしお時間ありましたら、歴史性ということでなにを
しようとしていたのか、推測で発言していただけないでしょうか?
305考える名無しさん:2001/06/06(水) 04:07
蝿みたくもうよってくんな研究者
306考える名無しさん:2001/06/06(水) 05:38
フッサールのいう歴史性はしょせんヨーロッパを指している、
という常套的な批判についてどう思う?
また「そんな単純じゃない」といわれそうだけど、
本質的批判のひとつではあるでしょ。
事実に左右されない理念的対象とか、私としちゃ、どうも嘘くさいんだよ。
経験論から遊離した超越論が胡散臭いのと同じように。
フッサールの生きた19、20世紀初頭が民族自決権が普遍化される以前の、
欧州帝国主義列強による植民地支配の歴史であったことくらい知ってるよね。
そうした世俗的次元で働く力関係なり無意識の偏見なりを無視して、
はたして歴史について語れるものだろうか。
なるほど、フッサールの問題圏の内部では可能かもしれない。
しかし、そこから一歩でるとちゃんちゃらおかしい話でないか。
異なる準拠枠に照らすと、問題はまったく別の様相で立ち現われる。
フッサール理解はすでに十分なようだから、
経験科学の方法論とか学んでみるといいかもねん。
以上、ばか先輩の無益な意見でした〜。
307研究者5:2001/06/06(水) 14:50
>>303

なんか君、勘違いしているね。「自分に優しい言葉」と言うが、
煽りの中にどのような「批判」が含まれているというのだね。
君は「批判」の意味が分かって言っているのかい。
ハイデッガーの批判に関する著作を読みなさい。

まあ、君は大学受験で英単語覚えるのに必死だから、
死刑囚のオッサンのような誰にでも分かる俗な物言いしか
読む気がしないんだろう。みんな「易しい」物言いが好きだもんな。

そうやって自分の脳を軟化して行き給え。
大学に入る頃には、哲学書などまったく読めぬ知恵遅れ並の頭脳が
身についているだろう。

>>304

死刑囚のオッサンは竹田現象学しか知らぬので、後期フッサールが
歴史性を問題にしたことすら知らない。言っておくが、歴史性と
言うとすぐにハイデッガーを想定する人がいるが、フッサールの言う
歴史性は全然別物。両者を一緒くたにすると訳が分からなくなるので
要注意。

まあ、君にはそんなこと言っても、「存在と時間」さえ読んでいない
のだから話にならないけどね。

>>305

君が勝手にこのスレを覗いているだけだろう。
煽るのならもっと学術的な煽りでもやって見給え。
君の程度が知られるよ。

>>306

その批判は一理あります。
フッサールのヨーロッパ中心主義は各方面で徹底的に
批判されています。

ただ気になったのは、

>経験科学の方法論とか学んでみるといいかもねん

これです。「経験科学」と雖も、それは極めてヨーロッパ的な
ものです。フッサールはそもそも「心理主義」や「歴史主義」
などの経験科学的思考に見られるような、素朴な態度を批判し、
独自の現象学的態度を採用しました。

その意味で、フッサールの言う「歴史」は、ヨーロッパの普通の
歴史家が記すような怪しげな「世界史」とは少し違うものです。
彼は飽く迄「内的歴史学」、この言葉は「幾何学の起源」の最後に
現れますが、そうした内的歴史学の可能性を唱えたのです。

勿論、それもヨーロッパ的なものです。

そしてフッサールにとってのヨーロッパの歴史は、
飽く迄この「哲学」に規定されつつ、目的論的に展開するものでした。
その意味で、彼の思想は際立ってヨーロッパ的です。

だから貴方の仰ることは分かります。

しかし・・・と私は異を唱えたい。
でも長くなりそうなので次回に回します。

最後に、

>なるほど、フッサールの問題圏の内部では可能かもしれない。
>しかし、そこから一歩でるとちゃんちゃらおかしい話でないか。
>異なる準拠枠に照らすと、問題はまったく別の様相で立ち現われる

この箇所、もう少し具体的にお願いできないでしょうか。
308研究者5:2001/06/06(水) 15:00
それにしても、君達、どうしてそんなに臭いレスしか付ける
能がないの。

>>305 位だよ。普通に読めるのは。

あとは適当に煽って楽しんでいるだけの話じゃん。
まあそれもギャラリーを楽しませる一要素だから勝手にやって
いいけどね。だけどな、もう少し「読める」ものを書けよ。
この高貴なスレが汚されるからね。

まあ最近では小論と英語だけで入れる大学も多いから、
君達のような受験生には文章を書くのに丁度いい訓練になるかも。

但し増長しちゃ駄目だよ。君達は所詮社会のゴミ、
2ちゃんねらーだと言うことをお忘れなく。

オレハ タダノ トオリ スガリ デス (゚∀゚) エヘッ
309研究者5:2001/06/06(水) 15:03
チンポコ ポコ ポコ

チンポコ ポコ ポコ

これがこのスレでの新しい挨拶だ。
参加者はまずこの挨拶をしてから意見を述べるように。
この挨拶を怠った者は、殺す。
310考える名無し:2001/06/06(水) 15:35
>>306

>フッサールの生きた19、20世紀初頭が民族自決権が普遍化される以前の、
欧州帝国主義列強による植民地支配の歴史であったことくらい知ってるよね。
そうした世俗的次元で働く力関係なり無意識の偏見なりを無視して、
はたして歴史について語れるものだろうか。

それはそうですね。
ヘーゲルの歴史理性についてもいえる。
でも、最近はむしろヨーロッパが一番ではなくて、
ヨーロッパ人としてヨーロッパを中心に考えるという
開き直りが多い感じがしますが・・
ハーバーマスもそうでしょう。


>>309
そんな、挨拶できるか。(笑
でも、どんどん議論してほしい。
応援してるぜ、ロムると思うけど。
311考える名無しさん:2001/06/06(水) 17:35
マンチョコ チョコチョコ
マンチョコ チョコチョコ
312のほほん名無しさん:2001/06/06(水) 17:48
研究者君も役立たずなんだから、「社会のゴミ」としての自覚をもってほしいね。大人を責めるばっかりだから子供扱いされてバカにされるんじゃないかなあ?
313せめて人間らしく・・・:2001/06/06(水) 18:37
>>297
>心なんて開いてどうする。君がヤラせてくれるとでも
>言うのかね。


       ―         ―
         /              \
       /                  \
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    /  /     /             \  ヽ
   |  /  /                  ヽ  ヽ
   | /  /     |              ヽ  |
  | /  /     | | |     |       ヽ  |
  |/  /      | |  |  |    | \        |
   | | /    /  | |  |  | | ヽ  ヽ      |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ||      /__ || |  | | | /__ヽ ヽ    |   |
   | |   / ヽ__ |  | | | /__ノ ヽ ヽ   |  <  たまってるのね。可哀相・・・
    |  | /ヽ/|゚ o|` | | | // ´|゚ o|\ノ| ヽ   |    |
    | |  |   ` ̄    |    ` ̄  / |  |  |    |
     || | ||\             / |  | |     |
      | || |Г     〈|      ∠ | / | |     \__________
       | | |\           / |/ /||
        | | \     ̄    ∠ / ノ
        \|\| \      / |//
             |\   /   |
             |    ̄     |
             /         |
314考える名無しさん:2001/06/08(金) 00:42
研究者クンってほんと哲学の才能が無いね。
本はよく読んでいるようだけど…
こういう連中って言うのは小学校時代からイジメに合ったタイプだね。

315研究者5:2001/06/08(金) 05:04
全国の知恵遅れの皆さん チンポコ ポコ ポコ チンポコ ポコ ポコ

皆さんの中でこの挨拶を怠っている人がいますね。
そんな人は多分、すぐに死ぬでしょう。

ところで、デリダの『幾何学の起源への序文』若しくは、
『声と現象』にキチンと目を通した人ってどの位いるのでしょうか。

デリダは『声と現象』を自画自賛しています。『ポジシオン』を
読んだことのある人なら知っていますね。しかしその『声と現象』の
前に、彼はフッサールの「幾何学の起源」を仏訳し、膨大な序文を付して
出版しています。マア実は更にそれ以前にフッサールの発生論について
書いたものがあるのですが、今回はそれには触れません。

兎も角も、デリダの『序文』は『声と現象』と表裏一体の著作で、
デリダが本当に『声と現象』を高く評価するのであれば、『序文』も
同様に高く評価されるべき内容を具えているはずなんです。
だから捨てたものではないんですね。

実際、『序文』の中では、エクリチュールに関する問題が、それ以上
単純化できない différer の構造と関連して論じられています。
デリダ哲学の根本概念である「差異延期」は、ここに端緒があるんです。

それからデリダの言う「現象学」は、フーコーが『物の秩序』の英訳版の
序言で書いているような現象学とは全く異なります。
フーコーによれば、現象学は「観察する主観に絶対的な優位を与える」もの
であり、その観察する主観は、「ある構成的役割を、ある行為に帰するのだが、
その行為は、すべての歴史性の起源に、それ自身の観点を配置するのである」。
そしてその歴史性は、「ある超越論的意識を導く」のです。

デリダは勿論、上記のような捉え方はしません。
デリダは飽く迄、現象学の限界に何かを見ようとするんですね。
つまり、現象学が失敗するところに、何か問いを発すべき豊かな土壌があると
考えるんです。それが哲学の限界であり、哲学の「ふち」なんですね。
マアそこで初めてエクリチュールやら起源やら歴史やら差延やらが問題となる。

あと、デリダの言う現象学は飽く迄「意味作用」の現象学です。
『声と現象』の副題が、「フッサール現象学における記号の問題への序文」
となっているのはみんな知ってますよね。
そこでの結論は、「いかなる知覚も決して存在しない」というもの。
「現象学が――それは常に知覚の現象学であるのだが――我々に信じさせよう
とするものとは反対に、・・・物そのものは常に逃れる」のでありましたね。
「自分が話すのを聴こうとする絶対的な意志」を基礎に、現象学は常に失敗
しなければならない、つまり、常に物そのものを、delay-defer-differentiate
しなければならないのでありました。

これ以上喋ると、まだ読んでない人から抗議を受けそうなのでこの辺でやめます。

私が衒学趣味を駆使して謂わんとしたことは、デリダの『序文』が、上記の
『声と現象』の問題意識を、多分に含んでいるということです。
そして更には、それらの根底には、フッサール現象学の内奥に潜む超越論的
問題群があるということです。

マア、デリダの話はこの辺でいいでしょう。
もしデリダを読んでいる人が多いのなら(つまり上の文章が普通に理解できるのなら)、
回りくどい話はやめて、直接デリダの解釈を批判しつつフッサールのテクストを
研究するのが得策だと思います。

上記のものがサッパリなのであれば、地道にフッサールのテクストをフッサールの
うちで読むしかない。但し、デリダの解釈は非常に示唆に富んでいるので、
我々の研究もそれを用いることにしましょう。

チンポコ ポコ ポコ チンポコ ポコ ポコ
316研究者5:2001/06/08(金) 05:05
レス。

>>314

イジメはやったがイジメられた経験はないです。
私が「本を読んでいる」ように見えるのですか?
もしそうだとしたら、貴方はよっぽど本を読まない馬鹿高校生なんですね。
お気の毒です ヽ(´ー`)ノ ガンバッテネ

>>313

レイは好きでない。

>>312

馬鹿にしているのは、貴方みたいな馬鹿大人だけですよ。
頭の良い大人は尊敬しています。

>>311

マンチョコ マン マン の方がいい。

>>310

実はヨーロッパ中心主義の批判には既に興味なし。
317研究者5:2001/06/08(金) 05:14
「幾何学の起源」を読み終えた人は感想をどうぞ。
318考える名無しさん:2001/06/08(金) 06:17
かまわれていることに快感をおぼえてきたようだ。
こんな議論ほかでできないんだろう。
ならば議論上の対立とは別に真面目な議論を呼び込む
文体を使えばいいのに。
おそらく本気でかまってもらえないよ。
内容はあるのかもしれないけれどもね。
319名無しさん:2001/06/08(金) 10:31
内容もねえ・・・知性も品性も感じられませんな。サムいギャグも本人の中ではバカうけなんでしょうが。
そういえばよくバカやって目立ちたがるいじめられっこ、いましたね。
受け入れ貰おうと必死で受けないギャグやって、余計バカにされていくの。
ああ、なんか哀れだな。一体彼はこの後どうするんでしょうねえ?
320考える名無しさん:2001/06/08(金) 10:39
ちなみに、1さんって、おとしはいくつですか?
321考える名無しさん:2001/06/08(金) 10:52
品性なんかいらないよ。
最近多い、くだらないスレより全然マシ。
すくなくとも哲学作品を扱ってる点で。
322考える名無しさん:2001/06/08(金) 11:16
1って、20くらいでしょ?
くだらない煽りにまで過剰反応してるし、傲慢でもあるし・・笑
若くて博学だから、嫉妬されてるだけじゃない?
まあ、ハイデガーさんには劣るにしても、20くらいだとしたら
相当有望だよな。

323召喚してみよう:2001/06/09(土) 00:18
スレざっと眺めた初心者ですがいくつか疑問点を。後期フッサールの立場について。

@現象学は結局(デリダ幾何学の起源序文)生活世界の中に埋没してる通常の人間
と違う、真の理性の目的論に適合した人、あるいは目的自体を選別し、その他と差
別し、理性を建設していく目的論、その最後にフッサール本人とかを位置づける目
的論だという見方は大枠において外れてないのではないか?

A、@と重なるが数学の哲学なり科学哲学なり分析哲学系で論じられているがそれ
らの成果を見ずに、自然主義的と切り捨てながら、現象学に従って目的を捉え直し
て真の理性に適合するように学問すればいいとアジってるだけに見える。

B現象学的還元といっても現前をとらえる訳ではなくあくまで再現前であり(デリ
ダ声と現象)大枠でいうと現象学者が論者の論じたいように世界を解釈していくこ
とでしかないとういうことは否定できないのではないか?

目的論だからとか他の哲学と大差ない一つの解釈だからとかで否定されるべきもの
では当然ないわけです。
だが同時にフッサールの姿勢はナイーブに真の理性を選別し建設していけばうまく
いくというものだということも大枠において外れていません。
現象学は中性なんだ、可能性があるんだとだけ強調されてそこいれへんがほってお
かれてているのが原因で議論がかみあってないように思えます。
324考える名無しさん:2001/06/09(土) 00:39
RAGEが名無しで書いている・・・
325考える名無しさん:2001/06/09(土) 00:46
>>324
もし、君の言うとおりだったら、
救いようがないな、RAGEは・・・。
326考える名無しさん:2001/06/09(土) 00:54
このスレの煽り文は大概RAGEのものと思われ。
327南無妙:2001/06/09(土) 00:56
名無しだから?
328考える名無しさん:2001/06/09(土) 02:01
そっかあ。おいらrageだったのか!(藁
329研究者5:2001/06/09(土) 02:36
全国の早発性痴呆の皆さん、今晩は (´∇`) ケンキュウシャ デース

私は上記で『幾何学の起源について』を読んでの感想文を記すように
指示した筈ですが、誰もそれを書き込んでいないところから察するに、
皆さんは基本的に哲学にはあまり興味がないようですね。
マア、皆さんは所詮、賤民の生まれですから、哲学なんて高貴な学問は
似合わないので丁度いいと思います。ヽ(´ー`)ノ

さて、皆さんが日本語さえ充分に読めない馬鹿厨房だと言うのに、
私が一方的に議論を進めるのは余りに無慈悲です。ですから、
皆さんの方から積極的に議論を開始するまで待つことにしますね。

とりあえずレス。

>>323

>@

目的論は重要なテーマです。実は私自身が一番興味あるのがそこなんです。
フッサールは周知のように『危機書』で所謂「理性の目的論」を提唱します。
つまり、ヨーロッパの全近代哲学が、超越論的現象学に至るべく運命論的に
決定されていたという議論です。『デカルト的省察』では、「最終形態」と言う
言葉さえ出てきますね。だから基本的には、@の捉え方は間違っていない。

但し、それはフッサールに対する「通俗的な」解釈です。
勿論、フッサールは還元においても明証理論においても、「テロス」としての
「理念」を想定し、それに近似的に接近して行くことを試みました。
しかし生活世界の自然的態度から、現象学的態度への移行は決して容易ではない。
フッサール自身の言葉を藉りれば、還元は「され続けなければならない」のです。
このスレの前半で「反覆」というのが問題になっていましたが、「反覆」は
決して「目的論的考察」とは相容れないものです。それは寧ろ、終末論的主題で
あり、ハイデッガーの存在の思惟に相応しい表現でしょう。

その意味で、フッサールの目的論を大真面目に受取ることは出来ない。
デリダも同じ意見です。我々が注目すべきなのは、フッサールが何故「目的論」に
居直ってしまったのか、という問題です。

実を言うと、後期フッサールの根本問題は最終的にここに係わって来ます。
デリダが現象学を「理念(テロス)と現象の弁証法」と見なしたことに注意。

補足。「自然的態度」と「自然主義的態度」の区別に注意(生活世界に関して)。
>>323 は正確に理解していると思います。だから皆さんに。
330研究者5:2001/06/09(土) 02:37
>A

分析哲学との関連は議論が大きくなるので面倒ですが、フッサールはつまり、
数学的諸学科に対して「危機」を見ていたのですね。
例えば前世紀初頭の「数学基礎論の危機」。形式主義の数学やら直観主義の数学やら、
フレーゲ-ラッセル流の数学やら、数学は基本的に「理念的」でなければならないのに、
それがいろいろな分派を生んで一つの「理念」を目指すものではなくなってきている。

フッサールは飽く迄「理念」に拘りますから、このような分裂劇に危機を抱いたわけです。
その意味で、決して数理哲学の成果を無視したのではなく、それを根本的に刷新しようと
試みたわけです。「幾何学の起源」の考察も、ある意味では数学的なものの起源を考察し、
その失われた意味、つまり「空洞化された」意味を回復する試みだったんですね。

従ってフッサールは、決して諸学を現象学の中に従属させようとしたのではなく、
危機に瀕している諸学の「基礎」を問題にできるのは、ひとえに原理研究としての
現象学のみである、と考えていたと思うんです。

学問というのは基本的に世界を合目的的に把握する試みですから、それが理性に
従うのは当然です。それは「従う」というよりも、むしろ「基礎」として理性を
持っている、と表現した方が適切でしょう。そして「理性そのもの」を問題に
できるのは、現象学のみだと言うわけです。

その意味で、現象学は筋金入りの「理性主義」であり、理性主義の末期に現れた、
最後のデカルト主義=近代合理主義なのでありました。

フレーゲとの比較が盛んに行われています。私は読んでないので知りません。

>B

大方賛成です。

但し私は基本的にデリダの解釈は面白いけど全面的には受け容れられない。
それは普通に現象学の研究をしている人の殆どがそうでしょう。
それをこのスレで議論したいと思い、上にデリダのことを少し書きました。


>現象学は中性なんだ、可能性があるんだとだけ強調されてそこいれへんが
>ほっておかれてているのが原因で議論がかみあってないように思えます

これは重要な指摘。もう少し厳密にお願いしたい。
331召喚してみよう:2001/06/09(土) 08:47
レスサンクスでございます。

>その意味で、フッサールの目的論を大真面目に受取ることは出来ない。
>デリダも同じ意見です。我々が注目すべきなのは、フッサールが何故「目的論」に
>居直ってしまったのか、という問題です。

>フッサールは飽く迄「理念」に拘りますから、このような分裂劇に危機を抱いたわけです。
>その意味で、決して数理哲学の成果を無視したのではなく、それを根本的に刷新しようと
>試みたわけです。「幾何学の起源」の考察も、ある意味では数学的なものの起源を考察し、
>その失われた意味、つまり「空洞化された」意味を回復する試みだったんですね。

まあここのところで、現象学、それもフッサール学派でないものにとっては、
a ヘーゲルのようなむきだしの目的論じゃないにしろ、そこで前提とされてる
のは結局インド人を理性から締め出す形でしか成立しない(どこかで書いている
はず、危機か?)目的論としての理念でしかないのではないか?危機といっても
そういう危うさを自己正当化するためにもちだしてきたのではないか?
b わざわざ現象学のフイルターを通さなくても、諸学の危機は問題化しうるし、
現象学は迂遠すぎて有効か?空洞化というのは何を指しており、意味を回復する特
権を本当に現象学は有しているのか?逆にそういう理念を押し付けるために空洞化
と根拠なくいってるのではないか?

>従ってフッサールは、決して諸学を現象学の中に従属させようとしたのではなく、
>危機に瀕している諸学の「基礎」を問題にできるのは、ひとえに原理研究としての
>現象学のみである、と考えていたと思うんです。
c 原理研究といっても、他の研究に比べて絶対的かとか、有効だというのは本当
なのかというところで、前提条件に皆が納得できてないところで、それは相対的な
ものだよと、鮮やかに指摘してみたところがデリダの衝撃的なところだったと思い
ます。その点のデリダの価値は否定できないと思います。
でフッサール派じゃないものにとってみれば、結局、原理研究といっても、相対的
で主観的な論者の目的論を投影する形でしかどういう形でしろ成立しない部分があ
るのは否定できない。(そこはデリダが鮮やかに指摘した)
そのため括弧つきの原理にこだわる必要と有効性が薄い。
厳密な学としてのフッサールのプログラムが機能していないのもそこに原因がある
と思われるのですが?

危機も起源も現象学者にとっての都合の良い理念の独善性を不可避的にどうしても
はらんでしまう。
避けられないからこそ成立した書物であり、またそういう理念全く抜きでかかれた
として想像するに読めたものではないんじゃないでしょうか。

332研究者5:2001/06/10(日) 21:50
>a

フッサールのヨーロッパ中心主義は至る所で非難されています。
インド、シナの思想を卑下する物言いは、『危機書』とその付録に
あります。特に付録の「ヨーロッパ的人間性の危機と哲学」が危ない。

但し、このような非難を幾らフッサールに浴びせたところで、
彼の思想的価値を貶める事にはなりません。
例えばハイデッガーはナチですが、それでもって彼の全思想が
読むに値しないと見なされては困ります。

そういう意味で、その手の非難は、それを別の角度から把握する観点を
有していない限り、フッサールが為したのと同じような、思想に対する
安易な評価に過ぎなくなるでしょう。

従って我々東洋人がフッサール、或いはヘーゲルのヨーロッパ中心主義の
思考と接する際には、非難を浴びせるだけでなく、彼の思想が潜在的に
有しているチンポコ ポコ ポコ チンポコ ニャー ニャー

レスれす。


>a

フッサールのヨーロッパ中心主義は至る所で非難されています。
インド、シナの思想を卑下する物言いは、『危機書』とその付録に
あります。特に付録の「ヨーロッパ的人間性の危機と哲学」が危ない。

但し、このような非難を幾らフッサールに浴びせたところで、
彼の思想的価値を貶める事にはなりません。
例えばハイデッガーはナチですが、それでもって彼の全思想が
読むに値しないと見なされては困ります。

そういう意味で、その手の非難は、それを別の角度から把握する観点を
有していない限り、フッサールが為したのと同じような、思想に対する
安易な評価に過ぎなくなるでしょう。

貴方自身が仰っているように、

>危機といってもそういう危うさを自己正当化するためにもちだしてきたのではないか

などの指摘は充分「批判」としての側面を有しています。
これらの批判を推し進め、フッサール的思考の根底にあるものを暴き出す
ことができるのも、我々東洋人の特権ではないでしょうか。


>b

仰る通りだと思います。そして事実、現象学以外の現代のあらゆる思想が、
ヨーロッパの「危機」を憂慮しています。

>現象学は迂遠すぎて有効か

現象学が現代の思想に与えた様々な影響を考えてみて下さい。
哲学のみならず、あらゆる学問分野に現象学の方法論は用いられています。
これを「有効」であるか否かを決するのは別問題です。
ここで言う「有効」とは、如何なる意味において言われているのでしょうか。

>空洞化というのは何を指しており、意味を回復する特権を本当に
>現象学は有しているのか?

>逆にそういう理念を押し付けるために空洞化と根拠なくいってるのではないか?

これは考えて見なければなりません。
同時代に類似した非難があったようです。


>c

デリダの議論は、それなりに一貫性を有しており、現象学の批判としては
非常に興味深いものです。しかし彼の相対主義的思考は個人的に好きではないです。
勿論、最近ではその反動のためか、無闇に絶対的なものを喧伝する彼の態度が
痛いですが。

私は貴方の仰るデリダ的批判には大方賛成です。
しかし私は「原理研究」に関しては、デリダの議論を鵜呑みにはできません。
これは私自身がハイデッガーの影響を受けているということもありますが。

それ故、このスレでは、デリダのフッサール解釈を綿密に検討し、果たして
彼の批判がどの程度のものなのか、ということを見極めたいと考えています。

とりあえず今は、『幾何学の起源について』を読みつつ後期フッサール思想の
根本問題を抉り出すという方針ですので、『声と現象』ではなく、『序文』の
方を虱潰しに分析して行きましょうか。

あと、感想文を誰も記してないみたいだね。君達には難し過ぎたかな (´ー`)

チンポコ ポコ リン チンポコ ポコ リン

333研究者5:2001/06/10(日) 21:51
↑ わけの分からない順序になっています ヽ[;゚Д゚;]ノ アレレ? ドウシチマッタノ?

なんでだろ。まあいいや。読めば分かるでしょう。
334召喚してみよう:2001/06/10(日) 23:39
あ、また読めて書けるようになってますね。
でいくつかこのスレでの共通理解や問題点を書いてみます。
1、起源で目的論が展開された(客観的に語る現象論で)のは何故か?
2、目的論だからといって批判するわけにはいかない。
3、フッサールの緻密な議論を再評価したい。インド馬鹿にするよう
な危うさ受け止めて論議したい。
4、声と現象でデリダは目的論を読み込んだがどう評価すべきか?

で声と現象の議論で面白いのはこれらの論議を先取りしているように
見えることにあります。

生の多様な体験を還元して純粋にとらえるということは大変なこと
です。広松先生に議論風で言えば、多様な関係の結節点として示差
ネガテブにしかとらえられず、ポジテブに実体的にある訳ではない。
フッサールも端的に直観がとらえられるなどとの素朴なことを言いま
せん。デリダはフッサールの議論を詳細に跡付け、純粋な言語化以前
の体験があり、内的独語があり、それからの表象がありと位置付けて
います。でそれらを様々に分別し、差異付ける形でしか原初の直観は
位置づけられないとフッサールはいいます。当然ですよね。
でデリダはフッサールの議論の多様さと緻密さを肯定し評価した
上で論じるわけです。
そこで出される点的な時間は、純粋な直観はその差異付けの中で
しかでてこないのではないかというのがフッサールの議論であり、
デリダはそれを評価し徹底している訳です。フッサールの議論の
緻密さと多様さがあればこそ、かえってそこで純粋な今や直観を
取り出すのは危ないぞと。現実問題できるのかと。あるいはそれ
は今の可能性、多様性を抹殺する目的論に近づくぞと。
で、安易に直観をふりまわし、哲学者の思うような世界解釈を
押し付ける哲学は批判すべきことはいうまでもありません。

でデリダはフッサールを目的論だからと否定している訳ではなく
そういう緻密で客観的な学を目指すが故にこそ学問の目的論性を
あかしてくれる貴重なものとして取り扱っています。
要は哲学者の全身全霊こめたよりうまいより正しい万人にとって
役に立つ、目的を提示し、働きかける形での目的論を提示すれば
いいわけです(w デリダも自分の仕事が目的論であることを否
定しないでしょう。
で、フッサール以降ろくな目的論を現象学者が提示してこなかった
のも認めてもらえると思います。むしろその中ではデリダは良く
やった方であることは認めてやらないといけないと思います。

で前に現象学が迂遠だと書いたのは、科学の危機や近代の諸問題を
考えるのに私のような初心者だとクワインやクーン、フーコーとか
に触発されることはありますが、インド人を切り捨てるようなフッ
サールからは、諸学の危機をがなりたて、自分に都合の良い解釈を
押し付けてる部分が強く、真性な目的論を触発されにくいとあくま
で私が感じるからです。
同じ目的論ならもっと、方法的にいろいろな物がありそれを生かし
ていけばいいと思います。

ですが、わざわざこのスレを立てた研究者さんは現象学の迂遠さを
乗り越えて一歩一歩、デリダよりもフーコーよりもクワインよりも
緻密な目的論を構成し、人々がその元で生きるにたるプログラムを
提示する覚悟なのでしょう。

すばらしいことです。影ながら応援させていただきます。

またこのスレに現象学の遠い道を推し進めようという意欲を持った
シジュホスのような専門家が参加され活発な議論が展開され、研究
者さんの一助になることを祈らせていただきます。
335考える名無しさん:2001/06/10(日) 23:40
>>333
しんでわびろ。
336召喚してみよう:2001/06/10(日) 23:48
安易に直観を振り回す、あるいはとらえられるという議論の危うさは
了解していただけると思います。で、フッサールが慎重にその種の素
朴さを避けながらも、であるからこそ、真性の目的論を提示すべく頑
張りかつ、その結果にもいろいろ問題があることは共通の理解だと思
います。
で、更にその上に真に諸学の危機に立ち向かえるような真性の議論を
打ち立てることがいかに大変か、困難か。
長い道のりであることを御理解いただいた上で頑張ってください。

337研究者5:2001/06/11(月) 03:06
厨房の皆さん、ハロにちは。

嫌われ者の研究者です。

>>334

>デリダはフッサールの議論を詳細に跡付け、純粋な言語化以前の体験が
>あり、内的独語があり、それからの表象がありと位置付けています。

現象学者は、ハイデッガーも含めて、言語化以前の根源的体験を標榜します。
特にフッサールの場合は、余りに素朴に言語と世界との関係を把握している
観がありますね。ハイデッガーは流石に非常識な思考をするから難しいのですが、
フッサールに関してはモロ常識人なので、彼の思考経路には時々辟易して
しまいます。特に上の構造はそうでしょう。

近代哲学の「最終形態」と自負するだけの事はある。
言語が透明だった時代の産物に属するのでしょうか、フッサール現象学は。


>フッサールの議論の緻密さと多様さがあればこそ、かえってそこで純粋な
>今や直観を取り出すのは危ないぞと。

危ないですね。分かる気がします。


>多様性を抹殺する目的論に近づくぞと。

これがデリダのフッサール批判の骨子でしょうね。
ただ、フッサール自身は、自分が考えていたのとは全然違う事をやって
しまいますが。


>でデリダはフッサールを目的論だからと否定している訳ではなく
>そういう緻密で客観的な学を目指すが故にこそ学問の目的論性を
>あかしてくれる貴重なものとして取り扱っています。

そうでしょう。


>むしろその中ではデリダは良くやった方であることは認めてやらないと
>いけないと思います。

同感です。デリダは掛詞だらけの変な文章を書くので嫌いですが、
初期のフッサール論だけは面白いと思います。
338研究者5:2001/06/11(月) 03:06
>で前に現象学が迂遠だと書いたのは、科学の危機や近代の諸問題を
>考えるのに私のような初心者だとクワインやクーン、フーコーとか
>に触発されることはありますが、インド人を切り捨てるようなフッ
>サールからは、諸学の危機をがなりたて、自分に都合の良い解釈を
>押し付けてる部分が強く、真性な目的論を触発されにくいとあくま
>で私が感じるからです。

インドに深い想い入れがあるようですね。

私は基本的に、「科学の危機」や「近代」に関する問題は、すべて
ヨーロッパ的に提起されたものであり、ヨーロッパの伝統上でしか
論じ得ないものだと考えています。

その意味で、我々は老荘思想を使って近代科学の問題やデカルト的エゴ
を把握することは不可能ですし、やっても大した収穫は望めないでしょう。
クワインやクーンの相対主義的(?)言動が、果たしてインド人の思惟や
シナ人の思惟に新しい価値を付与することができるのでしょうか。

それは飽く迄、西洋思想の伝統上に東洋古来の思惟を収斂させようとする
一種の支配的運動ではないのでしょうか。割り切っている分、フッサールの
方がまだマシなのかも知れませんよ。

私はデリダの善人面が嫌いなんです。いや、寧ろヨーロッパ中心主義を殊更に
喚き立てる奴も嫌いです。だってそんなことは当たり前のことでしょう。
ヨーロッパの思想はヨーロッパという土壌で育ち、その土壌でこそ真の有効性を
発揮するものです。だからしてこれを相対化して東西に遍く押し広げる事が
できると信じている人の方が恐い。

私は寧ろハイデッガー的な思惟の捉え方に惹かれます。
それは一面ではまさに「危ない」のですが、東西の文化対立は元来「危ない」
ものです。互いに絶対性を競い合い、醜い争いを展開するのは御免ですが、
安易な相対主義に堕するのも嫌だ。


>わざわざこのスレを立てた研究者さんは現象学の迂遠さを
>乗り越えて一歩一歩、デリダよりもフーコーよりもクワインよりも
>緻密な目的論を構成し、人々がその元で生きるにたるプログラムを
>提示する覚悟なのでしょう。

私は、大学卒業後、シナ思想を学ぶ為に、シナの大学院に行く積りです(マジ)。
私は基本的に西洋の思想など所詮「外部」のものであると思っています。
マア外部であるからこそ、我々はそれを遠目に眺めることができるのですが、
遠目に眺めるためには、まず自分固有の思想が確立されていなければなりません。

私は幼少時からシナの思想に興味があり、そればかりをやってました。
易占もできます。周易参同契は愛読書であり、煉丹もやってます。

目的論など構成する積りは今のところありません。

また、東君のように二十代で本を出版し、恥を曝すような真似もしません。

私には学ぶべきことが余りに多過ぎるのです。
339考える名無しさん:2001/06/11(月) 05:44
サブカルだポスコロだポストモダンだと
浮かれてる連中が多いのに、中国哲学を極め東西の融合を図りたいとは、
いまどきの若者にしては、よい心がけじゃ。
ちなみに、日本にも京都学派があるけど、いかが?
340考える名無しさん:2001/06/11(月) 06:03
結局のところ、ソシュールの思想(乃至はその措定的な思索)というのは、
構造主義的描画性という一点に収斂し、またそこから発散するものでしょ?
つまり、資本論的な疎外観を一つの公理として受容し、猶且つテンポラリー
な空虚を多神教化のベクトルへと還元するということで全て言い尽くせる
とおもうけど(この意味で丸山さんも同じなんじゃないかな?)。
341MtFTG・CD:2001/06/11(月) 06:09
>>340
何が言いたいの?
Yesマンが欲しいのかな?
342なまえをいれてください:2001/06/11(月) 14:02
>研究者
あんた、タクティってやつに口調がそっくりやね。
343考える名無しさん:2001/06/11(月) 18:33
>何が言いたいの?

乱数標的表現というやつでしょうか(w
344召喚してみよう:2001/06/11(月) 23:10
>とりあえず今は、『幾何学の起源について』を読みつつ後期フッサール思想の
>根本問題を抉り出すという方針ですので、『声と現象』ではなく、『序文』の
>方を虱潰しに分析して行きましょうか。

講義続けてみてください。意見があったら書き込みますので。

現象学信者でもないし距離の採り方がわかりませんでしたが将来は、中国哲学
ですか。頑張ってください。
345召喚してみよう:2001/06/11(月) 23:41
>フッサールに関してはモロ常識人なので、彼の思考経路には時々辟易して
>しまいます。特に上の構造はそうでしょう。
それわかったうえでどうやって、可能性を見出すのかやってみてください。
346名無しさん:2001/06/12(火) 00:49
>>337
>厨房の皆さん、ハロにちは。
>
>嫌われ者の研究者です。

そのうえ藁われ者です。(笑)
347研究者1:2001/06/12(火) 09:02
最近、自殺の事ばかり考えています。
部屋の天井からは何時でも吊れるように縄がぶら下がっているのですが、
昨日、その縄に首を懸けながら大泣きに泣きました。

死ぬのに理由は要りませんよね。生きるのと同様に。

何時からこんなに生きる事に対して不器用になってしまったのだろう。

世間とは明らかに逆行している自分がいて、その世間を憎悪している癖に、
その世間から相手にして貰いたいと考えている。

周囲の人間は悉く愚鈍、喋る価値もないような連中ばかり。
しかしそんな連中の方が、朗らかに人生を満喫している。
この人生で根本的に問題なのは、自分が生きている現実を認め直し、
自分の生きていることの理由、「目的」ではなく「理由」を見極める
ということ。

フッサールやデリダは死の間際では問題にならない。
自分がこれまで生きてきた全経歴が、歴史性のうちで回帰してくる。
自分はそのとき、明らかにクロノス的でない時間のうちを生きている。

人間の死は、通常の時間のうちで到来するのではないのだと思う。
それは、まさに通常の時間概念が通用しなくなる、極めて特異な
現象だと思う。

結局、みんな「死」について考えているのだろう。
生きることは、死ぬことを学ぶことである、と言った人もある。
武士道といふは、死ぬこととみつけたり、なのだろう。

自分はしかし、本当に「死」について考えているとは到底言えない。
ヘッセの『春の嵐』の主人公の父親が言っていた。
若者は死について語りはするが、決して考えはしない。

自分もその一人なのかも知れない。

鬱だからレスは次回。
348172:2001/06/12(火) 12:23
(煽りにのる)

何だ?お前本当に学部小僧なのか?>>347の文章の精彩のなさはどうしたんだ?
少なくとも、前半は煽り煽られながらも、フッサールの理解に対するいい斬り込み
をしていると思ったんだが。。。
(可能性一 騙り)

>「周囲の人間は悉く愚鈍、喋る価値もないような連中ばかり。
しかしそんな連中の方が、朗らかに人生を満喫している 」
ん?朗らかに人生を満喫するには、「愚鈍」である必要があるんじゃ
ないのか?ま、それはともかくヲイヲイ・・そう書いちゃまずいだろう・・・

>何時からこんなに生きる事に対して不器用になってしまったのだろう。
困ったやつだな。じゃあ、器用な奴の模倣をしてみればいいだろう。お前
自分が出来ると思ってんだったら、それくらい楽勝だろう。着るもの、しゃ
べりかた、会話のテーマ、髪型・・・そんで哲学とかやってることは絶対隠す。
恥ずかしいことだからな。このご時世で。

(いいや、マジレス)
>世間とは明らかに逆行している自分がいて、その世間を憎悪している癖に、
その世間から相手にして貰いたいと考えている。

お前には色々教えてもらったよ。「逆行」をさ、自分の個性とか自然とか
考えちゃいけねえな。それは、パフォーマンスに過ぎねえんだよ。
で、それがどうも世間から受け入れられねえっつうんだったら、別の
パフォーマンスを考えなきゃならんだろ。メンズエッグとか買って研究しろよ。
あと、ソープでも研究だ。キャバクラ行って、適当に会話を流す術を学べ。
矛盾とかは「忘却」しないとあかんよ。そうすりゃ、すぐなんとなーく
流れにのれるって。

ほれ、憎まれ口を叩く気になったか?それでよし。
349研究者ファン:2001/06/12(火) 13:19
>>347
あー俺って頭良いな→でも、氏にてーぜ→
そうだ、俺様の天才的なフッサール解釈を披露して尊敬されまくる→
んで、氏ねば結構伝説残る→ウマー→2chで実行→
ひひ、ヤッパ世の中バカばっか→反発食らいまくる→なんで俺様尊敬されないんだ→
鋭い質問、意見がくる→鬱だ氏脳→氏ねなくて泣いた→インテリの子供を殺しまくれば、死刑になる→ウマー

っていう感じかな。
350考える名無しさん:2001/06/12(火) 17:46
「彼」が立てたクソスレについて各界の反応

総理大臣/小泉純一郎さん
 「何で今さら、こんな質問が出てくるのか分からない」

自由党党首/小沢一郎さん
 「(事務所を通じて)コメントする価値を見いだせない。」

東京都知事/石原慎太郎さん
 「くだらないねえ。何が楽しみでこんなクソスレ立てるのかな。「彼」は。」

日銀総裁/速水優さん
 「頭の中までデフレが浸透していると、再認識せざるを得ない。」

ソニー会長/出井伸行さん
 「ブロードバンドが普及すれば、こういう削除も速くなると思う。」

白鴎大学教授/福岡政行さん
  「やっぱり自公保連立政権の発足からこういうスレが増えたと思います。」

タレント/デーモン小暮さん
  「わが輩が地球を征服した暁には「彼」から処刑するぞ。グハハハハ。」

新しい教科書を作る会/西尾乾二さん
  「これらのスレほど戦後民主主義教育の欠陥を表しているものはないと思う。」

元グリーンベレー/柘植久慶さん
  「海外にはこの程度の変質者はコンビニにもいる。日本が平和すぎた。」

女優/広末涼子さん
「こういう人がいる日本って、やっぱりすごすぎると思う。」
351考える名無しさん:2001/06/12(火) 18:09
フッサールを読んで死にたくなる(この時点でおかしいが)
のは、バカだからです
352考える名無しさん:2001/06/12(火) 19:00
弱味を見せると食い付いてくるさすが2ch
結局竹田セイジの人生哲学に転向でお終いってオチはおもろい
353考える名無しさん:2001/06/12(火) 20:28
人生ネタにしか食いつけない馬鹿ども。藁)
354考える名無しさん:2001/06/12(火) 23:21
>>351
確かに。藁
まあ、でも読んでるのはフッサールだけではなかろう。
355召喚してみよう:2001/06/12(火) 23:37
これは認めてくれると思いますが、結局、認識は多様な関係性や生の
収まりつかない過剰さから、ある種の多様性の切断、抽象化として、
現実を解釈者にとって都合良く解釈し、その解釈者の目的の元、他者
を従わせる側面があります。
なおかつ、点としての今や本質直観を持ち出すフッサールにその危険
性が高いことは、過去ログでも認めてますよね。
でまた書きますけど、危機でも起源でも、科学や数学を堕落した使用
する(軍事、産業、大衆社会)近代に対し、始原の目的性を取り戻し
て人々が真の理性に従って生きれば良くなる、そしてそれに導けるの
は現象学者だけというモチーフが強烈ですが、そもそもそんな真に目
的や理性があるのか、あると認めても、それを都合良く見つけ出し、
利用してうまくいく事が簡単にできるのかという問題があります。
フッサールやハイデッガーの繊細な議論の価値を認めても、同時に、
西洋理性を持ち上げるために他者を貶めるフッサールや、純粋な議論
をつきつめながら、ナチへの積極的なコミットメント(ドイツ大学の
自己主張など、純粋にナチへ傾倒しており、明らかに確信犯)したハ
イデッガーの様に一筋縄で目的論への対抗、暴走への有効な対処など
できません。
不断の努力の果てに維持されるものでしかありません。
で、分析哲学の本流までは手が回っていないみたいですが、クワイン
を相対主義とか切ってすてていますが、クワインの議論にしろ、還元
主義の思想傾向に対する闘争としての意義を評価しないとでてきませ
ん。
哲学はそういった様々な積み重ねを評価しないととらえられません。
そこらへんの謙虚さが無く、ナイーブに純粋な現象学の方法論とれば、
真の本質を捉えていける。相対主義を脱していけるという議論は納得
できません。
もう一度書きますが、哲学は様々な積み重ねで成立しています。でそ
れを身につけないと有効な議論も成立しません。
でここの議論ではただ個人の好みで相対主義的に見えるものを貶して
いるように見えます。
狭義の現象学者以外で納得できる人はいないと思います。
フッサールの方法論通して、真の理性や目的に近いものに接近
できるとしても、それが実現していくのは困難な道のりを経てでな
いと難しいでしょう。そのへんを受け止めたうえで議論すべきだと
思います。
356召喚してみよう:2001/06/13(水) 00:01
真面目に書いてないみたいなので苦言を呈します。
あまりにも文学だろう!
357召喚してみよう:2001/06/13(水) 01:18
知の持つ危うさとか科学や近代社会を受け止めた上で展開された思想の厚み
とかの中で、今あえてフッサールを取り上げてこれだけ騒いどいといてなあ。
自分の世界に知を押し付ける危うさを自覚して引き受けて繊細に知を展開し、
真の目的を垣間見せてくれるような、他の思想に匹敵しうるものを書くのなら、
それでいいわけでそれを見たいからいろいろ挑発的に書いてきたわけだが、
ヨーロッパ中心主義だ、相対主義がどうこうだ、中国哲学だ、死がどうたら
こうたらでお茶を濁すなら本当の馬鹿だぞ。
これだけ騒いどいて。
358示唆有難うございます!!:2001/06/13(水) 01:34
>これは認めてくれると思いますが、結局、認識は多様な関係性や生の
>収まりつかない過剰さから、ある種の多様性の切断、抽象化として、
>現実を解釈者にとって都合良く解釈し、その解釈者の目的の元、他者
>を従わせる側面があります。

なるほど、収束における他者の挙動というのが、其の合目的的可能性を
矛盾なく孕んでおり、単一交差の一点のみで幇間的な限界性を査定でき
るというわけですね。
359召喚してみよう:2001/06/13(水) 01:41
>358
よくわからないが、フッサールの点としての今に遡及する考え方や
本質直観を求める思想がある種の危うさを秘めていて、その上で、
危機とかのアジテーションや独善性を削ぎ落とすのは困難な試みで
しょう、それをあえてやろうというのだから生半可ではないはず。
360召喚してみよう:2001/06/13(水) 01:46
点としての今や本質が無いとはいわないが、それを人間が認識する
時は裸のままではないし、他との諸関係もゆがめられる可能性が高
いということです。
361研究者1:2001/06/13(水) 02:53
全国の「人生論」大好き馬鹿厨房の皆さん。

死に損ないの研究者です ( ´∀`)ウツダシノウ

今回から早速デリダのテクスト読解に入ろうと考えていたのですが、
幾つか興味深いレスが付いているので、まずはそちらを処理しましょう。

「召喚してみよう」さんは以後「召喚氏」と呼ばせて頂きます。
私なんかより幅広く学んでいらっしゃるようなので、いろんな分野の
人からの応答が欲しいところです。はい。

で、レス。

>>355

>同時に、西洋理性を持ち上げるために他者を貶めるフッサールや

フッサールは他者を貶めていたのでしょうか。
私は寧ろハイデッガー以上に他者の「異他性」を考えていたと思います。
特に『デカルト的省察』の第五省察にはそれが顕著ですし、フッサールは
決して「独り言」で完結する閉じた空間で物を考えていたのではありません。

「対話」というモチーフは前期の『論理学研究』の中にも見られますし、
地平の考察においても、常に相互主観性が絡んできます。
ハイデッガーの講義録の中に、『デカルト的省察』を徹底的に非難する
件があるのですが、彼はフッサールが超越論的な次元で考えていた
相互主観性の部分を微塵も理解していないように感じます。

フッサールを「現前の形而上学」として批判するのは簡単ですが、
同時に、彼自身の「脱構築」、現象学の他者への開放性を認めないわけには
行きません。

結局、フッサールが「還元」の方法論で得たものは、「起源は存在しない」
ということではなかったのでしょうか。問題は、それでもフッサールが、
起源的なものに直観を介して接近し得ると開き直ったところにあるのでは
ないのでしょうか。

勿論、彼はヨーロッパの伝統的知識人であり、理性の目的論を抗い難く
持っていたことは事実です。そしてそれがカニバリズム的性質を有していて、
異文化を食い潰す傾向があるのも事実です。しかしそれでも、
彼の現象学はそれを同時に批判する側面を持っていたのであり、
それが彼の全プログラムを失敗に導いたのではないのでしょうか。

>ナチへの積極的なコミットメント(ドイツ大学の自己主張など、
>純粋にナチへ傾倒しており、明らかに確信犯)したハイデッガーの様に
>一筋縄で目的論への対抗、暴走への有効な対処などできません。

ナチ問題は確かに問題ですが・・・ハイデッガーはナチに傾倒したのではなく、
自分が「より純粋な」ナチを思想的に体現し得ると考えていたのでしょう。
その辺りの事情については詳しくは知りませんが、後年の技術に関する問い
などを参照する限り、彼の政治思想はこの現代においても貴重な価値を
有していると思います。

後半の文章、

>一筋縄で目的論への対抗、暴走への有効な対処などできません。

辺り、よく意味が通じません。
362研究者1:2001/06/13(水) 02:54
>分析哲学の本流までは手が回っていないみたいですが、クワイン
>を相対主義とか切ってすてていますが

私の文章をよく見て下さい。括弧で?がついてますよね。
クワインの「経験主義の二つのドグマ」など、有名なものは読んでいます。
決して「相対主義」と断定しているのではありません。

>クワインの議論にしろ、還元主義の思想傾向に対する闘争としての
>意義を評価しないとでてきません

経験論の還元主義に対する彼の批判ですね。
今、手元にない上、随分前に読んだのでよく覚えてませんが、
要するに「知」を全体的な関係の中で把握しようとするような考えでしたよね。
ホーリズムでしたか。

私はあの辺り、フッサールの生活世界の存在論と対比させたら面白いと思います。
数学的知識と経験的知識とが同系列に論ぜられる辺り、後期ヴィットゲンシュタイン
の生活形式の思想とも関連してきて、なかなか興味深い議論ができるでしょう。

召喚氏はフッサールの学問論に対して大きな偏見を持っているのではないでしょうか。
『危機』書の中盤あたりの議論を読んで見て下さい。

>哲学は様々な積み重ねで成立しています。
>でそれを身につけないと有効な議論も成立しません
>でここの議論ではただ個人の好みで相対主義的に見えるものを貶して
>いるように見えます

具体的にどの辺りのことを仰っているのでしょうか。
私は「相対主義」という言葉を、便宜のために使用しています。
決して人間の思想を全体的に包括する言葉でないことは明らかですよね。
そもそも「相対的-絶対的」という二分法こそが、フッサールの根本思想を
支えていたんです。
デリダだったらこの辺りに「決定不可能性」とかをもってきますよね。
クワインだったら知のネットワークを説き、両者の融合を図る。
クーンだったらパラダイムで説明がつくから楽なもんだ。
と、単純にこう考える。

しかし、私も勿論、フッサールを読んでいる手前、こういう単純なものの
捉え方には賛同しません。これには厳密な議論が必要です。
私は寧ろそういう厳密な議論を好みます。
ただ、ここでそれをするのは相当に辛い。

>ヨーロッパ中心主義だ、相対主義がどうこうだ、中国哲学だ、死がどうたら
>こうたらでお茶を濁すなら本当の馬鹿だぞ。

それならば私にも一つだけ要求させて下さい。
「読み易い」文章で御願いします。

本格的に議論をしたいのであれば、もっと包括的にやりましょう。
知の危うさを受け止めた上での貴方自身の意見をお聞かせ下さい。

また、私は「本当の馬鹿」です (;´Д`)
363研究者1:2001/06/13(水) 02:54
>フッサールの点としての今に遡及する考え方

これは初耳です。テクストを指定して下さい。
私が『内的時間意識の現象学』を読んだのは少し前でしたが、
フッサールは少なくとも時間をそんな風に考えていません。
後期の「生き生きした現在」でも同様です。


私は召喚氏が通俗的な一般論に堕していると思う。
この程度の批判は今まで何度となく繰り返されてきたことで、
いろいろな奴がいろいろな議論をやっている。

個々の瑣末な点を無視して、全体的観点からある思想を裁定する
ことはできましょうが、私は寧ろ別のやり方、つまり、フッサールなら
フッサールの思想を細大漏らさず厳密に検討し、その厳密な検討を
経たのちに、初めてその思想の内部から、つまり個々の些細な点、
換言すれば思想の「割れ目」から、その人の思想を「解体」するという
やり方をとるのです。

フッサールに反対する潮流をもってきて、フッサールを批判するのは
猿でもできます。そんな猿にはなりたくない。

私はそういう猿を、一応「ヨーロッパ中心主義」「相対主義」などの合言葉で、
追い返すのです。そういうのは厳密な研究を怠る駄目な奴です、はい。
364考える名無しさん:2001/06/13(水) 03:56
>>363
まず、説明するのは貴方でしょう。
何度も「厳密」と言いつつ、その兆候すら見せない貴方を指摘した召還
しよう氏を逆に猿呼ばわりする貴方の態度は、貴方が厳密な説明行わ
ずに「ヨーロッパ中心主義」「相対主義」などの合言葉で返した事実を踏
まえると無責任と思われても仕方がないです。

>フッサールに反対する潮流をもってきて、フッサールを批判するのは
>猿でもできます。そんな猿にはなりたくない。
御自身に向けて放った言葉かと思いましたが。
365横レス>ALL:2001/06/13(水) 04:22
折角マジで議論がつながりつつある?のだから、
感情的なレスを混ぜると、全てがワヤになりはせんか?
猿とでも河馬とでも厨房とでも、何とでも書けるが(お互いにだぞ)
それを書かないで、終始冷静に渡りあってこそ、哲学だろ。
自分の感情が昂ぶってきた、と思ったら、少し時間をおけ。
紙に書いてみて(手書きするのが有効)、頭冷やして読み返して
それから書き込め。時間がかかっても、その方がはるかに良い。
消しゴムはないんだから。
たかがネットと侮るなよ、
書かれた言葉は、書いた本人が忘れても、残り続け生き続ける。
たとえ誰も見なくとも、書いた本人そのものの、
2001年○月○日の命の在り様、を示しつづける。
言霊、というものを、カルく見てはいけない。
366横レス>ALL:2001/06/13(水) 04:24
マジな議論は、見ていて心地よい。期待したい。
367考える名無しさん:2001/06/13(水) 05:13
>365
「言霊」とは記号論的、テクスト論的にはどうなるんでしょうか(笑)

>366
心地よい? それだけでしょ。中身があるように思ってるのがイタイ。
マジな議論? これが? 
368研究者1:2001/06/13(水) 06:35
>>364

これからフッサールのテクストをデリダの解釈に沿って「厳密に」
検討して行こうと考えています。それはかなり前の方で宣言して
おいた通りです。それなのに貴方達は『幾何学の起源について』
さえ読もうとしないではないですか。

私は皆さんの方から、フッサールのテクストに関する質問を呈して
欲しいと明確に記しております。

私が合言葉で応答したのは、相手がそのような合言葉を使ったからです。
召喚しよう氏はフッサールに陳套な批判を浴びせたに過ぎません。
(と言い切れるものではないことは以下を参照せよ。)
だから私も真面目に応答する気がなかったのです。

それから、「猿」呼ばわりはほんの冗談です ('ー'*)
西洋の現代思想家達の批判を鵜呑みにして、それを猿真似する日本の
学者全員に該当する言葉です。そんなに青筋立てて怒らないで下さい。
別に貴方に対して言ったわけじゃないですから。
でも、猿っぽいですね、貴方の反応 (笑

また、召喚しよう氏の批判は、それなりの妥当性を持っていて、
私も興味深く受止めている旨、前のレスで書いています。
そんな人を無闇に「猿」などと断定する筈がないじゃないですか。
召喚氏が「本物の馬鹿」呼ばわりしたことに対する冗談としての
応答なのに、そんなに真面目ヅラで対応して恥ずかしくないですか?

もしかして、日本語覚えたての猿ですか?

>>365

それは勘違いです。罵詈雑言を求めたのは貴方達ギャラリーの方では
ないのですか。私が真面目にやろうとしても、馬鹿や厨房どもが
不可避的に介入してくるんです。

>>367

(゚Д゚)ハァ?

議論に参加する知識も技能もない癖に、偉そうな事ばかり言ってると、
その知恵遅れ並みの頭脳がますます腐って行きますよ。

河原でサッカーでもしてたらいいんじゃないでしょうか。

そうすればじきに、その小学生のような質問の仕方も卒業できるのでは
ないでしょうか。

記号論的、テクスト論的? どこでそんにゃむじゅかしいことばを覚えまちたか?

悔しかったら真面目に参加して御覧よ。
みんな優しいお兄さんばっかだからね ヽ(´ー`)ノ
369考える名無しさん:2001/06/13(水) 07:09
ホントにケツの座りの悪いやっちゃのー

ひとことで言って気色悪い。
370考える名無しさん:2001/06/13(水) 07:57
生意気な波平をシめてやるッ!

婿養子であるマスオが見守る中、制裁は行われた。
既に波平の口にはノリスケのサオがねじ込まれている。
「カツオくん、コマしたれ」マスオがいうと、カツオはブリーフの中から一物を取り出した。
ゆうに一尺はあろうかという巨大な業物に、波平はぶるっと震えた。
しかし、その恐怖とは裏腹に 〜いや、波平にとってはその恐怖こそが
色欲を沸き立たせるものだったのかもしれないが〜 波平の花らっきょうの
ような小振りの一物は痛い程にそそり立っていた。
その「花らっきょう」の皮をマスオが唇でちゅるんと器用に剥く。
マスオの口中にアンモニア臭が広がる。
そして、カツオの一尺竿が波平の菊門にねじり込まれていく・…
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\             / /   \\∴∵|
   /  / ̄ ̄ ̄ ̄ |             |  (・)  (・) ヽ∵|
   /  /  ⌒  ⌒ |              |    ⊂        6)
  | /   (・)  (・)|             | ___     /
   (6      ⌒)  |             \ \_/    /
   |   )  ___ |     ∫        \____/   / ̄ ̄ ̄ ̄三
   \    \_/ /  / ̄ ̄ ̄ ̄\   /⌒ - -    ⌒ /____  ヽ
     \____/  /\   /  \ |/ 人 。   。   丿 |      <  |
   /⌒        ⌒\  |   (゚)  (゚) |\ \|  亠   / | ⌒  ⌒  |  |
  / 人  人    ノ゙\ \-----◯⌒つ| \⊇/干 \ ⊆ |-(・)--(・)---|__|
  \ \|  l    // /    _||||||||| |    |     (  |  ⊂     6)|
   \⊇ ノ    ⊆/ \ /  \_//  _/⌒v⌒\   ) | ___    |
    (   Y    )    \____∪⌒\  ノ     )  |  \\_/   /
    | _人_, |     /        |  |       |  |   /\___/⌒ヽ、
磯野家縁者男性陣によるド迫力の4Pファック!
まだ、幕が開いたにすぎない。
悦楽は、ここから始まる。夜はまだ終わらない…。
371考える名無しさん:2001/06/13(水) 07:58
生意気な波平をシめてやるッ!

婿養子であるマスオが見守る中、制裁は行われた。
既に波平の口にはノリスケのサオがねじ込まれている。
「カツオくん、コマしたれ」マスオがいうと、カツオはブリーフの中から一物を取り出した。
ゆうに一尺はあろうかという巨大な業物に、波平はぶるっと震えた。
しかし、その恐怖とは裏腹に 〜いや、波平にとってはその恐怖こそが
色欲を沸き立たせるものだったのかもしれないが〜 波平の花らっきょうの
ような小振りの一物は痛い程にそそり立っていた。
その「花らっきょう」の皮をマスオが唇でちゅるんと器用に剥く。
マスオの口中にアンモニア臭が広がる。
そして、カツオの一尺竿が波平の菊門にねじり込まれていく・…
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\             / /   \\∴∵|
   /  / ̄ ̄ ̄ ̄ |             |  (・)  (・) ヽ∵|
   /  /  ⌒  ⌒ |              |    ⊂        6)
  | /   (・)  (・)|             | ___     /
   (6      ⌒)  |             \ \_/    /
   |   )  ___ |     ∫        \____/   / ̄ ̄ ̄ ̄三
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磯野家縁者男性陣によるド迫力の4Pファック!
まだ、幕が開いたにすぎない。
悦楽は、ここから始まる。夜はまだ終わらない…。
372考える名無しさん:2001/06/13(水) 07:59
生意気な波平をシめてやるッ!

婿養子であるマスオが見守る中、制裁は行われた。
既に波平の口にはノリスケのサオがねじ込まれている。
「カツオくん、コマしたれ」マスオがいうと、カツオはブリーフの中から一物を取り出した。
ゆうに一尺はあろうかという巨大な業物に、波平はぶるっと震えた。
しかし、その恐怖とは裏腹に 〜いや、波平にとってはその恐怖こそが
色欲を沸き立たせるものだったのかもしれないが〜 波平の花らっきょうの
ような小振りの一物は痛い程にそそり立っていた。
その「花らっきょう」の皮をマスオが唇でちゅるんと器用に剥く。
マスオの口中にアンモニア臭が広がる。
そして、カツオの一尺竿が波平の菊門にねじり込まれていく・…
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\             / /   \\∴∵|
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   \⊇ ノ    ⊆/ \ /  \_//  _/⌒v⌒\   ) | ___    |
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磯野家縁者男性陣によるド迫力の4Pファック!
まだ、幕が開いたにすぎない。
悦楽は、ここから始まる。夜はまだ終わらない…。

多重かきこでごめんな
373考える名無しさん:2001/06/13(水) 11:29
とても長い荒らし方をみるとこのスレの議論の興味が
結構大きいことの現われのような気がする。
参加したいのだが残念なことに知識不足。
発言がさらに継続されていくことを希望します。
374キムモー:2001/06/13(水) 11:38
研究者の本音:
 くそっ、真面目に哲学研究してる俺様がなんで評価されねーんだよ。
 あーむかつく、勉強すればするほど一般人とかけ離れてく気がする
 つーか、愚民共が愚かなのが全部悪いんだよな・・・でも解決する方法が解かんねー。
 せめて憂さ晴らしやりてーよ・・・そうだ、2chの哲学版で書き込みしよう。
 なぜ2chかって? だって現象学専攻してる教授とかに俺の意見、通用しねーもん
 もし、論破されちゃったらストレス解消になんねーんだよ。
 哲学偏差値低い奴ら叩いて、俺様気分解消。愚民も偶には俺様の役に立ってくれるぜ。

召還してみようの本音:
 プッ、研究者ってば典型的な日本のダメダメ哲学者の系譜を踏襲してるよ。
 こういうタイプって、哲学の実践の話を絡めると、言い訳しか出来なくなるんだよなぁ。
 ちょっと試してみるか・・・学際臭い文章にして、適当にフッサール批判混ぜればヤツは食いつくだろ・・・
 よし、出来た。送信・・・
 (研究者食いついて、予想通りの言い訳をする)
 ププッ、コイツ本当にわかりやすいヤツだな。一生懸命書き込んでるよ、俺も頑張った甲斐があった。
 しかも俺の文章むつかしーとか書いてるよ。馬脚が出とるなー
 恥ずかしくないのかな? まっ、元々恥ずかしいけどな。
375考える名無しさん:2001/06/13(水) 14:50
>参加したいのだが残念なことに知識不足。
この言葉が、あおりのすべてを現しているな。(笑
376考える名無しさん:2001/06/14(木) 00:02
人生論に対抗心燃やすオナニー小僧・犬窮者(藁
377考える名無しさん:2001/06/14(木) 00:14
>>375
こういうスレはねえ、酸化することにイギがあるんだよ!(ワラ
378考える名無しさん:2001/06/14(木) 00:28
職があればいいけどね。万年予備校講師に落ち着きそうだぞ。
岩波の「思想」ぐらいには論文が載ってるのかしら。
中沢新一の論文でさえ載っていたそうだぞ。
東は本を出しているから偉いぞ。
379名無しさん:2001/06/14(木) 23:33
研究者は幼いころ親に虐待でもされたの?
380考える名無しさん:2001/06/14(木) 23:51
>>379
何らかのコンプレックスを抱えてなきゃできない芸当だわな。
381考える名無しさん:2001/06/15(金) 00:15
痛々しくなることはたしか。見てるだけでハズ。
3822chのレベル:2001/06/15(金) 12:40
やっぱ誰も具体的にはつっこめないのね
383考える名無しさん:2001/06/15(金) 21:34
つっこむ価値がないからなぁ。
384考える名無しさん:2001/06/15(金) 22:26
また逃げ口上
385考える名無しさん:2001/06/15(金) 23:05
>>382
宗教っぽいからでしょう
386召喚してみよう:2001/06/17(日) 09:54
話が進んでない(w
期待しているから、より道せずに書いてくれとはげましたつもりだったんだが、
私が悪いのか(w
まあ書いとけばレスくれると思いますので書いてみます。

心理学と現象学は違う(厳密な学としての哲学)。心理学では科学や技術の経験
越えた必然性を語れないが、現象学はそれを語るためにある、というのがフッサ
ールの言う現象学の特権性です。(ハイデッガーは科学をヘーゲル的に馬鹿にし、
メルロ=ポンティは科学としての心理学になってるから明後日のほうに行ってる
が、フッサールの本来の意図としてはそこにある)
で、必然性の分かりやすい例として論理学や数学の場合でも、そこにおける経験
と非経験的なものと必然性の関係は深刻な問題です。
必然性についての哲学的問題は、2重であって、
ダメット「必然性の源泉は何か?われわれは、どのようにして必然性を認識する
のか?」
で、現在も熱く語られているそういった問題に対して(フッサールの同僚にヒル
ベルトがいたにしても)取り残されているわけです。
で、現象学は相互主観性を前提として語っていると思いますが、ギリシアから、
現在までの科学の歴史や実践の問題を相互主観性の地平で語りきれるでしょうか?
@実際に携わってる科学者や技術者にとって余計なお世話。
A必然性を言語の問題(他者と関わるならそうとらえるしかない)分析哲学から
みれば時代遅れの観念論。分析では科学とその必然性と権力の問題が熱くかたら
れていて、クワインにしてもぼろぼろに批判されながら議論されている、ネット
ワークで予定調和のような簡単なものではない。逆にフッサールは相互主観性の
地平で人間の理性が立ち上がり、それを現象学者が語れば、社会がうまくいくと
言ってるように見える。
B目的論の脱構築目指すなら、デリダで充分だし、科学史家の方にしてみれば、
充分な情報ももたない素人の発言。

そこいらへんどうですか、どうしても後期フッサールは真の理性と堕落した理性
比較してそれをわかる現象学者は偉いとアジってるようにしかみえないので、
教えてください。
デリダの現前の形而上学批判も、独我論で一人よがりの思想を語るということ
ではなく、善意に満ちて一般の事を語れる、あなたのことも私のことも語れる
はずたという構造を批判していると思いますので。
フッサールは花の色、形の本質を直観するといいますが、本質ではない、この
花が問題だと思われますので。


387考える名無しさん:2001/06/17(日) 10:30
共同幻想ですね
388考える名無しさん:2001/06/17(日) 10:56
386が芯取れよ。犬究者はハズイからいらん。
389.考える名無しさん :2001/06/17(日) 11:13
人様のオナニーを見せられるほど 「酷」なものは。 無いです・・・。はい。
390考える名無しさん:2001/06/17(日) 11:45
研究しよう
391考える名無しさん:2001/06/17(日) 12:15
だから償還のいうような疑問点のすべては、歴史性の問題に収斂すると、
そこに後期フッサール思想の根本問題があると、
研究者はいっておると思うのだが。
チンポコ ポコ ポコ チンポコ

392考える名無しさん:2001/06/17(日) 13:12
そもそも、初心者学部生君が研究者の名を語っちゃあかんわな・・
責任が持てなくなると、名無しで書きこむこのみっともなさ。
哲学板の最下級のコテハンだな・・

「自称研究者」君の誤った解釈に頭を悩ませてるより、
実際にフッサールの本を読んだ方が、遥かに理解できると思います。

500ぺージちょっと、ある程度、哲学のバックグラウンドのある人なら、
2週間足らずで読めるでしょう。

「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」E.フッサール
中公文庫 訳:細谷恒夫・木田元 1165円(本体)
393考える名無しさん:2001/06/17(日) 17:53
>392
それを言っちゃいかん。
このスレは研究者と遊ぶスレだろう!
394172:2001/06/17(日) 18:48
で、研究者殿。貴殿の熱意に打たれ、「幾何学の起源」を中公の付録で読んでみた。
といってもまだ10頁くらいだがな。で、その概要を読めてるかどうか、お主に判定
してもらいたいのだがな。おれは、ドイツ語も読めんし、哲学にも不案内だ。フッサー
ルも竹田青磁で少しかじっただけだ。そこんとこ考慮してくれ。おっと忘れていた。
チンポコポコ チンポコポコ

まず、P490〜498まで
@ ガリレイをもとに「幾何学の最も根源的意味への遡行的問いかけ」を行う
A 「幾何学」は「一つの伝統」である。
B 「その伝統を事実的に成立せしめた精神的活動については何一つ知らない」ゆえ
C 「皮相な自明事」として、「すでに精神的に形態化されて現存してきた素材から
新たなものを形態化してきた」ことを考えよう。
D つまり、「最初の創造的活動」から生成したものが、
E 「あらゆる獲得物が、そこで妥当しつづけ、一つの全体をなし、そのつどの現在
において全獲得物が、新たな段階での獲得にとっての総体的前提となる」ような、
「可動性」の場で、幾何学を考えるのである。
F で、それを可能にしているのは「言語」なのだが、「いかにして言語による身体化
は、単なる主観的内部的な形象から、客観的形象を形成するのか」に少し移行しよう。
と・・・フッサールの問題設定はまとめられるが、もっと読み込んだ方がいいのか?
また、読んだら書くぞ。
395172:2001/06/17(日) 20:40
よし、P498〜504まで読んだぞ。チンポコポコ チンポコポコ
で、「言語」だが・・・
8 「普遍的な」言語が帰属する「世界地平」がある。
9 そこで言語は「言語的に表現可能なものとしての対象の総体と相関的に結びついた
機能・能力」をもつがゆえに、「潜在的に、地平的に確信」されている。

10 「これだけの前提があれば・・・当然その内的形成体を言表しうる」
11 で、「いかにして、この形成体は、言表されることによって、その「理念性」
において客観的になりうるのか」・・・(a)。そして、「心のなかで形成された形成体
が、どのようにして理念的対象性としての独特な相互主観的存在に達するのか」・・・(b)
ともう一度7を繰り返して問題化することができる。

12 個人のうちには「最初に産出されたばかりの現状」が「色あせてゆく意識の受動性
へ移行」し、それが「ふたたび喚び覚まされ」、「能動的に生き抜かれる(「更新」)
」。そしてここに、「現実的産出の能動性」が入り込んできて、それとの「根源的な「合
致」のうちで・・・同一性の明証が発現する」だろう。この「連鎖」の中で「形成体が任意
に反復されうるという可能性」もでてくる。
13 これがあって、その際「自己移入の機能と、自己移入しあう共同体でもあれば
言語共同体でもある仲間とを考慮に加えるやいなや、わかりやすい仕方で、客観性が
・・・発現」し、そこで「言語によってたがいに理解しあう結びつきのなか」で「他の
主観によって能動的に追理解」される。

14 こうして「反復」されたものが「等しいものではなく、万人に一つの形成体と
して認識される」こととなる。

15 で、この過程で「文字による表現、記録された言語表現の重要な機能」によっ
て「人類の共同体化も新たな段階へ高め」られる。それは「言語音声とまったく同様」
に「喚起」し、「転化」される。これが「再活性化の能力」である。この中で「書き
記されることによって、意味形成体の根源的存在様態の転化・・・言表されるにいたった
幾何学的形成体の明証の転化」がおこる。これをまた誰かが「再活性化」しうる。

このサイクルの中で(a)と(b)を考える。何か、問題提起だけまとめた感じだ。
また、読んだら書くぞ。


396考える名無しさん:2001/06/18(月) 09:08
人様のオナニーを見せられるほど 「酷」なものは。 無いです・・・。はい。 女の子のなら いいけどなぁ・・・


397考える名無しさん:2001/06/18(月) 20:43
>研究者はいっておると思うのだが。
>チンポコ ポコ ポコ チンポコ
確かに恥ずかしいな。
名無しでこんな合言葉喜んで使うのは、2チャン広しといえども本人だけだな。
コテハンで責任持って答えられないのを名無しで騙って誤魔化すような奴は
2度と哲学板にくるなよな。


398考える名無しさん:2001/06/18(月) 20:53
で、馬鹿をおちょくったところで真面目な話(w
このスレで唯一わかったことが一つある。
竹田の議論は100%現象学ではないんだな。
フッサールは著作見ても、科学や技術の実践や権力の問題語りたかったってことは、
ここでの議論みてもわかる。諸学の危機とか幾何学の起源とか。
竹田のはそういう問題に関われない個人がそれでも「僕はここにいてもいいんだ」
という形でのとらえなおしだから、「心理学」であっても、「現象学」ではないな。

こう書くとかみつかれそうだが、やはり科学とか権力はなれて、内面に限定して
語るのは現象学にしろ哲学にしろ本道とはいえんわな。
文芸批評としては意味があっても。
399召喚してみよう:2001/06/19(火) 00:00
数学、科学、技術とかは感覚からそのまま出てくるものではない。
感覚から離れて、理念的なものを構成し、それに自ら訓育され、あるいは
他者を訓育してできてくるもの。多様な実践のからみの中で、権力ともつら
なる規則、法則として、それらは無垢ではない。
で、相互主観性として、現象学では経験を離れたものが自己も他者も相互に
内面化され主体化されるとみる。
そこにはかなりの抽象化がある。その抽象化されたものは、外部から生み出
されるものでしかない。
理念自体はデリダは書字とかいってるが、肉体とか社会制度とか生の営みと
かを遠近法で透視して事後的にむりやりつなげて構成されたものでしかない。
またデリダも論じたように現象学は個人という中心への現前と解釈に依存し
ている。そこには恣意性が入ってくる。
実際、0を発見したインドや紙や印刷術を発明した中国の影響忘却して理念と
してのヨーロッパ人の「理性」の使命が「危機」などでは説かれている。
外部を捨象して本質を解釈する理論がそういう恣意性から自由でないという
問題が問われないといけない。
特に歴史の理論で、それが本質をとらえて抽象的に語るというような時は。

実際、フッサールの歴史論はフィンクのような弟子達にも目的論だと嫌われた。
デリダの脱構築解釈もある。必然性の源泉を言語にみた分析哲学もある。

そういうフッサールの歴史論の困難さは周知のことだから、それに答える何らか
の解釈が出てくると期待してたんだがなあ。
全く駄目だったなあ。
問題の所在自体理解しなかったなあ。
一生懸命説明したのになあ。
400考える名無しさん:2001/06/19(火) 00:28
バカらしくなってやめたんだか、鬱で沈んでるんだか……。
まあ、待ってる人もいるからね。
401考える名無しさん:2001/06/19(火) 01:07
>>398
そういうことは死刑囚が居るときに言え。根性無し。
402391:2001/06/19(火) 09:00
いまさらながら、おれ、研究者じゃないよ。
迷惑かけてわるいね、研究者くん、以後ひっこんどきます。
チンポコ ポコ ポコ チンポコ
403391:2001/06/19(火) 09:47
ついでに、
理念の目的論に還元されない、
外部性なり他者性なり事実性なりを歴史と呼ぶべきだ、というのが
おれの意見。たしか上の方で植民地支配がどうこうと書いたと思う。
それに対して研究者は何か反論していたな。
現にヨーロッパ的である諸学の現状を踏まえた上で、
いわば毒をもって毒をせいするために、
フッサール哲学はひとつの極点として読まれるべきである。
なおかつおれは中国へ行ってそこから転回してみせると。
それでたいそう感心したんだけど。以下、研究者にまかせた。
チンポコ ポコ ポコ チンポコ
404考える名無しさん:2001/06/20(水) 00:19
人様のオナニーを見せられるほど 「酷」なものは。 無いです・・・。はい。
405名無しさん:2001/06/20(水) 01:23
>いまさらながら、おれ、研究者じゃないよ。

ああ。お前が情けねえオナニー小僧なのは分かってるさ。アホ。
406:2001/06/20(水) 02:44
どうやらハエが一匹このすれには常駐しているようで。
おまえ、うざいから社会学板にさっさと帰れや、ボケ。
407考える名無しさん:2001/06/20(水) 02:49
名無しさん って確かに経済板と社会板でよくみるな。
よろしい、目をつけておこう。
408考える名無しさん:2001/06/20(水) 13:19
・・・・・・・・柳生 博。 モ〜〜〜、モ〜〜〜。
409考える名無しさん:2001/06/21(木) 01:17 ID:Fe6rg1L2
上げてみる。
410考える名無しさん:2001/06/21(木) 08:01
揚げオナニーボーイズ
411考える名無しさん:2001/06/21(木) 17:55
072なんて してないで、   はやく 貫こう。   「膜」を。  そう 言葉の壁を。 
412考える名無しさん:2001/06/21(木) 23:49
要するに後期フッサールの問題なんて、どうでもいい問題だったってことですね。
413考える名無しさん:2001/06/22(金) 00:18
(゚Д゚)ハァ?

議論に参加する知識も技能もない癖に、偉そうな事ばかり言ってると、
その知恵遅れ並みの頭脳がますます腐って行きますよ。

河原でサッカーでもしてたらいいんじゃないでしょうか。

そうすればじきに、その小学生のような質問の仕方も卒業できるのでは
ないでしょうか。
414考える名無しさん:2001/06/22(金) 05:23
>>>413     ロン。  清一色。   12000.
415「臨界アニウス」:2001/06/22(金) 15:45
愚人は 議論を。   賢人は 沈黙を。
416考える名無しさん:2001/06/23(土) 02:59
>>413
小学生並みの煽りですな。おつむの程度がしれますよ(藁
417考える名無しさん:2001/06/23(土) 08:03
研究者を守ろうとする人って、オウムや共産主義を擁護する学者に似てますね。研究者に何を投影してるんでしょう?
418考える名無しさん:2001/06/25(月) 06:35
age
419考える名無しさん:2001/07/05(木) 01:48
420考える名無しさん:2001/07/05(木) 20:25
restart
421考える名無しさん
ダメか