■ ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 13 ■
4 :
考える名無しさん:2012/07/20(金) 09:11:53.41 P
保守。
5 :
考える名無しさん:2012/07/22(日) 08:03:22.15 P
保守。
6 :
考える名無しさん:2012/07/23(月) 09:19:10.33 0
保守。
ドゥルーズのスレで保守、保守連呼とか皮肉だな
にゃーじゃな
逆説的保守
10 :
考える名無しさん:2012/07/25(水) 09:36:18.92 0
738 :吾輩は名無しである:2012/07/17(火) 15:38:47.00
色々と難しそうな言葉が並んでるけど・・
子供のころから綺麗だとか(たぶん)、頭がいいとか(たぶん)、ちやほやされて育ってきた。
大学かなんかで変な言い回しを覚えたので使ってみたらそれも誉められた。
得意になっていろんなこと言ってたら、学生の取り巻きができた。
楽しいので取り巻きを増やそうとしてたら、一人の学生がトチ狂ってしまった。
自分の趣味じゃないのでなんとか拒絶したいけど、取り巻きを減らすのもちょっと。
自分でもわけのわからない言葉を浴びせかけたら、自分の信奉者だったはずの男は、憎しみの放浪者に変わっていた。
いままで自分の言うことに逆らった男などいないために、どうしていいかわからなくなって全公開。
739 :吾輩は名無しである:2012/07/17(火) 15:49:47.50
一方、大学側はなにがなんだかわからずに困惑の体。
男性教師のセクハラなら本人を問い詰めて自主退職させれば表ざたにもならず終了。
今度の事件は、まず事実関係がわからない。
男子学生は講師を憎むあまり親と一緒になってクレイマー状態。
講師も変なことばかり言ってるので事実の解明は進まない。
めんどくさいから、なるべくなら講師に自主退職(契約破棄)してほしい。
学生とその意を受けた親がそこまで先生を憎むなら、それは先生の責任だろう、と。
講師が聞き入れないので、しかたなく、規則をさがしたが、適当に作ってあるので不十分なことが判明。
あわてて規則を修正して対応したけど、弱点もさらけ出してしまった。
11 :
考える名無しさん:2012/07/25(水) 17:50:20.94 0
前衛age
速くあれ、軽やかであれってのがドゥルーズの、いや白人の限界だな。
黒人のファンク、ヒップ・ホップは速くて軽いか?
小津は速くて軽いか?
所詮ヨーロッパの中しか見てないんだよ。
それはあまりに(初期)浅田的DGじゃないか
ドゥルーズの限界ではなく浅田の限界か。
16 :
考える名無しさん:2012/07/28(土) 14:16:56.56 0
現代思想を教えている教師の立場のやつが、
こういうふうに時と場をわきまえずに、
わけのわからん仕方でふりまいて、不祥事を
起こしたりするから、フランス現代思想って、
マジで知の欺瞞みたいに言われるんだよなー
ドゥルージアンにとっても迷惑。
井上摂って女だったのか。
やっぱ女はダメだな。
感情に引っ張られて物事を自分からダメにする。
20 :
考える名無しさん:2012/07/29(日) 02:03:22.37 0
本名は井上摂子らしい
21 :
考える名無しさん:2012/07/29(日) 02:10:09.78 0
どっちにしろ、大学生相手に薀蓄をたれる以外のことは何もしてないみたいだし
メインは英語の非常勤のようだし
そのようだ。まともな論文も書いてないし、
研究者でさえない。多分このスレ的にも、
大昔にハートの『ドゥルーズの哲学』を訳した
共訳者の一人という以上の関連はないだろう。
23 :
考える名無しさん:2012/07/29(日) 10:35:33.07 0
このスレに来てる連中だって素人ばかりなんだから、それよりは少し上、かも知れないだろ?
博論かいているのかな。
ドゥルーズで博論かける大学院ってどっかある?
26 :
考える名無しさん:2012/07/29(日) 17:19:24.34 0
>>25 俺は大学院に行ったことないから知らないんだが、自分の研究分野なら何を書いてもいい、というわけじゃないのか。
担当教師の指示があるのが普通なのか?
件のハートの本を翻訳した人物は全員慶修士応出身だが、
慶応は伝統的に分哲と中世スコラ学以外は、
主流にはなれない、という掟のせいで、全員博士号は持ってない。
今大陸系の哲学で博論はすごく難しい。
ヒデエ話
慶応じゃなければありだな
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba
先ほど公式に情報公開されました。本年度の後期より、僕、千葉雅也は、立命館大学大学院・
先端総合学術研究科(表象領域)の准教授になります。今度とも宜しくお願い致します。表
象論の研究、批評を志している皆さん、ぜひとも立命館先端研へ!
>>25 東大表象かフランスに行くことを考えた方が良い
>>27 慶応でもフッサールとかレヴィナスとか
やってる人結構いるだろ。斎藤慶典がいるから
大陸哲学でも余裕でOK。
本人が研究してても「最初はもっと古典やれ」って教師も結構いるよ
檜垣さんとこ行きたいなー
まあ阪大までは行けんけど
鈴木泉が自分のトコの学生にはドゥルーズ研究させないって言ってたんだっけ?
36 :
考える名無しさん:2012/08/07(火) 06:51:32.81 0
ドゥルーズの哲学に関するカキコが全然ないスレだ
前スレも初級入門書をちょろっと書き写したようなのがすこしあったぐらいだし
どういうこっちゃろ
バカなんですか?
37 :
考える名無しさん:2012/08/07(火) 09:28:50.65 0
>>36 哲学は大学教師になるためだけの学問だからだろ?
38 :
考える名無しさん:2012/08/07(火) 18:13:17.87 0
哲学でポストなんかないだろ
たとえあっても鼻くそみたいなポストだろ
39 :
考える名無しさん:2012/08/07(火) 18:20:28.69 0
>>37はドゥルーズ自身が、著作か、講義か、対談かで言ってたことだと思うけど、どこに書いてあったか誰か覚えてない?
2000年代にはまだドゥルーズの右も左わからなかった
みたいだったけれど、結構熱気あったんですね。
柄谷が原書でドゥルーズを読んでいたというのはやはり
すごいですな。
誰も書いてないっていうことは上のリンクみんな読んでんのかな。
45 :
考える名無しさん:2012/08/20(月) 10:55:24.75 0
>>44 あきただけだろ?
ドゥルーズなんて時代遅れだ、と大見得を切ってみる。
そろそろ「現代」思想を名乗るのも辛くなってきたよねw
だからと言って20世紀の哲学に過ぎない、
というには今世紀の哲学ってのは、成果がないとも言えそうだが。
単に古典になったんだろ。
49 :
考える名無しさん:2012/08/23(木) 15:57:31.64 0
差異と反復というのは
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
有るものは一瞬たりとも同じであることはない。
人間はその一瞬ごとにそのものを見て、そのものだと理解するが同じものは2度と見ることはできない。
有るというのはその瞬間、その時だけのものであり、その時の中にしかない。
だから有るといっても無いといっても同じことだ。
(鴨長明「方丈記」 道元「有と時」)
というような考え方と、どのへんが違うんだろう?
どの辺が似てるのかわからん
51 :
考える名無しさん:2012/08/23(木) 19:14:07.22 0
ともにヘラクレイトス的万物流転
だから、似ているのじゃないか
まあドゥルーズは、それにさらに「反復」があるんだけどな。
差異の線、その差異の反復。
差異があってそれが反復されるから世界がある
そんなの当たり前だろw
当たり前とはいえ「差異」と「反復」という概念を
初めて提出したところが偉いんじゃないかwww
差異はベルグソンから反復はキルケゴールから
練りだしてんじゃん。こういう言い方が可能になったのは
ドゥルーズ以降だが。
56 :
考える名無しさん:2012/08/26(日) 18:02:52.73 0
差異と反復をくっつけたのはハイデガーだろ
差異」と反復という概念を初めて提出したのは牝牛
>>56 ハイデガーはフランス現代思想に大きな影響があるが
ドゥルーズの思考の源泉と流儀は、ハイデガーとは
やはり別物であって、ハイデガーのある意味の失敗
を回避しようとしているのは確か。
つまり端的にいえば、「存在と時間」は構想上の失敗のため
未完に終わった、ということの事実から見れば明らかでしょう。
60 :
考える名無しさん:2012/08/26(日) 19:56:46.81 0
存在と時間のことなんて誰も言ってないぞ
差異と反復をくっつけたという話をしてたんで
反復のところがヒュームとベルクソンとニーチェだから、
ハイデガーとあまり関係ない
ハイデガーの差異は「存在論的差異」として「存在と時間」に初出されますが。
さらに木田元氏の言葉には、「反復」はキルケゴールから借りた言葉とされていますが。
いずれにせよ、差異と反復自体を接近させる試みとして、
ハイデガー哲学が展開している酔うには思えないです。
63 :
考える名無しさん:2012/08/26(日) 21:49:27.85 0
従来的な「同一性」と「反省」のかわりに、ポモでは「差異」と「反復」を持ってきたんだろうが。
「反省」のほうだと、いかにもヘーゲル主義っぽいでしょうよ。
そのはしりがハイデガー、と。
このたぐいのことは、むかしからいわれてませんかあー。
ドゥルーズは了解について論じてない。
65 :
考える名無しさん:2012/08/26(日) 22:00:55.28 0
ドゥル−ズの「差異と反復」とハイデガ−の「存在と時間」も、時間概念を基本とした、
「現象学的認識」から理論構築をされている。「差異と反復」は、フッサ−ルが提唱した、
内在意識からの「現象学的還元」による直観認識です。この「直観認識」の表現の仕方が「差異と反復」又は、
「存在と時間」と言う認識表現となっていると思う。
「時間的綜合」は「本質直観」かどうか、違うと思います。
67 :
考える名無しさん:2012/08/26(日) 22:55:57.18 0
既在性(Gewesenheit)の反復、とか、
ハイデガーは初期から言ってますね。
>>67 それは何という書物に出てきますか?
暇があったら見てみます。
69 :
考える名無しさん:2012/08/26(日) 23:25:33.97 0
ナトルプ報告
存在と時間にも出てきますね。
既在性というのは、ベルクソンの「持続」とほとんど同じことを意味しているように読める、
というよりも、たぶんベルクソンの影響があるんじゃないでしょうか。
だから、ドゥルーズの考えが似ていても当たり前だと思いますよ。
70 :
考える名無しさん:2012/08/26(日) 23:27:14.58 0
ナトルプ報告
存在と時間
71 :
考える名無しさん:2012/08/26(日) 23:36:31.29 0
ハイデッガーはベルクソンを批判し
ドゥルーズはハイデッガーを批判する
これは似ているから
微差を大きく見せようとしてそうするのだろう
あんたの一連の書き込みはハイデガーにしか詳しくなく、
ドゥルーズを殆ど知らないことを物語っている
73 :
考える名無しさん:2012/08/27(月) 00:11:34.45 0
ハイデッガー、ドゥルーズ、どっちもくわしくない。
哲学の本ばかり読んでいるわけではないからね。
前スレ
>856
>>854 國分はガタリの『アンチ・オイディプス草稿』の訳者だよ。きみが危惧する
「分裂者分析」や「器官なき身体」が途方もなくガタリ寄りに機能していたことを、
嫌と言うほど知り抜いた上での執筆ー分析だと思うよ。
A・Oが本当にガタリサイドのものなのか図書館で『アンチ・オイディプス草稿』を
借りてみた。吟味の結果、そうでないことが分かった。重要な骨子はドゥルーズの中にある。
国分はだめでいい。
というのは
「資本主義と分裂症を接合する」という観点とそのさまざまな経済と精神分析
の接着の数多くの諸アイデアは、左翼性が多分にある分析治療家としての
ガタリに多く負い、「分裂者分析」の実質のカテゴライズと哲学的基礎は
ドゥルーズに負っている。
全部がガタリではないことは前掲書をよく見れば分かる。
国分は社会心理学の自我論とフロイトのメタ心理学を論拠に
して主に「差異と反復」を裏づけようとしているが、
フロイト(さらにはラカン)に対しての批判的理論として
ドゥルーズはA・Oを書いているのであって、
その側面を故意に捨象することは、ドゥルーズについてのの歪曲的
言説でしかないと思う。
77 :
考える名無しさん:2012/08/27(月) 18:48:55.57 0
日本ドゥルージアンは、ドゥルーズの思想から、
なんとかして「政治」色を取り除こうとしているのだろうが、
いわゆる新左翼思想の一つであったことは、
あまりにも明らかなので、ほとんど徒労だろう。
まあ、欺かれるのは世間知らずばかり。
ラカン自身が「ファロス」の所有者として振舞うという家父長制
の具現としてのパラノイア的組織を創設したこと(元来フロイト自身が
家父長的であったために数多くの離反者を直ちに生んだことと同じく)
に対する批判が含まれており、パラノイア的専制君主的記号体制と
して後にMPのなかで例示されるものについてのスタンスに拡張して
いくものになる。
パリ五月革命という新左翼の時代に書かれた
書物として(そのj期の日本のメディアも同様だった)
その動揺と不安の中で書かれたA・Oを時代的背景
とともにどう評価するかなんてことは、馬鹿でも分かる
話だ。
時代の変化とともに、後に書かれたMPを
同時に参照すればよい。
908 名前: つくだに Mail: sage 投稿日: 2012/08/30(木) 13:57:24.99 ID: i2IjtjwN0
こんにちは。哲学板です。
ドゥルーズも精神分析がらみで発言すると
無意識の意図のようなものを暴露する
という場合、とてもグロテスクな描写になる。
リオタールはもっと酷い。
中途半端では背後世界の否定というニーチェ的前提
が壊れてしまうことになる。
「本を小型の非意味形成機械と考える」
機能主義において書物を書くことは、
本当は成しない。どんな書物も
意味を必ず持っているからだ。
「すべては無意味」であるという命題は
遂行的矛盾に陥ることに似ている。
(パラロジーで押し切る戦略?)
けれども「リゾーム」という概念の提出自体に
意味と価値が伴われているからだ。
結論からいうと、完全な機能主義(マシニズム:意味のない本)
では書物は成り立たない。
アンチ・オイディプス草稿を拾い読みした。
ドゥルーズ・ガタリはマルクスの歴史分析を引用しつつも
もはや資本論をあてにはしてない。ケインズへの言及がある。(A・O)
「草稿」には「産業資本主義は虚構である」「産業革命はいまだ決定的に
生産関係を変化させていない」「産業的階級はー世界的規模においてー
本質的に商業資本主義の共立性の層へと従属している。(p363:草稿)
これはマルクスというよりウエーバーの観点であることが分かる。
ポエマーが無理してマルクス、ウェーバーにふれなくていいよw
>>84 生憎と俺の学部の卒論はマルクスとウエーバーだった。
86 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 13:10:42.56 0
Nouvelle Vagueの批評家たちは
「全ての映画は既に撮られてしまっており、
自分たちが為し得るのは過去の映画の引用と反復でしかない」
という意識と反省から映画を批評し、自ら映画を制作した。
従って、彼らにとっては古今東西の映画を見続けることは
自明であると同時に、アイデンティティでもあった。
その象徴的作品は、映画史を語ることによって
映画そのものを創り上げたゴダールの『映画史』であると言えよう。
ドゥルーズらは、こういうものの哲学版ということにしていいのじゃないのか。
つまり、サンプリング・コラージュで哲学史を書くことで「哲学」をつくった、
というこことである。そして、この手法の先駆けとして目立つのは、ハイデッガーである。
スコラだろw
>>86 問題はそのハデガーほかの哲学者の
料理法のレシピの秘伝にあるわけでね。
91 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 20:58:49.60 0
>>90 卒論がマルクスとウエーバーだと勝ち犬なのか?
93 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 22:25:36.69 0
論文は誰でも書けるが、文芸批評は誰でも書けるわけではない(蓮實重彦)
じっさい外国語で書くと、型どおりでよい論文を書くことがいかに簡単で、
むしろエッセイみたいなものが難しいか、よくわかるというものだ。
小説はさらに難しいだろう。
論文を書くのが難しいと思っている人には、低学歴が多いのじゃないか。
吉本はアカデミシャンとしての
発言権なかった。
実は吉本にも理論的体系が確固としてあるのに、
(薄々手の内は分かる)引用文献はほとんどの場合
文学作品が多く、学術的な参照文献のパースなんかつけてない。
ずるいんだよ。文芸批評だから、ポエムだからと逃げる奴。
私の場合パースはついている。
パースとかいうやつ嫌い
二回いうやつはもっと嫌い
たとえば
「対幻想 n個の性をめぐって」という本表題からしてどう見ても
DGからのパクリじゃないか。
ボードリヤールに関しては、1998年に「今世界でいちばん重要な問題はイスラム原理主義の問題だ
ということを平気でいいます。日本人の僕などには、冗談じゃないぜ、そんなことは世界の
いまの問題と何の関係もないぞと思います」と述べている。(wikiより)もう脳軟化しているんじゃないか
と思うほど世界情勢に無知。
原発賛成を旗振ってやったおかげで、関東東北大震災の原発事故のあとは論客としては敗北したと思う。
99 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 23:20:19.27 0
Différence et répétitionは博論じゃねえの
吉本の三部作「言語にとって美とは何か」のネタはカッシーラのアイデア
のいただき。「心的現象論叙説」はクレッチマーとヘーゲルの混合。ハイデガーと
メルロポンティを吸収しただけ
「共同幻想論」はディルケームのパクリ。
国文のルールーで逝去した文学者についての論文は書けるようになったので、
この機会に今リークしておく。
101 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 23:54:11.20 0
>>100 君、読んだことないのに無理しない方がいいよ。
もし読んだことがあるなら、日本語の勉強からやり直そう。
もとより吉本のスレではないし。
>国文のルールーで逝去した文学者についての論文は書けることになっているので
の間違いです。
104 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 00:01:44.84 0
>>103 >ルールー ってなに?
俺が知らないだけで、よく使われてる言葉なの?
国文科出身?のわりには小学生並のたどたどしい日本語
これでは本当にそのルール?に則って論文が書けるようになったのかも怪しいな
106 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 01:10:09.11 0
吉本の書いたものがパクリ云々
とは、何を言いたいのやら
ようするに外国思想の応用だろが。
だいたい、純然たる「オリジナル」の理論に基づくもの
なんてあるんですか?
107 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 01:29:47.67 0
>>106 純然たるオリジナルなんて言い方で、思想的な本を読んでいないことも、もちろん思想とはなにかも理解していないことがわかる。
それはおいといて、日本で外国の猿真似じゃない人を思いつくままに。
小林秀雄、丸山真男、花田清輝、吉本。
毛色が違ったところでは漱石、太宰、埴谷。
戦前の北などの右翼を入れてもいい。
自分が読んだ本もたかが知れてるし、その中でもこれで全部とは言わないが、ほかはフランスやドイツの思想、哲学を基準にして、あの哲学者がこう言ってるとか、この人の思想はこうだとかいうのばかり。
107幼稚すぎ…
109 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 01:47:36.37 0
108が言う通りだな
107は完全な低能だろ
110 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 02:00:59.32 0
111 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 02:01:53.48 0
112 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 02:13:23.50 0
≫君、例にあげたのひとり読んでないだろw
この稀に見る低知能っぽさはなんだ…
113 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 02:20:19.34 0
>>112 やっぱり読んでなかったのかw
いまからでも読んどけよw
114 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 02:43:05.50 0
↑は文学板でキモネン(きもいコテ粘着の略)と呼ばれている低脳だと思われる。
オリジナルの件、107は106と同じことを言っているのに
反語も理解せずにいちゃもんつけてるだけでは?
それはともかく
小林はフランスの作家や思想家から
結構あくどい引用のパッチワークやってるよ
小林秀雄みたいなゴミを崇めてる奴ってまだいたんだなあ
117 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 12:00:56.33 0
118 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 12:01:45.22 0
京都学派の西田幾太郎・三木清等はどうなの。
120 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 16:52:51.05 0
>>119 西田は仏教と西洋哲学の研究者、三木は普通の西洋哲学の研究者、という見かたもあるのかな?
誰であれ、なにかを研究して自分なりの方向を持つことは普通のことだけど、その研究したなにかに寄りかかることなく、自分の感性を偽らずに、自分の思想や哲学を自立させるのはほんとうに難しい。
…みたいなオリジナル信仰って
100害あって一利なしなんだけど
122 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 17:30:19.98 0
ただの低学歴勘違い野郎だと思うよ
根拠が「自分の感性」だからなw
124 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 17:35:25.44 0
だろな
そのうえドゥルーズスレなのに、ドゥルーズに関して何も書かない
小林秀雄って哲学やってる人間からすると顔のぶさいくな男の劣等から生まれたナルシシズムって感じがしない?文章とかまさにそれで読む気にならない。
9:考える名無しさん:2010/09/15(水) 10:39:18 P
小林秀雄がドゥルーズに関して褒めていたと前田英樹なども書いているが(『小林秀雄』195頁)、
郡司勝義『小林秀雄の思い出』に孫引きされているだけで、出典として指摘される肝心の『文学界』
1979年11月号の河上徹太郎との対談(「歴史について」)にはない。
郡司が編集者のような立場だったみたいなのでゲラから引用したのだろう。
<小林秀雄は言う。
「ドゥルーズという若い人がいてね、この人の『ベルクソニスム』という本は
なかなかいい。ベルクソンの影響された当のものは、プラトンしかない、
と言っているんだな。つまり『持続』なんだよ、要するに、こう流れる、
これは『歴史』なんだよ」>(郡司勝義『小林秀雄の思ひ出』262頁)
>>123 独創による卓抜な洞察とか観点から、ある哲学を論じないと論文として認められないよ。
128 :
考える名無しさん:2012/09/04(火) 00:03:21.56 0
脱構築主義的には、「オリジナル」な言説と、「複製」の言説とのあいだには、
「正典」的な値打ちにおいて優劣はないとされた。つまり、初めにあったとさ
れる言葉は、たんに形式的な時間軸上前に位置するにすぎず、終わりの言葉に
いたってはありえないのである。「原典」を含むあらゆる言説は、注釈、パス
ティーシュ、ヴァリアント、パロディ、だというわけなのだ。
130 :
考える名無しさん:2012/09/04(火) 00:11:00.93 0
「独創」じゃなく、「創意工夫」というべきだろうな
日曜大工なんかと同じような心構えがよいのではないか。
>>129 >自分の感性を偽らずに、自分の思想や哲学を自立させるのはほんとうに難しい。
多分君には論文は難しいだろう。作文だろ。
自立とか言ってるから半端な吉本派なんだろうな
133 :
考える名無しさん:2012/09/04(火) 12:28:58.28 0
≫多分君には論文は難しいだろう。作文だろ。
こういうこと言うのは、論文すら書いたことない人、とたいがい決まっている
違うなら、あなたのご論文を、ごく一部でいいから、貼り付けてくれろ
匿名掲示板で論文晒せってすごい主張だな
135 :
考える名無しさん:2012/09/04(火) 14:55:53.27 0
書いたのがどこの誰かわからないようにして、ごく一部を貼りつけるぐらいは
なんでもないだろう
やっている人はけっこういるようだぞ
CiNiiあるからバレルってw
137 :
考える名無しさん:2012/09/04(火) 16:15:13.71 0
肝心な「ご論文」がねえんだろが
つまんねえ言い訳すんなカス
>>133 ごまかさずに論点をいうと
論文が難しいというのは、
>自分の感性を偽らずに、自分の思想や哲学を自立させるのはほんとうに難しい
という文章の意味が、「感性を偽る」ということと「自立させる」という言葉が
作文的だということだ。この部分を君の持論において哲学的に展開してみてください。
>>138 私の論文はCiNiiに載ってない。本来私文書扱いで図書館に入ってた。
140 :
考える名無しさん:2012/09/04(火) 16:31:08.91 0
≫この部分を君の持論において哲学的に展開してみてください。
おまえが展開しろよ
カルチャースクール通いのおっさん
wwww
ラカン「くそう。こうなったのも全部あいつのせいだ。何もかも滅茶苦茶だ」
ジジェ子「待って、ドゥルーズさんは悪くないわ! ガタリに騙されていたのよ」
ラカン「嘘だ! もうずっと前から、あいつの身体に器官なんかなかったじゃないか」
器官なき身体(CsO)と身体に器官がないことは別物だよね
本当にドゥルーズには身体論がない。東大の表文講座本に
ドゥルーズは身体から逃避しているという論が載っていた。
この辺に関しては、M・ポンティの方が少しの
アドバンテージがあるように思う。
敢えて「思惟」と「延長」というデカルト的二元論
の枠内で、「出来事は物体的な能動・受動の結果である」と言い、
それが「表層での非身体的な意味」との間に差異を持つ場合に限る、
と言うことになっている(意味の論理学)
ここでは身体とは単に「物体」でしかない。これについて
ようやく物質としての身体に積極敵な意味を与えるようになるのは
「Le PLi」においてである。
145 :
考える名無しさん:2012/09/06(木) 01:36:12.71 0
身体論がないのはドゥルーズのいいところだろ
いわゆる身体論なんかロマン主義的なだけでくだらないからな
なんとかしてドゥルーズ哲学に身体論を見出そうとするのは
足りないのばかりだ、前田英樹とかな
即物的な物体(肉体)論のほうが余程よいのだ
>>145 物体という訳にはいかないはず。あなたも
肉体と言い換えている。
しかし身体 le corps と肉 la chair とでは大違いだろう。
うそーあれだけ身体について語ってるだろ
身体の哲学だよ
>>146 原典がないので分かりませんが、
意味の論理学は多分”le corps”になっているはず。
身体とも言うし、物体とも言う言葉。明らかに”la chair"ではないと思う。
物体の原語は"chose"か”matiere"でしょうか。
原典持っている人教えてください。
あんまり字面だけ見てもしょうがないけど
意味の論理学でもchairの話してるよ
知ってるよ。
「意味の論理学」はオイディプス・コンプレックスとファロスを素朴に前提としているが、
そのラカニズムを批判するようになるのがA・O以降だ。
それってガタリサイドだけじゃないよ。
意味の論理学のオイディプスは三部作全部出てくるからけっこう素朴じゃない
善意は必ず罰せられる
ドゥルーズは、フーコーの「快楽」の言説に対して、
「欲望」を主題とする。「快楽」ではどうしてもその源泉として「身体」「肉」
が問題となるが、「欲望」に関しては、「機械圏」において
「器官なき身体」との関係により有機体に依存しないからだ。
この辺はドゥルーズ
自身の「身体論」が錯綜したものであることを帰結する
ことを予想させる。
主題とするは分かったから
こいつ独自の主張を書いてくれ
>>158 ドゥルーズは永遠かつ普遍的な「神話」的形而上学
としての、フロイトの精神分析を拒否し、A・Oにおいて
「集団幻想においてリビドーは直接に社会野に対して備給される」(上巻64p)
のであり、どのように歪曲、抑圧されていても、現存する歴史的・社会的な領野を
集団的に備給しているのだ、という考えへ、転回したのだ、と考えていますが。
とりわけ「欲望」が備給している、ですね。
有機体について。
「思考だけが充当できる実体としてのできごとの非身体的栄光。」(意味の論理学p275)
「できごとが忍耐強い思想家にふさわしい意志と自由とによって肉・身体のなかで
しっかりと刻み込まれるのはそのできごとの秘密、つまり原理・真実・目的性・準原因
を含む非身体的な部分によってのみであるからである。」(p276)
もっとも困難なことは表層のトポロジーの維持である。
こうした身体と意味のの交錯自身が「意味の論理学」という書物のパラサンスの性格を
明らかにすることになる。
國分の思想の連載はかなりいいと思う。
いろんな先行研究(例えば、ズーラクビリ)の影響を受けているのは覗われるけど、その噛み砕き方が絶妙で、ストンと腑に落ちる感じ。
ドゥルーズはA・Oでマルクスに異を唱えている。
資本主義自体が「資本論」のロジックのもとでは機能していない。
「資本主義がその本質と生産様式において産業的であることが
真であるとしても、それはただ商業資本や金融資本との縁組を通じて
作動する。」(下p32)
「分裂症は資本主義そのものの外的極限、つまり資本主義のもっとも根本的な
傾向の終着点であるが、資本主義はこの傾向を抑止し、
この極限を拒絶し置き換えてこれを自分自身の内在的な
相対的極限を絶えず再生産するのだ。資本主義は、一方の手で脱コード化するものを
他方の手で公理化する。相反する傾向を持ったマルクス主義の法則は、
こんな風に解釈しなおさなければならない。」(下p62)
70年以前に既に「世界資本主義市場」を論じていた
ドゥルーズがヒルファディングでもシュンペーターでも
ウエーバーでも考慮に入れていないはずがない。
165 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 02:16:34.47 0
ドゥルーズって経済学者だったのか?
>>165 ひとおりは読んでいるはず。ドゥルーズの守備範囲はとても広い。
広く浅くだけど
初期の著作のほうが俺は良いけどね
ガタリとの共著で変な造語や概念を連発して独自な思想家とみられたけど
時間がたつと逆に古びて見える
168 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 11:30:12.95 0
>>166 経済を哲学的に思考してみた、といったところかな?
>>168 「経済原論」的にはDGは明確に言及していないけれども、
欲望の流れと切断が実際の物的交易としての経済に正確に(平衡状態として)
対応しているものとして考え、文化人類学的類型における欲望のコードと社会技術体
の関連が延べられています。
170 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 17:09:41.79 0
>>169 普通の企業の販売戦略の方が上を行きそうだな。
選挙戦略から戦争戦略まで、広告代理店の分析と対策には勝てそうもない。
我々は無意識の受動的総合において、それを所与の現実として、
欲望的に社会野を直接にリビドー備給しますが、前述同様
「一方の運動によって、欲望的生産は絶えず境界線を踏み越えて自分を
脱属領化し、自分の流れを逃走させて表象の閾を超えていくことをやめない。
他方の運動によって、逆に、極限それ自体が置き換えられ今や欲望の人工的な
再領土化を操作する表象の内部に移行するのだ。」(下p182)
こうして社会野に備給される欲望する生産の非人称的な諸部分対象が、主観的な
家族的人称論的な軸に、「置き換えられ」家族小説としての
「オイディプス・コンプレックス」によって、表象されるとになり、
親密なる家庭的演劇としての、「父」「母」「子供」のドラマとして、
フロイト精神分析が解釈するモデルとなります。
ここに「アンチ・オイディプス」という表題の意味が託されているのであり、
欲望する機械に家族が人称的統一を強制するときの全体化にたいして、
常にその「裏面」に、分子的要素の「現実的な未組織的状態」として強度0の実体の
「器官なき身体」の属性となる部分対象からなる、いかなる人称的統一に
よっても限定されない強度的質料のエスの流れを「エディプス」に抗してして
認めることとなります。
もとい「エス」の流れではなく、リビドーの流れです。
要するにAOにおけるドゥルーズはマルクスとフロイトの平行論(byスピノザ)なのだ
ただしプルードンの系列的思考を知らなかったのが致命的だった
かろうじて柄谷は間に合ったが…
読めてない。ドゥルーズはマルクスでもフロイトでもない。
177 :
考える名無しさん:2012/09/19(水) 10:55:27.33 0
>>176 内容を具体的に指摘しないと意味がないよ。
>>174 柄谷自身だって投げてんのに、何でプルードン?
またNAMやりたいわけ?
>>177 この板の私の書き込みで全て解答済み。よく考えて。
180 :
考える名無しさん:2012/09/19(水) 11:01:15.88 0
>>179 どれが君のかわからない。
レス番号を列挙してくれ。
182 :
考える名無しさん:2012/09/19(水) 15:22:58.63 0
185 :
考える名無しさん:2012/09/19(水) 18:09:58.05 0
>>184 変な書き方するんだね。
素直に自分のレスを並べればいいじゃないかw
十日余りの間書いてたのはほとんど私で
レスほとんどありませんでしたから。
自分の番号のほうが多いんでね。
しばらく筆をおきます。
188 :
考える名無しさん:2012/09/19(水) 21:38:42.13 0
>>186 だからって他人に余計な手間をかけさせるようなケチな書き方はやめておけよ。
列挙するならする。
面倒で嫌なら断る。
うじうじした態度は書き込みの内容と同じだなw
歴史は繰り返す
最初は悲劇として(連合赤軍)
二度目は喜劇として(NAM)
190 :
考える名無しさん:2012/09/20(木) 11:22:43.68 0
>>189 最初が「連合赤軍」しか思い浮かばないやつにふさわしい感想だ。
分子的(笑)
モル的(笑)
AO以降は駄目だよ
定義不能の用語がつながってて読解不可能だから持ち上げられただけ
「定義」というブラックホール的な概念を相対化したという価値が
>>191 文献学的に甘くないか。
「アンチオイディプス」は1968年刊行
「分子革命」は1977年刊行だ。
分子的・モル的の用語は初出がガタリ単独ではなく
「アンチオイディプス」刊行においてであり
「分子革命」はその十年後に刊行された書物だ。
今や完全にトンデモ扱いのフロイトとオカルト認定の精神分析を仮想敵にして
それ以上に非科学的でよく考慮されていない用語を連発して批判したからね
毒をもって毒を制すというかミイラ取りがミイラになっただけじゃ
196 :
考える名無しさん:2012/09/21(金) 16:15:00.48 0
1859年に生まれ1947年まで生きた精神科医・研究者であるピエール・ジャネの
診断記録によると最初は躁鬱病のちに神経症次に分裂症と推移していった、
ということが明らかにされている。(荻野恒一)
1856年生まれのフロイトが「精神分析」の主な臨床対象が「強迫神経症」であることは、
時代的に近代社会への移行期にその症例が典型的な心理的移行期のものであった
ことが指摘されている(小此木啓吾)
それに比して、精神病(分裂症)は感情転移を起こさない患者としてフロイトはとても
嫌っていた。その時点から分裂症は精神分析の方法では絶対に治らない症例
であって、妄想体系が発展し構造化する分裂症を、「ラカン」は構造主義を導入して
フロイト理論を作り直した、と言える。
GDはそうした構造的解釈にも反対しながら、事は分裂症の治療法というよりも
理論的なフレームワークを作ったのだといえよう。
アメリカでは統合失調症を精神分析治療することは法律で禁じられており、
服薬以外では治らないのが現状と言えよう。
198 :
考える名無しさん:2012/09/21(金) 18:58:43.08 0
>>197 統合失調症は今でも治らないよ。
治った例というのは統失じゃなかったんじゃないかと思ってる。
>>174 当然「マルクス-フロイトの平行論」はAO第一章(邦訳単行本だと44頁)で
自ら否定しているものだという反論が出てしかるべきだろう。
「マルクス-フロイトの平行論」であると断言するならなぜ自らが否定する
方法を選んだのか?
タネ明かしは『千のプラトー』の序にある。
「われわれみんなが求めている<多元論>=<一元論>という魔術的等式に、
敵であるすべての二元論を経由して到達すること。」(邦訳単行本34頁)
スピノザの平行論を使ってライプニッツの多元論に至るというプログラム。
ここではじめてスピノザとライプニッツが総合されるのだ。
(D&Gの平行論は閉じた二項対立ではない。あくまで「と」でつながれた仮
のものだ…)
ちなみにマルクスとフロイトの呪縛を本当に解きたいなら、プルードン、
ジャネを知らなければならない。この点ドゥルーズは知識が足りなかった
(ガタリは晩年、ジャネに興味を持ったようだが)。
プルードンを知らなければ地上に着地点がみつからない。宇宙に行ったきり
帰って来れない(宮崎駿のラピュタのようなものだ)。
>>200 半端なマルクス読みには確かにプルードンを要するだろう。
反論は?
>>199 プルードンの主な主張とはどんなものか教えてください。
柄谷を経由して僅かしか知らない。
201だが、しかしも一度見ようと思って「トランスクリティーク」を開くと、
序文がらしてドゥルーズなんだよなこれが。引くな。
ネタバレだが「日本近代文学の起源」の「装置としての文学」とは
「文学機械」のパクリだね。でも笑わないよ。すごい勉強家だから。
柄谷は自分で考えてるだけえらいよ
今の日本の右翼や左翼はレッテルの貼りあいと実証主義的精神で論破しようとしてくるから
今のっつーか昔からな気も
207 :
考える名無しさん:2012/09/22(土) 09:50:41.43 0
経験と思考のフレームワークとは本当は容易く相互に妥当性があるかどうか、
フレームワークとしては種々の事象を包括できなければならない制約のもとで
どれぐらいの生産性を持つかというのは、論理実証主義的な仮説・実験をモデルとする
科学理論の検証とはまた違ったものとならざるを得ないです。経験の吟味に先立って
前提となるフレームワークは、思考によって生み出されざるを得ないある意味では
形而上学になるわけです、
言い換えると、そのフレームワークに依拠することによってはじめて見えてくるものや、
新しいヴィジョンが現実吟味を通じてえられる、というようなものは、経験に先行していなければ
ならないです。経験とセオリーの照合では現実の「模写」になってしまい、
正当化図式化した単なる教条的ドグマになります。
210 :
考える名無しさん:2012/09/22(土) 23:33:11.22 0
「差異と反復」なんですがね。
213 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 09:15:44.14 0
>>212 だから、理解できない方が悪いって?
>経験(と思考)のフレームワーク
>(経験と)思考のフレームワーク
>経験と思考のフレームワーク
>相互に妥当性
これから説明してよ。
>>213 表層における非身体的出来事の特異性をもとに
思考と概念を練り上げ、概念を創造し、哲学的内在平面を
構築する過程で、概念の配分や思考の公準の設定が、
論理的体系性として述べられるが、それを「フレームワーク」
と呼びその「フレームワーク」自身が依拠している思考のイマージュが
「実在的経験」に対して破綻なく調和する場合に
「相互に妥当する」といった訳です。
215 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 12:00:23.92 0
>>214 また質問。
>表層における非身体的出来事の特異性
とはなに?
具体例を挙げてみて。
>>215 この説明は大変。「意味の論理学」を読んでいただくしかない。
私の言及は
>>161 にあります。
218 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 14:31:37.14 0
>>217 結局、なにひとつ説明も具体例を出すこともできないということ?
219 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 14:39:25.89 0
>>216 せっかくだからこちらにも質問。
>非身体的な、非物質的な、不毛にして無であり空である表層的次元
というのはなんのこと?
>純粋なチェシャ猫の笑い
は存在するの?
>非有体的領域
というのはどこにあるの?
220 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 18:56:34.53 0
なぜ、ドゥルーズのスレに形而上学的質問が横行してるんだ?
なんか残念だな
222 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 19:22:06.94 0
>>221 お前の規定では読めてないかもしれないけど
その辺りは勝手に判断して、個人で遊んでてくれ
理解の度合いなんかを比べた上で、感想だけ置いていくだけなら
書かないほうがましだ
表層
言語とか記号とか意味の働く領野。論理空間みたいな。
表層における非身体的出来事の特異性
悟性みたいな。論理みたいな。
哲学的内在平面
純粋平面が無分節の世界で
哲学的内在平面は哲学的に分節した世界、哲学を通じて見た世界
フレームワーク
分節をなす定義や形式の体系。記述体系。命題群。
相互に妥当
フレームワークを構成している命題が為す像と実在的経験がちゃんと対応する。
こんな感じ? 近い? 遠い?
ドゥルーズ読んだこと無いんだけどちょっと興味ある…んだけど
読んでもわけわかんなそうなんだよね。
ご示唆有難うございます。
>214です。
要するに観察に対する理論負荷性というだけの話を
そんな中途半端なドゥルーズ語(実際にはドゥルーズ語ですらない)に
翻訳する必要あるの?
>>224だけど俺の想像が合ってるのか間違ってるのか誰か教えてくれ
ググってもよくわからん
特に内在平面
>>226 ドゥルーズにとっては「カント主義」であるものを、
わざわざ「分哲」にあわせたさ。
もう付き合わないよ。
229 :
考える名無しさん:2012/09/24(月) 10:24:05.11 0
視点を変えて質問。
「『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』はマルクスに、マルクス主義に完全に貫かれた作品です。」
と別のスレで紹介されてたんだけど、具体的にマルクスとのつながりをどう読み取るのがいいの?
>>229 古典主義的なマルクスではないことに、誰も気づかないだけ。
イクスプリシットな形では延べられていない。
A・OでもM・Pでも、「疎外論的マルクス」は存在せず、
ベイトソンの「ダブルバインド」が主軸をなしている。
ポストモダンのマルクス観は
柄谷行人の「トランスクリティーク」を読むべし。
AOは意味不明、プラトーのほうがまだ読める
233 :
考える名無しさん:2012/09/24(月) 14:55:06.86 0
>>231 >柄谷行人の「トランスクリティーク」
価値が消費の段階で生まれるとかいうやつ?
プルードンの人民銀行とかサンディカとかを目標にしてる?
マルクスの価値論を理解できない典型に見えるんだけど?
あれがポストモダンのマルクス理解なの?
どっちみち西欧のマルクス理解は、しょせんレーニンの下部構造が上部構造を規定するとかいう「史的唯物論」に過ぎないという話があるけど、そうなの?
ドゥルーズのマルクス理解も「史的唯物論」が前提なの?
トランスクリティークがポストモダンのマルクス理解とか
適当にもほどがあるわ
あれは柄谷のマルクス論としては
割と古くからの日本的マルクス主義哲学者の系譜に回帰した作品だ
>>234 「古くからの日本的マルクス主義」とは具体的に誰ですか?
>>233 柄谷の新しさを読んでよ。
本当はもう価値法則なってものはどうでもいいというぐらい
マルクスを捨ててるけどね、私。
237 :
考える名無しさん:2012/09/24(月) 19:56:31.89 0
>>236 どこか新しいとこあるの?
プルードンそのままじゃないの?
マルクスを理解できないまま捨てちゃったの?
ところで<私>って、きみ、カラタニ君?
マルクス没我120余年。
マルクスって古典近代なんだよね。
「資本論」っても,草創期の資本主義をしか
現に見ていないわけだし。
私ポストモダンだから資本論かたしてるね、もはや。
>>233 ドゥルーズの「資本主義と分裂症を読めばわかるよ。
240 :
考える名無しさん:2012/09/25(火) 09:36:22.18 0
>>240 どこがどう違うかわかない人のほうが
一般的だし、わかりにくい論考だからね。
無理に進めない。
「勧めない」です。
おフランス現代思想を社会科学的に読んでる人ってちょっとズレてると思うよ
じゃあ自然科学的に読むわ
245 :
考える名無しさん:2012/09/25(火) 18:24:49.81 0
>>243 >おフランス現代思想
がだれのことかわからないが、このスレのドゥルーズやデリダは自分がマルクス主義者であることを強く自認してるよ。
そのそも、サルトルもメルロ=ポンティもマルクス主義者だし、フーコーだって革命の方法としてのマルクス主義を否定しているだけで、社会変革への意志は強い。
まあ、社会科学を否定している >おフランス現代思想 家もいるんだろうが。
>>245 こいつの場合「マルクス主義」って言うのが、何であるのかっていうと、
読者「マルクスってああいうものじゃないかな」
書き手「そうです、そうです、私の言いたいのはあなたの思うとうり
そのマルクスですよ。」って、
それって何。
53巻あるマルエン全集のどこのどの部分をどう考えて
どのように考えているかなんてあたかもどうでもいいような
気になる。
ただ政治的に左翼(サヨ)だっていうだけだろ?
アバウトすぎちゃってどうにもなんないよ。
だってサルトルだって「根拠なく」共産党だったし、メルロ・ポンティ至ってはもはや
懐疑的。ドゥルーズだって「留保なく」マルクスじゃないもんよ。
悪いがデリダは「人気がなくなってくると政治的発言を繰り返す」ひと
だったし、フーコーはどう見ても唯物史観とは違う歴史を書いた人でしょ。
本当は戦後フランスで共産党が幅を利かせた理由は「レジスタンス」を担った人々
が共産党出身者が多数だったからだ。その意味では「おフランス」じゃない
骨肉あるフランスを見ることはできるんだよ。
ああもうドゥルーズ読んでると頭おかしくなってくる。最近俺気違い染みてきた気がする。
>悪いがデリダは「人気がなくなってくると政治的発言を繰り返す」ひと
>だったし
特にアメリカでの受容がねじれてただけで
(その影響を受けた日本でも同様だが)
「脱構築」で有名になったころ、脱構築の説明をしている時点から
政治的な立場表明を続けていますよ
最もこの流れで上がってる中では
アルチュセールと理論的に深い関係にありながら
一般的なマルクス理解とは最も遠い人だけど
250 :
考える名無しさん:2012/09/26(水) 00:41:03.27 0
>>247 サルトルの最後の?論考は「弁証法的理性批判」。
メルロポンティはサルトルと「マルクス主義」の実践をめぐって論争(けんか)した。
ドゥルーズもデリダも「マルクス主義」が自分の理念の根源だと強調している。
フーコーは「マルクス主義」のプロレタリアート独裁に代わるルンペンプロ、犯罪者による革命を夢見た。
どれも「マルクス主義」を軸に実践的な論を進めている。
根拠ありすぎw
なぜフランス現代思想?から「マルクス主義」を排除したがるんだ?
ポエムを社会科学として読んでもしょうがないだろ
>>250 嘘ばっかwwww
フーコーがマルクスなもんかwwww
253 :
考える名無しさん:2012/09/26(水) 09:04:28.75 0
>>252 フーコーが監獄闘争を支援したことを知らないのか?
あれは「マルクス主義」によらない、あるいは「マルクス主義」が取り残した(とフーコーが思った)階層からの社会変革を目指したもの。
>>253 馬鹿か。その通り「マルクス」が問題化できなかったことを、
理論化してるのだ。
革某みたいなもんじゃない。
255 :
考える名無しさん:2012/09/26(水) 09:57:01.00 0
>>254 はじめからフーコーが「マルクス主義者」だなんて書いてないw
>>250をもう一度読めw
フーコーは理論化しようとしただけじゃなくて、監獄闘争のリーダーと直接闘争方針を協議したりしている。
フーコーに限らず、フランス系哲学者たちの実践への思いは強い。
伝統的なものなのかもしれない。
フランスの哲学者たちを理論の枠に閉じ込めようとしてはいけない。
フーコーもドゥルーズも(デリダだったかな?)現代哲学を、大学教師になるための死んだ学問にすぎない、として軽蔑している。
いかにも入門書は読みましたって感じだな
フーコーはマルクス主義の味方だ!敵だ!とか決めるのが楽しいんだろうね。日本じゃそんなのが哲学史なのだろうか。
酷い哲学史の学び方だとおもう。結局フーコーとマルクスの思想はどのように関係付けられるかが重要なのに。
それとマルクス主義っていう言葉の使い方が気に入らない。この人に従えばマルクスを読んだだけでマルクス主義認定されるみたいだよね。
それなのにフランクフルト学派の面々はマルクスの影響を存分に受けてるがあんまりマルクス主義とは呼ばれないね。何でだろね。
フランス現代思想一括りにしてマルクスと強引に繋げたいならマルクス主義ではなくて左か右かという対立軸を使うのが普通では?
そしたら当然のごとく左派の伝統にフランスの現代思想は位置付けられると思う。
どこまでも人格批評なのな
理論とかどうでもいいんだ
「実践」したらマルクスなのか!ところで実践とは?
スピノザの実践はフランス現代思想に影響与えてないの?
ドゥルーズ読みながら死にたい
哲学者を保守主義者か急進主義者に二分しないと気が済まない日本の風潮って何なの?
262 :
考える名無しさん:2012/09/26(水) 14:55:51.92 0
>>257 わざわざ「マルクス主義」と書いたのは、レーニンに始まるロシア・マルクス主義のこと。
経済社会のあり方(下部構造)が法律や国家、また一般的な個人の理念のあり方(上部構造)を規定するために、共産主義化といった本質的な社会変革のためには、リーダーとしての前衛党が必要だ、という考え方のこと。
マルクスの思想というより、エンゲルスとレーニンによって確立された史的唯物論。
>>255に書いたように、サルトル以降のフランスの哲学者は哲学そのものを否定して社会変革を重視する、という意志を強く持っていたと思う。
フーコーなどは自分の主著の「知の考古学」や「言葉と物」ですら、あの時の自分はそう考えただけだ、などと乱暴な話をしている。
>259
「実践」というのは社会変革のこと。
彼らの場合は反資本主義を基本的な理念としているように見える。
反資本主義の先にあるはずのロシア・マルクス主義の理念が旧ソ連の中に見えなくなっていたことが、彼らの焦りになっている。
スピノザの影響は知らない。
メルロ=ポンティは、哲学は幼稚園のようにいつも一から始めなければならない、なんてことまで言っている。
マァ、死ぬまで分かんないだろ。
ニーチェだと「死への覚悟性」(ハイデガー)とか「死の本能」へ行く成分を
ドゥルーズは持っているが、スピノザのほうは温厚だ。
「悲しみの受動感情を捨て、喜びの能動的感情を出会いにおいて組織すること」
だ。
266 :
考える名無しさん:2012/09/26(水) 19:59:58.53 0
ここドゥルーズスレだから
>>262 >マルクスの思想というより、エンゲルスとレーニンによって確立された史的唯物論
だからもう歴史的過去に過ぎない。
>フーコーなどは自分の主著の「知の考古学」や「言葉と物」ですら、あの時の自分はそう考えただけだ、などと乱暴な話をしている。
フーコーは自分の書いたもので苦しくなった。ドゥルーズは絶望を選ぶしかなかったという(フーコー)。
ドゥルーズはまだ自分の信念を最後まで疑わなかった。
>反資本主義の先にあるはずのロシア・マルクス主義の理念が旧ソ連の中に見えなくなっていたことが、彼らの焦りになっている。
古典主義的な「理念」概念(ヘーゲル)はドゥルーズにはほとんど無縁。
269 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 00:45:52.23 0
>>268 >>262なんだが
一つ一つレスしてくれたのはいいけど、なんか自分の書いたことからはぜんぜん違う方向に行っちゃってる。
「史的唯物論」は歴史的には過去だが、理念的に完全に解決されたわけじゃない。
だから哲学者たちが方向を見失っている。
ドゥルーズの最後の「信念」というと、それが「マルクス」なんだ。
本人の話によればだが。
「ロシア・マルクス主義の理念」がなぜ >古典主義的な「理念」概念(ヘーゲル) になるのか理解不能。
「史的唯物論」については
>>262に丁寧に?説明してあるから、もう一度読んでくれ。
社会変革プログラムでもあるから、ドゥルーズの強い関心事でもある。
なぜドゥルーズ崇拝者は、ドゥルーズ自身が拒否している哲学の監獄に閉じ込めたがるんだろう?
ドゥルーズがマルクス主義者であることをどうしても理解しようとしない。
なにを怖れているんだろうか?
ん、フーコーがマルクス主義者だっつてたのにドゥルーズにいつの間にか変わってるのか。そんでスピノザは知らないのにドゥルーズを読んだフリをしてドゥルーズ=マルクス主義を語る。何がしたいの?
271 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 01:50:14.08 0
え、なにドゥルーズはマルクスレーニン主義だったっつうの?
ドゥルーズの歴史観は史的唯物論は真逆ていうか、もう根本的に違うものだと思うが。
マルクスの影響があったことは明らかだが(マルクス論の遺稿の存在も噂されてる)マルクスの史的唯物論に肩入れしてたわけじゃないだろ。
ドゥルーズの構想は廣松渉みたいな物象化路線だと思うが。
>>271 文を読むっていうかお前の文章が全くまとまってないから読めないんだが。
文が悪いっていうより語と語の意味の連関が全く噛み合ってない。一番違和感を感じるのはマルクス主義って言葉の使い方。
275 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 01:59:59.27 0
>>272 廣松は「マルクス主義者」だろ?
どう読んでも。
276 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 02:02:18.17 0
>>273 >>274 それは君の読解力の乏しさと「マルクス主義」の無理解。
というか、マルクスもレーニンも読んだことないだろ。
ゴミ
>>275 マルクス主義とマルクスレーニン主義の区別ができない馬鹿
もういいよ終わった終わった!解散!
おまいらっぽい
次文庫化されるのはなんだろうなー
ドゥルーズは唯物論どころか普通に観念論だよ
これは批判的意味でなくてね
魂(ame)が出てくる生気論だからね。ヂュルケームよりタルドだ。
フランスで問題にされるのは、マルクス主義か否かじゃなくて、共産主義シンパであったか否かだろ。
共産主義シンパじゃなければ、植民地主義支持者、帝国主義に迎合する現実主義者ってことで。
でもって、スターリン体制の現実を知って共産主義から距離をおけばOK、それでも共産主義を
支持するなら偽善者ってところじゃないの
『スターリン体制の下で拷問を受けて障害者になった人間の証言を聞いたサルトルが、
「それはC○Aのプロパガンダだ」と言って相手にしなかった、これはとんでも
ないスキャンダルだ。このことを検閲せずに放送しろ!』みたいなことを
ジョージ・スタイナーが仏国公共放送のインタビューで話してた。
個人的には、スタイナー自身、極めていかがわしい人物だと思ってるけどね。
今ドゥルーズの入門書読んでる初心者だけど、ドゥルーズの真理観が凄すぎて震えたわ。日本の教育で学んできた真理観いわゆる答えは一つ!とは全然違う。トーマスクーンやポパーよりしっくり来た。
とりあえず文庫本全部揃えよう
この間ブートDOSフロッピーでNTFSアクセスっていう曲者
をネットからダウンロードしたらCIAってかいてあったよ。
289 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 16:44:58.91 0
>>278 MLなんて今でもどっかで息してるのか?
元気よ。
力の思想家レーニンなんていうのを看板にして
売り出し中の思想家もいるし
疲れる
なんかしょっちゅうあがってるなと思ったらまだこの話やってんのか
左翼=マルクス主義とかアホか
293 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 19:51:09.97 0
ドゥルーズが夢見た新しい世界の夢先案内人がマルクス。
なんて書くと、また、ドゥルーズはマルクスなんかと関係ない、と叫びだすドゥルーズ崇拝者が湧き出してくるんだろうな。
ドゥルーズはマルクスと関係ないとか誰が言ったんだよ。関係ないとは一言も言ってないだろ。バカか。
296 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 20:34:19.17 0
>>295 そうなのか?
それならどう関係すると思う?
上に書いてあるだろバカ。
あと、ドゥルーズ「と」マルクスが関係ないと言ってるレス見つけて来い。
298 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 20:52:49.82 0
ドゥルーズ好きだけど、ソーカル=ブリクモンが『知の欺瞞』で言ってること正しすぎてワロタ
逆に、ドゥルーズの数学的基礎付けは、かなり厳密なことが最近は明らかにされてるけどな。
301 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 22:12:15.63 0
2chの法則というのがあるそうだ。
アホ、バカ、間抜け、といった単語は、相手との論争?に反論できなくなって逃げたいから書くんだそうだ。
幼稚園児が「おまえのかーちゃん、でーべそー」と泣きながら逃げるのと同じ心性らしい。
なるほど、逃げるところは、いかにもドゥルーズスレに、ふさわしい。
うわぁ…
句読点の付け方からして知性が感じられない。
人を馬鹿にして心が癒される変な人
俺は数学が苦手で文系選んだくちだもんで、ドゥルーズの数学に関する記述はさっぱりなんだ
そこで諸兄に聞きたいんだが、ドゥルーズの数学的記述はドゥルーズの哲学にとってどの程度必要なの?
それがなきゃ理解できないものなのか、それともそこがわからなくても核心はつかめるのか
「ドゥルーズ/ガタリの現在」の中の論文では「微積分は問と解との関係の一つの例証である」
てなふうに結論されてたように思うのだけれど、その他もそのような意味なのでしょうか
内容の無さあるいは間違った判断を粉飾して、数学的素養がない読者を感服させるためには必要
308 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 11:05:49.63 0
>>304 哲学やるやつはみんな性格が悪いって土屋賢二が書いてた。
粘着してるキモいやつがいるな
310 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 11:22:42.05 0
311 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 11:30:27.01 0
ドゥルーズもデリダも西欧哲学の無力さに、焦り、いら立って、もがいていたんだろう。
社会にも人にもなんの影響も与えられない、哲学と言う名の言葉の迷宮。
【哲学の先生と人生の話をしよう】國分先生の人生相談。「ホモソーシャル」「自意識」「文系大学院生」「人を想う気持ち」…これらの言葉に引っかかりを覚えた方は必読です!
⇒「女性との接し方が分からず、ホモソーシャル的な空気に逃げてしまいます」
http://bit.ly/SoD61Y
ツイッターで分析哲学者や論理学者にドゥルージアンが馬鹿にされてる
まぁドゥルーズはウィトゲンシュタインその他を「哲学の暗殺者」ってハッキリ言ってるからw
315 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 15:55:02.67 0
>ウィトゲンシュタインその他
大雑把なまとめ方だな、うん。
「ドゥルーズの弁を借りるなら哲学はまさに哲学内部から出現した哲学の暗殺者に
よって殲滅の危機に瀕していると言える。ドゥルーズにとって分析哲学は科学の範
疇に属するものにすぎず、またそれが科学である限り思考をオイディプス化に導く
ものであり、生命の力を衰退させる否定的な力の側に与してい」
ドゥルーズもドゥルージアンもどうでもいいんだけど、分析哲学者や論理学者って
ほんと何もやることないから、フランス思想とかの括りに自らを対置して
馬鹿にするポーズを常にとってないと自我が崩壊してしまうのよ。
318 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 17:44:04.58 0
>>316 これ書いた人、健康商品なんかの会社の経営者?
「魂の健康」とかってなんか怪しげに感じちゃうのは、俺がひねくれものだからかな?
しょうもないことで一々あげんなカス
320 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 18:38:32.45 0
國分も金儲けに走り出したか
アメリカ社会学ではAMAZON USで"POSTMODERN"でヒットする
書籍数は8250冊ある。「sociology」の分野での
フランス思想の導入はここ数十年間で
ずいぶんとアメリカ浸透し(輸入し)一大勢力になっている。
科学哲学(分哲)の狭い枠で飯が食えてるには
随分と高楊枝のことだと思う。
ポエムとして鑑賞しとけばいいのに、背伸びして無理に科学に絡ませようとするから科哲、分哲の連中からいじめられるんだよw
326 :
考える名無しさん:2012/10/01(月) 14:10:51.55 0
>>325 わかれば聞かないだろ?普通。
横でなんだが。
あまり苛めてやるなよw
無いものを知ることはできんわな
私には理解出来ないが、某国の出版事情で
色々な書物が絶版になっており、
原典は絶対に入手が無理。
誰の本のことかわからないけど、
図書館に行くなり古本屋に注文するなりすれば絶版でも入手できるだろ
東大の図書館にもあるかもしれない。
だが、H・G・ガダマーの「真理と方法」の
翻訳に鈍臭くも、10年かかったが、もうとっくに
ドイツでは全集が絶版になっている。
私の持っているのが、最後の在庫だと聞いた。
ドイツは何を考えているんだろう。
古典書籍を買うと、6000円は下らない。
古書なんか取り寄せられない。
332 :
考える名無しさん:2012/10/01(月) 23:24:45.13 0
>>331 なんのことかわからないけど、改善されるといいね。
電子版とかでね。
古書取り寄せろよw
ABEBOOKSなどのネット古書の激安を探す
>>333 英語版なんだよ。kinder買う金がない。
>>337 全集で、230ユーロなら、別に普通の価格だな。むしろ安いかもしれない。
>>331が怒っている意味がよく分からない。
それ良く見たら分かるけど
どれも国外発送してないよ
ドイツのamazonのマーケットプレイスには良くある事だけど
まあ331が何で怒ってるかは良く分からんがw
ドイツの尼から「純粋理性批判」を頼もうとしたら
電子書籍(Kinder)で読めという。
俺は本がいいんだ。書き込みができねえ。
尼はUSでも国外発送しない本があり(古書は多い)なんとまあ、
こんな基礎文献を国外に出そうとしないのか、ということがあって腹がたつ。
ネット上の古本屋さんは一応いいんだけどクレジット・カード番号を横流しされて
架空請求があったのであまり乗り気じゃないです。
こうなったら昔ながらの洋販に頼むしかないかも。船便だよ。
何だ洋販つぶれてんだ。ゲーテ書房かな。
有難いねフランス図書。お世話になってます。つくづく。
有難うやんした。買えますね。
346 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 08:55:28.14 0
米国有数の規模を誇る大学にいたときのこと。図書館にあるはずの
数多くの重要な文献が行方不明。図書館にあることになってるから、
他の提携してる図書館からの取り寄せをリクエストすることもできない。
文献としては専門的すぎるし、古書としての価値もないから図書館の
スタンプがでかでかと押してある本を盗んで古本屋に売ってるとも
考えにくい。学部生が読む本ではなく、教授や大学院生もその方面
の研究者は見当たらない。ほんとうに奇妙だなと思ったよ。
お前のレスの方が奇妙だよ
349 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 10:28:25.07 0
>>347 管理がだらしなくて教師や学生が借りっぱなしらしいということ?
それとも電子化か何かの作業中なのに把握してないらしいということ?
日本の図書館だったら把握できない時点で取り寄せのリクエストができるけど。
アメリカはそういうところがうまく機能しないのか。
>>349 教師や学生が借りっぱなしの本は、罰金が定額で、本を返して罰金を払うより、
借りっぱなしの方が得をするから、返さない人間が多数いて、図書館側
は「罰金免除するから、本返せ」とかやってたな。
351 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 11:04:41.77 0
>>350 意味がよくわからない。
返しても返さなくても罰金額は同じ?
返さなければ定額だが、返すとそれまでの日数が乗じられた罰金額と言う意味?
もうよく憶えていないけど、返さない方が最終的に罰金請求されても
得になる仕組みだった。で、行方不明の本は貸し出しで返却されない
本とは違う。書架にあるはずなのに存在せず、電子データ上でも
存在するものと扱われたまま放置。取り寄せリクエストも予約も
できない。
353 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 11:36:57.19 0
>>352 よく覚えていないことを質問してもしかたがないね。
それで結論としてはアメリカ人の公共性のなさを指摘したかったの?
それともアメリカの管理システムのずさんさを指摘したかったの?
どっちでもいいんだけど、なにが言いたかったのかな、と。
>>353 どっちでもないよ。管理システムはサイコパスかというくらい徹底してるし。
自由を与えながらも、研究の方向性をインフォーマルに導く方法はいくらでもあるってこと。
米国の管理システムの嫌なところは、本人に情報を開示せずに本人の
個人情報を管理するところだな。銀行口座を開設に行ったら「貴方の
記録に何かderogatoryなものがある」ので、口座は作れませんと断られたんだ。
普通は「借金返済の不履行」とかの場合らしいんだけど、クレジットカード
で買い物をしたことすらなかった。で、勝手に不明な不利な記録をつくられて、
訂正の求めようすらない。
その件に関して言えば
アメリカのまねっこだけど
日本にも同じようなシステムはあるよ
同姓同名とかでひっかかるケースもある
ヒストリーの開示は請求できるよ
てか、米国で「ジル・ドゥルーズ」の同性同名とか考えにくいのと同じぐらい
考えにくいし、そもそもクレジットカード履歴が存在しないのに、なんで
履歴に不利な記載の存在のしようがあるのかと...
そういうのは日本の方が陰湿じゃん…
ゼンリンとか地図作ってるだけじゃない
「郵便的」って話になると、大学内だと郵便が届かないことがよくあった。
大学の或る管理課に同じ大学内の別の管理課に自分の書類の送付を有料で
申し込む。いくらたっても届け先に書類は届かず、発送側は発送したの
一点張り。「では、大学内郵便システムに苦情を正式に出すから、書類が
届いていない旨、正式に返答をくれ」と、届け先の管理課に求めても、
それはできないという。
自分がすべてきちんとやっていても、システム側の何らかのミスの結果は
誰も責任を取らずにすべて自分に降りかかってくるわけで、それを毎日の
ように繰り返されると、まあ、まともな神経ではやってられない。
kafkaesque...
362 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 16:00:50.98 0
>>354 それなのに本の管理ができないって何のことなんだよw
なんか支離滅裂になってるなw
管理システムというのは1冊の本が現在どこにあるかを把握しているということ。
だれが借りて紛失したとか、そういうことを把握するのが図書館の管理システム。
>>355-
>>357 図書の管理システムの話だよw
>>359>>360 だからアメリカの管理システムが悪いと言いたいのか無責任な人間が多いと言いたいのか、どっちなんだよw
いや、別に2項対立ってわけじゃないけどw
>>361 そんな大げさなw
話題の方向転換はドゥルーズ的、かな?
米国流の管理システムは、管理されていないようなミスが生じるように
管理されてるから、もっとずっと奥が深いよ。
「純理」のドイツ語版尼から届いたよ。thanks!
365 :
考える名無しさん:2012/10/05(金) 02:19:24.57 0
>>363 なるほど。
それは底が浅いと言っても同じだな。
米国の情報の管理ミスと言えば、前科のある詐欺師からイラク大量破壊兵器保有の
証拠を示す情報を入手して信じてしまったことが有名だが、こんなのもあったね↓
>5月7日、NATOはベオグラードの中華人民共和国大使館を空爆し、3人の中国のジャーナリストを殺害した
>[...] NATOは、ユーゴスラビアの施設への攻撃であったと主張した。
>アメリカ合衆国とNATOは後に誤りを認めて謝罪し、CIAによる地図が古かったことによる誤爆であったとした。
367 :
考える名無しさん:2012/10/05(金) 09:49:34.03 0
>>366 だまされたり、間違いだったりしたのがほんとうならね。
それはともかく、ここはドゥルーズスレだったっけ?
え?「誤配」で間違った宛先にミサイルが届けられるなんて、まさに「郵便的不安」
を象徴してると思うんだけど。今まさに続々と導入が進められている
ドローン(無人機)とかだって、爆弾の誤配の可能性がなければ脅威が半減しちゃうし。
「郵便的不安」には、送り主が分からないとか、誤った宛先に届くとか、
中途の改ざんとかだけじゃなくて、届かないはずのものが届いてしまう
ことも含まれる。電子メールでゴミ箱で処理したはずの破棄したメール
がちゃんと宛先に届くとかね(←実話です)。それこそが米国流の管理システムの奥深ささ。
370 :
考える名無しさん:2012/10/05(金) 10:38:00.43 0
>>369 なるほど、日本ではそういうことはないと思ってるんだな。
もう少し日本のニュースにも目を向けた方がいいと思う。
それから誰かのつまらない言い草を楽しそうに使おうとしてるみたいだけど、おもしろくないよ。
371 :
考える名無しさん:2012/10/05(金) 10:44:56.10 0
そういえば、アルジャジーラのオフィスだったかスタジオだったかに、
米軍が「誤って」ミサイルぶち込んだことあったな。
まだいんのか気持ち悪い
373 :
考える名無しさん:2012/10/05(金) 12:21:48.56 0
粘着する変態がきもい
哲学的に興味深い問題だと思うわ。
だって心の中で思っても、口に出さなきゃ発言の責任問われないでしょ。
でも、言おうと思ったけど、思いとどまってゴミ箱に処分した発言が、
自分の意図や落ち度と関係なく、相手に届いたら、発言は効力を発揮する
わけで、その発言の責任は誰にあるのか?
376 :
考える名無しさん:2012/10/06(土) 09:01:35.81 0
>>376 どこが仏教なんだ?仏教の因果応報の十二因縁も関係ないよ。
仏教的教学には何の関係もない、
378 :
考える名無しさん:2012/10/06(土) 14:56:18.28 0
>>377 君には、道元も親鸞もわからないだろうな。
生憎宗派は顕教ではない。
普通は日本の大思想家といえば
「空海」と「道元」を挙げるはずなんだが。
私の家には「随聞記」「教行信証」「往生要集」もありますが。
381 :
考える名無しさん:2012/10/06(土) 19:16:55.87 0
>>380 やっぱり親鸞でしょ。
ところで、本を持ってるだけで思想が頭に乗り移ってくるのかい?
ドゥルーズのスレだからバカ話引っ張っててもしょうがないよ。
383 :
考える名無しさん:2012/10/06(土) 20:59:13.63 0
じゃあバカでない話をあなたが書いてよ
長くてもちゃんと読むから論説的にね
金に相手に駒が寄ったから、間に歩打つみたいな。
なぜドゥルーズスレは馬鹿ばかりなのか
386 :
考える名無しさん:2012/10/07(日) 01:35:35.82 0
>>385 それは君をはじめとして、ということかい?
387 :
考える名無しさん:2012/10/07(日) 21:19:55.35 0
どっちも痛い
スピノザ表現の新訳はいつ出るんだ?
國分はまずスピノザやるべきだったよな
ニーチェとか知らなさそうだし
390 :
考える名無しさん:2012/10/09(火) 11:00:46.44 0
>>389 國分に限らず哲学教師はスピノザでもニーチェでも、それなりに読んでるだろ。
大学の教師なんて暇だから、本でも読んでないと時間が潰せない。
翻訳だと専門家のツッコミが厳しいだろ
ニーチェ研究はやってなさげ
いまどきの大学教師はそんなに暇じゃないよ。
週10コマ近い授業と授業準備は当然のこと、
学内の会議や行政の委員の仕事・テスト作成・採点、
学生の論文指導や生活・進路相談・高校回り・
学会事務、人によっては家事・育児・介護等々、
様々な雑務に追われて疲弊しきってる。
そのなかでようやく読書や研究の時間を確保する。
非常勤講師なら暇かもしらんけど。
そうそう。あと専門についていくのが大変。
だから専門外は適当な教師が多い。
学科長や学部長になると余計に忙しくなるしね
研究関連で忙しくなるんじゃなくて、ほんと雑務に追われる感じになる
395 :
考える名無しさん:2012/10/09(火) 11:40:13.57 0
忙しいのが好きなのはわかったが、「家事・育児・介護等々」は関係ないだろw
國分は育児キャラだから関係あるだろw
397 :
考える名無しさん:2012/10/09(火) 14:48:49.95 0
>>392 非常勤は非常勤でかけもちしないと食べていけないから暇がない
今の日本で、まともに研究しようと思ったら
よほど嫌われる人になって
大学の雑務はろくにしない、学生の指導もろくにしない
授業はいいかげん
って感じでやるしかない
>>398 地方の私大にいると、団塊世代の無能教授の類がいっぱいいるよ。
なんでこんなのが大学で教えてんの?みたいなのがうじゃうじゃ。
そういうのは雑務だけじゃなくて、研究もしない。するわけがない。
その分、若手の就職先のポストが塞がってる。
どうしようもない。
マジか…死んで欲しいな
>>399 事情は大学によって色々だろうけど
地方私大は経営がかなり苦しい事に気付いていて
少し前から全学的に動いてるところも多くて
結果として、個人的印象としては、公務員的にふんぞり返ってる
国公立のやる気ない団塊教授の方が手におえない気がする
402 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:20:40.75 0
>>399>>401 あれあれ、なんでも他人のせいにする、うじうじした若年バカかw
そんなことばかり言ってるから相手にもされないしポストにもつけない。
せいぜい団塊の定年まで待つんだな。
それまでアルバイトでもして食いつないでろよw
もっともポストが空いたころには、文句を言わずに地道に研究してきた他のやつにポストとられてるだろうけどw
そのときはそいつらへの恨み言でも考えな。
と、まぁこんな風に罵るだけの人もいます。ほんとうに世間って色んな人がいますね!
404 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:30:02.96 0
あぁ団塊のおじさんでしたか。ご苦労様です。
406 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:32:59.14 0
団塊の人って世代論好きだよねぇ
408 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:35:00.80 0
>>407 世代論が好きなのはすぐ団塊と言いたがる君らだろw
>>406 2ちゃんで実力主張する団塊おじさんかっけえっす(・∀・)笑
2chやってる団塊のやつらってどんだけ自分の世代にコンプレックス持ってんだよww
普通のやつならこんなの素通りするだろww
411 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:39:36.73 0
412 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:40:27.34 0
周りの同世代の奴らは出世して子どもいて相手にしてくれないから、2ちゃんしか居場所がないんだよ、ほっといてやれ
414 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:45:08.36 0
段階の慶應義塾大学通信教育課程文学部第1類(哲学)在学生じゃな?
そんなのがあるのか
416 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:49:43.11 0
どした?
メルマガですか?
ドゥルーズの弟子
エリック・アリエズ
クレール・パルネ
ベルナール・カッシュ
宇野邦一
リシャール・ピナス
アンドレ・ベルノルド
ダヴィド・ラプジャード
ジャン=クレ・マルタン
420 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 16:27:39.57 0
Bruno Karsentiは誰の弟子?
Karsentiはカルサンティでフランス語読みなのに、Brunoはブルーノなのは何故?
Louis Pierre Althusser
Étienne Balibar
Bruno Karsenti
弟子の系列見ると仏国の方が研究の自由度高そうだな
425 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 17:18:49.51 0
弟子の名前を並べてどうしたいの?
せっかく並べるんなら、ひとりずつの簡単な思想紹介でもしてくれ。
426 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 17:20:18.58 0
俺はこんなに知ってるんだぞ、って見栄を張ってるのか?
弟子の名前はいらない。師匠の名前並べてよ。
Jean-François Bayartは誰の弟子?
428 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 20:56:58.13 0
おまえら弟子だの師匠だのと、くだらないことが好きなんだなw
フランスの思想界狭そうなわりに縦割りひどいのかな
似通ったことやったり、重なるテーマ研究していても
互いの研究にほとんど言及しない印象
>>426 お前なんのために哲学してんの?煽ってばっかりで何も生産的なこと言わないね
432 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 23:55:49.27 0
>>430 弟子の名前を並べると生産的なのかw
すばらしく簡単な哲学だなw
>>419 知ってるけどさ、音楽と建築はねえだろ。
上記以外にたくさん弟子はいるよ。
でもクレーヌ・パルレはねえだる。
彼の女(公然のガールフレンド)じゃないか。
434 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 00:30:07.88 0
弟子とか師匠とかよくわからないんだけど、どういう関係なの?
アルノー・ナンタとか陰謀論的に見てフランスのジャパン・ハンドラーだろ
>>432 弟子の名前を書けばいいとは言ってないだろ。
438 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 11:32:48.26 0
>>436 おお、そうだったのか、
>>430には深い意味が秘められてたのかw
「文字通り」じゃないなら、それを教えてくれ。
439 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 11:33:28.79 0
>>437 なにを書けば生産的なのか、教えてくれよw
俺は参考になるけどなあ
ちょっとした豆知識を披露するのもチラ裏でいいんじゃなかろうか
>>439 お前みたいに条件反射に煽るようなやつは哲学学ぶ意味はないって話。
まぁ毎回すぐ返信するあたり相当暇なんだろうね。
団塊のおっさん。
このスレ馬鹿なのに哲学・文学とかかわってることにプライドかけてて
馬鹿なのに自分より頭がよさそうな人が現れると煽るやつが常駐してるよね
443 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 11:40:34.52 0
>>441 なんだ、そうやって逃げることしかできないのかw
「おまえのかあちゃん でーべそー」 レベルの逃げ方、だなw
444 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 11:41:45.21 0
>>442 君もくだらないこと書き込んでる暇があるなら本ぐらい読めよw
漫画みたいなのばかり読んでないでさw
ミル・プラトーの原書を本棚に置いとくとモテた80年代
446 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 12:23:33.42 O
よく解らなかったんだけど
脱コード的現象が内在する公理系によって阻まれる
だから主観として公理系を破壊するにはスキゾフレニアによる独我論的解決しかないって
ドゥルーズは言いたいのかな?
やっとドゥルーズの話題が出てきた
448 :
考える名無しさん:2012/10/11(木) 16:52:37.57 0
よかったね
今夜はカニ玉だな
セリーと特異点の関係が分からん
誰か詳しく論じてる人いない?
>>446 破滅ではない何か、は一つだけある。
「逃走線」の積極的提示。
セリーって、現実的なセリーも理念的なセリーもあるよな?
>>446 じぶんでもなに言ってるかわからないだろ
454 :
考える名無しさん:2012/10/12(金) 02:49:01.11 O
>>451 逃走線の積極的提示を明確にイメージ出来ないけど
自らを決定不可能な、脱構築的存在として捉えるって事かな
でも、そんな不安定性に存在するよりは頽落し、資本主義機械としての意識も残らないような希薄な存在である方が安逸だよな
まぁそれができないからこうしてるんだけど
455 :
考える名無しさん:2012/10/12(金) 02:57:10.32 O
>>453 読み返すと良く分からないな
とりあえず
パラノイア-スキゾフレニア
を
脱コード-公理系
に重ねてると思ってたんだけど
456 :
考える名無しさん:2012/10/12(金) 11:10:55.37 0
ドゥルーズに関しても、続々と論文集や研究書が刊行されているが、一
番印象的だったのは、Les styles de Deleuze, suivi de cinq lettres
inédites de Gilles Deleuze, sous la direction d'Aden Jdey, Paris,
Les impression nouvelles, 2011 に付されている、ドゥルーズの未刊行
書簡。ドゥルーズの教え子で研究書(La guêpe et l'orchidée : Essai
sur Gilles Deleuze, Paris, Belin, 1999)もある Arnaud Villani への
38通の書簡のうち、1981年から1982年にかけての書簡5通が公開された。
Villlaniの著作の発行元――どうもその決定がなかなかに難航していた
らしい――関するアドヴァイスや心配を示す気配りは、ドゥルーズの繊
細な優しさを示しているが、まあどこの世界においてもよき教師とはそ
ういったものだろう。重要なのは次の三点。1. 他のところでも語られて
いることではあるが、60年代後半の自らの著作に関する厳しい評価。「構
造主義に関するテクストには私は重要性を殆ど与えていなし、まだ精神分
析の影響下にある『意味の論理学』の全ての部分に対してはさらに重要
性を与えていないのです。」2. ガタリとの共同作業の意味について。恐らく、
Villani が著作の草稿において『アンチ・オイディプス』や『千のプラ
トー』に触れる際に、ドゥルーズについてのみ語っているのに対して、
そのように語ることも可能だが、と限定を加えた上で、二つの著作は二人のもの
であることを強調している。
457 :
考える名無しさん:2012/10/12(金) 11:11:57.41 0
3. 最後は、ドゥルーズの謙虚にして優しい人柄と哲
学者として何が重要かをよく了解しているその姿を示すアドヴァイス。
「私に魅了されたり夢中になったりしたままではいけない。誰かの「弟子」になり
たいと望み、実は「師」と同じくらい才能があるのに、枯渇してしまった人々のケース
を私は見てきました。それは恐ろしいことです。私について研究することには、貴兄に
とって大きな不都合が二つあります。まず、それは貴兄が大学人としての道を進むにあ
たって助けにならないでしょう。このことは恐らく本質的なことではないかもしれない
けれど、それにしてもとても大事なことです。ついで、とりわけ、貴兄は詩や哲学に関
するあなた自身の仕事をしなければなりませんし、それは私自身の仕事によって強制され
ることを許すようなものではあり得ないのです。」以上、いずれも当然のことだとは思うが、
美しい言葉ではある。書簡全体を読みたいものだ。
マルクスは大学人ではなかったし、極貧のうちに死んだが、
それで飯を食ってた大学人が沢山いた。
上手く活用できれば、飯食えるじゃん。
日本では、M・Ponty以降があんまり正統派としてまだ
認められていないだけで、構造主義以降の哲学の
一つとしてやれればそれでいいんではないでしょうか。
レヴィ・ストロースの「生のもの・煮たもの・焼いたもの」
だって驚異的な内容なんだしさ。世間が知らないだけだ。
460 :
考える名無しさん:2012/10/13(土) 14:33:44.16 0
274 :吾輩は名無しである:2012/10/13(土) 12:20:50.31
>>270はよくわからなかったけど
>>272ならちょっとは自分の考えを言えそう
理想状態はなにか、という問題には触れられないけど、その2つの状態は、フラクタルな関係に見える
たとえばEUやASEANなどに代表されるように、現代の地域統合の進行具合は、各国の個性が地域ごとに平均化されているように見える
正当かどうかはわからないけど、これが世界的に広がることでヘーゲルの理想は達成されるとみることができるのではないか
一方でその枠内では均等が進んでいくかというと、そういうわけではない
その中でも生存競争が起きるわけで、気候や地形、DNAなどの条件で特徴が出てくる。
この特徴は、カントの考える平衡を左右するものだといえるだろう
だからカントの理想はヘーゲルの理想の過渡期であるとも言えるし、逆も同様だと言えるとおもいますまる
結局、多様性ということだとおもうんだけどダーウィニズム?っていう推進力的なものがあるから
コテさんが言うみたいに、カントの理想の状態で保つのは無理じゃないですかねー
古代中国だって秦なり漢なりに統一されちゃってますしね
動的平衡とか複雑系についてはなにか考えはお持ちでしょうか?
ソフィア?
>>460 別段常識の範囲を出てないんだが?
テクニカルタームを飾りにしいるが。
とりあえず物象化いっとけ みたいな。
ドゥルーズのスレなのに何の話だろう。
ドゥルーズに関連して、世界情勢を論じてよ。
465 :
考える名無しさん:2012/10/15(月) 09:49:06.89 0
>>464 その話題を避けたい人たちがいるみたいだよ。
なぜかは知らない。
ドゥルーズなんて誰も読んでないから録に話せません。
中国のGDPの伸びが躍進していたと思ったら、EUの財政赤字で
伸び悩む段階にもう入っている。中国は60歳以上の
人口が25%になり早くも高齢化社会になっている。
その後経済成長の著しい新興国として、海外投資の投資先は
ブラジルである。ワールドカップ・五輪をめどに、ファンド
の値上がりを待つ層が年金生活者には多い。
ブラジルは「スキゾ分析が本格的に唯一移植された国である」
ことを思い出す。ガタリとドゥルーズの弟子アリエズの功績だそうだ。
ブラジルは異種混交的社会だがら、DGの多様性にフィットするのだと言う。
ポップ哲学叢書というのが出版されているそうだ。
これからどうなるかな。
468 :
考える名無しさん:2012/10/18(木) 19:15:42.34 0
>>467 どういうことかわからないので、説明してくれるとありがたい。
明らかに中国の生産能力は過剰だから、次バブル起こるとしたら震源地は中国だろうな
>>469 生産能力過剰=バブルなんて事はない。
実際不動産が値上がりしている(アセットインフレ)。だが党が規制してる。
資本主義国の様には市場透明性がない。
党が資本金50%所有の企業に何を言っても無駄。
G7も中国に対して不安材料がある、と言明。
IMFの重要案件について、逃げて中国は代理人のみ。
国際社会から大きく協調性を失っている。
何が言いたいの結局
今中国の失業率相当ヤバイんだろ?
この一年で数千万の人が職を失ったとか聞いた。
中国はいずれ水不足で深刻な被害にあうだろうな。長江の水が枯れてきてるみたいだし。
「スキゾ分析」などという語で世界情勢を真顔で語る滑稽
475 :
考える名無しさん:2012/10/19(金) 10:38:10.70 0
>ドゥルーズに関連して、世界情勢を論じてよ
なんて、わけのわからないことを書き込むやつがいるから、その気になるやつも出てくるw
確かにww
ここも文学板のルサマン君みたいなのが常駐してんのか
嫌になるな
ルサマン?
まともな人は皆twitterに行ったよ
>>474 本当は「パラノ分析」の方が実情分析に適合する。
482 :
考える名無しさん:2012/10/19(金) 15:58:58.75 0
中国 「高度経済成長の終焉」
「70年代 の日本に似てる」
(読売新聞本日朝刊)
「過去一年間にデモ・暴動は1万件あった」
(18日フジテレビ)
”反体制”的ムードの中にありそうだ。
ドゥルーズはパリ5月革命の末裔だったが。
中国に技術移転を日本は20年間やってきた。(経済成長の基礎)
この反日教育は「忘恩」であり、孔子の国の人のすることではない。
父親殺し的なニュアンスあり。セックスの管理を党がしすぎている
とおもう。
一人っ子政策のせいでと家父長制がなくなると
「父権的」なものが消えていく。
484 :
考える名無しさん:2012/10/20(土) 09:19:57.17 0
>>483 中国に関する報道は自国はもちろんアメリカ経由の報道も信頼できないよ。
どちらも政治的な意図の下に発信される。
もっと極端な北朝鮮にいたっては、この数十年もうすぐ自壊するとアメリカ経由の報道がされ続たが、いまだに崩壊していないどころか、簡単に権力を世襲してしまった。
これにのった日本は制裁一辺倒の政策になって、結果、拉致被害者にさらなる犠牲を強いた恐れもあるんじゃないかという危惧もないわけじゃない。
情報の素人分析が危険なことは言うまでもないが、専門家も政治的な意図が加わるので、さらに危険なときが多々ある。
中国に関する政治、経済の情報は鵜呑みにしないほうがいい。
先進世界の情報ですら、日本に正確に伝わることはまれなんだから。
>>484 新聞・テレビの専門家の情報も操作されていると?
486 :
考える名無しさん:2012/10/20(土) 10:57:36.11 0
>>485 専門家と称する人の情報源が意外と少ないことも多い。
海外では非常に多くの政治家、知識人がイギリス情報局と契約を交わしていたことはすでに公表されている。
現在ではイギリスやアメリカや、また中国が、そういうことをしていないと考えるほうが無理がある。
国内で言えば電力会社の意に反する事象に関しては報道どころか、専門化の研究すら妨げられていたことが明らかになっている。
強制的に排除するということではなく、研究費の援助を受けるには電力会社の意向に沿わなければならないという形で。
このことは原発事故がなければ憶測にとどまっていたのかもしれない。
そのほか新聞・テレビはさまざまな規制と圧力にさらされている。
週刊誌の報道についての政治家による圧力も、ここ数日あからさまになされたところだ。
それは内容の問題とは別のことだ。
こうした中で自由な報道がなされて、自由なコメントが出されていると考えるわけにはいかない。
>>484 それならあなた自身がご存知の「中国情勢」に
ついてのご意見をいただきたい。
ただケチ付けただけか。
490 :
考える名無しさん:2012/10/20(土) 14:19:02.56 0
>>488 変なやつだなあ。
報道に関しての一般的な常識を指摘されただけでヒステリーおこしてるのか?
報道を鵜呑みにしちゃダメだと書いたからといって、なぜ、こちらが情報を持ってることになるんだよw
>”反体制”的ムードの中にありそうだ
これは天安門のころから言われつづけて、結局、なにも変わっていない。
>中国に技術移転を日本は20年間やってきた。(経済成長の基礎)
>この反日教育は「忘恩」
日本から見たそういう視点はありうるだろうが、日本と日本企業はそこに利益を見て、利益を実現したから援助も投資も続けてきた。
他のアジア諸国に対しても同じ。
日本にとってそうした投資が成功することもあれば失敗することもある。
ただの経済戦略を観念的な「人助け」と同じに考えてはいけない。
>一人っ子政策のせいで
これは他国に対する内政干渉であるだけではなく、世界の、特に日本の食糧事情から見たときには必ずしも非難することはできない。
日本に安い食糧が大量に供給されているのは、中国の人口抑制政策による面がないわけじゃない。
要は一面的な情報に基づく分析は、判断を誤らせる可能性が高いということ。
2chなんかで判断が誤っても何の問題もないが、国家的な政策や企業の進出の判断には大変な責任が伴う。
ドゥルーズに関した論題に戻りましょ。
まあ、来年春ごろには中国問題は解決するだろう。
>>490 >>中国に技術移転を日本は20年間やってきた。(経済成長の基礎)
>>この反日教育は「忘恩」
>日本から見たそういう視点はありうるだろうが、日本と日本企業はそこに利益を見て、利益を実現したから援助も投資も続けてきた。
>他のアジア諸国に対しても同じ。
>日本にとってそうした投資が成功することもあれば失敗することもある。
>ただの経済戦略を観念的な「人助け」と同じに考えてはいけない。
日本は中国を特殊なパートナーと考えてきた。
対中国投資額は世界一になっている。
http://www.jetro.go.jp/world/asia/cn/stat_06/ ところが最近アメリカからの投資が増え始めている点で
GDP高度成長の後に五輪以降経済大国意識が生まれたからだ。
のちの思い上がりだ。
495 :
考える名無しさん:2012/10/20(土) 16:38:28.16 0
>>491 どうせ過疎ってるんだからいいじゃないかw
>>492 日本がどう思いあがってアメリカの不動産を買いあって、その結果どう叩きのめされたか、ということも忘れない方がいい。
国も企業も自分の利益を追求する。
しかし、その利益の追及はそれぞれの国民の共同的な価値観に触れてしまうと大きな反作用をもたらすこともある。
中国が思い上がってるなんて中途半端な感想で世界を見ると、大きな落とし穴が待っているかも知れない。
経済は現実的なもの、つまり、短期的なあるいは長期的な利益に左右されるだけだが、領土問題を含めた共同的な価値観は一律ではない。
液晶とDVDドライブについて
www.gbrc.jp/journal/amr/free/dlranklog.cgi?dl=AMR7-1-3.pdf
新聞の記事は当てにならない、ということだが、
「読売」によると
「尖閣」も「竹島」も国際司法裁判所で裁定されると日本が絶対に勝訴する
とでていた。下らんのはヨーロッパ・アメリカで中国がプロバガンダを
おっしゃるとおり、金で買って「中国領土説」を流していることだ。
日本政府は遅ればせながら、一か月遅れで「言論対策を講じる」とした
読売の記事があった。
台湾との交渉が目途が付けば、対中国単独問題になる。
尖閣に幾ら人民軍の艦船がデモンストレーションしても
本当には正面衝突にはならないと思う。
498 :
考える名無しさん:2012/10/20(土) 21:34:32.96 0
>>497 スレチっぽいけど、「領土」つながりということでご容赦。
西欧諸国は領土問題では大変な歴史がある。
地続きであれだけの民族がひしめいていれば当然だろう。
EUのノーベル賞受賞もその観点から、領土問題の解決に近づいたという理由だ。
現在では西欧が他地域の領土問題にかかわろうとするのは、自国の利益に大きく関係する場合だけだ。
日中の領土問題に首を突っ込むとはとても思えない。
アメリカは中国(とロシア)に対する防衛ラインと経済関係を秤にかけながら、やや日本寄りの対応をとっている。
後進国なら援助の多いほうになびくだろうが、それも日本が優位に立つのはなかなか難しい。
台湾というのは実質的には旧国民政府の支配地域だ。
いくら親日的でも、国共合作で日本と戦った人々が支配している。
こと領土に関して、甘い期待はできない。
必要なのは、声高に領土を叫ぶことではなく、実質的な日本の利益を拡大し、平和をどう維持するのかという戦略だ。
「週刊プレイボーイ」(小学生が読んでいる)に
中国と戦うと自衛隊が勝つ
と出ていたが。
戦前は鬼畜米英に圧勝確定と誌面におどってたみたいだけど
502 :
考える名無しさん:2012/10/21(日) 21:25:07.87 0
ドゥルーズは「国」というものをどう考えていたんだろう?
>>495 >領土問題を含めた共同的な価値観は一律ではない。
このことに気が付かなかった。重要そうなので、
「次元の違う価値観」とは何か、
お教え願いたい。
>>502 「原国家」というのが、A・Oに出てくる。
噂で「フォイエルバッハ」が出展と聞いた。
505 :
考える名無しさん:2012/10/21(日) 23:43:31.00 0
>>503 「次元の違う価値観」ではなく、ただの価値観の相違。
領土そのものという自己拡大意識の共同化、宗教的な規範との整合性、国民多数が象徴的価値としているもの、等々、その国民の共同的な幻想として不可侵の価値と思われているもののこと。
「幻想的な共同性」とは初出は「ドイツ・イデオロギー」ですが、
ここから直ちに「共同幻想論」が引き出される根拠になります。
共同幻想論のフランス語版題名は"Illusion common"であり、
ドゥルーズの場合はベルグソンから継承したイマージュ(image)
というタームの追及が「CINEMA」においてなされており、別の方向性
とみなせるでしょう。
吉本の場合戦前に垂直化した共同幻想が戦後水平化したと
言及しておりましたが、その最新のヴァージョンは
「ハイイ・メージ論」であると聞きましたが、専門外なのでわかりません。
ドゥルーズの場合の「原国家」は原始土地機械から帝国への移行の時期
に発生した抽象的な理念であると言っています。
画期的なのは対幻想というタームで
これはドゥルーズだと「と」にあたる
そこに脱弁証法の契機があるはずだったが
結局、歴史への退行、市場経済と資本主義経済の混同、SF的脱領土化しか産まなかった
彼らがプルードンを知らなかったのが原因だ
>>507 >画期的なのは対幻想というタームで
>これはドゥルーズだと「と」にあたる
ドゥルーズも吉本も読んでないな。ど素人でいい。
>>506 > 共同幻想論のフランス語版題名は"Illusion common"であり、
そんなフランス語は存在しないし
そもそも訳されてもいない
Wikipediaをwikiと訳す愚かしさは置いておくとして
吉本には、フランス語のページは存在すらしませんが?
ちなみに吉本の著作でフランス語として公刊されたのは
「自立の思想的拠点」だけで
http://www.amazon.fr/dp/2877302407/ に入ってる
どこかで「僕の方がうまくフランス語に訳せるんだ!!!」とわめいている人はおいておくと
普通は『Du fantasme collectif』というタイトルで知られてる
つまらんことで意地をはるな。
?
wikiと訳す(略す)のが何故愚かしいの?
それと、吉本は、いわゆる公式マルクス主義の
上部構造論を批判するために、ああいった議論をやってるわけで
公式マルクス主義の手垢が付きすぎたillusionよりも
フロイトの色合いの強いfantasmeの方が、吉本の議論にとっては適切
(ただし蓮實が適切に通訳をしたはずだ、という擁護をする気はない)
>>514 Wikiの一種がWikipediaだから
ネットで通じてる略語にいちいちドヤ顔で反応するとか恥ずかしすぎるんだが
十年前のノリだよな
520 :
考える名無しさん:2012/10/23(火) 09:26:29.25 0
でもwikiの語源を調べたらおもしろかったよ。
自分は知らなかったし、
>>517の指摘がなければ、調べもしなかった。
どんだけ情弱なん
522 :
考える名無しさん:2012/10/23(火) 13:55:53.08 0
>>521 ネットの情報を知ってると、「情弱」じゃなくて「情強」?
あんまり知能の低さをさらけ出さないでよw
略語がどうのこうので揉めんなよ・・・
煽り耐性なさすぎだろ
煽り耐性云々より、まず知性の方が…
吉本隆明は「毒を盛る器」と言った人の言葉を聞いて
それは、いいものがあっても、毒になっってしまうということ
ですが、一時期全く無視しておりました。
本当は身もふたもない理由ですが、yosimotoと検索すると
吉本ばななの三カ国語の翻訳本がヒットし、子供の代で
成功したことが、彼自身の現実との和解の原因になり、
「諸君」に掲載した「わが転向」では新左翼への同伴の根拠はもうない、
と述べ、「労働価値学説」を放棄し(モースへ戻る)、
さらに「アジア的社会の再生」を言上げし、全く初期の論旨と正反対の
事を言っている。
先のフーコーの対談では「ヘーゲルまで退行しています。」
と述べ、マルキシズムの有効性に否定的になる。
あれだけ頑張ったんだからいいでしょ、みたく誰も吉本の転向を責めなかった。
結局、ばななの父として人生の成果に満足したんだろうな。
初期の吉本は自分でも言っているように
「造悪」の言説であったわけで、ドゥルージアン
としては、文学機械の概念の「蜘蛛の巣」を張り巡らして
「吉本が張った罠」である蜘蛛の巣である「著作」の読者が
影響され、まんまと獲物が引っ掛かるのを待ち構えていたという
事にすぎない訳です。(メカノ・スフィアー:機械圏)
こうした文学機械の機能的戦略の実相について、エクスプリシット
自己自註しているDGの方がどれだけ誠実であるかは明らかなことだ。
一言いうと、「共同幻想論」は当時NHKアナウンサーがニュースで
放送で口にするほど人口に膾炙したが、あの書物は故意の罠のです。
「蜘蛛の巣」にひっかけた結果は大成功。
晩年になって、少し反省してスタンスを微妙に変えている。
少し反省があったんだな、と思う。
多くの人が独断的観念論としてしか読み取れない書き方です。
ノイローゼになったり、自殺したりした人が沢山います。
実践的な指針を全く示さない閉じられた書物です。
私はドゥルージアンとして、別の考えで行きます。
それは
資本主義と分裂症です。権力が実際にどのように作動するか
の例示、どのように人間が「自由人」として生きれるか
の実践指南書であると思います。
フーコーは世界レベル、吉本は所詮日本のローカルレベルです。
勝負するなんてとても無理。
531 :
考える名無しさん:2012/10/24(水) 03:28:06.22 0
フーコーが「世界レベル」といったって、
J・K・ローリングほど「世界レベル」ではないだろう。
というのは、半分冗談だが、しかし、その種のことを「評価」として述べるのは、
たんなる事大主義になりかねない。
「文化先進国」フランスの人の書いたものは、世界中で読まれるのに対して、
「後進国」日本の人の書いたものは、そうではない、というだけの話ともとれるからだ。
だから、お二方の思想について、どこがどうと良し悪しを評さなければならんだろう。
かくいう私は、フーコーのほうがいいと思うよ。クイア思想が好きなのでね。
吉本と比べられるのはかわいそう
あんなのただの馬鹿じゃんw
533 :
考える名無しさん:2012/10/24(水) 09:14:43.89 0
534 :
考える名無しさん:2012/10/24(水) 09:24:39.10 0
ドゥルーズスレで、こんなに吉本隆明の話題が出るんだな。
気になるんだろうな。
吉本がドゥルーズをどう評価しているか。
吉本が自分の相手として評価してるフランス系は、フーコーとメルロ=ポンティぐらいかな?
吉本何かの対談でドゥルーズは何ちゃらって言ってたよ。何だったけな。結構好意的だった印象がある。
wikiによると吉本ってフランス語読めないんだよな。しかし、誰かが書いた伝記では読めると言う風に書いてあった。ちくま選書のやつ)。あれは何なんだ。どっちにしろドゥルーズのことは理解してないと思う。
537 :
考える名無しさん:2012/10/24(水) 11:08:50.59 0
>>536 聞いた話だけでなんだが、フランス語はなんとか読めるレベル、ドイツ語は普通に読めるレベル、英語は翻訳レベル、だったらしい。
ああ、英語が読めなかったってことなのか。それならwikiの書き方はちょっと誤解を招きそうだな。
539 :
考える名無しさん:2012/10/24(水) 11:26:17.95 0
>>538 違うよ。
翻訳レベルというのは、自分で翻訳して収入を得たことがあるという意味。
一昔前言われてたドゥルーズのマルクス論って存在するの?ネグリは読んだことあるとか言ってた気がするけど。もし実在するのならその後どうなってるのか知りたい。
今は「あれはネタで言っていたのが伝言ゲーム」説の方が有力
マジか…残念
吉本ヲタまできちゃったよw
544 :
つくだに:2012/10/25(木) 06:38:55.47 0
吉本の晩年は悲惨だったなあ。
でもファンが粘り強く見守っていて、その点は幸せだったと思うよ。
545 :
つくだに:2012/10/25(木) 06:54:51.98 0
関係ないけど亡くなった人と言えば最近亡くなった若松監督ね。
あの人も不可解な死に方だよねえ。
伊丹監督と同じ様に創価学会による殺人説が出ている。
(政治的な色の強い作品を晩年に多く作っていたから…)
それにしても大島監督より先に行くとはね。
546 :
つくだに:2012/10/25(木) 06:55:28.53 0
スレ汚しすまんね
547 :
考える名無しさん:2012/10/25(木) 09:54:25.88 0
>>540>>541 ドゥルーズ本人がインタビューで『マルクスの偉大さ』というのを書くつもり、と言ってたやつのこと?
>>540 下書きでしかないと思うね。ファニー・Dが出さないということは。
>>537 どこに書いてあったか忘れたけれど、
第二はフランス語で全優で東工大の卒業式で銀時計をもらったと聞く。
失業したとき恩師の推薦で、ドイツ系の工業特許事務所に勤め、
非常に論理的な説得力のある特許権侵害の文書を見て、誰が書いたかと調べたら
吉本だったという。
本当は凄いインテリだった。ワザと馬鹿の振りしていた。
今日ではうまく如才なく生きてく奴が頭がいいといわれる。
「文学」にこだわったんだろうと思う。
550 :
考える名無しさん:2012/10/26(金) 09:32:24.35 0
>>549 >ワザと馬鹿の振り なんかしてないし
<凄いインテリだった ことを否定するやつもいないだろ。
元東大総長や人気思想家を「3バカ」と決めつけて、あざ笑っていたんだから。
言われた方も反論できなかった。
凄いのは理解力というか、読みが正確なこと。
文学はもとより、哲学や思想も極めて適確な解読をしている。
>ボードリヤールに関しては、1998年に「今世界でいちばん重要な問題はイスラム原理主義の問題だということを平気でいいます。日本人の僕などには、冗談じゃないぜ、そんなことは世界のいまの問題と何の関係もないぞと思います」と述べている
下書きでいいから出して欲しいね
吉増剛造には興味あるけど吉本さんは
共同幻想論読み直してみよっかなーていど
というか、なんで吉本?w
完全に「バカの振り」をするようになったのって80年代になってからだし
そして、日本の戦後自称知識人にありがちな
バカの振りをしているうちに、本当にただのバカになってしまった
っていうのの典型的なサンプルだと思うけどね
555 :
考える名無しさん:2012/10/26(金) 20:00:53.38 0
556 :
考える名無しさん:2012/10/27(土) 09:57:06.10 0
吉本でもドルゥーズでも、「バカの振り」をして書いてると思えるなら、それは「バカの振り」じゃなくて、バカが書いてるのか、読む側がバカなのかのどちらか、だよ。
吉本の馬鹿の振りというのは
確か「東洋インク」に入社してストライをして「詰め腹」を切らされて会社を辞めたことで
「出世」を諦めたことから、「文学」で生きると決めた時の
「大衆の原像」へのこだわりから必然的に出てくるものだった。
戦後思想を文芸批評がリードしたということが
あるが、吉本のはパースの付いてない論文のようで
結局「学問」にならなかった。
転向後の吉本の方が
ポストモダンなんじゃないだろうか。
ただ、吉本は大衆の一人として死んでしまった
のだと思う。
559 :
考える名無しさん:2012/10/27(土) 19:25:16.86 0
>>557 吉本スレに行け、と。
それとも吉本マニアに嘲笑されるのが怖くて、こんなところでぶつぶつ言ってるのか?
日本の「現代思想」を語る本に必ず「吉本」が出てきて
どう考えるかという扱いが、いつも問題になるが、
いつも消化できるやつがいない。
浅田彰の辺で、思想は遊びだ、みたくなる
転換点と、吉本の「フーコー」との対談
の辺からの展開というのに着目すると
ポストモダンについての切り口ができる。
わざわざアメリカにまで売りに出した
柄谷のファクターとかを加味して考えればいい。
こういう意味合いにおいて吉本に言及する価値がありそうだったから。
最終的に日本的資本主義は方向を間違えた、とコメントしてる。
お後がよろしいようで。
気持ちわる
まあ吉本は晩年、「消費高度資本主義」の消費主導の経済を目指していたんだろうけど、
第三次産業従事者七割の日本において消費社会が作れない、という現実(内需・デフレ)
をみて残念がっていたんだろうな。
564 :
考える名無しさん:2012/11/01(木) 00:59:47.01 0
吉本スレにいかないところをみると、やっぱり自信がないんだなw
なんでドゥルーズスレで吉本の話すんの
566 :
考える名無しさん:2012/11/01(木) 10:18:27.83 0
>>565 ドゥルーズより格上だからだろう。
ドゥルーズの話題なんて語学自慢の自己満足しか残らないw
うぜーなこの荒らし
568 :
つくだに:2012/11/01(木) 18:05:22.30 0
う〜ん。スレから脱出!
>>566 ドゥルーズの原書は確かに難しいけど
フーコの古典主義の文言は専門家でも
辞書を引くと思う。ドゥルーズの
本は普通の哲学書並みだよ。
翻訳が出た今は語学の意味はないよ。
570 :
考える名無しさん:2012/11/02(金) 00:43:48.38 0
>>569 一般的な話として、自分は翻訳者を信頼してる。
というより、自分の中途半端な語学が役に立つとは全く思えない。
単語の意味を思い起こして理解の足しにするのが精一杯。
自信のある人もいるんだろうが、自分は原書で読んでも翻訳以上に理解できる自信は全然ないw
>>569 フーコーとの対比と言いたいことには大筋同意だけど
ドゥルーズの場合、文のつなぎ方に他のフランス語の哲学書とは違う独特の癖があって
あれに慣れるには少し時間がかかると思う
>>571 それは多分自由間接話法的スタイルでいいんだろうか?
やっぱり論述のうねうねするところが多い本[差異と反復」みたいな本は難しいよね。
まあ、これはラクー=ラバルトの作品に対するジャン=リュック・ナンシーのコメントの受け売りだけど
管理社会についてドゥルーズが何かいってる本って記号と事件だけですか?
資本主義と分裂症
最近フーコーのことを話題にしたが、A・Oではマルクスの引用は多いが、
M・Pではマルクスよりフーコーの方が引用が多くなる。
フランスではDGについて、「言語ゲーム的」に捉える向きがあるが、ポスト構造主義の
性格的がとても明白になるのは、それとの対比によってである。
言語ゲームのルールは可変的であるが、「主体」や「個人」は相対的に独立性を
持ったものであり、「自由意思」を担うアトムとして考えられている。
しかしドゥルーズ・ガタリにとっては、ある言表が有効な社会的意身をもつためには、
潜在的な無意識の記号の体制が前提として存在なければならない、という。それゆえ
どこから来るのかわからない規則にのっとって、語り行動することで、
ようやく人間的な人称性を獲得した「主観」「社旗的主体」となるのだという。
この考え方はフーコーと同じ形をとる。この反人間主義的態度を取る際に限って
想定されるのが「機械圏」(メカノ・スフィアー)の領域になる。
「意身」じゃなく「意味」。
「社旗」じゃなく「社会」。
ミスタイプです。
言語行為は、標準的に言語能力として成人には自然に与えられて
いるように見えて、「言表」と「行為」は力能の潜在的なプロセス、
に支えられており、そこには、潜在的な言表と行為のの「集団的アレンジメント」
が前提とされているという観点は、M・Pで明らかになる。
どこかでM・Ponty的なものから逸れていくのは
「自然主義」的な観点に対し「機能的」観点へと観点を翻す
ときに、ありのままの人間的所与の存立に対して一線を画す「機械主義」
に則ってそれを論じるようになったときになる。
「私」と語り始める時に「表象=代理現前化」(集団的アレンジメント)の中で考え、
語っているとき、モル的な自我へと編成しているのですが、
分子的レベルのミクロな局面では幼生の自我にとって様々な出来事があり、
脱領域化が起こっているということに着目するためにそうした観点がとられます。
モル的・分子的というのを「物象化」論に比較する、
するというのも一つの見方かな、とは思いますが
もっと深く掘ってしまっているよ。DGは。
知の欺瞞で揚げ足取りして来る奴らに対してなんて返してる?
友人に言われたからムカついたけど何も言い返せなかったわ
引用だらけで無内容な小説が新人賞受賞しちゃった!って事件から
小説家たちを非難するのはおかしい、と返すんだけど、
説得できたことはないな!!
分析哲学の連中の場合は、教授からして嘲笑的だから説得は無理でしょ
>>584 科学哲学は「カント主義」ですら無視しているんだから、
形而上学的な文言は無視したいんだろうな。
決して哲学は「科学」ではない。
それ以上に「横断的概念」の作成が面目であると自負する
DGが客観科学の考え方を拝借して自分のニュアンスで語るという
ことを、咎めるのは当たらない。
ドゥルーズ的には客観科学が厳密にその中で用いられる文脈から
科学用語の脱領域化をしているのであって、
ソーカルは科学的言説の「領土」を確保したいだけだ。
それにソーカル自身「テンソル解析を心理学に応用したガタリの論文は
珠玉の目品である。」とは称賛しているんだし。(p252)
カント主義いらいドイツ古典哲学は
正しい仕方で形而上学を構築することが主眼であって、
はなから、科学の持っている真理性の支えなんて必要としてない。
ドゥルーズは過去の哲学者スピノザ・ベルグソン・ニーチェ・
カント自身についてもその概念の意味や用い方を自分流に改編している。
哲学の内部ですら概念に負わされている意義が変更されながら継承されるのは
哲学史上当たり前だ。概念は系譜学を持つ。
「哲学とは何か」において「準拠平面」「合成平面」「内在平面」の相互の干渉を
述べているが、ドゥルーズは、哲学は「科学」の領域からも、「芸術」の
の領域からもその糧を得ることができると考えている。(シネマ・絵画論・文学論等々)
がしかし、そのことによって哲学が芸術や科学になってしまうということはない・
587でミスタイプ「目品」でなく「名品」。
ソーカルは科学史の研究において、百歩譲ってパラダイムの変更がなされるとしても
「完全に非合理的な理由で」はなされないということにこだわっている。
ソーカルはクーンの「パラダイム転換は主として非経験的な諸要因によっておこると考える」
こと述べたことに対して非常に強く論駁している。このこと自体は科学者集団における「図式」の成立に
関して論じられる余地があるのにもかかわらず。
こうであればこそソーカルが科学的真理の万能性のイデオロギーの御用学者であることが、
直ちにに明白である。
自らが否定するところのファイアーアーベントの科学方法論のアナキズムの立場をとれれば
ドゥルーズに喧嘩を売る理由なんてないのだ。
1998年において未だ科学的真理のみが永久不易な「正しさ」を持っている、
という信念のイデオロギーのプロパガンダをソーカルは保守的な科学哲学
についての敷衍で行っているが、現在に至ってまだ所謂「科学哲学者」全員が
ファイアーアーベントに批判的であるとは思えない。
日本語がそうとう怪しい
上手く書けないのは、補って考えてよ。
意味通じない?
どこが分からない?
今日は命日ですねえ。
R.I.P.
ご冥福をお祈りの日ですね。
私は仏教徒なので、教会はどうしても苦手。
それで以前にお寺で供養してもらいました。
てかギリシャ以来の哲学の歴史から言えば分析哲学の方が異端だろ。大陸哲学の面々からはソーカルなんて相手にされてないし。
数学使うのなんてあくまで比喩。比喩の不正確性だけをとりあげてポストモダン全批判とか論理的におかしいのはソーカルの方。
ソーカルの方法と同じようにしてしかポストモダン批判できない奴は相手にしない方がいい。
知の欺瞞のAmazonのレビュー見るとバカばっかしで笑えるわ
うちの大学でウィトゲンシュタインなんかの研究してる教授は大陸哲学はもちろん歴史学や社会学、文芸批評ほかすべての人文学を馬鹿にしてたよ。
いかにもインテリぽいナルシストで学生馬鹿にした態度でムカつく上に自分の研究してる分野の本しか読んでないだろうなってのが分かるくらい教養が感じられなかった。
読者履歴偏りすぎだし、ああいう人達がドゥルーズ批判してるんだろうなと思った。まぁこの教授に出会ってから自分の中でドゥルーズへの確信が強まったから良かったけどね。
>>599 ソーカルが述べてる主張ってのはこうでしょ
比喩というのは難しい事を分かりやすく表現するために利用する技術であるのに、
ポストモダン哲学者の多くは一般の読者には難解な(しかもしばしば間違っている)数学的用語を多用している
要するに比喩が比喩としての意味を成していない上に、数学的知識を披露することで読者を感服させようとしているだけだ
それと、ソーカルはポストモダンを全批判してるわけじゃないでしょ
社会科学や人文科学の領域で言ってることは正しいのかもしれないが、しかし無意味に自然科学の用語や概念を利用することに苦言を呈してるわけで
それぞれの科学にはそれぞれの技法があるのに、自然科学の「権威」にことさら縋ろうとするポストモダン哲学者の姿勢は、
権力を相対化するという彼らの意図と正反対に作用している、つまり自家撞着に陥ってると指摘しているに過ぎない
ソーカルはポストモダンを全批判しているのではなく、むしろポストモダンの健全な発展を企図していたように思うのだが
藁人形論法で鬱憤晴らしてるんだから、正論で返してやるなよ
>>602 そんな立派なものならいいけど、
よくある「構造主義者は相対主義だ、相対主義は自身の前提も相対化するからクソ」みたいな、
バカみたいな藁人形論法の一種
>>602 それならあんなパロディ論文を雑誌に載せる必要なんてあったのかねえ。明らかに悪意があるようにしかおもえないのだけど。議論で優位に立ちたいがためにポストモダンの健全な発展を、とかそういう姿勢をとってるだけだと思う。
意味内容には触れず健全な発展云々ということを主張すること自体が科学的イデオロギーに染まった主張だと思う。
あれは哲学を科学に回収しようとする試みだったとしか言えない。実際、ソーカルが言っていたことがどうであれ、ソーカルが政治的意図をもってあのようなスキャンダルを企てたのは確かだろう。
世間的には、知の欺瞞はポストモダンがいかに衒学的で乱暴な学問かを暴いたという形のみで受容されたしね。
>>605 問題の所在を際立たせるには、パロディ論文はうってつけのやり方だったと思うけど
雑誌に載せたのは雑誌の編集部であって、掲載されるかどうかはソーカルの意志が介在しようもない
彼らがパロディをきちんとパロディとして捉えていたならば「自爆」をしないで済んだというだけだ
選ばれるか選ばれないかに限らず、ソーカルはパロディ論文を、まんまと載せてもらえるかもしれないと思って提出したんだろ。
それが問題なのであって、編集者が云々というのは副次的なものに過ぎない。
だいたいそんな話ししてないのに、なんでいきなりそれを持ち出した?論点が違うだろ。
編集者の怠慢を暴きたかっただけなら、ドゥルーズやらラカンなんかを批判する書物を別に書く必要などなかったわけだ。
>>607 載せてもらえなかったら、ポストモダンが抱えている問題
(数学的な概念を皮相的に用いる(あるいは誤用している)、衒学的な体裁だけの空疎な言説が存在すること)
というのはソーカルの杞憂で終わった、ということで終わりだろ
ポストモダンの専門誌で、パロディ論文が全うな論文として掲載されてしまったことは、
その学問領域自体に何かしらの問題があることを示唆する重要な「事件」じゃないのか
もちろん、編集者の怠慢を暴きたかったなどという意図はソーカルにはなさそうだし、俺もそういう意味で述べたのではない
そこから飛躍して何かしらの意図がソーカルにあると判断し、それを政治的意図と呼ぶならそれでもいいと思うよ
「ポストモダンがいかに衒学的で乱暴な学問かを暴いた」ということが大事なわけだし、それを基に新たな発展があれば良いといだけだ
609 :
考える名無しさん:2012/11/05(月) 10:29:42.15 0
ソーカルの悪意を見抜けた専門家がほとんどいなかったということは、現代哲学の無意味さを表してる、のかな?
それとも、大学教師というのが2chの住人たちと変わらないレベル、ということなのかな?
>>609 >ソーカルの悪意を見抜けた専門家がほとんどいなかった
見抜いてたよ。馬鹿な雑誌の編集者が拙かっただけ。
611 :
考える名無しさん:2012/11/05(月) 12:28:01.95 0
>>610 そうは言っても、専門誌の編集者というのもある意味専門家だし、関係者の事前審査もあったのかもしれない。
たとえば日本だと書評依頼もあるから、事前に知り合いの大学教師やなんかに見せるのが普通だろ?
学会とは無関係な小さな雑誌なら別かもしれないが。
いずれにしても同時に告白?しちゃったわけだから、実際に他の人が見抜けたかどうかはわからないままということかな。
どうしようもない論文を掲載したことは事実
協力者が多いことは
揃いも揃ってバカばかりって証拠でもある
ハンロンとオッカムに切り裂かれるがよい
ポモ擁護派の人がソーカルを非難する理由って、ソーカルに悪意があったということなの?w
ソーカルの指摘が間違っているとして反論すべきでは? その際は
>>599のように藁人形など使わずに
反論できないから必死にスピンしようとしてるんじゃないかな
ソーカルの指摘の正しさなんかどうでもよくて
無意味な論文が掲載されちゃった事実から
自分とこまで届いた哲学に
そもそも意味があるのかどうか信じられない(≒読まない)という状態になったわけなので
それが嫌なら哲学畑の人間が
現代思想には意味があることをちゃんと証明・説得できればいいだけ
ソーカルに反論する必要はないし
そもそも哲学が認められてないのに哲学の文脈でソーカルを論破しても意味ない
問題は哲学畑の人間が哲学を門外漢にろくに説明できないこと
きみは哲学なんて読まずにマンガでも読んでればいいと思うよ
誰も止めないでしょw
なにもそんな下らないことを指摘してるのではないわけで。
ソーカルは言葉の不正確さを指摘してるだけで、そこから一気にポストモダンを相対化して、ポストモダンを馬鹿にするだけの論調に乗っかってる奴らはただの中二病的な反抗によってしか自分の立場を表明できない。それは二番煎じに過ぎない。
こういう奴らは、ソーカルの思惑であるポストモダン批判の担い手となってることに気付いてない。
ソーカルの批判は正しいしその不正確さを批判する必要はない。全く焦点が違う。
ここで問題にしてるのは、言葉の不正確さということから一気に飛躍してポストモダンを馬鹿にしてしまっている言説の幼稚さ。
ソーカルそのものではなくそれを取り巻く言説。
そして事後的にみるとソーカルは言説そのものの転覆を担った存在であって悪意があると言っていいし、それがポストモダンからソーカルへの応答として正しい。
これまでのツケを払っている時期なわけね
ここから名誉を取り戻せるのか、今がポストモダンの正念場というわけだ
620 :
考える名無しさん:2012/11/05(月) 16:16:14.22 0
ポモ批判するほとんどの奴らは分からないから糞というだけ
コンプレックスの塊だから相手にしない方がいい
時間の無駄
>>612 それはちょっと同意できない。
陰謀論に走るならソーカル支持者が思い描くポストモダンの幻想を強固にするものになってしまう。
>>612 釣られたわ。
まぁでもソーカル事件って正にこれと似たようなことだろう。
「ポストモダン」というのはリオタール自身がわざと混乱を
招くような書き方をして、はやらせたのが初めなんだが。
そういうところを見抜いていたのは他ならぬ「浅田彰」なんだけどね。
だがドゥルーズを評価する理由は確かに「邦訳を期待する」
と言ってたわけで。リオタールについてでなく、
ドゥルーズについてポストモダンと言えればいいんだろう。
リオタールの資質ってのはあんまり概念を構築する
というようなものではないが、何らかの感受性から戦略的な
確信を得るような人だったわけで、同僚だったドゥルーズについて、
話を戻さないと「哲学」の議論にはならないと思う。
実際ポストモダンを自称してたのってリオタールだけだよな
ポ・モについて「脱構築」の方はあまりわからない。専門外。
自己自身の脱構築ってのは変だから、深入りしたくないし、
セオリーとしては弱い線だと思う。
河出文庫からほかの著作も新しく出たりすんのかな?
それともドゥルーズの文庫化はもう暫くはなさげ?
唯単に混乱・擾乱させとけばいい、ということはドゥルーズにはない。
「相対主義」というのは、ドゥルーズが早くにニーチェから
「生成の肯定」「生成の存在の肯定」を取り出した時に、
永久不易のスタティックな真理の崇拝みたいなものとは、
早々と手を切っていると思う。
実に我々の「生」に与えられている生成を「実在」とみなす
以外にはなにも相手にしなくていいのが
ドゥルーズの本との立場。
深入りするなら、文庫以外でも買えばいいじゃん。
本当はDGも記号論全盛期に、その混乱を放置しておいた方がよい
と考えていた。所謂「記号論」は疑似問題に関わってしいるので、
DGは後から答えを言っている。
最近小泉の口調が移ったような小泉チルドレンが多くて困りますね
ウニベルシタス叢書高過ぎんだよ
ベーコン論欲しいなぁ
でもクソ高いんだよなぁ
634 :
考える名無しさん:2012/11/06(火) 10:16:53.56 0
欲しいなぁつってんだろボケ!
636 :
考える名無しさん:2012/11/07(水) 00:42:46.88 0
>>635 食べたいのか?
それとも、枕にしたいのか?
図書館で手書きで書き写せばいいんだよ
昔はみんなそうだった
貯金取り崩せば。あのベーコン論が読みたいというのは
そうとうなマニアだろうに。ベーコンの図版入りだから高いんだよな。
図版を書き写すわけにはいかんだろうから。
ベーコン論はb5サイズくらいあった気がする。あれなら9000円くらいしてもまぁ納得できるで。
ドゥルーズも後期はガタリの悪影響で用語や概念を適当に自然科学他から
ひっぱて使ってたからそこは批判されても仕方ない
初期のニーチェ論やベルグソン論は良かった
ドゥルーズによる他の哲学者の研究書はレベルが高すぎる
AO以降じゃないほうに真価があるのかね
そういう意見は通俗的
鈴木泉あたりが広めてそうだな
何とも結構このスレ長いじゃないですか。歴史的に。
ドゥルーズには存在意義あるってことかもよ。
哲学的にドゥルーズは捨てたもんではないように思いますが。
まとめスレ作ろうにも何度も同じ議論が形を変えて出てくるし。
オピニオンとしてドゥルーズをどう見るかっていうことが
問題になるのは「資本主義と分裂症」以降で、それ以前
とうのは、かなりちゃんとした哲学的定見としては固まっていると思いますがな。
結構実はこなしきれないほどの、哲学的創見がいっぱいあって、
その辺を考えると、まだまだ終わってない、部分があるように
思いますがね。
私的には、議論の仕方を、ドゥルーズ論に関して学べればいいと思って書き込んでます。
見落としてること突っ込まれて、わかることもあるし。随分勉強になりました。
あんた吉本信者か?
ちょっとなあ…
吉本氏はちゃんと晩年現実との和解の方途を巡って行き
けじめ付けているので、世代交代に関して立派な晩年だったと思っています。
未だにドゥルーズ亡くなってからドゥルーズを超えるやつが出てきてないからな
てかドゥルーズの講義めっちゃ可愛いんだけどww
高校の先生が長かったんだよね。
教育者の資格はとても立派にあった。
ところで國分さんの世渡りと学問・教育は如何なるものか?
スレチ
今だといきなりCNRSって大出世コースがあるけど
あのころは、まず高校教師って普通だったからね
高校で哲学教えるとか文化大国の名に相応しいな
まぁ日本には哲学者なんていませんし
コレージュドフランスの地位に当たるのが日本学士院になるかな
全然知名度ないよな
656 :
考える名無しさん:2012/11/10(土) 09:23:06.48 0
>>644 「哲学的定見」とか「哲学的創見」て、具体的には、なに?
657 :
考える名無しさん:2012/11/10(土) 09:26:15.62 0
哲学科に行く学生なんて、どうせそれぞれの落ちこぼれだから、教師ぐらいしか就職先がない。
少子化で大学も少なくなったら大変だな。
658 :
考える名無しさん:2012/11/10(土) 09:37:36.71 0
出た出た
大体文学部に行く大学生自体が、対世間的な観念持ってないよ。
学問それ自体がやりたい、で学問で金儲けするというのはあまり考えてないよ。
>>656 もっと時間がいると思うがが、「差異と反復」までに至るドゥルーズの業績
さらに「スピノザ実践の哲学」ぐらいまでは、本当に哲学らしい哲学の枠組み
を超えてない。そうした枠組み内の「定見」。新しさについて「創見」
それで哲学史に中に位置を持うるだろうと思う。
ポップ哲学を標榜し始めてから見方が分かれるというもの。
これはあまりに多くの人が言うので、当たり前のはなし。
哲学の水準に達しない「オピニオン」に介入しようとする意図があるから。
AO以降クソっていうのは安直だろう
以上
今頃になってだが國分の論文を読んだ(第三回)。
84pの「主体性」はCINEMA2の邦訳(p65)でも「主観性」と訳されている。、CINEMA1で自然的知覚との
対比で映画的な「知覚イメージ」は「半主観的」(”mi-subjective")であるということから文脈的に、
同じ"Sujet"でも、「主体性」ではなく「主観性」と訳すべきだ。この引用箇所のすぐ後に
「知覚と行動の隔たり」を時間イメージにおいて満たしに来るのは「回想イメージ」なのであると述べ、
CINEMAの時間イマージュ論の中から、言うなら視聴する以外の行為はなんらなされない。
すなわち視聴主体=主観でしかない。
V以降のCINEMA2における"Sujet"はあくまで主観性と考えられるべきであり、
それは超越論的な高次の「見者」(”voyant")へと生成するのである。(時間イメージp30)
運動イメージにおいても映画的鑑賞において、提示される映画的状況に対して、
感覚ー運動的に関与するが、厳密には「行動イメージ」が提示されていても、
観客が「行動」しているわけではない。それゆえ、本来の行動の主体性を直接
「行動イマージュ」から引き出すことはできない。(自然的主観性ではない)
ほんとお前らポエムが好きだな
「行動イマージュ」は行為とそれの為される環境・状況との関係で
行為の一般的理解がなされるだけだ。
ポエムじゃないと言いつつ、「行動科学」って言ったて、原型的にハトの行動観察であるような場合、
行動の理解であることに変わりない。
ドゥルーズの実践の指針とは先回りすると、存在の様式の生成・変容に関して言われる。
ドゥルーズの実践的な問題が単に思考上のものである、とは言えない。
「第三の時間的総合」と「受動的総合」に読み違いがありそうなんだが?國分さんは。
実践が「思考」上のものであるとすると、「第二の時間的総合」に留まってしまわないか?
失敗が怖い?挫折したくない?それはいいにしてよ、みたく。上手くやれた方がいいよ、って
言うか?まあ教育的であるには危険は避けたい。
次回ドゥルーズ・ガタリに入りそうだが、前振りで「子育て」論。A・Oなんだな。
國分さん気を配ってるけど「器官なき身体」をどうするかね。
ニーチェの「生は実験であって構わない」という野生は、最後がよくないか。
上手くやりましょう、という今日的な洗練だね。
言いすぎかね。
M・Pの中に実存を枯渇させないためには、ということも実は書かれているわけで。
くだらねえ
私は>601です。國分の渡世について誤魔化しを通用させる論文を読んだらあほ臭くて、
鬱憤晴らしをしただけ。
間違いました<651です。
>>601 あほー
教養など意味がない
その教授のほうがましそうだま
677 :
考える名無しさん:2012/11/10(土) 23:33:15.26 0
>>661 >そうした枠組み内の「定見」。新しさについて「創見」
その「定見」は具体的には何で、「創見」は具体的にはどういうところなのか、きいてるんだが。
バカばっかりだな
教養意味がないとか言っちゃう人って相当痛いと思う
ドゥルーズを理解するには、どんな教養が必要なの(役に立つの)?
681 :
考える名無しさん:2012/11/11(日) 00:08:35.38 0
哲学が社会を動かしたこと。
ロシア革命をはじめとする社会主義独裁権力の樹立。
ヒトラーの純化主義による独裁と虐殺。
資本主義による植民地支配と奴隷の拉致。
資本家の搾取を全肯定するための新自由主義。
ろくなことないね。
バカすぎる
683 :
考える名無しさん:2012/11/11(日) 09:29:47.53 0
>>682 なぜ?
違うというなら、別の例をあげてみな。
>>683 近代市民社会の基盤になっている思想、
たとえば、啓蒙主義や人権の思想(奴隷解放運動、
人種差別撤廃等々含む)ひとつとっても
哲学的な基礎づけが背景にある。
はじめて聞いた
て、哲学が?
ヒトラーにしろ、奴隷解放にしろ、
哲学的な基礎づけ?
どんな哲学的な基礎づけなんだろ。
ある社会思想や政治思想が哲学的な存在論や認識論に影響されている、ないし、関係しているという意味ならわかるんだが。
倫理学なんて言われても困るしなあ
>>684の言わんトスる事はわかるつもりなのだが、
たしかにドアホ
>>681への簡単な例示だとおもうが。
果して哲学は社会的、政治的、経済的な思想の基礎たりえるだろうか。(1)
ま、言葉「哲学」の意味合い次第でございましょうが。
あ、俺は(1)に対して「たりうるどころか、常に或哲学的な基底に立つ」と思うけどな。主張する本人がどの程度自覚してるか、しえるかは別として。
ま、言葉「哲学」で意味させることが違うからな
>>685 例えばwikiによると
>中江兆民は、フランスの思想家ジャン=ジャック・
>ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的
>指導者となった。
こういう話。
それ、哲学ではないがな
言わんトスる事はわかるが。
ルソーは哲学だろ。馬鹿か。
げ・ゲゲゲゲ
ルソーが哲学!!
うひゃひゃひゃ
>>689 社会契約論や人間不平等起源論ぐらい読んどけ。
>>690 だから、ソレラガ哲学?
ウヒャヒャヒャ
なにこのクソスレ
ミルプラトー
ああもあり、こうもある
>>691 18世紀からだんだんにヨーロッパを中心に現実とのすり合わせの
中から形作られてきたのが「啓蒙主義」である、というのは
高校生でもわかる話。そのなかである意味ジャーナリスティックに
ものを書いた人がたまたま「ルソー」という人だった訳でしょう。
リビアの内戦は自由化を目指してるし、シリア内戦は宗教が絡み大国の
意図が絡んでいる。中国国内の所得格差が毎年18000件に上る暴動・スト
の原因になっている。現実を大衆がどう見るか、ということと
アカデミズムとは実際は距離があるのは、確認済みの話としてほしい。
中国国内で「自由主義」なんて地下でしか語れない。
もはや中国は共産主義ではなくナショナリズムの国になっている。
ケイモウシュギは哲学では無いけどね
>>677 ドゥルーズを哲学的正当派ということができるには、科学至上主義もしくほ
定量的学説の万能性の現時点で哲学のプライオリティを言うことが難しい時代にあって、
古典との対質の上になる言説として、その資格があるとみなせるなら、
ドゥルーズにたいして、一定の「定見」としていいと思うから。
長い哲学史のなかにあって、古代のヘラクレイトス、アテナイ期のプラトン・アリストテレス
に言及し、ヘレニズム期のストア派、スコラ哲学のスコトゥス、近世のデカルトスピノザ、
啓蒙期のライプニッツ・ヒューム、カント主義より始まるドイツ観念論、ニーチェから
実存主義について、一応の古典に対して総当たり戦的に正面から対決しながら、
独自の総合をしているという視野の広さが、現代思想として「新しい創見でありうる」と
私はみなしています。単なるその場しのぎの思い付きではない範囲においての
思考の営みから生み出されたものであると思うからです。
こりゃ肝心の彼の発想についてなにも書いてないな。
それに科学至上主義ってよく宗教系の人がいう言い方だが、そういう哲学俺はしらんしな。
定見でも創見でもいいが、それを言ってくれないと君の解釈を検討できない。
>>698, 700
社会思想と哲学が無関係と思える発想が謎。
>>701 無関係?
よく読もうね
「 ある社会思想や政治思想が哲学的な存在論や認識論に影響されている、ないし、関係しているという意味ならわかるんだが。」
>>702 存在論と認識論が哲学で
他はそうではないという発想が
根本的に間違っている。
認識論とか存在論とか、
それこそ啓蒙主義以後になって初めて可能になった
講壇哲学の発想でしょ。
ゲゲゲ
こうだん哲学!!
非哲学用語ばかりやな
>>703 ・・・・
哲学的不毛だなあ、
存在論と認識論だけが・・・としてまう解釈じゃあかんなあ。
しかも、ご丁寧に肯定否定の手法。
多分、意味わからんだろけど。
まあ、哲学なんぞ口走らないで社会思想やってんさい
>>699 定性的理論と定量的理論。(科学方法論)
「質的」と「量的」。(ベルグソン)
「実在的区分」と「数的区分」。(スピノザと〜)
強度的多様体。(差異と反復)
うーん。なんかどこがドルーズなんだか
単語しかださんし
ドゥルーズがいちばん嫌いそうな書き方だな
ま、そろそろいじめるのやめるか。
要するにわかってもいないくせにワカッタフリするのよせ。
君のわかった感は、非ドルーズ的な枠組みから、ドルーズを分類、位置づけしてみせてるだけだからなあ
キモッ
もう少し時間があれば、ドゥルーズの著作のほとんど全部を読み終わる。
主要著作は全て翻訳されている。余裕がああればドゥルーズをもう少しで
離れるだろう。ドゥルーズが言ったことの全てをまとめるのもいいが、
そのディスクール以外で言外にドゥルーズが言っていることを探るのが本当。
それはまだできない。無理なこと言えない。
>>710 ドゥルーズ的な枠組みの文脈中に安住して、食っていければいいんだろ?
訓古注釈学以外には何もせんで、たぶん身内でコンセンサスあれば
まずまずの成果なんだろうし。
>>708 アホくせ。私の論文500枚もかかって論じたことを、2チャンネルで
いちいち全面展開する理由は毛頭ない。
716 :
考える名無しさん:2012/11/11(日) 23:42:27.56 0
>>714 2チャンネルに来ているやつが、なに言ってるんだw
簡単にまとめられないなら、まとめられない程度の理解、ということだろう。
言うことありません。
>>712 その「本当」のためには、しちゃならん事しちまったなあ。
特定されてもあまり恥じることないですが。
ほんなら論文うp
なんかドゥルーズの笑ってる写真(たくさんあるけど笑)みてると和むわ
哲学者ってみんな強面だけどドゥルーズてもはやかわいいといってもいいレベル
>>591 なんだこの間抜けなコメントは…
ドゥルーズを科学のパラダイムとして評価している論文があったら教えてもらえませんかw
>>724 科学の真理性が、「科学の理論の検証のために行われる精密な実験結果」「実験的
検証の総体こそが、われわれが自然界についての客観的な知識を獲得したことの証拠
なのである。」というソーカルの主張は、クーンが「パラダイム」の転換がなぜ起こるのか
ということを問題にした際に、「非経験的な諸要因」によって起こるということを認めることが
できない。これは認識論的問題に関与する。
というのは「ここで認識論的を系統だって論じるつもりはないし、ましてこの分野において
の何らかの新しい考えを述べるつもりなどはない。」(p78)と著者があらかじめ述べるように
事実問題として通常科学が社会で通用している現状につての常識的再認を主たる根拠と
して自己正当化いるからである。
そうすると科学者の常識において「科学用語がどう使われているか」という事の事実性
に反するものとして、ポ・モを批判しているだけになってしまう。
ファイアー・アーベントの哲学的議論の方が興味深いというだけ。
ドゥルーズを科学の土壌で語りたいなら、
まずはドゥルーズ理論を<論理的にでも>反証可能な命題で示してもらえないですかね。
「知の欺瞞」の中にヒュームについての言及があり、
哲学史上の常識的的言説である「懐疑主義」という扱い
で取り上げられているが、ヒュームンついては
ドゥルーズの独特の読解による「ヒューム論」があるのだが、
そうしたところへは、「知の欺瞞」の著者たちの目が届くいている
わけではない。
議論を進める余地はない。
>>726 ドゥルーズをもとより科学の土壌で語る理由はないのが、
自明だと思いますが、
ドゥルーズの「ヒューム論」は人間は自然状態でデリール(錯乱)であり
次第に経験に与えられたものから「自己超出」によって知識を得て人間的主体を
獲得するということです。
ファイアー・アーベントがソーカルの本で「何でもあり」と呼んでいる立場の方が
人間の自然状態での「デリール」を想定するドゥルーズの前提に近いと思います。
>>591 これ、見てわかるように、
じぶんでも、よくわからないこと書いている。
なんかを、読んで、なんとなくのイメージに合わせて単語並べましたでしょ。
聞いても無駄。
2chは初心者の素人なんだからさ、気楽にいこうぜ
私は
>>591ですが
>>729でもあります。
591を書き改めましたが。
ドゥルーズのヒューム論をどう考えます?
ククク、
>>725 についての反論出てこないじゃんwww
>>725 についてのまともな反論がないなら、
もう本気で真面目に2CHにか帰国の止める。
てか、725も文章めちゃくちゃだし、推敲する気がないなら書き込むの辞めたら?
ドゥルーズの〜論という言い方自体が笑えるw
無知乙
出版されてすぐに買った。
>>741 あれそんなに大きくないよね。10000円はちょっと高いかな
まだ書き込み続ける気か
何かまずいことがある?
タブーだとかいう?
もしかして君らポエムを科学理論として読みたいの?
何か辛いことでもあったの?かわいそうに
750 :
考える名無しさん:2012/11/15(木) 13:19:17.53 0
>>744 自分の理解が他人には通じない自分だけの勝手な理解だ、とは思わないの?
ワロタw
竹田の本でも読んでろw
752 :
考える名無しさん:2012/11/15(木) 13:26:34.52 0
ドゥルーズがポエムだとして、ポエムが人間を理解しようとする哲学に無意味だということにはならない。
哲学はヘーゲルで終わってる。
そこから先は、論理的な言葉で言い表すのは無理だ。
だから、哲学も喩として表現するしかなくなっている。
そう考えてもいいかもしれない。
それを理解するためには、どうしても詩を読むような言葉の飛躍を受け入れなければいけない。
753 :
考える名無しさん:2012/11/15(木) 13:27:51.56 0
>>751 自分を客観的に見ることができない人なんだねw
754 :
つくだに:2012/11/15(木) 14:46:03.98 0
竹田さんを馬鹿にするな!
ポエムは暗記技術で
必ずしも非論理的という訳ではない
そういう音韻学を知らない書き込みこそが非論理的
ドゥルーズがやったのは概念の書き換え
例えばバロックが現代的だということが明らかになった
暗記技術・・・・
どわー
話についていけないやつは荒らすことくらいしかできないよね
760 :
考える名無しさん:2012/11/15(木) 18:27:17.39 0
761 :
考える名無しさん:2012/11/15(木) 18:28:06.56 0
波平流の句読点使用法だろ
見ればすぐにわかる
ドゥルーズ研究というのはまだ続くよ。
波平て誰
数学モデルをもとに哲学をやり始めたのはデカルト以来。
それ以前は、科学を全く意識しなくても聖書に関連して
解釈すれば真理として通った。
今は科学者のご起源を岡がうという次第か。
ミスタイプ「ご意見をうかがう。」
哲学史を知らない馬鹿が、また無茶を言う
古代ギリシャでも、数学との緊張関係は
哲学の重要な柱
ギリシャ的哲学は、中世にキリスト教のイスラムとの護教論論駁のために、イスラム経由で
再発見されて、ヨーロッパに入ってくる。だが、中世の哲学はアリストテリコ・トミズムが主眼
だ。プラトンとアリストテレスの主題は数学ではない。
数学・幾何学の研究によって得られた明晰判明さの概念であって
数学モデルというのは語弊がある
>>771 ドゥルーズはもはや「明晰かつ判明」の命題にこだわらない。デカルトは過去だとみなす。
そうはいってももしデカルトがいなかったら、という意味で、
偉大ではある。それを単著とみなせるならば。
>>770 > ギリシャ的哲学は、中世にキリスト教のイスラムとの護教論論駁のために、イスラム経由で
> 再発見されて、ヨーロッパに入ってくる。
イスラムとの論争のために再発見されたわけじゃないよw
> だが、中世の哲学はアリストテリコ・トミズムが主眼
> だ。
トミスムが主流になったのは、中世も終わりになってからだよw
哲学史からやり直しです
言いたいことはアリステリコ・トミズムを例にとると、デカルトの幾何学的精神という
数学的明証を範とする「方法」は近世になってからということです。
ドゥルーズは中世の概念を幾つか使ってます。
トミスムじゃなくて、ジルソン経由のスコトゥスだけどな
よいことを聞きました。どうもありがとうございます。
>>772 >デカルトは過去だと見なす
ドゥルーズはそういう読み方しないと思うけどなあ
ただ、自分とは性に合わないと、ぶっきらぼうにつぶやきそう
書き手をまず信じることが大事だみたいな発言があったと思うんだけど
どこだっけか
>>781 自己洗脳志願だな
内在的な理解を試みることと、信じることは違う。
彼として感じる考えることを目指すことは訓練としても重要だと思うが、
信じてじゃ、宗教徒の姿勢だ。
明晰判明
それを目指して
どれだけ毎日物語が事実上として語られているだろうか。
周延して閉じてしまいたい
その思いがどれだけ曖昧な思いを
記号上の判明の装いをもって明晰さをでっちあげることか。
ドゥルーズの「差異と反復」にはカント主義の三力能論にのっとっているようで、
理性(raison)という言葉がほとんど出てこない。
その代り「思考」(pensee)という言葉の方が多い。
アホー
やっとドゥルーズスレらしくなってきた
立法者としての理性に対して思考は「生の新たな可能性を発見し、発明する」ものとして
ニーチェと哲学では語られてるね
で、それについて
君はどう思うの?
あなたの答えはどうですか?
答?
宗教じゃあるまいし
きりかえし?
これまた、宗教じゃあるまいし
ま、述べずに済んでよかったね
こんなアホみたいな言葉遊びしていないで、
せめて英語版で読んだら?
カスな日本語訳より1000倍マシ
桧垣さんドゥルーズ研究とても早いうちに重要なところつかんでたよ。
学会発表のとき。15年ぐらい前。
英語版よりフランス語版のほうがいいよ。
ベルグソンを主体とすると「生命」という線は出てくる意味があって、
また人間科学部だったよね。所属。
英語でも入門書で読解のヒントあるよ。
どれ?マイケル・ハートの以外で
小泉も桧垣も鈴木も着眼点やセンスはよく
学生にネタを与える教育者ではあるんだけど
本人たちから出てくるものは、どうしてそれほど面白くないのか
これが多分今の日本の哲学業界の最大の問題
國分と千葉は?
二人ともまだ若いから上の三人ほど語っても意味がないと思う
もちろん、カントが主著を出したのはかなり年いってからだが
國分は、ときどき見られる参考文献の汚い使い方はおくにしても
「本来性なき疎外」といった標語を振り回すだけで
その標語に概念としての力を与える能力に、今のところ欠けていると思う
たとえば、本来性なしでも、なおそれを疎外と呼び続けることの意味を
きちんと検討しなければ、一般には本来性を前提すると考えられている
疎外論の組み換えには至らない
千葉の哲学がどうなのかは博論が出るまで判断できないけれど
哲学的には良くも悪くも理論構築が「可塑的」過ぎると思われる
しかし、それは美術評論的エッセーにはプラスに働いている
これまで出ているものを見る限り、そちらに彼の本領はあるのではないか
ただし、博論が出ると印象が変わるかもしれない
論評はいつみても虚しい
結局書かれた物ものがすべて。
対談やツイッターの戯れ言ではお話にならない。
803 :
考える名無しさん:2012/11/28(水) 10:35:14.20 0
804 :
考える名無しさん:2012/11/28(水) 15:53:26.08 0
ルソーの文脈に沿って言うと自然状態からの離反だと
も言えそうですが。(alienation)
自然状態から社会契約に入った時に「権限の譲渡」とともに
自己疎外すると。
ヘーゲルの「イエーナ体系V」に初出するらしいです。
ヘーゲルが中世ラテン語から引き出したキーターム
(英語からとも言われた)である「疎外」について
本当のところその核心をお教え願いたいです。
ドゥルーズが「差異」と「反復」をキータームとして
引き出したように。
「自然状態」から「啓蒙理性」へと体系的に自己疎外するという
のがへーゲルであると。
809 :
考える名無しさん:2012/12/01(土) 17:04:04.72 0
>>805 「自然状態からの離反」が疎外の一例ということ?
遠ざかる、というぐらいの意味合い?
そうだとすると、自己疎外というのは「権限の譲渡」によって自分から遠ざかる、ということ?
810 :
考える名無しさん:2012/12/01(土) 17:11:49.27 0
マルクススレから
−−−−
744 自分:考える名無しさん[] 投稿日:2012/11/24(土) 17:40:16.28 0
>>743 横からです。
疎外というのは、自分自身が動くことによって自分に反するものが生じてしまうので、それを解消する動きもまた必然的に出てくる、というのがもともとの意味。
ヘーゲルが明確にした概念だ。
生命そのものも疎外の中で生命を維持する。
社会的なあり方もまた、何らかの動きはその動きの中に自分自身に反対するものを生じてしまう。
本来、人の仕事は自然を自分にとって役に立つものに変えるための行動なのに、社会の発展とともに分業化されて、自分に役に立つものを作るのではなく自分とは無関係な物を作ることが仕事になってしまう。
さらに、資本主義社会では、自分の労働を商品という一般的な交換価値としてしか実現できなくなる。
人間としての行動が、人間が作り出してしまった貨幣という人間にはいわば対立するものとしてしか表れない。
これが資本主義社会における疎外だ。
−−−−
どうだろうね?
初期マルクスが「類的本質」からの疎外ということを考えたけれども
資本論に入ると、言わなくなるそうです。
國分は人間の本来性という言葉で、啓蒙近代的な「人間性」の
理念やそこから引き出されたイマージュを自明の前提とすることが
できないと考えるのでは。
>>810 自己疎外論だとそれをうまく自己意識の中で止揚できるが、
それは「精神現象学」にあるとうり。
813 :
考える名無しさん:2012/12/01(土) 17:45:25.18 0
>>812 ヘーゲルの止揚もいわば螺旋状。
神を持ち出さないと、止揚して解決とはいかないでしょう。
ドゥルーズの文脈で疎外を言うのは少し無理。
815 :
考える名無しさん:2012/12/01(土) 17:58:36.50 0
國分独自路線で、ドゥルーズプラスアルファの主張では。
817 :
考える名無しさん:2012/12/01(土) 18:14:11.05 0
本来的「人間性」の代わりに、個体化の問題を加味して「実存」論の問題を
引き寄せようとするのがドゥルーズ。
上で大体出てるけど、疎外(Entfremdung, alienation, estrangement)っていうのは
それぞれ多少のバリエーションはあるにせよ
何らかの、本来属しているはずのものが、疎遠になっている状態という意味で
そこから、基本的にはそれらを取り戻すという形で何らかの解消を目指す、というのが原義なのね
それは精神だったり、人間の類的本質だったりするわけだけれど
(ヘーゲルにおいては、新プラトン主義的流出論を見て取れることも有名)
マルクスは、最終的に、あまりそうした疎外について語らなくなるわけだけれど
一つには、単純に、当時の労働者の状態について、類的本質なんて言ってられないって
実情があったわけ
プチブル思想家の國分さんは、そうした背景を消去して
「ほら、マルクスは、労働時間の短縮しか言ってない」などと言うが
背景には、マルクスの理論的な発展だけでなく
そんなことを言っている状況ではない、という切実な認識があったわけね
いずれにせよ、疎外論自体は、ある種の本来的な状態を想定することで
そこから外れた状態が生じている、ということを語る議論なので
「本来性なき疎外論」というのは、語義矛盾であって
もはや、その場合「疎外(ほんらいのものから外れた)」という言葉に
何の意味も残らなくなっちゃうのよ
ドゥルーズスレだよねここ
吉本隆明信者が居座ってこうなった
多少脇道にそれてもいいじゃない
Dさんもいちおーマルクス主義者として自殺したんだし
その場合の「本来性」とは配分の平等が実現した場合、
として計算されて出てくるものであって、一般的な「類的本質」論
ではなくて、抽象的な価値(労働価値)から産出される平等な
所得配分になればいいんだろうが。
「産出」でなく「算出」です。
ソ連崩壊を見てドゥルーズはどう思っていたかな。
泣いていたにきまっとろうが
嗚呼、かなしや
ベンショウホウの友逝きたるか
資本主義なるもの自体が歴史を持っており、
局面において、経済理論が当てはまらなくなってしまうという事態を
DGは知っていたような。
なぜ国の経済成長は一定の水準で止まるんだろうか。
逆に無限に成長しえるか考えて見ろ
829 :
考える名無しさん:2012/12/01(土) 23:43:25.46 0
Amazonで予約するタイトル創造的進化
サブタイトル
著者 [著者区分]■アンリ・ベルクソン [著・文・その他]
■竹内 信夫 [翻訳]
出版社白水社レーベル
本体価格
(予定)4000円シリーズ新訳ベルクソン全集
ページ数 500pCコード1310
発売予定日2013-01-28ジャンル教養/全書・双書/哲学
ISBN9784560093047判型46
内容紹介
動物と植物の分岐に先立つとされるエラン・ヴィタル(いのちの躍動)とは何か? 本能と知性の根源をさぐる哲学的生命論。
830 :
考える名無しさん:2012/12/02(日) 03:17:50.22 0
疎外という概念に関する議論は、いまとみに重要なものだと思う。
私としては、方便として「疎外」といったほうが良い場合がある、
という意見。
昔から謎の概念だった
作り話ぽくてなあ
832 :
考える名無しさん:2012/12/02(日) 05:56:00.30 0
反本質主義・非本質主義的な理論というのは、
批判力や説得力を欠くところがある。
あるいは、「俗耳に入りやすい意見」であることを過度に嫌うために、
主張の焦点がぼやけることがある、といってもよい。
フェミ構成主義などが、その典型だといえよう。
また、形式的にも、「閉じた体系」を前提しにくいものなので、
「外部」を想定せざるを得ないが、そのような「外部」観というものには、
「外」といったとたんに内部化される、という矛盾が避けがたくつきまとうのである。
そレらもろもろの事情をみるに、いまやポストモダニズムにおいても、本質主義全否定、でなくても、いいのではないか
というのが私の意見である。
>>828 住宅をはじめ衣食住が足りている需要飽和経済なので
経済成長が伸びない、と考えていいでしょうか。
普通の人間が考える自然な形で「本質」を語るのは今も当然。
そのことは誰にでも通用しそうな範囲。
自覚している以外の範囲で「人間」の無意識な構成を考えるときの事例
を示す際に、「マシニズム」を論ずる方向がDG。
普通の言論にはそぐわなくなる。
835 :
考える名無しさん:2012/12/03(月) 20:54:18.51 0
依然としてソーカルのポモ批判は生きているということか。
マシニズムは科学・数学用語を濫用してはいない、と思うが。
ガタリ単独の本って
すさまじく読みにくいな
訳の問題じゃなくてガタリ自身が神懸かりで語ってるみたいな
ガタリって1分で3個くらい新しい概念を作り出せるらしいぜ
北田暁大がガタリdisってたな
「われわれは科学という肩書きを主張しようとは思わない。」
「そして存在するのは欲望の機械上アレンジメントだけ、言表行為
の集団的アレンジメントだけである。」(ミル・プラトーp36)
ミル・プラトーの立場からすれば科学の諸学説も「言表行為の集団的アレンジメント」であり、
そのアレンジメントにそぐわないので、「ソーカル」が的外れの独り相撲をしているだけだ。
ドゥルーズスレでソーカルの話ししたら分哲専攻のワープアとかスターリン主義のおっさんがやってきてクソスレになるからやめろ
842 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 00:25:18.55 0
>>836 >>840 ソーカルが批判したのは、科学や用語の乱用の問題じゃなくて、直接的な言辞ではなく比喩的な言辞を弄することに対してだろ?
「言表行為の集団的アレンジメント」なんてのもそれに該当するんじゃないの?
>>841 なんで?
来ました
分析哲学以外の用語法をすぐ「比喩」と言いたがる悪癖をなんとかしろよ
845 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 00:31:07.73 0
>>845 分析的伝統以外の哲学説を藁人形論法で揶揄し過ぎ
そもそも「比喩」と名指した瞬間に罵倒も同然で、
「合理的な論証」の外部に放逐しているのもしょうもない
もう何回目だよこの流れ。ソーカルの話は終わり。何回でても結局gdgdしてつまらん。
ああ、「藁人形論法」を指摘したがる人か。いつもの人だね。興味がないドゥルーズのスレにいちゃもんつけにくるなんて凄く暇なんだね。
850 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 00:41:20.65 0
>>846 >藁人形論法で揶揄
これも比喩だな。
意味はよくわからないが。
>>847 比喩ではなく、「合理的な論証」、であると言い切れるの?
851 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 00:43:36.43 0
>>849 うん。
だから、忙しそうな君に相手してもらおうと思ってさ。
852 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 00:55:32.92 0
分析哲学にしても「比喩」だろ。
日本のアメリカ系哲学の連中は、
新古典派経済学など疑似科学的分野の連中と似てるんだよな、
形而上学を形而上学と知らないでやっているという、その形而上学厨房ぶりが。
しかも、そのしゅの人には、英語すらたいしてできないようなのが多い、と。
>>829 ベルグソンの原典を読むと、日本語訳が歯がゆいなー、という印象を受けた。
ベルグソンの書いたものはとてもクリアでシャープなことが書いてある。
新訳がでるとどうなるかな。
>>853 で、その
クリアでシャープなことってなに?
聞いてはいけなかったかな
>>847 うわ
合理的な論証!!
ウピャピャ
>>840 で、君は
どういう立場にたつの?
聞いてはいけなかったかな
>>856 2chは水物だよ 流してなんぼ
何より質問の仕方が死ぬほど嫌み(発達障害?)
で誰も答える気にならないと思う
あなたが中島義道というなら話は別ですが
ドゥルーズは全部文学wみたいなウエメセ
ウエメセ?
860 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 12:23:54.73 0
うわああああ
862 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 12:30:25.20 0
哲板のドゥルーズスレは荒れてるかドゥルーズ関係ない話してるかのどっちかだな。
文学板の方がレベル高い。
楽しい?
>>856 DGがミル・プラトーで自ら「ポップ分析」という新しいジャンル
を作って「リゾーム学」をその本で追及しているのだと思うが。
>>854 訳者がベルグソン哲学の全体像を図式として把握していないため、
ベルグソンのフランス語の原文に表れているアクセントを日本語にうまく
移し替えられていないから。
>>869 ドピャピャ
なーんも内容について述べてないやんか
>>842 「哲学と科学の相互干渉」を明言しているので、比喩ではなく
自分の哲学の文脈で科学用語を用いてよいというのが、基本。
「言表行為の集団的アレンジメント」はDGの独創。
比喩じゃない。
>>870 2chでベルグソンを2.3行で要約できるようには、私は偉くないです。
873 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 15:46:13.99 0
>>871 もちろん、「科学用語」を使うのは自由だよ。
ただし、適切であれば、だ。
科学用語もその元になっている擁護の概念を、専門的に熟知していなければ比喩としてしか使いようがない。
そこをソーカルに批判されたわけだ。
>主体は存在しない。ただ言表行為のさまざまな集団的アレンジメントが存在し、主体化はその一つにすぎず、このようなものとして表現の形式化あるいは記号の体制を指示する
これが比喩でないなら、ただ文法的なそれぞれの言語の共通性のことを言っているに過ぎないとしか読めないが、ほかにどう読めばいいのだろう?
874 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 15:47:28.10 0
>>873 >擁護の概念
ありゃ、用語の概念、ね。
科学用語の乱用ももちろんだけど
ソーカルのデタラメ論文を「ふむふむ」と読んでいたのが悲惨だよね
ソーカルVSドゥルーズ
上記のスレを作ればすべて解決
ソーカルVSリオタールが一番楽しそう
878 :
考える名無しさん:2012/12/04(火) 23:18:50.02 0
カッシーラーなんて、日本の「科学哲学者」よりもはるかに科学詳しかったが、
概念は隠喩の残滓、という有名な言葉を残している。
ポストモダニズム思想というのは、基本的には、おおむねこの種の考え方の線上にあるので、
素朴実在論やら素朴二元論的な、守旧的科学的言説とははなからかみ合わない。
もちろん、どっちが「正しい」という問題でもないのだ。
カッシーラーとかヤスパースは最高の哲学者なのに日本じゃほとんど触れられないな
いつもハイデッガードゥルーズだよw
ヤスパースとか向こうでも人気ねえし
日本では〜とか言うやつに限って日本語しか読めないよね
ヤスパースもカッシーラーも博学だけど博学なだけ。
独創性では、ハイデガー、ドゥルーズのほうが圧倒的に上。
882 :
考える名無しさん:2012/12/05(水) 00:33:47.66 0
外連味があるほうが受けるから、それも仕方ないだろう
哲学思想もマスコミ商売だからな
883 :
考える名無しさん:2012/12/05(水) 00:38:54.85 0
現代の哲学者=芸術家・作家という観点からは、
ハイデッガーとドゥルーズは、二十世紀前半と後半のザ・ベストだろうが、
知識があてになるか、といえば?なのは否めないのではないか。
ヤスパースもカッシラーも日本では早くから訳されて読まれてるよ
ただ早くから読まれただけに流行が過ぎてしまったというだけの話
カッシーラーはハイデガーの哲学的ライバルだった。
後から見るとハイデガーが勝ってるわけだけれども、
それはカッシーラーは理論的に負けたのではなく、
大戦後の独仏論壇の雰囲気がハイデガーの味方をだけなんだ、みたいなことを木田元が言っていた。
勝ったぁ!負けたぁ!しか言えないの?笑
>>878 >概念は隠喩の残滓、という有名な言葉を残している
これの出典はどこですか。
カッシーラの言語哲学には「概念の規定性」というのは出てこないの?
概念というのは既存の言葉からの換喩だけでしかないの?
いよいよ「吉本」みたくなるよ。
換喩の残滓では、全部ポエムになりませんか。
ベルグソンの新訳見てみないとわからないですね。
換喩という単なる言い換えで、何か新しいことが付け加えることはできないのでは。
言い換えても、意味は同じまま。新しいこと見方が付け加えることにならないのでは。
総合判断であるような同義反復でない経験から学ぶ概念の獲得はどうなります?
894 :
考える名無しさん:2012/12/06(木) 01:43:17.03 0
極論すれば、分析判断と綜合判断の区別というものがない、ということだと私は思う。
確固たる区別がある、と思う方は、どうやって区別するのか、説明してみてください。
そんなクワインみたいなこといってないと思うんだけど、
きみカッシーラー読んでないでしょ?
896 :
考える名無しさん:2012/12/06(木) 20:52:22.63 0
カッシーッラーは言ってないだろ。
たてまえ新カント主義者だろからな。
私はそう思うといったのだ。
さて、君の見解を書きなさいよ。綜合判断と分析判断の違いについて。
897 :
考える名無しさん:2012/12/06(木) 20:58:37.12 0
だいたい、こういう問題に関して、
クワインなんて、ずいぶん最近の人の名前出すところが、
実におめでたいんだよな。
>>894 カントが言うところの分析判断が「同一性」を基準にしていることが、クワインの
言うところの「経験主義の二つのドグマ」で問題になるかもしれないですが、
ドゥルーズはカント的コギトの第三の論理的価値「規定されうるもの」によって論理学
を(p142)先験的価値の審廷におく、と述べており、もとより論理学を否定して
はおりません。
論理学における論理計算の「三段論法」が分析判断だと思います。
899 :
考える名無しさん:2012/12/07(金) 00:20:43.57 0
898さんが言うようなのは、肯定するも否定するも、ようするに、
理屈と膏薬は何にでもくっつく、というような話しだと思うのだな。
極端に言えば、論理と詩に違いを見る、なんてのは、ようは慣れの問題、だという見方ができるといいたいわけ。
ドゥルーズ的な言説の編制論なんてのは、やはりそういう考え方の一種じゃないの。
少なくとも、そう理解されやすいし、そう理解されるものではあるだろう。
900 :
考える名無しさん:2012/12/07(金) 00:27:38.93 0
≫論理学における論理計算の「三段論法」が分析判断だと思います。
だから何ゆえそれが「分析的」であって、「綜合的」ではないわけ?
上でプロティノス由来の流出論とか、疎外論およびその批判の話も出てるんだから、
そういうのに、もうすこし繋げたらいいじゃないですか。
プロティノス由来の流出論ってこのスレのどこにあります?
>>900 カント「純理」緒言W。
でもクワインのwiki見ると英文でもはや科学を基ずける「第一哲学」の認識論など必要などない
とかいてある。またカントへの批判をしている。
その理由は「直感を概念に包摂する悟性」、または理解がなぜ成り立つのかが
なぞ(enigma)のままだからという。これを徹底的に嫌ったのが「論理実証主義」
のラッセルからのながれ。反対にハイデガーが執着したのは「了解」(verstehen)は逆に
言語をいかに明晰にしても、了解の力能がその先行前提でなければならない点に
重点を置いたことだ。その神秘主義的性格をラッセルは無意味とみなし、
自著「哲学史」では全く無視している。
903 :
中卒:2012/12/07(金) 02:32:10.73 0
カッシーラー対ハイデガーのダヴォス討論ならスガの「吉本隆明の時代」の注で触れられてたなぁ。
失礼「直感」でな「直観」。
905 :
考える名無しさん:2012/12/07(金) 02:44:57.83 0
上で大体出てるけど、疎外(Entfremdung, alienation, estrangement)っていうのは
それぞれ多少のバリエーションはあるにせよ
何らかの、本来属しているはずのものが、疎遠になっている状態という意味で
そこから、基本的にはそれらを取り戻すという形で何らかの解消を目指す、というのが原義なのね
それは精神だったり、人間の類的本質だったりするわけだけれど
(ヘーゲルにおいては、新プラトン主義的流出論を見て取れることも有名)
というのがあった。
906 :
東京電機大学卒:2012/12/07(金) 05:14:52.65 0
>>233 >価値が消費の段階で生まれるとかいうやつ?
柄谷行人の「トランスクリティーク」は、そんな内容ではないですよ。
価値が「流通」の段階で生まれると言ってるんです。
ソシュールとかの言語論を経済の分析に応用。って感じ。
こういう雑魚見てるとイラっとくるな
908 :
考える名無しさん:2012/12/07(金) 10:10:13.34 0
>>907 雑魚じゃない君が高説を開陳して見せてよ。
できれば普通の人にもわかる表現で頼む。
>価値が消費の段階で生まれる
>価値が「流通」の段階で生まれる
アホだな。価値があるから落ちてるものを拾い、価値があるから畑を耕す
>>900 論理学一般についてではなく、形式論理学の三段論法でした。
911 :
考える名無しさん:2012/12/07(金) 16:11:30.42 0
>>906 >価値が「流通」の段階で生まれると言ってる
とすると、「資本論」の全否定になるけど、それに対峙できる理論は構築されてるのかな?
なんとか銀行やプルードンなんか持ってきてもだめだよ。
いけね、スレチだ。
スレチだ、とか言いながら書き込むやつなんなん?
浅い知識をひけらかしたいだけ?
913 :
考える名無しさん:2012/12/08(土) 00:22:49.10 0
914 :
東京電機大学卒:2012/12/08(土) 01:13:29.97 0
ドゥルーズもマルクスからの影響大ですからスレチでも無いはずなので続行。
価値が「流通」の段階で生まれると言っても、「資本論」の全否定になるとは思えないです。
『資本論』におけるマルクスの価値形態論の形成において、サミュエル・ベイリーによるリカード批判が重要なんです。
言い換えると、物象化論が重要ということ。
価値の源泉を人間の労働にもとめるという考え方も、他方では重要なのですが。
以下のサイトの記述が参考になると思います。
http://members.jcom.home.ne.jp/mi-hamamoto/research/workingpaper/reification.html マルクスは、ベイリーのリカードに対する批判を「この反駁は一語一語正しい」(マルクス『剰余価値学説史』廣松前掲書:101よりの引用)
と認める以上、それが価値の実体的基礎としての労働という彼自身の枠組みに対しても再考を迫っていることも認めないわけにはいかなかった。
バカじゃね
なにこのレベルの低さ
次スレ立てなくていいよ
918 :
考える名無しさん:2012/12/08(土) 13:32:25.58 0
>>915>>916 まあ、スレチには違いないけど、自分が理解できないと、バカとかレベルが低いとか言って尻尾巻いて逃げだすのもみっともないな。
>>914 それはやっぱりマルクススレいかないとレスされないだろ。
よお税理士のおっさん
理解できないとかじゃなくて普通に全く関係ない話ばっかじゃん。わざわざドゥルーズスレ来てまでする必要あんの?
921 :
考える名無しさん:2012/12/08(土) 14:11:41.80 0
>>920 ないだろ。
でもドゥルーズやポモの、わけわからないこと言いたい症候群にちょっかい出されるのは、しょうがないだろ。
いや、ちょっかい出してからかえばいいという幼稚な発想も古い
923 :
考える名無しさん:2012/12/08(土) 15:59:37.34 0
>>922 アンカーも付けずに、逃げ腰で幼稚だとか古いとか言っても、大人っぽくて新しいものが見えるわけでもないだろう。
ドゥルーズ<ヘーゲル批判>→疎外論→物象化論で一応関係あるとも思えるが、
ドゥルーズへの言及がないな。
初期マルクスは疎外論、のちに物象化論と言われるが、
DGの「資本主義と分裂症」は「ダブルバインド」が基軸概念になっている。
昔だったらディレンマと呼ばれていた論理関係が無意識の中に行動を限界づける
条件として存在することについての敷衍。
>>923 ポモ叩きが「ちょっかいだされるのもしょうがない」とか言う発想は意味不明
926 :
考える名無しさん:2012/12/08(土) 17:31:36.50 0
>>925 思い出すのはセクハラ問題にポモ振り回して大学クビになった女講師だな。
ちょっとかわいそうな気もするが、男だったら全然かわいそうじゃないな。
あんなクソみたいな日本語訳で良く満足できるな。
おまえの脳内、どんなセリーになってんの?ww
>>926 そういう関心って、ほとんどの「ポモ」と言われる思想家たちよりも下衆じゃね?
たいていのポストモダン思想家は、
ちょっかいとかからかうみたいな次元では仕事してないだろ
929 :
考える名無しさん:2012/12/08(土) 18:12:35.07 0
>>924 >初期マルクスは疎外論、のちに物象化論
なんて言ってるのはルカーチと広松ぐらいじゃないの?
930 :
考える名無しさん:2012/12/08(土) 18:20:53.83 0
>>928 翻訳者だって理解できないところも多いとか言ってるな。
わかった顔して振り回せば、ちょっかい出されたりからかわれたりしても、しょうがないだろ。
ポモの現実版に関心持つと下衆なのか?
その女講師はドゥルーズ翻訳者の一人だぞ。
ラピュタに迷路作って遊ぶのがポモなのか?
地上に降りようとしただけでも、女講師は立派だよ。
くだらない言葉遊びが哲学だなんて思うなよ。
ポモってw
>熱を疑う者には、火の中に飛び込んでみろといったり、氷の冷たさを
>否定する者に対しては、それを胸元に入れてみろといったりするのは、
>哲学のプロとして、きわめて不適格な答えというしかない。
モンテーニュ エセー4 p.185 (1595年版)
>人がいかなることを説き、われわれがなにを学ぼうとも、与えるのも、
>受け取るのも人間であることを、つねに忘れないようにしないといけない。
>それをわれわれに差し出すのも、それを受け取るのも、ほかならぬ人間の手である
>ことを肝に銘じておきたい。
モンテーニュ エセー4 p.225-226 (1595年版)
>われらが思想の宰領たちときたら、自分たちが望んでいる結論に到達するのに
>必要なだけの場所を、われわれの信じることのなかに、あらかじめ、きちんと確保
>してあるのだから。つまり、幾何学が公理を使うのと同じ流儀なのであって、
>こちらの同意なり、承認なりを獲得してしまえば、あとは、われわれを右に左に
>引きずり回すなり、くるくる回すなり、好きなようにできるのだ。
モンテーニュ エセー4 p.183-184 (1595年版)
>学問との付き合いや交渉において、われわれは、「その道の専門家の
>いうことを信じなくてはならぬ」というピュタゴラスのことばを真に受けてきた。
ー中略
>それぞれの学問には、前提となるいくつかの原則が存在して、人間の判断は、
>あちこちからその縛りを受けている。主要なあやまちがひそむ、この諸原則という
>城門を攻撃しようとすると、彼らはただちに、「原則を否定するような人々と
>議論すべきでない」という格言を持ち出してくるのだ。
モンテーニュ エセー4 p.184
こういうおっさん達ってポモの揚げ足取ったつもりになるのが生きがいなんだからほっといてやれよ
937 :
考える名無しさん:2012/12/08(土) 23:19:44.07 0
物象化論は、もともとヘーゲルだぞ。
ヘーゲル主義とヘーゲルの思考は
マルクス主義とマルクス寄りも違うかもしれない。
それから、関係が物としてとらえられる、という物象化にたいするよくある説明は、
間違いとは言わないが、一面的だと思う。
そうではなく、関係即物、物即関係、ととるべきだろう。
ドゥルーズには確かに確保された命題がある。
実在的経験からのみ認識が生じる。(経験論)
実在的経験においては内在論の立場をとる限り、存在の一義性が成立する。
思考は強制されるものであって、虚焦点としての<イデー>が超越論的かつ内在的な「問題」
を形成する。さらにイデーとは微分化・差異化するものであり、
その問題の解は、微分方程式と両立可能であり漸進的判定可能性において得られる。等々。
このディスクールに対して私は20世紀のもっともすぐれた哲学のうちの一つとして
認めてます。他にはないものがあるので。
専門家の言うことを鵜呑みしてないつもりです。
あるいは原典を見ると日本語訳語が多少違ってるということも調べて分かるところもあります。
あなた にほんご すこし おかしいです
ここまで粘着するほどなんかいやなことでもされたのかな?まぁ暇だなあとは思う
ポモがポモがぁって何年同じこと喋ってんの?
新しい切り口ねえの?
ソの字の批判の対象になるような文章を作文して荒らすマッチポンプ
>>939 「差異と反復の」第四章です。突っ込んだ話は、いつもそういわれる。理解不能ならそれでもいいです。
「差異と反復」の第二章はどんなに解説しても学生が理解できないと、財津理さんが言ってた。
はいはいドゥルーズはポエムでポエムはゴミなんですね。あなたの言いたいことはわかったので、もう何回も書き込まなくて大丈夫です。
まともな日本語を書けない人間がドヤ顔で指摘する翻訳の問題点って
大抵単語レベルで間違ってると条件反射してるだけで
どういう意図でそういう訳文にしたのか、せざるをえなかったのかといった
翻訳元の言語と翻訳先の言語の構造の違いから生じる問題に無自覚なんだよね
そのくせヘーゲルやマルクスの悪文は気に入ってるからわかりやすい
団塊世代に多い
>>945 と言ったって、財津はライフワークで「差異と反復」改訳するって本人が言ってんだけどね。
948 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 00:45:55.98 0
>>943 本人も理解できないって自分のブログに書いてなかったっけ?
2chは一日三十分を目安にするといいらしい
952 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 01:15:27.50 0
953 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 01:40:03.64 0
938さんみたいな人はポモでも絶滅危惧種だろ。
たしかに、こういう人はバカにされても仕方ないが、
だれもかれもいっしょくたにしてはいけないのも当たり前のことなのだ。
954 :
914:2012/12/09(日) 01:43:16.51 0
955 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 01:47:36.93 0
ハイデガーがいうような
「存在の集約態である(はずの)ロゴスが、イデア的なものとなって、
ぎゃくに存在を規定せるようになる」
というようなのも、物象化論のバリエーションだと考えてよいと思う、というよりも、
今日的な物象化論はハイデガーのラインだと思う。
存在忘却=疎外、ととることもできるし、かくして、疎外論と物象化論の違いは実に微妙だといえよう。
ドゥルーズとかリオタールとかデリダとか全部まとめてわかんないからダメぇと言ってるようにしか見えないんだが。
ドゥルーズは用語の粗探しばっかり目立つがヘーゲルよりよっぽど明晰な文章書いてるぞ。
ヘーゲルやマルクスとか吉本の話しかしないからまぁまともに読んだことないのは分かるけどさ。
マルクス主義者とか現象学にしか興味ない人がポモポモ言ってもねぇ。分析哲学やってるほうから見ればどっちもどんぐりの背比べですねぇ。
958 :
914:2012/12/09(日) 03:01:40.07 0
この不毛な話題でどんだけ引きずるの?
960 :
パジャマ:2012/12/09(日) 03:39:10.53 0
繰り返される「この不毛」が「リトルネロ」なのだ。
961 :
パジャマ:2012/12/09(日) 04:06:33.19 0
不毛な話題には始まりも終点もない、いつも中間、もののあいだ、存在のあいだ、間奏曲なのだ
962 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 06:32:30.53 0
たとえば、一般相対性理論においては、時間・空間(時空)は、
たんなる形式ではなく、いわば物質と作用しあう「物象」を構成する要素である。
てなわけで、晩年の廣松が「相対性理論の哲学」なるものを唱えたのは
うなずけるのだ。
なお、ライプニッツは、ニュートン的な時間形式を用いない力学体系を構築しようとして、
失敗した、とされるが、これは当時の数学ではテクニック的に無理があったかららしいのだが、
いまでは一般共変性というアイデアに結実しているので、発想自体が悪かったわけではない、というのはほとんど通説のようである。
> たんなる形式ではなく、いわば物質と作用しあう「物象」を構成する要素である。
> てなわけで、晩年の廣松が「相対性理論の哲学」なるものを唱えたのは
> うなずけるのだ。
物質と作用し合うから「物象」だとか
まともに廣松読んだこともないんだろうな……
964 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 12:58:25.11 0
廣松読んだことないだろ
こういうのはバカとしかいいようない。
だいたい廣松の哲学なんてたいしたレベルじゃないっての。
それをいくらか高級にしてやってるわけさ。
ようするに、関係説力学説というのは、充足理由律なしには成り立たないだろう、ということだ。
その点では、西田から、吉本、廣松まで、また、ドゥルーズのライプニッツ論の「日本的解釈」を批判した
柄谷の「ライプニッツ症候群」(「ヒューモアとしての唯物論」に所収)は大雑把だが当たってはいた。
大したレベルじゃない、くらいのことしか言えないのに人を馬鹿にできるの?笑
吉本隆明氏「ソシュールと資本論の読み替えは相当やりました。」ってどっかに書いてたがね。
リトルネロ。
>>955 日常生活世界=頽落=存在忘却=表象代理現前(思考のイマージュ)GDとした場合は?
リトルネロ2
>>962 ちょっと違う話なんですがベルグソンもアインシュタインの影響下にありました。
>>958 ドゥルーズの「差異と反復」はカント批判なのだが、ハイデガーにも
「カントの形而上学」というカント批判の本があって、比較するにはちょうどいいよ。
「了解」概念がすごく特殊な立論に立っていることがわかる。
970 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 15:36:11.13 0
>>969 カントもハイデガーもドゥルーズも、現実社会ではなんの影響力も持ってないけどね。
柄谷が批判してたから廣松なんて読まずに批判してもOK(キリッ
とかって「ドゥルーズとか読んでる人間はこの程度のレベル」って
工作のためにわざとやってるんだよねえ……
ポモ煽りもそういうレベルの言論
柄谷のライプニッツ論って
ライプニッツは政治家だ、ライプニッツ論も政治的だ
とか馬鹿なこと書いてたよね
せやな
柄谷の影響化にいないけど、俺は「この程度のレベル」っていうのを鷹をくくりたくないね。
政治工作のためには俺は動きたくないね。盗癖があるだろ、お前。
日本語でおk
>>973 柄谷は翻訳が出てないうちにドゥルーズをパックっていたんだから、あんたよりずっと上だ。
978 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 23:25:13.87 0
ハイデガーの「カントと形而上学の問題」とつきあわせ的に比較するなら、
ドゥルーズのほうは「カントの批判哲学」のほうがよいのではないか。
ともに想像力(構想力)を巡る議論がキモだと思う。
なお、ドゥルーズはハイデガーを超えようとして、同じことを言ってしまっている
というエディプス状態になっている感あり。
>>978 「自己了解の時間性」のドゥルーズ流の答えが
「時間イメージ」だ。ハイデガーよりうまくやる
というのがドゥルーズの狙いだった。
もう一つあって「DR」の時間的総合の部分の工夫。
982 :
914:2012/12/10(月) 02:37:22.12 0
>>969 レスどもっす!
>>970 少なくともカントとハイデガーは現実社会で影響力もってるよ。
柄谷がNAMをやったのはカントの影響。
ナチがドイツのインテリに受けたのはハイデガーの影響。
ドゥルーズについては知らない。
って、また脱線しちゃった!
983 :
パジャマ:2012/12/10(月) 05:46:25.22 0
984 :
考える名無しさん:2012/12/10(月) 11:50:17.62 0
>>982 柄谷が現実社会? それはちょっと・・・
ハイデガーは確かに民族の優生思想につながって影響があったかも知れないね。
でもハイデガーの本筋ではなくて、ハイデガーの地位という面が強いけどね。
つられて脱線。
985 :
考える名無しさん:2012/12/11(火) 01:52:15.57 0
じつは、ナチには新カント派が多く
ハイデガー派はごく少数だったらしい。
アイヒマンなど、イスラエルでの裁判のさいは、
カントの「定言命法」を持ち出して自己正当化した。
また、ドイツの軍部は、ヒトラーに対してたてた
「忠誠の誓い」に随分縛られていたようである。
この、縛られる、というあり方は、ひじょうにカント主義的なものだろう。
あるいは、というより、カント倫理学に騎士道的な一面がある、といえるかもしれない。
スレチでした。
「ソーカル」のドゥルーズの部分読んでみた。ソーカルは頭があまり良くない。
こいつの頭じゃ無理だ。この人は「哲学」を真剣に論じる気はないいと表明しているので、
まともな反論は必要ない。「ソーカル」の頭じゃはどう転んでも無理。ただ事実問題としての
科学者の「常識」をだらだら言っているだけ。哲学的価値はない。
988 :
考える名無しさん:2012/12/11(火) 03:06:57.33 0
ライプニッツの本職は実務官僚だぞ。
なお、いまの英国王家があるのも、
ライプニッツのつくった主家の家系図があったればこそ
というエピソードもある。
989 :
パジャマ:2012/12/11(火) 03:54:44.59 0
いけね、スレチかもしれんが、科学社会学について語る。
B.ラトゥールって、どう思う?
「主体‐客体」という近代的二分法からの脱却という問い に対して
「人間‐非・人間」によるアクター・ネットークという「ノン」・モダンの決着法を提案する
らしい@/ja.wikipedia.org/んだけど。
これって、ドゥルーズの生成変化と似た発想なのかなぁ?
Hammerstein oder Der Eigensinn: Eine deutsche Geschichte
991 :
考える名無しさん:2012/12/11(火) 09:34:59.66 0
取りわけ重要なのは、われわれの身体が歴史性を帯びているだけでなく、歴史的生命がわれわれの身体を
通じて自己を実現するということであるが、《我々の身体は非合理の合理化の機関である》(西田)とはどうい
うことであろうか。西田によれば、身体なくして見ることはないということから、われわれの身体は知覚的であるが、
それだけでなく、ロゴス的である。話すということなしには理解することがなく、また理解するということなしに、は話すことがないのである。われわれの身体的自己はことば(ロゴス)を持つものとして歴史性を帯び、したがって、
混沌とした現実の非合理をロゴス化(合理化)する働きをもつのである。(中村雄二郎著「西田幾多郎」岩波文庫)
もし、ドゥルーズ的身体論を上に似たようなものとして解することがあれば、ほとんどヘーゲル主義とかわらないものになるが、
そういうものが少なからず見受けられるように思えてならないのである。
992 :
考える名無しさん:2012/12/11(火) 09:46:12.40 0
ドゥルーズは一元論や
994 :
考える名無しさん:2012/12/11(火) 11:45:36.38 0
一般に分裂病者の〈滅裂思考〉とか〈分裂語症〉とかいわれているものは、西田の〈場所の論理〉の観点からすれば、
〈「異次元」の述語面によって統一された思考や言語の様式〉だということになる。すなわち、ここでいう(非連続的な主語面
に統一的連続性を付与する述語面が全く異質なものとして統一された場合の)〈見知らぬ述語面〉
とは、まさしく西田の云う〈超越的述語面〉(述語化方向の極限)あるいは〈絶対無〉にほかならないと考えられ
分裂病者の場合、それが現実的な〈相対無〉や〈有〉との結びつきを失って、隔絶的なかたちで〈有の場所〉に出現したものと考えられる。(中村『西田幾多郎』)
>>991 残念ながらドゥルーズにはそのようなものはありませんね。
997 :
考える名無しさん:2012/12/11(火) 12:12:55.59 0
私もおおむねないと思うよ。
それをあるかのように解釈する人たちがいる
ということが問題なのだ。
998 :
考える名無しさん:2012/12/11(火) 12:17:13.63 0
付言すれば、中村のいう「身体」というのは、
ほとんど「統覚」の言い換えなのだが、
ドゥルーズ的身体というものは、
むしろ統覚(=反省)を拒否したものなので、
だから、あきらかに違うわけだ。
ところが、一部の人は、いかにも反省的な、穏当なものに、
解釈したがっている感がある。
996さんがいうように、995さんの具体的な論説がほしいね。
『読んでいない本について堂々と語る方法』読んだ?
あれはいい本だよ!読んでみるといいよ!
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